krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

「仏陀の癒しと心理療法」の感想

はじめに

拙ブログはリンクと引用を中心に構成されており、ブログ作者による自由な文章記述の余地は少なくなっています。しかし、自由な文章記述の部分をより多くしたエントリを作成しようと思い立ち、次に紹介する本の読書感想を主体とした本エントリを作成しました。ただし、拙ブログの基本的な編集方針とは異なるため本エントリは期間限定の臨時公開とします。ちなみに、 a) 本エントリにおいて、「あるがまま」と「ありのまま」を使い分けていることがあります。この場合には、前者は「森田療法」(例えば参照)を考慮しており、後者は考慮していません。ただし、引用においては原文を優先させています。 b) 本エントリ削除後に改訂作業してからの復活又は他の拙エントリ公開・改訂における、本エントリの一部記述の採用があるかもしれません。

(2019年10月26日追記:様々な状況を考慮すると本エントリの公開終了を検討する段階には至っていません)

≪主な改訂の履歴≫
2019年10月26日:文章の削除をはじめとした追記と変更を含む大幅な改訂を行いました(本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。

読書の感想

精神科医及びカウンセラーについて

平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)を読んだ感想及び精神科医及びカウンセラーについて以下に記述します。

ちなみに、本エントリ作者の見解では、優秀な精神科医・(心理)カウンセラーは特に面接術*1が優れており*2、よろず相談(例えばここを参照。*3)として、様々な悩み・苦しみの相談に彼らが気軽に応じてくれるならば、例えば、(1)[「自分で考える」、「自分で決める」、「自分で行動する」、「自分の行動の責任は自分がとる」、「自分がほんとうのところ何を求めているのか」(引用参照)]、(2)[(何事にも)「ほどほどの感覚でいく」、「ほどよい加減を考えていく」(ここにおける引用の「患者は中道が困難」項を参照)]、(3)[「症状を受け止め、症状を持ちながら生活する」(引用参照)]に関連した相談をはじめとして、様々な特性を有して、悩み・苦しみ又は生活に支障がある方々の相談にも適しているかもしれないと考えます。ちなみに、精神疾患において、未診断(放置)、誤診及び/又は誤治療により、長期間にわたり治療が進まなく、ご本人及び/又はご家族が困っていることを示す引用例は他の拙エントリのここここ及びここに示します。

注:上記『「自分で考える」、「自分で決める」、「自分で行動する」、「自分の行動の責任は自分がとる」』に関連するかもしれない、 a) 「何よりもご自身に努力をお願いしなければなりません」についての引用はここを参照して下さい。 b) 加えて、不安定な愛着から回復しつつあるケースでは、「自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていく」状況であることについての引用はここを参照して下さい。

特性例としては、例えば、(1)臨機応変な対人関係が苦手」、(2)「暗黙や言外という概念の理解が困難」 *4ここを参照)[これに関連して、想像力に障害がある〔ここの③想像力の障害 及びここの(3)想像力のズレによる常同反復・こだわり をそれぞれ参照*5〕、経験が目の前にあるもので飽和し余白もない(3)『「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の理解が困難』(ここのリンク先を参照)、(4)冗談やからかいが通じない」、(5)「微妙な空気を読むことが困難」(ここここここ及びここを参照)、(6)両極端で二分法的な認知に陥ってしまう」[これに関連して、「敵か味方か」といった極端な認識をしてしまう〔ここのリンク先を参照〕、ハイコンストラスト知覚特性高過ぎるプライドと劣等感が同居している〔ここの「④高過ぎるプライドと劣等感が同居」項を参照〕]、(7)仕事の優先順位がわかりにくい」[これに関連して「細かなことに著しくこだわる」]、(8)興味の偏りが著しい」、(9)「助けを求めるのが苦手」(ここ及びここを参照)、(10)物事を何でも簡単に信じてしまう」、(11)「誤学習してしまう」(ここここ及びここを参照)、(12)「森を見ずに木又は葉を見てしまう」[木又は葉を見ただけで、森を見ずに安易な判断をしてしまう](ここを参照)[これに関連して、物事をありのままに見ないで、自分が望むように見てしまう〔注:観察する自己を強調する場合は、(45)を参照〕、確証バイアスにとらわれている主観的な世界から全く脱却できない見通す力がない並列処理(マルチタスク)が困難一事が万事〔ここここ参照〕、視点の切換えが困難「定点観測者」となってしまう自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる揚げ足を取ってしまう又は重箱の隅をつついてしまうシングルレイヤー思考特性である視野狭窄である〔ここの『「とらわれ」というワナ』項を参照〕]、(13)「ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」(ここ及びここここを参照)、(14)自分が他者からどのように思われるか気にしない」、(15)余計なことを言う」、(16)実際の経験によらなければ学べない」[「人の振り見て我が振り直せ」が困難]、(17)「コミュニケーションの問題がある」(ここここここここここ及びここを参照)[これに関連して「交渉ごとが苦手」〔ここここを参照〕*6]、(18)認知様式が主にボトムアップ型で全体へとまとまりあがりにくい」[これに関連して「理念形成が困難」〔ここを参照〕]、(19)「見知らぬ場所や新しい環境が苦手」(ここここ *7を参照)、(20)「アサーティブな主張が困難」(ここの「アサーティブな生き方」及び「アサーション」関連を参照)、(21)「認知のかたよりがある」(ここの P13 、加えて、ここここここ及びここを参照)、(22)不適応的スキーマを有し、これを手放すことができず活性化してしまう*8(23)「多動性・衝動性及び/又は不注意が著しい」(ここ及びここを参照)[これに関連して「注意の配分が苦手」]、(24)情動調節の不全がある」、(25)心的等価モードになってしまう」、(26)「トラウマを負ったことによるフラッシュバック又はタイムスリップ現象(リンク集を参照)に圧倒又は翻弄される」[これに関連して「記憶が消えなくて苦しむ」]、(27)「怒りのコントロールが困難」(ここここ及びここ参照)[これに関連して、少しの情動喚起で闘争モードになってしまう〔ここ及びここを参照〕、自己愛的な激しい怒りにとらわれる]、(28)「クレーマーになってしまう」(ここ及びここを参照)、(29)「枠組みのない又は構造化されていない状況が苦手である」(ここの「枠組みのない状況が苦手である」項及びここを参照)、(30)「(生活上の何らかの破綻に端を発し)鬱憤をぶちまけてしまう」(ここ参照)[これに関連して、「理想化後にこき下ろしてしまう」〔ここ及びここを参照〕]、(31)目的論的モードでの行動を取ってしまう」[これに関連して「暴発や行動化を起こしやすい」〔ここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項を参照〕]、(32)7つの激しい感情が噴出してしまう」、(33)投影同一視をしてしまう」、(34)「自己と他者の境界が暖味になる」(ここの「②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい」項及びここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照)[これに関連して、「相手が自分と同じ道を歩いていると思いこんでいる」〔ここここのLesson4 *9を参照〕、「自分の基準でしか、相手を見ることができなくなる」〔ここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照〕、「自他未分である」]、(35)「過大なアラジンの魔法のランプ願望がある」(ここの「アラジンの魔法のランプ願望」項を参照)[これに関連して「非現実的な救済願望がある」〔ここの⑥項を参照〕]、(36)「心から安心することができなくなる」(ここの「心から安心することができない」項を参照)]、(37)「思い通りにならないと攻撃されていると思ってしまう」(ここの「思い通りにならないと攻撃されていると思う」項を参照)[これに関連して、『「妄想・分裂ポジション」に陥ってしまう』、『病的な「躁的防衛」をしてしまう』〔共にここの「思い通りにならないと攻撃されていると思う」項を参照〕、その瞬間瞬間に生きている]、(38)「生理的症状と心理的症状の相互混乱がある」(ここの⑤項を参照)*10[これに関連して「自分の感覚によりネガティブな気持ちになってしまう」〔ここここ *11を参照〕]、(39)「成人期のアタッチメントが安定自律型ではない」*12(40)規則正しい時間を作ったり守ったりすることは極めて苦手である又は睡眠時間が極端に短かったり乱れている」、(41)「離隔(離人感や体外離脱体験など)がある」(ここの「症候学」項及び/又はここで紹介されている本*13参照)、(42)「区画化(健忘や人格交代など)がある」(ここの「症候学」項及び/又はここで紹介されている本*14参照)[これに関連して「激烈な記憶の断裂がある」〔ここの②項を参照〕]、(43)「失感情症(アレキシサイミア)である」(ここ及びここ参照)、(44)『「非定型うつ病」のような気分変動がある。すなわち、本人にとって都合の悪いことに対面すると気分が沈み込んだ状態が続くものの、よいことや楽しい出来事があると、それまでの不調がウソのようにたちまち元気になる。』(ここ参照)[これに関連して、(非定型うつ病の特徴としての)「拒絶過敏性がある」〔ここを参照〕*15]、(45)『「平静の祈り」で示されるような深い叡智が欠如していて、受容と変化のバランスがとれない』(ここを参照)[これに関連して、「観察する自己が機能せず、ものごとをあるがままに見ることができない」〔ここを参照〕〔注:森を見ずに木又は葉を見るや視野狭窄を強調する場合は、(12)を参照〕]、(46)「精神内界における悪循環(とらわれ)や思想の矛盾がある」*16ここの「森田療法の基本的理論」項、ここの「思想の矛盾」項、及びここを参照)[これに関連して「精神交互作用の悪循環に陥る」]、(47)破局的思考・解釈をしてしまう」(ここここここを参照)[これに関連して、「何らかの身体的な徴候や感覚がきっかけとなって、破局的な思考が引き起こされる」ことについてはここここを参照)]、(48)「人格の低下がある」*17ここ参照)、(49)「注意制御機能が低下している」(ここここを参照)、(50)「過敏等により、ストレス応答が非常に生じやすくなっている」[聴覚過敏及び/又は雑音過敏についてはここを、発達障害における感覚過敏についてはここを、これらを含めたより幅広い過敏については『岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)』[注:タイトル中の「HSP」は Highly Sensitive Person(敏感すぎる人)の略語です(同本の P7 より)。ただし、HSPという概念を提唱したエレイン・N・アーロン博士とは、この用語の定義が一致しないようです。]をそれぞれ参照して下さい。加えて、これに関連するかもしれない「身体感覚増幅」(ちょっとした身体感覚が大きく増幅されて気になる症状として感じてしまうこと、これに類似するかもしれない(46)関連の「精神交互作用の悪循環に陥る」も参照して下さい)についてはリンク集を参照して下さい。一方、 a) 柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の P36~P37 によると、解離性障害(解離症)における過敏についての次に引用(『 』内)する二つの記述(P36~P37)があります。 『知覚過敏を伴う 気配や周囲の人に過敏になっているため、聴覚や視覚などの知覚に過敏症状が出ることも多い。』、『周囲の気配や刺激に対し、必要以上に敏感になっている状態で、気配への過敏と対人への過敏があります。』(注:気配への過敏については同本の P16~P17 を、対人への過敏については同本の P18~P19 をそれぞれ参照して下さい。加えて「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」) b) ストレス応答については例えばここを参照して下さい。なお、ストレス応答が行動面において表出される場合は、上記(27)の①項を重視した方が良いかもしれません。] が挙げられます。さらに、仏教思想の視点からは「放逸」(煩悩に支配されている状態)や(言葉の世界全体から距離を取れていない)「されど言葉」も挙げられます。加えて後者に関連する、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の視点からの「言葉の世界全体から距離を取る」があります。

さらに、身体症状(注:様々な精神疾患又は身体疾患において現れるので、鑑別が必要)又は転換性障害(変換症)[例えば他の拙エントリのここ及びWEBページ参照]の症状(注:特にてんかん[癲癇]との鑑別が必要)についても、必要に応じて相談すれば良いかもしれません。加えて、鉄欠乏性貧血も精神科医の中で話題となっているようです。他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方で、精神科医が患者の悩みも苦しみもすべて解消してくれるかのような、過大な期待に対するリスクもあり、「悩める健康人」の「うつ」におけるこのリスクについては、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行) の はじめに の「うつを治せる精神科医はいない」における記述の一部(P19~P21)を次に引用します。

うつを治せる精神科医はいない

「私にできることといえば、患者さんに『こうすれば治るかも』と提案するだけ。治すのは私ではない。あなた自身です」
私は、うつの初診患者さんに、こう申し上げることがあります。患者さんは驚きます。不安になります。「大丈夫だろうか」、そう思います。でも、私は、こう返答せざるをえません。
「大丈夫ではありません。あなたがこれまでと同じような生活を続けていたら、うつはなかなか治らないでしょう。『先生、治してください』とおっしゃる前に、生活を変える、習慣を変える、行動を変える、それが必要です。このままではいけない。私は、気休めや、慰めを言うつもりはありません。今のあなたに必要なのは、『癒し』ではありません。『危機感』です。何よりも『危機感』をもって、現状を変えなければなりません」
うつの患者さんの大半は、生活習慣が乱れています。働き盛りならば、短時間睡眠、不安定な睡眠・覚醒リズム、アルコールの乱用、シニア世代なら運動不足、極端な孤独など。しかし、この生活習慣については、皆さんはほとんど危機感を抱いておられない。残念ながら生活習慣の問題を是正することなく、ただ薬を飲んでもうつは治りません。
生活習慣の改善は、患者さん自身が取り組むことが必要です。「医者に丸投げ」ではなく、何よりもご自身に努力をお願いしなければなりません。他力本願では治るはずの人も治りません。
では、精神科医は何をするのか。それは、患者さんと話し合って、「できることから始めましょう」と提案することなのです。問題は錯綜しています。患者さんは混乱しておられます。でも、順を追って解きほぐせるところから解きほぐしていきましょう。寝不足の人は十分眠っていただく。その場合、「6時起床、23時就床」などと具体的に目標を決めたほうがいいでしょう。酒を飲みすぎている人は、量を半分にする、1日おきにする、あるいは、いっそのこと断酒していただく。最初の数日はただ生活習慣の是正だけを行う。それだけで疲労はとれ、脳はクリアになります。そうなったところで、うつをもたらした事情をひとつずつ解決していきましょう。
事情はさまざまです。過重労働、多重債務、人間関係など。これらは、混乱した頭では解決策が浮かびません。しかし、脳を休めた後であれば、「あの人に頼もう」とか、「弁護士に相談しよう」などといった建設的な打開策が浮かんできます。
患者さんのなかには、素晴らしい精神科医に巡り会えて、自分の悩みも苦しみもすべて解消してくれるかのような、法外な期待をしている人がいます。でも、医者に期待したってしょうがない。なによりもあなた自身の可能性にかけてみましょう。(後略)

加えて、不安定な愛着から回復しつつあるケースでは、「理不尽な支配やとらわれから自由になり、ありのままの自分を受容する」のみならず「自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていく」状況であることについて、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第三部 両価型愛着・二分法的認知改善プログラム の 第三回のワーク 愛着と両価型 の 心理教育・愛着と両価型愛着について の「安定型になるためには」における記述の一部を(P233~P234)を次に引用します。

(前略)実際に、不安定な愛着から回復したケースで、何が起きているのかを見ていくと、どうすればいいのかが見えてきます。それは、両価型に特徴的な以下の課題を克服することです。

①振り返りの力を高めて、自分や相手を客観的に見られるようになる。
②自分を律する力を高めて、気持ちや行動が過剰反応しない冷静さを身につける。
③理想的な状態やこうあるべきだという基準や期待にとらわれすぎず、ありのままの相手やありのままの自分を肯定的に受け入れる心の柔軟性を手に入れる。
④愛着関係で自分の身に起きたことを整理し、自分なりの理解や納得を得ることで、未解決だった心の傷やそれによるとらわれから、少しずつ自由になる。
⑤自分のことは自分で決め、自分で行動する力を身につける。

自分を振り返り、自分も含めた物事を客観的に見る力を高めるとともに、現実の愛着関係で起きたことを整理し、そこで負った傷によって知らず知らず気持ちが過剰反応してしまう状態に、自分なりの納得とコントロールを取り戻すことが求められるのです。それによって、理不尽な支配やとらわれから自由になり、ありのままの自分を受容し、自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていくのです。(後略)

注:引用中の「不安定な愛着」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

読書の感想(箇条書き)

ここからは、この本の理解・感想等を思いついたままに箇条書きします。ただし、本エントリ作者は医学のみならず仏教にも初心者であること、本エントリ作者の筆力に限界があること等により、奥の深い記述は期待しないで下さい。さらに、用語の整理があまりできていないかもしれません。

①心の病の患者であろうとなかろうと、我々凡夫は誰でも様々なやその背後にある欲求・煩悩・執着・こだわりを抱えて生きている。これらが強くなり過ぎると、心の病に陥る可能性が高くなる。視点を変えると、心の病は、苦を受け止めることができなくなり、苦の悪循環が生じる結果(ここの「四諦と異常意識からの脱却」項参照)でもある。

②これらの苦を受け止める(ここの「苦を受け止めるとは?」項参照)ことに加えて、ほとんどの心の病は、根底に過度の欲望・執着・こだわりが潜んでいるので、後者の治療とは、それらを「ほどほどの欲求・執着・こだわりに変化させること」、執着・こだわりにふりまわされている状態から、執着・こだわりを自由にプラスになるように使いこなすという「主体性の回復」と言える(ここの「四諦とは?」参照)。視点を変えると上記「苦の悪循環」を良循環に転換できるように助けることが治療の目的となる(ここの「心の病は、苦の悪循環の結果」項参照)。ちなみに、スキーマ療法によると、早期不適応的スキーマがさまざまな状況において活性化されることで、例えばパーソナリティ障害の症状がもたらされるようだ。早期不適応的スキーマを手放し、ヘルシーモードを育み強化することが治療につながるようだ。

③従って、心の病は特別なものではなく、我々凡夫がいつでも陥るリスクを有するものである。視点を変えると、大事なことは、(人間の)心は身体と同様に、健康な部分と病的な部分(例えば、神経症部分、うつ的部分、心身症的部分、統合失調症的部分、依存症的部分、境界例部分など)があって、病的な部分が増えて、生活に支障が出てくると病気と呼ばれるだけで、健常者と病者の間に境はなく、程度問題だということである。(P216)
これに関連しないかもしれないが、ちなみに、自閉スペクトラム症はその名の通りスペクトラム(連続体)であり、一般人(定型発達者)から、発達凸凹非障害自閉症スペクトラム)、自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害)まで、様々な方々が存在する。このことを示す図は、例えば次の資料「発達障害から発達凸凹へ」の図1(P12)を参照して下さい。

④不幸にも、心の病に陥った場合にも、上記のような位置どりの精神科医又はカウンセラーをうまく選定し、かかることは有力な選択肢の1つである。ただし、精神科医又は/及びカウンセラーに援助してもらっても、悩みの解決は自分でするものという自覚を忘れないようにしないと治療が進展しないリスクがある(例えば、ここの「[事例G解説]」参照)。

⑤中道(極端でないこと、ここにおける引用中の「第2項」参照)が大事である。中道を見つけられない又は中道から逸脱すると周りの方々を振り回すことにもなりかねない。その例はここ及びここ参照して下さい。

仏陀は合理的な人生態度を探求したと思われ(ここ参照)、加えて、記録に残る最古の優秀なカウンセラーでもある可能性が高いのではないか(ここ参照)。

神経症においては、必要に応じて「精神相互作用」(別名である「精神交互作用」としてここを参照)に注意する。

⑧心の病の水準*18と苦諦との関係は次の通り。統合失調症(例えばここ参照)等の精神病水準では苦諦すら認識できず、境界例水準では苦諦は実感できてもそれに直面できず、ましてや集諦は認識できない。神経症(例えばここ参照)水準では、苦諦、集諦、滅諦までは理解できても、道諦の実践ができないといったことになるかもしれないとのこと(P296)。注:四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)についてはここを参照して下さい。

精神疾患の診断における注意点:a) 今この患者の健康部分はどの程度か、病的部分で優勢なのはどれとどれかといったところを診ること。 b) 診断は暫定的で仮のものであっていつ変わるかわからない。(P216)

⑩(気付きの生かし方に関連して)気付いていったいくつかの点を今後にどう生かしていくかという点に焦点を絞る。この時の基本になる考えは、プロテスタント神学者ラインホールド・ニーバーの祈り(又は平静の祈り:他の拙エントリのここを参照)である。(P265)

⑪薬は悪循環から良循環への刺激因子すなわち応援部隊である。薬は万能ではなく方便・手段である。薬も、応機説法と同様に、その時その病人にあった薬を処方するのが大事である。(P316~P317)

⑫(苦や欲求や執着や煩悩への気付き後に関連して)煩悩そのものの有り様と、その煩悩の背景を成す欲求や執着を良く見て、適切な態度を取って欲しい。(P418) 加えて、この点についての箇条書き(P418)を次に引用します。この引用はここにおける引用の「治療者としてなすべきこと」項と関連します。

①執着はほどほどにすることが一番心が安らぐことが多い。
②しかし、何かに徹底して執着しこだわり続けるという態度があってもいい。
③極端に執着する態度と、何の欲望も執着ももたないという態度の中に無数の選択肢がある。
④どの選択肢をとっても辛さは残る。
⑤その中で一番納得する選択・決断をすることが大事。
⑥患者はこの決断が苦手。
⑦治療者はこの決断を助け、患者の選択・決断能力を引き出すのが役目である。
⑧この選択・決断の繰り返しの中で患者は成長する。

余談

以下に示すように、この本の記述の一部を複数引用します。

(a)仏陀の癒しと心理療法からの引用

(1) 四諦、中道、縁起について、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の「第1項 四諦ついて」、「第2項 中道について」及び「第3項 縁起について」における記述(P29~P38)を次に引用します。

第1項 四諦について
四諦とは?
第1節でも述べたように、治療者として最初に仏陀から教わったのは、四諦という教えであった。四諦とは、言うまでもなく、苦諦(この世や人生は苦であるという真理)、集諦(苦をもたらす根本原因は、世の無常と欲望に対する執着にあるという真理)、滅諦(苦を滅するためには煩悩をコントロールし、執着を断つことが必要であるという真理)、道諦(滅諦に至るためには、八正道の正しい修行方法によるべきであるという真理)のことである。(注:減とは、パーリ語で nirodha の漢訳語であるが、本来は消滅というより、心や感覚器官を制しておさめるというようにインドでは考えられている。したがって、減とは、苦や欲望の消滅ではなくて、ほしいままに動き回る欲望をコントロールし、苦しみを閉じ込めてしまうことだと考えておく方がいいであろう。決して欲望の否定ではない)
結局、ほとんどの心の病は、根底に過度の欲望・執着・こだわりが潜んでおり、治療とは、それらを「ほどほどの欲求・執着・こだわりに変化させること」、執着・こだわりにふりまわされている状態から、執着・こだわりを自由にプラスになるように使いこなすという「主体性の回復」と言える。

四諦による治療の明確化
筆者が危機的状況にあったころ、インドに行く機会を得、その縁で初めて仏典に触れることになり、そこでこの四諦の教えに出会ったのが、仏陀との初めての出会いであることは既に述べたとおりである。当時、欲望や我執に苦しめられていた筆者にとっては、非常に有り難い教えとして、自分の中に沁み込んできた。
この四諦を知った後、筆者は、常に欲求や煩悩や苦を中心にして、人間や病気や治療のことを考えられるようになり、その結果それらに関する見方が、次のように単純化された。
その第一命題は、人間は生まれてから死ぬまで、欲望や煩悩を常に持たされている存在であるということである。
そしてそうした欲望は、たいてい満たされないことが多く、また満たされたとしてもそれは束の間の時間であり、人間は絶えず欲求不満の状態に置かれる。
さらに、この不満といった苦の状態が強く、しかも長く続くと憂鬱、苦悩、絶望といった抑鬱状態に陥るであろうし、また今は満たされていても将来満たされないのではないかと心配したり一層悪いことが起きるのではないかと心配すると不安状態になるであろう。さらに人間は幾つもの相反する欲望を同時に持たされることが多く、それらに引き裂かれて葛藤状態になることが多い。
そして、このような抑鬱感、不安、葛藤といった重い苦(日常抱く欲求不満は軽い苦と呼んでいいのかもしれない)をなんとか受け止められると健全と言えるのであろうが、これを受け止められないといわゆる病的状態に陥ると言える(ちなみに、筆者はこの病的状態を、神経症的反応、うつ病的反応、心身症的反応、精神病的反応、直接逃避、行動化的反応、依存的反応等と勝手に分類しているが、治療を進める上でとても便利だと感じている)。

苦を受け止めるとは?
ところで、この「苦を受け止める」というのは、どういうことかというと、まず第一に苦があるのは人間として当然のことであると認識することであり、第二に苦を抱えながら日常生活や対人関係をなんとかこなし、第三に身体も健全さを保ち、第四に自分の苦の有り様と苦の原因である執着との関係をよくわかっていてしかも執着を程よくコントロールできており、第五に自分の苦に対する対策や見通しをある程度立てられることであり、最後に抑鬱、不安、葛藤というのは否定的な面だけではなく、自分や世界についての認識を深めるものであり、生活や創造の源泉なのだというように捉えていることだと考えられる。
逆に受け止められないということは、この六つのことができないと同時に、病的症状が出現する事態だと考えられる。

治療者としてなすべきこと
このように考えると、治療者のなすべきこととして、以下の事が挙げられることになる。
①まず患者がいかなる症状や苦に悩まされているか。
②その苦の背後にはいかなる欲求・煩悩があり、執着があるか。
③その欲求・煩悩・執着はほどほどか、強すぎるか(臨床的事態になる時はたいてい過度の執着がある)。
④その過度の執着からいかにして脱していくか、いかにして執着をほどほどにしていくか。執着に振り回されている状態からいかにして執着を有益なものとして使いこなせるようにするか。執着に振り回されない主体性を引き出していくか。
⑤苦をいくらかでも和らげると同時に、苦を受け止めていくためにはどうしていったらよいか。
といったことを、患者と共に考えていくこと、という根本原理が見えてきたのであった。
以上のように単純化できてからは、かなり事態が複雑になっている患者と出会っても、絶えずこの四諦の教えに戻って考えてみることで、問題の整理がついたように思われた。

四諦と異常意識からの脱却
また、それだけではなくこの四諦の教えは、患者の異常意識を和らげるのに役だった。というのは先述したように、患者は抑鬱、不安、葛藤といった苦を当り前だと考えたり、それを引き受けるといったことができず、それらを異常と考えたり、それを持っている自分は異常な人間になったのではという恐れを感じていることが多い。つまり、苦諦という第一聖諦を認識できていない。
人間は今挙げたような苦しみがとても辛いので「それらが常のものでない。常と異なるものであって欲しい」と考えてしまいやすい。そして異常な現象としての苦の消滅を願うが、なかなかそれが消えないと、今度は「このような異常な苦を持った自分が異常な人間になった」と感じやすい。そして、それは異常意識となってその人間に襲いかかり、今度はその異常意識がその人間を苦しめるのである。ここに不幸な悪循環が生ずる(病気とは悪循環の一つの結果だと考えていい)。
それゆえ、治療場面でこの点について話し合うことで、患者が「自分の苦しみは人間に共通するものだ」「お釈迦様も同じような苦を背負っていたのだ」と認識できれば、それだけでも患者の苦しみは和らぎ、苦を引き受けやすくなってくるのである。
患者は、苦を排除するという不可能なことをしようとするので、かえって異常意識や苦を強めてしまうのであろう。

第2項 中道について
中道とは?
次に、苦を和らげそれを引き受けやすくするには、煩悩のコントロールや執着からの脱却という滅諦が治療目標となるわけであるが、それを実現させていくものとして、道諦つまり八正道がある。そして、この正しい道というのが、筆者には中道を指すものと思われる。中道は、極端を排するということで、例えば極端な快楽を排すると同時に極端な苦行をも排するといった考えである。これは簡単に到達した結論ではなく、釈迦が死線をさまようような激しい苦行の末に悟った貴重な教えである。

患者は中道が困難
さて、中道という観点から患者を眺めてみると、いかに患者が中道から離れ極端に偏しているか、また執着に捕らわれているかがよくわかる。例えば自己反省はとても大事なことであるが、これが極端になるとあらゆることに自責的になりうつ状態に陥るであろうし、逆にまったく自己に対する反省がなく他責的ばかりだと、例えば被害妄想や境界例のようになってしまうであろう。
また確認は必要な行為であるが、行き過ぎると強迫のような状態になるであろうし、逆に見直しをまったくしないで行動すると、衝動行為のようになってくるであろう。
さらに欲求を抑えることは大事であるが、抑え過ぎてまったく引きこもったりしてしまったり(自閉状態が主になった統合失調症など)するのも問題であるし、逆にまったく抑制が効かない(躁状態など)というのも問題である。
また仕事に励むことは大事だが、行き過ぎると過労死や過剰適応を主とする心身症等になるであろうし、仕事をまったくしないのも、退却症等さまざまな病気の状態と言えるであろう。
執着にしても、まったく執着しない状態だと生産的で創造的な人生が送れなくなるだろう。他方、執着し過ぎると体も心も人間関係も壊れてしまうし、病気になるだろう。ほどほどに執着し、執着を上手くコントロールし使い分けることで物事や難事業の達成が得られる。怒りもほどほどであれば身を守り、適度な自己主張に昇華するのである。
こうした例は挙げていけば切りがないが、患者を診る時の重要な視点として、患者がどのような極端に偏しているかを見ていくと、問題が大変わかりやすくなってくる。そして、患者との間で、このことが話し合われると、「ほどほどの感覚でいくこと」「ほどよい加減を考えていくこと」が、絶えず大事な治療目標となってくる。

中道の主体性――ほどほど感覚の重要性
ただ、この道諦、正道、中道すなわち「ほどほど感覚」というのは、言うほど実現が簡単なことではない。つまり中道というのは、単に中間ということではなくて、極端を排するといったことであり、したがって極端と極端との間には無数の中道があり、これが正しい中道だという基準は全然ないのである。そこで、中道やほどほどをどのあたりにするかは、結局自分で決めねばならず、そのためにはその人の主体性が強く要求されるわけである。またその判断の結果はもちろん本人が引き受けていかねばならない。そう考えると、そこの中道を実現させていくのは大変重大な決断になるであろう。

中道とは自由自在である
また、さらに連想を進めると、この中道というのは、絶対化を排して常に相対化を進めること、とらわれから脱した自由な思考や行動を目指すこと、そしてそこに主体的な決断を醸成していくことであると考えられる。したがって、最終的には「中道」という教えにもとらわれない生き方が、一番中道的であるとも言えるのであろう。そして結局それが治療であり自由自在の生き方となると思われる。主体性の後退した患者は、この自由な生き方や中道が苦手で、どうしても一つの固定観念に偏したり、極端になってしまいやすいのである。

第3項 縁起について
縁起とは?
さて、苦を和らげ引き受けていくことから、道諦、正道、中道、自由と考えていく中で、とらわれからの脱却が大きな課題となってきたようであるが、そのことに関連してさらに影響を受けたものとしては、縁起と空の教えであった。
縁起とは、因縁生起のことで、他との関係が縁となって生起するということである。また因とは結果を生ぜしめる内的な直接原因のことを言い、縁とは外からこれを助ける間接原因のことを言う。
仏陀はさらにそのことを「相応部経典」の中で「(一切の存在の有り様は)すなわち相依性にある」と述べており「一切の存在の有り様は関係の中に成り立っている」ということを強調しているようである。となると、一切は関係であるということだから、存在するものには実体がないという空の教えに近付くことになるように思えた。

病状と関係性
この縁起と空の教えは臨床において以下の考えへと筆者を導いていった。それは、病気や健康といったものがまったく実体を持たない相対的な概念であると同時に、病名や病態は関係の中でいくらでも変化するといったことであった。
例えば妄想や幻聴を訴える患者と出会った時、医者によってはその妄想がどんどんひどくなる場合もあれば、逆にそれらが減少していく場合もある。このような例は無数に挙げることができるし、また医者の態度だけではなく家族や周りの関わり方でも、随分と患者の状態が変わってくる。つまり病状とは、患者と医者(さらには両者を取り巻く人々)の合作なのだが、残念なことにまだ現在では、患者だけが診断され、患者を取り巻く関係性の診断がなされているところは少ないようである。
いずれにせよこの関係性ということから考えていくと、かなり難治の患者が来ても、そうなってきた因縁を探ることにより、いくらかでも悪縁を除き、良縁を呼び込むといった態度で接していくと道が開けてくると言える。しかし、逆に言えば易しそうに見えてもこちらの態度いかんで難治例になってくることが多い。昨今の境界例やパーソナリティ障害などの難事例は、特にそれが言えそうである。
また、健康にも病気にも実体はないわけだから、悪化しても良くなっても、そのことを考えておけば、そんなに一喜一憂しなくてすむであろう。したがってそれらにとらわれることなく自由性を保持できるとも言える。そして治療者が自由であればあるほど、患者の治癒力が開発されていきやすいのは言うまでもないであろう。

注: i) 引用中の「八正道」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「八正道」、『苦を滅する道「八正道」 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー②』 ちなみに、八正道の一つである「正念」の「念」は、現代の「マインドフルネス」(例えば、他の拙エントリのここ及び次の資料「日本の心理臨床におけるマインドフルネス」をそれぞれ参照して下さい)に相当するようです。ただし、仏教用語としての「念」と臨床心理学用語としての「マインドフルネス」は同一ではないと本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「境界例」及び「パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集(用語:「境界性パーソナリティ障害」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「苦」について、仏教思想の視点からは他の拙エントリのここ及びWEBページ「間違えられた苦の原因 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー①」を参照して下さい。加えて、上記「苦」の根本原因は「無明」であること、そして上記無明の原義は『「見ないこと」。(すなわち)あるがままの事実を見ないこと』との記述を有するツイートもあります。また、上記「あるがままの事実を見ないこと」に類似するかもしれない「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては他の拙エントリのここここを、これらの逆かもしれない「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。その上に、上記「苦」については次の (2) 項も参照して下さい。

(2) 臨床現場における患者の苦しみについて、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第2章 心の病と苦 の 第2節 臨床における苦-苦と病の関係 の「第1項 患者の苦しみ」における記述(P63~P65)を次に引用します。

苦一覧
それでは、肝心の臨床現場における患者の苦しみはどうなっているのだろうか。思いつくままに挙げてみると、
①不安、恐怖、強迫、パニック、心配、気がかり、気苦労、心労、危惧、懸念、対人恐怖、醜形恐怖など
②憂鬱、絶望感、無気力、無感動、自己否定、自信喪失、罪悪感、自罰感情、劣等感、希死念慮、自殺願望、思い煩い、憂悶、むなしさなど
③イライラ、怒り、モヤモヤ、不満、不快、瞋、憤り、憤怒、むかつき、家庭内暴力など
④迷い、葛藤、困惑、不決断、逡巡、迷妄、惑乱など
⑤焦り、焦慮、いらだち、焦燥など
⑥身体的苦痛、不眠、食欲不振、過食、頭痛、身体的痛み、麻痺、しびれ、かゆみ、ふらつき・めまい、便秘・下痢、疲労・だるさ・倦怠感、動悸、呼吸困難、過呼吸、吐き気、嘔吐、発熱、体力低下、視力低下、聴力低下、性機能低下など
⑦健忘、思考機能低下、認知機能低下など
⑧解離、分裂、ばらばら、狼狽、自己喪失、脱落意識など
⑨幻聴、妄想、幻覚、作為体験(させられ体験)、異常体験など
⑩他者からの誤解、無理解、拒絶、見捨てられ感など
⑪目標喪失、先が見えないなど
⑫こだわり、とらわれ、執着など
⑬依存、アルコール依存、薬物依存、買い物依存、セックス依存、ギャンブル依存、過食、拒食など
自傷行為、他者への破壊的行為、自己統制困難など
⑮自立困難、過度の依存、一人で居られない、外出困難、日常生活の能力低下、就労不能、金銭管理の無能力など
⑯経済的困窮、貧困、借金など
といったところが浮かんでくるが、これはほんのちょっとした例で、患者の苦はそれこそ先の華厳経の苦のごとく多いものである。

心の病は、苦の悪循環の結果
ところで、これら①から⑯は相互に関連しており、それぞれが原因とも結果ともなりえる。例えば、不安→動悸→恐怖→過呼吸パニック発作→恐怖定着→外出恐怖→外出困難→日常生活能力低下→自信喪失→うつ状態→未来に対する過度の不安、といった具合である。それから言えばこういう悪循環や負のスパイラルの果てに病気が発生するのであろう。これは、心の病だけでなく、身体疾患にも言えることである。
それで、専門家(医師、臨床心理士、カウンセラーなど)に相談することになり、運が良ければ、悪循環や負のスパイラルが断ち切られ良循環が引き出されるのだろう。
ただ、この悪循環の結果は、ある程度の不安定さを有しながら固定化していることが多い。症状や問題点というのは、その患者の歴史の総決算かもしれない。だから、不用意に性急に手を加えると平衡状態が崩壊して一層悪い事態を招くときがある。それゆえ、治療という介入は慎重にせねばならない。

注:引用中の「苦」について仏教の立場からは次の資料を参照して下さい。 「人生の苦を見つめて ―仏教の立場から―

(3) 平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の「第5項 応機説法-仏陀の説法の仕方」における記述の一部(P40~P43)を次に引用します。

仏陀の説法の仕方
以上のように、仏陀は、四諦、中道、縁起という素晴らしい教えを説いたが、一般の衆生、特に追い込まれている患者はなかなかそのことを理解できないことが多い。また理屈ではわかっても実生活でそれを生かせなかったりということが、往々にして生じやすい。
しかし、仏陀は教えの内容だけが素晴らしかったのではなくて、教えの説き方そのものにも素晴らしい技を発揮しており、ここでも学ぶことが多かった。
その説き方の基本は「応機説法」とよばれるもので、これは「その場(人)に応じて法を説く」といったことである。仏陀はあるバラモンに対して「私はこのことを説くということが、私には無い。諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の見解における過誤を見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎを得た」と答えているが、ここの所は大変大事な個所である。
というのは先にどんなものにも実体がないということや、何事にもとらわれない自由な態度が重要だと言ったが、仏陀はまさに何も説かないと同時に、何でも説く、その場その人に応じて、自由自在に説く内容を変えていったと思われるし、時には何も答えないというかたちで応えていったこともあるのであろう。
仏陀の教えの説き方の要約は以下のとおりである。
①相手の立場に立つこと
②相手のレベルや言葉で考えること
③知らないうちに相手に考えさせ反対の立場に導くこと
といったものであるが、この辺の事情をペック(十九世紀ヨーロッパの仏教学者)は「質問に対する仏陀の態度もまた重要である。問われるままに質問に答えるとは限らず、むしろ仏陀は教化によって問うものに回心を呼びおこし、内面的な心霊変化を生じさせるのであって、これによって、問う者は自分の質問の意味からまったく引きはなされ、その質問を思いついた思考のあらゆる前提が、仏陀の言葉によって自分の内部によって呼び起こされた高次の知恵に対しては、対象を失い、意義を失って消失する、ということがわかる」と述べている。この仏陀の態度は一言で言えば、御説を垂れるというよりは、相手に考えさせるといったことだと思われる。

応機説法の例-バラモンの非難に対する応答
この例として、弟子を仏陀にとられたバラモンが、仏陀を非難した時の問答を挙げてみる。仏陀は、バラモンの非難に直接答えずに次のように問い返した。
仏「バラモンよ、汝の家に来客のあることがあるか」
バ「もちろんある」
仏「では、その時には、食事をふるまう時もあるか」
バ「もちろんその通りだ」
仏「では、その時、その客がその御馳走をいただこうとしなかったら、その御馳走は誰のものになるであろうか」
バ「それは私のものになるよりしかたがない」
仏「バラモンよ。今、汝は悪口雑言を浴びせ掛けてきたが、私はそれを受け取らない。したがって、その悪口雑言は、もう一度翻って汝の物に成るよりほかないではないか」
このような問答によって導かれたバラモンは深く反省し、仏陀に帰依していったということである。

心理療法と応機説法
この例でわかるように、相手の立場に立って相手に考えさせていくほうが、しっかりと教えが身につくということを仏陀はよくわかっていたと思われる。
これは臨床でもよくうなずけることで、患者の「これは病気ですか」とか「治りますか」といった重大質問に直接答えるよりも、相手に考えさせていく方がより患者の理解が深まり、身につくように思われる。また、そう考えさせていくことで、実は自分が精神病ではないか、精神病だと治らないのではないかといったかなり核心的な怯えを明るみに出して話し合うことも可能になることが多い。
また対話によって相手に考えさせるというやり方と同時に、相手に直接、体験させるというやり方をとる場合もある。

キサー・ゴータミーに対する応機説法
この例としては、我が子を亡くして嘆きの底にあったキサー・ゴータミーのそれが挙げられる。彼女は、赤ん坊を亡くして半狂乱の状態にあったのだが、仏陀はそれに対し「芥子の実を二、三粒もらってきたら生き返らせてあげよう」という驚くべき約束をする。ただし「その芥子粒は今まで死者を出したことのない家からもらってくるように」ということを言い添えるのを忘れなかった。
村を巡る彼女に村人たちは喜んで芥子粒を提供しようとするが、第二の条件に対してはどこで聞いても「うちはあるじがなくなったばかりで……」とか「うちでは先祖から数え切れないほどの人が死んで、今は私一人きりです」といった返答しかなかった。結局彼女は芥子粒をもらうことはできなかったが、村を巡る体験の中で「結局、死者を出したのは、私の家だけではない。生きている者は必ず死ぬのだ」ということを実感し、精神的な安らぎを得たのであった。
この応機説法、相手に考え体験させるといったやり方は、先述したように、筆者の日常臨床の基本であるが、ここで自験例を挙げる。

注:引用中の「ここで自験例を挙げる。」における自験例の引用は省略しています。

(4) 合理主義者としての仏陀として、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の 第6項 救済者、超越者としての仏陀 の「合理主義者としての仏陀」項における記述(P50)を次に引用します。

ところで、今まで述べてきた、四諦、中道、縁起、応機説法等は、よく考えてみれば、きわめて合理的で、しかも常識的な教えのように思われる。すべて、人間やこの世の世界に関する根本的な理屈を述べているようである。その意味で、仏陀は、この錯綜した世界の中に明確な因果律をもたらすと共に、合理的な人生態度を探求していった最初の人であるように思われる。

(5) 精神科の位置づけ例として、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第5章 求不得苦とうつ病・ヒステリー の 第2節 ヒステリーと求不得苦-事例G の「第2項 身体が麻痺してしまった主婦-事例G」における記述の一部(P129~P130)を次に引用します。

(前略)さて、Gさんは実母に連れられて私の元を受診したが、明らかに精神科に連れて来られたことに不満そうであった。そこで私は〈病院にかかるだけでも辛いのにましてや精神科に、しかも自分の意志ではないのに連れてこられたら、それは辛いですよね〉と言うと、「そうなんです」と少しうなずいてくれた。
これは行けると思い〈ここは名前は精神科・神経科心療内科となっていますが、悩み事のよろず相談所と考えたらいい。ここは援助するところで、精神科医は悩み事相談のプロですから〉と説明すると、また少し心を開いてくれたようであった。そして〈とりあえず事情を聞かせてくれませんか〉と言うと、少しずつ応じてくれた。そこでなるべく本人の身体症状や現在の生活や対人関係に焦点を合わせて詳しく聞いていくと、本人は堰を切ったように喋り始めた。(後略)

加えて、悩み事のよろず相談所的な例としての、身体表現性障害において現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の「はじめに」、「症例2」及び「おわりに」を含む「第12章 身体表現性障害」における記述の一部(P142~P150)を次に引用します。

はじめに――生活背景の幅広い理解が必要

器質的な原因がなく、ストレスなどの心因(心理社会的な要因)によって身体症状が現れる病気は身体表現性障害、なかでも、多彩な身体症状が現れるものは身体化障害と呼ばれている。心因としては、個人の心の悩みや葛藤などを考えやすいが、実際には、現実生活の悩みや苦労が大きく影響していると考えられる場合が少なくない。そのため、その人の心理だけでなく、家族や職場などの生活背景を幅広く理解することが不可欠となる。また、対応も個人精神療法だけは不充分で、生活支援やリハビリテーションなど、幅広い支援が必要となる。本章では、三つの症例を提示し、診かた、対応の仕方について考えてみたい。(中略)

2 生活基盤の不安定さが症状を生み出すことがある

〔症例2〕30代前半の女性、Bさん
Bさんは、20歳前半、結婚した頃に、眩暈(めまい)で倒れ、近医を受診し、メニエール病と診断された。なかなか症状が改善せず、耳鼻科を転々と受診したが、最終的に異常はないと言われたということであった。1年後に、精神科外来を受診し、自律神経失調症といわれ、内服を開始したが、症状はあまり変わらなかった。そのため、数ヵ所の精神科クリニックを転々と受診し、4年後に別の精神科外来を受診した。倦怠感、眩暈、ふわふわ感、ふらつき、肩・首が凝り、嘔気、食欲不振、頭痛などの訴えが続き、これまでの身体精査で異常がないことから、身体表現性障害と診断され、通院治療となった。

母親は統合失調症で長期入院中、Bさんは単身であり、客観的な情報を提供する親族がなく、家族背景、生活背景の正確な情報は得られなかった。Bさんの話によると、「20代前半で結婚し、2子をもうけたが、夫婦関係や子育てがストレスとなり、30歳頃に離婚となった。夫は、うつ病アルコール依存症で入院歴あり、またBさんに言葉の暴力もあった。離婚後は、Bさんは家事・育児ができず、子育ても夫に任せて、一人暮らしをしている」ということであった。

どのように考え、どうしたか
この3年間、Bさんは主治医との診察と並行して、心理士による心理面接を受けていた。また、主治医は、身体症状のために仕事につけず、家に閉じこもりがちとなるBさんに、作業所への通所を勧め、不定期ながら作業所に通所していた。心理面接を担当していた心理士は、いくつかの点で、Bさんの理解と対応に迷うことがあった。

① 身体愁訴について
面接では、さまざまな身体的な不定愁訴を訴える。たとえば、「この3日間だるくて1日中横になっている、動けない。食欲もなく、無理やり食べている。原因がわからなくてすごく不安」などと訴える。また、日々の身体的不調をメモしてきて、それを見ながら話す。これはBさんが、実際に困っていることで、これがなければ病院で話すことがないという意味で、まさにカナーの言う「入場券としての症状」である。
だが、この身体症状の訴えに対して、どのように対応するかはなかなか難しい。身体症状に面接の焦点を当てると、Bさんは身体症状を話すことが人と繋がる手段となってしまう。しかし、逆に身体症状の訴えを聞かないと、Bさんは聞いてくれないと不満をつのらせるだけでなく、身体症状が悪化してしまう。聞きすぎてもいけないし、聞かなくてもいけないのである。
Bさんの身体の不調の訴えについては「今はとても苦しい時期。しんどいけど頑張っていきましょう」と、できる限りさらっと受け止めていくようにした。

② 背景にある心理について
Bさんは「子どもの運動会に行こうと思っていたが、体調が良くならないから行けない」とか、「お正月にも会いたかったけど、元夫があまり快く思っていなくて会えない」などと、子どもとの交流のできないことを話すことがあり、身体症状の背景には、母親役割の喪失感、自身に対する無力感、居場所のなさなどがあると感じられた。
だが、このような心理的な問題を面接で取り上げていくかどうかについては迷った。Bさんの日常生活を見ていると、子どもについて心配はしているが、まだまだ子どもに関わる力があるとは言えない。また、それを言葉で話し合うことが、Bさんを混乱させ、よけいに不安や抑うつを強めるのではないかと考えた。そのため、子どもの話題は避け、話し合う時機が来るのを待つことにした。

③ 現実生活での対処法に焦点を当てる
日常生活の困り事、たとえば作業所での人間関係など、いろいろと溜め込んで疲れ、思い悩んでいることが多く、それを一人で繰り返し終わりなく考え込んでしまうことが多かったので、それについて、具体的にどうするかについて話し合った。
たとえば、「作業所で苦手な人がいる。(声の大きい年配の女性を)避けていたけどよく話しかけられる。気になってしまう。その人の声を聞くたびにしんどいと思う。作業中は話しかけられることはないが、休憩時間に話しかけられる」というような訴えに対して、「休憩時間に少し距離をとって過ごすことと、悪い人ではないし言われたことを気にしないようにしよう」などと具体的に助言した。
それだけでなく、Bさんが普段しんどくなった時にしていること、たとえばホットミルクを飲むことやしょうが湯を飲むこと、友だちに電話相談したりすることなどを大切にし、現実に少しでも気持ちが楽に過ごせるように配慮した。    
Bさんのように、複雑な家族的、経済的な問題を持ち、そのうえで身体症状を訴えてくる場合、身体症状は治療や援助を受けるための「入場券」(カナー)という役割をもつ。だが、身体症状への対応は、前述したように難しい。聞きすぎても聞かなくてもよくない。面接の焦点を身体症状から、現実生活での困っていることに移していくことが大切になる。そして、現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことが大切になるのである。

★生活の基盤が不安定な場合は、まずは生活を安定させていくケースワークが大切となる。(中略)

おわりに――身体症状への対応と、人間関係や日常生活への対応と

身体表現性障害の患者は、身体症状でSOS信号を送っている。だが、当初は真剣に対応していた周囲の人たちも、検査をしても異常がなく「悪いところはないから、大丈夫です」と言われることが続くにつれて、対応が変化し「しっかりしなさい」「もっと頑張れ」とプレッシャーをかけるようになる。そのため、周囲の人との関係が悪くなりやすい。それだけではなく、長引く身体症状は、仕事を失うなどの経済的な問題も生み出しかねない。人間関係においても経済的にも不利をもたらしかねないのである。だから、身体表現性障害の患者への対応に際しては、身体症状への対応も大切なのだが、同時に、患者の人間関係や日常生活に目を配り、それらが悪い方向に向かないように、少しでもよい方向に向かうように配慮することがとても大切になると考えている。

注:引用中の「身体表現性障害」及びこれに類似するかもしれない「身体症状症」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「三つの症例」において、この引用では「〔症例2〕」のみを採用し、他の二つの症例の引用は省略しています。 iii) 引用中の『「入場券」(カナー)』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「小児の心身症」の 2)小児の心身症の理解 の「① 入場券としての症状」項 iv) ちなみに、上記「身体症状症」の危険要因と予後要因について、名越泰秀、西原真理編集の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「3 身体症状症の危険要因と予後要因」における記述(P44~P45)を次に引用します。加えて、痛みが維持されてしまうメカニズムについて、同章 B. の「12 痛みが維持されてしまうメカニズム」における記述の一部(P54)を以下に引用します。

3 身体症状症の危険要因と予後要因
遺伝的要因が身体化を助長させやすくすることも指摘されており9),脳機能などの生物学的因子,家族との関係性や経済状況といった社会環境因子なども要因となる.教育歴が低い人,社会経済的地位が低い人に多く現れる2).
病気や健康に関して過剰に心配する傾向や,否定的感情が生じやすいパーソナリティ特性(神経症的特質)も要因となる.また.失感情症 alexithymia の傾向があることが多い.失感情症とは,自分がどのような感情を抱いているのかを認識することや,感情を言語化して表現すること,さらに自分の内面と周囲の状況を把握して自らの内面を洞察することが困難であるといった点を特徴とする.失感情症傾向のある身体症状症患者は,ストレスコーピングを状況に合わせて適切に用いることができていないといわれている10).
発症の誘因は,対人葛藤が29%で最多,身体疾患の罹患16%,心身の過労14%だという報告があるが11),誘因が必ず存在するわけでなく,明らかでないこともある.

注:i) この引用部の著者は富永敏行です。 ii) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「Chronic Pain in the Japanese Community--Prevalence, Characteristics and Impact on Quality of Life.」 iii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The genetic aetiology of somatic distress.」 iv) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder.」 v) 引用中の文献番号「11)」は次の資料です。 「心療内科外来を受診した身体表現性障害患者の臨床的特徴」 vi) DSM-Ⅳの「身体表現性障害」(参照)から、引用中の「身体症状症」に関連する DSM-5 の「身体症状症および関連症群」に変更となって、前者の「医学的に説明ができない」ことよりも、「苦痛を伴う身体症状と、それに対する異常な思考・感情・行動」に主眼が置かれたことについては次の資料を参照して下さい。 「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から」の「Ⅰ.身体表現性障害という疾患の変遷について」項 なお、引用中の「身体症状症」の診断基準については例えば次の資料を参照して下さい。 「「多様な症状」を生じた症例の診療の実際 -本日の事例概要-」の「身体症状症(Somatic Sympton Disorder)」シート vii) 上記「身体症状症および関連症群」の病態は、「薬物療法の観点では、強迫、不安・恐怖、怒りに分類される」ことについては次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群(身体表現性障害)の薬物療法はどこまで可能になったのか?

12 痛みが維持されてしまうメカニズム
では,次に,心理・社会的疼痛,身体症状症による疼痛はなぜ生じ,いつまでも持続してしまうにかについて述べる.慢性疼痛では,例えば,何らかのきっかけで生じた器質的な疼痛を知覚し続けると,痛みや他の身体感覚(些細な痛み,拍動,微かな手足の痺れなど)がさらに鋭敏となり,その痛みはどんどん悪くなるといった過度の予測,ただごとではないことが身体に起こっているといった破局的な認知が活性化されてしまう.
それによって不安,恐怖などの感情が湧き上がると,「再びあの強烈な痛みの波に襲われるのではないか」という,パニック症の予期不安に近い不安が生じる.極端な場合には発作的な強い痛みが一人のときに生じたらどうしようという不安,人前で倒れこんだらどうしようという不安が生じ,広場恐怖と同様の状態になることもある.
そうなると,痛みが悪化するリスクを未然に防ぐために,自宅で安静にしたり,例えば腰痛の場合ならば,腰に振動を与えないようにソロソロと歩いたりする.ベンゾジアゼピン抗不安薬や NSAIDs などを,好ましくない多い量まで朋したりすることもある.かつては楽しみであったショッピングやウォーキングは,痛みを予防するという理由でしなくなり,自宅に籠るようになる.
あるいは,別の人は,痛みの原因を突き止めようと躍起になって,あちこちの医療機関を受診したり,Web の神経難病の記事に掲載されているチェックリストで該当する項目を数えるであろう.
こういった安全行動があると,身体に関心が向き,さらに痛みの感覚が研ぎ澄まされ,ちょっとした痛みに過敏になり,痛みを維持させてしまう悪循環(とらわれ)が形成されてしまう(図2-16).
特に,最近ではテレビなどの情報媒体で健康番組がひっきりなしに流れ,web でも容易に医学情報を検索できる環境にある.国民の健康への関心は高まっており,裏を返せば健康不安に絶えず晒されている状況にあり,このような悪循環が生じやすくなっているといえる.

注:(i) この引用部の著者は富永敏行です。 (ii) 引用中の「図2-16」についての引用は省略します。ちなみに、 a) 引用中の「破局的な認知」に関連する「痛みの破局的な思考」を含む「痛みの破局的思考」についての図は次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」の図1-A(P19) b) 一方引用中の「破局的な認知が活性化されてしまう」ことに関連する、(不適応的)スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」が活性化することについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「パニック症の予期不安」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「NSAIDs」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「NSAIDsを理解するためにするために : NSAIDsとは」 (v) 慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果についての研究例は次のWEBページを参照して下さい。 「慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果:主観的評価と脳機能の観点から」 (vi) 加えて「慢性痛に対する認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「慢性痛に対する認知行動療法」 さらに、引用中の「身体症状症」に関連する、 a)「身体症状症および関連症群の認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群の認知行動療法」 b) 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」 (vii) 一方、「web でも容易に医学情報を検索できる環境にある」ことに関連するかもしれないサイバー心気症については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (viii) 引用中の「痛みの原因を突き止めようと躍起になって」に関連する身体症状症の痛みに対する態度としての「一刻も早く痛みを取り去りたい」ことについて、同(B. 身体症状症による疼痛の病態)の 9 身体症状症とうつ病との鑑別 の「●痛みに対する態度」項における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『身体症状症の患者は,痛みの原因に対する原因検索を執拗に求めることが多い.また「一刻も早く痛みを取り去りたい」,「このまま悪化の一途をたどらないか」といった治療に対する要求も強く,痛みの除去に躍起になっていて,即時的な痛みの完全消失を希望することも多い.』

その上に、悩み事のよろず相談においても必要かもしれない「やわらかい質問」や「ふわり質問」について、前者に対して、統合失調症のひろば編集部編の本、「中井久夫の臨床作法」(2015年発行)中の藤川洋子著の文書「中井先生が処方してくれたもの」の「やわらかい質問」における記述の一部(P57~P58)を次に引用します。

面接を仕事にする者にとって悩み深いことのひとつに、知りたいことを、どういうふうに聞けば相手を必要以上に警戒させずに済むか、ということがある。人には、別に隠しているわけではないけれど、あまり話したくないということが山ほどあるものだ。そして、そういうところに不調の原因が潜んでいることが多い。
例えば、子育てについての考え方が違う……これは夫婦の間でも嫁姑の間でも起きる。それぞれがどのように育ったか、が関係するから、紛争の解決や調整のためには、当事者の方々の生い立ちを聞く必要がある。

「子ども時代はどちらで過ごされましたか?」
「大阪です」

大阪ではちょっと広すぎる。さて、どう聞こうか。大阪にも地域によって子育て風土というか土地柄に違いがある。どんな雰囲気のなかでどう育ったのかを知りたいのだが、「大阪のどちらですか?」では「この人、何のために詮索するのだろう?」と勘繰らさせてしまう可能性がある。
中井先生から教えてもらったコツは、「ほー、大阪ですか!」と明るく受けて、「大阪でも広いですけど?」と続けるといいという。
な、なーるほど。この訊ね方ならばいくらでも応用ができる。

「お父様のお仕事は?」
「会社員です」
「会社員にもいろいろありますけど?」

などなど。(後略)

一方後者に対しては、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第1章 精神分析治療の歴史 の 3 話すことの治療的意義 の「(2) プロの治療者の傾聴、聴き方(広さ、深さ、まとまり、良き質問、意味、責任、波長合わせ等)」における記述の一部(P041)を次に引用(『 』内)します。 『④話を引き出すための質問が巧みである(羽衣質問、ふわり質問、選択肢型質問など相手の心に傷を付けたり圧迫を加えないように気を着けている)。患者の波長に合わせて質問する』(注:本人の見捨てられ不安を取り上げての引用中の「ふわり質問」の例として、同本の 第3章 転移・逆転移について の「(3) 事例7 一六歳、女子高校生(投影同一視傾向が強い例)」における記述の一部(P134)を次に引用(【 】内)します。 【本人の見捨てられ不安を取り上げ、その不安を持ちながら『今後カウンセラーに何を期待するか言えるかな』といった『ふわり質問』をして〔後略〕】[注:上記「投影同一視」については他の拙エントリのここを、引用中の「見捨てられ不安」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。])

さらに、(統合失調症をはじめとした精神疾患における)予後や「治癒の見込み」についての質問に対する回答例について、前者に対して、統合失調症のひろば編集部編の本、「中井久夫の臨床作法」(2015年発行)中の藤川洋子著の文書「中井先生が処方してくれたもの」の「『希望』を処方する」における記述の一部(P58)を次に引用(【 】内)します。 【さらに予後についての質問には、「医療と家族とあなた(患者さん)との三者の呼吸が合うかどうかによってこれからどうなるかは大いに変わる」ということだけを伝えるのだそうである。(『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 二〇〇七年)】 一方後者に対しては、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第1章 精神分析治療の歴史 の [間奏曲心の病と治療について] の「⑥治癒の見込み」における記述(P051)を次に引用(《 》内)します。 《これも多様な因子が加わるのではっきりしたことは言えないが『患者五割、家族と治療者が一割五分ずつ、環境・運・縁が二割ぐらい』という答え方が無難なようである。しかし、その前に治癒の見込みを聞きたい理由を話し合うことが大事。いつごろ治るかという問いも同じように考える。》

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***** 臨時の記事(その1) *****
スペースの関係上、ミニ情報においては書ききれない記事等をあえてここに記述します。掲載期間は数日~数カ月を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(5)ミニ情報【慢性疲労症候群CFS)の方面からも機能性身体症候群の病態生理の解明が進展することの期待についてのご紹介、その他】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部としての、渡辺恭良、水野敬著の本、「おもしろサイエンス 疲労と回復の科学」(2018年発行)における標記機能性身体症候群の病態を総合的に理解するための脳科学研究も進めていること以外にも、疲労研究から、健康科学全体を見据え、「Precision Health」という旗を掲げながら、一方で、現在の健康診断の先進的な改革「健康革命」や「健康関数」という総合的健康度合いを表す指標を確立することについて、「未病」、「恒常性(ホメオスターシス)を保つ機能である免疫-神経-内分泌系の調節機能の低下」や『「健康科学」には混乱があること』を含めて、[A] 同本の 第1章 疲労と慢性疲労、疾患 の「1 健康科学と疲労」における記述の一部(P8~P10)を以下に引用します。

健康とは(中略)

健康が損なわれ、様々な疾病に向かって行く時、私たちは、おぼろげな異常を感じて、いわゆる東洋医学中医学)で言うところの「未病」(まだ病気にはなっていないが、かなり病気に近い状態)となります。未病は明確な疾病ではないので、診断の付くような指標、すなわち、疾患バイオマーカー(ある疾患の有無や進行状態を示す目安となる指標。例えば血圧や血中タンパク質など)が有意に出ていない状態であると言えます。むしろ、「未病」は、特に目立った症状が無くても、「元気がない・活力が出ない」状態であると言われてきました。

健康科学

しかし、後ほど述べるように、「元気がない・活力が出ない」あるいは、「意欲が低下している」ことを裏返しにすると、「だるい・疲れを感じている」、ないしは、「もうこれ以上無理ができない」状態とも言えます。実際に、未病状態では、私たちの体の恒常性(ホメオスターシス)を保つ機能である、免疫-神経-内分泌系の調節機能が低下していると考えられています。
このことは、図1に示すように、健康を損なうような自覚症状がある際(未病の際)で、まだ疾病バイオマーカーが有意に検出されない時期に、健康に押し戻す、あるいは、健康である時期に健康増進を図り、未病になることをも予防することが「健康科学」の神髄であると言えます。すなわち、図1により、「健康科学」には、「未病から病気にならないようにする科学」と「健康から未病に陥らないようにする科学」、そして、「健康である状況を増進する科学」を含んだ三つの要素があることになります。
「健康科学」の意味は広く、「先んじた介入により病気にならないようにする『先制医療』」の概念より広いものを指すことになります。
「健康科学」は、一つのブームになっていますが、根拠が定かでないものや、体系立っていないがために、脈絡がわからないものなど、非常に混乱があります。また、多数の大学に健康科学研究科や健康科学専攻がありますが、教育するための良いスタンダードな教科書も十分ではない有様です。私たちは、個々人の「健康の度合い」をしっかり定義づけられ、「個別健康の最大化」を図るための科学・医学を進めるために、「Precision Health」という概念を提唱してきました。これは、一方でゲノム情報や遺伝子転写物、エビゲノム情報、タンパク質、代謝物、環境因子などのオミックス統合解析を進めている「Precision Medicine」に匹敵する重要なコンセプトです。超健康~健康~未病~疾患の間をシームレスに研究し、健康維持・増進に最適なソリューションを提供するための必須基盤を与える科学です。

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略しますが、代わりに次の資料のシートを参照して下さい。 「健康科学イノベーション」の「健康科学とは? 健康と疾病の連続性」シート ii) 引用中の「健康」については、慢性疲労症候群にも言及している次のWEBページを参照して下さい。 「健康とは何か:力、資源としての健康 - 健康を決める力 ヘルスリテラシー」(注:上記「慢性疲労症候群」の言及はこのWEBページ中の「3)病気の身体的、精神的、社会的側面」項を参照して下さい) iii) 引用中の「Precision Medicine」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「Precision Medicineの到来 ―またまた黒船来航―」 なお、 a) 「toxicology」(毒物学)における上記「Precision Medicine」については、論文「Principles of precision medicine and its application in toxicology.」(PubMed 要旨全文)を参照して下さい。 b) 加えて がんについての上記「Precision Medicine」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「プレシジョンメディシン」 iv) 引用中の『先制医療』については、例えばアルツハイマー病の視点から次のWEBページを参照して下さい。 『先制医療 「集団の予防」から「個の予防」へ』 v) 「マイクロバイオーム解析」を含む引用中の「オミックス統合解析」については例えば次の資料を参照して下さい。 「【ウェブ講座⑩】 統合オミックス解析のはなし」 加えて、上記オミックス統合解析対象に含まれるかもしれない「コネクトーム」についての記述「疲労に関するヒト大脳皮質の神経突起特性、自発的共振活動や皮質間の機能的・構造的連絡性(コネクトーム)解析法も確立した」を有する研究成果報告書は次を参照して下さい。 「脳機能・分子イメージングを活用した疲労・慢性疲労・抗疲労の脳科学」 vi) ストレスの視点からの引用中の「ホメオスターシス」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスについて」 vii) 引用中の「免疫-神経-内分泌系の調節機能」に関連する「神経、内分泌、免疫クロストーク」については次のWEBページを参照して下さい。 「Minds over Cytokines

[B] 加えて、同の「おわりに」における記述の一部(P132)を次にに引用します。

(前略)これまでの研究成果から、急性疲労から慢性疲労に至る分子・神経機構の作業仮説ができ、この仮説に沿って研究を進め、適宜修正を行いながら、疲労~慢性疲労、また、慢性疲労症候群などの病態の分子神経メカニズムの全貌を明らかにしたいと考えています。また、多くの抗疲労研究や抗疲労物質・手段の開発研究も引き続き推進していきます。
疲労研究から、健康科学全体を見据え、「Precision Health」という旗を掲げながら、一方で、現在の健康診断の先進的な改革「健康革命」や「健康関数」という総合的健康度合いを表す指標を確立し、それにより、ヘルスケア産業の大きな塊を形成していきたいと願っています。(後略)

注:引用中の「Precision Health」についてはここを参照して下さい。

(6)ミニ情報【論文「The physiological effects of slow breathing in the healthy human.[拙訳]健康なヒトにおけるゆっくりとした呼吸法の生理学的な効果」のご紹介】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部としての論文「The physiological effects of slow breathing in the healthy human.[拙訳]健康なヒトにおけるゆっくりとした呼吸法の生理学的な効果」における要旨を次に引用します。

Slow breathing practices have been adopted in the modern world across the globe due to their claimed health benefits. This has piqued the interest of researchers and clinicians who have initiated investigations into the physiological (and psychological) effects of slow breathing techniques and attempted to uncover the underlying mechanisms. The aim of this article is to provide a comprehensive overview of normal respiratory physiology and the documented physiological effects of slow breathing techniques according to research in healthy humans. The review focuses on the physiological implications to the respiratory, cardiovascular, cardiorespiratory and autonomic nervous systems, with particular focus on diaphragm activity, ventilation efficiency, haemodynamics, heart rate variability, cardiorespiratory coupling, respiratory sinus arrhythmia and sympathovagal balance. The review ends with a brief discussion of the potential clinical implications of slow breathing techniques. This is a topic that warrants further research, understanding and discussion.


[拙訳]
ゆっくりとした呼吸法の実践は、健康上の利点があるとの主張のために、世界中の現代社会において採用されている。これがゆっくりとした呼吸法の生理学的(そして心理学的)効果の研究を開始した研究者や臨床医の関心を呼び、そして根底にあるメカニズムの解明を試みている。本論文の目的は、健康なヒトにおける研究による通常の呼吸の生理学、そしてゆっくりとした呼吸法の記録された生理学的効果の包括的な概観を提供することである。本レビューでは、呼吸器系、循環器系、心肺系及び自律神経系に対する生理学的含意に焦点を当て、中でも特に横隔膜の活動、ガス交換効率、血行動態、心拍変動、心肺カップリング、呼吸洞性不整脈及び交感神経迷走神経バランスに焦点を当てた。このレビューはゆっくりとした呼吸法の見込みがある臨床的含意の簡単な議論で終わる。これは、更なる研究、理解及び議論が正当化されたトピックである。

注:ii) 引用中の「ガス交換効率」については例えば次の資料を参照して下さい。 「心拍変動バイオフィードバックの臨床実践」の「3.2 休息機能の指標としての呼吸性不整脈」項

加えて、標記論文(全文)中の「Respiratory sinus arrhythmia」(呼吸性洞不整脈)項において、呼吸性洞不整脈と呼吸との関係を示す記述があり、これを以下に引用します。ただし、引用中の「HRV」は心拍変動の、「HF」は高周波数の、「LF」は低周波数の それぞれ略です。これらについては次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」のそれぞれ「1. はじめに」項、「2. 2 HF成分の特徴」項

Respiratory sinus arrhythmia (RSA) is HRV in synchrony with the phases of respiration, whereby R–R intervals are shortened during inspiration and lengthened during expiration [70, 71]. Typically, RSA has a frequency of 0.25 Hz (i.e. respiratory frequency) as reflected in the HF HRV oscillation peak. RSA frequency therefore changes with respiration rate and this is known to result in a shift in the phase difference between respiration and HRV (the heart rate response) and a change in the amplitude of HRV. This was first reported by Angelone and Coulter [72] in an early continuous recording of RSA in a healthy human, which demonstrated that as the respiration rate was reduced, the phase difference was shortened, until at rate of 4 breaths per min, where HRV and inspiration/expiration were in exact phase; yet it was at 6 breaths per min (0.1 Hz), where the phase difference was at 90°, that maximisation of HRV amplitude was observed. Maximisation of RSA/HRV at around 6 breaths per min has since been confirmed by numerous studies [65, 73, 74]. This indicates cardiorespiratory system resonance and is hence referred to as a "resonant frequency effect" [72, 75]. At 0.1 Hz, RSA also resonates with the LF baroreflex integration frequency and Mayer waves [55]. Further investigations therefore suggest that both HRV (RSA) and baroreflex sensitivity are maximised when respiration is slowed to ∼6 breaths per min (figure 1), though this resonant frequency does vary between individuals [25, 41, 52, 61, 62, 75]. Increasing tidal volume [36, 73, 76] and diaphragmatic breathing [18] have also been shown to significantly increase RSA, significantly more so at slower respiration rates. Conversely, numerous studies have reported decreased RSA with increasing respiration rate [72, 73, 77].


[拙訳]
呼吸性洞性不整脈RSA)は呼吸相と同期する HRV であり、これにより R-R 間隔は吸気時に短縮し、そして呼気時に延長する[70, 71]。HF HRV 振幅ピークにおいて反映されるように、0.25 Hzの周波数(すなわち呼吸頻度)を、典型的に RSA は有する。このため、RSA 周波数は呼吸数に応じて変化し、そして呼吸と HRV(心拍変動)との間の位相差のシフト及び HRV の振幅の変化をもたらすことが知られている。これは、健康なヒトでの RSA の初期の連続記録において、Angelone 及び Coulter [72]によって最初に報告され、HRV 及び吸気相/呼気相が正確な位相である時、4 呼吸/分の速度までは呼吸数が減少するにつれて位相差が短縮されることを示した。だが、HRV 振幅の最大化が観察されたのは、位相差が90度である時の 6 呼吸/分(0.1 Hz)であった。それ以来、約 6 呼吸/分での RSA/HRV の最大化が多くの研究によって確認されている[65, 73, 74]。これは心肺系の共鳴を示し、よって「共振周波数効果」[72, 75]と呼ばれる。0.1 Hzでは、RSA は LF 圧受容体反射積分周波数及び Mayer 波とも共鳴する[55]。この共鳴周波数は個人間で変動する[25, 41, 52, 61, 62, 75]が、HRV(RSA)及び圧受容体反射感受性の両方が、呼吸が 6 呼吸/分(figure 1)まで遅くなる時に最大化されることを、更なる調査はそれゆえに示唆する。一回呼吸量の増加[36, 73, 76]及び横隔膜呼吸[18]も RSA を有意に増加させることが示されており、呼吸速度が遅いほど RSA は有意に増加する。逆に、呼吸数の増加に伴って RSA が減少することが多くの研究で報告されている[72, 73, 77]。

注:i) 引用中の文献番号「[18]」は次の論文です。 「Diaphragmatic breathing and its effectiveness for the management of motion sickness.」 ii) 引用中の文献番号「25」は次の論文です。 「Modulatory effects of respiration.」 iii) 引用中の文献番号「41」は次の論文です。 「Effects of slow, controlled breathing on baroreceptor control of heart rate and blood pressure in healthy men.」 iv) 引用中の文献番号「52」は次の論文です。 「Respiratory modulation of human autonomic rhythms.」 v) 引用中の文献番号「[55]」は次の論文です。 「The enigma of Mayer waves: Facts and models.」 vi) 引用中の文献番号「61」は次の論文です。 「Correlations between the Poincaré plot and conventional heart rate variability parameters assessed during paced breathing.」 vii) 引用中の文献番号「62」は次の論文です。 「Influence of breathing frequency on the pattern of respiratory sinus arrhythmia and blood pressure: old questions revisited.」 viii) 引用中の文献番号「65」は次の論文です。 「Important influence of respiration on human R-R interval power spectra is largely ignored.」 ix) 引用中の文献番号「70」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia: autonomic origins, physiological mechanisms, and psychophysiological implications.」 x) 引用中の文献番号「71」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia: why does the heartbeat synchronize with respiratory rhythm?」 xi) 引用中の文献番号「72」は次の論文です。 「RESPIRATORY SINUS ARRHYTHEMIA: A FREQUENCY DEPENDENT PHENOMENON.」 xii) 引用中の文献番号「73」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia in humans: how breathing pattern modulates heart rate.」 xiii) 引用中の文献番号「74」は次の論文です。 「Central regulation of heart rate and the appearance of respiratory sinus arrhythmia: new insights from mathematical modeling.」 xiv) 引用中の文献番号「75」は次の論文です。 「Characteristics of resonance in heart rate variability stimulated by biofeedback.」 xv) 引用中の文献番号「76」は次の論文です。 「Sympathetic restraint of respiratory sinus arrhythmia: implications for vagal-cardiac tone assessment in humans.」 xvi) 引用中の文献番号「77」は次の論文です。 「Phase relationship between normal human respiration and baroreflex responsiveness.」 xvii) バイオフィードバックの視点を含む心拍変動の主要な成分としての拙訳中の「呼吸性洞性不整脈」については例えば次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRVの主要な成分」項、「心拍変動の有用性 ――高周波および低周波成分に着目して――」の特に「心拍変動HF成分(呼吸性洞性不整脈)の特徴」項 加えて心電図視点からの拙訳中の「呼吸性洞性不整脈」については例えば次の資料を参照して下さい。 「成人の健診での各心電図異常について」の「①洞性不整脈」項 xviii) 拙訳中の「圧受容体反射」については例えば次の資料を参照して下さい。 「圧受容器反射をもちいた自律神経機能の評価」 xix) 拙訳中の「R-R 間隔」については拙訳中の「吸気時に短縮し、呼気時に延長する」ことを含めて例えば次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.HRVと自律神経活動の関係」項

(15)ミニ情報【「MCS、化学物質過敏症、化学物質不耐症又は突発性環境不耐症における病態生理に関する仮説」についての感想、その他(改)】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部として標記感想(注:あくまで仮説についての感想です)について本エントリ作者は以下に記述します。最初に前提又は設定等について次に示します。

①MCS を訴えている患者の例は他の拙エントリのここを参照して下さい。彼は煙を嗅いだ後に何度か「気絶した」ことがあります。なお、 a) 上記「気絶」に関連するポリヴェーガル理論(下記④項を参照)の視点からの「血管迷走神経反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 上記「気絶」は化学物質過敏症の症状リストには挙げられていないことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

②標記仮説はパブロフの犬をはじめとした条件づけ(又は条件反射)を含む「神経生理学」※1を主として、加えて、精神神経内分泌免疫学※1、ノセボ効果(下記 12) 項を参照)、(パニック障害[資料「線維筋痛症診療ガイドライン 2017」の CQ1-1 線維筋痛症とはどのような疾患か の「解説」(P83~P84)を参照]や PTSD[資料「ストレス下での持続的な筋緊張が慢性的な痛みにつながる仕組みを解明 ~筋痛性脳脊髄炎/線維筋痛症における痛み発症・維持のメカニズム~」の「3.今後の展開」項を参照]を含むとされる)機能性身体症候群、そして(解離サブタイプを含む)PTSD参照)や複雑性PTSD参照)をはじめとしたトラウマにも関連するかもしれません。

③感想はネット上の MCS、化学物質過敏症又は化学物質不耐症界隈についてのものを含み、[A]時系列的な視点から、 [B]病態生理の仮説の例、 [C]治療・対象・養生法の範囲について、 [D]自発的な回復及び回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思うこと、 そして、[E]その他のもの から構成されるものとします。

④ポリヴェーガル理論※2を解説する本:(a) べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)[注:この本の一部分で上記理論が紹介されています]、(b) ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)、(c) キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子訳「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)[注:i) ここも参照して下さい。 ii) この本の P103 における記述の一部「ポージェスは、トラウマ起因のストレスに働きかける時は、自律神経系が脅威にどのように反応するかを理解しておくことが重要であると述べている。(中略)発達性トラウマに働きかける時は、トラウマの神経生理学的理解がさらに重要になる。」を含めてこの本の一部分で上記理論が紹介されています。加えてこの本を紹介するツイートもあります。]。そしてこれら以外にも、津田真人著『「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会』(2019年発行)やデブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年1月発行、下記[A]17) 項を参照)もあります。

[A]上記「神経生理学」に関連するかもしれない論文、論評、資料、本、エントリ等を、下記の条件付け、学習、ノセボ効果、予測的符号化等をも盛り込んだ「知覚要素に沿った用語」の関連を含めて時系列的に以下に紹介します。これらを考慮すると、上記「神経生理学」を主とした病態生理の仮説は依然初歩的なものかもしれませんが、徐々に内容が充実してきていると考えます。加えて 下記 12) 項には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との記述もあります。
1) 資料「シックハウス症候群 心身医学の見地から」(アレルギー・免疫 Vol.10,No.12,2003年発行)の「お わ り に」項において「条件付け」に関連する記述があり、この部分の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

2) エントリ「化学療法の条件付けのノセボの威力には驚く他ない - 忘却からの帰還」(2013年6月13日公開)があります。なお、上記「化学療法の条件付けのノセボの威力」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論の視点からの「単一試行学習としての、化学療法または放射線療法と味覚嫌悪の結びつき」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

3) 日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年7月発行、日本医師会推薦)には、 Ⅰ.シックハウス症候群の概念 の 4-2 心理 の「②レスポンデント学習/条件付け」項があり、この部分の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

4) エントリ「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」(2013年7月16日公開)には「WintersらはMCSの症状の(すべてではないせよ)一部は条件反射によるものと考えている。」との記述があります。加えて同エントリの「2013年9月8日追記」の部分には『「過敏性の拡大」は、「総身体負荷量」のような医学的に証明されていない概念を持ち出さなくても、条件反射や学習で妥当な説明が可能である。』との記述があります。なお、 a) 上記「総身体負荷量」(トータルボディロード)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 上記「学習」に関連する、(深い)シャットダウンをはじめとした、「古い迷走神経(又は背側迷走神経複合体:例えば他の拙エントリのここを参照)がトラウマの防衛反応に採用された場合」に、「これは機能的に言って単一試行学習の一例であると考えられる」ことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。一方、上記エントリの「■Media warnings about environmental pol... [Psychosom Med. 2003 May-Jun] - PubMed - NCBI」項で紹介されている論文要旨「Media warnings about environmental pollution facilitate the acquisition of symptoms in response to chemical substances」以外にも、次の論文要旨もあります。 「Acquiring symptoms in response to odors: a learning perspective on multiple chemical sensitivity

5) 資料『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』(2015年発行)の要旨には次に引用(【 】内)する記述があります。 【当科外来受診患者での経験では,IEI 患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった.】(注:引用中の「IEI」は「特発性環境不耐症」の略です)

6) 資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」(2016年発行)の日本語要約には次に引用(【 】内)する記述があります。 【しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。】 ちなみに、「Sparks らによる化学物質過敏症の病因についての見解」については資料「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」(2017年発行)の「Ⅲ.Sparks らによる化学物質過敏症患者の分類と看護支援のあり方」項に記述されています。

7) 上記本 ④ (a) が発行(2016年)。

8) 論文「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model」(要旨、全文はここを参照、加えて他の拙エントリのここも参照)が発行(2017年)。加えてこの論文(全文)には、内受容(interoception)や内受容条件づけ(interoceptive conditioning)に関する記述(他の拙エントリのここの c) 項を参照)、そして上記論文の要旨には全文の「A New Model」項と同様に「予測的符号化」(predictive coding、他の拙エントリのここを参照)に関する記述もあります。一方、 a) 本論文の著者である「Van den Bergh O」氏は、上記 interoception のロードマップ(roadmap)に関連する次の論文(全文)の著者でもあります。 「Interoception and Mental Health: A Roadmap」(2018年発行) b) 本論文に関連する(一般的な)ノセボ効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて下記の 14) 項及び 16) 項も参照すると良いかもしれません。

9) 上記本 ④ (b) が発行(2018年)。注:この本以降の発行は上記④項を参照して下さい。

10) 論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(2019年10月発行、他の拙エントリのここ及びここを参照) この論文要旨の「CONCLUSIONS:」項には(化学物質不耐症において)「さらなる神経生理学的研究が必要である」との主旨の記述があります。加えてこの論文(全文)にはストレスにも関連する「Fig. 2 Sensory and cognition model of the interrelationships among stimulus factors, limbic system, cortices, symptoms, and responses.」(他の拙エントリのここを参照)もあります。加えて、上記「さらなる神経生理学的研究が必要である」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の視点からの「ニューロセプション(又は神経知覚、他の拙エントリのここを参照、加えて「知覚」については次の 11) 項を参照)は、安全と脅威を知覚する神経生理学的なプロセス」であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、上記ポリヴェーガル理論(「生き残るための対価」)の視点からのアロスタティック負荷(アロスタティックロード)については他の拙エントリのここを(加えて必要に応じ下記 11) 項も)参照して下さい。一方、標記論文(全文)の筆頭著者である東賢一氏が著者である資料「健康リスクの立場からみた環境過敏症の予防について」(2019年発行)の「3.1 脳機能イメージングを用いた研究」項における記述の一部(P205~P206)を次に引用(『 』内)します。 『従って,化学物質に対する過去の曝露イベントが前頭前皮質や前帯状皮質等に認識され,その後の臭い負荷では,そこからのトップダウン制御が情動や自律神経系に関連した中枢部位に作用し,化学物質過敏症患者で多彩な症状を発現していると考えられる7)-9)。このような臭い処理プロセスでの反応は,脳における認識や記憶にも関連しており,臭いを嗅いだときに作用する物質とそうでない物質の違いを区別できると生じる考えられる。このことは,このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも,化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連しており,多種類の化学物質に反応することも,このような作用機序が関係しているかもしれないと考えられる。』(注:i) 引用中の文献番号「7)-9)」で示される論文は同資料の「引用文献」項、又は拙エントリのここここ及びここをそれぞれ参照して下さい。 ii) 上記引用において拙ブログ作者が特に強調したいのは次の二つの文章[それぞれ【 】内]です。 【情動や自律神経系に関連した中枢部位に作用し】、【このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも,化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連しており】) 加えて、同東賢一氏が著者である資料「職域におけるオフィスビルの室内環境に関連する症状とそのリスク要因:いわゆるシックビルディング症候群」(2021年1月発行)の「Ⅵ-2.化学物質過敏状態の作用機序について」項における標記論文(全文)についての記述の一部の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

11) 上記本 (c) が発行(2019年)。ちなみにこの本の記述としては、「発達性トラウマに関係する身体的症状」としての「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」(他の拙エントリのここここにおける引用を参照)、及び「発達性トラウマの歴史を持つ」方の「食物や環境への過敏症」(他の拙エントリのここにおける引用を参照)が挙げられます。一方、化学物質過敏症(又は突発性環境不耐症)の視点からは、 a) 突発性環境不耐症(IEI)において特に発症前の心理負荷についての資料「突発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷」の要旨には次に引用する(『 』内)記述があります。 『当科外来受診患者での経験では,IEI 患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった.』 b) 加えて、環境省のWEBページ「環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究(「本態性多種化学物質過敏状態」に関する研究を含む)」の「環境中の微量な化学物質による健康影響」項においてリンクされている標記「化学物質過敏症」に関連する資料「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」の「1.概念」項には次に引用する(『 』内)記述があります。 『いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。』

12) 論文(全文)「"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena」(2020年2月発行、他の拙エントリのここを参照)。上記論文(全文)も、上記 8) 項の論文(全文)と同様に「ノセボ効果」についての記述があります。また本論文の著者である「Steven Nordin」氏は他の拙エントリのここにおける引用で言及されています。一方、上記論文(全文)の「Highlights」において次に引用(『 』内)する記述があります。 『Evidence points to a shift from focus on exposure and intolerance to perception.[拙訳]曝露や不耐に関する焦点から知覚に移行することをエビデンスは指し示す。』 加えて、上記論文(全文)の要旨の拙訳には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との記述があります。他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、 a] 上記 10) 項の論文のタイトルは「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(他の拙エントリのここを参照)であり、上記「知覚」が考慮されていると本エントリ作者は考えます。 b] 一方、『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』について、厚生労働省のWEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項においてリンクされている標記「化学物質過敏症」についての記述を含む資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』シート(P42)における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【2. しかし身体不調を化学物質のためとは決めつけず、心理社会的ストレスによる体調不良やメンタルヘルスの問題など,他の既存の考え得る疾患である可能性を「除外診断」する必要がある】 c] 一方、「発達性トラウマの歴史を持つ」方が、「食物や環境への過敏症」の症状を有するかもしれないことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。

13) 論文(全文)「Mechanisms underlying nontoxic indoor air health problems: A review[拙訳]毒のない屋内空気の健康問題の根底にあるメカニズム:レビュー」(2020年5月発行、PubMed 要旨はここを参照)。なお、 a) この論文は「シックビルディング症候群」(sick-building syndrome、又は「非特異的なビルディング関連症状」[non-specific building-related symptoms])や「化学物質不耐症」(chemical intolerance)にも関連します。 b) この論文に関連する「Reply to the letter」の全文は次を参照して下さい。 「Reply to the letter to the editor by Tuuminen et al. (2020), "Indoor air nontoxicity should be proven with special techniques prior claiming that it may cause a variety of mental disorders."」 ただし、これらの論文や「Reply to the letter」の拙訳はありません。ただし、後者の引用例については他の拙エントリのここを参照して下さい。

14) 論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model[拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」(2020年5月 Preprint 発行、2021年5月発行、Highlights を含む論文要旨はここを参照) ただし、この論文は医学論文というより臨床心理学の論文のためか、PubMed では検索されませんでした。上記論文要旨における「Highlights」を三分割してその拙訳を次に引用(それぞれ『 』内)します。その後に論文要旨の引用があります。 『・特発性環境不耐性 (IEI) は健康問題であり、有害であることが知られているレベルよりはるかに低いレベルの環境トリガーに起因する様々な健康愁訴を含意する』、『・IEI を理解するための包括的な理論モデルに基づいて、これらの患者を治療するための体系的な治療アプローチを我々は記述する』、『・我々の目標は、治療の有効性を実証(文書化)するための体系的な治療研究を促進することである。』

Idiopathic environmental intolerance (IEI) refers to a health condition characterized by the presence of multiple symptoms in different organ systems in response to a variety of environmental cues, such as chemical exposures, electromagnetic radiation, infrasound from windmill farms, (parts of) buildings, foods, etc. Typically, the symptoms arise in response to triggers and at dosages that do not cause symptoms in the majority of people, and no clear link with any physiological dysfunction can be found. The condition varies in a dimensional way from very mild, for which no medical help is sought, to very disabling, compromising normal life. The condition is controversial, but several indications strongly suggest that the symptoms result from nocebo mechanisms. Currently, different psychological treatments are explored, but they are generally not based on a clear understanding of the aetiopathological mechanisms and the treatment effects are not well documented. In the present paper, we describe a treatment protocol based on a comprehensive explanatory model of IEI. The goal is to contribute to standardized, mechanism-based treatments as a basis for more systematic treatment studies.


[拙訳]
特発性環境不耐性 (IEI) は、化学物質への曝露、電磁放射、風力発電所からの超低周波音、(一部の)ビルディング、食品等の様々な環境的な手がかりに応答して異なる器官系において複数の症状が存在することを特徴とする健康状態を指す。典型的には、症状はトリガーに応答して、大部分の人々に症状を引き起こさない用量で発生し、そしていかなる生理学的機能障害との明確な関連性も見出せない。医学的支援を求めることのない非常に軽度のものから、非常に障害をきたし、正常な生活を損なうほどのものまで、病態はディメンジョン方式において様々である。この病態については議論の余地があるが、いくつかの徴候は、症状がノセボのメカニズムに起因することを強く示唆する。現在、様々な心理学的治療が探求されているが、これらは一般的に病因病理学的なメカニズムの明確な理解に基づいておらず、治療効果は十分に文書化されていない。本論文では、IEI の包括的な説明モデルに基づく治療プロトコールを、我々は記述する。目標は、より体系的な治療研究の基礎として、標準化された、メカニズムに基づく治療に寄与することである。

注:拙訳中の「IEI の包括的な説明モデル」については上記 8) 項及び他の拙エントリのここを参照して下さい。

15) 上記「神経生理学」に関連するかもしれない「神経生理学的解離モデル」や「構造的解離理論をさらに発展させた神経生理学的なモデル」について説明するジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行、ここを参照)があります。ちなみに、上記本において説明されている「構造的解離」のごく一部については他の拙エントリのここを参照して下さい。

16) 論評(全文)「Causal perception is central in electromagnetic hypersensitivity - a commentary on "Electromagnetic hypersensitivity: a critical review of explanatory hypotheses"[拙訳]因果的知覚は電磁波過敏症において中心である - 「電磁波過敏症:説明仮説の批判的レビュー」についての論評」(2020年11月発行)に関連して、 a) 論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A comprehensive model」(上記 8) 項及び拙エントリのここを参照)における Figure 1 と同様な図としては、上記論評(全文)における Fig. 1 があります。この論評については他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません。 b) 加えて、上記論評(全文)において次に引用(『 』)する記述があります。 『Third, while the AH only explains EHS, the CM explains EHS as well as other conditions that are characterized by a scientifically unfounded causal link between symptoms and an environmental factor, such as multiple chemical sensitivities, infrasound hypersensitivity and various unfounded food and other allergies.[拙訳]第三に、AH が EHS のみを説明する一方で、EHS の他にも、環境要因との間の科学的に根拠のない因果関係を特徴とする症状、例えば、多種化学物質過敏状態、低周波音過敏症、様々な根拠のない食物や他のアレルギー等を、CM は説明する。』(注:i) 引用中の「EHS」、「AH」、「CM」はそれぞれ、「hypersensitivity towards electromagnetic fields:電磁場に対する過敏症」、「attributive hypothesis:帰属仮説」、「comprehensive model:包括的なモデル」の略です。 ii) ちなみに、特発性環境不耐性の種類については上記 14) 項を参照すると良いかもしれません。)

17) 上記「神経生理学」に関連するかもしれない「ポリヴェーガル理論は、人々の特定の行動を説明するための、神経生理学的な枠組みをセラピストに提供する」ことについての記述(他の拙エントリのここを参照)を有するデブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年1月発行)があります。

18) 論文(全文)「Multiple chemical sensitivity described in the Danish general population: Cohort characteristics and the importance of screening for functional somatic syndrome comorbidity—The DanFunD study[拙訳]デンマークの一般集団において記述された多種化学物質過敏状態:コホート特性及び機能性身体症候群共存症のスクリーニングの重要性―DanFunD研究」(2021年2月発行)の「Introduction」項において次に引用(『 』内)する記述があります。 『Numerous and very diverse modes of action have been suggested to explain the MCS phenotype, with some of the more commonly proposed causal mechanisms being central pain sensitization, neurogenic inflammation, altered metabolic capacity, behavioural conditioning, and expectancy-induced nocebo effect [5,9,13–15]. However, scientific evidence supporting the suggested mode of action is still insufficient to reach consensus, and the underlying mechanisms leading to symptom elicitation in MCS remains an enigma.[拙訳]MCS(多種化学物質過敏状態)表現型を説明するための多くの非常に多様な作用様式が示唆されており、より一般的に提唱されている原因メカニズムのいくつかは、中枢性疼痛感作、神経原性炎症、代謝能の変化、行動学的な条件付け、及び予期誘導性のノセボ効果 [5,9,13–15] である。しかしながら、示唆された作用様式を支持する科学的エビデンスはコンセンサスに達するにはまだ不十分であり、そして MCS における症状誘発をもたらす根底にあるメカニズムは謎のままである。』(注:i) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Chemical intolerance」 加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の文献番号「9」は次の資料です。 「NICNAS, OCSEH. Multiple Chemical Sensitivity: Identifying Key Research Needs; National Industrial Chemicals Notification and Assessment Scheme, Australia; Office of Chemical Safety and Environmental Health, Australia. 2010 2010. Report No.: 1.」 iii) 引用中の文献番号「13」は次の論文です。 「Mechanisms underlying nontoxic indoor air health problems: A review」 加えて上記 13) 項を参照して下さい。 iv) 引用中の文献番号「14」は次の論文です。 「Acquiring symptoms in response to odors: a learning perspective on multiple chemical sensitivity」 加えて上記 4) 項も参照すると良いかもしれません。 v) 引用中の文献番号「15」は次の論文です。 「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model」 加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 拙訳中の「条件付け」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)

19) 論文(全文)「Impact of comorbidity on symptomatology in various types of environmental intolerance in a general Swedish and Finnish adult population[拙訳]一般的なスウェーデン及びフィンランドの成人集団での様々なタイプの環境不耐症における症候学に関する併存症の影響」(2023年7月発行)の「4. Discussion」項において次に引用(『 』内)する記述があります。 『With respect to EIs, the etiologically neutral term ‘symptoms associated with environmental factors’ has been proposed (Haanes et al., 2020).[拙訳]環境不耐症(EIs)に関して、 病因学的に中立な用語である「symptoms associated with environmental factors」が提案されている(Haanes et al., 2020)。』(注:引用中の「Haanes et al., 2020」は上記 12) 項を参照して下さい)

余談1:医学的に説明できない症状(medically unexplained symptoms、MUS)の文脈において、身体感覚増幅(somatosensory amplification、SSA)が近頃は身体脅威増幅(somatic threat amplification)と呼ばれることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

余談2:ちなみに上記研究の令和2(2020)年度の報告についてのWEBページ「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」においてリンクされている「化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証」に対する分担報告書については次を参照して下さい。 「<化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証>」 加えて、令和2(2021)年度の報告についてのWEBページ「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」においてリンクされている「化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証」に対する分担報告書については次を参照して下さい。 「<化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証>」 その上に、上記「中枢神経感作」についての次の資料もあります。 「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明とそれによる患者ケアの向上」 さらに、上記「中枢神経感作」に関連する「中枢神経感作症候群」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「中枢神経感作病態としての心身相関」の「Fig. 3 中枢性感作症候群」(P174) これら以外にも、上記「中枢神経感作」に関する資料例としては下記 (h) 項で示すものの他に、「中枢神経感作病態」についての上記資料をはじめとして例えば次の資料もあります。 「中枢神経感作病態における心身相関」 なお、標記「中枢神経感作」に類似するかもしれない「中枢性感作」に関連する、 (a) 「中枢性感作の評価」については次の資料を参照して下さい。 「中枢性感作の評価」 (b) 上記「中枢性感作」と「機能性身体症候群」の関連については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「疼痛性障害の合併症」 加えて、上記「中枢性感作をきたす誘因」については上記資料の「中枢性感作をきたす誘因」項(P40)を参照して下さい。 (c) 「中枢神経感作の特性を考えると痛みにとどまらず他の感覚モダリティにおける過敏性を捉えることも必要である」ことについては次の資料を参照して下さい。 「中枢神経感作につながる生理学的検査とこころの臨床を結びつける」の「Ⅰ.中枢神経感作と臨床的意味」項(P509) (d) 上記「中枢性感作」(central sensitization)の神経生物学については次の資料(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「The neurobiology of central sensitization[拙訳]中枢性感作の神経生物学」 ただし、 1) この資料(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 2) この資料は PubMed では検索することができませんでした。 (e) 線維筋痛症における上記「中枢性感作」や愛着障害がプライミング効果をもつ準備因子として関与している可能性を含む(線維筋痛症を発症する)「スリーヒット仮説」については次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症と中枢ミクログリア異常仮説:誘導ミクログリア細胞(iMG)による効果」 加えて、心理的因子と痛みの関係における中枢性感作の媒介効果についてはWEBページ「心理的因子と痛みの関係における中枢性感作の媒介効果」を参照して下さい。その上に、子ども時代のマルトリートメント(childhood maltreatment)と上記「中枢性感作」に関係する「中枢性感作症候群」(central sensitisation/sensitivity syndromes)との関連は、次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「The association between exposure to childhood maltreatment and the subsequent development of functional somatic and visceral pain syndromes[拙訳]​子ども時代のマルトリートメントへの曝露とその後の機能性身体的及び内臓痛症候群の発症との関連」 ちなみに上記「​子ども時代のマルトリートメント」に関係する「小児期の逆境体験」(adverse experiences during childhood)と慢性疼痛(chronic pain)との関連を示すかもしれない次の論文(全文)もあります。 「Parenting style during childhood is associated with the development of chronic pain and a patient's need for psychosomatic treatment in adulthood A case-control study[拙訳]​小児期の育児スタイルは成人期における慢性疼痛の発症及び心身医学的治療の必要性と関連する 症例対照研究」 この論文(全文)に関連するかもしれない研究成果報告書については次を参照して下さい。 「一般住民における心理特性・自律神経機能・失体感傾向と慢性疾患の関連:久山町研究」 ただし、これらの論文(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 (f) 慢性疼痛の上記「中枢性感作」(central sensitization)の文脈おける「予測的符号化」(predictive coding)との関連については次の論文(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「Placebos in chronic pain: evidence, theory, ethics, and use in clinical practice[拙訳]中枢性感作の神経生物学」の特に「Introduction」項 加えて同項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『In the context of central sensitization, we argue that "predictive coding" and its corollary "bayesian brain" offer a unified neurobiological framework to elucidate placebo effects in chronic pain.[拙訳]​中枢性感作の文脈において、「予測的符号化」とその必然的結果である「ベイジアン脳」が、慢性疼痛におけるプラセボ効果を明らかにするための統一された神経生物学的枠組みを提供すると我々は主張する。』(注: i) 拙訳中の「予測的符号化」については、「予測」や「予測的処理」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「ベイジアン脳」(bayesian brain)については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、次の論文[全文]を参照すると良いかもしれません。 「Symptom perception, placebo effects, and the Bayesian brain[拙訳]症状の知覚、プラセボ効果、及びベイジアン脳」 ただし、この論文[全文]の拙訳はタイトルを除きありません。 iii) 拙訳中の「ベイジアン脳」に関連する「ベイズ推論」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、次の論文[全文]を参照すると良いかもしれません。 「Pain: A Statistical Account[拙訳]疼痛:統計的説明」 ただし、この論文[全文]の拙訳はタイトルを除きありません。 iv) なお、上記論文(全文)の PubMed 要旨はここを参照して下さい。) (g) また、上記「中枢性感作」に関連する「持続中枢感作」と慢性難治性疾患の関連についてのWEBページは次を参照して下さい。 「持続中枢感作と慢性難治性疾患」 (h) 上記「中枢性感作」と「難治性疾患」に関連する「難治性疾患における中枢神経感作の役割」については「Central sensitization inventory」の紹介を含めて次の資料を参照して下さい。 「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明とそれによる患者ケアの向上」 ちなみに、 1) 上記資料中には「9. 過敏性腸症候群の中枢性感作病態」項があります。一方、上記過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome、**)と内受容(interoception)との関連は次の論文(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「Interoceptive Abilities in Inflammatory Bowel Diseases and Irritable Bowel Syndrome[拙訳]炎症性腸疾患及び過敏性腸症候群における内受容能力」 加えて、PTSD(post-traumatic stress disorder)と過敏性腸症候群との関連は次の論文要旨を参照すれば良いかもしれません。 「Systematic review with meta-analysis: The association between post-traumatic stress disorder and irritable bowel syndrome[拙訳]メタアナリシスを伴うシステマティックレビュー:PTSD過敏性腸症候群の関連」(注:上記「PTSD」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」の特に「第1章 トラウマに関する研究動向と課題」を参照) 2) ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からの上記過敏性腸症候群に関連する「機能性胃腸障害」については、「慢性びまん性疼痛」を含めて次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Chronic Diffuse Pain and Functional Gastrointestinal Disorders After Traumatic Stress: Pathophysiology Through a Polyvagal Perspective[拙訳]​トラウマティック・ストレス後の慢性びまん性疼痛及び機能性胃腸障害:ポリヴェーガル理論の視点からの病態生理」 一方、MCS(multiple chemical sensitivity)と線維筋痛症(fibromyalgia)や過敏性腸症候群(Irritable bowel syndrome)との関連は、中枢性感作(Central sensitization)を含めて次の論文(全文)を参照して下さい。 「Intolerance to environmental chemicals and sounds in irritable bowel syndrome: Explained by central sensitization?[拙訳]過敏性腸症候群における環境化学物質及び音に対する不耐性:中枢性感作によって説明されるか?」 ただし、これらの論文(全文)及び論文要旨の拙訳は共にタイトルを除きありません。 3) 「予測的符号化」又は「予測誤差」と上記過敏性腸症候群との関連等は他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (i) 後者の論文(全文)のタイトルの拙訳「慢性びまん性疼痛及び機能性胃腸障害」に関連するかもしれない、「シャットダウンを引き起こす(中略)出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記線維筋痛症の症状に関連する痛覚が内受容(他の拙エントリのここを参照)の一形態であるとの主張については拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception and nociception

*:上記「中枢性感作」に関連する「中枢性感作症候群」について、名越泰秀、西原真理編の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の A. 疼痛の基礎知識 の 6 痛みの性質の評価 の「c. 中枢性感作に関する評価」における記述の一部(P39)を次に引用します。

(前略)中枢性感作は神経障害性疼痛の項目で触れたが,痛みだけでなくその他の感覚の過敏性が獲得された難治性の病態,すなわち中枢性感作症候群 central sentization syndrome (CSS)(線維筋痛症化学物質過敏症過敏性腸症候群など)においても認められる.(後略)

注:(i) この引用部の著者は(令和2年度の「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究班」のメンバー[余談2を参照]でもある)西原真理です。 (ii) 引用中の「中枢性感作は神経障害性疼痛の項目で触れた」における神経障害性疼痛の項目における中枢性感作についての引用は省略します。同本を参照して下さい。 (iii) 引用中の(中枢性感作の文脈における)「感覚の過敏性」に関連するかもしれない「感覚過敏は中枢神経感作とも重なる概念である」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「感覚過敏に対する新しい治療法の開発 2018 年度 実施状況報告書」の「研究実績の概要」項 (iv) 引用中の「線維筋痛症」、「過敏性腸症候群」とトラウマとの関連を説明するツイートがあります。一方、引用中の「化学物質過敏症」又は突発性環境不耐症とトラウマや PTSD との関連について、 1) 上記「化学物質過敏症」において、「これらを踏まえると、いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。」ことについては環境省のWEBページ『環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究(「本態性多種化学物質過敏状態」に関する研究を含む)』の「環境中の微量な化学物質による健康影響」項においてリンクされている次の資料を参照して下さい。 「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」の「1.概念」項 2) 上記「特発性環境不耐症」において、「この患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった」との記述は次の資料を参照して下さい。 『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』の要旨

**:上記「過敏性腸症候群」に対する心理療法に関連する資料や研究成果報告書は例えば次を参照して下さい。 「過敏性腸症候群に対する力動的精神療法・ストレスマネジメントの実際」、「過敏性腸症候群に対する認知行動療法の実際」、「過敏性腸症候群に対する自律訓練法の実際」、「過敏性腸症候群に対するマインドフルネス療法」、「わが国における過敏性腸症候群(IBS)に対する催眠療法の実際と課題」、「過敏性腸症候群に対する内部感覚曝露を用いた集団認知行動療法の開発研究

※:上記「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」及び「食物や環境への過敏症」への治療や対処に関連するかもしれない、「内受容感覚(他の拙エントリのここを参照)をさらに洗練させること」及び(ポリヴェーガル理論[他の拙エントリのここの「最初に」を参照]の視点からの)「生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けること」について、最初に前者についてはキャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)〔ここの[A]11) 項も参照すれば良いかも〕の 第11章 戦略と道筋 の 治療戦略 の「5. 内受容感覚をさらに洗練させること。」における記述(P331)を次に引用(『 』内)します。 『これは、通常、調整への働きかけや、防衛的適応を和らげるための働きかけと同時に行う。より正確な内受容感覚を持つようになると、調整能力が拡大し、安全感覚を持つことができるようになる。そして協働調整を行い、自分の内的体験をより正確に気づき、それをセッションの中で適切に臨床家に報告することが可能になるだろう。』 加えて、上記「内受容感覚をさらに洗練させる」ことや引用中の「より正確な内受容感覚を持つようになる」ことに関連する「さらに正確な内受容感覚を築く」ことについて、同本の 第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」 の「さらに正確な内受容感覚を築く」における記述の一部(P226~P228)を三分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【発達性トラウマを扱う時に鍵となる要素の一つは、クライアントがより健全で正確な内受容感覚を築くのを支援することである。最も一般的な方法としては、臨床家がクライアントと共に、何が観察されるかについて「気づきを照らし合わせる」ことである。たとえば臨床家が、クライアントの生理・身体システムに起こった変化をクライアントに言ってみる。クライアントは自身の体験と照らし合せてみる。「あなたが今、深呼吸をしたことに気づいたのですが、あなたは気づきましたか? それはどんな感じでしたか?」。】、【健全で正確な内受容感覚を育てるもう一つの方法は、クライアントに、実は様々な種類の感覚があるのだ、ということに気づいてもらえるように援助することである。これは特に肯定的な感覚に関して、重要になるだろう。大半の時間を危険の中で過ごしていたら、そうではないものに気づく能力は限られてしまう。生き延びるためには、自分を傷つける可能性があるものに気づくことのほうが、ずっと重要だった。そのため、危険に対して注意を向けるように鍛錬されているのだ。】(注:引用中の「様々な種類の感覚がある」ことに関連するかもしれない「情動粒度」[又は感情粒度]については他の拙エントリのここを参照して下さい)、【どんな感覚が楽しいか。好きか。もしそれを感じることができないようなら、どんな感覚が他よりは「まし」かに気づく方法を、臨床家は、クライアントに教える必要がある。その際、クライアントが、感覚をどのように名付け、分類しているかを知ることが重要となる。クライアントが「不快」という言葉で表現する感覚は、実は「普通に」起きている何かの感覚であるかもしれない。背側の生理学的機能を使い過ぎて、慢性的に自身の体感に無感覚になっている場合は、身体を感じる体験が少ないかもしれない。そのため空腹でお腹が鳴るといった単純な感覚にさえ、警戒を示すことがある。それが馴染みのない感覚だったら、クライアントはどう理解したらよいか、全くわからないだろう。常に意識が身体から切り離されている状態の人だったら、身体の感覚を感じること自体が「普通だ」とは思えないだろう。そして潜在的な危険をいつも探している眼鏡を通して、その感覚を解釈するだろう。】(注:引用中の「背側の生理学的機能を使い過ぎて」に関連する「背側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項[P350])
また後者(「生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けること」)について、同本の 第5章 発達性トラウマの副作用 の「生き残りをかけた生理学的反応が暴走する時」における記述の一部(P132~P135)を三分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『脅威があるときの生理学的状態を、脅威がない時のそれと区別するために、われわれはそれを「生き残りをかけた生理学的反応」と呼ぶ。これは、脅威を知覚した時に起こる、交感神経系の強度の活性化による過覚醒状態の生理学的反応と、背側迷走神経系が強度に活性化した時の凍りつき反応である。』(注:引用中の「過覚醒状態の生理学的反応」に関連する「闘争-逃走反応」及び引用中の「凍りつき反応」については共に例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。)、『もしこうした生理学的状態が長く続くと、ストレスに適応するためのアロスタティック負荷が作られ、身体に大きな負担をかけることになる。』(注:引用中の「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい)、『生理反応がスムーズにいかないと、生き延びようとする衝動は、信頼性を欠き、それが身体的、心理的、行動的、社会的側面全てに表れる。健全な社会的つながりを提供する神経基盤なくして、協働調整や自己調整をしたり、帰属とつながりの感覚を感じることは困難である。こうした状態の人を助けるために、まずやらなければならないことは、生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けることである。健全な調整ができないことで引き起こされる不適応的反応は、臨床家が提供しようとする、調和のとれた状態に近づくことを妨害する。』(注:引用中の「生き残るための生理学的状態からその人が脱出する」ための「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい)

なお、 (a) 上記 6) の資料と上記 10) の論文の視点を併せると、本論文の著者らは非主流の Clinical Ecology(和訳:臨床環境医学)を脱して、上記「神経生理学」を含む主流の医学に合流したとも考えられます。加えて、上記 「焦点を曝露や不耐から知覚に移行することをエビデンスは指し示す」を含む上記 11) 項も参照すると良いかもしれません。また、上記主流の医学は日進月歩であると考えます。 (b) 一方、臨床環境医学を信奉する方々にとってはこれらの論文、資料、本、エントリ等は「想定外」(他の拙エントリのここにおける引用の「想定外に向き合う知力」項を参照)かもしれません。また、MCS、化学物質過敏症又は化学物質不耐症についての研究が、今後は(上記日進月歩である)主流の医学の視点から実施されるのであれば、上記「想定外」な出来事がさらに増加するかもしれません。例えば上記 12) 項を参照して下さい。

加えて、上記 10) 及び 12) の論文の視点、他の拙エントリのここにおける引用(すなわち、発達性トラウマの歴史をもつ人は「環境への過敏症」を有するかもしれないこと)及び上記【(前略)身体不調を化学物質のためとは決めつけず、心理社会的ストレスによる体調不良やメンタルヘルスの問題など,他の既存の考え得る疾患である可能性を「除外診断」する必要がある】ことを併せると、「化学物質過敏症」の診断の際に、例えば上記「発達性トラウマの歴史を持つ」(上記 11) 項を参照)ことの視点からも鑑別が必要であると考えます。特に頻繁な「闘争-逃走反応」(他の拙エントリのリンク集を参照)や一回以上の「気絶」(他の拙エントリのここにおける引用及び[「気絶」と類似する「失神」については]他の拙エントリのここを参照、注:他の拙エントリのここにおける引用では「闘争-逃走反応」や「気絶」は化学物質過敏症の症状には含まれません)の症状がある場合には。なお上記頻繁な「闘争-逃走反応」や「気絶」(又はシャットダウン、擬死等)においては神経生理学(上記 10) の論文を参照)に大いに関連するポリヴェーガル理論(拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の神経知覚(ニューロセプション、他の拙エントリのここを参照、一方知覚については上記 11) の論文を参照)における「生命の危機」の検知(誤検知を含む、他の拙エントリのここここを参照)の視点からの検討となると本エントリ作者は考えます。上記「闘争-逃走反応」や「気絶」に陥りやすいこととは別の視点である「耐性領域(耐性の窓)」の狭さの視点からは例えば拙エントリのここここを参照して下さい。

[B]上記①の患者における病態生理としてのポリヴェーガル理論(換言すると「神経生理学」※2)的な仮説の例のご紹介
ニューロセプション(神経知覚)が「命が脅かされている」と誤検知※4して、古い迷走神経(すなわち背側迷走神経[複合体])がトラウマへの防衛反応に採用され(他の拙エントリのここを参照)、(凍りつきとも類似した)[深い]シャットダウンとして「気絶した」(「気絶」に類似したポリベーガル理論の視点からの「失神」については他の拙エントリのここを参照)。「単一試行」のトラウマ反応(他の拙エントリのここを参照)として、一回でも上記シャットダウンに陥ると代償を払う(他の拙エントリのここを参照)リスクがあり、その代償を払うことになってしまった。上記代償例は次に示します。 i) 公の場所にいられなくなる、 ii) 下腹部の問題、 iii) 他者の接近に耐えられない、 iv) 低周波音に過敏となる※5、 v) 線維筋病症(WEBページ「線維筋痛症 全身の痛み」を参照)の症状が起こる、 vi) 血圧が安定しなくなる、 vii) 自律神経系が生理学的状態を調整するやり方が変化する(他の拙エントリのここを参照、加えてこれに関連する「自律神経の調節不全」については資料「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の観点から-」の「4) ポリヴェーガル理論」項を参照)、 viii) 解離(他の拙エントリのここここを参照)、 ix) レジリエンス、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなること(他の拙エントリのここを参照)。加えてこれに関連する「周りの世界に対し、危険と安全の知覚が改変された」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。一方上記「単一試行」モデルが適用される場合には、「非常に詳細な病歴が必要」なことについては、他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。なお、 1) 「何を地獄と感じるかは、一人一人違う」ことについては他の拙エントリのここを、「非常に重要なのは、同じ出来事であっても、人によってどのようなニューロセプションの反応が発動し、どういう生理学的状態になるかが異なる」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 認知が、(ニューロセプションによる)身体の反応とずれることがあることについては他の拙エントリのここここにおける引用を参照して下さい。 3) 「こうした神経生理学的な反応を一度体験すると、高次の脳は、なぜこんなことになったのか納得したいと考え、もっともらしい理屈をつける」ことについては※2を参照して下さい。 4) 上記シャットダウンに陥りトラウマを負った場合の「トラウマを負うことでもっとも難しいと思われるのは、内に住み着いている〈引き金〉をどうするかということである。トラウマは過去のものであるのに、体が、あたかも切迫した危険の中にいるかのように反応し続ける」ことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。加えて、「煙探知機(注:「扁桃体」のこと)は普通、危険の手掛かりを捉えるのが非常に得意だが、トラウマを負うと、状況が危険か安全かの解釈を誤る可能性が増す」ことについては他の拙エントリのここここにおける引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項を参照して下さい。さらに、「扁桃体は、深刻なマルトリートメントを経験したほど過活動になる」ことについて、他の拙エントリのここの (xii) c) 項を参照して下さい。 5) ニューロセプションが「命が脅かされている」と誤検知する対象は、多種類の極めて微量の化学物質(すなわち、MCS)以外にも規制下の電磁波(すなわち、電磁波過敏症)等が考えられます。

[C]上記ポリヴェーガル理論と密接に関連するトラウマ※6を負った方々に対する治療・対処・養生法についての感想
[i] 「ポリヴェーガル理論の助けにより、西洋医学の外で長年行われてきた、他の古い、非薬理的な取り組みの価値も、受け容れやすくなった」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、仏教思考や禅についての記述を有する資料「認知行動療法における身体性をめぐる一考察」(参照)もあります。一方、拙ブログにおける20種類を超えるトラウマを負った方々に対する非薬理的な治療・対処・養生法については、エビデンスが不足していることも含めて、他の拙エントリのここを参照して下さい。この中には東洋的な「ヨーガ」(他の拙エントリのここを参照)及び仏教にルーツを持つ(例えば資料「心理療法としてのマインドフルネスにおける仏教性」の「3. 仏教から見たマインドフルネス」項を参照)「マインドフルネス瞑想」(他の拙エントリのここを参照)も含まれます。一方、これら以外の非薬理的な取り組みとして次の資料があります。 「自律訓練法を患者の病態理解に役立てる

[ii] 一方、「科学は代替医療に偏見をもっていない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。従って、上記「ヨーガ」(注:ちなみに「ヨーガ」と上記ポリヴェーガル理論との関連についての論文(全文)例として「Yoga Therapy and Polyvagal Theory: The Convergence of Traditional Wisdom and Contemporary Neuroscience for Self-Regulation and Resilience」があります)にも、「マインドフルネス瞑想」(注:少し古いかもしれませんが他の拙エントリのここにおける引用で様々なマインドフルネスの背後にある心理神経的メカニズムに関連する論文が紹介されています)にも、加えて「EMDR」(他の拙エントリのここ及びここを参照)にも科学は偏見をもっていないと考えます。最後の「EMDR」の PTSD に対するエビデンスについての論文(全文)の一例(2018年発行)は次を参照して下さい。 「The Use of Eye-Movement Desensitization Reprocessing (EMDR) Therapy in Treating Post-traumatic Stress Disorder—A Systematic Narrative Review」 なお、この論文の「Recommendations for practice[拙訳]実践に対する推奨」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『EMDR therapy should be available for adults who present with PTSD and co-morbid symptoms including depression and anxiety and EMDR therapy can be delivered effectively within the countries identified within this study.[拙訳]PTSD を呈する成人、及び抑うつ及び不安を含む併存症状を呈する成人に対して、EMDR 療法は利用できるべきであり、そして EMDR 療法はこの研究の範囲内で特定された国の範囲内で効果的に実施できる。』

[D]自発的な回復及び回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思うことについて、電磁波過敏症等における前者の「自発的な回復」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、後者の「回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思う」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、新薬を承認するための「治験の3つのステップ」については次のWEBページを参照して下さい。 「2.治験の3つのステップ - 製薬協」(注:このWEBページ中の「『第Ⅲ相試験』(検証的試験)」項において「確認の方法」としての次に引用[【 】内]する記述があります。 【確認の方法は、現在使われている標準的なくすりがある場合にはそれとの比較、標準的なくすりがないときにはプラセボとの比較が中心になります。】)

[E]その他のもの
[i] 上記[D]項にも関係する「急激な回復」(又は「V字回復」)に関連するかもしれない仮説としての「パブロフの犬において条件付け操作による条件反射が消え去ったこと」については他の拙エントリのここを参照して下さい。なお、回避すると機会がなくなる条件付け(レンポンデント学習)の消去のための曝露については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、曝露(エクスポージャー)療法を含む様々な心理療法のマニュアルについては次のWEBページを参照して下さい。 「厚生労働科学研究班作成の不安障害(強迫、社交不安、パニック、PTSD)の認知行動療法マニュアル - 日本不安症学会」 ただし、曝露中に上記ニューロセプションが「命が脅かされている」と誤検知して、(深い)シャットダウンに陥る(上記[B]項を参照)ことにより代償を払うリスクについての注意が必要であると考えます。

※1:上記「精神神経内分泌免疫学」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「研究会について - 精神神経内分泌免疫学研究会」の「精神神経内分泌免疫学とは」項 なお、上記論文(全文)中の上記 Fig. 2 は上記「精神神経内分泌免疫学」、そして「アロスタティックロード」[他の拙エントリのここを参照]又は「身体予算管理」[他の拙エントリのここを参照]にも少なくとも一部が重複するかもしれません。上記 Fig. 2 と精神神経内分泌免疫学や、「アロスタティックロード」又は「身体予算管理」との関連については共に他の拙エントリのここの i) 項を参照して下さい。

※2:上記ポリヴェーガル理論については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。加えて、上記ポリヴェーガル理論と「神経生理学」の関連については他の拙エントリのここ及びここにおける引用を参照して下さい。なお、この引用中の「こうした神経生理学的な反応を一度体験すると、高次の脳は、なぜこんなことになったのか納得したいと考え、もっともらしい理屈をつけます」に類似するかもしれない「原因探し」(バイアス)については、エントリ『「化学物質過敏症って心因症なの?」に対するお返事 - NATROMのブログ』を参照して下さい。

※3:上記 Fig. 2 の一方で、Clinical Ecologist(和訳:臨床環境医)が提唱するストレスに関連する「トータルボディロード」についての批判については他の拙エントリのここを参照して下さい。

※4:上記「ニューロセプション」については拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「誤検知」に関連する、『ニューロセプションは、必ずしも常に正確とは限らない。危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある。あるいは危険でないにも関わらず「安全である」という「合図」だと取り違えてしまう可能性もある。』ことについては拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。一方、上記「ニューロセプション」、「条件反射」は共に無意識的なものと考えます。前者については他の拙エントリのここここにおける引用を参照して下さい。

※5:上記「低周波音に過敏となる」ことについて、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照、そして以下の資料も参照)を提唱するポージェスによる「交感神経系の覚醒システムが生理学的に優位になると、聴覚が変化する可能性」について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第2章 「安全である」ことを知る の「外受容感覚」における記述の一部(P52~P53)を以下に引用(『 』内)します。 『ポージェスによると、交感神経系の覚醒システムが生理学的に優位になると、聴覚が変化する可能性があるようだ。ストレスを受けた時の生理学的状態では、同じ音がまったく異なった音に聞こえる。「捕食者が出す音」ともいわれる低周波数帯の音をいち早く聞きつけるために、中耳の筋肉が変化するためだ。すると、周囲の騒音と人間の声を聞き分けることが難しくなる。ストレス下では、実際の聴覚の変化だけではなく、内容を知覚する能力も弱くなる。』 加えて資料「The polyvagal hypothesis: common mechanisms mediating autonomic regulation, vocalizations and listening[拙訳]ポリヴェーガル的な仮説:自律神経調節、発声及び聞き取りをメディエイトする一般的なメカニズム」の「IX. Summary」項(P263)における記述の一部を次に引用します。

(前略)According to the theory, during defensive states, when the middle ear muscles are not contracted, acoustic stimuli are prioritized by intensity and during safe social engagement states, acoustic stimuli are prioritized by frequency.
During safe states, hearing of the frequencies associated with conspecific vocalizations is selectively being amplified, while other frequencies are attenuated.
During the defensive states, the loud low-frequency sounds signaling a predator could be more easily detected and the soft higher frequencies of conspecific vocalizations are lost in background sounds.(後略)


[拙訳]
この理論によれば、防衛状態中では、中耳の筋肉が収縮していない時、音響刺激は強度によって優先され、そして安全な社会的関わり状態中では、音響刺激は周波数によって優先される。
安全な状態中では、(動物の)同種の発声に関連する周波数の聴覚は選択的に増幅される一方で、他の周波数は減衰される。
防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう、そして(動物の)同種の穏やかな高周波数の発声は背景音で隠れてしまう。

加えて、上記「IX. Summary」項における「耳小骨連鎖強直」についての次に引用(『 』内)する他の記述の一部もあります。 『During social interactions, the stiffening of the ossicular chain actively changes the transfer function of the middle ear, and functionally dampens low-frequency sounds and improves the ability to extract conspecific vocalizations.[拙訳]社会的交流中では、耳小骨連鎖強直は能動的に中耳の伝達機能を変化させ、そして低周波音を機能的に減衰させ、及び(動物の)同種発声を抽出する能力を改善する。』(注:i) 引用中の「社会的交流」は上記「社会的関わり」[例えば資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項を参照]と大いに関連します。 ii) 拙訳中の「耳小骨連鎖強直」〔stiffening of the ossicular chain〕は上記「中耳の筋肉の収縮」〔contracting the middle ear muscles〕によるもののようです。同資料中の「V. Impact of middle ear structures on sensitivity to conspecific vocalizations」項における次に引用[≪ ≫内、ただし拙訳はありません]する記述[P260]を参照して下さい。 ≪Although the stiffening of the ossicular chain functions as a highpass filter by contracting the middle ear muscles and dampening the influence of low-frequency sounds on the inner ear, the physical characteristics of the ossicular chain also influence the acoustic energy reaching the inner ear.≫)

※6:上記ポリヴェーガル理論とトラウマとの密接な関連については、他の拙エントリのここにおける引用の一部【ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。トラウマを抱えた人々に対し、ポリヴェーガル理論は、生命の危機に及んで、なぜ彼らの身体はかくのごとく反応し、その結果、レジリエンス、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなったのかを説明したのである。】を参照して下さい。

(25)ミニ情報【「コレラ恐怖に呪縛されたジュスティーヌの精神的混乱を伴っている生理学的な障害」についての記述例のご紹介、その他】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部として、「コレラ恐怖に呪縛されたジュスティーヌの精神的混乱を伴っている生理学的な障害」について、ピエール・ジャネ自身が関与した膨大な症例から訳者が精選した五症例を集めた、松本雅彦訳の本、「解離の病歴」(2011年発行)の 第二章 症例 ジュスティーヌ ある固着観念の病歴 の「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P90~P91)を原注番号を除き以下に引用します。なお、 (i) 上記「ピエール・ジャネ」が解離の概念を生み出したことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神分析におけるヒステリーと解離の諸相」の「8.解離とヒステリーの歴史的展望」項 加えて、これに類似する「フランスのジャネは、解離や心的外傷やヒステリーの研究で有名であり、解離を初めて定義したとも言われる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「治療ゼミナール第5号通信(2009.5.10.発行)平井孝男(解離、自傷特集)」の 2.解離とは? の「d.他の定義」項 (ii) また、「現代の解離理論は、解離を心的外傷による人格機能の低下によると考えたジャネの考えに基づいている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」 (iii) これら以外にも、 a) 上記ピエール・ジャネの「心理分析」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 『ピエール・ジャネの「心理分析」 -フロイトの精神分析とどこが違うのか-』 b) 拙訳はありませんが上記ピエール・ジャネの治療法については次のWEBページを参照して下さい。 「Pierre Janet's Treatment of Post-Traumatic Stress

(前略)この考察を終えるに当たって、私たちは、彼女の精神的混乱を伴っている生理学的な障害にも目をとめざるをえない。この種の生理学的障害は大部分の患者に特異的に見いだされるからだ。
とくに主張するつもりはないが、まず、消化器系の障害がかなりの頻度で現れている。ジュスティーヌも不規則にしか食事を摂らず、いつも消化不良状態でよく嘔吐し、頑固な下痢と便秘を繰り返していた。しかし胃は拡張していず、さしたる異変も見いだされていない。むしろこの胃腸障害は、コレラに対する固着観念およびその後の食養生に結びついていて、かなり早期に改善し、その他の精神症状をもたらすものではなかった。
逆に栄養状態は全般に悪く、強く私たちの関心を引くところであった。まず、患者マルセルと同じように、皮膚は乾燥して粉を吹いているようであり、爪は割れ、髪の毛も抜けていることなどである。肥満度の変動は激しく、病気の重篤な時期には増え、固着観念が消退しいくらかの意思と仕事への情熱を取り戻したときには減少する。いずれ報告するように、これは患者の幼少時からつづいている傾向である。
循環器系ことに血管運動系の障害はいっそうはっきりしている。多数の皮下溢血が、夢想につづいて現れる拘縮した四肢に認められ、赤い斑点が胸や顔面に出現し、顔の鬱血は蒼白と交代する。鼻や耳、眼下のシミはほとんどの神経衰弱症者に見られ、彼らの顔貌を特徴的なものにしている。ジュスティーヌの場合、そのシミはよく変化し、患者のそのときどさの精神的動揺に呼応しているようであった。(後略)

加えて、上記引用直後の「月経困難症」における記述について、上記「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『月経困難症はこれまでもずっとつづいていたが、私たちが診察した時期はことのほか重篤で、あらゆる症状に影響をおよぼしていた。古い固着観念が強く甦ってくるだけでなく、この月経時には新しい固着観念の数々も出現する。月経時の女性に被暗示性の高まることは指摘するまでもあるまい。この点は診察の出発点であるが、精神神経症患者でしばしば看過されているように思われる。』(注:引用中の「被暗示性」に関連する標記ジュスティーヌは「驚くほど暗示に掛かりやすい女性であった」ことについて、上記「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P79)を次に引用[【 】内]します。 【ジュスティーヌは、はじめて診察したときから驚くほど暗示に掛かりやすい女性であった。両腕の一方を上にあげさせるときも、そのままのポーズを保ち、あげていることに気づかない。そして、すぐにもその腕は拘縮してゆく。それは、私たちが拘縮を系統化させる実験研究をそのまま再現するものであった。】[注:a) 引用中の「暗示」に関連する「暗示とその周辺問題」については次の資料を参照して下さい。 「暗示とその周辺問題」 b) 引用中の「月経時の女性に被暗示性の高まること」に関連する(病的徴候の残滓としての)「月経時などには、暗示性も以前と同じ程度にまで亢進する」ことについて「暗示とその他の人たちに吹き込まれる観念との関連」を含めて同の「4 精神の指導」における記述の一部(P99~P101)を次に引用します。])

(前略)私たちの考察すべき興味ある事項は、やはり暗示性という現象と固着観念である。それらは、この患者が変化してきた過程でどのようになったのだろうか? 暗示性がどう変容したか、それを評価することはむずかしい。実際、暗示の掛け方次第で、被験者は験者が暗示に従うことを望んでいるのかどうかを感知し、従うことによって従わないということもありうるからである。しかし私たちは、この実験を正確なものにすることを心がけ、この研究に気づかれないようにしながら、ときどき覚醒時にも暗示を試み、推測を交えずその結果を記録するようにした。この研究はまだ不十分ではあるが、私たちはこの結果にある程度満足している。暗示性、下意識の活動、精神の解離も、完全に消退したわけではない。夢遊病状態もまだときに出現するが、それは病的徴候の残滓だと考えている。月経時などには、暗示性も以前と同じ程度にまで亢進する。しかし調子のよいときには、暗示性も著しく減弱し、暗示が「取り憑くことはほとんどない」。患者は求められた活動を遂行するが、いまやそれは、本人の同意を伴った意識的な従順さによるものであり、自動症的な動きによるものではない。たしかにジュスティーヌは、彼女の心に影響をおよぼした私たちからはまだ暗示を受けやすい状態にあるが、その他の人たちに吹き込まれる観念などに対しては十分な抵抗力を獲得している。何らかの言葉や出来事によって暗示状態に陥ることはほとんどない。もちろん、固着観念が湧き上がってくることはあるが、自分の力でそれを抑えることができる。読書に集中すること、ピアノの小節を弾くことなどによって、以前なら一ヶ月もの混乱に導かれたであろう強迫観念を消退させることができるようになっている。この一年、彼女が重篤な混乱に見舞われることは一度もなく、混乱が起きたとしてもそれに対処できる範囲のものとなった。かつて愛していた子犬が目の前で車に轢かれるという事件があり、彼女は失神し、固着観念を伴う発作が出現したが、その発作も後遺症なく翌日には消失した。このような形の治癒が得られたことは、たとえ部分的なものにすぎないにしても、暗示性が無動状態や解離と関連しているとみる私たちの見解を実証してくれているように思われる。
これまでの経過から、精神の厳しい教育こそが有効な影響をもたらしたように思われる。だからといって、古く根強い固着観念を完全に消失させえたともいえない。しかし、暗示性を弱め、新しい観念が生じることを防ぐことはできた。一時的な結果は満足すべきものであるが、それに大きな信頼をおくにはまだまだ失望すべき点も多い。この一見治癒と思われる状態を評価しこれに正当な価値を与えるには、残された点も多々あろう。(後略)

注:i) 引用中の「夢遊病状態」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「下意識」や「自動症」については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「書評 心理学的自動症-人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論-」 iii) 引用中の「暗示」に関連する「暗示に掛かりやすい人たちの特徴」としての「リュシー等の場合を例」にした「極度に情動の不安定な状態」であることについて、ピエール・ジャネ著、松本雅彦訳の本、「心理学的自動症 人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論」(2013年発行)の 第一部 全自動症 の 第三章 暗示、意識野の狭窄 の「Ⅶ 暗示に掛かりやすい人たちの特徴」における記述の一部(P205~P206)を以下に引用します。なお、上記「心理学的自動症」の別名であるだろう「心理自動症」について、野間俊一著の本、「解離する生命」(2012年発行)の 第Ⅰ部 解離の諸相 の 第一章 存在の解離――生命性をめぐる病理 の「2 ヒステリー/解離の歴史」における記述の一部(P7)を次に引用(【 】内)します。 【ジャネは一八八九年に上梓した『心理自動症』において、ヒステリーのカタレプシー(蝋人形のように固まる症状)、夢遊病、麻痺、継続的複数存在(=多重人格)が、高次の複雑な心理的活動の低下により低次の古く単純な活動が自律的に発展したものと理解した。】(注:引用中の「夢遊病」に類似する「夢遊病状態」についてはここを参照して下さい。)

(前略)ごく普通に観察していても、この種の人たちは極度に情動の不安定な状態にあり、ほんのわずかな契機で驚くほど激しく精神的な動揺を覚えるように思われる。それが歓びであっても苦しみであっても、また愛情や恐怖であったりしてもである。そのような例は枚挙にいとまがない。ここではリュシーの場合を述べておこう。覚醒時であっても第一次夢遊病状態時であっても、犬が車に轢かれたとか、どこかの夫がその妻を打ったとかいった話を聞かせるだけで、彼女はすぐにも顔色を変え部屋の片隅に逃げ込んで泣き始めるのである。レオニーも、私が再会したときひどく動揺し、しばらくの間、すすり泣いたりはっきりしない発作に陥ったりして、それはほとんど神経発作の初期状態に近いものであった。ローズの場合、このような精神的動揺が治まったのは、真性の神経発作を起こした後である。彼女の場合、ほとんど二日間も持続的な発作が続いたが、それは待っていた人が面会に来てくれなかったその失望によるものであった。
この精神的動揺の突発性と激越性は、どう考えるべきであろうか? まずここでは、情動の表出が情動そのものよりもはるかに激しいことである。しかもこの全体を巻き込む動揺の激しさも、状況が変わって発作にいたることがなければ、すぐにも治まり、その速さも発現状態と変わらない迅速さである。したがって、普通の人に対するのと同じようなやり方で、悲しみの原因に触れ、「それは些細なことだ」などと話して絶望をもたらした出来事を話題にすれば、それは彼女らの発作や号泣を促すだけである。その状態を変化させようとする技法など考えず、まったく別の事柄を語りかける方がよい。彼女たちは一瞬呆気にとられて躊躇を示すが、すぐにもこの新しい話題に乗り移り、まだ目に涙を浮かべているにもかかわらず陽気に笑い出すに違いない。(後略)

注:i) 引用中の「リュシー」についてはここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「極度に情動の不安定な状態」に関連するかもしれない[闘争-逃走モードに切り替わる際の(情動喚起レベルの)]「閾値が低い人は少しの情動喚起で闘争-逃走モードに入る」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ほんのわずかな契機で驚くほど激しく精神的な動揺を覚える」ことに関連するかもしれない「小さな刺激に対して、通常起こらない強い反応を起こす」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。

その上に、標記ジュスティーヌの精神的健康状態が広がってきた時の「身体的な健康もこの精神的な変化の影響を受けている」ことについて、同章の「4 精神の指導」における記述の一部(P98~P99)を原注番号を除き次に引用します。

(前略)興味深いことは、身体的な健康もこの精神的な変化の影響を受けている点である。ジュスティーヌは、規則通りに食事を摂っても消化できるようになってきた。しかも、以前よりよく食べるようになっても痩せている。九八キロから八四キロへ、この四ヶ月で十四キロほど体重が減っている。この変化は、説明がむずかしいが、これまで指摘してきた、患者たちの肥満は病的な神経症状と関係がある、という考えを追認する形となっている。皮膚はもう乾燥していない。顔色もすっかり変わった。このようなことを述べると笑われるかもしれない。また、文案を練ったりピアノを弾くようになったりしてから髪の毛も伸びるようになった、と言えばさらに奇妙と思われることだろう。ここではごく単純に、この事態は互いに関連していて、けっしてバカげたことではない、と答えておきたい。さらには、この女性が持続的混乱状態にあったときはいつも鬱血状態にあって血管運動系の変調をきたしていたこと、それが情動的な混乱と関連していたこと、眠れず、食べるのもきわめて不規則であったことなどを指摘しておきたい。現在では、頭脳作業の効果もあって、栄養管理は完全に近いものとなり、生活そのものもすっかり落ち着いてきている。この身体的な健康および全般的栄養状態の改善が、精神的変化の反映であるとすれば、これは驚くべきことではないだろうか?(後略)

一方、標記ジュスティーヌにも関連する、上記ジャネは「病態理解においても治療的観点からも夢遊病状態を重視した」、そして「夢遊病状態は多彩な症状を含んだ意識変容状態である」ことについて、共に柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 7 時間的変容の諸相 の「5 解離性意識変容」における記述の一部(P113~P114)を次に引用します。

(前略)一九世紀末から二十世紀初頭にかけて、ジャネは症例リュシー、アシール、ジュスティーヌ、イレーヌなど多くの解離の症例を報告している。ジャネ(1974, 2011)はこれらの症例に見られたヒステリー性発作を夢遊病状態と呼んだ。そこには離人症状、幻覚、フラッシュバック、健忘、朦朧状態、人格交代、身体症状、昏迷、カタレプシーなど多彩な症状が記載されている。ジャネの言う夢遊病状態はこうした多彩な症状を含んだ意識変容状態である。ジャネの症例において夢遊病状態が頻回に見られたことは、ジャネが催眠や暗示を積極的に使用していたことと無関係ではないだろう。彼は催眠によって自然な夢遊病状態から人為的夢遊病状態へと治療的に導こうとしていたのである。このようにジャネは、病態理解においても治療的観点からも夢遊病状態を重視したのである。(後略)

注:i) 引用中の(ジャネ)「1974」、「2011」はそれぞれ次の本です。 「ピエール・ジャネ[高橋徹=訳](1974)『神経症医学書院」、「ピエール・ジャネ[松本雅彦=訳](2011)『解離の病歴』みすず書房」(後者はここも参照すると良いかも) ii) この引用は他の拙エントリのここの引用における(省略された)非引用部でもあります。 iii) 引用中の「ジャネは症例リュシー、アシール、ジュスティーヌ、イレーヌなど多くの解離の症例を報告している」ことに加えて、症例「マドレーヌ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 資料「精神分析におけるヒステリーと解離の諸相」の「9.症例マドレーヌ」項 iv) 引用中の「離人症状」、「昏迷」、「身体症状」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「カタレプシー」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「解離性障害」の「解離性障害の症状」項、「カタレプシー」 vii) 引用中の「昏迷」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 viii) 引用中の「意識変容」に関連する「解離性意識変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「ヒステリー」は、多くの精神障害に枝分かれしたことについて、同の「序章 ヒステリーから解離へ」における記述の一部(P017)を次に引用(『 』内)します。 『ヒステリーは近年の操作的診断基準によって心的外傷後ストレス障害、急性ストレス障害解離性障害、身体化障害、転換性障害、演技性パーソナリティ障害などに枝分かれした。ヒステリーはあまりに多くの病態を抱え込んだのである。』 加えて、引用中の「ヒステリー」では「真なるものがつかめない」ことについて同「序章 ヒステリーから解離へ」における記述の一部(P018)を次に引用します。その上に引用中の「ヒステリー」の最も重要な特徴のひとつは「絶え間なく夢想する傾向」であることについて、「空想傾向人格」を含めて同の 10 解離の幼少期体験 の「2 空想傾向」における記述の一部(P158)を以下に引用します。

序章 ヒステリーから解離へ(中略)

かつてヒステリーは身体症状を呈するものが主であった。激しいけいれん発作、運動麻痺、感覚異常、意識消失など多彩な身体症状を呈するヒステリーには、いくら探っても器質的病変が見出せなかった。また身体症状を呈したり精神症状を呈したりするなど、症状があちこちへと移動する。要するにヒステリーでは真なるものがつかめないのである。真なるものがないにもかかわらず、それがあたかも存在するかのように見せかける病として、ヒステリーは表象された。(後略)

注:一方、『E・クレッチマーはヒステリーを、「一つの観念傾向が本能的、反射的あるいはその他の方法で生物学的に準備されている機制を利用する場合の心因性の反応型」と定義し、その原型を、錯乱して暴れまわる「運動乱発」とフリーズして動かなくなる「擬死反射」に見た』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

注:引用中の「ヒステリー」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「ヒステリーには、いくら探っても器質的病変が見出せなかった」ことに対し、『臨床をやっていると、多くの医師が「これはヒステリーだ」と言って単なる心因性だとして片付ける症状にしばしば遭遇する』ことを踏まえた「ヒステリーという症状(現象)を事実として発しているのだから、それには理由がある。だからヒステリーは器質性と言っていいのではないか。」について、國松淳和著の本、「仮病の見抜きかた」(2019年発行)の「はじめに」における記述の一部(P8)を次に引用します。

(前略)さて、各エピソードのはじめにタイトルとそれに付随して置かれている〈ちょっとした言葉〉は、詩人である尾久守侑氏に書いていただいたことを、ここに御礼とともに申し述べておきます。
彼は精神科の臨床医でもあり、私とは共通の話題でいつも盛り上がって話が尽きない間柄です。私たちは、フランスの神経内科医だったジャン=マルタンシャルコーが、神経学のたくさんの業績を残した後にヒステリーの研究に関心が移ったことについてよく話します。臨床をやっていると、多くの医師が「これはヒステリーだ」と言って単なる心因性だとして片付ける症状にしばしば遭遇します。私たちはシャルコー先生を師と仰いでいます。「ヒステリーという症状(現象)を事実として発しているのだから、それには理由がある。だからヒステリーは器質性と言っていいのではないか。やっぱりシャルコー先生は凄い」などと、いつも私的な場で語り合っています。「心因を見抜く」などおこがましい話で、臨床医にできることは、器質を見抜くことだけだと思っています。(後略)

注:i) 引用中の「尾久守侑氏」(尾久守侑医師)については引用中の「ヒステリー」に関連する(転換症状や転換性障害を含む)「転換ヒステリー」も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「シャルコー」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「シャルコーの臨床講義とその文化的影響について ―アンドレ・ド・ロルド『サルペトリエール病院の講義』を中心に―

2 空想傾向(中略)

ウィルソンとバーバー(Wilson and Barber 1983)は、サルぺトリエール病院でシャルコーやジャネによってヒステリーと診断された者の多くは空想傾向人格であろうと論じている。ジャネ(Janet 1901)によれば、ヒステリーの最も重要な特徴のひとつは「絶え間なく夢想する傾向である。ヒステリーは夜につねに夢を見ることに満足しているわけではない。彼らは一日中夢を見ているのである。歩いていても、仕事をしていても、縫い物をしていても、彼らは行っていることにすべて心を奪われているわけではない。頭のなかでは果てしないストーリーが目の前で繰り広げられている」。彼らの報告後、空想傾向が解離性障害と関連していることが指摘されてきた。(後略)

注:i) 引用中の「Wilson and Barber 1983」は次の資料です。 「Wilson, S.C. and Barber, T.X. (1983) The fantasy-prone personality : Implication for understanding imagery, hypnosis and parapsychological phenomena. In : A.A. (ed.) Imagery : Current Theory, Research, and Application. New York : John Wiley, pp.340-387.」 ii) 引用中の「Janet 1901」は次の本です。 「Janet, P. (1901) The Mental State of Hystericals : A Study of Mental Stigmata and Mental Accidents. New York, London : G.P, Putnam's Sons.」 iii) 引用中の「シャルコー」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「シャルコーの臨床講義とその文化的影響について ―アンドレ・ド・ロルド『サルペトリエール病院の講義』を中心に―」 iv) 引用中の「空想傾向」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 

***** 臨時の記事(その2) *****
他の拙エントリの改訂作業の都合上、改訂作業中で未整理の記事等をあえてここに記述します。掲載期間は~数カ月又は数年を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(R)トラウマを負ったことにより、「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われて「世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになる」ことについて、その他
標記について水島広子著の本、「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(2011年発行)の 第1章 トラウマとは何か の『健康に生きていくために必要な「自分、身近な人、世界への信頼感」』における記述の一部(P021~P022)を次に引用します。

「いつものやり方」で対処することも含めて、私たちが健康に暮らしていくためには「まあ、何とかなるだろう」という感覚が必要です。
実は私たちはこれから先に何が起こるかを全く知らないですし、もしかすると次の瞬間に何か怖ろしいことが起こるのかもしれませんが、ふつうに暮らしているときにはそのようなことはほとんど意識していません。意識してしまったら、おちついて暮らしていくこともできなくなります。
これから先に何が起こるかを全く知らないのに、なぜおちついて暮らしていられるのかというと、その基本に「まあ、何とかなるだろう」という感覚があるからです。それは、「自分、身近な人、世界への信頼感」と言うこともできます。「まあ、自分は何とかできるだろう」(自分への信頼感)、「まあ、身近な人が助けてくれるだろう」(身近な人への信頼感)、「まあ、今までも大丈夫だったのだから、これからもたいしたことは起こらないだろう」(世界への信頼感)、という感覚が、私たちの日常生活を可能にしているのです。
衝撃を受けると、この「自分、身近な人、世界への信頼感」が一時的に揺らぎます。「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われるので、「これからどうなるのだろう」「自分は大丈夫なのだろうか」と不安になったり、「もう絶対無理だ」「事態が改善することなどありえない」などと圧倒されてしまったりするのです。(中略)

こうして「自分、身近な人、世界への信頼感」を取り戻すと、「まあ、何とかなるだろう」という感覚も回復して、またふつうに生きていくことができるようになるのです。
しかし、衝撃が強すぎると、「いつものやり方」で態勢を立て直すことができず、信頼感が失われたところに留まってしまいます。自分の感じ方も、自分の力も信じられなくなります。衝撃の内容によっては、身近な人も信じられなくなります。世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになります。この状態が維持されているということが、「トラウマ」の本質です。もちろんトラウマ体験の性質によって、その警戒領域が人生全般に及ぶのか特定のテーマに限局されるのかはさまざまですが、基本的な構造は同じです。
「トラウマ」というと、まるで消せない傷がついているかのような印象を持つ人がいるかもしれませんが、そのような固定的なものではなく、「自分、身近な人、世界への信頼感」から離断されてしまった状態だと考えると実用的です。つまり、回復は可能で、それは信頼感へのつながりを取り戻すということであり、トラウマの性質によっては一生続くプロセスになりますが、常に前進していくものなのです。

注:(i) 引用中の『「自分、身近な人、世界への信頼感」から離断されてしまった状態』に関連する「人や世界が信じられなくなるという症状」について、青木省三著の本、『ぼくらの中の「トラウマ」 いたみを癒すということ』(2020年発行)の 第1章 トラウマ反応で起きること の「人や世界が信じられない」における記述の一部(P32~P34)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『実はトラウマが招くものの中で、僕が一番つらいものと思うのは、人や世界が信じられなくなるという症状だ。正確に言えば、信じきれなくなるのである。』、『自然災害にあった場合を考えてみよう。道を歩いていても、駅で電車を待っていても、突然恐い事故や出来事は普通は起こらないものだと、何となく感じている。だからこそ、街に出ることができる。世界は安全で平和であると、漫然と思っているのだ。実際には、さまざまな災害や出来事がいつ起こるかわからないのだが、でも、普通は突然に恐い出来事は起こらないと何となく思っている。この世界は安全であるという感覚は、人が生きていく上での基盤としてとても大切である。しかし一度でも災害や危機的な出来事を経験すると、この安全で平和な生きる基盤が揺らぐ。いつ何が起こるかわからないと不安を感じるようになるのである。』 (ii) 引用中の「自分、身近な人、世界への信頼感」に関連する「基本的信頼感」(自分や世界に対する素朴な信頼感)が「失われる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「基本的信頼感とトラウマ」、「【基本的信頼感の欠如】被害が奪う根源的な安全感 ~強い不安感と恐怖心~」(注:上記「基本的信頼感の欠如」に関連するかもしれないWEBページ例は次を参照して下さい。 『トラウマが奪う人生の選択権 ~人生の「選択権」を取り戻す~』) (iii) 引用中の「世界への信頼感」の「揺らぎ」に関連する、 a) 「世界は危険」なことについて「自己は無価値である」を含めて、J・G・アレン著、上地雄一郎、神谷真由美訳の本「愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療 素朴で古い療法のすすめ」(2017年発行)の 第2章 心的外傷後ストレス障害解離性障害 の 1. 心的外傷後ストレス障害 の「(6) アイデンティティ」における記述の一部を以下に引用します。 b) 「トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め,他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望のないものだと捉えさせる」ことについて、野坂祐子著の本、「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」(2019年発行)の 第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう の 第2章 トラウマについて理解する の「生き延びるための対処」における記述の一部(P37~P38)を以下に引用します。ただし、上記「トラウマインフォームドケア」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマインフォームドケアをもっと知るために -TICガイダンス-」 c) 「身体が怖いと反応すると、怖いという認知が強化されます。身体が恐怖や無力感に包まれていると、世界は脅威となり、世界への信頼が失われます。」について、花丘ちぐさ編著の本、「なぜ私は凍りついたのか ポリヴェーガル理論で読み解く性暴力と癒し」(2021年発行)の おわりに の「ソマティックな介入の可能性」項における記述の一部(P334~P335)を以下に引用します。また、上記「世界への信頼感」に関連するかもしれない「PTSDの患者は、ポジティブな感情を認識することが苦手になり、ネガティブな感情を感じやすくなる。さらにポジティブな感情に対してネガテイブな反応をするというものがあるのです。」との記述を有するツイートがあります。

(前略)Ronnie Janoff-Bulman(1992)は,トラウマが次のような3つの基本的想定を打ち砕いてしまうと提唱しました。その想定とは,①世界は善意に満ちている,②世界は意味がある,③自己は価値あるものだ,ということです。トラウマを抱えると,世界は危険で悪意に満ちており,おまけに無意味なものとみなされ,自己は無価値であるとみなされる可能性があります。同じような脈絡で,Foa と共同研究者たち(2007)は,トラウマと関連した2つの基本的な確信がトラウマを永続化させてしまうことに光を当てています。それは,「世界はまったく危険なものである」という確信と,「私はまったく無能なので,それに立ち向かうことができない」という確信です(p.14)。(後略)

注:i) 引用中の「Ronnie Janoff-Bulman(1992)」は次の本です。 「Janoff-Bulman R: Shattered Assumptions: Towards a New Psychology of Trauma. New York, The Free Press, 1992」 ii) 引用中の「Foa と共同研究者たち(2007)」は次の本です。 「Foa EB, Hembree EA, Rothbaum BO: Prolonged Exposure Therapy for PTSD: Emotional Processing of Traumatic Experiences. New York, Oxford University Press, 2007」

生き延びるための対処

トラウマを体験すると,「暴力や苦痛から逃れられることはできない」「人は信用ならない」「自分はダメだ」といった考えが強まる。たしかに,“あのとき”は暴力は苦痛が永遠に続くと感じられ,“あの人”が信用できないのも確かだが,だからといって,これからの人生でも暴力を受け続けるいわれはないし,すべての人が信用に値しないわけでもない。まして,トラウマを体験したのは,その人の愚かさのせいでもなければ,被害によってダメな人間になるわけでもない。つまり,こうした考えは真実ではなく,何より本人にとって役に立たないものであるため,非機能的認知と呼ばれる。トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め,他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望のないものだと捉えさせる。(後略)

ソマティックな介入の可能性(中略)

トラウマを受けると、私たちほソマティックな自己から切り離されてしまいます。私たちがしっかりとソマティックな自己に留まることができ、身体が良い状態であれば、快食、快眠、快便というように、生きることは基本的に快の感覚から成り立ちます。「生」が快であるように、「性」の営みも快となります。しかし、トラウマ、特に性被害を受けると、身体からはつねに危険と恐怖、不快の信号が送られてきますので、それを感じないように身体感覚を切り離し、解離する傾向が多く見受けられます。そうすると私たちは、生きることの喜びから切り離されてしまいます。
私たちの世界観も、ソマティックな状態に大きな影響を受けます。理性で、いくらここには加害者はいないと考えても、身体に刻まれた恐怖の記憶は、適切に介入しないといつまでも消えない上に、何回も怖いと思うことでさらに記憶が強化されてしまいます。こうなると、不本意ながらも自分を怖からせる無限のループに落ち込んでしまう恐れがあります。怖いと思うと身体にそれが刻みつけられ、身体が怖いと反応すると、怖いという認知が強化されます。身体が恐怖や無力感に包まれていると、世界は脅威となり、世界への信頼が失われます。そして、思うようにならない自分についても信頼を失っていきます。やがて、トラウマを受けた人は世界を信じることをやめてしまいます。そして、自分を信じることをやめてしまいます。さらに悲しいことに、世界を愛することをやめ、自分を愛することをやめてしまうのです。(後略)

注:i) 引用部の著者は花丘ちぐさです。 ii) 上記「ソマティックな介入の可能性」項の P334 の記述によると引用中の「ソマティック」とは「身体的」なことを指すようです。

一方、標記『「まあ、何とかなるだろう」という感覚』に関連するかもしれない、強迫における「望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼」について、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 10 強迫 の「2.無限」における記述の一部(P104~P105)を次に引用します。

(前略)強迫における反復が一定の枠内に収まり生活に大きな支障を来さずに済む場合も少なくはないが 身体的な限界が来るまで確認行為を延々と続けて止まないような症例もある.強迫の内的な駆動力が十分に展開されると,そこに日常にはそぐわない無限が顔を出してくる.
これに関して,シュトラウスは強迫の果てしなさには必ずしも病的とはいいきれないところがあるという.

予想外の出来事が政治家や実業家の素晴らしい計画を台なしにし,新聞は日々不運な事件を報道していることは,どんな予防措置も十分ではないことを示す,したがって強迫症者の懐疑,その確認,その根拠づけの終わることがないのは,実は本来的に正しいのかもしれない.どんな予防措置にもさらなる予防措置が付け加えられるし,どんな根拠もより良い根拠によって置き換えられうる限りで,強迫症者は実際のところ正しい.

神と異なり有限な能力しかもたないにもかかわらず,人は際限なく複雑な世界に身を置かなければならず,不確実性にさらされることは避けられない.こうした人間一般の不完全なあり方から強迫の果てしのない営みは正当化されなくもない.それでもわれわれは無限の反復行為を免れており,シュトラウスは先の引用に続けて,強迫症者には「暫定性」が欠けているとした.
たとえば施錠したつもりでいたのに,思い違いや鍵の不具合などのために鍵が閉まっていなかったことは稀ながら起こりうる.あらためて問われたならばその可能性を否定はしないであろうが,われわれは普段それを気にもとめず,施錠した際にとりあえず鍵は閉まったものとして次の行動に移る.このように,望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちに,暫定性は示されている.(後略)

注:(i) 引用中の「不確実性」に関連する「不確実さの非耐性」については、例えばWEBページ「認知行動理論における強迫性障害の信念について」からダウンロード可能な資料「認知行動理論における強迫性障害の信念について」の「4 - 1. 不確実さの非耐性(Intolerance of uncertainty)」項(P42)やツイートを参照して下さい。 (ii) 引用中の「望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼」に関連して、 [a] 「限りなく白に近いグレーであろうと、それは白ではない点で黒と同じと考える」こと、そして「この世は確率論です。(強迫症の)患者はこの不安定な世界観に、必ずどこかで向き合わなければいけない」ことについて、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第三章 強迫症の治療戦略 の「白黒を追求せず、グレーを受け入れる」における記述の一部(P142~P144)を以下に引用します。 [b] 加えて、上記「根拠なき信頼」が無いことに関連するかもしれない、 1) (トラウマを負ったことにより)『「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われて「世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになる」』ことについてはここを参照して下さい。 2) (全般性不安症において)「周囲の人からみると心配しなくてもよいことまで心配している」ことについて「過剰に心配して悩む」ことや「最悪のシナリオがいますぐにおこるように思える」ことを含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) スキーマ療法(他の拙エントリのここを参照)の視点からの「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」不適応的スキーマの解説における「この世にはどんな恐ろしいことが起こるかわかりはしない」「自分の身に、いつ、どんな恐ろしいことが起きてもおかしくはない」という思いや「そんなことが起きたら、自分は弱いからそれに太刀打ちできない」「自分はそれを防ぐこともできないし、対処することもできない」「自分はそれにやられっぱなしになるに違いない」「自分にはどうにもできない」という思いについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 4) 強迫神経症強迫症)における「死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬものが起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛するようなあり方をしている」ことについて、松本卓也著の本、「症例でわかる精神病理学」(2018年発行)の 第7章 強迫神経症強迫症) の 7.3 強迫神経症現象学精神病理学 の「7.3.2 パターン逆転の不在」項における記述の一部(P171)を以下に引用します。ただし、引用中の「A」や「B」については共に次の資料を参照して下さい。 「対人心理的距離のモデル化」の「1.1 心理的距離としてのファントム空間」項

白黒を追求せず、グレーを受け入れる
こだわりの現れの一つとして、「二分思考」という強迫に特徴的な思考の傾向があります。二分……つまり0か100か、あるいは白か黒かの完璧性にこだわり、曖昧さやグレーを認めたがらない思考です。
「直ちに健康に影響はない」「ほとんど感染性はない」といったよく耳にするフレーズ、たとえばこれらに満足できません。限りなく白に近いグレーであろうと、それは白ではない点で黒と同じと考えるのです。「たぶん大丈夫」という言葉は患者にとってむしろ格好の不安材料となります。
これは強迫症状に苦しみ続けた結果生じる、考え方の癖のようなものです。「不安それ自体」を強く恐れるため、不安の原因となる曖昧さを嫌うのです。無理もありません。強烈な不安に伴う苦痛は、尋常ではありませんから。究極の安心を心の底から望む気持ちは、かつて私も持っていました。今でも心のどこかにはあるかもしれません。
しかしながら、この二分思考は、治療の進展のためには諦める必要があります。そもそも、患者が求める〝完璧〟や〝絶対〟は現実に存在しないのです。家族に保証を求めようと、Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません。(中略)

この世は確率論です。患者はこの不安定な世界観に、必ずどこかで向き合わなければいけません。強迫症と付き合っていると忘れがちですが、このような世界観は、皆が受け入れている当たり前の事実です。多くの人は曖昧なグレーに対して自然に妥協します。「まぁ、いっか」と。さらに言えば、多くの強迫症患者も発症以前はこのようにグレーを受け入れて過ごせていたはずなのです。(中略)

私は常日頃思うのですが、この社会は滅茶苦茶に適当です。こんな適当な社会に完璧性を求めれば、あっという間にクラッシュします。だから、諦めなければいけません。もしうまく諦めることができれば、それは必ず強迫行為の防止につながり、症状の悪化を防ぎ、きっと、より楽な人生を送れるようになります。

注:i) 引用中の「Googleに答えを求めようと」に関連するかもしれない(汚染に関する不安への入り口としての)「テレビやネット等の情報媒体から不安の種を植えつけられてしまうパターン」について、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第五章 その他の強迫症例 の「《汚染/洗浄系》への様々な入り口」における記述の一部(P210)を次に引用(『 』内)します。 『汚染に関する不安の入り口には、様々なパターンがあります。分かりやすいのは、テレビやネット等の情報媒体から不安の種を植えつけられてしまうパターンです。細菌やウィルスの危険性に関する情報に触れたことで強い不安を感じ、さらにその不安を解消するためにネットで検索を繰り返すことで、かえって怖さが強まってしまう。』 ii) 引用中の「クラッシュ」に関連するかもしれない、(強迫儀式が長くなれば)「疲れ果ててしまう」ことについて、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)の 2章 強迫性症(OCD)を治そう! の 疲れ果ててしまう前に治療を受ける の『「もしかして…」と思ったら治療を受けることが回復の近道』における記述の一部(P66)を次に引用(【 】内)します。 【強迫儀式に没頭しているときは戦争をしているようなもの。敵と勇ましく戦っている間は無我夢中で疲れも感じませんが、いつまでたっても敵には勝てませんし、長くなれば疲れ果ててしまいます。】

(前略)さて,強迫神経症では,統合失調症のようなパターン逆転が起こっていませんが,死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬもの(安永の言い方では「B」)が起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛しているようなあり方をしています。つまり彼らは,A の世界の中に B が侵入してくることに警戒しているのです。ところが,その B の侵入に対する防衛のためには,B そのものをなるべく明確にみつめなければならなくなります。それは,精神活動の全精力をあげて B を増大させようと努めていることでもあり,これは一種の悪循環を形成することになります。たとえるならば,それは,ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環です。(後略)

注:(i) 引用中の「パターン逆転」について、 a) 「パターンの逆転」として次の資料を参照して下さい。 「対人心理的距離のモデル化」の「1.1 心理的距離としてのファントム空間」項 b) 加えて、同本の同項における記述の一部(P171)を次に引用(『 』内)します。 『前者 (A) は自明なものとして議論の出発点にとなりうるが,後者はそうなりえないと安永は考えます。つまり,人間の通常の体験には,A>B という「パターン」があるのだ,ということです。ところが統合失調症では B>A となるパターン逆転が生じ,「自」より「他」が強くなっていると安永は指摘します(つまり,自我意識が他者によって侵される自我障害などはまさにパターン逆転として理解できるわけです)。』(注:引用中の[統合失調症における]「自我障害」については次の資料を参照して下さい。 「統合失調症に特異的な神経認知障害はあるか?」の「Ⅱ.統合失調症における自我障害について」項) (ii) 引用中の「ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環です」に関連するかもしれない、 1) 『「気持ち悪い」の根底には、好き・嫌いという感情があります。そして、この好き・嫌いは、後から作られる感情です。とても良い例が、「ゴキブリ」です。ゴキブリは、日本では多くの地域では、嫌悪の対象ですが、ゴキブリが生息しない北海道では、そこまで嫌悪の対象にならないのです。』については次のWEBページを参照して下さい。 『「理由は説明できないけれど汚い」に対処する』の「嫌悪感の性質」項 2) 「道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまう」ことについて、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第一章 強迫症の疾患概念 の 強迫症の三つのタイプ――〈確認系〉〈汚染/洗浄系〉〈ピッタリ系〉 の「〈汚染/洗浄系〉」における記述の一部(P39)を次に引用(【 】内)します。 【同様に、道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい(どんな道も注意して見れば汚いものだらけです)、通れない道がますます増えるなど、自分で自分を追い込む傾向がしばしば認められます。】(注:引用中の「自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい」に関連するかもしれない恐れの視点からの「恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対して注意が向かなくなる(注意制限効果)」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「恐れ - 脳科学辞典」の「反応」項) (iii) ちなみに、 a) WEBページ「けんこう教室 化学物質過敏症とは - 全日本民医連」の資料6における「1条 見ない・さがさない」と「3条 気にしない」ことは上記「逆説的な悪循環」を防止するための手段なのかもしれません。一方、同資料における「4条 忙しくする」は「暇は強迫の餌になる」(拙エントリのここここを参照)ことを防止するためのものかもしれません。 b) 「ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環」を防止するために有用かもしれなく、上記「見ない・さがさない」や「気にしない」に関連するかもしれない「手放す」や「管理しない」ことについてはツイートを参照すると良いかもしれません。

(V)「大人になってからの発達性トラウマの身体的影響」における引用の続き及び臨床家が発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について、その他
あまり整理されていないかもしれませんが、最初に標記引用(拙エントリのここを参照)の続きについて、「ACE研究」(他の拙エントリのここを参照)、「私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しない」こと、「トラウマスペクトラム障害」、『「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』、「背側迷走神経経系の生理学的機能に働きかける」こと、そして「さらに正確な内受容感覚を築く」ことを含めて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の「第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響」及び『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』における記述の一部(P174~P229)を次に引用します。ただし、本の一連の引用における例えば「背側迷走神経系による凍りつき反応」の文脈としての用語「凍りつき」は「防御カスケード」(Defence Cascade)の視点からは「虚脱」(又は Collapse、崩れ落ち)に相当するかもしれません。なお、上記「防御カスケード」については次のWEBページを参照して下さい。 「防御カスケード -トラウマ下での生理反応-

第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響(中略)

今やACE研究のおかげで、マーガレットが抱えている心身の症状や苦痛は、子ども時代の影響によるものだということが容易に推測できる。ACE質問紙の内容は、発達性トラウマか早期トラウマを経験した何千もの人たちの物語である。トラウマに対する身体・生理学的反応は、感情・心理的反応と区別することができない。しかし、ACE質問紙の10項目のうち、身体的虐待についての質問はわずか二つなのである。他の質問は全て、心理的なネグレクトか虐待、他の虐待の目撃、愛されていないという感情に関係したものである。ところが、これらの発達性トラウマの影響は多くが身体的なもので、体の器官に深く抱え込まれている。さらに、ACE研究から判るように、発達性トラウマは、喫煙や麻薬常用といった健康にリスクのある行動に関わる可能性を高める。これが、発達性トラウマの影響をさらに強めてしまう。実際のところ、身体的症状は早期トラウマと直接的に関係するので、それらは密接に絡み合い、クライアントの心理・感情的健康に影響するということは、今やよく知られた事実である。
しかし、最近の治療モデルは、発達性トラウマの複雑さと、それが神経パターンの複雑な仕組みに与える影響の理解に、ようやく追いつきつつある段階だ。いまだに我々は、早期トラウマから発生している身体的症状を、心理・感情的問題から切り離して考える傾向がある。先述のマーガレットは何年も医療機関にかかり、自分の身体的症状を説明したが、その下にある心理・感情的問題、つまりトラウマが理解されない限り、身体的症状を完全に緩和することはできない。
ACE質問紙の10の質問に答えるという単純な作業が、マーガレットに自分の今の症状は子ども時代と関係しているかもしれないという視点を与えた。10の質問のうち9つに、彼女は「はい」と答えたのだ。子ども時代に安全と安定がひどく欠落していたことで、自分の生理学的・感情的な反応を調整する能力が発達しなかったことを理解すると、彼女は長年の恥の気持ちから解放され安心し始めた。自分の症状は無秩序で安定がなかった子ども時代の副産物なのであり、自分だけが苦しんでいるわけではないのだと、助けを受け入れるきっかけになった。始終、高鳴る心臓、意味もなく必死で「逃げなければならない」という衝動を感じることは、まさしく幼い彼女が生きるために闘ってきた状態そのものだったのだ! 「死ぬかもしれない」という感覚は、生き延びるためにずっと苦闘をしてきた証拠だった。
既に言及したとおり、ACE研究は、早期のネグレクトや虐待といった発達性トラウマに焦点を当てるものである。よって質問は、安全の欠落を評価するもの、と解釈できる。しかし、それだけが発達性トラウマの原因ではない。子ども自身や養育者の長期にわたる入院、早期の外科手術、深刻な怪我などでも、同様の症状が見られることがある。こうした状況は、概ね健全な家族の中でも起こりうる。私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しないのである。どちらにも、生理的には目の前にクマがいるかのように反応する。生き延びるためには、脅威の源が何であれ、強烈な反応が身体に引き起こされるのだ。
子どもたちは、いったん大人になれば、危険な環境から逃げ、脅威に直面しない場所に身を移せる。しかし子ども時代、何年も安全がない中で過ごすと、トラウマを受けた生理機能は自己の防衛を最優先するようになる。たとえ大した誘発要因でなくても、引き金が引かれる。思考が制御不能になり、心拍が加速し、突然逃げたいと思うだろう。そして凍りつき状態に陥ると、もはや考えたり、理性的に反応したりすることができなくなる。
第5章で論じたように、生き残るための生理機能は、強制的に起動され制御できない。安全と生き残りを求めて構築された生理・行動的システムは、独特の反応を起動させる。「生き残りが最優先」の環境の下で育つと、様々な場面で生き残りをかけた反応をするようになる。外受容感覚(外の世界の知覚)は、生き延びる可能性を高めるため、脅威の知覚に集中する。たとえば、第2章にあるように、過活性(hyper-tuned)状態の時、中耳の筋肉が変化して低く轟く音の知覚が優位になる。この適応は、トラに忍び寄られている時には役立つが、そうでない時には不便だ。なぜなら、背景の音から人間の声を抽出して聞き取りにくくなるからだ。そうなると、信頼する友人からの穏やかで理性的ななぐさめさえ聞こえない。
これは、重大な生理・身体的変化であり、臨床家の言語的介入をクライアントが理解できるかどうかを占う。クライアントとの対話とケアを考え行っていく上では、考慮に入れなくてはならないことである。
同じように、トラウマにより内受容感覚(内なる身体的体験の知覚、自己の体感)も崩壊する。「生き残りが最優先」され、生き残りをかけた情報にのみ集中することで、幸せや喜びの精妙な状態に気づく能力を制限してしまう。こうした状態では、クライアントはごく普通の感覚を持ったとしても、そこに(治療者にとっては)予期せぬ意味を見出す可能性がある。そうなると、何を感じているか正確に報告できない可能性が出てくる。
生き残ることにのみ集中する生理機能のために、内受容感覚も外受容感覚も、危険や脅威の兆候である情報を探し出そうとして、過活性状態になっている。命自体が危険に晒されていると感じていたら、人は興味を持って探求することなどできない。その結果、彼らのニューロセプション、すなわち安全の知覚はあてにはならなくなる。クライアントは往々にして自分の状態を誤って解釈してしまう可能性があるのだ。
上記のような場合、極端な生理学的反応が起きることがあり、これは発達性トラウマの特徴の一つである。このような場合、生理機能は自律神経系の互恵的作用の範囲内では機能しない。こうして、ACEの高得点に関連付けられた様々な身体的症状を引き起こす。前章で論じた、根底にある調整不全という概念は、深刻な発達性トラウマを抱えるクライアントに働きかける際の、基本的な難しさの一つである。たとえば、ナラティブの構築を助ける身体的な情報が絶えず変化し頼りにならない。そのような時は、この根底の調整不全があることを理解することが役に立つ。
発達性トラウマがある状況での生理機能やソマティックな反応はとても強烈である。よって早期のトラウマの影響を考慮に入れ、それらに取り組まざるを得ない。ACE研究は、身体的症状を発達性トラウマとは関係ないものとして扱うことは不可能だ、と明言している。クライアントの身体的症状は、その心理・感情システムと同様に、トラウマの影響を受けているからだ。
臨床家が一旦、発達性トラウマの身体的な症状と他の症状との独特の力学と相互作用を理解すると、一連の症状の意味も見え始めてくる。臨床計画の作成が難しいものではなくなり、変化と回復を望むクライアントの期待に応えていくことができるだろう。
次の二つの章で、発達性トラウマにしばしば付随する特有の症状の数々を理解するための、手がかりを提供する。さらに臨床で出くわす可能性が極めて高い、発達性トラウマの身体的症状をリスト化した。このリストにある症状の多くは、定期的に高ACEスコアのクライアントにセッションを行っている者たちにとっては馴染み深いものであろう。

一般的な身体症状と反応(中略、引用者注:この中略部の引用は拙エントリのここここを参照して下さい)

このようにACE研究は、成人後に現れる発達性トラウマの影響を正確に分析している。一方で、子どもたちの中には、今、発達性トラウマを体験している者がいる。ACE体験の影響が症状となるまでには、時間がかかる。ACEは、早期の体験が成人後にどのように現れるかを正確に示しているものの、今の子どもたちにACEによる症状が現れ始めるのはもっと後のことである。子どもの生理機能はまだ発達途中なので、ACE研究が示唆するような症状は示さない。しかし、子どもには注目すべき症状や特徴がないということではない。子どもたちには、危険を評価するためにACE質問紙を使うだけではなく、発達性トラウマの影響を示す可能性がある症状にも注意を払うべきだろう。(中略)

トラウマスペクトラム障害

臨床家たちは、深刻なトラウマ、特に人生の早期に起こるトラウマの複雑な症状を、より明確に表現するため新しい語彙を開発してきた。臨床家や研究者たちは、トラウマによる様々な臨床的特徴をスペクトラムとして見るようになった。このスペクトラムの一方の極には、急性精神障害パニック障害、解離症状、うつ病などがあり、他方の端には自己愛性パーソナリティや反社会性パーソナリティなどがある。つまり単純化されたPTSDという言葉から、「トラウマスペクトラム障害」あるいは「心的外傷後ストレス・スペクトラム障害」という言葉に置き替えようという動きがある。
ジェームス・ペックとヴェッセル・ヴァン・デア・コーク、そしてローレンス・コルブは、妄想、様々なタイプの幻覚、思考過程の無秩序、混乱、現実感の無さ、その他の正式な思考障害を、トラウマに伴う精神障害の兆候として同定した(James Beck and Bessel van der Kolk (1987) Lawrence Kolb (1989))。
発達性トラウマにおいては、自律神経系の著しい調整不全がよく見られる。発達性トラウマを持つ人は、自分では制御できない状態に何とか適応しようとして、より複雑な戦略を用いてきた。その名残として、調整不全による過度な活性化が顕著に見られる。成人に限らず子どもたちも、基本的な生理・感情的調整がうまくできない場合には、日常で体験されるようなストレスでさえ、症状を悪化させる要因になる。そしてさらなるストレスやトリガー(きっかけ)があると、調整しようという力が働いたとしても、簡単に圧倒されてしまう。そのため、症状は精神障害のレベルまで悪化する可能性があり、他者にとっては危険で脅威に見える場合もある。
トラウマスペクトラムの最も代表的な特徴の一つは、抑うつである。抑うつは、クライアントがもともと持っている「世界は安全な場所ではない」という感覚から起こる。『精神疾患の分類と診断の手引き』(DSM)に記された抑うつ症状の特徴は、絶望感、集中力に乏しい、興味の欠如、不眠、自殺念慮である。発達性トラウマスペクトラムとして抑うつを見ると、症状は異なる文脈で解釈できる。それは、早期トラウマの結果としての根本的な調整不全を示しているとも言えるし、トラウマ的体験に付随する無力感そのものを表現しているとも言える。
無力感は、解離を引き起こす重要な要因である。解離とは、トラウマの中で起こる苦痛、支援の欠如、自己や生命の喪失の可能性から、当事者の意識を切り離す時に使われる、自然な防衛機制である。クライアントたちは、時間感覚がなく、流され漂っている感覚を報告する。解離性同一性障害は、子ども時代の深刻なトラウマと強い相関を持つのである(Ellason,Ross, and Fuchs, 1996)。
セラピーの文脈において解離とは、深刻な早期トラウマに対する機能的統制戦略であると解釈されている。これもまた、トラウマに関する賛否両論のある論点の一つである。臨床家が早期トラウマを扱う場合、解離は、否定的にも肯定的にも捉えられる。しかし、クライアントが調整力を獲得し、葛藤やストレスが起こっても、ある程度自身の心身とともにいられるようになると、解離は起こりにくくなる。
境界性パーソナリティ障害も、トラウマスペクトラムの多くの特徴を持ち、昨今では未解決の早期トラウマによって引き起こされると言われるようになっている。境界性パーソナリティ障害は深刻な早期トラウマへの反応とも言われており、臨床家が関係性を築こうと試みても、クライアントの無秩序型の愛着によって失敗に終わる。こうしたクライアントは、絶えず愛着対象を喪失した状態にあり、「分離不安」が増長される。臨床家にとっては最も取り組みが難しいクライアントである。彼らは、最低限のつながりの感覚を確立することにおいてさえ脅威を感じ、自分にとって否定的な影響を与えるような人たちとつながろうとしたり、つながること自体に不安を覚えるようだ。セラピーにおいて、臨床家が安全の場を確立し、安定型の愛着の基盤として機能することを目指すには、クライアントから常に繰り返されるつながりへの強烈な欲求に対して、そのたびに安定したつながりを確認する作業を行うことが必要である。
セラピーの初期段階から、発達性トラウマの兆候を見極めることができれば、それにつづく臨床計画の内容から面接の間隔の決定まで、おのずと明らかになる。続く章では、早期トラウマがあることの証明ともいえる、隠れた調整不全を管理する戦略について、さらに詳しい情報を提供していく。臨床家が早期トラウマの現れ方を十分理解することにより、クライアントが健全な調整力を身に着け、より高いレジリエンスを発達させることを支援できるのである。

第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」

「耐性の窓」とは、ダニエル・シーゲルの造語である。これは、刺激を受けても過度に覚醒せず、自然に落ち着きに戻れるような、最適な状態の範囲を示している。言い換えれば、たとえストレスによって活性化しても、再び「落ち着く」ことができる心理・身体的能力と言っても良い。たとえば、車を運転していて、ヒヤッとしたとする。すると心拍が上昇し、呼吸が早くなり、筋肉が緊張するのを感じるだろう。しかし、危機が過ぎ去ったと判ったら、落ち着き、普段の運転に戻る。ヒヤッとしても運転を止めなければならないほど怖いとは思わず、こうした刺激を受けても、運転ができなくなることはない。これは、調整が働いたからであり、ある程度のレジリエンスがあることを示している。
健全な「耐性の窓」があれば、何らかの問題に直面しても、また落ち着くことができる。なぜなら、自己調整システムの恩恵を受けることができるからだ。その窓の中にいれば、我々は、調整不全や脅威に対する過度の反応に陥らずに済む。この「耐性の窓」の広さは、誰でも同じというわけではない。我々は、自分だけの「耐性の窓」を持っている。トラウマの文脈においては「耐性の窓」は、社会的交流、自身への気づき、周囲への気づきといった働きをする腹側迷走神経系と関連付けられることが多い。
「耐性の窓」という概念は、トラウマや心理療法の分野ではよく知られている。また、これは日常的に体験する出来事への、反応の在り方も説明している。「耐性の窓」は与えられた状況の下で、過覚醒にも低覚醒にもならず、環境からの刺激にうまく対処できる領域であり、これが正常であれば、神経系が正常に発達していることが判る。
図6の「最適な覚醒領域」(訳注:「耐性の窓」と同義)は、自身や他者の様子を察知し、適切に反応することができる範囲を示しており、通常、腹側迷走神経系の生理学的機能に支えられている。この領域内で機能している時は、「今・ここ」の感覚があり、脳は情報と体験をうまく処理するように働く。「耐性の窓」のモデルは、しばしば、トラウマやストレス反応の文脈の中で使われる。この場合、「睡眠」や「触れ合って絆を育む」、といった、健全で「恐れを伴わない不動化」をもたらす、低いトーンの背側迷走神経系の機能は含まれない。こうした低いトーンの背側迷走神経系の働きは、生き延びるためのモードではなく、休息・消化し回復を図るものである(訳注:背側迷走神経系は、穏やかに作用するときは、胃腸の働きを促進し、食べ物を消化する)。しかし、これは「覚醒」ではないが、健全な自己調整を示す状態であり、「耐性の窓」がうまく機能している状態である。
交感神経系が優位で過覚醒になると、人は最適な覚醒領域の外に出る。図7が示すように、この場合、自分を落ち着かせるために、積極的な方法を取らざるを得ず、起こってくる刺激に対し、闘争や逃走といった防衛反応で対処する。「耐性の窓」の外にいて、過覚醒の状態にある時、つまり交感神経系が優位になると、恐れ、おののき、圧倒され、過度に警戒するといった交感神経系が優位であることを示す特有の状態となる。
それに対して、図8が示すように、背側迷走神経系が優位になると、「耐性の窓」の外側でも、反対の方向に向かぅ。そこでは、低覚醒となり、背側迷走神経系による凍りつき反応を示したり、覚醒が欠如した状態になる。その場合は、麻痺、切り離された感覚、低エネルギーといった状態が起きる。すでに判っているように、過覚醒であれ低覚醒であれ、いずれも、生き延びるための生理学的反応であることに変わりはない。どちらも、「耐性の窓」の中に自身を戻そうとしている。低覚醒であれば、凍りつき反応のような脅威に反応する行動が引き起こされるし、自分を落ち着かせるために、何か積極的な行動をとることもある。
「耐性の窓」の範囲を越え、生き残りをかけた生理学的反応になると、脳の皮質下の領域がより活性化する。そして各機能の統率を行う前頭葉の働きが低下する。生き延びるための反応に翻弄されると、脳の皮質領域が担当する理性的、論理的思考がうまく機能しなくなる。
トラウマ・セラピーの到達点の一つは、この「耐性の窓」を拡張し、問題や刺激に対処する能力を高めることである。それと同時に、生き延びるための生理学的反応を稼働させないで、
調整の範囲内に留まっていられるようになることだ。クライアントが、より健全な自己調整と、より大きな安全感覚を手に入れると、この能力は高まっていく。当初は臨床家側がクライアントに、自己調整や自分を落ち着かせるための道具を、いろいろと提供することが必要である。本章の後半で、臨床家がクライアントの「耐性の窓」を拡張する方法を概説する。
人は、「耐性の窓」の中にいると、他者とつながることができる。なぜなら、「耐性の窓」の中にいるということは、つながりを求めるのに十分安全であると感じられる生理学的状態にいることに他ならないからだ。この窓の中にいて自己調整が取れている時は、より多くの情報を受け取り、処理し、統合することができる。そして、より気楽で的確に、日々の生活課題に対応することができる。
もしクライアントが発達性トラウマを体験していたら、「耐性の窓」の中で自己調整したり協働調整する能力は、限られてしまうだろう。この場合は、交感神経系による過覚醒のために、慢性的に活性化した状態にいるか、背側迷走神経系によるマイルドな軽い凍りつきや、「機能的凍りつき(functional freeze)」と呼ぶような状態(訳注:ソマティックな解離とも呼ばれる。思考・感情にはアクセスできるが身体感覚がない状態)にいるだろう。「機能的凍りつき」では、健康な状態よりは背側の働きが強いものの、クライアントはまだ日常生活を送れる程度に機能することができる。この後、発達性トラウマによって引き起こされる、それらの多様な「耐性の窓」の例を紹介する。
シーゲルは、「精神」と「メンタルヘルス」を正確に定義するために、長年にわたって何千人もの医療従事者や専門家の意見を調査した。しかしその集団内では、「定義」を見つけることはできなかった。そこでシーゲルは、最終的には以下のように精神を定義した。「精神とは、エネルギーと情報の流れを調整する、身体的で相関的なプロセスである」(Siegel, 2014, 1)。この概念は、仲間たちからも賛同を得た。シーゲルは、精神という複雑で相互関連的なシステムを、脳と区別している。多くの精神の研究の中で、彼は、「『精神』も『自己』という概念も、脳の活動の延長線上にあるわけではない」とした。シーゲルは「マインドサイト」という概念を用い、「人類はただ脳の健全な発達が必要なだけではなく、充実した人生を送るためには、精神性や人とつながる能力を十分に機能させることができるような円満な発達を経ることが必要である」と述べている。「研究の結果は非常に明確である。他者を助ければ、自他ともに勝利する。共感の喜びは、統合の証である。そして、『自己』は体感されることと関係性にいること、この両方で成り立つ。私たちは、思っている以上に皮膚の境界を超えた存在だ」(Siegel, 2014, 1)(訳は本書の訳者による)。
精神性や、人との関係を築く能力が健全に発達していれば、柔軟な対応を可能とする「耐性の窓」や、健全な自己調整能力も自然に育まれる。自己形成の最も初期の段階から、「自己」のあらゆる局面が健全に発達していたら、シーゲルが言う「エネルギーと情報の流れ」、つまり、つながりと安全の感覚を十分に体験することができる。「我々は『私(me)』という感覚だけでなく、社会的つながりを通してより大きな『私たち(we)』の一部となる。内的につながった感覚、統合された『私・たち(MWe)』が発達する」とシーゲルは述べている(Siegel, 2014)。発達が健全に進めば、「自己」は、複数の人々の存在の一部であると感じることができ、他者とのつながりから恩恵を受けることができる。
早期トラウマは、この「私・たち(MWe)」感覚を崩壊させ、意識的に、また無意識的に、このような概念が発達する可能性を妨げる。結果として日々孤立感を持つことになり、自己の体験は、外界から切り離されたものとなる。トラウマは、サヴァイヴァーから人とつながる能力を奪い、より大きな「私・たち(MWe)」に属して恩恵を受けることを不可能にする。発達性トラウマによって、「耐性の窓」は極めて狭くなり、最適な覚醒領域から簡単に押し出され、その範囲内に戻ることが困難となる。
だが、「耐性の窓」が健全な範囲で機能すると、三つの領域で恩恵を受ける。それは、身体面、精神・感情面、行動面である。

・身体:調整によって、学習したり他者と関わる能力が充実する。身体の全てのシステムに、ごく自然に楽な感覚が広がり、地に足がついて落ち着き、内なる体験につながる感じがある。痛みの受容器が過敏になっていないので、苦しみや不快感が少なく、その時々の体験を、より受け入れやすく感じる。

・精神・感情:より穏やかな感じを体験する。周りの世界にある新しいことを発見したり、学びへの好奇心が増す。より楽しくリラックスした感じで、人との関係性の中にいられる。自身の体験を他者と相互に共有できる。

・行動:他者と協力できるということは、そこに行動的な調整力がある証拠である。相互間のつながりがあると、目標を追いかけ、何かを成し遂げようとすることがより強く動機づけられる。自発的に活動し、他者とのより深い共感のため、さらに心を開く。創造性も現れ、他者と分かち合う経験がより深まる。

人生初期の体験は、「耐性の窓」の発達と、神経系の興奮やストレスの許容力に深い影響を与える。幸運なことに、ほとんどの人は、人生経験を積むとともに「耐性の窓」が拡がり続ける。しかしある人たちにとっては、調整を可能にする「耐性の窓」には馴染みがなく、さらには無縁のものでさえあるだろう。このような場合は、調整と共にレジリエンスの感覚を発達させるための支援が必要となる。(中略)

「偽りの耐性の窓」

「偽りの耐性の窓」とは、最適な覚醒領域である、腹側迷走神経系と低いトーンの背側迷走神経系が支配している状態に入ることができず、「耐性の窓」を離れ、慢性的に過覚醒や低覚醒の状態にいることである。「偽りの耐性の窓」は、「耐性の窓」の別の姿と言ってもよい。調整不全やコントロールされていない反応を統制しようとして、この「偽りの耐性の窓」が作られる。防衛的適応が、慢性的な過覚醒や低覚醒を何とかコントロールするために、「耐性の窓」の外に、「偽りの耐性の窓」を作るのだ。慢性的に「耐性の窓」の外にいる場合、「最適な覚醒領域」の外に常に留まっていることになる。人はそこでも、防衛的適応を発展させるのだ。
図11の「耐性の窓」は狭く、クライアントは、小さな刺激を受けるだけで、「耐性の窓」の中に留まれなくなってしまう。これこそが発達性トラウマの典型的な帰結である。早期トラウマには慢性的な調整不全が伴うことが多い。早期トラウマにおいては、「最適な覚醒領域」が非常に狭く、そのため、心身に少しの刺激が加わっただけで、すぐ「耐性の窓」の外へ出てしまうのだ。図11は、慢性的に過覚醒の場合を示している。
「耐性の窓」は、図11の底で、その過覚醒の側には「偽りの」、あるいは「人工的な窓」と名付けた窓を描き加えてある。この領域では、クライアントは、体験をうまく管理するため防衛的適応である解離や強迫的な摂食などに走る。こうやって自分を落ち着かせ、自身の過覚醒状態を調整しようとする。「耐性の窓」の内には留まらず、「偽りの耐性の窓」を出入りする動きが何度も起こるだろう。クライアントは、「耐性の窓」に入ることはできなくても、自身の交感神経系の活性化による症状や反応をおさめ、「仕事をしたり自分をコントロールすることが何とか可能なレベル」の過覚醒状態に留まることはできる。
「耐性の窓」の低覚醒側に「偽りの耐性の窓」が存在することもある。この場合、クライアントは、腹側迷走神経系を働かせて社会的交流を持ったり交感神経系を働かせて活動するためには、神経系を刺激する物質を用いたり、行動化したり、過剰な性行為をしたりする。このような防衛的適応では、背側による低エネルギー状態を保ち、耐えられる程度の低覚醒状態に留まり続ける。この場合も防衛的適応が起きているが、クライアントが「耐性の窓」に戻るのには不十分である。そして、崩れ落ち、人とつながることもない背側迷走神経系優位の状態の中に留まっている。図12は、低覚醒状態の「偽りの耐性の窓」を示している。
これらは本物の調整ではないが、自己調整を体験したことがないクライアントにとっては、本物の調整のように感じられる。発達性トラウマを体験したクライアントの多くは、「耐性の窓」を十分に発達させていないため、彼らは慢性的に調整の閾値を超えたところにいる。本物の自己調整を知らずに、防衛的適応を使って、できる限り自己調整に近づこうとするのである。
判りやすくするために、過覚醒と低覚醒の「偽りの耐性の窓」が「耐性の窓」に重ねて描いてある図13を見てほしい。人生の早期に発達した慢性的な覚醒である「偽りの耐性の窓」の過覚醒側を見てみよう。この状態では、十分に活性化を抑え、平静さを取り戻して「耐性の窓」に戻るには副交感神経系の働きが不十分である。自律神経系は、互恵的な働きをする範囲の外にあり、交感神経系と副交感神経系の両方が「相互活性」している。その場合、交感神経系による活性化が起こると、同時に背側迷走神経系も活性化し、矛盾した生理反応が巻き起こる。結果として、心身の反応が制御できなくなる。
副交感神経系の調整がうまくできないので、その代わりとして、過覚醒に取り組む戦略としての防衛的適応が用いられる。過覚醒状態では、まともに生活することはできない。したがって、その活性化を管理し、均衡をとる方法を見つけ、「偽りの耐性の窓」を作り出す。
第5章で記したように、防衛的適応は様々な形を取り得る。それは、生理的、行動的、感情的、理性的適応となる。たとえば、愛着も防衛的適応の一つであるし、過食なども強迫的な慰撫行為の一つとして考えられる。
また、背側迷走神経系の生理学的機能を過剰に用いて、崩れ落ち、無感覚の中に入っていくことも、早期トラウマに関連する身体的戦略の一つと言える。凍りつきを引き起こす高いトーンの背側迷走神経系の働きによって引き起こされる生理学的状態は、慢性的な基盤として使われることは意図されていない。しかし、もし腹側迷走神経系を十分働かせることができない状態であれば、交感神経系を制御する、生理学的な反応として背側迷走神経系が使われる。第4章で記したように、睡眠、抱擁、その他の休息状態で起こる、恐れを伴わない不動を体験している時は、低いトーンの背側が優位である。しかしながら、健全な協働調整が欠落している中では、腹側迷走神経系の生理学的機能は使えず、代わりに背側迷走神経系を稼働させる。いったんこの「奇策」がうまくいくと、身体は、似たような状況下において、繰り返し同じ神経回路を活用しようとする。これが癖になってしまうと、どのようなレベルの活性化であれ、交感神経系の覚醒を抑えるため、不動と極度の温存モードである背側迷走神経系の生理学的機能が慢性的に使われるようになっていく。これは、社会的な関わりや活動、あるいは自己調整機能を支持しないため、高いアロスタティック負荷をもたらす。言い換えれば、背側迷走神経系を多用する防衛的適応は、高い代償をもたらすのである。いつも生き残りをかけたぎりぎりの反応の中に留まっているので、他の生理学的機能を円滑に働かせるためのエネルギーは少なくなり、やがて自身を枯渇させてしまうのだ。
背側迷走神経系を多用する傾向は、早期トラウマの中で発達していく。これは一般的な生理学的戦略の一つで、ACE研究の中で早期トラウマと関係があるとされた症状のいくつかと重なる。背側迷走神経系への効果的な働きかけを学ぶことができれば、調整を促し、より大きなレジリエンスを獲得することにつながるだろう。この章の後半でさらに詳細を紹介していく。
「偽りの耐性の窓」の上の方では、怒りやより抑えきれない激怒が体験され、過覚醒に関係するパニックやその他の反応が起こりえる。「偽りの耐性の窓」は最適な覚醒領域のはるか外側であることが多いので、その「偽りの耐性の窓」の中では、クライアントは調整が取れていないし、社会的なつながりのある行動を司る腹側迷走神経系がもたらす生理学的状態の中には入っていない。クライアントは、一見「耐性の窓」の中で機能しているように見えるかもしれないが、過度に刺激を感じている状態にある。
よって強力な防衛的適応であっても、健全な「耐性の窓」へクライアントを連れ戻すには十分ではなく、「偽りの耐性の窓」へと戻すのがせいぜいである。これは、自己調整の範囲内ではない。自己調整の体験がほとんどない人は、「偽りの耐性の窓」こそが、自分の本物の調整状態だと信じているかもしれない。この不適応な調整システムが、彼にとっては日常であり、彼が知るすべてなのだ。
クライアントが、本当は防衛的適応を用いているにもかかわらず、自らの反応を管理する能力がよく発達しているように見えると、臨床家は、騙されてしまう。臨床家は、クライアントが刺激を許容する能力を、誤解したり、判断を誤ったりしてしまう可能性がある。クライアントが「偽りの耐性の窓」に戻っただけなのに、健全な調整に戻ったと思ってしまうかもしれない。そうなると臨床家は、クライアントが過度に刺激された状態を何とかしようとして行っている防衛的適応を強化してしまうことになる。
同じことが、低覚醒側の「偽りの耐性の窓」でも起きる。この場合は、背側迷走神経系が優位になるので、腹側迷走神経系も、交感神経系もうまく働かず、恒常性を取り戻し、最適な覚醒領域へ戻る力が湧いてこない。「偽りの耐性の窓」の上部の領域と同様、ここでも自律神経系の互恵的な働きの範囲外にある状態で、この場合は、「相互抑制」が起きている。副交感神経系も、交感神経系も力を失った状態で、ここでもまた生理学的に相矛盾する状態が作られる。

ジェリーは五六歳の未婚の男性で、地方の印刷会社の植字工として働いている。彼はもう一人の工員と夜勤のシフトで働いている。ジェリーは低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした。ジェリーの両親は、ジェリーがほぼ六週間目になるまで、彼に触ることができなかった。彼は、二か月近く、愛あるタッチに触れることもなく、医療器具に囲まれていた。ジェリーの両親は農夫で、彼は一一人兄弟の五番目だった。農場での仕事があるため、彼らがジェリーを病院に訪ねることができるのは週に一日だけだった。両親が好んでそうしているわけではなかったが、この隔離期間がジェリーの感情的な発達に大きな影響を与えた。

家に戻った当初、ジェリーは「良い」赤ちゃんのように見えた。母親は、ジェリーは二歳になるまでほとんどの時間寝ていて、めったに泣かなかった、と語った。ジェリーの母親は、彼が三か月になる前に弟を妊娠した。母親は、ジェリーの欲求に応えるのに必要なエネルギーがなく、授乳の際には哺乳瓶を立てかけておいただけで、彼と関わりの時間を持つことはまれであった。

ジェリーは三歳になった頃から、ひどく乱暴になった。彼はよく家から逃げ出し、理由もなくおもちゃを壊した。学校に入ると、ADHD(注意欠如/多勤性障害)と言われ、行動と気分を調整するために薬物治療を受けなければならなかった。彼は学習ができず、他の子どもたちとの関係を持つこともできなかった。

中学生になるとジェリーは、副作用がひどいのでもう薬は飲まない、と服薬を拒否した。彼の気分はすぐ激しく変わり、いつも過覚醒でイラついていた。彼は自分をリラックスさせようと、父のウオッカを飲み始めた。それにマリファナが加わった。目に数回酒を飲み、マリファナを吸うようになるまで、そう時間はかからなかった。教師たちは、彼を助けるのに何が良いのか判らなかったが、ともかく、彼は学校を卒業できた。

高校生の間、ジェリーは数回法に触れるいざこざを起こした。そして飲酒とマリファナ所持で逮捕されたが、彼はその行為をやめようとしなかった。気分が高揚し酔っている時だけしか、家族といることに耐えられなかった。物質乱用のために彼が静かにしていたので、家族の誰も、彼の感情的な苦しみに気づかなかった。こうしてジェリーは、両親が最も愛する役割である、「静かで、泣かずに眠っている乳幼児」を演じ続けた。

高校を卒業すると、何回か恋愛したが、付き合いは長く続かなかった。ジェリーの薬物乱用や激怒のために、恋愛はことごとくうまくいかなかった。女性たちは、ジェリーの怒りがどこへ向かうか判らなくて怖いと言った。植字工としての今の仕事を見つけるまで、ジェリーは仕事が続かず、社会の底辺で生きた。

ジェリーには、夜たった一人で働くのが向いているようだった。酒を飲んだりマリファナを吸ったりして、なんとか仕事を続けた。しかし仕事中、よく腹を立てたり、同僚を罵倒したりした。同僚は、アルコールと薬物乱用について彼を問い詰めたが、ジェリーは、自分は薬物依存者でもアルコール依存者でもないとはねのけた。

ジェリーは、否認と薬物を防衛的適応として使った。彼は、まだ幼い時から、交感神経系の覚醒を抑えるために、薬物によって人工的に副交感神経系のブレーキをかけるようになった。彼は「自然に副交感神経系が優位になって落ち着く」という体験をほとんどしていなかった。彼の自律神経系は調和の保たれた範囲から外れていた。ジェリーは自分の問題で他者を責めたが、実は心の中では、家族に受け入れられ愛されることを望んでいた。自然な「耐性の窓」を体験したことがなかったが、「偽りの耐性の窓」の中にいることはできた。この「偽りの耐性の窓」の片側は暗くて静かだったが、もう片側は怒りと激怒に溢れていた。彼は「偽りの耐性の窓」の中に留まるため、偽りの調整を引き起こす作用のある薬物を使った。

人生の最初の数週間、協働調整と落ち着かせてくれるなぐさめを受ける経験が欠けていたことから、ジェリーの生理学的機能は、背側の極度の温存モードを使う方向へ向かった。ひとたび家族のいる家に戻ると、声を上げないジェリーは、泣かない「良い」赤ちゃんなのだと誤解された。母親は、既に子どもの世話に圧倒されていたので、自分をあまり必要としないように見える赤ちゃんに安心した。

ジェリーが大人になった時、基本的な調整能力がないために自身の反応を管理することができないことが次第に明らかになっていった。彼は、薬を飲まない時の激しい調整不全に苦しむよりも、「穏やかな」体験を提供してくる薬物乱用を防衛的適応として採用した。

ジェリーの場合、愛着を修復し、継続的に協働調整することで、「耐性の窓」の中に留まれるよう働きかけることは、有効である。こうすることで、彼が自分の反応を調整する能力を高めることができるはずである。彼は、過覚醒側を鎮めるために、低覚醒側の防衛的適応を使っている。これは、背側迷走神経系の生理学的機能を極端に使いすぎている状態である。

ジェリーの場合、「偽りの耐性の窓」の過覚醒側でも防衛的適応が起こっていた。さらに、これが低覚醒側でも起きており、防衛的適応が、交感神経系や腹側迷走神経系の生理学的調整機能の代替物として使われていることが分かる。背側迷走神経系の凍りつき状態に伴う無感覚や無気力から抜け出すために、刺激物を乱用したり、自身を刺激する極端な行動を取ることも、一種の防衛的適応である。過剰な性衝動や、社会的つながりの感覚を欲するあまりに取られる強迫的な試みも、これに該当する。それとは異なり、周囲には刺激がありすぎると感じ、防衛手段として社会的関わりを回避する方向にいくこともある。しかし、このような回避は、さらなる無感覚と無気力をもたらす。
「偽りの耐性の窓」の低覚醒側にいる人は、苦しみや絶望の感覚と闘い、もう少しで崩れ落ちる状態にいる。あるいは、ストレスにさらされることを制限し、限られた身体資源を温存する方法を見つけながら、自身のエネルギーを管理することに過度の時間を費やすこともある。
そして、防衛的適応自体が「耐性の窓」をより狭め、さらなる防衛的適応を呼びごみ、それにより、生きるためのエネルギーが余計に吸い取られてしまうこともある。たとえばACE研究に見られるように、早期トラウマに関係する症状のいくつかは、「偽りの耐性の窓」の力学を明確に説明している。
「偽りの耐性の窓」の過覚醒の範囲において、防衛的適応戦術がうまく発達し、「偽りの耐性の窓」のもう一方の側である低覚醒もうまくカモフラージュできていると、クライアントも臨床家も、「安定して『耐性の窓』の中に留まっている」と誤った判断をしてしまう可能性がある。すると臨床家は、クライアントは負荷をかけても大丈夫な状態だと誤解したまま、もっと神経系に負荷を与えるような治療的介入をしてしまい、むしろ回復を遅らせてしまうかもしれない。
発達性トラウマにしばしばみられる「パターン」は、交感神経系による過覚醒と背側迷走神経系による低覚醒の間を目まぐるしく行ったり来たりする状態である。第5章で論じたように、これは、根本的な調整不全がある時に見られる典型的な反応である。この場合、クライアントは「偽りの耐性の窓」の上側と下側の間を行き来し、それぞれの状態に関連する症状を呈する。これは、複雑な防衛的適応のシステムを持っていることを示唆している。
「偽りの耐性の窓」では、生き残るための生理学的機能が常に酷使されており、このため特有の身体的症状が見られる。これはACE得点が高いクライアントに見受けられる症状でもある。
「偽りの耐性の窓」の中にいる人たちのほとんどは、自身が本当は調整不全であることに気づいていない。彼らにとっては、この状態しか知らないのだから、本人はリラックスして落ち着いているつもりである。しかし、彼らは最適な覚醒範囲の外にいる。臨床家は経験を積み、こうした防衛的適応を識別できる力を蓄えて、クライアントが「耐性の窓」ではなく、実は「偽りの耐性の窓」にいることを見極めて、それに従って関わりを調整することが必要である。

ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する

「偽りの耐性の窓」に気づくことによって、我々は、クライアントの防衛的適応を強化しないようにすることが可能である。もし、クライアントが本当はいつも「耐性の窓」の外にいるのに、ストレスに対処する調整能力が十分にあると誤った推測のもと働きかけてしまうと、クライアントの防衛的適応を逆に強化してしまうことになる。
発達性トラウマにうまく取り組むためには、防衛的適応を知り、クライアントが最適な覚醒領域の上側にいるか下側にいるかを捉えることが重要である。このような場合は、何かを付け加えるよりも、むしろ過剰な刺激を減らし、取り去り、防衛的適応を行使する必要がなくなるようにすることが 肝要である。つまり、クライアントを「耐性の窓」の中に留まらせようとして過剰に介入するのを止め、クライアントが防衛的適応をしなくてはならない状態に陥ることを回避するということである。
同時に、自己調整能力を増すためのサポートを提供し、「耐性の窓」を拡張する。こうして防衛的適応の必要が無くなるように導く。次章では、調整のためのサポートについて論ずる。
社会的つながりを促進する生理学的状態に入ることが難しく、人とつながることを怯えているようなクライアントに対して、無理に社会的関わりや人とのつながりを持つように勧めることは、かえって負担となり、「偽りの耐性の窓」の反応を強化してしまうかもしれない。我々は、臨床的な介入として提供する「人とのつながり」の在り方を考え直さなくてはならない。
セッションの時、セラピストが、クライアントに自分とつながることを期待してしまう癖があるとしたら、それがクライアントにとっては、負担になる。その結果、クライアントを「偽りの耐性の窓」さえ超えたところへ追いやってしまう危険があるのだ。そうしてかえって、クライアントの過覚醒・低覚醒反応を増幅させてしまう。
クライアントを早く良くしようと焦って、クライアントにつながりを強制するのではなく、むしろ、クライアントが、「無理に人とつながろうとしなくてよいのだ」、と思えるように、クライアントの負荷を取り除いていくことのほうが、効率的である。たとえば、クライアントとセラピーの部屋にある絵を見て、どう感じるかを聞いてみるのも良い。クライアントが、少しだけ臨床家とつながってみようと感じることができるまで、待つことも肝要である。クライアントが、ほんの少しつながろうとしたときに、臨床家がそれに応えるということを重ねていく、つまり無理につながりを求めるよりも、つながろうと思えるような生理学的状態になれるように導いたほうが、むしろ効果的なのだ。
愛着を修復したり、安全である場を作ったり、クライアントの自己調整の力を少しずつ増やすといった作業を丹念に行っていくことで、クライアントの「耐性の窓」を拡張することができる。それは、背側迷走神経経系の生理学的機能に働きかけることでもある。

背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける

先にも述べたように、早期トラウマがある場合、背側迷走神経系の温存の生理学的機能を過度に使う傾向がある。この場合、背側の生理学的機能は、「恐れを伴わない不動」をもたらすような低いトーンでは働いておらず、連続体のもっと端にある「凍りつき反応」、あるいは、「機能的凍りつき」が慢性的に起きている状態になっている。自律神経系は、互恵的範囲の外にあり、慢性的に相互活性や相互抑制が起きている。そのために、複雑な生理学的反応が起きている。
慢性的な「凍りつき」の生理学的状態は、自律神経系が慢性的な非補完的状態にあることを示している。これは、第6章で論じたACE由来の症状と関係する。ここでは自然な調整を起こすことができないために、生理学的な防衛的適応が起きている。「耐性の窓」の中で見られるような自然な反応ではなく、どんな覚醒も支配下に置くために背側迷走神経系を酷使する。こうして「偽りの耐性の窓」を作り出し、そのために余計、「耐性の窓」が狭くなる。
このような調整不全が起きているクライアントは、ごく些細な刺激に対しても、しばしば背側迷走神経系の生理学的機能へと「落ちて」しまう。あるいは、一見安らかで、穏やかに見えるが、実は常に無感覚で低エネルギー状態にある。臨床家がこうしたクライアントに向き合うためには、より高いスキルが求められる。背側迷走神経系の生理学的機能は、解離を起こしているクライアントに典型的に見られるものでもある。「凍りつき」の生理学的機能に支配されていると、無感覚になり、切り離された感覚が生じる。
この慢性的な背側迷走神経系優位の状態は、慢性的に交感神経系が優位で過覚醒が起きている場合と対照的である。過覚醒のクライアントは、見た目にも落ち着かず、不安そうで、「闘争か、逃走か」という、より高いエネルギー的緊張によって引き起こされる身体的症状を持つ。これに対して、背側迷走神経系優位の場合は、落ち着いている状態との識別が難しい。クライアントは、往々にして自分自身の体験にも無感覚なので、「特に何もありません」「活性化は感じません」、などと言い続けるかもしれない。
交感神経系優位による過活性状態では、少しの刺激や問題でも、大きな混乱が引き起こされる可能性がある。一方、背側迷走神経系優位の状態では、少しの刺激が加わっただけで、さらに深い凍りつきに入る可能性がある。もし自律神経系が相互のバランスを欠いていたら、ひどく制御不能な状態となるだろう。
この慢性的な背側の生理学的機能は、臨床現場ではよく遭遇する。生後の数年間で、腹側迷走神経系の機能を十分に発達させるための協働調整が得られなかった結果、背側迷走神経系優位の生理学的状態に入ってしまうクライアントが多いからだ。自律神経系が互恵的に働かなくなるのは、ACE得点の高さに比例し、さらにそれは無秩序型の愛着スタイルとも関係することが多い。こうした状態にあるクライアントは、周りの人々によって自分のつらさが癒されるとは感じていない。むしろ人間を脅威と感じており、自分を落ち着かせるために人とつながろうとはしない。ただ目を見つめ合うことさえ、恐ろしさを感じるかもしれない。こうしたクライアントは、社会的関わりによって腹側迷走神経系優位な状態に至ることができず、交感神経系による過覚醒を調整するために、背側迷走神経系の生理学的機能を多用する。そうすると、活性化を抑えるための「機能的凍りつき」に入る。
ポージェスは、早期トラウマを持つクライアントは、ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線されていることがあると述べている。潜在的な危険を調べようとする行為そのものによって、凍りつき反応が突然引き起こされるのだ。臨床家はこれを考慮に入れて、介入方法を吟味する必要がある。このタイプのクライアントの場合、セラピーにおいて安全であることを伝えるために使う典型的な関わり方が、実際には逆効果になる。目を合わせようとしたり、臨床家がクライアントのために「ここ」にいることを示したり、部屋を見回してそこに何があるかに気づくよう促すことは、実はクライアントを「耐性の窓」から完全に離れたところへ追いやり、生理学的にも行動的にも防衛的適応を取らざるを得なくさせてしまう。こうなると、クライアントはさらにつながりを失い、解離し、あるいは極度の温存状態を便わざるを得なくなるのだ。
この場合に社会的な関わりを提供することは、腹側迷走神経系の発達を促す方法としては有効ではない。社会的な関わりやつながりへの誘いは「滴定*1」すべきである。ほんの少しだけ誘い、クライアントが「つながり」という新しい領域へそっと入っていく時、その反応を注意深く見守る必要がある。クライアントがもともと使っている背側の生理学的機能をうまく利用することで、安全であるという感覚や、恐れを伴わない不動化を感じてもらい、低いトーンの背側へと誘うことも有効である。これは、「セラピストとつながらなくてもかまわないのだ」と思ってもらうことで可能になる。前述したように、クライアントの反応を要求するような「足し算」ではなく、クライアントが社会的な関わりのシステムから感じる負荷を手放せるような「引き算」をしていくのた。
たとえば臨床家は、一緒に休み、安らいでいてくれるようにクライアントを導くことができる。実際、十分に安全だと感じれば、クライアントがうたた寝することもあるだろう。あるいは、臨床家がクライアントにあれこれ質問をすることを止め、沈黙の時間を過ごしながら、静かな協働調整をすることも有効である。ハンズオン(訳注:触れること、タッチ)がなくてもこれは可能だが、もしクライアントが寛いだり安心するようだったら、ハンズオンを取り入れるのも良いだろう。この方法で、クライアントは、臨床家に「見守られながら安らぐ」という体験をする。これにより、「安全な場所」と「安心の基盤」の感覚が提供され、クライアントは防衛を解き、凍りつきの生理状態ではなく、低いトーンの背側迷走神経系による生理学的機能の中で落ち着く感覚を味わうことができるだろう。もしクライアントが、休息ではなく解離を始めたら、臨床家は、クライアントに気づきを促し、部屋に戻るようそっと導くと良い。
臨床家が「見守って」いると、クライアントは十分な安心を感じ、居眠りしたり、自身の内なる感覚に気づこうとするかもしれない。クライアントに、「臨床家は十分共感してはいるが、侵入的ではない」、という感覚を持ってもらうことが重要である。
あるいは、臨床家が「並行あそび(訳注:parrallel play 臨床家とクライアントが、介入しあわず、共にいながらも、別々の遊びをすること)をするのも良い。たとえば、臨床家が先週あった楽しかったことを絵に描こうと提案し、こちらからはたまに少しコメントをするだけで、クライアントがしたいようにさせる、といった作業も良いだろう。または、クライアントが聴きたい音楽を一緒に聴くこともできるだろう。もちろんこういった介入も、十分「滴定し」クライアントがそのプロセスでくつろいでいるかを見極めながら行うことが鍵となる。
臨床家は、こうしたささやかな関わりを過小評価しがちである。クライアントのプロセスを導く際、非常に劇的であることが望ましいというような暗黙の了解があるかのようだ。しかし、発達性トラウマに働きかける初期の関わりは、常に協働調整を提供することなのである。どんなに静かで小さくても、それはすべて効果を生む。この方法は一緒にいて安心だという感覚を提供し、深い身体的協働調整の経験となり、傷ついた愛着を修復する。これを糸口として、クライアントが自分自身と安全につながるための長い道筋が見えてくる。
クライアントが、背側迷走神経系の低いトーンの働きによる、恐れを伴わない状態に静かに入れるようになってきたら、臨床家は、腹側迷走神経系による社会的関わりを、少しずつ、静かに導入していくと良い。クライアントを「耐性の窓」の中に留め、安心して社会的関わりを促進する生理学的状態へと入れるよう、少しずつ加減しながら、その能力をそっと拡げていくと良いだろう。

さらに正確な内受容感覚を築く

長期にわたる深刻な早期トラウマを被った人は、当然のことながら、常に周りに潜在的な脅威を探しながら生きていく術を学習している。本章の最初に記したように、クライアントの調整能力を向上させ、レジリエンスを増すためには、「偽りの耐性の窓」ではなく、本物の「耐性の窓」に働きかける必要がある。
「偽りの耐性の窓」の目的は、本来なら「耐性の窓」が担ってくれる均衡の役割を、かりそめに提供することである。残念なことにクライアントは、「偽りの耐性の窓」が本物の調整ではないことに気づかないことが多い。さらに「偽りの耐性の窓」にいるクライアントは、小さなことであっても過剰に刺激され、すぐに「偽りの耐性の窓」のさらに外側へ出てしまう。そのために、突然、生き延びるための強い反応を示す。クライアントが激しい反応を示している時に、「耐性の窓」に戻り、その中に留まるよう働きかけるのは不適切である。こうした事態に有効な方法の一つとしては、正確な内受容感覚を育むことである。これによってクライアントは、自身の反応に注意を払い、「耐性の窓」の外にいる時にはそれに気づき、臨床家の関わりに、より反応ができるようになるだろう。
トラウマに働きかける生物生理学的方法として一般的なものに、クライアントに自身の感覚を追跡させる方法がある。臨床家としては、クライアントが様々な感覚を味わい、自身が気づいている感覚を正確に報告するのは、当たり前のことだと考えるだろう。しかし、こうした明らかに簡単な課題も、早期トラウマを持つクライアントにはできないかもしれない。
我々は発達の過程で、「自分について語るための自分自身の言語」を持つようになる。自分はどんなふうだ、とか、自分は何者だ、と語る時に使う身体的言語もある。そうした言語は、早期の自身の体験や、他者との関係における自身の体験の文脈から発達する。それがもし発達性トラウマの文脈の中で起こったら、自身の身体を表す言語も、その文脈に沿ったものになる。
身体的言語は、苦痛、つらさ、危険、注意深さなど、生き延びることに意識を集中して形作られた感覚をもとに発達しているだろう。一方、安全な時、何かを味わい楽しんでいる時、すべてうまく行っている時など、肯定的体験についての身体的言語は、かなり限定されているだろう。長年、もしくは一度も安全な状態になったことがなければ、そのような状態を認識することは不可能である。
養育者から、自分が感じていることについて、適切に同調されることのない環境で、内受容感覚とそれに関する言語が発達したのであれば、当然ながら、安全の感覚を感じることはできず、自身が「耐性の窓」の中にいることに気づくことも難しく、調整が起こってきていることを感じるのも不可能だろう。クライアントが自分の体験を報告してきたとしても、最も基本的なことすら正確ではないかもしれない。それ以前にまず、臨床家の問いかけが理解できないこともあるだろう。「最近、『安全だ』と感じたことはありますか?」といった単純な質問でも、クライアントは困惑するかもしれない。クライアントは自身の内面を見つめようとし、情報を探そうとするが、何も起こらない。「ええっと、そうですね。今までに安全を感じたことがあるかどうか? それはよくわかりません」といった答えを臨床家は、よく聞くのではないだろうか。
発達性トラウマを扱う時に鍵となる要素の一つは、クライアントがより健全で正確な内受容感覚を築くのを支援することである。最も一般的な方法としては、臨床家がクライアントと共に、何が観察されるかについて「気づきを照らし合わせる」ことである。たとえば臨床家が、クライアントの生理・身体的システムに起こった変化をクライアントに言ってみる。クライアントは自身の体験と照らし合わせてみる。「あなたが今、深呼吸をしたことに気づいたのですが、あなたは気づきましたか? それはどんな感じでしたか?」。ハンズオンを用いていたら、臨床家は、自身の気づいたことを報告し、クライアントに質問してみる。「私の手の甲で、あなたの筋肉が緩んだように感じます。そして今、そこに呼吸が入っていくのを感じます。あなたは何を感じましたか?」。
誰もが、幼い時に、身体的な状態について養育者からたくさんのフィードバックを受け取るべきである。たとえば、「おいしいね! どうだい? おいしいかい?」などといった言葉がけである。互いの感覚を比べ合う、というこの単純な作業は、欠くことのできない、身体的な「養育のし直し(reparenting)」と見なすこともできる。「私があなたの外側にいて、こんなことに気づきました。あなたは、何に気づいていますか?」というように、体験を報告し合う。これは、早期の協働調整に現れるべきだった大切な要素、つまり、「私はこのように感じている。あなたはどのように感じているか?」という相互交流に該当するのだ。
健全で正確な内受容感覚を育てるもう一つの方法は、クライアントに、実は様々な程類の感覚があるのだ、ということに気づいてもらえるよう援助することである。これは特に肯定的な感覚に関して、重要になるだろう。大半の時間を危険の中で過ごしていたら、そうではないものに気づく能力は限られてしまう。生き延びるためには、自分を傷つける可能性があるものに気づくことのほうが、ずっと重要だった。そのため、危険に対して注意を向けるように鍛錬されているのだ。
どんな感覚が楽しいか。好きか。もしそれを感じることができないようなら、どんな感覚が他よりは「まし」かに気づく方法を、臨床家は、クライアントに教える必要がある。その際、クライアントが、感覚をどのように名付け、分類しているかを知ることが重要となる。クライアントが「不快」という言葉で表現する感覚は、実は、「普通に」起きている何かの感覚であるかもしれない。背側の生理学的機能を使い過ぎて、慢性的に自身の体感に無感覚になっている場合は、身体を感じる体験が少ないかもしれない。そのため空腹でお腹が鳴るといった単純な感覚にさえ、警戒を示すことがある。それが馴染みのない感覚だったら、クライアントはどう理解したちよいか、全く分からないだろう。常に意識が身体から切り離されている状態の人だったら、身体の感覚を感じること自体が「普通だ」とは思えないだろう。そして潜在的な危険をいつも探している眼鏡を通して、その感覚を解釈するだろう。
感覚を分類する能力――特に「脅威」と「ワクワクした興奮」を区別する能力は、健全な早期の体験において、他者との相互作用を通して獲得されるべきものである。感じるものに、共に名前を付け、好き嫌いを分け、その作業の中で我々は共有された身体的言語を作る。たとえば、ジェットコースターに乗る時の、胃が下がるような感覚を、好む人もいれば、好まない人もいる。嫌いなものの全てが、本質的に悪かったり危険だったりするわけではない。それは単なる好みなのである。そして、すべての不快な感覚に警戒する必要がないことや、本当に好きなものにどうやって気づくかを学習していく。
これが欠落しているのであれば、文字通り自分と対話する言語を習得し直す必要がある。これは臨床家として提供できる重要なものの一つである。クライアントが興味を持って感覚を探求するのを助けることは、一見単純で、遊んでいるだけのようにも見える。しかし、これによってクライアントは、内受容感覚を意味づけできるようになる。(後略)

注:i) 引用中の脚注「*1」の記述(P229)を次に引用(『 』内)します。 『*1 滴定:化学の容量分析などで物質の定量を行なうための操作をいう。一定体積の試料溶液に、既知濃度の標準溶液をビュレットで滴下して反応させ、反応が終了した時の標準溶液の滴下量を求めて試料溶液の濃度を算出するもの(精選版 日本国語大辞典 小学館)。』 ii) 引用中の「James Beck and Bessel van der Kolk (1987)」は次の論文です。 「Reports of childhood incest and current behavior of chronically hospitalized psychotic women」 iii) 引用中の「Lawrence Kolb (1989)」は次の論文です。 「Chronic post-traumatic stress disorder: implications of recent epidemiological and neuropsychological studies」 iv) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「自己愛性パーソナリティ」や「反社会性パーソナリティ」を含む「パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「パニック障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「ポージェス」が提唱する「ポリヴェーガル理論」については「背側迷走神経系」、「腹側迷走神経系」、「凍りつき反応」、「ニューロセプション」及び「社会的関わり」を含めて他の拙エントリのここを「最初に」を含めて参照して下さい。 vii) 引用中の「闘争か、逃走か」に類似する「闘争-逃走反応」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「ACE研究」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「協働調整」についてはここにおける引用の『「調整」について:臨床家、臨床の環境、そして予測性』項を参照して下さい。 x) 引用中の「さらに正確な内受容感覚を築く」に関連する「前章で、正確な内受容感覚がクライアントにとっていかに重要かを論じた。この理由の一つは、正確な内受容感覚なしには、クライアントが身体的ナラティブを更新することができないからだ。」についてはここにおける引用の「身体的ナラティブ」を参照して下さい。 xi) 引用中の「追跡」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 引用中の「自律神経系の互恵的作用」について、同の 第5章 発達性トラウマの副作用 の「基本構造の調節不全」における記述の一部(P125)を次に引用(【 】内)します。 【つまり、交感神経系が活性化すれば、副交感神経系は抑制され、心拍数や呼吸数が上昇するような生理学的反応を生む。また、副交感神経系が活性化すれば、交感神経系は抑制され、生理学的反応を下方調整し、より穏やかで落ち着いた反応を生む。言い換えれば、生理学的反応は、一般的に活動か休息かという一貫した軸の上で互恵的に働いている。】 加えて、上記「互恵的」範囲の外にある「相互活性」及び「相互抑制」について同「基本構造の調節不全」における記述の一部(P125)を次に引用(《 》内)します。 《それに対して、非互恵的反応では、自律神経系が活性化と抑制の両方の反応を起こす。バーントソンはこれを、「相互活性」(co-activation)」と「相互抑制(co-inhibition)」と呼んだ。相互活性は、交感神経系と副交感神経系の双方が同時に活性化するという意味で、相互抑制は、双方が同時に脱活性化するという意味である。》 xiii) 引用中の『交感神経系と副交感神経系の両方が「相互活性」している』ことの例かもしれない「防御カスケード」(Defence Cascade)における「緊張性不動」については次のWEBページを参照して下さい。 「防御カスケード -トラウマ下での生理反応-」の特に「緊張性不動」項 xiv) 引用中の「さらに正確な内受容感覚を築く」や「ニューロセプション」(他の拙エントリのここも参照)に関連するかもしれない、『ニューロセプションの観点から見ると、経験に基づいた、安全と危険の両方が現実的なレベルで記憶された地図を持つより、初めから「危険地図」に基づいて行動するようになる状況では、いかなる新しい刺激も、内的あるいは外的環境の変化も、不愉快な感覚を与えるものはすべて危険であると解釈してしまう。だからこそ、健全な内受容の発達が重要なのである。』ことについて、同の 第3章 健全な発達が阻まれる時 の「基本構造の調節不全」における記述の一部(P84~91)を次に引用します。

親の養育態度が一貫性を欠き、子どもが十分なつながりや安全を感じることができないような状況では、子どもが脅威と安全を区別するためのフィードバックを受けるチャンスも限られる。どういう人や状況なら安全で、どういう場合は安全ではないのかを判断する「フィルター」が正確に機能しなくなる。そして判断力が育たない。前章で論じたように、何が安全で、何が安全ではないかを的確に判断する能力を養うためには、まず安全な基盤が必要である。また、脅威なのか安全なのかを示す合図や手掛かりを学ぶためには、一貫性のあるフィードバックを提供してくれる社会的グループも必要である。こうした助けがないと、ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈することになる。そしてそれは大人になっても続く。言い換えれば、内受容感覚、外受容感覚ともに、正確ではない情報を伝えてしまうようになるのだ。(中略)

ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない。比較的安全な時でも危険だと感じるかもしれないし、逆に脅威であるのにその兆候を見逃すかもしれない。さらに事態を複雑にしているのは、これは認知的プロセスから生まれるものではないということだ。この反応は、神経生理学的なプロセスによって、意識よりも下で引き起こされている。そしてこの神経生理学的プロセスは、安全であったにせよ、安全ではなかったにせよ、幼い頃の体験を通して時間をかけて発達する。
扁桃体と海馬は、新しい体験を査定するときに、顕在的、あるいは潜在的に参照するシステムを形成するために連動して働く。先に述べたように、記憶システムの中では、強烈な感情を伴った体験は重要な出来事として記憶され、これらが安全と脅威の査定のためのフィルターを作り上げていく。もし早期の体験が「安全である」という感覚に欠けていたら、「安全ではないこと」に重きを置く地図を持ち、危険を敏感に察知するようになる。経験に基づいた、安全と危険の両方が現実的なレベルで記憶された地図を持つより、初めから「危険地図」に基づいて行動するようになるのだ。
ニューロセプションの観点から見ると、この状況では、いかなる新しい刺激も、内的あるいは外的環境の変化も、不愉快な感覚を与えるものはすべて危険であると解釈してしまう。だからこそ、健全な内受容の発達が重要なのである。

注:i) 引用中の「内受容感覚」及び「外受容感覚」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「記憶システムの中では、強烈な感情を伴った体験は重要な出来事として記憶され」ることに関連する「情動を伴わない出来事よりも情動を伴う出来事のほうが記憶されやすいことが知られている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「情動的記憶 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の『「安全ではないこと」に重きを置く地図』や「危険地図」に関連するかもしれない「トラウマ地図」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「神経生理学的プロセス」に関連するかもしれない「ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない。比較的安全な時でも危険だと感じるかもしれないし、逆に脅威であるのにその兆候を見逃すかもしれない。」ことへの様々な関連は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

次に、主に「身体的ナラティブ」や「トラウマ地図」について「言語的ナラティブ」、「病気のナラティブ」、「外的LOC」(ここのを参照)を含めて、同の「第8章 トラウマ地図:発達性トラウマのナラティブ』における記述の一部(P231~P253)を次に引用します。

ナラティブは、人生における体験や自身の歴史を理解する方法の一つである。我々は、自身の文化的・性的アイデンティティ、記憶、人生経験等を通して、「自分」を理解する。そして、人生の「物語」を作ることで、経験してきた様々なことを統合させて、自分の人生の全体像を完成させる。こうした「物語」は、自身の成長過程、家系、そしてどのようにして自分は今の自分になったのかを、理解する助けになる。しかし、トラウマの症状の一つ、そして心の病気のいくつかは、一貫した肯定的なナラティブを形成したり、思い出す能力を消失させてしまう(Charon, 2001; Gold, 2007)。
自己を語るナラティブは、心理的にも医学的にも重要で、診断や介入、回復のための情報を提供してくれる(Hirsh and Peterson, 2009)。特にトラウマのナラティブを語ることは、トラウマを生き延びた者の回復と癒しにとって重要である(Levine, 2010)。しかしこれは、出来事や感情を思い出して、言葉に出して語ることで癒される、といった単純なものではない。ナラティブは、生理学的システムにまで影響を与えており、深いレベルでの癒しが起こるのだ。クライアントにとって、セラピーは、自分自身の物語を他人に語る、初めての機会かもしれない。我々はもちろん、臨床家として、彼らの言葉と物語を聞くが、それとともに、語っている時に、どのようなソマティックな体験をしているか、についても観察している。本章では、言語的ナラティブと身体的ナラティブの両方について概説し、クライアントが自身のナラティブを取り戻し、より良く自身を調整し、癒しへと向かっていくことを可能にするサポートの在り方について論じる。

言語的ナラティブ

言語的ナラティブを理解する上で大切なことは、クライアントの人生の初期に起こった逆境は、発達の多くの側面に影響を与えるということである。初期の逆境体験により、記憶を統合する方法や、脳が体験を処理する方法も影響を受けている。人間には、潜在記憶と顕在記憶という二種類の長期記憶がある。潜在記憶は無意識のうちに形作られ、使われ、考え方や行動に影響を与える。潜在記憶の最も一般的なものの一つは、「手続き記憶」と呼ばれるものだ。これは、同じ作業を繰り返し行うと、もうそれについて考えなくても、その作業ができるようになる、というものである。一方、「宣言的記憶」あるいは「エピソード記憶」とも呼ばれる顕在記憶は、意識的思考を必要とし、事実や体験を思い出す意図的な作業を伴う。
幼い頃の記憶は、潜在記憶として、断片的なイメージから成り立っている。ある一連の出来事として経験していたとしても、記憶されるのは詳細なものではない。顕在記憶、あるいはエピソード記憶が持てるようになるのは、左脳が発達し、論理や意味づけの能力がついてくる三歳以降である。ごく幼い頃は神経系や脳が未熟な状態であり、したがって、成長した後のようにはまだ記憶を形成することができない。つまり、生後間もない頃には、言語的、エピソード的なナラティブを形成することはできないが、それに伴う強い感情は記憶されている可能性があるということである。特に、こうした早期の記憶が、強い身体的反応を持つ可能性は十分あり得る。だからこそ、早期のトラウマを考える時は、身体的ナラディブが重要なのである。
このように、子どもは早期の発達段階において、大人とは異なる方法で体験を記憶する。そのため、そこから現れてくる子どもの感情表現を、大人は誤解してしまうことがある。子どもが表現する断片的、印象的、隠喩的な表現を聞いた大人は、子どもは真実を誤って伝えていると捉えてしまうのた。臨床家はセラピーにおいて、クライアントが自身の歴史を正確に報告していないと感じることがある。たとえばクライアントが、様々なイメージの断片が混ざり合った、潜在記憶について語っていたとする。その体験が起こった年齢から考えると、その表現は、きわめて正確なものであっても、聞く側からは、不正確だと判断されてしまう可能性があるのだ。潜在記憶は、明確で一貫性のあるナラティブを供給できず、その上、子どもが思い出す体験には、そこに関係する感情的な要素も含まれる。そのため、大人が同じ出来事を体験した場合と比べて、何が起きたかという「事実」が正確でなく、大けさに伝えているとみなされるかもしれない。
トラウマと記憶の関係については、広範な研究が行われており、過活性な状態では、脳は記憶の処理を異なる形で行うことが明らかにされている(van der Kolk, 1998)。成人でさえ、トラウマ的なストレスを受けると、現在の体験が、潜在記憶や他の関係ない出来事の断片と結びつき、これら全てが、あたかも一つのナラティブのであるかのように表現される可能性がある。しかし実際は、もっと様々な年代で起こった出来事が、混在しているのかもしれない。子どもであれば、通常、出来事や感情は、混在した状態で記憶される。そしてトラウマが、この傾向をさらに強化する。(中略)

非言語的記憶が形成される期間は、三歳まで続くので、それまでの顕在記憶はごく少ないのが通常であるが、早期トラウマを体験した者たちの場合、子とも時代の顕在記憶を一切持たないことも珍しくない。彼らは、恐れや孤独といったある種の感覚、または漠然とした感情を除いて、子ども時代の記憶が全くなく、まるで初めから大人としてこの惑星に来たかのように見えることもある。
発達性トラウマに働きかける臨床家たちは、次の基本的な姿勢を心に留めて、クライアントのナラティブを聴く必要があるだろう。つまり、「あなたのことを見ています。あなたのことを聴いています。そして、あなたのことを信じています」という姿勢である。クライアントの言語的なナラティブの内容がどんなものであれ、臨床家がそれを聴き、その物語を信じ、承認することが大切である。我々はナラティブを、個々の出来事を実際に再現しているものとは考えず、むしろクライアントの出来事に対する、体験と反応として考えるべきであろう。トラウマの神経生物学的モデルによれば、トラウマは出来事の中にあるのではなく、出来事への反応の中にある。したがって、ナラティブは、自身の歴史や体験に関する潜在的、および顕在的情報の両方を含むと考えるべきであろう。臨床家としては、潜在的なナラティブが、顕在的なものにどのような影響を与えているかに注意を払う必要がある。クライアントがうまく表現できない部分のほうが、首尾一貫したナラティブよりも、さらに重要かもしれない。
世代間のトラウマを扱う専門家であるレイラ・レビンソンは、「自身の物語を語ることは、癒しを助ける」と述べている(Levinson, 2011)。レビンソンは、ナラティブを一つにまとめ、分かち合う過程で、つらいエネルギーのいくらかが解放され、感情のエネルギーを外へと動かして、その体験を外在化できるとしている。個人的な苦難を語り、他者と共有することで、その物語は自分だけのものではなくなる。聞き手が、理解と共感を提供することで、孤独感から解放され、共同体のものとなるのだ。それは、癒しに必要な要素の一つである。
ナラティブを考える上で、ボウルビィによる「安全基地」の概念は、一つの助けとなる。子どもが探索行動をして新しいことを学んでいる時、養育者は子どもが戻って来られる場所、すなわち「安全基地」として機能する。この考え方をナラティブへの働きかけにあてはめれば、臨床家はまず安心の基盤であり、そして秘密を守る人として、トラウマ的な体験の物語をおさめるための「いれもの」の役割も担う。そうしてナラティブそのものの内容や、その「信憑性」にとらわれず、安全と保護を提供すれば、クライアントはセラピーを通して癒され、その物語は変わり、新しい意味を持つだろう。新しいナラティブの創造が起きているということは、クライアントが回復していることの明らかな兆候である。
言語的ナラティブは、クライアントにとって、癒しのサイクルの一部分に過ぎない。発達性トラウマの文脈の中では、ナラティブの概念はもっと広くとらえられるべきである。たとえば、生理学的な反応、つまり生理学的機能のナラティブが、自身の歴史を表現していることもあるかもしれない。言語的ナラティブの中に、神経系の苦しみを示すものが何も見つからなかったとしても、慢性的なストレスの兆候を探し、見つける必要がある。
前章で論じたように、クライアントの能力が「耐性の窓」の中で機能しているか、それとも防衛的適応を駆使しての「偽りの耐性の窓」の中にいるか、これをアセスメントすることによって、クライアントのナラティブには含まれていない、早期体験に関する多くの情報を得ることができるだろう。
同様に、養育者から安心を提供されない状況で、生き延びるためにやむを得ず自身の欲求を統制する防衛的適応が、愛着スタイルに表れてくるともいえる。逆に言えば、クライアントの愛着スタイルを見ることで、幼い頃に安全だったか否かが判るということである。
先にも述べたように、発達性トラウマの最も基本的な定義は、クライアントのナラティブの中に次のように表出される。「幼かった時、悪いことが起きた。そして、その場にいて面倒を見てくれたり、助けてくれる人がいなかった」というものだ。なぜ養育者は慰め、守り、あるいは愛することができなかったのか、もしくは、しようとしなかったのか? あるいは、養育者は助けようとしたのだが、うまくいかなかったのかもしれない。はたまた、養育者自身が、子どもにとっての恐怖や苦痛の源となっていたのかもしれない。早期トラウマには、実にたくさんのバリエーションがある。しかしこれらが本当に起きたことであっても、クライアントのナラティブでは、それらが正しく語られないことも多い。時にクライアントは、温かい愛ある両親と一緒だった幸福な子ども時代をナラティブとして描く。しかし、成長すると人と良い関係性を築くことができず、何をしても満足が得られない感覚があり、絶えず安全ではないと感じていたりする。このように幼い頃についてのナラティブと、今の状態にはギャップがある場合がある。
子どもは、実の親を非難するかわりに、他のところに投影してナラティブを形成することが多い。家族以外の何らかの力や健康状態、あるいは、実の親から離されたといった空想的な物語さえもある。大人になるにつれ、早期の逆境体験を、より直接的にナラティブにする能力が発達し、それに従ってナラティブは変化していく。
発達性トラウマは、非言語的発達段階において起こるので、本当のナラティブは、隠されたり、早期に起こった出来事と混ぜ合わされることも多い。そして、ナラティブが意識の底へと沈んでいく一方、それが人生の最後まで、主題として一貫して表出される。これは、意識してコントロールできない反応や行動へと我々を追い込む。
また、発達性トラウマのナラティブは、我々の生理学的機能、すなわち安全であったか否か、人とのつながり、または孤立した心身の感覚などと密接に絡まり合う。また深い「恥」の感覚と絡まることも多い。これは「自分そのものがどうしようもなく『恥』ずかしい存在である」という感覚であるが、それこそが、まさしく早期トラウマが存在していることを示唆する証である。(中略)

発達性トラウマのナラティブは、自身の歴史の三次元的地図である。しかし、これは新しい領域を探索する能力を制限してしまうことがある。では、次項で、その複雑な地図をどう読み取るか、さらに、クライアントが「安全」「つながり」「レジリエンス」といった要素を盛り込んだ新たなナラティブを作る方法を概説する。

身体的ナラティブ

発達性トラウマの重要な特徴の一つは、言語能力が十分発達する前に起こる、ということである。ごく早期のトラウマの場合、まだ非言語的段階にいるため、脳は記憶を十分形成できない。この段階では、心理療法で使われるようなナラティブを創造する能力は、著しく制限されている。人は後に、それらの早期体験にナラティブを上塗りし、そこに何らかの意味を後付けし、自分の感覚に合うようなものを作り出す。しかし、体験が起こった当時は、成熟した大人の脳が言語によってするようには、ナラティブを形成することができない。
言うまでもないが、我々の早期体験は、そもそも身体的なものである。身体は、アンテナのように、体験されている事象に関する気づきを集める。この段階の脳は、認知や、秩序立った思考に頼り、人生の体験を理解して意味づけができるほど発達していない。その代わり、内受容感覚を通して、自身と身体的に会話する。養育者とは喃語で会話をするかもしれないが、つながりや安全の体験の多くは、触れられ、なだめられるといった直接的な身体の体験を通して起こる。もう少し大きくなると、社会的つながりや、自身の社会的グループからのフィードバックが、もっと重要になるだろう。しかし、発達の最も初期段階では、我々は神経的・身体的なスポンジのようなもので、体験を全ていっぺんに吸収する。意識的に理性を通してそれらに意味づけをしないので、認識や気づきを経て、改めて自分を理解することを助けるようなナラティブは、まだ作れない状態にある。
つまり、発達性トラウマのナラティブは、そもそも身体的ナラティブなのである。我々の体験は、感覚器官、内受容感覚的気づき、そして快か不快か、など、あくまでも身体的な方法で起こる。もし意味づけするとすれば、かなり原始的で、ニュアンスを含まない「粗野な」ものになるだろう。どのような意味づけも、「空腹か?」「温かいか?」「つながっているか?」「愛されているか?」「不安か?」「安全か?」といった、生き延びるための根源的欲求でしかない。
身体的ナラティブは、直線的ではない。そして、言語的なナラティブのようには連続性を持って整理統合されていない。たとえ身体的ナラティブが一貫していても、いつも言語的に正確とは言い難い。身体的な体験は多様で、注意が引かれるような情報を、同時にいくつも体験したりする。身体的なナラティブは拡散しがちで、認識したり定義できるものというより、「~のような感じ」と表現されるような質を持つ。「フェルトセンス(felt sense 訳注:注意を向けてみるとそこにある、心理的な意味も含んだ、繊細な身体の感覚)」という言葉は、身体的ナラティブを表現するためによく使われる。安全か安全ではないかのフェルトセンスは、トラウマの主題となっている。フェルトセンスとは何かを、詳細かつ正確に定義するのは難しいが、実際に感じてみると、それが何なのか分かる。
さらに身体に根差したナラティブの難しさは、我々は「知っている」と感じていることにある。身体的なナラティブは、事実であり、ただ「知っている」何かだ、という感覚を持つことが多い。人間は生きて、呼吸し、自己に言及するシステムである。自身の内面を探り、どう感じているか気づくよう求められたら、たとえば気分が悪い日なら、不安で死にそうな感じがすると言うかもしれない。しかしどうやって、それが「不安で死にそうな感じ」であると判るのだろうか? ここでクライアントが、「不安を感じるから、死にそうな気がするのだ!」と気づいたとする。この時、臨床家としては「あなたは、内面に目を向け、不安な感覚を持つと、それを、『死にそうだ』と考えたのですね」と応じるだろう。こうやって臨床家は、クライアントが自身の状態を明確にするのを助けようとする。これに対して、クライアントは、「いや、『考えた』のではなく、実際そのように『感じて』いるんです」と答えるかもしれない。
発達性トラウマに働きかける時の難しさは、身体的ナラティブに深く働きかける必要があるという点である。トラウマ的な体験とは、どのように早期体験を切り抜け、生き延びたかということでもある。神経系には、その生き延びたプロセスが、より大きく完全な地図を描くかのように、トラウマの痕跡として刻まれている。それは同時に、生き延びた過程を自己、他者、環境と、どう統合させていったのかも示している。時を経て、この地図は、絶えず新しい体験を参照する基盤となる。我々は皆、自身の生きた体験に関するこうした「地図」、あるいはナラティブを持っている。発達性トラウマが起こった時、その「地図」、あるいはナラティブは、トラウマ的体験を基に再編成されるかもしれない。そうなると、トラウマ的体験が、人生の哲学となってしまうだろう。
身体的ナラティブはとても強力なので、本質的にはそれが人生のナラティブとなる。一方、病気のナラティブは、症状について何を感じているか、といった、短い説明的なものになるだろう。われわれは自身を理解するために、最近の出来事を織り込んで、ナラティブを更新し続けるだろう。
前章で、正確な内受容感覚がクライアントにとっていかに重要かを論じた。この理由の一つは、正確な内受容感覚なしには、クライアントが身体的ナラティブを更新することができないからだ。健全な調整機能へのアクセスが制限されているクライアントが、レジリエンスを築いていくためには、身体的ナラティブを変えていくことが重要な要素の一つとなる。したがって臨床家は、クライアントが自身の内受容感覚を洗練させ、強化し、言語的ナラティブ、身体的ナラティブを構築していくという多方面からの取り組みをサポートすることになる。

言語的ナラティブと身体的ナラデイブの関係を理解する

ナラティブは多層的で、人生経験を統合し、意味づけするたびに、何度も作り直される。早期トラウマの文脈の中では、言語的ナラティブと身体的ナラティブが、「トラウマ地図」を形成していく。この「地図」は、生理学的・行動的反応や、自身、他者、外的環境に関する信念体系に基づいた、複雑で、しばしば繊細な地図であり、早期トラウマ体験に深い影響を受けている。
ナラティブは、体験を整理する方法なので、ナラティブを形成することは、自身が何者であるかを理解する助けとなる。自身を参照し、あるいは地図化しながら、人生の体験の中から生きる術を見つけることを可能とする。その地図は、現在については正確な情報を提供する。なぜなら、ここまで生き延びるために形成してきた記述だからだ。内側から体験する時、人生についての自身の物語は正しいので、ナラティブはいつも、首尾一貫して「正しい」。他者から見たものと比べようが比べまいが、自身の主観的な体験としては、正確なのである。臨床家にとっては、ナラティブは、クライアントが何を体験しているかをより良く理解させてくれる。発達性トラウマに働きかける時に最も重要なことは、「私は見ていますよ」「私は聴いていますよ」「私は信じていますよ」、という姿勢を通じて、クライアントのナラティブを理解することである。
だからこそ、「地図の再編成(remapping)」は、時としてクライアントをより大きなレジリエンスに導く。古い地図が間違っているかどうかを問う必要はない。新しい地図のほうが、人生を探求する時に役に立つ、新しい選択肢を提供してくれるのだ。常に古い地図ばかりを見ていたら、古い領域の中で、同じ失望、傷つき、欲求不満を見つめ続けることになってしまう。

ロドニーは三人兄弟の末っ子だ。兄の一人は医師で、もう一人は科学者である。両親は、子どもたちがよい成績を取るように、常に多くの圧力をかけてきた。彼は学校で成績が良かったが、兄たちのように科学に興味を持たず、両親はそのことに失望した。両親の家にはロドニー兄弟の写真が数枚飾られているが、ロドニーの写真はない。彼が、今現在家族との間で体験していることに関するナラティブは、「自分は劣っていて、決して両親の期待に沿えない」である。彼は、絶えず不安とストレスを抱え、時にはパニック発作を起こす。しかし普段は、くすぶる不安とともに、何をしていようと「うまくやること」に焦点を当てて暮らしている。

ロドニーは、ソマティックな技法を用いるセラピストと、この問題に取り組んできた。しかし、自分のストレス症状以外の何にも気づくことができず、苦戦していた。たとえば、セラピストが、自分の呼吸に気づくよう促すと、セラピストが望むような方法で呼吸しているかどうかを心配し、その後、呼吸が縮こまってしまっているのに気づく。セラピストが、落ち着きを感じているかどうか気づくよう求めると、自分が感じているストレスの度合いが高いか、低いか、だけは気づくことができるが、落ち着くとはどういうことかわからない。セラピストが、何に気づいても良いのだと言ってくれても、彼は、「また失敗してしまった」、と感じるのである。

そこで、何か前向きなことが起きたらそれに気づき、その時、内側はどうなっているか気づく、という宿題を定期的に行ってみた。するとロドニーは、自身のストレスレベルの小さな違いに気づけるようになった。彼はまだ、リラックスして落ち着きを感じることができないが、「うまく」やっているかどうかの自己批判が少なくなり、自分の感覚に気づけるようになったと感じている。

発達性トラウマがあると、すべてのことを「トラウマ地図」を基本に解釈してしまう。したがってクライアントは、新しい感覚や体験があっても、それを古いトラウマの鋳型に照らし合わせて解釈してしまうのだ。安全、調整、レジリエンスの体験が乏しかったことから、彼の参照システムは、何を見てもトラウマに見えてしまい、その結果、ストレス反応を起こしてしまう。調整や、レジリエンスといった新しい感覚を努力しながら積み上げていったとしても、いざとなると、それらは間違っていると感じてしまうかもしれない。これは、今自分がインディアナポリスにいるのに、使い古した馴染みのあるロサンジェルスの地図を見ているようなもので、その古い馴染みの地図は、目の前の風景とは一致せず、困惑と失望が沸き起こってくる。
臨床家は、クライアントが新しい技能を発展させつつあることに気づくのを助けるために、十分に時間を費やす必要がある。たとえば、「困難な時も『耐性の窓』の中になんとか留まれている」「防衛的適応が減った」「自己調整能力が発達した」「自身の体験を語る内受容的語彙がより正確に発達した」、などは、すべて新しい技能である。
外的LOCは、防衛的適応の一つであるが、トラウマに基づくナラティブでは、この外的LOCが起こることが多い。内側の状態を変えられないのは、病気、水、毒素やアレルギーなどの外側の原因によると捉えられ、生理機能や日々の反応についてのナラティブは、クライアントのできないことの羅列になる。「レストランの音楽がうるさいので、落ち着けない」とか、「照明が明る過ぎるので、考えることができない」等である。
こうしたクライアントは、外部の環境が整うまで、自分は落ち着くことができないと感じていることが多い。地図を更新するためには、クライアントは、たとえ音楽がうるさく、光がまぶしくても、自分の反応を調整するための技能と戦略を発達させるための助けが必要なのである。「トラウマ地図を描き直す」のに必要なのは、クライアントが、外的環境によって左右されず、どんな時でも落ち着いた感覚へとたどり着ける、新しい参照システムを創造することである。
「病気のナラティブ」も、発達性トラウマのナラティブとして一般的である。それは、ほとんどの場合、身体的ナラティブと言語的ナラティブの組み合わせである。第6章にあるように、早期トラウマは、成長後の病気や健康問題を引き起こす可能性がある。この場合、病気は、クライアントが「助けがなく、無力で、安全に欠け、調整不全な状態であること」を隠喩的に示すナラティブとなっていることが多い。病気のナラティブには、それぞれの「物語の流れ」、つまり症状がどのように始まり、どのように経過し、回復したか、あるいはしなかったか、が含まれている。身体的ナラティブは、病気や症状に関わる感覚、健康に対する信念、病気のナラティブの中にある脈絡などを提供するかもしれない。病気のナラティブ、あるいは短い説明的なナラティブは、苦しみを説明しようと形作られたトラウマのナラティブの一部であることが多い。
現代の医療システムでは、クライアントの病気のナラティブは、医学的に正確ではないと懐疑的に受け取られることが多い。なぜならそれは、医学検査のように、信用できる情報とはみなされないからである。こうしたナラティブは、個々の症状や、今までの処置の正確な報告というより、病気についてのクライアントの「物語」とみなされることが多いだろう。医学的な診断や治療方策の決定においては、医学検査やエビデンスベースの臨床データが最重視される。
とはいえ、医療関係者が病気のナラティブに懐疑的であるのも、もっともなことである。先行研究でも、病気のナラティブが、多くの要因の影響を受けることが明らかにされている。たとえば、患者の症状や診断結果に家族がどう反応するか、病気に関する文化や思想、患者による症状の否認、治癒を強く望んだりすること、患者が注目を欲することや自身の症状を誤解している等、様々な状況が考えられる。だが、ナラティブを医学的に研究している専門家が指摘しているように、患者のナラティブを懐疑的に捉える姿勢は、患者の「物語」を軽んじ、不正確で価値が置けないもの、あるいは、嘘だと決めつけてしまう危険がある(Shapiro, 2011)。
このように、病気のナラティブを軽んじる傾向から、それが持つ潜在的な豊かさが失われてきた。早期トラウマを体験したクライアントにとって、自身のナラティブの正当性を拒絶されることは、トラウマの再演になり得る。臨床家が、患者の病気のナラティブを注意深く聴き、積極的な興味を向けることで、彼らは、承認されていると感じ、落ち着きを取り戻していくだろう。
ACE研究によって示されたように、身体的な病気は、早期トラウマの副作用の一つである。先の章でも論じたが、もし、背側迷走神経系が慢性的に過活性だったら、エネルギーの温存を軸とする生理学的機能で日々を過ごすことになるだろう。こうして、クライアントは繰り返し病院通いをし、低エネルギー、消化機能の弱き、低血圧を自身の病気のナラティブとするだろう。クライアントの症状が、医学的に適切に扱われることは大切だが、より深いレベルのナラデイブが探求される必要があることにも気づくべきである。
クライアントが自らのACEによる症状を見つめ、身体的ナラティブとしてそれを理解し、新たな地図を構築することは、価値ある探求となり得る。クライアントによっては、ACE得点が高ければ高いほど、健康への負の影響があると学ぶことは、自らの力を回復する助けになり得る。第6章で紹介したマーガレットに起きたように、症状が早期トラウマに関係している可能性を理解することは有益である。
病気のナラティブ自体が、クライアントの防衛的適応や「偽りの耐性の窓」の維持を直接的に支持している場合もある。特に、極端な外的LOCを持つ場合、クライアントは、不快な感覚を、自分の神経系の調整不全によるものと理解するよりも、病気のせいにするほうが安心なのかもしれない。いずれにせよ、医学的な症状があるときは、十分な注意を払うことが肝要である。
発達性トラウマに働きかける時、臨床家は、言語的ナラティブだけではなく、絡み合った複雑な形のナラティブに出会うだろう。

「トラウマ地図」:生理と行動

通常我々は、クライアントの生理学的機能や行動は、クライアントのナラティブの一部であるとは考えない。しかし発達性トラウマにおいては、トラウマの体験は、生き延びるための防衛的適応に関係する生理学的反応や行動として表出される。そして、自身の環境や世界についての最も基本的な信念の中に深く埋め込まれる。これらの要素は、クライアントが自身の「トラウマ地図」としてのナラティブを理解する中で、十分注意を払っていく必要があるだろう。臨床家は、クライアントの生理学的反応や行動は、「トラウマ地図」の表現なのだ、ということに気づくことが重要である。
発達性トラウマは、早期の生き残りへの脅威と密接に結びついている。そのため、生き延びるための反応は、より成熟した行動の下に隠されて見えなくなっているかもしれない。トラウマの生理は、自己防衛の行動を駆り立て、そこには切迫感がある。そのためクライアントは、変化の過程を理解したり、他のナラティブを探求することに、興味と創造性を持ちにくくなる。生き延びるために役に立った反応は、今や適応的ではなくなり、むしろ回復と変化を妨げる。しかし、生き延びたいという欲求はパワフルで、その生理学的反応にまつわるあらゆるナラティブは強化される。そして、そのナラティブは、「真実である」と強烈に感じられることだろう。
生き残りにまつわるものは、あらゆる形のナラティブの中で重要な役割を果たすだろう。そして、早期の、生き延びるための努力に関係するものは何であれ、ナラティブの中に埋め込まれるだろう。なぜなら、その体験が、非言語の時期に起き、潜在記憶に刻まれたからだ。したがって臨床家は、体験の認知的な記憶やはっきりした物語がない中で、あるトラウマ的な出来事の後遺症を説明する方法を深さねばならない。それらは、歴史的な感覚として浸透し、生き延びるための反応として、折に触れてナラティブの主題として浮上してくるだろう。
脅威反応の古典的なモデルは「闘争/逃走」、または「凍りつき」の三つである。近年ポージェスは、彼の提唱するポリヴェーガル理論において、脅威反応の幅広い解釈を提示し、「社会的関与」を追加した。ポージェスによると、哺乳類は、脅威反応を緩和するために社会的関わりを持つよう試みるが、それが成功しない場合、生理学的な防衛反応である、「闘争/逃走」か「凍りつき」に切り替えるという。最近のセンサリーモーター心理療法モデルでは、社会的関わりの選択肢をさらに細分化し、「服従行動」や「助けを求めるための愛着行動」等に分類している。社会的動物は、他者とのつながりを、防衛システムの一部として用いる。社会的動物である我々にとって、人とのつながりは脅威反応の選択肢の一つでもある。我々が生き延びるためには、人とのつながりが非常に重要であり、欠かすことができないことがわかるだろう。
前述したように、自律神経系とそれに関わる生理学的機能は、生き延びるために、可動化、不動化、あるいは社会的関わりを選択する。生理学的システムが健全な発達を遂げ、的確に働くなら、様々な状況に応じて、適切な自己防衛行動をとることができる。第4章で述べたように、神経基盤は、その時に求められている適切な防衛反応を支持するだろう。社会的関わりを持つには、腹側迷走神経系を活性化させる生理学的状態に入り、「闘争/逃走」反応を採るためには、交感神経系を活性化させる生理学的状態に入り、生き延びるために極度のストレス下に置かれた時は、背側迷走神経系を活性化させる生理学的状態を作り出し、極限の温存状態である「凍りつき」反応を引き出すだろう。
一方、生理学的機能が、トラウマ性のストレス下で発達したら、「トラウマ地図」に基礎をおいて、生き延びるための行動や考え方をするようになるだろう。必死に生き残ろうとした経験を通して蓄積した、未解決で不適応な反応パターンを繰り返すことになってしまう。たとえば、ストレスを受けた時、助けやサポートに手を伸ばすより、凍りつくかもしれない。崩れ落ち、無力感に陥ることが、唯一の選択肢だとしたら、すぐに凍りつき反応に入ってしまうだろう。こうした早期の体験を基に形成された神経基盤を覆すことは、とても難しい。より健全な愛着行動は、彼らの手の届くところにはなく、彼らは人とのつながりを持とうとしないだろう。
次の例は生理学的・行動的反応パターンが、いかに自身のナラティブに影響を与え、トラウマ地図をさらに強化するかを示している。

ジョネルは四七歳で、夫のボブと四人の子どもを育てている。彼女は虐待的家庭環境で育った。母親は、娘のジョネルより、ジョネルの継父との関係のほうに関心があった。母親は、ジョネルに対し食べ物や水を与える、おむつを替える、といった基本的欲求を満たすことこそはしたものの、言葉を交わしたり、遊んだりすることはまれだった。やがてジョネルは、自分は望まれず、愛されないという感覚を持つようになった。
高校生の時、ジョネルはボブと出会った。彼は、学校でも家でも、彼女がかんしゃく玉を破裂させると、支えてあげた。ボブは、ジョネルがこういった爆発を起こしても、数日休息し、「小休止」すれば、いつもの愛する彼女に戻ることを理解していた。
その後、ボブはジョネルに求婚し、二人の子どもをもうけた。ストレスと緊張が底に潜んでいても、みんな幸せだった。ジョネルは、「小休止」によって、家庭生活を続けられた。彼女はしばしば不安に圧倒されたが、「小休止」を持つことで、回復できた。
ある時、ジョネルとボブは、虐待を受けて育った二人の少女のことを聞いた。そして人を助ける良い機会だと思い、養子に迎える決心をした。しかし少女たちが一緒に住み始めた後すぐに、ジョネルの葛藤は高まり、自分の子どもたちとの関係が難しくなり、彼女は養子縁組をしたのほ重大な間違いだったと感じ始めた。
ある夜、食卓で、絶えず言い争う少女たちの声を聞いているうちに、ジョネルの交感神経系の覚醒は「耐性の窓」を超えた。彼女は、まるで全員が自分を攻撃しているように感じ、家族全員に対してかんしゃく玉を破裂させた。考える間もなく、叫び声をあげながら、サラダボウルからケールをつかみ、家族全員に投げた。そのあとすぐ、ジョネルは家族に向かって攻撃的に振る舞ったことを「恥じる」感覚でいっぱいになり、崩れ落ち、泣いて謝った。
ボブはその晩、ジョネルがベッドに行く時、身体を支えてやった。彼女は圧倒され、疲弊し、回復するのに数日かかった。
ジョネルは早期のトラウマ体験のせいで、「耐性の窓」の外に出た時、サバイバル反応を統制することができないままだった。彼女の行動をナラティブにしてみると、「ジョネルは自身の過覚醒を統制することができなかった」、ということになるだろう。ボブは、ジョネルの助けになってきたし、彼女が時々かんしゃくを起こしてしまうことや、そこかち回復するために「小休止」する必要があることを理解してくれた。しかし、この出来事を機会に、ジョネルは、ボブだけに頼るのではなく、長年にわたって繰り返してきたパターンを変えるために、専門家の助けを求めることにした。

第5章で論じた防衛的適応とは、過度の刺激、恐れ、圧倒される体験や生き延びるために駆り立てられた反応を、統制するために行われる不適切な反応である。「耐性の窓」を超えることが繰り返されると、「偽りの耐性の窓」の中で自身を安定させるため、防衛的適応が生まれるのである。人は、自分がこうした統制戦略を用いていることに気づかないことが多い。無意識のうちに、古い鋳型を基に防衛的適応が作動するのだ。自身の不適切な生理学的反応や行動を、時には反省することもあるかもしれないが、トラウマが影響しているということまでは理解しないだろう。(後略)

注:i) 引用中の「Charon, 2001」は次の論文です。 「The patient-physician relationship. Narrative medicine: a model for empathy, reflection, profession, and trust」 ii) 引用中の「Gold, 2007」は次の論文です。 「From narrative wreckage to islands of clarity: stories of recovery from psychosis」 iii) 引用中の「Hirsh and Peterson, 2009」は次の論文です。 「Personality and language use in self-narratives.」 iv) 引用中の「Levine, 2010」は次の本です。 「Levine, P. 2010. In an Unspoken Voice: How the Body Releases Trauma and Restores Goodness. Berkeley, CA: North Atlantic Books.[ピーター・A・ラヴィーン『トラウマと記憶:脳・身体に刻まれた過去からの回復』花丘ちぐさ訳、春秋社、2017]」 v) 引用中の「van der Kolk, 1998」は次の論文です。 「Trauma and memory」 vi) 引用中の「Levinson, 2011」は次のWEBページです。 「Can the Simple Act of Storytelling Help Them Heal?」 vii) 引用中の「顕在記憶」に類似する「陳述記憶」と引用中の「顕在記憶」に類似する「非陳述記憶」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」 viii) 引用中の「安全基地」に関連する「安心の基地」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」については共にここにおける引用の『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』項を参照して下さい。 x) 引用中の「ACE」に関連する「ACE研究」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xi) 引用中の「ポージェス」が提唱する引用中の「ポリヴェーガル理論」については引用中の「交感神経系」、「腹側迷走神経系」と「背側迷走神経系」を含めて他の拙エントリのここの「最初に」を含めて参照して下さい。 xii) 引用中の『脅威反応の古典的なモデルは「闘争/逃走」、または「凍りつき」の三つである』に関連する「闘争/逃走/凍結(凍りつき)反応」については例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「地図の再編成(remapping)」に関連するかもしれない「マッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiv) 引用中の「防衛的適応」に関連する(赤ちゃんにおける)「生体防衛反応」について、pdfファイル「子どもの虹情報研修センター 日本虐待・思春期問題情報研修センター 紀要 No.17 (2019)」中の久保田まり著の文書『講義「世代間連鎖と親子関係の支援」』(P14~P33)の「1.子ども側のSOS」項における記述の一部(P19)を次に引用します。

(前略)それから匂いです。嗅覚という、まだ視覚や聴覚ということにいく前の、匂いや肌感覚というのはものすごく直接的な感覚です。そういう意味で、この「原始感覚」というのは、身体的・生理的な快・不快とか、皮膚感覚、触覚とか嗅覚という直接的な感覚をイメージしてください。そこのところで非常に不快な感覚を覚えるわけです。痛みとか空腹とか、喉の渇きとか、すごく嫌な異臭、嫌な匂いとか。そうすると、生体防衛反応とカッコで書いてありますけれども、人として、赤ちゃんとしてでも、生き物として空腹を満たさないと生存できません。それから痛みを除去しないとやっぱりサバイバルできない。自分の生体、身体を守るために、危険な状況に置かないよう守るためにどうするかというと、負情動が表れて、お腹が空いたとか、痛みを除去してほしいというようなことで泣く。ネガティブな情動状態になって泣くのです。(後略)

注:i) 引用中の「生体防衛反応」については引用はしませんが、同文書の P19 の「スライド7 愛着システム不全の母子相互作用に関する仮説モデル(大河原)」を参照して下さい。 ii) 引用中の「非常に不快な感覚」と「生体防衛反応」の両者に関連するかもしれない「強烈世界症候群」については他の拙エントリここを参照して下さい。

また、標記臨床家が発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について、同の『第9章 新しい地図を創る:「調整!」「調整!」そして「調整!」』における記述の一部(P277~P301)を次に引用します。

本章では、臨床家が、発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に、「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について論じる。ACEスコアが高かったり、自律神経系が互恵的範囲内になく、相互活性したり、相互抑制しているクライアントにとって、「『調整』ベースのアプローチ」は、特に重要となる。
ACE研究では、一万七千人以上の参加のうち、三分の二の人が、少なくとも一つのACE体験があると報告されている。その中の八七%は、複数のACE体験を持っていた(ACES Too High 2017)。クライアントに根本的な調整不全があったり、少し刺激しただけでトラウマを再体験してしまう危険がある場合、「『調整』ベースのアプローチ」を導入する時は、十分なタイトレーション(滴定)を行い、初めは小さな変化を起こさせ、介入の度合いを少しずつ増加させていくことが望ましい。我々の目的は、クライアントが、初めに小さな足場を築くのを助けることである。そして、小さな努力を続けることで、クライアントは、回復を維持する能力と「調整」する力を増すことができるようになるだろう。
「調整」に焦点を当てるということは、脳幹を中心とした、最も早期に発達する原始的な脳の部分に働きかけることを意味する。つまりボトムアップである。調整能力を提供することは、神経系の発達を促進する基礎を築き、クライアントの初期発達に欠けていたプロセスを提供することになる。
「調整」に働きかける技法を習得した臨床家は、この精妙な関わり方は、まるで「何もしていないように」感じる、と言う。「調整」に働きかけるということは、発達性トラウマを体験したクライアントと共に行う、最も重要で基礎的な作業である。「何もしていないように」静かだが、実は非常に大きな変化を起こさせている。言葉を形成し始める前に、アルファベットを習う必要があるのと同じように、それは、後の取り組みの基盤であり、全てのものの核となる。
発達性トラウマがあると、安全の感覚を持ち、協働調整の状態に入ることができない。これは発達性トラウマの最も大きな問題である。これができないために、自己調整能力がうまく育たず、健全な「調整」の代わりに、防衛的適応策を用いざるを得なくなる。早期に発達が阻害されると、クライアントの協働調整力が全く育っていない場合がある。生後最初の数週間において、適切な養育に欠けた場合、養育者とつながったり、協働調整することは不可能になる。
第7章では、「偽りの耐性の窓」の中で機能していると、本物の「耐性の窓」を見つけ、拡げることが難しくなることを論じた。ここで言う「調整」とは、活性化した時に神経系を落ち着かせるための調整能力を指す。「偽りの耐性の窓」の中では、自らの反応の範囲を狭めることで覚醒を調整し、偽りの安定した感覚を作り出す。しかし、こうした「調整」は、偽りに過ぎず、柔軟性やレジリエンスがあり、能力を最大限に生かすことができる健全な「耐性の窓」の中で機能しているわけではない。「偽りの耐性の窓」を維持するための防衛的適応においては、より多くのエネルギーを必要とする。そのため、さらに柔軟性が損なわれ、脆弱性を包み込む能力が失われる。
こうしたことが起きている場合、クライアントの症状や、仮の調整感覚を維持するための防衛的適応に直接働きかける前に、よりバランスの取れた「調整」を導入することが、セラピーの最初の目標となる。「調整」は健全な「耐性の窓」を取り戻す鍵である。「調整」なくしては、たとえ臨床家が介入しても、その働きかけはクライアントのシステム全体の中で十分統合されないだろう。基礎的な「調整」ができていないと、クライアントは、高レベルの活性化のために、重度の調整不全に陥る。このような調整不全は、かつてクライアントの発達の多くの側面に影響を与えてきた。したがって、健全な「調整」を提供することに焦点を合わせることで、レジリエンスの基礎が築かれ、確立する。協働調整を試みる前に、クライアントは、少なくともある程度、ストレスを感じることなく自身を落ちつかせることができなくてはならない。
深刻な早期の発達性トラウマや愛着の破綻を経験した者にとって、安全は、馴染みのない概念である。安全であるとは、養育者が、親切で、自身の自己調整を維持しながらも、子どもの発達欲求に応じることができる能力を有しているかを、識別する能力も含んでいる。臨床家は、まず最初に、クライアントが自己調整能力をつけていくことをサポートする必要がある。そして、セッションが進んでいった後の段階で、クライアントとのつながりを提供し、協働調整を試みると良いだろう。協働調整は、安全という感覚を感じるための扉を開ける。
セラピールームに安全基地を作り出し、クライアントに安心の基盤を提供することは、クライアントがより大きなレジリエンスを獲得する道を切り開く。発達性トラウマに働きかける時は、「『調整』への取り組み」を、少なくとも数か月続ける必要があるし、数年かかることも珍しくない。そのようなクライアントに働きかける際の見通しは、「調整」「調整」「調整」……そしてさらに「調整」である。クライアントは、安全で解放された感覚で世界を体験することを可能にする、新しい地図を必要としている。その地図は、トラウマや繰り返される恐怖体験に基づくものではなく、「調整」とレジリエンスに基づくものであるべきだ。
クライアントは、より良い「調整」ができるようになるにつれ、何が必要であるかが明確になり、人生に何が足りないかが分かるようになる。クライアントの「調整」やつながりへの欲求に応えることは、早期の欠乏の記憶や、十分に欲求に応えてもらえなかった体験を解消するのを助ける。ある意味、臨床家は、クライアントを養育し直し、彼が早期の愛着の崩壊を修復するのを助けているのだ。セラピーの最初のアプローチとして調整作業を行うという考え方は、臨床家によっては、馴染みがないかもしれない。発達性トラウマのスペクトラムの中でも、重篤を状態にいるクライアントは、症状の複雑さゆえ、臨床家にとって難しい挑戦になり得る。そして、こういう状態のクライアントに対して、「調整」を身に着けてもらうという取り組みなど、役に立たないと思えるかもしれない。しかし、臨床家が発達性トラウマの全貌を把握すれば、「調整」こそが、クライアントへの最も大きな援助になることが分かるだろう。
本書の前半では、発達性トラウマの力学を説明し、従来とは異なるアプローチを紹介した。ここからは、「調整」という考え方を、クライアントとどのように理解するか、相互作業をどう意味づけ、そして、トラウマを変容への潜在的な要素としてどのように扱うかを示していく。
クライアントに「調整」とレジリエンスの能力を提供するための方法は、多岐にわたる。ここからは、臨床家に「『調整』ベースのアプローチ」によって可能となるいくつかの例を挙げる。

「調整」について:臨床家、臨床の環境、そして予測性

発達性トラウマを経験したクライアントに働きかけるにあたり、協働調整を提供することは、臨床家の重要な役割の一つである。早期では、生理機能の「調整」を養育者に頼るしかないが、クライアントは、この時期に協働調整を得られなかった。したがって彼らは、神経系の健全な発達に欠かすことができない、自己調整や協働調整の能力を醸成することもできなかった。
クライアントが、幼少期に得られなかったことを、臨床の場で体験してもらうことは有効である。先に記したように、絶えず「耐性の窓」の外側で機能しているクライアントは、活性化を鎮めるための、副次的をシステムを発達させているだろう。そのシステムによって「偽りの耐性の窓」が作られ、そこにいる限り、臨床家にもクライアント自身にも、クライアントの感情や感覚は、一見うまく調整されているように見える。しかし、実際は健全を「調整」は行われていない。HPA(視床下部-脳下垂体-副腎)軸は、ストレス反応を制御し、多くの生理学的プロセスの「調整」を助けている。クライアントが「偽りの耐性の窓」の中にいる時は、HPA軸が高度に活性化し、心拍と呼吸に影響を与え、他の生理学的反応にも影響を及ぼしているはずである。しかし、臨床家がそれを発見することは難しいだろう。このため臨床家は、クライアントの底に潜む、こうした特異的な生理学的状態を識別できるよう、観察技術を磨かなくてはならない。
子どもは、ある程度、自身を落ち着かせる能力を備えて生まれてくる。中枢神経システムが機能していると、騒音や明るい光から顔をそむけ、親指やその他の指をしゃぶったりする。そして、アラン・ショアは、「親が赤ちゃんとの会話に使う独特を話し方(子音と母音を引き延ばして歌う声)が、協働調整をもたらす」と述べている。ショアは、「『調整』が外側(他者への依存)から内側(自己調整能力)へ移行することが、早期の発達の鍵となる」と考えた(Schore, 2001)。
二〇〇七年に、アラン・フォーゲルとアンドレア・ガーピーは、協働調整を、「行動と意図を相互調整し続ける協調行為である」と定義した(Fogel and Garvey, 2007, 1)。この定義からも分かるように、協働調整は決して一人では成し得ない。これには、お互いのやり取りによって、他者がどのように反応し調整するかを判断し、自分もまたそれに応答していくという、反応と「調整」の能力が必要である。この「協働調整のダンス」こそが、親と子が、「今・ここ」で、お互いに素早いフィードバックを与え、それが次の相互作用を決定する、親と子の「調整」のフィールドとなる。
この協働調整のダンスは、人間関係において一生を通して継続する。だからこそ、このダンスを習う機会がなかった者にとって、どれほど人生が困難になるかは想像に難くない。この協働調整のダンスを通して、我々は高次の思考能力を発達させる。こうした協働調整のダンスをうまく踊ることができると、周囲の人や物事から刺激を受けた時、考えもなくすぐに行動するのではなく、自分の感情を統制し、間合いを取り、礼儀正しく共感的な反応をしながら、相手と良い関係を保つことができる。
また、サバラとハザンは、「すぐに、近くにいる他者という『リソース』を使うことができる能力は、感情調整の近道である」と述べている(Sbarra and Hazan 2008, 157)。この近道は、実は苦労して自分自身の調整を図るよりも、素早く働く。この調整行動は、思考脳を迂回し、より深いレベルの生理学的反応につながる。これは、より効率的な「調整」の近道なのだ。
発達性トラウマに働きかける時、臨床家自身の自己調整と協働調整の能力が、セラピーの成否を決めると言っても過言ではない。臨床家は、ここでは養育者に代わる役割をすることとなる。臨床家は、クライアントの「安全の基地」となり、ともに「調整」のための新しい神経回路を発達させる。
最初は臨床家が協働調整を提供しても、クライアントはそれをうまく「吸収する」ことができないかもしれない。そして、「偽りの耐性の窓」は、協働調整を助けるより、むしろ防衛反応を引き起こすだろう。「安全基地」の感覚を作り上げるには、時間と信頼関係が必要だ。クライアントが臨床家との協働調整のダンスに十分に反応するには、しばらく時間がかかるだろう。深刻な調整不全がある場合は、数か月、1年、あるいは数年を要するだろう。協働調整を提供し続けることは重要であり、繰り返しは協働調整をマスターするための最短距離となる。
健全な家庭環境では、子どもは、養育者との協働調整を何年にもわたって体験する。子どもが健全な「安全基地」の体験を持つと、自分がストレスを受けたり脅かされた時には、養育者からなだめてもらいたいという自然な欲求を持ち、親密な触れ合いを当然のものとして、協働調整を求めるようになる。大人にとっても、健全な関係性を持つということの中には、協働調整も含まれるだろう。
「調整」に焦点を当てるということは、一貫して協働調整を提供し続けることである。それによりクライアントは、他者が協働調整を提供していることに気づくことができるようになり、それに反応する能力が向上し始める。クライアントが無意識の内に、自身の呼吸のリズムを、臨床家の呼吸のリズムに合わせる、といった、何かごく単純なことが起き始めるかもしれない。このようにクライアントは、臨床家との関係性の中で、協働調整の「場」があることを感じ始める。また、クライアントのナラティブの中に、微妙な変化が起きてくることもある。
ここで臨床家は、自分自身の愛着スタイルにも注意を向ける必要がある。なぜなら、クライアントに協働調整や相互関係を提供する時に、自身の愛着スタイルが影響するからである。たとえば、タライアントが協働調整の誘いに、すぐに反応しないからといって、臨床家がすぐに協働調整の提供を止めてしまうと、クライアントは、早期の愛着のトラウマの再演を体験するかもしれない。これについては、第11章でさらに詳しく論じる。
発達性トラウマが、生理学的反応と行動の調整能力に影響を与えるだけでなく、それらに関係する行動を駆り立てる衝動の源になることを理解することが重要である。早期トラウマを持つ者たちは、守られているという安全な感覚を全く体験したことがないことがよくある。そのような場合、特に人との関係性の中で、何が安全なのかを理解するための参照システムを持っていないことが多い。たとえば、臨床家に対して、警戒し、懐疑的な態度を取るクライアントもいるだろう。隠された意図を探ろうとして、警戒した表情をしているかもしれない。早期トラウマを持つ者たちは、しばしば、行動、コミュニケーション、声の調子、顔の表情や仕草の不一致を、非常に敏感に受け取るシステムを発達させてきた。彼らは、失望させられたり、見捨てられたり、聴いてもらえないかもしれないという兆候があれば、瞬時に見つけるだろう。
そして、彼らは、安全であるか否かを判断するのに、自らの内受容感覚に基づいた安全感覚を使うより、外的要素を用いることが多い。臨床家は、クライアントが臨床家の意図や意味を判断するための、適切な語彙を発達させてこなかったことを理解する必要がある。臨床家は、常に一貫性を持ち、行動と意図を正確に合致させようと努めなければならない。我々は、クライアントに、予測可能性と透明性を提供するとともに、明確な境界線を引く必要がある。
クライアントにとって、調整不全が重篤であるほど、予測可能性の必要性は高まる。クライアントの調整不全が大きく、混乱していたり、制御不能な状態であるほど、安全感覚と落ち着くための予測可能な外的環境が要求される。クライアント自身は、他の人が自分に対して変な反応をすることが問題なのだ、と思っているかもしれない。そのため、なぜ自分にとってセラピーが必要なのかを十分に理解していないことも多い。あるいは、自分の子どもにセラピーを受けさせようと、専門家を探している場合もあるだろう。このようなクライアントは、予測が難しかったり、変化したりすることにマイナスの影響を受けやすい。したがって、安全感覚を発達させるためには、むしろ単純なルールを徹底することのほうが、効果が大きいこともある。時間通りにセッションを始め、終了する、セッションが終わる10分前にはクライアントにそれを伝える、頻繁に予約をキャンセルしない、休暇のために予約を延期する必要がある時は、クライアントに繰り返し伝える、といった、境界線と予測可能性を丁寧に守ることで、クライアントが落ち着き、信頼と安全感覚を見出すことができることもあるだろう。クライアントによっては、セラピールームの中の全てのものが、いつも同じ場所にあるといった、単純なことが助けになるかもしれない。
セッションが終結する頃には、ここまで用心深くする必要はなくなるだろうが、発達性トラウマに苦しむクライアントに、定期的にセッションを提供している臨床家の多くは、こういった管理を臨床の一部として徹底している。クライアントの行動を、コントロール、否認、あるいは治療抵抗だと解釈して、安易に切り捨てるのではなく、これらは、彼らの調整不全を示す状態として理解するべきであろう。「調整」や内的LOCの能力がまだ十分でない時は、外的環境において秩序を保つことが重要である。
早期トラウマを持つ者たちは、しばしば、軍隊、警察、聖職、医療といった、高度に組織立てられた環境で成功する。明確な階層、行動規範、寝食の時間管理によって、秩序正しい安全の感覚を持つことができ、落ち着くからだ。セラピーの設定の中に、そのような予測性をいくらか取り入れることで、クライアントを安心させることができれば、より深い働きかけを始めることもできるだろう。

「調整」の生理学的反応

発達性トラウマがあると、「調整」の欠如はあらゆるレベルに影響を与える。第4章の「ポリヴェーガル理論」に関する説明で示したように、人間には、いくつかの行動パターンを支えている重要な神経基盤がある。だからこそ、こうした重要な基盤が、十分発達しているか否かを確認する必要がある。なぜなら適切な生理学的機能、特に自律神経系の「調整」なくしては、その他のシステムを深く変化させるようにクライアントを援助することは難しいからだ。
例を挙げれば、もしクライアントが、腹側迷走神経系が活発に働いている時の生理学的状態に入ることができなかったら、そのような状態にいるクライアントに、健全な社会的関わりを提供することは難しい。これは、必ずしもクライアントが社会的なつながりを持ちたくないと思っているわけではない。誰かとつながろうとすると、それに反するような生理学的反応が起きてしまい、それに乗っ取られてしまうのである。また、もし、交感神経系が優位なら、心の中では、常に危険と脅威に関することを考えているだろう。クライアントは、自身の防衛的適応をうまく使って、「逃げろ!」と叫んでいる頭の中の声を、なんとか無視し、セラピーに留まることもできるかもしれない。しかし、脅威にさらされていると感じるような状態では、社会的なつながりを持つことは難しいだろう。
もしクライアントの自律神経系が互恵的範囲内になかったら、生理学的機能の再調整は、さらに難しくなるだろう。このような時は、クライアントの反応システムから負荷を取り除いてやらなければならない。さもないと、クライアントの「偽りの耐性の窓」が、いたずらに強化され、防衛的適応を増すことになってしまう。臨床家は、誤って「偽りの耐性の窓」を強化するのではなく、クライアントが、よりうまく「耐性の窓」の内に留まることができるように援助する必要があるだろう。
臨床家は、クライアントを「偽りの耐性の窓」に留め置く、防衛的適応の必要性を減らし、「調整」を助けるように努めていくことが重要なのである。

ウィルは一四歳で、世界中の人々に腹を立てているようだ。ウィルは、何をやったところで、人は自分を言葉や暴力で攻撃するだろう、と言う。ウィルのナラティブから分かるのは、ウィルが、身体的にも言語的にも、人生に希望を見出せないということだ。ウィルは両親と暮らしているが、二人とも仕事で不在がちであり、彼は家でー人で過ごすことが多い。学校では他の子たちとつながろうとしても喧嘩に終わり、仲間に入れてもらえなくなってしまった。両親は、自分たちほ忙しくてウィルに手助けをしてやれず、彼には助けが必要だと判断し、青少年専門のセラピストの予約を取った。両親とも、外すことができない約束が多く、ウィルのセラピーのために時間を割くことはできなかった。セラピーが始まってすぐ、セラピストには、ウィルのナラティブが防衛的適応として働いていることが分かった。彼は何度も、人生の罠にはまってしまった、と言った。ウィルのセラピストは彼を見、聴き、信じた。ウィルのセラピストは、ウィルが、生きるのがつらく、いつも怒っていて、幸せではないと語ったのを、しっかりと受け止めた。セラピーでは、ウィルが自分の反応をよりうまく「調整」するための方法を探った。そのうちに、ウィルは、反応する前に少なくとも「ちょっと立ち止まる」感覚が持てるようになった。こうして、一瞬立ち止まることができるようになり、ウィルは自身の状況を観察し、解決法を考えることもできるようになった。それでもまだ、とっさに激しく恕りをぶつけてしまうことは収まらなかった。

最初ウィルは、解決法など何もないように感じた。世界は悪であり、自分も悪であり、決して何も変わらないだろう、と考えていた。しかし、その後、小さな変化が起こり始めた。「立ち止まる」と、もっと違う生き方がしたいと思っていたことに気づくことができるようになった。また、感情が激してしまった時には、落ち着いている時の自分とは違うこともわかるようになった。ウィルは、実はひどく孤独だと感じていることにも気づいた。しかしその孤独を感じる代わりに、瞬時に怒りを爆発させていた。セラピストの助けを受けて、ウィルは、祖母のことを思い出した。祖母は、他の州に住んでいるが、いつもウィルのことを気にかけていた。彼は、祖母とインターネットのビデオチャットでお喋りするのが楽しみだった。そこでセラピストは、祖母の全面的な協力を得て、彼が家で一人になる時は、祖母が、彼を「耐性の窓」の中に留まれるよう助けるようにする、という計画を立てた。

ウィルが一時間以上一人の時はいつでも祖母をビデオチャットに呼び出し、二人でお喋りすることにした。彼が一人で食事しなくて良いように、祖母は食事中もビデオチャットで会話してくれた。この関わりによって、ウィルは「耐性の窓」の中に留まるようになってきた。こうして、孤独こそが自身の怒りの根源だったということを理解した。一人の時は、祖母とお喋りできるという体験を通して、実は自分の中には、常に誰かとつながりたいという強い衝動があったことに気づいた。つながることを切望していたが、怒りのせいで分からなかったのだ。

ウィルは新しいナラティブを創ることができた。「自分は、物理的には一人かもしれないが、ビデオチャットのお喋りを通して、おばあちゃんがいつも一緒にいてくれる」、というナラティブである。ウィルは、自分の感情を、とっさに抑える能力を高めていき、あまり短気を起こさなくなってきた。級友の一人とは、関係を修復することができた。そして、学校の外でも、社会的な時間を持ち始めている。ウィルの母は、その級友の両親に、実は、ウィルは長い時間家で一人で過ごしているのだということを打ち明けた。すると、その級友の両親は、少なくとも週一回は、ウィルを自分たちの家へ夕食に招くようにしてくれた。

クライアントは、「偽りの耐性の窓」のせいで、「調整」を見失っていた。このような場合は、こく単純な関わり方をすることが、クライアントにとって最も重要となる。

臨床家は、「闘争/逃走反応」を引き起こす交感神経系が活性化した時の反応について、クライアント自身がそれを理解し、意味づけを変えていくのを助ける必要がある。もちろん、クライアントは、不安を感じたり、自分の反応を制御できないと感じるような状態になることは望まない。しかし、そこから抜け出し、より良い「調整」に向かうために、こうした過覚醒の状態の嫌な感じを、少しだけ探求する必要があるだろう。もしクライアントが、恐怖の感覚が増していく体験から常に逃げていたら、「調整」能力を高めることは難しい。
クライアントが「危険」であるとレッテル貼りしたものは、実は本物の危険ではないことが多い。言い換えれば、クライアントが活性化し不安を感じることが、クライアントにとっての危険ということになっている。実際のところ、それらの反応は、クライアントが生き延びるためにどれだけ過酷に闘ってきたかを示している。クライアントが感じているのは、実は、生き延びるための闘いの中に封じ込められた、自身の活力だ。不幸なことに、その戦いはとても長く続いた。そのため、アロスタティック負荷が増し、ついに自身の活力を利用することができないような神経系の状態になってしまったのだ。
「調整」を提供することで、その活力をそっと、そして徐々に、安全に解き放つことができる。それによってクライアントは、再び活力を取り戻すことができる。これは、臨床家が行う「調整」の作業の中でも、高度な技術を要する。クライアントの、一度は封じ込められた生きるための活力を再び使えるようにするために、そして活力に満ちた生理学的状態に不安なく入れるよう、十分コントロールされた方法で、優しく働きかけるのた。この完了に向かう作業は、第11章でさらに詳しく論じる。

「調整」という文脈の中で、行動を考える

行動という側面から、「調整」について理解することもできる。生き延びようとする衝動は、人を突き動かす。「生き残りをかけたモード」に入ってしまうと、それは我々の理性を乗っ取り、考えるよりも先に行動を取らせてしまう。先に論じたように、「生き残りをかけたモード」の生理学的状態では、脳や感覚システムが劇的に変化する。生き延びようとする衝動が続いている限り、他の状況では現れない言動が起こり、それを抑制するのを難しくさせる。
問題行動は、保護者が子どもにセラピーを受けさせる一番の理由だ。親か教師か、または直接の家族ではない誰かが、子どもの問題行動を目撃した時も、彼らの注意を惹く。調整不全を持つ子どもや大人に与えられる一般的な診断としては、「注意欠陥/多動性障害」、「反抗挑戦性障害」、「スペクトラム障害(訳注:自閉スペクトラム障害をはじめ、スペクトラムのなかに含まれる様々な障害)」、「不安症」、「攻撃的行動」などであろう。これらの障害の多くには、効力の強い処方薬が出され、特に長期間使用した場合、深刻な副作用に悩まされることもある。
生き延びるための反応に乗っ取られているときの問題行動の一例は、攻撃性である。温厚で慎重な人でさえ、脅かされていると感じたら攻撃的になる。そして限界を超えると、一気に「生き残りをかけたモード」に入っていくだろう。実際、本当に生命が脅かされているのならば、もちろん、そうなる必要がある。しかし、職場で、同僚から耳の痛いアドバイスをされている時や、教室で、先生が「言うことを聞きなさい」と言っているような場面で、「生き残りをかけたモード」に入ることは、得策ではない。もしクライアントの生理学的状態が、慢性的に「生き残りをかけたモード」に入っていたら、少しでも安全ではないと感じるようなことが起きると、激しく反応しないようにすることは難しい。
このような場合、生理学的状態の「調整」に焦点を当てることは有効だ。クライアントが、脅かされたと思い、「生き残りをかけたモード」になるような生理学的状態が起き、激しく反応してしまうというサイクルを少し軽くすることができるからだ。生き延びるための生理学的状態によって突き動かされるのを、少し和らげることができると、クライアントは、より多くの行動の選択肢を持つことになる。これによって、投薬量を減らすことができるかもしれないし、断薬も夢ではない。
それ以上に、クライアントが今までの自分の行動を、自身の脅威反応であり、防衛的適応策だったのだと理解できると、その反応の中にある選択肢に気づくことができる。それに気づいて、行動を選択できるようになると、「耐性の窓」が広がり、いろいろなことができるようになるのだ。
また、早期に協働調整が適正に行われなかったことで、今その影響を受けている、ということを理解することも有益だろう。幼い頃は、「生き残りをかけたモード」を駆使して生き延びてきた。それは、生存には重要な役割を演じたが、その同じ行動が、今や不協和音や孤立を引き起こしているのだ、と理解することは、大いに助けになるだろう。
子どもは、協働調整の過程で相互交流を体験する。ここで恩恵を受けるのは、子どもだけではない。養育者もまた、子どもとのつながりや、関係性を育むことから幸福を感じる。こうして、協働調整を通して、養育者も子どもも、共に自分の「調整」能力を高めていく。この過程を通して、子どもは、主体性や自己効力感を高め、自己調整力を醸成していく。しかし一方で、子どもが、自身の行動に養育者が反応してくれると学ぶと、それを、親密な相互交流だけではなく、防衛的適応として使うこともある。なぜなら、子どもは、養育者の弱みを知り、その「ボタン」を押すことができるからだ。親密さが過剰で、それが脅威に感じられる時、その「ボタン」を押すと、親、あるいは、後にはパートナーが、自分から遠ざかり、離れてくれる。
また、子どもは、養育者が健全な協働調整をしてくれない時は、どんな反応でも得ようとする。これは子どもの潜在的な防衛的適応でもある。不適切な反応であっても、ないよりはまし、というわけで、子どもは、自分の存在意義を確かめるために、養育者から何らかの反応を求めるのだ。
したがって、「調整」を扱うときには、この「疑似的な協働調整」、あるいは、「代替的自己調整」について取り組む必要が出てくる。まずクライアントに、防衛的適応と「偽りの耐性の窓」の発達は、幼い時に、自分で自分を落ち着かせるために身に着けた、生き延びるための戦略の一つであった、と理解させることが大切だ。しかし、たとえ偽りであっても、何らかの安全感覚を体験できた「偽りの耐性の窓」から、いきなりクライアントを本物の「耐性の窓」へと移動させようと試みると、うまくいかないだろう。これは、小さな段階を踏み、少しずつ取り組んでいくべきものなのだ。
早期の生き延びるための戦略に取り組んでいる時、生き延びるための努力を完了する感覚へとクライアントが入っていこうとするのに、それがうまくいかないことがある。それは、クライアントが「耐性の窓」を通り過ぎて、さらにその向こうの「偽りの耐性の窓」へと移動してしまったからである。クライアントに、自身の防衛的適応が反応していることを理解してもらい、それが現れる兆候に気づくように助けることは役に立つ。

社会的交流という「調整」に向けて

早期トラウマがあると、人との関わりを楽しみ、穏やかに機能できなくなってしまう。それは、感覚システムが過覚醒か、あるいは低覚醒のいずれかの状態になってしまうからである。光、音、匂い、味覚などが強烈に感じられ、刺激過多で耐えられないと感じるかもしれない。一方で、スペクトラムの反対側では、自身の体験に無感覚になったり、周囲の環境から切り離されたような感覚になることも起こる。
自己調整と協働調整が阻害されると、子どもの場合、学習能力も影響を受ける。子どもは、観察をしながら社会的スキルを身に着ける。幼い時、私たちは養育者を観察し、彼らが社会的状況でどのように反応し、相互作用しているかを学ぶ。そこで良いお手本に出会えないと、社会的交流をする能力や、社会的スキルを発達させる機会は失われてしまう。
一般的に、孤立はトラウマの典型的な副作用である。発達性トラウマでは、環境や状況より、「人」が脅威の源となることが多い。生まれてからこの方、根源的に安全が欠けた状況にあり、安全な人とそうではない人を識別する能力も限られている場合、人が集まる社会的状況は、潜在的脅威に満ちている感じがするだろう。そして、その場合、人を避けることが、最も有効な解決法になる。
調整能力が増すにつれて、社会的つながりのための新しい可能性が模索できるようになる。しかし、社会的関係性を導いていく基本的なスキルは、まだあまり発達してはいないだろう。生理学的反応が調整され、人々が怖い感覚が少なくなり、人に興味を持てるようになると、クライアントが社会的につながる準備ができる。そのための基本的な調整能力を身につけられるよう、クライアントを援助する必要がある。臨床家は、クライアントが、安全を感じながら、社会的関わりを少しずつ始められるように支えていくことが肝要だ。

「調整」とレジリエンス

「調整作業」がうまくいくと、クライアントは「耐性の窓」の中で過ごす時間が増え始め、それによってさらなる「調整」とレジリエンスを獲得していく。だが、そのレジリエンスと「調整」はしばしば、穏やかな質を持っている。何か劇的なものを期待していたとすると、クライアントの中には、落胆する者もいるだろう。「穏やかさ」は、クライアントにとって未知の状態である。発達性トラウマを持つ者にとって、「未知」のものは、本質的に脅威なのである。さらに、発達性トラウマを生き抜いてきた者たちにとっては、「穏やかさ」は、内的にも、外的にも危険に感じることが多い。静かなのは、何か悪いことが起こる前兆かもしれないし、脅威がどこにあるのかという手掛かりが掴めず、不安に感じるだろう。また、「穏やかさ」には馴染みがなく、実は心地よくなかったのだということに、気づいてしまうかもしれない。よって、簡単には理解できないため、それがストレスになることもあるだろう。
クライアントは、安全、安心、「調整」が取れた状態になりたいと、憧れ続けてきた。にもかかわらず、こうした状能を初めて体験すると、明らかな、もしくは微妙なレベルで、これは間違っているとか、危険であると感じたりする。これは、今まで訪れたことのない領域の新しい地図である。それは、トラウマ地図ではなく、レジリエンスを軸にした、新しい領域の地図なのだ。
中世の時代の地図では、未知の領域には、「ここに竜がいる」という印が付けられた。クライアントも、馴染みがなかった「調整」状態を体験した時は、自身の地図に、同じように竜の印をつけるだろう。彼らは、高度に発達した「危険地図」を持っている。そして、安全と「調整」の体験は馴染みがないので、新しいものは何であれ、潜在的な危険と見なすことが多い。この場合、クライアントが徐々に馴染めるよう、より肯定的な状態を、少しずつ取り入れていく必要がある。
クライアントが、新しい内受容感覚の言語を発達させるよう助けることも重要である。この新しい言語は、「調整」が取れていて、危険のない状態の感覚である。クライアントは、危険に気を配ることが習慣になっている。したがって、安全、つながり、「調整」を示す、より静かな状態に気づき、それを習得するには、時間が掛かるだろう。レジリエンスをゆっくり積み重ねていくことが、自律神経系の予測性を向上させる。それにより、広い範囲の行動の選択ができるようになる。
「調整」とレジリエンスを発達させるには、神経系の覚醒を少しだけ体験し、また安全な状態へと戻ることを繰り返す必要がある。クライアントがトラウマのナラティブに入った時、または、「耐性の窓」から押し出されるような、何らかの刺激があった時、活性化が起こる。はじめは、クライアントは、安定した状態に戻るために、多くの支えが必要だろう。しかし回数を重ねる毎に、ほんのわずかな努力で、安定した状態に戻れるようになる。この繰り返し自体が、レジリエンスを築く。
レジリエンス研究によると、レジリエンスは、困難に効果的に対処することで高まるという。しかし、困難は、対応可能な範囲内であるべきだ。それは、「三匹のクマ」の話と少し似ている(訳注:イギリスの有名な童話で、程良い状態が一番であることを教えている)。多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。
働きかけを続けるにつれ、クライアントは自身の活力が戻ってきて、アロスタティック負荷が著しく軽減するのを体験するだろう。その証拠として、感染症や炎症を撃退する能力の増加、睡眠や生理周期の改善、活力の亢進などが起こる。安全であるという感覚が増し、人生に取り組み、社会的に関わり、より前向きになって自己主張できるような、エネルギーの高まりを感じるようになるだろう。より良く「調整」が取れた状態に入り、アロスタティック負荷が低減すると、最適を健康を保てるように、身体が効率よくエネルギーを分配できるようになる。少なくとも、高いACEスコアに関連するいくつかの影響が軽減され、修復もされるだろう。
臨床家は、身体的・生理学的レジリエンスの回復を目指し、身体的ナラティブや病気のナラティブの変化のための支えを提供する。あるいは、臨床家の職域にもよるが、友達の作り方や、会話の仕方、社会的な合図の読み方について、基礎的なスキルが必要な時は、クライアントの変化のために、生理学的、感情的、精神的にクライアントを支えていくよう尽力するだろう。臨床家として、自身の強みを知り、さらに必要なものは何かを理解できたら、クライアントにより良い「調整」を届けるべく、さらなる方策を導入できるだろう。

ナラティブ:新しい「調整」の地図

発達性トラウマがあるということは、絶え間ない逆境の中で生きてきたことを意味する。しかし、彼らは、逆境にあっても生き延びてきた強さを持っている。そこで、その力にアクセスし、より大きなレジリエンスの感覚へと向かうこともできるのた。
「調整」と、レジリエンスの構築に焦点を当てることによって、クライアントは、地図を刷新し、新しい領域についてのナラティブを創り始める。能力がさらに増していき、自身を取り巻く世界への探索が増えていくことで、自身に関するナラティブを、さらに変えていくことができるだろう。なぜ自分が生まれたのか。自分は何者であるか。なぜ、自分は自分を守ろうと振る舞うのか。こうした人生の課題に取り組むときに、ナラティブは始まる。能力が増すにつれて、ナラティブは変化し、問題があっても、それにうまく対処できたという感覚や、好奇心や、探索する喜びを味わう。時には、安全とつながりの感覚を得ることができるかもしれない。かつてのナラティブは、「私は、常に不安で、不幸だ」だった。しかし今は、「私は思っていたより強く、より良いバランスで課題に取り組み、成功することができる」になっているはずだ。
それと同時に、身体的なナラティブも変化し始めるだろう。文字通り、症状が軽快するはずだ。炎症、痛み、偏頭痛などが軽減するだろう。病気のナラティブも変わり、もっと肯定的な信念を含むようになるだろう。それは、物心ついたころから、ずっと付きまとってきた痛みや症状からの解放を含むかもしれない。
「調整」とレジリエンスに、より近づくことは、人生に深い影響を与えるだろう。そして、クライアントが肯定的な変化を体験するのは有意義なことである。しかし、トラウマを軸にした人生を離れて、「調整」とレジリエンスが増してきたとしても、トラウマにからめとられた人生を送って来た者には、それでもまだ夥しい量の、見当誠の喪失が残存する、ということを臨床家は覚えておきたい。この本の最後の章で論じるが、治療計画の中には、クライアントが活力にアクセスしていく力を、うまくコントロールすることも含まれる。これは、実は非常にデリケートな課題である。クライアントは、長年、思うようにならない人生を生きてきた。その状態のほうが、彼にとっては馴染みがある。そして、希望や夢に近づいていくことには、恐怖を覚える可能性がある。あるクライアントはこう言った。
「もし、自分を癒すことに焦点を当てて過ごさなくてよくなったら、自分は何をすればいいのだろう?」

注:i) 引用中の「ACES Too High」は次のWEBページです。 「ACES Too High! NEWS」 加えて、引用中の「ACE研究」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「Schore, 2001」は次の論文です。 「The effects of early relational trauma on right brain development, affect regulation, and infant mental health.」 iii) 引用中の「Fogel and Garvey, 2007」は次の論文です。 「Alive communication」 iv) 引用中の「Sbarra and Hazan 2008」は次の論文です。 「Coregulation, dysregulation, self-regulation: an integrative analysis and empirical agenda for understanding adult attachment, separation, loss, and recovery」 v) 引用中の「相互活性」と「相互抑制」については共にここにおける引用を参照して下さい。 vi) 引用中の「タイトレーション(滴定)」に対し、前者の「タイトレーション」については「ソマティック・エクスペリエンシング」の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、後者の「滴定」についてはここにおける引用の「背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける」項を参照して下さい。 vii) 引用中の「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」については共にここにおける引用の『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』項を参照して下さい。 viii) 引用中の「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「闘争/逃走反応」(又は闘争-逃走反応)については例えば他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 x) 引用中の「HPA(視床下部-脳下垂体-副腎)軸」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系(HPA axis)」項 xi) 引用中の「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照して下さい。 xii) 引用中の「アロスタティック負荷」の別名である「アロスタティックロード」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「地図」に関連する「マッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiv) 引用中の「内的LOC」(注:「LOC」は「ローカス・オブ・コントロール」の略です)に関連する「内的統制のLOCを持つ者」について、同第7章の「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P199)を次に引用(【 】内)します。 【内的統制のLOCを持つ者たちは、選択は自らが行い、報酬や業績、出来事への介入、つまりLOCモデルでの「強化因子」と言われるものには自分の責任が伴う、と強く信じている。このように考える者たちは、自身を、自分の「船の艦長」と見なす。彼らは、状況や体験に反応している自分の内面を見つめ、人生での成功や失敗の責任が、他人のその時々の状況にではなく、自分自身にあると考える。】(注:ちなみに、上記スペクトラムのもう一方の端にある「外的統制のLOCを持つ者」について、同「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P199~P200)を次に引用します。 《外的統制のLOCを持つ者たちは、運命を信じ、人生で起こることは自分の外側の状況に依るものだとしやすい。彼らは、成功や失敗を、運やチャンスや自身の人生に関わる他の人たちの力だ、と思っている。自身を強化するような責任に耐えることは、彼らには想像し難い。》) また上記引用中の「内的統制のLOC」と「外的統制のLOC」の両者に関連する「内的/外的LOCには、不安定/回避型愛着との相関性も見られる」ことについて、同「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P202)を次に引用(『 』内)します。 『さらに内的/外的LOCには、不安定/回避型愛着との相関性も見られる。不安定型の愛着スタイルを持つ人の場合、外的LOCが極端な方向に向かっている。一方、回避型の愛着スタイルを持つ人は、内的LOCが極端な方向に向かっている。不安定型の愛着スタイルを持つ人は、他者から居心地の良さと安心感を提供してもらうことを求めがちで、他者に自身の調整役を期待する。その調整役の人と直接的につながっている感覚がないと、このタイプの人たちは、自身の反応を制御することができないと感じるだろう。また、回避型の愛着スタイルを持つ人たちは、自身の中に居心地の良さを見つけがちで、他の誰かが自身の人生に入ってくることを望まないことが多い。』 xv) 引用元の本の基本的な姿勢としての引用中の「レジリエンス」の定義について同の「序文」における記述の一部(P6)を次に引用(【 】内)します。 【本書の基本的な姿勢として、私たちはレジリエンスを「逆境にもかからわず、積極的に心理的、感情的、社会的、精神的な成果を挙げることができる能力」と定義する。】 xvi) 引用中の『「生き残りをかけたモード」に入ってしまう』ことに関連するかもしれない(赤ちゃんにおける)「生体防衛反応」についてはここの xiv) 項を参照して下さい。

(X)特定の心理療法を前提にしない「ケースフォーミュレーション」を目指した何かの提示の試みと治療・対処・養生法の検討について、その他
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」(参照)方式でやっていては、なかなか(非薬理的な)治療・対処・養生法が見つからない(つまり鉄砲が当たらない)のであれば、トップダウンによる(すなわち、仮説を立てて[換言すれば標記「ケースフォーミュレーション」〔他の拙エントリのここを参照、なお「ケースフォーミュレーション」に関連するかもしれない化学物質不耐症における「個別化ケアプラン」については拙エントリのここを参照、ちなみに『「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要か』についてはここを参照〕を目指した何か〔ただし、本記事における省略の例は※1を参照〕を行って]、この結果に対する)治療・対処・養生法を検討する方が良いかもしれません。そこで二人の異なる架空の成人女性の方(注:あくまで本エントリ作者の創作です)を例([その1][その2]として区別しています)にして標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何かにより、(非薬理的な)治療・対処・養生法を検討することを以下に本エントリ作者が試みます。ちなみに、「ケースフォーミュレーション」前から特定の心理療法(ご参考:「心理療法の数は一説によると500以上ともいわれている」ことについてはWEBページ「日本発の心理療法①森田療法」を参照)のみを前提にするものではなく、(認知療法において「バルコニーから眺めてみる」[他の拙エントリのここを参照]があるように)、「ケースフォーミュレーション」後にどのような治療・対処・養生法を採用するかを決める方法(ちなみに、この方法に関連するツイートがあります)を目指した方が良いと本エントリ作者は考えます。

標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何か:[その1](上記架空の成人女性は)「低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした」(ここにおける引用の「偽りの耐性の窓」項を参照、※2)。ここから出た後も、幼少時は病弱で頻繁に医療の世話になっていた。この間に生き残りの防衛反応として「背側迷走神経を過剰使用することを学んだ」(他の拙エントリのここここを参照)。別言すれば、典型的ではないものの、「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考え※3」とは大きく矛盾しない「ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線された」(ここにおける引用の「背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける」項を参照)ことや「ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈する※4ことになる。そしてそれは大人になっても続く」(ここにおける引用を参照)ことを含めて発達性トラウマを負ってしまった。成人になると、自律神経系(ちなみに、 1) 「すべての症状は、自律神経が関与している」との主張は YouTube「内科医が話すストレスと自律神経の話」 #SNS医療のカタチONLINE​ vol.10』の 4:29~ やエントリ『「精神病扱いされた」の不快 - 真珠のまがい物』を参照、 2) 「自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる」ことについては※5を参照)の調節不全又は失調を伴う、「ちょっとしたことに極端に反応する」ことや「警戒心が強くなる」こと※4を含む「過覚醒」(参照、なお上記「過覚醒」に関連する「自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状」[他の拙エントリのここを参照]を含む全般不安症における症状については他の拙エントリのここを参照)と「低覚醒」(これに関連する「シャットダウン」、「擬死」、「麻痺」、「フリーズ」[又は「凍りつき」]、「虚脱」、「不動化」については他の拙エントリのここを参照、加えて「崩れ落ち」についてはここにおける引用の『「トラウマ地図」:生理と行動』項を、「解離」については他の拙エントリのここここをそれぞれ参照、一方「シャットダウンを引き起こす単一試行のトラウマ反応ですが、ある人は、その出来事が起きる前は正常でごく普通ですが、この出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました。」については他の拙エントリのここを、「日常生活では、人と切り離され、記憶障害があり、うつ状態で、孤立し、日常生活を営むために必要なエネルギーがないといった問題が出てきます。健康への影響としては、慢性疲労線維筋痛症、胃の問題、低血圧、二型糖尿病、そして体重増加などが考えられます。」については他の拙エントリのここをそれぞれ参照)を繰り返す(資料「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の視点から-」の「Figure3. ポリヴェーガル理論」[P115]を参照)ことをはじめとして、「外出できない」(ここを参照すると良いかも)、「食物や環境への過敏症」(他の拙エントリのここを参照、ここも参照すると良いかも)、「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」(他の拙エントリのここここを参照、また上記「匂いへの極端な敏感さ」の一端を説明するかもしれない「匂いは不快度次第でストレスになる」ことについてはWEBページ「匂いは不快度次第でストレスになる ヒトにおける悪臭とストレス応答の関係の一端を解明」を参照)、「月経困難症を含む生理学的な障害」(ここを参照)、「自己免疫疾患」や「炎症」(共に※6を参照)を含む多彩な症状(ちなみに解離性身体症状としてはここここを参照)を生じるようになった。加えて「変容した信念」、例えば「全世界がエイリアンだらけ」(資料『東日本大震災県外避難者が描く「復興曲線」から見えてくるもの ――トラウマの視点から』の「3-2 身体の芯から感じる安全・安心」項を参照)、もとい「全世界が猛毒の極めて微量の多種類の化学物質だらけ」、「化学物質過敏症では化学合成された人工的な極めて微量の化学物質によって症状が引き起こされるが、同一の化学構造かつ曝露濃度であっても天然の化学物質によって症状は引き起こされない」や『「世界への信頼感」から離断されてしまった状態」』(ここを参照)を有し、『トラウマ患者は他者に対する恐怖感※7があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.』症状(他の拙エントリのここここを参照、なお上記「両価性を窺わせる一見矛盾した態度」に関連する、 1) 「矛盾するパーツたちの戦闘」については他の拙エントリのここにおける引用を、 2) 「矛盾した感情の状態にある」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照)、そして「吹き込まれる観念」にも関連する「被暗示性が強い」(例えばここ及び資料『いわゆる「神経症」の診断と診断のための面接』の『3. いわゆる「神経症」の心理学的要素』項[P872]を参照、また上記「被暗示性が強い」ことに関連する「暗示に掛かりやすい人たちの特徴」としての「極度に情動の不安定な状態」であることについてはここを参照)こともある。一方、上記「食物や環境への過敏症」と重なる部分が大きいかもしれない極めて微量の多種類の化学物質に曝露により上記気絶を含む症状が引き起こされたことについての検討のために、上記多種類の化学物質のリストを作りそれぞれ調査したが、極めて微量の化学物質と症状との間の因果関係は不明のままであった(他の拙エントリのここを参照すると良いかも)。その上に、「ネット活動中の重大ではない出来事で、これに見合わない大きな症状が引き起こされた」。この症状は明確に上記「極めて微量の多種類の化学物質」によるものではないと考えられた。また、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」との考えで、マインドフルネス瞑想(他の拙エントリのここを参照)を含めて三桁にも及ぶ様々な非薬理的な治療・対処・養生法を試みたが、依然上記「外出できない」ままであり、症状の軽減もあまり認められなかった※8(ちなみに、この状況に関連するかもしれない「すでにさまざまなセラピストから、多様な方法論に基づくセッションを複数受けていました。彼女は、そのセッションのたびに、誰よりもがんばったと思うのですが、はかばかしい結果が出ず」、そして「彼女の苦しみを終わらせる治療には、出会うことができなかった」ことについては他の拙エントリのここを参照)。

ちなみに、上記[その1]はリンクが多すぎて読むのに困難が生じる場合のために、これらのリンクをほとんど取り除いて形式を一部変更した「ケースフォーミュレーション」を目指した何かを次に示します(【 】内)。 【(上記架空の女性は)「低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした」。ここから出た後も、幼少時は病弱で頻繁に医療の世話になっていた。この間に生き残りの防衛反応として「背側迷走神経を過剰使用することを学んだ」。別言すれば、典型的ではないものの、「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考え」とは大きく矛盾しない「ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線された」ことや「ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈することになる。そしてそれは大人になっても続く」ことを含めて発達性トラウマを負ってしまった。成人になると、自律神経系の調節不全又は失調を伴う「ちょっとしたことに極端に反応する」ことや「警戒心が強くなる」ことを含む「過覚醒」(なお上記「過覚醒」に関連する「自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状」を含む全般不安症における症状については他の拙エントリのここを参照)と「低覚醒」(これに関連するものに「シャットダウン」、「擬死」、「麻痺」、「フリーズ」[又は「凍りつき」]、「虚脱」、「不動化」、「崩れ落ち」、「解離」があり、一方「シャットダウンを引き起こす単一試行のトラウマ反応ですが、ある人は、その出来事が起きる前は正常でごく普通ですが、この出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました。」や「日常生活では、人と切り離され、記憶障害があり、うつ状態で、孤立し、日常生活を営むために必要なエネルギーがないといった問題が出てきます。健康への影響としては、慢性疲労線維筋痛症、胃の問題、低血圧、二型糖尿病、そして体重増加などが考えられます。」もあります)を繰り返すことをはじめとして、「外出できない」、「食物や環境への過敏症」、「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」、「月経困難症を含む生理学的な障害」、「自己免疫疾患」や「炎症」を含む多彩な症状を生じるようになった。加えて「変容した信念」、例えば「全世界がエイリアンだらけ」、もとい「全世界が猛毒の極めて微量の多種類の化学物質だらけ」、「化学物質過敏症では化学合成された人工的な極めて微量の化学物質によって症状が引き起こされるが、同一の化学構造かつ曝露濃度であっても天然の化学物質によって症状は引き起こされない」や『「世界への信頼感」から離断されてしまった状態」』を有し、そして『トラウマ患者は他者に対する恐怖感があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.』症状、そして「吹き込まれる観念」にも関連する「被暗示性が強い」こともある。一方、上記「食物や環境への過敏症」と重なる部分が大きいかもしれない(ここではリンクしませんが)「極めて微量の多種類の化学物質に曝露により上記気絶を含む症状が引き起こされたことについての検討のために、上記多種類の化学物質のリストを作りそれぞれ調査したが、極めて微量の化学物質と症状との間の因果関係は不明のままであった」との主旨の引用もある。その上に、「ネット活動中の重大ではない出来事で、これに見合わない大きな症状が引き起こされた」。この症状は明確に上記「極めて微量の多種類の化学物質」によるものではないと考えられた。また、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」との考えで、マインドフルネス瞑想を含めて三桁にも及ぶ様々な非薬理的な治療・対処・養生法を試みたが、依然上記「外出できない」ままであり、症状の軽減もあまり認められなかった。ちなみに、(ここではリンクしませんが)この状況に関連するかもしれない「すでにさまざまなセラピストから、多様な方法論に基づくセッションを複数受けていました。彼女は、そのセッションのたびに、誰よりもがんばったと思うのですが、はかばかしい結果が出ず」、そして「彼女の苦しみを終わらせる治療には、出会うことができなかった」との引用もある。】

なお、上記[その1]を行うためにの主要なポイント例は、自律神経系の反応を含めて上記ニューロセプションや内受容感覚は正確かどうかを(無意識レベルを含めて)「フェルトセンス」(内面的から浮き上がってくる身体感覚[他の拙エントリのここここを参照]又は注意を向けてみるとそこにある、心理的な意味も含んだ、繊細な身体の感覚[ここにおける引用の「身体的ナラティブ」項を参照])を感じることを含めて精緻なモニタリングにより確認することかもしれません。なぜならば、下記治療・対処・養生法の候補を完了するために長期間(例えば四年[他の拙エントリのここを参照])が必要かもしれなく、粗雑で短絡的な「ケースフォーミュレーション」を目指した何かによる的外れな治療・対処・養生法を採用した場合に、大きな時間的損失が生じると考えられるからです。ちなみに、複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患している当事者による研究発表としての『“警報の誤作動”(ポリヴェーガル理論的に言うとニューロセプションの危険との誤検知による「闘争反応」に相当するかも)を自覚し,抑え,止めるための方法』については他の拙エントリのここを参照して下さい。

さて、標記「ケースフォーミュレーション」を本人(又は「セラピストとクライアントとの共同作業として」※9、例えばWEBページ「ケースフォーミュレーションは共同作業-2018年第一回公認心理師試験(問18)」を参照)等が、(作業)仮説として採用するならば、これに対する治療・対処・養生法の候補としては(『ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する』[ここにおける引用の『ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する』項を参照]ことにも関連する)①「周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況と合致するようにニューロセプションをよりうまく機能させる」(ここを参照)、②「さらに正確な内受容感覚を築く」(ここにおける引用の「さらに正確な内受容感覚を築く」項を参照)ために有用かもしれないニューラルエクササイズ(資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項を参照)を含むかもしれない『「調整!」「調整!」そして「調整!」』(ここを参照)があります。そして上記「両価性を窺わせる一見矛盾した態度」に対しては心理教育を含めて「パーツアプローチ」(他の拙エントリのここを参照)が挙げられるかもしれません。これらとは別の視点からは「何かほかのトラウマ療法を使うときも、彼女の自律神経系の状態につねに気を配り、ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしています。そうすることで、彼女のポリヴェーガル的な神経系の基盤の上で最大限の成果を生み出すことができます。」(他の拙エントリのここにおける引用の「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」項を参照)が挙げられるかもしれません。ちなみに、上記「ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしている」ことに関連する、 a) 『多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。』ことについてはここにおける引用の『「調整」とレジリエンス』項を参照して下さい。 b) 加えて、「ある刺激を受けたときに、その刺激が耐性領域に入っていないと、その刺激になれていかないのです。逆に、その刺激が耐性領域に入っていると、慣れが生じて、逆に耐性領域が広がります。」については次の peing.net を参照して下さい。 「peing.net」(注:上記「耐性領域」に類似するかもしれない「耐性の窓」についてはここを参照して下さい。)

標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何か:[その2](上記架空の成人女性は)「これまで経験してきた困難の説明がつき、自己を受容しやすくなった等の理由でASD又はそのグレーゾーンと診断された方が良かったものの、言語能力、知的能力や自己認識力(共に他の拙エントリのここを参照)がとても高く、そして「ガールズトーク」(他の拙エントリのここを参照)等の苦手な部分を補う等の困難に立ち向かう力も並外れて高かったために、無意識的にを含めてASDの特性を巧みにカモフラージュ(他の拙エントリのここを参照)するふるまいや苦手な状況を回避する(他の拙エントリのここを参照)ことがとてもうまくできていた。このため標記診断はなされなかったのはもちろん鑑別対象にもならなかった。ただし、このことに対する犠牲(他の拙エントリのここを参照)は以下に記述するように大きかった。一方、「疲れを自覚する」(他の拙エントリのここここを参照)ことが困難な問題(他の拙エントリのここを参照)や(物心がついた時からの)感覚過敏の症状(他の拙エントリのここここを参照)もあり続けている。上記犠牲又は二次障害については「ある日突然、電池が切れたように倒れること」(他の拙エントリのここを参照)、「難治性の心身症」(他の拙エントリのここを参照)、そして「抑うつ、不安」(他の拙エントリのここを参照)や「アレルギー、不耐症、過敏症」(他の拙エントリのここを参照)を含めて他の拙エントリのここを広範囲かつ注意深く参照して下さい。一方、WEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の「4. Social and friendships/relationships」項には次に引用する記述があります。 『May currently have or have experienced Post-Traumatic Stress, often due to being misunderstood, misdiagnosed, mistreated, and/or mis-medicated.[拙訳]現在、心的外傷後ストレスを経験しているかもしれない。これは、誤解されたり、誤診されたり、マルトリートメントされたり、誤った治療を受けたりすることが原因であることがしばしばある。』(注:拙訳中の「マルトリートメント」については、資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい)

なお、上記ケースの対策についてのヒントになるかもしれない「最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであること」を認め、そして『どのように見えようとも活動を制限し、「普通」に見せかけることより健康を優先する』ことや『「全部やりたい」という自分の衝動のせいで制限できそうもないときは、周囲の人に代わってもらう必要がある』ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、英語が得意な方はWEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の読者やコメンテイターなることが良いかもしれません。また、既に「今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている」(他の拙エントリのここここを参照)かもしれません。

一方、「セラピィの開始の時点ですでに、クライアントのパーソナリティ構造の違いによって、受容や共感をベースにしたセラピィが通用するかどうかはほぼ決まっている」ことについて、諸富祥彦著の本、「カール・ロジャース カウンセリングの原点」(2021年発行)の 第6章 1995年のロジャースとジェンドリン の「1995年のロジャースとジェンドリン」項における記述の一部(P290)を次に引用します。

(前略)カートナーのこの修士論文、そしてそれをもとにした論文で明らかになったのは、「セラピィの期間と結果は、治療開始時におけるクライアントのパーソナリティ構造と関連している。最も顕著な差異は、こうした尺度上に見出される成功グループと失敗グループ間の差異であった」(Kirtner & Cartwright, 1958)というものである。つまり、セラピィの開始の時点ですでに、クライアントのパーソナリティ構造の違いによって、受容や共感をベースにしたセラピィが通用するかどうかはほぼ決まっている、というのである。セラピィの上手い、下手ではなく、クライアントがどんな人であるかによって、カウンセリングが成功するか失敗するかは最初からほぼ決まっている、というのである。身も蓋もない話と言えばそうであるが、ある程度経験を積んだカウンセラーであれば、誰しも思い当たる節のある話ではないだろうか。「あの人は、カウンセリングが効く人だよね」「あの人は、カウンセリングが効かないタイプだ」という話は、カウンセラー同士が、スタッフルームで時折話題にする会話である。またそれが偽らざる実感であろう。
どんなに天才的なセラピストであっても、どんなに専門家集団で尊敬されているセラピストであっても、「あの人だったら、どんな人でも治る」ということは、まずない。それは、その人をカリスマ扱いしたい集団内での、ただの幻想である。逆に、それほど上手くないカウンセラーであっても、安心感のある雰囲気を毎回提供しこころを込めて聴いていれば、おのずと治っていく人は、治る。そんなクライアントは一定数いる。ガチャガチャと邪魔することさえしなければ、底力のあるクライアントは治癒と成長の道を歩むことが多いものだ。カートナーの修士論文は、おそらく当時から多くの臨床家が感じていたこのような素朴な実感を仮説として検証したものと言っていいだろう。そこには否定しがたい真実が示されており、そうした研究をきっかけに学問も実践も発展していくものだ。(後略)

注:引用中の「Kirtner & Cartwright, 1958」は次の論文です。 「Success and failure in client-centered therapy as a function of client personality variables.」 なお、和訳は次の本を参照すれば良いかもしれません。 「伊藤博訳(1964)、クライエントの人格変数による成功と失敗 伊藤博編 カウセリング論集 第3巻 カウンセリングの過程 誠信書房 239-261」

加えて、『カウンセリングの中で、自分を深く見つめ、内面を探索していく傾向が見られた人は治っていった。逆にそうした傾向がなく、「運が悪かったんです」「ま、そういう時もありますよね」「あの人が問題なんです」と、「外」に原因や解決を求めた人は治らなかった、というのである。』ことについて、ここに続く記述を次に引用します。

(前略)田中(2018)は、カートナーのこの論文の「尺度Ⅳ」に着目する。尺度Ⅳは、「能力感:状況に十分に対処できるという感じから、状況に対処する内的資源の無力感と欠如まで」である(Kirtner & Cartwright, 1958)。セラピィで成功するグループは、「感じられた不安の原因や解決を自己の内部に求める」(同前)傾向があるのに対して、セラピィで失敗するグループは、「感じられた不安の原因や解決を外に求める」(同前)傾向があるという結果が示されていた。平たく言うと、こういうことである。カウンセリングの中で、自分を深く見つめ、内面を探索していく傾向が見られた人は治っていった。逆にそうした傾向がなく、「運が悪かったんです」「ま、そういう時もありますよね」「あの人が問題なんです」と、「外」に原因や解決を求めた人は治らなかった、というのである。よくわかる話である。(後略)

注:i) 引用中の「田中(2018)」は「尺度Ⅳ」を含めて、WEBページ「フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程理論をめぐって」からダウンロードされる博士論文「フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程理論をめぐって」の特に「3-2. カートナーの研究詳細」(P46~P47)項を参照して下さい。 ii) 引用中の「Kirtner & Cartwright, 1958」はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「解決を自己の内部に求める」ことに関連するかもしれない「何かほかのトラウマ療法を使うときも、彼女の自律神経系の状態につねに気を配り、ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしています。そうすることで、彼女のポリヴェーガル的な神経系の基盤の上で最大限の成果を生み出すことができます。」、『多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。』や「ある刺激を受けたときに、その刺激が耐性領域に入っていないと、その刺激になれていかないのです。逆に、その刺激が耐性領域に入っていると、慣れが生じて、逆に耐性領域が広がります。」については共にここを参照して下さい。

[余談]上記の治療・対処・養生法の候補(ここを参照)は年単位の期間が必要かもしれません(その例は「四年」です、他の拙エントリのここを参照)。そこで、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的かもしれませんが、上記「外出できない」こともあり、救急車で病院に運ばれたくない方を対象して(注:このため下記「対処法のたたき台」は以下に示すものを除き副作用を考慮していません)、ひょっとする即効があるかもしれない(一般的なコーピング[他の拙エントリのここを参照]というよりもグラウンディング[他の拙エントリのここを参照]を含むソマティック心理療法[例えばWEBページ「ソマティック心理学とは?」を参照]に関連するかもしれないものを主とした)「対処法のたたき台」(注:単なるたたき台なのでさらなる検討が必要不可欠であると考えます、)を次に提示することを本エントリ作者は試みます。

[A]恐怖、予期不安(他の拙エントリのここを参照)、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状(他の拙エントリのここを参照)を含む過覚醒(参照)等
①上記恐怖に対する対処法としての「思考場療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに一部類似するかもしれないエモーショナル・フリーダム・テクニックについては他の拙エントリのここを参照を参照して下さい。
②上記恐怖及び予期不安に対する対処法としての EMDR(例えば他の拙エントリのここ及びここを参照、予期不安に対しては資料「パニック障害に対するEMDRの効用と限界」を参照)における両側交互刺激としての眼球運動(WEBページ「EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)について」の「6. EMDRの具体例」項を参照、上記眼球運動における副作用のリスクを低減させる方法、一方 EMDR の対象が「うつ病、恐怖症、悪夢の再発」にも及ぶことや「EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる」こと等については共にここを参照、ちなみに手動瞑想[参照参照]を両側交互刺激としての眼球運動を伴うものにアレンジするのも良いかもしれません) 加えて、衝動コントロールの技術としての「天井の右端と左端の角を交互に見る(要するに眼球の左右交互運動をしてもらうわけである)」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、上記 EMDR における眼球運動を伴うかもしれない「フォルメン線描」については次の YouTube を参照して下さい。 「横8の字でトラウマ治療?すぐできるフォルメン線描
③上記②に似ているかもしれない両側交互刺激としてのバタフライハグ(他の拙エントリのここを参照、※A1)があります。加えて、 a) 「歩行瞑想(参照)も、足裏への両側交互刺激である」とのツイートがあります。 b) 「クロスクロール」※A1については例えば資料「保健だより 平成30年11月」の ブレインジム の「③クロスクロール」項を参照して下さい。なお、 1) 白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きずらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の P91 にも次に引用する記述(『 』内)と共に上記「クロスクロール」についての概略図が紹介されています。 『ひざを上げ、脚と反対側の手のひらでやさしくタッチ。これをくり返す』〔注:右ひざ⇒左ひざ⇒…の順で交互にくり返す〕 2) また、上記「クロスクロール」の動画については、YouTubeこころのCareエクササイズ」の 0:58~1:06 も参照]もあります。
④心拍数を減少させる「眼球心臓反射」に関連するブレインスポッティングにおける「視点を近くと遠くに3秒~10秒ごとに行き来する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
⑤呼吸法:「私たちが息を吸うと、交感神経系が刺激されて心搏数が増加するのに対し、息を吐くと副交感神経系が刺激され、心臓の鼓動は遅くなる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。また、「三-三-七呼吸法」について、「こころの科学 221号(2022年1月)」中の野間俊一著の文書「解離の治療とは何か――日常的な精神科臨床の現場から」(P68~P73)の「安全を感じる」における記述の一部(P71)を次に引用(『 』内)します。 『安全感を取り戻す対処法を本人に身につけてもらうことも重要だ。基本は呼吸法。勢いよく思いっきり吸って、しばらく止めて、ゆっくり吐く。四-七-八、四-四-八など、いろいろ提唱されているが、筆者は患者に、ゆっくり三吸って、三止めて、七で吐く「三-三-七呼吸法」を勧めている。「三三七拍子」で覚えやすいというそれだけの理由だが、パニック時に容易に思い出せることは重要である。それを四セット繰り返すと、少し不安が軽くなることがある。』 加えて、上記「呼吸法」に関連する「歌う」こと又は「ハミング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、『体の様々な部位に「わざと力を入れて、抜く」ことを繰り返し、力が抜ける感覚をつかむ方法』である「リラックス法」(漸進的筋弛緩法)については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 呼吸法とリラックス法」 さらに、「パニック発作では呼吸が浅く、速くなりますので、日頃から複式呼吸を身につけておくことも役に立つ」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、(疲労の視点から)上記「交感神経系」、「副交感神経系」に関連する「人間には上半身を温めると交感神経が優位になり、下半身を温めると副交感神経が優位となる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

[B]解離、不動化等
解離しそうという時、初期の段階だったらできる「グラウンディングテクニック」についてはWEBページ「自分を傷つけたくなったり、死にたくなったりしたらどう対処したらいいか」の『「解離症状」に対してできること 「グラウンディングテクニック」』項を参照して下さい。加えて、上記「グラウンディングテクニック」に類似する「グラウンディング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に※B1も参照して下さい。一方「背側迷走神経系優位の不動化からの移行に役に立つ小さな動き」について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第6章 調整のリソースのマップ の「調整について学ぶ」における記述の一部(P99~P100)を次に引用(【 】内)します。 【背側迷走神経系優位の不動化から移行するのに、小さな動きが役に立ちます。あるいは、動くことを想像するだけでも、運動皮質を刺激するので、それだけでも十分な場合があります。】

[C]その他(ツボ関連を含む)
①貝谷医師による軽いパニック発作に対するツボを押さえるリアルタイム対処法について、例えば貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第5章 自分でできるメンタルケア の 対処法を知っていると、パニック発作が起きてもあわてずにすみます の「4 神経が安らぐツボを押す」における記述の一部(P91)を二分割して次に引用(【 】内)します。 【発作が軽いときは、「すぐよくなる」と唱えながら、神門というツボ(下図参照)を押さえてみましょう。神経が休まり、気分が落ち着いてきます。】(注:引用中の「下図」の引用は省略しますが、引用中の「神門というツボ」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『うつ病周辺での「心」の病気アラカルト 不安障害』の「●パニック発作が起こった時」項)、【指圧のしかた ツボに親指の腹を当て、約3秒押します。これを5~10回くり返します。】 加えて坪井康次監修の本、「患者のための最新医学 パニック障害 正しい知識とケア 改訂版」(2021年発行)の 第4章 回復に近づくための日常生活のケア の 知っておきたいパニック発作の対処法 の ■パニック発作が起きたときの対処法 の「神経が安らぐツボを押す」における記述の一部(P115)を次に引用(《 》内)します。 《発作が軽ければ、「神門」というツボを押すのも効果があります。「すぐによくなる」と唱えながら、押さえてみましょう(下図参照)。神経が休まり、気分が落ち着いてきます。》(注:引用中の「下図」の引用は省略しますが、引用中の「神門というツボ」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『うつ病周辺での「心」の病気アラカルト 不安障害』の「●パニック発作が起こった時」項) その上に上記パニック障害において、発作がおさまっているときに押すと心を安定させる効果が期待できるツボについて、同「知っておきたいパニック発作の対処法」の そのほかの対処法(パニック発作) の「●不安を解消するツボ療法」における連続した記述の一部(P116)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『パニック発作が起こっているときに効果があるツボは「神門」ですが、ほかにもパニック障害に効くツボがあります。発作がおさまっているときに押すと、心を安定させる効果が期待できます。』、『特に効果が高いのは、手の甲にある「合谷」と「内関」です。』(注: a) 引用中の「合谷」と「内関」の位置については共に例えば次の資料を参照して下さい。 「うつに有効な鍼灸のツボとその作用機作に関する考察」の図2[P700] b) 引用中の「合谷」と「内関」は不安を解消するツボであることについて、貝谷久宣監修の本、「パニック症[パニック障害]の人の気持ちを考える本」(2015年発行)の 4 治すのではなくコントロールしていこう の 工夫 不安をかるくするためにしていること の「不安をとるツボを指圧する」における記述の一部[P91]を次に引用(【 】内)します。 【合谷、内関は、不安を解消するツボです。深呼吸をしながらゆっくり指圧します。】) 加えて、パニック障害に効くツボとしての『自律神経を安定させる手の「井穴」』の「押し方」について、渡部芳德監修の本、「パニック障害に負けない本」(2020年発行)の 第3章 自力でできるパニック障害克服法 の ⑥ツボ押しで体と心をニュートラルな状態に戻す の パニック障害に効くツボ の「自律神経を安定させる手の井穴」における記述の一部(P147)を形式を変更して次に引用(《 》内)します。 《〈探し方〉手のつめの生え際の両角 〈押し方〉反対の手の親指と人さし指でツボをつまみ、10~20回グリグリもみほぐす。親指から順番に刺激するが、薬指は交感神経を優位にするのでもまないこと。》(注:上記『手の「井穴」』の位置については次の資料を参照すれば良いかもしれません。ただし、上記資料の参照はあくまで位置[注:引用中の「〈探し方〉手のつめの生え際の両角」を優先]を示すためのみのものであり、資料中の「穴刺絡学」を肯定している訳でも、支持・推奨している訳でもありません。 「井穴刺絡と自律神経 ――井穴刺絡学の立場より――」)
②引用はしませんが、ボディ・コネクト・セラピー(参照)におけるツボのタッピングポイントに上記「合谷」が含まれることについては、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の藤本昌樹著の文書「ボディ・コネクト・セラピー ――トラウマ対処の新たな可能性」(P47~P53)の P50 を参照して下さい。なお、上記「合谷」の位置については例えば次の資料を参照して下さい。 「うつに有効な鍼灸のツボとその作用機作に関する考察」の図2(P700)
③「恐怖麻痺反射には、湧泉という足の裏のつぼ(親指の下と他四本の指の下の膨らみの間の谷間付近)を親指の腹で押すと、筋肉の緊張が緩み、リラックスする効果があるとされる」ことについて、岡田尊司著の本、「自閉スペクトラム症」(2020年発行)の 第七章 ASDと脳の統合 の「反射を統合するテクニック」における記述の一部(P162~P163)を四分割して以下に引用(それぞれ『 』内)します。なお以下の引用における、 a) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。 b) 引用中の「ASD」(自閉スペクトラム症)と「恐怖麻痺反射」に関連するかもしれない「自己危急反応」を含む「カタトニア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 『反射とは、神経回路に起きる自動的な反応のことです。』、『ASDでは、反射を抑制する仕組みが未発達なことも多く、病的な反射が現れやすいのです。』、『たとえば、驚いたときに固まってしまう原始的な反射は、恐怖麻痺反射と呼ばれます。ASDの人では、この反応が起きやすく、そのため突然の刺激に驚愕したり、予想外のことに出くわしたりすると、体が固まってしまいやすいのです。こうした反応が適応的な対処を妨げ、失敗体験から余計に不安や緊張が強まったり、自己有用感の低下を招いたりします。』、(病的な反射に特化したテクニックとしての)『恐怖麻痺反射には、湧泉という足の裏のつぼ(親指の下と他四本の指の下の膨らみの間の谷間付近)を親指の腹で押すと、筋肉の緊張が緩み、リラックスする効果があるとされます。』[注:引用中の「湧泉」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「その4:自分でできるツボ療法-湧泉(ゆうせん)」] 
④一方、TFT(思考場療法)の視点からの「心理的逆転」(他の拙エントリのここを参照)の代表的な介入方法としての「手のひら横のPRポイントのタッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、上記TFTに関連する「TFT Center of Japan」のWEBサイト(参照)内の「セルフケア入門」としての様々な動画については次のWEBページを参照して下さい。 「セルフケア入門
[番外1]ちなみに、上記腹側迷走神経系の機能を回復するための基本エクササイズについては、引用はありませんが、スタンレー・ローゼンバーグ著、S・W・ポージェス、B・シールド序文、花丘ちぐさ訳の本、「からだのためのポリヴェーガル理論 迷走神経から不安・うつ・トラウマ・自閉症を癒すセルフ・エクササイズ」(2021年発行)の 第Ⅱ部 社会交流を回復するエクササイズ の「基本エクササイズ」項を参照して下さい。
[番外2]加えて、 (a) 「人が自然に触れることは、健康に重要な影響を与える」ことについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅱ部 神経系をマッピングする の 第4章 パーソナル・プロフィール・マップ の『「パーソナル・プロフィール・マップ」を完成させる』項における記述の一部(P83)を次に引用(『 』内)します。 『人が自然に触れることは、健康に重要な影響を与えることが報告されています(Nisbet, Zelenski, & Murphy, 2011)。』(注:引用中の「Nisbet, Zelenski, & Murphy, 2011」は次の論文です。 「Happiness is in our nature: Exploring nature relatedness as a contributor to subjective well-being」) (b) 「自然の中にいると、コルチゾールの値が減少し、ストレスが低減し、精神的な健康に肯定的影響を与える」ことについて、同項における記述の一部(P83)を次に引用(【 】内)します。 【自然の中にいると、コルチゾールの値が減少し、ストレスが低減し、精神的な健康に肯定的影響を与えることが報告されています(Ewert, Klaunig, Wang, & Chang, 2016)。】(注:1) 引用中の「Ewert, Klaunig, Wang, & Chang, 2016」は次の資料です。 「Reducing Levels of Stress through Natural Environments: Take a Park, Not a Pill」 さらに次の論文もあります。 「Levels of Nature and Stress Response」 2) 引用中の「コルチゾール」については例えば次の資料を参照して下さい。 「慢性的なストレスはからだにどのような影響を与えるか」)

※1:トラウマを負った方における説明(ここを参照)と以下に示すパニック症を患う方の説明が、仮に「ニューロセプション=センサー」(ちなみに他の拙エントリのここにおける引用では(トラウマを負った方に対し)用語「煙探知機」が用いられています)であるならば、整合性が高いと考えますが、本記事では簡略化を目指す点より、パニック症(他の拙エントリのここを参照)に対しては「残遺症状」(他の拙エントリのここを参照)、「レスポンデント条件付け」(他の拙エントリのここを参照)、「破局的思考」(他の拙エントリのここを参照)、「カフェイン」や「二酸化炭素」の影響(他の拙エントリのここを参照)を含めて省略します。

[説明]稲田泰之監修の本、「パニック症と過呼吸 発作の恐怖・不安への対処法」(2020年発行)の 第2章 この症状は「死ぬような思い」をくり返す理由 の パニック発作のしくみ③ 脳の過剰反応で症状が出やすくなる の「安全な状況なのに危険を察知してしまう」における記述の一部(P35)を以下に引用します。なお、発達性トラウマの歴史を持った成人の方における「パニック障害がよく起こる」症状については他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、「敵対・混乱モード」に陥ることを伴うかもしれない、複雑性PTSDパニック障害との関連については他の拙エントリのここを参照して下さい。

パニック発作の起こりやすさは、脳の働き方に大きく左右されます。パニック症の人の脳は、さまざまなセンサーが鋭敏で、危険を察知する能力が非常に高いのです。センサーが鋭敏であることは「異常」ではありません。しかし、客観的にみれば危険のない、むしろ安全なところでも、わずかな変化を拾い上げアラームを発するため、不安や恐怖の高まり、自律神経系の反応が出やすくなるという困った面はあります。(後略)

加えて、本当は強迫症(又は強迫性障害、非定型やグレーゾーンを含む)であるのに、「化学物質過敏症」と誤診され、さらに強迫症の症状である「誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする」(他の拙エントリのここを参照)ことにより(化学物質過敏症の一つの治療法とされる)『「化学物質」の発生を最低限に押え込んだクリーンな施設に入る』場合の、高いリスクの例について次に示します。化学物質過敏症において『Environmental Control Unit(ECU, 環境施設)といって、「化学物質」の発生を最低限に押え込んだクリーンな施設に入るという治療法がある。そしてECUから「直接汚染社会に復帰することが難しい例」は、ECUに準じたコロニー(隔離された無味乾燥した施設)に入所する。コロニーに転地した三分の二は完治するが「残りの三分の一は、コロニーと自宅の間を行ったり来たりしています」。社会復帰ができないということである。』ことについては次のエントリを参照して下さい。 「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」の「●臨床環境医による化学物質過敏症の治療法の問題点」項 さらに同項には次に引用(【 】内)する記述もあります。 【残りの三分の一の患者さんが、本当に超微量の化学物質の曝露によって症状が誘発されていて、社会復帰ができないのが「汚染社会」のせいであれば、まだこうした治療も容認されうる余地がある。しかし、もし化学物質の曝露は関係なかったとしたら?複数の二重盲検法による負荷テストの結果は、症状の誘発と超微量の化学物質の曝露に関係がないことを示している。】(注:引用中の「複数の二重盲検法による負荷テストの結果」については例えば拙エントリのここ及びツイートを参照して下さい) ただし、上記と同様に本記事では簡略化を目指す点より、上記強迫症に対しては省略します。ちなみに、 (a) 「強迫性障害における不潔/汚染強迫等の背景に複雑性PTSDが存在する症例は少なくない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (b) 上記「汚染強迫」に関連するかもしれない「汚染恐怖」に関して、もう一つ大きく研究されている「精神性汚染」については次のWEBページを参照して下さい。 「汚染恐怖に関する研究」の「精神性汚染」項 (c) 上記「強迫性障害」に関連する、 1) 「微小な物質はどこにでもある」ことについてはWEBページ「5-5.微小な物質はどこにでもある - OCDサポート」を、 2) 「確率と無視できるほど小さい」ことについてはWEBページ「5-6.確率と無視できるほど小さい - OCDサポート」を それぞれ参照して下さい。 (d) 強迫症の考え方の癖又は信念としての「拡大された責任、思考の重要視、思考コントロールへの関心、脅威の拡大視、不確実性への非耐性、完全主義」についてはエントリ「強迫症の考え方の癖」やWEBページ「認知行動理論における強迫性障害の信念について」からダウンロード可能な資料「認知行動理論における強迫性障害の信念について」を それぞれ参照して下さい。また、上記「脅威の拡大視」に関連する「身体脅威増幅」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 加えて、上記「脅威の拡大視」や「不確定性への非耐性」に関連するかもしれない「たとえば施錠したつもりでいたのに,思い違いや鍵の不具合などのために鍵が閉まっていなかったことは稀ながら起こりうる.あらためて問われたならばその可能性を否定はしないであろうが,われわれは普段それを気にもとめず,施錠した際にとりあえず鍵は閉まったものとして次の行動に移る.このように,望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちに,暫定性は示されている.」との文脈における「暫定性に欠けている」ことについてはここを参照して下さい。一方、『強迫症は、「もしかしたら…」が膨らんでいく』ことについてのツイートがあります。その上に、(強迫神経症における)「死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬものが起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛しているようなあり方をしている」ことや「逆説的な悪循環」については共にここここを、上記「逆説的な悪循環」に関連する「道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい(どんな道も注意して見れば汚いものだらけです)、通れない道がますます増えるなど、自分で自分を追い込む傾向がしばしば認められる」ことについてはここを それぞれ参照して下さい。さらに、「強迫症の感情の多くは、恐怖と嫌悪」についてのツイートがあります。そしてこれと類似するかもしれない『強迫症に関連する感情は「恐怖、不安、嫌悪、不全感」である』ことについては次のエントリにおける動画を参照して下さい。 「強迫症/強迫症への認知行動療法の解説動画」における動画「強迫症強迫症を知ろう」(50:32~) また、 1) (上記強迫症の)「患者が求める〝完璧〟や〝絶対〟は現実に存在しないのです。家族に保証を求めようと、Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません。」(注:上記「Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません」に関連する「ググらない」ことについては YouTube強迫症を治す3つの鉄則[臨床]松永教授の認知行動療法に基づくノウハウ公開」の 12:43 ~を参照)や「私は常日頃思うのですが、この社会は滅茶苦茶に適当です。こんな適当な社会に完璧性を求めれば、あっという間にクラッシュします。」については共にここを参照して下さい。 2) 「精神疾患の中で、強迫性障害が嫌悪という情動と最も関係が深いと言える」ことや「汚染恐怖を伴う強迫症は、嫌悪の偏りと強いつながりをもつ精神疾患だといわれている」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい) 3) (強迫症における)「共感呪術(sympathetic magic)」や「トリガー→強迫観念→強迫行為(儀式)の連鎖が続けば続くほどトリガーの種類が増える」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 4) 上記「共感呪術」に関連するかもしれない『嫌悪の「うつりやすさ」という特徴』については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 5) OCD(強迫症強迫性障害)の患者において「他の不安障害と同様の病的不安の関与,認知と行動の相互作用,強固な恐怖条件付けや消去不全などが,典型的 OCD 患者は観察される」ことについては、上記嫌悪に関連する「強迫行為の多くは,観念やそれに伴う認知的プロセスにより増大した不安の緩和,あるいは中和化,苦痛の予防などを目的とし,不安増強とともに,次第にそれに要する時間や回数を増しつつ、また嫌悪や恐怖する対象,あるいは状況を避けるという回避行動を拡大しつつ重症化してしまう」ことを含めて次の資料を参照して下さい。 「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCD の病像」項 なお、上記「恐怖条件付け」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」 ちなみに、「恐怖条件付け」に関連する「古典的条件付け」については「梅干しを見ると唾液が出る」ことを含めてここを参照すると良いかもしれません。 6) 「煙感知機の誤作動」については他の拙エントリのここを、「ありえない不安や恐怖など余計なところに自己防御システムが働いてしまう」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。これら以外にも強迫症における「再保証を求める行動」、「信念」については例えば次の資料を参照して下さい。 「Salkovskisの強迫症モデル及び治療技法に関する研究の展望」のそれぞれ「2. 中和化」、「5. 信念」項

その上に、上記「食物や環境への過敏症」の一部である「食物への過敏症」を摂食障害(摂食症)の視点から見れば、「回避/制限性食物摂取症」※※や「オルトレキシア」(Orthorexia、WEBページ『不健康な食品を食べないことにこだわる精神障害「オルトレキシア」とは?』と類似しているかもしれません。ちなみに、当人にとってのアレルギー物質又はアレルゲンを含んでいると確定していないにもかかわらず、アナフィラキシーをはじめとしたアレルギー反応を必要以上に怖がり、予防原則として食物の摂取を避ける行為(エントリ『IgGを使った「遅延型フードアレルギー検査」にご注意を』を参照)やテレビアニメ「地球少女アルジュナ」のストーリーとしての、「農薬、合成保存料、家畜用の成長促進剤、遺伝子組み換え作物など材料の危険性が分かるようになってからメリケンバーガーのハンバーガーがどうしても食べられなくなった」(ウィキペディア地球少女アルジュナ」の「メリケンバーガー」項を参照、この現象は「脅威の拡大視」や「不確実性への非耐性」[共にここを参照]を生じなく、そして[望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちの]「暫定性」[ここを参照]を有すると出現しないのかもしれません)ことは、上記「回避/制限性食物摂取症」や「オルトレキシア」と区別がつかないかもしれません。

※※:上記回避/制限性食物摂取症についての論文の要旨「A new cognitive behavior therapy for adolescents with avoidant/restrictive food intake disorder in a day treatment setting: A clinical case series.[拙訳]日々の治療セッティングにおける回避/制限性食物摂取症を伴う青年に対する新しい認知行動療法:臨床症例シリーズ」の拙訳を以下に引用として紹介します。論文の全文はここを参照して下さい。加えて、上記回避/制限性食物摂取症については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 『子どもの摂食障害、「やせ願望」なくても発症する回避・制限性摂食障害の原因は 脳の萎縮や多臓器に影響する前に早期発見を』の「──摂食障害とはどのようなものなのでしょうか。」項

目的:回避/制限性食物摂取症(ARFID)は、DSM-5 の食行動障害および摂食障害群のセクションにおける新しい診断であり、非常に限定的な治療研究しか実施されていない。制止学習原理を統合した、新しい4週間の曝露ベースの認知行動療法(CBT)の日帰り治療は、ARFID の青年向けに開発され、本研究において試験された。

方法:10~18歳の11人の患者の臨床症例シリーズにおいて、非同時の複数のベースラインデザインが使用された。ベースラインの後、4週間の CBT を実施した。DSM-5 の ARFID 診断、食物新奇恐怖症、及び体重や身長等の関連する測定は、ベースライン(t1)、4週間の集中デイ治療の終了時(t2)、及び治療の3か月後(フォローアップ、t3)に実施された。食物選択性試験、1週間の食物日誌、及び食物摂取に関する行動測定も、ベースライン時および3か月後のフォローアップ時に実施された。さらに、機能不全の認知、不安、及び食物受容の信憑性の連続的な測定は、4週間の治療を通して実施された。

結果:フォローアップ時に、11人の患者のうち10人が寛解状態にあり、そして健康な体重と平均的な年齢に対する十分な栄養摂取があった。ほとんどの患者では、食品の恐怖症スコアは非臨床的範囲まで減少した。機能不全の認知と不安レベルに対する信念は、治療中に減少した。

議論:ARFID を伴う青年向けのこの新しい曝露ベースの CBT は有望であると思われる。これらの結果は、臨床診療に非常に有用であり、そして ARFID の分野における効果的な CBT 介入のさらなる発展を活気づけるかもしれない。

注:i) 拙訳中の「制止学習原理」に関連する「制止学習理論」については、例えば次の slideshare を参照して下さい。 「制止学習理論とエクスポージャー療法 2017/9/30」、「制止学習理論とエクスポージャー療法」 ii) 拙訳中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM‒5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」 iii) 拙訳中の「ベースライン」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline」 iv) ちなみに、標記「avoidant/restrictive food intake disorder」については、拙訳はありませんが標記論文以外にも次のWEBページもあります。 「Understanding and Treating Avoidant Restrictive Food Intake Disorder in Children and Adolescents

※2:発達性トラウマの原因は早期のネグレクトや虐待だけではないことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の「第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響」における記述の一部(P175~P176)を次に引用(『 』内)します。 『ACE研究は、早期のネグレクトや虐待といった発達性トラウマに焦点に当てるものである。よって質問は、安全の欠落を評価するもの、と解釈できる。しかし、それだけが発達性トラウマの原因ではない。子ども自身や養育者の長期にわたる入院、早期の外科手術、深刻な怪我などでも、同様の症状が見られることがある。こうした状況は、概ね健全な家族の中でも起こりうる。私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しないのである。どちらにも、生理的には目の前にクマがいるかのように反応する。』(注:引用中の「ACE」については※5も参照して下さい) 加えて、引用はしませんが同章の P163 には、トラウマ体験の例として「早期の外科手術、入院、その他の医療トラウマを体験した」ことがリストアップされています。

※3:『構成主義的情動理論は、上記「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考えを取り入れている」』ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第2章 情報は構築される」における記述の一部(P070)を以下に引用(【 】内)します。 【構成主義的情動理論は、これら三つの構成主義の流派をすべて取り入れている。すなわち社会構成主義からは文化と概念の重要性を、心理構成主義からは情動が脳や身体の内部の中核システムによって構築されるとする考えを、そして神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考えを取り入れている。】 ちなみに、『タイチャーらは、虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違いを調べた。すると、身体感覚の想起にかかわる「楔前部」(ここには感覚情報をもとにした自分の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが非常に密になっていた。同様に、痛み・不快・恐怖などの体験や、食べ物や薬物への衝動にも関係する「前島部」も密になっていた。つまり、こうした情報が伝わりやすい脳になっているということだろう。』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※4:上記「ちょっとしたことに極端に反応する」こと、「警戒心が強くなる」ことやニューロセプション(神経知覚)が「危険」(他の拙エントリのここを参照)と上記「誤って解釈する」(注:これに関連するかもしれない「トラウマを負った人にとっては、自分がいつ本当に安全なのかを見極めたり、危険に直面したときに防御反応をとったりできるようになるのは、非常に難しい」ことについては「危険な状態にあることを知らせる情動脳の警報ベルが鳴り続けると、どれほどの洞察をもってしてもそれを黙らせることはできない」ことを含めて他の拙エントリのここを参照)ことに関連するかもしれない、化学物質不耐症に関連する論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(他の拙エントリのここ及びここを参照)があります。

※5:上記「自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる」ことについて、乾敏郎、坂口豊著の本、「脳の大統一理論 自由エネルギー原理とは何か」(2020年発行)の 5 感情――内臓感覚の現れ の「身体運動と内臓運動」における記述の一部(P76)を次に引用(【 】内)します。 【このほか、自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる。たとえば、近年、起立性調節障害をもつ患者では内受容感覚の予測誤差が減弱されないことが実験的に明らかにされている。起立性調節障害では、起立直後に低血圧になり、立ちくらみや全身倦怠感を覚える。これらの患者では内受容感覚の予測誤差を最小化できないために適切な内臓(血管)運動制御ができないことと考えられるのである。】(注:a) 引用中の「内受容感覚の予測誤差」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 b) なお上記「自由エネルギー原理」については次の資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 ―環境との相即不離の主観理論―」) また、上記「アロスタシス」については他の拙エントリここの (xiii) 項を参照して下さい。

※6:ACE(小児期逆境体験、他の拙エントリのここを参照)と、 a) 上記自己免疫疾患との関連については、「令和元年度 子供の貧困実態調査に関する研究 報告書」の「a) 小児期逆境体験(ACE)」項(P28)における記述の一部を次に引用します。 【・ ACE に関する研究では、子供期の家庭内の逆境に関する複数のリスク因子(虐待:心理的・身体的・性的虐待、家庭の機能不全:同居家族の薬物使用・精神疾患・母親への暴力・犯罪・親の別居又は離婚)を得点化して単純加算すると、得点の上昇に応じて広範な成人期の心身の健康問題(心臓疾患、自己免疫疾患、がん、喫煙、肥満、薬物乱用、アルコール依存症うつ病、自殺企図、DV 等)が増加することが確認されている28,29。この関連性については、メタ分析を含め多くの研究で繰り返し確認され、頑強なものであるとされている。】(注:引用中の文献番号「28」、「29」はそれぞれ次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」、「The enduring effects of abuse and related adverse experiences in childhood. A convergence of evidence from neurobiology and epidemiology」) b) 加えて心的外傷後ストレス障害PTSD)などのストレス関連障害が自己免疫疾患と関係することについては次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス関連障害は自己免疫疾患の危険因子 【海外短報】」 c) 一方、成人の上記炎症との関連については、次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Adverse childhood experiences and adult inflammation: Single adversity, cumulative risk and latent class approaches[拙訳]小児期逆境体験と成人の炎症:単一の逆境、累積リスク及び潜在クラスアプローチ」

※7:なお、上記「恐怖感」に関連するかもしれない、 (i) コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの「身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) (強迫症に対しては本記事で省略されている[ここを参照]ものの、 a) 不安、恐怖、嫌悪等の上記強迫症強迫性障害)における感情については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、増大した不安、恐怖及び嫌悪は強迫性障害に関係するかもしれないことを示す記述「すなわち,強迫行為の多くは,観念やそれに伴う認知的プロセスにより増大した不安の緩和,あるいは中和化,苦痛の予防などを目的とし,不安増強とともに,次第にそれに要する時間や回数を増しつつ,また嫌悪や恐怖する対象,あるいは状況を避けるという回避行動を拡大しつつ重症化してしまう.」については資料「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCDの病像」項を参照して下さい。 b) 加えて、「強迫症の感情の多くは、恐怖と嫌悪」についてのツイートや『強迫症は、「もしかしたら…」が膨らんでいく』ことについてのツイートもあります。ただし、(自分の感情への気づきや、その感情の言語化の障害等とされる)失感情症(又はアレキシサイミア、参照、他の拙エントリのここを参照)の場合は、上記のように自分の感情への気づきや、その感情の言語化がうまくいかない可能性があると考えます。

※8:ちなみに、上記マインドフルネス瞑想がうまくいかない理由例としての「交感神経系の活性化に関連する防御システムの起用は、マインドフルネスとは両立しない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※9:上記「セラピストとクライアントとの共同作業として」に関連するかもしれない「患者と医療者の病歴共有」について、NHK「総合診療医ドクターG」制作班編の本、「医者は病気をどう推理するか」(2012年発行)の「解説」における記述の一部(P206~P207)を次に引用します。 『「総合診療医ドクターG」の制作の大きな意図は、実は視聴者にも医療に参画してほしいことにあります。初期診療に関わり、間口の広い総合診療医たちに参加してもらい、病歴という患者と家族にしかわからない情報が貴重な道具となって診断に至る道が示されています。現在はわりあい健康で、クイズ感覚でこの番組を楽しめる視聴者も、いつ患者・家族の仲間入りをしないとも限りません。いや、すでに仲間入りされている方々もおられることでしょう。今後いかに医学が発達したとしでも、正確な病歴を医療者が患者と共有することの重要性は、いささかも減少するものではありません。このような患者と医療者の病歴共有という考え方に立ちますと、診療の第一歩である病歴獲得の過程が、問診から病歴聴取に変わり、最近では医療面接と称されるようになった理由がよくわかります。問診では医者が問う、病歴聴取では医者が聴取する、と医者から患者へと一方向な流れです。患者は受け身のままです。医療面接という用語になって、やっと双方向の趣が出てきたように思えます。』(注:i) この引用部の著者は松村理司です。 ii) 引用中の「総合診療医ドクターG」については「診断に関わるもののうち検査はわずか10%しか寄与しておらず、病歴と身体診察で90%が決まることを理解してもらいたかった」ことを含めて次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「総合診療医 ドクターG」 加えて次のWEBページもあります。 「病名を突き止めろ、研修医が症例を推理~総合診療医 ドクターG」 ちなみに、上記「総合診療医」に関連する次の資料があります。 「総合診療専門医 -期待と課題-」)

*:上記「対処法のたたき台」としてリストアップしたものは全てエビデンスレベル(例えば他の拙エントリのここを参照)において「単数又は複数の専門家とされる方の意見」以上であると本エントリ作者は考えます。

※A1:最初に「EMDRを実施するための注意点の例については、例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。次に左右交互刺激の例である上記(EMDRにおける)「眼球運動」、「バタフライハグ」や「クロスクロール」に対しては、「想起したトラウマ記憶を標的にするのではなく、身体的不快感あるいは違和感を標的にして実施する方が安全かつ有効に処理ができる」かもしれないことについて、杉山登志郎医師考案の「簡易型トラウマ処理」(簡単には資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」の「2. トラウマ処理」項を、より詳細には杉山登志郎著の本、「発達性トラウマ障害と複雑性 PTSD の治療」[2019年発行]を それぞれ参照)を含めて、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の杉山登志郎著の文書『複雑性PTSDへの治療パッケージ』(P91~P104)の Ⅱ 簡易型トラウマ処理 の「3.簡易型トラウマ処理」項における記述の一部(P96~P97)を次に引用(【 】内)します。 【複雑性 PTSD のクライエントにトラウマ記憶の想起をさせると,限りなく溢れだしてしまい,収拾がつかなくなる。しかし,このトラウマ記憶は頻ぱんにフラッシュバックが生じているため,身体の不快感として,常在する。この身体的不快感,あるいは違和感を標的として,記憶の想起をさせないで処理を実施する方が安全かつ有効に処理が出来る。中核は左右交互刺激と呼吸法である。筆者はこの治療に,左右交互に振動を生じるパルサーと呼ばれる EMDR(眼球運動による脱感作と再処理治療)の治療器具を用いている。呼吸法は胸郭呼吸によって,地面から吸気を吸い,頭頂から吐き出すという強い呼吸であり,座禅・ヨガの腹式呼吸と異なることに注意が必要である。】
ちなみに、 a) 引用はありませんが、「筆者は2021年に,簡易型トラウマ処理研究会を立ち上げる予定である」ことについては同文書の「おわりに」(P103)を参照して下さい。 b) 「Hailed as the most important method to emerge in psychotherapy in decades, Eye Movement Desensitization and Reprocessing (EMDR) has successfully treated psychological problems and illnesses--from depression, phobias, and recurrent nightmares to post-traumatic stress disorders and grief--in more than one million sufferers worldwide, with a rapidity that almost defies belief.[拙訳]数十年の心理療法で出現する最も重要な方法として歓迎されている、眼球運動による脱感作と再処理法 (EMDR) は、うつ病、恐怖症、悪夢の再発から、心的外傷後ストレス障害及び悲嘆に至るまで、全世界で100万人を超える患者の心理的な問題及び病を、ほとんど信じ難い速さで治療することに成功している。」との記述は次の論文要旨を参照して下さい。 「EMDR:The breakthrough therapy for overcoming anxiety, stress, and trauma.[拙訳]EMDR:不安、ストレス、及びトラウマを克服するための画期的な治療法」 加えて、「EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる」ことについて、日本ブリーフサイコセラピー学会編の本、「ブリーフセラピー入門 柔軟で効果的なアップローチに向けて」(2020年発行)の 第2部 ブリーフサイコセラピーの各アプローチ の 第12章 EMDR の「Ⅱ EMDRの歴史」における記述の一部(P125)を次に引用(『 』内)します。 『EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる。物質関連障害,統合失調症双極性障害うつ病性障害,不安障害,複雑性PTSD,境界性パーソナリティ,非行少年などで群比較研究が行われ,有効性が示されている。詳しくは市井・大塚(2015)を参照願いたい。』(注:i) この引用部の著者は市井雅哉です。 ii) 引用中の「市井・大塚(2015)」は次の資料です。 「市井雅哉・大塚美菜子(2015)EMDRPTSD以外の精神疾患への適用の有効性.精神科治療学,30(1); 129-133.」 iii) 拙訳はありませんが、この引用に関連する論文(全文)は次を参照して下さい。 「EMDR beyond PTSD: A Systematic Literature Review」)

※B1:上記「グラウンディング」としての「トラウマ・センシティブ・ヨーガ」の「山のポーズ」(立位)については引用はしませんが、デイヴィッド・エマーソン、エリザベス・ホッパー著、伊藤久子訳の本、「トラウマをヨーガで克服する」(2011年発行)の P206~P213 を参照して下さい。なお、上記「山のポーズ」(立位)における「一番良いこと」について、同本の P111 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『一番良いのは、床の上の足に注意を向けることだ。意識に足を向けて、あなたが気づいたことがらを確認する。あなたの足が床の上に載っている感覚をしっかりととらえるために、あなたにできること、たとえばかかとやつま先を上げたり下げたりしてみる。あなたの足が床の上にあることを意識する方法として、足に視線を注ぐことが役に立つ場合もある。しばらくの間このような探索を続ける。』

(Y)「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要かについての一考察、その他
最初に標記「起立性調節障害」についてはWEBページ「(1)起立性調節障害(OD)」を、「フォーミュレーション」(formulation)については例えばWEBページ「診断に頼らない診かた(滝川一廣,青木省三)」の「本人はどう体験しているのか」項を それぞれ参照して下さい。次に『「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションの重要性』について、先ず次に示す本の著者の役割についての記述を引用した後に、上記重要性についての記述を引用します。すなわち、前者として井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第1章 《私の面接》 精神療法としての生活習慣指導 の「3 療養指導中心の方針」における記述の一部(P7~P8)を次に引用します。

(前略)私自身の役割は、自分から積極的に治しにかかることではない。患者にセルフ・ケアの方法を提案し、それを試みてみるように促すことである。そのため、初診時に「私は治しません」、「患者さんがご自分で治っていくお手伝いをさせていただくだけ」とお伝えしている。そして、愚者に主体的に治療に取り組むよう働きかけるとともに、私自身はアドバイザー役としての立場にとどまるよう心がけている。
治療の成否は、患者自身が自助努力を行うかにかかっている。したがって、患者自身の積極性を引き出すために、治療者に過大な期待を抱かせないように、常に注意している(2)。療養指導中心の治療の場合、ひとたび患者が治療者に依存してしまうと、生活を変える努力をしなくなる。「医者は自ら助くる者を助く」であり、自助努力をしない患者は冶りようがない。患者が医者に治療を託すような受動的な姿勢になれば、けっして治療は成功しない。そのため、「治すのはあくまでもあなた自身」と何度も言う。ときには、患者を驚かすようだが、「私は冶せません」、「私は治したことがありません」とすら言うこともある。治療者としての私は、「患者を安心させる」とか、「癒しを与える」といった意識をもっていない。安心に浸りきった患者、癒しばかりを求める患者は、しばしばきわめて治療抵抗性である。患者に一定の危機感をもたせ、自らの努力で生活を変えないかぎり事態は変わらないことに気付かせるようにしている。

注:(i) 引用中の文献番号「(2)」は次の資料です。 「うつ病臨床における「えせ契約」(Bogus contract)について」 (ii) 引用中の「患者さんがご自分で治っていくお手伝いをさせていただくだけ」に関連する「立ち上がるのは本人、歩き出すのも本人」との記述を有するツイートがあります。 (iii) 引用中の「危機感」に関連するかもしれない、 a) 「予期せぬ難題に直面した時」については次の資料を参照して下さい。 「京都三大学教養教育共同化事業 令和2年度報告書 時代が求める新たな教養教育」の『京都府立大学 の「副学長あいさつ」』項(P3) b) 「難民になっても」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「自らの努力で生活を変えないかぎり事態は変わらない」ことに関連するかもしれない「自らの能力を発揮し、教えられる知識・経験、体の鍛錬などによって外界の変化に向き合い、社会の荒波を生き抜いていかないといけない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「ワクチン接種後の心身反応 HPVワクチンをうった後、長引く不調を訴える患者さんの診療に携わって」の「私たちは親の影響を受けながら困難への対処法を学ぶ」項

加えて標記「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要かについて、同の「6 睡眠時間・睡眠相・節酒」における記述の一部(P12~P14)を次に引用します。

(前略)なお、本章の以下の記述は、私の診察の様子を具体的に表すことを目的としており、症例報告ではない。以下に記すのは実際の症例をもとに改変したモデル症例である。さらに詳しい方法については、他に譲ることとする(5),(6),(7)。

症例 A 12歳、女子、中学一年生
2学期にはいって、朝方きまって体調不良を訴える。頭痛と腹痛が主で、後者に関しては実際に便秘と下痢を周期性に繰り返していたが、市販の整腸剤にて改善傾向を示していた。しかし、その後、倦怠感、悪心、めまい、ふらつきなどを訴え、総合病院耳鼻科を受診。諸検査で異常なく、同じ病院の小児科にまわされ、「起立性調節障害」との診断で〈ミドドリン2mg2錠、分2〉が処方されるも、無効。近医精神科クリニックに転医し、〈セルトラリン25mg1錠、分1、夕食後〉投与にて改善せず。転医希望にて当科初診。

こころの健康を生活習慣の観点から診るとき、患者の年齢、性別、職業(学校)などの背景を少し知れば、そこにどのような問題があるかは予想できる。思春期の症例を見慣れている身には、上記の病歴を読めば、直ちにストーリーが推測できる。「夏休みに宵っ張りの朝寝坊の生活を繰り返した。その結果、睡眠相が後退したまま新学期を迎えた。深夜をすぎても起きているような生活を続け、入眠時刻は依然として後退したままだったが、起床時刻だけを早めようとした。そのため、睡眠不足となり午前中の体調不良が生じた。症状は当初は消化器系、その後、自律神経系の不定愁訴として変転。小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。小児科医は低血圧に対して昇圧剤を、精神科医抑うつに対して抗うつ剤をそれぞれ処方したが、両者とも睡眠相後退を是正する指導はしなかった」である。
そこで、24時間の過ごしぶりについて尋ねてみた。夏休みの睡眠相後退は予想通り。毎晩、2時、3時まで、スマートフォンを見ている状態で、連日、昼前に起床。二学期に入ってからは、一応、0時には就床して、7時に母親に起こされて起床していた。週末は、夏休み同様に2時、3時に眠っていた。中学生にとっての必要睡眠時間は、個人差はあるが一般に8時間程度であり、この少女の場合、平日は一時間ほど足りない計算になる。朝方きまって頭痛、ふらつき、倦怠感があるとのことなので、睡眠時間が足りないせいではないかと推測された。この点を本人と母親に指摘したが、母親は「私だって7時間程度ですよ。足りないのですか?」と怪訝な表情であった。睡眠時間については、個人差とともに年齢による差も考慮すべきで、成人にとって7時間睡眠は十分でも、12歳の身には不十分かもしれない。母親はこの点は納得できない様子で、「睡眠時間だけの問題ではないでしょう」と言いたげであった。
睡眠時間がその人にとって足りているか否かを検証する方法は、難しくない。平日と休日の起床時刻の時間差を見ればいい。平日は、目覚まし時計や母親の声掛けにより、自然な睡眠の後半の一部を中断させて覚醒していた。休日は自然に目が覚めるまで、身体が求めるまま眠りたいだけ眠る。その際、睡眠不足を補うべく代償性の過眼が生じ、平日よりも遅く覚醒しているはずである。本人に日曜の起床時刻を尋ねてみると、予想通り午前11時と遅かった。日曜日の朝にかぎっては、頭痛もふらつきも倦怠感も認められなかった。
原因はいたって単純である。平日の睡眠が足りていなかっただけである。もし平日の睡眠時間が十分であれば、休日の朝に代償性の過眠は生じるはずがない。多少生じたとしても、起床時刻が平日から4時間も遅延することはない。平日の睡眠が、身体の求める本来の長さに比して短すぎるから、休日にプラス4時間もの長い眠りを必要としたのであった。
そこで、初診時に、生活習慣修正の課題を課すこととした。第一に「睡眠日誌」をつけること。第二に、睡眠の目標を「午前7時起床、午後11時就床」とすることである。この患者の場合、初診日の前日は休日で午前10時まで眠っていた。それが、初診当日は受診のため、無理を押して午前7時に起床していた。この点を考慮すれば、初診日こそ睡眠相を前倒しする好機である。おそらく、初診日の朝は、「まだあと3時間眠っていたい」状態であるにもかかわらず、起きた。診察のさなかにも、明らかに眠そうな表情であった。そこで、第三の指示として「今日は日中眠くても眠らないように。眠くて耐えられなければ、昼食後に昼寝していいが、その場合も30分以内に留めること」と指示し、「その代わり夜は少々早くてもいい。夕食後すぐに眠ってもいい」と伝えた。そして、第2回目の外来を3日後の午前9時とし、「学校に行く準備をして来院するように」と述べた。午前9時としたのは、退院することをもって概日リズム調整のペースメーカーとするためである。(後略)

注:(i) 引用中の文献番号「(5)」は次の資料です。 『井原裕(2011)生活習慣病としてのうつ病野村総一郎編集:精神科臨床エキスパートシリーズ 多様化したうつをどう診るか――診立てと治療方針――(pp.67-96).医学書院.』 (ii) 引用中の文献番号「(6)」は次の資料です。 『井原裕(2011)治療以前に療養指導.こころの科学,160 2011年11月号 特別企画 心理療法以前:29-36.』 (iii) 引用中の文献番号「(7)」は次の資料です。 『井原裕(2012)薬のまえに療養指導.精神科治療学,27 (2):171-178.』 (iv) 引用中の「ミドドリン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『ミドドリン塩酸塩錠2mg「テバ」の基本情報』 (v) 引用中の「セルトラリン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『セルトラリン錠25mg「YD」の基本情報』 (vi) 引用中の「症状は当初は消化器系」に関連するかもしれない「便秘と下痢」は「腹痛」を含めて自律神経系の症状でもあるかもしれないことについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「自律神経失調症」 (vii) 引用中の『起立性調節障害』に関連する「言ってしまえばなんでも起立性調節障害と言えてしまいますが、病名より今ある病態にどう向き合っていくかが一番大事だと思います!」との一連のツイートがあります。 なお、上記(起立性調節障害の)「病態」の一種かもしれない「運動で症状改善」し、過度な安静によって生じる「デコンディショニング」については次のWEBページを参照して下さい。 『思春期に多い「起立性調節障害」 ~脳血流低下、家族・学校の理解カギ~』の「◇運動で症状改善」項 (viii) 引用中の「小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。」ことに関連する、 1) 「重要じゃ無いことを重要視したりする」ことについてはを、 2) 「何が目くらましの情報で、何が重要な情報かを嗅ぎ分けるのが、総合診療医の大事な役割の一つ」であることを含む『「目くらましの情報」を見極める』ことについてはここにおける引用の『「目くらましの情報」を見極める』項を それぞれ参照して下さい。 (ix) 引用中の(本当は「睡眠不足」なのに)『「起立性調節障害」との診断で〈ミドドリン2mg2錠、分2〉が処方されるも、無効。近医精神科クリニックに転医し、〈セルトラリン25mg1錠、分1、夕食後〉投与にて改善せず。』に関連する「正確な原因がわからなければ、適切な治療はできないのです。」や「原因を正確に突き止めなければ、治るものも治りません。」について共に、山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P11~P13)を次に引用します。

(前略)そもそも、胸が痛いからといって心臓が悪いとは限りませんし、おなかが痛いからといって胃や腸が悪いとも限りません。たとえば「胸が痛い」場合でも、狭心症心筋梗塞のこともあれば、肺塞栓や気胸のことも、胸膜炎や急性膵炎、胆石などのこともあります。診断が容易につかないこともあります。
正確な原因がわからなければ、適切な治療はできないのです。
私たち総合診療医の仕事は、まさにここにあります。患者さんの症状から原因を突き止め、適切な治療を行うこと。そして、複数の病気がある人に対しては、個々の病気を切り離して診るのではなく、病気の相互作用を考えながら全体を診ることです。
もちろん私は、専門医の仕事を否定しているのではありません。それどころか、専門医に協力を仰ぐこともあれば、専門医から協力を求められることもあります。専門医には専門医の仕事があり、私たちには私たちの仕事があり、両者は補完し合うものなのです。(中略)

本人や家族にしてみれば途方に暮れるような症状であっても、原因がわかれば治る病気はたくさんあります。「原因不明」と言われた症状でも、注意深くじっくり探っていけば、原因がわかることも多々あります。とは言え、原因を正確に突き止めなければ、治るものも治りません。だからこそ、私たち総合診療医は症状の背景、謎解きを重視するのです。(後略)

※:上記「小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。」ことに関連する「重要じゃ無いことを重要視したりする」こと、そして上記「両者とも睡眠相後退を是正する指導はしなかった」ことに関連する「重要なことを無視した」ことについてWEBページ「慢性痛の名探偵(ページ2)」における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【「症状や所見など、患者さんは様々なところで痛みにつながる証拠を残しています。それらを全部明らかにして行って、最も矛盾なく説明できるストーリーがあれば、それが真実、つまり正しい診断に結びつく。名探偵コナンに出てくる毛利小五郎みたいに、重要なことを無視したり、重要じゃ無いことを重要視したりすると、間違った犯人を捕まえてしまいます」】[注:(i) 引用中の「名探偵コナン」に関連する『「名探偵コナン」のような推理力、洞察力が求められる』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「整形外科に行っても慢性腰痛は治らない」痛みの専門医が断言する"これだけの理由"(ページ3)』の「痛みの原因は医者でもなかなか分からない」項 加えて上記「名探偵コナン」に関連するかもしれない「内科医はシャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する必要がある」ことについて、NHK「総合診療医ドクターG」制作班編の本、「医者は病気をどう推理するか」(2012年発行)の ケース9 腕や手がしびれる の「症状からの診断」における記述の一部(P131)を次に引用[《 》内]します。 《内科医はシャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する必要があります。そして広範な医学知識をもとに病名を推理していく力が求められます。》〔注:1) この引用部の著者は山中克郎です。 2) 引用中の「シャーロック・ホームズ」に関連するかもしれない(不定愁訴を治療することを決断するというのは)「捜査本部を置く」(ことと似ている)ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「シャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する」ことに関連する『わずかな手がかりを元に思考を巡らし、「病」という謎を解いていく』ことについて、山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P10)を次に引用(【 】内)します。 【私たち「総合診療医」は、探偵のようなものです。わずかな手がかりを元に思考を巡らし、「病」という謎を解いていきます。診察室で患者さんと向き合い、その話に注意深く耳を傾け、表情やそぶりから解決の糸口を引き出す姿は、まさに『オリエント急行殺人事件』のエルキュール・ポワロだと言ったら、言いすぎでしょうか。】 4) 引用中の『NHK「総合診療医ドクターG」』については次の動画を参照すると良いかもしれません。 WEBページ「総合診療医とは何か? ~医療の現場から~」の『「総合診療医」とは何か? ~医療の現場から~』項における30分のミニ講義としての動画〕 5) 上記「観察」や「推理」に関連するかもしれない「総合診療医には観察力、推理力、説明力という三つの力が必要」であることについては次のWEBページを参照して下さい。 『「病気」ではなく「病人」を診る。 ~総合診療医 安藤大樹先生~』の「総合診療医としての名医である条件」項 (ii) 引用中の「症状や所見など、患者さんは様々なところで痛みにつながる証拠を残しています。それらを全部明らかにして行って、最も矛盾なく説明できるストーリーがあれば、それが真実、つまり正しい診断に結びつく。」ことに関連するかもしれない「精神科医でも、文献を調べて科学的に物事を言おうとしている精神科医と、あまり文献を調べないで、自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る精神科医がいる。前者は科学、後者は信仰だと思うんですよ。」との記述は他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「重要なことを無視したり、重要じゃ無いことを重要視したりする」ことに関連するするかもしれない、 A] 「診断や診療におけるバイアスには注意しろ」については次のエントリを参照して下さい。 「本の感想:サイカイアトリー・コンプレックス」 B] 「害は過大、効果は過小に評価」することについては次の資料を参照して下さい。 「不確かな情報に翻弄される患者にどう対応するか」の「害は過大、効果は過小に評価」項 C] 「得た情報に的確に重み付けができるかどうか」については上記 3) 項の本の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医の説明と患者の実態が異なっていることも」における記述の一部(P188~P190)を次に引用します。]

(前略)研修医に戻りましょう。研修医は、医師免許を取得しているからといって、最初から上手な診療ができるわけではありません。研修医と一緒に病室に行き、患者さんを診ると、あらかじめ研修医から聞いて予想していた患者さんの状態と、実際の患者さんの状態が一致しないことがあります。患者さん自身の状態が変わったわけではなく、どの情報が重要かという判断、重み付けが、研修医と私とで異なっているのです。
たとえば、普段は熱が出ないのに、外泊許可が出て家に帰り、病院に戻って来ると熱が出る入院患者さんがいました。あなたなら、発熱の原因は何だと思いますか? 病院の外で風邪か何かをうつされたか、家でよくないものを食べたかしたのではないか、と思うのではないでしょうか。研修医も同じで、このような場合、研修医が診るとたいていは感染症の可能性を考えます。
ところが実際に診てみたら、この患者さんは熱があるのにケロッとしていて、質問にも元気に答えてくれます。これは、私が「感染症」と聞いて予想する状態とは異なっています。そこで私は、「今飲んでいる薬を全部教えてくれますか? 家でサプリメントとか飲みませんでしたか」と、聞きました。要するに、薬が原因で熱が出た「薬剤熱」ではないかと疑ったのです。
この場合、「一時帰宅して熱が出た」という情報に重み付けをすると、感染症が第一に挙がってきます。しかし、「熱があるのに元気」という情報に重み付けをすると、薬剤熱が挙がってきます。実際に、この患者さんは一時帰宅するたびに、入院前に飲んでいたサプリメントを飲んでいました。そして、そのサプリメントをやめてもらうと、一時帰宅しても熱が出なくなりました。
研修医は経験が少ないため、鑑別診断の際にはどうしても教科書的な病気を考えがちです。けれども、患者さんは生身の人間ですから、教科書通りにはいきません。入院治療中であっても、家に帰ったらサプリメントを飲んでしまったりするのです。サプリメントは薬ではないから問題ない、と思っているためです。そのような可能性に思い至るかどうかは、患者さんをよく診てよく話を聞き、得た情報に的確に重み付けができるかどうかにかかっています。
情報の重み付けが的確にできるようになるには、本人が経験を積み勉強することも大事ですが、私たち指導医がしっかり教えることも大事です。そのため私は、「ベッドサイド教育」を重視しています。
ベッドサイド教育とは、患者さんに許可をもらって、ベッドサイドで私自身が診療する様子を見せたり、研修医たちと一緒に診療したりすることです。患者さんにどう声をかけるか、患者さんの話の中からどうやってキーワードを見つけるか、攻める問診の実際はどうか、何に着目して診察するかなどを、実地で見せるのです。もちろん、私自身が診断に難渋することもあります。しかし、難渋する姿を見せることもまた教育だと、私は思っています。

注:引用中の(診断を裏付けるための)「攻める問診」については例えば次の資料を参照して下さい。 「救急総合診療のピットフォール」の「3.攻める問診」

(Z)「鑑別診断」の例について、その他
標記「鑑別診断」の一例について山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の 第1章 やってくる患者は全員「病名不明」 の「1 [症例1] 1か月前から突如暴言、当日は会話が支離滅裂に……。」における記述(P16~P33)を以下に引用します。ちなみに、標記「総合診療医」については例えば次のWEBページ、YouTube やエントリを参照すれば良いかもしれません。 「総合診療医とは何か? ~医療の現場から~」、「総合診療専門医に大きな期待 ~患者がジェネラリストを求める時代へ~」、「総合診療医って何ですか?【一般の方向け動画】」、「総合診療医って何ですか?【医療従事者向け動画】」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅰ」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅱ」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅲ」、「今、この時代に総合診療を目指す理由 失業しないために - コミュニティホスピタリスト@奈良」、「今、この時代に総合診療を目指す理由 失業しないために - コミュニティホスピタリスト@奈良」 一方、標記「総合診療医」に関連するかもしれない「総合内科医」や「病院総合医」又は「病院総合診療医」については次のWEBページやエントリを参照すれば良いかもしれません。 「総合内科のキャリアと魅力とは? 徳田安春先生らが講演―第1回キャリアデザインセミナー」、「総合内科の特徴」、「病院総合医と、スキマ内科 - コミュニティホスピタリスト@奈良

車中でいきみ出して脱糞、着くなり大暴れ
救急治療室で、私が患者さんの応急処置に当たっていたときのことです。入り口の辺りが騒がしくなったと思ったら、ドアの開く音がして、男性の怒鳴り声と、必死になだめる声が聞こえてきました。どうやら怒鳴り声の主を、家族が車から降ろそうとしているようです。救急治療室には、救急車で搬送されて来る人も多いのですが、自分の足で歩いて来る人も、家族の運転する車やタクシーに乗って来る人もかなりいます。
部屋の中はカーテンで仕切られているだけですから、若手医師と看護師の対応する様子が手に取るように伝わってきます。怒鳴られながらも、暴れる男性をなだめて着替えさせ、バイタルサインのチェックをしているようです。
バイタルサインには体温、血圧、心拍数、呼吸回数、血中酸素飽和度などが含まれます。血中酸素飽和度とは、酸素と結びついているヘモグロビンの割合で、肺に異常があるなどで体内にうまく酸素を取り込めないと、数値が下がります。
患者さんの処置が終わり、カーテンの外に出てみると、男性は椅子から立ち上がろうとして、抑えようとする家族ともみ合っています。若手医師に聞くと、バイタルサインのチェックや神経診察は一通り終わったと言います。このままでは体力を消耗してしまいますし、家族に話も開けませんから、抗不安薬精神安定剤)を用いることにしました。
姿勢を低くして男性の視界に入り、「注射を打ちますから、腕を出していただけませんか?」とお願いすると、怒りながらも言うことを聞いて、注射を打たせてくれました。男性をベッドに寝かせ、安定したのを確認して、家族に話を聞きますo
付き添って来たのは男性と同居している長男で、「今日の状況を教えていただけますか」と尋ねると、「ここへ来る車の中で、なぜか急にいきみ出して……、脱糞したんです。今まで一度もそんなことはなかったのに……」と、半ば呆然とした様子です。
それで、着替えさせていた訳がわかりました。家族にとってはショックだと思いますが、実は、このような事態はさほど珍しくありません。「それは大変でしたね」と慰めながらこれまでの経緯を聞くと、以下のようなことがわかりました。
男性は、現在72歳。2か月前に次男が大ケガをして入院し、その後体重が6キロ減少。1か月ほど前から不眠になり、その頃に暴言も出現しました。
3日前から急に暴言がひどくなり、繰り返し昔のことを語るようになったため、近くのクリニックを受診。グラマリール(抗精神病薬)と、トレドミン抗うつ薬)が処方され、飲んだものの、症状は改善されませんでした。
さらに今日、会話が支離滅裂になり、突然怒り出したり泣き出したりするようになったため、ここへ来たとのことです。

「目くらましの情報」を見極める
さて、あなたは、この男性の病気が何か見当がついたでしょうか?
2か月前に次男が大ケガで入院し、それから体重が減ったり不眠になったりしたことを考えれば、うつ病かもしれません。72歳という年齢や、昔のことを繰り返し話したりすることからは、認知症も疑われます。暴言を吐いたり人前で脱糞したりするのは、脳の前頭葉に何らかの障害があり、抑制が外れてしまった状態「脱抑制」だと考えられます。脱抑制は、「前頭側頭型」と呼ばれる認知症や脳の外傷、薬物の影響など、さまざまな原因によって起こります。
クリニックでグラマリールとトレドミンを処方されたのも、これらを勘案してのことでしょう。暴言、すなわち〝抑制が外れた激しい感情〟を抑えるために抗精神病薬であるグラマリールが、不眠などの〝うつ状態〟を改善するために抗うつ薬であるトレドミンが出されたと考えられるのです。
ところが、これらの薬を飲んでも症状は改善されなかったどころか、悪化してしまっています。どうしてでしょうか?
私たちが診断を下すとき、気をつけなければいけないのが「目くらましの情報」です。患者さんや家族に話を聞くと、いろいろな情報が出てきます。しかし、そのすべてが病気に関連しているわけではありません。一見して病気の原因になっていそうなことでも、まったく関係ないこともあります。何が目くらましの情報で、何が重要な情報かを嗅ぎ分けるのが、総合診療医の大事な役割の一つなのです。

そこで、なぜ症状が改善されなかったのか、原因を絞り込むために、息子さんにさらに詳しく話を聞いてみました。

「お父さんは、以前はどんな方だったんですか? 何か大きな病気やケガをしたことはありますか?」と、尋ねたのです。すると、「大きな病気やケガをしたことはないものの、糖尿病と高血圧があって、薬を飲んでいる」と言います。そして、次のような話をしてくれました。
「父は小学校の教師をしていました。退職後もずっと、放課後学習のボランティアをしていて、認知症の症状はまったくありませんでした。短気な性格で曲がったことが大嫌いですが、孫はかわいがっていて、怒鳴ったりすることはなかったんです。それが1か月ほど前から、これといった理由もないのにいきなり怒り出したり、孫を怒鳴ったりするようになってしまって。話すことも、今のことかと思ったら昔のことだったりして、脈絡がなくなってきました」
1か月前までは何ともなかったのに、急に人が変わったようになったのがわかります。最初の話からは、2か月前の次男の大ケガが引き金になって一連の症状が現れたように思えましたが、どうやらそうではなさそうです。また、体重減少や不眠はあるものの、うつ病とも違うようです。
ここまで聞いて、あなたには何か思い当たる病名があったでしょうか? この時点で、私の頭の中にはいくつかの病名が浮かんでいます。しかし、これだけではまだどれか一つに特定することはできません。若手医師が取っておいてくれた「身体所見」と「神経学的所見」に何か手がかりがあるかもしれませんから、見てみましょう。
身体所見とは、文字どおり〝身体を見たところのもの〟で、バイタルサインに診察の結果を合わせたものだと思っていただけばいいでしょう。診察には視診、触診、打診、聴診が含まれます。具体的には、目や口の中を診たり、身体に触れたりたたいたり、心音や呼吸音を聴いたりして、貧血がないかどうか、扁桃やリンパ節に腫れがないかどうか、心臓や肺をはじめとする臓器の状態はどうかなどを診ることをさします。
神経学的所見とは、脳や神経の状態をさします。「まえがき」に登場した「指鼻試験」「膝踵試験」のような神経診察をすることで、意識レベルや脳神経、運動機能、感覚機能、自律神経などに異常がないかどうかを診ます。具体的には、顔や身体に麻痺がないかどうか、動きに協調性があるかどうか、瞳孔や腱などの反射はどうか、言葉はちゃんとしゃべれるかどうか、などを診ます。
身体所見や神経学的所見に何らかの異常があれば、それが病名を特定する手がかりになります。ところがこの男性の場合、身体所見は血圧がやや高いものの異常なし、神経学的所見も異常ありませんでした。とは言え、性格の変化や脱抑制があることから、脳に何らかの異常があるのは確実です。ここから先は、検査をしてその結果から探っていく必要があります。
ただし、救急治療室には次々に急患がやってくるため、一人の患者さんを長時間診ることはできません。そこで、入院してもらっていくつか検査をし、病名を突き止めることにしました。

「亜急性の性格変化」+「易怒性」=?
病気を特定する際に、私たちは患者さんへの問診や診察、検査結果などから、可能性のある病気をピックアップし、合理的な理由に基づいて絞り込んでいきます。この絞り込みの過程と、その過程で出てきた診断を「鑑別診断」と呼びますが、鑑別診断の際に重要なのが「プロブレムリスト」です。
プロブレムリストとは、その患者さんにどんな問題があるかを、整理したものです。さまざまな情報があるなかで、目くらましの情報にとらわれず、重要なことをできるだけ簡潔にピックアップすることが肝心です。そんな風にしてこの男性のプロブレムリストを作ると、以下のようになりました。

#1 亜急性の性格変化+易怒性
#2 異常行動(脱糞)
#3 糖尿病
#4 高血圧
#5 白血球の増加

#1「亜急性の性格変化+易怒性」は、1か月という短期間で性格が変わり、怒ったり暴言を吐いたりするようになったことをさしています。#2「異常行動(脱糞)」は、脱抑制状態であることを示しています。#3「糖尿病」と#4「高血圧」は息子さんの話でわかった病歴です。#5「白血球の増加」は、入院するとほぼ全員に行われる一般的な血液検査によって判明しました。通常ならば血液1マイクロリットル中に6000~9000個程度の白血球が、1万4900個とかなり多くなっていたのです。ただし、他の血液検査項目に異常はありませんでした。
このプロブレムリストから考えられる鑑別診断には、何があるでしょうか?
まず、人が変わったようになったり、異常な行動をとったりするのは、認知症によく見られる症状です。特に「前頭側頭型認知症」は、脳の前頭葉と側頭葉が萎縮して脱抑制に陥るため、人がまったくと言っていいほど変わってしまったり、暴言・暴力、万引き、痴漢などの反社会的な行動が現れたりします。男性の症状に重なるところが多いと言えるでしょう。
認知症とは明らかな記憶障害と認知機能障害により、日常生活に支障をきたす状態をいいます。以前は「認知症」というと、前頭側頭型認知症アルツハイマー病のような、発症したら元に戻らない病気のみをさしましたが、今は治る病気でも同様の症状があれば、認知症に含めるようになっています。
したがって、この男性に現れた認知症の症状からは、前頭側頭型認知症のほかにも、薬物中毒、ビタミンB1/B12欠乏、傍腫瘍性辺縁系脳炎、橋本脳症、クロイツフェルト・ヤコブ病など、いくつかの病気が考えられます。
「薬物中毒」は、覚醒剤や危険ドラッグなどによって、脳が障害された状態です。もと小学校の先生で72歳と聞けば、「覚醒剤や危険ドラッグの中毒などあり得ない」と感じる方が多いと思いますが、堅い職業に就いていたから、高齢だからといって、薬物と無縁だとは限りません。鑑別診断では、薬物は必ず考慮しなければならないことの一つなのです。
「ビタミンB1/B12欠乏」は、アルコールの多飲や偏食、胃切除などの術後で栄養がうまく吸収できない、といった理由で起こります。高齢者の場合は、消化吸収能力が低下したために欠乏症を起こすこともあります。ビタミンB1とB12は、糖をエネルギーに変えたり、核酸(DNA)を合成したりするなど、体内のさまざまな代謝に関わっています。そのため、欠乏すると脳や神経がきちんと働かなくなって、認知症の症状が出ることがあるのです。
「傍腫瘍性辺縁系脳炎」は、がんの遠隔作用によって起こる「傍腫瘍性神経症候群」の一種で、大脳辺縁系と呼ばれる部分に炎症が起こった状態です。がんができると、私たちの身体は自己の免疫作用により脳細胞を攻撃してしまうことがあるのです。その結果、感情や記憶などに関係する大脳辺縁系が障害されると、認知症の症状が起こります。また、原因として最も多く見られるのは、肺の小細胞がんです。
自身の免疫が自らの脳を攻撃するために認知症の症状が現れると考えられている病気には、「橋本脳症」もあります。原因は不明ですが、橋本脳症もまた、本来なら異物を攻撃するべき抗体が脳に障害を与えることによって発症すると考えられています。
クロイツフェルト・ヤコブ病」は、プリオンという特殊なタンパク質によって、脳が海綿状になることで引き起こされる病気です。「まえがき」で述べた通り、100万人に1人という非常に稀な病気で、現代の医学ではまだ治すことができません。

さらに、糖尿病と高血圧があることからは、血管系のリスクが高いことがわかります。血栓ができて血管が詰まったり、動脈瘤ができてそれが破裂したりする可能性があるわけで、それが脳で起これば認知症の症状が出ることもあります。
とは言え、脳の血管が詰まったり切れたりしてこのような症状が出るケースは、それほど多くありません。最も考えられる病気は、「脳静脈洞血栓症」でしょう。これは、脳の静脈が頭蓋から外に出る辺りの、静脈洞という部分に血栓ができることで発症します。外へ出て行く血液の流れを血栓が止めてしまうため、血液が溜まって脳が圧迫され、さまざまな精神症状が出るのです。
白血球が増加していることからは、「敗血症」が疑われます。敗血症とは、細菌やウイルスなどによる感染症が全身に及び、あちこちで炎症を起こした状態です。白血球は、細菌などに感染すると、それらを攻撃するために増えるのです。
ただしその一方で、白血球は痛みを感じただけでも増えたりするため、増えたという一事だけでは、必ずしも感染症があるとは限りません。この男性の場合は、白血球増加と同時に「亜急性の性格変化+易怒性」という症状のあることがポイントです。感染症が脳に及ぶとこのような症状が出ることがあるからで、白血球増加に加えてこれがあることによって、全身性の感染症である敗血症の可能性が出てくるのです。

いくつもの鑑別診断が出てきて、混乱した方もいると思います。一度、整理してみましょう。この男性の鑑別診断は以下の通りです。

1 前頭側頭型認知症
2 薬物中毒
3 ビタミンB1/B12欠乏
4 傍腫瘍性辺縁系脳炎
5 橋本脳症
6 クロイツフェルト・ヤコブ病
7 脳静脈洞血栓症
8 敗血症

次に、これを絞り込んでいきます。

検査で鑑別診断を絞り込む
これらの鑑別診断の中で、私が最も強く疑っているのは、クロイツフェルト・ヤコブ病と橋本脳症です。
なぜかというと、まず前頭側頭型認知症は、症状や年齢からいうと可能性が高いものの、1か月という短期間で急激に進行することはありません。薬物中毒も、あり得ないことではないとは言え、息子さんの話を聞く限りでは可能性が低い。脳静脈洞血栓症は突発的に急激に発症する場合と慢性の場合があって、1か月かけて悪化するのは慢性ですが、慢性ならばあるはずの頭痛の訴えがない。敗血症ならば体温や心拍数、呼吸回数などの身体所見に何らかの異常が出るはずですが、身体所見に異常がない。こうして当てはまらないところのある病気を外していくと、残るのがクロイツフェルト・ヤコブ病と橋本脳症なのです。
しかし、最終診断を下すには、検査によってほかの病気の可能性を除外しなければなりませんし、クロイツフェルト・ヤコブ病なのか橋本脳症なのかも、はっきりさせなければなりません。では、これらの鑑別診断を絞り込むには、どんな検査をすればいいでしょうか?
前頭側頭型認知症クロイツフェルト・ヤコブ病、静脈洞血栓症には、それぞれ特徴的な像があり、画像診断が可能です。したがって、頭部のCT検査とMRI検査を行います。
薬物中毒では、一般的には尿検査をします。ビタミンB1/B12欠乏では血液検査を行います。
傍腫瘍性辺縁系脳炎では、がんがあるかどうかを見るために画像検査をしたり、血液や脳脊髄液の中に、この病気の目印となる抗体があるかどうかを調べたりします。
橋本脳症でも、抗体検査を行います。血液または脳脊髄液の中に、この病気の目印となる抗体がどれくらいあるかを調べます。
敗血症では、脳脊髄液の中に白血球とタンパク質、糖がどれくらいあるかを調べます。感染症が脳に及んでいるかどうかを診るには、血液中の白血球数を調べるだけではダメで、脳脊髄液を調べる必要があるのです。

では、気になる検査結果はどうだったでしょうか。

CTかMRIで特徴的な像が写っていれば、非常に大きな手がかりになりますが、画像に異常はありませんでした。まだ写るほどの変化が現れていない可能性もあるため、完全に否定はできませんが、前頭側頭型認知症クロイツフェルト・ヤコブ病、静脈洞血栓症は、ひとまず可能性が低くなりました。
傍腫瘍性辺縁系脳炎の場合は、CTやMRIでは、がんが最小でも1センチ程度にならないと捉えられません。抗体検査も、この抗体があれば診断確実というものはありません。目印となる抗体が全員に現れるわけではなく、半数の人に現れるといった程度なのです。そこで、傍腫瘍性辺縁系脳炎の原因として最も多い肺がんの有無を診るために、胸部レントゲン検査を行いました。が、こちらも異常ありませんでした。ちなみに、傍腫瘍性辺縁系脳炎を起こすことが多いのは、肺がんと卵巣がんです。
脳脊髄液の検査では、白血球数の増加はありませんでした。炎症があると増えるタンパク質の数値も正常、細菌などがいると下がる糖の数値も正常でした。つまり、敗血症に伴う髄膜炎の可能性は否定されました。血液検査はどうでしょうか。
入院時に行われる一般的な血液検査とは異なり、今度は鑑別診断に的を絞った検査です。調べる項目を指定して、検査をオーダーします。その結果、薬物中毒とビタミンB1/B12欠乏は該当しませんでした.認知症の症状が出る可能性のある別の病気、膠原病HIV感染症、肝性脳症、インフルエンザなどの目印となる物質も調べましたが、いずれも異常ありません。残るは、橋本脳症です。

3日後にはケロッとしてお世辞まで
橋本脳症の原因は不明ですが、さまざまな研究から、自己の免疫が脳の機能に障害を与えるのではないかと推定されています。また、橋本脳症では「抗TPO抗体」や「抗サイログロブリン抗体」という、「橋本病」でも増える抗体が増えることがわかっています。橋本病とは、日本人の外科医・橋本策先生が1912年に世界で初めて報告した病気で、本来は異物を攻撃するべき抗体が、自分の甲状腺を攻撃してしまうことによって起こる、慢性甲状腺炎です。
そこで、橋本脳症が疑われる場合はこれらの抗体の検査をしますが、一つ問題があります。橋本病でも、悪化して甲状腺機能の低下が進むと、認知症の症状が出ることがあるのです。抗体はどちらの病気でも増えますから、抗体検査だけでは決め手に欠けます。
そこで、抗体と同時に甲状腺機能の検査も行いました。橋本病では甲状腺機能が低下するのに対して、橋本脳症では甲状腺機能の低下しない人が7割程度いるためです。
果たして、検査の結果、この男性の甲状腺機能は正常でした。一方、抗TPO抗体は770IU/mL、抗サイログロブリン抗体は182IU/mL。両方とも基準値が30IU/mL未満ですから、極端に多いことがわかります。橋本病の場合は、抗体が増えても2桁程度ですから、3桁というこの数値も橋本脳症であることを示唆しています。
これで、最終診断が出ました。この男性は、認知症の症状が出る「橋本脳症」たったのです。

橋本脳症は、クロイツフェルト・ヤコブ病と非常によく似た経過を辿ることがあります。両者は脳の画像検査と抗体検査によって鑑別が可能ですが、初期にはどちらもまだ異常が少なく、見極めが難しいことがあります。しかし、クロイツフェルト・ヤコブ病が不治の病であるのに対して、橋本脳症は治療すれば治る病気ですから、この見極めは非常に重要です。
もしも、見極めがつきにくい状況であったら、どうすればいいのでしょうか? そのときは、橋本脳症の治療をするのです。橋本脳症では、ステロイドの大量投与が効果をあげることがわかっています。そこで、ステロイドを大量授与し、症状が改善されれば、橋本脳症だったとわかるのです。これを「診断的治療」と呼びます。
この男性の場合も、ステロイドが劇的に効きました。
入院3日目のことです。病室に様子を見に行くと、男性は上半身を起こして、ベッドに座っていました。そして、私が来たのに気づくと、
「いろいろと、ありがとうございます。調子いいです」
と、ニコニコ笑って挨拶しました。さらに、
「ここは日本一の病院ですね」
などと、お世辞まで言うではありませんか。これが、あの暴れていた人かと、あっけにとられるほどの変わりようです。
この当時、私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでしたから、その変貌ぶりに驚きました。そして、しみじみと「よかった」と思いました。もしも、家族が「認知症だから」とあきらめていたら、あるいは私たちが原因を突き止められなかったら、この状態はありませんでした。二度とこの笑顔は見られなかったかもしれないのです。

注:i) 引用中の「橋本脳症」については次の資料を参照して下さい。 「橋本脳症」 ii) 引用中の『「まえがき」に登場した「指鼻試験」「膝踵試験」』について、同の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P8)を次に引用(【 】内)します。 【具体的には、向かい側に座った医師の鼻と自分の鼻を人差し指で交互に触ってもらう「指鼻試験」や、仰向けに寝て片方の足の膝の上にもう片方の足の踵を載せてもらう「膝踵試験」などを行い、問題なくできるかどうかを診ます。】 iii) 引用中の「私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでした」に関連する「初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。」について、同の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医にありがちな失敗とは」における記述の一部(P193)を次に引用(《 》内)します。 《もちろん、ベテランでも知らない病気はあります。第1章の症例1の患者さんを診たとき、私は医師になって25年の経験がありましたが、橋本脳症の患者を実際に診たのは初めてでした。初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。》 iv) 引用中の「鑑別診断を絞り込む」に関連する「それ(鑑別診断)を効率よく絞り込む時に最も威力を発揮するポイントは一元的に考えること」について、前野哲博編の本、「医療職のための症状聞き方ガイド “すぐに対応すべき患者”に見極め方」(2019年発行)の 2章 症状アセスメントの基本原則 の ステップ2:解釈 の『* 「合わないところはないか」考える』における記述(P15~P16)を以下に引用します。 iv) 引用中の「私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでした」に関連する「初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。」について、同の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医にありがちな失敗とは」における記述の一部(P193)を次に引用(《 》内)します。 《もちろん、ベテランでも知らない病気はあります。第1章の症例1の患者さんを診たとき、私は医師になって25年の経験がありましたが、橋本脳症の患者を実際に診たのは初めてでした。初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。》 v) 引用中の「鑑別診断」に関連する(下記の腹痛の)「鑑別疾患」について、國松淳和著の本、「診察日記で綴る あたしの外来診療」(2021年発行)の 5. 21歳 「お腹が痛いんだよね」 の ◇あたしのためのまとめ◇ の「表 慢性持続性の腹痛ではなく、繰り返す腹痛エピソードの間欠期には症状はないか穏やかで、時に発作的に生じる一回一回の腹痛は強烈で耐え難いものの、比較的短期間で収束するような腹痛の鑑別疾患」における記述(P102)を形式を変えて以下に引用します。

頭痛や胸痛など,1つの症候について想起すべき鑑別診断は山のようにあります.それを効率よく絞り込む時に最も威力を発揮するポイントは一元的に考えることです.もう少し詳しくいうと,患者の訴えや所見を.すべて同じ1つの原因からくるものとして説明できないかを考えてみることです.例えば患者が複数の症状を訴えた場合,2つ以上の病気がたまたま同じタイミングで起きることは考えにくいので,数ある鑑別疾患の中で,それらの症状を1つの疾患ですべて説明できるものがあれば,それが原因である可能性が高い,と考えるわけです.具体的には,想起した疾患と患者の情報の「合うところ」と「合わないところ」を探していき,「合わないところ」がない病気はないか考える,という思考過程をとることになります.例えば,胸痛を訴えている患者がいたとしましょう.直観的に「心筋梗塞ではないか」と思ってしまいがちですが,よく聞いてみると,発熱を伴っていて,しかも痛みは深呼吸で悪化することがわかりました.心筋梗塞は,胸痛をきたすところは「合うところ」ですが,発熱や,呼吸での痛みの変動は,心筋梗塞では説明できない,つまり「合わないところ」として残りますよね.逆に,胸膜炎だったらいかがでしょうか.胸が痛いところも,発熱も,呼吸で変動する胸痛も,すべて「合うところ」として説明できますよね.したがって,このケースの場合,心筋梗塞よりは胸膜炎の可能性が高いと判断できます.
鑑別診断を考える場合,「合うところ」は,すぐに頭に思い浮かぶので,ついその点に引きずられて,診断を誤ることがあります.真っ先に思いついた鑑別診断に飛びつく前に,「いや,待てよ.どこか合わないところはないか」と自問する習慣をつけましょう.そして,最初に集めた情報だけでは,合わないところがないか判断するのが難しい場合は,もう一度患者に質問してさらに情報を集めて考えましょう.これを繰り返すことで,臨床推論能力は格段に向上します.

注:i) この引用部の著者は前野哲博です。 ii) 引用中の『真っ先に思いついた鑑別診断に飛びつく前に,「いや,待てよ.どこか合わないところはないか」と自問する習慣をつけましょう』に関連するかもしれない「大切なのは、ひとつの情報に飛びつかないこと、鵜呑みにしないこと」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

過敏性腸症候群
・胆石発作の反復
子宮内膜症
・胆道ジスキネジー/腹部アンギーナ
・上腸間膜動脈症候群
好酸球性胃腸炎
・家族性地中海熱
・遺伝性血管性浮腫
・腹性てんかん/側頭葉てんかん
・前皮神経絞扼症候群(ACNES)
・腹性片頭痛
緑内障発作
・膵炎の反復
・急性間欠性ポルフィリン症
・鎌状赤血球発作
・鉛中毒
・副脾捻転/大網捻転
・腸回転異常症

(AA)化学物質過敏状態の作用機序としての文脈における「大脳辺縁系を介して前頭前皮質等の領域でそれが強く認識・記憶されて一般化される」ことに関連する、そして、「脳が誤作動するような形で作用している」ことに関連するかもしれない、アロディニアにおいて『脳が「こういうことをされたときは痛い」ということを記憶していて、その記憶が、痛みを感じさせていたわけ』について、その他
標記「その記憶が、痛みを感じさせていたわけ」について牛田享宏著の本、『いつまでも消えない痛みの正体 「痛みの悪循環」を抜け出せばラクになる』(2021年発行)の 第1章 慢性的な痛みは脳が感じている の「痛みは脳で感じている」における記述(P44~P46)を以下に引用します。なお、標記「大脳辺縁系を介して前頭前皮質等の領域でそれが強く認識・記憶されて一般化される」ことについては「このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも、化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連している」ことを含めて他の拙エントリのここを、「脳が誤作動するような形で作用している」ことについてはWEBページ『「こんな見た目の母親で申し訳ないなと思う」化学物質過敏症で外出時はガスマスク…「大人はしっかりモノを選んで」』の『■「つまり地球環境問題まで広げて考えていかなといけない、という話にもなる」』項を、「アロディニア」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「アロディニア - 脳科学辞典

(前略)まず最初にやったのは、機械的な痛み刺激を与えると、脳のどの部分が反応しているのか、MRI画像で確認するという実験です。慢性疼痛の患者さんの中には、アロディニアといって、痛くないはずの刺激を痛いと感じてしまう状態の方がいらっしゃるのですが、手がアロディニアになっている患者さんと、健常者に協力してもらい、患者さんには普通の人は痛みの感じないフィラメントで、健常者には痛みを感じるフィラメントでそれぞれ手を刺激して調べてみました。
健常者の場合、痛みの信号は脳の奥深くにある視床という部分を経由して、そこから脳の表面のほうにある大脳皮質の一次体性感覚野という部分に到達し、痛みとして感じられます。実験でも、やはり健常者は視床や体性感覚野などの活動が確認されました。
ところが実に不思議なことに、アロディニアの方は、体性感覚野は反応しているけれど、視床に反応がみられないのです。
つまり、アロディニアの患者さんの痛覚は、普通は経由する視床を通っていない。通常の痛覚の経路とは異なる流れで痛みが起きているということになります。
これは一体どういうことだろうと思っていたのですが、別の実験をやって、少しずつ謎が解けはじめました。
手にアロディニアがある患者さんは痛いのでふだん手袋をされているのですが、手袋をはずし手を触っている映像を見てもらい、MRIで脳の反応を見るという実験を行いました。すると、映像を見せただけで、まったく触っていないのに、患者さんは強い苦痛を感じてしまったのです。
画像で確認すると、脳の前頭前野といって記憶やうつと関係している部分と、帯状回といって不快な情動に関与する領域が興奮している。見ているだけでこうなるということは、記憶が関係していることになります。脳が「こういうことをされたときは痛い」ということを記憶していて、その記憶が、痛みを感じさせていたわけです。
これは、梅干しを見ると酸っぱい感じがして唾液が出てくるのと同じことです。梅干しを食べたときの記憶が脳に残っていて、酸っぱく感じる、唾液も出てしまう、皆さんよくご存じの、あの現象です。
こういうことが脳の中で起きているのであれば、脊髄の神経を外科的手術で良い状態にしたとしても、どうしても痛みが治らない、という患者さんが出てくるのもうなずけます。(後略)

注:(i) 引用中の「アロディニア」に関連する「アロディニアで手が焼けるように痛くてとか言っているような人も、例えば別のところにもっと大きな怪我をしたり、極端な話、膵臓(すいぞう)がんですって言われたりすると、痛みの方はすごく楽になってしまうんですよ。じゃあ、気の持ちようとか、気のせいなのかと言われますが、ニューロサイエンス的にはちゃんと神経メカニズムが証明されてきています」については次のWEBページを参照して下さい。 『第4回 「痛みの悪循環」を招く「恨みと怒り」(ページ3)』 (ii) 引用中の「手袋をはずし手を触っている映像を見てもらい、MRIで脳の反応を見るという実験」に関連するかもしれない「視覚刺激による疑似疼痛体験」については次のWEBページを参照して下さい。 『第3回 痛いと得をする「疾病利得」で痛みが定着することも(ページ2)』と同(ページ3) (iii) 引用中の「記憶」に関連するかもしれない「脳が痛みを記憶している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『第2回 「痛いところ」を治しても痛みが消えると限らないわけ(ページ3)』、『なんとかしたい! 4000万人の慢性痛 ②/運動は「天然の鎮痛薬」』の「痛みが長引く悪循環」項 加えて、上記「脳が痛みを記憶している」ことに関連する「最終的に脳で様々な情報が統合(情報処理)されて痛みとして感じられるのです。身体の各部位(末梢)からの信号が、脳の中に蓄えられている様々な情報(記憶、感情)と統合されて、痛みが発露します。」については次のWEBページを参照して下さい。 『「整形外科に行っても慢性腰痛は治らない」痛みの専門医が断言する"これだけの理由"(ページ5)』 (iv) 引用中の「MRI」については例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「MRI(造影含む):どんな検査?検査を受けるべき人は?検査内容や代替手段、リスク、合併症は?」 (v) ちなみに、 a) 「同じように痛みはあっても、不満で居つづける人と、患者を『卒業』できる人がいるのはなぜか」については「赤の他人に殴られたのと、かわいい孫に叩かれたのとでは、全然感じ方が違う」ことを含めて次のWEBページを参照して下さい。 『受診1年半待ち、慢性痛トップドクターの「1丁目1番地」(ページ4)』 加えて、上記「赤の他人に殴られたのと、かわいい孫に叩かれたのとでは、全然感じ方が違う」に関連する「痛み刺激が加わったときの痛覚と、痛みは違うということです。痛い感覚があっても、辛くなかったら痛みではないんですよ」についてはに次のWEBページを参照して下さい。 「第1回 慢性的な痛みに悩む人がぜひ知っておきたいこと(ページ4)」 b) 「僕はよく『お化け屋敷論』って言うんですけど、どこから何が出てくるか分からないからお化け屋敷なんであって、上からみたお化け屋敷ほど間抜けなものはないぞ、と。痛みについても、不安が大きく作用するので、これは怖くないというのが分かったら、そんなに怖くないわけです」については次のWEBページを参照して下さい。 「第6回 これからの痛みの医療と“お化け屋敷論”(ページ4)」 c) 「痛みって慢性化するほど、心理的、社会的な要因が強く絡まってくるようになります。痛みが続いて、不安だとか、恐怖だとかを感じて、痛くないように動かさないようにしていると、当然、筋肉も使わないので萎縮し、関節が固まってくる関節拘縮(かんせつこうしゅく)、骨が吸収されてやせ細る骨萎縮(こついしゅく)が起きたり、結果として全体の機能が落ちてきて、別の部位に新たにひどい痛みが出てくることも多いんです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「第1回 慢性的な痛みに悩む人がぜひ知っておきたいこと(ページ3)」 d) 「慢性痛で悩んでいる方によく見られる考え方や行動(破局化)」については次のWEBページを参照して下さい。 「なんとかしたい! 4000万人の慢性痛 ①/痛みが長引く理由」の「慢性痛につながる考え方」項 なお、上記「破局化」に関連する「破局的思考」については次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25) (vi) 一方、引用中の「梅干しを見ると酸っぱい感じがして唾液が出てくる」ことと関連するかもしれない、 1) 「条件反射」については「梅干を見ただけで唾液が出ない人だけが、こうした現象を疑いなさい。」を含めて次のエントリを参照して下さい。 「化学物質過敏症に関する私の発言について -NATROMのブログ」の【●「「化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意によって左右されている」というのは、たとえば、「放射能」を不安に思う人が瓦礫焼却に対して「反応」する一方で、瓦礫受け入れに賛成する人には反応しなかったりすることを指します」というツイートについて】項 2) 上記「条件反射」に類似するかもしれない「条件付け」については他の拙エントリのここを、「古典的条件付け」については「梅干しを見ると唾液が出る」ことを含めて次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「古典的条件付け」項

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注:本エントリは本文を含めて臨時公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)又は全削除を行うことがあります。

*1:精神科医と面接又は言葉との関係について、 (i) 井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の「第7章 精神科医は薬のソムリエにあらず」における記述の一部(P141~P142)を次に引用します(【 】内)。【「精神科的診察においては、面接を通して病歴の聴取も診察も治療も行われる」と説く土居にとって、臨床とはすなわち面接である。精神科医にとって、いい面接をすることがプロの仕事である。同じことは、笠原も次のように述べている。「生物学的精神医学を専攻するにしろ、心理・社会的アプローチのほうにより多くの関心を抱くにしろ、精神科医である以上、そのアイデンティティのかなり中核部分に『面接術』とでもいったものがあるだろう。面接をしない精神科医というのは丁度、手術をしない外科医のようなものだろうから」】(注:a) 引用中の文献番号の記述は省略しています。) (ii) 井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第6章 《プロフェッショナルの志を》 精神科医とは、病気ではなく、人間を診るもの の「◇ 精神科医としての言葉を磨くにはどうしたらいいですか」における記述の一部(P102)を次に引用(《 》内)します。 《薬物療法しか能がないようでは、精神科医とはいえない。精神科医である以上、言葉を使えなければいけません。言葉を使うことを精神療法と呼ぶのです。精神科医にとって、精神療法こそがプロの仕事。精神療法のできない精神科医など、手術のできない外科医、英語のしゃべれない英語教師のようなもの。恥ずかしい話です。》 (iii) 加えて次に紹介するツイートは、上記引用に通ずるものがあると本エントリ作者は考えます。 ツイート

*2:精神科医には診断技術や薬の処方技術も求められます

*3:ちなみに、似た位置取りの精神科医の著作からの引用例は、他の拙エントリのここを、利益にこだわらない診療を紹介するWEBページ例はここを参照して下さい

*4:追加のキーワード:「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」

*5:前者の項目には「予定の変更ができない」等が、後者の項目には「いったん好きなことをはじめると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる」(これに似た例:「話し出すと止まらない」(参照)、『「こだわり」を「ノルマ」にしてしまう』(参照)、「たとえやらないと自分にとって不利になることであっても、納得のいかないことはできない」等が含まれます

*6:注:コミュニケーション能力の障害のみならず、社会性の障害、想像力の欠如などがスムーズな人間関係を作りにくくしていることが交渉ごとが苦手に大きく影響しています

*7:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です

*8:これに関連して、成人の自閉スペクトラム症ASD)の方々にとって特徴的な早期不適応的スキーマであるかもしれない、「不充分な自己コントロール」、「情緒的はく奪」、「災害や疾病に対する脆弱性」を有する〔資料の「4. 研究成果」項を参照〕

*9:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です

*10:これには、「喉の渇きや空腹により死にたくなること」を含みます。

*11:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です。この引用には『私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです』を含みます。

*12:より詳しくは、ここを参照して下さい。愛着の問題はトラウマ(ここを参照)と密接な関係があります(ここここを参照)

*13:例えば、P20~P21、P26~P27、P38~P41

*14:例えば、P28~P29、P46~P49

*15:このWEBページ中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ちなみに、「非定型うつ」に似た?「新型うつ」は、ASDの二次障害とも考えられるとの意見があります〔ここを参照〕

*16:ここでの「思想」は観念や認識を含む概念です

*17:顕著な人格の低下は無治療の統合失調症に見られるようです

*18:神経症水準、境界例水準、精神病水準の順に状態が悪くなります。ここを参照して下さい。