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まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】

はじめに

ここは、エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」の旧後半部としての項目【その他余談】に位置づけられるエントリです。本エントリ内の「目次に戻る」をクリックすると、元エントリの目次に戻ります。

一方、【その他余談】は境界性をはじめとしたパーソナリティ障害を主体に書き始めました。その名残が目次に残っているかもしれません。【その他余談】の目次は次のとおりです。

≪主な改訂の履歴≫
2017年2月14日、26日、3月29日、4月2日、10日、20日、24日、5月12日、14日、20日、27日、6月4日、7月2日、13日、24日、8月14日、18日、9月11日、24日、10月19日、11月19日、12月11日、2018年3月4日、5月10日、7月26日、2019年8月16日、2020年3月27日、11月11日、2021年4月7日、25日、10月10日、12月15日、2022年2月15日、9月24日、12月31日、2023年3月30日、5月3日、9月24日、11月29日:文章の追加・訂正・削除等の改訂をしました。

【その他余談】

以下の項目〔a〕~〔h〕、〔i〕及び〔j〕は、それぞれパーソナリティ障害*7、アタッチメント(愛着)理論や愛着障害、そして統合失調症に関する記述です。ちなみに、上記パーソナリティ障害と愛着障害とは部分的に関連するかもしれません。加えて、トラウマの問題と愛着の問題(ここを参照)は密接に関連します。ちなみに、i) パーソナリティ障害の一部である「境界性パーソナリティ障害」、及び「統合失調症」については、共にリンク集を参照して下さい。 ii) 次の〔a〕項における引用は上記愛着障害に関する記述でもあるかもしれません。加えて、以下の項目〔k〕〔l〕〔m〕〔n〕〔o〕〔p〕〔q〕及び〔r〕は、それぞれ失感情症、EMDRの論文、ストレス応答のSAM系、弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題、マインドフルネスに関連する論文、慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察、瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少及び東日本大震災によってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合についてについてのものです。ちなみに、本エントリにおいて、「あるがまま」と「ありのまま」を使い分けていることがあります。この場合には、前者は「森田療法」(参照)を考慮しており、後者は考慮していません。ただし、引用においては、原文を優先させています。ちなみに、境界性パーソナリティ障害について3分半で解説するツイートはここを参照して下さい。

〔a〕メンタライジング・アプローチの視点からの境界性パーソナリティ障害
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「1 BPD の病理と成因」における記述の一部(P204~P207)を次に引用します。

この節では,BPD の病理とその成因について,Fonagy と共同研究者たちの見解を紹介します。以下の説明において,とくに引用を示していない場合には,Bateman & Fonagy(2004, 2012),Allen & Fonagy(2006),Allen et al.(2008)に基づく記述であるとお考えください。Fonagy たちは,BPD の病理の中核にメンタライジング能力の機能不全があると考えます。メンタライジングの機能不全と表裏の関係にあるのが前メンタライジング・モードの出現です。BPD において最も目立つのは,心的等価モードです。このモードでは,考えたこと,感じたこと,想像したことが外界に「本当に」存在するように見えてしまいます。BPD 患者と面接したことのあるセラピストなら,BPD 患者がわずかな根拠に基づいてセラピストを含む他者の心に悪意を帰属させる現象を経験していることでしょう。次に,ふりをするモードでは,経験が現実から解離され,現実に根ざしておらず,情緒的体験とは無縁の語りが続くことになります。目的論的モードにおいては,精神状態(感情や欲求など)は,心的体験として認識されることなく,目に見える行動や身体的表現の形で表出されます。自傷行為もその代表例です。また,BPD 患者は,セラピストとの関係に由来する不満や感情をそういうものとして認識できず,心理療法場面外で行動化することがあります。
さらに,Fonagy たちは,メンタライジングの障害とともに感情調整の不全が BPD の中心的問題であると考えています。感情調整の不全は,注意制御の障害とも関連しています。そして,この2つの障害の背景として愛着の問題があるのです。これらの関係を図示したものが,図 6-1 です。なお,この図には記載されていませんが,Fonagy たちは,このような関連を生じさせる要因の1つとして先天的要因(気質など)も考慮しています(Bateman & Fonagy, 2006, 2012)。
まず,感情調整の不全については,BPD 患者のほとんどが感情の不安定さを自己報告しますし,感情的反応性が高く,とくにネガティヴな感情を体験しやすいことがわかっています。第2章と第3章でも述べたように,感情調整は,感情のメンタライジングと深く関連しています。自分の感情を同定し,認識できることが調整への第一歩だからです。感情を認識するためにはその感情の表象が必要であり,感情の表象が貧困であれば繊細な感情認識は困難です。メンタライジング能力を獲得するためには,乳幼児期に自分の感情を養育者から随伴的かつ有標的に映し出してもらうことが必要です。このような随伴的・有標的ミラリングにおいて養育者が映し出す感情は,その直前に子どもが表出した感情であり,養育者自身の感情ではないことがわかる標識(mark)を備えています。つまり,その感情が少し誇張されて表現されていたり,そこに慰めが付加されていたり,正反対の感情と組み合わされていたりします。養育者によるミラリングが随伴的・有標的であれば,子どもはそこに映し出されている自分の感情を表象として内在化することができます。こうして,心の中に感情の表象が育つと,これを用いたメンタライジングが行われるようになります。しかし,随伴的・有標的なミラリングが不十分であれば,子どもの感情表象が乏しくなり,感情認識も貧困になります。そして,随伴的・有標的なミラリングが十分に行われる親子関係は,子どもの安定した愛着と親から子どもへの愛情に支えられた関係であることは言うまでもありません。子どもの愛着を不安定化するような親子関係・家族関係の中では感情調整の能力は育ちにくいのです。
次に,感情調整と密接に関連しているのが,「注意制御」です。注意制御というのは,特定の対象に注意を向けるとか,ある対象から別の対象に注意を移行させるために元の対象への注意を抑制すること,つまり注意の「エフォートフル・コントロール」(effortful control)のことです。脳機能の次元で言えば,前頭前皮質における「実行機能」(executive function)の問題です。例えば,BPD 患者は,それほど重要でない情報への注意を抑制することができず,すべてに等しく注意を向けてしまうため,ネガティヴな情報にとらわれやすく,何でも自分と関連づけて考えてしまうことが,実証研究からわかっています。そして,この注意のエフォートフル・コントロールあるいは実行機能においても,愛着関係の影響が顕著なのです。例えば,Kochanska と共同研究者たちによる縦断的研究(Kochanska et al., 1996, 1997, 2000)から,幼児と母親との安定した愛着関係において行われるメンタライジング的相互交流は,幼児においてエフォートフル・コントロールによる自己制御を促進し,母親による制御と統制の必要性を減少させることがわかりました。このような自己制御は,適応的・互恵的な対人的交流を行う能力にも寄与します。対照的に,非メンタライジング的交流は,エフォートフル・コントロールによる自己制御を衰退させがちであり,対人的交流にも悪影響を及ぼします。BPD は,このような有害な発達過程がもたらした結果と考えられるのです。
さて,子どもの不安定な愛着および親子の非メンタライジング的交流と結びつているのが,親による「不適切な養育」(maltreatment)です。BPD 患者の幼年期には不適切な養育が高率でみられるのですが,BPD と関連が深いのは身体的虐待や性的虐待ではなく,心理的虐待,ネグレクト,情緒的関わりの乏しさです。そして,虐待的行為というよりも,そのような行為を生み出す家族環境を,Fonagy たちは重視しています。メンタライジングにおいて行われる精神状態の理解,とくに感情の理解は,家族における感情についての率直な語り合いから生まれます。ですから,BPD においてメンタライジングの機能不全をもたらす中心的要因は,「精神状態に関する筋の通った語り合いを減退させる環境家族」(Allen et al. 2008)であると,Fonagy たちは考えています。
さらに,不適切な養育を伴う親子関係において,子どもが愛着に関する剥奪や傷つき,つまり愛着トラウマを経験するとき,このトラウマがもたらす影響がいくつかあります(表 6-1)。まず,子どもは養育者から露骨な悪意を経験すると,再び悪意を経験する苦痛を避けるための防衛として,他者の考えや感情について考えること抑制するようになります(メンタライジングの防衛的抑制)。次に,人生早期にトラウマなどの過剰なストレスを経験すると,脳神経の喚起メカニズムの機能が歪み,通常よりもはるかに低いレベルの脅威を重大な脅威と判断しやすくなります。そして,わずかな脅威によって,統制された(明示的)メンタライジングから自動的(黙示的)メンタライジングへの移行が生じます。言い換えれば,わずかな脅威に対しても闘争-闘争反応への移行が起きやすくなります。第三に,愛着トラウマは愛着システムを活性化させ,愛着対象に接近しようとする欲求と行動を激化させます。しかし,愛着対象が虐待的であれば,そのような愛着対象への接近は,新たなトラウマにつながります。そうなると,愛着システムはさらに激しく活性化されます。愛着システムの過剰な活性化が長期間持続すると,愛着対象に安心と慰めを求めることだけが関心事になり,メンタライジングは抑制されてしまいます。第四に,虐待的な養育者のなすがままになっているのではなく,虐待者をコントロールしているという錯覚を得る手段として,「攻撃者との同一化」が生じます。つまり,子どもは,攻撃者の憎しみと同一化し,自己の中に自分自身を憎む部分を「よそ者的」な(解離された)部分として内在化するのです。この「よそ者的自己」(alien self)は一時的な救いをもたらしますが,虐待者の破壊的意図が自己の外側ではなく内側から体験されるようになり,耐えがたい自己憎悪が生じるようになります。これは,例えば,自傷行為や自殺企画などの自己破壊的行為として表れます。完全な養育を受ける人はいませんので,誰でもよそ者的自己は多少は持っていますが,BPD においてはよそ者的自己が増殖し,自己構造の断片化が起きるほどになります。自己の断片化とは,自己にまとまりや連続性が感じられず,無意味感,無価値感,空虚感などに苛まれる状態です。この状態は非常に苦痛ですので,それを回避するためによそ者的自己を外在化する防衛(投影同一視)が用いられます。(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)のことです。 ii) 引用中の「表 6-1」を以下に引用します。ただし、「図 6-1」の引用は省略します。 iii) 引用中の「メンタライジング」、「心的等価モード」、「ふりをするモード」、「目的論的モード」、「投影同一視」及び「よそ者的自己」はそれぞれ他の拙エントリのここ(メンタライジング)ここ(心的等価モード)ここ(ふりをするモード)ここ(目的論的モード)ここ(投影同一視)ここ(よそ者的自己)を参照して下さい。 iv) 引用中の「闘争-闘争反応」は誤記で、正しくは「闘争-逃走反応」であると引用者は考えます。 v) 引用中の「不適切な養育」についての注は、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 境界性パーソナリティ障害についての本の紹介例が次のエントリに示されています。「パーソナリティ障害について」 ちなみにこの本の一部の記述を〔c〕項及び他の拙エントリのここで引用しています。 vii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。 viii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害

表 6-1 愛着トラウマとメンタライジングの機能不全(Bateman & Fonagy, 2010)
(1) トラウマ的体験は,メンタライズする能力の防衛的抑制をもたらす。
(2) 人生早期のトラウマは,喚起メカニズムの機能を歪め,自動的メンタライジングが生じる閾値を低下させる。
(3) トラウマに刺激されて愛着システムの持続的喚起が生じると,それはメンタライジングにおける特有の機能不全をもたらす。
(4) 攻撃者との同一化は,内在化された「よそ者的自己」の解離をもたらすことがある。

注:i) 引用した表 6-1 は形式を変更して表示しています。 ii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。

〔b〕境界例のイメージと具体例
注:ここにおいては、境界性パーソナリティ障害境界例に含めて紹介しています。

平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第11章 境界例と無明 の 第一節 境界例とは? の「第2項 境界例のイメージについて」、「第3項 境界例の具体例」及び「第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係」における記述又は記述の一部(P286~P295)を次に引用します。この引用にはケース提示を含みます。

第2項 境界例のイメージについて
筆者自身の経験、他の仲間から聞いたこと、書物などから得た知識を総合したイメージだが、大体以下の特徴が浮かんでくる。

破壊的行動
まず境界例状態に陥っている人の一番目立つ行動は、破壊的な行動障害だろう。すなわち、ちょっとしたきっかけで手頚を切ったり、薬を大量にのんだり、すぐに死のうとしたり、また器物を破壊したり、家族に暴力をふるったり、過食や拒食や見境なしのセックスに走ったりといったことだが、家族はこれでまずびっくりさせられ、そしてそれが頻繁になるにしたがい、苦悩に追い詰められていくのである(もちろん、本人も辛いのだが)。

傷つきやすさ
またこれと関係して、ちょっとしたことでひどく傷つきやすい精神の持ち主だと言えるし、さらに自分の衝動や欲求をコントロールすることも苦手である。この傷つきは本人に、うつ症状(抑うつ感、むなしさ、孤独感など)や身体症状(不眠、頭痛、めまい、身体の麻痺など)や精神症状(強迫症状、対人恐怖、離人感といった神経症症状だけでなく、幻覚妄想といった精神病症状、健忘を伴う突然の解離性行動など)、さらには今述べた破壊行動等多彩な症状をもたらす。

アラジンの魔法のランプ願望
この傷つきやすさと関係するのだが、境界例では他者(家族や治療者といった重要対象)を理想化すること(相手は万能であって、何でも自分の思いどおりに動いてくれるはずだ、完全に自分の味方だといった)がとても強い。しかし、こうした理想化、期待し過ぎは当然幻想的なもので、現実(相手は自分の理想どおり動かない)に出会うともろくも崩れてしまう。
しかし、その現実を受け入れられず、今度は逆に相手をものすごく非難し攻撃するのである。すなわち境界例にあってはアラジンの魔法のランプ願望が、非常に強いと言える(治療者や家族といった相手を神様のように仕立て、奴隷のようにこき使い、意に沿わないと悪魔のように無茶苦茶に蔑むといった)。

対人関係の不安定さとコントロールカの低下
したがって、対人関係は非常に不安定なものとなり、ある時は相手をすごく賞賛し頼っていたのが、ある時は逆に「冷たい」「意地悪」「無能だ」と言ってけなしたり、攻撃したりしてしまうのである。こうした不安定さも周りの人々(家族、治療者など)をひどく困惑させる。
また、困ったことにこの攻撃はいったん始まると、先述したように自己コントロールが難しいため、一度怒りの感情をぶつけると止まらなくなるのである。
この自己コントロールのなさや理想化とも関係するのだが、彼らは自己の確立ができていない。すなわち「自分が何ものであるのか」「自分は何をしたいのか」「自分は周りとどのように付き合っていけばいいのか」といったことに対して明確なイメージを持てていない。また表面的に社会に合わせていく自分を持っている場合もあるのだが、それは仮の自己であることが多い。つまり自己同一性の障害が強いと言えるだろう。

自己の未確立
このように真の確固とした自己が確立されていないから、常に見捨てられ不安が強くひとりでいることができないし、また心の中はいつも憂鬱さやむなしさが占めていると言える。それで必死に周りの人間にしがみつくのである。
そして、自分で何も決められないので周りの人に決めさせるが、周りがどの決定をしても本人には気に入らないことになり、周りに文句を言い、それで周囲の人間はいっそう困惑するということになる。
ざっと以上のようなイメージだが、読者の方は、読んでいるだけで大変な状態だと思われたと思う。ただ、境界例患者を持った家族の方、境界例と関わったことのある治療者や周辺の方々(学校の先生、友人など)は、いずれもその大変さに思い当るところが多いのではと思う(一番大変なのは本人だと思うが)。
ただ、今のような点は、何も普通の人間からかけ離れたものではなくて、人間に共通する弱点という気がする(これは、神経症でも統合失調症でも同じことだが)。そして、特に人間の中の幼児性が強くなったというか、まだ大人の部分が未発達というように言えるかもしれない。

境界例の診断基準
ここまで、述べてきたついでに、境界例(正確には境界例人格障害)に関する、アメリカの診断基準があるので、それを以下に述べておく。
①不安定を対人関係
②衝動性
③感情の不安定性
④不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)
⑤自殺の危険性、自殺するという振る舞い
⑥自己同一性の顕著な混乱
⑦空虚感、退屈さ
⑧見捨てられ不安とそれを避ける行為
⑨一過性の妄想・解離現象
といったようなものである。

第3項 境界例の具体例
ただ、今の説明だけではまだわかりにくいかもしれないので、実例を手短に挙げさせてもらう。年齢は筆者の初診時である。

十四歳女子中学生
裕福だが複雑で、不安定な家庭環境で育ち、小学六年の時、ちょっとした不満から頭痛や吐き気を訴え、不登校が始まる。いくつかの相談機関を訪れるが、改善せず、そのうち母に対する家庭内暴力や法外な要求が出てくる。中学二年の時は母に包丁をつきつけたり、母を攻撃するかと思えば、母に対するしがみつきも強い。

十七歳女子高生
感じやすい子。とても良い子で成績もよく親の自慢の子で反抗することがほとんどなかった。ただ本当に仲のよい友達がいなかったらしく、中学半ばで引きこもりやうつ状態に陥る。一時的によくなるも生き生きしたところは回復せず。高校より、唯一の頼りであった成績が低下し手頚を切る。頭痛、不眠も始まり精神科に通院するが薬物大量摂取が起きる。また精神科医に対する見捨てられ不安で自殺願望が強くなり、治療者のもとを訪れる。

十七歳女子高生
父親不在(仕事のため)で母子が密着。高校まではがんばりやで優等生。しかし高校で成績が低下し、先生の注目を集められなくなり、また友達の一言で傷つき、失声となったり過呼吸発作を起こしたりする。精神科治療で失声や過呼吸はましになるも、幻聴、離人感、対人緊張、自殺念慮、被害感が出てくる。治療がすすむにつれ、抑うつ感、自己同一性の障害(自分が自分でない感じ、本当の自分がわからない)、見捨てられ不安を訴える。

十九歳男性
小学一年の頃より、体が弱くて不登校を繰り返す。中学よりささいな事が気になり強迫行動が強くなる。高校三年では友達関係と受験の悩みで胃腸症状が出現。続いてイライラが強まり家で暴れたり、不登校が再発。また精神病院に二回入院するも、すぐにトラブルを起こし退院となる。不安、強迫観念が強く来院。

二十歳男性
身体が弱かった事や母親が神経質であった事もあり、外での遊びが禁止されていた。勉強ばかりで友達がいなかった。中学に入っても孤独の状態が続く。その頃より、心気的こだわり、男子生徒への恐怖、親や教師への暴言、母への家庭内暴力不登校、不眠、自己臭があり、自室に閉じこもる。高校に入学するもすぐに退学。引きこもりが続き、症状が改善しないため、家族が相談に来院。

二十歳女性
チック。友達ができず。小学高学年より強迫症状。中学より嘔吐、発熱等の身体症状。成績はよかったが、高校でささいな事から、再び孤立し不登校。発熱で入院。イライラ、リスト・カット、家庭内暴力が強くなる。某治療者の密着した治療法が外傷的に作用し失立、失歩出現、リスト・カット、家庭内暴力も強くなり来院。

二十一歳女性
小学生の頃から体が弱い。中学三年で友人の死によって失神発作が始まる。高校でも不調でよく不登校。左手知覚麻痺もある。短大二年で知らずにリスト・カット。頭痛のため内科入院。その後頭を打ち付ける行為があり、精神科へ。失声もあり。

二十三歳女性
小さい時から気が小さく、人の中に入っていけなかったが、母が甘いこともあって家ではわがままであった。高校の頃より体が弱いことや交友関係の悩みで不登校になったり勉強に身が入らず、不本意な大学に入学。その後、頭痛、吐き気などに続いてイライラ、家庭内暴力がひどくなり、母を包丁で傷つけたこともある。いくつかの治療機関にかかるが、すぐに気にいらなくて止めてしまう。その後、リスト・カットや自殺行為があり、二回の入院を経て、当院へ。親や恋人は彼女に熱心なのに、本人の見捨てられ感は相当に強い。

二十四歳女性(二児の母)
小さいときからわがまま。中学から不安定、物事の遂行困難、怒りのコントロール不能。十八歳で結婚、出産するも子供の世話ができず。親子喧嘩のたびに大量服薬の形で自殺未遂。治療者にすごく甘えようとするが、甘えを受け入れられないと罵倒する。

三十二歳女性(二児の母)
幼い頃より従順で反抗期がなく、勉強一筋であったが、父が暴力的なこともあり、家庭内での安全感は薄かった。成績は優秀だったが家庭の事情で高校卒業後は就職。その際、対人関係に自信がないということをもらしていた。
就職後、良い上司に恵まれ、一時は順調だったが、結婚した夫が大人になりきれていないため、子育てが終わる頃より、うつ的になると同時に、夫に対する暴力や自傷行為が始まる。入院、外来治療をするも、限界設定や、治療の構造枠がしっかりしておらず、また家族療法的視点が欠けていたため、症状が改善せず、リスト・カットがひどくなったため、筆者とは別の治療者に交代し、問題は残るものの安定をやや取り戻す。

全例に共通するもの
以上、たくさんの例でいささかうんざりされたと思うが、全例に共通するものとして、なにか小さい頃から違和感があったり、良い子で成績はいいが友達は少なかったりということ(逆にわがままな例もある)と、それから多彩な症状や破壊行動(家庭内暴力、リスト・カット、自殺願望など)が印象に残ったと思う。

第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係
これを踏まえて、筆者自身の境界例の印象を言うと、
①いろいろな心の病のそれこそ境界に位置し、カメレオン的に症状が変化する。
②そして特に、神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する。
③すなわち、訴えは神経症のようにしつこく、いろいろなことを気にする。しかし、時として精神病のように現実から逸脱した行動を取ったり、幻聴・妄想といった精神病の症状を示し、現実認識も著しく低下する時がある(自分の問題を人のせいにするといった投影傾向が著しい)。そして、根底では自己の存在感や自信がないといったうつ的傾向が横たわっている。しかし、健常人と同じか、それ以上に鋭い観察・認識ができるため、いっそう自分の症状や他者への不満を強く感じたりして、苦しむ度合いも強くなる。
④先の四つの境界だけではなく、心身症や依存症の状態を示す時もある。
といったことになるだろう。(後略)

注:(i) 引用中の「境界例」の表記において、境界例境界性パーソナリティ障害とも呼ばれるが、呼称が長いので境界例という言葉を使用したようです。ちなみに、かつて境界例とは、精神病圏と神経症圏の境界にあるものを指していたようです。これに関連して、岡田尊司の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行)の P83~P84 においては次のように記述されています(【 】内)。【境界性という言い方は、先にも述べたように、当初、精神病と神経症の中間、あるいは精神病と正常の境界線という意味で用いられたが、当時、「精神病」という名のもとに想定されていた疾患は、統合失調症であった。つまり、七〇年代頃までの考え方は、境界性パーソナリティ障害を、統合失調症神経症の境界的状態と見る考え方が主流だった。】*8 一方、本の筆者の見解によると、上記引用にもあるように、境界例とは「神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する」もののようです。 (ii) 引用中の「神経症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。「神経症(不安障害)とは?」、「神経症性障害 - 脳科学辞典」 (iii) 無明と境界例の関係に関する引用は省略しています。 (iv) 引用中の「限界設定」「治療の構造枠」については、〔c〕項を参照して下さい。 (v) 引用中の「見捨てられ不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 (vi) 引用中の「不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)」に関連する「怒りや感情のブレーキが利かない」については、ここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「投影」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (viii) 引用中の「破壊行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 (ix) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (x) 引用中の「解離状態」に関連する「解離」ついてはリンク集を参照して下さい。(用語:「解離(解離性障害)」) (xi) 引用中の「境界例の診断基準」に関連する「境界性パーソナリティ障害の診断基準:DSM-5」については、次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 ちなみに、上記用語「境界例の診断基準」を本エントリ作者はよく理解できていません。 (xii) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。「心身症 - 脳科学辞典」 (xiii) 引用中の「強迫症状」に関しては、例えば次のWEBページを参照して下さい。「強迫症 - 脳科学辞典」、「松永寿人先生に「強迫性障害」を訊く」 xiv) 引用中の「離人感」に関連する、 a) 「離人症状」について、平井孝雄著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第六章 境界例とは の 3 境界例の症状 の「(f)離人症状」における記述の一部(P119)を次に引用(『 』内)します。 『「現実感がない」「霧がかかっている」「自分がない」「自分というものを感じられない」「現実を生き生きと感じられない」といった訴えが強い。背後に自己不全感、自我同一性の混乱や未確立がある。』 b) 「解離性離人症」については「離人症」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) (トラウマの視点からの)「離人症」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「離人症/現実感喪失症

加えて、境界性パーソナリティ障害における追加のケース提示として岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第2編 パーソナリティ障害のタイプ――特徴、診断、背景、対処と克服など の (1)境界性パーソナリティ障害 の「変動の激しいお天気屋さん」における記述(P316~P317)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の最大の特徴は、変動が激しいということです。気分の面でもそうですし、対人関係や行動の面でも、短い間に別人のようにガラッと状態や態度が変わってしまうのです。
一時間前に、ニコニコ笑顔で別れたはずなのに、別人のように沈んだ呂律の回らない声で、今、睡眠薬を飲んで手首を切ったと電話がかかってきたりします。冗談のつもりで言った些細な一言で顔色が変わり、ベランダから飛び降りようとしたり、プイといなくなったかと思うと家出してしまったりということが起こります。自分を傷つける自傷行為や自殺企図が多いのも特徴です。だんだんエスカレートすると、ちょっとしたことで一気に落ち込んだり、激情的になり、危険な行動に走ることも頻繁に起こるようになります。
そのためパートナーや家族は、次第に腫れ物に触るか薄氷でも踏むように、本人の機嫌や顔色をうかがいながら暮らすようになります。言いたいことや叱りたいことがあっても、また機嫌を損ねて大騒動になったり、自傷や自殺をされてはいけないと周囲が気を遣って暮らすのです。
このように周囲を心理的にコントロールしたり、振り回してしまうのが境界性パーソナリティ障害の一つの大きな特徴だと言えます。
こうした操作は、一時的には本人に利益をもたらします。周りは本人の機嫌を取り、言うことを聞いてくれます。周りが自分の思い通りにしてくれるので、見かけ上、本人も落ち着いているように見えます。でも、それは一時的なことに過ぎません。
パートナーや家族も、腹のなかではただ機嫌を取っているだけだと感じていて、どこか「作り事」の生活をしているような感じを持っています。本音の部分は本人の前では出せないので、ただ我慢しているのです。しかし、よほど献身的な家族やパートナーでも、いつまでもそんな生活を続けることはほとんど不可能です。(中略)

より具体的に理解してもらうために、ケースをいくつか提示したいと思います。

ケース 1 自傷を繰り返す少女
中学三年の女子生徒。小学六年生の頃からリストカットをするようになり、中学に入ってから一層エスカレートした。学校のトイレにこもって、安全カミソリでリストカットアームカットを繰り返している。母親と弟の三人暮らし。父親は本人が小学二年のときに母親と別れ、他の女性と家庭を営んでいる。
口癖のように「死にたい」と言い、自殺を予告するようなことを口にする。熱心な教師に話を聞いてもらっているが、その教師がほかの生徒の相談に乗ったりすると、たちまち顔色が変わり、トイレにこもり始める。

ケース 2 親に「責任を取れ」と迫る高校生
十七歳の女子高校生。両親に大切に育てられた。中学までは優等生だったが、念願だった高校に入って急に成績が落ち、母親に対して反抗的になるとともに過食と嘔吐を繰り返すようになった。気分の起伏が激しく、調子よく歌を歌っているかと思うと、真っ暗にした部屋で布団を頭までかぶって寝ている。
食事を持っていっても手をつけないが、夜中に冷蔵庫の物を勝手に平らげてしまう。様子を聞こうと話しかけると急に怒り出す。「お前の言う通りにしてきて、このざまだ。責任を取れ」と母親の髪を掴んで振り回したり、母親が大切にしているタペストリーをハサミで切り刻む。
そんなふうに爆発したあとでは、母親の機嫌を取るようなことを言ったりもするが、それも束の間、本人の気分次第でまた態度が変わる。

ケース 3 家庭内暴力と薬物乱用の果てに
十九歳の男性。薬物乱用のため逮捕されて施設に送られてきた。体にはタトゥーが彫られ、根性焼きの痕もある。気持ちが落ち込み生きていても仕方がないと言い、イライラしていることが多い。
母親は父親よりずっと年下のお嬢さん育ちの女性だった。本人が覚えている母親の姿は、いつも鏡の前に座ってお化粧したり、洋服を取り替えて眺めている姿だった。母親が若い男性と不倫したため、小学一年のときに父母が離婚。母親は本人を引き取る気はなく父親に育てられる。
父親は本人の養育にかなり甘くすぐに金を与えていた。小四のときに父親が再婚し継母がきたが、まったくなつかず、その頃から反抗的になる。学校をさぼったり外泊を繰り返すようになったが、父親は摩擦を避け黙認していた。
中学に上がって急に体が大きくなると、継母の指導を嫌い、家庭内暴力が見られるようになったため、ワンルームマンションを借りて一人住まいをさせる。金がなくなると実家にやってきて暴れる。バンド仲間とつき合い始め、薬物を覚えてからますます生活が荒んでいった。

ケース 4 心と体に傷跡を抱えた女性
二十代半ばの女性。リストカットアームカットを繰り返し、体には傷跡が生々しく残っている。
学校時代は勉強もそこそこでき、努力家だった。ただ、姉はもっと優秀で、自分は親からあまり認めてもらえていないという気持ちは常々抱いていたと言う。短大を卒業して就職した年に、三十代初めの妻子持ちの男性と恋愛関係になる。両親はそのことを知って激怒し、本人を強く戒めた。相手の男性も急に尻込みし、結局、本人も納得して別れることになった。
その頃から気分が不安定になり、別れた男性に執拗に電話をかけたり、会ってくれと要求するようになった。男性も優柔不断で、あと一度だけという懇願や、「死にたい」という言葉に不安を覚えて言いなりになることもあった。
両親が再度介入し、男性は応じなくなったが、本人は「うつ」になったり、過呼吸の発作がひどくなった。仕事も辞め、母親にべったりまとわりつき、母親を執拗に責める。嫌気が差した母親が少しでも突き放した態度を取ると、「死んでやる」と危険な真似をしようとした。
周囲は本人の機嫌を損ねないようにビクビクして暮らすようになる。夜中だろうと母親を叩き起こして過去のことを蒸し返し、彼氏とのことだけでなく、幼い頃、自分にだけ冷たくしたのはどうしてかと問い詰める。母親は音をあげ、見かねた父親が注意すると、大声をあげて家から飛び出したり、ベランダから飛び降りようとする。
恋愛沙汰からもう三年が過ぎているが、些細なことで傷つくと落ち込んだり、突然自傷したりする。昼間眠り、夜になると不満を言って母親にまとわりつく。母親のほうも疲労しきっている。(後略)

〔c〕境界例治療事例
平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の「第一三章 境界例治療事例集」における記述の一部(P267~P273)を次に引用します。

▼さらに理解を深めるために、別の事例を提示してくれませんか。
――わかりました。どれも典型例かどうかわかりませんが、いくつかあげてみます。最初のG事例は、治療目標や治療構造や限界設定の大切さを教えられた例です。

[事例G]むさぼり、自己のなさ、限界設定の重要さを示した例-一八歳女子・高校中退

Gは一八歳の少女で、高一のころから不登校となり、家で引きこもる生活になった。そのうち、家庭内暴力が発生し、「こうなったのは親のせいだから、なんとかしてくれ」という訴えが激しくなった。困った両親はカウンセラー(中年女性)のもとへ相談にいくようになった。もともとGは、素直で両親の言うことをよく聞くいい子だったとのことで、今度のことで、両親はとても困惑しているようであった。
カウンセラーは両親に「できるだけ本人の気持ちになって言うとおりにしてあげて」という対応の指導をした。しかし、彼女の荒れはおさまるどころかだんだんひどくなった。両親がこのことを訴えると、カウンセラーは本人に手紙を書いたり、電話をしたりして本人の気持ちをくもうとした。
最初のうち、本人は心をあまり開かなかったようだが、徐々に辛さを訴えるようになり、カウンセラーはできるだけ、その辛さに共感しようとした。その気持ちが通じたのか、本人はカウンセラーのところへ来られるようになり、今までの辛かったことや、とくに母にたいしての不満や怒りや、学校時代の嫌なことについて述べだした。カウンセラーは、さらに共感的に聞くようになってきたところ、面接回数を増やしてほしいと言われ、それに応じた。また面接外にもふらっとあらわれることがあり、それにたいして時間の許すかぎり、誠実につきあおうとした。また喫茶店でも会いたいという本人の希望を満たしてあげていた。
そのうち電話が時間外にかかってくるようになり、それにも応じてあげた。しかし、その電話が深夜に、しかも頻繁で深刻な内容(「親を殺したい」「家にいたくない。カウンセラーの家で暮らしたい。それを受け入れてもらわないと死んでしまう」など)になるにしたがって、カウンセラーは徐々に重荷になってきた。そして、以前から思っていた「これだけ要求を受け入れ、愛情を満たしてあげているのに何がまだ足りないのかしら。もう少し人の迷惑も考えたら」との疑問が生じてきて、ついに「深夜の電話だけはやめてちょうだい」と本人に伝えた。
それを聞いた本人は激怒し「今まで『私の辛さはよくわかる』とか『最後まで見捨てない』と言っていたのは嘘だったのか」と言い「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」と言って、その夜、手首を切った。命に別状はなかったものの、家族からは「最初は少しよかったように思えたけれど、結局、同じようなことになってきて、今はカウンセリングにかかって、かえって悪化した」と言われた。
これを聞いたカウンセラーはすっかり落ちこんでしまい、筆者に相談に来るとともにこのGを引き受けてくれないかという依頼をしてきた。筆者は、境界例の病理を説明するとともに、彼女が来たいならみましょうと述べた。ただ、そうはいっても、彼女はなかなか筆者のもとに来所せず、そのカウンセラーにひきつづきしがみつこうとしたが、カウンセラーが正直に自分の限界を認めたために、Gもしぶしぶ、筆者のもとにやって来た。
最初五回ほどの審査面接をおこない、ある程度の関係ができたあと、面接のルール(面接外の電話は原則として禁止)、限界設定(カウンセリング中は自傷他害の行為はしない。すれば入院)を敷いたあと、面接をつづけた。その面接のなかでわかったことは、「いくら聞いてもらったり、何かしてもらっても、満足しないこと」「ほんとうの満足が何かわからないこと」「満足を感じる自分自身がいないこと」などであった。
この流れのなかで、本人の課題は徐々に「自分で考える」「自分で決める」「自分で行動する」「自分の行動の責任は自分がとる」という自立や自己確立となってきた。そして、本人のもっとも苦手とする問題、境界例にとっては最高の難問「自分がほんとうのところ何を求めているのか」という問題についても考えられるようになった。少しずつ、アルバイトと大検の勉強をしはじめ、大学のデザイン科に入学した。もちろん、そのころは暴力やしがみつきもなく落ち着いた状態だったので、筆者とのカウンセリングは一応終了したが、そのあとも不安になるたびに相談に来ていた。
ただ、入学にいたるまで、筆者との間でも、行動化の頻発やルール破りが続出し、そのたびにそのことをふくめ治療全般のことを話し合うことがくり返された。しかし、いくら話し合っても同じことがくり返され、なかなか自覚が深まらず、治療者がうんざりしかけたときもあった。ただ、根気よく接していると、少しずつ自分の感情や自分の問題点に気づきだし、大字入学までこぎつけたのである。現在は結婚しているが、それでも、ときどき面接を求めてくる。

[事例G解説]
(1)臨床家の多くは十数年前から境界例に悩まされはじめる
▼これは、いつごろの事例ですか?
――一〇年以上前の事例です。成田善弘の『青年期境界例』(32)という好著が出る数年前で、私のなかでちょうど境界例への関心が高まってきていたころです。精神分析学会では、これよりかなり前から話題にはなっていましたが、このころ一般の臨床家のなかでも、境界例にふりまわされる人が増えてきていたようです。
▼この事例は、実によく境界例の特徴があらわれていると同時に、治療の入口の大事さ、難しさを教えてくれているようですね。
(2)三点セットの重要性-体験の大事さ、中途変更の困難さ
――この事例でつくづく感じることは、第九章でも強調したように、①治療構造の確立・ルール作り、②限界設定、③治療目標の共有、がいかに大事かということです。これらは境界例治療の三点セットか、三種の神器ともいえます。
▼それから考えると、このカウンセラーの方は、こういうことをあまり知らなかったのでしょうか?
――いや、そんなことはないと思います。ただ知識として知っているのと、その問題点のすごさを実感として体験しているのとはやはりちがいますから、失礼ながら、知識上だけで、重症境界例の治療経験はなかったようです。
▼準備をあまりせず、治療か、カウンセリングに入ったということですか?
――そういうことかもしれません。
▼ただ、途中で変だと思わなかったんでしょうか?
――もちろん思ったと思います。しかし、いったんはじまった受容・共感路線は、おかしいと思ってもなかなか途中でやめられないんです。だから、理想的には、スーパービジョンを定期的に受けながらカウンセリングをすべきです。それにカウンセラーの方のなかには、受容・共感こそ治療の王道と考えている人も多いので、よけい変更は難しかったのかもしれません。
▼でも、ほんとうの受容・共感って、相手に具合いの悪い問題点を感じると、それを取り上げそのことをめぐって対話するってことなんでしょう。
――そのことにも気づいておられたようですが、むしろ「自分の受容・共感が不十分だからこうなった」とも考えていたようです。それで結局、行き詰まっていったようです。
▼人間というのは、ぎりぎり因ってから相談に来ることが多いんですね。だから、理想でしょうけど、あらかじめどれくらい困ることになるかの予想が大事なんですね。
(3)苦の移しかえに注意-「幸いですね」「たいへんですね」発言の危鹸性
――そういう三点セットの下準備を十分にせずに、ただひたすら親切に受容・共感を示し患者と交流をはかろうとしたと思われます。それは神経症レベルや健康部分の多い人には通じるかもしれません。そういう人はカウンセラーに援助してもらっても、悩みの解決は自分でするものという健全な自覚があります。しかし、境界例傾向の強い人は、悩みや苦はすべて治療者に移しかえられてしまうので、下手に受容・共感すると、はてしない悪性の依存が生ずるのです。
▼だから、境界例的な人に「辛いですね」と不用意に共感したようなことを言うと、その辛さを治療者が全部とってくれるのでは、と考えてしまいやすいんですね。
――そういうことですが、もちろん「辛いね」と言うのは絶対にいけないことではありません。ただ言うからには、そのプラス・マイナスを考え、相当の覚悟をしておく必要があります。
(4)はてしなき欲求と「自己のなさ」
▼G事例にもどりますが、Gのなかでいちばんめだつものは何ですか?
――それは、彼女の飽くなき愛情欲求です。最初は面接だけで満足していたのかもしれませんが、そのうち面接の回数の増加、面接時間外での接触、電話、それも頻回で深夜にまでおよぶ電話の要求とエスカレートしていっています。これにたいし、カウンセラーは誠実に対応し「愛情飢餓」にたいして、愛情を満たしてあげれば落ち着くと考えだのかもしれませんが、そうはならなかったのです。
▼どうしてなんでしょうか?
――境界例が、このようにはてしのない「むさぼり」の状態になるのは、結局「自己のなさ」に大きな原因が求められるのです。自己がなければ、満足する自己もなく、したがって、いつまでも不満の「無間地獄」に陥ることになります。逆に自己がしっかり確立していれば、そんなに物が与えられなくても自足します。人間は自分で考え、決断し、自己責任をもって行動したことに関しては、結果がどのようなものであれ、そこにある種の満足を見いたすものです。
ですから「自己確立」の不十分な境界例に安易な共感は禁物であり、また「本人の言うとおりにさせる」のはたいへん危険なことで、欲求はエスカレートし、とどまるところを知らなくなります。そして、もっとも深刻な悲劇である、傷害・殺人のような事件にまでいたることもあるのです。「むさぼる自己」は「満足を知らない自己」でもあるのです。したがって、まず治療構造という外的枠を作ってあげて、そのなかで治療的対話をおこなうと、徐々に内的枠ができ、自己確立へ向かっていくのです。
▼自己の欲求をコントロールする「自己」の育成が大事になるんですね。
――それがたいへんなことなのです。この事例も、治療構造、限界設定をやって再スタートしたにもかかわらず、再三ルール破りや限界を越えたりして、さんざん苦労させられました。前に述べたように限界設定は、それを維持しつづけるほうが難しいといえます。

注:i) この本のタイトル中の「境界例」は専ら境界性パーソナリティ障害参照)を指すようです。 ii) 引用中の「(32)」は成田善弘『青年期境界例』(金剛出版、一九八九)です。 iii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iv) 引用中の「共感」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」に関連する「見捨てられることへの強い不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 vi) 引用においてGがまずカウンセラーを理想化した後、脱価値化(こき下ろし)したように見えることに関しては、〔b〕項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリ及びWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 vii) 引用中の「スーパービジョン」は、例えば、カウンセラーが指導者(スーパーバイザー)から教育をうけるプロセスのことのようです。 viii) 引用中の「むさぼり」は、はてしない際限のない欲求のことを指すようです。 ix) 引用中の「治療構造、限界設定」に関連して、次のエントリを参照すると良いかもしれません。「パーソナリティ障害の治療・対応について」 x) 引用中の「カウンセラーが正直に自分の限界を認めた」ことに関連するかもしれない『トラウマの治療で、最初は治療者が「私がなんとかします」といきり立って、途中でキャパオーバーになり、「ちょっと、これはできない」と方針を切り替え始める』ことについての一連ツイートがあります。加えて、上記『最初は治療者が「私がなんとかします」といきり立って、途中でキャパオーバーになる』のは「メサイア・コンプレックスを自覚できない治療者に多いパターン」であることを記述するツイートもあります。その上に上記一連ツイートを補足説明するツイートもあります。

〔d〕境界性パーソナリテイ障害
最初に、見捨てられ不安を強調している市橋秀夫監修の本、「境界性パーソナリテイ障害は治せる! 正しい理解と治療法」(2013年発行)の「Part.1 ケースで見る境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P22)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の患者さんの根底には「見捨てられ不安」がある。見捨てられることに対する強い恐怖感、不安感からさまざまな感情が生まれ、それが行動化して周囲を困らせる。人間関係に支障が出るため、社会生活にも影響する。

注:i) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) ちなみに、引用中の「パーソナリティ障害」に対する見解は、次に引用するように、同本の「●パーソナリテイ障害とは」における記述の一部(P9)に示されています。

パーソナリティとは、外界からの刺激に対する、その人固有の受け止め方や反応のパターンのことです。刺激に対して、特有の病的な反応を示すのがパーソナリティ障害です。

加えて、市橋秀夫監修の本、「パーソナリティ障害 正しい知識と治し方」(2017年発行)の 3 境界性パーソナリティ の「本人のつらさ①」における記述の一部(P46~P47)を次に引用します。

わき上がる「七つの感情」に支配される
現実の世界で起こったささいなできごとに、心の中の「見捨てられ不安」が呼び起こされると、それを種にして七つの強い破壊的な感情がわき上がり、本人を苦しめます。これが問題行動につながります。(中略)

七つの感情は七人の騎士?
見捨てられに関する七つの感情は、精神分析家のマーガレット・マーラーが「黙示録の七人の騎士」になぞらえたものです。(中略)

①憤怒
噴出する激しい怒りです。ひどい暴言を吐く、ものを壊す、相手に暴力を加える、自傷する、わめきちらすなど。大切な人間関係を壊してしまいます。

②空虚感(むなしさ)
空っぽな感じ。怒りのあとにも出現しますが、淋しさのあとに突然おそってきます。真っ暗な穴に吸い込まれるような感覚があります。過食、万引き、乱費につながることもあります。

③自暴自棄
どうにでもなれという捨て鉢な感情。危険な運転をしたり、ゆきずりの相手と性的関係を結んだり、暴れたり、わざと人間関係を壊すような行動をすることもあります。

④絶望
もうダメという感情です。すべての道が閉ざされ、なにもない、生きる意味も見つからない、すべて終わったと感じます。

⑤よるべのない不安
自分がなんなのか、なにを望んでいるのか、自分の足で立てない、だれも頼りにならない、なにが不安なのかわからない、実体のない自分が漂っているだけという感情です。

抑うつ
うつ病と同じような気分です。暗く重い気分、晴れやかさがなく、なにを見ても楽しくない、興味や関心が向かない、体が重い、やる気が起こらない、ポジティブな思考ができないなどです。

⑦孤立無援感
だれも助けにきてくれない、だれにも頼れない、ひとりぼっちという感情です。(中略)

突然、心の中に嵐が吹き荒れる(中略)

見捨てられに関連するこの感情を、「穴に吸い込まれる」「落ち込む」と多くの人は表現します。嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内なのですが、ひんぱんにおそってくるので、ずっと続いているように感じられます。この状態になることが、極端な行動(問題行動)のもとにあるのです。

注:i) この引用元の一部は元来イラストですが、引用者が形式を変更して引用しました。 ii) 引用中の「問題行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iii) 引用中の「見捨てられに関する七つの感情」に関連するかもしれない「早期不適応的スキーマ」については、ここを参照して下さい。 iv) 引用中の「嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内」に関連する「負の感情の嵐を30分がまんする」ことについて、引用元と同じ  の「自分にできること①」における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『①30分がまんする 負の感情の嵐は激しいものですが、続くのはせいぜい30分ほどです。嵐をくり返し経験していると、ずっと続いているように思い込んでしまう場合があります。問題行動に走らずがまんしているうち、30分ほどで嵐が終わることを確かめましょう。』 加えて、a) DBT(弁証法的行動療法、ここを参照)の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、「腹が立ったら、数を最大千まで数える」ことについての次に引用(『 』内)するジェファーソンのことば(上記添付資料における P36)があります。 『・腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。それでもだめなら千まで数えよ。』 その上に、怒りを鎮めるための時間を置く行動としての「6秒数える」、100から7を順番に引いていく」や「素数を数える」ことについては共に次のWEBページを参照して下さい。 「松崎先生が教える!怒りのタイプ分けと対処法2選」の「―――自分自身の怒りをコントロールすることは、簡単なことではありません。 怒りが湧き上がったときの対処法について、お聞かせください。」項 b) 森田療法における感情の法則については、次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項 c) 「感情等がピークアウトしたら、選択をすることができるようになる」ことについてはここを参照して下さい。 v) ちなみに、 a) 引用中の「強い破壊的な感情がわき上がり」に関連するかもしれない、スキーマ療法の視点からのスキーマモードにおけるチャイルドモードの一種である「怒れるチャイルドモード」、「激怒するチャイルドモード」及び「脆弱なチャイルドモード」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 引用中の「噴出する激しい怒り」に関連するかもしれない「怒りや感情のブレーキが利かない」について、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第二章 境界性パーソナル障害はこうして現れる の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「④怒りや感情のブレーキが利かない」における記述(P53~P54)を次に引用します。 c) 境界性パーソナリティ障害と情動のコントロール不全との関係については、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の「過剰に反応してしまう」における記述の一部(P84~P86)を次に引用します。 d) 一方、この引用元の本と監修者が同じにおいては、気持ちや行動をコントロールする5つの Lesson が示されています。この本の裏表紙から要点を以下に引用しますが、詳しくはの「抑うつに負けない! セルフコントロールLesson Book」(P77~P95)を参照して下さい。

④怒りや感情のブレーキが利かない
境界性パーソナリティ障害の人は、とても傷つきやすく、傷つけられたことに対して過剰な反応を起こしやすい。感情のブレーキが利きにくく、些細なことで腹を立てたり、癇癪を起こしたり、激しい怒りに囚われやすい。
それまで物静かで、控えめにさえ見えた人が、自分の思い通りにならない状況に出くわすと激しい怒りを覚え、ガラッと態度や表情を変えて、攻撃的になるということがしばしば起きる。親しく、甘えられる相手ほど、そうしたことが起きやすい。「自分の家族に対して、すぐカッとなりやすい。母や彼女に対して、すぐ手が出てしまう」と述べた青年のように、親しい人、依存している人、甘えを許してくれる人に対してだけ、出現しやすいのが特徴である。
本人自身もそこまで言うつもりはないとわかっていても、傷つけられたり、目先のことで怒りを覚えると、止められなくなってしまう。自分を守ろうとして、あるいは、わかってもらえないという苛立ちから居丈高になったり、攻撃的になってしまいやすい。
最初は穏やかそうに見えていたので、態度や口調の豹変に周囲は驚く。怒りに囚われてしまうと、他のことは頭から飛んでしまい、場所柄や周囲の状況に関係なく激しく反応してしまう傾向がある。

一人でいるのか不安で、気持ちが沈むので入院させてほしい、と医療機関の外来を訪れた二十歳過ぎの女性は、弱々しい声で、切々と自分の苦しさを訴えていた。しかし、診察した医師から、今の状態では入院する必要はないと告げられた途端に、表情が一変し、医師に食ってかかり始めた。それでも思い通りにしてもらえないとわかると、診察机の上にブーツの足を乗せ、腕組みし、罵詈雑言を吐いて、怒りを爆発させた。
だが、次にやってきたときは、しおらしい態度に戻っていて、前回の失礼な態度を自ら詫びた。しかし、また思い通りにならないことが出てくると顔つきが変わり、言葉がきつくなる。

過剰に反応してしまう(中略)

認知行動療法から、境界性パーソナリティ障害に特化した治療法を確立したマーシャ・リネハンも、境界性パーソナリティ障害の基本症状を、情動のコントロールの問題だと考えている。情動とは、怒りや悲しみといった、生存に関わる強い感情のことである。通常の状態では、情動は穏やかにコントロールされていて、泣いたり憤慨したり、脅威を感じたりということは普段の生活において、そうやたらに起きないようになっている。自分の安全や尊厳が重大な脅威にさらされるとか、特別によいことや悪いことがあったときだけ、それは強く興奮して、行動を引き起こす。
ところが、情動のコントロールがうまくいかないと、些細なことにでも過剰な反応を生じたり、極端な言動となって現れたりしやすくなる。それが変動の激しさとして、周囲に感じられることになる。リネハンによれば、情動のコントロールがうまくいかないことが、行動や対人関係、アイデンティティの面での不安定さにもつながり、それらにおいても、同じように極端な変動が見られやすくなる。
根本的な問題として、情動のコントロール不全があり、そこから行動、対人関係、自己同一性、認知の面でも、不安定でコントロールを失った状態が現れやすいという考え方も支持を得てきている。
この情動のコントロール不全という問題には、二つの側面がある。一つは、気分や感情の微妙なコントロールがうまくいかず、気分のアップダウンが激しいということである。
そして、もう一つは、とても傷つきやすく、一見些細に思える出来事に対して、過剰な情動反応を引き起こすということである。前者は、躁うつ的な気分のコントロールの問題であり、後者は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。(後略)

注:i) 引用中の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。」に関連するかもしれない(PTSD又は複雑性PTSDにおける)『「対人過敏」という症状』については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点からここを参照して下さい。

不安や衝動から抜けだそう!

気持ちや行動をコントロールする5つのLesson

Lesson1 心の奥に「子どもの自分」と「大人の自分」がいることを知り、どちらも「自分」であることを受け入れる

Lesson2 自分を客観視し、問題行動が何も解決しないことに気づく

Lesson3 過去を振り返るのは現状分析のときだけ。分析が終わったらそこで決別する

Lesson4 「相手が自分と同じ道を歩いている」という勝手な幻想を捨てる

Lesson5 衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる

注:i) 引用中の「子どもの自分」の例として同本の P80 において、「見捨てられたくない」「もっと愛情を注いでほしい」「すべて思い通りにしたい」「自分と同じ道を歩いてほしい」「ちやほやされたい」「抱きしめてほしい」が示されています。さらに、同頁には『境界性パーソナリティ障害の患者さんは、「子ども」の部分に思考が占領されやすい。』との記述があります。 ii) 一方、引用中の「大人の自分」の例として同本の P81 において、「こんなことで見捨てられないということを知っている」「我慢できる」「自分と周りは違うということを理解している」ことが示されています。さらに、同頁には引用中の「Lesson1」の目標として、『「大人の自分」の割合を増やしていく』との記述があります。一方、この項における引用と多少関連があるかもしれないスキーマ療法に関する引用は、リンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる」に関しては、同本の P89 において、「実際に不安や衝動の波がおそいかかってきたときは、逃げるのではなく、真正面から向かい合う。」「逃げられないのなら正面から向かい合って30分耐える」との記述があります。 iv) 引用中の「Lesson」を行う等の治療のゴールに関しては、同本の P95 において、次の記述があります。『あなたを支配している「亡霊」がいなくなれば、そこがゴールです。』 ちなみに、この「亡霊」に関連するかもしれない、スキーマ療法の視点からの「早期不適応的スキーマ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の『「相手が自分と同じ道を歩いている」という勝手な幻想』に関連する、 a) 「自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまいになる」については、ここにおける引用の「②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい」項及びここにおける引用の「自己と他者の境界が暖味になる」項を、 b) 「自分が良いと思うことは他者も良いと思っている、と思い込んでいる」についてはここを それぞれ参照して下さい。

さらに、次に示す部分をそれぞれ以下に引用します。 a) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「枠組みのない状況が苦手である」における記述の一部(P70)、「自己と他者の境界が曖昧になる」における記述の一部(P72~P73)、「心から安心することができない」における記述の一部(P74~P76)及び「思い通りにならないと攻撃されていると思う」における記述の一部(P76~P80)をまとめて b) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 13章 鑑別診断-統合失調症境界性パーソナリティ障害 の「本来の BPD とはどのような様態なのか」における記述の一部(P252) c) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第六章 境界性パーソナル障害を支える の「うまくいかないときこそ真価が問われる」における記述の一部(P195) d) 岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の 第3章 「絆の病」と家族 の「マインドフルネスの効果」における記述の一部(P114~P115)*9

枠組みのない状況が苦手である
境界性パーソナリティ障害の認知の特性として、最初に知られるようになったことの一つは、しっかりと構造化された状況においては、何の問題もなく対処することができるのに、構造が曖昧な状況では、戸惑いや混乱を引き起こしやすいということである。
例えば、規則や目的がかっちりして、それに沿って生活しているときは、さして問題はなかったのに、細かい規則や決められた日課もなく、要求するままに応じてもらえるような受容的な状況に置かれると、かえって情緒が不安定となる。どんどん要求を膨らませ、対応の些細な違いが気になりだす上に、不満や苛立ちが募り、行動や感情にブレーキがかからなくなる。
質問されたことだけに答えるというやりとりをしているうちは、さして問題ないのに、思いつくことを気ままに喋り出すと、だんだん話がとりとめなくなり、非現実的で極端な方向に脱線しやすい。話しているうちに、ひどく動揺をきたす。(中略)

後の章でも述べるが、この特性は、境界性パーソナリティ障害の人との関わりを考えていく上で、とても重要である。可能な限り明確な枠組みを設定し、曖昧な対応をしないようにすることが不可欠なのである。この点を押さえていないと、支えているはずが、どんどん悪化させてしまうということになりかねないのである。

自己と他者の境界が暖味になる
さらに研究が進むにつれ、もう一つの認知の特性が明らかとなった。それは、このタイプの人では、自分と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていないということである。そのため自分の視点と他者の視点を混同してしまいやすい。自分が好きなものは、相手も気に入るに違いない、逆に、自分が嫌いなものは、相手も嫌うはずだと思う。自分と相手が別の存在で、自分の感じ方と相手の感じ方は別々のものだと頭では理解していても、いつのまにか混同し、そのことにも本人は気づかないのである。

アメリカの精神医学者オットー・カーンバーグは、対象との関係の成熟度により、パーソナリティ構造を三つのレベルに分類した。自己と対象の区別が混乱し、自我の境界が曖昧な状態を「精神病性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はある程度存在するものの、ストレスを受けた状態や構造化されていない状況においては区別が曖昧になり、混乱を生じやすい状態を「境界性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はしっかりしているものの、抑圧された葛藤のために、対象との関係で不安や緊張を生じやすい状態を「神経症性パーソナリティ構造」としたのである。「境界性パーソナリティ構造」が見られるものの代表的な状態が、境界性パーソナリティ障害である。
自己と他者の区別が曖昧になりやすい状況として重要なのは、ストレスを受けたときや、構造化されていない状況とともに、親密で依存した関係が挙げられる。甘えの許される親や恋人に対して、自分と相手との境界が失われてしまいやすい。
自己と対象が区別されているようで、しばしば混同される結果、常識が通用しない特有の問題が生じてくる。しばしば起こりやすい問題の一つは、すり替えである。本当の問題ではなく、目先の苦しさや些末なトラブル、相手の過失の方に問題を転嫁し、肝心な問題から逃げてしまいやすい。ことに、治療の最初の段階などでは、忍耐する力が弱いので、ちょっとした不快な出来事も、逃げるための口実となる。

もう一つ起こりやすい問題は、自分の基準でしか、相手を見ることができないということである。これは、周囲の問題にばかり目が向きやすい原因ともなる。対人関係や子育てでも相手を一面的に判断し、好き嫌いや支配の激しい、過酷な状況を作りやすい。
相手の気分に巻き込まれやすい傾向も見られる。相手の気分が伝染しやすいだけでなく、自分がイライラしていたり、気分を害していると、相手もイライラしていたり、気分を害しているように感じてしまうこともある。つまり、自分と相手の感情が混同されてしまうのである。自分が疎外感や劣等感を感じていると、相手が自分のことを邪魔者扱いしょうとしていたり、馬鹿にしているように感じてしまう。この場合は、自分の感じている恐れが周囲に投影され、迫害者を作り出してしまうのである。

心から安心することができない
自分と他者の境目が曖昧で、自分と他人の問題を混同しやすいということは、言い方を換えれば、他者からの影響を蒙りやすいということでもある。自己のアイデンティティも絶えず外界から脅かされやすいものとして感じられている。こうした心理状態は、強いストレスのかかった状況では誰にでも見られるものだが、境界性パーソナリティ障害の人では、それが日常的に、強い圧迫感をもって感じられやすい。その結果、境界性パーソナリティ障害の人は、自分が安全に守られているという基本的安心感に乏しく、ともすると、居場所のなさを覚えやすい。
基本的安心感の乏しきと、自己と対象の関係の不安定性さとは、深く結びついている。こうした未分化で、脆弱な自我を抱えてしまうことについては次の章で見ていくが、自分と他者とを切り離す最初の段階、つまり母子分離の段階でのつまずきが影響していることが多い。安心して母親の膝元から離れていくことができず、自分を独立した存在として確立することに、強い不安と恐れを覚えてしまったのである。
自我が未分化で他者と混同しやすい傾向は、その人の中に他者が絶えず介入し、その安全や主体性を脅かしてきたことの名残でもある。その結果、このタイプの人はいつも周囲から脅かされていると感じやすく、人を心から信じ、受け入れることができにくい。常に違和感を覚えてくつろげず、ありのままでいることができないという身の置きどころのなさを味わっている。

ある少女は、その違和感をこう語った。
「小学生の頃から、人と自分は、どこか違うという感じを抱いていた。それが中学になる頃には、いっそう強くなった。友達と楽しそうにしているときも、その振りをしているだけだった。そのことを冷ややかに見ている別の自分がいた。太宰治の『人間失格』を読んだとき、自分と同じだと思った」
そうした違和感の根源には、母親との絆の希薄さが影を落としているようにも思えた。少女は、幼い頃に母親と離別していたが、その後、思春期を迎え、交流が再開して、泊まりに行くようになったときのことを、こう回想した。
「母のところへ行くと、気持ちが悪くて眠れなかった。吐き気がして。本当の母なのに、気持ち悪いと思ってしまう」

思い通りにならないと攻撃されていると思う
カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」の提唱に先立つこと三十年も前に、その理論の基を築いたのがメラニー・クラインであった。(中略)

クラインによれば、子どもは成長段階により、二つの対象関係(対象との関わり方)を示す。一つは、ごく幼い乳児に典型的に見られるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌よくしているが、少しでもそれが損なわれると泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階である。よくお乳が出るオッパイは「よいオッパイ」、出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかない。それが、同じ母親の同じオッパイであるということなどは顧慮しない。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが、「よい」「悪い」の基準となる。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で、対象と結びつく関係を、クラインは「部分対象関係」と名づけた。

この段階では、自分の欲求充足を邪魔されると、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、泣きわめく。このように、自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、怒りを爆発させ、攻撃する心の状態を、クラインは「妄想・分裂ポジション」と呼んだ。
対象関係が未熟な人では、成人であろうと、この状態に陥りやすい。

「天気予報まで、私を裏切っている」
うつ状態や被害念慮(周囲から責められているという思い込み)から自殺企図を繰り返しているある女性は、ある日、落ち込んだときの状況を次のように述べた。
「毎日欠かさずに見ていた天気予報が外れた。私に意地悪をして、わざと外したように思えた。天気予報まで、私を裏切っている。もう何も信じられない気持ちになった」
天気予報という外界の出来事と、自分の内面的な心理状態が、半ば混同されてしまっていた。雨が降って、洗濯をしようと思っていた予定が狂わされたとき、計画通りにいかなかったことから生じる苛立ちが、天気予報が外れたという外界の出来事に投影され、天気予報さえもが自分を虐めていると感じるのである。女性は、妄想・分裂ポジションの状態に陥っていたと考えられる。ただし、妄想性障害のような固定化した妄想とは異なり、それは一過性に解除され、そう考えたことが現実的ではなかったことを理解することができる。境界性パーソナリティ障害では、こうした状態がしばしば見られる。

それに対して、離乳期頃から徐々に発達してくるもう一つの段階がある。その頃には、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常にすべて満たしてくれるわけではないことを少しずつ理解するようになる。さらに、成長するにつれて、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一人の同じ母親であることがわかり、どちらも受け止めることができるようになる。そうなると、自分の都合や欲求だけでなく、相手の都合や気持ちにも目がいくようになる。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、クラインは「全体対象関係」と名づけた。
全体対象関係の発達とともに、子どもたちには、それまで見られなかった状態が見られるようになる。母親に叱られたり、母親が悲しそうにしたときに、ただ泣きわめいて怒りや不満を爆発させるのではなく、自分の非を感じて、しょんぼりするという反応である。このように、問題の非が自分にあると受け止めて、沈んだ心の状態を「抑うつポジション」と呼んだ。

だが、自分の非を認めることには苦痛が伴う。そのため、それを強がりによってはね除けようとする反応も起きる。抑うつポジションを避けるために、強気な態度をとり、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」である。境界性パーソナリティ障害の人では、うつになるのを防ごうと、しばしば躁的防衛が見られ、心にもない強気な態度や居丈高な態度をとってしまうことが見られる。その一方で、躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがダメだと思って、深く落ち込んでしまいやすい。周囲の人は、躁的防衛の鎧を真に受けないことがポイントになる。
これらの理論は、児童の精神分析から生み出されたものだが、境界性パーソナリティ障害の人の心の動きを、実に見事に説明している。

ある二十代の女性は、自分の浮気が原因で、長年つき合っていた恋人と別れてしまったとき、「どうせ別れたかったので、清々した」と意気軒昂で、別れた恋人の悪口を言っていた。しかし、新しい恋人との関係がうまくいかなくなったとき、急激に抑うつ状態になり、前の恋人にした仕打ちを後悔し、自分を責め始めた。

注:i) 引用中の「自己と他者の境界が暖味になる」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。  ii) 引用中の「妄想・分裂ポジション」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の P100 における記述の一部を次に引用します(【 】内)。 【岡田 境界性パーソナリティ障害のかたは、調子が悪いときほど、その瞬間瞬間に生きているんですよね。】  iii) 引用中の「躁的防衛」のさらなる説明は『躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる。その根幹をなす機制が「否認」である』ことを含めてここを参照して下さい。 iv) 引用中の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』ついては例えば次の、引用中の3つのパーソナリティ構造と各種パーソナリティ障害(WEBページのパーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「タイプ」参照)との関係については、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』における記述の一部(P55) を次に引用します(【 】内)。 【大部分のタイプのパーソナリティ障害は、境界性パーソナリティ構造に該当するとされ、回避性と強迫性の二つのタイプのパーソナリティ障害だけが神経症性パーソナリティ構造に当てはまります。】 加えて、上記「境界性パーソナリティ構造」についての精神分析的説明について、の「Ⅱ パーソナリティの発達・機能水準」における記述の一部を次に引用します。

まず,パーソナリティの様式に先立って,発達・機能水準(以下,水準)のアセスメントについて触れておきたい。(中略)

Kernberg O は,パーソナリティの水準を自己同一性,防衛機制,現実検討能力などの違いによって,「神経症(高次)水準」,「境界(中間)水準」「精神病(低次)水準」の3段階連続体(スペクトラム)として論じ,現在でも,その概念は広く用いられている(Kernberg, 1976 ; Clarkin et al. 2006)。(中略)

「境界水準」は,境界性パーソナリティ構造(Borderline Personality Organization : BPO)」として提唱されたが,BPO を有する人の特徴は,第一に自我の脆弱性にあり,それは不安耐性の低さ,衝動制御の悪さ,昇華経路の欠如などで示される。第二の特徴は,スプリッティングや投影同一化に代表される原始的心的防衛機制が優勢であることである。ちなみに,米国精神医学会による診断基準(通称 DSM)に採用された境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder; BPD)は BPO 水準の病理の表現型として理解できる。
なお,これらの水準は,環境の影響を考慮にいれてアセスメントする必要がある。たとえば,普段は神経症水準で機能できていた人が外傷的な状況におかれた時,境界水準の機能で反応するということが起こりうる。(後略)

注:i) 引用中の「Kernberg, 1976」は次の本です。 「Kernberg O (1976) Object relations theory and clinical psychoanalysis. Jason Aronson.(前田重治監訳(1983)対象関係論とその臨床.岩崎学術出版社)」 ii) 引用中の「Clarkin et al. 2006」は次の本です。 「Clarkin JF, Yeomans FE & Kernburg OF (2006) Psychotherapy for borderline personarity : Focusing on object relations. American Psychiatric Publishing.」 iii) 引用中の「Kernberg」や「パーソナリティの水準」に関連する「Kernbergの人格構造論」については次の資料を参照して下さい。 『心理療法における実践的「見立て」について』の「Table 1 Kernbergの人格構造論」(P23) iv) 引用中の「防衛機制」については次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「スプリッティング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害の診断基準と実際の診断」の「②理想化とこき下ろし」項 vi) 引用中の「投影同一化」に相当する「投影同一視」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

本来の BPD とはどのような様態なのか(中略)

BPD は人との関係性を舞台にした様態である.通常の診断学は,症状を対象として取り出し,記述するものであり,こうした関係性のなかで現れる様態を機敏にとらえるには難がある.気分や行動の記述が主体となり,関係性についてはおろそかになりがちである.
また,通常の診療は,診る側(治療者)と診られる側(患者)という役割が設定されているが,関係性を舞台とする BPD は,こうした構造を踏み越えていく.診る側からすれば,これは日頃なじんでいる治療の枠組みの侵犯であり,足元が揺すぶられ,面喰わされることになる.(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害のことです。 ii) ちなみに、引用中の「BPD は人との関係性を舞台にした様態」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)によると、本のタイトルの通り、境界性パーソナリティ障害は「絆の病」です。

うまくいかないときこそ真価が問われる(中略)

本当に大事なことは、失敗しないということではなく、失敗したとき、それに冷静に対処し、そこから学ぶということである。
境界性パーソナリティ障害の認知には、失敗/成功という両極の結果しかなく、失敗というものを許せないという特徴があるが、そこから脱して、失敗することによってこそ、人間は成長するものだという認識を育てていくことが大事である。(後略)

マインドフルネスの効果(中略)

岡田 境界性の状態のときには、自分が疲れているとか、風邪を引いて具合が悪いとか、眠いとか、そういうことがそのまま「自分は不幸だ」とか、「自分なんかダメだ」みたいな気持ちになってしまうんですね。そういう勘違いしちゃう部分……、なかったですか?
咲 あります、あります(笑)。私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです。かつては、「死にたい」って思ったことを「あ、死にたいんだ」「死のう」ってそのまま(笑)。でも、実はたいてい、ただ疲れていただけなんですよね。最近、それに気づいて、あ、この「死にたい」って、また「死にたい病」が出てるだけだ。きっと疲れてるんだなって、休んだりとか。
岡田 うん、そうですね。そういうふうに自分の感覚をそのまま受け入れられるようになる。「ああ、疲れてるんだなあ」とか、そういうことも悪いことじゃなくで、そのまま受け止めて、「疲れてるから何もかもいやになってるんだなあ、それで死にたくなってるんだ」っていうふうに受け入れられると、あんまりそれ以上、悪循環を起こさなくなりますね。(後略)

注:この引用に関連するかもしれない「生理的症状と心理的症状の相互混乱」はリンク集を参照して下さい。

一方、躁的防衛についてのさならる説明として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「躁的防衛のよい面、悪い面」における記述の一部(P52~P54)を次に引用します。

躁的防衛のよい面、悪い面

クラインは、躁的防衛は三つの感情によって特徴づけられると述べています。その三つとは、「支配感」「征服感」「軽蔑」です。
つまり、相手より自分が優位に立っていると思ったり、実際にそう振る舞うことで、傷ついたり、失敗を認めて落胆したり、失われたものへの悲しみにとらわれることから自分を守ろうとするわけです。
躁的防衛は、生きていく上である程度必要なものです。しかし、それが病的な形で行き過ぎたものとして出てくると、さまざまな問題を引き起こすことになります。自分を振り返る目を持てなくなり、強気になり過ぎて暴走してしまうのです。
しかし、ストレスの多い現代社会で生き抜いていくためには、人々は多かれ少なかれ、無理な躁的防衛を強いられます。「がんばれ」「ファイト」といった掛け声は、ある意味、「躁的防衛しろ」と呼びかけているわけです。居酒屋やカラオケで騒いたり、イベントで盛り上がったりするのも、「躁的防衛」の一つの形だと言えます。
「暗い」ということにはマイナスの価値しか認めず、誰もが明るく振る舞うことを求められます。人と接するときは暗い話題は避け、冗談やギャグを飛ばそうとします。明るくて元気で楽しいことがよいことだとされます。そうした風潮のなかで、誰もが知らず知らず「躁的防衛」することを求められるのです。
ところが、うつになりやすい人というのは、とても明るくサービス精神が旺盛なことが多いのです。みんなのムードメーカーのような元気な人が、かえって危ないのです。そういうタイプの人は、他人を楽しませ、明るく振る舞う自分以外の自分を表に出すことができないため、いつの間にか自分の苦しい部分は我慢し、手当てせずに放置しているということになりがちです。
人のためばかりを考えて尽くすうちに、自分のことはあと回しになっているという状況です。つまり、つらい部分は見ずに、躁的防衛をする習慣ができているとも言えます。
しかし、躁的防衛にも限界があります。どうにもならない現実の壁にぶつかったとき、躁的防衛をすることが当たり前になっている人は、たとえは悪いのですが、退くことを知らない軍隊のようなもので、負け戦になったときに手痛いダメージを受けてしまいやすいのです。それが「うつ」という形で出てきやすいと言えます。
パーソナリティ障害の人では、抑うつポジションと躁的防衛が、めまぐるしく入れ替わるような場合もあります。落ち込みを避けようとして明るく振る舞おうと、過激な刺激やスリルを求めたり、恋や成功の夢を追いかけるのですが、夢に酔っている間は元気なのですが、それからふと醒めた瞬間に、深い落ち込みや虚無感にとらわれ絶望してしまうのです。「絶好調」と「絶望」が入れ替わることもよくあります。
パーソナリティ障害の人には気分の波が見られることが多いのですが、それを増幅させているのは、「抑うつポジション」と「躁的防衛」の不安定な均衡だと言えます。(後略)

注:(i) 引用中の「躁的防衛」に対し「精神分析概念としてはこの用語を内因性、心因性の区別なく用いる傾向にある」ことについては次の資料を参照して下さい。 「双極スペクトラムの精神病理,治療関係,鑑別診断」の「4. Angstの双極スペクトラム――Kretschmerの気質論との類似性と,神経症,パーソナリティ障害性の気分障害概念の欠如――」項 (ii) 引用中の「つらい部分は見ずに、躁的防衛をする」に関連する『躁的防衛の根底にあるのは「否認」である』ことについて、 a) 内海健著の本、『気分障害のハード・コア 「うつ」と「マニー」のゆくえ』(2020年発行)の Ⅰ うつ病の臨床――さりげない営みの舞台裏 の 3 精神病理からみたうつ病の治療構造論――ことさらに精神療法をしないために の 2 対象喪失の精神病理 の 「(3)体内化(incorporation)のメカニズム」における記述の一部(P72)を次に引用します。 【クラインの躁的防衛(Klein, 1935)は、彼女の天才的発見の一つであるが、その根底にあるのは否認である。自分の弱さ、依頼心、不安、そして抑うつ、あるいは他者の存在や価値に対して、これほど否認が徹底されている病態もない。】(注:1] 引用中の「Klein, 1935」は次の論文を参照して下さい。 「A contribution to the psychogenesis of manic-depressive states.」 また、全文はここを参照して下さい。 2] 引用中の「クライン」の「躁的防衛」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)」の「3. 躁的防衛」項) b) 「躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる」ことや「否認は臨床場面に大きな困難をもたらす」こと、そして引用中の「抑うつポジション」を含めて、内海健著の本、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」(2013年発行)の 第四章 治療の指針 の「軽躁への対応――チームワークの大切さ」における記述の一部(P109~P110)を以下に引用します。 (iii) 引用中の「気分の波」について、特に境界性パーソナリテイ障害又は境界例においては、他の拙エントリのここここここここ及びここを参照して下さい。

(前略)もちろん軽躁よりも躁の方が、病理が深く破壊的である。すぐさま医学的管理のもとに置かなければ、本人および周囲に甚大な損失を与えることになる。修羅場のようになることもあるだろう。だが、軽躁には躁とは異なる固有のむずかしさがある。是非もなく医学的管理をという流れにはなりにくいがゆえに、対応する者は生身で躁的な病理にさらされることになる。
この軽躁の病理を理解するのに、メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)の「躁的防衛」(manic defence)という概念が補助線として役立つ。これは乳幼児の精神分析から見出されたものである。
乳児は、離乳とともに母から分離すると、「抑うつポジション」という様態にいたる。これは、分離の傷によって母を傷つけたのではないか、良い対象(乳房)を破壊してしまったのではないかという不安によって特徴づけられる。この「抑うつポジション」の痛みが耐えがたい時に発動されるのが躁的防衛である。対象の喪失は否認され、「支配」、「征服」、「軽蔑」が前面に出る。
乳幼児と成人、精神分析と一般臨床という文脈の違いはあるが、躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる。その根幹をなす機制が「否認」である。否認が向けられるのは、自分の弱さ、他人の権威、そして罪悪感といったものが代表的である。
否認は臨床場面に大きな困難をもたらす。まずは内面の否認である。軽躁的なときにも、抑うつの影はどこかに忍び寄っているものであり、病者を脅かしている。彼ら彼女らが行動的なのは、「現実への逃避」であるともいわれる。それによって、必要最小限の病識も得るのもむずかしくなる。問題点を少し指摘するだけでも、激しい抵抗、さらには攻撃にみまわれることが予見される。実際、躁および軽躁は、最も病識をもちにくい病態である。
次に問題となるのは、権威の否認である。医療者は、実際のたたずまいがどうであれ、否が応でも権威的なものに祭り上げられる。そして攻撃の標的となる。呑んでかかられたり、喰ってかかられたりする。これもはなはだやっかいなことになりうる。(後略)

注:引用中の「躁的防衛」に関連する「あえていうなら,ADHDは躁的防衛に親和性をもつ」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

〔e〕擬態うつ病としての境界性パーソナリティ障害
先ず、林公一著の本、「擬態うつ病新型うつ病 実例からみる対応法」(2011年発行)の「五章 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P108~P111)を次に引用します。

Case 12 うつ病の彼女の強い嫉妬と依存
僕の彼女は二十二歳、うつ病です。性格は普段はとても優しく、頭もとてもいいのですが、まだうつ病がよくなっていないのか、感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。後になると何事もなかったかのようにしているのですが、その時はとても不安なようで、昼夜かまわず電話をかけてきて、今すぐ来てほしいと要求し、断るとこの世の終わりのように大騒ぎし、次々にまた別の友たちに電話をかけるようです。メールでも同じようなことをします。また、興奮したり不安になったりするとリストカットをするので、手首から肘のあたりにかけて傷あとがたくさんあります。
先日もこんなことがありました。僕は彼女の家に遊びに行っていたのですが、昼からはバイトがあるため準備を始めたところ、彼女は「行かないで、一緒にいて」と言い、興奮して家のタオルをハサミでみんな切ってしまい「私がこんなことしても行くの?」と迫るのです。しかしバイトを急に休むわけにもいかないのでそのように言ったところ、彼女は鬼のような表情になり、そのハサミを自分の手首に近づけました。今にも切りそうだったので僕はそのハサミを取り上げて、振り切って走って出かけました。が、彼女は僕を追ってきて、駅で僕に追いつき、無理やりという感じで一緒に電車に乗りました。僕は一つ前の駅で降りて、ここから電車に乗って帰れ、と言ったのですが、「バイトに行かないで」とその場を離れません。僕としてはもう遅刻しそうだったので振り切って行きました。五時間のバイトが終わって帰ろうとすると、駅には僕を待っている彼女の姿がありました。聞けば、待っている問、家から持ってきたアイスピックで手を傷つけていたとのこと、確かにたくさん新しい傷がありました。病院に行くように言ったのですが嫌だと言うので、薬局で消毒薬や包帯を買い、家に送り届けました。
会いたいと言われるのはうれしい面もあるのですが、あまり依存させるのもどうかと思い、昨日はこんな対応をしました。彼女のバイトが夜の八時に終わり、早く会いたいという電話があったのですが、僕は、予定があるので後で連絡すると言ったのです。でも、彼女は電話しながらもう僕の家に向かっていると言うので、僕は、「今日は忙しいからもうケータイの電源を切るよ」と言って、切りました。その後、妹さんに聞いたところによると、泣きじゃくり家に電話してきて「もう死ぬ、もう死ぬ」と繰り返していたそうです。また、僕の弟や友たちに電話をしまくっていたそうです。後で見ると、僕のケータイにも不在着信やメールが数十件も入っていました。
彼女のうつ病は、高校生の頃から兆しがあったようで、彼女の妹の話では、当時から感情の波がすごく激しかったとのことです。でもそれが、僕とつき合うようになってからエスカレートしてきたようです。僕がいないと極端な不安に陥る、それがこうした言動に現れているようです。感情の変化が激しいのは、人の評価についてもそうで、尊敬していた人の評価がちょっとしたことでコロッと変わり、全く逆になります。わがままや嫉妬などは誰にでもあるし、束縛がかなり激しい人もたくさんいると思います。でも彼女はそれがあまりに強いのです。うつ病がよくなっていないのでしょうか。それとも僕の対応が悪いのでしょうが。

Case 12 解説 境界性パーソナリティ障害とは
僕の彼女はうつ病。彼氏はそう言っていますが、これはうつ病ではありません。「境界性パーソナリティ障害」が正しい診断名です。でもうつ病と称している。したがって、擬態うつ病です。
境界性パーソナリティ障害境界性人格障害ともいいます)は、特に都市部では、擬態うつ病の中の比較的多くを占めています。ごくごくおおざっぱにいえば、境界性パーソナリティ障害のキーワードは、「若い女性、感情不安定、リストカット」です。このような特徴がそろったケースで第一に考えられる病名は、うつ病ではなく、境界性パーソナリティ障害です。パーソナリティ障害とは、性格の偏りです。脳の病気であるうつ病とは違います。ですからよく見れば症状はうつ病とはかなり違いますし、治療法も違います。(中略)

若い女性、感情不安定、リストカット」だけでは、いかにもおおざっぱすぎますので、もう少し具体的に描写しますと、「いつも人から見捨てられるのではないかという不安があり、ちょっとしたことでその不安が現実化するという思いにとらわれてしまい、感情が不安定になり、自殺のそぶりをしたりキレたりすることで見捨てられることから脱しようとする。自分がそれまでどんなに信頼していた人でも、自分を見捨てるのではないかと思った瞬間に、一気に価値が下がって罵倒の対象となる」というようなパターンの言動を繰り返すのか典型的な境界性パーソナリティ障害であるといえます。そして周囲からは見えにくいのですが、本人の中では、空虚感などに絶えず悩んでいることがしばしばあるのです。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。 ii) 引用中の「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。」に関連して、本、同章における記述の一部(P116)を次に引用します。

⑧キレる(不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難)
境界性パーソナリティ障害の不安定な感情は、しばしば怒りの爆発という形をとります。それは家族など身近な人に向けられることもあれば、いわゆるクレーマーに似た形で、執拗なクレームという形をとることもあります。ケース12でも「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、攻撃的になります」が目立っています。

さらに、同本の「五章 境界性パーソナリティ障害」における他の記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

Case 14 うつ病だと言って二十年もやりたい放題の生活をしてきた妹
現在四十歳の妹は二十代の頃から自分で精神科に通い、うつ病と診断され、当初は両親も兄弟もそれを信じ、うつ病の治療をすればよくなるものだと思い、だらだらしていても特に何も言わずに見守っていました。そのうちに大学も休学し家でゴロゴロと過ごし、かと思いきや「今は躁だから」と言って好きなインターネットで自分のHPまで作って夢中になることができ、好きな歌手のコンサートなどはいつも楽しそうに出かけて、さすがに両親も口を出すようになりました。その後、多額の借金問題や大学の先生にストーカー行為をしたり(本人はストーカーとは全く思っていません)、出会い系サイトで痛い目に何度も遭い、借金も両親に片づけさせて、謝りはするものの、翌日にはテレビを見て高笑いしていたりで、両親も呆れて就職などを勧めたりしましたが、「もっとうつ病を理解して」とか「プレッシャーになることは言わないで」と訴え始めました。時にはキレて物に当たり壁に穴をあけたり食器を割ったり、刃物を振り回したり……そのたびに私は両親に「甘やかしているからだ。腫れ物に触るような態度はやめて、言うことは言わなきゃ」と言ってきましたが、両親は妹に言われてうつ病の本を読み、「病気なんだからそっとしておいてやるのかいい」「心の風邪なんだから、いつかは治る」「薬を飲んで、ストレスを与えないようによく休むことだ」などと言い続けてきました。両親が本当にそう思っていたのか、単に事なかれ主義で人に強く言えないタイプなだけなのかはわかりません。
妹はそうやって(私から見れば)甘やかされている間に借金や狂言自殺を繰り返し、他にもいろいろ勝手なことばかりしているうちに気がつけば二十年近くの歳月がたってしまいました。病院は何回も替わっています。大体が先生と喧嘩別れのような形です。「医者のくせに、うつ病の患者にひどいことを言った」などと妹は言うのですが、真偽の程はわかりません。今のクリニックは比較的長く、四年くらいになります。診察時間はとても短く、妹の望む薬をすぐに出してくれる先生のようで、妹は気に入っているようです。
ここ五年くらい、妹はますますひどい状態になっています。イライラするからといってだんだん増えてきた薬が今では大量になり、目がうつろで、ろれつは回らず口は半開きのことも多いです。でも相変わらずそんな状態のままコンサートへ出かけたり、車を乱暴に運転したりするので、他人に迷惑をかけないか心配です。妹は、両親、特に父にとても依存しており、見捨てられることを恐れています。父のことを尊敬しているようなのですが、ちょっとしたことで父に暴言を吐いたり、ハサミを投げて怪我をさせたこともあります。その後はすぐに謝ってケロッとしているのですが。自殺未遂(私には狂言自殺にしか見えません)も繰り返しています。今から自殺すると宣言をしてから薬を大量に飲んだり、わざわざ目の前に来てからコードを首に巻きつけたり……。金の浪費、過食、異性への執着もあります。感情は不安定です。自分ではうつ病だといつも言っています。普段はおとなしいのですが、突然些細なことで怒ります。このままでは自分たちがノイローゼになりそうだと両親は言っています。

Case 14 解説 放置された擬態うつ病の末路
現在四十歳。二十代からうつ病で通院中。もちろんうつ病ではなく、擬態うつ病です。このケースをご紹介したのは、擬態うつ病を放置し続けた時の末路を見ていただくためです。この本人とご家族が、悲惨な状態になってしまっていることは、誰の目にも明らかです。
ケース14は、境界性パーソナリティ障害です。この女性に、見捨てられ不安、気分不安定、自殺リピーター、キレる、などの特徴が見られていることは指摘するまでもないでしょう。境界性パーソナリティ障害の人に対しては、「薬と休養」という、うつ病への対応は誤りです。ですが、本人がうつ病であると言い張っていることもあって、この人には長年その誤った対応が続けられてきました。これがその末路です。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。ちなみに、「【3647】うつ病の姉の言動を見ていると、うつ病とは自分に都合のよい病気だと思ってしまいます」(注:ホームページはここ)も参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「見捨てられ不安」に関しては、例えばここ、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) ちなみに、自閉スペクトラム症アスペルガー障害)の患者様が未療育のまま40代になったものの、依然困っている例は他の拙エントリのここに、無治療の統合失調症の患者様が依然困っている例はここにそれぞれ示します。

〔f〕リストカットの臨床からの治療者の位置どり
井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の 第9章 リストカットの臨床 の「治療者の位置どり」項における記述(P169~P172)を次に引用します。

治療者の位置どり
自傷行為の告白の際、彼らは、治療者に対して従順になっている。ここに、治療者理想化の危険がはらまれる。治療者は、ここで主題を、現実的な問題に転換させる。これによって、治療者理想化の危機をかわし、治療関係を軌道修正することができる。治療者は、患者を幻想の世界にいざなうべきではなく、現実の混沌へこそ向かわせるべきである。ここで治療者は、目線を彼らと同じ高さに置いて、俗っぽい身の上相談をすら引き受ける姿勢が求められる。
「人生相談など医者の仕事ではない」との意見もあるが、境界例の臨床においては、治療者の過度の神々しさを避けるためには、存外必要なことのように思える。治療者理想化のパターンにはいくつかある。
「けっして私を見棄てないでね、約束して」、こういう中学生の覚えたての恋愛のような要求にまともに応じる必要はない。「そんなことより、明日から学校に行きなさい」と言えばいい。
「この世は生きるに値するか」のような形而上学的問題を投げかけてくる者がいるが、こういった抽象的な議論に惑わされると、現実を見失う。「アルバイトを続けながら考えようじゃないか」と言う。
自分は永遠に孤独で、人は誰も自分を本当には受け入れてくれないのではないかという、境界例の苦悩の根本問題には、誰も答えられない。しかし、それはイコール「人生は生きるに値しない」「生きることは無意味だ」ということではない。永遠の孤独をいくらかでも埋め合わせしてくれるものが、実生活にはある。われわれ大人は、孤独を克服したから生きているというわけではなく、日々の営みのなかに生きる意味を探し、愛したい、愛されたいという希望を、わずかでもかなえてくれる対象を、周囲の人間のなかに見いだしている。
自室でこもって、「人生は生きるに値するか」と考えてみても、何も見つからない。「自分探し」という言葉は、手垢のついた言葉となってしまったが、自分の姿は、他者との交わりを通して、他者という鏡のなかに映し出されるものである。長年にわたる可能性の実験を経て、徐々に自分の姿が見えてくる。一〇代はもちろん、二〇代でも難しいだろう。三〇代でも本当の自分が何かはわからないかもしれない。しかし、人間四〇代になると多少違ってくるかもしれない。とにもかくにも、彼らの生きていく現実に立脚するよう努めることである。
境界例の若者たちは、対人感情は理想化からこきおろしへ、愛から怒りへと動きがちで、人生に対する見方もともすれば、すべてか無かの悉無律に陥りがちである。治療者は、彼らに絶賛されることも、罵倒されることもありえるが、このような一〇〇点か○点かの極端な評価を真に受ける必要はない。われわれプロは、別段彼らに採点してくれなどと頼んだ覚えはない。彼らの治療者に対する攻撃は、しばしば、実際の生活上の何らかの破綻に端を発していて、誰かに鬱憤をぶちまけたくて、たまたま治療者が選ばれるにすぎない。委細構わず徹底して具体的な目標を語っていくことである。学業を最後まで終えること、仕事に就くこと、貯金することなど、明確な目標をともに考える。現実的なライフ・プランについて話し合うことで、理想化からこきおろしへといった、彼らのしかける不毛の振り子運動を免れることができる。
両親に対する感情、幼少期に受けた心的外傷、悲惨な結果に終わった過去の恋愛、そういったことを診察室で話題にすることが無意味だとは思わない。しかし、過去を振り返るだけでは、けっして未来は見えてこない。将来のための建設的な生活設計をこそ考えてやるべきなのである。
市橋は、青年期の臨床において、「手ごたえのある大人」の存在を強調する。その場合、「手ごたえのある大人」とは、人生に疲れ、生活に追われ、夢もロマンも失って、すっかり打ちひしがれたオッサン、オバサンのことを指すわけではないだろう。むしろ、若者たちに人生の夢、ロマン、理想を説いてやるような、熱い存在こそ「手ごたえのある大人」である。今日、若者が「未熟」なのは、「成熟」したはずの大人が格好よくないからで、これなら「大人にだけはなりたくない」と思って当然である。世間という名の濁流のなかで、もみくちゃにされても、依然として眼光鋭く、遠いところを見つめている「格好いい大人」をこそ彼らは求めている。
われわれは、彼らを、まずもって彼らが本来あるべきアンビシャスな若者に戻してやる必要がある。彼ら一人ひとりは能力も違えば、置かれている境遇も違うが、彼らの個性に応じて、しかし、できるだけ大きな目標を抱かせる。そして、そこまでのステップを順を追って、一緒に考えてやる。彼らに夢を語らせる。まずは、実現可能性を等閑視して、青臭くてもいいから彼らなりの大きな野心を語らせる。そして、その野心を形にするための段階的な方法を考えてやる。彼らに無用の挫折感を味わわせないためにも、そこでは、本人の能力や適性を考慮して、実現可能なものとそうでないものとを慎重に区別する。こうして、日々の臨床は、彼、彼女の中長期計画を協力して描いては書き直し、進捗状況を報告させては、計画を下方ないし上方修正し、といったことの繰り返しとなる。
人生という未完のプロジェクトに向かって突き進んでいる者には、人間関係の小さな挫折は、乗り越えることができる。そうして、苦境を克服した体験を通して、さらに自信をつけてくる。手首を切るよりも、はるかにロマンのあることがこの世にはあって、自分がそれに向かって一歩ずつ進んでいるのだという実感があれば、もはや手首など切らない。その一歩一歩は、たとえ当初の目標に到達できなかったとしても、それによって人生の長旅に必要な意志の力を鍛えることになる。
治療者は、彼らの長旅の第一段階に小さなアドバイスをするコーチにすぎない。しかし、不安げに人生のマラソンを走り始めた彼らにとって、伴走車から椴を飛ばすコーチの存在くらい心強いものはない。

注:i) 引用中の文献番号表示を省略しています。 ii) 引用中の「理想化からこきおろしへ」に関しては、〔b〕項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリやWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 加えて、上記「理想化からこきおろしへ」に関連するかもしれない「後医は名医の罠」については次のエントリを参照して下さい。 「イキリ研修医と後医は名医の話」の「後医は名医の罠」項 その上に、上記「理想化からこきおろしへ」に類似するかもしれない「原始的理想化と脱価値化」について、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第4章 防衛・防衛機制について の 4 原始的防衛機制について の「(7) 事例31 一八歳、女子高校生(原始的理想化と脱価値化)」における記述の一部(P245~P247)を以下に引用します。 iii) 一方、引用中の「理想化からこきおろしへ」とは逆の「こきおろしから理想化へ」の例として、松本卓也著の本、「症例でわかる精神病理学」(2018年発行)の 第2章 統合失調症 の 2.5 統合失調症の力動精神医学 の「2.5.4 妄想分裂ポジションと抑うつポジション」項における記述の一部(P93)を次に引用(『 』内)します。 『DSM-5において境界性パーソナリテイ障害 borderline personality disorder と呼ばれる人々は(境界性パーソナリティ構造を持っている場合),100%良い対象と100%悪い対象がはっきりと分裂している世界を生きています。つまり,あるときには自分の恋人のことを「自分を完璧に理解してくれる理想的な人だ」と思っているのに,ひとたび嫌なところがみえはじめると急に態度を変えて「自分のことを何も理解してくれない最悪の人だ」と思えてくる,そういう対象関係しか結べない状態なのです。私も,その状態の患者さんに,「お前なんか最悪の医者だ,早く死んでしまえ」と言われた3分後に「先生と話していると落ちつく。なんていい先生なのかしら」と言われたことがあります。』(注:拙訳はありませんが引用中の「境界性パーソナリティ構造」[borderline personality organization]については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「The Three Levels of Personality Organization」の「The borderline level」項) iv) これら以外にも、上記「理想化からこきおろしへ」に対し「賢明な治療者は慎重に伏線を張る」ことについて、井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第4章 《治療者であるということ》 精神科診察における説明とその根拠 ――パーソナリティ障害の説明―― の「8 理想化からこきおろしへ」における記述(P62)を以下に引用します。

[原始的理想化と脱価値化]
「次は、投影同一視の一つの種類ですが、理想化と価値下げです。それはセットになって作動しますが、理想化はある対象の質と価値が完全であると思い込んでしまう心的機制です。原始的というのは、全く現実を無視した万能感的期待という意味合いを含んでいます。脱価値化は価値下げとも言われますが、理想化とは逆に対象や自分を全く駄目で価値の無いものと見做してしまうことです。両者はころころ入れ替わりますが、うまくいけば、現実の中で程々の理想化と価値下げを獲得し、公正に正しく現実を見ることができます。

[事例]
事例は高校三年の女子で、不登校が長く続いている境界性パーソナリティ障害の患者です。彼女は抑うつ、不眠、イライラ、パニック発作リストカット、大量服薬に加え家庭内暴力、器物損壊なども加わる典型的な境界性パーソナリティ障害の患者でした。
今まで何人かの精神科医やカウンセラーにかかりましたが、いずれもうまく行かず喧嘩別れしています。その彼女があるカウンセラーの紹介で私(治療者)の元にやってきました。事情を聞くと、上記の症状と今までのつらかったこと、自分なりの外傷体験、不満の多い生活史を語りました。話がなかなか切れないので困っていましたが、一瞬の隙を捉えて《それで、このクリニックに望むことはどういうことですか》と聞くと、怒ったように『これだけ聞いたらわかるでしょう』と言って、その質問に答えず自分の苦しさ、つらさをまとまりのないまま話し続けます。
ただ、治療者がしつこく求めるものを聞いたので、やっと『それは治して欲しいんです』とだけ言います。治療者が治癒の中身を聞くと、少しの沈黙の後『この苦しさが楽になり少しでも幸せになりたい』と言います。そこで楽や幸せの内容を聞くと、はっきりしません。それで、治療目標を《幸せや楽が増え、苦しさの減少》とすることで一致しましたが、苦しさを治療者が取るのではなく本人が引き受けること、という点に関してはすごく怒りだし『ここが最後の砦だと聞いていたのに、そんなことを押し付けるあなた(治療者)は最低です』と言って出て行こうとしました。これは原始的理想化・万能感的期待(治療者が苦しさを全部取ってくれ楽にしてくる)を向けていたのにそれが裏切られ、一挙に脱価値化して最低の治療者と見做して出て行こうとしたのです。
慌てた母親は必死になって止めましたが、治療者はそのままにしておきました。そうすると一週間経ってやってきました。話を聞きますと、『あれから先生(治療者)の本(『境界例の治療ポイント』)を読んだら確かに、苦しさは自分で引き受ける、ということがわかった。もう一度治療してほしい』とのことなので、何回かの予備面接の後、細かく治療契約を結び面接治療を開始しました。ただ、万能感的期待はかなり強く、自分の思い通りに行かない時は怒りや暴言を向けてきたり、キャンセル、遅刻も多く、また自傷行為も何回か見られました。
治療者の方は何度もその時の気持ちを表現させ、行為を起こす前に予測する練習をし、人間や物事を見るとき詳しく見るようにさせ、行動を決定するのは自分であること、行為化の責任も自分にあることを認めさせる作業をし、要するに苦を引き受けるのは自分であるということを繰り返し自覚させました。(後略)

注:i) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の『境界例の治療ポイント』における引用例はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「投影同一視」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

8 理想化からこきおろしへ

治療者との信頼関係は、境界性パーソナリティ障害の場合、理想化からこきおろしへと簡単に転じうる。治療者が真に信頼するに値すると思うや、彼らは異常な高揚感とともに一気に帰依しようとする。しかし、治療者は、すべてをかけて帰依すべき絶対者ではない、単なる精神科臨床の技術者である。治療者の実像が見えてくると、今度は失望とともに激しい嫌悪感を向けてくる。
こういう対治療者感情の動揺は当初から予想されるので、賢明な治療者は慎重に伏線を張る。
「医者の私にできることなどたかが知れています。私などを信じるより、まずはあなた自身の可能性を信じることです。あなたのなかには、まだ多くの可能性が眠っている。それを目覚めさせること。自分以外の他者との出会いは、そういう眠った可能性を目覚めさせるきっかけにすぎません。私の仕事は、そのお手伝いをすることくらいです。」
対人感情の動揺するパターンは、患者の成長とともに次第に落ち着いていく。それは、同じ軌道を往復する振り子運動ではない。同一の軌道は二度とたどらない。理想化からこきおろしへの巨大な変動も、上下動を繰り返しながら次第に振幅を下げ、やがては成熟した対人感情へと変わっていく。理想化の感情も、こきおろしの感情も、若くナイーブな患者にとって一度は経過しなければならない情念の嵐である。しかし、激しい時期を通過して、それでも依然として治療者の姿が変わらないことを確認するとき、患者はもはやかつてと同一の悉無律に陥ることはなくなる。

〔g〕パーソナリテイ障害
ここでは、パーソナリティ障害についての一般的な説明及び治療優先度について以下に示します。加えて、パーソナリテイ障害については次のWEBページがあります。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 、『林直樹先生に「パーソナリティ障害」を訊く』、「パーソナリティ障害(人格障害)

(1) パーソナリティ障害についての説明
最初に、標記の一般的な説明例として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の「パーソナリティ障害の基本症状」及び「パーソナリティ障害を理解するための理論」における記述の一部(P32~P75)を次に引用します。

パーソナリティ障害の基本症状

①両極端で二分法的な認知

パーソナリティ障害に共通して見られる基本症状の一つは、両極端で二分法的な認知に陥りやすいということです。全か無か、自か黒か、パーフェクトか大失敗か、敵か味方かという、中間のない二項対立に陥ってしまうのです。
そのため超ハッピーな状態も、些細な不満からサイアクな気分にひとっ飛びで変わってしまいます。一分前までアツアツのラブラブだった恋人と、切った張ったの大喧嘩になり、死ぬの生きるのという大事になることも珍しくありません。
全体で見れば、すぼらしくうまくいっていても、たった一つでも思い通りにならないことがあると、すべてが台無しになったように感じてしまうのです。それならば最初からやらなかったほうがましだと思ってしまうのです。
ある女性は、自分の理想とする体重を上回ってしまったことを悔やみ続け、服も合わないし、誰も愛してくれないし、何をしても無駄だと言います。そして、何もしないで一日中ゴロゴロしてしまうと言うのです。理想的な自分というパーフェクトな存在が手に入らないと、もうすべてがどうでもよくなってしまう。現実的な、ほどよい努力をしようという方向には向かわないのです。
ある生真面目な中年のサラリーマンは、息子さんのことをとても自慢に思っていました。ところが、その息子が不倫した末に離婚すると言い出したとき、嫁に申しわけないという気持ちを強く抱き、大雑把なところのある息子を急に毛嫌いするようになります。さらには、息子をかばう妻や、妻の大雑把な性格さえ許せなくなります。顔を見るのもいやだと、つかみ合いの喧嘩を繰り返したあげく、ついに息子だけでなく妻とも絶縁してしまったのです。
とても可愛がっていた者をちょっと気にいらないことや、思い通りにならないことがあっただけで強く憎むようになったり、手にかけて殺してしまうという悲劇も少なくありません。そうした背景にも、こうした二分法的で両極端な認知の傾向が関係していることが多いのです。

②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい

パーソナリティ障害の人に見られる二番目の認知の特徴は、自分と他者(対象)との関係に関するものです。
パーソナリティ障害の人では自分と他者との境目があいまいで、十分に区別できていないところがあります。そのため自分の視点と他者の視点というものを混同しやすいのです。自分がいいと思うことは、相手もいいと思うはずだと思い込んでいます。
自分の感じ方と相手の感じ方はそれぞれ別物だということが、頭ではわかっていても実際の場面ではゴチャゴチヤになってしまいやすいのです。
その結果、自分の視点でしか物事が見えず、自分の考えや自分の期待を周囲に押しつけてしまったり、自分の問題を周囲のせいにしたり、周囲の問題にすり替えてしまったりということが起こりやすくなります。つまり、パーソナリティ障害の人は客観的に自分を振り返り、周囲の人の立場になって考えるということができにくいのです。
ある若者は、母親が音楽のボリュームを小さくしてほしいと言ったことに腹を立て、母親に回し蹴りを食らわし、肋骨を折ってしまいました。母親はその日、体調が悪く頭痛がしていたので、そう頼んだのですが、息子のほうは「自分の邪魔をされた」としか受け取っていないのです。
そして、「母はいつも邪魔ばかりしてきた。キンキン声を聞かされてきた」「自分も蹴って、足が痛かった。それも母親がよけいなことを言うからだ」と、反省するどころか母親を非難するのです。
そこには母親を自分の延長のように感じている「錯覚」があります。思い通りになるはずの自分の一部だと見なすために、思いに反することをされたときに、暴力をふるっても悪くないという考えになってしまうのです。
ある女性は、精神的に不安定になると夜中であっても年老いた母親に電話をし、「自分がこんな状態で苦しんでいるのは、あんたのせいだ」、「あんたは姉ばかり可愛がってどういうつもりだったのだ」と、何時間も非難し続けるのです。母親が少しでも邪険にすると、手首を切ったり、首を吊ろうとするので、母親はただ聞いているほかないという状態でした。
そこにも母親を自分の延長のように見なし、自分の欲求を満たすことが当たり前だ36と考えている幼い認識があります。自分と他者の区別がしっかりしていないため、自分の問題をすぐ相手に持ち込んでしまい、それを解決してくれることを当てにしてしまうのです。
あるワンマン経営者は、何かうまくいかないことがあると社員を呼びつけます。そして、じくじくと非難を始めます。非難の不当さに社員が一言でも逆らったりすれば、大声で怒鳴り出し、相手のすべてを否定せんばかりに非難し続けます。
それまでどんなに貢献していても、そのことは頭から吹き飛んでしまい、自分に逆らったことを決して許そうとしないのです。自分の機嫌や体調の悪さを周囲の問題にすり替えてしまうということさえ起こります。
「誰も彼も、ひどい人たちばかりです。面倒事ばかり押しっけてきて」と周囲を非難する女性は、自分がただ疲れが溜まってイライラしているだけだということになかなか気づかないのです。また、子どもを必要以上に厳しく叱る親は、自分の欲求不満を子どもを支配することで満たしていることに気づかないのです。

パーソナリティ障害の人は、自分を絶対視してしまいやすいと言えます。それ以外の考えは受け入れられないのです。そして、何かまずいことが起きると、それは自分に何か問題があったからだとは考えずに、周囲の者の手はずが悪いからだと考えがちなのです。

③心から人を信じたり、人に安心感が持てない

もう一つの基本症状は、他者に対する根本的な認知に関するものです。パーソナリティ障害の人は他者を心の底から信じたり、心から気を許すことができにくいということです。重いパーソナリティ障害の人はどこの傾向が顕著になります。
些細なことでも傷つきやすく、他者を不快なものや自分の邪魔をするものとして捉えがちです。あからさまに不信感を示す場合もありますが、上辺では親しく振る舞い、信じていると自分から口にする場合も、本当には信じることができないのです。
そのため相手を試そうとしたり、裏切られるのがいやで、自分から先に裏切ってしまうこともあります。
信じられる対象を求めて次々と親密になるのですが、失望を繰り返すということになりがちです。逆に誰も信じられないために、誰とも親しい関係になるのを避けようとすることもあります。
人に対して、何か気詰まりに感じたり、気楽に関係を楽しむことができないということもよく見られます。基本的安心感や信頼感はパーソナリティのもっとも根幹をなすものです。それは幼い頃の母親との関係によるところが大きく、そこで十分な安心感を味わわないと、人との絆というものが築きにくくなってしまいます。(中略)

④高過ぎるプライドと劣等感が同居

四番目の基本症状は、自分に対する認知に関するものです。パーソナリティ障害の人では、自己像(自分のイメージ)がとても理想的で完壁なものと、劣悪で無価値なものに分裂し、両者が同居しているということです。
つまり、一方で強い劣等感や自己否定感を抱え、もう一方で高過ぎるプライドや現実離れしたとも言える万能感を持っているのです。両者がアンバランスに併存しているわけです。
尊大とも言える高いプライドと、非常に劣等感の強い自己卑下的な一面の両方を抱えているという双極的構造は、パーソナリティ障害の人には広く認められるものです。また、過度に理想を追い求める一方で、現実の存在に対しては否定的な見方しかしないというアンバランスさも、よく認められます。
パーソナリティ障害の人は、一方で非常に理想的な自分を夢見ています。しかし、現実の自分に対して、自信一杯に振る舞っている場合でさえも、心の奥底では本当は自信がなく、強い劣等感を抱きながら、長い年月を過ごしてきたということが多いのです。
そうした自信のなさや自己否定感を補うために、パーソナリティ障害の人はさまざまな自己アピールの技を身につけたり、逆に自分だけの砦のなかで誇大な空想を膨らませたりして、どうにか心の平衡を保っています。
パーソナリティ障害の人が思いもしない破綻をきたしたり、急に不安定になりやすい大きな理由は、両者のギャップがとても大きく、危ういところでバランスを取っているので、余分な力が加わると均衡が崩れやすいことによります。
とてもプライドが高いために、通常なら冗談として聞き流せるようなことも、ひどい侮辱や攻撃と受け取りがちです。ついムキになって反撃したり、長く恨みに思うということにもなりやすいのです。思いもかけない過剰な反撃に至ることもあります。

⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

パーソナリティ障害の人に共通して見られるもう一つの特性は、認知の特徴というよりも認知の許容量に関するものです。パーソナリティ障害の人では、心という装置で受け止めることができる許容量がとても小さいのです。
それを超えてしまうと、もう心で処理することができなくなり、心のバランスが崩壊してしまうのです。その結果、暴発的な行動に走ったり、自分や相手を損なうような破れかぶれの行為に至りやすいのです。
その瞬間には理性の歯止めが働かなくなってしまいます。解離した状態になり、記憶が飛んでしまったり、別人のような行動を引き起こすこともあります。こうした状態も心の器が満杯になり、処理機能がオーバーフローを起こしたと考えると、理解しやすいと思います。
心の問題が行動の問題となってしまうことを「アクティング・アウト(行動化)」と言います。パーソナリティ障害の人では、ストレスが理性的な対処能力を超えてしまうと、アクティング・アウトを起こしやすいと言えます。
思い通りにいかない事態にぶつかっても、粘り強く解決法を模索することが大切なのですが、そうした試行錯誤するカが不足しているのです。

パーソナリティ障害を理解するための理論

幼さを抱えた心の構造

以上のパーソナリテイ障害に共通する特徴は、パーソナリテイ障害を理解し、適切に対処する上でとても大事です。もう一度、簡単に復習しましょう。
①両極端で単純化した認知に陥りやすい。
②自分と他者の区別があいまいで、自分と他人の問題を混同しやすい。
③心と恒常性のある信頼関係を保ちにくい。
④プライドと劣等感が同居している。
⑤暴発や行動化を起こしやすい。
これらの傾向を持つパーソナリティ障害の人の心の特徴は、もっと端的に言うと、少し語弊があるかもしれませんが、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」と言えるでしょう。(中略)

「とらわれ」というワナ(中略)

その重要な共通項を一言で言えば、「とらわれ」という言葉で表現できるかもしれません。思考や感情のワナのようなものに陥って身動きが取れなくなっているのです。それはある意味「視野狭窄」と言えるかもしれません。狭い視点でしか物事を考えることができないわけです。
もう少し広い視野で考えれば違って見えることなのに、自分という視点や、ある偏った見方でしか見ることができないのです。柔軟性を失い、修正が利かないのも、この「とらわれ」ゆえです。
したがって、パーソナリティ障害を克服していく上で、とらわれから脱するということが重要になります。不安定な愛着がかかわっているケースでは、とらわれを生む根っこに、親からの否定的な評価や愛されなかったという思い、逆にかまわれ過ぎたものの、支配され、主体性を奪われてしまったというバランスの悪い状況がからんでいるものです。その点を自覚することが、無意識の支配を打ち破ることにつながるのです。(後略)

注:引用中の「行動化」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) 引用中の「その重要な共通項」は、「パーソナリティ障害の重要な共通項」のようです。ちなみに、「パーソナリティ障害の重要な共通項」としての見出し(記述)について、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第一章 パーソナリティ障害に基礎知識 ~正しい知識を持って障害に取り組む の「パーソナリティ障害の主な症状」(P32~P41)における見出しとしての記述の一部を次に列挙(それぞれ『 』内)します。 『全か、無か、両極端な認知をする』、『自分が良いと思うことは他者も良いと思っている、と思い込んでいる』、『人を信じられない、人に安心感をもてない』、『高すぎるプライドと劣等感が同居している』、『衝動的行動が発生している』

加えて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「自己愛的怒り」及び「認知療法から見たパーソナリティ障害」における記述の一部(P66~P69)及び を次に引用します。

自己愛的怒り(中略)

誇大自己が濃厚に残っている人では、自分の思い通りにならない状況にぶつかったとき、自分の側に問題があるとは考えず、自分の思いを不当に邪魔されたと受け取り、激しい怒りにとらわれるのです。誇大自己が万能感やプライドを傷つけられたときに感じる強い怒りを、コフートは「自己愛的怒り」と呼びました。
「キレる」というのは、まさにこの「自己愛的怒り」の状態なのです。
自己愛的な怒りにとらわれたとき、その人にとって、すべての非は相手側にあると見なされています。客観的に自分を振り返る視点は失われてしまっているのです。あと先を考えない激烈な攻撃が引き起こされます。ときには、攻撃の矛先が自分自身に向けられることも少なくありません。
パーソナリティ障害の人の激しい反応を理解する上で、「自己愛的怒り」はとても納得のいく概念です。傷つけられた自己愛を回復するために、人は命さえ投げ出すのです。奇妙なことですが、自己愛とは命よりも上に位置するものなのです。(中略)

認知療法から見たパーソナリティ障害(中略)

それとはまったく違った原理に基づいて、パーソナリティ障害を理解しようとする理論もあります。そのなかでも重要かつ実際に役立てやすいのが認知療法の考え方です。
認知療法アメリカの精神科医アーロン・ベックによって創始された治療法です。認知療法では、パーソナリティ障害を間違った適応戦略の結果だと考えます。ペックは心の働きを、外界からの情報入力に対して行動を出力する一種の情報処理として考えます。それによって人は環境に適応するために必要な行動を取っているわけですが、パーソナリティ障害の人では適応にとって不利な行動を取ってしまうのです。
それは情報処理の仕方に一定の偏りがあるために起こってしまうのです。なぜ、そんな不利な適応戦略を身につけてしまったかというと、そうすることが有利だった時期があったためです。
「狼と少年」という有名な寓話があります。あるとき、少年が「狼だ、狼だ」と騒いだら、村の人々はびっくりして鉄砲や武器を持って駆けつけてきた。それですっかり悦に入った少年は同じことを繰り返すようになった。ところがある日、本当に狼が現れたとき、少年は「狼だ」と叫んだが、村人は誰も助けにこなかった。
この少年も寂しかったのでしょう。愛情や関心に飢えていたのだと思います。最初のうちは「狼だ」と騒ぐことで、彼の自己顕示的な欲求や関心を得たいという欲求は、満足を得ることができたのです。それで味をしめて身につけてしまった誤った戦略が、結局は彼の身を滅ぼすことになったのです。
人にはそれぞれ情報処理の一定のパターンがあり、認知療法ではそうしたパターンを「スキーマ」と呼びます。スキーマには、さらにその人が世界認識の原理としている「信念」と、行動の基本方針としている「方略」があります。
たとえば、先の少年のようなタイプの人は、「注目されることは心地いい。注目されないと自分は無価値になる」という信念を抱いています。
そして、「人をあっと言わせなければならない」「正しいことよりも、驚かすことが優先だ」という方略に基づいて行動してしまうのです。その結果、人々はたいして驚きも注目もしなくなり、ただ信用を失う結果になるのですが、それでもこのような行動をやめられないのです。
境界性パーソナリティ障害の人であれば、「自分は価値のない人間だから、人はどうせ私を見捨てるだろう」という信念を抱いています。そして、「見捨てられるなら、こっちから見捨てたほうがましだ」「見捨てるのなら、それを後悔させねばならない」という方略が出てくるわけです。(後略)

注:i) 引用中の「誇大自己」は、同本の P61 によると、何でも思い通りなると思っている万能感に満ちた自己愛を伴うものです。 ii) 引用中の「それとはまったく違った原理」における「それ」とは、この引用部以前で述べられている主に精神分析から発展した理論のことのようです。 iii) 引用中の「スキーマ」に関連するスキーマ療法の視点からの「早期不適応的スキーマ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、認知行動療法認知療法)におけるスキーマと「体系的な推論の誤り」との関連については、日本認知心理学会編の本、「認知心理学ハンドブック」(2013年発行)の 10-10 認知行動療法 の「情報処理理論」における記述の一部(P394)を次に引用します。

(前略)まず,スキーマとは幼少期より学習され維持されてきた安定的な認知構造であり,「……すべきだ」「いつも……である」といった信念や前提を指す。スキーマと合致するようなネガティブな出来事を経験すると,このスキーマが活性化され、出来事の情報に対して「体系的な推論の誤り」と呼ばれる情報処理を行う。ベックは「体系的な推論の誤り」を数多く同定している。(後略)

注:i) 引用部の著者は佐々木淳です。 ii) 加えて、引用はしませんが、同頁に上記「体系的な推論の誤り」の例として「過度の一般化」「破局視」「全か無か思考」が示されています。

(2) パーソナリティ障害の治療優先度

「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の林直樹著の文書「パーソナリティ障害はどのような病気なのか?」(P10~P16)より記述の一部(P14~P16)を次に引用します。

多くの経過研究からパーソナリテイ障害の臨床的意義が明らかにされている。モレー(Morey, L.C.)ら(9)は、約六〇〇人の患者の経過を追った米国国立精神保健研究所の共同研究(Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study:CLPS)から、パーソナリティ障害の特徴がうつ病症状よりも持続的であり、パーソナリティ障害併存症例のほうが抑うつ症状の改善が遅れたことを報告した。この所見は、パーソナリティ障害を併存しているうつ病症例において、パーソナリティ障害が回復を妨げているという仮説を支持している。ガンダーソン(Gunderson, J.G.)ら(4)は、CLPS研究における三年間、六年間の経過から、境界性パーソナリティ障害の改善はうつ病の改善を予測するが、うつ病の改善は境界性パーソナリティ障害の改善を予測しないことを報告した。これらの研究の所見は、うつ病とパーソナリティ障害の併存例に対しては、パーソナリティ障害の治療を早期に開始するべきことを示している。(中略)

実際の臨床では、治療アプローチが容易だという理由から、パーソナリティ障害に対する治療よりも併存している精神障害への治療が先に行われることが多いと考えられるのであるが、筆者らの研究の所見および他の経過研究の所見からは、治療開始後になるべく速やかにパーソナリティ障害へのアプローチが開始されることが望ましいものと考えられる。

注:i) 引用中の文献番号「(4)」、「(9)」はそれぞれ次の論文です。「Major depressive disorder and borderline personality disorder revisited: longitudinal interactions.」、「State effects of major depression on the assessment of personality and personality disorder.」 ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害において誤診・誤治療により、ご本人・ご家族が長期間困っている例についてはここを参照して下さい。 iii) 一方、境界性パーソナリテイ障害において、最終的な結果としての症状だけを見て、そこだけに対処療法が施される問題点について、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティの克服」(2016年発行)の「コラム2 本来必要な治療を求めて――岡田尊司」における記述(P87~P91)を次に引用します。

木を見て森を見ずの現代医療
本来の医学は、病の症状の根底にある原因を突き止め、そこを改善することで、病を癒そうとします。ところが、薬という便利なものが発達したおかげで、おかしなことが起きるようになりました。原因がわからなくても、症状に対して適当にお薬を処方すれば、症状だけは改善してしまうのです。
たとえば、熱が出ているとします。熱の原因がわからなくても、解熱剤を処方すれば、とりあえず熱は下がってしまいます。あまり問題のない、放っておいでも良くなるような病気であれば、それでもいつしか治ってしまうでしょう。しかし、肺炎のような病気になっているのに、症状だけ治そうとしでも、病状は悪化するばかりです。せっかく病気の存在を教え、体が病原菌と闘おうとして生じていた熱だけを下げてしまうことで、かえって重症化させてしまうこともあります。
ところが、今日の心の医療では、こうしたことが起きやすくなっているのです。不眠や不安、うつといった症状は、とりあえず薬によって改善することが可能です。ところが、症状は改善しても、そもそも症状を引き起こしていた原因には手当てはされていません。結局、いつまでも薬を飲み続けるだけで、根本的な問題は何も変わらないということになります。薬を飲んでいるのに、段々状況が悪化することも多いわけです。
また、精神医療特有の問題として、症状での診断がまかり通るようになり、原因についての手当てをしようとしない医療が普通に行われているという事情があります。不安が強ければ、不安障害、不眠があれば不眠症、気分が落ち込めぼうつといった症状がそのまま診断になって、そのことに疑問さえ抱かなくなっています。
しかし、そうした症状の根底には、職場での上司との関係が原因になっていることもあるでしょうし、完壁主義な性格や親からの虐待が原因となっている場合もあるでしょう。本来は、その部分に手当てし対処を考えることが必要なのですが、最終的な結果である症状だけを見て、そこだけに対症療法が施されるということが当たり前になっているのです。

本当に必要なのは、「絆の病」の克服
単なる不眠や不安であれば、それで誤魔化せる部分もありますが、自分に強い自己否定を抱え、自分を損なってしまう境界性パーソナリティ障害のような難しい状態になると、そうした方法では、まったくお手上げです。境界性パーソナリティ障害の場合、うつや不安障害、睡眠障害といった問題だけでなく、ADHD(注意欠如・多動性障害)や依存症、摂食障害解離性障害といった診断がつくことも珍しくありません。診断名ばかりが、ずらっと並ぶわけです。その治療を別々の医者から受けているというケースさえあります。症状だけを追いかけていたのでは、木を見て森を見ずになってしまいます。結局、大本で何が起きているのかということを、トータルでみる視点が必要なのです。そして、それを可能にしたのが、先に述べた愛着障害という視点です。愛着障害があると、境界性パーソナリティ障害も含めて、それらすべての障害が起きやすくなるのです。
そして、何よりも、境界性パーソナリティ障害を、愛着障害として理解し、それを改善する手立てを行うと、他の方法では、どうにもならなかったようなケースも、改善が得られやすいのです。
愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。親との関係で乗り越えられなかった課題が、他の人との関係で繰り広げられているのです。問題が、そこにあるとしたら、各症状を薬で誤魔化すことは、本来の回復から遠ざかることだと言えるでしょう。なぜなら、課題の存在を知らせ、それと闘おうとしているから症状が出ているのです。境界性パーソナリティ障害は、不安定な絆しかもてなかった人が、確かな絆を手に入れようとして必死にもがいている姿そのものなのです。症状だけを薬で止めてしまうことは、その回復の機会を奪うだけでなく、薬物依存といった、もっと厄介な問題を引き起こすことになりかねないのです。

注:i) 引用中の「うつ」、「不安障害」、「依存症」、「摂食障害」については共に、リンク集[うつの用語:「うつ病」、不安障害の用語:「不安障害(不安症)」、依存症の用語:「物質依存(薬物など)」]を参照して下さい。 ii) 引用中の「解離性障害」については、リンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 iv) 引用中の「ADHD」については、他の拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「愛着障害」ついては、リンク集を参照して下さい。

〔h〕境界性パーソナリティ障害の治療における問題点
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「2 従来の治療と医原性の害」における記述(P208~P209)を次に引用します。

BPD は治療を行わなければ永続するものであり,治療には困難が伴い,治療の経過も長期にわたるというのか BPD に対する従来のイメージでした。しかし,Fonagyたち(Allen et al., 2008)によれば 細心の注意を払って計画された2つの予後研究(Shea et al., 2004; Zanarini et al., 2003)は,BPD の経過や治療についてのこのような悲観的見解の不適切さを浮き彫りにしました。これらの予後研究によると,BPD の患者たちの大部分が症状の実質的減少を経験するのであり,以前考えられていた期間よりもずっと短期間でそうなるのです。入院を要するほど重症と診断された BPD の患者たちの75%が,6年後には,標準化された診断基準に示されている寛解状態に到達します(Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006)。4年後までなら50%の寛解率というのが一般的ですが,その後も定率(1年で10~15%)の寛解が持続し,再発は6年経過しても10%を超えないであろうとのことです(Allen et al., 2008)。ただし,改善するのは衝動性やそれと関連する自傷および自殺傾向などであり,少なくても半数の患者たちには,①見捨てられる不安,②空虚感,④抑うつにつながる脆弱性,③対人関係の問題が残存しがちです。BPD 患者の大多数が6年以内に自然回復するのであれば,なぜ BPD についての悲観的見通しが固定化されたのでしょうか。より早期の調査研究によれば,アメリカ合衆国で治療に訪れた BPD 患者たちの97%は,平均して6人ものセラピストから外来治療を受けた経験がありました(Allen et al., 2008)。こうして実施されていた(現在も実施されている)いくつかの心理社会的治療が,それを行ったばかりに患者の回復能力を妨げたのであろうというのが,Fonagy たちの推測です(Allen & Fonagy, 2006; Allen et al., 2008)。つまり,医原性の害(iatrogenic harm)が存在したのです。ところが 世界的に「根拠(実証)のある治療」(evidence-based treatment)が求められるようになり,とくにアメリカ合衆国では,医療保険制度の変化も加わって,その傾向が強まりました。その結果,有害な治療が行われる頻度が減少し,BPD の寛解率が上がったと解釈できるのです。Fonagy たちが従来の治療のどのような点を有害と考えているのかについては,MBT におけるセラピストの姿勢と介入法を知ればわかります。Fonagy たちの MBT は,医原性の害を排除するように工夫された治療法だからです。

注:i) 引用中の「BPD」、「MBT」はそれぞれ、「境界性パーソナリティ障害」、「メンタライゼーションに基づく治療」の略称です。 ii) 引用中の「Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006」が示す論文はそれぞれです。「The children in the community study of developmental course of personality disorder.」、「The Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study: reliability of axis I and II diagnoses.」、「The McLean Study of Adult Development (MSAD): overview and implications of the first six years of prospective follow-up.」 iii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害の経過・予後については次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「経過・予後」項

〔i〕アタッチメント(愛着)理論や愛着障害について
[注:標記アタッチメント(愛着)に関連するかもしれない精神科医岡田尊司氏が登場するWEBページ『安易な「大人のADHD」診断に医師が危惧「特性」が「障害」扱い』(リンク切れです)を批判する note は次を参照して下さい。 『「愛着障害」に関する生産的でない仕事』 加えて、米澤氏の「愛着障害」本について批判する次の note もあります。 『米澤氏の「愛着障害」本について:理論編』] 最初に標記アタッチメント(愛着)[note「改めてアタッチメントの大切さについて考える(遠藤利彦:東京大学教授)#子どもたちのためにこれからできること」、資料「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」の 第2部 社会情緒的コンピテンスの内容と発達に関する文献調査 の 第1章 乳児期 の「第3節 アタッチメント」(P59~P67)や 同部の 第3章 児童期・青年期(1)子供の心理特性 の「第4節 アタッチメント」(P149~P156)を それぞれ参照すると良いかも]理論が重要であることについて、遠藤利彦編の本、「入門アタッチメント理論 臨床・実践への架け橋」(2021年発行)の 序章 アタッチメント理論の中核なるもの の「1 アタッチメント理論がかくも重要なものであり続ける理由」項における記述の一部(P009)を以下に引用します。加えて、『親子の「アタッチメント」で育まれる子どものチカラとは?』についてはWEBページ『女優・加藤貴子が専門家に直撃!親子の「アタッチメント」で育まれる子どものチカラとは?』を、「助け合いとしてのアタッチメント」や「これからのアタッチメント,助け合い,親密性の研究を考える」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「助け合いとしてのアタッチメント」、「これからのアタッチメント,助け合い,親密性の研究を考える ―古村・戸田論文へのコメント―」 一方拙訳はありませんが、用語である上記「アタッチメント」を明確にする必要性についての Editorial Perspective(全文)は次を参照して下さい。 「Editorial Perspective: On the need for clarity about attachment terminology

ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)が,1951年にアタッチメント理論の原型となる論文“Maternal care and mental health”(Bowlby, 1951)を上梓してから,すでに70年の時が経ちます。この間,アタッチメント理論は一度も色褪せることなく,それどころか,むしろ時代時代によって次々と新たな色を幾重にも纏いながら今に至っているといえます。これほど長きにわたって,学知世界に,そしてまた社会全般に対して,影響を及ぼし続けている心理学理論は他にはないと言っても過言ではないでしょう(Thompson et al., 2021)。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Bowlby, 1951」は次の資料です。 「MATERNAL CARE AND MENTAL HEALTH」 iii) 引用中の「Thompson et al., 2021」は次の本です。 「Thompson, R.A., Simpson, J.A., & Berlin, L.J. (eds.) (2021) Attachment: The fundamental questions. Guilford Press.」 iv) 引用中の「アタッチメント理論」に関連する「改めてアタッチメントとは何か,何であったか」については、同序章の「2 改めてアタッチメントとは何か,何であったか」における記述の一部(P012~P014)を次に引用します。

アタッチメントあるいは愛着という言葉は,今や,ただ心理学や精神医学の専門的術語としてあるわけではなく,子育てや保育・教育等の文脈を中心に,きわめて日常的に用いられるに至っています。そしてそうした文脈において,それは,親と幼い子どもとの間の緊密な情愛的絆,ときには,その愛情関係全般の特質を指し示すものとして受け取られることもあるようです。しかし,アタッチメント理論の創始者たるボウルビィが示したその原義は,文字通り,生物個体が他の個体にくっつこうとする(“attach”)ことに他なりませんでした。彼は,生物個体がある危機に遭遇したり,それを予知したりし,恐れや不安の情動が強く喚起されたときに,特定の他個体への近接およびその個体との関係を取り結ぶことを通して,主観的な安全の感覚(安心感)を回復・維持しようとする行為の傾向をアタッチメントと呼んだのです(Bowlby, 1969)。それは,「一者の情動の崩れを二者の関係性によって制御するシステム」と言い換えることもできるものです(Schore, 2003)。
元来,生物は生き残り繁殖するために,さまざまな危機に対して警戒する構えを,恐れや不安の情動という形で進化させたといわれています。生物種としてのヒトもその例外ではなく,恐れや不安に対する意識・無意識における対処が 個々人のパーソナリティやアイデンティティにおいて中核的な意味を有していると考えられます。ただし,きわめて脆弱な状態で生まれてくるヒトの子どもは,誕生時からすでにこうした情動の制御をみずから行いうる主体ではありません。当然のことですが,子どもは本源的に,養育者をはじめとする他者によって,手厚く保護され,その情動状態を巧みに調整・制御されなくてはならない存在なのです。そして,そうされることによって徐々に,みずから自律的にそれに対処していけるようになるのです。
ヒトの子どもは,養育者等との緊密な関係性の仕組みによってもたらされる安心感に支えられて,外界への探索活動や学習活動を安定して行い,また相対的に円滑な対人関係を構築することが可能になるのだと考えられます。すなわち,子どもにとって,主要なアタッチメント対象は,危機が生じた際に逃げ込み保護を求める「安全な避難所(safe haven)」であると同時に,ひとたびその情動状態が落ち着きを取り戻した際には,今度は,そこを拠点に外の世界へと積極的に出ていくための「安心の基地(secure base)」として機能することになります(Bowlby, 1988)。
また,こうした機能を神経生理学的に見れば,それは,さまざまな危機やストレッサーとの遭遇によって生じた身体の緊急反応あるいは一時的に崩れた神経生理学的状態を,ホメオスタティックに再び定常的状態に戻し,身体の健全なる機能性を保障しうるものともいえるでしょう(Goldberg, 2000)。このようなアタッチメントの心理社会的および神経生理学的な働きの積み重ねによって,私たちは,生涯発達過程全般にわたってみずからの心身両面における健康および適応性を高く具現し,また維持することができるようになるのです。

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Bowlby, 1969」は次の本です。 「Bowlby, J. (1969) Attachment and loss Vol.1. Attachment. Basic Books. (revised ed., 1982)(黒田実郎・大羽蓁岡田洋子他訳, 1977『黒田聖一母子関係の理論 I 愛着行動』岩崎学術出版社」 iii) 引用中の「Schore, 2003」は次の本です。 「Schore, A.N. (2003) Affect regulation and the repair of the self (Norton Series on Interpersonal Neurobiology). W.N. Norton & Company.」 iv) 引用中の「Bowlby, 1988」は次の本です。 「Bowlby, J. (1988) A secure base: Parent-child attachment and healty human development. Basic Books.」 v) 引用中の「Goldberg, 2000」は次の本です。 「Goldberg, S. (2000) Attachment and development. Arnold.」 vi) 引用中の「ホメオスタティック」に関連する「ホメオスタシス」(homeostasis)については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「4. 内受容感覚の予測的符号化」項(P5)、「適切な内受容感覚の獲得 発達的観点から」 v) 引用中の「安全な避難所(safe haven)」や「安心の基地(secure base)」に関連する『「safe」を「安全」と、「secure」を「安心」と訳す』ことについて、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 1 愛着の定義 の「(1) 絆としての愛着」における記述の一部(P61)を以下に引用します。 vi) 引用中の「このようなアタッチメントの心理社会的および神経生理学的な働きの積み重ねによって,私たちは,生涯発達過程全般にわたってみずからの心身両面における健康および適応性を高く具現し,また維持することができるようになるのです。」に関連するかもしれない例としての「心療内科外来で線維筋痛症以外の診断を受けた難治性慢性疼痛患者に対する傾聴を中心とした初期の心身医学的治療において、自己観が肯定的な愛着スタイルである安定型と拒絶型で有意な痛み強度の改善を認めた」ことについては次の分担研究報告書を参照して下さい。 「慢性疼痛の心療内科外来治療への愛着スタイルの影響」の「E.結論」項 vii) 引用中の「アタッチメントあるいは愛着という言葉は,今や,ただ心理学や精神医学の専門的術語としてあるわけではなく,子育てや保育・教育等の文脈を中心に,きわめて日常的に用いられるに至っています。」に関連するかもしれない(大人の)「愛着の問題を抱えていると治療者や支援者が気づくことは大切でないか、診断するという概念ではなく、理解する概念としては有用でないかと思うのである」ことについて、「こころの科学 216号(2021年3月)」中の青木省三著の文書「精神科臨床における大人の愛着障害」(P30~P35)の「はじめに」における記述の一部(P30)を以下に引用します。

(前略)なお,一般に「安全基地」と訳されている“secure base”を,本書では「安心基地」と訳していますが,この理由を述べておきます。この概念は Ainsworth が導入したものですが,Ainsworth も Bowlby も,“safe/safety”〔安全〕と“secure/security”〔安心〕を区別していました(van der Horst, 2011; Bowlby, 1960a)。“safe/safety”は「危険がない」ことを指しているのに対して,“secure/security”ば,「恐れていない,安心している」という意味です。そして,“secure base”は,“heaven of safety”と対にして使用される概念です。乳児が恐怖を引き起こす刺激に遭遇して母親の元に逃げ帰るときに,その母親を“heaven of safety”と呼びます(Ainsworth, 1967)。逆に,乳児が母親への愛着を背景にして母親から離れて周囲の世界を探索しているとき,母親は“secure base”になっています(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)。乳児が「母親を探索のための secure base として活用する」(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)とか,母親が「secure baseを与える」(Ainsworth, 1967; Bowlby, 1979/1989)と表現されることからもわかるように,“secure base”は,探索の際に母親が安心の源になっていることを指しており,「必要なときには母親が役に立ってくれるという乳児の確信」(Bowlby, 1973; Cassidy, 2008)を含むものです。このようなわけで,“secure base”を「安心基地」,“heaven of safety”を「安全な逃げ場」と,区別して訳すのがよいと判断した次第です。(後略)

注:引用中の「van der Horst, 2011」、「Bowlby, 1960a」、「Ainsworth, 1967」、「Ainsworth et al., 1978」、「Bowlby, 1979/1989」、「Bowlby, 1973」、「Cassidy, 2008」の紹介は全て省略します。この本をお読み下さい。

はじめに

親などの養育者との愛着形成は、子どもの生きていく基盤となるものである。愛着障害と言えば、反応性アタッチメント症(反応性愛着障害)などの、乳幼児期の愛着形成の障害を思い浮かべるが、愛着形成の障害にも程度の差があり、周囲から愛着障害と気づかれない場合もある。乳幼児期の愛着の問題は、その後の成長・発達のなかで良い関係や環境に恵まれて自然に薄らいでいく場合も少なくないが、成人期に至ってもその人の基底にあり、対人関係などに影響を与えていく場合もある。その人たちはPTSD、複雑性PTSDなどと診断できる場合もあるが、診断で言えば閾値下のことが多い。臨床現場で出会う愛着の問題を抱える人は、人の言動に敏感で、甘えたり頼ったりするのが苦手、安心感や自己肯定感に乏しく、対人関係が不安定になりやすい……そんな人たちである。
筆者は大人の愛着障害を積極的に診断していこうと考えているのではない。診断基準として確立したものではないし、自身を愛着障害と捉える人が増えることが望ましいとは思わない。だが、愛着の問題を抱えていると治療者や支援者が気づくことは大切でないか、診断するという概念ではなく、理解する概念としては有用でないかと思うのである。筆者らはこれまで成人期の発達障害とトラウマについて考えてきた(1)(2)(3)(4)(5)。とくに大人のトラウマと愛着障害は重なるところがあるが、愛着障害と言うとき、筆者は大きな傷つきではなく、小さな傷つきの連なりのようなものをイメージしている。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(1)」、「(2)」、「(3)」、「(4)」、「(5)」はそれぞれ次の本です。 【青木省三、村上伸治編『大人の発達障害を診るということ-診断や対応に迷う症例から考える』医学書院、二〇一五年】、【青木省三『こころの病を診るということ-私の伝えたい精神科診療の基本』医学書院、二〇一七年】、【青木省三『ぼくらの中の「トラウマ」-いたみを癒すということ』ちくまプリマ―新書、二〇二〇年】、【青木省三、村上伸治、鷲田健二編『大人のトラウマを診るということ-こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院、二〇二一年】、【村上伸治『現場から考える精神療法-うつ、統合失調症、そして発達障害日本評論社、二〇一七年】 ii) 引用中の「反応性愛着障害」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「PTSD」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「複雑性PTSD」についてはリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「愛着障害」が一般的にDSM-5による診断名よりも広い範囲を示すかもしれないことについて、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「4章 愛着障害」における記述の一部(P41)を次に引用(『 』内)します。 『小さいときに虐待やネグレクトなどを受けることによって正しい愛着関係が結べないと、その後適切な人間関係を結べなくなる愛着障害を発症することがある。愛着障害とは、乳幼児期に長期にわたって虐待を受けたり、両親の死やその他の要因で養育者と安定した愛着関係を結ぶことができなくなることで引き起こされる障害の総称である。医療の現場ではDSM-5(精神障害の診断と統計マニュアルの最新版)などで示す「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」という障害名を用いるが、一般的にはそれよりも広い範囲を示し、愛着の不足によって引き起こされる様々な困った症状をすべて指し示すことが多い。』(注:1) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 2) アッタチメント障害(又は愛着障害)と発達障害との鑑別の困難性について、上記引用中の「反応性愛着障害」(反応性アタッチメント障害)と「脱抑制型対人交流障害」を含めてここを参照して下さい。) vi) 引用中の「対人関係が不安定になりやすい」ことに関連するかもしれない「愛着障害は、情愛的な親密さを他者との関係のなかで築くことが難しい」ことについて「愛情は空想的・理念的なイデオロギーと化し、実体験の欠乏を補うことになる」ことを含めて上田勝久、筒井亮太編の本、「トラウマとの対話 精神分析的臨床家によるトラウマ理解」(2023年発行)の 第八章 芸術とトラウマ――三島由紀夫と虐待後遺症 の 3 三島由紀夫と虐待後遺症 の「虐待後遺症」及び「ユートピアニズムとしての愛情とリアリズムとしての愛情」における記述の一部(P197~P201)を次に引用します。

虐待後遺症(中略)

愛着障害とは、簡潔にいえば、人間関係におけるパーソナルな情愛関係が結べない病理である。したがって、親しい関係が実感しづらい。関係性の内側に入れないということだ。(中略)

なぜ愛着障害は、情愛的な親密さを他者との関係のなかで築くことが難しいのだろうか? この答えは、さほど難しいものではない。なぜなら、親との関係で体験できなかった関係性は、汎化が困難だからだ。その際、愛情は空想的・理念的なイデオロギーと化し、実体験の欠乏を補うことになる。

ユートピアニズムとしての愛情とリアリズムとしての愛情
現実の愛情を生育過程において体験できなかった子どもたちは、愛情に対してどのようなイメージを抱きやすいだろうか? 筆者の臨床経験上は、およそふたつに大別される。
ひとつは、「愛情の理想化」である。これは、グリム童話などによく表現されている世界だ。たとえば、シンデレラ物語のように、継母はひどい人だが、どこかにきっとこころ優しい実母が生きていると、夢見られやすい。が、その夢見は、現実が悲惨なだけに、極端な方向に針は振り切れ、現実離れした理想的な母親像が思い描かれる。いわゆる精神分析でいうスプリッティングである。
筆者のクライエントに、こういう方がいた。「私は結婚したら、子どもの気持ちに共感して、気持ちを大事にしてあげたい。叱るんじゃなくて、いつも話を一緒に聞いてあげたい」。
この方が言っていることは、きわめて正当なことでもあるし、大事なことでもある。だが、現実の母子関係は、「いつも話を一緒に聞いてあげ」れるものでもないし、「子どもの気持ちに共感」できるものでもない。そこには、母親側の都合もあり、ときには機嫌が悪いこともあれば、子どもの世話よりも今時SNSを優先することもあるだろう。つまり、現実の愛情というものは、そんなに理想的なものでもなければ、逆にそれほどひどいものでもない。「まあまあ、こんなところか」というのが、次第に大人になるにつれてわかってくる現実の愛情の姿なのだ。
だが、生育において、適度な愛情を体験できなかった人には、それが実感されない。したがって、現実離れした理想的な愛情が夢見られたりもする。そこに虐待の後遺症が尾を引いているのだ。
もうひとつは、現実の愛情の欠落を補うために、「倫理的な世界像」が描かれやすい。すなわち、「現実はこうあるべきだ。そうでないのはおかしい」という世界像である。たとえば、こういうことだ。「あのスーパーでは、バリアフリーが考慮されていない。障害者のための車椅子も準備されていないのはおかしい」「いじめがあるのに見て見ぬふりをしている生徒がいるのはおかしい」「ウクライナで悲惨な子どもたちがいるのに、享楽的な消費社会に満足している日本人はおかしい」などである。
いずれももっともな話である。たしかにおかしいことはおかしいのた。ゆえに、倫理的、道徳的には正しい話である。だが、人間世界は、必ずしも正しさで理性的に営まれているわけではない。そこには、個人の我欲、自己都合などがおおいに入り込んでいる。したがって、すぐにそんな理想的な現実社会が実現されるわけではないし、これまで人類の歴史のなかで、実現された試しもない。
倫理的な世界像は、理念的でイデオロギー的な形をとりやすい。なので、急進的な改革やいわゆる革命にはつきものである。先に述べたロベスピエールしかり、日本赤軍しかり、である。(中略)

人間には、もちろんのこと、ユートピアを求める心性は存在するものであるし、社会の進歩のためには必要なことでもある。ユートピアなきにして、今日の自然科学の発展もない。自然科学は、科学による物質・機械文明のユートピア化を目指して、これほどまでに発展してきた。
だが、それを人間社会に性急に当てはめようとするのは、お門違いだ。逆に現実との摩擦を大きくし、現実憎悪に陥りやすい。なぜなら、人間社会の、あるいは人間性自体が、自然科学のように発展・進歩していくものではないからだ。精神分析は、創始者フロイト以来、「宿命」としての人間性の邪さを探究し続けてきた。フロイトは、近親相姦願望を人間の本性とみなし、メラニー・クラインは、羨望をそれと同定した。人間は、各々程度の差こそあれ、それらの「獣性」を宿命として背負っているのである。人間社会を清廉潔白な高みへと導こうと急げば、人間の獣性から逆に牙を剥かれるか、自壊するほかない。
親との関係性のなかで、現実の愛情を関係性の内側のこととして体験してこなかった人は、理想的にしろ倫理的にしろ、空想的な愛情、すなわちユートピアニズムを追い求めるほかなくなるのである。

注:i) この引用部の著者は祖父江典人です。 ii) 引用中の「スプリッティング」に関連する「スプリット思考」については次の資料を参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害の治療ガイドライン」の「4. マネジメントをめぐって」項 iii) 引用中の「フロイト」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神分析学の父、ジークムント・フロイト」 iv) 引用中の「メラニー・クライン」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)」 v) 引用中の「先に述べたロベスピエールしかり、日本赤軍しかり」について、3 三島由紀夫と虐待後遺症の「右傾化する三島由紀夫」における記述の一部(P194)を次に引用します。

(前略)「自由、平等、友愛」を掲げたフランス革命は、その美名の下に、何万もの首がギロチンにかけられ刎ねられた。しかも、それを主導したジャコバン党のロベスピエールは、倫理観の強い弁護士であり、ユートピア社会の実現を目指して、清廉潔白で賄賂も受け取らぬ清貧の輩だったといわれている。ユートピア志向の正義感から、人間はかくも残酷な所業をためらいもなく行うことができるのだ。
日本においても、もちろん例外ではない。一九七〇年代には、清廉な思想が残酷な所業を招いたこととして、日本赤軍による浅間山荘事件が思い起こされるところだろう。貧富の差のない平等な社会を目指した共産主義思想が、逆にその正義感のユートピア性によって、仲間内の凄惨なリンチ殺人に終わった。同志である女性が、女心として身なりを気にしたことに対して、ブルジョア思想に染まっているとして、粛清されたのである。
革命や急進的な改革が、ユートピアニズムの性急な現実化を求めるのは、故なしとしない。現実感の希薄さ、あるいは現実への愛着の乏しさ、さらには不遇な現実への憎悪が、現実との紐帯を断ち切るのにためらいを残さないからだ。(後略)

注:この引用部の著者は祖父江典人です。

次に「現今のアタッチメント理論は,ボウルビィ一人の手によるものではない」ことについて、同における記述の一部(P011)を次に引用します。

(前略)むろん,現今のアタッチメント理論は,ボウルビィ一人の手によるものではありません。ある研究者は,ボウルビィによってその基本発想が提示されてから,アタッチメント理論の現在に至るまでの重要なコーナーストーンとして,メアリー・エインスワース(Mary Ainsworth)によるストレンジ・シチュエーション法(Strange Situation Procedure : SSP)の開発,メアリー・メイン(Mary Main)らによるDタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)の発見およびアダルト・アタッチメント・インタビュー(Adult Attachment Interview : AAI)の開発,アラン・スルーフ(Alan Sroufe)らによるミネソタ長期縦断研究の展開,フィリップ・シェーバー(Phillip Shaver)やマリオ・ミクリンサー(Mario Mikulincer)による質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定を挙げています(Duschinsky, 2020)。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Duschinsky, 2020」は次の本です。 「Duschinsky, R. (2020) Cornerstones of attachment research. Oxford University Press.」 iii) 引用中の「ストレンジ・シチュエーション法」(SSP)についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「Dタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「アダルト・アタッチメント・インタビュー」(AAI)についてはここを参照して下さい。 vii)  引用中の「アラン・スルーフ(Alan Sroufe)らによるミネソタ長期縦断研究」については次の本を参照して下さい。 「Sroufe, L.A., Egeland, B., Carlson, E.A. et al. (2005) The development of the person: The Minnesota study of risk and adaptation from birth to adulthood. Guilford Press.」 viii) 引用中の「アタッチメント・スタイル」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「アタッチメント・スタイルの変容を促す介入の検討」 加えて、引用中の「質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「クライエントのアタッチメントパターンと心理療法における内的体験 ―成人への個人心理療法に関する研究の概観を通して―」の「2. 成人のアタッチメントパターン」項 また、上記「質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定」に関連するかもしれない(質問紙法を用いた)「社会人格系の成人アタッチメント研究における知見」についてはここを参照して下さい。

加えて、上記「コーナーストーン」としての「ストレンジ・シチュエーション法」(SSP)について、同の 第Ⅰ部 アタッチメント理論を俯瞰する の 第2章 アタッチメント理論の萌芽と基盤の形成 の「5 メアリー・エインスワースとストレンジ・シチュエーション法」項における記述の一部(P011)を次に引用します。

(前略)もっとも,現今におけるアタッチメント研究の発展が,ボウルビィただ一人の方向づけの妙に拠っているわけでは当然ありません。そこには,少なくとももう一人,メアリー・エインスワースによる貢献を,いかなる意味でも度外視することはできないでしょう。それどころか,少なくとも実証研究という視座からすると,その発展は,ボウルビィのオリジナルの発想以上に,エインスワースの方法論上における寄与,とりわけストレンジ・シチュエーション法(SSP)の開発によるところがはるかに大きいと言うべきかもしれません。ボウルビィのアイデアは,エインスワースのメソッドによって,具体的な実証研究の形を得たと言っても過言ではないのです。(中略)

ウガンダからメリーランド州ボルチモアに戻ったエインスワースは,そこでアメリカの子どもを対象にし,研究を再開しようとします。当初は,自然観察に基づきながらデータの収集を試みたようですが,日常生活において相対的に安全性が確保されているアメリカの子どもが,ウガンダの子どものように顕著なアタッチメント行動をそれほど頻繁には示さないという現実に直面しました。そうしたなかで,エインスワースは,養育者との分離が子どもの不安を喚起し,アタッチメントの行動システムを活性化させるというボウルビィの洞察に基づき,子どもに,分離によるマイルドなストレスを実験的に与えるという手法を思いついたようです。
そして,彼女は当時,アシスタントだったバーバラ・ウイッティグ(Barbara Wittig)とともに,56人の非臨床群の11ヵ月児を対象に,実験室で 養育者との分離を経験させ,そこに現れる子どもの反応の差異,そして,その後の養育者との再会に際して現れる子どもの反応の差異を組み合わせて見ることで,子どものアタッチメントのパターンをいくつかのタイプに類型化しうることを見出しました(Ainsworth & Wittig, 1969)。そして,その後いくつかの改良を経て,一通りの完成をみたのが,SSPということになるのです(Ainsworth et al., 1978)。
そこでは,とくに養育者との分離および再会場面に現れる子どもの行動上の差異をもって,Aタイプ(回避型〔avoidant〕),Bタイプ(安定型〔secure〕),Cタイプ(アンビヴァレント型〔ambivalent〕)の3つのうちのいずれかのアタッチメント・タイプに振り分けられることになります。Aタイプは,養育者との分離に際しさほど混乱を示さず,常時,相対的に養育者との間に距離を置きがちな子どもとされています。Bタイプは,分離に際し混乱を示すが,養育者との再会に際しては容易に静穏化し,ポジティヴな情動をもって養育者を迎え入れることができる子どものことです。Cタイプは,分離に際し激しく苦痛を示し,なおかつ再会以後もそのネガティヴな情動状態を長く引きずり,ときに養育者に強い怒りや抵抗の構えを見せる子どもと定義されます。ちなみに,AタイプとCタイプはlつに括られ,Bタイプ(安定型〔secure〕)に対して不安定型(insecure)と総称されることもあります。
エインスワースは,こうした実験室での観察と家庭での母子相互作用の観察を併せて実施し,各タイプの子どもにおける養育者の敏感性(sensitivity:子どもの心身状態を的確に読み取り,素早く応じる程度)や典型的な関わり方を検討しました。ちなみに,ここで言う敏感性とは,声や表情など,子どもが表出する種々のシグナルに基づいて,感情や欲求などの内的状態や欲求を的確に読み取り,かつ迅速に応答する養育者の傾向を指します。
エインスワースの分析結果によれば,Aタイプの子の養育者は相対的に拒絶的で,とくに子どもがネガティヴな情動を表出したり,身体接触を求めたりすると,それを嫌ってかえって子どもから離れていこうとするようなところがみられます。Bタイプの子の養育者は相対的に感受性が高く,また行動に一貫性が認められるようです。Cタイプの子の養育者は,やや気まぐれで相対的に行動の一貫性が低く,子どもの側からすれば非常にその行動が予測しにくいとされます。(中略)

その後,SSPはアタッチメント研究のいわばゴールドスタンダードの研究手法としての地位を確立し,欧米のみならず,東洋圏,そして,アフリカ,中南米などさまざまな地域・文化で広く用いられるに至ります。SSPを用いた研究は,ほぼ世界全域にわたって,今や膨大な数に上りますが,A・B・Cの3タイプは,基本的にどの地域・文化の子どもにも普遍的に認められるようです。また,各タイプの比率構成は,研究によって相当のばらつきがあり,なかには,エインスワース自身によるボルチモアの研究のそれ(Aタイプが21%,Bタイプが67%,Cタイプが12%)とかなり大きな乖離を見せているものもあります。ただ,数のうえでBタイプが最も多く,標準的であることは,世界中の多くの地域・文化で共通しているといえそうです。さらに,エインスワースが仮定したように,子どものアタッチメントの個人差が養育者の敏感性によって規定されるということも,あまり文化差のないところであると認識されています(Mesman et al., 2016)。
ちなみに,日本におけるSSPを用いた研究は,ことに1980年代から90年代にかけて,一定数行われています。そしてそこでは,相対的にAタイプが少なく,逆にCタイプが多いという傾向が認められています(van IJzendoorn & Sagi, 1999)。その背景に,母子密着傾向など日本に特異な養育文化の介在を仮定する向きも一部にありますが(van IJzendoorn & Kroonenberg, 1988),どちらかというと,現在では,日本においてSSPを用いること自体の生態学的妥当性の低さが関係しているのではないかという見方が一般的といえるかもしれません。すなわち,SSPにおける見知らぬ場所での養育者との分離という事態が,日本の乳幼児には過度にストレスフルであり,それぞれの子どもの日常におけるアタッチメントの特質を反映しえないのではないかということが指摘されているのです。こうした事情も絡み,現在,日本では,SSP以上に,たとえば 日常の親子観察に基づくアタッチメントQソート法(Attachment Q-Set)(Waters & Deane, 1985;Waters et al., 1995)など,他の研究手法がより多く用いられているようです。(後略)

注:(i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 (ii) 引用中の「Ainsworth & Wittig, 1969」は次の本です。 「Ainsworth, M.D., & Wittig, B.A. (1969) Attachment and exploratory behavior of one-year-olds in a strange situation. In: Foss, B.M. (ed.), Determinants of infant behavior. Vol.4. Methuen. pp.113-136.」 (iii) 引用中の「Ainsworth et al., 1978」は次の資料を参照すれば良いかもしれません。 「PATTERNS OF ATTACHMENT A PSYCHOLOGICAL STUDY OF THE STRANGE SITUATION」 (iv) 引用中の「Mesman et al., 2016」は次の本です。 「Mesman, J., van IJzendoorn, M.H., & Sagi-Schwartz, A. (2016) Cross-cultural patterns of attachment. Universal and contextual dimensions. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.852-877.」 (v) 引用中の「van IJzendoorn & Sagi, 1999」は次の本です。 「van IJzendoorn, M.H., & Sagi, A. (1999) Cross-cultural patterns of attachment. Universal and contextual dimensions. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. Guilford Press, pp.713-734.」 (vi) 引用中の「van IJzendoorn & Kroonenberg, 1988」は次の論文です。 「Cross-cultural patterns of attachment: A meta-analysis of the strange situation.」 (vii) 引用中の「Waters & Deane, 1985」は次の論文です。 「Defining and assessing individual differences in attachment relationships: Q-methodology and the organization of behavior in infancy and early childhood.」 加えて、引用中の「アタッチメントQソート法」については次の資料を参照して下さい。 「アタッチメント」の「Ⅳ.アタッチメントの測定法」項 一方、引用中の(アタッチメント・タイプとしての)「A・B・Cの3タイプ」についての簡単な説明は「D」のタイプを含めて同資料の「表2 アタッチメントの4類型」(P73)を参照して下さい。 (viii) 引用中の「Waters et al., 1995」は次の本です。 「Waters E., Vaughn, B.E., Posada, G. et al. (eds.) (1995) Caregiving, cultural, and cognitive perspectives on secure-base behavior and working models: New growing points on attachment theory and research. Monogr Soc Res Child Dev 60 (2-3) 」 (ix) 引用中の「ウガンダ」から戻った「エインスワース」については次のWEBページを参照して下さい。 「心理学史の中の女性たち」 (x) 引用中の「アタッチメント・タイプ」をIWM(内的作業モデル、例えば資料「関係に特有な内的作業モデルの形成要因についての検討」、「アタッチメント」の「Ⅱ.アタッチメントの概念」項やWEBページ「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」からダウンロード可能な資料「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」を参照)の観点から見たことについて、同における記述の一部(P050~P051)を以下に引用します。 (xi) 引用中の「分離」に関連する「長引く分離」については次の note を参照すれば良いかもしれません。 「分離の影響」 (xii) 引用中の「アタッチメントのパターンをいくつかのタイプに類型化しうる」ことに関連するかもしれない『愛着分類は,恐怖と不安を調整しようという力動的努力の反映である。それなので,カテゴリーそのものよりもこれらの力動にこそ,私たちの臨床的注意を向ける価値がある」と強調した』ことについて、グレン・O・ギャバード、ホリー・クリスプ著、池田暁史訳の本、「ナルシシズムとその不満 ナルシシズム診断のジレンマと治療方略」(2022年発行)の 第1部 診断上のジレンマ の 第3章 関係性の様式 の 「愛着とパーソナリティ障害」における記述の一部(P51)を次に引用(【 】内)します。 【Slade(2014)は,愛着理論と臨床的考察との関連性とを考慮する際に,分類を見当違いに重視することがあるのではないか,と強調しました。すなわち「愛着分類は,恐怖と不安を調整しようという力動的努力の反映である。それなので,カテゴリーそのものよりもこれらの力動にこそ,私たちの臨床的注意を向ける価値がある」(p.259)と強調したのです。彼女が推奨したのは,治療者が協力して,成人の患者が幼少期に安全への脅威や恐怖にどう反応してきたようであるのかを理解すること,そして,その方略が現在どのように生じているのかを見定めようとすることでした。その分類が固定化されたものではないということも脳裏に留めておいた方がよいでしょう。それらは,文脈やライフイベントに反応するものであるがゆえに柔軟性があるのです(Holmes and Slade 2018)。】(注:a) 引用中の「Slade(2014)」は次の論文です。 「Imagining fear: Attachment, threat, and psychic experience.」 b) 引用中の「Holmes and Slade 2018」は次の本です。 「Holmes J. Slade A: Attachment for Thrapists: Science and Practice. London, Sage, 2018」) (xiii) 引用中の「Bタイプ」に関連する「Bタイプのアタッチメントをヒトの進化的適応環境に合致したプロトタイプと見なす考え方に対し批判がある」ことについて同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 1 進化生物学的視座から見るアタッチメント の「(1)ボウルビィ理論と現在進化生物学との齟齬」における記述の一部(P056)を以下に引用します。

(前略)IWMという観点から見れば,Aタイプの子どもは「自分は拒絶される存在である」「自分が近づこうとすれば他者は離れていこうとする」といった主観的確信からなる表象モデルを形成し,結果的に養育者との最低限の近接関係および安全の感覚を得るために,あえてアタッチメントのシグナルを最小限に抑え込む,すなわち回避的なふるまいを見せることになると考えられます。まだ Bタイプの子どもは「自分は受容される存在である」「他者は自分が困ったときには助けてくれる」といった内容の表象モデルを形成するため,養育者のふるまいにたしかな見通しをもつことができ,結果的にアタッチメント行動は全般的に安定し,たとえ一時的に分離があっても再会時には容易に立ち直り安堵感に浸ることができるといえます。一方,Cタイプの子どもは「自分はいつ見捨てられるかわからない」「他者はいつ自分の前からいなくなるかわからない」といった内容の表象モデルを形成しやすく,結果的に養育者の所在やその動きにいつも過剰なまでに用心深くなり,自分から最大限にアタッチメントシグナルを送出することで,養育者の関心を絶えず自分のほうに引きつけておこうとするようになるといわれています。このタイプの子どもが 再会場面で養育者に怒りをもって接するのは,いつまたふらりといなくなるかもわからない養育者に安心しきれず,怒りの抗議を示すことで,一人置いていかれることをなんとか未然に防ごうとする対処行動の現れと理解することができるでしょう。(後略)

(前略)ゼイフマンら(Zeifman & Hazan, 2008)は,アタッチメントのメカニズムが,ヒトの進化の過程で,子ども期における安全保障のみならず,成人期の安定した二者(男女)間の絆を確立・維持するようにも「共選択(co-opt)」されてきたと主張しています。彼らは,成人期のアタッチメントは特定男女間の一夫一婦的な絆の形成を通して,結果的にその遺伝子を分け持つ子どもの出生および生存と(性的成熟後の)繁殖の可能性を高めることに寄与するのだとしています。すなわち,アタッチメントが親子関係のみならず配偶関係においても一貫してそれを保持・強化する機能を果たすがゆえに,生涯トータルで考えても,遺伝子的な意味でその適応価が高いというのです。そして,この立場では,ボウルビィおよびエインスワースが乳幼児期におけるBタイプ(安定型)のアタッチメントを「自然のプロトタイプ」と考えていたように,一夫一婦間で長期的に維持される情愛的な絆を成人のアタッチメントの基本型と見なし,乳幼児期の安定したアタッチメントの発達上の帰結として,成人期における健全で機能的な配偶関係の形成が可能になるということを前提視するのです。逆にいえば,そこでは,持続的で安定したアタッチメントから逸脱した種々の関係性の形態は,相対的に適応価の低い(遺伝子の維持・拡散に貢献しない)不適応・機能不全型と見なされることになります。
その一方で,同じくアタッチメントを生存と繁殖の両方に寄与すると見なしはするものの,そこに現れる個人差に関しては,まったく異なる見方をする立場もあります。元来,Bタイプのアタッチメントをヒトの進化的適応環境(Environment of Evolutionary Adaptedness:EEA)に合致したプロトタイプと見なすボウルビィとエインスワースの考え方には批判があり,Aタイプ(回避型)やCタイプ(アンビヴァレント型)などの他のアタッチメントの形態も特定環境下においては十分に高い生物学的機能を果たしうるのではないかという見解を有する研究者も少なくはありません。そして,これらの研究者のなかには,ヒトの粗先におけるEEAがそもそも,ボウルビィが仮定したほど画一的かつ穏和なものではなく,むしろ種々雑多で不確かな,ときには厳酷な状況が確率的に多く生じうるような環境であり,そのなかで,BのみならずAやCといったアタッチメント・タイプが代替的な適応戦略として進化してきた可能性を主張する向きもあるのです(e.g. Belsky, 2005;Simpson & Belsky, 2016)。
加えていえば,近年,個人レベルではなく集団レベルでヒトの適応を考えると,単一のアタッチメント・タイプではなく,複数・多様なアタッチメント・タイプが存在することで,とりわけ何らかの脅威下におけるヒトの生存や繁殖の可能性が高度に維持されうるのではないかという指摘もなされています(Ein-Dor & Hirschberger, 2016)。この社会的防衛理論という立場によれば,脅威下において,たとえばCタイプは,より素早く危険を察知しシグナルを発信することにおいて,Aタイプは,何らかの形で危険を察知するとそこから迅速かつ的確に逃避する,あるいは他者の逃避を促すということにおいて,集団としての適応性に寄与しているところがあるのではないかと考えられます。

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Zeifman & Hazan, 2008」は次の本です。 「Zeifman, D., Hazan, C. (2008) Pair bonds as attachments: Reevaluating the evidence. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.436-455.」 iii) 引用中の「Belsky, 2005」は次の本です。 「Belsky, J., (2005) The developmental and evolutionary psychology of intergenerational transmission of attachment. In: Carter, C.S., Ahnert, L., Grossmann, K.E. et al. (eds.), Attchment and bonding: A new synthesis. MIT Press, pp.169-198.」 iv) 引用中の「Simpson & Belsky, 2016」は次の本です。 「Simpson, J.A. & Belsky, J., (2016) Attachment theory within a modern evolutionary framework. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.91-116.」 v) 引用中の「Ein-Dor & Hirschberger, 2016」は次の論文です。 「Defining and assessing individual differences in attachment relationships: Q-methodology and the organization of behavior in infancy and early childhood.

加えて、上記「コーナーストーン」としての「Dタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)の発見」について、同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 3 臨床的視座から見るアタッチメント の「(2)Dタイプアタッチメントの発生因と発達的帰結」における記述の一部(P078~P082)を次に引用します。

近年のアタッチメント理論における臨床回帰の動向を語るうえで,最も注目すべきは,Dタイプ,すなわち無秩序・無方向型(disorganized/disoriented)アタッチメントということになるでしょう。エインスワースのSSPに礎を置く従来のアタッチメント研究においては,子ども期およびその後のアタッチメントを安定型(secure)であるBタイプと,不安定型(insecure)であるAタイプ(回避型)およびCタイプ(アンビヴァレント型)に振り分けることが一般的であったといえます。そして,かつてはその不安定型と個人の心理社会的不適応や精神病理との関連が問われ,たとえばAタイプと外在化問題行動との,またCタイプと内在化問題行動との密接な結びつきが仮定されたこともあったようです(北川, 2005)。
しかし,最近のより一般的な認識によれば,AタイプもCタイプも不安定(insecure)とカテゴライズされるにせよ(すなわち子どもの側からすれば容易に安心感を得られないにせよ),Bタイプと同様,特定の養育環境に対する適応方略と見ることができ,少なくとも養育者等との近接関係の確立・維持という究極のゴールからすれば それぞれが(Aタイプはアタッチメントのシグナルを最小化するという意味で Cタイプは逆にそれを最大化するという意味で)「組織化されている(organized)」,そしてみずからが置かれた養育環境下では有効に機能している可能性が高いと考えられます(e.g. Main, 1991)。むしろ,多くの研究者はここにきて,その関心を一気に,そうした組織化されたアタッチメントの対極にある「組織化されていない(disorganized)」アタッチメント,すなわちDタイプに注ぎ始めているようです。臨床的視点から注目すべきは,アタッチメントが安定しているか否か(secure/insecure)の軸というよりも,組織化されているか否か(organized/disorganized)の軸だというのです(Green & Goldwyn, 2002)。
このDタイプの特徴は,SSPのような状況においてまさに組織立っていない,すなわち近接と回避という本来ならば両立しない行動を同時的に(たとえば顔をそむけながら養育者に近づこうとする)あるいは継時的に(たとえば養育者にしがみついたかと思うとすぐに床に倒れ込む)見せるところにあります。また,不自然でぎこちない動きを示したり,タイミングのずれた場違いな行動や表情を見せたりします。さらに,突然すくんでしまったり,うつろな表情を浮かべつつじっと固まって動かなくなったりするようなこともあり,総じてどこへ行きたいのか,何をしたいのかが読みとりづらいという特徴があります(Main & Solomon, 1990;Solomon & George, 2011)。
このDタイプがとりわけ臨床的に注目されるのは,このように行動そのものが不可解だからでもありますが,それ以上に,このタイプに分類される子どもの多くが成育する養育環境の特異性にあるといえるでしょう。いわゆるハイリスクサンプルで,とりわけ養育者側の種々の心理社会的な問題によって特徴づけられる臨床群において,その比率がきわめて高くなるという報告がなされているのです(Cyr et al., 2010)。このタイプの子どもの養育者像については,抑うつ傾向が高かったり精神的に極度に不安定だったり,また日頃から子どもを虐待したりするなどの危険な兆候が多く認められることが,これまでに明らかにされています(Lyons-Ruth & Jacobvitz, 2016)。とくに被虐待児を対象にした研究のなかには,被虐待児の実に8割から9割がこのDタイプによって占められるのではないかという見方を示しているものもあります(e.g. Carlson et al., 1989;Cicchetti et al., 2006)。付言すれば 養育者による極端なネグレクトとの関連が強く疑われる非器質性成長障害(failure to thrive)の子どもにおいても,このタイプの比率がかなり高くなるという指摘もあります(Ward et al., 2000)。
先にもふれた世代間伝達の研究からは,こうした子どもの養育者がAAIにおいて,特定のトラウマ事象(主要な人物との死別や別離あるいはみずからの被虐待経験など)に関して選択的にメタ認知が崩れ,矛盾・崩壊した内容の語りをする未解決型に分類される確率が高いのではないかと仮定され,その検証が試みられてきました。上述したように,最近のメタ分析の結果からは総じて,子どものDタイプと親の未解決型との一致率がそう高くはならないことが示されていますが,少なくともいくつかの研究ではかなり強い関連性が見出されており,日本人サンプルを扱った研究でも,未解決型および分類不可能型の養育者とDタイプの子どもとの間に77%の合致が認められたことが報告されています(Behrens et al., 2007)。
ちなみに,Dタイプの提唱者であるメインら(Main & Hesse, 1990)は,こうした養育者の自身の過去の喪失やトラウマ等に関する未解決の心的状態が 多くの場合,日常の子どもとの相互作用において「おびえ/おびえさせる(frightened/frightening)」ふるまいとして現れる可能性を示唆しています。彼女らによれば,このタイプの養育者は,日常生活場面において突発的に過去のトラウマティックな記憶などにとりつかれ,おびえたり混乱したりすることがあるといいます。そして,そのおびえ混乱した様子,具体的には,うつろに立ちつくしたり,急に声の調子を変えたり,顔をゆがめたり,子どものシグナルに突然無反応になったりするといった養育者のふるまいが,結果的に子どもを強くおびえさせ,それが不可解なDタイプの行動パターンを生み出すと考えられています。メインらは,それを子どもにとっての「解決不可能なパラドクス」と表現していますが,本来,危機的状況で逃げ込むべき避難所であるはずの養育者が子どもに危機や恐怖・不安を与える張本人になってしまうという,ある意味きわめてパラドクシカルな状況下において,子どもは養育者に近接も回避もできず,どっちつかずの行動をとらざるをえなくなり,ときにはそれこそフリーズしてしまう,すなわちそこでただすくみ,うつろな状態で行動停止してしまうことになるのではないかといいます。
最近は,さらに進んで Dタイプの特徴が ここまで述べてきたようないわゆるハイリスクサンプルの子どもだけでなく,ごく一般的なサンプルの子どもにも一定程度(約15%)認められる(van IJzendoorn et al., 1999)こと,また,子どものDタイプと養育者の未解決型との関連はある程度認められるものの合致しないケースも少なからず存在することなどから,Dタイプの子どもおよびその養育者には,(潜在的には通底するところがあるものの)少なくとも表面的には異なった様相を呈する2種のサブタイプが存在するのではないかと考えられ始めています。とくにライオンズ-ルースら(Lyons-Ruth et al., 2004)は,Dタイプの子どもには,一部AタイプあるいはCタイプ的な行動特徴を見せるD-不安定型と,通常,落ち着いているときにはBタイプ的行動(養育者への近接とそれに伴う泣きの停止)が優位となるD-安定型とが,ほぼ同じくらいの割合で存在する可能性を指摘しています。そして前者の子どもが,相対的に自己中心的で敵対的・攻撃的な行動を子どもに直接向けることによって子どもをひどくおびえさせるような養育者(敵対・自己中心型)のもとで成育していることが一般的であるのに対し,後者の子どもは,どちらかというとおとなしく,ときには子どもに優しく接するような養育者のもとで成育している確率が高いとしています。ただし,後者の養育者はきわめて無力感(helplessness)が強く,少しのストレスでも動揺し,おびえ,情緒的にひきこもってしまう傾向が強いようです(おびえ・無力型)(e.g. Goldberg et al., 2003)。(中略)

なお,こうした乳児期におけるDタイプの特徴は,3歳くらいから徐々に,子どもの認知能力の高まりとともに,別種の行動パターン,すなわち統制型(controlling)へと変じ始めることが知られています(Howe, 2005;Moss et al., 2004)。いつ突発的に養育者の精神状態が崩れるかわからず,その結果として子ども自身が虐待も含めた養育者の不適切な行為の犠牲になったり,安心の基地や安全な避難所を失うことになったりせざるをえないのであれば,子どもは,養育者との役割の逆転を図り,自身が環境を統制する(control)側に回ろうとし始めるというのです。具体的には養育者のことを過度に気遣いさまざまな世話をしようとしたり(世話型),あるいは養育者に対してひどく懲罰的・高圧的あるいは侮辱的にふるまおうとしたり(懲罰型)する形で,子どもは,養育の主導権をみずから掌握しようと試み始めるようです。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「北川, 2005」は次の本です。 【北川恵 (2005)「アタッチメントと病理・障害」数井みゆき・遠藤利彦編『アタッチメント-生涯にわたる絆』ミネルヴァ書房,pp.245-264.】 iii) 引用中の「Main, 1991」は次の本です。 「Main, M. (1991) Metacognitive knowledge, metacognitive monitoring, and singular (coherent) vs. multiple (incoherent) models of attachment: Findings and directions for future research. In: Parkes, C.M., Stevenson-Hinde, J., & Marris P. (eds.), Attachment across the life cycle.Routledge, pp.127-159.」 iv) 引用中の「Green & Goldwyn, 2002」は次の論文です。 「Annotation: attachment disorganisation and psychopathology: new findings in attachment research and their potential implications for developmental psychopathology in childhood」 v) 引用中の「Main & Solomon, 1990」は次の本です。 「Main, M., & Solomon, J. (1990) Procedures for identifying infants as disorganized/disoriented during the Ainsworth Strange Situation. In: Greenberg, M.T., Cicchetti, D., & Cummings, E.M. (eds.), Attachment in the preschool years: Theory, research, and intervention.University of Chicago Press, pp.121-160.」 vi) 引用中の「Solomon & George, 2011」は次の本です。 「Solomon, J., & George, C. (2011) Disorganized attachment and caregiving. Guilford Press.」 vii) 引用中の「Cyr et al., 2010」は次の論文です。 「Attachment security and disorganization in maltreating and high-risk families: a series of meta-analyses」 viii) 引用中の「Lyons-Ruth & Jacobvitz, 2016」は次の本です。 「Lyons-Ruth, K., & Jacobvitz, D. (2016) Attachment disorganization from infancy to adulthood: Neurobiological correlates, parenting contexts, and pathways to disorders. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.91-116.」 ix) 引用中の「Carlson et al., 1989」は次の論文です。 「Disorganized/disoriented attachment relationships in maltreated infants.」 x) 引用中の「Cicchetti et al., 2006」は次の論文です。 「Fostering secure attachment in infants in maltreating families through preventive interventions」 xi) 引用中の「Ward et al., 2000」は次の論文です。 「Failure-to-thrive is associated with disorganized infant-mother attachment and unresolved maternal attachment.」 xii) 引用中の「Behrens et al., 2007」は次の論文です。 「Mothers' attachment status as determined by the Adult Attachment Interview predicts their 6-year-olds' reunion responses: a study conducted in Japan」 xii) 引用中の「Main & Hesse, 1990」は次の本です。 「Main, M., & Hesse, E. (1990) Parents' unresolved traumatic experiences are related to infant disorganized attachment status: Is frightened and/or frightening parental behavior the linking mechanism? In: Greenberg, M.T., Cicchetti, D., & Cummings, E.M. (eds.), Attachment in the preschool years: Theory, research, and intervention.University of Chicago Press, pp.161-182.」 xiii) 引用中の「van IJzendoorn et al., 1999」は次の論文です。 「Disorganized attachment in early childhood: meta-analysis of precursors, concomitants, and sequelae」 xiv) 引用中の「Lyons-Ruth et al., 2004」は次の本です。 「Lyons-Ruth, K., Melnick, S., Bronfman, E. et al. (2004) Hostile-helpless relational models and disorganized attachment patterns between parents and their young children: Review of research and implications for clinical work. In: Atkinson L., & Goldberg, S. (eds.), Attachment issues in psychopathology and intervention. Lawrence Erlbaum Associates, pp.65-94.」 vx) 引用中の「Goldberg et al., 2003」は次の論文かもしれません。 「Atypical maternal behavior, maternal representations, and infant disorganized attachment」 vxi) 引用中の「Howe, 2005」は次の本です。 「Howe, D. (2005) Child abuse and neglect: Attachment, development and intervention.Palgrave.」 vxii) 引用中の「Moss et al., 2004」は次の論文です。 「Attachment at early school age and developmental risk: examining family contexts and behavior problems of controlling-caregiving, controlling-punitive, and behaviorally disorganized children」 vxiii) 引用中の「Dタイプ」に関連する「組織化されていないアタッチメントの背景要因」について、引用中の「おびえ/おびえさせる」ことを含めて同の 第Ⅲ部 アタッチメントを実践に応用する の 第9章 虐待・不適切な養育とアタッチメントの未組織化 の「3 組織化されていないアタッチメントの背景要因」における記述の一部(P172~P173)を次に引用します。

先行研究からは,虐待や不適切な養育が子どものアタッチメントの組織化に破滅的な影響をもたらすことが示されています。メタ分析によれば,被虐待群のうち48%の子どもがDタイプに分類されました(van IJzendoorn et al., 1999)。一方,対照群(虐待を受けていない中流階級の非臨床辞)においては,Dタイプに分類されたのは15%でした。これは,虐待・不適切な養育を受けた子どもの約半数が組織化されていないアタッチメントに分類されることを意味します。別のメタ分析においても,虐待・不適切な養育を受けた群においては,安定型よりもDタイプに分類されることが多く,その効果量は他のリスク因子と比べて最も大きかったことが明らかになっています(Cyr et al., 2010)。ただし,Dタイプに分類されることが,子どもが虐待を受けていることを示すわけではないことに注意する必要があります(Granqvist et al., 2017)。つまり,虐待が報告されていてもDタイプに分類されないことがあり,逆に虐待の報告がない子どもでもDタイプに分類されることがあります。そのため,Dタイプに至る背景にはさまざまな経路があると考えられています。以下では,虐待・不適切な養育以外の背景要因を概観していきます。
まず,養育者の未解決なトラウマや喪失が,子どものアタッチメントの組織化と関連するようです。たとえば,愛する人との死別などの養育者の未解決な喪失やトラウマがDタイプと関連することがメタ分析から明らかになっており,Dタイプに分類された子どもの養育者のうち53%が,アダルト・アタッチメント・インタビューの未解決型に分類されています(van IJzendoorn, 1995)。
このような養育者の未解決な喪失やトラウマは,それ自体が直接子どものDタイプにつながるというよりも,養育者がとる「おびえ/おびえさせる」行動を媒介してアタッチメントの未組織化につながると考えられています。つまり,子どもから見れば,急に養育者がおびえたり,表情が変わったりすることで,子どもの恐怖もまた喚起されます。それと同時に,本来であれば近接を保ち安心感を回復させてくれる養育者が利用できない状態になってしまい,虐待と同様,子どもは解決不能パラドックスに身を置くことになります。
具体的な養育者のおびえ/おびえさせる行動としては,ライオンズ-ルースらが下記の行動を挙げています(Lyons-Ruth et al., 1999)。第一に,子どもをおびえさせたり,子どものやっていることを邪魔したり,嘲笑・からかいなどの悪意をもったコミュニケーションを行ったりする,ネガティヴで侵襲的な行動。第二に,養育者のニーズを子どものニーズよりも優先するような役割混乱(例:乳児が苦痛を示しているときに,乳児に自分を安心させるように求める)。第三に,養育者が怖がっていたり,情動的に奇妙であったりすること(例:養育者の声の変調がみられたり,乳児と関わるときに養育者の様子が硬かったり,ぎこちなかったりする)。第四に,子どもが慰めを求めているのに,矛盾したコミュニケーションをとったり,シグナルを誤認したりする情緒的コミュニケーションのエラー(例:子どもから身体的に距離をとりながら,言語的には乳児に「おいで」と言ったり,泣いたままの乳児を放置したりする)。第五に,乳児と関わるときに過剰に遠慮すること。この枠組みに基づき,AMBIANCE(Atypical Maternal Behavior Instrument for Assessment and Classification)という観察方法が開発され,さまざまな研究で用いられています。マディガンらのメタ分析では,未解決な喪失やトラウマがAMBIANCEによって測定された養育者のおびえ/おびえさせる行動を媒介して,子どものDタイプに関連することが示されています(Madigan et al., 2006)。また,虐待のない親子においても,養育者の未解決な喪失やトラウマがあり,養育者がおびえ/おびえさせる行動を行う場合,Dタイプにつながることが示されています(Schuengel et al., 1999)。
他にも,家族が抱えるリスク因子とアタッチメントの未組織化が関連することが示唆されています。たとえば 虐待や不適切な養育だけでなく,低所得や一人親世帯,低学歴,若くしての出産,マイノリティ性,薬物中毒などのリスクが5つ以上蓄積されると,安定型ではなくDタイプに分類されやすいようです(Cyr et al., 2010)。まだ 養育者の深刻で慢性的な抑うつ(Martins & Gaffan, 2000)や境界性パーソナリティ障害(Hobson et al., 2005)などの精神疾患とDタイプとの関連も明らかになっています。(後略)

注:i) この引用部の著者は平田悠里、遠藤利彦です。 ii) 引用中の「van IJzendoorn et al., 1999」、「van IJzendoorn et al., 1995」はそれぞれ次の論文です。 「Disorganized attachment in early childhood: meta-analysis of precursors, concomitants, and sequelae」、「Adult attachment representations, parental responsiveness, and infant attachment: a meta-analysis on the predictive validity of the Adult Attachment Interview」 iii) 引用中の「Cyr et al., 2010」は次の論文です。 「Attachment security and disorganization in maltreating and high-risk families: a series of meta-analyses」 iv) 引用中の「Granqvist et al., 2017」は次の論文です。 「Disorganized attachment in infancy: a review of the phenomenon and its implications for clinicians and policy-makers」 v) 引用中の「Lyons-Ruth et al., 1999」は次の論文です。 「Maternal frightened, frightening, or atypical behavior and disorganized infant attachment patterns.」 vi) 引用中の「Madigan et al., 2006」は次の論文です。 「Unresolved states of mind, anomalous parental behavior, and disorganized attachment: a review and meta-analysis of a transmission gap」 vii) 引用中の「Schuengel et al., 1999」は次の論文です。 「Frightening maternal behavior linking unresolved loss and disorganized infant attachment」 viii) 引用中の「Martins & Gaffan, 2000」は次の論文です。 「Effects of early maternal depression on patterns of infant-mother attachment: a meta-analytic investigation」 ix) 引用中の「Hobson et al., 2005」は次の論文です。 「Personal relatedness and attachment in infants of mothers with borderline personality disorder」 x) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、境界性パーソナリティ障害をはじめとしたパーソナリティ障害と愛着との関連については次の資料を参照して下さい。 「愛着とパーソナリティ障害 ――愛着理論はパーソナリティの適応化にどのように貢献できるか?――

その上に、上記「コーナーストーン」としての「アダルト・アタッチメント・インタビュー(AAI)」(資料「Adult Attachment Interview の臨床への適用とその展望」を参照すると良いかも)について、同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 2 生涯発達的視座から見るアタッチメント の「(3)生涯にわたるアタッチメントの時間的連続性」における記述の一部(P064~)を次に引用します。

(前略)ここで,青年期・成人期におけるアタッチメントの個人差をいかに測定しうるのかということが1つ問題になるわけですが,そこには大別して2種の方法論の系統があるといえます。1つは主に親子関係の文脈におけるアタッチメントの発達に基本的関心を寄せる研究者が多くとる手法であり,幼少期の親との関係に関わる面接手法を用いて,成人の表象的なアタッチメントのタイプ分けを図るものです。もう1つは,主に青年期以降の親密な他者との関係性とそこにおける種々の心理社会的適応性に基本的関心を寄せる研究者が多くとる手法であり,自己報告型の質問紙を用いて,一般的には他者に対する回避的な行動傾向と,他者との関係構築・維持に関わる不安の傾向という二次元の連続量のスコアを算出します。

アダルト・アタッチメント・インタビューによる検討
前者においては,アダルト・アタッチメント・インタビュー(AAI)という面接手法を用いて,成人期のアタッチメントの個人差を表現することが一般的となっています(Steele & Steele, 2008)。この手法の開発者メアリー・メインらは,乳児のSSPで得られるアタッチメント分類と,その養育者のアタッチメントをめぐる語りの特質との間に特異的な関連があることを見出し,その語りの特徴をより具体的に捉えうる面接方法としてAAIを案出したといわれています(Hesse, 2008)。この方法は,両親(やそれに代わる主要な養育者)との関係について子ども時代のことを想起し語ってもらうなかで,個人のアタッチメントシステムの活性化を促すよう工夫されており,「無意識を驚かす」ことで,被面接者自身も通常,意識化しえないアタッチメントに関する情報処理過程の個人的特性を抽出しようとするものです(遠藤, 2007a;2007b)。AAIでは,最終的に被面接者を,安定自律型(secure autonomous),アタッチメント軽視型(dismissing),とらわれ型(preoccupied),未解決型(unresoIved)のいずれかの類型に振り分けることになります。ちなみに,これらは,順に乳児期のSSPにおけるBタイプ(安定型),Aタイプ(回避型),Cタイプ(アンビヴァレント型),後述するDタイプ(無秩序・無方向型)に理論的に対応すると仮定されるものです。アタッチメントの時間的連続性は,基本的に,同一個人における乳児期のSSPの結果と成人期のAAIの結果とが,こうした理論的に想定される通りの一致を実際に見せるかどうかを問うという形で検討されます。
連続性・不連続性の評価は,概して,それぞれの研究のサンプルの性質やとられている方法論等に左右されることが多いといえそうです。これまでに行われた最も規模の大きいサンプルによる研究知見に言及しておくならば,少なくとも理論的に想定されるカテゴリーの一致に関しては,相対的にかなり低い値にとどまるようです(Groh et al., 2014)。N=857のNICHD(National Institute of Child Health and Human Development)のサンプルから得られたデータに基づき算出されだ15ヵ月時のSSPにおけるタイプと同一個人が18歳になった際のAAIにおけるタイプとの一致率は,4カテゴリーの分析で4割をやや超える程度,(SSPにおけるDタイプとAAIにおける未解決型を除いた)3カテゴリーの分析でも5割に満たないものでした。このうち,乳幼児期におけるSSPで多数派を占めるBタイプだった個人が青年期におけるAAIで安定自律型であった割合が6割程度だったことを勘案すれば,乳幼児期にアタッチメントが不安定だった個人(Aタイプ,Cタイプ,Dタイプ)における時間的変動がとりわけ大きいといえそうです。ちなみに,この研究報告では,アタッチメントに関わる各種連続量スコアからも,乳幼児期と18歳時のアタッチメントの時間的安定性に関して分析を行っているのですが,その値は総じて統計的に有意ではあってもかなり微弱なものでした(平均してr=.12)。
同様の分析結果は他の研究論文(e.g. Pinquart et al., 2013;Raby et al., 2015)においても示されており,社会経済的に比較的恵まれ,生活環境に時間軸上の変化があまりないようなサンプルの場合にはやや高い連続性が,逆に家族構成や経済状況も含め生活環境の変化が多く生じやすいようなハイリスクサンプルの場合にはやや低い連続性が認められる傾向が,たしかに多少みられるようです。ただ,原理的な意味で,アタッチメントは幼少期から思春期・青年期にかけて,それなりに変化しうるものと考えておくほうが妥当なのかもしれません(Booth-LaForce & Roisman, 2021)。
もっとも,この研究を手がけた論者らは,アタッチメントの時間的連続性を正当に評価するうえで,長い時間間隔をおいて,しかもまったく異なる方法でタイプ間の一致を見るという分析方法そのものがそもそも妥当なのかについて再考の余地があるのではないかと指摘しています。加えて,別の論文では,観察を通して評定された父母の幼少期の子どもに対する敏感性の程度が,SSPの結果以上に,同一個人の青年期になった際のAAIの結果をより強く予測するということも報告しており(Haydon et al., 2014),乳幼児段階の親子関係の質がその後の個人のアタッチメントに及ぼす長期的な影響に関しては,今後,別の角度からの分析も必要だといえそうです。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Steele & Steele, 2008」は次の本です。 「Steele, H., Steele, M. (eds.) (2008) Clinical applicatios of the Adult Attachment Interview. Guilford Press.」 iii) 引用中の「Hesse, 2008」は次の本です。 「Hesse, E. (2008) The Adult Attachment Interview: Protocol, method of analysis, and empirical studies. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.552-598.」 iv) 引用中の(遠藤)「2007a」、「2007b」はそれぞれ次の本と資料です。 【遠藤利彦 (2007a) 「アタッチメント理論とその実証研究を俯瞰する」数井みゆき・遠藤利彦編『アタッチメントと臨床領域』ミネルヴァ書房,pp.1-58.】、【遠藤利彦 (2007b) 「アタッチメント理論の現在-特に臨床的問題との関わりにおいて」『乳幼児医学・心理学研究』16; 13-26.】 v) 引用中の「Groh et al., 2014」は次の論文です。 「The significance of attachment security for children's social competence with peers: a meta-analytic study」 vi) 引用中の「Pinquart et al., 2013」は次の論文です。 「Meta-analytic evidence for stability in attachments from infancy to early adulthood」 vii) 引用中の「Raby et al., 2015」は次の論文です。 「Continuities and changes in infant attachment patterns across two generations」 viii) 引用中の「Booth-LaForce & Roisman, 2021」は次の本です。 「Booth-LaForce, C., & Roisman, G.I. (2021) Stability and change in attachment security. In: Thompson, R.A., Simpson, J.A., & Berlin, L.J. (eds.), Attachment: The fundamental questions. Guilford Press, pp.154-160.」 ix) 引用中の「Haydon et al., 2014」は次の論文です。 「VII. Shared and distinctive antecedents of Adult Attachment Interview state-of-mind and inferred-experience dimensions」 x) 「安定自律型」の別名である「安定-自律型」と評定されることとなる「獲得安定」について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 6 その後の愛着研究におけるトピック の (2) 成人期の愛着 の「1) 安定ー自律型(secure-autonomous type)」における記述(P120~P122)を以下に引用します。 xi) 引用中の「成人期のアタッチメント」に類似する「成人のアタッチメント」と「臨床的問題」との関連について、同の 第8章 アタッチメントの病理・問題と臨床実践 の 1 アタッチメントの個人差と病理・問題 の「(4)成人における精神病理とアタッチメント」における記述の一部(P161~P162)を以下に引用します。

1) 安定-自律型(secure-autonomous type)(中略)

ところで,この安定-自律型に分類される回答者は,幼年期に両親との愛着が安定していた人だけではありません。先述したように,成人愛着における安定性を決めるものは過去の体験ではなく,その体験に対する現在の関わり方です。過去に愛着トラウマを含む逆境を体験していたとしても,このような体験と折り合いをつけており,筋の通ったナラティヴを生み出すことができ,愛着をポジティヴに評価しているなら,その回答者は安定-自律型と評定されます。この場合,その回答者は幼年期には愛着が不安定になりがちだったでしょうが,その後の人生において愛着の安定を獲得してきたと想定されるので,この安定を「獲得安定」(earned security)と呼びます(Hesse, 2008)。幼年期に両親のどちらとも安定した愛着関係を築けなかったとしても,親以外の副次的愛着人物から高水準の情緒的サポートを受けていたような場合には,成人愛着面接における判定が安定-自律型になることはよくあります。この副次的人物には,心理療法家,教師,地域の隣人などが含まれます。心理療法は,逆境を生きてきた人が愛着の安定を「獲得」する1つの方法です。
親が安定-自律型であれば,その子どもの愛着も安定型になることが多いのですが,このことは,親が獲得安定型であってもあてはまります。安定-自律型の人は,幼年期の愛着関係においてトラウマを体験していたとしても,その体験をメンタライズし,筋の通ったナラティヴとして語ることができる人です。このメンタライジング能力(内省機能)があるので その人は,自分が親になっても,子どもの出すサインに気づきやすく,子どもの精神状態について内省し,適切な応答を考えることができます。その結果,子どもの愛着も安定化していくと考えられるのです。(後略)

注:i) 引用中の「Hesse, 2008」は次の本です。 「Hesse, E. (2008) The Adult Attachment Interview: Protocol, method of analysis, and empirical studies. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.552-598.」 ii) 引用中の「内省」や「獲得安定」に関連する「幼少期に安定したアタッチメントの経験がないものの、のちに安定したアタッチメントを持つようになった人は、不安定型の人や、ずっと安定型であり続けている人より内省機能が高いとされる」ことについて、遠藤利彦監修の本、『アタッチメントがわかる本 「愛着」が心の力を育む』(2022年発行)の 第5章 大人にとってのアタッチメント の 変化をもたらす要因② 「自分を知ること」で安定しやすくなる の『「内省機能」の高さ』における連続する記述(P93)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【自分やほかの人の行動を心の観点から理解、解釈する力。過去の経験をとらえ直すことで、心のなかに取り込まれている思い込みが変わっていく可能性があります。】、【幼少期に安定したアタッチメントの経験がないものの、のちに安定したアタッチメントを持つようになった人は、不安定型の人や、ずっと安定型であり続けている人より内省機能が高いとされます。】

(4)成人における精神病理とアタッチメント
成人の精神病理とアタッチメントとの関連については,子ども時代のアタッチメントの長期的影響を検討する研究と,成人としてのアタッチメントとの関連を検討する研究があります。(中略)

乳幼児期のアタッチメントと成人の精神病理との関連について,最新のレビュー(Stovall-McClough & Dozier, 2016)によると,明確な関連が認められるのは,乳児期の無秩序・無方向型アタッチメントと青年・成人期の解離症状,そして,乳児期のアンビヴァレント型アタッチメントと青年期の不安障害のみとされます。この関連については,各アタッチメント行動の様相と症状が類似しているだけでなく(たとえば 無秩序・無方向型の子どもがSSP場面で見せるフリーズ状態と解離症状の類似性),養育経験の共通性からも説明できるとされます。つまり,養育者による虐待といった子どもにとって解決不能な(アタッチメント方略を組織化できない)恐怖の経験は,無秩序・無方向型のアタッチメントを招きやすいと同時に,逃れようのないストレスや恐怖に反応しやすい神経生物学的発達を促進し,解離症状に陥りやすくなると考えられます。また,アンビヴァレント型のように,必要なときに養育者を利用できないために過覚醒に陥ることが,のちの不安症状を招く神経生物学的発達につながると考察されています。今後は,遺伝と環境の相互作用を考慮するために神経科学などを含む学際的なチームで研究を進めることや,長期縦断研究を実現する環境整備も必要であると述べられています。
成人のアタッチメントと臨床的問題との関連については,過去25年間に行われた200以上の研究で測定された1万500以上のAAIのデータをメタ分析した研究(Bakermans-Kranenburg & van IJzendoorn, 2009)があります。その結果,臨床群においては非臨床群よりも不安定型(安定自律型以外のタイプ)が多く,なかでも未解決型が多かったそうです。内向性次元の問題(境界性パーソナリティ障害など)はAAIのとらわれ型や未解決型と関連しており,外向性次元の問題(反社会性パーソナリティ障害など)はAAIのアタッチメント軽視型やとらわれ型と関連していたそうです。うつ症状は,AAIの不安定型と関連していましたが,未解決型とは関連していませんでした。PTSDのような外傷性の問題は,AAIの未解決型と関連していました。うつについては,双極性障害のように注意を外に向ける外向性の症候もあれば 単極性障害のように内面に注意を向ける内向性の症候もあるため,うつの種類による検討が必要だろうと考察されています。

注:(i) この引用部の著者は北側恵です。 (ii) 引用中の「Stovall-McClough & Dozier, 2016」は次の本です。 「Stovall-McClough, K.C., & Dozier, M. (2016) Attachment states of mind and psychopathology in adulthood. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.715-738.」 (iii) 引用中の「Bakermans-Kranenburg & van IJzendoorn, 2009」は次の論文です。 「The first 10,000 Adult Attachment Interviews: distributions of adult attachment representations in clinical and non-clinical groups」 (iv) 引用中の「SSP」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「解離症状」に関連する「解離性障害」についてはリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を、引用中の「不安障害」についてはリンク集[用語:「不安障害(不安症)」]を それぞれ参照して下さい。 (vi) 引用中の「双極性障害」や「境界性パーソナリティ障害」については共にリンク集を、「反社会性パーソナリティ障害」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「表3.DSM-5 第2部におけるパーソナリティ障害のタイプ」 (vii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」や「反社会性パーソナリティ障害」に関連するかもしれない、「パーソナリティ障害傾向とアタッチメント・スタイルとの関連」については次の資料を参照して下さい。 「パーソナリティ障害傾向とアタッチメント・スタイルとの関連 ――横断研究による精神的健康への影響の検討」 (viii)引用中の「過覚醒」については次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒 / 覚醒亢進」 (ix) 引用中の「逃れようのないストレスや恐怖」を含むかもしれない「逆境体験」とアッタチメント・パターンの分類の関連について、「そだちの科学 2022年10月号」中の山下洋著の文書「逆境体験とアタッチメント」(P59~P64)の「逆境体験の世代間伝達とアタッチメント」における記述の一部(P61)を次に引用(『 』内)します。 『逆境体験が世代を超えて伝達される主な経路の一つとして、発達早期のアタッチメント形成の過程が注目される。成人の愛着対象に関連する内的表象と心理過程を明らかにする方法として成人愛着面接(Adult Attachment Interview:AAI)があるが、ACEsの数とAAIによるアタッチメント・パターンの分類の関連を見ると、ACEs質問票の四項目以上で「あり」と回答した多種類の逆境を経験した成人では、アッタチメント対象に関連する喪失体験や外傷体験の未解決な状態(Unresolved:U)または分類不能(Cannot Classify:CC)と分類されるケースが七二%と、通常の地域サンプルでの九%に比べて著明に高率であった(6)。』(注:a) 引用中の文献番号「(6)」は次の論文です。 「Adverse Childhood Experiences (ACEs) questionnaire and Adult Attachment Interview (AAI): implications for parent child relationships」 b) 引用中の「ACEs」[小児期逆境体験]についてはここを参照して下さい。)

一方、(質問紙法を用いた)「社会人格系の成人アタッチメント研究における知見」について、「サポート希求」や「コーピング」を含めて、上淵寿、平林秀美編著の本、「情動制御の心理学」(2021年発行)の 第Ⅱ部 情動制御と他の心理機能 の 第8章 アタッチメントと情動制御 の 4 社会人格系の成人アタッチメント研究における知見 の「(2) 社会人格系の成人アタッチメント研究で得られた知見」における記述の一部(P198~P202)を次に引用します。なお、上記「社会人格系」については「質問紙法を用いる」ことを含めてWEBページ「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」からダウンロード可能な資料「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」の「1-2-1 青年期・成人期のアタッチメント測定・分類」項を参照して下さい。

(2)社会人格系の成人アタッチメント研究で得られた知見

社会人格系の成人アタッチメント研究は,アタッチメントシステムそのものを情動制御装置だと想定している(Mikulincer & Shaver, 2016a)。つまり,アタッチメントシステムは,成人のもつ情動を制御するという試みや取り組み(regulatory efforts)の中に統合されており,注意,評価,心配(気にする,気がかりである),生理的覚醒,表情,思考,そして行動といった種々の情動過程に対して影響を与える。(中略)

③主要な一次的方略としてのサポート希求における個人差
概して,安定型の個人はサポート希求を行い,回避型の個人はサポート希求をあまり行わない,という結果は,比較的一貫していた(Mikulincer & Shaver, 2016a)。そして,アンビヴァレント型の個人についての結果には一貫性がなく,サポート希求と弱いながらも正の関連があるという結果と,そのような関連性はないという結果が混在していた。この知見の一貫性のなさは,アンビヴァレント型の個人の,サポートを強く望みながらも,サポートの利用可能性に疑いをもつ,という両価的な特徴を反映していると考えられる。

④ストレッサーに対する評価とコーピング
ラザルスとフォルクマン(Lazarus & Folkman, 1984)は「人がストレスを経験する際には,ストレス刺激の有害さと重大さの見積もり(一次的評価)と自分がストレスに際して用いることができる能力や資源についての見通し(二次的評価)が重要である」(中島ほか, 1999)と述べている。このうちの二次的評価に関しては,安定型の個人は,自分自身を脅威に対して効果的に対処できると評価していた。アンビヴァレント型の個人は,一貫して,出来事の脅威的な側面を過度に強調し(実際に被害を被ったわけではないが,そのような可能性があるので,苦痛だ,負担だ,困難だ,怖いと強調し),自分自身を脅威に対して効果的に対処できない人物だと評価していた。回避型の個人は,二次的評価については安定型と同じ結果であったが,脅威そのものに対する一次的評価については,それが否定不可能でかつ比較的長時間継続する場合には(6ヵ月の集中的な軍事訓練,離婚,先天性心疾患をもって生まれた子どもを育てる,など),アンビヴァレント型の個人と同じく,それらを過度に脅威的だと評価していた。
コーピング(ストレス対処法)については,概して,安定型の個人は,問題焦点型コーピング(問題の所在の明確化,情報収集,解決策の考案やその実行,など)を行っており,そして,問題が解決できないときには,その問題から距離をとるという方略を行っていた。アンビヴァレント型の個人は,情動焦点型コーピング(希望的思考,気晴らし,繰り返し考える,など)をより行っていた。回避型の個人は,問題から距離をとるという方略(ストレスを否定する,注意を逸らす,など)をより行っていたが,ストレッサーが深刻で持続的である場合には,アンビヴァレント型の個人と同じく,情動焦点型コービングをより行っていた(Mikulincer & Shaver, 2016a)。(後略)

注:i) この引用部の著者は中尾達馬です。 ii) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2016a」は次の本です。 「Mikulincer, M., & Shaver, P. R. (2016a). Attachment in adulthood: Structure, dynamics, and change (2nd ed). New York: Guilford Press.」 iii) 引用中の「Lazarus & Folkman, 1984」は次の本です。 「Lazarus, R. S., & Folkman, S. (1984). Stress, appraisal, and coping. New York: Springer.」 iv) 引用中の「中島ほか, 1999」は次の本です。 「中島義明・安藤清志・子安増生ほか(編著)(1999).心理学事典.有斐閣.」 v) 引用中の「コーピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「問題焦点型コーピング」や「情動焦点型コービング」については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ストレスコーピング -自分でできるストレスマネジメント-」の「2. ストレスコーピング」項

これら以外にも、愛着の進化的機能について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第1章 愛着の定義 の 1 愛着の定義 の「(2) 愛着行動と愛着システム」における記述の一部(P63)を次に引用します。

(前略)最後に、愛着の進化的機能について付言しておきます。Bowlby は,愛着の進化的機能を危険からの保護と考えたわけですが,Fonagy(2006)は,その後の脳科学認知科学の研究成果に基づいて,この考えをさらに拡張しました。Fonagy によれば,私たち人間における大脳新皮質(および認知能力)の急激な進化を自然淘汰と突然変異で説明することはできません(Allen et al., 2008)。大脳新皮質の急速な進化をもたらした要因は,人間が社会の中で仲間と競争・協力するために高度な社会的認知能力と社会的スキルを必要とするようになったことだと考えられます。この社会的認知能力を司る脳領域は,「社会脳」(social brains)と呼ばれています。そして,社会脳・社会的認知の発達のために必要とされる環境が,安定した愛着関係なのです。したがって,愛着の進化的機能は,子どもを危険から保護することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することであるというのが,Fonagy の見解です(Allen et al., 2008; Allen, 2013b)。(後略)

注:i) 引用中の「Allen et al., 2008」は次の本です。 「Allen, J. G., Fonagy, P., & Bateman, A. W. (2008). Mentalizing in clinical practice. Washington, DC: American Psychiatric Publishing. (アレン J. G.・フォナギーP.・ベイトマンA. W. 著、狩野力八郎(監修)上地雄一郎・林 創・大澤多美子・鈴木康之(訳)(2014).メンタライジングの理論と臨床——精神分析・愛着理論・発達精神病理学の統合—— 北大路書房)」 ii) 引用中の「社会脳」については、次のWEBページを参照して下さい。 「社会脳 - 脳科学辞典

一方、アッタチメント障害(又は愛着障害)と発達障害との鑑別の困難性について、 a) 田中康雄著の本、『ADHDとともに生きる人たちへ 医療からみた「生きづらさ」と支援』(2019年発行)の Ⅴ 「生きづらさ」の複雑多様な背景 の「アタッチメントの問題という視点」における記述の一部(P132)を以下に、 b) 杉山登志郎著の本、「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第3章 発達障害とトラウマ の「Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係」における記述の一部(P47)を以下に、 c) 岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第1章 発達障害の基礎知識 の 「いじめ」や「虐待」で発達障害になるの? の『ASDやADHDとよく似た「愛着障害」』項における記述の一部(P63)を以下に それぞれ引用します。加えて、「現実には小児期の愛着障害への対応は容易ではない.その理由のひとつに発達障害との鑑別困難があげられる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「不適切な生育環境に関する脳科学研究」の「Ⅱ 愛着障害脳科学」項 その上に、上記「その理由のひとつに発達障害との鑑別困難があげられる」ことのみならず、「我々は日々の臨床の中で,アタッチメント障害と発達障害とが複雑に絡み合うことを知っている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「アタッチメント(愛着)障害と脳科学」の「Ⅱ.アタッチメント(愛着)理論」項 さらに、(上記発達障害との鑑別困難にも関連するかもしれない愛着障害としての)反応性アタッチメント障害、脱抑制型対人交流障害については次のWEBページを参照して下さい。 「愛着障害の最新治療 こころの傷を癒やしにかえて」の「愛着障害:反応性アタッチメント障害、脱抑制型対人交流障害とは」項 また、「愛着障害発達障害(またはその逆)と診断し、それに基づいて治療を施しても、一向に症状の改善は見られない」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

アタッチメントの問題という視点

そのひとつがアッタチメントの形成不全、アタッチメント障害との鑑別の難しさです。現在アタッチメント障害には、対人面で過度に抑制した言動を示し、励ましも効果がなく、恐れと過度の警戒性と自他への攻撃性を特徴とする「反応性アタッチメント障害」と、見慣れない大人に積極的に近づきながらも、まったく誰彼かまわずベタベタし、社会的な脱抑制的行動を示す「脱抑制型対人交流障害」に二つがあります。
臨床的には、反応性アタッチメント障害は自閉スペクトラム症との鑑別で苦労し、脱抑制型対人交流障害はADHDとの鑑別に悩みます。(後略)

注:引用中の「自閉スペクトラム症」については他の拙エントリを、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい

Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係(中略)

また1990年代以降,アスペルガー症候群の登場によって,ASDの診断の地平が広がった。ASDと反応性愛着障害の鑑別も,ADHDと脱抑制型対人交流障害との鑑別も,きわめて困難である。この問題は今後,大きな臨床的なテーマになるのではないか。(後略)

注:引用中の「アスペルガー症候群」、「ASD」については他の拙エントリを、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

ASDやADHDとよく似た「愛着障害」(中略)

愛着障害は、DSM-5の診断基準では、前述した「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」の2種類として定義されています。前者はASDに類似し、「滅多にまたは最小限にしか、安楽、支え、保護、愛情を込めた養育のためのアッタチメントを進んで求めることがない」もので、後者はADHDに似ている面があり、「ほとんど初対面の人への文化的に不適切で過度の馴れ馴れしさを含む行動の様式である」と説明されています。
つまり、愛着障害によって感情の表出や対人的相互反応が乏しくなり、集団に馴染めなかったり、あるいは、著しく馴れ馴れしく衝撃的になったり、いさかいを起こしやすくなったりすることがあり、ASDやADHDと類似した症状がみられるのです。
ASD、ADHD愛着障害は、症状面からは類似性が大きく鑑別が難しいことが珍しくありません。また、ASD、ADHDの特徴をもつ子どもは、虐待などの対象となるリスクが高いため、発達障害愛着障害が同時に存在することもみられます。(後略)

注:i) 引用中の「ASD」と「ADHD」については共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「DSM-5の診断基準」しての「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」については例えば次の資料を参照して下さい。 「愛着形成の問題を抱える生徒への支援」の前者は「反応性アタッチメント障害/反応性愛着障害 (Reactive Attachment Disorder:RAD) (DSM-5)」シート(P12)、後者は「脱抑制性対人交流障害 (Disinhibited Social Engagement Disorder:DSED) (DSM-5)」シート(P12)

〔j〕統合失調症
先ず「統合失調症の基礎知識」について簡単に紹介した後、主に統合失調症における陽性症状、陰性症状、無治療及び予防に関して、林公一著、村松太郎監修の本、「ケースファイルで知る統合失調症という事実」(2013年発行)からの複数の記述の一部を以下に引用します。

上記「統合失調症の基礎知識」についての紹介としては次の資料を参照して下さい。 「統合失調症の基礎知識 -診断と治療についての説明用資料」、「統合失調症 あなたはどう答えますか?」 加えて次のWEBページもあります。 「統合失調症の原因と症状チェック、なりやすい人とは」 その上に十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」(2014年発行)の 第4章 基本となる10の疾患 の「23 統合失調症」における記述の一部(P80~P81)を以下に引用します。

統合失調症は幻覚と妄想(項目18)を主な症状とする病気で、約一二〇人に一人がかかります。そのうち半数以上の人は一五~三〇歳代で発病しますが、稀ながら小学生で発病することがあります。項目4で説明したように、統合失調症は「脳」の問題であり、生得的素因が発病に大きく関与します。ただし、受験や厳しい研修などのストレスが発症につながることがあります。しかし、それらの心理社会的要因は“引き金”ではあっても直接的原因ではありません。休養やカウンセリングでは治らず、薬による治療が不可欠です。よくみられる病状経過として次のようなケースがあります。

まじめな高校三年の男子が、夏休み明けから授業中にぼんやりするようになり(=前駆症状)、独り言(=独語)を言うようになりました。次第に勉強が手につかなくなり、母親に「部屋に盗聴器が仕掛けられている」「街中が自分の噂をしている」「組織に狙われている(=被害妄想)。外は危ない」と言いだしました。また、”死ね”という声が聞こえる(=幻聴)ようになり、耳栓をして過ごすこともありました。ある晩、深夜に興奮して大声をあげ、意味不明なことをロにする状態(=錯乱状態)に陥り、両親に連れられて精神科を救急受診しました。その結果、統合失調症と診断され、薬が処方されました。医師からは「今日は家に帰り、薬を飲んで眠れるかどうか様子をみてください。もし眠れないで興奮が続くようならば入院しましょう」と説明を受けました。薬を服用すると翌日の昼までぐっすり眠り、元気はないものの、会話ができる状態となりました。一週間すると、盗聴器のことは気にならなくなり、幻聴も消えました。約四週間、自宅で休養した後、学校に病状を十分説明したうえで登校を再開することにしました。ただし、医師のアドバイスにより、本格的な受験勉強は行わず、まずは高校を卒業することに目標を絞り、再発の予防を最優先することにしました。

これは統合失調症の典型的な病状を示しており、数日から数週間の前駆症状(前ぶれとなる症状)の後に幻覚や妄想が現れ、薬(抗精神病薬)による治療でほとんどの症状が一旦治まったケースです。ただし、薬を中断すると再発します。
幻覚・妄想のような激しい精神症状(「陽性症状」)が落ち着いた後、全体的に活動性が低下する症状(「陰性症状」)が現れる人がいます。いずれの場合も病状が十分安定し、無理なく日常生活が送れるくらいに回復するまでは、受験、就職などストレスフルなことに挑戦するのは危険です。再発予防を最重視し、少しずつ活動を再開することが社会復帰への近道です。

注:i) 引用中の「項目4」及び「項目18」に対する引用は省略します。 ii) 引用中の「陽性症状」、「陰性症状」については、次のWEBページの各項をそれぞれ参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項、「陰性症状」項 加えて、「陽性症状」については項、「陰性症状」については項を それぞれ参照して下さい。

① 陽性症状に関して、同の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい」及び「Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖」における記述(P16~P21)を次に引用します。

Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい(本人の目から)
私は二十歳の大学生、女です。先月頃から通学することができなくなりました。誰も彼もが、私に対して悪意をもっているという考えに支配されて行けない状態です。
たとえば、大学では講師が私の考えを見透かしてつらくあたっていると感じます。無視されます。挨拶もしてくれません。
電車の中では、ほとんどすべての乗客から白い目で見られます。私のことを悪く思っている、不審に思っているに違いありません。
友達が私の悪口を裏で流しています。これも確信できます。友達の雰囲気でわかります。
もともと好きだったショッピングに気晴らしのつもりで行っても、「私が万引きをしていると店員さんが思っている」と考えてしまい、楽しむことができません。
みんなが、というより何だか町全体が、私に対して悪意をもち、私をつぶそうとしているような、恐怖感と不安感があります。そのため、大声で叫びたくなることもあります。
私は悪いことなどしていないのに、なぜみんなで私を悪く言うのでしょうか。そう考えているうちに、自分の中の想像(思考)が声になって聞こえてくるようになってきました。「何をしたってどうせうまくいかない」「死んだほうが楽になれる」「あんなウザい奴は殺してしまえ」など、こういったことがはっきり声として感じられます。最近では自分で考えたことではなく、誰かが言っている声として聞こえてきます。複数の人が私のことを言いながら、くすくす笑っているのです。
耐えられなくなった私が思わず「いい加減にしてよ」と、小声ですが、きつくロに出したら、その直後に「いい加減にしてだってよ」と聞こえたので、盗聴されていると気づきました。そこで、一生懸命、盗聴器を探しましたが、見つかりませんでした。どこかに巧妙に仕かけられているのでしょう。私の私生活の一部始終を監視して、みんなで笑っているのです。私の体のことも言っているので、盗撮もされているようです。私の写真がネットに流れているに違いありません。だからこの頃は、お風呂にも入れなくなってしまいました。本当にひどいと思います。
私が口に出さなくても、考えていることがばれているようなのです。大学でも講師に考えを見透かされていることからすると、頭の中に何か機械を埋め込まれたか、たとえそうでなくても、遠隔で脳波を読み取るとかしているのでしょうか。
遠隔といえば、この頃、足先から電気が走り、それが頭に達して気が狂いそうになることがあります。足先を調べたのですか、機械はないようなので(マイクロチップのようなものが入れられているかもしれませんが)、するとどこか遠くから電磁波のようなものをあてているのでしょうか。私が感電する様子を見て笑っているに違いありません。
もうこんな生活には耐えられません。私に嫌がらせをする人達への復讐のために、自殺しようかという気持ちまで出てきました。

Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖
女子の大学生。幻聴や被害妄想が出て、学校に行けなくなっています。症状としては、ケース1-1と似ています。ケース1-1は、息子の統合失調症の発症に当惑する母親の目からの描写でした。このケース1-2からは、統合失調症の発症が、本人にとってはどのような体験であるかを知ることができます。幻聴や被害妄想とその結果としての言動は、周囲の目には奇妙なものに映りますが、本人は恐怖と不安でとても苦悩しているのです。
彼女が学校に行けなくなった大きな原因は、被害妄想です。
悪口を言われている。当初は被害妄想として始まり、その後、幻聴の形に発展しています。これも、統合失調症としてはよくある経過です。
「叫びたくなる」という言葉に象徴されるような、漠然とした不安感、恐怖感に、彼女は圧倒されそうになっています。この不安・恐怖は、幻聴と被害妄想からくるものという解釈も可能ですが、それ以前に、特に理由なく不気味な不安・恐怖が生まれ、その中から幻聴や被害妄想といった体験がにじみ出てくるというのも、よくある経過です。
いずれにせよ、この時期の統合失調症の人は、とても苦しい思いをしているのが常です。本人の体験の例としては、次のようなものがあります。

「三十歳、女性。いろいろな人から悪口を言われています。選挙の投票に行ったときや、郵便局の職員にも言われています。旅行に行ったときはホテルの隣の部屋の人が私の話を聞いて、それに対しての悪口を言っていました。いつも行っている美容院の人も悪口を言います。買い物に行っても店員や他の客が私の選んでいるものを見てケチをつけます。検診に行くと、看護師や他の患者さん達が私の服装や行動、話したことをいちいちバカにします。中には指をさしてコソコソ笑う人もいます。どこに人がいるかわからないけれど、悪口が聞こえることもあります。でも確実にこの人が言ったとわかるときもあります。目の前の人が言うときもあります。小声だったり、普通の大きさの声だったり、声の人数も性別もいろいろです」

「三十八歳、男性。転職してから幻聴が起こるようになりました(私は幻聴とは思っていませんが……)。私が考えていることが近所の人達に伝わり、それに対して近所の人達が答えるのです。少しでも悪口を考えると近所の人が怒り、『死ね、アホ』と罵声を浴びせられ、村八分にされているように思い、苦しんでいます。頭の中に脳波を読み取る機械が入っているとしか思えません」

「二十三歳、女性。盗聴や盗撮をされているという考えが抜けません。ひどいときには自分の体にカメラが埋め込まれていて、そこから同級生が私を見て笑っていると感じ、カメラを取り除こうと、カメラがあると思われるところ(目で直接確認しづらい背中や腰にあることが多かった)を必死で叩いていました」

「三十歳、男性。十年ほど前から、自分の考えていることに対して、声が返ってくるといったことが続いています。自分の考えが他人に伝わっているのです。テレビでも自分の考えたことに対して返答が返ってきたりします。これは絶対に錯覚ではないと思います。また、AさんがBさんの悪口を私に言ったあと、それがBさんに伝わって人間関係が崩壊したこともあります。私がBさんの悪口を思ったときに、Bさんが思いっきり八つ当たりをしてきたのは、私がテレパシーをBさんに送ってしまったからだと思っています」

「三十二歳、女性。私は高校生のときに不特定多数の人から聞こえよがしに悪口を言われ、態度にも嫌な感じを出されました。その後、短大に進学し、一年間は平気だったのですか、高校生のときの悪いうわさがまた広がり、同じく不特定多数から聞こえよがしの悪口を言われました。社会人になり、新人研修のときに五人くらいが私の座っている机の前にきて、周囲に聞こえるように大声で『アバズレ』だと言われました。実際に私はそんなことはしていません。外食、買い物、遠くに遊びに行っても、バカ、気持ち悪い、死ねなどの悪口が聞こえました。まったく無関係の高校生にもウザイ、キモイ、バカと言われます。また、隣町の夫の実家の前の電信柱にも『死ね』と二回書かれました」

「四十二歳、女性。近所の人に、集団で監視され、嘘のうわさを流されています。そのことを誰かに相談すると、攻撃(うわさを流すこと)が強くなります。町の人達は、私の近くで悪いうわさについてよくほのめかしたり(『あんなところに出かけているから疑われるのよ……』など)、携帯電話を取り出して私の顔を見なから誰かに報告しています」

これらのケースにはいずれも、被害妄想と幻聴を中心とする症状が見られています。このように、自分を取り巻く人々が、自分に悪意をもち、それをうわさや中傷、さらには何らかの攻撃行動として具体化してくる、というのが、統合失調症の妄想として最も多いパターンです。
また、「自分の考えが見透かされている」「テレパシー」などの言葉で表現されているように、何らかの形で自分の考えが他人に伝わる、あるいは逆に、他人の考えが直接自分に伝わってくるというのも、統合失調症に特徴的な症状で、思考伝播(または考想伝播)と呼ばれています。伝わってくるのは考えだけでなく、「電磁波」「電波」「電気」「念」「気」など、目には見えないが、本人には感じられるものという形を取ることもしばしばあります。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項

加えて、同の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました」及び「Case 1-3 解説 支離滅裂」における記述(P22~P25)を次に引用します。

Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました(本人の目から)
二十歳、女性です。私は十八歳頃からだんだん人が怖くなり始めました。学校では「あれがうわさの○○だ」と、全校生徒から陰口をたたかれるといういじめにあい、学校の外でも、すれ違いざまに通行人にパカにされている気がするようになりました。すべての人が怖くなるあまり、受け答えがトンチンカンになり、また、無理に難しい言葉を使って話すようになりました。性格は暗くなり、何をしても楽しくなくなりました。インターネットにのめり込み、日がな一日攻撃的なことを書き込むようになりました。学校には行けなくなりました。家に一人でいると、風の音や、外の子どもの声などがとても大きく聞こえました。たまに外に出たあるときは、「街が何のためにあるのか理解できない」、「景色が透明に見える」ように感じ、何ともいえない不安感に包まれ、急に走り出して帰ってきてしまいました。
ふと、大好きだった祖母が迫害されているのではないかと心配になり、電話をしました。祖母と電話をしているのに、電話が混線しているような感じで、同級生の何人もの声が聞こえてきたりしました。私と祖母の話の内容を批評し合っているような内容でした。
そんな経緯で、外に出るのも電話するのも怖くなり、家族とも話さず、閉め切った部屋にひきこもるようになりました。でもテレビをつけると、私の心の中を代弁されているようで、すぐに消してしまいました。小説を読むと、まるで自分のことが書いてあるように感じられて仕方がありませんでした。近い将来、自分に大変なことが起こるという予感のようなものがあったのですか、それが何であるか、答えは読んでいる本の先に書かれているという確信をもちながら、こわごわと読み進めました。深夜でした。そうしていたら、書かれていたのは自分の将来ではなく、人類の将来だということが突然わかりました。その瞬間、それまでとは一転して、とても心が澄みわたっているように感じ、自分は神様から選ばれた預言者で、人々の救世主だと考え、外に出ました。寝巻きのままでした。
すべてを悟って、爽快な気分なのに、涙がとめどなく出ていました。人々の苦しみや悩みを、自分が抱えてあげているからなのだろうと納得していました。
家の近くの神社に着き、まるでずっと前から予定されていたような感じで、ごく自然に境内に入りました。そこで踊りを踊りました。体が勝手に動くのです。神社にすみついている霊が、私を踊らせているのだと思いました。けれども、預言者である私は、霊にとっては敵に違いないと思った瞬間、殺されるという恐怖にかられ、大声で泣き叫び始めました。私は預言者だけど、普通の女の子なのだから、殺さないでとか、そういうような内容だったと思います。
警察官がきました。私が預言者であることは世界中の人が知っていて、そんな私を警察が迎えにきたのだと思いました。でも、パトカーに乗せられて走り出してまもなく、私は真理に目覚めてしまったので安楽死させられるのだと思い、ものすごい恐怖心が生まれ、走っているパトカーから飛び降りようとして、警官に押さえつけられました。そうして私は、病院に入院させられたのです。

Case 1-3 解説 支離滅裂
「真夜中の神社の境内で、寝巻きのままの若い女性が、訳のわからないことを大声で泣き叫びながら踊っている」、おそらく警察にはこのように通報されたことでしょう。外見的にはその通りです。
けれども、この行動に至るまで、本人の中では、幻聴と被害妄想、そして不気味な不安と恐怖の体験が続いていたことがわかります。家族から見れば、何となくひきこもっている、何かあったのかな、と思いながら様子を見ていたところ、ある日突然に訳のわからない興奮状態になり、警察のお世話になって入院したということになり、いかに驚いたかは容易に想像できるところです。
ケース1-1で紹介した、統合失調症の診断基準をもう一度見てみましょう。

1 妄想
2 幻覚
3 まとまりのない会話
4 ひどくまとまりのないまたは緊張病性の行動
陰性症状、すなわち感情の平板化、思考の貧困、意欲の欠如など

このうち、1の妄想(多くは被害妄想です)と2の幻覚(幻聴を含みます)が、統合失調症の本人の体験している症状ですが、本人が語らない限り、これらは周囲にはわかりません。これに対して3の「まとまりのない会話」や、4の「ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動」は、周囲から見てそのように見えるということで、このケース1-3のように、これらの症状が出てはじめて統合失調症であるとわかることもあります。3と4は、ごく単純に言えば、「訳のわからない話と、ひどく変な行動」です。これらをまとめて「支離滅裂」ということもできます。統合失調症の症状として「支離滅裂」というときは、「まったく理解不能」というニュアンスを含んでいますが、背景として妄想が透けて見えることもよくあります。たとえば次のような形です。

「二十九歳の統合失調症の妹は、『自分は内閣総理大臣だったとき、給料が一億円振り込まれているはずなのにどこにやった。お前(姉である私のことです)は、自分が警視総監だったときに、絞首刑にしたはずなのに何で生きている。毎日毎日いちいち私のすることをじゃましてどういうつもりだ。お前は本当は〇〇〇人か、□□□人だろ』などと言ったり、『お前がおかしい、しっかりしなさい、何かがとりついている』と言い、台所から塩を取ってきて私にかけたり、擦り込んだり、口に入れようとしたりします。家の電気製品のコンセントをすべて抜いたり、テレビをお風呂場にもっていって水で洗ったりもします。先日はファミレスで近くに座った人をにらみ、ブツブツ言っていたかと思うと突然、『悪魔め! もう騙されないぞ! あの一億円を返せ!』とどなりつけて店中が大騒ぎになってしまいました」

この本人の言動は支離滅裂ですが、背後に妄想があることが読み取れます。このケースや、ケース1-3のように、まとまりのない言動が表面化するのも、統合失調症の一つの症状パターンです。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項 iii) 引用中の「陰性症状」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陰性症状」項

陰性症状及び無治療に関して、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-3 悲惨なひきこもり」及び「Case 3-3 解説 重い陰性症状」における記述(P86~P89)を次に引用します。

Case 3-3 悲惨なひきこもり(家族の目から)
三十代の女性です。私の兄は、大学中退後からずっとひきこもりになっています。兄はもともと頭がよく、進学校に進学したのですが、大学入試に失敗して浪人し、結局は、滑り止めの行きたくなかった大学に進学しました。その頃よりパチンコに行くなど、ふらふらして暮らしていたようで、お金もすぐ使ってしまうようでした。先日、両親とアパートに行ってみたら、すごい状態の部屋に兄がいました。その部屋はもうゴミ屋敷の状態で、三十センチのゴミが重なってその上にまたゴミが、というようなすさまじいものでした。それで部屋を掃除して兄を実家に連れて帰ってきました。
もう少し兄に興味をもってあげていればよかったなと思います。十五年ほどのひきこもりです。五年ほど前は本屋へ行ったり、外食などはできていましたが、今はまったく外に出られません。外に誘ってもまったく相手にしてくれません。うん、と言うのですが行動につながりません。入浴も一か月に一回入ればまだいいほうです。髪の毛も家族が切っています。髪をカットするときなどはきちんと入浴してくれます。清潔行動がとれないのか、とりたくないのかがわからないのです。わざと私達にそのように見せつけているのか本当に精神病でおかしいのか判断できません。私達は家族なので病気だと思いたくないのもあるのかもしれませんが、あんなふうに一日寝てゲームして、また寝て好きなものだけ食べて生きているなんて、と思ってしまいます。
特から強迫観念的な癖というか、ドアを一度開けてはまた閉め直したり、階段を上っては下りて、また上ってと気が済むまで行うなどの行動がみられていました。神経質なのかなと思っていましたが、今思うと昔から精神病なのでしょうか。病院に連れていこうにも本人の病識かないので無理には連れていけません。
ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしていますが、人に危害を加えるなどということはないので、両親も強制的に病院に連れていくまでは考えていないようです。特に妄想とか幻聴があるわけではありません。なので、私もただのひきこもりかと思っていました。ですが、最近の状態はさすがに病気だと思います。トイレに入って大便を流さず、トイレットペーパーをかぶせたままの状態になっているようです。一度トイレに間に合わなかったのか、ズボンと廊下に大便が付着していたそうです。そのズボンは、家族が帰るまでそのままの状態にしてあったそうです。いつまでたっても部屋から出てこないので、どうしたのかと思っていたら何も身につけていなかったそうです。
時には何時間も真っ暗なままで入浴しているときがあります。でもそうでないときもあるので、一体何が兄をそうさせているのかわからず、扱いにくく困っています。この先ずっとこんな生活のままなのでしょうか。治療をすることでこの状態から抜け出せるのでしょうか。ときどき、「奴らを殺しに行くぞ」などと脅すように話していますが、実際外に出ることはありません(「奴ら」とは誰のことかわかりませんが、よくそういう言い方をしています)。精神病の人はタバコをすごく吸うと聞きますが、兄もかなりのヘビースモーカーです。大声を出して叫ぶことや皿を投げたりすることがありますが、家庭内暴力もないので、親もこのままにしておくつもりです。

Case 3-3 解説 重い陰性症状
「ひきこもり」は、現代ではごく一般的な用語になっていますが、もともとは精神医学では、統合失調症陰性症状による状態を指す用語でした。統合失調症は、思春期の頃に発症するケースが多く、そのまま治療を受けず、長年にわたってひきこもり続ける。これが一つの典型的な統合失調症の経過だったのです。
「だった」と言いましたが、現在もそういう例は多数存在します。ケース3-3はその一例です。
大学を中退してから、十五年にわたるひきこもり。不潔で非生産的な毎日。これらはまとめて、「無為・自閉」と呼びます。「人格水準の低下」と呼ぶこともあります。
統合失調症の診断基準の「陰性症状」には、「感情の平板化」「思考の貧困」「意欲の欠如」と記されています。ケース3-3の男性に、「意欲の欠如」があることは明らかです。「感情の平板化」とは、通常なら心を動かされるはずの出来事や働きかけに対し、あたかも感情が平らに固まってしまったかのように、反応がないことです。「思考の貧困」とは、文字通り、考える内容が浅薄で深みがないことです。これら「感情の平板化」と「思考の貧困」は、本人とある程度接してみないとわからないことですが、ケース3-3のような例では、まず間違いなく存在する症状であると言えます。
もっとも、「ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしています」などからは、感情はむしら過敏ではないかと思われるかもしれません。それはある意味その通りなのですが、基調としては平板化した感情の中、時に異常な過敏さを示すというのは、統合失調症の一つの特徴です。
現代の日本では、ひきこもりは七十万人にのぼると言われています。その中の何パーセントが統合失調症であるか、まだ信頼できるデータは得られていません。けれども、統合失調症が百人に一人発症する非常に多い病気であること、そして発症は思春期から青年期という若い年齢が多いことをあわせれば、ひきこもりの中に統合失調症の人が相当な数存在することは当然に推定できます。
では、ひきこもりの人を見たときに、統合失調症ではないかと疑うポイントは何か。
一つは、このケース3-3のように、ここまで説明してきたような、陰性症状の特徴が見られることです。それが長年にわたり、しかもこのように常軌を逸したレベルになれば、統合失調症の可能性は濃厚すぎるくらい濃厚と言うことができます。もう一つのポイントは、陰性症状の中に幻聴や被害妄想の存在が見え隠れすることです。このケース3-3で言えば、繰り返される「奴ら」という表現です。家族は幻聴や妄想はないと判断しておられますが、「奴ら」を罵るこのような言動は、被害妄想(そして、幻聴)の存在を強く疑う根拠になります。このように、幻聴や被害妄想が見え隠れすれば、仮にひきこもりが軽度なものであっても、統合失調症であることは、ほぼ確実になります。さらに、ケース3-3では何年も前に強迫的な行動があったことも重要で、統合失調症の初発症状が強迫というのもよくあることです。
ケース3-3は、無治療のまま長年が経過し、陰性症状がひどくなってしまった例です。このような段階の陰性症状は、残念ながら、完全に治ることは期待できません。

注:i) 引用中の「幻聴」、「妄想」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陽性症状」項 ii) 引用中の「陰性症状」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項又は引用の「Case 1-3 解説 支離滅裂」項 iii) 長年の引きこもりが共通する等、この引用に関連するかもしれない一連のWEBページを次に示します。 「【3430】10数年ひきこもっている弟が最近、特許や亡命にこだわるようになった」、「【3459】保健所に相談し、一歩前進しました(【3430】のその後)」、「【3481】治療に向けてさらに前進しました(【3430】【3459】のその後)」 ちなみに、これらのWEBページを構成するサイト「Dr 林のこころと脳の相談室」はここを参照して下さい。

加えて、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「ワンポイント 無治療では人格水準の低下も」における記述の一部(P94~P95)を次に引用します。

(前略)統合失調症という病気概念の原型は、ドイツの精神科医クレぺリン(1856-1926年)が「早発性痴呆」と名付けた一群の患者です。「早発性」、すなわち若い年齢で発症し、「痴呆」の状態に陥る病、それが統合失調症の原型です。クレぺリンの教科書には、そうした患者の慢性化した状態が数多く書き残されています。その記載は、治療法が進歩した現代では古典というべきものですが、治療を受けなければ、現代も当時も、この病気の経過はまったく同じということになります。
クレぺリンの教科書から、いくつかそんな記載を引用してみましょう。以下は『精神分裂病』(クレぺリン著、西九四方・西九甫夫訳、みすず書房、1986年)からの引用です。

患者の生活態度全体をみると、無意味でまとまりがない。みかけは乱雑で、だらしなく、不潔で、奇異である。体を洗わず、妙な着衣をし、煙草をつないでボタン孔にさしたり耳に紙をつめたりし、患者は人に石を投げ、地面に十の字に横たわり、髪の毛を切り、裸になり、街のまん中で公然と水浴をし、夜ハーモニカを吹き鳴らし、浮浪者の仲間に入りやすく、乞食をし、盗みをし、留置場に入れられ、更正施設に入れられる。その行動は非常に交代しやすく、あるときは近づきやすく、無邪気で、人のいうがままになり、あるときは拒否的で、近づき難く、反抗的で、怒りっぽく、かっとなり、あるときは多弁で冗長であり、あるときは寡言で、口をきかない。話し方はしばしば衒奇的でわざとらしく、もったいぶり、説教的であったり、時にはそうぞうしかったり、あるいはわざとけがらわしいことをやったりする。〈p.96〉(中略)

ブツブツひとりごとをいい、何でもポケットの中に集め込み、一日中ピアノを鳴らし、突然何時間もどなり出し、わめきながらかけ出し、お祈りをしたり、歌を歌ったり、とめどもなく笑ったり、動機もなく暴力をふるったり、奇妙な腕や指の運動をしたり、手をよじり合わせたり、指をむしったり引っ張ったり 〈p.107〉(中略)

患者は仕事をやめ、家事を怠り、寝床に横になっており、世間からひきこもり、閉居してじっとしており、ひとりでじっと考え込んでおり、家から飛び出し、人を避けてこそこそ隠れ、まとまりのない話をする。〈p.103〉

心をわかせるような事件があっても無関心のままでおり、人が面倒をみてくれようと苦痛を加えようと顔色一つ変えない。〈p.107〉

患者は力が抜けて、だらっとして、不精で、人に頼り、放埓で、ほうっておき、ぶらぶらと無為に日を送り、無意味に金や財産を浪費し、偶然の影響に身をまかせ、こうして速やかにおちぶれてしまう。〈p.107〉

これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です。これらすべてをまとめて「人格水準の低下」と呼ぶこともよくあります。どれも二十世紀より以前、治療法がない時代の統合失調症の病像ですが、現在でも、無治療のままほうっておかれて、このような状態に陥ってしまうケースがあります。治療法があるのにそれを受けさせないのは、本人の未来を剥奪する行為と言わざるを得ません。

注:i) 引用中の「クレぺリンの教科書(中略)からの引用です」に対し、これらのクレぺリンの教科書からの引用は全て上記に引用しています。 ii) 引用中の『これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です』における「これらは」直近の3つのクレぺリンの教科書からの引用(〈p.103〉、〈p.107〉、〈p.107〉)を指しているのかもしれません。 iii) 引用中の「無為・自閉」については、次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項 iv) 無治療についての他の例は次項を参照して下さい。

③ 無治療に関して、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書」及び「Case 3-4 解説 無治療の行く末」における記述(P90~P93)を次に引用します。

Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書(医師の目から)
氏名及び性別-氏名不詳、男、推定五十代
本籍住所-不詳
送致警察署、主任検事、検番-略
罪名-強盗致傷
犯罪事実-×年×月×日、○○市内の弁当店Aにおいて、同店経営者○○管理の惣菜である烏唐揚げ一個をもち去ろうとし、制止しようとした同店員○○の顔面を殴打し、全治二週間の切創を負わせたものである。
犯行とその前後の状況-一見してホームレスといった風貌で、髭は胸まで伸び、不潔感があったため、入店を認めた店員がすぐに事情を聴こうと近づいたところ、無視してブツブツ言いながら商品の鳥唐揚げに手を伸ばしてつかみ取り、そのまま店外に出ようとしたので、店員が制止しようとしたところ、いきなり振り向き「無礼者」とどなりながら顔面を殴打した。臨場した警察官に逮捕されたが、訳のわからないことを申し述べ続けたため、精神科医の診察となった。
診察時所見-おとなしく着席して診察に応じることはできる。絶えず小声で独語しているが、何を言っているのか聞き取れない。独語しなから笑い出すこともある。こちらから熱心に話しかけると、急に気づいたように話に応じるが、話が途切れるとまた独語が始まる。応じるといっても、何に対しても「はい、そうっす」「大丈夫っす」と答え(直後に反対の問いかけをしても同じ)、コミュニケーションが成立しているとは言い難かった。しかし犯行について問うと、急に目がつり上がり、独語の声が大きくなり、その中には「あの無礼者が」「俺の店」「四百四十億円」などが聞き取れるようになった。なだめつつ傾聴すると、概ね次のような内容を語った。「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った。市内のほとんどの、いや、全部の店は自分のものである。全部で千三百二十一軒ある(この数も聞くたびに異なっていた)。オーナーの自分に対し、弁当屋Aの店員は礼儀を欠いていたので罰を与えたまでである」。また、店に対する怒りを大声でまくしたてるので、どうやってそんな大金を稼いだのかと話を向けると「自分は超一流の映画監督である。ハリウッドでいくつもの大ヒット映画を作った。主役で出演もした。山田五十鈴と共演した。いや自分は山田五十鈴の子だ。いや吉永小百合の弟だ。ラスベガスでも大儲けした。その金が今も振り込まれてきているはずだが、きていない。何かの陰謀で政府に流れている。警察官も自分の部下だ。お前は警察の医者か、それなら俺の部下だ」などなど、一応質問に関連ある内容を答えるが、その内容は一定せず、話しているうちにそのまま独語に移行し、宙に向かってしゃべり続ける。血液検査所見は、梅毒反応を含め正常。
診断-統合失調症の疑い
説明-無治療で慢性化した統合失調症と思われる。連合弛緩が著明。人格荒廃が明らかである。
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第25条通報の必要-要

Case 3-4 解説 無治療の行く末
治療すればよくなるはずの統合失調症が、無治癒のまま放置されて悪化の一途をたどっている。そういう事例の正確な総数は不明です。無治療ということはつまり、病院を訪れないということですから、そもそも知りようがないことになるからです。一つ前のケース3-3のように、医療を受けないまま、家庭内でひっそりと経過しているケースは、かなり社会に埋もれていると思われます。
そうしたケースが、いよいよ家族の手に負えなくなり、大変な苦労を経て家族が受診させるというのが、治療開始の一つのパターンです。もう一つのパターンは、何か事件的なことが発生し、警察を介して受診に至るというもので、第2章のケース2-4などがそれにあたります。ケース2-4は警察から病院に直行という形でしたが、このケース3-4のように、明確な触法行為(犯罪に相当する行為)で警察に逮捕され、検察庁に移され、そこで初めて精神科医の診察になることもあります。この診察を簡易鑑定(正式には精神衛生診断)といいます。その結果、被疑者が精神障害者で、逮捕される原因となった行為が障害と密接な関係があると、検察官は起訴しないことがあります(起訴しなければ裁判にはなりません)。検察官は、勾留期限内(最長二十三日間)に、被疑者を起訴するかを決めなければならないこともあって、鑑定のための診察は通常一回(三時間程度)で、鑑定結果は数日以内に簡易鑑定書として検察官に提出されます。このような短時間の簡易鑑定では判定が難しい場合には、二か月以上の期間を要する本鑑定を行うことになります。
ケース3-4は強盗致傷の容疑で逮捕された被疑者の簡易鑑定書です(もちろん仮想のものです)。
外見からも、言動からも、慢性化した無治療の統合失調症であることはほぼ明らかなケースといえます。本書で紹介してきたケースの妄想は大部分が被害妄想でしたが、ケース3-4には、「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った」「自分は超一流の映画監督」などの誇大妄想が見られます。誇大妄想は、統合失調症が慢性化した時期のほうが現れやすい妄想です。また、このケースでは、誇大妄想といってもその内容は荒唐無稽に近く、その点からも慢性化がうかがえます。さらに、「自分の金が何かの陰謀で政府に流れている」といった、むしろこちらのほうが統合失調症の典型的な、被害妄想の要素もあります。
91ページの「説明」に記されている「連合弛緩」とは、話の論理がばらばらで、言いたいことの道筋を追うことができないといった意味です。これも統合失調症の症状で、思考障害の一種に分類されるものです。彼の話は質問されたこととの関連性はあるようですが、一方的にまくしたて、そのまま独語に移行するというケース3-4の症状は、「支離滅裂」といってもいいレベルです。
起訴・不起訴は、当然のことながら、検察官の判断で決定される事項ですが、ケース3-4ほどの重篤統合失調症ですと、不起訴になる可能性がかなり高いといえます。そして精神科病院に送られ、治療が始まるという流れです。何にせよ、治療が始められるのは、本人にとって望ましいことですが、法にふれる行為がそのきっかけというのはあまりに悲しいことで、もっと前に何とかできなかったかと、このようなケースを見ると考えざるを得ません。

注:引用中の「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」については、次のWEBページを参照して下さい。「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律

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〔k〕失感情症*10
PTSD又は複雑性PTSDにおける失感情症について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「失感情症――感情を表す言葉がない」における記述の一部(P164~P167)を以下に引用します。加えて、慢性疼痛における失感情症・失体感症傾向への実際の臨床的経験からの対応について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 実際の臨床的経験からの考察 の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」における記述(P231~P232)を以下に引用します。

失感情症――感情を表す言葉がない

私には、過去に痛ましいトラウマを経験した、未亡人の伯母がいた。彼女は、わが家の子供たちの「名誉祖母」になった。しばしば訪ねてきて、カーテンを作ったり、キッチンの棚に載ったものを並べ替えたり、子供服を縫ったりと、忙しく立ち働くのだが、ほとんど会話はなかった。人を喜ばせようと、いつも熱心だったが、彼女は何が楽しいのかは、なかなかわからなかった。何日間か儀礼的な言葉を交わしたあとは、もう会話が続かず、長い沈黙を埋めるために私は四苦八苦した。帰る日には、私が空港まで車で送ると、ぎこちなく別れのハグをしなから、涙をぼろぼろこぼす。そのあと、心底そう思っているかのように、ローガン国際空港の冷たい風のせいで、涙が出てしまうといつもこぼした。彼女の体は、心が認識できないこと、すなわち、自分にとって存命中の最も近しい親類である、私たちの若さあふれる家庭を去ることの悲しさを感じていたのだ。
精神科医はこの現象を「アレキシサイミア(失感情症)」と呼ぶ。感情を表す言葉を持たないことを意味するギリシア語だ。トラウマを負った子供や大人の多くは、感じていることをまったく表現できない。自分の身体的感覚が何を意味するか、突き止められないからだ。彼らは激怒しているように見えても、腹を立てていることを否定する。恐れおののいているように見えても、大丈夫だと言う。彼らは体の内部で起こっていることを認識できないので、自分の欲求を把握できず、適切な時間に適切な量を食べたり、必要とする睡眠をとったりするなど、自身の面倒を見るのに苦労する。
私の伯母のように、失感情症の人は情動の言語に代えて行動の言語を使う。「トラックが時速一三〇キロメートルで向かってくるのが見えたら、どう感じますか」と訊かれれば、たいていの人は、「ぞっとします」あるいは「怖くて凍りつきます」と答える。ところが失感情症の人は、「どう感じる、ですって? さあ、わかりません。……身をかわすでしょう(18)」とでも答えるかもしれない。彼らは情動を、注意を払ってしかるべき信号としてではなく、身体的問題として認識する傾向にある。腹立たしさや悲しさを感じる代わりに、原因不明の筋肉の痛みや、腸の不調、その他の症状を経験する。神経性無食欲症(拒食症)の人の四分の三と神経性大食症(過食症)の過半数は、自分の情動的感情に当惑し、その説明にはなはだ手を焼く(19)。失感情症の人は、怒った人や苦悩する人の顔写真を研究者に見せられても、彼らが何を感じているかがわからない(20)。
失感情症について私に教えてくれた人の一人が、精神科医のヘンリー・クリスタルで、重度のトラウマを理解しようと、一〇〇〇人以上のホロコーストユダヤ人大虐殺)サバイバーを診た人だ(21)。自身も強制収容所生活を生き延びたクリスタルは、患者の多くが職業人生では成功しているとはいえ、個人的な人間関係はわびしく、よそよそしいものであることを発見した。感情を抑え込むことで世事は処理できたものの、それには代償が伴った。彼らはかつて圧倒的だった情動を抑えることを学んだのだが、その結果、自分が何を感じているのか、もはや気づくことがなくなった。セラピーに関心がある人はほとんどいなかった。
ウェスタオンタリオ大学のポール・フルーエンは、失感情症にかかっているPTSDの人々の脳をスキャンした。参加者の一人は、彼に言った。「自分が何を感じているのかわかりません。頭と体がつながっていないようなものです。私はトンネルの中、霧の中に生きていて、たとえ何が起こっても、反応はいつも同じ――無感覚で、何もありません。泡風呂に入っていて火傷しようと、レイプされようと、同じ感じです。私の脳は何も感じません」。フルーエンと同僚のルース・レイニアスは、自分の感情と疎遠な人ほど、脳の自己感知領域の活動が少ないことを発見した(22)。
トラウマを負った人は、自分の体の中で何が起こっているかを感知するのが苦手な場合が多いので、欲求不満に対して適切な反応ができない。したがって、ストレスに対しては、ぼうっとするか、過剰な怒りを見せるかのどちらかだ。どんな反応をするときも、なぜ自分は気が動転しているのかわからないことがよくある。このように自分の体と疎遠になっているため、彼らは自分を守るのが苦手で、再び被害者になる率が高く(23)、また喜びや官能性、意義を感じるのが非常に難しいことが立証されている。
失感情症の人は、自分の身体的感覚と情動との関係に気づくことを学ばないかぎり、回復できない。色覚異常の人が、灰色の色合いを区別できるようにならないかぎり、色のある世界に入れないのと同じことだ。私の伯母やヘンリー・クリスタルの患者たちと同じで、彼らはたいてい、それを学ぶことに乗り気ではない。彼らの大半は、さまざまな医師を訪ね、癒えることのない病気を治療し続けるほうが、過去の魔物たちに立ち向かう、つらい課題をこなすよりもましだという、無意識の決定を下してしまったように見える。

注:(i) 引用中の原注「(19)」~「(23)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 (ii) 引用中の「アレキシサイミア(失感情症)」に関連して、 a) 心身症の視点からは例えば次の資料及びWEBページを参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」、「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項 b) 加えて、「身体症状症の危険要因と予後要因」としての「失感情症」について、名越泰秀、西原真理編の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「3 身体症状症の危険要因と予後要因」における記述の一部(P45)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『また,失感情症 alexithymia の傾向があることが多い.』、『失感情症傾向のある身体症状症患者は,ストレスコーピングを状況に合わせて適切に用いることができていないといわれている10).』(注:1) この引用部の著者は富永敏行です。 2) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」 3) 引用中の「身体症状症」又は身体表現性障害についてはここを参照して下さい) そして、身体症状症における心理社会的背景の視点からの「失感情症」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症」の「4) 心理社会的背景の聴取」項(P1562) c) その上に自閉スペクトラム症の視点からの「アレキシサイミア」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 d) さらに解離の視点からの「alexithymia」(アレキシサイミア)については、タイトル以外の拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「A meta-analytic study examining the relationship between alexithymia and dissociation in psychiatric and nonclinical populations[拙訳]精神医学的及び非臨床的な集団における失感情症と解離の間の関係を調査するメタアナリシスによる研究」 e) これら以外にも、構成主義的情動理論に視点からの情動概念の処理にも関連する「アレキシサイミア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、アレキシサイミアが「感情制御の困難さが影響するさまざまな病態の危険因子と考えられるようになった」ことについては次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける島皮質での内臓知覚と自覚的感覚の乖離」の「アレキシサイミア」項 また、上記「アレキシサイミア」が「情動粒度の低さと関連が深いとされている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスにおける身体性」の「2.3.4 アレキシサイミア」項 (iii) 引用中の「アレキシサイミア」に関連する「アレキシソミア」(失体感症)については、例えば次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項、「Alexisomia(アレキシソミア・失体感症)の意義」、「1. 失体感症」、「失体感症スケール開発の経緯と、身体(内受容)を重視した心身医学療法の意義と有用性について*11、「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「アレキシソミアという概念化」項(P312)、「Shitsu-taikan-sho (alexisomia): a historical review and its clinical importance[拙訳]失体感症(アレキシソミア):歴史的レビュー及びその臨床的な重要性」 また、上記「アレキシサイミア」と「内受容感覚」、「破局的思考」や上記「心身症」についての次の YouTube もあります。 「内受容感覚とアレキシサイミアと破局的思考と心身症【Dr.P×心療内科医たけお対談 ライブ配信】」 (iv) 慢性疼痛における「失感情症・失体感症傾向への対応」については、ここにおける引用の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」項を参照して下さい。 (v) 化学物質過敏症と失感情症の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。加えて、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です) (vi) 引用中の「PTSD」については、リンク集を参照して下さい。 (vii) ちなみに、 a)「アレキシサイミア」、「アレキシソミア」と内受容感覚(リンク集を参照)の関係については、例えば次の資料を参照して下さい。 「情動の気づき,身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 b) アレキシサイミアに関連する久山町研究の論文要旨を以下に紹介します。 c) 加えて、アレキシサイミアと内受容感覚の関係に関連する資料及び論文要旨を以下に紹介します。前者の資料「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」において次に引用する(『 』内)記述があります。 『情動の体験の認知については、特に内受容感覚も認知の鋭敏さが不安を増大させる影響があることを明らかにし、さらにfMRIで脳活動を撮像することによって、内受容感覚への気づきに重要な島皮質の活動が、アレキシサイミア群で低下していることが明らかになった。』(注:引用中の「情動」についてはここを、「内受容感覚」についてはここを、「fMRI」(機能的磁気共鳴画像法)についてはここを、「島」についてはここをそれぞれ参照して下さい) d) その上に、「アレキシサイミア傾向の形成に対して反芻,自責,破局的思考の 3 種の不適応的な認知的感情制御方略がともに寄与している可能性」については次の資料を参照して下さい。 「大学生のアレキシサイミア傾向と認知的感情制御方略,精神的健康の関連」 また、上記「反芻」の別名である「反すう」については他の拙エントリのここを、上記「破局的思考」についてはここを それぞれ参照して下さい。 e) さらに、「マインドフルネスは完全主義とストレスを低減させることで、アレキシサイミアを緩和させることが示唆された」ことについての資料は次を参照して下さい。 「マインドフルネスが完全主義やストレスによるアレキシサイミアの軽減に及ぼす影響

・論文「Alexithymia is associated with greater risk of chronic pain and negative affect and with lower life satisfaction in a general population: the Hisayama Study.[拙訳]アレキシサイミアは一般的な集団におけるより高い慢性疼痛とネガティブな感情及びより低い生活の満足に関連する:久山町研究」の要旨を次に引用します。

INTRODUCTION:
Chronic pain is a significant health problem worldwide, with a prevalence in the general population of approximately 40%. Alexithymia -- the personality trait of having difficulties with emotional awareness and self-regulation -- has been reported to contribute to an increased risk of several chronic diseases and health conditions, and limited research indicates a potential role for alexithymia in the development and maintenance of chronic pain. However, no study has yet examined the associations between alexithymia and chronic pain in the general population.

METHODS:
We administered measures assessing alexithymia, pain, disability, anxiety, depression, and life satisfaction to 927 adults in Hisayama, Japan. We classified the participants into four groups (low-normal alexithymia, middle-normal alexithymia, high-normal alexithymia, and alexithymic) based on their responses to the alexithymia measure. We calculated the risk estimates for the criterion measures by a logistic regression analysis.

RESULTS:
Controlling for demographic variables, the odds ratio (OR) for having chronic pain was significantly higher in the high-normal (OR: 1.49, 95% CI: 1.07-2.09) and alexithymic groups (OR: 2.56, 95% CI: 1.47-4.45) compared to the low-normal group. Approximately 40% of the participants belonged to these two high-risk groups. In the subanalyses of the 439 participants with chronic pain, the levels of pain intensity, disability, depression, and anxiety were significantly increased and the degree of life satisfaction was decreased with elevating alexithymia categories.

CONCLUSIONS:
The findings demonstrate that, in the general population, higher levels of alexithymia are associated with a higher risk of having chronic pain. The early identification and treatment of alexithymia and negative affect may be beneficial in preventing chronic pain and reducing the clinical and economic burdens of chronic pain. Further research is needed to determine if this association is due to a causal effect of alexithymia on the prevalence and severity of chronic pain.


[拙訳]
前書き:
慢性疼痛は世界中で重大な健康問題であり、一般的な集団における有病割合は約40%である。アレキシサイミア(情動的な気づきと自己調節に困難を有するパーソナリティ特性)は、いくつかの慢性疾患及び健康状態のリスク増加に寄与すると報告されており、そして限られた研究は、慢性疼痛の発症及び維持におけるアレキシサイミアの潜在的役割を示す。しかしながら、一般的な集団におけるアレキシサイミアと慢性疼痛との間の関連はまだ調査されていない。

方法:
日本の久山町の927人の成人に対して、アレキシサイミア、痛み、障害、不安、抑うつ及び生活満足度を評価する測定を実施した。アレキシサイミア測定値への応答に基づいて、参加者を4つのグループ(低い-正常なアレキシサイミア、中程度の-正常なアレキシサイミア、高い-正常なアレキシサイミア、そして[本当の]アレキシサイミア)に分類した。ロジスティック回帰分析により、基準測定値のリスク推定値を計算した。

結果:
慢性疼痛のオッズ比(OR)は、高い-正常群(OR:1.49、95%信頼区間:1.07-2.09)とアレキシサイミア群(OR:2.56、95%信頼区間:1.47-4.45)であった。参加者の約40%がこれら2つの高リスク群に属していた。慢性疼痛を伴う439人のサブ解析では、疼痛強度、障害、抑うつ、及び不安のレベルが有意に増加し、そしてアレキシサイミアのカテゴリーが上昇すると生活満足度が低下した。

結論:
これらの知見は、一般的な集団において、より高いレベルのアレキシサイミアは、慢性疼痛を有するより高いリスクと関連することを実証する。アレキシサイミアとネガティブな感情の早期同定及び治療は、慢性疼痛の予防と慢性疼痛の臨床的及び経済的負担の軽減に有益かもしれない。この関連が慢性疼痛の有病割合及び重症度に対するアレキシサイミアの因果関係によるものであるかどうかを決定するために、さらなる研究が必要である。

注:i) この拙訳文においてはアレキシサイミアとして、「低い-正常なアレキシサイミア」から「[本当の]アレキシサイミア」まで、4つのカテゴリーがあるので、必要に応じて、アレキシサイミア傾向と読み替えた方が良いかもしれません。 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」についてはここを参照して下さい。

・論文「Alexithymia: a general deficit of interoception.[拙訳]アレキシサイミア:内受容感覚の一般的な欠如」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Alexithymia is a sub-clinical construct, traditionally characterized by difficulties identifying and describing one's own emotions. Despite the clear need for interoception (interpreting physical signals from the body) when identifying one's own emotions, little research has focused on the selectivity of this impairment. While it was originally assumed that the interoceptive deficit in alexithymia is specific to emotion, recent evidence suggests that alexithymia may also be associated with difficulties perceiving some non-affective interoceptive signals, such as one's heart rate. It is therefore possible that the impairment experienced by those with alexithymia is common to all aspects of interoception, such as interpreting signals of hunger, arousal, proprioception, tiredness and temperature. In order to determine whether alexithymia is associated with selectively impaired affective interoception, or general interoceptive impairment, we investigated the association between alexithymia and self-reported non-affective interoceptive ability, and the extent to which individuals perceive similarity between affective and non-affective states (both measured using questionnaires developed for the purpose of the current study), in both typical individuals (n = 105 (89 female), mean age = 27.5 years) and individuals reporting a diagnosis of a psychiatric condition (n = 103 (83 female), mean age = 31.3 years). Findings indicated that alexithymia was associated with poor non-affective interoception and increased perceived similarity between affective and non-affective states, in both the typical and clinical populations. We therefore suggest that rather than being specifically associated with affective impairment, alexithymia is better characterized by a general failure of interoception.


[拙訳]
アレキシサイミアは伝統的に自分の情動を同定し、記述することが困難であることで特徴づけられる、サブクリニカルな構成概念である。自分自身の情動を同定する時に、内受容感覚(身体からの身体的な信号を解釈すること)が明確に必要であるにもかかわらず、この障害の選択性にほとんど研究の焦点が当てられていない。アレキシサイミアにおける内受容感覚の欠如は、情動に特有であると元来仮定されていたとしても、心拍数等のいくつかの非感情的な内受容感覚信号を知覚することの困難とも関連しているかもしないことを最近の証拠は示唆する。従って、アレキシサイミアを伴う人々が経験する障害は、空腹、覚醒、自己受容、疲労及び体温の信号を解釈する等の内受容感覚の全ての側面に共通する可能性がある。アレキシサイミアが選択的に障害された感情的な内受容感覚、又は一般的な内受容感覚障害と関連しているかどうかを決定するために、アレキシサイミアと自己報告された非感情的な内受容感覚能力との間の関連性、及び感情的と非感情的な状態間の個々の知覚類似の程度(両者は本研究の目的のために開発されたアンケートを用いて測定された)との間の関連を、一般的な個々人(n = 105(89人の女性)、平均年齢 = 27.5 歳)と精神的な病気の見立てを報告する個々人(n = 103(83人の女性)、平均年齢 = 31.3 歳)の両方において、我々は調査した。一般的な集団と臨床的な集団の両方において、アレキシサイミアは非感情的な内受容感覚との乏しい関連を、そしてアレキシサイミアは感情的と非感情的な状態間の知覚類似を増加させることを、知見は示した。従って、感情障害に特化して関連しているというよりも、アレキシサイミアは一般的な内受容感覚の不足により良く特徴づけられることを我々は示唆する。

注:i) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「n = 103」は人数を示します。 iv) ちなみに、この論文の「1. Background」において、内受容感覚の例が記述されており、この部分を次に引用(『 』内)します。ただし文献番号の部分を除きます。 『Interoception refers to the perception of a wide range of physical states beyond emotions, including heart rate, respiratory effort, temperature, fatigue, hunger, thirst, satiety, muscle ache, pain and itch.[拙訳]内受容感覚は、心拍数、呼吸努力、体温、疲労、飢餓、渇き、満腹感、筋肉痛、痛み及びかゆみを含む、情動を超えた広範な身体状態の知覚を指す。』 このように、上記要旨によるアレキシサイミアの説明からも、この論文におけるアレキシサイミアの定義にはアレキシソミア(失体感症)も含まれているようです。

〔l〕EMDRのシステマティックレビュー、メタアナリシスに関連する論文紹介
標記論文は比較的多いので、ここでまとめて論文の要旨を紹介します。ちなみに、i) 下記①と②はPTSDに、③は慢性疼痛に それぞれ関するものです。 ii) 他の医学分野においてですが、システマティックレビュー、メタアナリシスの説明に関しては、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

①「25 years of Eye Movement Desensitization and Reprocessing (EMDR): The EMDR therapy protocol, hypotheses of its mechanism of action and a systematic review of its efficacy in the treatment of post-traumatic stress disorder.[拙訳]眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)の25年間:EMDRプロトコル、作用メカニズムの仮説及び心的外傷後ストレス障害の治療における有効性のシステマティックレビュー」

Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) is a relatively new psychotherapy that has gradually gained popularity for the treatment of post-traumatic stress disorder. In the present work, the standardised EMDR protocol is introduced, along with current hypotheses of its mechanism of action, as well as a critical review of the available literature on its clinical effectiveness in adult post-traumatic stress disorder. A systematic review of the published literature was performed using PubMed and PsycINFO databases with the keywords «eye movement desensitization and reprocessing» and «post-traumatic stress disorder» and its abbreviations «EMDR» and «PTSD». Fifteen randomised controlled trials of good methodological quality were selected. These studies compared EMDR with unspecific interventions, waiting lists, or specific therapies. Overall, the results of these studies suggest that EMDR is a useful, evidence-based tool for the treatment of post-traumatic stress disorder, in line with recent recommendations from different international health organisations.


[拙訳]
眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)は、徐々に人気が高まっている、心的外傷後ストレス障害の治療のための比較的新しい精神療法である。現在の研究においては、心的外傷後ストレス障害における、その臨床的有効性に関する利用可能な文献の批判的レビューはもちろん、標準的な EMDR プロトコルが、その作用機序の現在の仮説と併せて、紹介される。公開された文献のシステマティックレビューは、PubMed 及び PsycINFO データベースを用いて、キーワード«eye movement desensitization and reprocessing:眼球運動の脱感作および再治療»と«post-traumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害»、及びその略語«EMDR»と«PTSD»で実施した。方法論的な品質が良い15のランダム化比較試験が選択された。これらの研究は、EMDR と非特異的な介入、待機リスト、又は特定の治療法と比較した。総合的に、EMDRが、心的外傷後ストレス障害の治療のための有用で、エビデンスに基づくツールであり、異なる国際保健機関からの最近の勧告に沿っていることを、これらの研究結果は示唆する。

注:引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital

②「Eye movement desensitization and reprocessing versus cognitive-behavioral therapy for adult posttraumatic stress disorder: systematic review and meta-analysis.[拙訳]大人の心的外傷後ストレス障害用の眼球運動による脱感作と再処理 vs 認知行動療法:システマティックレビューとメタアナリシス」

Posttraumatic stress disorder (PTSD) is a relatively common mental disorder, with an estimated lifetime prevalence of ∼5.7%. Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) and cognitive-behavioral therapy (CBT) are the most often studied and most effective psychotherapies for PTSD. However, evidence is inadequate to conclude which treatment is superior. Therefore, we conducted a meta-analysis to confirm the effectiveness of EMDR compared to CBT for adult PTSD. We searched Medline, PubMed, Ebsco, Proquest, and Cochrane (1989-2013) to identify relevant randomized control trials comparing EMDR and CBT for PTSD. We included 11 studies (N = 424). Although all the studies had methodological limitations, meta-analyses for total PTSD scores revealed that EMDR was slightly superior to CBT. Cumulative meta-analysis confirmed this and a meta-analysis for subscale scores of PTSD symptoms indicated that EMDR was better for decreased intrusion and arousal severity compared to CBT. Avoidance was not significantly different between groups. EMDR may be more suitable than CBT for PTSD patients with prominent intrusion or arousal symptoms. However, the limited number and poor quality of the original studies included suggest caution when drawing final conclusions.


[拙訳]
心的外傷後ストレス障害PTSD)は比較的一般的な精神障害であり、推定生涯罹患率 ~5.7%を有する。眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)と認知行動療法(CBT)は、最もよく研​​究され、最も効果的な PTSD心理療法である。しかしながら、どちらの治療法が優れているのかを結論づけるエビデンスは不十分である。従って、成人 PTSD のための CBT と比較した EMDR の有効性を確認するためのメタアナリシスを我々は実施した。 PTSD に対する EMDR と CBT とを比較する適切なランダム化比較試験を同定するために、Medline、PubMed、Ebsco、Proquest、Cochrane(1989-2013)を我々は検索した。我々は11の研究(N = 424)を含めた。全ての研究に方法論上の限界があったが、全 PTSD スコアのメタアナリシスは、EMDR は CBT よりわずかに優れていることを明らかにした。累積的なメタアナリシスによりこれが確認され、PTSD 症状のサブスケールスコアのメタアナリシスは、CBT と比較して、EMDR が侵入及び覚醒の重症度低下のために良好であることが示された。回避はグループ間で有意差はなかった。 顕著な侵入又は覚醒症状を伴う PTSD 患者に対して、EMDR は CBT よりも適切であるかもしれない。しかしながら、含めたオリジナル研究の限られた数と質の悪さは、最終的な結論を出す際に注意が必要であることを示唆する。

注:引用中の「N = 424」は人数を示します。 ii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital

③「Effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) treatment in chronic pain patients: a systematic review.[拙訳]慢性疼痛患者における眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)治療:システマティックレビュー」

OBJECTIVE:
This study systematically reviewed the evidence regarding the effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) therapy for treating chronic pain.

DESIGN:
Systematic review.

METHODS:
We screened MEDLINE, EMBASE, the Cochrane Library, CINHAL Plus, Web of Science, PsycINFO, PSYNDEX, the Francine Shapiro Library, and citations of original studies and reviews. All studies using EMDR for treating chronic pain were eligible for inclusion in the present study. The main outcomes were pain intensity, disability, and negative mood (depression and anxiety). The effects were described as standardized mean differences.

RESULTS:
Two controlled trials with a total of 80 subjects and 10 observational studies with 116 subjects met the inclusion criteria. All of these studies assessed pain intensity. In addition, five studies measured disability, eight studies depression, and five studies anxiety. Controlled trials demonstrated significant improvements in pain intensity with high effect sizes (Hedges' g: -6.87 [95% confidence interval (CI95): -8.51, -5.23] and -1.12 [CI95 : -1.82, -0.42]). The pretreatment/posttreatment effect size calculations of the observational studies revealed that the effect sizes varied considerably, ranging from Hedges' g values of -0.24 (CI95 : -0.88, 0.40) to -5.86 (CI95 : -10.12, -1.60) for reductions in pain intensity, -0.34 (CI95 : -1.27, 0.59) to -3.69 (CI95 : -24.66, 17.28) for improvements in disability, -0.57 (CI95 : -1.47, 0.32) to -1.47 (CI95 : -3.18, 0.25) for improvements in depressive symptoms, and -0.59 (CI95 : -1.05, 0.13) to -1.10 (CI95 : -2.68, 0.48) for anxiety. Follow-up assessments showed maintained improvements. No adverse events were reported.

CONCLUSIONS:
Although the results of our study suggest that EMDR may be a safe and promising treatment option in chronic pain conditions, the small number of high-quality studies leads to insufficient evidence for definite treatment recommendations.


[拙訳]
目的:
この研究では、慢性疼痛治療​​のための眼球運動脱感作および再処理(EMDR)療法の効果に関するエビデンスをシステマティックにレビューした。

設計:
ステマティックレビュー。

方法:
MEDLINE、EMBASE、Cochraneライブラリー、CINHAL Plus、Web of Science、PsycINFO、PSYNDEX、Francine Shapiroライブラリー、及びオリジナル研究とレビューの引用から我々は選定した。慢性疼痛の治療に EMDR を使用した全ての試験は、本試験における包含に適格であった。主なアウトカムは、痛みの強さ、障害(disability)、及びネガティブな気分(抑うつと不安)であった。効果は、標準化された平均差として記述された。

結果:
全部で80人の被験者を伴う2つの対照試験及び116人の被験者を伴う10の観察試験が、包含基準を満足した。これらの研究の全てが痛みの強さを評価した。加えて、5つの研究が障害を、8つが抑うつを、5つが不安をそれぞれ測定した。対照研究は高い効果量を伴う痛みの強さにおいて有意な改善を実証した(Hedges 'g:-6.87 [95%信頼区間(CI95):-8.51、5.23]及び -1.12 [CI95:-1.82、-0.42])。で有意な改善を示した。観察研究の治療前/治療後の効果量の計算で、かなり変化することが明らかになった。Hedges 'g は痛みの強さの減少に対し、-0.24(CI95:-0.88、0.40)~ -5.86(CI95:-10.12、-1.60)、障害の改善に対し、-0.34(CI95:-1.27、0.59)~ -3.69(CI95:-24.66、17.28)、抑うつ症状の改善に対し、-0.57(CI95:-1.47、0.32)~ -1.47(CI95:-3.18、0.25)及び不安に対し、-0.59(CI95:-1.05、0.13)~ -1.10(CI95:-2.68、0.48)であった。フォローアップ評価は改善の維持を示した。有害事象は報告されなかった。

結論:
我々の研究の結果は、EMDR が慢性疼痛状態において安全かつ有望な治療選択肢であるかもしれないことを示唆するが、高品質の研究が少ないことは、明確な治療法の推奨のための不十分な証拠という結果につながる。

注:i) 引用中の「Hedges 'g」及び「効果量」については、共に例えば次の資料を参照して下さい。 「効果量」 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 慢性疼痛とは の「(2)痛みの定義」における記述(P222)を次に引用します。

(2)痛みの定義
「慢性疼痛」について論じるときに、まずは「痛みとは何か」ということを確認しておく必要がある。痛みは国際疼痛学会では「痛みは組織の実質的あるいは潜在的な障害に結びつくか、このような障害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である」と定義されている。これは、痛みが感覚のみならず、不快な情動も含む、感覚と感情の複合的な体験であるということを表している。このことは生物学的観点からも裏付けられる。末梢の侵害受容情報は脊髄、視床と上行し、皮質の体性感覚野にいたり痛みの識別的評価を行う外側系と、島皮質、帯状回、偏桃体を含む広範な領域に投射し痛みの情動的評価を行う内側系に大きくわかれている。痛みに感覚系と情動系の異なる経路があるという認識は、慢性疼痛を考えるときにきわめて重要である(細井 2008)。

注:i) 引用中の「細井 2008」は次の資料です。 【細井昌子(2008)「心因性慢性疼痛」『治療』(特集:慢性疼痛診療ガイド)90 (7), 2063-2072】 ii) 引用中の「痛みに感覚系と情動系の異なる経路がある」に関連する「痛みの認知と情動」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「痛みの認知と情動

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〔m〕ストレス応答のSAM系について
最初に交感神経系によるストレス応答としての二つの可動化システムについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の「第1章 安全、危険、生命の危機――適応反応のパターン」における記述の一部(P23)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『交感神経系は、視床下部-交感神経-副腎髄質(SAM)系と視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸という二つの可動化システムを通して、私たちの身体の活動のための準備をさせます。SAM系はすぐに活性化し、アドレナリンの噴出をもたらし、ストレス要因にすばやく反応します。』(注:引用中の「(HPA)軸」に類似する「HPA系」についてはここの iii) 項を参照して下さい)、『SAMとHPA軸を使用して、交感神経系は個々の行動を刺激し、瞳孔拡張や発汗を引き起こしたり、反応を徐々に増加させて呼吸と心拍数を上げたり、大規模な全身反応である「闘争/逃走反応」をもたらすように可動化させたりすることができます。』(注:引用中の「闘争/逃走反応」の別名である「闘争-逃走反応」(リンク集を参照)を担う上記SAM系のより詳細について、丸山総一郎編の本、「ストレス学ハンドブック」(2015年発行)の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-2 生物学的側面(2):生理学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を以下に引用します。ちなみに、ストレスが全身性の生体反応であり、多様な慢性炎症疾患に関与する可能性を示唆することについては次の資料を参照して下さい。 「ストレスによる情動変容の誘導における炎症の役割」)

一方、視床下部-交感神経-副腎髄質を介する経路は、SAM系(sympathetic-adrenal-medullary axis)と呼ばれ、情動刺激または興奮に対して、交感神経系が亢進する攻撃もしくは闘争-逃走反応を担う重要な経路である(図1のSAM系参照)。HPA系に比べると、効果器への指令を交感神経の遠心性線維を介する神経伝達と、副腎髄質からのホルモン分泌による液性伝達の2つのメカニズムが担っており、即時性のストレス応答の基盤となる経路である。HPA系と同様に、大脳皮質もしくは大脳辺縁系で処理された情動興奮は、ストレス応答の司令塔とも言える視床下部の室傍核(PVN)から投射される遠心性の神経線維を伝わり、交感神経の場合は脊髄側角(胸髄および腰髄)、副交感神経の場合は脳幹および仙髄を起始部とする節前線維を介し、いったん各々の神経節(交感神経節および副交感神経節)に入る。交感および副交感神経節は、各支配臓器の近傍に存在しており、そこで節後線維に乗り換えて効果器へ向かう。節後線維の神経終末からは、交感神経の場合はノルアドレナリン、副交感神経の場合はアセチコリンが分泌される。ただし、節前線維の神経終末部では交感・副交感神経ともにアセチルコリンによる神経伝達物質が分泌される。さらに、交感神経系節前線維による支配を受けている副腎髄質では、カテコールアミン類を合成・貯蔵できるクロム親和性細胞が存在しており、これが興奮することによってアドレナリン、ノルアドレナリンの分泌が促進される。副腎髄質から分泌されたアドレナリン、ノルアドレナリンは液性伝達により標的臓器へ運ばれる。
アドレナリンやノルアドレナリンなどのカテコールアミン類の効果器にはα受容体とβ受容体の2種類があるが、それぞれにサブタイプがあって、分布の密度は効果器(標的臓器)の種類や部位によっても大きく異なる。詳細については正書に委ねるとして、基本的にSAM系の興奮は、心拍数(脈拍)の増加、血圧上昇、血糖上昇、発汗、代謝亢進、攻撃または闘争-逃走反応の亢進をきたすと考えられる。アドレナリンおよびノルアドレナリンは、脳、肝臓および腎臓などで即時的に代謝分解され、半減期は約1~3分程度であることが知られている。(後略)

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 ii) この部分の執筆者は喜多村佑里です。 iii) 引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項  iv) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「交感神経系が亢進する」に関連して、「マインドフルネスの実践により、交感神経活動が抑制されること」については、リンク集(用語:「交感神経活動の抑制」)を参照して下さい。加えて、自律神経における交感神経と副交感神経との関係及び自律神経の疲弊防止の視点(次の脚注を参照)を含む、副交感神経が活発になっているリラックス状態*12をもたらすためのリラクセーションについては、例えばここ及び次の資料やWEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」、「Ⅱ ストレスへの対処」、「パーソナリティ障害を抱えて社会で生きる」の P10~P11 の「身体技法・ストレッチ」、『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の「③解離性障害の治療や対処には、どのようなものがありますか?」項*13

加えて、これらの経路と免疫反応(炎症)の関係について、同本の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-1 生物学的側面(1):生化学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

(前略)HPA系は炎症や免疫等を担う遺伝子群の転写因子である Nuclear Factor κB(NF-κB)に対して抑制的に作用する一方、SAM系はNF-κBを介した Tumor Necrosis Factor-α(TNF-α)や interleukin-1β(IL-1β)の転写を促進させることで、炎症反応を誘導する3)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Inflammation and its discontents: the role of cytokines in the pathophysiology of major depression.」 ii) この部分の執筆者は牟札佳苗です。 iii) 引用中の「SAM系」についてはここを参照して下さい。一方、引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 iv) 引用中の「闘争-逃走反応」については、「リンク集」を参照して下さい。

〔n〕弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題について
[1] 弁証法的行動療法(DBT)
標記弁証法的行動療法*14は DBT(Dialectical Behavior Therapy)と略されます。また、標記療法とマインドフルネスとの関連については次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス」 加えて、標記療法における「①徹底的受容と賢明な心」、「②承認」及び「③いま・ここ」を含む様々な話題について以下に示します。ちなみに、 1) 本項では森田療法に関する記述がしばしば登場しますが、本項の森田療法は主に新しい外来森田療法を指しています。 2) 一方、上記 DBT においては、弁証法的戦略として、受容と変化のバランスをとるようです。この弁証法的戦略については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の「弁証法的行動療法の概要」における記述の一部(P236~P237)を次に引用します。

弁証法的行動療法の概要(中略)

DBT には、BPD に対する介入効果を高めるための特徴として、従来の認知行動療法のように変化を重視する一方で、これを犠牲にすることなく同時に(ときには逆説的にもなる)出来事や状況をありのままに徹底的に受容することも重視していることがあげられる(大野 2005)。この相反する、「変化」と「受容」をひとつの治療システムに統合するために、「弁証法」が組み込まれている。弁証法的世界観は、DBT の理論を規定し、実践の基礎となるものである。(後略)

注:i) 引用中の「大野 2005」は、「大野裕総監修(2005)『境界性パーソナリティ障害の治療-弁証法的アプローチ』 JIP 日本心理療法研究所」です。 ii) 引用中の『「変化」と「受容」』に関連する「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害リンク集を参照)の略です。

①徹底的受容と賢明な心
弁証法的行動療法(DBT)の第四の優先課題としての行動スキルを高めることにおける標記「徹底的受容」(radical acceptance)について、J・G・アレン著、上地雄一郎、神谷真由美訳の本、「愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療 素朴で古い療法のすすめ」(2017年発行)の 第Ⅱ部 治療と癒し の 第4章 エビデンスに基づく治療 の 2. 境界性パーソナリティ障害の治療 の「(1) 弁証法的行動療法(DBT)」における記述の一部(P169)を以下に引用します。これは森田療法の文脈における「あるがままに受け入れる」に類似するものであると本エントリ作者は考えます。一方、次の標記「賢明な心」(Wise Mind)については、 a) 貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の マインドフルネス・スキルについて の「(1)3つの心の状態」における記述(P242~P243) b) 林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第3章 安定した「わたし」を取り戻していく治療 の「弁証法的行動療法(DBT)②」における記述の一部(P72) をそれぞれ以下に引用します。ちなみに、この「賢明な心」については、DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、同様な記述(添付資料における P25)があります。

(前略)第四の優先課題は,行動スキルを高めることです――対人スキルを高めるだけでなく,苦痛への耐性を育て,情動調整の技法を学習することです。患者は,徹底的受容(radical acceptance)の姿勢を取り入れることを奨励されます――それは,人には思いどおりに操ることができない悲劇的現実を人生の一部として受け入れることです。この哲学は,唱えることは容易ですが実行することは難しく,実行する手立ても十分に明確であるとはいえません。徹底的受容は,体験の受容の強調(Hayes et al., 1999)と同じことです。そして,DBT による治療には,マインドフルネス・スキルが含まれています。(後略)

注:i) 引用中の「Hayes et al., 1999」は次の本です。 「Hayes SC, Strosahl KD, Wilson KG: Acceptance and Commitment Therapy: An Experimental Approach to Behavior Change. New York, Guilford, 1999」 ii) 引用中の「体験の受容の強調」に関連する「今の瞬間の体験に対して心を開き、好奇心をもって、アクセプトする(そのままにしておく)こと」については次の資料を参照して下さい。 「ACTにおけるマインドフルネス:どんな行動クラスなのか」の「まとめ(操作的定義との関係から)」項 iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「人には思いどおりに」は、正しくは「人は思いどおりに」かもしれません。 v) 引用中の「徹底的受容」に関連する「徹底的受容スキル」について、中野敬子著の本、「ストレス・マネジメント入門[第2版] 自己診断と対処法を学ぶ」(2016年発行) の 第Ⅲ部 心豊かに生きるためのストレス・マネジメント の 第15章 困難な状況を乗り越えるための弁証法的行動療法 の 1 弁証法的行動療法(DBT)と弁証法的考え方 の「徹底的受容(現実を受け入れるストラテジー)」における記述の一部(P183)を次に引用します。

徹底的受容スキルでは,心の底から事実をありのままに受け入れ,現実を認めずに戦うことを放棄する。現実を認めないことが,その状況を変えることにはならない。苦痛な状況を変えるには,まず起きている状況についての現実を受け入れることから始まる。苦痛から自由になるためには受け入れることが必要で,現実と戦うことから自分を解放する。徹底的受容は悲しみを抱くことになるが,穏やかな気持ちになることができる。痛みを受け入れることを拒絶すれば,その痛みが苦痛を生み出すため,受け入れることが苦痛をやわらげる唯一の方法である。苦痛な状況を受け入れることは,それを“よし”と判断することや変化を受け入れないこととは異なる。
例えば,緊急で重大な約束があり,その場所に行くために橋を渡ろうとやってきた。その地域で雨は降っていなかったが,上流の豪雨による濁流で橋は今にも流されそうな状態で,交通規制がかかっていた。「今すぐに渡ってしまえば対岸まで無事に到着するかもしれない」「こんな大切な時になんてついていないのだ」「これまでの苦労がすべて水の泡になるかもしれない」といろいろな考えが巡る。橋は通行不能で,約束の時間に間に合わず,重大な打撃を受ける事実を受け入れることが徹底的受容であり,遅刻の連絡をしたり,下流の通行可能な橋を確認したり,次の有効な行動を起こさせる。徹底的受容をしないと衝動的になって橋を渡ろうとして流されたり,怒りから規制を行っている人とトラブルを起こしたり,悲嘆,自己嫌悪,無気力を感じたりする。この例のような状況で現実を受け入れられない人は少ないかもしれないが,健康,家族,対人関係などの複雑な問題状況で現実を受け入れられない人は少なくない。(後略)

注:引用中の「徹底的受容」に類似するかもしれない「ラジカルアクセプタンス」の一例について、内田舞著の本、「REAPPRAISAL 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法」(2023年発行)の 第3章 レジリエンスを育てるために の「受け入れて前に進む力ラジカルアクセプタンス」における記述の一部(P117~P118)を次に引用します。

(前略)例えば、渋滞にはまったときに、「あっちの道に行っていれば」と後悔したり、動かない周りの車にイライラしクラクションを鳴らしたりしたくなることもあるかもしれませんが、どんなにもがいても渋滞の中にいる事実は変わらないのです。その事実を受け入れると、「この時間を使って好きなラジオ番組を聞いてみよう」「一緒に車に乗っている人と会話を楽しもう」あるいは「目的のない時間を楽しもう」と、自分の考えをただ赴くままに漂わせる時間を過ごせるかもしれません。受け入れることで前に進めることもあるのです。(後略)

加えて、以下は上記「①徹底的受容と賢明な心」において紹介した引用です。

(1)3つの心の状態
DBT では、「感情的な心(emotion mind)」「理性的な心(reasonable mind)」「賢い心(wise mind)」の3つの主要な心の状態を提示している(Linehan 1993b)。「感情的な心」とは、精神的に興奮している状態、論理的思考が困難な状態であり、感情が思考や行動に大きく影響を与える状態である。「理性的な心」とは、理性的・論理的に考えることができ、問題解決に向けて冷静に取り組める状態である。「賢い心」とは、「感情的な心」がもたらす情緒的経験と「理性的な心」がもたらす論理的分析のバランスを図り、さらに直感的理解を加えた統合された心の状態である。自分の感情を抑え込んだり切り離したりすることなく、感情と上手に付き合うために、意識して「賢い心」の状態になるように示されている。そして「賢い心」に達するための手段としてマインドフルネス・スキルが提示されている。

注:i) 引用中の「Linehan 1993b」は、「Linehan, M. M. (1993b), Skills Training Manual for Treating Borderline Personality Disorder, Guilford(小野和哉監訳(2007)『弁証法的行動療法実践マニュアル』金剛出版)」です。 ii) 引用中の「賢い心」には「中道」(例えば資料「仏教瞑想と幸福感」の「涅槃という幸福」項を参照)や「智慧」(例えば同資料の「ありのままを見守る智慧」項[P12]を参照)が含まれるかもしれないことについては次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy: DBT)に基づくマインドフルネスの理論と実践」の「Skillful Means: バランスを保つ」シート

弁証法的行動療法(DBT)②(中略)

●「理性の心」とは、知的、合理的な考えや事実に基づいて冷徹に行動する心の状態。
●「感情の心」とは、そのときの感情や気分状態に支配されている心の状態。
●「賢い心」とは、その2つが統合された状態。(中略)

動じない心を持つ
弁証法的行動療法(以下、DBT)では、マインドフルネスという心の状態を達成することが重視されています。(中略)

強い感情に支配されたり、理屈(理性)に偏ったりせず、揺さぶられても動じない、バランスを保つことができる「賢い心」を獲得することにより、自分の感情や苦痛をありのままに見つめて受け入れ、正しい行動を選ぶことができるようになるとされています。(後略)

注:引用中の「弁証法的行動療法(以下、DBT)では、マインドフルネスという心の状態を達成することが重視されています」に関連する「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス」については次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス

なお、上記徹底的受容及び/又は受容と変化のバランスをとることに関連するものとして、キリスト教におけるすばらしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り、Serenity Prayer)」のようです。これについて、スティーヴン・マーフィ重松著、坂井純子訳の本、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」(2016年発行)の 第6章 受容(Acceptance) の「平静の祈り」における記述の一部(P212)を次に引用します。

平静の祈り(中略)

そして、受容について教えるキリスト教でもっとも素晴らしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り)」だろう。私の授業でもこの「平静の祈り」を紹介し、受容することと変える勇気の間の密接なつながりについて考察しているのだが、この短い祈りのなかに学生たちは深い叡智を見いだしている。(中略)

(神様
私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そしてふたつのものを 見分ける賢さを)(中略)

「仕方がない」という態度には消極的すぎるという批判が向けられることがあるが、同様に、受容を強調している平静の祈りは、逆境におけるあきらめであるとの印象を受ける人もいる。より行動志向の別のバージョンにはこういうものもある。「父よ、変えるべきものを変える勇気と、どうしようもないものを受け入れる落ち着きと、ふたつを見分ける洞察をわれわれにお与えください」。これは落ち着きをくださいと嘆願するより先に、まず「変える勇気」を求めたものだ。(後略)

注:(i) 引用中の「平静の祈り(ニーバーの祈り)」に関連する、 a) アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)の六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できることについてはここを参照して下さい。 b) 感銘を受けたことやストレスマネジメントの基本になることとしての言葉としての「ニーバーの祈り」については次のWEBページを参照して下さい。 「横浜院長のひとりごと No.032 ニーバーの祈り」 c) 「変えられる事は変える努力をしましょう。変えられない事は、そのまま受け入れましょう。起きてしまった事を嘆いているよりも、これから出来る事をみんなで一緒に考えましょう」との記述を有するツイートがあります。 (ii) 引用中の「平静」に関連する「瞑想における平静さの構成概念と神経メカニズム」については上記「平静の祈り(ニーバーの祈り)」を含めて次の資料を参照して下さい。 「瞑想における平静さの構成概念と神経メカニズム

加えて、上記平静の祈りに似た記述が森田療法の関連本にもあります。北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の『1 「できること」と「できないこと」』における記述(P87~P89)を以下に引用します。ちなみに、『1 「できること」と「できないこと」』はこの章におけるキーワードの第一番目に挙げられたものです。さらに、マインドフルネスの文脈における平静さ(Equanimity)については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の杉浦義典著の文書「マインドフルネスの心理学的基礎」の 体験への態度 の「(4)平静さ(Equanimity)」における記述の一部(P106~P107)を以下に引用します。

1 「できること」と「できないこと」
人には誰でも、「できること」と「できないこと」があります。
まずこう考えることが、人の苦悩を理解し、介入するための基本となります。自分自身の悩みについても同じです。物事に悩む人は「できないこと」を何とかしようとして悪戦苦闘し、「できること」がおろそかになっているのです。
私たちが、何かに悩んでいるときのことを考えてみましょう。
悩んでいるときには、自分の「できること」に注意を払わなくなってしまいます。
そして、次のような事柄を、自ら何とかできる、あるいは何とかしたいと考えるのではないでしょうか。
たとえば、体や心の反応、苦しい・つらいという感情、考えや思い、まわりの出来事、他人のすること……。
それらを「できること」と考え、何とかしようとすればするほど、じつは、袋小路に入り込んでいき、「苦」はつのります。幻を追い求めて狩りに出るようなものです。
そこで、発想の転換森田療法では促します。「できないこと」をありのままに受け入れて、「できること」に注目し、それに取り組み、没頭することが問題の解決の鍵となるのです。
では「できること」とはどのようなものでしょうか。まずは「できないこと」と「できること」を見分ける力を養うことです。それには、今までの考え方にとらわれない柔軟な発想を必要とします。その手助けをするのが、本書の目的でもあります。次には、悩みを持ちながら、「できること」すなわち現実の世界に直接踏み出し、目の前のことに取り組むこと、そこでの目的を達成するために工夫をすることです。
そして素直な何かをしたいという心の動きを感じ取り、それに乗って動いていくことです。これが後に述べる、森田療法の重要なキーワード、生の欲望を発見し、それを発揮することにつながります。それが悩んでいるあなた自身の個性的な生き方ともなるのです。

注: i) 引用中の「生の欲望」については次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「生の欲望」項 ii) 引用中の『「できること」と「できないこと」』を分けることについては次の資料を参照して下さい。 「森田療法からみたマインドフルネス」の『「1. 「できないこと」と「できること」を分ける』項

(4)平静さ(Equanimity)
Desbordes et al.(2014)は、マインドフルネス瞑想の結果として得られる心理的態度として、Equanimity というものを提唱した。Equanimity とは和訳すると平静さということになるが、マインドフルネスの文脈でいわれる平静さとは、「すべての経験や出来事に対して、その情動価や由来を問わすに等しく心にとめる心理状態あるいは特性(Desbordes et al. 2014, p357)」である。経験したこと、つまり、見えたこと聞こえたことを見つめ、しかしそれらに対する情動的な反応にはとらわれない態度である。(後略)

注:i) 引用中の「Desbordes et al.」は次の論文です。 「Moving beyond Mindfulness: Defining Equanimity as an Outcome Measure in Meditation and Contemplative Research.」 ii) 引用中の「情動価」は快、不快の軸を有し、中性もあるようです。この快、不快については、次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

ちなみに、本の同章においては森田療法及び受容を中心とするセラピーについても言及しています。参考までに前者における記述の一部(P217~P219)を以下に、加えて後者における記述の一部(P223~P224)を以下に それぞれ引用します。

森田療法

人間の本質を受け入れる重要性について教えてくれる偉大な人物のひとりが、東京慈恵会医科大学精神科医であった森田正馬だ。彼の指導には彼が個人的に受けた禅のトレーニングの影響が見られる。森田はフロイトユングと同世代だったが、まったく異なる発想を持った人物で、自分本来の性質を受け入れることが治療には不可欠なステップだと考えた。自分を変えようとするより、むしろ性質に自然に従うべきだというのである。
森田は、何度でも戻ってきては自分の心をかき乱す思いを抑えつけ、理性によって排除しようとしても、かえってその思いを強めることになったり、それに敏感になったりするだけだと考えた。人生や性格には意思の力ではどうしても変えられない事実があると認めさえすれば、その事実を尊重して受け入れることができ、平穏な気持ちでいられるという。私たちがすべきことは痛みに耐えながら自分にできることをすることで、しつこい嫌な思いや症状を必死に取り除こうとする行為に足を止められることではない。回復に必要なのは強い意志によって症状を追い払うことではなく、自然な回復を妨げないことだと森田は考えた。
森田は次の行動によって自己承認、効果的な生活、自己実現へといたる方法を教えている。

・自分ができることを知ること
・状況が求めているものを知ること
・そしてふたつがどう関係しているかを知ること

森田はマインドフルネスを磨いて、コントロール可能なものと不可能なものを知り、期待しすぎることなく現実を見ることで、人の気質を発達させることができると教えた。現実がその瞬間にもたらすものに注意を向け、今に集中し、知的分析は避けるべきである。「仕方がない」という考え方と同じように、現実を受け入れてしまえば、すべきことに積極的に反応できるようになるというのである。平静の祈りが伝えるように、コントロールできることとできないことを区別するのがきわめて重要なのである。
西洋の心理セラピーでは、症状、恐れ、願望を減らそうとするものがほとんどである。これにたいし森田は、症状や感情に立ち向かおうとするがために、建設的な行動が止まってしまうことのないようにと教えている。人の気質を発達させるのはその振る舞いである。勇気を奮い起こし、不安定な感情の流れに影響されるよりも、目的に即した決定をして自ら行動すること、それが人の気質を発達させるというのである。
森田療法は、何かをなさせる「行動の心理学」だ。その力は、物事をあるがままに受け入れる難しさに立ち向かうことからもたらされる。
私たちは意思の力によって外部状況をコントロールしようとしがちである。もちろん、それがうまくいくこともあるが、いつもそうとはかぎらない。他の誰かや、自分についての人々の意見、相手の感情、誰かの行動などをついコントロールしようとしてしまうのだが、この努力のせいで厄介な状況に陥ることも多い。
人生はいつでも自分の望むようになるわけではないことを知り、現実をただそのまま受け入れられるようになることが大切である。(後略)

注:(i) 引用中の「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「森田療法」、「あるがまま」及び「マインドフルネス」に関連した次の資料や note があります。 「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」、『No.7|臨床心理|森田療法の「あるがまま」とマインドフルネス』 加えて、外来森田療法の技法については次の資料を参照して下さい。 「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」 その上に、「婦人科外来における森田療法の応用」や「短時間の診察で行う森田療法」についてはそれぞれ次の資料を参照して下さい。 「婦人科外来における森田療法の応用」、「短時間の診察で行う森田療法」 (iii) 引用中の「症状や感情に立ち向かおうとする」に関連する「とらわれ」については、例えば、資料「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の【森田の“とらわれとあるがまま” 】項と【高良・新福の“とらわれとあるがまま” 】項、「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項、及び「森田療法の今日性」の「森田療法の基本的理論」項を参照して下さい。 (iv) 引用中の「行動の心理学」に関連する内容が、例えば、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「5. 治療プロセス」項に示されていると本エントリ作者は考えます。 (vi) なお、 a) 引用中の「あるがままに受け入れる」ことを間接的に示すツイートがありあす。 b) 引用中の「物事をあるがままに受け入れる」及びマインドフルネスに関連する「物事をあるがままに見ること」について、本の 第1章 念(Mindfulness) の「マインドフルネスとは何か」における記述の一部(P39~P40)を以下に引用します。 (v) 引用中の「あるがまま」については、例えば次のWEBページ及び資料を参照した方が良いかもしれません。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「あるがまま(自然服従)とは」項、『森田療法における「あるがまま」とは』、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項 (vi) 加えて、上記「あるがまま」に関連する、 1) (あるがままは)「観念的にあるいは習得しようと心がけて身につくもの」ではないことについて、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第8章 森田療法の臨床 ――《受容》のプロセスと他学派との比較―― の「Ⅰ はじめに」における記述の一部(P186)を以下に引用(【 】内)します。 【森田療法では,神経症の病理を“とらわれ(悪循環)”として理解し,その打破に治療の目標を置く。そこで求められるのが“あるがまま”の態度である。ここでいう“あるがまま”とは,「不安などのさまざまな感情も,欲求も含め,ありのままの自分を受け容れる」ということであり,まさに《受容》を意味する。ただしそれは,森田が「“あるがまま”になろうとしてはそれは求めんとすれば得られずで既に“あるがまま”ではない。なぜなら“あるがまま”になろうとするのは,実はこれによって,自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって,苦痛は当然苦痛であるということの“あるがまま”とはまったく反対であるからである」(森田,1974g)と述べたように,観念的に,あるいは習得しようと心がけて身につくものではなく,さまざまな体験のプロセスを経てなされるものと言える。】(注:A] この引用の著者は久保田幹子です。 B] 引用中の「1974g」は次の本です。 「森田正馬(1974g)森田正馬全集5.白揚社,p.710.」) 2) 「あるがまま」の心境は「あきらめ」でないことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「入院森田療法により軽快した高齢者・身体症状症の 1 症例」の「考察」項 c) 一方、「ありのままの自分を受け止めていく」ことについては上記 a) 項の他に次の資料を参照して下さい。 「嘔気を主訴とする神経症例への森田療法 -日記を用いた関わりの可能性-」の「注意点」項 3) ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー、参照)における「あるがまま」については次のWEBページを参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピーのこれから」の『ACTにおける「あるがまま」とは』項 4) 「セルフ・コンパッション」との関連については次のWEBページを参照して下さい。 『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』 5) 『「あるがまま」を受け入れる』ことについて、平島奈津子著の本、「不安のありか “私”を理解するための精神分析のエッセンス」(2019年発行)の 第6章 社交不安症と対人恐怖 の『「あるがまま」を受け入れる』における記述の一部(P144~P145)を以下に引用します。

マインドフルネスとは何か(中略)

マインドフルネスを考えるひとつの簡単な方法が次のABCである。

A=Awareness(アウェアネス、気づき)。自分が考えていること、していることをもっと意識できるようになること。自分の心や体の中で起きていること、自分の思い、感情、感覚を認識すること。
B=Being(存在すること)。価値判断や自己批判、そして何かを絶えずしていなければならないという考えを一時的にやめて、ただ自分の経験とともにあること。
C=Clarity(明瞭さ)。なんであれ自分の生活で起こりつつあることに注意を向けて、はっきりと眺めること。自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること。

注:(i) 引用中の「Being」に関連する「Being Mode」(あることモード)については、ここ及びここにおける「buffered mode」の脚注を参照してください。 (ii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連する、 a) 仏教思想における「欲望によって条件づけられることのない、ありのままの現象を認知する(如実知見する)」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「如実知見」については、例えば次の iii) 項及び資料「仏教瞑想と幸福感」の「ありのままを見守る智慧」項(P12)を参照して下さい。 b) 禅における「柳は緑、花は紅」という言葉があり、これはとても重要なこととされているようです。なお、森田療法創始者である森田正馬氏は「あるがまま」に関連して、上記「柳は緑、花は紅」を引用しています。資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の 3. とらわれとあるがまま の「2) あるがままの二面性と介入方法」項を参照して下さい。 一方、アクセプタンス&コミットメント・セラピーをベースにした、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P196)として、「観察する自己」において「物事をあるがままにみる」ことが次に引用(『 』内)するように記述されています。 『観察する自己は、価値判断、批判、あるいは現実との戦いを引き起こすその他の思考プロセスを行うことなく、物事をあるがままに見る。それは真実の、純粋なアクセプタンスの形である。』 注:引用中の「観察する自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項 (iii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連する、「現実をありのままに見る(如実知見する)」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「物事を俯瞰して客観的にとらえる」について、熊野宏昭、伊藤絵美、NHKスペシャル取材班監修の本、『「キラーストレス」から心と体を守る! マインドフルネス&コーピング実践CDブック』(2017年発行)の マインドフルネス瞑想 4 の「マインドフルネス瞑想が目指す心のあり方」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『この瞑想では、注意を一点に向けるのではなくあちこちに分割し、いろいろなものに対して同時に気を配り、感じ取る練習をしました。全体に気を配って同時に感じ続けていると、ほかのことを考える余裕がなくなってしまいます。そうすると「自分が、自分が」という思考がつくり出す怒りや不安といった思考(雑念)も、小さくなって残らなくなるでしょう。日常生活でも、このように物事を俯瞰して客観的にとらえることができれば、だいたいのことは小さなとるに足らないことと思えたり、ほかにも解決策や考え方があることに気づいたり、心に余裕が生まれたりするものです。自分の思考は単なる思考にすぎず、現実の出来事ではないことにも気づくでしょう。』 注:引用中の「この瞑想」は「ヴィパッサナー瞑想」のことのようです。例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項 (iv) 引用中の「自分が望むように」と「物事を見ること」を組み合わせた「自分が望むように物事を見ること」とは逆かもしれない「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては、他の拙エントリのここここを参照して下さい。

「あるがまま」を受け入れる(中略)

森田療法では、不安や恐怖などを「取り除かなければならない悪いもの」とはとらえずに、自然な感情と見なすことを治療の出発点としています。つまり、人前で感じる恥ずかしさは人間として自然な感情であるにもかかわらず、対人恐怖症では、それを「ふがいない」とか「情けない」などと考えて、恥ずかしがらないようにと葛藤し苦悩するがゆえに、恥ずかしさの結果として生じている赤面や震えなどがますますひどくなり、そうすると、ますます「ふがいない」と感じるという悪循環に陥っているのだと森田は考えたのです。
確かに、人間には「こうあるべきだ」と考える傾向があり、そのために、それと意識せずに自分や他人を不自由にしているところがあるように思います。森田療法では「あるがままを受け入れる」ことを治療目標としています。一般的に、どんな治療に取り組む時にも抱く「不安を消し去りたい」とか「よくなりたい」と願う気持ちは、森田療法では「あるがままを受け入れる」ことを阻むものとして注意深く検討されます。不安は自然な感情なのだから、そのまま放っておこうと考えるのです。このような、肩の力を抜いた心の構えを実践することがどれほど困難なことかを悟る時、自分がどれほど不自由で緊張を強いられながら生きているかを実感するように思います。

注:引用中の「悪循環」に関連するかもしれない「精神交互作用」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

受容を中心とするセラピー

受容は日本では重視されているが、アメリカのような個人主義社会に暮らす人々にはおそらくもっと必要とされるものだ。実際、西洋の療法はこれまで受容を基盤に発達してきた。
カール・ロジャーズは「興味深いパラドックスだが、あるがままの自分を受け入れることができた時にこそ、私は変わることができる」と述べている。彼はまた、相手を治療したり変えようとしたりするのではなく、「どうすればこの人の成長に役立つ関係を提供できるだろうか」だけを問い、相手を受け入れようとした。そして、無条件の肯定的関心とは、判断を差し挟まずに相手を受け入れ尊ぶこと、話を遮ったり助言を与えたりせず熱心に耳を傾けることだと説明した。
森田やロジャーズとも類似点が認められる、その現代西洋版がある。「アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)」と呼ばれるものだ。受容とマインドフルネスという手法を用いて、自分の私的な思いや感情、特に望まない思いにただ気づき、受け入れ、自分の一部と認めることを教えるものだ。多くのセラピーでは自分の思い、感情、感覚、記憶をよりうまくコントロールすることを教えるが、ACTのコアとなる考えとは次のようなものだ。
「通常、精神的苦痛の原因となるのは、体験の回避、認知的混同、それらの結果生じて自分のコアたる価値に沿った行動をとれなくさせる心理的硬直状態である」(後略)

注:i) この引用部の後に、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおけるFEARやACT(Acceptance、Choose、Take action)の説明があります。これについての引用は省略しますが、ACTを紹介する次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」 加えて、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおける様々な話題についてはここを参照して下さい。ちなみに、 a) ACT(Acceptance and Commitment Therapy)の正式な日本語訳は「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」であると本エントリ作者は考えます。 b) 引用中の「認知的混同」は、ACTの文脈では「認知的フュージョン」と呼ぶ方がより適切であると本エントリ作者は考えます。「認知的フュージョン」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、これに関連する「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」については、次の資料を参照して下さい。 「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」 ii) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「森田療法とは」、「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の「【高良・新福の“とらわれとあるがまま”】」項 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

②承認
最初に標記「承認」(validation)についての資料を次に紹介します。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-」 加えてこれについて、林直樹・松本俊彦・野村俊明編の本、「これからの対人援助を考える 暮らしの中の心理臨床 パーソナリティ障害」(2016年発行)の 第Ⅱ部 理論編 の 4 弁証法的行動療法 の「1)DBT の概要」における記述の一部(P175~P179)を次に引用します。この引用は「1 ●生物社会理論」と「2 ●承認戦略」の部分を対象とします。

1 ●生物社会理論
リネハンは境界性パーソナリティ障害の特徴を感情調節不全と捉え、その原因を理解するために生物社会理論を展開している。生物学的に感情反応をしやすい傾向のある個人が、社会的環境から非承認される経験を繰り返すことで すべてとはいかなくとも、多くの感情の調節が困難(広範的感情調節困難)になってしまうという考え方である。
遺伝やトラウマなどによって引き起こされると考えられる感情調節の生物学的困難は、刺激に対しての過度の敏感さ(感情反応の頻度)、感情的に反応した際の反応の度合いの強さ(強度)、そして感情反応が収束するまでにかかる時間の長さ(持続度)として操作的に定義される。強い感情反応は、本人にとって苦痛な体験になる。苦痛な感情反応に対して、感情失禁、怒りの爆発、自傷、引きこもりなどさまざまな対処策をとるが、それに対して他者、特に親などのケアをするものから、「非承認」、すなわち「そのような反応は理にかなっていない、理解、受容できないというメッセージ」が返ってくることが多い。そのようなメッセージは、感情的に傷つきやすい者にとっては、なお一層苦痛を伴う感情反応を起こす刺激となる。
そのような相互関係を繰り返すことにより、患者白身が周囲の非承認的反応を内在化し、自分を非承認するようになり、なおいっそう、感情的傷つきやすさが強化される。そのために、そのような感情反応性を持たずに理解しにくい立場にいる治療者や家族は、患者の感情的反応性に当惑し圧倒されることが多く、患者白身も自分の感情反応性に圧倒されるだけでなく、他者からの「理解できない」という反応も圧倒的な辛さを伴う感情反応をさらに強めてしまう、というものである。

2 ●承認戦略
生物社会理論から、治療者のとるべきアプローチは非承認に相対する承認だと考えられる。リネハンは承認を「セラピストが患者に対して、患者の反応は現在の生活の状況において当然のことであり、理解可能なものだと伝えることである」と定義している。
また、リネハンはロジャース(Rogers, C.)の「相手の内的準拠枠を正確に、そして感情的部分も含蓄される意味も、あたかも相手であるかのように、しかしこのあたかもという条件を失わずに認識すること」(筆者訳)という共感の定義を引用して、承認と共感の違いを論じている。そのように定義された共感に対して、承認は相手を観て相手から聴いたこと、そして相手の反応と行動のパターンには本質的こ妥当性を持っていることを言葉または反応で伝えることである。患者の内的準拠枠を「あたかも」ではなく、相手が実際に体験していることを真に理解し、そしてそこから初めて、セラピストは先入観を捨てた観察者としてその体験の妥当性、正当性、有効性を査定し始める。そして相手の反応が、相手の最終的な目的に進むために効果的である可能性があることを、事実に即して、または推論、または専門性を通して査定して、妥当性があると伝えることが承認である。精神療法における承認はセラピストの患者との交流の中で、その時その時で共感を実行する能力が前提となる。従って、「臨床的承認のために共感は必要であるが、それだけでは十分ではない」と主張している。
共感と承認のこのような違いについて例を挙げてみよう。遷延性うつ病の患者が、治療者に自分の情けない状態と感情的苦しさを訴え、「今日も治療に来るのを何度やめようかと思うほど、やる気が出ないだめな自分」だと自責的に訴えるのに対しての共感的対応は、患者の困難な状態、感情、やる気のなさを受容的に言語化することではないかと思われる。それに対して、共感的側面に加えて、それほどやる気が出ない中で、どのような気持ち、考え、そして行為の経過を通して治療の場にたどり着いたかについても仔細に聴き、患者なりに症状が改善する方向に向けて努力していることを、事実に即して伝えることが承認と言えよう。

注:i) 引用中の文献番号の記述を省略しています。 ii) この引用部の著者は遊佐安一郎です。 iii) 標記「承認」については、次の資料を参照して下さい。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-

③いま・ここ
弁証法的行動療法(DBT)における「いま・ここ(現在)」に関連して、次の DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」についての資料を参照して下さい。つまり、報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料における P26 中のアランの名言を抜き出し次に引用します。

われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。

標記「いま・ここ」に相当する、アクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける「今・ここ」については、ここを参照して下さい。加えて、この引用と類似点がある記述が森田療法の関連本にもあります。これについては、北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の「10 感情と感情の法則」における記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

(前略)禅宗の開祖、達磨大師の言葉に「前に謀らず、後ろに慮らず」というものがあります。森田自身が、とらわれた人たちへの比喩として使う言葉です。(中略)

悩んだときには、私たちは、過去を後悔し(前に謀らず)、先々のことをあれこれ考え過ぎ、取り越し苦労します(後ろに慮らず)。そして「今ここで」生きることへの注意は、すっぽり抜け落ちてしまいます。
大事なのは、そのときどき、いま生きている生活世界に注意を向け、素直な生きる力に乗ってす~っと生きることです。そのような心のあり方が、心の持ちようを変えていきます。(後略)

[2] アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)
最初に、標記ACT(又は ACT:Acceptance and Commitment Therapy)を簡単に紹介する資料(ここを参照)、そしてACTを超わかりやすく説明する YoutubeCBSチャンネル」を紹介するツイートをはじめとして、ACTによる介入やACTの適用、そしてACTにおける無作為化(ランダム化)比較試験の研究動向について、次に示す資料があります。 「外出が困難となった女性に対するアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)による介入と行動指標の活用」、「うつ病女性に対する臨床行動分析 -夫婦関係の悩みを持つ女性に対して行動活性化療法およびアクセプタンス&コミットメント・セラピーを適用した症例研究」、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の無作為化比較試験の研究動向(1986-2017年)」 加えて、 a) 「ACTが慢性疼痛に有用なこと」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の F.心理的アプローチ の「CQ F-4:アクセプタンス&コミットメント・セラピーは慢性疼痛に有用か?」項(P119~P120) b) ACTと森田療法との比較も含む資料は次を参照して下さい。 「ACTとは何か」 c) ACT から見たマインドフルネスやACTとマインドフルネスとの比較も含む次の資料もあります。 「アクセプタンス & コミットメント・セラピー(ACT)から見たマインドフルネス」、「ストレス症状低減と生産性向上のためのセルフケア -マインドフルネスとアクセプタンスに基づく教育-」 また、ACTと「行動活性化」の関連については、例えば資料「ACTのコア・プロセスが有する機能の検討」(WEBページ「ACTのコア・プロセスが有する機能の検討」から pdfファイルがダウンロードできます)を参照して下さい。

①ACTの基本原理及びコンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)
最初にACTの基本原理について、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第33章 自分ができることに集中しよう」における記述の一部(P273~P277)を次に引用します。

(前略)ACTの基本原理を要約しておこう。
1. 脱フュージョン――思考、イメージ、記憶をあるがままに、単なる言葉と映像として認識し、それらと戦ったり逃げたり、値する以上の注意を向けたりすることなしに、現れるまま、去るがままにさせる。
2. 拡張――感情、感覚、衝動などに居場所を作ってやり、それと戦ったり逃げたり、過度に注目したりせず、来て去っていくがままにさせる。
3. 接続(つながる)――心を開き、興味を持ち、受容の心をもって「今・ここ」での経験に一〇〇パーセント注意を向ける。自分が現在していることに完全に集中・没頭する。
4. 観察する自己――自分の中の超越的な部分であり、困難な思考や感情を、それらに傷つけられることなしに観察できる視点を持つ。自分の中で決して変わらない部分、ずっと存在し続け、決して傷つけられることのない部分。それは肉体的な存在ではない「完全なる気づき」である。
5. 価値の確認――自分にとって一番大切なものを明確化する。どんな人間になりたいか、何が重要で意味があり、自分が人生で支持するものは何か。
6. 目標に向かっての行動――自分の価値と一致した効果的な行動をする(何度道から外れようと気にしない)。

これら六つの基本原理はACTの公式に上手にまとめられている。

A=思考と感情を受け入れ、現在に生きる。
C=自分の価値とつながる。
T=効果的な行動をする。

六つの基本原理に沿って生きるほど、人生はより充実し、多くをもたらしてくれる。だが私がそう言うからといって鵜呑みにしてはいけない。まず自分でやってみて、その経験を信じるのた。これらの基本原理がうまく働き、豊かで充足した人生を得られれば、それを完全に受け入れることは意味がある。(中略)

どう生きるかの選択はあなたに任されている。六つの基本原則によって多くの人が人生をより良く変える体験をしているとはいえ、それは聖書の十戒とは違う。自分が選択した時だけ行い、常に人生を豊かに満たし、意義あるものにしたいという思いを持ち続けよう。だがそれを、常に守るべき絶対のルールにしてはいけない。(中略)

■人生の様々な局面でACTを使ってみる(中略)

ACTの六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できる。(後略)

注:(i) 引用中の「ACTの公式」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「FEARからFEELを経てACTへ」項 加えて、同章の「■行き詰まったら」項において、行き詰まりの要因としてのFEARが示されています。これについては、上記資料の同項を参照して下さい。 (ii) 引用中の「拡張」は、本の第3章の P44~P45 に説明があり、次に引用(『 』内)します。 『不快な感情や感覚を抑圧したり追い出したりしようとせず、それらのために居場所を作ってやる。そうした感情に心を開きスペースを作ってやると、あなたを悩ます力はずっと弱くなり、心に留まってあなたを苦しめることなく、すぐに去ってしまうようになる(ACTではこれを「アクセプタンス=受容」と呼ぶが、それは多くの別の意味を持っており、非常に誤解されやすいためこの言葉を使った)。』 ちなみに、この引用中の「受容」については、ここここ及びここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「平静の祈り」については、例えばここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「脱フュージョン」については、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 (v) 引用中の「観察する自己」と「自己認識」との関連を示す記述を、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P195)を次に引用(『 』部)します。 『観察する自己なしに、自己認識というものはあり得ないのだ。』 注:引用中の「自己認識」と関連する「メタ認知」については次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法」の「メタ認知への注目」項 加えて、これに関連する「観察者としての自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 (vi) ちなみに、 a) 上記「フュージョン」と「メタ認知」に関連する次のツイートがあります。 「ツイート」(注:ツイート中の「ただあるがままの世界」については例えばここを、一方「物語の世界」については他の拙エントリのここを参照して下さい) b) 上記「メタ認知」からみたマインドフルネスについては次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」 c) 本の「はじめに」(この部分の著者はACTの創始者であるスティーブン・C・ヘイズ博士です)において、次に引用する(『 』内)ACTが教えるものについての記述(P8)があります。 『ACTでは幸福になる方法を教えるかわりに、抵抗や回避、現在の瞬間に生きていないなどのマイナス行動を弱める手段を教える。』

次に、コンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)を主とした、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかについて、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第四章 言葉の世界全体から距離を取る の「言葉の世界全体から距離を取るとは」における記述(P127~P129)を次に引用します。

言葉の世界全体から距離を取るとは

もう一つ面白い方法は、図14の下から二番目に載っているものですが、自分が色々考え込んでいると気づいた時に、自分の思考内容の最後に「~と考えた」という言葉をつけることです。「俺って皆に嫌われているのかな、と考えた」、「だって、話しかけてくれる人もいないしな、と考えた」という具合です。この練習を数分間続けていると、考えていることと現実は別だということが実感されてきて、フュージョンから抜けることができます。
これまで述べてきたようなことを理解はしていても、われわれの心は相変わらずどうしようもないことを考え続けます。それは私的出来事も行動であり、われわれの自由にはならないからなのですが、そこで、同図の四番目にある「とても面白い考えを思いついてくれてありがとう」と自分の心に言ってみるというのも、うまい方法だと思います。
これと同じような方法で、ある患者さんが考え出したものとして、「よきにはからえ」と心に言ってあげる、というのがありました。自分の考えや気持ちに振り回されることが少なくなりそうで、なかなかいいですよね。
上記のさまざまな方法を使うことで、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかということについて、わが国における関係フレーム理論やACTの第一人者である同志社大学の武藤崇39)が「コンプリヘンシブ・ディスタンシング」という説明をしていたのが印象的でした。つまり言葉の世界全体から距離を取って、言葉によって作り上げられた世界の脱構築を図ることが狙いになるというわけです。
それが、二千六百年前にブッダがマインドフルネス瞑想によってたどり着いた「思考が生まれる以前の世界」とかなり近いものに思えるのは、私だけではないと思います。

注:i) 引用中の「図14」の引用は省略します。ただし、図14における下から二番目の記述を次に抜き出し引用します(『 』内)。 『・自分の認知過程にラベル付けをしてみる(例:いま私は、「自分が完璧じゃないといけない」と考えている)。』 ii) 引用中の「39)」は『熊野宏昭、武藤崇、原井宏明、神村栄一、丹野義彦.座談会「ACTとは何か?」、こころのりんしょう à la carte、二八巻一号:六一-七六頁、二〇〇九年』です。 iii) 引用中の「~と考えた」については、例えばここを参照して下さい。 iv) 引用中の「フュージョンから抜ける」一手法かもしれない、『すべてを「ふーん、そうなんだ」と受け止める』については、ここを参照して下さい。 v) 引用中の「フュージョンから抜ける」に関連する「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vi) 引用中の「言葉の世界全体から距離を取って、言葉によって作り上げられた世界の脱構築を図る」とは方向性が逆の「自分の用いた言葉が現実そのものと誤認」することのデメリットについてのツイートがあります。 vii) 引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 注:ちなみに、この理論に基づいて構成された認知行動療法が、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(リンク集参照)です。 vii) 引用中の「言葉の世界全体から距離を取る」に関連する「言葉は心が作ったもの」について、ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳の本、『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』(2016年発行)の 第三章 ウィパッサナ―瞑想への道 の「言葉は心が作ったもの」における記述(P111~P113)を次に引用します。

言葉は心が作ったもの
音についても同じことです。私たちは音を聞きますが、これは現実です。言葉を私たちは聞きません。言葉は私たちが心の中で作り出したものです。私たちは学ぶ……、それは記憶に基づいた、一つの学びの過程です。現解できない言語が話される国に行った時、あなたは音を聞くけれども、意味を理解することはできませんよね。

音は現実ですが、言葉と意味は、
私たちが作り出したものです……。
それはとても有用なものです。私はそれが無用だと言いたいのではありません。
しかし、通常の現実を超えた現実への、
より深い理解を育みたいならば、
私たちは言葉と意味を乗り越えて進む必要があります。

修行者が瞑想していて、彼が本当にマインドフルで、本当にその場、その時にぴたりと寄り添っていたならば、横で誰かが喋ったとしても、この人には音は聞こえるけれども、意味を理解することはないでしょう。これは一つのテストです。
ミャンマーの幾つかの寺院では、これをやります。誰かがある種のサマーディを育てると、先生は 「人々が喋っているところの近くに行って座り、瞑想しなさい」と言うのです。先生は、生徒をわざと騒々しい場所におく。例えばあなたは台所に行って座り、人々が喋っているのを聞いたりするわけです。そこでもしあなたが本当にマインドフルになっていれば、あなたは音を聞くことはできるけれども、意味を理解はしないでしょう。お喋りがあなたの邪魔になることはもはやない。それによって、あなたの心にいかなる観念も、作りだされはしないからです。ただ音が過ぎ去って行く……、過ぎ去って行く……。
初心者にとって、これは難しいですね。この場所でも、道を車が走っています。あなたは心を乱される。「ああ、すごくたくさんの車が道を走っている」。しかし、本当にマインドフルになった時は、音を聞いても、それがあなたの心を乱すことはありません。何がパラマッタであり、何がパンニャッティであるのか。この区別を、ますます知っていくように努めてください。

注:i) 引用中の「サマーディ」は、集中、三昧を意味するようです。 ii) 引用中の「パラマッタ」は真実(直接に感じているもの)を意味するようです。 iii) 引用中の「パンニャッティ」は、概念、観念を意味するようです。加えて同本の P79~P80 において、「パンニャッティ」についての次に引用する(『 』内)説明があります。 『複数のものを一緒にして名前を与え、それを一つと理解したら、あなたが理解しているのはパンニャッティなのです。』 iv) 引用中の「音は現実ですが、言葉と意味は私たちが作り出したものです」に関連する『その「美しい声」は、単に鼓膜を震わせている音波によって形成されているものに過ぎない』については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。

②ACTモデルで見るマインドレスな状態
標記について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の マインドフルネスとACT の「臨床から定義するマインドレスな状態」における記述の一部(P042~P045)及び「◎体験の回避」と「◎認知的フュージョン」における記述(P045~P048)を次に引用します。

臨床から定義するマインドレスな状態(中略)

ACTモデルで見るマインドレスな状態(中略)図3(中略)

以下の四つの行動パターンの頻度が高まった状態。
・体験の回避:苦痛な思考や感情を回避する行動
・認知的フュージョン:思考と現実や自己を混同する行動
・過去と未来の優位:時間概念と「現実」を混同する行動
・概念化された自己:自己概念と「自己」を混同する行動(中略)

まずはマインドフルネスな状態の逆の「マインドレス」な状態をみてみましょう。図3ではマインドレスな状態の特徴というのが下側に書いてあり、その四つの行動パターンの頻度が高まった状態だといえます。

◎体験の回避
このマインドレスな四つの行動パターンのなかでも、「体験の回避」と「認知的フュージョン」、この二つが非常に重要です。体験の回避というのは、嫌なことを感じないでおこう、忘れてしまおう、といった行動のことです。誰でもこういったことはやりますよね。だって腹を立てたくないですし、不安になりたくないですし、落ち込みたくないですし、痛くなんてなりたくないですからね。不安になったら、とにかく不安を早く治めたい、落ち込んだら、なるべく早く元気になりたい。本日おいでの方の中には、もちろん患者さんも大勢いらっしゃいますので、不安が問題でそれを治しに来た方、うつが問題でそれを治しに来た方も大勢いらっしゃると思います。でも、そうやって不安をなくそうとすればするほど、逆に不安が気になる。なんとか落ち込まないようにしようとすればするほど、逆にそこから抜け出せなくなる。そういった経験は、皆さんもあるのではないかなと思います。
このとき、実際に役に立つのは「もう、不安なら不安でもいいよ」とか、「落ち込むのなら、落ち込んだっていいじゃないか」という考え方です。むしろ問題なのは、「この先もっとひどいことになるぞ」と思って、逃げ続けることなんですね。「この不安になりそうな状況に突っ込んでいったら、もう大変なことになって、周りの人に迷惑をかけて、自分もすごく恥ずかしい思いをして、もうどうしようもなくなって、何もコントロールできなくなってしまう。だから、やめておこう」。そんなふうに考えて、逃げてしまうことです。
でも、実際にそういうことが起こるかどうかは、わからないわけです。「もう、不安になるなら、なってもいいよ」と実際にやってみる。「なったらなったで、しばらく待っていれば治まるから」、そんなふうに思って、むしろ不安に向かっていく。そうやってみると、思っていたほど大変なことにはならないことが、非常によく起こります。
そういったことを何度も何度も経験していくと、また「大変だ」と不安が湧き出てきても、「そうかな。これまでのことを考えてみると、思っていたほど大変にならないというパターンが一番多かったな。それじゃあ、もうちょっと様子を見てみようか」といった行動をとれるようになっていきます。

◎認知的フュージョン
今の話に「思っていたほど」というフレーズが出てきました。この「思っていたほど」に関係するのか、認知的フュージョンです。先ほど、考えたことがバーチャルな現実をつくり出して、そっちが本当に思えてしまう、というお話しをしました。それは思考と現実を混同する行動といえます。でも、さらに説明すると、そこで混同されているものかもう一つあります。
我々は自分に対しても、「自分はこういう人間だ」、「自分はこれが得意だ」、「これは苦手」、「こういう人と一緒にいたい」、「こういう人とは一緒にいられない」……そのように様々なことを思い込んでいます。本当に自分がそうなのか、そうでないのかわかりませんが、我々は自分に対して頭の中でつくり出したイメージを持っています。そうやって頭の中でつくり出した自分のイメージを、自分だと思っているわけです。これは思考と自己を混同する行動です。
このように認知的フュージョンというのは、考えていることと現実を混同したり、考えていることと自分を混同したりする、そういった行動のことをいいます。
これがあるので、「いや、もう地下鉄に乗るなんて絶対に無理」と思ってしまうわけです。「こんな落ち込んでいたら、何もできない。もうちょっと元気にならないと、とても仕事に戻れない」、そんなふうに思って行動の回避をしてしまうわけです。「これ以上つらいことなんか、もう嫌だ。もう家にずっといよう」。「この前のような怖い思いなんて、もう二度としたくない。もう二度と飛行機なんか乗らないほうがいい、乗らないでおこう」。こうして体験の回避をしてしまうのです。

「体験の回避」は、「体験」と付いているのが特徴です。誰かと話をするとか、乗り物に乗るといった状況だけでなく、そこで体験したハラハラした感じ、救いようがない落ち込んだ感じ、痛くて痛くてたまらないような感じ、そういったことが怖いのです。「あのような体験は、もう二度とイヤだ。もう、感じないでおこう」と、心を閉じてしまうわけです。このように体験を回避すると、現実が感じられなくなるのは当たり前ですよね。
ですから、この認知的フュージョンを起こすことで、思考は現実を遮断する効果をもつわけです。考えることでバーチャルな世界がつくり出されて、現実との接点が失われる。ですから考えることは体験の回避をする場合には、もってこいなんです。考えていれば、本当の現実を感じなくてすむわけですからね。

注:i) 引用中の「認知的フュージョン」に関連する「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」については、次の資料を参照して下さい。 「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」 ii) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「考えることでバーチャルな世界がつくり出されて」に関連する、 a) 「バーチャルな現実によるコントロール」については他の拙エントリのここを、 b) 「言葉というのは、バーチャルな現実をつくり出す」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

③ACTモデルで見るマインドフルな状態
最初に、マインドフルの一部である「心を閉じない、飲み込まれない」について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンスと脱フュージョン の「心を閉じない、飲み込まれない」における記述の一部(P053~P055)を次に引用します。

体験の回避の逆は「アクセプタンス」です。認知的フュージョンの逆の行動は「脱フュージョン」です。このような逆の働きを持った行動を代替行動と呼びます。認知行動療法では、問題のある行動を減らすよりも、その替わりになる行動を増やすという戦略で進めていくことが多いです。体験の回避をやめるのかアクセプタンスなので、この二つはほとんどイコールですが、でもアクセプタンスの中には、そこにしかないような新しい要素も加わっています。
フュージョンは、認知的フュージョンをやめることです。認知的フュージョンをやめるのには、考えるのを切り上げればいいわけです。先ほど実践したように、考え続けないで切り上げれば、とりあえず考えの世界から抜けられます。でも、それだけでなくて、もう少し積極的な要素が脱フュージョンの中には入っています。以上をまとめたのが図4です。
私はマインドレスとの関わりで、よく患者さんに「心を閉じない、飲み込まれない、それが大事ですよ」とお伝えしています。「心を閉じない」は、体験の回避をしないこと。「飲み込まれない」は、考えていることに飲み込まれないで、考えているものと現実を区別しましょう、ということです。
心を閉じずに、飲み込まれないで、目の前の現実をきちんと感じ取っていきましょう。これがマインドフルネスの一番簡単な解説かなと思っています。それに、アクセプタンスと、脱フュージョンという名前が付けられているということです。(中略)

ACTモデルで見るマインドフルな状態(中略)図4(中略)

以下の4つの行動クラスの生起頻度が高まった状態。
・アクセプタンス:心を閉じるに開いておく、ゲーティンク機能
・脱フュージョン:考え続けることをいったん止めて、思考と現実を区別する機能
・プロセスとしての自己:現実との接触を促進し、随伴性知覚を高める機能
・場(観察者)としての自己:注意のフォーカスを最大にし、偏りなく現実を捉える機能(後略)

注:i) 引用中の「ゲーティンク機能」に関連した説明には、同本の図5(P058)によると、「自動的に閉じてしまう心の扉を、開けておくことによって、現実との接触(プロセスとしての自己)が始まる」があります。 ii) 引用中の「プロセスとしての自己」について、a) 熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第二章 言葉が自分を作り上げる の「プロセスとしての自己」における記述の一部(P59~P60)を次に引用(『 』内)します。 『このように、今ここでの瞬間ごとに、環境との相互作用に基づいて行動する自分のことを、関係フレーム理論では「プロセスとしての自己」といいますが、その自分を少し離れたところから観察する心の持ち方は、マインドフルネスと呼ばれています。』(注:この引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」) b) 加えて、同本の第三章 自分探しとマインドフルネス の「自分の心を他人事のように眺める」における記述の一部(P86)を次に引用(『 』内)します。 『つまり、マインドフルネス瞑想とは、自分の心の動きを他人事のように眺める練習を繰り返すことで、プロセスとしての自己を鍛える方法であるということを示していると考えられそうです。つまり、ブッダが二千六百年前の自分探しプロジェクトで目指したのは、概念としての自己(自分は○○だという思い、自己イメージ、永遠不滅の魂など)を手放し、プロセスとしての自己を強化することであったことが、現在の脳科学研究からも裏づけられているといえるのではないでしょうか。』 注:i) この引用中の「現在の脳科学研究からも裏づけられている」については、同本をお読み下さい。 iii) 引用中の「自分の心の動きを他人事のように眺める」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 iv) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vi) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

加えて、上記「心の扉を開ける」、「脱フュージョン」等について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンス 心の扉を開く の「心を開く」における記述の一部(P056~P059)、「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」における記述(P060~P061)及び「脱フュージョン 距離をおいて観察する」における記述の一部(P062~P065)を次に引用します。

「心を開く」

それぞれ説明していきますと、アクセプタンスというのは「心の扉を開く」といった感じです。でも、我々の心の扉は自動的に閉まります。皆さんも経験があると思いますが、嫌なことになるとピシッと目にも止まらぬ早さで心が閉じます。
私がこれに最初に気がついたのは、心療内科医になって5年ぐらいの頃です。当時、苦手な患者さんがいて、なかなかうまく一緒に治療ができませんでした。私のところに来ると怒り出すとか、泣き出すとか、非常に興奮して責められる。やはり、そういう患者さんが来られると、「また、あの患者さんだ。なんとか今日は無難にすませたい」と思ってしまうんですね。「無難に」って、なんですかね(笑)。「無難に」とは、心を閉じているわけです。もう感じない。なるべく早くお引き取りを願いたい。お引き取り願いたいときには、扉を閉めておいたほうが楽ですよね。扉を開けたら、もうなかなかお引き取りを願えなくなりますので、ピシッと閉じるわけです。
でも、ここでよく考えなくてはいけません。患者さんは私と話をしに来ているわけです。私に困ったことを相談したいし、何か聞きたいと思って来ているわけです。一緒に考えてほしい、助けてほしいと思っている人に対して心の扉を閉じたら、もうむちゃくちゃ失礼ですよね。そうすると患者さんは、「先生は私のことなんかどうでもいいから、そんなことしているんでしょう。開けなさい!」と当然、怒り始めます。
でも、私は何で怒られているのか5年ぐらいわかりませんでした。それが、ある時、ハッと気がついたんですね。「あっ、自分は患者さんの話を聞いていないんだ。そうしたら怒るのは当たり前だよな」と気がついて、その時に何が起こっているか自分の中を眺めてみました。
そうしたら、その患者さんが扉を開けて入って来るという瞬間に、私は心の扉をピシッと、もう一瞬で閉めていました。「あっ、こんなふうになっていたんだ。自分は何も聞かないで、早くお引き取りを願うようにしていたんだ」ということがわかりました。もちろん、それでは治療にはならないし、患者さんには本当に失礼なことをしているわけですし、そもそもプロとしての仕事をしてないことを痛感しました。それで、これからはちゃんと扉を開けておこうと思い、イメージの世界ですけど、ピシッと閉じようとする時に扉に手をかけて、グッと開けるわけです。怖いですよ。皆さんも苦手な人がいると思いますが、苦手な人と話をするときは、あっという間にガーツと心を閉じてしまいますから。

それからは心の扉を開けるように心がけました。そうすると、イメージの世界なので私の妄想だけかもしれませんが、開けていられるようになりました。すると、患者さんのほうも落ち着くようになって、普通に話してくださるようになりました。こちらの気持ちとしては、「なんでも言ってきてください。私はここにいます。怖いけどいますよ」と、そんな感じですね。(中略)

そうしたら、患者さんも最初は怒り始めますが、そのうち「先生、そこにいたんですか」って気づきます。そして、「ああ。先生も真剣に考えてくれているんですね。でも、答えが出ないわけですね。ああ、そうですよね」って言って帰っていかれる。それまでも、私がいい加減だったわけではないのですが、本気に考えてないので、患者さんは本当だったら教えてもらえることを教えくれていないのではないかと、当然感じていたわけです。そこで心を開くことで、私も考えているけどわからないということを、患者さんにも理解していただける。
そういうことを、しばらくしていたら、「先生も大変でしょうけど、頑張ってくださいね」と言って帰られるようになって、「うーん、そうだよな」と思った覚えがあります。そんな感じです。

「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」

このように体験の回避は、自動的に起こります。回避しようと思ってしているわけではありません。これが、とても大事なポイントです。我々の日常生活の中のさまざまな癖は、自動的に起こっています。これはオペラント学習と呼ばれる学習です。何か行動して結果としていいことが伴うと、その行動が繰り返されるように学習されてしまうのですね。これは動物でも成り立つ学習形式です。言葉を使わない学習なので、例えばペットの犬にトイレのしっけをすることもできます。トイレでちゃんとできたときは、うんと褒めてあげる。別の所でしたときは、すぐにパッと叱ってトイレに連れていく。そんなふうにすれば、トイレを覚えられます。これがオペラント学習です。オペラント学習は言葉が関係していないので、自覚していなくても学習されますし、自覚していなくても、それが出てくるんです。
体験の回避はオペラント学習が大部分なので、自覚していなくても自動的に起こります。この自動的に起こるのをどうするかが、マインドフルネスの大きな課題です。
生活の中で自動的に起こってしまっていることが、我々の日常生活を形づくっているのです。うまくいかないことを、無自覚に繰り返してしまっていることをどうするかが、マインドフルネスの大きな目標ということになります。
心をパッと開けることによって、ようやく現実との接触が始まるわけです。パッと開く、そうすると 「ああそうなんだ。こういうことだったんだ」とわかります。対人関係では、よくこういうのはありますね。胸襟を開いて話すとか、腹を割って話すとか。そうすると、「なんだ、そんなことを考えていたのか」と理解できるということです。

「脱フュージョン 距離をおいて観察する」

フュージョンは距離をおくわけです。心のモクモクの中に巻き込まれないで、少し距離をおいて観察をします。「今、自分は怒っているんだな」、「今、自分は怖がっているんだな」と距離をおいて、それに巻き込まれない。
資料の図(図6)を見てください。心、感受、身体、外界と書いてありますが、この感受というのは六根で感じ取った直後の心の働きのことです。仏教では五感に思考も含めたものを六根と呼びますが、この思考は自動思考といわれるものです。
我々はフッとした瞬間に、いろいろなことを思いつきますね。向こうから苦手な人が来たら、「あっ、嫌な奴が来たな」と思う。それが自動思考です。そういったものも含めて外界を感じ取ります。
そこで、「あっ、いいな」といった感じが出るか、「あっ、嫌だ」といった感じが起こるか、それとも「どうでもいいや」といった感じか。この好きか、嫌いか、どうでもいいかという三つの感覚が、外界を捉えた途端に起こっていると考えられていて、それが感受というわけです。
たぶん自動思考は自分の私的な環境内の出来事を捉えているのでしょう。そのように環境内の出来事を捉えたときに、フッと動くものまで含めて感受としています。
我々は身体があって、身体の外には外界に広がっています。でも、先ほど話したように、思考や感情の中に巻き込まれていると外界が見えなくなりますので、「ちょっと、外に出ましょうよ」ということですね。これが脱フュージョンといわれる方法です。
例えば反すうとか心配をしているときに、「それって、事実じゃないかも」と気がつくようにしてみる。あるいは、「……と考えた」と付けてみてください。例えば「もう地下鉄なんて5年も乗ってないから、乗れるわけないじゃん……と考えた」と付けてみたりですね、「だって、この前に乗ったときは、ひどい目にあったじゃないか。あんなのは、もう耐えられない……と考えた」と付けてみる。このように「……と考えた、……と考えた」とやっていくうちに、「そうか、これは俺が考えていることだけど、確かに現実はちょっと違うかもしれないな」と思えるようになったら、もうしめたものです。
これを3分間、「……と考えた」とやるのはかなり大変ですよ。3分間まじめにやったら、もう本当に嫌になります。「俺って本当に失敗ぽっかりだよな……と考えた。何やっても、みんな認めてくれないし……と考えた。誰も俺に声をかけてくれないし……と考えた」とやっていると、そのうち嫌になりますよね。そうして「考えているのなら、別の考え方だってできるし、現実は違うかもしれない」と思えてきたら、とりあえず距離をおけたということになります。
これは、自分を、観察者として見ている自分と、観察される側の心や体に区別する練習でもあります。とりあえず、自分の中を二つに分けてみます。この「とりあえず」というのを忘れないでください。これは、とりあえず「見ている自分」と「見られている自分」の二つに、自分を分けてみるとわかりやすいですよ、ということです。
怒っている自分、あるいは何かを一生懸命に考えている自分。これは、見られるほうの自分です。それに対して、自分が怒っていることや、考えていることに気づいている自分、これは見ている自分です。この「見ている自分」と「見られる自分」に分けることができるというのが、脱フュージョンの基本です。

注:i) 引用中の「図6」の引用は省略します。 ii) 引用中の「オペラント学習」については、次の資料を参照して下さい。 「オペラント学習と行動療法」 ちなみに、シックハウス症候群における「オペラント学習」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「五感」は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を指します。 iv) 引用中の「自動思考」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vii) 引用中の「反すうとか心配」に関連する「問題解決方略としての心配,反すう」については次の資料を参照して下さい。 『認知療法,マインドフルネス,原始仏教:「思考」という諸刃の剣を賢く操るために』の「3.4 問題解決方略としての心配,反すう」項 viii) 引用中の「距離をおいて観察する」に関連する「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」について、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第三章 自分探しとマインドフルネス の『「することモード」から「あることモード」へ』における記述(P92~P94)を次に引用します。

「することモード」から「あることモード」へ

もう一つのポイントとして、ティーズデールらが挙げているのが″「することモード」から「あることモード」への切り替え″です。われわれは目が覚めた状態で何か活動している時には、いつもある目標を達成するための行動に駆り立てられています。例えば、今私はなるべく早くこの原稿を書き上げようと一所懸命頑張っている、つまり「することモード」で活動しているわけです。
もちろん、そのこと自体は必要なことですが、目標を達成することだけで頭がいっぱいになってしまうと、自分の心の動きを距離を取って眺めることはできなくなります。そうなるとわれわれは、自分の中の強い感情状態(欲・怒り・迷い)に振り回されることになりがちです。つまり、この仕事ができなければ自分には価値がない、あいつに負けたら自分はもうやっていけない、この会社で出世できなければ自分は終わりだ、などと本気で思ってしまうことになるのです。これは上記のような感情状態と自分とを同一視している状態と言ってよいでしょう。
これまでの研究からも、特にうつ病の人は、自分が成し遂げたもの=自分の価値、と考えがちであることが知られています。そうなると、ちょっとうつ状態が強くなり、その分仕事の能率が少し落ちただけでも、「やっぱり俺はダメだ」と考えてしまいそうですね。そしてそう考えた結果また気分が落ち込むので、さらに仕事の能率が落ちるという悪循環に容易に入ってしまうことになります。
そこで、少し走り続けるのをやめて、自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している、マインドフルネスの状態(=「あることモード」)になってみましょうと提案されるのです。
つまり、「われわれは本来、何も握り締めていない、誰とも戦っていない、どこにも向かっていない……ということを思い出してみる(31)」のです。
それでも自分(=プロセスとしての自分)はここにいますし、むしろ平安な気持ちでいられることに気づくことも少なくありません。その理由は、「あることモード」が、先に挙げた欲・怒り・迷いから離れた心の状態であるからです。

注:i) 引用中の文献番号「(31)」は次の本です。 「熊野宏昭『ストレスに負けない生活』、ちくま新書、二〇〇七年」 ii) 引用中の「することモード」及び「あることモード」については、共にここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「マインドフルな“モード”について」項 加えて、引用中の『「することモード」から「あることモード」へ』に関連する「マインドフルネスはいわば心のギアを〈doing〉モード(することモード)から〈being〉モード(あることモード)にシフトすること」については、次の資料を参照して下さい。 『「日本のマインドフルネス」へ向かって』の「4.1.マインドフルネスの二つの要素」項 さらに、この引用と同様に「あることモード」の別名である「beingモード」とマインドフルな状態との関連について、編者、監訳者及び訳者は※※を参照の本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の第8章 マインドフルネス・ACTとスキーマ療法の統合 の「はじめに」における記述の一部(P190)を次に引用(『 』内)します。 『doingモードとは対照的に,マインドフルな状態では,私たちは自分自身を「一貫して存在する内的な観察者」として体験する。観察者としての自分は,私たちの意識の内容やその変化に影響を受けない。Segalらはこれを「beingモード」と呼んだ。』(注: a) この引用部の著者はエッカード・ローディガーです。 b) 引用中の「doingモード」は、上記「することモード」の別名です。 c) 引用中の「観察者としての自分」の別名である「観察者としての自己」については、リンク集[用語:「観察する(観察者としての)自己」]を参照して下さい。) iii) 引用中の「プロセスとしての自分」に関連する「プロセスとしての自己」については、リンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 v) 引用中のマインドフルネスの状態である「あることモード」に関連するかもしれない「無心(第二の心)のマインドフルネス」については、次の資料を参照して下さい。 「無心(no mind)とマインドフルネス(mindfulness)」の【無心のマインドフルネス】項(注:「無心のマインドフルネス」に関連して、判断・評価や好き嫌いを避けられない、「シンキング・マインド」[thinking mind*15)[又は「日常の心」や「見聞覚知の主体」*16]を手放したマインドフルネス[又はヴィパッサナー]瞑想があります。) vi) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 vii) 引用中の「あることモード」に関連するかもしれない「考えるのではなく、感じ、体の感覚を受け止め受容する」について、長谷川洋介、貝谷明日香著の本、「知識ゼロからのマインドフルネス 心のトレーニング」(2015年発行)の PART1 「今、ここ、私」で不安や怒りをなくす の『「「わかろう、できよう」としない。つづけることで体が理解する』における記述の一部(P26)を次に引用します。

●感じたことを評価せず、やさしい心で受け止める

「マインドフルネス」の効果を得るのに大事なのは、頭を使って考えないことです。瞑想は頭ではなく、体を使います。「わかろう、できよう」と身構えると頭が働き「どうして感じたのか」「どのくらいできたのか」と、分析や評価がはじまります。
考えるのではなく、感じます。体の感覚を受け止め受容します。子どもを抱きしめる母親のように、自分の感覚をそのまままるごとやさしく受け取るのです。
最初は大きな感覚から受け止め、その感覚をより注意深く観察していきます。まるで自分の小さな分身「観察する自分」が、感覚が生じているあちこちに出かけて、虫眼鏡でその感覚を見つめるように、ていねいに観察します。
すると、それまで気づかなかった微細な変化を感じ取れるようになります。その微細な変化を観察し味わいます。集中力が高まり、観察する自分とされる自分が一体化していくと、その先にマインドフルな状態がおとずれます。(後略)

注:i) 標記「考えるのではなく、感じ、体の感覚を受け止め受容する」に関連する「身体の感覚を感じることとシンキングは水と油の関係」については、山下良道著の本、「光の中のマインドフルネス 悲しみの存在しない場所へ」(2018年発行)の 第5章 人生に革命を起こそう の「いったんは身体に戻る」における記述の一部(P101)を次に引用(『 』内)します。 『身体の感覚を感じることとシンキングは水と油の関係なので、身体に注目することでアタマを占めている思い(シンキング)を手放すことができるからです。』 ii) 引用中の「観察する自分」に相当する「観察する自己」についてはリンク集(用語:「観察する(観察者としての)自己」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「頭」に関連する「シンキング・マインド」についてはここを参照して下さい。

〔o〕マインドフルネスに関連する論文紹介
以下に複数の標記論文要旨の引用をします。論文には MCS 及び医学的に説明できない症状関連のものも含まれます。

Mindfulness-Based Stress Reduction for Posttraumatic Stress Disorder Among Veterans: A Randomized Clinical Trial.[拙訳]退役軍人のPTSDに対するマインドフルネスストレス低減法:ランダム化臨床試験

IMPORTANCE:
Mindfulness-based interventions may be acceptable to veterans who have poor adherence to existing evidence-based treatments for posttraumatic stress disorder (PTSD).

OBJECTIVE:
To compare mindfulness-based stress reduction with present-centered group therapy for treatment of PTSD.

DESIGN, SETTING, AND PARTICIPANTS:
Randomized clinical trial of 116 veterans with PTSD recruited at the Minneapolis Veterans Affairs Medical Center from March 2012 to December 2013. Outcomes were assessed before, during, and after treatment and at 2-month follow-up. Data collection was completed on April 22, 2014.

INTERVENTIONS:
Participants were randomly assigned to receive mindfulness-based stress reduction therapy (n = 58), consisting of 9 sessions (8 weekly 2.5-hour group sessions and a daylong retreat) focused on teaching patients to attend to the present moment in a nonjudgmental, accepting manner; or present-centered group therapy (n = 58), an active-control condition consisting of 9 weekly 1.5-hour group sessions focused on current life problems.

MAIN OUTCOMES AND MEASURES:
The primary outcome, change in PTSD symptom severity over time, was assessed using the PTSD Checklist (range, 17-85; higher scores indicate greater severity; reduction of 10 or more considered a minimal clinically important difference) at baseline and weeks 3, 6, 9, and 17. Secondary outcomes included PTSD diagnosis and symptom severity assessed by independent evaluators using the Clinician-Administered PTSD Scale along with improvements in depressive symptoms, quality of life, and mindfulness.

RESULTS:
Participants in the mindfulness-based stress reduction group demonstrated greater improvement in self-reported PTSD symptom severity during treatment (change in mean PTSD Checklist scores from 63.6 to 55.7 vs 58.8 to 55.8 with present-centered group therapy; between-group difference, 4.95; 95% CI, 1.92-7.99; P=.002) and at 2-month follow-up (change in mean scores from 63.6 to 54.4 vs 58.8 to 56.0, respectively; difference, 6.44; 95% CI, 3.34-9.53, P < .001). Although participants in the mindfulness-based stress reduction group were more likely to show clinically significant improvement in self-reported PTSD symptom severity (48.9% vs 28.1% with present-centered group therapy; difference, 20.9%; 95% CI, 2.2%-39.5%; P = .03) at 2-month follow-up, they were no more likely to have loss of PTSD diagnosis (53.3% vs 47.3%, respectively; difference, 6.0%; 95% CI, -14.1% to 26.2%; P = .55).

CONCLUSIONS AND RELEVANCE:
Among veterans with PTSD, mindfulness-based stress reduction therapy, compared with present-centered group therapy, resulted in a greater decrease in PTSD symptom severity. However, the magnitude of the average improvement suggests a modest effect.


[拙訳]
重要性:
心的外傷後ストレス障害PTSD)のための既存のエビデンスに基づいた治療法に対する乏しいアドヒアランスを有する退役軍人には、マインドフルネスに基づいた介入は許容可能かもしれない。

目的:
PTSD の治療のためのマインドフルネスストレス低減法と present-centered group therapy を比較する。

デザイン、セッティング及び被験者:
Minneapolis Veterans Affairs メディカル・センターで、2012年3月から2013年12月まで、PTSD を伴った退役軍人を募集した、116人のランダム化臨床試験。アウトカムは治療前、治療中、治療後、そして、2 ヵ月後のフォローアップ時に評価された。データの収集は2014年4月22日に完了した。

介入:
被験者はランダムに 9 セッション (毎週それぞれ 2.5 時間の 8 グループセッション及び 1 日のリトリート)で構成される今の瞬間に非判断、アクセプタンスの方法で注意を払うことに焦点を合わせたマインドフルネスストレス低減法(n = 58)、又は現在の生活上の問題に焦点を合わせた、毎週それぞれ 1.5 時間の 9 グループセッションで構成される active-control condition の present-centered group therapy (n = 58) に割り当てられた。

主なアウトカムと測定:
PTSD 症状の重症度の経時変化の主要アウトカムは、ベースライン、3、6、9 及び 12 週での PTSD のチェックリスト(範囲は 17-85;高いスコアは大きな重症度を示す;10 以上の減少は最小限度の臨床的に重要な差と考えられた)を使用して評価された。うつ症状、生活の質及びマインドフルネスにおける改善と併せて、 Clinician-Administered PTSD Scale を使用した独立した評価者による PTSD 診断及び症状の重症度を第二のアウトカムは含んだ。

結果:
マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は自己申告の PTSD 症状の重症度において、治療中(平均 PTSD チェックリストのスコアにおける変化 63.6 から 55.7 に対し present-centered group therapy 58.8 から 55.8 ;グループ間の差 4.95; 95%信頼区間 1.92~7.99;P = .002 [訳注:以下の ( )内は、比較のためにマインドフルネスストレス低減法のグループと present-centered group therapy のグループにおける数値をそれぞれ示します。両者の区切りは vs です。]及び 2 ヵ月後のフォローアップ時 (平均スコアにおける変化 63.6 から 54.4 vs 58.8 から 56.0 ;グループ間の差 6.44; 95%信頼区間 3.34~9.53;P < .001)においてより大きな改善を実証した。マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は、2 ヵ月後のフォローアップ時の自己申告の PTSD 症状の重症度において、より臨床的に有意な改善を示しがちであった(48.9% vs 28.1% ;差 20.9%; 95%信頼区間 2.2%~39.5%; P = .03)が、彼らはもはや PTSD の診断を有意に消失することはなかった(53.3% vs 47.3% ;差 6.0%; 95%信頼区間 -14.1%~26.2%; P = .55)。

結論と関連性:
PTSD を伴う退役軍人において、マインドフルネスストレス低減法は present-centered group therapy と比較して、PTSD 症状の重症度のより大きな減少をもたらした。しかし、平均的な改善の大きさから、あまり多くない効果であることを示唆する。

注:i) 引用中の「present-centered group therapy」に関連する「present-centered therapy」についてのコクランレビューについては次の論文(全文)を参照して下さい。 「Present‐centered therapy (PCT) for post‐traumatic stress disorder (PTSD) in adults」(特に「Description of the intervention」項。ただし、この論文の拙訳はありません) ii) 引用中の「アドヒアランス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「アドヒアランス」 iii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。 iv) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 v) この論文を紹介するWEBページ(英語)の例は次に示します。「Mindfulness Therapy Helps Vets Deal With PTSD」 加えて、本によるこの論文の紹介として、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の貝谷久宜、長谷川洋介、長谷川明日香、小松智賀、兼子唯、巣山晴菜著の文書「うつ病・不安症とマインドフルネス」の 不安症におけるマインドフルネス の「(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する効果」における記述の一部(P185~P186)を以下に引用します。 vi) マインドフルネスストレス低減法の翻訳書の例は次に示します。 『J. カバットジン著、春木豊訳の本、「マインドフルネスストレス低減法」(2007年発行)』

(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害PTSD)に対する効果(中略)

PTSD に対する MBSR の RCT が最近報告された(Polusny et al. 2015)。それによると、PTSD を持つ退役軍人 116 名のうち 58 名が MBSR に、残りの 58 名が生活上の問題点を話し合うグループ治療に振り分けられた。MBSR では 9 週間で 1 回 2.5 時間の 8 セッションと 1 日のリトリートが課せられ、後者では毎週 1 回 1.5 時間のグループセッションが 9 週間行われた。PTSD チェックリストの変化は、MBSR 群では 63.6→55.7、対照群では 58.8→55.8 で、群差 d=4.95、p=0.002 であった。治療終了 2 ヵ月後では、MBSR 群では 63.6→54.4、対照群では 58.8→56.0 で、群差 d=6.44、p<0.001 とさらに効果が出ていた。自己申告症状の改善率の群差はさらに著明で、治療終了直後では 48.9% vs 28.1%、2 ヵ月後 53.3% vs 47.3% であった。総合的評価として PTSD における MBSR の効果は限定的とされた。

注:i) 引用中の「(Polusny et al. 2015)」は論文です。 ii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。

A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.[拙訳]MCS(多種化学物質過敏状態)、慢性疲労症候群及び線維筋痛症を伴う女性におけるマインドフルネスストレス低減法の効果の対照研究

BACKGROUND:
The objective of this study was to examine the effect of a mindfulness-based stress reduction (MBSR) program on women diagnosed with conditions such as multiple chemical sensitivity (MCS), chronic fatigue syndrome (CFS), and fibromyalgia (FM).

METHODS:
The intervention group underwent a 10-week MBSR program. Symptoms Checklist Inventory (SCL-90R) was used as outcome measure and was administered before the start of the program (pre-), immediately upon completion (post-) and at three-month follow-up. Women on the wait list to receive treatment at the Nova Scotia Environmental Health Centre were used as control subjects for the study.

(中略)

CONCLUSIONS:
The study showed the importance of complementary interventions such as MBSR techniques in the reduction of psychological distress in women with chronic conditions.


[拙訳]
背景:本研究の目的は、MCS、慢性疲労症候群線維筋痛症の状態と診断された女性に対し、マインドフルネスストレス低減(MBSR)プログラムの効果を調査することであった。

方法:介入群では10週間の MBSR プログラムを施行した。症状チェックリストインベントリ(SCL-90R)はアウトカム評価項目として使用され、プログラム開始前、プログラム終了直後及び三か月フォローアップで評価が行われた。ノバスコシア州環境保健センターで治療を受けるための待機リスト上の女性を研究のための対照被験者とした。

結論:この研究では、慢性疾患の状態を伴う女性の心理的苦痛の減少において、MBSR のような補完的な介入の重要性を示した。

注:i) 引用は論文要旨の一部の引用が省略されています。省略した部分は標記リンクで一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「線維筋痛症」については、例えば次のガイドラインを参照して下さい。 「線維筋痛症診療ガイドライン 2013

Mindfulness-based cognitive therapy for patients with medically unexplained symptoms: a randomized controlled trial.[拙訳]医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
Patients with medically unexplained symptoms make heavy demands on the health care system. An offer for psychological treatment is often declined. There is a need for acceptable and effective treatments. We assessed the acceptability and effectiveness of mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for patients with persistent medically unexplained symptoms.

METHOD:
A randomized controlled trial comparing MBCT (n = 64) to enhanced usual care (EUC; n = 61). Participants were the 10% most frequently attending patients in primary care. The primary outcome measure was general health status at the end of treatment. Secondary outcome measures were mental and physical functioning. Assessments took place at the end of treatment and at the 9-month follow-up.

RESULTS:
Health status and physical functioning did not significantly differ between groups. However, participants in the MBCT group reported a significantly greater improvement in mental functioning at the end of treatment (adjusted mean difference, 3.9; 95% CI, 0.24-7.6), in particular with regard to vitality and social functioning. In addition, at 9 months of follow-up, the mindfulness skills 'observing' and 'describing' were significantly higher in the MBCT group. Within the MBCT group, almost half of the outcome measures had significantly improved at the end of treatment, whereas in the EUC group none had.

CONCLUSIONS:
MBCT was feasible for frequently attending patients with persistent medically unexplained symptoms in primary care. Although MBCT did not lead to a significant difference in general health status between the two groups, it did result in a significant improvement in mental functioning.


[拙訳]
背景:
医学的に説明できない症状を伴う患者は、ヘルスケアシステムに大きな需要をもたらす。心理的治療のオファーはしばしば拒否される。受容可能で効果的な治療が必要である。我々は、医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法(MBCT)の受容性及び有効性を評価した。

方法:
MBCT(n = 64)と強化された通常のケア(enhanced usual care、EUC; n = 61)を比較するランダム化比較試験。参加者は、プライマリケアにおいて10%の最も頻繁に受診した患者であった。主要アウトカム指標は、治療終了時の一般的な健康状態であった。二次アウトカム指標は精神的及び身体的機能であった。評価は治療終了時及び9ヶ月のフォローアップ時に行われた。

結果:
健康状態及び身体的機能は、グループ間で有意に異ならなかった。しかしながら、MBCT グループにおける参加者は、特に活力や社会的機能に関して、治療終了時の精神機能の有意な改善(調整平均差、3.9; 95% CI、0.24-7.6)を報告した。さらに、9ヶ月後のフォローアップ時に、MBCT グループにおいて、「観察する」および「描写する」というマインドフルネススキルが有意に高かった。 MBCT グループ内では、治療終了時にはアウトカム指標のほぼ半分が有意に改善されたが、これに対し、EUC グループではいずれも改善されなかった。

結論:
プライマリケアにおいて医学的に説明できない症状の持続を伴う頻繁に受診した患者にとって、MBCT は実行可能であった。2つのグループ間での一般的な健康状態において、MBCT は有意差をもたらさなかったが、精神機能の有意な改善をもたらした。

注:i) 引用中の「n = 64」及び「n = 61」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「医学的に説明できない症状」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 iii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 iv) 引用中の「マインドフルネス認知療法」については、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法

Effect of mindfulness training on asthma quality of life and lung function: a randomised controlled trial.[拙訳]マインドフルネストレーニングが喘息の生活の質及び肺機能に及ぼす効果:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
This study evaluated the efficacy of a mindfulness training programme (mindfulness-based stress reduction (MBSR)) in improving asthma-related quality of life and lung function in patients with asthma.

METHODS:
A randomised controlled trial compared an 8-week MBSR group-based programme (n=42) with an educational control programme (n=41) in adults with mild, moderate or severe persistent asthma recruited at a university hospital outpatient primary care and pulmonary care clinic. Primary outcomes were quality of life (Asthma Quality of Life Questionnaire) and lung function (change from baseline in 2-week average morning peak expiratory flow (PEF)). Secondary outcomes were asthma control assessed by 2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute guidelines, and stress (Perceived Stress Scale (PSS)). Follow-up assessments were conducted at 10 weeks, 6 and 12 months.

RESULTS:
At 12 months MBSR resulted in clinically significant improvements from baseline in quality of life (differential change in Asthma Quality of Life Questionnaire score for MBSR vs control: 0.66 (95% CI 0.30 to 1.03; p<0.001)) but not in lung function (morning PEF, PEF variability and forced expiratory volume in 1 s). MBSR also resulted in clinically significant improvements in perceived stress (differential change in PSS score for MBSR vs control: -4.5 (95% CI -7.1 to -1.9; p=0.001)). There was no significant difference (p=0.301) in percentage of patients in MBSR with well controlled asthma (7.3% at baseline to 19.4%) compared with the control condition (7.5% at baseline to 7.9%).

CONCLUSIONS:
MBSR produced lasting and clinically significant improvements in asthma-related quality of life and stress in patients with persistent asthma, without improvements in lung function.


[拙訳]
背景:
喘息を伴う患者の喘息関連の生活の質及び肺機能の改善におけるマインドフルネス・トレーニングプログラム(マインドフルネス・ストレス低減法 (MBSR))の有効性を本研究は評価した。

方法:
大学病院の患者のプライマリケア及び肺ケアの外来で募集した軽度、中等度又は重度の持続性喘息伴う成人において、8週間の MBSR グループベースのプログラム(n = 42)と対照としての教育プログラム(n = 41)をランダム化比較試験で比較した。主なアウトカムは、生活の質(喘息の生活の質アンケート)と肺機能(2週間の平均した朝のピークフロー(PEF、最大呼気速度)におけるベースラインからの変化)であった。副次アウトカムは、2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute ガイドライン、そしてストレス(知覚されたストレス尺度(PSS))により評価された喘息のコントロールであった。フォローアップ評価は、10週間、6及び12ヵ月後に実施した。

結果:
12ヵ月の MBSR は、生活の質におけるベースラインから臨床的に有意な改善をもたらした(喘息の生活の質アンケートのスコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:0.66(95%信頼区間 0.30~1.03; p <0.001))が、肺機能においては改善をもたらさなかった(朝の PEF、PEF の変動性及び1秒量)。MBSR はまた、知覚されたストレスにおいても臨床的に有意な改善をもたらした(PSS スコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:-4.5(95%信頼区間 -7.1~-1.9; p = 0.001))。MBSR における良く管理された喘息患者の割合(ベースライン時の 7.3% から 19.4%)は、対照(ベースライン時の 7.5% から 7.9%)と比較して有意差はなかった(p=0.301)。

結論:
肺機能における改善なしに、持続性喘息を伴う患者での喘息関連の生活の質及びストレスにおける持続的かつ臨床的に有意な改善を MBSR は引き起こした。

注:i) 要旨中の「CLINICAL TRIAL REGISTRATION NUMBER」の引用は省略しています。一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「n = 42」及び「n = 41」は共に人数を示します。 iii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 iv) 引用中の「1秒量」は、努力性肺活量のうちの最初の1秒間に吐き出された空気の量を指すようです。 v) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「知覚されたストレス尺度」については、次の資料を参照して下さい。 「知覚されたストレス尺度(Perceived Stress Scale) 日本語版における信頼性と妥当性の検討

8-week Mindfulness Based Stress Reduction induces brain changes similar to traditional long-term meditation practice - A systematic review.[拙訳]8週間のマインドフルネスストレス低減法が伝統的な長期間の瞑想実践に類似した脳の変化を引き起こす-システマティックレビュー

The objective of the current study was to systematically review the evidence of the effect of secular mindfulness techniques on function and structure of the brain. Based on areas known from traditional meditation neuroimaging results, we aimed to explore a neuronal explanation of the stress-reducing effects of the 8-week Mindfulness Based Stress Reduction (MBSR) and Mindfulness Based Cognitive Therapy (MBCT) program.

METHODS:
We assessed the effect of MBSR and MBCT (N=11, all MBSR), components of the programs (N=15), and dispositional mindfulness (N=4) on brain function and/or structure as assessed by (functional) magnetic resonance imaging. 21 fMRI studies and seven MRI studies were included (two studies performed both).

RESULTS:
The prefrontal cortex, the cingulate cortex, the insula and the hippocampus showed increased activity, connectivity and volume in stressed, anxious and healthy participants. Additionally, the amygdala showed decreased functional activity, improved functional connectivity with the prefrontal cortex, and earlier deactivation after exposure to emotional stimuli.

CONCLUSION:
Demonstrable functional and structural changes in the prefrontal cortex, cingulate cortex, insula and hippocampus are similar to changes described in studies on traditional meditation practice. In addition, MBSR led to changes in the amygdala consistent with improved emotion regulation. These findings indicate that MBSR-induced emotional and behavioral changes are related to functional and structural changes in the brain.


[拙訳]
本研究の目的は、非宗教的なマインドフルネステクニックの脳の機能と構造への効果のエビデンスをシステマティックにレビューすることであった。伝統的な瞑想の神経画像法の結果から知られている領域に基づいて、我々は、8週間のマインドフルネスストレス低減法(MBSR)及びマインドフルネス認知療法(MBCT)プログラムのストレス軽減効果の神経的な説明の探求を目的とした。

方法:
我々は、(機能的)磁気共鳴画像法により、MBSR、MBCT(N=11, 全て MBSR)、プログラムの要素(N=15)、そしてマインドフルネス傾向(N=4)が脳の機能及び/又は構造に与える効果を我々は評価した。21の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)研究及び 7つの磁気共鳴画像法(MRI)研究が含まれた(2つの研究が共に実施された)。

結果:
ストレスがたまった、不安な及び健康な被験者において前頭前皮質帯状皮質、島及び海馬では活動度、結合及び体積の増加が示された。さらに、扁桃体は機能活動の減少、前頭前皮質との結合の改善及び情動刺激への曝露後の早期の失活を示した。

結論:
実証可能な前頭前皮質帯状皮質、島及び海馬における機能的及び構造的変化は、伝統的な瞑想の実践に関する研究において記述された変化と類似する。さらに、MBSR は情動調節の改善と一致して扁桃体における変化をもたらした。これらの知見は、MBSR に引き起こされた情動及び行動の変化が脳における機能的及び構造的な変化に関連することを示す。

注:i) 引用中の「N=11」、「N=15」及び「N=4」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」及び「ボクセル」については、例えば次の資料を参照して下さい。「機能的磁気共鳴機能画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iii) 引用中の「MRI」については、次の資料を参照して下さい。 「MRIの基礎」 iv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「帯状皮質」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「海馬」と「扁桃体」が含まれる大脳辺縁系については、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 viii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

〔p〕慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察について
最初に痛みの定義についてはここを参照して下さい。加えて、標記について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の「実際の臨床的経験からの考察」における記述(P230~P233)を以下に引用します。

実際の臨床的経験からの考察

(1)慢性疼痛重症例に認められる認知行動特性
慢性疼痛患者に対するマインドフルネスの有用性は臨床的にも実感するところではあるが、症例によっては、とくに重症例ではその適用に難しさを感じることも少なくない。重症の慢性疼痛患者のなかには痛みの緩和を求めて、数十件におよぶ医療機関や民間の治療院などを渡り歩き、通常考えられる治療をすべて受けてきたが効果がなかったという患者も稀ではない。そのような難治性で高度の痛みや生活機能障害を伴う慢性疼痛の代表的な例として、原因不明の全身痛を主訴とする線維筋痛症などがある。このような重症例にマインドフルネスに基づくアプローチを用いようとする際、それを難しくするいくつかの特徴的な特性にしばしば遭遇する。それらのいくつかについて述べてみたい。
まずはじめに、線維筋痛症患者など慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある(村上ほか 2014)。曖昧さ、不完全・不確定なことに耐えられず、結論や解決を保留したり、しばらく流れに身を任せたりということが非常に苦手である。仕事や家事などに対しても疲れを押して徹底的に行う傾向がある。このような傾向が非常に強い人々が”原因を特定することができない、すぐに解決しない慢性の痛み”を有した場合、「なぜよくならないのか?」、「何かもっといい方法があるのでは?」、「努力が足りないのでは?」と徹底的に追求し始める。しかし、それら問題は即時的に解決しないので、さらなる解決への追求を続けることになる。その悪循環のなかで、焦り、苛立ち、落ち込み、破局的思考などを募らせ、心身ともに緊張・疲弊し、それらが痛みへ悪影響をおよぼし続ける。また、解決の努力として過剰なリハビリや服薬、処置に走り、かえって身体的状況を悪化させたり、ドクターショップを繰り返し、医療との関係を悪化させたりしていることも少なくない。いわゆる「問題解決の努力が、問題を生み出している」状態となり、抜け出せないパラドックスに陥ってしまう。
このような例には、マインドフルネスで育まれる「物事に対してあわてて反応しない在り様」が問題解決の努力を保留するために非常に重要になってくる。しかし、マインドフルネス導入初期に困難な時期が訪れる。まず、瞑想中に「この取り組みは何の意味があるのか?」、「痛みとどう関係するのか?」など、意味づけや正解、結果の予想について突き詰め始めることが非常に多い。それをすればするほど、心はさまよい、焦点を当てている呼吸や身体感覚に注意が戻らなくなる。それを訓練の「失敗」と即座に意味づけし、今度は「なぜうまくいかないのか?」「この取り組みは自分に本当にふさわしいのか?」「こんなことで痛みがよくなるのか?」などの答えを探し始め、焦り、苛立ち、瞑想の取り組みに対する嫌悪感を募らせていく。その結果、「これは自分には合わない」と早々に結論づけ、瞑想の取り組みを中断してしまうことも少なくない。こういう例に、「考えていることを気づいた時点で、考え続けるのをやめ、そのまま放っておく」ように促すと、「強い不全感のようなものを感じて耐えられない」、「そんな曖味なことをしたら後で大変なことになる」、「いい加減な人間になってしまう」という趣旨の背後にある信念や思い込みを語られることも少なくない。このような例にマインドフルネス瞑想の継続を促すのはかなりの配慮と粘り強さが必要である。しかし、何とか継続することができれば、やがて「問題解決や答え探しをいったん保留しておく」ということが次第にできるようになり、それまでの悪循環から抜け出し、心身の疲弊が緩和されていく。

(2)失感情症・失体感症傾向への対応
次にあげられる特徴として、治療抵抗性で重症の慢性疼痛患者は、自身の内的体験、とくに感情や身体感覚に注意が向かず、それを観察・描写することに困難さを抱えていることが少なくない。心身医学の領域では失感情症・失体感症と呼ばれている特性で、苦痛を伴う記憶や感情、それに伴う身体感覚を体験することを回避するために、それらを「抑圧」する心理機制が働いている状態である。このような特性をもつ背景には過酷な生活史のなかで、さまざまな苦境を自身のつらい内的体験を抑圧することで乗り切って生きたという背景があることが多い。
これまでの研究では、失感情症は慢性疼痛や精神医学的な問題の増悪に関連していることが示唆されている(Shibata et al. 2014)。患者が本来抱えている怒りや罪悪感、劣等感、悲しみ、孤独感などつらい感情が意識化されないため、それを引き起こしている状況を解消するための対処行動を起こすことができず、長期的にその感情に苦しめられることになる。しかし、自身はそれらの感情を意識化できないため、何が苦しいのかが理解できず、痛みなどの身体症状の増悪という形でのみ自覚されることも多い。このようなプロセスが治療抵抗性の慢性疼痛の経過に関与していることは臨床的にはしばしば経験される。
このような患者にマインドフルネス瞑想を実施すると、当初は「今体験している身体感覚、思考、感情に意図的に気づく」ということがどういうことなのかを理解してもらうことが難しいことが多い。しかし、気づくということを体験的に理解し始めると、それとともに徐々に抑圧していた苦痛を伴う記憶や感情、思考、身体感覚の存在にも気づき始める。それらには、虐待やいじめ、犯罪被害などの外傷的な記憶、未解決な家族間の葛藤、現在進行中の対人関係や生活上の問題などに関するつらい感情やイメージ、思考、身体感覚などさまざまなものがある。それらによりはっきり気づくようになると、非常に強い苦痛、混乱を引き起こし、強い拒絶感により瞑想の継続が困難になることがある。パニックなどのあまりに強い反応を起こす例や動機づけの低い例は、瞑想のワークの継続が難しくなるため、実践時間やメニューの調整はもとより、ときには休止も必要になる。この時期には、痛みや感情的苦痛はむしろ増悪することが多い。これらの時期を乗り越えるにはやはりマインドフルネスの取り組みで育まれる体験への気づきや脱中心化、アクセプタンスが重要になる。このような例では、マインドフルネスの取り組みは、心的外傷や人生の未処理の問題の解消、傷ついた自尊心の回復などが中心的なテーマになり、痛みの治療は副次的なものという様相を呈すことも多い。

(3)取り組み困難例へのオーダーメイドの対応
治療抵抗性で高度の痛みや機能障害を呈する慢性疼痛患者は、ある意味、マインドフルな生き方と反対の生き方をしているように思えることが多い。その分、それらの患者にとってはマインドフルネスを体験的に理解することは難しい作業になる。ある意味、最もマインドフルネスを必要としている一群が、最もマインドフルネスの発展への取り組みが困難な一群といえるかもしれない。このような患者群においては MBSR などの構造化されたプログラムの範囲内では十分な対応が難しいかもしれない。そのエッセンスは残しながらも、個々の患者によって治療構造や時間や内容の調整などオーダーメイドの対応が必要になると思われる。

注:(i) 引用中の「村上ほか 2014」は次の資料です。 「線維筋痛症と精神疾患の comorbidity について」 (ii) 引用中の「Shibata et al. 2014」はここで紹介された久山町研究の論文です。 (iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。加えて上記「マインドフルネス」に関連する、 a) 「治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法の試み」については次の資料を参照して下さい。 「治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法の試み」 b) 「マインドフルネスが慢性疼痛治療に有効なこと」については次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の F.心理的アプローチ の「CQ F-4:マインドフルネスは慢性疼痛治療に有効か?」項(P118~P119) c) 内受容感覚の視点を交えた「慢性疼痛患者へのマインドフルネスアプローチの事例」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛患者へのマインドフルネスアプローチの事例 ―内受容感覚の視点を交えて―」 (iv) 引用中の「失感情症・失体感症」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「脱中心化」(又はディスタンシング[距離をとること])についてはここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「心理療法におけるマインドフルネスの定義」項 (vi) 引用中の「アクセプタンス」(又は受容)についてはここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「心的外傷」に相当する「トラウマ」については、リンク集を参照して下さい。加えて上記「トラウマ」に関係する「小児期の逆境体験」(adverse experiences during childhood)と慢性疼痛(chronic pain)との関連を示すかもしれない次の論文(全文)もあります。 「Parenting style during childhood is associated with the development of chronic pain and a patient's need for psychosomatic treatment in adulthood A case-control study[拙訳]​小児期の育児スタイルは成人期における慢性疼痛の発症及び心身医学的治療の必要性と関連する 症例対照研究」 ただし、この論文(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 (viii) 引用中の「MBSR」は、「Mindfulness-Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法」の略語であり、これに関連する論文例についてはここを参照して下さい。 (ix) 引用中の「失感情症」に関連する「大学生における慢性疼痛に失感情症が及ぼす影響」については次の資料を参照して下さい。 「大学生における慢性疼痛に失感情症と被養育体験が及ぼす影響」 加えて、引用中の「失感情症」、「失体感症」に加えて、「ストレス反応」、「自律神経機能」、「内受容感覚」「気づき」及び「身体感覚増幅」に関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 (x) 引用中の「慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある」に関連する「痛みの背景にある強迫的で完全主義的な思考や行動の特性」については、次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症の診断と治療」の「2 非薬物治療」項 (xi) 標記「慢性疼痛」としての、運動器疼痛管理のための認知行動療法については次の資料を参照して下さい。 「運動器疼痛管理のための認知行動療法」 (xii) 引用中の「破局的思考」に関連する、 1) 「近年,慢性疼痛において,痛みの経験をネガティブに捉える傾向を評価する破局的思考の重要性が提唱されている。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「痛みに対する破局的思考と心理社会的ストレスの関連」の【はじめに】項 加えて、「頭痛など痛み症状が続くと,物事のとらえ方や考え,感情にも影響を及ぼす.痛みが持続すると,その痛みに対して何もできない,無力である,ずっと治らないのではないかといった破局的な思考に陥りやすい.」ことについては次の資料を参照して下さい。 「片頭痛の認知行動療法」の「片頭痛とストレス」項(P425) その上に、 慢性疼痛の「恐怖回避モデル」における「破局的思考」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25)、「難治性疼痛の病態メカニズム ―分類と考え方―」の「Fig. 2 恐怖回避モデル」(P510) 2) 身体症状との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) パニック症(パニック障害)における「破局的解釈」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 4) 「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に基づく「破局的思考」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 5) 『IBS過敏性腸症候群)患者の認知の様式には「破局思考」がある』ことについては次のガイドラインを参照して下さい。 「日本消化器病学会 機能性消化管疾患診療ガイドライン2020-過敏性腸症候群(IBS)(改訂第2版)」の 第1章 疫学・病態 の BQ1-6 IBSの病態に心理的異常は関与するか? の「解説」項(P15) 6) 突発性環境不耐症における「破局的思考」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、 引用中の「悪循環」及び「破局的思考」に関連する「痛みの恐怖回避モデル」については次のガイドラインや資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25)、「難治性疼痛の病態メカニズム ―分類と考え方―」の「Fig. 2 恐怖回避モデル」(P510) (xiii) 引用中の「心身医学」及び「マインドフルネス」に関連する資料については次を参照して下さい。 「心身症患者へのマインドフルネスを取り入れたセルフケア教室の試み」 (xiv) 慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピーを紹介する資料については次を参照して下さい。「慢性疼痛研究の動向と今後の展望 -心理社会的側面に焦点を当てて-」の「慢性疼痛に対する心理学的アプローチ」項 加えて、慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネスについての論文の要旨をそれぞれ以下に引用します。 (xv) 慢性疼痛と愛着不安定との関連についての論文の要旨を以下に引用します。

・「Acceptance and commitment therapy and mindfulness for chronic pain: model, process, and progress.[拙訳]慢性疼痛のためのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネス:モデル、プロセスそして進捗」(全文はここを参照して下さい)

Over 30 years ago, treatments based broadly within cognitive behavioral therapy (CBT) began a rise in prominence that eventually culminated in their widespread adoption in chronic pain treatment settings. Research into CBT has proliferated and continues today, addressing questions very similar to those addressed at the start of this enterprise. However, just as it is designed to do, the process of conducting research and analyzing evidence reveals gaps in our understanding of and shortcomings within this treatment approach. A need for development seems clear. This article reviews the progress of CBT in the treatment of chronic pain and the challenges now faced by researchers and clinicians interested in meeting this need for development. It then focuses in greater detail on areas of development within CBT, namely acceptance and commitment therapy (ACT) and mindfulness-based approaches, areas that may hold potential for future progress. Three specific recommendations are offered here to achieve this progress.


[拙訳]
30年以上前に、認知行動療法(CBT)に広く基づいた治療法が目だち始め、ついには慢性疼痛治療​​のセッティングにおいて広く普及した。CBT の研究は急増し今日まで続いており、疑問の位置づけはこの企画の開始時点でのそれと大いに類似している。しかしながら、まさにそれが行うようにデザインされている通りに、研究を実施し、そして証拠を分析するプロセスは、この治療アプローチ内の我々の理解と短所におけるギャップを明らかにする。開発の必要性は明らかなように思える。この記事では、慢性疼痛の治療における CBT の進展、及び開発のこの必要を満足することに関心がある研究者と臨床医が現在直面している課題をレビューする。それから、将来の進展の可能性を保持しているかもしれない、CBT の範囲内の分野、すなわちアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)及びマインドフルネスに基づいたアプローチ、の開発の領域に関して、より詳細に焦点を当てる。この進展を達成するための3つの具体的な勧告がここに提示された。

注:(i) ちなみに、引用中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」(ACT)については、リンク集を参照して下さい。加えて、ACT のエビデンスについては次のWEBページ(英文)を参照して下さい。 「State of the ACT Evidence」 (ii) 慢性疼痛における上記 ACT の適用について、 a) 例えば次の資料を参照して下さい。 「疼痛性障害を呈する患者にマインドフルネスに力点を置いたアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)が奏功した一事例」 b) 加えて、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「主体的な関与が苦痛を減らす」における記述(P228~P230)を次に引用します。

主体的な関与が苦痛を減らす
ガンにかかったとき、自ら治療法について調べ、積極的な選択や関与を行った人は、受動的に与えられた治療を受けた人よりも予後が良好であることが知られています。五年生存率が数%というような難しいガンもあります。そういう場合、生き残っている人は、生き残ることを信じて自ら積極的に闘病した人たちに多いのです。
同じような苦痛を伴う体験も、自らがそれを選び決めたのであれば、大して苦痛ではなくなるのです。
その原理を取り入れたのが、新世代の認知行動療法であるACTに基づいた、慢性疼痛の治療プログラムです。痛みの治療なのですが、そのプログラムでは「人生において何が重要だと思いますか」と問いかけます。その問いと痛みにどういう関係があるのかと、最初は怪訝に思います。ところが、大ありなのです。
「痛みや苦しみを避けるために、自分が大切にしていることから遠ざかっていることはないですか」と問いかけられたとき、多くの人は思い当たることがあるはずです。
そして初めて、このプログラムが目指しているものが何か、理解し始めます。痛みがあろうと、人生の価値を失わず、機能を高めていくということ、そして人生のチャレンジやそれに伴う不安や苦痛から逃げないこと、それこそが大切だということを学ぶのです。
それまでは痛みが主人で、その奴隷状態になっていたことに気づくのです。そこで、これからは痛みがあろうと、自分が人生の主人であろうとするのです。その主客の逆転を起こすことこそ、このプログラムの真の目的なのです。そうなったとき、症状だけでなく生活の支障の軽減という点でも、薬物による従来の治療法よりもはるかに高い効果が得られることがわかっています。

Adult attachment insecurity is positively associated with medically unexplained chronic pain.[拙訳]成人の愛着不安定は医学的に説明できない慢性疼痛に正に関連する

BACKGROUND:
Attachment insecurity (i.e. anxiety in relationships and/or discomfort in close relationships) is associated with self-reports of physical symptoms, medically unexplained symptoms and health conditions involving pain. Medically unexplained chronic pain (MUCP) may represent a particularly severe form of symptom reporting that is also characteristic of individuals with insecure attachment. This study investigated relationships between adult attachment style ratings and past-year MUCP in a sample of the general U.S. population and the ability of attachment style ratings to account for variance in past-year MUCP beyond that accounted for by potential confounders.

METHOD:
Data from the National Comorbidity Survey Replication (N = 5645) were used. Attachment was assessed with an interview-administered version of a commonly used self-report measure of secure, anxious and avoidant attachment. MUCP was assessed with a brief interview. Depressive and anxiety disorders were included as covariates and were assessed with a fully structured interview based on DSM-IV criteria.

RESULTS:
The past-year prevalence of MUCP was 2.45% (95% CI = 2.07-2.83). The two insecure attachment styles (i.e. anxious and avoidant) were positively associated with MUCP. These associations remained statistically significant after adjusting for demographic variables and depressive and anxiety disorders. When the two insecure attachment styles were considered together, only avoidant attachment remained significantly associated with MUCP.

CONCLUSION:
Attachment insecurity ratings were positively associated with past-year MUCP and remained so after statistically adjusting for depressive and anxiety disorders. Further research aimed at understanding the mechanism(s) responsible for the association between attachment insecurity and MUCP is warranted.

SIGNIFICANCE:
Consistent with earlier research regarding transient physical symptoms, medically unexplained chronic pain was associated with attachment insecurity. Understanding the mechanisms responsible for this association could guide treatment innovations.


[拙訳]
背景:
愛着の不安定(すなわち、関係における不安及び/又は密接な関係における不快)は、身体症状、医学的に説明できない症状及び痛みが関与する健康状態の自己報告に関連する。医学的に説明できない慢性疼痛(MUCP)は、特に重篤な形態の症状の報告を代表するものかもしれなく、それはまた、不安定な愛着を有する個々人の特徴でもある。本研究は、一般的な米国人口のサンプルにおける成人の愛着スタイルの評価と過去1年間の MUCP との関係、及び潜在的な交絡因子による説明を超える過去1年間の MUCP における分散を説明するための愛着スタイルの評価の能力を調査した。

方法:
National Comorbidity Survey Replication(N = 5645)のデータを使用した。一般的に使用される安定、不安及び回避の愛着の尺度を使用した面接が施された自己申告のバージョンで愛着が評価された。 MUCP は簡単なインタビューで評価された。うつ病及び不安症は共変量として含まれ、DSM-IV 基準に基づく十分に構造化された面接で評価された。

結果:
MUCP の過去1年間の有病割合は 2.45%(95%信頼区間 = 2.07-2.83)であった。2つの不安定な愛着スタイル(すなわち、不安型及び回避型)は MUCP と正に関連していた。これらの関連は、人口統計学的変数およびうつ病および不安障害を調整した後も統計的に有意なままであった。 2つの不安定な愛着スタイルが一緒に考慮された場合、回避型の愛着のみが MUCP と有意に関連していた。

結論:
愛着の不安定度は過去1年間の MUCP と正の相関があり、そしてうつ病及び不安障害の統計的な調整を行った後も相変わらずそうであった。愛着の不安定性と MUCP との関連の原因となるメカニズムを理解することを目的としたさらなる研究が是認された。

意義:
一時的な身体症状に関する以前の研究と一致して、医学的に説明できない慢性疼痛は愛着不安定と関連していた。この関連の原因となるメカニズムを理解することは治療の革新を導くことができるだろう。

注:i) 引用中の「N = 5645」は人数を示します。 ii) 引用中の「愛着」は「アタッチメント」とも呼ばれます。加えて、引用中の「不安定な愛着」についてはリンク集(用語:「愛着障害」)を参照して下さい。さらに、不安定な愛着スタイルとしての(愛着不安の強い)「不安型」及び(回避傾向の強い)「回避型」については、例えば共にここをそれぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「医学的に説明できない症状」については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?

〔q〕瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少について
最初に論文「Meditation leads to reduced default mode network activity beyond an active task.[拙訳]瞑想は活動的な課題以上にデフォルトモードネットワークの活動の減少をもたらす」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Meditation has been associated with relatively reduced activity in the default mode network, a brain network implicated in self-related thinking and mind wandering. However, previous imaging studies have typically compared meditation to rest, despite other studies having reported differences in brain activation patterns between meditators and controls at rest. Moreover, rest is associated with a range of brain activation patterns across individuals that has only recently begun to be better characterized. Therefore, in this study we compared meditation to another active cognitive task, both to replicate the findings that meditation is associated with relatively reduced default mode network activity and to extend these findings by testing whether default mode activity was reduced during meditation, beyond the typical reductions observed during effortful tasks. In addition, prior studies had used small groups, whereas in the present study we tested these hypotheses in a larger group. The results indicated that meditation is associated with reduced activations in the default mode network, relative to an active task, for meditators as compared to controls. Regions of the default mode network showing a Group X Task interaction included the posterior cingulate/precuneus and anterior cingulate cortex. These findings replicate and extend prior work indicating that the suppression of default mode processing may represent a central neural process in long-term meditation, and they suggest that meditation leads to relatively reduced default mode processing beyond that observed during another active cognitive task.


[拙訳]
自己関連のシンキング及びマインドワンダリングに関与する脳ネットワークであるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少と瞑想は関連している。しかしながら、瞑想者と安静時の対照者との間の脳の活性化パターンにおいて差が他の研究で報告されているにもかかわらず、以前のイメージング研究では典型的に瞑想と安静を比較した。さらに、安静は、最近になってからよりよく特徴づけされ始めた個々人中の脳活性化パターンの幅と関連している。従って、瞑想と相対的に減少したデフォルトモードネットワークの活動とが関連するという知見を再現するため、そして、努力が必要な課題中に観察される典型的な減少を越えて、瞑想中にデフォルトモードネットワークの活動が減少するかどうかを試験することによりこれらの知見を拡張するための両方において、本研究において我々は瞑想ともう一つの活動的な認知課題を比較した。加えて、以前の研究では小グループを使用したが、本研究においては、これらの仮説をより大きなグループで検証した。対照群と比較した瞑想者にとって、活動的な課題と関連して、瞑想はデフォルトモードネットワークにおける活性化の減少と関連することを、これらの結果は示した。グループ×課題の相互作用を示すデフォルトモードネットワークの領域は後部帯状回/楔前部及び前帯状皮質を含んだ。これらの知見は、デフォルトモード処理の抑制は長期の瞑想における中枢神経処理を説明するかもしれなく、そして瞑想がもう一つの活動的な認知課題中に観察されたもの以上に相対的に減少したデフォルトモード処理をもたらすことを示唆する。

注:i) 引用中の「マインドワンダリング」は、「心ここにあらず」の状態とも言えるようです。これについては例えば、 pdfファイル中の熊野宏昭著の資料「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」(P30~P37)を参照して下さい(特に P30) 。ただし、例えば次の資料で示すように「マインドワンダリング」には負の効果のみならず正の効果もあります。 「マインドワンダリングが創造的な問題解決を増進する」 加えて他の拙エントリのここここも参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「楔前部」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「幸福の神経基盤を解明」 加えて虐待を受けて育った人の視点からの、この「楔前部」を含む簡単な説明例として、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「12章 癒されない傷」における記述の一部(P137)を次に引用(『 』内)します。 『タイチャーらは、虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違いを調べた。すると、身体感覚の想起にかかわる「楔前部」(ここには感覚情報をもとにした自分の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが非常に密になっていた。』 iii) 引用中の「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「デフォルトモードネットワーク」について、上記「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」以外で、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第5章 マインドフルネスのルーツを知る の「デフォルトモードネットワークを鎮める」における記述の一部(P124~P125)を次に引用します。

(前略)デフォルトモードネットワークというのは、何もしていないときに働く脳のネットワークで、ボコボコ、ボコボコと鳴っている車のアイドリングみたいなものです。このボコボコ、ボコボコがうるさくなって、エンジンの性能が悪くなると、うつになったり、不安になったりします。先ほど言った反すうですね。うつのときに出てくる反すうは、このデフォルトモードネットワークがつくり出しています。心配もデフォルトモードネットワークがつくり出しているんですね。
では、このデフォルトモードネットワークが鎮まってくれることが、マインドフルネスの効果なのかと言えば、その通りです。マインドフルネス瞑想をしているときは、デフォルトモードネットワークがスッと鎮まって、静かな心の状態になっています。これは、昔から禅などで寂静といわれていた状態に相当していると思います。
でもその前に、「今、こういう状態が、自分の中で起こっているのだ」と気づく段階があります。気づくというのは、考えることにエネルギーを与えないようにすることです。
気づかなければ、考え続けてしまうわけですよね。そうすると怒りがどんどん湧き上がってくるし、欲もどんどん大きくなります。気づかなければ考え続けるので、混乱もどんどん大きくなるわけです。でも、「今、こんな状態で、混乱しているのだ」と気づけば、混乱はそれ以上大きくなりません。そこで思考が切り上げられるので、シューと鎮まって静かになっていきます。
さらに、気づいたことによって、今まで自分が知らなかったことや、排除していたことを、「自分は、こんなことを考えているんだ」「こういう、傾向があるんだ」と、自分の中に取り込むことができます。ですから混乱しても、そこで気づけばいいのですね。実は混乱するのも、プラスなんです。きちんと見ていると鎮まっていき、問題が消えていく、そして智慧を守り育てていくという構造になっているのが、このアーナーパーナサティ・スッタを見てみるとわかると思います。

注:i) 引用中の「反すう」及び「心配」については、共にここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アーナーパーナサティ・スッタ」は同章の P119 によると、ヴィパッサナー瞑想(例えば、「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項を参照)を扱ったお経(出入息念経)のことです。 iv) ちなみに、大人のADHDにおけるデフォルトモードネットワークに関する論文については、他の拙エントリのここを、 心身医学におけるデフォルトモードネットワークについては次の資料を それぞれ参照して下さい。 「心身医学における安静時機能的 MRI 研究

〔r〕東日本大震災によってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合について
標記について、前田正治、松本和紀、八木淳子編の本、「こころの科学 Special Issue 東日本大震災とこころのケア 被災地支援10年の軌跡」(2021年発行)中の中島実穂、金吉春著の文書「これからの心理・社会的被災地支援――被災者および支援者のメンタルヘルス保護に必要なこと」(P217~P224)における記述の一部(P217)を次に引用します。

(前略)自然災害は、社会・経済はもとより、被災者の心身の健康にも影響を与える。東日本大震災関連の文献の系統的レビュー(8)によると、震災によってよってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合は、被災者全体の一〇~五〇%近くに上ったという。精神的な影響のあり方はさまざまであり、PTSD症状や抑うつ症状、不安症状といったものに加え、睡眠障害摂食障害の症状もみられている(8)。とくに、震災によって親しい人や家族を失った人、経済的に厳しい状況であった人、ソーシャルサポートが少ない人、放射能汚染に対する不安感が強い人は、精神的な症状のリスクが高いと報告されている(15)。
被災によって精神的な症状を発症したとしても、多くの人は、時間が経つにつれて自然に症状が緩和していく。しかしながら一部の人は、症状を慢性化させてしまい(4)、自殺念慮といった深刻な事態に陥る危険性が示唆されている(13)。(後略)

注:引用中の文献番号「(4)」は次の資料です。 「災害時地域精神保健医療活動ガイドライン」 ii) 引用中の文献番号「(8)」は次の論文です。 「Mental health and psychological impacts from the 2011 Great East Japan Earthquake Disaster: a systematic literature review」 iii) 引用中の文献番号「(13)」は次の論文です。 「The course of chronic and delayed onset of mental illness and the risk for suicidal ideation after the Great East Japan Earthquake of 2011: A community-based longitudinal study」 iv) 引用中の文献番号「(15)」は次の論文です。 「Noncommunicable Diseases After the Great East Japan Earthquake: Systematic Review, 2011-2016」 v) 引用中の「PTSD」や「摂食障害」については共にリンク集を参照して下さい。

〔s〕ACE(小児期逆境体験)研究について
最初に標記ACE研究についてはここここを、そしてこの簡単な紹介については、 a) 「令和元年度 子供の貧困実態調査に関する研究 報告書」の「a) 小児期逆境体験(ACE)」項(P28)における記述の一部を次に引用します。 【・ ACE に関する研究では、子供期の家庭内の逆境に関する複数のリスク因子(虐待:心理的・身体的・性的虐待、家庭の機能不全:同居家族の薬物使用・精神疾患・母親への暴力・犯罪・親の別居又は離婚)を得点化して単純加算すると、得点の上昇に応じて広範な成人期の心身の健康問題(心臓疾患、自己免疫疾患、がん、喫煙、肥満、薬物乱用、アルコール依存症うつ病、自殺企図、DV 等)が増加することが確認されている28,29。この関連性については、メタ分析を含め多くの研究で繰り返し確認され、頑強なものであるとされている。】(注:引用中の文献番号「28」、「29」はそれぞれ次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」、「The enduring effects of abuse and related adverse experiences in childhood. A convergence of evidence from neurobiology and epidemiology」) b) 加えて次の資料も参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の「Ⅲ.子どもの心的トラウマの研究」項、「逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究」 これら以外にも、次の論文(全文)、総合研究報告書、研修報告書、資料やWEBページもあります。 「The Association of Adverse Childhood Experiences with Anxiety and Depression for Children and Youth, 8 to 17 Years of Age[拙訳]8歳から17歳までの子ども及び若年者に対する逆境的小児期体験と不安や抑うつとの関連」、「逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究」、「研修テーマ 貧困と幼少期の逆境体験の世代間連鎖をどう断ち切るか 米国の実体と取り組みから学ぶ」、WEBページ「小児期逆境体験に関する概観:親のACEsが子育てに与える影響に焦点を当てて」にリンクされている資料「小児期逆境体験に関する概観 -親のACEsが子育てに与える影響に焦点を当てて-」、「幼少期逆境経験の神経生物学」、「トラウマと身体疾患」、「自分にトラウマがあるかをチェックする」の「小さい頃の苦しい出来事」項 さらに次の英語のWEBページもあります。 「ACES Too High」 また、 1) 貧困の視点からの引用中の「ACE研究」についての資料は次を参照して下さい。 『「子ども時代の逆境的体験(ACEs)」と貧困 ─逆境的体験から子どもを救う目と耳と心』 2) 要旨の「Results」項に次に引用(【 】内)する記述【Individuals who were continuously insecure during infancy were more likely to report all types of physical illness in adulthood.[拙訳]幼児期に常に不安を感じていた人は、成人期に全てのタイプの身体的な病を報告する可能性がより高かった。】ことを含み、上記「逆境的小児期体験」に関連するかもしれない「幼児のアッタチメント」(Infant Attachment)と「成人の身体的な病」(Adult Physical Illness)との関連については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Predicting Adult Physical Illness from Infant Attachment: A Prospective Longitudinal Study[拙訳]幼児のアッタチメントからの成人の身体的な病の予測:前向き縦断研究」を、 3) 『「ACEs」又は「逆境体験」とアッタチメント・パターンの分類の関連』についてはここを それぞれ参照して下さい。次に標記ACE研究の主な結果について、「段階的相関」又は「用量反応関係」を含めて「そだちの科学 2022年10月号」中の若林巴子著の文書「ACE研究とは何か」(P17~P28)の「ACE研究の主な結果」における記述の一部(P19~P20)を次に引用します。

ACE研究の主な結果

ACEスコアを使い、子ども時代(一八歳以前)の逆境体験がのちの健康に与える影響が検証された。データが集められた一九九〇年代後半のアメリカでの死亡に至る最大危機因子は、喫煙、肥満、運動不足、うつ、自殺企画、アルコール依存症、薬物乱用、非経口薬、虐待、生涯を通して多数の性的パートナーをもつ、および、性感染症の既往歴だった。また、死亡率のもっとも高い成人病は、虚血性心疾患(心臓発作、または、労作性胸痛のためのニトログリセリンの使用を含む)、癌、脳卒中、慢性気管支炎、肺気腫COPD)、糖尿病、肝炎または黄疸、そして、意図しない怪我のリスクの指標としての骨格筋だった。これらは現在もほぼ同じである。
ACE研究では、これらの因子と疾病を検証した結果、大多数がACEと相関していることがわかった。ACEスコアが高いほど、危機因子の有無や成人病になる可能性が高くなったのである。研究者はこの相関を graded relationship(段階的相関)もしくは dose-response relationship(用量反応関係)と呼んでいる(3)。例えば、ACEを四つ以上経験した被験者は、ACEをまったく経験していない被験者と比べて四~一二倍の確率でアルコール依存症、薬物乱用、うつ、自殺企画等の危機因子をもっていることがわかった。また、二~四倍の確率で、喫煙し、生涯を通して多数の性的パートナーをもち、性感染症の既往歴があり、健康不良だと報告した。そして、1・四~1・六倍の確率で運動不足かつ肥満であった。ACEが五個以上ある人は、まったくない人と比べ、二倍の確率で高頻度の頭痛を訴え(5)、三~十七倍の確率で向精神薬を服用していると答えた(6)。ACEが六個以上ある人とまったくない人とを比べると、平均寿命がほぼ二〇年も違うという結果も出ている(7)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(3)」は次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」 ii) 引用中の文献番号「(5)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and frequent headaches in adults」 iii) 引用中の文献番号「(6)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and prescribed psychotropic medications in adults」 iv) 引用中の文献番号「(7)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and the risk of premature mortality」 v) 引用中の「ACEが六個以上ある人とまったくない人とを比べると、平均寿命がほぼ二〇年も違うという結果も出ている」ことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「逆境体験の数と寿命」シート(P17) vi) 引用中の(ACEにおける)「dose-response relationship」については次の論文(全文)も参照すると良いかもしれません。 「The Influence of Adverse Childhood Experiences in Pain Management: Mechanisms, Processes, and Trauma-Informed Care」の「ACEs: The "Dose-Response" Relationship」項

加えて、「ACEと小児期のトラウマとの違いについて、文書「ACE研究とは何か」の「ACEと小児期のトラウマ」における記述の一部(P20~P21)を次に引用します。

ACEと小児期のトラウマ

ACEの啓発トレーニングを行うとよく受ける質問は、ACEと小児期のトラウマはどう違うかというものだ。厳密には、ACEは家庭内のトラウマ体験に相当する。よって、地震、台風、火災などの自然災害からくるトラウマは、ACEの質問票には含まれていない。また、戦争、強盗、銃乱射事件などの人為的な災害も含まれない。ACEに従来含まれないトラウマには他にも、脅迫、喧嘩、いじめなどの学校内での犯罪や暴力、移住や文化の違いによるストレス、強制送還の恐れなどの難民と移民のトラウマ、痛み、怪我、深刻な病気や医療処置または治療などの医療経験からくるトラウマ、そして、貧困と差別がある。
しかし、私は、逆境体験が一八歳未満で起こった場合、そしてそれが有害なストレス(toxic stress)を誘発する可能性が高い場合には、ACEととらえるべきだと思う。これは、ACE研究の主任研究員のアンダ氏の意見でもある。子どもは、健康的な発達の一環として、ある程度の試練を経験し、それを乗り越える強さを身につけなければならない。しかし、虐待やネグレクトなどのストレスが継続的で、それをやわらげてくれるはずの大人がいなかったり、その大人自身が加害者だったりした場合、ストレスは――ACE研究の結果のように――人間に長期的な悪影響を及ぼしかねない。(後略)

その上に、 a) 「ACEの心身の健康に対する病因を理解するためには、ライフコース疫学の視点が有用である」ことについて、「そだちの科学 2022年10月号」中の藤原武男著の文書「ライフコース疫学から見る逆境体験」(P29~P34)の「ライフコース疫学の観点から」における記述の一部(P30)を以下に引用します。 b) 「ACEsとアロスタティック負荷との関連」について、同「ライフコース疫学の観点から」における記述の一部(P31~P32)を以下に引用します。 c) 「ACEのエコロジカルモデル」については「ACEは何十年も続く毒性をもっており、人間の脳と身体に害を与える」ことを含めて同文書「ライフコース疫学から見る逆境体験」の「まとめ」における記述(P32~P33)を以下に引用します。ちなみに、「米国疾病予防管理センターによるコロナ対策によって生じた孤独やつながりの欠如によって、自殺やACEのリスクが増大した可能性への警告」について、「そだちの科学 2022年10月号」中の二宮貴至著の文書「コロナ禍で増加した若者の自殺を考える」(P87~91)の「パンデミックにより増加した自殺」における記述の一部(P87)を以下に引用します

ライフコース疫学の観点から

ACEの心身の健康に対する病因を理解するためには、ライフコース疫学の視点が有用である(15)。ライフコース疫学は、成人病胎児期起源仮説(DOHaD)と関連して発展してきたものである(16)(17)。したがって、ライフコース疫学は「妊娠期、小児期、思春期、若年成人期、成人期以降の身体的あるいは社会的曝露が後の健康あるいは疾病リスクに及ぼす長期的影響の研究」と定義されている(18)。ライフコース疫学は、ACEがどのように成人後の健康被害を引き起こすかを、臨界期・感受期モデル、媒介モデル、累積モデルで明らかにするものである(図1)。さらに、ライフコース疫学には世代間伝播、すなわち母親のACEが子や孫の幸福に与える影響も含まれており、疾病の原因に関する新しい知見を提供し、次世代の疾病予防に新しい示唆を与えるものと考えられる(19)。(後略)

注:(i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 (ii) 引用中の文献番号「(15)」は次の本です。 「Glymour, M.M. et al.: Socioeconomic status and health. In: Berkman, L. et al.(eds.): Social epidemiology. 2nd ed. Oxford University Press, 2014, pp17-62.」 (iii) 引用中の文献番号「(16)」は次の論文です。 「Infant mortality, childhood nutrition, and ischaemic heart disease in England and Wales」 (iv) 引用中の文献番号「(17)」は次の本です。 「Barker, D.J.P.: Mothers, babies and health in Later Life. Churchill Livingstone, 1998.」 (v) 引用中の文献番号「(18)」は次の論文です。 「Life course epidemiology」 (vi) 引用中の文献番号「(19)」は次の論文です。 「A life course approach to chronic disease epidemiology: conceptual models, empirical challenges and interdisciplinary perspectives」 (vii) 引用中の「成人病胎児期起源仮説(DOHaD)」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「DOHaDとは - 昭和大学 DOHaD 班」 (viii) 引用中の「ライフコース疫学」については例えば次に資料を参照すると良いかもしれません。 「健康格差社会への処方箋 - 小児科診療 UP-to-DATE」の「ライフコース疫学」項 加えて、引用中の「ライフコース」に関連する、 a) 「ライフコースアプローチ」については次の資料を参照して下さい。 「ライフコースアプローチによる胎児期・幼少期からの成人疾病の予防」 b) 「子どもの社会環境と健康の関連に関する理論的ライフコースモデル」については次の資料を参照して下さい。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「子どもの社会環境と健康の関連に関する理論的ライフコースモデル」シート(P10) c) 「ライフコース疫学でよく使用される3つのモデル」については次のエントリを参照して下さい。 「ライフコース疫学(Lifecourse epidemiology)モデル」 d) 「ライフコース」項を含む次の資料があります。 「日本プライマリ・ケア連合学会の健康格差に対する見解と行動指針 第二版」 加えて、この資料の「序文」(P3)において次に引用(『 』内)する記述があります。 『生まれた家庭や住む場所,国籍,所得や雇用形態や教育歴,人間関係といった,社会的な背景や環境は,個人の健康に影響を与えることがわかっており,このような社会的要因は「健康の社会的決定要因」(Social Determinants of Health: SDH)と呼ばれている.SDH は,出生前から高齢期までのライフコースにわたる様々な場面で健康に影響を及ぼす.具体的には,SDH は本人が意識する前に,喫煙や栄養摂取など健康を左右する行動に影響し,がんや動脈硬化性疾患の原因となる.また,SDH による心理社会的なストレスは,免疫系や自律神経系の不調をきたし,さらには認知機能や記憶能力の低下を招くことも指摘されている.さらに SDH は医療や介護サービスへのアクセスを阻害する要因ともなり,健康格差をより大きなものにしている.』

ライフコース疫学の観点から(中略)

ACEsがどのように身体的・精神的健康につながるかについては、これまでいくつかの総説で議論されてきた(31)(32)。例えば、キャンベルらはライフコースの観点から、生物学的経路と対処的経路の二つの経路を提案している(33)。生物学的経路として、ACEsによる生理的ストレス反応は視床下部-下垂体ー副腎軸(HPA軸)の乱れなど、神経系、神経内分泌系、免疫系に悪影響を及ぼす可能性がある(34)。その結果、毒性ストレスやアロスタティック負荷として、その後の人生における身体的・精神的な疾患につながる可能性がある(13)(35)。小児期は神経系の発達に重要な時期であるため、毒性ストレスやアロスタティック負荷による負担が長く続き、後に身体的・精神的疾患の発症につながると考えられる。(中略)
対処的経路としては、ACEsを有する人は、ストレスフルな状況に対処するために依存性をもつ可能性が高いことがわかった(41)。喫煙、飲酒、過食、危険な性行動など、いずれも長期的な心身の健康問題のリスクを高めるとされている(42)。また、不適切な対処戦略や自己調節力の低下は、新たな逆境体験に対する感受性を高め、感情調節の問題を引き起こし、精神疾患につながる可能性があることが報告されている(32)。

注:(i) 引用中の文献番号「(13)」は次の論文です。 「Childhood adversity and adult chronic disease: an update from ten states and the District of Columbia, 2010」 (ii) 引用中の文献番号「(31)」は次の論文です。 「The effect of multiple adverse childhood experiences on health: a systematic review and meta-analysis」 (iii) 引用中の文献番号「(32)」は次の論文です。 「The role of adverse childhood experiences in cardiovascular disease risk: a review with emphasis on plausible mechanisms」 iv) 引用中の文献番号「(33)」は次の論文です。 「Associations Between Adverse Childhood Experiences, High-Risk Behaviors, and Morbidity in Adulthood」 (v) 引用中の文献番号「(34)」は次の論文です。 「Brain on stress: how the social environment gets under the skin」 (vi) 引用中の文献番号「(35)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and adult health」 (vii) 引用中の文献番号「(41)」は次の論文です。 「Chronic stress, drug use, and vulnerability to addiction」 (viii) 引用中の文献番号「(42)」は次の論文です。 「Early life adversity and health-risk behaviors: proposed psychological and neural mechanisms」 (ix) 引用中の(ACEsによる生理的ストレス反応の結果としての)「アロスタティック負荷」については次の論文(全文)も参照すると良いかもしれません。 「The Influence of Adverse Childhood Experiences in Pain Management: Mechanisms, Processes, and Trauma-Informed Care」の「Biological Mechanisms and Processes」項 加えて、「ストレス反応とアロスタティック負荷の発生」については次の資料を参照して下さい。 「子ども期の体験の長期的影響性 -健やかな発達をつくるために-」の「ストレス反応とアロスタティック負荷の発生」項 その上に、上記「アロスタティック負荷」は「早期の逆境体験とそれに付随するさまざまな健康問題を起こすストレスとの関係性を表す妥当な論拠となる」ことについて、ジェニファー・ヘイズ=グルード、アマンダ・シェフィールド・モリス著、菅原ますみ、榊原洋一、舟橋敬一、相澤仁、加藤曜子監訳(注:訳者の紹介は省略)の本、「小児期の逆境的体験と保護的体験 子どもの脳・行動・発達に及ぼす影響とレジリエンス」(2022年発行)の 第3章 発達初期の逆境体験が神経生物学的発達に及ぼす影響 の 3.1 小児期の逆境に対する生体行動的反応のモデル の「3.1.2 アロスタシスとアロスタティック負荷」における記述の一部(P77~P80)を以下に引用します。その上に、引用中の(慢性的にストレスにさらされて起こる生理学的状能である)「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (x) 引用中の「視床下部-下垂体ー副腎軸」に関連する、 a) 「視床下部-下垂体-副腎系」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 b) 加えて、心身のストレス反応としての「HPA軸」については「SAM軸」(ここを参照)を含めて、「そだちの科学 2022年10月号」中の八木淳子著の文書「逆境体験とは何か」(P10~P16)の 逆境体験がそだちに及ぼす影響 の「(1) ホメオスタシスと身体発達への影響」における記述(P12)を以下に引用します。

3.1.2 アロスタシスとアロスタティック負荷(中略)

アロスタティック負荷は,ストレス反応が私たちを生かしてくれていると同時に,殺すこともあるというパラドックスを説明するものである。(中略)

アロスタティック負荷は,早期の逆境体験とそれに付随するさまざまな健康問題を起こすストレスとの関係性を表す妥当な論拠となる。動物実験や人間を対象とした臨床研究や疫学研究の結果から,繰り返す長期的なストレスは,神経系(脳の構造や機能,認知や情動機能;Pechtel & Pizzagalli, 2011),内分泌系(骨量減少やその他のシステムに影響を及ぼすコルチゾールやその他のストレス関連ホルモン),免疫系(C反応タンパクなど炎症の指標;Deighton, Neville, Pusch, & Dobson, 2018; Taylor, Lehman, Kiefe, & Seeman, 2006),心臓血管系(血圧;Lehman, Taylor, Kiefe, & Seeman, 2009),冠状動脈石灰化(Juonala et al., 2016)など,複数のシステムにダメージを与えることが示されている。アロスタティック負荷は,複数の生体行動システムにダメージを与えるものであり,ストレスへの曝露やストレス反応が発達の途上で起こると,その影響はより壊滅的になる。

注:i) 引用中の「Pechtel & Pizzagalli, 2011」は次の論文です。 「Effects of early life stress on cognitive and affective function: an integrated review of human literature」 ii) 引用中の「Deighton, Neville, Pusch, & Dobson, 2018」は次の論文です。 「Biomarkers of adverse childhood experiences: A scoping review」 iii) 引用中の「Taylor, Lehman, Kiefe, & Seeman, 2006」は次の論文です。 「Relationship of early life stress and psychological functioning to blood pressure in the CARDIA study」 iv) 引用中の「Lehman, Taylor, Kiefe, & Seeman, 2009」は次の論文です。 「Relationship of early life stress and psychological functioning to blood pressure in the CARDIA study」 v) 引用中の「Juonala et al., 2016」は次の論文です。 「Childhood Psychosocial Factors and Coronary Artery Calcification in Adulthood: The Cardiovascular Risk in Young Finns Study

(1) ホメオスタシスと身体発達への影響
虐待をはじめとする逆境体験は、その状況を生き延びる(survive)ために心身のストレス反応を引き起こす。SAM(sympathetic-adrenal-medullary axis:視床下部-交感神経-副腎髄質)軸に制御される闘争・逃走反応や、HPA(hypothalamic-pituitary-adrenal axis:視床下部-下垂体-副腎皮質)軸が司る睡眠、摂食、概日リズム、免疫系の変化などである。これらは、生体が新たな環境に自らを適応させるための抵抗性を示したものであるが、緊急事態における高負荷の身体状態が長時間続けば、心身症に見られるような身体のさまざまな機能不全を引き起こしてしまう。神経系・内分泌系を含めた身体発達の途上にある子どもにおいては、逆境体験が引き起こす情動制御不全は、単に心理的反応の問題ではなく、ホメオスタシス(身体恒常性)の維持を困難にし、身体機能の障害を引き起こす危険をも孕んでいる。長期に及ぶ虐待などの逆境的な環境は、子どもの心身にかかる負荷を高止まりさせ、一時的な病的状態にとどまらない、恒久的かつ深刻な身体発達不全、情動制御不全を招く恐れがあるのである(9)。

注:i) 引用中の文献番号「(9)」は次の論文です。 「Research review: the neurobiology and genetics of maltreatment and adversity」 ii) 引用中の「闘争・逃走反応」についてはリンク集を参照して下さい。

まとめ

ACEは何十年も続く毒性をもっており、人間の脳と身体に害を与える。エコロジカルモデル(1)(49)は、ミクロレベル(遺伝、エピジェネティック、栄養素)、メゾレベル(家族、友人)、マクロレベル(学校、コミュニティ)、エクソレベル(文化、政策)、クロノレベル(天災、人災)等、子どもを取り巻くいくつかのレベルを考慮する必要があることを示唆している。ACEは、エピジェネティックなアプローチとしてのミクロレベル、家族への介入としてのメゾレベル、コミュニティ構築としてのマクロレベル、規範を変えるための健康増進としてのエクソレベル、パンデミックや戦争への備えとしてのクロノレベル、すべてのレベルで対処する必要がある。
ACEsにさらされていい子どもなど一人もいない。ACEsを取り除くために、さらなる研究、政策的努力が望まれる。

注:i) 引用中の文献番号「(1)」は次の論文です。 「Association of childhood adversities with the first onset of mental disorders in Japan: results from the World Mental Health Japan, 2002-2004」 ii) 引用中の文献番号「(49)」は次の論文です。 「Ecology of the family as a context for human development: Research perspectives.」 iii) 引用中の「エコロジカルモデル」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「ブロンフェンブレナーのエコロジカルモデルをもとに」シート(P7)

パンデミックにより増加した自殺(中略)

米国疾病予防管理センターは、コロナ対策によって生じた孤独やつながりの欠如によって、自殺やACEのリスクが増大した可能性への警告と、予防的に社会的つながりを支援する対策の必要性を特別レポートとして発しているが(1)、パンデミック以前からすでに若者層の自殺が深刻な日本は、対策が待ったなしの状況にあるといえよう。

注:引用中の文献番号「(1)」は次の論文です。 「Special Report from the CDC: Strengthening social connections to prevent suicide and adverse childhood experiences (ACEs): Actions and opportunities during the COVID-19 pandemic

〔t〕トラウマの再演について
標記再演について、「トラウマの影響を受けている人の世界観」を含めて野坂祐子著の本、「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」(2019年発行)の 第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう の 第 5 章 トラウマティックな関係性の再演 の『「安全」がこわい――被害者にとっての再演』における記述の一部(P62)を次に引用します。

(前略)トラウマの影響を受けている人の世界観は,「また危険なことが起こるに違いない」「誰も信用できない」「自分は愛されていない」という非機能的認知に基づいている。危険な状況を危険と捉えるのは機能的な認知だが、何も起きておらず,むしろ安全な場面でさえも危険だと認識するのは非機能的認知であり,トラウマ反応である。さらに,そうした非機能的な認知を“現実”にしようとする無意識の行動化が起こる。これをトラウマの再演(reenactment)という。(後略)

注:i) 引用中の「非機能的認知」を修正していくことを含む「複雑性PTSDに対するトラウマフォーカスト認知行動療法」(TF–CBT)については次のWEBページを参照して下さい。 「複雑性PTSDに対するトラウマフォーカスト認知行動療法」 加えて、上記『「非機能的認知」を修正していく』ことや引用中の「世界観」に関連する「曝露療法での回復プロセスは,トラウマ記憶の反復賦活と修正された情報を受け入れることである.修正された情報とは,過去(トラウマ体験)と現在の弁別,危険と安全の弁別,世界と自己に関する認知の修正に他ならない.」については次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法(PE療法)によるPTSD治療 ――日本におけるエビデンスと被害者ケア現場での実践応用――」の「3. PE療法の技法と効果のメカニズム」項 ii) 引用中の「非機能的認知」について、上記『第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう』の 第 2 章 トラウマとして理解する の「生き延びるための対処」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

トラウマを体験すると,「暴力や苦痛から逃れることはできない」「人は信用ならない」「自分はダメだ」といった考えが強まる。たしかに,“あのとき”は暴力や苦痛が永遠に続くと感じられ,“あの人”が信用できないのも確かだが,だからといって,これからの人生でも暴力を受け続けるいわれはないし,すべての人が信用に値しないわけでもない。まして,トラウマを体験したのは,その人の愚かさのせいでもなければ,被害によってダメな人間になるわけでもない。つまり,こうした考えは真実ではなく,何より本人にとって役に立たないものであるため,非機能的認知と呼ばれる。トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め、他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望でないものだと捉えさせる。(後略)

注:引用中の「非機能的認知」に関連する「ネガティビティ・バイアス」(negativity bias)については、 a) 次のWEBページを参照して下さい。 「ネガティビティ・バイアス nagativity bias」 b) トラウマ(TRAUMA)に関連しては拙訳はありませんが次の slideshare を参照すると良いかもしれません。 「MAREN A. MASINO - SENSORIMOTOR PSYCHOTHERAPY AND DR JANINA FISHER'S MODEL OF PARTS FOR TREATING TRAUMA AND ADDICTION」の「Triggering as an added complication」シート(P11)

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

目次に戻る *17

*1:本当は境界性パーソナリティ障害なのに長年うつ病の対応をした場合の末路についてはここを参照して下さい

*2:注:「理想化からこきおろしへ」や「原始的理想化と脱価値化」(ここを参照)を含みます

*3:統合失調症を無治療なまま長年経過した場合の末路についてはここを参照して下さい

*4:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます。加えて、失体感症(アレキシソミア)も紹介しています。

*5:加えて、ストレス応答のHPA系についてのリンクもあります

*6:加えて、森田療法関連の話題もあります。ここ及びここを参照して下さい。

*7:主に境界性パーソナリティ障害又は境界例を対象にしています

*8:加えて、パーソナリティ構造の視点から境界性(境界例)を説明した引用はここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照して下さい

*9:ただし、引用部はマインドフルネスの説明ではなく、自分の感覚によりネガティブな気持ちになってしまうことの説明です

*10:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます

*11:この資料によると、失体感症は身体(内受容)感覚が低下した状態のようです

*12:自律神経における交感神経(アクセル又は活動する神経)と副交感神経(ブレーキ又は休む神経)の関係例を次に示します。 a) 村上正人、則岡孝子著の本、「自律神経失調症の治し方がわかる本」(2011年発行)の 第1章 あなたは、どれだけ知っていますか? の『「自律神経」とは、どんな神経?』における記述の一部(P18)及び「現代社会はストレス症候群でいっぱい」における記述の一部(P30)を次に引用(それぞれ『 』内)します。 『自律神経は、交感神経と副交感神経の2つに分けられます。交感神経は、「活動する神経」と言われ、仕事や運動をするときに心臓の動悸や血圧を高め、精神活動を活発にさせます。副交感神経は、内臓や器官の働きをリラックスさせる神経で、「休む神経」と言われ、睡眠、休息などをとるときに働きます。体をスムーズに働かせるために、2つの神経は、お互いにリズムをとり合っているのです。』、『●交感神経を使いすぎる生活がストレス性の病気を引き起こす 複雑でテンポの早い現在社会は、朝早く起きて、夜になったら休むという、本来のライフサイクルに合わせて生活することが難しくなってきています。また、不況に伴うリストラや倒産、不本意な配置転換、対人関係のトラブル、育児や介護の問題など、さまざまなストレスにさらされ、交感神経が絶えず緊張していなければならないような状況下に置かれています。このように、副交感神経の出番が少なく、交感神経優位の生活が続くと、体のあちこちに自律神経症状(17ページ参照)が現れてきます。』 (注:引用中の「自律神経症状」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。) b) 梶本修身著の本、「隠れ疲労 休んでも取れないグッタリ感の正体」(2017年発行)の 第2章 気付いたときには遅い、「隠れ疲労」の恐怖 の「デスクワークは自律神経中枢を疲弊させる」における記述の一部(P18)を次に引用(『 』内)します。 『交感神経を優位にして緊張を保つことは、自律神経を疲弊させます。特に集中力を高めているときほど自律神経の神経細胞は活動を高め、酸素を大量に消費し活性酸素を放出します。特に、身の危険が迫った緊迫した状況では数秒のうちに自律神経が疲れてしまいます。一流の野球選手でも、ピッチャーがセットポジションに入った後、2秒間投げなければほとんどのバッターは一度、打席を外します。力士も立ち会いで2秒以上経つと、一度、間を取る傾向があります。つまり、交感神経優位な極度の緊張は、自律神経を一瞬で疲弊させてしまうのです。それは他の動物でも同じ。ライオンのような肉食獣でも、狩りのときだけは緊張状態に入りますが、他の多くの時間は自律神経を休めてリラックスして過ごします。』 従って、「交感神経が著しく活発になっている状態、つまり闘争-逃走反応(リンク集参照)をはじめとして、アクセルを踏んでエンジンがフル回転になっている状態が続いてしまうといつか壊れてしまいます。だから、ブレーキをかけて休む必要があります。つまり副交感神経を活発にさせる必要があります。副交感神経が活発になっている状態がリラックスしている状態です。」であると本エントリ作者は考えます。

*13:ここでは特にイメージ法についても紹介されています

*14:ちなみに、a) この療法の簡単な紹介例は次のWEBページを参照して下さい。 『「平成27年度 改訂版弁証的行動療法(DBT)とマインドフルネス研修会」を開催します』 b) 標記療法の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」は、これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます。 c) 標記療法に基づき改良したことを含む幼少期のトラウマ治療法である「STAIR&NST」があります。これについての引用は他の拙エントリのここここを参照して下さい。

*15:例えば藤田一照、山下良道著の本、「アップデートする仏教」(2013年発行)の第四章を参照して下さい。ちなみに引用はしませんが、a) プラユキ・ナラテボー、魚川祐司著の本、「悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門」(2016年発行)における『図Ⅱ 「私-対象」関係と「気づきの目」』(P142)、 b) 伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の P080 におけるマインドフルネスのイメージ図、及びこれらの図を説明する記述は、「シンキング・マインド」を手放したヴィパッサナー瞑想と関連しているようです。

*16:前者は、藤田一照、山下良道著の本、「アップデートする仏教」(2013年発行)の P207 を、後者は P236 をそれぞれ参照して下さい。

*17:注:エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」における目次に戻ります。ちなみに本エントリの最初に戻るにはここをクリックして下さい。