krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

自閉スペクトラム症における身体症状、その他(続き)

本エントリは過日に公開されたエントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」に続くものです。以下の「≪余談6≫ギフテッドについて」以外にも「≪余談7≫資料や論文の紹介、その他」、「≪余談8≫ASD の疫学について」、『≪余談9≫ASDの〝本質〟は「メタ認知」にあることについて、その他』や「≪余談10≫自閉スペクトラム症に関連する上記以外の他の拙エントリにある記事へのリンク」があります。ちなみに、上記「ASD」は自閉スペクトラム症の略です。

≪余談6≫ギフテッドについて

標記「ギフテッド」について、小野和哉著の本、「最新図解 大人の発達障害サポートブック」(2017年発行)の Column『天性の能力をもつ「ギフテッド」』における記述の一部(P32)を次に引用します。

発達障害のある人のなかにも多くいる

みなさんは、「ギフテッド」ということばを聞いたことがあるでしょうか。
ギフテッド(英:Gifted, Intellectual giftedness)とは、たとえば、知的能力や言語能力、記憶能力などといった能力が、ふつうの人よりも飛び抜けて優れた人のことを表すことばです。英語で贈り物を意味する「ギフト」が語源で、生まれつき天から授けられた素晴らしい能力のことを指し、発達障害のある人のなかにもたくさんいるといわれています。
しかし、その能力は必ずしもよい面ばかりではなく、学業的、社会的な成功に直結するとはかぎりません。
飛び抜けた資質をもっていたとしても、それをうまく生かす環境や、周囲の理解がなければ、かえって子どもにとって、生きにくさにつながってしまうこともあるのです。

能力によって生きにくさを感じる場合も

たとえば、IQ が130を超えるような高い知能を持っている場合は、学校生活などで不適応を起こしてしまうこともあります。
ギフテッドの人は、能力の高さとともに、感受性も高い場合があり、そのために傷つきやすかったり、疎外感をもちやすかったりするような場合も少なくないのです。
また、教室のなかでのさまざまな刺激に耐えられなくなり、パニックなどをおこしてしまうこともあります。
人間の能力は多面的で、いわゆる「IQ」だけでは評価できませんが、それを適切に評価できる教育システムは、まだ十分構築されていません。
欧米では、こうした人たちに対する専門の学校もあり、適切な処遇が図れるようにさまざまな試みがなされています。
日本でも最近になり、ギフテッドに対応する医療機関などがつくられはじめていますが、まだまだ普及していないというのが現状です。(後略)

注:引用中の「ギフテッドに対応する医療機関」に関連する例としての「ギフテッド・アカデミー」の簡単な紹介を含む標記「ギフテッド」の記述として、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の「あとがき 発達障害のこれから」における記述の一部(P220~P223)を以下に引用します。なお、上記「ギフテッド・アカデミー」については次の資料を参照して下さい。 「2Eの児童・生徒への支援について -社会からの支援が得られていない子供達-」の「交流サイト:ギフテッド・アカデミー」シート(P13)、「発達障害と不登校―社会からの支援がない子どもたち:2E の観点から―」の「ギフテッドアカデミー」項(P460) また、上記「2E、すなわち twice-exceptional(二重に特別な)」とは、「知的に高い(ギフテッド)+発達障害のある子どもたち」を指します。後者の資料の要旨を参照して下さい。

「ギフテッド(Gifted)」という言葉を耳にしたことはありますか。
ギフテッドとは、生まれつき飛びぬけて高い能力や才能を持っている子ども、またその能力のことをいいます。贈り物を意味する英語の「ギフト(Gift)」が語源で、海外では「天から与えられた能力」として広く認知されています。
日本では「英才児」と訳され、「飛び級ができるような賢い子ども」という一面的なとらえられ方をしていますが、本来のギフテッドは学業だけにとどまらず、言語能力、記憶力、芸術性、創造性、リーダーシップなど、多岐にわたる分野において高い潜在能力を秘めています。
ギフテッドは医療における症状ではないため、国によってもその定義はまちまちですが、仮にIQ130以上の知的ギフテッドを例にとると、日本人全体の約2・5%、1000人に25人の割合で存在するとされています。生まれ持った能力のため、早期教育や英才教育によってギフテッドになることはありません。
ギフテッドがクローズアップされるにつれて、発達障害との関連についてもさまざまな議論がなされています。ギフテッドの子どもの中には、興味のあることに対して並外れた集中力や情熱を傾けるなど、ふつうの子どもとは異なる振る舞いが見られる場合があります。それがASDやADHDの子どもの行動と似ていることから、発達障害のある子どもが実はギフテッドなのでは? と期待を寄せる人もいます。
しかし、日本ではまだ、ギフテッドを判定するしくみが整っていません。そのため子どもが並外れた能力や才能を親が目の当たりにしても、ギフテッドであることがわからないまま成長するケースがほとんどです。そういう子どもたちは優れた面がある一方で、さまざまな困難を抱えており、授業についていけなかったり、友だちと良好な人間関係を築けなかったり、感覚が過敏だったりするなど、生きづらさを感じている場合が少なくありません。
そういう子どもたちをサポートするには、できるだけ早い段階から特性に気づくことが重要です。私のクリニックには、幼児期や小学校低学年の子どもたちが多く訪れ、その中には4歳でひらがな、カタカナ、漢字が読めるようになった子ども、宇宙に関する図鑑を丸暗記している子どもなど、驚くような能力のある子どもがいます。
それにもかかわらず、学校に上がってから同級生からのいじめにあったり、教師の無理解にさらされるなどして不適応を起こし、不登校になり、そのまま引きこもりになってしまうケースもあります。
このような子どもたちに対して、私たちは発達障害の要因があると考え、作業療法、心理カウンセリング、SST(ソーシャルスキルレーニング)、ペアレントレーニング、薬物療法などを行いながら、治療を行ってきました。お互いを知り合うことから「人の振り見て我が振り直す」ようになると考え、「ギフテッド・アカデミー」をつくり、親子で最先端の科学を学ぶ会として主宰しています。
このようなギフテッドの要素と発達障害の要素を持つ子どもたちに対して、海外ではその能力を判定し、伸ばしていこうという考え方が根づいています。日本でも経済産業省による「EdTec(未来の教室)」の一環として、さまざまな取り組みが始まろうとしています。
こうした動きが、やがて発達障害のある人の生きづらさを低減し、社会のあらゆる方面に見出され、生き生きと活躍できる世の中になることを願ってやみません。(後略)

注:ちなみに、 a) アメリカのギフテッド教育事情については次のWEBページを参照して下さい。 「アメリカのギフテッド教育事情」 b) ギフテッド(ギフティッド)児の誤診に関連するWEBページは次を参照して下さい。  「ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性 (1)」、「ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性 (2)」 c) ギフテッドと発達障害の違いについては次のWEBページを参照して下さい。 「高度な潜在能力を持つ【ギフテッドと発達障害の違い】とは?~医師監修~」 d) ギフテッドや2E(twice-exceptional)の児童・生徒への支援については次の資料を参照して下さい。 「2Eの児童・生徒への支援について -社会からの支援が得られていない子供達-」 加えて、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」については次のWEBページを参照して下さい。 「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」(注:上記「有識者会議」については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 『文部科学省「才能教育」有識者会議 - 2E教育フォーラム』 そして、上記「2E教育」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「2E教育を学ぶ」) e) ギフテッドの日本における教育の可能性については、WEBページ「ギフテッドの概念と日本における教育の可能性」からダウンロード可能な資料「ギフテッドの概念と日本における教育の可能性」を参照して下さい。 f) ギフテッドにおける「過興奮性」(又は「刺激増幅受容性」)については、次のWEBページを参照して下さい。 「Gifted:ギフテッド」 g) 「知能検査とギフティッドの判定」については次のエントリを参照して下さい。 「知能検査とギフティッドの判定」 ちなみに、エントリ「米国で開催されたギフティッドに関する国際会議に参加して」もあります。 「米国で開催されたギフティッドに関する国際会議に参加して」 h) 引用中の「人の振り見て我が振り直す」がひょっとして役立つかも場面かもしれない「大事なことは、また必ず登場する(と信じる)」との記述については次の Querie.me を参照して下さい。 「先生は文献などで得た新しい知識をどのようにして自分の中に定着させていますか?」 i) ギフテッドについての本の例を次に紹介します。 『杉山登志郎、岡南、小倉正義の本、「ギフテッド 天才の育て方」(2009年発行)』 j) 拙訳はありませんが、特に女性の上記2E(twice-exceptional)については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の 1. Cognitive/Intellectual Abilities の「Twice – Exceptionality.」項

≪余談7≫資料や論文の紹介、その他

最初に自閉スペクトラム症に関する日本語の資料を次に紹介します。

[1] 「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷について

[2] 「軽度発達障害児の感覚統合機能評価の妥当性に関する研究

注:i) タイトルの「軽度発達障害」は知的障害を伴わない発達障害のことを指すようです。ただし、これは決して障害自体が軽いことの意味ではないと考えます。 ii) この資料には「姿勢、平衡機能の問題」を含む紹介があります。

[3] 「アスペルガー症候群を持つ女性の恋愛と性の課題 -3つの症例を通して-

注:i) この資料中の「タイムスリップ現象」及び「フラッシュバック」については共にリンク集を参照して下さい。 ii) この資料中の「ハイコントラスト知覚特性」に関する引用はここを参照して下さい。 iii) この資料中の問題への対処として大切であると本エントリ作者が考える部分を次に引用します。ちなみに、男女を問わず大切であると本エントリ作者は考えます。 iv) 一方、以下に引用するように、この資料中にはまるで疲れを感じられない(ここにおける引用を参照)ように理解できる記述があります。 v) さらに引用はしませんが、この資料中には「Cさん」の例において感覚過敏に関する記述があります。ちなみに、アスペルガー症候群の感覚過敏に関する資料は一例として、他の拙エントリのここで紹介しています。

そして大切なことは、彼女たちが各自の特性を理解し、自分自身の取り扱いマニュアル作成に行きつくことである。

3例ともに、「適当に」は理解できず、 自分が「元気」なのか「疲労しているのか」という内部感覚もわからず、頑張って行動し続けてある時突然動けなくなるというパターンを繰り返した。

注:この引用は上記疲れに関する記述です。これと同様な内容の記述を含む引用はここここ及びここを参照して下さい。

[4] 「ライフステージに応じた自閉症スぺクトラム者に対する支援のための手引き」、その他
標記資料の「3. 青年期・成人期:男性」項(P8~P10)及び「4. 青年期・成人期:女性」項に自閉症スぺクトラム者の男性及び女性の特徴が示されています。この項以外にも、自閉症スぺクトラム者の女性に関連する記述があります。

ちなみに、この資料の「4. 青年期・成人期:女性」項の P10~P11 に次のように記述されており、ここにおける引用と重なる部分があると考えます。

いわゆる「ガールズトーク」や「井戸端会議」のような一般に女性が好むようなおしゃべりを苦手と感じるので、仲間集団や地域のコミュニティにも加わりにくいこともあります。

注:引用中の「ガールズトーク」についてはここを参照して下さい。

これら以外にもほとんどがタイトルを除き拙訳はありませんが、「カモフラージュ」(注:下記を除き引用はありませんが、川上ちひろ、木谷秀勝編著の本「続・発達障害のある女の子・女性の支援 自分らしさとカモフラージュの狭間を生きる」(2022年発行)があります、※1)をはじめとした上記「自閉症スぺクトラム者の男性及び女性」に関連する又は関連するかもしれない Editorial として「Camouflage and autism[拙訳]カモフラージュと自閉症」を、そして論文(全文)を次にリストアップします。
①「Research Review: A systematic review and meta-analysis of sex/gender differences in social interaction and communication in autistic and nonautistic children and adolescents[拙訳]研究レビュー:自閉症と非自閉症の子供と青年における社会的相互作用とコミュニケーションにおける性/性差のシステマティックレビューとメタ分析」
②「The Impact of Socio-Cultural Values on Autistic Women: An Interpretative Phenomenological Analysis[拙訳]自閉症の女性に与える社会文化的価値の影響:解釈的現象学的分析」
③「Development and Validation of the Camouflaging Autistic Traits Questionnaire (CAT-Q)[拙訳]Camouflaging Autistic Traits Questionnaire (CAT-Q) の開発と検証]」※2

注:この論文(全文)の「Discussion」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『Previous research suggested that camouflaging in autistic adults may be associated with poor mental health outcomes, especially anxiety, depression, and generally poor quality of life (Cage et al. 2017; Hull et al. 2017; Lai et al. 2017). The positive correlations between the CAT-Q and measures of social anxiety, anxiety, and depression, and the negative correlation between the CAT-Q and wellbeing, support this idea and offer convergent validation of the measure.[拙訳]自閉症の成人におけるカモフラージュは、不良なメンタルヘルス転帰、特に不安、抑うつ、及び一般的に不良な生活の質(Cage et al. 2017; Hull et al. 2017; Lai et al. 2017)と関連するかもしれないことが、以前の研究で示唆された。CAT‐Q と社交不安、不安、及び抑うつの測定値との間の正の相関、そして CAT‐Q とウェルビーイングとの間の負の相関は、この考えを支持し、測定値の収束的検証を与える。』(注:引用中の「Cage et al. 2017」、「Hull et al. 2017」、「Lai et al. 2017」はそれぞれ次の論文です。 「Experiences of Autism Acceptance and Mental Health in Autistic Adults」、「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」、「Quantifying and exploring camouflaging in men and women with autism」)

④「Is social camouflaging associated with anxiety and depression in autistic adults?[拙訳]自閉症の成人において社会的カモフラージュは不安や抑うつに関連するか?」※3
⑤『"Camouflaging" by adolescent autistic girls who attend both mainstream and specialist resource classes: Perspectives of girls, their mothers and their educators[拙訳]通常及び専門家リソースのクラスの両方に出席する思春期の自閉症の女の子による「カモフラージュ」:女の子、彼女らの母親及び彼女らの教育者の視点』
⑥「Camouflaging in an everyday social context: An interpersonal recall study[拙訳]日常の社会的文脈におけるカモフラージュ:対人想起研究」
⑦「The Female Autism Phenotype and Camouflaging: a Narrative Review[拙訳]女性の自閉症の表現型及びカモフラージュ:ナラティブ・レビュー」※4※5
⑧「Cognitive Predictors of Self-Reported Camouflaging in Autistic Adolescents[拙訳]自閉症の青年における自己報告されたカモフラージュの認知的な予測因子」
⑨論文要旨「Camouflaging in autism: A systematic review[拙訳]自閉症におけるカモフラージュ:システマティックレビュー」[注:論文(全文)はWEBページ「Camouflaging in autism: A systematic review」からダウンロード可能です。「osf.io」をクリックして下さい] 加えて、論文(全文)「Social Camouflaging in Females with Autism Spectrum Disorder: A Systematic Review[拙訳]自閉スペクトラム症を伴う女性における社会的カモフラージュ:システマティックレビュー」もあります。その上に、上記「社会的カモフラージュ」に関連する資料は※※の a) 項を、WEBページは以下を それぞれ参照して下さい。 「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」の『“普通の人”になるための苦しい対処「社会的カモフラージュ行動」』項
⑩「Self-reported camouflaging behaviours used by autistic adults during everyday social interactions[拙訳]自閉症の成人が日常的な社会的交流の中で用いる自己申告によるカモフラージュ行動」
⑪「Social camouflaging in autism: Is it time to lose the mask?[拙訳]自閉症における社会的カモフラージュ:仮面を脱ぐ時期なのか?」※6
⑫「Brief Report: Sex/Gender Differences in Symptomology and Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Disorder[拙訳]簡単な報告:自閉スペクトラム症を伴う成人での症状及びカモフラージュにおける性差」
⑬「Gender Differences in Self-Reported Camouflaging in Autistic and NonAutistic Adults[拙訳]自閉症の及び非自閉症の成人での自己申告によるカモフラージュにおける性差」
⑭「Social Camouflaging in Autistic and Neurotypical Adolescents: A Pilot Study of Differences by Sex and Diagnosis[拙訳]自閉症及び定型発達青年における社会的カモフラージュ:性及び診断による違いのパイロット研究」
⑮「Sex Differences in Autism Spectrum Disorder: Focus on High Functioning Children and Adolescents[拙訳]自閉スペクトラム症における性差:高機能な子どもと青年に焦点を当てる」
⑯「Sex/Gender Differences in Camouflaging in Children and Adolescents with Autism[拙訳]自閉症を伴う子ども及び青年でのカモフラージュにおける性差」
⑰「Sex and gender impacts on the behavioural presentation and recognition of autism[拙訳]自閉症の行動提示及び認識に与える性とジェンダーの影響」

加えて、上記「カモフラージュ」に関連する論文要旨を次にリストアップします。
[a] 「The mask of autism: Social camouflaging and impression management as coping/normalization from the perspectives of autistic adults[拙訳]自閉症の仮面:自閉症成人の視点からのコーピング/ノーマライゼーションとしての社会的カモフラージュ及び印象の管理」※7

その上に、上記「カモフラージュ」やこれに関する「過剰適応」に関連する日本語のWEBページや資料を次にリストアップします。
(i) 『「不登校」や「うつ」とも関連、発達障害のある女の子の「カモフラージュ」とは? 早期から過剰適応、9歳ごろまでの対応が大事
(ii) 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義
(iii) 『「発達障害」との向き合い方』の「自閉スペクトラムの人たちの選好性と過剰適応」シート~「発達障害の人たちの過剰適応」シート

※1:上記カモフラージュについての定義の例及びカモフラージュする動機について、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の「2 カモフラージュとは」における記述の一部(P22~P23)を次に引用します。

「カモフラージュ」とは,社会的な場面においてASD的な特徴がなるべく出ないようにするために,当事者が意識的にあるいは無意識的に用いる方略のことを指します。その中には,本人の意思で学んだものと,意図して学ぼうとしたわけではないけれども身につけたものの,両者が含まれていると考えられています(Hull et al., 2020b)。
そもそも,なぜ発達障害のある人たちはカモフラージュをするのでしょうか。Hull ら(2017)がASDのある人に対して実施した調査からは,カモフラージュは周囲との「同化」と「つながり」という大きく2つの動機によって支えられていることが示されています。「同化」とは,「普通に見えるようにするため」,「社会の中で機能するため」,「安全と健康を保つため」など,周囲の環境にうまくなじもうとする動機を指します。またもう一つの「つながり」には,「人とのつながりや関係を得るため」,「対人関係の失敗とそれに伴うストレスの回避のため」など,主に人との関係性に関わる動機が含まれます。この研究からは,カモフラージュの背景には,当事者が社会の中で生きていくうえで経験する葛藤や困難があることが窺えます。
同様に Livingston, Shah, & Happé(2019)は,何らかの社会的困難を経験していると回答した人の「補償」方略(ここではカモフラージュと同義と考えてよいかと思います)を調査しました。その結果,「補償」方略には様々な要因が影響していましたが,特にASD当事者の内的な要因のうち,多くが「他者との関係性を築くことへの高い動機」を報告しました。また外的な要因には,他者からの拒絶やいじめの回避,「補償」方略をすることへのプレッシャーを感じていたことなどが示されました。(後略)

注:(i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 (ii) 引用中の「Hull et al., 2020b」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Hull ら(2017)」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 (iii) 引用中の「Livingston, Shah, & Happé(2019)」は次の論文です。 「Good social skills despite poor theory of mind: exploring compensation in autism spectrum disorder」 (iv) 引用中の「ASD」と「カモフラージュ」に関連する、 [a] 「ASD の人は自分をカモフラージュして生きているために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい」ことや「70% の ASD の人がカモフラージュしているという指摘もある」ことについて、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行) の 第Ⅲ部 AS/ASD を診断・告知する の 成人期の ASD の人の現状 の 「成人期の ASD の生きづらさとカモフラージュ」における記述の一部(P048~P049)を以下に引用します。 [b] 『コミュニ―ケーションに関するASD者の悩みの1つともいえるのが、「カモフラージュ」(camouflage)』であることについて「カモフラージュに対するメリットとデメリットを含めて、井出正和著の本「発達障害の人には世界がどう見えるのか」(2022年発行)の 第3章 発達障害の人の苦しみを知る の「カモフラージュで隠そうとする」における記述の一部(P152~P154)を以下に引用します。加えて、上記「自分をカモフラージュして生きているために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい」ことに関連する、 1) 「強度の疲労ステレオタイプへの疑問視,自己認知への怖れ」について、上記本の 第Ⅱ部 AS を理解する の AS/ASD をめぐるスティグマ の 「セルフスティグマとカモフラージュ」における記述の一部(P038~P039)を以下に、 2) 「カモフラージュをすることが本人にとって多大な負担を強いるものである」ことや『カモフラージュをすることで「本当の,あるいは自然な自分の姿について偽る」』ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第3章 日常生活を支える方略から見たカモフラージュ の『2 「本当の自分」と「偽りの自分」という図式』における記述の一部(P39)を以下に、 [c] 引用中の「補償」に関連する『補償をさらに「浅い補償」と「深い補償」に分けた』ことについて、サラ・バーギエラ著、ソフィー・スタンディング絵、田宮裕子、田宮聡訳の本、「カモフラージュ 自閉症女性の知られざる生活」(2023年発行) の 訳者解説 の 3.カモフラージュについて の「1) カモフラージュとは」と「2) カモフラージュの心理的負担」における記述の一部(P44~P45)[注:この引用部の著者は上記訳者です]を以下に それぞれ引用します。

成人期の ASD の生きづらさとカモフラージュ

ASD の人は自分をカモフラージュして生きている(Gould & Ashton-Smith, 2011)ために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい(Hull et al., 2017)。Wing(1981)は古くから知的に高い女児の自閉スペクトラムは見逃される可能性を指摘していた。アイコンタクトを無理にとったり,思春期の女性が自分の好みを押し殺して普通の女子高校生の真似をして普通の女子高校生らしい表情,話し方,ファッションや話題に同一化するような事態である。70% の ASD の人がカモフラージュしている(Cage et al., 2018 ; Cage & Troxwell-Whitman, 2019)という指摘もある。(後略)

注:i) この引用部の著者は内山登紀夫です。 ii) 引用中の「Gould & Ashton-Smith, 2011」は次の資料です。 「Missed diagnosis or misdiagnosis? Girls and women on the autism spectrum」 iii) 引用中の「Hull et al., 2017」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 iv) 引用中の「Wing(1981)」は次の論文です。 「Asperger's syndrome: a clinical account」 v) 引用中の「Cage et al., 2018」は次の論文です。 「Experiences of Autism Acceptance and Mental Health in Autistic Adults」 vi) 引用中の「Cage & Troxwell-Whitman, 2019」は次の論文です。 「Understanding the Reasons, Contexts and Costs of Camouflaging for Autistic Adults

カモフラージュで隠そうとする

また、コミュニ―ケーションに関するASD者の悩みの1つともいえるのが、「カモフラージュ」(camouflage)です。
カモフラージュとは、ASD者が定型発達者とコミュニケーションをとる際、ASD特性が目立たないように、定型発達者の言動を真似したり、ASD特性を隠そうとしたりする行動のことです。本人が意識的に行っている場合もあれば、無意識で行っている場合もあります。類似の表現としては「社会的カモフラージュ行動」「マスキング(masking)」「補償(compensation)」「仮の姿」「役を演じる」などがあります。
わかりやすい例を挙げると、「誰かの発言を周りの人が笑ったら、それに合わせて自分も笑う」といった行動です。「1人が面白いことを言って、その内容にみんなが笑っている。自分は何が面白いのかよくわからないが、とりあえず笑うことでASD特性を隠す」といった行動をとるわけです。
ASD者のカモフラージュは、会話時だけにとどまりません。日常のさまざまな行動に及びます。例えば、保育園や幼稚園に通う園児であれば、
「ほんとは『ヒーローごっこ』なんてしたくない。でも、変だと思われたらイヤで言えない」
「粘土のにおいがきつくて大嫌い。でもみんなが楽しそうにやっているのに1人だけやりたくないなんて言えない」
「みんなで一斉に朝の挨拶をすると、声の大きさでクラクラしてしまう。でも、挨拶はやめてなんて言えない」
「誰かがさっきまで遊んでいたおもちゃには触りたくない。でも、そんなこと言ったらわがままだと怒られそうで言えない」
……といった感じで、日々我慢をしている可能性があります。
ASD特性を隠すカモフラージュによって、ASD者はさまざまな〝メリット〟を得られます。実際はともかくとして周囲とのコミュニケーションは円滑に進みますし、就学や就職など人生の転機において不利になることもありません。
ただ、その一方で、カモフラージュには大きな〝デメリット〟も生じます。絶えず自分の行動をコントロールしようとすることで強いストレスがかかり、精神的に疲弊し、抑うつ状態や不安症などの合併につながる危険もあります。また、「仮の姿」で過ごしているため、自己肯定感が低下するともいわれています。
知的障害を伴わない高機能ASD者などの場合、子どもの頃から無意識で行い、そのままスムーズに社会生活を送ることができていると、周囲も自分自身も「ASD特性がある」ということになかなか気づけないことがあります。また、理由は定かではありませんが、「男性よりも女性の方がカモフラージュをすることが多く、周囲や自分自身がASD特性に気づきにくい」といわれています。
ちなみに大きな環境の変化は、カモフラージュを困難にすることがあります。大学への進学などが一例です。「高校までは昔からの友達と過ごしてきたため、カモフラージュができだが、友達が一変し、また一人暮らしなどを始めて自分自身のライフスタイルも大きく変わった。そのため、それまでのカモフラージュが通用しなくなり、自分自身のASD特性が露わになった」――といったケースです。
進学、就職、転職など人生の節目を機に 「自分のASD特性に気づきました」という人も多いのです。(後略)

セルフスティグマとカモフラージュ(中略)

近年,セルフスティグマとの関連で「カモフラージュ」が関心を集めている。「カモフラージュ」とは,ASD のある人が ASD でないかのようにふるまうことである。障害の診断に至らない高機能の Autism Spectrum Condition(ASC)のある人,特に成人女性にカモフラージュが見られることが多い。Hull et al.(2017)は,カモフラージュの要素として,①他者とのつながりを求めることがモチベーションになっていること,②見せかけることとその代償作用で構成されていること,③短期的および長期的結果として,強度の疲労ステレオタイプへの疑問視,自己認知への恐れの3つをあげている。このようにカモフラージュは,スティグマと深く関係している(Perry et al., 2021)。疫学研究によれば ASD は,4:1 で男性の方が多いとされているが,より臨床的な研究調査によれば,男女の性差は 3:1(Sun et al., 2014)である。その一因として,ASD のある女性はカモフラージュによって未診断(あるいは診断の遅れ)や誤診につながっていると考えられる(Hull et al., 2017)。カモフラージュが女性に多く見られるという点では,日本も英国も差異はないように思う。(後略)

注:i) この引用部の著者は鳥居深雪です。 ii) 引用中の「Hull et al.(2017)」や「Hull et al., 2017」は共に次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 iii) 引用中の「Perry et al., 2021」は次の論文です。 「Understanding Camouflaging as a Response to Autism-Related Stigma: A Social Identity Theory Approach」 iv) 引用中の「Sun et al., 2014」は次の論文です。 「Parental concerns, socioeconomic status, and the risk of autism spectrum conditions in a population-based study

2 「本当の自分」と「偽りの自分」という図式

近年,英語圏をはじめとする諸外国の研究者らによって,発達障害者のカモフラージュに関する論文が多く発表されています。こうした論文を読んでみると,カモフラージュをすることが本人にとって多大な負担を強いるものであることがわかります。たとえば,Hull ら(2017)によると,これは「強い集中力と自制,違和感のマネジメント」を要するものであり,本人に多大な精神的,身体的,感情的な負荷をかけることが当事者へのアンケート調査から明らかになったとしています。また,カモフラージュをすることで「本当の,あるいは自然な自分の姿について偽る」ことになり,自身が何者なのか,という自己認識を変容させるものであること,ひいては自身の確かさを失いかねないものであることを指摘しています。さらには,こうしたカモフラージュされた人格を通して関係性を形成した友人などに対して,相手を「騙して」おり,したがってその友情そのものが「偽物」であると感じる被験者もいたとのことです。(後略)

注:i) この引用部の著者は照山絢子です。 ii) 引用中の「Hull ら(2017)」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions

1) カモフラージュとは(中略)

リビングストンらは、カモフラージュを「マスキング」と「補償」に分け、補償をさらに「浅い補償」と「深い補償」に分けました。マスキングというのは、自分が本来とろうとする行動を控えることです。(中略)

これに対して補償というのは、自分が本来とらない新たな行動をとることです。この補償のうち、比較的単純でワンパターンなものを浅い補償と呼び、もう少し複雑で柔軟な適応性をもつものを深い補償と呼びます。(中略)

日本の当事者たちの間でもカモフラージュが話題になることがあり、「仮の姿」「役(を演じる)」などと言い表されることがあります。訳者らが臨床現場で実際に出会った若者は、「擬態」「コスプレ」という表現を用いていました。いずれも、定型発達者の「ふりをする」という意味合いです。

2) カモフラージュの心理的負担
カモフラージュをすることには、社会生活がスムーズになる、就職で有利になるといった利点もありますが、日常生活において絶え間なく自分の行動をコントロールしなければならない結果、心理的に疲れ切ってうつ病や不安症を発症したり、自己肯定感が低下したりするという欠点も指摘されています。
日常生活で常にカモフラージュしていなければならない心理的負担というのは、当事者でないとわからないかもしれません。だからこそ、本書で述べられているような生の言葉が貴重なのです。ここでは、『アスベルガー的人生』(原題は“Pretending to be Normal”で、まさに「正常を装う」です)の著者で、高機能自閉症スペクトラム障害をもつ女性ウイリーの言葉を紹介します。

私には、どんなにがんばっても、二つの世界を目立たぬように行き来することができなかった。一方には標準的な人々の住む世界があり、他方には不ぞろいの人々の住む世界がある。どちらか片方の世界を離れ、もう片方の世界に入ったとたん、私はきまって、大声で到着を宣言してしまっているようなのだ。標準の世界を訪れるときはまだいい。自分にも比較的自信を持っていられるし、たいていは冷静さを保つこともできる。ただその代わり、いつよそ者と見破られるか、常にはらはらしていなくてはならないけれども。(p.48)

「常にはらはらしていなくてはならない」苦しさはどれほどのものか、想像するにあまりあります。(後略)

注:i) 本引用の一部に即した引用中の「リビングストン」(Livingston)が発表した論文についてはここの (iii) 項を参照して下さい。 ii) 引用中の『アスベルガー的人生』については他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません。

※2:「Hull ら(2019)は,“Social Camouflaging”※6を3つの要素で説明している」ことについて、同の 第Ⅱ部 「自分らしさ」とカモフラージュの狭間を生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第8章 インタビュー調査から見えてくるカモフラージュ の「3 社会で生きていくために,カモフラージュする」における記述の一部(P128)を次に引用します。

(前略)Hull ら(2019)は,“Social Camouflaging”(今回は,「カモフラージュ」と同じ意味で捉えます)を3つの要素で説明しています。第1の要素が,Compensation(補償:社会的な困難さやコミュニケーションの困難さを補償するための方略),第2の要素が,Masking(仮面:自閉症でない,あるいは自閉症らしくないように覆った面を他人に見せるための方略),第3の要素が,Assimilation(同化:自分にとって不快な状況でも,不快に感じていると他者にはわからないよう周囲に合わせるための方略)です。(後略)

注:i) この引用部の著者は岩男芙美です。 ii) 引用中の「Hull ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) ※3も参照すると良いかもしれません。

※3:『「社会的カモフラージュ」は,本人の過重な負荷となって二次障害を招きかねない(Hull et al., 2021)』ことについて、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行)の 第Ⅰ部 序論 の 特異な選好(preference)をもつ種族(tribe)としての自閉スペクトラム の「共生社会に向けて」項における記述の一部(P007)を次に引用します。

独特な選好性が強い AS の人では,社会に適応するために膨大な労力を要する。自分の選好性を強く抑圧し,過剰適応に陥る可能性がある。定型発達コミュニティに適応するため,意識的・無意識的に AS 特性を隠して定型発達の人たちの行動を模倣する「社会的カモフラージュ」は,本人の過重な負荷となって二次障害を招きかねない(Hull et al., 2021)。(後略)

注:i) この引用部の著者は本田秀夫です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2021」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「AS」は「Autism Spectrum」(自閉スペクトラム)の略です。 iv) 引用中の「選好性」については例えばWEBページ「自閉スペクトラム症における特別な興味:研究の動向と展望」からダウンロード可能な資料「自閉スペクトラム症における特別な興味 ―― 研究の動向と展望 ――」の「3.4 選好性という観点の可能性」項(P408)やWEBページ『発達障害の人の余暇から見える「重要な視点」 「選好性」の違いと捉えるとうまくいく(ページ3)』の『特性を、対人関係の「選好性」として考えてみる』項を それぞれ参照して下さい。

※4:「カモフラージュは男女の間で違うのかの問いの検討」について、Hull et al.(2020b)のまとめに沿ったカモフラージュの測定を行う方法を含めて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の「3 カモフラージュの性差」における記述の一部(P23~P26)を次に引用します。

(前略)本節では,「カモフラージュは男女の間で違うのか」という問いを検討した研究を概観していきます。
はじめに,男女それぞれのカモフラージュを測定し,その量的な比較を試みた研究知見を見ていきます。その際,Hull et al.(2020b)のまとめに沿って,それぞれ異なるアプローチによってカモフラージュの測定を行う2つの研究方法に分けて紹介します。

(1) 「不一致」アプローチ

1つ目は「不一致」アプローチです。これは,当事者自身が評価する,あるいは何らかの課題の遂行によって測定される本当のASDの状態(内側の状態)と,周囲が評価するASDの状態(外側に表出される状態)がずれている程度,食い違っている程度を数値化し,それを「カモフラージュの得点」とする評価方法です。例えば,当事者に自分のASDの特性について質問紙などで評価してもらい,あわせて観察者が当事者のASDの行動特徴を客観的な尺度を用いて評価します。そして,観察者が評価した「外側から見た状態」と当事者が評価した「本当の状態」を比較する(引き算をする)方法です。すると,当事者自身はASDの障害の程度について重く評価しているものの,観察者による評価はそれほどでもない場合,それは内側の本当の状態がカモフラージュによって隠されている(つまり「カモフラージュ得点が高い」)と考えられます。
この「不一致」アプローチによる研究をいくつか見ていきましょう。例えば Lai ら(2017)の調査では,「ASDのある女性の方が,男性よりもカモフラージュ得点が高い」という結果が得られています。同様に Schuck ら(2019)では,「ASDのある女性の方が,男性よりもカモフラージュ得点が高い」ことに加えて,「女性ではカモフラージュを多くする人ほど,特にポジティブな感情を出さない傾向がある」ことも示されました。ここから,女性はカモフラージュとして,自分の気持ちや感情をコントロールしている可能性が窺えます。
他にも「本当のASDの状態」を捉える観点として,ASDのある思春期の子どもを対象に,言葉の使い方(Parish-Morrise et al., 2017)や他者の心を理解する能力(Livingston, Colvelt, Bolton, & Happé,2019; Wood-Downie et al., 2021)など,特定のスキルに着目した研究もなされています。そしてこのような「不一致」アプローチによる研究全体からは,概ね「カモフラージュは男性よりも女性に多く見られる」ことが示されています。ただしこれは,女性により多いということであり,男性にカモフラージュが見られないわけではないので注意してください。

(2) 「観察/省察」アプローチ

もう1つの方法として,「観察/省察」アプローチがあります。これは,カモフラージュ行動を直接観察したり,当事者や周囲の人に聞き取ったりすることで カモフラージュの程度を測定する方法です。(中略)

そのほか,当事者の観察や省察をもとに,カモフラージュ行動を測るアンケートも作成されています。代表的なものにCAT-Q(Camouflaging Autistic Traits Questionnaire)(Hull et al., 2019)があります。このCAT-Qを用いて,知的障害のないASDのある大人と定型発達者に実施した調査では,「ASDのある男女では,女性の方がカモフラージュをより多くしている一方で,定型発達の男女では差が認められなかった」ことが示されています。また,男性同士,女性同士の比較においては,「ASDのある女性の方が定型発達の女性よりもカモフラージュを多くしており,男性では診断の有無による違いは見られなかった」という結果が得られています(Hull et al., 2020a)。
一方で,性差が見られなかったという結果を報告している研究もあります。例えば,知的障害のないASDのある思春期の子どもを対象にCAT-Qを実施した調査結果からは,統計的に意味のある性差は認められませんでした(Jorgenson et al., 2020)。他にも,カモフラージュを含めた適応方略を測定するチェックリストを作成した調査研究においても,ASDのある男女の間に差はなかったことが示されています(Livingston et al., 2020)。
このように「観察/省察」アプローチは,カモフラージュをより直接的に測定することを試み,比較的簡単に実施できるアンケートとしての発展も見せてきました。しかしながら先行研究の結果は一貫しておらず,「観察/省察」アプローチによってなされた研究全体からは,「カモフラージュがASDのある女性に特有のものである」と言い切れるだけの知見は得られていない状況です(Hull et al., 2020b)。

(3) カモフラージュは女性に多い?

以上,「不一致」アプローチと「観察/省察」アプローチという2つの方法によってカモフラージュの測定を試み,そこから性差を検討した研究を紹介しました。いずれのアプローチにおいても長所と短所がありますし,そもそもこのような方法で正確にカモフラージュを測れているのかは検討が必要です。そしてまだ研究の数が少なく,カモフラージュの男女差について明確な結論が出ていない段階でしょう。しかし,その中でも強いていえば,「カモフラージュはASDのある男女ともに見られるものの,女性により多く見られる」といえるかもしれません。
また,カモフラージュは男性と女性で用いられる方法も同じではないことが示唆されています(Hull et al., 2020a; Jorgenson et al., 2020)。ここから,ASDのある男性と女性では,カモフラージュの量的な違いだけではなく,質的な側面においても違いがあると推測されます。そのため,カモフラージュの性差を捉えるうえで,「男性と女性でどちらが多い/少ないのか」という視点だけではなく,「なぜ,どのように違うのか」という視点からの検討が必要でしょう。(後略)

注:i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2019」、「Hull et al., 2020a」、「Hull et al., 2020b」を指す論文はそれぞれここここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Lai ら(2017)」は次の論文です。 「Quantifying and exploring camouflaging in men and women with autism」 iii) 引用中の「Schuck ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iv) 引用中の「Parish-Morrise et al., 2017」は次の論文です。 「Linguistic camouflage in girls with autism spectrum disorder」 v) 引用中の「Livingston, Colvelt, Bolton, & Happé,2019」は次の論文です。 「Good social skills despite poor theory of mind: exploring compensation in autism spectrum disorder」 vi) 引用中の「Wood-Downie et al., 2021」を指す論文はここを参照して下さい。 viii) 引用中の「Jorgenson et al., 2020」を指す論文はここを参照して下さい。 ix) 引用中の「Livingston et al., 2020」は次の論文です。 「Quantifying compensatory strategies in adults with and without diagnosed autism

※5:『Hull et al.(2020b)は,「人は社会的状況に自分がうまく調和していないと感じると,その状況になじむように適応的な行動をとろうとする」と述べている』ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の 4 ASDのある女性のカモフラージュに影響しうる要因 の (1) ASDのある個人の心理的要因 の「①自分の特性の自覚しやすさ」における記述の一部(P29)を次に引用します。

(前略)Hull et al.(2020b)は,「人は社会的状況に自分がうまく調和していないと感じると,その状況になじむように適応的な行動をとろうとする」と述べています。ここから,ASDのある女性は周囲の女性との違いを感じ,かつそれについて悩むために,環境に適応的な行動をとろうする,つまりカモフラージュをより行おうとすると推測されます。

注:i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2020b」を指す論文はここを参照して下さい。

※6:“Social Camouflaging”が使われていることについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第1章 発達障害のある女の子・女性とカモフラージュ の『2 「カモフラージュ」の定義』における記述の一部(P4)を次に引用します。

(前略)同時に,カモフラージュの問題は,インフォーマルな状況(木下が指摘する〈内側の世界の私〉など)よりもフォーマルな状況(木下が指摘する〈外側の世界の私〉など)や社会的状況で生じる行動方略や苦悩に対する理解や支援を考える視点から,“Social camouflaging”が使われています(Mandy, 2019,Schneid & Raz, 2020)。(後略)

注:i) この引用部の著者は木谷秀勝です。 ii) 引用中の「Mandy, 2019」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Schneid & Raz, 2020」を指す論文はここを参照して下さい。 iv) ※3も参照すると良いかもしれません。

※7:「発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴を整理する時,Milner ら(2019)の質的研究が参考になる」ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第1章 発達障害のある女の子・女性とカモフラージュ の 3 カモフラージュに関する3つの疑問 の「(4) 発達障害のある女の子・女性が抱える「カモフラージュ」とは」における記述の一部(P10~P11)を次に引用します。

(前略)発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴を整理する時,Milner ら(2019)の質的研究(18名の当事者,4名の母親)が参考になります。Milner らの研究では,FAP(Female Autism Phenotype:女性特有の自閉的行動様式)を5つの側面から分析しています。具体的には,規範や慣習に合わせる,自閉症の女性にとって目に見えない障壁,自閉症の否定的側面,他者からの目線,自閉症の肯定的側面の5つの側面(表1-1)です。
そこから見えてくる発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴は,次の7項目に整理できます。

①男性よりも,周囲との関係性を希求する傾向が高い。
②「受動型」の場合には,特に「普通のような」振りを維持する傾向がある。
③適切な診断や支援が十分でないために,「普通のような」振りから「自閉症の肯定的側面」へと切り替えるスキルの獲得が難しい。
④その結果,「自己評価」の低下から不安や抑うつなどの内在化障害を併発しやすい。
⑤しかも,感覚障害が強い場合には,併存症のリスクが高くなりやすい。
⑥特定の趣味や興味を持つことや,自分の生活リズムを維持することで現状を乗り切ることはできる。
⑦ただし,主体的に将来展望のある対処方略を獲得するために重要になる身近な女の子・女性モデルの存在や家族・周囲の理解を得ることが難しい。(後略)

注:i) この引用部の著者は木谷秀勝です。 ii) 引用中の「Milner ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「表1-1」の引用は省略します。 iv) 引用中の「受動型」についてはその別名である「受身型」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。

※※:なおタイトルを除き拙訳はありませんが、上記「カモフラージュ」に関連する次のWEBページもあります。 「Girls and women who have Asperger's[拙訳]アスペルガー(症候群)を有する女の子と女性」 加えて、次の日本語の資料もあります。 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義」 その上に、上記「カモフラージュ」に関連する「社会的カモフラージュ行動」についての記述を有する次の日本語のWEBページもあります。 「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」の『“普通の人”になるための苦しい対処「社会的カモフラージュ行動」』項 ちなみに、「過剰なノルマ化」により(自閉スペクトラム症の)二次障害が生じることについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「自閉スペクトラム症の二次障害の成り立ちの理解」 さらに、 a) 次のWEBページからダウンロード可能な資料もあります。 「青年期自閉スペクトラム症の女性にとっての社会的カモフラージュの功罪 : 『ガールの集い』参加者の座談会を通して」、「青年期の女性ASDへの「自己理解」プログラムにおける変化 : 「カモフラージュ」から解放される居場所

これら以外にも、「自閉症の女性や女児の経験に関する近年の質研究によると,面接を受けたほぼ全ての人がもっと早く知りたかった,と述べた」ことについて、「障碍を覆い隠すスキルを有している」ことを含めて、スー・フレッチャー=ワトソン、フランチェスカ・ハッペ著、石坂好樹、宮城祟史、中西祐斗、稲葉啓通訳の本、「自閉症 心理学理論と最近の研究結果」(2023年発行)の 第7章 認知レベルで見た自閉症 -発達軌跡モデル- の「2. 自閉症の早期徴候の研究」における記述の一部(P183)を次に引用します。

(前略)いくつかの事例で,自分の子どものニーズを臨床サービス機関に認識してもらうために,親は悪戦苦闘するかもしれない。特にその子どもが認知的に能力があり,障碍を覆い隠すスキルを有している場合はそうである。同様に,人生の後の方で診断を受ける自閉症の人々は,自らの自閉症を同定するのに要した時間をしばしば悔やむ。自閉症の女性や女児の経験に関する近年の質研究によると,面接を受けたほぼ全ての人がもっと早く知りたかった,と述べた(sedgewick,私信)。(後略)

注:ちなみに拙訳はありませんが、引用中の「sedgewick」が筆頭著者かもしれない論文(全文)例は次を参照して下さい。 「The Friendship Questionnaire, autism, and gender differences: a study revisited」 加えて、引用中の「sedgewick」が著者かもしれない論文(全文)例は次を参照して下さい。 「The Quest for Acceptance: A Blog-Based Study of Autistic Women's Experiences and Well-Being During Autism Identification and Diagnosis」、「Autistic women's diagnostic experiences: Interactions with identity and impacts on well-being

加えてタイトルを除き拙訳はありませんが、上記「自閉症スぺクトラム者の男性及び女性」に関連するかもしれない論文(全文)又は論文要旨を次にリストアップします。
①「A Qualitative Exploration of the Female Experience of Autism Spectrum Disorder (ASD)[拙訳]自閉症スペクトラム症(ASD)の女性の経験の質的探究」
②「Exploring Human-Companion Animal Interaction in Families of Children with Autism[拙訳]自閉症児の家族におけるヒト‐コンパニオン動物間の相互作用の調査」
③「Research on animal-assisted intervention and autism spectrum disorder, 2012-2015[拙訳]動物介在介入及び自閉スペクトラム症に関する研究、2012-2015」

その上に、「自閉症」(又は「自閉スペクトラム症」、「自閉スペクトラム状態」[Autism Spectrum Conditions])の視点からの「ニューロダイバーシティ」(neurodiversity、又は「神経多様性」)については次のWEBページを参照して下さい。 『ニューロダイバーシティの推進について - 経済産業省」、『発達障害の特性を企業の成長戦略に。「ニューロダイバーシティ」へ転換するには?』、(拙訳はありませんが)「Editorial Perspective: Neurodiversity – a revolutionary concept for autism and psychiatry」(注:このWEBページを「素晴らしい」と評価するツイートがあります) ちなみに、上記「ニューロダイバーシティ」に関連する、「本書はとてもニューロダイバーシティ(神経多様性)に富んだものになっていると思う」ことや「本書ではニューロダイバーシティという単語は用いてはいないものの,コンセプトはまさにそれに該当します」について、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行)の「おわりに」項における記述の一部(P233)を次に引用します。

(前略)本書は,「A のときは B をしよう」といった教科書的な「ASD の支援本」ではない,より当事者性の高い心理社会的なテーマが豊富に記述されています(当事者の方々にエッセイを書いていただきました)。言い換えれば,本書はとてもニューロダイバーシティ(神経多様性)に富んだものになっていると思います。ニューロダイバーシティは,今後の AS の人のメンタルヘルスの向上に対し重要なキーワードとなってくるでしょう。本書ではニューロダイバーシティという単語は用いてはいないものの,コンセプトはまさにそれに該当します。AS の人だけが,定型発達的な価値観に必死で合わせるというアンフェアな時代はそろそろ終わりにして,さまざまな人が「違ったまま」共生するという姿勢を,社会が推奨していくべきだと思います。そのムーブメントは欧米から始まりましたが,日本においても目前に近づいています。我々専門家はその好機を逃さず,自分自身の支援者としての価値観の見直しと修正を行いながら,ニューロダイバーシティに基づく社会を構築する責務があると考えています。(後略)

注:i) この引用部の著者は大島郁葉です。 ii) 引用中の「AS」は「Autism Spectrum」(自閉スペクトラム)の略のようです。

[5] Dr 林のこころと脳の相談室(注:HOME はここを参照して下さい)
【1498】曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうか
【1682】アスペルガー症候群の診断を受けることにはどんなメリットがあるでしょうか
【2696】私は中度の自閉症スペクトラムなのでしょうか
【3129】人の話を聞けない・何でも簡単に信じてしまう・異様な緊張・顔が覚えられない・・など
【3148】妹は人をイライラさせることばかりするのですが、性格でしょうか
【3219】発達障害と診断された私の症状です
【3288】自分の発達障害を受け容れ、何とか生きていこうとしています
【3398】自分とうまく付き合っていくための手がかりがほしい
【3782】50代の父親は発達障害なのでしょうか
【3789】攻撃的な部下に困っています

[6] 資料「成人後に診断を受けた軽度発達障害者の現状に関する研究」(WEBページ「 成人後に診断を受けた軽度発達障害者の現状に関する研究」からダウンロード可能です)

≪余談8≫ASD の疫学について

[1] 男女別の ASD 有病率
上記「ASD の疫学」としての「男女別の ASD 有病率」について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.5 疫学(有病率) の 1.5.3 ASD の疫学 の「b. 男女別の ASD 有病率」における記述(P30~P31)を次に引用します。

ASD の有病率の男女比に関しては,一貫して男性に多いと報告されており,おおよそ 4:1 であるとされてきた.なぜ性差があるのかということについて,胎児期の性ホルモンの影響や,遺伝学的な要因によって女性は症状が現れにくいといった仮説が提唱されてきているが,決定的な証拠はいまだ見出されていない.この男女比は,認知機能によって異なることが報告されており,ID を伴うケース(IQ70 以下)では男女比は 2:1,平均以上の IQ をもつケースでは男女比は 6:1 である18).男女比についてまとめたメタアナリシス19)では,すでに ASD 診断を受けている人を対象にした研究に限った場合,男女比は 4.6:1 であり,診断に関係なく一般集団からスクリーニングを実施した研究に限った場合,男女比は 3.3:1 であった.このように,認知機能によって,もしくはすでに診断を受けているかどうかによって男女比が変動することを考えると,特に認知機能に問題のない女性は適切に ASD と診断されていない,すなわち現在の診断基準では見過ごされている可能性が示唆される.
現在の診断基準は,過去の研究結果に基づくものであるが,過去の研究では男性のみを対象とした研究も多く,対象者の偏りがあった(サンプリングバイアス),主に男児を対象とした研究から導き出された,ASD の特性とされる症状は,女性では全体的に少ないという量的な違いがある18).このような量的な違いだけでなく,ASD 特性の質的な違いもあることが指摘されている.例えば,社会的孤立は一般的に ASD の特性と考えられているが,ASD をもつ女性では反対に依存心が強く,仲間に好かれることに過度の関心をもつことがあるといわれている.また,限局的な興味は,モノよりも有名人や本,動物といった対象に向けられるという報告もある20).このような傾向は既存の ASD の診断基準では捉えられにくく,女性の未診断もしくは診断の遅れにつながっている可能性がある(基準バイアス,測定バイアス).さらに,男性は外在化する行動の問題が多いため,医療サービスに紹介される可能性が高い(紹介バイアス).このようなバイアスが相互に作用し,ASD の有病率の性差を拡大させていた可能性がある21).これらのことを考慮し,最近では,ASD の有病率の男女比は以前に考えられていたより小さいと考えられてきている.
ASD 特性をもつ女性は,青年期以降にうつ病摂食障害といった精神症状の合併によってはじめてその特性を認識されることも多く,未診断の ASD が二次障害につながっている可能性がある22).青年期以前の学齢期においても,同年代の女児と比較すると,すでに社会的適応や行動上の困難さを多くもっているという報告もなされてきている23).早期の療育によって,後の社会的な適応が改善するというエビデンスの蓄積を考えると,ASD 特性をもつ女性にも早期療育の機会が与えられることが望まれる.今後,男女の生物学的な差や社会的役割の差なども考慮に入れた上で,性差に関する研究の進展や療育環境の整備が必要である.

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の文献番号「18)」は次の論文です。 「What About the Girls? Sex-Based Differences in Autistic Traits and Adaptive Skills」 iii) 引用中の文献番号「19)」は次の論文です。 「What Is the Male-to-Female Ratio in Autism Spectrum Disorder? A Systematic Review and Meta-Analysis」 iv) 引用中の文献番号「20)」は次の論文です。 「Sex/gender differences and autism: setting the scene for future research」 v) 引用中の文献番号「21)」は次の論文です。 「Sex and gender in psychopathology: DSM-5 and beyond」 vi) 引用中の文献番号「22)」は次の資料です。 「未診断自閉症スペクトラム児者の精神医学的問題」 vii) 引用中の文献番号「23)」は次の論文です。 「Sex Differences in Social Adaptive Function in Autism Spectrum Disorder and Attention-Deficit Hyperactivity Disorder

[2] ASD の併存症の有病率
上記「ASD の疫学」としての「ASD の併存症の有病率」について、同「1.5.3 ASD」の「c. ASD の併存症の有病率」における記述(P31)を次に引用します。

診断基準が DSM-5 に改訂された際,ASD とその他の精神疾患を併記することが可能になり,ASD の併存症への関心が高まっている.ASD をもつ人は,定型発達の人と比較して精神疾患の有病率が高く24),約 70% が 1 つの併存する精神疾患を,40~50% が 2 つ以上の精神疾患をもっていると推定されている5, 25).ASD における併存症は社会的な適応の困難さを著しく増加させ,日常生活に影響を与え,生活の質を低下させる.96 の研究をまとめたメタアナリシスでは24),併存症の有病率は,ADHD 28%,不安症 20%,睡眠-覚醒障害 13%,秩序破壊的・衝動制御・素行障害 12%,抑うつ障害 11%,強迫性障害 9%,双極性障害 5%,統合失調症スペクトラム障害 4% と推定された.抑うつ障害,双極性障害統合失調症スペクトラム障害は年齢が高くなるほど多くみられ,女性が多い研究では,抑うつ障害の割合が高いことも報告された.ASD がこれらの精神疾患のリスクを高めるとするなら,これらの疾患を発症する可能性が大幅に高まる青年期には,特に臨床的な注意が必要である24).
身体疾患の併存症についても多くの研究が出版されており,24 のレビューをまとめたアンブレラレビュー26) によると,ASD をもつ人では,睡眠の問題,てんかん,感覚の障害,アトピー性皮膚炎,自己免疫疾患,肥満の有病率が一般人口と比較して高いことが報告されている.ASD とこれらの身体疾患に共通する神経基盤についてはいまだ解明されていない.

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の文献番号「5」は次の本です。 「American Psychiatric Association : Diagnostic & Statistical Manual of Mental Disorders, 5th ed. American Psychiatric Association, 2013(高橋三郎,他監訳:DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,2014)」 iii) 引用中の文献番号「24)」は次の論文です。 「Prevalence of co-occurring mental health diagnoses in the autism population: a systematic review and meta-analysis」  iii) 引用中の文献番号「25)」は次の論文です。 「Autism」 iv) 引用中の文献番号「26)」は次の論文です。 「Umbrella systematic review of systematic reviews and meta-analyses on comorbid physical conditions in people with autism spectrum disorder」 v) 引用中の「ASD の併存症」に類似するかもしれない「ASD の併発症」についてはその割合を含めて、同の 3 治療 の「3.3 併存疾患1.5 疫学(有病率) の 1.5.3 ASD の疫学 の「b. 男女別の ASD 有病率」における記述(P100)を次に引用します。

近年,難治な精神疾患では,発達の問題を基盤に有していることが多い.その中でも,特に自閉スペクトラム症ASD)の特性による環境への適応障害等が原因となって二次障害として生じる精神科疾患が注目されている.ASD の併発症とその割合では,不安症(42~56%),うつ病(12~70%),睡眠障害(52~73%),注意欠如・多動症ADHD)(28~44%),強迫症(7~24%),摂食障害(4~5%)などが知られている1).(後略)

注:i) この引用部の著者は大島郁葉?です。 ii) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Autism

≪余談9≫『ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある』ことについて、その他

標記について「ピアサポートがうまくいく理由」を含めて、加藤進昌著の本、「ここは、日本でいちばん患者が訪れる大人の発達障害診療科」(2023年発行)の 第6章 発達障害の〝本質〟はどこにあるのか の『ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある』及び「ピアサポートがうまくいく理由」における記述(P204~P215)を次に引用します。

ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある

「アイトラッカー」でASDを鑑別する

近年、「アイトラッカー」(視線自動計測装置)を用いて視線の動きをチェックし、ASDの特徴がみられないかどうかを調べ、ASDの診断につなげる研究が進んでいます。被検者が検査室に入ると、モニター画面に3人の人が会話している動画が10秒間映し出されるのですが、その間、被検者の視線がどこに向けられるかを調べるのです。
定型発達の大人にこの検査を実施すると、通常、話している人の目に視線が向きます。話し手の目を見ながら話を聞くという形が一般的なスタイルです。定型発達の子どもの場合は、目ではなく、口を見ることがわかりました。話すときは、目よりも口のほうが激しく動くので、子どもは動かない目よりも、動いている口のほうに注意が向くのです。いずれにせよ、定型発達の人は、大人でも子どもでも、話している人の顔に注目します。
では、ASDの人はどうでしょうか。ASDの患者さんに、このアイトラッカーの検査を実施してみると、話す人の顔に注目しないことが明らかになりました。定型発達の人は、会話している人に視線を向けるのですが、ASDの人は、会話している3人に均等に視線を向け、手や背景のモノにも視線が移っていることがわかりました。つまり、ASDの人は、視線が会話に同調しないのです。
これとは別に、ASDの人のまばたきのタイミングに関する研究も報告されています。一般的に、人は目の前の人がまばたきをすると、無意識のうちにそれに合わせて、自分もまばたきをします。実際に、定型発達の被検者に、人がしゃべっている動画を見せると、その人がまばたきをした直後に被検者もまばたきをします。人間は、会話する際には無意識に相手に同調するわけです。見方によればそれは人類共通の防衛反応といえるかもしれません。目をつぶっている間は無防備になるため、生物にとって非常に危険な状況ですから、周りの生物とまばたきを同期させることで、身の危険を小さくしているのでしょう。
ところが、ASDの人は、動画でしゃべっている人のまばたきのタイミングに合わせることはありません。まったく違うタイミングでまばたきをします。当然といえば当然で、人の顔や目を見ようとしないASDの人が、目の前の人のまばたきの動きを感知するはずがありません。人類の防衛反応の理屈からすると、安全性を欠いた反応ともいえます。
この2つの研究からわかるように、ASDの人は他者に関心をもたず、他者が何を考えているか、どこを見ているかにも興味がなく、他者と何かを共有しようとか、共感しようという意識も乏しいことがうかがえるのです。

「共同注視」が苦手

子どもがASDかどうかを児童精神科の医師が診断するときには、親に「共同注視」の有無について聞くことがよくあります。「共同注視」とは、他者が見ている対象物に自分の視線を向けることを指します。たとえば、母親が空を指さして、横にいる子どもに「ほら、見て」と声を掛けると、定型発達の子どもであれば、母親が指している方向の空を見上げ、飛行機を探します。つまり、母親と子どもが、同じ対象物(ここでは飛行機)を一緒に見て、情報を共有し、共感します。これは「共同注視」ができているということです。
ところが、ASDの子どもの場合は、同じ場面で空を見上げません。注目するのは空ではなく、母親の指先です。たったいま動いた母親の手のほうに関心が向き、そこに視線が移るのです。「ほら、見て」と言われた言葉に、ある意味で正しく反応しているともいえますが、母親と共感していないのです。母親が自分に見てはしいものが何であるかが、ASDの子どもには想像できないために、母親と視線を共有することができません。他者と「共同注視」ができないということは、ASDの典型的な特徴のひとつといわれています。「字義通り性」と呼ばれる特徴です。
「共同注視」のように、定型発達の人が誰から教えられるでもなく、成長過程で知らず知らずのうちに獲得できていることが、ASDの人にはできません。しかし、誤解しないでほしいのですが、ASDの人も、きちんと言葉を補って、見るべき方向を指示してあげれば、同じ対象物に視線を向けることができます。

メタ認知」の弱さがある

ASDは社会性の障害といわれています。しかし、「社会性の障害」という問題は、歴史的には統合失調症の症状として初めて記載されました。自閉症を発見したレオ・カナーは、当初は自閉症を「生まれながらの統合失調症」として報告しました。しかし今日では、自閉症統合失調症はまったく異なる疾患として分類されるに至りました。
自閉症の本質はどこにあるのか、という大問題に対して、これまでにいくつかの仮説が提唱されてきましたが、決定的な結論には至っていません。自閉症の延長として考えられるに至ったASDが加わった今日、それらを統一する理論はまだわかっていないと言わざるを得ません。
ASDの社会性の乏しきは、その特性ともいえる、「共同注視」ができない、他者が関心を示す対象に同調しない、他者の存在が見えていないといったところに〝本質〟があると私は考えています。そして、他者への意識がない(低い)ということが、結果的に自分を客観視することができないというところに結びついているのだと思います。
それは少し難しい言葉でいうと、「メタ認知」の問題だといえます。「メタ」(meta)とは「外側(客観)の」という意味で、直訳すれば「客観的認知」ということですが、かみ砕いて言えば、自分の認知のあり方を、さらに一段高い外側の視点がら俯瞰して認知することを指します。
メタ認知」は、「メタ認知的知識」と「メタ認知的技能」に分類されます。「メタ認知的知識」とは、「メタ認知」に必要な自分の情報のことで、具体的には自分の性格や長所短所、好き嫌いなどを指します。ASDの人は「メタ認知的知識」に弱さがあり、自分のことを客観的にとらえることが苦手です。自分の性格がどんなふうか、自分の得意なこと、不得意なことが何かといった自己分析がズレていることが多いのです。
また、「メタ認知的技能」とは、「メタ認知的知識」に基づき、自分の状態を客観的にモニタリングし、そのつど最適な行動がとれるように知識の不足を補い、感情をコントロールして、行動を改善させる能力のことを指します。自分を確認するモニタリングと、確認に基づく感情や行動のコントロールを循環させることで、人間は適応行動がとれるのです。
ASDの人の場合、前提となる「メタ認知的知識」に弱さがあるために、「メタ認知的技能」も低い傾向があります。誤った自己分析に基づいて、自分をモニタリングしたり、コントロールしようとしてもうまくいくはずがありません。その結果、定型発達の人のように、その場その場の状況に合わせて適切な判断や行動をすることが困難になるのです。
ASDの人は、その特性から他者への関心が低く、他者目線で自分を見ることができにくいため、他者と比較して自分を客観視することができず、誤った自己分析に陥りがちで、「メタ認知」が弱くなる傾向にある、ということです。特に、社会経験の浅い、若い人では、社会経験から学び取る情報をもとに、自分の認知のズレを修正する機会も十分に得られていないため、その傾向が顕著に現れます。裏を返すと、「メタ認知」の弱さは、社会経験を増やすことによって補える可能性があるといえるかもしれません。

ピアサポートがうまくいく理由

認知行動療法ではうまくいかない

他者の存在を意識しにくく、「メタ認知」の弱さがあるASDの人に、精神科で一般的に行われる認知行動療法がうまくいくかというと、そこに疑問符がつくことは否めません。
認知行動療法とは、患者さんの認知に働きかけて気持ちを楽にしたり、偏った思考を修正したりする精神療法(心理療法)です。たとえば、強いストレスにさらされた患者が自分のことを「無力な人間だ」と認知するようになってしまっている場合、医師やカウンセラーが、「無力な人間」という患者の思い込みが現実と照らし合わせて食い違っていることに気づかせ、その認知の歪みを少しずつ修正していくものです。
こうした治療法は、不安障害やうつ病の患者さんには有効ですが、ASDの人に対して実践してみると、まったく手応えがないのです。ASDの人には、自分で自分をどう思っているかという意識、言い換えると「自我意識」のようなものがほとんどないように見えます。定型発達の人間から見ると、「何を考えているのかわからない」「何がやりたいのかわからない」といったふうにしか見えません。
そういう人に、「あなたのこの部分は世間の常識とズレているから、考え方を変えたほうがいいですよ」などと言っても、まったく響きません。本人も、「そうか。自分のここが社会の常識から外れているから、修正しなければいけないな」というふうに、受け止めることができないのです。ですから、時間をかけて認知行動療法を重ねていくといった手法では、ASDの人は救われません。
医療や心理の専門家であっても、医師やカウンセラー自身はASDではありませんから、所詮、ASDの人の気持ちにはなれないのです。当事者の本質の部分に触れられないまま、「こう考えるとうまくいくよ」「こうやるとうまくできるよ」という考え方やノウハウを教えて、なんとか社会に適応してもらおうと思っても、一向にうまくいきません。
ASDの人は、処世術のために、自分の意に反した考え方やマニュアルを採用するメリットを感じることはないからです。「理にかなっている」と自ら納得しないと、その考え方ややり方を受け入れ、実践に移すことはないというASDの特性から、世渡りのために、不本意な手段を甘んじて受け入れるという選択をしないのです。他者がどのように見るかということを配慮して「嘘も方便」という選択を私たちはしばしば採用しますが、そういう方策には思い至らない、というわけです。定型発達の人であれば、処世術として割り切って受け入れるであろう得策を、ASDの人は容易に受け入れることはできないのです。

仲間と始める〝共感する経験〟

他者への意識や関心が低いASDの人に、自己洞察を期待して認知行動療法を試みてもうまくいかないということがわかり、「とにかくやってみよう」と取り組んだのが、ピアサポートをベースにしたディスカッションや、ソーシャルスキルレーニングなどのASD専門プログラムでした。取り組みを始めてから15年を経ましたが、この方法が、当事者の社会適応力の向上に一定の成果を示すことが明らかになり、同じような試みを始める専門機関も増えています。このプログラムが成果を上げている大きな要因として、プログラムの実践の場に、〝同じASDの仲間がいる〟ということがあげられると考えています。
ASDの人の「メタ認知」の弱さには、他者を意識し、他者と自分を比較し、自己理解を深める能力の乏しさという背景があるように思います。定型発達の人は、幼い頃から他者に関心をもち、人と共感したり、批判し合ったりする経験を経て、自我を形成し、自己理解を深めることが自然にできます。そういうことを学校で教えてもらうことはありません。あまりにも当たり前だからです。ASDの人の場合は、他者と関わる能力がなぜかはわかりませんが、ほとんど欠如しているように思えます。そのために、自我意識も育ちにくく、「メタ認知」も成熟しないといえます。ただし、それは、ASDの人に自我形成がまったくできないということではないように思います。同じASDの人同士を集めて実践するピアサポートの場では、比較的自然に、メタ認知の乏しさを補うことができているのです。同じ特性をもっている人同士の場では、なぜか「わかりあえる」ようです。
ASDの人が関心を寄せたり、会話を楽しんだり、共感したりできる〝他者〟というのが、ほかでもない、同じ特性をもち、同じ悩みを抱えるASDの人であるということではないかと思います。そういう場では、彼ら同士はなぜか「仲良し」です。〝コミュ障〟などということはまったくありません。
定型発達の人とは話が噛み合わず、共鳴し合うことができないASDの人が、ASDの人となら共感できるということが、デイケアを実践していくうちにわかってきました。このことは、ASDの治療において、大きな収穫だったといえます。
大学を卒業し、専門的な知識や技術を身につけたASDの患者さんであっても、「デイケアに通って、就労を目ざしませんか?」と最初に働きかけても、反応は乏しいと言わざるを得ません。彼らの多くは、社会参加を必ずしも求めていないのです。
その人たちを説得し、デイケアに通ってもらっているうちに、ASDの仲間とコミュニケーションをとり、他者と関わる経験を重ねながら、しだいに自己洞察ができるようになり、それまでとは違う人生の目標や楽しみが見つかるようになっていきます。そして、最終的に、社会で活動したり、仕事をしたりすることの意味を自ら見いだし、「社会参加してみよう」「就労してみよう」という考えをもつようになる人もいます。
「仕事に就くメリットがわからない」と言っていたASDの人が、1年後、2年後にスーツ姿で会社勤めをしているという事例もみられるようになってきました。本来、仕事をする能力は十分にもっている人たちですから、嬉しいことです。その事実こそが、ピアサポートの意義の証明になっていると思います。

注:(i) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 加えて、上記「メタ認知」に関連する、 a) 「メタ認知能力の発揮を促す手立ての開発」については資料『理科の資質能力を育む「主体的・対話的で深い学び」の実現 -メタ認知能力の発揮を促す手立ての開発と有効性の検証-』を、 b) 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」については資料「メタ認知療法からみたマインドフルネス」を それぞれ参照して下さい。 (ii) 引用中の「自己洞察」に関連するかもしれない「内省」に関して(自閉症スペクトラム障害の文脈における)「実際にカウンセリング場面で出会う人の中にはほとんど悩まない、内省しないという人もいる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185344/1/KUCC_042_41.pdf:title=自閉症スペクトラム障害の人の内面の理解]」の「Ⅳ メンタライジング」項 (iii) 引用中の「ピアサポート」がASDの人には非常に効果的なことについて、同の 第4章 発達障害を〝治す〟ということ の デイケアではどんなことが行われるのか の『プログラムの効果と「ピアサポート」』における記述(P167~P168)を次に引用します。

発達障害の人に、デイケアやショートケアでこれらのプログラムに取り組んでもらうことで、自己理解が深まり、他人との意思疎通が図れるようになったり、人によっては就職までつながったりするなど、一定の成果をみることができています。
また、プログラムに参加した発達障害の人の多くが口にするのが、自分と同じ特性をもつ〝仲間〟の存在の大きさです。ほとんどの参加者が、「ここで初めて話が通じる人に出会えた」「自分がひとりではないことに気づいた」と話します。
同じASDの人と出会い、会話するという経験を、多くのASDの人はこれまでの人生でしてきていません。周囲に理解者はいたとしても、正真正銘のASDの当事者と対面し、対話するのは、デイケアの場が生まれて初めてという人が大半です。そこで、同じ生きづらさをもっているASDの人の存在を知り、お互いに共感したり、体験を共有したりするといった貴重を経験ができることになるのです。
医療機関や専門施設などで、発達障害に詳しい医師やカウンセラーがASDの人からいろいろな話を聞き、理解し、寄り添うことはできますが、本当の意味で完全にわかり合うことは、残念ながらできません。専門家といえども、歩み寄ることには限界があります。しかし、当事者同士なら非常によくわかり合えます。
自分と同じ感覚をもった仲間がいる場所で、ASDの人は安心して自分の本音を話すことができます。実際、最も身近な家族よりも、もっとわかり合える仲間なのです。そういう〝居場所〟があるということが、ASDの人にとって大きな意味があるのです。
このように、同じ障害や疾患をもつ人同士が対等な関係でコミュニケーションをとり、情報交換をしたり、相談し合ったりすることで、お互いを支え合う援助法が「ピアサポート」なのです。
ASDの人には、この「ピアサポート」が非常に効果的です。仲間となら共感でき、コミュニケーションがとれ、関係性を築くことが可能になります。その経験を生かして、社会への適応力の向上に結びつけることができるのです。

≪余談10≫自閉スペクトラム症に関連する上記以外の他の拙エントリにある記事へのリンク

標記記事へのリンクを次にリストアップします。

[A] 『自閉スペクトラム症における「グレーゾーン群」という診断の提案について』は他の拙エントリのここを参照して下さい。
[B] 「自閉スペクトラム症者におけるカタトニア(症状群)の例」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[C] (自閉スペクトラム症において)『予後を決めるのは障害の重さではなく,「助けてもらうパターンを身につけたかどうか」である』ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。
[D] (ASDにおいて)「理解としては発達障害を広くとり、診断としては発達障害を狭くとる」こと及び「診断としてはグレーであっても、その時点で支援に移るという」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。
[E] 「社会変化と広汎性発達障害(又は自閉スペクトラム症、ASD)の関係及び発達障害の方に適した職業」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[F] 「強迫症自閉スペクトラム症との関連」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[G] 「ASDの長所」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[H] 「ASD についてもインターネット依存との関連性が明らかになっている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
[I] (超一流大学に進学した高機能のASDの成年女子において)「与えられた問いに正解を出すことだけが面白くて勉強してきたので、自ら興味関心のある研究テーマも見出せなかった」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
[J] (ADHDと)ASDとの併存の相乗効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。