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まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作成者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】

はじめに

ここは、エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」の旧後半部としての項目【その他余談】に位置づけられるエントリです。本エントリ内の「目次に戻る」をクリックすると、元エントリの目次に戻ります。

一方、【その他余談】は境界性をはじめとしたパーソナリティ障害を主体に書き始めました。その名残が目次に残っているかもしれません。【その他余談】の目次は次のとおりです。

≪主な改訂の履歴≫
2017年2月14日、26日、3月29日、4月2日、10日、20日、24日、5月12日、14日、20日、27日、6月4日、7月2日、13日、24日、8月14日、18日、9月11日:文章の追加・訂正等の改訂をしました。

【その他余談】

以下の項目(a)~(h)、(i)及び(j)は、それぞれパーソナリティ障害*5愛着障害*6及び統合失調症に関する記述です。ちなみに、パーソナリティ障害と愛着障害とは部分的に関連するかもしれません。加えて、トラウマの問題と愛着の問題(ここ参照)は密接に関連します。ちなみに、i) パーソナリティ障害の一部である「境界性パーソナリティ障害」、及び「統合失調症」については、共にリンク集を参照して下さい。 ii) 次の(a)項における引用は愛着障害に関する記述でもあるかもしれません。加えて、以下の項目(k)(l)(m)(n)(o)(p)及び(q)は、それぞれ失感情症、EMDRの論文、ストレス応答のSAM系、弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題、マインドフルネスに関連する論文、慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察及び瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少についてのものです。ちなみに、本エントリにおいて、「あるがまま」と「ありのまま」を使い分けていることがあります。この場合には、前者は「森田療法」(参照)を考慮しており、後者は考慮していません。ただし、引用においては、原文を優先させています。ちなみに、境界性パーソナリティ障害について3分半で解説するツイートはここを参照して下さい。

(a)メンタライジング・アプローチの視点からの境界性パーソナリティ障害
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「1 BPD の病理と成因」における記述の一部(P204~P207)を次に引用します。

この節では,BPD の病理とその成因について,Fonagy と共同研究者たちの見解を紹介します。以下の説明において,とくに引用を示していない場合には,Bateman & Fonagy(2004, 2012),Allen & Fonagy(2006),Allen et al.(2008)に基づく記述であるとお考えください。Fonagy たちは,BPD の病理の中核にメンタライジング能力の機能不全があると考えます。メンタライジングの機能不全と表裏の関係にあるのが前メンタライジング・モードの出現です。BPD において最も目立つのは,心的等価モードです。このモードでは,考えたこと,感じたこと,想像したことが外界に「本当に」存在するように見えてしまいます。BPD 患者と面接したことのあるセラピストなら,BPD 患者がわずかな根拠に基づいてセラピストを含む他者の心に悪意を帰属させる現象を経験していることでしょう。次に,ふりをするモードでは,経験が現実から解離され,現実に根ざしておらず,情緒的体験とは無縁の語りが続くことになります。目的論的モードにおいては,精神状態(感情や欲求など)は,心的体験として認識されることなく,目に見える行動や身体的表現の形で表出されます。自傷行為もその代表例です。また,BPD 患者は,セラピストとの関係に由来する不満や感情をそういうものとして認識できず,心理療法場面外で行動化することがあります。
さらに,Fonagy たちは,メンタライジングの障害とともに感情調整の不全が BPD の中心的問題であると考えています。感情調整の不全は,注意制御の障害とも関連しています。そして,この2つの障害の背景として愛着の問題があるのです。これらの関係を図示したものが,図 6-1 です。なお,この図には記載されていませんが,Fonagy たちは,このような関連を生じさせる要因の1つとして先天的要因(気質など)も考慮しています(Bateman & Fonagy, 2006, 2012)。
まず,感情調整の不全については,BPD 患者のほとんどが感情の不安定さを自己報告しますし,感情的反応性が高く,とくにネガティヴな感情を体験しやすいことがわかっています。第2章と第3章でも述べたように,感情調整は,感情のメンタライジングと深く関連しています。自分の感情を同定し,認識できることが調整への第一歩だからです。感情を認識するためにはその感情の表象が必要であり,感情の表象が貧困であれば繊細な感情認識は困難です。メンタライジング能力を獲得するためには,乳幼児期に自分の感情を養育者から随伴的かつ有標的に映し出してもらうことが必要です。このような随伴的・有標的ミラリングにおいて養育者が映し出す感情は,その直前に子どもが表出した感情であり,養育者自身の感情ではないことがわかる標識(mark)を備えています。つまり,その感情が少し誇張されて表現されていたり,そこに慰めが付加されていたり,正反対の感情と組み合わされていたりします。養育者によるミラリングが随伴的・有標的であれば,子どもはそこに映し出されている自分の感情を表象として内在化することができます。こうして,心の中に感情の表象が育つと,これを用いたメンタライジングが行われるようになります。しかし,随伴的・有標的なミラリングが不十分であれば,子どもの感情表象が乏しくなり,感情認識も貧困になります。そして,随伴的・有標的なミラリングが十分に行われる親子関係は,子どもの安定した愛着と親から子どもへの愛情に支えられた関係であることは言うまでもありません。子どもの愛着を不安定化するような親子関係・家族関係の中では感情調整の能力は育ちにくいのです。
次に,感情調整と密接に関連しているのが,「注意制御」です。注意制御というのは,特定の対象に注意を向けるとか,ある対象から別の対象に注意を移行させるために元の対象への注意を抑制すること,つまり注意の「エフォートフル・コントロール」(effortful control)のことです。脳機能の次元で言えば,前頭前皮質における「実行機能」(executive function)の問題です。例えば,BPD 患者は,それほど重要でない情報への注意を抑制することができず,すべてに等しく注意を向けてしまうため,ネガティヴな情報にとらわれやすく,何でも自分と関連づけて考えてしまうことが,実証研究からわかっています。そして,この注意のエフォートフル・コントロールあるいは実行機能においても,愛着関係の影響が顕著なのです。例えば,Kochanska と共同研究者たちによる縦断的研究(Kochanska et al., 1996, 1997, 2000)から,幼児と母親との安定した愛着関係において行われるメンタライジング的相互交流は,幼児においてエフォートフル・コントロールによる自己制御を促進し,母親による制御と統制の必要性を減少させることがわかりました。このような自己制御は,適応的・互恵的な対人的交流を行う能力にも寄与します。対照的に,非メンタライジング的交流は,エフォートフル・コントロールによる自己制御を衰退させがちであり,対人的交流にも悪影響を及ぼします。BPD は,このような有害な発達過程がもたらした結果と考えられるのです。
さて,子どもの不安定な愛着および親子の非メンタライジング的交流と結びつているのが,親による「不適切な養育」(maltreatment)です。BPD 患者の幼年期には不適切な養育が高率でみられるのですが,BPD と関連が深いのは身体的虐待や性的虐待ではなく,心理的虐待,ネグレクト,情緒的関わりの乏しさです。そして,虐待的行為というよりも,そのような行為を生み出す家族環境を,Fonagy たちは重視しています。メンタライジングにおいて行われる精神状態の理解,とくに感情の理解は,家族における感情についての率直な語り合いから生まれます。ですから,BPD においてメンタライジングの機能不全をもたらす中心的要因は,「精神状態に関する筋の通った語り合いを減退させる環境家族」(Allen et al. 2008)であると,Fonagy たちは考えています。
さらに,不適切な養育を伴う親子関係において,子どもが愛着に関する剥奪や傷つき,つまり愛着トラウマを経験するとき,このトラウマがもたらす影響がいくつかあります(表 6-1)。まず,子どもは養育者から露骨な悪意を経験すると,再び悪意を経験する苦痛を避けるための防衛として,他者の考えや感情について考えること抑制するようになります(メンタライジングの防衛的抑制)。次に,人生早期にトラウマなどの過剰なストレスを経験すると,脳神経の喚起メカニズムの機能が歪み,通常よりもはるかに低いレベルの脅威を重大な脅威と判断しやすくなります。そして,わずかな脅威によって,統制された(明示的)メンタライジングから自動的(黙示的)メンタライジングへの移行が生じます。言い換えれば,わずかな脅威に対しても闘争-闘争反応への移行が起きやすくなります。第三に,愛着トラウマは愛着システムを活性化させ,愛着対象に接近しようとする欲求と行動を激化させます。しかし,愛着対象が虐待的であれば,そのような愛着対象への接近は,新たなトラウマにつながります。そうなると,愛着システムはさらに激しく活性化されます。愛着システムの過剰な活性化が長期間持続すると,愛着対象に安心と慰めを求めることだけが関心事になり,メンタライジングは抑制されてしまいます。第四に,虐待的な養育者のなすがままになっているのではなく,虐待者をコントロールしているという錯覚を得る手段として,「攻撃者との同一化」が生じます。つまり,子どもは,攻撃者の憎しみと同一化し,自己の中に自分自身を憎む部分を「よそ者的」な(解離された)部分として内在化するのです。この「よそ者的自己」(alien self)は一時的な救いをもたらしますが,虐待者の破壊的意図が自己の外側ではなく内側から体験されるようになり,耐えがたい自己憎悪が生じるようになります。これは,例えば,自傷行為や自殺企画などの自己破壊的行為として表れます。完全な養育を受ける人はいませんので,誰でもよそ者的自己は多少は持っていますが,BPD においてはよそ者的自己が増殖し,自己構造の断片化が起きるほどになります。自己の断片化とは,自己にまとまりや連続性が感じられず,無意味感,無価値感,空虚感などに苛まれる状態です。この状態は非常に苦痛ですので,それを回避するためによそ者的自己を外在化する防衛(投影同一視)が用いられます。(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)のことです。 ii) 引用中の「表 6-1」を以下に引用します。ただし、「図 6-1」の引用は省略します。 iii) 引用中の「メンタライジング」、「心的等価モード」、「ふりをするモード」、「目的論的モード」、「投影同一視」及び「よそ者的自己」はそれぞれ他の拙エントリのここ(メンタライジング)ここ(心的等価モード)ここ(ふりをするモード)ここ(目的論的モード)ここ(投影同一視)ここ(よそ者的自己)を参照して下さい。 iv) 引用中の「闘争-闘争反応」は誤記で、正しくは「闘争-逃走反応」であると引用者は考えます。 v) 引用中の「不適切な養育」についての注意は、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 境界性パーソナリティ障害についての本の紹介例が次のエントリに示されています。「パーソナリティ障害について」 ちなみにこの本の一部の記述を(c)項及び他の拙エントリのここで引用しています。 vii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。 viii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害

表 6-1 愛着トラウマとメンタライジングの機能不全(Bateman & Fonagy, 2010)
(1) トラウマ的体験は,メンタライズする能力の防衛的抑制をもたらす。
(2) 人生早期のトラウマは,喚起メカニズムの機能を歪め,自動的メンタライジングが生じる閾値を低下させる。
(3) トラウマに刺激されて愛着システムの持続的喚起が生じると,それはメンタライジングにおける特有の機能不全をもたらす。
(4) 攻撃者との同一化は,内在化された「よそ者的自己」の解離をもたらすことがある。

注:i) 引用した表 6-1 は形式を変更して表示しています。 ii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。

(b)境界例のイメージと具体例
注:ここにおいては、境界性パーソナリティ障害境界例に含めて紹介しています。。

平井孝雄著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第11章 境界例と無明 の 第一節 境界例とは? の「第2項 境界例のイメージについて」、「第3項 境界例の具体例」及び「第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係」における記述又は記述の一部(P286~P295)を次に引用します。この引用にはケース提示を含みます。

第2項 境界例のイメージについて
筆者自身の経験、他の仲間から聞いたこと、書物などから得た知識を総合したイメージだが、大体以下の特徴が浮かんでくる。

破壊的行動
まず境界例状態に陥っている人の一番目立つ行動は、破壊的な行動障害だろう。すなわち、ちょっとしたきっかけで手頚を切ったり、薬を大量にのんだり、すぐに死のうとしたり、また器物を破壊したり、家族に暴力をふるったり、過食や拒食や見境なしのセックスに走ったりといったことだが、家族はこれでまずびっくりさせられ、そしてそれが頻繁になるにしたがい、苦悩に追い詰められていくのである(もちろん、本人も幸いのだが)。

傷つきやすさ
またこれと関係して、ちょっとしたことでひどく傷つきやすい精神の持ち主だと言えるし、さらに自分の衝動や欲求をコントロールすることも苦手である。この傷つきは本人に、うつ症状(抑うつ感、むなしさ、孤独感など)や身体症状(不眠、頭痛、めまい、身体の麻痺など)や精神症状(強迫症状、対人恐怖、離人感といった神経症症状だけでなく、幻覚妄想といった精神病症状、健忘を伴う突然の解離性行動など)、さらには今述べた破壊行動等多彩な症状をもたらす。

アラジンの魔法のランプ願望
この傷つきやすさと関係するのだが、境界例では他者(家族や治療者といった重要対象)を理想化すること(相手は万能であって、何でも自分の思いどおりに動いてくれるはずだ、完全に自分の味方だといった)がとても強い。しかし、こうした理想化、期待し過ぎは当然幻想的なもので、現実(相手は自分の理想どおり動かない)に出会うともろくも崩れてしまう。
しかし、その現実を受け入れられず、今度は逆に相手をものすごく非難し攻撃するのである。すなわち境界例にあってはアラジンの魔法のランプ願望が、非常に強いと言える(治療者や家族といった相手を神様のように仕立て、奴隷のようにこき使い、意に沿わないと悪魔のように無茶苦茶に蔑むといった)。

対人関係の不安定さとコントロールカの低下
したがって、対人関係は非常に不安定なものとなり、ある時は相手をすごく賞賛し頼っていたのが、ある時は逆に「冷たい」「意地悪」「無能だ」と言ってけなしたり、攻撃したりしてしまうのである。こうした不安定さも周りの人々(家族、治療者など)をひどく困惑させる。
また、困ったことにこの攻撃はいったん始まると、先述したように自己コントロールが難しいため、一度怒りの感情をぶつけると止まらなくなるのである。
この自己コントロールのなさや理想化とも関係するのだが、彼らは自己の確立ができていない。すなわち「自分が何ものであるのか」「自分は何をしたいのか」「自分は周りとどのように付き合っていけばいいのか」といったことに対して明確なイメージを持てていない。また表面的に社会に合わせていく自分を持っている場合もあるのだが、それは仮の自己であることが多い。つまり自己同一性の障害が強いと言えるだろう。

自己の未確立
このように真の確固とした自己が確立されていないから、常に見捨てられ不安が強くひとりでいることができないし、また心の中はいつも憂鬱さやむなしさが占めていると言える。それで必死に周りの人間にしがみつくのである。
そして、自分で何も決められないので周りの人に決めさせるが、周りがどの決定をしても本人には気に入らないことになり、周りに文句を言い、それで周囲の人間はいっそう困惑するということになる。
ざっと以上のようなイメージだが、読者の方は、読んでいるだけで大変な状態だと思われたと思う。ただ、境界例患者を持った家族の方、境界例と関わったことのある治療者や周辺の方々(学校の先生、友人など)は、いずれもその大変さに思い当るところが多いのではと思う(一番大変なのは本人だと思うが)。
ただ、今のような点は、何も普通の人間からかけ離れたものではなくて、人間に共通する弱点という気がする(これは、神経症でも統合失調症でも同じことだが)。そして、特に人間の中の幼児性が強くなったというか、まだ大人の部分が未発達というように言えるかもしれない。

境界例の診断基準
ここまで、述べてきたついでに、境界例(正確には境界例人格障害)に関する、アメリカの診断基準があるので、それを以下に述べておく。
①不安定を対人関係
②衝動性
③感情の不安定性
④不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)
⑤自殺の危険性、自殺するという振る舞い
⑥自己同一性の顕著な混乱
⑦空虚感、退屈さ
⑧見捨てられ不安とそれを避ける行為
⑨一過性の妄想・解離現象
といったようなものである。

第3項 境界例の具体例
ただ、今の説明だけではまだわかりにくいかもしれないので、実例を手短に挙げさせてもらう。年齢は筆者の初診時である。

十四歳女子中学生
裕福だが複雑で、不安定な家庭環境で育ち、小学六年の時、ちょっとした不満から頭痛や吐き気を訴え、不登校が始まる。いくつかの相談機関を訪れるが、改善せず、そのうち母に対する家庭内暴力や法外な要求が出てくる。中学二年の時は母に包丁をつきつけたり、母を攻撃するかと思えば、母に対するしがみつきも強い。

十七歳女子高生
感じやすい子。とても良い子で成績もよく親の自慢の子で反抗することがほとんどなかった。ただ本当に仲のよい友達がいなかったらしく、中学半ばで引きこもりやうつ状態に陥る。一時的によくなるも生き生きしたところは回復せず。高校より、唯一の頼りであった成績が低下し手頚を切る。頭痛、不眠も始まり精神科に通院するが薬物大量摂取が起きる。また精神科医に対する見捨てられ不安で自殺願望が強くなり、治療者のもとを訪れる。

十七歳女子高生
父親不在(仕事のため)で母子が密着。高校まではがんばりやで優等生。しかし高校で成績が低下し、先生の注目を集められなくなり、また友達の一言で傷つき、失声となったり過呼吸発作を起こしたりする。精神科治療で失声や過呼吸はましになるも、幻聴、離人感、対人緊張、自殺念慮、被害感が出てくる。治療がすすむにつれ、抑うつ感、自己同一性の障害(自分が自分でない感じ、本当の自分がわからない)、見捨てられ不安を訴える。

十九歳男性
小学一年の頃より、体が弱くて不登校を繰り返す。中学よりささいな事が気になり強迫行動が強くなる。高校三年では友達関係と受験の悩みで胃腸症状が出現。続いてイライラが強まり家で暴れたり、不登校が再発。また精神病院に二回入院するも、すぐにトラブルを起こし退院となる。不安、強迫観念が強く来院。

二十歳男性
身体が弱かった事や母親が神経質であった事もあり、外での遊びが禁止されていた。勉強ばかりで友達がいなかった。中学に入っても孤独の状態が続く。その頃より、心気的こだわり、男子生徒への恐怖、親や教師への暴言、母への家庭内暴力不登校、不眠、自己臭があり、自室に閉じこもる。高校に入学するもすぐに退学。引きこもりが続き、症状が改善しないため、家族が相談に来院。

二十歳女性
チック。友達ができず。小学高学年より強迫症状。中学より嘔吐、発熱等の身体症状。成績はよかったが、高校でささいな事から、再び孤立し不登校。発熱で入院。イライラ、リスト・カット、家庭内暴力が強くなる。某治療者の密着した治療法が外傷的に作用し失立、失歩出現、リスト・カット、家庭内暴力も強くなり来院。

二十一歳女性
小学生の頃から体が弱い。中学三年で友人の死によって失神発作が始まる。高校でも不調でよく不登校。左手知覚麻痺もある。短大二年で知らずにリスト・カット。頭痛のため内科入院。その後頭を打ち付ける行為があり、精神科へ。失声もあり。

二十三歳女性
小さい時から気が小さく、人の中に入っていけなかったが、母が甘いこともあって家ではわがままであった。高校の頃より体が弱いことや交友関係の悩みで不登校になったり勉強に身が入らず、不本意な大学に入学。その後、頭痛、吐き気などに続いてイライラ、家庭内暴力がひどくなり、母を包丁で傷つけたこともある。いくつかの治療機関にかかるが、すぐに気にいらなくて止めてしまう。その後、リスト・カットや自殺行為があり、二回の入院を経て、当院へ。親や恋人は彼女に熱心なのに、本人の見捨てられ感は相当に強い。

二十四歳女性(二児の母)
小さいときからわがまま。中学から不安定、物事の遂行困難、怒りのコントロール不能。十八歳で結婚、出産するも子供の世話ができず。親子喧嘩のたびに大量服薬の形で自殺未遂。治療者にすごく甘えようとするが、甘えを受け入れられないと罵倒する。

三十二歳女性(二児の母)
幼い頃より従順で反抗期がなく、勉強一筋であったが、父が暴力的なこともあり、家庭内での安全感は薄かった。成績は優秀だったが家庭の事情で高校卒業後は就職。その際、対人関係に自信がないということをもらしていた。
就職後、良い上司に恵まれ、一時は順調だったが、結婚した夫が大人になりきれていないため、子育てが終わる頃より、うつ的になると同時に、夫に対する暴力や自傷行為が始まる。入院、外来治療をするも、限界設定や、治療の構造枠がしっかりしておらず、また家族療法的視点が欠けていたため、症状が改善せず、リスト・カットがひどくなったため、筆者とは別の治療者に交代し、問題は残るものの安定をやや取り戻す。

全例に共通するもの
以上、たくさんの例でいささかうんざりされたと思うが、全例に共通するものとして、なにか小さい頃から違和感があったり、良い子で成績はいいが友達は少なかったりということ(逆にわがままな例もある)と、それから多彩な症状や破壊行動(家庭内暴力、リスト・カット、自殺願望など)が印象に残ったと思う。

第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係
これを踏まえて、筆者自身の境界例の印象を言うと、
①いろいろな心の病のそれこそ境界に位置し、カメレオン的に症状が変化する。
②そして特に、神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する。
③すなわち、訴えは神経症のようにしつこく、いろいろなことを気にする。しかし、時として精神病のように現実から逸脱した行動を取ったり、幻聴・妄想といった精神病の症状を示し、現実認識も著しく低下する時がある(自分の問題を人のせいにするといった投影傾向が著しい)。そして、根底では自己の存在感や自信がないといったうつ的傾向が横たわっている。しかし、健常人と同じか、それ以上に鋭い観察・認識ができるため、いっそう自分の症状や他者への不満を強く感じたりして、苦しむ度合いも強くなる。
④先の四つの境界だけではなく、心身症や依存症の状態を示す時もある。
といったことになるだろう。(後略)

注:i) 引用中の「境界例」の表記において、境界例境界性パーソナリティ障害とも呼ばれるが、呼称が長いので境界例という言葉を使用したようです。ちなみに、かつて境界例とは、精神病圏と神経症圏の境界にあるものを示していたようです。これに関連して、岡田尊司の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行)の P83~P84 においては次のように記述されています(【 】内)。【境界性という言い方は、先にも述べたように、当初、精神病と神経症の中間、あるいは精神病と正常の境界線という意味で用いられたが、当時、「精神病」という名のもとに想定されていた疾患は、統合失調症であった。つまり、七〇年代頃までの考え方は、境界性パーソナリティ障害を、統合失調症神経症の境界的状態と見る考え方が主流だった。】*7 一方、本の筆者の見解によると、上記引用にもあるように、境界例とは「神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する」もののようです。 ii) 引用中の「神経症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。「神経症(不安障害)とは?」、「神経症性障害 - 脳科学辞典」 iii) 無明と境界例の関係に関する引用は省略しています。 iv) 引用中の「限界設定」「治療の構造枠」については、(c)項を参照して下さい。 v) 引用中の「見捨てられ不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 vi) 引用中の「不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)」に関連する「怒りや感情のブレーキが利かない」については、ここを参照して下さい。 vii) 引用中の「投影」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「破壊行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ix) 引用中の「解離状態」に関連する「解離」ついてはリンク集を参照して下さい。(用語:「解離(解離性障害)」) x) 引用中の「境界例の診断基準」に関連する「境界性パーソナリティ障害の診断基準:DSM-5」については、次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 ちなみに、上記用語「境界例の診断基準」を本エントリ作者はよく理解できていません。 xi) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。「心身症 - 脳科学辞典」 xii) 引用中の「強迫症状」に関しては、次のWEBページを参照して下さい。「強迫症 - 脳科学辞典」、「松永寿人先生に「強迫性障害」を訊く」 xiii) 引用中の「離人感」に関連する「離人症状」について、平井孝雄著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第六章 境界例とは の「3 境界例の症状」における記述の一部(P119)を次に引用します。

(f)離人症
「現実感がない」「霧がかかっている」「自分がない」「自分というものを感じられない」「現実を生き生きと感じられない」といった訴えが強い。背後に自己不全感、自我同一性の混乱や未確立がある。

加えて、境界性パーソナリティ障害における追加のケース提示として岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第2編 パーソナリティ障害のタイプ――特徴、診断、背景、対処と克服など の (1)境界性パーソナリティ障害 の「変動の激しいお天気屋さん」における記述(P316~P317)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の最大の特徴は、変動が激しいということです。気分の面でもそうですし、対人関係や行動の面でも、短い間に別人のようにガラッと状態や態度が変わってしまうのです。
一時間前に、ニコニコ笑顔で別れたはずなのに、別人のように沈んだ呂律の回らない声で、今、睡眠薬を飲んで手首を切ったと電話がかかってきたりします。冗談のつもりで言った些細な一言で顔色が変わり、ベランダから飛び降りようとしたり、プイといなくなったかと思うと家出してしまったりということが起こります。自分を傷つける自傷行為や自殺企図が多いのも特徴です。だんだんエスカレートすると、ちょっとしたことで一気に落ち込んだり、激情的になり、危険な行動に走ることも頻繁に起こるようになります。
そのためパートナーや家族は、次第に腫れ物に触るか薄氷でも踏むように、本人の機嫌や顔色をうかがいながら暮らすようになります。言いたいことや叱りたいことがあっても、また機嫌を損ねて大騒動になったり、自傷や自殺をされてはいけないと周囲が気を遣って暮らすのです。
このように周囲を心理的にコントロールしたり、振り回してしまうのが境界性パーソナリティ障害の一つの大きな特徴だと言えます。
こうした操作は、一時的には本人に利益をもたらします。周りは本人の機嫌を取り、言うことを聞いてくれます。周りが自分の思い通りにしてくれるので、見かけ上、本人も落ち着いているように見えます。でも、それは一時的なことに過ぎません。
パートナーや家族も、腹のなかではただ機嫌を取っているだけだと感じていて、どこか「作り事」の生活をしているような感じを持っています。本音の部分は本人の前では出せないので、ただ我慢しているのです。しかし、よほど献身的な家族やパートナーでも、いつまでもそんな生活を続けることはほとんど不可能です。(中略)

より具体的に理解してもらうために、ケースをいくつか提示したいと思います。

ケース 1 自傷を繰り返す少女
中学三年の女子生徒。小学六年生の頃からリストカットをするようになり、中学に入ってから一層エスカレートした。学校のトイレにこもって、安全カミソリでリストカットやアームカットを繰り返している。母親と弟の三人暮らし。父親は本人が小学二年のときに母親と別れ、他の女性と家庭を営んでいる。
口癖のように「死にたい」と言い、自殺を予告するようなことを口にする。熱心な教師に話を聞いてもらっているが、その教師がほかの生徒の相談に乗ったりすると、たちまち顔色が変わり、トイレにこもり始める。

ケース 2 親に「責任を取れ」と迫る高校生
十七歳の女子高校生。両親に大切に育てられた。中学までは優等生だったが、念願だった高校に入って急に成績が落ち、母親に対して反抗的になるとともに過食と嘔吐を繰り返すようになった。気分の起伏が激しく、調子よく歌を歌っているかと思うと、真っ暗にした部屋で布団を頭までかぶって寝ている。
食事を持っていっても手をつけないが、夜中に冷蔵庫の物を勝手に平らげてしまう。様子を聞こうと話しかけると急に怒り出す。「お前の言う通りにしてきて、このざまだ。責任を取れ」と母親の髪を掴んで振り回したり、母親が大切にしているタペストリーをハサミで切り刻む。
そんなふうに爆発したあとでは、母親の機嫌を取るようなことを言ったりもするが、それも束の間、本人の気分次第でまた態度が変わる。

ケース 3 家庭内暴力と薬物乱用の果てに
十九歳の男性。薬物乱用のため逮捕されて施設に送られてきた。体にはタトゥーが彫られ、根性焼きの痕もある。気持ちが落ち込み生きていても仕方がないと言い、イライラしていることが多い。
母親は父親よりずっと年下のお嬢さん育ちの女性だった。本人が覚えている母親の姿は、いつも鏡の前に座ってお化粧したり、洋服を取り替えて眺めている姿だった。母親が若い男性と不倫したため、小学一年のときに父母が離婚。母親は本人を引き取る気はなく父親に育てられる。
父親は本人の養育にかなり甘くすぐに金を与えていた。小四のときに父親が再婚し継母がきたが、まったくなつかず、その頃から反抗的になる。学校をさぼったり外泊を繰り返すようになったが、父親は摩擦を避け黙認していた。
中学に上がって急に体が大きくなると、継母の指導を嫌い、家庭内暴力が見られるようになったため、ワンルームマンションを借りて一人住まいをさせる。金がなくなると実家にやってきて暴れる。バンド仲間とつき合い始め、薬物を覚えてからますます生活が荒んでいった。

ケース 4 心と体に傷跡を抱えた女性
二十代半ばの女性。リストカットやアームカットを繰り返し、体には傷跡が生々しく残っている。
学校時代は勉強もそこそこでき、努力家だった。ただ、姉はもっと優秀で、自分は親からあまり認めてもらえていないという気持ちは常々抱いていたと言う。短大を卒業して就職した年に、三十代初めの妻子持ちの男性と恋愛関係になる。両親はそのことを知って激怒し、本人を強く戒めた。相手の男性も急に尻込みし、結局、本人も納得して別れることになった。
その頃から気分が不安定になり、別れた男性に執拗に電話をかけたり、会ってくれと要求するようになった。男性も優柔不断で、あと一度だけという懇願や、「死にたい」という言葉に不安を覚えて言いなりになることもあった。
両親が再度介入し、男性は応じなくなったが、本人は「うつ」になったり、過呼吸の発作がひどくなった。仕事も辞め、母親にべったりまとわりつき、母親を執拗に責める。嫌気が差した母親が少しでも突き放した態度を取ると、「死んでやる」と危険な真似をしようとした。
周囲は本人の機嫌を損ねないようにビクビクして暮らすようになる。夜中だろうと母親を叩き起こして過去のことを蒸し返し、彼氏とのことだけでなく、幼い頃、自分にだけ冷たくしたのはどうしてかと問い詰める。母親は音をあげ、見かねた父親が注意すると、大声をあげて家から飛び出したり、ベランダから飛び降りようとする。
恋愛沙汰からもう三年が過ぎているが、些細なことで傷つくと落ち込んだり、突然自傷したりする。昼間眠り、夜になると不満を言って母親にまとわりつく。母親のほうも疲労しきっている。(後略)

(c)境界例治療事例
平井孝雄著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の「第一三章 境界例治療事例集」における記述の一部(P267~P273)を次に引用します。

▼さらに理解を深めるために、別の事例を提示してくれませんか。
――わかりました。どれも典型例かどうかわかりませんが、いくつかあげてみます。最初のG事例は、治療目標や治療構造や限界設定の大切さを教えられた例です。

[事例G]むさぼり、自己のなさ、限界設定の重要さを示した例-一八歳女子・高校中退

Gは一八歳の少女で、高一のころから不登校となり、家で引きこもる生活になった。そのうち、家庭内暴力が発生し、「こうなったのは親のせいだから、なんとかしてくれ」という訴えが激しくなった。困った両親はカウンセラー(中年女性)のもとへ相談にいくようになった。もともとGは、素直で両親の言うことをよく聞くいい子だったとのことで、今度のことで、両親はとても困惑しているようであった。
カウンセラーは両親に「できるだけ本人の気持ちになって言うとおりにしてあげて」という対応の指導をした。しかし、彼女の荒れはおさまるどころかだんだんひどくなった。両親がこのことを訴えると、カウンセラーは本人に手紙を書いたり、電話をしたりして本人の気持ちをくもうとした。
最初のうち、本人は心をあまり開かなかったようだが、徐々に辛さを訴えるようになり、カウンセラーはできるだけ、その辛さに共感しようとした。その気持ちが通じたのか、本人はカウンセラーのところへ来られるようになり、今までの辛かったことや、とくに母にたいしての不満や怒りや、学校時代の嫌なことについて述べだした。カウンセラーは、さらに共感的に聞くようになってきたところ、面接回数を増やしてほしいと言われ、それに応じた。また面接外にもふらっとあらわれることがあり、それにたいして時間の許すかぎり、誠実につきあおうとした。また喫茶店でも会いたいという本人の希望を満たしてあげていた。
そのうち電話が時間外にかかってくるようになり、それにも応じてあげた。しかし、その電話が深夜に、しかも頻繁で深刻な内容(「親を殺したい」「家にいたくない。カウンセラーの家で暮らしたい。それを受け入れてもらわないと死んでしまう」など)になるにしたがって、カウンセラーは徐々に重荷になってきた。そして、以前から思っていた「これだけ要求を受け入れ、愛情を満たしてあげているのに何がまだ足りないのかしら。もう少し人の迷惑も考えたら」との疑問が生じてきて、ついに「深夜の電話だけはやめてちょうだい」と本人に伝えた。
それを聞いた本人は激怒し「今まで『私の辛さはよくわかる』とか『最後まで見捨てない』と言っていたのは嘘だったのか」と言い「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」と言って、その夜、手首を切った。命に別状はなかったものの、家族からは「最初は少しよかったように思えたけれど、結局、同じようなことになってきて、今はカウンセリングにかかって、かえって悪化した」と言われた。
これを聞いたカウンセラーはすっかり落ちこんでしまい、筆者に相談に来るとともにこのGを引き受けてくれないかという依頼をしてきた。筆者は、境界例の病理を説明するとともに、彼女が来たいならみましょうと述べた。ただ、そうはいっても、彼女はなかなか筆者のもとに来所せず、そのカウンセラーにひきつづきしがみつこうとしたが、カウンセラーが正直に自分の限界を認めたために、Gもしぶしぶ、筆者のもとにやって来た。
最初五回ほどの審査面接をおこない、ある程度の関係ができたあと、面接のルール(面接外の電話は原則として禁止)、限界設定(カウンセリング中は自傷他害の行為はしない。すれば入院)を敷いたあと、面接をつづけた。その面接のなかでわかったことは、「いくら聞いてもらったり、何かしてもらっても、満足しないこと」「ほんとうの満足が何かわからないこと」「満足を感じる自分自身がいないこと」などであった。
この流れのなかで、本人の課題は徐々に「自分で考える」「自分で決める」「自分で行動する」「自分の行動の責任は自分がとる」という自立や自己確立となってきた。そして、本人のもっとも苦手とする問題、境界例にとっては最高の難問「自分がほんとうのところ何を求めているのか」という問題についても考えられるようになった。少しずつ、アルバイトと大検の勉強をしはじめ、大学のデザイン科に入学した。もちろん、そのころは暴力やしがみつきもなく落ち着いた状態だったので、筆者とのカウンセリングは一応終了したが、そのあとも不安になるたびに相談に来ていた。
ただ、入学にいたるまで、筆者との間でも、行動化の頻発やルール破りが続出し、そのたびにそのことをふくめ治療全般のことを話し合うことがくり返された。しかし、いくら話し合っても同じことがくり返され、なかなか自覚が深まらず、治療者がうんざりしかけたときもあった。ただ、根気よく接していると、少しずつ自分の感情や自分の問題点に気づきだし、大字入学までこぎつけたのである。現在は結婚しているが、それでも、ときどき面接を求めてくる。

[事例G解説]
(1)臨床家の多くは十数年前から境界例に悩まされはじめる
▼これは、いつごろの事例ですか?
――一〇年以上前の事例です。成田善弘の『青年期境界例』(32)という好著が出る数年前で、私のなかでちょうど境界例への関心が高まってきていたころです。精神分析学会では、これよりかなり前から話題にはなっていましたが、このころ一般の臨床家のなかでも、境界例にふりまわされる人が増えてきていたようです。
▼この事例は、実によく境界例の特徴があらわれていると同時に、治療の入口の大事さ、難しさを教えてくれているようですね。
(2)三点セットの重要性-体験の大事さ、中途変更の困難さ
――この事例でつくづく感じることは、第九章でも強調したように、①治療構造の確立・ルール作り、②限界設定、③治療目標の共有、がいかに大事かということです。これらは境界例治療の三点セットか、三種の神器ともいえます。
▼それから考えると、このカウンセラーの方は、こういうことをあまり知らなかったのでしょうか?
――いや、そんなことはないと思います。ただ知識として知っているのと、その問題点のすごさを実感として体験しているのとはやはりちがいますから、失礼ながら、知識上だけで、重症境界例の治療経験はなかったようです。
▼準備をあまりせず、治療か、カウンセリングに入ったということですか?
――そういうことかもしれません。
▼ただ、途中で変だと思わなかったんでしょうか?
――もちろん思ったと思います。しかし、いったんはじまった受容・共感路線は、おかしいと思ってもなかなか途中でやめられないんです。だから、理想的には、スーパービジョンを定期的に受けながらカウンセリングをすべきです。それにカウンセラーの方のなかには、受容・共感こそ冶廉の王道と考えている人も多いので、よけい変更は難しかったのかもしれません。
▼でも、ほんとうの受容・共感って、相手に具合いの悪い問題点を感じると、それを取り上げそのことをめぐって対話するってことなんでしょう。
――そのことにも気づいておられたようですが、むしろ「自分の受容・共感が不十分だからこうなった」とも考えていたようです。それで結局、行き詰まっていったようです。
▼人間というのは、ぎりぎり因ってから相談に来ることが多いんですね。だから、理想でしょうけど、あらかじめどれくらい困ることになるかの予想が大事なんですね。
(3)苦の移しかえに注意-「幸いですね」「たいへんですね」発言の危鹸性
――そういう三点セットの下準備を十分にせずに、ただひたすら親切に受容・共感を示し患者と交流をはかろうとしたと思われます。それは神経症レベルや健康部分の多い人には通じるかもしれません。そういう人はカウンセラーに援助してもらっても、悩みの解決は自分でするものという健全な自覚があります。しかし、境界例傾向の強い人は、悩みや苦はすべて治療者に移しかえられてしまうので、下手に受容・共感すると、はてしない悪性の依存が生ずるのです。
▼だから、境界例的な人に「幸いですね」と不用意に共感したようなことを言うと、その辛さを治療者が全部とってくれるのでは、と考えてしまいやすいんですね。
――そういうことですが、もちろん「辛いね」と言うのは絶対にいけないことではありません。ただ言うからには、そのプラス・マイナスを考え、相当の覚悟をしておく必要があります。
(4)はてしなき欲求と「自己のなさ」
▼G事例にもどりますが、Gのなかでいちばんめだつものは何ですか?
――それは、彼女の飽くなき愛情欲求です。最初は面接だけで満足していたのかもしれませんが、そのうち面接の回数の増加、面接時間外での接触、電話、それも頻回で深夜にまでおよぶ電話の要求とエスカレートしていっています。これにたいし、カウンセラーは誠実に対応し「愛情飢餓」にたいして、愛情を満たしてあげれば落ち着くと考えだのかもしれませんが、そうはならなかったのです。
▼どうしてなんでしょうか?
――境界例が、このようにはてしのない「むさぼり」の状態になるのは、結局「自己のなさ」に大きな原因が求められるのです。自己がなければ、満足する自己もなく、したがって、いつまでも不満の「無間地獄」に陥ることになります。逆に自己がしっかり確立していれば、そんなに物が与えられなくても自足します。人間は自分で考え、決断し、自己責任をもって行動したことに関しては、結果がどのようなものであれ、そこにある種の満足を見いたすものです。
ですから「自己確立」の不十分な境界例に安易な共感は禁物であり、また「本人の言うとおりにさせる」のはたいへん危険なことで、欲求はエスカレートし、とどまるところを知らなくなります。そして、もっとも深刻な悲劇である、傷害・殺人のような事件にまでいたることもあるのです。「むさぼる自己」は「満足を知らない自己」でもあるのです。したがって、まず治療構造という外的枠を作ってあげて、そのなかで治療的対話をおこなうと、徐々に内的枠ができ、自己確立へ向かっていくのです。
▼自己の欲求をコントロールする「自己」の育成が大事になるんですね。
――それがたいへんなことなのです。この事例も、治療構造、限界設定をやって再スタートしたにもかかわらず、再三ルール破りや限界を越えたりして、さんざん苦労させられました。前に述べたように限界設定は、それを維持しつづけるほうが難しいといえます。

注:i) この本のタイトル中の「境界例」は専ら境界性パーソナリティ障害を指すようです。 ii) 引用中の「(32)」は成田善弘『青年期境界例』(金剛出版、一九八九)です。 iii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iv) 引用中の「共感」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」に関連する「見捨てられることへの強い不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 vi) 引用においてGがまずカウンセラーを理想化した後、脱価値化(こき下ろし)したように見えることに関しては、(b)項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリ及びWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 vii) 引用中の「スーパービジョン」は、例えば、カウンセラーが指導者(スーパーバイザー)から教育をうけるプロセスのことのようです。 viii) 引用中の「むさぼり」は、はてしない際限のない欲求のことを指すようです。 ix) 引用中の「治療構造、限界設定」に関連して、次のエントリを参照すると良いかもしれません。「パーソナリティ障害の治療・対応について

(d)境界性パーソナリテイ障害
最初に、見捨てられ不安を強調している市橋秀夫監修の本、「境界性パーソナリテイ障害は治せる! 正しい理解と治療法」(2013年発行)の「Part.1 ケースで見る境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P22)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の患者さんの根底には「見捨てられ不安」がある。見捨てられることに対する強い恐怖感、不安感からさまざまな感情が生まれ、それが行動化して周囲を困らせる。人間関係に支障が出るため、社会生活にも影響する。

注:i) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) ちなみに、引用中の「パーソナリティ障害」に対する見解は、次に引用するように、同本の「●パーソナリテイ障害とは」における記述の一部(P9)に示されています。

パーソナリティとは、外界からの刺激に対する、その人固有の受け止め方や反応のパターンのことです。刺激に対して、特有の病的な反応を示すのがパーソナリティ障害です。

加えて、市橋秀夫監修の本、「パーソナリティ障害 正しい知識と治し方」(2017年発行)の 3 境界性パーソナリティ の「本人のつらさ①」における記述の一部(P46~P47)を次に引用します。

わき上がる「七つの感情」に支配される
現実の世界で起こったささいなできごとに、心の中の「見捨てられ不安」が呼び起こされると、それを種にして七つの強い破壊的な感情がわき上がり、本人を苦しめます。これが問題行動につながります。(中略)

七つの感情は七人の騎士?
見捨てられに関する七つの感情は、精神分析家のマーガレット・マーラーが「黙示録の七人の騎士」になぞらえたものです。(中略)

①憤怒
噴出する激しい怒りです。ひどい暴言を吐く、ものを壊す、相手に暴力を加える、自傷する、わめきちらすなど。大切な人間関係を壊してしまいます。

②空虚感(むなしさ)
空っぽな感じ。怒りのあとにも出現しますが、淋しさのあとに突然おそってきます。真っ暗な穴に吸い込まれるような感覚があります。過食、万引き、乱費につながることもあります。

③自暴自棄
どうにでもなれという捨て鉢な感情。危険な運転をしたり、ゆきずりの相手と性的関係を結んだり、暴れたり、わざと人間関係を壊すような行動をすることもあります。

④絶望
もうダメという感情です。すべての道が閉ざされ、なにもない、生きる意味も見つからない、すべて終わったと感じます。

⑤よるべのない不安
自分がなんなのか、なにを望んでいるのか、自分の足で立てない、だれも頼りにならない、なにが不安なのかわからない、実体のない自分が漂っているだけという感情です。

⑥抑うつ
うつ病と同じような気分です。暗く重い気分、晴れやかさがなく、なにを見ても楽しくない、興味や関心が向かない、体が重い、やる気が起こらない、ポジティブな思考ができないなどです。

⑦孤立無援感
だれも助けにきてくれない、だれにも頼れない、ひとりぼっちという感情です。(中略)

突然、心の中に嵐が吹き荒れる(中略)

見捨てられに関連するこの感情を、「穴に吸い込まれる」「落ち込む」と多くの人は表現します。嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内なのですが、ひんぱんにおそってくるので、ずっと続いているように感じられます。この状態になることが、極端な行動(問題行動)のもとにあるのです。

注:i) この引用元の一部は元来イラストですが、引用者が形式を変更して引用しました。 ii) 引用中の「問題行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iii) 引用中の「見捨てられに関する七つの感情」に関連するかもしれない「早期不適応的スキーマ」については、ここを参照して下さい。 iv) 引用中の「嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内」に関連する「負の感情の嵐を30分がまんする」について、引用元と同じ  の「自分にできること①」における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『①30分がまんする 負の感情の嵐は激しいものですが、続くのはせいぜい30分ほどです。嵐をくり返し経験していると、ずっと続いているように思い込んでしまう場合があります。問題行動に走らずがまんしているうち、30分ほどで嵐が終わることを確かめましょう。』 加えて、a) DBT(弁証法的行動療法、ここを参照)の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、「腹が立ったら、数を数える」ことについてのジェファーソンのことば(添付資料における P36)があり、次に引用(『 』内)します。 『・腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。それでもだめなら千まで数えよ。』 b) 森田療法における感情の法則については、次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項 c) 「感情等がピークアウトしたら、選択をすることができるようになる」ことについてはここを参照して下さい。 v) ちなみに、 a) 引用中の「噴出する激しい怒り」に関連するかもしれない「怒りや感情のブレーキが利かない」について、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第二章 境界性パーソナル障害はこうして現れる の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「④怒りや感情のブレーキが利かない」における記述(P53~P54)を次に引用します。 b) 境界性パーソナリティ障害と情動のコントロール不全との関係については、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の「過剰に反応してしまう」における記述の一部(P84~P86)を次に引用します。 c) 一方、この引用元の本と監修者が同じにおいては、気持ちや行動をコントロールする5つの Lesson が示されています。この本の裏表紙から要点を以下に引用しますが、詳しくはの「抑うつに負けない! セルフコントロールLesson Book」(P77~P95)を参照して下さい。

④怒りや感情のブレーキが利かない
境界性パーソナリティ障害の人は、とても傷つきやすく、傷つけられたことに対して過剰な反応を起こしやすい。感情のブレーキが利きにくく、些細なことで腹を立てたり、癇癪を起こしたり、激しい怒りに囚われやすい。
それまで物静かで、控えめにさえ見えた人が、自分の思い通りにならない状況に出くわすと激しい怒りを覚え、ガラッと態度や表情を変えて、攻撃的になるということがしばしば起きる。親しく、甘えられる相手ほど、そうしたことが起きやすい。「自分の家族に対して、すぐカッとなりやすい。母や彼女に対して、すぐ手が出てしまう」と述べた青年のように、親しい人、依存している人、甘えを許してくれる人に対してだけ、出現しやすいのが特徴である。
本人自身もそこまで言うつもりはないとわかっていても、傷つけられたり、目先のことで怒りを覚えると、止められなくなってしまう。自分を守ろうとして、あるいは、わかってもらえないという苛立ちから居丈高になったり、攻撃的になってしまいやすい。
最初は穏やかそうに見えていたので、態度や口調の豹変に周囲は驚く。怒りに囚われてしまうと、他のことは頭から飛んでしまい、場所柄や周囲の状況に関係なく激しく反応してしまう傾向がある。

一人でいるのか不安で、気持ちが沈むので入院させてほしい、と医療機関の外来を訪れた二十歳過ぎの女性は、弱々しい声で、切々と自分の苦しさを訴えていた。しかし、診察した医師から、今の状態では入院する必要はないと告げられた途端に、表情が一変し、医師に食ってかかり始めた。それでも思い通りにしてもらえないとわかると、診察机の上にブーツの足を乗せ、腕組みし、罵詈雑言を吐いて、怒りを爆発させた。
だが、次にやってきたときは、しおらしい態度に戻っていて、前回の失礼な態度を自ら詫びた。しかし、また思い通りにならないことが出てくると顔つきが変わり、言葉がきつくなる。

過剰に反応してしまう(中略)

認知行動療法から、境界性パーソナリティ障害に特化した治療法を確立したマーシャ・リネハンも、境界性パーソナリティ障害の基本症状を、情動のコントロールの問題だと考えている。情動とは、怒りや悲しみといった、生存に関わる強い感情のことである。通常の状態では、情動は穏やかにコントロールされていて、泣いたり憤慨したり、脅威を感じたりということは普段の生活において、そうやたらに起きないようになっている。自分の安全や尊厳が重大な脅威にさらされるとか、特別によいことや悪いことがあったときだけ、それは強く興奮して、行動を引き起こす。
ところが、情動のコントロールがうまくいかないと、些細なことにでも過剰な反応を生じたり、極端な言動となって現れたりしやすくなる。それが変動の激しさとして、周囲に感じられることになる。リネハンによれば、情動のコントロールがうまくいかないことが、行動や対人関係、アイデンティティの面での不安定さにもつながり、それらにおいても、同じように極端な変動が見られやすくなる。
根本的な問題として、情動のコントロール不全があり、そこから行動、対人関係、自己同一性、認知の面でも、不安定でコントロールを失った状態が現れやすいという考え方も支持を得てきている。
この情動のコントロール不全という問題には、二つの側面がある。一つは、気分や感情の微妙なコントロールがうまくいかず、気分のアップダウンが激しいということである。
そして、もう一つは、とても傷つきやすく、一見些細に思える出来事に対して、過剰な情動反応を引き起こすということである。前者は、躁うつ的な気分のコントロールの問題であり、後者は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。(後略)

注:i) 引用中の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。」に関連するかもしれない(PTSD又は複雑性PTSDにおける)『「対人過敏」という症状』については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点からここを参照して下さい。

不安や衝動から抜けだそう!

気持ちや行動をコントロールする5つのLesson

Lesson1 心の奥に「子どもの自分」と「大人の自分」がいることを知り、どちらも「自分」であることを受け入れる

Lesson2 自分を客観視し、問題行動が何も解決しないことに気づく

Lesson3 過去を振り返るのは現状分析のときだけ。分析が終わったらそこで決別する

Lesson4 「相手が自分と同じ道を歩いている」という勝手な幻想を捨てる

Lesson5 衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる

注:i) 引用中の「子どもの自分」の例として同本の P80 において、「見捨てられたくない」「もっと愛情を注いでほしい」「すべて思い通りにしたい」「自分と同じ道を歩いてほしい」「ちやほやされたい」「抱きしめてほしい」が示されています。さらに、同頁には『境界性パーソナリティ障害の患者さんは、「子ども」の部分に思考が占領されやすい。』との記述があります。 ii) 一方、引用中の「大人の自分」の例として同本の P81 において、「こんなことで見捨てられないということを知っている」「我慢できる」「自分と周りは違うということを理解している」ことが示されています。さらに、同頁には引用中の「Lesson1」の目標として、『「大人の自分」の割合を増やしていく』との記述があります。一方、この項における引用と多少関連があるかもしれないスキーマ療法に関する引用は、リンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる」に関しては、同本の P89 において、「実際に不安や衝動の波がおそいかかってきたときは、逃げるのではなく、真正面から向かい合う。」「逃げられないのなら正面から向かい合って30分耐える」との記述があります。 iv) 引用中の「Lesson」を行う等の治療のゴールに関しては、同本の P95 において、次の記述があります。『あなたを支配している「亡霊」がいなくなれば、そこがゴールです。』 ちなみに、この「亡霊」に関連するかもしれない、スキーマ療法の視点からの「早期不適応的スキーマ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに、次に示す部分をそれぞれ以下に引用します。 a) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「枠組みのない状況が苦手である」における記述の一部(P70)、「自己と他者の境界が曖昧になる」における記述の一部(P72~P73)、「心から安心することができない」における記述の一部(P74~P76)及び「思い通りにならないと攻撃されていると思う」における記述の一部(P76~P80)をまとめて b) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 13章 鑑別診断-統合失調症と境界性パーソナリティ障害 の「本来の BPD とはどのような様態なのか」における記述の一部(P252) c) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第六章 境界性パーソナル障害を支える の「うまくいかないときこそ真価が問われる」における記述の一部(P195) d) 岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の 第3章 「絆の病」と家族 の「マインドフルネスの効果」における記述の一部(P114~P115)*8

枠組みのない状況が苦手である
境界性パーソナリティ障害の認知の特性として、最初に知られるようになったことの一つは、しっかりと構造化された状況においては、何の問題もなく対処することができるのに、構造が曖昧な状況では、戸惑いや混乱を引き起こしやすいということである。
例えば、規則や目的がかっちりして、それに沿って生活しているときは、さして問題はなかったのに、細かい規則や決められた日課もなく、要求するままに応じてもらえるような受容的な状況に置かれると、かえって情緒が不安定となる。どんどん要求を膨らませ、対応の些細な違いが気になりだす上に、不満や苛立ちが募り、行動や感情にブレーキがかからなくなる。
質問されたことだけに答えるというやりとりをしているうちは、さして問題ないのに、思いつくことを気ままに喋り出すと、だんだん話がとりとめなくなり、非現実的で極端な方向に脱線しやすい。話しているうちに、ひどく動揺をきたす。(中略)

後の章でも述べるが、この特性は、境界性パーソナリティ障害の人との関わりを考えていく上で、とても重要である。可能な限り明確な枠組みを設定し、曖昧な対応をしないようにすることが不可欠なのである。この点を押さえていないと、支えているはずが、どんどん悪化させてしまうということになりかねないのである。

自己と他者の境界が暖味になる
さらに研究が進むにつれ、もう一つの認知の特性が明らかとなった。それは、このタイプの人では、自分と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていないということである。そのため自分の視点と他者の視点を混同してしまいやすい。自分が好きなものは、相手も気に入るに違いない、逆に、自分が嫌いなものは、相手も嫌うはずだと思う。自分と相手が別の存在で、自分の感じ方と相手の感じ方は別々のものだと頭では理解していても、いつのまにか混同し、そのことにも本人は気づかないのである。

アメリカの精神医学者オットー・カーンバーグは、対象との関係の成熟度により、パーソナリティ構造を三つのレベルに分類した。自己と対象の区別が混乱し、自我の境界が曖昧な状態を「精神病性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はある程度存在するものの、ストレスを受けた状態や構造化されていない状況においては区別が曖昧になり、混乱を生じやすい状態を「境界性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はしっかりしているものの、抑圧された葛藤のために、対象との関係で不安や緊張を生じやすい状態を「神経症性パーソナリティ構造」としたのである。「境界性パーソナリティ構造」が見られるものの代表的な状態が、境界性パーソナリティ障害である。
自己と他者の区別が曖昧になりやすい状況として重要なのは、ストレスを受けたときや、構造化されていない状況とともに、親密で依存した関係が挙げられる。甘えの許される親や恋人に対して、自分と相手との境界が失われてしまいやすい。
自己と対象が区別されているようで、しばしば混同される結果、常識が通用しない特有の問題が生じてくる。しばしば起こりやすい問題の一つは、すり替えである。本当の問題ではなく、目先の苦しさや些末なトラブル、相手の過失の方に問題を転嫁し、肝心な問題から逃げてしまいやすい。ことに、治療の最初の段階などでは、忍耐する力が弱いので、ちょっとした不快な出来事も、逃げるための口実となる。

もう一つ起こりやすい問題は、自分の基準でしか、相手を見ることができないということである。これは、周囲の問題にばかり目が向きやすい原因ともなる。対人関係や子育てでも相手を一面的に判断し、好き嫌いや支配の激しい、過酷な状況を作りやすい。
相手の気分に巻き込まれやすい傾向も見られる。相手の気分が伝染しやすいだけでなく、自分がイライラしていたり、気分を害していると、相手もイライラしていたり、気分を害しているように感じてしまうこともある。つまり、自分と相手の感情が混同されてしまうのである。自分が疎外感や劣等感を感じていると、相手が自分のことを邪魔者扱いしょうとしていたり、馬鹿にしているように感じてしまう。この場合は、自分の感じている恐れが周囲に投影され、迫害者を作り出してしまうのである。

心から安心することができない
自分と他者の境目が曖昧で、自分と他人の問題を混同しやすいということは、言い方を換えれば、他者からの影響を蒙りやすいということでもある。自己のアイデンティティも絶えず外界から脅かされやすいものとして感じられている。こうした心理状態は、強いストレスのかかった状況では誰にでも見られるものだが、境界性パーソナリティ障害の人では、それが日常的に、強い圧迫感をもって感じられやすい。その結果、境界性パーソナリティ障害の人は、自分が安全に守られているという基本的安心感に乏しく、ともすると、居場所のなさを覚えやすい。
基本的安心感の乏しきと、自己と対象の関係の不安定性さとは、深く結びついている。こうした未分化で、脆弱な自我を抱えてしまうことについては次の章で見ていくが、自分と他者とを切り離す最初の段階、つまり母子分離の段階でのつまずきが影響していることが多い。安心して母親の膝元から離れていくことができず、自分を独立した存在として確立することに、強い不安と恐れを覚えてしまったのである。
自我が未分化で他者と混同しやすい傾向は、その人の中に他者が絶えず介入し、その安全や主体性を脅かしてきたことの名残でもある。その結果、このタイプの人はいつも周囲から脅かされていると感じやすく、人を心から信じ、受け入れることができにくい。常に違和感を覚えてくつろげず、ありのままでいることができないという身の置きどころのなさを味わっている。

ある少女は、その違和感をこう語った。
「小学生の頃から、人と自分は、どこか違うという感じを抱いていた。それが中学になる頃には、いっそう強くなった。友達と楽しそうにしているときも、その振りをしているだけだった。そのことを冷ややかに見ている別の自分がいた。太宰治の『人間失格』を読んだとき、自分と同じだと思った」
そうした違和感の根源には、母親との絆の希薄さが影を落としているようにも思えた。少女は、幼い頃に母親と離別していたが、その後、思春期を迎え、交流が再開して、泊まりに行くようになったときのことを、こう回想した。
「母のところへ行くと、気持ちが悪くて眠れなかった。吐き気がして。本当の母なのに、気持ち悪いと思ってしまう」

思い通りにならないと攻撃されていると思う
カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」の提唱に先立つこと三十年も前に、その理論の基を築いたのがメラニー・クラインであった。(中略)

クラインによれば、子どもは成長段階により、二つの対象関係(対象との関わり方)を示す。一つは、ごく幼い乳児に典型的に見られるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌よくしているが、少しでもそれが損なわれると泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階である。よくお乳が出るオッパイは「よいオッパイ」、出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかない。それが、同じ母親の同じオッパイであるということなどは顧慮しない。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが、「よい」「悪い」の基準となる。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で、対象と結びつく関係を、クラインは「部分対象関係」と名づけた。

この段階では、自分の欲求充足を邪魔されると、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、泣きわめく。このように、自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、怒りを爆発させ、攻撃する心の状態を、クラインは「妄想・分裂ポジション」と呼んだ。
対象関係が未熟な人では、成人であろうと、この状態に陥りやすい。

「天気予報まで、私を裏切っている」
うつ状態や被害念慮(周囲から責められているという思い込み)から自殺企図を繰り返しているある女性は、ある日、落ち込んだときの状況を次のように述べた。
「毎日欠かさずに見ていた天気予報が外れた。私に意地悪をして、わざと外したように思えた。天気予報まで、私を裏切っている。もう何も信じられない気持ちになった」
天気予報という外界の出来事と、自分の内面的な心理状態が、半ば混同されてしまっていた。雨が降って、洗濯をしようと思っていた予定が狂わされたとき、計画通りにいかなかったことから生じる苛立ちが、天気予報が外れたという外界の出来事に投影され、天気予報さえもが自分を虐めていると感じるのである。女性は、妄想・分裂ポジションの状態に陥っていたと考えられる。ただし、妄想性障害のような固定化した妄想とは異なり、それは一過性に解除され、そう考えたことが現実的ではなかったことを理解することができる。境界性パーソナリティ障害では、こうした状態がしばしば見られる。

それに対して、離乳期頃から徐々に発達してくるもう一つの段階がある。その頃には、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常にすべて満たしてくれるわけではないことを少しずつ理解するようになる。さらに、成長するにつれて、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一人の同じ母親であることがわかり、どちらも受け止めることができるようになる。そうなると、自分の都合や欲求だけでなく、相手の都合や気持ちにも目がいくようになる。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、クラインは「全体対象関係」と名づけた。
全体対象関係の発達とともに、子どもたちには、それまで見られなかった状態が見られるようになる。母親に叱られたり、母親が悲しそうにしたときに、ただ泣きわめいて怒りや不満を爆発させるのではなく、自分の非を感じて、しょんぼりするという反応である。このように、問題の非が自分にあると受け止めて、沈んだ心の状態を「抑うつポジション」と呼んだ。

だが、自分の非を認めることには苦痛が伴う。そのため、それを強がりによってはね除けようとする反応も起きる。抑うつポジションを避けるために、強気な態度をとり、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」である。境界性パーソナリティ障害の人では、うつになるのを防ごうと、しばしば躁的防衛が見られ、心にもない強気な態度や居丈高な態度をとってしまうことが見られる。その一方で、躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがダメだと思って、深く落ち込んでしまいやすい。周囲の人は、躁的防衛の鎧を真に受けないことがポイントになる。
これらの理論は、児童の精神分析から生み出されたものだが、境界性パーソナリティ障害の人の心の動きを、実に見事に説明している。

ある二十代の女性は、自分の浮気が原因で、長年つき合っていた恋人と別れてしまったとき、「どうせ別れたかったので、清々した」と意気軒昂で、別れた恋人の悪口を言っていた。しかし、新しい恋人との関係がうまくいかなくなったとき、急激に抑うつ状態になり、前の恋人にした仕打ちを後悔し、自分を責め始めた。

注:i) 引用中の「自己と他者の境界が暖味になる」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。  ii) 引用中の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』に関連して、引用中の3つのパーソナリティ構造と各種パーソナリティ障害(WEBページのパーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「タイプ」参照)との関係については、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』における記述の一部(P55) を次に引用します(【 】内)。 【大部分のタイプのパーソナリティ障害は、境界性パーソナリティ構造に該当するとされ、回避性と強迫性の二つのタイプのパーソナリティ障害だけが神経症性パーソナリティ構造に当てはまります。】 iii) 引用中の「妄想・分裂ポジション」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の P100 における記述の一部を次に引用します(【 】内)。 【岡田 境界性パーソナリティ障害のかたは、調子が悪いときほど、その瞬間瞬間に生きているんですよね。】  iv) 引用中の「躁的防衛」についての補足説明としての引用はここに紹介します。

本来の BPD とはどのような様態なのか(中略)

BPD は人との関係性を舞台にした様態である.通常の診断学は,症状を対象として取り出し,記述するものであり,こうした関係性のなかで現れる様態を機敏にとらえるには難がある.気分や行動の記述が主体となり,関係性についてはおろそかになりがちである.
また,通常の診療は,診る側(治療者)と診られる側(患者)という役割が設定されているが,関係性を舞台とする BPD は,こうした構造を踏み越えていく.診る側からすれば,これは日頃なじんでいる治療の枠組みの侵犯であり,足元が揺すぶられ,面喰わされることになる.(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害のことです。 ii) ちなみに、引用中の「BPD は人との関係性を舞台にした様態」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)によると、本のタイトルの通り、境界性パーソナリティ障害は「絆の病」です。

うまくいかないときこそ真価が問われる(中略)

本当に大事なことは、失敗しないということではなく、失敗したとき、それに冷静に対処し、そこから学ぶということである。
境界性パーソナリティ障害の認知には、失敗/成功という両極の結果しかなく、失敗というものを許せないという特徴があるが、そこから脱して、失敗することによってこそ、人間は成長するものだという認識を育てていくことが大事である。(後略)

マインドフルネスの効果(中略)

岡田 境界性の状態のときには、自分が疲れているとか、風邪を引いて具合が悪いとか、眠いとか、そういうことがそのまま「自分は不幸だ」とか、「自分なんかダメだ」みたいな気持ちになってしまうんですね。そういう勘違いしちゃう部分……、なかったですか?
咲 あります、あります(笑)。私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです。かつては、「死にたい」って思ったことを「あ、死にたいんだ」「死のう」ってそのまま(笑)。でも、実はたいてい、ただ疲れていただけなんですよね。最近、それに気づいて、あ、この「死にたい」って、また「死にたい病」が出てるだけだ。きっと疲れてるんだなって、休んだりとか。
岡田 うん、そうですね。そういうふうに自分の感覚をそのまま受け入れられるようになる。「ああ、疲れてるんだなあ」とか、そういうことも悪いことじゃなくで、そのまま受け止めて、「疲れてるから何もかもいやになってるんだなあ、それで死にたくなってるんだ」っていうふうに受け入れられると、あんまりそれ以上、悪循環を起こさなくなりますね。(後略)

注:この引用に関連するかもしれない「生理的症状と心理的症状の相互混乱」はリンク集を参照して下さい。

一方、躁的防衛についての補足説明として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「躁的防衛のよい面、悪い面」における記述の一部(P52~P54)を次に引用します。

躁的防衛のよい面、悪い面

クラインは、躁的防衛は三つの感情によって特徴づけられると述べています。その三つとは、「支配感」「征服感」「軽蔑」です。
つまり、相手より自分が優位に立っていると思ったり、実際にそう振る舞うことで、傷ついたり、失敗を認めて落胆したり、失われたものへの悲しみにとらわれることから自分を守ろうとするわけです。
躁的防衛は、生きていく上である程度必要なものです。しかし、それが病的な形で行き過ぎたものとして出てくると、さまざまな問題を引き起こすことになります。自分を振り返る目を持てなくなり、強気になり過ぎて暴走してしまうのです。
しかし、ストレスの多い現代社会で生き抜いていくためには、人々は多かれ少なかれ、無理な躁的防衛を強いられます。「がんばれ」「ファイト」といった掛け声は、ある意味、「躁的防衛しろ」と呼びかけているわけです。居酒屋やカラオケで騒いたり、イベントで盛り上がったりするのも、「躁的防衛」の一つの形だと言えます。
「暗い」ということにはマイナスの価値しか認めず、誰もが明るく振る舞うことを求められます。人と接するときは暗い話題は避け、冗談やギャグを飛ばそうとします。明るくて元気で楽しいことがよいことだとされます。そうした風潮のなかで、誰もが知らず知らず「躁的防衛」することを求められるのです。
ところが、うつになりやすい人というのは、とても明るくサービス精神が旺盛なことが多いのです。みんなのムードメーカーのような元気な人が、かえって危ないのです。そういうタイプの人は、他人を楽しませ、明るく振る舞う自分以外の自分を表に出すことができないため、いつの間にか自分の苦しい部分は我慢し、手当てせずに放置しているということになりがちです。
人のためばかりを考えて尽くすうちに、自分のことはあと回しになっているという状況です。つまり、つらい部分は見ずに、躁的防衛をする習慣ができているとも言えます。
しかし、躁的防衛にも限界があります。どうにもならない現実の壁にぶつかったとき、躁的防衛をすることが当たり前になっている人は、たとえは悪いのですが、退くことを知らない軍隊のようなもので、負け戦になったときに手痛いダメージを受けてしまいやすいのです。それが「うつ」という形で出てきやすいと言えます。
パーソナリティ障害の人では、抑うつポジションと躁的防衛が、めまぐるしく入れ替わるような場合もあります。落ち込みを避けようとして明るく振る舞おうと、過激な刺激やスリルを求めたり、恋や成功の夢を追いかけるのですが、夢に酔っている間は元気なのですが、それからふと醒めた瞬間に、深い落ち込みや虚無感にとらわれ絶望してしまうのです。「絶好調」と「絶望」が入れ替わることもよくあります。
パーソナリティ障害の人には気分の波が見られることが多いのですが、それを増幅させているのは、「抑うつポジション」と「躁的防衛」の不安定な均衡だと言えます。(後略)

注:i) 引用中の「抑うつポジション」については、同本の P49~P50 で、「乳児期の終わり頃から幼い子どもに見られるようになるもので、母親から叱られたりしたときに乳幼児が見せる、いわばしょんぼりした状態です。その状態のときに、乳幼児は少しですが自分の非を自覚しています。母親が怒っているのは何か自分が良くないことをしたのだと、少しわかるようになっているわけです。」と説明されています。 ii) 引用中の「気分の波」について、特に境界性パーソナリテイ障害又は境界例においては、他の拙エントリのここここここここ及びここを参照して下さい。

(e)擬態うつ病としての境界性パーソナリティ障害
先ず、林公一著の本、「擬態うつ病/新型うつ病 実例からみる対応法」(2011年発行)の「五章 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P108~P111)を次に引用します。

Case 12 うつ病の彼女の強い嫉妬と依存
僕の彼女は二十二歳、うつ病です。性格は普段はとても優しく、頭もとてもいいのですが、まだうつ病がよくなっていないのか、感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。後になると何事もなかったかのようにしているのですが、その時はとても不安なようで、昼夜かまわず電話をかけてきて、今すぐ来てほしいと要求し、断るとこの世の終わりのように大騒ぎし、次々にまた別の友たちに電話をかけるようです。メールでも同じようなことをします。また、興奮したり不安になったりするとリストカットをするので、手首から肘のあたりにかけて傷あとがたくさんあります。
先日もこんなことがありました。僕は彼女の家に遊びに行っていたのですが、昼からはバイトがあるため準備を始めたところ、彼女は「行かないで、一緒にいて」と言い、興奮して家のタオルをハサミでみんな切ってしまい「私がこんなことしても行くの?」と迫るのです。しかしバイトを急に休むわけにもいかないのでそのように言ったところ、彼女は鬼のような表情になり、そのハサミを自分の手首に近づけました。今にも切りそうだったので僕はそのハサミを取り上げて、振り切って走って出かけました。が、彼女は僕を追ってきて、駅で僕に追いつき、無理やりという感じで一緒に電車に乗りました。僕は一つ前の駅で降りて、ここから電車に乗って帰れ、と言ったのですが、「バイトに行かないで」とその場を離れません。僕としてはもう遅刻しそうだったので振り切って行きました。五時間のバイトが終わって帰ろうとすると、駅には僕を待っている彼女の姿がありました。聞けば、待っている問、家から持ってきたアイスピックで手を傷つけていたとのこと、確かにたくさん新しい傷がありました。病院に行くように言ったのですが嫌だと言うので、薬局で消毒薬や包帯を買い、家に送り届けました。
会いたいと言われるのはうれしい面もあるのですが、あまり依存させるのもどうかと思い、昨日はこんな対応をしました。彼女のバイトが夜の八時に終わり、早く会いたいという電話があったのですが、僕は、予定があるので後で連絡すると言ったのです。でも、彼女は電話しながらもう僕の家に向かっていると言うので、僕は、「今日は忙しいからもうケータイの電源を切るよ」と言って、切りました。その後、妹さんに聞いたところによると、泣きじゃくり家に電話してきて「もう死ぬ、もう死ぬ」と繰り返していたそうです。また、僕の弟や友たちに電話をしまくっていたそうです。後で見ると、僕のケータイにも不在着信やメールが数十件も入っていました。
彼女のうつ病は、高校生の頃から兆しがあったようで、彼女の妹の話では、当時から感情の波がすごく激しかったとのことです。でもそれが、僕とつき合うようになってからエスカレートしてきたようです。僕がいないと極端な不安に陥る、それがこうした言動に現れているようです。感情の変化が激しいのは、人の評価についてもそうで、尊敬していた人の評価がちょっとしたことでコロッと変わり、全く逆になります。わがままや嫉妬などは誰にでもあるし、束縛がかなり激しい人もたくさんいると思います。でも彼女はそれがあまりに強いのです。うつ病がよくなっていないのでしょうか。それとも僕の対応が悪いのでしょうが。

Case 12 解説 境界性パーソナリティ障害とは
僕の彼女はうつ病。彼氏はそう言っていますが、これはうつ病ではありません。「境界性パーソナリティ障害」が正しい診断名です。でもうつ病と称している。したがって、擬態うつ病です。
境界性パーソナリティ障害(境界性人格障害ともいいます)は、特に都市部では、擬態うつ病の中の比較的多くを占めています。ごくごくおおざっぱにいえば、境界性パーソナリティ障害のキーワードは、「若い女性、感情不安定、リストカット」です。このような特徴がそろったケースで第一に考えられる病名は、うつ病ではなく、境界性パーソナリティ障害です。パーソナリティ障害とは、性格の偏りです。脳の病気であるうつ病とは違います。ですからよく見れば症状はうつ病とはかなり違いますし、治療法も違います。(中略)

「若い女性、感情不安定、リストカット」だけでは、いかにもおおざっぱすぎますので、もう少し具体的に描写しますと、「いつも人から見捨てられるのではないかという不安があり、ちょっとしたことでその不安が現実化するという思いにとらわれてしまい、感情が不安定になり、自殺のそぶりをしたりキレたりすることで見捨てられることから脱しようとする。自分がそれまでどんなに信頼していた人でも、自分を見捨てるのではないかと思った瞬間に、一気に価値が下がって罵倒の対象となる」というようなパターンの言動を繰り返すのか典型的な境界性パーソナリティ障害であるといえます。そして周囲からは見えにくいのですが、本人の中では、空虚感などに絶えず悩んでいることがしばしばあるのです。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。 ii) 引用中の「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。」に関連して、本、同章における記述の一部(P116)を次に引用します。

⑧キレる(不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難)
境界性パーソナリティ障害の不安定な感情は、しばしば怒りの爆発という形をとります。それは家族など身近な人に向けられることもあれば、いわゆるクレーマーに似た形で、執拗なクレームという形をとることもあります。ケース12でも「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、攻撃的になります」が目立っています。

さらに、同本の「五章 境界性パーソナリティ障害」における他の記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

Case 14 うつ病だと言って二十年もやりたい放題の生活をしてきた妹
現在四十歳の妹は二十代の頃から自分で精神科に通い、うつ病と診断され、当初は両親も兄弟もそれを信じ、うつ病の治療をすればよくなるものだと思い、だらだらしていても特に何も言わずに見守っていました。そのうちに大学も休学し家でゴロゴロと過ごし、かと思いきや「今は躁だから」と言って好きなインターネットで自分のHPまで作って夢中になることができ、好きな歌手のコンサートなどはいつも楽しそうに出かけて、さすがに両親も口を出すようになりました。その後、多額の借金問題や大学の先生にストーカー行為をしたり(本人はストーカーとは全く思っていません)、出会い系サイトで痛い目に何度も遭い、借金も両親に片づけさせて、謝りはするものの、翌日にはテレビを見て高笑いしていたりで、両親も呆れて就職などを勧めたりしましたが、「もっとうつ病を理解して」とか「プレッシャーになることは言わないで」と訴え始めました。時にはキレて物に当たり壁に穴をあけたり食器を割ったり、刃物を振り回したり……そのたびに私は両親に「甘やかしているからだ。腫れ物に触るような態度はやめて、言うことは言わなきゃ」と言ってきましたが、両親は妹に言われてうつ病の本を読み、「病気なんだからそっとしておいてやるのかいい」「心の風邪なんだから、いつかは治る」「薬を飲んで、ストレスを与えないようによく休むことだ」などと言い続けてきました。両親が本当にそう思っていたのか、単に事なかれ主義で人に強く言えないタイプなだけなのかはわかりません。
妹はそうやって(私から見れば)甘やかされている間に借金や狂言自殺を繰り返し、他にもいろいろ勝手なことばかりしているうちに気がつけば二十年近くの歳月がたってしまいました。病院は何回も替わっています。大体が先生と喧嘩別れのような形です。「医者のくせに、うつ病の患者にひどいことを言った」などと妹は言うのですが、真偽の程はわかりません。今のクリニックは比較的長く、四年くらいになります。診察時間はとても短く、妹の望む薬をすぐに出してくれる先生のようで、妹は気に入っているようです。
ここ五年くらい、妹はますますひどい状態になっています。イライラするからといってだんだん増えてきた薬が今では大量になり、目がうつろで、ろれつは回らず口は半開きのことも多いです。でも相変わらずそんな状態のままコンサートへ出かけたり、車を乱暴に運転したりするので、他人に迷惑をかけないか心配です。妹は、両親、特に父にとても依存しており、見捨てられることを恐れています。父のことを尊敬しているようなのですが、ちょっとしたことで父に暴言を吐いたり、ハサミを投げて怪我をさせたこともあります。その後はすぐに謝ってケロッとしているのですが。自殺未遂(私には狂言自殺にしか見えません)も繰り返しています。今から自殺すると宣言をしてから薬を大量に飲んだり、わざわざ目の前に来てからコードを首に巻きつけたり……。金の浪費、過食、異性への執着もあります。感情は不安定です。自分ではうつ病だといつも言っています。普段はおとなしいのですが、突然些細なことで怒ります。このままでは自分たちがノイローゼになりそうだと両親は言っています。

Case 14 解説 放置された擬態うつ病の末路
現在四十歳。二十代からうつ病で通院中。もちろんうつ病ではなく、擬態うつ病です。このケースをご紹介したのは、擬態うつ病を放置し続けた時の末路を見ていただくためです。この本人とご家族が、悲惨な状態になってしまっていることは、誰の目にも明らかです。
ケース14は、境界性パーソナリティ障害です。この女性に、見捨てられ不安、気分不安定、自殺リピーター、キレる、などの特徴が見られていることは指摘するまでもないでしょう。境界性パーソナリティ障害の人に対しては、「薬と休養」という、うつ病への対応は誤りです。ですが、本人がうつ病であると言い張っていることもあって、この人には長年その誤った対応が続けられてきました。これがその末路です。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。 ii) 引用中の「見捨てられ不安」に関しては、例えばここ、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) ちなみに、自閉スペクトラム症(アスペルガー障害)の患者様が未療育のまま40代になったものの、依然困っている例は他の拙エントリのここに、無治療の統合失調症の患者様が依然困っている例はここにそれぞれ示します。

(f)リストカットの臨床からの治療者の位置どり
井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の 第9章 リストカットの臨床 の「治療者の位置どり」項における記述(P169~P172)を次に引用します。

治療者の位置どり
自傷行為の告白の際、彼らは、治療者に対して従順になっている。ここに、治療者理想化の危険がはらまれる。治療者は、ここで主題を、現実的な問題に転換させる。これによって、治療者理想化の危機をかわし、治療関係を軌道修正することができる。治療者は、患者を幻想の世界にいざなうべきではなく、現実の混沌へこそ向かわせるべきである。ここで治療者は、目線を彼らと同じ高さに置いて、俗っぽい身の上相談をすら引き受ける姿勢が求められる。
「人生相談など医者の仕事ではない」との意見もあるが、境界例の臨床においては、治療者の過度の神々しさを避けるためには、存外必要なことのように思える。治療者理想化のパターンにはいくつかある。
「けっして私を見棄てないでね、約束して」、こういう中学生の覚えたての恋愛のような要求にまともに応じる必要はない。「そんなことより、明日から学校に行きなさい」と言えばいい。
「この世は生きるに値するか」のような形而上学的問題を投げかけてくる者がいるが、こういった抽象的な議論に惑わされると、現実を見失う。「アルバイトを続けながら考えようじゃないか」と言う。
自分は永遠に孤独で、人は誰も自分を本当には受け入れてくれないのではないかという、境界例の苦悩の根本問題には、誰も答えられない。しかし、それはイコール「人生は生きるに値しない」「生きることは無意味だ」ということではない。永遠の孤独をいくらかでも埋め合わせしてくれるものが、実生活にはある。われわれ大人は、孤独を克服したから生きているというわけではなく、日々の営みのなかに生きる意味を探し、愛したい、愛されたいという希望を、わずかでもかなえてくれる対象を、周囲の人間のなかに見いだしている。
自室でこもって、「人生は生きるに値するか」と考えてみても、何も見つからない。「自分探し」という言葉は、手垢のついた言葉となってしまったが、自分の姿は、他者との交わりを通して、他者という鏡のなかに映し出されるものである。長年にわたる可能性の実験を経て、徐々に自分の姿が見えてくる。一〇代はもちろん、二〇代でも難しいだろう。三〇代でも本当の自分が何かはわからないかもしれない。しかし、人間四〇代になると多少違ってくるかもしれない。とにもかくにも、彼らの生きていく現実に立脚するよう努めることである。
境界例の若者たちは、対人感情は理想化からこきおろしへ、愛から怒りへと動きがちで、人生に対する見方もともすれば、すべてか無かの悉無律に陥りがちである。治療者は、彼らに絶賛されることも、罵倒されることもありえるが、このような一〇〇点か○点かの極端な評価を真に受ける必要はない。われわれプロは、別段彼らに採点してくれなどと頼んだ覚えはない。彼らの治療者に対する攻撃は、しばしば、実際の生活上の何らかの破綻に端を発していて、誰かに鬱憤をぶちまけたくて、たまたま治療者が選ばれるにすぎない。委細構わず徹底して具体的な目標を語っていくことである。学業を最後まで終えること、仕事に就くこと、貯金することなど、明確な目標をともに考える。現実的なライフ・プランについて話し合うことで、理想化からこきおろしへといった、彼らのしかける不毛の振り子運動を免れることができる。
両親に対する感情、幼少期に受けた心的外傷、悲惨な結果に終わった過去の恋愛、そういったことを診察室で話題にすることが無意味だとは思わない。しかし、過去を振り返るだけでは、けっして未来は見えてこない。将来のための建設的な生活設計をこそ考えてやるべきなのである。
市橋は、青年期の臨床において、「手ごたえのある大人」の存在を強調する。その場合、「手ごたえのある大人」とは、人生に疲れ、生活に追われ、夢もロマンも失って、すっかり打ちひしがれたオッサン、オバサンのことを指すわけではないだろう。むしろ、若者たちに人生の夢、ロマン、理想を説いてやるような、熱い存在こそ「手ごたえのある大人」である。今日、若者が「未熟」なのは、「成熟」したはずの大人が格好よくないからで、これなら「大人にだけはなりたくない」と思って当然である。世間という名の濁流のなかで、もみくちゃにされても、依然として眼光鋭く、遠いところを見つめている「格好いい大人」をこそ彼らは求めている。
われわれは、彼らを、まずもって彼らが本来あるべきアンビシャスな若者に戻してやる必要がある。彼ら一人ひとりは能力も違えば、置かれている境遇も違うが、彼らの個性に応じて、しかし、できるだけ大きな目標を抱かせる。そして、そこまでのステップを順を追って、一緒に考えてやる。彼らに夢を語らせる。まずは、実現可能性を等閑視して、青臭くてもいいから彼らなりの大きな野心を語らせる。そして、その野心を形にするための段階的な方法を考えてやる。彼らに無用の挫折感を味わわせないためにも、そこでは、本人の能力や適性を考慮して、実現可能なものとそうでないものとを慎重に区別する。こうして、日々の臨床は、彼、彼女の中長期計画を協力して描いては書き直し、進捗状況を報告させては、計画を下方ないし上方修正し、といったことの繰り返しとなる。
人生という未完のプロジェクトに向かって突き進んでいる者には、人間関係の小さな挫折は、乗り越えることができる。そうして、苦境を克服した体験を通して、さらに自信をつけてくる。手首を切るよりも、はるかにロマンのあることがこの世にはあって、自分がそれに向かって一歩ずつ進んでいるのだという実感があれば、もはや手首など切らない。その一歩一歩は、たとえ当初の目標に到達できなかったとしても、それによって人生の長旅に必要な意志の力を鍛えることになる。
治療者は、彼らの長旅の第一段階に小さなアドバイスをするコーチにすぎない。しかし、不安げに人生のマラソンを走り始めた彼らにとって、伴走車から椴を飛ばすコーチの存在くらい心強いものはない。

注:i) 引用中の文献番号表示を省略しています。 ii) 引用中の「理想化からこきおろしへ」に関しては、(b)項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリ及びWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項

(g)パーソナリテイ障害
ここでは、パーソナリティ障害についての一般的な説明及び治療優先度について以下に示します。

(1) パーソナリティ障害についての説明
最初に、標記の一般的な説明例として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の「パーソナリティ障害の基本症状」及び「パーソナリティ障害を理解するための理論」における記述の一部(P32~P75)を次に引用します。

パーソナリティ障害の基本症状

①両極端で二分法的な認知

パーソナリティ障害に共通して見られる基本症状の一つは、両極端で二分法的な認知に陥りやすいということです。全か無か、自か黒か、パーフェクトか大失敗か、敵か味方かという、中間のない二項対立に陥ってしまうのです。
そのため超ハッピーな状態も、些細な不満からサイアクな気分にひとっ飛びで変わってしまいます。一分前までアツアツのラブラブだった恋人と、切った張ったの大喧嘩になり、死ぬの生きるのという大事になることも珍しくありません。
全体で見れば、すぼらしくうまくいっていても、たった一つでも思い通りにならないことがあると、すべてが台無しになったように感じてしまうのです。それならば最初からやらなかったほうがましだと思ってしまうのです。
ある女性は、自分の理想とする体重を上回ってしまったことを悔やみ続け、服も合わないし、誰も愛してくれないし、何をしても無駄だと言います。そして、何もしないで一日中ゴロゴロしてしまうと言うのです。理想的な自分というパーフェクトな存在が手に入らないと、もうすべてがどうでもよくなってしまう。現実的な、ほどよい努力をしようという方向には向かわないのです。
ある生真面目な中年のサラリーマンは、息子さんのことをとても自慢に思っていました。ところが、その息子が不倫した末に離婚すると言い出したとき、嫁に申しわけないという気持ちを強く抱き、大雑把なところのある息子を急に毛嫌いするようになります。さらには、息子をかばう妻や、妻の大雑把な性格さえ許せなくなります。顔を見るのもいやだと、つかみ合いの喧嘩を繰り返したあげく、ついに息子だけでなく妻とも絶縁してしまったのです。
とても可愛がっていた者をちょっと気にいらないことや、思い通りにならないことがあっただけで強く憎むようになったり、手にかけて殺してしまうという悲劇も少なくありません。そうした背景にも、こうした二分法的で両極端な認知の傾向が関係していることが多いのです。

②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい

パーソナリティ障害の人に見られる二番目の認知の特徴は、自分と他者(対象)との関係に関するものです。
パーソナリティ障害の人では自分と他者との境目があいまいで、十分に区別できていないところがあります。そのため自分の視点と他者の視点というものを混同しやすいのです。自分がいいと思うことは、相手もいいと思うはずだと思い込んでいます。
自分の感じ方と相手の感じ方はそれぞれ別物だということが、頭ではわかっていても実際の場面ではゴチャゴチヤになってしまいやすいのです。
その結果、自分の視点でしか物事が見えず、自分の考えや自分の期待を周囲に押しつけてしまったり、自分の問題を周囲のせいにしたり、周囲の問題にすり替えてしまったりということが起こりやすくなります。つまり、パーソナリティ障害の人は客観的に自分を振り返り、周囲の人の立場になって考えるということができにくいのです。
ある若者は、母親が音楽のボリュームを小さくしてほしいと言ったことに腹を立て、母親に回し蹴りを食らわし、肋骨を折ってしまいました。母親はその日、体調が悪く頭痛がしていたので、そう頼んだのですが、息子のほうは「自分の邪魔をされた」としか受け取っていないのです。
そして、「母はいつも邪魔ばかりしてきた。キンキン声を聞かされてきた」「自分も蹴って、足が痛かった。それも母親がよけいなことを言うからだ」と、反省するどころか母親を非難するのです。
そこには母親を自分の延長のように感じている「錯覚」があります。思い通りになるはずの自分の一部だと見なすために、思いに反することをされたときに、暴力をふるっても悪くないという考えになってしまうのです。
ある女性は、精神的に不安定になると夜中であっても年老いた母親に電話をし、「自分がこんな状態で苦しんでいるのは、あんたのせいだ」、「あんたは姉ばかり可愛がってどういうつもりだったのだ」と、何時間も非難し続けるのです。母親が少しでも邪険にすると、手首を切ったり、首を吊ろうとするので、母親はただ聞いているほかないという状態でした。
そこにも母親を自分の延長のように見なし、自分の欲求を満たすことが当たり前だ36と考えている幼い認識があります。自分と他者の区別がしっかりしていないため、自分の問題をすぐ相手に持ち込んでしまい、それを解決してくれることを当てにしてしまうのです。
あるワンマン経営者は、何かうまくいかないことがあると社員を呼びつけます。そして、じくじくと非難を始めます。非難の不当さに社員が一言でも逆らったりすれば、大声で怒鳴り出し、相手のすべてを否定せんばかりに非難し続けます。
それまでどんなに貢献していても、そのことは頭から吹き飛んでしまい、自分に逆らったことを決して許そうとしないのです。自分の機嫌や体調の悪さを周囲の問題にすり替えてしまうということさえ起こります。
「誰も彼も、ひどい人たちばかりです。面倒事ばかり押しっけてきて」と周囲を非難する女性は、自分がただ疲れが溜まってイライラしているだけだということになかなか気づかないのです。また、子どもを必要以上に厳しく叱る親は、自分の欲求不満を子どもを支配することで満たしていることに気づかないのです。

パーソナリティ障害の人は、自分を絶対視してしまいやすいと言えます。それ以外の考えは受け入れられないのです。そして、何かまずいことが起きると、それは自分に何か問題があったからだとは考えずに、周囲の者の手はずが悪いからだと考えがちなのです。

③心から人を信じたり、人に安心感が持てない

もう一つの基本症状は、他者に対する根本的な認知に関するものです。パーソナリティ障害の人は他者を心の底から信じたり、心から気を許すことができにくいということです。重いパーソナリティ障害の人はどこの傾向が顕著になります。
些細なことでも傷つきやすく、他者を不快なものや自分の邪魔をするものとして捉えがちです。あからさまに不信感を示す場合もありますが、上辺では親しく振る舞い、信じていると自分から口にする場合も、本当には信じることができないのです。
そのため相手を試そうとしたり、裏切られるのがいやで、自分から先に裏切ってしまうこともあります。
信じられる対象を求めて次々と親密になるのですが、失望を繰り返すということになりがちです。逆に誰も信じられないために、誰とも親しい関係になるのを避けようとすることもあります。
人に対して、何か気詰まりに感じたり、気楽に関係を楽しむことができないということもよく見られます。基本的安心感や信頼感はパーソナリティのもっとも根幹をなすものです。それは幼い頃の母親との関係によるところが大きく、そこで十分な安心感を味わわないと、人との絆というものが築きにくくなってしまいます。(中略)

④高過ぎるプライドと劣等感が同居

四番目の基本症状は、自分に対する認知に関するものです。パーソナリティ障害の人では、自己像(自分のイメージ)がとても理想的で完壁なものと、劣悪で無価値なものに分裂し、両者が同居しているということです。
つまり、一方で強い劣等感や自己否定感を抱え、もう一方で高過ぎるプライドや現実離れしたとも言える万能感を持っているのです。両者がアンバランスに併存しているわけです。
尊大とも言える高いプライドと、非常に劣等感の強い自己卑下的な一面の両方を抱えているという双極的構造は、パーソナリティ障害の人には広く認められるものです。また、過度に理想を追い求める一方で、現実の存在に対しては否定的な見方しかしないというアンバランスさも、よく認められます。
パーソナリティ障害の人は、一方で非常に理想的な自分を夢見ています。しかし、現実の自分に対して、自信一杯に振る舞っている場合でさえも、心の奥底では本当は自信がなく、強い劣等感を抱きながら、長い年月を過ごしてきたということが多いのです。
そうした自信のなさや自己否定感を補うために、パーソナリティ障害の人はさまざまな自己アピールの技を身につけたり、逆に自分だけの砦のなかで誇大な空想を膨らませたりして、どうにか心の平衡を保っています。
パーソナリティ障害の人が思いもしない破綻をきたしたり、急に不安定になりやすい大きな理由は、両者のギャップがとても大きく、危ういところでバランスを取っているので、余分な力が加わると均衡が崩れやすいことによります。
とてもプライドが高いために、通常なら冗談として聞き流せるようなことも、ひどい侮辱や攻撃と受け取りがちです。ついムキになって反撃したり、長く恨みに思うということにもなりやすいのです。思いもかけない過剰な反撃に至ることもあります。

⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

パーソナリティ障害の人に共通して見られるもう一つの特性は、認知の特徴というよりも認知の許容量に関するものです。パーソナリティ障害の人では、心という装置で受け止めることができる許容量がとても小さいのです。
それを超えてしまうと、もう心で処理することができなくなり、心のバランスが崩壊してしまうのです。その結果、暴発的な行動に走ったり、自分や相手を損なうような破れかぶれの行為に至りやすいのです。
その瞬間には理性の歯止めが働かなくなってしまいます。解離した状態になり、記憶が飛んでしまったり、別人のような行動を引き起こすこともあります。こうした状態も心の器が満杯になり、処理機能がオーバーフローを起こしたと考えると、理解しやすいと思います。
心の問題が行動の問題となってしまうことを「アクティング・アウト(行動化)」と言います。パーソナリティ障害の人では、ストレスが理性的な対処能力を超えてしまうと、アクティング・アウトを起こしやすいと言えます。
思い通りにいかない事態にぶつかっても、粘り強く解決法を模索することが大切なのですが、そうした試行錯誤するカが不足しているのです。

パーソナリティ障害を理解するための理論

幼さを抱えた心の構造

以上のパーソナリテイ障害に共通する特徴は、パーソナリテイ障害を理解し、適切に対処する上でとても大事です。もう一度、簡単に復習しましょう。
①両極端で単純化した認知に陥りやすい。
②自分と他者の区別があいまいで、自分と他人の問題を混同しやすい。
③心と恒常性のある信頼関係を保ちにくい。
④プライドと劣等感が同居している。
⑤暴発や行動化を起こしやすい。
これらの傾向を持つパーソナリティ障害の人の心の特徴は、もっと端的に言うと、少し語弊があるかもしれませんが、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」と言えるでしょう。(中略)

「とらわれ」というワナ(中略)

その重要な共通項を一言で言えば、「とらわれ」という言葉で表現できるかもしれません。思考や感情のワナのようなものに陥って身動きが取れなくなっているのです。それはある意味「視野狭窄」と言えるかもしれません。狭い視点でしか物事を考えることができないわけです。
もう少し広い視野で考えれば違って見えることなのに、自分という視点や、ある偏った見方でしか見ることができないのです。柔軟性を失い、修正が利かないのも、この「とらわれ」ゆえです。
したがって、パーソナリティ障害を克服していく上で、とらわれから脱するということが重要になります。不安定な愛着がかかわっているケースでは、とらわれを生む根っこに、親からの否定的な評価や愛されなかったという思い、逆にかまわれ過ぎたものの、支配され、主体性を奪われてしまったというバランスの悪い状況がからんでいるものです。その点を自覚することが、無意識の支配を打ち破ることにつながるのです。(後略)

注:引用中の「行動化」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) 引用中の「その重要な共通項」は、「パーソナリティ障害の重要な共通項」のようです。

加えて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「自己愛的怒り」及び「認知療法から見たパーソナリティ障害」における記述の一部(P66~P69)及び を次に引用します。

自己愛的怒り(中略)

誇大自己が濃厚に残っている人では、自分の思い通りにならない状況にぶつかったとき、自分の側に問題があるとは考えず、自分の思いを不当に邪魔されたと受け取り、激しい怒りにとらわれるのです。誇大自己が万能感やプライドを傷つけられたときに感じる強い怒りを、コフートは「自己愛的怒り」と呼びました。
「キレる」というのは、まさにこの「自己愛的怒り」の状態なのです。
自己愛的な怒りにとらわれたとき、その人にとって、すべての非は相手側にあると見なされています。客観的に自分を振り返る視点は失われてしまっているのです。あと先を考えない激烈な攻撃が引き起こされます。ときには、攻撃の矛先が自分自身に向けられることも少なくありません。
パーソナリティ障害の人の激しい反応を理解する上で、「自己愛的怒り」はとても納得のいく概念です。傷つけられた自己愛を回復するために、人は命さえ投げ出すのです。奇妙なことですが、自己愛とは命よりも上に位置するものなのです。(中略)

認知療法から見たパーソナリティ障害(中略)

それとはまったく違った原理に基づいて、パーソナリティ障害を理解しょうとする理論もあります。そのなかでも重要かつ実際に役立てやすいのが認知療法の考え方です。
認知療法はアメリカの精神科医アーロン・ベックによって創始された治療法です。認知療法では、パーソナリティ障害を間違った適応戦略の結果だと考えます。ペックは心の働きを、外界からの情報入力に対して行動を出力する一種の情報処理として考えます。それによって人は環境に適応するために必要な行動を取っているわけですが、パーソナリティ障害の人では適応にとって不利な行動を取ってしまうのです。
それは情報処理の仕方に一定の偏りがあるために起こってしまうのです。なぜ、そんな不利な適応戦略を身につけてしまったかというと、そうすることが有利だった時期があったためです。
「狼と少年」という有名な寓話があります。あるとき、少年が「狼だ、狼だ」と騒いだら、村の人々はびっくりして鉄砲や武器を持って駆けつけてきた。それですっかり悦に入った少年は同じことを繰り返すようになった。ところがある日、本当に狼が現れたとき、少年は「狼だ」と叫んだが、村人は誰も助けにこなかった。
この少年も寂しかったのでしょう。愛情や関心に飢えていたのだと思います。最初のうちは「狼だ」と騒ぐことで、彼の自己顕示的な欲求や関心を得たいという欲求は、満足を得ることができたのです。それで味をしめて身につけてしまった誤った戦略が、結局は彼の身を滅ぼすことになったのです。
人にはそれぞれ情報処理の一定のパターンがあり、認知療法ではそうしたパターンを「スキーマ」と呼びます。スキーマには、さらにその人が世界認識の原理としている「信念」と、行動の基本方針としている「方略」があります。
たとえば、先の少年のようなタイプの人は、「注目されることは心地いい。注目されないと自分は無価値になる」という信念を抱いています。
そして、「人をあっと言わせなければならない」「正しいことよりも、驚かすことが優先だ」という方略に基づいて行動してしまうのです。その結果、人々はたいして驚きも注目もしなくなり、ただ信用を失う結果になるのですが、それでもこのような行動をやめられないのです。
境界性パーソナリティ障害の人であれば、「自分は価値のない人間だから、人はどうせ私を見捨てるだろう」という信念を抱いています。そして、「見捨てられるなら、こっちから見捨てたほうがましだ」「見捨てるのなら、それを後悔させねばならない」という方略が出てくるわけです。(後略)

注:i) 引用中の「誇大自己」は、同本の P61 によると、何でも思い通りなると思っている万能感に満ちた自己愛です。 ii) 引用中の「それとはまったく違った原理」における「それ」とは、この引用部以前で述べられている主に精神分析から発展した理論のことのようです。

(2) パーソナリティ障害の治療優先度

「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の林直樹著の文書「パーソナリティ障害はどのような病気なのか?」(P10~P16)より記述の一部(P14~P16)を次に引用します。

多くの経過研究からパーソナリテイ障害の臨床的意義が明らかにされている。モレー(Morey, L.C.)ら(9)は、約六〇〇人の患者の経過を追った米国国立精神保健研究所の共同研究(Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study:CLPS)から、パーソナリティ障害の特徴がうつ病症状よりも持続的であり、パーソナリティ障害併存症例のほうが抑うつ症状の改善が遅れたことを報告した。この所見は、パーソナリティ障害を併存しているうつ病症例において、パーソナリティ障害が回復を妨げているという仮説を支持している。ガンダーソン(Gunderson, J.G.)ら(4)は、CLPS研究における三年間、六年間の経過から、境界性パーソナリティ障害の改善はうつ病の改善を予測するが、うつ病の改善は境界性パーソナリティ障害の改善を予測しないことを報告した。これらの研究の所見は、うつ病とパーソナリティ障害の併存例に対しては、パーソナリティ障害の治療を早期に開始するべきことを示している。(中略)

実際の臨床では、治療アプローチが容易だという理由から、パーソナリティ障害に対する治療よりも併存している精神障害への治療が先に行われることが多いと考えられるのであるが、筆者らの研究の所見および他の経過研究の所見からは、治療開始後になるべく速やかにパーソナリティ障害へのアプローチが開始されることが望ましいものと考えられる。

注:i) 引用中の文献番号「(4)」、「(9)」はそれぞれ次の論文です。「Major depressive disorder and borderline personality disorder revisited: longitudinal interactions.」、「State effects of major depression on the assessment of personality and personality disorder.」 ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害において誤診・誤治療により、ご本人・ご家族が長期間困っている例についてはここを参照して下さい。 iii) 一方、境界性パーソナリテイ障害において、最終的な結果としての症状だけを見て、そこだけに対処療法が施される問題点について、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティの克服」(2016年発行)の「コラム2 本来必要な治療を求めて――岡田尊司」における記述(P87~P91)を次に引用します。

木を見て森を見ずの現代医療
本来の医学は、病の症状の根底にある原因を突き止め、そこを改善することで、病を癒そうとします。ところが、薬という便利なものが発達したおかげで、おかしなことが起きるようになりました。原因がわからなくても、症状に対して適当にお薬を処方すれば、症状だけは改善してしまうのです。
たとえば、熱が出ているとします。熱の原因がわからなくても、解熱剤を処方すれば、とりあえず熱は下がってしまいます。あまり問題のない、放っておいでも良くなるような病気であれば、それでもいつしか治ってしまうでしょう。しかし、肺炎のような病気になっているのに、症状だけ治そうとしでも、病状は悪化するばかりです。せっかく病気の存在を教え、体が病原菌と闘おうとして生じていた熱だけを下げてしまうことで、かえって重症化させてしまうこともあります。
ところが、今日の心の医療では、こうしたことが起きやすくなっているのです。不眠や不安、うつといった症状は、とりあえず薬によって改善することが可能です。ところが、症状は改善しても、そもそも症状を引き起こしていた原因には手当てはされていません。結局、いつまでも薬を飲み続けるだけで、根本的な問題は何も変わらないということになります。薬を飲んでいるのに、段々状況が悪化することも多いわけです。
また、精神医療特有の問題として、症状での診断がまかり通るようになり、原因についての手当てをしようとしない医療が普通に行われているという事情があります。不安が強ければ、不安障害、不眠があれば不眠症、気分が落ち込めぼうつといった症状がそのまま診断になって、そのことに疑問さえ抱かなくなっています。
しかし、そうした症状の根底には、職場での上司との関係が原因になっていることもあるでしょうし、完壁主義な性格や親からの虐待が原因となっている場合もあるでしょう。本来は、その部分に手当てし対処を考えることが必要なのですが、最終的な結果である症状だけを見て、そこだけに対症療法が施されるということが当たり前になっているのです。

本当に必要なのは、「絆の病」の克服
単なる不眠や不安であれば、それで誤魔化せる部分もありますが、自分に強い自己否定を抱え、自分を損なってしまう境界性パーソナリティ障害のような難しい状態になると、そうした方法では、まったくお手上げです。境界性パーソナリティ障害の場合、うつや不安障害、睡眠障害といった問題だけでなく、ADHD(注意欠如・多動性障害)や依存症、摂食障害、解離性障害といった診断がつくことも珍しくありません。診断名ばかりが、ずらっと並ぶわけです。その治療を別々の医者から受けているというケースさえあります。症状だけを追いかけていたのでは、木を見て森を見ずになってしまいます。結局、大本で何が起きているのかということを、トータルでみる視点が必要なのです。そして、それを可能にしたのが、先に述べた愛着障害という視点です。愛着障害があると、境界性パーソナリティ障害も含めて、それらすべての障害が起きやすくなるのです。
そして、何よりも、境界性パーソナリティ障害を、愛着障害として理解し、それを改善する手立てを行うと、他の方法では、どうにもならなかったようなケースも、改善が得られやすいのです。
愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。親との関係で乗り越えられなかった課題が、他の人との関係で繰り広げられているのです。問題が、そこにあるとしたら、各症状を薬で誤魔化すことは、本来の回復から遠ざかることだと言えるでしょう。なぜなら、課題の存在を知らせ、それと闘おうとしているから症状が出ているのです。境界性パーソナリティ障害は、不安定な絆しかもてなかった人が、確かな絆を手に入れようとして必死にもがいている姿そのものなのです。症状だけを薬で止めてしまうことは、その回復の機会を奪うだけでなく、薬物依存といった、もっと厄介な問題を引き起こすことになりかねないのです。

注:i) 引用中の「うつ」、「不安障害」、「依存症」、「摂食障害」については共に、リンク集[うつの用語:「うつ病」、不安障害の用語:「不安障害(不安症)」、依存症の用語:「物質依存(薬物など)」]を参照して下さい。 ii) 引用中の「解離性障害」については、リンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 iv) 引用中の「ADHD」については、他の拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「愛着障害」ついては、リンク集を参照して下さい。加えて、特に「愛着障害」と境界性パーソナリティ障害との関係についてはここ及びここを参照して下さい。

(h)境界性パーソナリティ障害の治療における問題点
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「2 従来の治療と医原性の害」における記述(P208~P209)を次に引用します。

BPD は治療を行わなければ永続するものであり,治療には困難が伴い,治療の経過も長期にわたるというのか BPD に対する従来のイメージでした。しかし,Fonagyたち(Allen et al., 2008)によれば 細心の注意を払って計画された2つの予後研究(Shea et al., 2004; Zanarini et al., 2003)は,BPD の経過や治療についてのこのような悲観的見解の不適切さを浮き彫りにしました。これらの予後研究によると,BPD の患者たちの大部分が症状の実質的減少を経験するのであり,以前考えられていた期間よりもずっと短期間でそうなるのです。入院を要するほど重症と診断された BPD の患者たちの75%が,6年後には,標準化された診断基準に示されている寛解状態に到達します(Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006)。4年後までなら50%の寛解率というのが一般的ですが,その後も定率(1年で10~15%)の寛解が持続し,再発は6年経過しても10%を超えないであろうとのことです(Allen et al., 2008)。ただし,改善するのは衝動性やそれと関連する自傷および自殺傾向などであり,少なくても半数の患者たちには,①見捨てられる不安,②空虚感,④抑うつにつながる脆弱性,③対人関係の問題が残存しがちです。BPD 患者の大多数が6年以内に自然回復するのであれば,なぜ BPD についての悲観的見通しが固定化されたのでしょうか。より早期の調査研究によれば,アメリカ合衆国で治療に訪れた BPD 患者たちの97%は,平均して6人ものセラピストから外来治療を受けた経験がありました(Allen et al., 2008)。こうして実施されていた(現在も実施されている)いくつかの心理社会的治療が,それを行ったばかりに患者の回復能力を妨げたのであろうというのが,Fonagy たちの推測です(Allen & Fonagy, 2006; Allen et al., 2008)。つまり,医原性の害(iatrogenic harm)が存在したのです。ところが 世界的に「根拠(実証)のある治療」(evidence-based treatment)が求められるようになり,とくにアメリカ合衆国では,医療保険制度の変化も加わって,その傾向が強まりました。その結果,有害な治療が行われる頻度が減少し,BPD の寛解率が上がったと解釈できるのです。Fonagy たちが従来の治療のどのような点を有害と考えているのかについては,MBT におけるセラピストの姿勢と介入法を知ればわかります。Fonagy たちの MBT は,医原性の害を排除するように工夫された治療法だからです。

注:i) 引用中の「BPD」、「MBT」はそれぞれ、「境界性パーソナリティ障害」、「メンタライゼーションに基づく治療」の略称です。 ii) 引用中の「Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006」が示す論文はそれぞれです。「The children in the community study of developmental course of personality disorder.」、「The Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study: reliability of axis I and II diagnoses.」、「The McLean Study of Adult Development (MSAD): overview and implications of the first six years of prospective follow-up.」 iii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害の経過・予後については次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「経過・予後」項

(i)愛着障害について
ここでは、愛着障害に関してまとめて紹介します。この紹介として、主に岡田尊司著の本、「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」(2011年発行)の『はじめに――本当の問題は「発達」よりも「愛着」にあった』から、加えて、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)からの記述の一部を以下に引用します。ちなみに、DSM-5においては、愛着障害は心的外傷およびストレス因関連障害群における「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」と「脱抑制型対人交流障害」*9とに分類されます。*10

① 先ず、岡田尊司著の本、「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」(2011年発行)の『はじめに――本当の問題は「発達」よりも「愛着」にあった』における記述の一部(P3~P6)を次に引用します。

人間が幸福に生きていくうえで、もっとも大切なもの――それは安定した愛着である。愛着とは、人と人との絆を結ぶ能力であり、人格のもっとも土台の部分を形造っている。人はそれぞれ特有の愛着スタイルをもっていて、どういう愛着スタイルをもつかにより、対人関係や愛情生活だけでなく、仕事の仕方や人生に対する姿勢まで大きく左右されるのである。
安定した愛着スタイルをもつことができた人は、対人関係においても、仕事においても、高い適応力を示す。人とうまくやっていくだけでなく、深い信頼関係を築き、それを長年にわたって維持していくことで、大きな人生の果実を手に入れやすい。どんな相手に対してもきちんと自分を主張し、同時に不要な衝突や孤立を避けることができる。困ったときは助けを求め、自分の身を上手に守ることで、ストレスからうつになることも少ない。人に受けいれられ、人を受けいれることで、成功のチャンスをつかみ、それを発展させていきやすい。
従来、愛着の問題は、子どもの問題、それも特殊で悲惨な家庭環境で育った子どもの問題として扱われることが多かった。しかし、近年は、一般の子どもにも当てはまるだけでなく、大人にも広くみられる問題だと考えられるようになっている。しかも、今日、社会問題となっているさまざまな困難や障害に関わっていることが明らかとなってきたのである。
たとえば、うつや不安障害、アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症、境界性パーソナリティ障害や過食症といった現代社会を特徴づける精神的なトラブルの多くにおいて、その要因やリスク・ファクターになっているばかりか、離婚や家庭の崩壊、虐待やネグレクト、結婚や子どもをもつことの回避、社会に出ることへの拒否、非行や犯罪といったさまざまな問題の背景の重要なファクターとしても、クローズアップされているのである。
さらに、昨今、「発達障害」ということが盛んに言われ、それが子どもだけでなく、大人にも少なくないことが知られるようになっているが、この発達の問題の背景には、実は、かなりの割合で愛着の問題が関係しているのである。実際、愛着障害が、発達障害として診断されているケースも多い。
筆者は、パーソナリティ障害や発達障害を抱えた若者の治療に、長年にわたって関わってきた。その根底にある問題として常々感じてきたことは、どういう愛情環境、養育環境で育ったのかということが、パーソナリティ障害は言うまでもなく、発達障害として扱われているケースの多くにも、少なからず影響しているということである。困難なケースほど、愛着の問題が絡まっており、そのことで症状が複雑化し、対処しにくくなっている。
愛着が、その後の発達や、人格形成の土台となることを考えれば、至極当然のことだろう。どういう愛着が育まれるかということは、先天的にもって生まれた遺伝的要因に勝るとも劣らないほどの影響を、その人の一生に及ぼすのである。その意味で、愛着スタイルは、「第二の遺伝子」と言えるほどなのである。
パーソナリティ障害や発達障害について、ある程度の知識をおもちの方も、愛着という視点が加わることで、パーソナリティや発達の問題について、さらに理解が深まることと思う。直面している困難の正体が、いっそうはっきりとみえてくるに違いない。
だが、愛着の問題は、一部の人の特別な問題ではない。ほとんどの人に広く当てはまる問題でもある。
なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか。なぜ自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか。なぜ、本心を抑えてでも相手に合わせてしまうのか。なぜ、いつも醒めていて何事にも本気になれないのか。なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。なぜ、損だとわかっていて意地を張ってしまうのか。
愛着の安定性や様式は、対人関係のスタイルや親密さの求め方だけでなく、その人の生き方や関心、恋愛や子育ての仕方、ストレスに対する耐性や生涯の健康にまで関わっている。意識しないところで、知らずしらずその人の心理と行動を支配しているのである。他の生き方もできたはずなのに、なぜ、この生き方をしてきたのか。その疑問は、その人の愛着の特性を理解したとき、氷解するだろう。
新たな認識と自覚を踏まえたうえで、どうすれば人生がもっと生きやすく実り豊かなものになるのか、どうすれば今抱えているさまざまな問題を良い方向に解決していけるのか、どうすればもっと幸福な人生に近づいていくことができるか。その間題を、もっとも根本的なところで左右するのが、愛着の傷をいかに克服し、安定した愛着スタイルをもつことができるか、不安定な部分をいかに補えるかなのである。そのために必要なこと、できること、ヒントになることをお伝えしたい。

注:i) 引用中の「パーソナリティ障害」及び「発達障害」については、ここ及び他の拙エントリをそれぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「うつ」、「不安障害」、「依存症」、「境界性パーソナリティ障害」及び「過食症」については、共にリンク集を参照して下さい。ただし、「うつ」は用語「うつ病」、「不安障害」は用語「不安障害(不安症)」、「依存症」は用語「物質依存(薬物など)」、「過食症」は用語「摂食障害」を利用して下さい。 iii) 引用中の「愛着」に関して、他の本からの説明を次に引用します。一方、本による標記「愛着障害」に関する説明例をここ及びここに示します。

加えて、愛着に関し、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 1 愛着の定義 の「(1) 絆としての愛着」における記述(P60~P62)を次に引用します。

まず,愛着およびこれと関連する用語を Bowlby と Ainsworth の愛着モデル(以下,Bowlby-Ainsworth モデルと略記)に基づいて定義することにします。最初に注意すべき点ですが愛着(アタッチメント)は,これに関連した一連の概念,つまり愛着,愛着行動,愛着システムなどを総称する「包括語」(umbrella term)だということです(Holmes, 1993)。しかし,包括語ではなく,狭義の愛着を Bowlby-Ainsworth モデルに従って定義するなら,愛着は,「特定の他者との間の強い情緒的絆」(Bowlby, 1979/1989, p.151)ということになります。ここに出てくる「特定の他者」とは,「他とは区別され,好ましいとみなされた他者で,通常は自分よりも強いか賢いかその両方であると捉えられた個体」(Bowlby, 1979/1989, p.154)です。愛着は,「より弱くてスキルの乏しい個体がより有能で力のある個体を支えにする」(Goldberg, 2000, p.9)ことと関連しています。
そして,愛着の絆は,「愛情を伴う絆」(affectional bond)だということも重要です(Bowlby, 1979/1989; Ainsworth, 1989)。「愛着を向けられる人物は愛されている」(Bowlby, 1982, p.209)のであり,愛着の絆の形成は「愛するようになること」(falling in love)として,絆の維持は「誰かを愛すること」(loving someone)として,愛着対象(愛着人物)の喪失は「誰かを失って悲しむこと」として記述されます(Bowlby, 1979/1989, p.155; Bowlby, 1991, p.306)。この絆においては,相手がその人であるから重要なのであり,他の誰かと置き換えることはできません(Ainsworth, 1989)。言い換えれば愛着の絆は,愛着主体が愛着人物に感じている「魅力」(attraction)を反映しているということです(Bowlby, 1979/1989, p.84)。
そして,注意しなければならない点ですが,愛着という絆は,愛着主体が愛着人物に対して体験しているものであり,愛着主体の内的世界に表象を伴って存在するものです(Ainsworth, 1989)。愛着の絆が愛着人物との「相互関係」のように理解されていることがありますが,これは誤りです。愛着の絆は,相互関係ではなく,個人が内的世界に保有しているものです。ですから,例えば,子どもは母親に愛着の絆を形成しているのに母親は子どもに対して愛情の絆を形成していないということがありえます(Howe, 2011; Schaffer, 2006)。
さらに,愛着を他の親密な絆(きょうだいとの絆,友人との絆.性的パートナーとの絆など)と区別する特徴は,(恐れ,不安,疲労,病気など)苦痛の状態において愛着から「安心と慰め」(security and comfort)が得られるということです(Ainsworth, 1989)。Ainsworth(1989)によれば愛着とは,「パートナーとの関係こおいて親密さが見出されたならそれが安心感と慰めをもたらすような,そのような親密さの追求」(p.711)と表現することができます。そして,愛着は,愛着人物との関係の一面でしかないということも重要です(Bowlby, 1982)。例えば,愛着人物としての母親は,愛着人物としてだけ機能するのではありません。母親は,遊び相手,何かを教えてくれる人,躾をする人という役割も果たします(Cassidy, 2008)。母親との関係のすべての面が愛着であるということではないのです。
ですから,子どもが養育者に対して愛着を形成し,それに応えて養育者が子どもに対する「愛情」の絆を形成する場合に,後者を愛着とは呼びません(Ainsworth, 1989)。養育者は,安心と慰めを求めて子どもに依存しているわけではないので,この絆を愛着とは呼ばないのです。愛着の定義上,養育者が子どもに愛着を形成するというのは「役割逆転」(role reversal)であり,病理を示すサインだからです(Bowlby, 1982; Ainsworth, 1989)。ただし,成人同士の関係においては,互いに愛着を向け合うということがありえます。
愛着が安心と慰めの源となるということを言い換えると,「安心基地」(secure base)ということです。愛着が安心基地を生み出すおかげで,子どもは愛着人物から離れて外的世界を探索することができるのです。そして,安心基地が可能にするのは外的世界の探索だけではありません。Bowlby(1988)は,安心基地が「内的世界」の探索をも可能にすると考えていました。この点は,臨床にとって大変重要です。クライエントにとって自分の心を探索することは不安や恐れを伴うことがありますが,セラピストへの愛着が安心基地となっているのでクライエントは不安で恐ろしい探索を行うことができるのです(Allen et al., 2008)。なお,一般に「安全基地」と訳されている”secure base”を,本書では「安心基地」と訳していますが,この理由を述べておきます。この概念は Ainsworth が導入したものですが,Ainsworth も Bowlby も,”safe/safety”〔安全〕と”secure/security”〔安心〕を区別していました(van der Horst, 2011; Bowlby, 1960a)。”safe/safety”は「危険がない」ことを指しているのに対して,”secure/security”ば,「恐れていない,安心している」という意味です。そして,”secure base”は,”heaven of safety”と対にして使用される概念です。乳児が恐怖を引き起こす刺激に遭遇して母親の元に逃げ帰るときに,その母親を”heaven of safety”と呼びます(Ainsworth, 1967)。逆に,乳児が母親への愛着を背景にして母親から離れて周囲の世界を探索しているとき,母親は”secure base”になっています(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)。乳児が「母親を探索のための secure base として活用する」(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)とか,母親が「secure baseを与える」(Ainsworth, 1967; Bowlby, 1979/1989)と表現されることからもわかるように,”secure base”は,探索の際に母親が安心の源になっていることを指しており,「必要なときには母親が役に立ってくれるという乳児の確信」(Bowlby, 1973; Cassidy, 2008)を含むものです。このようなわけで,”secure base”を「安心基地」,”heaven of safety”を「安全な逃げ場」と,区別して訳すのがよいと判断した次第です。
以上のように,Bowlby-Ainsworth モデルでは,愛着とは,安心と慰めをもたらす情緒的絆であると定義されるわけですが,英語圏の主要な心理学事典も,愛着をこのような「絆」として説明しています。ここでは,アメリカ心理学会(APA)が刊行した”APA Dictionary of Psychology”(邦題:『心理学大辞典』)における定義を紹介しておきたいと思います。この事典では,愛着を以下のように定義しています。

注:i) 引用中の「安心基地」は、本においては「安全基地」と称されます。

本の 第一章 愛着障害と愛着スタイル の「子どもの四つの愛着パターン」における記述の一部(P37~P39)を次に引用します。

これまで述べてきた、愛着に影響するいくつかの要素、すなわち、愛着が安全基地としてうまく機能しているか、ストレスに対してどういう愛着行動を示すか、によって、子どもの愛着のパターンはおおむね四つに分かれる。その四つを知っておくことは、大人の愛着スタイルを理解するうえでも非常に役立つ。
子どもの愛着パターンを調べるのに、よく用いられるのは、先述のエインスワースが開発した新奇場面法である。この方法では、子どもと母親を離し、また再会させるという場面設定をして、そのときの子どもの反応を観察することで、愛着のパターンを分類する。エインスワースは、「安定型」「回避型」「抵抗/両価型」の三つに分類したが、その後メインとソロモンによって「混乱型」が加えられ、合計四つのパターンに分類されることが多い。安定型以外の三つのタイプは不安定型と呼ばれる。
安定型は、母親から離されると泣いたり不安を示したりするが、その程度は過剰というほどではなく、母親が現れると素直に再会を喜び、母親に抱かれようとする。約六割強の子どもは、この愛着パターンを示す。安定型では、母親が安全基地としてうまく機能しており、ストレスを感じたときに適度な愛着行動を起こしていると考えられる。
回避型では、母親から引き離されてもほとんど無反応で、また、母親と再会しても目を合わせず、自分から抱かれようともしない。回避型は、安全基地をもたないため、ストレスを感じても、愛着行動を起こさないタイプだと言うこともできる。この愛着パターンは、一割五分~二割の子どもに認められる。小さいころから児童養護施設などで育った子どもに典型的にみられるが、親の関心や世話が不足して放任になっている場合でもみられる。回避型の子どもは、その後反抗や攻撃性の問題がみられやすい。
抵抗/両価型では、母親から離されると激しく泣いて強い不安を示すのに、母親が再び現れて抱こうとしても拒んだり嫌がったりする。しかし、いったんくっつくと、なかなか離れようとしない。母親の安全基地としての機能が十分でないために、愛着行動が過剰に引き起こされていると考えられる。このタイプは一割程度に認められる。親がかまってくれるときと無関心なときの差が大きい場合や、神経質で厳しく過干渉な親の場合が多い。抵抗/両価型の子では、その後、不安障害になるリスクが高く、また、いじめなどの被害に遭いやすいとされる。
混乱型は、回避型と抵抗型が入り混じった、一貫性のない無秩序な行動パターンを示すのが特徴である。まったく無反応かと思うと、激しく泣いたり怒りを表したりする。また、肩を丸めるなど親からの攻撃を恐れているような反応をみせたり、逆に親を突然叩いたりすることもある。混乱型は、虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。安全基地が逆に危険な場所となることで、混乱を来していると考えられる。親の行動が予測不能であることが、子どもの行動を無秩序なものにしているのである。混乱型の子どもでは、その後、境界性パーソナリティ障害になるリスクが高いとされる。

注:i) 引用中の「抵抗/両価型」は、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」においては、「アンビヴァレント型〔または抵抗型〕」と称されます。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、リンク集及びここを参照して下さい。 iii) 引用中の「混乱型」に相当する「無秩序型」をはじめとして、「安定型」「回避型」及び「抵抗/両価型」に相当する「不安型」ついては、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第7章 波長を合わせる――愛着と同調 の「自分に与えられた親たちと暮らす」、「内部で無秩序になる」及び「無秩序型の愛着の長期的影響」における記述(P190~P199)を次に引用します。

自分に与えられた親たちと暮らす

子供たちには、誰かに愛着を感じたいという生物学的な本能がある。彼らに選択の余地はないのだ。親あるいはそれ以外の養育者が愛情深く、親身になって世話をしてくれようと、よそよそしかったり、鈍感あるいは拒絶的だったり、虐待したりしようと、子供は自分の欲求の少なくとも一部を満たしてもらおうという試みに基づいた対処様式を発達させる。
今では、こうした対処様式を評価したり見極めたりする確かな方法がある。それは、メアリー・エインズワースとメアリー・メインという二人のアメリカ人科学者とその共同研究者たちの業績に負うところが大きい。彼女らは長い年月の間に、母子を何千時間も観察した。こうした研究に基づいて、エインズワースは「新奇場面法」と呼ばれる研究手法を編み出した。これは、赤ん坊が母親との一時的な別離にどう反応するかを見るものだ。ボウルビィが観察したのとまさに同じように、安定した愛着を持つ赤ん坊は、母親が去ると悲しみに暮れるが、戻ってくると大喜びして、束の間、母親の存在を再確認して安心したあと、落ち着いて遊びを再開する。
だが、不安定な愛着を持つ赤ん坊の場合には、状況はもっと複雑だ。主たる養育者が鈍感だったり拒絶的だったりすると、子供は自分の不安に、二つのまったく異なるかたちで対処することを学ぶ。慢性的に気が動転していて、母親に過剰な要求をするように見える子供もいれば、もっと消極的で遠慮がちな子供もいることに、エインズワースらは気づいた。どちらの子供たちも母親と接触しても落ち着くことができず、安定した愛着を持つ子供のように満足そうに遊びに戻ることはなかった。
「回避型愛着」と呼ばれるパターンでは、赤ん坊は何もたいして気にしていないように見える。母親が去っても泣かないし、戻ってきても無視する。とはいえ、これは彼らが何の影響も受けていないということではない。じつは、彼らは心搏数が慢性的に高く、常に過覚醒状態にあることがわかる。私と研究仲間は、このパターンを「感じることのない対処」と呼んでいる(12)。回避型の赤ん坊の母親の大半は、わが子に触れるのを嫌っているように見える。子供に寄り添ったり、子供を抱いたりするのか苦手で、表情や声を使って赤ん坊と楽しいやりとりのリズムを生み出すことはない。
「不安型愛着」あるいは「相反型愛着」と呼ばれる別のパターンでは、赤ん坊は泣いたり、叫んだり、しがみついたり、金切り声を出したりして絶えず注意を惹く。彼らは「対処することなく感じている(13)」。彼らは、大騒ぎでもしないかぎり誰も注意を向けてくれないと結論したかのように見える。彼らは、母親がどこにいるかわからないと激しく気が動転するが、母親が戻ってきてもろくに慰めを得られない。そして、母親といても楽しそうではないにもかかわらず、他の子供なら遊びたがるような状況でも、母親に対して消極的にあるいは腹を立てながら注意を集中したままでいる(14)。
愛着研究者は、「秩序型」に分類される三つの愛着戦略(安定型、回避型、不安型)が功を奏するのは、特定の養育者が提供できる最善の世話を引き出すからだと考えている。一貫した世話のパターンに出合った赤ん坊は、それが情動的に距離を置いたものであろうと、鈍感なものであろうと、養育者との関係を維持するよう適応できる。だからといって、問題がないというわけではない。愛着のパターンは、大人になったあとへも持ち越されることが多いからだ。不安な幼児は不安な大人に成長する傾向にあり、回避型の幼児は自分や他者の感情に疎い大人になりかちだ(「適切な体罰は少しも悪くない。今日私が成功しているのも、叩かれたおかげだ」という具合に)。学校では、回避型の子供たちは他の子供たちをいじめる可能性が高いのに対して、不安型の子供はしばしば彼らの犠牲になる(15)。とはいえ、発達は直線的ではなく、多くの人生経験が間に起こって、こうした結果を変えうる。
だが、もっと不安定なかたちで適応している子供たちもおり、彼らは私たちが治療する子供の大半と、精神科クリニックの診療を受ける成人のかなりの割合を占める。二〇年ほど前、メアリー・メインとバークリーの同僚たちは、養育者とどうかかわっていいかわからないように見える子供たち(彼女らの研究対象の約一五パーセント)の存在に気づき始めた。そして、子供たちにとって養育者自身が苦悩や恐怖の源泉になっているのが決定的な問題であることが判明した(16)。
この状況にある子供は、他に頼れる人がいないので、母親は生存に必要なのだが、恐れの源泉でもあるという、解決しようのないジレンマに直面する(17)。彼らは「接近する(安定型「戦略」と相反型「戦略」)ことも、注意を他へ移す(回避型「戦略」)ことも、逃げ出すこともできない(18)」。保育園や愛着の研究室でそうした子供を観察すると、彼らは親が部屋に入ってきたときにそちらへ目をやるものの、すぐ顔を背けるのか見られる。緊密さを求めるか、親を避けるかを選びかねた彼らは、床に手足をついたまま体を揺らしたり、催眠状態に入ったように見えたり、両腕を挙げたまま凍りついたり、立ち上がって親を歓迎したかと思うと床に倒れたりするかもしれない。彼らは誰が安全かも、自分が誰に帰属するのかもわからないので、見知らぬ人に対して強烈な親愛の情を見せたり、逆に、誰も信用しなかったりしかねない。メインはこのパターンを「無秩序型の愛着」と呼んでいる。無秩序型の愛着は、「解消のしようがない恐怖(19)」だ。

内部で無秩序になる

良心的な親が愛着研究について知ると、はっとして、自分がときおり苛立ったり、日ごろしばしば同調を怠ったりしているので、わが子に一生続く害を与えてしまっているのではないかと心配することが多い。だが実生活では、誤解や不適切な反応、意思疎通の失敗は避けられない。親は赤ん坊が発するサインを見落としたり、単に他の事柄で頭がいっぱいだったりするので、赤ん坊は自分で自分を落ち着かせる方法を見つけざるをえない状況に頻繁に追いやられる。一定の限度内であれば、これは問題ではない。子供は欲求不満や失望を処理することを覚える必要がある。「合格点の」養育者がいれば、子供は断ち切られたつながりが修復できることを学ぶ。肝心なのは、安全であるという内臓感覚を、親あるいはそれ以外の養育者と結びつけられるかどうかだ(20)。
「正常な」中産階級の環境で二〇〇〇人以上の赤ん坊の愛着パターンを調べたある研究では、六二パーセントが安定型、一五パーセントが回避型、九パーセントが不安型(相反型ともいう)、一五パーセントが無秩序型であることがわかった(21)。興味深いことに、この大規模な研究は、子供の性別と基本的な気質が愛着の型にほとんど何の影響も持たないことを示している。たとえば、「気難しい」気質の子供は、無秩序型になりやすいわけではない。一方、社会経済的に低い階層では、親が経済的にも家庭的にも不安定であるために深刻なストレスを受けていることが多く、子供が無秩序型になる率が高い(22)。
赤ん坊のころに安心感が得られなかった子供は、成長しても気分や情動的反応を調節するのに苦労する。幼稚園では、多くの無秩序型の幼児が攻撃的か、ぼうっとして人や物事に関与することをやめてしまっているかのどちらかで、やがてさまざまな精神医学的問題を起こす(23)。また、心搏数、心搏変動(24)、ストレスホルモン反応、免疫性因子の低下(25)といったかたちで、生理的ストレスを示す。この種の生物学的調節不全は、子供が成熟したり、安全な環境に移されたりすると、自動的に正常な状態に戻るのだろうか。私たちの知るかぎりでは、そうはならない。
無秩序型の愛着を生じさせるのは、親による虐待だけではない。家庭内の虐待やレイプ、親や兄弟姉妹の最近の死といった、自分自身のトラウマで頭がいっぱいの親も、情動的にあまりに不安定で一貫せず、ろくに慰めや保護を提供できない(26)(27)。親は、精神的に安定した子供を育てるためには、得られるかぎりの助けを必要とするが、トラウマを負った親はとくに、子供たちの欲求と同調するための助けが必要だ。
養育者は自分が同調していないことに気づかない場合が多い。私はベアトリス・ビービーに見せてもらったビデオを鮮明に覚えている(28)。若い母親が、生後三か月の赤ん坊と遊んでいるビデオだ。万事順調だったが、赤ん坊が身を引いて顔を背け、ひと休みしたいというそぶりを見せた。だが母親はこの合図に気づかず、顔をわが子の顔になおさら近づけ、声を大きくし、息子の注意を惹こうと、前にもまして一生懸命になった。赤ん坊がさらに尻込みしても、母親は赤ん坊の体を上下させ、突き続けた。赤ん坊はとうとう悲鳴を上げ始めた。すると母親は赤ん坊を床に下ろし、がっかりした様子で立ち去った。彼女は明らかにつらかったのだろうが、大切なサインを完全に見落としていた。このような同調の失敗が繰り返されれば、徐々に親子のつながりが損なわれ、慢性的に心が通じない状態に陥りうることは簡単に想像がつく(夜泣きする子供や過剰に活発な子供を育てた人なら誰もが知っているとおり、何をやっても効き目がないときには、ストレスがたちまち増大する)。この母親は、赤ん坊を落ち着かせて、面と向き合っての楽しい相互作用を確立するのをしくじってばかりいるので、この赤ん坊のことを、母親失格と感じさせる、手の焼ける子供だと認識し、この子を慰めようとするのをやめてしまう可能性が高い。
実際には、無秩序型の愛着に起因する問題とトラウマに起因する問題を区別するのは難しいことが多い。両者はしばしば絡み合っているからだ。私と同業のレイチェル・イェフダは、暴行されたりレイプされたりしたことのある成人のニューヨーカーのうち、PTSDを発症する人の割合を調べた(29)。PTSDを抱えたホロコーストのサバイバーを母親に持つ人は、こうしたトラウマ体験のあと、深刻な精神的問題に陥る割合が非常に大きかった。彼らは育ちのせいで生理的に脆弱になっているため、危害を加えられたあとに平衡を取り戻すのが困難になったと考えるのが、最も理にかなっている。イェフダは、二〇〇一年のあの運命の日に世界貿易センターにいた妊婦の子供たちにも、同じような脆弱性を発見した(30)。
同様に、不快な出来事に対する子供の反応は、親がどれだけ平静か、あるいはどれだけストレスがたまっているかでおおむね決まる。かつて私の学生で、現在はニューヨーク大学の児童・少年精神医学科長のグレン・サックスは、重度の火傷の治療で入院した子供がPTSDを発症するかどうかは、彼らが母親といっしょにいてどれだけ安全に感じるかから予想できることを示した(31)。また、母親に対する彼らの愛着の安定度から、彼らの痛みを抑えるのに必要なモルヒネの量が予想できた。愛着が安定しているほど、必要とされる鎮痛薬は少なかった。
やはり私と同業で、ニューヨーク大学ランゴン医療センターで家族トラウマ研究プログラムを主導するクロード・チェムトブは、二〇〇一年九月一一日のテロ攻撃を直接目にしたニューヨーク市の子供一一二人を調べた(32)。追跡検査のときにPTSDあるいはうつ病と診断された母親を持つ子供は、情緒面で重大な問題を抱えている割合が六倍、自分の体験に対する反応が過剰に攻撃的である割合が一一倍もあった。父親がPTSDの子供は、行動面にも問題が見られたが、その影響は間接的で、母親を介して伝わったことをチェムトブは発見した(短気な配偶者や、自分の殻に閉じこもった配偶者、恐れおののいている配偶者と暮らしている人は、うつ病などの大きな精神的重荷を背負い込まされる)。
心の中で安心を感じていなければ、安全と危険を区別するのは難しい。人は慢性的に麻痺状態であるように感じていたら、むしろ潜在的に危険な状況にあるときに、生き生きとした気分になるかもしれない。自分はひどい人間に違いない(そうでなければ、親が自分をあのような目に遭わせるだろうか)という結論を下したら、他者にひどい扱いを受けるのは当たり前だと思い始める。おそらく自分はそういう扱いに値するのであり、どのみち自分には手の打ちようがないのだ。無秩序型の人がこのような自己認識を持っているときには、その後の経験でトラウマを負うお膳立てができていると言える(33)。

無秩序型の愛着の長期的影響

一九八〇年代初期に、私と同業で、ハーヴァード大学の愛着研究者のカーレン・ライオンズ=ルースは、母親と生後半年、一年、一年半の赤ん坊との対面の相互作用を録画し始めた。赤ん坊が五歳になったときと、七歳か八歳になったときにも、再度録画した(34)。全員が不安定な家庭の人で、連邦貧困ガイドラインを一〇〇パーセント満たしており、母親の半数近くがシングルマザーだった。
無秩序型の愛着は、二つの異なるかたちで表れた。母親たちの一部は、自分自身の問題で頭がいっぱいで、赤ん坊の世話ができないようだった。しばしば押しつけがましく、敵対的で、赤ん坊を突き放すかと思えば、自分の欲求に応じることを赤ん坊に期待しているかのように振る舞うということを交互に繰り返した。別の母親たちは、無力でびくびくしているようだった。優しい、あるいは繊細という印象を与えることが多かったが、母子関係で大人の役割をどう果たしたらいいかわかっておらず、わが子に慰めてもらいたがっているように見えた。離れていたあとに戻ってきても、子供に対して嬉しそうなそぶりも見せられず、子供が泣いたり悲しんだりしていても抱き上げなかった。これらの母親は故意にそうしているわけではなさそうで、ただ、わが子とどうやって同調して、彼らの合図に応じるかがわかっておらず、したがって、子供を慰めたり安心させたりできなかった。敵対的な、または押しつけがましい母親は、児童期に身体的虐待を受けた経験と家庭内暴力を目撃した経験の両方あるいは一方を持っている割合が大きく、一方、内向的だったり、依存心が強かったりする母親は、性的虐待あるいは親を亡くした経験を持っている(ただし、身体的虐待の経験はない)ことが多かった(35)。
私はこれまでずっと、どうして親が子供を虐待するようになるのか不思議に思ってきた。なにしろ、健全な子供を育てるというのは、人間の目的意識や存在意義のまさに核心にあるからだ。親は何に駆り立てられて、わが子を故意に傷つけたり、ネグレクトしたりしうるのか。ライオンズ=ルースの研究は、一つの答えを与えてくれた。彼女の録画を観ていてわかったのだが、子供たちはしだいに慰めようがなくなったり、むっつりしたり、同調しそこなった母親に対して反抗的になったりしていった。一方、母親たちのほうも、子供との相互作用の中で徐々に苛立ち、打ちのめされ、無力になっていった。いったん母親が子供のことを、同調した関係におけるパートナーとしてではなく、癪に障る、腹立たしい、心の通わない他者として見るようになると、その後の虐待の舞台が整う。
一八年ほどあと、これらの子供たちが二〇歳前後のとき、ライオンズ=ルースは追跡調査を行ない、彼らがどうしているかを調べた。生後一年半のときに母親との情動的意思疎通のパターンが深刻なまでに混乱していた子供は、自己感覚が不安定で、自己破壊的な衝動(浪費、性的逸脱、薬物濫用、無謀運転、過食などの衝動)を持ち、不適切で強烈な怒りを抱き、頻繁な自殺関連行動を見せる若者になっていた。
ライオンズ=ルースと共同研究者たちは、敵対的な、あるいは押しつけがましい母親の行動は、子供が精神的に不安定な大人に成長することを予想するうえで、最も強力な手掛かりになると考えていたが、結果は違っていた。親が情動的に自分の殻に閉じこもることが、最も深刻で長期にわたる影響をもたらしたのだ。情動的な隔たりと役割の逆転(母親が子供に面倒を見てもらうことを期待するような場合)は、子供が若者になったときに、自分や他者に対してとる攻撃的な行動と、明確に結びついていた。

注:i) 引用中の原注「(12)」~「(33)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

本の 第一章 愛着障害と愛着スタイル の「三分の一が不安定型愛着を示す」における記述の一部(P48~P49)を次に引用します。

ところが、一般の児童にも対象を広げて研究が進むにつれて、意外な事実が明らかとなった。実の親のもとで育てられている子どもでも、当初考えられていたよりも高い比率で、愛着の問題が認められることがわかったのだ。安定型の愛着を示すのは、およそ三分の二で、残りの三分の一もの子どもが不安定型の愛着を示すのである。愛着障害と呼ぶほど重度ではないが、愛着に問題を抱えた子どもが、かなりの割合存在することになる。
さらに成人でも、三分の一くらいの人が不安定型の愛着スタイルをもち、対人関係において困難を感じやすかったり、不安やうつなどの精神的な問題を抱えやすくなる。こうしたケースは、狭い意味での愛着障害に該当するわけではもちろんないが、愛着の問題であることにまちがいはなく、それがさまざまな困難を引き起こしているのである。
こうした不安定型愛着に伴って支障を来している状態を、狭い意味での愛着障害、つまり虐待や親の養育放棄による「反応性愛着障害」と区別して、本書では単に「愛着障害」と記すことにしたい。このような広い意味での「愛着障害」は、筆者が既に提起した「愛着スペクトラム障害」と同義である。
それにしても、三分の一もの人が不安定型愛着を示すということは、どういう意味をもつのだろうか。虐待やネグレクトが三分の一もの家庭で起きていると解されるべきなのだろうか? その問題については、次の章で考えるとして、ここでは、愛着の問題が非常に多くの人に関係する問題だということを理解していただければと思う。(中略)

その後、積み重ねられてきた愛着の研究は、今では特別な子どもの問題を超えて、一般の子ども、さらには大人にも広く当てはまる問題であることを明らかにしてきている。愛着障害は、現代人が抱えているさまざまな問題に関わっているばかりか、一見問題なく暮らしている人においても、その対人関係や生き方の特性を、もっとも根底の部分で支配しているのである。

注:引用中の「その問題については、次の章で考えるとして」に対する引用は省略しています。

④ 成人愛着面接の視点からの大人の愛着スタイルに関して、最初に本の 第四章 愛着スタイルを見分ける の「成人愛着面接では、親との関係に焦点を当てる」及び「子ども時代の愛着パターンとの関係」における記述の一部(P202~P208)及び岡田尊司著の本、『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(2016年発行)の 第3章 愛着の発見と、愛着理論の発展 の「親のタイプを調べる――年輪のように刻まれる愛着パターン」における記述の一部(P103~P105)をそれぞれ以下に引用します。

成人愛着面接では、親との関係に焦点を当てる
この章の最後に、愛着スタイルの診断法である成人愛着面接について説明しよう。成人愛着面接の特徴は、親(養育者)というもっとも重要な愛着対象との関係に焦点を当て、それが心のなかで、どのように整理されているかをみる点である。(中略)

この検査の眼目とするところは、被験著が子ども時代に、親(養育者)との関係で、どの程度一貫性のある心理的体験をしたかをみることである。その程度によって、次の三つのタイプのどれにあてはまるかを判定する。

(1)自律型 (autonomous)
(2)愛着軽視型(dismissing)
(3)とらわれ型(preoccupied)

自律型は、①で答えたそれぞれの形容詞について、それが表す具体的な体験を豊かに思い出して語ることができる。そして、子ども時代の体験に対して一貫した態度を示し、過去や現在の親や養育者との関係について客観的に振り返ることもできる。ネガティブな体験に対しても、共感や許しの気持ちを示し、親(養育者)に対して肯定的に語る。
愛着軽視型は、自分の子ども時代について、一応ポジティブな見方を示し、親(養育者)との関係についても、ポジティブな形容詞で表現するが、それを具体的に表す経験について問われると、あまり生き生きと思い出すことができない。幼少期の記憶が乏しいというのも、一つの特徴である。また形容詞こそ、ポジティブなものだが、その具体的な中身は、それほどポジティブなものではなく、現実よりも理想化する傾向もみられる。親(養育者)との関係については、大して重要なことではないという態度を示すのも特徴である。
とらわれ型は、子ども時代や親(養育者)との関係について客観的に振り返ることが困難である。今なお恨みや怒りを引きずっており、質問に対しても曖昧な答えしか返さなかったり、感情的になったり、そうした質問をされることで不機嫌になったりする。
以上の三つのタイプに当てはめるのが難しい場合は、(4)分類不能型(cannot classify)とする。分類不能型も、自律型ではないという意味で、判定の意義がある。克服の途上にある場合、タイプの混在が起きて分類不能型を呈することがある。複数の親、養育者に対して、それぞれタイプが異なるという場合もある。
もう一つチェックすべき点は、④と⑤の質問、つまり親(養育者)との離別(死別)や外傷的体験についての質問に対する反応である。この質問に対して、混乱や沈黙、拒否的な反応を示した場合は、(5)未解決型(unresolved)と判定する。未解決型は、これまでの四つのタイプのどれかに重複して診断される。

子ども時代の愛着パターンとの関係
子ども時代の愛着パターンとの関係も含めて、もう一度整理しておこう。
自律型の人は、安定型の愛着スタイルに相当し、愛着の問題はおおむね認められない。子ども時代に親や養育者と安定した愛着をもつことができた人が多いが、虐待やネグレクトを受けた場合でも、それを乗り越えた人はこのタイプを示す。自律型の人は、対人関係において、信頼で結ばれたパートナーシップを確立し、維持することができやすい。
一方、愛着軽視型の人は、回避型に相当する。脱愛着の傾向を示し、過去の傷つき体験を記憶から切り離し、蓋をすることで、心の安定を保っていると言える。幼いころの記憶が乏しく、ことに悲しい記憶や不安な記憶を思い出すのに時間がかかるのは、そのためである。また、信頼したり尊敬できる存在や、それにまつわる出来事を思い出すことも困難である。
愛着軽視型の人は、親(養育者)に甘えようとして拒絶されたり、かまってもらえなかった子どものころのつらい記憶を抑圧し、「そんなものは自分には必要ない」と思うことで、自分を守ってきた。その結果、人に頼らず、自分の力だけを当てにし、独立独歩型、一匹狼型のライフスタイルをとりやすい。親密な関係を避けたり、人を信頼しなかったり、権力や業績や金の力といったものを信奉したりすることで、自分の価値を守ろうとするのである。
とらわれ型は、不安型に相当し、また子どもの抵抗/両価型に対応する。とらわれ型の人は、親(養育者)との傷ついた関係が、今も生々しく心を捉えており、親を求める気持ちと、憎んだり拒否したりする気持ちとが葛藤している状態にあると考えられる。傷を受け止め、乗り越えるということが、まだできていない。その結果、親以外の対人関係においてもアンビバレントな感情にとらわれたり、過剰に傷ついたりして、不安定になりやすい。
幼いころの混乱型は、その後の対応次第で、どの愛着スタイルにも分化し得るが、とらわれ型になることが多い。また、虐待や対象喪失などによる心の傷が深いと未解決型の愛着スタイルも合併しやすい。両者が合併したケースは、大部分、境界性パーソナリティ障害や、その状態になりやすい傾向を抱えている。愛する人との別離といった愛着不安が強まる状況で、再び混乱を呈しやすい。

注:i) 引用中の①の質問は、「あなたの親(母親、父親、それ以外の養育者)との関係で思い浮かぶ形容詞を、五つ答えてください。」である(本の P203 に記載)。さらに、④と⑤の質問は、それぞれ「もし、あなたが、子どものころ、親(養育者)と離ればなれになったり、死別した経験があれば、そのことを、あなたはどんなふうに感じていましたか。」、「もし、あなたが、親(養育者)との関係で、心が傷つくような経験をしたとすると、それはどんなことですか。」である(共に本の P204 に記載)。 ii) 引用中の「自律型」、「愛着軽視型」及び「未解決型」は、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」においては、「安定-自律型」、「軽視型」及び「未解決-無秩序型」と称されます。一方、引用中の「抵抗/両価型」は、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」においては、「アンビヴァレント型〔または抵抗型〕」と称されます。 iii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、ここここ及びリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「成人愛着面接」については、以下の引用でも紹介します。

親のタイプを調べる――年輪のように刻まれる愛着パターン (中略)

さらに、親の愛着タイプを特定するために、メインは「成人愛着面接(AAI)」という方法を作った。親との関係について、思い浮かぶ形容詞を五つ語ってもらい、その一つ一つについて、関係するエピソードを話してもらうなど、親との思い出を、質問に沿って話してもらう。
親について肯定的に語るか、否定的に語るかだけでなく、具体的なエピソードを思い出せるか、また、どれくらいまとまった話をすることができるかといった点に注目して、その語りを聞くことで、その人の愛着の安定性やタイプを、非常に正確に把握することができることをメインは明らかにした。
安定型の人では、人生の事実に対する受け止め方が、実際に恵まれた幸福なものであるかどうかにかかわらず肯定的で、また豊かな思い出を、整然としたまとまりをもって語ることができた。
愛着軽視型(回避型に相当)の人では、親について、問題がない良い親だったと語ったりする場合でも、具体的なエピソードに欠け、子ども時代のことを想起することが困難なことが多かった。過去の事実に向かい合わず、思考からシャットアウトすることで、心の平安を保ってきた結果だと考えられる。したがって、カウンセリングなどで想起が進むと、否定的なエピソードが思い出されるようになるが、それに伴って、感情表現や自己感覚を取り戻していくことが多い。
とらわれ型(子どもの両価型に相当)の人では、過去の愛着関係にとらわれており、怒りの感情が強い。親に対するネガティブな気持ちに押し流され、混乱したり、話が延々と続いたりする。
未解決型(子どもの無秩序型〈混乱型〉に相当)と呼ばれるタイプでは、他のことでは平静に語ることができていたのに、愛着の傷となっている出来事に触れたとたん、話が混乱し、客観性が失われ、主観的な思い込みや感情の渦に飲み込まれてしまう。まったくその人自身には原因がないのに、「親の死は自分のせいだ」と言い出したりするのが典型的だ。
その人の体に年輪のように刻まれた愛着パターンは、直接、体験的事実を知ることができなくても、またその人の現実の対人関係をつぶさに観察しなくても、その人の語りを通して高い確度で知ることができるということを、メインは裏付けたのである。
その後の研究で、成人に見られる愛着パターンは、幼いころに認められた愛着パターンと高い連動性があり、生涯にわたって維持されることが多く、「愛着スタイル」と呼ばれるようになった。

加えて、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 6 その後の愛着研究におけるトピック の「(2) 成人期の愛着」及び「(3) 愛着の持続性と世代間伝達」における記述(P118~P125)を次に引用します。

Bowlby 以降の愛着研究において注目すべきことの1つは,成人期の愛着を理解するための概念的枠組みが整備されてきたことです。そして,この流れは,成人期の愛着を測定する方法の開発と連動して生じたものです。成人期の愛着は,パートナー同士の愛着と親への愛着に分けられます。すでに述べたように,愛着は,苦痛なときに安心と慰めを生じさせるような愛情の絆です。幼年期における愛着関係は,子どもが親に愛着を向け,親はそれに応えて子どもを養護するという形になりますが,成人においては,パートナー同士が互いに愛着を向け,愛着対象(養護者)を演じ合うということが可能になります。まだ成人においても,自分自身の親に対する愛着が存在しています。前者も重要なことではありますが,ここでは後者のほうに焦点を合わせます。というのは,成人における親への愛着がその成人の子どもにおける愛着にどのように影響していくのかという世代間伝達の問題が臨床的には重要だからです。成人における親への愛着についての研究は,Main と共同研究者たちが「成人愛着面接」(Adult Attachment Interview: AAI)を開発したことによって大きく前進しました。Mary Main は元々言語学に関心があり,そちらの方面に進もうとしていたのですが,進路を変更し,Ainsworth の薫陶を受けて発達心理学者になった人です。しかし,言語学の素養を生かし,愛着に関する語り(ナラティヴ)の構造に注目することにより,愛着研究に大きな貢献をすることになりました。以下に,主として Allen(2013b)と Main et al.(2008)に基づいて,成人愛着面接の概要と,これによって分類される愛着パターンを説明します。
「成人愛着面接」は,愛着に関するライフ・ヒストリーを尋ねる15の質問から構成される半構造化面接法であり,実施に平均1時間程度を要します。回答者は,思い出せる範囲で過去に遡って親との関係を述べなくてはなりません。詳しく言うと,まず母親との関係について,その後に父親との関係について,その特徴を表す形容詞を5個ずつあげるように求められます。それから,親ごとに,それぞれの形容詞について,その具体例となる特定のエピソード記憶を語ることを求められます。例えば,母親について「愛情深い」(loving)という形容詞をあげたなら.母親の愛情深さを示すエピソードを述べるわけです。愛着体験に関しては,次のようなことを聞かれます。つまり,親に対する親密感;動揺・傷つき・病気などの状態のときに親がどのように対応してくれたか;親から離れるという体験;親から拒否されたり脅かされたりしたことがあるかどうか,などです。つまり,親から愛着欲求を拒否された体験,虐待・ネグレクトをされた体験,役割の逆転(親のような役割を演じさせられること)といったネガティヴな体験についても語るように求められるのです。
さらに,成人愛着面接では,発達早期の愛着体験の意味やその長期的影響について内省するように促されます。例えば,親が示した行動について親がそのように行動した理由を回答者がどう理解しているか;早期の愛着体験が自分のパーソナリティ発達にどのように影響したか;幼年期から成人期にかけて親との関係がどのように変化し,(親が存命なら)現在はどのような関係であるか,などについて説明を求められます。加えて,回答者は,自分の子どもとの関係(子どもがいないなら,いたと想定した場合の関係)について聞かれ,自分の親との関係が子どもとの関係にどのように影響しているかについても聞かれます。そして,最後に,回答者は,子どもの将来に対する親としての願いや自分の子育てから子どもが学んでほしいことについて質問されます。
成人愛着面接では,幼年期の体験の記憶も重要視されますが,それらは,回答者の愛着の安定性を決定する主要な根拠ではありません。もっと重要なのは,回答者の愛着に対する態度や愛着体験の語り方の中に表れる,「愛着に関する現在の心の状態」です。回答者は,愛着の推移と関連した対人関係や体験を想起し,それについて内省すると同時に,面接者と首尾一貫した対話を維持しなくてはなりません(Main et al., 2008, p.35)。言い換えれば,情緒的負荷を伴う体験を思い出し,それについて内省し,効果的に伝えなければならないということです。したがって,この面接は,愛着に関する議論に刺激されて生じる情動と注意を調整する際の方略における個人差を浮き彫りにします(Main et al., 2008, p.37)。Main は,言語哲学者 Grice の説に基づいて,話者が協力的で首尾一貫しており理性的であれば自然に遵守している4つの原則を成人愛着面接における語りにも適用します。その4原則は,次のとおりです。①質:「真実味があり,語ることが根拠に基づいている」。②量:「簡潔であるが完結している」。③関係:「いま提示されている主題と関連がある」。④語り方:「明瞭で秩序がある」。会話の中で一貫してこれらの原則に従うことは骨の折れることであり,とくに苦痛で恐ろしい愛着体験を語るときにはそうです。したがってこれらの原則に従う能力は,安定した愛着の存在を示す指標なのです。また,Main(1991, 1995)が語りの生成において重視することの中に「メタ認知的モニタリング」(metacognitive monitoring)があります。メタ認知的モニタリングとは,自分の認知過程を思考と内省の対象とし,一歩引いて自分の認知過程について考えることです(Main, 1991, p.134)。成人愛着面接で焦点化されるのは過去の愛着関係についての現在の考えですが,これらの考えには互いに矛盾する点がみられることがあります。自分で自分の考えを観察し,矛盾に気づき,それらを調整することがメタ認知的モニタリングです(Main, 1991, p.134)。回答者のナラティヴが首尾一貫しているのは,メタ認知的モニタリングのおかげというわけです。
さて,このような面接を通して,Main と共同研究者たちは,愛着に関するライフ・ヒストリーを語る際に,秩序化された3つのあり方がみられることを発見しました。そして,これらのそれぞれは,愛着に関する特定の「心の状態」を反映していると思われたのです。これらの3つのあり方は,「安定-自律」(secure-autonomous),「愛着軽視」(dismissing of attachment),「とらわれ」(preoccupied)と名づけられました。これらは,「安定-自律型」が子どもにおける「安定型」に,「軽視型」が子どもにおける「回避型」に,「とらわれ型」が子どもにおける「アンビヴァンレト型」に,対応しています。さらに,子どもにおける「無秩序-無方向型」に相当するタイプが成人においても確認され,「未解決-無秩序型」(unresolved-disorganized)と名づけられました。Crowell et al.(2008)によれば,これらの型に分類される人たちの大まかな比率は,安定-自律型58%,軽視型24%,とらわれ型18%です。そして,これらのタイプの人たちの一部で,付加的に未解決-無秩序型の判定が付加される人たちの比率は,全体の19%とのことです。表 3-4 にこれらの類型の概要を示すとともに, Allen(2013b)と Main et al.(2008)を参考にして,これらの型の概要を説明します。

1) 安定-自律型(secure-autonomous type)
安定-自律型愛着パターンの指標は,ナラティヴの首尾一貫性です。つまり,人生早期の愛着関係について,理解しやすく,情緒的関与のある,信用できる話が語られ,その証拠となる記憶や体験も伴われています。ナラティヴの首尾一貫性の重要な側面は,親についての全般的記述と特定の記憶が一致していることです。そして,安定-自律型の回答者との対話には,新鮮さ(freshness)という特質があります。これは,回答者が内省能力を有しており,自分の力で考え,しばしば新しい見方や洞察に到達することを示しています。回答者は,自分の語りの中に矛盾があればそれを認識し,それに言及しますし,自分の記憶が無謬ではないことにも気づいています。これは,「メタ認知的モニタリング」(Main, 1991, 1995)が機能しているということです。そして,回答者は,自分の見方の偏りや異なる見方があることを認識しています。面接の最中に自分の考えを再考することさえあります。安定-自律型の回答者の語りは「構成主義者的」(constructivistic)〔注〕なのです(Main, 1995)。また,このような内省能力は,愛着の安心基地的側面とつながっています。自分の内面の探索が自由にできるのは,安定した愛着が安心基地を提供してくれるからです。安定-自律型の回答者のもう1つの特徴は,愛着に対するポジティヴな態度,つまり愛着関係を価値あるものと捉えているということです。この態度は依存の受容を含んでおり,それは,「他者を必要としている」「他者を頼りにしている」「他者と離れてさみしく思う」といった発言から明らかになります。愛着に対するこのポジティヴな態度は,忍耐,赦し,受容,慈しみをも含むものであり,それは親に対してだけでなく自分自身に対しても向けられるものです。

〔注〕構成主義または社会構成主義とは,私たちが現実と思っているものは他者との関係を通して社会的・言語的に構成されたものであるとする考え方である。この立場は,ナラティヴの視点をも包摂しており,例えば,私たちの自己は,私たちが他者との関係の中で自己を物語ることを通して構成されると考える。

ところで,この安定-自律型に分類される回答者は,幼年期に両親との愛着が安定していた人だけではありません。先述したように,成人愛着における安定性を決めるものは過去の体験ではなく,その体験に対する現在の関わり方です。過去に愛着トラウマを含む逆境を体験していたとしても,このような体験と折り合いをつけており,筋の通ったナラティヴを生み出すことができ,愛着をポジティヴに評価しているなら,その回答者は安定-自律型と評定されます。この場合,その回答者は幼年期には愛着が不安定になりがちだったでしょうが,その後の人生において愛着の安定を獲得してきたと想定されるので,この安定を「獲得安定」(earned security)と呼びます(Hesse, 2008)。幼年期に両親のどちらとも安定した愛着関係を築けなかったとしても,親以外の副次的愛着人物から高水準の情緒的サポートを受けていたような場合には,成人愛着面接における判定が安定-自律型になることはよくあります。この副次的人物には,心理療法家,教師,地域の隣人などが含まれます。心理療法は,逆境を生きてきた人が愛着の安定を「獲得」する1つの方法です。
親が安定-自律型であれば,その子どもの愛着も安定型になることが多いのですが,このことは,親が獲得安定型であってもあてはまります。安定-自律型の人は,幼年期の愛着関係においてトラウマを体験していたとしても,その体験をメンタライズし,筋の通ったナラティヴとして語ることができる人です。このメンタライジング能力(内省機能)があるので その人は,自分が親になっても,子どもの出すサインに気づきやすく,子どもの精神状態について内省し,適切な応答を考えることができます。その結果,子どもの愛着も安定化していくと考えられるのです。

2) 軽視型(dismissing type)
軽視型の人の成人愛着面接は,短くて簡潔すぎるものとなります。軽視型の人は抽象的な発言で片づけてしまおうとし,親の特徴に関して列挙した形容詞の根拠となる実際の出来事をあげることができないかもしれません。そのため,詳細さを欠く回答をするか,幼年期にまで戻ると何も思い出せないと主張するかもしれません。回答は,往々にして人間関係の情緒的特質よりも事実を強調したものとなります。例えば,回答者は,父親が愛情深かったことの根拠として誕生日にたくさんプレゼントをくれたことをあげるかもしれません。このように抽象的で具体性を欠く語りや,情緒を伴わない事実中心の語りは,メンタライジングの視点からみると「ふりをするモード」(pretend mode)に属するものです。また,Crittenden の DMM モデルによれば,情報処理において感情(affect)よりも認知(cognition)が優位になるということです。まとめて言えば,語りが抽象的,観念的,事実優位で,具体性,情緒性,実感が乏しいものになりがちであるということです。
次に自分の親に対する態度ですが,軽視型の人は,親を理想化するか価値下げすることでしょう。例えば,面接者には,回答者の母親が愛情深くなかったように思えるのに,回答者は母親を「すばらしい」とか「最高の母」と表現するかもしれません。逆に,回答者は,愛着関係を蔑視するような発言をするかもしれません。愛着関係は,考えたり気にしたりする価値のないもので,そうするのは時間の無駄であると言わんばかりに.冷淡で侮蔑的な無視の態度をとるかもしれません。例えば,ある回答者は,「母親との関係で最も満たされるときは?」と聞かれて,「母親が私の前にいないとき」と答えました(Main et al., 2008, p.51)。軽視型の人は,愛着の絆や世話を求める欲求がないと主張することによって,自分が強くて自立しているということを示したがります。苦痛な情動やネガティヴな体験を,ポジティヴに解釈しているとさえ思えるほど,たいしたことがないように言う人もいます。例えば,ある回答者は次のように語りました。「私の両親は私を厳しく育てました。私にそれが必要なときには,両親はベルトを使いましたね。私の弟にはそうしなかったんですけどね。そのおかげで,私は,彼よりずっと強いですよ。私は仕事でのストレスを彼よりずっとうまく処理できますし,もっと自立していますし,認められていますよ」(Main et al., 2008, p.57)。
軽視型は,愛着を非活性化するパターンであり,愛着欲求や(愛着行動を引き起こす)苦痛な体験の調節ダイアルを低いほうに回すことです(Allen, 2013b, p.103)。ですから,軽視型の成人が親になると,その人は,自分自身に対してしているのと同じように,乳児の愛着欲求や苦痛な体験を拒絶しがちになります。その結果,その子どもは,ストレンジ・シチュエーションで苦痛を体験しても,親に慰めを求めることがないのです。つまり,「軽視型」の親の子どもは「回避型」になるという対応関係が生じてしまうのです。

3) とらわれ型(preoccupied type)
この愛着パターンの成人は,人生早期の愛着またはそれと関連した体験に心を奪われているか,こだわっています。言い方を変えると,愛着についてこだわりなく話し合うことが困難です。この型の回答者との成人愛着面接は,とりとめがなく,曖昧で,細部が詳しすぎるものとなり,無関係な話題へと逸れていくこともあります。それに加えて,内容に矛盾が生じることがありますが,その矛盾を調整しようとする努力が見られません。そして,面接は,今なお続く親への怒り,親のことでの不平不満,親への非難および自己非難を伴うものになりがちです。過去のことなのに情緒的には現在のことであるかのように思える記憶にとらわれていますので,過去について内省することが困難です。これは,愛着に関する情動の調節ダイアルを高いほうに回し続けるような,愛着の過剰活性化パターンです(Allen, 2013b, p.102)。このように自分の過去の愛着歴や愛着欲求にとらわれていると,他者の愛着欲求に対する感受性が鈍くなってしまいます。このような「とらわれ型」の成人が親になると.乳児の愛着欲求に対して応答が鈍くなったり,応答に一貫性がなくなったりするため,乳児は,そのような親の注意を自分の愛着欲求に引きつけるために,自分も愛着を過剰活性化する方略をとるようになります。その結果として,親の愛着が「とらわれ型」であればその子どもの愛着は「アンビヴァレント型」になるという対応関係が生じてしまうのです。

4) 未解決-無秩序型(unresolved-disorganized type)
成人愛着面接が開発された当時は,成人愛着のパターンは「安定-自律」「軽視」「とらわれ」の3つだけと思われていましたが,成人愛着面接を用いた研究が進むにつれて,この3つのパターンには収まらない事例が見出されるに至りました。まず,面接において喪失や虐待について話し合っている最中に,発言や推論において無秩序な誤りが生じる事例が発見され,このパターンは「未解決-無秩序」(unresolved-disorganized)と名づけられました。発言や推論をモニター(観察)することにおけるこのような誤りは,その話題と関連する半ば解離された恐怖が喚起され,干渉してくることによるものと考えられます(Main et al., 2008)。この無秩序型の回答者の場合,そのようなモニタリングの誤りは面接全体に及ぶものではなく,面接の一部で一過的に生じるものであり,回答者は,それ以外の点では安定-自律,軽視,とらわれのいずれかに分類されます。そのため,「未解決-無秩序型」を細分すれば ①「未解決-安定」,②「未解決-軽視」,③「未解決-とらわれ」の3類型となります。ところが,かなり重篤な精神病理を持つ回答者において,矛盾するパターンが混在している事例(例えば,軽視型ととらわれ型),明確なパターンが欠ける事例,面接全体が理解困難なくらい首尾一貫性に欠ける事例が見つかり,これらは「分類不能」(cannot classify)と名づけられました(Allen, 2013b; Main et al., 2008)。「未解決-無秩序」も,「分類不能」も,子どもにおける無秩序-無方向と関連していると言われるタイプです。ここでは,精神病理がより軽症の事例にも見出され,輪郭が比較的明らかである「未解決-無秩序」について紹介します。
未解決-無秩序型の回答者にみられる「推論のモニタリングにおける誤り」は,物理的因果関係や時間-空間関係についての通常の理解を逸脱した考えです。例をあげると,「彼はあの夜に死んだと私はいまでも思います。だって,彼のことを考えることを私が忘れたからです。私は彼のことを考えると約束したし,そうしました。でも,あの夜に私は外出してしまって,それで彼は死んだんです」(Main et a1., 2008, p.61)という語りにみられるような脈絡のなさです。ただ 未解決-無秩序型の場合に,このような誤りは面接の間中ずっと続くのではなく,トラウマ的な体験(喪失や虐待など)に触れた際に一過的に生じるということです。そして,未解決ー無秩序型の回答者は,過去のトラウマ的体験を語っているうちに,一時的に解離的状態に移行し,放心状態になることがあります。
未解決型の成人が親になると,子どもの前で自分が怯えたり,子どもを怯えさせたりするようになりますが,このような行動は子どもが無秩序型の愛着に陥ることと関連しています。ただし,同じ末解決型の親であっても,無秩序な行動が出現しないときには安定型である「未解決-安定型」と,不安定型(軽視型およびとらわれ型)である「未解決-不安定型」とでは,様相が異なります。子どもを最も怯えさせるのは,「未解決-不安定型」の親です(Schuengel et al., 1999)。そして,このような親においては,「無力と敵意」という2つの心の状態が交替する現象や,「放棄された養護」(abdicated caregiving)がみられるということは,無秩序-無方向型(D型)の子どもの項ですでに説明したとおりです。

(3) 愛着の持続性と世代間伝達
成人愛着面接(AAI)を用いて成人期の愛着パターンが測定されるようになったことにより,幼年期から成人期までの愛着パターンの持続性と変化を実証的に確認することが可能になりました。複数の長期的な縦断研究が行われ,その中で乳児期の愛着パターンと成人期のそれとの一致度を検討した研究も現れました。例えば,Crowell & Waters(2005)は安定型,回避型,アンビヴァレント型という3分類について乳児期と成人期(21~22歳)での一致率を算出し,64%という数値を得ました。また,安定型か不安定型かという2分類であれば乳児期と成人期の一致率は72%になりました。ちなみに,このような一致率の算出においては,乳児期の「安定型」は成人期の「安定-自律型」と,乳児期の「回避型」は成人期の「軽視型」と,乳児期の「アンビヴァレント型」は成人期の「とらわれ型」と,それぞれ対応させます。Fonagy と共同研究者たち(Fonagy et al., 2010)は,数々の縦断的研究から,乳児期と成人期での愛着パターンの一致率は68~75%であると見積もっています。つまり,愛着パターンにはかなり持続性があるということになります。しかし,一致率が100%でないということは,変化もあることを示しています。
次に,無秩序型の愛着パターンについてはどのくらい持続性がみられるのでしょうか。van IJzendoorn と共同研究者たち(van IJzendoorn et al., 1999)は,無秩序型の愛着の持続性を調べた14の研究のメタ分析によって無秩序型愛着の持続性を検討しています。これら14の研究の多くは,生後12か月のときに愛着類型を調べ.一定期間後(1か月~5年後)に再度愛着類型を調べています。無秩序型愛着の持続性は効果量(r)として算出され,全体を適しての効果量は r=0.34(p<0.01; n=840)でした。これは通常の相関係数ではなく,効果量としての r ですので,0.34 という値は「中程度」の効果量です。つまり,無秩序型愛着の持続性は乳児期から1か月~5年のスパンでみれば中程度ということになります。次に,Main と共同研究者たち(Main et al., 2005)は,無秩序-統制的な6歳児に「分離不安テスト」を実施し,子どもたちが19歳になったときに成人愛着面接を実施し,無秩序型愛着の持続性を検討しました。その結果,発達早期の愛着の無秩序性は,19歳のときに愛着が未解決型か分類不能型になることを予測するものでした。Sroufe と共同研究者たち(Sroufe et al., 2005)も,乳児期の愛着の無秩序性が19歳時点および26歳時点での不安定な愛着を予測するものであることを見出しています。
上に述べたことは一人の個人における愛着パターンの持続性ですが,愛着パターンの世代間伝達についても研究が行われました。成人愛着面接によって親の愛着パターンを測定し,ストレンジ・シチュエーションなどの方法でその子どもの愛着パターンを測定すれば両者の関連が検討できるからです。van IJzendoorn(1995)は,親と子の愛着パターンの関連を検討した諸研究をレビューしています。それによると,愛着パターンの3分類の場合には,親子の愛着パターンの一致率が70%であり,安定か不安定かで一致率をみると75%でした。また,親の愛着を子どもの出生前に測定し,後に生まれた子どもの愛着との関連を検討した研究に限定すると,愛着
の3分類での親子の一致率は69%でした。次に,無秩序型を加えた4分類の場合,親子の愛着パターンの一致率は63%であり,安定か不安定かで一致率をみると74%でした。そして,親の愛着を子どもの出生前に測定した研究に限定すると,愛着の4分類での親子の一致率は65%でした。ストレンジ・シチュエーションを用いた研究ではありませんが,わが国でも数井・遠藤・田中・坂上・菅沼(2000)が日本人母子における愛着の世代間伝達を検討しました。この研究では,子ども(幼児)の愛着を「愛着Qセット法」で,その母親の成人愛着を「成人愛着面接」で測定し,両者の関連を分析しました。母親の愛着を安定型と不安定型に分けて,子どもの愛着の安定性得点を比較すると,安定型の母親の子どものほうが有意に高くなりました。成人愛着の4分類で言うと,安定-自律型の母親の子どもは,その他の不安定型の母親の子どもよりも,愛着安定性が高いことと,相互作用や情動制御において,ポジティヴな傾向が高いことがわかりました。また,未解決型の母親の子どもは,他のどのタイプの母親の子どもよりも安定性得点が低いだけでなく,相互作用と情動制御においても行動の整合性や組織化の程度が低く,混乱している様子が観察されました。
愛着の世代間伝達の研究において Fonagy が重要な成果を残したことは,第2章で紹介したとおりです。Fonagy と共同研究者たち(Fonagy et al., 1991a)は,第1子が生まれる前の夫婦100組の成人愛着を測定しておき,生まれた子どもが生後12か月になったときに母親に対する愛着を,子どもが生後18か月になったときに父親こ対する愛着を,それぞれストレンジ・シチュエーションで測定しました。その綿果,母親の成人愛着と母親に対する子どもの愛着との一致率は,愛着の3分類の場合には66%,2分類の場合には75%でした。さらに,Fonagy たちは,親の愛着パターンと子どものそれとの一致をもたらす媒介要因が親の内省機能(メンタライジング能力)であることを明らかにしたのです(Fonagy et al., 1991b)。

注:i) 引用中の「表 3-4」及び「無秩序-無方向型(D型)の子どもの項」についての引用は省略します。ただし、後者の引用に関してはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「安定-自律型」、「軽視型」及び「未解決-無秩序型」は、本においては、「自律型」、「愛着軽視型」及び「未解決型」と称されます。一方、引用中の「アンビヴァレント型」は、本においては「抵抗/両価型」と称されます。 iii) 引用中の「不安定な愛着」に関しては、項を参照して下さい。 iv) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「ストレンジ・シチュエーション」は、引用における「新奇場面法」を参照して下さい。 vi) 引用中の「理想化するか価値下げする」に関しては、(b)項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリ及びWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 vii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。 viii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「ナラティヴ」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「メタ認知」については、次のWEBページを参照して下さい。「メタ認知 - 脳科学辞典

さらに、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の「7 まとめ」における記述の一部(P129)を次に引用します。

(前略)Holmes(2001)は,愛着理論の知見を以下の7つの仮説として要約しています。

①普遍性仮説
知られている限りのすべての文化において,人間の乳児は,一人またはそれ以上の養育者に愛着を示すようになる。
②正常性仮説
約70%の乳児は,安定した愛着を形成する。それ以外の乳児の愛着は不安定である。不安定な愛着には,回避型,アンビヴァレント型,無秩序型の3つのカテゴリーがある。愛着の安定している乳児は,ストレスに対する順応性がより高い。安定型の愛着は,人数的にも現象的にも正常である。
③敏感性仮説
愛着の安定性は,敏感で応答的な養育に依存している。
④有能性仮説
愛着の安定性における差は,社会的有能性のおける差につながる。愛着の安定した子どもは,仲間や教師とうまく関わることができる可能性が高い。
⑤連続性仮説
幼年期の愛着パターンは,成人期の対人関係スキルや心的表象にも影響を及ぼす。
⑥メンタライゼーション仮説
安定した愛着は,自己および他者の心の状態について内省する能力に基づいており,またその能力を増進する。
⑦ナラティヴの有能性仮説
幼年期の安定した愛着は,成人においては,自分の人生について,自分の過去とくに自分の対人関係について,およびこれらと関連する精神的苦痛について語る際のその語り方に反映されている。

Holmes(2001)がこの要約にメンタライゼーションとナラティヴを入れている点が注目されます。今日では,愛着はメンタライジング/メンタライゼーションやナラティヴとも関わりの深いものとして捉えられるようになっているのです。

注:i) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「不安定な愛着」に関しては、項を参照して下さい。 iii) 引用中の「ナラティヴ」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、未解決型(ここここ及びここ参照)におけるさらなる説明及び未解決型の二つのタイプについては、岡田尊司著の本、『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(2016年発行)の 第6章 愛着タイプに応じた対処 の (3)未解決型愛着へのアプローチ の『未解決型と「愛着の傷」』、「いっぱいいっぱいになりやすく、自分を振り返る余裕がない」及び「未解決型の二つのタイプ」における記述の一部(P261~P265)を次に引用します。

未解決型と「愛着の傷」(中略)

未解決型愛着の人に伴いやすい問題としては、解離症状や依存症(的行動)である。
未解決型の人は、心にクレバスを抱えているようなもので、意識や人格の統合が脅かされる瞬間がある。それは、自分を傷つきから守るための手段でもある。不快な現実や記憶に向き合うことを避けるために、意識や記憶を飛ばしてしまうのである。
目の前に迫っている不愉快な現実を忘れるために、我々がつねづね頼る手段といえば、飲酒や食べることで気持ちを紛らわしたり、ギャンブルやゲーム、買い物やセックスに夢中になることだったりする。ことに未解決型愛着の人は、こうした依存症になりやすいといえる。

いっぱいいっぱいになりやすく、自分を振り返る余裕がない
未解決型の人は、エンジンの一つにトラブルを抱えた飛行機のようなものである。もう一つのエンジンで、一見すると問題なく飛行できているように見えるが、余力がない。負荷がかかってさらに出力を必要とするようなときに、抱えている脆さが露呈する。急に失速したり、飛行が不安定になる。
慌てて、もう一つのエンジンを吹かそうとすると、火を吹いてしまう危険もある。無傷の状態であれば、やすやすと対応できることも、いっぱいいっぱいになっているためコントロ―ルを失ったり、爆発してしまうこともある。
愛着の安定化のためには、振り返るカや相手を思いやる力を高めていくことが大事なのだが、未解決型の場合には、目の前のことを考えるのがやっとなため、短絡的な判断や行動をしてしまいやすい。そのことが、関係の安定化よりも悪化をもたらし、支援することを難しくしてしまう。
助けようとしている人を攻撃したり、拒否したりしてしまうことも起きやすい。そうした反応にも振り回されない、熟練した専門家のサポートが必要である。

未解決型の二つのタイプ
未解決型と呼ばれるタイプにも、大きく二つのサブタイプがある。
一つは、未解決型ととらわれ型が同居しているケースで、未解決な心の傷が絡んだ部分以外の対人関係全般においても、傷つきやすく、過剰反応しやすいタイプである。しかし同時に、孤独には耐えられず、依存できる人を求めていて、実際、依存対象である人物にすがって生きている。
にもかかわらず、思い通りにならないと、自分が依存している相手を攻撃するという行動パターンをとる。親との関係は不安定で、表面的にいい親子関係を装っている場合でも、親と会うたびに自分が愛されていないと感じて落ち込むことが多い。
もう一つのサブタイプは、未解決な愛着の傷を引きずりながら、人と距離をとることでバランスをとろうとするタイプで、未解決型と回避型が同居するタイプである。恐れ・回避型と呼ばれるタイプに、おおむね一致する。
誰にも気持ちを許せないし、甘えることもできないのだが、回避型とは違って、他人の反応に無頓着というわけにはいかない。他人の顔色が過度に気になってしまう面ももつ。他人とかかわると、また嫌な思いをするのではという不安や恐怖のために、他人と親密な関係をもつことができない。
本来は回避型ではなかった人が、愛着の傷を受けて、回避的戦略をとるようになったと考えられる。それゆえ、相手が自分を受容してくれる存在だと確信できると、このタイプの人は、心を開き、つながりをもつことができる。
一口に未解決型といっても、特性が大きく異なるので、両方のタイプに分けて論じた方が有益だろう。

①未解決・とらわれ型
未解決型ととらわれ型が併存するタイプでは、些細なことがきっかけで、気分や態度が変動する情緒不安定な傾向と、自分を損なうような行動をわざわざしてしまう自己破壊的行動が特徴的である。
それが強まって、生活が破綻してしまった状態が、「境界性パーソナリティ障害」であるが、境界性と診断されるほどではないものの、そうした傾向を抱えている場合には、未解決・とらわれ型の愛着スタイルがベースにあることが多い。

②未解決・回避型
未解決型と回避型が併存するタイプである。不登校やひきこもりのケースに少なくない。
親や家族が安全基地とならず、逆に本人を傷つけたり振り回したりして、力を削いでいる。過度の支配によって、やりたいことをやらせてもらえず、やりたくないことをやらされたという状況も多い背景である。また、イジメなどの体験が、さらに愛着にダメージを与え、人に対する安心感や自己肯定感を脅かしていることも多く、殻に閉じこもることでかろうじて自分を守ろうとする。
夫婦間の争いや離婚問題で、本人が傷ついていたり、親(配偶者)の病気や死によって、強い不安や衝撃を受け、そのつらさを克服できていない場合もある。問題に向き合うことができず、何事もないかのように問題に蓋をしてバランスをとっているが、無気力や、人生に対する消極的な態度が見られることが多い。

注:i) 引用中の「未解決型」は、引用における「未解決-無秩序型」に相当します。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、ここここ及びリンク集を参照して下さい。

また、BPD(境界性パーソナリティ障害)と愛着パターンの関係について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「1 BPDの病理と成因」における記述(P207~P208)を次に引用します。ちなみに、境界性パーソナリティ障害については、リンク集を参照して下さい。

最後になりましたが 後に BPD を発症する子どもたちと BPD 患者(成人)の愛着パターンに触れておきたいと思います。BPD 患者についての実証研究によって,BPD 患者に多い愛着パターンは,「未解決-無秩序型」と「とらわれ型」の結合であることが明らかになっています。第3章で説明しましたが,未解決-無秩序型と判定された人において,無秩序型の行動は常にみられるというわけではなく,トラウマ的体験の想起などと関連して一過的に生じるものです。それ以外のときは,未解決-無秩序型の人であっても自律-安定型,軽視型,とらわれ型のいずれかの特徴を示します。ですから,BPD 患者に多い愛着パターンは「無秩序+とらわれ型」ということになります。とらわれ型は,愛着システムを過剰活性化しており,他者からの配慮や慰めを求め続け 見捨てられる不安を体験しやすいタイプですので,BPD の臨床像とも一致します。これに一致することですが,後に BPD を発症すると思われる子どもの愛着パターンは「無秩序-無方向型」が多いことがわかっています(Allen et al., 2008; Bateman & Fonagy, 2010)。第3章で述べたように,無秩序-無方向型の子どもの一部は,児童期になると「統制的-処罰的」な行動,つまり言語的・非言語的な暴力によって養育者を支配する行動を示すようになります。Fonagy たちによれば,これは,苦痛なよそ者的自己を外在化し,養育者に体験させているのであり,投影同一視に似た現象とみなすことができます(Bateman & Fonagy, 2004, 2010; Allen et al., 2008)。このような行動を示す子どもたちが養育者から離れることができないのは,分離不安というよりも投影同一視の受け皿を必要としているからであると,Bateman & Fonagy(2010)は考察しています。ただし,このような子どもたちの場合も,BPD との連続性を考慮すれば,無秩序型の行動が生じていないときの愛着パターンはアンビヴァレント型であるのが自然です。つまり,BPD の予備軍と思われる子どもたちには,「無秩序+アンビヴァレント型」の愛着パターンが多いのではないかと考えられます。

注:i) 引用中の「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「未解決-無秩序型」、「とらわれ型」については、ここを参照して下さい。 iii) 引用中の「無秩序-無方向型」「アンビヴァレント型」及び「無秩序+アンビヴァレント型」に関して、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 6 その後の愛着研究におけるトピック の「(1) 無秩序ー無方向型の発見」における記述の一部(P108~P109)を次に引用します。加えて、引用中の『BPD 患者に多い愛着パターンは,「未解決-無秩序型」と「とらわれ型」の結合である』について、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティの克服」(2016年発行)の「コラム1 境界性パーソナリティ障害の要因と背景――岡田尊司」における記述の一部(P55~P56)を次に引用します。

(1) 無秩序ー無方向型の発見
愛着パターンの分類において,A型(回避型),B型(安定型),C型(アンビヴァレント型)の他に,D型(disorganized-disoriented type;無秩序-無方向型)が発見されたことは,単に愛着分類においてだけでなく,幼年期の愛着と成人後の精神病理との関連を考えるうえでも画期的なことでした。D型は,後に境界性パーソナリティ障害をはじめとする精神障害につながる問題を抱えているからです。(中略)

Main と共同研究者たち(Main & Solomon, 1990)は,観察に基づいて,A,B,C型には見られないD型の行動を7つに整理していますので,ここではその要点を簡潔に紹介します。なお,これらの変則的行動は,持続時間が短く,10~30秒程度のこともあり(Main, Hesse, & Kaplan, 2005),断続的に生起することもあるので,注意していなければ見逃される恐れがあります。そして,これらの短時間の変則的行動を除けば,他の行動はA,B,C型のどれかに分類できるのです。つまり,D型の子どもは,「無秩序-安定」(D-B),「無秩序-回避」(D-A),「無秩序-アンビヴァレント」(D-C)に細分することができます。なお,この無秩序型に分類される子どもたちの比率は,北アメリカでは,中産階級の非臨床群で全体の14%ですが,社会経済的地位が低い家庭の子どもたちの場合には全体の24%にも及ぶそうです(Ryons-Ruth & Jacobvitz, 2008)。
(後略)

注:i) 引用中の「アンビヴァレント型」、「無秩序-無方向型」は、本においてそれぞれ「抵抗/両価型」、「混乱型」と称されます。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、ここここ及びリンク集を参照して下さい。

コラム1 境界性パーソナリティ障害の要因と背景――岡田尊司(中略)

愛着障害としての境界性パーソナリティ障害
さらに、境界性パーソナリティ障害の要因を理解するうえでも、注目されているのが愛着の障害という側面です。子どもは幼い頃、養育者との間に愛着という絆を結びますが、その絆が不安定なものでしがないと、誰に対しても安定した関係をもつことができず、そうした傾向は、大人になっても不安定な愛着スタイルとして続いてしまうのです。愛着が不安定な場合には、ストレスに敏感で、不安を感じやすく、人に信頼をもちにくく、気分も不安定になりやすいことがわかってきたのです。それは、境界性パーソナリティ障害の症状とオーバーラップする部分が大きいのです。つまり、親との不安定な関係は、単に境界性パーソナリティ障害を生み出す要因というよりも、むしろ障害そのものではないかと考えられ始めています。実際、境界性の人には、高率に不安定な変着スタイルが認められます。境界性パーソナリティ障害の人の愛着スタイルを調べた研究によると、七五パーセントがネガティブな感情に支配されやすい「とらわれ型」、八九パーセントが心の傷を引きずる「未解決型」の愛着スタイルを示したということです。さらに、「とらわれ型」と「未解決型」の両方の愛着スタイルがみられる人は、ほぼ全員が境界性パーソナリティ障害の診断基準に該当したのです。
「とらわれ型」は、不安が強く、人に頼らないと自分を支えられないのに、頼っている人に対して、手厳しく、あら探しばかりしてしまうといった点が特徴で、素直に甘えられない傾向が、一歳半の時点でみられていることが少なくありません。愛情不足と過干渉が混在しているような場合に起こりやすいものです。「未解決型」は、親との離別や見捨てられた体験、虐待など、心が傷つく体験をして、それを生々しく引きずり続けているもので、傷ついた出来事に対して、いまも冷静さを失ったり混乱したりしてしまうのか特徴です。
境界性パーソナリティ障害の本質が、愛着の障害、つまり「絆の病」だとすると、社会の絆が脆くなっている時代に急増する理由も納得がいくでしょう。

注:i) 引用中の「未解決型」は、引用における「未解決-無秩序型」に相当します。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、ここ及びリンク集を参照して下さい。

⑤ 主に大人の愛着スタイルについて、本の 第四章 愛着スタイルを見分ける の「愛着スタイルが対人関係から健康まで左右する」、「愛着スタイルと仕事ぶり」及び「対人関係か仕事か」における記述の一部(P188~P189)をそれぞれ次に引用します。

愛着スタイルが対人関係から健康まで左右する
その人の愛着スタイルは、対人関係に本質的とも言える影響を及ぼすだけでなく、内面の在り方や、自己コントロールの仕方、ストレスに対する敏感さにも反映される。何を望み、何を恐れ、どのように自分を守り、どのように自分を律しようとするか――意思決定と行動選択の根幹に関わる部分でも、見えない腕となって結果を操っているのである。
それぞれの愛着スタイルは、「作業モデル」と呼ばれる行動のプログラムをもっている。それは、幼いころからこれまでの人生のなかで作り上げられてきた、行動や反応の鋳型であり、判断基準である。
このプログラムは、幼いころの体験ほど強く組み込まれるが、その後の体験によっても、ある程度修正が加えられる。このプログラムの特異な点は、単に心理学的な解釈や行動選択に関わるだけでなく、ストレスに対する耐性のような生理学的な反応までも左右し、健康や寿命にも大きく影響することである。
たとえば、不安定な愛着スタイルをもつことは、高血圧になりやすい遺伝子をもって生まれたのと同じくらい、健康を脅かす要因となり得るのである。その意味でも、愛着スタイルは、後天的に身についたものでありながら、遺伝子と同じぐらい、あるいはそれ以上に、人生を左右しているのである。(後略)

愛着スタイルと仕事ぶり
第一章で述べたように、安定型の子どもでは、活発な探索行動がみられやすい。同じように、安定型の大人は、仕事に対して熱心なのだろうか。
実際、行われた研究は、その問いに対して「イエス」と答えている。つまり、安定型の人は、仕事に対して積極的で、仕事上の問題も少なく、また、概して社会的地位が高く、仕事の満足度も高い傾向がみられたのである。また、仕事に対人関係の問題をもち込まない傾向がみられたことも重要だろう。
それに対して、不安型の人は、仕事においても愛着と関連した行動が多く、そのことに大きな関心とエネルギーが割かれる。仕事上の成功、失敗は、単に仕事の問題ではなく、それによって自分が受けいれられるか、拒否されるかという対人関係の問題にすり替わりやすい。そのため、肝心な仕事自体がおろそかになることも起きる。
また不安型の人は、仕事をうまくやりこなせているかどうかに自信がもてず、性別や学歴の影響が出ないようマッチングという操作をして比較しても、平均よりも給与が低い傾向がみられた。その背景には、実際に仕事ができているかどうかということよりも、自己評価の低さや自信の欠如も影響しているだろう。
一方、回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、不安型とは逆に、同僚に対して関心が乏しかったり協調性に欠けるためだと考えられる。
不安型の人も回避型の人も、安定型の人に比べて、仕事の満足度が低く、仕事のストレスや燃え尽きも多かった。特に不安定型の愛着を示す若い女性では、二年後に稼働能力を調べると、低い傾向がみられた。
安定型の人が、仕事を順調に行える要因としては、親など家族との関係が良好で、恵まれた支援を受けやすく、それが仕事にもプラスに作用するということが挙げられる。それに対して、不安定型の人は、家族との関係が不安定で、支えられるどころか、足を引っ張られてしまうということが起こりやすく、仕事にも影響すると考えられる。
ただし、親との関係がぎくしゃくし、不安定型を示している場合でも、パートナーとの関係が良好で、安定型の愛着を示すようになることで、仕事に良い影響が期待される。

対人関係か仕事か
愛着スタイルは、その人の主要な関心事を支配することで、行動を左右している。不安型の人の関心は、何をおいても対人関係に向けられる。人から承認や安心を得ることが、このタイプの人にとっては、きわめて重要だからだ。
一方、回避型の人は、対人関係よりも、仕事や勉強や趣味に重きをおく。対人関係の煩わしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場所を求めている面もある。だからといって、回避型の人が仕事に全身全霊で打ち込んでいるというわけではない。世間に向けて自立の体裁を整え、社会的な非難や家族からの要求を回避するために利用している面が強かったりする。仕事や社交、レジャーなどをバランスよくとるのも苦手で、仕事に偏りがちな傾向もみられる。

注:引用中の「安定型」、「不安定型」及び「回避型」については、共に項を参照して下さい。

⑥ 愛着の進化的機能について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第1章 愛着の定義 の 1 愛着の定義 の「(2) 愛着行動と愛着システム」における記述の一部(P63)を次に引用します。

(前略)最後に、愛着の進化的機能について付言しておきます。Bowlby は,愛着の進化的機能を危険からの保護と考えたわけですが,Fonagy(2006)は,その後の脳科学や認知科学の研究成果に基づいて,この考えをさらに拡張しました。Fonagy によれば,私たち人間における大脳新皮質(および認知能力)の急激な進化を自然淘汰と突然変異で説明することはできません(Allen et al., 2008)。大脳新皮質の急速な進化をもたらした要因は,人間が社会の中で仲間と競争・協力するために高度な社会的認知能力と社会的スキルを必要とするようになったことだと考えられます。この社会的認知能力を司る脳領域は,「社会脳」(social brains)と呼ばれています。そして,社会脳・社会的認知の発達のために必要とされる環境が,安定した愛着関係なのです。したがって,愛着の進化的機能は,子どもを危険から保護することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することであるというのが,Fonagy の見解です(Allen et al., 2008; Allen, 2013b)。(後略)

注:引用中の「社会脳」については、次のWEBページを参照して下さい。「社会脳 - 脳科学辞典

⑦ 愛着障害と発達障害の鑑別について、本の 第一章 愛着障害と愛着スタイル の「愛着障害と不安定型愛着」における記述の一部(P45~P47)及び杉山登志郎著の本、「発達障害の薬物療法 ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第3章 発達障害とトラウマ の「Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係」における記述の一部(P47)をそれぞれ以下に引用します。

愛着が極めて深刻なダメージを受けると、愛着をまったく求めようとしなくなったり、見境なく誰にでも愛着したりするようになる。愛着とは、先に述べたように特定の人に対する特別な結びつきである。誰にも愛着を求めようとしない場合も、誰にでも愛着を求めようとする場合も、愛着の形成に蹟いているのである。
虐待やネグレクト、養育者の頻繁な交替により、特定の人への愛着が損なわれた状態を反応性愛着障害と呼び、不安定型愛着を示す状態のなかでも、もっとも重篤なものと考えられる。アメリカ精神医学会の診断基準を上に掲げる。
反応性愛着障害は大きく二つに分かれ、誰にも愛着しない警戒心の強いタイプを抑制性愛着障害と呼び、誰に対しても見境なく愛着行動がみられるタイプを脱抑制性愛着障害と呼ぶ。(中略)
抑制性愛着障害は、ごく幼いころに養育放棄や虐待を受けたケースに認められやすい。愛着回避の重度なものでは、自閉症スペクトラムと見分けがつきにくい場合もある。脱抑制性愛着障害は、不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交替により、愛着不安が強まったケースにみられやすい。多動や衝動性が目立ち、注意欠陥/多動性障害(ADHD)と診断されることもしばしばである。(後略)

注:引用中の「自閉症スペクトラム」及び「ADHD」については、他の拙エントリを参照して下さい。

Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係(中略)

また1990年代以降,アスペルガー症候群の登場によって,ASDの診断の地平が広がった。ASDと反応性愛着障害の鑑別も,ADHDと脱抑制型対人交流障害との鑑別も,きわめて困難である。この問題は今後,大きな臨床的なテーマになるのではないか。(後略)

注:i) 引用中の「アスペルガー症候群」、「ASD」及び「ADHD」については、共に他の拙エントリを参照して下さい。 ii) 本(後者の)引用中の「脱抑制型対人交流障害」は、前者の引用における「脱抑制性愛着障害」に相当するようです。

(j)統合失調症
ここでは、先ず、統合失調症の全体像を簡単に紹介した後、主に統合失調症における陽性症状、陰性症状、無治療及び予防に関して、林公一著、村松太郎監修の本、「ケースファイルで知る統合失調症という事実」(2013年発行)からの記述の一部を複数以下に引用します。

統合失調症の全体像の紹介として、十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」(2014年発行)の 第4章 基本となる10の疾患 の「23 統合失調症」における記述の一部(P80~P81)を以下に引用します。

統合失調症は幻覚と妄想(項目18)を主な症状とする病気で、約一二〇人に一人がかかります。そのうち半数以上の人は一五~三〇歳代で発病しますが、稀ながら小学生で発病することがあります。項目4で説明したように、統合失調症は「脳」の問題であり、生得的素因が発病に大きく関与します。ただし、受験や厳しい研修などのストレスが発症につながることがあります。しかし、それらの心理社会的要因は”引き金”ではあっても直接的原因ではありません。休養やカウンセリングでは治らず、薬による治療が不可欠です。よくみられる病状経過として次のようなケースがあります。

まじめな高校三年の男子が、夏休み明けから授業中にぼんやりするようになり(=前駆症状)、独り言(=独語)を言うようになりました。次第に勉強が手につかなくなり、母親に「部屋に盗聴器が仕掛けられている」「街中が自分の噂をしている」「組織に狙われている(=被害妄想)。外は危ない」と言いだしました。また、”死ね”という声が聞こえる(=幻聴)ようになり、耳栓をして過ごすこともありました。ある晩、深夜に興奮して大声をあげ、意味不明なことをロにする状態(=錯乱状態)に陥り、両親に連れられて精神科を救急受診しました。その結果、統合失調症と診断され、薬が処方されました。医師からは「今日は家に帰り、薬を飲んで眠れるかどうか様子をみてください。もし眠れないで興奮が続くようならば入院しましょう」と説明を受けました。薬を服用すると翌日の昼までぐっすり眠り、元気はないものの、会話ができる状態となりました。一週間すると、盗聴器のことは気にならなくなり、幻聴も消えました。約四週間、自宅で休養した後、学校に病状を十分説明したうえで登校を再開することにしました。ただし、医師のアドバイスにより、本格的な受験勉強は行わず、まずは高校を卒業することに目標を絞り、再発の予防を最優先することにしました。

これは統合失調症の典型的な病状を示しており、数日から数週間の前駆症状(前ぶれとなる症状)の後に幻覚や妄想が現れ、薬(抗精神病薬)による治療でほとんどの症状が一旦治まったケースです。ただし、薬を中断すると再発します。
幻覚・妄想のような激しい精神症状(「陽性症状」)が落ち着いた後、全体的に活動性が低下する症状(「陰性症状」)が現れる人がいます。いずれの場合も病状が十分安定し、無理なく日常生活が送れるくらいに回復するまでは、受験、就職などストレスフルなことに挑戦するのは危険です。再発予防を最重視し、少しずつ活動を再開することが社会復帰への近道です。

注:i) 引用中の「項目4」及び「項目18」に対する引用は省略します。 ii) 引用中の「統合失調症」については、次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「陽性症状」、「陰性症状」については、次のWEBページの各項をそれぞれ参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項、「陰性症状」項 加えて、「陽性症状」については項、「陰性症状」については項をそれぞれ参照して下さい。

① 陽性症状に関して、本の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい」及び「Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖」における記述(P16~P21)を次に引用します。

Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい(本人の目から)
私は二十歳の大学生、女です。先月頃から通学することができなくなりました。誰も彼もが、私に対して悪意をもっているという考えに支配されて行けない状態です。
たとえば、大学では講師が私の考えを見透かしてつらくあたっていると感じます。無視されます。挨拶もしてくれません。
電車の中では、ほとんどすべての乗客から白い目で見られます。私のことを悪く思っている、不審に思っているに違いありません。
友達が私の悪口を裏で流しています。これも確信できます。友達の雰囲気でわかります。
もともと好きだったショッピングに気晴らしのつもりで行っても、「私が万引きをしていると店員さんが思っている」と考えてしまい、楽しむことができません。
みんなが、というより何だか町全体が、私に対して悪意をもち、私をつぶそうとしているような、恐怖感と不安感があります。そのため、大声で叫びたくなることもあります。
私は悪いことなどしていないのに、なぜみんなで私を悪く言うのでしょうか。そう考えているうちに、自分の中の想像(思考)が声になって聞こえてくるようになってきました。「何をしたってどうせうまくいかない」「死んだほうが楽になれる」「あんなウザい奴は殺してしまえ」など、こういったことがはっきり声として感じられます。最近では自分で考えたことではなく、誰かが言っている声として聞こえてきます。複数の人が私のことを言いながら、くすくす笑っているのです。
耐えられなくなった私が思わず「いい加減にしてよ」と、小声ですが、きつくロに出したら、その直後に「いい加減にしてだってよ」と聞こえたので、盗聴されていると気づきました。そこで、一生懸命、盗聴器を探しましたが、見つかりませんでした。どこかに巧妙に仕かけられているのでしょう。私の私生活の一部始終を監視して、みんなで笑っているのです。私の体のことも言っているので、盗撮もされているようです。私の写真がネットに流れているに違いありません。だからこの頃は、お風呂にも入れなくなってしまいました。本当にひどいと思います。
私が口に出さなくても、考えていることがばれているようなのです。大学でも講師に考えを見透かされていることからすると、頭の中に何か機械を埋め込まれたか、たとえそうでなくても、遠隔で脳波を読み取るとかしているのでしょうか。
遠隔といえば、この頃、足先から電気が走り、それが頭に達して気が狂いそうになることがあります。足先を調べたのですか、機械はないようなので(マイクロチップのようなものが入れられているかもしれませんが)、するとどこか遠くから電磁波のようなものをあてているのでしょうか。私が感電する様子を見て笑っているに違いありません。
もうこんな生活には耐えられません。私に嫌がらせをする人達への復讐のために、自殺しようかという気持ちまで出てきました。

Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖
女子の大学生。幻聴や被害妄想が出て、学校に行けなくなっています。症状としては、ケース1-1と似ています。ケース1-1は、息子の統合失調症の発症に当惑する母親の目からの描写でした。このケース1-2からは、統合失調症の発症が、本人にとってはどのような体験であるかを知ることができます。幻聴や被害妄想とその結果としての言動は、周囲の目には奇妙なものに映りますが、本人は恐怖と不安でとても苦悩しているのです。
彼女が学校に行けなくなった大きな原因は、被害妄想です。
悪口を言われている。当初は被害妄想として始まり、その後、幻聴の形に発展しています。これも、統合失調症としてはよくある経過です。
「叫びたくなる」という言葉に象徴されるような、漠然とした不安感、恐怖感に、彼女は圧倒されそうになっています。この不安・恐怖は、幻聴と被害妄想からくるものという解釈も可能ですが、それ以前に、特に理由なく不気味な不安・恐怖が生まれ、その中から幻聴や被害妄想といった体験がにじみ出てくるというのも、よくある経過です。
いずれにせよ、この時期の統合失調症の人は、とても苦しい思いをしているのが常です。本人の体験の例としては、次のようなものがあります。

「三十歳、女性。いろいろな人から悪口を言われています。選挙の投票に行ったときや、郵便局の職員にも言われています。旅行に行ったときはホテルの隣の部屋の人が私の話を聞いて、それに対しての悪口を言っていました。いつも行っている美容院の人も悪口を言います。買い物に行っても店員や他の客が私の選んでいるものを見てケチをつけます。検診に行くと、看護師や他の患者さん達が私の服装や行動、話したことをいちいちバカにします。中には指をさしてコソコソ笑う人もいます。どこに人がいるかわからないけれど、悪口が聞こえることもあります。でも確実にこの人が言ったとわかるときもあります。目の前の人が言うときもあります。小声だったり、普通の大きさの声だったり、声の人数も性別もいろいろです」

「三十八歳、男性。転職してから幻聴が起こるようになりました(私は幻聴とは思っていませんが……)。私が考えていることが近所の人達に伝わり、それに対して近所の人達が答えるのです。少しでも悪口を考えると近所の人が怒り、『死ね、アホ』と罵声を浴びせられ、村八分にされているように思い、苦しんでいます。頭の中に脳波を読み取る機械が入っているとしか思えません」

「二十三歳、女性。盗聴や盗撮をされているという考えが抜けません。ひどいときには自分の体にカメラが埋め込まれていて、そこから同級生が私を見て笑っていると感じ、カメラを取り除こうと、カメラがあると思われるところ(目で直接確認しづらい背中や腰にあることが多かった)を必死で叩いていました」

「三十歳、男性。十年ほど前から、自分の考えていることに対して、声が返ってくるといったことが続いています。自分の考えが他人に伝わっているのです。テレビでも自分の考えたことに対して返答が返ってきたりします。これは絶対に錯覚ではないと思います。また、AさんがBさんの悪口を私に言ったあと、それがBさんに伝わって人間関係が崩壊したこともあります。私がBさんの悪口を思ったときに、Bさんが思いっきり八つ当たりをしてきたのは、私がテレパシーをBさんに送ってしまったからだと思っています」

「三十二歳、女性。私は高校生のときに不特定多数の人から聞こえよがしに悪口を言われ、態度にも嫌な感じを出されました。その後、短大に進学し、一年間は平気だったのですか、高校生のときの悪いうわさがまた広がり、同じく不特定多数から聞こえよがしの悪口を言われました。社会人になり、新人研修のときに五人くらいが私の座っている机の前にきて、周囲に聞こえるように大声で『アバズレ』だと言われました。実際に私はそんなことはしていません。外食、買い物、遠くに遊びに行っても、バカ、気持ち悪い、死ねなどの悪口が聞こえました。まったく無関係の高校生にもウザイ、キモイ、バカと言われます。また、隣町の夫の実家の前の電信柱にも『死ね』と二回書かれました」

「四十二歳、女性。近所の人に、集団で監視され、嘘のうわさを流されています。そのことを誰かに相談すると、攻撃(うわさを流すこと)が強くなります。町の人達は、私の近くで悪いうわさについてよくほのめかしたり(『あんなところに出かけているから疑われるのよ……』など)、携帯電話を取り出して私の顔を見なから誰かに報告しています」

これらのケースにはいずれも、被害妄想と幻聴を中心とする症状が見られています。このように、自分を取り巻く人々が、自分に悪意をもち、それをうわさや中傷、さらには何らかの攻撃行動として具体化してくる、というのが、統合失調症の妄想として最も多いパターンです。
また、「自分の考えが見透かされている」「テレパシー」などの言葉で表現されているように、何らかの形で自分の考えが他人に伝わる、あるいは逆に、他人の考えが直接自分に伝わってくるというのも、統合失調症に特徴的な症状で、思考伝播(または考想伝播)と呼ばれています。伝わってくるのは考えだけでなく、「電磁波」「電波」「電気」「念」「気」など、目には見えないが、本人には感じられるものという形を取ることもしばしばあります。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項

加えて、本の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました」及び「Case 1-3 解説 支離滅裂」における記述(P22~P25)を次に引用します。

Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました(本人の目から)
二十歳、女性です。私は十八歳頃からだんだん人が怖くなり始めました。学校では「あれがうわさの○○だ」と、全校生徒から陰口をたたかれるといういじめにあい、学校の外でも、すれ違いざまに通行人にパカにされている気がするようになりました。すべての人が怖くなるあまり、受け答えがトンチンカンになり、また、無理に難しい言葉を使って話すようになりました。性格は暗くなり、何をしても楽しくなくなりました。インターネットにのめり込み、日がな一日攻撃的なことを書き込むようになりました。学校には行けなくなりました。家に一人でいると、風の音や、外の子どもの声などがとても大きく聞こえました。たまに外に出たあるときは、「街が何のためにあるのか理解できない」、「景色が透明に見える」ように感じ、何ともいえない不安感に包まれ、急に走り出して帰ってきてしまいました。
ふと、大好きだった祖母が迫害されているのではないかと心配になり、電話をしました。祖母と電話をしているのに、電話が混線しているような感じで、同級生の何人もの声が聞こえてきたりしました。私と祖母の話の内容を批評し合っているような内容でした。
そんな経緯で、外に出るのも電話するのも怖くなり、家族とも話さず、閉め切った部屋にひきこもるようになりました。でもテレビをつけると、私の心の中を代弁されているようで、すぐに消してしまいました。小説を読むと、まるで自分のことが書いてあるように感じられて仕方がありませんでした。近い将来、自分に大変なことが起こるという予感のようなものがあったのですか、それが何であるか、答えは読んでいる本の先に書かれているという確信をもちながら、こわごわと読み進めました。深夜でした。そうしていたら、書かれていたのは自分の将来ではなく、人類の将来だということが突然わかりました。その瞬間、それまでとは一転して、とても心が澄みわたっているように感じ、自分は神様から選ばれた預言者で、人々の救世主だと考え、外に出ました。寝巻きのままでした。
すべてを悟って、爽快な気分なのに、涙がとめどなく出ていました。人々の苦しみや悩みを、自分が抱えてあげているからなのだろうと納得していました。
家の近くの神社に着き、まるでずっと前から予定されていたような感じで、ごく自然に境内に入りました。そこで踊りを踊りました。体が勝手に動くのです。神社にすみついている霊が、私を踊らせているのだと思いました。けれども、預言者である私は、霊にとっては敵に違いないと思った瞬間、殺されるという恐怖にかられ、大声で泣き叫び始めました。私は預言者だけど、普通の女の子なのだから、殺さないでとか、そういうような内容だったと思います。
警察官がきました。私が預言者であることは世界中の人が知っていて、そんな私を警察が迎えにきたのだと思いました。でも、パトカーに乗せられて走り出してまもなく、私は真理に目覚めてしまったので安楽死させられるのだと思い、ものすごい恐怖心が生まれ、走っているパトカーから飛び降りようとして、警官に押さえつけられました。そうして私は、病院に入院させられたのです。

Case 1-3 解説 支離滅裂
「真夜中の神社の境内で、寝巻きのままの若い女性が、訳のわからないことを大声で泣き叫びながら踊っている」、おそらく警察にはこのように通報されたことでしょう。外見的にはその通りです。
けれども、この行動に至るまで、本人の中では、幻聴と被害妄想、そして不気味な不安と恐怖の体験が続いていたことがわかります。家族から見れば、何となくひきこもっている、何かあったのかな、と思いながら様子を見ていたところ、ある日突然に訳のわからない興奮状態になり、警察のお世話になって入院したということになり、いかに驚いたかは容易に想像できるところです。
ケース1-1で紹介した、統合失調症の診断基準をもう一度見てみましょう。

1 妄想
2 幻覚
3 まとまりのない会話
4 ひどくまとまりのないまたは緊張病性の行動
5 陰性症状、すなわち感情の平板化、思考の貧困、意欲の欠如など

このうち、1の妄想(多くは被害妄想です)と2の幻覚(幻聴を含みます)が、統合失調症の本人の体験している症状ですが、本人が語らない限り、これらは周囲にはわかりません。これに対して3の「まとまりのない会話」や、4の「ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動」は、周囲から見てそのように見えるということで、このケース1-3のように、これらの症状が出てはじめて統合失調症であるとわかることもあります。3と4は、ごく単純に言えば、「訳のわからない話と、ひどく変な行動」です。これらをまとめて「支離滅裂」ということもできます。統合失調症の症状として「支離滅裂」というときは、「まったく理解不能」というニュアンスを含んでいますが、背景として妄想が透けて見えることもよくあります。たとえば次のような形です。

「二十九歳の統合失調症の妹は、『自分は内閣総理大臣だったとき、給料が一億円振り込まれているはずなのにどこにやった。お前(姉である私のことです)は、自分が警視総監だったときに、絞首刑にしたはずなのに何で生きている。毎日毎日いちいち私のすることをじゃましてどういうつもりだ。お前は本当は〇〇〇人か、□□□人だろ』などと言ったり、『お前がおかしい、しっかりしなさい、何かがとりついている』と言い、台所から塩を取ってきて私にかけたり、擦り込んだり、口に入れようとしたりします。家の電気製品のコンセントをすべて抜いたり、テレビをお風呂場にもっていって水で洗ったりもします。先日はファミレスで近くに座った人をにらみ、ブツブツ言っていたかと思うと突然、『悪魔め! もう騙されないぞ! あの一億円を返せ!』とどなりつけて店中が大騒ぎになってしまいました」

この本人の言動は支離滅裂ですが、背後に妄想があることが読み取れます。このケースや、ケース1-3のように、まとまりのない言動が表面化するのも、統合失調症の一つの症状パターンです。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項 iii) 引用中の「陰性症状」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陰性症状」項

② 陰性症状及び無治療に関して、本の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-3 悲惨なひきこもり」及び「Case 3-3 解説 重い陰性症状」における記述(P86~P89)を次に引用します。

Case 3-3 悲惨なひきこもり(家族の目から)
三十代の女性です。私の兄は、大学中退後からずっとひきこもりになっています。兄はもともと頭がよく、進学校に進学したのですが、大学入試に失敗して浪人し、結局は、滑り止めの行きたくなかった大学に進学しました。その頃よりパチンコに行くなど、ふらふらして暮らしていたようで、お金もすぐ使ってしまうようでした。先日、両親とアパートに行ってみたら、すごい状態の部屋に兄がいました。その部屋はもうゴミ屋敷の状態で、三十センチのゴミが重なってその上にまたゴミが、というようなすさまじいものでした。それで部屋を掃除して兄を実家に連れて帰ってきました。
もう少し兄に興味をもってあげていればよかったなと思います。十五年ほどのひきこもりです。五年ほど前は本屋へ行ったり、外食などはできていましたが、今はまったく外に出られません。外に誘ってもまったく相手にしてくれません。うん、と言うのですが行動につながりません。入浴も一か月に一回入ればまだいいほうです。髪の毛も家族が切っています。髪をカットするときなどはきちんと入浴してくれます。清潔行動がとれないのか、とりたくないのかがわからないのです。わざと私達にそのように見せつけているのか本当に精神病でおかしいのか判断できません。私達は家族なので病気だと思いたくないのもあるのかもしれませんが、あんなふうに一日寝てゲームして、また寝て好きなものだけ食べて生きているなんて、と思ってしまいます。
特から強迫観念的な癖というか、ドアを一度開けてはまた閉め直したり、階段を上っては下りて、また上ってと気が済むまで行うなどの行動がみられていました。神経質なのかなと思っていましたが、今思うと昔から精神病なのでしょうか。病院に連れていこうにも本人の病識かないので無理には連れていけません。
ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしていますが、人に危害を加えるなどということはないので、両親も強制的に病院に連れていくまでは考えていないようです。特に妄想とか幻聴があるわけではありません。なので、私もただのひきこもりかと思っていました。ですが、最近の状態はさすがに病気だと思います。トイレに入って大便を流さず、トイレットペーパーをかぶせたままの状態になっているようです。一度トイレに間に合わなかったのか、ズボンと廊下に大便が付着していたそうです。そのズボンは、家族が帰るまでそのままの状態にしてあったそうです。いつまでたっても部屋から出てこないので、どうしたのかと思っていたら何も身につけていなかったそうです。
時には何時間も真っ暗なままで入浴しているときがあります。でもそうでないときもあるので、一体何が兄をそうさせているのかわからず、扱いにくく困っています。この先ずっとこんな生活のままなのでしょうか。治療をすることでこの状態から抜け出せるのでしょうか。ときどき、「奴らを殺しに行くぞ」などと脅すように話していますが、実際外に出ることはありません(「奴ら」とは誰のことかわかりませんが、よくそういう言い方をしています)。精神病の人はタバコをすごく吸うと聞きますが、兄もかなりのヘビースモーカーです。大声を出して叫ぶことや皿を投げたりすることがありますが、家庭内暴力もないので、親もこのままにしておくつもりです。

Case 3-3 解説 重い陰性症状
「ひきこもり」は、現代ではごく一般的な用語になっていますが、もともとは精神医学では、統合失調症の陰性症状による状態を指す用語でした。統合失調症は、思春期の頃に発症するケースが多く、そのまま治療を受けず、長年にわたってひきこもり続ける。これが一つの典型的な統合失調症の経過だったのです。
「だった」と言いましたが、現在もそういう例は多数存在します。ケース3-3はその一例です。
大学を中退してから、十五年にわたるひきこもり。不潔で非生産的な毎日。これらはまとめて、「無為・自閉」と呼びます。「人格水準の低下」と呼ぶこともあります。
統合失調症の診断基準の「陰性症状」には、「感情の平板化」「思考の貧困」「意欲の欠如」と記されています。ケース3-3の男性に、「意欲の欠如」があることは明らかです。「感情の平板化」とは、通常なら心を動かされるはずの出来事や働きかけに対し、あたかも感情が平らに固まってしまったかのように、反応がないことです。「思考の貧困」とは、文字通り、考える内容が浅薄で深みがないことです。これら「感情の平板化」と「思考の貧困」は、本人とある程度接してみないとわからないことですが、ケース3-3のような例では、まず間違いなく存在する症状であると言えます。
もっとも、「ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしています」などからは、感情はむしら過敏ではないかと思われるかもしれません。それはある意味その通りなのですが、基調としては平板化した感情の中、時に異常な過敏さを示すというのは、統合失調症の一つの特徴です。
現代の日本では、ひきこもりは七十万人にのぼると言われています。その中の何パーセントが統合失調症であるか、まだ信頼できるデータは得られていません。けれども、統合失調症が百人に一人発症する非常に多い病気であること、そして発症は思春期から青年期という若い年齢が多いことをあわせれば、ひきこもりの中に統合失調症の人が相当な数存在することは当然に推定できます。
では、ひきこもりの人を見たときに、統合失調症ではないかと疑うポイントは何か。
一つは、このケース3-3のように、ここまで説明してきたような、陰性症状の特徴が見られることです。それが長年にわたり、しかもこのように常軌を逸したレベルになれば、統合失調症の可能性は濃厚すぎるくらい濃厚と言うことができます。もう一つのポイントは、陰性症状の中に幻聴や被害妄想の存在が見え隠れすることです。このケース3-3で言えば、繰り返される「奴ら」という表現です。家族は幻聴や妄想はないと判断しておられますが、「奴ら」を罵るこのような言動は、被害妄想(そして、幻聴)の存在を強く疑う根拠になります。このように、幻聴や被害妄想が見え隠れすれば、仮にひきこもりが軽度なものであっても、統合失調症であることは、ほぼ確実になります。さらに、ケース3-3では何年も前に強迫的な行動があったことも重要で、統合失調症の初発症状が強迫というのもよくあることです。
ケース3-3は、無治療のまま長年が経過し、陰性症状がひどくなってしまった例です。このような段階の陰性症状は、残念ながら、完全に治ることは期待できません。

注:i) 引用中の「幻聴」、「妄想」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陽性症状」項 ii) 引用中の「陰性症状」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項又は加えて、本の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「ワンポイント 無治療では人格水準の低下も」における記述の一部(P94~P95)を次に引用します。

(前略)統合失調症という病気概念の原型は、ドイツの精神科医クレぺリン(1856-1926年)が「早発性痴呆」と名付けた一群の患者です。「早発性」、すなわち若い年齢で発症し、「痴呆」の状態に陥る病、それが統合失調症の原型です。クレぺリンの教科書には、そうした患者の慢性化した状態が数多く書き残されています。その記載は、治療法が進歩した現代では古典というべきものですが、治療を受けなければ、現代も当時も、この病気の経過はまったく同じということになります。
クレぺリンの教科書から、いくつかそんな記載を引用してみましょう。以下は『精神分裂病』(クレぺリン著、西九四方・西九甫夫訳、みすず書房、1986年)からの引用です。

患者の生活態度全体をみると、無意味でまとまりがない。みかけは乱雑で、だらしなく、不潔で、奇異である。体を洗わず、妙な着衣をし、煙草をつないでボタン孔にさしたり耳に紙をつめたりし、患者は人に石を投げ、地面に十の字に横たわり、髪の毛を切り、裸になり、街のまん中で公然と水浴をし、夜ハーモニカを吹き鳴らし、浮浪者の仲間に入りやすく、乞食をし、盗みをし、留置場に入れられ、更正施設に入れられる。その行動は非常に交代しやすく、あるときは近づきやすく、無邪気で、人のいうがままになり、あるときは拒否的で、近づき難く、反抗的で、怒りっぽく、かっとなり、あるときは多弁で冗長であり、あるときは寡言で、口をきかない。話し方はしばしば衒奇的でわざとらしく、もったいぶり、説教的であったり、時にはそうぞうしかったり、あるいはわざとけがらわしいことをやったりする。(中略)

ブツブツひとりごとをいい、何でもポケットの中に集め込み、一日中ピアノを鳴らし、突然何時間もどなり出し、わめきながらかけ出し、お祈りをしたり、歌を歌ったり、とめどもなく笑ったり、動機もなく暴力をふるったり、奇妙な腕や指の運動をしたり、手をよじり合わせたり、指をむしったり引っ張ったり (中略)

患者は仕事をやめ、家事を怠り、寝床に横になっており、世間からひきこもり、閉居してじっとしており、ひとりでじっと考え込んでおり、家から飛び出し、人を避けてこそこそ隠れ、まとまりのない話をする。

心をわかせるような事件があっても無関心のままでおり、人が面倒をみてくれようと苦痛を加えようと顔色一つ変えない。

患者は力が抜けて、だらっとして、不精で、人に頼り、放埓で、ほうっておき、ぶらぶらと無為に日を送り、無意味に金や財産を浪費し、偶然の影響に身をまかせ、こうして速やかにおちぶれてしまう。

これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です。これらすべてをまとめて「人格水準の低下」と呼ぶこともよくあります。どれも二十世紀より以前、治療法がない時代の統合失調症の病像ですが、現在でも、無治療のままほうっておかれて、このような状態に陥ってしまうケースがあります。治療法があるのにそれを受けさせないのは、本人の未来を剥奪する行為と言わざるを得ません。

注:i) 引用中の「クレぺリンの教科書(中略)からの引用です」に対し、これらのクレぺリンの教科書からの引用は全て上記に引用しています。 ii) 引用中の『これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です』での「これらは」直近の3つのクレぺリンの教科書からの引用()を指しているのかもしれません。 iii) 引用中の「無為・自閉」については、次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項 iv) 無治療の他の例は次項を参照して下さい。

③ 無治療に関して、本の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書」及び「Case 3-4 解説 無治療の行く末」における記述(P90~P93)を次に引用します。

Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書(医師の目から)
氏名及び性別-氏名不詳、男、推定五十代
本籍住所-不詳
送致警察署、主任検事、検番-略
罪名-強盗致傷
犯罪事実-×年×月×日、○○市内の弁当店Aにおいて、同店経営者○○管理の惣菜である烏唐揚げ一個をもち去ろうとし、制止しようとした同店員○○の顔面を殴打し、全治二週間の切創を負わせたものである。
犯行とその前後の状況-一見してホームレスといった風貌で、髭は胸まで伸び、不潔感があったため、入店を認めた店員がすぐに事情を聴こうと近づいたところ、無視してブツブツ言いながら商品の鳥唐揚げに手を伸ばしてつかみ取り、そのまま店外に出ようとしたので、店員が制止しようとしたところ、いきなり振り向き「無礼者」とどなりながら顔面を殴打した。臨場した警察官に逮捕されたが、訳のわからないことを申し述べ続けたため、精神科医の診察となった。
診察時所見-おとなしく着席して診察に応じることはできる。絶えず小声で独語しているが、何を言っているのか聞き取れない。独語しなから笑い出すこともある。こちらから熱心に話しかけると、急に気づいたように話に応じるが、話が途切れるとまた独語が始まる。応じるといっても、何に対しても「はい、そうっす」「大丈夫っす」と答え(直後に反対の問いかけをしても同じ)、コミュニケーションが成立しているとは言い難かった。しかし犯行について問うと、急に目がつり上がり、独語の声が大きくなり、その中には「あの無礼者が」「俺の店」「四百四十億円」などが聞き取れるようになった。なだめつつ傾聴すると、概ね次のような内容を語った。「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った。市内のほとんどの、いや、全部の店は自分のものである。全部で千三百二十一軒ある(この数も聞くたびに異なっていた)。オーナーの自分に対し、弁当屋Aの店員は礼儀を欠いていたので罰を与えたまでである」。また、店に対する怒りを大声でまくしたてるので、どうやってそんな大金を稼いだのかと話を向けると「自分は超一流の映画監督である。ハリウッドでいくつもの大ヒット映画を作った。主役で出演もした。山田五十鈴と共演した。いや自分は山田五十鈴の子だ。いや吉永小百合の弟だ。ラスベガスでも大儲けした。その金が今も振り込まれてきているはずだが、きていない。何かの陰謀で政府に流れている。警察官も自分の部下だ。お前は警察の医者か、それなら俺の部下だ」などなど、一応質問に関連ある内容を答えるが、その内容は一定せず、話しているうちにそのまま独語に移行し、宙に向かってしゃべり続ける。血液検査所見は、梅毒反応を含め正常。
診断-統合失調症の疑い
説明-無治療で慢性化した統合失調症と思われる。連合弛緩が著明。人格荒廃が明らかである。
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第25条通報の必要-要

Case 3-4 解説 無治療の行く末
治療すればよくなるはずの統合失調症が、無治癒のまま放置されて悪化の一途をたどっている。そういう事例の正確な総数は不明です。無治療ということはつまり、病院を訪れないということですから、そもそも知りようがないことになるからです。一つ前のケース3-3のように、医療を受けないまま、家庭内でひっそりと経過しているケースは、かなり社会に埋もれていると思われます。
そうしたケースが、いよいよ家族の手に負えなくなり、大変な苦労を経て家族が受診させるというのが、治療開始の一つのパターンです。もう一つのパターンは、何か事件的なことが発生し、警察を介して受診に至るというもので、第2章のケース2-4などがそれにあたります。ケース2-4は警察から病院に直行という形でしたが、このケース3-4のように、明確な触法行為(犯罪に相当する行為)で警察に逮捕され、検察庁に移され、そこで初めて精神科医の診察になることもあります。この診察を簡易鑑定(正式には精神衛生診断)といいます。その結果、被疑者が精神障害者で、逮捕される原因となった行為が障害と密接な関係があると、検察官は起訴しないことがあります(起訴しなければ裁判にはなりません)。検察官は、勾留期限内(最長二十三日間)に、被疑者を起訴するかを決めなければならないこともあって、鑑定のための診察は通常一回(三時間程度)で、鑑定結果は数日以内に簡易鑑定書として検察官に提出されます。このような短時間の簡易鑑定では判定が難しい場合には、二か月以上の期間を要する本鑑定を行うことになります。
ケース3-4は強盗致傷の容疑で逮捕された被疑者の簡易鑑定書です(もちろん仮想のものです)。
外見からも、言動からも、慢性化した無治療の統合失調症であることはほぼ明らかなケースといえます。本書で紹介してきたケースの妄想は大部分が被害妄想でしたが、ケース3-4には、「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った」「自分は超一流の映画監督」などの誇大妄想が見られます。誇大妄想は、統合失調症が慢性化した時期のほうが現れやすい妄想です。また、このケースでは、誇大妄想といってもその内容は荒唐無稽に近く、その点からも慢性化がうかがえます。さらに、「自分の金が何かの陰謀で政府に流れている」といった、むしろこちらのほうが統合失調症の典型的な、被害妄想の要素もあります。
91ページの「説明」に記されている「連合弛緩」とは、話の論理がばらばらで、言いたいことの道筋を追うことができないといった意味です。これも統合失調症の症状で、思考障害の一種に分類されるものです。彼の話は質問されたこととの関連性はあるようですが、一方的にまくしたて、そのまま独語に移行するというケース3-4の症状は、「支離滅裂」といってもいいレベルです。
起訴・不起訴は、当然のことながら、検察官の判断で決定される事項ですが、ケース3-4ほどの重篤な統合失調症ですと、不起訴になる可能性がかなり高いといえます。そして精神科病院に送られ、治療が始まるという流れです。何にせよ、治療が始められるのは、本人にとって望ましいことですが、法にふれる行為がそのきっかけというのはあまりに悲しいことで、もっと前に何とかできなかったかと、このようなケースを見ると考えざるを得ません。

注:引用中の「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」については、次のWEBページを参照して下さい。「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律

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(k)失感情症*11
PTSD又は複雑性PTSDの視点からの失感情症について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「失感情症――感情を表す言葉がない」における記述の一部(P164~P167)を以下に引用します。加えて、慢性疼痛における失感情症・失体感症傾向への実際の臨床的経験からの対応について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 実際の臨床的経験からの考察 の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」における記述(P231~P232)を以下に引用します。

失感情症――感情を表す言葉がない

私には、過去に痛ましいトラウマを経験した、未亡人の伯母がいた。彼女は、わが家の子供たちの「名誉祖母」になった。しばしば訪ねてきて、カーテンを作ったり、キッチンの棚に載ったものを並べ替えたり、子供服を縫ったりと、忙しく立ち働くのだが、ほとんど会話はなかった。人を喜ばせようと、いつも熱心だったが、彼女は何が楽しいのかは、なかなかわからなかった。何日間か儀礼的な言葉を交わしたあとは、もう会話が続かず、長い沈黙を埋めるために私は四苦八苦した。帰る日には、私が空港まで車で送ると、ぎこちなく別れのハグをしなから、涙をぼろぼろこぼす。そのあと、心底そう思っているかのように、ローガン国際空港の冷たい風のせいで、涙が出てしまうといつもこぼした。彼女の体は、心が認識できないこと、すなわち、自分にとって存命中の最も近しい親類である、私たちの若さあふれる家庭を去ることの悲しさを感じていたのだ。
精神科医はこの現象を「アレキシサイミア(失感情症)」と呼ぶ。感情を表す言葉を持たないことを意味するギリシア語だ。トラウマを負った子供や大人の多くは、感じていることをまったく表現できない。自分の身体的感覚が何を意味するか、突き止められないからだ。彼らは激怒しているように見えても、腹を立てていることを否定する。恐れおののいているように見えても、大丈夫だと言う。彼らは体の内部で起こっていることを認識できないので、自分の欲求を把握できず、適切な時間に適切な量を食べたり、必要とする睡眠をとったりするなど、自身の面倒を見るのに苦労する。
私の伯母のように、失感情症の人は情動の言語に代えて行動の言語を使う。「トラックが時速一三〇キロメートルで向かってくるのが見えたら、どう感じますか」と訊かれれば、たいていの人は、「ぞっとします」あるいは「怖くて凍りつきます」と答える。ところが失感情症の人は、「どう感じる、ですって? さあ、わかりません。……身をかわすでしょう(18)」とでも答えるかもしれない。彼らは情動を、注意を払ってしかるべき信号としてではなく、身体的問題として認識する傾向にある。腹立たしさや悲しさを感じる代わりに、原因不明の筋肉の痛みや、腸の不調、その他の症状を経験する。神経性無食欲症(拒食症)の人の四分の三と神経性大食症(過食症)の過半数は、自分の情動的感情に当惑し、その説明にはなはだ手を焼く(19)。失感情症の人は、怒った人や苦悩する人の顔写真を研究者に見せられても、彼らが何を感じているかがわからない(20)。
失感情症について私に教えてくれた人の一人が、精神科医のヘンリー・クリスタルで、重度のトラウマを理解しようと、一〇〇〇人以上のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)サバイバーを診た人だ(21)。自身も強制収容所生活を生き延びたクリスタルは、患者の多くが職業人生では成功しているとはいえ、個人的な人間関係はわびしく、よそよそしいものであることを発見した。感情を抑え込むことで世事は処理できたものの、それには代償が伴った。彼らはかつて圧倒的だった情動を抑えることを学んだのだが、その結果、自分が何を感じているのか、もはや気づくことがなくなった。セラピーに関心がある人はほとんどいなかった。
ウェスタンオンタリオ大学のポール・フルーエンは、失感情症にかかっているPTSDの人々の脳をスキャンした。参加者の一人は、彼に言った。「自分が何を感じているのかわかりません。頭と体がつながっていないようなものです。私はトンネルの中、霧の中に生きていて、たとえ何が起こっても、反応はいつも同じ――無感覚で、何もありません。泡風呂に入っていて火傷しようと、レイプされようと、同じ感じです。私の脳は何も感じません」。フルーエンと同僚のルース・レイニアスは、自分の感情と疎遠な人ほど、脳の自己感知領域の活動が少ないことを発見した(22)。
トラウマを負った人は、自分の体の中で何が起こっているかを感知するのが苦手な場合が多いので、欲求不満に対して適切な反応ができない。したがって、ストレスに対しては、ぼうっとするか、過剰な怒りを見せるかのどちらかだ。どんな反応をするときも、なぜ自分は気が動転しているのかわからないことがよくある。このように自分の体と疎遠になっているため、彼らは自分を守るのが苦手で、再び被害者になる率が高く(23)、また喜びや官能性、意義を感じるのが非常に難しいことが立証されている。
失感情症の人は、自分の身体的感覚と情動との関係に気づくことを学ばないかぎり、回復できない。色覚異常の人が、灰色の色合いを区別できるようにならないかぎり、色のある世界に入れないのと同じことだ。私の伯母やヘンリー・クリスタルの患者たちと同じで、彼らはたいてい、それを学ぶことに乗り気ではない。彼らの大半は、さまざまな医師を訪ね、癒えることのない病気を治療し続けるほうが、過去の魔物たちに立ち向かう、つらい課題をこなすよりもましだという、無意識の決定を下してしまったように見える。

注:i) 引用中の原注「(19)」~「(23)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「失感情症」に関連して、心身症の視点からは次のWEBページを参照して下さい。「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項 一方、自閉スペクトラム症又は感覚過敏の視点からの説明は、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アレキシサイミア」に関連する「アレキシソミア」(失体感症)については、例えば次のWEBページ又は pdfファイルを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項、「Alexisomia(アレキシソミア・失体感症)の意義」、「1. 失体感症」、「失体感症スケール開発の経緯と、身体(内受容)を重視した心身医学療法の意義と有用性について*12 iv) 慢性疼痛における「失感情症・失体感症傾向への対応」については、ここにおける引用の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」項を参照して下さい。 v) 化学物質過敏症と失感情症の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。加えて、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です) vi) 引用中の「PTSD」については、リンク集を参照して下さい。 vii) ちなみに、a)「アレキシサイミア」、「アレキシソミア」と内受容感覚(リンク集を参照)の関係については、例えば次の資料を参照して下さい。 「情動の気づき,身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 b) アレキシサイミアに関連する久山町研究の論文要旨を以下に紹介します。 c) 加えて、アレキシサイミアと内受容感覚の関係に関連する資料及び論文要旨を以下に紹介します。前者の資料「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」において次に引用する(『 』内)記述があります。 『情動の体験の認知については、特に内受容感覚も認知の鋭敏さが不安を増大させる影響があることを明らかにし、さらにfMRIで脳活動を撮像することによって、内受容感覚への気づきに重要な島皮質の活動が、アレキシサイミア群で低下していることが明らかになった。』 (注:引用中の「情動」についてはここを、「内受容感覚」についてはここを、「fMRI」についてはここを、「島」についてはhttps://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%B3%B6:title=ここ]をそれぞれ参照して下さい)

・論文「Alexithymia is associated with greater risk of chronic pain and negative affect and with lower life satisfaction in a general population: the Hisayama Study.[拙訳]アレキシサイミアは一般的な集団におけるより高い慢性疼痛とネガティブな感情及びより低い生活の満足に関連する:久山町研究」の要旨を次に引用します。

INTRODUCTION:
Chronic pain is a significant health problem worldwide, with a prevalence in the general population of approximately 40%. Alexithymia -- the personality trait of having difficulties with emotional awareness and self-regulation -- has been reported to contribute to an increased risk of several chronic diseases and health conditions, and limited research indicates a potential role for alexithymia in the development and maintenance of chronic pain. However, no study has yet examined the associations between alexithymia and chronic pain in the general population.

METHODS:
We administered measures assessing alexithymia, pain, disability, anxiety, depression, and life satisfaction to 927 adults in Hisayama, Japan. We classified the participants into four groups (low-normal alexithymia, middle-normal alexithymia, high-normal alexithymia, and alexithymic) based on their responses to the alexithymia measure. We calculated the risk estimates for the criterion measures by a logistic regression analysis.

RESULTS:
Controlling for demographic variables, the odds ratio (OR) for having chronic pain was significantly higher in the high-normal (OR: 1.49, 95% CI: 1.07-2.09) and alexithymic groups (OR: 2.56, 95% CI: 1.47-4.45) compared to the low-normal group. Approximately 40% of the participants belonged to these two high-risk groups. In the subanalyses of the 439 participants with chronic pain, the levels of pain intensity, disability, depression, and anxiety were significantly increased and the degree of life satisfaction was decreased with elevating alexithymia categories.

CONCLUSIONS:
The findings demonstrate that, in the general population, higher levels of alexithymia are associated with a higher risk of having chronic pain. The early identification and treatment of alexithymia and negative affect may be beneficial in preventing chronic pain and reducing the clinical and economic burdens of chronic pain. Further research is needed to determine if this association is due to a causal effect of alexithymia on the prevalence and severity of chronic pain.


[拙訳]
前書き:
慢性疼痛は世界中で重大な健康問題であり、一般的な集団における有病割合は約40%である。アレキシサイミア(情動的な気づきと自己調節に困難を有するパーソナリティ特性)は、いくつかの慢性疾患及び健康状態のリスク増加に寄与すると報告されており、そして限られた研究は、慢性疼痛の発症及び維持におけるアレキシサイミアの潜在的役割を示す。しかしながら、一般的な集団におけるアレキシサイミアと慢性疼痛との間の関連はまだ調査されていない。

方法:
日本の久山町の927人の成人に対して、アレキシサイミア、痛み、障害、不安、抑うつ及び生活満足度を評価する測定を実施した。アレキシサイミア測定値への応答に基づいて、参加者を4つのグループ(低い-正常なアレキシサイミア、中程度の-正常なアレキシサイミア、高い-正常なアレキシサイミア、そして[本当の]アレキシサイミア)に分類した。ロジスティック回帰分析により、基準測定値のリスク推定値を計算した。

結果:
慢性疼痛のオッズ比(OR)は、高い-正常群(OR:1.49、95%信頼区間:1.07-2.09)とアレキシサイミア群(OR:2.56、95%信頼区間:1.47-4.45)であった。参加者の約40%がこれら2つの高リスク群に属していた。慢性疼痛を伴う439人のサブ解析では、疼痛強度、障害、抑うつ、及び不安のレベルが有意に増加し、そしてアレキシサイミアのカテゴリーが上昇すると生活満足度が低下した。

結論:
これらの知見は、一般的な集団において、より高いレベルのアレキシサイミアは、慢性疼痛を有するより高いリスクと関連することを実証する。アレキシサイミアとネガティブな感情の早期同定及び治療は、慢性疼痛の予防と慢性疼痛の臨床的及び経済的負担の軽減に有益かもしれない。この関連が慢性疼痛の有病割合及び重症度に対するアレキシサイミアの因果関係によるものであるかどうかを決定するために、さらなる研究が必要である。

注:i) この拙訳文においてはアレキシサイミアとして、「低い-正常なアレキシサイミア」から「[本当の]アレキシサイミア」まで、4つのカテゴリーがあるので、必要に応じて、アレキシサイミア傾向と読み替えた方が良いかもしれません。 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」についてはここを参照して下さい。

・論文「Alexithymia: a general deficit of interoception.[拙訳]アレキシサイミア:内受容感覚の一般的な欠如」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Alexithymia is a sub-clinical construct, traditionally characterized by difficulties identifying and describing one's own emotions. Despite the clear need for interoception (interpreting physical signals from the body) when identifying one's own emotions, little research has focused on the selectivity of this impairment. While it was originally assumed that the interoceptive deficit in alexithymia is specific to emotion, recent evidence suggests that alexithymia may also be associated with difficulties perceiving some non-affective interoceptive signals, such as one's heart rate. It is therefore possible that the impairment experienced by those with alexithymia is common to all aspects of interoception, such as interpreting signals of hunger, arousal, proprioception, tiredness and temperature. In order to determine whether alexithymia is associated with selectively impaired affective interoception, or general interoceptive impairment, we investigated the association between alexithymia and self-reported non-affective interoceptive ability, and the extent to which individuals perceive similarity between affective and non-affective states (both measured using questionnaires developed for the purpose of the current study), in both typical individuals (n = 105 (89 female), mean age = 27.5 years) and individuals reporting a diagnosis of a psychiatric condition (n = 103 (83 female), mean age = 31.3 years). Findings indicated that alexithymia was associated with poor non-affective interoception and increased perceived similarity between affective and non-affective states, in both the typical and clinical populations. We therefore suggest that rather than being specifically associated with affective impairment, alexithymia is better characterized by a general failure of interoception.


[拙訳]
アレキシサイミアは伝統的に自分の情動を同定し、記述することが困難であることで特徴づけられる、サブクリニカルな構成概念である。自分自身の情動を同定する時に、内受容感覚(身体からの身体的な信号を解釈すること)が明確に必要であるにもかかわらず、この障害の選択性にほとんど研究の焦点が当てられていない。アレキシサイミアにおける内受容感覚の欠如は、情動に特有であると元来仮定されていたとしても、心拍数等のいくつかの非感情的な内受容感覚信号を知覚することの困難とも関連しているかもしないことを最近の証拠は示唆する。従って、アレキシサイミアを伴う人々が経験する障害は、空腹、覚醒、自己受容、疲労及び体温の信号を解釈する等の内受容感覚の全ての側面に共通する可能性がある。アレキシサイミアが選択的に障害された感情的な内受容感覚、又は一般的な内受容感覚障害と関連しているかどうかを決定するために、アレキシサイミアと自己報告された非感情的な内受容感覚能力との間の関連性、及び感情的と非感情的な状態間の個々の知覚類似の程度(両者は本研究の目的のために開発されたアンケートを用いて測定された)との間の関連を、一般的な個々人(n = 105(89人の女性)、平均年齢 = 27.5 歳)と精神的な病気の見立てを報告する個々人(n = 103(83人の女性)、平均年齢 = 31.3 歳)の両方において、我々は調査した。一般的な集団と臨床的な集団の両方において、アレキシサイミアは非感情的な内受容感覚との乏しい関連を、そしてアレキシサイミアは感情的と非感情的な状態間の知覚類似を増加させることを、知見は示した。従って、感情障害に特化して関連しているというよりも、アレキシサイミアは一般的な内受容感覚の不足により良く特徴づけられることを我々は示唆する。

注:i) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「n = 103」は人数を示します。 iii) ちなみに、この論文の「1. Background」において、内受容感覚の例が記述されており、この部分を次に引用(『 』内)します。ただし文献番号の部分を除きます。 『Interoception refers to the perception of a wide range of physical states beyond emotions, including heart rate, respiratory effort, temperature, fatigue, hunger, thirst, satiety, muscle ache, pain and itch.[拙訳]内受容感覚は、心拍数、呼吸努力、体温、疲労、飢餓、渇き、満腹感、筋肉痛、痛み及びかゆみを含む、情動を超えた広範な身体状態の知覚を指す。』 このように、上記要旨によるアレキシサイミアの説明からも、この論文におけるアレキシサイミアの定義にはアレキシソミア(失体感症)も含まれているようです。

(l)EMDRのシステマティックレビュー、メタアナリシスに関連する論文紹介
標記論文は比較的多いので、ここでまとめて論文の要旨を紹介します。ちなみに、i) 下記①と②はPTSDに、③は慢性疼痛に それぞれ関するものです。 ii) 他の医学分野においてですが、システマティックレビュー、メタアナリシスの説明に関しては、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

①「25 years of Eye Movement Desensitization and Reprocessing (EMDR): The EMDR therapy protocol, hypotheses of its mechanism of action and a systematic review of its efficacy in the treatment of post-traumatic stress disorder.[拙訳]眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)の25年間:EMDRのプロトコル、作用メカニズムの仮説及び心的外傷後ストレス障害の治療における有効性のシステマティックレビュー」

Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) is a relatively new psychotherapy that has gradually gained popularity for the treatment of post-traumatic stress disorder. In the present work, the standardised EMDR protocol is introduced, along with current hypotheses of its mechanism of action, as well as a critical review of the available literature on its clinical effectiveness in adult post-traumatic stress disorder. A systematic review of the published literature was performed using PubMed and PsycINFO databases with the keywords «eye movement desensitization and reprocessing» and «post-traumatic stress disorder» and its abbreviations «EMDR» and «PTSD». Fifteen randomised controlled trials of good methodological quality were selected. These studies compared EMDR with unspecific interventions, waiting lists, or specific therapies. Overall, the results of these studies suggest that EMDR is a useful, evidence-based tool for the treatment of post-traumatic stress disorder, in line with recent recommendations from different international health organisations.


[拙訳]
眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)は、徐々に人気が高まっている、心的外傷後ストレス障害の治療のための比較的新しい精神療法である。現在の研究においては、心的外傷後ストレス障害における、その臨床的有効性に関する利用可能な文献の批判的レビューはもちろん、標準的な EMDR プロトコルが、その作用機序の現在の仮説と併せて、紹介される。公開された文献のシステマティックレビューは、PubMed 及び PsycINFO データベースを用いて、キーワード«eye movement desensitization and reprocessing:眼球運動の脱感作および再治療»と«post-traumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害»、及びその略語«EMDR»と«PTSD»で実施した。方法論的な品質が良い15のランダム化比較試験が選択された。これらの研究は、EMDR と非特異的な介入、待機リスト、又は特定の治療法と比較した。総合的に、EMDRが、心的外傷後ストレス障害の治療のための有用で、エビデンスに基づくツールであり、異なる国際保健機関からの最近の勧告に沿っていることを、これらの研究結果は示唆する。

②「Eye movement desensitization and reprocessing versus cognitive-behavioral therapy for adult posttraumatic stress disorder: systematic review and meta-analysis.[拙訳]大人の心的外傷後ストレス障害用の眼球運動による脱感作と再処理 vs 認知行動療法:システマティックレビューとメタアナリシス」

Posttraumatic stress disorder (PTSD) is a relatively common mental disorder, with an estimated lifetime prevalence of ∼5.7%. Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) and cognitive-behavioral therapy (CBT) are the most often studied and most effective psychotherapies for PTSD. However, evidence is inadequate to conclude which treatment is superior. Therefore, we conducted a meta-analysis to confirm the effectiveness of EMDR compared to CBT for adult PTSD. We searched Medline, PubMed, Ebsco, Proquest, and Cochrane (1989-2013) to identify relevant randomized control trials comparing EMDR and CBT for PTSD. We included 11 studies (N = 424). Although all the studies had methodological limitations, meta-analyses for total PTSD scores revealed that EMDR was slightly superior to CBT. Cumulative meta-analysis confirmed this and a meta-analysis for subscale scores of PTSD symptoms indicated that EMDR was better for decreased intrusion and arousal severity compared to CBT. Avoidance was not significantly different between groups. EMDR may be more suitable than CBT for PTSD patients with prominent intrusion or arousal symptoms. However, the limited number and poor quality of the original studies included suggest caution when drawing final conclusions.


[拙訳]
心的外傷後ストレス障害(PTSD)は比較的一般的な精神障害であり、推定生涯罹患率 ~5.7%を有する。眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)と認知行動療法(CBT)は、最もよく研​​究され、最も効果的な PTSD の心理療法である。しかしながら、どちらの治療法が優れているのかを結論づけるエビデンスは不十分である。従って、成人 PTSD のための CBT と比較した EMDR の有効性を確認するためのメタアナリシスを我々は実施した。 PTSD に対する EMDR と CBT とを比較する適切なランダム化比較試験を同定するために、Medline、PubMed、Ebsco、Proquest、Cochrane(1989-2013)を我々は検索した。我々は11の研究(N = 424)を含めた。全ての研究に方法論上の限界があったが、全 PTSD スコアのメタアナリシスは、EMDR は CBT よりわずかに優れていることを明らかにした。累積的なメタアナリシスによりこれが確認され、PTSD 症状のサブスケールスコアのメタアナリシスは、CBT と比較して、EMDR が侵入及び覚醒の重症度低下のために良好であることが示された。回避はグループ間で有意差はなかった。 顕著な侵入又は覚醒症状を伴う PTSD 患者に対して、EMDR は CBT よりも適切であるかもしれない。しかしながら、含めたオリジナル研究の限られた数と質の悪さは、最終的な結論を出す際に注意が必要であることを示唆する。

注:引用中の「N = 424」は人数を示します。

③「Effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) treatment in chronic pain patients: a systematic review.[拙訳]慢性疼痛患者における眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)治療:システマティックレビュー」

OBJECTIVE:
This study systematically reviewed the evidence regarding the effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) therapy for treating chronic pain.

DESIGN:
Systematic review.

METHODS:
We screened MEDLINE, EMBASE, the Cochrane Library, CINHAL Plus, Web of Science, PsycINFO, PSYNDEX, the Francine Shapiro Library, and citations of original studies and reviews. All studies using EMDR for treating chronic pain were eligible for inclusion in the present study. The main outcomes were pain intensity, disability, and negative mood (depression and anxiety). The effects were described as standardized mean differences.

RESULTS:
Two controlled trials with a total of 80 subjects and 10 observational studies with 116 subjects met the inclusion criteria. All of these studies assessed pain intensity. In addition, five studies measured disability, eight studies depression, and five studies anxiety. Controlled trials demonstrated significant improvements in pain intensity with high effect sizes (Hedges' g: -6.87 [95% confidence interval (CI95): -8.51, -5.23] and -1.12 [CI95 : -1.82, -0.42]). The pretreatment/posttreatment effect size calculations of the observational studies revealed that the effect sizes varied considerably, ranging from Hedges' g values of -0.24 (CI95 : -0.88, 0.40) to -5.86 (CI95 : -10.12, -1.60) for reductions in pain intensity, -0.34 (CI95 : -1.27, 0.59) to -3.69 (CI95 : -24.66, 17.28) for improvements in disability, -0.57 (CI95 : -1.47, 0.32) to -1.47 (CI95 : -3.18, 0.25) for improvements in depressive symptoms, and -0.59 (CI95 : -1.05, 0.13) to -1.10 (CI95 : -2.68, 0.48) for anxiety. Follow-up assessments showed maintained improvements. No adverse events were reported.

CONCLUSIONS:
Although the results of our study suggest that EMDR may be a safe and promising treatment option in chronic pain conditions, the small number of high-quality studies leads to insufficient evidence for definite treatment recommendations.


[拙訳]
目的:
この研究では、慢性疼痛治療​​のための眼球運動脱感作および再処理(EMDR)療法の効果に関するエビデンスをシステマティックにレビューした。

設計:
システマティックレビュー。

方法:
MEDLINE、EMBASE、Cochraneライブラリー、CINHAL Plus、Web of Science、PsycINFO、PSYNDEX、Francine Shapiroライブラリー、及びオリジナル研究とレビューの引用から我々は選定した。慢性疼痛の治療に EMDR を使用した全ての試験は、本試験における包含に適格であった。主なアウトカムは、痛みの強さ、障害(disability)、及びネガティブな気分(抑うつと不安)であった。効果は、標準化された平均差として記述された。

結果:
全部で80人の被験者を伴う2つの対照試験及び116人の被験者を伴う10の観察試験が、包含基準を満足した。これらの研究の全てが痛みの強さを評価した。加えて、5つの研究が障害を、8つが抑うつを、5つが不安をそれぞれ測定した。対照研究は高い効果量を伴う痛みの強さにおいて有意な改善を実証した(Hedges 'g:-6.87 [95%信頼区間(CI95):-8.51、5.23]及び -1.12 [CI95:-1.82、-0.42])。で有意な改善を示した。観察研究の治療前/治療後の効果量の計算で、かなり変化することが明らかになった。Hedges 'g は痛みの強さの減少に対し、-0.24(CI95:-0.88、0.40)~ -5.86(CI95:-10.12、-1.60)、障害の改善に対し、-0.34(CI95:-1.27、0.59)~ -3.69(CI95:-24.66、17.28)、抑うつ症状の改善に対し、-0.57(CI95:-1.47、0.32)~ -1.47(CI95:-3.18、0.25)及び不安に対し、-0.59(CI95:-1.05、0.13)~ -1.10(CI95:-2.68、0.48)であった。フォローアップ評価は改善の維持を示した。有害事象は報告されなかった。

結論:
我々の研究の結果は、EMDR が慢性疼痛状態において安全かつ有望な治療選択肢であるかもしれないことを示唆するが、高品質の研究が少ないことは、明確な治療法の推奨のための不十分な証拠という結果につながる。

注:i) 引用中の「Hedges 'g」及び「効果量」については、共に例えば次の pdfファイルを参照して下さい。 「効果量」 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 慢性疼痛とは の「(2)痛みの定義」における記述(P222)を次に引用します。

(2)痛みの定義
「慢性疼痛」について論じるときに、まずは「痛みとは何か」ということを確認しておく必要がある。痛みは国際疼痛学会では「痛みは組織の実質的あるいは潜在的な障害に結びつくか、このような障害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である」と定義されている。これは、痛みが感覚のみならず、不快な情動も含む、感覚と感情の複合的な体験であるということを表している。このことは生物学的観点からも裏付けられる。末梢の侵害受容情報は脊髄、視床と上行し、皮質の体性感覚野にいたり痛みの識別的評価を行う外側系と、島皮質、帯状回、偏桃体を含む広範な領域に投射し痛みの情動的評価を行う内側系に大きくわかれている。痛みに感覚系と情動系の異なる経路があるという認識は、慢性疼痛を考えるときにきわめて重要である(細井 2008)。

注:i) 引用中の「細井 2008」は次の資料です。 【細井昌子(2008)「心因性慢性疼痛」『治療』(特集:慢性疼痛診療ガイド)90 (7), 2063-2072】 ii) 引用中の「痛みに感覚系と情動系の異なる経路がある」に関連する「痛みの認知と情動」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「痛みの認知と情動

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(m)ストレス応答のSAM系について
ストレス応答の生理学的な経路としてHPA系(の iii) 項を参照)は有名です。一方、他の経路であり、闘争-逃走反応(リンク集を参照)を担うSAM系について、丸山総一郎編の本、「ストレス学ハンドブック」(2015年発行)の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-2 生物学的側面(2):生理学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

一方、視床下部-交感神経-副腎髄質を介する経路は、SAM系(sympathetic-adrenal-medullary axis)と呼ばれ、情動刺激または興奮に対して、交感神経系が亢進する攻撃もしくは闘争-逃走反応を担う重要な経路である(図1のSAM系参照)。HPA系に比べると、効果器への指令を交感神経の遠心性線維を介する神経伝達と、副腎髄質からのホルモン分泌による液性伝達の2つのメカニズムが担っており、即時性のストレス応答の基盤となる経路である。HPA系と同様に、大脳皮質もしくは大脳辺縁系で処理された情動興奮は、ストレス応答の司令塔とも言える視床下部の室傍核(PVN)から投射される遠心性の神経線維を伝わり、交感神経の場合は脊髄側角(胸髄および腰髄)、副交感神経の場合は脳幹および仙髄を起始部とする節前線維を介し、いったん各々の神経節(交感神経節および副交感神経節)に入る。交感および副交感神経節は、各支配臓器の近傍に存在しており、そこで節後線維に乗り換えて効果器へ向かう。節後線維の神経終末からは、交感神経の場合はノルアドレナリン、副交感神経の場合はアセチコリンが分泌される。ただし、節前線維の神経終末部では交感・副交感神経ともにアセチルコリンによる神経伝達物質が分泌される。さらに、交感神経系節前線維による支配を受けている副腎髄質では、カテコールアミン類を合成・貯蔵できるクロム親和性細胞が存在しており、これが興奮することによってアドレナリン、ノルアドレナリンの分泌が促進される。副腎髄質から分泌されたアドレナリン、ノルアドレナリンは液性伝達により標的臓器へ運ばれる。
アドレナリンやノルアドレナリンなどのカテコールアミン類の効果器にはα受容体とβ受容体の2種類があるが、それぞれにサブタイプがあって、分布の密度は効果器(標的臓器)の種類や部位によっても大きく異なる。詳細については正書に委ねるとして、基本的にSAM系の興奮は、心拍数(脈拍)の増加、血圧上昇、血糖上昇、発汗、代謝亢進、攻撃または闘争-逃走反応の亢進をきたすと考えられる。アドレナリンおよびノルアドレナリンは、脳、肝臓および腎臓などで即時的に代謝分解され、半減期は約1~3分程度であることが知られている。(後略)

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 ii) この部分の執筆者は喜多村佑里です。 iii) 引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項  iv) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「交感神経系が亢進する」に関連して、「マインドフルネスの実践により、交感神経活動が抑制されること」については、リンク集(用語:「交感神経活動の抑制」)を参照して下さい。加えて、副交感神経が活発になっているリラックス状態*13をもたらすためのリラクセーションについては、例えばここ及び次の pdfファイルやWEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」、「Ⅱ ストレスへの対処」、「パーソナリティ障害を抱えて社会で生きる」の P10~P11 の「身体技法・ストレッチ」、『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の「③解離性障害の治療や対処には、どのようなものがありますか?」項*14

加えて、これらの経路と免疫反応(炎症)の関係について、同本の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-1 生物学的側面(1):生化学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

(前略)HPA系は炎症や免疫等を担う遺伝子群の転写因子である Nuclear Factor κB(NF-κB)に対して抑制的に作用する一方、SAM系はNF-κBを介した Tumor Necrosis Factor-α(TNF-α)や interleukin-1β(IL-1β)の転写を促進させることで、炎症反応を誘導する3)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Inflammation and its discontents: the role of cytokines in the pathophysiology of major depression.」 ii) この部分の執筆者は牟札佳苗です。 iii) 引用中の「SAM系」についてはここを参照して下さい。一方、引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 iv) 引用中の「闘争-逃走反応」については、「リンク集」を参照して下さい。

(n)弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題について
[1] 弁証法的行動療法(DBT)
弁証法的行動療法*15は DBT(Dialectical Behavior Therapy)と略されます。この療法における様々な話題について以下に示します。ちなみに、本項では森田療法に関する記述がしばしば登場しますが、本項の森田療法は主に新しい外来森田療法を指しています。

①徹底的受容と賢明な心
最初の「徹底的受容」(Radical Acceptance、現実をありのままに徹底的に受容することのようです)は、森田療法の文脈における「あるがままに受け入れる」に類似するものであると本エントリ作者は考えます。このスキルは DBT における最難関であるとの意見があります。ちなみに、DBT においては、弁証法的戦略として、受容と変化のバランスをとるようです。この弁証法的戦略については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の「弁証法的行動療法の概要」における記述の一部(P236~P237)を以下に引用します。一方、次の「賢明な心」(Wise Mind)については、a) 貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の マインドフルネス・スキルについて の「(1)3つの心の状態」における記述(P242~P243) b) 林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第3章 安定した「わたし」を取り戻していく治療 の「弁証法的行動療法(DBT)②」における記述の一部(P72) をそれぞれ以下に引用します。ちなみに、この「賢明な心」については、DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、同様な記述(添付資料における P25)があります。

弁証法的行動療法の概要(中略)

DBT には、BPD に対する介入効果を高めるための特徴として、従来の認知行動療法のように変化を重視する一方で、これを犠牲にすることなく同時に(ときには逆説的にもなる)出来事や状況をありのままに徹底的に受容することも重視していることがあげられる(大野 2005)。この相反する、「変化」と「受容」をひとつの治療システムに統合するために、「弁証法」が組み込まれている。弁証法的世界観は、DBT の理論を規定し、実践の基礎となるものである。(後略)

注:i) 引用中の「大野 2005」は、「大野裕総監修(2005)『境界性パーソナリティ障害の治療-弁証法的アプローチ』 JIP 日本心理療法研究所」です。 ii) 引用中の『「変化」と「受容」』に関連する「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害(リンク集を参照)の略です。

(1)3つの心の状態
DBT では、「感情的な心(emotion mind)」「理性的な心(reasonable mind)」「賢い心(wise mind)」の3つの主要な心の状態を提示している(Linehan 1993b)。「感情的な心」とは、精神的に興奮している状態、論理的思考が困難な状態であり、感情が思考や行動に大きく影響を与える状態である。「理性的な心」とは、理性的・論理的に考えることができ、問題解決に向けて冷静に取り組める状態である。「賢い心」とは、「感情的な心」がもたらす情緒的経験と「理性的な心」がもたらす論理的分析のバランスを図り、さらに直感的理解を加えた統合された心の状態である。自分の感情を抑え込んだり切り離したりすることなく、感情と上手に付き合うために、意識して「賢い心」の状態になるように示されている。そして「賢い心」に達するための手段としてマインドフルネス・スキルが提示されている。

注:引用中の「Linehan 1993b」は、「Linehan, M. M. (1993b), Skills Training Manual for Treating Borderline Personality Disorder, Guilford(小野和哉監訳(2007)『弁証法的行動療法実践マニュアル』金剛出版)」です。

弁証法的行動療法(DBT)②(中略)

●「理性の心」とは、知的、合理的な考えや事実に基づいて冷徹に行動する心の状態。
●「感情の心」とは、そのときの感情や気分状態に支配されている心の状態。
●「賢い心」とは、その2つが統合された状態。(中略)

動じない心を持つ
弁証法的行動療法(以下、DBT)では、マインドフルネスという心の状態を達成することが重視されています。(中略)

強い感情に支配されたり、理屈(理性)に偏ったりせず、揺さぶられても動じない、バランスを保つことができる「賢い心」を獲得することにより、自分の感情や苦痛をありのままに見つめて受け入れ、正しい行動を選ぶことができるようになるとされています。(後略)

なお、上記徹底的受容及び/又は受容と変化のバランスをとることに関連するものとして、キリスト教におけるすばらしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り、Serenity Prayer)」のようです。これについて、スティーヴン・マーフィ重松著、坂井純子訳の本、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」(2016年発行)の 第6章 受容(Acceptance) の「平静の祈り」における記述の一部(P212)を次に引用します。

平静の祈り(中略)

そして、受容について教えるキリスト教でもっとも素晴らしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り)」だろう。私の授業でもこの「平静の祈り」を紹介し、受容することと変える勇気の間の密接なつながりについて考察しているのだが、この短い祈りのなかに学生たちは深い叡智を見いだしている。(中略)

(神様
私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そしてふたつのものを 見分ける賢さを)(中略)

「仕方がない」という態度には消極的すぎるという批判が向けられることがあるが、同様に、受容を強調している平静の祈りは、逆境におけるあきらめであるとの印象を受ける人もいる。より行動志向の別のバージョンにはこういうものもある。「父よ、変えるべきものを変える勇気と、どうしようもないものを受け入れる落ち着きと、ふたつを見分ける洞察をわれわれにお与えください」。これは落ち着きをくださいと嘆願するより先に、まず「変える勇気」を求めたものだ。(後略)

注:引用中の「平静の祈り」に関連する、アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)の六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できることについては、ここを参照して下さい。

加えて、上記平静の祈りに似た記述が森田療法の関連本にもあります。北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の『1 「できること」と「できないこと」』における記述(P87~P89)を以下に引用します。ちなみに、『1 「できること」と「できないこと」』はこの章におけるキーワードの第一番目に挙げられたものです。さらに、マインドフルネスの文脈における平静さ(Equanimity)については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の杉浦義典著の文書「マインドフルネスの心理学的基礎」の 体験への態度 の「(4)平静さ(Equanimity)」における記述の一部(P106~P107)を以下に引用します。

1 「できること」と「できないこと」
人には誰でも、「できること」と「できないこと」があります。
まずこう考えることが、人の苦悩を理解し、介入するための基本となります。自分自身の悩みについても同じです。物事に悩む人は「できないこと」を何とかしようとして悪戦苦闘し、「できること」がおろそかになっているのです。
私たちが、何かに悩んでいるときのことを考えてみましょう。
悩んでいるときには、自分の 「できること」に注意を払わなくなってしまいます。
そして、次のような事柄を、自ら何とかできる、あるいは何とかしたいと考えるのではないでしょうか。
たとえば、体や心の反応、苦しい・つらいという感情、考えや思い、まわりの出来事、他人のすること……。
それらを「できること」と考え、何とかしようとすればするほど、じつは、袋小路に入り込んでいき、「苦」はつのります。幻を追い求めて狩りに出るようなものです。
そこで、発想の転換を森田療法では促します。「できないこと」をありのままに受け入れて、「できること」に注目し、それに取り組み、没頭することが問題の解決の鍵となるのです。
では「できること」とはどのようなものでしょうか。まずは「できないこと」と「できること」を見分ける力を養うことです。それには、今までの考え方にとらわれない柔軟な発想を必要とします。その手助けをするのが、本書の目的でもあります。次には、悩みを持ちながら、「できること」すなわち現実の世界に直接踏み出し、目の前のことに取り組むこと、そこでの目的を達成するために工夫をすることです。
そして素直な何かをしたいという心の動きを感じ取り、それに乗って動いていくことです。これが後に述べる、森田療法の重要なキーワード、生の欲望を発見し、それを発揮することにつながります。それが悩んでいるあなた自身の個性的な生き方ともなるのです。

注:引用中の「生の欲望」については、次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワードの「生の欲望」項

(4)平静さ(Equanimity)
Desbordes et al.(2014)は、マインドフルネス瞑想の結果として得られる心理的態度として、Equanimity というものを提唱した。Equanimity とは和訳すると平静さということになるが、マインドフルネスの文脈でいわれる平静さとは、「すべての経験や出来事に対して、その情動価や由来を問わすに等しく心にとめる心理状態あるいは特性(Desbordes et al. 2014, p357)」である。経験したこと、つまり、見えたこと聞こえたことを見つめ、しかしそれらに対する情動的な反応にはとらわれない態度である。(後略)

注:i) 引用中の「Desbordes et al.」は次の論文です。 「Moving beyond Mindfulness: Defining Equanimity as an Outcome Measure in Meditation and Contemplative Research.」 ii) 引用中の「情動価」は快、不快の軸を有し、中性もあるようです。この快、不快については、次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

ちなみに、本の同章においては森田療法及び受容を中心とするセラピーについても言及しています。参考までに前者における記述の一部(P217~P219)及び後者における記述の一部(P223~P224)をそれぞれ以下に引用します。

森田療法

人間の本質を受け入れる重要性について教えてくれる偉大な人物のひとりが、東京慈恵会医科大学の精神科医であった森田正馬だ。彼の指導には彼が個人的に受けた禅のトレーニングの影響が見られる。森田はフロイトやユングと同世代だったが、まったく異なる発想を持った人物で、自分本来の性質を受け入れることが治療には不可欠なステップだと考えた。自分を変えようとするより、むしろ性質に自然に従うべきだというのである。
森田は、何度でも戻ってきては自分の心をかき乱す思いを抑えつけ、理性によって排除しようとしても、かえってその思いを強めることになったり、それに敏感になったりするだけだと考えた。人生や性格には意思の力ではどうしても変えられない事実があると認めさえすれば、その事実を尊重して受け入れることができ、平穏な気持ちでいられるという。私たちがすべきことは痛みに耐えながら自分にできることをすることで、しつこい嫌な思いや症状を必死に取り除こうとする行為に足を止められることではない。回復に必要なのは強い意志によって症状を追い払うことではなく、自然な回復を妨げないことだと森田は考えた。
森田は次の行動によって自己承認、効果的な生活、自己実現へといたる方法を教えている。

・自分ができることを知ること
・状況が求めているものを知ること
・そしてふたつがどう関係しているかを知ること

森田はマインドフルネスを磨いて、コントロール可能なものと不可能なものを知り、期待しすぎることなく現実を見ることで、人の気質を発達させることができると教えた。現実がその瞬間にもたらすものに注意を向け、今に集中し、知的分析は避けるべきである。「仕方がない」という考え方と同じように、現実を受け入れてしまえば、すべきことに積極的に反応できるようになるというのである。平静の祈りが伝えるように、コントロールできることとできないことを区別するのがきわめて重要なのである。
西洋の心理セラピーでは、症状、恐れ、願望を減らそうとするものがほとんどである。これにたいし森田は、症状や感情に立ち向かおうとするがために、建設的な行動が止まってしまうことのないようにと教えている。人の気質を発達させるのはその振る舞いである。勇気を奮い起こし、不安定な感情の流れに影響されるよりも、目的に即した決定をして自ら行動すること、それが人の気質を発達させるというのである。
森田療法は、何かをなさせる「行動の心理学」だ。その力は、物事をあるがままに受け入れる難しさに立ち向かうことからもたらされる。
私たちは意思の力によって外部状況をコントロールしようとしがちである。もちろん、それがうまくいくこともあるが、いつもそうとはかぎらない。他の誰かや、自分についての人々の意見、相手の感情、誰かの行動などをついコントロールしようとしてしまうのだが、この努力のせいで厄介な状況に陥ることも多い。
人生はいつでも自分の望むようになるわけではないことを知り、現実をただそのまま受け入れられるようになることが大切である。(後略)

注:i) 引用中の「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「あるがまま」については、例えば次のWEBページ及び資料を参照した方が良いかもしれません。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「あるがまま(自然服従)とは」項、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項 iii) 引用中の「森田療法」、「あるがまま」及び「マインドフルネス」に関連した資料は次を参照して下さい。 「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」 加えて、外来森田療法の技法については次の資料を参照して下さい。 「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」 iv) 引用中の「症状や感情に立ち向かおうとする」に関連する「とらわれ」については、例えば、資料「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の【森田の“とらわれとあるがまま” 】項と【高良・新福の“とらわれとあるがまま” 】項、「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項、及び「森田療法の今日性」の「森田療法の基本的理論」項を参照して下さい。 v) 引用中の「行動の心理学」に関連する内容が、例えば、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「5. 治療プロセス」項に示されていると本エントリ作者は考えます。 vi) ちなみに、引用中の「物事をあるがままに受け入れる」とマインドフルネスに関連する、「物事をあるがままに見る」については、本の 第1章 念(Mindfulness) の「マインドフルネスとは何か」における記述の一部(P39~P40)を次に引用します。

マインドフルネスとは何か(中略)

マインドフルネスを考えるひとつの簡単な方法が次のABCである。

A=Awareness(アウェアネス、気づき)。自分が考えていること、していることをもっと意識できるようになること。自分の心や体の中で起きていること、自分の思い、感情、感覚を認識すること。
B=Being(存在すること)。価値判断や自己批判、そして何かを絶えずしていなければならないという考えを一時的にやめて、ただ自分の経験とともにあること。
C=Clarity(明瞭さ)。なんであれ自分の生活で起こりつつあることに注意を向けて、はっきりと眺めること。自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること。

注:i) 引用中の「Being」に関連する「Being Mode」については、ここにおける「buffered mode」の脚注を参照してください。 ii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連して、仏教や禅では「如実知見」(例えば、次項及び資料の P12 参照)又は「柳は緑、花は紅」という言葉があり、これはとても重要なこととされているようです。一方、森田療法の創始者である森田正馬氏は「あるがまま」に関連して、上記「柳は緑、花は紅」を引用しています。資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の 3. とらわれとあるがまま の「2) あるがままの二面性と介入方法」項を参照して下さい。加えて、アクセプタンス&コミットメント・セラピーをベースにした、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P196)として、「観察する自己」において「物事をあるがままにみる」ことが次に引用(『 』内)するように記述されています。 『観察する自己は、価値判断、批判、あるいは現実との戦いを引き起こすその他の思考プロセスを行うことなく、物事をあるがままに見る。それは真実の、純粋なアクセプタンスの形である。』 注:引用中の「観察する自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項 iii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連する、「現実をありのままに見る(如実知見する)」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「物事を俯瞰して客観的にとらえる」について、熊野宏昭、伊藤絵美、NHKスペシャル取材班監修の本、『「キラーストレス」から心と体を守る! マインドフルネス&コーピング実践CDブック』(2017年発行)の マインドフルネス瞑想 4 の「マインドフルネス瞑想が目指す心のあり方」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『この瞑想では、注意を一点に向けるのではなくあちこちに分割し、いろいろなものに対して同時に気を配り、感じ取る練習をしました。全体に気を配って同時に感じ続けていると、ほかのことを考える余裕がなくなってしまいます。そうすると「自分が、自分が」という思考がつくり出す怒りや不安といった思考(雑念)も、小さくなって残らなくなるでしょう。日常生活でも、このように物事を俯瞰して客観的にとらえることができれば、だいたいのことは小さなとるに足らないことと思えたり、ほかにも解決策や考え方があることに気づいたり、心に余裕が生まれたりするものです。自分の思考は単なる思考にすぎず、現実の出来事ではないことにも気づくでしょう。』 注:引用中の「この瞑想」は「ヴィパッサナー瞑想」のことのようです。例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項 iv) 引用中の「自分が望むように」と「物事を見ること」を組み合わせた「自分が望むように物事を見ること」に関連する「確証バイアス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

受容を中心とするセラピー

受容は日本では重視されているが、アメリカのような個人主義社会に暮らす人々にはおそらくもっと必要とされるものだ。実際、西洋の療法はこれまで受容を基盤に発達してきた。
カール・ロジャーズは「興味深いパラドックスだが、あるがままの自分を受け入れることができた時にこそ、私は変わることができる」と述べている。彼はまた、相手を治療したり変えようとしたりするのではなく、「どうすればこの人の成長に役立つ関係を提供できるだろうか」だけを問い、相手を受け入れようとした。そして、無条件の肯定的関心とは、判断を差し挟まずに相手を受け入れ尊ぶこと、話を遮ったり助言を与えたりせず熱心に耳を傾けることだと説明した。
森田やロジャーズとも類似点が認められる、その現代西洋版がある。「アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)」と呼ばれるものだ。受容とマインドフルネスという手法を用いて、自分の私的な思いや感情、特に望まない思いにただ気づき、受け入れ、自分の一部と認めることを教えるものだ。多くのセラピーでは自分の思い、感情、感覚、記憶をよりうまくコントロールすることを教えるが、ACTのコアとなる考えとは次のようなものだ。
「通常、精神的苦痛の原因となるのは、体験の回避、認知的混同、それらの結果生じて自分のコアたる価値に沿った行動をとれなくさせる心理的硬直状態である」(後略)

注:i) この引用部の後に、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおけるFEARやACT(Acceptance、Choose、Take action)の説明があります。これについての引用は省略しますが、ACTを紹介する次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」 加えて、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおける様々な話題についてはここを参照して下さい。ちなみに、 a) ACT(Acceptance and Commitment Therapy)の正式な日本語訳は「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」であると本エントリ作者は考えます。 b) 引用中の「認知的混同」は、ACTの文脈では「認知的フュージョン」と呼ぶ方がより適切であると本エントリ作者は考えます。「認知的フュージョン」についてはリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

②承認
承認(validation)について、林直樹・松本俊彦・野村俊明編の本、「これからの対人援助を考える 暮らしの中の心理臨床 パーソナリティ障害」(2016年発行)の 第Ⅱ部 理論編 の 4 弁証法的行動療法 の「1)DBT の概要」における記述の一部(P175~P179)を次に引用します。この引用は「1 ●生物社会理論」と「2 ●承認戦略」の部分を対象とします。

1 ●生物社会理論
リネハンは境界性パーソナリティ障害の特徴を感情調節不全と捉え、その原因を理解するために生物社会理論を展開している。生物学的に感情反応をしやすい傾向のある個人が、社会的環境から非承認される経験を繰り返すことで すべてとはいかなくとも、多くの感情の調節が困難(広範的感情調節困難)になってしまうという考え方である。
遺伝やトラウマなどによって引き起こされると考えられる感情調節の生物学的困難は、刺激に対しての過度の敏感さ(感情反応の頻度)、感情的に反応した際の反応の度合いの強さ(強度)、そして感情反応が収束するまでにかかる時間の長さ(持続度)として操作的に定義される。強い感情反応は、本人にとって苦痛な体験になる。苦痛な感情反応に対して、感情失禁、怒りの爆発、自傷、引きこもりなどさまざまな対処策をとるが、それに対して他者、特に親などのケアをするものから、「非承認」、すなわち「そのような反応は理にかなっていない、理解、受容できないというメッセージ」が返ってくることが多い。そのようなメッセージは、感情的に傷つきやすい者にとっては、なお一層苦痛を伴う感情反応を起こす刺激となる。
そのような相互関係を繰り返すことにより、患者白身が周囲の非承認的反応を内在化し、自分を非承認するようになり、なおいっそう、感情的傷つきやすさが強化される。そのために、そのような感情反応性を持たずに理解しにくい立場にいる治療者や家族は、患者の感情的反応性に当惑し圧倒されることが多く、患者白身も自分の感情反応性に圧倒されるだけでなく、他者からの「理解できない」という反応も圧倒的な辛さを伴う感情反応をさらに強めてしまう、というものである。

2 ●承認戦略
生物社会理論から、治療者のとるべきアプローチは非承認に相対する承認だと考えられる。リネハンは承認を「セラピストが患者に対して、患者の反応は現在の生活の状況において当然のことであり、理解可能なものだと伝えることである」と定義している。
また、リネハンはロジャース(Rogers, C.)の「相手の内的準拠枠を正確に、そして感情的部分も含蓄される意味も、あたかも相手であるかのように、しかしこのあたかもという条件を失わずに認識すること」(筆者訳)という共感の定義を引用して、承認と共感の違いを論じている。そのように定義された共感に対して、承認は柏手を観て相手から聴いたこと、そして相手の反応と行動のパターンには本質的こ妥当性を持っていることを言葉または反応で伝えることである。患者の内的準拠枠を「あたかも」ではなく、相手が実際に体験していることを真に理解し、そしてそこから初めて、セラピストは先入観を捨てた観察者としてその体験の妥当性、正当性、有効性を査定し始める。そして相手の反応が、相手の最終的な目的に進むために効果的である可能性があることを、事実に即して、または推論、または専門性を通して査定して、妥当性があると伝えることが承認である。精神療法における承認はセラピストの患者との交流の中で、その時その時で共感を実行する能力が前提となる。従って、「臨床的承認のために共感は必要であるが、それだけでは十分ではない」と主張している。
共感と承認のこのような違いについて例を挙げてみよう。遷延性うつ病の患者が、治療者に自分の情けない状態と感情的苦しさを訴え、「今日も治療に来るのを何度やめようかと思うほど、やる気が出ないだめな自分」だと自責的に訴えるのに対しての共感的対応は、患者の困難な状態、感情、やる気のなさを受容的に言語化することではないかと思われる。それに対して、共感的側面に加えて、それほどやる気が出ない中で、どのような気持ち、考え、そして行為の経過を通して治療の場にたどり着いたかについても仔細に聴き、患者なりに症状が改善する方向に向けて努力していることを、事実に即して伝えることが承認と言えよう。

注:i) 引用中の文献番号の記述を省略しています。 ii) この引用部の著者は遊佐安一郎です。

③いま・ここ
弁証法的行動療法(DBT)における「いま・ここ(現在)」に関連して、次の DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」についての資料を参照して下さい。つまり、報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料における P26 中のアランの名言を抜き出し次に引用します。

われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。

標記「いま・ここ」に相当する、アクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける「今・ここ」については、ここを参照して下さい。加えて、この引用と類似点がある記述が森田療法の関連本にもあります。これについては、北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の「10 感情と感情の法則」における記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

(前略)禅宗の開祖、達磨大師の言葉に「前に謀らず、後ろに慮らず」というものがあります。森田自身が、とらわれた人たちへの比喩として使う言葉です。(中略)

悩んだときには、私たちは、過去を後悔し(前に謀らず)、先々のことをあれこれ考え過ぎ、取り越し苦労します(後ろに慮らず)。そして「今ここで」生きることへの注意は、すっぽり抜け落ちてしまいます。
大事なのは、そのときどき、いま生きている生活世界に注意を向け、素直な生きる力に乗ってす~っと生きることです。そのような心のあり方が、心の持ちようを変えていきます。(後略)

[2] アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)
最初に、標記ACT(Acceptance and Commitment Therapy)を簡単に紹介する資料(ここを参照)をはじめとして、ACTと森田療法との比較も含む資料を次に紹介します。 「ACTとは何か」 b) ACTとマインドフルネスとの比較も含む資料を次に紹介します。 「ストレス症状低減と生産性向上のためのセルフケア -マインドフルネスとアクセプタンスに基づく教育-

①ACTの基本原理及びコンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)
最初にACTの基本原理について、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第33章 自分ができることに集中しよう」における記述の一部(P273~P277)を次に引用します。

(前略)ACTの基本原理を要約しておこう。
1. 脱フュージョン――思考、イメージ、記憶をあるがままに、単なる言葉と映像として認識し、それらと戦ったり逃げたり、値する以上の注意を向けたりすることなしに、現れるまま、去るがままにさせる。
2. 拡張――感情、感覚、衝動などに居場所を作ってやり、それと戦ったり逃げたり、過度に注目したりせず、来て去っていくがままにさせる。
3. 接続(つながる)――心を開き、興味を持ち、受容の心をもって「今・ここ」での経験に一〇〇パーセント注意を向ける。自分が現在していることに完全に集中・没頭する。
4. 観察する自己――自分の中の超越的な部分であり、困難な思考や感情を、それらに傷つけられることなしに観察できる視点を持つ。自分の中で決して変わらない部分、ずっと存在し続け、決して傷つけられることのない部分。それは肉体的な存在ではない「完全なる気づき」である。
5. 価値の確認――自分にとって一番大切なものを明確化する。どんな人間になりたいか、何が重要で意味があり、自分が人生で支持するものは何か。
6. 目標に向かっての行動――自分の価値と一致した効果的な行動をする(何度道から外れようと気にしない)。

これら六つの基本原理はACTの公式に上手にまとめられている。

A=思考と感情を受け入れ、現在に生きる。
C=自分の価値とつながる。
T=効果的な行動をする。

六つの基本原理に沿って生きるほど、人生はより充実し、多くをもたらしてくれる。だが私がそう言うからといって鵜呑みにしてはいけない。まず自分でやってみて、その経験を信じるのた。これらの基本原理がうまく働き、豊かで充足した人生を得られれば、それを完全に受け入れることは意味がある。(中略)

どう生きるかの選択はあなたに任されている。六つの基本原則によって多くの人が人生をより良く変える体験をしているとはいえ、それは聖書の十戒とは違う。自分が選択した時だけ行い、常に人生を豊かに満たし、意義あるものにしたいという思いを持ち続けよう。だがそれを、常に守るべき絶対のルールにしてはいけない。(中略)

■人生の様々な局面でACTを使ってみる(中略)

ACTの六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できる。(後略)

注:i) 引用中の「ACTの公式」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「FEARからFEELを経てACTへ」項 加えて、同章の「■行き詰まったら」項において、行き詰まりの要因としてのFEARが示されています。これについては、上記資料の同項を参照して下さい。 ii) 引用中の「拡張」は、本の第3章の P44~P45 に説明があり、次に引用(『 』内)します。 『不快な感情や感覚を抑圧したり追い出したりしようとせず、それらのために居場所を作ってやる。そうした感情に心を開きスペースを作ってやると、あなたを悩ます力はずっと弱くなり、心に留まってあなたを苦しめることなく、すぐに去ってしまうようになる(ACTではこれを「アクセプタンス=受容」と呼ぶが、それは多くの別の意味を持っており、非常に誤解されやすいためこの言葉を使った)。』 ちなみに、この引用中の「受容」については、ここここ及びここを参照して下さい。 iii) 引用中の「平静の祈り」については、例えばここを参照して下さい。 iv) 引用中の「脱フュージョン」については、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 v) 引用中の「観察する自己」と「自己認識」との関連を示す記述を、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P195)を次に引用(『 』部)します。 『観察する自己なしに、自己認識というものはあり得ないのだ。』 注:引用中の「自己認識」と関連する「メタ認知」については次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法」の「メタ認知への注目」項 加えて、これに関連する「観察者としての自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 vi) ちなみに、本の「はじめに」(この部分の著者はACTの創始者であるスティーブン・C・ヘイズ博士です)において、次に引用する(『 』内)ACTが教えるものの記述(P8)があります。 『ACTでは幸福になる方法を教えるかわりに、抵抗や回避、現在の瞬間に生きていないなどのマイナス行動を弱める手段を教える。』

次に、コンプリヘンシブ・ディスタンシングを主とした、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかについて、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第四章 言葉の世界全体から距離を取る の「言葉の世界全体から距離を取るとは」における記述(P127~P129)を次に引用します。

言葉の世界全体から距離を取るとは

もう一つ面白い方法は、図14の下から二番目に載っているものですが、自分が色々考え込んでいると気づいた時に、自分の思考内容の最後に「~と考えた」という言葉をつけることです。「俺って皆に嫌われているのかな、と考えた」、「だって、話しかけてくれる人もいないしな、と考えた」という具合です。この練習を数分間続けていると、考えていることと現実は別だということが実感されてきて、フュージョンから抜けることができます。
これまで述べてきたようなことを理解はしていても、われわれの心は相変わらずどうしようもないことを考え続けます。それは私的出来事も行動であり、われわれの自由にはならないからなのですが、そこで、同図の四番目にある「とても面白い考えを思いついてくれてありがとう」と自分の心に言ってみるというのも、うまい方法だと思います。
これと同じような方法で、ある患者さんが考え出したものとして、「よきにはからえ」と心に言ってあげる、というのがありました。自分の考えや気持ちに振り回されることが少なくなりそうで、なかなかいいですよね。
上記のさまざまな方法を使うことで、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかということについて、わが国における関係フレーム理論やACTの第一人者である同志社大学の武藤崇39)が「コンプリヘンシブ・ディスタンシング」という説明をしていたのが印象的でした。つまり言葉の世界全体から距離を取って、言葉によって作り上げられた世界の脱構築を図ることが狙いになるというわけです。
それが、二千六百年前にブッダがマインドフルネス瞑想によってたどり着いた「思考が生まれる以前の世界」とかなり近いものに思えるのは、私だけではないと思います。

注:i) 引用中の「図14」の引用は省略します。ただし、図14の下から二番目の記述を次に抜き出し引用します(『 』内)。 『・自分の認知過程にラベル付けをしてみる(例:いま私は、「自分が完璧じゃないといけない」と考えている)。』 ii) 引用中の「39)」は『熊野宏昭、武藤崇、原井宏明、神村栄一、丹野義彦.座談会「ACTとは何か?」、こころのりんしょう à la carte、二八巻一号:六一-七六頁、二〇〇九年』です。 iii) 引用中の「~と考えた」については、例えばここを参照して下さい。 iv) 引用中の「フュージョンから抜ける」一手法かもしれない、『すべてを「ふーん、そうなんだ」と受け止める』については、ここを参照して下さい。 v) 引用中の「フュージョンから抜ける」に関連する「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vi) 引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 注:ちなみに、この理論に基づいて構成された認知行動療法が、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(リンク集参照)です。

②ACTモデルで見るマインドレスな状態
標記について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の マインドフルネスとACT の「臨床から定義するマインドレスな状態」における記述の一部(P042~P045)及び「◎体験の回避」と「◎認知的フュージョン」における記述(P045~P048)を次に引用します。

臨床から定義するマインドレスな状態(中略)

ACTモデルで見るマインドレスな状態(中略)図3(中略)

以下の四つの行動パターンの頻度が高まった状態。
・体験の回避:苦痛な思考や感情を回避する行動
・認知的フュージョン:思考と現実や自己を混同する行動
・過去と未来の優位:時間概念と「現実」を混同する行動
・概念化された自己:自己概念と「自己」を混同する行動(中略)

まずはマインドフルネスな状態の逆の「マインドレス」な状態をみてみましょう。図3ではマインドレスな状態の特徴というのが下側に書いてあり、その四つの行動パターンの頻度が高まった状態だといえます。

◎体験の回避
このマインドレスな四つの行動パターンのなかでも、「体験の回避」と「認知的フュージョン」、この二つが非常に重要です。体験の回避というのは、嫌なことを感じないでおこう、忘れてしまおう、といった行動のことです。誰でもこういったことはやりますよね。だって腹を立てたくないですし、不安になりたくないですし、落ち込みたくないですし、痛くなんてなりたくないですからね。不安になったら、とにかく不安を早く治めたい、落ち込んだら、なるべく早く元気になりたい。本日おいでの方の中には、もちろん患者さんも大勢いらっしゃいますので、不安が問題でそれを治しに来た方、うつが問題でそれを治しに来た方も大勢いらっしゃると思います。でも、そうやって不安をなくそうとすればするほど、逆に不安が気になる。なんとか落ち込まないようにしようとすればするほど、逆にそこから抜け出せなくなる。そういった経験は、皆さんもあるのではないかなと思います。
このとき、実際に役に立つのは「もう、不安なら不安でもいいよ」とか、「落ち込むのなら、落ち込んだっていいじゃないか」という考え方です。むしろ問題なのは、「この先もっとひどいことになるぞ」と思って、逃げ続けることなんですね。「この不安になりそうな状況に突っ込んでいったら、もう大変なことになって、周りの人に迷惑をかけて、自分もすごく恥ずかしい思いをして、もうどうしようもなくなって、何もコントロールできなくなってしまう。だから、やめておこう」。そんなふうに考えて、逃げてしまうことです。
でも、実際にそういうことが起こるかどうかは、わからないわけです。「もう、不安になるなら、なってもいいよ」と実際にやってみる。「なったらなったで、しばらく待っていれば治まるから」、そんなふうに思って、むしろ不安に向かっていく。そうやってみると、思っていたほど大変なことにはならないことが、非常によく起こります。
そういったことを何度も何度も経験していくと、また「大変だ」と不安が湧き出てきても、「そうかな。これまでのことを考えてみると、思っていたほど大変にならないというパターンが一番多かったな。それじゃあ、もうちょっと様子を見てみようか」といった行動をとれるようになっていきます。

◎認知的フュージョン
今の話に「思っていたほど」というフレーズが出てきました。この「思っていたほど」に関係するのか、認知的フュージョンです。先ほど、考えたことがバーチャルな現実をつくり出して、そっちが本当に思えてしまう、というお話しをしました。それは思考と現実を混同する行動といえます。でも、さらに説明すると、そこで混同されているものかもう一つあります。
我々は自分に対しても、「自分はこういう人間だ」、「自分はこれが得意だ」、「これは苦手」、「こういう人と一緒にいたい」、「こういう人とは一緒にいられない」……そのように様々なことを思い込んでいます。本当に自分がそうなのか、そうでないのかわかりませんが、我々は自分に対して頭の中でつくり出したイメージを持っています。そうやって頭の中でつくり出した自分のイメージを、自分だと思っているわけです。これは思考と自己を混同する行動です。
このように認知的フュージョンというのは、考えていることと現実を混同したり、考えていることと自分を混同したりする、そういった行動のことをいいます。
これがあるので、「いや、もう地下鉄に乗るなんて絶対に無理」と思ってしまうわけです。「こんな落ち込んでいたら、何もできない。もうちょっと元気にならないと、とても仕事に戻れない」、そんなふうに思って行動の回避をしてしまうわけです。「これ以上つらいことなんか、もう嫌だ。もう家にずっといよう」。「この前のような怖い思いなんて、もう二度としたくない。もう二度と飛行機なんか乗らないほうがいい、乗らないでおこう」。こうして体験の回避をしてしまうのです。

「体験の回避」は、「体験」と付いているのが特徴です。誰かと話をするとか、乗り物に乗るといった状況だけでなく、そこで体験したハラハラした感じ、救いようがない落ち込んだ感じ、痛くて痛くてたまらないような感じ、そういったことが怖いのです。「あのような体験は、もう二度とイヤだ。もう、感じないでおこう」と、心を閉じてしまうわけです。このように体験を回避すると、現実が感じられなくなるのは当たり前ですよね。
ですから、この認知的フュージョンを起こすことで、思考は現実を遮断する効果をもつわけです。考えることでバーチャルな世界がつくり出されて、現実との接点が失われる。ですから考えることは体験の回避をする場合には、もってこいなんです。考えていれば、本当の現実を感じなくてすむわけですからね。

注:i) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「考えることでバーチャルな世界がつくり出されて」に関連する、 a) 「バーチャルな現実によるコントロール」については他の拙エントリのここを、 b) 「言葉というのは、バーチャルな現実をつくり出す」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

③ACTモデルで見るマインドフルな状態
最初に、マインドフルの一部である「心を閉じない、飲み込まれない」について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンスと脱フュージョン の「心を閉じない、飲み込まれない」における記述の一部(P053~P055)を次に引用します。

体験の回避の逆は「アクセプタンス」です。認知的フュージョンの逆の行動は「脱フュージョン」です。このような逆の働きを持った行動を代替行動と呼びます。認知行動療法では、問題のある行動を減らすよりも、その替わりになる行動を増やすという戦略で進めていくことが多いです。体験の回避をやめるのかアクセプタンスなので、この二つはほとんどイコールですが、でもアクセプタンスの中には、そこにしかないような新しい要素も加わっています。
脱フュージョンは、認知的フュージョンをやめることです。認知的フュージョンをやめるのには、考えるのを切り上げればいいわけです。先ほど実践したように、考え続けないで切り上げれば、とりあえず考えの世界から抜けられます。でも、それだけでなくて、もう少し積極的な要素が脱フュージョンの中には入っています。以上をまとめたのが図4です。
私はマインドレスとの関わりで、よく患者さんに「心を閉じない、飲み込まれない、それが大事ですよ」とお伝えしています。「心を閉じない」は、体験の回避をしないこと。「飲み込まれない」は、考えていることに飲み込まれないで、考えているものと現実を区別しましょう、ということです。
心を閉じずに、飲み込まれないで、目の前の現実をきちんと感じ取っていきましょう。これがマインドフルネスの一番簡単な解説かなと思っています。それに、アクセプタンスと、脱フュージョンという名前が付けられているということです。(中略)

ACTモデルで見るマインドフルな状態(中略)図4(中略)

以下の4つの行動クラスの生起頻度が高まった状態。
・アクセプタンス:心を閉じるに開いておく、ゲーティンク機能
・脱フュージョン:考え続けることをいったん止めて、思考と現実を区別する機能
・プロセスとしての自己:現実との接触を促進し、随伴性知覚を高める機能
・場(観察者)としての自己:注意のフォーカスを最大にし、偏りなく現実を捉える機能(後略)

注:i) 引用中の「ゲーティンク機能」に関連した説明には、同本の図5(P058)によると、「自動的に閉じてしまう心の扉を、開けておくことによって、現実との接触(プロセスとしての自己)が始まる」があります。 ii) 引用中の「プロセスとしての自己」について、a) 熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第二章 言葉が自分を作り上げる の「プロセスとしての自己」における記述の一部(P59~P60)を次に引用(『 』内)します。 『このように、今ここでの瞬間ごとに、環境との相互作用に基づいて行動する自分のことを、関係フレーム理論では「プロセスとしての自己」といいますが、その自分を少し離れたところから観察する心の持ち方は、マインドフルネスと呼ばれています。』 注:この引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 b) 加えて、同本の第三章 自分探しとマインドフルネス の「自分の心を他人事のように眺める」における記述の一部(P86)を次に引用(『 』内)します。 『つまり、マインドフルネス瞑想とは、自分の心の動きを他人事のように眺める練習を繰り返すことで、プロセスとしての自己を鍛える方法であるということを示していると考えられそうです。つまり、ブッダが二千六百年前の自分探しプロジェクトで目指したのは、概念としての自己(自分は○○だという思い、自己イメージ、永遠不滅の魂など)を手放し、プロセスとしての自己を強化することであったことが、現在の脳科学研究からも裏づけられているといえるのではないでしょうか。』 注:i) この引用中の「現在の脳科学研究からも裏づけられている」については、同本をお読み下さい。 iii) 引用中の「自分の心の動きを他人事のように眺める」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 iv) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討

加えて、上記「心の扉を開ける」、「脱フュージョン」等について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンス 心の扉を開く の「心を開く」における記述の一部(P056~P059)、「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」における記述(P060~P061)及び「脱フュージョン 距離をおいて観察する」における記述の一部(P062~P065)を次に引用します。

「心を開く」

それぞれ説明していきますと、アクセプタンスというのは「心の扉を開く」といった感じです。でも、我々の心の扉は自動的に閉まります。皆さんも経験があると思いますが、嫌なことになるとピシッと目にも止まらぬ早さで心が閉じます。
私がこれに最初に気がついたのは、心療内科医になって5年ぐらいの頃です。当時、苦手な患者さんがいて、なかなかうまく一緒に治療ができませんでした。私のところに来ると怒り出すとか、泣き出すとか、非常に興奮して責められる。やはり、そういう患者さんが来られると、「また、あの患者さんだ。なんとか今日は無難にすませたい」と思ってしまうんですね。「無難に」って、なんですかね(笑)。「無難に」とは、心を閉じているわけです。もう感じない。なるべく早くお引き取りを願いたい。お引き取り願いたいときには、扉を閉めておいたほうが楽ですよね。扉を開けたら、もうなかなかお引き取りを願えなくなりますので、ピシッと閉じるわけです。
でも、ここでよく考えなくてはいけません。患者さんは私と話をしに来ているわけです。私に困ったことを相談したいし、何か聞きたいと思って来ているわけです。一緒に考えてほしい、助けてほしいと思っている人に対して心の扉を閉じたら、もうむちゃくちゃ失礼ですよね。そうすると患者さんは、「先生は私のことなんかどうでもいいから、そんなことしているんでしょう。開けなさい!」と当然、怒り始めます。
でも、私は何で怒られているのか5年ぐらいわかりませんでした。それが、ある時、ハッと気がついたんですね。「あっ、自分は患者さんの話を聞いていないんだ。そうしたら怒るのは当たり前だよな」と気がついて、その時に何が起こっているか自分の中を眺めてみました。
そうしたら、その患者さんが扉を開けて入って来るという瞬間に、私は心の扉をピシッと、もう一瞬で閉めていました。「あっ、こんなふうになっていたんだ。自分は何も聞かないで、早くお引き取りを願うようにしていたんだ」ということがわかりました。もちろん、それでは治療にはならないし、患者さんには本当に失礼なことをしているわけですし、そもそもプロとしての仕事をしてないことを痛感しました。それで、これからはちゃんと扉を開けておこうと思い、イメージの世界ですけど、ピシッと閉じようとする時に扉に手をかけて、グッと開けるわけです。怖いですよ。皆さんも苦手な人がいると思いますが、苦手な人と話をするときは、あっという間にガーツと心を閉じてしまいますから。

それからは心の扉を開けるように心がけました。そうすると、イメージの世界なので私の妄想だけかもしれませんが、開けていられるようになりました。すると、患者さんのほうも落ち着くようになって、普通に話してくださるようになりました。こちらの気持ちとしては、「なんでも言ってきてください。私はここにいます。怖いけどいますよ」と、そんな感じですね。(中略)

そうしたら、患者さんも最初は怒り始めますが、そのうち「先生、そこにいたんですか」って気づきます。そして、「ああ。先生も真剣に考えてくれているんですね。でも、答えが出ないわけですね。ああ、そうですよね」って言って帰っていかれる。それまでも、私がいい加減だったわけではないのですが、本気に考えてないので、患者さんは本当だったら教えてもらえることを教えくれていないのではないかと、当然感じていたわけです。そこで心を開くことで、私も考えているけどわからないということを、患者さんにも理解していただける。
そういうことを、しばらくしていたら、「先生も大変でしょうけど、頑張ってくださいね」と言って帰られるようになって、「うーん、そうだよな」と思った覚えがあります。そんな感じです。

「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」

このように体験の回避は、自動的に起こります。回避しようと思ってしているわけではありません。これが、とても大事なポイントです。我々の日常生活の中のさまざまな癖は、自動的に起こっています。これはオペラント学習と呼ばれる学習です。何か行動して結果としていいことが伴うと、その行動が繰り返されるように学習されてしまうのですね。これは動物でも成り立つ学習形式です。言葉を使わない学習なので、例えばペットの犬にトイレのしっけをすることもできます。トイレでちゃんとできたときは、うんと褒めてあげる。別の所でしたときは、すぐにパッと叱ってトイレに連れていく。そんなふうにすれば、トイレを覚えられます。これがオペラント学習です。オペラント学習は言葉が関係していないので、自覚していなくても学習されますし、自覚していなくても、それが出てくるんです。
体験の回避はオペラント学習が大部分なので、自覚していなくても自動的に起こります。この自動的に起こるのをどうするかが、マインドフルネスの大きな課題です。
生活の中で自動的に起こってしまっていることが、我々の日常生活を形づくっているのです。うまくいかないことを、無自覚に繰り返してしまっていることをどうするかが、マインドフルネスの大きな目標ということになります。
心をパッと開けることによって、ようやく現実との接触が始まるわけです。パッと開く、そうすると 「ああそうなんだ。こういうことだったんだ」とわかります。対人関係では、よくこういうのはありますね。胸襟を開いて話すとか、腹を割って話すとか。そうすると、「なんだ、そんなことを考えていたのか」と理解できるということです。

「脱フュージョン 距離をおいて観察する」

脱フュージョンは距離をおくわけです。心のモクモクの中に巻き込まれないで、少し距離をおいて観察をします。「今、自分は怒っているんだな」、「今、自分は怖がっているんだな」と距離をおいて、それに巻き込まれない。
資料の図(図6)を見てください。心、感受、身体、外界と書いてありますが、この感受というのは六根で感じ取った直後の心の働きのことです。仏教では五感に思考も含めたものを六根と呼びますが、この思考は自動思考といわれるものです。
我々はフッとした瞬間に、いろいろなことを思いつきますね。向こうから苦手な人が来たら、「あっ、嫌な奴が来たな」と思う。それが自動思考です。そういったものも含めて外界を感じ取ります。
そこで、「あっ、いいな」といった感じが出るか、「あっ、嫌だ」といった感じが起こるか、それとも「どうでもいいや」といった感じか。この好きか、嫌いか、どうでもいいかという三つの感覚が、外界を捉えた途端に起こっていると考えられていて、それが感受というわけです。
たぶん自動思考は自分の私的な環境内の出来事を捉えているのでしょう。そのように環境内の出来事を捉えたときに、フッと動くものまで含めて感受としています。
我々は身体があって、身体の外には外界に広がっています。でも、先ほど話したように、思考や感情の中に巻き込まれていると外界が見えなくなりますので、「ちょっと、外に出ましょうよ」ということですね。これが脱フュージョンといわれる方法です。
例えば反すうとか心配をしているときに、「それって、事実じゃないかも」と気がつくようにしてみる。あるいは、「……と考えた」と付けてみてください。例えば「もう地下鉄なんて5年も乗ってないから、乗れるわけないじゃん……と考えた」と付けてみたりですね、「だって、この前に乗ったときは、ひどい目にあったじゃないか。あんなのは、もう耐えられない……と考えた」と付けてみる。このように「……と考えた、……と考えた」とやっていくうちに、「そうか、これは俺が考えていることだけど、確かに現実はちょっと違うかもしれないな」と思えるようになったら、もうしめたものです。
これを3分間、「……と考えた」とやるのはかなり大変ですよ。3分間まじめにやったら、もう本当に嫌になります。「俺って本当に失敗ぽっかりだよな……と考えた。何やっても、みんな認めてくれないし……と考えた。誰も俺に声をかけてくれないし……と考えた」とやっていると、そのうち嫌になりますよね。そうして「考えているのなら、別の考え方だってできるし、現実は違うかもしれない」と思えてきたら、とりあえず距離をおけたということになります。
これは、自分を、観察者として見ている自分と、観察される側の心や体に区別する練習でもあります。とりあえず、自分の中を二つに分けてみます。この「とりあえず」というのを忘れないでください。これは、とりあえず「見ている自分」と「見られている自分」の二つに、自分を分けてみるとわかりやすいですよ、ということです。
怒っている自分、あるいは何かを一生懸命に考えている自分。これは、見られるほうの自分です。それに対して、自分が怒っていることや、考えていることに気づいている自分、これは見ている自分です。この「見ている自分」と「見られる自分」に分けることができるというのが、脱フュージョンの基本です。

注:i) 引用中の「図6」の引用は省略します。 ii) 引用中の「オペラント学習」については、次の資料を参照して下さい。 「オペラント学習と行動療法」 ちなみに、シックハウス症候群における「オペラント学習」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「五感」は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を指します。 iv) 引用中の「自動思考」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vii) 引用中の「距離をおいて観察する」に関連する「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」について、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第三章 自分探しとマインドフルネス の『「することモード」から「あることモード」へ』における記述(P92~P94)を次に引用します。

「することモード」から「あることモード」へ

もう一つのポイントとして、ティーズデールらが挙げているのが″「することモード」から「あることモード」への切り替え″です。われわれは目が覚めた状態で何か活動している時には、いつもある目標を達成するための行動に駆り立てられています。例えば、今私はなるべく早くこの原稿を書き上げようと一所懸命頑張っている、つまり「することモード」で活動しているわけです。
もちろん、そのこと自体は必要なことですが、目標を達成することだけで頭がいっぱいになってしまうと、自分の心の動きを距離を取って眺めることはできなくなります。そうなるとわれわれは、自分の中の強い感情状態(欲・怒り・迷い)に振り回されることになりがちです。つまり、この仕事ができなければ自分には価値がない、あいつに負けたら自分はもうやっていけない、この会社で出世できなければ自分は終わりだ、などと本気で思ってしまうことになるのです。これは上記のような感情状態と自分とを同一視している状態と言ってよいでしょう。
これまでの研究からも、特にうつ病の人は、自分が成し遂げたもの=自分の価値、と考えがちであることが知られています。そうなると、ちょっとうつ状態が強くなり、その分仕事の能率が少し落ちただけでも、「やっぱり俺はダメだ」と考えてしまいそうですね。そしてそう考えた結果また気分が落ち込むので、さらに仕事の能率が落ちるという悪循環に容易に入ってしまうことになります。
そこで、少し走り続けるのをやめて、自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している、マインドフルネスの状態(=「あることモード」)になってみましょうと提案されるのです。
つまり、「われわれは本来、何も握り締めていない、誰とも戦っていない、どこにも向かっていない……ということを思い出してみる(31)」のです。
それでも自分(=プロセスとしての自分)はここにいますし、むしろ平安な気持ちでいられることに気づくことも少なくありません。その理由は、「あることモード」が、先に挙げた欲・怒り・迷いから離れた心の状態であるからです。

注:i) 引用中の文献番号「(31)」は次の本です。 「熊野宏昭『ストレスに負けない生活』、ちくま新書、二〇〇七年」 ii) 引用中の「することモード」及び「あることモード」については、共にここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「マインドフルな“モード”について」項 iii) 引用中の「プロセスとしての自分」に関連する「プロセスとしての自己」については、リンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 v) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。

(o)マインドフルネスに関連する論文紹介
以下に複数の標記論文要旨の引用をします。論文には MCS 及び医学的に説明できない症状関連のものも含まれます。

Mindfulness-Based Stress Reduction for Posttraumatic Stress Disorder Among Veterans: A Randomized Clinical Trial.[拙訳]退役軍人のPTSDに対するマインドフルネスストレス低減法:ランダム化臨床試験

IMPORTANCE:
Mindfulness-based interventions may be acceptable to veterans who have poor adherence to existing evidence-based treatments for posttraumatic stress disorder (PTSD).

OBJECTIVE:
To compare mindfulness-based stress reduction with present-centered group therapy for treatment of PTSD.

DESIGN, SETTING, AND PARTICIPANTS:
Randomized clinical trial of 116 veterans with PTSD recruited at the Minneapolis Veterans Affairs Medical Center from March 2012 to December 2013. Outcomes were assessed before, during, and after treatment and at 2-month follow-up. Data collection was completed on April 22, 2014.

INTERVENTIONS:
Participants were randomly assigned to receive mindfulness-based stress reduction therapy (n = 58), consisting of 9 sessions (8 weekly 2.5-hour group sessions and a daylong retreat) focused on teaching patients to attend to the present moment in a nonjudgmental, accepting manner; or present-centered group therapy (n = 58), an active-control condition consisting of 9 weekly 1.5-hour group sessions focused on current life problems.

MAIN OUTCOMES AND MEASURES:
The primary outcome, change in PTSD symptom severity over time, was assessed using the PTSD Checklist (range, 17-85; higher scores indicate greater severity; reduction of 10 or more considered a minimal clinically important difference) at baseline and weeks 3, 6, 9, and 17. Secondary outcomes included PTSD diagnosis and symptom severity assessed by independent evaluators using the Clinician-Administered PTSD Scale along with improvements in depressive symptoms, quality of life, and mindfulness.

RESULTS:
Participants in the mindfulness-based stress reduction group demonstrated greater improvement in self-reported PTSD symptom severity during treatment (change in mean PTSD Checklist scores from 63.6 to 55.7 vs 58.8 to 55.8 with present-centered group therapy; between-group difference, 4.95; 95% CI, 1.92-7.99; P=.002) and at 2-month follow-up (change in mean scores from 63.6 to 54.4 vs 58.8 to 56.0, respectively; difference, 6.44; 95% CI, 3.34-9.53, P < .001). Although participants in the mindfulness-based stress reduction group were more likely to show clinically significant improvement in self-reported PTSD symptom severity (48.9% vs 28.1% with present-centered group therapy; difference, 20.9%; 95% CI, 2.2%-39.5%; P = .03) at 2-month follow-up, they were no more likely to have loss of PTSD diagnosis (53.3% vs 47.3%, respectively; difference, 6.0%; 95% CI, -14.1% to 26.2%; P = .55).

CONCLUSIONS AND RELEVANCE:
Among veterans with PTSD, mindfulness-based stress reduction therapy, compared with present-centered group therapy, resulted in a greater decrease in PTSD symptom severity. However, the magnitude of the average improvement suggests a modest effect.


[拙訳]
重要性:
心的外傷後ストレス障害(PTSD)のための既存のエビデンスに基づいた治療法に対する乏しいアドヒアランスを有する退役軍人には、マインドフルネスに基づいた介入は許容可能かもしれない。

目的:
PTSD の治療のためのマインドフルネスストレス低減法と present-centered group therapy を比較する。

デザイン、セッティング及び被験者:
Minneapolis Veterans Affairs メディカル・センターで、2012年3月から2013年12月まで、PTSD を伴った退役軍人を募集した、116人のランダム化臨床試験。アウトカムは治療前、治療中、治療後、そして、2 ヵ月後のフォローアップ時に評価された。データの収集は2014年4月22日に完了した。

介入:
被験者はランダムに 9 セッション (毎週それぞれ 2.5 時間の 8 グループセッション及び 1 日のリトリート)で構成される今の瞬間に非判断、アクセプタンスの方法で注意を払うことに焦点を合わせたマインドフルネスストレス低減法(n = 58)、又は現在の生活上の問題に焦点を合わせた、毎週それぞれ 1.5 時間の 9 グループセッションで構成される active-control condition の present-centered group therapy (n = 58) に割り当てられた。

主なアウトカムと測定:
PTSD 症状の重症度の経時変化の主要アウトカムは、ベースライン、3、6、9 及び 12 週での PTSD のチェックリスト(範囲は 17-85;高いスコアは大きな重症度を示す;10 以上の減少は最小限度の臨床的に重要な差と考えられた)を使用して評価された。うつ症状、生活の質及びマインドフルネスにおける改善と併せて、 Clinician-Administered PTSD Scale を使用した独立した評価者による PTSD 診断及び症状の重症度を第二のアウトカムは含んだ。

結果:
マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は自己申告の PTSD 症状の重症度において、治療中(平均 PTSD チェックリストのスコアにおける変化 63.6 から 55.7 に対し present-centered group therapy 58.8 から 55.8 ;グループ間の差 4.95; 95%信頼区間 1.92~7.99;P = .002 [訳注:以下の ( )内は、比較のためにマインドフルネスストレス低減法のグループと present-centered group therapy のグループにおける数値をそれぞれ示します。両者の区切りは vs です。]及び 2 ヵ月後のフォローアップ時 (平均スコアにおける変化 63.6 から 54.4 vs 58.8 から 56.0 ;グループ間の差 6.44; 95%信頼区間 3.34~9.53;P < .001)においてより大きな改善を実証した。マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は、2 ヵ月後のフォローアップ時の自己申告の PTSD 症状の重症度において、より臨床的に有意な改善を示しがちであった(48.9% vs 28.1% ;差 20.9%; 95%信頼区間 2.2%~39.5%; P = .03)が、彼らはもはや PTSD の診断を有意に消失することはなかった(53.3% vs 47.3% ;差 6.0%; 95%信頼区間 -14.1%~26.2%; P = .55)。

結論と関連性:
PTSD を伴う退役軍人において、マインドフルネスストレス低減法は present-centered group therapy と比較して、PTSD 症状の重症度のより大きな減少をもたらした。しかし、平均的な改善の大きさから、あまり多くない効果であることを示唆する。

注:i) 引用中の「present-centered group therapy」に対しては、本エントリ作者は存じ上げません。 ii) 引用中の「アドヒアランス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「アドヒアランス」 iii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。 iv) この論文を紹介するWEBページ(英語)の例は次に示します。「Mindfulness Therapy Helps Vets Deal With PTSD」 加えて、本によるこの論文の紹介として、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の貝谷久宜、長谷川洋介、長谷川明日香、小松智賀、兼子唯、巣山晴菜著の文書「うつ病・不安症とマインドフルネス」の 不安症におけるマインドフルネス の「(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する効果」における記述の一部(P185~P186)を以下に引用します。 v) マインドフルネスストレス低減法の翻訳書の例は次に示します。 『J. カバットジン著、春木豊訳の本、「マインドフルネスストレス低減法」(2007年発行)』

(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する効果(中略)

PTSD に対する MBSR の RCT が最近報告された(Polusny et al. 2015)。それによると、PTSD を持つ退役軍人 116 名のうち 58 名が MBSR に、残りの 58 名が生活上の問題点を話し合うグループ治療に振り分けられた。MBSR では 9 週間で 1 回 2.5 時間の 8 セッションと 1 日のリトリートが課せられ、後者では毎週 1 回 1.5 時間のグループセッションが 9 週間行われた。PTSD チェックリストの変化は、MBSR 群では 63.6→55.7、対照群では 58.8→55.8 で、群差 d=4.95、p=0.002 であった。治療終了 2 ヵ月後では、MBSR 群では 63.6→54.4、対照群では 58.8→56.0 で、群差 d=6.44、p<0.001 とさらに効果が出ていた。自己申告症状の改善率の群差はさらに著明で、治療終了直後では 48.9% vs 28.1%、2 ヵ月後 53.3% vs 47.3% であった。総合的評価として PTSD における MBSR の効果は限定的とされた。

注:i) 引用中の「(Polusny et al. 2015)」は論文です。 ii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。

A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.[拙訳]MCS(多種化学物質過敏状態)、慢性疲労症候群及び線維筋痛症を伴う女性におけるマインドフルネスストレス低減法の効果の対照研究

BACKGROUND:
The objective of this study was to examine the effect of a mindfulness-based stress reduction (MBSR) program on women diagnosed with conditions such as multiple chemical sensitivity (MCS), chronic fatigue syndrome (CFS), and fibromyalgia (FM).

METHODS:
The intervention group underwent a 10-week MBSR program. Symptoms Checklist Inventory (SCL-90R) was used as outcome measure and was administered before the start of the program (pre-), immediately upon completion (post-) and at three-month follow-up. Women on the wait list to receive treatment at the Nova Scotia Environmental Health Centre were used as control subjects for the study.

(中略)

CONCLUSIONS:
The study showed the importance of complementary interventions such as MBSR techniques in the reduction of psychological distress in women with chronic conditions.


[拙訳]
背景:本研究の目的は、MCS、慢性疲労症候群、線維筋痛症の状態と診断された女性に対し、マインドフルネスストレス低減(MBSR)プログラムの効果を調査することであった。

方法:介入群では10週間の MBSR プログラムを施行した。症状チェックリストインベントリ(SCL-90R)はアウトカム評価項目として使用され、プログラム開始前、プログラム終了直後及び三か月フォローアップで評価が行われた。ノバスコシア州環境保健センターで治療を受けるための待機リスト上の女性を研究のための対照被験者とした。

結論:この研究では、慢性疾患の状態を伴う女性の心理的苦痛の減少において、MBSR のような補完的な介入の重要性を示した。

注:i) 引用は論文要旨の一部の引用が省略されています。省略した部分は標記リンクで一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「線維筋痛症」については、例えば次のガイドラインを参照して下さい。 「線維筋痛症診療ガイドライン 2013

Mindfulness-based cognitive therapy for patients with medically unexplained symptoms: a randomized controlled trial.[拙訳]医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
Patients with medically unexplained symptoms make heavy demands on the health care system. An offer for psychological treatment is often declined. There is a need for acceptable and effective treatments. We assessed the acceptability and effectiveness of mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for patients with persistent medically unexplained symptoms.

METHOD:
A randomized controlled trial comparing MBCT (n = 64) to enhanced usual care (EUC; n = 61). Participants were the 10% most frequently attending patients in primary care. The primary outcome measure was general health status at the end of treatment. Secondary outcome measures were mental and physical functioning. Assessments took place at the end of treatment and at the 9-month follow-up.

RESULTS:
Health status and physical functioning did not significantly differ between groups. However, participants in the MBCT group reported a significantly greater improvement in mental functioning at the end of treatment (adjusted mean difference, 3.9; 95% CI, 0.24-7.6), in particular with regard to vitality and social functioning. In addition, at 9 months of follow-up, the mindfulness skills 'observing' and 'describing' were significantly higher in the MBCT group. Within the MBCT group, almost half of the outcome measures had significantly improved at the end of treatment, whereas in the EUC group none had.

CONCLUSIONS:
MBCT was feasible for frequently attending patients with persistent medically unexplained symptoms in primary care. Although MBCT did not lead to a significant difference in general health status between the two groups, it did result in a significant improvement in mental functioning.


[拙訳]
背景:
医学的に説明できない症状を伴う患者は、ヘルスケアシステムに大きな需要をもたらす。心理的治療のオファーはしばしば拒否される。受容可能で効果的な治療が必要である。我々は、医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法(MBCT)の受容性及び有効性を評価した。

方法:
MBCT(n = 64)と強化された通常のケア(enhanced usual care、EUC; n = 61)を比較するランダム化比較試験。参加者は、プライマリケアにおいて10%の最も頻繁に受診した患者であった。主要アウトカム指標は、治療終了時の一般的な健康状態であった。二次アウトカム指標は精神的及び身体的機能であった。評価は治療終了時及び9ヶ月のフォローアップ時に行われた。

結果:
健康状態及び身体的機能は、グループ間で有意に異ならなかった。しかしながら、MBCT グループにおける参加者は、特に活力や社会的機能に関して、治療終了時の精神機能の有意な改善(調整平均差、3.9; 95% CI、0.24-7.6)を報告した。さらに、9ヶ月後のフォローアップ時に、MBCT グループにおいて、「観察する」および「描写する」というマインドフルネススキルが有意に高かった。 MBCT グループ内では、治療終了時にはアウトカム指標のほぼ半分が有意に改善されたが、これに対し、EUC グループではいずれも改善されなかった。

結論:
プライマリケアにおいて医学的に説明できない症状の持続を伴う頻繁に受診した患者にとって、MBCT は実行可能であった。2つのグループ間での一般的な健康状態において、MBCT は有意差をもたらさなかったが、精神機能の有意な改善をもたらした。

注:引用中の「n = 64」及び「n = 61」は共に人数を示します。

Effect of mindfulness training on asthma quality of life and lung function: a randomised controlled trial.[拙訳]マインドフルネストレーニングが喘息の生活の質及び肺機能に及ぼす効果:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
This study evaluated the efficacy of a mindfulness training programme (mindfulness-based stress reduction (MBSR)) in improving asthma-related quality of life and lung function in patients with asthma.

METHODS:
A randomised controlled trial compared an 8-week MBSR group-based programme (n=42) with an educational control programme (n=41) in adults with mild, moderate or severe persistent asthma recruited at a university hospital outpatient primary care and pulmonary care clinic. Primary outcomes were quality of life (Asthma Quality of Life Questionnaire) and lung function (change from baseline in 2-week average morning peak expiratory flow (PEF)). Secondary outcomes were asthma control assessed by 2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute guidelines, and stress (Perceived Stress Scale (PSS)). Follow-up assessments were conducted at 10 weeks, 6 and 12 months.

RESULTS:
At 12 months MBSR resulted in clinically significant improvements from baseline in quality of life (differential change in Asthma Quality of Life Questionnaire score for MBSR vs control: 0.66 (95% CI 0.30 to 1.03; p<0.001)) but not in lung function (morning PEF, PEF variability and forced expiratory volume in 1 s). MBSR also resulted in clinically significant improvements in perceived stress (differential change in PSS score for MBSR vs control: -4.5 (95% CI -7.1 to -1.9; p=0.001)). There was no significant difference (p=0.301) in percentage of patients in MBSR with well controlled asthma (7.3% at baseline to 19.4%) compared with the control condition (7.5% at baseline to 7.9%).

CONCLUSIONS:
MBSR produced lasting and clinically significant improvements in asthma-related quality of life and stress in patients with persistent asthma, without improvements in lung function.


[拙訳]
背景:
喘息を伴う患者の喘息関連の生活の質及び肺機能の改善におけるマインドフルネス・トレーニングプログラム(マインドフルネス・ストレス低減法 (MBSR))の有効性を本研究は評価した。

方法:
大学病院の患者のプライマリケア及び肺ケアの外来で募集した軽度、中等度又は重度の持続性喘息伴う成人において、8週間の MBSR グループベースのプログラム(n = 42)と対照としての教育プログラム(n = 41)をランダム化比較試験で比較した。主なアウトカムは、生活の質(喘息の生活の質アンケート)と肺機能(2週間の平均した朝のピークフロー(PEF、最大呼気速度)におけるベースラインからの変化)であった。副次アウトカムは、2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute ガイドライン、そしてストレス(知覚されたストレス尺度(PSS))により評価された喘息のコントロールであった。フォローアップ評価は、10週間、6及び12ヵ月後に実施した。

結果:
12ヵ月の MBSR は、生活の質におけるベースラインから臨床的に有意な改善をもたらした(喘息の生活の質アンケートのスコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:0.66(95%信頼区間 0.30~1.03; p <0.001))が、肺機能においては改善をもたらさなかった(朝の PEF、PEF の変動性及び1秒量)。MBSR はまた、知覚されたストレスにおいても臨床的に有意な改善をもたらした(PSS スコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:-4.5(95%信頼区間 -7.1~-1.9; p = 0.001))。MBSR における良く管理された喘息患者の割合(ベースライン時の 7.3% から 19.4%)は、対照(ベースライン時の 7.5% から 7.9%)と比較して有意差はなかった(p=0.301)。

結論:
肺機能における改善なしに、持続性喘息を伴う患者での喘息関連の生活の質及びストレスにおける持続的かつ臨床的に有意な改善を MBSR は引き起こした。

注:要旨中の「CLINICAL TRIAL REGISTRATION NUMBER」の引用は省略しています。一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「n = 42」及び「n = 41」は共に人数を示します。 iii) 引用中の「1秒量」は、努力性肺活量のうちの最初の1秒間に吐き出された空気の量を指すようです。 iv) 引用中の「知覚されたストレス尺度」については、次の資料を参照して下さい。 「知覚されたストレス尺度(Perceived Stress Scale) 日本語版における信頼性と妥当性の検討

8-week Mindfulness Based Stress Reduction induces brain changes similar to traditional long-term meditation practice - A systematic review.[拙訳]8週間のマインドフルネスストレス低減法が伝統的な長期間の瞑想実践に類似した脳の変化を引き起こす-システマティックレビュー

The objective of the current study was to systematically review the evidence of the effect of secular mindfulness techniques on function and structure of the brain. Based on areas known from traditional meditation neuroimaging results, we aimed to explore a neuronal explanation of the stress-reducing effects of the 8-week Mindfulness Based Stress Reduction (MBSR) and Mindfulness Based Cognitive Therapy (MBCT) program.

METHODS:
We assessed the effect of MBSR and MBCT (N=11, all MBSR), components of the programs (N=15), and dispositional mindfulness (N=4) on brain function and/or structure as assessed by (functional) magnetic resonance imaging. 21 fMRI studies and seven MRI studies were included (two studies performed both).

RESULTS:
The prefrontal cortex, the cingulate cortex, the insula and the hippocampus showed increased activity, connectivity and volume in stressed, anxious and healthy participants. Additionally, the amygdala showed decreased functional activity, improved functional connectivity with the prefrontal cortex, and earlier deactivation after exposure to emotional stimuli.

CONCLUSION:
Demonstrable functional and structural changes in the prefrontal cortex, cingulate cortex, insula and hippocampus are similar to changes described in studies on traditional meditation practice. In addition, MBSR led to changes in the amygdala consistent with improved emotion regulation. These findings indicate that MBSR-induced emotional and behavioral changes are related to functional and structural changes in the brain.


[拙訳]
本研究の目的は、非宗教的なマインドフルネステクニックの脳の機能と構造への効果のエビデンスをシステマティックにレビューすることであった。伝統的な瞑想の神経画像法の結果から知られている領域に基づいて、我々は、8週間のマインドフルネスストレス低減法(MBSR)及びマインドフルネス認知療法(MBCT)プログラムのストレス軽減効果の神経的な説明の探求を目的とした。

方法:
我々は、(機能的)磁気共鳴画像法により、MBSR、MBCT(N=11, 全て MBSR)、プログラムの要素(N=15)、そしてマインドフルネス傾向(N=4)が脳の機能及び/又は構造に与える効果を我々は評価した。21の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)研究及び 7つの磁気共鳴画像法(MRI)研究が含まれた(2つの研究が共に実施された)。

結果:
ストレスがたまった、不安な及び健康な被験者において前頭前皮質、帯状皮質、島及び海馬では活動度、結合及び体積の増加が示された。さらに、扁桃体は機能活動の減少、前頭前皮質との結合の改善及び情動刺激への曝露後の早期の失活を示した。

結論:
実証可能な前頭前皮質、帯状皮質、島及び海馬における機能的及び構造的変化は、伝統的な瞑想の実践に関する研究において記述された変化と類似する。さらに、MBSR は情動調節の改善と一致して扁桃体における変化をもたらした。これらの知見は、MBSR に引き起こされた情動及び行動の変化が脳における機能的及び構造的な変化に関連することを示す。

注:i) 引用中の「N=11」、「N=15」及び「N=4」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」及び「ボクセル」については、例えば次の pdfファイルを参照して下さい。「機能的磁気共鳴機能画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iii) 引用中の「MRI」については、次の pdfファイルを参照して下さい。 「MRIの基礎」 iv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「帯状皮質」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「海馬」と「扁桃体」が含まれる大脳辺縁系については、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 viii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

(p)慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察について
最初に痛みの定義についてはここを参照して下さい。加えて、標記について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の「実際の臨床的経験からの考察」における記述(P230~P233)を以下に引用します。

実際の臨床的経験からの考察

(1)慢性疼痛重症例に認められる認知行動特性
慢性疼痛患者に対するマインドフルネスの有用性は臨床的にも実感するところではあるが、症例によっては、とくに重症例ではその適用に難しさを感じることも少なくない。重症の慢性疼痛患者のなかには痛みの緩和を求めて、数十件におよぶ医療機関や民間の治療院などを渡り歩き、通常考えられる治療をすべて受けてきたが効果がなかったという患者も稀ではない。そのような難治性で高度の痛みや生活機能障害を伴う慢性疼痛の代表的な例として、原因不明の全身痛を主訴とする線維筋痛症などがある。このような重症例にマインドフルネスに基づくアプローチを用いようとする際、それを難しくするいくつかの特徴的な特性にしばしば遭遇する。それらのいくつかについて述べてみたい。
まずはじめに、線維筋痛症患者など慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある(村上ほか 2014)。曖昧さ、不完全・不確定なことに耐えられず、結論や解決を保留したり、しばらく流れに身を任せたりということが非常に苦手である。仕事や家事などに対しても疲れを押して徹底的に行う傾向がある。このような傾向が非常に強い人々が”原因を特定することができない、すぐに解決しない慢性の痛み”を有した場合、「なぜよくならないのか?」、「何かもっといい方法があるのでは?」、「努力が足りないのでは?」と徹底的に追求し始める。しかし、それら問題は即時的に解決しないので、さらなる解決への追求を続けることになる。その悪循環のなかで、焦り、苛立ち、落ち込み、破局的思考などを募らせ、心身ともに緊張・疲弊し、それらが痛みへ悪影響をおよぼし続ける。また、解決の努力として過剰なリハビリや服薬、処置に走り、かえって身体的状況を悪化させたり、ドクターショップを繰り返し、医療との関係を悪化させたりしていることも少なくない。いわゆる「問題解決の努力が、問題を生み出している」状態となり、抜け出せないパラドックスに陥ってしまう。
このような例には、マインドフルネスで育まれる「物事に対してあわてて反応しない在り様」が問題解決の努力を保留するために非常に重要になってくる。しかし、マインドフルネス導入初期に困難な時期が訪れる。まず、瞑想中に「この取り組みは何の意味があるのか?」、「痛みとどう関係するのか?」など、意味づけや正解、結果の予想について突き詰め始めることが非常に多い。それをすればするほど、心はさまよい、焦点を当てている呼吸や身体感覚に注意が戻らなくなる。それを訓練の「失敗」と即座に意味づけし、今度は「なぜうまくいかないのか?」「この取り組みは自分に本当にふさわしいのか?」「こんなことで痛みがよくなるのか?」などの答えを探し始め、焦り、苛立ち、瞑想の取り組みに対する嫌悪感を募らせていく。その結果、「これは自分には合わない」と早々に結論づけ、瞑想の取り組みを中断してしまうことも少なくない。こういう例に、「考えていることを気づいた時点で、考え続けるのをやめ、そのまま放っておく」ように促すと、「強い不全感のようなものを感じて耐えられない」、「そんな曖味なことをしたら後で大変なことになる」、「いい加減な人間になってしまう」という趣旨の背後にある信念や思い込みを語られることも少なくない。このような例にマインドフルネス瞑想の継続を促すのはかなりの配慮と粘り強さが必要である。しかし、何とか継続することができれば、やがて「問題解決や答え探しをいったん保留しておく」ということが次第にできるようになり、それまでの悪循環から抜け出し、心身の疲弊が緩和されていく。

(2)失感情症・失体感症傾向への対応
次にあげられる特徴として、治療抵抗性で重症の慢性疼痛患者は、自身の内的体験、とくに感情や身体感覚に注意が向かず、それを観察・描写することに困難さを抱えていることが少なくない。心身医学の領域では失感情症・失体感症と呼ばれている特性で、苦痛を伴う記憶や感情、それに伴う身体感覚を体験することを回避するために、それらを「抑圧」する心理機制が働いている状態である。このような特性をもつ背景には過酷な生活史のなかで、さまざまな苦境を自身のつらい内的体験を抑圧することで乗り切って生きたという背景があることが多い。
これまでの研究では、失感情症は慢性疼痛や精神医学的な問題の増悪に関連していることが示唆されている(Shibata et al. 2014)。患者が本来抱えている怒りや罪悪感、劣等感、悲しみ、孤独感などつらい感情が意識化されないため、それを引き起こしている状況を解消するための対処行動を起こすことができず、長期的にその感情に苦しめられることになる。しかし、自身はそれらの感情を意識化できないため、何が苦しいのかが理解できず、痛みなどの身体症状の増悪という形でのみ自覚されることも多い。このようなプロセスが治療抵抗性の慢性疼痛の経過に関与していることは臨床的にはしばしば経験される。
このような患者にマインドフルネス瞑想を実施すると、当初は「今体験している身体感覚、思考、感情に意図的に気づく」ということがどういうことなのかを理解してもらうことが難しいことが多い。しかし、気づくということを体験的に理解し始めると、それとともに徐々に抑圧していた苦痛を伴う記憶や感情、思考、身体感覚の存在にも気づき始める。それらには、虐待やいじめ、犯罪被害などの外傷的な記憶、未解決な家族間の葛藤、現在進行中の対人関係や生活上の問題などに関するつらい感情やイメージ、思考、身体感覚などさまざまなものがある。それらによりはっきり気づくようになると、非常に強い苦痛、混乱を引き起こし、強い拒絶感により瞑想の継続が困難になることがある。パニックなどのあまりに強い反応を起こす例や動機づけの低い例は、瞑想のワークの継続が難しくなるため、実践時間やメニューの調整はもとより、ときには休止も必要になる。この時期には、痛みや感情的苦痛はむしろ増悪することが多い。これらの時期を乗り越えるにはやはりマインドフルネスの取り組みで育まれる体験への気づきや脱中心化、アクセプタンスが重要になる。このような例では、マインドフルネスの取り組みは、心的外傷や人生の未処理の問題の解消、傷ついた自尊心の回復などが中心的なテーマになり、痛みの治療は副次的なものという様相を呈すことも多い。

(3)取り組み困難例へのオーダーメイドの対応
治療抵抗性で高度の痛みや機能障害を呈する慢性疼痛患者は、ある意味、マインドフルな生き方と反対の生き方をしているように思えることが多い。その分、それらの患者にとってはマインドフルネスを体験的に理解することは難しい作業になる。ある意味、最もマインドフルネスを必要としている一群が、最もマインドフルネスの発展への取り組みが困難な一群といえるかもしれない。このような患者群においては MBSR などの構造化されたプログラムの範囲内では十分な対応が難しいかもしれない。そのエッセンスは残しながらも、個々の患者によって治療構造や時間や内容の調整などオーダーメイドの対応が必要になると思われる。

注:i) 引用中の「村上ほか 2014」は、次の資料です。 《村上正人・金外叔・松野俊夫・小池一喜・三浦勝浩・丸岡秀一郎・江花昭一(2014)「線維筋痛症と精神疾患の comorbidity について」『心身医学』54(11), 1010-1019》 ii) 引用中の「Shibata et al. 2014」はここで紹介された久山町研究の論文です。 iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここ を参照して下さい。 iv) 引用中の「失感情症・失体感症」についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「脱中心化」(又はディスタンシング[距離をとること])についてはここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「心理療法におけるマインドフルネスの定義」項 vi) 引用中の「アクセプタンス」(又は受容)についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「心的外傷」に相当する「トラウマ」については、リンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「MBSR」は、「Mindfulness-Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法」の略語であり、これに関連する論文例についてはここを参照して下さい。 ix) 引用中の「失感情症」、「失体感症」に加えて、「ストレス反応」、「自律神経機能」、「内受容感覚」「気づき」及び「身体感覚増幅」に関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 x) 引用中の「慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある」に関連する「痛みの背景にある強迫的で完全主義的な思考や行動の特性」については、次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症の診断と治療」の「2 非薬物治療」項 xi) 引用中の「破局的思考」に関連して、 a) パニック症(パニック障害)における「破局的解釈」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 b) 突発性環境不耐症における「破局的思考」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 引用中の「心身医学」及び「マインドフルネス」に関連する資料については次を参照して下さい。 「心身症患者へのマインドフルネスを取り入れたセルフケア教室の試み」 xiii) ちなみに、慢性痛患者のための次の資料があります。 「慢性痛患者のためのセルフケアガイドブック」 xiv) 慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピーを紹介する資料については次を参照して下さい。「慢性疼痛研究の動向と今後の展望 -心理社会的側面に焦点を当てて-」の「慢性疼痛に対する心理学的アプローチ」項 加えて、慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネスについての論文の要旨をそれぞれ以下に引用します。

・「Acceptance and commitment therapy and mindfulness for chronic pain: model, process, and progress.[拙訳]慢性疼痛のためのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネス:モデル、プロセスそして進捗」(全文はここを参照して下さい)

Over 30 years ago, treatments based broadly within cognitive behavioral therapy (CBT) began a rise in prominence that eventually culminated in their widespread adoption in chronic pain treatment settings. Research into CBT has proliferated and continues today, addressing questions very similar to those addressed at the start of this enterprise. However, just as it is designed to do, the process of conducting research and analyzing evidence reveals gaps in our understanding of and shortcomings within this treatment approach. A need for development seems clear. This article reviews the progress of CBT in the treatment of chronic pain and the challenges now faced by researchers and clinicians interested in meeting this need for development. It then focuses in greater detail on areas of development within CBT, namely acceptance and commitment therapy (ACT) and mindfulness-based approaches, areas that may hold potential for future progress. Three specific recommendations are offered here to achieve this progress.


[拙訳]
30年以上前に、認知行動療法(CBT)に広く基づいた治療法が目だち始め、ついには慢性疼痛治療​​のセッティングにおいて広く普及した。CBT の研究は急増し今日まで続いており、疑問の位置づけはこの企画の開始時点でのそれと大いに類似している。しかしながら、まさにそれが行うようにデザインされている通りに、研究を実施し、そして証拠を分析するプロセスは、この治療アプローチ内の我々の理解と短所におけるギャップを明らかにする。開発の必要性は明らかなように思える。この記事では、慢性疼痛の治療における CBT の進展、及び開発のこの必要を満足することに関心がある研究者と臨床医が現在直面している課題をレビューする。それから、将来の進展の可能性を保持しているかもしれない、CBT の範囲内の分野、すなわちアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)及びマインドフルネスに基づいたアプローチ、の開発の領域に関して、より詳細に焦点を当てる。この進展を達成するための3つの具体的な勧告がここに提示された。

注:i) ちなみに、引用中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」(ACT)については、リンク集を参照して下さい。加えて、ACT のエビデンスについては次のWEBページ(英語)を参照して下さい。 「State of the ACT Evidence」 ii) 慢性疼痛における上記ACTの適用について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「主体的な関与が苦痛を減らす」における記述(P228~P230)を次に引用します。

主体的な関与が苦痛を減らす
ガンにかかったとき、自ら治療法について調べ、積極的な選択や関与を行った人は、受動的に与えられた治療を受けた人よりも予後が良好であることが知られています。五年生存率が数%というような難しいガンもあります。そういう場合、生き残っている人は、生き残ることを信じて自ら積極的に闘病した人たちに多いのです。
同じような苦痛を伴う体験も、自らがそれを選び決めたのであれば、大して苦痛ではなくなるのです。
その原理を取り入れたのが、新世代の認知行動療法であるACTに基づいた、慢性疼痛の治療プログラムです。痛みの治療なのですが、そのプログラムでは「人生において何が重要だと思いますか」と問いかけます。その問いと痛みにどういう関係があるのかと、最初は怪訝に思います。ところが、大ありなのです。
「痛みや苦しみを避けるために、自分が大切にしていることから遠ざかっていることはないですか」と問いかけられたとき、多くの人は思い当たることがあるはずです。
そして初めて、このプログラムが目指しているものが何か、理解し始めます。痛みがあろうと、人生の価値を失わず、機能を高めていくということ、そして人生のチャレンジやそれに伴う不安や苦痛から逃げないこと、それこそが大切だということを学ぶのです。
それまでは痛みが主人で、その奴隷状態になっていたことに気づくのです。そこで、これからは痛みがあろうと、自分が人生の主人であろうとするのです。その主客の逆転を起こすことこそ、このプログラムの真の目的なのです。そうなったとき、症状だけでなく生活の支障の軽減という点でも、薬物による従来の治療法よりもはるかに高い効果が得られることがわかっています。

(q)瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少について
最初に論文「Meditation leads to reduced default mode network activity beyond an active task.[拙訳]瞑想は活動的な課題以上にデフォルトモードネットワークの活動の減少をもたらす」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Meditation has been associated with relatively reduced activity in the default mode network, a brain network implicated in self-related thinking and mind wandering. However, previous imaging studies have typically compared meditation to rest, despite other studies having reported differences in brain activation patterns between meditators and controls at rest. Moreover, rest is associated with a range of brain activation patterns across individuals that has only recently begun to be better characterized. Therefore, in this study we compared meditation to another active cognitive task, both to replicate the findings that meditation is associated with relatively reduced default mode network activity and to extend these findings by testing whether default mode activity was reduced during meditation, beyond the typical reductions observed during effortful tasks. In addition, prior studies had used small groups, whereas in the present study we tested these hypotheses in a larger group. The results indicated that meditation is associated with reduced activations in the default mode network, relative to an active task, for meditators as compared to controls. Regions of the default mode network showing a Group X Task interaction included the posterior cingulate/precuneus and anterior cingulate cortex. These findings replicate and extend prior work indicating that the suppression of default mode processing may represent a central neural process in long-term meditation, and they suggest that meditation leads to relatively reduced default mode processing beyond that observed during another active cognitive task.


[拙訳]
自己関連のシンキング及びマインドワンダリングに関与する脳ネットワークであるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少と瞑想は関連している。しかしながら、瞑想者と安静時の対照者との間の脳の活性化パターンにおいて差が他の研究で報告されているにもかかわらず、以前のイメージング研究では典型的に瞑想と安静を比較した。さらに、安静は、最近になってからよりよく特徴づけされ始めた個々人中の脳活性化パターンの幅と関連している。従って、瞑想と相対的に減少したデフォルトモードネットワークの活動とが関連するという知見を再現するため、そして、努力が必要な課題中に観察される典型的な減少を越えて、瞑想中にデフォルトモードネットワークの活動が減少するかどうかを試験することによりこれらの知見を拡張するための両方において、本研究において我々は瞑想ともう一つの活動的な認知課題を比較した。加えて、以前の研究では小グループを使用したが、本研究においては、これらの仮説をより大きなグループで検証した。対照群と比較した瞑想者にとって、活動的な課題と関連して、瞑想はデフォルトモードネットワークにおける活性化の減少と関連することを、これらの結果は示した。グループ×課題の相互作用を示すデフォルトモードネットワークの領域は後部帯状回/楔前部及び前帯状皮質を含んだ。これらの知見は、デフォルトモード処理の抑制は長期の瞑想における中枢神経処理を説明するかもしれなく、そして瞑想がもう一つの活動的な認知課題中に観察されたもの以上に相対的に減少したデフォルトモード処理をもたらすことを示唆する。

注:i) 引用中の「マインドワンダリング」は、「心ここにあらず」の状態とも言えるようです。これについては例えば、 pdfファイル中の熊野宏昭著の資料「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」(P30~P37)を参照して下さい(特に P30) 。ただし、例えば次の資料で示すように「マインドワンダリング」には負の効果のみならず正の効果もあります。 「マインドワンダリングが創造的な問題解決を増進する」 ii) 引用中の「デフォルトモードネットワーク」について、上記「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」以外で、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第5章 マインドフルネスのルーツを知る の「デフォルトモードネットワークを鎮める」における記述の一部(P124~P125)を次に引用します。

(前略)デフォルトモードネットワークというのは、何もしていないときに働く脳のネットワークで、ボコボコ、ボコボコと鳴っている車のアイドリングみたいなものです。このボコボコ、ボコボコがうるさくなって、エンジンの性能が悪くなると、うつになったり、不安になったりします。先ほど言った反すうですね。うつのときに出てくる反すうは、このデフォルトモードネットワークがつくり出しています。心配もデフォルトモードネットワークがつくり出しているんですね。
では、このデフォルトモードネットワークが鎮まってくれることが、マインドフルネスの効果なのかと言えば、その通りです。マインドフルネス瞑想をしているときは、デフォルトモードネットワークがスッと鎮まって、静かな心の状態になっています。これは、昔から禅などで寂静といわれていた状態に相当していると思います。
でもその前に、「今、こういう状態が、自分の中で起こっているのだ」と気づく段階があります。気づくというのは、考えることにエネルギーを与えないようにすることです。
気づかなければ、考え続けてしまうわけですよね。そうすると怒りがどんどん湧き上がってくるし、欲もどんどん大きくなります。気づかなければ考え続けるので、混乱もどんどん大きくなるわけです。でも、「今、こんな状態で、混乱しているのだ」と気づけば、混乱はそれ以上大きくなりません。そこで思考が切り上げられるので、シューと鎮まって静かになっていきます。
さらに、気づいたことによって、今まで自分が知らなかったことや、排除していたことを、「自分は、こんなことを考えているんだ」「こういう、傾向があるんだ」と、自分の中に取り込むことができます。ですから混乱しても、そこで気づけばいいのですね。実は混乱するのも、プラスなんです。きちんと見ていると鎮まっていき、問題が消えていく、そして智慧を守り育てていくという構造になっているのが、このアーナーパーナサティ・スッタを見てみるとわかると思います。

注:i) 引用中の「反すう」及び「心配」については、共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アーナーパーナサティ・スッタ」は同章の P119 によると、ヴィパッサナー瞑想(例えば、「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項を参照)を扱ったお経(出入息念経)のことです。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:本当は境界性パーソナリティ障害なのに長年うつ病の対応をした場合の末路についてはここを参照して下さい

*2:統合失調症を無治療なまま長年経過した場合の末路についてはここを参照して下さい

*3:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます。加えて失体感症(アレキシソミア)も紹介しています。

*4:森田療法関連の話題もあります

*5:主に境界性パーソナリティ障害又は境界例を対象にしています

*6:愛着障害はアタッチメント障害とも称されます

*7:加えて、パーソナリティ構造の視点から境界性(境界例)を説明した引用はここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照して下さい

*8:ただし、引用部はマインドフルネスの説明ではなく、自分の感覚によりネガティブな気持ちになってしまうことの説明です

*9:ちなみに、これらの障害はここを参照すると良いかもしれません

*10:ちなみに、a) 愛着に関連するこの項以外の本エントリ内のリンクは次にまとめて示します。ただし、愛着障害に関連する発達性トラウマ症候群(発達性トラウマ障害)に関するものも含むかもしれません。ここここここここ及びここ 加えて、愛着障害と子ども虐待の関係を示す pdfファイル例は次に示します。「児童青年精神医学入門 その4:子ども虐待」、「子育て困難を支援する“愛着障害の診断法と治療薬”の開発 ~発達障害や愛着障害の脳科学的研究~」 b) トラウマと愛着の問題の併存をはじめとした両者の密接な関係については、例えばここここを参照して下さい。

*11:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます

*12:この pdfファイルによると、失体感症は身体(内受容)感覚が低下した状態のようです

*13:自律神経における交感神経(アクセル又は活動する神経)と副交感神経(ブレーキ又は休む神経)の関係を次に示します。先ず、村上正人、則岡孝子著の本、「自律神経失調症の治し方がわかる本」(2011年発行)の 第1章 あなたは、どれだけ知っていますか? の『「自律神経」とは、どんな神経?』における記述の一部(P18)及び「現代社会はストレス症候群でいっぱい」における記述の一部(P30)を次に引用します(それぞれ『 』内)。 『自律神経は、交感神経と副交感神経の2つに分けられます。交感神経は、「活動する神経」と言われ、仕事や運動をするときに心臓の動悸や血圧を高め、精神活動を活発にさせます。副交感神経は、内臓や器官の働きをリラックスさせる神経で、「休む神経」と言われ、睡眠、休息などをとるときに働きます。体をスムーズに働かせるために、2つの神経は、お互いにリズムをとり合っているのです。』、『●交感神経を使いすぎる生活がストレス性の病気を引き起こす 複雑でテンポの早い現在社会は、朝早く起きて、夜になったら休むという、本来のライフサイクルに合わせて生活することが難しくなってきています。また、不況に伴うリストラや倒産、不本意な配置転換、対人関係のトラブル、育児や介護の問題など、さまざまなストレスにさらされ、交感神経が絶えず緊張していなければならないような状況下に置かれています。このように、副交感神経の出番が少なく、交感神経優位の生活が続くと、体のあちこちに自律神経症状(17ページ参照)が現れてきます。』 (注:引用中の「自律神経症状」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。) 従って、交感神経が著しく活発になっている状態、つまり闘争-逃走反応(リンク集参照)をはじめとして、アクセルを踏んでエンジンがフル回転になっている状態が続いてしまうといつか壊れてしまいます。だから、ブレーキをかけて休む必要があります。つまり副交感神経を活発にさせる必要があるのです。副交感神経が活発になっている状態がリラックスしている状態です。

*14:ここでは特にイメージ法についても紹介されています

*15:ちなみに、a) この療法の簡単な紹介例は次のWEBページを参照して下さい。 『「平成27年度 改訂版弁証的行動療法(DBT)とマインドフルネス研修会」を開催します』 b) この療法の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」は、これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます。 c) この療法に基づき改良したことを含む幼少期のトラウマ治療法である「STAIR&NST」があります。これについての引用は他の拙エントリのここここを参照して下さい。

*16:注:エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」における目次に戻ります。ちなみに本エントリの最初に戻るにはここをクリックして下さい。