krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

自閉スペクトラム症における身体症状、その他(続き)

本エントリは過日に公開されたエントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」に続くものです。以下の「≪余談6≫ギフテッドについて」以外にも「≪余談7≫資料や論文の紹介、その他」、「≪余談8≫ASD の疫学について」、『≪余談9≫ASDの〝本質〟は「メタ認知」にあることについて、その他』や「≪余談10≫自閉スペクトラム症に関連する上記以外の他の拙エントリにある記事へのリンク」があります。ちなみに、上記「ASD」は自閉スペクトラム症の略です。

≪余談6≫ギフテッドについて

標記「ギフテッド」について、小野和哉著の本、「最新図解 大人の発達障害サポートブック」(2017年発行)の Column『天性の能力をもつ「ギフテッド」』における記述の一部(P32)を次に引用します。

発達障害のある人のなかにも多くいる

みなさんは、「ギフテッド」ということばを聞いたことがあるでしょうか。
ギフテッド(英:Gifted, Intellectual giftedness)とは、たとえば、知的能力や言語能力、記憶能力などといった能力が、ふつうの人よりも飛び抜けて優れた人のことを表すことばです。英語で贈り物を意味する「ギフト」が語源で、生まれつき天から授けられた素晴らしい能力のことを指し、発達障害のある人のなかにもたくさんいるといわれています。
しかし、その能力は必ずしもよい面ばかりではなく、学業的、社会的な成功に直結するとはかぎりません。
飛び抜けた資質をもっていたとしても、それをうまく生かす環境や、周囲の理解がなければ、かえって子どもにとって、生きにくさにつながってしまうこともあるのです。

能力によって生きにくさを感じる場合も

たとえば、IQ が130を超えるような高い知能を持っている場合は、学校生活などで不適応を起こしてしまうこともあります。
ギフテッドの人は、能力の高さとともに、感受性も高い場合があり、そのために傷つきやすかったり、疎外感をもちやすかったりするような場合も少なくないのです。
また、教室のなかでのさまざまな刺激に耐えられなくなり、パニックなどをおこしてしまうこともあります。
人間の能力は多面的で、いわゆる「IQ」だけでは評価できませんが、それを適切に評価できる教育システムは、まだ十分構築されていません。
欧米では、こうした人たちに対する専門の学校もあり、適切な処遇が図れるようにさまざまな試みがなされています。
日本でも最近になり、ギフテッドに対応する医療機関などがつくられはじめていますが、まだまだ普及していないというのが現状です。(後略)

注:引用中の「ギフテッドに対応する医療機関」に関連する例としての「ギフテッド・アカデミー」の簡単な紹介を含む標記「ギフテッド」の記述として、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の「あとがき 発達障害のこれから」における記述の一部(P220~P223)を以下に引用します。なお、上記「ギフテッド・アカデミー」については次の資料を参照して下さい。 「2Eの児童・生徒への支援について -社会からの支援が得られていない子供達-」の「交流サイト:ギフテッド・アカデミー」シート(P13)、「発達障害と不登校―社会からの支援がない子どもたち:2E の観点から―」の「ギフテッドアカデミー」項(P460) また、上記「2E、すなわち twice-exceptional(二重に特別な)」とは、「知的に高い(ギフテッド)+発達障害のある子どもたち」を指します。後者の資料の要旨を参照して下さい。

「ギフテッド(Gifted)」という言葉を耳にしたことはありますか。
ギフテッドとは、生まれつき飛びぬけて高い能力や才能を持っている子ども、またその能力のことをいいます。贈り物を意味する英語の「ギフト(Gift)」が語源で、海外では「天から与えられた能力」として広く認知されています。
日本では「英才児」と訳され、「飛び級ができるような賢い子ども」という一面的なとらえられ方をしていますが、本来のギフテッドは学業だけにとどまらず、言語能力、記憶力、芸術性、創造性、リーダーシップなど、多岐にわたる分野において高い潜在能力を秘めています。
ギフテッドは医療における症状ではないため、国によってもその定義はまちまちですが、仮にIQ130以上の知的ギフテッドを例にとると、日本人全体の約2・5%、1000人に25人の割合で存在するとされています。生まれ持った能力のため、早期教育や英才教育によってギフテッドになることはありません。
ギフテッドがクローズアップされるにつれて、発達障害との関連についてもさまざまな議論がなされています。ギフテッドの子どもの中には、興味のあることに対して並外れた集中力や情熱を傾けるなど、ふつうの子どもとは異なる振る舞いが見られる場合があります。それがASDやADHDの子どもの行動と似ていることから、発達障害のある子どもが実はギフテッドなのでは? と期待を寄せる人もいます。
しかし、日本ではまだ、ギフテッドを判定するしくみが整っていません。そのため子どもが並外れた能力や才能を親が目の当たりにしても、ギフテッドであることがわからないまま成長するケースがほとんどです。そういう子どもたちは優れた面がある一方で、さまざまな困難を抱えており、授業についていけなかったり、友だちと良好な人間関係を築けなかったり、感覚が過敏だったりするなど、生きづらさを感じている場合が少なくありません。
そういう子どもたちをサポートするには、できるだけ早い段階から特性に気づくことが重要です。私のクリニックには、幼児期や小学校低学年の子どもたちが多く訪れ、その中には4歳でひらがな、カタカナ、漢字が読めるようになった子ども、宇宙に関する図鑑を丸暗記している子どもなど、驚くような能力のある子どもがいます。
それにもかかわらず、学校に上がってから同級生からのいじめにあったり、教師の無理解にさらされるなどして不適応を起こし、不登校になり、そのまま引きこもりになってしまうケースもあります。
このような子どもたちに対して、私たちは発達障害の要因があると考え、作業療法、心理カウンセリング、SST(ソーシャルスキルレーニング)、ペアレントレーニング、薬物療法などを行いながら、治療を行ってきました。お互いを知り合うことから「人の振り見て我が振り直す」ようになると考え、「ギフテッド・アカデミー」をつくり、親子で最先端の科学を学ぶ会として主宰しています。
このようなギフテッドの要素と発達障害の要素を持つ子どもたちに対して、海外ではその能力を判定し、伸ばしていこうという考え方が根づいています。日本でも経済産業省による「EdTec(未来の教室)」の一環として、さまざまな取り組みが始まろうとしています。
こうした動きが、やがて発達障害のある人の生きづらさを低減し、社会のあらゆる方面に見出され、生き生きと活躍できる世の中になることを願ってやみません。(後略)

注:ちなみに、 a) アメリカのギフテッド教育事情については次のWEBページを参照して下さい。 「アメリカのギフテッド教育事情」 b) ギフテッド(ギフティッド)児の誤診に関連するWEBページは次を参照して下さい。  「ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性 (1)」、「ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性 (2)」 c) ギフテッドと発達障害の違いについては次のWEBページを参照して下さい。 「高度な潜在能力を持つ【ギフテッドと発達障害の違い】とは?~医師監修~」 d) ギフテッドや2E(twice-exceptional)の児童・生徒への支援については次の資料を参照して下さい。 「2Eの児童・生徒への支援について -社会からの支援が得られていない子供達-」 加えて、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」については次のWEBページを参照して下さい。 「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」(注:上記「有識者会議」については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 『文部科学省「才能教育」有識者会議 - 2E教育フォーラム』 そして、上記「2E教育」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「2E教育を学ぶ」) e) ギフテッドの日本における教育の可能性については、WEBページ「ギフテッドの概念と日本における教育の可能性」からダウンロード可能な資料「ギフテッドの概念と日本における教育の可能性」を参照して下さい。 f) ギフテッドにおける「過興奮性」(又は「刺激増幅受容性」)については、次のWEBページを参照して下さい。 「Gifted:ギフテッド」 g) 「知能検査とギフティッドの判定」については次のエントリを参照して下さい。 「知能検査とギフティッドの判定」 ちなみに、エントリ「米国で開催されたギフティッドに関する国際会議に参加して」もあります。 「米国で開催されたギフティッドに関する国際会議に参加して」 h) 引用中の「人の振り見て我が振り直す」がひょっとして役立つかも場面かもしれない「大事なことは、また必ず登場する(と信じる)」との記述については次の Querie.me を参照して下さい。 「先生は文献などで得た新しい知識をどのようにして自分の中に定着させていますか?」 i) ギフテッドについての本の例を次に紹介します。 『杉山登志郎、岡南、小倉正義の本、「ギフテッド 天才の育て方」(2009年発行)』 j) 拙訳はありませんが、特に女性の上記2E(twice-exceptional)については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の 1. Cognitive/Intellectual Abilities の「Twice – Exceptionality.」項

≪余談7≫資料や論文の紹介、その他

最初に自閉スペクトラム症に関する日本語の資料を次に紹介します。

[1] 「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷について

[2] 「軽度発達障害児の感覚統合機能評価の妥当性に関する研究

注:i) タイトルの「軽度発達障害」は知的障害を伴わない発達障害のことを指すようです。ただし、これは決して障害自体が軽いことの意味ではないと考えます。 ii) この資料には「姿勢、平衡機能の問題」を含む紹介があります。

[3] 「アスペルガー症候群を持つ女性の恋愛と性の課題 -3つの症例を通して-

注:i) この資料中の「タイムスリップ現象」及び「フラッシュバック」については共にリンク集を参照して下さい。 ii) この資料中の「ハイコントラスト知覚特性」に関する引用はここを参照して下さい。 iii) この資料中の問題への対処として大切であると本エントリ作者が考える部分を次に引用します。ちなみに、男女を問わず大切であると本エントリ作者は考えます。 iv) 一方、以下に引用するように、この資料中にはまるで疲れを感じられない(ここにおける引用を参照)ように理解できる記述があります。 v) さらに引用はしませんが、この資料中には「Cさん」の例において感覚過敏に関する記述があります。ちなみに、アスペルガー症候群の感覚過敏に関する資料は一例として、他の拙エントリのここで紹介しています。

そして大切なことは、彼女たちが各自の特性を理解し、自分自身の取り扱いマニュアル作成に行きつくことである。

3例ともに、「適当に」は理解できず、 自分が「元気」なのか「疲労しているのか」という内部感覚もわからず、頑張って行動し続けてある時突然動けなくなるというパターンを繰り返した。

注:この引用は上記疲れに関する記述です。これと同様な内容の記述を含む引用はここここ及びここを参照して下さい。

[4] 「ライフステージに応じた自閉症スぺクトラム者に対する支援のための手引き」、その他
標記資料の「3. 青年期・成人期:男性」項(P8~P10)及び「4. 青年期・成人期:女性」項に自閉症スぺクトラム者の男性及び女性の特徴が示されています。この項以外にも、自閉症スぺクトラム者の女性に関連する記述があります。

ちなみに、この資料の「4. 青年期・成人期:女性」項の P10~P11 に次のように記述されており、ここにおける引用と重なる部分があると考えます。

いわゆる「ガールズトーク」や「井戸端会議」のような一般に女性が好むようなおしゃべりを苦手と感じるので、仲間集団や地域のコミュニティにも加わりにくいこともあります。

注:引用中の「ガールズトーク」についてはここを参照して下さい。

これら以外にもほとんどがタイトルを除き拙訳はありませんが、「カモフラージュ」(注:下記を除き引用はありませんが、川上ちひろ、木谷秀勝編著の本「続・発達障害のある女の子・女性の支援 自分らしさとカモフラージュの狭間を生きる」(2022年発行)があります、※1)をはじめとした上記「自閉症スぺクトラム者の男性及び女性」に関連する又は関連するかもしれない Editorial として「Camouflage and autism[拙訳]カモフラージュと自閉症」を、そして論文(全文)を次にリストアップします。
①「Research Review: A systematic review and meta-analysis of sex/gender differences in social interaction and communication in autistic and nonautistic children and adolescents[拙訳]研究レビュー:自閉症と非自閉症の子供と青年における社会的相互作用とコミュニケーションにおける性/性差のシステマティックレビューとメタ分析」
②「The Impact of Socio-Cultural Values on Autistic Women: An Interpretative Phenomenological Analysis[拙訳]自閉症の女性に与える社会文化的価値の影響:解釈的現象学的分析」
③「Development and Validation of the Camouflaging Autistic Traits Questionnaire (CAT-Q)[拙訳]Camouflaging Autistic Traits Questionnaire (CAT-Q) の開発と検証]」※2

注:この論文(全文)の「Discussion」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『Previous research suggested that camouflaging in autistic adults may be associated with poor mental health outcomes, especially anxiety, depression, and generally poor quality of life (Cage et al. 2017; Hull et al. 2017; Lai et al. 2017). The positive correlations between the CAT-Q and measures of social anxiety, anxiety, and depression, and the negative correlation between the CAT-Q and wellbeing, support this idea and offer convergent validation of the measure.[拙訳]自閉症の成人におけるカモフラージュは、不良なメンタルヘルス転帰、特に不安、抑うつ、及び一般的に不良な生活の質(Cage et al. 2017; Hull et al. 2017; Lai et al. 2017)と関連するかもしれないことが、以前の研究で示唆された。CAT‐Q と社交不安、不安、及び抑うつの測定値との間の正の相関、そして CAT‐Q とウェルビーイングとの間の負の相関は、この考えを支持し、測定値の収束的検証を与える。』(注:引用中の「Cage et al. 2017」、「Hull et al. 2017」、「Lai et al. 2017」はそれぞれ次の論文です。 「Experiences of Autism Acceptance and Mental Health in Autistic Adults」、「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」、「Quantifying and exploring camouflaging in men and women with autism」)

④「Is social camouflaging associated with anxiety and depression in autistic adults?[拙訳]自閉症の成人において社会的カモフラージュは不安や抑うつに関連するか?」※3
⑤『"Camouflaging" by adolescent autistic girls who attend both mainstream and specialist resource classes: Perspectives of girls, their mothers and their educators[拙訳]通常及び専門家リソースのクラスの両方に出席する思春期の自閉症の女の子による「カモフラージュ」:女の子、彼女らの母親及び彼女らの教育者の視点』
⑥「Camouflaging in an everyday social context: An interpersonal recall study[拙訳]日常の社会的文脈におけるカモフラージュ:対人想起研究」
⑦「The Female Autism Phenotype and Camouflaging: a Narrative Review[拙訳]女性の自閉症の表現型及びカモフラージュ:ナラティブ・レビュー」※4※5
⑧「Cognitive Predictors of Self-Reported Camouflaging in Autistic Adolescents[拙訳]自閉症の青年における自己報告されたカモフラージュの認知的な予測因子」
⑨論文要旨「Camouflaging in autism: A systematic review[拙訳]自閉症におけるカモフラージュ:システマティックレビュー」[注:論文(全文)はWEBページ「Camouflaging in autism: A systematic review」からダウンロード可能です。「osf.io」をクリックして下さい] 加えて、論文(全文)「Social Camouflaging in Females with Autism Spectrum Disorder: A Systematic Review[拙訳]自閉スペクトラム症を伴う女性における社会的カモフラージュ:システマティックレビュー」もあります。その上に、上記「社会的カモフラージュ」に関連する資料は※※の a) 項を、WEBページは以下を それぞれ参照して下さい。 「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」の『“普通の人”になるための苦しい対処「社会的カモフラージュ行動」』項
⑩「Self-reported camouflaging behaviours used by autistic adults during everyday social interactions[拙訳]自閉症の成人が日常的な社会的交流の中で用いる自己申告によるカモフラージュ行動」
⑪「Social camouflaging in autism: Is it time to lose the mask?[拙訳]自閉症における社会的カモフラージュ:仮面を脱ぐ時期なのか?」※6
⑫「Brief Report: Sex/Gender Differences in Symptomology and Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Disorder[拙訳]簡単な報告:自閉スペクトラム症を伴う成人での症状及びカモフラージュにおける性差」
⑬「Gender Differences in Self-Reported Camouflaging in Autistic and NonAutistic Adults[拙訳]自閉症の及び非自閉症の成人での自己申告によるカモフラージュにおける性差」
⑭「Social Camouflaging in Autistic and Neurotypical Adolescents: A Pilot Study of Differences by Sex and Diagnosis[拙訳]自閉症及び定型発達青年における社会的カモフラージュ:性及び診断による違いのパイロット研究」
⑮「Sex Differences in Autism Spectrum Disorder: Focus on High Functioning Children and Adolescents[拙訳]自閉スペクトラム症における性差:高機能な子どもと青年に焦点を当てる」
⑯「Sex/Gender Differences in Camouflaging in Children and Adolescents with Autism[拙訳]自閉症を伴う子ども及び青年でのカモフラージュにおける性差」
⑰「Sex and gender impacts on the behavioural presentation and recognition of autism[拙訳]自閉症の行動提示及び認識に与える性とジェンダーの影響」

加えて、上記「カモフラージュ」に関連する論文要旨を次にリストアップします。
[a] 「The mask of autism: Social camouflaging and impression management as coping/normalization from the perspectives of autistic adults[拙訳]自閉症の仮面:自閉症成人の視点からのコーピング/ノーマライゼーションとしての社会的カモフラージュ及び印象の管理」※7

その上に、上記「カモフラージュ」やこれに関する「過剰適応」に関連する日本語のWEBページや資料を次にリストアップします。
(i) 『「不登校」や「うつ」とも関連、発達障害のある女の子の「カモフラージュ」とは? 早期から過剰適応、9歳ごろまでの対応が大事
(ii) 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義
(iii) 『「発達障害」との向き合い方』の「自閉スペクトラムの人たちの選好性と過剰適応」シート~「発達障害の人たちの過剰適応」シート

※1:上記カモフラージュについての定義の例及びカモフラージュする動機について、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の「2 カモフラージュとは」における記述の一部(P22~P23)を次に引用します。

「カモフラージュ」とは,社会的な場面においてASD的な特徴がなるべく出ないようにするために,当事者が意識的にあるいは無意識的に用いる方略のことを指します。その中には,本人の意思で学んだものと,意図して学ぼうとしたわけではないけれども身につけたものの,両者が含まれていると考えられています(Hull et al., 2020b)。
そもそも,なぜ発達障害のある人たちはカモフラージュをするのでしょうか。Hull ら(2017)がASDのある人に対して実施した調査からは,カモフラージュは周囲との「同化」と「つながり」という大きく2つの動機によって支えられていることが示されています。「同化」とは,「普通に見えるようにするため」,「社会の中で機能するため」,「安全と健康を保つため」など,周囲の環境にうまくなじもうとする動機を指します。またもう一つの「つながり」には,「人とのつながりや関係を得るため」,「対人関係の失敗とそれに伴うストレスの回避のため」など,主に人との関係性に関わる動機が含まれます。この研究からは,カモフラージュの背景には,当事者が社会の中で生きていくうえで経験する葛藤や困難があることが窺えます。
同様に Livingston, Shah, & Happé(2019)は,何らかの社会的困難を経験していると回答した人の「補償」方略(ここではカモフラージュと同義と考えてよいかと思います)を調査しました。その結果,「補償」方略には様々な要因が影響していましたが,特にASD当事者の内的な要因のうち,多くが「他者との関係性を築くことへの高い動機」を報告しました。また外的な要因には,他者からの拒絶やいじめの回避,「補償」方略をすることへのプレッシャーを感じていたことなどが示されました。(後略)

注:(i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 (ii) 引用中の「Hull et al., 2020b」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Hull ら(2017)」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 (iii) 引用中の「Livingston, Shah, & Happé(2019)」は次の論文です。 「Good social skills despite poor theory of mind: exploring compensation in autism spectrum disorder」 (iv) 引用中の「ASD」と「カモフラージュ」に関連する、 [a] 「ASD の人は自分をカモフラージュして生きているために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい」ことや「70% の ASD の人がカモフラージュしているという指摘もある」ことについて、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行) の 第Ⅲ部 AS/ASD を診断・告知する の 成人期の ASD の人の現状 の 「成人期の ASD の生きづらさとカモフラージュ」における記述の一部(P048~P049)を以下に引用します。 [b] 『コミュニ―ケーションに関するASD者の悩みの1つともいえるのが、「カモフラージュ」(camouflage)』であることについて「カモフラージュに対するメリットとデメリットを含めて、井出正和著の本「発達障害の人には世界がどう見えるのか」(2022年発行)の 第3章 発達障害の人の苦しみを知る の「カモフラージュで隠そうとする」における記述の一部(P152~P154)を以下に引用します。加えて、上記「自分をカモフラージュして生きているために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい」ことに関連する、 1) 「強度の疲労ステレオタイプへの疑問視,自己認知への怖れ」について、上記本の 第Ⅱ部 AS を理解する の AS/ASD をめぐるスティグマ の 「セルフスティグマとカモフラージュ」における記述の一部(P038~P039)を以下に、 2) 「カモフラージュをすることが本人にとって多大な負担を強いるものである」ことや『カモフラージュをすることで「本当の,あるいは自然な自分の姿について偽る」』ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第3章 日常生活を支える方略から見たカモフラージュ の『2 「本当の自分」と「偽りの自分」という図式』における記述の一部(P39)を以下に、 [c] 引用中の「補償」に関連する『補償をさらに「浅い補償」と「深い補償」に分けた』ことについて、サラ・バーギエラ著、ソフィー・スタンディング絵、田宮裕子、田宮聡訳の本、「カモフラージュ 自閉症女性の知られざる生活」(2023年発行) の 訳者解説 の 3.カモフラージュについて の「1) カモフラージュとは」と「2) カモフラージュの心理的負担」における記述の一部(P44~P45)[注:この引用部の著者は上記訳者です]を以下に それぞれ引用します。

成人期の ASD の生きづらさとカモフラージュ

ASD の人は自分をカモフラージュして生きている(Gould & Ashton-Smith, 2011)ために疲弊しやすく,自己認知が混乱しやすい(Hull et al., 2017)。Wing(1981)は古くから知的に高い女児の自閉スペクトラムは見逃される可能性を指摘していた。アイコンタクトを無理にとったり,思春期の女性が自分の好みを押し殺して普通の女子高校生の真似をして普通の女子高校生らしい表情,話し方,ファッションや話題に同一化するような事態である。70% の ASD の人がカモフラージュしている(Cage et al., 2018 ; Cage & Troxwell-Whitman, 2019)という指摘もある。(後略)

注:i) この引用部の著者は内山登紀夫です。 ii) 引用中の「Gould & Ashton-Smith, 2011」は次の資料です。 「Missed diagnosis or misdiagnosis? Girls and women on the autism spectrum」 iii) 引用中の「Hull et al., 2017」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 iv) 引用中の「Wing(1981)」は次の論文です。 「Asperger's syndrome: a clinical account」 v) 引用中の「Cage et al., 2018」は次の論文です。 「Experiences of Autism Acceptance and Mental Health in Autistic Adults」 vi) 引用中の「Cage & Troxwell-Whitman, 2019」は次の論文です。 「Understanding the Reasons, Contexts and Costs of Camouflaging for Autistic Adults

カモフラージュで隠そうとする

また、コミュニ―ケーションに関するASD者の悩みの1つともいえるのが、「カモフラージュ」(camouflage)です。
カモフラージュとは、ASD者が定型発達者とコミュニケーションをとる際、ASD特性が目立たないように、定型発達者の言動を真似したり、ASD特性を隠そうとしたりする行動のことです。本人が意識的に行っている場合もあれば、無意識で行っている場合もあります。類似の表現としては「社会的カモフラージュ行動」「マスキング(masking)」「補償(compensation)」「仮の姿」「役を演じる」などがあります。
わかりやすい例を挙げると、「誰かの発言を周りの人が笑ったら、それに合わせて自分も笑う」といった行動です。「1人が面白いことを言って、その内容にみんなが笑っている。自分は何が面白いのかよくわからないが、とりあえず笑うことでASD特性を隠す」といった行動をとるわけです。
ASD者のカモフラージュは、会話時だけにとどまりません。日常のさまざまな行動に及びます。例えば、保育園や幼稚園に通う園児であれば、
「ほんとは『ヒーローごっこ』なんてしたくない。でも、変だと思われたらイヤで言えない」
「粘土のにおいがきつくて大嫌い。でもみんなが楽しそうにやっているのに1人だけやりたくないなんて言えない」
「みんなで一斉に朝の挨拶をすると、声の大きさでクラクラしてしまう。でも、挨拶はやめてなんて言えない」
「誰かがさっきまで遊んでいたおもちゃには触りたくない。でも、そんなこと言ったらわがままだと怒られそうで言えない」
……といった感じで、日々我慢をしている可能性があります。
ASD特性を隠すカモフラージュによって、ASD者はさまざまな〝メリット〟を得られます。実際はともかくとして周囲とのコミュニケーションは円滑に進みますし、就学や就職など人生の転機において不利になることもありません。
ただ、その一方で、カモフラージュには大きな〝デメリット〟も生じます。絶えず自分の行動をコントロールしようとすることで強いストレスがかかり、精神的に疲弊し、抑うつ状態や不安症などの合併につながる危険もあります。また、「仮の姿」で過ごしているため、自己肯定感が低下するともいわれています。
知的障害を伴わない高機能ASD者などの場合、子どもの頃から無意識で行い、そのままスムーズに社会生活を送ることができていると、周囲も自分自身も「ASD特性がある」ということになかなか気づけないことがあります。また、理由は定かではありませんが、「男性よりも女性の方がカモフラージュをすることが多く、周囲や自分自身がASD特性に気づきにくい」といわれています。
ちなみに大きな環境の変化は、カモフラージュを困難にすることがあります。大学への進学などが一例です。「高校までは昔からの友達と過ごしてきたため、カモフラージュができだが、友達が一変し、また一人暮らしなどを始めて自分自身のライフスタイルも大きく変わった。そのため、それまでのカモフラージュが通用しなくなり、自分自身のASD特性が露わになった」――といったケースです。
進学、就職、転職など人生の節目を機に 「自分のASD特性に気づきました」という人も多いのです。(後略)

セルフスティグマとカモフラージュ(中略)

近年,セルフスティグマとの関連で「カモフラージュ」が関心を集めている。「カモフラージュ」とは,ASD のある人が ASD でないかのようにふるまうことである。障害の診断に至らない高機能の Autism Spectrum Condition(ASC)のある人,特に成人女性にカモフラージュが見られることが多い。Hull et al.(2017)は,カモフラージュの要素として,①他者とのつながりを求めることがモチベーションになっていること,②見せかけることとその代償作用で構成されていること,③短期的および長期的結果として,強度の疲労ステレオタイプへの疑問視,自己認知への恐れの3つをあげている。このようにカモフラージュは,スティグマと深く関係している(Perry et al., 2021)。疫学研究によれば ASD は,4:1 で男性の方が多いとされているが,より臨床的な研究調査によれば,男女の性差は 3:1(Sun et al., 2014)である。その一因として,ASD のある女性はカモフラージュによって未診断(あるいは診断の遅れ)や誤診につながっていると考えられる(Hull et al., 2017)。カモフラージュが女性に多く見られるという点では,日本も英国も差異はないように思う。(後略)

注:i) この引用部の著者は鳥居深雪です。 ii) 引用中の「Hull et al.(2017)」や「Hull et al., 2017」は共に次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions」 iii) 引用中の「Perry et al., 2021」は次の論文です。 「Understanding Camouflaging as a Response to Autism-Related Stigma: A Social Identity Theory Approach」 iv) 引用中の「Sun et al., 2014」は次の論文です。 「Parental concerns, socioeconomic status, and the risk of autism spectrum conditions in a population-based study

2 「本当の自分」と「偽りの自分」という図式

近年,英語圏をはじめとする諸外国の研究者らによって,発達障害者のカモフラージュに関する論文が多く発表されています。こうした論文を読んでみると,カモフラージュをすることが本人にとって多大な負担を強いるものであることがわかります。たとえば,Hull ら(2017)によると,これは「強い集中力と自制,違和感のマネジメント」を要するものであり,本人に多大な精神的,身体的,感情的な負荷をかけることが当事者へのアンケート調査から明らかになったとしています。また,カモフラージュをすることで「本当の,あるいは自然な自分の姿について偽る」ことになり,自身が何者なのか,という自己認識を変容させるものであること,ひいては自身の確かさを失いかねないものであることを指摘しています。さらには,こうしたカモフラージュされた人格を通して関係性を形成した友人などに対して,相手を「騙して」おり,したがってその友情そのものが「偽物」であると感じる被験者もいたとのことです。(後略)

注:i) この引用部の著者は照山絢子です。 ii) 引用中の「Hull ら(2017)」は次の論文です。 「"Putting on My Best Normal": Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions

1) カモフラージュとは(中略)

リビングストンらは、カモフラージュを「マスキング」と「補償」に分け、補償をさらに「浅い補償」と「深い補償」に分けました。マスキングというのは、自分が本来とろうとする行動を控えることです。(中略)

これに対して補償というのは、自分が本来とらない新たな行動をとることです。この補償のうち、比較的単純でワンパターンなものを浅い補償と呼び、もう少し複雑で柔軟な適応性をもつものを深い補償と呼びます。(中略)

日本の当事者たちの間でもカモフラージュが話題になることがあり、「仮の姿」「役(を演じる)」などと言い表されることがあります。訳者らが臨床現場で実際に出会った若者は、「擬態」「コスプレ」という表現を用いていました。いずれも、定型発達者の「ふりをする」という意味合いです。

2) カモフラージュの心理的負担
カモフラージュをすることには、社会生活がスムーズになる、就職で有利になるといった利点もありますが、日常生活において絶え間なく自分の行動をコントロールしなければならない結果、心理的に疲れ切ってうつ病や不安症を発症したり、自己肯定感が低下したりするという欠点も指摘されています。
日常生活で常にカモフラージュしていなければならない心理的負担というのは、当事者でないとわからないかもしれません。だからこそ、本書で述べられているような生の言葉が貴重なのです。ここでは、『アスベルガー的人生』(原題は“Pretending to be Normal”で、まさに「正常を装う」です)の著者で、高機能自閉症スペクトラム障害をもつ女性ウイリーの言葉を紹介します。

私には、どんなにがんばっても、二つの世界を目立たぬように行き来することができなかった。一方には標準的な人々の住む世界があり、他方には不ぞろいの人々の住む世界がある。どちらか片方の世界を離れ、もう片方の世界に入ったとたん、私はきまって、大声で到着を宣言してしまっているようなのだ。標準の世界を訪れるときはまだいい。自分にも比較的自信を持っていられるし、たいていは冷静さを保つこともできる。ただその代わり、いつよそ者と見破られるか、常にはらはらしていなくてはならないけれども。(p.48)

「常にはらはらしていなくてはならない」苦しさはどれほどのものか、想像するにあまりあります。(後略)

注:i) 本引用の一部に即した引用中の「リビングストン」(Livingston)が発表した論文についてはここの (iii) 項を参照して下さい。 ii) 引用中の『アスベルガー的人生』については他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません。

※2:「Hull ら(2019)は,“Social Camouflaging”※6を3つの要素で説明している」ことについて、同の 第Ⅱ部 「自分らしさ」とカモフラージュの狭間を生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第8章 インタビュー調査から見えてくるカモフラージュ の「3 社会で生きていくために,カモフラージュする」における記述の一部(P128)を次に引用します。

(前略)Hull ら(2019)は,“Social Camouflaging”(今回は,「カモフラージュ」と同じ意味で捉えます)を3つの要素で説明しています。第1の要素が,Compensation(補償:社会的な困難さやコミュニケーションの困難さを補償するための方略),第2の要素が,Masking(仮面:自閉症でない,あるいは自閉症らしくないように覆った面を他人に見せるための方略),第3の要素が,Assimilation(同化:自分にとって不快な状況でも,不快に感じていると他者にはわからないよう周囲に合わせるための方略)です。(後略)

注:i) この引用部の著者は岩男芙美です。 ii) 引用中の「Hull ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) ※3も参照すると良いかもしれません。

※3:『「社会的カモフラージュ」は,本人の過重な負荷となって二次障害を招きかねない(Hull et al., 2021)』ことについて、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行)の 第Ⅰ部 序論 の 特異な選好(preference)をもつ種族(tribe)としての自閉スペクトラム の「共生社会に向けて」項における記述の一部(P007)を次に引用します。

独特な選好性が強い AS の人では,社会に適応するために膨大な労力を要する。自分の選好性を強く抑圧し,過剰適応に陥る可能性がある。定型発達コミュニティに適応するため,意識的・無意識的に AS 特性を隠して定型発達の人たちの行動を模倣する「社会的カモフラージュ」は,本人の過重な負荷となって二次障害を招きかねない(Hull et al., 2021)。(後略)

注:i) この引用部の著者は本田秀夫です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2021」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「AS」は「Autism Spectrum」(自閉スペクトラム)の略です。 iv) 引用中の「選好性」については例えばWEBページ「自閉スペクトラム症における特別な興味:研究の動向と展望」からダウンロード可能な資料「自閉スペクトラム症における特別な興味 ―― 研究の動向と展望 ――」の「3.4 選好性という観点の可能性」項(P408)やWEBページ『発達障害の人の余暇から見える「重要な視点」 「選好性」の違いと捉えるとうまくいく(ページ3)』の『特性を、対人関係の「選好性」として考えてみる』項を それぞれ参照して下さい。

※4:「カモフラージュは男女の間で違うのかの問いの検討」について、Hull et al.(2020b)のまとめに沿ったカモフラージュの測定を行う方法を含めて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の「3 カモフラージュの性差」における記述の一部(P23~P26)を次に引用します。

(前略)本節では,「カモフラージュは男女の間で違うのか」という問いを検討した研究を概観していきます。
はじめに,男女それぞれのカモフラージュを測定し,その量的な比較を試みた研究知見を見ていきます。その際,Hull et al.(2020b)のまとめに沿って,それぞれ異なるアプローチによってカモフラージュの測定を行う2つの研究方法に分けて紹介します。

(1) 「不一致」アプローチ

1つ目は「不一致」アプローチです。これは,当事者自身が評価する,あるいは何らかの課題の遂行によって測定される本当のASDの状態(内側の状態)と,周囲が評価するASDの状態(外側に表出される状態)がずれている程度,食い違っている程度を数値化し,それを「カモフラージュの得点」とする評価方法です。例えば,当事者に自分のASDの特性について質問紙などで評価してもらい,あわせて観察者が当事者のASDの行動特徴を客観的な尺度を用いて評価します。そして,観察者が評価した「外側から見た状態」と当事者が評価した「本当の状態」を比較する(引き算をする)方法です。すると,当事者自身はASDの障害の程度について重く評価しているものの,観察者による評価はそれほどでもない場合,それは内側の本当の状態がカモフラージュによって隠されている(つまり「カモフラージュ得点が高い」)と考えられます。
この「不一致」アプローチによる研究をいくつか見ていきましょう。例えば Lai ら(2017)の調査では,「ASDのある女性の方が,男性よりもカモフラージュ得点が高い」という結果が得られています。同様に Schuck ら(2019)では,「ASDのある女性の方が,男性よりもカモフラージュ得点が高い」ことに加えて,「女性ではカモフラージュを多くする人ほど,特にポジティブな感情を出さない傾向がある」ことも示されました。ここから,女性はカモフラージュとして,自分の気持ちや感情をコントロールしている可能性が窺えます。
他にも「本当のASDの状態」を捉える観点として,ASDのある思春期の子どもを対象に,言葉の使い方(Parish-Morrise et al., 2017)や他者の心を理解する能力(Livingston, Colvelt, Bolton, & Happé,2019; Wood-Downie et al., 2021)など,特定のスキルに着目した研究もなされています。そしてこのような「不一致」アプローチによる研究全体からは,概ね「カモフラージュは男性よりも女性に多く見られる」ことが示されています。ただしこれは,女性により多いということであり,男性にカモフラージュが見られないわけではないので注意してください。

(2) 「観察/省察」アプローチ

もう1つの方法として,「観察/省察」アプローチがあります。これは,カモフラージュ行動を直接観察したり,当事者や周囲の人に聞き取ったりすることで カモフラージュの程度を測定する方法です。(中略)

そのほか,当事者の観察や省察をもとに,カモフラージュ行動を測るアンケートも作成されています。代表的なものにCAT-Q(Camouflaging Autistic Traits Questionnaire)(Hull et al., 2019)があります。このCAT-Qを用いて,知的障害のないASDのある大人と定型発達者に実施した調査では,「ASDのある男女では,女性の方がカモフラージュをより多くしている一方で,定型発達の男女では差が認められなかった」ことが示されています。また,男性同士,女性同士の比較においては,「ASDのある女性の方が定型発達の女性よりもカモフラージュを多くしており,男性では診断の有無による違いは見られなかった」という結果が得られています(Hull et al., 2020a)。
一方で,性差が見られなかったという結果を報告している研究もあります。例えば,知的障害のないASDのある思春期の子どもを対象にCAT-Qを実施した調査結果からは,統計的に意味のある性差は認められませんでした(Jorgenson et al., 2020)。他にも,カモフラージュを含めた適応方略を測定するチェックリストを作成した調査研究においても,ASDのある男女の間に差はなかったことが示されています(Livingston et al., 2020)。
このように「観察/省察」アプローチは,カモフラージュをより直接的に測定することを試み,比較的簡単に実施できるアンケートとしての発展も見せてきました。しかしながら先行研究の結果は一貫しておらず,「観察/省察」アプローチによってなされた研究全体からは,「カモフラージュがASDのある女性に特有のものである」と言い切れるだけの知見は得られていない状況です(Hull et al., 2020b)。

(3) カモフラージュは女性に多い?

以上,「不一致」アプローチと「観察/省察」アプローチという2つの方法によってカモフラージュの測定を試み,そこから性差を検討した研究を紹介しました。いずれのアプローチにおいても長所と短所がありますし,そもそもこのような方法で正確にカモフラージュを測れているのかは検討が必要です。そしてまだ研究の数が少なく,カモフラージュの男女差について明確な結論が出ていない段階でしょう。しかし,その中でも強いていえば,「カモフラージュはASDのある男女ともに見られるものの,女性により多く見られる」といえるかもしれません。
また,カモフラージュは男性と女性で用いられる方法も同じではないことが示唆されています(Hull et al., 2020a; Jorgenson et al., 2020)。ここから,ASDのある男性と女性では,カモフラージュの量的な違いだけではなく,質的な側面においても違いがあると推測されます。そのため,カモフラージュの性差を捉えるうえで,「男性と女性でどちらが多い/少ないのか」という視点だけではなく,「なぜ,どのように違うのか」という視点からの検討が必要でしょう。(後略)

注:i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2019」、「Hull et al., 2020a」、「Hull et al., 2020b」を指す論文はそれぞれここここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Lai ら(2017)」は次の論文です。 「Quantifying and exploring camouflaging in men and women with autism」 iii) 引用中の「Schuck ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iv) 引用中の「Parish-Morrise et al., 2017」は次の論文です。 「Linguistic camouflage in girls with autism spectrum disorder」 v) 引用中の「Livingston, Colvelt, Bolton, & Happé,2019」は次の論文です。 「Good social skills despite poor theory of mind: exploring compensation in autism spectrum disorder」 vi) 引用中の「Wood-Downie et al., 2021」を指す論文はここを参照して下さい。 viii) 引用中の「Jorgenson et al., 2020」を指す論文はここを参照して下さい。 ix) 引用中の「Livingston et al., 2020」は次の論文です。 「Quantifying compensatory strategies in adults with and without diagnosed autism

※5:『Hull et al.(2020b)は,「人は社会的状況に自分がうまく調和していないと感じると,その状況になじむように適応的な行動をとろうとする」と述べている』ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の 4 ASDのある女性のカモフラージュに影響しうる要因 の (1) ASDのある個人の心理的要因 の「①自分の特性の自覚しやすさ」における記述の一部(P29)を次に引用します。

(前略)Hull et al.(2020b)は,「人は社会的状況に自分がうまく調和していないと感じると,その状況になじむように適応的な行動をとろうとする」と述べています。ここから,ASDのある女性は周囲の女性との違いを感じ,かつそれについて悩むために,環境に適応的な行動をとろうする,つまりカモフラージュをより行おうとすると推測されます。

注:i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 ii) 引用中の「Hull et al., 2020b」を指す論文はここを参照して下さい。

※6:“Social Camouflaging”が使われていることについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第1章 発達障害のある女の子・女性とカモフラージュ の『2 「カモフラージュ」の定義』における記述の一部(P4)を次に引用します。

(前略)同時に,カモフラージュの問題は,インフォーマルな状況(木下が指摘する〈内側の世界の私〉など)よりもフォーマルな状況(木下が指摘する〈外側の世界の私〉など)や社会的状況で生じる行動方略や苦悩に対する理解や支援を考える視点から,“Social camouflaging”が使われています(Mandy, 2019,Schneid & Raz, 2020)。(後略)

注:i) この引用部の著者は木谷秀勝です。 ii) 引用中の「Mandy, 2019」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Schneid & Raz, 2020」を指す論文はここを参照して下さい。 iv) ※3も参照すると良いかもしれません。

※7:「発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴を整理する時,Milner ら(2019)の質的研究が参考になる」ことについて、同の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第1章 発達障害のある女の子・女性とカモフラージュ の 3 カモフラージュに関する3つの疑問 の「(4) 発達障害のある女の子・女性が抱える「カモフラージュ」とは」における記述の一部(P10~P11)を次に引用します。

(前略)発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴を整理する時,Milner ら(2019)の質的研究(18名の当事者,4名の母親)が参考になります。Milner らの研究では,FAP(Female Autism Phenotype:女性特有の自閉的行動様式)を5つの側面から分析しています。具体的には,規範や慣習に合わせる,自閉症の女性にとって目に見えない障壁,自閉症の否定的側面,他者からの目線,自閉症の肯定的側面の5つの側面(表1-1)です。
そこから見えてくる発達障害のある女の子・女性のカモフラージュの特徴は,次の7項目に整理できます。

①男性よりも,周囲との関係性を希求する傾向が高い。
②「受動型」の場合には,特に「普通のような」振りを維持する傾向がある。
③適切な診断や支援が十分でないために,「普通のような」振りから「自閉症の肯定的側面」へと切り替えるスキルの獲得が難しい。
④その結果,「自己評価」の低下から不安や抑うつなどの内在化障害を併発しやすい。
⑤しかも,感覚障害が強い場合には,併存症のリスクが高くなりやすい。
⑥特定の趣味や興味を持つことや,自分の生活リズムを維持することで現状を乗り切ることはできる。
⑦ただし,主体的に将来展望のある対処方略を獲得するために重要になる身近な女の子・女性モデルの存在や家族・周囲の理解を得ることが難しい。(後略)

注:i) この引用部の著者は木谷秀勝です。 ii) 引用中の「Milner ら(2019)」を指す論文はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「表1-1」の引用は省略します。 iv) 引用中の「受動型」についてはその別名である「受身型」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。

※※:なおタイトルを除き拙訳はありませんが、上記「カモフラージュ」に関連する次のWEBページもあります。 「Girls and women who have Asperger's[拙訳]アスペルガー(症候群)を有する女の子と女性」 加えて、次の日本語の資料もあります。 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義」 その上に、上記「カモフラージュ」に関連する「社会的カモフラージュ行動」についての記述を有する次の日本語のWEBページもあります。 「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」の『“普通の人”になるための苦しい対処「社会的カモフラージュ行動」』項 ちなみに、「過剰なノルマ化」により(自閉スペクトラム症の)二次障害が生じることについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「自閉スペクトラム症の二次障害の成り立ちの理解」 さらに、 a) 次のWEBページからダウンロード可能な資料もあります。 「青年期自閉スペクトラム症の女性にとっての社会的カモフラージュの功罪 : 『ガールの集い』参加者の座談会を通して」、「青年期の女性ASDへの「自己理解」プログラムにおける変化 : 「カモフラージュ」から解放される居場所

これら以外にも、「自閉症の女性や女児の経験に関する近年の質研究によると,面接を受けたほぼ全ての人がもっと早く知りたかった,と述べた」ことについて、「障碍を覆い隠すスキルを有している」ことを含めて、スー・フレッチャー=ワトソン、フランチェスカ・ハッペ著、石坂好樹、宮城祟史、中西祐斗、稲葉啓通訳の本、「自閉症 心理学理論と最近の研究結果」(2023年発行)の 第7章 認知レベルで見た自閉症 -発達軌跡モデル- の「2. 自閉症の早期徴候の研究」における記述の一部(P183)を次に引用します。

(前略)いくつかの事例で,自分の子どものニーズを臨床サービス機関に認識してもらうために,親は悪戦苦闘するかもしれない。特にその子どもが認知的に能力があり,障碍を覆い隠すスキルを有している場合はそうである。同様に,人生の後の方で診断を受ける自閉症の人々は,自らの自閉症を同定するのに要した時間をしばしば悔やむ。自閉症の女性や女児の経験に関する近年の質研究によると,面接を受けたほぼ全ての人がもっと早く知りたかった,と述べた(sedgewick,私信)。(後略)

注:ちなみに拙訳はありませんが、引用中の「sedgewick」が筆頭著者かもしれない論文(全文)例は次を参照して下さい。 「The Friendship Questionnaire, autism, and gender differences: a study revisited」 加えて、引用中の「sedgewick」が著者かもしれない論文(全文)例は次を参照して下さい。 「The Quest for Acceptance: A Blog-Based Study of Autistic Women's Experiences and Well-Being During Autism Identification and Diagnosis」、「Autistic women's diagnostic experiences: Interactions with identity and impacts on well-being

加えてタイトルを除き拙訳はありませんが、上記「自閉症スぺクトラム者の男性及び女性」に関連するかもしれない論文(全文)又は論文要旨を次にリストアップします。
①「A Qualitative Exploration of the Female Experience of Autism Spectrum Disorder (ASD)[拙訳]自閉症スペクトラム症(ASD)の女性の経験の質的探究」
②「Exploring Human-Companion Animal Interaction in Families of Children with Autism[拙訳]自閉症児の家族におけるヒト‐コンパニオン動物間の相互作用の調査」
③「Research on animal-assisted intervention and autism spectrum disorder, 2012-2015[拙訳]動物介在介入及び自閉スペクトラム症に関する研究、2012-2015」

その上に、「自閉症」(又は「自閉スペクトラム症」、「自閉スペクトラム状態」[Autism Spectrum Conditions])の視点からの「ニューロダイバーシティ」(neurodiversity、又は「神経多様性」)については次のWEBページを参照して下さい。 『ニューロダイバーシティの推進について - 経済産業省」、『発達障害の特性を企業の成長戦略に。「ニューロダイバーシティ」へ転換するには?』、(拙訳はありませんが)「Editorial Perspective: Neurodiversity – a revolutionary concept for autism and psychiatry」(注:このWEBページを「素晴らしい」と評価するツイートがあります) ちなみに、上記「ニューロダイバーシティ」に関連する、「本書はとてもニューロダイバーシティ(神経多様性)に富んだものになっていると思う」ことや「本書ではニューロダイバーシティという単語は用いてはいないものの,コンセプトはまさにそれに該当します」について、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行)の「おわりに」項における記述の一部(P233)を次に引用します。

(前略)本書は,「A のときは B をしよう」といった教科書的な「ASD の支援本」ではない,より当事者性の高い心理社会的なテーマが豊富に記述されています(当事者の方々にエッセイを書いていただきました)。言い換えれば,本書はとてもニューロダイバーシティ(神経多様性)に富んだものになっていると思います。ニューロダイバーシティは,今後の AS の人のメンタルヘルスの向上に対し重要なキーワードとなってくるでしょう。本書ではニューロダイバーシティという単語は用いてはいないものの,コンセプトはまさにそれに該当します。AS の人だけが,定型発達的な価値観に必死で合わせるというアンフェアな時代はそろそろ終わりにして,さまざまな人が「違ったまま」共生するという姿勢を,社会が推奨していくべきだと思います。そのムーブメントは欧米から始まりましたが,日本においても目前に近づいています。我々専門家はその好機を逃さず,自分自身の支援者としての価値観の見直しと修正を行いながら,ニューロダイバーシティに基づく社会を構築する責務があると考えています。(後略)

注:i) この引用部の著者は大島郁葉です。 ii) 引用中の「AS」は「Autism Spectrum」(自閉スペクトラム)の略のようです。

[5] Dr 林のこころと脳の相談室(注:HOME はここを参照して下さい)
【1498】曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうか
【1682】アスペルガー症候群の診断を受けることにはどんなメリットがあるでしょうか
【2696】私は中度の自閉症スペクトラムなのでしょうか
【3129】人の話を聞けない・何でも簡単に信じてしまう・異様な緊張・顔が覚えられない・・など
【3148】妹は人をイライラさせることばかりするのですが、性格でしょうか
【3219】発達障害と診断された私の症状です
【3288】自分の発達障害を受け容れ、何とか生きていこうとしています
【3398】自分とうまく付き合っていくための手がかりがほしい
【3782】50代の父親は発達障害なのでしょうか
【3789】攻撃的な部下に困っています

[6] 資料「成人後に診断を受けた軽度発達障害者の現状に関する研究」(WEBページ「 成人後に診断を受けた軽度発達障害者の現状に関する研究」からダウンロード可能です)

≪余談8≫ASD の疫学について

[1] 男女別の ASD 有病率
上記「ASD の疫学」としての「男女別の ASD 有病率」について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.5 疫学(有病率) の 1.5.3 ASD の疫学 の「b. 男女別の ASD 有病率」における記述(P30~P31)を次に引用します。

ASD の有病率の男女比に関しては,一貫して男性に多いと報告されており,おおよそ 4:1 であるとされてきた.なぜ性差があるのかということについて,胎児期の性ホルモンの影響や,遺伝学的な要因によって女性は症状が現れにくいといった仮説が提唱されてきているが,決定的な証拠はいまだ見出されていない.この男女比は,認知機能によって異なることが報告されており,ID を伴うケース(IQ70 以下)では男女比は 2:1,平均以上の IQ をもつケースでは男女比は 6:1 である18).男女比についてまとめたメタアナリシス19)では,すでに ASD 診断を受けている人を対象にした研究に限った場合,男女比は 4.6:1 であり,診断に関係なく一般集団からスクリーニングを実施した研究に限った場合,男女比は 3.3:1 であった.このように,認知機能によって,もしくはすでに診断を受けているかどうかによって男女比が変動することを考えると,特に認知機能に問題のない女性は適切に ASD と診断されていない,すなわち現在の診断基準では見過ごされている可能性が示唆される.
現在の診断基準は,過去の研究結果に基づくものであるが,過去の研究では男性のみを対象とした研究も多く,対象者の偏りがあった(サンプリングバイアス),主に男児を対象とした研究から導き出された,ASD の特性とされる症状は,女性では全体的に少ないという量的な違いがある18).このような量的な違いだけでなく,ASD 特性の質的な違いもあることが指摘されている.例えば,社会的孤立は一般的に ASD の特性と考えられているが,ASD をもつ女性では反対に依存心が強く,仲間に好かれることに過度の関心をもつことがあるといわれている.また,限局的な興味は,モノよりも有名人や本,動物といった対象に向けられるという報告もある20).このような傾向は既存の ASD の診断基準では捉えられにくく,女性の未診断もしくは診断の遅れにつながっている可能性がある(基準バイアス,測定バイアス).さらに,男性は外在化する行動の問題が多いため,医療サービスに紹介される可能性が高い(紹介バイアス).このようなバイアスが相互に作用し,ASD の有病率の性差を拡大させていた可能性がある21).これらのことを考慮し,最近では,ASD の有病率の男女比は以前に考えられていたより小さいと考えられてきている.
ASD 特性をもつ女性は,青年期以降にうつ病摂食障害といった精神症状の合併によってはじめてその特性を認識されることも多く,未診断の ASD が二次障害につながっている可能性がある22).青年期以前の学齢期においても,同年代の女児と比較すると,すでに社会的適応や行動上の困難さを多くもっているという報告もなされてきている23).早期の療育によって,後の社会的な適応が改善するというエビデンスの蓄積を考えると,ASD 特性をもつ女性にも早期療育の機会が与えられることが望まれる.今後,男女の生物学的な差や社会的役割の差なども考慮に入れた上で,性差に関する研究の進展や療育環境の整備が必要である.

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の文献番号「18)」は次の論文です。 「What About the Girls? Sex-Based Differences in Autistic Traits and Adaptive Skills」 iii) 引用中の文献番号「19)」は次の論文です。 「What Is the Male-to-Female Ratio in Autism Spectrum Disorder? A Systematic Review and Meta-Analysis」 iv) 引用中の文献番号「20)」は次の論文です。 「Sex/gender differences and autism: setting the scene for future research」 v) 引用中の文献番号「21)」は次の論文です。 「Sex and gender in psychopathology: DSM-5 and beyond」 vi) 引用中の文献番号「22)」は次の資料です。 「未診断自閉症スペクトラム児者の精神医学的問題」 vii) 引用中の文献番号「23)」は次の論文です。 「Sex Differences in Social Adaptive Function in Autism Spectrum Disorder and Attention-Deficit Hyperactivity Disorder

[2] ASD の併存症の有病率
上記「ASD の疫学」としての「ASD の併存症の有病率」について、同「1.5.3 ASD」の「c. ASD の併存症の有病率」における記述(P31)を次に引用します。

診断基準が DSM-5 に改訂された際,ASD とその他の精神疾患を併記することが可能になり,ASD の併存症への関心が高まっている.ASD をもつ人は,定型発達の人と比較して精神疾患の有病率が高く24),約 70% が 1 つの併存する精神疾患を,40~50% が 2 つ以上の精神疾患をもっていると推定されている5, 25).ASD における併存症は社会的な適応の困難さを著しく増加させ,日常生活に影響を与え,生活の質を低下させる.96 の研究をまとめたメタアナリシスでは24),併存症の有病率は,ADHD 28%,不安症 20%,睡眠-覚醒障害 13%,秩序破壊的・衝動制御・素行障害 12%,抑うつ障害 11%,強迫性障害 9%,双極性障害 5%,統合失調症スペクトラム障害 4% と推定された.抑うつ障害,双極性障害統合失調症スペクトラム障害は年齢が高くなるほど多くみられ,女性が多い研究では,抑うつ障害の割合が高いことも報告された.ASD がこれらの精神疾患のリスクを高めるとするなら,これらの疾患を発症する可能性が大幅に高まる青年期には,特に臨床的な注意が必要である24).
身体疾患の併存症についても多くの研究が出版されており,24 のレビューをまとめたアンブレラレビュー26) によると,ASD をもつ人では,睡眠の問題,てんかん,感覚の障害,アトピー性皮膚炎,自己免疫疾患,肥満の有病率が一般人口と比較して高いことが報告されている.ASD とこれらの身体疾患に共通する神経基盤についてはいまだ解明されていない.

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の文献番号「5」は次の本です。 「American Psychiatric Association : Diagnostic & Statistical Manual of Mental Disorders, 5th ed. American Psychiatric Association, 2013(高橋三郎,他監訳:DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,2014)」 iii) 引用中の文献番号「24)」は次の論文です。 「Prevalence of co-occurring mental health diagnoses in the autism population: a systematic review and meta-analysis」  iii) 引用中の文献番号「25)」は次の論文です。 「Autism」 iv) 引用中の文献番号「26)」は次の論文です。 「Umbrella systematic review of systematic reviews and meta-analyses on comorbid physical conditions in people with autism spectrum disorder」 v) 引用中の「ASD の併存症」に類似するかもしれない「ASD の併発症」についてはその割合を含めて、同の 3 治療 の「3.3 併存疾患1.5 疫学(有病率) の 1.5.3 ASD の疫学 の「b. 男女別の ASD 有病率」における記述(P100)を次に引用します。

近年,難治な精神疾患では,発達の問題を基盤に有していることが多い.その中でも,特に自閉スペクトラム症ASD)の特性による環境への適応障害等が原因となって二次障害として生じる精神科疾患が注目されている.ASD の併発症とその割合では,不安症(42~56%),うつ病(12~70%),睡眠障害(52~73%),注意欠如・多動症ADHD)(28~44%),強迫症(7~24%),摂食障害(4~5%)などが知られている1).(後略)

注:i) この引用部の著者は大島郁葉?です。 ii) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Autism

≪余談9≫『ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある』ことについて、その他

標記について「ピアサポートがうまくいく理由」を含めて、加藤進昌著の本、「ここは、日本でいちばん患者が訪れる大人の発達障害診療科」(2023年発行)の 第6章 発達障害の〝本質〟はどこにあるのか の『ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある』及び「ピアサポートがうまくいく理由」における記述(P204~P215)を次に引用します。

ASDの〝本質〟は「メタ認知」にある

「アイトラッカー」でASDを鑑別する

近年、「アイトラッカー」(視線自動計測装置)を用いて視線の動きをチェックし、ASDの特徴がみられないかどうかを調べ、ASDの診断につなげる研究が進んでいます。被検者が検査室に入ると、モニター画面に3人の人が会話している動画が10秒間映し出されるのですが、その間、被検者の視線がどこに向けられるかを調べるのです。
定型発達の大人にこの検査を実施すると、通常、話している人の目に視線が向きます。話し手の目を見ながら話を聞くという形が一般的なスタイルです。定型発達の子どもの場合は、目ではなく、口を見ることがわかりました。話すときは、目よりも口のほうが激しく動くので、子どもは動かない目よりも、動いている口のほうに注意が向くのです。いずれにせよ、定型発達の人は、大人でも子どもでも、話している人の顔に注目します。
では、ASDの人はどうでしょうか。ASDの患者さんに、このアイトラッカーの検査を実施してみると、話す人の顔に注目しないことが明らかになりました。定型発達の人は、会話している人に視線を向けるのですが、ASDの人は、会話している3人に均等に視線を向け、手や背景のモノにも視線が移っていることがわかりました。つまり、ASDの人は、視線が会話に同調しないのです。
これとは別に、ASDの人のまばたきのタイミングに関する研究も報告されています。一般的に、人は目の前の人がまばたきをすると、無意識のうちにそれに合わせて、自分もまばたきをします。実際に、定型発達の被検者に、人がしゃべっている動画を見せると、その人がまばたきをした直後に被検者もまばたきをします。人間は、会話する際には無意識に相手に同調するわけです。見方によればそれは人類共通の防衛反応といえるかもしれません。目をつぶっている間は無防備になるため、生物にとって非常に危険な状況ですから、周りの生物とまばたきを同期させることで、身の危険を小さくしているのでしょう。
ところが、ASDの人は、動画でしゃべっている人のまばたきのタイミングに合わせることはありません。まったく違うタイミングでまばたきをします。当然といえば当然で、人の顔や目を見ようとしないASDの人が、目の前の人のまばたきの動きを感知するはずがありません。人類の防衛反応の理屈からすると、安全性を欠いた反応ともいえます。
この2つの研究からわかるように、ASDの人は他者に関心をもたず、他者が何を考えているか、どこを見ているかにも興味がなく、他者と何かを共有しようとか、共感しようという意識も乏しいことがうかがえるのです。

「共同注視」が苦手

子どもがASDかどうかを児童精神科の医師が診断するときには、親に「共同注視」の有無について聞くことがよくあります。「共同注視」とは、他者が見ている対象物に自分の視線を向けることを指します。たとえば、母親が空を指さして、横にいる子どもに「ほら、見て」と声を掛けると、定型発達の子どもであれば、母親が指している方向の空を見上げ、飛行機を探します。つまり、母親と子どもが、同じ対象物(ここでは飛行機)を一緒に見て、情報を共有し、共感します。これは「共同注視」ができているということです。
ところが、ASDの子どもの場合は、同じ場面で空を見上げません。注目するのは空ではなく、母親の指先です。たったいま動いた母親の手のほうに関心が向き、そこに視線が移るのです。「ほら、見て」と言われた言葉に、ある意味で正しく反応しているともいえますが、母親と共感していないのです。母親が自分に見てはしいものが何であるかが、ASDの子どもには想像できないために、母親と視線を共有することができません。他者と「共同注視」ができないということは、ASDの典型的な特徴のひとつといわれています。「字義通り性」と呼ばれる特徴です。
「共同注視」のように、定型発達の人が誰から教えられるでもなく、成長過程で知らず知らずのうちに獲得できていることが、ASDの人にはできません。しかし、誤解しないでほしいのですが、ASDの人も、きちんと言葉を補って、見るべき方向を指示してあげれば、同じ対象物に視線を向けることができます。

メタ認知」の弱さがある

ASDは社会性の障害といわれています。しかし、「社会性の障害」という問題は、歴史的には統合失調症の症状として初めて記載されました。自閉症を発見したレオ・カナーは、当初は自閉症を「生まれながらの統合失調症」として報告しました。しかし今日では、自閉症統合失調症はまったく異なる疾患として分類されるに至りました。
自閉症の本質はどこにあるのか、という大問題に対して、これまでにいくつかの仮説が提唱されてきましたが、決定的な結論には至っていません。自閉症の延長として考えられるに至ったASDが加わった今日、それらを統一する理論はまだわかっていないと言わざるを得ません。
ASDの社会性の乏しきは、その特性ともいえる、「共同注視」ができない、他者が関心を示す対象に同調しない、他者の存在が見えていないといったところに〝本質〟があると私は考えています。そして、他者への意識がない(低い)ということが、結果的に自分を客観視することができないというところに結びついているのだと思います。
それは少し難しい言葉でいうと、「メタ認知」の問題だといえます。「メタ」(meta)とは「外側(客観)の」という意味で、直訳すれば「客観的認知」ということですが、かみ砕いて言えば、自分の認知のあり方を、さらに一段高い外側の視点がら俯瞰して認知することを指します。
メタ認知」は、「メタ認知的知識」と「メタ認知的技能」に分類されます。「メタ認知的知識」とは、「メタ認知」に必要な自分の情報のことで、具体的には自分の性格や長所短所、好き嫌いなどを指します。ASDの人は「メタ認知的知識」に弱さがあり、自分のことを客観的にとらえることが苦手です。自分の性格がどんなふうか、自分の得意なこと、不得意なことが何かといった自己分析がズレていることが多いのです。
また、「メタ認知的技能」とは、「メタ認知的知識」に基づき、自分の状態を客観的にモニタリングし、そのつど最適な行動がとれるように知識の不足を補い、感情をコントロールして、行動を改善させる能力のことを指します。自分を確認するモニタリングと、確認に基づく感情や行動のコントロールを循環させることで、人間は適応行動がとれるのです。
ASDの人の場合、前提となる「メタ認知的知識」に弱さがあるために、「メタ認知的技能」も低い傾向があります。誤った自己分析に基づいて、自分をモニタリングしたり、コントロールしようとしてもうまくいくはずがありません。その結果、定型発達の人のように、その場その場の状況に合わせて適切な判断や行動をすることが困難になるのです。
ASDの人は、その特性から他者への関心が低く、他者目線で自分を見ることができにくいため、他者と比較して自分を客観視することができず、誤った自己分析に陥りがちで、「メタ認知」が弱くなる傾向にある、ということです。特に、社会経験の浅い、若い人では、社会経験から学び取る情報をもとに、自分の認知のズレを修正する機会も十分に得られていないため、その傾向が顕著に現れます。裏を返すと、「メタ認知」の弱さは、社会経験を増やすことによって補える可能性があるといえるかもしれません。

ピアサポートがうまくいく理由

認知行動療法ではうまくいかない

他者の存在を意識しにくく、「メタ認知」の弱さがあるASDの人に、精神科で一般的に行われる認知行動療法がうまくいくかというと、そこに疑問符がつくことは否めません。
認知行動療法とは、患者さんの認知に働きかけて気持ちを楽にしたり、偏った思考を修正したりする精神療法(心理療法)です。たとえば、強いストレスにさらされた患者が自分のことを「無力な人間だ」と認知するようになってしまっている場合、医師やカウンセラーが、「無力な人間」という患者の思い込みが現実と照らし合わせて食い違っていることに気づかせ、その認知の歪みを少しずつ修正していくものです。
こうした治療法は、不安障害やうつ病の患者さんには有効ですが、ASDの人に対して実践してみると、まったく手応えがないのです。ASDの人には、自分で自分をどう思っているかという意識、言い換えると「自我意識」のようなものがほとんどないように見えます。定型発達の人間から見ると、「何を考えているのかわからない」「何がやりたいのかわからない」といったふうにしか見えません。
そういう人に、「あなたのこの部分は世間の常識とズレているから、考え方を変えたほうがいいですよ」などと言っても、まったく響きません。本人も、「そうか。自分のここが社会の常識から外れているから、修正しなければいけないな」というふうに、受け止めることができないのです。ですから、時間をかけて認知行動療法を重ねていくといった手法では、ASDの人は救われません。
医療や心理の専門家であっても、医師やカウンセラー自身はASDではありませんから、所詮、ASDの人の気持ちにはなれないのです。当事者の本質の部分に触れられないまま、「こう考えるとうまくいくよ」「こうやるとうまくできるよ」という考え方やノウハウを教えて、なんとか社会に適応してもらおうと思っても、一向にうまくいきません。
ASDの人は、処世術のために、自分の意に反した考え方やマニュアルを採用するメリットを感じることはないからです。「理にかなっている」と自ら納得しないと、その考え方ややり方を受け入れ、実践に移すことはないというASDの特性から、世渡りのために、不本意な手段を甘んじて受け入れるという選択をしないのです。他者がどのように見るかということを配慮して「嘘も方便」という選択を私たちはしばしば採用しますが、そういう方策には思い至らない、というわけです。定型発達の人であれば、処世術として割り切って受け入れるであろう得策を、ASDの人は容易に受け入れることはできないのです。

仲間と始める〝共感する経験〟

他者への意識や関心が低いASDの人に、自己洞察を期待して認知行動療法を試みてもうまくいかないということがわかり、「とにかくやってみよう」と取り組んだのが、ピアサポートをベースにしたディスカッションや、ソーシャルスキルレーニングなどのASD専門プログラムでした。取り組みを始めてから15年を経ましたが、この方法が、当事者の社会適応力の向上に一定の成果を示すことが明らかになり、同じような試みを始める専門機関も増えています。このプログラムが成果を上げている大きな要因として、プログラムの実践の場に、〝同じASDの仲間がいる〟ということがあげられると考えています。
ASDの人の「メタ認知」の弱さには、他者を意識し、他者と自分を比較し、自己理解を深める能力の乏しさという背景があるように思います。定型発達の人は、幼い頃から他者に関心をもち、人と共感したり、批判し合ったりする経験を経て、自我を形成し、自己理解を深めることが自然にできます。そういうことを学校で教えてもらうことはありません。あまりにも当たり前だからです。ASDの人の場合は、他者と関わる能力がなぜかはわかりませんが、ほとんど欠如しているように思えます。そのために、自我意識も育ちにくく、「メタ認知」も成熟しないといえます。ただし、それは、ASDの人に自我形成がまったくできないということではないように思います。同じASDの人同士を集めて実践するピアサポートの場では、比較的自然に、メタ認知の乏しさを補うことができているのです。同じ特性をもっている人同士の場では、なぜか「わかりあえる」ようです。
ASDの人が関心を寄せたり、会話を楽しんだり、共感したりできる〝他者〟というのが、ほかでもない、同じ特性をもち、同じ悩みを抱えるASDの人であるということではないかと思います。そういう場では、彼ら同士はなぜか「仲良し」です。〝コミュ障〟などということはまったくありません。
定型発達の人とは話が噛み合わず、共鳴し合うことができないASDの人が、ASDの人となら共感できるということが、デイケアを実践していくうちにわかってきました。このことは、ASDの治療において、大きな収穫だったといえます。
大学を卒業し、専門的な知識や技術を身につけたASDの患者さんであっても、「デイケアに通って、就労を目ざしませんか?」と最初に働きかけても、反応は乏しいと言わざるを得ません。彼らの多くは、社会参加を必ずしも求めていないのです。
その人たちを説得し、デイケアに通ってもらっているうちに、ASDの仲間とコミュニケーションをとり、他者と関わる経験を重ねながら、しだいに自己洞察ができるようになり、それまでとは違う人生の目標や楽しみが見つかるようになっていきます。そして、最終的に、社会で活動したり、仕事をしたりすることの意味を自ら見いだし、「社会参加してみよう」「就労してみよう」という考えをもつようになる人もいます。
「仕事に就くメリットがわからない」と言っていたASDの人が、1年後、2年後にスーツ姿で会社勤めをしているという事例もみられるようになってきました。本来、仕事をする能力は十分にもっている人たちですから、嬉しいことです。その事実こそが、ピアサポートの意義の証明になっていると思います。

注:(i) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 加えて、上記「メタ認知」に関連する、 a) 「メタ認知能力の発揮を促す手立ての開発」については資料『理科の資質能力を育む「主体的・対話的で深い学び」の実現 -メタ認知能力の発揮を促す手立ての開発と有効性の検証-』を、 b) 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」については資料「メタ認知療法からみたマインドフルネス」を それぞれ参照して下さい。 (ii) 引用中の「自己洞察」に関連するかもしれない「内省」に関して(自閉症スペクトラム障害の文脈における)「実際にカウンセリング場面で出会う人の中にはほとんど悩まない、内省しないという人もいる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185344/1/KUCC_042_41.pdf:title=自閉症スペクトラム障害の人の内面の理解]」の「Ⅳ メンタライジング」項 (iii) 引用中の「ピアサポート」がASDの人には非常に効果的なことについて、同の 第4章 発達障害を〝治す〟ということ の デイケアではどんなことが行われるのか の『プログラムの効果と「ピアサポート」』における記述(P167~P168)を次に引用します。

発達障害の人に、デイケアやショートケアでこれらのプログラムに取り組んでもらうことで、自己理解が深まり、他人との意思疎通が図れるようになったり、人によっては就職までつながったりするなど、一定の成果をみることができています。
また、プログラムに参加した発達障害の人の多くが口にするのが、自分と同じ特性をもつ〝仲間〟の存在の大きさです。ほとんどの参加者が、「ここで初めて話が通じる人に出会えた」「自分がひとりではないことに気づいた」と話します。
同じASDの人と出会い、会話するという経験を、多くのASDの人はこれまでの人生でしてきていません。周囲に理解者はいたとしても、正真正銘のASDの当事者と対面し、対話するのは、デイケアの場が生まれて初めてという人が大半です。そこで、同じ生きづらさをもっているASDの人の存在を知り、お互いに共感したり、体験を共有したりするといった貴重を経験ができることになるのです。
医療機関や専門施設などで、発達障害に詳しい医師やカウンセラーがASDの人からいろいろな話を聞き、理解し、寄り添うことはできますが、本当の意味で完全にわかり合うことは、残念ながらできません。専門家といえども、歩み寄ることには限界があります。しかし、当事者同士なら非常によくわかり合えます。
自分と同じ感覚をもった仲間がいる場所で、ASDの人は安心して自分の本音を話すことができます。実際、最も身近な家族よりも、もっとわかり合える仲間なのです。そういう〝居場所〟があるということが、ASDの人にとって大きな意味があるのです。
このように、同じ障害や疾患をもつ人同士が対等な関係でコミュニケーションをとり、情報交換をしたり、相談し合ったりすることで、お互いを支え合う援助法が「ピアサポート」なのです。
ASDの人には、この「ピアサポート」が非常に効果的です。仲間となら共感でき、コミュニケーションがとれ、関係性を築くことが可能になります。その経験を生かして、社会への適応力の向上に結びつけることができるのです。

≪余談10≫自閉スペクトラム症に関連する上記以外の他の拙エントリにある記事へのリンク

標記記事へのリンクを次にリストアップします。

[A] 『自閉スペクトラム症における「グレーゾーン群」という診断の提案について』は他の拙エントリのここを参照して下さい。
[B] 「自閉スペクトラム症者におけるカタトニア(症状群)の例」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[C] (自閉スペクトラム症において)『予後を決めるのは障害の重さではなく,「助けてもらうパターンを身につけたかどうか」である』ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。
[D] (ASDにおいて)「理解としては発達障害を広くとり、診断としては発達障害を狭くとる」こと及び「診断としてはグレーであっても、その時点で支援に移るという」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。
[E] 「社会変化と広汎性発達障害(又は自閉スペクトラム症、ASD)の関係及び発達障害の方に適した職業」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[F] 「強迫症自閉スペクトラム症との関連」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[G] 「ASDの長所」については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[H] 「ASD についてもインターネット依存との関連性が明らかになっている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
[I] (超一流大学に進学した高機能のASDの成年女子において)「与えられた問いに正解を出すことだけが面白くて勉強してきたので、自ら興味関心のある研究テーマも見出せなかった」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
[J] (ADHDと)ASDとの併存の相乗効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

一部拙エントリの補足説明について(その5)

リンクはありません。

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前書き

本エントリは過日に公開されたエントリ「一部拙エントリの補足説明について(その4)」に続くもので、社会的な視点を含む記事を集めている傾向があると考えます。

≪主な改訂の履歴≫
主な改訂の履歴はありません。

補足説明(その5)についての概要

本エントリは社会的な問題を含む記事を引用します。

【1】老子の視点からの思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方及び様々な思考について、その他

標記老子の視点からの思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の『思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方』における記述及び「2500年以上の時を超えてきた、老子の言葉」における記述(P010~P016)を以下に引用します。なお、標記「老子」に関連する「老子哲学療法」については次のWEBページを参照して下さい。 『野村総一郎さんの「老子哲学療法」① /西洋発セラピーを東洋的に改良』、『野村総一郎さんの「老子哲学療法」②/あえて「弱く生きる」ことの意味』、『野村総一郎さんの「老子哲学療法」③/心が楽になる「ジャッジフリー」

思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方

はじめまして。野村総一郎と申します。くわしい経歴はあとがきにゆずるとして、私は精神科医として、45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきました。そのなかには、

・自分は能力が低く、誰にも評価されない
・あの人はズルくて要領がいいのに、自分は不器用で損ばかりしている
・友人たちは、充実した生活を送っていて妬ましい

という思いを抱えた人たちがたくさんいました。

そういった悩みや不安の根本的な原因は、どこにあるのでしょう?

大きな理由の一つは「いつも他人と比べてしまっている」というところにあると、私は考えています。「他人と自分」という関係に悩み、過分に苦しめられているのです。

この悩みに対して、とても有効な方法が一つあります。
それは「ジャッジフリー」という思考を取り入れることです。

「ジャッジフリー」ってどういうこと? と思われる方も多いでしょう。
「ジャッジ」とは「判定する」「判断を下す」という意味の言葉。さらに言うなら。「何が正しいのかを決める」という意味合いを含んでいます。

この「ジャッジすることを、意識的にやめる」というのか「ジャッジフリー」という思考です。

じつは、私たちはさまざまな局面で、この「ジャッジ」というものをほとんど無意識にしてしまっています。優劣をつけ、勝ち負けを意識し、上に見たり、下に見たりしているということです。

・お金がある人は幸せ。ない人は不幸。
・顔がいい人は幸せ。そうでない人は不幸。
・仕事で評価されている人は偉い。されていない人はダメ。
・友人が多い人は素敵。少ない人は寂しい。
・話が上手な人はかっこいい。口べたな人はかっこ悪い。

こんな、ふうに、数え上げればキリかないほど、世の中は「ジャッジ」にあふれています。
精神科のクリニックにも、こうした「ジャッジ」に苦しんでいる人がたくさん訪れます。
そんなとき私は患者さんたちに「自分で勝手に優劣をつけてしまっているだけではありませんか?」と問いかけ、「その行為をしている事実」をまず理解してもらうよう努めます。
そして「ジャッジしないことの大切さ」をていねいにお話ししていきます。

ジャッジフリーという言葉は私の造語なのですが、ストレスのない生活を「ストレスフリー」なんて言うでしょう。そのストレスを生み出している原因の一つが「ジャッジ」にあります。ですから、ストレスフリーを目指すなら、まず「ジャッジフリー」から始めてみてほしいのです。

ただ、この考え方は、私のオリジナルではありません。
じつはこれ、古代中国の思想家・老子のメッセージなのです。

2500年以上の時を超えてきた、老子の言葉

老子と聞くと「昔のすごい人? 名前くらいは知ってるけど」という方が多いのではないでしょうか。
老子は、紀元前8世紀ごろの中国の春秋戦国時代と呼ばれる動乱期に活躍したと言われる思想家。しかし、その出生も、実在したかどうかさえ謎に包まれているという、とても神秘的な存在です。

そんなふしぎな人物の言葉が、2500年以上の時を超え、国をも超えて、今なお多くの人の心に影響を与え続けている。これは、考えてみるととてもすごいことです。
それだけ各時代の人たちが 「これをまとめて、後世に伝えなければ!」という強い思いを持ち、継承されてきたわけです。
ある意味「真理」である証拠とも言えるでしょう。

では、老子という人は、どのような言葉を残しているのでしょう?

たとえば、こんな一節があります。?

琭琭として玉のごとく、珞珞として石のごときを欲せず。

これは、こういった意味の言葉です。

ダイヤモンドのような存在になったらなったで、それもいい。
石ころのような存在になったのなら、それもまたいい。
それが自然の姿なら、受け入れて、ただ生きていくだけ。

そもそも何かになりたいとかなりたくないとかではなく、自然のままでいいじゃないか。ダイヤモンドと石ころに優劣をつけて、ジャッジしたりはしないよ、というスタンスを老子は説いています。

老子に言わせれば、世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。

これを老子は「無為」という概念で説明していますが、どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、ということなのです。
これこそ「ジャッジフリー」の思想です。

注:引用中の「ジャッジフリー」に関連するマインドフルネスの視点からの「評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」については次のWEBページを参照して下さい。 「日本マインドフルネス学会」の「設立趣旨」項

加えて老子の視点からの終わりが見えずに苦しくなった時の「傘の思考」について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の「終わりが見えずに苦しくなったら 傘の思考」における記述の一部(P106~P109)を形式を変更して次に引用します。

この雨だって、いつかはやむさ

学校でずっと友だちができない。
職場で嫌な上司に当たってしまい、嫌がらせを受けている。
こんな自分のひどい境遇はいつまで続くのだろうか…‥。
こうした悩みもよく聞きます。
どんな人にも「辛い状況」というのは多かれ少なかれあるものですが、それが「続いている」というのは人の心をざらに追い詰めるものです。
「辛いことに直面した」という事実そのものより「それがいつ終わるのかわからない」という、先の見えない不安や絶望感がより苦しいのです。
そんなとさは「傘」のことを考えてみてください。(中略)

「やまない雨はない」「明けない夜はない」といった言葉は、みなさんも聞いたことがあると思います。それを聞いて「そうは言っても今が辛いんだよ」と反発したくなる気持ちもわかります。
しかしこれば「だから、ずっと耐えていろ」「我慢が大事」というような忍耐を強要するメッセージではありません。
もしあなたが、降り続く雨のようなとめどない不安を抱えているとしたら、その不安をひとまずやりすごすための「傘」のような言葉が必要だと私は捉えています。
ほんとうに辛いときは「少しだけじっとして、嵐がすぎるのを待とう」「そうすれば、いつかは必ず終わる」ということです。(後略)

注:引用中の『「やまない雨はない」「明けない夜はない」』に関連する仏教思想又はマインドフルネスの視点からの無常については例えば次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「法則性: 無常・苦・無我ということ」及び「マインドフルネスと無常の力」項

その上に老子の視点からの絶望した時の「塩むすびの思考」について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の「絶望したら 塩むすびの思考」における記述の一部(P148~P153)を形式を変更して次に引用します。

ほんとうは十分なのに、自分で「足りない」って思い込んでるだけかもしれない。

自分の人生はいつも運が悪くて、不幸な境遇で育ってきた。
家庭は貧しく、両親も、親戚も、友人も誰も助けてくれない。
会社に入っても上司に恵まれず、気づくといじめられている。
これまで必死で努力してきたけれど、一向に報われない。
そうした人たちが辛い境遇にあるのは事実でしょうし、がんばっても報われないということが何度も続くと、「希望を持て!」「前向きに生きていこう!」と言われたところで、なかなかそんな気分にはなれないと思います。
そんなとさは、「塩むすび」のことを考えてみてください。(中略)

以前、都内の高級マンションに住み、年収が五〇〇〇万円を超えるという人があるクリニックを訪れたという話を聞さました。その人は、そんな裕福な状態でも「足りない、足りない」「自分は不幸だ、不運だ」と嘆き、苦しんでいたそうです。経済的な面だけを見れば、十分に満たされ、恵まれているはずなのですが、(経済的な面を含めて)本人は不足を感じているのです。
何をもって満足とするのか。何をもって、幸せや幸運を感じるのか。
ここで大事なのは、幸せや満足というのはそもそも絶対的なものではなく、すべて相対的なものにすぎないということです。
もしあなたが今「私には、他の人よりも幸せが足らない」と思っているなら、「はて、ほんとうに足りていないのかな?」と確認してみるタイミングなのかもしれません。なぜなら、「幸せと不幸」というように、相対的なものというのは、立ち位置によってずいぶん解釈が変わってくるからです。
たとえば、長期の入院生活が続き、なかなか外に出ることができなかった人がいたとします。その人が、ある夏の日にやっと退院できた。輝く太陽の光を浴び、大空の下を散歩したとしたら、このうえない幸せを感じるでしょう。
しかし、毎日暑い中、長袖で仕事をして.いる工事現場の人からすれば「今日は太陽が照っていて暑いなぁ。ついてないなぁ」と不幸の理由にすることもできるわけです。
結局、人生とは、その「感じ方」によって決まるもの。現実そのものではなく、「どう感じるか」が現実を作っているといっても、ある意味過言ではないでしょう。
たとえば塩むすびを食べたとき「なんて質素で、味気ないおむすびなんだ……」と嘆かず、「ごはんの甘みが感じられる」「シンプルなおむすびがいちばんおいしい!」と冗談めかしながらでも、その小さな幸せを感じられる。するとその人にとって塩むすびは幸せな現実を作ってくれるものになります。
パナソニックを一代で築き上げた松下幸之助さんの有名なエピソードに、採用面接のとき「これまでの人生、あなたは幸運でしたか? 不幸でしたか?」と質問するというものがあります。
「幸運だった」と答えた人を採用し、「不幸だ」という人は不採用にしたという話です。
もちろん「幸運」「不幸」という事実が大事なのではなく、あくまでもその人が「どう感じて生きてきたのか」を松下幸之助さんは知りたがったのです。
足るを知り、「自分の人生は自分をここまで生かしてくれて幸運に満ちている」と感じる人は、やはり謙虚になれますし、一生懸命働き、他人への感謝も忘れません。
日常の中にある「小さな幸せ」を感じて生きる。そうして「私は今、十分満足している」とわかることが、「不幸」を増幅させるのをストップでさる、自分で実践可能な唯一の方法かもしれません。(後略)

他にも老子の視点からの思い通りにいかなかった時の「てるてる坊主の思考」について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の「思い通りにいかなかったら てるてる坊主の思考」における記述の一部(P186~P191)を形式を変更して次に引用します。

1+1=2。だけど、方程式って成立することばかりじゃない。
とくに自然の中ではね。

自分なりに一生懸命準備して、完壁だと思っていたのに、成果がついてこない。
ついてこないどころか、散々な結果になってしまった。
そんな経験をしたことがある人も多いはずです。
人間関係においでも、相手のことをしっかり考え、よかれと思って行動したのに、かえって恨みを買ってしまう。
こちらにしてみれば「そんなつもりじゃなかっなのに……」「相手のことを思ってやったのに……」と落胆してしまいます。
一言で言うならば、世の中うまくいかないことだらけです。
そんなときは、「てるてる坊主」のことを考えてみてください。(中略)

晴れを願って、てるてる坊主をつるしたところで、翌日に雨が降ってしまうことはあります。でも、それが自然というものでしょう。
つい人間は「こうしたから、こんな結果であってほしい」と願いますし、執着の強い人になると「こんなにがんばったんだから、こんな結果でなければならない」「これだけ相手に尽くしたのだから、感謝されて当たり前だ」と思うようになってしまいます。
しかし現実というのは、よくも悪くも予想や期待を裏切ってくるもの。
相手には、相手の感情や事情がありますから、こちらの期待通りの反応を示してくれるとは限りません。
そんなとさはもちろんがっかりしますし、落ち込みますが、そういうときこそ一息入れて「そんなに、正しい因果関係ばかりではないよね」「ちょっと期待しすぎちゃったなぁ」と軽やかにやりすごせるようになりないものです。
てるてる坊主というのは、もちろん方程式通りに、願いを必ず叶えてくれるものではありません。自然というのはそれほどまでにコントロールできないものですから。
しかし、一生懸命願いを込めててるてる坊主を作る、つまり「今の自分にできること」を懸命にがんばる。それ自体が美しいし、その時間が尊い
そんな考え方もできるのではないでしょうか。(後略)

注:引用中の「しかし現実というのは、よくも悪くも予想や期待を裏切ってくるもの」に関連するかもしれない「私たちのこれからの時間、将来の人生に起こることは、すべて想定外のこと」については他の拙エントリの[ここにおける引用の「想定外に向き合う知力」項を参照して下さい。

さらに老子の視点からの挫折した時の「塩大福の思考」について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の「挫折したら 塩大福の思考」における記述の一部(P180~P185)を形式を変更して次に引用します。

甘いだけだとだんだんうんざりしてくるでしょ。
だから塩っ気があったほうがおいしいよね。

かつて自分は会社を興し、大成功して大金持ちになったのに、不況がやってきて会社は倒産してしまった。
過去の栄光と比べると、今の自分の境遇が辛く、情けない。
そんなふうに、過去の成功と現在の挫折を対比して、思い悩んでいる人も少なくありません。
定年後、リタイアした人がうつになるのもこうしたケースの一つです。
なまじ栄光を経験しているからこそ、今の自分が受け入れられない。
情けなくで、みじめで辛い。そんなふうに思ってしまうのです。
そんなときは、「塩大福」のことを考えてみてください。(中略)

栄光を知っていることはもちろんすばらしいことです。
しかし、栄光だけを知っている人生よりも、挫折や屈辱を味わった人生のほうがより価値がある。そんなメッセージです。
もちろん挫折や屈辱は辛いものですが、この老子の言葉は人生とか、人間性というものの価値を表す一つの本質だと感じます。
別に慰めや励ましで言っているのではなく、もしあなたが人生に迷ったとき「成功しか知らない人」と「成功と挫折の両方を味わった人」のどちらに相談したいと思うでしょうか?
やはりそれは後者だと思います。
たとえば失恋したとき、若いころから人気者で、いつも人に好かれ、誰からもフラれたことがない人に、恋愛相談をするでしょうか。
白分が精神的に苦しんでいるときには、同じような苦しみを経験し、それを乗り越えた人にこそ、話を聞いてみたいと思うのではないでしょうか。
以前、『しくじり先生』という、自分の失敗談を語り、そこから何を学んだのかを紹介するテレビ番組がありましたが、失敗をしたからこそ見える景色がありますし、そんな体験談を多くの人が求めることも事実なのです。
世界的に有名な「ケンタッキーフライドチキン」の生みの親、カーネル・サンダースも、鉄道会社の社員、弁護士、セールスマン、ガソリンスタンドの店長など、さまざまな仕事を経て、何度となく失敗し、彼が「ケンタッキーフライドチキン」を作ったのは、なんと65歳のときでした。
言ってみれば、人生の多くを失敗に費やしてきたわけですが、でもそんな失敗の積み重ねこそが、その後の彼の大きな成功を支えていることは間違いありません。
もし、あなたが今、人生の挫折や屈辱を味わっているとしたら「ああ、これで少しは厚みのある人生になっていくなぁ……」「大きな成功に向かうプロセスなのかもしれない」「ここで人間性が一つ上がるチャンスだ」と達観してみてはどうでしょうか。
直面している挫折が大きければ大きいほど、屈辱が辛ければ辛いほど、その人生の意味は深まっていくというものです。塩大福だって、少しばかり塩っ気があるからこそ、より甘さが際立つというものです。ずーっと甘いばかりでは、最後には食べ飽きて、おいしくなくなってしまいます。
私たちの人生にも、多かれ少なかれ塩っ気があったほうが、より味わいは豊かに、おもしろくなります。
ほんとうに強い人というのは、辛い境遇にあるときでも、どんなに落ちぶれていでも、自分を見失う乙となく、自然のままに生きていける人です。他人を妬んだう、うらやんだりせず、自分の境遇を嘆くでも、腐るでもなく、淡々とナチュラルに生きていける。そんな人がほんとうの強さを備えているのです。(後略)

一方、双極性障害に関連するかもしれない「そわそわしたら木の根っこの思考」について、野村総一郎著の本、「人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える労使の言葉」(2019年発行)の「挫折したら 塩大福の思考」における記述の一部(P124~P129)を形式を変更して次に引用します。

風にはしゃぐ葉っぱは、元気そうに見えるけれど、季節がめぐれば散ってしまう。

浮かれすぎて、つい羽目を外してしまう。
いいことがあって、ついはしゃぎすぎてしまう。
人間ですから、誰にだってこんな失敗はあるでしょう。
いいことがあれば、浮かれたくなるのもわかります。
楽しい体験をすれば、「すごいでしょ」と言いたくなるのもわかります。
しかし、調子に乗ってはしゃいだり、自分の仕事がちょっとうまくいったからといって、まわりの人に過剰にアドバイスしたりすると、大きなしっぺ返しを食うこともあります。
そんなとさは「木の根っこ」のことを考えてみてください。(中略)

浮かれて、騒いでいるときというのは、たいていまわりが見えていません。自分一人がはしゃいでいて、まわりは引いている。そんなこともよくあります。
SNSでも、つい「こんないいことがあった!」「最高にうれしい!」なんて軽々しく投稿をして、ひんしゅくを買うというケースはよくあります。本人にしてみれば、「こんなすばらしい体験をさせてくれて、ありがとう」と感謝の気持ちを込めているつもりなのかもしれませんが、無関係な第三者から見れば「自慢」にしか映らないのも当然です。
そういうときほど「いやいや、ちょっと待て」「はしゃいでるのは自分だけ」と思い直すことが大切です。
自分ではなかなか気づけないかもしれません。しかし、やたらと機嫌がよすぎたり、ふわふわと地に足がついていない感じがするときは、なんとなく外の木を眺めてみてください。
風が吹けば、葉っぱは「わしゃわしゃ」と若々しく騒ぎ立てるものですが、根っこはどんなときも、静かに、土の中でじっとしています。
生きるためのエネルギーを大地から吸収しているのも根っこですし、大木を支え、森の地盤を守っているのも根っこです。
そもそも「根」という字は、「性根」「根本」など、ものの本質を言い表す場合によく使われます。
上辺にとらわれるのではなく、もっと本質的なことを大事に生きていく。
これももまた「木の根っこの思考」ではないでしょうか。
あなたにとって「いい風」が吹いているときこそ、葉っぱのように騒ぎ立てるのではなく、根っこのように落ち着いて振る舞う。そんな思考が大切なのだと思います。

余談ながら、私は精神科医ですから、老子のこんな言葉を読むとつい双極性障害の患者さんのことを考えてしまいます。
双極性障害とは、躁状態うつ状態の両方があって、躁のときはとにかくテンションが高く、高価な買い物をバンバンしてしまったり、分不相応な行動を取ってしまったりします。だからまわりから「いい加減にしておきなさい」と言われるけれど、自分は調子がいいから、耳を貸さない。
しかし、その反動のうつ状態がやってくると、「あのときの私は、なんであんな高いものを買ってしまったのか」というふうに、そのときのことを反省してものすごく落ち込んでしまう。それが自殺につながるケースもある危険な病気です。
老子の言葉を伝えることで、双極性障害がすぐによくなるというわけではありませんが、実際に患者さんと老子について話すことはよくあります。
自分の気分が高揚しているときほど、一度落ち着いて、まわりを見渡す。
とても大事な心がけだと思います。(後略)

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【2】社会変化と広汎性発達障害(又は自閉スペクトラム症、ASD)の関係及び発達障害の方に適した職業について、その他

最初に主に広汎性発達障害(又は自閉スペクトラム症、ASD、他の拙エントリを参照)にも関連する「スーパー労働者にしか給与や地位を約束しない社会」については、次のWEBページを参照して下さい。 「スーパー労働者にしか給与や地位を約束しない社会はどこかおかしい」 次に、前者の関係について、以下に複数引用をします。先ず「発達障害として浮き上がる」ことについて①青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第五章 「発達障害」を考える の「◆発達障害として浮き上がる」における記述(P132~P134)を次に引用します。

発達障害として浮き上がる
今の社会だからこそ、発達障害というものが、増えてきているのではないかと、僕は感じている。二、三〇年前までであれば、真面目だが、無口で不愛想な人たちが、農業、漁業、工業などの幅広い領域で、自分の場所を見つけて働いていた。僕が子供の頃にも、町の中に真面目で無口な人はたくさんいた。けれども、この人たちが活躍できる場所は、今の時代、非常に少なくなっていると感じている。自分の感覚と技術を磨いて仕事する「職人」という仕事(大工さん、家具屋さん、自転車屋さん、など)があったが、これも今の時代には、活躍できる場所がなくなってきている(清水將之、『子どもの精神医学ハンドブック 第二版』日本評論社、二〇一〇年)。
二〇世紀の科学の進歩を担ってきた研究者や学者の中にも、大学や研究所がコンスタントな成果を期待するようになって、研究する場所を失ってきた人達がいる。特に、自分独自の発想から出発して、時に大きな成果を出すかどうか、というような研究をしてきた人の多くが、自分らしく仕事をする場を失ってきた。大学や研究所は、コンスタントな成果という意味では生産的ではないが、時に一発、大ホームランまたは特大ファールという人を大切に抱えてくれる場であった。大学や研究所という場は、一見「無為」に見える人の秘めた力と価値を引き出してくれる可能性があることを再認識する必要がある。
このように一時代前だと、少しユニークで変わった人ではあるが、その人なりの場を得て働いていた人が、現代においでは、広汎性発達障害という形となって、社会の中に浮かび上がってきているのではないか、僕にはそのように思えてならない。
効率とスピードを求める職場、コミュニケーション能力を過度に求める職場、年功序列という秩序の崩壊した職場、いずれも広汎性発達障害の傾向を持つ人を生きづらくさせる職場である。学校も然りである。広汎性発達障害の有病率の増加は、このような社会・文化的要因が大きく影響しているのではないかと、僕は想像している。

注:(i) 引用中の「コミュニケーション能力」に関連するかもしれない、 a) 「サイコロジカルな対人能力」について、『第三次産業を中心に社会が回るにつれて、これまでは大きな問題とはならなかった「関係の障害」が、支障や困難をもたらすものとして浮かび上がってきた』ことを含めてそだちの科学「2019年4月号」中の滝川一廣著の文書「発達障害の五〇〇年」(P116~P120)における記述の一部(P119)を以下に引用します。 b) 「社会性の問題やコミュニケーションの困難という、ASDの特性をそのままにして、社会活動を行っていくことは極めて難しい」ことについて、加藤進昌著の本、「ここは、日本でいちばん患者が訪れる大人の発達障害診療科」(2023年発行)の 第2章 発達障害をめぐって何が起きているのか の 成人の発達障害とは の「子どものASDと大人のASDの違い」における記述(P78~P81)を以下に引用します。 (ii) 引用中の「職人」を含む「短所を長所に反転させる生き方,長所を活かしていく生き方」の一例について、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行) の 第Ⅱ部 ASを理解する の 自閉スペクトラムのパーソナリティ の 「こだわりを活かす 趣味人的,職人的な生き方のすすめ」における記述の一部(P025)を以下に引用します。

(前略)八〇年代に入ると第三次産業(消費産業)の就業人口の比率が日本では六〇%を、米国では七〇%を超す。第三次産業を基幹とする高度消費社会が生まれたのである(現在日本は七〇%)。第三次産業は「自然」や「もの」ではなく、「ひと」(ひとの欲求や欲望)に働きかける労働である。この労働には何が求められるかは言うまでもない。サイコロジカルな対人能力である。空気をすばやく察知したり相手の視点に立つことができなくてはならない。
そのため、第三次産業を中心に社会が回るにつれて、これまでは大きな問題とはならなかった「関係の障害」が、支障や困難をもたらすものとして浮かび上がってきたのである。「成人の発達障害」のクローズアップが、その端的な現れだろう。第三次産業人口が全体の六割七割を占めるようになれば、そこで必要とされる対人スキルや対人マナーは産業の領域を超えて、広く社会生活全般で求められるものへ汎化される。それが「社会性」と呼ばれるものである。(後略)

注:引用中の「八〇年代に入ると第三次産業(消費産業)の就業人口の比率が日本では六〇%を、米国では七〇%を超す。第三次産業を基幹とする高度消費社会が生まれたのである(現在日本は七〇%)」ことに関連する「1975年以降の第三次産業の台頭は、社会が個人に要求するスキルを大きく変えた」ことについてのツイートがあります。

子どものASDと大人のASDの違い

アスベルガー症候群の特性をもった子どもは昔からいました。「妙に大人びていて、ちょっと変わった子だな」と周りから思われるような子どもです。しかし、そうした子どもたちが、重い知的障害を伴う自閉症と同じ仲間の障害であるとは、自閉症の専門家でも思っていませんでした。それどころか、「障害」であるという認識もされていなかったでしょう。なぜなら、彼らは、知的レベルが高く、記憶力にすぐれていて、テストでは高得点をマークし、学校での成績が優秀であることが多いからです。
本の学校教育では、成績が芳しくない子どもは問題視されますが、成績が良い子は「問題がない」ととらえられがちです。たとえ、その子が集団活動になじまなくても、友だちとの関わりが少なくても、大きなトラブルさえ生じなければスルーされてしまうのが常です。
一方、その子自身は学校の集団生活のなかで、なんらかの違和感や居心地の悪さを覚えているに違いありません。ところが、ASDの子どもは、その違和感や居心地の悪い状況を自分で客観的に認識したり、誰かにどうにかしてもらおうと思ったりすることができません。そして、理由もわからず叱られたり、自分の居場所がないと感じたりしながらも、思春期を経て、大人になっていきます。
子ども時代には、周囲の人との関わり方につまずきがあったり、人間関係がうまく築けなかったりしたとしても、あまり大きな問題になることはありません。内気で自分から積極的に他者と関わりをもたない子や、一人でいることが好きで友だちと遊ばない子は、ASDに限らず一定数いて、それはその子の性格の問題だと片づけられるからです。
しかし、思春期になり、同年代の仲間との人間関係が多様化してくると、しだいに他者との違いが際立ち、問題が表面化してきます。周りから、「場の空気を読まない」、「つきあいが悪い」、「マイペースすぎる」といった評価を受けるようになり、グループや集団から弾かれていくようになるのです。
当人も、そもそも人と交わったり、人に合わせたりすることが得意ではないので、孤立しているだけではそれほどつらいとは感じないでしょう。大学生くらいまでは、「人づきあいの悪いちょっと変わった人」という立ち位置で、やり過ごしていくことができてしまうのです。
ところが、就職し、社会に出るとそうはいきません。仕事上の連絡や報告をやらずに済ませることはできませんし、上司や取引先とのコミュニケーションも、無愛想のままでよいわけではありません。職場の同僚との話の輪にも加わらない、一緒に食事にも行かない、飲み会にも参加しないという頑なを態度でいれば、仲間からの親近感や信頼も得られないでしょう。そうなると、組織やチームの一員として認めてもらえなくなり、果たすべき役割も与えられなくなるのです。
社会性の問題やコミュニケーションの困難という、ASDの特性をそのままにして、社会活動を行っていくことは極めて難しいということです。子どものASDと大人のASDの大きな違いはそこにあるのです。大人は、社会の一員として、他の人たちとコミュニケーションをとりながら仕事や活動をスムーズに進めなければならないため、子ども時代にはスルーされていた問題が否応なしに浮き彫りになってくるということです。

注:i) 引用中の「ASD」は自閉スペクトラム症の略です。 ii) 引用中の「仕事上の連絡や報告をやらずに済ませることはできませんし、上司や取引先とのコミュニケーションも、無愛想のままでよいわけではありません。職場の同僚との話の輪にも加わらない、一緒に食事にも行かない、飲み会にも参加しないという頑なを態度でいれば、仲間からの親近感や信頼も得られないでしょう。」に関連するかもしれない『特殊な業務を除けば,どのような仕事においても,同僚,上司,会社の取引先の人たちを相手として,様々な報告や相談が必要となります.そこでは「阿吽の呼吸」を求められることもあれば,「いわずもがな」のことを察してほしいといわれることも珍しくありません.』について、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の はじめに の 「ADHD および ASD の問題点」における記述の一部(Pvi)を次に引用します。

(前略)ADHD の場合と同様に,正常以上の知能を持ち,問題行動のみられないアスペルガー症候群などの ASD の当事者たちは,学校時代までは不適応が生じないことも珍しくありません.友達は少ないけれども,穏やかでおとなしい人物と思われている例もみられます.
ただし,就職し実社会で生活するようになると,状況は大きく変化します.特殊な業務を除けば,どのような仕事においても,同僚,上司,会社の取引先の人たちを相手として,様々な報告や相談が必要となります.そこでは「阿吽の呼吸」を求められることもあれば,「いわずもがな」のことを察してほしいといわれることも珍しくありません.
こうした対人場面はアスペルガー症候群の人にとってはむずかしい局面で,状況の意味がわからず大きな失敗をしてしまいやすく,繰り返して叱責されてしまった結果,不適応を生じることがみられるのです.(後略)

注:i) この引用部の著者は岩波明です。 ii) 引用中の「ADHD の場合と同様」、すなわち「学校時代までは不適応が生じないことも珍しくありません」や(就職し実社会で生活するようになると,状況は大きく変化し)「不適応を生じることがみられる」に関連するかもしれない、(ADHD の当事者において)「学校時代までは,このような対応で不適応が生じないことが多いようです」や(就職した後の)「不注意でケアレスミスが多く,上司の指示を聞きもらすことがしばしばおこりやすくなる」不適応について、同「はじめに」の「なぜ大人の発達障害が増えたのか?」における記述の一部(Piv)を次に引用します。

(前略)発達障害は大人になったからといって,症状が軽減するわけではありません.改善しているようにみえる例では,本人が自分の特性を理解し,不得意な状況になんとか対応していたり,そういった状況をうまく避けていたりするのです.学生時代までは,このような対応で大きな問題は生じないことが多いようです.
けれども就職して,仕事の量が多い,上司のプレッシャーが強いなどの悪条件が重なってしまうと,本来の症状が顕在化して,仕事や生活に支障が出てしまうことになりかねません.たとえば ADHD の当事者においては,不注意でケアレスミスが多く,上司の指示を聞きもらすことがしばしば起こりやすくなります.学生時代であれば,ゼミの課題を忘れても指導教官に謝ればすんだかもしれませんが,仕事の取引であれば重大なミスとして叱責されかねません.
このような失敗が続いてしまうと,「仕事を任せられない社員」として周囲の信頼を失い,対人関係も悪化します.本人も気分的に落ち込み,その結果,仕事に行くこともできなくなってしまうことにも至るのです.つまり成人においては,発達障害に伴う不適応によって,うつ状態などの二次的な症状をきたしやすい点にも注意をする必要があるのです.(後略)

注:この引用部の著者は岩波明です。

こだわりを活かす 趣味人的,職人的な生き方のすすめ(中略)

短所を長所に反転させる生き方,長所を活かしていく生き方とはどのようなものであろうか。筆者が考えるものの1つは,好きなことを追求する趣味人的な生き方,もう1つはよい作品を追求していく職人的な生き方である。趣味人的な生き方には,いろいろなものを蒐集する,コレクターという生き方もある。さらに,公正で公平を追求するという規範を護るような生き方もある。
筆者は「仕事は飯の種,こつこつと働こう。趣味を大切にして趣味人として生きよう」とか,「自分の仕事にこだわって,職人っぽく生きていこう」などと話すことがある。職人,趣味人のすすめである。地域には,ASの特性を活かして,職人として生きている人が少なくない。彼らは,同時に趣味人でもある。それも私などの想像を超えた,深い趣味の領域をもっている。本稿では触れなかったが,歴史,天文,鉄道などという趣味の王道から,料理,編み物,折紙,紙飛行機など,幅広い趣味がある。「仕事は職人,余暇は趣味人」として生きていけないか。一芸に秀でるとまではいかなくても,自分の仕事や趣味を大切にして,誇りを持って生きること。筆者は,若い年代のASの人たちと出会う時に,彼らが年を重ねるうちに職人・趣味人となり,特性が個性として輝くことはできないかと思い願うのである。

注:i) この引用部の著者は青木省三です。 ii) 引用中の「AS」は自閉スペクトラムの略です。 iii) 引用中の「職人的な生き方」に関連するかもしれない「昨今、町工場が少なくなり、職人の受け皿が少なくなったことも、人よりもモノとの関係に近しさを感じるASDの人たちにとっては、社会適応の門を狭めているに違いない」について(高学歴、高機能のASDの青年女子が)「人との関係ではなく、職人的な世界で生きていく道を見出した」ことを含めて、上田勝久、筒井亮太編の本、「トラウマとの対話 精神分析的臨床家によるトラウマ理解」(2023年発行)の 第八章 芸術とトラウマ――三島由紀夫と虐待後遺症 の 3 三島由紀夫と虐待後遺症 の「死の世界からの回帰のために①――パーソナルな人間関係には限らない親密性の在り処」における記述及び「死の世界からの回帰のために②――ハードルの高いパーソナルな人間関係における親密性」における記述の一部(P202~P204)を次に引用します。

死の世界からの回帰のために①――パーソナルな人間関係には限らない親密性の在り処
まず、前提として、親密性といっても、人と人との関係だけに限られるわけではないことを押さえておきたい。今日では、ペットが家族同然の存在となり、場合によっては家族以上に親密な関係が築かれる。ペットロスに陥る人も少なくないのは周知のところだ。
ペットでなくとも、モノとの関係で親密性を築く人たちも、昔から知られたところである。建築・機械・工芸などでの、手先の器用さが求められる職人の世界では、モノとの丹念な関係での愛着が、仕事のベースを成しているのだろう。昨今、町工場が少なくなり、職人の受け皿が少なくなったことも、人よりもモノとの関係に近しさを感じるASDの人たちにとっては、社会適応の門を狭めているに違いない。
さらに、高機能のASDの人たちが、サバン症候群とまではいかないにしろ、その能力の高さによって、専門職に就くことも珍しくはない。研究者、大学教員、医師たちのなかには、昔から人間関係はからきしだが、研究やオペの腕は一流とか、そういう人たちが珍しくはなかった。今日のIT社会でいえば、人間関係が苦手な人たちが、そうしたコンピュータ関連分野に多く居場所を見つけていることもあるのだろう。
このように、親密性を人との関係以外で見出せる愛着障害の人たちは、ある意味幸運だろう。何も人間関係がすべてではないからだ。だが、そこに収まりきらず、あるいはそこに居場所を見出せず、人間界での親密性を求めるとなると、途端に困難が浮き彫りになってくる。

死の世界からの回帰のために②――ハードルの高いパーソナルな人間関係における親密性
「私は人間に向いていない」
彼女は高学歴、高機能のASDの青年女子である。幼い頃から、両親によって教育テレビの世界で育てられ、彼女もそれが苦にならず、超一流大学に進学した。彼女は、勉強して優秀な成績さえ収めていれば、幸せが手に入ると思い、何の疑問もなくそれまで生きてきたのだ。だが、大学に入って気づかされたのは、成績の良さが何の幸せにも繋がらないことだった。しかも、周囲を見渡せば、超一流の頭の良い学生には独創性があり、発想も豊かだった。それに比べ、彼女は与えられた問いに正解を出すことだけが面白くて勉強してきたので、自ら興味関心のある研究テーマも見出せなかった。さらに、ふと気づげは、彼女には親しい友達もおらず、しかも人間関係自体が煩わしいものだった。彼女は、自分のペースを乱されたくないので、一人で食事するほうが好きだし、女子同士の会話にも何の興味も持てなかった。愛想笑いしているだけの関係は、疲れるだけだった。             .
彼女は絶望した。幸せは、彼女の生き方の先には待っていないことに気づいたのだ。願ったことは、ただ存在を消すことだった。「空気になりたい」「植物になりたい」「壁になりたい」と、彼女は言った。
結局のところ、彼女は人との関係ではなく、職人的な世界で生きていく道を見出した。だが、それが彼女にとって安住の棲み処になるのか、それとも人との関係性の裂け目から耐えがたい孤独をいずれ感じるようになるのか、それは誰にもわからない。いずれにしろ、ASDにとって、人との関係でのパーソナルな親密性は、ハードルが高いのである。(後略)

注:i) この引用部の著者は祖父江典人です。 ii) 引用中の「サバン症候群」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「サバン事始め

加えて、企業をはじめとして中学や高校でもコミュニケーション・スキルを重視することについて、②内海健、神庭重信編の本、『「うつ」の舞台』(2018年発行)の Ⅰ.社会の中のうつ の 第1章 現代の「若者心性」から見た「うつ」の構造 の『「生存の不安」から「承認の不安」へ』における記述の一部(P13)を次に引用します。

(前略)企業などが採用の場面において「コミュニケーション・スキル」を重視し始めたのも最近の傾向である。社会教育学者の本田由紀は,この傾向をハイパー・メリトクラシーと呼んで批判した3)。かつて日本におけるメリトクラシー(業績主義)は,学歴社会や偏差値至上主義として批判された。現代におけるハイパー・メリトクラシーとは,学校の成績以上にコミュニケーション・スキル(曖昧に「人間力」などと呼ばれる場合もある)を重視する風潮を指している。現代の日本社会においては,勉強ができる以上に,対人関係を円滑に進める能力が重視される。つまり,個人のコミュニケーション能力は就職活動や職場においても不断に評価の対象となるのである。この風潮は,必ずしも企業に限った話ではない。今や全国の中学や高校に浸透している「スクールカースト(教室内身分制)」において,生徒の階層を決定づける最重要要因はコミュニケーション・スキル(「コミュ力」)であるとされる24)。筆者の臨床経験からも,コミュ力が低いとみなされてカースト下位に転落し,そこから不登校やひきこもりに至ったケースが少なくない。(後略)

注:(i) この引用部の著者は斎藤環です。 (ii) 引用中の文献番号「3)」は次の本です。 『本田由紀:若者と仕事――「学校経由の就職」を超えて.東京大学出版会,2005.』 (iii) 引用中の文献番号「24)」は次の本です。 「鈴木翔:教室内カースト光文社新書,2012.」 (iv) 引用中の「スクールカースト」については次の資料を参照して下さい。 『仲間関係研究における「スクールカースト」の位置づけと展望』、『「スクールカースト」における中学生の対人関係といじめ現象』、「中学生のスクールカーストにおけるグループ内地位と学校適応感との関連」、「青年の抱くスクールカーストの認知度、印象および偏見の検討 ―過去のグループ間地位、現在の社会的支配志向性との関連―」、「児童生徒の視点から見たスクールカーストという体験とその影響に関する研究 ―かつての当事者である女子大学生へのインタビューから―」、「友だちグループといじめの関連 グループの有無,グループ内の関係性・スクールカーストの着目して」 加えて、上記「スクールカースト」の上位、中位、下位の割合について、「このカーストは誰でもない、空気が決めているので、誰も逆らえません」ことや「いちど下位層に入ってしまうと、なかなか抜け出すことができない」ことを含めて、斎藤環著の本、『「自傷的自己愛」の精神分析』(2022年発行)の 第二章 自分探しから「いいね」探しへ の『「キャラ化」で救われる七割、割りを食う3割』における記述の一部(P143~P146)を以下に引用します。ちなみに、上記「自傷的自己愛」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「友だちは作っちゃいけない!?(後編) 精神科医とアイドルプロデューサーが『友だち幻想』を読む」 (v) 引用中の「ハイパー・メリトクラシー」については上記「スクールカースト」を含めて、次のWEBページも参照して下さい。 『「勉強ができる」「絵が上手い」「文才がある」ことはほとんど無意味…!? 現代のスクールカーストを決定づける“意外な要素”とは(ページ2)』の『「承認依存」と「コミュ力偏重」の関係性』項 加えて、上記「ハイパー・メリトクラシー」に関連する「コミュニケーション至上主義」については例えば次のWEBページやエントリを参照して下さい。 『なぜ日本人は「コミュニケーション能力至上主義」に陥ったのか』、「コミュニケーションがボトルネックとなった社会 - シロクマの屑籠」 その上に、ひょっとして上記「ハイパー・メリトクラシー」に関連するかもしれない『「以心伝心」を重んじ、共通言語、共通認識が土台となるハイコンテクスト文化』について、宮尾益知監修の本、『対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 正しい理解と生きづらさの克服法』(2020年発行)の Part1 自閉スペクトラム症と生きづらさ 生きづらさの原因を知り、傷つかないですむ方法を見つける の ASDを襲うトラブル の『職場で「常識がない」と批判されることも』における記述(P18~P19)を以下に引用します。 (v) 引用中の『企業などが採用の場面において「コミュニケーション・スキル」を重視し始めた』ことに関連する、 a) 新卒採用の選考にあたって特に重視した点としての「コミュニケーション能力」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「2018 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果」の「(4) 選考にあたって特に重視した点」項[P2] b) 『大学生の就職活動という、まさに学生が社会人の仲間入りをしていく場面でも、粒ぞろいなクオリティが問われている」や(新卒採用において)『選考の対象となっているのは、第一に「コミュニケーション能力」である』ことについて、熊代亨著の本、「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」(2020年発行)の 第一章 快適な社会の新たな不自由 の「コミュニケーション能力の低い人は求められない国」における記述の一部(P26~P29)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「個人のコミュニケーション能力は就職活動や職場においても不断に評価の対象となる」ことに関連するかもしれない「むしろ成人以降、複雑化した社会で仕事をしていく際に、〝普通の人のふり〟を求められ、さらに将来にわたり、この問題に悩み続けなければならない」ことについて、林寧哲監修の本、「心のお医者さんに聞いてみよう 発達障害の人が“普通”でいることに疲れたときに読む本 “過剰適応”からラクになるヒント」(2023年発行)の Part1 他人に合わせようとがんばりすぎていませんか? の 過剰適応の背景① 過去の疎外体験から、「絶対に失敗できない」と思う の「将来にわたり過剰適応に悩み続けなければならない」における記述(P21)を以下に引用します。

「キャラ化」で救われる七割、割りを食う三割
森口朗氏は、先述の著書で、スクールカースト上位は十パーセント、中位は六十パーセント、下位は三十パーセントとみなしています。これは多くの人の実感に即した割合ではないかと思います。上位と中位を合わせた約七十パーセントの若者は、比較的生活満足度が高い。下位層は承認弱者ですから、非常に幸福度が低い。ここに格差があるわけです。
推測するに現代の学校空間は、おそらく七割の生徒にとっては快適かつ幸福な空間で、三割の生徒にとっては、他者からの承認不全に苦しむ構造になっているのでしょう。この三割の中に、将来のひきこもり当事者たちが多く含まれているのではないかと懸念されます。彼らは学校というコミュニティのなかでキャラとしての承認を周囲から得られず、スクールカーストの下位層に入れられてしまう。このカーストは誰でもない、空気が決めているので、誰も逆らえません。そして、いちど下位層に入ってしまうと、なかなか抜け出すことができません。私はこうした構造が、もはや学校時代に限定されないと考えています。学校でも職場でも、こうした階層が温存されているように思われてなりません。(後略)

注:i) 引用中の「先述の著書」とは次の引用にもあるように次の本です。 「『いじめの構造』新潮新書、二〇〇七年」 ii) 引用中の(スクールカーストにおける)「上位と中位を合わせた約七十パーセントの若者は、比較的生活満足度が高い。下位層は承認弱者ですから、非常に幸福度が低い。」ことに類似する「カーストというのは僕の考えでは七割がハッピーになるかわりに三割が不幸になるというシステムなんです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「友だちは作っちゃいけない!?(前編) 精神科医とアイドルプロデューサーが『友だち幻想』を読む(ページ2)」 iii) 引用中の「キャラ化」について、上記『第二章 自分探しから「いいね」探しへ』の「キャラ化とスクールカースト」における記述(P115~P118)を次に引用します。

キャラ化とスクールカースト
「キャラ」とはもはや日常語なので、いまさら定義や解説などは野暮な気もしますが、私はかつて『キャラクター精神分析』(ちくま文庫、二〇一四年)という著作で、いわば究極のキャラの定義をしておいた経緯があり、それについて少し述べておきたいと思います。
キャラとは何か。それは、「それ自身と同一であり、それ自体を再帰的に指し示す記号」のことです。これは、生徒のキャラから芸能人のキャラ、あるいはアニメや漫画のキャラという多種多様なキャラのありようを串刺しにすることができる定義です。その意味で「究極」と考えています。詳細はぜひ拙著をお読みください。
これだけではわかりにくいでしょうから、もう少し噛み砕いて説明します。キャラとは、ある個人における一つの特徴を戯画的に誇張した記号のことであり、いったんキャラとして認識された個人は、以後はずっと「キャラとしての同一性」を獲得する/させられることになります。先述した通り、もともとは漫画業界やお笑い業界の言葉だったものが、九〇年代頃から若者の間で広く用いられるようになり、もはや流行語の域を超えて一般語として定着した言葉なのです。
いわゆるスクールカーストの成立には、「キャラ」が重要な役割を果たしています。コミュカが高い陽キヤ、モテキャラは、同水準のコミュカを持つキャラ同士でグループを形成し、これがカースト上位層となります。一方、コミュカが低い「陰キヤ」「非モテキャラ」「いじられキャラ」は、問答無用にカースト下位に位置づけられます。つまり、クラスにおいて個人のキャラの設定と、カースト上の位置づけとは、ほとんど同時に決定されるのです。そこには決定の主体が存在しません。両者を決めるのはあくまでもクラスの「空気」で、だからこそ、誰も決定に逆らえないのです。空気には反論も抗議もできませんからね。
こうしたカースト認定の決まり方について、森口朗氏は次のように述べています。
「子ども達は、中学や高校に入学した際やクラス分けがあった際に、各人のコミュニケーション能力、運動能力、容姿等を測りながら、最初の一~二ケ月は自分のクラスでのポジションを探ります。
この時に高いポジション取りに成功した者は、一年間『いじめ』被害に遭うリスクから免れます。逆に低いポジションしか獲得できなかった者は、ハイリスクな一年を過ごすことを余儀なくされます」(『いじめの構造』新潮新書、二〇〇七年)
みてきた通り、現代の学校空間では、対人評価のほとんどが「コミュカ」で決まります。かつての学校社会においてはそれなりに意味のあった「勉強ができる」「絵が上手い」「文才がある」といった才能は、対人評価軸としてはほとんど意味をなさないようです。それどころか、場合によってはそうした才能をうっかり発揮して与えられたキャラを逸脱してしまったがゆえに、カースト下位に転落する、といった事態もありうると言います。私が思春期だった四十年前の学校と比べても、子どもたちはなんと過酷な生存競争を生きているのか、と同情を禁じえません。

職場で「常識がない」と批判されることも

私たちの生きる社会は、発達障害ではない定型発達の人が多くを占めています。表情やしぐさなどを使ったノンバーバルコミュニケーションで意思疎通をはかり、皮肉や比喩、遠回しな表現も、解説なしで理解し合います。とくに、日本は「以心伝心」を重んじ、共通言語、共通認識が土台となるハイコンテクスト文化です。目くばせ、うなずき、空気を読むことが求められ、これらが苦手な人にとって生きづらいものです。
学生時代、本や講義では後れをとらなかった人でも、社会に放り込まれると、行き詰まることが多いのです。ASDの特性ゆえに、衣食住の管理ができなかったり、職場のコミュニティで「常識がない」「自分勝手」「失礼だ」と批判の対象にされたりすることがあります。

コミュニケーション能力の低い人は求められない国(中略)

大学生の就職活動という、まさに学生が社会人の仲間入りをしていく場面でも、粒ぞろいなクオリティが問われている。というのも、就職活動では誰もが同じリクルートスーツに身を包み、誰もが同じようなエントリーシートを書き、テンプレートどおりの振る舞いを期待されているからだ。実際、経団連による新卒採用のアンケートを確かめてもそれが窺える*13――働く大人たちから期待され、選考の対象となっているのは、第一に「コミュニケーション能力」であり、「主体性があって」「チャレンジ精神に富み」「協調性があって」「誠実な」新卒者であることを、いまどきの大学生たちは前もって知らされるし、AO入試組は大学入試の段階からそれらを試されている。
就職活動やAO入試といった選抜プロセスは、コミュニケーション能力があってハイクオリティで粒ぞろいな人間であることを事実上、これから社会人になる学生に対して強いている。口では多様性を褒め称えてやまないこの社会は、実利の絡む就職という場面では、一律な規格で若者を選別しているのである。
こうしたプロセスをとおした学生の選別、そして矯正のプレッシャーは、現代では当たり前のことと見なされているが、たとえば私が記憶している限り、一九八〇~九〇年代の就職活動の風景はここまで画一的ではなかったし、サービスを提供する側もサービスを享受する側も、これほどのクオリティを求めてはいなかったはずである。海外諸都市の風景と比較すると、日本の社会人の働きぶりはやけにハイクオリティで、粒が揃いすぎている。これもまた、この美しい国ならではの過剰さではないかと私には映る。(後略)

注:i) 引用中の注釈「*13」は次のWEBページです。 「2018 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果」 ii) 引用中の「AO入試」は次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「AO入試」 iii) 引用中の「粒ぞろいなクオリティ」に関連するかもしれない『文系理系問わず、学生に求める能力として、「主体性」や「実行力」、「課題設定・解決能力」が上位に挙げられています。』については他の拙エントリのここの (i) b) 項を参照して下さい。

将来にわたり過剰適応に悩み続けなければならない

重症の発達障害の人であれば、周囲に合わせることを諦めてしまうことも多いでしょう。幼少期に診断が下り、早期に障害として本人も社会もそれを受け入れます。障害があることを前提に、定型発達の社会で生きるルートを見出していくことができるのです。周囲に合わせようという気持ちも薄く、過剰適応におちいることもあまりありません。
軽度の場合、がんばれば能力の凸凹を埋められます。「定型発達」のふりができるために、周囲からは「普通にできている」と解釈されてしまいます。必死の努力で幼少期を生き抜いても、問題は解決されません。むしろ成人以降、複雑化した社会で仕事をしていく際に、〝普通の人のふり〟を求められ、さらに将来にわたり、この問題に悩み続けなければならないのです。

注:引用中『「定型発達」のふり』に関連する「カモフラージュ」について、自閉スペクトラム症の視点からは他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに、 a) 「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」については次のエントリを参照して下さい。 『「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」とそのコンセンサス』 b) 加えて、「空気が読めない人を排除する現代社会」等について、③宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 大人の発達障害 日常生活編」(2017年発行)の 第7章 大人の発達障害-専門医からのアドバイス の 発達障害の方が大人になってから直面する問題とは? の「空気が読めない人を排除する現代社会」における記述(P102)を次に引用します。

空気が読めない人を排除する現代社

発達障害という言葉がテレビや新聞、書籍などを通して広く知られるようになったのはここ数年ですが、発達障害の特性がある方は昔から少なからずいたと思われます。ただ、昔は「あの人はちょっと変わっているよね」と思われる程度ですんでいたことが、現代では「空気が読めない」と排除されるようになってきた。そんな社会の在り方が、「ちょっと変わったところのある人たち」をより生きづらくさせているのではないでしょうか。
要因はさまざまにあると思いますが、情報量が莫大になり、時間管理が厳密化されるようになった社会の変化もその一つだと思われます。農業や林業、漁業など第一次産業が主流だった時代に比べると、現代は組織の中で対人関係を重視しなければならない仕事が大半です。限られた時間に大量の情報をより正確に処理できる人が重宝がられ、暗黙の了解がわからず、組織のルールからはみ出してしまう人を育てる余裕がなくなっています。

一方、「インターネットなどでの通信が高速化する中で、同時並行での作業や、求められる課題が短時間に変わっていきがちな状況下で、社会はマルチタスクな高速処理ができる器用人を求めていく傾向にある」ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「成人期の発達障害を巡って―多様性に寛容である社会」の「発達障害に伴う困難が際立ちやすい社会」項 加えて、上記「器用人」に関連するかもしれない職場における「メンバーや状況が変わっても素早く対応できる柔軟性」については、次のエントリを参照して下さい。 「うつ病が増えた理由を高校生にもわかるように説明してみた。」の「ハイテク資本主義に適合する人材」項

なお、 a) (ADHD の当事者において)「学校時代までは,このような対応で不適応が生じないことが多いようです」や(就職した後の)「不注意でケアレスミスが多く,上司の指示を聞きもらすことがしばしばおこりやすくなる」不適応についてはここを参照して下さい。 b) 加えて、「最近は効率が優先され、ADHDの特性のある人には厳しい状況になっている」ことについて、岩波明著の本、「ウルトラ図解 ADHD」(2018年発行)の 第1章 ADHDの基礎知識 の「大人のADHDならではの問題もある」における記述の一部(P18)を以下に、 c) 『「マルチタスク」を要求する社会の流れがますます加速すると、今後、ADHDの頻度は、もっと増えてくることも危惧される』ことについて、村井俊哉著の本、「はじめての精神医学」(2021年発行)の 第2章 自閉スペクトラム症、知的能力障害、注意欠如・多動症 の「ADHDを生み出しやすい社会」における記述の一部(P45~P46)を以下に、 d) ADHD の当事者は見逃しがちな「会社のロジック」について、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第6章 ライフステージにおける様々な問題 の B 仕事 の 2 ADHD と仕事 の ADHD 専門プログラムにおける調査 の「7)会社のロジック」における記述(P138)を以下に それぞれ引用します。

(前略)ましてや仕事となると、ミスや不注意を厳しくとがめられ、信用や評価が著しく下がってしまうこともしばしばです。「忘れっぽい」「周囲との折衝や調整が苦手」といったADHDの特性は、多くの職場ではマイナスの要素になりがちです。特に、最近は効率が優先され、タイトなスケジュールを要求されたり、業務量が増えたりと、ADHDの特性のある人には厳しい状況になっているといえます。(後略)

注:ちなみに引用中の「ADHD」に関連する「ADHDの人は増えている?」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『ADHDの人は増えている? 「診断」をひもとく - apital

ADHDを生み出しやすい社会」
話をADHDに戻します。本人がうまくやっていける環境を整えて「自己効力感」を高めることが大事、ということであれば、大人の場合、ADHDを持つことが不利になりにくい仕事を選ぶのがよい、ということになります。ただ、現代社会の難しさは、ADHDを持つ人には向かない仕事がますます増えていることです。一つの作業を行っているときはその仕事のことだけを考え、手順に従って進めていけばよいような仕事は、ADHDを持つ人にとって、比較的取り組みやすい仕事でしょう。ところが、現代社会の仕事のほとんどは、それとは反対に、同時並行でいくつもの仕事を進めていくことが要求されるようになっています。同時並行でいくつもの仕事が課せられることを「マルチタスク」と呼びます。
歴史の中で現代ほど「マルチタスク」が要求される時代はありませんでした。現代社会は言ってみれば、「ADHDを生み出しやすい社会」なのです。つまり、別の時代であれば、ADHDであるとみなされてはいなかった人たちが、今日はADHDとみなされるようになってきているのです。
皆さんの自身の生活を振り返ってみてください。テレビを見なからスマホを操作して同時に家族と会話をしている、ということはないでしょうか。そして、間違ったメールを送信してしまった、話を半分だけ聞いて的外れな返答をして家族から叱られた、という経験をされたことはないでしょうか。ADHDの頻度は、小学生で一〇〇人に五人程度、大人ではもっと低くなる、というのが現代の統計のデータですが、「マルチタスク」を要求する社会の流れがますます加速すると、今後、ADHDの頻度は、もっと増えてくることも危惧されます。かといって社会を昔に逆戻りさせることもできませんから、むしろ、ADHD的な失敗を減らすような技術や仕組みを社会の中に埋め込んでいくことが求められるのかもしれません。(後略)

7)会社のロジック
当然ながら,仕事おいては勤務をしている会社の状況や雰囲気,会社なりの暗黙のルールも問題となる.会社という組織のなかでは,その会社の「風土」にあった振舞いが必要とされること,会社のなかでは多くの場合,上司を含む他の社員のメンツを考えた言動が求められることを認識することが重要である.この点について,ADHD の当事者である借金玉氏は,会社というものは「部族」であると次のように説明をしている(『発達障害 すごい仕事術』KADOKAWA, 2018).

――そこは外部と隔絶された独自のカルチャーが育まれる場所です.そして,そこで働く人の多くはそのカルチャーにもはや疑いを持っていません.あるいは,疑いを持つこと自体がタブーとされていることすらあります.それは正しいとか間違っているみたいな概念を超えて,ひとつの「トライブ(部族)」の在り方そのものなんです.言うまでもありませんがそれは排他的な力を持ちます.部族の掟に従わない者は仲間ではない,そのような力が働きます.

ここではハンコの押し方などの例があげられているが,職場のしきたりの多くは「茶番」であり,客観的にみれば重要な意味はないものがほとんどである.けれども組織の一員でありたいならば,理不尽と感じてもそのしきたりに従う必要がある.
毎朝のラジオ体操や1分間スピーチ,あるいは歓送迎会や宴会について,「くたらない,時間の無駄」と思っていても,それらはある程度は「喜んで,一生懸命」参加しているように振舞うことが求められるもので,多くの社員はそのように行動している.
また,新しい仕事の企画を始めるときや,他の部署などに仕事の協力をお願いするときには,事前に必ず関係者に話を通しておかかといけない.これも一種のしきたりである.そうしておかないと,「話を聞いていない」ことで「メンツ」を失った年長者や役職者から,いわれのない妨害をされかねない.
こういったルールを,ADHD の当事者は見逃しがちで,あるいは気づいていても無視する傾向があり,ASD と同様に空気が読めないと言われかねない.しかし本質的に彼らは,「空気」を読めないのではなく読もうとしないのであり,他人の考えを気にしないで,自分の意見を押し通そうとする傾向が強い.そういった行動は大きな成功をもたらすこともあるが,どこかで足元をすくわれ,必要な情報を遮断されたりして失敗に終わることが多いため,組織のなかでは十分に注意する必要がある.

注:i) この引用部の著者は岩波明です。 ii) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」の略です。

また、『不寛容をまねく「多様性のなさ」』について、岩波明著の本、「天才と発達障害」(2019年発行)の 第六章 誰が才能を殺すのか? の『不寛容をまねく「多様性のなさ」』における記述(P229~P232)を以下に引用します。加えて、 a) 「個人においても組織においても、あらゆるパフォーマンスが細かく数値化され可視化されるようになり」「求められている成果を上げられない場合や、効率的に仕事をこなせない場合には、マイナス評価に直結する」ことについて、岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の「増補改訂版へのまえがき」における記述の一部(P7~P8)を以下に、 b) 「近年、社会のグローバル化に伴いコンプライアンスが重視され、何事にも透明性が求められる堅苦しい「管理社会」が出現しつつある」ことについて、後者の本の「はじめに」における記述の一部(P15)を以下に、 c) 『ケアレスミスが大きな問題となってしまったり、「適切な忖度」ができずに仕事ができないと捉えられてしまう』ことについて、後者の本の 第2章 発達障害は治るのか の「発達障害の人の就職や結婚はどうなるの?」における記述(P196~P197)を以下に それぞれ引用します。

不寛容をまねく「多様性のなさ」
周囲の多くの人々とは異なった個性を持つ人が排斥されやすい状況は、大人の世界においても同様である。以前より、日本人は「よそ者」に対して厳しく、個人の自由な行動を批判する傾向が強かった。21世紀になった現在でも、以前にも増して、突出した個人に対するバッシングが続いている。
今日一般的な用語になった「バッシング」という言葉は、いつ頃から使われているのだろうか。1980年代、貿易不均衡を背景とする米国の日本批判は「ジャパン・バッシング」と呼ばれていたが、現在のような意味では使われていなかった。
現在につながる「事件」として思い起こされるのは、2004年4月に起きたイラクにおける日本人3名の人質事件である。政府や一部のマスコミは、渡航が制限されたイラクで人質となった3人に対して、「自己責任」を唱えて厳しく批判した。だが、逆に海外のメディアや政治家からは彼らを擁護する発言が目立った。
その後、SNSの発達にともない、著名人が問題発言をしたり、法に触れる些細な行為をしただけで、一般国民もマスコミも猛烈に「炎上」することが一般化した。女性歌手のラジオにおけるトークや、若手女優のふて腐れた態度、あるいは横綱の不品行や政治家の傲慢な発言に、人々は本気で怒っているようだ。ネットにおけるバッシングは明らかに行き過ぎのことも多く、時には「被害者」を自殺に追い込むことも起きている。
このような日本社会の不寛容さは、どこに由来するのだろうか。その大きな要因として考えられるのが、多様性のなさである。日本の長い歴史の中で、他民族の大量流入や長期の占領といった事態が生じたことはなく、比較的一元的な価値観が形成されてきた。
したがって21世紀の現在においても、日本人の考え方や価値観は均質的であり、理想とされるライフコースも画一的だ。このため暗黙のうちに、学校でも社会でも、その同質的な価値観を押し付ける傾向が大きいのである。
この結果、「日本人的」な生き方から外れた個人、常識的でない言動をとる人物は、たとえ優れた能力を持っていたとしても、非難や排斥の対象となりやすい。これには、集団のはぐれ者に矢を向けるという側面に加えて、特別な能力を持つ個人に対する「嫉妬心」も含まれているのかもしれない。
もちろん日本においても、傑出した人物が一時的にある種の 「ヒーロー」としてもてはやされることはある。しかし日本社会は、アウトロー的な人物が長期にわたって「大きな顔」をすることを好まない。彼らの多くは、必ずと言っていいほど、ある時点で「常識的」な人々によって足を引っ張られて排除される。このような現象は、小さな団体や会社においても同じように存在する。
したがって才能を持つ個人は、日本社会において十分に用心する必要がある。いっとき彼の能力は称賛されるかもしれないが、どこかで必ず落とし穴が待ち受けているからだ。天才は、社会によって殺されるのである。
もう一つ、日本社会の欠点は、再チャレンジが困難なことだ。いったんコースから脱落した人物がカムバックすることは、ほぼ不可能なことが多い。一度でも過ちを起こすと、その負い目を長く背負わされてしまう。その例として、薬物に関する問題がある。

注:引用中の「不寛容」に関連する、 a) 「不寛容化する日本」については次の資料を参照して下さい。 「不寛容化する日本」 b) 『日本社会から「寛容さ」が失われている理由』については次のWEBページを参照して下さい。 『精神科医に聞く、日本社会から「寛容さ」が失われている理由』 c) 『なぜ「不寛容」は生まれるのか』については次のWEBページを参照して下さい。 『なぜ「不寛容」は生まれるのか。3人の有識者にそのメカニズムと対処法を聞く。』 d) 『「不寛容社会」の中での臨床雑感』については次の資料を参照して下さい。 『「不寛容社会」の中での臨床雑感』 e) 「オールラウンダーを求める現代の日本社会」については次のWEBページを参照して下さい。 『「上司ガチャ」で外れを引いたらいつまで耐えるべき? 見極めるための3つの質問(ページ4)』の「オールラウンダーを求める日本社会に振り回されるな」項 f) 「大人の社会はというものは、あるラインを超えたら、もはや到底抗しがたい圧力をもって個人を抹殺にかかる」ことについて、『戦いを考えなければならない。ただ怒りを暴発させているだけでは、彼らは間違いなく「犬死に」する。人生という名の戦いには、高度の戦略が必要である』ことを含めて、井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第4章 《治療者であるということ》 精神科診察における説明とその根拠 ――パーソナリティ障害の説明―― の「14 世間というものの怖さを説明する」における記述(P71~P72)を次に引用します。

治療者としては、患者たちのある程度の逸脱は許容する。むしろ、許容範囲で積極的に行動化するよう促すのもいい。
しかし、同時に社会の怖さ、世間というものの怖さを教えていかなければならない。大人の社会というものは、あるラインを超えたら、もはや到底抗しがたい圧力をもって個人を抹殺にかかる。大人たち、特に「白い巨塔」で長年生きてきている医師たちは、その怖さを身をもって知っている。若者たちは、社会というものの心理的謀略の陰険さ、隠蔽された暴力の恐怖感というものをまだ実感できていない。本当の怖さをまだ知らない。
岩波(16)は、「日本人一人ひとりは、温厚な人々である。しかし日本人が集団で行動するとき、彼らはしばしば考えられない無慈悲な行動をする。集団となった日本人は、はじきだされた者をゴミのように扱う」と述べている。このような傾向は、確かに日本人のように均質化された集団を好む民族には顕著だが、おそらくは人間の普遍的な心性でもあろう。
全体主義の恐怖、それは本来守られるべき個人の内面をも躊躇なく蹂躙し、「公共善」のために少数派の珠玉のような個性を剥奪せずにはおかない。しかもその際に、見せ掛けばかりの良識や、一見して筋の通った便宜道徳が「このときとばかりに」と呼び出される。他人に強いる道徳とは、しょせんは支配欲の自己正当化に過ぎない。サディズムに倫理の衣をかぶせただけである。動物的な攻撃本能を錦の御旗で隠蔽しているに過ぎないのである。
パーソナリティ障害患者たちの怒りには、ほとんどの場合彼らなりの根拠がある。しかし、それらを、勝ち馬にかける多数派たちは、凶暴な征服欲をもって、頭から押さえつけにかかる。それも「正義は我にあり」と言わんばかりの居丈高な態度で、である。
これが大人の社会である。彼らはこんな獰猛な獣たちと伍していかなければならない。それが生きるということの意味である。戦い方を考えなければならない。ただ怒りを暴発させているだけでは、彼らは間違いなく「犬死に」する。人生という名の戦いには、高度の戦略が必要である。
屈辱を味わい、辛酸をなめ、煮え湯を飲まされるのも人生である。この過酷な真実を前にしても、なお、依然として人生は生きるに値する。若者たちに人生の夢、ロマン、理想を説いてやることこそが精神療法の骨子となろう。

注:引用中の文献番号「(16)」は次の本です。 「岩波明(2008)うつ病筑摩書房.」

(前略)かつての日本は、社会全体に右肩上がりの余裕があったためだとは思いますが、働きぶりの異なるさまざまな人を包摂できる柔軟な組織が今よりも多かったように思います。高いパフォーマンスを発揮できる人がいる一方で、あまり効率的に動けない人にも、それなりの居場所がありました。「右へ倣え」といった画一的な組織が多い一方で、多少そこから外れた人がいても黙認されるゆるやかさとダブルスタンダードが存在していたと思います。
ところが今や、個人においても組織においても、あらゆるパフォーマンスが細かく数値化され可視化されるようになりました。これは、その人の働きぶりが厳密に、適正に評価されるようになったという側面もありますが、求められている成果を上げられない場合や、効率的に仕事をこなせない場合には、マイナス評価に直結するのです。こういった現況が、発達障害などの特性をもった人たちの居場所が失われていくことにもつながっていると感じられます。(後略)

(前略)ところが近年、社会のグローバル化に伴いコンプライアンスが重視され、何事にも透明性が求められる堅苦しい「管理社会」が出現しつつあります。
こうした社会状況においては、物事に柔軟に対処できないASD(自閉症スペクトラム障害)の人や、些細なミスを頻繁に起こしやすいADHD(注意欠如多動性障害)の人は、どうしても不適応を起こしやすくなり、会社や学校で目立ってしまったり、困った存在として認識されやすくなったりしているのです。(後略)

注:i) 引用中の「ASD」については他の拙エントリを、一方、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

(前略)近年、企業などにおいて、コンプライアンスの遵守や情報の保護が重要視されるようになり、職場環境も厳しくなっているのが現状です。また、日本企業はとりわけ、変化してきているとはいえ、いまだに上下関係や、「場の空気を読んで」忖度する力、状況を把握する力が大きく評価されることもあります。ケアレスミスが大きな問題となってしまったり、「適切な忖度」ができずに仕事ができないと捉えられてしまうこともあり、発達障害のある人には難しい環境になりつつあります。(後略)

注:引用中の『「場の空気を読んで」忖度する力』に関連するかもしれない「忖度」や「同調圧力」を含む『「空気を読めない」ことがこれほど責められるのは、日本社会ぐらいのものかもしれない』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の 「女子の発達障害」に特有の生きづらさとは の『◆「女性」の「日本人」は二重の苦しみ』における記述(P115~P118)を次に引用します。

発達障害というと、「空気が読めない」「相手の表情、しぐさを読み取れない。言葉のニュアンスがわからない」といった症状をイメージする方が多いようです。特にASDにはその傾向があります。
もともと日本人の会話は、物事をハッキリ言わずに雰囲気やニュアンスで伝えようとする傾向があります。アイコンタクトで暗黙の了解を求める、なんとなく「わかってるよね」で済ませる、会議やミーティングでは特定の人が口火を切るのを待ってから話す、などが典型です。上司が詳しい事情を説明せず、ただ「うまくやって」としか言わないことも珍しくありません。
ところが、ASDの人はこうしたニュアンスを察知できません。そのため 「どうしてみんな黙ってるの?」、「はっきり説明をしてください」などと、ひとりで問い詰めることがあります。
表情や言葉のトーンから相手の気持ちを読み取るノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションを苦手としています。そのため、人の言葉を額面通りに受け止めてしまいます。同じ「イエス」でも本気のイエスか、ノーを含むイエスか、いろいろなパターンがあるのが日本人の会話ですが、ASDの人にとっては、「イエス」と言われたらイエスなのです。そのため、お世辞や社交辞令も真に受けてしまいます。
ちなみに、ADHDの人も同じように「空気を読めない」人に見られることが少なくありませんが、ASDとは、その原因が異なっています。
ADHDでは「相手の都合など考えず、思いついたことを言わずにいられない」傾向があります。ASDの人が「空気を読めない」のは他人への無関心によるものですが、ADHDの人が「空気を読めない」のは、その衝動性から「空気を読もうとしない」ことによるものです。
また彼らは相手の話をきちんと聞こうとしないで一方的に主張することが多いため、ASDと同様に「空気が読めない」とみなされることもしばしばです。
表面的には、ASDとADHDは似たような行動パターンを取るため、周囲からはなかなか区別がつかない場合が多いようです。
もっとも「空気を読めない」ことがこれほど責められるのは、日本社会ぐらいのものかもしれません。そもそも「空気を読む」習慣がない国では、「空気が読めない」ことが問題にならないのです。その証拠に、発達障害の帰国子女は、日本に帰ってきてから初めて問題がはっきりすることが多いのです。
帰国子女の患者さんは、「日本はワケがわからなくてつらいです。海外は楽でした」と言います。確かにそうかもしれません。日本では「善処します」、「検討します」といった曖昧な表現から、相手の真意を読み取らなければいけないからです。
言葉のニュアンスに加えて、顔色や、その場の雰囲気などを読み取るために、常にアンテナを張り巡らせなければならない。これは疲れます。また相手の社会的なポジションや経歴も常に頭に置いて発言することが求められます。日本社会では、日常の社会生活においても、常に「忖度」が必要なのです。
また、日本はまわりとの関係性を気にする社会でもあります。日本人は他人と自分を比べたがる傾向が強いのです。人種も宗教もバラバラの国では、いちいち人との違いを気にすることはありませんし、実際できません。個人の生き方や主義について、とやかく言うこともありません。人に迷惑をかけない限りは、「お好きにどうぞ」が基本です。
ところが日本人は、「みんな一緒」が前提です。肌の色も住んでいる家も、見ているテレビ番組も似たようなもの。こうした同質性が高い社会では、ちょっとした違いが大いに目立つのです。そのちょっとした違いに敏感であることが、「日本人らしい繊細さ」という美徳につながるのかもしれませんが、それが苦手な発達障害の人は、「変な人」扱いをされてしまいます。これはつらいことです。
地域や職場などの集団において、何かの意思決定を行う場合に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に従わせようと作用する強制力を「同調圧力」と呼んでいます。海外と比較して、日本社会ではこの同調圧力が強いことが指摘されていますが、それを読み取れない発達障害を持つ人には、生きづらい社会であることは明らかです。

注:引用中の「もともと日本人の会話は、物事をハッキリ言わずに雰囲気やニュアンスで伝えようとする傾向がある」ことに関連するかもしれない『日本は「おもてなし」の国ですから、他国に比べ、相手の気持ちを察し、思ったことを口にしないで控えめにすることが求められる」ことについて、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の B:推察(コミュニケーションが苦手) の「思ったことをそのまま口にする」における記述の一部(P140~P141)について次に引用します。

(前略)日本は「おもてなし」の国ですから、他国に比べ、相手の気持ちを察し、思ったことを口にしないで控えめにすることが求められます。これに対して欧米では、言ったことがすべての世界ですから、言葉として表現しない限り通用しない国々です。それゆえに、思ったことをすぐに口にするASDの特性は、欧米諸国では立派に通用しますが、日本では正反対で、人に嫌われる原因になります。
ASDの特性を持つ人は、概して海外では実力を評価され十分に通用するのですが、日本に戻ると周囲の人に煙たがられ、ひとりポツンと孤立してしまうことがあります。本音と建前を使い分ける日本では、生きづらさばかりを感じてしまいます。(後略)

次に、発達障害の方に対する職業調査について、岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第3章 誤解だらけの発達障害 の 発達障害の人のよいところは? 得意なことは? の「烏山病院における職業調査」における記述(P251~P252)を次に引用します。

以前に、昭和大学附属烏山病院の発達障害を対象としたデイケアの利用者について、職業の調査を行いました。結果としては、ASDでは定型的な事務職が多く、ADHDは専門職が多数を占めていました。
ASDは黙々と定型的な作業を継続することが得意なことが多いですが、途中で周囲から話しかけられたり、新しく指示されたりすると混乱しやすいため、変化の少ない業務環境が向いています。
一方、ADHDは一般的なデスクワークは苦手です。彼らは自分の裁量で仕事を企画し、自分のペースで作業を行うことを好みます。具体的には、イラストレーター、作家、コピーライター、プログラマーなどの分野で成功している人がよくみられます。
烏山病院の調査では、ASD348例においては、事務従事者が54%、専門的・技術的職業26%、運輸・包装・清掃8%、サービス業5%でした。一方、ADHD145例においては、専門的・技術的職業48%、事務従事者34%、サービス業6%、運輸・包装・清掃5%という結果でした。

注:i) 引用中の「ASD」については他の拙エントリを、一方、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

加えて、ASDの方の特性と向いた職場に関連する「変化のなさ(常同性)を好む傾向と、マニュアル化した対応を求められるコンビニとの好相性」について、岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第3章 誤解だらけの発達障害 の 近年増えている発達障害を扱う作品 の「村田沙耶香コンビニ人間』」における記述(P273~P275)を次に引用します。

この小説は、2016年に第155回芥川賞を受賞した作品になります。以前に三島賞の受賞歴もある作者の村田沙耶香は、作品の舞台であるコンビニで実際に週3回働いていたことも話題となりました。
物語の主人公は36歳の独身女性、古倉恵子。彼女は大学卒業後に就職することも結婚することもなく、コンビニのバイトを18年間続けていました。その生活はすべてコンビニ中心のものでしたが、あるとき偶然に元アルバイトの男性と同棲することになるというストーリーです。
この作品に対する芥川賞選考委員の意見は、好評なものでした。たとえば奥泉光は、「(前略)本作はこの人間世界の実相を、世間の常識から外れた怪物的人物を主人公に据えることで、鮮やかに、分かりやすく、かつ可笑しく描き出した」と評しています。
また宮本輝は、「職場というものが、その仕事への好悪とはべつに、そこで働く人間の意識下に与える何物かを形づくっていくさまを、村田さんは肩肘張らずに小説化してみせた」と述べています。
もっともヒロインの恵子は、精神医学的にみると「怪物」というわけではなく、ASDの特徴が顕著な人物です。彼女は、公園で死んでいた小鳥をみなが墓を作って埋めようと言っているのに一人焼鳥にして食べようと主張するし、同級生のけんかを止めてと言われたときには、側にあったスコップで頭を殴打して怪我をさせたため職員会議にかけられました。だが恵子には、なぜ自分が怒られているのかわからなかったということです。家族からも学校でも、彼女は変わった子どもと思われていました。恵子は言葉を文字どおりに受け止めてしまうし、他人の気持ちや考えを推し量ることができないのです。
けれども自分の行動が周囲に迷惑をかけていることは理解したので、彼女は集団の中で問題にされ「異物」にならないために、極力口をきかずにおとなしくしているように努力しました。他の人のまねをするか、誰かの指示に従っていれば大きな間違いはしないですむからです。
このような特徴をもつ彼女にとって、マニュアル化した対応を求められるコンビニは、ぴったりの職場でした。この変化のなさ(常同性)を好む傾向はASDに特徴的なものです。つまりこの小説はASDの特性をもつ女性が「普通」の世界にどう適応すればよいのかを描いた作品であり、作者のねらいもそこにあるようですが、評論家も含めて大部分の読者はそれに気がつかず、主人公を「不思議な人物」と思い込んでいるようです。

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【3】発達障害の女性が責められる原因となる「男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的で」、そして『「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像』であることについて、その他

標記、より正確には【発達障害の女性が責められる原因となる「日本社会においては、男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的で」、そして『いわゆる「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像』であること】について、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の 「女子の発達障害」に特有の生きづらさとは の『◆「女の子らしく」ができない』における記述の一部(P111~P113)を次に引用します。

(前略)日本社会においては、男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的です。明るくて、にこやかで、気配り上手で、常に男性を立てる。そんな女性像に縛られています。いわゆる「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像なのです。日本の男性は、若い世代においても、このようなイメージを女性に求めていることが珍しくありません。
「家事は女性がやるべし」という風潮も、男女雇用機会均等法が施行されて30年以上が経つにもかかわらず根強く残り、男性側もそれが当然だと思っています。
夫婦共働きの家庭においても、多くの場合、家事と育児は妻が担当しているのです。夫が家事や育児に協力しているといっても、ほんのわずかな部分しか担っていないケースがしばしば見られます。
ところが、発達障害の女性の特性は、そうした「男性が求める女性の役割」とは正反対であることが多いのです。それが「女性なのに」と責められる原因です。
結婚して妻や嫁、母など求められる役割が増えると、それが顕著になります。
期待されるのは、いつも明るくにこやかで気配り上手な女性でいることですが、ASDの人は対人関係が上手でないため、親戚やご近所のつきあいができず、孤立してしまいます。
ADHDの人は片づけが苦手で、家事全般も不得意です。また悪意はないものの不用意な発言が多く、問題とされることもしばしばです。
職場でも、お茶出しのような雑務は女性に期待されがちです。入社3年日のある女性は、「雑務担当の女性が欠勤しているとき、新入社員や2年目の男性社員もいるのに、お茶出しを期待されるのは私になるんです」と述べていました。こういう風潮は日本の職場には根強く残っています。
国連の日本人職員の最高位である事務次長の中満泉・軍縮担当上級代表は、20代で国連入りし、スウェーデン人の外交官と結婚した方です。中満氏は、男女間格差が根強く残る日本の現状について、「根深い男女役割の刷り込み」があると、次のように指摘しています(https://www.47news.jp/4596012.html)。

「……日本の社会にはものすごく刷り込みがある。気がついていない刷り込みが、生活のありとあらゆるところにあって、男性はこうであり、女性はこうでありと、ジェンダーロール(男女の役割分担)に関して常時刷り込まれている」
「日本のニュース討論番組を見ていると、専門家で難しいことを言っている人はほとんど男性。で、メインのキャスターがいて、お飾りのようにサブのキャスターで女性が付いている。それが毎日毎日あるから、難しい専門的なことを話すのは男性で、ちょっとお飾り的に女性がいると刷り込まれる。
映画とかテレビドラマを見ていても、会社の執行理事会とか幹部会とかで座って会議をしているのは全てほとんど男性で、制服を着た女の人が書類を持って入ってきたりお茶を持って入ってきたり。そういうシーンがもういつも繰り返されていて、子どもたちは小さい頃からそういうのを見て育つので、社会ってこういうものなんだ、それが自然なんだと刷り込まれている」

注:i) 引用中の「ASD」については他の拙エントリを、一方、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「日本社会においては、男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的です」については次のWEBページも参照して下さい。 「なぜ女子の発達障害は、大人になるまで発覚しにくいのか(ページ3)」の「発達障害の女性が生きづらい日本社会の背景」項 iii) 引用中の『発達障害の女性の特性は、そうした「男性が求める女性の役割」とは正反対であることが多いのです。それが「女性なのに」と責められる原因です。結婚して妻や嫁、母など求められる役割が増えると、それが顕著になります。』に関連する、 a) 「発達障害とはちょっとずれますが、女性は男性以上にいろんな役割を担わされていると思います。家庭とか、職場とか、親戚付き合いとか、子育てとか、いろいろあります。ですから、そうした環境によって、ストレス反応が男性以上に起きやすいような気がします。」については次の文書を参照して下さい。pdfファイル「女性のライフステージと女性特有のうつとの関係」中の宮岡佳子著の文書「発達障害をもつ女性のうつについて ~悩みとその対処を中心に~」(P10~P13)の「Q.今回は女性の発達障害というテーマですが、対処方法には女性特有の特徴があるのでしょうか。性差はあまり関係ない印象を受けています。いかがでしょうか」項(P12) b) 「一般的に女性はいくつかの社会的役割を担いながら,結婚,出産,育児,家事,就労,近所づきあい,学校参加などをそつなくこなすことが暗に求められています。広沢(2016)は,女性が複数のライフスタイルを同時並行させなければいけないことは,ASDの特性を持つと困難が増すと述べています。」について、川上ちひろ、木谷秀勝編著の本「続・発達障害のある女の子・女性の支援 自分らしさとカモフラージュの狭間を生きる」(2022年発行)の 第I部 カモフラージュをして生きる発達障害のある女の子・女性たち の 第2章 発達障害のある男女に見られるカモフラージュの違い の「3 カモフラージュの性差」における記述の一部(P33~P34)を次に引用します。

(前略)一般的に女性はいくつかの社会的役割を担いながら,結婚,出産,育児,家事,就労,近所づきあい,学校参加などをそつなくこなすことが暗に求められています。広沢(2016)は,女性が複数のライフスタイルを同時並行させなければいけないことは,ASDの特性を持つと困難が増すと述べています。実際,ASDのある女性が社会的な性への期待や要請に関するプレッシャーを感じていたことも示されています(Milner et al., 2019)。
このようにASDのある女性は,女性に対する社会的な役割期待と,ASDのある当事者として自分らしく生きることとの間で板挟みになり,生きづらさを抱えうると考えられます。(後略)

注:i) この引用部の著者は砂川芽吹です。 ii) 引用中の「広沢(2016)」は次の資料です。 「女性の自閉スペクトラム症例とそのライフステージの課題」 iii) 引用中の「Milner et al., 2019」は次の論文です。 「A Qualitative Exploration of the Female Experience of Autism Spectrum Disorder (ASD)

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【4】情動制御が中核となる非認知能力なるものへの関心の高まりについて

標記「関心の高まり」について、「Society 5.0」を含めて、上淵寿、平林秀美編著の本、「情動制御の心理学」(2021年発行)の 第Ⅱ部 情動制御と他の心理機能 の 終章 情動制御発達研究の行方を占う の「1 非認知能力なるものへの関心の高まり」における記述や「2 非認知能力の中核をなす情動制御」における記述の一部(P207~P211)を次に引用します。

1 非認知能力なるものへの関心の高まり

現在,世界はいわゆる“VUCA”な時代のただ中に在るといわれている。“VUCA”とは,Volatility(激動),Uncertainty(不確実),Complexity(複雑),Ambiguity(曖昧)という4つの英単語の頭文字を並べて構成された造語であるわけであるが,まさに人類は今,目まぐるしく変化し,先の見通しの利かない,そして思想や価値も含め様々な要素が複雑に絡み合い,何が良くて何が悪いのかの基準もきわめて曖昧な状況の中で,明確な対処の仕方を未だ見出せぬまま当て所なく揺曳しているといえるのかもしれない。その一方で,科学技術の進展は凄まじく,殊にAIに関しては,その機能が人の知能を凌駕する,いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)に達するのもそう遠い未来ではないことが指摘されている。
こうした中,これから先の時代をたくましく生き抜いていかなくてはならない子どもたちがどのような心の力を身につけておくべきなのかということに関わる議論も盛んになってきている。おそらく,これまでは,社会的に価値づけられたコンテンツ(情報や知識)を頭の中に豊富に蓄え(内在化させ),さらにそれらを社会が求める既定の方向に従って活用する力が暗黙裡に重視されてきたといえるのかもしれない。かつ,学校教育の中でも,暗々裡に,そうした力の養成に重点がおかれてきたのだと考えられる。しかし,高機能AIが先導するSociety5.0の社会にあって,もはや私たちの生活世界には,ある意味,ありとあらゆるコンテンツが外在化した形で遍在している。そして,こうした中にあって,徐々に声高に言われるようになってきているのが,何か予め決められた価値や方向に従順に従って,必要とされるコンテンツを内在化させ,それをもとにただ思考し行動するのではなく,むしろ,予測困難な混沌とした状況に柔軟に適切に対処すべく,適宜その都度,自身の頭で考え判断し,自ら目標設定する力,そしてその目標に合わせて,外在化して在るコンテンツを主体的に選択し集め有機的に組み立てる力の必要性である。それと同時に,そうした力を独りよがりではなく,様々な他者と手を携え協力し合いながら活かしていく力の必要性である。
思うに,こうした力こそが,現在,教育の世界で,とみに注目が集まっている非認知能力なるものの実質的な中身といえるのだろう。従来型のペーパーテストで測られるような,いわゆる頭の良さ,頭のできという意味での認知能力を,たとえどんなに高水準で備えていても,もはやそれだけでは適応的に生き抜くことのできない時代が目前に迫っており,あるいはすでに到来しているのかもしれず,そうした中で,認知能力以外の何か大切な要素,すなわち非認知能力に俄然,子どもの教育に携わる者の関心が注がれ始めているのである。
こうした思潮の嚆矢となったのが,教育経済学者であるジェームズ・ヘックマン(James Heckman)の論考であることは言うまでもない(e.g. Heckman, 2013)。彼の研究は,基本的に,子育てや保育なども含めた教育への投資効果,すなわち人の生涯のとりわけどの時期に,教育に対して然るべき投資がなされれば,最も効果が大きいのかということを問うものであった。その結論は,就学前,すなわち乳幼児期における教育への投資効果が絶大であるということだったわけであるが,彼は,自身が関わった貧困層の子どもに対する介入研究(ペリ-就学前計画)を通して,大人になってからの経済的安定性や健全な市民生活などに現れる個人差が,必ずしもIQの違いによっては説明されないことから,IQの値で示されない力,彼に言わせれば認知能力以外の力,すなわち非認知能力(non-cognitive ability)を特に幼少期の段階から獲得しておくことが重要であると強く主張するに至ったのである。
ヘックマンの影響力は大きく,たとえばOECDなどは,その主張をほぼ全面的に取り入れて,2015年に“Skills for Social Progress: The Power of Social and Emotional Skills”と題したレポートをまとめ,その中で,非認知能力を,学術的により厳密な形で社会情動的スキル(social and emotional skills)と言い換えたうえで,たとえ経済的には不遇な状況にあっても,子どもが発達早期から然るべき養育や教育を受げ,その基盤を築いておくことが,その後の一生涯にわたる心と身体の健康や経済的安定性なども含めた社会的適応性の1つの鍵を握っていることを強く主張している(OECD, 2015)。OECDは「スキルがスキルを生む」という表現をとっているが,まずは幼少期に社会情動的なスキルの土台を堅固に作り上げておくと,その後の教育課程で受けることになる様々な教育の成果がそのうえに着実かつ効率的に積み上げられ,多様な側面にわたり,さらに高水準のスキルの発達がより円滑に,かつ効率的に導かれると説くのである。また,先行して非認知能力=社会情動的スキルの基盤を子どもに備えさせておくことが,その後の認知能力の発達や学力の形成にも正の影響を及ぼし得ること,しかし,その逆の因果の矢印はあまり想定できないことなども合わせて示唆している。

2 非認知能力の中核をなす情動制御

ヘックマン自身は,非認知能力として主に自身の心の状態を適切にコントロールする力(自制心)や,目標に向かって我慢強くやり抜く力(グリット)などを想定していたようであるが,経済学者ということもあって,その具体的な中身に関しては必ずしも詳細に論じているわけではない。ただ 心理学や教育学の領域に眼を向ければ,非認知能力あるいは社会情動的スキルに関してはすでに様々な理論的検討が行われており,OECDによるレポートは,そうした多岐にわたる理論的検討を踏まえて,非認知能力=社会情動的スキルを「長期的目標の達成」「他者との協働」「情動を管理する能力」の3側面から成るものとしている(OECD, 2015)。
この中の「情動を管理する能力」が,概念的にまさに情動制御に関わる一連のスキルやコンピテンスということになるが,それは大きく2つの側面に分けて把捉し得ると考えられる。このうちの1つは同じくOECDが社会情動的スキルの1要素としている「長期的目標の達成」に深く関わる情動制御であり,言ってみれば異時点間の選択のジレンマ解決において必要となるものである。もう1つは,やはり同じくOECDが社会情動的スキルの1要素としている「他者との協働」に深く関わる情動制御であり,言ってみれば自他間の選択のジレンマ解決において必要となるものである。
異時点間の選択のジレンマとは,今と未来の間の選択,すなわち,今,眼前にある利益をすぐに取りに行くことを優先するか,それとも今ここでの利益を我慢して,もう少し先の自身にとってのより大きな利益をとることを重視するか,ということをめぐる情動管理・情動制御の問題であり,それを解決する力は,実質的に,それこそ「長期的目標の達成」に必要となる,自身の衝動を抑えて行動をコントロールする力である「自制心」や,目標指向的に粘り強く努力する力である「グリット」の中に含まれて在るといえる。発達研究の文脈では,しばしばいわゆるマシュマロ課題をはじめとする満足遅延問題の中で問われてきたものであり,本書でも示されているように,標準的には幼児期くらいから,子どもはしだいに今の目先の快情動を充足させたい,不快情動を回避したいという即時的な衝動を抑止あるいは遅延させ,その先に在る,より自身にとって長期的に益をなすであろう行動の具現に向けて,一貫した形で情動を統御し,動機づけを維持することが可能となるようである。
一万,自他間の選択のジレンマとは,自己と他者の間の選択,すなわち自身の利益を優先するか,それとも他者の利益を,あるいは他者に危害・迷惑・不利益などが及ばないことを重視するか,ということをめぐる情動管理・情動制御の問題であり,それを解決する力は,それこそ「他者との協働」において必要となる協調性あるいは道徳性や規範意識などの中に自ずと含まれて在ると考えられる。発達研究の文脈では,しばしば思いやりや援助などの向社会的行動あるいはルールや道徳の遵守などのテーマで実証的に問われてきたものであり,本書でも示されているように,標準的には幼児期くらいから,他者の意図や感情などの読み取り,あるいは暗黙の社会的基準やルールなどの理解が成立し始めると,たとえば他者がくれたプレゼントに対して実際には失望の情動を覚えていても,少なくともその他者が現前している状況では,微笑んで応じるなどの他者志向的な情動表出の調整・制御が可能になっていくのである。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Heckman, 2013」は次の本です。 「Heckman, J. (2013). Giving kids a fair chance. Cambridge, MA: MIT Press.」 iii) 引用中の「非認知能力」に類似するかもしれない「非認知的(社会情緒的)能力」については次の資料を参照して下さい。 「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」 iv) 引用中の「OECD, 2015」は次の本です。 「OECD (2015). Skills for Social Progress: The Power of Social and Emotional Skills. OECD Publishing.」 加えて、上記「OECD, 2015」に関連する「OECD による国際調査と教育に関するレポート」については上記「資料」の「③ OECD による国際調査と教育に関するレポート」項(P8~P9)を参照して下さい。 v) 引用中の「IQの値で示されない力」に関連するかもしれない「人の社会的な成功や幸福が純然たる知的能力=IQではなく,むしろ感情的知性=EI(Emotional Intelligence)によってもたらされること」については上記「資料」の『第 2 節 「IQ 神話」への疑い』を参照して下さい。 vi) 引用中の「マシュマロ課題」に関連する(衝動性の制御を測定する課題としての)「マシュマロテスト」については上記「資料」の『1.6. 衝動性の制御』項を参照すると良いかもしれません。 vii) 引用中の「Society5.0」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Society 5.0

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【5】「論争中の病」を患う方々における「想像的な希望と可能的な希望」について、その他

最初に標記「論争中の病」に関連する次の資料があります。 「診断のパラドックス ――筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群及び線維筋痛症を患う人々における診断の効果と限界」、『「探求の語り」再考 ――病気を「受け入れていない」線維筋痛症患者の語りを通して――』、『「論争中の病」の表象の変遷――筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群に関する NHK のテレビ番組の分析から』 次に標記「論争中の病」ないしMUS(Medically Unexplained Symptom、「医学的に説明できない症状」、例えばWEBページ『「医学的に説明できない症状」って?』を参照、加えてWEBページ『第4回 「原因不明の症状」を診る 専門医と異なるアプローチ ~総合診療医の出番です~』も参照すると良いかも)における先行研究について、野島那津子著の本、『診断の社会学 「論争中の病」を患うということ』(2021年発行)の 第1章 「論争中の病」をめぐる問題 の 4 「論争中の病」をめぐる問題 の「4-1 先行研究の検討」における記述及び「4-2 診断のポリティクス」における記述の一部(P27~P31)を以下に引用します。また、下記注には引用中の「精神疾患」の定義に関する考察が含まれます。

4-1 先行研究の検討
論争中の病をめぐる問題について、医学的研究の多くは、有病率や患者の受診数の増大による医師や医療費への悪影響について検討する一方、社会学的研究の多くは、おもに質的調査によって、当事者が直面する問題を明らかにしてきた。本節では、論争中の病をめぐる問題のうち後者の問題、すなわち当事者が直面する困難に関する先行研究を検討し、そのおもな論点を確認する。
論争中の病ないしMUSは慢性疾患のため、患うことは日常化する。患者の日常は、「MUSとともに生きること(living with MUS)」にあるのである(Nettleton 2006)。しかし、ほかの慢性疾患とは異なり、器質的病因の特定が困難なMUSは、ほとんどの場合、患っているにもかかわらず診断がつかないという事態を生じさせる。このよぅな事態は、患者の日常生活や個人のパーソナリティを危機に陥れる。なかでも、患者が特に危機を感じるのは、周囲から詐病(malingering)を疑われたり、ペテン師(fraud)だと思われたり、症状を偽っている(faking)と捉えられたりすることである。
たとえば、S・ネトルトンが行ったインタビュー調査で、おもに嚥下障害や頭痛に悩まされている五三歳の女性は、「ほかの人を納得させることは難しいです。みんな、症状が目に見えず、名前のない病は絶対に信じません」と述べているが(Nettleton 2006: 1172)、いつまでも診断がつかない状態が続いたとき、周囲の人びとは、患っていることをそのままには認めない。そのため、MUSを患う人びとは、「理由なく」患っていることに罪悪感を覚え、原因を自分自身に帰するようになる(Broom and Woodward 1996; Nettleton et al. 2005; Nettleton 2006)。また、検査で異常を特定できず、適切な診断を下すことができないため、医師もまた、患いそれ自体を否定したり、原因を患者自身に帰せたりするなど、「犠牲者非難(victim-blaming)」が起きやすい(Lillrank 2003: 1050)。
また、MUSを患う人に多く生じるのは、精神疾患の診断である。MUSはさまざまな身体的症状とともに、不安や落ち込みをもたらす。そのため、身体的症状が検査で裏づけられないとき、ほかの一切の症状を無視して心理的側面だけに着目して診断が行われたり(Broom and Woodward 1996: 369)、身体表現性障害を疑われたりすることがたびたび生じる(Lillrank 2003; Broom and Woodward 1996)。しかし、患う人びとの多くは心理的問題と言われるのを拒んだり、精神疾患の診断を否定したりする。抑うつ状態や落ち込みが激しくなったとしても、それは二次的なものであって、一次的なものではないと言われる。たとえば、A・ストックルが行った、自己免疫疾患の一つである全身性エリテマトーデス(Systemic Lupus Erythematosus: SLE)の調査では、患者はたしかに落ち込むものの、それは精神的な弱さからくるのではなく、SLEを患うことにうまく対処できないためだとされる(Stockl 2007: 1554)。
さらに、患者の日常生活に訪れる重大な危機として、圧倒的な孤立が挙げられる。患者の多くは、何の病気かわからないまま、長期にわたって一人で悩み続けることになるが、それはとりもをおきず、診断されていないことが大きく影響している。ネトルトンらの調査で、深刻な痛みと歩行困難を抱える五八歳の女性は、診断がつかないとわかった後、「まるで見捨てられたかのように感じました」と語っているが(Nettleton et al. 2005: 208)、診断がつかないというのは、患いが医学的に承認されないというだけでなく、症状に関する情報にアクセスするためのキーワードを得ることができずに、途方に暮れるという事態なのである*12。MUSを患う人びとにとって、サポートグループや病気に関する詳細な情報にアクセスすることは容易でなく、患うことと孤独に向き合う期間は、総じて長期化する傾向にある*13。
このように、論争中の病を患う人びとはさまざまな困難に直面することになるが、ほとんどの論者が指摘しているのは、診断の不在および希求に関する問題である。上に述べたように、論争中の病は診断がつかないか、診断までにかなりの期間を要するため、病者の多くはさまざまな危険に晒されている。それは、上述した詐病等への嫌疑だけでなく、病を患うことの正統性(legitimacy)の欠如や、必要な治療・支援へのアクセスが不可能な状況などが含まれる。すなわち病者は、通常「病人」であれば、さしたる努力もなく手に入るはずの権利や、病む者に対する他者の配慮が得られない事態に陥っているのである。
こうした事態を脱するため、病者は熱烈に診断を希求する。しかし、ネトルトンによれば、病者は診断そのものを希求しているというよりも、診断によって友人や家族、そして何よりも医療専門家に彼らの症状が「本物(genuine)」であると認められることを希求しているという(Nettleton 2006: 1170)。J・ダミットもまた、C・グレントン(2002)を参照しながら、病者は自分たちの苦しみ/患うこと(suffering)の証明として、医学的診断やヘルスケアシステムへのアクセス権が得られることを必要としていると述べる(Dumit 2006: 582)。すなわち、診断は、それそのものやケアされる権利の獲得のためというよりも、彼らの日々の症状や苦しみが「本物」であることを「証明」するために希求されていると言える。
またこうしたことと関連して、多くの研究は、心理学的説明に対する病者の抵抗について指摘している。上に見たように、病者は、器質的病因が特定されないために、容易に精神疾患と診断されうる状況にある。しかし彼らは、病気がけっして自分の心にではなく(not at all "in the mind")身体にある("really is in the body")ことを確信している(Stockl 2007: 1554)。例として、ネトルトンのレヴューからは、精神疾患の事例として分類されるリスクを縮減しようと慎重に語りを進めるインタビュイーや(May et al. 2000)、痛みが想像されたものではなく身体にあることを聴き手に納得させるために語りを構成しようとする女性など(Werner et al. 2004)、精神疾患や心の問題として捉えられることに抵抗する事例が確認される(Nettleton et al. 2006: 1169)。また、ほとんどの病者にとって診断の獲得は、「正常(normality)」への帰還方法を教示するものと見なされている(Stockl 2007: 1553)。しかし、心理学的説明ないし精神疾患という診断は、病者にとって「正常」への回帰を意味するものではないため、断じて受け入れられることはない。
ストックルは、心理学的説明への決然とした抵抗の背景にあるものとして、患う人びとが、自分たちの病気の「最初の専門家(proto-professional)」として診断のプロセスに加わっていることに注目している(Stockl 2007: 1556-7)。というのも、病者は得体の知れない彼/彼女の症状に関して、医師よりも経験的な知識を持っており、加えて膨大な情報収集を行うからである(Stockl 2007: 1557)。そのため、その病気のエキスパートの特権的メンバーとして診断のプロセスに積極的に参加し、医師の言葉を自分なりに咀嚼しながら、症状への対応を自ら決定し、実行するのである。ただし、「最初の専門家」としての態度のみが、精神疾患という診断の棄却に作用しているかは定かでなく、ほかにもさまざまな要因が検討される余地を残している。

4-2 診断のポリティクス
以上の問題を整理すると、論争中の病をめぐる重要な問題は、ひとえに「診断のポリティクス」にかかわるものであると言うことができる。患っているにもかかわらず診断されない事態は、かくも多くの困難を生じさせるが、診断が患いの正統性を付与するものと見なされているかぎり、論争中の病を患う人びとは、病と病でないものとを分ける境界線の内側に入るか否かのポリティクスに巻き込まれざるをえない。(後略)

(i) 引用中の註「*12」の記述(P198)を次に引用(『 』内)します。 『*12 「情報へアクセスすることは特に困難である。目立ったサポート集団や会は存在しないし、そもそも、「グーグルで何を検索するのか(what do you type into google?)を知っていないことには難しい」(Nettleton et al. 2005: 208)。』 (ii) 引用中の註「*13」の記述(P198)を次に引用(【 】内)します。 【*13 医学的に説明されず、医療的ケアから疎外されている人びとを、ネトルトンらは、R・A・アロノヴィッツの言葉を借りて、「医学/医療的孤児(medical orphans)と読んでいる(Nettleton et al. 2005: 208)。】 (iii) 引用中の「Nettleton 2006」、「Nettleton et al. 2005」はそれぞれ次の論文です。 「'I just want permission to be ill': towards a sociology of medically unexplained symptoms」、「Understanding the narratives of people who live with medically unexplained illness」 (iv) 引用中の「Broom and Woodward 1996」は次の論文です。 「Medicalisation reconsidered: toward a collaborative approach to care」 (v) 引用中の「Lillrank 2003」は次の論文です。 「Back pain and the resolution of diagnostic uncertainty in illness narratives」 (vi) 引用中の「Stockl 2007」は次の論文です。 「Complex syndromes, ambivalent diagnosis, and existential uncertainty: the case of Systemic Lupus Erythematosus (SLE)」 (vii) 引用中の「C・グレントン(2002)」は次の論文です。 「Chronic back pain sufferers--striving for the sick role」 (viii) 引用中の「Dumit 2006」は次の論文です。 「Illnesses you have to fight to get: facts as forces in uncertain, emergent illnesses」 (ix) 引用中の「May et al. 2000」は次の論文です。 「Medical knowledge and the intractable patient: the case of chronic low back pain」 (x) 引用中の(病者は)「膨大な情報収集を行う」ことの後に関連するかもしれない「患者会エビデンスに基づく情報を提供することが重要」であることについては次のWEBページを参照して下さい。 「日本人卵巣がん患者特有の課題を医療者ではない立場だから支援できる」の「患者会にも科学性に基づく患者支援が求められている」項 (xi) 引用中の「身体表現性障害」について次のWEBページや資料を参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」(注:このWEBページ中には次に引用(『 』内)する記述があります。 『身体表現性障害とは(中略)つまり、身体面で「器質的機能的な異常が見当たらない」のに、身体症状を訴え続ける精神障害である。』)、『「とらわれ」から考えるリエゾン的身体症状症』(注:このWEBページの「身体疾患と精神疾患を区別しているものとは」項には次に引用(【 】内)する記述があります。 【「身体疾患か精神疾患か」という切り分けは,実に不明確なものでもあります。】)、「身体症状症」(注:この資料の「はじめに」項には次に引用(《 》内)する記述があります。 《2013年に改訂されたDSM-5では「身体表現性障害」から「身体症状症および関連症群」という疾患カテゴリーに変更され》)、「身体症状症および関連症群の認知行動療法」 (xii) 引用中の『精神疾患という診断は、病者にとって「正常」への回帰を意味するものではないため、断じて受け入れられることはない』ことを含めて「精神疾患」の定義が不明瞭であると本エントリ作者は考えます。仮に「精神疾患」を引用中の「詐病」、「症状を偽っている」、「心理的問題」、「心の問題」や(特に上記『身体面で「器質的機能的な異常が見当たらない」』ので短絡的に診断する)「身体表現性障害」(上記 (xi) 項も参照)のみと定義するならば、標記引用は理解できないことはないのですが、例えば引用中の「病気がけっして自分の心にではなく(not at all "in the mind")身体にある("really is in the body")ことを確信している」ことは「精神疾患」ではないと必ずしも言えないと本エントリ作者は考えます。なぜならば、 a) トラウマを負った(注:精神疾患としては、例えば PTSD参照]や複雑性PTSD[ICD-11、発達性トラウマ障害を含めて資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」を参照]に分類される)方におけるポリヴェーガル理論(拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からのニューロセプション(又は神経知覚、拙エントリのここを参照)による「危険」あるいは「命が脅かされている」との検知、誤検知(注:これらに関連する『ニューロセプションは、必ずしも常に正確とは限らない。危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある。あるいは危険でないにも関わらず「安全である」という「合図」だと取り違えてしまう可能性もある。』ことについては拙エントリのここを参照)において、『「ニューロセプション」は環境中の危険因子について、(上記自分の心にや認知ではなく)意識しない又は神経的なプロセスで評価する』ことについては拙エントリのここここを参照して下さい。そして上記複雑性PTSD(又は発達性トラウマ障害)をはじめとしたトラウマを負ったの身体症状については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 加えて特にパニック症においては「動悸、窒息感、発汗、めまい、手足のしびれ感等」の身体症状を伴います。次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」の特に「典型例」項 その上に、例えば「解離性障害」(解離症)や「全般不安症」においても身体症状を伴います。前者に関連する解離性身体症状については他の拙エントリのここここを、後者については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。さらに、仮面うつ病(例えばWEBページ「第9号 仮面うつ病 精神科医師 谷 宗英」を参照)もあります。また、上記「身体症状」に関連する「心理要因というのは自律神経を介することで結果として身体症状を呈する」ことについてはここを参照して下さい。一方、線維筋痛症を例とした「身体疾患に併病する精神疾患を見落とすリスク」については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」「線維筋痛症」(ここを参照)等の引用中の「論争中の病」に関連する、 1) 「機能性身体症候群」に上記 PTSD が含まれることの主張については資料「線維筋痛症」の「図2 機能性身体症候群(functional somatic syndrome)」[P2081]を、上記「パニック症」(パニック障害)が含まれることの主張についてはガイドライン線維筋痛症診療ガイドライン 2017」の「解説 - CQ1 線維筋痛症とはどのような疾患か」項を それぞれ参照して下さい。 2) 「中枢性感作症候群」に上記 PTSD が含まれることの主張については次の資料を参照して下さい。 「中枢神経感作病態としての心身相関」の「Fig. 3 中枢性感作症候群」(P174) (xiii) 引用中の「全身性エリテマトーデス」については次のWEBページを参照して下さい。 「全身性エリテマトーデス(SLE)(指定難病49)」 なおこの疾患は既に難病に指定されているので標記「論争中の病」とは異なると本エントリ作者は考えます。 (xiv) 引用中の「患っているにもかかわらず診断されない事態は、かくも多くの困難を生じさせる」ことの範囲外かもしれない、 a) 「病名よりも診断よりも大切なのが治療です」や「病状が起きている仕組みやメカニズムが推定できれば治療はできるのです」について、國松淳和著の本、「医者は患者の何をみているか ――プロ診断医の思考」の表紙裏における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【病名よりも診断よりも大切なのが治療です。症状の原因が分からず、診断名も与えられない……ということでいろいろな病院や科へ回る患者さんがいます。それは間違っています。病状が起きている仕組みやメカニズムが推定できれば治療はできるのです。】(注:引用中の「病状が起きている仕組みやメカニズムが推定できれば治療はできるのです」に関連する「かちっと診断が決まらなくても治療はできる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「小説であり医学書『仮病の見抜きかた』の狙い-南多摩病院総合内科・膠原病内科の國松淳和氏に聞く」の『――改めてご経歴をお聞きしたいのですが、「原因の分からない病気の診断と治療を専門」とするようになったのはどのような経緯からでしょうか。』項) b) 「診断は治療をするために必ずしも必須ではありませんし、前提でもない」ことについて、同本の 第1章 診断とは の「診断は何のため? 誰のため?」における記述の一部(P011)を次(《 》内)に引用します。 《診断をつけることは重要ですが、重要であることと、必須・前提であるということは違います。患者さんはともかく、医者でもこの両者を知らず知らず置き換えてしまう誤謬に陥ることがしばしばあります。わかりやすくいえば、診断は、できればつく方が嬉しいけれど、診断は確定しなければ何もできないというわけではないということなのです。診断は治療をするために必ずしも必須ではありませんし、前提でもないのです。》 (xv) 引用中の「診断のポリティクス」に類似する「診断をめぐるポリティクス」についてはここを参照して下さい。

標記「想像的な希望と可能的な希望」について、同の 終章 「論争」からシティズンシップへ の「2 想像的な希望と可能的な希望」における記述(P173~P178)を以下に引用します。ただし、上記本においては「論争中の病」として主に「痙攣性発声障害」「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」「線維筋痛症」を取り上げていますが、この引用の注において標記「論争中の病」としての「線維筋痛症」も取り上げます。加えて「論争中の病」としての「化学物質過敏症」(注:研究成果報告書「化学物質過敏症患者の生活回復――論争中の病としての環境病」を参照すると良いかも、)もあります。

2 想像的な希望と可能的な希望

本書で見た「論争中の病」を患う人びとは、診断もままならないうえに、診断されても効果的な治療法はなく、また「制度の谷間」に置かれて福祉サービスも受けられず、経済的にも身体的にも疲弊していた。そして、さまざまな人びとから心ない言葉をかけられ、心に深い傷を負っている人も少なくなかった。こうした人びとにとって、自分たちの生を生物学的なものと結びつけることは、適切に診断され、治療され、福祉サービスを受けられるようにするために必要なプロセスの一つであった。
しかし、こうした生物学的シティズンシップの希求は、社会保障費をこれ以上支出したくない国や地方自治体にとって、あるいはいま現在、医療費助成や福祉サービスを受けている人びとにとっては、財政の悪化やパイの奪い合いが激化するかもしれないため、厄介なものに映るかもしれない。また、わずかな給料のために毎日朝から晩まで働かねばならない「健康*7」な人びとにとっても、生物学的シティズンシップを希求する人びとは、疾病利得を追求しているように見えるかもしれない。こうした潜在的社会的排除や対立は、実のところさまざまな場面で、すでに「論争中の病」の人びとにおいて経験されていたことは、本書の実証研究で見てきたとおりである。病者の症状は、彼らが通常役割を滞りなく遂行することを期待する家族や会社の人間にとっては「怠けている」、診断できない医師にとっては「精神疾患」や「心の問題」、そして病気かどうか見た目にはわからない者に対応するのをためらう行政の人間にとっては「たいしたことのない問題」として、それぞれの都合の良いように解釈され、病者の訴えがまともに相手にされない事態が生じていた。
こうした他者の解釈やまともに相手にされない事態は、論争中の病の人びとにとっては、心に傷を負うという心理的な出来事であるだけでなく、もろもろの共同体からの排除ないし排除される可能性を彼らに突き付ける社会的な出来事である。さらに、経済的な基盤を失いかねない、または失った後に障害年金の受給を希望するも申請すらままならないといった、経済的にもクリティカルな出来事である。そして、こうしたことを幾度となく経験するあいだにも、症状は依然として彼らの生活/人生の中心を占めており、肉体的な苦しみは途絶えることなくそこにあり続ける。この肉体的な苦しみこそが、論争中の病の人びとの生を文字どおりかたちづくっているのであり、その生をほんのわずかでも良い方向に変えていきたいと思わせるところのものである。
肉体的な苦しみを管理しようとし、その縮減を目指そうとする試みは、病者だけでなく、「健康」な人びとの多くもまた、日々実践していることである。それは、労働力を売って金を稼ぎ、消費者として資本主義社会に貢献するためだけに行われているのではない。どのような社会に生まれようとも、私たちは人間であるかぎり、肉体的な苦しみは(個々人によって程度の差はあれ)実際にとても辛いものである。それが慢性的に続いているのならば、そして尋常ではない程度のものであるのならば、何とかしたいと思うのは当然のことであろう。そして、これが少しの休息や他者の配慮を得たところで良くなるものでないとき、私たちは医学的なものを希求する。このとき、人は、健康に価値を置く健康至上主義者でもなく、労働不能な者を社会の「お荷物」と見なす資本主義社会の賛同者でもなく、人間を生物学によって管理し統治すべしと考える生物学至上主義者でもなく、ただただその苦しみを取り除いてほしいと願う受苦者でしかない。そしてその苦しみは、抽象的な苦しみではなく、具体的かつ肉体的な苦しみであるからして、宗教やまじないによって、また当然ながら「気の持ちよう」によって取り除かれるはずもない。もちろん医学にも限界があり、現に論争中の病は、いまなおその疾患概念が論争の的であり続けているし、効果的な治療法もほとんどない。しかし、それでもなお医学――生物医学――は、思う人びとにとって可能的なものなのである。
前章で見たように、生物医学に対する論争中の病の当事者の態度は、奇跡をもたらす絶対的救世主としてそれを信じるのではなく、あらゆる選択肢のなかで最も(治療の)可能性のあるものとしてそれに賭けるというものであった。医学が奇跡をもたらすのであれば、人はそれを盲目的に信じるだろうが、現実には奇跡などもたらさないことを、論争中の病の当事者は身をもって知っている。だが、彼らの病気を研究する研究者が少ないながらも存在し、バイオマーカーの探索が試みられており、診断法や治療法の開発が模索されており、そして実際に多くの患者が世界中に存在するというこの進行中の現実において、生物医学は、論争中の病の当事者がそれによって自分たちの生を理解し、少しでも苦しみが取り除かれる希望の実現可能性を見出すのに値するものなのである。
このように当事者が生物医学に見出す希望は、希望の政治経済を批判的に捉える者には、憐れなものに映るだろう。というのも、科学者は研究に対する公的支援や資金の獲得を目指して、自分たちの研究の重要性をしばしば誇張して宣伝するのだが、そこでは当事者の希望が大いに利用されているからである(Petersen 2015)。当事者の治療への希望は、多くの業績を上げて競争に勝ちたい研究者の希望や、利益を生み出したい企業の希望と結びつき、現実味をもたない研究成果への楽観的な期待が、さまざまなプロジェクトを駆動させる(Brown 2003; Brown 2011; Petersen et al. 2013)。そこにおいて希望は、「商品」として取引されたり、取引のための「資本」として利用されたりしているのである(Martin et al. 2008)。こうしたプロジェクトが失敗に終わったときに、最も実害を被り失望するのはほかでもない当事者であるが、希望を利用した政治経済は、失敗を次の希望へと横滑りさせ、失望の到来を遅延させる。このように、希望の政治経済は、人びとの希望を「搾取」し続けることのできる絞滑な仕組みとして描かれ、理解される傾向にある。
こうしたかたちで希望の政治経済を批判的に捉える見方は、ある程度妥当なものである。とりわけ、当事者と研究者・企業における科学的知識ならびに社会的影響力の非対称性を考慮すれば、生物医学的研究の妥当性や実現可能性を当事者に判断することは困難であると考えられるし、当事者がプロジェクトに疑問や批判を投げかけたとして、それが正当に受け止められるかどうかは疑問の余地がある。さらに言えば、当事者の多くは苦しみの最中にあるため、治療可能性という「ニンジン」がぶらさげられたプロジェクトには、藁をもすがる思いで参加したり期待したりする者も少なくない。だが、プロジェクトを推進する研究者や企業の人間は、自分たちの身体がどうこうなるわけではないため、たとえそれが失敗に終わったところで別段痛くもかゆくもないだろう。したがって、当事者の希望は、プロジェクトに人道主義的な正当性を与えるために、また資金を得やすくするために動員されうる点、そして「希望」以外の当事者の視点や態度は、研究者や企業にとってはプロジェクトを阻害するものとして排除されうる点は、批判的に検討されなければならない*8。
しかし、そうした批判のなかで当事者の希望が、しばしば楽観主義的で生物医学を無批判に受容しているかのように論じられる点は、再考すべき余地がある。繰り返すように、本書で見た論争中の病を患う人びとは、医学に法外な期待をしているわけではなく、あくまでも現状の技術的限界を見据えたうえで、肉体的な苦しみの縮減や、生物学的なものを基盤として社会的に包摂される可能性を見出しているのであった。つまり、論争中の病の当事者の希望は、「想像的な希望」――現実を考慮することなしに抱かれる希望――ではなく、「可能的な希望」――現実ならびに現実を構成する諸関係を考慮したうえで抱かれる希望――として理解される類のものである。みずからの経験や、膨大な資料収集、そして専門家への接触等によって、現時点における生物医学のカ能や現実の諸関係を見定め、生物医学に可能的な希望を見出すという当事者の態度は、資本主義的主体の一側面であるかもしれないが、そうである以上に、それは、ただ患うことを許さない社会、そして、ただ患っているだけでは誰も助けてくれないどころか、患いを嘲笑され、矮小化され、否認され、無視されるばかりのこの現実社会において、自分たちがどのようにして生きていくことができるのかを考え続けるなかで得た、生きるための方法論的態度なのである。
こうした希望の内実を思い見ることなく、希望の政治経済の批判者たちは、当事者の希望を想像的な希望として扱いがちであり、まるで当事者が生物医学に夢を見ているかのような印象を与える(もちろん、想像的な希望を抱いている当事者がいるかもしれないことは否定できない)。そうした見方は、当事者を、生物医学に対して過剰な要求をする無知な消費者として、そして希望の政治経済を、当事者の弱みにつけこんだあくどい営みとして図式化してしまいがちである。
しかし、実際に「診断」や「治療法」を買うことのできるマーケットは、この世に存在する数多の疾患のなかで、精神疾患やがんなどごく一部の疾患に開かれているに過ぎない。選択可能な「商品」が目の前に存在している当事者というのは、実際のところ批評家が考えるよりも少ないうえに、当事者の多くは病気で仕事を失ったり、体調悪化を防ぐために働くのを控えざるをえなかったりするため、「診断」や「治療法」を買い漁る消費者と言うには、彼らの資金はあまりにも乏しい。批評家が好む資本主義的・商業主義的ストーリー――消費者としての当事者が、研究者や企業に働きかけて治療法をつくらせたりそれを買ったりすること、また、患者団体が寄付等で得た莫大な資金を動かして科学研究の方向性を決定したりすること――は、先進諸国の希望の政治経済に特徴的だと言えるかもしれないが、それでもなお、そうしたストーリーは、一部の疾患の当事者にしか当てはまらないだろう。
さらに言えば、研究者や企業は、業績や利益を追求すると同時に、患う人びとに資する可能性を提示してもいるのだが*9、バイオマーカーなき患いには社会的な支援がほとんど期待できない現実を考慮したとき、こうしたことが批判的にのみ捉えられ続けるのであれば、診断法や治療法の開発に向けたプロジェクトは委縮し、当事者の利益を逸することになるかもしれないことは、よくよく考えられなければならない。

注:i) 引用中の註「*7」の記述(P216)を次に引用(『 』内)します。 『*7 もちろん、リスク医療(化)の観点からすれば、健康と病気の二項対立など無意味であり、あらゆる人びとは、病気のグラデーションを生きているに過ぎないし、健康というのは、実現不可能な理念型であり幻想に過ぎないのかもしれない。また、健康というのは、人間の状態を表すのに普遍的で客観的な概念であるというよりも、社会にとって好ましい状態であるという価値判断を含んだ概念であるからして、不用意に用いられるべきではないだろう。こうしたことを踏まえ、ここでは健康をかぎ括弧つきで用いている。しかし、実際のところ、病気のグラデーションを生きているというよりは、健康(的)に生きていると言った方が適切な人たち、すなわち、心身の状態が生物医学的介入なしに安定しているような人たちは数多く存在する。また、医学用語を除けば、私たちが身体の状態を呼び表す語彙というのは限られており、その一つひとつが曖昧である。したがって、心身ともに「健やかである」と思われる状態を「健康」と呼び表すことは、病人と呼ぶべき人との違いを示したり考えたりするうえで、いまなお有用であるように思われる。』 ii) 引用中の註「*8」の記述(P216)を次に引用(【 】内)します。 【*8 もっとも、どのような種類のものであれ、当事者の視点や態度が科学研究に入り込むこと自体が問題であるという批判もあろう。】 iii) 引用中の註「*9」の記述の引用は省略します。引用元の本を参照して下さい。 iv) 引用中の「Petersen 2015」、「Petersen et al. 2013」はそれぞれ次の本、論文です。 「Petersen, A., 2015, Hope in Health: The Socio-Politics of Optimism, New York: Palgave Macmilan.」、「Therapeutic journeys: the hopeful travails of stem cell tourists」 v) 引用中の「Brown 2003」、「Brown 2011」はそれぞれ次の論文です。 「Hope Against Hype - Accountability in Biopasts, Presents and Futures」、「The dark side of hope and trust: Constructed expectations and the value-for-money regulation of new medicines」 vi) 引用中の「Martin et al. 2008」は次の論文です。 「Capitalizing hope: The commercial development of umbilical cord blood stem cell banking」 vii) ちなみに、線維筋痛症をはじめとした「慢性一次疼痛」(又は一次性疼痛、primary pain)が ICD-11 に登録されたことについては例えば次の資料を参照して下さい。 「長引く痛みの克服に向けて:慢性疼痛の分類(ICD-11)や治療モード,治療施設などの分類と臨床利用」の「① MG30.0 慢性一次疼痛(例:過敏性腸症候群,非特異的慢性腰痛,線維筋痛)」項、「内科医が知っておきたい疼痛の病態」の「3)その他の病態(非身体器質的病態)」項 加えて、治療法のリストアップをはじめとした、線維筋痛症診療ガイドラインや慢性疼痛診療ガイドラインはそれぞれ次を参照して下さい。 「線維筋痛症診療ガイドライン 2017」、「慢性疼痛診療ガイドライン」 一方、上記線維筋痛症における診療を例にして、身体疾患に併病する精神疾患を見落とすリスクについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「生物学的シティズンシップ」について、同の「1 生物学的シティズンシップを記述する」における記述の一部(P167~P169)を次に引用します。

1 生物学的シティズンシップを記述する

生物学的シティズンシップは、ウクライナにおけるチェルノブイリ原発事故の被害者の社会的実践を呼び表すにあたって、その語を用いた人類学者のA・ぺトリーナに帰される(Petryana 2003=2016)。ぺトリーナは、ウクライナ放射線研究センターやキエフ精神神経科病院等、さまざまな場所でフィールドワークを行い、医師や被災地域の住民等、さまざまな立場の人びとと出会うなかで、生物学的シティズンシップという概念を見出した。
ぺトリーナによれば、チェルノブイリ後のウクライナは、ソヴィエトからの独立という大変動を経て、「被災者(ポテルピリ)」と呼ばれる新たな人口集団が増加したという。被災者とは、チェルノブイリ原発事故が原因で被曝したと法的に認められた者であり、サブカテゴリーによって年金の支給額が異なる。最も支給額が多いのは、労働不可能な者である。ソヴィエト崩壊後、突然到来した資本主義経済は、市民に失業等のリスクを負わせたが、ぺトリーナの記述では、こうしたリスクは健康上のリスクによって相殺されうる。放射線の影響は確定不能であるという考えや、ウクライナの法システムにおいて伝統的な「陳情(スカルハ)」という文化的慣習によって、被災者は年金額が多く、経済的な心配をしないで済む上位の障害者ステータスを求めて、チェルノブイリと強く関連づけられた診断を、さまざまな方法で手に入れようとする。
こうしてポスト社会主義に現れた、新たな「生社会」(Rabinow 1996)における市民の実践を、ぺトリーナは生物学的シティズンシップと名づけた。「生物学的シティズンシップとは、生物学的損傷を認知し補償するための医学的、科学的、法的基準に基づいて遂行される社会福祉の一形態に対する巨大な要求であり、またそれに対する選別的なアクセスであるといえる」(Petryana 2003=2016: 37)。
社会主義国であり、未曽有のカタストロフィというウクライナに特有の文脈を持つぺトリーナの生物学的シティズンシップに対し、N・ローズは、彼女の議論を参考にしつつも、より一般的な概念として同用語を提案した*1。ローズによれば、少なくとも一八世紀以来、シティズンシップは西洋社会において、生政治の対象であり続けてきた。市民のあり方は、彼らの生命的で有機的な特徴、つまり生物学的な特性という点から理解され、対処されてきたのである。とりわけ、「二〇世紀前半の生政治にかんしては――優生学的なかたちにおいてであれ、福祉主義的なかたちにおいてであれ――市民の身体、すなわち個々の市民の身体と、国民国家、もしくは民族の集合的な身体が最も重要な価値であった」(Rose 2007=2014: 46-7)。「望ましい市民を」生み出すための、身体への配慮を促す国家的なキャンペーンによって、生活やライフコースに関する「上からの」教育や指導が、そしてある種の人びとに対しては、強制的な措置や抹殺さえも行われたことは、人類の負の歴史として知られるところである。(後略)

注:(i) 引用中の註「*9」の記述の引用は省略します。引用元の本を参照して下さい。 (ii) 引用中の「Petryana 2003=2016」は次の本です。 「Petryana, A., 2003, Life Exposed: Biological Citizens after Chernobyl, Princeton: Princeton University Press.(=2016, 森本麻衣子・若松文貴訳『曝された生――チェルノブイリ後の生物学的市民』人文書院.)」 (iii) 引用中の「Rabinow 1996」は次の本です。 「Rabinow, P., 1996, Essay on the Anthropology of Reason, Princeton: Princeton University Press.」 (iv) 引用中の「Rose 2007=2014」は次の本です。 「Rose, N., 2007, The Politics of Life Itself, New Jersey: Princeton University Press.(=2014, 檜垣立哉監訳『生そのものの政治学法政大学出版局.)」 (v) 上記「生物学的シティズンシップ」において、 a) 「これはME/CFSやFMにおいても今やおなじみのものとなりつつある」ことについて、同の 第6章 「論争中の病」と診断 の 3 希望をめぐるポリティクス の「3-3 来るべき患者のために」における記述の一部(P158)を次に引用します。 【そして、この生物学的シティズンシップは、ME/CFSやFMにおいても、今やおなじみのものとなりつつある。】(注:引用中の「ME/CFS」と「FM」はそれぞれ「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」と「線維筋痛症」の略です) b) 「論争中の病の当事者は、生物医学的なものを基盤として自分たちの生を理解し、自分たちや同じ病気の人たちの生が少しでも良いものになるよう、各自にできる範囲で行動を起こしていた」ことについて、同の「3 生きるための/肉の政治」における記述(P179~P182)を次に引用します。

3 生きるための/肉の政治

ここまで、論争中の病の当事者における困難と診断の影響を明らかにし、当事者が患いの正統化と希望の実現を目指して行うポリティクスについて、生物学的シティズンシップを導きの糸として理解することを試みてきた。これは、ローズが言うところの「下からの」生物学的シティズンシップの実践について、その一部を描き出そうとしだものであり、別言すれば、社会的排除のプロセスと包摂に向けた営みを、当事者の視点から描き出す試みであったとも言える。
患い、学校に行けなくなり、仕事ができなくなり、他者との交流がなくなり、家事ができなくなり、風呂に入ることすらできなくなっても、病気と見なされず、不当な扱いを受け、経済的な基盤がなくなり、孤立した状況に追い込まれた人びとの語りは、この社会が、医学的にも社会的にも確立していない病気を患う人びとには非常に冷淡であることを示していた。それは、当事者においては、まさにA・リルランク(Lillrank 2003)が指摘していたとおり、「普通の市民」ではない――「非市民」――という感覚をもたらすものとして経験されていた。医学的に確立されていて、誰でもその名前を知っていて、見た目にもわかりやすければ、そうした病気や障害は、たとえスティグマを付与されることがあったとしても、それを深刻なものと捉えて研究をする者や支援をする者がたくさんいたり、制度的に包摂されていたりする場合が多い。しかし、本書で見たとおり、論争中の病を患う人びとは、そうしたものをほとんど期待できないのである。
このような状況において、論争中の病の当事者は、生物医学的なものを基盤として自分たちの生を理解し、自分たちや同じ病気の人たちの生が少しでも良いものになるよう、各自にできる範囲で行動を起こしていた*10。こうした生物学的シティズンシップの実践は、社会的に、制度的に、経済的に不安定な状況に置かれた当事者において、肉体的な苦しみが唯一確かなものであることを示している。そして、この生物学的シティズンシップを実践ないし実現するために、まずもって必要なのが診断であった。それぞれの肉体的な苦しみに相応の説明がなされる病名診断は、たとえそれが論争的なものであれ、自分の状態を理解し、病気の情報を集め、同病の患者とつながり、今後どのように生きていくことができるかを考え始める契機となる。そして、この診断が元手となって、当事者は生物学的シティズンシップを駆動し活用させること――他者に自分の状態を説明したり、専門家に働きかけたり、患者同士で支え合ったり、制度的な包摂を希求したりすること――ができるようになるのである。
このように、診断は生物学的シティズンシップを可能にするものとして、また個別的なものと生物学的なものと社会的なものが交差し、すれ違い、ときに論争を生み出す場として理解することができる*11。そして、本書で見てきたように、医学的にまた社会的に包摂されていない病気の場合、診断法や治療法が確立されていなかったり、病気を信じない他者が現れたり、福祉サービスをスムーズに受けられなかったりするといった問題が、診断にはともなう。こうしたことから、その診断(名)をめぐって、当事者はつねにすでにポリティカルな状況に置かれていると言え、だからこそ彼らは、生物学的シティズンシップ――医学的にも社会的にも包摂されること――を求めざるをえない。換言すれば、すべての診断(名)が公平に扱われているわけではなく、論争中の病のように、生物学的シティズンシップを主体的に希求しなければならない――それは必然的にポリティカルなものである――人たちがいる一方で、そのようなことをしなくても医学的にも社会的にも包摂された病気を患う人びとがいるのである(もちろん、病人の社会的包摂は部分的なものに留まるという指摘があろうことは承知している)。しかるに、生物学的シティズンシップは、ある状態がたんに生物医療化されているか否かだけではなく、それが社会的に包摂されているか否か、それはどの程度のものか、そしてそこにはどういった問題があり、当事者はなぜポリティカルな状況に巻き込まれるのかを理解するのに有用な概念装置であると言えよう。
なお、このポリティカルな状況、すなわち診断をめぐるポリティクスを理解しようとするには、アイデンティティ・ゲームというフレームとは別の見方が必要であることを指摘しておきたい。論争中の病の当事者において、その病名を見つけたときあるいは付与されたときから巻き込まれ、ときに積極的に参入することになるポリティクスは、承認をめぐる闘争としてのアイデンティティ・ポリティクスという観点だけでは見落とされる現実がある。論争中の病の当事者が向かうことになるもう一つのポリティクス、それは、いつ崩壊しないとも限らないソーマ的な生を何とか持ちこたえさせるのに必要な身体を賭した政治、すなわち、生きるための政治である。
すでに述べたように、承認の問題は議論の余地なく重要であり、論争中の病の当事者においても、彼らの思いが他者に承認されるか否かがクリティカルな問題であることは、本書の記述からも十分に理解されよう。しかしそれとは別の問題、あるいはより根本的に重要なのは、ソーマ的な生の崩壊を食い止めること、そしてそのいかんともしがたい身体によってままならない日常の生活――それは、生きていくための基本的な活動、すなわち、話したり、動いたり、歩いたりといった、私たちが公的な場に現れて行う文化的・社会的な活動を下支えする、文字どおりのベーシックな活動のことである――を少しでも立て直すことであり、そうしたことを希求するポリティクスとは、アイデンティティである前にすでにそうなってしまっているところの、またそれによってアイデンティティが危機に晒されその再構築を迫られるところの、そして何よりも、どうにかしてそこで生じている苦痛を少しでも取り除いてほしいと願うところの「肉の政治」である。
肉を腐らせないためには、肉を生き生きとした状態にさせるためには、それに見合った方法――たとえば治療――が必要である。もちろん、人間が生きていくには治療だけでは済まされない。食べることが必要である。食べるためには金が必要である。福祉サービスが必要である。肉の状態を維持し、肉の生を少しでも良いものにすること。かような肉の存在をこの社会に認めさせること。この肉の政治こそ、論争中の病の当事者が不可避的に参与することになる、彼らの生物学的シティズンシップの実践ないし実現に向けた活動において生じるところのものである。

注:i) 引用中の「Lillrank 2003」は次の論文です。 「Back pain and the resolution of diagnostic uncertainty in illness narratives」 ii) 引用中の註「*10」の記述(P217)を次に引用します。 『*10 もちろん、本書の協力者がみな生物学的シティズンシップに基づいた、あるいはそれを目指すような行動を起こしていたわけではないし、論争中の病を患うすべての人びとがそうするわけでもないだろう。注意したいのは、第4章の註15にも書いたように、「活動的な患者」となることが規範的な患者像として定着した場合、生物学的シティズンシップ追求のためのアクションを起こさない、すなわち「活動的に」ならない患者は、ある疾患のコミュニティから疎外されたり、コミュニティ内で流通し交換されている情報を手に入れることができなかったり、「本物の患者ではない」と差別されたり、当人にそういう感覚をもたらしたりする可能性があることである。したがって、当事者コミュニティ内で生じるミクロポリティクスの抑圧的な部分にも留意する必要があろう。ただこうした問題は、論争中の病に限らず、さまざまな病気の当事者の「活動」プロセスで生じるように思われる。』 iii) 引用中の註「*11」の記述(P217)を次に引用します。 【*11 「私たちは、たんに診断によって犠牲者になったり、疎外されたり、客観化されたりするわけではない。疾患カテゴリーは、私たちすべてが社会的存在者として存在するところの制度、関係、意味のより大きなシステムに対する、人間の経験の非一貫性と恣意性を理解するために、個人的なものと集団的なものを結びつける、捉えどころのない諸関係を管理するための意味とツールの両方を提供するのである」(Rosenberg 2002: 257)。】(注:引用中の「Rosenberg 2002」は次の論文です。 「The tyranny of diagnosis: specific entities and individual experience」) iv) 引用中の「ソーマ的」とは「物質身体的」とのことのようです。同の P157 を参照して下さい。 v) 引用中の「ローズ」についてはここにおける引用を参照すると良いかもしれません。 v) 引用中の「ソーマ的」とは「物質身体的」とのことのようです。同の P157 を参照して下さい。 vi) 引用中の「専門家に働きかけたり」に関連するかもしれない『患者会やまれな病気の患者・当事者たちというのは、「どこに働きかけるか」というのはけっこう大事かなと思います。効率よくやっていかないといけません。』については次のログミーの最後の記述を参照して下さい。 『知識さえあれば病気は診断できる? 臨床医クニマツ氏が語る、「診断は医師の仕事」である理由

※:なお、上記「論争中の病」又は下記「論争されている病」の特徴を有する「化学物質過敏症」において注目されている三点について、佐藤純一、美馬達哉、中川輝彦、黒田浩一郎編著の本、「病と健康をめぐるせめぎあい コンテステーションの医療社会学」(2022年発行)の「コラム1 化学物質過敏症」における記述の一部(P67~P68)を次に引用します。

(前略)この病について、次の三点が注目される。
第一に、この二重の意味で「論争されている病」を病むということが、通常の病を病む際には見られないような苦痛や困難をもたらす、という点である。自分の状態を病気と認めてくれる医師になかなか出会えないこと、関連して、家族や友人、職場の上司・同僚などが自分を病人とみなしてくれないことや、発症後にこれらの人々とそれまでの関係を続けるのが難しいこと、症状を引き起こす人工的化学物質を住居や学校、職場からなくすようにするのが難しいこと、などである(Lipson 2004; Dumit 2006)。
第二に、この病を「疾患」として認めさせる運動である。このような運動としては、一つには「臨床生態学(Clinical ecology)」や「臨床環境医学」を自称する専門科の医師たちの運動がある。これらの医師たちは臨床研究などを通して病態の解明と診断基準の作成を試みているが、医学の主流からは認められていない(立石 2007)。もう一つには、医師の運動と連動する形で、この病を病む人々の団体による運動がある。この団体の主要な目的は、社会とくに政府に対して、この病を「疾患」として認知させ、この病についての研究やこの病に苦しむ人々の救済を求めることである。(中略)

中には、この病を引き起こしやすいとされる化学物質の規制を求める運動を行っている団体もある(Dumit 2006; Phillips and Rees 2018)。
第三に、特定の化学物質による健康被害に対する補償をめぐる論争がある。職場の空気に含まれる有害物質や施設から大気中に排出される有害物質が環境基準を満たしているような場合、それでもなお、それに起因する被害を申し立てる際に、「化学物質過敏症」が持ち出される。そのような健康被害の認定をめぐる裁判では、裁判官が判決に当たって、「化学物質過敏症」に関する対立する医学の知見をどのように取り入れるかが注目される(Phillips 2010)。

注:i) この引用部の著者は黒田浩一郎です。 ii) 引用中の「この病」とは「化学物質過敏症」のことです。 iii) 引用中の「Lipson 2004」は次の論文です。 「Multiple chemical sensitivities: stigma and social experiences」 iv) 引用中の「Dumit 2006」は次の論文です。 「Illnesses you have to fight to get: facts as forces in uncertain, emergent illnesses」 v) 引用中の「立石 2007」は次の資料です。 【立石裕二、二〇〇七、「環境問題における運動目的と研究課題のずれ――化学物質過敏症シックハウス症候群を事例として」『年報 科学・技術・社会』一六号、一ー三五頁。】 vi) 引用中の「Phillips and Rees 2018」は次の論文です。 「(In)Visibility Online: The Benefits of Online Patient Forums for People with a Hidden Illness: The Case of Multiple Chemical Sensitivity (MCS)」 vii) 引用中の「Phillips 2010」は次の論文です。 「Debating the legitimacy of a contested environmental illness: a case study of multiple chemical sensitivities (MCS)」 viii) 引用中の『二重の意味で「論争されている病」を病む』ことに関連するかもしれない『二つのタイプの特徴を合わせ持つ「化学物質過敏症」』について、同本の 序章 病をめぐる論争とはなにか の『「論争されている病」から「病をめぐる論争」へ』における記述の一部(P3~P4)を次に引用します。

本書の研究対象を規定するに際し、健康と病気の社会学(医療社会学)にはこのような論争の側面に照準した概念がすでにあったので、まずその概念の検討から始めた。その概念とは「論争されている病(contested illness)」という概念である。バーカーによると、これには次の二つのタイプがある(Barker 2010: 154(2))。

①「慢性疲労症候群(chronic fatigue syndrome)/筋痛性脳脊髄炎(myalgic encephalomyelitis)」「線維筋痛症(fibromyalgia)」など、医学的に説明ができない症状で、それに苦しむ人々とその擁護/代弁者はそれを正統的な生物医学的用語を用いて疾患として認定させようと奮闘しているが、医学研究者、医師、関係機関/施設からはそれへの反対があるような病
乳がんぜんそく、肺がんなど、その病の環境上の原因をめぐって科学的な論争(dispute)と公的な場での広範な討議(debate)があるような病

さらに、①②の二つのタイプの特徴を合わせ持つ「湾岸戦争症候群(Gulf War syndrome)「化学物質過敏症」(multiple chemical sensitivity)」などもある。
①と②とは、何が争点となっているか、という点で異なっている。①で争点となっているのは、生物医学で承認されている既存の身体疾患と区別される一個の独立した身体疾患か否かという点である。これに対して、②の争点は、疾患の環境因、とくに近代科学技術を応用した産業やその商品が環境に放出する化学物質や放射能である。(後略)

注:i) この引用部の著者は黒田浩一郎です。 ii) 引用中の注「(2)」の内容(P17~P18)を次に引用(『 』内)します。 『バーカーは①を“contested illness”、②を“contested environmental illness”と名付けて使い分けているが、②のタイプの議論でバーカーが言及しているブラウン(Brown 2007)では、②のタイプを指す用語として“contested illness”が用いられている。本書では、学説史的に、誰が、いつ、どちらの意味でこの概念を提起したのか、①の意味と②の意味のどちらが先かなどについての検討は控え、両方のタイプに共通する「論争(contestation)」に注目して、サブタイプとして①と②を含むものを「論争されている病」と捉えることにする。』(注:引用中の「Brown 2007」は次の本です。 「Brown, Ph., 2007, Toxic Exposures: Contested Illness and the Environmental Health Movement, Columbia University Press.」) iii) 引用中の「Barker 2010」は次の本です。 「Barker, Kristin K., 2010, "The Social Construction of Illness: Medicalization and Contested Illness," Chloe E. Bird, et al., eds., Handbook of Medical Sociology 6th Edition Vanderbilt University Press, 147-162.」 iv) 引用中の「医学的に説明ができない症状」については次のWEBページを参照してして下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 ちなみに上記「医学的に説明できない症状」の文脈において、身体感覚増幅(somatosensory amplification、SSA)が近頃は身体脅威増幅(somatic threat amplification)と呼ばれることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「慢性疲労症候群」、「筋痛性脳脊髄炎」や「線維筋痛症」については共にここを参照すると良いかもしれません。 vi) 引用中の「生物医学で承認されている既存の身体疾患と区別される一個の独立した身体疾患か否かという点」に関しては、『「臨床生態学(Clinical ecology)」や「臨床環境医学」を自称する専門科の医師たちの運動がある。これらの医師たちは臨床研究などを通して病態の解明と診断基準の作成を試みているが、医学の主流からは認められていない』(における引用を参照)にもかかわらず、引用中の「化学物質過敏症」を(精神疾患ではなく)「身体疾患」であると決めつけるのはいかがなものかと本エントリ作者は考えます。ちなみに、「精神疾患にも身体症状を伴うことがある」ことについてはWEBページ『「心身症」とは?心の病気との違い-ストレスなどが関わる「体の病気」』の『「身体疾患」と「身体症状」を混同しないこと-精神疾患も身体症状を呈する』項を参照して下さい。

さて同が発行された2022年においては、の引用における「三点」以外にも次の点も重要であると本エントリ作者は考えます。すなわち、ニセ医学として批判されている「Clinical ecology」(ここにおける引用、そして拙訳はありませんがWEBページ「Multiple Chemical Sensitivity: A Spurious Diagnosis - Quackwatch」、「Regulatory Actions against AAEM Members - Quackwatch」を参照)[拙ブログにおける和訳]臨床環境医学(例えばエントリ「臨床環境医学は専門家にも注目されていた。悪い意味で。 - NATROMのブログ」を参照)をはじめとした曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語のものから、知覚要素(注:日本においては2019年に発行された坂部医師が著者でもある論文[全文]『Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と「知覚」される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与』[他の拙エントリのここ及びここを参照、加えて、他の拙エントリのここも参照すると良いかも]を参照、また、海外においては式「知覚=予測+感覚の精度÷(予測の精度+感覚の精度)×予測誤差」[他の拙エントリのここを参照]に関連する「予測符号化」[他の拙エントリのここを参照][又は「予測的符号化」〔他の拙エントリのここを参照〕]からの視点のものもあります。次の論文[全文]「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model[拙訳]突発性環境不耐症:包括的なモデル」[2017年発行][他の拙エントリのここを参照]、「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model[拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」[2021年発行]を それぞれ参照して下さい。)に沿った用語のものへとパラダイムシフト(他の拙エントリのここを参照)が上記論文[全文]の発行により明確に行われたものと考えます。加えて上記「臨床環境医学」の視点からは、上記坂部医師、そして石川医師や宮田医師(例えば他の拙エントリのここを参照)も著者である2016年発行の資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」の日本語要約(P54)において次に二分割して引用(それぞれ『 』内)する記述があります。 『化学物質過敏症の疾患概念の歴史はかなり古く、1950年代では、環境病(Environmental illness)の一つとして、概念的に捉えられていた。』、『しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。』 また*1も参照すると良いかもしれません。
従って、WEBページ「化学物質過敏症を標準医療に(2022年2月16日/衆院予算委・第五分科会・高橋千鶴子議員の質疑文字起こし)」において次に引用(【 】内)する記述 【→鎌田・厚生労働省医薬生活衛生局長[中略]化学物質過敏症、病態、発症メカニズムは未解明でございまして、特定の物質との因果関係というのは科学的知見が得られていないというものでございまして、まずは病態解明ということで、今現在その病態に関する研究を進めているところでございます。】 に関連するかもしれない厚生労働省がスポンサーとなって化学物質過敏症についても「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」(例えばWEBページ「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」を参照、加えて上記坂部医師が著者である分担研究報告書「化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証」も参照すると良いかも)として上記2022年2月16日において研究が実施されています。加えて、WEBページ「【回答】香害で苦しむ人の医療、介護の改善を求める要望書(2021年4月12日)」にリンクされている資料「(厚生労働省の)回答書」の「要望2」項も参照すると良いかもしれません。なお、上記「中枢神経感作」又は「中枢感作」は(「Clinical ecology」やその延長線上ではなく)「知覚要素に沿った用語のもの」であると考えます。

*1:ちなみに、 a) 上記パラダイムシフト前の「Clinical ecology」やその延長線上に位置づけられるだろう、2016年に発行された次の資料があります。 「化学物質過敏症研究へのメタボロミクスの応用」 ただし、上記資料の「3-3 考察」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『今回の研究結果は,サンプル数も少なく,断面調査のため因果関係には踏み込むことはできない。』 また、この資料の続報(WEBページ「加藤 貴彦 - researchmap」の「論文」項を参照すると良いかも)を上記2022年2月16日までに拙ブログ作者は発見できませんでした。 b) 加えて、上記「Clinical ecology」やその延長線上に位置づけられるかもしれない、上記2016年以降に開始された日本における化学物質過敏症に関連する研究としては次が挙げられます。 「日本人多種化学物質過敏症に関連する遺伝要因の解明」、「化学物質過敏性における腸内細菌叢解析」 ただし、これらの研究の成果は上記2022年2月16日までに査読を経た英文の論文として発表されたことを拙ブログ作者は発見できませんでした。

一方、標記「論争中の病」に関連するかもしれない身体疾患・内科疾患が否定された後の内科医の視点からの(下記「不明・不定すぎて診断名がない」に分類される)「不定愁訴治療の前のチェックリスト」について、「不定愁訴というのは複雑」なことを含めて國松淳和著の本、「病名がなくてもできること 診断名のない3つのフェーズ 最初の最初すぎて診断名がない あとがなさすぎて診断名がない 不明・不定すぎて診断名がない」(2019年発行)の Chapter 3 不明・不定をどうするか の「Section 5 不定愁訴治療の前に」における記述の一部(P200~P211)を形式を変えて以下に引用します。ちなみに、 a)この本を紹介するエントリ『「病名がなくてもできること」から診断推論について考えた【医学書評】』やツイートがあります。 b) 『「臨床医は、病気を持つものの人生や人生観に触れられる奇異な職業」との感性が不定愁訴を診るために必要な能力なのだろう』ということについては次のエントリを参照して下さい。 「不定愁訴をみるために必要なこと【医学書評】仮病の見抜きかた」の「まとめ」項

不定愁訴」はそれ自体症状や病態とは言えないから,不定愁訴という語に対応する治療はない.すでに述べたように,不定愁訴というのは一種の「状況」である.患者の訴える一方的な症状的な困りごとだけからなる集合体というわけでもない.
不定愁訴を診療しようというときには,まず不定愁訴という状況になりやすい身体疾患・内科疾患を検討しそれらの積極的な診断を試みることから始める.そして身体疾患・内科疾患が否定された後,不定愁訴に対する治療に移るが,それは「どの薬を出すか」などというものではなく,不定愁訴という状況を打開するためのプロジェクトをまずは立ち上げてみるといったような趣のものとなる.
それほどに“本当の”不定愁訴というのは複雑で,“難プロジェクト”という様相であり日常業務のなかでいちいちそのような大きなことに構っていられないわけで,だからこそ担当医が心理的に忌避してしまう.ここで言いたいのは,不定愁訴の解決には,患者とその周辺の問題について「ときほぐし」が必要だということである.不定愁訴を治療することを決断するというのは,「捜査本部を置く」ことと似ている.

捜査本部:重要または特異な犯罪が発生したとき,捜査能力を統合的に発揮するため,警察本部や所轄警察署に臨時に組織される機関の名称.
デジタル大辞泉小学館,Ver.18)〕

不定愁訴を解決するために捜査本部を本当に置くわけではないが,下線部の箇所(引用者の注:この箇所は上記「捜査能力を統合的に発揮するため」が該当)が非常に意味のあることだと私は考えていて,通常の単純な捜査では解決しない・しなさそうであるから,各所の応援と協力を募って総合的な能力で難局の打開をするのであり,このあたりは不定愁訴にも共通する.不定愁訴のときほぐしもこうした対応が望まれるのである.

不定愁訴治療の前のチェックリスト

すると,不定愁訴治療の第一歩は,いきなりの解決は無理(というか,いきなりの解決が無理であるから不定愁訴となっている)であるから,初動の確実さを重視する.少々迂遠で面倒くさいのであるが,不定愁訴治療の,基本的に一貫して必要なマインドが「急がば回れ」である.
不定愁訴という複雑な状況に対し,まずは基本的な整理が必要である.(中略)

脱線するつもりはないが,不定愁訴の病歴は多くは長い.数年前からなどざら,短くても数ヵ月前からという時間単位であり,さすがに日の単位で急ぐ必要はまったくない.そこは多くの場合,患者自身も理解していて,こちらが「少し時間をください」というと考える時間をくれたりする.
そこで不定愁訴の治療を考える前に,表3-10に示すようなチェック項目について,十分担当医が自身に問うておくと良い.患者の症状に直接的に関連する事柄ではないということがポイントである.患者からしたら一見,主訴とは関係のないことまで聞いてしまうことになるので,戸惑う患者もいるとお思いかもしれない.実は実際にはそんなことはない.本当の不定愁訴の患者は,どんな質問や診療にも非常に協力的である.自分でしっかりと理路整然と述べることはなくても,こちらの質問には真面目に誠実に回答しようとしてくれる.
先に少しネタばらししてしまうと,熟練者は診断と治療を明瞭に分けたりしていない.診断的に診立てている段階で,こうした表3-10のようなことをすでに探りを入れている.これを「診断のために早めに聞いておく」と勘違いしてはならない.逆である.「治療のために早めに聞いておく」のである.チェックリストと言うと,普通診断に関与するものが多いが,表3-10のことを丁寧に聞くことによってそれだけで治療になっているのである.

1 まずそれは本当に不定愁訴なのか
不定愁訴の確定 ― この場合は本質的には身体疾患・内科疾患の除外ということであるが ― が前提のように話を進めても良いが,それだと現実的ではないことも多い.実際には,完全に器質的疾患を除外して先に進むのは難しいからだ.程度に差はあれ,いくらかは器質的疾患のことが頭にちらつきながら不定愁訴治療の診療を進めることになる.この不安は,患者のみならず担当医にもある.
不定愁訴を治療する段になって,あえてこの問い(表3-10の1)を最初に持ってくることによって,自戒的にさせるのである.ただ,治療に向かう“流れ”も大事である.なので,ここではせめて炎症反応が陽性である患者が不定愁訴とされていないかということだけ最終的にチェックしておきたい.CRP が陽性の患者には,決して「病気ではない」,「不定愁訴である」などとしてはならない.測定していなかったら必ず測定する.

2 受診の経緯と目的は
例えば紹介されて受診されたときのことを考える.受診日的(診察依頼)に必要十分に適うものであるために,まずはその紹介状をよく読まなくてはならない.必要にして十分というのは実は不定愁訴の診療全般で重要で,気負い込んで構い過ぎでもいけないし,サボったり見放したりもいけないのである.これについて例示する.例えば,ある紹介患者の紹介元はメンタルクリニックからで,患者は不定愁訴を訴えているが器質因があるとは思われず,ただ内科にきちんとかかったことがないので身体疾患・内科疾患の精査をお願いします,という場合がある.丁寧な紹介状をお書きになる先生だと,「内科で何もないということであれば,こちらに戻していただき,身体症状症として当方で治療します」とワンライン追記してくださる先生もいる.これは極めて理想的な紹介状である.このようにお書きになる先生は,もう初めからわかっていておそらくこの紹介状を書いている段階でもう治療が始まっている.それはさておき,この紹介だと,治療まではあまり大いに踏み込まなくていいということになる.あまりに踏み込んでしまうと,患者が混乱する.紹介元の主治医とこちらのダブルスタンダードになるからである.不定愁訴の患者はこうした状況にぐらついてしまうので注意したい.ちなみに,こういう“良い”紹介状を作成されて受診した患者さんに,身体疾患・内科疾患が判明した試しがない.逆に,「不定愁訴なので自分はよくわかりませんのでよろしく」という紹介状の場合のほうが,あっさりと内科疾患が判明したりする.
あとは,受診に至る患者の思い,考えをうかがい,いきさつを総合的に捉えておきたい.目的に関しても,患者本人・患者家族・紹介元の医師とで微妙に,あるいは全然異なるかもしれない.それが紹介受診時に初めて浮き彫りになることすらある.症状だけ聞いて,検査を出し,鑑別疾患を考えるという医師がいるが,一度どういうわけで受診に至ったか,この受診を誰がどう思っているかは聞いてみると良い.このあたりについては次の「3」ともつながっているので次項に読み進められたい.

3 誰が,どう困っているのか
この問いは,実は極めて重要である.表3-1の5の問いとともに,最重要視したい.
一般にこの「誰が,どう困っているのか」という問いは,思いのほか医療現場で問題にされない.おそらく「患者がとても困っている」に決まっているではないかという決めつけからであろう.この問いを私が例えば医師に投げると一様に怪訝な顔をする.
ここで重要なのは,この問いは発した側つまり治療者のみが把握すれば良いということである.「誰が,どう困っているのか」を,関係各位すべてが理解し共有しなくて良い.患者は知らなくて良いし,紹介であれば紹介元の医師が知らなくても良い.患者の家族が関与していたら,家族ですら知らなくて良い.とにかく治療することになる担当医が知っておくことが必要と考えている.この問いを発することによって不定愁訴の状況の全体を広角にみようとするということに意味を見出しているのである.
また,この問いが存在するということは,「患者がとても困っている」以外の事情があるということでもある.例を挙げてみると,患者は早く症状治療を開始して欲しいと思っているのに,患者の家族が診断が確定されないことに困っていてさらなる精査をして欲しいと思っている,などは象徴的な例である.つまり患者と患者の家族の間で考えや希望が違うのである.また,患者やその家族はあまり診断にはこだわっておらず早く症状への治療を始めて欲しいと思っているのに,紹介元の担当医が診断がつかないことに困っていて検査ばかり繰り返して,さらなる精査を求めて紹介する,などもそうした例の1つである.この2つの例の本質的な問題がわかるだろうか.それは患者の気持ちを悪意なくなおざりにしている点である.最新の医療水準で理解される範囲内で合理的なものだけを認めようとする合理主義が,悪意なくまかり通っているのが現実の医療現場である.多数の問題があるのならそれを要素に分け,各々の原因を限界まで徹底分析し,その結果を集合して検討するということが最善であって,それでわからないものはわからない,といった具合である.この合理主義では,治療は診断を前提にするから診断がわからない限り治療はできない,診断をもとに治療が決まるのであって診断がついていないのに治療ができるわけがない,となる.(本音は隠して)建前上そのように思っている医師もいれば,本当に悪意なく(素っ頓狂に)そう考えている医師もいる.こう指摘すると「検査をするのか何が悪い」となる.もちろん検査に罪はない.ただ,検査を受けるのは患者である.その,やろうとした・やった検査で何がわかって何がわからないままなのであろうか.考えなしに検査をやっても,やってもやらなくても変わらなかったのではと思うことがある.ただこれを言うと,結局「検査をするのが何が悪い」となり堂々巡りである.趣味ではないがロジカルに反論すれば,検査前確率や条件つき確率で説明できてしまう.検査前にその疾患がある可能性が著しく低い状態では,それなりの検査をしたとしても結果が陰性でも陽性でも検査後にその疾患の可能性(この場合,もともと著しく低い)が特に臨床医の決断に関与するほどには上下しないのである.このくらいのレベルの数学など楽勝で解ける者が医学部医学科に入学したはずであるのに,医師になるとなぜか慣習に絆され,せっかくの洗練された常識を失ってしまうのはなぜだろうか.
さて,医師たちは何を間違うのだろうか.それはおそらく,前頁の下線部のところの「限界まで徹底分析」ができていないと考えてしまうのである.つまり,自分のところでは限界まで調べられないし自分では症状の原因はわからないのではと考えてしまい,紹介状作成に至ってしまう.この悪意のないところでことが進んでしまうところが根深い闇(問題)であると私は考えている.「わからないなら突き止めようとするのは当然だ」という正義を貫く原理主義なのである.ただ患者は徹底的にとか合理的な理解とかそこまで詳しいことを望んでいない.あまりに細部に入り込んでしまう前に(原理主義に染まってしまう前に),どうか患者自身に本音を問うてみて欲しい.
表題の「誰が,どう困っているのか」の後半部分の,「どう困っているか」ということを患者自身がうまく言語化して私たちに述べるのは実は難しい.ケースによっては,うまく言えないから不定愁訴になっているという場合もある.私個人の範囲でいまでもよく経験するのは,患者が自分の社会生活のなかでその症状があるためにどの程度支障が出ているのかというのをうまく言えない,毎回聞くたびに変わる,言えても実際と違う,というケースである.ひと通り,単純に聞いたのでは患者の症状を知った気になってはいけないのである.繰り返し聞いても翻弄されるのである.「(その症状のために)どう困っているか」の問いは,本人から抽出されるものしか信用できないが,その当人もまたそれをうまく言えないとなれば,なかなかにことは難しい.不定愁訴の解決が難しい理由の一端がおわかりいただけただろうか.

4 訴えは無差別か:陰性症状を言えるか
これを確認することは,ある種の問診のスキルではある.診断(病態把握)や治療の両輪に役立つ重要な確認である.例えば体じゅうが痛いという訴えがあるとしよう.すると「体じゅう」ではわからないから,どういった箇所や領域が痛いか,そしてそれはどの程度痛いかを聞くわけである.(もちろん病態にもよるが)不定愁訴の患者の多くは,「ここは痛いですか」,「ここはどうですか」の質問にすべて Yes となってしまうことが多い.これは,たくさん訴えがあるということと違う.部位や領域,程度において“無差別である”ということである.突き詰めれば「定量ができない」という表現に落ち着く.自分の症状の程度を脳が正確に定量できないから,1本の閾値線があるだけの判断基準しかない.つまり,痛みであれば「痛い」か「痛くない」のどちらかでしかない.こういうのを私は“定量障害”と呼んでいる.
脳の認識の偏りなのかもしれない.「調子はどうですか?」と質問をしたとき,同じような状況の患者であっても,随分と答え方が違うなあと思うことがある.「熱はもう出ないですが,まだ腰とももは痛いです.それよりも肩や首の痛みは相変わらずでこれが一番辛いので午前中は家事ができません」と答える人もいれば,「だめです……変わらないですね」と(だけ)答える人もいる.前者の人はこちらの「どう?」を有機的に解釈しているが,後者の人は,なんというか「どう?」というのを字義どおり以上には取っておらず,つまり「どう? と言われてもだめだからここにきてるんだ」となる.後者は,ある・なしの2択の思考.世の中が真ん中で「良い・悪い」の二手に分かれている,あるいは白と黒に分けられているという思考になっている.これはその人の意識や理解度とは別次元で そういう脳の性質であるという意味である.別の解釈をすれば,まだ未成熟で脳が幼稚であるとも言える.少し戻るが,前者の回答をした人は,診察というのはその人全体からしたらごくわずかの時間であって,症状を解決するために病院へヒントをもらいに来ていて,多くの時間を過ごす診察以外の生活のなかで 自分自身で治そうという気持ちがうかがえる.他方,後者は完全に受け身である.
定量障害”ではない患者は,医師から質問されると,解決に前向きだから自分の疼痛を見極めようとする.よって,例えば「体じゅうが痛い」であっても,ある部位は痛い,ある部位は痛くないと弁別できる.“定量障害”である患者は,「体がとても痛い」ということに脳が支配されてしまっているために,「ここは痛くないです」と選り分けて言えなくなっているのである(これ自体が病的とも言えよう).痛くない箇所をはっきり言えるというのは極めて重要な所見であり,カルテにしっかりと記載する価値がある.
区別,弁別,選別.これらは何かの事象を定量するための第一歩である.陰性症状を言えるか言えないかは,目の前の患者の状態の把握,ひいては今後の治療関係を占うものだと私は捉えている.

5 本人は,原因を何のせいにしているか
この問いも前項と一部内容は共通,通ずるものがある.「原因を考える」というのは,比較的高度な頭脳の営為である.それをすでに,医師に訊かれる前にできているのだとしたら,診療への協力・同調というのがもうできているということである.自分で症状をそれなりに分析できているか.このあたりは確認に値する.
原因を考えるというのは当然,この場合他ならぬ自分自身の症状についてである.症状の原因を患者自身が考えるというのは,その状況を内省的にメタ認知している(引きで眺めている)ということになる.これは非常に高度な脳の使い方であると言える.
ネタばらしをすれば,この問いは担当医が治療で用いる.内省的なメタ認知とは,成熟した大人の思考であり,例えば小学生では無理である.これはある成人の脳を指して「子ともじみている・子ともレベルだ」と見下げて言い放っているのでは決してない.子どもは普通どの子でも自ら内省することはなく,なんでも嫌なことは自分以外のせいにするものだし,そのほうがむしろ子どもらしい.「症状にとらわれる」ことに陥りやすい人の脳は,その症状を正確にメタ視点で認知できていない.自分の症状があたかもある日空から降ってきてその症状が勝手に自分に纏わりついているかのような認識でいるのである.しかもそれは無自覚・無意識に,である.症状は,外からやってきたのではない.自分自身のなかから生じているというのに.
不定愁訴」が勝手に,自然には治らないのにはそれぞれにわけがある.自然に治らないメカニズムをまず医師がみて取り,そこから患者自身が理解していく(ように促す).これは不定愁訴治療の本質でもある.この場合,医師の理解が先であるから,医師がもう少し頑張る必要がある.

6 現在の生活はどうなっているか
患者は,診察室にいる時間は自分の生活からしたらごくわずかで,ほとんどの時間を自分の生活を生きる時間に費やされる.不定愁訴診療は,入院で行うということはないから,診療時間はごくわずかとなる.診察のあいだはある意味“受け身”となっていても仕方がないが,それ以外の時間は自ら生活を構築し能動的に考え動く必要がある.よって,その人のあるがままの生活状況はその人のある種の能動性そのものを表していると私は考えている.
「生活」というのはその人の環境そのものであり,家族なども含めて考えれば自分を中心としたときの社会の最小単位でもある.不定愁訴となる患者は,大なり小なり環境から影響を受けている.もちろん空気が汚いとか猛暑のなかエアコンが壊れているとかの環境因で直接身体に影響が出るようなこともあれば,人間関係の不良や生活サイクルの乱れからくる疲労などの要因から,心理面への影響が出ることもある.このような「環境(生活社会)-心理」の関係が,人よりも感受性が強く負の関係性で結びついてしまうとき,心理面の解放が図られず身体症状となってしまう.この感受性というのは,その人自身の性質としての例えば神経質さとか不安状態とか気分とか知能とか人格の安定性とかとも違うように思われる.純粋にその人のもともとの独立した属性か,病的状態(病態)か,のどちらかだろうと思われる.
不定愁訴の治療は,このような「環境(生活社会)-心理」の関係性に注目し,それを扱うことで進められる.こう言うと,なんだか心理療法とかそういう捉えどころのない話だと曲解されることがあるがそうではない.「心理社会的因子に目を向ける」というのは別に特殊なことだったり,専門性が高いことだったりはしない.普通のことである.要は,患者の周辺事項へ関心を向けるということであり,患者の周辺事項というのは先に述べたように患者の生活そのものである.生活について聞く,というのもまったく特別なことではなく,むしろ臨床医にとっては基本的かつ日常的で,要するに「生活・社会歴を聞く」ということそのものである.
生活社会歴を聞くというとそれだけで大上段に構えるような気になってしまう医師や,あるいはそういう時間がない・そういうのは苦手であるという医師もいるだろう.そのときには,特に何も考えずその患者の「1日の平均的な過ごし方」を尋ねると良い.起床時刻から始まってその後何をするのか,というのを淡々と時系列順に聞いていく.当然,食事時刻,自宅を出発する時刻や勤務時間,家事など通常すること,就寝時刻に至るまで少なくともそれらの時刻や時間を聞いてみるのである.「食事」は生活の基本でありこれを軸に聴取しても良い.食事の回数や開始時刻,誰が作るか,どこで買うのか,どういうところで外食するのか,量,誰と食べるのか,などがあると良い.ややテクニカルだが食欲の多寡と実際の摂食量との関係性もわかる.「全然食べれてません」と言いつつ,行動を確認するとけっこう食べているとかがわかったりする.「腸が動きまくって腹がすぐ痛くなる」と言いつつ昼にラーメン,夜にラーメン+チャーハン・深夜に焼肉を食べていたりする.それらの派生で「まったく動けません」と言いつつ夕方にジムに出かけていたりするのである。私はこれらを特殊な事例と思わない.これらに類する人は本当に多い.
生活の基本的な事柄を聞いているうちに,それらの“行間”がわかるようになる.例えば,家族構成とか,家族と会話する時間があるのかとかもわかってしまうことは多い.「朝つら過ぎて動けず,食欲はあるのに1階に降りられない」ということを聞いたならば,その患者の家屋が少なくとも2階建以上であり患者はダイニングの階上が居室であるということまでわかってしまう.少し勘ぐれば,マンションではなく持ち家(らしい)ということもわかってしまう.持ち家ということであれば,ひとり暮らしではない可能性が出てくる.生活圏に患者以外の者がいるというのか判明すると,こうした問診はさらに捗る.「そういえば家族構成はどうなってますか?」と切り出す.答えてくれれば,その者たちそれぞれのことを聞くこともできる.もちろん良くも悪しくも関係性がわかり,その患者の心理の動きもわかる.
もちろんもっと具体的な事柄を聞くのも有用である.職業・仕事に関することは,食事に並んで必須である.勤め先,通勤方法,業務内容,勤続年数,転職歴,勤務時間,勤務体制,勤務状況,患者の勤務や勤め先に対しての考えなど,休日はいつで・どれくらいで,いまの仕事や部署をどう思っているかとか,ストレスや充実度,勤務と症状との関連(仕事をしているときは大丈夫かとか,対人関係で悪化しないかなど)も聞ければ良い.
生活状況に関しては,余暇の過ごし方,外出頻度,TVやスマートフォン,PCを使う時間,タバコ・アルコールの量,趣味の内容,インターネットの利用状況,娯楽や習いごと,旅行などについても聞くと良い.というのは,症状で困っていると言いながらこういうことはできているのだなという把握ができるからである.
生活を知るとはその人の社会を知ることである.治療では,患者の生活/社会が患者の心身にどう影響を及ぼしているかを,患者と治療者の双方で一緒にメタ視点で見直していくのである.

7 何を目標としているのか
最後は目標である.これは,臨床医なら当然確認するものとして認識されていることと思われる.ただ,不定愁訴診療ではこの当たり前のことが抜け落ちしてしまっていることが多い.現実的な目標設定というのは大事である.患者がこれを見誤るのはそれが不定愁訴的状況では織り込み済みな面もあるのでひとまず良いとして,医師が目標設定を間違えてはいけない.診療の目標が「患者→診断をできれば付けて欲しい,患者の親→診断を絶対付けて欲しい,担当医→症状をいまよりも緩和する」のように,立場によってここで違ってしまうと,このまま診療を続けてしまえば当然のごとく交わるということはない.
このような例もある.診察と一般的な検査で特に問題のない軽い症状を患者が非常に気にしているとする.「そのくらいなら精密検査の必要はないんじゃないの」,「それは様子みていい症状だけれど,私がみてあげるから何かお薬飲みながら通院してみましょうか」,「たまにみてあげるから月に1回くらいはおいで」などと,ごり押ししない程度に“兄貴的”あるいは昔で言う“寮母さん的”な態度と距離感で接すれば良いところを,妙に及び腰となって「念のためこの検査もしましょう」とどんどん検査を追加したり,「では紹介状を書きますからすぐ大きな病院でみてもらいましょう」とか「私ではわからないので別の先生を紹介します」などと他医を紹介したり,あるいは「症状の原因が解決しない」ということを大義名分にして患者の適切な到達地点を医者側が大いにブレさせている場面を残念ながらよくみかける.その大義名分でもって,自分が“中腰”になることなく,納得させることを怠っているとしか思えない事例もある.
適切な態度と距離感で接するべきだと言うと,それをしてしまうと患者が医者や医療者に過剰に寄りかかってくる恐れがあるとする考えを言われる.しかし実際には,不定愁訴の患者は節度をもって接してくる.この両者のあり方のミスマッチのために,結果として相対的に医師が不定愁訴の患者を見放し気味とする構図となる.一度患者に見放されたと思われてしまうと,何ひとつうまく行かない.何ひとつである.
いろいろ述べてしまったが,目標設定の間違いはもちろん普通は患者がしている.それを医師が患者に気づかせることが治療そのものである.治療が始まるにあたり最初のうちに,①目標と現状のずれを確認すること,そして,②それを担当医・患者の双方が設定し直すこと,を忘れないでおけばそれで良い.

不定愁訴治療:“読者”をだます叙述トリック

実はもうここで,不定愁訴の治療についての総論的なものの説明はほぼすべて終わりである.もう続きはない.本項は序盤戦であって,この後も続くかとお思いになっていた読者諸氏には拍子抜けかもしれない.そこで「不定愁訴治療の前のチェックリスト」のところをここで読み返して欲しい.
そこでは,不定愁訴の治療の第一歩はまず基本的な整理であり,事前に表3-10のような項目について検討しておくと良い,というような要旨であった.しかし,5段落目にこういうことも書いていた.“熟練者は診断と治療を明瞭に分けたりしていない,表3-10のことを丁寧に聞くことによってそれだけで治療になっている”と.ここで「表3-10」というのはここまで説明してきたように本項全体そのものである.つまり,「不定愁訴治療の前に」というタイトルによって心理的に「まだ続く」と思ってしまったかもしれないが,先ほど述べたようにこの後はもう続かない.実は,まだ序盤だというミスリードを促しつつ,読んできたことそのものが治療の指南になっているのである.(後略)

注:i) 引用中の「不定愁訴」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 加えて、『「一筋縄ではいかない難しさを楽しめるような感性」が上記「不定愁訴」を診る診るために必要な能力なのだろう』ことについては次のエントリを参照して下さい。 「不定愁訴をみるために必要なこと【医学書評】仮病の見抜きかた」の「まとめ」項 ii) 引用中の「メタ認知」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「検査前確率」(又は事前確率)に対し、これが非常に低い場合(例えば 0.001%)には特異度が高くても(例えば 99%)、陽性反応的中割合が低い(上記前提では 0.1%)である計算例については次のエントリを参照して下さい。 「特異度と偽陽性率と陽性反応的中割合と - NATROMのブログ」 加えて、上記事前確率を踏まえた新型コロナの PCR 検査の陽性的中率等については次のエントリを参照して下さい。 「感度、特異度、陽性的中率などの重要事項【例:コロナ検査】」 iv) 引用中の『「症状にとらわれる」ことに陥りやすい人の脳は,その症状を正確にメタ視点で認知できていない』ことに関連するかもしれない『日ごとに患者の「病気」のイメージは突飛な方向に膨らんでいき、ことあるごとに「わたしは MUS という難病を抱えて何年も闘病生活をしてまして」などと言うようになる』ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 v) 引用中の「表3-10」(P201)の記述を形式を変えて以下に引用します。 vi) 引用中の「不定愁訴」の診療における「患者の表現が歪む」ことについて、同 Chapter 3 の Secton 1 各論の前に あらためて「不明・不定」とは の「■患者の因子」における記述の一部(P172)を以下に引用します。

表3-10 不定愁訴治療の前の7つの自問自答
1 まずそれは本当に不定愁訴なのか
2 受診の経緯と目的は
3 誰が,どう困っているのか
4 訴えは無差別か:陰性症状を言えるか
5 本人は,原因を何のせいにしているか
6 現在の生活はどうなっているか
7 何を目標としているのか

■患者の因子(中略)

「患者の表現が歪む」とは,患者に内在する真の訴えが,患者が発言として表現する段になり量・質ともに変化し,聞き手からするとよくわからなくなってしまうというような意味である.本当はあるはずの症状が積極的な訴えとして表現されないこともあれば,本当はそんなにないはずの症状が過剰かつ適当でない表現方法で訴えられることもある.このことが起きやすい患者の,具体的な背景例を表3-1に挙げた.これに該当する場合,不定愁訴化しやすい.(後略)

注:引用中の「表3-1」(P172)の記述を形式を変えて次に引用します。

表3-1 「患者の表現が歪む」ことが起きやすい患者背景
・思春期
精神疾患あるいは心療内科圏内
・認知機能低下・知的障害
・病的状態(sick, weak, inactive)
・外国人(日本語が母国語でない)
・感覚器の機能低下ないし不全(聾唖者,重度の白内障,難聴など)
・重度肢体機能不全(頸髄損傷,脊髄炎後,外傷後の重度の後遺症など)

加えて、「心身症的アプローチが効かなかった理由」について、同 Chapter 3 の Secton 6 「本当の不定愁訴」の治療の反省とさらなる“仕分け” の「■心身症的アプローチが効かなかった理由」における記述の一部(P216~P218)を次に引用します。

3つの理由に分けて解説する.
①病態は心身症的だが患者の不安やストレスが取りきれない
これは要するに,治療者の問題と思われる.あらためて述べると,心身症というのは「発病や経過に心理要因が強く関与する身体疾患2)」であるとされる.心身症は身体疾患である.ここまでくどく言い続けて,これ以上は語るまいとさえ思う.心理要因というのは自律神経を介することで結果として身体症状を呈する.これはピットホールではなく,常識である.医学部医学科に限らずヒトの生理学の講義が開講されている大学なら,どこでも習うものである.あるいは新書などの一般書籍でも入手できるような知識である.思い切って言えば 心理的問題というのは,からだの問題であると包括できる.こう意識を変換するだけでも,医師読者諸氏の目の前の患者の,(あなたの言う)「不定愁訴」が緩和していく気がする.不定愁訴心身症と診断するだけでも,何かが前に進む気がする.

②病態が心身症的ではない
本項冒頭で挙げた「慢性疲労症候群」などは良い例である.疲労感のみならず,熱,痛み,体動時などの自律神経症状などで困っている患者が多く含まれる症候群である.この症候群に分類される患者は,あらゆる検査で異常所見が出ないというのもあり,ほぼ全例が不定愁訴のレッテルを貼られている.器質的・内科的疾患は十分除外された熱ということで,高体温症として治療を試みた症例を多く経験した.が,いずれも無効だった.これはおそらく冒頭に述べた,慢性疲労症候群に分類される集団のなかの“病気(自己免疫?)”に入る患者群で,神経炎症などの関与によるものであろう.既知の検査では検出できない炎症の存在により著しく過小評価されている,(十分に人口に膾炙されていないという意味で)未認知の病態であろうかと思われる.要するに,病気であるから治療が要るが,まだ治療が確立されていないという状態である.二次的なうつ,心身症には一定の効果があるかもしれないが,熱苦痛や易疲労感などは取れないだろう.個人的には,患者に期待を持たせてしまったと鋭く自己反省している.(中略)

③異常体験の関与(患者側の内面の要因)
実はこの要因に関してはのちに取り上げて掘り下げ,機能性高体温症の治療の失敗という枠にととまらず,考え方を不定愁訴患者への治療全体に適用できるようにしたいと思っている.
「体験」というのはおそらく精神症候学的用語だろうと思う.一般社会ではほぼイコール「経験」のように用いられるが,ここで言う異常体験というのは異常な経験というのとは違う.異常体験とは,患者自身によって主観的に体験された病態の患者側の内面を言ったものである.それをうかがい知るには,患者にそれを語らせなければならない.患者がありのままを語った「言動」とも言える.「体験」と対比される考え方は,患者の「外面・外観」や「行為」である.
異常体験というのは,症状を患者に語ってもらってその内容を知ることになるが,それがありのままであるならばそれ自体が患者の症状であり困りごととなる.例えば「24時間体が痛い」と患者が言えば,それ自体が異常体験であり症状となる.もちろん医師のほうも,さまざまな病歴聴取や場合によっては検査などで,その言い分がどうやら患者の真の困りごととして相当の蓋然性があるのかということを検証する.検証の結果,そうであればそれは患者の体験だろうとされ,医師によってそれが異常かどうかを認定していく.そういう異常体験というのは,実際にはさまざまものがあり,内容によっては一般身体診療を大なり小なり難しくする.
1つ具体的に例示すれば,心気症の場合である.これは,自身の熱やその周辺症状の些細な変調・変化,不調に対してひどくこだわりそして恐れることである.一種の体感異常であり,昔かられっきとした病的体験として記述されてきた.あれこれと種々~多彩な身体症状を訴える場合もあれば,単一症候のみを訴える場合もある.当然「熱」を含むときがあり,心気症としての機能性高体温症は,どうやら治療が難しいようである.この場合,患者はストレスどうこうの理屈にそぐわない状態にあり,当然心身症アプローチでは快癒しない.もちろん特効薬もないが,個人的失敗としては,前項同様に患者に期待を持たせてしまったことかもしれない.やはり臨床というのは努めて患者を一定の距離で観察し続けることが重要で,安易に患者に期待を持たせたり喜ばせたりすることを先行してはならないと思われる.治療が難しいということを一緒に受け止めるのも,診療であるということを学んだ.(後略)

注:i) 引用中の文献番号「2)」は次の本です。 「濱田秀伯,著.精神症候学 第2版.弘文堂;2009.」 ii) 引用中の「不定愁訴」及び「心気症」については共に例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 加えて上記「心気症」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典

その上に、「患者の性質を特徴づける属性が多ければ多いほど治療は難しい」ことについて、「心身症の立ち位置」や「不定愁訴治療における治療の難易度・治療反応性予測のためのルール」も含めて、同 Section 6 の「■心身症の立ち位置」、「■他の“属性”の併存と複雑化」及び「■不定愁訴治療における治療の難易度・治療反応性予測のためのルール」における記述(P222~P223)を次に引用します。

心身症の立ち位置

そうなると「心身症」という,これまで大切にしてきた考え方はどのようにすれば良いであろうか.これは,治療者の目線の問題である.ある患者に対し心身症である・心身症かもしれないという目でみているときは,患者の行為や外観をみていることになる.家庭や社会での行動の様子,表情や言動,服装などの行為・外観の情報から患者の精神状態をうかがい知るというもので 大まかな印象を取るのに適したアプローチである.この意味で 前述の「心身症的アプローチが効かなかった理由」の③で述べたように患者側の内面の要因を深く読み取り体験の異常として患者の問題を抽出するアプローチと異なることがわかると思われる.こうした行為・外観に注目するのはどの異常体験を伴う病態をみているときにも応用が効くので有用である.心身症自体は患者の行為や心理社会因子が交絡した複雑な事象の集合体であるため治療は簡単ではないと言えるが,特定の内容の強い思考障害などを伴わず軽症例であれば心身症は一般内科医でも与しやすいものであるとも言える.

■他の“属性”の併存と複雑化

麻雀の役が増えるほど指数関数的に点数が上がるように,患者の性質を特徴づける属性が多ければ多いほど治療は難しい.例えば,パーソナリティ障害の傾向も持つ統合失調症患者の不定愁訴で全般性不安の要素もあるものだとか,アスペルガー傾向を持つ患者の不眠を伴う疼痛障害だとか,PTSDを持つ児で強迫性障害と動揺する不安症状を持つもの,といったような具合である.こうした複雑性が増せば増すほど,身体症状の改善は難しい.

不定愁訴治療における治療の難易度・治療反応性予測のためのルール

不定愁訴を治療するにあたり,患者の性質の診立ての末に,予想される治療の難易度・治療反応性に原則があるように思われるので紹介する(表3-12)

注:i) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「統合失調症」については次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「PTSD」の別名である「心的外傷後ストレス障害」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験に苦しむストレス症候群 心的外傷後ストレス障害を診る」 v) 引用中の「強迫性障害」については拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「全般性不安」に関連する「全般不安症」については拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「疼痛障害」に関連する「疼痛性障害の合併症」については次の資料を参照して下さい。 「疼痛性障害の合併症」 viii) 引用中の「表3-12」(同のP224)を形式を変えて次に引用します。

表3-12 不定愁訴治療における治療の難易度・治療反応性予測のためのルール
Rule1:身体症状だからといって心身症的アプローチ一辺倒では症状改善が難しい病態がある
Rule2:感情障害より思考障害のほうが治療が難しい
Rule3:感情障害なら,慢性より発作性のほうが治療が易しい
Rule4:思考障害なら,対象が特定のもののほうが治療が難しい
Rule5:思考障害のうち,思考体験の障害より思考内容の障害のほうが治療が難しい
Rule6:内科に受診しがちな病態のうち,単純なパニック,侵害受容性疼痛や純粋な神経因性疼痛は,内科医でも治療がうまくいきやすい
Rule7:恐怖症・心気症の傾向の強い身体症状を訴える患者は,内科医だけでは症状の改善は非常に難しい
Rule8:軽度の強迫性障害不定愁訴になり,中等度以上の強迫性障害は内科にはこない
Rule9:患者の性質を特徴づける心理要因・精神状態・社会背景が多ければ多いほど治療は難しい

注: i) 引用中の「感情障害」の別名であるだろう「感情の障害」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「軽度の強迫性障害不定愁訴になり」に関連する「身体症候がメインになった強迫性障害」についてはここを参照して下さい。

さらに、『「本当の不定愁訴」の治療を難易度順に考える』ことについて同 Section 6 の「■「本当の不定愁訴」の治療を難易度順に考える」における記述(P223)を次に引用します。

これまでの記述をもとに,総まとめ的に表3-13にまとめた.心身症の理解は前提として,心身症的アプローチ一辺倒では限界があることを理解し,不定愁訴の基盤となっている患者の精神構造や性質について“仕分け”を行うことで,困難となりやすい不定愁訴治療において若干の助けとなるだろう.

注:i) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「不定愁訴」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 iii) 引用中の「表3-13」(順位[治療難易度、【困難】1位~7位【容易】]、疾病/病態、カテゴリ、P224)を形式を変えて次に引用します。

表3-13 内科にくる「本当の不定愁訴」の治療:治療難易度ランキング
1位、[疾病/病態]恐怖症あるいは心気症/身体症状症、[カテゴリ]思考内容の障害
2位、[疾病/病態]軽度の強迫、[カテゴリ]思考体験の障害
3位、[疾病/病態]中等症以上の心身症、[カテゴリ]心身症
4位、[疾病/病態]全般性不安(複雑でないもの)、[カテゴリ]思考内容の障害
5位、[疾病/病態]パニック、[カテゴリ]感情の障害
6位、[疾病/病態]各種神経痛(複雑でないもの)、[カテゴリ]知覚の障害
7位、[疾病/病態]軽症の心身症、[カテゴリ]心身症

注:i) 引用中の「感情の障害」について同 Section 6 の「■感情の障害」における記述の一部(P219)を次に引用(『 』内)します。 『感情(の障害)の最も馴染みのある例が「不安」である.不安は,定まらない漠然とした恐れの感情のことである.そして病的な不安というのは,不安を生んだ刺激が内部で歪曲・肥大化されるために,客観的な危険に比して不釣り合いに強く反復してあらわれる不安のことを言う.慢性の不安状態を全般性不安といい,発作的で急性の不安状態をパニックと言う.』 ii)(内科にくるのかどうかはともかくとして)これら以外にも引用中の「本当の不定愁訴」に関連するかもしれない、発達性トラウマに関係する「診断上のどんな分類にも簡単には当てはまらない説明不能な一連の症状」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。

注:引用中の「思考内容の障害」や「思考体験の障害」にも関連する「思考障害の分類」について、同 Section 6 の表3-11(P220)を形式を変えて次に引用します。

表3-11 思考障害の分類
1 思考の流れやまとまりがおかしい.
2 思考ののちに,さらに体験として思ったことがおかしい.
3 思考の内容自体がおかしい.
4 妄想そのもの.

注:引用中の「体験」について、同 Section 6 の「■思考の障害」における記述の一部(P220)を次に引用します。

(前略)2は「体験」という言葉を使ってしまったが,本来は「思考体験の障害」と書きたいところであった.考えて,それを自分がさらに感じ考えた結果,そのときの体験が異常だということである.1との比較で言えば,思考の流れやまとまりは保たれているが,要は「考え方がおかしい」というわけである.
代表的な例が「強迫」である.(後略)

注:i) 引用中の「強迫」に関連する「強迫性障害」については拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「思考体験の障害」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神保健基礎研修」の「3-3)思考体験の障害(強迫症状含む)」シート(P22)

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【6】医師と患者の双方が責任を持つ「共同意思決定」について

標記「共同意思決定」について、夏苅郁子著の本、『病院で聞けない話、診察室では見えない姿 精神科医療の「7つの不思議」』(2021年発行)の 第1章 不思議1 病名を言われずに、何十年と通院している患者さんがいる の 患者・家族としての私の願い 病気を理解するには、病気の説明が必要です の『「インフォームドコンセント」から「共同意思決定」の時代へ』における記述(P57~P58)を次に引用します。

時代が変わり、現代の医療は、強い立場の医師が患者の治療を一方的に決める「パターナリズム」から、「インフォームドコンセント」の時代となりました。
インフォームドコンセント」は、ある医療行為を医師が行う際、治療の目的や効果・副作用などについて患者さんに説明し、同意を得たうえで治療するというものです。インフォームドコンセントが正しく行われるならば、それは大変有用ですが、現状では形骸化の傾向が目立ってきています。
本来は「十分な説明」のうえで「医師と患者双方が話し合って同意」するはずが、医師は治療の決定を患者へ丸投げしてしまう傾向があります。けれど、いくら説明されても、医師と患者の知識の差には絶対的なものがあり、患者と家族だけで治療の選択をするのは不安極まりないことです。
そこで、インフォームドコンセントからもう一歩踏み込んで、近年は「共同意思決定」という概念が提唱され始めています。文字どおり、「患者と医師が互いに情報を交換して、治療方針を共同で決定する」というものです。この概念の大きな特徴は、「お互いが決定に責任を持つ」という点です。
パターナリズムでは医師が責任を持ち、インフォームドコンセントでは患者が責任を持ちました。私は医療においては、医師も患者も「医療行為の当事者」であるからには、双方が責任を持つことが本来の考え方だと思っています。
精神科だけではなく、すべての医療でこうした考え方が広まることが患者さん、ご家族の願いではないでしょうか。

注:引用中の「患者と医師が互いに情報を交換して、治療方針を共同で決定する」ことに関連するかもしれない(認知行動療法スキーマ療法において)「セラピストだけがクライアントの抱える問題を理解するのではなく,クライアントと共に CF(ケースフォーミュレーション)の作業を進め,理解したことは全て共有するプロセスを通じて,両者の共通理解を練り上げていくこと自体が治療的に機能する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【8】価値観が多様化すれば(了解可能性を吟味することとしての)感情移入による理解は一層難しくなり,時間のかかる作業になるだろうことについて、その他

最初に標記「了解」についての簡単な説明について、 (a) 次のWEBページを参照して下さい。 「伝統的精神医学の考え方とは、その中心にある了解について」の『「了解」することとはどういうことなのか』項(注:上記WEBページを含む一連のWEBページについては上記WEBページの「精神医学(古茶大樹先生)の連載記事」項を参照して下さい) (b) 井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅲ部 私の考える精神療法 の 第18章 精神療法の人間学 の「6 精神療法における了解」における記述の一部(P264~P265)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『了解とは、自然科学における因果関係の解明とは異なるところの、知的理解である。』、『人をモノの塊としてではなく、怒りや悲しみをもった存在として理解することが了解である。人と語り合うときに相手の心情を推し量ることが、典型的な了解である。ヤスパースは、素朴な例をあえて引用して、「攻撃された者は怒り、裏切られた恋人はやきもちを焼くことを了解し、動機からこうしようという決心と行為が起こってくることを了解する」と述べる。このように、人の心情をおもんばかることが了解の本質であり、その了解の範囲を広げることこそ、精神科医の務めだという。』(注:1) 引用中の「了解」の「明証性」についてはここを参照して下さい。 2) 引用中の「攻撃された者は怒り、裏切られた恋人はやきもちを焼くことを了解し、動機からこうしようという決心と行為が起こってくることを了解する」についてはここここも参照して下さい。) (c) 内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 総論 の 4 了解と症状把握 の「1. 初めに」における記述の一部(P54)を次に引用(【 】内)します。 【精神科医は,必ず患者と面接して,患者の状態を把握しようと試みる.このとき精神科医は患者の態度や応答を理解(了解)しようとするが,ときに了解の限界に行き当たることもある.】(注:この引用部の著者は熊﨑努です)

加えて、標記「了解」が臨床的に果たす意義について「了解的な態度」を含めて、同4 了解と症状把握 の「2. 了解はなぜ現在の精神科臨床の課題なのか」における記述の一部(P54~P55)を次に引用します。

まず,うつ病の診断をする場面を例に,臨床的に了解が果たす意義を確認したい.(なお,次に呈示するのは特定の患者の病歴ではなくモデル症例である)

【症例:40歳代,男性】
約半年前に昇進して「今までの努力が報われた」と喜び,その後しばらくは熱心に仕事をしていた.しかし3か月程前から,中途覚醒が目立つようになり,朝は体がだるくて起き上がれず 遅刻が目だつようになった,出勤しても,何となく書類を眺めるだけで仕事が進まない.休日は,以前のように遊びに出かけることもなく,一日中臥床している,見かねた妻が,旅好きの本人のために温泉旅館を予約したが,本人は喜ばないどころか,「ちゃんと働けない俺に,遊びに行く資格はない.」と泣き顔になった,それで驚いた妻が精神科に連れてきた

このような患者が来院したときに,操作的診断基準1)に照合すれば,大うつ病性障害の診断をすることは可能である.しかし,患者を診察しながら精神科医が行っているのは,ただチェックリストに印をつけることだけであろうか.操作的診断基準に当てはめて考えているときでも,〈昇進してすぐはうれしかっただろうし,意気に感じていたんだろうな〉〈でも今のこの人は何をしても楽しくないのだな.辛そうだな〉と感じたり,〈それにしても休日の旅行まで楽しくないのはよくわからないな.やはりうつ病だな〉と感じたりしているのではなかろうか.このように感じているとき,われわれは患者に了解的な態度で接していると言えるだろう.(後略)

注:i) この引用部の著者は熊﨑努です。 ii) 引用中の文献番号「1)」は次の本です。 「American Psychiatric Association : Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th ed. American Psychiatric Association, Arlington, V A, 2013.〔日本精神神経学会(日本語版用語監修),高橋三郎,大野裕(監訳):DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,東京,2014.〕」 iii) 引用中の「大うつ病性障害」の別名である「うつ病」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「うつ病 - 脳科学辞典

次に標記「多様な価値観の時代に移行してきたならば、(了解可能性を吟味することとしての)感情移入による理解は一層難しくなり,時間のかかる作業になるだろう」ことについて、同総論 の 5 臨床精神病理学的視点からみた精神障害診断学と分類について -症状学,診断学分類学,治療学の有機的なつながり- の 4. 診断学・疾病分類学上の具体的な問題点について の「(1) 了解可能性の判断について」における記述の一部(P76)を次に引用します。

了解可能かどうかの判断を下すためには十分な情報が必要である.その判断が難しくなるのは情報不足によることが多く,時には医師の側に原因がある.対象者の性格や物事の捉え方・考え方・体験の反応の仕方をよく知ろうとする前に,たった1回の問診で得た断片的内容(歩んできた人生全体ではなくある局面だけを切り取ってきたもの)をすぐさま自分自身の価値観に照らし合わせ,その判断を下してしまう.このような精神科医は驚くほど多い.了解可能性は対象者に感情移入したうえで心の全体像の動きを検討するものだが,それがなされていない.しかし,そのような誤った了解可能性は最近になって始まったことでもないようにも思う.
振り返ってみると30年以上前のこと,自分が精神科医になりたての頃から既にその傾向は見てとれた.だからこそ,多くの精神科医がそのやり方に疑問を感じることもなかったのだろう.これが大きな問題となってきたのは,われわれ日本人の価値観がかつてのように比較的一様であった時代から多様な価値観の時代に移行してきたことと関係があるように思う.そもそも民族多様性とは縁遠い島国としての歴史が長く続き,第二次大戦では苦い敗戦を経験している.日本は敗戦国として再出発し,国民一丸となり高度成長期を経て復活を遂げた国家である.そのような歩みを共有することのできる文化がかつてはあったのだが,今ではこのようなストーリーをピンとこない世代も確実に増えてきている.かつての常識的なことやこれまで習慣的にしていたことが,現在ではそうとも言えないこともたくさんある.わが国の価値観の多様性は,格差の広がりとグローバル化とともに顕著になり,多様性そのものを積極的に認めようとする風潮はさらにその傾向を助長する.多様な価値観が当たり前になってしまうと感情移入による理解は一層難しくなり,時間のかかる作業となるだろう.了解可能性を吟味する骨の折れる作業よりも,横断面の精神状態から症状を数え上げるほうがずっと簡単で,診断の信頼性も高くなることは自明である.米国で了解可能性という疾病性判断の重要な指標が浸透しなかったのは,民族文化や価値観の多様性が当たり前の国民性と無関係ではなかったのかもしれない.(後略)

注:i) この引用部の著者は古茶大樹です。 ii) 引用中の「多様な価値観が当たり前になってしまうと感情移入による理解は一層難しくなり,時間のかかる作業となるだろう」に関連する「現代のように変化の激しい社会では,生活背景が大幅に異なる人間同士が同じ集団に属して顔を接する機会が沢山あると考えられる.(ヤスパースの時代である)100年前と同じように了解できるかできないかを精神症状の指標としてよいのかという疑問が生じるとしても,一理ある」ことについて、同総論 の 5 了解と症状把握 の 6. 了解精神病理学の領域とその限界 の「(2) 了解精神病理学の限界と今後の課題」における記述の一部(P63)を次に引用します。

(前略)それから,現代のように変化の激しい社会では,生活背景が大幅に異なる人間同士が同じ集団に属して顔を接する機会が沢山あると考えられる.100年前と同じように了解できるかできないかを精神症状の指標としてよいのかという疑問が生じるとしても,一理ある.
相手の言うことを理解し難いときに,すぐに了解不能と決めつけるのではなく,少し想像力を働かせてみたり,相手の生活背景をもう少し詳しく聞いて把握したうえで了解しようとする努力が必要になってきていると考えられる.このような場合,自然に了解すると言うよりむしろ,人為的に反実仮想的な手続きを経て了解することになる.このような手続きは,ヤスパースの枠組みでいうと感情移入的な側面がやや弱くなり,解釈に近いものになるが,このような努力も含めた形での了解が,現代では要請されているように思われる.

注:(i) この引用部の著者は熊﨑努です。 (ii) 引用中の「解釈」に関連するかもしれない、 a) 「解釈学的アプローチ」については次の資料を参照して下さい。 「臨床倫理学における解釈学的アプローチ」 b) 「精神分析」の視点からの「解釈」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

また、標記「了解」の明証性に関連して「精神療法と呼ばれるものの本質」や「了解的関連」を含めて、同「6 精神療法における了解」及び「7 了解における明証性」における記述の一部(P264~P267)を以下に引用します。加えて、上記「明証性」に関連して「明証性を伴ってわかることを、了解可能と呼んでいる」や「了解的関連」を含めて、古茶大樹著の本、「臨床精神病理学 精神医学における疾患と診断」(2019年発行)の 第1章 精神医学における疾患とは の 了解について の「了解的関連とは」における記述の一部(P18~P20)を以下に引用します。

6 精神療法における了解(中略)

了解の明証性は、何かの媒介なしに直接的に納得させてくれるものである。了解心理学の目的は、この明証性を獲得することにあり、それによって「今まで気づかれなかった精神的関連を理解する(18)」。それは、了解した瞬間、「あたりまえ」の感すら抱かせるような種類のものだが、そのような自明な感じを抱かせるような点にこそ、了解の明証性の明証性たるゆえんがある。だからこそ、ヤスパースは、先述のように「攻撃された者は腹を立てて防御行為をするし、欺かれた者は、邪推深くなる」といった、ごく一般的な例をあげていたのである。

7 了解における明証性

ただし、了解の明証性は、当然のように与えられる知ではない。了解の筋道を丁寧に追わないかぎりわからない。その人の身になってみれば、わかるべくしてわかる。しかし、その気にならなければ絶対にわからない。ここに了解の真髄がある。想像力を働かせることに怠惰な者は、わかるはずのことすらわからない。結果として、了解の明証性に到達することができないのである。
他人に対して警戒的で、過剰なほど身構えてとりつくしまがない者がいる。こういう行動にはわけがある。その人の背景を調べてみれば、たびたび攻撃されたことがあって、それで、「誰も信用するものか」というような、過剰な防御姿勢をとっているのだとわかる。こちらが一所懸命誠実に働きかけても、「お前など信用できない」というような尊大な態度で、好意的なメッセージをすら拒否する者がいる。なにかわけがある。あれこれ以前のことを尋ねてみれば、やはり、過去に信頼していた人に裏切られたことがあったことがわかる。
こういう一見常識的なことでも、その人の背景に関心をいだき、その人の身になって想像し、その人の意識の筋道を丁寧に追う作業をしなければ、理解できない。了解とは、このように、感情移入のセンスがあり、想像力に富み、思考に勤勉な者にとっては容易である。その一方で、惰性に乏しく、共感性が貧困で、思考に怠惰な者は、永遠に明証性に到達できないだろう。
臨床家にとって、重要なことは、当事者は、第三者にとって自明のことに気づかないことがあるという点である。自分が人とうまく付き合えない理由が、かたくなな態度にあることに気づかないし、かたくなな態度が、かつて受けた心の傷によるということも、わかっていない。患者自身が自分を主人公とする物語の筋を見失っている。ここにおいて、治療者と手を携えて、見失った了解の筋道を見つけようとすることが、精神療法と呼ばれるものの本質である。そうして自身の物語を取り戻し、患者自身が了解の明証性に達することができれば、それが精神療法における治療と呼ぶべきものになる。
そして、このような認識の助けになるものは、日常生活を通した人間観に負うところが大である。

誰でも精神生活の自明の了解的関連をたくさん知っており、これは生活の経験から教えられるものである。

ある人が了解的な認識を豊富に持っているほど、「心理学的説明」によるこういう分析がたくみにできる。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(18)」はここの (ii) 項で示される本です。 ii) 引用中の(ヤスパースにも関する)「攻撃された者は腹を立て」に関連する「攻撃された者は怒り」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「了解的関連」に関連する、「反応性」だと判断するための指標の一つとしての「了解的関連」について、上記「反応性」を含めて、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 39 反応性 の最初の部分及び「1.反応性の指標」における記述(P162)を次に引用します。

反応性の病態なのか,内因性の病態なのか,判断に迷うケースがある.ここでいう反応とは,ある出来事に対する心の反応,さらにいえば感情性の応答である.「心因反応」という言葉が用いられることもあるが,クルト・シュナイダーは「体験反応」と呼んだ.もっともな動機がある悲しみや怒りは正常な体験反応であるが,その強さや持続時間,外観などが平均よりも偏ったときに,「異常体験反応」と判断される.
1.反応性の指標
ある病態を内因性ではなく,反応性だと判断するための指標は,ヤスパース1)が挙げたものがよく知られている.すなわち反応性の病態では,1)体験と反応的状態とのあいだに時間的な結びつきがある,2)体験の内容と反応の内容とのあいだに了解的関連がある,3)時が経つにつれて異常性は目立たなくなり,原因がなくなると異常反応もなくなる.また,反応の経過はさまざまな体験によって変わる.

注:(i) この引用部の著者は玉田有です。 (ii) 引用中の「ヤスパース1)」は次の本です。 「Jaspers, K.: Allgemeine Psychopathogie : Ein Leitfaden für Studierende, Ärzte und psychologen. Springer, Berlin, 1913.(西丸四方訳:精神病理学原論.みすず書房,東京,1971.)」 (iii) 引用中の「反応性」の病理として考える利点については、同「39 反応性」の「3.了解できるか,できないか」における記述の一部(P163)を次に引用(【 】内)します。 【反応性の病理として考える利点は,精神療法や環境調整の可能性がひらけるところにある.】 加えて、この引用に関連するかもしれない「精神疾患を反応性であると考えてみること」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「内因性」に関連して、 a) 上記「反応性」との差異について、同「39 反応性」の「2.経過の特徴」における記述の一部(P162)を次に引用(《 》内)します。 《ヤスパースによれば,内因性の病態の場合は,その病気固有の法則に従って経過するため,精神的な動機の影響を受けない.つまり原則的には,患者の身の回りでいいことがあっても,悪いことが起こっても,内因性疾患の経過は変わらないはずである.》 b) 「外因性,内因性,心因性精神障害」については次の資料を参照して下さい。 『バイオマーカーはどこまで進歩したか?』の「2. 外因性,内因性,心因性精神障害」項(注:上記「外因性」に関連する「身体的基盤が明らかな精神病」、上記「内因性」に関連する「内因性精神病」、そして「心因性」に関連する「心的あり方の異常変種」については『精神医学における「疾患単位」と「類型」(理念型)の違い』を含めて共に次の資料を参照して下さい。 「精神医学における疾患とは何か ――Kurt Schneiderに学ぶ臨床精神病理学――」) c) 「内因性うつ病」については次の資料を参照して下さい。 『「内因性うつ病」という疾患理念型をめぐって』 d) 「内因性精神病」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『精神医学から見る精神障害 精神障害はすべてが「病気」ではない』の「精神障害の分類」項

了解的関連とは
ある場合には精神的なものが精神的なものから、はっきりそうとわかるように、明証性をもって出てくることをわれわれは了解する。われわれはこのように精神的なもののみにありうる様相で、攻撃された者は怒り、裏切られた恋人はやきもちをやくことを了解し、動機からこうしようという決心と行為が起こってくることを了解する。

ヤスパース精神病理学原論』(22)の有名な一節である。前段はなんともわかりにくいが、後段に挙げられた例はシンプルである。明証性(エビデンス)とあるが、これはもちろん今日の Evidenced-Based Medicine(EBM)におけるエビデンスとは違う。多数例を集めて統計学的に証明する類のものではなく、むしろ個々の例において「そう理解するしかない」というような根源的で本質的な理解を意味している。後段に挙げられた例はいかにも簡明であるが、この明証性はいつもたやすく到達し得るものではない。むしろ「あなたがどうしてそう考えるのか、そう感じるのかよくわからない」というところから出発することは多々ある。しかし、時間をかけて相手のストーリーに耳を傾け、疑問をぶつけながら、徐々に相手の物事の考え方や捉え方(そこにはその人の歴史もまた含まれる)がわかってくる。するとどこかで、「さっぱりわからない」ものが、「ああ、そういうことか」と腑に落ちる。これこそが明証性であり、一度そこに到達すると、もはや他の理解の仕方は考えられず、そう考えるのが自然であるとわかるのである。一つ例を挙げてみよう。

二四歳女性。温かい家庭に育ち、明るく快活で、さしたる挫折の経験はない。彼女は大学を卒業すると第一志望の銀行に入社した。社会人として独立した生活を送ろうと実家を離れ、一人暮らしを始めた。職場には少し年上の先輩のお姉さんがいて、彼女を厳しく指導する。新米の彼女は、「自分に経験がないのだから仕方ない、先輩も自分のことを心配して指導してくれているはずだ」と思って、明るく元気よく出社していた。ところが来る日も来る日もきつい言葉で叱られると、さすがにつらくなってきた。それでも週末は友人とショッピングに出かけて気分転換できていた。入社して三ヵ月経ったが、職場の状況は変化がない。この先輩は仕事ができるので、上司も後輩に対する指導が厳しすぎることに気がつきながらも助けてくれない。毎朝会社に行くために着替えをしていると涙がこぼれそうになる。「また先輩に叱られる、会社に行きたくない」という思いがよぎるが、そう思っている自分が恥ずかしい、何だか不登校児童みたいだと思う。社会人なんだから、お給料をもらっているんだから、叱られるから会社に行きたくないなんて情けないと自分を鼓舞してみる。「行かなきゃ」という思いと、「行きたくないな」という思いが、毎朝綱引きのようになる。それでも綱引きになんとか勝って、休まずに出社する。しかし、状況はいつまで経っても変わらない。最近は、土日も会社のことが頭から離れず、気分転換もやめてしまった。日曜日の午後になるともう気分が沈んでくる。月曜日が来るのが怖いと思う。そして入社して半年が経ったある月曜日の朝、涙がポロポロと止まらず、熱はないが吐き気と腹痛がする。そこで彼女は、「こんなに体調が悪くては会社に行けそうにない、行きたくないんじゃなくて行けない」と思う。そして、会社に休みの連絡を入れようと電話してみると、よりによって件の先輩が出てしまい、彼女は思わず無言のまま受話器を置いた。

短い描写であるが、入社の喜びが職場の失望に変わり、葛藤が生じ、それが身体化するまでの彼女の心の動きが、一続きのストーリーとしてよくわかる。いくつもの理解があるのではなく、他ならぬこのストーリーとしてわかるはずである。このように明証性を伴ってわかることを、了解可能と呼んでいる。
われわれは臨床診断の際には、心の動きをいったん止めて静的な状態像を評価(抑うつ状態、不安焦燥状態など)し、それから精神障害の分類診断へと進むのだが、実際は、小は止まることなく流れている。了解的関連では、心を知覚・感情・思考・意欲といった要素にバラバラにするのではなく、常に統合された全体像の推移を対象とすることに注意を促したい。知覚的体験刺激、それに引き続いて生ずる感情、そこに含まれる志向性、ここに触発される思考、そして結果としての作為あるいは不作為までを、一つの流れ、ストーリーとしてわれわれは理解するのである。心の全体像を評価する唯一の方法といってもよいかもしれない。

注:引用中の文献番号「(22)」はここの (ii) 項で示される本です。

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【10】未成年患者に付き添う非常に傲慢で高飛車な親への診察室における対応例について、その他

最初に標記対応例について、井原裕著の本、「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」(2012年発行)の「症例3 名門校の女子生徒 中学3年で妊娠して直ちに退学」における記述の一部(P68~P77)を以下に引用します。また、この引用では脚注はまとめて別途表示しています。次に、クレーマーへの対応における「やりとりを始める前の準備」について、宮田雄吾著の本、「やっかいな子どもや大人との接し方マニュアル」(2016年発行)の 第3部 やっかいな大人にどう対応するか の「第2章 クレーマーへの対応」における記述の一部(P208~P214)を以下に引用します。

あらあら、先生はお若いわねえ
谷古宇奈央さんは、15歳の女子中学生。川口市内の公立中学の3年生。アンケート用紙には、「この夏に転校したばかりで、学校になじめない」とあった。

井原:(待合室へのマイクでの呼び出し)「やこうなおさん、やこうなおさん、1番診察室にお入りください」

上品な身なりの長身のお母様と一緒に来院。ご本人は、お母様よりさらに長身で、170センチはゆうにある美しい女性。髪も長く、とても中学生とは思えない大人びた雰囲気である。しかし、診察は少々緊張した雰囲気で始まった。

母親:おはようございます。谷古宇奈央の母でございます。あらあら、先生はお若いわね。私ども、井原教授の診察を受けたくて参りましたのよ。教授のご名望を伺って、わざわざ獨協まで参りましたの。あなたは、研修医、助手さん、それとも……*1。
井原:わ、わたくしが井原でございます。若造で申し訳ございません。いや、その……若そうに見えるだけで、実際は結構な年なんでございますが……。ま、ま、とにかくどうぞおかけください。お二人とも、どうぞそちらの椅子のほうに……。
母親:あら、先生が井原教授なの? 随分伺っていたお話と違うわねえ。京王医大の蓮見教授からお話は伺っておりましたのよ。もっと年配の白髪の立派な方かと思ったわ。大丈夫かしら。
井原:すみません。貫禄がなくて……。多分、蓮見教授のおっしゃっていた井原はわたくしのことだと思います。獨協に井原という医師はわたくしだけですから。
母親:オッホッホ。県内で中学生、高校生を一番たくさん診ているベテランだと伺っていたわ。人は見かけによらないわねえ。ああら、失礼いたしました。ごめんなさい。
井原:いえいえ、すべてはわたくしの不徳のいたすところで……。
母親:先生のことは、少しお調べさせていただいたわ。東北大学をご卒業になっていらっしゃるのね。まっ、東大や京王じゃないのが残念ね。それにケンブリッジにご留学あそばしたとのこと。私の甥は、オックスフォードのマートン・コレッジ*2に留学しておりましたのよ。歴史学を専攻しておりましたわ。そうそう、ちょうど甥が留学する5年ほど前に徳仁親王マートンにいらっしゃったわ。皇太子は、まあ甥のご学兄ってところかしらね。あなたは、ケンブリッジはどちら? キングス、それともセント・ジョーンズ?
井原:お詳しいですね。わたくしはロビンソンです。
母親:ロビンソン? 聞いたことないわねえ。
井原:新しいコレッジなんです(注8)。

医学会の権威のご推薦だからここに来たのよ

井原:でも、まあそんな話はやめませんか? 当院の外来は患者様も多数お見えになります。まだお待ちになっている方もいらっしゃいます。時間は無限ではございません。先を急がせていただいてもようございますか?
母親:あら、蓮見先生のご高配を賜っていたのだから、少しお時間をとっていただけると思っていたのに……。
井原:申し訳ありません。ご期待に添える自信はございません。わたくしどもはすべての患者様に公平にご奉仕させていただく義務がございます。その点は、どうぞご理解くださいますようお願いいたします。
母親:ちょっと待って。何を言っているの、何を!*3 あなたねえ、どっこの無名の医者だか知らないけど、医学界の権威の蓮見教授のお顔に泥を塗るつもりなの? 私たちは蓮見教授のご推薦だからここに来たのよ。普通の患者とは違うのよ。無礼なまねは許しませんよ。蓮見教授には直ちに獨協の学長に電話させます。
井原:まあ、申し訳ございません*4。蓮見先生にも電話でお伝えいたしました。蓮見教授はご高名な方だから、都内のセレブリティの患者様を多数ご覧になっていらっしゃる。その縁で、わたくしのところにも資産家のご子息やご令嬢がお越しになります。ただ、当院は、セレブの方専用の病院ではないのです。基本的には、地域の一般の皆様のための病院です。
母親:だから何度も言ったでしょ。私たちは、そんなこともあるだろうと思ってわざわざ事前に蓮見教授にお願いして、先生に紹介状を書いていただいたのよ。おたくの病院がただの平凡な病院だなんて言われなくてもわかっているわよ。見ればわかりますよ。まったくみすぼらしい!
井原:みすぼらしいかもしれませんが、多くの患者様にご利用いただいている病院です。当院は、それこそ生活保護を受けている人もお越しになるんです。セレブの方も、生活保護の方も同じ診察室で同じ診療をさせていただく。セレブの方のための特別外来をご用意させていただいているわけではございません。恐れ入りますが、その点は、当院の事情をご考慮くださいますようお願い申し上げます*5。
母親:いいかげんにしなさい。あなた、私に喧嘩を売ってるつもりなの! 生活保護と同じはないでしょう。いくらなんでもひどい言い方ねえ。ふざけるのもほどほどにしなさい。私たちを何だと思っているの? 川口の谷古宇よ。谷古宇開発の谷古宇よ。あなた、知らないわけではないでしょう。
奈央:お母様。もう、おやめになって。
母親:あんたは黙ってなさい!
井原:まあまあ。わたくしもこの土地にはよそ者ですので、あまり事情に通じているわけではございません。その辺は、患者さんや皆さんにいろいろ教えていただかなければならない点もある。不行き届きなところがあって申し訳ありません。

院長を出しなさい、院長を!

母親:いまさら、何を謝っているのよ、何を! しらじらしいにもほどがあるわ。私たちを何だと思っているのよ! もう、許せない! (携帯電話をかけながら)ええっと、小森谷法律事務所は……、まったく、これだから三流大学はだめよ*6。私たちは普段は京王医大病院がかかりつけよ。この子は、生まれは郁愛病院よ。京王の系列の。産婦人科の越塚教授もお見えの病院だわ。私ども、獨協の病院なんて来たくなかったの*7。やっぱりお医者さんは、東大出か京王出でないとねえ……。谷古宇家の者をあまりに程度の低い医者にみせるわけにはいきませんからね……。「ああ、もしもし。小森谷法律事務所ですか。小森谷先生、いらっしゃる。私、川口の谷古宇です。……だから、川口の谷古宇と言えばわかるわよ。さっさと小森谷先生につなぎなさい。……えっ、ご不在? ああん、もう、イライラする。わかったわ。事務所に戻ったら、すぐに谷古宇まで電話するよう言ってちょうだい。いいわね?」。今、顧問弁護士にも電話しましたわ。先生、あんまり失礼なことをなさるようなら、ただではすみませんよ。これは、ドクター・ハラスメントでしょ。こっちは蓮見先生の紹介状までもって、礼節を尽くしたのよ。それが、いきなり「ご期待に添えない」はないでしょう。
井原:申し訳ありませんが、過大なご期待はお控えください。いきなり弁護士も悪くないけれど、当院には「患者様相談窓口」というのをご用意しておりますので、診療内容等のご意見はそちらにどうぞ。それと申し訳ありませんが、院内では携帯電話のご使用はお控えください。医療機器に影響を及ぼすおそれがございますので……*8。
母親:もうっ、いったい、あんた、何様のつもり! 携帯電話をどう使おうと私の勝手でしょう。「相談窓口」に怒鳴り込んでやるわよ!
井原:いいえ、勝手ではございません。わたくしどもは、「患者様を中心とした医療」のために、患者様の安全を第一に考えております。その際に携帯電話は、医療機器に影響を及ぼす恐れがありますので、医療安全上の問題としてとらえております。どうかご使用をお控えください。
母親:あんた、いったい誰なのよ。院長なの? 学長なの? そんな立派な人? ただの下っ端の医者でしょ。いったいぜんたいなんの権利があって、そんないっぱしの口をきくのよ。あんたなんかと話しててもらちがあかないわ。おい、こら、院長を出しなさい、院長を*9。あんたなんかと話してもどうしようもない。院長にすぐ来るように言いなさい!

日ごろから厳しく警察署に指導していただいています

井原:少し声を落としてください。これでは待合室にまで聞こえてしまいます。わたくしは、当院の医療安全管理室の副室長という立場でございます。病院全体の安全に関して、一定の責任を担うよう病院長から命ぜられております。今日の谷古宇様のご要望についても、わたくしから病院長に報告いたしますから、さらにご意見がおありでしたら、どうぞわたくしにおっしゃってください。
母親:ああん、もう、まったく……*10。
井原:ただ、お願いですから少し声を小さくしてください。これではほかの患者様がおびえてしまいます。外来受付のところに、「患者様およびご家族の皆様へ」というポスターが掲示してあったでしょう。そこに記したとおり、他の患者様の安全な医療の妨げとなるようなことをなさる場合は、退去していただくこともございます。
母親:退去って、出てけってこと。
井原:わたくしどもは、とにかく患者様の安全を第一に考えさせていただいております。それは、病院長以下当院一同の基本的な姿勢であるとともに、越谷保健所や越谷警察署に日ごろから厳しく指導していただいているところでもございます*11。院内で安全管理上の重大な事態が発生した時には、わたくしが警察署や保健所に電話することもございます。どうぞ当院の方針にご理解をお願いしたく存じます。どうかご協力のほどをお願い申し上げます。
母親:……。
井原:それとも、本日の診察は中止いたしましょうか? わたくしどもの病院は、どうやら谷古宇様にご想像いただいているような病院ではなさそうですね。わたくしも、谷古宇様のご期待に応えられるほどの大した医者じゃございません。
母親:わかったわよ。私は黙ってりゃいいんでしょ、黙ってりゃ。ここまで来たんだから診察は受けますよ。
井原:とにかく時間は限られております。先に進ませていただいてようございますか? お嬢様のために、時間を有効に使いましょう*12。さて、谷古宇奈央さん、今日はいかがいたしましたか?(後略)

脚注:
*1 精神科教授は、皆、こういう経験をしている。困ったことに、肩書きだけ見て過大評価する人はいる。
*2 'College' は、米語発音では「カレッジ」だが、イギリスでは「コレッジ」と発音される。オックスフォードやケンブリッジへの留学経験者は、しきりと「コレッジ」「コレッジ」と発音したがる。
*3 直前の説明をもう少し穏やかに行っておれば、これほど過激なリアクションはなかったかもしれない。ただ、この婦人は、一度は恫喝して支配・服従関係を明確にしたいほうなので、好機をうかがっていたのであろう。
*4 このあたりでは、こちらとしてはまだ「下手にでて、なだめに回ろう」と思っている。しばらくは、防戦一方で、ガードを固めて、相手の出方をみてやろうという心づもりである。
*5 このあたりも、まだまだこちらとしては専守防衛である。相手方もそろそろ落ち着いてくれても不思議はないのだが、このご婦人は刀を振り上げすぎて、簡単に鞘に返せなくなっている。
*6 そろそろ万策尽きるだろうと思っていたところで、突然携帯電話で弁護士呼び出しである。これは明らかなルール違反なので、当方としては反撃に転じる絶好の機会となる。こっちもそろそろ臨戦態勢に入ってきた。
*7 獨協については、お母様に誤解がある。医大こそ1973年設立で新しいが、学園自体は古い名門であり、1881年の獨逸学協会にさかのぼる。1883年に西周を初代校長として、獨逸学協会学校が設立された。それが学園の母体である。
*8 さて、戦闘開始だ。まずは、院内規約を杓子定規に提示する。エキサイトしている人は、規則を盾に正論で来られると間違いなく逆上する。そして、その拍子にかならず失言する。失言をとらえて切り込んでいく。
*9 「院長を出せ!」。ついに出た! そろそろ出るかと思っていたのだ。いったい私は、何度この言葉を聞かされただろう。何度も聞かされているだけに、対応も慣れている。いつものセリフを静かに告げるだけである。
*10 「病院長から命ぜられている」「病院長に報告する」、これだけで相手は意気阻喪である。相手も、そろそろ「向こうはプロだ」と思い始めている。
*11 「保健所や警察署に日ごろからご指導いただいている」、これは、苦情処理を担当しているすべての病院関係諸氏にはぜひとも覚えていただきたいセリフである。実際、保健所や警察とのパイプはもっておくこと。
*12 お母様はどうであれ、本日の主役は奈央さんご自身である。診察は続けなければならない。戦闘モードから通常モードに、こちらの心理も切り替えていく。
(注8) 'Robinson College' は、1981年創設のケンブリッジの最新のコレッジのひとつ。赤レンガの建築と美しい庭園で知られる。

注:(i) 引用中の「支配・服従関係」に関連するかもしれない、 a) スキーマモード(これに関連するスキーマ療法における「モードモデル」については他の拙エントリのここにおける引用を参照)における「自己誇大化モード」について、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『自己誇大化モード:このモードにある人は,自分は他者より優れており特権が与えられていると信じている。他者の考えにはおかまいなしにに,自分だけはやりたいことができ,ほしいものを手に入れるべきだと主張する。自尊心の増大のために,自分を誇示したり他者を中傷したりする。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。) b) ナルシシスト(不健全な自己愛をもつ人)及びスキーマ療法の視点からの「権利要求モード」について、ウェンディ・ビヘイリー著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「病的な自己愛者を身近にもつ人のために あなたを困らせるナルシシストとのつき合い方」(2018年発行)の 第5章 注意を向ける の ナルシシストのもつ四つの「仮面」とその付き合い方 の「権利要求モード」における記述の一部(P146~P147)を以下に引用します。 (ii) 加えて、次に紹介する上記以外の自己愛に関連する本もあります。 『市橋秀夫監修の本、「自己愛性パーソナリティ障害 正しい理解と治療法」(2018年発行)』 (iii) 上記引用全体に関連するかもしれない、不健全な自己愛(又は不健康な自己愛)を含む患者側の治療妨害要因としての人間の基本的弱点について、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第5章 こころの病は治るのか? の「2 個々の治療妨害要因」における記述の一部(P254~P257)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「苦情処理」に関連するかもしれない感情の修羅場たる医療トラブルの現場における「こころの専門家の関与」について、井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年)の 第11章 危機管理と精神科医 の「こころの専門家の関与」における記述の一部(P194~P196)を以下に引用します。

権利要求モード
「権利要求モード」をもつナルシシストは、自分だけは特別な「マイルール」を作ってもよく、自分の望むものは望むときに与えられてしかるべきだと信じています。彼女(ここでは女性にしてみます)は、自分は他者より上位にいるように振る舞い、特別扱いされるのが当然だと思っています。彼女には「ギブ・アンド・テイク」という考え方を受け入れる余地はありません。彼女は人から「ノー」と言われることを嫌い、相手に無理な要求をするのに何のためらいも感じないようです。彼女は他人の気持ちに関心がなく、「共感」の価値を理解することができません。(後略)

注:(i) 引用中の「権利要求モード」に関連する、 a) 「特権意識」について、引用中「ナルシシスト」に関連する「自己愛傾向」を含めて、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の 第2章 精神医学から見た「〇〇な人たち」 の「自分はすごいと思いたがる傷つきやすい人たち(自己愛性パーソナリティ障害)」における記述の一部(P192)を次に引用(『 』内)します。 『特権意識が前面に出て偉そうな態度を取る「誇大型自己愛傾向」と、批判に傷つきやすい「過敏型自己愛傾向」がある。』 b) 「オレ様・女王様」スキーマ(WEBページ「自分でスキーマ療法に取り組む」の『「オレ様・女王様」スキーマ』項、そして資料「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「17. 権利欲求/尊大スキーマ」項(P71)も参照すると良いかも)としての「自分だけに与えられた特権があるはずだ」について、「人が守るべきルールでも、自分だけは破っても良い」ことや「他人は自分に奉仕するべきだ」を含めて、伊藤絵美著の本、「ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2」(2016年発行)の 第1章 スキーマ療法 その1 自らのスキーマとモードを理解する の 1-3 早期不適応的スキーマのマップを作る の 18の早期不適応的スキーマ の『⑰「オレ様・女王様」スキーマ』における記述(P058)を以下に引用します。なお、上記「スキーマ療法」や「早期不適応的スキーマ」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

⑰「オレ様・女王様」スキーマ
[解説]「自分は他人と違う特別な存在だ」「自分は他人とレベルの違う人間だ」「自分は特別なのだから何をしてもよい」「自分は特別な存在として皆から扱われるべきである」「人が守るべきルールでも、自分だけは破ってもよい」「他人より優位に立ちたい」「自分だけに与えられた特権があるはずだ」「自分は自分のやりたいようにやりたい」「他人は自分に奉仕するべきだ」「自分がやりたいようにやるために、他人を利用しても構わない」といった思いが、このスキーマの中心にあります。まさに「俺はオレ様だ!」「私は女王様よ!」という感じです。
*このスキーマを持つ人の特徴……周囲に特別扱いを要求し、それが当然であるかのように振る舞います。皆が守るべきルールを平然と破ります。他人を見下し、馬鹿にするような態度を取ります。人に持ち上げられると、満足げです。相手に平然と要求し、その要求が通らないと、激しくクレームをつけたりします。ルールを守るよう言われたり、ルール違反をとがめられたりすると、急に怒り出します。特別扱いされない場所ではしょんぼりし、そのような場を避けるようになります。自分のこのような傾向に気づいている人は、そのような自分をうっすらと恥じている場合もあります。

2 個々の治療妨害要因

(1) 患者側の治療妨害要因
[人間の基本的弱点]
〈治療を妨害するものって抵抗だけなんですか〉
「主には抵抗なんでしょうが、根本には人間的弱点というか根源的煩悩というか人間の良くない癖・有害な点が非常に大きく広がっています。いわば抵抗を生み出す根本のようなものです。それは今までに挙げた抵抗と重なるかもわかりませんが、思いつくまま挙げてみます。
・気づき・自覚の妨害(特に自分の弱点、欠点、煩悩・欲求、防衛機制、攻撃性、恥等の無自覚)
・自分を大事にしない(過剰で破壊的な自己否定、不規則・不健康な生活、自己破壊傾向等)
・不健康な自己愛(不適切で過剰な自己中心、他者配慮性の無さ、過剰な万能感・称賛欲求等)
・破壊性や怒りのコントロールの無さ(常に思い通りにいかないと不満。破壊行動)
・相互性や対話力の無さ(対話困難。理解可能な話し方が困難。質問に答えない。討論不能
・その他の主要な弱点
現実認識ができていない。自己愛的幼児的万能感が強くそれを自覚・コントロールできない。相手を自分の思うように動かそうとしやすい。目標を持てていない。自分の『したいこと』『できること』『有益なこと』がわかっていない。わかっていても実践できていない。予想をして行動しない。行き当たりばったりである。常に不平・不満を言っている。苦を受け止められない。あることに過度に捉われすぎている。逆に過度に無頓着である。すぐ行動しない。グズグズする。決断できない。悪いほうばかり考える。逆に良いことばかり考える。目先のことしか考えない。瞬間に釘付けになる。広い長期的視野で考えない。ということぐらいで止めますが、おそらく挙げだしたら無限に多くなってしまうと思います」

[人間に弱点の多い理由]
〈何故、こんなに人間って弱点が多いのでしょうか〉
「まず人間として生まれてしまったら様々な欲求を持たされているということでしょう。欲求・欲動・欲望という言葉に反発を感じる人は、希望・理想・願い・祈りという言葉に言い換えてもいいかもしれませんが、いずれにしろ何らかの方向性へと向かうベクトル(フロイトの言う欲動)を持たされています。
例えば、生まれた時から順番にその欲求を挙げていくと、腹いっぱいオッパイを吸いたい、清潔でいたい(汚れたらオムツを早く変えて欲しい)、側にいて欲しい、(不快を感じたら)噛みつきたい、何でも手に取りたい、等々乳児期でも多くの欲動を持たされています。
そして大きくなるに従い、誉められたい、叱られたくない、両親から愛されたい、良い友達が欲しい、友達より優りたい、勉強でもスポーツでも一等になりたい、何かを達成したい、先生から評価されたいから、注目されたい、異性の友達が欲しい、性的欲動の自覚、恋人が欲しい、いい学校に入りたい、知識を身に着けたい、運動が上手になりたい、車が欲しい、旅行したい、いい仕事がしたい、困っている人の役に立ちたい、家が欲しい、賞が欲しい、有名になりたいなど、それこそもっと無限の欲求が出てくるでしょう。
老年期になれば、健康でいたい、早く病気が治って欲しい、長生きしたい、死ぬ時までにいろんなことを済ませたい、死ぬときは安楽な気持ちで死にたい、苦しまずに死にたい、極楽や天国に行きたいといった具合です」
〈人間の一生が欲望の歴史であることはわかりました。でも引きこもっている人や何の欲求も持ちたくないと言っている人はどうなるんですか〉
「引きこもっている人は、静かにしておいて欲しい、そっとして欲しいと思っているかもしれないし、なんとか抜け出したいと思っているかもしれません。
何の欲求も持っていないと言う人は『欲求を持ちたくない』という欲求を持っていると言えるでしょう。それから、そういう人であっても痛みなどの生理的苦痛がひどくなったら、そう言うかどうかは別にして、痛み除去の気持ちが自然に湧くんじゃないですか」

[欲求→欲求不満→苦→弱点の発生と増大]
〈欲求が何故弱点の発生につながるのですか〉
「欲求はいつもいつも満たされるとは限りません。むしろ満たされないことが多く、欲求不満をうまく受け止められないと欲求不満は膨らんで苦や苦痛が大きくなります。そして苦を受け止められない場合には、弱点が発現するか今までの弱点が強くなります。いずれにせよ、欲求に果てが無いように、弱点・抵抗も無限です」
〈たくさんありすぎてうんざりしてきました〉
「しかし、こうした一見妨害要因のように見える点もこれを自覚し適切に使うと治療促進要因に変わるかもしれません」(後略)

注:i) 引用中の〈 〉内は問いを、「 」内はこれに対する応答をそれぞれ表すようです。 ii) 引用中の「抵抗」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「苦」について、仏教思想の視点からは他の拙エントリのここ及びWEBページ「間違えられた苦の原因 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー①」を参照して下さい。加えて他の拙エントリのここも参照して下さい。 iv) 引用中の「防衛機制」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「まず人間として生まれてしまったら様々な欲求を持たされているということでしょう」に関連するかもしれない「欲望(煩悩)によって条件づけられた現象の認知の仕方」については拙エントリのここを参照して下さい。

こころの専門家の関与

しかし、医療事故を別の側面からみれば、様相は一変する。それは医療事故には、被害者と加害者がいるということ、怒りがあり、悲しみがあり、失望があり、当惑があるということである。「危機」管理における「危機」とは、何よりも人のこころのなかに起こるなにものかである。異常事態発生時に人のこころをどうとらえ、どう対応していくか。この一点においてこころの専門家としての精神科医がにわかに注目されることとなる。
したがって、「危機管理に精神科医の関与を!」という場合、それは精神科医の対人スキルゆえである。精神科医には、タフ・ネゴシエーターとしての役割、トラブル・シューターとしての役割が期待されている。実際、稿神科医は他の診療科のスタッフに比して、心理戦の経験を豊富に有している。症例検討会を通して個性の多様性に精通し、過酷な診療を通して対人折衝のスキルを磨いてきている。この日々の臨床の経験が、人間の感情の修羅場たる医療トラブルの現場で発揮できるはずだと、考えられているのである。
たとえば、医療事故が訴訟に発展するとき、それは一見して経済裁判の様相を呈しているが、実態は人格裁判である*11-03。患者側から損害賠償の請求を目的として起こされるが、実際は、医療者個人に対する憎悪・敵意に端を発している。前章でも触れたが、金が欲しくて訴えるのではない。恨みを晴らすために訴えるのである*11-04。
このことは、われわれ精神科医にとっては、「相手の陰性感情にどう対応するか」という精神療法学のおなじみの問題に帰着する。「転移」「抵抗」「投影同一視」「理想化とこきおろし」などの臨床の基本問題が、すべて多少のモディファイを受けつつ、医療安全の医師・患者関係に現れる。医師一般にとって脅威に映る事態は、精神科医にとってはかならずしもそうではない。ふだんの診療で行っているとおり、精神療法の定石に則った対応を適切に行えば、訴訟という最悪の結果は回避できるはずである。患者とのコミュニケーションの重要性を、精神科医以上に指摘できる人はほかにいない。
どの病院でも困った問題となっている苦情処理は、前章で述べたように、精神科医がリーダーシップを発揮せねばならない課題である。実際、それは、適切に対応しなければ訴訟に発展する。そのほかの精神科医の活躍の場としては、危機的事態発生時の心理的混乱の調整、医療被害者・事故発端者への支援、真実説明・謝罪表明文化の構築などが考えられる。

注:i) 引用中の文献番号「*11-03」は次の本です。 【深谷翼 『精神科医療事故の法律知識』 星和書店、一九九三年】 ii) 引用中の文献番号「*11-04」は次の資料です。 【井原裕 「カルテ開示のリスクマネージメント」 『臨床精神医学』 第三六巻増刊号 (精神科医療のリスクマネージメント)、七二-七六頁、二〇〇五年】 iii) 引用中の「転移」に関連する「感情転移」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「感情転移」 iv) 引用中の「抵抗」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 v) 引用中の「投影同一視」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「理想化とこきおろし」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「アラジンの魔法のランプ願望」については他の拙エントリのここにおける引用の「アラジンの魔法のランプ願望」項を参照して下さい。 vii) 精神療法学のおなじみの問題に関連して、上記 iii) ~ vi) 項以外にも「誤学習」(例えば他の拙エントリのここをはじめとしたリンク集、そして次の資料を参照して下さい。 「学童期~思春期に現れる教育的・社会的困難への支援 ―心理学の立場から―」の P43)及び「ナルシシズム」(不健全な自己愛)に関連する「ナルシシスト」(参照)が含まれるかもしれません。 viii) 引用中の「精神療法の定石に則った対応を適切に行えば」に関連するかもしれない「精神科臨床の真剣勝負の場では、毎日のように、患者の激しい感情に対応しなければならない。しかし、考えようによっては、これこそリスク回避法のトレーニングである」ことについて、井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年)の 第10章 接遇に慎重な配慮を要する人々 の「病気を憎んで、患者を憎まず」項における記述の一部(P185)を次に引用(『 』内)します。 『精神科臨床の真剣勝負の場では、毎日のように、患者の激しい感情に対応しなければならない。しかし、考えようによっては、これこそリスク回避法のトレーニングである。精神療法のイロハをふまえた対応を、時宜を逸することなく行えば、最悪の結果は避けられるはずである。医療安全に関するいかなる取り組みにおいても、第一に取り組まなければならないこと、それは患者とのコミュニケーションに力を注ぐことである*10-02。』(注:引用中の文献番号「*10-02」は次の資料です。 【井原裕 「カルテ開示のリスクマネージメント」 『臨床精神医学』 第三六巻増刊号 (精神科医療のリスクマネージメント)、七二-七六頁、二〇〇五年】) 一方、引用中の「タフ・ネゴシエーター」にも関連する、引用中の「苦情処理」又はこれに類似した「クレーム処理」において、「どこか一ヵ所でもほころびがあれば、組織全体が敗北する」ことについて、同項における記述の一部(P186)を次に引用(『 』内)します。 『少数のタフ・ネゴシエーターを育てると同時に、全体の底上げも必要である。一人ひとりがある程度は難しい対人折衝ができるレベルに達しなければならない。どこか一ヵ所でもほころびがあれば、組織全体が敗北する。』

第2章 クレーマーへの対応

長年、思春期精神医療や児童福祉に携わっていると、ザ・クレーマー、また、まさにモンスターペアレンツとでもいうべき、激しい攻撃性を向けてくる親に出会うことがあります。通常はその親の怒りの背後にある不安を汲み取り、丁寧に説明を重ねていく中で次第に落ち着いてくるものですが、落ち着きを得るまでの話し合いは困難を極めます。
また、教師からも「子どもの対応よりも、最近はクレームを繰り返す親の対応に苦慮しています」という声をたびたび耳にします。
そこでここからは、そのような相手とやりとりをする際に、どう態勢を作り、どうその場で振る舞うか、述べようと思います。
参考までにいいますと、この方法は職場での顧客からの苦情対応にも応用できます。また、ここからは攻撃してくる大人の対応について述べていきますが、実は激しく文句をぶつけてくる思春期の子どもの対応においてもそのまま使えます。

1 やりとりを始める前の準備

まず、やりとりを成功に導くために、事前に行っておくべきことについて述べます。

(1) 話ができる時間を設定する
このような相手は、ある日突然窓口に現れたり、電話をしたりしてきては、一方的に不満を話し始めます。こちらはあまり状況も把握できていない中で、その飛び込んできた相手に付き合わされる羽目になります。その話はとめどなく口から溢れ、いつ終わるとも知れません。
対応している側は、その状況に戸惑いつつも、次第にもともと行う予定だった別の用件のことが気になり始めます。
「もう会議は始まってるのに」
「あの子、待ってるだろうなあ」
そうなると、もう落ち着いて目の前の話を聞いていられません。うわの空になったり、早く切り上げたくてイライラし、話の途中で口を挟みたくなります。そうなると、自分の話を軽視されたと感じた相手はますます怒り出すのです。
そうならないために必要なのは、こちらの抱えている事情を早い段階で伝え、いつなら改めて時間をとって対応できるかを示すことです。
「申し訳ございません。現在、先約がございまして、ゆっくりお話しできません。後日お時間をとらせていただきますので、ご都合をお教えください」
文字にしてみるとたいして難しくなさそうですが、その場になると別の事情があることをつい言いあぐねてしまいがちなので注意しましょう。同様に、電話の場合も早めに事情を説明していったん切ったうえで、後からかけ直すといいでしょう。
さらに後日約束をする場合には、日時を決めるだけでなく、「どのくらいお話をする時間をとったらよろしいでしょうか」と尋ねます。話す総時間をあらかじめ決めることによって、相手が際限なく話し続け、長期戦に陥ることを防止できるでしょう。

(2) 言動を詳細に、時間軸に沿って記載する
このような紛争ケースの場合、相手の言動とこちらが伝えたことを、できるだけ詳細に記録します。相手の発言内容はこちらの主観は極力交えずに、言った通りに時間軸に沿って記載するのを基本とします。もちろん実際には相手の言うことすべてを記載することなどできませんが、ポイントはきちんと押さえなければいけません。
そのためにも、その場には記録だけを担当する者を同席させるといいでしょう。
「漏れがないように録音させてください」と依頼することもありますが、それは相手からみると「こちらが物を言いにくいようにしやがったな」と不愉快に感じさせる行為でもありますので、あまりお勧めしません。
ちなみに、記録した内容が正しいかどうか、相手が疑念をもつ場合があります。そのような相手に対しては「今日の話し合いの内容はこれでよろしいですね」と最後にその内容を読み上げることで相手の疑念を軽減することができます。

(3) 窓口は一つ、情報は共有
このような相手と対応する際には、対応する担当者がその都度変わらないように心がけます。それは相手から「Aさんは○○と言った」「Bさんは××と言った」と撹乱される事態を避けるためでもありますし、何度も話し合ううちに関係性が次第に構築されることを期待するためでもあります。
窓口はこのように一つにしたほうがいいのですが、得られた情報は決して一人で抱え込んではいけません。話し合いが終わった後は関係スタッフや上司と速やかに情報共有し、次の作戦を練らなければならないのです。
また情報の共有だけでなく、相手に対して感じた怒りや不満についてもそこで話しましょう。要するに愚痴を聞いてもらうことで、心の中の重荷を降ろし、自らにエネルギーをチャージするのです。

(4) 反社会的行為には法的な対応を検討する
攻撃的な相手の中には、暴力的な行為に及ぶ者がいます。腹を立てて殴りかかってきたり、目の前の机を蹴り上げたり、待合室の掲示物をはぎ取って投げ捨てたり……。こちらに何らかの落ち度があると、「腹を立てさせてしまったのはこちらだから」と考えて、黙認してしまう場合があるかもしれません。
しかし、それだと相手の行動はエスカレートするばかりとなります。それではダメなのです。
もし殴りかかってきたら、とにかくすぐにその場から逃げ出し、他の者の助けを仰ぐべきです。さらに司法的な対応を即座に決断し、警察への電話も辞さない態度で臨むべきです。
さらに、相手が飲酒後に朦朧状態のまま来院し、文句を言ってくることがあります。この場合は、いくら相手が「話をさせろ」と言っても応じてはいけません。酪訂状態で話しても一切実りのある話はできないからです。ですから、この場合は「お酒の臭いがいたします。酔った状態ではお話しできませんので、後日ご連絡ください」とまずは退去を促します。もしそれでも応じずに乱暴な言動に及んだら、「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」に基づき警察通報します。
また、中には「悪いと思ったら土下座しろ」と言ってくるケースがあります。しかし、常識的に考えても土下座までする必要などありません。「申し訳ありませんが、お断りします」と毅然と断って構いません。それでも相手が強要してきたら、その場合は「強要罪」(刑法二二三条)に該当します。ちなみに、これは無理やり謝罪文を書かせた場合も適用されます。
さらに要求が通らなかったのに腹を立てて、「お引き取りください」と伝えられたにもかかわらず、いつまでもそこに居座り続けた場合は「不退去罪」(刑法一三〇条)の対象です。
また、病院の待合室などで「他の患者さんの診察の妨げになるのでおやめください」と伝えても大声を上げ続けていれば「威力業務妨害」(刑法二三四条)に該当します。
他にも自分や親族の生命、身体、自由、名誉、財産に対し害を加えると脅した者は「脅迫罪」(刑法二二二条)、恐喝により金銭等を奪った者は「恐喝罪」(刑法二四九条)、さらにまだ奪っていなくても要求した段階で「恐喝未遂罪」(刑法二五〇条)が成立します。
相手の立場で考えれば、何か腹が立つことがあったから、このような行動に出ているのだとは思います。しかし、どれほど腹が立っても、何をやっても許されるわけではありません。
やはり法律で許される範囲内での振る舞いを相手に求めなければならないのです。(後略)

注:(i) 引用中の『「Aさんは○○と言った」「Bさんは××と言った」と撹乱される事態を避けるため』でもあるかもしれない、そして引用中の「情報は共有」にも関連するかもしれない「医師の指示以外のこと。を行ってはならない」、「話をきいてあげてもいいが、患者にいれあげない」や「互いに情報を綿密に交換する」ことを含む「ボーダーラインシフト」については次の資料を参照して下さい。 「若草内外通信 H26.4月号」の「ボーダーラインシフトの10か条」項(P14) (ii) ちなみに、 a) 「威嚇的なクレーマーへの対応」についての記述を有するツイートがあります。 b) 「相手の意見を変えようとまでは考えない」ことについて、同第2章 クレーマーへの対応 の「(8) 相手の意見を変えようとまでは考えない」における記述(P223~P224)を次に引用します。

(8) 相手の意見を変えようとまでは考えない
「それは○○じゃないですか」
「いえ、私どもは××だと考えております」
「違いますよ、○○ですよ」
「いえ、××です」
このように相手と主張が食い違い、話がまったくの平行線のまま膠着することがあります。いくら言っても意見を曲げようとしない相手の考えをなんとか変えようとこちらは躍起になりますし、相手は相手でこちらのことをなんてわからず屋なんだと考えています。お互いに言い分があるのです。ですから一方的に自己主張だけを繰り返しても、水掛け論になるのです。
このように相手と意見が異なる場合は、意気込んで相手の意見を変えてみせようなどとは考えないことです。せめて自分の意見を伝えられれば、相手が受け入れなくてもそれでよしと考えるのです。そして「その点はお互いの主張が噛み合わない部分ですね。ただ、そちらのお考えは承知しました」などと伝え、相違点はいったん棚上げし、別の話題に移ろのも手だと思います。
相手と自分とがそもそも共通の価値観をもっているわけではありません。頑張ればこちらの意見をすべて納得して受け入れてもらえるなどという幻想は捨てましょう。

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***** 臨時の記事 *****
他の拙エントリの改訂作業の都合上、改訂作業中で未整理の記事等をあえてここに記述します。掲載期間は~数カ月又は数年を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(A)「感覚過敏」を「予測符号化モデル」で説明することについて、その他
標記説明について「少数派同士、経験をシェアする機会」を含めて、熊谷晋一郎編の本、『ちいさい・おおきい・よわい・つよい No.129 「過敏さ・繊細さ」解体新書』(2021年発行、ジャパンマシニスト社、ツイートも参照すると良いかも)中の熊谷晋一郎著の文書『「過敏さ」は「五感」と「内臓」の関係から』(P39~P64)の『「トラウマ的記憶」が刻まれるとき』及び「少数派同士、経験をシェアする機会を」における記述(P60~P64)を以下に引用します。ちなみに、標記「予測符号化モデル」(predictive coding model)は上記文書中の P48~P49 において言及されています。一方、突発性環境不耐症と標記「予測的符号化モデル」(predictive coding models)との関連については他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、上記「ジャパンマシニスト社」から発行された、 a) 水野玲子著の本、『「甘い香り」に潜むリスク 香害は公害』(2020年発行) b) 古庄弘枝著+被害者・発症者の声の本、「マイクロカプセル香害 柔軟剤・消臭剤による痛みと哀しみ」(2019年発行)では共に標記「予測符号化モデル」に言及していないと考えます。

「トラウマ的記憶」が刻まれるとき

ここまでの話をまとめると、「過敏さ」が強い、「感覚過敏」といえる状態では、「感覚の量」や「予測誤差」を感じやすく、またシンプルな文脈情報と内臓感覚が結びついている状態であるといえます。そして、「情動伝染」が起きることもあります。
これらのことに加え、私が「感覚過敏」につながるのではないかと思うことが、じつはもうひとつあります。それは、「記憶」に対する過敏性のようなものです。
つまり、過去に起きたできごとを不快に思ったり、思い悩む度合いのようなものも、そのできごとを思い起こすような感覚に対する「過敏さ」と関連しうるということです。こうした現象は「恐怖症」と呼ばれることが多いのですか、これも、「過敏さ」という大雑把な言説の空間のなかに入れられているのではないか、と思うのです。
私たちの脳は「できごと」もカテゴリー化しています。「よくあるできごと」は「あるある話」としてカテゴリー化します。「予測誤差」を感じやすい人は、この「あるある話」から少しでもはずれているできごとを、「新規のできごと」だと感じます。そして、そう感じる頻度が人一倍多いということになります。
「新規のできごと」というのは、どこにもカテゴリー化されないエピソード記憶で、それが「不快感情」をともなうならば、広い意味での「トラウマ記憶」といえるでしょう。カテゴリー化されない、名状しがたいできごとがあり、しかもそれを思いだすたびに内臓が動いて「不快感情」や「衝撃」がともなっているからです。

少数派同士、経験をシェアする機会を

しかし、深い傷となるようなカテゴリー化できない経験(ある話)を一度してしまったとしても、認知的共感をしあえる類似した経験(ある話)をもつだれかと分かちあうことで、「あるある話」としてカテゴリー化できるようになり、トラウマ的ではない記憶になっていくことがあります。
「予測誤差」を感じやすい人は、カテゴリー化されない記憶が常に頭のなかで飽和している状況を生きており、ほんとうは人一倍だれかと分かちあうニーズが高いのかもしれません。ところが、ここに多数派・少数派の問題が生じます。少数派は、多数派に包囲されがちです。そして、多数派に共感されず、「あるある」といってもらえないようなできごとは、トラウマ的なエピソード記憶になりやすく、それをたくさんもつことになるのです。
ですから、たとえラフな定義であっても、「過敏さ」という言説によって、「あるある話」のネットワークが少数派にも広がるのはとてもいいことだと私は考えます。それは、記憶が疼いている人、私にしか起きていない名状しがたいものを経験している人にとっては、非常に意味のあることだと思うのです。それは「トラウマ的な記憶」が「ふつうの記憶」になることを応援するからです。
この「あるある話」をシェアする機会に恵まれないと、過去のトラウマ的な記憶が経験を連想させる刺激によって思いだされ、生活を邪魔されるということが起こります。このような状況も、もしかしたら「過敏さ」とか「繊細さ」のような言葉、たとえば「くよくよ悩む」といったかたちで表現されているのではないかと思います。
もしそうだとすれば、「予測誤差」を感じやすい人同士で集まり、オルタナティブな「あるある話」のカテゴリーを発明するコミュニティを立ちあげれば、トラウマ的な記憶が少なくなることが考えられます。
感覚に意味をあたえるできあいのカテゴリー(たとえば言葉)も、エレベーターのない建物のように、多数派向けにデザインされているので、少数派は、自分の感覚経験にあった独自のカテゴリーや言葉を発明する必要が時にあります。
「高次にカテゴリー化された複雑な文脈情報と内臓感覚を統合できないマイノリティ」とされ、「感覚過敏」や「情動伝染」で苦しんできた人が、独自のスタイルで高次にカテゴリー化した文脈情報の下で内臓感覚を解釈でき、独自の言葉で感情を表現できるようになり、過敏が静まると同時に認知的共感でつながりあえるのではないか――私が専門とする当事者研究のビジョンはそのようなものです。
結局、「感覚過敏」のある人が複雑な文脈による情報と内臓感覚を結びつけづらいというのは、たんに内臓感覚が敏感だということだけではなく、同じような人同士でコミュニティ、対話空間を形成していないことの帰結かもしれないと私は思っています。つまり「過敏さ」には個人差があるものの、それをシェアするコミュニティの不在によって、その個人差が過度に増強されているのではないか、ということです。
もし「過敏さ」に困っていたら、そのメカニズムを知るとともに、経験をシェアできる仲間をもつことがとても重要なことなのです。

注:(i) 上記「五感」に類似する「外受容感覚」や上記「内臓」に関連し、引用中の「内臓感覚」に類似する「内受容感覚」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて上記「内受容感覚」や引用中の「予測誤差」については上記「予測的符号化」(predictive coding)を含めて例えば次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」(注:なお、この資料の「2. 予測的符号化」項においては次に引用(【 】内)する記述があります。 【ここでの予測とは,脳内の神経ネットワークが自発的に示す活動パターンを意味する。これは純粋に物理的・生物学的な現象であり,意志により生じる特定の意味内容を予見する精神活動のことではないので注意が必要である4。】) その上に、引用中の「予測誤差」については同中の和田真著の文書『なぜ、感じ方に差があるか ――「自閉スペクトラム症」と「感覚過敏」』(P65~P84)の P71 でも言及されています。また、この文書中の複数の箇所で言及されている「予測」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (ii) 引用中の「情動伝染」については例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「第16回 【健康コラム】人と言葉が新年を決める!」 (iii) 引用中の「当事者研究」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) ちなみに、 a) 引用はありませんが標記「予測符号化モデルによる当事者研究」については次の研究成果報告書を参照して下さい。 「当事者研究による発達障害原理の内部観測理論構築とその治療的意義」の「4.研究成果」項 加えて、この研究に関連するかもしれない『他者との相互作用に含まれる随伴性検出が乳児期の模倣学習を促進し,自己身体運動の感度や精度(予測誤差修正)が他者運動知覚と関連する等の事実も得た.これらは,周産期以降,環境に対する運動制御を脳内シミュレートする「内部モデル」の獲得が社会的認知発達の基盤である可能性を示唆するものである.』ことについては次の事後評価報告書を参照して下さい。 『平成29年度科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」に係る事後評価報告書 「構成論的発達科学-胎児からの発達原理の解明に基づく発達障害のシステム的理解-」 (領域設定期間) 平成24年度~平成28年度』の「④ 予測学習と予測誤差検出に基づき,感覚運動レベルから社会性に接続する知見とモデル」項(P8) なお、上記「内部モデル」に類似するかもしれない「内的モデル」(inner model)については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「1. 序」項(P2) b) 一方、同文書の『「高次の外からの情報」+「内臓感覚」=「感情」』における、「アレキシサイミア」(他の拙エントリのここを参照、なお上記「アレキシサイミア」は化学物質過敏症の症状としてリストアップ[他の拙エントリのここを参照]されていないと本エントリ作者は考えます)に関連する記述の一部(P54~P55)を次に引用します。

(前略)このことからいえるのは、五感から入ってくる「高次の外からの情報」と、それを文脈とした「内臓感覚」が合体したときに、「感情」が生まれるということです。
逆に外からの情報と内臓感覚が統合されない場合があります。すると、「感情を感じとれない(失う)」のはもちろん、体調不良を感じることにもなります。つまり、吊り橋の上に立っていても恐怖心が感じとれず、「不整脈かもしれない」などと感じてしまうのです。
このような状態を「アレキシサイミア(失感情症)」といいます。「感覚過敏」といわれる人が同時に「アレキシサイミア」になることもめずらしくなく、「自閉スペクトラム症」でも「アレキシサイミア」の合併率が高いことは、よく知られています。

注:引用中の『五感から入ってくる「高次の外からの情報」と、それを文脈とした「内臓感覚」が合体したときに、「感情」が生まれるということです』に関連するかもしれない、「身体状態の神経表象である内受容感覚を基盤としてコア・アフェクトが形成され,それが記憶中の概念や現在の文脈情報によりカテゴリー化されることで経験される感情が構成される」ことについては次の資料を参照して下さい。 「文化と歴史における感情の共構成」の「Figure 1.」(P6)

さて、上記文書『「過敏さ」は「五感」と「内臓」の関係から』(P39~P64)の内容は、「予測符号化モデル」(predictive coding model)に基づいていること以外においては、本エントリ作者にとってとても難解な部分(例えば『「予測誤差」を感じやすい人』や「高次にカテゴリー化された複雑な文脈情報と内臓感覚を統合できない」こと[注:本エントリ作者が考える「カテゴリー化」については資料「文化と歴史における感情の共構成」の「Figure 1.」〔P6〕を参照して下さい])があり、この文書についての可否の評価や詳細な説明は、この引用部を含めて本エントリ作者にはできませんが、上記突発性環境不耐症等における「予測的符号化モデル」(predictive coding models、他の拙エントリのここを参照)についての一考察を、本エントリ作者が以下に試みます。ただし、引用の都合上もあり「予測符号化」と「予測的符号化」(注:両者は同じ意味です)、そして「化学物質過敏症」、「突発性環境不耐症」(注:両者は概ね同じ意味です)、「化学物質不耐症」が混在しています。ちなみに、上記「予測的符号化モデル」は「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフト」(他の拙エントリのここを参照、また、論文要旨「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」、全文はここを参照〔これらについては他の拙エントリのここ及びここを参照〕も含む)後のモデルであり、かつ上記で示した論文を読めば分かるように(研究面においても、少なくとも日本では)非主流であった、上記「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる」 Clinical ecology(拙訳はありませんが例えばWEBページ「Multiple Chemical Sensitivity: A Spurious Diagnosis - Quackwatch」や「Adverse Court Rulings Related to Clinical Ecology Theories and Methodology - Quackwatch」を参照、和訳:臨床環境医学、例えばエントリ「臨床環境医学は専門家にも注目されていた。悪い意味で。 - NATROMのブログ」を参照)から主流の医学に「パラダイムシフト」したと考えます。
[前提]『ミャンマーの瞑想センターでは、ウィパッサナー(観察・気づき)の瞑想を行うことで、欲望(煩悩)によって条件づけられた現象の認知の仕方――私の言葉で表現すれば、「物語の世界」――から身を離して、欲望によって条件づけられることのない、ありのままの現象を認知する(如実知見する)ことを、まずは目指します。』(他の拙エントリのここを参照、なお上記「ウィパッサナー(観察・気づき)の瞑想」に関連する「マインドフルネス」と(上記「予測符号化モデル」に関連する)「過去の経験から形成された予測(下記「事前の信念」と類似する事前分布)に重みづけず(精度を低め),現在の感覚入力に重みづける(精度を高める)こと」との関係についてはWEBページ「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」からダウンロード可能な資料「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の図7[P312]を参照すると良いかもしれません。加えてツイートも参照すると良いかもしれません。その上に、「The mechanisms we propose essentially concern changes in precision-weighting (of sensory inputs and various beliefs, respectively) that are elicited by the elements of the MBCT program and concern different levels of perceptual hierarchies.[拙訳]筆者らが提案したメカニズムは、MBCT(マインドフルネス認知療法)プログラムの要素によって誘発され、そして異なるレベルの知覚階層に関係する精度重み付け(それぞれ感覚入力と様々な信念の)の変化に本質的に関係する。」ことについては論文[全文]「A Computational Theory of Mindfulness Based Cognitive Therapy from the "Bayesian Brain" Perspective[拙訳]「ベイジアン脳」 の視点からのマインドフルネス認知療法の計算的理論」の「Conclusions」項や「Figure 9 Summary of the hypotheses presented in this paper and the proposed experimental tests.」を参照して下さい。)ことを踏まえ、〔「物語の世界」、もとい「漫画やアニメの世界」――から身を離して、ありのままの現象を認知する(如実知見する)ことを目指すためにも〕上記漫画やアニメを例にした、以下に示す強固な変容した「事前の信念」[prior beliefs]〔拙訳はありませんが論文要旨「Multiple chemical sensitivities: A systematic review of provocation studies」を参照、加えて他の拙エントリのここも参照すると良いかも〕※1又は刷り込まれた信念体系〔資料「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1(P89)の④項を参照〕としての、例えば「全世界がエイリアンだらけ」(資料『東日本大震災県外避難者が描く「復興曲線」から見えてくるもの ――トラウマの視点から』の「3-2 身体の芯から感じる安全・安心」項を参照)、もとい『全世界が猛毒の「瘴気」(参照)だらけ』(例えばウィキペディア風の谷のナウシカ」の「あらすじ」項を参照)や「農薬、合成保存料、家畜用の成長促進剤、遺伝子組み換え作物などが含まれるハンバーガーは危険すぎて食べられない」(例えばウィキペディア地球少女アルジュナ」の「メリケンバーガー」項を参照)を有する方を対象とします。そしてこれらの「事前の信念」を有することは上記強迫神経症(又は強迫症強迫性障害)に視点からの(望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちの)暫定性(他の拙エントリのここを参照)が欠如※2している、そしてトラウマの視点からの『「まあ、何とかなるだろう」という感覚』(他の拙エントリのここを参照)も欠如していること意味するのでは? と考えます。
加えて(「不正確な知覚」としての)、(i) 『近年の心身医療系の研究者の間では,高不安の個人は,内受容感覚に敏感というよりも,内受容感覚の知覚や推測が実は「不正確」あるいは曖昧なのではないかという見方が目立ってきた(e.g. Farb et al., 2015)。たとえば,不安症の個人において,脳が身体から受け取る情報は,意味のある信号よりも,信号に伴う「ノイズ」のほうが増幅されているという見解がある(Paulus & Stein, 2006)。』(資料「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「解釈 3:不正確な知覚」項[P311]を参照、注: a) 上記文献「Farb et al., 2015」と「Paulus & Stein, 2006」は共にこの資料を参照して下さい。 b) 上記「内臓感覚」に類似する引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)、 (ii) 『福島論文で記述されているように,高不安の個人は,自らの身体に過敏である反面,身体からの信号はノイズが多く不正確だと考えられている(Stewart et al., 2001;Farb et al. 2015)。』(資料「内受容感覚の予測的符号化 ―福島論文へのコメント―」の「4.シミュレーションからの示唆」項を参照、注: 1) 上記文献「Stewart et al., 2001」と「Farb et al. 2015」は共にこの資料を参照して下さい。 2) 上記「福島論文」に関連するツイートがあります。)ことにより、上記「不正確な知覚」が成立している方を対象とします。一方、上記「内受容感覚」をさらに洗練させることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。また、(感覚入力によって更新される信念[他の拙エントリのここを参照]としての)上記「知覚」においては(ベイズ推論としての)『知覚=予測+感覚の精度÷(予測の精度+感覚の精度)×予測誤差 [2]』(他の拙エントリのここを参照、加えて※1における Figure や以下も参照すると良いかも)が成立するものとします。また、 a) 記述「Expectations are also prominently conceptualised in emerging predictive processing models which suggest that symptom perception emerges through an integrative process of sensory input, prior experience (leading to implicit expectations, or 'priors') and contextual cues (such as affective state).74 These models show that the relationship between subjective symptoms and pathophysiological dysfunction is highly variable, both between and within individuals, and that pathophysiological dysfunction may even be completely absent in the presence of strong priors and ambiguous somatic input. Depending on relative strength and precision, the actual symptom experience may be more determined by somatic input or by priors.[拙訳]予期はまた、症状の知覚が、感覚の入力、事前の経験(暗黙の予期、または「事前」につながる)、及び文脈的手がかり (感情状態等) の統合的なプロセスを介して現れることを示唆する新たな予測的処理モデルにおいて顕著に概念化された74。これらのモデルは、主観的症状と病態生理学的機能不全との間の関係は、個人間及び個人内の両方で非常に変わりやすく、そして病態生理学的機能不全は、強い事前及び曖昧な身体的入力の存在下において完全に欠けていることさえあるかもしれないことを示す。相対的な強度及び精度に応じて、実際の症状の経験は身体的入力又は事前によりもっと決定されるかもしれない。」ことについては次の論文(全文)を参照して下さい。 「Persistent SOMAtic symptoms ACROSS diseases — from risk factors to modification: scientific framework and overarching protocol of the interdisciplinary SOMACROSS research unit (RU 5211)」の「d. Interactions of biopsychosocial factors」項 なお、上記文献番号「74」は次の論文です。 「Symptom perception, placebo effects, and the Bayesian brain」 この論文(全文)以外にも、「Recent neurocomputational theories have hypothesized that abnormalities in prior beliefs and/or the precision-weighting of afferent interoceptive signals may facilitate the transdiagnostic emergence of psychopathology. Specifically, it has been suggested that, in certain psychiatric disorders, interoceptive processing mechanisms either over-weight prior beliefs or under-weight signals from the viscera (or both), leading to a failure to accurately update beliefs about the body.[拙訳]最近の神経計算理論は、事前の信念及び/又は求心性内受容信号の精度の重み付けにおける異常が精神病理学の横断的診断の出現を促進するかもしれないという仮説を立てている。具体的には、特定の精神疾患において、過大な事前の信念又は内臓からの過小な信号(あるいはその両方)の内受容処理メカニズムが、身体についての信念を正確に更新することの失敗をもたらすことが示唆されている。」との記述を有する論文(全文)は次を参照して下さい。 「A Bayesian computational model reveals a failure to adapt interoceptive precision estimates across depression, anxiety, eating, and substance use disorders[拙訳]ベイズ計算モデルは、抑うつ、不安、摂食、及び物質使用障害にまたがる内受容精度の推定を順応させることの失敗を明らかにする」の「Abstract」 これ以外にも上記論文(全文)の「Author summary」項において次に引用(【 】内)する記述があります。 【Theoretical models propose that the computational mechanisms of interoceptive dysfunction are caused by overly precise prior beliefs about body states ("hyperprecise priors") or underestimates of the reliability of the information carried by ascending signals from the body ("low sensory precision").[拙訳]身体状態についての過剰に高精度の事前の信念「高精度過ぎる事前」又は身体からの上行信号によって運ばれる情報の信頼性の過小評価「低い感覚精度」によって引き起こされる内受容機能不全の計算メカニズムを理論モデルは提唱する。】 加えて、上記「精度」や「予測的処理」についてはそれぞれ次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」の Figure 1.(P3)、「文化と歴史における感情の共構成」の特に「2-2 感情の予測的処理」項 b) 『トラウマ・セラピーの訓練を受けたセラピストは、トラウマ・セラピーにおいては、「人の知覚は、事実よりも重要だ」ということを十分理解しています。「事実」ではなく、人がそれをどう知覚したかによって、トラウマが生じます。』については他の拙エントリのここを参照して下さい。
[上記一考察]上記資料の Figure 1.(P3)において、次に引用(《 》内)する記述があります。 《事前分布は,内的モデルにより生成される,ある知覚の予測を表す。ここに感覚信号が入力されると,予測との差分である予測誤差が計算される。これらから,ベイズの定理に基づいて事前分布が事後分布に更新される。主観的な知覚経験は,こうした一連の過程,特に事前分布から事後分布への更新が意識されたものであると考えられる。a. とb. では予測は同じであり,予測と感覚信号の平均値の距離(平均予測誤差)も等しい。しかしb. はa. に比べて感覚信号の精度が低い(分散が大きい)。感覚信号の精度が高ければ,予測が大きく更新されるが(a.),感覚信号の精度が低い場合には,主観的に経験される知覚は,入力された感覚信号とはかけ離れてほとんど予測と同じになる(b.)。》※3 すなわち、上記(ある知覚の予測を表す)事前分布としての上記「変容した事前の信念」は、感覚信号の精度が高い(例:「瘴気」だらけの空気を吸った又は農薬、合成保存料、家畜用の成長促進剤、遺伝子組み換え作物などが含まれるハンバーガーを食べたものの、確実に[内受容感覚の入力信号として]危険ではなかった等)場合には予測が大きく更新される(例:上記のような変容した信念が大きく更新され、上記暫定性が回復する又は『「まあ、何とかなるだろう」という感覚』を持てるようになる)ものの、上記前提である(内受容感覚の入力信号は)『意味のある信号よりも,信号に伴う「ノイズ」のほうが増幅されている』ので、『感覚信号の精度が低く、知覚は,入力された感覚信号とはかけ離れてほとんど予測(すなわち、上記「変容した事前の信念」)と同じになる』と考えます。別言すると上記知覚には「身体感覚増幅」や「身体脅威増幅」(共に他の拙エントリのここを参照)が伴うのでは? そして、上記トラウマが生じたかもしれないのでは? と考えます。また、 a) 「より強い感情的応答は、事前の信念が症状の意識的経験を支配することを可能にする不正確で内受容的な予測誤差が一因となっているかもしれない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「知覚に際し,脳は無意識のうちに推論を行っているという考え方がある」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
[余談]同の「〈ちいさい・おおきい・よわい・つよい〉 たがいに考えあうために」(P03)において次に引用(『 』内)する記述があります。 『①ナラティブ(当事者の語り)、②エビデンス(科学的根拠)、③ヒューマンライツ(人権意識)、④コンパッション(思いやり)、この四つの柱を軸にこれからの〈ち・お〉を編んでまいります。』(注:この引用部の著者は熊谷晋一郎編集代表です) さて、引用中の「エビデンス(科学的根拠)」に関する疑問を本エントリ作者が次に提示します。同中の和田真著の文書『なぜ、感じ方に差があるか ――「自閉スペクトラム症」と「感覚過敏」』(P65~P84)の『後天的に「過敏さ」が生じるとき』における記述の一部(P79)を以下に引用します。 【さらに、においについては、ホルムアルデヒドなど揮発性の化学物質に対して、低濃度であってもつらいと感じる方がいます。いわゆる「化学物質過敏症」として、不特定のアレルギー症状の一種としてとらえられていますが、(後略)】(注:この引用部の著者は神経生理学者の和田真です) この引用に対し、 a) 引用中の「におい」、「ホルムアルデヒド」や「化学物質過敏症」に関連し、上記臨床環境医が主張する記述(ホルムアルデヒド濃度が)「八ppbでも反応する患者がいました。」や「ホルムアルデヒドの臭いは、通常の人間の臭覚では、二〇〇ppbから三〇〇ppbにならないと感じません。」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。すなわち、(上記引用中の「低濃度」である)「臭いを感じない八ppbでも反応する患者がいた」ことも含めて臭いに関連づけるのはいかがなものかと考えます。 b) 一方、上記和田真著の文書では、上記「予測誤差」(ここを参照)をはじめとした「感覚の予測」(P71、未引用)に対し肯定的に言及していると考えます。このことにより上記「予測的符号化」に対しても肯定的であると考えます。しかし、上記突発性環境不耐症における因果メカニズムに関する「予測符号化モデル」を含む上記論文が発行されているにも関わらず、上記『いわゆる「化学物質過敏症」として、不特定のアレルギー症状の一種としてとらえられています』と記述するのは、「感覚過敏」としての「予測的符号化」には肯定的であるものの、「突発性環境不耐症」としての「予測的符号化」を否定するならば、上記論文を論破する必要があると考えます。加えて、『いわゆる「化学物質過敏症」として、不特定のアレルギー症状の一種としてとらえられています』ならば、上記論文要旨「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険※4と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」とも相容れないのでは? と考えられ、この論文も論破する必要があると考えます。また、上記論文要旨中の「CONCLUSIONS:」項には「Further neurophysiological research(中略)are required.」(拙訳:さらなる神経生理学的※4な研究が必要である)との記述があり(他の拙エントリのここを参照)、「化学物質過敏症」に言及する神経生理学者がこの論文を知らないことは、「ポリヴェーガル理論が広がっていくのは非常によいことだと思います。(中略)医学系ではあまり注目されていないので、トラウマの研究者と神経生理学者が手を組んで研究を進展できるといいなと思っています。」(他の拙エントリのここを参照)ことも考慮して、本エントリ作者にとっては考えにくいことです。これら以外にも、上記『いわゆる「化学物質過敏症」として、不特定のアレルギー症状の一種としてとらえられています』に対し、同中のリウマチ・膠原病科医の津田篤太郎が著者である文書『免疫系にもある「過敏さ」 ――アレルギー・花粉症が起こる理由』(P90~P110)においては、化学物質過敏症に対してどのように言及しているのでしょうか? これについて、同文書の『アレルギー以外で見られる「過敏」な症状』(注:すなわち、「化学物質過敏症」はアレルギー以外で見られるものとして分類されているようです)における記述の一部(P104~P105)を次に引用します。 【また同じ過敏症でも、薬物以外の日用品をふくむ多種類の化学物質に反応する「化学物質過敏症」というものもあります。嗅覚の過敏性と関連していることや、過去の外傷的な記憶が嗅覚によってよみがえるフラッシュバックをともなうケースもあり、「神経系の過敏さ」といえる部分も大きいと思いますが、まだわからないことも多いです。】(注: a) 引用中の「外傷的な記憶」に関する「トラウマ」に関連し、PTSD[資料「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」の特に「第1章 トラウマに関する研究動向と課題」を参照]や複雑性PTSD[資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」を参照]における症状でもある引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 b) 一方、上記「PTSD」や「トラウマ」と化学物質過敏症又は突発性環境不耐症との関連については他の拙エントリのここを参照して下さい。) この引用では「外傷的な記憶」や「フラッシュバック」には言及しているものの、上記「不特定のアレルギー症状の一種」には言及していないと考えます。

※1:(上記「予測符号化モデル」の視点からは)上記[prior beliefs](事前の信念)は、 a) 論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model[拙訳]突発性環境不耐症:包括的なモデル」の Figure 1(P49)や「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model[拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」(共に他の拙エントリのここを参照)の Figure 1(P283)によれば「prior(prediction about the presence of a sympton)」と、 b) 資料「予測的符号化・内受容感覚・感情」の Figure 1.(P3)によれば「事前分布」と それぞれ呼ばれています。

※2:上記「暫定性の欠如」に関連するかもしれない、強迫症の視点からの「つまり0か100か、あるいは白か黒かの完璧性にこだわり、曖昧さやグレーを認めたがらない思考です。」、『この世は確率論です。患者はこの不安定な世界観に、必ずどこかで向き合わなければいけません。強迫症と付き合っていると忘れがちですが、このような世界観は、皆が受け入れている当たり前の事実です。多くの人は曖昧なグレーに対して自然に妥協します。「まぁ、いっか」と。さらに言えば、多くの強迫症患者も発症以前はこのようにグレーを受け入れて過ごせていたはずなのです。』、「私は常日頃思うのですが、この社会は滅茶苦茶に適当です。こんな適当な社会に完璧性を求めれば、あっという間にクラッシュします。」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、 a) (自分で自分を追い込む)「悪循環」としての「ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環です。」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、上記ゴキブリを例にした『嫌悪の「うつりやすさ」』についてはここを参照して下さい。その上に、「道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい(どんな道も注意して見れば汚いものだらけです)、通れない道がますます増えるなど、自分で自分を追い込む傾向がしばしば認められます。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、「普通の人は気にも留めないような、小さな点のようなものでも、体からの分泌物が嫌いな人には、それが分泌物かもしれないと見え、害虫が嫌いな人には、害虫のふんかもしれないというように見えてしまう」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 b) 一方、上記内受容感覚(Interoception)は「OCD(強迫症)研究の有望な目標である」(Interoception presents itself as a promising target for OCD research)ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※3:上記「感覚信号の精度が高ければ,予測が大きく更新されるが,感覚信号の精度が低い場合には,主観的に経験される知覚は,入力された感覚信号とはかけ離れてほとんど予測と同じになる」ことに関連する「近年、起立性調節障害をもつ患者では内受容感覚の予測誤差が減弱されないことが実験的に明らかにされている。起立性調節障害では、起立直後に低血圧になり、立ちくらみや全身倦怠感を覚える。これらの患者では内受容感覚の予測誤差を最小化できないために適切な内臓(血管)運動制御ができないことと考えられる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※4:上記「危険」(と知覚される)と「神経生理学」の両者に関連する「もっとも大きな貢献としての、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行った」(他の拙エントリのここを参照)ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からのニューロセプション(神経知覚)が「危険」と検知することについては、『危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある』ことを含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、『危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある』ことに関連する「煙感知機の誤作動」についてはここを参照して下さい。

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(B)「行動免疫理論」と「煙感知機」(の誤作動)や「嫌悪」との関連について、その他
標記関連について、「もし身の回りにあるものすべてが汚らしく、感染リスクをまとったものに見えたなら、私たちの活動範囲は大きな制限を受ける。そしてそれらをつい触ってしまったら、実際には汚れていなくても、すぐに手を洗いたくなるだろう。」ことを含めて、「こころの科学 220号(2021年11月)」中の岩佐和典、堀越勝著の文書「嫌悪という感情」(P10~P15)の「嫌悪の偏り」における記述の一部(P14~P15)を次に引用します。

(前略)行動免疫理論(6)によると、人間には感染源との接触を未然に防ぐための心理学的なシステムが備わっているのだという。曰く、私たちは知覚できる情報を頼りに、目の前の刺激や、自分を取り巻く環境の汚染・感染リスクを推定している。「知覚できる情報を頼りに」と書いたのは、ウイルスや細菌といった感染源は、人間が自分の感覚器で捉えるには小さ過ぎるからである。たとえば新型コロナウイルスは目には見えないが、街でマスクをせず激しく咳き込む人を見たら、その人物との接触は感染リスクの高い行為だと感じられるかもしれない。これが、知覚できる情報をもとにした病原性推定である。
こうした正解が不明確な問題の推定では、生存に貢献する判断が優先されるらしい。この傾向は一般に「煙感知機原則」と呼ばれている。煙感知機の誤作動を経験したことがある人なら、この比喩にピンとくるかもしれない。嫌悪もそれと同じで、なにかに嫌悪を覚えたからといって、それが実際に危険だとは限らないのである。ただこうした偏りも、疾病等の深刻な結果から逃れるという点では理に叶っている。架空の嫌悪に苦しむはめになろうとも、危険を見落とした結果、重篤感染症や汚染で死んでしまうよりは、いくぶんマシだろう。
問題は、ときにこの偏りが私たちを難しい状況に追い込むことだ。たとえば汚染恐怖を伴う強迫症は、嫌悪の偏りと強いつながりをもつ精神疾患だといわれている。もし身の回りにあるものすべてが汚らしく、感染リスクをまとったものに見えたなら、私たちの活動範囲は大きな制限を受ける。そしてそれらをつい触ってしまったら、実際には汚れていなくても、すぐに手を洗いたくなるだろう。しかし、架空の汚れを物理的に落とすことはできない。汚染の疑念は即座に消えるものではなく、いくら洗ってみても、綺麗になったとは実感できない。そうして私たちは、気が済むまで手を洗い続けることとなる。それがもたらす生活支障は、しばしばとても大きなものとなるのだ。(後略)

注:(i) 引用中の文献番号「(6)」は次の論文です。 「The behavioral immune system (and why it matters).」 (ii) 拙訳はありませんが引用中の「煙感知機原則」の英文表記「smoke detector principle」についての論文(全文)は次を参照して下さい。 「The smoke detector principle」 加えて、上記「煙感知機原則」(又は煙感知器原則)に関連する「偽陽性バイアス」や「知覚対象が感染源としての性質を有していなくとも,それをほのめかすような情報が提示されていさえすれば,嫌悪や回避といった行動免疫反応は生じることが知られている」ことを含めて次の資料を参照して下さい。 「行動免疫からみた特定集団への否定的態度」の「行動免疫の2原則」項(P48) その上に、引用中の「架空の嫌悪に苦しむはめになろうとも、危険を見落とした結果、重篤感染症や汚染で死んでしまうよりは、いくぶんマシだろう」に関連する「病原体の存在を推定する際,偽陰性のコストは感染症リスクの増大であり,それはすなわち生存への脅威である。一方,偽陽性のコストは不必要な嫌悪反応な過剰な回避行動であり,それらは社会的機能の低下に結びつく。そして,これらを比較した場合,より深刻なコストが伴うのは偽陰性であるから,行動免疫による推定は偽陽性に偏るのだと説明されている」ことについても同項を参照して下さい。その上に、「嫌悪って、結局、身体的には危険を感じているってことなんだと思う。」との記述を有するツイートもあります。 (iii) 引用中の「煙感知機の誤作動」に関連する「煙探知機は普通、危険の手掛かりを捉えるのが非常に得意だが、トラウマを負うと、状況が危険か安全かの解釈を誤る可能性が増す」ことについては他の拙エントリのここにおける引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」を参照して下さい。 (iv) 引用中の「汚染恐怖を伴う強迫症は、嫌悪の偏りと強いつながりをもつ精神疾患だといわれている」ことに関連する、 a) 「精神疾患の中で、強迫性障害が嫌悪という情動と最も関係が深いと言える」ことについて、「こころの科学 220号」(2021年11月)中の高橋英彦著の文書「嫌悪の脳科学」(P22~P26)の「精神疾患と嫌悪嫌悪」において次に引用(『 』内)する記述の一部(P25)があります。 『精神疾患の中で、強迫性障害が嫌悪という情動と最も関係が深いと言える。強迫性障害の患者では、感染や汚染に対する過度な懸念から、洗浄や清掃の強迫観念・強迫行為が引き起こされると考えられる。嫌悪は強迫性障害の精神病理や症候学にとっても中心的なテーマである。』 b) 「編者が専門とする強迫症においても、しばしば人を対象とした心理的な嫌悪感情が汚染恐怖へと移行する症例を経験する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「嫌悪に関しての強迫症の研究等のまとめ」については次のWEBページを参照して下さい。 「強迫症と嫌悪」 その上に、上記「汚染恐怖を伴う強迫症は、嫌悪の偏りと強いつながりをもつ精神疾患だといわれている」ことを踏まえた上記「煙感知機の誤作動」に関連する「強迫症が起こる原因」について、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)の 1章 強迫症(OCD)を理解しよう の「強迫症が起こる原因」の 自己防衛システムと強迫症の関係 の「昔の人の脳の自己防御システム」及び「現代人の脳の自己防御システム」における記述の一部(P13)を以下に引用します。 (v) 一方、『嫌悪の「うつりやすさ」という特徴』について、同文書の「伝染の法則」における記述の一部(P13)を以下に引用します。

強迫症が起こる原因(中略)

昔の人の脳の自己防御システム(中略)

昔の人は、人間をおそう天敵、戦争、感染症の流行など、リアルな危険にさらされていたため、常に脳の防御システムが活発に活動していた

現代人の脳の自己防御システム(中略)

現代は、脳の自己防御システムを働かせるリアルな危険がなくなり、その反動で、ありえない不安や恐怖など余計なところに自己防御システムが働いてしまう

注:i) 引用中の「強迫症が起こる原因」について、同「強迫症が起こる原因」における記述の一部(P12)を次に引用(『 』内)します。 『強迫症の発症には、私たちが生きるために備わっている脳の自己防衛システムが関わっているという説があります。』 ii) 引用中の「ありえない不安や恐怖など余計なところに自己防御システムが働いてしまう」ことに関連するかもしれない、OCD(強迫症強迫性障害)の患者において「他の不安障害と同様の病的不安の関与,認知と行動の相互作用,強固な恐怖条件付けや消去不全などが,典型的 OCD 患者は観察される」ことについては次の資料を参照して下さい。 「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCD の病像」項

最近筆者は、引っ越してきたばかりの自宅風呂場の壁に、一匹のゴキブリが這うのを見た。その瞬間、激しい嫌悪がこみ上げたのは言うまでもない。とはいえ黙ってやり過ごすわけにもいかず、しかめ面で風呂場から立ち去り、台所の棚から強力な殺虫スプレーを持ち出して、ゴキブリを速やかに除去した。しかし、それを除去してもなお嫌悪の感覚は消えなかった。それどころか風呂場全体が汚らしく見え、充満する温かい質感にさえ寒気を覚えた。湯船につかっている間も、身体を洗浄している間も、自分の身体が清浄になっていく実感はもてず、むしろどんどん汚れていくように思えた。風呂場全体にゴキブリの気持ち悪さが伝染したような感覚といえば、わかってもらえるだろうか。
この現象は嫌悪の「うつりやすさ」という特徴をよく反映している。(後略)

注:(i) 引用中の『嫌悪の「うつりやすさ」』に関連するかもしれない強迫症強迫性障害)における「共感呪術」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「伝染」を含めて次のWEBページを参照して下さい。 「汚染恐怖に関する研究」の「病的汚染の恐怖」項 (ii) 一方、引用中の「ゴキブリ」に関連する「虫供養」については次のWEBページを参照して下さい。 「殺虫効果UPへの協力に感謝 アース製薬が虫供養」 また、上記「虫供養」はひょっとすると『お化け屋敷論』(他の拙エントリのここを参照)と関連するかもしれません。ちなみに、 a) 上記『お化け屋敷論』にひょっとすると関連するかもしれない「蜘蛛恐怖症の曝露において、蜘蛛に対するポシデイブなイメージを与えることで、曝露の効果を上げることができる」との記述を有するツイートがあります。加えて『上記「蜘蛛恐怖症」(クモ恐怖症)の研究によって、きめ細かな情動の分類は、情動を「調節する」他の二つのアプローチにまさることが示されている』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 上記「蜘蛛」や引用中の「ゴキブリ」がリストアップされている「限局性恐怖症」(の対象)については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(C)ミニ情報【論文(全文)『Working With the Predictable Life of Patients: The Importance of "Mentalizing Interoception" to Meaningful Change in Psychotherapy[拙訳]予測可能な患者の生活との連携:心理療法における有意な変化への「内受容感覚のメンタライジング」の重要性』のご紹介、その他】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部としての標記論文(全文)中の要旨の記述を次に引用します。

To understand our patients and optimize their treatment, psychotherapists of all theoretical orientations may benefit from considering current scientific evidence alongside psychodynamic constructs. There is recent neuroscientific evidence that subjective awareness, feelings and emotions depend upon "interoception," defined as the neural signaling to the brain from all tissues of the body. Interoception is the obvious basis of homeostasis (in the brainstem) but some interoceptive signals rise above this level and contribute to inferential processes that substantiate intrapersonal and interpersonal experience. The focus of this paper is on the essential role that their "interoception" plays in our patients' emotional experience and subjective awareness, and how the process referred to as "mentalizing interoception" may be harnessed in therapy. This can best be understood in terms of "predictive processing," which describes how subjective states, and particularly emotion, are inferred from sensory inputs – both interoceptive and exteroceptive. Predictive processing assumes that the brain infers (probabilistically) the likely cause of sensation experienced through the sense organs, by testing this sensory data against its innate and learned "priors." This implies that any effort at changing heavily over-learned prior beliefs will require action upon the system that has generated that set of prior beliefs. This involves, quite literally, acting upon the world to alter inferential processes, or in the case of interoceptive priors, acting on the patient’s body to alter habitual autonomic nervous system (ANS) reflexes. Focused attention to bodily sensations/reactions, in the safety of the therapeutic relationship, provides a route to "mentalizing interoception," by means of the bodily cues that may be the only conscious element of deeply hidden priors and thus the clearest way to access them. This can: update patients' characteristic, dysfunctional responses to emotion and feelings; increase emotional insight; decrease cognitive distortions; and engender a more acute awareness of the present moment. These important ideas are outlined below from the perspective of psychodynamic psychotherapeutic practice, in order to discuss how relevant information from neuroscientific theory and current research can best be applied in clinical treatment. A clinical case will be presented to illustrate how this argument or treatment relates directly to clinical practice.


[拙訳]
我々の患者を理解し、そして治療を最適化するために、全ての理論的志向の心理療法士は、精神力学的構成概念とともに現在の科学的エビデンスを考慮することから恩恵を受けるかもしれない。主観的な気づき、感情、情動は、身体のすべての組織から脳への神経シグナルとして定義される「内受容感覚」に依存しているという最近の神経科学的エビデンスがある。内受容感覚は(脳幹内における)恒常性の明らかな基礎ですが、一部の内受容性シグナルはこのレベルを超えて上昇し、そして個人内及び個人間の経験を実証する推論プロセスに寄与する。この論文の焦点は、患者の情動的経験及び主観的気づきにおいて「内受容感覚」が果たす重要な役割と、そして「内受容感覚のメンタライジング」と呼ばれるプロセスが治療においてどのように利用されるかもしれないかに関するものである。これは、主観的状態、特に情動が感覚入力(内受容性と外受容性の両方)からどのように推論されるかを描写する「予測処理」の観点からが最もよく理解できる。この感覚データを先天的及び学習済みの「事前」に対して試験することにより、脳が感覚器官を通じて経験する感覚のもっともらしい原因を(確率的に)推論すると、予測処理は仮定する。これは、過度に学習された事前の信念を変えるためのいかなる努力も、その一連の事前の信念を生み出したシステムに対するアクションを必要とすることを含意する。これには、文字通り、推論処理を変えるために世界に作用すること、又は内受容性の事前な場合には、習慣的な自律神経系(ANS)の反射を変えるために患者の体に作用することが含まれる。治療的関係の安全性において、身体的感覚/反応に注意を集中させることは、深く隠された事前の唯一の意識的要素かもしれない、従ってそれらにアクセスする最も明確な方法である身体的手がかりによって「内受容感覚のメンタライジング」のルートが提供される。これにより、次のことが可能になる;情動及び感情に対する患者の特徴的な機能不全の応答を更新する;情動的な洞察を高める;認知の歪みを減らす。そして、現在の瞬間のより鋭い気づきを生み出す。これらの重要なアイデアは、神経科学理論及び現在の研究からの関連情報が臨床治療においてどのように最適に適用できるかを議論するために、力動的精神療法の実践の観点から以下に概説される。この議論又は治療がどのように臨床診療に直接関係するかを示すために、臨床症例が提示されるだろう。

注:i) 引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「メンタライジング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「情動」については次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 さらに上記メンタライジング等の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「予測処理」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情

加えて、標記論文(全文)中の「Conclusion」項における記述を次に引用します。

Our patients come to therapy when habitual responses, which are embedded within their physiology, fail to produce expected or desired outcomes. Predictive processing theories of the brain as an inference machine cast valuable light on how such dysfunctional patterns of responding can come about in infancy and be highly resistant to change. In order to change a prior it is necessary to act on the interoceptive system that created that prior in the first place.

Increasing attention to interoceptive sensation changes the balance of precision between the current interoceptive sensation and the "stubborn prior." This change in precision can update a resistant prior and in doing so increase the patient's ability to "mentalize interoception," allowing alternative hypotheses to be generated about subjective experience. Intervening to influence precision similarly supports the patient's efforts to bring emotion into awareness, which increases opportunities for their verbal expression – an important outcome of any therapeutic encounter.

We propose that the crucial point of access, within the therapeutic relationship is for the patient to focus attention onto their current internal bodily sensations (their interoception). Attention to the body, and the feelings that accompany this, sets in train a series of responses that may permit updating of default/habitual beliefs and the expectations that cause the patient distress in their current relationship to themselves, others and the world. We describe how this can re-calibrate the patient's interoceptive responses, increase emotional awareness, strengthen evaluative thought patterns and allow the patient the flexibility to discern what is real and present in any given moment.


[拙訳]
我々の患者は、生理機能に組み込まれている習慣的な反応が期待される又は望ましい結果を生み出せない場合に治療に来る。推論機械としての脳の予測処理理論は、このような応答の機能不全のパターンがどのようにして幼児期に起こり、変化に対して非常に抵抗力があるかということに、貴重な光を投げかけた。優先順位を変えるためには、最初にその優先順位を生み出した内受容システムに働きかける必要がある。

内受容感覚への注意の増加は、現在の内受容感覚と「頑固な事前」との間の精度のバランスを変化させる。精度におけるこの変化は、抵抗性の事前を更新することができ、そしてそうすることで、主観的経験が生み出される代替仮説を認める、患者の「内受容感覚のメンタライジング」能力を増加させる。精度に影響を及ぼすための介入も同様に、患者の言語表現の機会を増大させる-これは、あらゆる治療的接触の重要な結果である、情動が気づきをもたらす患者の努力を支援する。

治療関係の中での重要なアクセスポイントは、患者が現在の内部身体感覚(内受容)に注意を集中させることであると、我々は提案する。身体への注意、及びこれに伴う感情は、デフォルト/習慣的な信念、そして自分自身、他者、及び世界との現在の関係において患者の苦痛を引き起こす予期を更新できるかもしれない一連の応答を訓練で設定する。どのようにしてこれが患者の内受容的な応答を再調整し、情動的気づきを高め、評価的思考パターンを強化し、そして患者が任意の瞬間に何が現実で何が存在するかを柔軟に識別できるようにするかを、我々は描写する。

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(D)「陰謀論を生み出す心理とネットワーク」について、その他
標記について「新型コロナウイルス陰謀論」や「陰謀論は民主主義を破壊する脅威であり、政治的リスクなのである」ことを含めて、福田充著の本、「リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える」(2022年発行)の 第6章 陰謀論と民主主義の危機 の「新型コロナウイルス陰謀論」及び「陰謀論を生み出す心理とネットワーク」における記述(P149~P154)を次に引用します。

新型コロナウイルス陰謀論

巨大な危機が発生したときにデマやフェイクニュースが発生することはこれまでも紹介してきたが、そうした危機事態においては陰謀論も発生する。例えば東日本大震災のときも、この巨大地震アメリカ軍の地震兵器によって引き起こされたもので、トモダチ作戦もその地震兵器の威力を調査、検証に来たものであるとする陰謀論が発生した。一般的な知識と良識を持っていれば、そのような地震兵器などこの世には存在しない、ということは理解できるはずである。しかし、実在した発明家ニコラ・テスラが新しいエネルギーを研究し地震兵器を開発していたとする陰謀論を知っている人々は、このテスラの地震兵器が東日本大震災で実際に使用されたのだというように、過去の陰謀論と新しい事象を結びつけることで新しい陰謀論が生まれるのである。
この傾向は新型コロナウイルスパンデミックにもあてはまる。新型コロナウイルスは中国武漢のウイルス研究所で作られた生物兵器であるとする説も、当初は陰謀論であると否定された。それは、初期の研究と分析によって新型コロナウイルスのDNAの塩基の配列やその特徴が人工物ではなく、自然由来のものだと結論づけられたことによる。しかし、陰謀論の問題は別として、新型コロナウイルスが人工物でなかったとしても、ウイルス研究所から研究中の自然由来のウイルスが外部に流出したという可能性は残されており、バイデン大統領がアメリカの情報機関に対してその調査と情報分析を指示しているのも、その点が解明すべき重要ポイントであるためである。
新型コロナウイルスパンデミック陰謀論の問題が深刻なのは、ワクチンをめぐる問題である。これまで、インフルエンザやコレラ、ポリオなど様々な種類の感染症においてもワクチンが開発され、ワクチン接種によって多くの命が救われてきた。しかしながら、基礎疾患や体質によってワクチンには一定程度の副反応が発生する事実があり、それがもとで亡くなった事例もある程度の規模で存在するため、ワクチン接種に対して否定的な態度を示す専門家、医師、一般市民も多く存在する。そうした新型コロナウイルスのワクチンについて「ワクチン接種が自閉症の原因となる」という情報が世界中に拡大した。この情報に関しても、医学の専門家の中から否定的な見解が示されているため、一般的にも否定されつつある状況である。これは新型コロナウイルスをめぐる陰謀論というよりもインフォデミックの状況を示す事例ともいえるだろう。それゆえに、新型コロナウイルスパンデミックにおいては、そのワクチンに対する市民のリスク不安を取り除いて積極的は接種してもらうための社会教育、メディアキャンペーンなどのリスクコミュニケーションが実施されており、これは命を救うための極めて重要な取り組みである。
しかしながらある種の反ワクチン運動と結びついた悪質な陰謀論も存在する。例えば「新型コロナワクチンはmRNAワクチンという特殊なワクチンなので、DNAを書き換えて遺伝子組み換え人間にする危険なワクチンである」といった陰謀論は世界中に拡大していて、人々にワクチン接種への不安を広げている。これもmRNAといった医学・生物学的に高度な科学的知識が必要となるために、一般市民には科学的に正しい情報か間違った情報かを判断することがやや難しいのであるが、ある程度の科学的知識を持っていて、正しい情報を調べて理解すれば、こういうことがありえないことは判断できるはずである。
また「ワクチン接種をするとマイクロチップが埋め込まれて5G接続され身体を操作される」といった荒唐無稽な陰謀論も世界中に広まっている。フェイクニュースという以前の悪質なデマであるが、これには新型コロナウイルスが、陰の権力によってもたらされた「人類の人口削減計画の一環である」という陰謀論や、「世界中の人間の遺伝子組み換えを実行して5G通信で操作しようとしている陰の権力が存在する」という陰謀論がその背後にある。さらには、新型コロナウイルスはその治療薬やワクチンを大量に使用させることによって医学界、医療業界が莫大な利益を生み出すための自作自演の人工ウイルスである、という陰謀論まで存在している。
このような陰謀論を信じる人が社会の圧倒的多数ではない、ということが救いであるが、それでもそれらを信じる人々が一定程度存在することによって、ワクチン接種推進派とワクチン反対派の問に社会的分断をもたらすことにつながっている。

陰謀論を生み出す心理とネットワーク

こうした陰謀論を信じる人々の心理を考えてみたい。まずそこには、真実は権力や政府によって隠されているという不信感がある。社会において、自分はそうした権力や政府から抑圧されていて、社会からも疎外されているという孤独感がある。そこで隠されている真実を探ろうとインターネット、SNSの世界を放浪し、自分に似た境遇にある人々のコミュニティやアカウント、サイトに出会う。そこでは自分が追い求めている真実が語られていると感じるのである。
大衆は愚かであり、権力や政府によって騙されている。それに対して、自分だけが真実を知っているという優越感、周りの人は騙されているが、自分は騙されていないという自信、権力に騙された大衆を救わねばならないという正義感、使命感がそこに発生する。社会の体制に追従するメインストリーム(主流派)に対して、自分はカウンター(非主流派)的存在であるとアイデンティファイする傾向があり、それはメインストリームに自己を投影する勝ち馬効果(バンドワゴン効果)よりもむしろ、カウンターに自己を投影する負け犬効果(アンダードッグ効果)の心理的傾向が強いと考えられる。
陰謀論にはまってしまった人は、周囲の一般的な主流派の人間との間の溝をますます深め、孤立していく。その中で自分と同じ考えを共有している陰謀論のコミュニティこそが自分の仲間であり、同志であるとの思いを強め、ますます陰謀論の深みにはまっていく。これはカルト宗教と似ている。この陰謀論にはまった人々をそこから救い出そうと説得する試みは非常に困難である。社会の大勢を占める一般的な情報、または科学的に正しい情報を示すことによって、考えを改めるように説得コミュニケーションを行ったとしても、反対に自分の考えに固執するようになる現象が発生するが、これはバックファイアー効果(反発効果)と呼ばれている。一人ひとりの個人を陰謀論から解放する教育と説得コミュニケーションが必要であると同時に、社会的にもこうした陰謀論が拡大しないようにするためのリスクコミュニケーションが求められる。
陰謀論は「オルタナティブ・ファクト」である。先述したように信者にとってそれはデマでもフェイクニュースでもなく、「オルタナティブ・ファクト」、嘘や偽りではない、もう一つの真実、隠された真実なのである。この、もしかしたらこれがもう一つの真実かもしれない、隠された真実かもしれないと信じたがる心理傾向は、ある意味で価値相対主義的な思考であり、カウンター志向であるといえる。
かつて陰謀論はうわさ話や口コミ、アンダーグラウンドな書物などで広がっていったものであったが、現代においてはインターネットやSNSが、それを広める媒体となっている。さらにエコーチェンバーやフィルターバブルといった、自分が信じる特定の環境やフォローしているインフルエンサーのもとで、陰謀論のコミュニティが形成され、それが自分にとって心地よいコミュニティとなり、その中で集団極性化現象が発生する。
陰謀論が生み出す分断はこうして拡大して、現実社会を侵食していく。ネット社会、SNS社会の現代において、陰謀論は民主主義を破壊する脅威であり、政治的リスクなのである。

注:i) 引用中の「陰謀論」については次の資料を参照して下さい。 「偽情報・陰謀論時代のオンライン情報評価と多元的リテラシーとしてのメディア・リテラシー」 ii) 引用中の「フェイクニュース」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「インフォデミック」については同本の P124 によると「新しい感染症が世界にパンデミックをもたらし拡大していくように、危機において社会全体で様々な情報が発生し、拡散されていく過程の中で、どの情報が正しくてどの情報が間違っているのか、わからなくなる状況のこと」を指すようです。 iv) 引用中の「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「バックファイアー効果」については次のWEBページを参照して下さい。 「バックファイア効果」 vi) 引用中の「ワクチン接種が自閉症の原因となる」ことに対する反論については例えば次のエントリを参照して下さい。 「【文献】ワクチンやそれに含まれるチメロサール,水銀は自閉症と関連しない.メタ解析

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(E)自動思考をモニターすることについて、その他
標記ついて、伊藤絵美著の本、「世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本」(2022年発行)の §1 認知再構成法とはどういう技法か の「自動思考をモニターする」における記述の一部(P18~P19)を次に引用します。

この自動思考をモニターする,というのは,心理学的には「メタ認知」と呼びます。認知についての認知(「自らの認知を認知する」とも言えます)がメタ認知です。自動思考をモニターする練習をするだけで,メタ認知の機能が強化されるのです。平たく言えば,メタ認知とは「自分を見るもうひとりの自分」の視点のことです(図1-4)。

この「メタ認知」がとにかくものすごく重要で,メタ認知の機能がしっかりと身につくだけでいろいろないいことがあります。まず,状況およびそれに対する自らの反応を客観的にとらえられるようになります。距離を置いて状況や反応を眺められるようになるのです。特に自分自身の反応,とりわけ自動思考をモニターできるようになると,原因帰属のあり方が変わってきます。自動思考とは,「その状況を自分がどう処理しているか」の表れです。何かよろしくないことが起きた時,自動思考をモニターできないと,「あいつにあんなことされたから,自分は怒って,殴ってやった」というように,原因がすべて外側の事象に帰属されがちになってしまいます。しかし,自動思考をモニターできれば,外側の状況だけでなく,「それを処理する自分」という視点ができると,「あいつにあんなことされたことに対して,自分がこう思ったから,腹が立って,殴りたくなった」というように,自分の反応についての説明が変化してきます。状況を処理している自分がいて,その処理のありようによって,自らの気分・感情や行動が変化する,というとらえ方に変わってくるのです。

これがすなわち「メタ認知の力が底上げされた」ということになりますし,別の言い方をすれば「内省力が高まった」とも言えます。自分の内的な反応に対する気づきの力が増すのです。さらに自動思考を継続的にモニターできるようになると,つまり自動思考のモニターが習慣化されると,自分の反応パターンのようなものがわかってきます。自分らしい反応のクセに気づくのです。「私,なんかいつも心配しているな」とか「私,なんかいつも人のせいにしているな」とか。そうやって自己理解が進んでいくわけです。

さらに「処理する自分」という感覚が強まってくると,状況にそのまま翻弄されることが減ってきます。「あいつがああだから」「こんなことがあったから」ということで即座に行動化するのではなく,「あいつがああだから,こんな自動思考が出てきて,こう感じた」「こんなことがあったから,こんな自動思考が出てきて,こう感じた」という受け止めができるようになると,いったん立ち止まって,「じゃあ,そういう自分はどういう行動を取ろうかな」と考え,行動が選択できるようになります。状況を処理する主体,状況に関わっていく主体という感覚が強化され,状況にそのまま巻き込まれてることが減ってきます。(後略)

注:(i) 引用中の「図1-4」についての引用は省略します。代わりに「自動思考をモニターすることのメリット」について、上記「図1-4」における連続する記述の一部を五分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【・状況とそれに対する自分の反応を客観視できる。】、【・自分の反応の理由を状況と自己の双方に帰属させて考えることができる。】、【・メタ認知の力がつく。内省力が高まる。自己理解が深まる。】、【・状況に直接翻弄されなくなる。「自分」がしっかりする。】、【・他人の反応に対する理解力や共感力が高まる。】 (ii) 引用中の「自動思考」については次のWEBページを参照して下さい。 『「働く女性全力応援セミナー」第1回 講演② 講演録』の「●自動思考という概念」項 加えて上記「自動思考」に関連する『自動思考自体を何も消したり変えたりする必要はないのです。もうすでに出てきちゃった思考を引っ込める必要はありませんし,消したり引っ込めたりすることは不可能です。それより「出ちゃったものはしょうがないよね」とそのままにして置いておき(マインドフルネス),代わりとなる思考を新たにいくつも生み出して,自動思考の周りに散りばめればいいのです。そうすれば,自動思考をどうこうしなくても,自動思考と同等の重みの思考がいくつも周りに配置されれば,自動思考の重みは相対的に軽くなりますね。自動思考が「オンリーワン」から「ワンオブゼム」という位置づけに変更されますね。』については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 加えて、上記「メタ認知」と「注意」との関連については他の拙エントリのここを参照して下さい。 その上に、「メタ認知療法からみたマインドフルネス」については次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」 (iv) 引用中の「自動思考をモニターする」ことに関連する、 a) 「認知行動療法の中で一番重要な要素は、セルフモニタリングだと思っている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「今、ここ」の感覚を取り戻すマインドフルネス|臨床心理士 伊藤絵美』の「マインドフルネスは認知行動療法の土台である」項 b) 『自動思考のモニターは「マインドフルネス」にそのままつながる』ことについて、同§1 認知再構成法とはどういう技法かの「マインドフルネスにつながる」における記述の一部(P20~P21)を次に引用(【 】内)します。 【実は自動思考のモニターは,今大変注目されている「マインドフルネス」にそのままつながります。】 c) 『技法を導入する前の,アセスメントの段階でセルフモニタリングがしっかりとできるようになっている,という「お膳立て」はとても重要である』ことについて、「認知再構成法では,対象とする場面における生々しい自動思考を扱うことが非常に重要です」を含めて同の §4 認知再構成法の導入 の 認知再構成法を導入するにあたっての注意点 の「2) 感情をどう扱うか」における記述(P75~P76)を次に引用します。

次の注意点は,感情の扱いについてです。認知再構成法では,対象とする場面における生々しい自動思考を扱うことが非常に重要です。「生々しい自動思考」とは,生々しい感情と分かちがたく結びついている自動思考のことです。「ホットな思考」と呼ばれることもあります。生々しい感情と分かちがたく結びついた生々しい自動思考を生き生きと扱ってこそ,認知再構成法はその効果を発揮することができます。言い換えると,感情を伴わない「頭だけの認知」「理屈だけの認知」を扱ってもあまり意味がない,ということです。感情を回避し,知的作業に終始するだけの認知再構成法では,「そう思ってはみたものの,気持ちがついていかない」「理屈ではそうかもしれないが,ピンとこない」といった残念な結果で終わってしまいます。要は「単なる言い聞かせ」で終わってしまい,それでは意味がないのです。ただし生々しい自動思考や生き生きとした感情のモニタリングは,認知再構成法を開始してはじめてそれを行うのではなく,CBT の第一段階であるアセスメントの作業をしているなかで,特にセルフモニタリングの練習をするなかで,リアルタイムに認知や気分・感情に気づきを向けることができるようになっていれば,その延長線上で認知再構成法に取り組めばよいので,さほど難しいことではありません。そういう意味でも,認知再構成法や問題解決法やエクスポージャー(曝露療法)といった技法を導入する前の,アセスメントの段階でセルフモニタリングがしっかりとできるようになっている,という「お膳立て」はとても重要です。

注:i) 引用中の「CBT」は認知行動療法の略です。加えて、上記「CBT」に関連する「徹底的なモニターに尽きる」や「CBTをやっている実感とぴったりだ。」との記述を有するツイートがあります。 ii) 引用中の「認知再構成法」については他の拙エントリのここや次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 「認知行動療法について」の「②認知再構成法について」 加えて、上記「認知再構成法」に関連するかもしれない「認知的再評価」と「気晴らし」は「脱中心化を媒介して精神的健康に関連する」ことについては次の資料を参照して下さい。 「認知的再評価と気晴らしは脱中心化を媒介して精神的健康に関連する」 その上に、「感情を伴わない次元で、いくら言い聞かせ的な認知再構成法をしたって、心がついてこない」との記述を有するツイートがあります。 iii) 引用中の「問題解決法」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「認知行動療法について」の「③問題解決技法について」 iv) 引用中の「エクスポージャー(曝露療法)」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「エクスポージャー療法」、「エクスポージャー療法普及プロジェクト 不安と上手に付き合うための認知・行動療法」 v) 引用中の「頭だけの認知」、「理屈だけの認知」、「単なる言い聞かせ」や「知的作業に終始するだけ」に関連するかもしれない「ふりをするモード」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、上記「自分の反応パターンのようなものがわかってくる」ことに関連するかもしれない(CBT[認知行動療法]の視点からの)「本格的な CBT が始まれば、自らの反応(認知、気分・感情、身体反応、行動)をモニター(観察)し、それに向き合う作業に入る」ことについて、伊藤絵美著の本、「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK1」(2016年発行)の 第3章 マミコさん、認知行動療法を開始する の マミコさんはなぜ仕事を続けていられたのか の「◎ 少しずつ変えていけばいい」における記述の一部(P102)を以下に引用(【 】内)します。 【いずれにせよ本格的な CBT が始まれば、自らの反応(認知、気分・感情、身体反応、行動)をモニター(観察)し、それに向き合う作業に入ります。つまり気分・感情を殺すのではなく、それに向き合い、受け止めるということを必ずすることになります。】(注:引用中の「認知、気分・感情、身体反応、行動」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「認知療法・認知行動療法とは」(注:このWEBページ中には「図2. さまざまなストレス反応の例」があります)、「認知行動療法とは」、「認知行動療法的アプローチの有効性に関する一事例 ─ストレスコーピングの視点から─」の「3.認知行動療法的アプローチ」項、「入門!認知行動療法 こころのしくみ」の「感情・考え・行動・身体反応の関係」シート[P6]) 加えて(従来の)上記「認知行動療法」における「自らの反応や自動思考をモニターすること」以外の、 a) (ポリヴェーガル理論[他の拙エントリのここの「最初に」を参照]の視点からの)「自身の自律神経系の状態を、マッピングし、トラッキング」することについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) (構造的解離の視点からの)『誘発刺激とパーツ(又は部分、これに関連する「情動的な人格部分」については資料「Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy(USPT)による解離症の治療 ――第二次構造的解離としての複雑性PTSD――」の「1. 構造的解離とは」項を参照)間の瞬間的な相互作用にクライアントが気づくように導く』ことや『自己観察できる〔日常を送る〕自己(これに関連する「あたかも正常にみえる人格部分」については同項を参照)の質と、トラウマ関連の活性化されたパーツたちを区別する。』ことについては共に他の拙エントリのここここを参照して下さい。 c) (コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの)「厄介な脳についての心理教育は,感情的苦痛を経験しているときに自分自身から距離をとり,古い脳と新しい脳のループに気づくことを大きく助ける」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません。 d) (「ソマティック・エクスペリエンシング」の視点からの)「トラッキング(Tracking)」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 e) 慢性腰痛(Chronic Back Pain)の治療法かもしれない Pain Reprocessing Therapy(拙訳はありませんが論文[全文]「Effect of Pain Reprocessing Therapy vs Placebo and Usual Care for Patients With Chronic Back Pain」やWEBページ「慢性腰痛患者の痛みを心理療法で緩和」を参照)における「感覚を安全なものとして再評価する」(Reappraising sensations as safe)ことを含む Somatic tracking については拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「How the Brain Causes Chronic Pain & How to Stop It」の「Pain Reprocessing Therapy (PRT) and How it Works」項 f) 「NeuroAffective Relational Model™ [NARM]」における「The metaprocess for the NARM model is the mindful awareness of self in the present moment. The client is invited into a fundamental process of inquiry: "What are the patterns that are preventing me from being present to myself and others at this moment and in my life?" We explore this question on the following levels of experience: cognitive, emotional, felt sense, and physiological. NARM explores personal history to the degree that patterns from the past interfere with being present and in contact with self and others in the here-and-now.[拙訳]NARMモデルのメタプロセスは、現在の瞬間における自己のマインドフルな気づきである。クライアントは探求の基本的なプロセスに誘引される。 「今この瞬間、そして私の人生において、私が自分自身や他者に対し現在にあることを妨げているパターンは何でしょうか?」 我々はこの質問を次のレベルの経験で調査する:認知、情動、フェルトセンス、及び生理的。NARMは、過去のパターンが、今ここにおける自分自身や他者に接して現在にとどまることを妨害する過去からのパターンの程度まで、個人史を探求する。」との記述は上記を除き拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「Introduction to the NeuroAffective Relational Model™ [NARM]」(注:1) 上記「フェルトセンス」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 2) 上記「マインドフルな気づき」に関連するかもしれない「マインドフルネス」と「セルフモニタリング」との関係の例について、伊藤絵美著の本、「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK1」(2016年発行)の 第1章 マインドフルネス超入門 の マインドフルネスとは の「◎ 評価や否定をせず、受け止め、味わい、そっと手放す」における記述の一部(P036)を以下に引用(《 》内)します。 《「自らの体験にリアルタイムに気づく」というのが、セルフモニタリングでしたね。マインドフルネスはその応用編のようなもので、自らの気づきに対する「構え」のようなものです。簡単に言えば、セルフモニタリングを通じて気づいたことを、評価や否定をすることなしに、優しく受け止め、興味を持って味わい、そっと手放す、というのがマインドフルネスの構えです。》[注:引用中の「評価(中略)をすることなし」に関連する「交感神経系の活性化に関連する防御システムの起用は、マインドフルネスとは両立しないということにも気づきました。マインドフルネスは中立であることを必要とすることを思い出してください。何事も評価しない中立の状態は、生存のために良い評価を得なくてはいけないという防衛状態とは両立しません。」については他の拙エントリのここを参照して下さい] 3) 「マインドフルネスは認知行動療法の土台である」ことについてはWEBページ『「今、ここ」の感覚を取り戻すマインドフルネス|臨床心理士 伊藤絵美』を参照して下さい。 4) 上記「being」にひょっとして関連するかもしれない「Being Mode」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) g) 「たとえば慢性疼痛を患う人は、痛みの強度に釣り合わないほど大きな影響が生活全般に及んでいると、悲観的に考えることが多い。そのような人が身体の痛みと不快感を区別する術を学ぶと、鎮痛剤をそれほど所望しなくなり、使用頻度が減る」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 h) 三大煩悩(WEBページ「思考の管理で、心を癒す」を参照)としての三毒(貪䐜痴)を「如実観察」することについては次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネスの先にある、サティとは」の『「惑業苦」の悪循環が人間の性』項[注:上記「三毒(貪䐜痴)」について、ロバート・ライト著、熊谷淳子訳の本、「なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学」(2018年発行)の 13 すべては(多くても)一つ? の「二つの説法と三毒」における連続する記述の一部(P259)を次に引用(それぞれ【 】内)します。 【タンハーと自己という感覚のつながりは、仏典でたびたびくり返される戒めによくあらわれている。「ラーガ」「ドヴェーシャ」「モーハ」の「三毒」を避けるようにという戒めだ。三つの毒はそれぞれ貪欲、嫌悪、迷妄などと訳され、これをまとめた「貪・䐜・痴」という語呂のいい熟語は、瞑想合宿の法話のときに指導者から聞いた覚えがあるという人も多いはずだ。しかしこの翻訳はいくつかの点で誤解を招きやすい。貪欲と訳されることばは、物質的な富への渇望感だけでなく、より全般的な渇望感をあらわす。また、嫌悪と訳されることばは、人に対する負の感覚だけでなく、あらゆるものに対する負の感覚、つまり忌避感すべてを意味する。】〔注:引用中の「タンハー」(渇愛)については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「タンハー」〕、【要するに最初の二つの毒はタンハーの二つの側面、快への渇望と不快の忌避ということだ。】]

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(F)オスラーの名言としての「断定的な診断をしてはならない」ことについて、その他
標記ついて、平島修、徳田安春、山中克郎著の本、「こんなときオスラー 『平静の心』を求めて」(2019年発行)の「オスラー名言集 1」における記述の一部(P13~P14)を形式を変更して次に引用します。

(前略)Never make a positive diagnosis.
断定的な診断をしてはならない(中略)

Case 1
60 代、男性。主訴は数時間前からの胸痛。心電図所見で,四肢誘導のⅡおよびⅢ、aVf 誘導で ST 低下あり。血清トロポニンの上昇あり。心エコーで下壁の壁運動低下を認めた。非 ST 上昇型心筋梗塞の疑いで保存的治療が開始され、集中治療室入院となった。
しかしながら、入院後も胸痛が持続していた。心電図検査を再検したが、特に変化はなく、ST 低下の所見が持続していた。担当医はやはり、非 ST 上昇型心筋梗塞と考え、「そのまま様子観察」の指示を出した。
翌朝になって、総合内科チームが回診に訪れた。両上肢の血圧に左右差を認め、右上肢の収縮期血圧が 20mmHg 以上、左の上肢の収縮期血圧より低めであった。また胸部の聴診で拡張早期漸減性雑音が認められた。
以上より、緊急で胸部造影 CT を撮像したところ、「スタンフォード A 型の急性大動脈解離」の診断となった。心臓血管外科による緊急手術が直ちに行われ、その後、病態は軽快した。スタンフォード A 型の急性大動脈解離では、右の冠動脈の血流遮断を合併することが多く、下壁の心筋梗塞を同時に認めることがある。

Case 2
インフルエンザが流行していた冬の時期に、3 日前からの発熱を主訴とした 20 歳の女性が受診した。その日の初診外来を担当していた A 医師は、その日、すでに 10 人ほどのインフルエンザと思われるケースを診療していた。
この 20 歳の女性は、発熱以外の症状として腰痛を訴えていた。医師はインフルエンザの診断を考えた。腰痛は、インフルエンザによる筋肉痛症状であると思ったのだ。解熱鎮痛薬のみを処方し、帰宅とした。
しかし、その 2 日後、この女性が再受診した。まだ発熱が持続していることと、腰痛が悪化していたからである。今度は、別の B 医師が診察を担当した。今回の問診では、残尿感と頻尿があることが判明し、診察では、右の肋骨脊柱角に叩打痛を認めた。
尿検査で、白血球尿および細菌尿を認めた。尿のグラム染色では、白血球に貪食された中型サイズのグラム陰性桿菌を認めた。腎孟腎炎の疑いで、抗菌薬がスタートとなった。その後、徐々に解熱し、軽快した。血液および尿培養からは、大腸菌が検出された。

【診断のバイアスに陥るな!】
オスラーは、「診断は確率のアートであり、不確実性のサイエンスである」と述べた。すなわち、100% 確実な診断というのは、滅多につけられないものなのである。画像検査や検体検査が発達した現在の臨床医学の現場においても、外来診療での診断エラー率は、5~15% 程度はあるといわれている。
診断エラーの原因として、認知バイアスが関連している(p.22)。このうち、Case 1 ではアンカリング・バイアスが関連し、Case 2 ではアベイラビリティ・バイアスが関連している。アンカリングとは、最初に考えた診断に固執することだ。アベイラビリティとは、すぐに思いつく診断に満足することだ。
認知バイアスに陥ったとき、早期閉鎖という状況となる。英語でプレマチュアクロージャーと呼ばれるものだ。適切な鑑別診断を考えずに思考停止をしてしまうことで、早熟閉鎖と呼んでもよいだろう。オスラーは、このようなバイアスに陥らないように、医師たちに警告していたのである。

注:i) この引用部の著者は徳田安春です。 ii) 引用中の「四肢誘導」については次のWEBページを参照して下さい。 「心電図読解のポイント」の「四肢誘導は電気の流れを上下方向から観測」項 iii) 引用中の「ST 低下」については「ST 上昇」を含めて上記WEBページの「■STは冠動脈の血流状態」項を参照して下さい。 「心電図読解のポイント」の「四肢誘導は電気の流れを上下方向から観測」項 iv) 引用中の「心筋梗塞」については次のWEBページを参照して下さい。 「心筋梗塞」の v) 引用中の「血清トロポニン」の別名である「心筋トロポニン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「心筋トロポニン」 vi) 引用中の「スタンフォード A 型の急性大動脈解離」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「急性大動脈解離」の「スタンフォードA型」項 vii) 引用中の「腎孟腎炎」については引用中の「右の肋骨脊柱角に叩打痛を認めた」ことを含めて例えば次のWEBページを参照して下さい。 「腎盂腎炎」 viii) 引用中の「グラム陰性梓菌」については例えば次の資料を参照して下さい。 「グラム陰性桿菌による院内感染症の防止のための留意点 -マニュアル作成の手引き-」 ix) 引用中の「p.22」の引用は省略します。代わりに引用中の「認知バイアス」については他の拙エントリのここや次の資料を参照して下さい。 「代表的認知バイアス各論の紹介」 x) 引用中の「アンカリング・バイアス」に関連する「anchoring」(アンカリング)については上記資料の「4) anchoring/representativeness/diagnostic momentum2)」項を、引用中の「アベイラビリティ・バイアス」に関連する「availability」(アベイラビリティ)については上記資料の「2) availability2)」項(P1845)を それぞれ参照して下さい。加えて、両者に関連するかもしれない「表3 臨床現場でよくあるバイアス」を有する資料「診断エラーを引き起こす認知バイアス」もあります。 xi) ちなみに、引用中の「オスラー」先生のもう一つの言葉の例は次のWEBページを参照して下さい。 「オスラー先生の言葉に学ぶ 臨床推論の真髄 明日から役立つ臨床推論!vol.5【総合内科・徳田安春先生】」の「オスラー先生の言葉に学ぶ」項

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(G)「承認欲求」と「陰謀論」の関連について、その他
標記関連について、斎藤環著の本、『「自傷的自己愛」の精神分析』(2022年発行)の 第二章 自分探しから「いいね」探しへ の「承認欲求から陰謀論へ」における記述の一部(P143~P146)を以下に引用します。なお、「陰謀論を生み出す心理とネットワーク」についてはここを参照して下さい。

トランプ大統領の時代以降、世間には「フェイクニュース」「ポストトゥルース」といった言葉があふれました。それはトランプ政権に限った話ではありません。コロナ禍にしてもロシアによるウクライナ侵攻にしても、常識や科学に反した主張を確信し、堂々と展開してみせる人は少なくありません。彼らは批判を受けるどころか、同様の主張をする仲間と連帯し、一定数の支持者すら集めています。これはどういうことなのでしょうか。
陰謀論にはまり込んで、そこから抜け出した経験がある人が語ってくれれば一番いいのですが、そういう人は決して多くありません。なにしろ陰謀論にはまったことがあるということ自体が恥ずかしいので、それについて語りたがらないのはむしろ当然のことでしょう。
そんな中で、Twitter 上で貴重な証言を見つけました。これは俳優で依存症当事者としても活動している高知東生氏によるものでした。以下にいくつか引用してみます。

2021-01-29 21:04:25
高知東生 @noborutakachi
言うのがとても恥ずかしんだけど、俺陰謀論を信じかけてたんだよ。仲間と話していて「高知さんの情報はすごく偏ってます」って言われて驚いた。Youtube って自分の見ている関連動画が次々出てくるようになっているだってな。そんなこと全然知らなかったから教えて貰わなかったら本当にやばかった。

2021-01-31 23:33:57
高知東生 @noborutakachi
俺は「人の裏を読め」を金言としていた。この度危うく Youtube の見過ぎで陰謀論を信じかけた事を内省したが、よく考えたら表の仕組みを何も知らないんだよ。そもそもの知識がないし、知る努力を面倒くさがってた。でもちゃんと調べなくても裏を読んだつもりになるって楽に賢そうな気分になれたんだよ

これはなかなか勇気ある証言です。高知氏は自分を「知識がない」「賢くない」と卑下していますが、こうした筋道だった分析は、まぎれもないすぐれた知性の産物でしょう。
これにつづく高知氏の論旨を私なりにまとめるとこうなります。
ある種の人々は、単純で断定的な結論を言い切ってくれる人の話にひきつけられます。彼らの話はわかりやすい。専門家はいろいろな角度から複雑な議論を展開するため、わかりにくくて結論も曖昧だったりするので敬遠されることになります。
自分の知性に自信がない人々は、YouTube やSNSに流れてくる、シンプルな「裏情報(本当は裏でも何でもないが、裏っぼく見える情報)」にひきつけられがちです。なぜか。裏情報は、「表の知識(一般常識、根拠のある情報)」のメタレベルだからです。つまり「表ではこんな風に言われているけれど、実は……」というロジックですね。苦労して表の知識を学ぶよりも、すぐに理解できるマイナーな知によってマウントが取れる快感がそこにあります。
これは他人事ではありません。私も学生の頃に、ユングの「シンクロニシティ」とか「曼荼羅」とか、オカルティックな側面にハマりかけた経験があるからです。知的なコンプレックスを抱えていると、ウラの知識で一発逆転を狙いたくなる気持ちはまったく共感できます。「これで全部わかった!」という快感もまた、知性の働きではありますが、非常に危険な誘惑なのです。
「自分は裏の仕組みを全部知っている」という快感は個人的なものですが、これがコミュニティとして共有されると、そこに「仲間として承認される」という快感が加わります。つまり「世界の裏の真実を共有している集団に帰属している」「その仲間とつながり承認されている」という快感ですね。これは単なる自己満足を超えた快楽をもたらしますので、抜け出すのがいっそう困難になります。高知氏は幸い、そうした集団には帰属していない段階で間違いに気付いたということなので、そこは幸運でした。(後略)

注:(i) 引用中の「フェイクニュース」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「シンクロニシティ」については次のWEBページを参照して下さい。 「5-8 シンクロニシティ」 (iii) 引用中の「ある種の人々は、単純で断定的な結論を言い切ってくれる人の話にひきつけられます。彼らの話はわかりやすい。専門家はいろいろな角度から複雑な議論を展開するため、わかりにくくて結論も曖昧だったりするので敬遠されることになります。」に関連する、 a) 『複雑で複眼的な考察が出来ないとシンプリスティックなロジック「のようなもの」にすぐ騙され、陰謀論に落ちる。』との記述を有するツイートがあります。 b) 『嘘をつくと、事実と異なるほど、医療情報は「やさしく」なる』ことについては次の note を参照して下さい。 「不正確な情報はやさしい」 (iv) 引用中の「筋道だった分析」とは大きく異なる、 1) 「ファクトチェックなどの取り組みによる誤情報の訂正について、訂正情報にアクセス可能な状態にするだけでは誤情報を信じている人に訂正情報を届けることにはつながらない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「信じている誤情報の訂正は見たくない? 名工大など」 2) 「深く信じ込んでいる信念を修正していくのは容易ではない。一般に,ひとたび獲得された誤信念は,正しい事実の指摘に抵抗して容易に変更されない性質を持つ。当人や関係者の状況にもよるが,深く信じ込んでいる陰謀論信念からの脱却は,カルトからの脱洗脳や脱会カウンセリングに相当する困難を伴う。」ことについて、サブカルチャー心理学研究会著、山岡重行編の本、『サブカルチャーの心理学2 「趣味」と「遊び」の心理学研究』の Ⅲ 陰謀論の心理学 の 9章 陰謀論の本質――その心理・文化・歴史 の「7. 陰謀論への対処」項における記述(P218~P220)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「陰謀論」に関連する「陰謀論信念」について「陰謀論者は,不確実性や偶然性を嫌い,また偶然性に関する正確な推論を苦手とするとも予測できる」ことを含めて、同「9章 ナラティブの拡散と自己学習型マインド・コントロール」[上記 (iv) 2) 項を参照]の「6. 陰謀論信念の心理メカニズム」における記述の一部(P214~P216)を以下に引用します。 (v) 引用中の「陰謀論」と「自己学習型マインドコントロール」との関連について、同「Ⅲ 陰謀論の心理学」[上記 (iv) 2) 項を参照]の 10章 ナラティブの拡散と自己学習型マインド・コントロール の「8. 自己学習型マインド・コントロール」における記述の一部(P237)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「陰謀論」に関連する「陰謀論者は情報を選択的に接触したり回避している」ことについては、同「Ⅲ 陰謀論の心理学」[上記 (iv) 2) 項を参照]の 11章 陰謀論マインド・コントロール の 6. 陰謀論者がビリーフ固執に用いる 6 論理のマインド・コントロール の「5) 偏った証拠の評価:平等に証拠に向き合わない」における記述の一部(P260)を以下に引用します。

7. 陰謀論への対処

従来はただの個人的な思い込みと片付けられていた主張が,SNS では大規模に拡散し,予想もしないような影響力を持つ。現代の陰謀論は,公の知識としては否定され「隠されていた」ものが,覚醒者とネットの力で暴かれる物語性を帯びている。そのために,たとえ笑ってしまうようないい加減な主張でも,現実の社会に悪影響を及ぼすことがあり得る。
では,身近な人が陰謀論にハマってしまった場合,私たちはどう対処していけばいいのだろうか。
まず,一般に陰謀論(だけでなく超常現象や疑似科学)に対して,誰でも素朴にとるのが「欠如モデル」にもとづく対処である。つまり,陰謀論に陥る人は,正しい知識を持っておらず,合理的な思考ができないのであって,誤りを指摘して正しい知識を教え込んで修正してやればいいと考えるもので,これはごく一般的に学校教育現場で行われる対処方法である。
しかし,これまで見てきたように陰謀論は単なる知識の欠如の問題ではなく,その人の信念の問題である。したがって,正しい事実を突きつけて陰謀論者の考え方を変えようとしても,必ずしも有効な方略とはなり得ない。
もちろん,科学知識と教育の普及によって多くの非合理的信念が克服され,現代の科学文明の基盤が形成されたのも間違いない。しかし,陰謀論にはまってしまう人の多くは,長年にわたって教育を受け,科学的な知識や合理的な思考も備えている。陰謀論の信念は反証不能性をはじめとして世界解釈においても整合性がとれた一種の無謬性があり,それに反する指摘への抵抗は強いものと考えられる。こうした信念特性に配慮せずに,一律的な欠如モデルからの対処は,かえって反発を生み,ひいては専門家と市民の分断や反知性主義の温床となる可能性すらあると考えられている。
深く信じ込んでいる信念を修正していくのは容易ではない。一般に,ひとたび獲得された誤信念は,正しい事実の指摘に抵抗して容易に変更されない性質を持つ。当人や関係者の状況にもよるが,深く信じ込んでいる陰謀論信念からの脱却は,カルトからの脱洗脳や脱会カウンセリングに相当する困難を伴う。周囲の人々が当人の思い込みを厳しく否定して失敗するのは,カルト脱会の試みで多く見られるケースである。脱洗脳では,まずカルト集団からの隔離が重要になるが,陰謀論はそれほど明確な集団がなく,ふだんはふつうに仕事や生活をしているのでネットや SNS の遮断も難しい。粘り強く働きかけていくためにとるべき姿勢は,周囲が間違いを修正してやる態度ではなく,おそらくは,相手の話を否定せずに傾聴し受容していくカウンセリングマインドではないか。陰謀論を信じて声高に主張するのは表面的な現象であって,そこに至る深刻な問題は,陰謀論に傾倒しなければ解消されないような不安や焦燥,孤独,悩みといった点にこそある可能性が高い。陰謀論を否定する前に,まず相手がかかえるさまざまな問題の解決に向けて働きかけていく枠組みが必要かもしれない(……といった,信奉の背後に大きな心理的問題がある,という考え方自体が,陰謀論信奉と共通する人間の認知機能だということがおわかりいただけると思う)。
陰謀論やカルトに対処する上で最も大切なのは,ハマってから対策に取り組むのではなく,その前から,メタ認知知識をもとに世の中の出来事を多面的に考えるクリティカルシンキング・スキルを養うことである。たとえば陰謀論を理解するためには,人の信念の生起や強化など心理面に着目したアプローチが大きな助けになると,これまで述べてきた。人は,世界を一貫したものとして効率的に把握しようとする認知システムをデフォルトで備えている。そして不確実な未来をコントロールして前向きに生きていこうとする社会的動機に動かされている。こうした自律的認知システムは,人が適応的に生きていく上で必要であり,だれでも自然に身につけている。そして,この優れた認知システムが,複雑で困難な状況に対処するためにオーバーランした結果が,時に陰謀論や ESB を引き起こし,人生における不適切な意思決定を生み出すと考えられるのである。こうした認知システムの振る舞いについて理解し,自分の認知を客観的に把握・制御していくメタ認知は,情報を多面的に評価して適切な意思決定や問題解決につなげていく実践的で汎用的なクリティカル・シンキングの基盤を形作るのである。

注:i) この引用部の著者は菊池聡です。 ii) 引用中の「欠如モデル」については「疑似科学」を含めて次の資料を参照して下さい。 「疑似科学を題材とした批判的思考促進の試み」の「4 疑似科学から入門する批判的思考」項 iii) 引用中の「反証不能性」についてはこれに関連する「反証可能性」を含めて次の資料を参照すると良いかもしれません。 上記資料の「反証可能性の有無について」項 iv) 引用中の「信念」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。加えて、引用中の「方略」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「メタ認知」については以下のWEBページ以外にもここ及びここ、そして他の拙エントリのここを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「疑似科学」に含まれるかもしれない「ニセ医学」に対する「読むワクチン」については次のWEBページを参照して下さい。 【『「ニセ医学」に騙されないために』書評 インチキ予防に「読むワクチン」】 加えて上記「ニセ医学」に関する次のWEBページもあります。 《書籍『新装版「ニセ医学」に騙されないために』発売記念! 内科医・名取宏先生 インタビュー 》 vii) 引用中の「クリティカル・シンキング」又はこの別名である「批判的思考」については共に他の拙エントリのここや次の資料を参照して下さい。 上記資料の「2 市民リテラシーとしての批判的思考」項、「3 疑似科学からの批判的思考入門」項や「4 疑似科学から入門する批判的思考」項 viii) 引用中の「ESB」は「実証的根拠を欠く事物への信念:Empirically Suspect Beliefs」の略であることについては次の資料を参照して下さい。 上記資料の「陰謀論が覆う世界」項 加えて、上記「ESB」の代表が超常信念と疑似科学信念であり、陰謀論もこの ESB の一つに位置づけられる」ことについて、同「9章 陰謀論の本質――その心理・文化・歴史」[ここの (iv) 2) 項を参照]の「4. カウンターカルチャーとしての陰謀論――オカルト,疑似科学」における記述の一部(P202)を次に引用(『 』内)します。 『こうした怪しげな「知」を信じる信念は,実証的根拠を欠く事物への信奉として ESB(Empirically Suspect Beliefs)と総称される(眞嶋,2016)。その代表が超常信念(Paranormal Beliefs)と疑似科学信念(Pseudoscientific Beliefs)であり,陰謀論もこの ESB の一つに位置づけられる。これら三種の信念の間には相互に正の相関があるだけでなく,影響を与える変数の構造も類似しているために,同じ心的メカニズムが働いていると想定されている(Lobato, Mendoza, Sims & Chin, 2014)。』(注:a) この引用部の著者は菊池聡です。 b) 引用中の「眞嶋,2016」は次の文書です。pdfファイル「日本認知科学会第33回大会発表論文集」中の眞嶋良全著の文書「科学リテラシー・認知スタイルと疑似科学信奉」(P106~P109) c) 引用中の「Lobato, Mendoza, Sims & Chin, 2014」は次の論文です。 「Examining the relationship between conspiracy theories, paranormal beliefs, and pseudoscience acceptance among a university population.」)

6. 陰謀論信念の心理メカニズム(中略)

陰謀論信念は,適応的な心的システムの反映であり,人が進化の中で身につけた優れた心的能力が(過剰に)発揮された結果だと考えられる。曖昧で把握が難しい不確実な出来事や,偶然の出来事に困惑や脅威を感じた場合,その背景にある特定の意図を検知し,整合的な理解の枠組を作り出して,意味を与える機能を持っている。そして,不確実な世界を秩序ある予測可能なものに回復させる社会的・文化的機能を提供する。そのために特定の邪悪な敵を作り出して,不可解な事象をすべて帰属させるのは有効な戦略である。しかも,こうした秘密を自分だけが知っているという感覚は,自尊感情を高め,自己高揚的な感情を引き起こす。よって,時代が複雑になればなるほど,多くの人が不安に感じる社会状況であればあるほど,陰謀論が心の安定のために採用されやすくなると考えられる。そうした点からは,私たち誰にでも陰謀論者の素質があると言える。
こうした論点から,興味深い研究仮説と研究を紹介しておこう。陰謀論者は,不確実で予測不能な状況に脅威を感じ そこから来る不安を陰謀論でコントロールしていると考えられる。もし,この仮説が正しいとすれば 陰謀論者は,不確実性や偶然性を嫌い,また偶然性に関する正確な推論を苦手とするとも予測できる。
たとえば確率に関する錯誤(連言錯誤)を誘発しやすい課題に取り組ませた実験では,陰謀論を信じる人たちは,仮説通りこのテスト成績が低いことを明らかにした(Brotheton & French, 2014)。こうした確率推論の失敗傾向は,テレパシーや予知などの超能力信奉者にも見られるものである。(後略)

注:i) この引用部の著者は菊池聡です。 ii) 引用中の「特定の邪悪な敵を作り出して,不可解な事象をすべて帰属させる」ことに関連するかもしれない「本来の自分はこのような否定的事態を享受しなければならない者ではなく,もっと社会的に認められるべきなのに理不尽だと思うような自己愛の強いパーソナリティは,その原因を外的な事情に帰属することになりやすい」ことについて、同「11章 陰謀論マインド・コントロール」[ここの (vi) 項を参照]の 5. 陰謀論を信じる背景的な心理 の「・ユーティティ機能」における記述の一部(P254~P255)を次に引用します。

(前略)つまり,社会生活の行き詰まりなどから,個人が方向づけていた人生意義の追求が不安定になり,不安を抱くと,そのような否定的な状態に陥っている自分の現状を説明したいという心理が高まると考えられる。それは、社会心理学的には自発的な原因帰属の推論に従事する傾向の高まりであり,自分の身に生じている否定的結果が意外に思える人ほどその傾向が強くなるとされる(Wong & Weiner, 1981)。すなわち,本来の自分はこのような否定的事態を享受しなければならない者ではなく,もっと社会的に認められるべきなのに理不尽だと思うような自己愛の強いパーソナリティは,その原因を外的な事情に帰属することになりやすい。(中略)

こうして陰謀論ビリーフを受け入れると,陰謀史論の虜になって,インターネットからいろいろな情報を受け取り,陰謀ビリーフ群を発達させる。そして彼らはさらに,それぞれの陰謀論的情報の論拠や情報間の関係によって整理・連結,つまり他者からの視点では支離滅裂に一気に構造化する。(後略)

注:(i) この引用部の著者は西田公昭です。 (ii) 引用中の「Wong & Weiner, 1981」は次の論文です。 「When people ask "why" questions, and the heuristics of attributional search.」 (iii) 引用中の「ビリーフ」の別名であるかもしれない「信念」についてはここを参照して下さい。加えて上記「ビリーフ」の説明について、 a) 同「11章 陰謀論マインド・コントロール」[ここの (vi) 項を参照]の「3. 陰謀論の構造」における記述の一部(P247)を次に引用(『 』内)します。 『陰謀論を構成する要素は陰謀的な含意のビリーフ(belief)である。ビリーフというのは,心理学的には,ある概念と別の概念や事象の関係を示す認知である(西田, 1988)。例えば,概念「世界を闇で支配する組織」が「存在している」という認知であったり,概念「ワクチン」が「危険」という認知であったりして,ヒトは個人的にそれらを集めて整理して記憶として貯蔵している。』(注:1) この引用部の著者は西田公昭です。 2) 引用中の「西田, 1988」は次の資料です。 「西田公昭,1988,ビリーフの形成と変化の規制についての研究 (1) ―認知的矛盾の解決に及ぼす現実性の効果―,実験社会心理学研究,28,65-71.」) b) 「ビリーフは、一般には「知識」「偏見」「信念」「信仰」などと呼び方にいろいろな種類があり、それらの形成や変化がどのような機制で生じるかには差異が見られる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「ビリーフの形成と変化の機制についての研究 (3) ―カルト・マインド・コントロールにみるビリーフ・システム変容過程―」の「問題」項 c) 「ビリーフとは、ある対象と他の対象あるいは概念や属性との関係によって形成された認知内容であり、条件づけがビリーフを形成している対象と、他の対象あるいは概念や属性との連結性に価値を与えることになり、ビリーフの強化になる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「ビリーフの形成と変化の機制についての研究 (4) ―カルト・マインド・コントロールにみるビリーフ・システムの強化・維持の分析―」の「問題」項

8. 自己学習型マインド・コントロール(中略)

陰謀論には,特定個人をカルト集団に引きずり込もうとする意図がない。不特定多数に向けた情報が主としてインターネットで発信されるだけである。陰謀論にはコントロールの主体となる明確なカルト集団が存在しない。組織性のないネット上のスレッドや SNS のコミュニティが存在するだけである。陰謀論にはメンバーに課せられるノルマがない。陰謀を解き明かすクエストがあるだけである。しかし,陰謀論マインド・コントロールである。なぜ陰謀論マインド・コントロールになるのか。それはクエストに参加し積極的に謎を解こうとする者たちは,結果的に同じ陰謀論ナラティブに支配されてしまうからである。陰謀論ナラティブが世界を理解する枠組みになり,その枠組みを共有しない人とのコミュニケーションが破綻していくからである。これを自己学習型マインド・コントロール命名する。(後略)

注:i) この引用部の著者は山岡重行です。 ii) 引用中の「陰謀論ナラティブが世界を理解する枠組みになり,その枠組みを共有しない人とのコミュニケーションが破綻していく」こと関連するかもしれない「集団極性化」について、同「9章 ナラティブの拡散と自己学習型マインド・コントロール」[ここの (iv) 2) 項を参照]の「7. 陰謀論の過激化――集団極性化現象」における記述の一部(P234)を次に引用(『 』内)します。 『エコーチェンバーにしてもフィルターバブルにしても,同方向の意見や態度を持つばかりの集団で議論すると,各人の持つ態度よりも極端な結論が出ることがある。集団極性化現象である。集団極性化により,陰謀論はどんどん過激で荒唐無稽なものになっていくのである。』(注:a) この引用部の著者は山岡重行です。 b) 引用中の「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」については共に拙エントリのここを参照して下さい。)

5) 偏った証拠の評価:平等に証拠に向き合わない
ネット陰謀論者は,些細で異常な情報を多く拾い集めて論を構築するという。そこには難解な知識や暗号解読のような思考に執着して重視する一方,一般的に認知されている否定的情報にはあまり注意を払わない。マインド・コントロールされた人々の場合も,教祖などの権威者の指示によって重視するべき情報が決められ,無視するべきとされた情報に対して独自な注目は罪であるとされており,厳しく罰せられることさえある。いずれにしても,ビリーフに合致する情報ばかり受け入れる強い「確証バイアス」や,特別に目立つように大きな事例に注目して、目立つ事例はそれなりに重大な秘密の理由があると解釈する「比例バイアス」が働いていると指摘されており,Festinger(1957)の認知的不協和理論が指摘するように,陰謀論者は情報を選択的に接触したり回避しているのだ。

注:i) この引用部の著者は西田公昭です。 ii) 引用中の「Festinger(1957)」は次の本です。 「Festinger, L. (1957). A theory of cognitive dissonance. Stanford University Press.」 加えて、引用中の「認知的不協和理論」については他の拙エントリのここここ、そして次の資料を参照すると良いかもしれません。 「フェスティンガーの認知的不協和理論に関する一考察」 iii) 引用中の「確証バイアス」については「人は見たいように見る」ことを含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、同「8. 自己学習型マインド・コントロール」[ここの (v) 項を参照]における記述の一部(P238)を次に引用(『 』内)します。 『人の情報処理において様々なバイアスが働くことが知られているが,その中の一つに確証バイアスがある。人は自分の持つ信念,偏見,先入観などの情報と整合する情報を積極的に認識し,整合しない情報は認識されなかったり,認識されても例外視されてしまう。人は自分が見たい情報や知りたい情報を優先的に認識するのである。』(注:この引用部の著者は山岡重行です)

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(H)VTuber「もりのこどく」さんについて、その他
標記「もりのこどく」さんについて、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の 第2章 精神医学から見た「〇〇な人たち」 の「Column 語り始めた当事者たち」や「ピアとしての存在」における記述(P246~P247)を次に引用します。

Column 語り始めた当事者たち

精神障害を持つ当事者として自らの経験を語っているVTuberの1人に、有名な「もりのこどく」さんがいる。
彼女は、統合失調症という困難な病気にかかりつつも、自分の病気について勉強し、きちんと治療し、その経過を広く公表している。もちろん、快調なときばかりではないだろう。不調の波に襲われることはあっても、そうしたことも含めて伝えてくれるからこそ、見ている人たちは真の理解を得られるのだ。彼女の声は、語りかけるように優しく、またポップでかわいらしくて、統合失調症の患者は「避けるべき対象」ではないことを充分にわからせてくれる。併せて、統合失調症などの精神障害者に対し、世の中がどんな援助をしていけばいいのかについて理解するためのヒントも与えてくれている。

ピアとしての存在

彼女の行動は、本人が意識しているかどうかにかかわらず、統合失調症の当事者たちの代表として、一般人の認識を良い方向に変える役割を担っている。と同時に、「ピア」としての存在意義も持っている。ピア(peer)は同僚、仲間、対等者などという意味を持つ言葉だが、ここでは「同士」とでも言ったほうがいいだろうか。
精神疾患の治療の現場では、基本的に主治医が病状の説明や指導を行っているが、看護師、薬剤師、精神保健福祉士などが専門的立場からアドバイスをすることで、より患者の理解は深まる。
同じように、「当事者」が体験やノウハウを語ることによって、理解が深まることはもちろん、治療への抵抗感が軽減されるという利点がある。
さらには、彼女の活動は、統合失調症を抱えながらより良く生きるという面において、自らにも影響している。
多くの視聴者に今の自分の状態を見せ、今後について公言することは、逃げることなく治療を続けるモチベーションとなっているはずだ。また、人に説明することで、自分の病気への理解はさらに深まる。
こうして彼女の活動は、一般人のためにも、同病者のためにも、自分のためにも、想像以上に大きな意味を持っているのだ。

注:i) 引用中の(VTuberの)「もりのこどく」さんについては次の YouTube やWEBページを参照して下さい。 「統合失調症Vtuberもりのこどくちゃんねる」、『「動画を見ているときだけは「死ね」という声が聞こえなかった」統合失調症VTuberもりのこどくを救ったVTuber活動』 ii) 「メタバースを用いた統合失調症の当事者会「もりのへや」。この運営委員会って私(注:上記松崎朝樹氏)も関わってます。」とのツイートがあります。加えて、上記「もりのへや」では「精神科医公認心理師など医療福祉関係者の支持・協力を得て、統合失調症当事者がどこからでも安心して参加し、同じ時間を過ごせる居場所を提供している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『【医療の部】統合失調症患者の「居場所」を作った当事者 Vtuber もりのこどくさん』の『活動名:統合失調症の情報発信及びメタバースにおける当事者の居場所「もりのへや」主宰』項 ちなみに、ツイートもあります。

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(I)自律神経は「天気の変化」が苦手なことについて、その他
標記について、佐藤純著の本、『「天気が悪いと調子が悪い」を自分で治す本』(2022年発行)の 第4章 自律神経と天気はどのように関係しているのか? の『自律神経は「天気の変化」が苦手です』、「自律神経が乱れると、内耳センサーが興奮しやすくなります」及び「ストレスと不規則な生活は自律神経の大敵です」(P124~P135)における記述又は記述の一部を以下に引用します。加えて、WEBページ『佐藤純の「病は天気から」』、『天気が原因で体調を崩す「気象病」の深刻、潜在患者は国内1000万人以上!?』、資料「気象関連痛(天気痛)の疫学,臨床的特徴と発症予測情報サービス」や研究成果報告書「気象病発症メカニズムにおける気圧感受機構の解明-動物実験と臨床試験の連携研究-」がある一方で、YouTube気象病・天気痛ってホント!?【専門医解説】」もあります。

自律神経は「天気の変化」が苦手です

人間や動物は晴れの日に交感神経が優位になり、雨や曇りの日には副交感神経が優位になるという特徴があります。
晴耕雨読」といった四字熟語もあるように、晴れた日には外に出て田畑を耕し、雨の日には家の中にこもって読書をする。言葉そのものは〝悠々自適な生活を送る〟という意味になりますが、昔から天気によってオンとオフを切り替えることで、心と体のバランスを整えていたことがわかるのではないでしょうか。
一方、現代社会では雨や曇りの日でも学校や仕事に行かなければならず、よほどの悪天候でもない限りは「今日は天気が悪いから休みにしましょう」といった連絡はきませんよね。
交感神経が休みたい状況にもかかわらず、無理矢理にでも働かせざるを得ないのですから、それは自律神経にとっても相当な負担がかかります。その反動として脳が疲労し、天気が悪いというだけでもダルさを感じてしまうことも少なくありません。

「気圧」や「気温」の変化が自律神経による痛みを増幅させる

交感神経にはストレスを受けたときに興奮し、活発に動き出すしくみがあります。そこで、天気の変化が血圧や心拍数にどのように作用するのかを測定する実験を行うことにしました。
健康なラットに血圧と心拍数を測定できるセンサーをつけ、徐々に気圧を下げていくと、血圧・心拍数ともに上昇しました。つまり、気圧の低下によって交感神経にストレス反応が起きていたことがわかります。同じように今度は気温だけを下げていくと、気圧のときよりもゆるやかですが、やはり血圧・心拍数が上昇しました。
これによって「気圧」や「気温」といった天気の変化が、自律神経のストレス反応に作用することが証明されたことになります。
「気圧」「気温」と自律神経の乱れがどのような負の相乗効果を生むかについて、もうひとつ例を挙げましょう。
たとえば、片頭痛の原因が気圧によるところの大きい人は、気温が下がると症状がやわらぎます。季節でいえば、冬になると元気になる人が多くなります。片頭痛は脳の血管が急激に拡張することによって起こるため、気温が下がることで血管が収縮すると症状が軽くなるのです。
しかし、気圧だけでなく自律神経の乱れも影響している人は、気温の変化も苦手としますので、気温が低くなったとしても症状が軽くなることはありませんし、逆に気温が高くなっても症状が出ることもあります。というのは、気温が上がることで血管が拡張するからです。
このように、もともと自律神経が乱れてしまっている人に天候の影響が重なると、慢性病が増幅してしまうというわけなのです。

自律神経が乱れると、内耳センサーが興奮しやすくなります

第2章で述べたように、気圧の影響を受けやすいのは、内耳が敏感に働く人です。そして、その内耳と自律神経の関係について整理すると、現時点における私の仮説になりますが、次の通りになります。

内耳に存在する、体のバランスをとる機能を持った外リンパ液と内リンパ液を隔てる膜に、気圧の受容チャンネルのようなものがある。
→その受容チャンネルが、気圧の変化を感じると、平衡感覚をつかさどる前庭神経が興奮し、その情報が脳へと伝わる。
→交感神経と副交感神経からなる自律神経系を混乱させて、体に不調をきたす。
→交感神経が活性化する人の場合は、心拍数が上がり血圧が上昇して慢性痛などの病みが増幅する。
→一方、副交感神経が活性化する人の場合は、強い眠気に襲われたり、体がダルくなって動けなくなったりする。

これは、自律神経が乱れていなくても、内耳のセンサーが敏感な人には起きると考えられる現象です。しかし、自律神経のバランスが崩れている人は、さらに状況が悪化する可能性があります。
なぜなら、自律神経が乱れることで血行不良が引き起こされ、ただでさえ敏感な内耳のセンサーがより高感度になるからです。わずかな気圧の変動に反応するだけでなく、前項で述べたように、気温にまで反応する体質になってしまいます。
気圧にも、気温にも影響を受けやすい人は、内耳が敏感なだけでなく、自律神経のバランスも崩れていると考えられます。

ラットを使った実験で明らかになった気圧と内耳の関係性

気圧を感じるセンサーが耳にあることを明らかにしてくれたのが、私の研究を手伝ってくれていた学生さんたちとの実験でした。
手術によって坐骨神経痛を発症させたラットを気圧の操作できる空間に入れ、気圧変化で痛みの度合いが違うのかを観察したところ、ラットが痛みによって足を上げる回数は気圧が下がるにつれて増えていました。
この実験を発展させるかたちで内耳を麻痺させたラットにも同様の観察を行いました。すると、気圧変化による足上げ回数の増減はなかったのです。つまり、内耳が機能していなければ気圧の変化を察知できず、痛みの強弱にも影響しないということがわかりました。
よくプールや海で泳いだあとに耳がボワッと詰まることがありますよね。あれは実際に水が耳に入っている場合もあれば、そうでない場合もあり、気圧変化によって引き起こされる症状のひとつだったりもします。
ほかにも飛行機や高層ビルのエレベーターに乗った際などに、急上昇や急降下によって耳が似たような感覚になった経験があるのではないでしょうか。気圧と耳は、私たちの経験則からも深く関連していることを想像できると思います。

ストレスと不規則な生活は自律神経の大敵です

気象病に深く関連する自律神経は、自分自身の意志とは関係なく、24時間365日、いつなんどきでも欠かすことなく体の調整を続けてくれています。その働きを妨げるものが〝ストレス〟です。
ストレスといっても精神的な苦痛だけを指すわけではなく、ストレスの原因となる変化は「ストレッサー」と呼ばれ、いくつかの種類に分類されます。

【環境的な要因】気温や気圧の変化、乾燥や湿潤
【肉体的な要因】疲労、ケガ、持病
【社会的な要因】仕事や勉強のプレッシャー、多忙
【精神的な要因】人付き合い、近親者のトラブルや不幸

私たちは生活していくうえでさまざまなストレスと向き合い、上手に付き合っていかなければなりません。

寝る前に見るスマホの画面が自律神経を乱れさせる悪循環に

ストレスをうまくコントロールできるかどうかは、ストレスの程度や種類はもちろん、個人の性格や体のコンディションなどによっても大きく変わります。
痛みとなって現れるだけでなく、どこか体がダルかったり、どうもやる気が出なかったり、なにかしら体の違和感を覚えるときにはストレッサーに対する許容範囲自体が狭くなっているのかもしれません。
そういった体の変化は自律神経からの警告ともいえるでしょう。
その警告を放置していると「自律神経失調症」という病気へと進行してしまいます。頭痛、肩こり、首こり、手足のしびれ、めまい、動悸、不整脈、倦怠感、不眠症などなど、その症状が多岐にわたることも特徴です。
ほかにも「神経性胃炎」「メニエール病」「過敏性腸症候群」「過呼吸症候群」「パニック障害」「不安障害」など、自律神経の乱れによって発症する病気は少なくありません。

自律神経を乱れさせる大きな問題のひとつにスマートフォンが挙げられます。(後略)

注:i) 引用中の「第2章」における引用は省略します。 ii) 引用中の「自律神経失調症」については次の資料を参照すれば良いかもしれません。 「自律神経失調症」 iii) 引用中の「気象病」について、上記WEBページの『“天気痛”ドクターが解説! 「天気が悪いと調子が悪い」は気のせいではない』項における連続する記述の一部を次に二分割して引用(それぞれ『 』内)します。 『天気が悪くなると古傷が痛む、雨が降る前や台風が近づくと、頭痛が起きたり気分が落ち込んだりする……など、天気の変化で体調が悪くなることはありませんか。もしかしたら、その不調は「気象病」かもしれません。』、『天気の変化に伴う不調には、頭痛、めまい、首・肩こり、腰痛、関節痛、むくみ、耳鳴り、だるさ、気分の落ち込みなど実にさまざまなものがあり、それらの病態を総称して「気象病」と呼んでいます。』 加えて、上記「気象病」に関連する「もし体調を崩す原因が気象病だと気づかないまま、適切な処置を行わずにいたらどうなるのか」について、同の 第5章 天気に左右されない心と体をつくりましょう の「悪循環が心の病を生むことも 気象病であることへの気づきが大切」における記述の一部(P218)を次に引用します。

もし体調を崩す原因が気象病だと気づかないまま、適切な処置を行わずにいたらどうなるのでしょうか。
頭痛のような慢性的な痛みは一向に治らず、ストレスが溜まることで交感神経と副交感神経のバランスが悪くなり、自律神経が乱れると血行不良によって内耳の感受性が高くなる。そうすると、また「頭痛が起きやすくなる」という振り出しに戻ってしまうため、延々と〝負のスパイラル〟から抜け出せなくなってしまいます。(後略)

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(J)「DSM を捨てることはできません。が,同時に,臨床を真に理解できる精神医学をも学ぶことが求められている」ことについて、その他
標記について、「これからの精神保健・医療・福祉の従事者には,DSM精神病理学という 2 つの異なる言語をしっかりと身につけ,時と場合に応じて使い分ける力が必要だと思われる」ことを含めて、日本精神病理学会 書籍刊行委員会[清水光恵、芝伸太郎、熊﨑努、松本卓也]編の本、「精神症状の診かた・聴きかた はじめてまなぶ精神病理学](2021年発行)の「おわりに」における記述の一部(P269~P272)を以下に引用します。ちなみに、「精神科用語シソーラス」については次のWEBページを参照して下さい。 「精神科用語シソーラス

この本は,現代社会で見られる多様な精神症状をもっと深く理解したいと願う,すべての方々のために企画しました。「すべての方々」に向けて,しかも「深い理解」を,というのはなかなか大胆な目標です。それを可能にするのが,他ならぬ精神病理学であると私たちは考えています。とはいえ,多くの方々は,「精神病理学って何?」と思われるでしょうし,精神病理学を少しご存じの方は,「精神病理学って小難しい理屈をこねるばかりじゃないの?」とおっしゃるでしょう。本書をご覧くださった読者には,精神病理学は精神症状を,精神障害を,そして患者さんを理解するためにどのように役立つか,わかっていただけたことと思います。でも読者の中には,本を「あとがき」から読み始める習慣の方々もいらっしゃるかもしれません。ここでは私たち編者がなぜこの本を皆さまにお届けしたかったかを改めてご説明します。
現代日本の精神保健・医療・福祉の教科書の多くは,アメリカ精神医学会が作成した診断基準 DSM に準拠しています。生物学的研究や国際比較などの疫学研究をする場合,DSM なしでやり過ごすのは困難です。DSM と兄弟のような関係の ICD は,厚生労働省が採用しましたので,行政手続きなどをする上で不可欠です。こうした「操作的」と言われる診断基準は日本の精神保健・医療・福祉に浸透し,その形式も内容も今では当たり前のようになっています。
しかしがら,例えば DSM統合失調症の診断基準を見てみましょう。まず症状の数と持続期間の基準が示されてから,「妄想,幻覚,まとまりのない発語(例:頻繁な脱線または滅裂),ひどくまとまりのない,または緊張病性の行動……」などとあります。しかし,臨床や支援の場で私たちが目にし耳にしているこの状態は本当に,いわゆる「妄想」なのか,いわゆる「幻覚」なのか,また,何をもって「まとまりのない」発語や行動と判断するべきなのかという判断は,じつはたいへん難しいはずです。そこにはいろいろな知識と経験が慎重に適用され鑑別されるべきなのです。例えば,これは「幻聴」じゃなくて記憶のフラッシュバックではないか,これは「妄想」ではなくこの人の日常的に歪んだ認知の一端ではないか,この「まとまりのなさ」は,統合失調症ではなくて若年性認知症ではないか……などなど。妄想や幻覚だけではありません。うつ症状にしても,「うつ」という状態像までは初心者の方でも一定の診立てができるかもしれません。そこでさらに操作的に「うつ病」と診断できたとしましょう。しかし実際には,さまざまな病態の「うつ」があります。躁うつ病うつ病統合失調症の初期のうつ状態発達障害に伴ううつ病認知症に伴ううつ病,あるいはうつ病に見える認知症……これらすべてをひとくくりに「うつ病」と見做して治療や対応まで一律にしてしまうと,病状を増悪させてしまうことにさえなりかねません。DSM は,研究と改訂を今後も重ねることを前提に,あえてそうした“症状の背後にあるもの”への手探りをせず,判断を宙づりにしています。しかし臨床や支援の場で,背後にあるものを考えずに症状や疾患やさらには患者を理解することはできません。じつは,DSM-Ⅲが発表された1980年代から,日本では,「DSM だけやっていれば精神科の臨床ができるというふうに錯覚される」のは問題であると警鐘が鳴らされていました。
それではどうすればよいのでしょう。DSM を捨てることはできません。が,同時に,臨床を真に理解できる精神医学をも学ぶことが求められています。これも1980年代に,DSM が後年普及することが予期されながら指摘されたことですが,症候学つまり症状学は,できるだけきめ細かにすることで病気や患者のありかたをも照らし出すような人間学に昇華できるのであり,それが精神病理学の一番大事な仕事なのです。さまざまな症状の「質」を見分ける力を身につけることが大切なのです。私の考えでは,精神病理学とは臨床に基づいて病気や患者のありかたをことばで描き出す学問であり,臨床の本当のエッセンスを示すことのできる学問です。そこで日本精神病理学会を中心に,それぞれの精神科医が得意とする分野について,「この症状をどう診るか,症状の背景に何があるのか」という,つまり症状の「質」の違いを論じ,臨床で役立つようできるだけ丁寧に説明した精神病理学の本を作ることにしました。

この本は,精神保健・医療・福祉の専門家と養成課程の学生に向けて執筆されました。しかし,患者・当事者や家族,教育関係者など,専門家ではないけれど精神病理学の知識を必要としている方々にも利用していただけるよう,できるだけ噛み砕いたわかりやすい記述を心掛けました。一方で,ベテランの方々の知識のブラッシュアップにも役立ちたいと欲張っています。最も念頭に置いた読者層は,看護師,保健師精神保健福祉士作業療法士臨床心理士公認心理師などのコメディカル全般と,その養成課程の学生の方々です。
なぜ,コメディカルの方々なのでしょう。21世紀に入った頃から,日本の精神保健・医療・福祉の現場は大きく変化しました。20世紀後半までは,統合失調症躁うつ病うつ病が臨床の中心でした。しかし,21世紀に入って,発達障害,パーソナリティ障害,依存症などの障害も非常に多いことが知られるようになりました。そうした新しく知られるようになった障害は,まだ正確な概念が普及しているわけではありませんし,また治療的にも従来の医療だけでは改善や完治が難しいことが多いのですが,新しい治療や支援の仕組みはまだ十分には整備されていません。その結果,患者や家族の方々は,地域の中で適応に苦慮し生きづらさを抱え続けることがしばしばとなってしまっています。精神科の往診医は多くないという現状でそうした方々に直接向き合っているのは,訪問看護師や,保健所の保健師や,地域の福祉関係者(例えば相談支援事業所の職員,民生委員,自助グループの関係者,自殺予防のゲートキーパー)など,医師以外のコメディカル等の職種です。入院したりデイケアに通っている患者においては,医師による薬物療法だけではなく,作業療法士とのプログラムがその後の生活の回復にとって重要です。また,小学校から大学までカウンセラーが配置されつつある現在,心理職が医師のいない現場で患者と向き合い判断をする機会はますます増えています。(後略)

注:(i) この引用部の著者は清水光恵です。 (ii) 引用中の「精神病理学」の特徴は「いろいろな視点を提供するところにある」ことについて、高橋幸男、上田諭、水野裕、大塚智丈、齊藤正彦著の本、「認知症の人のこころを読み解く ケアに生かす精神病理」(2023年発行)の「あとがき」における記述の一部(P168)を次に引用(【 】内)します。 【先述した『分裂病の精神病理』の最終巻で土居健郎先生は「精神病理学的研究には……その特徴は、まさしくいろいろな視点を提供するところにある……とどのつまり……コミュニケーションの障害のある人たちと何とかして話をつけようとすることに最終の狙いがある」と述べておられる。】(注:a) この引用部の著者は高橋幸男です。 b) 引用中の「『分裂病の精神病理』の最終巻」は次の本のようです。 「土居健郎編『分裂病の精神病理16』東京大学出版会、1987年」) (iii) 引用中の「DSM」については次のWEBページを参照して下さい。 「精神疾患の診断・統計マニュアル (DSM) - 脳科学辞典」 加えて、「DSM-5」としての引用中の「DSM統合失調症の診断基準」については次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症とは」の「DSM-5における統合失調症の診断基準」項 その上に、「DSM統合失調症の診断基準」に関連するかもしれない「確かに現代の精神医学では操作的診断基準が汎用されていますが、決して操作的診断基準がその病気の本質を記述していると考えられているわけではありません」については次のWEBページを参照して下さい。 「【4231】統合失調症の不完全型のようなものはあるのでしょうか - Dr 林のこころと脳の相談室」の「林: 現代の精神医学では統合失調症のものとして定義された症状をリスト化しそれを診断基準にしているようですが、」項(このサイトのホームページ) ちなみに、『ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類』については次のWEBページを参照して下さい。 『連載 ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ』 また、(症状に基づいた従来の診断法にとらわれない精神疾患の生物学的な分類のことである)「バイオタイプ」については次の資料を参照して下さい。 「3. 統合失調症のバイオタイプ研究」の「1. バイオタイプとは」項 (iv) 引用中の『さまざまな病態の「うつ」があります』ことの一例として、林(高木)朗子、加藤忠史編の本、『「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』(2023年発行)の「おわりに」における記述の一部(P266~P267)を次に引用(《 》内)します。 《「うつ病」という病名も、本当は「抑うつ症」に変えるべきだ、という議論が行われています。現在うつ病とされている患者さんの中にも、職場のストレスでうつ病を発症した方もいれば、認知症の前駆症状としてうつ病になっている方、双極性障害の最初の症状として抑うつ状態が現れた方など、さまざまな場合があります。》(注:1) この引用部の著者は加藤忠史です。 2) 引用中の「双極性障害」と「うつ病」は別の疾患であることについては次のWEBページを参照して下さい。 『じつは「うつ病」とは全く違う病気だった「双極性障害(躁うつ病)」…ついに見えてきたその「驚きの原因」』の『「うつ病」と「双極性障害」は全く別の病気』項 加えて次のWEBページもあります。 「双極性障害治療の最適化 ~入院で診断見直す―順天堂大(加藤忠史主任教授)~」 3) ちなみに、引用中の「抑うつ状態」に関連する「抑うつ症状・不安・妄想・幻聴などの精神症状を呈する精神疾患は、診察室での病歴聴取により主観的に診断されている」ことについて、pdfファイル「MULTISCALE BRAIN マルチスケール精神病態の構成的理解 NEWSLETTER Vol.05」中の文書『次世代脳・冬のシンポジウム2021 「基礎神経科学と臨床精神が融合したブレークスルー研究の育て方」』[P7~P12]の「背景」項[P8]における記述の一部を以下に引用[『 』内]します。また、上記「マルチスケール精神病態の構成的理解」の領域概要についてはWEBページ「領域概要 - マルチスケール精神病態の構成的理解」を、研究成果についてはWEBページ「研究成果 - マルチスケール精神病態の構成的理解」を、公募研究についてはWEBページ「公募研究 - マルチスケール精神病態の構成的理解」の「公募研究(2期:令和3年度~4年度)」項や「公募研究(1期:平成31~32年度」項を それぞれ参照して下さい。その上に、『医学の進歩した現代において謎のまま残されている疾患はもはや多くはなく、未解明の疾患の代表が精神疾患である。抑うつ症状・不安・妄想・幻聴などの精神症状を呈する精神疾患は、診察室での病歴聴取により主観的に診断されている。さらに治療に関して言えば、ほとんどの精神疾患に対して偶然に有効性が発見された向精神薬による治療が行われているに過ぎず、病態機序に立脚して設計された薬物療法とは言い難いのが現状である。精神疾患の原因解明がこれほどまでに困難な理由は幾つかあり、なかでも倫理的な制約から患者脳組織を生検などで直接検証することが非常に難しいことが最大の障壁だろう。したがって病態生理や治療標的の中核と思われる分子・シナプス・細胞・回路レベルの病態解明は基礎神経科学者に委ねられる一方で、臨床精神科医は臨床業務の激務の合間に患者脳画像解析やゲノム研究を遂行するのが精一杯という教室が多い。』[注:a) 引用中の「抑うつ症状・不安・妄想・幻聴などの精神症状を呈する精神疾患は、診察室での病歴聴取により主観的に診断されている」ことに関連する「精神科の臨床現場において、鑑別診断が困難であることが時にあります。これは、患者・当事者本人の主観的な訴えとしての症状や徴候に基づく診断基準を利用していることと関連しています。」については次の資料を参照して下さい。 「脳体積による精神疾患の新たな分類を提案 認知・社会機能と関連、精神疾患の新規診断法開発への発展に期待」の「研究の背景」項 b) 引用中の「未解明の疾患の代表が精神疾患である」ことに関連するかもしれない「内科学の未来」としての「癌治療は進歩したが,心不全不整脈,大動脈解離,肺高血圧症などの循環器疾患,慢性腎臓病や腎不全などの腎疾患,慢性閉塞性肺疾患間質性肺炎などの呼吸器疾患,膠原病神経変性疾患精神疾患など多くの疾患の発生機序は未解明であり,疾患を完治させることができていない」ことについて、矢﨑義雄、小室一成総編集の本、「内科学 第12版 Ⅰ」〔2022年発行、ちなみにこの一連の本は本文だけでⅠ~Ⅴの5巻もあります。ここを参照して下さい。〕の 2 環境要因と疾患・中毒 の 1 内科学総論 の 1-1 内科学総論 の「1-1-4 内科学の未来」における記述の一部〔P Ⅰ-3~P Ⅰ-5〕を以下に引用します。]) (v) 引用中の「これからの精神保健・医療・福祉の従事者には,DSM精神病理学という 2 つの異なる言語をしっかりと身につけ,時と場合に応じて使い分ける力が必要だと思われます。」にひょっとして関連するかもしれない(「ADHDDSMに従って主に臨床症状に基づいてカテゴリカルに診断されており、病態に多様性があるADHDがまとめて一つの疾患として扱われてきた」ことと対比されるかもしれない)「ADHDの多様性への理解と個々の特徴に合った精度の高い診療、教育・介入方法の開発」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「精神病理学」に関連するかもしれない「症候学」についての、 a)「特異的な曝露関連メカニズムの概念に不賛成な様々な EI(環境不耐症)において非常に広範な症候学を、今回の結果は示唆する」との拙訳については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「症候学が分からないといい支援ができないってずっと言われて育てられた」との記述を有するツイートがあります。 (vi) ちなみに、 1) 「PTSDの特異性」項を有する note「トラウマ対応へ心理職のニーズは広がるか?:PTSD概念の拡張と心理職の役割」があります。 2) 「ふとした時の一言に『ん?』と思って拾える力は臨床の力なんだと思う」との記述を有するツイートがあります。

1-1-4 内科学の未来

癌治療は進歩したが,心不全不整脈,大動脈解離,肺高血圧症などの循環器疾患,慢性腎臓病や腎不全などの腎疾患,慢性閉塞性肺疾患間質性肺炎などの呼吸器疾患,膠原病神経変性疾患精神疾患など多くの疾患の発生機序は未解明であり,疾患を完治させることができていない.疾患を克服するにはまずは病態の解明が重要であり,そのためには近年急速な進展をみせているデータ駆動型サイエンスに大きな期待が寄せられている。(中略)

この節の冒頭で,多くの疾患の病態は未解明なため分子標的治療ができていないと述べたが,上述したようにデータ駆動型サイエンスをはじめとして,患者のビッグデータを集積し解析する技術には著しいものがあり,いままで不可能であった疾患の病因・病態の解明も夢ではない時代が到来している.わが国においては特に内科医が疾患研究の担い手として重要な役割を担っている.ほかの領域の臨床医,基礎医学や他領域の研究者,製薬会社や医療機器会社の研究者など,多くの異なる領域の人と連携することによって,病因・病態を解明したうえでバイオマーカーや薬剤シリーズの探索などを行い,新しい診断法や診断機器の開発,創薬,治療機器開発などにつなげることが期待される.日々多くの患者を診療するなかで,治すことのできない患者を経験しているからこそ,それを克服するために新しい医療を創造していくことも内科医に課せられた重要な使命である.

注:i) この引用部の著者は小室一成です。 ii) 引用中の「データ駆動型サイエンス」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「センター紹介 - データ駆動型サイエンス創造センター」 iii) 引用中の「内科学」について、上記「1-1 内科学総論」の「1-1-1 内科学および内科医とは」における記述の一部(P Ⅰ-2)を次に引用(『 』内)します。 『内科学は,放射線医学や外科学などのすべての医学・医療分野と密接に連携して,最適な診断および治療を行う実践的な臨床医学である.また内科学は,患者の観察から得た clinical question から出発し,疾患について病理学や分子細胞生物学,分子遺伝学,情報科学など多くの学問を動員してその病態生理を明らかにし,さらに物理学や化学といった自然科学の知見を医学に応用することによって,新しい医療・医学を開拓する基礎的・創造的な臨床医学でもある.』(注:この引用部の著者は小室一成です) iv) 引用中の(内科医は)「ほかの領域の臨床医,基礎医学や他領域の研究者,製薬会社や医療機器会社の研究者など,多くの異なる領域の人と連携することによって,病因・病態を解明したうえでバイオマーカーや薬剤シリーズの探索などを行い,新しい診断法や診断機器の開発,創薬,治療機器開発などにつなげることが期待される」ことに関連するかもしれない、(「膨大な脳・神経・筋疾患を扱う診療科」に対するかもしれない)「関連する他の診療科との連携・協力は極めて重要である」ことについては次の資料を参照して下さい。 「脳神経疾患克服に向けた研究推進の提言 2022」の「(1)脳神経疾患とは」項(P9)

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(K)「精神疾患心因性疾患・機能性疾患というのは、症状からダイレクトに即断的に診断するものではなく、器質的・身体的な疾患な可能性を十分検討したり、場合によっては治療をしたりした上で、それらを通して最終的に診断するものである」ことの一例かもしれない事例のご紹介、その他
最初に標記「最終的に診断するもの」について、國松淳和著の本、「ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点」(2020年発行)の 9. 外科手術だけではない の エピローグ/解説 の「精神疾患心因性疾患・機能性疾患にも精通していたブラック・ジャック」における記述の一部(P210)を次に引用(『 』内)します。 『私自身内科医として日頃から考えていることでもあるが、精神疾患心因性疾患・機能性疾患というのは、症状からダイレクトに即断的に診断するものではなく、器質的・身体的な疾患な可能性を十分検討したり、場合によっては治療をしたりした上で、それらを通して最終的に診断するものである。このプロセスは、実際には単なる「消去法」といった単純作業ではなく、器質的・身体的な疾患をかなり質高く診療(診断・治療)する能力がないと難しいのである。』

次に標記「最終的に診断するものである」ことの一例かもしれない事例を次に紹介します。すなわち、國松淳和著の本、「診療日記で綴る あたしの外来診療」(2021年発行)の あたしの診察日記・エピソード1 79歳男性 「増えない体重」 の「九月一六日 初診」の記述、「十月十四日 一回目の再診」(注:項目のみ引用)、「十一月十九日 二回目の再診」(注:項目のみ引用)及び「十二月二十四日 三回目の再診」における記述の一部(P12~P21)を以下に引用します。また、 a) この本の書評については「設定」を含めて次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「診察日記で綴る あたしの外来診療」 b) この本についてのツイート(その1その2)があります。

九月十六日 初診
「おはようございます」とあたしがまず声をかけると、その男は難聴があるのか、少しおどおどしていたように見えた。実際、細かく声かけしても少し反応が乏しかった。
「おはようございます」
もう一度あたしがはっきり言うと、
「あっ、女医さん…」
「そうです、私は女です」
あたしは座るべき椅子を事務的に指し示して座らせた。男は、難聴なのではなく医師の性別に戸惑っていたのだった。
どこでどう男性の医師ですと表示していたかは知らないが、これは高齢の男性にはありがちなリアクションだ。そんなのは無数に過去に経験がある。例えば、まだ研修医のとき。入院患者の担当を任されて病室に行くと、「担当の先生はいつ来るんですか」「私です」のような会話だ。たいいち、「女医」って言葉はなかなかこの世からなくならない。
「今日はどうされましたか? 先ほど紹介状はみせていただきましたが」
「あのですね、この一年、空腹感がないんですよ。食事は食べられるんですけど。体重は減っていますね」
独特な症状の表現だと思った。さまざまな違和感を感じる内容だ。
「食欲がないということですか?」
「うーん…食べているんですが、とにかくお腹が空かないんです」
普通なら、このあとさくさくと必要なこと、例えば「いつからか」とか、「ほかの症状はないか」とかを聞いて、さっさと次へ次へ病歴聴取を進めていく場面だ。今振り返っても、この言い方に正直かなり戸惑ったことをはっきりと覚えている。
この違和感は素人でもわかるのではないだろうか。食べられているけど、お腹が空かない。ああ、じゃあ無理して食べているのか? それともしっかり食べられていないことが不満なのか? いやそうとは言っていない。彼は食べられると言っている。言葉通りであれば、食べるという行為自体には障壁を感じていないようだった。そういう印象だった。主訴は「空腹感の欠如」ということになる。ただ、こんな主訴で診療を進めていくことは通常ない。
「体重はいつから減っているんですか?」
「今年に入ってからです。一年前と比べると10kg減ってます」
臨床で「体重が減った」というのは、非常にありふれた問題だ。実際、これまでの精査では、体重減少を問題点として調べ上げられていたようだった。この男がもってきた膨大な量の診療情報提供者を、あたしはパラパラと眺めながら話を聞いていた。
確かに、すでにかなりの量、範囲の精査がなされていた。体じゅうのCT、実施できる血液検査全部じゃないかというくらいたくさんの項目の血液検査、そして消化管内視鏡もやってある。いずれも異常はない。
しかしこんなにたくさん検査結果は入っているのに、この情報提供書をつくった医者の診立ては全然書かれていない。じゃあこの書類、医者じゃなくても書けるじゃんと思ったよね。しかしよくこんな膨大な資料を正気で封筒に入れられるなとも思った。
「食欲がないのか」とあえてクローズドで質問しても、この男は「はい・いいえ」で答えない。聞いても、聞いても、だんだんよくわからなくなってくるこの感覚が、普通の医者たちには耐えられないんだろうね。きっと「何か変なことを言っている患者だな」とでも思ってるんでしょう。どうりでこの患者、「診断不能」にされちゃうわけよね。
わかんないって、そんなにダメなことかなって思う。この男性についても、全然、診断も治療法もこの日記を書いてる時点だって、あたしさっぱりわからないけど、この人が変なことを言ってるとは思わないな。というか、変なことを言うくらいのほうが人間らしいと思う。理路整然としていることを美徳にする世の中って変。
「食べられるんですよ。でもお腹が空いているという感覚がないんです」

でも、やっぱりよくわからない。よくわからないけど、機能性胃腸障害と考えて六君子湯(胃腸虚弱、食欲不振などに用いられる薬)(3包分3〈一回一包、一日三回〉食前)を一ヶ月分処方して再診してもらうことをお願いした。男はこの提案を割と素直に受け入れた。最後にこう言ってきた。
「お薬出したの、先生が初めてです。ありがとうございました」
えっ。ほかの医者はいったい今まで何をしてきたんだろう。

十月十四日 一回目の再診(中略)

十一月十九日 二回目の再診(中略)

十二月二十四日 三回目の再診

「食べられてはいます。でもやっぱりお腹は空かないですね」
これは、どうしたものか。悩ましい。
要するに、こちらの介入はまだ効を奏していない。明らかに。もうあまり手がないなぁと正直思った。こういう時は関係ない話でもしてみるしかないよな。そう思ってあたしは、
「そういえば、血圧の薬はほかでもらってるんですよね?」
「はい。別の家の近くのクリニックですね。先生そういえば…」
「はい、何でしょう」
この前はこの振りであたしが結婚してるかどうかなんて聞いてきたけど、患者のこういう「ところで」みたいなの、あたしは好きだな。このあと、いい話が聞けることが多い。
「食べていると…食事していると血圧が上がる感じがするんですよ。上がると、これはまずいと思って、横になって休むんです」
「え! ちょっと待ってください。食事中に血圧測るんですか?」
「そうです。何か上がってる感じがして。で、測ると大抵上がってる」
「食後じゃなくて?」
「はい。食事中です」
これには驚いた。食事をしている時は、普通の人は血圧は気にならないし、気になっても食事を中断して血圧測定をしようとはしない。しようと思ったとしても、実際に測定する人はいないでしょう…。この人からいろいろな話をうかがったが、一番珍奇な内容だと思った。つまりあたし的には、この患者について異常に思えたのは、これが初めてだと思った。そう認識した。こういうことが、最初はわからなくても光明になったりするんだよね。
「それでもし、というか、実際に血圧が上がっていたらどうするんですか? 休んでまた食べるんですか?」
「いえ。もう食べません」
「えっ」
患者は、全くふざけていない。笑ってもいない。あたしはわざと、相手の言葉をすぐ返答せずに黙って呑み込んだ。そりゃ体重増えないわ、とすぐに言いたいのをこらえて。そしてこう言った。
「食事中に血圧の変動があるんですね」
あたしはあえて少しだけ俯瞰した目で一般化して、かつ受容的なメッセージを込めたコメントができた。ん~最近では一番良い返しだった気がする。
「何かですね、噛んでると血圧が上がる感じがあるんですよ」
これは…うん、わかった気がする。噛むと血圧が上がるという特異な解釈が、強迫になっているんだ。
これは比較的高齢で発症した、身体症候がメインになった強迫性障害(obsessive compulsive disorder; OCD)なんじゃないかな。高齢者のOCDは、軽症だとOCDだとわかりづらい上に、身体症状がメインにみえてしまったり、行動の奇異さや回避行動がわかりにくい人が多かったりするんだよね。
SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬パニック障害などに使われる薬)をトライしようと思った。判断は早いかもしれないけど。処方は、セルトラリン(SSRIの薬品名の一つ)25mgを一日の二回目の食事のあとに。(後略)

注:i) 同の P234~P235 によると、この引用部を含めて「患者さんたち・診療の情報・医師のやり取りは、全部フィクション」です。 ii) 引用中の「身体症候がメインになった強迫性障害」に関連する「軽度の強迫性障害不定愁訴になる」ことについてはここを参照して下さい。

ちなみに、 (i) 『臨床診断のポイントは「経過まで含めて診断がつく」ということ』については次のエントリを参照して下さい。 「臨床診断と皮膚科医のヤブ医者化について」の「経過まで含めて診断」項 (ii) 上記「質高く診療(診断・治療)する」ことに含まれるかもしれない、 a) 「近年は、発達障害やトラウマについての理解も求められる」ことや「このあたりに適切に対応できるのは、国内でも特A級の精神科医である」ことについて、西城有朋著の本、「精神科医に、ご用心! 心の問題に向き合うヒント」(2022年発行)の 最終章 ダメな精神科医の見極め方 の 名医に出会うためにも「賢い患者になる」ことが大切 の「【その4】精神疾患をわかっていない」における連続した記述の一部(P274)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『近年は、発達障害やトラウマについての理解も求められる。患者の過去のトラウマ的な体験が、発達性トラウマ障害などを含めて、さまざまな精神的な病理を複雑でわかりづらくしている。そして、当然、治療も後手にまわる。』(注:引用中の「発達性トラウマ障害」の診断基準[ただし、この診断基準は国際的なものではありません]については例えば次の資料を参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の「表1 発達性トラウマ障害の診断基準」[P711])、『ただ、このあたりに適切に対応できるのは、国内でも特A級の精神科医である。』 b) 「成人期の発達障害の診療」や「見逃される発達障害」について「すべての精神科来院患者において検討されるべき事項」や「現在存在する精神疾患の問題について,複雑な構造を読み解いていく必要がある」ことを含めて、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 c) 上記「さまざまな精神的な病理を複雑でわかりづらくしている」ことに関連するかもしれない「精神科の診断はとても複雑です」について、益田裕介著の本、「精神科医の本音 患者の前で言えない本当のこと」(2022年発行)の 第一章 精神科医の本音とは の なぜ精神科医によって「診断」が変わるのか? の『「抑うつ状態」=「うつ病」ではない』における記述の一部、そして「見分けが難しいケース――発達障害の見逃し」、「診察中しか患者さんを診られないという難しさ」、「患者さんは診断名を気にするより、目の前の問題解決に集中する」における記述(P28~P40)を次に引用します。

抑うつ状態」=「うつ病」ではない
やはり精神疾患については、ガイドラインはあっても「診断を出す難しさ」は間違いなくあります。
たとえば、「うつ」という言葉は一般的に使われていますが、「抑うつ状壁と「うつ病」は違います。
抑うつ状態」というのは落ち込んでいる状態、身体のエネルギーが落ちている状態です。食欲が落ちる、なかなか眠れない、気分が落ち込む、意欲が湧かない、頭がぼんやりするといった症状が出ますが、この状態が即ち、異常というわけではありません。
ストレスで憂鬱になる、疲れすぎて憂鬱になる、何か嫌なことがあったり、誰かとトラブルになったりして落ち込む、ということは誰にでもよくありますし、人間の正常な反応です。程度が軽いものであれば、こうした状態に、ほとんどの人がなったことがあると思います。よくインターネットで「うつ病チェック」と称して、チェック項目が掲載されていたりしますが、これは誤りで、正確には「うつ病」ではなく、「抑うつ状態」のチェックをしているだけです。
しかし、その程度がひどく、働けない、食事ができないなど、日常生活にも支障が出てしまったとき、それは正常の範囲を超えて、病的な範囲になります。
こうした「抑うつ状態」には、甲状腺機能低下症、適応障害燃え尽き症候群バーンアウト)、不安障害、発達障害、境界知能、境界性パーソナリティ障害、トラウマ、PTSD、アルコール依存症……と、あらゆる病気が原因でなることがあります。もちろん、いわゆる「うつ病」でも、「抑うつ状態」になります。
うつ病」というのは、古典的な理解だと「脳の病気が原因で、周期的にうつ状態を繰り返す疾患」を指し、現在では操作的診断の診断項目で、9個中5個の症状があれば、「うつ病」ということになります。
これでは本質を捉えきれていないような感じもしますが、現代の医学レベルでは科学技術がまだ十分に発達しておらず、正確な診断が困難であるため、ひとまずの最善策として、仮置きの診断基準が設けられている、というような理解でよいかと思います。
精神科医としては、臨床的に「こういうものが、『うつ病』」という漠然とした理解や感覚はありますが、「ここまでは『うつ状態』、ここからは『うつ病』」という境界線は、本質的には非常にあいまいなものです。そのため、診断理由を明確に患者さんに説明しようとすると、なかなか難しかったりはします。(中略)

見分けが難しいケース――発達障害の見逃し
よく聞かれる質問としては、発達障害に関するものがあります。これは、そもそも発達障害かどうかを診断しない、治療をしない精神科医が多いことも関係しているのかもしれません。
今でこそ大きな注目を浴びるようになりましたが、発達障害は、かつてはそれほど注意して診察されてこなかった疾患でした。そのため、精神科医の臨床知識が追いついていないことも否定できません。
たとえば、患者さんが診療の際に、テラッと「家が汚くて困っているんです」とこぼしたとしても、発達障害を疑っていなければ、主治医は深掘りをせずに、励ましや優しさの意味で、「大丈夫でしょう」「気のせいだよ」「頑張りなさい」といった言葉をかけてしまうかもしれません。もしそこで、万が一を疑って聞いてみたら、

患者さん「この前、タンスの中からなくしたと思っていた財布が出てきて……」
医師「片付けするのが苦手なの?」
患者さん「そうです。それに忘れ物だったり、物をなくすことが多くて……。恥ずかしいから、誰にも相談できず……」
医師「それって子どものころから?」

といった展開になり、診察の中で発達障害がわかることも多いのです。
つまり、さまざまな疾患を疑いながら患者さんとお話をしないと、発達障害などの障害はわからないこともあります。他にもアルコール依存症ギャンブル依存症などの、依存症系の疾患は本人が隠すことも多いですし、過去の虐待やトラウマ、性的被害やDVのことも、医師から聞かないと本人からはなかなか話せないものでもあります。
なので、本人の困りごとだけを聞くのではなく、幅広い観点から患者さんその人を診ていく態度が重要だと言えます。

診察中しか患者さんを診られないという難しさ
双極性障害躁うつ病)」の場合、躁状態が軽微なのでわからないということもあります。診察の際に、「いつもよりよくしゃべるな?」という程度の印象を受けたとします。「これまでは緊張していたのかな? うつがよくなり、これが本人の素の姿なのだろうか」と医師は考えてしまいがちです。
診察室での短い時間しかお会いしていないので、普段の様子はわからず、日常の中で見かけるおしゃべりな人程度であれば、それぐらいの元気さならと、見逃してしまうことがあります。ところが、その患者さんは普段はものすごく無口な人で、診察のときはその人なりの躁状態だった(世間的には普通の人レベルのおしゃべりであっても)、ということがありえるのです。
そのため医師は患者さんと年単位の付き合いをしないと、その人の細かい変化がわからないということがよくあります。
年単位と聞くと、大げさなように感じるかもしれません。
しかし、躁病相(躁状態が続く期間のこと。1日のうちで変わるというものではなく、通常1週間以上、1~2ヵ月ほど元気な状態が続くことも珍しくない)になるのは年に何回もありませんし、月に1回受診したとしても、年に12回しか会わないわけですから、患者さんの人となりがわかるには、それだけの月日が必要なことも多いのです。
さらに、診療時の患者さんの〝演技〟によって、その見分けはさらに難しくなります。うつを隠す人、躁状態を隠す人、診察室の中では集中力を保てるためポロが出ない人などはたくさんいます。
たとえば、「境界知能」の方は7人に1人の割合で存在すると言われていますが、初対面で医師と話す際、そこまでわからないことが多いものです。馬鹿にされたくない、みっともない姿を見せたくない、というのは普通の心理です。頭が悪いからうつになっている、なんて思われたくないのは当然です。しかし、生きづらさが知的レベルと関係しているというのは臨床上よくあることです。
境界知能や精神発達遅滞については、学歴などを聞くことで初めてわかることも多く、しかし、学歴だけで人の知性は測れるものでもないので、やはり初診の診察だけで見抜くのはとても難しいのです。一緒に長い時間を過ごしていれば、気づける場面も出てくるかもしれませんが、限られた診察時間では難しいところがあります。
すべての症状に共通しますが、やはり「患者さんとは診察でしか出会わない」というところに診断の難しさがあります。

患者さんは診断名を気にするより、目の前の問題解決に集中する
これまで説明してきたように、精神科の診断はとても複雑です。
たしかに精神科治療には学会などが提案するガイドラインがあるのですが、そのガイドライン通りに治療するにも腕が必要です。というのも、

●1つの疾患ではなく、合併症もある(例:パニック障害うつ病の合併)
●診断が途中で変わることも珍しくない(例:うつ病と思っていたら双極性障害だった)
●同じ症状でも、さまざまな病気や原因が考えられる(例:うつ状態
●見分け困難な疾患がある(例:うつ病適応障害
●患者さんが演技をする、困っていても言わない(例:双極性障害、境界知能や依存症)
●こちらが疑わずに確認しない、切り出しにくい(例:発達障害
精神疾患は病気の性質上、年単位の経過を追う必要があるが、そもそも会った回数が少なく、診察時間が短い

などがあるからだ、と説明してきました。
そのため、医師が診断をはっきり言うことができず、患者さんがモヤモヤしていることも珍しくありません。患者さんによってははっきりと言ってくれない医師を信じられず、いろいろな病院を転々としてしまう人もいます。
しかし、これまでの説明で、はっきりとは言えない理由もわかっていただけたかと思います。
では、患者さんはどうするのがよいのでしょうか?
私が勧めるのは、目の前の問題解決に集中するということです。
精神疾患を発症した背景には、ストレスのもとになったさまざまな問題や原因があることが多いのです。その問題1つひとつを解決していくことが重要だと考えます。もちろん、時間の経過や薬物治療の影響で、問題解決しなくても、事態が改善することもあります。むしろ、そちらの方が多いと思います。
しかし、背景になっている問題に向き合うことは、今後、再びストレスに参ったりしないためにも、役立ちます。
さまざまな問題に屈服しないカを、レジリエンスと呼びます。レジリエンスは、楽観性や情緒の安定度、行動力、問題解決能力、自己理解、社交性、他者理解などさまざまな要素で構成される、非認知能力(学力や知能検査では測定できない能力)の1つです。
精神科の診療や治療はこうした能力の育成にも役立ち、またこうした非認知能力を鍛えておくことで、ストレスに強くなり、再発を防ぐことができます。
なので、診断を気にしすぎるよりも、目の前の問題解決に向き合い、精神科医らと対話していく(精神療法を受けていく)ことに集中するのがよいかと思います。

注:i) この引用部の著者である益田裕介氏の YouTube は次を参照して下さい。 「精神科医がこころの病気を解説するCh」 ii) 引用中の『現在では操作的診断の診断項目で、9個中5個の症状があれば、「うつ病」ということになります。』としてうつ病の診断基準(DSM-5)については例えば次の資料を参照して下さい。 「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の「2.双極性障害の症状を知ろう」項

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(L)「診断がつかなくても」に関連するかもしれない「PTSDという病名の使用における問題がある」ことについて
標記について岩波明著の本、「精神医療の現実」(2023年発行)の「はじめに」における記述の一部(P9~P11)を以下に引用します。なお、標記「診断がつかなくても」に関する文脈として、WEBページ「國松医師の外来を受診希望される患者様へ」における記述を次に引用(『 』内)します。 『長いこと症状に困り、調べられてもよくわからない・診断不明と言われてきた方が多く受診を希望されています。順次拝見していきたいと思いますが、ほとんどの人が、診断ではなく治療を提案することになっています。診断名(病気)がなくても症状は出ます。診断がつかなくても、症状が出ている原因はわかることが多いですから、治療できることが多いです。「治療はいいからとにかく診断名が欲しい」とお考えの方にはあまり力にはなれないと思います。一方、診断名はこだわらないので治療をして欲しいという方は、良い結果になっていることが多いように思います。』

[前略]最近数年にわたり、女性週刊誌を中心に、小室圭氏と眞子さんに関する記事がひんぱんにとりあげられた。その中で、やはりPTSDに関する誤った情報が報道されたことがあった。
眞子さんの場合、診断名とされたのは、「複雑性PTSD」である。実はこの病名は現時点で正式な病名として認められていないが、長く続く虐待や拷問によって従来のPTSDと同様の症状がみられる状態を指す。ここでは、私が「週刊文春」から取材を受けた内容が記事となっているので、その部分を示したい。

……報道によれば、眞子さんは、ご自身や圭さん、それぞれのご家族に対する「誹譜中傷」が続き、そう診断されるほど精神的苦痛を感じていたとのこと。ですが、具体的にどんな症状が出ていたのかは、明らかにされませんでした。
通常、PTSDとは、1つのイベントが原因となります。たとえば、戦争、災害、交通事故、犯罪被害といった死に直結するようなショッキングな出来事。それらをきっかけに、様々な症状が出る病気です。
一方、眞子さんが診断された複雑性PTSDは、死に直結する単回の体験ではないが、トラウマとなる出来事が長期的に何度も繰り返され、同様の症状が出る病気。虐待やDVなどの被害者によくみられます。(中略)
このように PTSDとは本来、とても重い病気です。人前に出ることができず、ひきこもりになったり、うつ病になったりしてしまうケースも珍しくない。私は地下鉄サリン事件の被害者のその後を調査したことがありますが、多くの人が何年にもわたってPTSDの症状に苦しんでいました。
ところが結婚会見の様子を見る限りでは、眞子さんには明確な症状は認められませんでした。少なくとも、あの場に立てるだけの元気はあったわけです。
本人がつらい状況にあったことは理解できます。ですが、バッシング報道が本当にPTSDと呼べるレベルの症状を引き起こしていたのか、疑問は残ります。(中略)
あえて病名を当てはめるなら、眞子さんは「適応障害」ではないのかと思います。それなら、ストレスの原因がなくなれば、回復に向かいます。

実は、本書で明らかにしたいのは、こういった精神医学の病名の誤用そのものではない。この点については、私自身も他の専門家も繰り返し指摘してきたことであり、賢明なジャーナリストたちは、すべてではないかもしれないが、PTSDという病名の使用における問題があることを認識していることであろう。
それにもかかわらず、「何度もバッシングを受ければPTSDになる」というような記事が、どうして繰り返して報道されるのだろうか。[後略]

注:(i) 引用中の「[前略]」と「[後略]」は共に本エントリ作者による挿入ですが、引用中の「(中略)」は引用そのものです。 (ii) DSM-5 における PTSD の(出来事)基準について、WEBページ「PTSD トピックス - 日本トラウマティック・ストレス学会」の「PTSD」項における記述を次に引用します。 『米国精神医学会診断統計マニュアル第5版(DSM-5)の基準によれば、PTSD心的外傷後ストレス障害 Post-Traumatic Stress Disorder)とは、実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群のことをさします。』 加えて、ICD-11 における、 a) PTSD の出来事基準について、資料「ICD-11 におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向」の「1. 心的外傷後ストレス症(Post-traumatic stress disorder:PTSD)」項における記述を次に引用(【 】内)します。 【PTSD の出来事基準は ICD-10 とほぼ同じであり,著しい脅威または恐怖を与えられるような体験に続発するとされる。】 b) CPTSD(又は引用中の「複雑性PTSD」、複雑性心的外傷後ストレス症)の出来事基準について、同資料の「2. 複雑性心的外傷後ストレス症(Complex post-traumatic stress disorder:CPTSD)」項(P679)における記述を次に引用(《 》内)します。 《CPTSD は虐待などを想定して作られた診断カテゴリーであるが,結局のところ,この診断に特異的な出来事基準を確定することはできず,PTSD と同じ基準が採用された.》 その上に、引用中の「PTSD」において「何がトラウマとなるのか」について、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の 第2章 精神医学から見た「〇〇な人たち」 の「強い過去のストレスを抱えている人たち(ストレス関連障害)」における連続した記述の一部(P92)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『なかでも深刻な心的外傷後ストレス障害は、PTSD(posttraumatic stress disorder)と呼ばれ、危うく死にかけたり、大怪我を負いそうになったり、性暴力にあったり、あるいはそうした状況を目撃したりしたことがトラウマとなって、長期にわたりさまざまな障害を負うものだ。』、『戦争、身体的暴力やその脅威(虐待含む)、性的暴力やその脅威(虐待含む)、誘拐、人質、捕虜、テロ、拷問、天災、人災、自動車事故などによって引き起こされる。男性では戦闘が、女性では性暴力が、PTSDの発生理由として目立っている。』 一方、上記「出来事基準」にもかかわらず「ポリヴェーガル理論では、トラウマ的な体験に関しては、何があったのかという出来事ではなく、どう感じたのか、という感覚を重視します。クライアントの物語をドキュメンタリー的な側面、つまり、何が起きたのかといった出来事や物事に焦点を当てるのではなく、生き残りをかけ、安全を求める無意識の身体的衝動の物語として理解します。ポリヴェーガル理論は、どう感じたのかということを重視します。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、上記「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。加えて、ツイート中の『PTSDの診断がなくとも「トラウマ」というだけでケアされるような社会を目指していく』ことに関連するかもしれない「たとえ、複雑性PTSD/PTSDの診断がつかなくても、トラウマの治療が必要な方は沢山います。」についてはWEBページ「複雑性PTSDとは?」の「まとめと私見」項を参照して下さい。その上に、(複雑性PTSDに対し)「診断名がつかなかったとしても、ときには治療を受けることが必要です。心が重い。苦しい。そう感じるなら、助けを求めてほしい。」についてはWEBページ『「複雑性PTSD」公表・眞子さまの回復に必要なこと―精神科医が語る「診断名がつくか否かではない」(ページ3)』を参照して下さい。 (iii) ただし、 引用中の「適応障害」の診断基準にも問題があると考えます。その例としての「診断基準にストレス因との時間的な因果関係以外に特徴的な症状の記載がない点は,結果的に不均一な臨床像が混在することとなり,診断を混乱させる要因となっている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「適応障害の診断と治療」の「Ⅱ.現在の診断基準の特徴と問題点」項(P516) 加えて、上記(適応障害においては)「不均一な臨床像が混在する」ことに関連するかもしれない「ADHDそのものが多様な病態をもつ」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、 a) 『適応障害は、「原因」からみて診断をしていきます。明確な原因があって、それがストレスになることが診断の前提です。ですから、「原因はよくわからない・・・」という方は、適応障害とは診断できません。』や「適応障害は誤解を招きやすい病気」については、WEBページ「適応障害の症状・診断・治療」の「適応障害をチェックする診断基準」項、「適応障害は誤解を招きやすい病気」項を それぞれ参照して下さい。 b) 「従来のDSM-5や従来のICD-10の診断基準において適応障害は、明確なストレスへの反応によって、主観的苦脳と社会生活上の支障をきたした場合に診断されてきました。特にDSM-5では、ストレスの強さにかかわらず、ストレスによる主観的苦悩か、社会生活上の困難のどちらかがあれば診断できてしまいます。そのため、明確なストレスがあり、他の精神疾患とは診断できないが、本人が苦しんでいるまたは生活上支障があらわれているといった幅広い状態に対して、適応障害は都合よく診断されてきました。」や『ICD-11では、このように曖昧な性格を持つ適応障害を、診断ガイドラインから除外した方が良いという意見もありましたが、世界的にもよく使われる診断名であるという理由からICD-11でも存続しています(Lancet,2013)。その代わり、ストレスへの適応の失敗に加えて、ストレスとその結果に対する「とらわれ」を特徴的な症状として診断に必須とすることで、診断の信頼性を高めました。「とらわれ」の例として、「過度の心配」「ストレスについての絶え間ない反芻」などがあげられ、付加的な特徴として「回避」もあげられています。』については共にWEBページ「適応障害(適応反応症)」の「DSM-5とICD-11における適応障害の診断基準の違い」項を参照して下さい。 c) 『「大人のADHD」患者はうつ状態,不眠を主訴として精神科を受診することが多く,たいてい適応障害と診断される』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 「精神科医適応障害という診断書乱発は、今以上に精神医療への信頼を失わせるのではないかと危惧しています」との記述を有するツイートや「適応障害の診断をちゃんとしている人に会ったことがない」との記述を有するツイートがあります。

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(N)「人間の研究」について
標記について長谷川眞理子著の本、「進化的人間学」(2023年発行)の 第1章 人間への興味――越境する進化学 の「人間の研究の様々なあり方」における記述の一部(P1~P2)を次に引用します。

(前略)古来より人間は、自分自身を理解しようとしてきた。始まりは哲学であった。その後、様々な学問が発展し、学問の細分化が進んだ。法学、経済学、社会学倫理学などは、人間と人間の社会について考える学問である。心理学は人間の心理を、民族学文化人類学は、人間の文化の多様性を、教育学は教育を、考古学は先史時代の人間の活動を探究してきた。つまり、人間の様々な側面が、それぞれ異なる学問で考察されてきた。
解剖学、生理学、内分泌学、神経科学、遺伝学、生態学、行動学などの生物学の諸分野は、すべての生物が対象であるが、その中で当然ながら人間についても明らかにしてきた。殊に、最近の遺伝学、分子生物学と脳神経科学、認知科学の発展は目覚ましく、次々と明らかにされる研究結果は、専門の研究者でさえ、なかなか追いつけないほどである。
一方、自然人類学という学問もある。これはまさに人間という生物について研究し、人間の進化を明らかにしようとする学問である。自然人類学は長らく、化石として残された材料を中心に研究されてきた。古人類の化石は、人類進化の直接の材料として相変わらず重要ではあるが、最近は、ゲノム解析が進んだことや、生態学、行動学、神経科学の発展を取り込むことにより、以前よりもずっと包括的に人間の進化を解明できるようになってきた。(後略)

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(O)『重要視されるようになってきた「共有意思決定」(SDM)』について、その他
標記について宮原哲、中山健夫著の本、「治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力 医師との会話・失敗例と成功例をケースごとに解説」(2023年発行)の 第2章 医療者と「対等」な関係を築く の『重要視されるようになってきた「共有意思決定」(SDM)』における記述の一部(P34~P36)を次に引用します。

医は仁術。これは、千年以上も前、平安時代の貴族で医者だった丹波康頼が日本最古の医学書、「医心方」で示した考え方です。医者は病気に苦しむ患者に、自らの利益を考えず、思いやりと慈しみをもって接し、医術を施すべきだと解釈できます。
特別な教育と訓練を受け、豊富な経験をもとに医療技術を提供するのが医師。患者は手術や薬など、治療をすべて医師に任せ、医療を享受する父権主義的(パターナリスティック)医療が少し前まで主流でした。
しかし、病気を治したいと願う患者も医療者とともに考え、努力し、重要な意思決定と治療に積極的に関わるべきだという考え方が登場し、最近ではシェアード・デシジョン・メーキング(SDM=共有意思決定)が重要視されるようにもなってきました。
この背景には、テレビやネットを通して、さまざまな情報源から患者が獲得できる医療に関する知識も増えてきたことが一因として挙げられます。さらに病院やクリニックにとっては「患者=客」という考え方も取り入れ、健康維持や促進の器具、サプリメントなどが商品化されたのにともなって、医療も「商品」と位置づけて、患者を医療の消費者とする、コンシューマリズムの考え方も要因の一つでしょう。
仁術の「仁」は思いやりや慈しみを表しますが、それ以前に「人が二人」とも読めます。医療は、医療者と患者という二人の人間がいて初めて成り立ちます。医療を提供する人と、受ける人の関係は、治療とその結果に大きな影響を与えます。
患者と医療者との関係は時代とともに変化します。病気の種類や治療方法の選択の幅など、さまざまなことが異なるため、「理想の関係とは」という問いに答えを出すことは簡単ではありません。でも、言うまでもなく、双方にとって、医療を提供しやすい、受けやすい関係と環境をともに追い求めることは大切です。
最適な医療を受けるには、信頼関係が必須です。もちろん、そんな関係を築くのは医師の責務でもありますが、同時にパートナーとしての患者の責任でもあります。どうすれば患者が医師と信頼関係を築き、保つことができるのか、病気になる前に考えておきましょう。

注:(i) 引用中の「シェアード・デシジョン・メーキング(SDM=共有意思決定)」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「医療者と患者が一緒に決める方法 - 健康を決める力」、「Shared Decision Making の可能性と課題 ―がん医療における患者・医療者の新たなコミュニケーション―」 加えて、 a) 上記「共有意思決定」の別名である「共同意思決定」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「共同意思決定 Shared Decision Making 治療法決定プロセスに患者・家族を巻き込む」 b) 上記「共有意思決定」の別名である「協働意思決定」については次の資料を参照して下さい。 「*** 患者・市民のための診療ガイドライン *** 患者と医療者の協働意思決定と診療ガイドライン」 ちなみに、『「shared decision making(SDM)」(意思決定の共有)』との記述を有する次のWEBページもあります。 「こころを診る技術 精神科面接と初診時対応の基本」の 書評 の「認知行動療法を実践する全ての臨床家に読んでほしい」項 (ii) 引用中の「どうすれば患者が医師と信頼関係を築き、保つことができるのか、病気になる前に考えておきましょう。」に関連するかもしれない「患者中心的コミュニケーションに必要な患者の能力」については次の資料を参照して下さい。 『患者-医師間コミュニケーション研究に見る「患者中心の医療」という概念の進化』の「2) 患者中心的コミュニケーションに必要な患者の能力」項(P455)

加えて、「対等な関係を築くために患者にできること」について「患者と医療者とは異文化コミュニケーションととらえることができる」ことを含めて、同第2章 医療者と「対等」な関係を築くの「対等な関係を築くために患者にできること」における記述の一部(P47~P54)を次に引用します。

医療者、特に医師と患者の力によるコントロールによって、両者の関係性が影響を受け、医療の効果が大きく左右されます。
医師の力に偏るとおまかせ・丸投げ医療となり、反対に患者の力が強いと、医療を商品として、そして患者がお客様として扱われ、さらにはモンスターペイシェントまで生んだりする、理想から遠く離れた関係になってしまいます。医師と患者双方が力を発揮し、ともに病気に打ち克つ努力をする協働作業ができる関係がとても大事です。
ではそのような関係を築くことは、患者がどのような努力をすることで、可能となるのでしょうか。意識・認識レベルと、行動レベルに分けることができます。

医療者との関係は異文化コミュニケーションと考える

医療者と対等な関係を、と頭では理解できても、簡単ではありません。医療者と患者は立場がまったく異なるからです。それまでの経験や、知識の質・量、医療の目的についての考え方、時間の感覚、さらに価値観などありとあらゆる点で異なっているのです。その意味で患者と医療者とは異文化コミュニケーションととらえることができます。
異文化というと、外国人と外国語を使って接する場面を想像するでしょう。旅行や留学、出張などで外国に行ったり、海外勤務をしたり、あるいは国際結婚など、外国の人と会話をすると、日本人同士とは異なり、以心伝心や察しは通用しないし、お互い「空気を読む」習慣もありません。何となく分かり合えたような気にはなっても、後になって相当なズレがあった、という経験はよく耳にします。
患者と医師とでは、それまでに生きてきた、特に学校卒業後の「社会化」の過程が大きく異なることからも異文化です。生まれたときから医師という人はいませんが、医師はどうやって作られるか、ということを知っておくことも患者として、医療での人間関係をどう認識すればよいのか、ということにつながります。社会化とはヒトとして生まれてきた動物が、社会的動物としての人間へと成長する過程です。
大学医学部に6年間通った後、国家試験を受け、合格すれば最低2年間の臨床研修を受けて一人の医師としての仕事を始められます。また、内科、小児科、外科など、それぞれの診療科にも独特の文化があって、内科医と外科医との間も異文化と考えられ、医療の場には「異文化コミュニケーション」の状況があふれていると言えます。
医療者に求められるコミュニケーション能力を考え、最近の大学の医学部では、あいさつや自己紹介、傾聴などの患者や他の医療者との基本的なコミュニケーションについて学ぶ機会が増えてきたことは喜ばしいことです。
ただ、私たち大学教員にも共通していることですが、医師は人から「先生」と呼ばれるのか常です。久しぶりに会った人を、「名前は忘れたけど、この人、確か教師か医師だったな」ということで「とりあえず『先生』と呼んでおこう」というときに便利なのが「先生」という呼称です。
その便利な呼び方によって、少し勘違いしている人も少なくないかもしれません。医学部を卒業した直後から、患者や製薬会社の人たちなどに「先生、先生」と呼ばれ続けると、何か自分は特別な存在という思い違いをして、周囲の人たちに横柄な態度で接してしまうこともあるでしょう。
一方、医療者でない人は、高校、あるいは大学を卒業後直ちに企業などで働くのが一般的です。そこでは、早い段階から先輩や上司からやさしくも厳しい指導を受けたり、さまざまな人たちを相手に営業活動をしたりと、「社会人」としての社会化が始まっていると言えます。
医療に関する専門力を競い合う必要などまったくありませんが、社会人としてのキャリアは医師より相当長いことは確かです。22歳か18歳から社会で働いている人と、早くても26歳までは医師の卵として教育や訓練を受けてきた人では、どちらが上、下ではなく、異なる環境で社会化の過程を過ごしてきた、つまり異文化なのです。

異文化、ということは「同じ」ものでも「違う」意味を持つ

「同じ」日本人でも、患者と医師では文化的背景が異なり、自分にとっての当たり前が、相手には非常識、くらいのズレがあっても不思議ではありません。たとえば、医師が「この手術は成功率が高くて、千回に1回くらいを除いて成功している」と言ったとします。成功率99・9パーセントですから、医師からすれば「自信をもって勧められる」治療法と言えるでしょう。しかし、患者からすると、「自分がその0・1パーセントになったら……」という不安が頭をよぎります。
このように同じメッセージでも、患者と医者とでは意味づけが異なります。両者の「解釈モデル」が違うからです。たとえば患者が「胸やけがする」と訴えて受診します。その患者は以前、逆流性食道炎と診断され、治療をしたことがあります。今回も同じ症状なので、患者は「逆流性食道炎だと思うので、胃カメラで検査してもらいたい」と言います。医師からすると、病名と検査まで決めてしまっている「困った患者」です。
この患者は60代の男性で高血圧、高血糖、そして喫煙者という、心筋梗塞のハイリスク者と考えられるので、医師は胃カメラの代わり、あるいはその前に心電図の検査を勧めます。患者からすると、「自分の体のことは自分が一番よく分かっている。せっかく逆流性食道炎と病名まで言っているのに、なんで心電図なんだ」と思います。
胸やけひとつとっても、医師と患者とではそれがどのような意味を持ち、何が原因で起きているのかを理解するために使う、「○○には△△という意味がある」という意味づげの過程での解釈モデル、パラダイムが違うので、両者間にズレが起きるのは当然です。「同じ」できごとでも、医師と患者とでは立場も、観点も、予備知識も違うのですから無理もありません。解釈モデルの違いをなくすことはできませんが、症状に関する同じ情報でも、患者と医師の間には相当異なる意味づけのプロセスがあることを意識しましょう。
医師の解釈モデルを患者のものに合わせることはできません。でも、患者としてできることは、医師はどのような過程を経て診断に至っているのか、一般的な診察・診断の「シナリオ」を知っておくことです。これは認識力で、身の回りで起こっていることを正確に、適切に理解する、コミュニケーションカの一部です。(後略)

注:引用中の「医師はどのような過程を経て診断に至っているのか」に関連するかもしれない、 a)『「鑑別診断」の例』については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 『その病気は「何を根拠に」診断しているのか』や「他に考えられる病気はあるか」について、上野直人著の本、「医師が患者になってわかった! 後悔しない賢い患者術」(2023年発行)の PART 3 今日から高めたい「情報を集める力」 の『その病気は「何を根拠に」診断しているかを聞く』及び「他に考えられる病気はあるかを聞く」における記述(P88~P92)を次に引用します。

その病気は「何を根拠に」診断しているかを聞く

根拠に基づく正確な病名・病状を把握する

恒常的に血圧が高い状態にあることで「高血圧」と診断され、血液中の糖の数値が高いことで「糖尿病」と診断されるように、病気の診断には、そう判断する根拠があります。判断の根拠が比較的明確な病気であれば、お医者さんの側も「検査の結果、○○が××なので、△△という病気でしょう」と伝えてくれるでしょう。
でもなかには、間違われやすい病気もあります。
たとえば「認知症です」と医師には言われたけれど、実際はうつ病だった、正常圧水頭症だった、慢性硬膜下血腫だったなど、別の病気が原因だったということもあります。
もし根拠を伝えずに病名だけ告げられた場合は、「先生がそう思われるのは、なぜでしょうか?」と必ず理由を尋ねましょう。
がんにしても、がんは誤診の多い、紛らわしい病気です。レントゲンやCT(コンピュータ断層撮影)で影があったり、しこりやコブがあったりしても、すぐに「がん」と言うことはできないのです。病理診断で、患者さんの体から採取した病変の組織や細胞を顕微鏡で確認するまでは、悪性腫瘍なのか良性のものなのかは判断できないからです。しかも病理診断の結果は、クロ(悪性)、シロ(良性)だけでなく、シロっぽいグレー、クロっぽいグレーなども含まれます。
したがって「がんでしょう」と言われたときは、そのまま受け取る前に「病理診断で、がんとわかったのでしょうか?」と、まずは確認することが重要です。さらに「確実にがんなのか、疑いの段階なのか」「今はどういう状態で、そのように考えられるのか」も確認しておきましょう。
がんに限らず、心臓病でも脳卒中でも肺炎でも、風邪であっても、どの病気もそうですが、手術や薬の服用といった治療は、体に大きな負担をかけることになります。
ですから根拠があやふやなまま、不確かな状況で治療を始めてしまうことがないように、まずは根拠に基づく正確な病名・病状を把握しておくことが大切なのです。

他に考えられる病気はあるかを聞く

感じているもやもやをそのままにしない

診断した根拠を確認することは、お医者さんが言うことをしっかり理解するうえでも有効です。医師は何かしらの根拠をもって、「総合的に判断して○○と考えられる」と判断をしています。病名だけ伝えるということは、途中の判断をはしょって伝えているということです。ですから「病気についてしっかり理解したいので」と伝えて、そう判断した理由を尋ねる習慣をつけましょう。
大きな病気でなくても同様です。熱や咳が出て診てもらったとき、多くの場合「まあ、風邪ということでいいでしょう」と医師からは言われます。そう言われて、大抵の患者さんは、もやもやがあっても「そうなんだ」で終わらせてしまいます。
けれども賢い患者になるには、それで済ませてはいけないのです。医師の言うことを鵜呑みにしないという意識をもつためにも、このように聞き返してください。「先生、風邪以外で他に何か考えられる病気があるでしょうか?」。
「他に考えられる病気がありますか?」と問いかけられたら、「これこれ、こういう理由で風邪と思っているのですが、安静にして、睡眠と食事を十分にとっても熱が下がらなかったり、咳がひどく続いたりするようならすぐに来てください。別の病気の可能性もありますから」のように説明してくれると思います。
医師から、いろいろな情報を引き出すには、感じているもやもやをそのままにしないことが大事なポイントです。
「自分の感じている症状からすると、その病名は何だか腑に落ちない。他に考えられる病気はないのだろうか?」と感じたら、その疑問を医師にぶつけましょう。
「先生、他に何か考えられる病気があるでしょうか?」と尋ねることで、医師のほうも「場合によっては」と考えられる病気を情報提供してくれるでしょう。可能性がないときも、「それはないですね。なぜなら」と返してくれるようになります。こうしたやり取りが増えていくことで、病気への理解が深まっていくのです。

注:引用中の「その病気は「何を根拠に」診断しているかを聞く」ことに関連する「なぜこの病名なのか? なぜこのように診断したのか?」について、同の PART 4 よりよい医療を引き出すためのコミニュケーション の『常に「WHY(なぜ?)」を忘れない』における記述(P110~P111)を以下に引用します。 ii) 引用中の「根拠があやふやなまま、不確かな状況で治療を始めてしまうことがないように、まずは根拠に基づく正確な病名・病状を把握しておくことが大切なのです。」の背景にあるかもしれない「不勉強な医師であっても、スキル不足の医師であっても、患者さんとのコミュニケーション能力が乏しい医師であっても、ずっと医師を続けることができてしまう」ことや「ブランドがあるからといって、必ずしも勉強し続けているとは限らない、最新の医療知識やスキルをもっているとは限らないという」ことについて、同の PART 1 患者と医師、両方の立場で見えてきたこと の「自分が賢い患者にならないと、名医も一流でなくなる!?」における記述(P25~P26)を以下に引用します。

常に「WHY(なぜ?)」を忘れない

「なぜ?」と問う姿勢をもち続けることを習慣に

不平不満の多い患者さんだけでなく、医師の「何か気になることや質問はありますか?」の問いかけに、毎回毎回、判で押したように「とくにありません」と返ってくる患者さんも心配です。説明したことを本当に理解してくれているだろうかと思ってしまうからです。
医師のなかには、腕はいいけれど説明がうまくない医師もいます。無愛想な印象だけれど、心から患者さんのことを考えてくれている医師もいます。納得できなかったり、疑問に感じたことを質問せず、「このお医者さんは何も言ってくれない」と不満を抱いたりしてしまったら、そうした医師を見逃してしまう可能性もあります。
医師のカを引き出すには、患者さんからも積極的に質問をする必要があります。受け身でいることをやめて、常に「WHY(なぜ?)」と疑問をもつことを忘れないでいてください。
「なぜこの病名なのか? なぜこのように診断したのか?」
「なぜその治療なのか? その治療がいいと考えられる理由は何か?」
「他の選択肢はないのか?」
「なぜこの薬を出したのか?」
「なぜこの薬が効かなかったのか? 他の薬は考えられないか?」
このように、いつも「なぜ?」と問う姿勢をもち続けて、「何となく引っかかることは、必ず質問する、医師に伝える」ことを習慣にしましょう。
質問することは、クレームをつけること、医師を疑って批判することとはまったく違います。自分自身がしっかり理解するために行うものです。ですから、医師に遠慮することはありません。医師も、患者さんからの質問で気分を害したりはしません。むしろ「自分の病気にしっかり向き合っている患者さん」と捉えて、よりよい医療を提供していこうと考えてくれるようになるはずです。

自分が賢い患者にならないと、名医も一流でなくなる!?

パーフェクトを医師はどこにもいない

「大きい病院で知名度もあるから安心できる」「病院ランキングでも上位にあったから大丈夫だろう」「テレビにも出ているし、ゴッドハンドと紹介されていたお医者様だから診てもらいたい」――。
どうせなら、ブランド病院や名医とされている医師にかかりたいと思う気持ちは理解できます。けれどもブランド病院のなかにも、いろいろな医師がいます。デキる医師もいれば、力不足の医師もいるでしょう。
本を出したり、テレビに出たりしているから安心ということも言えません。日本で有名な医師の患者さんが、セカンドオピニオンを受けに私のところに相談にこられることもありますが、正直「なんで、あれほど有名な医師がこんな治療法をしているのか?」「私なら、この治療はしないだろう」と感じることが多々あります。
このことひとつとっても「ブランド」に頼りきって、治療を任せきりにしてしまうのは心配です。
そもそも〝パーフェクトな医師〟など、世界中のどこにも存在しません。皆さんにはショックかもしれませんが、医師といっても所詮は人間です。名医であっても、最新情報に疎かったり、体調不良や寝不足だったりすれば、医療ミスや不幸を医療事故が起きてしまう可能性があるのです。
また日本には、アメリカと違って医師免許の更新制度がありません。アメリカの場合、州によって若干の違いはありますが、医師には医師免許の更新が義務付けられており、専門資格についても試験を受けて更新する必要があります。
私の例で言うと、長らく働いていたテキサス州では医師免許は毎年更新、腫瘍内科医と内科医の専門資格については、10年ごとに試験を受けたうえで更新が求められています。
対する日本は、医学部を卒業して医師の国家試験に合格さえすれば、医師免許は更新されないまま生涯有効です。
この制度は、医師にとっては好都合ですが、患者さんにとっては最悪なシステムだと私は思っています。なぜなら不勉強な医師であっても、スキル不足の医師であっても、患者さんとのコミュニケーション能力が乏しい医師であっても、ずっと医師を続けることができてしまうからです。
医療技術や薬剤開発の進歩が早い医療の世界において、知識やスキルを高めなくても医師として仕事が続けられる。これほど患者さんにとって怖いことはないのではないでしょうか。
名医であっても安心できないと私が言う背景には、こうした日本の実情もあります。ブランドがあるからといって、必ずしも勉強し続けているとは限らない、最新の医療知識やスキルをもっているとは限らないということです。
だからこそ、「お任せしておけば安心」と盲目的に信じ込んではいけないのです。
「じゃあ、どうすればいいの?」「といっても医療に関してはお医者様に頼るしかないでしょう?」と思っている方もいるでしょう。確かに、病気の治療は医師にしかできません。それだけに、どんな医師を選ぶかば大事ですし、それ以上に、皆さんがどんな患者になるかがとても重要なのです。

注:引用中の『「お任せしておけば安心」と盲目的に信じ込んではいけない』ことに関連する「もし、患者が何となく医師に遠慮して、診察室で質問することや、自分の思いを述べたりすることを躊躇する傾向にあるとすれば、そのままでよしとしてはいけません。」については次のWEBページを参照して下さい。 「自分の病名も薬の名前も知らない…患者が賢くならなければいけない理由(ページ2)」の『自分の健康や病気は、自分に責任…「患者目線の医療」への遠い道』項

その上に「患者中心医療の実現に向けて」について「医療とコミュニケーションとの関係」を含めて、同の 第5章 患者が医療者とともに創る「共有」の関係 の「医療だからコミュニケーション、それともコミュニケーションするから医療?」における記述(P174~P177)を次に引用します。

患者中心医療の実現に向けて

医師は専門知識と経験に基づいて、適切な診察を経て正確な診断をし、有効な治療をしてくれるお父さんのような存在で、患者は黙ってそれを受ける、というとらえ方がパターナリスティック(父権主義的)医療です。その対極が、患者はお金を払って医療サービスを購入する消費者なので、医療者は患者を「お客様」として扱う、コンシューマリズム(消費者主義)医療です。
いずれも理想的ではありません。目指すべきは、患者も医療者もお互いの知識や立場、そして考えを認め、それぞれの役割を果たし、その結果患者が診察や治療に満足し、自らの意思で受療行動を続けて回復を目指す、患者中心医療です。患者と医療者は、役割は当然異なるものの、どちらが上、下ではない、対等な関係をともに築くことが必要です。
ここで、医療とコミュニケーションとの関係を、あらためて考えてみましょう。

病気の症状や、それに伴う辛さ、不安、期待などを患者が医師に伝え、医師は問診や触診をして診断をし、それを記録したり、患者に伝えたり、また薬の処方箋を書き、服薬の方法を指示して予後のことについて伝えるなど、すべて医療という文脈でのコミュニケーションです。コミュニケーションは医療効果を上げるのに欠かすことのできない手段、道具です。
医療とコミュニケーションとの関係を一度転回してみます。
人間には、他の動物にはない、言葉や非言語という「シンボル」を使う力があります。それによって、過去を振り返り、未来に思いをはせ、現在の行動をコントロールする目的力を持っています。また、病気で苦しんでいる人の話を聞いたり、その様子を見たりして、「病気になりたくない」と思い、健康管理をしたり、かかってしまったら「早く治したい」という認識力を働かせて、治療を受けます。
人間は人と、あるいは自分自身の中でコミュニケーションをする力を持っているからこそ医療という社会行動を確立し、実践しているのです。また、コミュニケーションによって、患者と医療者の関係を作ることが可能です。医療だけではなく、介護や看護もコミュニケーションの「産物」です。
コミュニケーションは医療の道具、という考え方をひっくり返して、人間はコミュニケーションするから医療、と考えることができます。
そうすると、患者のコミュニケーションが、医療者との関係、そして診断や治療の質を決める、ということになります。患者と医療者との関係は、両者のコミュニケーションの質を忠実に反映するのです。患者が発するメッセージと、それを受け取り、反応する医療者のコミュニケーションの質は、医療の質そのものです。
たかがコミュニケーションではありません。コミュニケーションができるからこそ、人間にだけ与えられたギフト(贈り物、たまもの)の一つが医療なのです。患者中心医療は医療者がお膳立てをして、持続することも必要ですが、患者が当事者意識をもって、医療者とともにコミュニケーションカを総動員して創りあげるものです。

誰かが何とかしてくれる「なる志向」では自分が苦しむ

医療効果は患者の努力によって上げられるのです。だとすると、心得ておくべきなのが、「なす志向」です。「このところ暖かくなってきた」とか、「日が短くなった」という自然の営みは、人間の力が及ばないので、「なる」で間違いありません。「なる志向」は、自然、それに人間関係を含む社会環境に自らを合わせ、調和を図ることを大切にする日本文化の特徴です。
病気も「なる」「かかる」のであって、好きで自分を病気に「する」人はいないでしょぅ。しかし、いったん病気にかかってしまったら、「なる」を「なす」に切り替えましょう。病院に電話したり、検査の予約をしたりして、自分から行動を起こすはずです。そして、診察室に入っても、その「なす・する」志向を持続し、医療者とともに患者中心医療の環境づくりに努めなくては意味がありません。
患者には何もできない、あるいはお金を払って医療を受けている自分は客だ、という考えは、治療に必要な情報や能力を、医療者から引き出すのを難しくするだけです。医療者も人間です。患者の「治したい」という気持ちを感じることができなかったり、患者との関係に不信感や不快感を抱いたりすると、それなりのことしかしない、できない、ということもあるでしょう。
医療者と一緒に病気に立ち向かう姿勢を示さないと、結局は患者自身が嫌な思いをすることになります。患者が医師との良好な関係を保つことは、その結果持続的、効果的受療行動となり、それが治療効果の向上につながるはずです。

注:i) 引用中の『患者の「治したい」という気持ちを感じることができなかった』ことに関連するかもしれない〝la belle indifference、満ち足りた無関心〟については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「患者と医療者は、役割は当然異なるものの、どちらが上、下ではない、対等な関係をともに築くことが必要です。」に類似するかもしれない「医師と患者は本来対等なパートナー関係にある」ことについて、上野直人著の本、「医師が患者になってわかった! 後悔しない賢い患者術」(2023年発行)の PART 1 患者と医師、両方の立場で見えてきたこと の 医師と患者は本来対等な存在 の「医師と患者に上下関係はない」における連続した記述の一部(P28~P29)を三分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『忘れないでいただきたいのは、医師と患者は本来対等なパートナー関係にあるということです。医師が上、患者は下といった上下関係にはない。まずはこのことを覚えておいていただきたいのです。』、『確かに医師は病気や治療に関する知識も経験も豊富です。医療のスペシャリストですから、それに対するリスペクトや信頼感をもってもらうこと自体は悪いことではありません。専門家としての知識とスキルは大いに発揮してもらったほうが、患者さんにとってもプラスになります。』、『だからといって「お医者様は偉くて、患者はお医者様の言うことを聞いていればよい」といった意識でいるのは誤りです。「診察室の椅子に座っていれば、お医者様がすべて解決してくれる」と考えていてはいけないのです。』 iii) 引用中の「コミュニケーション」に関連する「参加型医療を促進する患者のコミュニケーション行動」について、「ナラティブに基づく医療」や「語ることによって初めて患者自身が自分の気持ちや病気に対する心構えなどを整理して自覚することができる」ことを含めて、同第2章 医療者と「対等」な関係を築くの「参加型医療を促進する患者のコミュニケーション行動」における記述の一部(P55~P57)を次に引用します。

患者が医療者と対等の立場で協働して病気に立ち向かい、治療に参加する患者中心医療を可能にするには、患者の「自己主張」が必要です。自己主張というと、和を貴び、角が立たない、波風を立てない言動を心がけ、すべて丸く収まるよう細心の注意を払うことを社会化の過程で重要視する日本文化には、いかにも似合わないコミュニケーション行動と思われるでしょう。
あの場ではお互いの立場を守ることが一番大事だった、など人間関係と自分が主張したいことを天秤にかけて、「あのときは○○と言うしかなかった」という具合に、自分の行動を周囲との「兼ね合い」によって決めることは多いはずです。
しかし、自己主張は相手を攻撃したり、批判したり、そして人がどう思うかにかかわらず自分の考えだけを前面に押し出すことを指しているのではありません。医療の場での自己主張は、情報収集、情報提供、明確な発言、不安の表現に分類できます。思っていることを主張する一方で、医療者の考えにも耳を傾け、冷静に、しかし、情熱をこめて話し合って意思決定するのが「自己主張」です。
患者は、その病気を患っていることによって日常の生活がどのような影響を受けているのか、今後どのように病気と向き合いたいのか、そしてどういった医療を受けたいと願っているのか、という点で誰よりも専門家なのです。
病名は同じでも、人によって家族構成や生活環境、性格、今後の生活への期待、不安などが異なるのですから、「同じ」病気はないと考えるべきでしょう。患者が自分の病気をどんなストーリーや物語(ナラティブ)で語るのか、という点に注目して、患者の悩みを全人的にとらえて行う医療、ナラティブに基づく医療(NBM)が今注目されています。
患者本人にしか分からない症状や感覚、気持ちなどを、信念をもって医師に伝えることは患者の権利でもあり、役割、責任でもあります。語ることは、医師に自分の病気についての情報を提供することはもちろんですが、語ることによって初めて患者自身が自分の気持ちや病気に対する心構えなどを整理して自覚することができるのです。

注:引用中の「ナラティブに基づく医療」については次のWEBページを参照して下さい。 「ナラティブ(物語、語り) - 健康を決める力

さらに、「医療は遠慮、忖度が不要・無用の場」であることについて『「リテラシー」や「メタ力」を高める』ことを含めて、同第5章 患者が医療者とともに創る「共有」の関係の「患者になる前に考え、身につけておきたい力」における記述の一部(P187~P190)を次に引用します。

認識力としてのリテラシーを高める

病気にかかった場合もそうですが、日頃からサプリメントや健康器具、あるいは保険などに関する情報をインターネットで検索することは、現代人にとって当たり前のこととなりました。
少し前までは医師や保健師などと相談しなくては手に入れることができなかった情報を、手のひらで、指一本で仕入れることができるのですから、便利になったものです。しかし、そうやって手に入れる情報すべてが、すべての人に同じ意味を持ち、同じ効果をもたらすことはあり得ません。
リテラシーはもともと「識字」、つまり読み書きができることを指す言葉です。インターネットをはじめとするデジタル媒体であふれる情報を取捨選択し、正確に理解して自分の行動に適切に応用できるのが、情報リテラシーが高い人です。
その能力を医療、健康に関わる場面で生かすことができると、「ヘルスリテラシーが高い」と言えます。病気になってしまってヘルスリテラシーを高めようとしても、なかなかうまくいかないでしょう。日頃から、健康なときにこそ、ヘルスリテラシーを高めておく練習が必要です。
ネット情報をすべて否定する必要はありません。ただ、「本当にそうだろうか」「何を根拠にこんなことが言えるのだろうか」など、批判的精神をもって情報に接するのが最初の一歩です。

「メタカ」を高める

人間だけが自分を客観視できます。客観視は、自分を外側から見ることを指します。「メタ」は異なる、特に高いレベルを意味します。自分の行動を一段上から見てみることです。
人との関わりを、まるで天井に取り付けられたカメラ越しに観察する能力を「メタカ」と呼びます。ただ、病気にかかり、痛みや、苦しさがある状況で「メタカを発揮しよう」と思っても無理です。だからこそ、日頃から友人や家族とのコミュニケーション、人間関係を、メタカを使って観察し、自分自身の特徴を知っておく努力がものを言います。
相手が誰であろうと、どんな目的でコミュニケーションをするかにかかわらず、自分を客観視したり、過去を振り返って自省したりといった認識力も、また未来に思いをはせてさまざまなゴールを設定し、それらを達成するための手段を考え、実行する目的力もコミュニケーションカを構成する大事な柱です。

医療は遠慮、忖度が不要・無用の場

言いたいことがあっても、角が立たないよう、相手の気持ちを察し、空気を読みながら、へりくだった、控えめの表現をして、何事も丸く収めようとするのが日本人のコミュニケーションの特徴です。いかにもやさしい、思いやりにあふれた、そして周囲との「和」を大切にした、世界に誇ることができる日本文化を支えてきた美徳です。
しかし、医療は命や健康の回復、維持といったかけがえのないものを対象としたメッセージのやり取りが求められる、「緊急事態」です。患者の体や心の病気を和らげたり、時には患者以上に健康に注意したりしてくれる医師ですから、それなりの敬意を示すことは当然必要です。だからといって過度なへりくだりや遠慮をすると、大事なことが伝わらなかったり、辛さや痛みが過小評価されたりして、結局診察に満足できず、病気の回復も思った通りにいかない、といった嫌な思いをするのは患者自身です。
もちろん言いたいことを一方的に言ったり、声を荒らげたり、無理難題を吹っかけたりすると「モンスターペイシエント」のレッテルを貼られ、医療者から避けられる、困った人になってしまいます。でも、患者は自分の病気に関しては「専門家」なのですから、言わなければいけないことをはっきりと、「こんなこと言うと先生から嫌われるんじゃないだろうか」などと必要以上に気をつかって話すことは避けましょう。(後略)

注:i) 引用中の「ヘルスリテラシー」については次のWEBページを参照して下さい。 「ヘルスリテラシー 健康を決める力」 ちなみに、引用中の「リテラシー」に関連する「メディア・リテラシー」については資料「メディア情報リテラシー研究 第4巻第1号」中の森本洋介著の文書「ソーシャルメディア時代のメディア・リテラシー能力概念とその枠組み」(P170~P195)を参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「メタカ」に関連する「メタ認知」についてはここ及びここ、そして他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(P)「情動の認知理論」について、その他
標記について「生存回路」、そして「自己スキーマ」や「情動スキーマ」を含めて、ジョゼフ・ルドゥー著、駒井章治訳の本、「情動と理性のディープ・ヒストリー 意識の誕生と進化40億年史」(2023年発行)の 第15部 情動的主観性 の「第64章 思慮深い感情」における記述の一部(P358~P361)を次に引用します。

情動は古代からヒトの本質の重要な部分として認識されてきた。プラトンが情動を手に負えない内的な「野獣」と考えたことは、ダーウィンやマクリーン、基本的情動理論家たちの見解を先取りしたものである。彼らはみな、情動は動物の祖先から受け継いだものだと考えていた。一方、アリストテレスが強調したのは、情動における思考と理性の重要性であり、これらがどのように道徳的行動と選択を形成するかであった。彼の考えは、プラトンの考えとは異なる情動研究者グループ、とくに情動における認知の役割を強調するようになった研究者たちに影響を与えた。
アリストテレスは真実に近かったと思うが、それはプラトンダーウィン主義者が完全に間違っていたという意味ではない。私たちの脳には、なんらかの情動があるときに起こる行動を制御する本能回路がある。それらはこのような情動を起こすだけではない。これらは生存回路であり、生物学的に重要な刺激を検知し、生物の生存を助ける身体反応を開始する。これは、LUCA(最後の普遍的共通祖先)からはじまり、この地球上に生息するすべての生物に存在する生存命令を継続するものである。一方、情動的感情は、自分が置かれている状況を認知的に解釈したものであり、その能力は意識の進化によって可能になったものだと私は考えている。
情動の認知理論は、スタンレー・シャクターとジェローム・シンガーが一九六二年に提唱した概念の変形である。これらの心理学者は、情動経験は生物学的にあらかじめ決められたものではなく、特定の経験の社会的および物理的文脈に照らして、神経シグナルを含む生物学的シグナルの評価、解釈、およびラべリングによって構築されると主張した。神経科学では、情動は大脳辺縁系に組み込まれているという信念が依然として支配的であるが、シャクターとシンガーのおかげで、情動の認知的見解は現代の心理学においても広く支持されている*。
私にとって、ヒトの情動とは、他の自覚的意識の経験と同様に、認知的に組み立てられた自覚的意識の経験である。無意識的情動という考えは矛盾語法である。実際に何かを感じなければ感情でも情動でもない。それにもかかわらず、非意識の因子が寄与する。
スキーマは認知の構成要素であった。情動が認知の一種である限りスキーマはその構築に不可欠である。さまざまな低次の、つまり非意識的な要因が存在するなかでスキーマがパターン完成することで、意識的な内容が推進される。非意識的な要因には、外部刺激の知覚の表現、生存回路の活性化による表現などがある(図64-1)。
先に述べたように、スキーマ自体は非意識の表現であり、自分が置かれている状況を理解するのに役立つ。そして、相互に関連する二種類のスキーマは、意識的な情動を自己と情動のスキーマにするうえでとくに重要である。
自覚的な経験であることから、情動的感情は個人的なものであり、それは決定的に自分自身を巻き込み、自分自身のスキーマに関与する。自分が経験の一部でなければ、経験は情動的な経験ではない。自己にかかわるすべての経験は必ずしも情動的な経験ではないが、すべての情動的な経験は自己にかかわる。リサ・バレットらは、情動は「特定の状況において自身を概念化するエージェントとは独立して理解することはできない」と述べている。危険が存在するという意識は、自らが危険にさらされていることを知っているという自覚的な意識とは異なる。
また、意識的な情動経験を認知的に組み立てる際にとくに重要なのが、「情動スキーマ」と呼ばれる、情動に関する非意識の知識であり、課題や機会を伴う状況を概念化するのに役立つものである。このように、バレットは情動を概念的行為と表現している。同様に、ジェラルド・クロアとアンドリュー・オートニーは、情動スキーマは「現在を解釈し、過去を記憶し、未来を予測する」ために使用する「既製のフレーム」であると指摘している。また、情動スキーマは、ジョン・ボウルビィの小児発達の愛着理論の中心的存在であり、アーロン・ペックの認知療法や、ジェフリー・ヤングやロバート・リーヒーが提唱したスキーマ療法にも重要な役割を果たしている。
原始的な基本的情動を、動物から受け継いだ皮質下辺緑回路の産物として扱ったヤーク・パンクセップは、それにもかかわらず、より複雑な人間の情動には反射的な自己認識が含まれ、認知処理、言語的表現、皮質回路に依存することを提案した。原始的な基本的情動においても皮質下回路を強調するアントニオ・ダマシオは、複雑な人間の情動においても認知と言語が重要であることを指摘した。しかし、私はさらに踏み込む。私にとって、一般的に基本的といわれるものも含め、すべての情動には、高次回路による情動スキーマのパターン補完に基づく認知的解釈が含まれている。
たとえば、あなたの恐怖スキーマは、脅威、害、危険、恐怖そのものについて学んだことの記憶を集めたものであり、人生を通じてそれらとの個人的な関係も含む。脅威が存在する場合は、恐怖スキーマがアクティブになる(パターン完了)。そしてスキーマは、意味論的、エピソード的な情動のテンプレートを提供し、認知システム記憶によって扱われている低次の脳や身体の状態を、トップダウンで概念化することを可能にする。このテンプレートは、そのような状況で典型的に見られる予測モデル(期待)とスクリプト(可能な行動方針) の基礎となる。表64-1は、仮想的な恐怖スキーマを言葉で表現したものである。
情動スキーマは個人的な経験によって獲得され、それが高次の情動認識に寄与する。この点において過去の経験が現在の高次の意識状態に重要であるとするアクセル・クレアマンの 「意識の急進的可塑性理論」は、ここで言及する価値がある。また、バレットの「分類と推論をサポートし、その後の行動をコントロールする」という「情動概念」にも関連性がある。(後略)

注:i) 引用中の「図64-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「表64-1」における全記述を二分割して形式を変更して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『表64-1 仮想的な恐怖スキーマの言語的表現』、『仰天、死、不動、摂動、動揺させられる、臆病、逃走、恐怖症、動揺、防御的、予感、おびえ、警告、絶望、驚愕、感性、不安、逃亡、健康、心配、狼狽、恐怖、障害、ストレス、勇気、恐ろしい、いらいら感』 iii) 引用中の脚注「*」(同本の P366)の内容を次に引用します。 【* 数年にわたって情動を認知的に捉えてきた人には、ジョージ・マンドラー、リチャード・ラザルス、ニコ・フリーダ、クラウス・シェラー、デイヴィッド・サンダー、リサ・バレット、ジェームス・ラッセル、クリスティン・リンドクゥイスト、ジェローム・ケーガン、ジェロームグロス、ケヴィン・オシュナー、アンドリュー・オートニー、ジェラルド・クロア、アサフ・クロン、リウス・ペソアフィリップ・ジョンソン=レイアード、キース・オートレー、レベッカ・サックスなどがいる。】 iv) 引用中の「生存回路」に関連するかもしれない「防衛反応」については例えば他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、引用中の「生物の生存を助ける身体反応」に関連する「闘争-逃走-凍りつき(又はシャットダウン、麻痺、服従)」反応については他の拙エントリのここここここここ及びここを参照して下さい。 v) 引用中の「スタンレー・シャクターとジェローム・シンガーが一九六二年に提唱した概念」に関連する「情動の二要因説」については例えば他の拙エントリのここにおける引用の「6.1.2 認知的情動説」項や次の YouTube を参照して下さい。 「【感情の心理学】つり橋効果が起きるのは,どうして?(情動の2要因説)」 vi) 引用中の「リサ・バレット」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「愛着理論」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「認知療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「スキーマ療法」については他の拙エントリのここ参照して下さい。 x) 引用中の「予測モデル(期待)」に関連する「予測」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xi) 引用中の「情動概念」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 xii) 引用中の「信念」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「危険」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 xiv) 引用中の「恐怖」に類似する「恐れ」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐れ - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「恐怖スキーマ」について「生存回路」や「意識的な情動経験は、典型的には、前頭前野の高次ネットワークによるさまざまな非意識的構成要素の処理から生じる」ことを含めて、同第15部 情動的主観性の「第65章 情動脳は熱い」における記述の一部(P373~P374)を以下に引用します。 xv) 引用中の「情動」に関連する「情動はヒトで特殊化されたものであり、私たちの脳の独自の能力によって可能になっているとの提案」について、同第15部 情動的主観性の「第66章 生存は深いが、情動は浅い」における記述の一部(P377)を以下に引用します。

(前略)要約すると、私の提案は、意識的な情動経験は、典型的には、前頭前野の高次ネットワークによるさまざまな非意識的構成要素の処理から生じるというものである。すなわち、①引き金となる出来事についての知覚情報、②検索された意味記憶エピソード記憶、③意味の層を追加する概念記憶、④自己スキーマ活性化を介した自己情報、⑤生存回路情報、⑥生存回路活性化による脳の覚醒と体のフィードバックの結果、および⑦個人の情動スキーマの活性化の結果として展開される、あらゆる情動状態についての情報である。
高次のネットワークは、これらの意識されていない低次の信号の処理を監視し、制御し、それらを使用して、結果として生じる自覚的に意識された情動状態への内省的接近、ラベルづげ、および経験を用いる。恐怖スキーマが脅威によってパターン化されている場合、あなたが利用可能な恐怖ファミリーの語彙から、恐怖、パニック、テロ、不安、心配、懸念などの言葉を使ってラベルづけされる可能性が高い。活性化されたスキーマ要素は、その瞬間の経験を定義するものであり、ラベルは単にそれを改良し、固定するものである。(後略)

注:(i) 引用中の「生存回路」に関連する「扁桃体の生存回路の活性化」について、同第15部 情動的主観性の「第65章 情動脳は熱い」における記述の一部(P371~P372)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『扁桃体の生存回路の活性化は、神経調節性システムの活性化にもつながり、脳全体の覚醒レベルを高める。』、『さらに、生存回路の活性化に反応して副腎髄質からアドレナリンが放出されると、体腔にある神経が活性化されて大脳の神経調節性システムに信号が送られ、扁桃体によって直接引き起こされる覚醒がさらに促進される。コルチゾールは副腎皮質からも放出され、血流に乗って脳に運ばれ、ここでこれまで論じてきた皮質と皮質下の多くの領域の処理に影響を与える。ホルモン作用の効果発現は遅いが、不活性化も遅い。』(注:a) 引用中の「アドレナリン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 引用中の「コルチゾール」については次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 c) 引用中の「覚醒がさらに促進される」ことに関連する「覚醒亢進」又は「過覚醒」については次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒 / 覚醒亢進」) 加えて、上記「生存回路」に関連するかもしれない「迷走神経における信号処理」についてはタイトルを除き拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Signal processing in the vagus nerve: Hypotheses based on new genetic and anatomical evidence[拙訳]迷走神経における信号処理:新しい遺伝学的及び解剖学的証拠に基づく仮説」

どんなに単純であっても複雑であっても、すべての生物はエネルギー資源を管理し、流体とイオンのバランスをとり、危害から身を守り、繁殖することによって生命を維持し、種の存続に貢献する。これらの基本的な生存活動は、中枢神経系をもつ生物の特定の生得的行動を制御する専用の回路で具体化される。しかしこれらの回路から情動は生まれない。
情動はヒトで特殊化されたものであり、私たちの脳の独自の能力によって可能になっていると私は提案する。情動は、初期のヒト科の祖先が言語を進化させ、階層的な関係推論を行い、心的な意識をもち、反射的な自覚意識をもたない限り、私たちが経験する形で存在することはできない。これらの能力により、古代の生存回路の活動は、自己認識に統合され、意味的、概念的、エピソード的な記憶として組み立てられ、パーソナライズされた自己と情動のスキーマとして解釈され、現在の行動を導くために、また将来の情動的な経験を計画するために、使用されることが可能になったのだ。それによって情動は、人間の脳の精神的な重心となり、ナラティヴや民話の素材となり、私たちが知っているような、人生において重要なすべての文化、宗教、芸術、文学、そして他者や世界との関係の基礎となった。(後略)

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:加えてマインドフルネスや仏教思想の関連も紹介しています

*2:注:上記広汎性発達障害の新しい名前である「自閉スペクトラム症」又は「ASD」については他の拙エントリを、一方、「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい

*3:「論争中の病」又は「論争されている病」に含まれる「化学物質過敏症」についてはここを、「論争中の病」に関連するかもしれない身体疾患・内科疾患が否定された後の内科医の視点からの「不定愁訴治療の前のチェックリスト」についてはここを それぞれ参照して下さい。

*4:「反応性」についても含みます。ここを参照して下さい。

ADHDについて、その他

(1) 岩波明医師、田中康雄医師に関連した本エントリ内リンク
岩波明医師(ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ[とここ]、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
加えて、 a] 他の拙エントリ「MCS(多種化学物質過敏状態)リンク集」におけるリンクはここを参照して下さい。
b] 他の拙エントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」におけるリンクはここここここここここここここここここここを参照して下さい。
c] 他の拙エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】」におけるリンクはここを参照して下さい。
d] 他の拙エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その2)」におけるリンクはここここここここここを参照して下さい。
e] 他の拙エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その3)」におけるリンクはここここを参照して下さい。
f] 他の拙エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その5)」におけるリンクはここここここここここここここを参照して下さい。
田中康雄医師(ここ、 ここ、 ここ、 ここここ 及び ここ
加えて、 a] 他の拙エントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」におけるリンクはここここここここここを参照して下さい。
b] 他の拙エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】」におけるリンクはここここを参照して下さい。
宮尾益知医師(ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
注:上記とは別の他の拙エントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」におけるリンク集はここを参照して下さい。

(2) 用語、文章の本エントリ内リンク[注:自閉スペクトラム症(ASD)とADHDの両者に関連するものはここを、(ADHDと)ASDとの併存の相乗効果についてはここを それぞれ参照)
ADHDについてのリンク集、 成人ADHDの有病割合、 多動・衝動性及び不注意、 注意の配分が苦手(ここここ *3 及び ここ *4
「Sluggish cognitive tempo(SCT)」(ここここ)、 センセーション・シーキング(ここここ)、 「ADHD の病態モデル」、 インターネット依存、ギャンブル依存
空間的にも時間的にも近いところにフォーカスしやすい(目の前にあるものだけに注意が向く、そして、時間認識においては少し前のことでも抜けやすく、また先の展望をもつことが苦手である)(ここここ
日常生活や学校において問題となりやすい点、 ADHDに必要なスキル、 認知の歪みと補償方略、 認知行動療法
ハロウェルらによるADHD診断基準、 デフォルト・モード・ネットワーク、 トリプル・ネットワーク、 情動調節
傷つきやすい(ここここ)、 併存障害、 薬物治療、 自己理解、 タイプ別の支援法
実行機能の障害、報酬系の障害、時間感覚(タイミング)の障害、時間知覚、注意機能の障害、デフォルトモードネットワークの障害、ADHDそのものが多様な病態をもつ、 過集中
実行機能、 「詰めが甘い」(ここここ)、 「頼まれると断れない」(ここここ)、 「プロセスの始まりと終わりでつまづく」(ここここ
ワーキングメモリ=記憶のバッファが小さい(ここここ)、 ADHD の病態、 刹那主義と自暴自棄、 ADHDの病理の本質
時間の見積もりの甘さによる段取りの悪さや会話のタイミングの悪さ,時間を忘れる
 「内省の困難」、 「躁的防衛に親和性をもつ」、 微分回路優位、 「クリエイティビティとADHD症状はトレードオフの関係」
ED[感情調整不全又は情動調節障害]([前者]ここ、[後者]ここ)、 感覚過敏を中心とする感覚の異常、 狩猟民族、ムードメーカー、猪突猛進型、 ワーカホリック

注:次は他の拙エントリ記事に対するリンクです。
ADHDに気づかず何十年も苦しむ、 インターネット依存症 *5
ADHDの長所(ここここ 及び ここ)、 (ADHDにおける)>「数時間単位の気分変動」

(3) 用語、文章の本エントリ内リンク(女性のADHD関連、女性に特化したADHDとASDの区別を含む)
女性のADHDについてのリンク集、 ミスばかりで自分が嫌になっている、 気配りができず、同性に嫌われる(ここ 及び ここ)、 時間がないのに用事をつめこんでしまう(ここ 及び ここ
子どもを叱りすぎて虐待を疑われる、 治療後に、部屋が片付きすぎて混乱する、 内気で恥ずかしがり屋、 思考の多動
診断基準は男子の特徴を反映、 診断基準が当てはまらない特徴、 「いい加減」な生き方を探していく、 そつなくふるまうことはあきらめる
多動の特性が「おしゃべり」にあらわれる、 押しの強い男性との間には少し距離をとる、 安易に重大な決断をしてしまう、 恋愛にのめり込みやすい
フォローしてくれる友達・同僚をみつける、 求められる“女性像”に苦しむ、 女性ホルモンの影響がある、 体調変化への対応
「ガールズトーク」についていけない、 自尊感情が低い、 “過剰適応”でカバーされてしまう *6、 ADHDとASDの区別 *7
注:ADHDの女性の事例についてはここをを参照して下さい。

(4) 用語、文章の本エントリ内リンク(自閉スペクトラム症[ASD]とADHDの両者に関連)
ADHDとASDの併病割合、 ADHDとASDの区別、 自閉スペクトラム症及び/又はADHDを伴う日本の青年のインターネット中毒の有病割合

(5) 用語、文章の本エントリ内リンク[(ADHDと)ASDとの併存の相乗効果について]
(ADHDと)ASDとの併存の相乗効果、 動機の不足、 より極端な形で症候が表れる可能性

注:他の拙エントリおける発達障害に関するリンクは他の拙エントリのここを参照して下さい。

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前書き


≪診断名及び診断基準に関する用語について、その他≫
ADHDに対する漢字表記名は、注意欠如・多動症、注意欠如・多動性障害又は注意欠陥・多動性障害(後2者は旧名)等です。一方、自閉スペクトラム症(又はASD、PDD、アスペルガー症候群等)については他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、本エントリにおける「regulation」の訳語としての「調節」に関連しては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

≪主な改訂の履歴≫
2020年4月9日、7月14日、18日、24日、9月28日、10月8日、12月1日、2021年3月27日、2022年11月8日、12日、2023年4月6日、5月8日、5月31日、6月4日、8月2日、10月2日、10日、13日、11月28日:文章の追記、変更及び削除等の改訂を行いました。

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ADHDの基本について

標記基本について次に紹介します。先ず、ADHDについての資料、WEBページ、(拙ブログ外の)エントリ、note 等は次のリンク集を参照して下さい。 「注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典」(注:ここの「診断・鑑別診断」項にADHDの診断基準[DSM-5]が示されています)、『今村明先生に「ADHD」を訊く』、「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」、「大人の ADHD ストーリー」、「ADHD(注意欠如・多動症)の診断と治療」、「ADHDの支援・治療」、「注意欠如・多動症の症状の紹介」、「ADHDにおける診断の実際」、「成人期ADHDの診断と治療」、「ADHD(注意欠如・多動症)について」、「ADHD(注意欠如・多動症)の診断と治療 - e-ヘルスネット」、『大人の「注意欠如・多動症(ADHD)」とは?特徴や治療を解説!』、『「発達障害と脳」の最新研究! 計画的に行動できない、目の前のことを優先しがち……「ADHD」の背後にある「脳のしくみ」とは?』、「周囲の人に理解してもらうには - アピタル」、「締め切りは早め、遅め、どっちに設定する? - apital」、「ごみ屋敷とADHD - アピタル」、「貧困はADHDを生み出す? - アピタル」、「ADHDの原因は分かっているのか? - アピタル」、『ADHDの人は増えている? 「診断」をひもとく - アピタル』、「仕事にすぐ飽きてしまう ADHDサラリーマンの悩み - アピタル」、「苦手な見直し作業、スモールステップで乗り切ろう - アピタル」、「記憶できる電話番号は何桁? 脳の負担減で集中力アップ - アピタル」、『同時にいくつも仕事 「ガントチャート」で長期的に計画 - アピタル』、「記憶できる電話番号は何桁? 脳の負担減で集中力アップ - アピタル」、『自称ADHDに陰口を言う人 「あなたは完璧ですか?」 - アピタル』、「うんざりする書類の山、ADHDの人が新年度の提出物を乗り切るコツ - アピタル」、『「片付けられない」人の対処法 計画とアラームと必然性で乗り切って - アピタル』、『「なぜか遅刻してしまう」人の対処法 脱線する自分を止める合言葉を - アピタル』、「やる気出ない・日中ぼんやり・ミスばかり ADHD脳とのつきあい方 - アピタル」、『夏休みの計画立てが苦手? 日程や予算、肝心な点を「まず決定」 - アピタル*8、「【3212】両親からADHDの傾向があると言われています - Dr 林のこころと脳の相談室」(このサイトのホームページ)、「未服薬の成人期の注意欠如・多動性障害患者に対する認知行動療法」、「ADHDと行動経済学は相性がいい - すずろーぐ」、「ADHDと現在バイアス - すずろーぐ」、「内海健『ADDの精神病理』から考える。その① - すずろーぐ」、「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」、「STEP 1-1:注意について知る|覚醒ネットワーク - 大人のADHDのためのマインドフルネス」、「Step 1-2:注意について知る|実行ネットワーク - 大人のADHDのためのマインドフルネス

ご参考:中島美鈴 記事一覧 - apital(ちなみに、これらのWEBページは期間限定公開のようです)。

加えて、 i) ADHDのある人にとっても「生活リズムを整えるのも大事」なことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 2) 愛着障害ADHDを含む発達障害との鑑別の困難性については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 加えて、自閉スペクトラム症(ASD)のみならず、ADHDも「スペクトラム」であることについては次のWEBページを参照して下さい。 『発達障害「専門医の多くが誤診してしまう」理由 そもそも白黒つけられる簡単な症状ではない(ページ2)』の『「グレーゾーン」の患者も多くいる』項 4) 一方、『ASDのみならずADHDの方々にも症状として「感覚過敏を中心とする感覚の異常が挙げられる」こと』については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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ADHDの本における様々な引用
次に、基本としての主にADHDの本における様々な引用を以下に紹介します。

(a)主に、岩波明著の本、「大人のADHD -もっとも身近な発達障害」(2015年発行)からの複数の引用を以下に紹介します。
① 同の 第2章 症状 の「成人の約3~4%がADHD」における記述の一部(P42)を次に引用します。

(前略)成人においでは、総人口の2~5%がADHDと診断されるとしているものが多い。ケスラーらによる米国の大規模調査においでは、成人の4.4%がADHDであると推定している。彼らの研究ではADHDは男性で多く、離婚率、失業率が高く、他の精神疾患の合併が高率であった。
一方でDSM-5においでは、成人のADHDは総人口の2.5%と比較的低い値が記されている。以上をまとめると、確定的な結論は得られていないものの、ADHDは成人の約3~4%に認められると考えるのが妥当であろう。 (後略)

注:(i) 引用中の「ケスラーらによる米国の大規模調査」に関連する論文要旨を次に紹介します。 「The prevalence and correlates of adult ADHD in the United States: results from the National Comorbidity Survey Replication.」 (ii) ちなみに、 a) 成人ADHDの有病割合が「2.5%」と記されている論文を次に示します。 「Prevalence and correlates of adult attention-deficit hyperactivity disorder: meta-analysis.」 b) 拙訳はありませんが、成人ADHDの有病割合は世界保健機関によって3.4%と記されている論文を次に示します。要旨:「Cross-national prevalence and correlates of adult attention-deficit hyperactivity disorder.」(全文はここを参照) c) 拙訳はありませんが、2010年4月から2020年3月までの日本での小児、青年、成人の ADHD の診断における傾向についての論文(全文)は次を参照して下さい。 「Trends in Diagnosed Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder Among Children, Adolescents, and Adults in Japan From April 2010 to March 2020.

② 同の 第2章 症状 の「成人における症状」における記述の一部(P53~P58)を次に引用します。

(1)多動と衝動性
成人になると、目に見える形での多動症状はおさまってくることが多いが、手足を落ち着かなく動かす傾向や、じっと座っていることが必要な状況で、内的な緊張感、落ち着きのなさが高まることなどがしばしば認められる。
ADHDの成人の一部は、このような内面の「多動・衝動性」を経験していることが多い。彼らはストレスの強い状況では、内的な焦燥感、切迫感によってパニック状態となり、唐突な行動をとり始めることもみられる。
一方で、自らの多動傾向をうまくコントロールしている人も多い。職場でいつも歩き回ったり、一方的に話をしたりするのは、多動傾向のなごりかもしれない。また、会議や学会などで、必ず発言を求めたり、たて続けに質問をしたりするのは、多動の現れであることも多い(図表2-1に成人における多動症状について示した)。
また衝動性に関しては、「いらいらして怒りっぽい」「衝動的な行動や判断が多い」などという点に現れることがある。さらに、「危険な運転を好む」「アルコールやギャンブルに依存しやすい」などの問題行動につながりやすい(図表2-2に、成人における衝動性について示した)。

(2)不注意
通常、ADHDの注意障害は成人になっても継続する。成人期の注意障害に関する具体的な例としては、かばんやパソコンをひんぱんに置き忘れる、鍵や携帯電話をなくしてしまう、外出中に混乱して目的地の場所がわからなくなる、服の着こなし方が不自然だったり、靴下が左右揃っていなかったりすることなどがあげられる。片付けが苦手なケースも多く、しばしば、自室や会社のデスク回りにものが積み上げられている。段取りをたてることが苦手なだめ、主婦においでは、炊事や育児を苦手とする人が多い。
ADHDの成人においでは、不注意の症状によって、忘れっぽさ、集中力不足、あるいは自らのスケジュール管理が困難であることなどがみられる。仕事上の約束を守れないことも多い。
その結果として、対人的な交渉、接触が苦手となり、そのような状況を自ら避けるようになりやすい。このため、能力はあるにもかかわらず、「信頼できない」「あてにできない」と否定的に評価されやすいことに加えて、このようなストレス状況からうつ状態などに至ることも起きやすくなる。図表2-3に、成人における不注意症状ついて示した。多くのADHD患者は、本来は人なつっこく対人関係に大きな問題はみられないが、思春期以降、対人場面において相手の話を十分に理解していないことや、仕事上の約束を守れないことが繰り返されて、安定した対人関係を維持することが困難となりやすい。このため、本来はADHDでありながらも、対人関係の問題が大きな問題となり、自らアスベルガー症候群ではないかと受診する人が少なくない。
一方、成人期においでは、自分の特性を理解し十分なスキルを獲得しているADHDの人は、不得手な状況に対して、自分なりの対応策を講じていることもみられる。彼らはさまざまな方略を工夫して身につけているため、自分の症状をコントロールし、対処することが可能となっている。
ADHDの人の職場における問題点として、すぐに取り組むべき仕事があるにもかかわらず、周辺にある興味をひくことに関心が向いてしまい、肝心の業務がなかなか進まないことがあげられる。このため、上司からは自分の指示をきちんと聞いていないと厳しく評価されることがしばしばある。
成人期では、注意障害が生活の中でさまざまな形となって出現するが、同時に感情面でも不安定となり、気分の浮き沈み、怒りを爆発させる、イライラ感などを示す例も少なくない。この結果、ADHDにおいでは、不安障害、気分障害などの他の精神疾患が併存することが多くなる。このようなケースにおいでは、本来のADHDが見逃されやすく、正しい診断がなされないため、適切な治療を受けていないことがしばしばみられる。

(3)その他の問題
これまで述べたように、ADHDの症状は、成人になると小児期のものと変化がみられる。成人期になると症状は直接的な形で出現することは少なくなるからである。この理由としては、本人なりに社会生活に適応しようとした結果であることが多い。
けれども一方で、成人期のADHDにおいでは、さまざまな行動上の問題が出現しやすい。リスキーな自己破壊的な行動に行きつくこともみられ、その結果として司法的な問題に至る例もみられる。このような問題行動は、境界例境界性パーソナリティ障害)のパターンと類似している。(後略)

注:(i) 引用中の「図表2-1」、「図表2-2」及び「図表2-3」は引用していません。同を参照して下さい。 (ii) 引用中の「不安障害、気分障害」及び「境界例境界性パーソナリティ障害)」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、境界例境界性パーソナリティ障害)は用語「境界性パーソナリティ障害」に相当し、気分障害は用語「うつ病」又は用語「双極性障害」に相当します[気分障害うつ病等と双極性障害等の総称ですが、現在(DSM-5)では両者は分離されています]。 (iii) 引用中の「自らアスベルガー症候群ではないかと受診する人が少なくない」に関連するかもしれない、ADHDアスペルガー症候群(又は自閉スペクトラム症、ASD)との見分け方についてはここ及びここ(注:後者は特に女性の場合です)を参照して下さい。 (iv) 引用中の「多動と衝動性」や「不注意」とは異なる「ADHD の臨床症状全般に着目した新しい分類の提唱」について『「不注意優勢型」「多動・衝動性優勢型」「混合型」の 3 型への分類に対し、成人において大部分が「不注意優勢型」であるため,有用性は高いものとはいえない』ことを含めてここを参照して下さい。 (v) この引用に関連して、同の 第3章 社会生活 の「生活上の問題」より、「図表3-1 成人期のADHDの特徴的な所見」をはじめとした記述の一部(P71)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「不注意」に関連する、 a) 「注意の配分が苦手」について、同の はじめに の「注意の配分が苦手」における記述(P11~P12)を以下に、 b) 「Sluggish cognitive tempo(SCT)は,ADHD の不注意症状と関連する」ことについて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第5章 発達障害に関連する様々な病態 の「G Sluggish cognitive tempo」における記述の一部(P115)を以下に それぞれ引用します。加えて上記「不注意」についてはここも参照すると良いかもしれません。 (vii) 引用中の「衝動性」に関係する、 1)「衝動的な行動でトラブルを招く」ことについて、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の 12. 衝動的な行動でトラブルを招く の「自分では止められない」及び「善意が招く失敗」の記述の一部(P141~P146)を以下に、 2) 引用中の「リスキーな自己破壊的な行動に行きつくこと」にも関連するかもしれない「衝動性との関連から ADHD との関連性も指摘されている」ことについて、同「第5章 発達障害に関連する様々な病態」の C インターネット依存,ギャンブル依存 の「センセーション・シーキング」における記述(P107~P108)を以下に、そして「遅延報酬の回避が著しくなると,生活は極めて刹那的となる。今この瞬間の刺激と快楽を求める傾向が強くなり,将来の報酬のために投資する活動,つまりは持続的な努力や貯金といった現在よりも将来の価値を優先する活動を行うことが難しくなる。これは浪費的な消費活動,肥満,危険なスポーツや自動車やバイク,自転車の運転,妊娠や性感染症,犯罪被害のリスクの高い性的活動,違法な薬物の使用や触法,犯罪行為などに繋がってしまう。」ことについてはここを参照して下さい。 3) 『衝動性となるために「考察よりも行動を優先する必要がある」』ことについて「ADHD の認知構造上の課題としては,ワーキングメモリ=記憶のバッファが小さいことがあげられる」ことや「空間的・時間的近眼性」を含めて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の F 診断における留意点 の 発達障害のメカニズム の「2)ADHD の成り立ち」における記述の一部(P62~P63)を以下に それぞれ引用します。 (viii) 引用中の「多動と衝動性」や「不注意」以外にも『「傷つきやすい」という点もADHDの人の大きな特性なのではないか』と考えることについて、岩瀬敏郎著の本、「発達障害の人が見ている世界」(2022年発行)の 序章 発達障害って、なんだろう? の「注意散漫でミスを連発してしまうADHDの人」における記述の一部(P16~P17)を以下に引用します。  (ix) 引用中の「成人期になると症状は直接的な形で出現することは少なくなるからである。この理由としては、本人なりに社会生活に適応しようとした結果であることが多い。」ことに関連するかもしれない、 a) 「Females with ADHD may develop better coping strategies than males with ADHD and, as a result, can better mask or mitigate the impact of their ADHD symptoms.[拙訳]ADHDを伴う女性は、ADHDを伴う男性よりも優れた対処戦略を立てるかもしれなく、その結果として、ADHD症状の影響をより良く覆い隠したり又は軽減したりすることができる。」ことについては拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「A Review of Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder in Women and Girls: Uncovering This Hidden Diagnosis」の「Clinical Points」項 b) 「特に ADHD ではこれまでの経験から症状をマスクする術を身につけている者も多い」ことについて、「成人期の発達障害の診療」、「見逃される発達障害」、「すべての精神科来院患者において検討されるべき事項」や「現在存在する精神疾患の問題について,複雑な構造を読み解いていく必要がある」ことを含めて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の E 併存障害 の「成人期の発達障害の診療」と「見逃される発達障害」における記述(P54~P55)を以下に引用します。

(前略)成人のADHDにおいて、日常生活や学校において問題となりやすい点について、図表3-1に示した。(後略、図表3-1は次を参照)

図表3-1 成人期のADHDの特徴的な所見
(1) 職場や学校
・落ち着かずにそわそわする
・貧乏ゆすり、指を机で叩くことなどがやめられない
・不用意な発言が目立ち、思ったことをすぐに言動に移す
・集中できない、ケアレスミスが多い
・ものをなくす、忘れる
・締め切りを守れない、段取りが下手で完結できない

(2) 家庭生活
・別のことに気をとられ家事がおろそかに、家事の効率が悪い
・衝動買い、金銭感覚が苦手
・部屋が片付けられない
・朝起きられない、外出の準備が間に合わない

(3) 対人関係
・おしゃべりがとまらない、自分のことばかり話す
・衝動的な発言、つい叱責してしまう
・約束を守れない、約束を忘れる
・集中して話を聞けない
・映画館やレストランで落ち着かない

注: [A] 引用中の「対人関係」において『「良かれ」と思ってやったことが、良くなかったこともある』ことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 2章 日本に400万人以上いる「ADHD」の誤解と真実 の「具体的には、どういった症状がある?」における記述の一部(P85)を次に引用(【 】内)します。 【○「良かれ」と思ってやったことが、良くなかったことがある……これは、「思い込みの激しさ」を示すものです。熟慮せず、情報も集めないまま「思いつき」の段階で「これがいい!」と思い込んで動くため、大きな間違いも犯しやすくなります。人の話をよく聞かないで判断する、「早わかり」の傾向が強いのです。】(注:(i) 引用中の『熟慮せず、情報も集めないまま「思いつき」の段階で「これがいい!」と思い込んで動く』に、 a) 類似する「思いつきで行動する」ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ①ADHDの「多動・衝動性」、「不注意」とは の「◆思いつきで行動する」における記述の一部(P134)を三分割して次に引用(それぞれ≪ ≫内)します。 ≪ADHDの人は思いつきで、計画なしに行動に移します。情報を集めもせず、先のことを考えもせずに、その場のインプレッションで決めてしまうのです。≫、≪また、同じく思いつきで、一度決めたことをコロコロ変えたりもします。「慎重さ」からは、程遠い存在なのです。≫、≪一瞬の印象で、Aがいいと思えばAに、Bがいいと思えばBに衝動的に飛びつきます。≫ b) 関連する「人の話を聞かない」ことを含む「早合点する」ことについて、同『①ADHDの「多動・衝動性」、「不注意」とは』の「◆人の話を聞かない」における連続する記述の一部(P125~P126)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【ADHDにおいて、日常生活で特に問題になりやすいのは、人の話を聞かないことです。自分の言いたいことだけを一方的に話し続けて、ぜんぶ言い終わるまで止まりません。思いついたことを最後まで話さずにいられないのです。相手の話にかぶせて話してしまうこともたびたびです。】、【また、珍しく話を聞いていたかと思うと、今度は早合点します。ひとこと二言聞いただけで相手の話を理解したつもりになり、突っ走ってしまうのです。】 (ii) 引用中の「大きな間違いも犯しやすくなります」の例になるかもしれない「羽田空港に向かわなくてはいけないのに、成田空港に着いてしまった」というエピソードについて、同『①ADHDの「多動・衝動性」、「不注意」とは』の「◆普通ではありえない間違いをする」における記述の一部(P139~P140)を次に引用(《 》内)します。 《以前、羽田空港に向かわなくてはいけないのに、成田空港に着いてしまった」というエピソードを、ADHDの患者さんから聞きました。東京六大学出身で、正常以上の知能を持っている人でしたが、これほどの間違いをしでかすのです。》) [B] 引用中の「成人期のADHDの特徴的な所見」に関連する「成人における特徴をふまえて、成人のADHDに対する診断基準も作成されている」ことについてはここを参照して下さい。 [C] 引用中の「締め切りを守れない、段取りが下手で完結できない」ことに関連する「時間の見積もりの甘さ」について、内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅰ部 エキスパート編 の 第2章 認知心理学的側面から見たADHD の「Ⅳ.時間処理」における記述の一部(P25)を次に引用します。

外界から入力される刺激と自己の内部構造とのタイムリーな調整が行動の基礎を形成することから,時間認識と時間管理は,複雑な認知や日常生活において効果的に脳機能を用いる上で極めて重要である。ADHDでは,時間の見積もりの甘さによる段取りの悪さや会話のタイミングの悪さ,時間を忘れる,といったように,「時間的な経験やリズム」が非ADHDと異なる15)ことが,しばしば生活上の問題として現れる。(後略)

注:i) この引用部の著者は義村さや香です。 ii) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「ADHD and Temporality: A Desynchronized Way of Being in the World

注意の配分が苦手
ADHDでは、病名とは矛盾するが、「注意力」が「欠如」しているわけではない。一時的には「過剰」に注意集中することもみられる。しかし、通常ADHDの人たちは、集中力を持続することが苦手で、ケアレスミスやものを置き忘れることも多い。
彼らの現実の生活の中で、もっとも問題となる点は、注意の配分が不得手であることである。たとえば、会話をしている状況を考えてみよう。
この場合、目の前の相手に対して大部分の注意を向けているのであるが、一方で、多くの人は、自然に周囲の他の人物や事物にも、一定の注意を払っている。したがって、ふいに予想外の出来事が起きでも、ある程度の対応は可能となる。
これに対してADHDの人の場合は、目の前の相手に「集中」してしまうため、あるいは頭の中で別のことを思い浮かべやすいため、予想外のアクシデントが生じると、混乱しやすい傾向を持つ。それまで話していたことが頭の中から飛んでしまい、動揺してパニック状悪になることも起きやすい。ADHDの人にとっては、さまざまな意見が飛び交うディスカッションの場面などは、不得手な状況なのである。
一方で、周囲の状況によっては、彼らはかなりの能力を発揮することもできる。実際、私自身ワンマンプレーに徹することができる職場環境において、目覚しい成果をあげているADHDの人を何人か知っている。この場合、過剰に集中する傾向がプラスの面として現れるのである。

注:引用中の「注意の配分が苦手」に関連する「注意機能」についてはここを参照して下さい。

SCT とは
Sluggish cognitive tempo(SCT)は,ADHD に併存することが多い症状である.SCT においては,「白昼夢,ぼうっとしている,意識の混乱,不活発性,緩慢な動作,無気力,無関心,眠気,考えに耽る,思考が霧がかり遅い,倦怠感」などの症状がみられる.実際,ADHD の当事者では,「授業中にぼーっとして白昼夢をみていた」「仕事中にぼんやりしていて注意された」という訴えを聞くことが多い.また夜間に十分に睡眠をとっても,日中の眠気がみられることもまれではない.これらは単なる寝不足やだらしなさ 自己管理のなさとみなされることが多いが,ADHD に特有の所見であることを知る必要がある.

SCT と発達障害との併存
SCT は,ADHD の不注意症状と関連し ADHD の約半数に併存していることから,ADHD 症状の一部と考えられていた時期もあったが,ADHD 以外の人にも SCT が存在することが示され,現在では ADHD と SCT は別個の病態であると考えられている.
ADHD に SCT が併存した場合,ADHD のみをもっている当事者に比べてより重篤な機能障害を生じ,日常生活における様々な場面で困難さを示しやすい.特に,不注意症状が重篤になる可能性があるので注意が必要である.改めて SCT の症状について認識を深め,学校や職場における対応を変えていく必要があると考えらえる.(後略)

注:i) この引用部の著者は岩波明中村亮介です。 ii) 引用中の「Sluggish cognitive tempo」については次の資料を参照してすると良いかもしれません。 「ADHD 併存症状である Sluggish Cognitive Tempo の成人版尺度の開発 ――抑うつとの弁別を目的として

自分では止められない
発達系の課題がある人、とくにADHDタイプは、周囲の人から見て衝動的と思われる行動をとることがあります。
あるADHDタイプの人と歩いていたら、遠くのほうでこれから乗るエレベーターのドアが開くのか見えました。そこまでずいぶん距離があるので、周りの人たちはそれは見送ろうと考えて、歩くペースは変えませんでした。ところが、そのADHDタイプの人は突然、駆け出し、エレベーターから降りてきた人たちを蹴散らすように乗り込んだのです。幸い、その猛ダッシュに巻き込まれて怪我をするような人はいませんでしたが、その突然の動きに、僕はびっくりしました。
あとで理由を尋ねると、「エレベーターが開いた瞬間に、『閉じる前に乗らなくちゃ』と思ったら、もう走りだしていた」と彼は話していました。「エレベーターのドアが開いたら乗る」ということで頭がいっぱいになり、それ以外のことは考えられなかったようです。エレベーターにたどり着くまで、同行の人たちや降りてきた人たちのことは、意識の外に抜け落ちてしまったのです。
彼自身もあとで「またやっちゃった」と反省していました。これまでもたびたび同じ失敗を繰り返し、周りの人から注意されたり、時には厳しく叱られることもありました。「今後は気をつけてね」と注意しても、それは彼の特性なので、簡単に改まるものではありません。(中略)

そこまで極端な行動でなくても、発達系の課題を持つ人は、周りから「後先を考えないで思いつきで行動した」と見られることがよくあります。その行動がよい結果をもたらすこともたまにはありますが、多くの場合は本人にとっても、また周りの人にとっても不本意な結果を招いてしまいがちです。悪い結果が出てから、周囲の人に「こんなことは予想できたのに」と言われることも少なくありません。
どうして後先を考えずに行動してしまうのでしょう。理由のひとつに、半歩先の見通しが立てられないことがあります。周りの人から見たら、まだ準備や段取りが不充分で行動に移す段階ではなくても、せっかちに動きだしてしまうのです。ある行動を思いついた瞬間、飛びつくように動いてしまうといった印象です。

善意が招く失敗
ADHDタイプの多くは、「よかれ」と思って行動して、落胆する結果に終わるといった体験があるようです。一般的には、何か行動を起こすときは、それによってもたらされる損得や効果を考えて、「ここはよく考えてから動いたほうが賢明だ」と発想するものですが、ADHDタイプの人はそれが困難です。沈着冷静な態度で「あわてずに待つ」「じっくり考える」ということが苦手なので、傍からは思いつきで行動しているよ
うに見えます。(後略)
僕が知るかぎり、その行動は「これはいいことだ。みんなも喜ぶ」という善意が発端になっていることが少なくありません。
某商店で働いているADHDタイプの方からこんな話を聞きました。
――開店前に、ある売り場を通りかかったら、商品の置き方が少しおかしいように見えました。担当商品ではなかったのですが、「こうしたほうが、商品が目立つだろう」と考えて、商品を並べ替えてしまったので
す。担当者に知らせようかと思いましたが、「開店間際で忙しいだろう」と判断し、そのままにしておきました――。
売り場に戻ってきた担当者は、商品ディスプレイの様子が変わっていたので驚きました。当然、勝手に商品を置き替えた彼は上司に叱られました。
彼が商品を並べ替えたのは「こっちのほうが見映えがいい」と考えたからで、善意に基づく行動です。売り場担当者を困らせようとしたわけではありません。それが理解してもらえなかったわけです。
ちなみに、そのような困惑や失望は、発達系の課題を持つ人たちが子どものころから経験していることです。
じつは彼が勝手に商品を動かした理由がもうひとつあります。上司は常々、「職場で改善点に気づいたときは、自分から率先して行動しましょう」と話していたのです。彼は言葉どおりに受け取り、上司の方針に忠実に行動したわけです。
ところが彼は上司から「担当者に相談しないで、勝手に商品を動かしたらダメじゃないか」と叱られて混乱しました。いつも言われている「率先して行動する」方針と矛盾するからです。
このように、他人から見て衝動的と思える行動も、本人のなかでは筋が通っており、じつは善意に基づいていることがわかります。実際には臨機応変が求められているのですが、発達系の課題を持つ人はふたつの方針・ルールが同時に存在すると状況判断が難しくなります。よかれと思った行動が、結果的には他人に不快感を与え、本人も「自分勝手な人」と見られてしまうので、戸惑うのです。(後略)

センセーション・シーキング
センセーション・シーキングとは,「多様で,新しく,複雑で,強烈な」経験や感情を求め,そのために,様々なリスクを積極的にとろうとする行動様式である.その具体的な行動パターンとしては,スカイダイビング,スキューバダイビング,高速運転,飛行機の操縦などスリルや冒険を求める行動のほか,サイケデリックな体験,違法薬物の使用,性的放縦など常識的ではない,非日常的な行動も含んでいる.
センセーション・シーキングは,インターネット依存,ギャンブル依存などのベースにある特性の一つであり,また衝動性との関連から ADHD との関連性も指摘されている.臨床的には,上記のような問題行動がみられた場合,ADHD を疑うことが必要であろう.

注:i) この引用部の著者は中村暖、岩波明です。 ii) 引用中の「サイケデリック」については次のWEBページを参照して下さい。 「サイケデリック

2)ADHD の成り立ち(中略)
ADHD の認知構造上の課題としては,ワーキングメモリ=記憶のバッファが小さいことがあげられる(図2).これは,空間認識および時間認識の両者にいえることであり,空間認識においては目の前にあるものだけに注意が向き,その注意からはずれたものは記憶から抜けやすい(当然ながら、認知特性の問題であって眼科的な問題でない).時間認識においては少し前のことでも抜けやすく,また先の展望をもつことが苦手である.まとめると,空間的にも時間的にも近いところにフォーカスしやすい.たとえるなら「空間的・時間的近眼性」という用語が ADHD 特性を一言でよく表していると考える.
定型発達者では,作業に取り掛かる際にまず全体を見渡して,ある程度の計画を立て,見通しをもってから開始する.しかし,「空間的・時間的近眼性」という ADHD 特性を抱えた者の場合,特性上そうした方策を取ることは困難であり,まず目についたところから順に手をつけていく,という方策を取らざるをえない.定型発達者がトップダウンの方策を採用するというなら,こちらはボトムアップの方策である.この場合,取り掛かるのは早いので行動力,積極性は評価されうるが,目についたところを順に埋めていくという方策なので,効率が悪く抜けが生じるなど,遂行上の課題となりやすい.
時間軸からみると,やるべきことはその場でやらないと忘れてしまうことから,物事をなすためには考察よりも行動を優先する必要があり,これが衝動性となる.また,空間的近眼性をカバーするためには,移動距離を伸ばす必要があり,これが多動性を引き起こしていると考えられよう.(後略)

注:i) この引用部の著者は柏淳、岩波明です。 ii) 引用中の「図2」についての引用は省略します。 iii) 引用中の「ワーキングメモリー」については次のWEBページを参照して下さい。 「ワーキングメモリー - 脳科学辞典」 加えて、「ADHDとワーキングメモリーの関連」については次のWEBページを参照して下さい。 「"ADHDタイプ"の方の対処策①」の「ADHDとワーキングメモリーの関連」項 iv) 引用中の「先の展望をもつことが苦手である」や「まず目についたところから順に手をつけていく」ことに関連するかもしれない(ADHDにおいて)「完成図を思い浮かべたことがない」ことについて、同「2)ADHD の成り立ち」[ここの (vi) 3) 項を参照]の Note 当事者の視点から の「●完成図を思い浮かべたことがない」における記述の一部(P63)を次に引用(『 』内)します。 『時間的近眼性が強いと,先のことを想像してそこまでの過程を組み立てることがむずかしい.定型発達者は画を招くときも仕事の計画を立てるときも,最終的にどんな画になるのかを想像し,そこに近づけるために段階的に計画を立てつつ作業を進めていく.ADHD ではその完成図を描くことが困難であり,そのことは計画性やチーム作業が求められる現代のオフィスワークでは困難に直結する.』(注:この引用部の著者は柏淳、岩波明です)

注意散漫でミスを連発してしまうADHDの人(中略)

「不注意」も「多動性・衝動性」も多くの場合、成長とともに緩和されていきます。ただし、大人になっても一定程度は残ることがあり、努力で改善することに限界があるのです。
この2つの特性は、アメリカ精神医学会が発行する『DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)』にも載っているものなのですが、私はこれに加えてもうひとつ、「傷つきやすい」という点も、ADHDの人の大きな特性なのではないかと考えています。(後略)

成人期の発達障害の診療
発達障害を主訴に来院される方のみでなく,すべての精神科来院患者において検討すべき事項を図1にまとめた.どんな状況であれ,精神科医は診察室に患者を迎えた場合,①知的障害を含む発達障害の特性,➁成育過程におけるトラウマの問題やパーソナリティ形成,③現在存在する精神疾患の問題について,複雑な構造を読み解いていく必要がある.
精神科の臨床場面では,発達障害のために来院し,併存障害として精神疾患の存在が問題になるのみならず,精神疾患のために来院したが,その背景に発達特性に関する課題が存在し,それらが現在の問題と密接に関連している場合も多い.

見逃される発達障害
精神科医が,診察室で発達障害の当事者と出会う場面には以下の 4 つがある.
①本人が発達障害を疑って受診する
➁本人ではなく,家族や周囲,支援者などが発達障害を疑って受診する
③精神症状を主訴に来院したが,医師が発達障害を疑う
精神疾患として通院中に,後に発達障害が判明する
このうち,①②では当事者サイドが発達障害を疑って来院しており,医師は発達障害か否かの closed question に答えることになる.それに対して③④では,医師サイドが発達障害を疑わない限り診断にたどり着くことはない.成人期の発達障害の場合,一定の知的水準をもつ者,特に ADHD ではこれまでの経験から症状をマスクする術を身につけている者も多い.その場合,積極的にこちらから症状や発達歴を聴取しないと,通常の診察のなかでは見落とされることも多いので注意が必要である.

注:i) この引用部の著者は柏淳、岩波明です。 ii) 引用中の「図1」における引用は省略します。 iii) 引用中の(ADHD における)「症状をマスクする術」に関連する(自閉スペクトラム症における)「カモフラージュ」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

ADHDとASD(PDD)の併病割合に関連して、同の「第5章 ADHDとASD」における記述の一部(P125~P126)を次に引用します。

(前略)吉田らは、高機能のPDD53例のうち36例(68%)がADHDの診断基準(DSM-Ⅳ)をみたし、不注意優勢型が多かったと報告した。ゴールドシュタインらもPDD27例のうち16例(59%)がADHDの診断基準(DSM-Ⅳ)を満たし、サブタイプでは混合型が9例、不注意優勢型が7例であった。このように、ADHDとASD(PDD)は症状における類似性が大きく、診断が難しいケースもたびたびみられる。
またストルムらは、高機能のPDD101例の精神症状を検討した結果、95%に注意障害があり、50%に衝動性の問題があると報告した。この結果は、PDDとADHDにおける精神症状の類似性を示している。シンティッヒらは、83人のASDの児童を対象とし、彼らがDSM-ⅣによるADHDの診断基準を満たすかどうか検討を行った。この結果、対象患者の53%はADHDの診断基準に合致し、多動とコミュニケーションの障害、不注意と常同行為に関連性がみられたとしている。
以上の報告のように、高機能のASD(PDD)にはADHD様の症状が高頻度に認められることは明らかである。(後略)

注:i) 引用中の「DSM-Ⅳ」は第4版ですが、ちなみに、最新の第5版については、次のWEBページを参照して下さい。『注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典の「診断・鑑別診断」項』 ii) ちなみに、DSM-5(DSM-Ⅴ)では、ADHDとASD等の併存が認められることになったことを記すWEBページ例を次に示します。「ADHDなのか、アスペルガー症候群なのか - アピタル」 iii) 引用中の「サブタイプ」に関連して、同本の P29 には次に引用(『 』内)する記述があります。 『この基準では、「不注意優勢型」「多動性-衝動性優勢型」「混合型」という三つのサブグループが設定された。』(注:引用中の「この基準」は、DSM-Ⅳのことです)

④ 同の 第5章 ADHDとASD の「ADHDとASDの区別」における記述の一部(P142~P144)を次に引用します。

ここでは、両疾患で共通してみられる行動上の特徴に関して、それぞれの疾患の問題点から解釈を行った結果を述べたい(以下の内容は、京都大学の十一元三教授の示唆による)。

(1)「毎回し忘れる、毎日目にして気づかない」
日常生活や仕事において、毎日必ずしなければならないことは少なからずある。たとえば、出社時に会社でタイムカードを押すことなどがあげられる。ADHDでは、タイムカードの押し忘れは、不注意に起因するものであるが、ASDでは、この行動が社会的に重要であるという認識が欠けているために起こる。

(2)「話し出すと止まらない」
発達障害の患者では、周囲にかまわず一方的に自分の考えを主張したり、興味のある分野の話ばかりする人がしばしばみられる。ADHDにおいでは、これは衝動性の現れであり、思いついた事を言わずにおられないことが原因である。一方、ASDでは、自分が自由勝手に話をしていいのかどうか、状況を認識できていないために起こることが多い。私の担当患者でも、外来の受診時に、自分の好きな80年代のアイドルのエピソードを延々と話し続けるASDの人がいた。

(3)「話がとぶ」
前項と関連するが、発達障害の人の話の内容は説明不足で、話題が飛ぶことがよくみられる。ADHDにおいでは、やはり衝動性の結果起こるものであり、一足飛びに説明しようとするため話が飛躍しやすい。ASDにおいでは、話をしている相手が理解しているかどうか考慮しようとしないので、奇異な内容が含まれやすい。

(4)「順番や会話に割り込む」
このような他の人に配慮しない行動パターンは、ADHDでもASDでもしばしばみられる。ADHDは内的な衝動性によって、がまんできなかったり、待てなかったりするためである。一方で、ASDにおいでは、他者への意識の希薄さから、勝手な行動をとりやすい。つまり、他人の存在を十分に認識していないということである。

(5)「なれなれしい」
発達障害の患者は、対人関係に障害がある一方、他者と必要以上になれなれしかったり、「距離」が近かったりすることがある。ADHDの人は、元来ひとなつっこく、あどけない行動をとることが多い(けれども、安定した関係を継続することは難しい)。ASDにおいでは、社会的な距離間がわからずに、必要以上になれなれしく接することが起こる。

(6)「懲りない」
発達障害の人は、何度も同様にミスを繰り返すことが多い。ADHDにおいでは、不注意の反映であるとともに、目の前の「快刺激」を優先しやすい結果である。ASDにおいでは、自らの行動を制止する社会的な必要性を感じていないことが原因である。このような原因で、ASDの人によるストーカー行為が起こることがある。

注:(i) 上記引用以外にも、「空気を読めない」ことの原因におけるADHDとASDの違いについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 (ii) 加えて、引用中の「話がとぶ」に関連する(ADHDタイプにおける)「話題が転々として対話にならない」ことについてはここを参照して下さい。 (iii) その上に、引用中の「話し出すと止まらない」に関連するかもしれない「会話がすれ違う、かみ合いにくい」ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆会話がすれ違う、かみ合いにくい」における連続する記述の一部(P149~P150)を三分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『「会話がすれ違う、かみ合いにくい」という特性は、ASDにもADHDにも見られるものですが、その原因が異なっています。』、『ADHDの人は、「自分が思いついたことを、最後まで言わずにはいられない」という衝動性に特徴があります。このため、どうしても話題が自分の興味に偏ってしまい、話がかみ合わなくなります。』、『一方、ASDはというと、他人に対する無関心や配慮のなさが原因となります。彼らは相手のことを気にすることなく、自分の好きなことだけをまくしたてるのです。』 (iv) さらに、標記「ADHDとASDの区別」の視点も含めて、 a) 引用中の「毎回し忘れる、毎日目にして気づかない」についてのより詳細について、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の「ケアレスミスや物忘れは、なぜ起こる?」における記述の一部(P142~P143)を以下に引用します。 b) 加えて、引用中の「衝動性」に関連する「衝動性はADHDだけの特徴ではなく、ASDにもしばしば見られる」ことについて、同本の 2章 日本に400万人以上いる「ADHD」の誤解と真実 の「いじめの加害者になることは多い?」における記述の一部(P99)を以下に引用します。 c) その上に、上記引用全体に関連するかもしれない「同じ症状に対して、ADHDとしての見立ても、ASDとしての見立てもできる」ことについて、岩波明監修の本、「おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線」(2020年発行)の 第1章 成人期発達障害とは何か の 4 ADHDとASDの関係 の「ADHDとASDの関係はグラデーション」における記述の一部(P40~P41)を以下に引用します。 d) さらに、二つのことが一緒にできないことに対するADHDとASDの区別について、そだちの科学 2020年10月号 中の杉山登志郎著の文書『発達障害の「併存症」』(P13~P20)の「ASDとADHD」における記述の一部(P16~P17)を以下に引用します。 e) また、「ASDとADHDの特性はかなり違いますが、結果的に困りごとが同じになる」ことの例としての「仕事が終わらない」ことと「コミュニケーション下手」について、太田晴久監修の本、「大人の発達障害 仕事・生活の困ったによりそう本」(2021年発行)の 1章 大人の発達障害とは の「ASDとADHDの違い」における記述の一部(P20~P21)を引用順を含む形式を変更して以下に引用します。 f) これら以外にも、上記 d) 項と関連するかもしれない「ASDの人も、ADHDの人と同じで、マルチタスクが苦手なことが多い」ことについてはここを参照して下さい。一方、女性の視点からのADHDとASD(又はアスペルガー症候群)との(症状の)違いの例はここを参照して下さい。 (v) また、一方的に話してしまう、(ニュアンスがわからなく)「話が通じない」ことや人間関係のトラブル、「段取りが苦手」なことについてはここここを参照して下さい。 f)

ケアレスミスや物忘れは、なぜ起こる?

単純なデータ入力、タイムカードを押す、報告書を提出するなどは、どれもごく簡単なことですが、日常生活や仕事において、必ずしなければならないことでもあります。
しかし、その簡単な作業でミスをしたり、忘れたりすることが、会社などで問題になることがあります。学校の成績が優秀な人でも、発達障害を抱えていると、こうしたことが起こりやすいのです。
ケアレスミスは、本来は、不注意の問題を抱えるADHDによく見られる症状です。一方、ASDの人にもケアレスミスは少なくありません。簡単な書類を作成するだけのはずなのに、抜け、漏れなどのミスをすることは珍しくありません。
ASDの場合、原因は、不注意とは別のところにあるようです。一見、不注意のためのように見えたとしても、その実、「わかっていても、やらない」こともあるのです。
ASDの特徴に「特定の対象に強い興味を持つ反面、興味がないことはやらない」という性質があります。こだわりが強く、状況に応じた柔軟な対応ができません。
そこでしばしば、タイムカードを押すといった行為などが、「社会的に重要である」という認識が欠けているのです。そのために、毎日しなければならないことであっても、よく忘れてしまうのです。
彼らは、「やらないとまずい、怒られる」とも、考えていないことがあります。「やりたくないからやらない」と、そこにはあまり躊躇がありません。
日常的な物忘れも、よくみられます。上司が「やってほしい」と頼んだことも、平気で忘れているように見えます。
ただし、短期記憶が苦手なADHDの人とは違い、ASDの人は、記憶力が悪いというのではなく、「やること、やらないことを自分の好みで取捨選択をしている」という傾向が強いようです。
それを「わざと(意識的に)やっている、あるいはやらないでおく」と言うべきなのかはわかりませんが、彼らには、自分で「これは覚えなくていいことだ」と決めつけてしまう傾向がみられます。この際、感情の揺れはあまりみられません。(後略)

注:i) 引用中の『タイムカードを押すといった行為などが、「社会的に重要である」という認識が欠けている』ことに関連するかもしれない、「ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) ADHDにおける引用中の「物忘れ」、「短期記憶が苦手」について、共に岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 2章 日本に400万人以上いる「ADHD」の誤解と真実 の『「物忘れ」は、ド忘れとどう違う?』における記述の一部(P120~P121)を次に引用します。

「物忘れ」は、ド忘れとどう違う?

ド忘れは一般的に「よく知っているはずのことを、思い出せない」ことを意味しています。また、物忘れは、ADHDにひんぱんに見られる症状です。
子ども頃は、帽子やカバン、鍵、授業で使う体操服や必要なプリントを持って行かなかったりします。大人になってもそれは続き、外出時にスマホや携帯電話を忘れる、ノートパソコンを持って行かない、外出中に目的地の場所がわからなくなる、といったことがしばしばみられます。
ここにも不注意の問題が絡んでいるのですが、もう1つ言えるのは、ADHDの人は短期記憶があまり得意ではない、記憶がなかな定着しないということです。話し言葉で聞いたことを、スルーしてしまうことがよくあります。
短期記憶とは、数秒間しか保持できない一時的な記憶で、新しい記憶が入ってくることですぐに忘れる記憶です。数年から数十年と保持できる長期記憶とは区別されます。日常、計算や読み書きをする上でも、一時的に記憶を保持する能力は欠かせません。そのため、短期記憶は「ワーキングメモリ」(作働記憶)とも言われます。
ADHDの人は、この短期記憶が保持できないことが珍しくありません。特に、人に言われた話し言葉が記憶に定着せず、すぐに忘れてしまう傾向が強いようです。
例えば、職場の上司に「この仕事を進めておいてくれ」と命じられた時のことを想定しましょう。その場では「はい」と返事するでしょうし、本人もしっかり覚えたつもりでいます。それなのに数秒後には指示をされたことを忘れてしまい、後で上司にひどく叱られることになるのです。
この問題を防ぐには、「聞いたことはすぐに紙にメモをする」などの対策が必要です。
また、ほんの数秒前のことが覚えられないために、同時並行で物事を進める、いわゆる「マルチタスク」的な状況も苦手としています。(後略)

注:(i) 引用中の『「マルチタスク」的な状況も苦手としています』に類似する「マルチタスクが苦手」について、同『①ADHDの「多動・衝動性」、「不注意」』の「◆マルチタスクが苦手」における記述の一部(P142)を以下に引用します。加えて上記『「マルチタスク」的な状況も苦手としています』に関連する、 a) 「マルチタスクも混乱の種になる」ことについてはここを、『「聞く-話す」のマルチタスクができない』ことについてはここを それぞれ参照して下さい。 b) 『「マルチタスク」を要求する社会の流れがますます加速すると、今後、ADHDの頻度は、もっと増えてくることも危惧される』ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「ADHDの人は短期記憶があまり得意ではない」ことに類似する『「ほんの数秒の」記憶が苦手』なことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ①ADHDの「多動・衝動性」、「不注意」とは の『◆「ほんの数秒の」記憶が苦手』における記述の一部(P140~P141)を以下に引用します。 (iii) 引用中の『ほん数秒前のことが覚えられないために、同時並行で物事を進める、いわゆる「マルチタスク」的な状況も苦手としています』に関連するかもしれない「ASDの人も、ADHDの人と同じで、マルチタスクが苦手なことが多い」ことについて、同章(上記 (ii) 項を参照)の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆会話がすれ違う、かみ合いにくい」における連続する記述の一部(P148)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【ASDの人も、ADHDの人と同じで、マルチタスクが苦手なことが多いのです。】、【ADHDの人は「数秒前のことが覚えていられない」からですが、ASDの人は、「決められた手順を正しくこなす」のが得意な一方で、アドリブがききません。複数の人が丁々発止のやりとりをしている中で、雰囲気を壊さず会話に参加するようなことは、なかなか難しいと思います。】 (iv) 引用中の「ワーキングメモリー」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「"ADHDタイプ"の方の対処策①」の「ADHDとワーキングメモリーの関連」項

◆「ほんの数秒の」記憶が苦手
忘れ物はADHD特有の不注意から来ているものですが、もうひとつ言えるのは、ADHD人は短期記憶があまり得意でない、ということです。
短期記憶とは、数秒間しか保持できない一時的な記憶であり、新しい記憶が入ってくることですぐに忘れられる記憶です。一方、数年から数十年間保持できる記憶を長期記憶といいます。
短期記憶とは、計算や読み書きなど、日常生活に必要な作業を行うのに欠かせません。そのため短期記憶は、「ワーキングメモリ(作業記憶)」とも呼ばれます。
ADHDの人は、この短期記憶を保持することが苦手なことが多いです。
特に、人に言われた言葉が記憶として定着しません。これが原因で、職場では「指示されたことを忘れてしまう」というトラブルが頻発します。(後略)

マルチタスクが苦手
「数秒前のことを覚えていられない」という特性から、同時並行で複数のものごとを進める、いわゆる「マルチタスク」も苦手です。
一つひとつの作業は問題なくても、別の作業がそこに加わると、とたんに慌ててしまいます。例えば、不意に新しい用事を頼まれたり、電話が鳴ったりするだけで、目の前の仕事がこなせなくなるのです。(後略)

いじめの加害者になることは多い?(中略)

また、衝動性はADHDだけの特徴ではなく、ASDにもしばしば見られます。ADHDの場合は、内面の衝動性のコントロールができないことによりますが、ASDの場合は「社会的にしてはいけないこと」の意識が希薄であることが関連しています。(後略)

注:引用中の「衝動性はADHDだけの特徴ではなく、ASDにもしばしば見られます」ことに類似するかもしれない「衝動的な言動は ADHD の特徴であるが,ASD でも頻繁に認められる」ことについて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の A 診断基準 の DSM-5 の 1)共通事項 の「b. ASDADHD の併存」における記述の一部(P33)を次に引用(『 』内)します。 『さらに衝動的な言動は ADHD の特徴であるが,ASD でも頻繁に認められる.ASD の場にそぐわない発言は衝動性の現れとみなされることがあり,また不適応から衝動的な行動に至ることもある.』(注:この引用部の著者は柏淳、岩波明です)

実際に臨床例を見ると、同じ症状に対して、ADHDとしての見立ても、ASDとしての見立てもできます。たとえば、「勉強・仕事に時間がかかる」ということに対して、ADHDでは「実行機能障害からくる段取りの悪さ」と考えられますし、ASDでは「正確性にこだわり、確認時間が過剰にかかる」と考えられます。「教室・職場で興奮しやすい」に対しては、ADHDでは情動がうまく制御できないせいであり、ASDでは集団に適応するのに過剰な緊張が生じるせいです。
「指示が入りにくい」は、ADHDでは注意障害からくる聞きもらしがあるかもしれませんし、ASDでは指示の意味が了解できないからかもしれません。「他人とトラブルになりやすい」という点は、ADHDでは衝動的(短気)に判断し、周囲の承認を待てないということがありますし、ASDではマイペースな判断をしたり、周囲の了解を求めないということがあります。
このように、同じ症状にも両義的な理解が可能なのです。ただし、よく聞き込むと、ADHDかASDかでけっこう違いがあります。(後略)

注:i) この引用部の著者は小野和哉です。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えて、メンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

ASDとADHD(中略)

一方、ASD/ADHDは注意の障害がその中心である。この注意の障害の中核は、注意の転導性ではなく、臨床的な視点からみる限り注意のロック機能(sustained attention)(11) の障害と考えられる。注意の固定が困難で、さらに固定をした時に今度はそれを外すのが難しいという病理がその中心にある。この両者は同時に起きてくるが、前者が優位のものをADHD、後者が優位のものをASDと呼んでいるに過ぎない。両者とも二つのことが一緒にできないことが最も基本的な臨床上の困難になってくる。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(11)」は次の論文です。 「Localization of a human system for sustained attention by positron emission tomography」 ii) 引用中の「衝ASD/ADHDは注意の障害がその中心である」ことに関連する『「不注意」は ADHD の基本的な症状であるが,ASD でも出現する頻度は高い』ことについて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の A 診断基準 の DSM-5 の 1)共通事項 の「b. ASDADHD の併存」における記述の一部(P33)を次に引用(【 】内)します。 【たとえば「不注意」は ADHD の基本的な症状であるが,ASD でも出現する頻度は高い.ASD の場合,興味のないことに無関心となりやすく,それが一見して不注意に見えるためである.】(注:この引用部の著者は柏淳、岩波明です)

ASDとADHDの違い(中略)

困りごとは同じでも原因が違う場合がある
ASDとADHDの特性はかなり違いますが、結果的に困りごとが同じになることがあります。(中略)

同じ「仕事が終わらない」でも…

ASDの場合
完璧を求めたり、細かいところにこだわりすぎたりして、時間内に作業が終わらなくなる

ADHDの場合
優先順位が決められなかったり、あちこち注意が向いたりして、やるべきことを先延ばしにしてしまう(中略)

同じ「コミュニケーション下手」でも…

ASDの場合
言語以外のコミュニケーションを理解しづらく、空気を読めないため、場にそぐわない発言をしてしまう

ADHDの場合
注意力散漫で、話があちこちとんだり、空気は読めても衝動的に発言したりしてしまう(後略)

注:引用中の「コミュニケーション下手」に関連するかもしれない「対人関係,社会的コミュニケーションの障害は ASD の基本的な特性であるが,ADHD においてもこのような症状を示す例は少なくない」ことについて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の A 診断基準 の DSM-5 の 1)共通事項 の「b. ASDADHD の併存」における記述の一部(P33~P34)を次に引用(『 』内)します。 『一方,対人関係,社会的コミュニケーションの障害は ASD の基本的な特性であるが,ADHD においてもこのような症状を示す例は少なくない.これは ADHD は生来自閉的な特性をもつケースがあることに加えて,元来人なつっこく対人関係に問題がなかったケースにおいても,実生活のなかで様々な失敗を繰り返すうちに,思春期以降に対人関係に臆病となり,ひきこもりに近い状態を示す例がみられるためである.このようなケースは ASD と誤診されやすい.』(注:この引用部の著者は柏淳、岩波明です)

ADHDとASDの人の仕事の内容の違いについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 2章 日本に400万人以上いる「ADHD」の誤解と真実 の 「不注意、集中力の障害」は普通の人の「うっかり」とどう違う? の『◆ADHDには専門職が多く、ASDには定型的な事務職が多い」項における記述の一部(P110)を次に引用します。

(前略)以前、烏山病院に通院している発達障害の患者を対象に、仕事の内容を調べたことがありました。すると、ADHDの人は専門職が多く、ASDの人は定型的な事務職が多いという結果が出ました。
ADHDは静かなデスクワークが苦手で、マルチタスクも混乱の種になります。自分の裁量でできる仕事、例えばイラストレーター、作家、コピーライター、プログラマーなどの分野も多かったのです。
一方ASDは、決まった作業を続けることは比較的得意で、デスクワークも苦にはなりませんが、周囲に突然話しかけられたり、新しく指示をされたりすると、やはり混乱しやすいという特性を持っています。(後略)

注:補足としてのADHDにおける上記「不注意」に関連する「注意機能」について、同項における記述の一部(P109)を次に引用します。

ADHDの注意機能については、特定の事柄に注意を向け続けることができない「持続性」の障害に加えて、周囲のさまざまな事柄に注意を配分できない「分配性」の障害、そして必要に応じて注意の対象を切り替えることができない「転換性」の障害もあります。
要するに、「周囲全体にそれとなく注意を向けること」や「いくつかの事柄にうまく注意を分散すること」が苦手なのです。対象が複数あると、注意の切り替えがなかなかうまくいきません。
一方で、「注意欠如多動性障害」という病名とは矛盾していますが、ADHDの人は、注意力が全く欠如しているわけではありません。逆に、特定の事柄には、過剰に集中することもみられます。
とはいえ、通常ADHDの人たちは不注意で、ケアレスミスが多いのは事実です。また課題をこなしているときに予想外のアクシデントが起こると、注意を向ける方向がわからずにパニックを起こすことも珍しくありません。(後略)

最初に一方的に話してしまうことについて、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の「9.一方的に話してしまう」項における記述の一部(P115~P119)を次に引用します。

9.一方的に話してしまう
なぜか相手を怒らせがち
発達系の課題がある人には、独特の話し方が見られます。それが、「相手の気持ちを察することが難しい」「周囲の空気が読めない」と言われてしまう原因のひとつになっています。
なかでも目立つのが、一方的な話し方。自分の思いや考えが一気に口からあふれ出てくるように話してしまい、相手が口をはさむ余地がなく、対話になりません。
他人の意見が自分と異なる場合でも、相手の気持ちを推し量ったり、周囲の状況をうかがいながら話すことができません。そのため、つっけんどんで一方的に口論をしかけるような話し方になってしまうのです。
話を聞く側は、自分が非難されたと感じて驚き、そのつっけんどんな言い方が不快で、感情を害することもあるでしょう。
ところが本人は、相手を怒らせようとか、周りをシラケさせようとか、悪意をもって話しているわけではありません。相手の気持ちや周囲の状況が把握できないことが原因ですから、議論好きな人が、相手を言い負かしたくて議論をふっかけるのとは違う性質のものです。
相手と向き合って会話する場合だけでなく、ツイッターやLINEなどネット上のコミュニケーションにおいても、発達系の課題がある人たちの発言は同様に一方的になりがちです。周囲の発言からその場の状況を読み取ることが苦手なので、一方的な発言を続けてしまい、それが読む人たちに不快感を与えてしまいます。
発達系の課題を持つ人にかぎらず、ツイッターやLINEで短い言葉を交わしあって、お互いの考えを伝えるのは、なかなか難しいことです。会って話すときや、長い文章で相手に自分の思っていることを伝えるのに比べると、情報量は十分とはいえず、しかも必要な情報が途中で抜け落ちてしまっていることもあります。
それで、見当違いな反応をしてしまうと、「空気が読めていない」と一蹴されてしまうことがあるのです。

「聞く-話す」のマルチタスクができない
誰かと対話するとき、僕たちはまず相手が話す内容を理解しようと努めます。言葉づかいや表情から相手の意図を探り、話の内容が理解できたと確信したところで、自分の意見を述べます。相手も同様に、こちらの意見を理解したうえで意見を述べていると考えます。ふだん何気なく話しているようでも、そのようにお互いに折り合いをつけながら対話しているのです。つまり、相手の話を聞いて理解する、自分の考えをまとめて発言する、というふたつの機能をほぼ同時に進めています。
発達系の課題がある人のなかでも、とくにPDDタイプは、そのように複数の作業を並行して同時に進める「マルチタスク」が基本的に得意ではありません。他人との会話でも、聞くときは聞く、話すときは話す、というシングルタスクになりがちです。会話の相手がこの特性を理解していないと、「話のわからないヤツだな」という印象を持つようです。
反対に、ADHDタイプは過度にマルチタスクなところがあって、PDDとは別の理由で相手に話しづらさを感じさせます。
会話している最中に、目や耳から何か別の刺激が入るとそちらへも反応し、四方八方へ同時に注意が向かっているのです。落ち着きのない人がよく「注意散漫」といわれますが、ADHDタイプは気が散って注意が散漫になっているのではなく、外界のあらゆる刺激に等しく注意が向けられている、全方位に注意を分散させてしまうのです。

話題が転々として対話にならない
ADHDタイプの人は、会話の最中に相手の口にしたひと言が、自分にとって関心の強い事柄だと、過敏に反応し、そこから自分が思いついたことに話題を変えてしまうことがあります。枝葉末節なことでも、自分が関心のあるキーワードが聞こえると意識を奪われてしまうのです。
たとえば「このあいだラーメン屋の角を曲がったところにある喫茶店に入ったら……」と相手が話したら、「ラーメンといえばさあ、きのう食べたカップラーメンがすごくおいしかったよ」と自分の関心領域に話題を移してしまうことが少なくありません。相手は、自分が話そうとした内容から大きくズレてしまって困るというわけです。
このように、ADHDタイプは、次々と何かが思い浮かんでしまうので、いま考えていることが次の瞬間には塗り替えられてしまいます。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) 引用中の「PDD」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の『「聞く-話す」のマルチタスクができない』(ただし、PDDタイプのみ)に関連する「並列処理の困難」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 一方、引用中の「ADHDタイプの人は、会話の最中に相手の口にしたひと言が、自分にとって関心の強い事柄だと、過敏に反応し」に関連する「ADHDの当事者は、相手のほんの一言に反応して、思いついたことを一方的に話し続けてしまいがち」であることについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 2章 日本に400万人以上いる「ADHD」の誤解と真実 の 「活動的」「活発」は普通の人とどう違う? の「◇ADHDの話し方……なぜズレるのか?」における記述の一部(P112~P113)を次に引用します。

ADHDの人は、話し方も、普通の人より早口で、落ち着きなく過剰さを感じさせることが多いと思います。
さらにいうと、話の要点がズレることも、よくあります。ADHDの当事者は、相手のほんの一言に反応して、思いついたことを一方的に話し続けてしまいがちです。
休職していたADHDの患者が「就職説明会に行ってきた」と言うので、「何社ぐらいの説明を受けましたか?」と尋ねました。彼は、こちらの質問には答えず「自分はこういう仕事をしたいから就職説明会に行ったんだ」という話を延々と続けました。
彼は、自分の考えを伝えたいという衝動を抑えられなかったのです。話の合間で、もう一度、同じ質問をすると、彼はやっと「1社だけです」と教えてくれました。

このようにADHDの人には、話の要点を捉えずに、自分の関心に従って、たった一言に強く反応してしまうという傾向がみられます。
そのために、相手が何を聞こうとしているかを理解しようとしないで、話がズレてしまいがちになるのです。本人は、その点に自覚がないことも多く、話もどんどん長くなるのです。(後略)

上記は主にADHDとASDとの違いについてでしたが、ここでは(ADHDと)ASDとの併存の相乗効果について、内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅰ部 エキスパート編 の 第3章 ADHDのある人の「動機」の構造 の「Ⅲ.ASDとの併存の相乗効果」における記述(P46~P48)を次に引用します。

1. 興味・関心の限局

ADHDのある人はその遅延報酬障害のために,利用できる動機づけの方法,つまりは「やる気のもと」が,多数派の人たちよりも不足しやすい。そしてADHDと同じように動機づけに関する障害である自閉スペクトラム症が併存する場合,動機づけの不足はより深刻なものとなりやすい14)。
自閉スペクトラム症の症候の一つは興味や関心の限局しやすさであり,その結果,常同的,反復的な行動が生じやすくなる。つまりは新しい活動に取り組む際に,その活動自体への興味,関心を持てる場合が少なく,動機づけが不足した状態で取り組むことがやはり多くなってしまうのだ。
こうした興味・関心の限局と遅延報酬障害が併存した場合,興味を持てない活動に取り組む場合には,動機の不足が決定的なものとなりやすく,その活動が嫌いになってしまうlリスクが高くなる。
逆に,強い関心のある活動に取り組む場合には,過集中傾向とあいまって,生活の妨げとなるような著しい没頭が生じやすくなってしまう。

2. 社会的報酬への反応の減弱

また自閉スペクトラム症のもう一つの症候は社会的コミュニケーションの困難であるが,近年その背景にある病理は,社会的動機づけの障害であると考えられるようになってきている4)。つまり自閉スペクトラム症のある人は「みんながやっているから僕もやりたい」,「お父さんや先生の期待に応えたい」といった,社会性を背景とした動機づけに対する反応が弱いのだ。
この社会的動機づけ障害も,活動の動機の不足に繋がることとなり,遅延報酬障害との相乗的な悪影響が見られることとなる。また社会的動機づけの不足のために,家族などと生活のペースをあわせようとしないことが多くみられ,これもまた過集中傾向に対するブレーキがかかりにくい要因となってしまう。ご飯の時間でもゲームをやり続ける,寝る時間になってもインターネットから離れようとしないといった状況が起こりやすくなってしまうのだ。

3. 報酬期待の弱さ

また自閉スペクトラム症のある人には社会的報酬であるか,非社会的搬酬であるかにかかわらず,報酬期待自体が弱いとする研究もある5)。であるとすれば,ある活動に対して事後的な報酬で動機づけを行うことの効果が得られにくく,活動自体の魅力の有無がより大きな影響を与えるのかもしれない。遅延報酬障害が併存する場合,報酬期待が更に減弱することも考慮する必要があるかもしれない。
このようにADHD自閉スペクトラム症が併存している事例では,それぞれの障害の特性が相加的,相乗的に働くことで より極端な形で症候が表れる可能性があることを念頭において支援にあたる必要があるだろう。

注:(i) この引用部の著者は吉川徹です。 (ii) 引用中の文献番号「4」は次の論文です。 「The social motivation theory of autism」 (iii) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Social and Nonsocial Reward Anticipation in Typical Development and Autism Spectrum Disorders: Current Status and Future Directions」 (iv) 引用中の文献番号「14」は次の文書です。 「吉川徹:自閉スペクトラム症のある人の「動機」の構造-社会的動機づけと選好形成-,鈴木國文,清水光恵,内海健(編):発達障害の精神病理Ⅲ,星和書店,東京,2021.」 (v) 引用中の「強い関心のある活動に取り組む場合には,過集中傾向とあいまって,生活の妨げとなるような著しい没頭が生じやすくなってしまう」ことに関連する、「逆に、特定の事柄には、過剰に集中することもみられます」についてはここを、「時として非常に集中できる」ことについてはここを それぞれ参照して下さい。加えて、「過集中のために業務の一部が面白くなると、それだけに熱中し、ほかの業務をおろそかにすることがある」ことについて、中島美鈴著の本、『もしかして、私、大人のADHD? 認知行動療法で「生きづらさ」を解決する』(2018年発行)の 第6章 周囲の人ができること の 上司のあなたができること の「広い視野を失っているとき」における記述の一部(P215)を次に引用します。

過集中のために業務の一部が面白くなると、それだけに熱中し、ほかの業務をおろそかにすることがあります。
長時間熱心に仕事をしているのに仕事が進んでいない場合には、声をかけます。明らかにこの傾向が顕著な場合は、ひとりで業務をさせず、過集中を起こさない人とペアで仕事をさせることも選択肢に入れましょう。
注意をするときは、「やめなさい」ではなく、いつまでにどの仕事をというように、手をつけていない作業が残っていることを認識させ、優先順位を明確にして、具体的な仕事の進め方を指示しましょう。視野が狭い、視野を広く持てという言い方では何が問題視されているのか伝わらないことが多いので、具体的に状況を伝えたうえで、仕事の遂行計画を練り直させてもよいでしょう。(後略)

⑥ 同の 第6章 診断 の「国際的な診断基準」における記述の一部(P146)を一部の図表も含めて次に引用します。

(前略)成人におけるADHDは、当然のことながら、基本的には小児における症状を引き継いだものである。けれども、両者はまったく同一とは言えない。というのは、成人においてはADHDの症状が存在していても、それを回避したり、あるいは別の方法で補ったりする対処方法を身につけているケースが多いからである。
このような成人における特徴をふまえて、成人のADHDに対する診断基準も作成されている。その一つである、ハロウェルらによる診断基準を図表6-3に示した。(後略)


図表6-3 ハロウエルらの診断基準
A.次のうち少なくとも15項目において、慢性的な障害をみる。
1. 力が出しきれない、目標に到達していないと感じる(過去の成果にかかわらず):客観的に見て非常に成功していても、本人は迷路に入り込んでしまったような感覚から抜け出せず、本来の可能性を発揮できない。
2. 計画、準備が困難:学校などの枠組み、そばで世話をやいてくれる親の存在などがないと毎日の生活がおぼつかない。
3. 物ごとをだらだらと先送りしたり、仕事にとりかかるのが困難。
4. たくさんの計画が同時進行し、完成しない。
5. タイミングや場所や状況を考えず、頭に浮かんだことをパッと言う傾向。
6. 常に強い刺激を追い求める:常に何か目新しいもの、集中できるものといった外界の刺激を探し求める。
7. 退屈さに耐えられない。
8. すぐ気が散り、集中力がない。読書や会話の最中に心がお留守になる。時として非常に集中できる。
9. しばしば創造的、直感的かつ知能が高い。
10. 決められたやり方や「適切な」手順に従うのが苦手。
11. 短期で、ストレスや欲求不満に耐えられない。
12. 衝動性:言葉あるいは行動面、金銭の使い方、計画の変更、新しい企画や職業の選択における衝動性。
13. 必要もないのに、際限なく心配する傾向。
14. 不安感:生活が安定しているように見えても、常に不安定な感じ。時には自分のまわりが崩壊するするような感覚。
15. 気分が変わりやすい:2、3時間の感覚でさしたるさしたる理由もなく気分が変わりやすくなることがある。
16. 気ぜわしい:うろうろ歩き回る、貧乏揺すりや指鳴らし、座っている間しょっちゅう姿勢を変える、足を組み直す、じっとしているといらいらしてくる。
17. 耽溺の傾向:酒、麻薬などの薬物依存、ギャンブル、買い物、過食、働き過ぎなど、一つの活動にのめりこむ。
18. 慢性的な自尊心の低さ。
19. 不正確な自己認識。
20. ADDまたは躁うつ病うつ状態、薬物中毒(アルコール依存症を含む)、あるいは衝動や気分が抑制しにくいなどの家族歴がある。
B.幼少期にADDだった。
C.他の医学的あるいは精神医学的状態では説明のつかない状態にある。
(この診断基準では、「ADD]は「ADHD]を含む概念として用いられている)

出典:エドワード・M・ハロウェル他『へんてこな贈り物――誤解されやすいあなたに――注意欠陥・多動性障害とのつきあい方』インターメディカル

注:i) 引用中の「図表6-3」は形式を変更して引用しています。 ii) 引用中の「ハロウェルらによる診断基準」は国際的な診断基準ではありません。 iii) 引用中の「2、3時間の感覚で」は誤りで、「2、3時間の間隔で」が正しいのかもしれません。 iv) 引用中の「衝動や気分が抑制しにくい」は不自然で、「衝動や気分を抑制しにくい」が自然かもしれません。 v) ちなみに、引用中の「ADD」は旧診断基準であるDSM-Ⅲによると「注意欠陥障害(Attention Deficit Disorder)」です(同の P29 を参照)。 vi) 引用中の「成人におけるADHD」に関連する『「大人のADHD」仮説』について内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅰ部 エキスパート編 の 第1章 ADHDが「医療化」するということ――「大人のADHD」再考 の「Ⅱ.「大人のADHD」仮説」における記述の一部(P5~P14)を以下に引用します。 vi) 引用中の「物ごとをだらだらと先送りしたり、仕事にとりかかるのが困難。」や「たくさんの計画が同時進行し、完成しない。」に関連するかもしれない「さっと決められないと,いつまでもぐずぐずしてしまう。やるかやらないかの選択肢の前で,なにもせぬまま時間だけが経っていく(procrastination)。」や「ADHDの人の中には,頼まれると断れない人がいる。(中略)結果的にスケジュールが破綻する。」ことについて「プロセスの始まりと終わりでつまづく」ことを含めて、同本の 第Ⅲ部 精神病理編 の 第9章 不注意の精神病理――「大人のADHD」の症候学 の Ⅶ.「大人のADHD」の精神病理 の「プロセスの始まりと終わりでつまづく」における記述(P224~P225)を以下に引用します。

Ⅱ.「大人のADHD」仮説

成人を対象とする精神科臨床のなかで,その人の困り事がpure ADHDだけで説明可能な患者,つまり標準的なADHD治療だけで困り事が大きく改善するといった患者はほぼいない,というのが筆者の見解である。「大人のADHD」患者はうつ状態,不眠を主訴として精神科を受診することが多く,たいてい適応障害と診断される。うつ状態や不眠は仕事を離れ,薬物治療をするとすみやかに回復する。その後ADHDが見つかり,主診断がADHDに変更され,「ADHD患者」になるとADHD治療薬を主とする治療が開始される。主治医が変更してもいったん「ADHD」診断がつくと治療方針は変わらないのが常である。しかもADHD治療薬の症状緩和効果は一定程度あるのでますます変わりにくい。ところが患者の生活への満足度が大きく向上するケースは稀と言っていいのではないか。その理由として,患者の個別性,多様性が十分に考慮された治療がなされていないことが大きいと考えている。ADHDやその他の発達障害はその遺伝的背景の多様性がきわめて大きい。加えて,定型向けの環境の中で集団に合わせることを強いられる長い学校生活の中で,そしてさまざまな価値感を持つ家庭生活の中で成長する間,それぞれの人格が形成される。またどの程度,その人の特性に合わせたサポートが受けられたかも人それぞれである。成人期で初めてADHDと診断される患者の治療の成否はその多様性にどのようにアプローチするかが鍵だと信じている。その際に筆者が重要と考えるのは,以下の3つの視点である。

視点1:ライフコースあるいは生活史
ADHD特性は児童期に始まり成人期まで持続する6,7)。とはいえ,ADHD症状に注目すると,臨床群および非臨床弾のいずれも,年齢とともに軽症化し6,8),児童期にはフルに診断基準を満たしたケースの大部分で,成人後,閾下レベルまで症状は改善する6)。一万,児童期には閾下レベルだった人が,成人後,仕事や家庭生活における機能障害が顕著となり医療化するケースが増えている。次に示すのは50歳を過ぎて初めてADHD診断と治療を受けた症例である。

○症例 A氏
定年まであと数年を残した会社員男性。管理職となった10年ほど前から超多忙な毎日を送るうちに,飲酒量も増え,仕事でミスが増え,仕事中も何をやっているのかわからない感覚にとらわれるようになった。自分でうつを疑い,初めて心療内科クリニックを受診したところ,ADHDと診断されて中枢刺激薬による治療を受け,数年経った。ところが職場でケアレスミスを指摘される頻度はむしろ増える傾向にあり,産業医の助言で診断の妥当性についてのセカンドオピニオンを求めてきた。本人はADHDと診断されてから調べるうちに,思い当たることが多く,診断には納得しているという。効果については昼間の眠気がなくなったことを挙げた。

ADHD診断が妥当かという点は,すでに両親は他界しており,本人からだけの情報という限界はあるものの,小,中,高校時代のエピソードから多動衝動性を伴わない純粋なADHD不注意症状が一貫していることがわかる。弟は多動性・衝動性が激しく,中学生時代から非行を繰り返していたといい,ADHDの家族歴も濃厚である。ADHDと診断された後にあらためて振り返ってみて,自身のことを「何をやっても中途半端」「惰性で学校に行っていが勉強は一夜漬け」「特にこれといって打ち込むものもなく」「何事も達成したことは一度もない」「言われたことをしているだけ」と評する。これもADHDの人によくあるプロフィールと重なる。それでも,一夜漬け程度の勉強で進学校に入学できるくらい成績はそこそこ良く,親からも学校からも勉強や行動面で指摘を受けた覚えはないという。DSM-5では,症状基準の他,複数の状況で症状が存在するという状況基準,生活面での機能障害があるという機能障害基準,
そして年齢基準をすべて満たさなくては,診断に該当しない。仮に,筆者が子どもの時のA氏を診察する機会があったとして,ADHD症状は認められるものの,完全に診断基準を満たさないことからADHD診断閾下と結論した可能性がある。
今日のエビデンスから,診断の閾値は絶対的ではないことはわかっているが,一般にADHDの人では,ADHD症状が強いと困難度が高く,軽いと困難度は低い。そして年齢とともにADHD症状の程度は軽減することを踏まえると,A氏がなぜ50歳を過ぎてADHD患者として医療化したのかという点は,ライフコースの観点からの考察に値する。単に,診察時点で症状がDSM-5の症状リストを網羅しているからというだけでその人のADHD症状を治療するのか良いとは限らないからである。実際にはそうした過剰な医療化があまりにも多いのは問題である。A氏の変節点をみてみよう。

大学を卒業後,今の会社に入職し,20年ほどは特段問題なく過ごしてきた。職場での評価が変わったのは,昇進後である。「期待はずれ」「この給料なら若く有能な人が2人雇える」などとあからさまに言われる。確かに言われる通りだと自分でも納得してしまう。

要因として考えられるのは,要求される業務の質と量の変化であろう。IQの高いADHDの人は学業成績がよいので 児童期には周囲が支援ニーズに気づかないことはよくある。ところが日本の組織で働くとなると事情はまったく違ってくる。まだ平社員で大きな組織の中での役割が比較的シンプルで明確であれば問題はあまり目立たないかもしれない。しかし管理職(executive)に求められるのは,まさにさまざまな業務の進捗を統括する組織内の実行機能(executive function: EF)である。EFはIQとは別物で,EF不全はADHDに特異的ではないが,平均~高IQのADHD成人患者の訴えには「段取り良く行動できない」「取り掛かりが遅くなる」「優先順位を決められない」というEF不全が非常に多い9)。そして日本の学校成績はIQには鋭敏だが,EFを反映しないし,EFを育てる教育はしない。A氏自身,「言われたことをしているだけで精一杯」とEF不全を自覚している。知能検査のワーキングメモリ課題の低成績もEF不全の反映と考えられた。A氏の場合,彼のポジションから期待される役割とEFレベルが合っていない(履歴書からはわからない)という人-環境のミスマッチが医療化の一因となったのは間違いない。しかしながら検査で示唆される認知機能不全に比して,「できない」という訴えが強すぎる患者は少なくない。その場合,生活習慣の変化にも目を向ける必要がある。

高校生の頃から機会飲酒をたびたびし,大学生になると毎晩のように同級生と飲み歩き,バイト代を飲み代に使っていたという。飲酒習慣は会社に入ってからも続き,昇進後,飲酒量はいっそう増え,毎晩ビール,ワイン,ウイスキーを大量に飲んで酔いっぶれて眠る毎日であったという。

50歳を超えての医療化には加齢や長年の飲酒習慣に関連する脳萎縮や梗塞など脳の変化による認知機能の低下も考えておく必要があるだろう。「不注意症状はADHDに特異的ではない」からだ。A氏はADHDに多い飲酒問題を長く抱えていた。その後の脳MRI検査で軽度脳萎縮を指摘された。それを機に,A氏は認知症の家族の介護をしてきたことから,あらためて自らの生活習慣や転職も含めた働き方について向き合っていこうと考えるようになった。そのうえで,今後の治療計画を,ADHDだけでなくメンタルヘルス全般や認知機能を含めて,見直すこととなった。
主訴に仕事上のミスが語られ,現在,ADHDの不注意症状が認められ,かつ児童期にも遡れるようであれば それ以外の情報が不十分であっても通常診療ではADHDと診断されうるだろう。ここで,複数の要因が関係するADHDにおいては,従来の医療モデルのように症状軽減を目指す治療だけでは不十分で,生活がその人にとって満足いくものとなりうることを目指すホリスティックな視点が必要であることを確認したい。環境がその人の特性に合っているかどうかは,年齢に関係なく大切な視点である。合っていないと,その人の弱みは強調され,やがてホメオスタシスは破綻し,心身を病む10)。A氏のように50歳になるまではなんとか適応を維持できた人が医療化するのに,環境側の変化が大きな意味を持ってくる。
発達障害はライフコースを通して持続するという側面が強調されやすいためか,どのライフステージにあっても金太郎飴のように同じ症状の現れ方をするものと誤解されやすい。それはあくまでも多人数を平均して説明する研究上の話である。一人ひとりの発達軌跡を追跡すると,同じ人でも時期によって症状は大きく変動する11)。Posnerら5)は,ADHDの背景にある行動抑制,モチベーション,セットシフティング,そしてワーキングメモリなどにみられるEF不全は状況依存的にその程度が変勤しやすいことを強調している。実際,「大人のADHD」のなかには,A氏のように管理下で与えられた仕事をこなしていればよかった立場から,executiveな役目への昇進が契機となり顕在化したケースや,逆に,目新しい刺激に満ちたプロジェクトから解放され,通常業務に配置されたことでモチベーションを失い顕在化するケースもある。成人のADHD顕在化には大量飲酒やその他の物質使用の問題が結びついているのも特徴であろう11,12)。

視点2:併存精神障害および併存精神症状
「大人のADHD」が気分障害やアルコール依存や薬物依存,不安症,ASDなど他の精神医学的障害を併せ持っていることは実臨床ではほぼ100%と言っても言い過ぎではない。(中略)

とりわけ,「大人のADHD」の多くが訴える「気分」の浮き沈みをどうとらえるかは大変悩ましい。しかも,彼らの訴えは,不注意や多動・衝動性の中核症状そのものではなく,「気分」の浮き沈みそのものであったり,実際に「気分」の浮き沈みが生活に直接の悪影響を及ぼしていることが多い。彼らの訴える感情の不安定さは,位相性の気分変動を呈する双極性障害で説明可能な場合もある一方で,位相性がはっきりしない広義の双極スペクトラムと捉えるべきか,あるいは出来事への過剰反応としてADHDの部分症状(衝動性)として捉えるべきか,迷うケースもまた多い。ADHDにおける双極性障害の有病率は7.4~80.0%14)と報告によって幅が広いことからもわかるように,ADHDにみられる気分の変動をどのように捉えるかについては研究者によって異なり,まだ一定の見解がないのも事実である15)。
筆者の経験では双極性障害では説明できない「気分」の「浮き沈み」(不安定性)も少なくない。最近のADHDの文献では,感情調整不全(emotional dysregulation:ED)と命名され,ADHD特異的ではないけれども重要な臨床的問題と考えられている16)。次に,典型的なEDを呈する症例を示す。

○症例 B子さん
気分の落ち込みで精神科を受診した40代女性。今の会社には数年前から入ったが,現在の上司と折り合いが悪く,ある出来事を引き金にひどく気分が落ち込み不眠が続いているという。初診時はSSRI少量を処方したが,1週間後に再診したときにはもう症状は消失しており,服薬なしで通常の生活に戻っていた。上級職との話し合いの場で今の上司とのやりづらさを理解してもらえた。また夫のかねてからの希望もあり,今の会社での引継ぎが終われば退職し,夫と地元に戻って新しい仕事を始める方向で気持ちが切り替わったという。そう話すB子さんは初診時と比べて表情豊かで頭の回転の速い人という印象である。
過去に胃部の激痛で救急受診したことは何度かある。ただし,症状は一時的で,翌日から通常の生活に戻ったという。精神科の既往は,数年前に不眠で受診した際,ADHDと診断されメチルフェニデートを内服したことがある。内服時は幾分頭の中のうるさい感じが和らいで仕事がすすみやすかったように記憶しているが,数回通院したのちに中断した。当時から,対人関係などで感情が爆発しそうになると,その場限りの電話相談を常用していたが,今もそれは続けているという。いわゆる定期的なカウンセリングとは違い,一方的にしゃべっているのを聞いてもらうだけなのでスッキリするという。ただし,費用がかかりすぎるようにも思う。
小学校時代はおしゃべりが過ぎると教師によく叱られた。宿題は一度も持って帰らなかった。両親は商売で忙しく,本人は帰宅後,家の手伝いをしていたので,学校のことは嘘でごまかせた。中高は友だちと放課後カラオケに寄ったり,それなりに楽しく過ごした。大学ではサークル活動にだけ熱中した。卒業後,2,3年サイクルで退職,転職を繰り返していた。前の会社では新しいプロジェクトの立ち上げに全力投球で取り組み,その成果を社内で高く評価され昇級し,別の部署に配属後,仕事への情熱がなくなり,退職した。

「大人のADHD」のなかには,B子さんのように慢性的な併存障害がなく,ストレス反応が耐えがたいときに単発的に飛び込んでくる人は多い。そしてストレス反応がおさまると遠ざかるのだがまた忘れたころになってやってきて,またいなくなるというのを繰り返す。それはそれでよいのかどうかについては,追跡研究にもとづく治療予後についてのエビデンスがないのでわからない。B子さんの場合,受診と受診の間は,問題なく,むしろうまくやっていると言う。実際のところは家族や職場の同僚,上司からの情報がないので,本当かどうかはわからない。電話相談を頻繁に利用しているところをみると微妙である。

B子さんと,今何が起きていて,どう対応するのがよいのか,既往歴を振り返り,整理することにした。子どものときに不注意や多動・衝動性といったADHDの中核症状が確かにあった。現在は大分軽減し,それらで支障となっていることはあまりない。その一方で,他者の言動で感情が大きく左右され,振れ幅が大きすぎてコントロールが難しい,あるいは自分でコントロールできない不安を感じている。こうした数々の悩みはEDの問題で,ADHDと関連していることを伝えた。B子さんの対処法,すなわち,単発的な相談や医療の利用では再発予防は期待できないこと,継続的なADHD薬物治療は中核症状だけでなくEDに対しても一定の効果が期待できるかもしれないこと16),を説明した。そしてEDに焦点化した心理治療を併用すると,予防に役立つかもしれないことを伝えた。主治医としてはコストとベネフィットを考えてED治療をすすめるが,最終的にはB子さんの意思決定を尊重すると伝えた。B子さんは後者を選んだ。その選択がよかったかどうかは,今後の彼女の生活の質の変化を見守るしかない。

視点3:スペクトラムと診断閾下
一般医学では,カテゴリカルな診断分類とディメンジョナルなアプローチの異なるアプローチを組み合わせて用いている。(中略)

自閉症の概念がスペクトラムにシフトしてきた経緯にも児童精神医学に根付くディメンジョナルな視点の一例をみることができる17)。(中略)

ASDの診断基準をフルには満たさないけれども,非ASDとの境界近くに位置する人たちには臨床的なニーズはないのだろうか。こうした疑問は研究者たちからよりも,むしろ臨床家の間で関心が高くなりつつある。従来の分類に依拠した保険診療の枠内での対応は手さぐり状態だからだ。疫学研究によると,メンタルヘルスの問題がたとえ診断閾下(subthreshold)であっても,経験した児童青年の予後はそうでない同輩と比べて,成人後に生活上の問題が多く,治療ニーズも高いことがわかっている19)。ASD診断閾下の児童青年の情緒や行動などメンタルケアのニーズが高いこともわかっている17)。ASD閾下とASDとは症状が近似するだけでなく,遺伝率(heritability)も近似するという報告20)もあり,診断境界の妥当性の科学的根拠は希薄となりつつある。
近年,ADHDの診断閾下ケースに対する関心も高まってきた。subclinical,subsyndromal,subthresholdなど呼び方も定義もさまざまであるがADHD診断閾下もADHD同様,精神障害併発のリスクが高い21)。A氏もB子さんも現行の診断基準に従うと,児童期は診断閾下と推測される。二人とも児童期にはそれなりに適応していた。(中略)

現行のADHD診断について,著者らは鑑別について明確な指針を設けないと,原因が何であれEF不全を来たす状態のゴミ箱診断になりかねないと警鐘を鳴らしている11)。

注:(i) この引用部の著者は神尾陽子です。 (ii) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Attention-deficit hyperactivity disorder」 (iii) 引用中の文献番号「6」は次の論文です。 「The age-dependent decline of attention deficit hyperactivity disorder: a meta-analysis of follow-up studies」 (iv) 引用中の文献番号「7」は次の論文です。 「Personality traits among ADHD adults: implications of late-onset and subthreshold diagnoses」 (v) 引用中の文献番号「8」は次の論文です。 「Decline in attention-deficit hyperactivity disorder traits over the life course in the general population: trajectories across five population birth cohorts spanning ages 3 to 45 years」 (vi) 引用中の文献番号「9」は次の論文です。 「Executive functioning in high-IQ adults with ADHD」 (vii) 引用中の文献番号「10」は次の論文です。 「Evidence-based support for autistic people across the lifespan: maximising potential, minimising barriers, and optimising the person-environment fit」 (viii) 引用中の文献番号「11」は次の論文です。 「Late-Onset ADHD Reconsidered With Comprehensive Repeated Assessments Between Ages 10 and 25」 (ix) 引用中の文献番号「12」は次の論文です。 「Is Adult ADHD a Childhood-Onset Neurodevelopmental Disorder? Evidence From a Four-Decade Longitudinal Cohort Study」 (x) 引用中の文献番号「14」は次の論文です。 「The prevalence of psychiatric comorbidities in adult ADHD compared with non-ADHD populations: A systematic literature review」 (xi) 引用中の文献番号「15」は次の論文です。 「A systematic review of rates and diagnostic validity of comorbid adult attention-deficit/hyperactivity disorder and bipolar disorder」 (xii) 引用中の文献番号「16」は次の論文です。 「Adult attention-deficit hyperactivity disorder: key conceptual issues」 (xiii) 引用中の文献番号「17」は次の資料です。 「未診断自閉症スペクトラム児者の精神医学的問題」 (xiv) 引用中の文献番号「19」は次の論文です。 「Adult Functional Outcomes of Common Childhood Psychiatric Problems: A Prospective, Longitudinal Study」 (xv) 引用中の文献番号「20」は次の論文です。 「Autism spectrum disorders and autistic like traits: similar etiology in the extreme end and the normal variation」 (xvi) 引用中の文献番号「21」は次の論文です。 「Subthreshold attention deficit hyperactivity in children and adolescents: a systematic review」 (xvii) 引用中の「自閉症の概念がスペクトラムにシフトしてきた」ことに関連するかもしれない「広汎性発達障害自閉症スペクトラム障害の違い」については次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ」の「図1 広汎性発達障害自閉症スペクトラム障害の違い」(P12) (xviii) 引用中の「ED」についてはここも参照して下さい。 (xix) (ADHDの)「DSM-5の症状リスト」については例えば次の資料を参照して下さい。 「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」の「Table 1 ADHD の診断基準(DMS‒5)」(P29) (xx) 引用中の「ADHDにおける双極性障害の有病率は7.4~80.0%14)と報告によって幅が広いことからもわかるように,ADHDにみられる気分の変動をどのように捉えるかについては研究者によって異なり,まだ一定の見解がないのも事実である」ことに関連するかもしれない、 a) 『ADHDにみられる「気分変動」を双極性障害の症状とみなしてしまう間違いも多いようである』ことについて、岩波明著の本、「職場の発達障害」(2023年発行)の 第2章 ADHDをめぐる誤解――職場でどう接するか の「うつ病などの合併」における記述の一部(P63)を次に引用(【 】内)します。 【また、ADHDにみられる「気分変動」を双極性障害の症状とみなしてしまう間違いも多いようである。このような場合、気分安定薬と呼ばれるタイプの薬剤が漫然と投与され、あまり効果がみられない例が多い。】(注:引用中の「気分安定薬と呼ばれるタイプの薬剤が漫然と投与され、あまり効果がみられない例が多い」に関連するかもしれない「双極症とADHDの見極めは重要である。なぜなら、ADHDの治療に用いられる主剤に、精神刺激薬があるからだ。これらの薬剤は躁症状悪化のリスクに賛否両論あり、リチウムのような気分安定薬を併用しない限り、双極症の患者には通常投与されない」ことについて、デイヴィッド・ミクロウィッツ著、加藤忠史監訳、宗未来、酒井佳永、山口佳子訳の本、「本人と家族のための双極症サバイバルガイド」(2023年発行)の 第3章 医学的評価について――正しい診断をつけてもらうためには? の その診断は本当に正しいのだろうか?私は他の病気ではないだろうか? の「注意欠如・多動性障害(ADHD)について」における記述の一部(P075)を以下に引用します。) b) 「ADHDと類似した双極性障害症状」について、内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅱ部 臨床編 の 第5章 ADHDにおける観念連鎖の自律性について――Subclinical Bipolar Disorder仮説 の Ⅱ.文献概観と予備的考察 の「1. ADHD双極性障害の連関」における記述の一部(P90~P91)を以下に引用します。

注意欠如・多動性障害(ADHD)について(中略)

ADHDは通常、幼少期に発症する疾患で、集中困難が特徴的である。多動性や衝動性を伴うADHDの子どもは、そわそわして落ち着き無く、誰かの質問中にもかかわらず待ちきれずに答えを突然口にしたり、椅子にじっと座っていられずに飛び回ったり、おしゃべりばかりしていたりする。これらの症状は躁状態によく似ており、小児期に発症した双極症をADHDと区別すること、あるいは成人の双極症であるのか、それとも小児期に診断されたADHD症状が大人になっても残遣しているのかを区別することは、非常に難しい。両疾患が合併する可能性もある。先行研究では、双極症の成人患者に合併するADHDの割合は9.5-48%の間にあると推定されている。そのばらつき(信頼区間)の大きさは、地域や研究手法の違いもあるが(Harmanciら、2016; Kesslerら、2006)、両者の診断見極めの難しさも物語ってもいるかもしれない。
双極症とADHDの見極めは重要である。なぜなら、ADHDの治療に用いられる主剤に、精神刺激薬があるからだ。これらの薬剤は躁症状悪化のリスクに賛否両論あり、リチウムのような気分安定薬を併用しない限り、双極症の患者には通常投与されない。(後略)

注:i) 引用中の「Harmanciら、2016」は次の論文です。 「Comorbidity of Adult Attention Deficit and Hyperactivity Disorder in Bipolar and Unipolar Patients」 ii) 引用中の「Kesslerら、2006」は次の論文です。 「The prevalence and correlates of adult ADHD in the United States: results from the National Comorbidity Survey Replication

(前略)ADHDと類似した双極性障害症状としては,軽躁病・躁病エピソードの中の「注意散漫(ADHDの中核症状でもある)」「困った結果につながる可能性が高い活動に熱中すること(ADHDの衝動行為と類似)」「気分が異常かつ持続的に高揚し,開放的または易怒的となる(ADHDでも易刺激性や不機嫌は見られる)」「睡眠欲求の減少(ADHDでは多動の結果として入眠時間が遅くなる場合がある)」「多弁(ADHDでも認められる)」と抑うつエピソードにおける「思考力や集中力の減退低下(外面上ADHDの不注意と間違われやすい)」が挙げられる。DSM-5で別々の章に位置づけられていながら症候論的にこれほど似ている組み合わせは「ADHD双極性障害」以外にはないだろう。両者の鑑別が容易ではなく併存が見落とされやすいのも納得がいく。(後略)

注:i) この引用部の著者は芝伸太郎です。 ii) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM-5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)

プロセスの始まりと終わりでつまづく

ADHDがつまずきやすいのは,プロセスが途切れる時である。それにはいくつかの切断点がある。代表的なものは,物事にいざ取り掛かる時である。すっと入れればよいのだが,少しでもためらうと,様相が一転する。立ち止まっているうちに,選択肢が出てくると,決められなくなる。比較検討したり,様子をみたりすることば性分にあわない。さっと決められないと,いつまでもぐずぐずしてしまう。やるかやらないかの選択肢の前で,なにもせぬまま時間だけが経っていく(procrastination)。
彼らはまた,切迫しないと課題にとりかかれない。通常は,物事は計画的に進めるべきであると教わる。しかし,性分にはあわない。それゆえ,なかなか手がつかない。かといって,課題のことを忘れているわけではなく,どこかで気になっている。それがまた課題を重たいものにしてしまう。こうした特性に対して,あえて一夜漬けを奨励する専門家もいる。ある程度能力が高い場合には,有効な対処法となりうる。
ADHDの人の中には,頼まれると断れない人がいる。はずみで引き受けてしまう。引き受けるか断るかを吟味するその宙吊りの状態が苦痛である。あるいは断るよりやってしまう方が楽であるという人もいる。結果的にスケジュールが破綻する。また,引き受けたことは,かりに当初はおもしろそうに見えても,結局は約束事であり,やらねばならぬことである。魅力は失せ,だんだんと負担になっていく。
あるいはプロセスが終わりかけ,そろそろまとめの作業に入る頃も要注意である。山場をすぎて,熟が冷めると,途端に減速したり,手が止まったりする。まとめることはいわゆる積分回路の担当であり,苦手であることが多い。いわゆる「詰めが甘い」と呼ばれる特性である。
プロセスから出た後も要注意である。往々にして,次の行動に移れない。とりわけ大きなイベントのあとでは,不活性な時間が長く続くことがある。対策としては,小さなイベントをその後に予定しておくなどの方法がある。

事例G
20代男性。アーチストとして活動している。物をなくす,スケジュールがこなせない,頻繁に遅刻するなどのことで,周囲からも勧められて,抗ADHD薬の服用をを希望して受診した。服薬後は,不注意症状は明らかに減少した。また作品のキャプションや小論文なども,手際よくまとめることができるようになった。
他方,制作については,他人の評価が気になって,アイデアが出ず,作品もフラットなものになってしまったとのことであった。結局,服薬はデスクワークの多い時に,スポットで行うことになった。

ADHD的な生き方は,プロセスのさなかで輝く。「自分」などという重力場のようなものなどは,あまり出てこない方がよいのだろう。他方,実際の生活では,そうもいっていられない。そしてまた,意識や注意にリズムがあるように,プロセスの中にいつまでも浸り続けるわけにはいかない。これは彼らが社会の中で生きる上でのジレンマである。

注:i) この引用部の著者は内海健です。 ii) 引用中の「抗ADHD薬の服用をを希望して受診した。服薬後は,不注意症状は明らかに減少した。また作品のキャプションや小論文なども,手際よくまとめることができるようになった。他方,制作については,他人の評価が気になって,アイデアが出ず,作品もフラットなものになってしまったとのことであった。」に関連する「クリエイティビティとADHD症状はトレードオフの関係にある」については次のエントリを参照して下さい。 「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」の「ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ」項 iii) 引用中の「積分回路」についてはここ及び次の資料を参照して下さい。 『「人間の壊れるとき」に関わる微分 -人間の病理性と創造性の狭間を問う-』の「2. メイン概要」項

⑦ 同の 第7章 治療 の「疾患の理解が重要」における記述の一部(P174)を次に引用します。

成人のADHDの治療の前提として重要であるのは、ADHDという疾患の理解である。つまり、①自分自身のADHDによる行動特性を理解し、②その行動特性を肯定的に受け入れて、さらに、③その行動特性を変化させるために立ち向かう気持ちを持つ、ことである。
多くの患者はこれまでの人生において、「だらしがない」「真剣に物事に取り組もうとしていない」などと周囲から非難され、自己否定的な思いにとらわれている。けれどもこういった点が本人の「やる気」の問題ではなく、ADHDという疾患によるものであることを認識することで、仕事や人生への取り組み方に大きな変化が生じる。これは本人だけでなく、周囲の家族の問題も大きい。家族がADHDを理解することによって、本人の受けるストレスが減り、精神症状が安定する例も多い。

⑧ 同の 第7章 治療 の「心理社会的治療」における記述の一部(P196~P198)を図表も含めて次に引用します。

(前略)
ADHDの治療薬は、「不注意」「多動、衝動性」などの臨床症状に有効性は高く、注意力、集中力の改善をもたらすが、これだけで必ずしも彼らの生活全般が改善するわけではない。成人のADHD患者は、さまざまな症状によって不適応状態になりがちであるが、彼らなりの「方法」で状況を乗り切っていることが多く、自分なりの対処行動はパターン化されているため、簡単に変えることは難しい。
図表7-6に、成人期のADHDでみられる認知面での問題点(歪み)について示した(樋口輝彦他編『成人期ADHD診療ハンドブック』じほう)。また図表7-7には、ADHDの人がしばしば用いる対処行動(補償方略)について示した(同前)。
認知行動療法は、患者本人にこのような自らの認知面での問題点について自覚してもらい、そのパターンを変えるようにすることで、適切な対処行動を身につけていこうとする治療法である。患者本人が自らの認知の歪みと悪循環となっている行動パターンに気がつき、対処方法を治療者とともに考案することを繰り返すことが必要となる。
ADHDの治療のゴールとしては、長期的には症状の改善にとどまらず、生活上の困難さを改善すること、さらに患者の能力を十分に発揮できるような状態をもたらすことが必要である。特に、症状が慢性化し社会的な不適応が長期にわたるケースにおいては、薬物療法のみでは十分でなく、認知行動療法などの併用が望ましい。


図表7-6 成人期のADHD患者に一般的にみられる認知の歪み

過度の一般化:特定のミスから一般的な結論を出したり、元々のミスと関係があろうがなかろうが、その結論を他に状況に適用すること

魔術的思考:問題解決を自分が制御できないこと(例えば、運)に過度に頼ること(「適切な用量の薬物療法を受ければ、すべての問題を解決できる」)

相対的思考:他人と比較して自分がどれほど上手くできているかで自分を評価する(「試験で時間を延長してもらう必要があるのはクラスで私だけだ。私は大学についていけないだろう」)

公平さの誤認:すべての点で人生は公平であるべきだという信念(「教科書を1章分読むのに、ルームメイトよりも時間がかかるなんて公平じゃない」)

全か無か思考:起きたことを二分して、黒か白のようにみる傾向(「私のスーパーバイザーがいくつかの項目で『改善の必要がある』と書いていた。私がやったことは全くダメに違いない」)

読心術的推論・占い:確固たる証拠もないのに、他者が当人を否定的に捉えており、状況が悪化するだろうと推論すること(「きっと同僚は私を信用できないと思っている」)

べき思考:自分自身や行動の一側面に関する非現実的で非適応的な規則をつくる(「座って考えたりせずに私はスケジュールの優先順位を付けるべきだ」)

不適切な非難:不公平な自分や他者への叱責とその他の要因の見落とし(「彼女は私がADHDであることを理解すべきであり、デートをすっぽかしたことを怒るべきではない」)


図表7-7 成人期のADHD患者に一般的にみられる補償方略

予期的回避/先延ばし:未解決の課題の困難度を拡大視してしまい、自分がその課題を完遂する能力に疑いをもつ。結果として、先延ばし行動を合理化する。

瀬戸際政策:課題を完遂することを最後の最後まで待つ傾向。締め切りが差し迫ってやっと完遂する

課題のジャグリング:その前から始めた計画の進展がないにもかかわらず新しくて刺激的なことに取り組み、「精力的で生産性が高い」と感じる。

疑似成功感:優先順位の低く簡単な課題をいくつか終わらせて、優先順位の高い難しい課題(例えば、仕事の報告書を書き終える)を回避する

禁欲主義的思考:生活上の望ましい変化の見込みを過度に悲観的にとらえることで、平然と置かれた状況を受け入れる

注:i) 引用中の図表は引用者により形式を変更しています。 ii) 引用中の「信念」に関しては、例えば次のWEBページを参照して下さい。『考え方の根っこにある「信念のルーツ」をひもとく - apital

加えて、同の 第7章 治療 の「認知行動療法」における記述の一部(P198~P200)を図表の一部も含めて次に引用します。

認知行動療法を行うにあたり、成人のADHDに特化した認知行動モデルが、サフレンらによって提唱されているが、これを図表7-8に示した(樋口輝彦他編『成人期ADHD診療ハンドブック』じほう)。この認知行動モデルでは、生活上の機能障害が生じるのには、二つの経路があると仮定されている。一つはADHDの症状によって、行動面における対処法を有効に活用できないために、さまざまな機能障害が起きるという経路である。もう一方の経路では、ADHDの主症状によって失敗経験を繰り返すために否定的な認知や信念を持ちやすくなり、その結果として抑うつや不安などの精神症状が出現し、結果として機能障害が起こるというものである。
このような機能障害を防ぐためには、ADHDの症状を投薬によってコントロールするとともに、具体的な生活場面における対処方法を身につけ習慣化していくような継続的な努力が必要となる。これには、患者と治療者の共同作業が重要である。
認知行動療法の最終的なゴールは、①自己マネージメントのスキルや対処行動を身につけ、症状をコントロールできるようにする、②自尊心、自己肯定感を持てるようになる、③注意力や感情調整のスキルを向上させる、ことなどである。
また小貫らは、ADHDに必要とされる社会生活上のスキルとして図表7-9に示すものをあげている(小貫悟、名越斉子、三和彩『LD・ADHDへのソーシャルスキルレーニング』日本文化科学社)。これらは小児を対象に検討されたものであるが、成人のADHDにも共通しており、認知行動療法などを通じて改善をはかることが必要となる。


図表7-9 ADHDに必要なスキル

1.集団参加行動
ルール理解・遵守、役割遂行、状況理解
2.言語的コミュニケーション
聞き取り、表現、質問と回答、話し合い、会話
3.非言語的コミュニケーション
表情認知、ジェスチャー、身体感覚
4.情緒的行動
自己の感情理解、他者の感情理解、共感
5.自己・他者認知
自己認知、他者認知、自己-他者認知

注:i) 引用中の「図表7-8」の引用は省略しています。 ii) 図表7-9は引用者により形式を変更して引用しています。 iii) 引用中の「信念」に関しては、例えば次のWEBページを参照して下さい。『考え方の根っこにある「信念のルーツ」をひもとく - apital』 iv) 引用中の「共感」については次のWEBページを参照して下さい。「共感 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「サフレン」が筆頭著者である引用中の「認知行動療法」についての論文(全文)例は、拙訳はありませんが次を参照して下さい。 「Cognitive Behavioral Therapy vs Relaxation With Educational Support for Medication-Treated Adults With ADHD and Persistent Symptoms」 vi) 引用中の「認知行動療法」に関連するかもしれない(大人のADHDにおける)「うまく生活していくための原則」について、中島美鈴著の本、『もしかして、私、大人のADHD? 認知行動療法で「生きづらさ」を解決する』(2018年発行)の 第3章 ADHDの診断と治療 の 薬に頼らないADHD治療 の「うまく生活していくための原則」における記述(P112~P115)を次に引用します。

ADHDの診断を受けた人やADHDタイプの人がうまく生活していくためには、三つの原則があります。
ひとつ目の原則は、自分のADHDの特性を受け入れることです。
自分の特性を受け入れるには、まず一般的なADHDの症状について知る必要があります。その次に、その中で自分にあてはまる症状は何かを見つけていき、今の困りごとがどの症状で説明できるかを理解していくことになります。
こうして、これまでは「怠けだ」とか「だらしない」と思っていた自分の行動について、本人も、周囲の人も、本人の失敗を怠け癖や教育の不足といったことで責めるのではなく、できないことは実はADHDのために起こっていたのだと受け入れて、理解していきます。このような心理教育を受けることで、ADHDについての理解はより一層深まることになります。このプロセスで大事なのは、本人の自尊感情を傷つけないということです。
二つ目は、その人に合った対処法があるということです。
ADHD症状が生活にもたらす影響は多岐にわたるかもしれません。しかし、遅刻をしない、忘れ物もしない、人の話を最後までよく聞くことができる、仕事も計画的に進められる、先延ばししないで物事を何でもテキパキとこなすことができる、家は常に片づいている、早寝早起き、栄養のバランスのとれた食事を摂ることができている…‥ADHDの人がこのような生活を目指して、すべての困りごとに対処策を講じる必要はあるでしょうか。
たとえば、そもそも自炊はしない主義の人なら食事を作ることを目標とせず、外食店を複数確保することの方がフィットします。それでも栄養面にこだわるのなら、外食店やお店のメニューを取捨選択すればよいのです。
忘れ物が多く、工夫をしても完壁に忘れ物をしないようにするのは無理という人なら、バッグや行先に備えをしてリカバリーするという方法もあります。
こうするべきという正解はありません。自分が生きやすくなる方法を考えるのが基本です。それが一番囲っていて、改善したいと思う部分から始め、そのやり方も個々のライフスタイルに合わせたやり方でよいのです。                         1
三つ目は「普通」になることを目指さないということです。周囲の人であれば、ADHDの診断を受けている人やADHDタイプの人に自分と「同じ」を求めないということです。
ここで言う「普通」とは、ADHDではない人基準の「普通」です。違うのだということをお互いに受け入れることで、神経をすり減らすのをやめることができます。
そして、ADHDの診断を受けている人やADHDタイプの人には、ADHDではない人にはない特性があります。得意不得意のでこぼこがあったとして、それを平らにならすことは、大変苦しいことですし、もったいないことです。自分らしさを削り取ってしまいます。
ADHDの人の中には「自分はマイナスだ。これをどんなにがんばってもがんばってもやっと0になるだけ。普通の人がなんにも意識しないで0ができるのに!」と言う人もいます。こんなふうに考えながら日々生きていくには、人生はあまりに長過ぎます。
「私には、ほかの人にはまねできないよいところがある。でも苦手なことのせいで、ずいぶん足をひっぼられて、本来のよいところまで埋もれてしまうこともある。自分を活かすために、ちょっとだけ苦手なところを埋め合わせるんだ。それさえできれば、私はうーんとプラスなんだ」と考えることはできないでしょうか。
自分の何が良いところなのかを自覚できないと感じている人もいると思いますが、ほかの人にはものすごく苦痛に感じることが、自分にはまったく苦にならないことだったという経験を持つ人もいるのではないかと思います。
周りの人から「よくそんなこと続くね」とか「真似できないわ」と言われたようなことがそれにあたります。自分のよいところ、自分にしかできないことは、もうすでにやれていることかもしれません。そうしたものを、ぜひ見つけていただきたいと思います。そうして、自分を信じ、対処法は自分が活躍するための補助的なものであると認識して実践していくことが大事です。
このように、ADHDに悩む人や、そういう人を抱える周囲の人がADHDの心理教育を受けるということは、知識や情報を増やすこと以上に、自尊感情を取り戻し、豊かにするという点でとても意味があることなのです。

(b)中村和彦編著の本、「大人の ADHD 臨床 アセスメントから治療まで」(2016年発行)からの複数の引用を以下に紹介します。
① 同の 第4章 大人の ADHD の鑑別診断 の「1. ADHD の概念」における記述(P42~P43)を次に引用します。

1.ADHD の概念

本邦において 2005 年 4 月に施行された「発達障害者支援法」の発達障害の定義には ADHD が含まれているが(法第 2 条第 1 項),DSM や ICD などの国際的診断分類における歴史的経緯を見ると,ADHD は児童期の症候群的な色彩が色濃く反映され,明確には発達障害として扱われてこなかった。ところが,成人期でも ADHD 症状を認める報告が相次ぎ,児童期に特化した症候群的位置づけの変化を余儀なくされつつある。すなわち,成人期にも ADHD が認められるかという問題を契機に,ADHD発達障害として扱うべきかどうかという問題に直面することとなった。
そもそも,発達障害という概念を認めた趣旨は,後天的な発症起点がある程度明らかであり,寛解と再発を繰り返す一般的な精神障害と峻別すべき疾患群を認める必要性があるからである。すわなち,生来的な脳機能の障害であり,生涯にわたりその人の社会的な適応に強い影響を及ぼし続けていく可能性のある偏りや傾向を有する疾患群を包含する概念が,現在の発達障害概念であると思われる。確かに,自閉スペクトラム症*(自閉症スペクトラム障害,Autism Spectrum Disorder: ASD)と比較すると,ADHD は症候群的要素が強いことは否めないが,今日では生来的な脳機能障害に起因することはほぼ明らかになりつつある。また ADHD は,世代によって顕在化する症状の変化はみられるものの,寛解と再発を繰り返す一般の主要な精神障害とは明らかに一線を画するべきものであり,むしろ終生その人個人の生活に影響を与え続ける因子の 1 つとして捉えるべきである。したがって,発達障害という用語がふさわしいかどうかは別途検討が必要であるが,少なくともそのような疾患群を包含する概念の存在は精神医学的診断分類を考えていく上で重要なことであり,ADHD発達障害に属するものと考えられ(三上・松本, 2009; 齊藤, 2007),DSM-5 では,ADHD は Neurodevelopmental disorder(神経発達症)の項目に含まれている。
そうであるならば,発達障害は中枢神経系の障害という生物学的基盤を有することから,児童期に特化した疾患ではない。当然のことながら,発達障害を有する子どもは思春期を迎え,やがて青年期に至り,人生のさまざまな場面で問題が顕在化し得ると考えられる。すなわち,ADHD発達障害と捉えるからこそ,当然に成人期以降にも問題となり得ると考えられる。
また,成人期 ADHD の90%以上に不注意症状を認めるとする報告があり,成人期 ADHD では,不注意症状が中心となる(朝倉ら, 2003; Kessler et al., 2010; Wilens et al., 2009)。これは,就学期に必要とされる能力が記憶力中心であったのに対し,仕事の場面では実行機能に関わる事務処理能力が中心となり,業務に優先順位をつけ効率よく処理することにつまずき,日常生活に支障をきたすことで受診につながることが理由の 1 つとして考えられる。なお,本邦での受診理由としては,自分は ADHD ではないだろうかと考え,医療機関を訪れるケースが少なくないことが特徴の 1 つである(朝倉, 2011; 朝倉ら, 2003)。患者は,自分白身で思い当たる節があり医療機関を受診するのであって,多くは不注意,多動性-衝動性といった ADHD における中核症状,もしくはそれと類似した症状を呈している。先にも述べたが多動性,不注意,衝動性というキーワードのみで安易に ADHD と診断することは,不適切な薬物療法を招くことにもなりかねないだめ,適切な診断を行うことが重要である。そのためには,類似した症状を呈する身体疾患,他の精神疾患ASD との鑑別を行うことは必須であると考えられる。

注:i) この引用部の著者は山田圭吾・三上克央・松本英夫です。 ii) 引用中の「*」は DSM-5 による病名を示します。 iii) 引用中の「三上・松本, 2009」は次の本です。 「三上克央・松本英夫 2009 診断基準(ICD, DSM).市川宏伸・鈴村俊介(編集):日常診療で出会う発達障害のみかた.pp.2-10,中外医薬社.」 iv) 引用中の「齊藤, 2007」は次の本です。 「齊藤万比古 2007 注意欠陥/多動性障害は発達障害圏の中に包括し得るのか? 精神医学,49:571-573.」 v) 引用中の「朝倉ら, 2003」は次の資料です。 「Adult AD/HDの臨床的研究 -臨床的特徴と診断における問題点を中心に-」 加えて、「朝倉, 2011」は次の資料です。 「朝倉新 2011 診療所におけるAdult AD/HDの臨床について.児童青年精神医学とその近接領域,52:406-410.」 vi) 引用中の「Kessler et al., 2010」は次の論文です。 「Structure and diagnosis of adult attention-deficit/hyperactivity disorder: analysis of expanded symptom criteria from the Adult ADHD Clinical Diagnostic Scale」 vii) 引用中の「Wilens et al., 2009」は次の論文です。 「Presenting ADHD symptoms, subtypes, and comorbid disorders in clinically referred adults with ADHD」 viii) 引用中の「DSM-5」のみならず「ICD-11」(例えば参照)においても「ADHD は Neurodevelopmental disorder(神経発達症)の項目に含まれている」ことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ICD-11における神経発達症群の診断について ――ICD-10との相違点から考える――

加えて、「ADHD の病態モデル」について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.2 症候学と経過 の 1.2.2 注意欠如・多動症ADHD) の「b. ADHD の病態モデル」における記述(P6~P7)を次に引用します。

ADHD の病態には実行機能系と報酬系の機能障害が 2 系統あることから,その病態モデルは dual pathway model と呼ばれた.のちに、時間管理機能の障害も加え 3 系統の triple pathway model と発展している.近年,情動の制御異常も加えられるようになっている.前頭前野によるトップダウンシステム(感情,行動,思考を制御)の不十分さ,辺縁系ボトムアップ扁桃体の過活動により,刺激に対して怒りや逃避のような原始的な反応)の強さのアンバランスともいえるかもしれない.しかし,いずれの機能障害も揃っている.ADHD 児者はむしろ少ないとされる3).
1) 実行機能系の機能障害
高次のトップダウンの認知処理過程である実行機能系の機能障害は抑制欠如になる.前頭前野におけるドパミンノルアドレナリンの調節が不十分で,作業記憶や認知機能が障害される.目的達成のため,計画,順序立て(衝動的な行動を抑制),シフティング(課題を柔軟に切り替える)などまとめる作業に障害がある.目的達成や課題遂行ができず,他に注意がそれて,衝動的な行動になる.
2) 報酬系機能障害
いわゆる「待つことが嫌い」な遅延報酬の嫌悪があり,将来的に獲得できる報酬を見据えるよりも目先の報酬を優先させてしまう.報酬系の賦活不全のほか,報酬への感受性の異常も指摘される.待つことの苦手さがゆえに,衝動的な行動になる.
3) 時間管理機能の障害
時間感覚(タイミング)が乏しいがゆえに,順序立てができない.起床困難,遅刻,何か夢中になるとどれだけ時間が過ぎ去ったか時間感覚のずれなどにもなる.
4) 情動の制御異常
情動刺激への反応のトップダウンの制御に困難があると考えられ,易刺激性・易怒性,道徳性コントロールの欠如となる場合もある.

注:i) この引用部の著者は小坂浩隆です。 ii) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Beyond the dual pathway model: evidence for the dissociation of timing, inhibitory, and delay-related impairments in attention-deficit/hyperactivity disorder」 iii) 引用中の「情動の制御異常」に関連する「情動調節障害」についてはここも参照して下さい。 iv) 引用中の「遅延報酬の嫌悪」に関連する「遅延報酬の回避が著しくなる」ことについて、内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅰ部 エキスパート編 の 第3章 ADHDのある人の「動機」の構造 の Ⅱ.ADHDの「こじれ方」 の「3. 刹那主義と自暴自棄」における記述(P44~P45)を以下に引用します。加えて、上記「遅延報酬の嫌悪」に関する問題かもしれない「内省の困難」について、同本の 第Ⅲ部 精神病理編 の 第9章 不注意の精神病理――「大人のADHD」の症候学 の Ⅶ.「大人のADHD」の精神病理 の「内省の困難」における記述(P214~P217)を以下に引用します。

3. 刹那主義と自暴自棄

遅延報酬の回避が著しくなると,生活は極めて刹那的となる。今この瞬間の刺激と快楽を求める傾向が強くなり,将来の報酬のために投資する活動,つまりは持続的な努力や貯金といった現在よりも将来の価値を優先する活動を行うことが難しくなる。これは浪費的な消費活動,肥満,危険なスポーツや自動車やバイク,自転車の運転,妊娠や性感染症,犯罪被害のリスクの高い性的活動,違法な薬物の使用や触法,犯罪行為などに繋がってしまう。
こうした生活のスタイルは周囲からは自棄的に見られ,やけになっているように受け止められる。「どうせ自分の人生は将来ろくなことにならないんだから,今この瞬間が刺激的で楽しければそれでいいんだ」というように。やけっぱちの状態からの回復には,周囲の人々や支援者の根気のよい関わりが必要となることが多い。しかしこうしたやけっぱちに見える状態は,質の良い対人関係を損ない,同じような自暴自棄的な人達との関係しか得られなくなったり,時には強い孤立の状態に追い込まれてしまうことにも繋がる。また回復のプロセスの中での当事者の負担も非常に大きなものとなりやすい。支援者には繰り返される自棄的な失敗を越えて,継続して関わり続ける姿勢が求められる。
ここまで見てきたように,ADHDのある人がこじれていくとき,そこにはある種のカスケードがあるのだ。最初は生得的な実行機能,遅延報酬,時間処理の障害から始まった小さな小川が,連なる滝のように悪い方へ悪い方へ連鎖し,結果としてADHDのある人達のQOLを著しく低下させることとなる。この源流にあたる個々の生得的な特性は,それ自体は単なる個体差,多様性の表れであると考えることもできるのだが,下流では大きな困難の大河となって流れていく。このように考えるとADHDの病理の本質は,その生得的な特性よりも,むしろそこから始まる悪循環を停められない,避けられないことにこそあるのかもしれないとも思われてくる。

注:この引用部の著者は吉川徹です。

内省の困難

他人から批判されることを恐れる一方,立ち止まって自分自身を振り返ることもまた苦手である。軽やかで,瞬発力があり,出たとこ勝負,行き当たりばったりの方が性分に合う。内省は彼らの本領になじまない。
内省は,それが次に役立てられるにしても,自分のいたらぬところ,まちがったところを見出すためのものである。それゆえ,たいていは「自分が悪い」という帰結に至る。この自己否定の影がちらつくと,彼らは即座に内省を振り払う。
この機制は,ADHDにおける神経学的に主要なpathwayの一つである報酬系の問題であると説明されるかもしれない。すなわち,「内省によって将来より大きなリターンを得ることよりも,内省という面倒な作業を回避するという目の前の利得の方が優先される」という具合に,である(遅延報酬嫌悪)。ただし,これは定型者とADHD特性のある個体の間で,内省という作業に伴う労苦が同程度であるということが前提となる。おそらくはADHDの方が圧倒的にハードなタスクとなるだろう。また,実際,内省がリターンを生むかどうかは,かならずしも保証されていない。まったく内省しないのは,あまりよい結果をもたらさないだろう。ただし,彼らの求めるスリルが内省にはない。
もう一つ,神経学的な説明の候補としては,実行機能系のpathwayがある。バークレイ13)によると,実行機能とは「目的を達成するために,一定期間にわたって,自己制御(self-regulation)のために用いられる一揃いのさまざまな精神的機能」のことである。非常に幅の広い概念であり,内省もそこに含まれるだろう。ただし,バークレイのいう実行機能は,プライマリーには行動抑制(behavioral inhibition)のことであり,のちにワーキング・メモリーが加えられた。
ADHDにとって内省が厄介なのは,それが「自分」をそこにひきずりこむということである。自分というものの質量の軽い彼らにとっては,全面的に反省モードに浸される危険がある。すんだことはすぐに忘れて,つぎに行く方が,本来,彼らの性分に合っている。
とくに他人から指摘を受けることに対しては忌避感が強い。ADHD特性のある個体にとって,もっともdistractiveであり混乱させる要因となるのは,他人である。あわてて弁明したり,意固地になったり,聞いているようにみえてまったく聞いていなかったりなど,内省回避のためのさまざまな反応を示す。

事例A
40代男性。昇任したあと,仕事のやり方に問題があると後輩に批判されてから,出社できなくなり,クリニックを受診して「うつ状態」と診断された。
普段は活動的であり,いつもバタバタと走り回っている。仕事上のミスは目立たないが,一見テキパキこなしているようにみえて,それほど効率がよいわけではない。割り切りが早く,あまり物事を深めることはない。人から何か指摘を受けると,慌てたように矢継ぎ早に弁解を繰り出し,長口舌となり,相手が喋るタイミングを与えず,不興を買う。
自宅療養中は,行動抑制はまったくみられず,家事,子育て全般を引き受け,家族からはありがたがられていた。ところが,リワーク・プログラムが導入された際に,「ふりかえり」というセッションがあり,どうにもつらくなって,通院を中断した。最終的には職階の見直しと仕事内容の調整によって,復職にこぎつけた。

逆説的だが,内省が過剰になる事例もある。とくに多動/衝動性を伴う事例では,ある年齢までは屈託なく,当たり前とやっていたことが,人から批判されたり,人を傷つけるものであるとわかったりしたことなどが契機となる。一転して内向的となり,時として痛ましいほどに内省的なモードに染め上げられることもある。この場合,内省は先に向けて展開する契機をほとんど持っていない。

事例B
20代女性。幼稚園から小学校低学年までは,気が強く,明るく,活発だった。その後,学校の人間関係で悩んでいるように見受けられ,「人が離れていく」「(自分が以前とは)別の人になっちゃった」などと漏らすようになり,以前とはうってかわって陰気になった。中学時代には教員と相性が悪く,そのころから「みんな私が悪い」というのが口癖のようになった。
大学に入ると,同級生との関係で「気持ちのコントロールができなくなり」,ラボに通うことができなくなった。気分の沈みや身体的な不調が遷延し,口癖のように自分を責めるが,ふとした言葉の端や表情に,気性の激しさが垣間見られることがある。頭の中では,考えがつねにわいてきて,ぐるぐる回っている。好きなもの以外は,タスクに集中できず,自分の考えが入ってくる。空気の流れ,振動,音,人がいるという雰囲気,目の端に人が映ること,目のヘリへの刺激などがdistractionのきっかけとなる。

注:(i) この引用部の著者は内海健です。 (ii) 引用中の文献番号「13)」は次の本です。 「Barkley, R. A.: Executive Functions: What They Are, How They Work, and Why They Evolved. Guilford Press, New York, 2012.」 (iii) 引用中の「distraction」とは「横道に逸れること」であることについて、同『第9章 不注意の精神病理――「大人のADHD」の症候学』の「Ⅰ. 注意という機能について」における記述の一部(P201)を次に引用(『 』内)します。 『ジェイムスによると,注意の機能とは,焦点化(focalization),そして集中(concentration)であり,注意の障害とは気が散ること,横道に逸れること(concentration)である注3)。』(注:a) この引用部の著者は内海健です。 b) 引用中の「注3)」における記述内容[P201]を次に引用[【 】内]します。 【注3) ジェイムズの記述の中には,distractionの結果としての混濁した意識様態も取り上げられており,ADDの臨床像と重なる。】 c) 引用中の「ジェイムスによると,注意の機能」に関連するかもしれない「注意という語は日常的に用いられる用語ですが、心理学の立場からは、すでに今から100年ほど前に、ウィリアム・ジェームスによって説明されている」ことについて次のWEBページを参照して下さい。 『「チ」 - 「中高生のための認知心理学基本用語」』の「注意(attention>」項) (iv) 引用中の「内省」に関連するかもしれない、 1) 「We find that reflective thinking is a significant predictor of conspiracy beliefs, such that individuals who think reflectively are less likely to believe in both generic and specific con-spiracy theories.[拙訳]反省的思考は陰謀論信念の重要な予測因子であり、反省的思考をする個々人は一般的な陰謀論と特定の陰謀論の両方を信じる可能性が低いことがわかった。」ことについては次の論文(全文)を参照して下さい。 「Reflective thinking predicts lower conspiracy beliefs: A meta-analysis」の「4.4 Conclusion」項 ちなみに、上記「反省的思考」(Reflective thinking)についてはWEBページ『D・ショーンの「行為の中の省察」とデューイの「反省的思考」』にリンクされている資料『D・ショーンの「行為の中の省察」とデューイの「反省的思考」』を参照すると良いかもしれません。 2) 加えて、「The implications of these findings suggest that reflective thinking does not amplify factors that strengthen belief in conspiracy theories. Instead, fostering reflective thinking appears to be an effective strategy for reducing conspiracy beliefs.[拙訳]これらの知見の含意は、熟慮的思考が陰謀論における信念を強める要因を増幅しないことを示唆する。それどころか、熟慮的思考を養うことが陰謀論信念を減らすための有効な戦略であるように思われる。」ことについては拙訳はありませんが次の論文要旨を参照して下さい。 「The moderating role of reflective thinking on personal factors affecting belief in conspiracy theories」 ちなみに、同論文要旨に関連する Preprint の日本語訳版「陰謀論信念に影響を与える個人要因に対する熟慮的思考の調整機能の検討」はWEBページ「陰謀論信念に影響を与える個人要因に対する熟慮的思考の調整機能の検討」にリンクされています。 (v) 引用中の「他人から指摘を受けることに対しては忌避感が強い」ことに関連するかもしれない『躁的防衛の基本的な機制(メカニズム)は「否認」である。否認の対象となるのは,先述したように,羞恥であり,そして自分の弱さである。とりわけ,人から指摘を受けたり,批判されたりすることを忌避している。』ことについて「あえていうなら,ADHDは躁的防衛に親和性をもつ」ことを含めて、同『Ⅶ.「大人のADHD」の精神病理』の「躁的防衛」における記述(P222~P224)を次に引用します。

先に「内省の困難」の項で,自己否定の影がちらつくと内省を振り払うと述べたが,ADHDの場合,基本心性は罪悪感の手前にある羞恥にある。それゆえ,対象関係論の文脈では,ADHDは罪悪感を核とする抑うつポジション未然である。もちろん,あくまで対象関係論の文脈での話であり,通常心理として彼らが罪悪感を持たないということではない。
あえていうなら,ADHDは躁的防衛に親和性をもつ。ただしプライマリーには罪悪感への防衛ではなく,彼らの本性に近い。あえて防衛であるというなら羞恥に対するものだろう。とはいえ,このことは罪悪感より羞恥が未熟な感情であるということを意味するものではない注7)。
それほど屈折せず成長した場合には,このポジションについていわれる支配(control),征服感(triumph),軽蔑(contempt)といった対人的な側面16)は目立たない。仮に児童のADHDについてよくいわれる「ひとなつこくて,承認欲求が強い」というタイプを原型とするなら,その裏返しとして「恥ずかしがり」の心性があり,そこから「痩せ我慢」といった形で,躁的防衛に親和的な性格形成がなされるだろう。
躁的防衛の基本的な機制(メカニズム)は「否認」である。否認の対象となるのは,先述したように,羞恥であり,そして自分の弱さである。とりわけ,人から指摘を受けたり,批判されたりすることを忌避している。

事例F
50代男性。技師としてある部門のリーダーを務めている。彼自身の分析によると,子どもの頃は父親に厳しくしつけられ,権威というものにコンプレックスがあるという。自分が英語を苦手とするのは,父が英語の教員であったからだと言い,技師になる際も,当時は日本語だけで通用していた分野を選択した。
それなりに腕はよく,マイペースで手際もテキパキとしているが,手技が古くなってもそれを墨守して,なかなか変えようとはしなかった。英文の文献は一切読まない。対人交流はワンパターンで,上から言われたことは,型通りに遵守する。
気性は基本的に陽気であり,仲間相手に冗談や軽口を繰り出し,自分で笑っている。人の話を最後まで聞かずに返答し,時々見当違いの事態を引き起こす。部下からは「脊髄反射」,「粗忽」などと評されている。もともと立ち止まって物事を深く考えることは苦手のようである。そうしなければならない時には,若干抑うつ的なたたずまいになるが,長くは続かない。思いつきで打開策を繰り出し,急場を凌いでいる。まわりはそれに振り回される。いつも大学ノートを小脇に携え,大きな文字で,そのつどto do listを作成し,会議では,部下を前にして,それを独り言のように述べ,漏れがないかチェックしている。

注:i) この引用部の著者は内海健です。 ii) 引用中の「注7)」における記述内容[P222]を次に引用(『 』内)します。 『注7) この偏見は,欧米の文化にかなり根強い。ブルーチェクは,「欧米のshameをネガティブにみる文化では,恥に対して,counter-shame behaviorあるいはナルシシズム的解決が図られる」と述べている。(Broucek, F. J.: shame and its relationship to early narcissistic developments. The international journal of Psychoanalysis, 63(3): 369-378, 1982)』 iii) 引用中の文献番号「16)」は次の本です。 「Segal, H.: Introduction of the Work of Melanie Klein. The Hogarth Press. London. 1972.」 iv) 引用中の「否認」に関連する『躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる。その根幹をなす機制が「否認」である』ことについては引用中の「対象関係論」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の『「内省の困難」の項』についてはここを参照して下さい。

② 同の 第5章 大人の ADHD の併存障害 の「1. 併存症と性差」及び「2.ADHD と併存障害」における記述の一部(P56~P58)を次に引用します。

1.併存症と性差

小児・児童期の ADHD と異なり,成人期の ADHD は有病率に大きな性差はなく,性差を考えることは重要ではないようにみえるが 成人の ADHD の診断および治療を行う際には性差を考慮することは非常に重要である。現在でも女性の不注意優勢型は過少診断されており(Rucklidge, 2008),欧米では ADHD と診断された 15~21 歳のうち,処方を受けた人の 89% が男性であるなど,治療の機会にも性差が認められている(McCarthy et al., 2009)。成人期の ADHD の男女の比較では,複数の心理的な評価,一般的身体的評価の結果で女性の方が評価が低く,治療反応においても女性の方が低かったとの報告がある(Robison et al., 2008)。一方で,最近の報告では成人期の ADHD では女性が男性ほど全体として障害が強くないことも報告されているが,女性は年齢にかかわらず,対処能力,うつ病,不安において男性よりも多くの問題を抱える傾向が報告されている(Rucklidge, 2008; Rucklidge, 2010)。910名の成人 ADHD を対象とした研究では,気分障害(61% vs. 49%),不安症(32% vs. 22%),摂食障害(16% vs. 1%)の併存は女性に多く,物質関連障害は(45% vs. 29%)の併存は男性に多かった(Gross-Lesch et al., 2013)。一方,双極性障害で性差は認められなかったと報告されている(Hesson & Fowler, 2015)。

2.ADHD と併存障害

成人 ADHD 群と,年齢を一致させた成人の健常群との生涯有病率の比較では,健常群 45.6%に対し,ADHD 群では 71.1%に他の精神疾患が存在し,ADHD 群が精神科併存症をもつ比率が有意に高いことが報告されている(図 5-1,Sobanski et al., 2007)。中でも,ADHD 群では大うつ病を初めとする気分障害の併存率が高い。米国で行われた The National Comorbidity Survey Replication(NCS-R, 全米併存症調査)において,DSM-Ⅳに基づいて行われた成人 ADHD 患者の併存障害の疫学的調査では,成人期の ADHD気分障害の Odds ratio(OR)は 2.7~7.5, 不安症の OR は 1.5~5.5,薬物関連障害の OR は 1.5~7.9,間欠爆発症*(間欠性爆発性障害)の OR は 3.7 であった(Kessler et al., 2006)。一方で,Neuroticism(神経質)が低い ADHD 患者ほど,併存障害が少ない(Di Nicola et al., 2014)。
また,成人期の ADHD の併存に関して特徴的なのは複数の併存障害をもつ可能性が高いことである(Fayyad et al., 2007)。さらに,ADHD が重症であればあるほど,併存症をもつ可能性が高い(Biederman et al., 1993; Kooij et al., 2001)。成人の ADHD 患者の約50~87%が併存症をもち,約 3 分の 1 が 2 つ以上の併存障害をもつことが報告されている(Biederman et al., 1993; Kooij et al., 2001)。成人期に新規に診断された ADHD 患者が初診時に診断される併存障害の数は,平均 2.4 診断と報告されている(Pineiro-Dieguez et al., 2014)。新たに成人の ADHD と診断する際に高率で存在する併存障害は,適切な診断を行うための大きな障壁となる。
初診時における ADHD の下位分類と併存障害の合併率を比較すると,混合型が 72.4%と,多動性-衝動性優勢型(69.6%),不注意優勢型(65.3%)よりも有意に併存障害が多いことが報告されている(Pineiro-Dieguez et al., 2014)。
齊藤・渡部(2008)は,子どもの ADHD の併存障害を行動障害群,情緒障害群,神経習癖群,発達障害群の 4 群に分けられるとした。成人期の ADHD の併存障害ではさらにそれを分割して 6 群に分ける方が,併存障害を理解する上で有効と考えられた(Kooij et al., 2012)。さらに,(1) DSM-5 では自閉スペクトラム症*(自閉症スペクトラム障害 Autism Spectrum Disorder : ASD)と ADHD の併存が認められたこと, (2) ADHD に身体的な併存障害の存在が強く示唆されることから,これらを先の 6 つの併存障害に加えて整理し,7 つの併存障害を中核として併存障害を考えることが ADHD の診断と治療を考える上でさらに有用である(図 5-2)。
併存障害の存在は ADHD の診断の困難さに大きく影響するだけでなく,これらの要因が治療の過程,治療抵抗性,治療反応性,病識,自己制御,治療への参加にも影響を与える(Newcorn et al., 2007)。さらに,併存障害の存在はしばしば ADHD の症状をマスクし,ADHD の診断を困難にすることもある(Kooij et al., 2012)。臨床家は ADHD と併存障害の関連をよく理解した上で患者を評価しなければならない。患者は複数の併存障害をもつ場合もあり,その複雑さを十分理解する必要がある。併存障害をもった ADHD を診断する際に最も重要なことは,ある症状が 1 つの障害に由来するものなのか,あるいは併存する障害の症状と重複して考えることができるものなのかを見極めることである(Adler et al., 2008)。例えば,活動性の亢進を ADHD多動症状として評価すべきか,同時に双極性障害の症状としても考えるかで,併存障害と診断される可能性は大きく変わってくる。横断的な評価だけでなく,縦断的かつ包括的な臨床的判断が,併存障害の診断には求められる。

注:i) この引用部の著者は齊藤卓弥です。 ii) 引用中の「*」は DSM-5 による病名を示します。 iii) 引用中の「図 5-1」、「図 5-2」は共に引用を省略しますが、後者における成人期の ADHD 併存障害の 7 つの中核群は、「衝動制御・パーソナリティ障害」、「不安症」、「身体障害」、「薬物関連障害」、「抑うつ性障害」、「双極性障害」、「神経発達症」です。ちなみに、「抑うつ性障害」、「神経発達症」はそれぞれ「うつ病」、「発達障害」の別名です。 iv) 引用中の「Rucklidge, 2008」は次の論文です。 「Gender differences in ADHD: implications for psychosocial treatments」 加えて、引用中の「Rucklidge, 2010」は次の論文です。 「Gender differences in attention-deficit/hyperactivity disorder」 v) 引用中の「McCarthy et al., 2009」は次の論文です。 「Attention-deficit hyperactivity disorder: treatment discontinuation in adolescents and young adults」 vi) 引用中の「Robison et al., 2008」は次の論文です。 「Gender differences in 2 clinical trials of adults with attention-deficit/hyperactivity disorder: a retrospective data analysis」 vii) 引用中の「Gross-Lesch et al., 2013」は次の論文かもしれません。 「Sex- and Subtype-Related Differences in the Comorbidity of Adult ADHDs」 viii) 引用中の「Hesson & Fowler, 2015」は次の論文かもしれません。 「Prevalence and Correlates of Self-Reported ADD/ADHD in a Large National Sample of Canadian Adults」 ix) 引用中の「Sobanski et al., 2007」は次の論文です。 「Psychiatric comorbidity and functional impairment in a clinically referred sample of adults with attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD)」 x) 引用中の「Kessler et al., 2006」は次の論文です。 「The prevalence and correlates of adult ADHD in the United States: results from the National Comorbidity Survey Replication」 xi) 引用中の「Di Nicola et al., 2014」は次の論文です。 「Adult attention-deficit/hyperactivity disorder in major depressed and bipolar subjects: role of personality traits and clinical implications」 xii) 引用中の「Fayyad et al., 2007」は次の論文です。 「Cross-national prevalence and correlates of adult attention-deficit hyperactivity disorder」 xiii) 引用中の「Biederman et al., 1993」は次の論文です。 「Patterns of psychiatric comorbidity, cognition, and psychosocial functioning in adults with attention deficit hyperactivity disorder」 xiv) 引用中の「Kooij et al., 2001」は次の論文です。 「The effect of stimulants on nocturnal motor activity and sleep quality in adults with ADHD: an open-label case-control study」 加えて、引用中の「Kooij et al., 2012」は次の論文です。 「Distinguishing comorbidity and successful management of adult ADHD」 xv) 引用中の「Pineiro-Dieguez et al., 2014」は次の論文かもしれません。。 「Psychiatric Comorbidity at the Time of Diagnosis in Adults With ADHD: The CAT Study」 xvi) 引用中の「齊藤・渡部(2008)」は次の本です。 「齊藤万比古・渡辺京太(編集) 2008 注意欠如・多動性障害-ADHD-の診断・治療ガイドライン第 3 版.じほう」 xvii) 引用中の「Newcorn et al., 2007」は次の論文です。 「The complexity of ADHD: diagnosis and treatment of the adult patient with comorbidities」 xviii) 引用中の「Adler et al., 2008」は次の論文かもしれません。 「Diagnosing and treating adult ADHD and comorbid conditions」 xix) 引用中の「成人期の ADHD の併存」に関連するかもしれない「成人の ADHD の併存症」についてはここを参照して下さい。 xx) 引用中の「成人期の ADHD の併存に関して特徴的なのは複数の併存障害をもつ可能性が高いこと」や「併存障害の存在は ADHD の診断の困難さに大きく影響するだけでなく,これらの要因が治療の過程,治療抵抗性,治療反応性,病識,自己制御,治療への参加にも影響を与える」ことにひょっとして関連するかもしれない「大人での臨床症状はより複雑になる」ことについてはここを参照して下さい。 xxi) 引用中の「性差」に関連するかもしれない「男女別の ADHD 有病率」について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.5 疫学(有病率) の 1.5.4 ADHD の疫学 の「b. ADHD の併存症の有病率」における記述の一部(P32~P33)を次に引用します。

ASD の男女比と同様,ADHD の男女比も以前に考えられていたより小さいという証拠が蓄積されてきている.DSM-Ⅳ-TR では ADHD の男女比は 4:1~9:1 と記載されていたが,DSM-5 の記載は小児で 2:1,成人で 1.6:1 と大幅に変更されている.診断基準も,DSM-Ⅳ-TR では「通常 7 歳までに症状が明らかになる」とされていたところ,DSM-5 では 12 歳未満の発症に変更されている.この背景には,特に女児では多動などの行動として現れる症状が比較的少なく,低年齢での診断が困難なケースもある一方で,不注意などの症状が学童期における困難さとして顕在化するケースがあることが挙げられる.
先述のメタアナリシス29)には ADHD のサブタイプごとの男女比が記されている(表 1.5.1).これによると,不注意優位型では男女比は比較的小さく,1.0:1~2.2:1,混合型では男女比が大きく 2.0:1~5.6:1,ADHD 全体では 1.6:1~2.4:1 となっている.興味深いことに,いずれのサブタイプにおいても成人の男女比は児童青年期に比べて小さくなっている.未診断であった女性が ADHD 症状による困難に気づき,自ら受診することで,女性の有病率が男性の有病率に“追いつく”と考えることができる30).また,診断基準が主に児童青年期の男児を対象とした研究に基づいているため,この診断基準に記載された一部の行動(例えば,走り回ったり高いところへ登ったりする)が当てはまらなくなり,一部の成人男性が診断基準を満たさなくなるということも考えられる.明確な理由は定かではないが,成人では有病率の男女比が小さくなるということは,やはり児童青年期において女児の ADHD を過小評価している可能性が考えられる.

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の「表 1.5.1」の引用は省略します。 iii) 引用中の文献番号「29)」は次の論文です。 「The prevalence of DSM-IV attention-deficit/hyperactivity disorder: a meta-analytic review」 iv) 引用中の文献番号「30)」は次の論文です。 「Gender differences in adults with attention-deficit/hyperactivity disorder: A narrative review」 v) 引用中の「ASD の男女比」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、成人の ADHD の併存症について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.5 疫学(有病率) の 1.5.4 ADHD の疫学 の「d. ADHD の併存症の有病率」における記述の一部(P34)を次に引用します。

(前略)ADHD をもつ成人は,約 80% が少なくとも 1 つの併存症をもつ39).成人の ADHD と併存する精神疾患として,うつ病,不安障害,双極性障害,物質関連障害,パーソナリティ障害が知られている.うつ病の併存率は ADHD をもつ人の 18.6~53.3% と報告されており,ADHD のあらわれとしての快楽感の低さへの対応としてうつ症状が現れる可能性がある.不安障害の併存率は 50% に近い。ADHD を併存する不安障害の患者は,より重度の不安症状を示し,不安症の発症年齢が早く,そのほかにも精神疾患を併存する頻度が高い傾向が報告されている.双極性障害の併存率は 9.5~21.2% であり,双極Ⅱ型障害よりⅠ型障害が多いとされている.また,ADHD が併存すると双極性障害の発症年齢が早まることが示唆されている.アルコール,ニコチン,大麻,コカインの使用といった物質関連障害は ADHD と併存する最も一般的な疾患であり,ADHD をもたない人に比べて約 2 倍の有病率である.ADHD と物質関連障害の併存は,臨床的により重篤な経過をたどるので,早期の支援や治療によって未然に防ぐことが非常に重要である.ADHD とパーソナリティ障害の併存に関する文献は多くないが,ADHD 成人の 50% 以上にみられ,25% の人が 2 つ以上のパーソナリティ障害をもっているとも報告されている.ADHD で感情調節障害を主な症状とする人では,併存症の有病率は特に大きく(74%),不注意を主な症状とする人の併存症の有病率(32%)の2倍以上であるとも報告されている.これらの精神疾患の併存に加え,成人の ADHD の身体的な併存症として,肥満,睡眠障害,喘息の併存に一貫したエビデンスがある40).

注:i) この引用部の著者は西村倫子です。 ii) 引用中の文献番号「39)」は次の論文です。 「Adult ADHD and comorbid disorders: clinical implications of a dimensional approach」 iii) 引用中の文献番号「40)」は次の論文です。 「Adult ADHD and Comorbid Somatic Disease: A Systematic Literature Review

その上に、ADHD において「大人での臨床症状はより複雑になる」ことについて、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.2 症候学と経過 の 1.2.4 子どもから大人への連続性 の b. 大人での臨床症状はより複雑になる の「2) ADHD」における記述(P11)を次に引用します。

大人になると,離席などの明確な行動は減るが,そわそわ感,イライラ感,興味がないことの締切事項を先送りして間に合わないなど別のかたちで中核症状が現れやすい.トラブルや周囲の叱責を避けるために,その場しのぎの返答(言い訳・虚言)に至ることも多い.学生時代では留年,停学や中退が高率で,就職してからも転職・解雇の可能性が高い.社会経済学的地位も有意に低い.ほかにも,交通事故などで医療受診が多い.遅刻や欠勤が多い.失敗による自尊心の喪失が強い.インターネット依存・ゲーム依存傾向がある.アルコール依存・ギャンブル依存のベースが ADHD 症状であることも多い.昼夜のリズムが乱れやすい.借金問題を抱えている.人間関係の構築が苦手.傾聴スキルが乏しいなどが挙げられる5).さらに,気分障害,不安障害,物質依存障害,反社会性障害,摂食障害罹患率も健常児に比べて有意に高いことが横断的にも縦断的にも報告されている9).一方,気分障害圏,不安障害圏,物質使用障害圏患者の各 10% 前後に ADHD の診断がつく10).このように,本来の知的レベルにそれほど差はないと想定されるが,大人になってからの状況(アウトカム)の差は歴然としている.

注:i) この引用部の著者は小坂浩隆です。 ii) 引用中の文献番号「5)」は次の論文です。 「Symptoms in individuals with adult-onset ADHD are masked during childhood」 iii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「Common psychiatric and metabolic comorbidity of adult attention-deficit/hyperactivity disorder: A population-based cross-sectional study」 iv) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Cross-national prevalence and correlates of adult attention-deficit hyperactivity disorder」 v) 引用中の「インターネット依存」や「ギャンブル依存」について、共に岩岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第5章 発達障害に関連する様々な病態 の「C インターネット依存,ギャンブル依存」における記述の一部(P105~P107)を次に引用します。

インターネット依存
1)定義
インターネット依存(ネット依存)はインターネットの過剰な使用が持続し,自らのコントロールが困難になる状態で,その対象としてオンラインゲームやオンラインギャンブル,ソーシャルネットワーキング・サービス(SNS)などが含まれる.現時点で統一的な診断基準は存在していないが, DSM-5 においては,「今後の研究のための病態」として,「インターネットゲーム障害(internet gaming disorder:IGD)」が掲載されている.この診断基準では,依存の対象はネット接続によるオンラインゲームに限定されており,その他のものは含まれていない.(中略)
これに対して,2022年発効の ICD-11 における「ゲーム障害」では,オンラインだけでなくオフラインゲームも対象に含めている.
わが国におけるインターネット依存は,厚生労働省の報告では,中高生で 93 万人,成人では 421 万人と推定されている.国際的には,インターネット依存は,日本をはじめとして,韓国,中国などの東アジアにおいて頻度が高い.特に韓国ではオンラインゲームに関するインターネット依存の頻度が高率で,国をあげて依存者のキャンププログラム,入院治療などの対策に取り組んでいる.韓国における中学生を対象とした調査では,21.8% にインターネット依存がみられたとしている.同様の調査において,アメリカでは 9.4%,中国では 14%,香港では 26.7% という結果であった.
2)発達障害との関連
インクーネット依存では,ADHDASD ともに合併頻度が高いことが明らかになっているが,特に併存しやすいのは ADHD である.むしろ ADHD がベースにあり,インターネット依存をもたらすとも考えられる.この点については,ADHD の特性である行動制御の障害が,適切な利用時間でネットを切り上げることを困難にし,過剰使用につながっていると考えられる.イタリアにおけるオンラインのゲーマー 4,260 例を対象とした調査においては,対象者の 19.3% が ADHD のスクリーニング検査である ASRS のパート A のカットオフ得点を超える得点を示した.
ASD についてもインターネット依存との関連性が明らかになっている.ASD では興味のある特定の事柄に関するネット情報の収集に没頭したり,現実社会での対人交流の苦手さからネット上の仮想空間での交流を求めたりする傾向がみられるため,インターネット依存に陥りやすい.発達障害がベースにあるインターネット依存においては,発達障害の特性に対するアプローチによって適応能力の改善を促すことが依存の改善と不可分である.

ギャンブル依存
1)定義
ギャンブル依存とは,競馬やパチンコなどのギャンブルにのめり込んでコントロールができない状態となり,日常生活や社会生活に重大な支障が生じている状態を指す.DSM-5 では「ギャンブル障害」という名称が使用されている.
かつてギャンブル依存症(ギャンブル障害)は,意志薄弱による行動上の問題とみなされ,医療の枠組みのなかでとらえられていなかったが,近年ようやく「依存症」の 1 つの形態として認識されるようになった.ギャンブル依存症DSM-Ⅲ で「病的賭博」という名称で定義されたのが最初で,その後 DSM-Ⅳ までは「衝動制御障害」のカテゴリーに分類されていた.しかし,他の物質依存と共通する点も多いことから,DSM-5 では「ギャンブル障害」に病名が変更となり「物質関連障害および嗜癖性障害群」に含まれることになった.ギャンブル依存症には,他の精神疾患の併存が多いことが知られており,発達障害のなかでは ADHD との関連性が大きい.わが国においてキャンプル依存症の対策は行政レベルで始まりつつあるが,当事者による自助グループの活動もさかんになりつつある.
2)ギャンブル依存症ADHD
ギャンブル依存症の患者で ADHD を合併する患者の割合について,チェンバーレイン(Chamberlain)らは 21.4% と報告している.別のレビューにおいては,ギャンブル依存症の 9.3% に ADHD が併存していたと報告されている.このようにキャンプル依存症と ADHD は高率に併存しているが,ADHD 特性である衝動性の高さがギャンブルの抑制を困難にすると考えられ,ADHD 自体がギャンブル依存症のリスクファクターと考えられる.また,ADHD では幼少期より失敗体験を繰り返しているケースもみられ,生きていくことのつらさの解消としてギャンブルに依存しているケースも相当数存在しているのであろう.
ギャンブル依存症の患者が受診した際に,ギャンブル関連の問題に焦点を当てるのは当然のことであるが,背景に発達障害,特に ADHD がないかを確認するのは重要である.生活歴などがしっかりと確認されないまま,「ギャンブル依存症」とだけ診断されてしまうと,以降は「ギャンブル依存症」への対応が主になってしまい ADHD の治療が行われないことが多い.そのため初期の見立てがその患者の予後を決める可能性もあることを念頭に置いて,初診時には時間や手間を惜しまず発達障害などの併存について十分に情報を集める必要がある.
ADHD を併存している場合には,ADHD 治療薬の使用によって,衝動性の制御や ADHD 特性の改善による社会適応の向上が図られることで,ギャンブル依存自体の回復に有効なケースもみられる.

注:i) この引用部の著者は中村暖、岩波明です。 ii) 引用中の「ゲーム障害」に類似するかもしれない「ゲーム行動症」(ICD-11)や引用中の「ギャンブル依存症」に類似するかもしれない「ギャンブル行動症」(ICD-11)については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「物質使用症又は嗜癖行動症群」 iii) 引用中の「ギャンブル依存症には,他の精神疾患の併存が多い」ことに関連する「ギャンブル障害の併存症」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ギャンブルへの依存とストレス

さらに、ノルウェーの国家データベースをもとにした、ADHD および非 ADHD に分けて示される、精神疾患の有病率について、て「大人での臨床症状はより複雑になる」ことについて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第2章 診断と検査 の E 併存障害 の「ADHD における併存障害」における記述(P56~P57)を次に引用します。

図3はノルウェーの国家データベースをもとに,精神疾患の有病率を ADHD および非 ADHD に分けて示した.各疾患とも,ADHD 群では 3.8~8.3 倍有病率が高いことがわかる.有病率でいえばうつ病,不安障害,物質関連障害が 20% 以上という高い値を示しているが,冒頭で述べた環境ストレス状況が抑うつ症状や不安症状を生みやすいことは容易に想像できる.
ADHD にせよ ASD にせよ,特性に基づく困難からうつ病や不安障害をきたして精神科を訪れる人が後を絶たない.現代の臨床現場の実態を反映しているといえよう.この図で特徴的なのは,双極性障害とパーソナリティ障害において ADHD 群で 8 倍以上も有病率が高いことである.この両疾患については,ADHD と ED を共有する,動的平衡の強い疾患群であり,鑑別診断を行うとともに,併存する可能性についても検討が必要である.

注:(i) この引用部の著者は柏淳、岩波明です。 (ii) 引用中の「図3」についての引用は省略しますが、代わりに拙訳はありませんが論文(全文)「Gender differences in psychiatric comorbidity: a population‐based study of 40 000 adults with attention deficit hyperactivity disorder」の「Figure 1 Adjusted* prevalences of psychiatric disorders in men and women with and without ADHD.」を参照して下さい。ちなみに、上記「Figure 1」における病名の英語と引用中の「うつ病,不安障害,物質関連障害」や「双極性障害とパーソナリティ障害」との対応は次の通りです。 「うつ病:Depression」、「不安障害:Anxiety」、「物質関連障害:SUD、Substance use disorder」、「双極性障害:Bipolar disorder」、「パーソナリティ障害:Personality disorder」 (iii) 引用中の「ED」は「情動調節障害(emotional dysregulation:ED)」の略です。また、上記「情動調節障害」について、同第2章 診断と検査の D 鑑別診断 の「2)ADHD の鑑別診断」における記述の一部(P51)を二分割して以下に引用(それぞれ『 』内)します。ただし、これらの引用部の著者は柏淳、岩波明です。 『ADHD の鑑別診断について述べるにあたり,まず情動調節障害(emotional dysregulation:ED)の概念について説明しておきたい.感情や情動は外的刺激により変動するが,通常は一定の範囲内にコントロールされている.このコントロールがうまくいかず,通常受け入れられる情動反応の範囲に収まらない反応を示すものを情動調節障害とよんでいる.この症状は ADHDDSM-5 診断基準には採用されていないが,Wender-Utah 基準には組み込まれており,ADHD の病態において重要な要素と考える研究者も多い.』(注:引用中の「ADHDDSM-5 診断基準」については例えば次の資料を参照して下さい。 「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」の「Table 1 ADHD の診断基準(DMS‒5)」[P29])、『複雑性 PTSD の自己組織化の障害(disturbance in self organization:DSO)においては感情制御困難(affective dysregulation)という用語が用いられているが,実質的にほぼ同内容のものと考えられる.』(注:引用中の「複雑性 PTSD の自己組織化の障害」については例えば次の資料を参照して下さい。 「複雑性 PTSD の診断と特徴,および治療」の「複雑性 PTSD の診断と特徴」項) 加えて、「PTSD でみられる過覚醒症状は ADHD の過集中状態と重なり,ADHD の不注意症状は,解離反応と共通点がみられる」ことについて、同第2章 診断と検査の D 鑑別診断 の 3)トラウマ関連障害 の「a. 複雑性 PTSD」における記述の一部(P52)を次に引用(【 】内)します。 【PTSD でみられる過覚醒症状は ADHD の過集中状態と重なり,一方で ADHD の覚醒水準の低さと関連した不注意症状は,ストレス下での解離反応と共通点がみられる.】(注:a) この引用部の著者は柏淳、岩波明です。 b) 引用中の「PTSD でみられる過覚醒症状」については次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒 / 覚醒亢進」 c) 引用中の「解離」については他の拙エントリのここここを、そして上記「解離」に関連する「解離症」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」 d) ポリヴェーガル理論[他の拙エントリのここの「最初に」を参照]の視点からの上記「過覚醒」と引用中の「覚醒水準の低さ」に関連する「低覚醒」を繰り返すことについては次の資料を参照して下さい。 「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の視点から-」の「Figure3. ポリヴェーガル理論」[P115])

③ 同の 第6章 大人の ADHD薬物療法 の 3. 大人の ADHD の薬物治療実践 の「(3) 成人 ADHD に対する薬物治療」における記述(P82~P86)を次に引用します。

ADHD は12歳までには,何らかの症状がみられているはずであり,成人になってから生じるとは考えられない。しかし,成人になってからその存在に気づくことはありえる。ADHD については,マスメディアを中心に報道される回数が増加しており,自ら ADHD を疑って受診する場合は多い。ADHD に対する薬物治療についても,小児に比べて,自ら希望する場合が多い。ここではいくつかの例に分けて,症例を紹介する。症例については,個人の情報保護に配慮して記述していることをお断りする(市川, 2013)。

a.うすうす気づいていた場合――29歳(初診時)・男性
主訴:
勤め先で同僚や上司に言われたことをすぐに忘れてしまう。仕事にミスが多い,片づけが苦手である。落ち込んで 元気がなく,不眠が出現した。自分は ADHD ではないだろうか?
診断:
本人,母親から,幼少時の話を聴く。忘れ物が多かったが 先生に叱られることはなく,友人は多かった。多動性や衝動性はなく,成績もよいため,学校では問題にならなかったと思われる。
WAIS-R(Wechsler Adult Intelligence scale-revised, ウェクスラー成人知能検査改訂版):FIQ98(VIQ105, PIQ88)言語性と動作性得点のバラツキは大きい。個別得点のバラツキも大きく,発達障害の可能性を示唆する。
診断基準に照らし合わせて,不注意優勢型の ADHD と診断する。
経過:
本人の希望もあり,ATM を投与することとする。
ADHD 治療薬(ストラテラ®)の使用開始(2週ごとに増量):40→60→80→60(mg/日)
ADHD-RS(ADHD Rating Scale-Ⅳ,ADHD 評価スケール):21(不注意得点)+3(多動・衝動性得点)→10+3(60mg/日)→4+0(80mg/日)
不注意項目の改善が著明である。
主観的には「集中力が高まり,自覚的に落ち着いている」「机の上がきれいになる」「仕事に取り組む態度に自信を感じている」が,同時に「食欲が低下した」ため,副作用と判断し,60mg(1日量)に戻す。
考察:
この例は,会社の上司が発達障害を知っており,本人に受診を勧めた。会社の産業保健師発達障害のわかるクリニックを紹介して来院。本人も ADHD を疑っていたため,治療を自ら求めていた。(中略)

c. 他の診断を受けていた場合――24歳(初診時)・女性
主訴:
イライラ,不安,不眠,胸部不快感,易怒性。
初診時は不安,不眠への治療が行われたが,大きな効果はなかった。気分の変動が激しく,双極性障害とされたが,著変はなかった。その後,統合失調症,パーソナリティ障害などの診断のもと治療が行われたが著明な改善なく,6 年後に著者を受診した。
当初診断:双極性障害
さまざまな診断のもとに,向精神薬が投与されていたが効果は乏しく,7 年後,著者を受診,不注意優勢の ADHD の存在を確認。
バルプロ酸(気分安定楽),ブロマゼパム抗不安薬).ストラテラストラテラのみ服用
診断:
著者来院時は,スーパーマーケットの相談販売などに従事していた。自己不全感,漠然とした不安感が強かった。母は高齢で幼少時の情報は得られない。兄弟によると,変わった子どもで友たちはいなかった。本人の記憶では,挨拶ができないマイペースな子どもであった。このことは小学校の生活の記録の記述からも裏付けられた。
診断基準に照らし合わせて,不注意優勢型の ADHD と診断する。
経過:
ADHD 治療薬(ストラテラ®)の使用開始(2週ごとに増量):20→40→60→105(mg/日)
ADHD-RS:25+8(服用前)→18+6(60mg/日)→10+3(105mg/日)
副作用の訴えなし
主観的には,「時間を守れる」「積極的に取り組める」「家庭を大切にする」。
客観的には,「清潔感が向上」。
AQ-J:34(35以上で PDD の可能性が高い)
ADHDASDと診断する。
考察:
発達障害が幼少時から存在しており,気づかないまま社会・家庭生活に入り,自己不全感,自己有能感の低下が生じた。さらに置かれる環境や対応が厳しい状況が続き,二次的症状を呈して医療機関を受診したが「根底にある発達障害の存在に気づかなかった」と判断された。

3 例を通じて,ADHD によると思われる症状の改善に努めた結果,自己不全感,劣等感が改善されたと判断された。二次的に生じた自己有能感の低下が改善されたことにより,社会的取り組みに積極的になっている。服薬による副作用については,食欲低下,消化器症状,不眠,頭痛などがみられた。
成人になって来院した例は,不注意の目立つ例が多く,同時に ASD の診断をつけられるものが多かった。二次的症状を呈する例の中には,他の診断を受けていたものもある。さらに症例を重ねる必要があるが,自己不全感を持つ例や他の診断を受けている例の中に,根底に ADHD 的要素を持つ患者の存在を考慮することは意味がありそうである。二次的な症状ばかりに目を向けず,根底にある自己不全感,自己評価の低さを改善することが必要になると思われた。ADHD 治療薬の服用は自己不全感や自己評価の低さを改善するきっかけを与える可能性がある。一方で,ADHD の存在を確認しないで ADHD 治療薬を投与するのは,厳に慎むべきである。

注:i) この引用部の著者は田中英三郎・市川宏伸です。 ii) 引用中の「市川, 2013」は次の資料です。 「市川宏伸 2013 おとなの ADHD 診療の動向. 精神科治療学,28 : 133-137.」 iii) 引用中の「ATM」は医薬品のアトモキセチン(一般名、ちなみに商品名はストラテラここを参照])の略です。 iv) 引用中の「ADHD-RS」について、大阪大学大学院連合小児発達学研究科監修の本、「発達障がい 病態から支援まで」(2022年発行)の 1 序論・総論 の 1.3 診断 の 1.3.1 神経発達症とその診断 の「d. 注意欠如・多動症ADHD)」における記述の一部(P14)を次に引用します。

(前略)ADHD の診断補助尺度として,DSM-5 の 18 の症状項目(不注意 9 項目,多動性-衝動性 9 項目)に対応した,ADHD 評価スケール(ADHD Rating Scale : ADHD-RS)を用いることができる.ADHD-RS は,薬物療法の効果測定にも広く用いられており,簡易に実施できることが利点である13).その一方で,専門家ではない養育者,教員が質問紙の回答者になるので,評価している行動特徴が ADHD 由来なのか,他の精神疾患由来なのか判別できないのが難点である.そのため,ADHD-RS を用いるときには,別途診察で 1 つ 1 つの症状の具体例を確認し,ADHD 以外の理由では説明がつきにくいことを確認することが肝要である.子どもではほかに Conners 3 14),成人では成人期の ADHD 自己記入式症状チェックリスト(Adult ADHD Self-Report Scale : ASRS)15) あるいは Conners' Adult ADHD Rating Scales(CAARS)16),Conners' Adult ADHD Diagnostic Interview for DSM-Ⅳ(CAADID)17) などの評価尺度で症状をある程度定量化できる.どの評価尺度を用いても,質的な評価を加えて ADHD と診断することが本人の利益になるかどうか検討することが大切である.(後略)

i) この引用部の著者は桑原斉・池谷和です。 ii) 引用中の文献番号「13)」は次のシステマティック・レビューです。 「Methylphenidate for children and adolescents with attention deficit hyperactivity disorder (ADHD)」 iii) 引用中の文献番号「14)」は次の本です。 「Conners CK : The Conners 3rd edition (Conners 3).Multi-Health System 2008」 iv) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Validity of pilot Adult ADHD Self- Report Scale (ASRS) to Rate Adult ADHD symptoms」 v) 引用中の文献番号「16)」は次の論文です。 「Determining the Accuracy of Self-Report Versus Informant-Report Using the Conners' Adult ADHD Rating Scale」 vi) 引用中の文献番号「17)」は次の論文かもしれません。 「Conners' Adult ADHD Diagnostic Interview for DSM-IV™」 vii) 引用中「DSM-5 の 18 の症状項目(不注意 9 項目,多動性-衝動性 9 項目)」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「注意欠如・多動症 (ADHD) 特性の理解」の「Table 1 ADHD の診断基準(DMS‒5)」(P29)

④ 同の 第7章 大人の ADHD心理療法・行動療法 の 2. 大人の ADHD に対する心理療法の実際 の「(1) 大人の ADHD に対する心理療法の支援の考え方」における記述の一部(P90)を次に引用します。

(前略)a. 生活の障害と自己理解
ADHD神経心理学的障害であるが,心理療法を実施する際には,大人の ADHD は慢性疾患であること,そして生活の障害であることを念頭に置く必要がある。したがって,ADHD 症状だけでなく,自らの特徴を明確に把握すること,さらに与えられている環境(職場,家庭,友人関係など),もしくはこれから進もうとする環境について理解することも大切である。さらに,これまでの問題がどのように起きてきたか,患者の短所についての自己理解を深めることは特に大人の ADHD 臨床では重要であるが,一方でしっかりと患者の長所を支援者と患者ともに把握することも,これからより適応的な生活を目指すために同様に重要となる。(後略)

注:i) この引用部の著者は金澤潤一郎です。

加えて、大人の ADHD におけるタイプ別の支援法について、同の 第7章 大人の ADHD心理療法・行動療法 の「3.タイプ別の支援法」における記述(P096~P101)を次に引用します。

3.タイプ別の支援法

ここでは CAARS™(Conners' Adult ADHD Rating Scales)や CAADID™(Conners' Adult ADHD Diagnostic Interview for DSM-Ⅳ™)などの大人の ADHD 症状評価を行ったうえで,ADHD のサブタイプに応じた心理療法について論ずる。紹介する事例は,個人が特定されないよう,複数の事例を組み合わせていることをおことわりしておく。心理療法に関する詳しい治療構成要素は Safren ら(2005),診断から心理療法に至る過程や事例については Ramsay & Rostain(2008)の翻訳本を参照願いたい。

(1) 併存する気分障害や不安障害によって受診したが,根本に未診断の不注意優勢型 ADHD がある場合

30代後半・女性
抑うつ症状を主訴として訴えたが,精神科病院で「ADHD 疑い」と伝えられ,大学のカウンセリング・センターを紹介された。問題歴として,小学校や中学校の間は忘れ物や授業中に「ボーっとする」などの不注意症状は認められたが,離席や対人関係のトラブルなど多動性-衝動性症状はほとんど認められなかった。高校では忘れ物が増え,宿題や課題が多くなるにつれて優先順位をつけることやスケジュールを管理することが難しくなってきたが,知的能力が比較的高いこと(診断時,WAIS-Ⅲ[Wechsler Adult Intelligence Scale-Third Edition]の FIQ = 115)に加え,本人の学業面での努力や友人・家族・教師の助けもあって学業成績は比較的良好であった。しかし大学の高等学年になり,卒業論文や実習など,より高度な自己マネージメントカが必要となると成績を保てなくなった。自尊心の低下に伴う抑うつ症状に悩まされながらも何とか大学を卒業し,卒業後まもなく結婚,出産。自らの生活の管理だけでも精一杯にもかかわらず,夫(未診断だが ADHD 傾向が強い)の生活管理に家事と子どもの育児(顕著な多動性が認められる)も重なり,主にスケジュール管理の困難さと抑うつ症状を訴え受診した。

この女性のケースは併存症状が比較的少ない,不注意優勢型 ADHD 患者ともいえるだろう。ADHD 症状(優先順位の判断ミス,先延ばし,スケジュール管理の苦手さ)が他人には怠け,無責任などとみえてしまい,主に仕事上(家事)の問題を呈する場合が多い。多動性-衝動性症状よりも不注意症状の方が日常生活に悪影響を及ぼすため(Stavro et al., 2007),多動性-衝動性症状がほとんどなく,不注意症状のみが認められ,なおかつそれほど重度ではない場合であっても,精神的併存症や生活障害の点では注意が必要となる。
周囲からすれば,児童期から学業成績は良好であったにもかかわらず,成人するにつれて「一気に生活が難しくなった」とみえるかもしれないが,本人としては「ずっと頑張ってきたが,ついに支えきれなくなった。私は何と無力で愚かなんだ」と自尊心が低い場合が多い。この女性のように専業主婦や就労しながら家事と育児に従事している女性は,自分自身のために費やす時間を確保することが難しい。その「心の疲労」も頭の整理(スケジュール管理や優先順位をつけること)を阻害していることが多い。
抑うつ症状や不安症状,睡眠の問題などの併存障害が中程度以上の場合には,向精神薬も併用して治療することが効果的であろうが,この女性のケースでは,傾聴しながら,支援のポイントを不注意症状が生活に与える悪影響に限局した心理療法を実施するだけでも効果がみられた。
先延ばしや,8割方課題を終わらせると他のことに興味の対象が移ってしまい優先順位がつけられなくなる疑似成功感をもつ患者には,個人に適した「やることリスト」を作ること,「やることリスト」を活用して視覚的に優先順位つけを行うことなど,補償方略(日常生活上の行動的対処法)に特化した関わりを中心とすることが重要である。この女性の場合,薬物療法は実施せず,平日用と週末用の「やることリスト」を作成し,紙に書き出すことで視覚化して優先順位(A「最優先」,B「A と C の中間」,C「必要ないが覚えておくこと」の評価をする)をつける練習を行った。さらに無理のか範囲で,本人のための時間である「セルフ・ケアの時間(30分間,喫茶店で紅茶を飲む)」を設けてもらい,頭と心の整理を促進してもらうこととした。
学童期に有能であった人に多いかもしれないが,自分が抱えることができる能力を超えて,仕事や余暇活動を抱えすぎてしまって重要な課題を完遂することができなくなる患者には,これらの補償方略の中でもスケジュール管理など,「自己管理」にタイプ分けされる補償方略の習得が特に有効な手段となる。
これらの点を丁寧に取り扱うことでセルフ・モニタリング能力が高まり,「悪かったのは自分ではなく,やり方(取り組み方)だったのだ」と自覚することで,併存する軽度の抑うつ症状や不安症状の改善を図るとともに,生活機能の改善が期待できる。

(2) 混合型 ADHD で怒りなど対人関係上の困難さがある患者の場合
DSM-5 で併存診断が可能となった自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder : ASD)が併存する場合,あるいは ASD 傾向が強い場合も考えられる。特に面接初期で支援者に敵意が向くことや,これまでに支援を受けていた専門家との関係がこじれている場合も多い。以下に簡単に事例を挙げる。

40代・男性
主訴は他人とすぐに口論になること,それが原因で退職を繰り返していたことであった。学童期から知的な能力には問題がなかったが 友人関係,教師や両親との関係が不良であった。授業中は落ち着きがなく,「退屈」と言って授業をほとんど聞いていなかった。しかし,勉学自体は嫌いではなく,家庭学習では教科書を中心に自ら勉学に励んでいたため,成績は並程度を維持していた。植物に関することが大好きで,学校が終わると図鑑など専門書を読むことが多く,友人と遊んだとしても自己中心的な態度を指摘されるためにあまり長続きすることはなかった。大学は,恋人に学業の面でも対人関係の面でも支えてもらいながら卒業した。卒業後はアルバイトの延長で料理人となった。黙々と料理をするのは好きで得意だが,自分のペースを乱されることが好きではないために店長と決別。その後,30代で独立して店長兼シェフとなる。しかし,接客が苦手なことや,アルバイトとの関係もうまくいかず,しばらくして閉店した。その後は,いくつかの会社で主に営業職として従事するが,顧客や上司と「そりが合わず」に退職した。本人も退職を繰り返すことで抑うつ状態となり,妻や小学生の長男にも強い口調で怒りを表出してしまうことで悩んで受診。「ADHD 混合型と自閉スペクトラム症傾向」と診断され,これまで医師による短時間の面談は行っていたが,「患者が医師の指示に従わない」ということで,心理士に紹介されてきた。薬物療法としては睡眠導入剤と少量の抗精神病薬を処方されていた。

心理士との初回面談では堰を切ったように40分以上.本人の困り感や,自分が思う問題点について話し続けた。心理上はできる限り「自分が話したいことを話したい」という患者の態度を強化しつつ,ある患昧で患者主体のペースで面接を進めながら,ゆったりと情報収集を行った。このような場合,支援者が指示的な関わりをしてもうまくいかない場合が多く,患者中心のペースの中で,学んでほしい要素(例えば,セルフ・モニタリング,機能分析,優先順位のつけ方,感情表出の仕方など)をいかに学習してもらうかが大切である。
この患者の場合,これまでの対人関係の問題について機能分析や損益分析を行いながら,心理士がそれらを紙に書き出してまとめていった。患者の話したことをある程度まとめて示してみせると,患者自身で「つまり,私は○○すればよいかもしれないですね」など、解決策を自発的に見いだしていった。患者の提案に対し,ときには修正やアドバイスも行いながらではあったが,患者と心理士が協働して患者の抱える問題に取り組む関わり(協働的実証主義)を継続することが,この患者との面談で心理士が最も注意を払った点であった。
心理士の勧めもあり,この患者は発達障害をもつ者が集まる当事者会に積極的に参加するようになった。その場でも,大小の対人関係の問題が起きてくるため,その機会を活用して心理面接を進めた。つまり,当事者会で起きた出来事と,患者自身がその後その点に関して考えたことを面接で語ってもらい,それについて認知的再構成法,問題解決療法など認知行動療法の技法を取り入れながら,患者と心理士と協働で臨床心理学的観点から出来事をどうとらえ直し,今後にどう活かすのかを話し合っていった。この方法であれば「支援者(心理士)から何か正解を教わった」という感覚にはなりにくく,患者が自発的に自らの問題に取り組みやすくなる。このような取り組みを重ねる中で,面接当初に感じていた「他人は私を見下している」「他人が犯したミスは予測して予防するべきだ」のような怒りに関連した考え方(認知)に気づき,次第にそれらの考えにとらわれないようになり,最終的にはどのような状況で怒りが起きやすいかを予測し,自ら対処できるようになっていった。
ADHD自閉スペクトラム症との併存がある場合(あるいは併存が疑われる場合),特に口頭による心理療法だけでは効果が薄くなる傾向が強い。むしろ,支援者が強調したいことや患者に学んでほしいことを体験してもらうこと,あるいは患者が体験した出来事を支援者が学んでほしいポイントに焦点化して話し合っていくことなど,ある意味での受け身(機会応用型)の心理療法に重点を置いたほうが奏功しやすい。このケースのように,患者が患者会デイケアなどで自らの体験を語ったり,他人の体験を聞いたりする機会がある場合,そこで起きたことや患者が感じたことを心理療法の中で改めて語ってもらい,支援者と共に整理することも効果的である。
また,この患者のように共同生活する者がいる場合,家庭や職場など周囲との人間関係も大切になってくるため,患者がどのように変わるとよいかという観点よりも,本人の特性は大きく変わらなくてもよいが他者(家庭や職場の人間関係)や状況とどのように折り合っていくかを患者と家族が支援者と共に話し合っていくことで 患者を否定することなく,周囲の者も含めた包括的なより良い生活を目指す視点を育むことが可能となる場合も多い。

注:i) 引用部の著者は金澤潤一郎です。 ii) 引用中の「Safren ら(2005)」は次の本です。 「Safren, S. A., Perlman, C. A., Sprich, S., & Otto, M. W. 2005 Mastering your adult ADHD: A cognitive behavioral treatment program: Therapist guide. Oxford University Press; NY.[板野雄二(監訳) 2011 大人の ADHD認知療法――セラピストガイド.日本評論社.]」 iii) 引用中の「Ramsay & Rostain(2008)」は次の本です。 「Ramsay, R. & Rostain, A. 2008 Cognitive-Behavioral Therapy for Adult ADHD: An integrative psychosocial and medical approach. Routledge; NY.[武田俊信・板野雄二(監訳),武田俊信・金澤潤一郎(翻訳) 2012 成人の ADHD に対する認知行動療法.金剛出版.]」 iv) 引用中の「Stavro et al., 2007」は次の論文です。 「Executive functions and adaptive functioning in young adult attention-deficit/hyperactivity disorder.」 v) 引用中の「CAARS™」及び「CAADID™」については共に例えば次のカタログを参照して下さい。 「心理検査カタログ2019」 vi) 引用中の「認知的再構成法」については例えば資料「うつ病と認知行動療法入門 ─日常診療に役立つうつ病の知識─」の「3.認知再構成法」項、資料「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」の「認知再構成法」項を、 加えて引用中の「問題解決療法」に関連する「問題解決のコツ」ついては例えば同「資料」の「問題解決のコツ」項を それぞれ参照して下さい。 vi) 引用中の「協働的実証主義」については例えば次の資料を参照して下さい。 「うつ病と認知行動療法入門 ─日常診療に役立つうつ病の知識─」の Table 1.の④項(P240)、「認知行動療法における身体性をめぐる一考察」の「2.認知行動療法の発展」項

(c)上記以外のADHDについての記述として、 i) 「ADHDは昔から狩猟民族といわれている」こと、そして「ムードメーカー」や「猪突猛進型」について、田中康雄著の本、『ADHDとともに生きる人たちへ 医療からみた「生きづらさ」と支援』(2019年発行)の Ⅱ ADHDのいま の「才能として発揮される特性」における記述の一部(P58~P60)を以下に引用します。

才能として発揮される特性(中略)

あと、環境的要因も考えねばなりません。単に活発なグループだったお子さんが、社会の枠が厳しくなってくるとどんどん追い詰められてしまい、病理性のあるグループのほうに押しやられていくということもあります。一方で、社会が不安定なときには、こういう子どもたちが救世主になる。ムードメーカーですね。こういう後先考えない、ハイパーアクティブで猪突猛進型の人がいることで、社会がバアッと変わる。
ADHDは昔から狩猟民族といわれています*24。もうバアッと走り抜けていって、その後には何もなかった、みたいな。明治維新のときの坂本龍馬などもそうですね。激動のときにはこういう非常にアクティブでエネルギッシュな方がバアッと走っていくのだけれども、持続性がない。バアッと行って革命を起こしはするのだけれども、継続するのは自閉スペクトラム症の方だったりします。農耕民族といわれている自閉スペクトラム症の方が、あとをコツコツ引き受けてくれるわけです。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「*24」は次の本です。 「トム・ハートマン(田中康雄監修、梅輪由香子訳)『なぜADHDのある人が成功するのか』明石書店、二〇〇六年」 ii) 引用中の「狩猟民族」、「農耕民族」については共に、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の 12. 衝動的な行動でトラブルを招く の「PDDタイプは農耕民族、ADHDタイプは狩猟民族」における次に引用(【 】内)する記述(P150)【ある精神科の先生が、「PDDタイプは農耕民族、ADHDタイプは狩猟民族」と話されていましたが、まったくそのとおりだなと思います。PDDタイプはじっくりとひとつのことを究める力があり、ADHDタイプは活動のエネルギーが人一倍あるという意味で、どちらのタイプも、その特性を強みに転換できるはずです。】[注:引用中の「PDD」についてはここを参照して下さい]及び次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「意外に多い“大人の”発達障害の対処法」の(ページ2の)『子どものころに「○○博士」と呼ばれたタイプ』項 加えて、引用中の「狩猟民族」に関連する「狩猟民的な認知特性」について「微分回路」や「積分回路」を含めて、内海健兼本浩祐編著の本、「発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-」(2023年発行)の 第Ⅲ部 精神病理編 の 第9章 不注意の精神病理――「大人のADHD」の症候学 の Ⅶ.「大人のADHD」の精神病理 の「微分回路優位」における記述の一部(P217~P219)を次に引用します。

微分回路優位

微分回路」とは,中井14)が統合失調症親和者の「先取り」的な構えを論じた際に導入された用語である。系統発生的にはより古い認知機能であり,変化の方向性を探知し,先手を打って予防的対策を講じるのに用いられる。他方で,そのつど発生した予測誤差に振り回されやすく,ノイズの吸収力はない。現実吟味力が持続せず,すぐに冷めてしまう。いわゆる「狩猟民的な認知特性」と分類されている。この特性は,むしろADHDの理解にこそ有用である。中井の原義をそのまま踏襲して適用できる。
微分回路は,有利に働くこともあれば,不利益を与えるものにもなる。うまく機能すれば,それは勘のよぎ 臨機応変で果断な行動,感覚的なセンスのよさなどとして発揮されるだろう。対人場面でも発揮されるが,うまく機能する文化とそうでないものがある。

事例C
40代男性。双極性障害として治療を受けていたが,のちに,発達歴からADHDと診断された事例。現場の仕事の時には,陣頭指揮をとり,手際や勘がよく,生き生きと活躍する。とりわけ重大な案件があるときには,真っ先に声がかかり,本人も意気込んで取り組んでいる。定期の異動により,デスクワーク主体のポストに移ると,途端に生気がなくなる。状態が悪化すると,休職にいたることもある。そうした時には部屋に引きこもり,オーディオやプラモデルなどに凝って,金銭を費消し,家族から不興をかっている。

微分回路は,微かな兆候から全体を直観する機能である。長丁場には向かない。さまざまな要素を総合してマネジメントすることにも向いていない。これらはいわゆる「積分回路」の役割である。また,対人的な場面では,相手の言葉や表情に込められた兆候的なものに振り回されやすい。

事例D
30代男性。小学校までは多動傾向がみられた。大学生になって一人暮らしを始めたが,いわゆる「ゴミ屋敷」状態の中で暮らしていた。就職後は,対人関係で不調を繰り返し,そのつど通院して,抗うつ薬の処方を受けている。とりわけ批判的な上司に弱く,そうした人の表情や言葉に対しては,極めて過敏になる。口癖のように「怒らないでください」と懇願し,「怒ってなどいない」とかえって叱られるという。

対応する上司が配慮していても,言葉の端やちょっとした表情にネガティヴな感情が瞬間的に表出されることがあるだろう。しかし,それは積分回路的には認知されない。上司にしてみれば,コントロールして話しているにもかかわらず,「怒っている」といわれるのは不本意であり,腹立たしくもなる。他方,ADHD特性のある個体からしてみれば,瞬間的に現れたものの方に真実がある。
微分回路的な認知は,部分から歪んだ全体像を作り上げてしまうリスクを伴う。とりわけ,人間のように,矛盾を抱え,絶え間なく変化し続けるものは,彼らの認知をミスリードしやすい。そうして発生した誤解は,しばしば家族や友人などの重要な他者との関係に甚大な影響を与えることにもなる。
こうした「木を見て森をみず」,「一事が万事」という認知は,ASDにおいてもみられる。ただASDの場合には,どちらかというと理屈っぽい一般化であるのに対して,ADHDにおいては,感覚的ないし感情的な染め上げと言った方が適切である。たとえば,給食かつらいという一点で不登校になったり,ちょっとした対人的な齟齬が起きただけで死にたくなったりもする。

注:i) この引用部の著者は内海健です。 ii) 引用中の文献番号「14)」は次の本です。 「中井久夫分裂病と人類.東京大学出版会,東京,1982.」 iii) 引用中の「木を見て森をみず」や「一事が万事」については共に他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「微分回路」について「積分回路」を含めて、ムック「文藝別冊 中井久夫 増補新版 精神科医が遺したことばと作法」(2022年発行)中の村澤真保呂著の文書『言葉なき樹木たちの囁き――中井久夫「世界における索引と徴候」をめぐって』(P187~P196)の「1.日常的世界とメタ認知」における記述の一部(P189)を次に引用(【 】内)します。 【微分回路というのは、微細な変化からひとつの傾向性や将来像を把握する能力(先取り的認知)であり、逆に積分回路というのは過去の体験の蓄積により現在や未来を把握する能力である。たとえば幼児は、青年とくらべると「微分回路」が優位であり、逆に老人にあっては「積分回路」が優勢である。】 v) 引用中の「微分回路的な認知」に関する、引用中の「先手を打って予防的対策を講じる」ことに関連するかもしれない「先取り的回路」を含めて本「中井久夫集 Ⅱ 2009 - 2012 患者と医師と薬とのヒポクラテス的出会い」(2019年発行)の 統合失調症の経過研究の間に考えたこと の「5」における記述の一部(P42~P43)を次に引用します。

一般に、人間は内外の認知に当たって通常は比例回路的であるスキャン的覚醒状態 scanning arousal を用い、異常な現象を発見すると集中的覚醒状態 concentrated arousal に切り換えるらしい。後者は、過剰な情報に圧倒されると、そのことを気づかないまま、状況に支配されて、受動的に振り回される。その状態を航空業界で「スノウ」というが、神田橋條治、星野弘の両氏が患者が「頭の中が忙しい」「頭の中が騒がしい」と表現する事態に相当するだろう。
集中的覚醒状態においては、徴侯的認知(微分回路的認知)が限度以上に突出して積分的認知のほうが潰乱あるいは重大な影響をこうむるのではないか。徴候的認知回路自体は人類史上、古くから災害の予知などに有用であったと思われる。先取り的回路で、微細な変化をキャッチし、経験の多大な蓄積を必要としない。しかし、疲労しやすく、微細な変化に過剰に反応するので、もっぱら微分回路的認知を用いて環境あるいは自己内界のスキャニングを行おうとすると認知は潰乱しはじめる。山で道に迷ったときの外界の相貌の突然変化がこのことを教えてくれる。(後略)

注:引用中の「集中的覚醒状態においては、徴侯的認知(微分回路的認知)が限度以上に突出して積分的認知のほうが潰乱あるいは重大な影響をこうむるのではないか」に関連するかもしれない「微分回路の独走には積分回路の麻痺が平行しているのではないか」については次の資料を参照して下さい。 『「人間の壊れるとき」に関わる微分 -人間の病理性と創造性の狭間を問う-』の「2. メイン概要」項

(d)自閉スペクトラム症(又はASD、PDD)とADHDの(症状の)違いについて
一方、標記違いについて、 a) (ニュアンスがわからなく)「話が通じない」ことの視点から、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の「10.他人の感情がわからない」項における記述の一部(P126~P128)を以下に、 b) 「人間関係のトラブル」の視点から、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 大人の発達障害 日常生活編」(2017年発行)の 第3章 日常生活で起きやすい代表的なトラブルと対応策 ADHD編 の「同じようなトラブルでも原因が違う 似ているようで違うASDとADHDの行動パターン」における一部の記述(P58)を以下に、 c) 「段取りが苦手」なことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の『「段取りが苦手」は、なぜ?』における記述の一部(P140)を以下に、 d) やるべきことを〝後回し〟することの原因について、岩瀬敏郎著の本、「発達障害の人が見ている世界」(2022年発行)の 第2章 行動の困りごと の 02 周りの人といつもやることがズレています。 の「やるべきことを〝後回し〟。ASDとADHDで異なる原因とは」における記述の一部(P128)を以下に それぞれ引用します。

ニュアンスがわからない
「この人には言葉が通じない」
職場や学校でそう言われている人はいないでしょうか。本人に面と向かって言わなくても、「この人とは話にならない」という共通認識ができている場合もあります。
こういう方は、相手の話された言葉とそれに伴う感情を理解し、咀嚼するのが不得意なのでしょうが、それは発達障害や発達系の課題を持つ人にもよく見られる特性なのです。
僕たちは他人と話すとき、表情や態度、話し方、話す内容、言葉づかいなどをヒントに、言葉そのものには表れなくても、裏側にある思考や感情をおおよそ理解することができます。「ニュアンス」とか「含み」とかいわれるものです。
たとえば、「バカだなぁ、お前は」と言われたとしましょう。相手が親や兄弟、または本当に仲のいい友だちなら、その口調はどこか愛情や優しさを含んだものになります。何か失敗して落ち込んでいるときなら、慰めてくれたのかもしれません。
ところが、見ず知らずの人に「バカだなぁ、お前は」と言われたらどうでしょうか。しかも相手がいかにも軽蔑するような表情だったとしたら、腹が立ってケンカになってもおかしくありません。
つまり、僕たちは言葉そのものだけでなく、相手との関係や状況、相手の表情や発言のタイミング、声の抑揚などによって、その言葉に込められた感情をキャッチしているわけです。
飼い猫がミルクの器をひっくり返して、飼い主が「バカだねぇ、お前は」と言えば、そこには「こぼしてしまったところを拭くのは面倒だけど、こんなことをするところが本当にかわいいなぁ」という気持ちが感じられます。テレビでお笑いタレントのコントを観ながら「バカだねぇ」と笑ったら、それは「面白い」という意味です。
発達系の課題がある人、とくにPDDタイプは、相手の発言を言葉どおりにそのまま受け取ってしまう特性があります。だから、自分の周りにいる人たちが、先ほどの例のように同じ「バカ」でも、状況に応じて意味を使い分けているようなことに、自信をなくし、戸惑うのです。
たとえば、「バカだなぁ」は、言葉どおりに「愚か」「劣っている」と受け止めてしまいます。すると、周囲は親しみを込めて言ったつもりでも、PDDタイプの人は急に怒りだしたり、落ち込んだりするのです。
一方、ADHDタイプの人は、相手の発言を注意深く聞いていないことが多いので、微妙な口調の違いまで察知できない場合があります。会話しながら別のことを考えていたり、自分が関心のないところは聞いていなかったり、他の刺激に気を取られていたりして、耳から入ってくる情報が虫食い状態になることが多いのです。ストーリーや文脈は途切れ途切れで、断片的な話を聞いているようなものです。
このようにPDDタイプとADHDタイプは、「話が通じない」理由は違っても、周囲からすると「ちょっと困った人」であることに変わりはありません。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) 引用中の「PDD」についてはここを参照して下さい。

人間関係のトラブルでも原因が違う(中略)

ASDの人が人間関係のトラブルを起こすのは、コミュニケーションの特性と社会性の欠如という特性のためなのです。一方、ADHDの人の場合は、衝動性や注意力の欠如という特性が作用するのです。つまり、ASDの人はミスをしても、何がミスなのか理解できない場合が多く、ADHDの人はミスに気がついたときには、後の祭りという場合が多いのです。(後略)

「段取りが苦手」は、なぜ?

気が散りやすいADHDの人と違い、ASDの人は「決まりきったことを正確にこなしていく」ことは比較的得意としています。
たとえば、「作業Aの後に作業Bをする」など、決まりきった手順に強いこだわりがあり、それを守っている限りは、彼らは平均以上の仕事ぶりを見せるのです。ただし、急な計画変更や、誰かの代わりに努めるよう命じられると、とたんにオロオロしてどうしてよいかわからなくなることが、しばしばみられます。
作業の進行が「ゆっくり」でいいなら、落ち着きを取り戻して新たに段取りを考えることもできるかもしれません。
しかし突然イレギュラーな要素が入り込み、せかされて処理をしないといけない状況においては、それまでの段取りが乱されてどうしていいのかわからなくなるのです。こうしたことが、「段取りの悪さ」というかたちで表に出てきます。
つまりASDの人は、不意打ちに弱いのです。考えや気持ちを切り替えれない、融通が利かない、ともいえるでしょう。(後略)

やるべきことを〝後回し〟。
ASDとADHDで異なる原因とは

やらなければいけないことを後回しにしてしまうというのは、ASDとADHDに共通して見られがちな特性です。ただし両者で原因が異なることがあります。
ASDの人の場合は、〝優先順位がつけられない〟という特性によることが少なくありません。Oさん(30歳・女性)は仕事がいくつか重なると、どこから手をつけていいかわからなくなります。
一方、ADHDのDさん(25歳・男性)の場合、大急ぎで片付けなければならない重要な仕事をやっていても、別件の電話がかかってきたりメールが入ったりすると、ついそちらの処理のほうに気持ちが向いてしまいます。とりあえずこちらを終わらせようと判断し、結局、重要案件のほうは時間切れ。満足な形に仕上げることができません。このようにASDとADHDの人は、違う原因から優先しなければならない仕事を後回しにしがちなことがあります。結果、期限ぎりぎりになったり締め切りオーバーになったりして、周囲に迷惑をかけてしまうことが多く、本人たちも悩んでいます。

加えて、同の 第2章 症状 の 小児における症状 の「(1)多動と衝動性」における記述の一部(P48~P50)を次に引用します。

(前略)一方、ADHDの人は、総じて人なつっこいことが多く、集団に入り込むことは比較的得意である。それにもかかわらず、対人場面でミスを重ねたり、あるいは不適切な発言を繰り返したりすることによって、次第に浮いた存在となりやすい傾向がある。このため、「少し変わった子供」とみなされることが多い。
行動面の衝動性は、他の児童や家族に対する攻撃性となってみられることが多い。普段はおとなしいADHDの子供が些純なやりとりから「きれて」つい手を出してしまい、他の子供に暴力的となるケースもみられている。このような攻撃性は、就学前から問題となるケースが存在している。
つまりADHDの子供は爆発的であることが多く、イライラしやすい。彼らは、比較的小さな引き金で、怒りを爆発させることがある。それに加えて情緒不安定のため、気分や行動は変わりやすく予想しにくいのである。また、衝動性と不注意のため、事故や怪我が多発することが多い。よく「ものにぶつかる」ことも多い。
ここで注意が必要である点は、ASD(自閉症スペクトラム障害)の児童においでも、ADHDと同様の衝動的、攻撃的な行動がしばしばみられる点である。ADHDにおいでは、内面の衝動性をコントロールできないため、攻撃的な行動を伴いやすいが、ASDでは、社会性のなさが同様の行動をもたらすことがある。ASDにおいては、「社会的にしてはいけないこと」の認識が希薄なだめ、常識からはずれた行動を起こしやすいのであるが、行動のみからはADHDとASDの区別は難しい。
次に示すのは、成人のASDのケースで、デイケアに通所中の女性患者の例である。彼女は国立大学を卒業し教師の資格も持っている高学歴の人であったが、職場で孤立することを繰り返し、精神科の通院を続けていた。
彼女は、通所中の精神科デイケアでしばしばトラブルを起こした。目の前できまりを守らない人をみると、彼女はがまんができないのだった。たとえば、デイケアのグループで話し合いをしているときに、一方的に不規則な発言をしているメンバーがいると、彼女はすぐに注意をした。それでも相手の発言が収まらないと、クールな表情のまま、突然、相手を殴りつけるのである。
電車の中でも、騒いでいる男性に「うるさい」と言って手を出してトラブルとなり、警察沙汰になったことがあった。つまり、彼女の中では、「人前で騒ぐこと」は「殴ること」よりも、重大な「悪」であり、それを正すために殴ってこらしめても構わないと認識していたのであった。このような感性を、一部のASDの人は持っているのであるが、ADHDにおける衝動性とは異なったものであることは認識しておくべきである。(後略)

注:i) 引用中の「ADHDとASDの区別は難しい」ことに関連する「ASDとADHDの症状には類似性が大きい」ことについてはここここを参照して下さい。 ii) ADHDとASDとの区別における引用中の「衝動性」については、岩波明著の本「発達障害」(2017年発行)の 第3章 ASDとADHDの共通点と相違点 の「ADHDとASDの問題行動」における記述の一部(P92~P93)を次に引用します。

(前略)あるADHDの女性のケースである。彼女は、「他人の気持ちがわからない。周囲の空気が読めないので失敗することが多い」と訴えていた。さらに自分には、このように対人関係がうまくいかないのは、ADHDだけではなくアスペルガー症候群の症状もあるからだと主張した。
ただよくよく聞いてみると、実際は、彼女はその場で感じたことや思ったことをすぐ口にしてしまう、それが周囲の人を傷つけることがしばしばみられるということであった。つまり、問題は彼女の対人関係ではなく衝動性であった。彼女が「他人の気持ちがわからない」ということではなく、その能力があるのにかかわらず、わかろうとしていないということなのである。

(e)「ADHDの診断を再構築し、多様な病態を解明する」ことについて
標記について、林(高木)朗子、加藤忠史編の本、『「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』(2023年発行)の 第7章 脳研究から見えてきた注意・欠如・多動症ADHD)の病態 の「ADHDの診断を再構築し、多様な病態を解明する」における記述(P154~P157)を次に引用します。

ADHDは、これまで一貫して、不注意、多動性-衝動性によって診断されてきました。そしてADHDの子どもや大人には、薬物療法が相当な効果があることも示されています。それらの薬が効く仕組みは病態モデルをもとにした説明が可能になっているので、ADHDは医学的にそのメカニズムが確立された神経発達症であるという認識を持ってしまいがちです。
しかし、実際にそうでしょうか。不注意、多動性-衝動性というのは、さまざまな精神症状やその他の神経発達症によっても生じます。薬の効果でさえ、ADHDに特異的に効果が現れると言い切れるものではありません。実行機能の障害などは多くの精神疾患で報告されており、ADHD治療薬がその実行機能障害を改善する可能性もないとは言えません。そして何より、ADHDそのものが多様な病態をもつので、成人期まで持続する真の神経発達症を同定する方法を確立しなければならないのです。
このようなADHDの再分類・再定義は、薬剤の選択をする上でも重要です。ここまで読んでこられた皆さんは、精神刺激薬を使用するか非精神刺激薬を使用するかは、実行機能や報酬系の障害の虔合いを測定し、それに合わせた薬剤選択をすれば良いとお気づきかもしれません。現在の不注意、多動性-衝動性という診断の枠組みでは、いずれの症状にも実行機能、報酬系の障害が同程度に関連していて、症状を評価しても薬剤選択の指標とはなりません。しかし、それぞれの症状を構成するさらに細かい側面を見ていくと、実行機能と報酬系のどちらの障害が強いのかなどを見極める指標が見つかる可能性もあります。

このような研究を進めていく上で大切なことは、多くの子どもや大人のデータを蓄積し、その臨床経過を適切にフォローすることです。私が所属する国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 知的・発達障害研究部では、より簡便な評価、プラットフォームの確立を目指しています。
ADHD自閉スペクトラム症の特性だけでなく、知的機能、適応行動に加え、不安・抑うつ・躁症状などについても評価しています。これらの精神症状は、ADHDの症状に関連するだけではなく、経時的な反復評価をすることで、思春期以降に出現することの多い二次障害が生じる原因を明らかにすることができるでしょう。
神経心理学的検査でも複数の研究を組み合わせています。実行機能を評価するテストで、正解時に与えられる社会的報酬(ここでは笑顔)の頻度を操作することで、実行機能課題成績がどのように変化するかを調べています。ADHDの子どもへの行動療法では、好ましい行動をしたときに適切にほめるなどのフィードバックを与えることが大切とされています。しかし、子どもの望ましい行動に対して、常にフィードバックが与えられる環境にあるわけではありません。既存の研究では、正答に対して社会的報酬あるいは金銭などの非社会的報酬が(確実に)与えられる状況のみが検討されてきましたが、私たちは、それらの報酬が与えられる頻度を変えることでどのような影響が生じるかを検討しています。
また、先ほど記したように、ADHDでは時間感覚(タイミング)の障害が知られています。タイミングを合わせる機能は感覚-運動同期と呼ばれますが、時間知覚には、時間の長さを弁別したり、再生したりといった別の側面もあり、小脳や大脳基底核、補足運動野や前頭前野など異なる脳領域が関与していることが分かっています。私たちはこれらの時間知覚をすべて評価することで、時間感覚障害の全貌を明らかにしたいと考えています。
もう一つ、社会性の発達の基盤となる注意機能の障害についても研究しています。相手が見た方向を見るという共同注視という現象があります。共同注視が見られないことは、自閉スペクトラム症の子どもでもっとも早期に現れる兆候ともされています。この現象は、意思とは無関係に生じる反射的な現象であることが知られていますが、私たちが調べたところ、この反射的共同注視には、情動などにかかわる扁桃体が関与していました7-16。ADHDの子どもの多くには、多かれ少なかれ自閉スペクトラム症の特性を併存しますし、ADHDによっても注意機能の障害は生じます。私たちは、情動的表情と視線方向を同時に提示することで、その反応についてのデータを蓄積しており、さらに脳構造や脳機能画像との関連も調べています。
このように見ていくと、一つの研究を遂行するのには、多くの研究者が力を合わせ、粘り強く進めていく必要があることがお分かりになると思います。私たちのもとでは、ADHDのペアレント・トレーニングの普及やその効果の検証、親子相互交流療法の実践および研究など、心理社会的な治療についての研究開発も進めています。他方では、神経発達症の齧歯類モデルの開発とそれを用いた治療法開発も進めています。
頻度も高く、またその診断・治療も活発に行われているADHDですが、まだまだ分からないこと、解決すべきことは多くあります。当事者がよりよく暮らせて、二次的な困難を感じずに済むよう、またご家族や周囲の人が自信を持ってよりよい関わりができるように日々研究開発を進めています。

注:(i) この引用部の著者は岡田俊です。 (ii) 引用中の文献番号「7-16」は次の論文です。 「Involvement of medial temporal structures in reflexive attentional shift by gaze」 (iii) 引用中の「実行機能障害」、そして引用中の「報酬系の障害」に類似する「報酬系障害」、引用中の「時間感覚(タイミング)の障害」に関連する「時間処理障害」、引用中の「時間知覚」については共にWEBページ「成人注意欠如多動性障害におけるfMRIを用いた報酬待機時間および報酬量に関連する脳神経基盤の検討」からダウンロード可能な博士論文「成人注意欠如多動性障害におけるfMRIを用いた報酬待機時間および報酬量に関連する脳神経基盤の検討」[A30518.pdf (1.8 MB)]のそれぞれ「第一項 実行機能障害」、「第二項 報酬系障害」、「第三項 時間処理障害」、「2) 時間知覚(時間弁別・時間再生)」をそれぞれ参照すると良いかもしれません。加えて、上記「実行機能障害」に類似する「遂行機能障害」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「注意欠如・多動症の成人期への連続性と不連続性 脳画像研究・神経心理学的研究を中心に」の「Ⅱ.成人期における連続性に関連する神経心理学的機能と脳部位」項 その上に、上記「時間知覚」については次の資料を参照して下さい。 「注意欠如・多動症における時間知覚の最新知見」 ちなみに、上記「実行機能障害」に関連する(ADHDは)「脳の実行機能のはたらきがうまくいかない」ことへの対策としての「睡眠」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『寝床に入っても眠れない、悪循環から抜け出すコツは「遅寝早起き」? - apital』 (iv) 引用中の「親子相互交流療法」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「PCITについて 親子相互交流療法 - PICT JAPAN」 (v) 引用中の「精神刺激薬」に類似するかもしれない「刺激性治療薬」や引用中の「非精神刺激薬」に類似するかもしれない「非刺激性治療薬」については共に次の資料を参照して下さい。 「3. ノルエピネフリン伝達を介した ADHD 病態生理」の抄録 (vi) 引用中の「実行機能の障害」、「報酬系の障害」や「時間感覚(タイミング)の障害」以外である「デフォルトモードネットワークの障害」について、上記「第7章 脳研究から見えてきた注意・欠如・多動症ADHD)の病態」 ADHDはなぜ生じるのか? 4つの仮説 の「(4)デフォルトモードネットワークの障害 ――新しい刺激に過剰に反応する」における記述(P143)を次に引用(『 』内)します。 『さらに、デフォルトモードネットワークがADHDに関係しているという指摘もあります7-11。人間の脳は、何も考えていないとき(安静時)でも、脳の複数の領域が同期して活動していることが知られています。それら複数の領域で構成されるデフォルトモードネットワークの活動により、新しい刺激に対して備える〝構え〟をつくることで適切に反応できます。しかし、ADHDの人はデフォルトモードネットワークの活動が低いために構えが不十分で、新しい刺激に対して過剰に反応してしまうというのです。』(注:a) 引用部の著者は岡田俊です。 b) 引用中の文献番号「7-11」は次の論文です。 「Altered spontaneous low frequency brain activity in attention deficit/hyperactivity disorder」 c) 引用中の「デフォルトモードネットワーク」(default mode network、DMN)については下記を除いて拙訳はありませんが次の論文[全文]を参照すると良いかもしれません。 「Dark control: The default mode network as a reinforcement learning agent」 ちなみに、上記論文[全文]の「2. TOWARD A FORMAL ACCOUNT OF DEFAULT MODE FUNCTION: HIGHER‐ORDER CONTROL OF THE ORGANISM」項においては次に引用する記述があります。 【We argue that DMN implication in many of the most advanced human capacities can be recast as prediction error minimization informed by internally generated probabilistic simulations—"covert forms of action and perception" (Pezzulo, 2011)—, allowing maximization of action outcomes across different time scales. Such a purposeful optimization objective may be solved by a stochastic approximation based on a brain implementation of Monte Carlo sampling.[拙訳]最も高度な人間の能力の多くにおける DMN の含意は、内部で生成された確率的シミュレーション、-行動及び知覚の変換型(Pezzulo, 2011)によって通知された予測誤差の最小化として再計算することができ、そして異なる時間スケールにわたって行動のアウトカムを最大化することができると、我々は主張する。このような意図的な最適化の目標は、モンテカルロサンプリングの脳実装に基づく確率的近似によって解決されるかもしれない。】[注:引用中の「Pezzulo, 2011」は次の資料〔全文〕です。 「Grounding Procedural and Declarative Knowledge in Sensorimotor Anticipation」] d) 上記「default mode network」に関する「Scientists have a tendency to name brain networks in line with their own interests. What I am calling "the interoceptive network" is really a system of brain regions that are important for body-budgeting and interoception, as well as for sending sensory and motor predictions throughout the rest of the brain.(中略)More conventionally, these regions are distributed within two intrinsic brain networks called the salience network and the default mode network, both of which contain most of the limbic tissue in the cerebral cortex.[拙訳]​科学者は、脳のネットワークを自分の興味に沿って命名する傾向がある。​私が 「内受容ネットワーク」と呼んでいるものは、実際には脳の領域のシステムであり、身体予算管理及び内受容に重要であるだけでなく、感覚及び運動の予測を脳の他の部分に送るためにも重要である。(中略)​より一般的には、これらの領域は、大脳皮質の辺縁系組織の大部分を含む、顕著性ネットワークとデフォルトモードネットワークと呼ばれる2つの固有の脳ネットワーク内に分布している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「Other names for the interoceptive network」 ちなみに、上記拙訳中の「内受容ネットワーク」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「ADHDの再分類・再定義」に関連する「ADHD の臨床症状全般に着目した新しい分類の提唱」について『「不注意優勢型」「多動・衝動性優勢型」「混合型」の 3 型への分類に対し、成人において大部分が「不注意優勢型」であるため,有用性は高いものとはいえない』ことを含めて、岩波明編の本、「これ一冊で大人の発達障害がわかる本」(2023年発行)の 第1章 大人の発達障害とは何か の B ADHD の概念と臨床症状 の「ADHD の分類」における記述(P14)を次に引用します。

ADHD においては,不注意と多動・衝動性の両面の症状がみられるケースもあるが,どちらか一方の症状が目立つ例もある.この点に着目し,以前から,「不注意優勢型」「多動・衝動性優勢型」「混合型」の 3 型に分類されてきたが,DSM-5 でも,この分類については継承している.ただし,こうした分類については,成人において大部分が「不注意優勢型」であるため,有用性は高いものとはいえない.
われわれは ADHD の臨床症状全般に着目し,表4に示すように新しい分類を提唱している.「自閉型」は ASD 症状が顕著なタイプ,「気分障害型」は情動面が不安定でうつ状態,軽躁状態を示すタイプ,「衝動型」は衝動的な問題行動が優位なタイプ,「奇矯型」はエキセントリックな言動が目立つタイプである.今後この分類の妥当性の検討が必要であるが,治療や予後を考えるうえで参考になるものと思われる.

注:i) この引用部の著者は引用中の「表4」を含めて岩波明です。 ii) 引用中の「表4」における連続する記述を六分割して次に形式を変更して引用(それぞれ『 』内)します。 『表4 成人期 ADHD のサブタイプ』、『標準型:Standard type』、『自閉型:Autistic type』、『奇矯型:Eccentric type』、『衝動型:Explosive type』、『気分障害型:Affective type』 iii) 引用中の「DSM」については次のWEBページを参照して下さい。 「精神疾患の診断・統計マニュアル (DSM) - 脳科学辞典

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女性のADHDの基本について

加えて、標記基本について次に紹介します。先ず、「成人の ADHD の診断および治療を行う際には性差を考慮することは非常に重要である」ことについてはここを、女性のADHDに対するWEBページ、資料等は以下を それぞれ参照して下さい。『ADHD、10の特徴「退職、結婚などを衝動的に決断する」』、『「女の子なのになぜできない」発達障害の女性を襲う"二重の苦しみ" 』、「児童精神科クリニックからみた成人 ADHD の診断と支援 ─特に女性の ADHD について─」、「なぜ女子の発達障害は、大人になるまで発覚しにくいのか」 加えて、これに関連する一連のWEBページ(上手に悩むとラクになるシリーズ)があり、以下にそれぞれ紹介します。 『恋愛はいつも「二番目の女」 - アピタル』、「飲み過ぎてしまうのはなぜか - アピタル」、「わかっているのにやめられない事のやめ方 - アピタル」、「決意だけは人一倍あるのですが - アピタル」、「立ち止まることを忘れてしまう - アピタル」、「気が乗らない仕事にやる気をだす方法 - アピタル」、『仕事を途中で投げ出さないために「時間を見積もる」 - アピタル』、「おっくうな年賀状を年内に出し終えるには - アピタル」、『手帳のプロに学ぶ「計画を立て続ける」コツ - アピタル』、「どうしてもゲームがやめられません - アピタル」、「どうしても早起きできません - アピタル」、「悪循環から抜け出す糸口をつかむには - アピタル」、「過食や過飲をやめたいのです - アピタル」、「でかける前はいつもバタバタ、遅刻や忘れ物をなくすには - アピタル」、「計画倒れに終わらない、計画の立て方 - アピタル」、「大人のADHD治療で推奨されているものは? - アピタル」、「ADHDの人はうつ病になりやすい? - アピタル」、「対人関係や依存症…ADHDの大人が陥りやすい諸問題 - アピタル」、「大人のADHD、毎日努力しても報われないのはなぜ? - アピタル」、「ADHDの自分にうんざり… そんな時こそ自分を味方に - apital」、『「二番目の女」のままで心のスキマは満たされる? - アピタル』、『その恋愛は「誰」本位? 脱ぎ捨てられた靴下が語るもの - アピタル』、「恋愛は追うより追われた方が幸せ? 視点を変えてみる - アピタル」、「白黒ハッキリさせたい恋愛に、答えが出ないときは - アピタル」、「恋愛関係のモヤモヤ、秘めた本音をぶつけてみると・・・ - アピタル」、「身勝手だった彼 あまのじゃくへの処方箋は - アピタル」、「現実逃避をやめた二人 本音で向き合い見つけた居場所 - アピタル」、「母の振る舞いが目について……消えない親子の確執 - アピタル」、「母に愛されなかった私 揺らぐ自尊心、失ったプロポーズ - アピタル」、「計画に追われイラだっていた母、隠れていた家族への愛情 - アピタル」、「心配性の姉、マイペースの妹 役割を変えてみる - アピタル」、「夕食はいつも夜11時… 新婚生活に悩む女性のADHD - アピタル」、『時間管理が苦手な私…夕食づくり、時短の「三つの秘訣」 - アピタル』、「華やかな新婚生活 ADHDの人に潜むお金の落とし穴 - アピタル」、「ADHDの人は数字が苦手? 家計は現金管理で乗り切る - アピタル」、「赤ちゃんの夜泣きと育児に参加しない夫 新米ママの苦悩 - アピタル」、「育児から逃げる夫、疲弊する妻 意識のズレを埋めるには - アピタル」、「夫とケンカして家を出た妻 娘の夜泣きに疲れ果て… - アピタル」、「娘の夜泣きで眠れないママ 寝かしつけの習慣を見直す? - アピタル」、「赤ちゃんの夜泣きを直したい 叱るより有効なのは… - アピタル」、「愛犬のしつけから考える 赤ちゃん夜泣き対策のポイント - アピタル」、「赤ちゃんが夜泣き 眠り方を教えるって、どうしたら? - アピタル」、「子育ては私がやらなくちゃ? 母から意識を変えていく - アピタル」、『夫の実家を頼るのは育児放棄? 自分を苦しめる「美学」 - アピタル』、「孤独に押しつぶされそうなADHDママに必要なものは? - アピタル」、「ママ友の言動にモヤッとする 心の中をのぞいてみると… - アピタル」、「子どものダラダラ食べにイライラ ADHDママの対処法 - アピタル」、「小学校の入学準備に青ざめる ADHDママの苦悩 - アピタル」、『わかりにくい資料から「必要なこと」を読み取るコツ - アピタル』、『「完成させたくない病」をこじらせていませんか? - アピタル』、「食事が遅い子どもにイライラ ADHDママの時間管理術 - アピタル」、「片付け、掃除、先延ばし やる気スイッチを押すコツとは - アピタル」、「時間内に仕事が終わらない 陥りがちな五つの落とし穴 - アピタル」、「あなたの机は大丈夫? 意外にできていないあの作業 - アピタル」、「その仕事のこだわり、必要ですか 独りよがりの落とし穴 - アピタル」、『「ネットサーフィンしたい」 あなたの欲求断ち切ります - アピタル』、「仕事の完成度、無駄に高いレベルを目指してませんか? - アピタル」、「やること詰め込みすぎ? 一目でわかる時間管理のコツは - アピタル」、『「たまには遊んでいい」 そんな自己肯定感が実は難しい - アピタル』、「忙しい年末年始 優先順位がつけられないときどうすれば - アピタル」、「管理職のマネジメント業務、仕事時間の何%が理想? - アピタル」、『モノを定位置に戻す工夫 「1ステップ」収納のすすめ - アピタル』、「家にハサミ6本? モノをなくさないために発想の転換を - アピタル」」、『モノを定位置に戻す工夫 「1ステップ」収納のすすめ - アピタル』、『「幸せってなんだっけ」 年間計画を達成する四つの秘訣 - アピタル』、『夢実現への道筋は見えてますか? カギは「月間目標」 - アピタル』、『「いつかするは一生しない」 先延ばしパターンから卒業 - アピタル』、『「予定がいっぱい」でも、夢実現への時間を確保するには - アピタル』、「急な案件が入っても計画を崩さない 事前に必要なことは - アピタル」、「苦手な早起き まずは1週間、最適睡眠時間を探してみて - アピタル」、『出勤前のバタバタどうする 「それ、本当に朝必要?」 - アピタル』、『朝食の準備、娘の送り出し…「起きてもいいことがない」 - アピタル』、『「朝起きないとやばい状況」ぎりぎり派への対処のカギ - アピタル』、「散らかった部屋、義母の一言 スマホに逃げ込み夜更かし - アピタル」、『「捨てるか残すか、判断はイマ」気付けば罪悪感の宝庫に - アピタル』、「クローゼットの衣類たちとの戦い 1日分を1セット作戦 - アピタル」、『捨てるの邪魔する「もったいない」 自尊心が低い証拠 - アピタル』、「私が仕事、損?漠然とした将来への不安、現実的に悩みに - アピタル」、「理想の職場、どう探す?ハードの条件とソフトな条件とは - アピタル」、「自分の働き方に募る不安 仕分け作業で心をコントロール - アピタル」、「なぜ私はあの人みたいになれない?いや、なる必要はない - アピタル」、「受け入れがたい自分の特性 もし他人が同じ特性なら? - アピタル」、『他人のSNSに嫉妬を感じたら 「できるかな」まず自問 - アピタル』、「今月もレシートためちゃった 苦手の勝負減らし金銭管理 - アピタル」、「本当の自分を知られたら怖い もうばれてるから大丈夫 - アピタル」、『夏休みの宿題の上手な進め方 コツは「10分ブロック」 - アピタル』、『夏休みも残り半月 「時間はある、何でもできる」は幻想 - アピタル』、『勉強開始は「楽勝」で、効果的なご褒美 やる気のカギに - アピタル』、「仕事が自分に向いていない…悩んだら同僚を観察、コツを盗む - アピタル」、「仕事にやりがいを感じたい 自分の過去から手がかり見つける - アピタル」、『集団やマニュアルが苦手… 大事なのは職業ではなく「職場環境」 - アピタル』、「波乱に満ちた夕食の献立づくり 大まかな選択肢でネット購入を - アピタル」、『今に追われて明日のことを忘れる 「ついでに」やって負担感減らす - アピタル』、「年末で忙しくてやるべきこと忘れる 予防のカギは記憶メモの外部委託 - アピタル」、「気がつけばもうすぐお正月…家族内にあるアリとキリギリスの関係とは - アピタル」、『現実逃避に走る「キリギリス夫婦」 泥沼から抜け出すための作戦とは - アピタル』、「我が子が理不尽な目に遭ったなら…人生の荒波を乗り越える力を備える - アピタル」、『「子どもが勉強しません」 大人にはわかる大切さを伝えるひけつとは - アピタル』、『子どものやる気を起こすには 魔法のボタンを押す「ツボ」を知る - アピタル』、『長年たまった夫婦のイライラ、怒り爆発を防ぐには「口にして味わう」 - アピタル』、『「もったいない」子どものモノを断捨離するコツ ルールを胸に刻む - アピタル』、『「子どもが勉強しません」 大人にはわかる大切さを伝えるひけつとは - アピタル』、『「空腹?それとも…」食べ過ぎをやめられない、自分への3つの質問 - アピタル』、『夫婦の話し合い「さけて現実逃避」より「修行のように」のすすめ - アピタル』、「さっさと宿題をしない我が子にイライラする 親はどうしたらいい? - アピタル」、『親同士の付き合いは苦手? 「自分はダメ」スキーマがもたらす苦しさ - アピタル』、『親同士の付き合い、ADHDを隠し「無難に」振る舞えばうまくいく? - アピタル』、『1年の目標はなぜ達成しにくいのか 「目標の立て方」にある落とし穴 - アピタル』、『その「年間目標」達成できる? 高すぎ・あいまい・無理しすぎはNG - アピタル』、『親はうたた寝、風呂も入らず子はゲーム 「気づけば真夜中」を見直す - アピタル』、『帰宅後に電池切れで動けない 「やる気エンジン」を1回だけかけよう - アピタル』、『「邪魔が入って手を止める」ときのコツ 「嫌な作業」を終えてから - アピタル』、「やる気出ない・日中ぼんやり・ミスばかり ADHD脳とのつきあい方 - アピタル」、『嫌な気持ち、酒でごまかす? 「本当に欲しいもの」は満たされない - アピタル』、『「ママなんて大嫌い!」思春期の娘と感情の衝突 親はどう返すべき? - アピタル』、『「約束に遅刻しそう」はママのせい? 親子問題の責任の所在を見直す - アピタル』、『まめじゃない私、人間関係が続かない 「人気者はどうしてる」を盗む - アピタル』、『「自分の人生って何…」40代の中年の危機 ぐるぐる思考を整理する - アピタル*9

※:一方、「ADHD女子」のリンク集については次のWEBページを参照して下さい。 「ADHD女子 - OTONA SALONE

加えて、女性のADHDに関連する論文の引用例はここを参照して下さい。

女性のADHDの本における様々な引用
次に、女性のADHDの特徴を簡単に紹介した後に、女性のADHDの本における様々な引用を以下に紹介します。前者について、榊原洋一、高山恵子著の本、「最新図解 女性のADHDサポートブック」(2019年発行)の 知っていますか? 女性のADHD の「女性のADHDとは?」における記述の一部(P2~P3)を形式を変更して以下に引用します。なお、以下には同本からの様々な引用があります。

特徴1 ADHD特性が目立ちにくい
女性の場合、「多動性・衝動性」の特性よりも、「不注意」の特性のある人が多いために目立ちにくい

特徴2 “男の子に多い障害”というイメージから見過ごされやすい
ADHDの男女差は、大人で2:1と女性にも多い

特徴3 周囲から“適応”しているようにも見える
男性よりも周りの人に合わせようとする意識が高く、無理に適応しているために困難が気づかれにくい

特徴4 内面的なトラブルを抱えやすい
他人との衝突やトラブルといった対外的な問題よりも、心の病や体調不良などの内面的な問題を抱えやすい

特徴5 ホルモンの影響を受けやすい
月経、妊娠・出産、更年期などといった女性ホルモンの変動によって、症状のコントロールがしにくくなる

特徴6 ほかの病気や障害を発症しやすい
ストレスや生きづらさから、別の病気を発症しやすく、それによって根本のADHDが隠されてしまうこともある(後略)

(a)宮尾益知監修の本、「女性のADHD」(2015年発行)等(ここも参照)からの複数の引用又は項目を以下に紹介します*10
① 同の『1 「片付けられない」だけでない』における5つのよくある悩みの項目を次に示します。
「ミスばかりで自分が嫌になっている」「気配りができず、同性に嫌われる」「時間がないのに用事をつめこんでしまう」「子どもを叱りすぎて虐待を疑われる」「治療後に、部屋が片付きすぎて混乱する」

② 同の 2 受診先は「小児神経科」か「精神科」 の「【受診】近隣の小児神経科や精神科を探す」における記述の一部(P32~P33)を次に引用します。

医療機関探しのポイント
発達障害の主治医を探すときには、近隣の相談窓口などに問い合わせ、自宅から近い医療機関を紹介してもらうとよいでしょう。有名な医師や病院を求めて遠方まで通おうとすると、いずれ負担が重くなります。(中略)

成人期
「発達外来」は大人に対応していない場合もある。大人の場合、「精神科」や「心療内科」にかかり、二次的な障害も含めて診察してもらうとよい。
●精神科・心療内科(なかにはくわしい医師がいる)
●発達外来(成人もみている場合がある)

注:引用中の「成人期」に関して、同本 P33 には次に示す記述があります。「子どもと大人では、発達障害をみる診療科が異なります。」

③ 同の 2 受診先は「小児神経科」か「精神科」 の「【診断】診断基準だけでは全貌がみえてこない」における記述の一部(P42~P43)を次に引用します。

診断基準が示していること
診断基準は、ADHDと診断して対応するための基準です。それはADHDの平均的・中核的な特性をまとめたものであり、また、主に男子のケースを基準としています。(中略)

ADHDの診断基準

中核的な特性
不注意・多動性・衝動性という中核的な特性を、複数のエピソードによって規定している。それ以外の個人差の大きい特性は書かれていない

主に男子の特徴
ADHDは主に子どもの発達障害として研究されてきた。女子よりも男子が多いため、診断基準は男子の特徴を反映したものになっている

生活上の困難
診断基準が示しているエピソードは、基本的に生活上の困難として表現されている。特性のよい面は書かれていない(中略)

診断基準が当てはまらないが、ADHDの女性にみられる特徴
内気で恥ずかしがり屋。自分から動いたりしゃべったりしない

動作や反応が遅い。なにをするにも時間がかかる

いろいろ考えすぎて、時間がないなかに用事をつめこんでしまう

昼間はいつも眠そうにしている。夜は考えこんでしまって眠れず、睡眠も浅い

なかなか決断できず、結果的に、衝動的な判断をしてしまう

まわりの人に認められたいと思っている。自分に対する評価に気にしてしまう(中略)

基準をはみ出す特徴もある
ADHDの子どもや大人には、診断基準で示されていない特徴もみられます。第1章で紹介した「女性どうしの付き合いで気配りができない」「用事をつめこみすぎる」といった悩みはADHDの女性に多くみられますが、診断基準ではふれられていません。(後略)

注:i) 引用と同じ本の同じ項目に対する他の視点からの引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「恥ずかしがり屋」に関して、同本 P43 には次に示す記述があります。「ADHDの女性には、多動性・衝動性というイメージからは程遠く、じっとしていて恥ずかしがり屋の人がいる」 iii) 引用中の「診断基準」の例は次のWEBページに示します。『注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典の「診断・鑑別診断」項』 iv) 引用中の「昼間はいつも眠そうにしている。夜は考えこんでしまって眠れず、睡眠も浅い」に関連するかもしれない「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 v) ちなみに、引用はしませんが、同本の P44 には、「COLUMN そもそも診断基準が女性に合っていない?」があります。

④ 同の 1 「片付けられない」だけじゃない の『【女性のADHDの特性】「多動性」「衝動性」は性格に見える』における記述の一部(P24~P25)を次に引用します。

年代別・「多動性」「衝動性」の現れ方(中略)

女性ではおしゃべりや買い物などの場面で目立ちます。

深く考えずに行動しがち。とくに衣服や日用品では、目に入ったものが欲しくなる。(中略)

成人期
仕事や恋愛などの重要なものごとでも、衝動的に判断してしまう。とり返しのつかない事態に
●相変わらず悪口や暴言が減らない
●急に思いついて退職する
●結婚や離婚の判断が早い(中略)

元気な少女だと思われている
ADHDの男の子は「落ち着きのない子」「乱暴な子」などと叱られてしまいがちですが、女の子では、多動性や衝動性がそこまで強く現れることは多くありません。
乱暴というほど激しい言動はみられず、「元気な子」「移り気な子」などと思われている子が多いでしょう。女性はADHDに気づかれにくいのです。

問題になることはじつは少ない
女の子で多動性や衝動性が問題になることは少なく、人間関係で大きなトラブルが起こることは、めったにありません。
ただし、自分勝手にしゃべりすぎたりして人間関係で軽いしこりをつくることはあります。それゆえ、女性どうしのグループになじみにくいという特徴はあります。その結果、付き合いにくい性格の子だと思われてしまいます。(後略)

注:引用中の「おしゃべり」及び「自分勝手にしゃべりすぎ」に関連するかもしれない、 a) 『女性のADHDの多動の特性が「おしゃべり」にあらわれる』ことについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第六章 ADHDの女性は多動性が「おしゃべり」にあらわれやすい の『多動の特性が「おしゃべり」にあらわれる』における記述の一部(P96~P97)を以下に引用します。 b) 『ADHDの女性に見られる「おしゃべり」は決して悪気があってのことではないにもかかわらず、相手の癇に障ったり、心を傷つけたり、場の空気を悪くする結果になることが少なくない』ことについて、同章の「悪気はないのに同性から疎まれる理由」における記述(P99~P101)を以下に引用します。

多動の特性が「おしゃべり」にあらわれる(中略)

男の子の場合、特性による行動が「手や足」にあらわれやすいのに対して、女性は「おしゃべり」にあらわれることがよくあります。「一方的にしゃべる」「しゃべりだすと止まらない」「人の話に割り込む」「夢中になり過ぎてまわりが見えなくなる」などの多弁傾向は、言葉が達者になるにつれてはっきりとあらわれます。これはちょっとした刺激にもすぐに反応して、思いついたことがつい口から出てしまうために起こると考えられています。そのため内容にとりとめがなく、またオチもありません。
これらは女の子が成長し、人間関係を築いていく上でネックとなることが少なくありません。女の子は男の子と比べてコミュニケーション能力が総じて高く、さまざまなおしゃべりを通じて人との関係性を深めていくことが多いものです。ところがADHDの女の子は、自分がしゃべりたいことを一方的に話しがちなため、「自己チューな子」「協調性がない子」とまわりから敬遠され、友だちかできにくい場合があります。

悪気はないのに同性から疎まれる理由
ADHDの女性に見られる「おしゃべり」は、決して悪気があってのことではありません。単になにも考えずに思ったままを話していることが多く、素直で正直であるともいえます。
ただ、それが相手の癇に障ったり、心を傷つけたり、場の空気を悪くする結果になることが少なくありません。そうしたケースをいくつか見てみましょう。

〈TPOをわきまえない〉
とにかくしゃべりたい一心で、TPOもわきまえずにだれかに話しかけてしまうことがあります。そのため、セミナーやミーティングなど人の話に耳を傾けなければならないような場面でも、隣や後ろの人に話しかけてしまうなどの行動をとってしまいます。

〈人の話に割り込む〉
ほかの人が話している間に割って入り、自分が話したいことを一方的に話し始めてしまうことがあります。割って入られたほうからすれば、自分たちの話の腰を折られ脈絡のない話を聞かされることになるので、いやがられたり疎まれたりしがちです。

〈思ったことが口に出る〉
自分が感じたことを、そのまま口にしてしまうことがあります。ふだんと違う髪形にしてきた友だちに「その髪型へんだね」と言ったり、お気に入りの服を着てきた同僚に「その色似合わないよ」と感想を述べたりします。その言葉を相手がどう感じるかという視点に乏しいため、悪気はなくても相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまいます。

〈うわさ話や悪口を言う〉
うわさ話をうのみにして、それをほかのだれかに話したり、その場にいないだれかの悪口を、ほんの思いつきで口にすることがあります。これも本人に他意はなく、思いついたから口にしたという程度のものですが、そこに居合わせた人からすればいい気持ちはせず、周囲から警戒されてしまうことがあります。

〈仕切りたがる〉
自分の言いたいことや考え方を周囲に押しつけるような行動に出て、その場を仕切ろうとする場合があります。逆に、人の話にはあまり耳を貸さないため、周囲から「自己チューな人」と思われがちです。

注:引用中の「同性から疎まれる」に関連するかもしれない『「ガールズトーク」についていけないことがADHDの女性にも当てはまる』ことについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第六章 ADHDの女性は多動性が「おしゃべり」にあらわれやすい の『ADHDの女性も「ガールズトーク」が苦手』における記述の一部(P98~P99)を次に引用します。

(前略)ASD(とくにアスベルガー症候群)の女性はガールズトークについていけず、グループ内で浮いてしまったり、仲間外れにされてしまうことが多いと二章で述べました。これはADHDの女性にも当てはまります。
多動性からくる「おしゃべり」に加えて、場の空気を読まない、思いついたことをすぐ口にする、仕切りたがるなどの行動をついとってしまうのです。そのため、露骨にいやな顔をされたり、嫌われてしまうことがあります。
こうしたことが度重なると、「自分はこれでいいのかな」と考えたり、人付き合いが怖くなってしまうこともあり、それを大人になっても引きずる場合があります。

注:引用中の「ASD(とくにアスベルガー症候群)の女性はガールズトークについていけず、グループ内で浮いてしまったり、仲間外れにされてしまうことが多いと二章で述べました」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

⑤ 同の 4 「過去の自分」を許せれば落ち着く の『【現在を肯定する】「いい加減」な生き方を探していく』における記述の一部(P78~P79)を次に引用します。

適度な手抜きを覚えていく
ADHDの女性は特性を受け止めるなかで、他の女性や、世間が求める女性像を意識してしまい、完璧主義に陥る場合があります。
そのような視点では、ADHDの治療・対応はなかなかうまくいきません。自分にとってちょうどよい生き方を探り、現実的な目標を立てる必要があります。
完璧をめざす人にとって、それは手抜きのように思えるかもしれません。しかし、手抜きだと感じられるくらいの「いい加減」な生き方こそが、ADHDの女性には必要なのです。
適度な手抜きを覚え、無理なくすごせるようになりましょう。(中略)

肯定的になる3つのコツ
自分を肯定し、無理なく生きるためのコツが3つあります。自分の時間を持つこと、人を頼ること、生活習慣を整えることです。いずれもけっして特別なことではなく、日々を丁寧に生きようとすれば、自然に実現していきます。

⑥ 同の 5 生活面では「人間関係」がテーマに の『【同性との関係】そつなくふるまうことはあきらめる』における記述の一部(P87)を次に引用します。

要求に応えようとすると苦しくなる
ADHDの女性は、同じ女性から「だらしない」「もっと気をつかって」「女性なんだから」などと注意されることがあります。
相手は、自分が女性として実践してきたことを、ADHDの女性にも伝えようとしています。親切心から、女性が求められる要素を教えようとしているのでしょう。
しかしそれは多くの場合、ADHDの女性にとっては難しい要求となります。その要求に応えようとすると、苦しくなります。
不注意や多動性、衝動性といった特性がある場合、世間の求める女性像よりも、むしろ男性像に近い行動パターンになりがちです。
そういう特徴を自分らしさとして理解し、大切にしていくほうが、生活は安定します。(中略)

「がさつで女性らしくない」と考えるのではなく「竹を割ったようにさっぱりした性格」と考えたい(後略)

⑦ 同の 5 生活面では「人間関係」がテーマに の『【同性との関係】フォローしてくれる友達・同僚をみつける』における記述の一部(P88)を次に引用します。

向き不向きがある
誰にでも、適性のある活動と、そうではない活動があります。ADHDの女性の場合、副社長として人を補佐するよりも、社長として人を引っぱっていくほうが、適性があります。(中略)

少しサポートがあるだけでも違う
ADHDの女性にとって、自分をサポートしてくれる人の存在はきわめて重要です。ちょっとした声かけひとつで、くらしやすさが大きく変わってきます。
とはいっても、友達のなかからサポート役を選ぼうなどという身勝手な考え方をしてはいけません。それでは理解もサポートも得られないでしょう。
日々の生活のなかで、自分を気にかけてくれる人や世話を焼いてくれる人を、大切にしましょう。そして、その相手が自分を大切に思ってくれるように、自分も相手をサポートしましょう。支え合える関係を築いていくのです。

注:i) 引用中の「社長として人を引っぱっていくほうが、適性があります」に関連して、ADHDの女性がリーダー向きの理由としては、同ページに「アイデアを出すことや、行動力を発揮することが得意」と記述されています。 ii) 引用中の「世話を焼いてくれる人」に関連して、次ページ(P89)に『世話を焼いてくれる仲間がみつかっても、その人が「ああしなさい」「こうしなさい」と指示しがちなタイプだと、うまく関係が築けないことがあります。正しい方法を教え込もうとするタイプよりも、よく気にかけてくれるタイプのほうが、よい付き合いができるでしょう。』と記述されています。

⑧ 同の 5 生活面では「人間関係」がテーマに の『【異性との関係】押しの強い男性との間には少し距離をとる』における記述の一部(P90)を次に引用(『 』内)します。 『ADHDの女性は、押しの強い男性に恋愛感情を抱くと、相手に依存してしまい、振り回されることがあります。そういう相手との付き合い方には注意が必要です。』 加えて、これに関連するかもしれない「自尊感情の低さが弱みに」について、同PART 3の 恋愛や結婚で気をつけること の「コラム 自尊感情の低さが弱みに」における記述(P151)を次に引用します。

ADHDの人は、子どものから周囲に認められてこなかったために自尊感情が低い傾向があります。
そうした背景があるために、自分の存在価値を認めてくれるような素振りをみせる異性に心をひかれてしまうのかもしれません。自分を好きだと言ってくれる人に依存しすぎてしまい、何でもいうことを聞いてしまうケースもあります。
相手が悪意をもって近づいてくる場合もあることを心得ておく必要があります。

また、上記にも関連する「恋愛や結婚で気をつけること」について、同PART 3の「恋愛や結婚で気をつけること」における記述の一部(P150~P151)を次に引用します。

恋愛にのめり込みやすい
ADHDの特性の一つに、熱しやすく冷めやすい傾向があります。そうしたタイプの人のなかには、ささいなことがきっかけで異性を好きになってしまい、すぐに深い関係をもってしまう人がいます。
たとえば、優しいことばをかけられただけで夢中になったり、少々強引な男性が頼もしく、魅力的に見えてしまったりして、相手がどのような人物かよくわからないまま、つきあってしまうケースもあります。
誠実な人ではなく、複数の女性と交際していたり、金銭目的で近づいてきたりすることも考えられます。
しかし、いったん好きになってしまうと、「自分が利用されているだけかもしれない」と、冷静に判断することができず、のめり込んでしまうおそれがあるのです。
アメリカの研究では、ADHDの人は低年齢で性交渉の経験をもちやすく、避妊をせずに病気にかかってしまったり、予期せぬ妊娠をしてしまったりする割合が高いと報告されています。アメリカの結果をそのまま日本に持ち込むことはできませんが、ADHDの特性がベースにあることで、こうした恋愛にかかわるリスクが高まる可能性があることは否定できません。

安易に重大な決断をしてしまう
さらに、相手のことをまだよく知らないまま、気持ちが先走り、結婚を決断してしまうといったケースもあります。
ADHDの人は、途中で立ち止まって考えることが苦手なので、いったん走りはじめると、歯止めがかからなくなる傾向があります。
その結果、結婚後に、自分が思っていたのとは違った人だったとわかり、後悔することもあるでしょう。そうなったとたんに気持ちが急速に冷めて、今度は離婚に気持ちが傾いてしまいます。
人生の重大な決断をするときには、いろいろな情報を集めて、一定期間じっくり考えるべきですが、気持ちにブレーキがかけられず、慎重に段階を踏むことができなくなってしまう可能性があります。

ブレーキ役となる相談相手を
自分の気持ちに歯止めがかけられないときに、相談にのってもらえる身近な人がいることが望まれます。同性のきょうだいや友だちなどがふさわしいでしょう。日ごろから自分が信頼している存在で、いざというとき、ブレーキ役になってくれるような人が求められます。
また、自分で決断を下したいという気持ちがあっても、その場で決めるのではなく、ひとます1日だけ先延ばしにするようにしましょう。
一晩寝て、翌日、少し冷静になってもう一度考え直すと、違ったこたえが出るかもしれません。

⑨ 一方、上記とも重複する部分があるかもしれませんが、女性に多い「不注意優勢型」、「求められる“女性像”」をはじめとした「女性のADHDの問題点」について、榊原洋一、高山恵子著の本、「最新図解 女性のADHDサポートブック」(2019年発行)の PART 1 ADHDの基礎知識 の 女性のADHDが注目されている の「女性のADHDの問題点」及び「求められる“女性像”に苦しむことも」における記述(P32)を次に引用します。

女性のADHDの問題点
女性に多い「不注意優勢型」は、大人になってわかるケースも多く、問題が深刻化しやすいといえます。
一つめの問題は、本人が特性を客観的に把握することができないために、苦手なことにチャレンジをして失敗したり、人間関係でつまづいたりしやすくなということです。
その結果、就労や結婚、家庭生活などがうまくいかなくなり、思い通りの生活・人生が送れなくなる場合もあります。
二つ目の問題は、困っているにもかかわらず、支援を受ける機会が失われてしまうということです。
子どものときに医師から診断を受け、周囲から適切な支援を受けていれば、日常生活の困難は軽減します。
しかし、放置された場合は悩みが増え、自信を失うことになります。
これらの問題は、本人のストレスを増やし、自尊感情を低下させていきます。そして、不安障害やうつ病などの合併症(36ページ参照)を引き起こすリスクを高めることになってしまうのです。

求められる“女性像”に苦しむことも
日本では、女性は奥ゆかしく、きれい好きで、気が利くなどといったことを求められる風潮があります。
しかし、ADHDの特性があると、整理整頓が苦手だったり、細かいところに気がつきにくかったりすることがあります。そのため、家事を段取りよく片づけたり、家計を守ったりすることが難しい場合があります。
また、仕事でも、事務作業や雑務を地道にこなすことが苦手なため、職場によっては風当たりが強くなりかねないでしょう。
家事や子育てを女性が引き受けることが当たり前とされがちな社会では、ADHDのある女性は非常に生きづらいといえます。
周囲からもとめられるような、“理想の女性像”にこたえられないと思い込み、自分を否定的にとらえてしまう人も少なくないのが現実です。

注:引用中の「日本では、女性は奥ゆかしく、きれい好きで、気が利くなどといったことを求められる風潮があります」に関連する、『いわゆる「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像』であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

⑩ 加えて、「女性ホルモンの影響」、「ライフスタイルへの影響が大きい」、「“過剰適応”でカバーされてしまう」ことを含む「女性のADHDの特徴」について、同PART 1の 女性のADHDの特徴 の「女性ホルモンの影響がある」、「ライフスタイルへの影響が大きい」、「“過剰適応”でカバーされてしまう」(中略)、及び「自尊感情が低い」における記述(P38~P41)を次に引用します。

女性ホルモンの影響がある
女性のADHDの人のなかに、ホルモンの変化によって、症状や体調に大きな影響が現れることを感じていると話す人は少なくありません。
「生理中はイライラし症状が重くなる」「妊娠中は症状が軽く気持ちが安定する」といった声も聞かれます。
女性ホルモンには、エストロゲンとプロゲステロンがあり、分泌量は月経周期や年齢によって変化します。
アメリカのある研究では、女性はこれらの分泌量が多いとき、ADHDの特性の一つである衝動性の高い行動が起きにくくなるということが報告されています。これは逆に、エストロゲンやプロゲステロンが低下する時期は、ADHDの症状が増強しやすいとも考えられるのです。

ライフスタイルへの影響が大きい
不注意が多く、忘れっぽく、整理整頓が苦手で、物や時間の管理がうまくできないADHDの女性は、周囲に期待されがちな「女性としてのふるまい」がうまくできないことに自信を喪失しやすく、男性以上に深刻な悩みを抱えやすいといえます。
たとえば結婚後、“夫を支え家庭を守る妻”という役割を担おうとするものの、夫の身辺の世話や家事がうまくこなせなかったりして、無力感にさいなまれてしまうことがあります。
子育てにおいては、“よい母親”になろうと努力をするものの、子どもが自分の思い通りに行動しない、期待通りの成長をみせないといったことで、「母親としての役割を十分に果たせなかった」と自分を否定的にとらえてしまう人もいます。

“過剰適応”でカバーされてしまう
海外の研究でも、ADHDのある女性はADHDのある男性に比べ、特性をカバーしようと努力する傾向が強いことがわかっています。
適応能力が高いことは、一見、社会生活を送るうえでよいことのように思えますが、それは見かけのメリットでしかありません。
たとえば、本人が無理をして適応することで、対外的にはうまくいくかもしれませんが、ADHDであることが周囲の人からわかりにくくなります。
さらに、自分を周りに適応させようと並々ならぬ努力をすれば、それだけ大きなストレスを抱えることになります。
このような状態を「過剰適応」といい、適応障害や不安障害、うつ病などといった合併症を引き起こすリスクを高めてしまいます。(中略)

自尊感情が低い
海外で行われた調査では、ADHDの男の子(男性)と比べて、女の子(女性)は全体的に自分に自信がなく、他人よりも能力が劣っていると感じている人が多いことがわかっています。
女性の場合はとくに、自分を価値のない人間だと思い込みやすい傾向があり、その結果、自尊感情も低くなりがちであると指摘されています。

注:引用中の「合併症」について、同PART 3の 合併症が前面に出るケース の「合併症に隠されるADHD」における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『ADHDのある女性は、男性と比べて子どもも大人も適応能力が高い人が多く、無理に周りに合わせようとする傾向があるために、“生きづらさ”を抱え込んでしまうケースが多いと考えられています。その結果、思い悩んだり傷ついたりしながらストレスをためて、うつ病や不安障害などを合併しやすくなるのです。』 加えて、「ADHDの合併症」について、同PART 1の ADHDの合併症 の「ADHDに続発しやすい障害」における記述(P36)を次に引用します。

ADHDに続発して起こる二次的な障害を「合併症」といいます。これは、もともとADHDと一緒に現れる「併存症」とは異なるものです。
合併症には、“外面化”するものと“内面化”するものがあります。
“外面化”とは対外的に問題が生じることで、代表的な障害としては、反抗挑戦性障害や行為障害(素行障害)があげられます。
一方の“内面化”とは、自己の内部(心身)に問題が生じることで、身体的な不調、過度な不安や恐怖、うつ病やひきこもりなどがあげられます。女性の場合、二次的な障害は“内面化”するケースが多いといわれています。

注:引用中の「合併症」の例として、上記「ADHDの合併症」(P36~P37)でリストアップされているものを次に提示します。 「不安障害」、「うつ病」、「複雑性PTSD」、「摂食障害」、「反抗挑戦性障害」、「行為障害(素行障害)」

⑪ その上に、「家庭での困り事」及び「学校や職場での困り事」について、同の PART 3 女性のADHDの向き合い方と対処法 の「家庭での困り事」及び「学校や職場での困り事」における記述の一部(P98~P100)を次に引用します。

家庭での困り事(中略)

家事や物の管理が苦手
ADHDの人は複数の作業を並行して段取りよくこなすことが得意ではありません。
こうした特性をもつ人が、最も苦手とするものの一つが家事です。
洗濯機を回している間に掃除をすませたり、食事の下ごしらえをしながら、取り込んだ洗濯物をたたんだりといったように、時間を有効に使って、家事を手早く終わらせることができないのです。
また物の管理が苦手なために、家のカギや携帯電話などの大切なものをどこかに置き忘れてしまったり、きちんと片づけられないために部屋が散らかってしまったりします。物がなくなったり、どこに置いたかわからなくなったりすることが多く、常に物をさがさなければならなくなります。

忘れやすさがまねく失態
忘れっぽい特性が失態をまねくケースもあります。
家賃や公共料金の支払いが遅れてしまったり、子どもの学校に提出する書類を準備できなかったり、大切な行事や家族との約束を忘れてしまったりといった失態をして、周囲からの信頼を失う場合もあります。
鍋を火にかけていたことを忘れて、危うく火事を引き起こしそうになるケースや、炊飯器のスイッチを入れ忘れて、食卓にごはんが間に合わなくなるといったこともあります。

家族関係がこじれやすい
人の話を最後まで聞かずに早合点してしまったり、自分の勝手な思い込みで誤解をしてしまったりすることも多く、夫や子ども、姑などとの関係が悪くなってしまう人もいます。
また、いったん怒りが沸点に達すると冷静になることができず、子どもを感情的に叱ったり、夫と激しいバトルをくり広げたりするケースも少なくありません。
一時的な感情に流されやすく、怒りの勢いに任せて、安易に別居や離婚を決めてしまう人もいます。
海外のある研究では、ADHDの人は離婚率が高く、婚姻期間も短いと報告されています。(中略)

学校や職場での困り事(中略)

重い腰がなかなか上がらない
ADHDの人の特徴の一つに、“取りかかりの悪さ”があります。やらなければならない課題や仕事がなかなかはじめられず、そのまま時間を過ごしてしまい、あとで時間が足りなくなって、期限が守れないことがあります。
興味のある課題であれば率先して取りかかれるのですが、関心の薄い課題や、終わりの見えづらい根気のいる仕事の場合は、とくに重い腰が上がりません。
一方で、見通しが甘くなりがちな面があります。
ほかの人から見ると、明らかに時間のかかる課題や作業を、短時間でこなせると思い込み、予定通り終わらせられずに後悔するといったことがしばしば起こります。また、自分ではこなせるつもりでも、不測の事態に備えて、かかる時間を多めに見積もるといった配慮ができないため、手一杯の仕事を安易に引き受けたり、ギリギリの期日に追われたりしやすく、ストレスを抱えがちになります。

うっかりミスが多い
ADHDのある人は注意力を保つことが困難なため、うっかりミスをしやすい面があります。
たとえば、上司から注意されたことを気にとめておくことができず、同じミスを何回もくり返してしまうケースがあります。上司がADHDの特性を知らなければ、自分の指摘を真剣に受け止めなかったのだと思い、“いい加減な人”“信頼できない人”と評価してしまうでしょう。
あるいは、自分に反発しているのではないかと誤解されて、職場で難しい立場に立たされることになるかもしれません。

聞くことを忘れてしまう
状況判断や場の空気を読むことが苦手な面もあり、他人のことばや反応などを自分の都合のよいように解釈してしまう側面もあります。
たとえば、自分がよいと思った企画や意見を提示したときに、他人から明確に否定されないと、みんなが支持してくれたと思い込んで勝手に計画を進め、あとで叱責を受けてしまうこともあります。(後略)

⑫ さらに「体調変化への対応」について、同PART 3の「体調変化への対応」における記述の一部を、「コラム PMS(月経前症候群)とPMDD(月経前不快気分障害)」を含めて次に引用(P76~P79)します。

体調変化への対応(中略)

体調の変化に弱い
ADHDのある人は、ちょっとした体調の変化にもうまく対応しきれないことがあります。たとえば、空腹を感じていたり、睡眠不足だったり、疲れがたまっていたりするだけで、自己コントロールが利きにくくなり、ADHDの特性がいつもより強く出てしまうのです。
ですから、体調管理には人一倍気をつけなければなりません。
日ごろから、夜十分に睡眠がとれるよう早く就寝する、規則正しい生活リズムをつくる、疲労を避けるために遊びやゲームに長時間費やさないようにするといったことに心がけるようにしましょう。

月経周期によって体調が変化することも
ADHDのある女性は、月経のサイクルに合わせて、女性ホルモンの分泌量が変化し、その影響で症状の現れ方も大きく変動する場合があることがわかっています。
女性ホルモンの分泌量が低いときなどに、ADHDの症状が強く現れるという海外の研究報告もあります。
また、ADHDの女性のなかには、重症のPMSやPMDD(中略)に悩まされる人も少なくありません。
どのタイミングでどのような症状が強く現れるかには、個人差があるため、自分の体調変化を記録するなどして知っておくようにします。
つらい時期がいつやってくるか前もってわかると、乗り切るための対策をとりやすくなります。
本当につらいときは無理をせず、体を休めましょう。(中略)

コラム PMS(月経前症候群)とPMDD(月経前不快気分障害)
PMSは、月経前の3~10日間続く精神的・身体的症状のことです。
精神的症状としては、イライラ、抑うつ、不安、眠気、集中力の低下、睡眠障害などが、また、身体的症状としては、腹痛、頭痛、腰痛、むくみなどがみられます。こうした症状が、月経周期にともなって毎月現れるのが特徴で、思春期の女性には特に多いともいわれています。
一方、とくに精神症状が強いケースでは、PMDDの場合があります。PMDDでは、生理前に「感覚過敏」がひどくなる人がいます。不快な音、匂い、光、触覚は、イヤホンで音楽を聴く、マスクをする、サングラスかけるなど、我慢せずにできるだけ遮断をしたり、取り除いたりするような工夫をして対応しましょう。
ADHDの女性の場合、ホルモン変化による体調コントロールがうまくいかず、PMSやPMDDを発症しやすい可能性があります。どちらもストレスによって悪化するため、心身に負担をかけないようにし、リラックスして過ごすことが予防につながります。
また、運動によって症状を緩和することが期待できるといわれています。ストレッチやウォーキング、ジムなどでの軽いランニングやヨガなど、無理なく続けられるものから取り入れてみてもよいでしょう

注:i) 上記体調の変化の例について、上記「体調変化への対応」の「注意したい体調変化と対処法」における記述の一部(P76)を次にリストアップします。 「疲れ、だるさ」、「空腹」、「暑さ、寒さ」、「寝不足、日中の眠気」、「月経による不調」 ii) 引用中の「月経前症候群」については次のWEBページを参照して下さい。 「月経前症候群(premenstrual syndrome : PMS)」 ii) 引用中の「月経前不快気分障害」については次のWEBページや YouTube を参照して下さい。 「月経前不快気分障害(PMDD)の症状と原因-月経前症候群(PMS)とは違う?」、「月経前不快気分障害[臨床]生理の前に落ち込んだりイライラしたりする女性たち」 iii) 引用中の「ヨガ」(ヨーガ)については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ストレッチ」に関連する「ストレッチングのエビデンス」については、次の資料を参照して下さい。 「ストレッチングのエビデンス」 加えて上記「ストレッチ」を含む「ストレスを解消する」ことについて、同PART 3の ストレスを解消する の「自分に合った方法がベスト」及び「ストレッチがおすすめ」における記述の一部(P144)を次に引用します。

自分に合った方法がベスト
悩み事があったり、仕事などが多忙で心の余裕がなくなったりすると、ストレスはたまりやくなります。日常生活においてストレスを避けることはできませんが、ためすぎないようにするのが大切です。
いろいろ試してみて、自分に合ったストレス解消法をみつけましょう。
たとえば、好きな趣味に没頭する、時間をかけて入浴する、好きな音楽を聴くなど、自分にとって楽しこと、気分がリラックスできることをさがします。
また、できるだけ、ノルマを課さないもの、競争のないものを選びましょう。新たなストレスの“種”を生み出さないように気をつけます。
また、飲食やショッピング、ゲームやスマートフォンなどに依存することで、ストレスを解消する方法はおすすめできません。生活時間や金銭を多くつぎ込むことはしないようにしましょう。

ストレッチがおすすめ
ストレス解消だけではなく、健康にも効果のある運動はおすすめです。ウォーキングや軽いジョギングなどで汗を流すことで、気分もリフレッシュされますし、肥満予防などの効果を期待できます。
外に出かけるのがおっくうなのであれば、室内で軽い運動に取り組むのもよいでしょう。
とくにおすすめしたいのがストレッチです。ふだん、あまり使わない筋肉をゆっくり伸ばすと気分がリラックスするだけではなく、血流もよくなり、健康増進につながります。
ADHDのある人は、そうでない人と比べて常に緊張しやすく、首や肩の凝りに悩まされている人が少なくありません。
簡単なストレッチを行うことで、筋肉だけでなく心の緊張もほぐれます。
ストレッチであれば、仕事の合間の休憩時間にも気軽に取り組めます。同じ姿勢をずっと続けていて体が緊張しているときや、気持ちが焦っているときに自ら落ち着かせたいと思ったときなどにも効果があります。
いつでもどこでもできる、簡単なストレッチを覚えておくと、便利です。

⑬ 女性のADHDストーリーとしての「“大丈夫”と支えてくれる人のあかげで自信をもつことができた」ことについて、同PART 3の 女性のADHDストーリー③ “大丈夫”と支えてくれる人のあかげで自信をもつことができた の「子どもが診断を受けたことで自分のADHDにも気がついた」及び「気持ちが不安定になりやすく人と信頼関係が結びにくい」における記述(P94~P95)を次に引用します。

子どもが診断を受けたことで自分のADHDにも気がついた
わたしは日常生活でつまづくことが多く、人と理解し合えないことがよくありましたが、それが障害の特性からくるものであるとは思っていませんでした。
自分がADHDであると知ったのは、母親になって子どものようすが気になり、医療機関を受診したのがきっかけでした。発達障害の専門医にADHDと診断されたわが子が自分と重なって見え、その場で相談したところ、私自身にもADHDがあることがわかったのです。
子どものころから何をやってもうまくいかず、漢字や歴史の年号が覚えられない、習字を習っているのに一向に文字がうまく書けない、片づけが苦手、にぎやかな場所に行くと話し相手の声が耳に入ってこないといった悩みを、ずっと抱えていました。
音楽の専門学校に進み、卒業後は、アパレル関係の会社でフルタイムのアルバイトとして勤めましたが、職場で仕事がうまくこなせないプレッシャーからうつ病になり、退職しました。
体調が回復してから別の仕事をはじめましたが、人間関係につまづき再び退職。その後もいくつかの仕事に就きましたが、どれも短期間しか続きませんでした。
仕事がうまくできなくなる原因は、わたし自身の飽きっぽさにあります。仕事をはじめたばかりは新鮮で楽しいのですが、やがて飽きて関心が薄れていき、仕事の覚えも悪くなるのです。その結果、周りの人からも距離をおかれるようになり、人間関係もうまくいかなくなるといった調子でした。

気持ちが不安定になりやすく人と信頼関係が結びにくい
これまでを振り返ってみると、わたしにとって、とりわけ大きな悩みとなったのは人間関係だったと思います。
子どものころから“親友”をもつことに憧れていたのですが、少し親しくなった人にはつい愚痴や人の悪口などのネガティブな話ばかりしてしまい、楽しい話題が提供できません。そのような関係からは、とても友情を育むような進展は望めませんでした。
いまも、子どもの同級生の親とはなんとかうまくやっていかなければと思っているのですが、わたしの場合、相手との距離がうまくとれず、過度に親しくなったかと思うと、急に相手にいやな感情が芽生え、冷たい態度をとったり、悪口を言ってしまったりすることがあるのです。こうした態度のせいで、周囲の人から「気分屋だね」と言われてしまうこともあり、たびたび落ち込みます。
そうしたなか、わたしを支えてくれるのは夫です。夫はわたしの話を否定することなく聞いてくれ、「大丈夫、気にするな」と励ましてくれます。身近な家族にそう言ってもらえることで、少しずつ自信もつくようになりました。
薬を飲むようになってからは、毎日平常心で過ごすことができるようになっています。こうしてみると、薬を飲んでいなかったころの自分は、ささいなことが引き金となって、怒りの炎が燃え上がり、興奮状態になるような面があったと思います。薬を飲むことで、そうした感情の起伏を抑えることができていると実感しています。
現在の職場では、わたしが不得意なことを周りの人たちが理解して、フォローしてくれるので助かっています。
子どものころは、自分が“すごくできる人”だという思い込みがあり、そんな自分を理解できない周りが悪いと考えていました。
しかし、いまは欠点もある自分を周りの人が温かく支えてくれていることに感謝しています。

一方、女性の視点からのADHDとASD(又はアスペルガー症候群)との(症状の)違いに関連して、 a) 「グループ内のルールが理解できない」ことについて、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本」(2017年発行)の「友人との間で起きるトラブルと対応策」における記述の一部(P90~P91)を以下に、 b) 加えて「気配りができない」及び「時間がないのに用事をつめこんでしまう」ことについて、同の 1「片づけられない」だけじゃない の 【よくある悩み】気配りができず、同性に嫌われる の「アスペルガー症候群の場合」における記述の一部(P15)を以下に、 そして、同 1「片づけられない」だけじゃない の『【よくある悩み】時間がないのに用事をつめこんでしまう』における記述の一部(P17)を以下に それぞれ引用します。

グループ内のルールが理解できない

特に女性の場合は、友人との間でトラブルになりやすい傾向があります。女性には、社会人になっても特有のグループができやすいものです。グループ内には序列や会話、ファッションなど一定のルールがあり、暗黙の了解があります。例えば、グループ内の会話は他には話さないとか、休日にはグループで遊びに行くなど……。
しかし、ASDの特性のある女性の場合は、暗黙の了解が理解できずに、仲間はずれにされたり、イジメにあってしまうこともあります。
また、ADHDの女性の場合は、ルールは理解しているのに不用意な発言や自分勝手な発言をして、グループ内で嫌われてしまうこともあります。どちらのケースであっても発達障害の女性にとっては、なぜ自分が嫌われているのか理解できない場合が多いようです。(後略)

アスペルガー症候群の場合
ADHDの女性は相手の気持ちがわかっていても、気配りでミスをしがちです。アスペルガー症候群の場合、他の人の気持ちがわからず、関わり方にも悩みます。

注:この引用は「気配り」に関するものです。なお、引用中の「ADHDの女性」に関連する「女性どうしの会話ややりとりでは、気配りを求められるケースが多い」ことについて、上記 【よくある悩み】気配りができず、同性に嫌われる の「自己中心的だと非難されてしまう」における記述(P15)を次に引用します。

他の人をないがしろにしているつもりはないのに、結果として言動が一方的になり、まわりから「自己中心的だ」と非難されてしまいます。
このような悩みは、同じADHDでも男性より女性に多くみられます。女性どうしの会話ややりとりでは、気配りを求められるケースが多いようで、ささいなことから関係悪化につながったという例がよくあります。

アスペルガー症候群の場合
時間を量の概念で考えることが苦手です。時間を数値としてとらえ、予定の時刻ちょうどに活動しようとして、1分ずれただけでもパニックになることがあります。

注:i) この引用は「時間の管理」に関するものです。 ii) この引用は「アスペルガー症候群」に対するものですが、上記『【よくある悩み】時間がないのに用事をつめこんでしまう』には、女性のADHDに対する次に引用する記述の一部(P17)もあります。

女性では思考の多動がとくに目立つ場合も
時間がまもれない、予定がこなせないという悩みは、ADHDの男女に共通してみられるものです。
ただし、女性では、一見落ち着いているようで、実は時間にルーズというタイプの人がよくみられます。
言動の多動性は弱く、思考の多動性が強く出ているのです。

(b)岩波明著の本、『発達障害と生きる どうしても「うまくいかない」人たち』(2014年発行)の 第一章 発達障害とは何か の「ADHDの四〇代女性」における記述(P50~P53)を次に引用します。加えて、同本の第三章 発達障害の多発家族 の「ASDとADHDが併存している二〇代女性」における記述(P135~P137)を以下に引用します。

ADHDの四〇代女性
次に示すのは、発達障害の専門外来を受診した四〇代の女性例である。初診時、彼女は次のように語った。
「うつ病だと思ってクリニックに受診をして、産後も通っていました。うつが悪化したので、昨年秋に先生に薬を出してほしいと言ったら、うつ病じゃないと思うと言われました。そしていろいろテストを受けて、軽度発達障害の疑いがあるということでした。でも確実な診断はわからないので、こちらの先生にお願いしてるとのことで、今日来ました」
彼女は自分の悩みを次のように述べた。
「日頃は集中力が持てない。すぐ忘れる、片づけができない、計画ができない。いろいろあります」
「現在の悩みは、人との会話がうまくできないことです。質問に対して違うことを言ったり、ずれてる時がある」
「物覚えが悪く、料理も毎日レシピを見ないとできない、思考回路が悪い、ほかにも、いろいろあります」
担当医からの紹介状には次のように記載されていた。

[病名]発達障害(アスベルガー症候群)の疑い
[症状経過]リストカット、摂食障害で平成一七年ごろより、心療内科に通院、その後、当院転医となりました。一時期は落ち着き、通院なしの期間もありました。結婚していますが、二歳の息子の育児や料理ができない(調味料の数が多いと混乱し、メニューがたてられない)ことが現在の問題です。

また、心理士からの経過報告には次のように述べられていた。

主訴は、“子育てが大変で 家事もほとんどできない。夫は協力してくれているが、夫に感情を持てない。子供を乳児院に預けたほうがいいのではないか、と考えるくらい、思いつめてしまう”。
[生活歴など]岡山県出身。子供の頃はいじめられていた。また、鉄砲玉と言われ、忘れ物も多かった。母親から、授業参観に行ったら患者一人教室でウロウロしていたとのこと。苦手科目は算数。
中学に入って、二年生で友人ができたが、独占欲が強かっだのか友人関係が安定せず、友人がほかの子と遊ぶと自分の具合が悪くなり、神経性胃炎になった。
高校卒業後、コンピューターの専門学校に進学し卒業。二二歳で就職(商社の経理)、二三歳で父の転勤についていき、東京に転居。これまでと同じ会社の東京店に入社した。だが、事務を一人でやらなくてはいけなくてミスが怖くなったこと、正社員として縛られるのが嫌になったこと、バイトをして友人を作りたくなったことなどをきっかけに退職している。
ファミリーレストランで一ヵ月アルバイトをした後、二六歳から二八歳まで皿洗い、三〇歳までは居酒屋のアルバイトをしていた。三〇歳から三七歳までは一般事務でパソコン入力のアルバイトをしたが、単純作業で、小さい会社で社長と社員がいい人だったので、長く続いた。
[家族]三年前に結婚し退職。現在、専業主婦。夫、長男と三人暮らし。長男は一歳半検診、二歳健診で、こだわりの強さや、グルグル回るものをずっと見つめていることなどを指摘され、保健師のすすめで、市が主催する発達障害の子供のグループに月二回通所している。
岡山県の実家には両親がおり、「自分自身、実家への依存が強く、現在は月一回実家に帰っているが、本当は、できれば夫と別居して実家で両親と一緒に住みたい」という気持ちを訴える。
この症例の経過をみると、小児期から鉄砲玉と言われるなど落ち着きがなく、忘れ物、落とし物が多かった点から、「多動」と「不注意」がみられたことがわかる。また就職後も、集中力不足のため単純作業が十分にこなせないことから、成人後も「不注意」の症状が持続しているといえる。以上の症状と経過より、ADHDと診断が可能であり、比較的典型的なケースと思われる。三五歳、三九歳時にうつ状態となったため精神科を受診したが、これまで、正しい診断、治療とも行われていなかった。

ASDとADHDが併存している二〇代女性
ここでASDとADHDが併存しているケースを取り上げる。
寺内さんは、二九歳の女性である。小児期より孤立しやすかった。友達はほとんどできず、仲間に入れてもらおうとして断られることも多かった。また、グループで何かをすることが苦手だった。
人との暗黙の了解というものがわからなかった。自分としては周囲に気を使っているつもりだったが、気遣いが的外れで相手に通じないことも多かっだ。
いつもいじめの被害者だった。それに加えて小児期からケアレスミスが多く、また落ち着かずにじっとしていられないこともしばしばみられた。さらにこの頃より、確認癖も出現している。
子供の頃からずっと、今でも、感覚の過敏さが続いていた。スクーターの排気音、甲高い笑い声、エアコンの音などが苦手だった。光にも過敏で、蛍光灯もLEDも嫌いだった。さらに電車などで他人の身体と触れるのも苦手で、隣に座った人のヒジなどが触れそうになるとすぐに避けるようにしている。
中学生のときに、不安感が強くなり、初めて精神科を受診している。一時、不登校にもなった。大学卒業後は就職したが、対人関係が不得手で、どこでも仕事が長続きしなかった。
過去の嫌なことを思い出し、どうしていいのかわからなくなってパニック状態となることもよくある。
自ら発達障害ではないかとある精神科クリニックを受診したが、発達障害の診断は否定された。次に示すのは、受診したクリニックから他院の発達障害外来に宛てた紹介状の一部である。

「……これまでの病歴や心理検査からは発達障害ははっきりせず、境界例~精神病水準を疑っています。ご本人に発達障害は考えにくいとお伝えしたところ、納得されず貴院への転院を希望されました」

寺内さんは、これまでの通院先においでは発達障害についてきちんと診断されなかったが、ASDとADHDの両方の症状がみられている。対人関係の障害、確認癖、感覚過敏などはASDの症状であるが、不注意と多動はADHDの症状であり、彼女においでは両疾患が併存していると考えられた。
このように同一個人におけるASDとADHDの併存は、臨床の現場ではしばしばみられるものである。しかし一方で、ASDとADHDの症状には類似性が大きく、両者を混同することも珍しくない。ASDによる社会性の障害をADHDの不注意によるものと誤解すること、あるいはADHDの衝動性をASDの対人関係の未熟さによるものと見誤ることもあり、惧重な評価が必要である。

注:i) 引用中の「境界例」及び一部が「境界例」と重なる「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集(用語:「境界性パーソナリティ障害」)を参照して下さい。 ii) 引用中の「境界例~精神病水準」に関連するかもしれない「かつて境界例とは、精神病圏と神経症圏の境界にあるものを示していた」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ASDとADHDの併存は、臨床の現場ではしばしばみられる」に関連する「ADHDとASD(PDD)の併病割合」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ASDとADHDの症状には類似性が大きく、両者を混同することも珍しくない」に関連する「ADHDとASDの区別」についてはここを参照して下さい。

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ADHDに関する様々な論文(要旨)の紹介について

標記論文又は論文要旨を次に紹介します。
以下に標記論文を紹介します。ちなみに、線維筋痛症を伴う患者における成人 ADHD のスクリーニングについての論文は他の拙エントリのここを参照して下さい。

[その1]発達障害と化学物質又はインターネット依存症との関係に関する複数の論文要旨を以下に紹介します。
①「Maternal Chemical and Drug Intolerances: Potential Risk Factors for Autism and Attention Deficit Hyperactivity Disorder (ADHD).[拙訳]母親の化学物質及び薬物不耐:自閉症と ADHD の潜在的なリスク要因」を次に引用します。

PURPOSE:
The aim of this study was to assess whether chemically intolerant women are at greater risk for having a child with autism spectrum disorders (ASD) or attention deficit hyperactivity disorder (ADHD).

METHODS:
We conducted a case-control study of chemical intolerance among mothers of children with ASD (n = 282) or ADHD (n = 258) and children without these disorders (n = 154). Mothers participated in an online survey consisting of a validated chemical intolerance screening instrument, the Quick Environmental Exposure and Sensitivity Inventory (QEESI). Cases and controls were characterized by parental report of a professional diagnosis. We used a one-way, unbalanced analysis of variance to compare means across the 3 groups.

RESULTS:
Both mothers of children with ASD or ADHD had significantly higher mean chemical intolerance scores than did mothers of controls, and they were more likely to report adverse reactions to drugs. Chemically intolerant mothers were 3 times more likely (odds ratio, 3.01; 95% confidence interval, 1.50-6.02) to report having a child with autism or 2.3 times more likely (odds ratio, 2.3; 95% confidence interval, 1.12-5.04) to report a child with ADHD. Relative to controls, these mothers report their children are more prone to allergies (P < .02), have strong food preferences or cravings (P < .003), and have greater sensitivity to noxious odors (P < .04).

CONCLUSION:
These findings suggest a potential association between maternal chemical intolerance and a diagnosis of ADHD or ASD in their offspring.


[拙訳]
目的:
本研究の目的は、化学物質に不耐な女性は自閉スペクトラム症(ASD)又は注意欠如・多動症(ADHD)を伴う子供達を持つ大きなリスクにさらされているかどうかを評価することであった。

方法:
我々は ASD(n=282)又は ADHD(n=258)を伴う子供達及びこれらの障害(disorders)がない子供達(n=154)の母親における化学物質不耐の症例対照研究を実施した。母親は妥当性が確認された化学物質不耐スクリーニング法(validated chemical intolerance screening instrument)と問診票(QEESI)から構成されたオンライン調査に参加した。症例群と対照群は専門家の診断の親からの報告で特徴づけた。我々は、3グループ間での平均値を比較するために不釣り合い型一元配置分散不平衡分析を使用した。

結果:
ASD 又は ADHD を伴う子供達の母親は、対照群の母親よりも有意に高い化学物質不耐の平均スコアを持ち、薬の副作用をより報告しがちだった。化学物質不耐の母親は 3倍自閉症の子供を持つと報告(オッズ比:3.01、95%信頼区間:1.50~6.02)又は2.3倍 ADHD の子供を持つと報告(オッズ比:2.3、95%信頼区間:1.12~5.04)した可能性が高かった。対照群と比較して、症例群の母親は自分の子供がアレルギーになり易い(P < 0.02)、食品の好みや切望を強く有する(P < 0.003)、有害な臭いへの高い感度を有する(P < 0.04)と報告した。

結論:
これらの知見は、母親の化学物質不耐とその子孫における ADHD 又は ASD の診断との潜在的関連性を示唆している。

注:i) 引用中の「(n=282)」、「(n=258)」、「(n=154)」は共に人数を示しています。 ii) 拙訳中の「対照群の母親」とは ASD 及び ADHD を伴わない子供達を持つ母親のことです。 iii) 引用者は統計学に詳しくないこともあり、本エントリでの統計学の解説はありません。 iv) ちなみに、ADHDについては他の拙エントリの※1においてリンク集があります。さらに、ADHD の本に対する引用については[追加1]及び[追加2]を参照して下さい。

②「The Prevalence of Internet Addiction Among a Japanese Adolescent Psychiatric Clinic Sample With Autism Spectrum Disorder and/or Attention-Deficit Hyperactivity Disorder: A Cross-Sectional Study.[拙訳]自閉スペクトラム症及び/又はADHDを伴う日本の青年の精神医学的サンプル中のインターネット中毒の有病割合:横断研究」を以下に引用します。

Extant literature suggests that autism spectrum disorder (ASD) and attention-deficit hyperactivity disorder (ADHD) are risk factors for internet addiction (IA). The present cross-sectional study explored the prevalence of IA among 132 adolescents with ASD and/or ADHD in a Japanese psychiatric clinic using Young's Internet Addiction Test. The prevalence of IA among adolescents with ASD alone, with ADHD alone and with comorbid ASD and ADHD were 10.8, 12.5, and 20.0%, respectively. Our results emphasize the clinical importance of screening and intervention for IA when mental health professionals see adolescents with ASD and/or ADHD in psychiatric services.


[拙訳]
現存の文献は、自閉スペクトラム症(ASD)及び注意欠如・多動症(ADHD)がインターネット依存症(IA)のリスク因子であることを示唆する。本横断研究では、Young's Internet Addiction Test を用いて日本の精神科クリニックで ASD 及び/又は ADHD を伴う 132人の青年の中で IA 有病割合を調査した。 ASD 単独、ADHD 単独、及び ASD と ADHD との併病を伴う青年の中で、IA の有病割合はそれぞれ 10.8、12.5及び 20.0%であった。精神科医療を受けている ASD 及び/又は ADHD を伴う青年をメンタルヘルス専門家が見る時、我々の結果は、IA のスクリーニング及び介入の臨床的重要性を強調する。

注:i) 引用中の「Young's Internet Addiction Test」(注:インターネット依存度テストの一つです)については、次のWEBページを参照して下さい。「ネット依存のスクリーニングテスト」 ii) 引用中の「ASD と ADHD との併病」に関連する「ADHDとASDの併病割合」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

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[その2]注意欠如・多動症の脳ネットワークに関する複数の論文要旨を以下に紹介します。
①論文要旨「Intrinsic Functional Connectivity in Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder: A Science in Development.[拙訳]注意欠如・多動症における本質的な機能的結合性:発達における科学」(全文はここを参照して下さい)を次に引用します。

Functional magnetic resonance imaging (fMRI) without an explicit task, i.e., resting state fMRI, of individuals with Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder (ADHD) is growing rapidly. Early studies were unaware of the vulnerability of this method to even minor degrees of head motion, a major concern in the field. Recent efforts are implementing various strategies to address this source of artifact along with a growing set of analytical tools. Availability of the ADHD-200 Consortium dataset, a large-scale multi-site repository, is facilitating increasingly sophisticated approaches. In parallel, investigators are beginning to explicitly test the replicability of published findings. In this narrative review, we sketch out broad, overarching hypotheses being entertained while noting methodological uncertainties. Current hypotheses implicate the interplay of default, cognitive control (frontoparietal) and attention (dorsal, ventral, salience) networks in ADHD; functional connectivities of reward-related and amygdala-related circuits are also supported as substrates for dimensional aspects of ADHD. Before these can be further specified and definitively tested, we assert the field must take on the challenge of mapping the "topography" of the analytical space, i.e., determining the sensitivities of results to variations in acquisition, analysis, demographic and phenotypic parameters. Doing so with openly available datasets will provide the needed foundation for delineating typical and atypical developmental trajectories of brain structure and function in neurodevelopmental disorders including ADHD when applied to large-scale multi-site prospective longitudinal studies such as the forthcoming Adolescent Brain Cognitive Development study.


[拙訳]
注意欠如・多動症(ADHD)を伴う個々人の明白な課題無しの機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、すなわち安静時 fMRI が急速に発展している。初期の研究では、この分野における大きな関心事である、僅かな程度の頭部の動きに対してさえも、この方法の脆弱性は認識されていなかった。発展する分析ツールのセットに加えて、このアーチファクトのソースを処理するための様々な戦略が、最近の努力により実行されている。大規模なマルチサイトリポジトリである ADHD-200 コンソーシアムのデータセットの利用により、ますます洗練されたアプローチが促進されている。並行して、研究者は公表された知見の再現性を明示的に試験し始めている。このナラティブなレビューにおいて、方法論的な不確実性に言及している一方で、広範で中心的な仮説を我々は述べる。現在の仮説は、ADHD におけるデフォルト、認知制御(前頭-頭頂)及び注意(背側、腹側、セイリエンス)ネットワークの相互作用を含意する;報酬関連回路及び扁桃関連回路の機能的結合性も、ADHD の次元的側面に対する基質として支持される。これらをさらに詳細に特定し、最終的にテストし得る前に、分析空間の「トポグラフィ」のマッピング、すなわち、取得、分析、人口統計及び表現型パラメータにおける変動への結果の感受性の決定、へのチャレンジを引き受けなければならない分野を、我々は力説する。オープンに利用可能なデータセットを伴ってこのようにすることにより、今度の Adolescent Brain Cognitive Development study 等の大規模なマルチサイトで前向き縦断研究に適用された時の、ADHD を含む神経発達症における脳の構造及び機能の定型的及び非定型的発達軌跡の描写に対する必要な基礎が提供されるだろう。

注:i) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法(fMRI)」については、例えば次の資料を参照して下さい。「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 ii) 引用中の「アーチファクト」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「Q10. MRI脳画像で病巣とアーチファクトを見分けるコツ」 iii) 引用中の「認知制御(前頭-頭頂)[中略]ネットワーク」に関連する半側空間無視の視点からの「前頭-頭頂を結ぶ神経経路」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「半側空間無視という病態」 iv) 引用中の「注意(背側、腹側[中略])ネットワーク」に関連する半側空間無視の視点からの「背側注意ネットワーク」及び「腹側注意ネットワーク」については、共に例えば次の資料を参照して下さい。 「半側空間無視という病態」 v) 引用中の「注意([中略]セイリエンス)ネットワーク」関連するマインドフルネスの視点からの「セイリエンスネットワーク」について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の古賀美恵、金山祐介、灰谷知純、杉山風輝子、熊野宏昭著の文書「マインドフルネス瞑想の構成要素としての注意訓練による脳内変化」の マインドフルネス瞑想と関連する脳内ネットワーク の「(3)セイリエンス・ネットワーク(SN)」における記述の一部(P9)を次に引用(『 』内)します。 『セイリエンス・ネットワークは、島(Insula)、とくに前島部(Anterior Insula; AI)と ACC からなり、個人内部(自己関連認知、身体感覚など)および外界の刺激のなかから、適切な行動に導くためにも最も関連性の高い刺激を識別する役割を担っている。』(注:引用中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」) vi) 引用中の「報酬関連回路」に関連する愛着形成障害や ADHD における報酬系の脳科学については、例えば次の資料を参照して下さい。 「被虐待者の脳科学研究」の「Ⅳ.愛着形成障害の脳科学」項 vii) 引用中の「扁桃関連回路」に関連するトラウマの視点からの「扁桃体」については、例えば他の拙エントリのここここ、及びここを参照して下さい。 viii) 引用中の「神経発達症」に関連する「神経発達症群」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」の「1. はじめに」項 ix) この引用全体に関する説明について、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 3 発達障害データ集 の 9. 発達障害の脳画像 の b. ADHD の脳画像 の「③安静時 fMRI 研究」における記述(P241~P242)を次に引用します。

課題を行う必要がなく,神経ネットワークの解析が可能な安静時 fMRI(resting state fMRI)の研究が近年注目されている.ADHD では、default mode network の前後の領域(内側前頭前皮質,後部帯状皮質,楔前部)の機能的結合の低下や,default mode, frontoparietal, attention network の相互作用の異常,報酬に関係する,眼窩前頭前皮質,腹側前頭前皮質,腹側線条体を含むネットワークの異常が報告されており,これらのシステムの成熟が遅延または変化していると考えられている3).

注:i) この引用部の著者は水野賀史、島田浩二、友田明美です。 ii) 引用中の「default mode network」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「心身医学における安静時機能的 MRI 研究」 iii) 引用中の「frontoparietal」前頭-頭頂に関連する半側空間無視の視点からの「前頭-頭頂を結ぶ神経経路」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「半側空間無視という病態」 iv) 引用中の「attention network」(注意ネットワーク)に関連する半側空間無視の視点からの「背側注意ネットワーク」及び「腹側注意ネットワーク」については、共に例えば次の資料を参照して下さい。 「半側空間無視という病態」 v) 引用中の「報酬」に関連する愛着形成障害や ADHD における報酬系の脳科学に及び引用中の「腹側線条体」ついては、例えば共に次の資料を参照して下さい。 「被虐待者の脳科学研究」の「Ⅳ.愛着形成障害の脳科学」項 vi) 引用中の「眼窩前頭前皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「腹側前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典

②論文要旨「Aberrant Time-Varying Cross-Network Interactions in Children With Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder and the Relation to Attention Deficits[拙訳]注意欠如・多動症を伴う子供における異常な時間変化ネットワーク間の相互作用及び注意欠如との関係」(全文はここを参照)を以下に引用します。なお、この標記論文の簡単な紹介についての引用はここを参照して下さい。

Background: Attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD) is thought to stem from aberrancies in large-scale cognitive control networks. However, the exact nature of aberrant brain circuit dynamics involving these control networks is poorly understood. Using a saliency-based triple-network model of cognitive control, we tested the hypothesis that dynamic cross-network interactions among the salience, central executive, and default mode networks are dysregulated in children with ADHD, and we investigated how these dysregulations contribute to inattention.

Methods: Using functional magnetic resonance imaging data from 140 children with ADHD and typically developing children from two cohorts (primary cohort = 80 children, replication cohort = 60 children) in a case-control design, we examined both time-averaged and dynamic time-varying cross-network interactions in each cohort separately.

Results: Time-averaged measures of salience network-centered cross-network interactions were significantly lower in children with ADHD compared with typically developing children and were correlated with severity of inattention symptoms. Children with ADHD displayed more variable dynamic cross-network interaction patterns, including less persistent brain states, significantly shorter mean lifetimes of brain states, and intermittently weaker cross-network interactions. Importantly, dynamic time-varying measures of cross-network interactions were more strongly correlated with inattention symptoms than with time-averaged measures of functional connectivity. Crucially, we replicated these findings in the two independent cohorts of children with ADHD and typically developing children.

Conclusions: Aberrancies in time-varying engagement of the salience network with the central executive network and default mode network are a robust and clinically relevant neurobiological signature of childhood ADHD symptoms. The triple-network neurocognitive model provides a novel, replicable, and parsimonious dynamical systems neuroscience framework for characterizing childhood ADHD and inattention.


[拙訳]
背景:注意欠如・多動症(ADHD)は、大規模な認知制御ネットワークにおける異常に由来すると考えられている。しかしながら、これらの制御ネットワークを含む異常な脳回路ダイナミクスの正確な性質はほとんど理解されていない。認知制御の顕著性に基づくトリプル・ネットワークモデルを使用して、顕著性、中央実行、及びデフォルトモードのダイナミックなネットワーク間の相互作用が ADHD を伴う子どもにおいて調節不全であるという仮説を、我々は検証し、そしてこれらの調節不全が不注意にいかに寄与するかを、我々は研究した。

方法:症例対照デザインでの、140人の ADHD を伴う子ども及び定型発達の子どもの、2つのコホート(第一コホート = 80人の子ども、追試コホート = 60人の子ども)からの、機能的磁気共鳴画像データを使用して、各コホートで別々に時間平均及びダイナミックな時間変化のネットワーク間の相互作用の両方を、我々は調査した。

結果:顕著性ネットワーク主体のネットワーク間の相互作用の時間平均測定値は、ADHD を伴う子どもでは定型発達の子どもと比較して有意に低く、そして不注意症状の重症度と相関した。ADHD を伴う子どもは、持続性の低い脳の状態、脳の状態の平均存続期間が有意に短いこと、そして断続的に弱いネットワーク間の相互作用を含む、より変化しやすいダイナミックなネットワーク間の相互作用のパターンを示した。重要なことに、ネットワーク間の相互作用のダイナミックな時間変化の測定値は、機能的接続性の時間平均測定値よりも不注意症状と強く相関した。決定的なことに、ADHD を伴う子どもと定型発達の子どもの2つの独立したコホートにおいてこれらの調査結果を、我々は再現した。

結論:顕著性ネットワークと中央実行ネットワーク及びデフォルトモード・ネットワークとの時間変化する関与の異常は、子どもの ADHD 症状の強固で臨床的に関連する神経生物学的サインである。トリプル・ネットワークの神経認知モデルは、子どもの ADHD 及び不注意を特徴づけるための、新しく、再現可能な、そして簡潔なダイナミックシステム神経科学フレームワークを提供する。

注:i) 引用中の「顕著性ネットワーク」、「中央実行ネットワーク」(中央実行形ネットワーク)、「デフォルトモード・ネットワーク」は共にここ及び次のWEBページを参照して下さい。 『「予測」を調べると心と体の関係が見えてくる ─予測からみた心と体の相互作用』の「心と体をつなぐ島皮質」項 加えて、上記「顕著性ネットワーク」(セイリエンス・ネットワーク)については他の拙エントリのここを、「デフォルトモード・ネットワーク」については他の拙エントリのここをそれぞれ参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「トリプル・ネットワーク」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「機能的磁気共鳴画像」に関連する「機能的磁気共鳴画像法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iv) さらに、標記全文の「Conclusion」項における記述を次に引用します。

Our study demonstrates a robust neurobiological signature of ADHD using a theoretically-informed systems neuroscience model and suggests that dysregulation of cross-network interactions is a key feature of the disorder. Crucially, the replication of the study findings across two independent cohorts further suggests that the triple-network model of SN-centered deficits in dynamic functional interactions encompassing CEN and DMN provides a novel and parsimonious framework for investigating attention and cognitive deficits in ADHD.


[拙訳]
理論的な情報に基づいたシステムの神経科学モデルを使用して ADHD の強固な神経生物学的サインを、我々の研究は実証し、ネットワーク間の相互作用の調節不全が障害の重要な特徴であることを、我々の研究は示唆する。決定的なことに、2つの独立したコホートにわたる研究結果の再現は、CEN と DMN を含む動的な機能的相互作用における SN 主体の欠如のトリプル・ネットワーク・モデルが、ADHD における注意及び認知の欠如を調査するための新規及び簡潔なフレームワークを提供することをさらに示唆する。

注:i) 引用中の「CEN」は「中央実行ネットワーク」(中央実行形ネットワーク)の略です。ここ及び次のWEBページを参照して下さい。 『「予測」を調べると心と体の関係が見えてくる ─予測からみた心と体の相互作用』の「心と体をつなぐ島皮質」項 ii) 引用中の「DMN」は「デフォルトモード・ネットワーク」の略です。ここ及び次のWEBページを参照して下さい。 『「予測」を調べると心と体の関係が見えてくる ─予測からみた心と体の相互作用』の「心と体をつなぐ島皮質」項 iii) 引用中の「SN」は「顕著性ネットワーク」(又はセイリエンス・ネットワーク)の略です。ここ及び次のWEBページを参照して下さい。 『「予測」を調べると心と体の関係が見えてくる ─予測からみた心と体の相互作用』の「心と体をつなぐ島皮質」項 iv) 引用中の「トリプル・ネットワーク・モデル」についてはここを参照して下さい。

加えて、標記論文の簡単な紹介について、田中康雄著の本、『ADHDとともに生きる人たちへ 医療からみた「生きづらさ」と支援』(2019年発行)の Ⅱ ADHDのいま の「ADHDの障害モデル」における記述の一部(P52~P53)を次に引用します。

(前略)最近はさらに、ADHDは脳内のネットワークの障害である、という仮説もあります。これは障害の脳局在論からの転回ともいえるのです。なかでもカイ(Cai, W.)らは、ADHDは広範な認知制御ネットワークの障害という仮説を立てています*22。認知制御ネットワークには、顕著性ネットワーク(Salience Network)、中央実行形ネットワーク(Central Executive Network)、デフォルトモード・ネットワーク(Default Mode Network)という三つのネットワークがあり、これをトリプル・ネットワーク・モデル(Triple network model)と呼びます。そのうえで、ADHDではトリプル・ネットワーク・モデルが調整不全に陥っているという仮説です。(後略)

注:引用中の文献番号「*22」は標記論文です。

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[その3]ワーカホリック(仕事中毒)と大人のADHDとの関係に関する論文要旨等を以下に紹介します。
以下に
①論文要旨「The Relationships between Workaholism and Symptoms of Psychiatric Disorders: A Large-Scale Cross-Sectional Study.[拙訳]ワーカホリックと精神障害の症状との関係:大規模な横断研究」を次に引用します。

Despite the many number of studies examining workaholism, large-scale studies have been lacking. The present study utilized an open web-based cross-sectional survey assessing symptoms of psychiatric disorders and workaholism among 16,426 workers (Mage = 37.3 years, SD = 11.4, range = 16-75 years). Participants were administered the Adult ADHD Self-Report Scale, the Obsession-Compulsive Inventory-Revised, the Hospital Anxiety and Depression Scale, and the Bergen Work Addiction Scale, along with additional questions examining demographic and work-related variables. Correlations between workaholism and all psychiatric disorder symptoms were positive and significant. Workaholism comprised the dependent variable in a three-step linear multiple hierarchical regression analysis. Basic demographics (age, gender, relationship status, and education) explained 1.2% of the variance in workaholism, whereas work demographics (work status, position, sector, and annual income) explained an additional 5.4% of the variance. Age (inversely) and managerial positions (positively) were of most importance. The psychiatric symptoms (ADHD, OCD, anxiety, and depression) explained 17.0% of the variance. ADHD and anxiety contributed considerably. The prevalence rate of workaholism status was 7.8% of the present sample. In an adjusted logistic regression analysis, all psychiatric symptoms were positively associated with being a workaholic. The independent variables explained between 6.1% and 14.4% in total of the variance in workaholism cases. Although most effect sizes were relatively small, the study's findings expand our understanding of possible psychiatric predictors of workaholism, and particularly shed new insight into the reality of adult ADHD in work life. The study's implications, strengths, and shortcomings are also discussed.


[拙訳]
ワーカホリックであること調査する研究は多数あるにもかかわらず、大規模な研究が欠けている。本研究は、16,426人の労働者(平均年齢 = 37.3歳、標準偏差 = 11.4、範囲 = 16~75歳)の中で、精神障害の症状とワーカホリックであることを評価するオープンな Web ベースの横断調査を活用しました。被験者は、大人の ADHD 自己報告尺度(Adult ADHD Self-Report Scale)、強迫インベントリ改訂版(Obsession-Compulsive Inventory-Revised)、病院の不安と抑うつ尺度(Hospital Anxiety and Depression Scale)、加えて、人口動態及び仕事関連の変数を調査する追加の質問を実施された。ワーカホリックであることと全ての精神障害の症状との相関は正で有意だった。ワーカホリックであることは3ステップの階層的重回帰分析における従属変数から構成した。基本的な人口統計(年齢、性別、交際ステータス及び教育)はワーカホリックであることにおける 1.2% の分散を説明した。ところが、仕事の人口統計(仕事の状況、地位、部門、年収)は分散の追加の5.4%を説明した。年齢(負の相関)及び管理職(正の相関)が最も重要であった。精神障害の症状(ADHD、強迫症、不安及びうつ)は分散の 17.0% を説明した。ADHD と不安はかなり寄与した。ワーカホリック状態の有病率は原サンプルでは 7.8% であった。補正されたロジスティック回帰分析において、全ての精神症状はワーカホリックであることと正に相関していた。ワーカホリックの場合での分散の全体における独立変数は 6.1% ~ 14.4% を説明した。ほとんどの効果量は比較的小さいものの、この研究の調査結果により、ワーカホリックであることの潜在的な精神的予測因子の理解が拡大され、そして、特に仕事人生における大人の ADHD の現実に新たな洞察を与えた。この研究の意義、強み、不足も論じた。

注:この論文の調査を実施した研究機関である大学、UNIVERSITY OF BERGEN のWEBサイトに次のWEBページがあります。「Workaholism tied to psychiatric disorders[拙訳]精神障害と結びついたワーカホリックであること」 このページにおける一部の記述を次に引用します。 さらに、この要旨の本文の「Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder and workaholism」項から記述の一部を以下に引用します。

Workaholics score higher on all clinical states

The study showed that workaholics scored higher on all the psychiatric symptoms than non-workaholics. Among workaholics, the main findings were that:
•32.7 per cent met ADHD criteria (12.7 per cent among non-workaholics).
•25.6 per cent OCD criteria (8.7 per cent among non-workaholics).
•33.8 per cent met anxiety criteria (11.9 per cent among non-workaholics).
•8.9 per cent met depression criteria (2.6 per cent among non-workaholics).

“Thus, taking work to the extreme may be a sign of deeper psychological or emotional issues. Whether this reflects overlapping genetic vulnerabilities, disorders leading to workaholism or, conversely, workaholism causing such disorders, remain uncertain,” says Schou Andreassen.


[拙訳]
ワーカホリックの人の全ての臨床状態に関する高いスコア(得点)

この研究によって、全ての精神的な症状に関して、ワーカホリックでない人よりもワーカホリックの人はスコアが高いことが示された。主要な結果は次の通り。
・32.7% は ADHD の基準に適合した。(ワーカホリックでない人は 12.7%)
・25.6% は強迫症の基準に適合した。(ワーカホリックでない人は 8.7%)
・33.8% は不安の基準に適合した。(ワーカホリックでない人は 11.9%)
・8.9% はうつの基準に適合した。(ワーカホリックでない人は 2.6%)

”このように、極端に仕事をすることはより深い精神的又は情動の問題の兆候かもしれない。これがオーバーラップした遺伝的な脆弱性を反映している、ワーカホリックであることをもたらす障害又は逆に障害を引き起こすワーカホリックであることかどうかは不明確のままである”と Schou Andreassen は言う。

注:引用中の「強迫症」、「不安」及び「うつ」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、「強迫症」は用語「強迫性障害(強迫症)」、「不安」は用語「不安障害(不安症)」、「うつ」は用語「うつ病」をそれぞれ利用して下さい。

Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder and workaholism
These findings are in line with established knowledge of the co-occurrence of ADHD and addictions in general [26], although the present study is the first ever to associate work addiction with ADHD, thus providing support for the second hypothesis. Although ADHD is often associated with unemployment and being unable to conduct normal work [26], the present authors’ hypothesized that ADHD would be related to workaholism partly for this very same reason. Individuals with ADHD may have to work harder and longer to compensate for their work behavior caused by neurological deficits. They may also be at risk of taking on projects and tasks impulsively–resulting in more work than they can realistically do within normal working hours. Some, but far from all, with this disorder are also very hyperactive [8,26]. Hence they may choose and thrive better in jobs with frequent deadlines and higher levels of work stress, conditions that may alleviate their inner restlessness (e.g., self-medication).

The present authors also propose that such people are unable to relax, and may keep on working nonstop–if they find a task interesting and demanding enough (e.g., hyper-focus). Furthermore, it is hypothesized that these workaholic ADHD types push themselves in their job in order to disprove conceptions of them by others as being lazy or unintelligent. History portrays many highly successful entertainers, inventors and entrepreneurs, authors and scientists as well as business leaders with ADHD traits–often associated with hard working talent and abundant creativity [52]. Given that the first academic writings on workaholism appeared in the early 1970s [53], it is arguably surprising that the present study is the very first that empirically link symptoms of ADHD with workaholism. This may be because ADHD is often thought of as a child disorder from which sufferers grow out of before reaching adulthood [26]. This is now known not to be the case, and ADHD is probably under-diagnosed in adults [26]. Instead, such adult individuals are often diagnosed with bipolar disorder, anxiety, depression, borderline personality disorder, etc. [26]. The current findings are also in accordance with several popular workaholic typologies portrayed in recent years [31].


[拙訳]
ADHD とワーカホリック
本研究は、ADHD と仕事依存症を関連付けることが初めてであるが、これらの知見は一般に ADHD と依存症との共起の確立された知識に即しており[26]、このように第二の仮説のためのサポートを提供する。ADHD はしばしば失業及び通常の仕事ができないことと関連する[26]ものの、著者らは部分的にこれと同じ理由で、ADHD はワーカホリックと関連するであろうと著者らは仮定した。ADHD を有する個々は、神経学的な欠陥により引き起こされる仕事の行動を補うために、よりハードにより長く仕事をしなければならないかもしれない。彼らは現実的な通常の勤務時間内に行うことができることより衝動的に多くの仕事につながるプロジェクトやタスクを引き受けるリスクを有する可能性もある。全員とは程遠いが、この障害を有するある方々は、非常に活動的でもある[8,26]。それゆえに、しばしば最終期限及び高レベルの仕事のストレスを伴う職業の彼ら内面の不穏状態を軽減するかもしれない状況において、彼らは選択し、より成功するかもしれない(例えば、自己治療)。

本著者らはまた、そのような方々がリラックスできないこと及びタスクが十分におもしろい及び忙しい(例えば、過集中)と彼らが気づくならば、無休息で仕事をやり続けるかもしれない。さらに、これらのワーカホリック ADHD タイプは、怠惰又は愚鈍としての他者による概念の反証のために彼らを仕事に駆り立てると仮定される。ADHD の特性、ハードワーキング才能と豊かな創造力にしばしば関連付けられるビジネス・リーダーはもちろん、多くの非常に成功したエンターテイナー、発明者、起業家、作家及び科学者を歴史は描写する[52]。ワーカホリックに関する最初のアカデミックな執筆が1970年代の初頭に登場した[53]ならば、ワーカホリックを伴う ADHD の症状に経験的に関連する本研究がまさに最初であることはおそらく驚くべきことである。これは、ADHD は子どもの障害で、大人になる前に解消されるとしばしば考えられるからかもしれない[26]。これは現在、真相ではないと知られ、ADHD はおそらく大人において過少診断される[26]。かわりにこのような大人はしばしば双極性障害、不安症、うつ病、境界性パーソナリティ障害等と診断される。現在の調査結果は近年において描写されるいくつかの一般的なワーカホリックの類型論にも一致する。

注:i) 引用中の「anxiety」は不安症と拙訳しました。一方、引用中の「双極性障害」、「不安症」、「うつ病」及び「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、「不安症」は用語「不安障害(不安症)」を利用して下さい。 ii) 引用中の文献番号「[8]」、「[26]」、「[31]」、「[52]」及び「[53]」に相当する論文、資料又はWEBページはそれぞれ次の通りです。「American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 5th ed. Washington, DC: American Psychiatric Association; 2013.」、「Underdiagnosis of attention-deficit/hyperactivity disorder in adult patients: a review of the literature.」、「A guidebook for workaholics, their partners and children, and the clinicians who treat them New York: New York University Press; 2014.」、「Famous People With ADHD and ADD」及び「Oates W. Confessions of a workaholic New York: World Pub. Co; 1971.」

[その4] ADHD における情動調節に関する論文要旨を以下に紹介します。
① 論文要旨「Emotion dysregulation in attention deficit hyperactivity disorder.[拙訳]ADHD における情動調節不全」を次に引用します。

Although it has long been recognized that many individuals with attention deficit hyperactivity disorder (ADHD) also have difficulties with emotion regulation, no consensus has been reached on how to conceptualize this clinically challenging domain. The authors examine the current literature using both quantitative and qualitative methods. Three key findings emerge. First, emotion dysregulation is prevalent in ADHD throughout the lifespan and is a major contributor to impairment. Second, emotion dysregulation in ADHD may arise from deficits in orienting toward, recognizing, and/or allocating attention to emotional stimuli; these deficits implicate dysfunction within a striato-amygdalo-medial prefrontal cortical network. Third, while current treatments for ADHD often also ameliorate emotion dysregulation, a focus on this combination of symptoms reframes clinical questions and could stimulate novel therapeutic approaches. The authors then consider three models to explain the overlap between emotion dysregulation and ADHD: emotion dysregulation and ADHD are correlated but distinct dimensions; emotion dysregulation is a core diagnostic feature of ADHD; and the combination constitutes a nosological entity distinct from both ADHD and emotion dysregulation alone. The differing predictions from each model can guide research on the much-neglected population of patients with ADHD and emotion dysregulation.


[拙訳]
注意欠如・多動症(ADHD)を伴う多くの個々人も情動調節の困難を有することは、長い間認識されているが、この臨床的に困難だがやりがいのある分野(domain)をどのように概念化するかのコンセンサスには到達していない。定量的及び定性的な両方の方法を使用して、現在の文献を著者らは調べる。 3つの重要な知見が出現した。第一に、情動調節不全は、ADHD において生涯を通じて広く認められ、そしてこれが障害の主要な一因である。第二に、ADHD における情動調節不全は情動刺激の方向づけ、認識及び/又は注意配分における欠陥から生じるかもしれなく、これらの欠陥は線条体-扁桃体-内側前頭皮質のネットワーク内の機能不全を意味する。第三に、現在の ADHD の治療法はしばしば情動調節不全も改善する一方で、この症状の組合せに関する焦点は、臨床的な疑問及び新たな治療的アプローチを激励しうるだろうことをリフレームする。著者は、その後、情動調節と ADHD との間の重なりを説明するために、3つのモデルを考慮する。すなわち、情動調節不全と ADHD とは、お互いに関連するが、別の特質である;情動調節不全は ADHD の中核的な診断の特徴である;及び組み合せは、ADHD のみ及び情動調節不全のみとは異なる疾病分類学的な実体を構成する。各モデルの異なる予測は、大きく無視された ADHD 及び情動調節不全を伴う患者総数に関する研究を導くことができる。

注:i) 引用中の「情動調節」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

[その5] ADHD 症状と女性の生理サイクルに関する論文要旨を以下に紹介します。
① 論文要旨「Reproductive steroids and ADHD symptoms across the menstrual cycle.[拙訳]月経周期を通しての生殖ステロイドと ADHD 症状」(全文はここを参照)を次に引用します。

Although Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder shows (ADHD) male predominance, females are significantly impaired and exhibit additional comorbid disorders during adolescence. However, no empirical work has examined the influence of cyclical fluctuating steroids on ADHD symptoms in women. The present study examined estradiol (E2), progesterone (P4), and testosterone (T) associations with ADHD symptoms across the menstrual cycle in regularly-cycling young women (N=32), examining trait impulsivity as a moderator. Women completed a baseline measure of trait impulsivity, provided saliva samples each morning, and completed an ADHD symptom checklist every evening for 35days. Results indicated decreased levels of E2 in the context of increased levels of either P4 or T was associated with higher ADHD symptoms on the following day, particularly for those with high trait impulsivity. Phase analyses suggested both an early follicular and early luteal, or post-ovulatory, increase in ADHD symptoms. Therefore, ADHD symptoms may change across the menstrual cycle in response to endogenous steroid changes.


[拙訳]
注意欠如/多動症(ADHD)は男性優位性を示すが、女性は青年期に大きく障害され、そしてさらなる併存疾患を示す。しかしながら、女性の ADHD 症状に対する周期的に変動するステロイドの影響を調査した経験的研究はない。本研究では、調節因子としての特性衝動性を検討することにより、規則的にくり返している若い女性(N=32)における月経周期を通しての ADHD 症状とエストラジオール(E2)、プロゲステロン(P4)及びテストステロン(T)との関連を、本研究で調査した。女性の特性衝動性のベースライン測定を完了し、毎朝唾液サンプルを提供し、そして 35日間毎晩の ADHD 症状チェックリストの記入を完了した。P4 又は T のどちらかのレベルの増加と関連した E2 のレベルの減少が、特に高い特性衝動性を伴う患者で、翌日のより高い ADHD 症状と関連することを、結果は示した。フェーズ分析は、初期卵胞期と初期黄体期、又は排卵後の ADHD 症状の両方の増加を示唆した。従って、ADHD 症状は内因性ステロイドの変化に応答して月経周期を通じて変化するかもしれない。

注:i) 拙訳中の「エストラジオール」、「プロゲステロン」については共に例えば次のWEBページを参照して下さい。 「齊藤先生に聞く!【30】エストラジオール、プロゲステロンについて」 ii) 拙訳中の「テストステロン」については例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「内分泌学:テストステロンの疾患リスクへの影響は女性と男性とで異なる」 iii) 拙訳中の「卵胞期」、「黄体期」、「排卵」については共に例えば次のWEBページを参照して下さい。 「月経周期で移り変わる女性のココロとカラダ」 iv) 拙訳中の「内因性ステロイド」に関連する「ステロイドホルモン」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ステロイドホルモンと脂質代謝」の例えば図1(P24) v) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline」 vi) 標記論文を簡単に紹介する記述例として、榊原洋一著の本、「子どもの発達障害誤診の危機」(2020年発行)の 第8章 発達障害は男性に圧倒的に多いのか? の「ホルモン変動によって症状が大きく変化」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『さらに最近(2018年)ベッサン・ロバーツらは、注意欠陥多動性障害の衝動コントロール不全による症状が、女性の生理サイクルに従って変動することを明らかにしました。血液中の女性ホルモン(エストロゲン)と黄体ホルモン(プロゲステロン)の変動に同期して、注意欠陥多動性障害を有する女性の衝動性が、排卵後と月経のあとに高くなることがわかったのです。こうした性ホルモンの変動は、月経前緊張症候群と呼ばれるイライラ感の亢進やうつ症状を主徴とする精神疾患として知られています。』(注:引用中の「月経前緊張症候群」に関連する「月経前不快気分障害」又は「月経前症候群」については例えばここにおける引用及び次のWEBページを参照して下さい。 「月経前不快気分障害(PMDD)の症状と原因-月経前症候群(PMS)とは違う?」)

一方、「ADHDのMRI研究について、脳形態画像、DTI、fMRI、安静時fMRIに分け、概説した。ほとんどの研究において、ADHDと定型発達児の差異を調べるアプローチを採用しているが、その結果は一貫しないことも多く、多サンプルを用いた研究においでは、一定の有意な結果は得られているものの、その効果量は概して小さい」ことについてその一要因の可能性としての「ADHDはDSMに従って主に臨床症状に基づいてカテゴリカルに診断されており、病態に多様性があるADHDがまとめて一つの疾患として扱われてきた。そのため、同じADHDの診断であっても、研究によって病態の異なる群を含んでおり、そのことが研究結果に影響を与えて一貫性が得られない要因となっている可能性がある」ことを含めて、鷲見聡編の本、「発達障害のサイエンス 支援者が知っておきたい医学・生物学的基礎知識」(2022年発行)の 第8章 ADHDの脳画像 ――可視化される脳機能の偏り の「7. おわりに」における記述(P193~P195)を次に引用します。

本章では、ADHDのMRI研究について、脳形態画像、DTI、fMRI、安静時fMRIに分け、概説した。ほとんどの研究において、ADHDと定型発達児の差異を調べるアプローチを採用しているが、その結果は一貫しないことも多く、多サンプルを用いた研究においては、一定の有意な結果は得られているものの、その効果量は概して小さい。これらの原因として、ADHDの多様性、MRI機種や撮像条件、解析アプローチの違い、といったさまざまなことが考えられうる。
ADHDはDSMに従って主に臨床症状に基づいてカテゴリカルに診断されており、病態に多様性があるADHDがまとめて一つの疾患として扱われてきた。そのため、同じADHDの診断であっても、研究によって病態の異なる群を含んでおり、そのことが研究結果に影響を与えて一貫性が得られない要因となっている可能性がある。
このような問題に立ち向かうぺく、アメリカ国立衛生研究所はResearch Domain Criteriaを提唱している(32)。これは、病態生理学研究に基づいて診断のフレームワークを新たこ組み直そう、という考え方である。われわれはこの考えに即して、上述のアメリカの大規模縦断研究であるABCD Studyのサンプルを利用し、教師なし機械学習★を用いてADHDをサブタイプに分類し、各サブタイプの神経生物学的基盤を明らかにする取り組みを開始している。
また、国内においては、われわれが所属する連合小児発達学研究科のネットワークを活用し、福井大学、大阪大学、千葉大学とで共同して多サンプルを確保できる体制の構築に取り組んでいる。機関ごとにMRI装置の機種や計測パラメータが異なるため、機種間差による影響を補正する必要があるが、近年、補正のための有効な方法として開発されたトラベリングサブジェクト法を利用する(33)。このアプローチでは、すべての機関で同じ被験者の脳画像を取得することで、機種間の測定バイアスのみを算出して補正することが可能になる。集積したADHDのMRIデータを、トラベリングサブジェクト法で機種間差を補正したうえで解析し、さらに、遺伝子、神経伝達物質・アミノ酸、認知機能検査、視線計測、質問紙調査などの多角的なデータとの関連を調べることで、ADHDの神経生物学的基盤と臨床的特徴を明らかにするのとともに、最終的にはその病態に基づいた臨床に資するバイオマーカーの開発を目指している。このような取り組みは ADHDの多様性への理解と個々の特徴に合った精度の高い診療、教育・介入方法の開発に寄与することが期待される。

注:i) この引用部の著者は山下雅俊、水野賀史です。 ii) 引用中の文献番号「(32)」は次の論文です。 「Medicine. Brain disorders? Precisely?」 iii) 引用中の文献番号「(33)」は次の論文です。 「Harmonization of resting-state functional MRI data across multiple imaging sites via the separation of site differences into sampling bias and measurement bias」 iv) 引用中の「★」は次に引用(『 』内)する脚注(P194)です。 『★教師なし機械学習は機械学習の一つに分類される手法であり、その目的はデータ内に存在する未知のパターンを探索することにある。教師なし機械学習の一つであるクラスタリングのアルゴリズムには、それぞれのデータポイントの距離間に対して数学的な関係性を識別し、これらの関係に従って、データをサブグループ(クラスター)に自律的に分類する能力がある。これまでの研究では、クラスタリングのアルゴリズムが多様性を伴う精神疾患などのグループ解析に有効であることが報告されている。』(注:引用中の「機械学習」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「変わりゆく機械学習と変わらない機械学習」) 加えて、引用中の「教師なし機械学習」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「機械学習」の「②教師なし学習」項 v) 引用中の「ADHDのMRI研究」については、引用中の「ADHDの多様性、MRI機種や撮像条件、解析アプローチの違い」を含めて次の資料を参照して下さい。 「ADHDのMRI研究 ―ADHDの神経生物学的基盤の解明に向けて―」 vi) 引用中の「Research Domain Criteria」については、引用中の「臨床に資するバイオマーカー」に関連する「検査に活用できるバイオマーカー」を含めて次の資料を参照して下さい。 『「診断」という「線」を引くこと』 一方、「インゼルのResearch Domain Criteriaは、臨床的には使えないもの」との記述を有する2021年2月1日発行のWEBページは次を参照して下さい。 「古茶大樹先生 ~精神科診断における疾患と類型について~」 vii) 引用中の「臨床に資するバイオマーカー」については次のWEBページを参照して下さい。 「脳機能発達研究部門 - 子どものこころの発達研究センター」の「情動認知発達研究部門」項 viii) 引用中の「DSM」については次のWEBページを参照して下さい。 「精神疾患の診断・統計マニュアル (DSM) - 脳科学辞典」 ちなみに、「DMS-5」による「ADHD の診断基準」については例えば次の資料を参照して下さい。 「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」の「Table 1 ADHD の診断基準(DMS-5)」(P29)

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:ADHDの本における様々な引用を含みます

*2:女性のADHDの本における様々な引用を含みます

*3:ただし、目覚しい成果をあげる場合も記述されています

*4:ただし、全方位に注意を分散させてしまうことにより一方的に話してしまうことがある場合も記述されています

*5:注:ASDとADHDの両者に関連するかもしれない他の拙エントリの記事に対するリンクです

*6:これに関連する、「ADHDを伴う女性は、(ADHDを伴う男性よりも)ADHD症状の影響をより良く覆い隠したり又は軽減したりすることができる」ことについてはここを、「特に ADHD ではこれまでの経験から症状をマスクする術を身につけている者も多い」ことについてはここここを それぞれ参照して下さい

*7:加えて、ADHDとASDが併存している女性の事例についてはここここを参照して下さい

*8:ちなみに、女性のADHDに対するアピタルサイトを主に対象としたWEBページはここを参照して下さい

*9:ちなみに、上記アピタルサイトにおける女性に限らないADHDに関するWEBページは※1を参照して下さい

*10:ちなみに、女性の発達障害についての本には「なんだかうまくいかないのは女性の発達障害かもしれません」があります。より詳細な紹介はここにおける脚注を参照して下さい。

一部拙エントリの補足説明について(その4)

リンクはありません。

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前書き

本エントリは過日に公開されたエントリ「一部拙エントリの補足説明について(その3)」に続くもので、後者は主にソマティック心理学及び心的外傷後成長を含む心理学に関連する補足説明を集めているのに対し、本エントリ(前者)は主に精神医学と心理学以外の様々な補足説明を集めています。これらの補足説明は全体的に(補足説明についての最初の)エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その1)」よりもはるかにバラバラ感があるかもしれません。

≪主な改訂の履歴≫
主な改訂の履歴はありません。

補足説明(その4)についての概要

上記前書き以外には特にありません。

以下の【1】及び【2】では、共に疲労に関連する記事を提示します。一方以下の【3】では、虐待に関連する記事を提示します。

【1】交感神経が優位な時間が多すぎることにより生じる疲労等の問題について

最初に参考として、疲労・倦怠感等に関する資料を次に紹介します。 「疲労・倦怠感および慢性疲労症候群の病態」 次に、交感神経が優位な時間を減らし、副交感神経が優位な状態を多くすれば、日常の疲労を減らすことができることについて、梶本修身著の本、「なぜあなたの疲れはとれないのか? 最新の疲労医学でわかるすっきり習慣36」(2017年発行)の「プロローグ」における記述の一部(P12~P18)を次に引用します。

プロローグ

最新科学にもとづく「どんな疲れ」も解消する方法(中略)

疲労について、これまでの常識を覆す最新の事実がわかってきました。
それは、「疲れ」は体で起きているのではなく、実は「脳」で起きているという事実です。

最新科学でわかった「疲れ」のしくみとは?

「疲れの原因が脳にある」
詳しくは第1章以降でお話ししますが、簡単に説明すると、次のようなことです。

誰しも1日が終わり家に着くと、全身がぐったりしていると思います。
そして、多くの人はこれを「からだが疲れた」と自覚していることでしょう。「からだのだるさ」以外にも、「肩がこる」、「頭が重い」、「ふらふらする」などの症状が現れているかもしれません。
しかし、最新の疲労研究では、これらの症状すべてが、実は「からだの疲労」ではなく「脳の疲労」、なかでも「自律神経中枢の疲労」であることが判明しています。

たとえば、気候のよい春先に3キロ歩くのと、真夏の炎天下に3キロ歩いた場合を比較してみてください。歩いた距離、すなわち運動量はまったく同じです。しかし、疲労は大きく異なるはずです。炎天下で歩いた場合には、大汗をかき、心拍も呼吸も上がり、へとへとになっていることでしょう。
では、炎天下で歩く場合、気候のよいときに比べてなぜ疲れるのでしょうか?
それは、炎天下という過酷な環境により「からだの恒常性」、すなわち「常にからだを安定した状態に維持する機能」を担う自律神経中枢にかかる負担の違いに原因があります。つまり、筋肉や内臓への負担が疲労を起こしているのではなく、自律神経への負担が疲労を起こしているのです。
これは炎天下の散歩だけではありません。実は、日常生活で起こる「からだが疲れた」という感覚は、運動に限らずデスクワークも、ストレスなどの心理的な要因による疲労も、すべて自律神経中枢の疲労だったのです。つまり、「自律神経」次第で、「疲労」は変わってくるのです。

疲労のカギをにざる「自律神経」とは?

自律神経とは、からだの恒常性を維持するために、脳の視床下部・前帯状回といった脳幹に当たる中枢部位から全身の内臓や筋肉に張りめぐらされた神経で、人間の意思とは無関係に動くことが特徴です。
たとえば、体温の調節は、自分の意思で上げたり下げたりしているわけではないですよね。その動きを調整しているのが自律神経です。
ほかにも、こんなことに関与しています。
「呼吸、食べ物の消化・吸収、血液の循環、心拍数、汗を出す、目の瞳孔の開閉…」
こうした生命活動のベースとなる機能を整える大事な働きを担っているのです。

自律神経は2種類の神経で成り立っているのですが、一つが交感神経、もう一つが副交感神経と呼ばれるものです。
一つめの交感神経は、別名「闘争神経」とも呼ばれ、心身が活動的なとき、緊張や興奮・ストレスがあるときなどに働きます。
たとえば、ハレの舞台でのスピーチの前に心拍数が増えて胸がドキドキしたり、汗をかく、血圧や体温が上昇するなどの体の変化は交感神経の働きによるものです。

一方、もう一つの副交感神経はリラックスモードで働きます。
たとえば、自宅のソファーで好きな音楽を聴きながらゆったりとしているときに、心拍数、血圧、体温を下げ、血管は拡張し、発汗は抑えるなどの働きをしてくれます。また、胃液・腸液の分泌を促して消化吸収をアップさせます。

この二つが私たちの体内で、1日中、体をコントロールしています。
昼間、交感神経が優位になるときは副交感神経が抑制され、夜、副交感神経優位の状態では交感神経が抑制されるというように、両者がバランス良く働いています。
では、その自律神経がいったい「疲れ」にどうかかわっているのか?

交感神経は、闘争モードのため、日中、動物なら獲物を狙っているときに優位になり、人なら仕事など緊張する場面で活動性が上がります。当然、最大のパフォーマンスを発揮できるように、脳の自律神経中枢の細胞はフル回転状態です。
一方、副交感神経が優位なときはリラックスしている状態であり、脳の神経細胞も活動性を落としています。
つまり、交感神経優位な状態が、自律神経中枢の細胞、すなわち脳を疲弊させることになるのです。逆に言えば、交感神経が支配する時間を減らし、副交感神経が優位な状態を多くすれば、日常の疲労を減らすことができるのです。
このようにして、自律神経のバランスを整えれば、「疲れ」をコントロールできます。(後略)

注:(i) 引用中の「第1章以降でお話しします」に対し、この話の引用は省略します。 (ii) 引用中の(自律神経による)「体をコントロール」に関連する「自律神経のコントロールセンター」について、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因2<超実践編>」(2016年発行)の 第一章 疲労の正体は脳にあり の「もっとも疲れているのは自律神経の中枢がある脳」における記述の一部(P18~P19)を以下に、 加えて、引用中の「疲労」に関連する『「疲労」と「疲労感」は別の現象』について、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因」(2016年発行)の 第一章 疲労の正体は脳にあり の『「疲労」と「疲労感」は別の現象』における記述の一部(P23~P24)を以下に それぞれ引用します。 (iii) 引用中の「闘争モード」に関連する、複雑性PTSDにおいて少しの情動喚起で闘争モードになってしまうことについては他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。加えてこれを含む「交感神経は、闘争モードのため、日中、動物なら獲物を狙っているときに優位になる」ことにおいて、『百獣の王・ライオンでも、「アウェー」にいるのはせいぜい1日のうち2時間で、その時間内にリスクを冒して獲物を狩る』ことについて梶本修身著の本、「疲労回復の名医が教える 誰でも簡単に疲れをスッキリとる方法」(2019年発行)の 第4章 脳を疲れさせない生活週刊 の「疲れない習慣は野生動物に学ぶ」における記述の一部(P122~P123)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「自律神経」の機能又はトータルパワーが加齢により落ちることについて、梶本修身著の本、「疲労回復の名医が教える 誰でも簡単に疲れをスッキリとる方法」(2019年発行)の 第4章 脳を疲れさせない生活週刊 の 体の衰えを感じたら鍛えるべきは筋肉? それとも自律神経? の「◇自律神経の機能は40代で半分に」における記述の一部(P149)を以下に引用します。加えて梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因3<仕事編>」(2017年発行)の 第一章 疲れない脳を作る の「加齢で疲れが増すのは自律神経のパワーが落ちるから」における記述の一部(P17)を次に引用(『 』内)します。 『自律神経のトータルパワーは10代と比べて40代では2分の1、60代では4分の1を大きく下回ります。』 (v) ちなみに息と交感神経系又は副交感神経系の関連について、他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて上記交感神経系、副交感神経系に関連する「人間には上半身を温めると交感神経が優位になり、下半身を温めると副交感神経が優位となる」ことについて、梶本修身著の本、「疲労回復の名医が教える 誰でも簡単に疲れをスッキリとる方法」(2019年発行)の 第2章 「1分間すっきりストレッチ」で脳から疲れをすっきり解消! の「寒い冬の夜でも靴下をはいて眠るのはNG」における記述の一部(P59)を 『また、人間には上半身を温めると交感神経が優位になり、心臓より下の下半身を温めると副交感神経が優位となるという習性があります。だから「頭寒足熱」が理想の就寝環境なのです。』 (vi) 上記以外の副交感神経系を活性化する又はリラックスするための拙ブログにおいて紹介した方法例としては、 a) 視覚コンバージェンス療法(他の拙エントリのここを参照)、 b) 漸進性筋弛緩法(例えば参照)及びリラックスするための方法(例えばWEBページ「Ⅱ ストレスへの対処」の「5.心身のリラックス」項を参照) c) マインドフルネスの活用(他の拙エントリのここ及びここを参照)があります。ちなみに、これらのための適切な生活習慣については、例えば同を参照して下さい。

もっとも疲れているのは自律神経の中枢がある脳(中略)

運動に限らず、デスクワーク、緊張するコミュニケーションの場においても、交感神経が優位になります。交感神経が優位な状態で休息や睡眠をとらずに、無理に活動を続けると、やがて自律神経の中枢、つまり、コントロールセンターが疲労を起こします。
では、その自律神経のコントロールセンターとは一体どこなのでしょうか。それは、脳の中にあります。(中略)

自律神経の中枢であるコントロールセンターとは、脳幹にある「視床下部」と「前帯状回」という部分です。我々が疲労を感じたとき、まさにここが疲れていると言えるのです。(後略)

注:i) 引用中の「視床下部」について次のWEBページを参照して下さい。 「視床下部 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「前帯状回」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典

疲労」と「疲労感」は別の現象
疲労とは何かを科学的に理解するにあたり、もうひとつ重要な知見があります。それは、「疲労」と「疲労感」はまったく別の現象である、ということです。(中略)

では、なぜ疲労疲労感にギャップが生じるのでしょうか。
疲労を起こすのは、おもに脳内にある自律神経の中枢であることは前述したとおりです。そして、「疲労した」という情報を収集して「疲労感」として自覚させるのは大脳の前頭葉(35ページ参照)にある眼窩前頭野という部位であることがわかっています。(後略)

注:引用中の「35ページ参照」の該当部の引用は省略します。代わりに引用中の「眼窩前頭野」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典

疲れない習慣は野生動物に学ぶ

◇休息時は「ホーム」の環境が大切

「ホーム」とは縄張りの内側のこと。「アウェー」は外側のことです。

人間を含む動物は、「ホーム」では安心できる環境下でリラックスし、副交感神経が優位になります。そして「アウェー」では、緊張で交感神経が優位になります。自律神経は、この「アウェー」の環境にいるときに疲弊します。
そのために野生動物は、1日のほとんどの時間を、「ホーム」の空間で過ごしています。
百獣の王・ライオンでも、「アウェー」にいるのはせいぜい1日のうち2時間で、その時間内にリスクを冒して獲物を狩ります。

仮に2時間以上「アウェー」にいれば、狩りが成功する可能性は増えるかもしれませんが、自律神経が疲れてしまい、集中力や緊張感を失うことでほかの動物に襲われる危険性が高まります。

つまり野生動物は、1日のうちの「ホーム」と「アウェー」の区分を明確にし、自律神経を必要以上に使わないで済むように、本能的に行動しているのです。(後略)

◇自律神経の機能は40代で半分に

個人差もありますが、多くの人の場合、自律神経の機能は10代にピークを迎えます。
そこからだんだんと機能は衰えていき、男性は、40代で10代の約2分の1、50代で約3分の1になるというデータが示されています。
スポーツ選手が「体力の限界を感じたので引退する」と発表することがありますが、衰えているのは、実は筋肉ではなく自律神経です。
一般にいわれる「持久力」や「体力」という用語は、実はこの自律神経の機能そのものを意味しているのです。
自律神経は、心拍や呼吸、体温など、スポーツに欠かせない生命活動をコントロールしますので、その機能が衰えると、疲れやすくなり、パフォーマンスが落ちます。
サッカー選手、特にMF(ミッドフィールダー)は、自律神経を最も酷使するポジションといわれています。
MFの引退の年齢が比較的若いのは、そのためです。

注:引用中に記述されている「自律神経の機能の衰え」についての具体的な図は、(引用はしませんが)引用元の本の P148 を参照して下さい。

神経系を除く窓(中略)

これらの二つの神経系の働きは、簡単な方法で体感できる。深い息を吸い込むたびに、交感神経系が活性化する。アドレナリンがどっと分泌され、鼓動が速まる。運動選手が競技前に何度か急いで深く息を吸い込むのも、そのためだ。逆に、息を吐き出すと副交感神経系が活性化し、鼓動が遅くなる。ヨーガか瞑想の講座を取れば、講師はおそらく、息を吐くことに特別の注意を払うように促すだろう。なぜなら、時間をかけてすっかり息を吐き出すと、心が落ち着くからだ。(後略)

注:i) 引用中の「ヨーガ」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、「飽きる」「疲れる」「眠くなる」が脳疲労の3大サインについて、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因2<超実践編>」(2016年発行)の 第一章 疲労の正体は脳にあり の『「飽きる」「疲れる」「眠くなる」が脳疲労の3大サイン』における記述の一部(P20~P21)を以下に引用します。加えて、疲労度を計測できる一方法について、同章の「疲労度を計測できる2つの方法」における記述の一部(P38~P40)を以下に引用します。

「飽きる」「疲れる」「眠くなる」が脳疲労の3大サイン
脳幹のほか、脳の80%ほどを占めている大脳にも疲労は溜まります。オフィスでは仕事でパソコンとにらめっこし、通勤電車での行き帰りではスマートフォンタブレット端末でゲームにふけり、帰宅後もスマートフォンで夜遅くまで連絡をとり合う……。IT化が進むいま、大脳が処理するべき情報量は、ネットが広がる前の社会に比べて格段に増えています。
先に述べた症状はすべて疲労のサインですが、中でも、「飽きる」「疲れる(効率が落ちる)」「眠くなる」は、脳疲労の3大サインと言えます。
このうち、最初に出てくるのは、「飽きる」という症状です。同じことをずっと続けていると、情報を処理するために同じ神経細胞の回路が繰り返し使われるようになります。するとそこで疲労が起こるため、防御的に違う神経細胞を使わせようとして発せられるのが「飽きる」というサインなのです。
疲労の本質は、パフォーマンスの低下です。「飽きる」というサインが出ているのに、無理をして同じことを続けると、頭がぽうっとして作業効率が落ち、疲れを自覚します。これが二つ目のサインです。「飽きる」というサインが出たら、休息をとる、別の作業を行うようにしてください。そうすることで、作業効率の低下を抑えることができます。
「飽きる」を放置し、作業効率が落ちているのにさらに続けていると、次に「眠くなる」という自覚症状が現れます。(中略)

「眠くなる」というのは、「飽きる」よりダイレクトに休息を促す脳からのメッセージなのです。

注:引用中の「脳幹」についてはここを参照して下さい。

疲労度を計測できる2つの方法(中略)

もうひとつは、自律神経疲労度センサーを用いる方法です。ひとさし指から脈波(PPG)を測定し、周波数を解析して、交感神経と副交感神経のバランスと活動量を求めることができます。
自律神経は、疲弊してくると自律神経機能そのもののパワー(トータルパワー)が衰えていきます。たとえば、自律神経が持つ本来のトータルパワーが、計100だと仮定します。そのとき、交感神経と副交感神経のパワー比50:50が、ニュートラルな安定した状態といえます。
ところが、自律神経に何らかの負荷がかかって疲弊することで、そのトータルパワーが80に下がったとします。この場合も交感神経と副交感神経のパワーの割合は40:40と釣り合うべきなのですが、安易に交感神経の働きを低下させると緊張感が低下して、動物にとって命の危険が高まります。なぜなら、動物はつねに外敵からの脅威にさらされているからです。そこで動物は緊張を維持するため、交感神経と副交感神経のパワーの割合を45:35にするなど、相対的に交感神経優位の状態を保ちます。つまり、自律神経の機能低下を、交感神経を相対的に優位にすることで補っているわけです。この状態は自律神経機能の低下、すなわち疲労が出現している時期にみられることから、この副交感神経に対する交感神経の比(LF/HF)を調べることで疲労度を客観的に測定できるのです。
しかし、疲労が慢性化し重症になると、最終的には、交感神経の緊張すらも維持できなくなり、交感神経も副交感神経も機能が低下してしまいます。外敵だけでなく体の制御の面からも生命を脅かす事態に陥ってしまうのです。この状態、すなわち交感神経と副交感神経の両方ともパワーが低下している状態は、慢性的に重度の疲労を起こしていることを示しているわけです。(後略)

注:(i) 引用中の「もうひとつ」に関連して、最初のひとつの方法は「唾液に出てきたヒトヘルペスウイルスの量を測ること」(同の P40 参照)です。 (ii) 一方引用中の「LF」及び「HF」については共に心拍変動(HRV)の視点から次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRV の主要な成分」項(P81) 加えて引用中の「LF/HF」に関連する、MCS の文脈における「HF」及び「LF/HF」の測定を含む論文は次を参照して下さい。 「In-situ Real-Time Monitoring of Volatile Organic Compound Exposure and Heart Rate Variability for Patients with Multiple Chemical Sensitivity」、「A Novel Methodology to Evaluate Health Impacts Caused by VOC Exposures Using Real-Time VOC and Holter Monitors」 (iii) また引用中の「疲労度を計測」するための「自律神経疲労度センサー」に関連するかもしれない、「疲労すると変化するものを計測する」例としての「自律神経機能計測」について、渡辺恭良、水野敬著の本、「おもしろサイエンス 疲労と回復の科学」(2018年発行)の 第2章 疲労のメカニズムとその計測 の「19 疲労すると変化すること」項における記述の一部(P59~P60)を以下に引用します。 (iv) ちなみに、 1) 慢性疲労症候群CFS)を伴う患者での座位のアイソメトリックヨガによる「HF」や「LF/HF」を含む自律神経機能を含む変化のまとめついてはタイトルを除き拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Changes in fatigue, autonomic functions, and blood biomarkers due to sitting isometric yoga in patients with chronic fatigue syndrome[拙訳]アイソメトリックヨガは、従来の治療法に耐性のある慢性疲労症候群を伴う患者の疲労及び痛みを改善する:ランダム化比較試験」の Table 1 2) 加えて疲労は認知課題によって誘発される副交感神経洞性調節における減少と相関することの視点からは以下を参照して下さい。 3) さらに引用中の「HF」及び「LF/HF」と化学物質過敏症に関連する資料「化学物質過敏症患者の日常生活における化学物質曝露と健康影響に関する研究」(特に「③ TVOC と心拍変動の関係」項)と一部が重なるかもしれない論文(全文)「In-situ Real-Time Monitoring of Volatile Organic Compound Exposure and Heart Rate Variability for Patients with Multiple Chemical Sensitivity」中の記述に対し、拙ブログ作者が興味を持った二つの事項について以下(ここ及びここ)にそれぞれ提示します。

自律神経機能

皆さんは、疲労すると変化することについて、良く自分のこととしてわかっていると思います。疲労すると変化するものを計測すれば、疲労度の指標になります。以下に、それをまとめます。
もっとも成功しているものは、自律神経機能計測です。皆さんが疲労したり、体調が悪くなったりした時、全身調整機能である自律神経機能は確実に機能低下します。この体調調整機能の指標が自律神経機能と言い換えても過言ではありません。自律神経機能は、私たちの全身の神経免疫内分泌代謝機能を調節し、恒常性の維持を行っている中心の機能なのです。
自律神経系には、交感神経系と副交感神経系の二つの成分があり、それぞれ緊張系と癒やし・リラックス系の成分として、独立して動いているというより、お互いに関連しバランスを取って、心身の様々な活動に合わせて調整機能を発揮しています。疲労すると、特に双方のパワー値が低下し、また、副交感神経系の機能低下が強く、バランスが交感神経系優位の緊張パターンが続き、睡眠の質が悪くなり、ますます疲労を助長する負のスパイラルに入ります。
この交感神経系と副交感神経系とは、心電脈波や指先の加速度脈波を周波数解析することによりそれぞれの成分として検出できるので、低周波数成分(0・02-0・15Hz)は主に交感神経系成分、高周波数成分(0・15-0・40Hz)は主に副交感神経系成分として考えることができます。これらの年齢・性差に基づく標準パワー値やバランス比で疲労度を計測するデータベースが作られ、これに基づき、疲労度計が開発されました。(後略)

注:i) 引用中の「低周波数成分」及び「高周波数成分」については共に心拍変動(HRV)の視点から次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRV の主要な成分」項(P81) ii) 引用中の「神経免疫内分泌代謝機能」に関連するかもしれない資料は次を参照して下さい。 「疲労・倦怠感および慢性疲労症候群の病態

上記論文「Fatigue correlates with the decrease in parasympathetic sinus modulation induced by a cognitive challenge.[拙訳]疲労は認知課題によって誘発される副交感神経洞性調節における減少と相関する」(PubMed 要旨全文)に対し、全文中の「Discussion」項における記述の一部を以下に引用します。なお、 a) 引用中の「KPT」(Kana Pick-out Test、仮名拾い試験、一重課題と二重課題とがある)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「小児慢性疲労症候群患児の脳活動状態を明らかに -注意配分時に広範囲の前頭葉を過剰活性させてしまう-」の「要旨」項

リンク元の「CFS を伴う患者は交感神経過活動と低い心臓迷走神経緊張により特徴づけられる ANS 変化」における脳科学的なディスカッションについては、論文(全文)「Fatigue correlates with the decrease in parasympathetic sinus modulation induced by a cognitive challenge[拙訳]疲労は認知課題により誘発される副交感神経洞性調節における減少と相関する」の「Discussion」項における記述の一部を以下に引用します。なお、 a) 引用中の「KPT」(Kana Pick-out Test、仮名拾い試験、一重課題と二重課題とがある)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「小児慢性疲労症候群患児の脳活動状態を明らかに -注意配分時に広範囲の前頭葉を過剰活性させてしまう-」の「要旨」項 b) 補足説明のために有用かもしれない「疲労すると変化すること」の例としての「自律神経機能」についてはここを参照して下さい。

During the KPT dual-task session, there was a decrease in parasympathetic sinus modulation compared with pre-KPT rest with eyes open (Figure 2b) and fatigue sensation was associated with the decrease in parasympathetic sinus modulation and increase in sympathetic sinus modulation in this session (Figure 3b). This relation between the alteration of autonomic activity and fatigue sensation during the dual task may be related to interactions among the neural substrates of the KPT, fatigue and autonomic nerve function. We and another study group have used functional magnetic resonance imaging to show that the dorsolateral prefrontal cortex and cingulate cortex are activated during the KPT [25,26]. We have also used positron emission tomography to evaluate regional cerebral blood flow, and showed that the orbitofrontal cortex is associated with fatigue sensation assessed by VAS [27]. As for autonomic nerve function, a central autonomic network that controls sympathetico-vagal balance is comprised of the orbitofrontal cortex, medial prefrontal cortex, anterior cingulate cortex, insula, amygdala, bed nucleus of the stria terminalis, hypothalamus, periaqueductal gray matter, pons and medulla oblongata [28,29]. The anterior cingulate cortex plays a particularly crucial role in the central control of sympathetico-vagal balance [30]. There are anatomical and functional connections between the dorsolateral prefrontal cortex and medial prefrontal cortex, including the anterior cingulate cortex and the orbitofrontal cortex [31-34]. This indicates that there are interactions between the activities of task-dependent regions, fatigue sensation-related regions and autonomic nerve function-associated regions. Sympathoexcitatory subcortical threat circuits are normally under the inhibitory control of the medial prefrontal cortex [35-37]. During the KPT, wider prefrontal areas including the dorsolateral prefrontal cortex and part of the medial prefrontal cortex were more active in the single-task session than in the dual-task session [26]. More extension activation of prefrontal regions, which reflect mental effort, is also related to fatigue during a verbal working memory task [38]. These results suggest that fatigue which induces greater prefrontal activity corresponds to mental effort to accurately answer the questions and results in decreases in parasympathetic nerve activity and inhibitory capacity for sympathoexcitatory response.

In the present study, we focused on the difference in autonomic nerve activity between eyes open and eyes closed conditions. Previously, sympathetic hyperactivity was observed in the eyes closed condition after a fatigue-inducing task had been performed for 30 min [10] and 8 h [11]. Although sympathetic and parasympathetic sinus modulation were similar in pre-KPT rest with eyes open and pre-KPT rest with eyes closed, sympathetic nerve activity was higher and parasympathetic nerve activity was lower in post-KPT rest with eyes open than in post-KPT rest with eyes closed. Because attention level is different between eyes open and eyes closed conditions, sympathetic nerve activity is thought to be higher in eyes open condition than in the eyes closed condition [15]. However, before performing the KPT, the extent of the difference in sympathetic sinus modulation between eyes open and closed conditions was not observed because the brain network, including the prefrontal and anterior cingulate cortices, which play an important role in the regulation of autonomic nerve activity [39], was not driven; thus, control capacity by these brain regions was sufficient to inhibit the increase in sympathetic sinus modulation and decrease in parasympathetic sinus modulation in the eyes open condition. Because these brain regions are activated during the KPT [25,26], the increase in sinus sympathetic modulation and decrease in parasympathetic sinus modulation in the eyes open condition could not be adequately inhibited after the KPT. Inhibition of parasympathetic sinus modulation and the correlation between this activity and fatigue sensation was especially prevalent in this condition, suggesting that a brief mental task can be used to evaluate the change in autonomic nerve activity with fatigue if the eyes open condition is used. However, fatigue sensation was also associated with a decrease in parasympathetic sinus modulation in the post-KPT rest with eyes closed. Therefore, the extent to which parasympathetic nerve activity is inhibited in the recovery phase of the resting state in the eyes-closed condition may depend on the extent of fatigue.


[拙訳]
KPT 二重課題セッション中、開眼での KPT 前の安静と比較して副交感神経洞性調節における減少があり(Figure 2b)、そして疲労感覚はこのセッションでの副交感神経洞性調節における減少と交感神経洞性調節における増加に関連した(Figure 3b)。二重課題中の自律神経活動の変化と疲労感覚との間のこの関係は、KPT の神経基質、疲労及び自律神経機能間の相互作用に関連しているかもしれない。我々と他のもう一つの研究グループは、機能的磁気共鳴画像法を使用して、KPT 中に背外側前頭前皮質及び帯状皮質が活性化されることを示した[25,26]。我々はまた、局所脳血流を評価するための PET(ポジトロン断層撮影)を使用し、そして眼窩前頭皮質が VAS によって評価される疲労感覚に関連していることを示した[27]。自律神経機能に関しては、交感神経-迷走神経バランスを制御する中枢自律神経ネットワークは、眼窩前頭皮質、内側前頭前皮質、前帯状皮質、島、扁桃体線条体基底核視床下部、中脳水道周囲灰白質、橋および延髄で構成される[28,29]。前帯状皮質は、交感神経-迷走神経のバランスの中枢制御において特に重要な役割を果たしている[30]。背外側前頭前野と内側帯状前頭前野の間には、前帯状皮質眼窩前頭皮質を含む解剖学的及び機能的な結合がある[31-34]。このことは、課題依存領域、疲労感覚関連領域、及び自律神経機能関連領域の活動間に相互作用があることを示している。交感神経興奮性の皮質下脅威回路は通常、内側前頭前皮質の抑制・制御下にある[35-37]。 KPT の間、背外側前頭皮質及び内側前頭前皮質の一部を含むより広い前頭前野は、二重課題セッションよりも一重課題セッションでより活動的であった[26]。精神的努力を反映する前頭前野のより多くの延長活性化は、言葉の作業記憶課題中の疲労にも関連している[38]。より大きな前頭前野活動を誘発する疲労は、質問に正確に答えようとする精神的努力に対応し、そして副交感神経活動及び交感神経興奮応答の抑制能力における低下をもたらすことを、これらの結果は示唆する。

本研究では、開眼状態と閉眼状態の自律神経活動における違いに、我々は焦点をあてた。以前には、30分[10]及び8時間[11]の疲労誘発課題の実行後の、閉眼状態における交感神経の活動亢進が観察された。交感神経及び副交感神経の洞性調節は、KPT 前の開眼での安静と KPT 前の閉眼での安静で類似していたが、KPT 後の閉眼での安静よりも KPT 後の開眼での安静の方が、交感神経の活動がより高くかつ副交感神経の活動がより低かった。開眼状態と閉眼状態とでは注意レベルが異なるため、交感神経の活動は閉眼状態よりも開眼状態の方が高いと考えられた[15]。しかしながら、自律神経活動の調整において重要な役割を果たす前頭前及び前帯状皮質を含む脳ネットワークが駆動されなかったために、KPT の実行前は、眼の開閉状態間の交感神経洞性調節における違いの程度は観察されなかった[39]。従って、これらの脳領域による制御能力は、開眼状態での交感神経洞性調節における増加と副交感神経洞性調節における減少を抑制するために十分であった。これらの脳領域は KPT [25,26]中に活性化されるため、開眼状態での交感神経洞性調節における増加及び副交感神経洞性調節における減少は、KPT 後には十分に抑制できなかったのだろう。副交感神経洞性調節の阻害、及びこの活動と疲労感覚との相関は、この状態で特に一般的であり、開眼状態が使用されるならば、疲労を伴う自律神経活動における変化を評価するために、短い精神的課題が使用できることを示唆する。しかしながら、疲労感は閉眼での KPT 後の安静での副交感神経洞性調節における減少とも関連していた。従って、閉眼状態の安静状態の回復段階における副交感神経活動が抑制される程度は、疲労の程度に依存するかもしれない。

注:i) 引用中の「Figure 2b」、「Figure 3b」の引用及び引用中の様々な脳領域についての脚注は共に省略します。前者は論文(全文)をお読み下さい。 ii) 引用中の文献番号「[10]」は次の論文です。 「Autonomic nervous alterations associated with daily level of fatigue.」 iii) 引用中の文献番号「[11]」は次の論文です。 「Mental fatigue caused by prolonged cognitive load associated with sympathetic hyperactivity.」 iv) 引用中の文献番号「[15]」は次の論文です。 「Influence of sound and light on heart rate variability.」 v) 引用中の文献番号「25」は次の論文です。 「The neural substrates associated with attentional resources and difficulty of concurrent processing of the two verbal tasks.」 vi) 引用中の文献番号「26」は次の論文です。 「Activation of dorsolateral prefrontal cortex in a dual neuropsychological screening test: an fMRI approach.」 vii) 引用中の文献番号「[27]」は次の論文です。 「Medial orbitofrontal cortex is associated with fatigue sensation.」 viii) 引用中の文献番号「28」は次の本です。 「Benarroch EE. In: Clinical Autonomic Disorder. 2. Low PA, editor. Philadelphia: Lippincott-Raven; 1997. The central autonomic network; pp. 17–23.」 ix) 引用中の文献番号「29」は次の本です。 「Loewy AD. In: Central Regulation of Autonomic Functions. Loewy AD, Spyer KM, editor. New York: Oxford Univ Press; 1990. Central autonomic pathways; pp. 88–103. 」 x) 引用中の文献番号「[30]」は次の論文です。 「Human cingulate cortex and autonomic control: converging neuroimaging and clinical evidence.」 xi) 引用中の文献番号「31」は次の論文です。 「Functional connectivity of the anterior cingulate cortex within the human frontal lobe: a brain-mapping meta-analysis.」 xii) 引用中の文献番号「32」は次の論文です。 「Cortico-cortical connectivity of the human mid-dorsolateral frontal cortex and its modulation by repetitive transcranial magnetic stimulation.」 xiii) 引用中の文献番号「33」は次の論文です。 「Dorsolateral prefrontal cortex: comparative cytoarchitectonic analysis in the human and the macaque brain and corticocortical connection patterns.」 ivx) 引用中の文献番号「34」は次の論文です。 「Cingulate cortex of the rhesus monkey: II. Cortical afferents.」 vx) 引用中の文献番号「35」は次の論文です。 「Medial prefrontal cortex determines how stressor controllability affects behavior and dorsal raphe nucleus.」 vxi) 引用中の文献番号「36」は次の論文です。 「Beyond heart rate variability: vagal regulation of allostatic systems.」 vxii) 引用中の文献番号「37」は次の論文です。 「On the importance of inhibition: central and peripheral manifestations of nonlinear inhibitory processes in neural systems.」 vxiii) 引用中の文献番号「[38]」は次の論文です。 「Objective evidence of cognitive complaints in Chronic Fatigue Syndrome: a BOLD fMRI study of verbal working memory.」 ixx) 引用中の文献番号「[39]」は次の論文です。 「Central and autonomic nervous system interaction is altered by short-term meditation.※1 xx) 拙訳中の「VAS」については例えば次の資料を参照して下さい。 「疲労感VAS(Visual Analogue Scale)検査の記入方法について」 xxi) 拙訳中の「機能的磁気共鳴画像法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 xxii) 拙訳中の「ポジトロン断層撮影」(又は陽電子放射断層撮影)については例えば次の資料を参照して下さい。 「PET検査Q&A」 xxiii) ポリヴェーガル理論[Polyvagal theory、他の拙エントリのここの「最初に」を参照]の視点からの、拙訳中の「迷走神経」と「副交感神経」との関連は例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「Ⅰ.多重迷走神経理論 Polyvagal theoryについて」項[P350] 加えて拙訳中の「副交感神経活動及び交感神経興奮応答の抑制能力」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論における「迷走神経ブレーキ」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 xxiv) 拙訳中の「交感神経興奮性の皮質下脅威回路は通常、内側前頭前皮質の抑制・制御下にある」に関連する、トラウマの視点からの「もし扁桃体が脳の煙探知機なら、前頭葉(それもとくに、目のすぐ上に位置する内側前頭前皮質)は、高い場所から現場の眺めを提供してくれる監視塔と考えればいい」ことについては他の拙エントリのここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。 xxv) 上記「脳科学」に関連する論文例はここを参照して下さい。 xxvi) ちなみに、 a) 不安の自律神経機能評価についての次に紹介する資料もあります。 「心拍変動を用いた不安の自律神経機能評価について」 b) 慢性めまい症例への心拍変動バイオフィードバックを併用したリハビリテーションについての次に紹介する資料もあります。 「慢性めまい症例への心拍変動バイオフィードバック併用平衡リハビリテーションの臨床応用」 加えて、リハビリテーション領域で行われている心拍変動バイオフィードバックについては、次のWEBページを参照して下さい。 「バイオフィードバック/ニューロフィードバックの臨床応用」の「自律神経系への短期リハビリテーション効果を心拍変動(HRV)でみる」項 c) 拙訳はありませんが、「Heart rate variability biofeedback」(心拍変動バイオフィードバック)についての次に紹介する論文もあります。 「Heart rate variability biofeedback: how and why does it work?」(全文はここを参照して下さい) d) 同様に拙訳はありませんが、biofeedback(バイオフィードバック)により、HRV(Heart Rate Variability、心拍変動)が upregulation することについての次に紹介する論文もあります。 「Voluntary upregulation of heart rate variability through biofeedback is improved by mental contemplative training.」(全文はここを参照して下さい)

※1:上記論文よりも新しい、autonomic nervous system と Meditation に関連する論文例は次を参照して下さい。 「The Influence of Buddhist Meditation Traditions on the Autonomic System and Attention.」(全文はここを参照) ちなみに、 Meditation による扁桃体の活動における変化については例えば次の論文を参照して下さい。 「Meditation-induced neuroplastic changes in amygdala activity during negative affective processing.」(全文はここを参照)

上記「疲労すると変化すること」の例としての「自律神経機能」について、 a) 例えば次の資料があります。 「嗜好性を活かした疲労予防・回復研究」、「思春期の易疲労性と疲労回復性の定量評価法を活用した抗疲労研究」 b) 加えて、渡辺恭良、水野敬著の本、「おもしろサイエンス 疲労と回復の科学」(2018年発行)の 第2章 疲労のメカニズムとその計測 の「19 疲労すると変化すること」項における記述の一部(P59~P60)を次に引用します。

自律神経機能

皆さんは、疲労すると変化することについて、良く自分のこととしてわかっていると思います。疲労すると変化するものを計測すれば、疲労度の指標になります。以下に、それをまとめます。
もっとも成功しているものは、自律神経機能計測です。皆さんが疲労したり、体調が悪くなったりした時、全身調整機能である自律神経機能は確実に機能低下します。この体調調整機能の指標が自律神経機能と言い換えても過言ではありません。自律神経機能は、私たちの全身の神経免疫内分泌代謝機能を調節し、恒常性の維持を行っている中心の機能なのです。
自律神経系には、交感神経系と副交感神経系の二つの成分があり、それぞれ緊張系と癒やし・リラックス系の成分として、独立して動いているというより、お互いに関連しバランスを取って、心身の様々な活動に合わせて調整機能を発揮しています。疲労すると、特に双方のパワー値が低下し、また、副交感神経系の機能低下が強く、バランスが交感神経系優位の緊張パターンが続き、睡眠の質が悪くなり、ますます疲労を助長する負のスパイラルに入ります。
この交感神経系と副交感神経系とは、心電脈波や指先の加速度脈波を周波数解析することによりそれぞれの成分として検出できるので、低周波数成分(0・02-0・15Hz)は主に交感神経系成分、高周波数成分(0・15-0・40Hz)は主に副交感神経系成分として考えることができます。これらの年齢・性差に基づく標準パワー値やバランス比で疲労度を計測するデータベースが作られ、これに基づき、疲労度計が開発されました。(後略)

注:i) 引用中の「低周波数成分」及び「高周波数成分」については共に心拍変動(HRV)の視点から次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRV の主要な成分」項(P81) ii) 引用中の「神経免疫内分泌代謝機能」に関連するかもしれない資料は次を参照して下さい。 「疲労・倦怠感および慢性疲労症候群の病態

[A]上記論文の「2.4. HRV Analysis」項において、心拍変動の分析(HRV Analysis)について文献番号[20]で参照しているガイドラインHeart rate variability[拙訳]心拍変動」があります。このガイドラインの「Physiological correlates of HRV component」項における記述の一部(P365)を次に引用(『 』)します。 『Under resting conditions, vagal tone prevails[71] and variations in heart period are largely dependent on vagal modulation[72]. The vagal and sympathetic activity constantly interact. As the sinus node is rich in acetylcholinesterase, the effect of any vagal impulse is brief because the acetylcholine is rapidly hydrolysed. Parasympathetic influences exceed sympathetic effects probably via two independent mechanisms: a cholinergically induced reduction of norepinephrine released in response to sympathetic activity, and a cholinergic attenuation of the response to a adrenergic stimulus.[拙訳]安静条件下では、迷走神経の緊張が優勢であり[71]、心臓周期における変動は迷走神経の調節に大きく依存する[72]。迷走神経と交感神経の活動は常に相互作用する。洞結節にはアセチルコリンエステラーゼが豊富に存在するため、アセチルコリンは速やかに加水分解されるので、迷走神経刺激の効果は短い。副交感神経系の影響は、おそらく2つの独立したメカニズムを介して、交感神経系の影響を超える。すなわち、交感神経系の活動に応答して放出されるノルエピネフリンの減少のコリン作動性による引き起こし、そしてアドレナリン刺激への応答のコリン作動性の減弱である。』 (注:引用中の「迷走神経」は腹側迷走神経複合体の一部であると考えます。ちなみに、引用中の「副交感神経系の影響は(中略)交感神経系の影響を超える」ことに関連するかもしれない「迷走神経ブレーキ」については上記「腹側迷走神経複合体」を含めて次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項)

[B]上記論文の「4.4. Case Studies」項において、各被験者に対する予防策についての記述があり、これを次に引用(『 』)します。 『Moreover, from this information, preventive measures were proposed for each subject. There is no common MCS treatment protocol accepted across medical disciplines. Gibson et al. surveyed perceived treatment efficacy for conventional and alternative therapies reported by a person with MCS. As a result, participants rated chemical avoidance, creating a chemical-free living space, and prayer as the three most useful interventions [25]. On the other hand, cognitive therapy, such as mindfulness, are being explored as treatment option for MCS [26,27].[拙訳]さらに、この情報から、各被験者に対する予防策が提案された。医療分野を超えて受け入れられる一般的な MCS 治療プロトコルはない。Gibsonらは、MCS を伴う人から報告された従来療法及び代替療法に対する治療効果の認識を調査した。その結果、参加者は化学物質の回避、ケミカルフリーな生活空間の創出、及び祈りの3つを最も有用な介入法として評価した[25]。一方、マインドフルネス等の認知療法は、MCS の治療選択肢として探求されている[26,27]。』(注:i) 引用中の文献番号「[25]」は次の論文です。 「Perceived treatment efficacy for conventional and alternative therapies reported by persons with multiple chemical sensitivity.」 ちなみに、この論文を紹介する日本語のエントリ『メモ「自己申告ベースのMCSに効く治療法」』があります。 ii) 引用中の文献番号「26」は次の論文です。 「A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.」 ただし、上記「mindfulness-based stress reduction」(マインドフルネスストレス低減法[例えば参照])は認知療法には含まれないと考えます。 iii) 引用中の文献番号「27」は次の論文です。 「Mindfulness-based cognitive therapy for multiple chemical sensitivity: a study protocol for a randomized controlled trial.」 ちなみに、この論文の続きに相当する論文についての簡単な紹介は他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。)

ちなみに、脳疲労を防ぐ視点からのストレス対策の1つについて、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因3<仕事編>」(2017年発行)の 第六章 脳疲労とストレス・不調の深い関係 の「ストレスの原因を3つに分類して紙に書き出す」における記述の一部(P193~P195)をそれぞれ以下に引用します。

ストレスの原因を3つに分類して紙に書き出す
ストレス対策の1つに、原因となること、つまり、ストレッサーを紙に書き出すという方法があります。これは患者さんによく試みてもらう方法で、うつ病の予防や対策としても有効です。
まずはランダムでよいので、紙に箇条書きでストレッサーを書き出します。そしてその項目を、次の3つに分類します。

①自分で解決できること
②自分で解決できそうだが、いまはできないこと
③自分では絶対に解決できないこと

①の解決できることは、できるだけ速やかに解決に着手しましょう。③の絶対に解決できないことは171ページで述べたように、残念ですが、諦めるしかなく、また、諦めようとすることが重要なのです。その際には、解決できない自分の弱きや自責の気持ちを肯定的にとらえて評価するようにします。
しかしここで問題になるのは、②の「自分で解決できそうだが、いまはできないこと」です。この場合、疲労が溜まっていると思われる患者さんには、「いまできないのならいまは保留にしておき、その間に少しでも休息をとるのがベストでしょう」と話します。いまできるベストなことは何かと考えるとき、患者さんは積極的な行動と言える「何か」を探す傾向がありますが、選択肢に「休息」をとり入れてほしいとアドバイスをしています。
また、「いまできないことでも、近い将来なら解決できる可能性があるということを知ってほしい」と話します。精神的な疲労が強いときは、それ以上のエネルギーの消費を防ぐために、脳の神経ネットワークが、「できそうにない」という記憶を喚起し、そうした判断を下すようになります。しかしいまそう思っているだけで、疲労から回復すれば、「いまなら解決できる。解決しよう」と判断するようになり、実践できるかもしれません。
患者さんには、「いまはつらい時期なので保留にしておいて休息をとりましょう。そのうえで、1~2か月後にまたリストを見直してみましょう」と伝えます。実際には、3日ほどの休息で解決策を見出す人もたくさんいます。

注:引用中の「③の絶対に解決できないことは171ページで述べたように、残念ですが、諦めるしかなく、また、諦めようとすることが重要なのです」に関連する同本の P171 における記述を次に引用(『 』内)します。 『疲労医学と脳科学の観点から導き出した私の結論は、「コミュニケーションを通して他人を変えることは不可能であり。ただ疲れるだけ」ということです。』 ii) 引用中の「3つに分類」における「①自分で解決できること」と「③自分では絶対に解決できないこと」に関連する「平静の祈り」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

なお抗疲労食について、渡辺恭良、福田早苗、西澤良記、浦上浩著の本、「毎日の食事が疲れに効く! 抗疲労食」(2011年発行)の「食事で疲れをとる」における記述の一部(P9~P10)を次に引用します。

(前略)栄養素が代謝を活性化させ、元気にする
疲れを解消するには、細胞やタンパク質を傷つける活性酸素の発生を抑え、代謝を助ける栄養素をとって疲労回復システムを修復することが必要です。スムーズに稼動すれば、疲れにくくなり、過労予防にもなります。そこで注目されるのが、右の図にあるような栄養素です。

●ビタミンB1とα-リポ酸代謝のサポート役
ごはんやパンなどの炭水化物は、呼吸からとり入れた酸素を使ってエネルギーとなります。その過程で、ビタミンB1の助けが必要となります。ビタミンB1が不足すると、どんなに炭水化物だけを食べてもエネルギーに変えることができません。
α-リポ酸はビタミンの一種で、やはり炭水化物の代謝を促進させるほかに、活性酸素を防ぐ抗酸化作用があります。α-リポ酸が少なくなると、糖がエネルギーとして代謝されず、肥満の原因にもなります。抗酸化作用はビタミンCやEの数百倍もあるとされ、抗疲労の強力な助っ人です。

●脂質の分解を促すパントテン酸
桜えびやほうれん草などに含まれているパントテン酸は、ビタミンB2と協力して脂質の分解を促し、エネルギーに変える必要不可欠のビタミンです。ビタミンB2は納豆や牛乳に含まれています。

●分解物をエネルギー回路こ運ぶL-カルニチン
L-カルニチンは脂肪燃焼系アミノ酸で、エネルギー工場のミトコンドリアの膜を通過するために必要な物質です。ミトコンドリアは細胞内にある粒状のような細胞小器官で、エネルギー(ATP)をつくりだす発電所のようなものです。糖質や脂質からエネルギーを産出する器官で、分子の大きな脂肪酸はそのままでは通過できず、L-カルニチンと結合して初めて通ることができます。L-カルニチンは仔羊やかつお、赤貝などに多く含まれています。

クエン酸(TCA)回路をスムーズに動かすクエン酸
人には体を動かすためのエネルギーをつくるシステムが備わっています。TCA回路と呼ばれるもので、細胞の中にあるミトコンドリアによって酸素を使って行われ、エネルギーとなるATP(アデノシン三リン酸)がつくられます。糖質や脂質は、アセチルCoAという物質になってTCA回路にとり込まれますが、これだけでは、回路はスムーズに動きません。
TCA回路は、アセチルCoAがオキザロ酢酸やピルビン酸など8つの酸に分解される過程で、エネルギーをつくりだします。その最初の段階でアセチルCoAはオキザロ酢酸と反応します。ところが、このオキザロ酢酸は不安定で、不足しがちな酸なのです。足りなければ、回路がうまく回らず、さびついて効率よくエネルギーをつくりだせません。
そこで、強い味方になってくれるのが、クエン酸なのです。クエン酸は酢やかんきつ類に多く含まれている成分ですが、クエン酸にはオキザロ酢酸を増やす作用があり、滞った回路の動きをスムーズにする“はね車”の役割をしてくれます。

●栄養素をエネルギーに変えるコエンザイムQ10(CoQ10)
糖質、脂質、タンパク質に含まれている水素は、ミトコンドリアの電子伝達系に運ばれていき、呼吸からとり入れた酸素を使って水になります。その際に栄養素から大量のATPに変えてくれるのがCoQ10です。人の体に含まれている補酵素ですが、加齢とともに減少します。不足するとエネルギーの産出に支障が出るので、食べものから補うことが大切です。いわしやほうれん草などに多く含まれます。
またCoQ10は抗酸化作用を持ち、細胞膜の酸化を防ぎ、酸素の利用効率を高めます。

活性酸素を除去するイミダゾールジペプチド
イミダゾールジペプチドは、人や動物の骨格筋にある2つのアミノ酸総結合体で、渡り鳥が長時間翼を休めず飛び続ける原動力となっています。鶏の胸肉などにも多く含まれ、私たちの研究から強い抗酸化作用と疲労を軽減する効果を実証しました。
このほか、かんきつ類に含まれるイノシトールは、細胞膜を構成するリン脂質の大切な成分です。タンパク質からつくられるアミノ酸をエネルギーに変えるビタミンB6も、細胞を活性化するのに大切な栄養素です。神経伝達物質をつくるアミノ酸トリプトファンチロシンも欠かせません。(後略)

注:i) 引用中の「右の図にあるような栄養素」において、「右の図」の引用は省略しますが、ここで示されている栄養素は次にリストアップします。 「ビタミンB1」「α-リポ酸」「パントテン酸」「L-カルニチン」「クエン酸」「コエンザイムQ10(CoQ10)」「イミダゾールジペプチド」 ii) 引用中の「クエン酸(TCA)回路」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「D. クエン酸(TCA)回路」 iii) 引用中の(抗疲労プロジェクトにおいてもっとも効果的だというエビデンスが得られた)「イミダゾールジペプチド」[イミダペプチド]については、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因」(2016年発行)の 第四章 科学で判明した脳疲労を改善する食事成分 の『世界初のプロジェクトで判明した疲労回復成分「イミダペプチド」』における記述及び「イミダペプチドの抗酸化作用が抗疲労効果をもたらす」における記述の一部(P121~P124)をそれぞれ以下に引用します。ちなみに、本の P94~P95 には、「抗疲労プロジェクトの取り組み」について記載されています。

世界初のプロジェクトで判明した疲労回復成分「イミダペプチド
栄養ドリンクやエナジードリンクが科学的根拠がないまま疲労回復に役立つと誤解されている風潮の中、それでは、どのような成分が疲れに効くのかという科学的医学的な検証が行われています。
「はじめに」で紹介したように、2003年、大阪市立大学大阪市、食品メーカー、医薬品メーカーなど18社と総合医科学研究所が産官学連携で、「疲労定量化及び抗疲労食薬開発プロジェクト」をスタートさせました。長い名称ですが、その目的を端的に言うと、疲労を「みえる化」したうえで「疲労が軽減する食成分」を探そうという試みです。私はそのリーダーとして参加しましたので、本書で紹介している疲労に関する知見には、このプロジェクトに伴って得られた成果が少なくありません。
疲労成分を明らかにする実験は次のように行われました。96名の被験者に、エルゴメーターと呼ばれる固定式自転車を4時間漕ぎ続ける身体作業、または4時間デスクワークを続ける精神作業を行ってもらい、疲労負荷を与えます。それから4時間の回復期の間に、疲労の蓄積と回復の度合いを多角的に計測、評価していきます。
「抗疲労プロジェクト」では、この評価方法に基づいて、これまでに医薬界や一般企業、また社会的に疲労回復に効果があるとされていた23種類の食品中に含まれる成分の効果を評価しました。23種類の成分には、ビタミンC、クエン酸コエンザイムQ10、カルニチン、アップルフェノン、カフェインなどがあります。
このうち、もっとも効果的だというエビデンスが得られたのは、「イミダゾールジペプチド」(以下、イミダペプチド)という成分でした。
イミダペプチドという名称は、初めて耳にする人もいるでしょう。実は、我々が日常的に食べている食品に多く含まれている成分です。何に含まれているかというと、それは、鶏の胸肉です。
スタミナがつく食べものというと肉類が真っ先に頭に浮かぶ人も多いと思いますが、牛肉や豚肉と比べると、鶏肉は低カロリーでやや地味な存在です。その鶏肉の中でも、もも肉に比べるとあっさりした淡白な味わいの胸肉に、日本人を脳疲労から救ってくれる成分がぎっしり入っていることが、この研究で判明しました。
鶏の胸肉になぜ抗疲労成分が含まれているのかと不思議に思われるかもしれませんが、渡り鳥の行動を考えると合点がいきます。
渡り鳥は季節に応じて地上の広い範囲を飛び回っています。中でもキョクアジサシという渡り鳥は、1年の間に北極圏と南極圏を行き来しており、移動距離は3万km以上に達すると言われています。キョクアジサシを筆頭とする渡り鳥たちが、長時間疲れずに羽を動かして飛び続けることができるのは、羽を動かす筋肉である胸肉に抗疲労成分であるイミダペプチドが大量に含まれているからです。
家畜化された鶏はもちろん渡り鳥ではありませんが、野生の渡り鳥と同じように、胸肉にはイミダペプチドを含んでいます。
また、イミダペプチドを含んでいるのは鶏の胸肉だけではありません。渡り鳥と同じように海を回遊するマグロやカツオなどの大型魚にも含まれています。マグロやカツオは口とエラを通り抜ける海水を介して呼吸をしています。泳ぎを止めると窒息死するため、寝ている間も尾びれを動かしながら泳いでいます。その尾びれに近い筋肉に、イミダペプチドが豊富に含まれています。

イミダペプチドの抗酸化作用が抗疲労効果をもたらす
では、鶏の胸肉などに含まれるイミダペプチドは、どのようなメカニズムで抗疲労作用を発揮するのでしょうか。
繰り返しますが、疲労を引き起こす原因となるのは、活性酸素による酸化ストレスです。
イミダペプチドには酸化ストレスを軽減する抗酸化作用があり、そのことが疲労を軽減する効果をもたらすことが明らかになりました。(後略)

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【2】脳疲労防止の視点からのトップダウン及びボトムアップ処理について

最初に自閉スペクトラム症圏におけるトップダウン及びボトムアップ処理については、他の拙エントリのここを参照して下さい。次に脳疲労を防ぐ視点からの「トップダウン処理」について、梶本修身著の本、「すべての疲労は脳が原因3<仕事編>」(2017年発行)の 第一章 疲れない脳を作る の『脳疲労を防ぐ鍵は情報の「トップダウン処理」』、『複数の案件をさばく「マルチタスク」の力』及び『脳を楽にする「メタ認知」と「俯瞰」』における記述(P22~P31)、そして「客観的な認知力を高めるマンウォッチング」における記述の一部(P32~P33)をそれぞれ以下に引用します。

疲労を防ぐ鍵は情報の「トップダウン処理」
私たちは普段、多種多様な情報を受けとりながら生活しています。インターネットにはつねに大量の情報がアップされ、それらの情報にアクセスすることはビジネスや人との付き合いにおいて欠かせない作業です。スマートフォン(以下スマホ)が普及したのも、より早くより多くの情報へアクセスする利便性を現代人が求めたからにほかなりません。
こういった膨大な情報があふれる現代に生きていく中で、私たちはどうすれば脳を楽にできるのでしょうか。
その鍵となるものが「情報処理の方法」なのです。
日々の活動において膨大な情報と選択肢の中から、私たちはどのように1つの判断や行動をするべきでしょうか。
その答えはタスク(仕事、課題)や出来事などの情報処理の方法を効率的かつ迅速に行うことです。
認知心理学における情報処理のアプローチに、「トップダウン処理」と「ボトムアップ処理」と呼ぶ方法があります。ヒトが脳で情報を処理する仕組み、また方法として、この2つはよく比較されます。
トップダウン処理は「概念駆動型処理」とも呼ばれ、英語では、“conceptually driven processing”です。これは、すべてを包括する、より高次元の考え方から低次元の情報をみつめるという意味合いで、まず全体がどうなっているのかをあらかじめ持っている知識や経験から俯瞰して、個々の情報処理を行う方法です。
ボトムアップ処理とは「データ駆動型処理」、英語では“data driven processing”と呼ばれます。こちらはトップダウン処理とは対照的に、視覚や聴覚から集めた低次元のデータを積み上げて、高次元にまで徐々に組み立てていく情報処理の方法です。
たとえば人の顔をみるときに、まず全体の顔の雰囲気をみたうえで、どんな日や鼻をしているのかを理解するのがトップダウン処理で、目、鼻、口などをみてから顔を認識する方法がボトムアップ処理です。
アメリカの認知科学者のD・A・ノーマン博士は、「ヒトの情報処理の原理はこの2つの処理の相互作用にある」と指摘しています。
ヒトの成長過程において、情報処理はまず、ボトムアップ処理から始まります。たとえば、子どもが言葉を学習するには、ひらがなやアルファベットを覚えてから単語と文法を理解し、最終的には文章全体の意味を知るようになります。ひとたびボトムアップ処理で文章の意味をとらえることをマスターしたあとは、ひらがなやアルファベットといった低次元のレベルから情報処理を積み上げる必要はなくなり、これまでの知識と経験をいかしたトップダウン処理で高次元の文章の理解が行えるようになります。
そうしたことからわかるように、ボトムアップ処理は確実に情報を積み上げますが、いつもボトムアップ処理に頼っていると、1つの判断や行動を決定するのに多大な時間と労力を要することになり、脳には疲労が蓄積していきます。そのため、加齢によって脳の老化が進むと、必然的にボトムアップ処理の能力は下がります。
トップダウン処理の場合は、ひらがなやアルファベットの個別の情報を一覧する手間を省き、すでに獲得して蓄積した自らの知識や経験を踏まえて文章を解読するといった情報処理を進めます。これは、100%確実な結論に達する保証はありません。
しかし、トップダウン処理は知識や経験を重ねるごとに精度が上がり、時間と労力をそれほどかけなくても結論に達しやすくなります。そのため、トップダウン処理の力は加齢によっても落ちにくく、むしろ向上することもあります。年齢とともに、料理がてきぱきとできるようになる、仕事をこなす要領がよくなるなどということは一般に誰もが知っています。この理由は脳科学的には、ヒトの脳のトップダウン型の情報処理法によるのです。
初めてとりかかる仕事ではボトムアップ処理になるでしょうが、経験値が上がると過去の事例からトップダウン処理ができるようになります。若いときより自律神経のパワー(16ペ-ジ)が落ちて脳疲労が溜まっていると自覚するなら、ボトムアップ処理で確実性を求めず、トップダウン処理で要領を優先したほうが脳は楽でいられると言えます。
たとえば、仕事で何らかの資料を読まなければならない場合、資料内のすべての文言を一から理解しようとするのではなく、自分の仕事にさしあたって必要な文言だけをピックアップして理解し、あとで全体を読むといった方法です。

複数の案件をさばく「マルチタスク」の力
仕事では通常、複数の案件が同時に進行しています。顧客にメールでアポイントをとりながら、別の顧客と電話で納期を調整し、社内会議で提案する企画を考えて部下や上司と打ち合わせを繰り返し、販売を目指して営業活動を展開、トラブル処理にあたりながら次の案件を進める……。こういった複雑な作業は日常的に行われており、ビジネスパーソンには多くの業務を同時にこなす能力が求められます。
複数の案件、すなわちタスクを次々と切り替えて実行する、あるいは同時に実行する力を「マルチタスク」と表現しますが、ビジネスにおいてこのカを自然に使えるようになると、効率的に仕事を処理できます。
AさんとBさんという2人の秘書がいたとして考えてみましょう。
秘書Aさんは効率を考えて仕事をするタイプ。一方、秘書Bさんは、生真面目に細かな作業を繰り返し、すべてをこなそうとするタイプです。
上司が秘書にもっとも強く求めるものとは何でしょうか。それは自分に代わって処理すべき案件の重要度を評価してリスト化することでしょう。自分ひとりではさまざまな処理が追いつかないからこそ、秘書が必要なわけです。
要領よく仕事をする秘書Aさんの場合は、優先度が高くて本日中に処理する必要がある案件だけを上司に提出し、それ以外の婁度が低い案件はあと回しにするという見通しを立てられるため、上司もAさんもそう仕事を抱え込むことにはなりません。つまり前述のトップダウン処理で仕事をしています。
一方、秘書Bさんは重要度の評価をすることなく全ての案件を処理しようとするため、上司からすると自分の判断で処理してほしいと思うような些細な案件まで逐一、上司に指示を求めます。ボトムアップ処理で仕事をしているのです。結局、上司の判断待ちなど多くの案件を同時に抱え込むため、残業が増えてBさんも上司も疲れが溜まります。重要度の低い事柄を切り捨てることができないとあちらこちらに神経を使うことになって、やがてBさんは「疲れたなあ」と感じるはずです。この感覚は脳疲労の重要なサインですが、脳が疲れると情報の処理能力が低下するため、処理しきれない情報を次々に抱え込み、さらなる脳疲労をまねくという悪循環に陥ります。
私が脳疲労の観点から、Bさんにアドバイスをするとしたら、「手の抜き方を覚えましょう」ということです。手を抜くというのは、仕事をサボるという意味ではありません。具体的には、すべての案件を上司にそのまま伝えるのではなく、まずは、全体像を把握するために、重要度や緊急度を点数化して評価し、重要度が高いものから優先的に処理を進めるなどして仕事の効率化をはかることを指します。つまり、トップダウン処理を身につけようということです。具体的なタスクの処理方法については、第三章で述べます。

脳を楽にする「メタ認知」と「俯瞰」
トップダウン処理を行うための大切なキーワードがあります。それは、「メタ認知」です。
メタ認知とは、アメリカの心理学者ジョン・H・フラベル博士が提唱した用語であり、1970年代以降に世界中に広まりました。
「メタ(Meta)」とは「高次の」という意味の接頭語で、メタ認知とは、「高次の認知」「認知を認知する」という意味です。自分がいま行っている知覚や思考、記憶、行動などの認知を客観的に別の立場からとらえて評価し、コントロールする脳の活動を言います。
メタ認知は「大脳皮質」が発達しているヒトにおいてもっとも高度な能力であり(一部の霊長類やイルカには部分的に備わっていると考える研究者もいます)、5~6歳ごろから徐々に育成されると言われます。大脳皮質とは、大脳の表面を覆っている部分であり、2~5mmほどの厚みがあります。そこには神経細胞が密集していて、ヒトのそれはほかの動物と比べて飛び抜けて発達しており、高度な情報処理を担っています。
メタ認知の能力が高い人はよく、数学が得意と言われます。数学では通常、答えは1つでも、その正解を得るための方法は何通りかあります。その中でシンプルで容易な方法を選ぶのがセオリーですが、何通りもの方法からたった1つを選択する過程では、メタ認知が不可欠になるわけです。
囲碁や将棋で重視されている「大局観」も、メタ認知機能をいかした典型的なトップダウン処理です。大局観とは、盤面をばっとみたときに自分がいまどのような戦況に置かれているのかをみきわめる能力です。最近では「アルファ碁」というAI(人工知能)を活用したコンピュータ囲碁プログラムが世界トップレベルの棋士に勝利を重ねて、「AIにも大局観があった」と話題になりましたが、囲碁や将棋はメタ認知の力が問われるゲームです。
そう聞くと何やら高度な能力だと思われそうですが、私たちは日常の何気ない会話でもメタ認知をフルに使っています。その場に流れる目にみえない「空気」を読み、周囲の会話や雰囲気に合わせて、いま何を話すべきかを考えながら話すのは、メタ認知を使っている証拠です。
メタ認知が低い人とは、いわゆる空気が読めないと言われるタイプです。会社の宴会で、周囲が困るようなセクハラ発言を平気な顔でする、前後の会話と脈絡のない自慢話を延々とするなど、環境が理解できていない、また、自分の状態を認識していない人でしょう。
メタ認知を高めるための重要なポイントは、つねに自分と周囲を「俯瞰」しながら思考し、判断するくせを身につけておくことです。俯瞰とは、「メタ」と同じように、高いところから全体をみおろすという意味です。
たとえば、自宅周辺の風景を地図に描くとします。実際に自宅周辺を歩き回って地図に描くのではなく、近所でいちばん高いビルに上って、自宅周辺を俯瞰しながら描くのがメタ認知です。
こうしたメタ認知化、あるいは俯瞰化は、慣れるまでは意識づけが必要かもしれません。しかし、慣れてくると無意識のうちに誰でもできるようになります。1つの視点のみではなく、複数の視点から自分や自分をとり巻くものごとをみることができるようになり、素早く状況の全体像を俯瞰するトップダウン処理のスタート地点に立つ、あるいはトップダウン処理をすることが得意になります。そうすると脳の情報処理の負担が減り、疲れない環境が整っていきます。

客観的な認知力を高めるマンウォッチング
脳の機能が加齢によって総じて落ちてくるのは自然なことではありますが、メタ認知に関しては、40代、50代になっても比較的維持されやすいという特徴があります。
メタ認知を後天的に高める方法の1つに、できるだけいろいろなタイプの、男女や年代、世代、業種を超えた人たちと付き合うことがあります。(中略)

より手軽にメタ認知を高める方法として私が実践しているのは、まったく知らない人を黙って秘かに観察する「マンウォッチング」、そう、人間観察です。
たとえば、通勤電車に乗っているときに正面の座席に座っている人を観察して、その人の身なりや仕草、表情などから、どんな仕事をしていていま何を考えているのかと推察します。目の前のつり革につかまって会話している人たちがいたら、2人は同僚なのか、上司と部下なのか、どちらがどちらに好意を持っているのかなどをウォッチングしていきます。
そして、マンウォッチングに慣れてきたら、その対象人物が次にどのような行動をとるか、シミュレーションをしてみましょう。シミュレーションは、メタ認知機能を高めるうえでもっとも高等なテクニックです。いま、目の前で起きている事象を俯瞰的に把握し全体像を眺めることができるようになると、徐々に「次に何が起こるか」を推測できるようになります。ボトムアップ処理では、いま起こっている事象を理解するだけで先をみることはできませんが、メタ認知を鍛えて全体の流れがみえると、自然に次の動きがわかるようになります。

注:i) 引用中の「第三章で述べます」における、この引用は省略します。 ii) 引用中の「自律神経のパワー」については、ここを参照して下さい。  iii) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 加えて上記「メタ認知」と「注意」との関連は他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「アルファ碁」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「プロ棋士が見るアルファ碁の実力

加えて、不満や面倒くささが脳疲労を避けるきっかけになることについて、同章の「不満や面倒くささが脳疲労を避けるきっかけになる」における記述の一部(P42~P43)を、及び不要な情報はあらかじめ「断捨離」する(入らないように遮断する)ことについて、同章の『不要な情報はあらかじめ「断捨離」する』における記述の一部(P48~P49)を それぞれ以下に引用します。

不満や面倒くささが脳疲労を避けるきっかけになる
これまでみてきたように、脳を疲れさせないようにするポイントは、トップダウン処理を優先させることです。そして、そのきっかけを作るのは、「不満」や「面倒くさい」と思うことだと私は考えています。(中略)

仕事のような日々の行為でも「面倒くさいな」と思ったら、目の前の案件を何とか工夫したり簡単にできる方法を考えてみたりするものです。これがボトムアップ処理からトップダウン処理へ切り替えてみようという契機になり得るのです。
面倒くさい、サボる、手を抜くという言葉のマイナスのイメージにとらわれることなく、不満や面倒くさいという気持ちを肯定してください。(後略)

不要な情報はあらかじめ「断捨離」する
ヒトの脳はしばしばコンピュータにたとえられますが、両者には大きな違いがあります。その違いの1つであり、脳がコンピュータより優れている点は、感覚器官から入ってきた情報を脳に記憶させる前の段階で遮断する能力です。覚える能力はコンピュータのほうがヒトの脳を圧倒的に上回っていますが、情報を遮断する能力に関してはコンピュータよりも脳のほうが優れているのです。脳は脳にインプットされようとする情報の大半を無意識に選別して、記憶する前に捨てているのです。(中略)

脳がなぜ情報を遮断する能力に長けているかというと、記憶のキャパシティに限りがあるためです。情報がたくさん入力されると記憶のキャパシティはそれだけ小さくなるため、不要な情報は最初から入れないでおくほうが合理的です。いわば「情報の入力前の『断捨離』」です。記憶しないということです。
「断捨離」というと、溜まったものを捨てるというイメージが強いようですが、情報の「断捨離」のもっとも有効な方法は、溜め込むよりも前に、入らないように遮断することです。(中略)

家庭ゴミなら燃えるゴミと燃えないゴミにわけて収集日に出し、パソコンやスマホに記録したファイルは不要になれば削除すればすみます。しかし、一度脳で記憶した情報は、「これはいらないから削除しよう」と意識しても、物理的に削除することはできません。それではどうすればいいのかというと、捨てることを考える前に、初めから入力しないことが肝心です。
そして、水際で情報を遮断する「断捨離」を行うためには、必要な情報をピンポイントで引っ張ってくる力が必要になります。そのために欠かせないのが、つねに自分が関わる専門分野への問題意識を持つ習慣です。たとえば、医療従事者なら自分の専門領域の医療関連情報に、建設業従事者なら自分の専門の建築知識や建物構造の情報に注目するでしょう。そうした情報を集めるためのアンテナを意識的に張っておくと、必要な情報がスムーズに入力できます。アンテナがない場合は、やみくもに何でもインプットすることになり、情報の洪水に溺れて何も記憶することができず、やがて脳が疲れることになるでしょう。(後略)

さらに、不要な情報に惑わされないために、自分に関係ないことをスパッと切り捨てられることについて、同本の 第三章 疲れを溜めない働き方を身につける の『不要な情報に惑わされないのが真の「ポジティブ・シンキング」』における記述の一部(P102~P103)を、及び60%の力で70%の結果を出すと仕事の効率は高まることについて、同章の「60%の力で70%の結果を出すと仕事の効率は高まる」における記述の一部(P104~P105)を それぞれ以下に引用します。

不要な情報に惑わされないのが真の「ポジティブ・シンキング」(中略)

世界中でよく知られている企業のトップや政治家の中には、いつも同じパターンの服装でいる人がいます。それについて質問されたとき、「今日どんな服を着るか」という意思決定する必要がないため、と答える人が多いのです。これは複数の分野の心理学で言われることでもありますが、今日何を着て、何を食べるかといった生活上の小さな判断でも、繰り返すとエネルギーを消費し、次に仕事のタスクを判断する際に脳の働き下げる要因になるという考え方です。余計な判断を省いて脳のキャパシティを確保しているからこそ、「ここぞ」という肝心なときに迷わず正しい決断が下せるというのです。
私の知人の優秀な経営者は、周囲の人間がどう考えていようと、自分にとって不要な情報はまったく気にしません。彼らは、「気にしないように意識しているのではなく、本当に何も気にしていない」と言います。何ごとも肯定的にとらえることを一般的に「ポジティブ・シンキング」と言いますが、自分に関係ないことをスパッと切り捨てられる思考こそ、真の意味での「ポジティブ・シンキング」だと私は思います。自分にとって不要な情報は最初から眼中にないので、自然にポジティブな発想が生まれてくるのでしょう。(後略)

60%の力で70%の結果を出すと仕事の効率は高まる
日本の企業では仕事が終わると「お疲れさまでした!」という挨拶を交わします。この挨拶は海外のビジネスパーソンには意味が通じないと言います。成果はどうあれ、疲れるまで汗水垂らして100%頑張れという仕事文化が反映された日本独特の習慣であり、「今日も疲れるまでお互いよく働いたね」と満足し合っていると解釈されています。
対照的にアメリカでは、仕事が終わると「グッジョブ!(Good job!)」と声をかけます。頑張ったという過程ではなく、よい仕事をしたという結果を重視している表現でしょう。
努力や頑張り自体はよいことですが、それが原因で疲れているのなら、注いだ力と得られた結果のバランスを客観的に考えてみてください。もし疲労が溜まっていて冷静な判断が難しいと思う場合は、思い切って結果を重視するように考え方を切り替えてみましょう。
日常のビジネスシーンでは、100%の力で100%の成果を出そうと頑張るより、60%ぐらいの力で70%ほどの結果を出そうとするほうが、余力がある分、脳が疲れずに翌日につなぐことができます。
そもそも、人間に限らず動物すべて、100%の努力を続けることはできないのです。(後略)

注:引用中の「60%の力」に関連する「腹六分の生き方」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【3】虐待による脳における神経ネットワークへの影響について

標記について、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「12章 癒されない傷」における記述の一部(P137~P149)を次に引用します。

1 虐待による神経回路への影響

タイチャーらは、虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違いを調べた。すると、身体感覚の想起にかかわる「楔前部」(ここには感覚情報をもとにした自分の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが非常に密になっていた。同様に、痛み・不快・恐怖などの体験や、食べ物や薬物への衝動にも関係する「前島部」も密になっていた。つまり、こうした情報が伝わりやすい脳になっているということだろう。
一方で、意思決定や共感などの認知機能にかかわる「前帯状回」からの神経回路は、被虐待歴の無い人ではたくさん伸びているのに対し、虐待を受けた人はスカスカの状態であった。
はじめにも記したように、これらの調査は病院で行ったのではなくて、社会で普通に暮らしている人たちを対象としたものである。どの人も、18歳から25歳の調査時点ではPTSDを発症しているわけではなく、うつ病と診断されているわけでもない。大学に通ったり仕事をしていたりと、一般社会に適応している人たちである。つまり、これらの脳の変化は、疾患や障害の影響で起きた変化ではない。それなのに、トラウマの痕跡が脳に刻まれているのだ。虐待自体がもたらした変化と考えて間違いない。

2 脳の変化はなぜ起きたのか

それでは、このような脳の変化はなぜ起きたのだろうか?
解析結果を見たとき、最初は「ひどい目にあってきたから、脳がこわされてしまった!」と思った。つらい経験がこころを壊し、脳を壊してしまったのだ!
過酷な時代に適応して生き延びるためには、大きな対価を払うこととなる。生物は、その時の生命を維持することを第一優先とする。強い副作用を伴うが効果の高い薬があるとしよう。風邪を引いたときにその薬を飲むだろうか? ほとんどの人は、少々風邪が長引くとわかっていても、薬は飲まないという選択をするだろう。しかし、命の危険がある病、たとえばガンに冒された場合に使用をためらうだろうか? 副作用が伴うことがわかっていても、多くの人がまずは命の維持を最優先するであろう。
脳も同様の選択をする。非常に危険な状態におかれた場合、生存の維持を最優先し、長期的な作用は考慮しない。副作用が強くとも、薬を服用することを選択する。その薬がコルチゾルである。前の章でも述べたが、虐待などをはじめとしたストレスを受けると、そのダメージから回復するためにコルチゾルを分泌する。そして、コルチゾルは非常に優秀な働きをする。実際、人間は一度きりの過酷な体験に対しては高い回復力を持っているといわれる。しかし、虐待のような長く継続して続くストレスには、コルチゾルはむしろ毒となる。長期的に多量に分泌すれば、海馬を破壊してしまうという副作用を伴うのだ。
また、扁桃体が興奮し続けると、キンドリング現象と呼ばれるものが起きる。これは、神経細胞が何度も刺激にさらされることで、少しの刺激でも反応が起きるようになっていくしくみだ。こうして繰り返しストレスを体験することによって、ストレスに弱い脳になっていく。また、このキンドリング現象は、幼い脳ほど起こりやすい。
このような影響はとてもゆっくりで、時間が経ってから現れてくる。
10章でも紹介したが、子どものラットを生後2日から20日目まで毎日4時間、母ラットから隔離するという実験がある。母ラットから隔離されたストレスによって、ラットの海馬の発達が阻害される。しかし、その影響はすぐには出て来ず、ラットが「成人」する頃になって、初めて明らかになる。
つまり、短期的に見れば生きのびるために不可欠な反応が、長期的にはさまざまな困難や不都合を引き起こす。成人してからのアルコール・薬物依存や、うつ病摂食障害自傷、自殺企図などの精神的な問題の原因の少なくとも一部は、脳の発達段階で高い負荷がかけられたことであろう。実際、依存症でもうつ病でも、背景にトラウマがあるケースは、そうでないケースに比べて発症年齢が低く、多重の診断が多く、初期治療への反応がよくないのである。
しかし、研究を進めるにしたがって、脳の変化の理由は、このような脳への負荷による傷だけでは無いと考えるようになった。脳の変化は「過酷な状況の中でもなんとか適応して生きてきた、そのあかし」でもあるのではなかろうか。
深刻な虐待を体験した人では、恐怖をつかさどる扁桃体が過活動になる。いってみれば、常に危険に対して警戒態勢にあるということだ。
視覚、聴覚、身体感覚などにかかわる部分が過剰に活動しているのは、外界の刺激に対して敏感になっていることを示す。たとえば、周囲の人間がみんな敵だとしたら? いつ爆弾が落ちてきてもおかしくない世界だとしたら? 小さな音に反応し、少しの動きを察知し、空気の変化を敏感に肌で感じ取る… こうした敏感さは、生き残るためにもっとも重要な能力であろう。
逆に、身体的虐待を受けて育った人の「痛みの伝導路」が細くなっているのもうなずける。痛みを感じにくくすることで自分を守ろうとしたのに違いない。
人間のみならず、地球上の生物は、環境の変化に自分自身を適応させることで過酷な世界を生き抜いてきた。魚や爬虫類の中には、環境が苛酷になると生き残りのために性別が変わるものもある。平和な環境から苛酷な環境に変化した時、同じ生活をしていたらすぐに死んでしまう。生物は、今の環境にもっともふさわしい遺伝子だけが勝ち残ることによって現在の環境に適応するように進化してきた。そして、そうやって勝ち残るためには、そもそも「変化に強い」ということこそ、大きな強みである。その時その時の環境にあわせて、それに適した戦術を使うことができれば、どんな環境でも有利に生き残ることができる。(後略)

注:i) 引用中の「前帯状回」に関連する「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「前島部」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「扁桃体」についてはトラウマの視点から他の拙エントリのここここ、そしてここを参照して下さい。 iv) 引用中の「キンドリング」については他の拙エントリのここも参照して下さい。 v) 引用中の「虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違い」の具体的な図については、論文における次に紹介する図を参照して下さい。 「Childhood Maltreatment: Altered Network Centrality of Cingulate, Precuneus, Temporal Pole and Insula」の Figure 1 又は 「The effects of childhood maltreatment on brain structure, function and connectivity」の Figure 6 ちなみに、a) Left anterior cingulate は 左前帯状回、Right anterior insula は右前島部、Right precuneus は右楔前部、Maltreated はマルトリートされた(これに関連する「マルトリートメント」についてはここを参照して下さい)、Unexposed は曝露されない です。 b) 後者の論文要旨について次に引用します。

The effects of childhood maltreatment on brain structure, function and connectivity.[拙訳]子ども時代のマルトリートメントが脳の構造、機能及び接続性に及ぼす影響(全文はここを参照して下さい)

Maltreatment-related childhood adversity is the leading preventable risk factor for mental illness and substance abuse. Although the association between maltreatment and psychopathology is compelling, there is a pressing need to understand how maltreatment increases the risk of psychiatric disorders. Emerging evidence suggests that maltreatment alters trajectories of brain development to affect sensory systems, network architecture and circuits involved in threat detection, emotional regulation and reward anticipation. This Review explores whether these alterations reflect toxic effects of early-life stress or potentially adaptive modifications, the relationship between psychopathology and brain changes, and the distinction between resilience, susceptibility and compensation.


[拙訳]
マルトリートメントに関連する子ども時代の逆境は、精神疾患及び薬物乱用に対する主要で予防可能なリスク因子である。マルトリートメントと精神病理との間の関連は説得力があるが、マルトリートメントが精神障害のリスクをどのように高めるのかを理解する切迫した必要がある。新たな証拠は、マルトリートメントが、脅威の検出、情動調節、報酬の予測に関与する感覚系、(神経)ネットワークアーキテクチャと回路に影響を及ぼす脳の発達の軌道を変えることを示唆する。これらの変化が、幼少期ストレス又は潜在的な適応性改変の毒性効果、そして精神病理や脳の変化と、レジリエンス、感受性や補償との間の関係を反映するかどうかを本レビューは探究する。

注:i) 拙訳中の「マルトリートメント」については次のWEBページを参照して下さい。 「マルトリートメント児の愛着不安にはオキシトシン受容体の DNA スイッチが関与している」の「(注1)」項 ii) 拙訳中の「ストレス」については次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学事典」 iii) 拙訳中の「報酬」に関連する「報酬系回路」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「行動嗜癖 - 脳科学事典」の「報酬系回路」項 iv) 拙訳中の「レジリエンス」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「レジリエンス ~多様な回復を尊重する視点~

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【4】右眼窩前頭皮質の損傷により嗅覚を失った男について

標記について、ゴードン・M・ジェファード著、小松淳子訳の本、「美味しさの脳科学 NEUROGASTRONOMY においが味わいを決めている」(2014年発行)の 第25章 意識・無意識とのかかわり の「嗅覚を失った男」における記述の一部(P304~306)を次に引用します。

嗅覚を失った男

ソベルらがヒト被験者において得たこの所見は、ノースウェスタン大学のジェイ・ゴットフリートが二〇一〇年に報告した珍しい症例によって裏付けられた。患者の名前はSとしておこう。年齢は三六歳。階段から転げ落ちて右頭部を強打し、病院に運ばれた。頭を打ったせいで右前頭葉に出血があったものの、順調に回復した。ただひとつ、問題が残った。嗅覚を完全に失ってしまったのだ。「無嗅覚症」と呼ばれる嗅覚障害である。fMRIで検査したところ、損傷を受けたのは右眼窩前頭皮質だけで、他の嗅覚系の構造物は無傷だった。この患者の話を聞きつけたゴットフリートは、においの意識的知覚に右眼窩前頭皮質がどのような役割を担っているか調べられる、まれに見る機会だと気づいた。そこでSを研究室に呼んで検査したのである。
心理アセスメントでSの心理状態は正常と判定されたため、ゴットフリートらは「においスティック」を使う標準検査法で(オルソネイザル経路の)嗅知覚を調べた。においスティックというのは、においのビーズでコーティングした小さなへラのことだ。検査の結果、Sは左右どちらの鼻孔でも、高濃度のにおいでさえ、いっさい嗅ぎ取れないと分かった。損傷を受けたのは右眼窩前頭皮質だけであったため、この検査で、新皮質レベルでの意識的なにおい情報の処理は右眼窩前頭皮質がほぼ一手に引き受けているという考えが裏付けられたわけである。こうした「側性化」(脳の特定の機能が左右いずれかの脳に偏在している状態)は、感覚系では異例のことだ。
ところが、無臭の対照試料との比較検査では、S自身はにおいを意識していなかったにもかかわらず、左側(損傷していない側)に、におい検知能力があるという結果になった。ならば、右側の嗅覚路は機能していなくても、左側は正常ということではないか。この結果と重なり合うように、脳スキャンでは、左側の嗅覚路、つまり嗅皮質および眼窩前頭皮質と、においの高次処理にかかわっているとされる扁桃体の賦活が認められた。しかも、右側嗅覚路も、右眼窩前頭皮質にこそ活動は見られなかったものの、嗅皮質のレベルまでは賦活すると分かった。仕上げに行ったのが、皮膚電気反射を調べる、いわゆる「うそ発見器」による検査である。結果、左右いずれの鼻孔に刺激を与えた場合にも、情動反応が認められた。これもまた、意識して知覚していなくとも左側が応答している証拠である。
対照実験として、脳に損傷がなく、左右の鼻孔でにおいを正常に感知できる健常被験者の脳スキャンを行ったところ、右側嗅覚路にいっそう活発な活動が見られた。におい処理は右脳に側性化する傾向にあるという見方の裏付けが取れたわけだ。ご存じのとおり、右脳は論理的思考よりも芸術的創造性に優れていると言われているのだから、これは興味深い。右脳こそ、におい知覚の精緻化にふさわしい存在なのではないか。ゴットフリートらは次のように結論している。

患者Sの左側鼻孔ににおい刺激を与えるとしかるべき末梢および中枢の応答が誘発された。この所見は、左側嗅覚系はほぼ温存されていて、においの知覚・情動的内容の処理を支えられる状態にあるものの、そのにおいに意識的な気づきや感情を持たせることはできないことを示唆するものである。本研究で得られたデータを総合的に捉えるならば、上流へ向かう嗅覚メッセージの意識的知覚への変換を円滑に進めるうえで右OFC(眼窩前頭皮質)が中心的な役割を担っていることを裏付ける初めての証拠らしきものが得られたと言えよう。(後略)

注: i) 引用中の「オルソネイザル経路」(Orthonasal 経路)については、次の資料を参照して下さい。 「味とにおいの奏でる食のハーモニー(味わいの脳科学)」の図1 ii) 引用中の「fMRI」(機能的磁気共鳴画像法)については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用

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【5】手綱核及びうつ病の視点からの反報酬系について

最初に標記反報酬系についての簡単な説明について、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第7章 基底核扁桃体,小脳と前頭葉-手続き的学習と認知的柔軟性 の 7.3 前頭葉扁桃体による脅威,恐怖からの学習 の「7.3.3 手綱核-負の報酬と自律神経系」項における記述の一部(P212)を以下に引用(『 』内)します。 『基底核が中脳の腹側被蓋野黒質緻密部などに分布するドーパミンという正の報酬に基づいて行われる強化学習に対して,近年ドーパミンニューロンを抑制するきわめて強力な系があることがわかってきました(Hikosaka, 2010; Baker et al., 2016; Mizumori and Baker, 2017).その一つが手綱核です(図7.8).』(注:i) 引用中の「図7.8」の引用は省略します。 ii) 引用中の「Hikosaka, 2010」は次の論文です。 「The habenula: from stress evasion to value-based decision-making.」 iii) 引用中の「Baker et al., 2016」は次の論文です。 「The Lateral Habenula Circuitry: Reward Processing and Cognitive Control.」 iv) 引用中の「Mizumori and Baker, 2017」は次の論文です。 「The Lateral Habenula and Adaptive Behaviors.」)

次に上記「Mizumori and Baker, 2017」の論文及びうつ病における外側手綱核の役割に関する複数の論文を次に紹介します。
論文「Control of behavioral flexibility by the lateral habenula.[拙訳]外側手綱核による行動の柔軟性の制御」の論文要旨(参照、全文はここを参照)を次に引用します。

The ability to rapidly switch behaviors in dynamic environments is fundamental to survival across species. Recognizing when an ongoing behavioral strategy should be replaced by an alternative one requires the integration of a diverse number of cues both internal and external to the organism including hunger, stress, or the presence of reward predictive cues. Increasingly sophisticated behavioral paradigms coupled with state of the art electrophysiological and pharmacological approaches have delineated a brain circuit involved in behavioral flexibility. However, how diverse contextual cues are integrated to influence strategy selection on a trial by trial basis remains largely unknown. One promising candidate for integration of internal and external cues to determine whether an ongoing behavioral strategy is appropriate is the lateral habenula (LHb). The LHb receives input from many brain areas that signal both internal and external environmental contexts and in turn projects to areas involved in behavioral monitoring and plasticity. This review examines how these connections, combined with recent pharmacological and electrophysiological results reveal a critical role for the LHb in behavioral flexibility in dynamic environments. This proposed role extends the known contributions of the LHb to motivated behaviors and suggests that the fundamental role of the LHb in these behaviors goes beyond signaling rewards and punishments to dopaminergic systems.


[拙訳]
動的な環境において行動を迅速に切り替える能力は、種を超えて生き残るために必須である。進行中の行動戦略をいつ代替戦略に置き換えるべきかを認識するには、飢餓、ストレス、又は報酬を予測する手がかりの存在等の生物の内外にある多種多様な手がかりを統合する必要がある。最先端の電気生理学的及び薬理学的アプローチと結びついた、ますます洗練された行動パラダイムは、行動の柔軟性に関与する脳回路の輪郭を描き出した。しかしながら、多種多様な文脈的な手がかりがどのように統合されて試行ベースによる試行の戦略的選択に影響するかは、ほとんどわかっていない。進行中の行動戦略が適切かどうかを判断するための、内外の手がかりの統合の有望な候補の1つは、外側手綱核(LHb)である。LHb は内側及び外側からの環境文脈の両方を通知する多くの脳領域から入力を受け取り、そして今度はさらに行動の監視及び可塑性に関与する領域に投射する。本レビューでは、最近の薬理学的及び電気生理学的結果と組み合わせて、動的環境での行動の柔軟性における LHb の重要な役割を、いかにしてこれらの結合があわわにする方法を調査する。LHb の既知の寄与をモチベーションのある行動にこの提唱された役割は拡張し、そしてこれらの行動における LHb の基本的な役割は、ドーパミン作動系への報酬及び罰のシグナル伝達を超えることを、この提唱された役割は示唆する。

次にうつ病における外側手綱核の役割に関する複数の論文を次に紹介します。
① 論文「A Major Role for the Lateral Habenula in Depressive Illness: Physiologic and Molecular Mechanisms.[拙訳]うつ病における外側手綱核の主要な役割:生理学的及び分子的メカニズム」の要旨(参照、全文はここを参照)を次に引用します。

Emerging preclinical and clinical evidence indicate that the lateral habenula plays a major role in the pathophysiology of depressive illness. Aberrant increases in neuronal activity in the lateral habenula, an anti-reward center, signals down-regulation of brainstem dopaminergic and serotonergic firing, leading to anhedonia, helplessness, excessive focus on negative experiences, and, hence, depressive symptomatology. The lateral habenula has distinctive regulatory adaptive role to stress regulation in part due to its bidirectional connectivity with the hypothalamic–pituitary–adrenal (HPA) axis. In addition, studies show that increased lateral habenula activity affects components of sleep regulation including slow wave activity and rapid eye movement (REM), both disrupted in depressive illness. Lack of perceived reward experienced during the adverse outcomes also precipitates lateral habenula firing, while outcomes that meet or exceed expectations decrease lateral habenula firing and, in turn, increase midbrain dopaminergic and serotonergic neurotransmission. The ability to update expectations of the environment based on rewards and aversive stimuli reflects a potentially important survival mechanism relevant to the capacity to adapt to changing circumstances. What if one lives in a continuously aversive and invalidating environment or under the conditions of chronic stress? If there is a propensity of the habenula to release many burst discharges over time, an individual could habitually come to perceive the world as perpetually disappointing. Conceivably, the lateral habenula could learn to expect an adverse outcome systematically and communicate it more easily. Thus, if the lateral habenula fires more frequently, it may lead to a state of continuous disappointment and hopelessness, akin to depression. Furthermore, postmortem studies reveal that the size of the lateral habenula and total number of neurons are decreased in patients who had depressive illness. Novel research in the field shows that ketamine induces rapid and sustained antidepressant effect. Intriguingly, recent preclinical animal models show that ketamine abolishes N-methyl-D-aspartate receptor (NMDAR)-dependent lateral habenula bursting activity, leading to rapid resolution of depressive symptoms.


[拙訳]
出現する前臨床的及び臨床的エビデンスは、うつ病の病態生理学において外側手綱核が主要な役割を果たすことを示す。反報酬中枢である外側手綱核における神経活動の異常な増加は、脳幹のドーパミン作動性及びセロトニン作動性発火のダウンレギュレーションを示し、快感消失、無力感、ネガティブな経験への過度の集中、そしてそれゆえに抑うつ症状をもたらす。外側手綱核は、視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸との双方向の結合に一部起因して、ストレス調節に対する特徴的な調節適応の役割を果たす。加えて、増加した外側手綱核の活動がうつ病において混乱した徐波活動と急速眼球運動(REM)との両方を含む睡眠調節の要素に影響を及ぼすことを、研究は示す。期待を満足する又はそれを超える転帰は、外側手綱核の発火を減少させ、逆に、中脳のドーパミン作動性及びセロトニン作動性神経伝達を増加させる一方で、有害な転帰中に経験される知覚された報酬の欠如は、外側手綱核の発火も促進する。報酬及び嫌悪刺激に基づく環境への期待を更新する能力は、変化する状況に適応する能力に関連する潜在的に重要な生存メカニズムを反映する。絶えず嫌悪的で無効な環境に住んでいる場合、又は慢性的なストレスの状況下にある場合にはどうなるであろう? もし時間の経過と共に多くのバースト放電を解放する手綱核の傾向があるならば、個人は習慣的に永続的な失望としての世界を知覚するに至り得るだろう。おそらく外側手綱核は、有害な転帰を体系的に予想し、それをより簡単に伝えることを学習することができるだろう。従って、外側手綱核がより頻繁に発火する場合には、抑うつに似た継続的な失望及び絶望の状態をもたらすかもしれない。さらに、抑うつの患者において外側手綱核のサイズ及びニューロンの総数が減少することを、死後の研究は明らかにした。ケタミンが迅速かつ持続的な抗うつ効果を引き起こすことを、この分野における新しい研究は示す。興味深いことに、最近の前臨床動物モデルは、ケタミンがN-メチル-D-アスパラギン酸受容体(NMDAR)依存性外側手綱核バースト活性を無効にし、抑うつ症状の急速な解消をもたらすことを、最近の前臨床動物モデルは示す。

注:i) 標記「外側手綱核」については例えば次の資料を参照して下さい。 「負の経験から学ぶ脳のメカニズムを発見 ~嫌なことを避ける学習のために 2 つの脳領域が役割を分担~」の「注1) 外側手綱核(がいそくたづなかく)」項 ii) 拙訳中の「視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸」に類似した「」については次のWEBページを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「ケタミン」に類似した「」については次のWEBページを参照して下さい。

② 論文「Lateral Habenula Gone Awry in Depression: Bridging Cellular Adaptations With Therapeutics.[拙訳]うつ病における外側手綱核の主要な役割:生理学的及び分子的メカニズム」の要旨(参照、全文はここを参照)を次に引用します。

Depression is a highly heterogeneous disease characterized by symptoms spanning from anhedonia and behavioral despair to social withdrawal and learning deficit. Such diversity of behavioral phenotypes suggests that discrete neural circuits may underlie precise aspects of the disease, rendering its treatment an unmet challenge for modern neuroscience. Evidence from humans and animal models indicate that the lateral habenula (LHb), an epithalamic center devoted to processing aversive stimuli, is aberrantly affected during depression. This raises the hypothesis that rescuing maladaptations within this nucleus may be a potential way to, at least partially, treat aspects of mood disorders. In this review article, we will discuss pre-clinical and clinical evidence highlighting the role of LHb and its cellular adaptations in depression. We will then describe interventional approaches aiming to rescue LHb dysfunction and ultimately ameliorate depressive symptoms. Altogether, we aim to merge the mechanistic-, circuit-, and behavioral-level knowledge obtained about LHb maladaptations in depression to build a general framework that might prove valuable for potential therapeutic interventions.


[拙訳]
うつ病は、快感消失及び行動的絶望から社会的引きこもり及び学習障害に及ぶ症状により特徴づけられる非常に不均一な疾患である。このような行動表現型の多様性は、個別の神経回路が疾患の精密な側面の根底にあるかもしれなく、その治療は現代の神経科学にとって未解決の課題となっていることを示唆する。人間と動物モデルからのエビデンスは、嫌悪刺激の処理に専念する視床上部の中心である外側手綱核(LHb)が抑うつ時に異常に影響されることを示す。これは、この核内の不適応を解除することが、少なくとも部分的に気分障害の側面を治療する潜在的な方法であるかもしれないという仮説を提起する。このレビューでは、抑うつにおける LHb とその細胞適応の役割を強調する前臨床的及び臨床的なエビデンスについて、我々は論じる。そのうえに、LHb の機能障害を救い、そして最終的に抑うつ症状を改善することを目的とした介入アプローチについて、我々は記述する。つまるところ、抑うつにおける LHb の不適応について得られた機構レベル、回路レベル、及び行動レベルの知識を統合して、ひょっとして潜在的な治療的介入に役立つかもしれない一般的なフレームワークを構築することを、我々は目指す。

③ 論文「Dysregulation of the Lateral Habenula in Major Depressive Disorder.[拙訳]うつ病における外側手綱核の調節不全」の要旨(参照、全文はここを参照)を次に引用します。

Clinical and preclinical evidence implicates hyperexcitability of the lateral habenula (LHb) in the development of psychiatric disorders including major depressive disorder (MDD). This discrete epithalamic nucleus acts as a relay hub linking forebrain limbic structures with midbrain aminergic centers. Central to reward processing, learning and goal directed behavior, the LHb has emerged as a critical regulator of the behaviors that are impaired in depression. Stress-induced activation of the LHb produces depressive- and anxiety-like behaviors, anhedonia and aversion in preclinical studies. Moreover, deep brain stimulation of the LHb in humans has been shown to alleviate chronic unremitting depression in treatment resistant depression. The diverse neurochemical processes arising in the LHb that underscore the emergence and treatment of MDD are considered in this review, including recent optogenetic studies that probe the anatomical connections of the LHb.


[拙訳]
臨床的及び前臨床的エビデンスは、うつ病(MDD)を含む精神障害の発症における外側手綱核(LHb)の過剰興奮性を含意する。この個別の視床上部の核は前脳辺縁系構造と中脳アミン作動性中心とをつなぐ中継ハブとして働く。報酬処理、学習、及び目標指向行動の中心である LHb は、抑うつにおいて障害のある行動の重要な調節器として出現する。LHb のストレス誘発性の活性化は、前臨床試験抑うつ及び不安のような行動、快感消失及び嫌悪感を引き起こす。さらに、ヒトにおける LHb の脳深部刺激は、治療抵抗性うつ病における慢性持続性抑うつの軽減が示されている。LHb の解剖学的結合を調べる最近の光遺伝学的研究を含め、MDD の出現及び治療を強調する LHb において生じる多様な神経化学プロセスは、このレビューにおいて検討される。

注:引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【6】構成主義的情動理論における「身体予算管理」について、その他

最初に標記「構成主義的情動理論」を提唱する『「リサ・バレット」らによる最近の研究』について、ジョゼフ・ルドゥー著、駒井章治訳の本、「情動と理性のディープ・ヒストリー 意識の誕生と進化40億年史」(2023年発行)の 第15部 情動的主観性 の「第65章 情動脳は熱い」における記述の一部(P374)を次に引用(【 】内)します。 【リサ・バレットらによる最近の研究は、情動の処理と経験において、トップダウン制御、予測コーディング、能動的推論の重要性を実証しはじめている。】(注:引用中の「予測コーディング」の別名である「予測的符号化」については本項における「予測」を含めてを参照して下さい) 次に、構成主義的情動理論における「身体予算管理」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第4章 感情の源泉」における記述の一部(P118~P126)を以下に引用します。

(前略)いかなる身体の動きも、身体内の動きをともなう。ボールを捕るために自分の立つ位置をすばやく変えるためには、より深く呼吸する必要がある。毒ヘビから逃げる際には、心臓は拡張した血管を通して血液を迅速に送り出し、筋肉にグルコースを急送する。それによって心拍数は上がり、血圧が変化する28。脳は、このような体内の動きによって生じる感覚刺激を表象するのである。前述のとおり、この作用は内受容と呼ばれる29。
体内の動きや、内受容へのその影響は、生きている限りつねに生じている。スポーツをしたりヘビから逃げたりしていなくても、寝ている最中や休んでいるときにも、脳は心拍、血液循環、呼吸、グルコース代謝などの身体の活動を維持しなければならない。つまり、実際に積極的に特定の何かを見たり、何かの音に耳をそばだてたりしていなくても、視覚や聴覚のメカニズムがつねに機能しているのと同じように、内受容も持続的な活動なのである。
頭蓋内に封じ込められた脳の観点からすると、身体は説明を要する外界の一部にすぎない。心臓の鼓動、肺の呼吸、体温の変化、代謝によって、ノイズに満ちたあいまいな感覚情報が脳に送られてくる30。腹部の鈍痛などのたった一つの内受容情報が、胃の痛み、飢え、緊張、きつく締められたベルトなどの無数の原因を意味しうる。脳は、身体に由来する感覚刺激を意味あるものにして説明しなければならない。それを達成するための主な道具が予測なのだ。かくして脳は、自己の身体を持つ者の観点から世界をモデル化している。つまり頭部や手足の動きとの関係のなかで、外界から入って来た感覚刺激をもとに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に関する予測を行なっているのと同様、体内の動きによる感覚の変化も予測しているのである31。
体内の動きによって引き起こされる小さな動揺は、普段は気づかれない(「今日は肝臓の胆汁の分泌量が多い」などと考えたことなどないはずだ)。もちろん、頭痛や満腹、あるいは心臓の鼓動をじかに感じることはある32。しかし神経系は、そのような感覚を正確に経験できるようには構築されていない。これは実に運がよい。というのも、さもなければ他のことに注意を向けられなくなるからだ33。
内受容は通常、単純な快、不快、興奮、落ち着きなどの一般的な様態でしか経験できない。しかしときに、激しい内受容感覚の生起を情動として経験することがある。これは、構成主義的情動理論の重要な要素をなす。目覚めているときはつねに、脳は感覚刺激に意味を与えている。それには内受容に関する刺激も含まれ、その結果生成される意味は、情動のインスタンスでもありうる34。
情動がどのように作られるのかを理解するためには、主要な脳領域の機能をある程度知っておく必要がある。実のところ内受容の処理には脳全体がかかわっているが、内受容にとって特に重要な役割を果たすために連携しながら貢献している脳領域がいくつかある。わが研究室は、それらの領域が、視覚、聴覚などの感覚を処理するネットワークと似たあり方で、脳に固有の「内受容ネットワーク」を形成していることを発見した35。内受容ネットワークは身体に関する予測を行ない、そのシミュレーションの結果を身体からの感覚入力と比べ、脳が持つ、世界に内在する身体のモデルを更新する36。
議論をすっきりさせるために、独自の役割を担う二つの一般的な部位から成るものとして、内受容ネットワークを考えよう。一方の部位は、心拍を速める、呼吸のペースを落とす、多量のコルチゾールを分泌する、グルコース代謝を高めるなどして、体内の環境をコントロールするために身体に予測を送る一連の脳領域である。われわれはこれを「身体予算管理領域(body-budgeting regions)」と呼んでいる*。もう一方の部位は、体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域から成る37。
内受容ネットワークの二つの部位は、予測ループに関与している。身体予算管理領域が心拍数の高まりなどの運動の変化を予測するたびに、二つの部位は、それによってもたらされる胸の高鳴りなどの感覚の変化も予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれ、一次内受容皮質に入ってそこで通常どおりシミュレートされる38。一次内受容皮質はまた、所定の処理を行なうあいだ、心臓、肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。一次内受容皮質のニューロンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。
身体予算管理領域は、生存に重要な役割を果たす。脳が、内部であろうが外部であろうが身体のいかなる部位を動かすときにも、ある程度のエネルギー資源が消費される。エネルギーは、さまざまな内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。身体資源は、食べる、飲む、眠ることで補給され、また身体のエネルギー消費量は、近しい人々とリラックスすることで(セックスすることでも)低減する。これらすべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかのごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない39。そのために、企業が会社全体の予算運用のバランスを保つべく、預金や引き出し、あるいは口座間での資金の移動を管理する経理課を設置しているように、脳は身体の予算管理の責任を負う神経回路を設置している。この神経回路は、内受容ネットワーク内に存在する。かくして身体予算管理領域は、過去の経験を指針として予測を行ない、無事に生きていくのに必要な資源の量を見積もるのだ。
なぜそれが情動と関係するのか? なぜなら、人間の情動の拠点とされている脳領域はすべて、内受容ネットワーク内の身体予算管理領域でもあるからだ40。しかしこの領域は、情動の生成という形態で反応するのではない。そもそも反応するのではなく、身体予算を調節するために予測する。視覚、聴覚、思考、記憶、想像、そしてもちろん情動に関する予測を行なうのた。情動を司る脳領域という考えは、反応する脳という時代遅れの信念に基づく幻想と見なせる。今日の神経科学者はその点をわきまえているが、そのメッセージは、心理学者、精神科医社会学者、経済学者、あるいはその他の情動の研究者の多くには伝わっていない。
朝ベッドから起き上がるときであろうが、コーヒーをすするときであろうが、脳が動きを予測する際、身体予算管理領域は予算を調節する。身体が瞬間的なエネルギーを即座に必要としていることが予測されると、この領域は腎臓のそばにある副腎に、ホルモンのコルチゾールを分泌するよう指示する。コルチゾールは俗に「ストレスホルモン」と呼ばれているが、この呼び方は間違っている。コルチゾールは、エネルギーの高まりが必要とされるときはつねに分泌される。ストレスを受けているときは、そのような状況の一つにすぎない41。そのおもな目的は、血流をグルコースで満たしてただちに細胞にエネルギーを供給し、たとえば走るために筋肉細胞が伸縮できるようにすることだ。また身体予算管理領域は、なるべく多くの酸素を血流に運ばせるために深い呼吸をさせ、動脈を拡張することで迅速に酸素を筋肉に送らせて、身体が動けるようにする。このような体内の動きはすべて、内受容刺激をともなうが、脳はそれを正確に経験できるようには配線されていない。こうして内受容ネットワークは身体をコントロールしたり、身体予算を管理したり、感覚刺激を表象したりする。そして、これらの処理はすべて同時に実行される。
実際に身体を動かさなくても、身体予算は引き出されることがある。上司があなたのほうに向かって歩いてきたとしよう。あなたは、上司があなたの発言や行動を逐一評価するはずだと思っている。いかなる身体の動きも必要とされてはいないように思えても、あなたの脳は、自分の身体がエネルギーを必要としていることを予測して予算を引き出し、コルチゾールを分泌して血流をグルコースで満たす。またあなたの内受容刺激は急に高まる。それについてよく考えてみるとよい。じっと立っているときに誰かが近づいてくるだけで、あなたの脳は「燃料が必要だ!」と予測するのである。このようにして、身体予算に大きな影響を及ぼすいかなるできごとも、その人にとって意味のあるものになる。
数年前、わが研究室は心拍を測定する携帯装置を評価していた。装着者の心拍数が正常時より一五パーセント上がると、警告音が鳴るという装置であった。私が指導していた大学院生の一人エリカ・シーゲルは、この装置を身につけて自分の机で静かに仕事をしていた。しばらくは静かだったが、博士論文の指導担当だった私が研究室に入ってきたのを見た途端、装置が高らかに警告音を鳴らした。驚いた彼女はきまりが悪そうな顔をし、他のメンバーは皆おもしろがっていた42。それから私も装置を身につけたが、エリカとミーティングをしている最中、助成機関から何度かeメールを受け取り、そのたびに私の装置が高らかに鳴った(そのようなわけで、その日最後に笑ったのはエリカであった)。
わが研究室は(他の研究室と同じように)、脳の身体予算管理を何百回となく例証してきた。身体予算管理領域の神経回路の働きを介して資源が再配分され、ときに身体予算のバランスが崩れたり再び安定したりするのを確認してきたのだ。われわれは、コンピューター画面の前に被験者をじっとすわらせ、動物、花、乳児、食べ物、お金、銃、サーファー、スカイダイバー、交通事故などのモノや場面が映った画像を見せた43。するとそれらの画像は、被験者の身体予算に影響を及ぼし、心拍数を上げ、血圧を変化させ、血管を拡張した44。しかもこのような、身体に闘争もしくは逃走を準備させる変化は、動いていなくても、また、動こうとする意識的な意図を持っていなくても生じたのである。fMRIを用いた実験では、被験者がそれらの画像を見たときに、身体予算管理領域が体内の動きをコントロールしている様子が観察された45。さらに言えば、被験者が横になって完全にじっとしているときでも、この領域は、走る、サーフィンをするなどの動作を、また筋肉や関節や腱が動くときに伝達される感覚刺激をシミュレートしていた。また画像を見ることで、内受容の変化がシミュレートされ修正されるにつれ、被験者の感情も変化した。わが研究室による実験や他の数百の実験に基づいて言えば、実際に身体が動いていないときでさえ、類似の状況のもとで、あるいは同様な物体を対象にかつて得た既存の経験に依拠しつつ、脳が身体反応を予測していることを示す、すぐれた証拠が存在する。そしてその結果は、内受容感覚として現われる。
他者やモノが実際に存在しなくても、身体予算は撹乱されることがある。たとえば上司、教師、コーチなど、自分に関係する誰かを思い浮かべてみればよい46。いかなるシミュレーションも、情動になろうがなるまいが身体予算に影響を及ぼす。人々は、目覚めている時間の少なくとも半分を、周囲の世界に注意を払うのではなく、シミュレーションの実行に費やすことが判明している。この純粋なシミュレーションが、人々の感情を強く駆り立てているのである47。
自分の脳だけが身体予算の管理に関与しているのではない。他者も、あなたの身体予算を調節する。親友、両親、子ども、恋人、チームメイト、セラピスト、あるいはその他の近しい仲間とやりとりする際、あなたとパートナーは、呼吸、心臓の鼓動などの身体作用を同期させ、それによって実質的な利益を得ている48。恋人と手をつないだり、恋人の写真を机の上に飾ったりすることで、身体予算管理領域の活動は低下し、痛みに悩まされる度合いが軽減される49。丘のふもとに親友と立っていれば、その丘は、ひとりでいるときよりなだらかで楽に登れるように見える50。身体予算の慢性的なバランスの乱れや、免疫系の活動過多をもたらしうる貧困家庭で育った人は、支えになる人がいれば、その種の問題は緩和される51。それに対し、親密な愛情関係が失われ、そのせいで身体的な病にかかったと感じられる場合、その原因の一端は、身体予算を調節してくれる近しい人を失ったことにある52。そのときあなたは、自分の一部を失ったかのように感じるはずだ。なぜなら、実際に自分の一部を失ってしまったからである。
出会う人々、自分の予測や考え、さらには視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚などに関する予期されざる感覚入力はすべて、身体予算と、対応する内受容予測に影響を及ぼす。脳は、生きていくために必要な予測に由来する、絶えず変化しながら持続する内受容刺激の流れに対処しなければならない。私たちは、それに気づいていることもあれば、気づいていないこともある。しかしそれはつねに、脳が構築した世界のモデルの一部をなし、すでに述べたように、日常生活で誰もが経験している快、不快、興奮、落ち着きなどの単純な感情の科学的な基盤をなす53。この流れは、人によって清澄な小川の細流のようなものにもなれば、逆巻く大河のようなものにもなる。感覚刺激は情動に変換されることもあるが、これから見ていくように、背景に退いているときでも行動、思考、知覚に影響を及ぼす。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P121)を次に引用(『 』内)します。 『*=「辺緑」領域、「内臓運動」領域とも呼ばれる。脳は複雑な構造だが、話をわかりやすくするために、大脳皮質に位置する身体予算管理領域に的を絞る。扁桃体の中心核など、大脳皮質以外にも関連する領域は存在する。なお「大脳皮質」の意味で「皮質」という言葉を用いる。』 (ii) 引用中の原注番号「28」に関し、身体予算(Body-budgeting)と内受容(interoception)に関連する次のWEBページを参照して下さい。 「Body-budgeting and interoception」 (iii) 引用中の原注番号「29」に関し、内受容(interoception)のオリジナルの定義については次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception」 (iv) 引用中の原注番号「30」に関し、引用中の「内受容」(interoception)は不正確なことについては次のWEBページを参照して下さい。 「Interoceptive perception is imprecise」 一方、上記「内受容」は「現実として体験されるものの、もっとも重要な構成要素の一つ」であることについて、同における記述の一部(P142)を次に引用(【 】内)します。 【また内受容は、現実として体験されるものの、もっとも重要な構成要素の一つをなす。内受容を欠けば、世界は無意味なノイズと化すだろう。】 (v) 引用中の原注番号「31」に関連する論文は次を参照して下さい。 「Interoceptive predictions in the brain.」 (vi) 引用中の原注番号「32」に関し、身体感覚は自己報告は実際の感覚にほとんど対応しないことを含む内受容(interoception)と自己報告(self-report)とについては次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception and self-report」 (vii) 引用中の原注番号「33」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Interoceptive perception is imprecise」 (viii) 引用中の原注番号「34」の内容(P603)を次に引用(『 』内)します。 『激しい内受容刺激が身体的徴候として経験される場合もあれば、情動として経験される場合もある理由は、解明されていない。』 (ix) 引用中の原注番号「35」に関し、内受容ネットワーク(interoceptive network)の別名(すなわち、salience network と default mode network)に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Other names for the interoceptive network」 (x) 引用中の原注番号「36」に関し、内受容は脳全体のプロセス(whole-brain process)であることについては次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception is a whole-brain process」 (xi) 引用中の原注番号「37」に関し、引用中の「一次内受容皮質」(primary interoceptive cortex)については次のWEBページを参照して下さい。 「Primary interoceptive cortex」 (xii) 引用中の原注番号「38」に関し、他のあらゆる脳の内因性ネットワークは、少なくとも1つの脳領域で内受容ネットワークと重なることについては次のWEBページを参照して下さい。 「Overlapping networks」 (xiii) 引用中の原注番号「39」に関し、引用中の「身体の予算管理」(body budgeting)の科学的な別名であるアロスタシス(allostasis、参照)について、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第1章 はじめに-振動する脳のネットワーク の Key Word の「アロスタシス」項における記述(P24)を次に引用(【 】内)します。 【アロスタシスは allostasis の字訳で、“動的適応能”のように訳されることもあります.似たような言葉でホメオスタシスがあります.これは体内環境の安定性を「一定に維持する」ことを意味します.アロスタシスは,制御する対象の特性により「制御の仕方を変える」点がホメオスタシスと異なります.相手に合わせて自分を変えることは,実際には体内で起こることです.しかし,あまりストレスなどの負荷が大きいと自分が変わったまま,もとに戻れなくことがあります。これがアロスタティックロード(allostatic load)です.アロスタシスには対象を予測することが大切で,自律神経系などの脳神経系が役割を担うことがあります.脳のある部分がアロスタシスに関わることがわかってきました.】(注:引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。その上に、引用中の「ホメオスタシス」(homeostasis)については資料「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「4. 内受容感覚の予測的符号化」項[P5]を参照すると良いかもしれません。) 加えて、上記「allostasis」については拙訳はありませんが次の論文や Preprint を参照して下さい。 「Allostasis: a model of predictive regulation」、「Allostasis: A Brain-Centered, Predictive Mode of Physiological Regulation」、「Allostasis as a core feature of hierarchical gradients in the human brain」 その上に、(上記ホメオスタシスに対しやや複雑な)アロスタシスのメカニズムの例について、乾敏郎、坂口豊著の本、「脳の大統一理論 自由エネルギー原理とは何か」(2020年発行)の 5 感情――内臓感覚の現れ の「身体運動と内臓運動」における記述の一部(P73)を次に引用(『 』内)します。 『たとえば、強い直射日光のもとにいると体温が上がるが、そのまま日光のもとにいると脱水症状を起こしてしまうかもしれない。自分の体に蓄えられている水分だけでは足らなくなると予測すると、脳は脱水症状を引き起こす前に水分を補給するという行動をとる。また、前もって低血糖になることが予想される場合には、(低血糖になってからでは動けなくなってしまうので)食べ物を食べる行動を起こす。つまり、エネルギーを消費する前に低血糖の結果を予測し摂食行動をするのである。これによって、お腹がすいたから食べ物を探すといったことが自然に説明できる。』 さらに、上記「アロスタティックロード」については論文例を含めてここを、そして「アロスタティックロード」の別名である「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここここを それぞれ参照して下さい。ちなみに、上記アロスタシスの考え方を用いると「条件反射」(又は「パブロフの条件づけ」、他の拙エントリのここを参照すると良いかも)も同じように説明できることの主張について、上記「身体運動と内臓運動」における連続した記述の一部(P75~P76)を二分割して次に引用(それぞれ《 》内)します。 《アロスタシスの考え方を用いると、条件反射も同じように説明できる。動物にリンゴを与えると同時にベルの音を聞かせるということを何度も繰り返すと、やがて動物はそれらの随伴性を学習し、ベルが鳴っただけで唾液分泌を起こすようになる。これが有名な「パブロフの条件づけ」であるが、この現象は自由エネルギー原理の枠組みでは次のように説明できる。》(注:a) 引用中の「自由エネルギー原理」については例えば次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「2. 予測的符号化」項、「自由エネルギー原理 ―環境との相即不離の主観理論―」 b) 引用中の「アロスタシスの考え方を用いると、条件反射も同じように説明できる」に関連するかもしれない[引用中の「パブロフの条件づけ」において]「イヌの脳が、エサを食べる経験を〈予測〉し、食べるに先立って身体の準備を整えた」ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「バレット博士の脳科学教室 71/2章」[2021年発行]の「Lesson 4 脳は(ほぼ)すべての行動を予測する」における記述の一部[P097]を次に引用(【 】内)します。 【この効果は、パブロフの条件づけ、もしくは古典的条件づけと呼ばれているが、彼は脳の〈予測〉を発見したとは思っていなかった。イヌは、唾液を分泌することで音に反応したのではない。イヌの脳が、エサを食べる経験を〈予測〉し、食べるに先立って身体の準備を整えたのである。】[注:引用中の「〈予測〉」は同本の P019 によると「脳の無意識的な行動を準備機能を指す箇所を〈予測〉と山カッコつきで記す」ようです。加えて用語「予測」についてはここを参照して下さい])、《リンゴの摂食とベルの鳴動の随伴性が学習されると、ベルの音を聞いただけでリンゴを食べたときの内臓状態(つまり、唾液が分泌された状態)の予測が起こり、実際の内臓状態(唾液が分泌されていない状態)を表す内受容感覚とのあいだに誤差が生じる。ここで、その予測誤差が小さくなるように自律神経系で反射弓が働くことにより唾液分泌が生じるのである。》(注:1) 引用中の「予測」についてはここを参照して下さい。 2) 引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「反射弓」とは「反射に際して神経信号の通る全経路をいう」ようです。WEBページ「反射弓 - コトバンク」の「世界大百科事典 第2版の解説」項を参照して下さい。) 一方、「抑うつの症状は情動的反応の過活動や情動調整の障害というよりもアロスタシスの破綻によるものである」(Symptoms of Depression Are Due to Disrupted Allostasis Rather Than Hyperactive Emotional Reactivity and Impaired Emotion Regulation)との主張については拙訳はありませんが次の資料を参照して下さい。 「Allostasis, Action, and Affect in Depression: Insights from the Theory of Constructed Emotion」の「4.1. Symptoms of Depression Are Due to Disrupted Allostasis Rather Than Hyperactive Emotional Reactivity and Impaired Emotion Regulation」項 (xiv) 引用中の原注番号「40」の内容(P603)を次に引用(『 』内)します。 『これらの領域は「辺縁」と呼ばれ、それには扁桃体側坐核やその他の線条体の組織、前/中/後帯状皮質前頭前皮質腹内側部(眼窩前頭皮質の一部)、前部島皮質などが含まれる。』 (xv) 引用中の原注番号「41」に関し、引用中の「コルチゾール」については次のWEBページを参照して下さい。 「Cortisol」 (xvi) 引用中の原注番号「42」の内容(P603)を次に引用(『 』内)します。 『エリカの内分泌系や免疫系の反応を測定していたら、活動が高まっていることがわかったはずだ。たとえば身体予算管理領域の神経回路は、自律神経系に指令を出して免疫反応を調節し、動いているあいだに関節に炎症が起こらないようにする。Koopman et al. 2011 を参照。』(注:引用中の「Koopman et al. 2011」は次の論文です。 「Restoring the balance of the autonomic nervous system as an innovative approach to the treatment of rheumatoid arthritis.」 この続報かもしれない論文は次を参照して下さい。 「Balancing the autonomic nervous system to reduce inflammation in rheumatoid arthritis.」) (xvii) 引用中の原注番号「43」の内容(P603)を次に引用(『 』内)します。 『写真画像は IAPS(International Affective Picture System)を利用した(Lang et al. 1993)。』 (xviii) 引用中の原注番号「44」に関し、「皮膚コンダクタンス」(skin conductance)については次のWEBページを参照して下さい。 「Skin conductance」 (xix) 引用中の原注番号「45」に関し、引用中の「fMRIを用いた実験」については次の論文、WEBページを参照して下さい。 「Novelty as a dimension in the affective brain.」、「Differential hemodynamic response in affective circuitry with aging: an FMRI study of novelty, valence, and arousal.」、「fMRI」 (xx) 引用中の原注番号「46」の内容(P603)の一部を次に引用(『 』内)します。 『わが研究室は、認知科学者のラリー・バーサルーとクリスティ・ウィルソン=メンデンホール(博士課程ではラリーが指導していた学生で、その後わが研究室のポスドク生になった)と協力し合いながら、それを確かめた。この実験では、われわれは被験者に、与えられたシナリオの内容を思い浮かべるよう指示し、そのあいだに fMRI を用いて脳活動を観察した(Wilson-Mendenhall et al. 2011)。』(注:a) 引用中の「Wilson-Mendenhall et al. 2011」は次の論文です。 「Grounding emotion in situated conceptualization.」 b) 加えて引用中の「fMRI」を用いた研究については次のWEBページを参照して下さい。 「Scenarios imagined during our fMRI study」) (xxi) 引用中の原注番号「47」に関し、引用中の「この純粋なシミュレーションが、人々の感情を強く駆り立てている」ことに関連する論文は次を参照して下さい。 「A wandering mind is an unhappy mind.」 (xxii) 引用中の原注番号「48」に関し、引用中の「あなたとパートナーは、呼吸、心臓の鼓動などの身体作用を同期させ、それによって実質的な利益を得ている」ことに関連する論文は次を参照して下さい。 「Interpersonal Autonomic Physiology: A Systematic Review of the Literature.」 (xxiii) 引用中の原注番号「49」の内容(P603)を次に引用(『 』内)します。 『科学者たちは、電撃を用いた実験でそれを発見している(Coan et al. 2006; Younger et al. 2010)。論評は Eisenberger 2012; Eisenberger and Cole 2012 を参照。』(注:a) 引用中の「Coan et al. 2006」は次の論文です。 「Lending a hand: social regulation of the neural response to threat.」 b) 引用中の「Younger et al. 2010」は次の論文です。 「Viewing pictures of a romantic partner reduces experimental pain: involvement of neural reward systems.」 c) 引用中の「Eisenberger 2012」は次の論文です。 「The pain of social disconnection: examining the shared neural underpinnings of physical and social pain.」 d) 引用中の「Eisenberger and Cole 2012」は次の論文です。 「Social neuroscience and health: neurophysiological mechanisms linking social ties with physical health.」) (xxiv)) 引用中の原注番号「50」に関し、引用中の「丘のふもとに親友と立っていれば、その丘は、ひとりでいるときよりなだらかで楽に登れるように見える」ことに関連する論文は次を参照して下さい。 「Social Support and the Perception of Geographical Slant.」 (xxv) 引用中の原注番号「51」に関し、引用中の「身体予算の慢性的なバランスの乱れや、免疫系の活動過多をもたらしうる貧困家庭で育った人は、支えになる人がいれば、その種の問題は緩和される」ことに関連する論文は次を参照して下さい。 「Socioeconomic Status and Social Support: Social Support Reduces Inflammatory Reactivity for Individuals Whose Early-Life Socioeconomic Status Was Low.」 加えて「貧困家庭で育った子供たち」(children growing up in poverty)については次のWEBページも参照して下さい。 「Children growing up in poverty」 (xxvi) 引用中の原注番号「52」に関し、引用中の「親密な愛情関係」に関連するかもしれない論文例は次を参照して下さい。 「Coregulation, dysregulation, self-regulation: an integrative analysis and empirical agenda for understanding adult attachment, separation, loss, and recovery.」、「Relationships as regulators: a psychobiologic perspective on bereavement.」(全文はここを参照して下さい)、「Psychobiological Roots of Early Attachment」 (xxvii) 引用中の原注番号「53」の内容(P602)を次に引用(『 』内)します。 『それを「気分」と呼ぶ人もいる。』(注:引用中の訳語「気分」については以下を参照して下さい) (xxviii) 引用中の(身体予算管理における)「予測」に関連するかもしれない「予測的符号化」についてはを参照して下さい。  (xxix) 引用中の「情動」に関連する『「構成主義的情動理論」における情動の見方』については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxx) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (xxxi) 引用中の「知覚」については他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。 (xxxii) 引用中の「代謝」に関連する「エネルギー代謝」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「身体活動とエネルギー代謝」 (xxxiii) 引用中の「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に関する予測」にも関連する「感覚刺激の意味を予測」をはじめとして、構成主義的情動理論における「予測」を含む身体予算に結びついていると見なせる「概念」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第5章 概念、目的、言葉」における記述の一部(P182~P184)を次に引用します。

(前略)概念は、あらゆる行動や知覚に結びついている。そして前章で見たように、あらゆる行動や知覚は身体予算に結びついている。したがって、概念は身体予算に結びついていると見なせる。というより、事実結びついている。
新生児は、身体予算を自分で調節できない。だから保護者がその代わりをする。母親による授乳は新生児にとって、母親の顔を目にし、声を聞き、母親独自のにおいをかぎ、身体が触れ合うのを感じ、母乳(もしくは粉ミルク)を味わい、抱きかかえたりあやされたりすることで生じる内受容刺激を感じるなど、規則正しく起こる多感覚性のできごととして立ち現われる。新生児の脳は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、内受容感覚として、その瞬間の感覚的な文脈の全体をとらえる73。こうして、概念が形成されるようになる。つまり人間は、さまざまな感覚を動員して学習するのだ。体内の変化と、その内受容感覚への影響は、本人が気づいていようがいまいが、学習されたあらゆる概念の一部を構成する。
このような多感覚性の概念によって分類すると、同時に身体予算を調節する結果にもなる。乳児とボールで遊んでいるとき、私たちはそれを、色や形や手触り(さらには部屋のにおい、手や膝にあたる床の感覚、直前に食べたものの味覚など)ばかりでなく、その瞬間に生じた内受容刺激によっても分類している。そしてそれを通じて、ボールをたたく、あるいはくわえるなど、自己の行動の予測が可能になり、身体予算が影響を受ける。
おとなは、あるできごとが「きまりの悪さ」などの情動のインスタンスだと学ぶと、そのできごとに関連する視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、内受容感覚をまとめて概念としてとらえるようになる。また脳は、概念を用いてできごとの意味を理解するとき、状況全体を考慮に入れる。たとえば、海から浜に上がろうとしたとき、水着がずり落ちたとしよう。するとあなたの脳は、「きまりの悪さ」のインスタンスを構築するだろう。さらに概念システムは、過去に裸を見られたときに感じたきまりの悪さのインスタンスを抽出する。その種の裸体経験は、サウナから出て気分爽快になった裸体や、恋人と情熱的な午後を過ごしたあとの心地よい裸体を経験したときとは異なり、身体予算に多大を負荷をかける。あるいは脳は、そのときの状況によって、友人の誕生日を忘れたときのような個人的なきまりの悪さではなく、学校の授業中に間違った解答をした経験など、衣服を着ているときに公衆の面前で感じた「きまりの悪さ」のインスタンスを抽出するかもしれない74。このように、脳はその都度、状況に合った目的に従って、より包括的な概念システムから抽出する。かくして選ばれたインスタンスが、身体予算を適宜調節するよう促すのである。
どんな分類も、確率に依拠する。一例をあげよう。パリで休暇を過ごしているときに、地下鉄で見知らぬ人にしかめ面をされたとする。あなたは、それまでその人に出会ったことなどないし、そもそもパリを訪れるのは初めてだ。しかしあなたには、初めて訪れた場所で見知らぬ人にしかめ面をされた別の経験がある。だからあなたの脳は、過去の経験と確率に基づいて、予測に用いる概念の標本を構築できる75。その際脳は、「他に誰もいなかったか? それとも車両は混雑していたか?」「その人は男性だったのか、それとも女性だったのか?」「その人は眉を吊り上げていたのか、それとも額に皺を寄せていたのか?」など、細かな文脈に配慮することで、予測エラーが生じる可能性を最小限に抑えられる最適な概念が得られるまで確率を高めていく。この手法は、情動概念を用いた分類だ。あなたは、誰かの顔に情動を検知したり、確認したりしようとしているのではない。自己の身体に何らかの生理的なパターンを見出そうとしているわけでもない。そうではなく、あなたは確率と経験に基づいて、感覚刺激の意味を予測し説明しようとしているのだ。このような状態は、情動語を聞いたり、一連の感覚刺激に満たされたりするたびに起こることなのである。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「73」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Domain generality versus modality specificity: the paradox of statistical learning.」 (ii) 引用中の原注番号「74」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Concepts in individuals with visual impairments」 (iii) 引用中の原注番号「75」の内容の一部(P597)を次に引用(『 』内)します。 『ベイズの蓋然性ルールを用いる(Perfors et al. 2011)[後略]』 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Bayes' theorem in predictive coding」 (iv) 引用中の「前章で見た」ことに関する引用は省略します。 (v) 引用中の「概念」、「情動概念」及び「インスタンス」については共に他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (vi) 引用中の「知覚」については他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。 (vii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (viii) 引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを、これに関連する「内受容」についてはここの (iv) 項を それぞれ参照して下さい。 (ix) 引用中の「身体予算」についてはここを参照して下さい。

一方、引用における訳語「気分」を含む様々な訳語について同における訳語「気分」について、同本の「訳者あとがき」における記述の一部(P522)を次に引用します。一方、引用中の「身体予算管理」に関連する「バランスのとれた身体予算が維持できるよう生活様式を見直す」ことについて、同の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P308~P309)を以下に引用します。

(前略)▼気分(affect)――この用語は、心理学系の書物では「アフェクト」とカタカナ表記で記されるケースも多いのだが、本書は多くの一般読者を想定していること、そして出現頻度がかなり高いことに鑑みて、読みにくくならないよう「気分」という訳語を選んだ。
この訳語を採択するにあたっては、本文の「気分は内受容に依存することを覚えておいてほしい。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける」(一二七頁)などの記述を参照した。この訳語に問題を感じる読者は、本書で出現する「気分」は「アフェクト」と読み替えていただきたい。ちなみに著者に affect と feeling(感情)の違いを尋ねたところ、「ほぼ同義」という主旨の返事が戻ってきた(affect は専門的で、feeling は一般的な用語と考えているようである)。本文にも「本書における「気分」は、人が日常生活で経験している一般的な感情のことを表わす」(一二六頁)とある。(中略)

▼感情的ニッチ(affective niche)――「生態的地位」とも訳される生態学の用語「ニッチ」に類似する用語で、本書では身体予算(身体の生理的バランス)に影響を及ぼす、環境内のあらゆる事象を指す。

▼縮重(degeneracy)――本書における縮重は、同一の経験が、いくつかの異なる神経活動のパターンによって実現可能であるという、脳の働きの特殊なあり方を指す。この用語は、哲学での「多重実現可能性」、コンピュータ科学での「ポリモルフィズム」とほぼ同義だが、一般的には「ある機能を遂行するための物質レベルでの手段には、いくつかの方法や形態ががありうる」といった意味である。(後略)

注:i) この引用部の著者は藤井洋です。 ii) 引用中の『本書における「気分」は、人が日常生活で経験している一般的な感情のことを表わす』における「感情」には「フィーリング」のルビが振られています。

(前略)それでも生活には浮き沈みがある。愛情、あいまいな社会生活、不誠実な職場、うつろいゆく友情や愛情に翻弄されることもあるだろう。もちろん年齢を重ねるごとに、身体は徐々に衰えていく。そんな状況のもとで、感情を手なづけるために何ができるだろうか?
もっとも単純なアプローチは身体を動かすことだ。いかなる動物も、動くことで身体予算を調節する。身体が必要としている以上にグルコースが供給された場合、勢いよく木に登れば、エネルギーのレベルを安定した状態に戻せる。しかし人間は、純然たる心的概念用いることで、動かずに身体予算を調節する能力を持つ点で独自である。だがこの能力を発揮できなければ、人間も動物も同じだということを忘れてはいけない。億劫でも立ち上がって動き回ろう。音楽に合わせて踊ってみよう。公園で散歩しよう49。なぜその種の実践が有効なのか? 身体を動かせば予測が変わり、それによって経験が変わるからだ。また動くことは、肯定的な概念を前面に出すよう脳のコントロールネットワークを促す。(後略)

注:i) 引用中の原注番号「49」に関し、次のWEBページ、論文を参照して下さい。 「How Walking in Nature Changes the Brain」、「Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation.」 ii) 引用中の「予測」に関連するかもしれない「予測的符号化」についてはを参照して下さい。

次に、構成主義的情動理論の視点からの「他者の情動を知覚する能力を高めることで、健康を向上させる方法」及び「痛みやストレスなどの現象、あるいは慢性疼痛、慢性ストレス、不安障害、うつ病などの病気は、通常考えられている以上に関連しており、情動と同様な様態で構築されるという点を見ていく。この見方を理解するカギは、予測する脳と身体予算について正しく把握することにある。」ことについて、同の「第10章 情動と疾病」における記述の一部(P328~P334)を次に引用します。

かぜをひいたときのことを思い出してみよう。鼻水、せき、熱など、さまざまな症状が現われたはずだ。たいていの人は、かぜの原因をウイルスに帰している。しかし科学者が一〇〇人の被験者の鼻からかぜウイルスを注入したところ、罹患したのは二五パーセントから四〇パーセントにすぎなかった1。したがって、かぜウイルスをかぜの本質と呼ぶことはできない。もっと複雑な何かが起こっているに違いない。つまりウイルスは、必要条件ではあっても十分条件ではない。
集合的に「かぜ」と呼ばれる種々の症状の集まりは、身体のみならず心にも関係する。たとえば内向的な人やネガティブ思考の人は、細菌にさらされるとかぜにかかりやすい2。
構成主義的情動理論に基づく新たな人間観は、疾病に関することがらを含め、心と身体の境界を解体する。それに対して従来の本質主義的思考は、はっきりとこの境界を画する。脳が問題なら神経科医に、心が問題なら精神科医に診てもらおう、というわけだ。昨今の見方は心と脳を統合し、疾病をより深く理解するための指針を提供してくれる。
たとえば、不安障害、うつ病、慢性疼痛、慢性ストレスなどの疾病に罹患すると出現するさまざまな症状は、銀の食器を収めた引き出しのように、いくつかのタイプにきっちりと区分されているわけではない。それぞれの疾病には驚くほど多くの変種がある。また、疾病間の症状の重なりも非常に多い。このような状況には、聞き覚えがあるのではないだろうか。ここまで学んできたように、幸福や悲しみなどの情動カテゴリーには本質など存在しない。情動カテゴリーは、他者の身体や脳との共存という文脈のもとで、自己の身体や脳に備わる中核システムによって作られる。私が本章で述べたいのは、明確に定義できる疾病と思われているものにも、著しく多様な生物学的パイを切り分ける人為的な手段によって構築されたものがあるということだ。
疾病の理解に構成主義的なアプローチを適用すれば、いくつかの未解明の難題に答えることができる。「なぜかくも多くの障害が、同じ症状を呈するのか?」「不安や抑うつを抱える人が非常に多いのはなぜか?」「慢性疲労症候群は明確に定義できる疾病なのか? それともうつ病が、通常とは異なる見かけによって現われただけなのか?」「いかなる組織も損傷していないのに慢性疼痛に苦しむ人は、心の病にかかっているのだろうか?」「なぜ心臓病患者の多くが、抑うつの症状を呈するのか?」などである。異なる病名をつけられたいくつかの疾病が、一連の同じ要因に由来し、疾病間の境界があいまいなのであれば、謎は謎ではなくなるだろう。
この章は、本書でも推測的な部分がもっとも多い章になるが、データによる裏づけがあり、ここに提起する考えが、刺激的で興味深いと感じてもらえることを願っている。本章では、痛みやストレスなどの現象、あるいは慢性疼痛、慢性ストレス、不安障害、うつ病などの病気は、通常考えられている以上に関連しており、情動と同様な様態で構築されるという点を見ていく。この見方を理解するカギは、予測する脳と身体予算について正しく把握することにある。

身体予算は通常、脳が身体のニーズを予期し、酸素、グルコース、塩分、水分などの資源を循環させることによって、一日を通じて変動する。食物を消化している最中は、胃や腸は筋肉から資源を「借り」、走るときには、筋肉は肝臓や腎臓から資源を借りてくる。これらのやりくりが進んでいるあいだ、身体予算は支払い可能な状態に置かれている。
身体予算のバランスは、脳の予測がひどくはずれると失われる。このような事態は普段でもよく起こる。上司やコーチと話をするとき、担任の先生がこっちに向かって来るときなど、心理的に何か意味のあるできごとが起こると、脳は、誤って燃料が必要だと予測し、それによって生存のための神経回路が活性化される。すると身体予算に影響が及ぶ。一般に、その種の短期的なバランスの乱れは、引き出した分を食事や睡眠で補える限り、心配には及ばない。
とはいえバランスの乱れが長引くと、体内の活動は悪化する。脳は、身体がエネルギーを必要としているという誤った予測を繰り返して発し、身体予算を赤字にする。身体予算の誤っ割り当てが慢性化すると健康が劇的に損なわれ、免疫系の一部である身体の「借金取り」が呼び出される。
免疫系は通常、誤ってハンマーで指を叩いたときやハチに刺されたとき、あるいは病原菌に感染した際に腫れができるように、炎症を引き起こすことで侵入者や負傷から私たちを保護し、体内の善玉の一つとして機能する。炎症は、前章で言及した炎症性サイトカインと呼ばれる小さなタンパク質によって生じる。負傷したり病気にかかったりすると、細胞はサイトカインを放出し、血液が問題のある箇所に誘導される。そのため該当箇所の温度が上がり、腫れが生じる*。誘導されたサイトカインが治癒を助けるあいだ、その人は疲労や具合の悪さを感じる。
炎症性サイトカインはまた、「借金取り」の役割を与えられると悪玉になることがある。たとえば危険な地区で暮らしていて毎晩銃声が聞こえるような状況下に置かれているために、身体予算が慢性的にバランスを欠いていると、特に悪玉と化す。そのような過酷な環境のもとで脳は、実際の身体の需要以上にエネルギーが必要とされていると恒常的に予測する。そしてこれらの予測は、必要以上に頻繁かつ大量にコルチゾールを分泌するよう身体を促す。コルチゾールは通常、炎症を抑制する(だから、ヒドロコルチゾンクリームを塗ることでかゆみが治まり、ヒドロコルチゾン注射を打つことで腫れが引くのだ)。しかし、血中のコルチゾールレベルが長期間上がったままになると、炎症は激化し、活力の喪失を感じるようになり3、発熱することもある。そのようなときに鼻からかぜウイルスを注入されれば、かぜをひくだろう。
かくして悪循環に陥る。炎症のせいで疲労を感じると、限られた(と脳が誤ってとらえている)エネルギー資源を保有するために、あまり動かなくなる。食事の量が減り、睡眠の質が低下し、運動しなくなる。すると身体予算のバランスがさらに乱れ、深刻なほどのひどい気分に陥る4。体重が増える場合もあり、そうなると問題がさらに悪化する。というのも、脂肪細胞には炎症を激化させる炎症性サイトカインを産生するものがあるからだ5。自分の身体予算の調節を助けてくれるはずの人々に会うのを避けるようになるかもしれない。そもそも社会的なつながりが少ない人は、炎症性サイトカインのレベルがそうでない人より高く、病気にかかりやすい6。
一〇年ほど前、科学者たちは驚くべきことに、炎症性サイトカインが脳に侵入できることを発見した7。また現在では、脳には、炎症性サイトカインを分泌する細胞を持つ独自の炎症システムが備わることが知られている8。ひどい気分を引き起こしうるこの小さなタンパク質は、脳を作り直す。つまり脳内の炎症は、脳の構造、とりわけ内受容ネットワークに変化をもたらし、神経結合に干渉してニューロンを殺しさえする9。慢性的な炎症は、注意の集中、記憶の想起を困難にし10、IQテストの成績を低下させる11。
たとえば、仕事仲間が突然飲みに誘ってくれなくなった、自分が送ったメールに友人が返信をくれないなど、ストレスのかかる社会的状況に置かれたとき、何が起こるかを考えてみよう。通常、あなたの脳は、実際には必要とされていない燃料を身体が必要としていると予測し、一時的に身体予算に打撃が加わる。しかし、この社会的状況がいつまでも続いたらどうだろう? 毎日、社会的拒絶を耐え忍ばなければならなくなったとしたら? あなたの身体は警戒状態を解除できず、コルチゾールやサイトカインに満たされる12。そしてあなたの脳は、身体が何かの病気にかかっている、あるいはどこかが損傷していると見なし始め、慢性的な炎症が生じる13。
脳内の炎症は大きな問題である。予測、とりわけ身体予算を管理するための予測に悪影響を及ぼし、そこから過剰に予算を引き出そうとする。身体予算を運用する神経回路は聞く耳を持たない、すなわち身体の訂正要求をほとんど受けつけないことを思い出そう。炎症は、それを「完全に聞く耳を持たない」状態へと近づける。脳の身体予算管理領域は、状況に無感覚になり、身体予算の過剰を引き出しが止まらなくなる可能性が高まる。するとその人は、疲労や不快感によって消耗する。身体予算の慢性的な乱れは、資源を枯渇させて身体を消耗させ、さらなる炎症性サイトカインの蓄積を促す。こうなると、その人はまさしく、かなり危ない状態に陥る14。
慢性的にバランスを崩した身体予算は、疾病のこやしのごとく作用する15。最近二〇年間で、糖尿病、肥満、心臓病、うつ病不眠症、記憶能力の低下、さらには早期老化や認知症に関与する「認知的な」機能の劣化など、免疫系が一般に考えられている以上に多くの疾病の要因になりやすいことがわかってきた。たとえば、すでにがんに罹患している人は、炎症によって腫瘍が悪化する。またがん細胞が、血流という危険な媒体を生き延びて他の組織に転移する可能性が高まり、死期が早まる16。
炎症は、心の病気の理解に革新的な知見をもたらしてくれる。科学者や臨床医は長年、慢性ストレス、慢性疼痛、不安障害、うつ病などの心の病に対して、古典的理論を適用してきた。それぞれの疾病には、他のあらゆる疾病と区別される独自の生物学的指標が備わると考えられてきたのだ17。これまで研究者は、「うつ病は身体にどのような影響を与えるのか?」「情動はいかに痛みに影響を及ぼすか?」「不安障害とうつ病は、なぜ併発することが多いのか?」など、それぞれの障害は別個のものであるとする前提に基づく、本質主義的な問いを発してきた。
最近になって、それらの疾病間を分かつ境界はなくなりつつある。同名の障害を診断されても、人によって症状は大幅に異なる可能性がある。変化が標準なのだ。また、障害が異なっても症状は重複しうる。同じ脳領域に萎縮が引き起こされる場合もあれば、患者は同じ情動粒度の低さを示す場合もある。また同じ薬が、有効なものとして処方されるかもしれない。
このような発見がなされた結果、研究者は、それぞれの疾病に独自の本質が備わるとする古典的理論から離れて、その代わりに遺伝的因子、不眠、内受容ネットワークや脳の主要を中枢の損傷など、さまざまな疾病に対してその人を脆弱にする一連の共通因子に着目するようになりつつある(第6章参照)。それらの領域が損傷を受けると、脳は危険な状態に陥る。うつ病パニック障害統合失調症自閉症失読症、慢性疼痛、認知症パーキンソン病、注意欠如・多動性障害(ADHD)はすべて、中枢の損傷に結びつく18。
私の見るところ、独自の「心の病」と考えられているいくつかの主要な疾病はすべて、身体予算のバランスの慢性的な乱れと、抑制のきかない炎症に起因する。しかし私たちは一般に、それぞれを異なる疾病として分類し、別の病名で呼ぶ。これは、同じ身体の変化を異なる情動として分類し、違う名称で呼ぶのと非常に似ている。私の考えが正しければ、「不安障害とうつ病は、なぜ併発することが多いのか?」などの問いは、謎ではなくなる。なぜなら、情動と同様、不安障害とうつ病は、厳然として画された境界によって分かたれているわけではないからだ。次に、ストレス、痛み、うつ病、不安障害について検討することで、この点をより明確にしよう。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P331)を次に引用(『 』内)します。 『*=あらゆるタイプの炎症にサイトカインが関与しているわけではない。またあらゆるサイトカインが炎症を引き起こすわけでもない。ここでは、炎症性サイトカインが引き起こす慢性的な炎症に焦点を絞って説明している。簡潔さのために、「サイトカイン」と述べているにすぎない。』 (ii) 引用中の原注番号「1」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Stress and infectious disease in humans.」 (iii) 引用中の原注番号「2」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Sociability and susceptibility to the common cold.」 (iv) 引用中の原注番号「3」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Cortisol exerts bi-phasic regulation of inflammation in humans.」 炎症に関しては次のWEBを参照して下さい。 「Inflammation」 (v) 引用中の原注番号「4」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『実験では、被験者に、一時的に炎症性サイトカインを増加させる腸チフスワクチンを注射すると、内受容ネットワークの活動の増大がもたらされ、疲労や強い不快感を覚えたという自己報告が得られている(Eisenberger et al. 2010; Harrison, Brydon, Walker, Gray, Steptoe, and Critchley 2009; Harrison, Brydon, Walker, Gray, Steptoe, Dolan, et al. 2009)。』(注:a) 引用中の「Eisenberger et al. 2010」は次の論文です。 「Inflammation and social experience: an inflammatory challenge induces feelings of social disconnection in addition to depressed mood.」 b) 引用中の「Harrison, Brydon, Walker, Gray, Steptoe, and Critchley 2009」は次の論文です。 「Inflammation causes mood changes through alterations in subgenual cingulate activity and mesolimbic connectivity.」 c) 引用中の「Harrison, Brydon, Walker, Gray, Steptoe, Dolan, et al. 2009」は次の論文です。 「Neural origins of human sickness in interoceptive responses to inflammation.」) (vi) 引用中の原注番号「5」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Immunometabolism: an emerging frontier.」 (vii) 引用中の原注番号「6」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Social relationships and physiological determinants of longevity across the human life span.」、「Social ties and susceptibility to the common cold.」、「Social relationships and mortality risk: a meta-analytic review.」 (viii) 引用中の原注番号「7」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『炎症性サイトカインは、血液脳関門を越境する(Dantzer et al. 2000; Wilson et al. 2002; Miller et al. 2013)。』(注:a) 引用中の「Dantze et al. 2000」は次の論文です。 「Neural and humoral pathways of communication from the immune system to the brain: parallel or convergent?」 b) 引用中の「Wilson et al. 2002」は次の論文です。 「Cytokines and cognition--the case for a head-to-toe inflammatory paradigm.」 c) 引用中の「Miller et al. 2013」は次の論文です。 「Cytokine targets in the brain: impact on neurotransmitters and neurocircuits.」) (ix) 引用中の原注番号「8」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Structural and functional features of central nervous system lymphatic vessels.」 (x) 引用中の原注番号「9」に関し、次の論文及びWEBページを参照して下さい。 「The Inflammatory Hypothesis of Depression」、「Allostasis and the human brain: Integrating models of stress from the social and life sciences.」、「Stress- and allostasis-induced brain plasticity.」、「Mechanisms of stress in the brain.」、「Inflammation changes brain structure」 (xi) 引用中の原注番号「10」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Association between erythrocyte sedimentation rate and IQ in Swedish males aged 18-20.」  (xii) 引用中の原注番号「11」の内容(P587)を次に引用(『 』内)します。 『ここには悪循環が見られる。子どもの頃に経験した逆境や貧困にしばしば結びつけられるIQの低さは、中年になってからの炎症レベルの高さを予兆する(Calvin et al. 2011)。Metti et al. 2015 も参照。』(注:a) 引用中の「Calvin et al. 2011」は次の論文です。 「Childhood intelligence and midlife inflammatory and hemostatic biomarkers: the National Child Development Study (1958) cohort.」 b) 引用中の「Metti et al. 2015」は次の論文です。 「Trajectories of peripheral interleukin-6, structure of the hippocampus, and cognitive impairment over 14 years in older adults.」) (xiii) 引用中の原注番号「12」に関し、炎症性サイトカイン(proimflammatory cytokines)とコルチゾール(cortisol)のレベルの関係については次のWEBページを参照して下さい。 「Cortisol and proimflammatory cytokines」 (xiv) 引用中の原注番号「13」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The neuroimmune basis of fatigue.」、「Cytokine targets in the brain: impact on neurotransmitters and neurocircuits.」 加えて引用中の原注番号「13」の内容の一部(P587)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)この状況は、その人を内受容刺激や痛覚刺激に対して敏感にする(Walker et al. 2014)。』(注:a) 引用中の「Walker et al. 2014」は次の論文です。 「Neuroinflammation and comorbidity of pain and depression.」) (xv) 引用中の原注番号「14」に関し、次の論文を参照して下さい。 「A meta-analysis of cytokines in major depression.」、「The Emerging Field of Human Social Genomics.」、「From stress to inflammation and major depressive disorder: a social signal transduction theory of depression.」、「Cytokines and their relationship to the symptoms and outcome of cancer.」 (xvi) 引用中の原注番号「15」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Reciprocal regulation of the neural and innate immune systems.」、「The Emerging Field of Human Social Genomics.」 加えて、ストレス(stress)、遺伝子(genes)、サイトカイン(cytokines)に関しては、次のWEBページを参照して下さい。 「Stress, genes, and cytokines」 また次のWEBページも参照して下さい。 「Glial cells and illness」 (xvii) 引用中の原注番号「16」の内容(P587)を次に引用(『 』内)します。 『ストレスに起因するβアドレナリン作動性交感神経系(SNS)の活動の増加は、細胞増殖の際に炎症性遺伝子の発現を促し、抗ウイルス免疫遺伝子の発現を抑える(Irwin and cole 2011)。この転写時の効果は、胸部の組織、リンパ節、脳に観察されている(Williams et al. 2009; Sloan et al. 2007; Drnevich et al. 2012)。かくして急性の生理的状態は、日、週、月、さらには年の単位でさえ、細胞の構成に影響を及ぼし(Slavich and Cole 2013)、がんに対する脆弱性を高める。また、ストレスに起因するSNSの活動の増加は、腫瘍細胞のミクロ環境に直接的な影響を及ぼして、転移を促進し、腫瘍細胞の能力を増大させ、死亡率を高める(Antoni et al. 2006; Cole and Sood 2012)。』(注:a) 引用中の「Irwin and cole 2011」は次の論文です。 「Reciprocal regulation of the neural and innate immune systems.」 b) 引用中の「Williams et al. 2009」は次の論文です。 「A model of gene-environment interaction reveals altered mammary gland gene expression and increased tumor growth following social isolation.」 c) 引用中の「Sloan et al. 2007」は次の論文です。 「Social stress enhances sympathetic innervation of primate lymph nodes: mechanisms and implications for viral pathogenesis.」 d) 引用中の「Drnevich et al. 2012」は次の論文です。 「mpact of experience-dependent and -independent factors on gene expression in songbird brain.」 e) 引用中の「Slavich and Cole 2013」は次の論文です。「The Emerging Field of Human Social Genomics.」 f) 引用中の「Slavich and Cole 2013」は次の論文です。「The influence of bio-behavioural factors on tumour biology: pathways and mechanisms.」 g) 引用中の「Cole and Sood 2012」は次の論文です。「Molecular pathways: beta-adrenergic signaling in cancer.」) (xviii) 引用中の原注番号「17」に関し、次の論文及び本を参照して下さい。 「Psychiatric disorders: a conceptual taxonomy.」、「Zachar, Peter. 2014. A Metaphsics of Psychopathology. Cambrige, MA: MIT Press.」 (xix) 引用中の原注番号「18」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Large-scale brain networks and psychopathology: a unifying triple network model.」、「The hubs of the human connectome are generally implicated in the anatomy of brain disorders.」、「Identification of a common neurobiological substrate for mental illness.」 (xx) 引用中の「身体予算管理領域」、「内受容ネットワーク」については共にここを参照して下さい。 (xxi) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (xxii) 引用中の「情動粒度」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、外界からやって来るのではなく自分が作り出すストレス(特に慢性ストレス)、そして慢性疼痛について、同の「第10章 情動と疾病」における記述の一部(P335~P334)を次に引用します。

まずは、ストレスから。ストレスは、たとえば五つの仕事を同時にこなそうとしているとき、明日までに仕事を完成させるよう上司に指示されたとき、親しい人を失ったときなどに起こると、読者は考えているかもしれない。しかし、ストレスは外界からやって来るのではなく、自分が作り出すのだ。
ストレスには、学校で未知の分野を学習する難題に直面したときなどの前向きをものもあれば、親友とけんかしたときなど、後ろ向きではあっても我慢できるものもある。あるいは、長引く貧困、虐待、孤独などに起因する、慢性的で有害なストレスもある19。言い換えると、ストレスは多様なインスタンスの集合であり、「幸福」や「怖れ」と同じく一つの概念と見なすことができる。そしてこの概念は、バランスを欠いた身体予算から経験を構築する際に適用される。
ストレスのインスタンスは、情動を生成するものと同じ脳のメカニズムによって生成される。いずれの場合にも、脳は外界との関係において身体予算に関する予測を発し、意味を作り出す。予測は、内受容ネットワークによって発せられ、同じ経路を介して脳から身体へと伝えられる。また身体からの感覚入力を脳に伝える逆方向の経路も、ストレスと情動とで同じものが用いられる。そして内受容ネットワークとコントロールネットワークという二つのネットワークが、ストレスと情動に関して同一の役割を果たしている(情動の研究者もストレスの研究者も、この類似性に着目することがほとんどなく、ストレスと情動がそれぞれ独立していると考えているかのごとく、ストレスがどのように情動に影響を及ぼすのか、もしく
はその逆を問うことに専念している場合が多い20)。構成主義的情動理論の観点からすれば、生じた感覚刺激を脳がストレスとして分類しようが、情動として分類しようが、異なるのは最終的な結果だけである。
なぜ予測する脳は、状況に応じてストレスのインスタンスを生成したり、情動のインスタンスを生成したりするのか? その答えは誰にもわからない。単なる憶測にすぎないが、身体予算のバランスが崩れている時期が長くなればなるほど、「ストレス」という概念に分類される可能性が高くなるのかもしれない。
身体予算が長期にわたってバランスを失った状態に置かれていると、慢性ストレスを感じるようになるだろう(身体予算のバランスの慢性的な乱れは、ストレスとして診断される場合が多い。そのため、ストレスが疾病を引き起こすと一般に考えられている)。慢性ストレスは身体的な健康を損なう。内受容ネットワークとコントロールネットワークを文字どおり食いつぶして萎縮させる。慢性的にバランスを欠いた身体予算が、それを調節しているまさにその脳神経回路を変えてしまうのである21。ここには、心の病気と身体の病気の区別は存在しない。
現在でも科学者たちは、免疫系、ストレス、情動の謎の解明を目指しているが、いくつかのことはわかっている。たとえば、危険な地区でおびえながら暮らす、あるいは粗末な食事しか与えられない、はたまた安眠できないなどの逆境のもとで育てられることで、身体予算の乱れの影響が蓄積すると、内受容ネットワークの構造が変わり、脳が再配線されて身体予算を正確に調節する能力が損なわれる22。子どもは、とても嫌な経験を何度かするだけで、戦場で暮らしているかのように感じ始め、おとなになるまでに身体予算管理領域が縮小する。けんかが絶えない混乱した家庭や、しかられてばかりの厳格な家庭で育つことは、思春期の少女の炎症を増大させ、子どもを慢性的な病気にかかりやすくする23。そのような状況は、子どもの虐待や養育放棄と同程度に、内受容ネットワークやコントロールネットワークの発達を阻害する24。また、いじめの対象になっても同様な問題が生じる25。子どもの頃にいじめられた人は、おとなになっても持続する低レベルの炎症を抱えるため、さまざまな精神疾患や身体疾患にかかりやすくなる26。このように、バランスを失った身体予算はさまざまな様態で脳に刻印を押し、心臓病、関節炎、糖尿病、がんなどの疾病に罹患するリスクを高める27。
肯定的な側面に目を向けると、情動とストレスの結びつきは、前章で紹介したテクニックを適用すれば炎症を軽減できることを示唆する。たとえば、心の知能が高いがん患者は、炎症性サイトカインのレベルが低いらしい。いくつかの研究によれば、頻繁に自分の情動を分類する、言葉で示す、理解する、と答えた患者は、前立腺がんからの回復時28や、ストレスに満ちたできごとのあと29、サイトカインレベルの上昇があまり見られない。また、体内を循環するサイトカインのレベルがもっとも高いのは、自分自身では言葉では示せない、さまざまな気分を報告した男性においてであった30。自分の情動をはっきりと表現し理解している乳がん患者は、より健康で、がん関連の症状のために通院することが少ない31。これらの事実は、「内受容感覚を情動としてうまく分類できる人は、健康の悪化につながる慢性的な炎症に対して、しっかり保護されている32」ことを意味する。

ストレスや情動と同じく、病みは、捻挫の編み、頭のずきずきする痛み、蚊に刺されたあとの炎症、そして直径一〇センチメートルの子宮頸管から直径三五センチメートルの頭を押し出すときの激痛など、さまざまな経験の集合を表わす用語である。
負傷すると、単純に損傷した組織から脳へと情報が伝わることで、悪態をつきながらイブプロフェン〔鎮痛剤〕や絆創膏に手を伸ばしたくなるのだと思われるかもしれない。筋肉や関節が損傷したり、皮膚が過度の熱や冷たさによって傷ついたり、目に胡椒の粒が入って化学的刺激を受けたりすると、神経系を通じて脳に感覚入力が送られるのは確かだ。このプロセスは「痛覚」と呼ばれている。これまで科学者は、単純に脳が痛覚刺激を受け取り、処理することで、痛みが経験されると考えてきた。
しかし予測する脳における痛みの内的メカニズムはそれよりもっと複雑であり、痛みとは、身体が実際に損傷を負うだけでなく、損傷がさし迫っていると脳が予測するときに生じる経験でもある33。痛覚が、脳内の他のあらゆる感覚系と同様に、予測によって作用するのなら、痛みは、「痛み」という概念を用いることで、より基本的な要素からインスタンスとして生成されるはずだ。
私の見るところ、痛みは情動と同じ方法で構築される。たとえば、病院で破傷風の予防接種を受けようとしていたとする。そのとき脳は、過去の経験に基づいて皮膚を刺す針に関する予測を発することで、「痛み」のインスタンスを生成する。そのため、針が腕に触れる前から、痛みが感じられるかもしれない。そしてその予測は、注射を打たれることで身体から伝えられる実際の痛覚入力に基づいて訂正される。こうしてひとたび予測エラーが訂正されると、痛覚が分類されて意味あるものになる34。このように、注射による痛みの経験は、実際には脳内に存在する。
予測に基づく痛みの説明は、いくつかの観察結果によって裏づけられる。注射を打たれる直前などに痛みを予期していると、痛覚を処理する脳領域は活動の様態を変える35。つまり痛みをシミュレートし、感じる。この現象はノシーボ効果と呼ばれる。読者はおそらく、薬効のない偽薬を用いて痛みを緩和するプラシーボ効果ならよく知っているはずだ36。それほど痛みを感じないだろうと信じていると、その思いが予測に影響を及ぼし、痛覚入力が抑制され、ゆえに実際に痛みをあまり感じなくなるのだ。プラシーボ効果もノシーボ効果も、痛覚を処理する脳領域における化学的な変化が関与している。これらの化学物質には、モルヒネコデイン、ヘロインなどのオピエート系薬物と同じあり方で作用し、痛みを緩和するオピオイドが含まれる37。プラシーボ効果が生じるあいだ、オピオイドが増大し、痛覚を緩和する。またノシーボ効果が生じるあいだは減少する。これらの効果には、「体内の薬箱」というあだ名がつけられている38。
私の娘がまだ乳児だった頃、九か月のあいだに一三回の耳感染症にかかったときに、ノシーボ効果を体験するのを観察したことがある。治療を受けに初めて小児科に行ったとき、医師が耳を覗き込むと、娘は不快感を覚えて泣き出した(医師の態度に問題があったわけではない)。二度目には、娘は待合室で泣き出した。三度目には病院のロビーで、四度目には病院の駐車場で泣き出した。その後彼女は、病院のある通りを通過すると、つねに泣き出すようになった。まさに予測する脳のおかげと言えよう。幼いソフィアでさえ、痛みをシミュレートしていたのであろう。病院の近くを通り過ぎても、「お医者さんに行くの?」と彼女が言わなくなったのは、このできごとがあってから数か月が経過し、よちよち歩きをするようになってからのことだった。
痛みは、情動やストレスと同様、脳全体による構築作業のたまものかのように思われる。それには、例によって内受容ネットワークとコントロールネットワークが関与する39。類似点はそれにとどまらない。身体に痛覚予測を送る経路と、脳に痛覚入力を送る経路は、内受容に密接に関連する(痛覚が、内受容の一形態であるという可能性も考えられる40。概して言えば、痛み、ストレス、情動として分類される身体感覚は、脳や脊髄のニューロンというレベルでさえ、基本的には同一だ*。痛み、ストレス、情動を区別することは、情動粒度の一形態だと見なせる。
内受容と痛覚が密接な関係にあることを示すのは簡単である。実験室で、あなたの腕に強熱を加えて不快な感覚を引き起こすと、あなたは実際以上に激しい痛みを感じたと報告するだろう41。これは、身体予算管理領域が、テレビの音量のように痛みの激しさを上げ下げする予測を発するために起こる42。この予測は、脳が実行する痛みのシミュレーションに影響を及ぼし、また身体に達して、脳に送られる報告を増幅あるいは抑制する43。したがって身体予算管理領域は、身体で実際に何が起こっているかにかかわらず、身体組織が損傷したと脳に信じ込ませられるのである。だから不快感を覚えているとき、関節や筋肉に必要以上に痛みを感じたり、胃が痛くなったりするのだ44。また、身体予算のバランスが乱れていると、つまり内受容予測が調整不良の状態にあると、身体組織の損傷のせいではなく、神経が会話しているために、背中が激しく痛み、頭がひどくズキズキする。これは想像上の痛みではなく、現実の痛みだ。
身体組織に何の損傷も負っていないにもかかわらず痛みを経験することを、慢性疼痛と呼ぶ。よく知られた例として、線維筋痛症片頭痛、慢性腰痛がある45。全世界で、一五億人以上が慢性疼痛に苦しんでいる。アメリカでは一億人の患者がおり、その治療に年間五〇〇〇億ドルが費やされている。生産性の損失を含めると、コストは毎年六三五〇億ドルに達する46。また、現在処方されている鎮痛剤は半数以上のケースで効き目がなく、いらだたしいほど治療が困難である47。慢性疼痛の世界的な流行は、現代医学の大きな謎の一つだ48。
かくも多くの人々が、身体が損傷を受けているようには見えないのに、痛みを感じているのはなぜか? この問いに対する答えを得るためには、脳が不必要な予測を発し、それに対して生じた予測エラーを無視した場合、何が起こるかを考えてみればよい。はっきりした理由がないにもかかわらず、まごうかたなき痛みを感じるはずだ。これは、あいまいな写真が、存在しない線を知覚するにつれてミツバチの写真に変わった例(第2章参照)とよく似ている。いずれのケースでも、脳は感覚情報を無視して、予測が現実であると主張する。こうしてミツバチの例を痛みに当てはめれば、誤った予測が訂正されないという、慢性疼痛を説明する一つのモデルを手にできる。
科学者は現在、慢性疼痛を炎症に起因する脳疾患としてとらえている49。慢性疼痛を患う人の脳は、過去に激しい痛覚入力を受け取ったことがあり、損傷が回復しても、その情報が脳に伝えられず、その後も同じように予測や分類をし続けた結果、慢性疼痛が生じた可能性が考えられる。あるいは、体内の動きに関する予測によって、痛覚入力が、身体から脳へと送られるあいだに増幅されている可能性もある。
不運にも慢性疼痛を患ってしまうと、その経験をまったく理解していない懐疑家に立ち向かわなければならなくなる。彼らは「痛みはあなたの頭の内部にある」と言って、あなたの経験を説明し去ろうとするだろう。つまり、「どこも損傷などしていない。精神科医に診てもらえ」というわけだ。だが、あなたは正気を失ったわけではない。実際にどこかが悪いのである。「頭の内部」に存在する予測する脳は、身体が治癒したあとでも正真正銘の痛みを生み続けている。この事態は、脳が予測を発し続けているために、失われた手や足を感じる幻肢症候群と似ている50。
われわれは、ある種の慢性疼痛が予測によって生じることを示す興味深い証拠をすでに手にしている。生後まもない時期にストレスを受けたり負傷したりした動物は、持続性の痛みを発現しやすい51。手術を受けた乳児は、幼児期以後になると激しい痛みを感じやすい52(信じられないことに、一九八〇年代以前は、乳児には麻酔をかけないで手術することが当たり前だった53。乳児は痛みを感じないと考えられていたからだ)。また、負傷による痛みが、未知の原因で他の身体部位に広がる、複合性局所疼痛症候群と呼ばれる疾病があるが、これはおそらく、不適切な痛覚予測に関連していると考えられる54。
つまり「ストレス」同様、「痛み」は、身体から入って来る感覚刺激をもとに意味を作り出す概念なのである。痛みやストレスを情動として、あるいは情動やストレスを一種の痛みとして特徴づけることも可能だろう。脳内では、情動と痛みのインスタンスは区別されないと言いたいのではない。だが、どちらも指標を持たない。歯痛を感じているときにスキャンした脳画像と怒っているときにスキャンした脳画像はいくぶん違って見えるはずだが55、異なるインスタンスの怒りを感じているときにスキャンした脳画像のあいだにも、いくぶん違いが認められるはずである56。異なる歯痛のインスタンスに関しても、同じことが言えるだろう。これは縮重の一例であり、変化が標準なのだ。
情動、急性疼痛、慢性疼痛、ストレスは、同じネットワーク、身体から脳への神経経路、脳から身体への神経経路、そしておそらく同一の一次感覚皮質内で構築される。したがって、情動と痛みが、概念に基づいて区別されることは十分に考えられる。言い換えると、概念を媒介として、脳が身体から入って来る感覚刺激の意味を解釈しているのである57。たとえば慢性疼痛は、脳が「痛み」の概念を誤って適用することで引き起こされるのであろう。身体組織の損傷や、それに対する脅威が存在しないにもかかわらず、脳は痛みの経験を構築するのだ58。このように慢性疼痛は、不適切を予測と、脳が身体から誤解を招くようなデータを受け取ることで生じる、悲劇的な疾病の例だと言えよう59。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P341)を次に引用(『 』内)します。 『*=議論の都合上、今後も内受容と痛覚を別物として記述する。』 (ii) 引用中の原注番号「19」の内容(P587)を次に引用(『 』内)します。 『子どもの頃の逆境と早死に関する議論はDanese and McEwen 2012 を、孤独に起因する死については Perissinotto et al. 2012 を、貧困を脳と発達の関係に関しては Hanson et al. 2013 を、(家族歴、民族、喫煙などの他の因子とは独立した)貧困家庭で育つことと早死の結びつきについては Hertzman and Boyce 2010 をそれぞれ参照。Adler et al. 1994 も参照。』(注:a) 引用中の「Danese and McEwen 2012」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences, allostasis, allostatic load, and age-related disease.」 b) 引用中の「Perissinotto et al. 2012」は次の論文です。 「Loneliness in older persons: a predictor of functional decline and death.」 c) 引用中の「Hanson et al. 2013」は次の論文です。 「Family poverty affects the rate of human infant brain growth.」 d) 引用中の「Hertzman and Boyce 2010」は次の論文です。 「How experience gets under the skin to create gradients in developmental health.」 e) 引用中の「Adler et al. 1994」は次の論文です。 「Socioeconomic status and health. The challenge of the gradient.」) (iii) 引用中の原注番号「20」の内容(P587)を次に引用(『 』内)します。 『まれな反例に Lazarus 1998 がある。』(注:引用中の「Lazarus 1998」は次の本です。 「Lazarus, R. S. 1998. "From Psychological Stress to the Emotions: A History of Changing Outlooks." In Personality: Critical Concepts in Psychology, vol.4, edited by Cary L. Cooper and Lawrence A. Pervin, 179-200. London: Routledge.」) (iv) 引用中の原注番号「21」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Allostasis and the human brain: Integrating models of stress from the social and life sciences.」、「Stress- and allostasis-induced brain plasticity.」、「Mechanisms of stress in the brain.」 (v) 引用中の原注番号「22」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「Adverse childhood experiences, allostasis, allostatic load, and age-related disease.」、「Dimensions of early experience and neural development: deprivation and threat.」、「The impact of cumulative childhood adversity on young adult mental health: measures, models, and interpretations.」、「Cumulative adversity and smaller gray matter volume in medial prefrontal, anterior cingulate, and insula regions.」、「Neuroimaging of child abuse: a critical review.」、「Annual Research Review: Enduring neurobiological effects of childhood abuse and neglect.」、「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study.」 加えて子どもの頃の逆境体験によっていかに脳が配線されるかについては次のWEBページを参照して下さい。 「Childhood adversity wires the brain」 (vi) 引用中の原注番号「23」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Harsh family climate in early life presages the emergence of a proinflammatory phenotype in adolescence.」 (vii) 引用中の原注番号「24」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Developmental neurobiology of childhood stress and trauma.」、「The neurobiological consequences of early stress and childhood maltreatment.」、「Sticks, stones, and hurtful words: relative effects of various forms of childhood maltreatment.」、「Neuroimaging of child abuse: a critical review.」 (viii) 引用中の原注番号「25」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Developmental neurobiology of childhood stress and trauma.」、「The neurobiological consequences of early stress and childhood maltreatment.」、「Sticks, stones, and hurtful words: relative effects of various forms of childhood maltreatment.」 (ix) 引用中の原注番号「26」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Childhood bullying involvement predicts low-grade systemic inflammation into adulthood.」 (x) 引用中の原注番号「27」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Risky families: family social environments and the mental and physical health of offspring.」 加えて、子どもの頃の逆境後のストレスの悪影響については次のWEBページを参照して下さい。 「Physical consequences of childhood adversity」 (xi) 引用中の原注番号「28」と「30」に関し、共に次の論文を参照して下さい。 「Inflammatory biomarkers and emotional approach coping in men with prostate cancer.」 (xii) 引用中の原注番号「29」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Neurobiological correlates of coping through emotional approach.」 (xiii) 引用中の原注番号「31」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotionally expressive coping predicts psychological and physical adjustment to breast cancer.」、「The first year after breast cancer diagnosis: hope and coping strategies as predictors of adjustment.」 (xiv) 引用中の原注番号「32」の内容(P587)を次に引用(『 』内)します。 『ラベリングは、ネガティブなイメージに対する交感神経系の反応性を1週間低下させた(Tabibnia et al. 2008)。』(注:引用中の「Tabibnia et al. 2008」は次の論文です。 「The lasting effect of words on feelings: words may facilitate exposure effects to threatening images.」) (xv) 引用中の原注番号「33」の内容(P586~P587)を次に引用(『 』内)します。 『International Association for the Study of Pain 2012. IASP は現在、痛みを情動体験として定義し、「痛みはつねに主観的なものであり、各個人が子どもの頃の負傷に関連する経験を通じて得た言葉の適用を学ぶ」と書いている。言い換えると、痛みは多様な知覚の集合であり、その知覚を構築するために必要な概念は、子どもの頃に学習される。まさに構成主義的情動理論の主張そのものに聞こえるのではないか?』(注:引用中の「International Association for the Study of Pain 2012」に関連するかもしれないWEBページは次を参照して下さい。 「IASP Terminology」の「Pain」項) (xvi) 引用中の原注番号「34」の内容(P586)を次に引用(『 』内)します。 『身体予算管理領域が痛覚に関する予測エラーを処理する例は Roy et al. 2014 を参照。』(注:引用中の「Roy et al. 2014」は次の論文です。 「Representation of aversive prediction errors in the human periaqueductal gray.」) (xvii) 引用中の原注番号「35」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「Anterior insula integrates information about salience into perceptual decisions about pain.」 なお、論評については次の論文を参照して下さい。 「Getting the pain you expect: mechanisms of placebo, nocebo and reappraisal effects in humans.」、「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」 (xviii) 引用中の原注番号「36」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Placebo analgesia: a predictive coding perspective.」、「Getting the pain you expect: mechanisms of placebo, nocebo and reappraisal effects in humans.」、「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」 (xix) 引用中の原注番号「37」の内容(P586)を次に引用(『 』内)します。 『プラシーボ効果に関与している神経伝達物質は、オピオイドのみではない。他には、マリファナ同様、脳内の内因性カンビナイドレセプターに作用するコレシストキニン(CCK)などがある。CCK は痛覚を強め、オピオイドは抑制する(Wager and Atras 2015)。』(注:引用中の「Wager and Atras 2015」は次の論文です。 「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」) (xx) 引用中の原注番号「38」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The biochemical and neuroendocrine bases of the hyperalgesic nocebo effect.」、「Placebo effects: from the neurobiological paradigm to translational implications.」、「Getting the pain you expect: mechanisms of placebo, nocebo and reappraisal effects in humans.」、「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Opioids and affect」 さらに上記原注番号「38」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)多くの人々は、ドーパミンがポジティブな気分や報酬に結びつく神経化学物質であると考えている。(後略)』(注:引用中の「ドーパミン」(dopamine)と「報酬」(reward)については次のWEBページを参照して下さい。 「Dopamine and reward」) (xxi) 引用中の原注番号「39」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『痛みの経験を構築するあいだ痛覚入力から意味を作り出すために、これらのネットワークがいかに構成されているかを示す別の例の woo et al. 2015 がある。(後略)』(注:引用中の「woo et al. 2015」は次の論文です。 「Distinct brain systems mediate the effects of nociceptive input and self-regulation on pain.」) 加えて、痛み(pain)と情動(emotion)の構築の類似点に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Pain and emotion」 (xxii) 引用中の原注番号「40」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『この神経回路について誰よりもよく知る著名な神経解剖学者 A. D.(パド・)クレイグは、痛覚が内受容の一形態であると主張する(Craig 2015)。(後略)』(注:引用中の「Craig 2015」は次の本です。 「Craig, A. D. 2015. How Do You Feel? An Interoceptive Moment with Your Neurobiological Self. Princeton, NJ: Priceton University Press.」) 加えて、内受容(Interoception)と侵害受容(nociception)については次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception and nociception」 (xxiii) 引用中の原注番号「41」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「The influence of negative emotions on pain: behavioral effects and neural mechanisms.」、「Cerebral and spinal modulation of pain by emotions.」、「Cognitive and emotional control of pain and its disruption in chronic pain.」、「Placebo improves pleasure and pain through opposite modulation of sensory processing.」 (xxiv) 引用中の原注番号「42」において、関連する神経回路に関しては次の論文を参照して下さい。 「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」 (xxv) 引用中の原注番号「43」において、痛覚の経路に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Nociception and prediction」 (xxvi) 引用中の原注番号「44」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「A clinically relevant animal model of temporomandibular disorder and irritable bowel syndrome comorbidity.」 (xxvii) 引用中の原注番号「45」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『慢性疼痛には、神経因性、炎症性、突発性のものがある。(後略)』[注:引用中の「神経因性」(neuropathic pain)、「炎症性」(inflammatory pain)、「突発性」iIdiopathic pain)については共に次のWEBページを参照して下さい。 「Types of chronic pain」] (xxviii) 引用中の原注番号「46」の注の内容は上記原注番号「33」の注を参照して下さい。 (xxix) 引用中の原注番号「47」の内容(P586)を次に引用(『 』内)します。 『Apkarian et al. 2013 の見積もりでは、5000万のアメリカ人が痛みによって完全、もしくは部分的に身体の自由を失っている。』(注:引用中の「Apkarian et al. 2013」は次の論文です。 「Predicting transition to chronic pain.」) (xxx) 引用中の原注番号「48」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『謎の1つは、痛みを緩和するために服用したオピオイド系薬物が、急性疼痛を慢性疼痛に変えることである。オピオイドによって引き起こされる痛覚過敏については Lee et al. 2011 を参照。(後略) 』(注:a) 引用中の「Lee et al. 2011」は次の論文です。 「A comprehensive review of opioid-induced hyperalgesia.」 b) 引用中の「急性疼痛を慢性疼痛に変えること」に関連するかもしれない「オピエートは予測を介して慢性疼痛を引き起こし得る(opiates can cause chronic pain via prediction)ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「Opiates can cause chronic pain via prediction」) (xxxi) 引用中の原注番号「49」の内容の一部(P586)を次に引用(『 』内)します。 『Borsook 2012; Scholz and Woolf 2007; Tsuda et al. 2013. IASP(Internatonal Association for the Study of Pain)は、慢性疼痛(彼らはそれを「神経因性疼痛」と呼んでいる)を「体性感覚システムの損傷または疾病によって引き起こされた痛み」として定義している(IASP 2012)。異常な予測は「疾病」の範疇に入る。』(注:a) 引用中の「Borsook 2012」は次の論文です。 「Neurological diseases and pain.」 b) 引用中の「Scholz and Woolf 2007」は次の論文です。 「The neuropathic pain triad: neurons, immune cells and glia.」 c) 引用中の「Scholz and Woolf 2007」は次の論文です。 「Microglia and intractable chronic pain.」 d) 引用中の「IASP 2012」については上記原注番号「33」の注を参照して下さい) (xxxii) 引用中の原注番号「50」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The first taste is always with the eyes: a meta-analysis on the neural correlates of processing visual food cues.」 加えて「幻肢症候群」(phantom limb syndrome)については次のWEBページを参照して下さい。 「Phantom limb syndrome」 (xxxiii) 引用中の原注番号「51」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The first taste is always with the eyes: a meta-analysis on the neural correlates of processing visual food cues.」 加えて「幻肢症候群」(phantom limb syndrome)については次のWEBページを参照して下さい。 「Phantom limb syndrome」 (xxxiii) 引用中の原注番号「51」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Priming of adult pain responses by neonatal pain experience: maintenance by central neuroimmune activity.」 (xxxiv) 引用中の原注番号「52」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Long-term alteration of pain sensitivity in school-aged children with early pain experiences.」、「Long-term impact of neonatal intensive care and surgery on somatosensory perception in children born extremely preterm.」 (xxxv) 引用中の原注番号「53」に関し、次の Wikipedia を参照して下さい。 「Pain in babies」 (xxxvi) 引用中の原注番号「54」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Complex Regional Pain Syndrome Fact Sheet」 (xxxvii) 引用中の原注番号「55」の内容(P585~P586)を次に引用(『 』内)します。 『第1章で、(たとえば怒りのインスタンスと恐れのインスタンスの識別など)ことなる情動カテゴリーのインスタンスを判別するためにパターン分類を用いることについて論じた。分類因子は、各情動に対応する脳の状態ではない。情動のインスタンスを正しく判別するのに必要なパターンは、対応する情動カテゴリーのいかなるインスタンスにも存在する必要のない抽象的な統計的パターンである。情動や痛みにも同じことが当てはまる。私の同僚、トーア・D.ウェイガーは、痛覚と情動を識別するパターン分類因子を発表している(Wager et al. 2013; Chang, Gianaros et al. 2015)。またわれわれは、怒り、悲しみ、怖れ、嫌悪、幸福の分類因子を発表している(Wager et al. 2015)。これらの分類因子は、痛みや情動の神経学的な本質ではなく、各カテゴリーのきわめて多様なインスタンスの統計的な要約である。』(注:a) 引用中の「Wager et al. 2013」は次の論文です。 「An fMRI-based neurologic signature of physical pain.」 b) 引用中の「Chang, Gianaros et al. 2015」は次の論文です。 「A Sensitive and Specific Neural Signature for Picture-Induced Negative Affect.」 c) 引用中の「Wager et al. 2015」は次の論文です。 「The neuroscience of placebo effects: connecting context, learning and health.」 d) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。) (xxxvii) 引用中の原注番号「56」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Grounding emotion in situated conceptualization.」 (xxxviii) 引用中の原注番号「57」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Chronic pain and the interoceptive and control networks」 (xxxix) 引用中の原注番号「58」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Pain as a concept」 (xxxx) 引用中の原注番号「59」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『慢性疼痛は人間の本性に関する古典的理論の見方にもの申す。』(注:引用中の「もの申す」に関して次のWEBページを参照して下さい。 「Pain and human nature」 (xxxxi) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (xxxxii) 引用中の「縮重」についてはここにおける引用の「▼縮重(degeneracy)」項を参照して下さい。 (xxxxiii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (xxxxiv) 引用中の「情動粒度」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxxxv) 引用中の「一次感覚皮質」に関連するかもしれない「一次体性感覚野」については次のWEBページを参照して下さい。 「一次体性感覚野 - 脳科学辞典」 (xxxxvi) 引用中の「あいまいな写真が、存在しない線を知覚するにつれてミツバチの写真に変わった例(第2章参照)」に関連する、「第2章参照」についての引用は省略します。代わりに、上記「あいまいな写真が、存在しない線を知覚するにつれてミツバチの写真に変わった例」に類似するかもしれない、「事前知識によって知覚が変わる例」としての「白黒の模様がへびに変わった」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の「図2 事前知識によって知覚が変わる例」(P298) ちなみに、構成主義セラピーから見た上記「マインドフルネス」については次の資料を参照して下さい。 「https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/64/4/64_536/_pdf/-char/jatitle=構成主義セラピーから見たマインドフルネス

※:上記「予測」に関連する、 a) 「予測的符号化」(又は予測符号化)については「予測誤差」を含めて資料「予測的符号化・内受容感覚・感情*3、「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の特に「3. マインドフルネス介入のメカニズム研究」項以降、「予測的符号化原理のウェルビーイング研究への適用に関する文献紹介」、そしてWEBページ「自由エネルギー原理 - 脳科学辞典」の「理論の概要」項を、 b) 「予測的処理」については「予測誤差」を含めて資料「文化と歴史における感情の共構成」の特に「2-2 感情の予測的処理」項や「予測する脳の機能調整:マインドフルネスの効果 ―藤野,高橋・荻島,牟田・木甲斐論文へのコメント―」を それぞれ参照して下さい。加えて、前者については自閉スペクトラム症の視点からは他の拙エントリのここを、突発性環境不耐症の視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。その上に、事前の信念(予測)の影響の極端な例としての「ホロウマスク錯視」については「経験盲」や「事前知識によって知覚が変わる」ことを含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、後者については偽の電磁場曝露との関連として他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 「予測の精度を上げる」ための「場数を踏む」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「心、脳、体の関係性を解明し、現代社会の課題を解決!」の『「場数が大事」は根拠がある 脳の「島皮質」がカギに』項 これら以外にも上記「予測」に関連する、 1) 『皆さんの脳は蛇のイメージを実物がいないのに作りあげているわけです。この種の錯角を私のような神経科学者は「予測」と呼んでいます。』については次の TED talk(日本語版)を参照して下さい。 「あなたは感情に流されているわけじゃない-感情は脳でつくられる - リサ・フェルドマン・バレット(Lisa Feldman Barrett)」の「Transcript 日本語」の 04:40[注:この TED talk(日本語版)の動画全体を視聴した方がより良く理解できるかもしれません] 2) 「感覚入力を予測」について同の「第5章 概念、目的、言葉」における記述の一部(P148)を次に引用します。

(前略)いかなる感覚情報も、絶えず変化する巨大な謎をつきつけてくるので、脳はそれを解明していかなければならない。目に入ったモノ、聴こえてくる音、におい、手ざわり、さらには痛みなどの気分として経験される内受容感覚、これらはすべて、恒常的に変化するあいまいな感覚信号として脳に届く。脳の仕事は、信号が到着する前に感覚入力を予測し、欠けた詳細を埋め、可能を限り規則性を検出し、実際に外界に存在する「混沌状態」ではなく、モノ、人々、音楽、できごとなどから構成されるものとして、世界を経験できるようにすることだ8。
この壮大な営為をなし遂げるため、脳は概念を用いて感覚信号に意味を付与し、それがどこからやって来たのか、外界の何を指しているのか、そしてそれに対してどう反応すべきかを明確化する。知覚は鮮やかで直接的に感じられるため、私たちは、自分が世界をありのままに経験していると思い込む。しかし実のところ、自分が構築した世界を経験しているのであって、外界として経験しているものの多くは、自分の頭の内部から生じる。(後略)

注:i) 引用中の原注番号「8」の内容(P600)を次に引用(『 』内)します。 『ウィリアム・ジェイムスは「花が咲き乱れ、虫がブンブン飛び交う混乱」という表現を用いて、新生児が世界を知覚するあり方を記述した。』 ii) 引用中の「概念」についてはここ及び他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 iii) 引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

その上に、上記慢性疼痛と同様に人生に多大な悪影響を及ぼし消耗させる、うつ病について、同の「第10章 情動と疾病」における記述の一部(P343~P347)を次に引用します。

慢性ストレスと慢性疼痛に関して学んだことを念頭に置きつつ、同様に人生に多大な悪影響を及ぼし消耗させる、うつ病に目を向けよう。大うつ病性障害とも呼ばれるうつ病は、健常者が「とても憂うつだ」などとぼやくときに感じている、日常生活における落ち込みよりはるかに重い症状を呈する。ダグラス・アダムスの 『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場するうつ型アンドロイドのマーヴインは、完全に抑うつ状態にある。彼はときに、生きることにひどく落胆して、自分をシャットダウンする。それと同様、重い抑うつは、生活を送るにあたって大きな障害になる。小説家のウイリアム・スタイロンは回想録のなかで、「重い抑うつの苦しみは、それを経験したことのない人の想像をはるかに超える。人を殺すことが多々ある。その苦悩に耐えられなくなるからだ」と書いている60。
多くの科学者や医師にとって、うつ病は心の病気であり続けている61。気分障害として分類され、ネガティブを思考様式が原因とされることが多い。自分に対して厳しすぎる、あるいは自己否定的で破滅的に考えすぎると言われる。または、とりわけ脆弱性をもたらす遺伝子を親から受け継いでいる場合、トラウマを引き起こすできごとのせいで抑うつが生じたのかもしれない62。はたまた、情動をうまく調節できずに、否定的なできごとには敏感に、また肯定的なできごとには無感覚になっているという可能性もある。その手の説明はすべて、思考が感情をコントロールするという「三位一体脳」の考えを前提とする。その論理に従えば、考え方を変え、情動をうまく調節できるようになれば、抑うつは晴れる。要するに、「くよくよするな。楽しもう。それでもだめなら抗うつ薬を飲めばよい」というわけだ。
毎日二七〇〇万のアメリカ人が抗うつ薬を服用しているが、そのうちの七〇パーセント以上が症状を経験し続けている。心理療法も、万人に有効なわけではない63。思春期から成人前期にかけて発症することが多く、その後一生を通じて繰り返し発現する64。世界保健機関(WHO)は、二〇三〇年までに、うつ病が、がん、脳卒中、心臓病、戦争、事故以上に、早死にや、長引く障害の原因になると予測している65。これは、「心の病気」によってもたらされる、実に恐ろしい事態だと言えよう。
非常に多くの研究が、うつ病の遺伝的な本質や、神経学的な本質を見出そうとしてきた。しかし、うつ病をたった一つの構成要素に還元することはおそらく不可能であろう66。うつ病は多様なインスタンスの集合をなし、したがってそれに至る経路も多岐にわたる。そしてその多くは、バランスを失った身体予算から始まる。うつ病が気分の障害であり、気分が身体予算の現状を反映する統合的な要約なのであれば、うつ病とは実のところ、身体予算の管理と予測に関する障害だということになる。
ここまで学んできたように、脳はつねに、過去の経験に基づいて身体のエネルギー需要を予測している。また通常の状況下では、身体からの感覚情報に基づいて予測を訂正している67。しかし、この訂正がうまく機能しなくなったらどうだろう? その場合、経験は過去の情報をもとに築かれはするが、現在の情報をもとに訂正されることがない。概して言えば、まさにその状態が抑うつで起こっていることだと、私は考えている。脳は、つねに代謝の需要を誤って予測し、そのために身体と脳は、慢性ストレスや慢性疼痛の場合と同様、実際には起こっていない感染と闘い、存在しない損傷から回復しようとするのである。その結果、気分のコントロールが失われ、消耗性の病気や疲労など、うつ病の症状が出現する68。同時に身体は、実際には必要とされていない高いエネルギー需要を満たすために、不必要をグルコースをただちに代謝しようとする。それによって肥満の問題が生じ、糖尿病、心臓病、がんなど、抑うつと同時に発生する代謝関連の疾病にかかる危険性が増す69。
抑うつに関する従来的な見方では、ネガティブ思考が負の感情を引き起こすと考える。それでは話があべこべであり、たった今抱いている感情が、次の思考、知覚、予測を駆り立てるのだ。したがって抑うつ状態の脳は、過去における同様な身体予算の引き出しの経験に基づいて予測を行ない、同じことを執拗に行ない続ける。これは、困難で不快を状況を絶えず再体験することを意味する。そして身体予算がバランスを失い続ける悪循環に陥り、場合によってはその状況が断ち切れなくなる。なぜなら、予測エラーは無視あるいは抑制されるか、そもそも脳の必要な領域に届かなくなるからだ。こぅして、予測はいつまでも訂正されず、その人は、代謝需要が高かった過去の逆境にとらわれたままになる。
このように、抑うつに苦しむ脳は、悲惨な状態に閉じ込められている。予測エラーを無視するという点では慢性疼痛を患う脳にも似ているが、ぞれよりはるかに大規模に自己をシャットダウンする70。慢性的に身体予算を赤字にし、それゆえ支出を抑えようとする。どうしてそのような状態に陥るのか? 動くことをやめ、世界(予測エラー)に注意を払わないことによってだ。これが、抑うつによって引き起こされる、容赦のない疲労なのである。
慢性的な身体予算のバランスの乱れによって抑うつが引き起こされるのなら、それは厳密に言えば、単なる精神医学上の疾患ではないことを意味する。つまり神経、代謝、免疫の疾患でもあるのだ。抑うつは、神経系を構成する複雑に絡み合う多数の部位間のバランスの乱れによって生じる71。そしてこの事実は、人間を機械の部品の集まりのごとくとらえるのではなく、全体としてとらえるときにのみ理解が可能になる。重い抑うつの発作に至る分水嶺に達するには、さまざまな経路がある。とりわけ子どもの頃に、長期にわたってストレスや虐待を経験してきたために、有害な過去の経験から築き上げられた世界のモデルを持つようになったのかもしれない。あるいは、不適切な内受容予測を引き起こす、慢性的な心臓疾患や不眠症を患っているのかもしれない。もしくは、環境や些細なできごとに敏感に反応するよう仕向ける遺伝子を受け継いでいる可能性も考えられる73。出産可能年齢の女性に関して言えば、内受容ネットワーク内の結合度は一か月を通して変化する。その過程の特定の時点で、不快を気分や内省に対してより鋭敏になり、おそらくはうつ病心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの気分障害に罷患する危険性が高まりさえすることがある74。身体予算のバランスを回復させるためには、「ポジティブ思考」や抗うつ薬の服用では不十分な場合もある。それ以外の生活様式の変更や、体内システムの調整も必要になるだろう。
構成主義的情動理論が教えるところでは、身体予算の乱れに起因する悪循環を断ち切り、内受容予測をより環境に合ったものに変えることで、うつ病を治療できる。その正しさを裏づける科学的証拠も得られている。抗うつ薬認知行動療法などの治療が効果を発揮し始め、抑うつが軽減するにつれ、身体予算管理領域の活動は正常なレベルに戻り、内受容ネットワークの結合度も回復する75。 これらの変化は、過剰を予測を減らすべしとする考えにも合致する。また、より多くの予測エラーを受けつけるよう導くことで、あるいはポジティブを出来事を日記につけさせるなどの手段によってうつ病を治療できるだろう。これらは、身体予算の枯渇の緩和に役立つ。もちろん問題は、万人に有効な治療法などないし、いかなる治療も効果がない人もいることだ76。
私が知る限りでもっとも有望な医学的成果の一つに、神経科学者へレン・S・メイバーグ(第4章参照)による画期的な研究がある。メイバーグはこの研究で、重いうつ病の患者の脳を電気的に刺激した。すると、電流が通っているあいだしか続かなかったとはいえ、抑うつの苦しみがただちに晴れた。これは、患者の脳が、消耗につながる内省モードから外向きモードへと焦点を切り替えたために、予測、ならびに予測エラーの処理が正常に行なえるようになったからであろう。この試験段階ながら有望な実験結果をきっかけにして、効果が持続するうつ病治療法が発見されるかもしれない。いずれにせよ、この結果は少なくとも、うつ病が、単なる肯定的な思考の欠如ではなく、脳疾患であることを広く知らしめるのに役立つだろう。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「60」に関し、次の本を参照して下さい。 「Styron, William. 2010. Darkness Visible: A Memoir of Madness. New York: Open Road Media.」 (ii) 引用中の原注番号「61」の内容の一部(P585)を次に引用(【 】内)します。 【「神経性疾患」と「精神疾患」の比較に関して Neuroskeptic (2011) は、1990年から2011年かけて『Neurology』誌と『American Journal of Psychiatry』誌の発表された論文をトピック別に集計している。(後略)】(注:引用中の「Neuroskeptic (2011)」へのリンクを含めて、引用中の『「神経性疾患」と「精神疾患」の比較』については次のWEBページを参照して下さい。 「Neurology vs. psychiatry」) (iii) 引用中の原注番号「62」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『環境に対して敏感にする遺伝子や、無感覚にする遺伝子が存在する(Ellis and Boyce 2008)。(後略)』(注:引用中の「Neuroskeptic (2011)」へのリンクを含めて、引用中の『「神経性疾患」と「精神疾患」の比較』については次の資料を参照して下さい。 「Biological Sensitivity to Context」) 加えて引用中の原注番号「62」に関し、次の動画、WEBページを参照して下さい。 「he depressed brain: sobering and hopeful lessons」、「Epigenetics」 (iv) 引用中の原注番号「63」に関し、次の論文を参照して下さい。 「National patterns in antidepressant medication treatment.」、「The Emperor's new drugs: Exploding the antidepressant myth」 うつ病治療の効能については次のWEBページを参照して下さい。 「Depression and treatment efficacy」 (v) 引用中の原注番号「64」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Recovery and recurrence following treatment for adolescent major depression.」 (vi) 引用中の原注番号「65」に関し、次のレポートを参照して下さい。 「The global burden of disease: 2004 update」 (vii) 引用中の原注番号「66」の内容(P585)を次に引用(『 』内)します。 『これはつぎのような理由による。人間に関する現象や特徴のほとんどは、多様な遺伝子の組み合わせによって引き起こされ、きわめて変化に富むので、(正確な遺伝子の特定や、遺伝子が影響を及ぼし合うメカニズムの解明などの)詳細な遺伝的説明がほとんど不可能に近い。そのことは、たとえ遺伝的な要因が高かったとしても、つまり該当する現象や特徴の観察された変化の多くが遺伝的要因に帰せられたとしても当てはまる(Turkheimer et al. 2014)。』(注:引用中の「Turkheimer et al. 2014」は次の論文です。 「A phenotypic null hypothesis for the genetics of personality.」) (viii) 引用中の原注番号「67」の内容(P585)を次に引用(『 』内)します。 『たとえば筋肉には、エネルギーの消費に関して脳にフィードバックを送るエネルギーセンサーが備わっている(Craig 2015)。』(注:引用中の「Craig 2015」は次の本です。 「Craig, A. D. 2015. How Do You Feel? An Interocetive Moment with Your Neurobiological Self. Princeton, NJ; Princeton University Press.」) (ix) 引用中の原注番号「68」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Interoceptive predictions in the brain.」 (x) 引用中の原注番号「69」の内容(P585)を次に引用(『 』内)します。 『代謝はある程度、免疫系をコントロールする。脂肪細胞は、炎症性サイトカインを分泌する(Mathis and Shoelson 2011)。よって、肥満は慢性的な炎症を悪化させる。たとえば、Spyridaki et al. 2014 を参照。』(注:a) 引用中の「Mathis and Shoelson 2011」は次の論文です。 「Immunometabolism: an emerging frontier.」 b) 引用中の「Spyridaki et al. 2014」は次の論文です。 「The association between obesity and fluid intelligence impairment is mediated by chronic low-grade inflammation.」) (xi) 引用中の原注番号「70」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『Kaiser et al. 2015. 抑うつを抱えた人の脳を観察すると、この仮説を裏づける活動や結合の変化が見られる。(後略)』(注:引用中の「Kaiser et al. 2015」は次の論文です。 「Large-Scale Network Dysfunction in Major Depressive Disorder: A Meta-analysis of Resting-State Functional Connectivity.」) さらに次のWEBページを参照して下さい。 「Locked-in brain」 (xii) 引用中の原注番号「71」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『抑うつでは、調節の乱れが拡大している。(後略)』 さらに次のWEBページを参照して下さい。 「Depression should be studied holistically」 (xiii) 引用中の原注番号「72」の内容(P585)を次に引用(『 』内)します。 『Ganzel et al. 2010; Dannlowski et al. 2012.(ラットを使った実験では)ひとたび若い頃にグルココルチコイド遺伝子が過剰に発現すると、脳の経路が固定し、のちにその遺伝子がオフになっても、気分障害に対する脆弱性や不安定性を生涯にわたって抱えなければならなくなる(Wei et al. 2012)。また有害な過去の経験は、児童期に長引く炎症を引き起こし、のちに抑うつや他の疾病を発症するリスクが高まる(Khandaker et al. 2014)』(注:a) 引用中の「Ganzel et al. 2010」は次の論文です。 「Allostasis and the human brain: Integrating models of stress from the social and life sciences.」 b) 引用中の「Ganzel et al. 2010」は次の論文です。 「Limbic scars: long-term consequences of childhood maltreatment revealed by functional and structural magnetic resonance imaging.」 c) 引用中の「Khandaker et al. 2014」は次の論文です。 「Association of serum interleukin 6 and C-reactive protein in childhood with depression and psychosis in young adult life: a population-based longitudinal study.」) (xiv) 引用中の原注番号「73」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『「ニューロティシズム」あるいは「アフェクティブリアクティビティ」とも呼ばれる。(後略)』 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Depression should be studied holistically」 (xv) 引用中の原注番号「74」の内容の一部(P585)を次に引用(『 』内)します。 『卵巣ホルモンのプロゲステロンのレベルが高くなると、リスクは最大になる。これは、男性に比べ女性のほうが、気分障害に罹患する率が著しく高い理由なのかかもしれない(Lokuge et al. 2011; Soni et al. 2013)。たとえば、Bryant et al. 2011 を参照。(後略)』(注:a) 引用中の「Lokuge et al. 2011」は次の commentary です。 「Depression in women: windows of vulnerability and new insights into the link between estrogen and serotonin.」 b) 引用中の「Ganzel et al. 2010」は次の論文です。 「Identification of a narrow post-ovulatory window of vulnerability to distressing involuntary memories in healthy women.」 c) 引用中の「Bryant et al. 2011」は次の論文です。 「The association between menstrual cycle and traumatic memories.」) 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Depression should be studied holistically」 (xvi) 引用中の原注番号「75」の内容(P584~P585)を次に引用(『 』内)します。 『つまり前帯状皮質膝前部の活動が低下し、それと内受容ネットワークの残りの領域との結合度が増大する。また、予測エラーの信号を送る視床との結合度が高まる(Riva-Posse et al. 2014; Seminowicz et al. 2004; Mayberg 2009; Goldapple et al. 2004; Nobler 2001)。メタ分析は Fu et al. 2013 を参照。』(注:a) 引用中の「Riva-Posse et al. 2014」は次の論文です。 「Defining critical white matter pathways mediating successful subcallosal cingulate deep brain stimulation for treatment-resistant depression.」 b) 引用中の「Seminowicz et al. 2004」は次の論文です。 「Limbic-frontal circuitry in major depression: a path modeling metanalysis.」 c) 引用中の「Mayberg 2009」は次の論文です。 「Targeted electrode-based modulation of neural circuits for depression.」 d) 引用中の「Goldapple et al. 2004」は次の論文です。 「Modulation of cortical-limbic pathways in major depression: treatment-specific effects of cognitive behavior therapy.」 e) 引用中の「Nobler 2001」は次の論文です。 「Decreased regional brain metabolism after ect.」) (xvii) 引用中の原注番号「76」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Pretreatment brain states identify likely nonresponse to standard treatments for depression.」 (xviii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (xix) 引用中の「代謝」に関連する「エネルギー代謝」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「身体活動とエネルギー代謝

さらに、上記慢性疼痛や抑うつとは一線を一線を画し、予測、ならびに予測エラーの障害だと確実に言える不安障害について、同の「第10章 情動と疾病」における記述の一部(P348~P352)を次に引用します。

不安障害は、慢性疼痛や抑うつとは非常に異なるようだ。不安になると何をすべきかがわからなくなって、心配になったり気持ちが高ぶったりする。そして概してみじめな気分になる。これは、同じようにみじめな気分になるが、生きていくのが困難に感じられるなどの気の重さによって特徴づけられるうつ病や、苦痛に満ちた慢性疼痛とは一線を画する。
ここまで、情動、慢性疼痛、慢性ストレス、抑うつはすべて、内受容ネットワークとコントロールネットワークが関与していることを学んできた。これらのネットワークは、不安障害でも重要な役割を果たす77。不安障害は依然として解明されねばならない謎だが*、この障害もそれら二つのネットワークにまたがる、予測、ならびに予測エラーの障害だと確実に言える78。不安障害に関しても、情動、痛み、ストレス、抑うつに関しても、予測や予測エラーに関与している神経経路は同じものである79。
従来の不安障害の研究は、認知が情動をコントロールするという、時代遅れの「三位一体脳」モデルに基づく。情動を司る扁桃体の活動が過剰になり、理性を司る前頭前皮質がそれをうまく調節できていないと主張するこの見方は、現在でも影響力を持っている80。扁桃体はいかなる情動の拠点でもないし、前頭前皮質は認知を宿す領域ではない。さらに言えば、情動も認知も、相互に調節し合うことなどできない、脳全体による構築物だ。それにもかかわらず、現在でも時代遅れの考えが通用している。では、いかにして不安障害は作られるのか? 詳細はわかっていないが、いくつかの有望な掛かりはある。
私の推測では、不安障害を抱える脳はある意味で、抑うつを抱える脳の対極にある。抑うつでは、予測が重視され、予測エラーが軽視される。したがって過去にとらわれる。それに対し不安障害では、外界に起因する予測エラーが過剰に受け入れられ、そのせいであまりにも多くの予測が失敗に終わる。予測が不十分であれば、次の瞬間に何が起こるのかがわからなくなる。すると、生きていくのが困難に感じられるようになる。まさにこれが、典型的な不安障害だ81。
いかなる理由にしろ、不安障害を抱える人は、扁桃体を含め、内受容ネットワークのいくつかの主要な中枢のあいだの結合が弱体化している。これらの中枢には、同時にコントロールネットワークに属するものもある82。結合が弱体化しているために、予測をその瞬間の状況にうまく合わせることができず、経験から効率的に学べない、不安に駆られた脳が生み出されている可能性が考えられる83。そのような脳はむやみに脅威を予測するかもしれないし、あるいは不正確な予測をする、あるいはまったく予測しないことで不確実性を生み出すのかもしれない84。加えて内受容入力は、身体予算がしばらく赤字になると普段より多くのノイズを含むようになり、そのため脳に無視される85。このような状況は、顕著な不確実性や、大量の解決不可能な予測エラーを引き起こす86。不確実性は、明らかな損傷よりも不快感や興奮をもたらしやすい。なぜなら、未来が謎に包まれていれば、それに対する準備を整えられないからだ。たとえば、重病を患ってはいるが回復の見込みがかなりある人は、治らないとわかっている人より自分の生活の満足感が低い87。
証拠に基づいて言えば、不安障害は、抑うつ、情動、痛み、ストレスと同様、構築されたカテゴリーだと言える。不安障害や抑うつによる苦しい気分は、身体予算の管理に重大な問題があることを示している。脳が預金を確保しようとして不快な気分を強めているか、じっとしていることで預金の引き出しを減らそうとしているかのいずれかであろう。脳は、これらの感覚刺激を不安や抑うつ、場合によっては痛み、ストレス、情動として分類するのだ。
ここではっきりさせておくと、私は、うつ病と不安障害が、それぞれがどちらともとれる疾患だと言いたいのではない。そうではなく、いかなる心の病も多様なインスタンスの集合から成り、特定の症状の集まりは、相応の妥当性をもってうつ病にも不安障害にも等しく分類が可能だと言いたいのだ。また、重症度も関係するはずだ。緊張病性の患者など、ヘレン・メイバーグの研究で取り上げられている重度のうつ病患者の何人かは、間違いなく不安障害とは診断されないだろう。しかしそれ以外の患者には、不安障害、慢性ストレス、あるいは慢性疼痛とさえ診断されても妥当と見られる人もいる。一般に、中程度の重さのうつ病、不安障害、慢性ストレス、慢性疼痛、慢性疲労症候群は、症状がいくつか重なることがある88。
これらの観察結果は、第1章の冒頭に掲げた、「私が大学院で行なった実験の被験者は、なぜ不安と抑うつの感情を区別できなかったのか?」という問いに対する答えを与えてくれる。すでに述べた点だが、一つの理由は情動粒度に関するもので、被験者のなかには他の人々と比べ、よりきめ細かな情動を構築する能力を持つ人がいたからであろう。そして今や、もう一つの理由が明らかになった。つまり、「不安」と「抑うつ」が類似の感覚刺激を分類する二つの概念だからである。
この実験で私は、不快感を覚えた被験者に不安もしくは抑うつの評価尺度で感情を申告させた。被験者は、手渡された質問票に記されている尺度を用いて自分の感情を評価しなければならなかった。たとえば、不安の評価尺度を手渡された被験者は、不安を基準に自分の感情を評価し、報告しなければならなかった。この場合、被験者は 「不安」という言葉に誘導されて「不安」のインスタンスをシミュレートし、不安を感じ始めたのかもしれない。同様に、抑うつの評価尺度を手渡された被験者は、抑うつを基準にして自分の感情を評価し、申告しなければならず、その結果抑うつを感じるようになったのかもしれない。この見方は、私が行なった実験で得られた奇妙を結果を説明する。「不安」や「抑うつ」のような概念は、非常に変化に富み、柔軟性を持つ89。したがって、基本情動測定法が、情動語の一覧によって被験者の知覚に影響を及ぼしたのと同様、質問票に書かれた言葉が、被験者の分類に影響を及ぼしたことが考えられる。
比較的最近、私は病院で似たような状況に遭遇したことがある。その頃、疲労が蓄積し、体重が増加していた。医師が「落ち込んでいますか?」と尋ねてきたので、私は「落ち込んではいませんが、つねにひどく疲れています」と答えた。この返答に対して医師は、「落ち込んでいることに自分では気づいていないのでしょう」と言った。どうやら彼は、身体的な原因によって不快な気分が生じうることを理解していなかったらしい。私の場合、身体的な原因とは、一〇〇人のメンバーを抱える研究室を運営していることから睡眠不足に陥っていたこと、夜遅くまで本書を執筆していたこと、ティーンエイジャーの娘の母親であること、さらには更年期というちょっとした問題にまつわるものだったと考えられる(私は彼に、内受容と身体予算について説明する破目になった)。いずれにせよ、そのとき彼が実際にうつ病と診断していたら、ただちに抑うつの感情を私に引き起こしただろう。疲労が蓄積していた私は、慢性ストレスが原因で炎症を起こしていたのかもしれない。医師の言うことを素直に聞いていたら、抗うつ薬の処方箋を受け取り、私の何かが、つまり状況にうまく対処できない自分の人生の何かがひどくおかしいという信念を抱き始めたことだろう。そしてこの信念は、そもそもバランスが崩れていた身体予算の状態をさらに悪化させたにちがいない。自分の人生に何か問題を見つけようとすれば、つねに問題は見つかるものだ。しかし幸いなことに、そのような事態にはならなかった。というのも医師と私は、私の身体予算の問題を見つけ出して改善する方法を探すことにしたからだ。彼自身は気づいていなかったであろうが、彼は私の経験を、共同で構築していたのである。

外界から入ってくる情報に基づいて生じる予測エラーが予測を支配すると、不安が生じる。では、まったく予測できなくなったら何が起こるのか?
まず、身体予算をうまく維持できなくなるだろう。代謝のニーズを予測できなくなるからだ。さらには、視覚、聴覚、嗅覚、内受容感覚、痛覚などの感覚系から入って来る感覚入力を統合することが困難になる。そのために統計的な学習が損なわれ、基本的な概念を習得できなくなる。同じ人を別の角度から見ると、同一人物として認識できなくなることさえある。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P349)を次に引用(『 』内)します。 『*=本章では、基本的にすべての不安障害を一つのグループとして扱った。というのも、共通の要因があることがよく知られているからだ。何年にもわたり、さまざまな不安障害が、それぞれ生物学的に識別可能だと考えられてきた。しかし、(本書の読者にはもはや驚きではないはずだが)症状には多くの重なりがあり、他を無視して特定の形態の不安障害だけを研究することを困難にしている。』 (ii) 引用中の原注番号「77」の内容(P584)を次に引用(『 』内)します。 『不安障害における内受容ネットワークとコントロールネットワークの結合度に関しては McMenamin et al. 2014 を参照。不安障害と慢性疼痛の類似性については Zhuo 2016, and Hunter and McEwen 2013 を参照。不安障害が予測を介して痛みを激化させるという裏づける証拠は Ploghaus et al. 2001 を参照。』(注:a) 引用中の「McMenamin et al. 2014」は次の論文です。 「Network organization unfolds over time during periods of anxious anticipation.」 b) 引用中の「Zhuo 2016」は次の論文です。 「Neural Mechanisms Underlying Anxiety-Chronic Pain Interactions.」 c) 引用中の「Hunter and McEwen 2013」は次の論文です。 「Stress and anxiety across the lifespan: structural plasticity and epigenetic regulation.」 d) 引用中の「Ploghaus et al. 2001」は次の論文です。 「Exacerbation of pain by anxiety is associated with activity in a hippocampal network.」) (iii) 引用中の原注番号「78」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Interoception in anxiety and depression.」 (iv) 引用中の原注番号「79」の内容の一部(P584)を次に引用(『 』内)します。 『たとえば Menon 2011; Crossley et al. 2014 を参照。怖れや不安でさえ、かつては他の神経回路によって引き起こされると考えられていた(Tovote et al. 2015)。(後略)』(注:a) 引用中の「Menon 2011」は次の論文です。 「Large-scale brain networks and psychopathology: a unifying triple network model.」 b) 引用中の「Crossley et al. 2014」は次の論文です。 「The hubs of the human connectome are generally implicated in the anatomy of brain disorders.」 c) 引用中の「Tovote et al. 2015」は次の論文です。 「Neuronal circuits for fear and anxiety.」) (v) 引用中の原注番号「80」に関し、引用中の「「三位一体脳」モデル」と次の両論文を比較すると良いかもしれません。 「Considering PTSD from the perspective of brain processes: a psychological construction approach.」、「Functional neuroimaging of anxiety: a meta-analysis of emotional processing in PTSD, social anxiety disorder, and specific phobia.」 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Prefrontal cortex and the amygdala」 (vi) 引用中の原注番号「81」の内容(P584)を次に引用(『 』内)します。 『不安障害の次に抑うつを発症することは、抑うつの次に不安障害を発症するより状況的に悪いかもしれない。というのも後者のケースでは、再び予測エラーを処理し始めるからだ。』 (vii) 引用中の原注番号「82」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「An anatomical substrate for integration among functional networks in human cortex.」 (viii) 引用中の原注番号「83」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「Anxious individuals have difficulty learning the causal statistics of aversive environments.」 (ix) 引用中の原注番号「84」の内容の一部(P584)を次に引用(『 』内)します。 『予測エラーに満たされた脳が、つねに不安を抱えているわけではない。乳児の注意のランタン(第6章)や、新奇性や不確実性が快になるケース(新たな恋人に出会うなど)を考えてみれば良い。たとえば Wilson et al. 2013 を参照。』(注:a) 引用中の「第6章」の引用は省略します。 b) 引用中の「Wilson et al. 2013」は次の論文です。 「Still a thrill: Meaning making and the pleasures of uncertainty.」) 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Arousal is not always distressing」 (x) 引用中の原注番号「85」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The nature of feelings: evolutionary and neurobiological origins.」、「Interoception in anxiety and depression.」 (xi) 引用中の原注番号「86」の内容(P584)を次に引用(『 』内)します。 『とりわけ予測エラーを「教示信号」として用いる場合(McNally et al. 2011; Fields and Margolis 2015)。』(注:a) 引用中の「McNally et al. 2011」は次の論文です。 「Placing prediction into the fear circuit.」 b) 引用中の「Fields and Margolis 2015」は次の論文です。 「Understanding opioid reward.」) (xii) 引用中の原注番号「87」の内容(P584)を次に引用(『 』内)します。 『大きな手術(結腸瘻造設術)を行った6か月後、症状が逆転する見込みが得られた患者は、治る見込みのない患者に比べて、自分の生活に満足を感じていない(Smith et al. 2009)。願望は残酷な主人になりうる。』(注:引用中の「Smith et al. 2009」は次の論文です。 「Happily hopeless: adaptation to a permanent, but not to a temporary, disability.」) (xiii) 引用中の原注番号「88」の内容(P584)を次に引用(『 』内)します。 『ここで明確にしておくと、抑うつと慢性疼痛が同一の現象だと言いたいのではない。共通の要因がいくつかあると言いたいのである。特定の慢性疼痛症候群が抑うつの現れなのか、それとも抑うつとは独立しているのかが、長いあいだ議論されてきた。この議論はかつて、「それらはすべて、頭のなかに存在する」という説をめぐる議論の一環としてなされていた。この説では、組織の損傷が見られないにもかかわらず痛みを経験することは、心の病の徴候だと見なされる。この手の議論には、抑うつが心の病にすぎないという前提が存在する。しかしこの種の従来的な区別は、最新の神経科学の知見に照らせば意味がない。抑うつも慢性疼痛も、代謝や炎症に起源を持つ、神経変性脳疾患と見なしうる。ある形態の抑うつは緩和できるが、慢性疼痛にはまったく効果がない(あるいはその逆の)薬が存在する事実は、抑うつと慢性疼痛が生物学的にはっきりと区別できるカテゴリーをなすことを意味するわけではない。というのも、抑うつには縮重によってさまざまな要因があるからだ。抑うつを抱えている誰もが(つまりそのカテゴリーに属する多様なメンバーのすべてが)、同一の薬によって効果的に治療できるわけではない(要するに変化が標準なのである)。おそらく、同じ論理は慢性疼痛のいかなるカテゴリーにも当てはまるだろう。』(注:引用中の「縮重」についてはここにおける引用の「▼縮重(degeneracy)」項を参照して下さい。) (xiv) 引用中の原注番号「89」に関し、次の論文(全文)を参照して下さい。 「Psychological Construction: The Darwinian Approach to the Science of Emotion」 (xv) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (xvi) 引用中の「情動粒度」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xvii) 引用中の「不安障害」(又は不安症、例えばWEBページ「不安症 - 脳科学事典」を参照)と内受容感覚(又は内受容過敏)との関連について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第3章 健全な発達が阻まれる時 の「内受容の機能不全」における記述の一部(P96)を次に引用します。

(前略)内受容感覚に関する大規模な研究が行われ、内受容感覚とパニック障害、不安症やトラウマの症状に関連性があることが明らかにされた。内受容過敏は社交不安と関係している(Garfinkle and Critchley, 2013)。そして、身体感覚の解釈間違いは、パニック障害や不安症と関係している。臨床的に不安症と診断された人は、内受容過敏の傾向があり、不安症が改善した後でも、高度な内受容過敏が残っている場合がある(Ehlers and Breuer, 1992: Garffinkle and Critchley, 2013; Pollatos, Matthias, and Keller, 2015)。不安症の人たちは、内受容感覚に敏感に気づいてトラッキングし、それらの感覚を増幅し、否定的な意味づけをする傾向がある(Paulus and Stein, 2010)。(後略)

注:i) 引用中の「Garfinkle and Critchley, 2013」は次の論文です。 「Interoception, emotion and brain: new insights link internal physiology to social behaviour.」 ちなみに、上記論文と著者が同じのより新しい論文は次を参照して下さい。 「Interoception and emotion.」 ii) 引用中の「Ehlers and Breuer, 1992」は次の論文です。 「Increased cardiac awareness in panic disorder.」 iii) 引用中の「Pollatos, Matthias, and Keller, 2015」は次の論文です。 「When interoception helps to overcome negative feelings caused by social exclusion.」 iv) 引用中の「Paulus and Stein, 2010」は次の論文です。 「Interoception in anxiety and depression.」 v) 引用中の「社交不安」に関連する「社交不安症」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「パニック障害」(パニック症)については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

上記以外にも、「自閉症が予測の障害である可能性」について、同の「第10章 情動と疾病」における記述の一部(P353~P355)を次に引用します。ちなみに、拙訳はありませんが自閉症の症状(symptoms of autism)については次のWEBページを参照して下さい。 「Symptoms of autism

(前略)自閉症はきわめて複雑な障害であり、広大な研究領域をなす。したがってそれを数行の文章にまとめるのは土台不可能だ。また、自閉症には多様な症状があり、種々の複雑な病因によって引き起こされる諸症状の幅広い領域を構成する91。そのようなわけで、私がここで言いたいのは、自閉症が予測の障害である可能性についてだ。
自閉症者には、この考えに符合する経験を語る人もいる。自閉症者のなかでももっとも広く知られ、発言する機会も多いテンプル・グランディンは、自分が経験している予測の欠如と、圧倒的な予測エラーについて明確に述べている。彼女は『内側から見た自閉症(An Inside View of Autism)』で、「突然かん高い音が鳴ると、歯医者のドリルが神経に触れるかのごとく、私の耳が痛む」と記している92。また、いかに苦心して概念を形成しているかについて次のように書く。「私は子どもの頃、大きさによってイヌとネコを分類していた。わが家の周辺にいたイヌは皆大きかっだ。ダックスフントを飼う家が現われるまでは。そのとき私は小さなイヌを見て、なぜそれがネコでないのかを一生懸命考えたのを覚えている93」。『自閉症の僕が跳びはねる理由』を著した一三歳の自閉症の少年、東田直樹は、分類の努力を次のように書いている。「まず、今まで自分の経験したことのあるすべての事柄から、最も似ている場面を探してみます。それが合っていると判断すると、次に、その時自分はどういうことを言ったか思い出そうとします。思い出してもその場面に成功体験があればいいのですが、無ければつらい気持ちを思い出して話せなくなります94」。このように、東田は正常に機能する概念システムを持たないために、私たちの脳が自動的に行なっていることを、自分で努力してやらなければならないのである。
自閉症が予測の失敗だと考えている研究者は他にもいる95。おもにコントロールネットワークの機能不全に陥り、おのおのの状況に対してきわめて厳密な世界のモデルを構築してしまうので自閉症が引き起こされると主張する研究者もいれば、オキシトシンと呼ばれる神経化学物質に問題があり、それが内受容ネットワークに悪影響を及ぼしているために引き起こされると論じる研究者もいる。私の考えでは、自閉症は単に特定のネットワークの問題に還元しうるものではなく、縮重を考慮すればさまざまな可能性が考えられる。事実自閉症は、遺伝や神経生物学的構造や症状が、極端な多様さを示す神経発達障害として特徴づけられる。私の推測では、自閉症の問題は身体予算管理領域とともに始まる。そう言えるのは、この領域が誕生時から存在し、あらゆる統計的学習が身体予算の調節に依拠しているからだ(第4、5章参照)。この神経回路の変化は、脳の発達過程も変える96。フル稼働が可能な予測する脳を備えていなければ、環境のなすがままになるしかない。神経系は、効率的な代謝が可能な脳組織に最適化されているにもかかわらず、自閉症者の脳は、刺激と反応に駆り立てられているのだ。この見方は、自閉症者の経験を説明してくれるかもしれない。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「91」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Disentangling the heterogeneity of autism spectrum disorder through genetic findings.」 加えて次のWEBページを参照して下さい。 「Autism as a disorder of prediction」 (ii) 引用中の原注番号「92」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Temple Grandin: Inside ASD」の「Auditory Problems」項 (iii) 引用中の原注番号「93」に関し、次の論文を参照して下さい。 「How does visual thinking work in the mind of a person with autism? A personal account.」 加えて、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の原注番号「94」に関し、次の本を参照して下さい。 「Higashida, Naoki. 2013. The Reason i Jump: The Inner Voice of a Thirteen-Year-Old Boy eith Autism. New York: Random House.[東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』KADOKAWA、2016年」 (v) 引用中の原注番号「95」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Precise minds in uncertain worlds: predictive coding in autism.」、「Autism, oxytocin and interoception.」、「Autism as a disorder of prediction.」 (vi) 引用中の原注番号「96」に関し、次のWEBページを参照して下さい。 「Brain development in autism」 (vii) 引用中の「第4、5章参照」に対する第4、5章の引用は次を除いてありません。 (viii) 引用中の「オキシトシン」については例えば次の資料を参照して下さい。 「オキシトシンと心身の健康」 (ix) 引用中の「縮重」についてはここにおける引用の「▼縮重(degeneracy)」項を参照して下さい。 (x) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」及び「予測的処理」については共にを参照して下さい。 (xi) 引用中の「代謝」に関連する「エネルギー代謝」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「身体活動とエネルギー代謝

また、構成主義的情動理論に視点からの情動概念の処理にも関連する「アレキシサイミア」(失感情症)について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第5章 概念、目的、言葉」における記述の一部(P181~P182)を次に引用します。

(前略)情動概念を処理するシステムの発達が阻害された場合、情動的な生活はいかなるものになるのか? 気分だけを感じるようになるのだろうか? この問いを科学的に検証するのはむずかしい。情動経験は、それに対する答えをはじき出せる客観的な指標を、顔や身体や脳に示したりはしない。最善の手段は、被験者にどう感じているかを尋ねることだが、それに答えるためには情動概念を用いなければならず、それでは実験の目的が挫かれる。
この難題を回避する方法の一つは、情動概念を処理するシステムに先天的な障害のある人々を研究することだ。その障害とはアレキシサイミア(失感情症)のことで、世界の総人口のおよそ一〇パーセントが抱えるとも推定されている68。構成主義的情動理論によって予測されるとおり、この疾病を抱える人は、情動を経験することに困難を覚えている。正常な人が怒りを感じる状況で、アレキシサイミアを抱える人は胃の痛みを感じるのだ。身体的な症状を訴え、何らかの気分を感じていることを報告するが、それを情動的なものとして経験することがない69。また彼らは、他者の情動を知覚することにも難がある70。二人の男が怒鳴り合っているところを見れば、健常者なら心的推論のもとに、そこに怒りを見出すだろう。ところがアレキシサイミアを持つ人は、二人の男が怒鳴り合っているという知覚的な事実だけを報告する。また情動に関する語彙が少なく71、情動語を思い出すのに苦労する72。このような手がかりから、情動を経験したり知覚したりするのに、概念が必須であることがわかる。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「68」の内容の一部(P597)を次に引用(『 』内)します。 『Salminen et al. 1999. 「アレキシサイミア(alexithymia)」という用語は、「欠ける(a)」「言葉(lexis)」「気分(thymos)」から成る。論評は Lindquist and Barrett 2008 を参照。(後略)』(注:a) 引用中の「Salminen et al. 1999」は次の論文です。 「Prevalence of alexithymia and its association with sociodemographic variables in the general population of Finland.」 b) 引用中の「Lindquist and Barrett 2008」は次の本です。 「Lindquist, Kristen A., and Lisa Feldman Barrett. 2008. "Emotional Complexity." In Handbook of Emotions, 3rd edition, edit by Michael Lewis, Jeannette M. Haviland-Jones, and Lisa Feldman Barrett, 513-530, New York: Guilford Press.」) 加えて、次のWEBページを参照して下さい。 「Alexithymia」 (ii) 引用中の原注番号「69」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Is alexithymia the emotional equivalent of blindsight?」、「Becoming Aware of Feelings: Integration of Cognitive-Developmental, Neuroscientific, and Psychoanalytic Perspectives.」 (iii) 引用中の原注番号「70」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Pervasive emotion recognition deficit common to alexithymia and the repressive coping style.」 加えて、次のWEBページを参照して下さい。 「Alexithymia」 (iv) 引用中の原注番号「71」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Alexithymia and verbal elaboration of affect in adults suffering from a respiratory disorder」、「Alexithymia and interpersonal problems: A study of natural language use」 加えて、次のWEBページを参照して下さい。 「Alexithymia」 (v) 引用中の原注番号「72」に関し、次の論文を参照して下さい。 「A multimodal investigation of emotional responding in alexithymia」 (vi) 標記「構成主義的情動理論に視点からの情動」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼情動(emotion)」項を参照して下さい。加えて引用中の「情動概念」については同引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (vii) 引用中の「アレキシサイミア」(失感情症)について、 a) コア・アフェクトとの関連について、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第2部 感情の基本要素 の 10章 感情科学の展開 の 2節 心理学的構成主義における感情の構造 の「1. 内受容感覚によりコア・アフェクトが形成される」中の脚注★4の記述(P198)を次に引用(『 』内)します。 『この主張の傍証の1つとして,アレキシサイミア(alexithymia)と呼ばれる心身症の症状をあげることができる。アレキシサイミアの患者は自らの感情の認識が障害されているとされているが,表現しがたい不快感は経験するらしい。彼らは,ある種のコア・アフェクトは経験しているが,それをカテゴリー化する過程に障害をもっている可能性がある(Moriguchi & Komaki, 2013)。』(注:1] この引用部の著者は大平英樹です。 2] 引用中の「この主張」についての引用は省略します。 3] 引用中の「Moriguchi & Komaki, 2013」は次の論文です。 「Neuroimaging studies of alexithymia: physical, affective, and social perspectives.」 4] 引用中の「コア・アフェクト」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) b) PTSD又は複雑性PTSDの視点からは他の拙エントリのここを、自閉スペクトラム症の視点からは他の拙エントリのここここを参照して下さい。

一方、上記「身体予算管理」への負荷に関するかもしれない「アロスタティックロード」(allostatic load 又は「アロスタティック負荷」[下記 (d) 項も参照]、なお、上記「アロスタティックロード」及びこれに関連する「アロスタシス」については共にここの (xiii) 項を参照)に関連して、 (a) well-being と「アロスタティック負荷」との関係についての資料は次を参照して下さい。 「大学生における精神神経内分泌免疫学的反応と主観的健康感に対する eudaimonic well-being と hedonic well-being の分化的関連性」の「目的」項 (b) ストレスの視点からの「アロスタティック負荷」について、WEBページ「ストレス - 脳科学辞典」における記述の一部を次に引用します。 『しかし近年のストレス社会を背景に、過度なストレス負荷によって脳機能のバランスが失われてしまう場合がある。ストレスレベルがある閾値を超えてしまうと、それが原因で脳や身体に障害が発生する。このストレスによる心身の疲弊のことをアロスタティック負荷と呼ぶ。』 (c) 一方、双極性障害と上記「allostatic load」との関連については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「双極Ⅱ型障害の診断・治療および臨床研究 ――Ⅰ型障害との比較も併せて――」の「Ⅲ.双極性障害の縦断的経過に関する提案」項 (d) 「アロスタティック負荷を考えることによって,PTSD のみでは病気を引き起こすような変化が生じそうにない場合でも,なぜ他疾患が引き起こされるかを説明できるとした」ことについて、ウルリッヒ・シュニーダー、マリリン・クロワトル編、前田正治、大江美佐里監訳の本、「トラウマ関連疾患心理療法ガイドブック 事例で見る多様性と共通性」(2017年発行)の 第2章 トラウマ曝露による身体的影響 の「2.トラウマ曝露がもたらす身体的健康への影響を理解する概念的枠組み」における記述の一部(P14)を次に引用(【 】内)します。 【アロスタティック負荷は,時間の経過とともに生物学的システムのいたるところで生じる加重的変化,と定義づけられている。それゆえに,この負荷を考えることによって,PTSD のみでは病気を引き起こすような変化が生じそうにない場合でも,なぜ他疾患が引き起こされるかを説明できるとした(Friedman & McEwen, 2004 ; Schnurr & Green, 2004 ; Schnurr & Jankowski, 1999)。】(注:1) 引用中の「Friedman & McEwen」は次の論文です。 「Posttraumatic stress disorder, allostatic load, and medical illness.」 2) 引用中の「Schnurr & Green」は次の論文です。 「Understanding relationships among trauma, post-tramatic stress disorder, and health outcomes」 3) 引用中の「Schnurr & Jankowski」は次の論文です。 「Physical health and post-traumatic stress disorder: review and synthesis」) (e) 「ACEsとアロスタティック負荷との関連」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。(f) これら以外にも、上記 (b) 項における引用よりも「アロスタティック負荷」をより詳細に説明するかもしれない「生き残るための対価」を含むポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の視点からの「アロスタティック負荷」について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第4章 調整とつながりのための神経基盤 の「生き残るための対価と生理学的バランス」における記述の一部(P114~P118)を以下に引用します。 (g) 2017年以降に発表された上記アロスタティックロードについての一部の論文(全文)を以下[]に引用します。

交感神経系と背側迷走神経系は、誕生の時点で生理学的にすぐに機能できる状態にまで完成している。本章のはじめに述べたが、腹側迷走神経系は有鞘化に時間がかかるため、誕生直後ではその精妙な機能はまだ使えない状態である。そのため、養育者になだめてもらったり、協働調整してもらわなければならない。
子どもがストレスを感じ、交感神経系が優位な状態になったら、養育者は子どもをなだめ、身体に触れ、安心させるような声をかけ、濡れたおしめを替えたり、肌の痒みにローションを塗ったりといった、世話をしてやらなくてはならない。もしずっと待っていても養育者が来てくれないなら、子どもは生理学的に限られた選択しか持たない。交感神経系が覚醒状態となり、かんしゃくを起こして大声で泣き続け、たとえ誰かがやってきてあやしても落ち着くことがなく、疲れて眠りに落ちるまで泣き続けるか、あるいは背側迷走神経系の生き残り反応に入り、生理学的には温存体制をとる。そうすると、子どもはおとなしく動かなくなる。これは、恐れを伴わない不動化ではなく、身体的資源を温存し、命を保つための凍りつき反応である。恐怖は未解決であり、緊張を伴う不動化が起きている。この反応は、凍りつきと擬死を引き起こす背側迷走神経系の働きによる。
いずれの場合も、子どもは生き残りをかけた生理学的状態に留まる。極端な交感神経系の覚醒状態であれ、背側迷走神経系による凍りつき状態であれ、これは、ごく短時間の危機的状況を何とか生き延びるための反応である。こうした生理学的反応は、とっさに生き延びるために、ごく短時間の防衛反応として引き起こされる。したがって、長期にわたってこのような防衛状態に入ることは想定外である。慢性的にストレスを受け、こうした防衛状態が長期にわたると、身体の内なる機能のバランスをとって健康を維持する恒常性の機能が、じわじわと損傷を受ける。
マクエワンとステラーは、これを慢性的にストレスにさらされて起こる生理学的状能であるとして、「アロスタティック負荷(Allostatic,ストレス適応負荷)」と名付けた(McEwen and Stellar, 1993)。アロスタティック負荷の良い例は、ストレスの多い職場環境に置かれた時に繰り返し起こる血圧上昇である。ストレスを受けたときに、ごく短い時間、一気に血圧をあげることでその場を切り抜けるという意味では、血圧の上昇は適応的である。短期間なら、このようなアロスタシス(ストレス適応)は、環境に適応するために役立つ。しかし、ストレスレベルが高い状況が続き、血圧の上昇が慢性的になると、生理学的変化が引き起こされアロスタティック過重負荷を生み出す(McEwen, Seeman, and Allostatic Load Working Group, 2009)。ポージェスはこの状態を、「生き残るための対価」と表現している(Porges, 2011a, 95)。
問題が起こると、人は様々な方法で対処しようとする。そのやり方は、遺伝的体質、発達性トラウマやその他のストレスの有無、レジリエンスのレベル、喫煙や過食、アルコール摂取の有無など、様々な要因の影響を受ける。しかしどんなストレスであるにせよ、アロスタシスが起きる時は代償を伴う。ストレスに対処するために繰り返し強い生理学的反応を起こしていると、心身のあちこちに支障が生じ、次第に重症化する。身体が繰り返しストレス状態に適応することを強いられ、強い生理学的な反応を起こし続けると、アロスタティック負荷は増大し、代償もまた大きくなる。
身体は、常にエネルギーを過不足なく必要な部位にバランスよく供給し、調和をもって生きようとしている。しかし生き残りをかけた生理学的状態は、夥しい量の身体資源を必要とする。そのため、理想的な恒常性を保つことができず、身体には重い負担がかかる。交感神経系が覚醒した状態が長い期間続くと、多くの酸素や栄養素が使われ、多量のストレス関連の化学物質が分泌される。交感神経系が優位になると、身体中に「今は命を懸けて戦っているのだ」という生理学的なメッセージが送られ、消化や免疫反応などが抑制される。長い年月健康に生きていくための機能は脇に追いやられ、今を生き延びるために身体的な資源が多量に使われる。
たとえて言えば、家の地下室が水浸しなので、ペンキの塗り替えのようなメンテナンス作業をやっている場合ではない、というわけだ。直ちに注意を向ける必要がある緊急事態が起きていて、それに対処するためにエネルギーを使い、日々のメンテナンス作業ができない状態である。身体においても、生き残りをかけた緊急事態への対応に全力をあげ、身体を健全に保つ生理学的な反応は棚上げされる。このように、交感神経系の覚醒が高いとアロスタティック負荷が高くなり、身体は大きな代償を払わなくてほならなくなる。家にたとえて言えば、メンテナンスを怠っているうちに、次第にあちこちが傷み始めるようなものである。
生き残りをかけた反応で、交感神経系の働きと、ある意味対極にあるのが背側迷走神経系の活性化である。それによってもたらされる不動状態は、やはり大きな代償を伴う。ただし、そのメカニズムは交感神経系の過覚醒とは少し異なる。背側迷走神経系は身体資源を温存する。もっとも極端な反応は擬死を引き起こして究極の温存状態に入ることである。潜水哺乳類の例を思い出していただきたい。背側迷走神経系による不動状態にあるということは、絶体絶命の危機にあることを意味し、身体はあらゆる資源を極限まで節約しようとする。
こちらも家のたとえで説明すれば、職を失い、全財産を使い果たしたので、ペンキの塗り替えなどをしている場合ではない、というわけである。今は、食べ物やその他の生きるための最低限の必需品を確保するために、残っている全ての資源を節約しようとする。身体資源の「余り」が出てくるまでは、メンテナンス作業は脇に追いやらねばならない。このように、背側迷走神経系が究極の節約モードに入っているときも、メンテナンスをする余裕はなく、ここでも高いアロスタティック負荷が作り出される。
生き残りをかけた生理学的な状態を維持することは、アロスタシスを増すことでもある。こうした状態で、免疫反応や消化による栄養素の摂取、休息といった生理学的なメンテナンス機能が慢性的に制限されたら、心身に重大な支障が生じることは明白である。発達性トラウマが、時を経て深刻な疾病を引き起こす理由がこれでお分かりいただけただろう。(後略)

注:i) 引用中の「本章のはじめ」における引用を省略します。 ii) 引用中の「McEwen and Stellar, 1993」は次の論文です。 「Stress and the individual. Mechanisms leading to disease.」 iii) 引用中の「McEwen, Seeman, and Allostatic Load Working Group, 2009」は次のWEBページです。 「Allostatic Load and Allostasis」 iv) 引用中の「Porges, 2011a」は次の本です。 「Porges, S. W. 2011a. The Polyvagal Theory: Neurophysiological Foundations of Emotions, Attachment, Communication, and Self-Regulation. New York: W. W. Norton.」 v) 引用中の「ポージェス」(Porges)が提唱する上記「ポリヴェーガル理論」については引用中の「交感神経系」、「背側迷走神経系」や「凍りつき」を含めて、他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。 vi) 引用中の「発達性トラウマが、時を経て深刻な疾病を引き起こす」ことに関連するかもしれない「いかに子供時代のトラウマが生涯に渡る健康に影響を与えるのか」については例えば次の動画を参照して下さい。 「いかに子供時代のトラウマが生涯に渡る健康に影響を与えるのか

① 論文「Should social disconnectedness be included in primary-care screening for cardiometabolic disease? A systematic review of the relationship between everyday stress, social connectedness, and allostatic load.[拙訳]心代謝性疾患のプライマリケアスクリーニングに社会的断絶を含めるべきか? 日常のストレス、社会的つながり、及びアロスタティックロードの関係のシステマティックレビュー」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

In the present review, we argue that social disconnectedness could and should be included in primary-care screening protocols for the detection of cardiometabolic disease. Empirical evidence indicates that weak social connectedness represents a serious risk factor for chronic diseases, including cardiovascular disease, diabetes, and various cancers. Weak social connectedness, however, is largely regarded as a second-tier health-risk factor in clinical and research settings. This may be because the mechanisms by which this factor impacts on physical health are poorly understood. Budding research, however, advances the idea that social connectedness buffers against stress-related allostatic load-a known precursor for cardiovascular disease and cancer. The present paper reviews the empirical knowledge on the relationship between everyday stress, social connectedness, and allostatic load. Of 6022 articles retained in the literature search, 20 met predefined inclusion criteria. These studies overwhelmingly support the notion that social connectedness correlates negatively with allostatic load. Several moderators of this relationship were also identified, including gender, social status, and quality of social ties. More research into these factors, however, is warranted to conclusively determine their significance. The current evidence strongly indicates that the more socially connected individuals are, the less likely they are to experience chronic stress and associated allostatic load. The negative association between social connectedness and various chronic diseases can thus, at least partially, be explained by the buffering qualities of social connectedness against allostatic load. We argue that assessing social connectedness in clinical and epidemiological settings may therefore represent a considerable asset in terms of prevention and intervention.


[拙訳]
本レビューでは、心血管代謝性疾患の検出のためのプライマリケア・スクリーニング・プロトコルに社会的断絶が含まれる可能性があるだろう、そして含まれるべきであると、我々は主張する。弱い社会的つながりが、心血管疾患、糖尿病、及び様々ながんを含む慢性疾患の重大なリスク要因であることを表すことを、経験的なエビデンスは示す。しかしながら、弱い社会的つながりは、主に臨床及び研究セッティングにおける二番手の健康リスク要因と広く見なされている。このことは、この要因が身体の健康に影響を及ぼすメカニズムが十分に理解されていないためかもしれない。しかし、社会的つながりがストレス関連のアロスタティックロード(心血管疾患及び癌に対する既知の前兆)に対して緩衝するという考えを、新進の研究は促進する。日常のストレス、社会的つながり、及びアロスタティックロードの関係に関する経験的知識を、本論文はレビューする。文献検索において保有された 6022件 の論文のうち、20件が事前に定義された選択基準を満足した。これらの研究は、社会的つながりがアロスタティックロードと負の相関があるという考えを圧倒的に支持する。性別、社会的地位、社会的つながりの質等の、この関係のいくつかのモデレーターも同定された。しかしながら、これらの要因のさらなる研究は、それらの重要性を最終的に決定するために保証される。社会的につながりのある個人ほど、慢性的なストレスと関連するアロスタティックロードを経験する可能性が低いことを、現在の証拠は強く示す。したがって、社会的つながりとさまざまな慢性疾患との間の負の関連は、少なくとも部分的に、アロスタティックロードに対する社会的つながりの緩衝特性によって説明することができます。従って、臨床的及び疫学的セッティングにおける社会的つながりを評価することは、予防及び介入の観点からかなりの資産になるかもしれないと、我々は主張する。

注:i) 拙訳中の「社会的つながり」に関連する「信頼に満ちた社会的関わり」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

② 論文「Educational attainment and allostatic load in later life: Evidence using genetic markers.[拙訳]後期の人生における教育の達成及びアロスタティックロード:遺伝子マーカーを用いたエビデンス」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

Education is strongly correlated with health outcomes in older adulthood. Whether the impact of education expansion improves health remains unclear due to a lack of clarity over the causal relationship. Previous health research within the social sciences has tended to use specific activities of daily living or self-reported health status. This study uses a broader and objective health measure - allostatic load (AL) - to take into consideration the exposures that accumulate throughout the life course. This paper applies a Mendelian Randomization (MR) approach to identify causality in relation to education on health as measured by AL. Using the Health and Retirement Study 2008 (N=3935), we adopt a polygenic score built from genetic variants associated with years of education. To test whether our analyses violate the exclusion assumption, we further run MR Egger regressions to test for bias from pleiotropy. We also explore the potential pathways between education and AL, including smoking, drinking, marital length, health insurance, etc. Using this genetic instrument, we find a 0.3 unit (19% of a standard deviation) reduction in AL per year of schooling. The effect is mainly driven by BMI and Hba1c. Smoking and marital stability are two potential pathways that also causally influenced by education. If our main and sensitivity analyses are valid, the results find support that a higher level of education is causally related to better health in older adulthood.


[拙訳]
教育は、高齢者における健康の転帰と強く相関している。教育の拡大が健康に及ぼす影響については、因果関係が明確でないため不明のままである。社会科学における以前の健康研究では、日常生活の特定の活動又は自己申告による健康状態を用いる傾向があった。この研究では、より広範で客観的な健康指標である「アロスタティックロード(AL)」を用いて、生涯を通じて蓄積する曝露を考慮する。測定される健康に関する教育に関連する因果関係を同定するために、本論文ではメンデルのランダム化(MR)アプローチを適用した。Health and Retirement Study 2008(N = 3935)を用いて、長年の教育に関連する遺伝的変異から構築された多遺伝子性スコアを、我々は採用する。我々の分析が除外仮定に違反するかどうかを調べるために、我々はさらに MR Egger 回帰を実行して多面発現性からのバイアスを分析した。また、喫煙、飲酒、夫婦関係の期間、健康保険等を含む、教育と AL との間の潜在的な経路をも我々は調査する。この遺伝的手法を用いると、学校教育の年間あたり AL の 0.3 単位(標準偏差の19%)の減少を、我々は見出した。この効果は主に BMIHba1c によるものである。喫煙と夫婦関係の安定は、教育によっても因果的な影響を受ける2つの潜在的な経路である。もし我々の主解析及び感度解析が妥当な場合、より高いレベルの教育が高齢成人期におけるより良い健康と因果関係があることの支持を、結果は見出す。

注:i) 拙訳中の「N = 3935」は人数を指します。 ii) 拙訳中の「メンデルのランダム化」については次のWEBページを参照して下さい。 「[第3話]サプリメント② 遺伝疫学への期待」 iii) 引用中の「Health and Retirement Study 2008」については拙訳はありませんが例えば次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Mortality selection in a genetic sample and implications for association studies」の「Introduction」項 iv) 拙訳中の「BMI」については次のWEBページを参照して下さい。 「BMI」 加えて上記「BMI」と関連するかもしれない「メタボリックシンドローム」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「メタボリックシンドロームの改善」 v) 拙訳中の「Hba1c」については次の資料を参照して下さい。 「血液のHbA1cが高いと言われました」

③ 論文「Objective and subjective stress, personality, and allostatic load.[拙訳]客観的及び主観的なストレス、パーソナリティ、及びアロスタティックロード」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

INTRODUCTION:
Despite the understanding of allostatic load (AL) as a consequence of ongoing adaptation to stress, studies of the stress-AL association generally focus on a narrow conceptualization of stress and have thus far overlooked potential confounding by personality. The present study examined the cross-sectional association of objective and subjective stress with AL, controlling for Big Five personality traits.

METHODS:
Participants comprised 5,512 members of the Copenhagen Aging and Midlife Biobank aged 49-63 years (69% men). AL was measured as a summary index of 14 biomarkers of the inflammatory, cardiovascular, and metabolic system. Objective stress was assessed as self-reported major life events in adult life. Subjective stress was assessed as perceived stress within the past four weeks.

RESULTS:
Both stress measures were positively associated with AL, with a slightly stronger association for objective stress. Adjusting for personality traits did not significantly change these associations.

CONCLUSIONS:
The results suggest measures of objective and subjective stress to have independent predictive validity in the context of personality. Further, it is discussed how different operationalizations of stress and AL may account for some of the differences in observed stress-AL associations.


[拙訳]
はじめに:
進行中のストレスへの適応の結果としてのアロスタティックロード(AL)の理解にもかかわらず、ストレス- AL の関連性の研究は一般的にストレスの狭い概念化に焦点を当てており、これまでパーソナリティによる潜在的な交絡を見逃してきた。本研究では、客観的ストレスおよび主観的ストレスと AL との横断的関連を調査し、ビッグ・ファイブ・パーソナリティ特性を統制した。

方法:
参加者は、49~63歳の Copenhagen Aging and Midlife Biobank の 5,512人のメンバーで構成された(男性69%)。ALは、炎症、心血管、及び代謝系の 14 のバイオマーカーのサマリーインデックスとして測定された。客観的ストレスは、成人生活における自己申告の主要な生活上の出来事として評価された。主観的ストレスは、過去4週間以内に知覚されるストレスとして評価された。

結果:
両方のストレス測定値は、客観的ストレスとわずかに強い関連性を持ち、ALと正に関連していた。パーソナリティ特性を調整しても、これらの関連は大きく変わらなかった。

結論:
パーソナリティの文脈において独立した予測的妥当性を有する客観的及び主観的ストレスの尺度を、この結果は示唆する。さらに、ストレス及び AL の異なる操作運用が、観察されたストレスと AL との関連性の違いの一部を、いかに説明するかもしれないことが議論される。

注:拙訳中の「ビッグ・ファイブ・パーソナリティ特性」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ビッグ・ファイブ・パーソナリティ特性の年齢差と性差:大規模横断調査による検討

④ 論文「Early life predictors of midlife allostatic load: A prospective cohort study.[拙訳]中年のアロスタティックロードの早期の人生の予測因子:前向きコホート研究」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

BACKGROUND:
Allostatic load has been suggested as a pathway through which experiences become biologically embedded to influence health. Research on childhood predictors of allostatic load has focused on socioeconomic and psychosocial exposures, while few studies include prospective measures of biomedical exposures. Further, findings on sex differences in the association of childhood predictors with various health outcomes related to allostatic load are ambiguous.

AIMS:
To examine the influence of early life biomedical and social factors in the first year of life on midlife allostatic load, assessing potential sex differences.

METHODS:
This prospective cohort study includes early life information collected at birth and a one year examination for 1,648 members of the Copenhagen Perinatal Cohort who also participated in the Copenhagen Aging and Midlife Biobank study (aged 49-52 years, 56% women). Allostatic load based on 14 biomarkers was selected as a measure of midlife health status. Early life factors were categorized as predominantly biomedical or social, and their associations with midlife allostatic load were examined in domain-specific and combined sex-stratified multiple regression models.

RESULTS:
The biomedical factors model explained 6.6% of the variance in midlife allostatic load in men and 6.7% in women, while the social model explained 4.1% of the variance in men and 7.3% in women. For both sexes, parental socioeconomic position at one year and maternal BMI significantly predicted midlife allostatic load in a model containing all early life factors. For women, additional significant predictors were complications at birth, birth weight and not living with parents at one year.

CONCLUSION:
The results confirm an association of lower childhood socioeconomic position with higher adult allostatic load while demonstrating the importance of other prenatal and early life exposures and highlighting potential sex differences.


[拙訳]
背景:
アロスタティックロードは、経験が健康に影響を及ぼすために生物学的に埋め込まれた経路として示唆されている。アロスタティックロードの小児期の予測因子に関する研究は、社会経済的及び心理社会的曝露に焦点​​を当てているが、とは言え生物医学的な曝露の前向き測定を含む研究はほとんどない。さらに、小児期の予測因子とアロスタティックロードに関連する様々なな健康の転帰との関連における性差に関する知見はあいまいである。

目的:
潜在的な性差を評価して、中年のアロスタティック負荷に関する人生の最初の年における初期の生活の生物医学的及び社会的要因の影響を調査する。

方法:
出生時に収集された初期の生活の情報、及び Copenhagen Aging and Midlife Biobank study(49~52歳、56%は女性)に参加した Copenhagen Perinatal Cohort(コペンハーゲン周産期コホート)の 1,648人のメンバーに対する1年間の調査が、この前向きコホート研究に含まれる。14 のバイオマーカーに基づくアロスタティックロードが、中年期の健康状態の尺度として選択された。初期の生活の要因は、主に生物医学的又は社会的にカテゴリー化され、そして中年のアロスタティックロードを伴うそれらの関連は、ドメイン固有、そして性別層別重回帰モデルにおいて調査された。

結果:
生物医学的な要因モデルは、男性の中年のアロスタティックロードにおける分散の 6.6%を、女性における 6.7%を説明した一方で、社会モデルは男性における分散の 4.1% と女性における 7.3%を説明した。男女ともに、1年時点の親の社会経済的地位及び母親の BMI は、全ての初期の生活の要因を含むモデルにおいて中年のアロスタティックロードを有意に予測した。女性に対しては、追加の有意な予測因子は、出生時の合併症、出生時体重であり、1年で両親と同居していないことであった。

結論:
他の出生前及び初期の生活への曝露の重要性を実証し、そして潜在的な性差を強調する一方で、より低い小児期の社会経済的地位とより高い成人のアロスタティックロードとの関連を、結果は確認する。

注:i拙訳中の「BMI」については次のWEBページを参照して下さい。 「BMI

⑤ 論文「Allostatic load and heart rate variability as health risk indicators.[拙訳]健康リスク指標としてのアロスタティックロードと心拍変動」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

BACKGROUND:
Uncertainty often exists about the comparability of results obtained by different health risk indicator systems.

OBJECTIVES:
To compare two health risk indicator systems, i.e, allostatic load and heart rate variability (HRV). Additionally, to investigate the feasibility of inclusion of HRV indicators into allostatic load assessments and which HRV indicators are best to introduce.

METHODS:
Allostatic loads were calculated based on blood pressure, waist-to-hip ratio, BMI, cholesterol, HDL-C, LDL-C, CRP, albumin, glycosylated haemoglobin, blood glucose and cortisol excretion. Allostatic load scores were compared to HRV results obtained by frequency domain, time domain and Poincaré analyses.

RESULTS:
Negative correlations were found between allostatic loads and total HRV, for all periods and all HRV analytical techniques (r=-0.67, p=0.0001 to r=-0.435, p=0.035), and between allostatic loads and vagal measures of HRV for supine (r=-0.592, p=0.001 to r=-0.584, p=0.001) and the first 5 minutes standing (r=-0.443, p=0.021 to r=-0.407, p=0.035), with all HRV techniques. Heart rate responses declined with increases in allostatic loads.

CONCLUSION:
HRV and allostatic load scores give comparable results as health risk indicators. Baseline total HRV and vagal, rather than sympathetic, measures of HRV should be introduced into allostatic load assessments. Results are in line with the concept of vagal tone as a regulator of allostatic systems. Inclusion of heart rate responses to orthostatic stress, into allostatic load assessments, warrants further investigation.


[拙訳]
背景:
異なる健康リスク指標系によって得られた結果の比較可能性については不確実性がしばしば存在する。

目的:
2つの健康リスク指標系、すなわち、アロスタティックロードと心拍変動(HRV)を比較する。加えて、HRV 指標をアロスタティックロード評価に含めることの実現可能性、及びどの HRV 指標を導入するのが最適かを調査する。

方法:
アロスタティックロードは、血圧、ウエストヒップ比、BMIコレステロール、HDL-C、LDL-C、CRPアルブミン、グリコシル化ヘモグロビン、血糖及びコルチゾール排泄に基づいて計算された。アロスタティックロードスコアは、周波数領域、時間領域、及びポアンカレ分析によって得られた HRV 結果と比較された。

結果:
全ての期間及び全ての HRV 分析手法(r = -0.67、p = 0.0001 ~ r = -0.435、p = 0.035)に対し、アロスタティックロードと総 HRV の間で、そして全ての HRV のテクニックを伴う仰向け(r = -0.592、p = 0.001 ~ r = -0.584、p = 0.001)及び最初の5分間のの起立(r = -0.443、p = 0.021 ~ r = -0.407、p = 0.035)に対し、アロスタティックロードと HRV の迷走神経の測定との間に負の相関が見い出された。アロスタティックロードにおける増加に伴い、心拍応答は低下した。

結論:
HRV 及びアロスタティックロードスコアは、健康リスクの指標として類似の結果を与える。ベースラインのトータル HRV 、そして、交感神経というよりも迷走神経の測定の HRV はアロスタティックロードの評価に導入されるべきである。結果はアロスタティック系のレギュレーターとしての迷走神経緊張の概念と一致している。起立性ストレスに対する心拍反応をアロスタティックロードの評価に含めるには、さらなる調査が必要である。

注:i) 拙訳中の「BMI」については次のWEBページを参照して下さい。 「BMI」 加えて上記「BMI」と関連するかもしれない「メタボリックシンドローム」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「メタボリックシンドロームの改善」 ii) 拙訳中の「HDL-C」、「LDL-C」については共に例えば次の資料を参照して下さい。 「総コレステロール(TC)、HDL-C、LDL-C の検査について」 iii) 拙訳中の「CRP」については例えば次の資料を参照して下さい。 「CRP の検査について」 iv) 拙訳中の「アルブミン」については例えば次の資料を参照して下さい。 「総蛋白、アルブミンの検査について」 v) 拙訳中の「グリコシル化ヘモグロビン」に関連する「グリコヘモグロビン」については次の資料を参照して下さい。 「血液のHbA1cが高いと言われました」 vi) 拙訳中の「コルチゾール」に関連する「グルココルチコイド」については次のWEBページを参照して下さい。 「グルココルチコイド - 脳科学辞典」 加えて次のWEBページも参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 vii) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline」 viii) なお、心拍変動にも関連する「ヨガのストレス緩和作用の機序」における「アロスタティックロード」(アロスタティック負荷)については次の資料を参照して下さい。 「ストレス関連疾患に対するヨガ利用ガイド」の「2.ヨガのストレス緩和作用の機序」項 一方、MCS(Multiple Chemical Sensitivity)における拙訳中の「HRV」についての論文例は他の拙エントリのここを、加えて疲労における拙訳中の「HRV」についてはここここを参照して下さい。 

⑥ 論文「Early life trauma, post-traumatic stress disorder, and allostatic load in a sample of American Indian adults.[拙訳]アメリカインディアンの成人のサンプルにおける早期の人生のトラウマ、心的外傷後ストレス障害、及びアロスタティックロード」の要旨(全文はここを参照)を次に引用します。

OBJECTIVES:
Among American Indians, prior research has found associations between early life trauma and the development of post-traumatic stress disorder (PTSD) in adulthood. Given the physiological changes associated with PTSD, early life trauma could indirectly contribute to chronic disease risk. However, the impact of early life trauma on adult physical health in this population has not been previously investigated.

METHODS:
We evaluated associations among early life trauma, PTSD, and 13 physiological biomarkers that index cardiovascular, metabolic, neuroendocrine, anthropometric, and immune function in adulthood by conducting correlation and structural equation modeling path analyses (N = 197). Physiological systems were analyzed individually as well as in a composite measure of allostatic load.

RESULTS:
We found early life trauma was related to PTSD, which in turn was related to elevated allostatic load in adulthood. Among the various components of allostatic load, the neuroendocrine system was the only one significantly related to early life stress and subsequent PTSD development.

CONCLUSIONS:
Changes in allostatic load might reflect adaptive adjustments that maximize short-term survival by enhancing stress reactivity, but at a cost to later health. Interventions should focus on improving access to resources for children who experience early life trauma in order to avoid PTSD and other harmful sequelae.


[拙訳]
目的:
アメリカインディアンの間での、以前の研究は、早期の人生のトラウマと成人期における心的外傷後ストレス障害PTSD)の発症との関連を見出した。PTSD に関連する生理学的変化を前提とすると、早期の人生のトラウマは間接的に慢性疾患のリスクに寄与しうるだろう。しかしながら、この集団における成人の身体の健康に及ぼす早期の人生のトラウマの影響は、以前には調査されていない。

方法:
相関及び構造方程式モデリングパス分析(N = 197)を実施することにより、成人期における心臓血管、代謝、神経内分泌、身体計測、及び免疫機能を指標とする、早期の人生のトラウマ、PTSD、及び 13 の生理学的バイオマーカー間との関連を、我々は評価した。アロスタティックロードの複合測定値はもちろん生理系は個別に解析された。

結果:
早期の人生のトラウマは PTSD に関連し、次に PTSD は成人期におけるアロスタティックロードの上昇に関連していることを、我々は見出した。アロスタティックロードの様々な構成要素の中で、神経内分泌系は、早期の生活ストレスとそれに続く PTSD の発症に有意に関連する唯一のものであった。

結論:
アロスタティックロードにおける変化は、ストレス反応性を高めることにより短期的な生存を最大化する適応調整をひょっとして反映しているかもしれないが、後の健康を犠牲にする。介入は、PTSD 及びその他の有害な後遺症を回避するために、早期の人生のトラウマを経験した子どもたちのリソースへのアクセスを改善することに焦点を当てるべきである。

注:i) 拙訳中の「N = 197」は人数を指します。 ii) 拙訳中の「心的外傷後ストレス障害」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験に苦しむストレス症候群 心的外傷後ストレス障害を診る」 iii) 拙訳中の「ストレス反応性」に関連する「ストレス」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレス - 脳科学辞典」 iv) 拙訳中の「神経内分泌」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「学会について - 日本神経内分泌学会」の「神経内分泌とはなにか」項 v) 拙訳中の「構造方程式モデリング」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「構造方程式モデリング ―モデル構築䛾再検討―

また、参考として「内受容感覚及びメンタルヘルスのロードマップ」について、(Khalsa 等による)論文(全文)「Interoception and Mental Health: A Roadmap[拙訳]内受容感覚及びメンタルヘルス:ロードマップ」の「Roadmap」項における記述を以下に引用します。なお、上記論文を簡単に紹介するかもしれない記述として、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第2部 感情の基本要素 の 10章 感情科学の展開 の 4節 実証的研究と計算論モデル の「4. 内受容感覚の病理」における連続する記述の一部(P216~P217)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。ただし、この引用部の著者は大平英樹です。 『近年、本章で紹介した予測的符号化の観点から,さまざまな感情障害や心身症を内受容感覚の病理として捉えなおそうという動きが興ってきた(Khalsa et al., 2018)。そうした研究は,単に解釈だけのレベルにとどまらず,本章で紹介したような計算論モデルを作成して感情障害が発生し維持されるメカニズムを探求し,治療の新たな方針を模索することを目指しており,計算論的精神医学(computational psychiatry: Friston et al., 2014; Montague et al., 2012)あるいは計算論的心身医学(computational psychosomatic medicine: Petzscher et al., 2017)と呼ばれている。』(注:i) 引用中の「本章で紹介した予測的符号化」についての部分的な引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、次の資料も参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 一方、引用中の「本章で紹介したような計算論モデル」についての引用はありませんが、 引用中の「心身症」 に関連し、そして引用中の「内受容感覚」や「予測的符号化」(又は予測)にも関連するかもしれない、引用中の「計算論的心身医学」についてはここを参照して下さい。加えて、次の論文(全文)やWEBページも参照すると良いかもしれません。 「Regulation of Functions of the Brain and Body by the Principle of Predictive Coding: Implications for Impairments of the Brain-Gut Axis[拙訳]予測的符号化の原理による脳と身体の機能の調節:脳-腸軸の障害に対する含意」、「予測的符号化に基づく計算論的心身医学ー過敏性腸症候群を対象とした基礎的検討ー」 ii) 引用中の「Khalsa et al., 2018」は上記で紹介される論文(全文)です。 iii) 引用中の「Friston et al., 2014」は次の論文です。 「Computational psychiatry: the brain as a phantastic organ.」 iv) 引用中の「Montague et al., 2012」は次の論文です。 「Computational psychiatry.」 v) 引用中の「Petzscher et al., 2017」は次の論文です。 「Computational Psychosomatics and Computational Psychiatry: Toward a Joint Framework for Differential Diagnosis.」 vi) 引用中の「計算論的精神医学」については次の資料を参照して下さい。 「5.計算論的精神医学:脳の数理モデルを用いて精神疾患の病態に迫る」)、『この立場では,感情障害や心身症の本質は,何らかの原因により内受容感覚をはじめ諸感覚の予測誤差を縮小することができないことにあると考える。』 また、上記論文(全文)よりも後に発表された内受容感覚についての論文(全文)としては、次が挙げられます。 a) 「An Active Inference Approach to Interoceptive Psychopathology[拙訳]内受容精神病理への能動的推論アプローチ」、 b) 「Neural Circuits of Interoception[拙訳]内受容感覚の神経回路」、 c) 「The Emerging Science of Interoception: Sensing, Integrating, Interpreting, and Regulating Signals within the Self[拙訳]内受容感覚の新興科学:自己内の感知、統合、理解及び信号調節」[注:同論文(全文)の「The Emerging Science of Interoception at the NIH」項には、2019年に National Institutes of Health (NIH) で開催された内受容感覚(Interoception)についてのワークショップに関する記述があります] ただし、これらの論文(全文)は共にタイトルを除き拙訳はありません。

The Road Ahead
Beyond the issues outlined previously, progress in determining the relevance of interoception for mental health relies on emphasizing the features that distinguish it from other sensory modalities. Interoception seemingly involves a high degree of connectivity within the brain (135). It appears to be tightly linked to the self and survival through homeostatic maintenance of the body, and by helping us to represent how things are going in the present with respect to the experienced past and the anticipated future. These computations may depend on what has occurred to shape the body's internal landscape, and it is in this regard that learning, and malleability of representations over time, could play important roles.

The conceptual framework for investigating interoception may overlap with other processes, including emotion (136) and pain (137), because each is integral for maintaining bodily homeostasis. An important endeavor may involve the identification of which neural systems for interoception, emotion, cognition, and pain are overlapping, interdigitating, or even possibly identical. Additional effort is needed to define the neurophysiological nomenclature, core criteria, common features, developmental aspects, modulating factors, functional consequences, and putative pathophysiologic mechanisms of interoception in mental health disorders.

The current work offers some conceptual distinctions and some mutually agreed-on terminology, with many others still needed. Several low-hanging fruits, as well as promising emerging technologies and tools, have been mentioned. Further empirical work will be critical to delineate how interoception can be mapped to mental health measures, models, and approaches, and benchmarks for success/failure need to be established. Models of interoceptive processing that improve on the traditional stimulus, sensorimotor processing, and response function concepts have been described, but these models remain theoretical and await further testing. Therefore, the current document is best viewed as a work in progress.


[拙訳]
前方のロード
これまでに概説した問題を超えて、メンタルヘルスに対する内受容感覚の妥当性を見極める上での進歩は、他の感覚モダリティと区別する特徴を強調することにかかっている。内受容感覚には、脳内の高度な結合が関与しているようである(135)。それは体のホメオスタシス維持を介して自己及び生存に密接に関連しているようであり、そして経験された過去及び予期される未来に関して物事がいかに進むかを表象するのに役立つ。これらの計算は、身体内部の状況を形作るために何が起こったかに依存するかもしれなく、そしてこの点において、学習、及び時間の経過に伴う表象の順応性が重要な役割を果たし得るだろう。

内受容感覚を研究するための概念的枠組みは、情動(136)及び疼痛(137)を含む他のプロセスと重複するかもしれない。なぜならばそれぞれが身体のホメオスタシスを維持するために必須なのだから。内受容感覚、情動、認知、及び疼痛に対するどの神経系が重なり合っているか、互いに組み合わさっているか、又はそれどころかことによると同一であるかの同定に、重要な尽力は必要かもしれない。メンタルヘルス障害における内受容感覚の神経生理学的命名法、核となる基準、共通の特徴、発達的側面、調節因子、機能的結果、及び推定される病態生理学的メカニズムを明瞭に示すために、さらなる努力が必要である。

他の多くの用語は依然必要であることを伴って、いくつかの概念的区別及びいくつかの相互に合意した用語を、現在の研究は提供する。有望な新技術やツールはもちろん、簡単に達成できる目標もいくつか挙げられている。どのようにすれば内受容感覚をメンタルヘルスの尺度、モデル、及びアプローチにマッピングできるかを描写するためには、さらなる経験的研究が重要であり、そして成功/失敗のベンチマークを確立する必要がある。伝統的な刺激、感覚運動処理、及び応答機能概念を改善する内受容感覚処理のモデルが記述されているが、これらのモデルは理論的なままとどまっており、そしてさらなる試験が待たれる。従って、現在のドキュメントは進行中の作業として見るのが最適である。

注:i) 引用中の「(135)」は次の論文です。 「Evidence for a Large-Scale Brain System Supporting Allostasis and Interoception in Humans.」(全文はここを参照して下さい) ii) 引用中の「(136)」は次の論文です。 「A framework for studying emotions across species.」(全文はここを参照して下さい) iii) 引用中の「(137)」は次の論文です。 「The ACTTION-APS-AAPM Pain Taxonomy (AAAPT) Multidimensional Approach to Classifying Acute Pain Conditions.」(全文はここを参照して下さい) iv) 拙訳中の「身体のホメオスタシス維持」(homeostatic maintenance of the body)に関連するかもしれない「身体予算管理」についてはここを、「アロスタシス」についてはここの (xiii) 項を、 そして「アロスタティックロード」についての論文例はここを それぞれ参照して下さい。 v) 拙訳中の「表象」についてはメンタライジングの視点からは他の拙エントリのここを参照して下さい。

「計算論的心身医学」について、国里愛彦、片平健太郎、沖村宰、山下祐一著の本、「計算論的精神医学 情報処理過程から読み解く精神障害」(2019年発行)の 第1部 理論編 の 第2章 計算論的アプローチ の「2.5 計算論的心身医学と計算論的臨床心理学」における記述の一部(P24~P25)を次に引用します。

(前略)まず,精神医学に関連する領域としては,心身医学がある。心身医学とは,過敏性腸症候群,神経性胃炎などのような,症状の発症や経過に心理的要因の影響が強い身体疾患について扱う医学の領域である。精神医学が精神症状を治療ターゲットにするのに対し,心身医学は身体症状を治療ターゲットとするが,どちらも心理的要因の影響が強い。そのため,計算論的アプローチを精神障害に適用したのと同様に,心身症に対して計算論的アプローチを適用することも可能と思われる。
Petzschner, Weber, Gard, & Stephan(2017)は,推論・コントロールループモデルの観点から,計算論的精神医学と計算論的心身医学について整理している(図2.3)。私たちは環境からの刺激をそのまま受け取るのではなく,事前にもっている事前知識と統合することで知覚する(詳細は,第7章のベイズ推論モデル)。その私達の事前知識は,環境や自身の身体に関するモデルから生成される。その際に,自分が環境や身体についてもっているモデルについての確信度などのメタ認知も存在する。このように,私達の脳内では,階層化された形で環境や身体についての事前知識を作り出し,それを元に予測を行っている。その予測は,実際の環境・身体からの感覚情報によって予測誤差を生む。予測誤差が生じた場合,2つの対応方法が考えられる。1つは自分の環境・身体についての自分のモデルを更新する,もう1つは環境や身体に働きかける(行動する)ことで,それぞれ誤差を小さくする。
推論・コントロールループモデルにおいて,外界の環境からの入力もしくは環境への働きかけにおいて不適応が生じると精神医学の問題になり,計算論的精神医学で扱うことになる(Petzschner et al., 2017)。一方,自身の身体からの内受容感覚もしくは身体への働きかけにおいて不適応が生じると心身医学の問題となり,計算論的心身医学で扱うことになる(Petzschner et al., 2017)。たとえば,心理社会的要因によって下痢や腹痛が生じる過敏性腸症候群の場合,腹部の内受容感覚に対して「この胃腸の具合は何か深刻な病のサインではないか」や「この胃腸の具合だと,会食中におならをしてしまうのではないか」などの破局的な解釈をしたり,腹部の内受容感覚に過度な注意を向けたりする(Toner et al., 2011)。腹部の内受容感覚の破局的解釈は.身体についてのモデルやメタ認知が偏ったものになっている可能性があり,腹部の内受容感覚への過度な注意は予測誤差を最小化するためになされる行為の可能性がある。このように,ベイズ推論モデルという観点から,精神医学と心身医学を同じ枠組みで扱うことができる。(後略)

注:(i) 引用中の「Petzschner, Weber, Gard, & Stephan(2017)」、「Petzschner et al., 2017」は共に次の論文です。 「Computational Psychosomatics and Computational Psychiatry: Toward a Joint Framework for Differential Diagnosis.」(全文はここを参照) 加えて、引用中の「図2.3」の引用は省略しますが、上記論文(全文)の Figure 1 を参照すれば良いかもしれません。ただし、上記 Figure 1 と図2.3 の表示内容は同一ではありませんが。さらに、引用中の「Petzschner」(Frederike H. Petzschner)は論文(全文)「Interoception and Mental Health: A Roadmap[拙訳]内受容感覚及びメンタルヘルス:ロードマップ」(参照)の著者でもあります。 (ii) 引用中の「Toner et al., 2011」は次の本です。 「Toner, B. B., Segal, Z. V., Emmott, S. D., & Myran, D. (1999). Cognitive-Behavioral Treatment of Irritable Bowel Syndrome: The Brain-Gut Connection. New York: Guilford. (菅谷渚・鈴木敬生・藤井靖(訳),野村忍(監訳)(2011).過敏性腸症候群認知行動療法:脳腸相関の視点から 星和書店)」 (iii) 引用中の「計算論的精神医学」については次の資料を参照して下さい。 「5 .計算論的精神医学:脳の数理モデルを用いて精神疾患の病態に迫る」 加えて、自閉スペクトラム症における「計算論的精神医学」の適応例については、他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、上記の書評については次の資料を参照して下さい。 「書評」 (iv) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 (v) 引用中の「破局的な解釈」に関連して、 a) 身体感覚に対する破局的解釈については他の拙エントリのここここを、 b) 破局的思考、身体感覚及び身体症状の間の関係については、他の拙エントリのここを、 c) 慢性疼痛における破局的思考については、他の拙エントリのここを、 d) 電磁場に起因する特発性環境不耐症(電磁波過敏症)における破局的思考については、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、これに関連するスキーマ療法(参照)の視点からの(早期不適応的)スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」についてはここここを参照して下さい。 e) 痛みの破局的思考については例えば次の資料を参照して下さい。 「慢性治療疼痛ガイドライン」の図1-A(P19)

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【7】感情と行動との関係について

最初にアージ理論をはじめとした、感情と適応的行動に関連するなぜ認知ではなく感情なのか? について、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第1部 感情とは何か の 2章 進化と感情 の 3節 感情と適応的行動 の「2. なぜ認知ではなく感情なのか?」における記述(P34~P35)を次に引用します。

感情の機能は環境に対する適応的な反応を促進することである。しかし,手がかりを知覚し行動を起こすために,なぜ認知情報処理ではなく,あえて感情を用いるのだろうか。ここでは,この問いに対する2通りの答えを紹介する。
1つの答えはスピードである。脅威場面は瞬間的な反応を必要とすることが多い。目の前にライオンがいるときに,どのように逃げるのが効率的かと腰を据えて考えるよりも,一目散に逃げ出したほうが助かる確率は高いだろう。戸田(1992)は感情のこのような機能を「今ここ」原理と呼んだ。感情は「今ここ」に迫っている脅威に対して,迅速に対処するための情報処理のモードなのである。これは,LeDoux(1996)によって示されだ 脳における恐怖情報の二重の処理ともよく対応した考え方である。恐怖刺激が知覚されると,その情報を受け取った視床(thalamus)はそれを扁桃体(amygdala)と新皮質(neocortex)に送る。すると,扁桃体はただちに闘争・逃走のための身体反応を引き起こす。一方,皮質では詳細な認知情報処理が行われ,やや遅れて感情反応を制御する。扁桃体の反応は,認知的な情報処理を省略したスピード重視の反応といえる。
なぜ認知ではなく感情なのかという問いに対するもう1つの答えは,感情がコミットメント装置として機能するというものである(Frank, 1988)。Frankの考え方によれば 感情は長期的な自己利益(適応)につながる行動に自分自身をコミットさせるための心理的カニズムなのである。例えば 先に紹介した嫉妬により生じる配偶者保持戦術の中には,ライバルやパートナーへの攻撃が含まれていた。このため嫉妬が殺人につながることも少なくない(Daly et al., 1982)。殺人罪で長期間刑務所に入るリスクを犯すくらいなら,今のパートナーを失うほうがましではないだろうか。このように合理的に考えて,パートナーを誰かに取られても,何の反応もしないとしたらどうだろうか。このような人物が魅力的なパートナーを得たとしても,多くのライバルは躊躇せずにそのパートナーを奪おうとするだろう。しかし,嫉妬にかられて何をするかわからない人物だったらどうだろうか。このような人物のパートナーには,誰も手を出さないだろう。つまり,嫉妬にかられて我を忘れてふるまうこと(認知的な判断より感情に従って行動すること)は短期的には非合理的であるが,長期的には配偶者の保持という観点で合理的かもしれないのである。Frankによれば,感情の機能は,人を長期的にみて大きな利益をもたらす行動にコミットさせることである。もちろん,感情にかられた行動が本当に長期的にみて利益をもたらすのかどうか,行為者自身がそれを評価することは難しい。しかし,自然淘汰は最終的により繁殖成功度の高い形質を残し,低い形質を取り除くプロセスである。感情にかられた行動が長期的にみてより適応度を上昇させるのであれば,そのような感情反応が進化するはずである。

注:i) この引用部の著者は大坪庸介です。 ii) 引用中の「戸田(1992)」及び「戸田」が提唱したアージ理論について共にここを参照して下さい。 iii) 引用中の「LeDoux(1996)」は次の本です。 「LeDoux, J. (1996). The Emotional brain: The mysterious underpinnings of emotional life. New York: Touchstone. 松本元・川村光毅・小幡邦彦・湯浅茂樹・石塚典生(訳)(2003).エモーショナル・ブレイン-情動の脳科学- 東京大学出版会」 iv) 引用中の「Frank, 1988」は次の本です。 「Franck, R. H. (1996). Passions within reason: The strategic role of the emotions. New York: Norton. 山岸俊男(監訳)(1995).オデッセウスの鎖-適応プログラムとしての感情- サイエンス社」 v) 引用中の「Daly et al., 1982」は次の論文です。 「Male sexual jealousy.

なお、「戸田」が提唱したアージ理論について、同の「1節 はじめに」における記述の一部(P27~P28)を次に引用します。

(前略)一方,日本では世界に先駆けて戸田正直が,感情の適応的機能を指摘した感情のアージ理論(urge theory of emotion)を提唱している(戸田,1992)。戸田は,感情の役割を,瞬時に適応的な行動を導く,ある種の割り込み処理であると捉えている。例えばサバンナで狩りをしているときにライオンに出会った場合,恐怖(fear)により闘争・逃走反応(fight-or-flight response)が生じる。ライオンに対する恐怖は,それまでの行動(狩り)を中止して,「今ここ」で必要な行動(この例ではライオンから逃げること)を動機づける。進化心理学の考え方が受け入れられた今となっては,戸田の主張はしごく当たり前のことに思える。しかし,戸田が感情のアージ理論を提唱したのは,認知研究全盛の時代であり,感情は合理的判断を妨げるやっかいものとみなされていた。このような時期に,感情の適応的な側面を看破した戸田のアージ理論は画期的であった。(後略)

注:i) この引用部の著者は大坪庸介です。 ii) 引用中の「(戸田,1992)」次の本です。 「戸田正直(1992).感情-人を動かしている適応プログラム- 東京大学出版会

一方感情の非適応的な面について、同の「3. 感情の非適応的側面」における記述(P35~P36)を次に引用します。

ここまでにみてきたように,感情は適応であると考えられる。しかし,それではなぜ感情はしばしば非適応的なものとみなされるのだろうか。ここでは感情の非適応的な面を,どのように適応論の枠組みで説明できるのかを考える。
感情が非適応的になる状況として,手がかりとそれに対する反応が対応していない場合が考えられる。例えば,イスラエルキブツという共同体では,農業生産などの労働をコミュニティ内で平等に担うため,キブツ内の子どもたちはコミュニティの保育施設で一緒に過ごすことになる。そのようにして成長した子どもたちは,共同保育の期間が長い相手に対して性的嫌悪を催しやすい(Lieberman & Lobe, 2012)。この例にみるように,適応に関連する手がかりはあくまでも確率的なものであり,常にそれが正しいわけではない。しかし,何の手がかりも使わずにでたらめに行動することと比べれば 平均すれば適応的な結果が得られるだろう。そのため,自然淘汰によって確率的な手かかりの利用は進化するのである。
本来は適応的である手がかりへの反応が過剰であるために,その結果として非適応的な状態に陥ることもある。例えば,ヘビ恐怖症の人は 自分を襲ってくる危険がないとわかっているときにも強い恐怖を感じ,不必要な逃走行動などをとる。日常生活を送るうえで,これは不便である。しかし,過剰な恐怖や不安を引き起こす典型的な手がかり(例えば,広場,小動物,病気)は,それらの感情が進化した進化的適応環境(environment of evolutionary adaptedness:EEA)では,生存にとっての大きな脅威であったと考えられる。そして,それらの脅威に対する感情的反応は適応的であったはずである。ヘビを怖がることで毒ヘビに咬まれるリスクを大きく減少させることができるし,手洗いの習慣をつけることで感染症のリスクを下げることができる。Nesse(1990)は,火災報知機の例を出し,火事のときに鳴らない火災報知器よりも,火事ではないときにも時々誤作動するが火事のときには確実に鳴る火災報知器のほうがましであるという例をあげ,恐怖や不安などが過剰に作勤しやすいのは,より致命的な危険を避けるという意味で適応的だからであると論じる(Nesse & Williams, 1994)。もちろん,これらの反応が過剰なレベルになったときには日常生活に支障をきたし,非適応的なものとなる。しかし,平均すると,進化的適応環境での脅威に対して過剰反応しやすい傾向は,むしろ適応的なものであったと考えられる。

注:i) この引用部の著者は大坪庸介です。 ii) 引用中の「Lieberman & Lobe, 2012」は次の論文です。 「Kinship on the Kibbutz: Coresidence duration predicts altruism, personal sexual aversions and moral attitudes among communally reared peers」 iii) 引用中の「Lieberman & Lobe, 2012」次の論文です。 「Kinship on the Kibbutz: Coresidence duration predicts altruism, personal sexual aversions and moral attitudes among communally reared peers」 iv) 引用中の「Nesse(1990)」は次の論文です。 「Evolutionary explanations of emotions.」 iv) 引用中の「Nesse & Williams, 1994」は次の本です。 「Nesse, R. M., & Williams, G. C. (1994). Why we get sick? The new science of Darwinian medicine. New York: Random House. 長谷川眞理子長谷川寿一・青木千里(訳)(2001).病気はなぜ,あるのか-進化医学による新しい理解- 新曜社

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以下の【8】及び【9】項は喘息を含むアレルギー疾患に関するものです。

【8】アレルギー疾患と MCS 又は化学物質過敏症とは異なること及び喘息を含むアレルギー疾患における様々な話題について

最初に、標記「アレルギー疾患と MCS 又は化学物質過敏症とは異なる」ことに関連する、 ①「化学物質過敏症は、米国アレルギー学会雑誌が掲載したもっともエビデンスレベルが高い研究と位置づけられているシステマティックレビューにおいて、その存在が否定されている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 ②上記「米国アレルギー学会雑誌」に該当する「AAAAI(American Academy of Allergy Ashthma & Immunology)」における MCS を批判するポジションステートメントについては他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、シックハウス関連病としてのアレルギーと化学物質過敏症とは異なることについては、厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項にリンクされているマニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「図 1.1.1. シックビルディング症候群・シックハウス症候群と関連疾病(概念図)」(P19)を参照して下さい。

次に標記「様々な話題」としての、 a) 喘息(気管支喘息)についてはここを、 b) 重症薬疹と HLA(Human Leukocyte Antigen)の関係についてはここを、 c) 一方アレルギーは皮膚から起こることについてはここを それぞれ参照して下さい。

≪ご参考≫:様々なアレルギー性疾患における日本のガイドライン(英文)のご紹介
次のWEBページのに標記ガイドライン各種がリンクされています。 「Review Series Archive」の「Japanese Guidelines for Allergic Diseases 2017」項

上記「喘息(気管支喘息)」について、宮本昭正監修・編集、森田寛・灰田美知子・保澤総一郎・庄司俊輔著の本、「ナース・患者のための喘息マネージメント入門」(2017年発行)における複数の記述の一部の引用を中心に紹介します。もちろん、化学物質過敏症と喘息は異なります。すなわち、喘息の概略と主要な症状について同本の 1 喘息を理解する の「●喘息とアレルギー」における記述の一部(P12)及び喘息発作が起こる要因について同本の 1 喘息を理解する の 「2 喘息はどうのような疾患か?」における記述の一部(P15)を以下にそれぞれ引用します。一方、 a) 大気汚染物質と喘息の関連については例えば次の資料を参照して下さい。 「大気汚染物質が喘息およびアレルギー症状を有する者の肺機能に与える急性影響」 b) 喘息を含むアレルギー疾患と PM2.5 との関連については例えば次の資料を参照して下さい。 「PM2.5とアレルギー疾患」 c) 呼吸器・アレルギー主要雑誌に最近出た上記「喘息」(ぜんそく)に関連する論文のリストアップは次の note を参照すると良いかもしれません。 「気管支喘息

●喘息とアレルギー
気管支喘息(喘息)は、炎症により気管支(気道)が狭くなることによって引き起こされる疾患です。アレルギーによる炎症が最も重要ですが、炎症は発作的に繰り返され、喘鳴(ヒューヒュー、ゼーゼー)や息切れ(呼吸困難)など苦しい症状を引き起こします。
喘息は一般に、アレルギーの代表的な疾患と考えられていますが、厳密にはアレルギーによらない喘息も存在します。(中略)ですから、喘息をアレルギー疾患と言い切るのは正確ではありませんが、多くの喘息にアレルギーが深く関わっているのは間違いありません。(後略)

2 喘息はどうのような疾患か?(中略)

なぜ、喘息発作が起こるのでしょうか? 喘息患者の気道は過敏な状態にあり、正常な人にはあまり気にならないような刺激、たとえば、におい、タバコの煙、ふとんのほこりなどに反応して気道が収縮して呼吸困難が起こるからです。(後略)

[その他特記事項:血中食物抗原特異的IgG抗体検査について]
・『「遅延型」食物アレルギー検査に注意 - NHK 生活情報ブログ
・「血中食物抗原特異的IgG抗体検査に関する注意喚起 - 日本小児アレルギー学会
・「〔学会見解〕血中食物抗原特異的IgG抗体検査に関する注意喚起 - 日本アレルギー学会
・『IgGを使った「遅延型フードアレルギー検査」にご注意を
・『「IgGが陽性だから除去食」で悲劇も 食物アレルギー検査にIgG抗体を用いない理由
・「食物特異的IgG(特にIgG4)検査に対する、欧州・米国アレルギー学会の公式見解
・「遅延型IgGフードアレルギー検査って意味あるの?テレビの健康情報にご注意を! - Lumedia

加えて、上記WEBページに関連するツイートもあります。

i) 引用中の「におい」に関連する「喘息と臭い」についての論文要旨例を以下に引用します。 ii) 加えて引用中の「タバコの煙」に関連する「二次喫煙曝露と喘息」についての論文要旨例を以下に引用します。

Asthma and odors: the role of risk perception in asthma exacerbation.[拙訳]喘息と臭い:喘息の悪化におけるリスク知覚の役割(全文はここを参照して下さい)

OBJECTIVE:
Fragrances and strong odors have been characterized as putative triggers that may exacerbate asthma symptoms and many asthmatics readily avoid odors and fragranced products. However, the mechanism by which exposure to pure, non-irritating odorants can elicit an adverse reaction in asthmatic patients is still unclear and may involve both physiological and psychological processes. The aim of this study was to investigate how beliefs about an odor's relationship to asthmatic symptoms could affect the physiological and psychological responses of asthmatics.

METHODS:
Asthmatics classified as 'moderate-persistent', according to NIH criteria, were exposed for 15 min to a fragrance which was described either as eliciting or alleviating asthma symptoms. During exposure, participants were asked to rate odor intensity, perceived irritation and subjective annoyance while physiological parameters such as electrocardiogram, respiratory rate, and end tidal carbon dioxide (etCO2) were recorded. Before, immediately after, and at 2 and 24h post-exposure, participants were required to subjectively assess their asthma symptom status using a standardized questionnaire. We also measured asthma status at each of those time points using objective parameters of broncho-constriction (spirometry) and measures of airway inflammation (exhaled nitric oxide, FeNO).

RESULTS:
Predictably, manipulations of perceived risk altered both the quality ratings of the fragrance as well as the reported levels of asthma symptoms. Perceived risk also modulated the inflammatory airway response.

CONCLUSIONS:
Expectations elicited by smelling a perceived harmful odor may affect airway physiology and impact asthma exacerbations.


[拙訳]
目的:
芳香及び強い臭いは、喘息症状を悪化させるかもしれない推定トリガーとして特徴づけられており、そして多くの喘息患者は簡単に臭いや芳香製品を避ける。しかしながら、喘息患者において有害反応を誘発しうる、純粋で非刺激性の臭い物質への曝露によるメカニズムは依然として不明であり、生理的及び心理的プロセスの両方が関与するかもしれない。この研究の目的は、喘息症状に対する臭いの関係についての信念が、喘息患者の生理的及び心理的応答にどのように影響するかを調べることであった。

方法:
NIH 基準により「中等症持続型」として分類された喘息患者は、喘息症状の誘発又は緩和のいずれかとして記載された芳香に15分間曝露された。曝露中に心電図、呼吸数、及び呼気終末二酸化炭素(etCO2)等の生理的パラメータが記録された一方で、被験者は、臭気強度、知覚された刺激及び主観的被害を評価することを依頼された。曝露前、直後、曝露の 2及び24時間後に、標準化されたアンケートを使用して喘息症状の状態を主観的に評価することが被験者には必要とされた。気管支収縮(肺活量測定)の客観的パラメータと気道炎症(呼気中一酸化窒素、FeNO)の測定値を使用して、それぞれの時点で喘息状態を我々は測定した。

結果:
予想されるように、知覚されたリスクのマニピュレーション(心理的な操作)は、喘息症状の報告されたレベルはもちろん、芳香の品質評価も変化させた。知覚されたリスクはまた、炎症性気道応答を調節した。

結論:
知覚された有害な臭いを嗅ぐことにより誘発される予期は、気道生理に影響を及ぼし、喘息増悪に大きな影響を与えるかもしれない。

注:i) 本引用に関連するかもしれないWEBページは、例えば次を参照して下さい。 「その匂いは発作を招く 匂いとぜんそくの不思議な関係」 加えて、心身症としての気管支喘息については、例えば次の資料を参照して下さい。 「気管支喘息の心身相関」、「心身症としての気管支喘息の現状と今後の課題」、「次世代の呼吸器心身医学への期待」、「喘息と精神・ストレス」 さらに、次のWEBページも参照して下さい。 「心身症 -脳科学辞典」の表1 加えて、失体感症の特徴が見られる身体疾患として気管支喘息を挙げている資料については次を参照して下さい。 「失体感症スケール開発の経緯と、身体(内受容)を重視した心身医学療法の意義と有用性について」の表1 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

Directly measured second hand smoke exposure and asthma health outcomes.[拙訳]直接的に測定された二次喫煙曝露及び喘息の健康アウトカム(全文はここを参照して下さい)

BACKGROUND:
Because they have chronic airway inflammation, adults with asthma could have symptomatic exacerbation after exposure to second hand smoke (SHS). Surprisingly, data on the effects of SHS exposure in adults with asthma are quite limited. Most previous epidemiological studies used self-reported SHS exposure which could be biased by inaccurate reporting. In a prospective cohort study of adult non-smokers recently admitted to hospital for asthma, the impact of SHS exposure on asthma health outcomes was examined.

METHODS:
Recent SHS exposure during the previous 7 days was directly measured using a personal nicotine badge (n = 189) and exposure during the previous 3 months was estimated using hair nicotine and cotinine levels (n = 138). Asthma severity and health status were ascertained during telephone interviews, and subsequent admission to hospital for asthma was determined from computerised utilisation databases.

RESULTS:
Most of the adults with asthma were exposed to SHS, with estimates ranging from 60% to 83% depending on the time frame and methodology. The highest level of recent SHS exposure, as measured by the personal nicotine badge, was related to greater asthma severity (mean score increment for highest tertile of nicotine level 1.56 points; 95% CI 0.18 to 2.95), controlling for sociodemographic covariates and previous smoking history. Moreover, the second and third tertiles of hair nicotine exposure during the previous month were associated with a greater baseline prospective risk of hospital admission for asthma (HR 3.73; 95% CI 1.04 to 13.30 and HR 3.61; 95% CI 1.0 to 12.9, respectively).

CONCLUSIONS:
Directly measured SHS exposure appears to be associated with poorer asthma outcomes. In public health terms, these results support efforts to prohibit smoking in public places.


[拙訳]
背景:
慢性的な気道炎症を有するため、喘息を伴う成人は二次喫煙(SHS)に曝露された後に症状が悪化するということもありうる。驚くべきことに、喘息を伴う成人における SHS 曝露の影響に関するデータはかなり限られる。以前の疫学研究のほとんどは、不正確な報告により偏るということもありうる自己報告の SHS 曝露を使用した。最近、喘息により入院した成人の非喫煙者の前向きコホート研究において、喘息の健康アウトカムに及ぼす SHS 曝露の影響が調査された。

方法:
以前の7日間での最近の SHS 曝露は、個人ニコチンバッジ(n = 189)を用いて直接測定され、そして髪のニコチン及びコチニンレベル(n = 138)を用いて、以前の3ヶ月の曝露が推定された。電話インタビュー中に喘息の重症度及び健康状態が確認され、そして、その後の喘息による入院がコンピュータ化された利用データベースから決定された。

結果:
ほとんどの喘息を伴う成人は、時間枠と方法論に依存する60%~83%の推定値を伴って SHS に曝露された。最近の SHS 曝露の最高レベルは、個人のニコチンバッジによる測定として、より大きな喘息の重症度(ニコチンレベル 1.56ポイント; 95%信頼区間(CI) 0.18~2.95 の最高の三分位値の平均スコア増加)と関連し、社会人口統計学的な共変動及び以前の喫煙履歴を統制している。さらに、前月中の髪へのニコチン曝露の第二及び第三の三分位値はより大きな喘息の入院のベースライン将来リスクに関連していた(それぞれ、HR 3.73; 95%CI 1.04~13.30 及び HR 3.61; 95%CI 1.0~12.9)。

結論:
直接的に測定された SHS 曝露は、より不良な喘息のアウトカムに関連すると思われる。公衆衛生の言い方において、これらの結果は公共の場所にける喫煙を禁止する努力を支持する。

注:i) 引用中の「n = 189」、「n = 138」は共に人数を指します。 ii) 引用中の「ニコチン」及び「コチニン」については、例えば共に次の資料を参照して下さい。 「ニコチン代謝に個人差が生じる要因」 iii) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline

加えて、気道炎症という喘息の第3の特徴について同の 1 喘息を理解する の 「2 喘息はどうのような疾患か?」における記述の一部(P16)を次に引用します。 

2 喘息はどうのような疾患か?(中略)

喘息の特徴は、第1に気道が過敏であること(気道過敏性)と、第2に気道が狭くなること(気道狭窄=気流制限)です。
この気道狭窄は自然に、あるいは治療により速やかに改善します。そのため、喘息の気道狭窄を可逆(逆戻りする)的な気道狭窄とよんでいます。
さらに近年、喘息の病態についての研究が進み、喘息の2つの特徴に加えて、気道炎症という第3の特徴の存在がわかってきました。(後略)

次に重症薬疹と HLA(Human Leukocyte Antigen)の関係についての資料を以下に紹介します。

医薬品による重篤な皮膚障害に関するゲノム研究について *4

ちなみに、スギ花粉症と HLA の関係については、以下の記述、論文要旨及び論文をそれぞれ参照して下さい。最初に、斎藤博久著の本、「Q&Aでよくわかるアレルギーのしくみ」(2015年発行)の P68 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『日本人の約30%はスギ花粉と結合しにくいHLA型であることがわかっています』 加えて、上記論文要旨及び論文(それぞれ英語、拙訳はありません)があります。 「Japanese cedar pollinosis and HLA-DP5.」、「Structural Basis for the Specific Recognition of the Major Antigenic Peptide from the Japanese Cedar Pollen Allergen Cry j 1 by HLA-DP5

抗原提示等の上記メカニズムの一部が類似しているかもしれない、がんペプチドワクチン療法のメカニズムの概略については、例えば次のWEBページ(ここ及びここ)を参照すると良いかもしれません[注: a) がんペプチドワクチン療法は承認されておらず、標準治療ではありません。一方、治験は実施中です。 b) 臨床でみられるがんは非常にずる賢く、免疫から逃れまくっている可能性が高い(参照参照 *5参照 *6)ことをこれらのページは説明していないことをご留意下さい]。加えて、 HLA に関する説明を含む資料は次を参照すると良いかもしれません「HLA の基礎知識 1」(注:この資料で HLA のクラス分けが示されるように、がんペプチドワクチンは HLA クラス I[キラーT細胞〔CTL〕]に関係する一方、スギ花粉症では HLA クラス II[ヘルパーT細胞]〔参照〕に関係します)。

次に、アレルギーにおける経皮感作について以下に紹介します。先ず、概要について、斎藤博久著の本、「Q&Aでよくわかるアレルギーのしくみ」(2015年発行)の 第3章 アレルギーは皮膚から起こる? の『Q1 「アレルギーが皮膚から起こる」って本当なのですか?』における記述の一部(P72)を次に引用します。

(前略)これまでアレルギーは免疫の過剰反応によって起こると考えられてきましたが、そのきっかけは皮膚にあることがわかってきました。
それは、アトピー性皮膚炎ばかりではありません。食物アレルギー、花粉症、気管支ぜんそくなど、皮膚とはあまり関わりがなさそうなアレルギーも、発症のきっかけは皮膚にあることが、最近の研究で明らかになってきたのです。
原因として考えられるのは、皮膚バリアー機能の低下です。
バリアー機能がうまく働かないと、皮膚からアレルゲンが侵入し、免疫の過剰反応が起こりやすくなります。そうやってまずIgE抗体がつくられると、その情報は記憶されますから、同じアレルゲンに反応するようになります。(後略)

注:i) 引用中の「免疫の過剰反応」に関連する「アレルギー反応」については、次のWEBページを参照して下さい。 「アレルギー反応」 ii) 引用中の「IgE抗体」については、次のWEBページを参照して下さい。 「IgE抗体」 iii) 引用中の「アレルゲン」については、次のWEBページを参照して下さい。 「アレルゲン」 iv) 引用中の「皮膚からアレルゲンが侵入し、免疫の過剰反応が起こりやすくなります」に関連する「経皮感作」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

加えて、標記経皮感作における二重抗原曝露説については次の資料を参照して下さい。 「二重抗原曝露仮説*7 さらに、a) 標記経皮感作における抗原提示細胞としての表皮ランゲルハンス細胞、真皮樹状細胞については、次の資料を参照して下さい。 「ランゲルハンス細胞-過去、現在、未来」、「皮膚免疫における樹状細胞・マクロファージの役割」 b) 上記抗原提示細胞が抗原提示してからのアレルギー反応の概略については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「環境化学物質がアレルギーに及ぼす影響とメカニズムの解明にむけて」の「◆アレルギー反応における免疫担当細胞の役割」項

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【9】喘息を含むアレルギー疾患における心理的因子の関与について

最初に標記について、秋山一男、太田健、近藤直美著の本、「メディカルスタッフから教職員まで アレルギーのはなし -予防・治療・自己管理-」(2017年発行)の 13. 様々なアレルギー の「13.3 アレルギー疾患と心身医療-アレルギーと心の問題-」における記述の一部(P137~P141)を次に引用します。

13.3 アレルギー疾患と心身医療-アレルギーと心の問題-

アレルギー疾患に対する心理的因子の関与については古くより記載があり,すでに2000年余りも前にヒポクラテスは,喘息発作の出現に怒りや敵意などの感情が関与し得ることを指摘していた.近年では精神分析学者のアレキサンダー(Franz Alexander, 1891~1964)が心理的因子を強く受ける7つの代表的疾患をあげており,その中にアレルギー性疾患として喘息とアトピー性皮膚炎が入っている.このように以前よりアレルギー疾患に心理的因子が強く関与していることが指摘されている.
さらに,最近の疫学的および実験的臨床研究によって,心理的ストレスによって生じた不安,抑うつ,怒り,悲しみ,暗示等の情動刺激は神経系,内分泌系を介して気管支喘息アトピー性皮膚炎,アレルギー性鼻炎等のアレルギー疾患の発症や経過に影響を及ぼしていることが明らかになっている.また,基礎的実験によって,神経線維と肥満細胞の連絡,アレルギー反応の条件付け,アレルギー反応での神経ペプチド・グルココルチコイドの役割などが 心身相関の機序として具体的に解明されてきている.

13.3.1 臨床研究
アレルギー反応の心身相関について検討した臨床研究では,バラの花粉で喘息発作が起こるという婦人が造花のバラでも発作を起こしたことから,暗示または条件付けによっても喘息発作が出現することが報告されている1).また,喘息発作のきっかけとして風邪,気象の変化に次いで心理的ストレスがあげられている.さらに,うつ病や精神的な問題があると喘息のコントロール不良や頻回の救急受診になりやすいことが報告されている.
アトピー性皮膚炎と心理的ストレスとの関係については,1/2~2/3の症例で心理的ストレスが主たる増悪因子であったとする報告がある.精神的不安はかゆみを起こす血中のヒスタミンを上昇させる.アトピー性皮膚炎では,皮膚の掻痒感などの不快感に加え顔面を含む皮膚の露出部に病変が出現するために,患者はより一層精神的に不安定となり,満足のいく社会生活や対人関係を保持していく上で重大な障害となる場合も少なくない.アトピー性皮膚炎患者は 内面に問題を抱えていることが多く,治療にあたっては,適切な身体治療に加え,患者の心理面にも配慮した治療が必要である.蕁麻疹でも同じように不安や暗示等の精神状態が.発症や経過に関係することがわかっている.
アレルギー性鼻炎についても花粉によって誘発される鼻症状が心理的な葛藤が加わると増悪することが報告されている,また.アレルギー性鼻炎の発症または再発の諸条件についてみると,風邪,疲労,睡眠不足などの身体的因子,および季節の変わり目,気温の変化などの外界的因子もあげられるが,焦燥,不満,心配,不安,緊張などの心理的条件も無視することができないといわれている.

13.3.2 アレルギー性疾患の心身医学的側面の特徴2)
アレルギー性疾患と心理学的側面については3つのカテゴリーにまとめられる.これら3つのカテゴリーは相互に無関係でなく,しばしば相互に関連し合っている.
①ストレスによりアレルギー性疾患が発症,再燃,悪化,持続する症例(狭義の心身症
心理社会的ストレスがアレルギー性疾患の悪化因子あるいは発症因子の1つとなっている場合である.この場合,生活上の変化(出産,結婚,離婚,転居,就職,転職,進学,近親者の病気や死など)や日常生活のストレス(家庭,職場,学校での対人関係の問題,持続的な勉学や仕事の負担など)が疾患の発症や再燃に先行してみられる.また心理状態(不安,緊張,怒り,抑うつなど)と症状の増減との間に密接な相関が認められる.
②アレルギー性疾患に起因する不適応を引き起こしている症例
アレルギー性疾患でも特に,気管支喘息アトピー性皮膚炎では,慢性再発性に経過し改善の見通しが立ちにくいことが少なくなく,しばしば治療にかかる肉体的,精神的,時間的,経済的負担が大きい.それらによって,患者に著しい心理的苦痛や社会的,職業的機能の障害が生じ 心身医学的な治療の対象となる場合がある.症状として,睡眠障害,対人関係障害,社会的状況の回避や引きこもり,学業や仕事の業績の低下,抑うつ気分,不安などがみられる.
③アレルギー性疾患の治療・管理への不適応を引き起こしている症例
心理社会的要因によって医師の処方や指導の遵守不良などが引き起こされ,アレルギー性疾患に対する適切な身体的治療や管理を行うことが妨げられ,治療や経過は著しい影響を受ける.症状として,ステロイド治療をはじめとした薬物や処置に対する不合理な不安・恐怖,症状のコントロールに対しての無力感,医療あるいは医療従事者に対する強い不信感などを認める.これらによって,治療の遅れや不適切な自己管理の危険がある.

13.3.3 アレルギーと心理的因子
一般にストレスをストレスとして認知せず,あたかも何事もなかったかのようにふるまうような,ストレスに対して適切に対処できていない患者に重症化・難治化がみられやすく,全身性ステロイド薬の離脱が困難になる場合が少なくない.心理的因子は,体質的基盤の上に症状を形成する因子として重要な役割を担っている.その関与の仕方としては,準備因子,誘発因子,持続増悪因子の3通りに分けられる.
準備因子: それのみではアレルギー発症には至らないが,その上に様々な誘発因子が加わることでアレルギー疾患を引き起こすような身体的条件(発症準備状態)をつくり出す因子である.準備因子としては,不安や怒りなどの情動または愛情や依存といった欲求を抑圧した状態,自分の感情に気づかなかったり,言葉で表現できない状態(失感情症),あるいは自己主張ができず周囲の期待に必要以上に応えようとする過剰適応パターンがあげられる.
誘発因子: 発症準備状態ができあがった上に加わることで,アレルギー疾患を発症させるような因子である.これには,不安,怒り,悲しみといった情動があげられる.
持続増悪因子: 不安や抑うつなどの2次的な感情を引き起こし,その感情に伴う身体的変化がアレルギー症状を悪化させるという悪循環を生み出す因子をいう.

13.3.4 アレルギー疾患の心身医学的治療3)
日本アレルギー学会からアレルギー疾患の診断・治療ガイドラインが出版されている.アレルゲンの回避,薬物療法,減感作療法,などの治療法が患者の病気の重症度に応じて組み合わせて行われるが,心身医学的治療についても以下のように述べられている.
心理的因子の関与が大きい患者の治療においては,心身医学的治療が必要である.面接を中心とした心理療法自律訓練法認知行動療法,家族療法などがなされる.
ところで面接は受容,共感,支持が基本であり,面接によって悲しみや怒りの感情が発散され,心身相関への気づきが深まり,対人関係や日常生活の問題点が明らかにされる.不安やうつを伴っている場合,抗不安薬抗うつ薬を併用すると有効な場合がある.現在,最も多く使用されているベンゾジアゼピン抗不安薬は,抗不安作用に加えて鎮静,筋弛緩作用をもっている.したがって,呼吸抑制作用と筋弛緩作用は,低換気による炭酸ガスの蓄積を助長するために,喘息の大発作や増悪時には使用しない.抗うつ薬は,選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI:selective serotonin reuptake inhibitors)やセロトニンノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI:serotonin & norepinephrine reuptake inhibitors)などが推奨されている.これらの治療はアレルギーの治療と同時に行う必要がある.精神面の改善とともにアレルギー症状の改善がみられる.
現実のストレスが強い場合には,家庭や職場の環境調整や生活指導を行い,リラックス方法として自律訓練法などを指導し,習得してもらう.患者のパーソナリティの問題のほうが大きい場合には,心身医学を専門とする医師に紹介するか,心理療法士や精神科医とのチームアプローチを行う.

13.3.5 心理医学的治療の意義
心理(こころ)がアレルギー疾患の病態に関与していることが多くみられる.アレルキー疾患の治療においては,身体的治療に加え,不安,抑うつ,悲しみ,怒り等の精神状態に対する対処が重要である.このことについては近年のアレルギー疾患治療ガイドラインにも取り上げられている.通常の標準的治療を行っても症状が改善しないときは日常生活のあり方や対人関係についての心理的側面を考慮する必要がある.心身両面から病態を把握し,各人に応じた適切な治療を行うことにより症状の改善につながる.

注:(i) この引用部の著者は久保千春です。 (ii) 引用中の「1)」は次の資料です。 「Mackenzie, J.N.:The production of the so-called "rose cold" by means of an artificial rose, Am. J. Med. Sci., 91, 45-57, 1886.」 ちなみに、引用中の「暗示または条件付けによっても喘息発作が出現する」に関連するかもしれない「ブラインドテストの必要性」については、次のWEBページを参照して下さい。 「ブラインドテストの必要性」 (iii) 引用中の「2)」は次の資料です。 「久保千春:第13章 アレルギー疾患と心の問題.臨床医のためのアレルギー診療ガイドブック(責任編集 西間三馨・秋山一男,一般社団法人日本アレルギー学会編), pp. 514-517, 診断と治療社, 2012.」 (iv) 引用中の「3)」は次の資料です。 「久保千春:心身医学.喘息予防・管理ガイドライン2012(日本アレルギー学会喘息ガイドライン専門部会監修), pp. 246-248, 協和企画, 2012.」 (v) 引用中の「造花のバラ」及び「条件付け」については共に次の資料を参照して下さい。 「アレルギー疾患の心身医学 -古典から現代へ-」の「難治性喘息・心因性喘息の心身医学的治療」項 加えて、上記「条件付け」に類似するかもしれない「条件反射」のみならず引用中の「暗示」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「アレルギー疾患と心身医療」に関連する「Psychosomatic treatment for allergic diseases」(拙訳:アレルギー疾患に対する心身治療)については次の資料(英語)を参照して下さい。 「Psychosomatic treatment for allergic diseases」 (vii) 引用中の「心理(こころ)がアレルギー疾患の病態に関与している」ことに関連する、 a) 「近年,免疫学的にも(心理)ストレスによって喘息などのアレルギー疾患が増悪する機序が解明されつつある」ことについては次の資料を参照して下さい。 「心理ストレスが与えるアレルギー疾患への影響 ―気管支喘息を中心に―」の「はじめに」項 b) アトピー性皮膚炎において「成人の重症例では特にその臨床経過にストレスなどの心理社会的要因,特にストレスが関与していることが示されるようになった」ことについては次の資料を参照して下さい。 「①アトピー性皮膚炎一心身医学的側面から考える」の「はじめに」項 加えて、引用中の「ストレス」については、例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレス - 脳科学辞典」、「ストレスマネジメントとは」、「ストレス軽減ノウハウ」、「心のケアの基本」、「ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~」 (viii) 引用中の「神経ペプチド」については、次のWEBページを参照して下さい。 「神経ペプチド - 脳科学辞典」 (ix) 引用中の「リラックス方法」及び「自律訓練法」については、共に次のWEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」 加えて、これらに関連するかもしれない「コーピング」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 (x) 引用中の「グルココルチコイド」については、次のWEBページを参照して下さい。 「グルココルチコイド - 脳科学辞典」 (xi) 引用中の「心身相関」については次のWEBページを参照して下さい。 「こころとからだ」 加えて、引用中の「心身相関」に関連する「心身症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 (xii) 引用中の「失感情症」(又はアレキシサイミア)については例えば他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「アレキシサイミア」項 (xiii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ivx) 引用中の「心理的ストレスによって生じた不安,抑うつ,怒り,悲しみ,暗示等の情動刺激は神経系,内分泌系を介して気管支喘息アトピー性皮膚炎,アレルギー性鼻炎等のアレルギー疾患の発症や経過に影響を及ぼしていることが明らかになっている」ことに関連するかもしれない「精神神経内分泌免疫学」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「研究会について - 精神神経内分泌免疫学研究会」の「精神神経内分泌免疫学とは」項 (vx) 引用中の「不安」に関連する「パニック症等の不安症群の一部」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xvi) ちなみに、アレルギー疾患の心身医学的治療についての論文(PubMed要旨はここ、全文はここ、この論文についての日本語での紹介はここをそれぞれ参照して下さい)があります。

加えて、ストレスと喘息の関係について、宮本昭正監修・編集、森田寛・灰田美知子・保澤総一郎・庄司俊輔著の本、「ナース・患者のための喘息マネージメント入門」(2017年発行)の 2 喘息の予防 の 3-2. 二次予防と三次予防 の「(8)ストレスと喘息」における記述の一部(P67)を以下に引用します。

(8)ストレスと喘息
感情変化などが喘息の発症、継続、悪化要因となるときは行動要因があり、生活習慣の乱れ、睡眠不足、不規則な生活などが問題です。免疫・内分泌系を介する要因には、ストレスと感冒があります。迷走神経が気管支平滑筋に一定の緊張を与えることも喘息に影響します。

注:(i) 同本におけるこの引用部の直下に、心理的ストレス及び情動ストレスについての記述があります。ただし引用はしません。加えて、過労は喘息悪化の大きなリスク因子及びストレスは喘息の大敵について、足立満監修の本、「ウルトラ図解 ぜんそく」(2016年発行)の 第4章 ぜんそく発作を起こさないための自己管理 の「生活習慣の見直し」における記述の一部(P132~P134)を以下に引用します。さらに、喘息の治療は薬物療法と体力の低下やストレス等に関連する生活の改善の両方が大事なことについては、松瀬厚人監修の本、『「ぜんそく」のことがよくわかる本』(2017年発行)の「治療は二本柱 薬物療法と生活改善の両方が大事」における記述の一部(P44)を以下に引用します。一方、「心理的なストレスと喘息の罹患率」についての論文例はここを参照して下さい。また、ストレスにも関連する、 a) 「喘息患者の死亡に至る発作の誘因」については資料「気管支喘息」の「図2-12」(P7)を、 b) 「喘息症状が発現する要因」については同資料の「喘息症状発現/症状悪化及び喘息増悪の実態」シート(P10)を それぞれ参照して下さい。 (ii) 引用中の「感情変化」に関連するかもしれない「喘息症状に対する臭いの関係についての信念」についてはここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「免疫・内分泌系を介する要因」を含むかもしれない「心身相関」、「心身症」又は「心身医学」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「気管支喘息の心身相関」、「心身症としての気管支喘息の現状と今後の課題」、「次世代の呼吸器心身医学への期待」 (iv) 引用中の「迷走神経が気管支平滑筋に一定の緊張を与えること」に関連するかもしれない(迷走神経に含まれる)「副交感神経の働きにより気管を狭くする」ことも示す図については例えば次の資料を参照して下さい。 「自律神経失調症」の「自律神経のおもな働き」項(P4) (v) ちなみに、ストレスと喘息を含む呼吸器疾患との関連については、例えば次の資料があります。 「2. 喘息と脳機能:新たな喘息 phenotype としての精神的ストレス関連喘息」、「ストレスと呼吸器疾患」(2010年発表とやや古いことに注意) 一方、PM2.5等の大気汚染物質が喘息を有する者の肺機能に与える急性影響については、例えば次の資料を参照して下さい。 「大気汚染物質が喘息およびアレルギー症状を有する者の肺機能に与える急性影響」、「PM2.5の健康影響

生活習慣の見直し(中略)

過労は大きなリスク因子
過労そのものもぜんそく悪化の原因になるうえ、過労によって抵抗力が落ちてかぜをひきやすくなったり、ストレスを感じやすくなったりします。これらすべてが発作を引き起こす要因になります。(中略)

ストレスはぜんそくの大敵
ストレスは、過労と並んでぜんそく悪化の大きな要因となっています。
発作が起こった状況を振り返ってみると、そういえばあのときイライラしていた、プレッシャーを感じていた、などと思い当たることがあるでしょう。
また、ぜんそくそのものがストレスになっていることもあります。発作が起こるのではないかと不安で仕事や勉強に集中できない、夜中にまた発作が起こったらどうしようと思うと心配で眠れない、という人もいます。その不安が発作を呼び、ますます不安になり発作が起こりやすくなる、という悪循環に陥ります。(後略)

治療は二本柱
薬物療法と生活改善の両方が大事

薬による治療と日常生活での自己管理の、両方ができるようになってはじめて、ぜんそくの治療は軌道に乗ってきます。薬と生活上の自己管理、どちらも大切な治療なのです。(後略)

注:i) 引用中の「生活改善」について、同頁の記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『生活の中で体への負担を減らす ぜんそくの発作の誘因は生活の中に潜んでいます。また、体力の低下やストレスなどの全身状態の影響も強く受けます。日常生活に気を配ることは、ぜんそくのケアにつながるのです。』 ii) 同本の P86 によると、大きなぜんそく発作の3大誘因は「かぜ」「疲れ」「ストレス」との記載があります。加えて、この誘因のトップはかぜと気管支炎・肺炎などの下気道感染を合わせた気道感染で、他の2つの誘因よりもずば抜けて多いとの主旨の記載もあります。

一方、マインドフルネスの視点からの喘息におけるマインドフルネスストレス低減法(MBSR)の適用について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の榧野真美著の文書「心身医学とマインドフルネス」の 心身医学領域におけるマインドフルネスの効果 の「(3)呼吸器疾患」における記述の一部(P210~P211)を以下に引用します。

Pbert et al.(2012)は、気管支喘息患者に MBSR を施行したところ、肺機能検査上の改善は認められなかったものの、施行前と施行後1年後では、喘息症状が有意に改善しており、レスキューの使用量や知覚されるストレスも有意に減少し、QOL が向上したことを報告している。気管支喘息の治療においては、症状のコントロールはもちろんのこと、疾患に患者が適応していくことも重要な要素といわれている。以前より、喘息発作により受けるストレスが高いと、QOL が下がり、薬物療法アドヒアランスや喘息のコントロールも悪化すること、客観的指標に合致しない過剰な呼吸困難感が憎悪することなどが報告されているが(Carlson 2012)、Pbert et al. は、MBSR により、思考、感情、感覚を、別個のものとして正確に識別し、症状に対する評価の変化や反応性の低減などを介して、コーピング能力が向上したことが症状の改善に寄与した可能性を述べている。(後略)

注:引用中の論文「Pbert et al.(2012)」は他の拙エントリのここを参照して下さい。これに関連して、引用中の「QOL」は生活の質のことです。 ii) 引用中の「Carlson 2012」は次の論文です。 「Mindfulness-based interventions for physical conditions: a narrative review evaluating levels of evidence.」 iii) 引用中の「MBSR」はマインドフルネス・ストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction)のことです。 iv) 引用中の「QOL」は生活の質(Quality of Life)のことです。 v) 引用中の「レスキュー」は喘息発作時に迅速に喘息症状を鎮めるための発作治療薬のことのようです。 vi) 引用中の「アドヒアランス」については、次のWEBページを参照して下さい。 「アドヒアランス - 薬学用語解説」 vii) 引用中の「コーピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

一方、呼吸器疾患患者におけるアレキシサイミア(失感情症)傾向やアレキシソミア(失体感症)傾向についての資料を以下に次に紹介します。 「アレキシサイミアとアレキシソミア」 さらに喘息を含むアレルギー疾患と心理的因子とに関係するかもしれない複数の論文要旨を以下に紹介します。これらには引用で紹介された論文も含みます。

(1) 「The relationship of asthma and anxiety disorders.[拙訳]喘息と不安障害との関係」

OBJECTIVE:
This article reviewed the child and adult medical literature on the prevalence of comorbid anxiety disorders in patients with asthma. Theoretical ideas regarding the relatively high comorbidity rates are presented along with a model describing putative interactions between anxiety disorders and asthma.

METHOD:
A search of the literature from the last 2 decades using MEDLINE by pairing the word, "asthma," with the following words: "anxiety," "depression," "panic," and "psychological disorders." We located additional research by screening the bibliographies of articles retrieved in the MEDLINE search.

RESULTS:
Both adult and child/adolescent populations with asthma appear to have a high prevalence of anxiety disorders. In child/adolescent populations with asthma, up to one third may meet criteria for comorbid anxiety disorders. In adult populations with asthma, the estimated rate of panic disorder ranges from 6.5% to 24%. However, most studies are limited by small samples, nonrepresentative populations, self-reported asthma status, and lack of controlling for important potential confounders such as smoking and asthma medications. There are also limited data on the impact of anxiety comorbidity in patients with asthma on symptom burden, self-care regimens (such as monitoring peak expiratory flow, taking medication, and quitting smoking), functional status, and medical costs.

CONCLUSIONS:
There appears to be a high comorbidity of anxiety disorders in patients with asthma. The prevalence and longitudinal impact of anxiety comorbidity needs to be examined in a large population-based sample of children, adolescents, and adults with asthma. If a high prevalence of comorbid anxiety disorder is documented and if this comorbidity adversely affects the self-efficacy and self-care, symptom burden, and functioning in persons with asthma, then it will be important to develop treatment trials.


[拙訳]
目的:
この記事では、喘息を伴う患者にける併存不安障害の有病割合に関する子ども及び成人の医学文献をレビューした。比較的高い合併症割合に関する理論的アイデアは、不安障害と喘息との間の推定相互作用を記述するモデルと共に提示される。

方法:
MEDLINE を使用して過去20年間の文献を、単語「喘息」と、その後の単語「不安」、「うつ」、「パニック」及び「精神的障害」を組み合わせて検索した。我々は、MEDLINE において検索された記事の参考文献をスクリーニングすることにより、我々はさらなる研究を位置づけた。

結果:
成人及び子ども/青年の喘息を伴う両集団は、不安障害の有病割合が高いように思われる。喘息を伴う子ども/青年集団においては、最大3分の1が併存不安障害の基準を満たしているかもしれない。喘息を伴う成人集団においては、パニック障害の推定割合は6.5%~24%の範囲である。しかし、ほとんどの研究は、小さいサンプル(被験者数)、代表しない集団、自己報告された喘息状態、そして喫煙と喘息薬物治療等の重要な潜在的交絡因子の制御の欠如によって制限される。喘息を伴う患者における症状の負担、自己ケアのレジメン(ピークフローの監視、投薬治療及び禁煙等)、機能状態及び医療費に合併症が及ぼす影響に関するデータも限られている。

結論:
喘息を伴う患者の不安障害の高率の併存があるように思われる。喘息を伴う子ども、青年及び成人の大規模な集団ベースのサンプルにおいて、​​不安の併存症の有病割合及び縦断的影響が調査される必要がある。併存不安障害の有病割合が高いことが実証され、かつこの併存が喘息を伴う患者の自己効力感及び自己ケア、症状の負担、そして機能に悪影響を及ぼすならば、治療の試験を開発することが重要であるだろう。

注:引用中の「不安障害」、「パニック障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、「不安障害」に対する用語は「不安障害(不安症)」です。

(2) 「Psychosocial stress and asthma morbidity.[拙訳]心理的なストレス及び喘息の罹患率」(全文はここを参照して下さい)

PURPOSE OF REVIEW:
The objective of this review is to provide an overview and discussion of recent epidemiologic and mechanistic studies of stress in relation to asthma incidence and morbidity.

RECENT FINDINGS:
Recent findings suggest that stress, whether at the individual (i.e. epigenetics, perceived stress), family (i.e. prenatal maternal stress, early-life exposure, or intimate partner violence) or community (i.e. neighborhood violence; neighborhood disadvantage) level, influences asthma and asthma morbidity. Key recent findings regarding how psychosocial stress may influence asthma through Posttraumatic Stress Disorder, prenatal and postnatal maternal/caregiver stress, and community violence and deprivation are highlighted.

SUMMARY:
New research illustrates the need to further examine, characterize, and address the influence of social and environmental factors (i.e. psychological stress) on asthma. Further, research and innovative methodologies are needed to characterize the relationship and pathways associated with stress at multiple levels to more fully understand and address asthma morbidity, and to design potential interventions, especially to address persistent disparities in asthma in ethnic minorities and economically disadvantaged communities.


[拙訳]
レビューの目的:
このレビューの目的は、喘息の発生率及び罹患率に関連するストレスの最近の疫学的及びメカニズム的研究の概要及び議論を提供することである。

最近の知見:
個々(すなわち、エピジェネティクス、知覚されたストレス)、家族(すなわち、出生前の母体ストレス、人生早期の曝露、又は親密なパートナーの暴力)又はコミュニティ(すなわち、近所の暴力、近所の不利益)レベルのストレスはいずれにせよ、喘息又は喘息の罹患率に影響することが最近の知見は示唆する。心的外傷後ストレス障害、出生前及び出産後の母親/介護者のストレス、そしてコミュニティの暴力及び極貧を通して、心理社会的ストレスが喘息にどのように影響するかもしれないかに関する最近の主な知見が強調された。

概要:
喘息に及ぼす社会的及び環境的要因(すなわち、心理的ストレス)の影響をさらに調査し、特徴付けし、対処する必要性を新しい研究は示す。さらに、喘息の罹患率をより十分に理解し、対処するための複数レベルのストレスに関連する関係や経路を特徴づけ、そして可能性のある介入、特に少数民族や経済的に恵まれない地域社会の喘息における持続的な格差への対処をデザインするために、研究と革新的な方法論が必要である。

注:この要旨に関連するかもしれない喘息のストレス要因について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第六章 過敏性が体に表れる の「近年注目される、喘息のストレス要因」における記述(P163~P164)を次に引用します。

近年注目される、喘息のストレス要因
気管支喘息はアレルギーによって起きる疾患ですが、昔から、心理的なストレスの関与が経験的に言われてきました。ところが、それが「非科学的な俗説だ」と否定された時代もありました。しかし近年、再びストレス要因が見直されています。
その背景として、社会が二極化し中間層が崩壊するとともに、社会経済的に恵まれない人たちが増える中で、苦しく恵まれない層で喘息の罹患率が高いという事実が報告されるようになったことも与っています。ことにアメリカでは社会の二極化が著しく、貧しい階層が広がっているのですが、その階層で、人口比からは説明できない高い割合で、喘息が増えているのです。
その要因を調べていく中で、トラウマ的な体験や強いストレスを受けたことのある子どもや大人に、喘息の罹患率が高いという事実が判明したのです。虐待を受けているということだけでなく、たとえば生後数か月の頃に、親の方が何らかの困難を抱えていたりすると、六~八年後に喘息を発症するリスクが高くなったのです。もちろん、喫煙や大気汚染といった環境要因も影響しますが、それらの影響を取り除いても、トラウマ的なストレスが発症のリスクを高めていたのです。

注:i) 引用中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

(3)「Symptom Perception From a Predictive Processing Perspective[拙訳]予測的処理の観点からの症状の知覚」[注:要旨及び全文です] 最初に(喘息に関連する)要旨を次に引用します。

Bodily symptoms are highly prevalent in psychopathology, and in some specific disorders, such as somatic symptom disorder, they are a central feature. In general, the mechanisms underlying these symptoms are poorly understood. However, also in well-known physical diseases there seems to be a variable relationship between physiological dysfunction and self-reported symptoms challenging traditional assumptions of a biomedical disease model. Recently, a new, predictive processing conceptualization of how the brain works has been used to understand this variable relationship. According to this predictive processing view, the experience of a symptom results from an integration of both interoceptive sensations as well as from predictions about these sensations from the brain. In the present paper, we introduce the predictive processing perspective on perception (predictive coding) and action (active inference), and apply it to asthma in order to understand when and why asthma symptoms are sometimes strongly, moderately or weakly related to physiological disease parameters. Our predictive processing view of symptom perception contributes to understanding under which conditions misperceptions and maladaptive action selection may arise. There is a variable relationship between physiological dysfunction and self-reported symptoms. We conceptualize symptom perception (and misperception) within a predictive processing perspective. In this view, symptom perception integrates sensations and predictions about these sensations. Failures of such integration can produce misperceptions and maladaptive action selection. We use the perception (and misperception) of asthma symptoms as an example. There is a variable relationship between physiological dysfunction and self-reported symptoms. We conceptualize symptom perception (and misperception) within a predictive processing perspective. In this view, symptom perception integrates sensations and predictions about these sensations. Failures of such integration can produce misperceptions and maladaptive action selection. We use the perception (and misperception) of asthma symptoms as an example.


[拙訳]
身体症状は精神病理学において高度に多く見られ、身体症状症等の一部の特異的疾患においては、それらが中心的な特徴である。一般に、これらの症状の根底にあるメカニズムはよく理解されていない。しかしながら、よく知られている身体疾患においても、生理学的機能不全と生物医学的疾患モデルの伝統的な仮定に挑戦する自己報告症状との間には不定な関係があるように思われる。最近新しい、脳がどのように働くかの予測処理の概念化が、この不定な関係を理解するために用いられている。この予測処理の考え方によると、症状の経験は内受容感覚はもちろん、脳からのこれらの感覚についての予測の両方の統合からもたらされる。本論文では、知覚(予測的符号化)及び行為(能動的推論)に関する予測的処理の観点を、我々は導入し、そして喘息の症状が生理的疾患パラメーターに対し強く、中程度に又は弱く関連する時期と理由を理解するためにこれを喘息に適用する。症状知覚の予測的処理の我々の考え方は、どの状態で誤知覚及び不適応的アクションの選択が生じるかもしれないことの理解に寄与する。生理学的機能不全と自己申告症状との間には不定な関係がある。予測的処理の観点の範囲内で症状の知覚(及び誤知覚)を、我々は概念化する。このレビューでは、症状の知覚はこれらの感覚についての予測と感覚とを統合する。このような統合に失敗すると、誤知覚及び不適応な行為の選択が生じ得る。例として、喘息症状の知覚(及び誤知覚)を我々は用いる。

注:拙訳中の「予測的符号化」については「予測的処理」を含めてここを参照して下さい。加えて拙訳中の「能動的推論」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 - 脳科学辞典」の「能動的推論」項、「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「2. 予測的符号化」項

加えて本文における最初の一部分を次に引用します。

New developments in the conceptualization of how the brain works have recently emerged. These conceptualizations emphasize the predictive nature of the brain, hence are known as predictive coding or predictive processing views (Clark, 2013; Friston, 2010; Hohwy, 2013). Although the basic ideas underlying this conceptualization have been developed by von Helmholtz in the late 19th century, a strong impetus in recent years has been given by the thorough study of perception, especially of visual illusions. Many perceptual phenomena can only be understood by assuming that meaningful perception is not just a matter of processing incoming information, but that it is also largely reliant on pre-existing (prior) information: often the brain unconsciously and compellingly assumes (or infers) non-given information to construct a meaningful percept. Predictive processing views and their implications are currently explored in an increasing number of scientific areas. In neuroscience, the theory of "predictive coding" (Friston, 2005; Rao & Ballard, 1999) describes how sensory (e.g., visual) hierarchies in the brain may combine prior knowledge and sensory evidence, by continuously exchanging top-down (predictions) and bottom-up (prediction error) signals. Besides, interest in creating intelligent systems enhanced the need to extend the predictive processing perspective beyond perceptual processing, to address also action and planning (aka active inference). Pioneering work towards this goal has been done by Karl Friston and colleagues (Friston et al., 2016; Friston, FitzGerald, Rigoli, Schwartenbeck, & Pezzulo, 2017; Friston et al., 2015; Friston, Samothrakis, & Montague, 2012; Pezzulo, Rigoli, & Friston, 2018). In the present paper, we will first introduce some basic concepts of the predictive processing view of perception (called "predictive coding") and its extension to the action domain (called "active inference"). Next, we will briefly describe their implications for symptom perception.(後略)


[拙訳]
脳がどのように働くかの概念化の新しい成果が最近出現している。これらの概念化は、脳の予測的性質を強調するため、予測的符号化又は予測的処理の見方として知られている(Clark, 2013; Friston, 2010; Hohwy, 2013)。この概念化の根底にある基本的なアイデアは19世紀後半にフォン・ヘルムホルツによって開発されたが、認識、特に視覚的錯覚の徹底的な研究によって、近年において大きな勢いが与えられている。意味のある知覚が単に入ってくる情報を処理するだけのことではなく、既存の(事前の)情報に大きく依存していると仮定することによってのみ、多くの知覚現象を理解し得る:しばしば、脳は無意識かつ強制的に、意味のある知覚を構築するために、与えられていない情報を仮定(又は推論)する。予測的処理の見方とその含意は、現在、ますます多くの科学分野において探究されている。神経科学においては、脳における感覚(例えば視覚)の階層が事前の知識と感覚の証拠をどのように組み合わせるかを、トップダウン(予測)とボトムアップ(予測エラー)を継続的に交換することにより「予測的符号化」の理論(Friston, 2005; Rao & Ballard, 1999)は描写する。その上、インテリジェント・システムを創作することへの関心は、行為及び計画(能動的推論としても知られる)に対処するために予測処理の観点を知覚処理を超えての拡張に対する必要性を高めた。この目標に向けた先駆的な研究は、カール・フリストン(Karl Friston)とその同僚によって行われた(Friston et al., 2016; Friston, FitzGerald, Rigoli, Schwartenbeck, & Pezzulo, 2017; Friston et al., 2015; Friston, Samothrakis, & Montague, 2012; Pezzulo, Rigoli, & Friston, 2018)。本論文においては、知覚の予測的処理からの見方(「予測的符号化」と呼ばれる)のいくつかの基本的なコンセプト及びアクションドメイン(「能動的推論」と呼ばれる)へのその拡張を、我々は最初に紹介する。次に、症状の知覚に対するそれらの含意を、我々は簡単に記述する。

注:i) 引用中の「Clark, 2013」は次の論文です。 「Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science.」 ii) 引用中の「Friston, 2010」は次の論文です。 「The free-energy principle: a unified brain theory?」 iii) 引用中の「Hohwy, 2013」は次の本です。 「Hohwy, J. (2013). The predictive mind. Oxford, United Kingdom: Oxford University Press.」 iv) 引用中の「Friston, 2005」は次の論文です。 「A theory of cortical responses.」 v) 引用中の「Rao & Ballard, 1999」は次の論文です。 「Predictive coding in the visual cortex: a functional interpretation of some extra-classical receptive-field effects.」 vi) 引用中の「Friston et al., 2016」は次の論文です。 「Active inference and learning.」 vii) 引用中の「Friston, FitzGerald, Rigoli, Schwartenbeck, & Pezzulo, 2017」は次の論文です。 「Active Inference: A Process Theory.」 viii) 引用中の「Friston et al., 2015」は次の論文です。 「Active inference and epistemic value.」 ix) 引用中の「Friston, Samothrakis, & Montague, 2012」は次の論文です。 「Active inference and agency: optimal control without cost functions.」 ix) 引用中の「Pezzulo, Rigoli, & Friston, 2018」は次の論文です。 「Hierarchical Active Inference: A Theory of Motivated Control.」 x) 拙訳中の「予測」、「予測的処理」、「予測的符号化」については共にここを参照して下さい。加えて拙訳中の「能動的推論」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 - 脳科学辞典」の「能動的推論」項、「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「2. 予測的符号化」項

一方、アレルギー疾患と機能性身体症候群とに関係する論文要旨を以下に紹介します。

(a)「Comorbidity in allergic asthma and allergic rhinitis: functional somatic syndromes.[拙訳]アレルギー性喘息及びアレルギー性鼻炎における併病:機能性身体症候群」

Based on the concept of central sensitisation, the present study tested the hypothesis of comorbidity in allergic asthma and allergic rhinitis with diagnoses of functional somatic syndromes (FSSs), including fibromyalgia, irritable bowel syndrome and migraine. Data were used from the population-based Västerbotten Environmental Health Study (n = 3406). The participants consisted of 164 individuals with allergic asthma and 298 individuals with allergic rhinitis as well as 2876 individuals without allergic or non-allergic asthma, allergic rhinitis or atopic dermatitis. Diagnoses were based on self-reports of having been diagnosed by a physician. Odds ratios (ORs) were calculated from binary logistic regression analysis, both crude and adjusted for age and education. The adjusted ORs (1.87-4.00) for all FSSs differed significantly from unity for both allergic asthma and rhinitis. The results provide support for the hypothesis of comorbidity in allergic asthma and rhinitis with FSSs. Since central sensitisation is likely to underlie FSSs, the present findings raises the question as to whether central sensitisation may also be involved in allergic asthma and rhinitis.


[拙訳]
中枢感作の概念に基づいて、線維筋痛症過敏性腸症候群及び片頭痛を含む機能性身体症候群(FSSs)の診断を伴うアレルギー性喘息及びアレルギー性鼻炎における合併症の仮説を本研究は検証した。集団ベースの Västerbotten Environmental Health Study(n = 3406)[訳注:環境健康研究です]からのデータを使用した。アレルギー性又は非アレルギー性の喘息、アレルギー性鼻炎又はアトピー性皮膚炎の2876人のみならず、アレルギー性喘息を伴う164人、アレルギー性鼻炎を伴う298人のこの研究の参加者で構成されていた。診断は、医師により診断されたという自己報告に基づいた。(複数の)オッズ比(ORs)は、補正前及び年齢と教育で補正後の二重ロジスティック回帰分析から算出した。全ての FSSs の補正された ORs(1.87-4.00)は、アレルギー性喘息及び鼻炎の両方に対して一致[訳注:ORs=1]とは有意に異なった。これらの結果は、FSSs に伴うアレルギー性喘息及び鼻炎における併存症の仮説を支持する。中枢感作は FSSs の基礎となる可能性が高いので、本知見は、中枢感作がアレルギー性喘息及び鼻炎にも関与し得るかどうかという問題を提起する。

注:引用中の「n = 3406」は人数を指します。

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【10】「環境とエピゲノム又はエピジェネティクスとの関連」について

(注:この記事ではエピゲノム及びエピジェネティクス以外のオキシトシンについての内容を含みます)最初に標記について、中尾光善著の本、「環境とエピゲノム」(2018年発行)の「まえがき」における記述の一部(Pii~Pv)を次に引用します。

(前略)私たちがまわりの環境から刺激を受けて,それが脳に達して生じる意識を感覚という.基本的な感覚といえば いわゆる「五感」である.「視覚」では,眼を通して光のエネルギーを受け取り,また「聴覚」では 耳を通して音の信号を受けている。いずれも物理的な因子である.「嗅覚」では 鼻を通して匂いの成分を感じて,また「味覚」では,舌を通して食物の味の情報を得ている.これらは化学的な因子といえる.「触覚」では,全身の皮膚などを通してメカニカルな圧力を感じる.これは機械的な因子である.こうした五感を担う組織が感覚器であり,それらの情報は神経を介して脳に集められる.生物が進化の過程で獲得してきた,環境刺激を感知するしくみである.
ここで注目したいことが2つあるように思う.ひとつは,五感をマクロの感覚とするならば,身体を構成するすべての細胞はミクロの感覚をもっているという点である.自分が意識する五感だけでなく,「細胞の感覚」というものがある.たとえば,少量の放射線は五感でわからないが,身体の細胞は見事に感知することができる.もうひとつは,刺激を初めて受ける場合と再び受ける場合には違いがあるという点である.つまり,刺激に対する記憶というものが存在する.いままで見たり聞いたりしたことが脳の中に保存されるように,細胞の受容体(またはセンサー)というタンパク質が刺激を感知すると,その情報は細胞核の中に保存される.すなわち,身体を構成する細胞は,環境の情報を記憶することができる.
私たちの身体は,ヒトのゲノム(設計図)に書き込まれた生命の情報に従ってつくられている.そこには,約2万5000個の遺伝子がほぼ不規則に配置されている.そのため,ゲノム上にある遺伝子を選んで使うという,遺伝子の使い方が重要なのだ.身体の中の細胞では,使う遺伝子と使わない遺伝子に別々の印がつけられている.これらONとOFFの印をつけたゲノムをエピゲノムという.それぞれの遺伝子に印がつけられることから,あたかもふせんのようなしくみである.ふせんとは,目的のところに印をつけたり外したり,書き込んだりと何かと便利なものだ.近年,エピゲノムという舞台では3つの役者が働いていることがわかった.“ライター”(書き手)は印をつける因子,“リーダー”(読み手)は印に結合する因子,“イレイサー”(消し手)は印を除去する因子である.すなわち,エピゲノムの状態は可逆的であると考えられる.
環境が主体に作用すると,刺激の種類や強さ,タイミングに応じて,ゲノム上の特定の遺伝子が働くようになる.初めての刺激を受けた後には,ある遺伝子を使ったという印がつけられる.つまり,OFFからONの印に変わることが刺激を受けたという細胞の記憶になるわけである.たとえばホルモンが細胞に初めて作用した場合,標的の遺伝子に刺激を受けたという印がつけられる.ホルモンの刺激がなくなっても,その記憶は残る.その結果,同じ刺激を再び受けると,その遺伝子はすみやかに強く応答できる.刺激を受けた細胞は,その後に同じ刺激が来ることを予測して準備しているのだ.
小さな刺激が私たちにただちに大きな影響を与えることはない.しかし,それが長年にわたり繰り返し作用すると,エピゲノムの変化が徐々に蓄積していく.生命体は環境因子にさらされると,それに適応するように,自らを変化させる性質があるからだ.たとえば,食事の内容が長い間偏っていると,印が書き加えられて,遺伝子の働き方が変わる.これが記憶として固定すると,がんや肥満などの生活習慣病,精神的なストレス障害を生じやすくなることがわかってきた.(中略)

生命体は柔軟にその性質を変える.そう考えると,いま本当に大切なのは,私たちを取り巻く環境について知ることである.そして,私たちは環境因子をどう感知して,どう応答して,それを記憶していくのか.これらの点について,エピゲノムを共通言語として読み解いてみたい.科学的に実証されていることは必ずしも多くない.しかし,これからの進展が期待できる大きな魅力がある.本書では身体を構成するすべての細胞は環境因子に対する「感知→応答→記憶」のパスウェイ(経路)をもっているとしよう.環境から受けだ情報を私たちは分子のレベルで身体の中に記憶している。これを環境の記憶とよほう.本書が“生命と環境は連続している”と実感する一助になれば,このうえない喜びである.(後略)

注:i) 標記エピゲノムについての一般的な説明は、例えば次のWEBサイトを参照して下さい。 「 一般の方へ-エピゲノム研究を病気の治療に役立てるために」 ii) 引用中の「主体」は特定の細胞を指すようです。同本の Pii に次に引用(『 』内)する記述があります。 『このように、特定の細胞を主体としても環境というものがある.私たちが気づかないところで,主体と環境はいつも相互作用している.』(注:この一例として、腫瘍や癌の幹細胞の微少環境があります。例えば次の資料を参照して下さい。 「腫瘍微小環境におけるマクロファージの役割 -病理学から見たがん治療へのアプローチ-」、「癌幹細胞が癌の根治から逃れる特殊能力について合成ポリマーを用いて解明」) iii) 標記「エピゲノム」に関連する次のWEBページがあります。 「基礎知識6 エピゲノム」 iv) 標記「エピゲノム」に関連する「エピジェネティクス」については、引用はしませんが同本の中心的なテーマとして P12~P15 に記述があります。 v) DOHaD 学説(下記参照)にも言及している次に紹介する資料もあります。 「生殖と発生異常にかかわるエピゲノム変化と環境の影響」 ちなみに、上記 DOHaD(Developmental Origin of Health and Disease)学説について、同本の P74 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『胎児だけでなく新生児(生後28日まで)・乳児(生後1年未満)を含めた出生前後における環境因子の影響をまとめて,健康と病気の発生起源説(DOHaD学説)(ドーハッド学説)とよばれている.』 vi) 標記エピゲノム(又はエピジェネティクス)に関連するかもしれない子ども時代の虐待がもたらす脳の変化(又はストレスが脳の分子レベルもしくは神経生物レベルに影響を及ぼすこと)については、例えばここ及び次の資料及びを参照して下さい。 「被虐待者の脳科学研究」、「脳科学からみた子ども虐待 ~児童虐待・ネグレクトが及ぼす神経生物学的影響~

次の自閉症の視点から、標記関連についての引用を次に紹介します。すなわち、金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第1章 自閉症は治るか――精神医学からのアプローチ(著者:棟居俊夫) の「落語と自閉症」における記述の一部(P49~P55)を次に引用します。

目を遺伝に転じよう。一卵性双生児が二卵性に比べてはるかに、両方が自閉的となる割合が高く、第一子が自閉症の場合第二子が自閉症になる確率が高くなることから、自閉症発現に遺伝が関与していると以前から指摘されてきた。最近ではゲノム解析がすすみ、遺伝的な多型や変異が次々発見されている。2008年段階では次のことがわかっている。自閉症に見られる一塩基多型(SNPs)、染色体異常、それに受精後の遺伝子コピー数変異が合わせて100種類を超える。自閉症遺伝子というべきものはない。個々の遺伝的多型や変異で説明できる自閉症発現は多くても2、3%にすぎない。
起きているのは、多重的な遺伝的影響と環境の影響の加算的効果または遺伝と環境の相互作用としてのエピジェネティクス(註3)と推定される。これは糖尿病などと同じだ。自閉症に関連する遺伝的多型や変異を多く持っている個体が、環境にある危険因子ないしは予防因子によって症状を発現したりしなかったりすると考えられる。
ここで威力を発揮するのは、自閉症の双生児研究やきょうだい研究だ。アメリカではそれが現在大規模に展開中だ。研究者たちの予測は、遺伝と環境の累積効果がある闇値に達した場合に自閉症が発現するというものだ。近い将来解答が出るだろう。ホットトピックの一つは、アレルギー・炎症反応・自己免疫疾患など過剰免疫問題と自閉症の関連だ。脱工業化社会でのヒトの生物的環境(土壌菌・人体菌・寄生虫)の枯渇、ビタミンD不足、運動不足やストレス過剰が自閉症を含む一連の問題の根底にあるのではという仮説も立てられている。
このように書くと、「自閉症は親の育て方のせい」という理不尽な偏見に悩まされてきた人々は困惑するだろう。自分が親として悪かったのではないかと。それは違う。そもそも子どもに遺伝的な脆弱性があることは親にはわからないし、環境の危険因子や予防因子もまだ科学的には明らかになっていない。糖尿病や癌のようにエピジェネティクスの詳しい説明がつくようになれば、対処が可能になる。危険因子と予防因子がわかれば、社会政策や家族支援、子育て支援が再調整されることになる。
これらを進めるうえで必要なのは大規模な疫学調査だ。それも子どもが生まれて成人するまで(理想的には高齢化するまで)の人生全体にまたがるものだ。遺伝の諸変数と環境の諸変数(例えば大気汚染、緑化の程度)の影響を追跡していく、ライフコース疫学が必要だ。そこでは脳のイメージング(本書第3章)、細胞レベルでの遺伝環境相互作用の研究、心理学的検査の実施などが必須だ。相当な資源の投入が求められるだろう。英米ではすでにそれが始まっている。先に述べた国や民族による発現の差をエピジェネティクスの観点から明らかにするためには、日本もこの流れに参入していくことが期待される。(中略)

註3 エピジェネティクス DNAの塩基配列の変化を伴わない細胞分裂にも継承される遺伝子発現を研究する学問領域をさす。遺伝的形質の発現が、先天的な遺伝子配列だけでなく後天的な要因によって生じる現象を追究する。

注:i) 引用中の「本書第3章」の引用は省略します。 ii) 引用中の「エビジェネティクス」については、次のWEBページを参照して下さい。「エピジェネティクス - 脳科学辞典」 iii) 以下の例外を除き、引用はしませんが類似した記述が次にそれぞれ示されています。 ①杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第一章 発達障害はなぜ増えているのか (P25~P41)の一部*8 ②鷲見聡著の本、「発達障害の謎を解く」(2015年発行)の [第2章] 遺伝と環境・総論 の 遺伝要因と環境要因を考える――人間の多様性の1つとして捉える (P40~P51)*9 加えて、後者における上記「エピジェネティクス」(例えば参照)について、同章の 遺伝要因と環境要因を考える――人間の多様性の1つとして捉える の「1.生まれか育ちか」及び「2.エピジェネティクス――遺伝子分野の革命的概念」の記述又は記述の一部(P52~P56)を上記の例外として次に引用します。

1.生まれか育ちか
昔からよく使われることわざに「蛙の子は蛙」「瓜の蔓に茄子はならぬ」などがある。これらは、親と子の特徴が似ていることを示す例えであり、遺伝要因、すなわち、『生まれ』の影響の大きさを示すものである。ところが一方で、「氏より育ち」「朱に交われば赤くなる」というのも、よく言われる。こちらは、環境要因、すなわち、『育ち』が人の発達成長に大きく関わることを表している。
一見、相反する内容のことわざが、どちらかがすたれる事も無く今日まで伝わってきたのは、どうしてであろうか。古来から人々は、遺伝要因と環境要因そのどちらもが、子どもの成長発達に重要な影響を及ぼす事を感じ取っていたに違いない。
しかし、近年の学術論争を振り返ると、「遺伝か、環境か」という二者択一の中で論争が続いてきた。そこには、遺伝と環境とは、別々の相反する要因であるという大前提があった。自閉症を例にとるならば、以前は、その発症原因を「母親の育て方が悪いことで起きる」という心因論、つまり環境要因説が信じられてきた。それが、1990年代以降、「生まれつきの脳障害」という器質論、すなわち、遺伝要因を重視した説に取って代わられた。
ところが最近、そのような「遺伝か環境か」という二者択一の論議の根底を揺るがす新たなメカニズムが発見された。それは、環境要因が遺伝子に影響を与えて、その働き方を変化させる「エピジェネティクス」というものである1)。この発見は「遺伝と環境は別々の要因」「遺伝要因は変化しない」という既成の概念を覆すものであった。エピジェネクスの登場以来、病気の発症や子どもたちの発達にとって、遺伝と環境の相互作用は非常に重要であることが認識されるようになってきた。
本節では、このような新しい知見が具体的にどのようなものであるがを示し、その上で、遺伝と環境の相互作用の視点から、自閉症スペクトラム(ASD)について論じる。

2.エピジェネティクス――遺伝子分野の革命的概念
従来の遺伝学の考え方では、両親から受け継いだ遺伝子は生涯不変で、遺伝子の働きもまた生涯不変と考えられていた。そして、遺伝子は精密な設計図、それも修正不可能なインクで書かれた設計図に例えられていた。ところが、その遺伝子の働き具合を変化させる「エピジェネティクス」というメカニズムが明らかになった。ある種の遺伝子にはその働きをコントロールするスイッチに相当するもの(メチル化修飾など)があり、その切り替えによって遺伝子の働き具合が変わるのである。このスイッチの切り替えを行うのは「環境要因」で、遺伝子本体を変化させずに働き具合のみを変える。エピジェネティクスの発見は、遺伝要因と環境要因が合わさって機能するシステムが存在することと、遺伝子機能が後天的に変わりうることを、初めて証明したものである。
例えば、生後間もない時期の精神的ストレスによって、ストレス耐性遺伝子(グルココルチコイド受容体遺伝子)のスイッチが切り替わることが、ネズミでは明らかになっている2)(図2-4)。生後すぐに母ネズミから引き離された仔ネズミのストレス耐性遺伝子を調べると、その遺伝子のスイッチはOFFFの状態になっている。ストレス耐性遺伝子が働かないため、ストレスに弱くなり、精神的に不安定になる。そして、その後もOFFの状態が続くため、その仔ネズミが大人ネズミになっても、精神的に不安定な状態が続く。
一方、母ネズミの世話を受けた仔ネズミは、ストレス耐性遺伝子のスイッチがONの状態になってストレスに強くなり、精神的に安定する。そして、いったんONになったスイッチは、大人ネズミになってもONの状態が続き、精神的に安定する。すなわち、幼少期の環境要因が遺伝子の働き方を決め、その後の精神状態に影響を与え続けている。しかし、この興味深い現象は、ストレス耐性遺伝子のみ、あるいは、母ネズミの世話のみでは起こり得ない。遺伝子と環境要因(世話)の両方が合わさって初めて、仔ネズミの精神状態に作用することが可能となる。そして、「三つ子の魂百まで」ということわざのように、生後早期に獲得した特徴が生涯持続するのである。(中略)

エピジェネティクスについての研究は、人においても開始されている。例えば妊娠中の母親が低栄養状態だった場合、生まれてくる子どもが大人になった時に肥満になりやすいことが知られているが、これにもエピジェネティクスが関与している3)。母親が低栄養になると胎児も低栄養状態に陥り、それに対する防衛反応として、胎児のエネルギー節約遺伝子のスイッチがONになる。つまり、低栄養という環境要因が節約遺伝子のスイッチをONに入れ、その後もずっとONの状態が続く。エネルギー節約遺伝子がONになっていることは、低栄養(エネルギー不足)の時には体の活動にとって都合が良い。しかし、栄養が十分にある時には必要以上にエネルギー節約をすることになり、その結果、余分なエネルギーが脂肪として蓄えられる。この場合、直接働いているのはエネルギー節約遺伝子という遺伝要因であるが、その遺伝子のスイッチをONにしたのは低栄養という環境要因である。遺伝と環境、この2つの要因がエピジェネティクスによって結びついて作用し、成人期に肥満になりやすくなるのである。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「1)」、「2)」、「3)」はそれぞれ、1) 「エピジェネティクスのオーバービュー」 2) 「Epigenetic programming by maternal behavior.」 3) 福岡 秀興、他「肥満発症にかかわる胎生期環境の影響」『日本臨床』71巻、237-243頁、2013年 です。 ii) 引用中の「図2-4」の引用は省略します。

一方、ヒトのエピジェネティクスに関する発表例として、論文の要旨(その1その2)を以下に紹介します。加えて、上記その2の論文要旨にも関連するオキシトシン(拙訳はありませんが論文[全文]「Is Oxytocin "Nature's Medicine"?」を参照すれば良いかも)についての論文を「扁桃体を考慮したオキシトシンがストレスに抵抗する力を与えること」についての本の記述を含めて以下に紹介します。これらの論文の中で、最初の論文が標記エピジェネティクスに関係します。

Persistent epigenetic differences associated with prenatal exposure to famine in humans.[拙訳]ヒトの胎児への出生前曝露に関連する持続的なエピジェネティックな差異

Extensive epidemiologic studies have suggested that adult disease risk is associated with adverse environmental conditions early in development. Although the mechanisms behind these relationships are unclear, an involvement of epigenetic dysregulation has been hypothesized. Here we show that individuals who were prenatally exposed to famine during the Dutch Hunger Winter in 1944-45 had, 6 decades later, less DNA methylation of the imprinted IGF2 gene compared with their unexposed, same-sex siblings. The association was specific for periconceptional exposure, reinforcing that very early mammalian development is a crucial period for establishing and maintaining epigenetic marks. These data are the first to contribute empirical support for the hypothesis that early-life environmental conditions can cause epigenetic changes in humans that persist throughout life.


[拙訳]
大規模な疫学的研究は、成人病のリスクが発育初期の悪い環境条件と関連していることを示唆する。これらの関係の背景にあるメカニズムは不明であるが、エピジェネティックな調節不全の関与が仮定されている。ここで、1944-45年のオランダ飢餓の冬中に胎内でこれに曝された個々人が、60年後、曝されていない同性の兄弟と比較して、インプリンティングされた IGF2 遺伝子の DNA メチル化が少なかったことを我々は示した。この関連は周産期曝露に特異的であり、非常に初期の哺乳類の発達がエピジェネティックな特徴を確立し、維持するための重要な期間であることを強化する。これらのデータは、若齢期の環境状態が生涯にわたって持続するヒトにおけるエピジェネティックな変化を引き起こし得るという仮説の経験的支持に最初に寄与した。

注:i) この論文の簡単な紹介はここと次のWEBページを参照して下さい。 「妊娠出産に関わる病気・胎児の健康とエピゲノム」の「妊娠期のエピジェネティクス変化が、子供の将来の健康状態を決める!?」項 ii) 引用中の「オランダ飢餓」と DOHaD 説との関連については次の資料を参照して下さい。「胎生期環境と生活習慣病発症機序 ―成人病(生活習慣病)胎児期発症起源説から考える―」 iii) 引用中の「DNA メチル化」については、次のWEBページを参照して下さい。「エピジェネティクス - 脳科学辞典」の「DNAメチル化」項

Methylation of the oxytocin receptor gene mediates the effect of adversity on negative schemas and depression.[拙訳]オキシトシン受容体遺伝子のメチル化は逆境がネガティブなスキーマ及びうつに及ぼす影響をメディエイトする

Building upon various lines of research, we posited that methylation of the oxytocin receptor gene (OXTR) would mediate the effect of adult adversity on increased commitment to negative schemas and in turn the development of depression. We tested our model using structural equation modeling and longitudinal data from a sample of 100 middle-aged, African American women. The results provided strong support for the model. Analysis of the 12 CpG sites available for the promoter region of the OXTR gene identified four factors. One of these factors was related to the study variables, whereas the others were not. This factor mediated the effect of adult adversity on schemas relating to pessimism and distrust, and these schemas, in turn, mediated the impact of OXTR methylation on depression. All indirect effects were statistically significant, and they remained significant after controlling for childhood trauma, age, romantic relationship status, individual differences in cell types, and average level of genome-wide methylation. These finding suggest that epigenetic regulation of the oxytocin system may be a mechanism whereby the negative cognitions central to depression become biologically embedded.


[拙訳]
様々な系列の研究に基づき、オキシトシン受容体遺伝子(OXTR)のメチル化が、ネガティブなスキーマ及びその後のうつの発症への増加したコミットメントに及ぼす大人の逆境の効果をメディエイト(仲介)するであろうと我々は仮定した。100人の中年アフリカ系アメリカ人の女性のサンプルからの構造方程式モデリングと縦断データを使用した我々のモデルを検査した。これらの結果によりこのモデルに強い支持が与えられた。OXTR 遺伝子のプロモーター領域で利用可能な 12 の CpG サイトの分析で4つの要因を同定した。これらの要因の1つは、他では関連していないのに、研究変数に関連していた。この要因は、悲観主義及び不信用に関連するスキーマ(これらのスキーマは順にうつに与える OXTR のメチル化の影響をメディエイトする)に及ぼす大人の逆境の効果をメディエイトした。全ての間接的な効果は統計的に有意であり、そして、子ども時代のトラウマ、年齢、恋愛関係の状況、細胞型における個人差、ゲノムワイドのメチル化の平均レベルで統制した後も有意なままであった。これらの知見は、オキシトシン系のエピジェネティック制御が、これによりうつのネガティブな認知の中核が生物学的に埋め込まれるメカニズムかもしれないことを示唆する。

注:i) 引用中の「メチル化」に関連する「DNAメチル化」及び引用中の「CpG」については、共に次のWEBページを参照して下さい。「エピジェネティクス - 脳科学辞典」の「DNAメチル化」項 ii) 上記「エビジェネティクス」及び「オキシトシン受容体」に関連する資料の例は次を参照して下さい。 「マルトリートメント児の愛着不安にはオキシトシン受容体の DNA スイッチが関与している

ここでは上記オキシトシンに関連して、最初にオキシトシンの全般的な紹介について次の論文(全文)「Is Oxytocin "Nature's Medicine"?[拙訳]オキシトシンは「自然の薬」ですか?」を参照して下さい。そして、 (a) 扁桃体を考慮したオキシトシンがストレスに抵抗する力を与えることについて、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第7章 基底核扁桃体,小脳と前頭葉-手続き的学習と認知的柔軟性 の 7.3 前頭葉扁桃体による脅威,恐怖からの学習 の「7.3.2 扁桃体前頭葉による恐怖反応の制御と内面化による予期的不安」における記述(P211~P212)を以下に引用します。 (b) 加えて、ストレス応答、心的外傷後ストレス障害又はマルトリートメントにおけるオキシトシン系についてかもしれない論文を以下に紹介します。論文タイトルはそれぞれ、[1] 論文要旨「Oxytocin receptor DNA methylation and alterations of brain volumes in maltreated children.[拙訳]マルトリートメントされた小児におけるオキシトシン受容体の DNA メチレーション及び変化した脳の体積」、[2] 論文要旨「Oxytocin and Stress: Neural Mechanisms, Stress-Related Disorders, and Therapeutic Approaches.[拙訳]オキシトシンとストレス:神経メカニズム、ストレス関連障害、及び治療的アプローチ」 、[3] 「Approaches Mediating Oxytocin Regulation of the Immune System.[拙訳]免疫系のオキシトシン調節をメディエイトするアプローチ」、 [4] 論文「Child Maltreatment Is Associated with a Reduction of the Oxytocin Receptor in Peripheral Blood Mononuclear Cells.[拙訳]子どものマルトリートメントは、末梢血単核細胞におけるオキシトシン受容体の減少と関連する」、[5]論文「Calming Cycle Theory and the Co-Regulation of Oxytocin.[拙訳]Calming Cycle 理論及びオキシトシンの共調節」及び[6]論文「Effects of Oxytocin on Fear Memory and Neuroinflammation in a Rodent Model of Posttraumatic Stress Disorder.[拙訳]心的外傷後ストレス障害の齧歯モデルにおける恐怖記憶と神経炎症に及ぼすオキシトシンの効果」です。上記五つの論文(要旨)のリンクはそれぞれ、[1] の論文要旨引用)、[2] の論文要旨引用)、[3] の論文要旨引用、全文はここを参照)、)[4] の論文要旨引用、全文はここを参照)、[5] の論文要旨引用)、[6] の論文要旨引用、全文はここを参照)、及び [7] の論文要旨引用、全文はここを参照)です。上記リンクのように、これらの論文要旨を以下にそれぞれ引用します。その後にそれぞれ脚注があります。なお、標記オキシトシンについては次のWEBページ及び資料を参照すると良いかもしれません。 「オキシトシン - 日医NEWS」、「オキシトシンと心身の健康

7.3.2 扁桃体前頭葉による恐怖反応の制御と内面化による予期的不安
扁桃体で獲得した恐怖条件づけは,条件刺激と無条件刺激とを無関係に提示する,または無条件刺激や電気ショックなどの嫌悪刺激を与えないと行動上フリーズや回避する運動が見られなくなり消去したように見えます.しかし,実際には大脳皮質によって抑制されていることがわかっています.
扁桃体は内側前頭前野,前帯状皮質から入力を受け調節されています.消去の過程では,その皮質からの入力によって抑制を受けることで,自律神経の応答やフリーズなどの行動が見られなくなります.しかし扁桃体シナプスの学習時の変化がまったくなくなったわけではないので,再度学習すると初回より速く学習することになります.
長期的なストレスは脳全体にさまざまな変化をもたらします(Grupe and Nitschke, 2013).扁桃体と BNST を含む拡張扁桃体の活動も高まり,これらの出力先である中脳水道灰白質,青斑核,前脳基底部などの活動が高まることになります.脅威への過敏な応答性も形成されます,前頭内側部と頭頂葉肉側部のいわゆる DMN は安静時にエピソード記憶の想起や将来の展望記憶に関わるため,慢性的なストレスが負の情動に強く影響された回想記憶や展望記憶を構成することになります.すると,安静時も気が滅入ることになります.前頭前野はこのような慢性的なストレスで,はたらき方がすっかり変容してしまうのです.
長期のストレスなどでうつ病になると,いわゆる過剰な思考反芻が起こります(Koster et al., 2011).その際に情動的にネガティブな内容のことが多く,扁桃体の活動が高いことがわかっています.それと同時に DMN が活性化しており,自分に関連した内的な注意に偏ってしまい,外界への注意や活動に向かわなくなります(Hamilton et al., 2011).
一方で,オキシトシンというホルモンがストレスに抵抗する力を与えることが知られています(Heinrichs et al., 2003; Kosfeld et al., 2005; Meyer-Lindenberg et al., 2011; Olff et al., 2010).これは授乳時に母親でできるホルモンですが 人との信頼関係を築くことに関わる役割もあり,男性,女性関係なく分泌することが知られています.このホルモンは扁桃体と関係の深い内側前頭前野や前帯状皮質にはたらき,抗ストレスホルモンとして作用し,扁桃体のはたらさを抑えることが知られています.慢性的ストレス時に社会的な支援,対人的な支援で信頼関係を築く際には,実は支援者も被支援者もこのオキシトシンというホルモンを分泌します.ストレスを感じるときに互いに信頼性築くことができる人が周りにいることがとても大切だといえます.

注:i) 引用中の「Grupe and Nitschke, 2013」は次の論文です。 「Uncertainty and anticipation in anxiety: an integrated neurobiological and psychological perspective.」 ii) 引用中の「Koster et al., 2011」は次の論文です。 「Understanding depressive rumination from a cognitive science perspective: the impaired disengagement hypothesis.」 iii) 引用中の「Hamilton et al., 2011」は次の論文です。 「Default-mode and task-positive network activity in major depressive disorder: implications for adaptive and maladaptive rumination.」 iv) 引用中の「Heinrichs et al., 2003」は次の論文です。 「Social support and oxytocin interact to suppress cortisol and subjective responses to psychosocial stress.」 v) 引用中の「Kosfeld et al., 2005」は次の論文です。 「Oxytocin increases trust in humans.」 vi) 引用中の「Meyer-Lindenberg et a1., 2011」は次の論文です。 「Oxytocin and vasopressin in the human brain: social neuropeptides for translational medicine.」 vii) 引用中の「Olff et al., 2010」は次の論文です。 「A psychobiological rationale for oxytocin in the treatment of posttraumatic stress disorder.」 viii) 引用中の「恐怖条件づけ」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」 ix) 引用中の「情動」についてはメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「反芻」(反すう)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「フリーズ」に関連するソマティックエクスペリエンシングの視点からの「凍りつき」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 瞑想の視点からの引用中の「DMN」(又は default mode network、デフォルトモードネットワーク)については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて次の論文(全文)も参照すると良いかもしれません。 「The default mode network's role in discrete emotion」 viii) 引用中の「扁桃体」についてはトラウマの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて上記「扁桃体」に関連する引用中の「BNST」([扁桃体延長部の]分界条床核)については例えば次の資料を参照して下さい。 「分界条床核特定神経回路を介した不安生起機構」 ちなみに、マウスにおける上記「分界条床核」における性差についての資料は次を参照して下さい。 「不安や恐怖の感じ方に性差はあるか 分界条床核における性差」 xiv) 引用中の「内側前頭前野」に関連する「内側前頭前皮質」についてはトラウマの視点から他の拙エントリのここここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。 xv) 引用中の「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 xvi) 引用中の「中脳水道灰白質」に関連する「水道周囲灰白質」については次のWEBページを参照して下さい。 「水道周囲灰白質 - 脳科学辞典」 xvii) 引用中の「青斑核」についてはパニック症の視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症- 脳科学辞典」の「“Stress-induced fear circuit”とPD」項

[1] の論文要旨の引用(注:この論文要旨に関連する資料は次の資料を参照して下さい。 「マルトリートメント児の愛着不安にはオキシトシン受容体の DNA スイッチが関与している」)

Although oxytocin (OXT) plays an important role in secure attachment formation with a primary caregiver, which is impaired in many children with childhood maltreatment (CM), epigenetic regulation in response to CM is a key factor in brain development during childhood. To address this issue, we first investigated differences in salivary DNA methylation of the oxytocin receptor (OXTR) between CM and Non-CM groups of Japanese children (CM: n = 44; Non-CM: n = 41) and its impact on brain structures in subgroup analysis using brain imaging and full clinical data (CM: n = 24; Non-CM: n = 31). As a result, we observed that the CM group showed higher CpG 5,6 methylation than did the Non-CM group and confirmed negative correlations of gray matter volume (GMV) in the left orbitofrontal cortex (OFC) with CpG 5,6 methylation. In addition, the CM group showed significantly lower GMV in the left OFC than did the Non-CM group. Furthermore, as a result of examining the relationship between GMV in the left OFC and psychiatric symptoms in CM, we observed a negative association with insecure attachment style and also confirmed the mediation effect of left-OFC GMV reduction on the relationship between OXTR methylation and insecure attachment style. These results suggest that any modulation of the oxytocin signaling pathway induced by OXTR hypermethylation at CpG 5,6 leads to atypical development of the left OFC, resulting in distorted attachment formation in children with CM.


[拙訳]
オキシトシンOXT)は、小児期のマルトリートメント(CM)を伴う多くの子供において損なわれた主介護者との安全な愛着形成に重要な役割を果たすが、CM に応答したエピジェネティック調節は、小児期の脳の発達における重要な要因である。この問題に対処するために、日本人の子供の CM 群と非 CM 群(CM: n = 44; Non-CM: n = 41)の間のオキシトシン受容体(OXTR)の唾液 DNA メチル化における違い、及び脳画像と完全な臨床データ(CM: n = 24; Non-CM: n = 31)を使用したサブグループ分析におけるその脳の構造に及ぼす影響を、我々は先ず調査した。その結果、CM 群は非 CM 群よりも高い CpG 5,6 メチル化を示すことを我々は観察し、そして CpG 5,6 メチル化を伴う左眼窩前頭皮質(OFC)における灰白質体積(GMV)との負の相関を、我々は確認した。加えて、CM 群は非 CM 群よりも有意に左 OFC における低い GMV を示した。さらに、CM における左 OFC での GMV と精神症状との関係を調査した結果として、不安定な愛着スタイルとの負の関連を、我々は観察し、OXTR メチル化と不安定な愛着スタイルと関係に関する左 OFC GMV 減少のメディエーション効果も、我々は確認した。CpG 5,6 での OXTR 過剰メチル化によって引き起こされるオキシトシンシグナル伝達経路の変調が、左 OFC の非定型な発達につながり、CM を伴う小児の愛着形成の歪みをもたらすことを、これらの結果は示唆する。

注:i) 引用中の「n = 44」、「n = 41」、「n = 24」、「n = 31」は共に被験者数を示します。 ii) 拙訳中の(不安定な愛着を含む)「愛着」については例えば次の資料も参照して下さい。 「アタッチメント(愛着)障害と脳科学」の「Ⅱ.アタッチメント(愛着)理論」項 iii) 引用中の「DNA メチル化」及び引用中の「CpG」については、共に次のWEBページを参照して下さい。「エピジェネティクス - 脳科学辞典」の「DNAメチル化」項 iv) 拙訳中の「左眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典

[2] の論文要旨の引用

Clinical reports show that oxytocin (OT) is related to stress-related disorders such as depression, anxiety disorder, and post-traumatic stress disorder. Two key structures in the brain should be paid special attention with regard to stress regulation, namely, the hypothalamus and the hippocampus. The former is the region for central command for most, if not all, of the major endocrine systems, and the latter takes a key position in the regulation of mood and anxiety. There are extensive neural projections between the two structures, and both are functionally intertwined. The hypothalamus projects OTergic neurons to the hippocampus, and the latter possesses high levels of OT receptors. The hippocampus also regulates the secretion of glucocorticoids, a major group of stress hormones. Excessive levels of glucocorticoids in chronic stress cause atrophy of the hippocampus, whereas OT has been shown to protect hippocampal neurons from the toxic effects of glucocorticoids. In this article, we discuss how neural and endocrine mechanisms interplay in stress regulation, with an emphasis on the role of OT, as well as its therapeutic potential in the treatment of stress-related disorders.


[拙訳]
オキシトシン(OT)がうつ病、不安症、心的外傷後ストレス障害等のストレス関連障害に関連していることを、臨床報告は示す。ストレス調節に関しては、脳の2つの重要な構造、すなわち視床下部と海馬に特に注意を払う必要がある。前者は全てではないにしても、ほとんどの主要な内分泌系の中心的な命令の領域であり、後者は気分と不安の調節において重要な位置を占めている。2つの構造の間に広範な神経突起があり、両方が機能的に絡み合っている。視床下部オキシトシン作動性ニューロンを海馬に投射し、後者は高レベルの OT 受容体を有している。海馬は、ストレスホルモンの主要なグループであるグルココルチコイドの分泌も調節する。慢性ストレスにおける過剰なレベルのグルココルチコイドは海馬の萎縮を引き起こすが、OT はグルココルチコイドの毒性作用から海馬ニューロンを保護することが示されている。この論文では、ストレスの調節における神経及び内分泌メカニズムの相互作用について、OT の役割と、ストレス関連障害の治療における治療の可能性に重点を置いて説明する。

注:i) 疼痛ならびに炎症調節作用における拙訳中の「オキシトシン」については例えば次の資料を参照して下さい。 「下垂体後葉ホルモン・オキシトシンと疼痛ならびに炎症調節作用との関連」 ii) 拙訳中の「うつ病」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 拙訳中の「不安症」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」 iv) 拙訳中の「心的外傷後ストレス障害」については例えば次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験に苦しむストレス症候群 心的外傷後ストレス障害 PTSD を診る」 v) 拙訳中の「視床下部」については次のWEBページを参照して下さい。 「視床下部 - 脳科学辞典」 vi) 拙訳中の「海馬」については次のWEBページを参照して下さい。 「海馬 - 脳科学辞典」 vii) 拙訳中の「グルココルチコイド」については次のWEBページを参照して下さい。 「グルココルチコイド - 脳科学辞典

[3] の論文要旨の引用

The hypothalamic neuroendocrine system is mainly composed of the neural structures regulating hormone secretion from the pituitary gland and has been considered as the higher regulatory center of the immune system. Recently, the hypothalamo-neurohypophysial system (HNS) emerged as an important component of neuroendocrine-immune network, wherein the oxytocin (OT)-secreting system (OSS) plays an essential role. The OSS, consisting of OT neurons in the supraoptic nucleus, paraventricular nucleus, their several accessory nuclei and associated structures, can integrate neural, endocrine, metabolic, and immune information and plays a pivotal role in the development and functions of the immune system. The OSS can promote the development of thymus and bone marrow, perform immune surveillance, strengthen immune defense, and maintain immune homeostasis. Correspondingly, OT can inhibit inflammation, exert antibiotic-like effect, promote wound healing and regeneration, and suppress stress-associated immune disorders. In this process, the OSS can release OT to act on immune system directly by activating OT receptors or through modulating activities of other hypothalamic-pituitary-immune axes and autonomic nervous system indirectly. However, our understandings of the role of the OSS in neuroendocrine regulation of immune system are largely incomplete, particularly its relationship with other hypothalamic-pituitary-immune axes and the vasopressin-secreting system that coexists with the OSS in the HNS. In addition, it remains unclear about the relationship between the OSS and peripherally produced OT in immune regulation, particularly intrathymic OT that is known to elicit central immunological self-tolerance of T-cells to hypophysial hormones. In this work, we provide a brief review of current knowledge of the features of OSS regulation of the immune system and of potential approaches that mediate OSS coordination of the activities of entire neuroendocrine-immune network.


[拙訳]
視床下部神経内分泌系は、主に下垂体からのホルモン分泌を調節する神経構造で構成されており、免疫系のより高い調節中枢と見なされている。最近、視床下部-神経下垂体系(HNS)が、神経内分泌-免疫ネットワークの重要な構成要素として浮上し、オキシトシン(OT)分泌系(OSS)が重要な役割を果たしている。OSS は、視索上核、傍室核、それらのいくつかの付属核および関連構造の OT ニューロンで構成され、神経、内分泌、代謝、及び免疫情報を統合でき、免疫系の発達と機能において極めて重要な役割を果たす。OSS は、胸腺と骨髄の発達を促進し、免疫監視を行い、免疫防御を強化し、免疫恒常性を維持する。これに対応して、OT は炎症を抑制し、抗生物質のような効果を発揮し、創傷の治癒と再生を促進し、ストレス関連の免疫障害を抑制することができる。このプロセスでは、OSS は OT 受容体を活性化するか、他の視床下部-下垂体-免疫軸及び自律神経系の活動を間接的に調節することにより、OT を放出して免疫系に直接作用する。ただし、免疫系の神経内分泌調節における OSS の役割についての我々の理解は、特に他の視床下部-下垂体-免疫軸との関係及び HNSOSS と共存するバソプレシン分泌系との関係がほとんど不完全である。さらに、OSS と免疫調節で末梢産生される OT 、特に下垂体ホルモンに対するT細胞の中枢免疫学的自己寛容を誘発することが知られている胸腺内 OT の関係については不明のままである。この研究では、免疫系の OSS 調節の特徴と、神経内分泌免疫ネットワーク全体の活動の OSS 調整をメディエイトする潜在的なアプローチの現在の知識の簡単なレビューを提供する。

注:i) 拙訳中の「視索上核」及び「傍室核」にも言及する疼痛ならびに炎症調節作用における引用中の「オキシトシン」については例えば次の資料を参照して下さい。 「下垂体後葉ホルモン・オキシトシンと疼痛ならびに炎症調節作用との関連」 ii) 拙訳中の「視床下部」については次のWEBページを参照して下さい。 「視床下部 - 脳科学辞典」 iii) 拙訳中の「神経内分泌」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「学会について - 日本神経内分泌学会」の「神経内分泌とはなにか」項 iv) 拙訳中の「下垂体ホルモン」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「脳下垂体から分泌されるホルモンとその働き」 v) 拙訳中の「胸腺」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「胸腺の医学」 vi) 拙訳中の「骨髄」については次のWEBページを参照して下さい。 「骨髄

[4] の論文要旨の引用(注:形式を変更しています)

Background: Child maltreatment (CM) and attachment experiences are closely linked to alterations in the human oxytocin (OXT) system. However, human data about oxytocin receptor (OXTR) protein levels are lacking. Therefore, we investigated oxytocin receptor (OXTR) protein levels in circulating immune cells and related them to circulating levels of OXT in peripheral blood. We hypothesized reduced OXTR protein levels, associated with both, experiences of CM and an insecure attachment representation.

Methods: OXTR protein expressions were analyzed by western blot analyses in peripheral blood mononuclear cells (PBMC) and plasma OXT levels were determined by radioimmunoassay (RIA) in 49 mothers. We used the Childhood Trauma Questionnaire (CTQ) to assess adverse childhood experiences. Attachment representations (secure vs. insecure) were classified using the Adult Attachment Projective Picture System (AAP) and levels of anxiety and depression were assessed with the German version of the Hospital Depression and Anxiety scale (HADS-D).

Results: CM-affected women showed significantly lower OXTR protein expression with significantly negative correlations between the OXTR protein expression and the CTQ sum score, whereas plasma OXT levels showed no significant differences in association with CM. Lower OXTR protein expression in PBMC were particularly pronounced in the group of insecurely attached mothers compared to the securely attached group. Anxiety levels were significantly higher in CM-affected women.

Conclusion: This study demonstrated a significant association between CM and an alteration of OXTR protein expression in human blood cells as a sign for chronic, long-lasting alterations in this attachment-related neurobiological system.


[拙訳]
背景:子供のマルトリートメント(CM)と愛着の経験は、人間のオキシトシンOXT)系の変化と密接に関連している。しかしながら、オキシトシン受容体(OXTR)タンパク質レベルに関する人間のデータが不足している。従って、循環免疫細胞におけるオキシトシン受容体(OXTR)タンパク質レベルを、我々は調査し、それらを末梢血における OXT の循環レベルに関連付けた。CM の経験と不安定な愛着表現の両方に関連する OXTR タンパク質レベルの低下を、我々は仮定した。

方法:OXTR タンパク質発現は、末梢血単核細胞(PBMC)における western blot 分析によって分析され、そして血漿 OXT レベルは49人の母親における放射免疫測定法(RIA)によって決定された。 Childhood Trauma Questionnaire(CTQ)を使用して、子ども時代の逆境的体験を評価した。愛着の表現(安定型 vs. 不安定型)は、成人愛着絵画投映法(AAP)を使用して分類され、そして不安と抑うつのレベルは、ドイツ語版の Hospital Depression and Anxiety scale (HADS-D) により評価された。

結果:OXTR タンパク質発現と CTQ 合計スコアとの間の有意な負の相関関係を伴う、OXTR タンパク質の発現が有意に低いことを、CM に影響された女性は示した。 PBMC におけるより低い OXTR タンパク質発現は、安定型の愛着グループと比較して、不安定型の愛着母親グループで特に顕著であった。不安レベルは CM に影響された女性において有意に高かった。

結論:この愛着関連の神経生物学系における慢性的で長期にわたる変化の兆候として、CM とヒト血液細胞における OXTR タンパク質発現の変化との間に有意な関連性を、この研究は実証した。

注:i) 拙訳中の「マルトリートメント」(又は不適切な養育、不適切なかかわり)については次の資料を参照して下さい。 「マルトリートメント児の愛着不安にはオキシトシン受容体の DNA スイッチが関与している」の「(注1)」」項 ii) 拙訳中の「western blot 分析」に関連する「western blotting 法」については次のWEBページを参照して下さい。 「改訂・心理学用語集」の「再生(Retrieval)」項 iii) 拙訳中の「子ども時代の逆境的体験」については次の資料を参照して下さい。 『「子ども時代の逆境的体験(ACEs)」と貧困 ─逆境的体験から子どもを救う目と耳と心』 iv) 引用中の「愛着」については v) 引用中の「Hospital Depression and Anxiety scale」については例えば次の資料を参照して下さい。 「Hospital Anxiety and Depression Scale 日本語版の信頼性と妥当性の検討 - 女性を対象とした成績ー」 vi) 標記論文の簡単な紹介について、岡田尊司著の本、「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威」(2019年発行)の 第4章 オキシトシン系の異常と、愛着関連障害 の「不安定な愛着の人では、オキシトシン受容体の数が少ない」における連続する記述の一部(P82)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『これまでの研究では、遺伝子レベルの異常や、RNAレベルでの発現を調べるものばかりであった。このドイツの研究グループは、世界で初めて、オキシトシン受容体をタンパク質レベルで測定した。』(注: 引用中の「RNA」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「第14回  セントラルドグマ」の「RNAとは?」項)、『その結果、不適切な養育を受けたことがある人ほど、オキシトシン受容体が、タンパク質レベルで減っていることがわかったのだ(*24)。』(注: 引用中の文献番号「(*24)」は本論文です)

[5] の論文要旨の引用

The biological functions of oxytocin in attachment and bonding between mother and infant in parturition and breastfeeding and between adults have been studied extensively. However, most current authors have proposed that infant attachment to the mother is learned through operant conditioning mechanisms via the infant's brain and central nervous system. We propose that oxytocin levels in the mother and infant are co-regulated by emotional connection or disconnection, and that the autonomic co-conditioning learning mechanism can be exploited to change a negative physiological and behavioral response between mother and infant into a positive one. Lack of efficacy and scalability of child development therapies that have come out of the attachment theoretical framework have prompted calls for new ideas. Here, we review calming cycle theory, which takes a new view of the emotional relationship of mother and infant, and predicts ways to positively intervene when problems arise. The theory builds upon the research and ideas of Pavlov and his followers and proposes that subcortical Pavlovian co-conditioning of the autonomic nervous systems of mother and infant is the key to maintaining emotional connection between the two and to shaping emotional behavior of the infant into adulthood. We review evidence in support of calming cycle theory from a randomized controlled trial of Family Nurture Intervention (FNI), which is designed to overcome adverse emotional, behavioral, and developmental outcomes in prematurely born infants. Finally, we discuss the role of visceral oxytocin and emotional behavior, and that the conditional mother-infant relationship may affect behavioral changes through anti-inflammatory gut-brain stem vagal signaling.


[拙訳]
分娩及び母乳育児中の母親と乳児との間、そして成人間の愛着と絆におけるオキシトシンの生物学的機能は広く研究されてきた。しかしながら、ほとんどの現在の著者は、母親への乳児の愛着は、乳児の脳及び中枢神経系を介したオペラント条件づけメカニズムを通じて学習されることを提案している。母親及び幼児のオキシトシンレベルは情動的なつながり又は断絶によって共調節され、そして母親と幼児の間の否定的な生理学的及び行動的応答を肯定的なものに変化させるために自律神経の共条件づけ学習メカニズムを活用し得ることを、我々は提案する。愛着理論的な枠組みから出てきた子供の発達療法の有効性及び拡張性の欠如は新しいアイデアの要求を促した。ここでは、母親と幼児との情動的な関係を新しく見渡し、そして問題が発生した時に積極的に介入する方法を予測する、calming cycle 理論を、我々はレビューする。この理論は、パブロフと彼の追随者の研究とアイデアに基づき、母親と幼児の自律神経系の、皮質下パブロフの共条件づけは、二人の間の情動的なつながりを維持し、そして幼児の情動的な行動を成人期に形成する鍵であると提案する。早産児における有害な情動的、行動的及び発達的転帰を克服するためにデザインされた家族養育介入(FNI)のランダム化比較試験から、calming cycle 理論の支持におけるエビデンスを、我々はレビューする。最後に、内臓オキシトシン及び情動的な行動の役割、そして条件づけの母親-幼児関係が抗炎症性腸脳幹迷走神経シグナル伝達を介して行動の変化に影響を与えるかもしれないことを、我々は議論する。

注:i) 拙訳中の「calming cycle 理論」については、例えば論文(全文)「Darwin's Other Dilemmas and the Theoretical Roots of Emotional Connection」中の「Calming Cycle Theory」項を参照して下さい。ただし、この論文(全文)の拙訳はありません。

[6] の論文要旨の引用

Posttraumatic stress disorder (PTSD) is a trauma-induced mental disorder characterized by fear extinction abnormalities, which involve biological dysfunctions among fear circuit areas in the brain. Oxytocin (OXT) is a neuropeptide that regulates sexual reproduction and social interaction and has recently earned specific attention due to its role in adjusting neurobiological and behavioral correlates of PTSD; however, the mechanism by which this is achieved remains unclear. The present study aimed to examine whether the effects of OXT on traumatic stress-induced abnormalities of fear extinction (specifically induced by single prolonged stress (SPS), an animal model of PTSD) are associated with pro-inflammatory cytokines. Seven days after SPS, rats received intranasal OXT 40 min before a cue-dependent Pavlovian fear conditioning-extinction test in which rats' freezing degree was used to reflect the outcome of fear extinction. We also measured mRNA expression of IL-1β, IFN-γ, and TNF-α in the medial prefrontal cortex (mPFC), hippocampus, and amygdala at the end of the study, together with plasma oxytocin, corticosterone, IL-1β, IFN-γ, and TNF-α, to reflect the central and peripheral changes of stress-related hormones and cytokines after SPS. Our results suggested that intranasal OXT effectively amends the SPS-impaired behavior of fear extinction retrieval. Moreover, it neurochemically reverses the SPS increase in pro-inflammatory cytokines; thus, IL-1β and IFN-γ can be further blocked by the OXT antagonist atosiban (ASB) in the hippocampus. Peripheral profiles revealed a similar response pattern to SPS of OXT and corticosterone (CORT), and the SPS-induced increase in plasma levels of IL-1β and TNF-α could be reduced by OXT. The present study suggests potential therapeutic effects of OXT in both behavioral and neuroinflammatory profiles of PTSD.


[拙訳]
心的外傷後ストレス障害PTSD)は、脳における恐怖回路領域における生物学的機能不全を伴う恐怖消去の異常を特徴とする心的外傷誘発性の精神障害である。オキシトシンOXT)は、有性生殖及び社会的交流を調節する神経ペプチドであり、そして PTSD の神経生物学的及び行動的な相関の調整における役割により、最近特に注目を集めている。しかしながら、これが達成されるメカニズムは不明のままである。本研究の目的は、心的外傷性ストレス誘発性の恐怖消去の異常[特に単一長期ストレス(SPS)によって誘発される異常、PTSD のモデル動物]に及ぼす OXT の影響が炎症性サイトカインと関連するかどうかを調査することであった。 SPS の7日後、ラットの凍りつき度を使用して恐怖消去のアウトカムを反映する手がかり依存のパブロフの恐怖条件づけの40分前に、ラットは鼻腔内 OXT を投与された。実験の最後に、内側前頭前皮質(mPFC)、海馬、及び扁桃体における、SPS 後のストレス関連ホルモン及びサイトカインの中枢及び末梢の変化を反映する、血漿オキシトシン、コルチコステロン、IL-1β、IFN-γ、及び TNF-α と共に、IL-1β、IFN-γ、及び TNF-αの mRNA 発現も、我々は測定した。鼻腔内の OXT が、SPS で障害された恐怖消去の再生の行動を効果的に修正することを、我々の結果は示唆した。さらに、それは炎症誘発性サイトカインにおける SPS 増加を神経化学的に逆転させる。従って、IL-1β及び IFN-γは、海馬における OXT 拮抗薬アトシバン(ASB)によってさらにブロックされ得る。末梢プロファイルは OXT 及びコルチコステロン(CORT)の SPS と同様の応答パターンを明らかにし、そして、IL-1β及び TNF-αの血漿レベルにおける SPS 誘発性増加は OXT によって減少し得るだろう。本研究は、PTSD の行動及び神経炎症プロファイルの両方における OXT潜在的な治療効果を示唆する。

注:i) 拙訳中の「再生」については次のWEBページを参照して下さい。 「改訂・心理学用語集」の「再生(Retrieval)」項 ii) 拙訳中の「恐怖条件づけ」と関連させた引用中の(心的)「外傷後ストレス障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「外傷後ストレス障害 - 脳科学辞典」 なお、上記「恐怖条件づけ」の言及については同WEBページの「神経生理学的知見」項を参照して下さい。 iii) 拙訳中の「凍りつき」については、ソマティック・エクスペリエンシング又はポリヴェーガル理論の視点から、拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 拙訳中の「コルチコステロン」については次のWEBページを参照して下さい。 「グルココルチコイド - 脳科学辞典」の「グルココルチコイドとは」項 v) 拙訳中の「IL-1β」については次の資料を参照して下さい。 「IL-1β」 vi) 拙訳中の「TNF-α」を含むサイトカインについては例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「サイトカイン(cytokine)」 vii) 拙訳中の「内側前頭前皮質」についてはトラウマの視点から拙エントリのここここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。  viii) 拙訳中の「海馬」、「扁桃体」についてはトラウマの視点から共に拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 拙訳中の「mRNA」については例えば次のWEBページを参照すれば良いかもしれません。 「第14回  セントラルドグマ」の「どうやってDNAからタンパク質が作られるのか?」項 x) 拙訳中の「モデル動物」については次のWEBページを参照して下さい。 「モデル動物 - 脳科学辞典」 xi) 拙訳中の「アトシバン」については次のWEBページを参照して下さい。 「DRUG: アトシバン

[7] の論文要旨の引用

Objectives:
Social relationships throughout lifespan are critical for health and wellbeing. Oxytocin, often called the 'hormone of attachment' has been suggested as playing an important role in early-life nurturing and resulting social bonding. The objective of this paper is to synthesize the associations between oxytocin levels and interactions between infants and parents that may trigger oxytocin release, and in turn facilitate attachments.

Methods:
A comprehensive cross-disciplinary systematic search was completed using electronic databases. The inclusion criteria included studies that focused on mother-infant and father-infant interaction and measured both baseline and post-interaction oxytocin levels.

Results:
Seventeen studies were included in the final systematic review. The reviewed studies used mother-infant and/or father-infant play and skin-to-skin contact between maternal-infant and paternal-infant dyads to examine the oxytocin role in early life bonding and parenting processes. Studies showed a positive correlation between parent-infant contact and oxytocin levels in infancy period. Increased maternal oxytocin levels were significantly related to more affectionate contact behaviors in mothers following mother-infant contact, synchrony, and engagement. Meanwhile, increased paternal oxytocin levels were found to be related to more stimulatory contact behaviors in fathers following father-infant contact. Oxytocin levels significantly increased in infants, mothers and fathers during skin-to-skin contact and parents with higher oxytocin levels exhibited more synchrony and responsiveness in their infant interactions.

Conclusion:
The review suggests that oxytocin plays an important role in the development of attachment between infants and parents through early contact and interaction. The complexities of oxytocinergic mechanisms are rooted in neurobiological, genetic, and social factors.


[拙訳]
目的:
生涯にわたる社会的関係は、健康とウェルビーイングにとって重要である。しばしば「愛着のホルモン」と呼ばれるオキシトシンは、幼少期における育成とその結果としての社会的絆において重要な役割を果たすと示唆されている。この論文の目的は、オキシトシンのレベルと、オキシトシンの放出を引き起こすかもしれなく、そして次々に愛着を促進する乳児と親との間の相互作用との間の関連を統合することである。

方法:
電子データベースを用いて、総合的な学際的な体系的検索を完了した。包含基準には、母親と乳児の及び父親と乳児の相互作用に焦点を合わせた研究が含まれ、ベースラインと相互作用後のオキシトシンレベルの両方を測定した。

結果:
17件の研究が最終的なシステマティックレビューに含まれていた。レビューされた研究では、母親と乳児及び/又は父親と乳児の遊び、そして母親と乳児と父親と乳児の二者間の肌と肌のコンタクトを用いて、初期の生活の絆及び子育てプロセスにおけるオキシトシンの役割を調査した。幼児期における親と乳児とのコンタクトとオキシトシンのレベルとの間に正の相関関係があることを、研究は示した。母体のオキシトシン濃度の増加は、母親と乳児とのコンタクト、同調、及びかかわり後の母親のより愛情深いコンタクト行動と有意に関連していた。一方、父親のオキシトシン濃度の増加は、父親と乳児とのコンタクト後の父親のより刺激的なコンタクト行動に関連していることが見出された。オキシトシンのレベルは、乳児、母親、父親における肌と肌のコンタクト中に有意に増加し、そして高いオキシトシンのレベルを伴う親は、乳児の相互作用においてより高い同調性及び応答性を示した。

結論:
オキシトシンが早期の接触と相互作用を通じて乳児と親の間の愛着の発達に重要な役割を果たすことを、このレビューは示唆する。オキシトシン作動性メカニズムの複雑さは、神経生物学的、遺伝的、及び社会的要因に根ざしている。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:加えてストレス対策の一方法も示しています

*2:注:「アロスタティックロード」(参照)、「不安障害」(又は不安症)と内受容感覚(又は内受容過敏)との関連について(参照)、「内受容感覚及びメンタルヘルスのロードマップ」(参照)及び「計算論的心身医学」(参照)についても含みます

*3:ちなみに、この資料の「1. 序」における「EPICモデル」については次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Evidence for a Large-Scale Brain System Supporting Allostasis and Interoception in Humans」 ただし、本論文(全文)の拙訳はありません。

*4:ちなみに、日本語の他のWEBページは例えばここを、日本語のエントリは例えばここを、英語の他の資料は例えばここをそれぞれ参照して下さい。注:最後の資料は PubMed では検索されません。

*5:これは、幅広く記述されているようですが、論文ではなくただの英語のWEBページです

*6:これは、PD-1、PD-L1及びCTLA-4に限定した記述のようです

*7:ちなみに、後者の経皮感作に関連する「茶のしずく石鹸」の事例については次の資料を参照して下さい。 「加水分解コムギ含有石鹸に事例

*8:「糖尿病」と「エピジェネティクス」がキーワードになっています。ちなみに、次の pdfファイルの P7 に「大多数の発達障害は多因子モデル」、「エピジェネティックスとは」シートがあります。

*9:エピジェネティクス」がキーワードになっています

一部拙エントリの補足説明について(その3)

目次

注:上記目次以外に、①認知療法又は認知行動療法の一般的な紹介、有害事象及び様々な精神療法・心理療法における(オーダーメイド)ケースフォーミュレーションについては共にここを参照して下さい。

リンクはありません。

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前書き

本エントリは過日に公開されたエントリ「一部拙エントリの補足説明について(その2)」に続くもので、後者は主にポリヴェーガル理論、診察室における精神科医の対応例を含む精神医学に関連する補足説明を集めているのに対し、本エントリ(前者)は主にソマティック心理学及び心的外傷後成長を含む心理学に関連する補足説明を集めています。ただし、疲労に関連するものは他の拙エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その4)」を参照して下さい。これらの補足説明は全体的に(補足説明についての最初の)エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その1)」よりもバラバラ感があるかもしれません。、

≪主な改訂の履歴≫
主な改訂の履歴はありません。

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補足説明(その3)についての概要

本エントリは他の拙エントリの続きとしての「複雑性PTSD等に対する治療・対処・養生法」をはじめとした心理療法的なもの含む記事を引用します。

注:認知療法又は認知行動療法に関するご紹介及びこれらをはじめとした様々な精神療法・心理療法におけるケースフォーミュレーションについて
以下の【1】【7】項は主に標記認知療法又は認知行動療法に関する記事の紹介です。またこれらの療法の簡単な紹介としては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法とは」、「認知(行動)療法とは?」 加えて、「認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy;CBT)の代表的な技法にはセルフモニタリング,マインドフルネス,認知再構成法,問題解決法,行動活性化,エクスポージャー(曝露療法),リラクセーション法などがある」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本」の「はじめに」項 その上に、より本格的なこれらの療法の紹介は次のWEBページやツイートを参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」、ツイート さらに、上記「ケースフォーミュレーション」は「心理療法一般に適用できるものである」ことについては次の note を参照して下さい。 「25-1.ケースフォーミュレーションを学ぶ」の「3.ケースフォーミュレーションとは」項 一方、 (a) 標記認知行動療法もスキーマ療法(下記 (c) 項を参照)も究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」であることについて、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の「監訳者あとがき」における記述の一部(P275)を次に引用(『 』内)します。 『認知行動療法もスキーマ療法も究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」です。』(注:本引用部の著者は伊藤絵美です) (b) 上記認知行動療法における有害事象についてのツイートがあります。 (c) スキーマ療法(参照)と同様に標記療法に必要不可欠なケースフォーミュレーション(参照)に関連して、 1) 「自己理解を助け回復するためにはケースフォーミュレーションを作成し共有することはきわめて有効」であることについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 2) 標記認知行動療法を適切に活用するためのケースフォーミュレーションについては次の資料を参照して下さい。 「心身医学を専門とする医師に知ってもらいたいこと ―特に,認知行動療法の立場から―」の「1.ケースフォーミュレーションと心理教育」項 3) 「標記療法をはじめとした様々な精神療法・心理療法におけるケースフォーミュレーションの果たす役割が重要なものとなってゆくことが予想される」こと及びケースフォーミュレーションが『「患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある」課題を達成しようとするツール』であることについて、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の「特集 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」における記述の一部(P4)を次に引用します。

特集 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開(中略)

A. 精神療法におけるケースフォーミュレーションの可能性
本増刊号で取り上げるケースフォーミュレーションとは,治療の出発点として利用される患者の個別性を重視した把握の様式,もしくはそれに基づいて行われるアセスメントのことである。それは,治療と強く関連付けられたアセスメントと表現することができる。そこでは,個々の患者の情報が,治療で用いられる仮説を作成するために一定の理論に基づいて系統的に,そして包括的に収集,整理される。
精神療法は,多様な要因が関与して複雑な展開を見せる治療である。そこでは,一般に幾つかの理論を用いて患者の把握と治療プランの検討が行われるのであるが,同時に患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある。精神療法のケースフォーミュレーションは,その両方の課題を達成しようとするツールだと考えることができる。
このようなケースフォーミュレーションの普及は,わが国の精神療法の質の向上に貢献することが期待される。わが国では,そのほとんどが認知行動療法の領域で論じられているのであるが,最近,他の精神療法の領域でもその考え方を共有するアセスメントが実践されるようになりつつある。さらに現在は,チームによる医療,介入の実践が推奨されているが,ケースフォーミュレーションの考え方は,その実践においてアセスメントと治療方針を共有するために大いに力を発揮すると考えられる。このような情勢からわが国では,今後ますますケースフォーミュレーションの果たす役割が重要なものとなってゆくことが予想される。

B. ケースフォーミュレーションの課題
ケースフォーミュレーションが有用なツールであるにしても,それはまだ,十分に定義されておらず,今後の発展の道筋が定まっていないことが指摘される必要がある。いまのわれわれの課題は,現在行われているさまざまなアセスメントとケースフォーミュレーションとの比較検討を進めることなどの基礎的な努力を行うこと,そしてさらにわが国の治療現場の実情に即したケースフォーミュレーションの可能性について検討を重ねることではないだろうか。

注:(i) この引用部の著者は林直樹です。 (ii) 引用中の「患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある」ことに関連するかもしれない、 a) 「DSM や ICD といった一般的診断分類基準に従って患者の病気を客観的(操作的)に判断し,分類する。それに対してケース・フォーミュレーションは,病気を含む患者の問題が成立し,維持されている状況に関する仮説となる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「問題の現実に即したオーダーメイドのケースフォーミュレーション」について、同中の下山晴彦著の文書「心理療法(精神療法)におけるケース・フォーミュレーションの役割」の Ⅲ 問題に関する複雑な要因を総合する役割 の「2. 理論モデルに基づくレディメイドから,現実に即したオーダーメイドの問題理解を促す役割」における記述(P16~P17)を次に引用します。

ケース・フォーミュレーションは,さまざまな要因が関わる複雑な状況から主訴を維持させている問題状況とその成り立ちを明らかにする難しい専門的作業である。そこでセラピストは,ケース・フォーミュレーションの生成にあたって臨床心理学や精神医学,あるいは心理療法の理論モデルを参照枠として問題を見立てて(推論して),関連する情報を収集し,分析してケース・フォーミュレーションを生成することを試みる。
ここで注意しなければならないのは,問題に関連する情報からケース・フォーミュレーションを生成するのではなく,理論モデルをそのまま当てはめて問題を理解してしまう危険性である。問題が複雑であればあるほど,さまざまな要因が,時に矛盾し,時に融合し,互いに重なり合って抜き差しならない事態となっている。そのため,ケース・フォーミュレーションを生成するのは至難の技となる。そこで,理論モデルで割り切って問題を理解し,それに基づいて介入方針を立てるということで一貫性を保つことができる。それで,セラピストは安心するということが出てくるかもしれない。
しかし,それでは,問題の現実からケース・フォーミュレーションを生成するのではなく,理論に沿ったケース・フォーミュレーションを問題の現実に当てはめたことになる。認知行動療法では,このような理論的理解を避けるために,実証研究に基づき,個々の障害や問題に即したケース・フォーミュレーションのテンプレートが提案されている。ただし,そのようなテンプレートを参照してケース・フォーミュレーションを形成する作業においても,そのテンプレートに沿った理解をしてしまう可能性は残る。
現実に即した問題理解と介入方針の策定にあたっては,常にレディメイドの問題理解ではなく,問題の現実に即したオーダーメイドのケースフォーミュレーションをしていくことが求められる。この点においてケース・フォーミュレーションには,問題の現実に即したオーダーメイドの問題理解を促すという役割がある。

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【1】反証の拒否(自分のネガティブな思考と矛盾する証拠や考えをひとつも受け入れようとしないこと)に対する認知療法の技法について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第9章 認知的歪曲を検討し,それに挑戦する の「16. 反証の拒否」における記述(P512)を次に引用します。

16. 反証の拒否:自分のネガティブな思考と矛盾する証拠や考えをひとつも受け入れようとしないこと。例:「私は愛されない」と信じる人は,誰かがその人を好いているというどのような証拠も受けつけず,その結果その人は,「私は愛されない」と信じ続ける。別の例:「そんなことは本当の問題じゃない。もっと根深い問題があるはずだ。そしてもっと重大な原因があるに違いない」

《技法》

1. この信念の確信度はどれぐらいですか? またこの信念に関連する感情を同定し,その強度も評定してください。
2. 自分の信念を具体的に同定してください。
3. 損益分析を実施しましょう。
a. このように定義の難しい漠然とした思考をしていたら,どのようなことになると思いますか?
b. 「自分の考えを完全にわかってくれる人などいない」と信じることによって,どのような結果が引き起こされるでしょうか?
c. あなたは,定義の難しい漠然とした思考が,物事を深く考えている証拠だと考えているのでしょうか? そのような思考は,むしろ思考が混乱している証拠だという可能性もあるのではありませんか?
4. あなたの考えを支持する根拠,そして支持しない根拠(反証)をリスト化し,各根拠について検討してください。
5. 4に挙げた根拠について,その質についてもそれぞれ検討してください。
6. あなたの信念には,どのような認知的歪曲がみられますか? 例:感情的理由づけ,ポジティブな側面の割引き,ネガティブなフィルタ一,など。
7. あなたの考えの正否は,どのようにして証明できますか? あなたの考えは検証することができるでしょうか? もし検証できないとしたら,すなわち,仮にあなたの考えが間違っているとして,それを証明する手立てがないとしたら,そもそも元の考え自体に意味がないということになるのではありませんか?
8. 二重の基準法を用いて,自問してみましょう。もし誰か他の人がこのような考え方をしていたら,あなたはその人に対して,どのようにアドバイスしてあげますか?
9. あなたの考えが非常に漠然としていて検証ができないとしたら,むしろそのせいで,あなたは物事を変えていくことに無力感を抱くことがあるのではありませんか?
10. 自分の考えと逆の行動をあえてとってみることにしたら,どうなるでしょうか? どのような逆の行動がありえますか?
11. 自分の考えを検証するために実験を行なうことをイメージしてください。あなたはこの実験のために,どのように情報収集を行ないますか? この実験のことをどのように第三者に説明しますか?

注:(i) 引用中の「ポジティブな側面の割引き」は、「自分や他人が努力して成し遂げたポジティブな結果を,些細でつまらないことであると決めつけること」です(同本の P490 より)。 (ii) 引用中の「ネガティブなフィルタ一」は、「物事のネガティブな側面ばかりに注目し,ポジティブな側面にはほとんど目をむけないこと」です(同本の P492 より)。 (iii) 引用中の「信念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、MCS における信念体系の導入については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「損益分析」については、(上記本からの引用ではありませんが)次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法でセルフ・カウンセリング・・損益を分岐するシート」 加えて、これに関連する(消費者の)「インフォームド・ディシジョン」(全ての選択肢について、そのメリットとリスクの情報を全て得た上で、消費者が主体的に意思決定して選択を行うこと)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「食事中のカロリーを気にするのは時代遅れです(ページ2)」 (v) ちなみに、a) 標記「認知的歪曲」の一種である「レッテル貼り」の短い説明について、同章の P489 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『レッテル貼り:自分や他人に対して,大雑把でネガティブな特性をラベルづけしてしまうこと』 b) 疾患概念「MCS 又は化学物質過敏症」及び「電磁波過敏症」の存在に対する反証例に関連して、前者は他の拙エントリのここ、マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項[P51~P52]、ここを、後者は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

上記「反証の拒否」(参照)に関連する、「MCS 又は化学物質過敏症に対する反証例」について、これまでミニ情報において紹介してきた記事を形式と一部の文章を追加・改訂して次に示します。ただし、内容はミニ情報時代とほぼ同様です。ちなみに資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」の日本語要約によると、MCS 又は化学物質過敏症は、1950年代では環境病(Environmental illness)の一つとして、概念的に捉えられていたようです。

・立証責任について
医療における標記責任について、MCS を例にとって、本エントリ作者の考察と立証に向けての経過の概略を含めて次に示します。
①Clinical Ecologists(和訳:臨床環境医、※1)が疾患概念 MCS を提唱(下記要約を参照)した。
②この概念の存在を立証するために、彼らは二重盲検法による誘発(負荷)試験[又はチャレンジテスト]を考案した(例として他の拙エントリのここを参照、※2)。
③これらの試験は悉く成功しなかった(他の拙エントリのここ及び厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項にリンクされているマニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項[P51~P52]を参照。ちなみに、後者は厚生労働省のWEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項にリンクされている厚生労働省研修会用の資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の「化学物質曝露と症状の関係は否定的」シート[P41、ツイートも参照]の内容とは矛盾しないと考えます。)。
④2016年に日本(日本臨床環境医学会)において、化学物質過敏症の存在の証明に対する事実上の見解が発表された(すなわち、『しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。』である)。上記『 』内は日本臨床環境医学会から発行された資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」の日本語要約(P54)における記述の一部の引用です。加えてこの資料の筆頭著者は坂部医師ですが、石川医師宮田医師も著者に含まれています。←今ここ(現実はさらに進んでいるかもしれませんが、その一部については下記参照)

ただし、上記よりさらに進んでいるかもしれない、 a) 下記「知覚」に関連するかもしれない論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」、下記の他の拙エントリのここ、そしてここも参照)が 2019年10月 に、 b) 加えて、論文(全文)『"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena[拙訳]「環境要因に関連する症状」(SAEF)–「特発性環境不耐性」及び関連する現象に関するパラダイムシフトに向けて』が 2020年2月 に それぞれ発表されました。例えば前者の論文要旨の「CONCLUSIONS」項には「さらなる神経生理学的研究が必要である」との意味の記述があり(他の拙エントリのここを参照)、これは非主流の Clinical Ecology(和訳:臨床環境医学)を脱して、上記神経生理学をはじめとした主流の医学に合流したことを意味するのかもしれません。詳細は他の拙エントリのここここ及びここを参照して下さい。一方、後者の論文要旨(他の拙エントリのここを参照)中には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との主旨の記述があります。加えて、後者の論文(全文)中の「1.1. Possible explanatory mechanisms」項における記述(他の拙エントリのここを参照)によると要旨上記「知覚要素」には「ノセボ効果」が含まれるようです。

要約:本質は「臨床環境医が提唱した MCS の存在を立証する責任は臨床環境医にある」(例えばここにおけるリンク「●説明責任(立証責任)」先のWEBページを参照)ことです。そして、これが立証されない限り、MCS が存在しないものとして通常見なされることです。それどころか、MCS の存在は否定されています(参照)。なお、上記「臨床環境医が提唱した MCS の存在を立証する責任は臨床環境医にある」ことに類似する「抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※1:William J Rea 医師の流れを汲む日本の医師を含みます。

※2:二重盲検法による誘発(負荷)試験により、極めて微量な化学物質の直接的な作用(化学的ストレス)により急性症状が引き起こされる病態生理の解明なしに、MCS の存在が証明できると考えます。

一方、2018年2月に実施された厚生労働省による「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」(WEBページ「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」を参照)において、化学物質過敏症を含むシックハウス症候群に関連する研修も行われたようです。その際に使用された資料(参照)が上記WEBページにリンクされています。

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【2】破局視(すでに起きてしまったこと,またはこれから起きそうなことが,あまりにも悲惨で自分はそれに耐えられないだろうと考えること)に対する認知療法の技法について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第9章 認知的歪曲を検討し,それに挑戦する の「3. 破局視」における記述(P487~P488)を次に引用します。

3.破局視:すでに起きてしまったこと,またはこれから起きそうなことが,あまりにも悲惨で自分はそれに耐えられないだろうと考えること。例:「もし私がそれに失敗したら,大変なことになるだろう」

《技法》

1. この信念の確信度はどれぐらいですか? またこの信念に関連する感情を同定し,その強度も評定してください。
2. あなたが予測していることを具体的に挙げてください。いつ,どこで,何が起きると予測しているのでしょうか?
3. 損益分析を実施しましょう。
a. 未来を予測し,心配することで,あなたは自分を守ろうとしているのですか? 心配することで,何か悪いことが起きるのを防ぐことができるのでしょうか?
b. 心配な考え自体をコントロールできなくなってしまうことを,あなたは恐れているのですか?
4. あなたの“破局視”的な考えを支持する根拠,そして支持しない根拠(反証)をリスト化し,各根拠について検討してください。
5. 4に挙げた根拠について,その質についてもそれぞれ検討してください。
6. あなたの信念には,どのような認知的歪曲がみられますか? 例:運命の先読み,ポジティブな側面の割引き,べき思考,ネガティブなフィルター,など。
7. あなたの考えの正否は,どのようにして証明できますか? あなたの考えは検証することができるでしょうか?
8. 下向き矢印法を実施しましょう。仮にあなたの考えがその通りだったとしたら,それは何を意味するのですか? なぜそれがあなたを悩ますのでしょう? どのようなことが本当に起こりうると思いますか?
9. 毎日20分間,次の文を繰り返し唱えてみてください。「自分が何をしようと,何か悲惨なことが起きる可能性は常にあるものだ」
10. あなたの予測が間違っていたことが,これまでに何回ありましたか?
11. 恐ろしくて悲惨な出来事とは,何が原因で実際に引き起こされるのでしょうか?
12. 1ヵ月後,1年後,そして2年後のあなたは,この出来事についてどのように感じているでしょうか?
13. 悲惨な体験をしたにもかかわらず,その後,それをポジティブな体験に変えることができた人もいるのではないでしょうか? その人たちは,どのようにしてネガティブな体験を克服し,それをポジティブなものへと転化することができたのでしょうか?
14. 仮に破局的な出来事が起きたとしても,あなたが引き続き体験できるポジティブなことには,どんなことがありますか?
15. 他の人たちが「恐ろしくて悲惨だ」と考えている出来事には,どのようなものがありますか? 他の人があなたとは違った見方をしているとしたら,それはなぜでしょうか?
16. たとえ悲惨な出来事が起きだとしても,そこから何かポジティブなことが生まれることもあるのではないでしょうか? 私たちは悲惨な出来事から何を学ぶことができるでしょうか? それはたとえば,新たな機会に目を向けられるようになることですか? 自分の価値観を再検討してみようと思えることですか?

注:(i) 標記「破局視」に関連する、 a) 身体感覚に対する破局的解釈については他の拙エントリのここここを、 b) 破局的思考、身体感覚及び身体症状の間の関係については他の拙エントリのここを、 c) 慢性疼痛における破局的思考については他の拙エントリのここを、 d) 電磁場に起因する特発性環境不耐症(電磁波過敏症)における破局的思考については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、これに関連するスキーマ療法(参照)の視点からの早期不適応的スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」についてはここここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「ポジティブな側面の割引き」は、「自分や他人が努力して成し遂げたポジティブな結果を,些細でつまらないことであると決めつけること」です(同本の P490 より)。 (iii) 引用中の「ネガティブなフィルタ一」は、「物事のネガティブな側面ばかりに注目し,ポジティブな側面にはほとんど目をむけないこと」です(同本の P492 より)。 (iv) 引用中の「べき思考」は、「物事を,単に“どうであるか”という視点からとらえるのではなく,“どうであるべきか”という視点から考えること」です(同本の P497 より)。 (v) 引用中の「信念」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「損益分析」については、(この本からではありませんが)次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法でセルフ・カウンセリング・・損益を分岐するシート」 加えて、これに関連する(消費者の)「インフォームド・ディシジョン」(全ての選択肢について、そのメリットとリスクの情報を全て得た上で、消費者が主体的に意思決定して選択を行うこと)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「食事中のカロリーを気にするのは時代遅れです(ページ2)」 (vii) 標記破局視への対応例としての「根源的な問題を日常生活の問題におきかえる」ことについて、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第17章 精神療法 の「日常生活に焦点を当てる-根源的な問題を日常生活の問題におきかえる」における記述(P261~P263)を次に引用します。

理解としては、その人の悩みや苦しみをできるだけ深くとらえようとするが、治療はできるだけ「浅い介入」を心がける〔「関与はコンサーバティブに、理解はラディカルに-この二重性とバランスとが支持的心理療法の生命線ではないかと思う」(滝川一廣『心理療法の基底をなすもの』)4)〕。日常生活に焦点を当てて、それに伴う悩みや苦しみに対応する。根源的な問題と日常生活の問題は表裏一体であり、根源的な問題が提起されたとしても、その日常生活上の困難を取り扱う。これをていねいに繰り返しているうちに、より根源的、より本質的な悩み苦しみを、その人なりに解決していくことが少なくない。
根源的な問いを、日常生活の問題へと変換するという例を挙げてみよう。ある青年とのやりとりである。

青年:先生、僕のような人間が生きていて、いいんですか?
医師:僕は生きている価値があると思うし、生きていてほしいと思うよ。
青年:でも、自分みたいな人間はいなくなったほうがいいんです。
医師:そのようなことをいつも考えているの?
青年:いつも考えています。
医師:それはとても苦しいね。でも時にふっと忘れているときはないの?
青年:…犬と散歩をしているときくらいかな、時に忘れていることがあるのは…。
医師:犬と散歩? 結構歩くの?
青年:1時間くらい。
医師:すごいね! 楽しい?
青年:犬が可愛いから…。(このようなポジティブな言葉を大切にしたい)
医師:近くの公園とか?
青年:川沿いを散歩することもあります。
医師:犬も喜ぶでしょ?
青年:はい。
医師:苦しいけど、散歩でしのいでいこうか?
青年:はい。
医師:最近は寒いから、風邪をひかないようにね。
青年:ありがとうございます。

やりとりだけを読むと、青年の根源的な問いをそらしているように感じられるかもしれない。筆者は、「生きる・死ぬ」という根源的な問題を正面から面接の主題にする場合も時にはあるが、それよりも青年のなかにほっとする時間や空間はないか、それを見つけて話題にするほうが青年を生きていく方向に押していくのではないか、と思うのである。たとえば この青年の場合には「犬と散歩する」というほっとする時間があった。もちろん、青年が根源的な問いを抱いているということは頭のなかに留めておくのだが、そのような大きな問いは、生きていくなかで悩みながらその人なりの答えを見つけていくものであろう。根源的な大きな問いの前で立ち止まるよりも、ちょっとした楽しみをふくらませていくように生きていくほうが、その人なりの答えを見つけることができるように思う。
これはたとえば うつ病の回復過程にある患者さんに「最近どうですか?」とたずねて、「ちっとも変わりません。しんどいです」という答えが返ってきたときに、もう少し具体的な日常生活のこと、たとえば「食事の味はどうですか?」などとたずねると「時に、美味しいなと思うことがあります」という返事が返ってくる、といった状況に似ている。抽象的、総論的には、「死にたい気持ちでいっぱい」であっても、日常生活において「ふと、死ぬことを忘れている瞬間」がある。われわれ精神科医は患者さんのそうした瞬間を見つけ、それをふくらませていくことが大切なのではないかと思う。

注:この引用に関連する資料は次を参照して下さい。 「日常診療における精神療法 ─青年期を中心に─」(特に上記資料中の「5.日常生活に焦点を当てる─大問題を小問題にできないか」項)

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【3】認知療法の技法「思考と事実を区別する」について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第1章 思考と思い込みを同定する の「技法:思考と事実を区別する」における記述の一部(P19)を次に引用します。

技法:思考と事実を区別する

解説
我々は怒ったり落ち込んだりすると,自分の考えをあたかも事実であるかのように受け止めてしまうことが多い。たとえばある人が,「彼は私を利用している」と思うとき,その人はそれ(彼に利用されていること)が事実であるかのように判断しているのである。しかしその考えは実は間違いで,彼はその人を利用してなどいないのかもしれない。また,たとえば私は,「この発表は失敗に終わるに違いない」と考えて不安を感じることがあるが,実際には“失敗する”と“失敗しない”の両方の可能性があるのである。(後略)

注:引用中の「自分の考えをあたかも事実であるかのように受け止めてしまう(中略)しかしその考えは実は間違い」に関連するマインドフルネスの視点からの、「思考と現実とを区別する」(すなわち、思考は現実ではない)ことについてことについて、 a) ジョン・ティーズデール、マーク・ウィリアムズ、ジンデル・シーガル著、小山秀之、前田 泰宏監訳の本、「マインドフルネス認知療法ワークブック うつと感情的苦痛から自由になる8週間プログラム」(2018年発行)の 第10章 第6週 思考を思考として観る の「思考から離れること」における記述の一部(P176)を次に引用(『 』内)します。 『驚くべきことですが,思考は単なる思考であって,“あなた”でも“現実”でもないとわかるのは,どれほど開放的かということです。例えばもしあなたが,多くの物事を今日中に片づけなければならないと考えて,そのことを1つの思考として認識せず,あたかもそれが“真実”であるかのように行動するならば,その瞬間にあなたはその物事を今日すべて片づけなければならないという現実を創り出しているのです。』 b) 上記「思考と現実とを区別する」に類似する「考えと事実とを区別する」ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネスとOCDの治療」の「§4 OCDでのマインドフルネス」項 加えて、マインドフルネス認知療法(又はMBCT、参照)の主要テーマに「思考は事実ではない」ことが含まれることについては例えば次の資料を参照して下さい。 「心理療法としてのマインドフルネスにおける仏教性」の「Fig 1. MBCTのプログラム構成」 さらに、「思考に含まれる解釈や価値判断はそれ自体が事実ではない」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」項 c) 一方、マインドフルネスの視点からの感情や自己イメージについて、資料「マインドフルネスの理解と実践」中の「心理臨床への示唆」項には次に引用[『 』内]する記述が有ります。 『全ての感情や自己イメージは、心の中の一過性の出来事にすぎない。』

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【4】認知療法の技法「バルコニーから眺めてみる」について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第6章 全体像を見渡す の「バルコニーから眺めてみる」における記述の一部(P319)を次に引用します。

技法:バルコニーから眺めてみる

解説
フィッシャーらは,自分に距離をおいて,少し離れた場所から自分と他者との相互作用を把握するよう患者に求める際の技法について解説している(Fisher & Ury, 1991)。セルマンはこのような技法を,自分の役割を系統的に作り上げていくツールとして解説している(Selman, 1980)。患者はこのような技法を活用することで,自分と他者との相互関係を第三者的な視点から検証することができる。私たちは,他者との相互関係にがんじがらめになって,そこから脱け出せず,そのような自分に失望してしまうことがある。この技法の目的は,現状をより超越的で広範な視点からとらえられるよう,患者を手助けすることである。

検討と介入のための問い
「現状から少し距離をおいて,自分自身を眺めてみてはどうでしょうか? ちょうどバルコニーから見下ろすようにです。あなたの目には何が見えるでしょうか? あなたの頭には,どんな考えが浮かぶでしょうか?」(後略)

注:(i) 引用中の「Selman, 1980」は次の資料です。 「Selman, R. L. (1980). The growth of interpersonal understanding. New York: Academic Press.」 (ii) 引用中の「現状から少し距離をおいて,自分自身を眺めてみる」ことに関連するかもしれない、「コンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「現状をより超越的で広範な視点からとらえる」ことに関連するかもしれない、 a) 「あるがままに物事を見る」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 過敏性を有する方々に対する「観照」(自分の視点にとらわれず、自由で大きな視野から物事を見ること)について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「第三者の視点を持つ」における記述の一部(P212~P213)を次に引用します。

(前略)自分から距離をとる技術を身に付け、第三者のように自分や周囲の状況を見つめることができるようになって初めて、自分を苛んでいる苦痛から自由になり、もっと客観的に物事を眺めることも可能になるのです。
その際にも、大きく二つの段階があるとされています。一つは、メタ認知を鍛える段階です。メタ認知とは、認知(物事の見方)の認知です。何かを感じたり考えたりしている自分の感情や思考を、第三者のように見て、感じたり考えることです。振り返りと言ってもいいでしょう。「この絵の道化師の顔は悲しそうね」というのは、一つの物事の見方であり、一つの認知だと言えます。それに対して「自分がこの道化師の絵を見て悲しそうだと感じるのは、もしかしたら、そこに自分自身の姿を見ているからかもしれない」と思うことは、自分の認知についての認知であり、メタ認知によるものだと言えます。
メタ認知によって、人は自分をある程度客観視することができるわけです。それによって自分の視点から少し離れて、他者視点で物事が見えるようになり、さらには世界を俯瞰するように、自分に起きていることを理解し、受け止めることにもつながっていきます。
信頼している上司の厳しい一言に傷ついてしまったときも、自分の視点を離れて、その状況を客観的に見ることができれば、上司はただ仕事のことで真剣に注意してくれただけで、自分を傷つけようとしたわけではないのだと受け止めることもできるでしょう。
メタ認知の能力を高めることによって、状況に飲み込まれて傷ついてしまうことを防ぐことにもつながるのです。メタ認知の代表的な訓練の方法が、認知(行動)療法です。
メタ認知の訓練によって、ある程度自分を客観視することができるようになったとき、最終的に目指す境地が「観照」の段階です。観照とは、自分の視点にとらわれず、自由で大きな視野から物事を見ることです。それは容易にたどり着ける境地ではありませんが、そこまでいかなければ、抱えている苦しみを乗り越えられないという場合もあります。
それは、かつては宗教的な方法でしかたどり着けない境地だったわけですが、一般の人でも取り組みやすい方法として近年普及しているのが「マインドフルネス」です。(後略)

注:引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを、加えて、マインドフルネスにおける「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「観照」にも関連する、 a) 「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」について、同の 「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」における記述(P218)を次に引用(『 』内)します。 『苦痛から自由になるために本当に必要なのは、自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになることです。その訓練として効果的なのが、自分が相手だったらどうか、想像してみるというエクササイズです。最初は簡単ではないですが、そうした視点の切り替えができると、あなたも禅師のような自由闊達な視座に一歩近づけるでしょう。』 b) 加えて、「よいところ探しのエクササイズ」について、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第三部 両価型愛着・二分法的認知改善プログラム の プログラムの特徴 の「⑤全部よいも全部悪いもないという逆転の発想を大切にする」における記述の一部(P196)を次に引用します。

(前略)よいところ探しのエクササイズは、悪い出来事の中にもよい点を見つけ出すという作業を、訓練として行うというものである。ネガティブな感情に押し流されやすい場面で、物事をある程度客観的に、別の視点から眺める訓練をするわけだ。感情に圧倒されやすい両価型の人にとって、自分の苦痛や不快さに共感してもらう代わりに、別の見方をしなければならないというのは、過酷に思える面もあるが、これこそがよい訓練になるのだと励ましながら、視点を変える練習をしていくわけだ。
最初は、いやいやであっても、実際にやってみると、視点を変えて、自分の苦痛や不快さではなく、ほかの面について考えたり話したりしているうちに、気分がよくなったり、苦痛や不快さが薄れていくということが起きる。そこから、視点を切り替えて、よい面を考えるということの意味が、少しずつ実感されるようになるわけだ。
両価型で、二分法的認知にとらわれやすい人では、物事は全部よい完璧な状態か、それ以外の不完全で、悪い状態しかないように受け止めがちである。よい状態でなくなると、一気に百点から零点どころか、マイナス百点になってしまいやすい。
しかし、現実の物事はすべて完璧なことなど、あり得ないし、メリットとデメリットというものは、どんなものにも混在している。逆に言えば、どんな悪いことにもよい面があり、実際、最悪に思えたことが、大きなチャンスにつながるということも、しばしば経験される。
悪いことにもよい面を見つけられるようになれば、それだけ適応力が高まるし、ピンチをチャンスに変えていくことも上手になる。
このプログラムでは、そうした逆転の発想を大事にして、物事のよい面を見つけ出す練習を積み、それが自然にできるように定着をはかっていく。
この逆転の発想が身についていくにつれ、物事を達観するということもできるようになっていく。どちらも自分の視点を離れ、とらわれを脱することにより、高い視点を手に入れるということなのである。

注:(i) 上記「愛着アプローチ」(資料『愛着関連障害と愛着アプローチ ―「医学モデル」から「愛着モデル」へのパラダイムシフト―』を参照すると良いかも)に関連して、スキーマ療法においても愛着(又はアタッチメント)を考慮した「治療的再養育法」(参照)があります。ちなみに上記「愛着」に関連する「愛着障害」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「両価型」及び「二分法的認知」の解説としての次に引用する(『 』内)記述が同本の P94~P95 にあります。 『ただ、親の不安定な愛着の問題が深刻な場合には、「両価的」(本心では愛情やかかわりを求めながら、拒絶や攻撃といった正反対な態度をとるなど、二律背反的な感情や行動が見られること)で二分法的(全肯定か全否定かといった両極端で中間のないこと)な考えにとらわれやすいため[後略]』(注:引用中の「二分法的」に関連する「両極端で二分法的な認知」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい) (iii) 標記「悪い出来事の中にもよい点を見つけ出すという作業を、訓練として行う」に関連する「ネガティブな経験から、ポジティブな部分を探す」ことについては次のエントリを参照して下さい。 「レジリエンス(心の回復力)を高める方法を精神科医が解説!」 加えて、これに関連する弁証法的行動療法における承認(又はヴァリデーション、認証)について、 a) 岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第一節 肯定的でバランスの良い認知 の「良いところ探しのエクササイズ」 における記述(P208~P209)を以下に引用します。 b) 他の拙エントリのここ及び次の資料を参照して下さい。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-」 (iv) 標記「自分の視点を離れ、とらわれを脱することにより、高い視点を手に入れる」に関連する、 1) 「愛着が安定とリフレクティブ・ファンクションとの関連及びリフレクティブ・ファンクションを高めることが自己超越につながる」ことについて、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第一部 医学モデルの限界と愛着モデル の「克服のために必要なこと」における記述の一部(P98~P99)を以下に、 2) 「自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになる」ための「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」について、同章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」における記述(P217~P218)を以下に、 3) 「“裁判所”をイメージしてもらうことを含む別の考えを見つける技術」について、清水栄司著の本、「大人の人見知り」(2017年発行)の 第3章 “脱”人見知りへの10の技術 の「⑥別の考えを見つける技術」における記述(P96~P98)を以下に それぞれ引用します。

良いところ探しのエクササイズ
強い自己否定や生きづらさを抱え、死にたいという気持ちにつきまとわれ、自傷や自殺企図を繰り返す状態に、境界性パーソナリティ障害があります。その治療に有効な数少ない心理療法として知られているのが弁証法的行動療法で、その治療法の一つの柱となっているのが「ヴァリデーション戦略」です。
ヴァリデーション(認証)の考え方や方法はとても有効なので、他の領域にも広く取り入れられています。たとえは、認知症の人の介護や支援においても、病状の進行を遅らせたり、生活機能の維持やメンタル面の安定に有効とされます。
ヴァリデーションとはどういう考え方かと言うと、ありのままの現状を受け入れ、肯定するということです。そのために、できない点や悪化した点にばかり目を向けるのではなく、良い点やできることに目を向け、そこを肯定的に評価するようにするのです。
良いところ探しのエクササイズは、困ったことや悪いことが起きたときこそ取り組むチャンスです。物事がうまくいっているときは、誰でも肯定的な感情や考え方をもちやすいものです。その真価が問われるのは、うまくいかないことに遭遇したときです。その意味で、良くないことが起きたときこそ、訓練の絶好の機会なのです。

(最初に下記「ASD」については他の拙エントリを、「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい)注:[i] 引用中の「他の領域」に関連する、慢性痛における引用中の「ヴァリデーション」(validation)については、次の資料を参照して下さい。 「慢性痛患者の心理アセスメントのキーポイント -慢性痛と怒り-」の Ⅳ 感情調整 の「4. 弁証法的行動療法における承認(validation:妥当化)戦略」項(P393) 加えて、引用中の「ヴァリデーション戦略」に相当する「承認戦略」については、他の拙エントリのここにおける引用の「2 ●承認戦略」項を参照して下さい。さらに、上記「ヴァリデーション」に関連するかもしれない、認知療法における適応的思考としての根拠や反証を組み合わせる方法については、次の資料を参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」の「適応的思考の導き方① 根拠・反証を探す」項(P30~P31) [ii] 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 [iii] 引用中の「良いところ探し」としての例かもしれない、 (a) 「『思いどおりにいかない=失敗』ではなくて、どうしたらいいかを考えるチャンスと考えればいい」ことについてのツイートがあります。 (b) 食品添加物にもメリットがあることの紹介を含むWEBページ例は次を参照して下さい。 『食品添加物よりおそろしいのは「家庭の台所」だ』(特に「添加物なくしてツナマヨおにぎりなし」項) (c)「ひきこもりのメリット」については次のエントリを参照して下さい。 「ひきこもりのメリットを考えてみよう - すずろーぐ」、『ひきこもりのメリットその1「闘争しなくてもいい」 - すずろーぐ』、『ひきこもりのメリットその2「働かなくてもいい」 - すずろーぐ』、『ひきこもりのメリットその3「欲望を他人に利用されない」 - すずろーぐ』 なお、次のエントリを紹介するようにひきこもりのデメリットも当然あります。 『ひきこもりのデメリット「孤独は健康に悪い」 - すずろーぐ』 (d) 「天才と狂気は紙一重」については次のエントリを参照して下さい。 「天才と統合失調症のチキンレース - すずろーぐ」の「天才と狂気は紙一重?」項 (e) 自閉スペクトラム症の特徴して、苦手なものもあるが、長所もあることについては、前者は資料「自閉スペクトラム症(ASD)を中心とした神経発達症について」の P15 に示されていますが、後者はその次の P16 に示されています。 (f) 「失敗する企業家がラッキーである」ことについてのツイートがあります。また「ストレスは人生スパイス説」であることについてのツイートや『「正常な視力を失う」ことにより失ったものもあれば得たものもある』ことについてのツイートもあります。これら以外にも、『「お酒を飲めない体」なので、酒代、飲み会代、全部医書に突っ込めました』ことを含むツイートもあります。 (g) 資料「環境リスク研究におけるweb調査の有効性」において、上記web調査に対するメリットとデメリットについての記述があります。 (h)「うつ病は、警告信号でもある」ことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第7章 うつ病・抑うつ状態 の「1 うつ病は、警告信号でもある」における記述の一部(P104)を以下に、 (i) 「躁うつ的な波はマイナスばかりでない」ことについては、「こころの科学 200号(2018年7月)」中の青木省三著の文書「最終講義――私の歩んだ精神科臨床の道」の「それまでに抱いていた疑問」における記述の一部(P158)を以下に、 (j) 「発達障害(ASDやADHD)の人のよいところは? 得意なことは?」について、岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第3章 誤解だらけの発達障害 の「発達障害の人のよいところは? 得意なことは?」における記述の一部(P248~P249)を以下に、 (k) ポリヴェーガル理論の視点からの、臨床家に「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うことにしていることについて、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「自閉症の治療」における記述の一部(P70)を以下に(上記「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい)、 (l) 精神分析の視点からの、 1) 「抵抗」は、「治療要因でもあるし、反治療要因にもなり得る」ことについて、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第2章 治療抵抗について(治療妨害要因であり促進要因) の「(1) 抵抗とは」における記述の一部(P057~P058)を以下に、 2) 加えて、「防衛」は、人間が生存するのになくてはならない重要な機能であることについて、同本の 第4章 防衛・防衛機制について の 1 防衛とは? の「(1) 防衛の定義」における記述の一部(P158)を以下に、 (m) 「解離的な分離は、単なる症状ではなく適応策としての精神的な能力」であることについて、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 11章 安全と歓迎――安定型愛着を獲得する の「解離的な断片化を癒すために解離症状を利用する」における記述の一部(P281)を以下に、 (n) これら以外にも、マインド・ワンダリングのマイナス面とプラス面について、岩波明著の本、「天才と発達障害」(2019年発行)の 第一章 独創と多動のADHD の「マインド・ワンダリング」における記述及び「マインド・ワンダリングのプラス面」における記述の一部(P18~P20)を以下に それぞれ引用します[注:上記 (j) 項の引用は形式を変えています]。

1 うつ病は、警告信号でもある

〔症例1〕自営業の50代の男性――「うつ病になってよかった」
ある50代前半のうつ病の男性は、抑うつ気分、意欲の減退が持続しており、2回の入院治療を行ったが、なかなかすっきりとしない状態が続いていた。仕事が手につかない、考えがひらめかない、決断できない、すぐに疲れてしまう、などの症状のため、自営の工務店を閉じるというところまで話が進んでいた。抗うつ薬も充分量を処方したが改善せず、3回目の入院治療をしようかという話も出ていた。男性は40代のとき、早朝から夜12時頃まで働くという毎日で、40代の終わりには、仕事のトラブルや景気の悪さがきっかけで、うつ病になったのである。
治療を始めて、2年あまりがたったある日、男性は突然、「先生、私はうつ病になって命を救われました」と言い出した。40代の頃、自営で頑張っていた仲間が、このところ相次いで倒れた。一人は心筋梗塞で亡くなり、一人は脳出血で亡くなり、もう一人も脳出血後、一命は取り留めたものの重い後遺症が残った。仲間のお葬式に参列し、若くして亡くなった友人の無念さを思い、残された家族の悲しみを思うととてもつらくたまらない気持ちになったという。その時、ふっとうつ病が自分を救ってくれたと感じたのだという。そして男性は「このごろ、女房と、『うつ病にならんかったら、ワシも死んでいたよなー』と話し、うつ病になったことを感謝しているんです」と言うのであった。うつ病に感謝しはじめてから、不思議なほど男性は回復しはじめ、閉じる方向に進んでいた自営業を再開するまでに至った。「○○さんはやりだしたらブレーキがきかないから、これからはうつ病の代わりに自分でブレーキをかけないとね」といつも自制を促しているのが、ここ10年余りの外来診療である。時に疲れがでることはあるが、元気に仕事を続けている。(後略)

注:i) 引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「心筋梗塞」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「[92]心筋梗塞が起こったら」 iii) ちなみに拙訳はありませんが、抑うつの明るい面についての論文(全文)「The bright side of being blue: Depression as an adaptation for analyzing complex problems」があります。

それまでに抱いていた疑問(中略)

たとえば双極性障害の薬物療法を勧めた時に、「先生、軽躁がなくなったら、私は生きていかれません。私は人前でパリッとしていないと、仕事にならないのです」と、ある企業の経営者の方から言われたのです。自分から軽躁状態をとったら、経営者の仕事ができなくなると、私はその人に説得されて、「ああ、そうだよね」と(笑)。たしかにその人がパリッとしていなかったら、トップとしてやっていかれない。「でも躁状態の時だけ仕事するのでいいのですか?」とお聞きしたら、「いいんです」と言われたので、「軽躁状態の時だけ仕事をする」という方針にした人がいました。
うつ状態の時は、会社では「社長はハワイに行っている」ということになっていました。(中略)

躁とか軽躁の治療をしていると、もちろんその治療が、躁やうつによりいろいろなものを失うことを防ぎ、その人生の質を高めるという場合もあるのですが、生き生きしたところがなくなったり、生きる元気がなくなったりする場合もあるように思うのです。躁うつ的な波はマイナスばかりでない。こういう場合はどうしたらいいかなと思っていました。

注:i) 引用中の「双極性障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) トレードオフの視点からの引用中の「双極性障害の薬物療法」に関連する、「ADHD治療薬の服用」については次のエントリを参照して下さい。 「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」の「ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ」項

発達障害の人のよいところは? 得意なことは?(中略)

たとえばASDのある人は、全体ではなく細かいところに目が向くため、細部まで気を配ることができます。また、同じことを繰り返しすることが苦痛ではないため、コツコツと緻密な作業を積み重ねることが得意です。
さらに、彼らが「空気が読めない」ということは、その場の状況や相手の立場を考えずに、最近の言葉でいえば「忖度する」ことなしに、思ったことを率直に伝えることができることにつながります。隠し事や裏表がないため、信頼されやすいともいえます。
一方でADHDをもつ人は、エネルギッシュでフットワークが軽く、すぐに行動に移す力があります。集中が続かないことは、逆に捉えれば切り替えが早く、いつまでも一つのことにとらわれないで、すぐに次のことに移ることができる長所ともいえます。
ADHDの人たちは、危険が伴うスリリングなことが好きなので、リスクを考えず、大胆に新しいことや他の人がやらないことにチャレンジすることが可能です。また、ADHDをもつ人は、直感的で柔軟な考え方ができ、創造性もあるといわれています。
ADHDにおいては、「マインドワンダリング」と呼ばれる現象が頻回に起こっていることが知られています。これは、目の前の課題や出来事から注意がそれて、別のことに考えが向くことで、ふと気がつくと、授業中に次の日の予定を考えていたり、友達と話している最中に欲しいもののことを考えていたりといった現象です。
このマインドワンダリングがみられるADHDの人は、ふと新しいアイディアが思い浮かんだり、ひらめいたりしやすいと考えられているのです。つまり仕事においては、新たな視点から物事を見直すことが可能となるのです。
ASDやADHDをもつ人のユニークな特徴は「障害」にもなる反面、見方を変えれば大きな長所や魅力になりますし、それを生かせる環境を見極めて選択することは、才能を輝かせるうえでとても重要です。(後略)

注:(i) 引用中の「マインドワンダリング」については以下も参照すると良いかもしれません。 (ii)引用中の「創造性」と関連するかもしれない、「ADHDのひとはクリエイティビティを発揮できる舞台があれば活躍できる」ことについては、次のエントリを参照して下さい。 「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」の「ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ」項 加えて、引用中の「ふと新しいアイディアが思い浮かんだり、ひらめいたりしやすい」ことと関連するかもしれない『ADHDの人は注意力が散漫ですが、別の見方をすれば、目の前の課題から離れて自由に想像力を広げられ、「想像力」に結びつく』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDとASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ①ADHDの「多動衝動性」、「不注意」とは の「◇ひどすぎる忘れ物」における連続する記述の一部(P138~P139)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【ADHDの人は注意力が散漫ですが、それは別の見方をすれば、目の前の課題から離れて自由に想像力を広げられる、ということでもあります。ある意味、これは自由な発想が豊かであるとも言えるわけで、これが「想像力」に結びつくのです。】、【そのため、イラストレーターやデザイナー、小説家、漫画家、画家といった芸術的な才能の持ち主には、ADHDの特性を持つ人が少なくありません。】 (iii) 一方、「何かを専門にするとか、芸術とかいうのは、ある意味で、発達凸凹(参照)があるからできる」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「発達障害をめぐる諸問題」の「発達凸凹+適応障害という視点」項 (iv) これら以外にも、上記「長所としてみる」ことに関連する「ADHDの長所」について、太田晴久監修の本、「大人の発達障害 仕事・生活の困ったによりそう本」(2021年発行)の 1章 大人の発達障害とは の「大人の発達障害とは ADHD(注意欠如・多動症)の特性」における記述の一部(P18~P19)を形式を変更して以下に引用します。加えて、「ASDの長所」について、同章の「大人の発達障害とは ASD(自閉スペクトラム症)の特性」における記述の一部(P16~P17)を形式を変更して以下に引用します。その上に、上記「ASDの長所」に類似する「ASDのいい面」について、司馬理英子著の本、「最新版 大人の発達障害[ASD・ADHD]シーン別解決ブック」(2020年発行)の part 1 知っておきたい大人の発達障害の正しい知識 の ASDの特徴 の「ASDのいい面」における記述を形式を変更して以下に引用します。

大人の発達障害とは ADHD(注意欠如・多動症)の特性(中略)

ADHDの長所(中略)

以下の例以外にも、長所に目を向けましょう。

●先入観や決まった流れに縛られない
●創造的、直感的
●思いつきやひらめき、アイデアが豊富。発想力が豊かで新しいことを思いつく
●柔軟に対処できて、フットワークが軽い。切り替えが速い。新しい場面に適応しやすい
●コミュニケーションに積極的
●協調性、社交性、感受性がある。ユーモアがある
●明るく楽しくおしゃべりできる
●人の気持ちがわかる。面倒見がいい
●頭の回転が速く、反応が素早い。躊躇せず意見を言える

大人の発達障害とは ASD(自閉スペクトラム症)の特性(中略)

ASDの長所(中略)

以下の例以外にも、長所に目を向けましょう。

●単調な作業もいやがらずにやり抜く
●生真面目に物事に取り組む
●記憶力がよい
●博識
●関心のあることには集中力を発揮
●ものごとを筋道立てて考える論理的な思考ができる
●うそがつけず正直で正義感が強い
●まじめでルールを守る
●数学や音楽、美術などに才能を発揮する人もいる

ASDのいい面

●既成概念にとらわれない
●自由な発想で自分の思ったとおりに行動する
●単調な作業もいやがらないでやり抜く
●興味のあることでは記憶力がよいことも
●独特の感性を持っている
●自分が関心のあることには集中力を発揮する
●生真面目に物事に取り組む

(前略)ポージェス:(中略)私は臨床家に、「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うことにしています。
トラウマのような非常に深い生理学的、行動的な状態を一旦体験すると、たしかに今の社会生活に困難をきたすことがあるでしょう。それでも、あなたの反応は正しかったのです。ですからトラウマを受けた人たちは、自分たちの身体がそう反応したことをお祝いするべきなのです。なぜかと言うとあなたの身体がそのように反応したからこそ、あなたは生き残ることができたのです。その反応は、あなたの命を救ったのです。あるいはひどいケガを負わずに済んだのです。例えば、レイプのような暴力的な状態で、加害者に抵抗すれば、殺されていたかもしれません。ですから罪悪感を持つ代わりに、そのように身体が反応したということを大いに喜んで、お祝いしてくださいと言います。トラウマを抱えている人は、人と親しくしようと思ったのに、自分の身体が言うことを聞いてくれなかったことで、罪悪感を持つことがあります。(中略)

このようなごく単純な内容をクライアントに話してあげただけで、クライアントが自然に良くなった、という電子メールをたくさんの臨床家から受け取るようになりました。クライアントが「自分のしたことは失敗だった」と思わなくなり、そこから癒しが促されたのだと考えられます。(後略)

注:(i) 本引用に関連するツイートがあります。 (ii) 引用中の「あなたの身体がそのように反応したからこそ、あなたは生き残ることができたのです」に関連する「彼らの身体がとった反応戦略は、彼らの命を救ったのだということを理解してもらう必要がある」ことについては、引用元の本の 第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論」 の「トラウマ、そして信頼への裏切り」における記述の一部(P174~P175)を次に引用(『 』内)します。 『ポージェス:(中略)多くのトラウマ・サヴァイヴァーは、暗黙の裡に、彼らの身体が何かとても悪いことをしたと感じています。ですからトラウマ・サヴァイヴァーたちに、彼らの身体がとった反応戦略は、彼らの命を救ったのだということを理解してもらう必要があるのです。トラウマを被ったとき、彼らの身体は、不動状態に陥り、解離を引き起こしました。反撃したりせず、このように反応したおかげで、肉体的な傷や辛い苦しみを最小限にとどめることができたのです。この場合、「不動」は非常に適応的です。こうすれば、加害者のさらなる攻撃を誘発しなくて済むのです。』 加えて、【唯一の選択肢が「擬死」であっても、身体は本能的に、怪我、ショック、または痛みを最小限にとどめる最善策を選択している】ことについて、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 3章 クライアントとセラピストの役割の変化 の「圧倒される体験への独創的な適応」項における記述の一部(P68)を次に引用(《 》内)します。 《唯一の選択肢が「擬死」(麻痺したり、眠っているようになる、天井に浮かんだり、意識を失う)であっても、身体は本能的に、怪我、ショック、または痛みを最小限にとどめる最善策を選択している。》(注:1) 引用中の「擬死」についてはここ、他の拙エントリのここ及び以下を、引用中の「麻痺」については以下を それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「意識を失う」に関連する「血管迷走神経性失神」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) その上に、「防衛反応がパーツが生き延びるためには大事だった」ことについては「トラウマ関連のパーツたち」を含めてここを参照して下さい。さらに、「構造的な解離は、安全でない愛着関係をうまく折り合わせてくれる」ことについてはここここを参照して下さい。 (iii) 上記 (ii) 項の最初の引用における「解離」にはデメリットのみならずメリットもあることについては次の資料を参照して下さい。 「治療ゼミナール第5号通信(2009.5.10.発行)平井孝男(解離、自傷特集)」の「b.解離のデメリット」項及び「a.解離のメリット」項  (iv) 一方、引用中の(レイプのような暴力的な状態での)「反応」には、「凍りつき反応」≪例えば、 a) 引用元の本の P46、 b) 資料「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項〔注:上記「背側迷走神経系」に類似する「背側迷走神経複合体」が主導権を握ることについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第5章 体と脳のつながり の「闘争/逃走vs虚脱」項における記述の一部(P138)を次に引用(【 】内)します。 【虚脱状態や自発的な関与をやめた状態は、背側迷走神経複合体に制御されている。背側迷走神経複合体は、下痢や吐き気のような、消化にまつわる症状と関連した副交感神経系のうち、進化上、非常に古い部分だ。背側迷走神経複合体は、鼓動を遅くしたり、呼吸を浅くしたりもする。この系が主導権を握ると、他人のことも自分のことも、どうでもよくなる。自覚がなくなり、身体的苦痛をもはや認識しなくなることもある。】〕 c) 他の拙エントリのここにおける引用 をそれぞれ参照≫、加えて上記「凍りつき反応」に関連する「不動状態」[又は不動化]、「シャットダウン」(共に例えば引用元の本の P41~P42 を参照、なお「シャットダウン」に関する尺度「Shutdown Dissociation Scale」については次の論文[全文]を参照して下さい。 「The Shutdown Dissociation Scale (Shut-D)」の Table 3)、「麻痺」(ここ及びここを参照)、「機能停止」(他の拙エントリのここここを参照[特に後者における引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項])、上記「虚脱」、「擬死」があります。さらに「解離する」、「気を失う」(例えば他の拙エントリのここここを参照、加えて前者の「解離する」については上記 (iii) 項以外にも他の拙エントリのここここも参照して下さい。一方後者に関連する「血管迷走神経反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)、そして上記「擬死」(例えばここや他の拙エントリのここを参照)、「麻痺」や「フリーズ」[又は上記凍りつき]にも関連する主に自閉スペクトラム症者におけるカタトニア(症状群)の例(拙エントリのここを参照)もあります。一方、災害時の「凍りつき症候群」については次の資料を参照して下さい。 「どうすれば災害からの逃げ遅れを防げるか」の「第5の罠 凍りつき症候群」項(P31~P33) (v) 加えて、上記及び下記の「不動化」について、引用元の本の P33 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『「不動化」の反応は、小さな哺乳類によく見られます。例えばネコに捕まったネズミです。ネズミがネコに咬まれると、死んだようになります。しかし実際には死んだわけではありません。この適応的な反応は、「擬死」とか、「死んだふり」とも言われます。これは意図的に行う反応ではありません。』 (vi) その上に、上記「シャットダウン」に関連して、 A) シャットダウンに陥る人の特徴について、ピーター・A・ラヴィーン著、池島良子、西村もゆ子、福島義一、牧野有可里訳の本、「身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア」(2016年発行)の 第6章 セラピーのための地図 の「原始の内なる声」における記述の一部(P126)を次に引用(【 】内)します。 【一方,シャットダウン状態に陥る人は(横隔膜が落ち込んだように)前かがみになることが多く,目は一点を見つめるかぼんやりしており,著しい呼吸の減少,心拍の突然の減弱,瞳孔収縮が認められる。】 B) シャットダウンの恩恵と代償について及び単一試行のトラウマ反応の視点からのシャットダウン後に出現した症状例については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)[抵抗は治療要因でもあるし、反治療要因にもなり得る](中略)
〈抵抗は治療の妨害要因なのに、治療促進要因になる場合もあるんですか〉
「そうです。治療抵抗というからには、治療の妨害要因(『広辞苑』にも『治療に対して感情的に逆らう傾向』とある)のように思われますが、とんでもない話で、抵抗ぐらい治療の役に立つものはありません。治療とは抵抗を発見し、その抵抗を育て、抵抗をどう人生の中で生かしていくかということであるといっても過言ではないのです。(中略)」(後略)

注:引用中の〈 〉内は問いを、「 」内はこれに対する応答をそれぞれ表すようです。

[防衛とは不快を避ける方法](中略)
防衛という言葉はフロイトが言いだしたことですが、もともと人間がもっている不快回避・安全追究・安定維持機能です。これは人間が生存するのになくてはならない重要な機能です。
ただ、防衛は『一時凌ぎ的に』楽になっても、それを続けすぎるとマイナスになる場合があるので、フロイトは防衛機制を心の病の原因と考えたようです。しかし、それは、防衛が過剰になったり、防衛に失敗したり、防衛をうまく使えなかった場合、または古い防衛に固執し過ぎることで起こることで、防衛そのものは生活に不可欠なのです。そして防衛を上手に使いこなせるかどうかで、人生を幸せに送れるかどうかが決まってくるといえます。(後略)

注:引用中の「防衛機制」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典

解離的な断片化を癒すために解離症状を利用する

解離的な断片化の本質は、起こったことの記憶から耐えられない感情を切り離し、「私ではない」とパーツたちに帰して、経験をカプセルに封じ込めることなのです。そして関連する認知スキーマを作り出し、自己疎外を悪化させますが、子どもはそれにより適応し生き残ります。ですからこのような解離的な分離は、単なる症状ではなく〔適応策としての〕精神的な能力なのです。
感情や侵入してくる思考の干渉を受けずに、情報をすばやく検知し、自動的かつ効率的に行動する能力はいわば救命医療の中核です。また解離的な分離は、チームが決定的瞬間にあるときにアスリートが利用します。それだけでなく、俳優、音楽家、演説者、および政治家たちが最高のパフォーマンスをする際の能力にも貢献するでしょう。解離は、引き金を引かれたとき無意識で不随意に稼働する場合にのみ、病的だとされるのです。精神的能力として、それは意識的に、思慮深く、そして自発的に使用することができます。ですからセラピーの目標は(パーツたちの活動の)「治癒」または防止ではなく、クライアントが賢く利用できるようにすることなのです。

注:i) 引用中の「解離」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「パーツ」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「解離」にはデメリットのみならずメリットもあることについてはここの (iii) 項を参照して下さい。

マインド・ワンダリング
マインド・ワンダリングとは、心理学における概念である。これは、現在行っている課題や活動から注意がそれて、無関係な事柄についての思考が生起する現象のことを指す。
たとえば学校の授業中、ふと気かついたら「夕方どこに出かけようか?」と考えている。あるいは車を運転中、はるか昔の出来事について思い返す……こうした心理状態に陥ることは、誰でも心当たりがあるのではないだろうか。マインド・ワンダリングは身近で日常的な現象であり、人間は目が覚めている時間のうち約30~50%を「心ここにあらず」の状態で過ごしているという指摘もあるほどだ。
マインド・ワンダリングは意識的なものと無意識的なものに大別される。またその内容や広がりも、時間(未来、現在、過去)、自己との関連性、モダリティ(言葉、映像)などで分類され、多様なものが含まれる。これまでこの現象はごく日常的なものとされ、注目されることは少なかった。だが最近になって、重要な精神現象として見直されてきている。
過去の多くの研究では、マインド・ワンダリングについてはネガティブな影響が強調されてきた。たとえば、学校の授業中に起こるマインド・ワンダリングは、講義内容の理解を妨げると言われ、ある研究では、マインド・ワンダリングが頻回であるほど、講義に関する記憶は低下していたことが示されている。
また、マインド・ワンダリングがマイナスの感情を伴ったり生み出したりすることがあることは、多くの研究で認められている。とくに過去の出来事に関するマインド・ワンダリングは、幸福感を減弱させやすい。
さらに、マインド・ワンダリングは、外界への注意や警戒の低下につながり、交通事故のリスクを高めてしまうマイナス面も持ち合わせている。

マインド・ワンダリングのプラス面
このように当初、マインド・ワンダリングは否定的にとらえられていたが、最近になってポジティブな側面が注目を集めている。その代表的なものが、マインド・ワンダリングと創造性の関連である。
科学や芸術の分野における斬新な発想や独自の視点は、定型的なルーチンワークを重ねても、なかなか生まれてくるものではない。むしろ、常識とは異なる発想が重要となることが多い。
わが国の心理学者である山岡明奈と湯川進太郎(両者とも筑波大学)は、「拡散的思考」(発散的思考)が創造性における重要な要素であると考え、マインド・ワンダリングの研究を進めた。拡散的思考とは、新しいアイデアを多く生み出していく思考方法である。あるテーマに対して、探索的にさまざまなアプローチを試行錯誤していくといった手法をとるものである。
例をあげると、ある「もの」の新しい使い方や意味には、一つの正解があるわけではない。楽器、言葉、数学的概念、絵筆、あるいはコンピューターなど、あらゆる「もの」の使い方や意味は、無数に存在している。それを試行錯誤的に検討するのが拡散的思考の特徴である。
拡散的思考には、思考の流暢性(発想の数の多さ)、柔軟性(発想の多様さや柔軟さ)、独自性(発想の非凡さや稀さ)など、創造性につながる要因が関連していることが明らかになっている。(後略)

注:i) (主にマイナス面としての)引用中の「マインド・ワンダリング」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「山岡明奈と湯川進太郎」が著者であるマインド・ワンダリングのプラス面についての資料は次を参照して下さい。 「マインドワンダリングが創造的な問題解決を増進する

注:次はここにおける「愛着が安定とリフレクティブ・ファンクションとの関連及びリフレクティブ・ファンクションを高めることが自己超越につながる」ことについての引用です。

克服のために必要なこと

これまでの研究で、恵まれない境遇にもかかわらず愛着が安定している人では、振り返る力であるリフレクティブ・ファンクションが高いことが指摘されている*31。また、不安定な愛着の人が、安定型の愛着に変わっていくとき、リフレクティブ・ファンクションが高まり、自分の状況を客観的に振り返ったり、相手の立場に立って考えたりすることができるようになることも知られている*32。
こうしたことから、リフレクティブ・ファンクションを高めるような取り組みが、愛着の安定化につながることが期待される。
リフレクティブ・ファンクションには、反省とか振り返りといった機能だけでなく、相手の立場に立って考えるという共感的な機能も含まれる。自分を振り返る能力と、相手の立場に立って相手を思いやる能力は、自分の感情や利害といった狭い視点を超えて別の視点で事態を見るという意味において、どちらも自己超越の営みだと言える。自分の痛みや恨みといったとらわれを脱するためには、自己超越することが、最終的な課題になるのである。(後略)

注:i) 引用中の「*31」及び「*32」はそれぞれ次の論文です。 「Maternal reflective functioning among mothers with childhood maltreatment histories: links to sensitive parenting and infant attachment security.」、「Change in attachment patterns and reflective function in a randomized control trial of transference-focused psychotherapy for borderline personality disorder.」 ii) 引用中の「不安定な愛着」に関連する「愛着障害」については、例えば拙エントリのここを参照して下さい。

注:次はここにおける「自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになる」ための「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」についての引用です。

自分が相手と入れ替わるエクササイズ
人から傷つけられるような体験をしたとき、その痛みゆえに、誰でも怒りや悲しみにとらわれ、傷つけられたという自分の状況しか見えなくなってしまいます。しかし、自分の視点にとらわれることで、よけいにそこから脱しにくくなるのです。
苦痛から自由になるために本当に必要なのは、自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになることです。
その訓練として効果的なのが、自分が相手だったらどうか、想像してみるというエクササイズです。最初は簡単ではないのですが、そうした視点の切り替えができると、あなたも禅師のような自由闊達な視座に一歩近づけるでしょう。

注:次はここにおける「“裁判所”をイメージしてもらうことを含む別の考えを見つける技術」についての引用です。

考え方のバランスをとることで人は変われます。そのために自分以外の視点に立って考えてみることは大事です。
本当のことはわからなくても、一種の訓練だと思って、誰か別の人の立場に立って考えてみましょう。
社交不安症の人は、過去のトラウマ的な出来事から、ひとつの見方しか考えられなくなっていますから、他人の視点を持つということが重要です。別の人の視点から考えてみると、世界観も変わります。(中略)

なかなか別の考え方ができないという患者さんには、“裁判所”をイメージしてもらうようにお願いしています。
あなたは被告人です。うつ病とか社交不安症の人は、検事さんから「お前は嫌われてる」「お前は駄目な人間だ」などと責め立てられている状態です。
検事さんの言うことばかり聞いているとつらくなってしまいますが、裁判であれば弁護士さんもいます。
「この人は嫌われてないです」「そんな駄目な人じゃありません」「有能なところもいっぱいあります」などと、あなたにとって有利な発言をしてくれるはずです。
不安メーターが高い時は、検事さんだけが一方的に張り切って話をしている状態ですので、弁護士さんがいたら、何と言ってくれるか想像してみましょう。
検事さんが「お前は嫌われてる。この間、怒鳴られてたたろう」などと証拠を出してきたら、弁護士さんも「いや、この間、後輩から相談されてましたよね」「ちゃんと仕事の締め切りを守りましたよね」と反証します。
自分の中の弁護士さんの頑張りによって、裁判官に情状を酌量してもらって、「今回は執行猶予」というような判決を、自分の中で勝ち取りましょう。

注:引用中の「社交不安症」についてはここ及び他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。

加えて標記「バルコニーから眺めてみる」ことに関連するかもしれない、「認知再構成法では思考を柔軟かつ多様にしていく」ことについて、伊藤絵美著の本、「世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本」(2022年発行)の §2 認知再構成法の概要 の「認知再構成法の有り様をイメージする」における記述の一部(P35~P36)を以下に引用します。なお、「自分を苦しめる『自動思考』を自ら思い直して自分をなぐさめたり、励ましたり、開き直ったりするものだ」としての上記「認知再構成法」についてはWEBページ『「駅のホームでわざとぶつかられた」そんな時にベテランカウンセラーが実践する衝撃のイライラ解消法』を、そしてこれ以外にもツイートを それぞれ参照すると良いかもしれません。

(前略)そういう自動思考がどーんと来たときに,それを圧し潰されてしまうのではなく,さきほど紹介した「代替思考」を新たにいくつも生み出してみるのです。「こう考えてみてもいいかな」とまあまあ思える代替思考を,それも1個ではなく,複数創り出してみる。そうなると「オンリーワン」だった自動思考が,数ある思考のなかの一つ,つまり「ワンオブゼム」になる。自動思考オンリーではなくなる。自動思考自体を何も消したり変えたりする必要はないのです。もうすでに出てきちゃった思考を引っ込める必要はありませんし,消したり引っ込めたりすることは不可能です。それより「出ちゃったものはしょうがないよね」とそのままにして置いておき(マインドフルネス),代わりとなる思考を新たにいくつも生み出して,自動思考の周りに散りばめればいいのです。そうすれば,自動思考をどうこうしなくても,自動思考と同等の重みの思考がいくつも周りに配置されれば,自動思考の重みは相対的に軽くなりますね。自動思考が「オンリーワン」から「ワンオブゼム」という位置づけに変更されますね。絶対的だった自動思考が相対化されますね。認知再構成法ではそれを狙います。「こういう自動思考が出ちゃったけれど,他にもいろいろ考えられるよね~」と,思考を柔軟かつ多様にしていくのです。(後略)

注:i) 引用中の「自動思考」については次のWEBページを参照して下さい。 『「働く女性全力応援セミナー」第1回 講演② 講演録』の「●自動思考という概念」項 ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の『自動思考が「オンリーワン」から「ワンオブゼム」という位置づけに変更されます』に関連するかもしれない「SVでは、『こんな方法もある』とか『そういう路線だと、こうなる』とか、視野が広がるようにやってることが多い」(注:「SV」は「supervision、スーパービジョン[例えば資料「認知行動療法の共通基盤マニュアル」の 第3部 臨床での使い方と学習方法 の 第Ⅱ章 学習方法 の Ⅱ-1 認知行動療法習得の方法、スーパービジョン、コンサルテーション の「3. スーパービジョンやコンサルテーションを受ける」項〔P114〕を参照]」の略です)ことについてのツイートがあります。

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【5】社交不安症(社交不安障害)に対する認知行動療法のSTEP『注意の偏り(バイアス)「自己注目」に気づく』について、その他

標記について、清水栄司著の本、『自分で治す「社交不安症」』(2014年発行)の 第3章 人がコワイを自分で治すための12STEP の『STEP③注意の偏り(バイアス)「自己注目」に気づく』における記述の一部(P68)を以下に引用します。なお、標記社交不安症(社交不安障害)については他の拙エントリのリンク集(用語は「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。

(前略)自分に注意が向きすぎるために、余計に不安になったり、緊張してしまったりします(中略)

このSTEPの目当て
・注意の偏りに気づく
・注意がシフトできるように練習する
・注意のバランスに配慮できるようにする(後略)

注:(i) 引用中の「自分に注意が向きすぎる」に関連する、 a) 「周囲を気にしているようで、じつは自分に注目している」について、貝谷久宜監修の本、「社交不安症がよくわかる本」(2017年発行)の 3 医療機関でおこなう治療法を知っておこう の「不安を知る② 不安を大きくするパターンに気づこう」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『周囲からの評価が不安でたまらない、というと、周囲を意識しているようですが、実際には、「自分の挙動が相手にどう見られているか」が心配で、意識は自分に向いています。自分を気にしすぎて、周りを冷静に見られなくなっています。』 b) 『自分自身に注目しすぎる「自己注目」と他者の否定的な反応に注目しすぎる「注意バイアス」』については次の資料を参照して下さい。 「社交不安症における注意制御不全への介入方法の最適化」 c) 「自己注目には、イギリス人のエイドリアン・ウェルズ先生が開発された「注意訓練法」が適しています。自己注目というのは自分に注意が向きすぎてしまう現象なので、注意を外に向ける力を養うトレーニングです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「社交不安症における注意制御不全への介入方法の最適化」の『セルフトレーニング①|身の周りの音を聞き分ける「注意訓練法」』項 (ii) 引用中の「注意のバランス」に関連するかもしれない「注意制御機能」については、例えば資料「社交不安と不安感受性および注意制御と抑うつ症状の関係性」があり、資料「社交不安と注意制御機能, 解釈バイアスの関連」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「社交不安と注意制御機能, 解釈バイアスの関連」 加えて、トラウマ経験者における認知注意症候群については、例えば資料「トラウマ経験者における認知注意症候群に対するメタ認知的信念尺度の作成」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「トラウマ経験者における認知注意症候群に対するメタ認知的信念尺度の作成」 その上に、「マインドフルネス特性と反すう,注意制御機能,社交不安,抑うつ症状との関係性」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス特性と反すう,注意制御機能,社交不安,抑うつ症状との関係性」 (iii) 引用中の「注意がシフトできるように練習する」に関連するかもしれない、 a) 「注意シフトトレーニング」については次の資料を参照して下さい。 「社交不安障害(社交不安症)の認知行動マニュアル(治療者用)」の「注意シフトトレーニング」項(P10) b) 社交不安症やうつ病等における「注意訓練」については、例えば、 1) 資料「注意訓練法が注意機能及びメタ認知的信念・ネガティブ感情に与える影響」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「注意訓練法が注意機能及びメタ認知的信念・ネガティブ感情に与える影響」 加えて「2.2 メタ認知療法における注意制御機能」項を有する次の資料もあります。 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」 その上に、語句「MCTの注意制御機能」を有する次の資料もあります。 「メタ認知療法の観点からみた抑うつと反すう,心配および実行機能の関連」の「問題と目的」項(注:上記「MCT」とはメタ認知療法の略です) 2) 次の資料を参照して下さい。 「うつ病の病態維持に関わる前頭葉機能異常と注意制御機能訓練の治療効果」 3) 資料「注意訓練がマインドワンダリング及び抑うつ・不安へ及ぼす影響」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「注意訓練がマインドワンダリング及び抑うつ・不安へ及ぼす影響」(注:上記「マインドワンダリング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい) c) ヴィパッサナー(マインドフルネス)瞑想における注意の分割については、例えば次の資料やWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項、『「心の省エネ」を実現し、「個の力」を高める“マインドフルネス”療法とは?』(ちなみに、上記ヴィパッサナー瞑想における注意の分割にも関連した「距離ゼロの俯瞰」についてのツイート[参照参照]があります) (iv) 引用中の「注意の偏り」に相当する「注意バイアス」については例えば次の資料を参照して下さい。 「社交不安の注意バイアス」 (v) 引用中の「注意が向きすぎる」に関連するかもしれない「精神交互作用」(神経症において症状に注意を向ければ向けるほど症状が強まる悪循環)については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「不安」と「緊張」に関連するかもしれない「感情」と上記注意との関係について、 a) 「不安の苦しい感情があると,注意の視野が狭くなり,自己批判的になったり何かと評価したりしやすくなる」ことについては他の拙エントリのここを、 b) 「感情は、その刺激が継続して起こる時と注意を集中する時に強くなる」ことについてはWEBページ「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項を それぞれ参照して下さい。 (vii) 引用中の「不安」と「注意」に関連する「不安障害と注意バイアス」については次のエントリを参照して下さい。 「不安障害と注意バイアス」 (viii) 引用中の「注意がシフトできる」に関連する、過敏性を有する方々に対する「注意の切り替え」について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第四章 発達障害と感覚処理障害 の「注意力と過敏性」における記述の一部(P120)を次に引用(『 』内)します。 『注意の切り替えは、一つの視点から別の視点へ切り替える機能で、これが弱いと、一つの見方しかできなかったり、一つの視点にとらわれやすくなります。異変や間違いに気づくのにも、注意の切り替えが必要です。』 加えてこれに関連するかもしれない「気になっていることばかり頭に浮かんでしまう」について、同本の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「マインドフルネスはなぜ有効なのか」における記述の一部(P222~P223)を次に引用(『 』内)します。 『しかし、実際のところ、過敏になっている状態のときには、気になっていることばかり頭に浮かんでしまうという悪循環に陥りがちです。流そうと思っても、そこにじっと動かずにあって、その人を苦しめ続けていることが頭を離れてくれません。放っておこうとしても、気が付いたらまた考えてしまい、堂々巡りが続いてしまうこともしばしばです。この無間地獄のような状態から、どうしたら抜け出せるのでしょうか。そこで役に立つ強い武器が、呼吸と身体感覚への注目なのです。マインドフルネスがとても有効な方法となり得たのも、この武器があったからです。』(注:引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい) その上に、「ディタッチト・マインドフルネスを促進させる中核的な技法として注意訓練法が挙げられる」ことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「不適応的な対処行動に関するメタ認知的信念と能動的注意制御機能およびディタッチト・マインドフルネスとの関連性」の「問題と目的」項 (ix) 引用中の「注意の偏り」を防ぐための認知行動療法における「注意分散法」について、伊藤絵美著の本、「事例で学ぶ認知行動療法」(2008年発行)の 序章 認知行動療法概説 の 0・4 各作業や技法とツールについて の「●注意分散法」における記述の一部(P12)を以下に引用します。 (x) 自閉スペクトラムの身体症状において、引用中の「注意の偏り」に関連するかもしれない「興味の焦点化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xi) これら以外にも、感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがあることについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第3章 経過を読む の 1 どのような時間単位で変化するか の「(1) 1日の中で変化する」における記述の一部(P42)を以下に引用します。 

●注意分散法
人間の認知資源(注意資源)の容量には制約がある。したがってある一つのことだけに注意を向けて、それにあまりにもとらわれてしまうと、それだけにほとんどすべての注意資源が奪われてしまい、その結果問題が生じる可能性がある(例:赤面恐怖の人が、人前でスピーチする際に、赤面のことで頭がいっぱいになってしまい、肝心のスピーチがうまくいかない)。人間は本来、適度に注意を分散させて適応しているはずである(車を運転している人が、道路状況に常に注意を向けつつも、同乗者と話をし、同時に音楽を聴いている、というのは特別なことではないだろう)。注意分散法とは、このような人間の本来の注意の有り様を改めて認識し、一つのことに注意が向きすぎてしまったときに、意図的に注意を他の物事に分散させるという技法である。(後略)

(1) 1日の中で変化する
ある自閉症スペクトラムの人に、気分の変化を図に描いてもらうと、1日の中で線が上に行ったり下に行ったりを頻繁に繰り返す、ギザギザとしたものであった。それは、細部にとらわれ全体を捉えることが苦手で、気分を大きく捉えることができず、細部をきわめて敏感に捉えているからだとわかった。
注意の集中やこだわりは、心身の不調や心配事などの具体的なものに向かいやすく、たとえば、便秘や不眠へのこだわりとなって現れたりする。
感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがある。本来であれば閾値下の身体の動揺をキャッチするようになる。(後略)

注:自閉症スペクトラムにおける引用中の「感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがある。」に関連する、 a) 自閉症スペクトラムにおいて『ストレスが強まると,この「感覚過敏」や「興味」の対象の狭さがより際立ってきて,それに伴ってさまざまな症状が出ることがある』ことについては、拙エントリのここを参照して下さい。 b) 身体的苦痛症(Bodily distress disorder - ICD-11)において「注意の度合いは過度」なことについては、例えば次のブログ記事を参照して下さい。 「10 Disorders of bodily distress or bodily experience 10身体的苦痛症群または身体的体験症群 ICD-11」の「10.1 Bodily distress disorder 身体的苦痛症」項 c) 身体表現性障害において「常に身体に注意が向いていて,ささいな病状でも病気ではないかと不安になる」ことについて、近藤直司、田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義08 神経症とその周辺 の 3. 身体についての症状を示す神経症 の「(2) 身体表現性障害」における記述の一部(P091)を次に引用します。

(2) 身体表現性障害

身体症状を執拗に訴えて,病院で検査をして異常がないことがわかっても,何度も病院を受診するような行動を示す人で,社会生活にも支障を来している場合に,身体症状症と診断します。身体化症(身体症状症)と診断される人は,痛み,吐き気,おくび,しびれ,月経不順などいくつかの身体症状を訴えて,複数の医療機関を受け続けます。こういう人たちは,常に身体に注意が向いていて,ささいな症状でも病気ではないかと不安になり,不必要な薬物療法や複数の不必要な手術を受けていることもあります。(後略)

注:この引用部の著者は生地新です。 ii) 引用中の「身体表現性障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「身体症状症」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体症状症

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【6】認知行動療法の視点からの心的外傷後成長(PTG)を阻む認知・行動的な悪循環とその影響性について

標記悪循環とその影響性について、宅香菜子編著の本、「PTGの可能性と課題」(2016年発行)の 第Ⅲ部 心理臨床から見るPTG の 第11章 認知行動療法から見たPTG の「2 PTGを阻む認知・行動的な悪循環とその影響性」における記述の一部(P173~P175)を以下に引用します。なお、標記心的外傷後成長(PTG)についてはここを参照して下さい。

2 PTGを阻む認知・行動的な悪循環とその影響性

人は誰でも人生を大きく変えてしまうような衝撃的な出来事や,強いストレスにさらされたときには,一時的に心身の危機的状態を経験する。しかし,私たちにはそれらの危機に立ち向かうためのレジリエンスが存在していて,時間の流れの中で適応的な思考や行動を探索しながら心身の安定を図っている。しかし,経験したライフイベントの衝撃があまりにも大きかったり,サポート資源が貧弱であったり,何らかの個人の脆弱性が高い状態にあると,レジリエンスは阻害され,心身の危機的状態は維持され,増悪に至る。このような状態においては,外的な環境因子に加えて,個人の中にネガティブな認知と回避的行動の悪循環が形成され,苦悩からの脱却をより難しくさせる。これらの認知・行動的な悪循環については,これまで臨床ストレス科学や認知行動療法の発展の歴史の中で詳細な検討が行われてきた。

(1) 認知の歪み

不安や抑うつなどに苦悩するクライエントとの面接の中では,しばしば,否定的で,柔軟性がなく,現実離れした陳述がたびたび報告される。認知療法を体系化したベックら(Beck, Rush, Shaw, & Emery, 1979 坂野監訳 1992)やバーンズ(Burns, 1980 野村他訳 1990)によれば,彼ら(クライエントなど)の情報処理システムにはある種の「歪み」があり,その歪みによって外界の情報や記憶情報を適切に処理することがきない状態にあると考えられている(「推論の誤り」あるいは「認知の歪み」と呼ばれている)。(中略)

これらの認知の歪みの特徴とその影響性は以下のようにまとめることができる。
●破局的推論
現実的な可能性を検討せずに,否定的な予測をエスカレートさせる。この推論は,推論を繰り返しているうちにあたかもそれが現実であるかのように思えて絶望的な気分を誘発する。
●読心術的推論
他者が考えていることを確認もせずに,自分はわかっていると思い込む。この推論は,自己に対する固定的なイメージを形成するとともに,対人コミュケーションを阻害してしまう。
●選択的抽出推論
ある特定の事実だけを取り上げて,それがすべての証拠であるように考える。この推論は,極端な思考が現実離れしていることに気づく機会を奪い,確信と導いていく。
●トンネル視
出来事の否定的な側面のみを見ること。この推論は,出来事の肯定的な側への気づきを阻害し,自分には嫌な出来事しか生じないという信念を形成してしまう。
●レッテル貼リ
自分や他者に固定的なラベリングをすること。この推論は,固定的なものの見方を促進し,自己や他者の多様性を否定してしまう。
●全か無か推論
少しの失敗や例外を認めることなく,二分法的に結論づけること。この推論は,「できたこと」に目を向けることを阻害し,何をしても失敗(うまくいかなかった)と考えるようになることから,自発的行動が抑制されてしまう。
●自己と他者のダブルスタンダード
自分にだけ他者と異なる厳しい評価基準をもつこと。この推論は,自分は常に他者よりも劣っているという信念を形成し,自己肯定感を低下させる。
●「すべし」思考
自己や他者に対して,常に高い水準の成果を要求すること。この推論は,どんなことにも「こうあるべき」という固定的なゴールを設定することから,思考や行動の柔軟性や多様性を阻害する。

(2) 仮想現実への閉塞

認知の歪みに代表されるネガティブな認知は,なぜ我々の苦悩を維持・増悪させ,PTG を阻むのであろうか。ふと考えてみれば,誰でも時には,悪い予測がエスカレートしたり,過去の失敗を思い出して自信がもてなくなることもある。しかし,多くの場合は数時間あるいは数日のうちには前向きな態度を取り戻して元の生活に戻ることができているのである。これらの例からもわかるように,「ネガティブな認知」が悪いわけではない。むしろ,ネガティブな認知に「囚われてしまう」ことが問題であると言えるだろう(鈴木・神村,2013)。(中略)

注:i) この引用部の著者は鈴木伸一です。 ii) 引用中の「Beck, Rush, Shaw, & Emery, 1979 坂野監訳 1992」は次の本です。 「Beck, A. T., Rush, A. J., Shaw, B. F., & Emery, G. (1979). Cognitive Therapy of Depression. Guilford : New York.(ベック A.T. ・ラッシュ A.J. ・ショウ B.F. ・エメリィ G. 坂野雄二(監訳)(1992). うつ病の認知療法 岩崎学術出版)」 iii) 引用中の「Burns, 1980 野村他訳 1990」は次の本です。 『Burns, D., D. (1980). Feeling Good: The New Mood Therapy. Avon: New York(野村総一郎・夏刈郁子・山岡功一・成瀬梨花(訳)(1990).いやな気分よさようなら――自分で学ぶ「抑うつ」克服法 星和書店)』 iv) 引用中の「鈴木・神村,2013」は次の本です。 「鈴木伸一・神村栄一(編著)(2013). レベルアップしたい実践家のための事例で学ぶ認知行動療法テクニックガイド 北大路書房」

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【7】認知行動療法におけるセルフモニタリングについて、その他

標記セルフモニタリングについて、 a) 伊藤絵美著の本、「事例で学ぶ認知行動療法」(2008年発行)の 2章 気分変調性障害 の 2・5 事例Bのまとめ の「●セルフモニタリングの効用」における記述の一部(P62)を以下に引用します。 b) セルフモニタリングによる気づきが必要なこと及びセルフモニタリングは認知行動療法でもっとも重要なスキルについて、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の Lecture 認知行動療法とは何か の「認知行動療法(CBT)とは」及び「セルフモニタリング――CBTで最も重要なスキル」における記述の一部(P051~P059)を以下に引用します。ちなみに、後者の本を簡単に紹介する YouTube があります。

(前略)セルフモニタリングは、目標設定に至るまでのホームワーク課題として、非常に使いやすい課題である。というのも、たとえば、認知再構成法、問題解決法、リラクセーション法、曝露法などCBTでよく使われる介入のための技法は、CBTでの目標を設定してからでないと基本的に使うことができないからである。少なくともアセスメントが終わるまでは、「今後、どうしたらよいか」ではなく、「今、何がどうなってしまっているのか」という現状に対する理解が、セラピストとクライアントの共通課題である。その現状の理解のために、セルフモニタリングをし、その記録を取ってきてもらうことは非常に役に立つし、しかも介入に入る前の″つなぎの課題″としても役に立つ。″つなぎの課題″とは、言葉が適切でないかもしれないが、CBTにとってホームワークを毎回やってきてもらうことは非常に重要であり、しかしまだ技法が定まっていない、という段階では、そうそう新たな課題をホームワークにすることはできない。この意味で、セルフモニタリングは″つなぎ″としての使い勝手がよいといえる。しかしさほど負荷の高い課題ではないので、状態があまりよくないクライアントでも、取り組むことができる。そのようなクライアントにとっては、この課題に取り組むことが、「自分も何かをしている」「自分にも何かができる」という体験になるのだろう。また実際に記録に取ることで、自分の生活や反応のパターンについてクライアント自身が、さまざまな気づきを得ることも多い。(後略)

注:i) 引用中の「CBT」は「認知行動療法」の略です。 ii) マインドフルネスを含めた引用中の「セルフモニタリング」については例えば次の資料を参照して下さい。 「衝動的行動に対するセルフモニタリングの効果」の「5. セルフモニタリングとマインドフルネスの効果機序」項 iii) 引用中の「認知再構成法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」の「認知再構成法」項、 iv) 引用中の「リラクセーション法」に関連する(認知行動療法からの)「リラックス法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 呼吸法とリラックス法」 v) 引用中の「曝露法」に関連する「エクスポージャー療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「エクスポージャー療法

認知行動療法(CBT)とは(中略)

CBTでは、その人の体験(特にストレス体験)を理解するための枠組みとして、上図のようなモデルを用います。まずはその人のストレス体験を、環境(ストレッサー)と個人(ストレス反応)の相互作用としてとらえます。
ストレッサーとストレス反応は循環的に影響しあっています。さらにその人の反応を、〈認知〉〈気分・感情〉〈身体反応〉〈行動〉の四つに分けて、それらの循環的な相互作用もとらえていきます。
〈認知〉とは頭のなかの思考やイメージのことを言います。
〈気分・感情〉とは、たとえば「うれしい」「悲しい」「さびしい」「むかつく」「イライラする」といった心のなかの気持ちのことです。
〈身体反応〉は身体に生じる生理的な反応のことです。
〈行動〉は、外から見てわかるその人の動作や振る舞いのことです。
ごく簡単な例を挙げます。

▼環境(ストレッサー)

道を歩いていたら、見知らぬ男性がすれ違いざまに「チッ!」と舌打ちをした。

▼個人(ストレス反応:Aさん)

〈認知〉…………「え? 何、この人?」「私、この人に何かした?」「こ、こわい!」
〈気分・感情〉…びっくり、不安、こわい
〈身体反応〉……胸がドキッとする、手のひらに汗をかく
〈行動〉…………歩くスピードを上げ、男性から離れる。男性を見ないようにする

私たちは一人ひとり異なる存在です。同じ環境(ストレッサー)に対して、皆が同じ反応をするわけではありません。同じ舌打ちの例で考えてみましょう。

▼環境(ストレッサー)

道を歩いていたら、見知らぬ男性がすれ違いざまに「チッ!」と舌打ちをした。

▼個人(ストレス反応:Bさん)

〈認知〉…………「なんだこいつ!」「俺に喧嘩を売ってんのか!」「ふざけんなよ!」
〈気分・感情〉…むかつく、カッとなる、挑発的な気分
〈身体反応〉……頭にカッと血がのぼる、こめかみがピクンとする、全身に力が入る
〈行動〉…………男性に近づき、「何だよ、てめえ!」と怒鳴りつける

このように同じ環境でも、人によって(あるいは同じ人でもその時々の気分や体調によって)、反応は大きく異なります。これがCBTで用いる基本モデルです。(中略)

セルフモニタリング――CBTでもっとも重要なスキル

CBTで最初に取り組むのは、「セルフモニタリング」の練習です。セルフモニタリングとは、CBTの基本モデルに沿って自分の体験(特にストレス体験)を自己観察することです。(中略)

◎CBTに不可欠

このようにストレス体験にその場で気づき、それをCBTのモデルに沿って観察し、具体的に細かく気づいていくというセルフモニタリングの練習を、CBTの初期段階ではクライアントに集中的に取り組んでもらいます。そしてその後もずっとセルフモニタリングを続けてもらいます。
CBTを進めていくうえでセルフモニタリングのスキルは不可欠です。セルフモニタリングによって「自分は今どうなっちゃっているのかな」という気づさを得ることができます。ストレス体験において「自分は今どうなっているのか」という気づきがあって初めて、私たちはその体験を乗り越えたり自分を助けたりすることができるのです。

◎内的な反応には気づきにくい

CBTの基本モデルのなかでも、モニタリングしやすい要素としにくい要素があります。たいていの人は、ストレッサー(「すれ違いざまに男性に舌打ちされた」)には容易に気づくことができます。ストレッサーは自分の外側のことだから気づきやすいのです。また〈行動〉も観察することが容易です。自分が舌打ちする男性から遠ざかったのか、それとも近づいて怒鳴りつけたのか、酩酊や解離でもしていなければ自分で気がつくことができますよね。行動もストレッサーと同様に、外側に現れる現象だからキャッチしやすいです。
一方、〈認知(自動思考)〉、〈気分・感情〉〈身体反応〉の三つははっきりと外側に現れるのではなく、頭のなか、心のなか、身体のなかに現れる、いわゆる「内的な反応」です。この三つについては比較的速やかにモニタリングができるようになる人もいれば、時間をかけて練習を重ねに重ねてようやくモニタリングできるようになる人もいます。
そしてCBTの進行にセルフモニタリングが不可欠なのであれば、内的な反応への気づきがどんなに苦手でも、そしてどんなに時間がかかってでも、それができるようになる必要が絶対にあります。上記のとおりセルフモニタリングによる気づきがあって初めて、ストレス体験の乗り越え方は見えてくるものですし、本書で後に紹介するマインドフルネス(七五頁参照)も、自らの体験に対する気づきが不可欠だからです。(後略)

注:i) 引用中の「上図」(認知行動療法の基本モデル)の引用は省略しますが、類似の図については例えばWEBページ「認知療法・認知行動療法とは」の図1 及び次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の紹介」の図1 ii) 引用中の「ストレッサー」、「ストレス反応」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「自動思考」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法とは」、「認知(行動)療法とは?」の「認知療法・認知行動療法とは…」項 iv) 引用中の「マインドフルネス」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、引用中の「七五頁参照」に対する七五頁の引用は省略します。 v) 標記「セルフモニタリング」については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 生活をふり返ろう」 vi) 引用中の「セルフモニタリングのスキル」を応用した例としての、「二次感情」である怒りを伴う状態でのコミュニケーションについて、中島美鈴著の本、『「認知行動療法」のプロフェッショナルが教える いちいち“他人”に振り回されない心のつくり方』(2016年発行)の 4章 こうして人づきあいが「苦」から「ラク」に変わっていく の「期待しすぎるから腹が立つ!?」における記述の一部(P143~P145)を次に引用します。

(前略)こたえのカギは怒る感情の前にある

また、怒りを理解するうえで、知っておくと役立つことがあります。
怒りは、数ある感情の中でも「二次感情」といわれます。二次感情とは、出来事を経験して最初に生まれた別の感情があり、その次に二次的に生まれた感情という意味です。
たとえば、思春期の子どもの帰宅が遅くなってしまったときの母親の心境はこんな感じです。子どもが遅い時間に帰宅すると母親は怒ります。
「何時だと思っているの! 早く帰ってきなさい」
こうして沸き起こる怒りの、もう一歩手前にはどんな感情があったと思いますか。
つまり、怒りを感じる前に、どんな感情を持っていたかということです。母親はきっと、
「あの子、こんな時間までどこで何をしているのかしら。変な犯罪に巻き込まれたのではないかしら。受験生なのに、こんなに毎晩遊び歩いて、将来はどうなるのかしら」
こう心配して、不安な気持ちになっていたのです。我が子の身が安全か、将来のことも考えていないように見える、遊んでばかりの子どもの将来に不安を持ったのです。
この場合、先に「不安」という一次感情があり、その不安が高じて、自分が受け入れやすい、もしくは表現しやすい形になったのが「怒り」でした。
こうして、怒りの一歩手前にどんな感情を持っていたかを明確にすると、怒りの原因がわかるだけでなく、本当に相手に伝えたい感情に気づくことができるのです。

もうすこし他の例も挙げましょう。
たとえば、彼女が他の男性と仲良くしていて、浮気しているのではないかとイライラしている男性の場合を思い浮かべてください。この場合、先に「彼女が浮気しているのではないか」という「不安」や「嫉妬」が一次感情です。しかしこの「不安」や「嫉妬」は自分が弱いとかみじめとか劣っているとか、そんな印象を持つ感情で、到底自分では受け入れがたい感情なのです。特に、プライドの高い方や、「強くあらねば」という信念の持ち主ならば、
「オレは、嫉妬なんかしていない!」             .
と躍起になることでしょう。それで、そんな一次感情を隠すように、怒りを爆発させるのです。
「他の男といちゃついてオレを怒らせる気か!」
こうなると、大きな喧嘩になるとか、最悪の場合には暴力に発展するかもしれません。そうではなくで、一次感情を素直に伝えることができていたらどうでしょうか。
「他の男性と仲良くしているのを見て、つらかっだ。浮気してるんじゃないかと不安だった」
先ほどのやりとりよりは、もう少し穏やかな話し合いができそうです。
怒りは、実にやっかいな感情ですが、「怒り」という形をとらなければならないほど認めがたかった、背景の一次感情に目を向けてみると、自己分析にも役立ちますし、コミュニケーションが円滑になっていきますよ。

注:引用中の「信念」については、例えば拙エントリのここを参照して下さい。

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【8】コンパッション・フォーカスト・セラピー及びその視点からの「厄介な脳」について、その他

最初に、 a) コンパッション・フォーカスト・セラピー(CFT)の簡単な紹介はWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーとは - コンパッショネイト・マインド研究センター」を、 b) 日本におけるコンパッション・フォーカスト・セラピーについての研究成果報告の例については次を参照して下さい。 「感情障害へのコンパッションフォーカストセラピーの治療マニュアルの作成と効果の検証」、「治療抵抗性うつ病に対する集団コンパッション・フォーカスト・セラピーの開発」 ちなみに、 a) 「セルフ・コンパッションとは何か」については次の資料を参照して下さい。 「https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/64/3/64_403/_pdf/-char/ja:title=コンパッションとウェルビーイング ―調査,実験,介入研究とマインドフルネスとの関係性について―]」の「4. セルフ・コンパッションとは何か」項 加えて、『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』については次のWEBページを参照して下さい。 『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』 その上に、「マインドフル・セルフ・コンパッション」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「マインドフル・セルフ・コンパッション ジャパン」 b) 引用はありませんが標記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」に関連する「慈悲の瞑想」や「セルフ・コンパッション」のワークについては例えば次の本を参照すると良いかもしれません。 【有光興記著の本、「やさしくなりたいあなたへ贈る慈悲とマインドフルネス瞑想」(2020年発行)】、【石上友梨著の本、『仕事・人間関係がラクになる「生きづらさの根っこ」の癒し方 セルフ・コンパッション42のワーク』(2022年発行)】

加えて、「CFTの中心的な焦点」について、ラッセル・L・コルツ、トビン・ベル、ジェームズ・ベネットーレヴィ、クリス・アイロン著、浅野憲一監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的コンパッション・フォーカスト・セラピー」(2021年発行)の 前書き の「コンパッション・フォーカスト・セラピー」における記述の一部(Pxi)を以下に引用します。その上に、(生活の中でコンパッションを育むことを目的としたプログラムは数多く存在するものの)CFT はコンパッションを明確に重視した唯一の心理療法モデルであることについて、同本の 「実践から内省への自己プログラム」の準備を整える の 第2章 CFTのための簡単なロードマップ の「コンパッションを育むための基盤を整える」における記述の一部(P9)を以下に引用します。

CFTの中心的な焦点は,人間の条件でもある苦しみという性質に取り組むことであり,われわれがどのように,そしてなぜ苦しみ,それらに何ができるのかという点にあります(Gilbert, 2009, 2010, 2014)。これは2500年前にシッダルダが悟り,ブッダ(文字通り,悟りを開いた人の意味)になる道の中で追い求めたものの核でもあります。今も当時と同じように,存在の本質とその変化や無常を深く見つめるという指導がなされています。そうすることでわれわれは,われわれ自身が皆,遺伝的にも生物的にも短命の生物であり,生まれ,成長し,衰え,死んでいくという事実の立会人となります。われわれは,病気やけがに対してか弱く,良くも悪くも相互に助け合う世界の中にいます。これらの人間の存在についての新しくも古い洞察に加え,CFTではいくつかの早期の精神力動的な疑問を再燃させます。例えば,われわれが自分たちを,進化した生物学的存在として理解することがわれわれの心のありよう,ストレスへの脆弱性にどのように影響を与えるのか,この状況に存在している困難に対して何をすれば良いかといったものです。(中略)

いくつかの心理療法は,私たちがどのように思考と融合してしまうかについて述べていますが CFTでは,自分を観察して気づくことで自己を理解するというよりもむしろ,どのように意識と内容が混同してしまい,その内容によって自分が誰なのかまでもが決められてしまうことを話題にしています。自分が怒りっぽい人間なのか,怒りを経験している意識であるのか。自分はトラウマを負った人間であるのか,トラウマに反応している脳の結果を体験している意識であるのか。(後略)

注:i) この引用部の著者は Paul Gilbert です。 ii) 引用中の「Gilbert, 2009」、(Gilbert)「2010」はそれぞれ次の本です。 「Gilbert, P. (2009). The compassionate mind. London: Constable & Robinson」、「Gilbert, P. (2010). Compassion-focused therapy: Distinctive features. London: Routledge.」 iii) 引用中の(Gilbert)「2014」は次の論文です。 「The origins and nature of compassion focused therapy」 iv) 引用中の「CFTの中心的な焦点」に関連する「CFTの基礎となるコンパッションの定義」について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール15 コンパッションを紐解く の「コンパッションを定義する」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『この本の前書き(ixページ)で,GilbertはCFTの基礎となるコンパッションの定義として,「自他の苦しみへの感受性とそれらを和らげ,防ごうとするコミットメント」と述べています。この定義では,勇気をもって積極的に苦しみに気づき,関わる感受性と,助けるために何をするかという関与・動機づけ・スキルの両方がコンパッションには必要だと強調されています。』(注:引用中の「前書き」における「コンパッションの定義」に関連する引用は省略します) v) 引用中の「無常」については例えば次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「法則性: 無常・苦・無我ということ」項

コンパッションを育むための基盤を整える

生活の中でコンパッションを育むことを目的としたプログラムは数多く存在し,特に有名なのは Neff & Germer のマインドフル・セルフコンパッション・プログラム(Germer & Neff, 2017)とスタンフォード大学で開発されたコンパッション・カルティベーション・トレーニング(Jazaieri et al, 2013)でしょう。他方,CFTは,コンパッションを明確に重視した唯一の心理療法モデルです。他のモデルは仏教の慈悲の瞑想(CFTでも利用します)を援用したコンパッションの涵養を実践することに主眼を置いていますが,CFTでは,恥を感じずに人間の体験を理解する方法にもはっきりと焦点を当て,育んでいきます。そのための一つの方法は,クライアントが,人の脳がどのように形成されたかという進化の観点や,それによってわれわれの基本的な動機づけと感情の機能を扱うことが難しくなることがあるという観点から,自身の経験を理解する手助けをすることです。CFTの核になるのは,感情や動機は自分が何かを間違った結果として存在するものではなく,私たちの祖先が現在の私たちの直面する世界とは全く異なる世界で生き残るために進化させてきた脳の産物だ,という認識です。(後略)

注:(i) 引用中の「Germer & Neff, 2017」は次です。 「Germer, C. K., & Neff, K. (2017). Mindful self-compassion teacher guide. San Diego: Center for MSC.」 (ii) 引用中の「Jazaieri et al, 2013」は次の論文です。 「A randomized controlled trial of compassion cultivation training: Effects on mindfulness, affect, and emotion regulation.」 (iii) 引用中の「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフル・セルフ・コンパッション(MSC)とは何か:展望と課題」 加えて、上記「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」に関連するかもしれない、 a) note は次を参照して下さい。 「セルフ・コンパッション - 1|自分への優しさとは?」、「セルフ・コンパッション - 2|自分に優しくなれる慈悲の瞑想」 b) 「セルフ・コンパッション」については次の資料を参照して下さい。 「こころの健康 参考資料」の「特別読物 セルフ・コンパッション」項 (iv) 引用中の「CFT」や「コンパッション」に関連する「CFTでは,コンパッションを育むということは技法として使うものではなく,生き方として育むものであるということ」について(慈悲の瞑想や,コンパッションを持った生き方が)「多くのポジティブを効果と関連する」ことを含めて、同の パートⅡ コンパッションを持ったあり方を育む の「モジュール19 コンパッションを持った自己を育む」における記述の一部(P147)を次に引用します。

(前略)重要なことは,CFTでは,コンパッションを育むということは技法として使うものではなく,生き方として育むものであるということです。近年の多くの研究で 慈悲の瞑想や,コンパッションを持った生き方が,不安,抑うつ,ストレスホルモン,炎症の緩和と免疫機能の向上(Frederickson, Cohn, Coffee, Pek, & Finkel, 2008; Pace et al., 2009; Pace et al., 2013; Neff, Kirkpartrick, & Rude, 2007),共感の向上(Mascaro, Rilling, Negi, & Rasion, 2013; Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2015),感情調整の向上(Lutz, Brefczynski-Lewins, John-Stone, & Davidson, 2008; Kemeny et al., 2012; Jazaieri et al., 2013; Desbordes et al., 2012),向社会的行動(Leiberg, Limecki, & Singer, 2011),社会的つながりの感覚(Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2008),ウェルビーイング(Neff, 2011),レジリエンスの向上といった(Neff & McGehee, 2010),多くのポジティブな効果と関連することが示されています。(後略)

注:i) 引用中の「Frederickson, Cohn, Coffee, Pek, & Finkel, 2008」は次の論文です。 「Open hearts build lives: positive emotions, induced through loving-kindness meditation, build consequential personal resources」 ii) 引用中の「Pace et al., 2009」と「Pace et al., 2013」はそれぞれ次の論文です。 「Effect of compassion meditation on neuroendocrine, innate immune and behavioral responses to psychosocial stress」、「Engagement with Cognitively-Based Compassion Training is associated with reduced salivary C-reactive protein from before to after training in foster care program adolescents」 iii) 引用中の「Neff, Kirkpartrick, & Rude, 2007」は次の論文です。 「Self-compassion and adaptive psychological functioning.」 iv) 引用中の「Mascaro, Rilling, Negi, & Rasion, 2013」は次の論文です。 「Compassion meditation enhances empathic accuracy and related neural activity」 v) 引用中の「Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2015」は次の論文です。 「The neural correlates of social connection」 vi) 引用中の「Lutz, Brefczynski-Lewins, John-Stone, & Davidson, 2008」は次の論文です。 「Regulation of the neural circuitry of emotion by compassion meditation: effects of meditative expertise」 vii) 引用中の「Kemeny et al., 2012」は次の論文です。 「Contemplative/emotion training reduces negative emotional behavior and promotes prosocial responses」 viii) 引用中の「Jazaieri et al., 2013」は次の論文です。 「A randomized controlled trial of compassion cultivation training: Effects on mindfulness, affect, and emotion regulation.」 ix) 引用中の「Desbordes et al., 2012」は次の論文です。 「Effects of mindful-attention and compassion meditation training on amygdala response to emotional stimuli in an ordinary, non-meditative state」 x) 引用中の「Leiberg, Limecki, & Singer, 2011」は次の論文です。 「Short-term compassion training increases prosocial behavior in a newly developed prosocial game」 xi) 引用中の「Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2008」は次の論文です。 「Loving-kindness meditation increases social connectedness」 xii) 引用中の「Neff, 2011」は次の本です。 「Neff, K. (2011). Self-compassion: The proven of being kind to yourself. New York: William Morrow.」 xiii) 引用中の「Neff & McGehee, 2010」は次の論文です。 「Self-compassion and psychological resilience among adolescents and young adults.」 xiv) 引用中の「ウェルビーイング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Well-being 研究」 加えて、無執着の観点からの「ウェルビーイング」(well-being)については次の資料があります。 「体験の観察が well-being を向上させる条件 ―無執着の観点から―」(この資料に対する瞑想による情動調整を含むコメントとしての資料は次を参照して下さい。 「集中瞑想および洞察瞑想による情動調整 ―高田論文へのコメント―」) xv) 引用中の「レジリエンス」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「困難な状況からの回復や成長に対するアプローチ ――レジリエンス,心的外傷後成長,マインドフルネスに着目して――

なお、上記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」(CFT)における、心理教育の一番の目的は『「not your fault(あなたのせいではない)」というメッセージを伝え,自己批判や恥感情を和らげていくことである』ことについて、上記3 慈悲についての心理教育 の「1 not your fault(あなたのせいではない)」項における記述の一部(P123)を次に引用(『 』内)します。 『CFTでは慈悲的な理解を独特の心理教育を通して高めていく。この心理教育の一番の目的は「not your fault(あなたのせいではない)」というメッセージを伝え,自己批判や恥感情を和らげていくことである。その手段として,進化的視点や神経科学の視点を援用する。』(注:a) 引用中の「あなたのせいではない」に関連する「不快だが、自分のせいではない」ことについて、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の 「モジュール7 経験によって形作られたもの」における記述の一部(P71)を以下に引用します。 b) 引用中の(進化的視点や神経科学の視点を援用する)「not your fault(あなたのせいではない)」ことの一方で、「構成主義的情動理論は、自己責任に関してもまったく新たな考えを提起する」ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第8章 人間の本性についての新たな見方」における記述の一部(P257)を以下に引用します。加えて、「私達に責任が生じる理由は、自分に過失があるからではなく、それを変えられる唯一の存在だから、という場合もあるのです」については次の TED talk[日本語版]を参照して下さい。 「あなたは感情に流されているわけじゃない-感情は脳でつくられる - リサ・フェルドマン・バレット(Lisa Feldman Barrett)」の Transcript 日本語 の「16:26」を参照して下さい。)

モジュール7 経験によって形作られたもの

CFTは,自分の人生がどうして現在のようになったのか,クライアント自身がコンパッションを持って理解するのを助けることに重点を置いています。そしてその点がセルフコンパッションに関する他のアプローチとは異なります。この方法によって,自分自身の嫌な部分に対するクライアント(そして治療者)の理解が「私の根本的な欠点」から「不快だが,自分のせいではないこと」へと変わる可能性があります。CFTにおける「自分のせいではない」というメッセージは,実際には,「選択も意図もしなかったことに対して,自分自身を攻撃したり,恥じたりするのをやめよう」ということです。(後略)

(前略)また構成主義的情動理論は、自己責任に関してもまったく新たな考えを提起する。あなたは上司に腹を立て、衝動的に彼のそばに行ってこぶしで机を叩き、「ばか野郎!」と叫んだとしよう。古典的理論は、その責を怒りの神経回路なるものに帰し、あなたの責任を部分的に免除するだろうが、構成主義的情動理論は、責任の概念を、危害が生じた瞬間に限定することなく適用する。脳は反応するのではなく、予測する。脳の中核システムは、生き残れるよう、次に何が起こるかをつねに予測しようとしている。それゆえあなたの行動と、行動を引き起こした予測は、その瞬間に至るまでに獲得した(概念としての)過去の経験によって形作られる。あなたが上司の机をこぶしで叩いたのは、脳が「怒り」の概念を用いて怒りのインスタンスを予測し、あなたの過去の経験に、同様な状況で机を叩いた行動(自分自身の行動か、映画や本に影響された行動かは問わない)が含まれているからだ。
コントロールネットワークは、つねに予測や予測エラーの流れを形成し、自分自身で制御していると感じられるか否かにかかわらず、行動の選択を導いていることを思い出そう2。このネットワークは、既存の概念を用いてしか機能しない。よって責任に関する問いは、「人は自分が持つ概念に対して責任があるのか?」になる。すべての概念に対してでないことは間違いないだろう。乳児の頃は、他者に教え込まれる概念を選択することなどできない。しかしおとなになれば、何に自分をさらし、何を学ぶのかを選択できる。そしてそれに基づいて、自分の意図に基づくと感じられるか否かにかかわらず、自己の行動を導く概念が形成される。したがって「責任」は、自分が持つ概念を変える意図的な選択を行なうことを意味する。(後略)

注:(i) 引用中の原注番号「2」の内容の一部(P593)を次に引用(『 』内)します。 『コントロールしているという経験は気分や信念に基づく場合が多く、そのほとんどが実際のコントロールの程度とは無関係である。(Job et al. 2013; Inzlicht et al. 2015; Job et al. 2015; Barrett et al. 2004)。』(注:a) 引用中の「Job et al. 2013」は次の論文です。 「Beliefs about willpower determine the impact of glucose on self-control」 b) 引用中の「Inzlicht et al. 2015」は次の論文です。 「Emotional foundations of cognitive control」 c) 引用中の「Job et al. 2015」は次の論文です。 「Implicit theories about willpower predict self-regulation and grades in everyday life」 d) 引用中の「Barrett et al. 2004」は次の論文です。 「Individual differences in working memory capacity and dual-process theories of the mind」) 加えて次のWEBページも参照して下さい。 「Control as subjective experience」 (ii) 引用中の「構成主義的情動理論」については他の拙エントリのここ及びここを参照すると良いかもしれません。 (iii) 引用中の「予測」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「概念」や「インスタンス」については共に他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (v) 引用中の「コントロールネットワーク」に支援される例について、同の「第6章 脳はどのように情動を作るのか」における記述の一部(P206)を次に引用(【 】内)します。 【図6・2の良く知られた錯視の例は、コントロールネットワークの働きを示す。水平に読むか、垂直に読むかという文脈の違いによって、中央の記号は「B」とも「13」とも読める。その瞬間、どちらが勝利の概念になるか、すなわち文字か数字かの選択は、コントロールネットワークに支援される18。】(注:1) 引用中の「図6・2」の引用は省略しますが、その代わりに[図6・2とは表現形式が異なることもある]WEBページ「https://unbounce.com/landing-pages/5-cool-optical-illusions-that-help-boost-your-landing-page-conversions/:title=5 Cool Optical Illusions That Will Help Boost Your Conversions]」の「Priming and Anchoring: The B/13 Illusion」項の図を、加えて[図6・2とは表現形式が異なるものの]WEBページ「B or 13: Context Optical Illusion」の動画を、その上に「見たいものを見、聞きたいものを聞く」ことを含めて次の資料を参照して下さい。 「医療安全へのヒューマンファクターズアプローチ」の特に P20、P22、P24、P27 2) 引用中の原注番号「18」の内容の一部(P599)を次に引用(《 》内)します。 《私はその状況を「情動パラドックス」と呼ぶ(Barrett 2006b)。》[注:引用中の「Barrett 2006b」は次の論文です。 「Solving the emotion paradox: categorization and the experience of emotion」] 加えて次のWEBページも参照して下さい。 「Prototype views of emotion concepts」)

次に、コンパッション・フォーカスト・セラピー(CFT)における進化心理学(WEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピー 日本認知療法・認知行動療法学会(2019)WS資料」からダウンロード可能な資料「コンパッション・フォーカスト・セラピー入門」の「コンパッション・フォーカスト・セラピー」シート[P1]を参照)の視点からの「進化した厄介な脳」(同資料の「・進化した厄介な脳」シート[P5]を参照)を含めた標記「厄介な脳」について、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅲ章 マインドフルネスと関連のある介入 の 2 コンパッション・フォーカスト・セラピー の 3 慈悲についての心理教育 の 『2 「厄介な脳」の心理教育』における記述(P124~P125)を次に引用します。

次に,なぜ人間は苦しむのか,という点を神経科学の視点を織り交ぜて心理教育する。その際に紹介されるのが「厄介な脳(tricky brain)」と呼ばれる図である(図2)6)。
図2では脳の中でも,人間が特異的に発達させてきた部分(大脳新皮質)を新しい脳と呼び,より動物的で古代から持っている部分(大脳辺縁系)を古い脳と呼ぶ。新しい脳は,目の前にないものをイメージしたり,計画を立てたり,過去を振り返ったり,自分自身を観察する機能を有している。新しい脳の機能を使って我々は,道具や機械を生み出したり,災害に備えたり,生命を守るための工夫をすることができる。それに対して古い脳は,感情や動機づけなどの欲求や,本能的な行動を司る。お腹が空いたときに食欲がわいたり,食べ物を口にしたときに喜びを感じたりする反応や,危険が生じたときに恐怖感が生じて,逃げるまたは戦うといった反応が生じるのは,古い脳の機能である。こちらもやはり生命維持のために必要不可欠である。
しかしながら人間は,特に強い感情が生じたときに,古い脳と新しい脳が非機能的な働きをしてしまう。つまり,古い脳によって生じた感情的な苦痛や苦しみは,本来であれば危険が去れば(あるいは時間が経てば)消失していく反応であるにもかかわらず,新しい脳の機能によって繰り返し思い出し,考え,再体験してしまう。大きな失敗をして落ち込み,悲しんでいるときに(古い脳の反応),その感情に基づいたイメージや計画,反芻,自己評価を行うと(新しい脳の機能),将来に絶望したくなるような思考やイメージに見舞われ,それがさも真実であるがのように感じてさらに感情が悪化する(古い脳の反応)。古い脳と新しい脳が非機能的にループしてしまうことで,感情的な苦痛が増強・維持され,悲観的で絶望的な(かつ非現実的でもある)反応が延々と続いてしまう。自己批判傾向の高い患者の多くはこのループに陥っていることが多く,結果的に自己イメージが過剰に否定的なものになっている。厄介な脳についての心理教育は,感情的苦痛を経験しているときに自分自身から距離をとり,古い脳と新しい脳のループに気づくことを大きく助ける。

注:a) この引用部の著者は浅野憲一です。 b) 引用中の「図2」の引用は省略しますが、代わりにWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」からダウンロード可能な次の資料を参照して下さい。 「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」の「厄介な脳」シート(P1) c) 引用中の文献番号「6)」は次の本です。 「Gilbert P, et al; Mindful compassion. Robinson, 2013」 d) 引用中の「新しい脳」と「古い脳」に関連するかもしれないトラウマの視点からの「理性脳」と「情動脳」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。ただし、感情又は情動において上記のように「新しい脳」と「古い脳」とに明確に分けることとは異なる「構成主義的情動理論」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 e) 引用中の「反芻」に関連する「反すう、心配」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

上記以外にも、古い脳の反応も関与するかもしれない CFT の視点からの「逃走/回避」、「闘争」、「硬直」、そして「条件づけ」について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール13 脅威に焦点づけたフォーミュレーション:安全方略と望まない結果 の「安全,防衛的,代償方略」における記述の一部(P107)を次に引用します。

他の動物が脅威を感じた時と同様に,人間は脅威を制御して対処しようとさまざまな方略をとります。これらの方略は,しばしば進化した行動的反応と関連しています。例えば,他者からの保護を求める,他者から離れる(逃走/回避),他者を攻撃する(闘争),または他者に服従する(硬直する)といった行動的反応は,外的または内的脅威と結びついている可能性があります(Gilbert, 2009, 2010)。これらの方略の多くは,児童期や思春期に形成され,成人期になる頃には条件づけの過程を通して洗練・強化されていきます。

注:(i) 引用中の「Gilbert, 2009」、(Gilbert)「2010」はそれぞれ次の本です。 「Gilbert, P. (2009). The compassionate mind. London: Constable & Robinson」、「Gilbert, P. (2010). Compassion-focused therapy: Distinctive features. London: Routledge.」 (ii) 引用中の「逃走/回避」、「闘争」、「硬直」(又は凍結)については共に例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「条件づけ」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (iv) 引用中の「脅威」に関連する「脅威システム」(例えばWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」からダウンロード可能な資料「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」の「脅威システム - 3つの円のモデル」シート[P3]を参照)における、「身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情」について、同3 慈悲についての心理教育 の 3 感情制御の3つの円 の「脅威システム」項における記述の一部(P126)を次に引用(『 』内)します。 『1つ目の円は,脅威システムと呼ばれ,我々を様々な危険から守るガードマンのような役割を持っている。そのため,身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情と関係しており,危険が降りかかる可能性を察知すると,即時的に感情的な反応を生じさせ,合理的な思考をすることは難しくなる。』(注:a) 引用中の「1つ目の円」の引用は省略しますが、上記「脅威システム - 3つの円のモデル」シート[P3]を参照して下さい。 b) 引用中の「嫌悪」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「嫌悪感情の機能と役割 ──Paul Rozinの研究を中心に──」 加えて、「PTSDなど、病理の中核に嫌悪感情が存在する疾患は少なくない」ことについて、「こころの科学 220号(2021年11月)」の「[特別企画]嫌悪 ネガティブな感情はなぜ生じるのか」(P9)における記述の一部を次に引用します。 『醜形恐怖やPTSD、摂食障害など、病理の中核に嫌悪感情が存在する疾患は少なくない。』 c) 引用中の「身の危険と関連した不安」は「行き過ぎた不安」[例えばWEBページ「不安障害とは?」を参照]に属すると本エントリ作者は考えます。)

また、CFTの視点からのセルフコンパッションと不安定型の愛着との関連等について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール10 愛着スタイルを考える の「関係性によって形作られたもの」における記述の一部(P86~P87)を次に引用します。

(前略)不安定型の愛着(不安,回避,またはその両方を伴った現在の対人関係の傾向を含む)については,数千に及ぶ科学的検証がなされています。不安定型の愛着は,さまざまな人生の困難さと関連しており,例えば抑うつ,心的外傷後ストレス障害(PTSD)や強迫症といった不安症,パ-ソナリティ障害,摂食症との関連が示されています(Mikulincer & Shaver, 2007, 2012)。加えて,セルフコンパッションの体験のしにくさとも関連しています(Pepping, Davis, 0'Donovan, & Pal, 2014; Gilbert, McEwan, Catarino, Baião, & Palmeira, 2014)。安定型の愛着は,他者との関係の中で簡単に安心感を得られる能力のようなものであり,CFTと関連して,この安定型の愛着を促進することは,自信や自己成長感の増加(Feeney & Thrush, 2010),セルフコンパッション(Pepping et al., 2014)と関連しています。同様に,コンパッション,共感,利他的な行動(Mikulincer et al., 2001; Mikulincer & Shaver, 2005; Gillath, Shaver, & Mikulincer, 2005)のような肯定的な結果との関連も幅広く示されています。(後略)

注:i) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2007」は次の本です。 「Mikulincer, M., & Shaver, P. R. (2007). Attachment in adulthood: Structure, dynamics, and change. New York: Guilford Press.」 ii) 引用中の(Mikulincer & Shaver)「2012」は次の論文です。 「An attachment perspective on psychopathology」 iii) 引用中の「Pepping, Davis, 0'Donovan, & Pal, 2014」と「Pepping et al., 2014」は共に次の論文です。 「Individual differences in self-compassion: The role of attachment and experiences of parenting in childhood.」 iv) 引用中の「Gilbert, McEwan, Catarino, Baião, & Palmeira, 2014」は次の論文です。 「Fears of happiness and compassion in relationship with depression, alexithymia, and attachment security in a depressed sample」 v) 引用中の「Feeney & Thrush, 2010」は次の論文です。 「Relationship influences on exploration in adulthood: the characteristics and function of a secure base」 vi) 引用中の「Mikulincer et al., 2001」は次の論文です。 「Attachment theory and reactions to others' needs:' evidence that activation of the sense of attachment security promotes empathic responses」 vii) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2005」は次の資料です。 「Attachment Security, Compassion, and Altruism」 viii) 引用中の「Gillath, Shaver, & Mikulincer, 2005」は次の資料です。 「Gillath, O., Shaver, P. R., & Mikulincer, M. (2005). An attachment-theoretical approach to compassion and altruism. In P. Gilbert (Ed.), Compassion: Conceptualisations, research, and use in psychotherapy (pp. 121-147). London: Routledge.」 ix) 引用中の「不安定型」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」については他の拙エントリのリンク集(用語:「PTSD」)を参照して下さい。 xi) 引用中の「強迫症」については他の拙エントリのリンク集[用語:「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」]を参照して下さい。 xii) 引用中の「不安症」については他の拙エントリのリンク集[用語:「不安障害(不安症)]を参照して下さい。 xiii) 引用中の「パ-ソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パ-ソナリティ障害 - 脳科学辞典」 xiv) 引用中の「摂食症」については他の拙エントリのリンク集(用語:「摂食障害」)を参照して下さい。

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【9】ストレス状況における怒りと攻撃性について

標記について中野敬子著の本、「ストレス・マネジメント入門[第2版] 自己診断と対処法を学ぶ」(2016年発行) の 第Ⅰ部 ストレスと精神身体的健康 の 第2章 精神的ストレス反応 の「2 怒りと攻撃性」における記述の一部(P30)を次に引用します。

ストレス状況においてよく見られる精神的反応は怒りであり,怒りは攻撃性へつながっていく。帰省ラッシュにおける渋滞の高速道路で,割り込みをした車の運転手を殴り,大怪我をさせた男,通勤の満員電車でぶつかってきた人を殴り殺した男の事件が例として挙げられる。このような暴力による攻撃性の表現は,頻繁に見られることではない。幸い,攻撃性は身体的行動よりも言葉で表現されることが多く,殴り合いになることは珍しいが,口論,怒鳴り合い,侮辱や嫌がらせの応酬となりやすい。
攻撃行動は怒りの対象へ直接的に向けられず,他の対象に向けられることもある。怒りの対象が自分より強いものであれば,攻撃することはかえってストレスを増強させることとなる。また,怒りの対象が必ずしも明らかでない場合もある。このような場合には,置き換え攻撃行動となって表現され,手短な弱い者や反撃しない者が攻撃行動の対象とされる。会社でのストレスを家族への暴力で晴らしたり,学校でいじめに遭っている子が母親に暴力を振るったり,学校で飼育されている兎が傷つけられたり,近所のもめ事に巻き込まれた主婦がお皿を割ったりといくらでも例を挙げることができる。直接的にせよ間接的にせよ攻撃行動は,周囲の人間をも巻き込む不適応行動である(Deffenbacher et al., 1986)。さらに,ストレッサーに対して攻撃性,怒り,敵意に特徴づけられる行動を起こす人は,精神身体的健康を害しやすく,その症状が長期化しやすい傾向も報告されている。(後略)

注:引用中の「Deffenbacher et al., 1986」は次の論文です。 「High general anger: correlates and treatment.

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【10】トラウマ後の成長(心的外傷後成長、PTG)について

標記トラウマ後の成長(Posttraumatic growth:PTG)について、 a) 宅香菜子著の本、「コロナ禍と心の成長 -日米におけるPTG研究と大学教育の魅力」(2021年発行)の 第1章 コロナ禍におけるPTG研究を立ち上げる の「2.心的外傷後成長(PTG)」における記述の一部(P5~P6)を以下に引用します。 b) 「レジリエンス」を含めて吉川眞理編著の本、「よくわかるパーソナリティ心理学」(2020年発行)の Ⅶ 人生の危機とパーソナリティ の 1 人生の危機を乗り越える力:レジリエンスの観点より の「2 危機的状況を通して心理的に成長すること」における記述(P135)を、文献番号の表示形式を変更して以下以下に引用します。加えて、標記トラウマ後の成長(心的外傷後成長、PTG)については例えば次の資料を参照して下さい。 「困難な状況からの回復や成長に対するアプローチ ――レジリエンス,心的外傷後成長,マインドフルネスに着目して――」の特に「1. 問題と目的」項及び「3. ストレス対処理論におけるPTGの必要性」項 c) 標記「心的外傷後成長」に関連する「心的外傷後成長とリカバリー」については次の資料を参照して下さい。 『トラウマと「リカバリー」』の「Ⅴ.心的外傷後成長とリカバリー」項 一方、次の資料もあります。 「心的外傷後成長の考え方 ――人生の危機とポジティブな心理的変容――」、「がん患者のケアに生かす心的外傷後成長の視点」 その上に、認知行動療法の視点からの心的外傷後成長(PTG)を阻む認知・行動的な悪循環とその影響性についてはここを参照して下さい。

2.心的外傷後成長(PTG)

「PTG」とは,英語のポスト・トラウマティック・グロウス(Post-Traumatic Growth)の頭文字を取った用語で,日本語訳は「心的外傷後成長」である。強いストレス症状を引き起こすような,つらく苦しい出来事やトラウマをきっかけとして,悩み,精神的なもがきを経験することで,人間として成長する現象を示す。
予期せず,つらく大変なことが起きて,それまでに積み上げてきた大切な何かが崩れ落ちたり,予定していた未来が根こそぎ奪われてしまうことがある。「大切な何か」とは,例えば人間関係であったり,キャリアであったり,夢であったり,家族であったり。
自分にとって,とても大切で,価値ある「何か」を失ったことによって,それまで当然のように信じてきたことが根底から揺さぶられる経験は強いストレスを心身に引き起こす。想定外のことが起こってしまった後である,「今,ここで」の生活は,本来こうなるはずではなかった現実だ。壊れてしまった何かを,完全に元通りに復元することはできない。出来事の後に引き続くこの現実を,もがきや悩みと共に生きていく中で,時に経験される,人間としての心の成長がPTGである。(後略)

レジリエンスと類似した概念として,トラウマ後の成長(Posttraumatic growth:PTG)があります。PTG とは,「危機的な出来事や困難な経験における精神的なもがき・闘いの結果生じるポジティブな心理的変容の体験のこと3」を言います。つまり,レジリエンスが困難な状況から回復する力であるのに対し,PTG は,非常に苦しく衝撃的な体験をしてそのときは激しく傷ついても,その後素晴らしい人間として成長することを指します。PTG におけるトラウマとは PTSD (心的外傷後ストレス障害)をもたらトラウマに限定されず,事故や死別などストレス度の高いイベント全般を意味します。
PTG のプロセスを説明するモデルは様々あり,それぞれ異なる決定因を挙げていますが,多くのモデルにおいてトラウマ的事象に対し意味を見出し,ストーリーを作ること(Meaning making)が変化と成長の決定因となることが示されています。すなわち,非常に傷ついた出来事を理解すること,そしてその出来事に意味を見出すことが心理的成長を促すと考えられています。「過去をどうとらえるかが変わることにより人は変わる4」という報告は多く,苦痛な体験であってもその体験を見つめ直し意味を見出すことにより,その苦痛は軽減され,さらに危機を乗り越え心理的に成長していくものと考えられます。
トラウマ後の成長には次の五つの成長が含まれることが示されています5。
①他者とのつながり:より深く,意味のある人間関係を体験する。
②心の変容:存在やスピリチュアリティへの意識が高まる。
③人生に対する感謝:生に対しての感謝の念が増える。
④新たな可能性:人生や仕事への優先順位が変わる。
⑤人間的強さ:自己の強さの認識が増す。
PTG とは,様々な困難を体験しながらも明日に向けて生きていく中に人としての成長を見るという概念です。たとえば,東日本大震災のような大きな災害からの心の立ち直りにおいても,震災という体験を踏まえて新たに価値観や意識が創造され,構築されていく過程に PTG の概念が見出されると考える研究者もいます6。
ストレスフルな体験では,ネガティブな側面にのみにとらわれがちになります。しかし,そのストレスフルな体験を通して何かしらのポジティブな側面を見出すことによって,自己の成長が生じる可能性が生まれます。そのため,人は自身が体験した出来事から少しでもポジティブにとらえられる要素に気づくことによって,ストレスフルな体験であっても自身の人間的な成長の機会とすることができるかもしれません。

注:i) この引用部の著者は田中弥央です。 ii) 引用中の文献番号「3」は次の論文です。 「The Posttraumatic Growth Inventory: measuring the positive legacy of trauma」 iii) 引用中の文献番号「4」は次の文書です。 「江口重幸 2002 患者は語り,医師は名づける――文化精神医学からの一視点 こころの科学,105,19-26.」 iv) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Posttraumatic Growth: Conceptual Foundations and Empirical Evidence.」 iii) 引用中の文献番号「6」は次の本です。 「長谷川啓三・若島孔文(編) 2015 大震災からのこころの回復 リサーチシックスとPTG 新曜社」 vi) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【11】スキーマ療法について

標記スキーマ療法について一般的に紹介した後に複雑性PTSDへの適用について紹介します。最初にスキーマ療法における早期不適応的スキーマについて、「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の伊藤絵美著の文書「スキーマ療法」(P63~P67)における記述の一部(P63~P65)を次に引用します。

はじめに
スキーマ療法(schema therapy)とは、米国の心理学者ジェフリー・ヤングが構築した、認知行動療法(CBT)を拡張した統合的な心理療法である。ヤングはパーソナリティ障害の治療のために、従来、うつ病や不安障害を対象としていたCBTを拡張し、そこにアタッチメント理論、対象関係論、ゲシュタルト療法、感情焦点化療法、構成主義などを加えて融合し、スキーマ療法を構築した。
二〇〇三年にヤングらによる包括的な治療マニュアルが出版されたこと(1)、そして二〇〇六年に境界性パーソナリティ障害(BPD)に対するスキーマ療法のエビデンスが質の高いRCT(無作為化比較試験)によって示されたことにより(2)、スキーマ療法は世界中に知れわたることになり、現在、BPDをはじめとしたパーソナリティ障害に対する、そしてパーソナリティ障害に限らず「生きづらさ」を抱えるクライアントに対する治療法・援助法として広く実践されるようになっている。
本論ではスキーマ療法について紹介し、次にBPDにスキーマ療法を適用した事例を報告する(中略)

スキーマ療法とは(中略)

これはCBTの基本モデルを拡張したものである。CBTでまず扱うのは、「自動思考」という浅いレベルの認知であり、その時々に頭をよぎる瞬間的な思考やイメージである。一方、スキーマ療法で扱うのは、すでにその人の頭の中にあるその人なりの「価値観」「深い思い」「マイルール」といった深いレベルの認知である。それを心理学的にはスキーマと呼ぶ。なかでも、人生の早期(幼少期や思春期)に形成され、当初はその人の適応に役立っていたかもしれないが、その後その人をかえって生きづらくさせるスキーマのことを「早期不適応的スキーマ(Early Maladaptive Schema)」と呼ぶ。スキーマ療法が対象とするのは、まさにこの早期不適応的スキーマである。そのようなスキーマがさまざまな状況において活性化されることで、ネガティブで強烈な自動思考や気分・感情や身体反応が生じ、自分を大事にするための行動が取れなくなってしまう。
ヤングら(1)は一八の早期不適応的スキーマを定式化した。それを以下に挙げるが、これらのスキーマは、「愛されたい」「安心したい」「褒められたい」「有能でありたい」「自律的でありたい」といったすべての人間が有する欲求(中核的感情欲求)が適切に満たされない場合に形成されると仮定されている。①見捨てられ、②不信・虐待、③情緒的剥奪、④欠陥・恥、⑤社会的孤立、⑥失敗、⑦損害と疾病に対する脆弱性、⑧無能・依存、⑨巻き込まれ、⑩服従、⑪自己犠牲、⑫評価と承認の希求、⑬否定・悲観、⑭感情抑制、⑮厳密な基準、⑯罰、⑰権利要求・尊大、⑱自制と自律の欠如。
スキーマ療法には「モードモデル」と呼ばれるもう一つのモデルがある。これは、その時にどのスキーマが活性化され、それにどのように対処したかによって、その人の「今・ここ」での体験や感情状態が変化することに注目したモデルである。モードは以下の四種類に分けられ、それぞれに複数の個別のモードが分類される。具体的には、①非機能的チャイルドモード(脆弱なチャイルドモード、怒れるチャイルドモード、衝動的・非自律的チャイルドモードなど)、②非機能的コービングモード(従順・服従モード、遮断・防衛モード、過剰補償モード)、③非機能的ペアレントモード(懲罰的ヘアレントモード、要求的ペアレントモード)、④ヘルシーモード(幸せなチャイルドモード、ヘルシーアダルトモード)である。
パーソナリティ障害の特徴は、彼ら・彼女らが多くの早期不適応的スキーマを強烈にもっていることである。それだけ人生早期に中核的感情欲求が満たされず、傷ついてきたということになるのだろう。また、モードモデルに基づけば、常にそれらの早期不適応的スキーマのどれかが彼ら・彼女らの中で活性化し、それに対して健全な対処ができないので、非機能的チャイルドモード、非機能的コービングモード、非機能的ペアレントモードに陥りやすいという特徴がある。そして、「幸せなチャイルドモード」と「ヘルシーアダルトモード」からなる「ヘルシーモード」が非常に脆弱であり、人生を楽しんだり、自分を助けたりすることがきわめて難しい。
したがってパーソナリティ障害に対するスキーマ療法の目的は、①早期不適応的スキーマを理解し、手放すこと(1)、②自分を幸せで健全な方向に導いてくれる新たな「ハッピースキーマ」を手に入れること(4)、③非機能的なモードを減らし(「非機能的チャイルドモード」の場合はそれを癒し)、ヘルシーモードを育み強化すること、とくに「ヘルシーアダルトモード」を自分の中に確立し、自己を統合すること(3)の三点となる。これらを目的として行われるスキーマ療法において最も重視されるのが「治療的再養育法(limited reparenting)」という治療関係を用いた技法である。これは、セラピストが治療という限られた設定の中で「よき親」としてクライアントとかかわり、クライアントのこころの傷ついた部分に対する再養育を試みる、という技法である。クライアントは治療的再養育法を通じて幼少期に得られなかった健全なアタッチメントを供給され、そこを足がかりにして心理的発達が促される。また、治療的再養育法によって、クライアントの早期不適応的スキーマや非機能的チャイルドモードが癒され、ハッピースキーマやヘルシーモードが徐々に育まれていく。この治療的再養育法は非常にパワフルな技法で、これがスキーマ療法の最大の武器であると筆者は考えている。(後略)

注:(i) 標記「スキーマ療法」については、次の資料やWEBページを参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」、「書評 自分でできるスキーマ療法ワークブック」、「自分でスキーマ療法に取り組む」 加えて、「スキーマは首尾一貫性を保とうとする」こと、「スキーマは心身に染み込んでいる(つまり無意識的である)」こと、そして「スキーマは学習によって形成されるものである」ことを含む、標記「スキーマ療法」におけるスキーマの特性については次の資料を参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「(4)スキーマ療法におけるスキーマの特性」項(P67) その上に、標記「スキーマ療法」の基盤となる心理療法等について、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第5章 スキーマ療法で用いるさまざまな技法 の「スキーマ療法のアプローチ」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『スキーマ療法は,認知行動療法,ゲシュタルト療法,アタッチメント理論,対象関係論,構成主義,そして精神分析における諸学派を基盤とする統合的な心理療法である。』(注:1) この部分の著者はミシェル・ヴァン・フレースワイク,ジェニー・ブレールセン,ジョゼフィーン・ブルー,スザンヌ・ヘイセンです。 2) 引用中の「アタッチメント」は「愛着」とも呼ばれます。 3) 引用中の「対象関係論」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「総説 :イギリス対象関係論」) さらに、標記スキーマ療法も(認知行動療法も)究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」であることについてここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」の形成について、同本の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の「早期不適応的スキーマ」における記述の一部(P42)を次に引用(『 』内)します。 『Youngらは,不適応的スキーマは幼少期において満たされなかった重要な感情欲求を反映しており,ネガティブな体験に対して適応した結果形成されるものと仮定している。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです) 加えて、上記「早期不適応的スキーマ」の一種である「権利要求・尊大」(スキーマ)の別名である『「オレ様・女王様」スキーマ』については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、「臨床的な経験としては、スキーマ療法の早期不適応スキーマが一番、最大公約的な発達性トラウマの視点かなと思う」との記述を有するツイートがあります。また、引用中の「早期不適応的スキーマ」における5つの領域については次の資料を参照して下さい。 「慢性化した抑うつ症状を訴える男性に対する統合的認知行動療法 ――スキーマ療法を併用した症例報告――」の「3. 統合的心理療法としてのスキーマ療法」項 その上に、早期不適応的スキーマの概念については上記『「早期不適応的スキーマ」における5つの領域』を含めて次の資料を参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「2 早期不適応的スキーマの概念」項 (iii) 引用中の「モードモデル」に関連する「スキーマモード」については、 a) 同章の「スキーマモード」における記述の一部(P49)を次に引用(『 』内)します。 『Youngら(2005)によると,スキーマモードは,「常に変化し続けながら,その瞬間その瞬間にその人を支配する心的状態」である。スキーマが長期的で安定した「特性(trait)」であるのに対し,モードは短期的な「状態(state)」である。』 b) 上記「スキーマモード」の他の定義例について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の 第2章 スキーマ療法の概念モデル の「スキーマモード」における記述の一部(P14)を次に引用(【 】内)します。 【EMSが活性化されると,何かが強く反応します。Young(Young et al., 2003)はそのような状態を「スキーマモード」と名づけました。スキーマモードは,「その人が現在体験している,感情、認知,行動,そして神経生理学的な状態」と定義されています。私たちの「自己」というものは完全に統合されているわけではありません。スキーマモードは統合されえぬ自己の一部をそれぞれ反映しています。】(注:引用中の「Young et al., 2003」は次の本です。 「Young, J.E., Klosko, J., & Weishaar, M.E. (2003). Schema therapy: A practitioner's guide. New York: Guilford Press」 2) 引用中の「EMS」は「早期不適応的スキーマ」の略です。) c) ここを参照して下さい。 (iv) 「バカボンのパパ」が引用中の「ヘルシーアダルトモード」のお手本であることについてのツイートはここを参照して下さい。 (v) (早期不適応的)スキーマの外在化に関して、同文書の「事例-BPDに対するスキーマ療法の展開」項における記述の一部(P66)を以下に引用します。 (vi) (早期不適応的)「スキーマ」が活性化した際に生じる身体感覚について、ウェンディ・ビヘイリー著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「病的な自己愛者を身近にもつ人のために あなたを困らせるナルシシストとのつき合い方」(2018年発行)の 第4章 障壁を乗り越える――コミュニケーション上の問題やその他の障害 の「自分の感覚を理解する――脳と身体からのメッセージ」における記述の一部(P113~P115)を以下に引用します。 (vii) 引用中の「スキーマ」と様々に関係する、 a) この「スキーマ」と記憶との関連については同章の「早期不適応的スキーマ」における記述の一部(P42)を次に引用(『 』内)します。 『さまざまな体験は,生後ほどなくして自伝的記憶に蓄積され,それがスキーマとなると考えられている。』(注: 1) 文献の引用は省略しています。 2) 引用中の「自伝的記憶」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「重要な自伝的記憶の想起がアイデンティティの達成度に及ぼす影響」) b) 上記スキーマモードにおけるチャイルドモードの一種である「怒れるチャイルドモード」、「激怒するチャイルドモード」、そして「脆弱なチャイルドモード」(ここも参照すると良いかも)について、同章の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『怒れるチャイルドモード:このモードにある人は,自らの中核的欲求が満たされないために,激しい怒りや苛立ちを感じている。見捨てられ感,屈辱,裏切られた気分などを感じていることもある。怒りを爆発させる小さな子どものように,言語的にも非言語的にも非常にわかりやすく怒りを表出する。』、『激怒するチャイルドモード:このモードにある人は,「怒れるチャイルドモード」と同じ理由で怒りを感じているが,コントロールを失っている。小さな子どもがかんしゃくを起こして親を困らせるのと同じように,人や物を傷つけたり壊したりといった攻撃的かつ有害なやり方で怒りを噴出させる。』、そして『脆弱なチャイルドモード:このモードにある人は,自分の欲求を満たしてくれる人は誰もおらず,人は皆最終的には自分を見捨てるだろうと考えている。他者とは信用できず,自分を虐待してくるものと信じている。自分には価値がなく,他者から拒絶される存在であると思い込んでいる。自分自身を恥ずかしく感じ,疎外感を抱くこともよくある。寂しさと,安心できる居場所がないとの思いから、傷つきやすい子どものようにセラピストにすがりつき,助けを求める。』 c) 同本の 第9章 ヘルシーアダルトモードの強化のためのマインドフルネスとACTの利用 の「スキーマと記憶」における記述の一部(P205)を次に二つ引用(『 』内)します。 『不適応的スキーマとそれに基づく非機能的な戦略は,潜在記憶に頼る部分が大きいことが示唆される。』、『潜在記憶の多くは,身体感覚,感情,知覚,認知,表象,行動傾向,行動反応と関連している。たとえば,われわれは初対面の相手に対して,特に理由もわからずに好感あるいは嫌悪感を抱くことがあるだろう。』(注:1) この部分の著者はピエール・クジノーです。 2) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 3) 引用中の「表象」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) d) 「スキーマ療法にとって,幼少期および思春期におけるライフヒストリーは非常に重要」なことについて、「誤学習」に基づくことを含めてジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の「パートⅡ 同定した問題を理解する -スキーマ療法の概念を用いて-」における記述の一部(P97)を次に引用(【 】内)します。 【スキーマ療法にとって,幼少期および思春期におけるライフヒストリーは非常に重要です。というのも,その人の現在の問題ある行動は,人生の初期段階の苦痛あるいは有害な環境において,正常な欲求が満たされなかったり感情学習に何らかのギャップが生じたりすることによる「誤学習」に基づくと考えられるからです。】 e) 上記スキーマモードの分類とは異なる分類については、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の Lecture スキーマ療法とは何か の『「スキーマモード」という新たなモデル』における記述及び「モードモデルにもとづくスキーマ療法の進め方」における記述の一部(P152~P158)を以下に引用します。 (viii) 一方、引用中の「中核的感情欲求」について、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の P172 の図における記述を次に五分割して引用します。 『1 愛してもらいたい。守ってもらいたい。理解してもらいたい。』、『2 有能な人間になりたい。いろんなことがうまくできるようになりたい。』、『3 自分の感情や思いを自由に表現したい。自分の意志を大切にしたい。』、『4 自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい。』、『5 自律性のある人間になりたい。ある程度自分をコントロールできるしっかりとした人間になりたい。』 (ix) また、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の技法をスキーマ療法の作業モデルに組み込むことの有用性について、同本の 第9章 ヘルシーアダルトモードの強化のためのマインドフルネスとACTの利用 の「終わりに」における記述の一部(P216)を次に引用(『 』内)します。 『スキーマ療法,マインドフルネス,ACTの3つは,魅力的で,非常によく構成された治療モデルである。われわれはスキーマ療法の作業モデルに組み込むことが非常に有用であることを見出した。』(注:1) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 2) 引用中の「ACT」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) (x) 引用中の文献番号「(1)」、「(2)」、「(3)」、「(4)」はそれぞれ次の本又は論文です。「Young, J.E., Klosko, J.S., Weishaar, M.E.: Schema therapy: a practioner's guide. Guilford Press, 2003.(伊藤絵美監訳『スキーマ療法-パーソナリティ障害に対する統合的認知行動療法アプローチ』金剛出版、二〇〇八年)」、「Outpatient psychotherapy for borderline personality disorder: randomized trial of schema-focused therapy vs transference-focused psychotherapy.」、「Arntz, A., Jacob, G.: Schema therapy in practice: an introductory guide to the schema mode approach. Wiley-Blackwell, 2013.(伊藤絵美監訳『スキーマ療法実践ガイド-スキーマモード・アプローチ入門』金剛出版、二〇一五年)」、「伊藤絵美編著、津高京子、大泉久子、森本雅理『スキーマ療法入門-理論と事例で学ぶスキーマ療法の基礎と応用』星和書店、二〇一三年)」 (xi) 引用中の「治療的再養育法」が必要な理由については次の note を参照して下さい。 「19-3.情動世界に分け入るために」の『5.「治療的再養育法」が必要な理由』項 (xii) 引用中の「自動思考」について、伊藤絵美著の本、「折れない心がメモ一枚でできる コーピングのやさしい教科書」(2017年発行)の「Lesson① STEP3 自動思考をつかまえる」における記述の一部(P030)を以下に引用します。加えて、自動思考、スキーマ等の認知は、構成概念であることについてのツイートがあります。 (xiii) 引用はしていませんが、BPDの患者に対しスキーマ療法を本格的に展開するためのお膳立てが必要です。お膳立ての内容例は引用元文書の非引用部に示されています。ちなみに、上記「お膳立て」に関連するかもしれない、 a)「コンテインメント」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「認知行動療法」における成果を上げられる段階に至るまでが大変なことについて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第3編 パーソナリティ障害の治療と克服 の (3)主な治療法 の「③認知行動療法」における記述(P314~P315)を以下に引用します。 c) さらに、人生の危機に直面した方々に対し、科学としての医学には限界があることについて、医療少年院に勤めた経験がある岡田尊司著の本、「生きるための哲学」(2016年発行)の「はじめに 生きづらさを抱えた人に」における記述の一部(P3~P5)を以下に引用します。加えて、「STAIR&NST」(感情と対人関係の調整スキル・トレーニングとナラティブ・ストーリー・テリング(参照)では、第1段階の STAIR が 第2段階の NST の準備(お膳立て)になっているようです。 (xiv) 引用中の「損害と疾病に対する脆弱性」スキーマを説明例として、上記本「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(『 』内)記述があります。 『損害や疾病に対する脆弱性スキーマ:このスキーマをもつ人は,自分や重要他者が今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです) 加えてこのスキーマ等の活性化により、身体的な徴候や感覚がきっかけとなって、破局的な思考が引き起こされる方の事例として、上記本の 第7章 スキーマ療法,マインドフルネス,そして ACT の「事例1」における記述の一部(P184~P185)を以下に引用します。

(前略)わたしたちの頭のなかでは、朝から晩まで、さまざまな考えやイメージが浮かんでは消えていくことが繰り返されて、これを心理学では「自動思考」と呼びます。

スキーマ分析はクライアントにとって痛みの伴う作業だが、このようにこれまでスキーマとはわからずに内在化されていたつらい思いが、スキーマとして外在化され、客観視できるようになると(スキーマの自我違和化)、それだけでかなり楽になる人が多い。(後略)

注:引用中の「スキーマ分析」及び「外在化」にも関連する、「スキーマ療法におけるケースフォーミュレーション」が不可欠なことについて、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「パーソナリティ障害:Young のスキーマ療法」の Ⅱ スキーマ療法におけるケースフォーミュレーション の「1. CFの重要性とその効果」における記述の一部(P185)を以下に引用します。なお、上記「CF」はケースフォーミュレーションの略です。

前述の通り CBT において CF は不可欠であり,CBT の発展型である ST でも同様に CF は不可欠である。CBT も ST も「解決志向」ではなく「問題解決志向」のアプローチである。すなわち最初から解決を目指すのではなく(解決志向),むしろ解決に向けてまずは目の前にある問題に焦点を当て,問題についての情報を収集し,問題のメカニズムを明確化,共有するところから始めるのである(問題志向)。この「共有」というのが非常に重要で,セラピストだけがクライアントの抱える問題を理解するのではなく,クライアントと共に CF の作業を進め,理解したことは全て共有するプロセスを通じて,両者の共通理解を練り上げていくこと自体が治療的に機能する。特に CBT も ST も理解したことを外在化する(紙などの媒体に書き出す)作業を重視しており,CF の成果が目に見えるものとなることの効果が大きい。今まで自分の中でもやもやしていた正体不明の「生きづらさ」が,外在化され,眺められる形になるからである。
実際に筆者が担当する ST のケースでも,CF を通じて自己理解が深まった時点で,だいぶ回復が進むことが少なくない。自分の抱える生きづらさを,自らの成育歴を振り返り,それがいかなるスキーマ(EMS)やモードにつながっているか,そのことで日々どのようなストレス体験をするに至っているのか,といったことを,単に頭で理知的に理解するだけでなく,感情を含めて「腑に落ちる」体験となる。(中略)

さらに BPD 当事者には幼少期や思春期に被虐待体験などトラウマを有する人が多く,CF を通じて,「自分はよく生き延びてきた」「こんな大変な中,死なずによく頑張ってきた」というように,自己認識が肯定的なものに変化し,セルフコンパッションが進むこともよくある。このように ST における CF は「問題の理解」を促進するのみならず,CF それ自体がさまざまな効果を生み出すのである。

注:i) 引用中の「CBT」、「ST」はそれぞれ「認知行動療法」、「スキーマ療法」の略です。 ii) 引用中の「EMS」は「早期不適的スキーマ」(参照)の略です。 iii) 引用中の「モード」ついてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害(他の拙エントリのリンク集を参照)の略です。 v) 引用中の「ST でも同様に CF は不可欠である」ことに関連する「スキーマ療法においては,治療を開始する前に,問題についてできる限り詳細に整理しておくことがきわめて重要である」ことについて、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の「第4章 スキーマ療法におけるケース概念化について」における記述の一部(P97)を次に引用します。

スキーマ療法においては,治療を開始する前に,問題についてできる限り詳細に整理しておくことがきわめて重要である(たとえば Young, Klosko and Weishaar, 2003; Beck, Freeman,Davis and Associates, 2004; Arntz and van Genderen, 2009)。そうすることで どのスキーマがどういった役割を果たし,またそれが何に由来し,現在の問題にどのように影響を与えているかについて,セラピストもクライアントもより深く理解することができる。また,問題についてできる限り詳細に整理することによって,セラピストは,クライアントの問題を十分に理解することができるようになる。さらに重要なのは,クライアント自身の言葉で表現され,セラピストとクライアント双方に共有されたかたちで問題を定式化することである。ケース概念化を適切に行うことによって,治療計画を立てることが格段に容易になり,治療関係を形成するにあたって有益な指針を得ることができる。(後略)

注:この引用部の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレンです。 ii) 引用中の「Young, Klosko and Weishaar, 2003」は次の本です。 「Young, J. E., Klosko, J.S. and Weishaar, M. E. (2003) Schema Therapy: a Practitioner's Guide. New York: Guilford Press.」 iii) 引用中の「Beck, Freeman,Davis and Associates, 2004」は次の本です。 「Beck, A. T., Freeman, A., Davis, D. et al. (2004) Cognitive Theory of Personality Disorders. New York: Guilford Press.」 iv) 引用中の「Arntz and van Genderen, 2009」は次の本です。 「Arntz, A. and Genderen, H. van (2009) Schema Therapy for Borderline Personality Disorders. Chichester: Wiley-Blackwell.」

(前略)スキーマが活性化すると、たとえば以下のような身体感覚が生じます。
・心拍数の増加
・血圧の上昇
・体温の上昇
・呼吸数の増加
・額や手のひらの発汗
・吐き気や胃の痛み
・喉の硬直や詰まり
・口の渇き
・唇の震え
・手足のピリピリ感
・首、背中、関節に突然生じるこわばり
・めまい
・涙が止まらなくなる
・眠気
・身体の一部の痛み、または麻痺
・頭が真っ白になる
・感覚過敏あるいは感覚鈍麻:聴覚、嗅覚、視覚、味覚、触覚

なぜこのような反応が生じるのでしょうか? それは、スキーマが感覚システムと「共謀」して、脳と身体がメッセージを送り合うからです。その結果、内的な反応ががあなたに「警報」を発します。しかしその警報は誤報であることが少なくなく、あなたはその誤報に基づいて、不要な自己防衛行動をとることになってしまいます。ここでの問題は「脳は騙されうる」ということです。脳にとって、今感じている胃痛が、ウィルス感染によるものか、長期にわたるナルシシストとの闘いからくるものなのかを区別することは、容易ではありません。(後略)

注:i) 引用中の「ナルシシスト」とは、この引用元の本「スキーマ理論におけるコーピング反応について」の「監訳者まえがき」の Pvi によると「周囲の人を傷つける、不健全な自己愛の持ち主」とのことです。 ii) 引用中の「自己防衛行動」に関連するかもしれない(麻痺を含む)「闘争-逃走反応」について、この引用元の本「スキーマ理論におけるコーピング反応について」の 第2章 パーソナリティ構造を理解する の「スキーマ理論におけるコーピング反応について」における記述の一部(P65~P66)を次に引用します。

人間の本質として、私たちの脳は、危険を知らせる脅威に対し、「闘争-逃走反応」によって応じるように配線されています。ただしこの呼び方は正確ではなく、脅威に対する反応には、実際には以下の三種類が挙げられます。一つ目は「闘争」で、これは闘ったり反撃したりすることです。二つ目は「逃走」で、危険から逃げるか、さもなければ危険を回避しようとします。三つ目は「麻痺」で、脅威に屈したり服従したりすることを言います。通常スキーマが活性化すると、強烈な感情や思考、そして身体反応が生じ、それがその人にとって大きな脅威となります。同時に人生早期の不適応的な体験によって形成された自己破壊的な行動が生じます。スキーマに埋め込まれた記憶と類似する現在の状況が、脳と身体に対して強烈なメッセージを伝えます。脳は脅威を認識し、スキーマと闘うか、スキーマから逃げるか、あるいはスキーマに服従するか、そのどれかの方法で反応しようとします。どの反応であっても、それはスキーマが私たちを支配する力を維持する方向に機能します。それは「内なる怪人」のようなものです。怪人との闘いは泥沼化する一方です。先にも述べたように、スキーマはあなた自身がその背景に気づかないまま、半ば無意識的に活性化します。あなたが気づくのは、目の前の「意味ありげな状況刺激」から自分が何らかの危険や脅威を読み取って、自らが反応してしまっているということだけです。(後略)

注:(i) 標記「(不適応的)スキーマ」についてはここを参照して下さい。 (ii) 上記「スキーマ理論におけるコーピング反応」に関連する(コーピングモードにおける)「4つの選択肢」[すなわち、「闘う(闘争)」「逃げる(逃走)」「固まる(麻痺)」,そして「ヘルシーアダルトモードへのアクセス」]について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の パートⅣ 変化の始まり の『モジュール9 「不適応的コーピングモード」に対する「モード・マネジメント・プラン」』における記述の一部(P152)を次に引用(【 】内)します。 【「コーピングモード」は自動化されており,意識的に選択できるようにはとても思えないかもしれません。実際にはどんな状況であれ,私たちには4つの選択肢があります。それは,「闘う(闘争)」「逃げる(逃走)」「固まる(麻痺)」,そして「ヘルシーアダルトモードへのアクセス」です。私たちは,非機能的なモードが活性化したことに早めに気づくことができれば,そのモードに基づく行動を起こす前に,別の行動を選択することができます。】(注:a) 引用中の「ヘルシーアダルトモード」についてはここを参照して下さい。 b) 上記「モード」に関連する「モードモデル」についてはここを参照して下さい。 c) 上記「不適応的コーピングモード」に関連する「不適応的なコーピング」については次の (v) 項の引用を参照して下さい。) (iii) 引用中の「闘争-逃走反応」については複雑性PTSDの視点から他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、トラウマの視点からは他の拙エントリのここここを参照して下さい。) (iv) さらに、引用中の「麻痺」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論(又は多重迷走神経理論、他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からの「シャットダウン」「擬死」等については他の拙エントリのここここ、そして次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項(P350)[注:上記「麻痺」に関連するかもしれない「凍りつき」については他の拙エントリのここにおける「注」を参照して下さい] (v) 標記「スキーマ理論におけるコーピング反応」に類似する、(スキーマ療法[ST]における早期不適応的スキーマ[EMS、ここを参照]の理論モデルの重要な概念としての)「スキーマに対するコーピング」について、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「パーソナリティ障害:Young のスキーマ療法」の Ⅰ はじめに:スキーマ療法概論 の「2. スキーマ療法の理論モデル」における記述の一部(P182)を次に引用します。

(前略)ST では,より生きづらい人,人と関わることがより難しい人,自分のことがより受け入れられない人は,より多くの EMS をより強烈に有する,と想定する。そして「より生きづらい人」の中心に位置づけられるのが、BPD をはじめとするパーソナリティ障害を持つ人であると考える。EMS の理論モデルには他に「スキーマに対するコーピング」という重要な概念がある。これは,EMS に対して「服従する(スキーマの言いなりになる)」か「回避する(スキーマが活性化する状況を避ける)」か「過剰補償する(スキーマと逆の行動を過剰に取る)」か,というスキーマに対する不適応的なコーピングのことで,この3つはストレッサーに対して「麻痺する」「逃走する」「闘争する」という3つのストレス反応に対応している。EMS に対して不適応的なコーピングを取ることで,EMS はますます強化され,その人はますます生きづらくなる,というのが ST の理論である。(後略)

注:i) 引用中の『「麻痺する」「逃走する」「闘争する」』についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「BPD をはじめとするパーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 なお上記「BPD」は境界性パーソナリティ障害のことです。

「スキーマモード」という新たなモデル

スキーマ療法は当初、上記の「早期不適応的スキーマ」のモデルにもとづいて構築されましたが、後に「スキーマモード」という新たなモデルが追加されました。スキーマモードとは、「今現在、その人はどのような感情状態にあるか」ということを表した用語です。ある状況であるスキーマが活性化されると、それによってさまざまな自動思考が生じ、さまざまな気分・感情が発生します。その時々の自動思考や気分・感情をひっくるめて、それをモードと呼ぶことにしたのです。さまざまな状況や場においてさまざまな自動思考や気分・感情が私たちには生じますから、モードは無数にあると考えられます。その無数にあり得るモードを次の五つに分類しました。

◎傷ついた子どもモード
自分の内なる「子ども」の部分が傷ついて、悲しんだり、さみしがったり、おびえたり、怒ったり、すねたりしているモードです。

◎傷つける大人モード
幼少期に自分を傷つけてきた大人の声が自分のなかに残っており、その声がモードとなって自分を攻撃したり、要求したりするのが、このモードです。

◎いただけない対処モード
早期不適応的スキーマから自分を救おうとするのですが(例:寝逃げをする、相手に逆ギレする、酒に逃げる、過剰に仕事に没頭する、誰ともつきあわない)、それが結果的に自分助けになっていない場合、それを《いただけない対処モード》と呼びます。

◎ヘルシーモード(幸せな子どもモード)
自分の内なる「幸せな子ども」のことです。大人の私たちでも、安全な環境のなかで、遊んだり、楽しんだり、喜んだり、リラックスしたり、誰かに世話をしてもらったりすると、このモードに入ります。

◎ヘルシーモード(ヘルシーな大人モード)
「健全な大人の自我機能」がこのモードです。このモードが自分のなかに司令塔としてしっかりと機能していれば、その人は自分の体験をマインドフルに受け止め、必要な自分助けをすることができます。他者とも健全な関係を結び、助け合うことができます。

モードモデルにもとづくスキーマ療法の進め方

この新たなモードモデルにもとづいてスキーマ療法を進める場合は、以下のような流れになります。

(1)自分が今どのモードに入っているのかに気づけるようになる必要があります。認知行動療法でセルフモニタリングの練習が十分にできていれば、モードへの気づさはさほど難しくありません。
(2)イメージのなかで各モードに対して適切な対応をします。それを「モードワーク」と呼びます。具体的には次のように行います。

◎傷ついた子どもモードに対して
その子どもの感情を理解し、受け止め、適切に癒します。たとえば、さみしがってしくしく泣いている子どもモードであれば、そのモードに対して、「さみしかったんだね。それはつらかったね。さみしい思いをさせちゃってごめんね。でももう大丈夫だよ。私がついているから。私がー緒にいるから」と言うことができます。治療的再養育法のー環として、セラピストや他の養育者のイメージがそのように声かけをしてあげることもできます。

◎傷つける大人モードに対して
《傷つける大人モード》の言いなりになると、ますます傷つくので、基本的には出て行ってもらいます。たとえば「お前のようなダメ人間は生きている意味がない。死んでしまえばいい」といった声を、《傷つける大人モード》が投げつけてきた場合、「なんてひどいことを言うの! あなたの言い分を聞けば聞くほど傷つくばかりだから、もうこれ以上聞きたくない! 出て行って! もう二度と来ないで!」と言って《傷つける大人モード》を追い出すことができます。
これもセラピストや他の養育者のイメージが前面に出て行き、「私の大事な○○ちゃんに何てひどいことを言うの! ○○ちゃんがこんなことをあなたに言われる筋合いはない。生きている意味がない人間なんてこの世に一人もいないんだ! そんなこともわからないのであれば、もう出て行ってちょうだい。そして二度と○○ちゃんのところには来ないでよ!」と《傷つける大人モード》を撃退することができます(治療的再養育法)。

◎いただけない対処モードに対して
一見自分助けのように見えながら、実際には助けになっていないというのがこのモードの特徴です。したがってこのモードに入りかけたこと、あるいは入ってしまったことに気がついたら、「対処しようとしているのはわかるけれども、そのやり方では、本当の助けにはならないんだよね。だから引退してくれる?」と言って、このモードに退いてもらう必要があります。
当初、クライアントはなかなかこのモードから離れられないことが多いので、ここでも治療的再養育法を用いて、セラピストや他の養育者のイメージが、このモードに対して、「○○ちゃんを助けてくれようとしているのはわかるけれども、残念ながら結果的に助けになっていないんだよね。なのでもうそろそろ引退してくれないかな。今までお疲れ様でした」と言って退いてもらうことができます。

◎幸せな子どもモードに対して
これはヘルシーなモードですから、このモードが出てきたら、「よかったね」「安心しているんだね」「楽しいんだね」と見守ってあげるとよいでしょう。治療的再養育法の一環としては、セラピストや他の養育者がイメージのなかで「一緒に遊ぼうか」と声をかけて一緒に遊ぶこともできます。

◎ヘルシーな大人モードに対して
このモードに限っては、このモードに対して何かをするというのではなく、スキーマ療法におけるさまざまな取り組みを通じて、とにかくこのモードを育み、強化していくに限ります。認知行動療法やマインドフルネスを習得すること自体がこのモードを強めてくれます。またセラピストなどによる治療的再養育法を何度も見聞きすることで、それをモデルとして自分のなかにこのモードをつくっていくこともできます。
このモードが強くなればなるほど、クライアント自身で、《傷ついた子どもモード》を癒し、《傷つける大人モード》を退け、《いただけない対処モード》に引退してもらい、《幸せな子どもモード》を温かく見守れるようになります。
実際には「早期不適応的スキーマ」のモデルと「スキーマモード」のモデルを適宜組み合わせてスキーマ療法を進めていきます。たとえば上記のモードワークを何度も繰り返すことにより、「早期不適応的スキーマ」の代わりとなる「ハッピースキーマ」が形成されたりすることはよくあることです。(後略)

注:i) 引用中の「早期不適応的スキーマ」、「スキーマモード」、「治療的再養育法」及び「ハッピースキーマ」については、共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「いただけない対処モード:に関連する「遮断・防衛モード」及び「遮断・自己鎮静モード」について、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『遮断・防衛モード:このモードにある人は,強い感情は危険で手に負えないものと信じており,それらを遮断する。社会的接触を断ち,感情を遮断しようとする(解離が生じることもある)。空虚感や退屈した気分,離人感などが生じる。他者を一定の距離以上寄せつけず,冷淡で悲観的な態度をとる。』、『遮断・自己鎮静モード:このモードにある人は,ネガティブな感情を感じないようにするために気晴らしになるものを探し求める。自己鎮静化行動(例:眠ることや薬物依存),あるいは自己刺激的な活動(例:仕事やインターネット,スポーツ,セックス等に没頭する)を行うことによって感情を遮断する。』(注:この部分の著者は共にハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。)

③認知行動療法

間違った信念に基づく自動思考や否定的思考を、問題が生じるたびにチェックし、そう思ってしまう根拠や本当にそうなのかを問い直すことで修正を図っていきます。患者のセルフヘルプを重要視し、自らが行う宿題を与え、記録させます。
境界性パーソナリティ障害の場合、自分は欠陥品なので、どうせ見捨てられてしまうという信念を抱いています。そのためにしがみつき行動や試しが繰り返されます。根底にある信念を自覚させ、それが妥当性を欠いたものであることを悟らせることで、行動が次第に変化していきます。
また、境界性パーソナリティ障害によく見られる二分法的な思考の修正も図られます。二分法的な思考が改善すると、行動も衝動的で両極端なものから、安定したものに変わっていきます。
ただ、愛着が非常に不安定なケースでは、自分の「偏った」認知を指摘されたり、修正する作業が、自分を否定されているように感じてしまい、つらい作業になりがちです。ドロップアウトすることも多いと言えます。認知行動療法を、機械的で、冷たく、受け止めてもらえなかったと感じる人もいます。不安定なタイプの人ほど、感情面に深い傷を負っており、もっと手前の段階の手当てを必要としているからです。ある意味、認知行動療法が成果を上げられる段階に至るまでが大変なのです。治療が続けられるように、共感的な対応の部分も大事だと言えるでしょう。

注:i) 引用中の「認知行動療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の紹介」、「認知行動療法を使ってこころのスキルアップ」 加えて、この「認知行動療法」におけるうつ病に対する資料を次に紹介します。 「うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)」 ちなみに、上記引用中の「認知行動療法」は、主に精神科医アーロン・ベックによって創始された認知療法のことであると本エントリ作者は考えます。他の拙エントリのここも参照して下さい。 ii) 引用中の「ある意味、認知行動療法が成果を上げられる段階に至るまでが大変なのです」に関連するかもしれない、「境界性パーソナリティ障害(BPD、他の拙エントリのリンク集を参照)に対して、従来の標準的な認知行動療法(CBT)ではとうてい間に合わない」ことについて、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の 私はなぜこの本を書いたのか長いまえがき の「標準的な認知行動療法では間に合わない」における記述の一部(P018)を次に引用(『 』内)します。 『しかしBPDに対しては、従来の標準的なCBTではとうてい間に合わないし(後略)』 加えて、認知行動療法においても、セルフモニタリングによる気づきが必要なことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自動思考」についてはここ及び資料「うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)」の P5 をそれぞれ参照して下さい。 iv) 引用中の「信念」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

はじめに 生きづらさを抱えた人に(中略)

私は重い試練を抱え、人生の危機に直面した人々と向かい合ってきた。その中で、ひしと感じるようになったことは、科学的アプローチや科学としての医学だけでは、人は救われないということである。重い困難ほど、それを乗り越えるためには、形而上の精神的な営みが必要だと教えられた。そうした局面に立たされたとき、科学的合理主義には明らかな限界がある。合理的な理屈をいくら振り回しても、気持ちを汲むことも、助けになることもできず、事態をこじらせるだけで、なんの役にも立たないことも多い。(後略)

事例1

39歳のマリーは,13歳と15歳の2人の娘の母親である。(中略)彼女は,自分の健康全般について不安を訴え,治療を受けに来た。彼女は頭痛に悩まされており,不整脈を抱えていた。(中略)

彼女は,Youngスキーマ質問票において、「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」と「失敗スキーマ」の項目で非常に高い得点を示した。そこまで高くはないが「自分に対する罰スキーマ」にもそれなりの得点がみられた。これらのスキーマの引き金を探すのはさほど難しくなかった。マリーの場合,何らかの身体的な徴候や感覚がきっかけとなって,これらのスキーマに基づく破局的な思考が引き起こされていた。(中略)

マリーは,不確かなことに対しては非常に攻撃的になりやすく,何かに対して結論を出す際はそれがいっさい妥協のない「きっぱりとしたもの」であることを求めた。このことに焦点を当て始めた頃,われわれは治療方針を変更することにした。マリーは,人間の知識や力に限界があるのは当たり前だということが,いかに自分とっては受け容れがたいものであるかということに気がついた。彼女はまた,自分が何もしないようにすることは,何かをしようとするよりもはるかに難しいと気がついた。たとえば,マリーにとっては「庭にたたずみ,ただ鳥の声を聞く」ことよりも,「新しい医療サイトを探すためにネットサーフィンをする」ことのほうがはるかにたやすいのである。そこで,治療にマインドフルネスが導入された。彼女は,日々の不可解な身体感覚との闘いの中に,少しずつ平穏な瞬間を得ることができるようになっていった。そしてついに、マリーは感情の波に激しくなりそうなまさにその瞬間にも,穏やかな意識を保つことができるようになった。(後略)

注:(i) この引用における著者はエルウィン・パーフィです。 (ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) ちなみに、 a) この「マインドフルネス」が強烈に活性化されたスキーマに対抗しうるものについては、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の 第8章 スキーマ療法におけるマインドフルネスとアクセプタンスの重要な役割 の「まとめと今後の展望」における記述の一部(P200)を次に引用(『 』内)します。 『マインドフルネスは,強烈に活性化されたスキーマに対抗しうるものであり(図 8.1 を参照),われわれが自分の体験に距離を置き,十分に内省的であることを可能にしてくれる。つまり,マインドフルネスは感情の荒波に溺れそうになったわれわれを助け出してくれるのである。』(注:1) この引用部の著者はエッカード・ローディガーです。 2) 引用中の「図 8.1」の引用は省略します。) b) 引用中の「スキーマ」と記憶との関連はここを参照して下さい。 c) 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」の説明としての、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(【 】内)記述があります。【損害や疾病に対する脆弱性スキーマ:このスキーマをもつ人は,自分や重要他者が今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている。】(注:[1] この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。 [2] 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」については次の資料も参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「7.損害や疫病に対する脆弱性スキーマ」項[P70] [3] 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に類似するかもしれない、 A) 「この世は何があるかわからないし、自分はいとも簡単にやられてしまう」スキーマについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「自分でスキーマ療法に取り組む」の「この世は何があるかわからないし、自分はいとも簡単にやられてしまう」項 B) 「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」不適応的スキーマの解説について、伊藤絵美著の本、「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK2」(2016年発行)の 第1章 スキーマ療法 その1 の 18の早期不適応的スキーマ の『⑦「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」スキーマ』における記述(P050)を以下に引用します。 [4] 引用中の「今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている」ことに関連するかもしれないトラウマの視点からの『あるレベルでは「危機は過ぎ去った」と認識しているのに、内側にあるもの、すなわち体中で沸き立つ感覚が、″破局が差し迫っている″と警鐘を鳴らし続ける』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。) なお上記スキーマとも関連するかもしれない、認知療法の視点からの「不安に伴う認知」について、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の井上和臣著の文書「不安障害:認知療法のケースフォーミュレーション」の「Ⅵ 認知的概念化:不安障害一般」における記述の一部(P147)を次に引用(【 】内)します。 【不安に伴う認知は,「大変なことが起こりそうだ,しかし,私にはどうすることもできない」と平易に表現できる。危険や脅威の過大視とともに自らの対処能について過少視があることも,見逃せない不安障害の特徴である。不安=危険・脅威/資源・工夫という,不安の方程式は心理教育として活用できる。】(注:引用中の「不安障害」に関連する「不安症」については次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」) 加えて、上記「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」のみならず、「情緒的剥奪スキーマ」、「自制と自立の欠如スキーマ」は、成人の自閉スペクトラム症(又は自閉症スペクトラム障害、参照)の方々にとって、特徴的なスキーマ(注:スキーマの名称は若干異なりますが)であるとの主旨の記述がある資料は次を参照して下さい。 「成人の自閉症スペクトラム障害患者に対する認知行動療法の開発および効果研究の「4. 研究成果」項 加えて、上記後二者のスキーマを説明する記述としては、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(『 』内)説明があります。『情緒的剥奪スキーマ:このスキーマをもつ人は,他者は自分の基本的な欲求(例:サポート,養育,共感,保護)を決して満たしてくれない,あるいは不適切な満たし方をする存在であるととらえている。孤立感や淋しさを抱きやすい。』、『自制と自立の欠如スキーマ:このスキーマをもつ人は,欲求不満耐性がなく,自分の感情や衝動をコントロールすることができない。不満や不快(痛み,葛藤,過度の努力など)に耐えることができない。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです)

⑦「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」スキーマ
[解説]ちょっと長い名前のスキーマですが、その名のとおり、「この世にはどんな恐ろしいことが起こるかわかりはしない」「自分の身に、いつ、どんな恐ろしいことが起きてもおかしくはない」という思いと、「そんなことが起きたら、自分は弱いからそれに太刀打ちできない」「自分はそれを防ぐこともできないし、対処することもできない」「自分はそれにやられっぱなしになるに違いない」「自分にはどうにもできない」という思いが合体したスキーマです。ちなみに「恐ろしいこと」とは、たとえば心臓発作や発狂など自分自身のことと、自然災害や事故や事件など外的なことの両方が含まれます。
*このスキーマを持つ人の特徴……「何か起きるのではないか?」「起きたらどうしよう」と、常にびくびく怯え、警戒しています。自分の身体の異変や周囲の状況の変化に敏感で、何か変化を感じると「どうしよう」とさらに怯えます。実際に何かことが起きると、恐怖のあまり固まってしまったり、一目散にその場から逃げ出したりします。

一方、「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適応可能性」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「複雑性PTSDに対するスキーマ療法」、「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用可能性」 加えて、複雑性トラウマに対するスキーマ療法に関連する論文要旨を以下に紹介します。その上に、トラウマを含む傷つき体験等により作られる不適応的スキーマについて簡単に紹介します。さらに「イメージの書き換え」を含む複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「スキーマ療法――複雑性PTSDへの治療」の「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例」項における記述(P108~P110)を以下に引用します。なお、引用中の「ST」はスキーマ療法の略です。この引用に類似する記述は上記資料の「Ⅲ.複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例」項を参照して下さい。

論文要旨「'Teaching Me to Parent Myself': The Feasibility of an In-Patient Group Schema Therapy Programme for Complex Trauma.[拙訳]“自分自身を養育するために自分に教えること”:複雑性トラウマのための入院患者のグループスキーマ療法プログラムのフィジビリティ(実現可能性)」を次に引用します。

BACKGROUND:
Group schema therapy is an emerging treatment for personality and other psychiatric disorders. It may be particularly suited to individuals with complex trauma given that early abuse is likely to create maladaptive schemas.

AIMS:
This pilot study explored the feasibility and effectiveness of a 4-week in-patient group schema therapy programme for adults with complex trauma in a psychiatric hospital setting.

METHOD:
Thirty-six participants with complex trauma syndrome participated in this open trial. Treatment consisted of 60 hours of group schema therapy and 4 hours of individual schema therapy administered over 4 weeks. Feasibility measures included drop-out rates, qualitative interviews with participants to determine programme acceptability and measures of psychiatric symptoms, self-esteem, quality of life and schema modes pre-, post- and 3 months following the intervention.

RESULTS:
Drop-out rate for the 4-week program was 11%. Thematic analysis of interview transcripts revealed four major themes: connection, mode language explained emotional states, identifying the origin of the problem and the emotional activation of the programme. Measures of psychiatric symptoms, self-esteem and quality of life showed improvement post-treatment and at 3 months post-treatment. There was a reduction in most maladaptive schema modes pre-/post-treatment.

CONCLUSIONS:
A group schema therapy approach for complex trauma is feasible and demonstrates positive effects on psychiatric symptoms and maladaptive schemas.


[拙訳]
背景:
グループスキーマ療法は、パーソナリティ及び他の精神障害の新たな治療法である。早期の虐待が早期不適応的スキーマを作成する可能性があることを考えると、複雑な外傷を有する個人に特に適している可能性がある。

目的:
このパイロット研究では、精神病院セッティングにおいて複雑性トラウマを伴う成人に対する4週間の入院患者のグループスキーマ治療プログラムのフィジビリティ及び有効性を探求した。

方法:
このオープン試験に複雑性トラウマを伴う36人が参加した。60時間のグループスキーマ療法及び4時間の個別スキーマ療法からなる4週間にわたる治療が施された。フィジビリティの測定には、脱落率、そしてプログラムの認容性及び介入前、介入後、介入後から3ヶ月後での精神症状、自尊心、生活の質、並びにスキーマモードの測定を確定するための参加者に対する質的インタビューが含まれた。

結果:
4週間のプログラムの脱落率は11%であった。インタビュー記録のテーマ分析で、4つの主要テーマを明らかにした:つながり、情動状態を説明した(スキーマ)モードの言語、問題の起源及びプログラムの情動的活性化の同定。精神症状、自尊心及び生活の質の測定では、治療後及び治療後から3ヶ月後で改善が示された。治療前/治療後のほとんどの不適応的スキーマモードにおける低下があった。

結論:
複雑性トラウマに対するグループスキーマ療法アプローチはフィジブル(実現可能)であり、そして精神症状及び不適応的スキーマに対するポジティブな効果を実証する。

注:引用中の「スキーマモード」に関連するスキーマ療法における「モードモデル」についてはここ及びここここを参照して下さい。

複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例

以下に事例(12)を紹介する。
M(女性)はセラピー開始時に三二歳で、総合病院の看護師。独身で、独り暮らしをしていた。
会社員の父親、パート勤務の母親の第一子として出生。母親はいつも不機嫌でヒステリック。父親はMに無関心。五歳時に両親が離婚し、父親がMを連れて、自身の実家に身を寄せ、Mの養育を両親(Mの祖父母)に委ねる。七歳時に父親が再婚して家を出たことをきっかけに、養子縁組をして租父母の「養女」となる。もともと冷淡な租母だったが、Mが養女になって以来、身体的暴力と言葉の暴力が始まる。租父は大人しい人で、はじめは優しかったが、九歳時より性的虐待が始まる。この頃から解離症状が生じる。学校では目立たないようにしており、いじめられはしなかったが、陰口をたたかれ、友たちはいなかった。高卒後上京し就職するも、上司にレイプされ妊娠する。退職して中絶し、その頃より抑うつ症状など精神症状が生じ、断続的に通院しつつ、二〇代は荒れた生活を送る。一度結婚するもすぐに離婚。自殺を試みるも死にきれず、「死ねないなら何とか生きていくしかない」と看護学校に進学し、看護師の資格を取り、病院に就職したのが三一歳時。表向きは適応するも、心理的には苦しいままで、何とか自分を立て直そうとして、セラピーを受けに来る。
初回面接時のMの主訴は以下の三点。①気分の波が激しすぎる。②自分の行動をコントロールできない。③人とまともに関われない。人を信じられない。
セラピー開始当初、そもそも予約時間に来られない、セラピストに対する感情的なゆらぎ、慢性的な希死念慮と自殺企図の危険、アルコール乱用と頻繁な過食嘔吐、危険な自傷行為、見知らぬ人との喧嘩など、いわゆる「問題行動」に対してハームリダクション的な関わりを行った。すなわち、これらの行動を「なくす」のではなく「なるべく減らす」ためのコービングを一緒に考え、実施してもらった。その中で明らかになったのは、STで言うところの「遮断・防衛モード」が強力で、そのおかげで仕事中は「看護師ロボットモード」として稼働できるが、そのモードのせいで感情が遮断され、内的な体験にまったくアクセスできないということである。そこでマインドフルネスのワークを時間をかけて体験し、身体感覚や感情や自動思考など、生々しい内的体験にアクセスできるようになってもらった。
ここから本格的なSTが開始された。STの心理教育を行い、治療的再養育法の中でセラピストが養育的な関わりをすることについて了承を得た(たとえばチャイルドモードを「Mちゃん」と呼ぶなど)。毎回セラピストが渡すアロマコットンや、動物のぬいぐるみを移行対象や「安心安全」を確保する儀式として使用することにした。そして幼少期や思春期の体験を詳細に共有し、満たされなかった感情欲求は何か、形成された早期不適応的スキーマは何か、それが普段の生活でどのように活性化し、どのようなスキーマモードに入りやすいのか、といったケースフォーミュレーションを行った。その後、スキーマを手放し、「脆弱なチャイルドモード」を癒し、「幸せなチャイルドモード」を育み、「ヘルシーアダルトモード」を強化するための、様々な介入を行った。特に祖母からの暴力、祖父からの性的虐待、就職後のレイプ被害については「イメージの書き換え」のワークを行い、セラピストやMの「ヘルシーアダルトモード」がMのイメージに入り込み、暴力を未然に防いたり、祖父母の家を出て行ってセラピストと安全に暮らしたり、レイプ加害者を撃退したりする書き換えを行い、トラウマが処理された。健全なスキーマやモードが十分に確立され、職場やプライベートで新たな対人関係が形成されたり、日常生活を楽しんだり、仕事にやりがいを感じられたりするようになったことを見届けて、セラピーは終結となった。終結まで約六年間が経過した。
以下にMと実施した「イメージの書き換え」について具体的に紹介する。
①夜になると祖母に強制的に電気を消されて消灯するが、その後祖父がMの布団に入ってきて性器を触ったり触らせたりするということが日常的に起きるので、Mは消灯後布団の中で夜な夜な怯えていた。その場面をMとセラピストは共にイメージし、セラピストはMの部屋を訪れ、Mの欲求を訊く。Mは「ここにいたくない」と訴える。そこでセラピストはMを安全な場所に連れて行くことにする。Mは「お菓子の家に住みたい」と言い、セラピストとMは租父母が絶対に訪れることのない「お菓子の家」をイメージし、そこで安心して暮らすことにする。
②夕食時、Mの言動が気に入らない租母が暴言を吐き、さらにピンタを加えようとする。その場面にセラピストが入り込み、Mをセラピストの背後に守り、祖母がしていることは児童虐待であり、決してしてはならないことであることをきっぱりとつきつける。はじめ祖母は反論してきたが、セラピストが「虐待は許されない。次にやったら児童相談所に通報する」と毅然と言い続けたところ、祖母は二度と虐待をしないと約束する。Mは安心して食事を再開する。
③職場で残業をしていると上司が近づいてきて、身体に触ろうとしてくる(実際にはこの後にレイプが起きた)。Mの「ヘルシーアダルトモード」がその場面に入り込み、許可を得ずに他人の身体を触るなと告げ、イメージの中の「一八歳のMちゃん」への謝罪を求める。「ヘルシーアダルトモード」の剣幕に気圧された上司はMちゃんに謝罪する。それでも上司を許せない「ヘルシーアダルトモード」は上司を部屋から力づくで追い出し、鍵をかけてMちゃんを保護する。

注:i) 引用中の文献番号「(12)」は次の本です。 「伊藤絵美『ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法BOOK1&2』医学書院、二〇一六年」 ii) 引用中の「治療的再養育法」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ケースフォーミュレーション」についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「スキーマモード」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「遮断・防衛モード」のより詳細な説明として、編者、監訳者及び訳者は※※を参照の本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(『 』内)します。 『このモードにある人は,強い感情は危険で手に負えないものと信じており,それらを遮断する。社会的接触を断ち,感情を遮断しようとする(解離が生じることもある)。空虚感や退屈した気分,離人感などが生じる。他者を一定の距離以上寄せつけず,冷淡で悲観的な態度をとる。』 vii) 引用中の「脆弱なチャイルドモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(【 】内)します。 【このモードにある人は,自分の欲求を満たしてくれる人は誰もおらず,人は皆最終的には自分を見捨てるだろうと考えている。他者とは信用できず,自分を虐待してくるものと信じている。自分には価値がなく,他者から拒絶される存在であると思い込んでいる。自分自身を恥ずかしく感じ,疎外感を抱くこともよくある。寂しさと,安心できる居場所がないとの思いから,傷つきやすい子どものようにセラピストにすがりつき,助けを求める。】 viii) 引用中の「幸せなチャイルドモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(《 》内)します。 《このモードにある人は,次のように感じている:愛されている,満たされている,守られている,理解されている,承認されている。彼/彼女は自信に満ち,有能感を感じ,適度に自律的であり,自らをコントロールできている。自発的に振舞い,好奇心旺盛で楽観的であり,幸せな小さな子どものように振舞う。》 ix) 引用中の「ヘルシーアダルトモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P52)を形式を変更して次に引用(『 』内)します。 『このモードにある人は,自分自身についてポジティブあるいはニュートラルな考えや感情をもっている。自分にとってよいことをし,またそうすることが健康的な対人関係や活動へとつながっていく。ヘルシーアダルトモードは適応的である。』 x) 引用中の「イメージの書き換え」の理論的根拠について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の パートⅤ 「モード・チェンジ・ワーク」の体験的実践 の『モジュール18 「脆弱なチャイルドモードを癒す」』における記述の一部(P237~P238)を次に引用します。

(前略)解説「イメージの書き換え」は,スキーマ療法の主要な体験的介入の一つです。私たちはまずこの介入について,クライアントに理論的根拠を伝え,これがどのような機能を果たすかについて基本的な説明を行うところから始めます。次に示すのは,私たちがクライアントに説明する理論的根拠を要約したものです。この説明をすることで,クライアントには幼少期の記憶を書き換える準備ができます。
幼少期の記憶というのは,今まさに目の前で起きている出来事ではありません。それは,幼少期の出来事に関連づけられた感覚,感情,光景,音,思考などが貯蔵されたイメージです。幼少期の記憶は,「今,目の前で本当に起きていること」ではありませんが,それか心に生じると,あたかもそれらが「今,目の前で本当に起きている」ことのように感じられ,ときに心の痛みが引き起こされます。しかし,私たちはイメージの中で,痛みを伴う記憶の結末を書き換えることができます。もしも自分を守ってくれる力強い「よい親」の存在があったら何が起こるはずだったか,といったイメージを創り出すのです。幼少期のネガティブな記憶を想起するとそのときの痛みや恐れを再体験することになりますが,一方で イメージワークの中でその記憶の結末を新たなものに書き換えることによって,私たちは慰め,保護,ケアといったポジティブな体験を得ることができます。心は,スライド投影機のように,私たちの意識のスクリーンの上に,その都度一つのイメージだけを映し出します。私たちは「イメージの書き換え」を通じて,プロジェクターが映し出した特定の状況を変化させてしまいます。私たちはクライアントにこう伝えます。「これはマジックのように聞こえるかもしれませんが,イメージによる心や脳への影響は,リアルな体験による影響に匹敵するという科学的研究(Holmes & Mathews, 2010; Arntz, 2012)によって支持されています」。「イメージの書き換え」は,幼少期のトラウマ記憶から人びとを癒すのに効果的な一つの手法なのです。(中略)

「イメージの書き換え」が目指すのは,「脆弱なチャイルドモード」に対し,保護,慰め,養育,愛,導きなど,子どもが必要とするすべての要素を提供してくれる「よい親」を与えることです。私たちはこのワークをスモールステップで行います。というのも,クライアントがこのワークに圧倒されてしまったり,悪い記憶を再体験したりすることを避けたいからです。私たちがこのワークで行うのは,何か悪いことが起きる前に苦痛な記憶をストップさせることです。そして新たなイメージ体験の中で「何も悪いことは起きなかった」というふうに結末を書き換えてしまいます。

注:i) 引用中の「Holmes & Mathews, 2010」は次の論文です。 「Mental imagery in emotion and emotional disorders」 ii) 引用中の「Arntz, 2012」は次の論文です。 「Imagery rescripting as a therapeutic technique: Review of clinical trials, basic studies, and research agenda.」(注:ここも参照) iii) 引用中の「脆弱なチャイルドモード」についてはここここを参照して下さい。 iv) 「スキーマ療法のイメージの書き換えはジャネにまで遡れる」ことについてのツイートがあります。ちなみに、上記「ジャネ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「『ヒステリー患者の心の状態』(上) -ベルクソンとジャネ(7)-

また、研究成果報告書「成人の自閉症スペクトラム障害患者に対する認知行動療法の開発および効果研究」にも関連する成人の自閉症スペクトラム障害(又は自閉スペクトラム症)患者のためのスキーマ療法についての複数の論文要旨を以下に引用します。一方、成人期の高機能自閉スペクトラム症者に対するスキーマ療法についての資料「成人期の高機能自閉スペクトラム症者に対するスキーマ療法 ―ASD の自己理解、トラウマへの対処、自閉特性に対する機能的な対処方略の構築までを行った一事例―」もあります。

①「Early Maladaptive Schemas and Autism Spectrum Disorder in Adults[拙訳]早期不適応的スキーマと成人における自閉スペクトラム症」

This study investigated the differences in early maladaptive schemas between adult outpatients with high-functioning autism spectrum disorder (n = 48) and a non-clinical controls (n = 86). Both groups completed the Young Schema Questionnaire. There were significant differences between the groups in all the early maladaptive schemas, except self-sacrifice and approval/recognition seeking. Logistic regression analysis revealed that early maladaptive schemas such as insufficient self-control, emotional deprivation, and vulnerability to harm and illness significantly discriminated between the groups, suggesting that some early maladaptive schemas are more important than others for depicting the characteristics of adults with autism spectrum disorder.


[拙訳]
高機能自閉スペクトラム症を伴う成人の外来患者(n = 48)と非臨床対照群(n = 86)間との早期不適応的スキーマの差異を、本研究は調査した。 両グループが Young スキーマ質問票への記入を完了した。自己犠牲及び評価と承認の希求を除く、全ての早期不適応的スキーマにおいてグループ間で有意差があった。自制の欠如、感情抑制、損害や疾病に対する脆弱性等の早期不適応的スキーマはグループ間で有意に弁別され、自閉スペクトラム症を伴う成人の特徴を描写するためのいくつかの早期不適応的スキーマが他よりも重要であることの示唆が、ロジスティック回帰分析により明らかになった。

注:i) 引用中の「n = 48」及び「n = 86」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自制の欠如」に関連する「自制と自立の欠如スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の早期不適応的スキーマの一種である「感情抑制」については上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 によると、「感情抑制スキーマ:このスキーマをもつ人は,どんな感情でもそれを表出することは,他者を傷つける,恥ずかしさを感じる,報復を受ける,見捨てられることになると信じている。そのため,自らの感情や衝動を抑制する。堅苦しく,理性や良識を重視する。」とのこと。 v) 引用中の早期不適応的スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「自閉スペクトラム症」については、拙エントリを参照して下さい。

②「Individual Schema Therapy for high-functioning autism spectrum disorder with comorbid psychiatric conditions in Young Adults: Results of a Naturalistic Multiple Case Study[拙訳]若年成人における合併した精神医学的状態を伴う高機能自閉スペクトラム症のための個別スキーマ療法:自然主義的な複数のケーススタディの結果」

Schema Therapy (ST) approaches to high-functioning autism spectrum disorder (HF-ASD) in young people have yet to demonstrate differential effectiveness, and there is little evidence that young people with HF-ASD adapt ST. We conducted a pilot study and case series for HF-ASD in adolescents. We first included patients with HF-ASD (N = 8) into a 4-week baseline phase; this phase functioned as a no-treatment control condition. Then patients began a 5-20-week exploration phase during which symptoms and underlying schemas were explored; this phase functioned as a dysfunctional emotional and behavioural control condition. Next, the treatment phase, the patients received up to 25 sessions of individual ST. In this four-case series, all four participants reported severe maladjustment at baseline and achieved remission by the end of treatment. Conclusions: ST shows promise as a treatment for young adults with HF-ASD.


[拙訳]
若者における高機能自閉スペクトラム症(HF-ASD)へのスキーマ療法(ST)アプローチは、未だ示差的有効性を示していなく、そして HF-ASD を伴う若者が ST に適応するというエビデンスはほとんどない。青年期の人における HF-ASD のためのパイロット研究と症例シリーズを、我々は実施した。我々は最初に HF-ASD(N = 8)を伴う患者を4週間のベースライン段階に入れた。この段階は無治療対照状態として機能した。その後、患者は5~20週間の症状と根底にあるスキーマが探究される探究段階を開始した。この段階は、機能不全の情動的及び行動的対照状態として機能した。次の治療段階で、患者は個々の ST の25回のセッションを受けた。この4ケースシリーズでは、4人の参加者全員がベースラインで重度の不適応状態を報告し、治療の最後までに寛解を達成した。結論:ST は、HF-ASD を伴う若い成人のための治療法として有望であることを示す。

注:i) 引用中の「N = 8」は被験者数を指します。 ii) 拙訳中の「高機能」とは、知的障害を伴わないことのようです。例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の理解と支援」の「高機能自閉症とアスペルガー障害」シート(P3) iii) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline

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※※:本「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の編者;M.ヴァン・ヴリースウィジク、J.ブロアーゼン、M.ナドルド 監訳者;伊藤絵美、吉村由美 訳者;風岡公美子、小林仁美、津髙京子、森本雅理

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【12】ネガティブ・ケイパビリティを精神分析に適用することについて

最初に「ネガティブ・ケイパビリティ」については次のWEBページを参照して下さい。 『作家・精神科医の帚木蓬生 白血病になって意識した「解決できない事態に耐える力」を身に付ける方法』 次に標記について、帚木蓬生著の本、「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」(2017年発行)の 第二章 精神科医ビオンの再発見 の「ネガティブ・ケイパビリティを精神分析に適用」における記述(P57~P59)を以下に引用します。

ロサンゼルスに居を定め、ビオンは招きに応じて南米にも講演や講義に足を延ばしました。精神分析医として開業もし、患者を治療します。
その過程で生まれたのが一九七〇年刊の『注意と解釈』でした。その第十三章の「達成の前奏もしくは代用」の冒頭で、ビオンはいみじくもキーツのネガティブ・ケイパビリティを初めて引用しました。
この章でビオンが論じているのは、精神分析の実際がどう進められるべきかです。
鍵概念としてビオンが選んだのは〈達成の言語〉でした。分析で交わされる言語は、行動の前奏や前兆としてではなく、行動の代用物の水準にまで高められなければならないと警告したのです。
つまり分析で発せられる言葉は、手で殴ったり、足で蹴ったりする行為と同じくらいの、行動としての達成度を持つ必要があると説きます。
精神分析では、分析者と患者が対峙し、言葉が交わされます。そのとき、双方それぞれに、〝ものの見方〟というものがあります。ビオンはこの〝ものの見方〟を忌避します。あまりにも固定した一方的な視点だからです。その代わりに、〝頂点〟という用語を選びました。山の頂を想像して下さい。展望が周囲に開けています。〝ものの見方〟よりはもっと広い視野を持ち、焦点もあちこちに浮遊できます。
お互いにこの〝頂点〟を持った人間と人間が言葉を交わすのが精神分析です。そこに起きる現象、さまざまな感情や様々の表現のどのひとかけらでも見逃してはなりません。それでなければ、達成の言語とは言えなくなります。
このとき分析者が保持していなければならないのが、キーツのネガティブ・ケイパビリティだと言い切ったのです。
キーツがネガティブ・ケイパビリティを持ち出したのは、詩人や作家が外界に対して有すべき能力としてでした。ビオンは同じく、精神分析医も、患者との間で起こる現象、言葉に対して、同じ能力が要請されると主張したのです。
つまり、不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です。
そしてこの章の末尾で、ビオンは衝撃的な文章を刻みつけます。ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表わしようのない、非存在の存在です。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけます。
これは精神分析に対する根源的な問いかけでした。学問というのは、記憶と理解が基本をなし、こうしたいという欲望もその中に詰まっています。それを捨ててこそ、浮かばれるというのですから、ある人々にとっては衝撃だったでしょう。
しかしビオンの心情はよく分かります。精神分析の大御所として、多くの若い分析家に接する機会の多かったビオンは、ある種の危惧を抱いていたのだと思います。精神分析学には膨大な知見と理論の蓄積があります。若い分析家たちはその学習と理論の応用ばかりにかまけて、目の前の患者との生身の対話をおろそかにしがちです。患者の言葉で自分を豊かにするのではなく、精神分析学の知識で患者を診、理論をあてはめて患者を理解しようとするのです。これは本末転倒です。
記憶も理解も欲望もなくと言ったビオンの指摘は、実に大切なところを突いています。なまじっかの知識を持ち、ある定理を頭にしまい込んで、物事を見ても、見えるのはその範囲内のことのみで、それ以外に広がりません。
患者が発する言葉、ちょっとした振舞いにしても、精神分析学の記憶や理解があると、それは理論的にはこれこれにあてはまると簡単に片づけ、ありきたりの陳腐な解釈になってしまいます。
ビオンは、解釈とはそういうものでない、もう少し開放的で新鮮味に富み、新しい境地に踏み出すような力を有するべきだと説いたのです。

注:(i) 標記「ネガティブ・ケイパビリティ」(negative capability)の意味や重要さについて、 a) 同本の「はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」における連続した記述の一部(P3)を二分割して次に引用(それぞれ《 》内)します。 《ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。》、《あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。》 b) 同「はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」の「ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティ」における連続した記述の一部(P9)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としてしているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。】、【ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。】 加えて、精神科医に求められる能力としての上記「ネガティブ・ケイパビリティ」については次の資料を参照して下さい。 「私の,うつ病の初期面接」の「おわりに,Negative capability という能力」項(P460) その上に、「ネガティブ・ケイパビリティーは現代社会に生きる私たちがいまこそ必要な能力ではないでしょうか」については次のWEBページを参照して下さい。 『成功体験の多い人ほど「ない答え」を求めてしまう 医療では弱点に?(ページ2)』(注:このWEBページを紹介するツイートもあります) c) 「分からないことを分からないままに自分の内に抱えておくことの精神科臨床における重要さ、つまり、negative capability の重要さ」については次のWEBページを参照して下さい。 「内海健先生 ~ヤスパースの了解について~」 (ii) 引用中の「不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です」に関連する標記「ネガティブ・ケイパビリティ」の説明としての「負の能力,陰性能力,性急に証明や理由を求めずに,不確実さや不思議さ,懐疑の中にいることができる能力」については次のWEBページを参照して下さい。 「[第11回]ネガティブ・ケイパビリティを身につける」の『「わからない」状態に耐えることで本質的な理解に近づく』項 (iii) 引用中の「あまりにも固定した一方的な視点」にひょっとして関連するかもしれない、 1) 「確証バイアス」については他の拙エントリのここを、 2) 「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては他の拙エントリのここここを、 3) 「感情的現実主義」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、これらにひょっとして関連するかもしれない「自分が望むように物事を見ること」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 

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【15】情動の清算を言語以外の回路を使って行なうサイコソマティックなアプローチについて

PTSDや複雑性PTSD等に対して適用される、標記サイコソマティック(心身両面)なアプローチに分類されるソマティック・エクスペリエンシングについて、田中雅一、松嶋健編の本、「トラウマ研究1 トラウマを生きる」の 第14章 トラウマと時間性 ―― 死者とともにある〈いま〉 の「6 語り・記憶・過去」項における記述の一部(P475~P477)を次に引用します。

(前略)近年様々なかたちで発展してきたトラウマ治療の技法に、サイコソマティックなアプローチが多く見られるということは大変示唆に富んでいる。EMDRからマインドフルネス、ニューロフィードバックから演劇を使ったものにいたるまで、それらは情動の清算を、言語以外の回路を使って行なうものだからである[ヴァン・デア・コルク二〇一六:四〇八-五八〇]。なかでも興味深いのが、ソマティック・エクスペリエンシングである。その提唱者であるピーター・ラヴィーン[二〇一七]はその機序をこう説明している。脅威に直面すると、逃走/闘争、凍りつきなどの生まれつき備わった生存反応が喚起される。この緊急反応が、脅威が去った後も何らかのかたちで(例えば、脅威が完全に去っていない状態で長期間宙吊りにされたりすることで)継続すると、それは一種の手続き記憶と情動記憶として固定的な行動パターンを形成する。こうした不適応な手続き記憶と情動記憶が長期にわたって存続することが、社会的あるいは人間関係上の問題の根幹をなしているというのが、トラウマの主要な作用機序である。だがこうした固定された行動パターンは、前頭野領域からの選択的な抑制を受けることで修正が可能である。そのためには、出来事が起こった当時、未完了のままであった緊急反応を完了させることが決定的に重要である。(中略)

ラヴィーンは、現代の心理療法において主流をなしている精神分析と認知行動療法では、トラウマへの対処に関して限界があると指摘している。それらは両方とも、トラウマに関連する一部の機能不全には確かに対処しているが、原因の根本には到達していないというのである[ラヴィーン二〇一七:五]。この指摘はとても重い。私たちは、身体を蝶番にして、一方の端には言語システムがあり(11)、他方の端には脳神経ネットワークがあるような連続体を相手にしているわけであるから、どこに働きかけても一定の効果はありうるが、効果的であろうとするなら、働きかけるメディアをその都度変える必要があるだろう。その際、最も重要なのは、身体があらゆるものの蝶番になっているということであり、それが〈今ここ〉に定位しているということである。
ラヴィーンは、過去の記憶を探ることではなく、〈今ここ〉の身体感覚を探索することを基本に置く。「トラウマの記憶は、比較的静かで落ち着いている「今・ここ」の経験という基盤から取り組んでいかなくてはならない(中略)。これはトラウマセラピーにおいて今まで認識されていなかった非常に重要な点で、これはいくら誇張してもし過ぎることはない」というわけだ[ラヴィーン二〇一七:一七八]。彼は、トラウマの記憶とは、過去の圧倒された経験によって刻まれた記憶痕跡であり、脳、身体、そして精神に深く刻み込まれているとして、ウィリアム・フォークナーの「過去は決して死なない。過去は過ぎ去ることもない」という言葉とユージン・オニールの「今も未来も存在しない。あるのは何度も繰り返し起こる過去だけだ」という言葉を引用している[ラヴィーン二〇一七:三、一七]。つまり、過去が「過ぎ去ったもの」という意味での過去にならず現在に生き続けているがために、「今」を生きることができず、人生に流れも生まれないし、未来も生まれないというのである。(後略)

注:i) 引用部の著者は松嶋健です。 ii) 引用中の「ヴァン・デア・コルク二〇一六」は次のWEBページで紹介される本です。 『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』 加えて、引用中の「ヴァン・デア・コルク」については他の拙エントリのリンク集(用語:「べッセル・ヴァン・デア・コーク医師」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「ラヴィーン二〇一七」は次の本です。 【ラヴィーン、ピーター 二〇一七『トラウマと記憶 ―― 脳・身体に刻まれた過去からの回復』花丘ちぐさ訳、春秋社】 iv) 引用中の「EMDR」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 v) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「演劇」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「ソマティック・エクスペリエンシング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「手続き記憶」及び「情動記憶」については共に例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「サイコソマティックなアプローチ」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論の視点からの「身体志向の心理療法」に関して、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の「第7章 心理療法に関するソマティックな視点」における記述の一部(P222~P223)を次に引用します。

(前略)ポージェス:内蔵の状態の調整に関して神経系がどのような役割を果たしているのかという点は、身体志向の心理療法に興味がある人々にとっては重要なテーマです。
しかし心理学および精神医学の世界で使われ、教えられている一般的モデル、理論、およびセラピーの範疇では、この点はまだ取り扱うのに適切な概念であるとはみなされていません。心理学と精神医学では、情動と感情のプロセスを概念化し、これを中心的な現象として捉え、これらの体験について身体の役割を最小限に抑えるトップダウン・モデルが使用されています。こうした考え方をもとに、不安でさえも内蔵の働きの現れではなく、「脳」のプロセスと見なしています。
しかし幸いなことに、身体志向の心理療法家を含む臨床家たちは、脳と身体の双方向のコミュニケーションの重要性を評価しています。例えば、感覚の情報は身体から脳へと伝わり、私たちがどう世界に反応していくかに影響しています。さらに脳は、私たちの世界観や環境の様々な要素への反応に関連する認知と感情のプロセスを通じて、内臓に影響を与えています。複雑な社会環境において、神経系がどのように内臓を調整しているか、また内臓から神経系がどのような影響を受けているか、という双方向の特性については、直観的にはこれが重要であることは明らかであるにもかかわらず、この点は、精神医学などの臨床医学では無視されるか、過小評価されています。(後略)

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【16】構成主義的情動理論における情動の健康を維持するための「概念の補強」及び情動を手なずけるために不可欠な道具としての「再分類」について、その他

最初に情動の健康を維持するための標記「概念の補強」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P296~P303)を次に引用します。

情動の健康を維持するために身体予算の管理の次に実践すべきことは、概念の補強である。私はそれを「心の知能を育むための実践」と呼ぶ。古典的理論の信奉者は、他者の情動を「正確に検知すること」として、心の知能(EI|emotional intelligence)をとらえるだろう。あるいは、「正しいタイミング」で幸福を経験し、悲しみを避けることだと考えるかもしれない。だが新たな情動の理解に従えば、心の知能を別の角度からとらえられる。「幸福」も「悲しみ」も、さまざまなインスタンスから成る。したがって心の知能は、脳が、特定の状況のもとで、その状況にもっともふさわしく有益な情動概念の、最適をインスタンスを構築できるようにすることだと言える(また、情動概念ではなく、情動以外の概念のインスタンスを構築すべきときを知ることでもある)。
ベストセラー『EQ』の著者ダニエル・ゴールマンによれば、心の知能の高さは、学問、ビジネス、人間関係において、より大きな成功をもたらす。彼は次のように述べる。「どんな職業や分野でも、そこでトップに登りつめるにあたって、情動的な能力は、純粋に認知的な能力に比べ、二倍の重要性を持つ19」。だから、心の知能に関して広く受け入れられている科学的な定義や尺度などないと知ったら、読者は驚くだろう。ゴールマンの著書には、道理にかなった実践的なアドバイスが多数提示されているが、それらのアドバイスが有効である理由は説明されておらず、のみならず、そこで引き合いに出されている科学的根拠は、時代遅れの「三位一体脳」モデルに強い影響を受けている。それによれば、情動という内なる野獣をうまく手なずけられるのなら、あなたは高い心の知能を備えているというわけだ20。
心の知能は、概念という用語でうまく特徴づけられる。たとえばあなたは、「すばらしい気分」と「ひどい気分」という二つの情動概念しか知らなかったとしよう。すると自分自身で情動を経験したり他者の情動を知覚したりする際、あなたはたった二つのどんぶり勘定的な概念を用いて情動経験を分類する他はない。そのような人は、心の知能が高いとは言えない。それに対し、「すぼらしい気分」のより細かな意味(幸福、満足、興奮、リラックス、喜び、希望、啓発、誇り、あこがれ、感謝、至福など)や、「ひどい気分」の五〇種類の陰影(怒り、腹立ち、警戒、悪意、不満、後悔、陰うつ、悔しさ、不安、恐怖、憤慨、怖れ、嫉妬、悲惨、憂うつなど)を識別する能力を持っていれば、脳は、予測、分類、情動の知覚に有用な多くのオプションを駆使して、状況に応じた柔軟な対応ができるだろう。感覚刺激を効率的に予測して分類し、状況や環境に即した行動を起こせるようになるのだ。
要するに、ここでの問題は情動粒度である。(第1章で述べたように)いかにしてきめ細かを情動を構築し経験できるかは、人によって異なる。粒度の細かな情動経験が可能な人は、情動の専門家と言えよう。彼らは、その都度の状況に緻密に合致した予測を発し、情動のインスタンスを生成することができる。その対極には、おとなが持つ情動概念をまだ発達させていない子どもが位置する。幼い子どもは、(第5章で見たように)不快な感覚を表現するのに「悲しい(sad)」と「怒っている(mad)」を混同して用いる。わが研究室は、おとなにも、さまざまな段階の情動粒度が見出されることを示してきた21。つまるところ、心の知能を高めるためのカギは、新たな情動概念を獲得し、すでに持っている情動概念を研ぎ澄ますことにある。
新たな概念を獲得する方法は、旅行に出る(森を散歩するだけでもよい)、本を読む、映画を観る、食べたことのない料理を食べてみるなどあまたある。それらを実践して、経験のコレクターになろう。真新しい服を着るように、新たな視点を身につけよう。その種の活動は、複数の概念を結びつけて新たな概念を構築するよう脳を促し、自分の予測や行動が変化する方向へと概念システムを改変してくれるだろう。
一例を紹介しよう。わが家では、夫のダンが、ごみと資源の分別を担当している。というのも、私はすぐに、単にリサイクルが可能なはずという理由で、セロファンや木片などの、本来入れてはならいものを資源回収箱に入れてしまう癖があるからだ。夫は、私のせいで余計な仕事が増えたのだからフラストレーションに駆られてもおかしくないはずだが、むしろヒーローものの漫画本を収集していた子どもの頃に得た概念を当てはめておもしろがっていた。彼は、現実を無視した私の無益な試みを願望的リサイクルと呼び、一種の「スーパーパワー」としてとらえていたのだ。こうして、人をいらいらさせる私の癖は、彼によっておもしろおかしい欠点に変えられたのだ。
もっとも手っ取り早く概念を習得する方法は、おそらく新たな言葉を学ぶことである。読者には、新たな言葉の習得が情動の健康をもたらすと考えたことはないのかもしれないが、この結論は、構築の神経科学から直接導き出される。言葉は概念の種を蒔き、概念は予測を駆り立て、予測は身体予算を調節し、身体予算は感情を左右する。したがって、語彙の粒度がきめ細かくなればなるほど、脳は予測するにあたり、それだけ正確に身体予算を身体のニーズに合わせられるようになる。事実、きめ細かな情動粒度を示す人は、医者や薬の世話になることが少ない22。これは魔法などではなく、身体と社会のあいだの穴だらけの境界をうまく利用したときに起こることである。
だから、できるだけ多くの言葉を覚えよう。自分の心の安全地帯を抜け出す機会を与えてくれるような本を読もう。ナショナル・パブリック・ラジオ〔米国の非営利団体による公共放送〕などの考えさせる聴覚メディアに耳を傾けよう。「幸福な」という言葉だけで満足してはならない。「陶酔的な」「至福の」「啓発された」などの、もっと細かを意味を持つ言葉を覚えて実際に使ってみよう。「悲しい」などの一般的な用語と、「落胆した」や「意気消沈した」などの用語の区別を学習しよう。関連するさまざまな概念を築いていくにつれ、よりきめ細かな経験を構築することが可能になるはずだ。また、覚える言葉は母語だけに限定しないようにしよう。外国語を調べて、たとえば一体感を表わすオランダ語の言葉 gezellig や、強い罪悪感を表わすギリシア語の言葉 enohi など、母語には対応する言葉がない概念を探そう。かくして覚えた言葉は、新たな方法で自己の経験を構築するきっかけになるはずだ23。
社会的現実と概念結合の力を利用して、独自の情動概念を発明するのもよい。作家のジェフリー・ユージェニデスは小説『ミドルセックス』で、一語を割り当てているわけではないが、「中年に始まる鏡への憎悪」「空想しながら眠ることの落胆」「ミニバー付きの部屋で過ごすことの興奮」などの興味深い例をいくつもあげている。自分でもやってみよう。目を閉じて車を運転している自分を思い浮かべてみる。もう二度と戻ってこないつもりで故郷の町を離れる。いくつかの情動概念を結びつけて、そのときの感情を描写できるだろうか? このテクニックを毎日実践していれば、さまざまな状況に巧みに対処できるようになるはずだ。またおそらく、他者に強い共感を抱けるようになり、いさかいを調停し、人々とうまくやっていく能力が向上するだろう。(中略)

心の知能が高い人は、たくさんの概念を持つばかりでなく、どの概念をいかなる状況で使うべきなのかを心得ている。画家が微妙な色の違いを見分け、ワイン愛好家が独自の味わい方に習熟していくように、あなたも実践を通して分類の能力を磨くことができる。髪は乱れ、よれよれの服にはしみがつき、たった今目覚めたばかりといった風情で息子が登校しようとしていたとする。そんな彼を叱って服を着替えさせることもできようが、その代わりに、次のように自分自身がどう感じているのかを自問することもできる。「学校の先生が息子を真剣に扱ってくれなくなるのが心配なのだろうか?」「油ぎった彼の髪の毛に嫌悪を感じているのか?」「あんな服装だと、親の自分が白い目で見られると考えているのだろうか?」「せっかく買ってあげた服を息子が着ないことに腹を立てているのか?」「小さかった息子が成長してしまったので、かつての無邪気さをなつかしんでいるのだろうか?」――その種の自問がおかしく感じられるのなら、人々はそのために大枚はたいてセラピーや人生相談を受け、状況の見直しに役立つ、つまり行動の指針としてもっとも有益な分類を見出そうとしていることを思い出してほしい。あなたも実践を積めば、情動の分類の専門家になれる。繰り返せば繰り返すほど、楽にできるようになるだろう。
クモ恐怖症の研究によって、きめ細かな情動の分類は、情動を「調節する」他の二つのアプローチにまさることが示されている24。それらの一つ、認知的再評価と呼ばれるアプローチでは、被験者は、「私の目の前にいるのは小さなクモで無害だ」などと、恐ろしくないものとしてクモを表現するよう教えられる。二つ目のアプローチは気を散らすことで、被験者の注意をクモとは無関係なものに向けさせる。三つ目のアプローチは、感覚刺激をより粒度の細かなレベルで分類するというもので、被験者は、たとえば「私の目の前にいるのは、とても醜いクモで私の神経を逆なでする。でも興味深い」などと考える。実験の結果、クモ恐怖症の人がクモがいる方向に近づくときに不安をそれほど感じないようになるには、三つ目のアプローチがもっとも有効だとわかったのだ。なおこの効果は、実験終了後一週間持続した。
情動粒度の高さには、満ち足りた人生を送るにあたって、その他にも有益な効果がある。いくつかの研究によって、不快な感情をきめ細かく識別する能力を持つ人は(要するに、五〇種類の「ひどい気分」を識別できる人は)、情動の調節において三〇パーセントほど柔軟性が高くなり25、ストレスを感じたときに飲みすぎることが少なく26、自分を傷つけた相手に攻撃的に振る舞うこともあまりない27。統合失調症を抱える人のあいだでも、きめ細かな情動を示す人は、そうでない人に比べて、家族や友人と良好な関係を維持できていると報告することが多い。また、社会生活の場面で、正しい行動を選択する能カが高い28。
それに対して情動粒度の低さは、あらゆる種類の問題に結びつく。うつ病29、社交不安障害30、摂食障害31、自閉症スペクトラム障害32、境界性パーソナリティ障害33を抱える人や、単に不安や抑うつを頻繁に経験する人34は、負の情動に対して粒度の低さを示す。また統合失調症と診断された人は、正の情動と負の情動の識別において、情動粒度の低さを示す35。情動粒度の低さが疾病を引き起こすと言いたいのではないが、何らかの役割を果たしていると考えられる。
概念を磨くにあたって情動粒度の改善の次にできることは、セラピーや自己啓発書でよく取り上げられる方法だが、肯定的なできごとの日記をつけることである。少しでも微笑ましいできごとがあっただろうか? 肯定的なできごとを経験するたびに、概念システムが働きかけられ、その経験に関連する概念が強化される。すると世界に関する心的モデルのなかで、概念が際立ち始める。それを書き留めておくとよい。なぜなら、言葉は概念の発達を促し、肯定的なできごとを予測する心構えを函養してくれるからだ36。
それに対し、不快をものごとに思いを巡らせていると、身体予算に変動が生じる。深く考え過ぎると悪循環を引き起こす。たとえば、恋人との関係の破綻に思いを巡らせるたびに、予測に動員されるインスタンスがつけ加えられ、考え悩む機会がさらに増える。破局に至ったときの罵り合いや別れ際の恋人の表情など、関係の破綻に関連する概念のいくつかが、世界のモデルのなかで確固たる位置を占める。そしてそのような概念は、踏み固められた道がそこを通る人によって本物の道路になるように、たとえ自分では望んでいなくても、神経活動のパターンの一つとして脳によってますます頻繁に再生されるようになるのだ。自分が構築する経験はすべて一種の投資なので、投資は賢明に行なう必要がある。だから、将来もう一度構築したくなるような経験を培うようにしよう。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「19」に関し、次の本を参照して下さい。 【Goleman, Daniel. 1998. Working with Emotional Intelligence. New york: Bantam.[『ビジネスEQ――感情コンピテンスを仕事に生かす』梅津祐良訳、東洋経済新報社】 (ii) 引用中の原注番号「20」に関し、例えば次の本を参照して下さい。 【Bourassa-Perron, Cynthia. 2011. The Brain and Emotional Intelligence: New Insights. Florence, MA: More Than Sound.】 (iii) 引用中の原注番号「21」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Affect as a Psychological Primitive.」 (iv) 引用中の原注番号「22」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emodiversity and the emotional ecosystem.」(特に全文の「Study 2」項) (v) 引用中の原注番号「23」に関し、「英語以外からの情動概念」(emotion concepts from non-English languages)については次のWEBページを参照して下さい。 「Emotion concepts from non-English languages」 (vi) 引用中の原注番号「24」の内容の一部(P590)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)「情動ラベリング」「気分ラベリング」は、内受容ネットワークの身体予算領域の活動の低下と、コントロールネットワーク領域の活動の増大と結びついている(後略)』(注:引用中の「情動ラベリング」「気分ラベリング」に関連するかもしれない論文は次を参照して下さい。 「Feelings into words: contributions of language to exposure therapy.」、「Putting feelings into words: affect labeling disrupts amygdala activity in response to affective stimuli.」、「An fMRI investigation of race-related amygdala activity in African-American and Caucasian-American individuals.」 (vii) 引用中の原注番号「25」の内容の一部を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『Barrett et al. 2001. この論文は、強いネガティブな気分が、情動経験として分類されれば、情動の調節の向上につながることを初めて示した。(後略)』(注:a) 引用中の「Barrett et al. 2001」は次の論文です。 「Knowing what you're feeling and knowing what to do about it: Mapping the relation between emotion differentiation and emotion regulation」 b) この引用に関連する論文及びWEBページは次を参照して下さい。 「Unpacking Emotion Differentiation: Transforming Unpleasant Experience by Perceiving Distinctions in Negativity」、「Negative emotional granularity」) (viii) 引用中の原注番号「26」の内容を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『彼らは、情動粒度が低い人に比べ、40パーセントほどアルコールの消費量が少なかった(Kashdan et al. 2010)。』(注:引用中の「Kashdan et al. 2010」は次の論文です。 「Emotion Differentiation as Resilience Against Excessive Alcohol Use: An Ecological Momentary Assessment in Underage Social Drinkers」) (ix) 引用中の原注番号「27」の内容を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『20 ~ 50 パーセント低い(Pond et al. 2012)。』(注:引用中の「Pond et al. 2012」は次の論文です。 「Emotion Differentiation Moderates Aggressive Tendencies in Angry People: A Daily Diary Analysis」) (x) 引用中の原注番号「28」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and social functioning in individuals with schizophrenia: an experience sampling study.」 (xi) 引用中の原注番号「29」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Feeling blue or turquoise? Emotional differentiation in major depressive disorder.」 (xi) 引用中の原注番号「30」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Differentiating emotions across contexts: comparing adults with and without social anxiety disorder using random, social interaction, and daily experience sampling.」 (xii) 引用中の原注番号「31」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Nothing Tastes as Good as Thin Feels: Low Positive Emotion Differentiation and Weight-Loss Activities in Anorexia Nervosa」 (xiii) 引用中の原注番号「32」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotion differentiation in autism spectrum disorder」 (xiv) 引用中の原注番号「33」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and borderline personality disorder.」、「Preliminary evidence for an emotion dysregulation model of generalized anxiety disorder.」 (xv) 引用中の原注番号「34」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Preliminary evidence for an emotion dysregulation model of generalized anxiety disorder.」(特に Study 1)、「Negative emotion differentiation: its personality and well-being correlates and a comparison of different assessment methods.」(全文はここを参照、特に Study 2 と 3) (xvi) 引用中の原注番号「35」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and borderline personality disorder.」、「A Preliminary Examination of the Role of Emotion Differentiation in the Relationship between Borderline Personality and Urges for Maladaptive Behaviors.」 (xvii) 引用中の原注番号「36」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and social functioning in individuals with schizophrenia: an experience sampling study.」 (xviii) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (xix) 引用中の「情動粒度の高さ」に関連する、 a) 『Barrett は,「情動粒度(emotional granularity)」を高めることが臨床上有用であると指摘している』ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスにおける身体性」の「2.3.3 感情の意味と情動粒度」項 b) 「情動粒度の高い人は、医師を受診する頻度が低い」ことについては次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Try these two smart techniques to help you master your emotions」の「People who can construct finely-grained emotional experiences go to the doctor less frequently, use medication less frequently, and spend fewer days hospitalized for illness.」項 (xx) 引用中の「うつ病」、「社交不安障害」、「摂食障害」、「境界性パーソナリティ障害」については共に他の拙エントリのリンク集(ただし、「社交不安障害」は用語「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」を参照)を参照して下さい。 (xxi) 引用中の「自閉症スペクトラム障害」については他の拙エントリを参照して下さい。

次に仏教やマインドフルネス瞑想にも関連する情動を手なずけるために不可欠な道具としての「再分類」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P311~P320)を次に引用します。

(前略)再分類は、情動の専門家が使う道具である。情動を手なずけて自己の行動を調節するにあたって、より多くの概念を知り、より多様なインスタンスを生成する能力を持っていれば、それだけ効率的に再分類ができる。たとえば、受験直前に頭がのぼせたように感じだとする。その場合、そのような感情を有害な不安としても(「もうだめだ。受かりっこない!」)、有益な期待としても(「活力がみなぎってきた。よし、やってやろうじゃないか」)再分類できる。娘が通っている空手道場の師範ジョー・エスポジートは、黒帯昇段審査の前に神経質になっている生徒に「きみの蝶を一斉に飛び立たせなさい」とアドバイスする。彼はそれによって、「確かにきみは緊張している。でも、それを臆病のせいだととらえないようにしよう。決心のインスタンスを生成しなさい」と諭しているのだ。
この種の再分類は、日常生活において実質的な恩恵を与えてくれる52。GRE〔大学院進学適性試験〕などの数学テストの成績を調査したさまざまな研究によって、身体による対処の徴候として不安を再分類すると、成績が上がることが見出されている53。不安を興奮として再分類する人にも同様な効果が見出されており、大勢の前で話すときや、カラオケで歌うときでさえ良好な結果が得られ、不安の典型的な徴候をあまり示さなくなる。彼らの交感神経系は依然として神経質を蝶を生んでいるはずだが、能力の発揮を阻害し、人をみじめな気分に陥れると一般に言われている炎症性サイトカインの分泌が抑えられるために54、より良い結果が得られるようになるのだ55。公立短期大学で行なわれた数学の補習クラスの学生を対象とする研究では、効果的な再分類を行なうことで、試験の点数と最終的な成績が上昇することが示されている56。学位が取得できるか否かは、経済的に成功するか生涯苦労するかを左右することを考えれば、この効果は、本人のその後の人生に多大な影響を及ぼすと言えるだろう57。
だとえば激しい運動をしているときに覚えた身体的苦痛を有益なものとして分類できれば、十分な持久力を培えるだろう。米国海兵隊は、「痛みは身体を去らんとしている虚弱さだ」という標語を掲げて、この原理を実行に移している。身体から入って来る感覚刺激を消耗として分類していれば、不快感を覚えた瞬間に運動を止めるだろう。運動の継続は健康に有益なのに、人はたいてい、つねにある一定の限界内でのみ運動している58。しかし再分類の力を借りて運動を継続することによって、やがて健康で強靭な身体も満足感も得られる。この実践を積めば積むほど、持続して運動できるように概念システムが調節可能になるはずだ。
腰痛、スポーツによる負傷、困難を治療による苦痛などの身体の問題は、純然たる身体の痛みと、気分が関わる苦痛の相違を判別する、同様な機会を与えてくれる。たとえば慢性疼痛を患う人は、痛みの強度に釣り合わないほど大きな影響が生活全般に及んでいると、悲観的に考えることが多い59。そのような人が身体の痛みと不快感を区別する術を学ぶと、鎮痛剤をそれほど所望しなくなり、使用頻度が減る60。これは、毎年ほぼ六パーセントのアメリカ人が慢性疼痛を緩和する薬の処方を受けており、その多くが、長期的には痛みの症状を悪化させることが現在では知られている、習慣性のあるオピエート〔ケシの実を由来にする鎮痛薬〕である点を考慮すれば、非常に重要な発見である61。『痛みの追跡(Paintracking)』の著者デポラ・バレット(私の親戚でもある)によれば、純然たる身体の問題として分類できれば、痛みは個人的な災いとして感じられなくなるという。
苦痛を身体の痛みとして再分類し、心的なものを身体的なものに解体するという考えは、古代から存在する。仏教で実践されているある種の瞑想法では、苦痛を軽減するために、感覚を身体症状として再分類する。仏教徒は、この実践方法を「自己の解体」と呼んでいる。「自己」とは「アイデンティティ」であり、記憶、信念、好悪、希望、人生の選択、道徳観、価値観などから成る一連の特徴の集まりを指す。また、遺伝子、身体的な特徴(体重、目の色など)、民族、性格(陽気、誠実さなど)、他者との関係(友人、親、子、恋人など)、社会的役割(学生、科学者、セールスマン、工場労働者、医師など)、所属するコミュニティ(アメリカ人、ニューヨーク市民、キリスト教徒、民主党支持者など)によって、あるいは運転している車によってさえ自分を定義することができる。これらの定義は、「自己とは、自分が誰であるかを示す感覚であり、その人の本質であるかのごとく長く保たれる」という考えに基づいている点で共通する62。
仏教徒は、自己を虚構ととらえ、人間の苦悩の主要な源泉と見なす。仏教徒の観点からすれば、高価な車や服を欲しがったり、名声を高めるために賛辞を得ようとしたり、自分の人生に役立つ地位や権力を追い求めたりすることは、虚構の自己を現実の自己と取り違えている(自己を具象化している)ことを意味する。その種の物質的な関心は、即座に快楽や満足をもたらしてくれるかもしれないが、黄金の手錠〔golden handcuffs は特別待遇も意味する〕のようにその人を罠に陥れ、われわれが「長引く不快を気分」と呼ぶ執拗な苦痛を引き起こす63。仏教徒にとって、自己は一過性の身体的病気以上に大きな問題を孕む。要するに、自己は、永続する不幸の源泉なのである64。
「自己」に関する私の科学的な定義は脳の働きを考慮に入れたものだが、仏教の見解とも親和性がある。自己は社会的現実の一部であると、私は考える。虚構ではないとしても、中性子のように実在するものでもなく、他者の存在に依存する65。科学的に言えば、予測や、それによって生じる行動は、他者による自分の扱いにある程度依存する。ひとりで自己を保つことはできない66。今や私たちは、映画『キャスト・アウェイ』(米・二〇〇〇年)で、孤島に四年間置き去りにされたトム・ハンクス扮する主人公が、バレーボールを使ってウイルソンという名の仲間を作り出さねばならなかった理由を理解できるはずだ67。(中略)

仏教徒が言うように、自己という虚構は、「人間には、その人をその人たらしめている恒久的な本質が備わっている」と見なすことに由来する。実際には、人間はそのような本質を備えていない。私の考えでは、自己は、外界と身体から入って来る持続的な感覚入力を分類するにつれ、今や読者にはお馴染みの二つのネットワーク(内受容ネットワーク、コントロールネットワーク)を含む、情動を生む予測中核システムによって、つねに構築し直されている。事実、デフォルトモードネットワークと呼ばれる内受容ネットワークの一部は、「自己システム」と呼ばれてきた。このシステムの活動は、内省しているあいだ一貫して増大する。アルツハイマー病に罹患したときなどデフォルトモードネットワークが萎縮すると、やがて自己の感覚が失われていく73。
自己の解体は、いかにして自己の情動のマスターになれるかについて新たな洞察をもたらしてくれる。概念システムにひねりを加え、予測を変えることで、未来の経験ばかりでなく、「自己」を改造することさえできるのだ。
家計のやりくりがうまくいかず不安に駆られている、当然と考えていた昇進が先送りされて腹が立っている、学校の成績の悪さに落胆している、あるいは恋人に捨てられて落ち込んでいるため気分が悪かったとしよう。仏教の教えでは、そのような感情は、自己を具象化するために富、名声、権力、安全に執着した結果によって生じる煩悩だとされる。構成主義的情動理論の用語で言えば、富や名声などは、自分の「感情的ニッチ」の内部に存在する。そして、身体予算に影響を及ぼし、やがて不快な情動のインスタンスの生成を導く。その瞬間の自己を解体すれば、「感情的ニッチ」が縮小し、「名声」「権力」「富」などの概念は不要になる74。
欧米の文化にも、「モノに執着するな」「艱難汝を玉にす」「何を言われても平気だ」など、それに類する金言が存在する。だが私は、それをもう一歩進めるべきだと言いたい。病気や侮辱によって苦痛を感じたとき、「自分は、ほんとうに危険にさらされているのか? それとも自己という社会的現実が脅かされているだけなのか?」と自問してみるとよい。それに対する答えは、高鳴る動悸や胸のつかえ、あるいは額に浮かぶ汗を純然たる身体的な感覚刺激として再分類し、水に溶かした胃腸薬のごとく不安、怒り、落胆を解消するのに役立つだろう75。
この種の再分類は簡単にできるものではない。しかし実践を積めば不可能ではなくなり、健康に資するようになる。「自分に関係しないもの」として再分類したものは、感情的ニッチから去っていき、身体予算に大した影響を及ぼさなくなる。同様に、「うまくいった」「誇らしい」「光栄だ」「満足した」などと感じたときには、一歩下がって、その手の快い情動は社会的現実から生じ、虚構の自己を強化する結果をもたらすという点を思い出そう。自分の成功を祝福するのは構わないが、それを黄金の手錠にしてはならない。少し平静になるほうが有益だ。
この方法をもっと進めたいのなら、瞑想を試してみよう。瞑想にはさまざまなタイプがあるが、そのうちの一つ、マインドフルネス瞑想法は、今この瞬間に注意を集中し、さまざまな感覚が生じては消えていく様子を、いかなる判断も差し挟まずに観察するよう教える*。この状態は(それを達成するには多大な実践が必要とされる)、新生児が周囲を観察するときの、静かで注意を集中した状態を思い起こさせる。新生児の脳は予測エラーに心地よく満たされながら、不安のない状態に置かれている。新生児は感覚刺激を経験し、そして解き放つ。瞑想は、それに似た状態に入ることを可能にする。その状態が得られるようになるには何年もの実践が必要だが、次善の手段は、思考、感情、知覚を、より簡単に解き放てる身体的な感覚刺激として再分類することだ。少なくとも最初は、身体に焦点を絞る分類の優先度を上げ、自分や自分の置かれている立場に関して心理的な意味を付与する結果をもたらす分類の優先度を下げるために、瞑想を活用することができる。
科学者の手で詳細な結果が得られているわけではないが、瞑想は脳の構造と機能に強い影響を及ぼす。瞑想実践者の、内受容ネットワークとコントロールネットワークの主たる領域は拡大し、領域間の結合は強まっている76。この結果は、われわれの予想に一致する。というのも、内受容ネットワークは心的な概念を構築し、身体やコントロールネットワークから入って来る感覚刺激を表象するのに、またコントロールネットワークは分類の調節に、重要な役割を果たしているからだ。数時間トレーニングを行なっただけで、この結合が強まっていることを見出した研究もある。さらには、瞑想がストレスの軽減、予測エラーの検知とその処理の効率化、(「情動調節」と呼ばれる)再分類の促進、不快な気分の軽減をもたらすことを示した研究もある。ただしこれらの発見は、一貫して得られているわけではない。というのも、あらゆる実験が、比較対照群を十分に設定しているわけではないからだ77。
自己の解体は、非常に困難なものになりうる。だがその効果の一部は、畏敬の感覚を養い経験することで、すなわち自分よりはるかに大きなものの存在を感じることで、もっと単純に得られる78。この方法は、自己と距離を保つことに役立つ。
私は、ロードアイランド州の海辺の家で家族と一緒に夏の数週間を過ごしたとき、畏敬の念をじかに体験したことがある。私たちは毎晩、激しいコオロギの鳴き声の交響楽に包まれていた。私はそれまでコオロギの鳴き声に注意を向けたことはなかったが、今やそれは私の感情的ニッチに入って来たのだ。毎晩コオロギの鳴き声を聴くのが待ち遠しくなり、寝るときには、それを耳にすると気分が休まるようなった79。そして休暇から戻ってきたあとでも、夜静かに横たわっていると、わが家の厚い壁越しにコオロギの鳴き声が聴こえてくるのに気づくようになった。今や夏になって、研究室でストレスに満ちた一日を過ごしたあと、不安を感じて真夜中に目が覚めたときにコオロギの鳴き声を聴くと、すぐにもう一度眠りにつくようになった。こうして私は、自然に包まれて自分が小さな存在のように感じられる、畏敬に触発された概念を得たのだ。この概念を用いれば、望むときに身体予算の状態を変えられる。私は地面の裂け目から小さな雑草が伸びてくるのを目にして、文明によって自然を飼いならすのは不可能であることを悟り、自分というとろに足らない存在に慰めを見出すために、その概念を活用するようになった。
畏敬の感覚は、海岸の岩に砕け散る波の音に耳を傾ける、星を眺める、嵐雲の下を歩く、見知らぬ土地に出かける、スピリチュアルなイベントに参加することでも得られる。なお、頻繁に畏敬を感じると自己申告する人は、炎症を引き起こす悪性のサイトカインのレベルが低い(ただし因果関係はまだ立証されていない80)。
畏敬の感覚を養うにせよ、瞑想するにせよ、あるいは経験を身体的な感覚刺激に解体するためのその他の方法を見つけるにせよ、再分類は情動を手なずけるために不可欠な道具だ。気分がすぐれないときには、不快な感覚を個人的に何か意味があるものとしてとらえるのではなく、ウイルスに感染しているなどと考えるようにしよう。その感情は単なるノイズかもしれず、十分睡眠をとれば済むかもしれないのだから。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P319)を次に引用(『 』内)します。 『*=仏教徒の観点からすると、自己の解体は、「分類」を中断することだと言えるかもしれない。しかし神経科学の観点から言えば、脳が予測を中断することは決してない。したがって概念をオフにすることはできない』(注:引用中の「予測」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」) (ii) 引用中の原注番号「52」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『このトピックは「ストレス再評価」として知られている(Jamieson, mendes, et al. 2013)。』(注:引用中の「(Jamieson, mendes, et al. 2013)」は次の論文です。 「Mind over matter: reappraising arousal improves cardiovascular and cognitive responses to stress.」) (iii) 引用中の原注番号「53」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Turning the knots in your stomach into bows: Reappraising arousal improves performance on the GRE.」、「Mind over matter: reappraising arousal improves cardiovascular and cognitive responses to stress.」、「Improving Acute Stress Responses The Power of Reappraisal」 (iv) 引用中の原注番号「54」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Rethinking stress: the role of mindsets in determining the stress response.」 (v) 引用中の原注番号「55」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Socioeconomic Status and Social Support: Social Support Reduces Inflammatory Reactivity for Individuals Whose Early-Life Socioeconomic Status Was Low.」 (vi) 引用中の原注番号「56」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Reappraising Stress Arousal Improves Performance and Reduces Evaluation Anxiety in Classroom Exam Situations」 (vii) 引用中の原注番号「57」の内容の一部を(P589)を次に引用(『 』内)します。 『数学の補習クラスの学生のうち、学士号を取得したのは27パーセントである。(後略)』(注:詳細については次のWEBページを参照して下さい。 「Concepts have financial benefits」) (viii) 引用中の原注番号「58」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Physiological conflict in humans: fatigue vs. cold discomfort.」、「https://www.researchgate.net/publication/276960766_Invited_Guest_Editorial_Envisioning_the_next_fifty_years_of_research_on_the_exercise-Affect_relationship:titlenvited Guest Editorial: Envisioning the next fifty years of research on the exercise—Affect relationship」、「Does affective valence during and immediately following a 10-min walk predict concurrent and future physical activity?」 (ix) 引用中の原注番号「59」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Dimensions of catastrophic thinking associated with pain experience and disability in patients with neuropathic pain conditions.」 (x) 引用中の原注番号「60」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Effects of Mindfulness-Oriented Recovery Enhancement on reward responsiveness and opioid cue-reactivity.」 (xi) 引用中の原注番号「61」に関し、次の論文を参照して下さい。 「What Do We Know About Opioid-Induced Hyperalgesia?」 加えてこれに関連する論文(全文)は次を参照して下さい。 「The Evidence for Opioid-Induced Hyperalgesia Today」 (xii) 引用中の原注番号「62」に関し、自己に対する西洋の見方(Western views of the self)については次のWEBページを参照して下さい。 「Western views of the self」 (xiii) 引用中の原注番号「63」の内容の一部(P589)を次に引用(『 』内)します。 『仏教徒は、自己を証明するための物的所有や賛辞を「心の毒」と呼ぶ。それは苦痛(たとえばぺてん師のように感じるなど)だけでなく、自分を承認しないもの、あるいは虚構の自己の化けの皮を剥がす怖れのあるものは何であれ傷つけようとする衝動を引き起こす。(後略)』(注:引用中の「虚構の自己」(fictional self)の例については次のWEBページを参照して下さい。 「A fictional self」) (xiv) 引用中の原注番号「64」の内容の一部(P589)を次に引用(『 』内)します。 『人はいつまでも同じままでいるという虚構を捨てるのも、良い考えである。(後略)』(注:a) 上記引用に関連して次のWEBページを参照して下さい。 「Self as an enduring affliction」 b) 引用中の「人はいつまでも同じままでいるという虚構」に関連するかもしれない「無常」については) (xv) 引用中の原注番号「65」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『「自己」は単に、他者が自分をどう見ているのか、いかに扱っているのかの反映であると言いたいわけではない。その考えは、哲学者のジョージ・ハーバード・ミードや社会学者の C. H. クーリーが提起するシンボリック相互作用論である。誰も自分を知らない、まったく新たな文脈のもとで(飛行機に乗ったときなど)、あなたはいつもと非常に異なるあり方で振る舞ったり、感じたりするだろうか?』 (xvi) 引用中の原注番号「66」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『これは社会心理学者ヘイゼル・マーカスの決めぜりふである。』 (xvii) 引用中の原注番号「67」の内容(P588~P589)を次に引用(『 』内)します。 『バレーボールはウィルソン・スポーティング・グッズ・カンパニー〔実在するスポーツ用品製造企業〕製なので、表面に「ウィルソン」と銘打たれていた。』 (xviii) 引用中の原注番号「73」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Autobiographical memory and sense of self.」 (xix) 引用中の原注番号「74」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『自己の解体は、心の毒を退けて、経験の真の本性、伝統的な仏教の用語を借りればダルマを明らかにする。』 (xx) 引用中の原注番号「75」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『誰かに捨てられたときの落胆は、扱いが少しむずかしい。というのも、誰かに愛着することは、2人がお互いの身体予算を調節し合うことを意味するからだ。したがって離別や喪失は、その説明のために身体予算の再調整を要する。』 (xxi) 引用中の原注番号「76」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The neuroscience of mindfulness meditation.」、「Alterations in Resting-State Functional Connectivity Link Mindfulness Meditation With Reduced Interleukin-6: A Randomized Controlled Trial.」 加えて、3タイプの瞑想方法の脳への影響に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Meditation types」 (xxii) 引用中の原注番号「77」の内容の一部(P588)を次に引用(『 』内)します。 『瞑想がいかに自己を解体し、注意の維持に役立つのかは、解明されていない。(後略)』(注:この引用に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Meditation and the brain」) (xxiii) 引用中の原注番号「78」の内容の一部(P588)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)無神論者の感じる畏怖は、宗教を信奉している人々の信仰心に類似する(後略)』(注:a) 引用中の「畏怖」に関連する論文例は次を参照して下さい。 「Approaching awe, a moral, spiritual, and aesthetic emotion.」、「Exploring the atheist personality: well-being, awe, and magical thinking in atheists, Buddhists, and Christians」) (xxiv) 引用中の原注番号「79」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『鳴くのはオスのコオロギだけであり、目的に応じて異なる歌をうたう。とはいえ、たいていメスを惹きつけるためだ、だから少しばかり心的推論を行なって、コオロギの鳴き声を自然の熱狂的なラブソングとして考えるようにするとよい。』 (xxv) 引用中の原注番号「80」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Positive affect and markers of inflammation: discrete positive emotions predict lower levels of inflammatory cytokines.」 (xxvi) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxvii) 引用中の「マインドフルネス瞑想」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxviii) 引用中の(仏教において)「人間はそのような本質を備えていない」(注:「そのような本質」とは「その人をその人たらしめている恒久的な本質」を指すようです)ことに関連するかもしれない「空」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「空」 (xxix) 引用中の「感情的ニッチ」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼感情的ニッチ(affective niche)」項を参照して下さい。

一方、構成主義的情動理論の視点からの「他者の情動を知覚する能力を高めることで、健康を向上させる方法」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P320~P325)を次に引用します。

ここまで、自己の経験に対して心の知能を高めるためには何をすればよいかを見てきた。次に他者の情動を知覚する能力を高めることで、健康を向上させる方法を検討しよう。
私の夫ダンは、私たちが知り合う以前のことだが、数十年前に矩いあいだながら困難な時期を過ごし、セラピストを紹介されたことがある。最初のセッションが始まって三〇秒くらいで、ダンは集中しているときに彼がよく見せるしかめ面をした。するとセラピストは、自分の知覚を疑うことなく、「抑圧された怒りが溜まっています」と宣告した。ちなみにダンは、私が知る限りもっとも穏やかな人物の一人である。ダンが「自分は怒ってなどいない」と返すと、クライアントの感情を読む自分の能力を過信していたセラピストは、「いや怒っています」と言い張った。それを聞いたダンは、入ってから秒針が一回転すらしないうちに診療室をあとにしていた。おそらくこれは、セラピー・セッションの世界最短記録に違いない。
セラピストをけなそうとしているのではない。私が言いたいのは、他者の心の状態に関する自分の知覚が「正しい」と確信することが(あるいは「正しくありうる」と考えることさえ)、誤りであるということだ。この確信は古典的理論に基づく。それによれば、ダンは、たとえ本人が気づいていなくても、明確な指標を持つ怒りを表明したのであり、セラピストはその怒りを検知したのだと見なされる。他者の情動経験の知覚に長じるためには、その手の本質主義的な仮定を捨て去る必要がある。
ダンのセラピーで、いったい何が起こったのか? ダンは注意の集中という経験を、それに対してセラピストは怒りの知覚を構築したのだ。どちらの構築も、客観的な意味ではなく、社会的な意味で現実のものである。情動の知覚は推測であり、相手の経験と一致した場合にのみ、言い換えると、適用する概念が両者のあいだで一致した場合にのみ「正しい」。他者がどう感じているかがわかるという確信はつねに、実際の知識とは何の関係もない。ただ感情的現実主義にとらわれているだけだ81。
他者の情動を知覚する能力を向上させるためには、他者が何を感じているかが自分にはわかるという思い込みを捨てなければならない。あなたと友人が感情に関して意見の一致が見られなかった場合、ダンのセラピストのように、友人のほうが間違っていると決めつけてはならない。そうではなく「私たちは見解が一致していないようだ」と考え、好奇心をもって友人の視点を学ぶようにしよう。友人の経験に関心を持つことは、正しくあることより重要なのだから。
では、知覚が単なる推測にすぎないのなら、コミュニケーションは成立しうるのか? 自分の子どもの学校の成績に誇りを持っているとあなたが私に言ったとしよう。「誇り」が一貫した指標を持たない多様なインスタンスの集合なら、あなたの言う「誇り」が、そのうちのどれを指しているのかを、私はどのように知るのか?(ちなみに、誇りにはただーつの本質が存在すると見なす古典的理論では、この問いは生じない。その考えに従えば、あなたは誇りを伝達し、私はそれを認識するだけだからだ)。あなたと私は、脳の予測システムを動員することで、特定の情動をその多様性にもかかわらず伝達し合える。情動は予測に導かれる。だから私があなたを観察するとき、私が知覚する情動は、自分の予測に導かれている。つまり情動のコミュニケーションは、あなたと私が同期して予測し、分類するときに起こるのだ82。
科学者とバーテンダーは、人々がコミュニケーションを図るときには、とりわけ好意や信頼を分かち合っていると、行動が同期することを心得ている。私がうなずくとあなたもうなずく。あなたが私の腕に触ると、私はすぐにあなたの腕を触り返す。私たちの非言語的な行動は、同期がとれている。加えて、生物学的な同期が存在する。固い絆で結ばれた母親と子どもの心拍は同期している。同じことは、会話に熱中しているときに、誰にでも起こる。対応するメカニズムは現在でも不明だが、私の考えでは、母親と子どもが、お互いの胸がふくらんだり収縮したりするのを無意識に観察することで、呼吸が同期するからではないだろうか83。私はセラピスト見習いだった頃、自分の呼吸と相手の呼吸を故意に同期させることで、クライアントを催眠状態に陥らせやすくする方法を学んだ84。
同様に私たちは、情動概念を同期させる。情動は予測に導かれる。ゆえに、あなたが私を観察するとき、あなたが知覚する情動は、あなたの予測に導かれる。私の声音や動作は、あなたの脳によって知覚される際、予測を確認するか、予測エラーを引き起こす。
あなたが私に「息子がクラス劇で主役を演じることになったんだ。実に誇らしい」と言ったとしよう。このあなたの言葉と行為によって、「誇り」という共有概念を二人のあいだで同期させるべく、私の脳内で一連の予測が発せられる。私の脳は、過去の経験に基づいて確率を計算し、多数の予測をただーつの最適な勝者インスタンスに絞る。こうして私は、「それはおめでとう」と言う。この手順は、あなたが私を理解しようとする際にも逆方向に繰り返される。二人が共通の文化的背景や、過去の経験を持っていれば、また、特定の相貌、動作、声音などの特徴が、文脈に応じて一定の意味を持つという点に同意していれば、同期の度合いは高まる。こうしてあなたと私は、「誇り」という言葉で示される情動的経験を、少しずつ共同で構築していくのだ。
このシナリオでは、あなたがどう感じているかを私が理解するために、二人の概念が正確に一致している必要はないが、それなりに一致した目的を共有していなければならない。その一方、私が、不快をタイプの誇りのインスタンス、具体的に言えば傲慢さや見下した態度に基づく誇りというインスタンスを生成した場合には、あなたが使っている概念と私の想定は異なり、私は鈍感にも、あなたの言うことを理解し損なったことになる。なおここでは、この構築過程があなたと私のあいだで交互に生じているかのように述べだが、実際には両者の脳内でつねに継続的に生じている点に注意してほしい。
経験の共同構築は、各人の身体予算の調節を可能にする。集団で暮らすことの大きな利点の一つは、そこにある。社会的な生物では、ミツパチやアリ、あるいはゴキブリでさえ85、あらゆるメンバーが身体予算を調節し合っている。しかし、純然たる心的概念を教え合って同期して使うことでそれを実現しているのは、人間だけだ。人間は言葉を用いることで、たとえ相手が遠く離れた場所にいたとしても、それぞれの感情的ニッチに入っていく。異なる大陸で暮らしている人同士でさえ、電話やeメールを使って、あるいは相手のことを考えるだけでも、それぞれの身体予算の調節が可能なのである。
この過程では、言葉の選択が大きく影響する。自分が選択した言葉によって、相手の予測が形作られるためだ。「気分はどう?」などの一般的な問いではなく、「動転しているの?」などの、より具体的な問いを子どもに発する親は、子どもの答えに影響を及ぼし、情動を共同で構築して、子どもの概念を「動転」に向けて彫琢する。同様に「落ち込んでいますか?」と患者に尋ねる医師は、「調子はどうですか?」と尋ねる場合より、問いを肯定する回答を引き出す可能性が高まる。これは一種の誘導尋問であり、弁護士が証人から証言を引き出すとき(や反対尋問を行なうとき)に使う手立てと同種のものである。日常生活においても、法廷と同様、自分の言葉使いに応じて相手の予測が左右されるという点に十分に留意しておく必要がある。
また、自分の感じていることを誰かに知らせたい場合、相手が効率的な予測をし、同期を取れるよう、はっきりした手がかりを与える必要がある。古典的情動理論では、責任はすべて知覚者にある。なぜなら、情動は普遍的に表現されると考えられているからだ。それに対し、構成主義的情動理論に基づけば、送り手も責任を負わなければならない86。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] i) 引用中の原注番号「82」に関し、次の本及び論文を参照して下さい。 「M. Gendron & L. F. Barrett. 2018. "Concepts are key to the communication of emotion - Question 10. How and why are emotions communicated?" In the Nature of Emotion: Fundamental Questions, 2nd edition, edit by A. S. Fox, R. C. Lapate, A. J. Shackman, and R. J. Davidson. Oxford: Oxford University Press」、「Conceptual Alignment: How Brains Achieve Mutual Understanding.」 ii) 引用中の原注番号「83」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『間接的な裏づけは、Giuliano et al. 2015 を参照。』(注:引用中の「Giuliano et al. 2015」は次の論文です。 「Growth models of dyadic synchrony and mother-child vagal tone in the context of parenting at-risk.」) iii) 引用中の原注番号「84」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『それを「感情同期(affective synchrony)」と呼ぶ科学者もいる。』 iv) 引用中の原注番号「85」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Behavioural Contagion Explains Group Cohesion in a Social Crustacean.」 v) 引用中の原注番号「86」に関し、次の論文を参照して下さい。 「It takes two: the interpersonal nature of empathic accuracy.」 vi) 引用中の「情動概念」、「インスタンス」、「知覚」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 viii) 引用中の「感情的ニッチ」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼感情的ニッチ(affective niche)」項を参照して下さい。 ix) 引用中の「身体予算」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【17】報酬予測誤差にも関連するマインドフルネス瞑想の訓練が、脳と身体のシステムの特性を変容させることを示唆することについて

標記示唆することについて、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」 の マインドフルネスは内受容感覚をどのように変容するのか? の「(1) 体のシステムの特性を変容させることを示唆することについて、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」の「内受容感覚とマインドフルネス」における記述の一部(P45~P46)を次に引用します。

(前略)また、マインドフルネス瞑想の訓練が、脳と身体のシステムの特性を変容させることを示唆する傍証もある(Kirk & Montague 2015)。この研究では、喉が渇いた状態で MRI スキャナに入った参加者に対し、視覚的手がかりが報酬としてのジュースを予告するという古典的条件づけの手続きが行われた。学習が成立した後、予測されたタイミングでジュースがもらえない(負の報酬予測誤差;reward prediction error)、あるいは予測しなかったタイミングでジュースがもらえる(正の報酬予測誤差)事態が操作された4)。統制群の参加者では、多くの先行研究と一致して、側坐核や尾状核などの線条体の活動が、正の報酬予測誤差に対しては増大し、負の報酬予測誤差に対しては減少した。これに対して瞑想群の参加者は、報酬予測誤差に対する線条体の活動は低く抑制され、報酬予測誤差にかかわらず報酬であるジュースそのものへの後部島の反応は増大していた。
この結果は、瞑想群では、ジュースの味覚や乾きの癒しなどの身体感覚は鋭敏化している一方、報酬のあるなしについて一喜一憂することはないことを示唆する。つまり瞑想群では、報酬予測誤差に対して内的モデルを更新する学習率が低くなっており、単一の事象の影響が抑えられて脳と身体の安定性が高まっているのだと考えることができるだろう5)。

注:i) 引用中の脚注「4)」における記述(P45)を次に引用(『 』内)します。 『報酬予測誤差とは、過去の学習経験にもとづき、食物、水、金銭などの報酬がもたらされることへの予測と、実際に経験した事象との差を意味する。ある手がかりに対して報酬を予測したのに、実際には報酬が得られなければ報酬予測誤差は負の値となる。期待していなかったのに報酬が得られると、報酬予測誤差は正の値となる。古典的条件づけ(classical conditioning)のような学習は、報酬予測誤差を最小化することにより、手がかりと報酬の関係を確立しようとする営みであるととらえることができる。』 ii) 引用中の脚注「5)」における記述(P46)を次に引用(『 』内)します。 『上述した痛み刺激を用いた研究(Gard et al.2011)の知見を考えると、瞑想者では、予測誤差に対する内的モデルの安定性は、正の価値をもつ報酬でも、負の価値をもつ痛みのような刺激に対しても、同様に高まっているように思われる。』[注:引用中の「Gard et al.2011」は次の論文です。 「Pain attenuation through mindfulness is associated with decreased cognitive control and increased sensory processing in the brain.」] iii) 引用中の「Kirk & Montague 2015」は次の論文です。 「Mindfulness meditation modulates reward prediction errors in a passive conditioning task.」 また次の論文もあります。 「Short-term mindfulness practice attenuates reward prediction errors signals in the brain.」 iv) 引用中の「線条体」に関連する「腹側線条体」については次のWEBページを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「後部島」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 vii) 引用中の「古典的条件づけ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「古典的条件づけ研究なんてまだやってるのと思っているあなたへ」 viii) 引用中の「マインドフルネス瞑想」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【18】構造的解離に対するパーツアプローチについて、その他

最初に、「タッピングによる潜在意識下人格の統合法(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy、USPT)」を紹介する資料は次を参照して下さい。 「Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy(USPT)による解離症の治療 ――第二次構造的解離としての複雑性PTSD――」 加えて、上記資料の内容にも関連する構造的解離(structural dissociation)における「2つの主要な解離的パーツ」について論文(全文)「Dissociation in Trauma: A New Definition and Comparison with Previous Formulations[拙訳]トラウマにおける解離:新しい定義と以前のフォーミュレーションとの比較」(PubMed における要旨はここを参照)の These Subsystems Exert Functions の「Two major types of dissociative parts」項における記述の一部を以下に引用します。なお、「構造的解離モデルは、PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できる」ことについて、下記のの はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P21)を次に引用(『 』内)します。 『構造的解離モデルは、いわばトラウマの理論で、PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できます。』(注:1) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを、「境界性パーソナリティ障碍」の正式名である「境界性パーソナリティ障害」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「複雑性PTSD」については「発達性トラウマ障害」を含めて次の資料を参照して下さい。 「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」 3) 引用中の(PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できる)「構造的解離モデル」に関連する「第二次構造的解離」については、「第一次構造的解離」や「第三次構造的解離」を含めて、野間俊一著の本、「解離する生命」[2012年発行]の 第Ⅰ部 解離の諸相 の 第一章 存在の解離――生命性をめぐる病理 の「6 疾患としての解離」における記述の一部[P21~22]を以下に引用します。) 加えて、上記「PTSD、複雑性PTSD」にも関連する「解離こそがトラウマの核心を成す」ことについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第4章 命からがら逃げる――サバイバルの分析 の「解離と追体験」における記述の一部(P111)を次に引用(《 》内)します。 《解離こそがトラウマの核心を成す。圧倒的なトラウマ体験は、ばらばらになり、断片化するので、トラウマに関連した情動や音、声、イメージ、思考、身体的感覚がそれぞれ独り歩きを始める。記憶の感覚的断片が現在に侵入し、そこで文字どおり追体験される。トラウマが解消しないかぎり、体が自らを守るために分泌するストレスホルモンが循環し続け、防衛の動作や情動的な反応が反復され続ける。》 その上に、「心理学のおもな学派はおしなべて、人間が複数の副人格を持つことを認めている」ことについて、同本の 第17章 断片をつなぎ合わせる――「セルフ(自分そのもの)」によるリーダーシップ の「心はモザイク」における記述の一部(P462)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【心理学のおもな学派はおしなべて、人間が複数の副人格を持つことを認め、それぞれに異なる名前をつけている(2)。】(注:引用中の原注「(2)」の引用は省略します。同本をお読み下さい。)、【カール・ユングはこう書く。「精神とは、肉体とまったく同じように、自らの均衡を維持する自己調節系である(4)」。「人間のプシケの自然状態は、せめぎ合う構成要素の集合体と、各要素の相反する行動にあり(5)」、「そうした対立にいかに折り合いをつけるかは、主要な課題の一つである。すなわち、敵は『自分の中の他者』にほかならない(6)。】(注:a) 引用中の原注「(4)」、「(5)」、「(6)」の引用は全て省略します。同本をお読み下さい。 b) 引用中の「精神」には「プシケ」のルビが振られており、本引用では「精神」の別名が「プシケ」であると考えます。 c) 引用中の「カール・ユング」が体系化した「ユング心理学」については例えば次の資料を参照して下さい。 「18 ユング心理学」)

Two major types of dissociative parts

One type of dissociative part is predominantly mediated by action systems for functioning in daily life. We metaphorically refer to this type as an apparently normal part of the personality (ANP). For instance, an ANP strongly influenced by the action system of energy management will look for food and eat it (one subsystem) or prepare for sleep (another subsystem). Another type of dissociative part—that is, an emotional part of the personality (EP)—is primarily mediated by the defense action system regarding threats to the integrity of the body and/or the action system for attachment cry, that is, crying for attachment upon the loss of an essential caregiver. The core values of the physical defense action system are avoiding or escaping from aversive stimuli, and the core value of the action system for attachment cry is attracting protection.(後略)


[拙訳]
2つの主要な解離的パーツたち(parts)

解離的パーツ(part)の1つのタイプは、日常生活において機能するための行動化システム(action systems)によって主にメディエイトされる。我々はこのタイプを比喩的に、あたかも正常にみえる人格のパーツ(又は人格部分)[ANP、apparently normal part of the personality]と呼んでいる。例えば、エネルギー管理の行動化システムに強く影響される ANP は、食物を探してそれを食べたり(一つのサブシステム)、又は睡眠の準備をしたり(別のサブシステム)する。別のタイプの解離的パーツ(part)、すなわち情動(感情)的な人格のパーツ(又は人格部分)[EP、emotional part of the personality]は、身体のインテグリティに対する脅威に関する防衛行動化システム及び/又はアタッチメントを求める叫びに対する行動化システム、すなわち、不可欠な養育者を失った際のアタッチメントを求める叫びによって主にメディエイトされる。物理的な防衛行動化システムの核心的価値は、嫌悪的刺激を回避したり又は逃れたりすることであり、そしてアタッチメントを求める叫びのための行動化システムの核心的価値は、保護を引きつけることである。

注:拙訳中の「見かけはノーマルな人格のパーツ」に類似する「あたかもノーマルな人格のパーツ」と「日常を送る自己のパーツ」との関連、そして「情動(感情)的な人格のパーツ」に類似する「感情の人格パーツ」と「トラウマ関連の人格パーツ」との関連について、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 1章 神経生物学的な名残としてのトラウマ――断片化はどのように起こるのか の「ストレス下での区画化~分断を利用して」項における記述の一部(P36)を次に引用(『 』内)します。 『ヴァン・デア・ハートたち(2006)は、マイヤーの言葉を借りて、自己の日常を営む側面を「あたかもノーマルな人格のパーツ」とし、動物の防衛反応に触発された部分を「感情の人格パーツ」としました。後者は、生き残るために、たたかう、逃げる、凍りつく、服従する、愛着を示す、といったパーツに分かれます。本書では、もっと使いやすい「日常を送るパーツ〔日常を送る自己〕」と「トラウマ関連のパーツ」とします。「あたかもノーマルな」という表現を避けるためです。』(注:(i) 引用中の「日常を送るパーツ」と「日常を送る自己」との違いについて、同本の P83 の*における記述を次に引用[【 】内]します。 【*日常を送るパーツが「二重の気づき」などを身につけ内的対話が可能になると日常を送る自己になる】[注:引用中の「二重の気づき」についての簡単な説明として、同本の P94 における記述の一部を次に引用〔《 》内〕します。 《「二重の気づき」とは、意識の複数の状態を俯瞰できるということです。》] (ii) 引用中の「日常を送る自己」でいられているとき「前頭前皮質が働いているので、より洗練された反応ができます。」について同本の 8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍 の「みんなに集まってもらう」における記述の一部(P212)を次に引用[『 』内]します。 『日常を送る自己でいられているとき、中立性、俯瞰、そして思いやりと関連する前頭前皮質が働いているので、より洗練された反応ができます。』[注:1) 引用中の「前頭前皮質」と関連する「大脳皮質前頭前野」とストレスとの関連については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレスと脳」の「ストレスと前頭前野」項 2) 一方、引用中の「前頭前皮質が働いている」こととは反対の「前頭前皮質の抑制」についてはここを参照して下さい。]) 加えて、上記パーツにも関連する TIST(Trauma-Informed Stabilisation Treatment、トラウマの情報が共有された安定化ケア)についての資料は次を参照して下さい。 「Trauma-Informed Stabilisation Treatment:A New Approach to Treating Unsafe Behaviour」 ただし、この資料の拙訳はありません。その上に、「パーツという概念はクライアントの問題を外在化し客観視させてくれます。個人と問題との関係が変わります」について、同本の「8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍」における記述の一部(P169)を次に引用[【 】内]します。 【「パーツという概念はクライアントの問題を外在化し客観視させてくれます。個人と問題との関係が変わります、例えば摂食障碍のクライアントが『Ed〔eating disorders の頭文字〕』と自分の苦しみを外在化して呼ぶことができたときのように」と言ったでしょう。それぞれのパーツが潜在的な子どもの頃の記憶を持っていると理解しようが、単に自分の行動を客観視するのにパーツという言葉を使おうが、いずれにせよ本書のアプローチは役立ちます。】(注:引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい) さらに、上記「日常を送るパーツ〔日常を送る自己〕」に類似する「日常を送る自己のパーツ」と「トラウマ関連のパーツ」について、同の「適応策による犠牲」項における記述の一部(P82)を次に引用します。

(前略)構造的解離モデルを用い、神経生物学に基づく理解を簡単に分かりやすく示します。図4.1の表を指しながら、人間の脳は「あまりにも圧倒させられる」場合は、分離できるようになっていることを解説します。右脳と左脳は個別の脳の構造であるため、トラウマ的出来事に晒され続けると、左脳の自己(Cozolino[2002]は「言語的自己」と呼ぶ)は、「日常を送る自己のパーツ」として日常生活なんとか継続しようとし、それに対して、右脳は、身体的に生き残ることを目指す「身体的かつ感情的な自己」(Cozolino 2002)を動員しながら、次の脅威に備えるということを伝えます。よって、「トラウマ関連の人格パーツ」と呼ばれていることも加えます。(後略)

注:(i) 引用中の「図4.1」の引用は省略します。ただし、代わりに「図4.2 役割によってパーツを認識する」(P84、min.t【抜粋②『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』 Janina Fisher著、浅井咲子訳、国書刊行会"2020.8.25.】に含まれるツイートを参照、又は拙訳はありませんが類似した英文の図は例えば資料「Using a Parts Perspective to Enhance Infant Mental Health Treatment」の「Structural Dissociation: “Who” is showing up now?」シートを参照)における「トラウマ関連の人格パーツ」(上記シートの図においては「Traumatized Child Self or Selves」)として分類される5つ(次の①~⑤、またここにおける引用の一部『たたかう、逃げる、凍りつく、服従する、愛着を示す』も参照)のパーツの役割を表示形式を変えて次に簡単に紹介します。①たたかう:警戒(怒り、批判的、猜疑心、自己破壊的な、支配的な、自殺願望のある) ②逃げる:逃避(距離をとる、両価的な、コミットできない、嗜癖的な行為または摂食障害) ③凍りつく:恐怖(凍りついた、怖気づいている、用心深い、見られることを嫌がる、広場恐怖の、パニック発作ある) ④服従:恥(うつ状態、恥じている、自己嫌悪に満ちた、消極的な、よい子、世話をする、自己犠牲的) ⑤愛着:愛を渇望している(助けを求めている、つながり、やさしさ、純心さ、頼れる人を欲している)[注:a) 上記「たたかう」に類似する「闘争」、「逃げる」に類似する「逃走」、そして「凍りつく」に類似する「凍りつき」については「ポリヴェーガル理論」にも関係して共に例えば他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。 b) 上記「愛着」に関連する「愛着障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 上記「パーツ」たちの活動の例として、同の 4章 「わたしたち」と向き合うためにパーツたちに働きかける の「内側の景観にマインドフルに気づく」における記述の一部(P88)を次に引用(【 】内)します。 【反芻される思考、刺激への反復的な反応、肯定的出来事に対する否定感や「過剰な反応」もまた、パーツたちの活動です。】〔注:引用中の「反芻」の別名である「反すう」については拙エントリのここを参照して下さい。〕 d) 上記 a) 及び b) 項にも関連する『「行動化」「操作」「抵抗」または「動機づけがなされてない」とみなされてきた現象が実は、日常生活の些細な刺激によって潜在記憶がトラウマ的反応を引き起こし、たたかう、逃げる、助けを求める、凍りつく、「擬死する」という本能的な行動を起こしているだけだからです』について、同の はじめに の「本書の構成について」における記述の一部を次に引用(《 》内)します。 《1章では、神経生物学的なアプローチの基本を紹介していきます。これを理解するとセラピストはもっと効果的に、複雑性のトラウマやパーソナリティ障碍のクライアントに取り組めるようになります。「行動化」「操作」「抵抗」または「動機づけがなされてない」とみなされてきた現象が実は、日常生活の些細な刺激によって潜在記憶がトラウマ的反応を引き起こし、たたかう、逃げる、助けを求める、凍りつく、「擬死する」(Porges, 2011)という本能的な行動を起こしているだけだからです。》〔注:1) 引用中の「Porges, 2011」は次の本です。 「Porges, S.W. (2011). The Polyvagal theory: neurophysiological foundations of emotions, attachment, communication, and self-regulation. New York: W. W. Norton.」〈注:未邦訳であるこの本のタイトルの訳の例は、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 序文 の「なぜこの本は対話形式で書かれているのか?」における記述(P3)によると「ポリヴェーガル理論:感情・愛着・コミュニケ-ション・自己調整の神経生理学的基盤」です〉 なお、Porges が提唱するポリヴェーガル理論〈Polyvagal theory〉については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。 2) 引用中の「擬死」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて上記「擬死」に関連する〈「解離性昏迷」としての〉「擬死反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 ちなみに、上記「潜在記憶」(IMPLICIT MEMORY)に関連する「トラウマが4つの型の記憶にいかに影響し得るか」については、拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「How Trauma Can Impact Four Types of Memory [Infographic] - nicabm」〕] (ii) 引用中の「Cozolino 2002」は次の本です。 「Cozolino, L. (2002). The neuroscience of psychotherapy: building and rebuilding the human brain. New York: W. W. Norton.」 (iii) トラウマを受けた個人がひとつの診断か複数の診断をされているのに、引用中の「構造的解離」が疑われない場合は、永続的な症状の改善をまったく経験していないことが多い」ことについて、同項における記述の一部(P82)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマを受けた個人がひとつの診断(例えば、うつ病、境界性パーソナリティ、不安障碍)か複数の診断をされているのに、構造的解離が疑われない場合は、永続的な症状の改善をまったく経験していないことが多いのです。』[注:1) 引用中の「うつ病」については他の拙エントリのここを、引用中の「境界性パーソナリティ」に関連する「境界性パーソナリティ障害」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「不安障碍」に類似する「不安症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」] (iv) 引用中の「トラウマ関連の人格パーツ」に関連する、 A] 「パーツたちの内側の葛藤の表現」について、同の『「あなた」を知りたくて』における記述(P84~P86)を以下に引用します。 B] 『パーツと「親しくなる」』ことについて、同の『「わたしたち」を受容してあげる』における記述(P90)を以下に引用します。

アーロンは、来談理由を次のように述べます。

私は、女性にはじめはすごく夢中になって、この人こそが、『運命の人』だと思ってすごいスピードでつき合いはじめます。けれども関係が深くなると急に今まで見えなかった相手の欠点ばかりが気にかかるようになり、合わないと思ってしまうのです。そして避けたくなり罪悪感に苦しむか、または私が見捨てられるのではと怖くなり、どうしたらよいか分からなくなります。同時に関係から逃れられないような恐怖も起こってくるのです。

彼は、パーツたちの内側の葛藤を表現しています。優しくて魅力的な女性に「愛着を求めて早く親密になりたいパーツ」、ちょっとした欠点を見逃さない「批判してたたかうパーツ」、「間違った選択を後悔して逃げたいパーツ」です。しかし、関係から逃れるのは、「明け渡す」、「助けを求める」パーツが許さない行動でもあります。(明け渡すパーツの属性である)罪悪感と恥そして、失うことへの恐れ(トラウマ的愛着の特徴)が、たたかう/逃げるパーツをさらに触発するのです。それぞれのパーツを識別して、彼の意識にあげる言葉がなければ、彼は、去るべきか、続けるべきか? 彼女は自分に合っているのか、関係を終わらせるべきか? を悶々と繰り返すでしょう。このジレンマが強烈になると、極端ですが、死さえもこの葛藤を収束させてくれる解決策のひとつのように思えてきます。しかし同時に「彼」は、子どもと妻のいる温かい家庭を夢みているのです。すべてを終わらせようと自殺を願うパーツと妻と家庭を願うパーツとが矛盾し、同時に「女性を弄ぶ」パーツは、彼があるべき姿としている人物像と真っ向から対立するのです。

ネリーは自分のことを「憂鬱な」と表現しました。しかし症状を聞くと、彼女は自分自身についての一連の信念を話し出しました。「私は混乱していて、怠け者で、起き上がる元気がないんです。とても自分がまともな人間とは思えなくて。」毎朝の起きると、「また、一日がやってきた」と午後までベッドのなかで絶望して過ごすのです。予定していたことをすっぽかし、食器は洗われないままシンクにあり、家に食べるものはありません。彼女は惨めな気持ちになり、そして厳しい自己批判が始まって、彼女の気力を奪い、そしてまたベッドに戻り眠りたくなります。50代になった彼女は自分の生い立ちを振り返ります。達成できたことでしか認めてもらえない家庭のなかで、不出来な子として扱われていた彼女は、自己愛的で虐待する父親の視界に入らないようにして生き延びました。唯一、陽気でおどける子どもという側面だけは、なにかを達成できなくても父親には受け入れられました。

そして時を経て今、彼女は「自分」が誰なのか分からず混乱しています。長い間、彼女は父の怒りから自分を守り、かろうじて愛をもらえる自分を小さく見せるおどける子どものパーツに「ハイジャックされて」(Ogden & Fisher, 2015)きたのです。そして、ネリーの人生の大部分を占めてきた従順なパーツは、父親の呪いの言葉を受けた批判的なパーツに支配されてきました。パーツに働きかけるモデルがなければ、ネリーの自己嫌悪を低い自尊心と取り違え、ぎこちないユーモアのセンスを「中核の感情への防衛」と解釈し、長い時間解決をみることはなかったでしょう。

しかしながら、ネリーは、日常生活を送る自己でいられると最高の気分となり、仕事に集中し、堂々としていて、ユーモアと温かさで自分を茶化すこともできました。悲しいことに、批判するパーツは、これらの彼女の能力が偽りのもので、むなしい人生をみないようにしているだけだと彼女にささやきます。このように彼女が良い気分になると、この批判するパーツは顔を出してくるのです! 彼女は各パーツたちを過去からの対話であり、自分に貢献してくれてきたものとして理解する必要がありました。そのためには「失敗のない」パラダイムが必要でした。服従するパーツは、彼女が「うねぼれて、思い上がら」ないように、能力があるという事実を隠ぺいしました。そして批判するパーツは過剰に失敗を恐れ、凍りつきのパーツは、すべての人間が父親のように恐ろしいと言って、外出を怖がらせました。

これらすべてがひとつの身体のなかで起こっているため、ネリーは自分のなかの矛盾するパーツたちの戦闘には疑問を感じていませんでした。

注:i) 引用中の「Ogden & Fisher, 2015」は次の本です。 「Ogden, P. & Fisher, J. (2015). Sensorimotor Psychotherapy: interventions for trauma and attachment. New York: W. W. Norton.」 ii) 引用中の「矛盾するパーツたちの戦闘」に関連する「パーツ同士の内なる葛藤」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アーロン」と「ネリー」は「自分たちの症状に好奇心を持つことなく、怒っている、死にたい、気分が沈む、孤独な、批判的な、そして自己嫌悪をしているパーツたちをただ自分だとして、矛盾した感情の状態にあるという事実を無視してきている」ことについて、「パーツ・モデル」、そして『ほとんどの心理療法モデルでは、恥を感じる「わたし」と、怒りを爆発する「わたし」と、常に恐れている「わたし」とを区別しない』ことを含めて、同の『好奇心を育む「わたし」は何者か?』における記述(P86~P87)を次に引用します。

ほとんどの心理療法モデルでは、恥を感じる「わたし」と、怒りを爆発する「わたし」と、常に恐れている「わたし」とを区別しません。それぞれの感情は、個人の自己表現として扱われます。しかし、パーツ・モデルでは、苦痛や不快感、感情、または身体感覚をそれぞれパーツとして扱います(Schwartz, 1995)。セラピストが「わたし」を主語にせずに、意図的かつ一貫して、パーツ〔部分、側面などでもよい〕という言葉を使用することによって、個人は、各卜ラウマ関連の感情または反応を、パーツたちからメッセージとして観察できるようにするのです。「どの『わたし』が、恥を感じ、謝ろうとするの? どの『わたし』が、謝ることにうんざりしているの?」のような質問をするときは、目的はひとつです。それは、好奇心と観察力を持ってもらうことです。この場合、視察する人と観察されているものの間には、ごくわずかな距離がありその感情や反応を感じることができますが、おそらく内側前頭前皮質の活動の増加と扁桃体の活性化の減少によって、強烈さが和らぎます。「パーツ」という言葉を使うことで、関心と好奇心が呼び起こされ、新しい情報が与えられるでしょう。
ア-ロンとネリーは、自分たちの症状に好奇心を持つことなく、怒っている、死にたい、気分が沈む、孤独な、批判的な、そして自己嫌悪をしているパーツたちをただ自分だとして、矛盾した感情の状態にあるという事実は無視してきています。例えば、誰かと親密になりたいという衝動は、逃げたいというのと衝突します。また、能力、統制、そして活力を感じたくても、「低飛行」し、他の人を脅かさないよう自分を「小さく見せ」ようとすることと葛藤を生みます。セラピーの第一課題は、これらの起こっている現象に好奇心を持ってもらうことです。まず、「私」ではなく「パーツ」という言葉を使い(Schwartz, 2001)、自動的に起こる否定的な解釈ではなくて、それをマインドフルに観察する力をつけていきます。そして、刺激に触発された時のパーツの思考、感情、内臓の反応、動きの衝動などを「追跡」し(Ogden et al., 2006)、どのように生存のための反応をしているかをみていきます。

注:i) 引用中の「Schwartz, 2001」は次の本です。 「Schwartz, R. (2001). Introduction to the internal family systems model. Oak Park, IL: Trailheads Publications.」 ii) 注:引用中の「Ogden et al., 2006」はここを参照すると良いかもしれません。 iii) 引用中の「マインドフル」に関連する「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) PTSDにおける引用中の「内側前頭前皮質」と「扁桃体」との関連(換言すれば「監視塔」と「煙探知機」との関連)については他の拙エントリのここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。 v) 引用中の(パーツたちをただ自分だとして)「矛盾した感情の状態」に関連するかもしれない「パーツ同士の内なる葛藤」について同の 4章 「わたしたち」と向き合うために――パーツたちに働きかける の「サバイバルにまつわる内なる闘争」における記述の一部(P88~P89)を次に引用します。

しかしながら、パーツ同士の内なる葛藤というのは、ある程度予測可能なものです。例えば生存のために助けを求め愛着を示す反応は、自動的に距離を取りたいという逃走の衝動を、または不信、過度の警戒、怒り、批判などのたたかいの防御反応を呼び起こします。たたかいのパーツによる批判的な思考は「自己嫌悪」として経験され、明け渡すパーツの恥、絶望、不全感を引き起こす可能性が高いのです。対人関係での親密さは、より接近しようとする愛着のパーツによって、傷つけられることを恐れる凍りつきパーツ、または闘争および逃走パーツが警戒信号を発するかもしれません。そして、これらの反応がすべて同時に起こることもあります。専門的な仕事や家庭での責任は、日常を送る自己が自ら率先して引き受けたものであっても、内なる幼い子どもたちは圧倒されているかもしれません。日常を送る自己が人生でステップアップを図ろうとすることが、トラウマ関連のパーツを警戒させたり、葛藤や危機をもたらすこともあります。肯定的に「認められること」(例えば、賞賛を受けたり、達成したことを注目されるなど)や、業績が表彰されることなどでも、凍りつきパーツが見られることへの危惧を引き起こすこともあります。特別な注目や扱いを受けることは、しばしば性的または身体的虐待を警戒させ、親切に扱われることにも過敏になったりします。(後略)

注:引用中の「トラウマ関連のパーツ」についてはここを参照して下さい。

パーツと「親しくなる」ことができると、セラピーの時間のみでなく、日常にも波及効果があります。自分の反応を一時停止してペースを落とすことで、好奇心と興味が生まれます。自律神経系の興奮はおさまり、非常事態の感覚は緩和されて異なる選択ができるようになります。パーツが穏やかさを感じるとさらに平安が訪れます。生き残りには必要だったかもしれませんが、自己疎外となる、あるパーツを否定し、他のパーツを過剰に働かせると安らげません。そればかりか自己疎外によってさらに緊張が高まり、(しばしばトラウマ的環境に似ている)争いの状況を作り、それぞれのパーツの自尊心を低下させます。「親しくなる」とは「徹底的に受け入れる」(Linehan, 1993)ことで、それは身体を共有する「同居人」としてパーツたちと友好的に協力して生活することを意味します。否定するよりも歓迎すれば、私たちの内なる世界はそれだけ安全になるのです。

注:i) 引用中の「Linehan, 1993」は次の本です。 「Linehan, M.M. (1993). Cognitive-behavioral treatment of borderline personality disorder. New York: Guilford Press. [M・M・リネハン著『境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法:DBTによるBPDの治療』岩坂彰[他]訳、誠信書房、2007年。]」 ii) 引用中の「徹底的に受け入れる」の別名である「徹底的受容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

6 疾患としての解離(中略)

ヴァンデアハートらは、人格がさまざまな下位システムから成る構造をもっていることを前提に、外傷性解離の場合、人格構造の凝集性と柔軟性が欠如していると考え、それを「構造的解離」と名づけた。三段階ある構造的解離のうち、最も単純で基本的な外傷に関連した人格の分離である第一次構造的解離では、一つのANPと一つのEPから成り、現在臨床で用いられている病名としては単純性PTSDがこれに当たる。通常は何事もなかったかのように過ごしながら、時に激情を伴ったフラッシュバックに襲われるというパターンである。第二次構造的解離では、ANPが一つであるのに対してEPが複数になる。たとえば、穏やかでうまく生活を送るANPが一つあり、それが激怒するEP、脅えたEP、自傷行為をするEPなどに交代するタイプであり、これには複雑性PTSDや外傷に関連した境界性パーソナリティ障害が含まれる。そして第三次構造的解離では、ANPもEPも複数現れて病態は複雑化するのだが、これが解離性同一性障害ということになる。ヴァンデアハートらは、あくまで心的外傷に由来する場合との条件つきながら、さまざまな解離症状の基本はANPとEPの二面性と理解したのである。(後略)

注:i) 引用中の「ANP」や「EP」については共にここにおける引用や次の資料を参照すると良いかもしれません。 「Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy(USPT)による解離症の治療 ――第二次構造的解離としての複雑性PTSD――」の「1. 構造的解離とは」項(P765) ii) 引用中の「第一次構造的解離」、「二次構造的解離」、「第三次構造的解離」については上記資料のそれぞれ「1. 第一次構造的解離(第一次解離)」項(P768)、「2. 第二次構造的解離(第二次解離)」項(P769)、「4. 第三次構造的解離(第三次解離)」項(P770)も参照すると良いかもしれません。

次に、「マインドフルな観察」を含むパーツアプローチについて、同の「内側の景観にマインドフルに気づく」における記述の一部(P87~P88)を以下に引用します。なお、上記「マインドフルな観察」についてはここも参照して下さい。

トラウマに関連する感情や認知を反芻させている限り、環境の刺激によって神経系の調整が難しくなり、パーツをより活性化させます。前頭前皮質が神経系の調整不全によって遮断されると、日常生活を送る自己が、好奇心を持って同時に存在できにくくなります。過去と現在を区別してくれる前頭前皮質が働いていないと、トラウマ記憶を格納する神経回路網が反復的に活性化し、これらの経路をさらに強化して、トラウマ関連の症状を悪化させるのです(Van der Kolk, 2014)。反応するのではなく、中立的に観察する(例えば、怖がっている子どものパーツ、怒っているパーツなどを眺めるようにする)のは、パーツアプローチの基礎です。
苦しめられている感情や問題をパーツから対話として一貫して捉えるセラピストの助けを借りて、パーツの存在の兆候を示す手がかりを見つけていきます。そして苦痛、不快感、圧倒され痛みを伴う感情、否定的または自己懲罰的な信念、内的葛藤、先延ばし、そして両極感情などをただ観察するよう練習していきます。反芻される思考、刺激への反復的な反応、肯定的出来事に対する否定感や「過剰な反応」もまた、パーツたちの活動です。何度も繰り返して好奇心を持ち、これらの現象のすべてがパーツたちの活動であるのを知ることは、多くの利点があります。マインドフルな観察は、前頭前皮質の活動を促し、トラウマによる皮質活動の抑制を和らげます。消耗させられたり、過度に同一化せずに、パーツたちとの関係に気づけるかもしれません。他には、調整不全の改善が望めます。内側前頭前皮質(瞑想するときに関与する脳の部分)の活性化は、扁桃体(緊急ストレス反応をする部位)の活動を低下させます。さらに、個人が好奇心や関心を持って観察しているものに集中すると、ペースは自然と落ち、観察能力は高まります。(後略)

注:(i) 引用中の「Van der Kolk, 2014」は次の本です。 「Van der Kolk, B.A. (2014). The body keeps the score: brain mind and body in the healing of trauma. New York: Viking Press[B・A・ヴァン・デア・コーク著『身体はトラウマを記録する:脳・心・体のつながりと回復のための手法』柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2016年。]」 (ii) 引用中の「反芻」の別名である「反すう」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) PTSDにおける引用中の「内側前頭前皮質」と「扁桃体」との関連(換言すれば「監視塔」と「煙探知機」との関連)については他の拙エントリのここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。加えて、引用中の「前頭前皮質」と関連する「大脳皮質前頭前野」とストレスとの関連については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレスと脳」の「ストレスと前頭前野」項 (iv) 引用中の「マインドフル」に関連する、 a) 「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 『マインドフルな「二重の気づき」』の効用について、同の 11章 安全と歓迎――安定型愛着を獲得する の「子どもの泣き声を聞く」における記述の一部(P297)を次に引用(【 】内)します。 【マインドフルな「二重の気づき」は、自律神経系の覚醒を調節し、お互いを「認識させ」、パーツたちが自動的に阻害化される傾向を減らしてくれます。】(注:引用中の「二重の気づき」についてはここを参照して下さい) (v) 引用中の「皮質活動の抑制」に関連する「重大な前頭前皮質の機能不全」については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、 1) 引用中の「トラウマによる皮質活動の抑制」に関連する「前頭前皮質の抑制」について「ハイジャック」や「誘発要因」を含めて同の 8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍 の『過去に棲むパーツたちに「現在」を教える』及び「条件づけられた学習を克服する」における記述の一部(P187~P188)を以下に引用します。 2) 加えて、「幼いパーツたちとのつながりを深める」ことについて同の「10章 失ったものを取り戻す――幼いパーツたちとのつながりを深める」における記述の一部(P251~P252)を以下に引用します。 3) その上に、『上記「マインドフルネス」がパーツたちに働きかける際に必要となる』ことについて、『普段は特定するのが難しい、パーツたちの矛盾した行動や反応を俯瞰することで、「同一化」しないことを身につける』ことを含めて、同はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P22)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「両極感情」に関連するかもしれない、 a) 「二極化が悪化」することを含む引用はここを参照して下さい。 b) 「二極化を招き、内的葛藤を激化させる」ことについてはここここを参照して下さい。 c) (パーツたちをただ自分だとして)「矛盾した感情の状態」についてはここを参照して下さい。 d) 「両価性ないしジレンマは,トラウマ患者の特徴であり,トラウマが語られなくても,トラウマがある可能性に気づくマーカーとなりうる」ことについて、青木省三、村上伸治、鷲田健二編集の本、「大人のトラウマを診るということ こころの病の背景にある傷みに気づく」(2021年発行)の 第2章 症例集 の「小学生の頃から希死念慮のある40代女性 29 安楽死はできますか?」における記述(P164~P166)を以下に引用します。

過去に棲むパーツたちに「現在」を教える(中略)

「ハイジャック」とは、パット・オグデンが使った言葉で(Ogden et al., 2006)、誘発要因に晒されたクライアントの身体が緊急事態のストレス反応を稼働させることです。交感神経系を「働かせ」、アドレナリンが放出されると、前頭前皮質の働きが抑制されます。パーツが誘発きれると、緊急のストレス反応および動物の防衛反応が起こります。前頭前皮質の抑制こより、日常を送る自己は、パーツたちの行動や反応に対する意識的な気づきがなくなり、統制力が低下します。日常を送る自己がその機能を失っているときは、「ハイジャック」が起きている明らかな兆候です。「自分が壊れてしまって」または「バラバラになった」を、「パーツたちが『クーデター』を起こして乗っ取っている状態」と言い換えて、危機を外在化することで、日常を送る自己を引き出していきます。特にクライアントが自分のパーツたちに脅威を感じ、自分は「どこまで落ちぶれてしまったのだろう」と恥じている場合には人生を取り戻すための動機を呼び起こす必要があります。こんなとき私は、「あなたのパーツたちとトラウマが決定する人生がいい? それともあなたが選びとれる人生がいい?」と聞いてみます。

条件づけられた学習を克服する

誘発要因に対する反応は、生命の脅威を主観的に感じている手続き的な学習です。私の同僚がかつて「トラウマとは一番消去しづらい反応だ」と言っていたように、この条件づけられた反応は、変化や変更が非常に難しいのです。それはまるで身体と神経系が、別の日の安全のための自動的な反応を「あきらめる」のをひどく嫌がっているかのようです。加えて、慢性的な(神経系の)調整不全の結果、前頭前皮質が反復的に遮断され、トラウマを受けたクライアントの大部分は新しい情報を保持するのが困難になります。彼/彼女らは、昨日の救済だったやり方や戦略を他の人に思い出させてもらうか、合図してもらわないと覚えられず使えないと思っています。左脳の活動が繰り返し抑制されることで、新しい情報の符号化と想起が起こりにくくなっているのです。(後略)

注:(i) 引用中の「Ogden et al., 2006」は次の本です。 「Ogden, P., Minton, K. & Pain, C. (2006). Trauma and the body: a sensorimotor approach to psychotherapy. New York: W.W. Norton.[P・オグデン、K・ミントン、C・ペイン著『トラウマと身体:センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実践:マインドフルネスにもとづくトラウマセラピー』日本ハコミ研究所訳、星和書店、2012年。」 (ii) 引用中の「左脳」に関連する「左脳の自己」についての簡単な説明はここを参照すると良いかもしれません。 (iii) 引用中の「動物の防衛反応」に関連して、 a) (構造的に解離した各パーツは)「動物としての防衛反応を行使してる」ことについては「愛着と安全という面で偏りを呈する」ことを含めて、同の 6章 トラウマ的愛着の複雑さ の「セラピーとセラピスト恐怖症」における記述の一部(P127)を次に引用(【 】内)します。 【構造的に解離した各パーツは、動物としての防衛反応を行使しているのです。そして、愛着と安全という面で、偏りを呈します。】 b) ポリヴェーガル理論の視点からの「防衛反応」(例えば闘争・逃走反応と不動状態やシャットダウン)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「通常、人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているかを観察し、ある行動をとれば何が起こるかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプログラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を、抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。私たちは前頭葉が適切に機能しているかぎり、ウェイターがなかなか注文した品を持ってこないときや、保険会社の代理人に電話で待たされたときに、毎回腹を立てる可能性は低い(私たちの監視塔は、他者の怒りや脅威も、彼らの情動の状態の結果であることを教えてくれもする)。そのシステムが故障すると、私たちは条件付けされた動物のようになり、危険を感知した途端に、自動的に闘争/逃走モードに入る。」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)クライアントがパーツたちの言語を話し、ブレンド化を解除する能力を高め、嫌悪よりもむしろ好奇心から「二重の気づき」を持てるようになると、神経系は自然に落ち着き、トラウマ関連のパーツたちは穏やかになります。この気づきの習慣によって、幼い子どもと賢い大人との間に僅かな空間ができて、以前は圧倒されていたことにも耐えられるようになります。そうすると因果関係が明らかになります。「過剰な反応」もトラウマを抱えた子どもたちの自然な反応として捉えるように変化します。衝動に気づき、行動や反応をパーツたちのものとして観察できるので、ブレンド化せず意識的な選択ができるのです。「抑うつパーツの絶望とブレンド化すると幼いパーツ混乱し、自殺願望のパーツが誘発されるのだ。だから絶望にあまり『沈み込み』過ぎない方がよいだろう。」このように意識的にトラウマ関連のパーツたちとつき合えると、より調整された神経系になり、クライアントは嫌悪感よりも共感を増し始めます。特に慢性的な高リスクの症状、自己破壊的な行動、薬物乱用、および/または摂食障碍の場合、安定化は「日常生活を送る自己」と「脆弱性を死よりも恐れるたたかう/逃げるパーツたちの目的」とを区別できる能力の獲得にかかっています。これまでは、危険行為そのものを減らすことに焦点が当てられてきました。しかし、それにより、たたかう/逃げるパーツたちの疎外化および二極化が悪化し、しばしば安定化を余計危うくすることが起こります。また、恥、疲弊、そして自己不信は、服従と屈辱の負荷に苦しむパーツたちのものとして理解されるのではなく、慢性的なうつまたは低い自尊心として扱われることが多いのが現状です。さらにクライアントが治療に抵抗を示すと、それらはしばしば「パーソナリティ障碍」とされたり、欠陥を指摘されるだけで、どのパーツからの対話なのかを探求されないことが頻繁にあります。けれども、調整不全で解離が重篤なクライアントでさえも、第4章と第5章に示した単純なステップを繰り返し実行することで、徐々に安定化へと向かいます。要点を下記のようにまとめてみました。

・ 誘発された感情および身体反応を「引き金を引かれた」と認識し、今ここでの反応と解釈しないことを学ぶ。
・ これらの反応を「パーツからの対話」と捉え好奇心を持つ。
・ 誘発刺激とパーツ間の瞬間的な相互作用にクライアントが気づくように導く。
・ 自己観察できる〔日常を送る〕自己の質と、トラウマ関連の活性化されたパーツたちを区別する。
・ パーツに名前を付けるだけでなく、その幼さと「起こってきたこと」から生き残った能力に共感を持つ。
・ 内的対話の術を学び、信頼を築き、そしてパーツとのつながりを体感にまで浸透させる。

これらの単純な初期作業は、より「深い作業」をするための礎であり、クライアントがセラピーの時間以外にも実行できるようになるまで、繰り返します。「深い作業」をしたあとで、クライアントが調整不全を起こし、ブレンド化により感情や記憶に圧倒された、と解釈するのでは遅いのです。(後略)

注:(i) 引用中の「第4章と第5章に示した単純なステップ」についての引用は省略します。 (ii) 引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「パーソナリティ障碍」の別名である「パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 (iv) 引用中の「日常生活を送る自己」に類似する「日常を送る自己」、そして引用中の「二重の気づき」については共にここを参照して下さい。 (v) 引用中の「ブレンド化」は同はじめに の「本書の構成について」における次に引用(『 』内)する記述の一部(P24)で示されるように「パーツとの同一化」を指すようです。 『また、この段階においては「ブレンド化(Schwartz, 2001)」、つまりパーツと同一化しやすいということも、覚えておきたいものです。同一化すると感情が溢れたり、行動の制御が難しくなったりします。』(注:a) 引用中の「Schwartz, 2001」はここの i) 項を参照して下さい。 b) 引用中の「同一化」についてはここを参照すると良いかもしれません。) 加えて、引用中の「ブレンド化」に関連する(防衛反応[ここの (iii) b) 項を参照]がパーツが生き延びるためには大事だったとクライアントに思ってもらうための一方法であり、自動的で無意識のうちに起こる)「ブレンド化の徴候を観察し、非ブレンド化の術を身につけること」について、同の 9章 過去を修復する――自分への抱擁 の「これらの感情は誰のもの?」における記述の一部(P228)を以下に引用します。 (vi) 一方、引用中の「二極化」については同の 7章 自殺願望、自己破壊、摂食障碍、嗜癖のパーツに働きかける の「動物の防御と危険行動」における記述の一部(P153~P155)を以下に引用します。

トラウマ関連のパーツたちの苦痛を「修復」していく上で、クライアントにとって最大の難関は、自動的で無意識のうちに起こるブレンド化です。なぜなら感情、つまりパーツの感情はひとつの心と身体で経験されるので、クライアントがパーツという概念に慣れて、「パーツの感情」であることを認識できなければなりません。様々なパーツによって保持されている認知のスキーマ〔個人の成育歴などが影響している特有な信念体系〕の識別は簡単ではありません。もう何年もの長い間「真実」であるとしてきた信念は、たとえ知的にはパーツたちに結び付けられたとしても、特定のパーツにとっては脅威になることもあります。たとえば、セラピストが価値、帰属、ふさわしさについての信念をトラウマ関連のパーツのものとして捉えると、そのパーツが不安を感じてしまうことがよくあります。なぜなら、あるパーツにとっては、安全というものは自分を無価値だとする信念のもとにあるからです。生存のために、自分が見られず、聴かれず、何も問題を起こさないようにすることが習慣なのです。子どもにとっては危険な世界に独りでいるよりも、自分は悪い子だと思いこむ方が楽なのです。また、恥や自己嫌悪に苛まれたときも、子どもは簡単に服従し、恥じらい、罰を受け入れます。防衛反応がパーツが生き延びるためには大事だったとクライアントに思ってもらうためには、2つの段階があります。まずは、ブレンド化の徴候を観察し、非ブレンド化の術を身につけることです。次に幼いパーツたちへ思いやりを「向ける」力にアクセスし、「自分ではない」とされ見くびられてきたパーツたちと向き合っていくことです。「二重の気づき」だけが、クライアントが左脳の日常を送る自己と、右脳のトラウマ関連パーツたちとの「対話」の実行を可能にします。(後略)

注:(i) 引用中の「左脳の日常を送る自己と、右脳のトラウマ関連パーツたち」や「二重の気づき」については共にここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「非ブレンド化」に関連する『衝動的なパーツたちと「非ブレンド化」する能力が上がってくると、前頭前皮質が働いて、危険行為への衝動に乗っ取られずに済むようになってくる』ことについて、同の「はじめに」における記述の一部(P25)を次に引用(【 】内)します。 【こうして衝動的なパーツたちと「非ブレンド化」〔感情や衝動を自分である、ではなく自分の一部分として俯瞰できること〕する能力が上がってくると、前頭前皮質が働いて、危険行為への衝動に乗っ取られずに済むようになってきます。】[注:引用中の「前頭前皮質」に関連する、 1) 「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 2) 「通常、人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているかを観察し、ある行動をとれば何が起こるかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプログラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を、抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。私たちは前頭葉が適切に機能しているかぎり、ウェイターがなかなか注文した品を持ってこないときや、保険会社の代理人に電話で待たされたときに、毎回腹を立てる可能性は低い(私たちの監視塔は、他者の怒りや脅威も、彼らの情動の状態の結果であることを教えてくれもする)。そのシステムが故障すると、私たちは条件付けされた動物のようになり、危険を感知した途端に、自動的に闘争/逃走モードに入る。」ことについてはここの (iv) 項を参照して下さい。] (iii) 引用中の(識別は簡単ではない)「信念体系」に関連する、 a) MCS(多種化学物質過敏状態)における信念体系の導入については他の拙エントリのここを、 b) 「特定の医師やメディア等により化学物質過敏症と刷り込まれた単純な信念体系」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1(P89)の④項 (iv) ちなみに、上記「信念体系」に大いに関連する引用中の「信念」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

構造的な解離は、安全でない愛着関係をうまく折り合わせてくれます。親密さへの願望は愛着パーツが、宥和してなだめるのは服従パーツが、距離を保ってくれるのは逃げるパーツが、攻撃を恐れるのは凍りつきパーツ、差し迫った危機にはたたかうパーツが、というように危険な世界を生き抜くのに必要な「すべての要素」を担ってくれます。それぞれの構造的に解離されたパーツたちが、他のパーツたちから幾分か独立して稼働できるのは好都合なのです。虐待する養育者のもとでは、過度の警戒、愛を欲する、距離を取る、ロボットのように従順に従うようなその場、その場に応じた迅速で自律的な移行が「柔軟な防御策」として役立ちます。トラウマに関連する刺激を危険なものとして認識するとトラブルを回避し、別の日には束の間の停戦も可能になります。しかし、いったんわたしたちが安全になれば(つまり、もはや感情的または身体的に虐待者に依存しなくてもよくなると)、これらの防御的なパターンはもはや有用ではなくなります。パーツたちはまだその目的とニーズのためにトラウマ的引き金に備えて環境を検知し、それぞれの独特の方法で反応します。しかし、それらが活性化することで、内的葛藤はさらに増幅します。あらゆるパーツたちが遭遇する最も脅迫的な引き金は「他者」かもしれません。暴力的で攻撃的な個人によって強い防衛反応が呼び起こされるだけでなく、権威者に、親密なパートナーや配偶者に、セラピストに、家族に、友人に、そしてあらゆる愛すべき人々にも反応するでしょう。特に癒しの作業を一緒にしていく人は、構造的に解離しているパーツたちにとっては、自分を傷つけた人と同じくらい誘発要因になります。
これらの苦闘は必然的に二極化を招き、内的葛藤を激化させます。ですから愛着パーツは、(セラピストを含む)愛着対象になる可能性のある人を本能的に理想化しますが、たたかうパーツは敵対的態度を取ります。敵意を向けられるのは、親密になりたい人、幼いパーツを共感の失敗によって失望させた人、「そこにいてくれない」人、他の優先事項がある人で、その人たちに警戒を露わにします。通常、クライアントの周りにいる人々は、目の前の大人とつき合っていて、まさか子ども〔のパーツ〕の相手をしているとは思っていません。幼いトラウマを抱えたパーツの感情は容易に傷ついたり、失望することもあるのです。次のジェシカの例が示すように、大人にとって助けになることでも、子ども〔のパーツ〕にとっては、大きく異なる場合があります。

ジェシカは、経済的に困窮した際に友人やその友人を頼り、助けてもらいました。にもかかわらず、その人たちからの実用的な手助け、例えば車での送迎、新しい仕事の斡旋、または昼食をごちそうしてもらうなどは、彼女の2歳の愛着パーツにとっては「大事にされた」ことにはなりませんでした。(そのパーツは)抱きしめられたり、見つめ合ったり、一言残らず覚えてもらったり、昼食後にゆっくり過ごしてくれたりする人を望んでいました。45歳の大人には与えられないであろうことをジェシカの愛着パーツは望み、そして傷つき失望していました。さらにこの状況を複雑にしていたのは、愛着パーツの傷つきに警戒し、公正さを防護するたたかいパーツの存在でした。ジェシカの両親は2人とも過敏で批判的だったので、友人からの些細な指摘にもたたかうパーツが反応していました。そして一度誰かがジェシカの気分を害すると、たたかいパーツは何ヶ月も、あるいは何年にもわたって相手に敵対しました。さらに、幼いパーツを安心させることさえ拒否したので、ジェシカは次第に孤独になり、新しい友達を作ることができなくなりました。なぜなら、たたかうパーツが必然的に他者を「冷たい」、「自己愛的だ」、「陰険だ」、または「十分に健全ではない」と批判するからです。孤独は根源的な愛着の傷を癒さず、子どものパーツの寂しさと拒絶への脆弱性は強まるだけでした。それと同時に、たたかいパーツの過度の警戒も増していったのです。(後略)

(前略)マインドフルネスは、パーツたちに働きかける際に必要になります。セラピーの初期段階では、同盟関係を構築し、苦痛の体験やトラウマ的出来事を乗り越える新しい物語を創る際に、観察と発見の新しい方法を学びます。そして普段は特定するのが難しい、パーツたちの矛盾した行動や反応を俯瞰することで、「同一化」しないことを身につけます。パーツたちと「同一化」すると必ず感情が強烈になったり、恥を感じてしまいます。同一化なく、ただ眺めると、「積み木を積んでいく」(Ogden & Fisher, 2015)ように「父の話をすると、胸に固いものがあるのに気づき、心臓がどきどきします」とか「わたしの一部が不安を感じていることに気づきます」のように観察し、それらと「親しく」なれるのです。仏教で言うところの受容とは、「執着や嫌悪」(感情と同一化してたたかったり/批判したりすること)なしに、平安に至ることです。クライアントはこうして最も苦痛、屈辱、恐ろしい感情や感覚を許容し、眺めることをしていきます。屈辱的で圧倒させられる「古い世界」を探求するのではなく、まずは、パーツたちである感情の状態、思考、身体反応に興味や関心を持ってもらいます。あくまでもゴールは記憶の想起ではありません。顕在的であれ、感情や反応などの潜在的なものであれ、トラウマによる傷を修復していくことなのです。(後略)

注:i) 引用中の「Ogden & Fisher, 2015」は次の本です。 「Ogden, P. & Fisher, J. (2015). Sensorimotor Psychotherapy: interventions for trauma and attachment. New York: W. W. Norton.」 ii) 引用中の「記憶」には「陳述記憶」(又は「顕在記憶」)と「非陳述記憶」(又はこれに類似する「潜在記憶」)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「俯瞰」に関連するかもしれない、「健康な自己愛が、過去の自己体験を俯瞰している現在の自己体験のあり方」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「観察と発見の新しい方法」に関連するかもしれない『「どのパーツも置き去りにされない」というモットー』について、「死にたいというのは統制感を得たいということで、本当に死を望んではいない」ことを含めて、同の 7章 自殺願望、自己破壊、摂食障碍、嗜癖のパーツに働きかける の「どのパーツも置き去りにされない」における記述(P164~P166)を次に引用します。

「どのパーツも置き去りにされない」というモットーは、クライアントに教える基本的なことです。しかしこれは、自己疎外による生存戦略に挑戦しています。日常を送る自己と同じくらい、パーツたちは機能的で生存への責任を担っているので、簡単には(その任務を)放棄することを許さないでしょう。恥じるパーツ、おびえるパーツ、嗜癖や摂食障碍の逃げるパーツ、あるいは自殺願望、怒り、自傷または正義を求めてたたかうパーツ、これらのすべてが、尊敬と共感に値するのです。
この「置き去りにされない」がセラピーで徹底されることで、子ども(のパーツたち)にとっては絶滅の恐怖にも等しい見捨てられの恐怖が取り除かれます。セラピストがパーツたちに代わって話すのを聞くことは、誰かが分かってくれていたという修復体験になります。日常を送る自己もまた、パーツたちからの愛着が増すのを喜ぶでしょう。親なら誰でも分かるように、小さな子どもから愛されることは、お互いにうれしいことなのです。そして、日常を送る自己が潜在記憶を「単なる感情」または「単なる記憶」と注意深く解釈し、「自分の」反応を落ち着かせ調整する能力を高めると、パーツたちはより安全を感じ始めます。そして今や、新しくてより安全で満足のいく内的環境が確立されるのです。
安全や安心を感じられる世界において、クライアントはトラウマによって扇動される人生を生きるのではなく、内的対話の能力を使うことで「手に入れるはずだった」人生を協力しながら創造していくのです。各パーツたちは、トラウマの後の人生に貴重な役割を果たします。単に生存防衛反応を提供するだけでなく、それらの専門的役割は資源になります。例えば、たたかいの反応は、増大した活力、「勇気」、「不屈の精神」、断固たる拒否、そして私たちの権利と特権を守る能力を提供します。日常生活を送る自己が、「ノーと言う勇気を与えて」や「私の立場を守る強さを授けて」と、たたかうパーツにお願いすれば、中心軸や背骨にエネルギーが漲り、変化と成長のためのさらなる資源も享受できるでしょう。それにより凍りつくパーツは守られているという身体的感覚が得られ、服従パーツは簡単に他人に「だまされ」ません。そして抑うつパーツには、憂鬱な低覚醒を打ち消すエネルギー源となります。そうすると、パーツたちにとって「今、ここ」は安全なので、逃げるパーツは走り去る必要がありません。

ロバートは背の高い痩せこけた70歳の男性で、20代前半から誰かが自分を殺そうとしていると警告する声に苦しめられてきました。自分の母親が父親の暴力で殺されかけたのを目撃していたので、殺されることへの恐怖は身近なものでした。彼は若かっだので、死への憧れだけで自分をなだめてきたのです。しかし敬虔なカトリックだったので、彼の強い自殺願望は実行に移されませんでした。
彼と生き続けることに取り組んで2年後、彼は末期癌で死に直面しました。私が見舞ったとき、彼の「願い」はもう手元にありましたが、彼は恐れていました。彼は私に「私は人生をかけて、死ぬことを切望してきたけど、今は本当に死にかけていて怖い。死にたいとの望みが私に統制感をくれてきたが、いざ死が本当に迫るとどうにもならない」と語りました。彼にお別れを言って20年経った今も、私は彼の叡智と共にいます。――それは、死にたいというのは統制感を得たいということで、本当に死を望んではいないのです。

注:i) 引用中の「パーツ」、「日常を送る自己」については共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「尊敬と共感に値する」に関連するかもしれない《「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うこと》についてここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 iv) 引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 解離の視点からの引用中の「低覚醒」については他の拙エントリのここを、加えてソマティック・エクスペリエンシングからの視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

受診の経緯
20代から精神科クリニックを転々としている40代の女性.前医では持続性気分障害の診断で半年間外来に通院した後,中断.2年経って福祉事務所の勧めで通院再開し,不規則ながら2年間通ったが再度中断した.中断からさらに2年経過し,再度福祉事務所から受診を勧められて当院を初診となった.前医からの紹介状には,女性は「安楽死させてくれる病院を探している」「イライラが抑えられないと暴れる」などと話し,慢性的な疲労感,不安焦燥感,解離症状,抑うつ気分,意欲低下,不眠などの症状を認めていた,と記されていた.

◆初診時
診察室で挨拶を交わした後,女性は長い髪を顔の両側から前に集めてきて顔を覆った.幽霊のような異様な姿に内心驚きながら,困っていることがないかを聞くと,淡々と「死にたいというのが一番」と話した.また,コミュニケーションへの苦手意識があり「なるべく人と接触したくない」とも話し,実際に人から「会話ができていない」「聞いたことと答えが違う」などと言われたことがあったそうだ.「話しすぎてしまい,後から余計なことを言うんじゃなかったとよく後悔する」とも話していた.
髪で顔を覆うのは女性なりの対人緊張を和らげる手段のようである.時折顔を覆い直す際に見える表情は撫然としていて,それ以外は口元が動いているのがかろうじて見える程度だった.
問診票には「小学校の半ばから希死念慮がある」と書かれていたので,何かきっかけがあったのかを聞くと,やはり淡々とした口調で「その頃,親から虐待を受けていた.学校の先生も合めてのいじめを受けていた」と話した.「祖父母が助けてはくれたけれど,逃げたら母親に殴られて監禁された」という.女性によると,死のうと思ってガス栓を開きストーブを焚いてもストッパーが作動して死ねず,安楽死できる場所を探すようになったという.外傷体験や希死念慮について話しているときも切迫感はなく,どこか投げやりで,諦めを感じているような雰囲気であった.

◆生活歴
独居であり,倦怠感から日中も自宅で横になって過ごし,外出は最低限しかしていなかった.気が向いたときに食事を摂り,夜は2~3時間程度しか眠れていない.何かをきっかけにイライラが止まらなくなり,物に当たることがあるが,昔よりは落ち着いてきているという.複数回の離婚歴があり,子どもも3人いて,それぞれ里親のもとや施設で過ごしている.子どもたちと面会するときだけは少し気分が紛れて,良い時間が過ごせるようであった.

◆どう考えたか
医療機関を転々としながらも,きわめて薄く人とつながっている.抗うつ薬などの薬物療法もいろいろとなされてきたが効果はなかった.話す内容は安楽死で,髪で覆われた顔と投げやりな口調もあいまって独特な雰囲気を醸し出している.死ぬ方法を考えながらも,一方で生活のために行政のサポートを受けており,そこからの勧めで受診してきた.
本人のみの受診であり,客観的な情報はない.慢性的な希死念慮を抱えて生きてきたその背景には,幼少期の虐待やいじめがあり,淡々と体験を話すのは半ば解離した状態の可能性がある.診察の早い段階で,虐待やいじめがあったと自ら話す姿や,話しすぎたと後悔することが多いといった言葉から,話した相手にどう思われたか不安になって受診しづらくなる可能性もある.話した相手の態度や言葉に拒絶などを感じ取りやすく,対人緊張の強さや信頼関係を作る支障になっている可能性もある.
実際,本人は治療者・支援者の反応をよく見ており,「この治療者・支援者は,どのような人なのか.何をしてくれるのか」とチェックしている.そして,諦めの中に,微かではあるが「助けてほしい」という願いのようなものを感じる.だが,「何をどう助けることができるのか」,話を聞いていて途方に暮れてしまう.それだけでなく,次回の診察までに「自殺してしまうのではないか」などと不安になることもある.
今はただ 筆者の中に心配や不安を抱えながら,近づきすぎず,遠くなりすぎず,か細い糸が切れないように,支援を続けているところである.

考察
本症例のように,トラウマ患者は他者に対する恐怖感があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.この両価性ないしジレンマは,トラウマ患者の特徴であり,トラウマが語られなくても,トラウマがある可能性に気づくマーカーとなりうる.対応として重要なのは,適切な距離感である.不用意に近づくことは恐怖やトラウマを刺激してしまう.逆に,腫れ物に触るような距離を取った対応も,他者への失望を助長してしまう.
肯定的な関心,温かい受容的態度など 支持的精神療法の基本がトラウマ患者には高いレベルで求められる.

また『「記憶をプロセス(処理)する」とはどういうことかについての説明』として、同はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P22)を次に引用します。

(前略)また「記憶をプロセス(処理)する」とはどういうことか、についても説明していきます。記憶が幼いパーツが保持している潜在的な感情の状態、身体感覚、神経系の活性化、そして調整不全で衝動的な行動だとしたら、何をするのが有効かを示していきます。記憶に関して近年では、その不確かな特質が強調されています。脳は、過去の経験を前後の出来事も統合して、更新して書き換えるということが分かってきたのです。ですから、出来事の記憶に取り組むことに焦点をあてるよりも、新たな経験を開拓していくことで、トラウマ関連の状態を変容させ、修復していくことができるのです。トラウマや「打ち負かされた」物語を書き換えて、癒しの物語を創っていきます(Michenbaum, 2012)。(後略)

注:引用中の「記憶」には「陳述記憶」(又は「顕在記憶」)と「非陳述記憶」(又はこれに類似する「潜在記憶」)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典

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【20】複雑性PTSD等に対する治療・対処・養生法(続き)について

他の拙エントリのここで紹介している(a)~(j)項の続きとしての非薬理的な治療・対処・養生法について以下に紹介[(k)項以降]します。ただし、これらの治療・対処・養生法にはエビデンスが不足している(例えばエビデンスレベル[WEBページの「3)エビデンス・レベル」項を参照]において、最低ランクの「患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」)ものも含まれます なお、上記は「平成は発達障害の時代、令和はトラウマの時代になるのではないか」や「トラウマに対する治療法は日進月歩であるかもしれない」ことも含みます。一方、複雑性PTSDにも適用されるスキーマ療法についてはここを、構造的解離に対するパーツアプローチについてはここを それぞれ参照して下さい。

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(k)ホログラフィートークについて(「心理的逆転」を含む)
標記については次の資料やWEBページを参照して下さい。 「ホログラフィートークの複雑性PTSDに対する適応の可能性」、「ホログラフィートークとは」 加えてホログラフィートークの可能性について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の嶺輝子著の文書「ホログラフィートークの可能性」の「ホログラフィートークとは」における記述の一部(P58~P60)を次に引用します。

筆者が考案したホログラフィートーク(以下、HT)はトラウマを処理し、クライエント(以下、Cl)の回復を援助する心理療法である。分類としては軽催眠を使ったトランスワークや自我状態療法の一種といえる。多くの心理療法が、セラピスト(以下、Th)から提供される教示や対話、訓練をとおして認知や情緒そして行動などに変容や変化をもたらす形をとるが、HTではCl自身が、感情や身体症状の意味を読み取り、解決し、みずからを癒すプロセスを行う。そこではThは問題の軽減・解消を目指すプロセスを援助するガイドやコーチのような役割を担うことになる。HTは、問題に対するClの感情や感覚、症状を起点として、その問題の起源となる原因を探り、問題の解決を図って安定化を行い、リソースを獲得するという過程を一回のセッションで行う技法である。
HTのプロトコルは四つのステップで構成されている。ステップ1では課題の決定と問題の外在化、ステップ2で問題の起源となる場面への退行と問題の解決、ステップ3で健全な状態の構築と安定化、ステップ4でリソースを獲得し、行動課題を与えるという作業を行う。その際、HTが治療目標として最も重要と考えているのは、Clへの安心・安全と安定の提供である。安定が確保されることによって、情動耐性や反応調節の開発ができるようになる。ここで同様に重要なのが、Clの過去のトラウマの再処理と、境界の構築、健全な愛着の形成と基底欠損の解消である。それらによって回復や健全な発達の基盤を整え、ストレスの軽減、情動耐性や反応調整の開発、自己感覚や自己共感の開発、重要領域での潜在能力の開花や、関係性の問題解決を図っていく。以下、ステップごとのポイントをより具体的に紹介することにしたい。

ステップ1:課題の決定と外在化
まず、Clとともにその日に扱う課題を決定する。課題は精神的な問題だけでなく、身体疾病や痛みなどの症状も扱える。その問題に対する感情や症状に意識を向け、それを色や形にたとえて外在化していき、バウンダリー(境界)の問題にかかわっていないかを確認し、退行の準備をする。

ステップ2:問題の見極めと解決
退行の許可が出たら、問題が発生した起源に退行し、その場面が現れたら、過去のClに今のClが気持ちを聞き、状況の説明をしてもらう。そして過去のClの望みを聞き、望みを深く承認しながら、その望みに沿った解決を施していく。

ステップ3:健全さの構築と安定化
その後は、問題者の代わりとなる健全な人(人々)を連れて来て、その人に過去のClが望むような愛着行為や、尊重の行為、正しい行為を充分にしてもらう。この場面はHTのセッションの中でも大変重要な局面となる。

ステップ4:リソースの獲得
最初に外在化したものの変化を確認し、現在の気分を聞き、望みを聞いてゆく。この望みこそ、今のClの未来の方向性や、よりよくなっていくためのリソースとなる。それを聞き出し、最後に現在のよい状態を保つ方法を聞いて、現実の世界に戻る。Clが現実世界に戻ってきたら、感想を聞き、得られたリソースを実際の生活で行っていくための行動課題を決め、その日のセッションを終了する。
心理療法としてのHTには以下にあげるような複数のメリットがある。①HTの一番のメリットは安全性が高いということであろう。使われる技法が誘導レベルなので、技法が習得しやすく、習得したてのThでも効果をあげられる。②軽催眠レベルであるため、Clの意志を確認しやすく、Clの意志を尊重し、逸脱した形になる恐れが少ない。③問題場面に戻った時にも、Cl自身の意識がはっきりとしており、Thのサポートを得ながら問題ある過去を解決していくので、フラッシュバックやパニックを起こしにくい。④問題の場面に早期に到達できるため、問題の根本からの解決が容易になる。⑤問題の起源に戻れるため、不可解な症状や困った感情・反応に対する理由が明確になり、Clの理解度や満足度が高い。⑥通常は扱いが難しい衝動やアクティングアウト等の問題を焦点化して扱えるため、問題介入が可能となり、Clの安定化を積極的に行える。⑦イメージの中で適切な愛着行動を与え、体感させるため、近年問題視されている愛着障害の解消に役立ち、愛着の問題から派生するさまざまな問題や影響を緩和・解消ができる。⑧愛着の問題を解消する場合、その一次愛の対象が必要となるが、HTでは、セッションに出てきた健全な人がその役割を担ってくれるため、回復のプロセスにおける強い投影転移による妨げが起こりにくい。
HTは主として大人に使う技法である。ナラティブな技法であり、退行を行うなど作業レベルも高度になる。(後略)

一方、複雑性PTSDにおけるホログラフィートーク又は思考場療法(又はTFT、他の拙エントリのここを参照)の視点からの「心理的逆転」の簡単な紹介として、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の嶺輝子著の文書「ホログラフィートークの可能性」(P54~P62)の「複雑性PTSDの診断と治療における問題」項における記述の一部(P56)を次に引用(『 』内)します。

(前略)さらに複雑性PTSDには、その診断においてのみならず、治療においても困難が伴う。第一にそれぞれの患者に必要な治療やケアが見つけにくいことがあげられるが、治療やケアが提供されても、治療効果がなかなかあがらない事例がしばしばみられる。ここで強調していきたいのは、治療や治療者に対する抵抗が現れる点である。この困難な現象に注目したアメリカの心理学者ロジャー・キャラハン博士(7)は、上述のような患者がみせる抵抗的なふるまいを「心理的逆転」と名づけ、これを解消することが、難しい患者の治療に不可欠であると論じた。
複雑性PTSDの患者の多くは、きわめて自己否定的であり、慢性的な罪悪感と責任感、さらには激しい恥の感情によって苦しんでいる。継続的に虐待されてきた個人(特に児童)は、虐待者からの意味づけを内面化するかたちで、自己の価値や意味を変容させてしまっているからだ(13)。複雑性PTSDの患者は、自己のコントロールのしにくさに加え、このように強い否定感や自責、恥辱感、絶望感をもっており、自分が助けてもらえるとは思っていないし、助けに値するとも思っておらず、自己を放棄し、惨めな人生が相応しいとさえ思っている可能性が高いのである。

注:i) 引用中の文献番号「(7)」は次の資料です。 「VOLTMETER and PSYCHOLOGICAL REVERSAL」 ii) 引用中の文献番号「(13)」は次の本です。 「Walker, P.: Complex PTSD: from surviving to thriving. Azure Coyote Publishing, 2013」 iii) 思考場療法(又はTFT)の視点からの「心理的逆転」の簡単な紹介について他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 『スキーマ療法的な物の見方で言うと、いわゆる「心理的逆転」という現象は(中略)、逆転どころか、精一杯の適応の結果としか思えない。早期不適応的スキーマという概念&モデルと親和性が高いと思う。』との記述を有するツイートがあります。また、上記「スキーマ療法」についてはここを参照して下さい。 v) 「9SRHBによって、心理的逆転とスイッチングが(一時的に)100%解消される」との記述を有するツイートがあります。なお、上記「9SRHB」を紹介するツイートもあります。

加えて、ホログラフィートーク又はTFT(又は思考場療法、他の拙エントリのここを参照)の視点からの「心理的逆転」のより詳細について、こころの科学 202号(2018年11月)中の嶺輝子著の文書『「楽になってはならない」という呪い――トラウマと心理的逆転』(P27~P33)の『「心理的逆転」とは何か?』項における記述及び「複雑性PTSD」項における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

「心理的逆転」とは何か?

「心理的逆転は、健康、人間的進歩、幸福、および成功にとって、人が遭遇しうるおそらくもっとも重要でかつ基本的な単一の力動的概念である(2)」。治療効果が現れない、治療してもすぐに悪い状態に戻ってくる、あるいは治療直後にネガティブな反応が現れるなど、治療者を悩ませる事象が起こっているときには、この現象がCに潜んでいる可能性があるとキャラハン博士は考え、これを解消する方法を考案した。この発見がなければ、博士が行っているTFT(思考場療法)の成功率は四〇~五〇%に減少しただろうとも述べている(3)。
心理的逆転という用語は、その状態が、自己利益に向かうという人の通常の動機づけの状態を逆転させ、敗北や不利益な方向に向かう行動をとらせるように見えるため名づけられた。この心理的逆転には部分的なものと、広範性のものがある。広範性の心理的逆転は、人生の特定の領域だけでなく、人生全体のほとんどに逆転した影響が及んでいる状態であり、このような人々はしばしば慢性的に不機嫌で、人生に対して否定的な姿勢を示す(3)。より難しい問題を抱えたCや、治療が困難なCには「広範性の心理的逆転」が起きていることが多い。本稿で扱う「心理的逆転」は「広範性の心理的逆転」である。
キャラハン博士は、「自滅性パーソナリティ障害」の行動的特徴が、心理的逆転が起きている人にも確認できると指摘する。以下のリストは、当時の心理療法の標準的なマニュアルに掲載されていた「自滅性パーソナリティ障害」の八つの特徴だが、「私が心理的逆転と呼ぶものに密接に関連しているように見えるため、ここで言及しておく。」と博士が述べながらあげている(3)ものである。
①他によい選択肢が明らかにあるとわかっているときでも、失望、失敗、虐待を招くような人や状況のほうを選ぶ
②他者の助けを拒絶したり、その助けを無効化する
③新しい目標達成など肯定的な出来事に対して、落ち込んだり、罪悪感をもったり、苦痛を伴う行動をとる
④他者から怒りや拒絶反応を引き出しておきながら、その後で傷ついたり、敗北感や屈辱感を抱く
⑤充分に社交的スキルや楽しむ力があるにもかかわらず、喜びの機会を拒否し、みずからが楽しんでいることを認めない
⑥発揮できる能力があるにもかかわらず、個人的な目的のための大切な仕事を完遂することができない
⑦常によい扱いをしてくれる人に対して退屈を感じたり、無関心である
⑧当の相手に求められてもおらず、やめてほしいと言われるような、過度に自己犠牲的なことを行う
Cの中に心理的逆転があった場合、このような自己否定的な力動の作用により、われわれが提供する治療や適切なアドバイスが、効果を発揮できなかったり、悪化を招くことさえありうるのである。

複雑性PTSD

筆者がCの回復を援助するとき、かならず最初に心理的逆転を確認するようにしている。その結果、心理的逆転が認められた場合に、まずそれを解消して、その後の治療がよりよく進むように整えておくためである。Cが抱える心理的逆転が、自己破壊的な力動を発揮して回復を阻むからだ。その際に留意すべきは、心理的逆転が存在するCは、高い確率で複雑性PTSDをも抱えていると思われることである。複雑な症状をもち、なかなか回復が難しく、様々な医療機関を転々としているようなCだ。(後略)

注:i) 引用中の「C」はクライエントのことです。 ii) 引用中の文献番号「(2)」は次の資料です。 「VOLTMETER and PSYCHOLOGICAL REVERSAL」 iii) 引用中の文献番号「(3)」は次の本です。 「Callahan, R.J.: Why do I eat when I'm not hungry? Doubleday, 1991.」 iv) 引用中の「広範性の心理的逆転」に対するホログラフィートークによる扱いについては次のWEBページを参照して下さい。 「ホログラフィートークの特徴」の「心理的逆転をホログラフィートークで解消する」項

さらに、ホログラフィートークにおける心理的逆転を扱い例について、同文書の「心理的逆転からの回復のために」項における記述の一部(P31)を次に引用します。

(前略)筆者が考案した「ホログラフィートーク」は、軽催眠を利用した技法である。Cを変性意識に入れ、退行させながら、症状や病因がどこから始まっているかを探り、問題を解消して切り離し、健全化を図り、回復に役立つリソースを獲得していく技法である。手法的には催眠やイメージ誘導に入るだろうし、Cの内面にある意識を外在化もするので、自我状態療法の一種ともいえる。トラウマを解消するときには、その想起にまつわる問題がいろいろ出てくるが、軽催眠状態で誘導していくことによって、こころの奥にしまわれた問題場面が現れやすく、またその場面が現れてきても落ち着き、安定した心理状態で見ることができ、認知を書き換えることもしやすい。そして心理的逆転を扱う場合には、逆転の有無、そしてその理由を筋反射で確認していく。顕在意識では明らかにならない部分を、無意識の反応で確認するのだ。理由が判明したら、その理由を基点に過去に退行し、その起源を探り、問題を明確化して切り離し、健全化を構築して安定化させ、リソースを獲得して終了し、そのリソースを行動課題として与えることを行っていく。(後略)

注:i) 引用中の「C」はクライエントのことです。 ii) 引用中の「自我状態療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法

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(l)ボディ・コネクト・セラピーについて
標記について杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の藤本昌樹著の文書「ボディ・コネクト・セラピー ――トラウマ対処の新たな可能性」の「はじめに」における記述(P47)を以下に引用します。なお標記ボディ・コネクト・セラピーを受けた体験については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「パニックに対するボディコネクトセラピー

ボディ・コネクト・セラピー(Body Connect Therapy:以下BCT)は、二〇一六年に開発された誕生間もない心理療法である。多くの読者は、まだ知らないという方が多いかもしれない。しかし、トラウマを処理する速さや安全性が比較的高いこと、使用しやすさなどが、臨床心理士や医師の臨床家の間で評判となり、現在、BCTはトラウマ臨床を行うセラピストの間で広まりつつある(2)。

注:引用中の文献番号「(2)」は次の本です。 「藤本正樹『心の傷を消す音楽CDブック』マキノ出版、二〇一八年」 ちなみに、標記ボディ・コネクト・セラピーの簡単な紹介については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Body Connect Therapyとは

標記ボディ・コネクト・セラピーの内容については、引用はしませんが上記文書の「はじめに」、「おわりに」以外を参照すると良いかもしれません。加えて、同文書の「おわりに」における記述の一部(P52)を次に引用します。

BCTは、まだ発展途上とも言える心理療法である。そして、まだまだエビデンスが十分だと言えないものの、個人の臨床経験から発展し、BCTを使用している臨床家から支持され、着実に広がりを見せている。BCTの特徴として、トラウマ処理の際の「使いやすさ」「安全性」「処理の早さ」は、限られた時間での臨床を行う臨床心理士(公認心理師)や医師にとっては大きなメリットになるであろう。また、長時間活性化した状態にクライエントを晒させないことは、複雑性PTSDのクライエントにとってもメリットになるだろう。(後略)

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(m)ブレインスポッティングにおける視覚コンバージェンス療法について
最初に標記ブレインスポッティングについては次の資料を参照して下さい。 「ブレインスポッティング:新しい複雑性PTSDへの心理療法 ――視野上の注視により強められたトラウマへの焦点化と共通要因の活用――」 これ以外にも他の拙エントリのここにおいて標記ブレインスポッティング関連する短い記述があります。加えて、標記ブレインスポッティングについて簡単に紹介するかもしれないWEBページやエントリは次を参照して下さい。 「BSPについて」、「論文掲載:ブレインスポッティング:新しい複雑性PTSDへの心理療法―視野上の注視により強められたトラウマへの焦点化と共通要因の活用―」 その上に、標記ブレインスポッティングについての論文要旨及び全文はここを参照して下さい。次に、標記についてデイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「第8章 Z軸とコンバージェンス・ブレインスポッティング」における二つの記述の一部(P126)及び(P130~P131)をそれぞれ以下に引用します。

(前略)視覚コンバージェンス療法は、私が気づいていなかった単純なことに注意を向けさせてくれました。それは、視野は3次元(3D)であるということです。コンバージェンス療法をエレンに使うときまで、私は視野を平面(2D)で考え、視野のX軸とY軸だけしか使っていませんでした。インサイドウインドウ・ブレインスポッティングでは、はじめ左右であるX軸を使っていました。そしてクライアントの意見をもとに上下であるY軸を使いはじめました。このコンバージェンス療法は 3D の可能性について考えさせてくれ、奥行の考え方によって、ブレインスポッティングを行う際に視野のすべてを模索できるようになったのです。ニューヨーク大学の同僚で、数字を専攻していたマーサ・ジャコビはこの奥行の次元に対して、Z軸という言葉を勧めてくれました。(後略)

注:引用中の「インサイドウインドウ」についてはここを参照して下さい。

(前略)試行錯誤をくり返した結果、Z軸のアプローチでは、もともとの視覚コンバージェンス療法と同じペース、つまり視点を近くと遠くに5秒ごとに行き来する、に辿り着きました。これが眼球心臓反射を働かせるのです。ブレインスポッティングにとって、Z軸のアプローチも視覚コンバージェンス療法も欠かせない道具です。(後略)

注:i) 引用中の「視覚コンバージェンス療法」に関連する「コンバージェンス・ブレインスポッティング」について、同本の「用語集」における記述の一部(P220)を次に引用(『 』内)します。 『コンバージェンス・ブレインスポッティング(convergence Brainspotting):(3秒~10秒ごとに)近くと遠く(Z軸上)のブレインスポットを素早く行き来する方法。ブレインスポッティングの処理を早める眼球心臓反射を働かせる。』 加えてブレインスポッティングとは関連しませんが、手術における引用中の「眼球心臓反射」については次の資料を参照して下さい。 「術中に眼球心臓反射による心静止を生じ、術後にも洞性徐脈が持続した眼窩底骨折の一例」 さらに、これに関連する英語の資料を以下に示します。 ii) ちなみに、 a) 引用はしませんが、特にコンバージェンス療法に関連する記述が同本の P123~P125 に示されています。 b) ブレインスポッティングの概要について、同本の「日本語版刊行に寄せて」における記述の一部(Pv~Pvi)を以下に引用します。

Treatment of Panic Attack With Vergence Therapy: and unexpected visual-vagus connection.[拙訳]バージェンス療法を伴うパニック発作の治療:予期しない視覚 - 迷走神経の結合(注:関連論文の Draft(草案)の全文はこのWEBページの下部を参照して下さい)

Panic attacks are a fact of life in today's culture. As much as 10% of the healthy population can suffer a panic attack within a given year. Various methods of treatment have been described in the literature to counteract these panic attacks. It has been noted that it is possible to alleviate panic disorder anxiety by performing convergence therapy. This somatic intervention functions as a vagal maneuver, activating the oculocardiac reflex (OCR) by medial recti traction. It results in bradycardia and other parasympathetic responses. I have found it possible to alleviate panic attack, non-cardiac chest pain and other vagally mediated symptoms by using convergence activity with patients who suffer from panic attacks. I have extended this technique to address noncardiac chest pain and it may be further extended to patients with other anginallike pains. It may be possible to alleviate panic attacks, non-cardiac chest pains, and other vagally-mediated symptoms with this technique. The risk-to-benefit ratio is nil. Research is needed to further elaborate the full spectrum of benefits of this novel technique.


[拙訳]
パニック発作は、今日の文化における人生の事実である。健康な集団の10%もが1年以内にパニック発作を起こす可能性がある。これらのパニック発作を抑えるために、様々な治療の方法が文献に記載されている。コンバージェンス療法の実施により、パニック症の不安を緩和することが可能であることが言及されている。このソマティックな介入は迷走神経の操作として機能し、内直筋の牽引による眼球心臓反射(OCR)を活性化する。それは徐脈及び他の副交感神経反応をもたらす。パニック発作を患う患者と共にコンバージェンス活動を使用して、パニック発作、非心臓性の胸部痛及び迷走神経がメディエイトする他の症状の緩和が可能なことを私は見出した。私は非心臓性の胸部痛に取り組むためにこのテクニックを私は拡張し、そしてそれはさらに他の狭心症のような痛みを伴う患者にも拡張されるかもしれない。パニック発作、非心臓性の胸部痛、及び迷走神経がメディエイトする他の症状をこのテクニックで緩和することが可能かもしれない。リスク・ベネフィット比はゼロである。この新しいテクニックの利点の全範囲の詳細をさらに調査するための研究が必要である。

日本語版刊行に寄せて(中略)

「ブレインスポッティング」(略称:BSP)は、EMDR セラピストとしての豊富な経験を中心に、ソマティック・エクスペリエンシング(SE)などの知見も踏まえて、2003 年にグランド博士によって開発されたトラウマ療法です。PTSD 対応の最新ソマティック心理学(身体心理療法)の一つといえますが、博士自身は、「ブレイン-ボディセラピー」とも呼び、神経生物学的視点を非常に重視しています。
本書をお読みになればわかるように、コーティカル(大脳新皮質部分)な意識(言語)の領域でなく、自律神経系などを通じて身体と直接的につながるサブコーティカル(皮質下:大脳辺縁系・脳幹)な無意識(非言語)の領域が決定的に重要なのであり、脳のその領域に直接的に働きかける心理療法が「ブレインスポッティング」なのです。基底レベルでのクライアントとセラピストの心身の同調性に基づいた「二人称のセラピー」ともいえま
す。その効果はわかりやすく、汎用性があります。さらに、スポーツのイップスや、演劇、演奏などのパフォーマンス問題改善などを通じて、創造的領域への拡張性も期待されます。眼球を頻繁に動かす EMDR とは反対に、視線を一点に定めることで、問題の心理的な処理をオートマティックに加速するユニークな手法です。(後略)

注:i) この引用部の著者は久保隆司です。 ii) 引用中の「ソマティック心理学」については、次のWEBページを参照して下さい。 「日本ソマティック心理学協会」 iii) 引用中の「大脳新皮質」及び「皮質下:大脳辺縁系・脳幹」についての脳の進化の視点からの説明例は、次のWEBページを参照して下さい。 「脳の進化」 iv) 引用中の「イップス」については、次のWEBページを参照して下さい。 「イップスについて」 v) ちなみに、 a) 引用はしませんが同本の第13章(P185~P199)は「セルフ・ブレインスポッティング」についての章です。 b) BSP と脳神経学の関連について、同本の「訳者あとがき」における記述の一部(P238)を次に引用(『 』内)します。 『2017年時点で、脳神経学で根拠を集める Corticolimbic inhibition(皮質辺縁系による抑制)の概念が統合され、BSP は効果的にこの作用を促進する方法として紹介されはじめました。』(注:この引用部の著者は鈴木孝信です)

加えて、ブレインスポッティングに関連する論文について以下にそれぞれ紹介します。

・資料「Brainspotting – the efficacy of a new therapy approach for the treatment of Posttraumatic Stress Disorder in comparison to Eye Movement Desensitization and Reprocessing[拙訳]ブレインスポッティング - 眼球運動による脱感作と再処理法との比較における心的外傷後ストレス障害の治療のための新たな治療法の効果」の「Treatment」項における記述の一部を次に引用します。

(前略)The Therapy Approach Brainspotting (BSP). BSP is a psychotherapeutic model discovered in 2003 by David Grand, Ph.D.. Grand has conceptualized BSP as brain-wise and body-aware relational
attunement process. In this context he has developed the model of the Dual Attunement Frame. The foundation of this model is the articulation of the attuned, relational presence of the therapist with the client. This relational attunement is seen as being both focused and deepened by the neurological attunement derived from observing and harnessing different aspects of the visual orienting reflexes of the client (Corrigan & Grand, 2013).
By slow eye tracking, either with one eye or with two eyes, locations for BSP are identified. To find these locations, the techniques of either "Inside Window" or "Outside Window" can be used. The "Inside Window" utilizes the client's felt sense, the "Outside Window" helps to locate this location by observation of clients' reflexive response such as blinks, eye twitches or wobbles or quick inhalation, by the therapist.
Once the therapist and client determine together the Brainspot, the client is directed to maintain their fixed visual attention on the position and mindfully observe their internal process. In BSP this is called Focused Mindfulness as the mindfulness that ensues occurs in a state of Focused Activation. The Focused Mindfulness ensues, with the therapist closely and openly following along until the client comes to a state of resolution.(後略)


[拙訳]
治療的アプローチのブレインスポッティング(BSP)。BSP は、David Grand, Ph.D. によって2003年に発見された心理療法モデルである。Grand は、脳の視点から及び身体への気づき関連同調処理として、BSP を概念化した。この文脈において、彼は二重同調のフレームモデルを開発した。このモデルの基礎は、同調した、そしてクライアントと共にあるセラピストのリレーショナルプレゼンスの明確な表現である。このリレーショナルな同調は、クライアントの視覚的定位反射のいろいろな側面を観察、利用することにより引き出された神経学的同調によって、集中され、かつ深められているとみなされている(Corrigan & Grand, 2013)。
1つの目又は2つの目での遅い目の追跡により、BSP の位置が特定される。これらの位置を見つけるには、「インサイドウインドウ」又は「アウトサイドウインドウ」のいずれかのテクニックを使用できる。「インサイドウインドウ」はクライアントのフェルトセンスを利用し、「アウトサイドウインドウ」は、クライアントの瞬き、まぶたの痙攣、目の揺れ又は速やかな吸入等の反射的応答をセラピストが観察することにより、この位置を特定するのに役立つ。
セラピストとクライアントがブレインスポッットを一緒に決定すると、クライアントはその位置に固定された視覚的注意を維持し、内部プロセスをマインドフルに観察するように指示される。BSP においては、これはフォーカスト・アクティベーションの状態において後に生じるマインドフルネスとして、フォーカスト・マインドフルネスと呼ばれる。クライアントが解決の状態に達するまで、セラピストが密接にかつオープンに後ろについていくことを伴うフォーカスト・マインドフルネスが続く。(後略)

注:i) 引用中の「二重同調のフレーム」について、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P221)を次に引用(『 』内)します。 『二重同調のフレーム(dual attunement frame):セラピストの関係性とブレインスポットに対する同時的な同調によるクライアントに提供される枠組み。クライアントはこの枠組みのなかで、まだ癒されていない神経系の部分を特定し、適応能力を効果的に使って内的にそれを解決する。』 ii) 引用中の「フェルトセンス」について、同「用語集」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『フェルトセンス(felt sense):ユージン・ジェンドリンによって名づけられた語。身体で体験されたはっきりしないもの、または非言語的な体験を指す。』 iii) 引用中の「フォーカスト・アクティベーション」について、同「用語集」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『フォーカスト・アクティベーション(focused activation):ブレインスポッティングのセットアップ(アクティべーション、SUDS測定、身体への気づき)で作り上げられる状態。フォーカスト・アクティベーションはクライアントとセラピストがブレインスポットを特定し、フォーカスト・マインドフルネスへと進むのに役立つ。単一の問題や状況に関する感情や身体感覚のアクティベーションがより集中した脳活動をもたらすと考えられる。』(注:a) 引用中の「フォーカスト・マインドフルネス」は「集中したマインドフルネス」とも呼ばれるようです。同本の P222 を参照して下さい。 b) 上記「サイドウインドウ」又は「アウトサイドウインドウ」のテクニックを使用して、引用中の「ブレインスポットを特定」するには、指示棒を所定の方法で動かすことが含まれます。 c) 引用中の「アクティベーション」についてはここを参照して下さい。) iv) 引用中の「Corrigan & Grand, 2013」は次の論文です。 「Brainspotting: recruiting the midbrain for accessing and healing sensorimotor memories of traumatic activation.

・論文要旨「Brainspotting: sustained attention, spinothalamic tracts, thalamocortical processing, and the healing of adaptive orientation truncated by traumatic experience.[拙訳]ブレインスポッティング:持続した注意、脊髄視床路、視床皮質系の処理、及び心的外傷性の体験により切り捨てられた順応定位の癒し」(注:全文はここを参照して下さい。拙訳においては「トラウマ」ではなく「心的外傷」を使用しています。)

We set out hypotheses which are based in the technique of Brainspotting (Grand, 2013) [1] but have wider applicability within the range of psychotherapies for post-traumatic and other disorders. We have previously (Corrigan and Grand, 2013) [2] suggested mechanisms by which a Brainspot may be established during traumatic experience and later identified in therapy. Here we seek to formulate mechanisms for the healing processing which occurs during mindful attention to the Brainspot; and we generate hypotheses about what is happening during the time taken for the organic healing process to flow to completion during the therapy session and beyond it. Full orientation to the aversive memory of a traumatic experience fails to occur when a high level of physiological arousal that is threatening to become overwhelming promotes a neurochemical de-escalation of the activation: there is then no resolution. In Brainspotting, and other trauma psychotherapies, healing can occur when full orientation to the memory is made possible by the superior colliculi-pulvinar, superior colliculi-mediodorsal nucleus, and superior colliculi-intralaminar nuclei pathways being bound together electrophysiologically for coherent thalamocortical processing. The brain's response to the memory is "reset" so that the emotional response experienced in the body, and conveyed through the paleospinothalamic tract to the midbrain and thalamus and on to the basal ganglia and cortex, is no longer disturbing. Completion of the orientation "reset" ensures that the memory is reconsolidated without distress and recollection of the event subsequently is no longer dysphorically activating at a physiological level.


[拙訳]
ブレインスポッティングの手法(Grand, 2013)[1] に基づいているが、心的外傷後及び他の障害のための心理療法の範囲内で、より広い適用性を有する仮説を我々は提示した。ブレインスポットが心的外傷の体験中に形成され、後にセラピーにおいて特定されるかもしれないメカニズムを我々は以前 (Corrigan and Grand, 2013) [2] に示唆した。ここでは、ブレインスポットへのマインドフルな注意中に生じる癒し処理のメカニズムを系統的に説明することを我々は追求した。そして、根本的な癒し処理がセラピーセッション中及びそれを超えて完了まで過ぎる間に生じていることについての仮説を我々は提供する。圧倒的になる恐れがある高レベルの生理学的な覚醒がアクティベーションの神経化学的な規模縮小を促進する時に、心的外傷の体験の嫌悪的な記憶への十分な定位が起こらない。その時には解決はない。ブレインスポッティング、及び他の心的外傷の心理療法において、電気生理学的に首尾一貫した視床皮質処理を結び合わせている上丘-視床枕、上丘-背内側核、そして上丘-髄板内核経路により記憶への充分な定位が可能になった時に、癒しは起こりうる。記憶への脳の応答は、身体において情動応答が体験されたために「リセット」され、そしてこの脳の応答は、旧脊髄視床路を通して中脳、視床、そして基底核と皮質に向けて伝達されたために、もやは乱されない。定位の完了「リセット」は、記憶が苦痛なしに再統合され、そして事象の回想後にもはや生理学的レベルで不快に活性化しないことを確実にする。

注:i) 引用中の文献番号「 [1] 」は次の本です。「Grand D. Brainspotting: The Revolutionary New Therapy for Rapid and Effective Change. Sounds True, 2013.」 これは本の原著です。 ii) 引用中の文献番号「 [2] 」は次の論文です。 「Brainspotting: recruiting the midbrain for accessing and healing sensorimotor memories of traumatic activation.」 iii) 引用中の「アクティベーション」について、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P219)を次に引用(『 』内)します。 『アクティベーション(活性化)(activation):問題に注意を置くと生じる感情的、身体的な高まりを私たちがどう捉えるかを表す、包括的な語。』 iv) 引用中の「処理」についての補足を、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P219)を次に引用(『 』内)します。 『処理(processing):クライアントの内的な体験で、順を踏んで一定期間観察された、記憶、思考、感情、身体感覚を含む。』

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(n)複雑性PTSDでのCBTの実践としての複雑性PTSDにおける外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について、その他
標記について、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第2章 わたし流・和と洋の邂逅 ――流派間の往復書簡,表現方法~森田療法との対話,そして複雑性PTSDでの応用―― の「Ⅴ 我流・認知行動療法の応用例 ――複雑性PTSDでのCBTの実践」における記述の一部(P63)を以下に引用します。ただし、標記「CBT」は「認知行動療法」(例えば参照)の略であり、一方「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

現在,私が関心を抱いているテーマのひとつが複雑性PTSDだ。私見では,複雑性PTSD(~軽症・複雑性PTSD)はすべての精神障害の病態理解~治療において,すこぶる重要な役割を果たしている。しかしながら現在までのところ,日常臨床の場においてしっかり対応するための方法論を,CBTも十分には提供できていないように見受けられる。こうした現状をふまえて,私が試作した患者向け心理教育用の資料(原田,2018a)を引用する。

注:i) この引用部の著者は原田誠一です。 ii) 引用中の(原田)「2018a」は次の資料です。 『原田誠一(2018a)短時間の外来診療における複雑性PTSDへの対応――「複雑性外傷記憶」概念を導入して行う心理教育と精神療法の試み.精神療法,44,533-535.』 iii) 複雑性PTSDにおける認知行動療法としての STAIR/NST については次のWEBページを参照して下さい。 「複雑性PTSDに対する認知行動療法の有効性の検討」 iv) 「私が試作した患者向け心理教育用の資料(原田,2018a)」[外傷性記憶(複雑性外傷記憶)]の引用について、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第2章 わたし流・和と洋の邂逅 ――流派間の往復書簡,表現方法~森田療法との対話,そして複雑性PTSDでの応用―― の Ⅴ 我流・認知行動療法の応用例 ――複雑性PTSDでのCBTの実践 の「外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について」における記述の一部(P64~P67)を次に引用します。

外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について
誰にも好ましくない記憶(エピソード記憶)は,無数にあるものですね。例えば 財布を落とした,テストで赤点をとった,ころんで足を挫いた,といった内容。こうした記憶を想起するのは嬉しいことではありませんが,気持ちがかき乱されてひどい混乱状態に陥るといったたぐいのものではないですね。
しかるに自分の存在の基盤そのものに関わり,安全感や自尊心が根本からひどく損なわれるような深刻な経験の記憶の場合,ずいぶん事情が異なります。こうしたひどくつらい体験のもとになるものに自然災害・事故・犯罪などがありますが,人間関係にまつわる継続的な問題も多いものです。例えば,親子関係における激しい葛藤・対立・虐待,いじめや各種のハラスメント,強圧的で暴力的な教師との関係に伴う被害など。
ここでは,このような人間関係に関連する経験(複雑性PTSD~軽度・複雑性PTSD)について説明することにします。こうした経験の記憶には外傷性記憶(複雑性外傷記憶)という名前がついていて,次のような特徴がみられます。

1. きわめて長い間記憶が保持されて,些細なきっかけで再現してしまう(図2-2)。
2. その記憶には瞬時に大きな動揺をもたらす強力な作用があり,強い不安が生じて当人が混乱状態に陥り不快・嫌悪・恥・驚きなどの感情が体験される。
3. 外傷性記憶が現れると,普段の状態(友好・安心モード)とは異なり,外傷体験に基づくモード(敵対・混乱モード)で自分~周囲の人が見えがちになってしまう。具体的には「周囲の人=自分を批判し否定してないがしろにする,一方的・高圧的で危険な存在」「自分=理不尽な被害を受ける,受け身一方で困惑している存在」といった具合です。
4. きっかけとなるのは,原因になった状況と類似の要素を含む状況~場面が多い。例えば「他人から無視される」「相手が自分の意見・意向に耳を傾けない」「理不尽な扱い~明らかな差別を受ける」「相手が感情的になっている」「高圧的な態度~無作法な振る舞いをする人がいる」「虐待やいじめ,自殺のニュースと接する」など。
5. 敵対・混乱モードで過ごす時間はとてもつらいものですし,敵対・混乱モードに基づく自他の言動が軋轢を強めてしまい,さらにしんどい状況に陥りがちです。

ちなみに,命に関わるような出来事の後に生じる典型的な外傷後ストレス障害 PTSD の場合(例:東日本大震災での被災),外傷性記憶が賦活化されると視覚像を伴うフラッシュバックが生じるので,当然本人はその経験を意識します。しかるに「親や養育者による虐待,いじめ,ハラスメント,暴力的な教師との関係」などに伴う複雑性PTSD(~軽症・複雑性PTSD)では,外傷性記憶(複雑性外傷記憶)が活性化されても視覚像を伴わないことが多く,本人ははっきりとは意識しない場合が多数派のようです。
外傷性記憶への対応を工夫する際には,こうした仕組みを理解しておくと役立ちます。かさぶたがとれて外傷性記憶が活性化したら,ある出来事がきっかけとなって(例:理不尽な扱いを受けた)外傷性記憶が露わになった経緯を把握することが大切です。苦手なトリガーと接して外傷性記憶が露呈し,敵対・混乱モードに陥っていると自覚するのですね。この認識ができると,混乱の世界から首ひとつ頭を出して自分が陥っている状態を俯瞰して観察しやすくなります。
「過去の出来事(外傷性記憶)~きっかけ(トリガー)~現在の状態(敵対・混乱モード)」の関連をしっかり理解するとともに,「どうやったら,早めに友好・安心モードに戻れるだろうか?」という対応策を考えやすくなるのです(複雑性PTSDの認知療法)。
ある出来事で外傷性記憶が活性化されて敵対・混乱モードに入ってしまった際に,敵対・混乱モードでの出来事を頭に思い描いてその世界に浸っていると,どんどん深みにはまってしまいがちです。ブラックホール,底なし沼,蟻地獄,蛸壷などと当事者の皆さんが称する,すこぶるつらい状態ですね。ですから敵対・混乱モードに陥った際に,そのモードでのやりとり~記憶を反すうし続けるのは得策ではありません。
こうした時に,普段から自分が慣れ親しんでいることをやってみると,早く敵対・混乱モードから抜けるのに役立つ場合があります(複雑性PTSDの行動療法)。たとえば 次のような例ですね。

・親しい人と話したり,メールでやりとりをする
・動物と遊ぶ
・慣れ親しんだ公園や喫茶店に行く
・親しみを感じ,安心感をもっているものと接する(例:ぬいぐるみ,大事な写真,お守り)
・好きなアニメ,ゲーム,マンガ,芸術作品を楽しむ
・ヨガ,サイクリング,整体,カラオケを試す

こうした自分に合ったやり方のレパートリーを,いくつか持てるといいですね。外傷性記憶がもたらす敵対・混乱モードとは異なり,これらの活動では相手~周囲との関係性が親しみを帯びています。こうした気持ちのよい友好・安心モードを体験できると,敵対・混乱モードからの回復を促すことができるのですね。
加えて,安心・友好モードから敵対・混乱モードへの移行の契機となったきっかけ,トリガーへの対策も大切です。きっかけとなった人物・状況をなるべく避けることが賢明ですし,避けにくい場合には相手との関わりを極力“浅く,狭く,短く,軽く”できると被害が小さくなります。また,きっかけとなった出来事の受けとめ方を工夫することが有効なこともあります。
なお,人間の自然回復力を促す4因子として「①身体を動かす,②自然を楽しむ,③良い人間関係を味わう(相手が動物でも可),④遊ぶ」が知られています(原田,2017b,2017c)。この4因子には敵対・混乱モードから友好・安心モードへの移行をサポートする作用があります。(後略)

注:(i) この引用部の著者は原田誠一です。 (ii) 引用中の「図2-2」の引用は省略します。代わりに次の資料の Figure 1 を参照して下さい。 「不安・抑うつ発作と複雑性PTSDの関連についての私見 ―両者の本質的な共通点~重なりと双方の臨床研究が交流する必要性・有効性について―」の「Figure 1 複雑性PTSD~外傷記憶の説明図」(P48) (iii) 引用中の(原田)「2017b」は次の本です。 『原田誠一(2017b)現代日本の2つの特徴――「人間の自然治癒力~レジリエンスの発現/抑制」という視点からみた,“変化した/変化していない”問題点.原田誠一(編)外来精神科診療シリーズ 精神医療からみたわが国の特徴と問題点.中山書店,pp.44-50.』 (iv) 引用中の(原田)「2017c」は次の資料です。 「原田誠一(2017c)臨床閑談;一開業精神科医の生活と意見.臨床精神医学,46,1547-1549.」 (v) 引用中の「軽度・複雑性PTSD」に類似する「軽症・複雑性PTSD」について、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の原田誠一著の文書『短時間の外来診療における複雑性PTSDへの対応 「複雑性外傷記憶」概念を導入して行う心理教育と精神療法の試み』(P199~P203)における記述の一部(P199~P200)を次に引用(【 】内)します。 【現在の我が国の臨床現場において,こうした複雑性PTSDの基準を満たす「長期虐待の生存者」と出会う機会は稀ならずある。しかるに格段に頻繁に遭遇するのは,厳密にはハーマンが示す内容に合致しないものの「長期虐待」に該当する経験が存在し,その体験が現在の苦悩~問題に深く結びついている症例である。具体的には,「家庭内での心理的虐待,いじめ,各種ハラスメント,暴力的な教師による不適切な対応」で一定期間苦しんできた場合。こうした症例と複雑性PTSDの近縁性~同質性は,両者が示す病像の重なりからも推測できるだろう。本稿では,このような病態を軽症・複雑性PTSDと仮称して論をすすめる。】(注:引用中の「ハーマンが示す内容」については次の本を参照して下さい。 『ジュディス・L・ハーマン著、中井久夫訳の本、「心的外傷と回復〈増補版〉」』) (vi) 引用中の「友好・安心モード」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論の視点からの「腹側迷走神経複合体が主導する社会的関わりシステム」及び引用中の「敵対・混乱モード」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論の視点からの『交感神経系主導の「逃げるか闘うか反応」』については共に次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の『3.階層的反応モデルと「ニューロセプション」について』項 (vii) 引用中の(早く敵対・混乱モードから抜けるのに役立つ場合がある)「複雑性PTSDの行動療法」に関連するかもしれない、 a) 「コーピング」については他の拙エントリのここを、 b) ポリヴェーガル理論の視点からの「ニューラルエクササイズ」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項 (viii) 引用中の「友好・安心モード」と「敵対・混乱モード」の両方については次の pdfファイルを参照して下さい。 「Hem21 NEWS 令和5年(2023) 3月 Vol. 98中の こころのケアシンポジウム 「複雑性PTSDを考える」を開催 の『◎基調講演 「複雑性PTSDの理解と支援─日常臨床における我流・実践の紹介─」(P1~P2) (ix) 引用中の「認知療法」についてはここを参照すると良いかもしれません。 (x) 引用中の「反すう」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xi) 引用中の『「過去の出来事(外傷性記憶)~きっかけ(トリガー)~現在の状態(敵対・混乱モード)」の関連をしっかり理解するとともに,「どうやったら,早めに友好・安心モードに戻れるだろうか?」という対応策』に関連する、複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患している方の当事者研究の紹介について、同第Ⅰ部中の原田誠一著の文書「複雑性PTSD~軽症・複雑性PTSDの心理教育と精神療法の試み 気分障害と不安障害を例にあげて」(P105~P120)の「Ⅳ 気分障害と複雑性PTSDの関連② ある当事者研究の紹介」における記述(P112~P115)を次に引用します。

ここまで紹介してきた臨床的な対応を,筆者は日々試行錯誤している。本節では,こうした治療を現在体験しているある受け持ち患者が,自助グループで発表した内容全文を引用する。この当事者の方は複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患しており,引用にあたって文書で了解をいただいた。

当事者研究2018-2:“警報の誤作動”を止めるには――二つの「モード」から考える
・人間関係において,本来“警報”というのは必要不可欠なものです。「地雷を踏んだら別人のようになる人だ」とか「弱い相手には高圧的な人だ」などと警報が鳴ることで,人は適度な距離を取って,危機を小さくすることができます。“警報”とは言い換えれば「将来の恐怖の感覚」です。
・ただ,不運にも人間関係で深く傷ついた人は,その警報に誤作動が生じがちだと思います。つまり,常に警報が鳴り続けている,あるいは必要をはるかに超えて警報が作動するようになるので,友好的な人間関係においても,存在しない悪意を感じてしまうようになったり,安心感がないためひどく緊張しやすくなり,その結果疲れやすくなったりします。無力感が伴うと,警報の誤作動はさらに深刻になりますが,「今なら対処できる」と自信が持てるとだいぶ楽になると思います。
・私の主治医は,「敵対・混乱モード」と「友好・安心モード」という二つのモードを仮定して,私が今言ったような状態を違う言葉で整理しました。言うまでもなく,警報が誤作動している状態が「敵対・混乱モード」で,そうでない状態が「友好・安心モード」です。この「混乱」には,相手を選ばない他者一般,更には自分自身さえも含む「敵対」であるという混乱,また「友好的」で「安心」な本来の自分がその渦中においては忘れられてしまう混乱という,二重の意味があると私は考えます。
・二つのモードという考え方は,傷ついた人が陥りがちな「なぜ?」という答えの出ない問答を一旦脇にやって,「とりあえず警報の誤作動を止めるにはどうすれば良いか?」を考えるのに有用です。ただ,それでも過去と向き合う場合には,「過去の自分に対してその苦労をねぎらうような言葉をかけるように」と主治医はアドバイスしてくれました。
・以下に,私が行っている“警報の誤作動”を自覚し,抑え,止めるためのいくつかの方法を記します。
1) 鏡を見て自分の顔を見る。私は「敵対・混乱モード」のとき,必ず目つきが鋭くなっておっかない表情になるので,鏡を見るとそれが客観視できます。また,表情は連続的に変化するので,顔の表情によってだいたいこういう精神状態かな,と見当をつけることもできます。
2) 頓服の薬を飲む。薬は脳神経科学的に効くだけでなく,心理学的にも作用します。つまり,薬を飲むという行為自体がきっかけとなって,警報が止むことが私の場合しばしばあります。
3) マインドフルネスをする。マインドフルネスには頭の中をリセットする効果があるので,まずそれでモードが切り替わることがあります。そして,毎日行うと普段から考え過ぎない癖が身につきます。「敵対・混乱モード」は考え過ぎ,つまり深追いで悪化するので,この点でも良い効果があると感じます。ブッダの言うようには悟りは開けないものの,するとしないとでは大違いだと私は実感しています。
4) 音楽を聴く。私の主観ですが,美しい音楽は必ずどこか哀しいと思います。美しくて哀しい音楽は,普段の生活の中ではあまり頻繁に聴くものではないですが,警報の誤作動を止めるのには適している,と私は思います。
5) 普段の生活リズムを維持する。自由な時間があり過ぎると,考え過ぎてしまうからです。
6) その日あった良かったことを書き留めておく。良かったと思っている時点で,それを書いているときは「友好・安心モード」ですから,「敵対・混乱モード」のときに読み返せば 書いたときの気分に戻れることがあります。
7) 自分や他の人の言動を,文脈全体の中で把握する。一般的に言って,人の言動には一貫性があるので,ある場面だけを文脈から切り離して解釈するより,文脈全体を通じて解釈した方が,解釈の幅が狭まって信頼の置けるものになります。たとえば,親しくしていた人が急に自分のことを裏切る,ないし嫌いになるとか,自分の些細な言葉で人が激怒するということは,滅多にない珍しいことで 相手がちゃんとした大人なら普通ないことです。そういう不安が出てきたとき,文脈という一連の流れの中で解釈すれば,部分だけを見て解釈するより,「おそらく大丈夫」と安心する気持ちが強くなると思います。ここで大事なのは,「絶対大丈夫」ではないことです。絶対を求めると,人間関係が不可能になります。「おそらく大丈夫」で「今なら対処できる」と心底から思えると,本当に人間関係が楽になるだろうなあといつも私は思っています。
・以上が私が“警報の誤作動”を自覚し,抑え,止めるための方法です。こうやって整理することで,自分では不思議と前向きな気持ちになれました。もし誰かの役に立つようなことがあればなお嬉しいです。最後になりましたが,今回はこのような発表の場をいただき大変感謝しています。

注:引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(o)持続エクスポージャー療法について
最初に標記持続エクスポージャー(Prolonged Exposure:PE)療法のマニュアルについては例えば次の資料を参照して下さい。 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の認知行動療法マニュアル(治療者用) [持続エクスポージャー療法/PE 療法]」 加えて、標記療法を紹介するWEBページ又は資料例を次に示します。 「PTSDに効果 持続エクスポージャー療法 - yomiDr.」、「幼少期の複雑性トラウマに対する Prolonged Exposure による介入」、「PTSDに対する持続エクスポージャー法」 次に標記療法の簡単な説明について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第4章 「今」への影響を変える心理療法 の「代表的な心理療法 持続エクスポージャー療法/安心を実感する」項における記述の一部(P66)を次に引用(『 』内)します。 『治療者とともにトラウマの記憶に立ち戻り、記憶が過去のことであり、今の自分は大丈夫だという安心感を見つけていく治療法です。治療者と二人三脚で、自然に回復していく道筋を歩み直していきます。』 加えて、同項の「治療者に支えられながらトラウマ記憶に触れてみる」における記述(P66~P67)を次に引用します。

治療者のガイドで、無理のない範囲でトラウマの記憶や、思い出させる場面に触れてとどまってみることで、馴化(慣れること)を体験します。触れても怖いことは起きないし、自分は大丈夫だという安心感が芽生えます。
やがてトラウマの記憶が整理され、たとえば悪いのは自分ではなく加害者であるということが、心から納得できるようになります。トラウマの被害は過去のことであることが実感され、自分らしい生活の感覚が戻ってきます。

さらに、標記持続エクスポージャー(PE)療法における恐怖構造モデル及び治療原理について、こころの科学 2019年11月号 中の金吉晴著の文書「持続エクスポージャー療法の普及と展望」(P68~P72)の 代表的なトラウマ治療の心身アプローチ の「慢性PTSDの病理」及び「PE療法の治療原理」における記述の一部(P68~P70)を次に引用します。

慢性PTSDの病理(中略)

フォア、コザックは情報処理理論に基づいて恐怖構造モデルを提唱した。それによれば、恐怖記憶とは単なる感情の記憶ではなく、恐怖刺激(たとえば自動車)、それに対する感情的(怖い)・認知的(自動車は危険だ)・生理的(体がこわばる)反応と、そうした反応についての解釈(体がこわばるのは自分が無力だということ)を含む構造である。慢性PTSDでは過剰で病的な恐怖記憶が形成されている。すなわち①刺激と反応・意味づけとの関連が過剰・非現実なものになり、トラウマに対する不正確で否定的な認知が生じる、②その結果、安全な刺激に対しても、生理的反応や逃避・回避反応が生じ、そうした刺激を危険であると誤認する、③これらのために恐怖反応が容易に誘発され、それが適応的な行動を阻害する。
つまり、慢性PTSDにおけるトラウマ記憶とは「過去の恐怖の記憶」ではなく、「現在において恐怖を生み出し続ける構造をもった記憶」である。この構造を修正し、通常の記憶に戻すことが治療の目標となる。

PEの治療原理

一九八〇年代にはいくつかの不安障害について、恐怖記憶を変化させるためには修正的な情報を提供することが必要であり、そうした情報を適切に記憶構造に取り入れるためには恐怖記憶が適切に賦活されることが効果的で、下記の想像エクスポージャーと現実エクスポージャーを組み合わせることが有効であることが認められていた。PEはそうした研究成果のうえに立って、PTSDに特化したプログラムとして開発された(8)。
PEでは、安全で危害を及ぼすことのない刺激に、患者が系統的に注意深く触れていくことが目標となる。それによって恐怖記憶が賦活されるとともに、トラウマ体験を想起しても現在の自分は安全であるという修正的情報が獲得される。このプロセスは実験心理学における恐怖記憶の消去あるいは消去学習と呼ばれる現象にきわめて近い。その結果として、患者は危険が生じる可能性や状況について合理性な判断ができるようになり、多くの刺激に対して過剰に反応することがなくなり、「世界はどこにいても危険である」「不安を感じると自分はおかしくなり、何もできない」といった認知が修正される。
慢性PTSDでこのような学習や認知の修正が生じない理由は、トラウマ記憶に対する極度の回避が生じ、記憶内容についての再整理、検討ができないためである。上記の学習のためには、トラウマ記憶が適切に賦活され、それでも自分は安全であるという修正的情報を獲得することが重要であるが、それが阻害されてしまう。PTSDの中核症状である再体験情報はトラウマ記憶の病的な賦活であり、コントロールを失って感情に圧倒されているために、むしろ記憶は危険であるという否定的認知を強化してしまう。多くの不安障害の場合と同様に、回避は短期的には不安は軽減するが、長期的には恐怖への負の強化が生じ、病状を悪化させる(9)。
PEは基本的に上述の感情記憶の修正手続きに従っており、患者の安全と自律性を確保しつつ記憶を賦活し、修正的な情報を恐怖記憶に取り入れることを目指している。具体的には、現実生活においてトラウマを賦活する刺激に安全かつ無理のない範囲で三〇分以上触れる現実エクスポージャーと、トラウマを想起して安心を確保しつつ、感情レベルを適切にコントロールしながら三〇分以上話す想像エクスポージャーを実施し、トラウマを思い出しても自分は無力ではなく、有害なことをは生じないことが学習され、回避以外にも不安に対応する手段があることが理解される。やがて断片化した記憶表象の間の不適切な結びつきが解消し、本来の関係が明らかになると、トラウマとなった出来事と、それに類似していても実際には違う出来事の区別ができるようになる。そしてトラウマは過去の出来事であり、それを想起しても現在の自分に被害が生じているわけではないことが理解される。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(8)」は次の論文です。 「Emotional processing of fear: exposure to corrective information.」(全文はここを参照して下さい) ii) 引用中の文献番号「(9)」は次の本です。 「Foa, E. B., Hembree, E. A., Rothbaum, B. O.; Prolonged exposure therapy for PTSD: emotional processing of traumatic experiences. Therapist guide. Oxford University Press, 2007. (金吉晴、小西聖子監訳『PTSDの持続エクスポージャー療法-トラウマ体験の情報処理のために』星和書店、二〇〇九年)」

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(p)STAIR Narrative Therapy 又は STAIR/NST について
最初に標記セラピーの開発経緯の概略について、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の丹羽まどか著の文書「複雑性PTSDの病態理解と治療 認知行動療法~ STAIR/NST の立場から」(P57~P65)の「はじめに」における記述の一部(P57)を以下にに引用します。なお、本項においてはセラピー名としての標記「STAIR Narrative Therapy」(STAIR-NT)と「STAIR/NST」(STAIR&NST)が混在しています。

(前略)世界保健機関のストレス関連障害の分類に関するワーキンググループのメンバーでもあった M・クロワトル(Marylene Cloitre)博士は,長年にわたって幼少期の虐待サバイバーの治療経験を有し,クライエントが共通して抱える症状に対応する形で治療要素を組み立て,STAIR/NST(Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation followed by Narrative Story Telling;感情調整と対人関係のスキルトレーニングおよびナラティブストーリーテリング)という治療法を開発した(Cloitre et al, 2002, 2006)。現在は STAIR Narrative Therapy とよばれるようになっており(Cloitre et al, 2020),この間のさまざまな臨床や研究をもとに修正され,対象も虐待に限らずさまざまなトラウマサバイバーに適用されている。(後略)

注:引用中の(Cloitre et al)「2002」、「2006」、「2020」はそれぞれ次の論文又は本です。 「Skills training in affective and interpersonal regulation followed by exposure: a phase-based treatment for PTSD related to childhood abuse」、「Cloitre M, Cohen LR & Koenen KC (2006) Treating Survivors of Childhood Abuse: Psychotherapy for the interrupted life. Guilford Press.(金吉晴監訳/河瀬さやか・丹羽まどか・中山未知・田中宏美訳(2020)児童期虐待を生き延びた人々の治療――中断された人生のための精神療法.星和書店)」、「Cloitre M, Cohen LR, Ortigo KM et al (2020) Treating Survivors of Childhood Abuse and Interpersonal Trauma: STAIR Narrative Therapy. Guilford Press.」

次に、標記 STAIR Narrative Therapy 又は STAIR/NST の有効性に関する日本における研究成果の報告は次のWEBページや研究成果報告を参照して下さい。 「複雑性PTSD治療前進へ ~心理療法(STAIR Narrative Therapy)の成果~」、「複雑性PTSDに対する認知行動療法の有効性の検討」、pdfファイル「心的トラウマ研究 第17号 令和4年2月」中の須賀楓介著の文書「複雑性 PTSD の治療 -STAIR/NSTとセルフ・コンパッション -」(P79~P86) 加えて、標記 STAIR の簡単な説明について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第4章 「今」への影響を変える心理療法 の「代表的な心理療法 STAIR/感情と対人関係の調節スキルを学ぶ」項における記述の一部(P72)を次に引用(『 』内)します。 『STAIRは、子ども時代にトラウマが生じた大人の複雑性PTSDを対象とした認知行動療法の一種です。生活上の問題をまねきやすい感情の調節障害や対人関係の問題の改善を目指します。』(注:複雑性PTSDについては他の拙エントリのリンク集を参照して下さい) その上に、同項の「感情調節などを習得し直す」における記述(P72)を次に引用します。

複雑なトラウマによって起こりやすい感情調節の困難や対人関係の問題は、本当の自分の気持ちを遠ざけ、人と安定してかかわることを難しくして、人生をつらいものとします。
虐待を受けたときには受け止めてもらえなかった、さまざまなネガティブな感情や考えを、STAIRでは現在の具体的な対人関係に即して考え直します。
NSTでは、過去のトラウマとの関係を見直すことで、さらに治療を深めます。

さらに「STAIR/NST」(STAIR&NST)の治療構造の概略について、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の 大滝涼子,加藤知子著の文書「感情と対人関係の調整スキル・トレーニングとナラティブ・ストーリー・テリング 幼少期のトラウマによる PTSD のための認知行動療法」の「2.STAIR&NST の誕生と治療構造」における記述(P134~P135)を次に引用します。

ここで紹介する STAIR(Skills Training in Affect and Interpersonal Regulation:感情と対人関係の調整スキル・トレーニング)と,NST(Narrative Story Telling:ナラティブ・ストーリー・テリング)は,前述したような幼少期の虐待に始まる複雑性トラウマを持つ成人患者のための治療法として,Dr.Marylene Cloitre によって開発された。
この治療は,STAIR と NST の 2 つの異なる介入で構成されている。前半の STAIR に関しては DBT(Dialectical Behavior Therapy:境界性パーソナリティ障害のための弁証法的行動療法)を基に,後半の NST は PE(Prolonged Exposure Therapy:PTSD のための持続エクスポージャー療法)の理論を基に作られ,これらを掛け合わせて改良されたものと考えられる。
この 2 つの段階を踏む治療構造は,Herman(1992)10) の段階的治療の概念である,第1段階:安全,安定化,生活能力の強化,第2段階:トラウマ記憶の処理,第3段階:大きなコミュニティへの統合とも整合性がある。治療前半の STAIR では,現在の生活での対人関係や感情調整の問題に直接働きかけるもので,患者が一段ずつ階段を上っていくように段階的に取り組んでいく。ここで最初の目的は,まず感情への気づき,また,否定的な感情の扱い方や苦痛を調整するスキルを構築することである。2 つ目には,幼少期に学んだ対人関係のパターンが今現在にも影響を与え続けていることを学びながら,対人関係のスキーマを同定し,患者自身がより安定して自分の感情をコントロールできるスキルや,健全な対人関係を築くためのスキルを獲得していくことを目的としている。
そのようなスキルを習得した上でトラウマの語りの段階,NST に取り組むのがこの治療法の大きな特徴である。第1段階の STAIR での取り組みが,より強い感情が関わってくる第2段階の NST の準備になるとも言える。この準備なしにトラウマのナラティブに取り組むと,トラウマ体験の語りとともに生じる感情に圧倒されて,大きな回避や解離が生じたり,治療自体をドロップアウトしてしまうケースもある。STAIR の段階で身につけたスキルをもってトラウマのナラティブに取りかかることで初めて,トラウマについての語りが可能となり,その出来事と関連する体験や感情の整理をしっかりと進められるようになる。
第2段階となる NST での目標は,トラウマ記憶を整理しそれに関する感情を処理することで,記憶が患者を支配するのではなく,患者自身が自分の記憶をコントロールできるようになることである。幼少期の体験を繰り返し詳しく話し,虐待被害における感情の処理を行っていきながら,今現在の安全でサポートを受けられる環境の中で患者の体験と感情を丁寧につなげていく作業をする。記憶から逃げずにそれと向かい合うことは,初めは簡単なことではないが,それは次第に記憶に伴う不安や恐怖を軽減していくことにつながる。そのプロセスを経て,過去と現実は違うということに気づき,自身のトラウマ体験やそれと関連した感情と向き合うことで,行動や思考を調整できるようになる。
トラウマから回復するうえでの主要原則として重要なのが,過去について扱い,過去の出来事についての意味づけをしていくことである。しかし,治療の優先順位は,患者に差し迫っている問題や,必要とされる援助の重要さによって現在を扱うことが優先されることもある。具体的には,症状の安定化や対応(急性の苦痛,重度の PTSD 等),日常生活での問題(対人関係や混沌とした生活スタイル),併存する症状(精神病症状,重度のうつ病)などに対する現在の取り組みを扱うこともある。この治療では,過去に焦点を当てた介入と,現在に焦点を当てた介入のバランスを保つことが必要であると考える。患者が自己の継続性に気づき,過去を受け入れ,現在に生きようとすることを認識する手助けをするが,そのためには,患者が自ら治療に参加するように手助けをし,患者の現在抱えている心配や困難について明確かつ直接的に取り組み,日常生活における機能を向上させることも重要となる。

注:i) 引用中の文献番号「10)」は次の本です。「Herman J: Trauma and Recovery. Basic Books, New York, 1992.」 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」及び「PTSD」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「スキーマ」については、ここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ナラティブ」に該当する「ナラティヴ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「弁証法的行動療法」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「持続エクスポージャー療法」についてはここを参照して下さい。

これら以外にも、「STAIRのうち複雑性PTSDとの関連で特に注目したい項目」について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の大江美佐里、千葉比呂美著の文書「STAIR-NTおよび関連治療技法が目指すもの」の トラウマ・ケアとこどもヨーガ の「STAIRの主要テーマ」における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

STAIRのうち複雑性PTSDとの関連で特に注目したい項目をいくつか紹介する(中略)。

(1) 感情調整
感情を調節するためには、まず自身のもつ感情がどのようなものかを知る必要がある。そこで、感情とそれを引き起こすトリガー、思考や行動を記録表に記載してもらったり、特に強い苦痛を感じる際の感情を書き出してもらったりする。自分の感情をどのように命名したらよいか思いつかない場合に備え、様々な感情を書き出したリストを見せて、選んでもらうというやり方もある。
自分の感情への気づきを得た段階で、不安・うつ・怒りという三つの代表的な陰性感情について検討する。不安は周囲の環境の「安全」と「危険」との区別が十分ついていないことによって生じると考えることができ、周囲が実際に安全かどうかをセッション内で確認することにより改善する見込みがある。うつは「学習された無力感」によっても生じることから、現在が無力な状況でないことの確認が改善に有用である場合がある。また、行動活性化技法もうつ状態への効果が立証されている。怒りは正当なものもあるが、他者への攻撃性など許されない状況に陥ることもある。怒りを爆発させる前に数を数える、場所を移動する、といった行動面の対処、怒りを爆発させた結果を検討するなどの認知面での検討が怒りへの対応として挙げられる(怒りについては次項目も参照のこと)。ある感情にとらわれた時の身体的反応、生じる思考、そしてどのような行動をとるかについても記録をつけ確認する。
次に、対処スキルを検討する。飲酒など感情調整に不向きな行動、趣味などの感情調節に一般的に向いている行動があることは確かだが、個々人に必要な対処スキルは何かを考えることが重要である。対処スキルには、感情にとらわれた時と同様に、注意を他に向ける(思考)、友人を呼ぶ(行動)、呼吸を整える(身体)と複数の側面から検討することが可能である。

(2) 苦痛への耐性
苦痛への耐性(distress tolerance)とは、痛みや困難に対して、自身や他者への暴力なしに耐える能力のことである。ここでは、苦痛への回避行動は目標達成を阻害するもので、一時的に苦痛が生じることであっても挑戦することを求めている。また、アルコールや違法薬物の乱用、自傷行為、過食などの自暴自棄的行動、他者との関係を未熟な形で断ち切る、といった非適応的行動をとらないよう求められる。苦痛への耐性を高めながら目標を達成するために、目標に取り組むことの利点と欠点を書き出し、治療者とともに眺めることで、実現可能性について協議する。(中略)

感情調整と苦痛耐性との違いを示すと、前者は感情を鎮めることが目的、苦痛耐性は感情と行動との関係を切り離すことが目的といえる。

(3) 対人関係パターンの理解
他者との対人関係においても、自身や他者に対する思考や気分が影響していることを理解する。現在問題となっている対人関係について、思考と気分とのつながりを同定し、それがトラウマ体験と関連しているかを話し合う。
トラウマに関連した対人関係に関する考えには以下のようなものがある。
・私が関係を深めると、私自身を守れない
・もし私が体験したことを相手に話したら、避けられてしまう
・助けを求めたら、非難されてしまう
具体的な対人関係に問題を生じた状況について書き出してもらい、その際に自身が抱いた感情とその理由、そして相手にどのような態度を期待していたのかを書いてみる。最後に実際どのように振舞ったかも書く。
次に、記載したものを治療者と確認した上で、ロールプレイを行う。ロールプレイという安全な環境で相互の関係についてこれまでとは違う行動様式がとれないかを検討するが、もしロールプレイに対して抵抗の強い場合、あるいはロールプレイに相応しくない状況の場合には、内潜的モデリング(covert modeling)が用いられる。これは、状況を実際に演じるのではなく、状況を口頭で話してもらい、その時とった方法と別の方法はなかったのか、他の考え方がなかったのかを治療者とともに検討する方法である。いずれの場合にも、中程度の苦痛レベルとなる状況を選択することが重要で、あまり感情的に動揺する場面を選択しないよう注意する。ロールプレイでは、クライエントが自分役とともに相手役も演じてみることで、自身の行動をより客観的に眺めることが可能となる。ロールプレイの主眼は客観性を得ることであり、「正しいか間違っているかを治療者が判定する」ものではないことをクライエントに十分理解してもらうことが肝要である。

(4) 対人関係における距離
他者との適切な距離感を保つことについて、利点と欠点を挙げて検討する。他者との距離をとることは対人葛藤が起きにくいという利点はあるが、支援が受けられず孤独感を増すという欠点がある。逆に、他者との距離を狭めることは、一体感を高め、守られているという安心感があるが、相手の影響を強く受けることで自己決定が損なわれる可能性も高まる。健康的な距離を保てば、自身の目標に向かっての支援も受けられ、かつ自己同一性も損なわれない関係を築くことができる。

注:i) 上記「複雑性PTSD」の意味としての「本稿ではハーマンらが唱えた複雑性PTSD概念をイメージして話を進める」ことについて、同文書の「はじめに」における記述の一部(P84)を次に引用します 『複雑性PTSDについて、本稿では表題に掲げられた「発達性トラウマ」診断基準やICDー11の complex PTSD診断基準にとらわれず、ハーマン(Herman, J.)らが唱えた複雑性PTSD概念をイメージして話を進める。』(注:引用中の「発達性トラウマ」に関連する「発達性トラウマ障害」、そして「ICDー11の complex PTSD」の別名である「複雑性PTSD」については共に資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」を参照して下さい) ii) 引用中の「数を数える」に関連する「ジェファーソンのことば」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「行動活性化技法」に類似する「行動活性化療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(q)マインドフルネス段階的トラウマセラピーについて
次に、標記マインドフルネス段階的トラウマセラピーの簡単な説明について、こころの科学 2019年11月号 中の大谷彰著の文書「マインドフルネスを用いたトラウマ治療――〈こころ〉と〈からだ〉の統合」(P84~P87)の 代表的なトラウマ治療の心身アプローチ の「マインドフルネス段階的トラウマセラピー」、「マインドフルネス」における記述、及び「トラウマ治療の四段階プロセス」における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

マインドフルネス段階的トラウマセラピー
トラウマへの心身アプローチの具体例として、マインドフルネス段階的トラウマセラピー(Mindfulness-Based Phase-Oriented Trauma Therapy:MB-POTT)を紹介しよう。MB-POTTはマインドフルネスによる〈こころ〉と〈からだ〉への気づきを応用した四ステップのトラウマ治療法である。詳細は大谷(5)に譲るが、骨子は次の通りである。

マインドフルネス
東南アジアの上座部仏教に端を発する瞑想法を原型にしており、一九八〇年代に米国のジョン・カバット-ジンによってマインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction:MBSR)として再構築された。以来、欧米、日本で急速に拡がった。一般に瞑想といえば心的オンリーの実践と思われがちであるが、実際には呼吸と身体感覚に対して意図的に注意を向け、その時に生じる心身反応を観察する実践である。〈こころ〉と〈からだ〉の活動をありのままに見つめる作業といってよい。これをトラウマ治療に活用するのである。
MB-POTTでは、外界の観察から始まり、身体感覚、心的反応へと系統的に気づきを促し、これに呼吸の気づきを加える。クライアントは気づいたことを単に「気づいた」と認識し、呼吸に意識を戻す。具体的には周囲の物音、身体の緊張感、記憶や感情などすべての事柄に優しく「タッチ」するように気づき、呼吸に「リターン」する。この「タッチ・アンド・リターン」の繰り返しこそがマインドフルネスに他ならない。タッチ・アンド・リターンは仏典に記された方法を踏襲しており、一見シンプルなようであるが実践はなかなか困難なことが多い。クライアントはこれをスキルとして学び、日常生活でも実践するよう心がける。呼吸によって〈こころ〉と〈からだ〉を結びつけるマインドフルネスは自律神経の調整を可能にし、不安を抑えてリラクセーションをもたらす。

トラウマ治療の四段階プロセス
タッチ・アンド・リターンによって身体感覚への気づきを高め、リラクセーションが体験できるようになると、いよいよトラウマへの適用となる。MB-POTTではこれを四段階に分けて行う。トラウマの段階的治療はジュディス・ハーマンによって提唱され、欧米ではすっかり定着した(2)。(中略)
まず第一段階はトラウマによる心身症状の安定である。トラウマの症状は多様を極めるが、悪夢、フラッシュバック、過度の怯え(過覚醒)、驚愕反応といった交感神経亢進によるものと、抑うつ、無力感、凍りつき(フリーズ)状態といった背側迷走神経によるものとに大別できる(上記ポリヴェーガル理論参照)。トラウマ障害ではこうした症状の繰り返しが特徴とされ、マインドフルネスによってこれを緩和させることが第一段階の狙いである。タッチ・アンド・リターンは自律神経機能のバランスを整え、心身のリラクセーションを可能にする役割を果たす。
第二段階のトラウマ統合とは、トラウマ記憶の回復と言語化である。トラウマには解離が伴うことから、体験の記憶があいまいであったり、感情を特定できない、考えがまとまらないといった愁訴が予想される。治療者はクライアントの発言に共感を示しつつ傾聴しながら、「何が起こったのか」「何を考えたのか」「何を感じたのか」の明確化を図り、トラウマ体験の全容を客観的視点およびクライアントの主観的視点の両面から把握する。これによってクライアントの言語化を援助するのである。解離によって散乱し、なかには意識下に埋もれたトラウマ体験の断片を一つひとつ拾いあげ、ストーリーを再構築する過程は、ジグソーパズルに喩えられる。解離した思考や感情の言語化を英語では、「ギヴ・ヴォイス(give voice)」と表現するが、まさにトラウマという「言語を絶する」体験に「声を与える」のである。
トラウマ記憶の回復と言語化を図るこのプロセスはクライアントにとって苦痛となりやすく、再トラウマ化を防ぐためにも、治療者との信頼関係に基づいた安心感と安全の場の確立が不可欠となる。治療者はこれを絶えず銘記し、クライアントは必要に応じてタッチ・アンド・リターンを行って感情の調整を行う。
MB-POTTの第三段階は日常生活の安全である。トラウマ体験は心身の症状をもたらすのみならず、生活に何らかの支障を来すことも稀ではない。事故によるトラウマから外出恐怖や引きこもりを起こしたり、DV被害者が強い対人不信感をもつようになったというケースである。こうした場合、トラウマによって歪められた認知の矯正と行動の活性化が必要とされる。MB-POTTではタッチ・アンド・リターンを活用して行動変化をイメージさせ、それに伴う思考や感情は「一時的な思考や感情に過ぎない」ことを体験させて、行動促進を支援する。(中略)
MB-POTTの締めくくりであるポスト・トラウマ成長(心的外傷後成長)は、トラウマの意味づけである。身体症状が消失し、日常生活が安定しても、トラウマ記憶は一生消えさらない。トラウマ体験を振り返り、それが自分をどのように変えたのか、ひいては自己の成長にどのようにかかわったのかについての思索はずっと続くのである。トラウマの「プラス効果」は必ずしも期待できないにせよ、生きがいや生活の価値観が明確になったと多くのクライアントは語る。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(2)」は次の本です。 「Herman, J. L., Trauma and recovery: the aftermath of violence--from domestic abuse to political terror. Basic Books, 1997. (中井久夫訳『心的外傷と回復〈増補版〉』みすず書房、一九九九年)」 ii) 引用中の文献番号「(5)」は次の本です。 「大谷彰『マインドフルネス実践講義-マインドフルネス段階的トラウマセラピー(MB-POTT)』金剛出版、二〇一七年」 iii) 引用中の「上記ポリヴェーガル理論参照」に対する参照は省略しますが、代わりに例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「解離」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「心的外傷後成長」についてはここを参照して下さい。

(r)レクレーション活動
レクレーション活動について、林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第5章 苦痛をやわらげるために自分でできること の「レクレーション活動」における記述の一部(P102)を次に引用します。

レクレーション活動
好きなことを楽しんで気分を転換(中略)

好きなことで心を楽しませる
行き詰った思いから一瞬でも離れて、好きなことに集中できれば、その間、心は不安や怒りなどの感情から解放されます。レクレーション活動を自分なりに選んで、心を楽しませる時間をつくりましょう。(中略)

もちろん、自分が関心を持っている趣味の活動なら、気晴らしと気分転換の効果はとくに大きくなるでしょう。

注:(i) 引用中の「レクレーション活動」に関連するかもしれない、複雑性PTSDにおける「普段から自分が慣れ親しんでいることをやってみる」ことについてはここにおける引用を参照して下さい。 (ii) この引用ではありませんが同項(P102~P103)において、レクレーションの種類は、 a) 体を動かす[ウォーキング、ジョギング、サイクリング、ハイキング(山登り)]、 b) 芸術活動[歌を歌う、楽器を演奏する、絵を描く、ダンス・踊り]、 c) 知的な活動[読書、文章を書く]、 d) その他[おしゃべり、温泉、旅・釣り] が挙げられています。

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(s)イメージ法
最初に、標記に関連するイメージを利用した治療例について次の資料があります。 「心的外傷後ストレス障害の悪夢に対するイメージを利用した治療 -展望と今後の課題-」 加えて、次の資料もあります。 「https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsad/11/1/11_2/_pdf/-char/ja:title=恐怖記憶に対するイメージ書き直しと記憶の再固定化の関係]」 その上に、標記について林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第5章 苦痛をやわらげるために自分でできること の「イメージ法」における記述の一部(P106)を次に引用します。

(前略)イメージ法とは
イメージ法は、自分にとって快適な光景を思い浮かべ、そのイメージに浸ることによって、リラクゼーションを進める技法です。(中略)

イメージ法によるリラクゼーション
①準備
静かな部屋で、目をつぶり、楽な姿勢で静かな呼吸をします。

②イメージの選択
リラックスするためには、静かな情景を思い浮かべると効果的です。快適と感じられる情景は人によって違うので、自分にとって心地よい情景を思い浮かべます。(中略)

イメージ法は、指導者のもとで行う場合は、一定のイメージを構成するシナリオが使われることがあります。一人で行う場合は、一つのテーマを選んで行うと良いでしょう。107、108ページを参考にして下さい。(後略)

ちなみに、スキーマ療法におけるイメージ書き換えについてはここここ及びここを参照して下さい。一方、イメージ書き換え(又はイメージ書き直し、記憶の書き換え、imagery rescripting)についての次の資料もあります。 「恐怖記憶に対するイメージ書き直しと記憶の再固定化の関係」 加えて、上記 imagery rescripting についてのメタアナリシスの論文要旨「Imagery rescripting as a clinical intervention for aversive memories: A meta-analysis.[拙訳]忌避記憶に対する臨床的介入としてのイメージ書き換え:メタアナリシス」(全文はここを参照)を次に引用します。

BACKGROUND AND OBJECTIVES:
Literature suggests that imagery rescripting (ImRs) is an effective psychological intervention.

METHODS:
We conducted a meta-analysis of ImRs for psychological complaints that are associated with aversive memories. Relevant publications were collected from the databases Medline, PsychInfo, and Web of Science.

RESULTS:
The search identified 19 trials (including seven randomized controlled trials) with 363 adult patients with posttraumatic stress disorder (eight trials), social anxiety disorder (six trials), body dysmorphic disorder (two trials), major depression (one trial), bulimia nervosa (one trial), or obsessive compulsive disorder (one trial). ImRs was administered over a mean of 4.5 sessions (range, 1-16). Effect size estimates suggest that ImRs is largely effective in reducing symptoms from pretreatment to posttreatment and follow-up in the overall sample (Hedges's g = 1.22 and 1.79, respectively). The comparison of ImRs to passive treatment conditions resulted in a large effect size (g = 0.90) at posttreatment. Finally, the effects of ImRs on comorbid depression, aversive imagery, and encapsulated beliefs were also large.

LIMITATIONS:
Most of the analyses involved pre-post comparisons and the findings are limited by the small number of randomized controlled trials.

CONCLUSIONS:
Our findings indicate that ImRs is a promising intervention for psychological complaints related to aversive memories, with large effects obtained in a small number of session.


[拙訳]
背景及び目的:
イメージ書き換え(ImR)が効果的な心理的介入であることを、文献は示唆する。

方法:
忌避記憶に関連付けられている心理的訴えの ImR のメタアナリシスを、我々は実施した。関連する出版物は Medline、PsychInfo、Web of Science のデータベースから収集された。

結果:
心的外傷後ストレス障害(8件の試験)、社会不安症(6件の試験)、身体醜形障害(2件の試験)、うつ病(1件の試験)、神経性過食症(1件の試験)又は強迫症(1つの試験)を伴う、363人の成人患者の(7件のランダム化比較試験を含む)19件の試験がこの検索により同定された。ImRs は平均4.5セッション(範囲、1-16)にわたって施された。ImR がサンプル全体において治療前から治療後、そして追跡調査までの症状の軽減に大きく効果的である(それぞれ Hedges の g = 1.22 及び 1.79)ことを、効果量の推定は示唆する。ImR を受動治療条件と比較すると、治療後に大きな効果量(g = 0.90)が得られた。最後に、併存するうつ病、忌避イメージ、そしてカプセル化された信念に対する ImR の影響も大きかった。

制限:
ほとんどの分析は事前-事後の比較を含み、そしてその結果は少数のランダム化比較試験によって制限される。

結論:
ImR が忌避記憶に関連する心理的訴えに対する有望な介入であり、少ないセッションで大きな効果が得られることを、我々の調査結果は示す。

注:本論文を簡単に紹介する記述を次に引用(『 』内)します。 『さらに,侵入的な記憶に悩まされる人に対して、その記憶の結末が,本人にとって納得できる内容となるよう繰り返しイメージさせる技法である記憶の書き換え(imagery rescripting)は,うつ病,社交不安症,強迫症,心的外傷後ストレス障害の症状の改善に著効を示す(Morina et al., 2017)。』(注:i) 本引用部の著者は長谷川晃です。 ii) 引用中の「Morina et al., 2017」は上記論文です。)

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(u)歌う又はハミング、その他
標記について、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「歌う」における記述の一部(用語解説 P3)を以下に引用します。なお、この引用には「チャンティング」や「本の朗読」等を含みます。

ポリヴェーガル理論では、歌は社会交流システムを高める「神経エクササイズ」と捉えている。歌うためには、私たちが歌と認識できるような、調整された声を出すために、顔と頭の筋肉を制御し、息をゆっくりと吐くことが必要である。息をゆっくりと吐くことで、心臓への腹側迷走神経経路の影響が上昇し、自律神経状態は落ち着いていく。息を吐くときには、腹側迷走神経運動線維が、心臓の心拍を減少させる心臓のペースメーカーに、抑制的な信号を送る(ヴェーガル・ブレーキ)。息を吸うときは、心拍数を落とす迷走神経の影響が消失し、心拍が上昇する。歌うときには、吸う息よりも吐く息の方がより長い。これにより迷走神経の介在が起こり、落ち着いた生理学的な状態がもたらされる。歌うときには、顔と頭の筋肉を神経的に制御し、表情筋、音を聞き分ける中耳筋、声を出すための咽頭・喉頭の筋肉を含む顔と頭の筋肉を神経的に制御する。これは、ヴェーガル・ブレーキを強めたり弱めたりするエクササイズをしていることになる。従って歌うことは、社会的交流システムを統合的に訓練することになる。チャンティング〔訳注:経典や祈りの言葉などを声に出して唱えること〕、本の朗読、楽器の演奏などは、社会交流システムの訓練に役立つ。(後略)

注:i) 引用中の「神経エクササイズ」の別名である「ニューラルエクササイズ」について、引用中の「社会交流システム」に類似した「社会的関わりシステム」を含めて次の資料を参照して下さい。 資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項(P335) ii) 引用中の「吸う息」、「吐く息」の両方に関連する、「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ヴェーガル・ブレーキ」の別名である「迷走神経ブレーキ」については次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項

加えて標記「ハミング」について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅳ部 神経系を形作る の 第11章 呼吸と音でシステムを整える の「他の音」における記述の一部(P206~P207)を次に引用します。

「ハミング」は、「地球」と「大地」を意味する「humus」というラテン語に由来します〔訳注:語源は諸説ある〕。ハミングは誰でもできると思われているからでしょうか、ハミングに関する研究は行われていないようです。ただし、ハミングをすると、幸せな気分を感じるという人は、世界中に大勢いることでしょう。歌が得意でない人も、ハミングなら気軽にできます。ハミングは、腹側迷走神経系の緊張を増します。クライアントに、ハミングは自律神経エクササイズなのだ、といって誘うと、ほとんどの場合、彼らは微笑み、肯定的な反応をします。
歌うことは、じつは非常に複雑なプロセスです。歌うには、喉頭、肺、顔の筋肉を呼吸に合わせて操作し、呼吸や姿勢の制御など、腹側迷走神経系を制御するあらゆる部位を総動員する必要があります。声を合わせて歌うときは、呼吸が同期します。すると、迷走神経緊張を表す心拍変動が増幅します(Vickhoff et al., 2013)。
チャンティング(詠唱:たくさんの音節を一息で歌うこと)では、音と呼吸とリズムが組み合わされています。チャンティングでは、呼吸がコントロールされ、長く息を吐きます。チャンティングは、不安とうつを軽減し、ストレスホルモンの放出を阻止し、免疫機能を増すことが研究で明らかになっています。(後略)

注:i) 引用中の「Vickhoff et al., 2013」は次の論文です。 「Music structure determines heart rate variability of singers」 加えて引用中の「心拍変動」についてはバイオフィードバックの視点から次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」 ii) 引用中の「腹側迷走神経系」に類似する「腹側迷走神経複合体」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 iii) 引用中の「長く息を吐きます」に関連する、「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:なお、上記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」に関連する「マインドフル・セルフコンパッション」についてはここを参照して下さい。

*2:注:複雑性PTSDや自閉スペクトラム症への適用を含むスキーマ療法の一般的な紹介です

*3:注:上記「構造的解離に対するパーツアプローチ」には「タッピングによる潜在意識下人格の統合法」(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy、USPT)を含みます

*4:注:スキーマ療法等における「イメージ書き換え」(imagery rescripting)を含みます

*5:注:「チャンティング」や「本の朗読」を含みます

一部拙エントリの補足説明について(その2)

目次

注:上記目次以外にも、①[精神疾患において]「正常と異常の境い目は明確に分けられうものではなく、広いグレーゾーンが存在している」ことについてここを、②解離性障害(又は解離症)に関する様々な紹介についてはここを それぞれ参照して下さい。

リンクはありません。

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前書き

本エントリは過日に公開されたエントリ「一部拙エントリの補足説明について(その1)」に続くもので、本エントリ(前者)は後者よりもより拙ブログ全体に関連が薄いかもしれない、主にポリヴェーガル理論、診察室における精神科医の対応例を含む精神医学に関連する補足説明を集めており、これらの補足説明は全体的に前者のエントリよりもバラバラ感があるかもしれません。

≪主な改訂の履歴≫
主な改訂の履歴はありません。

補足説明(その2)についての概要

本エントリは精神医学的なもの含む記事を引用します。

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以下の【1】【4】では、様々な精神疾患における非定型、グレーゾーン、スペクトラム等に関してそれぞれ紹介しています。ちなみに、 (a) [精神疾患において]「正常と異常の境い目は明確に分けられるものではなく、広いグレーゾーンが存在している」ことについて、岩波明著の本「どこからが心の病ですか?」(2011年発行)の「はじめに」における連続する記述の一部(P7)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『「どこからが、心の病ですか?」と訊かれることが、よくあります。』、『正常と異常の境い目は、明確に分けられるものではありません。その間には、かなりのグレーゾーンが存在しています。一見して明らかな「異常」、だれにでも明白な「病気」という状態も存在していますが、多くの場合異常との境界は曖昧なことが多いものです。これは精神疾患だけではなく、身体的な病気においても同様です。』 加えて上記「正常と異常の境い目は明確に分けられうものではなく、広いグレーゾーンが存在している」ことに類似するかもしれない[(自閉スペクトラム症のみならず)精神科の病気のすべてに共通することとしての]「正常と病気の境界線はほとんどの場合があいまいです。つまりグレイゾーンは広いのです。」について、村井俊哉著の本、「はじめての精神医学」(2021年発行)の 第2章 自閉スペクトラム症、知的能力障害、注意欠如・多動症 の「自閉スペクトラム症」における記述の一部(P34)を次に引用(【 】内)します。 【これは以下の精神科の病気のすべてに共通することなのですが、正常と病気の境界線はほとんどの場合があいまいです。つまりグレイゾーンは広いのです。】 (b) 「強い精神症状は明らかに異常ですが、軽度の精神症状と正常の間に明確な線は引けない」ことについて、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の「あとがき」における記述の一部(P268~P269)を次に引用(《 》内)します。 《また、さまざまな精神症状について読むと、なかには自分にも当てはまりそうに思えるものもあったはず。強い精神症状は明らかに異常ですが、軽度の精神症状と正常の間に明確な線は引けず、正常のすぐ隣に異常は存在し、その点でも精神障害は意外に身近なものだったはずです。》 (c) 解離性障害(解離症)において病気と健常との境目もはっきりしていないことについて、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本」(2012年発行)の 3 「健常」から「解離」に至る原因は の 一般的な経験 思い出の一シーンには自分が登場している の「解離性障害は脳がトラブルではない」における記述の一部(P56)を次に引用(『 』内)します。 『また、病気と健常との境目もはっきりしていません。過敏や離隔に似た症状は、解離のない人にもある、ごくありふれた症状です。ただ、それが強く出ているのが解離性障害なのです。』(注:引用中の「過敏」について、同本の 2 こころが二つに割れてしまう病 の「過敏 人のいる気配に敏感になりすぎる」における記述の一部(P36)を次に引用[【 】内]します。 【「過敏」という状態は解離の一つととらえられます。周囲の人や気配に敏感すぎるのです。】 加えてこれに関連する「対人過敏」についてはここを、「離隔」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項 (d) ADHD における「“スペクトラム”の考え方」については次のWEBページを参照して下さい。 「"ADHDタイプ"の方の対処策①」の「“スペクトラム”の考え方」項 (e) 『パーソナリティ障害(参照)では、「その傾向がある」ことと「そう診断できる」の境はかなり曖昧である』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「【4140】私は境界性パーソナリティ障害の診断基準に一致しています」(注:HOME はここを参照して下さい) (f) 「複雑性PTSDの連続体」について、ピート・ウォーカー著、牧野有可里、池島良子訳の本、「複雑性PTSD 生き残ることから生き抜くことへ」(2023年発行)の 第1部 回復についての概要 の 第4章 回復への歩み の『「心配しないで,幸せになりなさい」という感情的帝国主義』における記述の一部(P89)を次に引用(《 》内)します。 《複雑性PTSDの連続体は,軽度の神経症から精神病まで,また高機能から機能不全まであります。重症度は,フラッシュバックのない期間が長いものから,フラッシュバックの恐怖に苛まれる期間が長いものまで様々です。また,範囲についても,生き生きとした経験が増えている状態から,障害をかろうじて乗り越えている状態まで様々です。》(注:1) 引用中の「神経症」については他の拙エントリの他の拙エントリのここや次の資料を参照すると良いかもしれません。 『いわゆる「神経症」の診断と診断のための面接』 2) 引用中の「精神病」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 『Psychosis――「精神病」から「精神症」へ――』) (g) 「自由意志と強迫症を完全に区分することはできない」ことについてのツイートがあります。

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【1】精神疾患におけるすべての人は非定型・非典型であることについて

標記について最初に青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第11章 診断する の「診断基準で見えるもの・見えないもの」における記述、そして「非定型・非典型な病像や経過から考える」及び「すべての人は非定型・非典型である」における記述の一部(P148~P151)を以下に引用します。ちなみに、a) この本の書評については次のWEBページを参照して下さい。 「こころの病を診るということ」の「書評」項 b) 標記非定型に関連する対談が次のWEBページに紹介されています。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点

診断基準で見えるもの・見えないもの
国際疾病分類(ICD)や精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)は、臨床医が精神疾患を客観的に把握したり、基礎および臨床的研究の対象を均一に限定したり、多領域・多職種の人たちや多文化を生きる人たちと情報交換をしたり連携したりする際の共通語として非常に有用である。これらに基づく診断をつけることで、病気のイメージを共有でき、支援を考えることができる。また司法的な判断を求められるときや、精神障害者年金などの公的診断書にも共通語として必要である。だからこそ、ICD や DSM を理解し、その概念に当てはめて考えられるようになることは重要である。さらに診断に基づく治療ガイドラインや薬物アルゴリズムなども学んでおきたい。
しかし、ここで忘れてはいけないのは、ICD や DSM による診断が一人の患者さんをすべて理解したことにならないということである。精神科医は経験を積めば積むほど、明快な診断をすることが難しくなるように感じている。なぜなら病気に当てはまらない部分がいろいろと見えてくるからである。気がついてみると、悩み苦しんで混乱している一人の人がよく見えてくる。一人の人をよく知れば知るほど、病気のことがよくわからなくなる。統合失調症でも双極性障害でも、その輪郭がぼやけ、皆が非定型・非典型のように見えてくる。たとえば、自分を攻撃してくる幻覚や妄想という症状の背景に、誰の援助もなく孤立し心細く生きている一人の人が見えてくるといったように。病気よりも人が見えてくるのである。

非定型・非典型な病像や経過から考える
現実の臨床では、伝統的診断、そして ICD や DSM に当てはまらない、非定型・非典型な病像や経過が増えてきている。そのような例から考える必要があるのではないだろうか。
定型・典型な病像は、どの診察医が診ても基本的にはほぼ同じ診断になる。たとえば重症・中等症の統合失調症うつ病(内因性うつ病)、双極Ⅰ型障害などは、複数の精神科医が診てもその診断は変わらないことが多い。
一方、非定型・非典型な病像[表1]は、教科書の記載や ICD、DSM の診断基準に当てはまりにくく、診察医によって異なった診断名がつきやすい。それはしばしば軽症例である。特にうつ病発達障害は軽症例が増加しており、そのため非定型・非典型な病像を診る機会が増えていると考えられる(これらの軽症例の増加には、①疾患概念の浸透・拡大、②事例化の増加、③精神科受診の敷居の低下、などの要因が関与しているのであろう)。
たとえば、抑うつ状態も軽症になると診断が異なるものとなりやすい。「適応障害」「軽症うつ病」「病気ではない」など、診る精神科医によって診断が異なり、それだけでなく治療や対応も変わってくることがある。発達障害についても、軽症の場合は発達特性も精神症状も非定型・非典型となり、精神科医によって診断が異なるといったことが生じやすい。そのような診断の不一致が、患者さんや家族の医師に対する不信や、前医と後医の間での不信を招くこともある。

すべての人は非定型・非典型である
私たちが留意しなければならないのは、非定型・非典型な病像を、無理やり定型・典型な病像に当てはめて診断していこうとすることを避け、非定型・非典型な病像をそのままきちんと把握するという姿勢をもつことである。多職種や多文化の間で共有できる共通語としての ICD や DSM に病像を当てはめることは大切なことであるが、これらに基づく診断は患者さんの病像をいくらか無理に当てはめている可能性があるということを認識しておくべきである。ICD や DSM に当てはまらない部分に気づき、非定型・非典型病像をできるだけていねいにとらえることが、一人の患者さんを理解するということである。人は一人ひとり異なり、すべての人は非定型・非典型であると考えるくらいがよい。
筆者の臨床的な実感からいえば 定型発達の患者さんの病像は教科書的、すなわち定型・典型な病像になりやすく、発達障害傾向やトラウマ体験などをもつ患者さんの病像は非定型・非典型になりやすいように感じている。また、身体疾患や脳疾患などの器質因があるときにも、しばしば非定型・非典型な病像になるのではないがと感じている。(後略)

注:i) 引用中の「うつ病」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「双極性障害」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「発達障害」については、他の拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「適応障害」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「適応障害 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「[表1]」の内容を同の P150 より形式を変更して次に引用します。

[表1]非定型・非典型病像の例
■複数の病像、たとえば、解離症状、強迫症状、摂食障害などが、同時に認められる場合がある

■病像に古典的な枠組みでとらえられない矛盾したものがある
・幻覚妄想状態なのに、スーパーマーケットで普通に買い物ができる
・幻覚妄想状態なのに、派手な目立つ車に乗って街に出かけている
抑うつ状態なのに、赤い派手な下着を着ている
抑うつ状態なのに、1日のうちでも気分が激しく変化する
・不安・焦燥状態なのに、定期的に友人とランチを楽しんでいる など

■人や場面で病像が異なる
・職場では暗い表情でぼーっとしている。家ではテレビを見て笑っている
・病棟・病室では、無表情、寡黙。作業療法室では、笑顔で趣味について話す

■経過のなかで、急激な変化、病像の変遷
・環境が変わった瞬間に治る、病像が変化する(外来時は深刻なうつ病で、入院した瞬間に元気になる、など)
・経過のなかで病像が変わる(気分障害統合失調症強迫症など)

注:i) 引用中の「解離症状」に関連する「解離性障害」については他の拙エントリのリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。加えて解離性障害において、病気と健常との境目もはっきりしていないことについてはここの b) 項を参照して下さい。その上に、「解離性障害に罹患している人は解離症状が頻発しているわけではない」ことについて、近藤直司田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義09 トラウマとこころの臨床 の「5. 解離性障害離人・現実感喪失症候群,ならびに自傷」における記述の一部(P101)を次に引用(『 』内)します。 『解離性障害に罹患している人は,いつもいつでも、誰が見てもそれとわかる解離症状が頻発しているわけではありません。状態が落ち着いているときには,全く問題のない健康な人のように見えることもあります。そのような状態でも,現実感は乏しく,目の前の風景や物事が,「ガラス一枚を隔てたような距離感をもって」体験されていることが少なくありません。このような状態を離人症離人・現実感喪失症候群)と呼びます。これにストレスが加わった場合,この離人症の状態は悪化し,解離状態へと進展するわけです。』(注:a) この引用部の著者は松本俊彦です。 b) 引用中の「離人症」についてはここを参照して下さい。) ii) 引用中の「強迫症」については他の拙エントリのリンク集[用語:強迫性障害強迫症)、社交不安障害」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「摂食障害」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「気分障害」の一部である双極性障害については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、上記「気分障害」の一部でもある引用中の「うつ病」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

加えて、既存の精神障害における自閉症スペクトラム傾向を背景にもつ非定型・非典型な病像について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 5 既存の精神障害の基底に認められる自閉症スペクトラム の「(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である」における記述の一部(P173~P174)を次に引用します。

(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である
〔症例4〕「確定診断」を求めて受診した30代後半の女性
3年あまりのうちに、抑うつ、不眠、夜間の頻尿やほてり、めまい、頭痛、幻聴(「誰もいないのに、命令するような声が、特定の人の声で聞こえてきた」)、「フラッシュ・バック」(特定の人物の声が聞こえてくる)などの多彩な症状が出現し、5、6カ所の精神科を受診し、統合失調症強迫性障害自閉症スペクトラム解離性障害などと診断された女性が、「今までいろいろに診断されてきたが、はっきりとした診断名を知りたい。自分は自閉症スペクトラムではないかと思うので、心理検査をしてほしい」という主訴で受診してきた。遠方からの「セカンド・オピニオン」(実際は6、7カ所目でセカンドではないが)を求めての受診であった。
幻聴は、不特定多数、超越的な他者の幻覚妄想ではなく、現実の特定の他者であり統合失調症は否定的であった。しかし解離性幻聴ということで、全部、説明できるかどうかはよく分からなかった。強迫性障害は、一時期、確認症状が強かったために付けられた診断であろうか。自閉症スペクトラムというには、本人のみの受診のため、発達歴が分からないため不明。女性は「集団の中に入るのは苦手で被害的となりやすく、孤立しやすい。幼い頃から、皆にいじめられやすく、一人でいた」という。たしかに診察では、こだわり、切り替えの困難、感覚過敏などが認められるようであった。
「私の診断は、何なんでしょうか?」という女性に、「あなたのように、診る先生によって診断が異なるという場合は、私の経験では、『診断がはっきりするような典型的なものではない』ということが多いのです。たとえば、典型的な統合失調症だったら、5人の精神科医が診て、皆の診断は同じになります。あなたの中には、解離や強迫、幻覚や妄想、自閉症スペクトラムのように見えるところがあって、その時々で出てくるものが異なるため、診断が変わってくるのではないかと思います。だから、いろいろな診断に見えるということこそが特徴なのです」と説明した(図9)。(後略)

注:i) 引用中の「図9」の引用は省略します。 ii) 引用中の「自閉症スペクトラム」は引用元の本の P162 によると、「自閉症スペクトラム≒広汎性発達障害と理解してもらえればよい」とのこと。ちなみに、上記「広汎性発達障害」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「広汎性発達障害って(自閉スペクトラム症)」 iii) 引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「強迫性障害」については他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 v) 引用中の「解離性障害」については他の拙エントリのリンク集(用語:「解離性障害(解離症)」)を参照して下さい。 vi) 引用中の「解離性幻聴」に関連する「解離性幻覚」ついては例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 vii) 引用中の「フラッシュ・バック」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「フラッシュバック」)を参照して下さい。 viii) 引用中の「感覚過敏」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【2】精神疾患を反応性であると考えてみることについて

最初に標記「反応性」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。次に標記について青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)より、以下に示す3つの記述を引用します。ちなみに、この本の書評については次のWEBページを参照して下さい。 「こころの病を診るということ」の「書評」項

① 同の 第11章 診断する の「反応性と考えてみる」における記述(P158~P159)を以下に引用します。

反応性と考えてみる
統合失調症でも発達障害でも器質性精神障害でも、どれだけ自覚されているかは別として、患者さんのなかに気持ちや考え、意思、願いが動いており、こころのなかの動きと精神症状はなんらかの形で影響し合っている。それと同時に、環境の負荷と精神症状も影響し合っている。そういう意味で、こころの動きや環境の変化に反応している部分が大なり小なりあるのではないか、すなわち「反応性の部分」があるのではないかと考えることが大切である。反応性に注目すると、精神症状の理解がより細やかになり、治療や支援のヒントが見つかることが多い。
筆者は、発達障害やトラウマ体験をもつ人に環境的なストレスが加わり、反応性に統合失調症様症状やうつ状態双極性障害様症状、不安症、強迫症摂食障害などを呈するのを見ているうちに、逆に従来の成人の精神疾患を反応性の視点から見直すことが増えてきた。そしてそのような姿勢で診ていると、統合失調症うつ病双極性障害などの既存の精神疾患のなかに、反応性の部分がたくさんあることに気づくようになった。そして患者さんの内的な悩み苦しみに気づき対応するだけでなく、環境調整や生活支援などをていねいに行うことで反応性の部分が和らぎ、それが精神疾患そのものの改善に役立つことを実感するようになった。筆者の体験からいえば 発達障害に注目することが、内的体験に注目することに、さらには発達障害だけでなく統合失調症などの反応性の部分に注目することにつながったのである。
臨床家は、たとえ患者さんが器質性精神疾患であったとしても、反応性の部分を診ていく、すなわち今ある器質因による認知機能の低下や環境因的な負荷のなかで、なんとかしたいともがいている本人を診ていくことが大切なのではないかと思う。

注:i) 引用中の(発達障害における)「統合失調症様症状」とは対照的に、社会に適応している自閉スペクトラム症(非障害自閉スペクトラム、本田秀夫)*6という状態もあります[『青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、村上伸治著の文書「自閉スペクトラム症の診断をめぐって――主として思春期以降の例について」の「症例のまとめと問題点」』における記述(P155)より]。注:上記「非障害自閉スペクトラム」については例えば次の資料やWEBページを参照して下さい。 『自著とその周辺 自閉症スペクトラム -10人に1人が抱える「生きづらさの」の正体-』、「発達障害(14) 様々な側面から診る必要」 標記「反応性」を考慮して換言すれば、自閉スペクトラム症のグレーゾーン(ここを参照)の方々は、ストレス、負荷や危機等の状況により、上記非障害、神経症水準、境界例水準、精神病水準(他の拙エントリのここを参照)を移動することがあるのかもしれません。 ii) 「自閉スペクトラム(AS)は反応性精神障害のハイリスク」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の人たちへの支援の考え方」の「ASは,反応性精神障害のハイリスク」シート iii) 引用中の「統合失調症」、「うつ病」、「双極性障害」、「不安症」、「強迫症」、「摂食障害」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、「不安症」に対しては用語「不安障害(不安症)」を、「強迫症」に対しては用語「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を それぞれ適用して下さい。 iv) 引用中の「トラウマ」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

(前略)内山 横断面ですと、あまりエビデンスはないのですが、マイクロサイコーシスという、ちょっとした幻覚妄想がありますね。そんなに頑固なものではないですが、聞いていくとけっこういます。
僕は今、MINIを使ってインタビューしていて、そこには引っかかってこないけれど、よく聞き出すと、「そういえば2~3日、ちょっと幻聴がありましてね」ということがあります。
宮岡 それはなぜ起こるのでしょう。
内山 原因はわからないのですが、よく聞くと、受験や試験前とかのストレス状況のようですね。
宮岡 ストレスのある時ですね。
内山 そう。2~3日や4~5日続いて、落ち着いてから振り返ると「あの時、ちょっと変でしたね」という感じですね。(後略)

注:i) 同本の P150 にある、脚注としての引用中の「マイクロサイコーシス」についての説明を次に引用(『 』内)します。 『マイクロサイコーシス(micropsychosis) 微小精神病。一過性の精神症状で、brief psychotic disorder(短期精神病性障害)ともいわれる。』 ii) 同本の P150 にある、脚注としての引用中の「MINI」についての説明を次に引用(『 』内)します。 『MINI(The Mini-International Neuropsychiatric Interview) 精神疾患簡易構造化面接法』

② 加えて、同の 第12章 病気の経過(形)を知る の「発達障害の反応性精神症状の増悪と回復」における記述の一部(P169)を以下に引用します。ただし、脚注を示す記号の引用は省略します。

発達障害の反応性精神症状の増悪と回復
発達障害をもつ患者さんの場合、負荷がかかったときや危機的な状況に直面したときに発達障害の特性が急速に増幅し、精神症状も発現することがある[図14]。そして、その負荷がとれたり危機が過ぎたりした途端に、発達障害の特性や精神症状が急速に改善、時には消えてしまうこともある。なかには「一過性の発達障害」(福田)としか、表現できない状態もある。
また、抑うつ状態でも、徐々に回復するという過程をたどらず、「しんどいです」という悪い状態から、「ふっと楽になりました」と一気に回復するという経過をたどる場合もある。入院治療でいえば、入院した瞬間に改善している場合や、しばらく「まったくよくならない」という時期を経て(客観的には表情や雰囲気が徐々に改善しているように見えるが、本人は否定することが多い)、一気によくなる。従来の抑うつ状態が環境の変化と発症の間にタイムラグがあるのに対して、発達障害抑うつ状態にはそのタイムラグがないことが多い。変化と同時に抑うつが始まり、環境がよい方向に変化する(改善する)とともに抑うつ状態が消失するといったケースもある。逆に環境での負荷が続いている場合には、抑うつ状態が長期間、変化せず遷延する場合もある。つまり、経過が非定型・非典型なのである。(後略)

注:(i) 引用中の「図14」の引用は省略します。 (ii) 引用中の「福田」は次の文献です。 「福田正人(編著):改訂新版 精神科の専門家をめざす.星和書店,2012」 (iii) 標記「発達障害の反応性精神症状の増悪と回復」に関連する、 a) 「障害特徴と言われているものは、決して固定しているものではなく、時、所、人によって現れ方が異なる」ことについて、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第五章 「発達障害」を考える の ◆障害特徴とは、強まったり弱まったりと、変化するものである の「3)時によって現す姿が異なる」における記述の一部(P127)を次に引用(『 』内)します。 『障害特徴と言われているものは、決して固定しているものではなく、時、所、人によって現れ方が異なり、発達障害らしくなったり、発達障害らしさが薄らいだり、時には消えたりすることもある。』 b) 加えて、「広汎性発達障害を持つ人は、時、所、人によって、異なった姿を現しやすい」ことについて、同章の「◆[まとめ]青年期・成人期に顕在化してくる発達障害の特徴」 における記述の一部(P136)を次に引用(『 』内)します。 『3)広汎性発達障害を持つ人は、時、所、人によって、異なった姿を現しやすい。家庭、学校、職場、診察室、などでの姿が異なることは少なくない。』 c) その上に、「成人期になって顕在化する自閉スペクトラム症の特質は,心理的,環境的な負荷が加わったときに際立ちやすい」ことについて、次に引用(【 】内))します。 【成人期になって顕在化する自閉スペクトラム症の特質は,心理的,環境的な負荷が加わったときに際立ちやすい。すなわち危機的なとき,緊張したときなどに自閉スペクトラム症らしくなる。危機や緊張のときが過ぎると,自閉スペクトラム症らしさが和らぎ,診断するに足る特質を示さなくなることも多い2)。】(注:1) この引用部の著者は飯田順三です。 2) 引用中の文献番号「2)」は次の本です。 「青木省三:成人期の発達障害について考える.青木省三,村上伸治編:成人期の広汎性発達障害.精神科臨床リュミエール23,中山書店,東京,p.2-16,2011.」) (iv) 引用中の「発達障害をもつ患者さんの場合、負荷がかかったときや危機的な状況に直面したときに発達障害の特性が急速に増幅し、精神症状も発現することがある」ことに関連する、 a) 『「大人のADHD」のなかには,(中略)慢性的な併存障害がなく,ストレス反応が耐えがたいときに単発的に飛び込んでくる人は多い。そしてストレス反応がおさまると遠ざかるのだがまた忘れたころになってやってきて,またいなくなるというのを繰り返す。』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「それまでは大過なく日常生活を送ってきた軽度の自閉スペクトラム症を基盤に持つ人が,職場環境の変化(上司の交代など)や家族構成の変化(結婚,出産,親の介護など)で環境的なストレスが増大すると,こだわりや知覚過敏などの岩盤にあった本来の性質が顕在化して,適応が障害され,それがまた環境を悪化させる悪循環が始まって,その結果,抑うつ心因性てんかん性発作などの精神科的症状を引き起こす場合がある」ことについて、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 23 心的水準 の「3 ASDと心的水準」における記述(P131)を次に引用します。

近年目立つ事例には,知的に高く社会的適応のよい軽度の自閉スペクトラム症の傾向がある人たちを挙げることができる.それまでは大過なく日常生活を送ってきた軽度の自閉スペクトラム症を基盤に持つ人が,職場環境の変化(上司の交代など)や家族構成の変化(結婚,出産,親の介護など)で環境的なストレスが増大すると,こだわりや知覚過敏などの岩盤にあった本来の性質が顕在化して,適応が障害され,それがまた環境を悪化させる悪循環が始まって,その結果,抑うつ心因性てんかん性発作などの精神科的症状を引き起こす場合がある.ケースワーク的な環境因子への介入による心的水準の回復が,こうした場合・優先されるべき介入であることが多い.

注:i) この引用部の著者は兼本浩祐です。 ii) 引用中の「心因性てんかん性発作」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

③ さらに、同の 第14章 トラウマの影響を視野に入れる の「トラウマ反応は危機や負荷が強まったときに顕著となる」における記述の一部(P204)を次に引用します。

トラウマ反応は危機や負荷が強まったときに顕著となる
トラウマ反応は、PTSD や解離症であっても、不安症や適応障害うつ病などであっても、危機や負荷が強まったときには、対人関係や感情の不安定さ、人の言動の被害的解釈、衝動性などが顕著となり、危機や負荷が弱まったときには、その特徴は弱まると筆者は考えている。これは成人の発達障害と同様である。(後略)

注:i) 引用中の(トラウマ反応としての)「解離症」に関連する、[解離症(解離性障害)において]病気と健常との境目もはっきりしていないことについてはここの b) 項を参照して下さい。 ii) 引用中の「PTSD」及び「うつ病」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、前者は用語「PTSD」を参照して下さい。 iii) 引用中の「不安症」については次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典

④ 一方、上記以外の精神疾患である境界性パーソナリティ障害の診断基準(例えばWEBページ「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項を参照)においては、次に引用する(『 』内)記述があります。 『著明な感情的反応性による感情的な不安定さ (例えば、一過性の強烈な気分変調性障害、焦燥感や不安、通常2-3時間続くが、2-3日以上続くことは稀)。』 加えて、上記境界性パーソナリティ障害に関連して、 a) 「境界例は多彩な症状を示す」こと(「あらゆる症状を出す出すのではないか」ということと「変幻自在」を含む)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「境界例ではカメレオン的に症状が変化する」ことについては、他の拙エントリのここにおける引用の「第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係」項を参照して下さい。さらに、境界性パーソナリティ障害の症状は環境によって変化することについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第13章 境界性パーソナリティ障害 の「1 境界性パーソナリティ障害の症状は、環境によって変化する」における記述及び「2 診察室の治療者・患者関係だけで理解しない」における記述の一部(P152~P153)を次に引用します。

1 境界性パーソナリティ障害の症状は、環境によって変化する

境界性パーソナリティ障害の症状は、その人のパーソナリティの問題であるから、環境に左右されず続いていくように考えられやすいが、よく見ていると軽快したり増悪したり、変動していることが少なくない。現実生活の負荷が増えた時や対人関係が少なくなり孤立した時などに、症状は増悪しやすいものである。現実生活がしんどいものになればなるほど、現実に援助してくれる存在として治療者への期待が高まり、治療者・患者関係が不安定なものとなりやすく、自傷や自殺企図などの行動化も増えてくる。「ボーダーライン」らしくなるのである。
逆にその人に合ったよい職場で働いたり、友人ができたり、よきパートナーに出会うと、たしかに揺れ動きはあるものの、しだいに「ボーダーライン」らしさが和らぐことも経験する。また、長い年月に耐えた歴史ある宗教を信仰することによって、安定していく人もある。揺るがない安定さと生きる意味の答えを宗教の中に見出すからであろうか。いずれにしても、社会の中で、よい体験を持つことによって安定していく人は少なくない。
構造の柔らかい大学病院の病棟で境界性パーソナリティ障害の症状を呈した人が、枠組の硬い単科精神病院の閉鎖病棟に入院したとたんに、極めて模範的な患者に変身することなども、その一例かもしれない。

2 診察室の治療者・患者関係だけで理解しない(中略)

前述したように、患者を不安にさせ揺れ動かしているものは、患者を取り巻く環境であることは少なくない。診察室で患者を診ていると、目の前の患者の言動に目が向き、診察室の外の患者、すなわち患者の現実生活や対人関係を見落としやすいのである。診察室内の治療者・患者の相互反応と、診察室外の環境(人的、物理的)と患者の相互反応は連動しており、どちらが先かどちらが後かは別にして、一般的には、現実が苦しくなると診察室の中が荒れ、現実が和らぐと診察室も穏やかになっていく。そういう意味では、診察室で患者の内的体験を聞き対応することも大切ではあるが、同時に患者の現実生活に目を向け、それが少しでもよいものとなるように、助言や環境調整を行なうことは不可欠である。

注:i) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 加えて、境界性パーソナリティ障害の傾向を持つ人が非常に多いことについて、岡田尊司著の本、「対人距離がわからない ――どうしてあの人はうまくいくのか?」(2018年発行)の 第五章 対人距離がとれないタイプ の「(6)境界性パーソナリティ」における記述の一部(P123~P124)を次に引用(『 』内)します。 『境界性パーソナリティ障害は、見捨てられることへの過敏さ、強い自己否定、自己破壊的行動などを特徴とする深刻な障害だが、近年、身近でも急増しているものである。障害と診断されるレベルではないが、その傾向をもつ人は非常に多く、そうしたタイプを境界性パーソナリティと呼ぶ。』 iii) さらに、パーソナリティ障害とはいえないものの、パーソナリティの偏りを持つ人は珍しくないことについて、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第1章 パーソナリティ障害の基礎知識 ~正しい知識を持って障害に取り組む の「障害なのかの判断は?」における記述の一部(P28)を次に引用(『 』内)します。 『パーソナリティに強い偏りがあっても、問題なく生活できているのならば、それは障害ではありません。実際に、社会で問題なく生活している人のなかにも、パーソナリティの偏りを持つ人は珍しくありません。』

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【3】自閉スペクトラム症(ASD)における「グレーゾーン群」という診断の提案について

標記について、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、村上伸治著の文書「自閉スペクトラム症の診断をめぐって――主として思春期以降の例について」の『おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案』における記述の一部(P159~P160)を次に引用します。

おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案

成人期の発達障害には、発達障害と定型発達の間のグレーゾーン群が多い。グレーゾーン群では、以下のように、場面、時期、ストレスなどによって、障害特性が顕著になったり、目立たなくなったりする。
・ある場面では障害(+)、別の場面では障害(-)。
・ある時期は障害(+)、ある時期は障害(-)。
・ストレスの有無で、障害(+)障害(-)間を変幻自在に移動。
そのため、ある時点で、障害(+)障害(-)としても意味がない。空間的にも時間的にも、白黒つけがたく、無理やり白黒つけようとすると泥沼となる。
だが、大切なことは、障害の有無を無理やり明らかにすることではなく、いずれの場合でも、生きづらさや生活障害が強ければ支援は必要ということである。そう考えると、グレーゾーン群としてそのまま捉え、支援していくことのほうが現実的ではないか。障害の有無自体が微妙で、状態像が障害(+)障害(-)間を移動する、そういう「グレーゾーン群」だと診断したらどうだろうか、と筆者らは考えている。
DSM-5 では、ASD の重症度を「支援を要する程度」で 3 段階に分けており、軽度に相当する「レベル 1」には「適切な支援がないと、社会的コミュニケーションの欠陥が目立った機能障害を引き起こす」と記されている。これは、「支援を要する人かどうか」が診断にとって重要であるということである。そういう意味で診断とは、「あなたには障害がある」という宣告よりも、「生活上の助言を含めて、いろんな支援を受けたら、あなたの人生の苦しみはかなり減ると思いますよ」という提案だと考えたい。
そもそも、発達障害の予後は障害の重さに並行しない。知的障害を伴い、幼少期から療育を受けた発達障害が、単純作業ながら障害者雇用でしっかり働いていたりする。その一方、高学歴の発達障害者がトラブルを繰り返していたり、引きこもってこじれていたりする例は少なくない。予後を分けるのは障害そのものではなく、「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうかであると筆者らは考えている。その点、グレーゾーン群としてであれば、本人も思い当たるところがあることが多く、受け入れやすい。すべてがダメなのではなく、自分の苦手な分野だけ、助けてもらえばよいので受け入れやすい。どこが得意でどこが苦手かを、本人と話し合いやすい。個々に応じたテーラーメードを支援を考えることができるように思う。(中略)

そして、発達障害者の不適応行動に対しては、その行動を直接変えようとする指導が行われがちだが、これは本人の反発を招きやすい。行動という「出力」が問題でもその原因は情報の「入力」がズレているためであることが多いので、場の状況や他者の気持ちなどを支援者が解説して入力を修正することで、出力を自ら修正できる人がグレーゾーンの人には多い。これがうまくいくと、「相談するたびに、生活が楽になる」好循環が生まれ、生活障害と予後が改善していく可能性がある。支援の可能性の意味でも「グレーゾーン群」の診断は非常に有用であると考えられる。

注:(i) 引用中の「ASD」は自閉スペクトラム症のことです。 (ii) 引用中の「ある場面では障害(+)、別の場面では障害(-)」、「ある時期は障害(+)、ある時期は障害(-)」及び「ストレスの有無で、障害(+)障害(-)間を変幻自在に移動」に関連するかもしれない、 a) 「発達障害は、環境によって変化し、見え隠れしながら、適応障害うつ病などの発症リスク因子として再考されつつある」ことについて、岩波明監修の本、「おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線」(2020年発行)の 第1章 成人期発達障害とは何か の 6 発達障害精神障害における今後の展望 の「発達障害精神障害の関係」における記述の一部(P57~P58)を次に引用(《 》内)します。 《発達障害は、従来言われてきた連続性、すなわち定常的な障害として存在するというより、環境によって変化し、見え隠れしながら、適応障害うつ病などの発症リスク因子として再考されつつあるのが現状だと思います。》(注:この引用部の著者は小野和哉です) 加えて、「発達障害の特性が目立つかどうかは、絶対的なものではなく相対的であり、個人と環境との関係によります。相対の良し悪しよって、特性が浮かび上がってきたり、水面下に沈んだりするのです。」について、上記 a) 項の本の 第4章 子どもから大人への発達障害診断 の 2 生育環境とパーソナリティ形成の関係について の「発達障害の特性が目立つかどうかは、環境との関係による」における記述の一部(P155)を次に引用(【 】内)します。 【個人と環境との間には相性というものがあります。発達障害の特性が目立つかどうかは、絶対的なものではなく相対的であり、個人と環境との関係によります。相対の良し悪しよって、特性が浮かび上がってきたり、水面下に沈んだりするのです。】(注:この引用部の著者は本田秀夫です) その上に、(発達障害の)『「グレーゾーン」とは「環境への適応がいいときと悪いときの両方がある人」という意味もある』ことについて、林寧哲、OMgray事務局監修の本、「大人の発達障害グレーゾーンの人たち」(2020年発行)の 1 発達障害のグレーゾーンとはなにか の グレーゾーンとは 発達障害の「傾向がある」人たち の「適応がいいときと悪いときがある」における記述の一部(P16)を次に引用(≪ ≫内)します。 ≪「グレーゾーン」とは、「発達障害の診断が定まらない人」という意味だけではありません。「環境への適応がいいときと悪いときの両方がある人」という意味もあります。つまり、ときには発達障害なのですが、ときには健常である人です。≫(注:注:この引用部の監修者は林寧哲です) b) 一方、境界例において「変幻自在」であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) また、「反応性と考えてみる」ことについてはここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「グレーゾーン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて「グレーゾーン」に関連する閾下を含む「重要な点は、閾下 ASD もまた十分に臨床的に留意すべき一群」については、資料「精神保健研究 第29号(通巻62号)」中の文書「発達障害臨床のめさずものと現実」の「Ⅲ. ASD あるいは閾下 ASD の高い精神疾患リスク」項(P62~P63)を参照して下さい。 (iv) 引用中の「DSM-5」は「米国精神医学会(APA)の精神疾患の診断分類、改訂第5版」のことです。 (v) 自閉スペクトラム症のグレーゾーンと重なる、発達凸凹においてはなおさら、適応を計る際にしばしば誤学習が入り込み、本人はそれに気づかないといったことが実にしばしば起こるので、孫子の兵法「彼を知り己を知れば百戦危うからず」の考慮が大事なことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 『診断見逃しも、診断過剰もどちらも大きな問題あり、それを避けるには、「グレーゾーン群」という診断が大切ではないか』との視点よりの「診断見逃しの問題」及び「過剰診断の問題点」について、同文書における「診断見逃しの問題」における記述(P157~P158)及び同文書における「過剰診断の問題点」における記述の一部(P158)を以下にそれぞれ引用します。 (vii) 引用中の「助けてもらう」に関連する「援助希求」については次のWEBページを参照して下さい。 『うつ病の対処に必要な「援助希求」という能力』 加えて引用中の『予後を分けるのは障害そのものではなく、「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうかである』(ここにおける引用も参照)ことに類似する『予後を決めるのは障害の重さではなく,「助けてもらうパターンを身につけたかどうか」である』ことや「大人の療育」を含む「助けてもらう人生」と「戦う人生」との対比について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第14章 成人発達障害支援における「解説者」 の「Ⅹ.助けてもらう人生 vs 戦う人生」における記述の一部(P206~P207)を以下に引用します。さらに上記『「助けてもらう」や「相談する」パターン』に関連する「自律スキル」及び「ソーシャル・スキル」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「大人の発達障害の支援―就労支援機関、就労に必要なスキルについて」の「発達障害―就労に必要な自律スキルとソーシャル・スキル」項 (viii) 引用中の「支援の可能性」に関連するかもしれない「治療や援助が見据える基本的な目標」について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の「おわりに」における記述(P183)を以下に引用します。

診断見逃しの問題

診断見逃しには、以下のようないくつかの問題がある。
①本人の生きづらさや苦労を、周囲の人がうまくキャッチできない。例えば、そのため、孤立を強めたりする。
②性格・人柄として、ネガティブな評価を受ける。例えば、障害特性が「わがまま、自己中心的」「話を聞いていない。ウソをつく」などと、理解されてしまう。
自閉スペクトラム症状に、不適切な対応がなされる。例えば、曖昧な指示や助言が続き、混乱を助長する。その混乱が「ボーダーライン」という印象を与えたり、被害的な言動が出ると「統合失調症」などと診断されたりする。また、そもそも言葉がやりとりの道具として役立っていないのに、言葉での精神療法が行われ、言語化を求められたりすることがある。それだけでなく、変更を受け入れるのに時間を要することに気づかれず、早急な薬の変更などで不毛な押し問答となったりすることもある。
④一過性で終わる精神症状を、慢性化、遷延化、固定化させてしまう可能性がある。例えば環境調整が求められる状態に、過度の薬物療法が行われることによって、混乱を遷延させることがある。

過剰診断の問題点

過剰診断には、以下のようないくつかの問題がある。
①障害と言えないものまで、障害と診断してしまう。例えば、よく診る(得意な)病気の範囲は広がりやすいように、障害の特性に対する感度が上がる。
②障害ありと診断したのにストレスがなくなると障害が見えにくくなり、誤診だと言われる。逆に、障害なしと診断したのにストレスが加わると障害が顕著となり、「障害を見逃した。誤診だ」と言われる場合もある。
③診断が受け入れられない。患者さんは、白黒で考えやすく、スペクトラムという概念は伝わりにくく、「障害」「障害者」だけが頭に残る。それだけでなく、丁寧に説明したつもりでも、診断されたことがショックになり、時には激しい反応が生ずることもある。
④診断されたが支援を受けられない。診断されっぱなしの人は少なくなく、診断されても何のプラスもないことが少なくない。(後略)

注:i) 自閉スペクトラム症の文脈における引用中の「スペクトラムという概念」に関連する発達凸凹については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ」 ii) 上記「診断見逃しの問題」及び引用中の「過剰診断の問題点」に関連するASD(自閉スペクトラム症)における「過剰診断と過小診断の問題」について、岩波明監修の本、「おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線」(2020年発行)の 第2章 成人期発達障害診断の現在地と課題 の 2 成人期発達障害の診断に関する現状と課題 の「過剰診断と過小診断の問題」における記述の一部(P76~P79)を次に引用します。

初めに、過剰診断と過小診断の問題についてです。
過剰診断とは、発達障害でない人を発達障害と診断してしまうことですが、その根底には以下のような状況があります。

一つ目は、「アスペさん現象」と呼ばれるものです。これは会社で困った人がいたり、ネット上で困った人がいたりすると、「アスベルガー症候群なんじゃないか」と言われることをさします。アスベルガー症候群とは、ASDに含まれる一つのタイプで、ASDの三つの特徴「対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「パターン化した興味や活動」を併せ持つが、言葉の発達に遅れがない一群をさします。
ただし、最新の診断基準「DSM-5」(アメリカ精神医学会発行の精神疾患の診断・統計マニュアル第5版。精神科の診断に現在もっともよく使われている)では、アスベルガー症候群という言葉は使われないことになっています。(中略)

二つ目は、ネット上でAQ-J(ASDのスクリーニングテスト)などが簡単にできるようになったために、やってみて「35点だったから、発達障害だ」などと自己診断して来る人がいること。
そこに、医師の知識不足や経験不足が重なって、過剰診断が起こるのです。

過小診断についても、医師の知識不足や経験不足の問題はありますが、それ以前に、そもそも専門医が少ないという事情があります。発達障害を診るプロフェッショナルである小児精神科医自体が少ない上に、成人は守備範囲外のため診てもらうのが難しい。なおかつASDやADHDは、こちらから疑って尋ねないとわからない。何年も診ていて、あるとき質問して初めてわかったというケースが、けっこうあるのです。

このような現状をどう改善していくかを考える上で、青木省三先生(慈圭会精神医学研究所所長・川崎医科大学名誉教授)の言葉「理解としては発達障害を広くとり、診断としては発達障害を狭くとる」が、ヒントとなるのではないでしょうか。
「理解としては発達障害を広くとる」とは、患者さんとの面接場面において、常に「何らかの発達特性(障害)があるのではないか」「発達特性が患者さんの困りごとに関与しているのではないか」と考えることをさします。
ただし診断する際には、「発達障害を狭くとる」ことが重要です。具体的には、その困りごとが発達特性以外の要素で説明できないかどうかを考える、ということ。「人とうまく関われない」という困りごとでも、ASDの社会コミュニケーション障害に起因する場合だけではなく、特定の状況に不安や恐怖を感じる社交不安症からきている場合などもありますから、丹念に診ていく必要があるのです。
さらに、診断を急がないことが重要です。言い換えれば「留保する不安と向き合う」ということで、患者さんが「早く診断をつけてほしい」と焦っていても、医師は焦らずに留保する勇気を持つことが大事ではないでしょうか。
我々医師は、得体の知れないものに対しては安心できないために、とにかく何か診断をつけたいと思ってしまいます。そのまま置いておくことは心情的に難しいのですが、発達障害、特に成人の発達障害の正確な診断は、そんなに簡単につくものではないと思うのです。患者さんと長く付き合って、困りごとの背景にある要素を丹念に診たり、過去のことを繰り返し尋ねたりして、いろいろな情報を集めて初めてわかるようなところがあるのです。
2019年に新潟で開催された日本精神神経学会で、村上伸治先生(川崎医科大学准教授)が「グレーに診断して、グレーに支援すればいいんだ」とおっしゃっていましたが、それもまた至言だと思います。つまり、診断としてはグレーであっても、その時点で支援に移るということです。最終的な診断はもっと先でもいいのです。
私のクリニックにも、手帳(精神障害者保健福祉手帳)がほしいと言って来る患者さんがいますが、申請は初診から6か月以上経たないとできませんから、その期間を上手に使って情報を集めていくのです。

注:i) この引用部の著者は柏淳です。 ii) 引用中の「ASDの三つの特徴」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「理解としては発達障害を広くとり、診断としては発達障害を狭くとる」ことに賛同する記述について、同の 第4章 子どもから大人への発達障害診断 の 1 発達障害の診断基準において、私が考える課題とは の『「社会生活上の支障」は、生物学的基盤に基づいた診断基準ではない』における記述の一部(P137~P138)を次に引用します。

DSM-5の診断基準でASDは、「A 社会的コミュニケーション及び対人相互反応の異常」「B 興味の限局」「C 症状が早期発達に存在」とあり、Dに「社会生活上の支障」が入ってきます。
「社会生活上の支障」は社会学的な概念であり、生物学的な基盤に基づいた診断基準とは言えないと思います。したがって、生物学的な基盤がある可能性があるA、B、Cを、私はAS(Autism Spectrum:自閉スペクトラム)の特性とみなしています。そして、このような特性がある人と、その特性によって社会的な支障をきたした場合の診断(ASD)を、分けて考えています。
柏先生(ハートクリニック横浜院長。第2章参照)が青木省三先生の言葉を引用されましたが、特性は広くとって、診断は狭くとるというのは、まさにこのことではないかと私も思っています。街を歩いていても特性のありそうな人は大勢いますが、いちいち診断はしないわけで、診断はその人に何らかの支援が必要なときにするものだと思います。(後略)

注:この引用部の著者は本田秀夫です。

Ⅹ.助けてもらう人生 vs 戦う人生

発達障害に限らず,精神障害でも高齢者在宅支援でも,周りが最も困るのは,「支援が必要なのに支援を拒否する人」ではないだろうか。対応に最も困るのは,助言や指導を聞き入れず,独断専行で断固として行動する人である。そのような人は,「支援を受けてよかった体験」や「相談して助かった体験」をほとんど持っていない。
であるから,支援の基本は,「相談したら解決した」「支援を受けたら楽になった」という体験を積み重ねて,「困ったら相談する人」「困らなくても何かと相談する人」になってもらうことである。解説者の姿勢は,抵抗を受けずに支援のありがたさを感じてもらいやすい。
発達障害の予後を決めるのは障害の重さではない。知的障害も伴う人が,作業所や障害者就労で安定して働いていることは少なくない。一方,高学歴なのに長年引きこもり,あらゆる支援を拒否し,年老いた両親を支配している人もいる。予後を決めるのは障害の重さではなく,「助けてもらうパターンを身につけたかどうか」である。
ASDであるとの確定診断でもよいし,灰色診断でもよい。とにかく,「自分には得意なところもあるが,苦手なところもあり,苦手なところは助けてもらった方が楽に生きられる」ということを知ってくれると,周囲から私的に助けてもらい,人によっては手帳や作業所などの「公的な支援」も受けるようになる。すると予後は変わり始める。
解説者を得て,「助けてもらう人生」になると,状況への解説が得られる→状況を理解する。解説があると得だと実感する→本人から相談してくれるようになる→いじめやパニックが回避される→本人のペースで作業や就労も可能になる→自己価値観が上がる→周囲と助け合う穏やかな人生→発達障害特性も目立たなくなる,という好循環が回り始める。
一方,助けてもらわない人生だと,解説者がいないので状況が理解できない→状況がわからない。相談もしない→独断専行で行動する→トラブル,いじめ,パニックが頻発する→本人は混乱し自己価値観も低下する→「人は信用できない」「この世は敵だらけ」だと認識する→「周囲と戦う人生」となる→二次障害(精神疾患など)が起こる,という悪循環からなかなか抜け出せなくなる。解説者などの手段を用いて,「助けてもらう人生」を育む介入を,筆者は「大人の療育」と呼んでいる。

注:(i) この引用部の筆者は村上伸治です。 (ii) 引用中の「支援」や「助けてもらう」ことに関連する、 A] 「グレーゾーンなので治療や支援がいらない、ではない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「横浜院長のひとりごと No.401 グレーゾーン」 B] 「援助を求めればそれなりに助けが得られる」ことについて、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第17章 自閉スペクトラム症成人患者の外来精神療法 の「Ⅳ.ライフスタイルを支持する精神療法」における記述の一部(P246)を次に引用(『 』内)します。 『また世間がそれほど怖くないと知っていること,援助を求めればそれなりに助けが得られるという信頼感が持てることもまた,自立に向けて背中を押してくれる。脳性麻痺のある小児科医である熊谷晋一郎3)は,自立とは依存先を増やすことであると述べているが まさしくその通りであるのだろう。元来コミュニケーションに困難があり援助希求が苦手な自閉スペクトラム症のある人達が,頼ることのできる依存先を増やしていくための支援は,可能であれば児童期から始めていけるとよい。依存する方法を知っていること,依存することに罪悪感を持たないことは,結果として自立の支えとなるのだろう。』[注:a) この引用部の著者は吉川徹です。 b) 引用中の文献番号「3)」は次の資料です。 「熊谷晋一郎:当事者の立場から考える自立とは(特集 相模原事件が私たちに問うもの).精神医療,86; 80-85, 2017.」] (iii) 引用中の「支援」に関連する「支援が入ると、成長が再開するように感じる」ことについて、「そだちの科学 2020年4月号」中の村上伸治著の文書「外来診療での工夫」の「おわりに」における記述の一部(P63)を次に引用(《 》内)します。 《発達障害は治らないのだろうか。たしかに、持って生まれた特性は変わらないだろう。だが、神田橋條治が「発達障害者は発達する」と述べているように、発達障害児発達障害なりに成長していく。筆者は、ASDとは「ASD特性+こじれ(トラウマ累積)」だと考えている。そして、こじれが起こると成長は止まり、支援が入ると、成長が再開するように感じている。》(注:1) 引用中の「トラウマ」の皮を剥ぐ作業については、この引用の直後にある記述の一部(P63)を次に引用(【 】内)します。【なので、児童期のASD臨床とは、こじれを防ぎ成長を促すことが目標であり、成人ASD臨床は、それに加えて、もつれた糸を解く作業が必要であり、それはトラウマの皮を剥ぐ作業だと考えられる。】 2) 引用中の「トラウマ累積」に関連する「様々な小トラウマがどんどん積み重なる」ことについて、同文書の「純粋な自閉スペクトラム症」における記述の一部(P63)を次に引用(≪ ≫内)します。 ≪われわれが感じている Disorder としてのASDとは、持って生まれたASD特性に、虐待や災害のような大トラウマはなくても、様々な小トラウマがどんどん積み重なり、その総体がASDになるのだ、と考えたらどうだろうか。≫ 3) 引用中の『ASDとは「ASD特性+こじれ(トラウマ累積)」だと考えている』に関連する『知的障害のないASDにも対処困難な課題がある。それは端的に言えば、「発達障害+トラウマ」の問題である。』ことについて、「そだちの科学 2020年4月号」中の大村豊著の文書「成人」発達障害支援をめぐって」の「支援と治療」における記述の一部(P59)を次に引用(《 》内)します。 《知的障害を伴うASDにおける強度行動障害と相似形をなすように、知的障害のないASDにも対処困難な課題がある。それは端的に言えば、「発達障害+トラウマ」の問題である。一般的な発達障害支援に抵抗し、通常の心理療法では容易に改善されない一群が存在し、その成育歴には環境との不幸な相互作用による症状の複雑化がある。》 加えて、(PTSDや複雑性PTSDを含んで)「発達障害の人はいろいろな要素を重ね着している」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 3) 引用中の「発達障害者は発達する」に類似する「発達障害は治らないけど、発達して変わっていく」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。) (iv) 引用中の「発達障害の予後を決めるのは障害の重さではない」と「大人の療育」とに関連するかもしれない【今の日本の社会って学歴社会ですが、発達障害のお子さんのなかに勉強のできる子がいるんですね。そうすると、勉強していい成績を取って、いい大学を卒業したらいい会社に就職ができてなんとかなる……と思いがちなんです。でも実際は、それで失敗する人が多いんです。社会に出て必要なことは、学校の勉強だけでは学べないのです。発達障害の子どもさんたちには、「療育」といって、ひとりひとりの特性に応じて日常生活に必要な力を身につけるための教育的なプログラムが行われていますので、そうした支援を積極的に利用するとよいと思います。】については次のWEBページを参照して下さい。 『高学歴の発達障害者がつまずく会社、出世する会社…「クセの強い人」を生かす社会を目指す』の「“頭のよい”発達障害当事者は、高学歴を獲得しても社会に出てつまずく」項 (v) 引用中の「解説者」について、『困った行動という「出力」の元になっているのは,状況把握がズレているなどの「入力」の問題が主である』ことを含めて、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第14章 成人発達障害支援における「解説者」 の「Ⅸ.出力よりも入力」における記述の一部(P203~P204)を次に引用します。

発達障害者の行動に周囲の者が困ってしまうことはよくある。だが困った行動という「出力」の元になっているのは,状況把握がズレているなどの「入力」の問題が主である。例えば外国に行ったとする。すると,現地の常識に反した行動をしてしまうことは避けたい。不適切な行動は止めてくれたり,正しい行動を指導してくれると助かるだろう。だが,それよりももっと助かるのは,できれば同時通訳してくれて,表情を読むことをも含めて状況を解説してくれ,その国の常識や慣習も解説してくれる人がいてくれることではないだろうか。
「指導者よりも解説者」を筆者が主張するのはこのためである。常識や慣習の解説が不十分なまま,「命令される」ばかりでは,誰でも嫌になってしまいやすい。指導への反発も起きやすい。だが,解説者であれば,抵抗を受けにくい。特に灰色の人は,解説によって指示を減らしやすい。「解説者は欲しいが,命令する人は要らない」と思うのは我々だって同じである。(後略)

注:この引用部の筆者は村上伸治です。

おわりに

統合失調症をもつ人への治療や援助は、当初の幻覚妄想などを対象とした治療から、時間の経過と共に、症状があるかどうかは別にして、しだいに日々の出来事の話題や日常生活の相談にのり、少しでも平和で穏やかな毎日、その人らしい毎日を過ごしていくことへの支援にと変わっていく。症状よりも生活や人生の方が大切になるのである。自閉症スペクトラムも同様ではないかと思う。自閉症スペクトラムをもつ人の治療や援助も、障害特徴と言われているものの長所を生かし短所をカバーするというような援助から始まるが、時間の経過と共に、しだいに日常生活の話題が中心となり、少しでも平和で穏やかな毎日、その人らしい毎日を過ごしていくためへと変わっていく。治療や援助はあくまでもその人らしい人生を生きるためのものであり、精神障害であれ、自閉症スペクトラムであれ、人は誰でもその人らしく誇りをもって生きていくことが第一である。治療や援助はこの基本的な目標とでもいうものを見据えたものでなければならないと思うし、またそのようになっていくことを心より願っているのである。

注:i) 引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「自閉症スペクトラム」に類似した「自閉スペクトラム症」については他の拙エントリを参照して下さい。

【4】「こだわりスペクトラム」、「こだわり保存の法則」及び「こだわりの向きを変えること」について、その他

注:この項では自閉スペクトラム症を中心に紹介しますが、疼痛性障害とこだわりについても含みます。

最初の標記「こだわりスペクトラム」及びこだわりに関連する「注意の1点への集中」について、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第6章 診察の途中で考える の 性格と発達特性をどうたずねるか の「③こだわりはどうか」及び「④注意力はどうか」における記述(P078~P079)を次に引用します。

③こだわりはどうか
筆者は「1つのことが気になったら、それが頭にこびりついたようになることはないですか?」とか、「1つのことをやり始めたら、夢中になってほかのことが目に入らなくなることはないですか?」などと質問する。こだわりが強い人は、仕事や趣味でも心配事でも「切り替えられない」ことに苦しむことが多い。「頭が硬くて頑固、でも筋を曲げない人」などと評されることもある。仕事や趣味へのこだわりはしばしば肯定的に評価され、逆に心配事などへのこだわりは否定的に評価されやすい。治療や支援では、心配事に対するこだわりを、仕事や趣味などの生産的なものへと切り替えることが求められる。「職人」的な手仕事など、そもそも資質としてこだわりを求められるものは少なくないので、支援により苦しみを和らげられることもある。
こだわりは、発達障害でも認められるが、強迫症摂食障害をはじめ、うつ病病前性格としての執着性格、てんかんの粘着気質などに、幅広く認められる。筆者はこれらを「こだわりスペクトラム」と呼んでもよいのではないがと考えている。

④注意力はどうか
「注意の転導性」「不注意」についての質問である。注意は1点に集中するほうか、移ろいやすいほうか。「1つのことに集中できず、次々と興味が移ってしまうタイプですか?」「パソコンで画面を開いたら、目に入るものが次々と気になって、そのページを開いているうちに、もともと、何をしようとしていたかわからなくなることはないですか?」などとたずねてみる。これは、プラスに出ると「好奇心の旺盛さ」となって表れることになるし、マイナスに出ると「仕事が手につかない」「忘れ物や落とし物が多い」「怪我やミス・事故が多い」ということにもなる。
逆に「1つのことに集中し途中でやめられなくなるほうですか?」などと聞いてみることもある。これは前述した「こだわり」に関する質問と同じであり、注意の1点への集中と「こだわり」は、ほぼ同じものではないかと筆者は考えている。
これらはいずれも、注意欠如・多動症ADHD)や自閉スペクトラム症などの発達障害で認められるものである。

注:i) 引用中の「自閉スペクトラム症」については他の拙エントリを参照して下さい。 ii) 引用中の「強迫症」については他の拙エントリのリンク集[用語:強迫性障害強迫症)、社交不安障害」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「摂食障害」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「注意欠如・多動症ADHD)」については他の拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「てんかん」については次のWEBページを参照して下さい。 「てんかん - 脳科学辞典」 vi) ちなみに、ASD 者の「こだわり」が特定の身体症状・身体的状態に焦点化し、心気症的こだわりが長期間継続することについては、次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」の「5. 心気症的こだわり(hypochondria)」項

加えて、スペクトラムからの視点を含めた、こだわりと強迫の関係について、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、北野絵莉子、村上伸治、石原武士著の文書『精神科臨床と「こだわり」』の「はじめに」における記述の一部(P124)を次に引用します。

はじめに(中略)

また、こだわりと強迫はどのような関係にあるかといえば、両者ともに「反復性」を特徴としているものの、こだわりは自我親和的で、強迫は自我違和的というイメージがある。すなわち、こだわりは強迫以上に自覚されにくい印象がある。それだけでなく、こだわりには、まさに「こだわりの味」など、職人などの優れた技術に対する肯定的な評価として用いられることもある。
強迫もスペクトラムとして理解できるが、こだわりもスペクトラムとして理解できるのではないか。(中略)

さらに、次の標記「こだわり保存の法則」を含むこだわりの対象が移動すること、こだわりの程度は変動すること及びこだわりに合わせることについて、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、北野絵莉子、村上伸治、石原武士著の文書『精神科臨床と「こだわり」』の「こだわりの対象が移動する」における記述、「こだわりの程度は変動する」における記述及び「こだわりに合わせる」における記述(P128~P131)を次に引用します。

こだわりの対象が移動する

20代前半の女性。2、3年前から、体重が60kgから42kgに減少。同時に無月経になった。
もともとおとなしい性格で、自分から友人を作ることはできなかった。小学校、中学校といじめを受け、中2より不登校となり、高校は定時制高校に進学し卒業した。2、3アルバイトをしたこともあるが、短期間でやめ、以後、家にひきこもった生活をしていた。2、3年前にダイエット番組を見て、それから食事量が減少、身体や将来のことが心配となり、当科受診となった。食事摂取量は徐々に増加し1年半ほどで、50kgほどに回復。その頃よりアルバイトなどの話題が出るようになった。本人は「接客は苦手で、人と話すことの少ない、裏方の仕事がよい」と話し、3年ほど経ったころに仕分けの仕事をはじめた。診察では、幼少時より聴覚過敏があること、1つのことに集中すると他のことが目に入らなくなることなども話した。
アルバイトを始めてから、外出時に家の戸締まりが気になるようになり、何度も出かけては引き返すということを繰り返すようになった。外出時の確認には1時間以上かかったが、家や職場にいるときには、確認などの症状はなく元気にすごしていた。診察では、強迫症状はありながらも仕事を頑張っていることを評価し、仕事を続けることの大切さを助言した。強迫症状の出現後は、体型や体重、食事摂取量へのこだわりはない。
摂食障害から強迫性障害や社交不安障害へと症状が移っていくことは、稀ならず経験する。症状の移動にはさまざまな理解の可能性があるが、臨床的にはこだわりの対象の移動と考えると、理解しやすいように思う。また、こだわりの向きをいつも考えることが治療的なように思う2)。本田秀夫は、「あることに対するこだわりは冷めても、『何かにこだわりをもつ』ということのエネルギーそのものは保たれて、その対象が他に向けられる」(「こだわり保存の法則」4))と記しているが、臨床的にはとても納得がいく。

こだわりの程度は変動する

ある40代の男性。宅配の配送センターの受付で混乱状態となって保護された。20代からの何度目かの興奮・混乱した状態で、前医は統合失調症と診断し加療していた。入院後、詰所に何度も訪れて同じことの確認をすることを繰り返し、看護スタッフはその回数の多さに驚いていた。
男性は一人暮らしをしており、その生活について尋ねていると自炊をしていることがわかった。それも、夕食は2、3品作っているという。ネットでレシピを見ながら、「大さじ一杯」などの量をきちんと守って作っているということであった。料理以外にも、1日のスケジュールが決まっていることがわかった。ただ、このところ、ネットで注文したのに届かないということが続き、業者が送ったというのに届かないことから、数日眠れない目が続いていたという。何度も業者に問い合わせたが対応してもらえず、パニックとなり配送センターに行ったということであった。ただ、センターでは「どこにある? どこにある?」と興奮して断片的に話したので、問題となったようであった。
もともと、男性は友達づくりが苦手で、休憩時間は一人で机に座っていたという。特に中学ではいじめられて苦しかったと話した。趣味は音楽で、好きなバンドができるとそのCDを集め、繰り返し聞いていた。
統合失調症なのか、発達障害の反応性の統合失調症様状態なのか、経過をみなければわからないと考えたが、診察時は落ち着いており、統合失調症を疑わせる明らかな症状は認められなかった。
だが、看護スタッフの一言が筆者のこころに残った。「○○さんは、髭剃り機がうまくいかないと、直接、メーカーの修理係に電話するのです。そして、何度もかけたりしているようなんです」と話した。故障というほどのものではない、ちょっとした不調で電話しているらしい。そのとき、ハッと気づいた。男性は「この髭剃りがうまくいかない。どうしたらいいんだろうか」というような困りごとを、傍の人や友人、そして看護スタッフに相談できない。相談するという発想がない。だから、髭剃り機の説明書に書いてある修理センターに(まさに字義どおり解釈し)電話をかけてしまう。修理センターで対応した人も、男性の訴えがあまりにも漠然としているので返答できず、その結果、男性が何度も電話をかけてしまうということになったらしい。それは、病棟のことであれば詰所に、宅配のことであれば宅配センターに押しかけてしまうという行動と同様のもので、近くの人に相談するという過程がなく、遠くの人に直に抗議することになってしまう。
男性の場合、ネット注文や髭剃り機の不具合などで、容易に不安や緊張が強まりこだわりや確認が強まる傾向にあった。身近な人に相談できないということが、男性の不安、そしてこだわりを強めていた。支援のポイントは「身近な人に相談する・相談できるようになること」で不安や緊張を和らげることではないかと考えた。
こだわりはいつも一定というものではなく、強まったり弱まったりと変動する。こだわりは「適応のための合理的な対処努力」8)と考えることもでき、一般に、不安や緊張が強まるとこだわりも強まり、不安や緊張が弱まるとこだわりも弱まりやすい。

こだわりに合わせる

強迫症状を診るとなんとか減らしたり和らげたりできないかと考える。もちろん、こだわりにおいても減らしたり和らげたりできないかと考えるが、周囲がうまく合わせることによって、結果として減る、和らぐということが起こることもある。
30代の男性。大学卒業後、就職。営業を担当していた。会社全体が遅くまで働く職場で、深夜に帰宅することがしばしばだったという。営業成績はよかったが、1年ほどして重篤抑うつ状態におちいった。休職して治療を受けたことで、抑うつ状態はいくらか軽快し、会社の配慮で事務職に配置替えになって復職した。しかし、その後、軽度の抑うつ状態が持続するようになった。その抑うつ状態には波があり日曜日の夜からはじまり、金曜日の夜には改善するというものであったという。明らかに仕事を意識すると抑うつ状態に陥るようであった。しかし、数年してこれ以上は耐えられないと会社を辞め、その後は、家庭にひきこもった状態が続いていた。しかし、軽度の抑うつ状態はなかなか改善せず、近医より紹介され受診となった。最初の抑うつ状態から10年ほどの時間が経っていた。
これまでの経過を詳しく尋ねたが、これほど長期に抑うつ状態が持続する原因が筆者にはよくわからなかった。薬について尋ねると、抗うつ薬の服用は当初の半年ほどで、その後は抗不安薬を少量服用しているだけということがわかった。男性は「僕には抗うつ薬は効きませんでした。薬は今の薬がよい」と話したが、筆者はこれまでの抗うつ薬での治療が不十分たったのではないかと考え、抗うつ薬の治療をもう一度やってみることを提案した。男性は非常に嫌そうであったが、半ば押し切るような形で抗うつ薬の処方を開始した。しかし、一度に一剤、何種類かの抗うつ薬を試してみたが、いずれも「頭がボーっとしてしんどい」と話し、次の診察までにやめていた。筆者に「なぜ、もう少し辛抱して飲んでくれないのだろうか。短期間でやめてしまうと薬の効果がでないではないか」という気持ちが湧いてきた。1年近い時間が経っていた。そこでハッと気づいた。男性には「抗うつ薬は効かない。副作用しかでない」という強い思い込みがある。いくら丁寧に説明しても、いくら副作用の少ない抗うつ薬を処方しても、その思い込みは変わらない。この思い込みと正面から戦ったとしても、治療はうまくいかない。この思い込みに合わせた治療を行おうと考えた。そして男性に「○○さんには、抗うつ薬が効かず、副作用しかでないということはよくわかりました。もう一度最初に戻って、これまで副作用がでなかった抗不安薬を少量でやっていきましょう。ただそれに加えて、外に出て身体を動かし、できれば昔好きだったスポーツなどを再開してみませんか」と提案した。次回男性は初めて笑顔で現れ、「家の農作業をはじめました。少しよい気がします」と話したのであった。
男性は、自分の思い込みや考えを切り替えられない人であった。抗うつ薬も「自分には合わない」と感じていたので、服用することに抵抗があった。抑うつ状態も「周囲の人が自分をダメな人間と思っている」という思い込みが切り替えられず遷延化した可能性があった。思い込み、すなわちこだわりが抑うつ状態の基盤にあるのではないかと考えた。それ以後、筆者は男性の考えを十分に確かめたうえで、男性の考えに沿った治療や支援を考えるようになった。特に身体を動かし、外に出るという助言は男性の納得がいったようであった。それ以後、男性の表情は明るくなり、やがて抑うつ症状は認められなくなった。
精神科医は患者の考えを変化させることを考える。もちろんそれが基本である。しかし、男性の場合、それが何人も精神科医を変え治療を中断することにつながっていた。自分の考えを切り替えられないということが男性の特徴と考えると、それを変えようとするのではなく、合わせながら、治療や支援を考えるという方針を考えることの大切さを実感した。

注:i) 引用中の文献番号「4)」は、「本田秀夫『自閉症スペクトラムSBクリエイティブ、2013年」です。 ii) 引用中の「こだわり保存の法則」について、本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第8章 こだわりへの対応 の『★「こだわり保存の法則」に活路あり!』における記述(P151~P152)を以下に引用します。

「こだわり保存の法則」ということを言いましたが,残したいこだわりが増えると,その分だけ困ったこだわりは減ります。逆に,何か困ったこだわりがあって,必死でやめさせるということをやっていると,その嫌なこだわりは減りますが,別のこだわりが出てくることがあります。
ですから,残したいこだわりを増やしていくようにするのです。たとえば,朝起きたら,絶対顔を洗いたくなってしまうこだわりというのがあったとすると,それはむしろ良い生活習慣になります。
それから,鉄道にものすごく興味がある場合には,鉄道を良い趣味としてどんどん広げていくことによって,そちらに向くエネルギーの分,他の変なこだわりが減るということがあり得るわけです。
したがって,このこだわりは使えるな,このこだわりは役に立つなと思うようなことを,率先して増やしていくことが有用となるのです。

注:引用中の「こだわり保存の法則」の図については、例えば次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の人たちへの支援の考え方」の「‘こだわり’保存の法則」シート

一方、こだわりの向きを変えることをはじめとした、疼痛性障害とこだわりについて、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、北野絵莉子、村上伸治、石原武士著の文書『精神科臨床と「こだわり」』の「こだわりを活かす……こだわりの向きを変える」における記述(P132~P133)を次に引用します。

疼痛性障害とこだわり
70代後半の女性。数年前に歯の痛みを感じるようになり、近くの歯科で加療を受けたが改善せず、総合病院の歯科に紹介された。頭部MRIなどの精査をし異状はなかったが、痛みはしだいに激しくなり、経過よりストレス性が最も疑われると紹介となった。「ストレスと言われても、思い当たるものがない」と女性は話し、「でも、もうここ(精神科)にしか行くところがないんです」と話した。これまでの経過と「しんどさ」について詳細に話したが、表情は決して苦しそうではなく、声には張りがあり、勢いのようなものが感じられた。今は、家にいる時間が長く、テレビを見ている。外出はときおり、歯科や内科に通院しているくらいであった。楽しみなテレビ番組についてたずねると、旅番組が好きで見ていること、以前はよく旅行に出かけていたことを話した。一人暮らしであったが、団体旅行に参加したり、一人で旅行に出かけたりなど、旅行好きで、活動的であることがわかった。歯の痛みが出現する前に、足を痛め旅行には出かけなくなったこともわかった。思ったことをはっきり言うタイプで、自分の考えを主張するために、現役時代も退職後も、人間関係ではトラブルが多く孤立しがちであったらしい。心配ごとや悩みごとの切り替えが苦手であり、旅行は大切な気分転換になっていたようであった。
筆者は、歯の痛みを感じるときには、①歯そのものが悪いとき、②歯から脳に信号を送る神経が悪いとき、③脳の信号を感じ取るところが敏感になっているとき、の3つがあり、女性の場合には、脳が敏感になっている可能性があることを、図に書いて説明した。そして、これだけ調べ治療も受けてきたのだから、③脳の敏感さを軽減させるのがよいと思うと話した。そして、そのためには、以前楽しんでいた旅行などを楽しんでみましょうと提案した。女性はそれを受け入れ、少しずつではあるが旅行など再開した。しばらくの間、痛いという訴えは続いていたが、旅行などの楽しみについて話すことが増え、痛みも徐々に軽減していった。
趣味や活動で適度に切り替えられ、発散されていた、何かに固執するエネルギー(「こだわりエネルギー2)」)が、特定の身体の不調や痛みに向けられ、その症状が持続してしまうことがある。不調や痛みへのエネルギーの集中、こだわりを、他の方向に向けるという発想が、臨床では大切となる、と考えている。

注:i) 引用中の文献番号「2)」は、【青木省三、村上伸治『大人の発達障害を診るということ―診断や対応に迷う症例から考える』医学書院、2015年】です。 ii) 引用中の「こだわりエネルギー」について、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第6章 発達障害を持つ人たちへのアドバイス の [自分の考えで生きる] の「こだわりエネルギーを生かそう」における記述(P172~P173)を以下に引用します。 iii) 引用中の「こだわりを、他の方向に向ける」ことに関連する自閉スペクトラム症における「残したいこだわりが増えると,その分だけ困ったこだわりは減る」ことについて、本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第8章 こだわりへの対応 の『★「こだわり保存の法則」に活路あり!』における記述(P151~P152)を以下に引用します。

こだわりエネルギーを生かそう
「こだわり」という言葉は、プラスとマイナスの両方の意味で用いられている。料理や物作りなどの職人の技量において、こだわりはプラスとして評価される。こだわりがあるからこそ、良い物が作れる。「こだわりの味」「こだわりの一品」である。適当なとこ
ろで妥協しないことが、質を高める。趣味の世界だったら、オーディオにこだわる人、ワインにこだわる人……、それこそいろいろな奥深い世界がある。これらは、生きがいではあっても、決して生きることを苦しめるものではない。
しかし、自分の考えを切り替えられず、同じ心配を持ち続けるというような「こだわり」もある。気になって何度も何度も確かめてしまうというような「こだわり」だ。
実は、先のプラスのこだわりと後のマイナスのこだわりは、決してかけ離れているものではなく、同じものから出発している。何がこのプラスとマイナスの分かれ目か? こだわる力、即ち「こだわりエネルギー」とでもいうものを何に向けるかが分かれ目のように思う。
極めて単純なことだけど、楽しいことや面白いことに、「こだわりエネルギー」を向けて、しっかりと使おう。それは、悩み事や心配事を切り替えられないという、生きづらさを生む「こだわり」に、はまり込まないための一つの方法になる。

注:引用中の「こだわりエネルギー」に関連する「こだわりの強い人は,職人・趣味人として生きていく道もある」ことについて、内海健清水光恵、鈴木國文編の本、「発達障害の精神病理Ⅱ」(2020年発行)の 第Ⅱ部 記憶・認知 の 第1章 反応性からみた成人期の自閉スペクトラム症 の Ⅳ. 日常生活での反応に気づく の「治療と支援の考え方③ 社会の中にその人に合った場を探す」における記述の一部(P22)を次に引用(『 』内)します。 『さらに,こだわりの強い人は,職人・趣味人として生きていく道もある。』(この引用部の著者は青木省三です。)

「こだわり保存の法則」ということを言いましたが,残したいこだわりが増えると,その分だけ困ったこだわりは減ります。逆に,何か困ったこだわりがあって,必死でやめさせるということをやっていると,その嫌なこだわりは減りますが 別のこだわりが出てくることがあります。
ですから,残したいこだわりを増やしていくようにするのです。たとえば,朝起きたら,絶対顔を洗いたくなってしまうこだわりというのがあったとすると,それはむしろ良い生活習慣になります。
それから,鉄道にものすごく興味がある場合には,鉄道を良い趣味としてどんどん広げていくことによって,そちらに向くエネルギーの分,他の変なこだわりが減るということがあり得るわけです。
したがって,このこだわりは使えるな,このこだわりは役に立つなと思うようなことを,率先して増やしていくことが有用となるのです。

注:引用中の「こだわり保存の法則」の図については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『発達障害「早期発見・早期療育は誰のため?」療育神話の真実【子どもの発達障害 現場から伝えたい“本当のこと” 第2回】[ページ2]』の図「こだわり保存の法則」

【5】「発達性協調運動障害」(発達性協調運動症)について

最初に標記「発達性協調運動障害」については次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」の「7.運動症群(Motor Disordes)」項 加えて標記「発達性協調運動障害」について、 a) 花園大学心理カウンセリングセンター監修、橋本和明編の本、「発達障害との出会い」(2009年発行)より、田中康雄著の「第1講 発達障害を支援するコツ」の「発達障害の特性を知る」項における記述の一部(P17)を以下に、 b) そだちの科学 2019年4月号 中の斉藤まなぶ、小枝周平、大里絢子、三上美咲、坂本由唯、三上珠希、中村和彦著の文書「発達性協調運動障害(DCD)」(P47~P54)の「はじめに」項における記述の一部(P47)を以下に それぞれ引用します。

<発達性協調運動障害>は、運動面の不器用さのことです。幼稚園の頃に、右手と右足が同時に出てしまう、三輪車がこげない、小学校に上がると、縄跳びができない、跳び箱、逆上がりもできない、コンパスがうまく使えない、リコーダーがうまく吹けない、といったような子どもたちです。

発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder: DCD)は、不器用さ、運動の苦手さを症状とする神経発達障害の一つであり、協調運動技能の獲得や遂行がその人の生活年齢や技能の学習および使用の機会に応じて期待される水準を明らかに下回っており、それにより日常生活における活動へ支障をきたしている状態をいう。近年のメタ解析などによれば、原因は自身の脳内での運動予測と身体の動きを協調させて目的とする運動を遂行させるプロセス、すなわち脳の機能障害(内部モデル障害)とする説が有力である。有病率は、五~一一歳の子どもの五~六%であり、症状は五〇~七〇%の高い割合で青年期になっても残存する。幼児期では運動の問題が中心だが、学童期になると学業成績等にも影響を及ぼし、青年期にかけては周囲からの孤立や自尊心の低下、運動嫌いなどの二次的な心理・社会的問題として発展する。DCDの兆候は、始歩の遅れ、発語の遅れ、身辺自立の遅れなど早期から他覚的にみられることが多いが、将来的な予後についての周知が浅く、積極的に診断されていない。DCDの見過ごしは、過剰な反復練習などの不適切な対応につながり、結果として彼らのメンタルヘルスの悪化を助長し、不登校等に発展する恐れがある。早期発見し、脳の発達を介して運動発達の促進をするとともに、苦手な作業をある程度克服するコツを習得することにより、将来的な予後が改善できる可能性がある。(後略)

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【6】第四の発達障害について

標記について、杉山登志郎著の本、「子ども虐待という第四の発達障害」(2007年発行)の 第一章 発達障害としての子ども虐待 の「第四の発達障害」項における記述の一部(P19)を次に引用します。

徐々に筆者は、被虐待児は臨床的輪郭が比較的明確な、一つの発達障害症候群としてとらえられるべきではないかと考えるようになった。
筆者は現在、被虐待児を第四の発達障害と呼んでいる。第一は、精神遅滞、肢体不自由などの古典的発達障害、第二は、自閉症症候群、第三は、学習障害注意欠陥多動性障害などのいわゆる軽度発達障害、そして第四の発達障害としての子ども虐待である(表3)。

加えて、杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第七章 子ども虐待という発達障害 の「発達障害としての子ども虐待」項における記述の一部(P164)を次に引用します。

(前略)このような事実から徐々にわれわれは、被虐待児とは、同じ症状を示し、同じように変化をしていく、一つの発達障害症候群として捉えるべきでないかと考えるようになった。近年、バンデアコルクというトラウマの世界的権威によって、発達性トラウマ症候群という概念が提唱された。これはわれわれの見いだしたものと同じ現象を述べている。

注:i) 前者の引用中の「表3」の引用は省略します。 ii) ちなみに、後者の引用中の「バンデアコルク」と同一人物である「べッセル・ヴァン・デア・コーク医師」についての紹介はリンク集を参照して下さい。 iii) 「発達性トラウマ症候群」(又は発達性トラウマ障害)を含むこの引用より最近の情報は、例えば以下に示す資料を参照して下さい。
・「児童青年精神医学入門 その4:子ども虐待」における「発達障害と子ども虐待」シート
・「精神医学講義 児童思春期その6 Child Maltreatment PTSD & Complex PTSD
・『「発達障害から発達凸凹へ」における「3. 発達障害とトラウマの複雑な関係」項(P12)』 注:該当部は P12~P14 です。
・「トラウマからみた発達障害の特徴」 注:自閉スペクトラム症においては比較的軽微な出来事でもトラウマ化することの説明を含みます。
・「若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会第7回ヒアリング及び意見交換(P13)」 注:ここに、複雑性PTSDと第四の発達障害(発達性トラウマ症候群)との関係が簡単に説明されています(なお、上記複雑性PTSDについては他の拙エントリのリンク集を参照して下さい)。 iv) 主に引用中の「発達性トラウマ症候群」に関連した資料例は以下を参照して下さい。ちなみに、「発達性トラウマ症候群」は「発達性トラウマ障害」とも呼ばれます。ただし、この症候群は国際的な診断基準には採用されていません。
・「『児童虐待による脳への傷と回復へのアプローチ』」における「発達性トラウマ症候群」項(P2)[加えて、この資料の続報的な位置付けで、発達性トラウマ症候群に関連するかもしれない次の資料があります]「子育て困難を支援する“愛着障害の診断法と治療薬”の開発 ~発達障害や愛着障害の脳科学的研究~」、「被虐待者の脳科学研究」、「マルトリートメントに起因する愛着形成障害の脳科学的知見」、「不適切な生育環境に関する脳科学研究*7
・「児童期逆境体験(ACE)が脳発達に及ぼす影響と養育者支援への展望」[注:上記「児童期逆境体験(ACE)」に関連する「ACE研究」(逆境的小児期体験研究)については他の拙エントリのここを参照して下さい]
・「脳科学からみた子ども虐待 ~児童虐待・ネグレクトが及ぼす神経生物学的影響~
・「子ども虐待とケア」(注:この資料の表1には発達性トラウマ障害の診断基準が記載されています)
・「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療
・pdfファイル「あきた小児保健 第55号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害と発達性トラウマ障害」(P19~P24)
・「Developmental trauma disorder:Towards a rational diagnosis for children with complex trauma histories.

一方、次の資料もあります。
・pdfファイル「子どもの虹情報研修センター 日本虐待・思春期問題情報研修センター 紀要 No.17 (2019)」中の久保田まり著の文書『講義「世代間連鎖と親子関係の支援」』(P14~P33)
・「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討

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【7】PTSD又は複雑性PTSDからの回復に必要な辺縁系セラピーについて

最初にトラウマは心的外傷とも称されます。加えて、PTSDについては他の拙エントリのリンク集を、複雑性PTSDについては他の拙エントリのリンク集をそれぞれ参照して下さい。次に標記について、又はトラウマ性ストレスを解消するうえでの根本的な課題について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第13章 トラウマからの回復――自己を支配する の「回復のための新たな主眼点」における記述(P334~P335)及び「辺縁系セラピー」における記述の一部(P336~P337)を次に引用します。。

回復のための新たな主眼点

トラウマについて語るときには、私たちはしばしば話や問いから始める。たとえば、「戦争中に何がありましたか」「性的虐待を受けたことはありますか」「その事故(あるいは、そのレイプ)について話をさせてください」「家族にアルコール依存の人はいましたか」といった具合に。だがトラウマは、ずっと昔に起こったことについての話という程度のものでは断じてない。トラウマを負ったときに刻みつけられた情動と身体的感覚が、記憶としてではなく、現在における破壊的な身体的反応として経験されるのだ。
自己を制御する能力を取り戻すためには、トラウマに立ち返る必要がある。自分に起こった出来事に遅かれ早かれ対峙しなければならないのだが、それは、自分が安全だと感じ、過去に立ち返ることによって再びトラウマを負わないようになったあとだ。最初にしなければならないのは、過去と結びついた感覚と情動に圧倒されていると感じる事態に対処する方法を見つけることだ。
第4部までで示したように、心的外傷後の反応を引き起こすエンジンは、情動脳の中にある。理性脳が思考というかたちで現れ出てくるのとは対照的に、情動脳は身体的な反応というかたちで姿を現す。たとえば、はらわたがよじれるような感覚、心臓の激しい鼓動、速く浅い呼吸、胸が張り裂けるような感覚、話すときの緊張した甲高い声、虚脱や硬直や憤激や過剰な自己防衛を示す特徴的な体の動きなどだ。
なぜ私たちは、ただ理性に従うわけにはいかないのか。理解は手助けになるのだろうか。理性的で実行機能のある脳が上手に手助けしてくれるので、私たちは自分の抱いている感情の由来を理解できる(「男性に近寄るとおびえてしまうのは、父に性的虐待をされたからだ」「息子への愛情表現が下手なのは、イラクで子供を殺したことに罪の意識を持っているからだ」というように)。とはいえ、理性脳は、情動や感覚や思考をなくすことはできない(レイプされたのは自分のせいではないと理性ではわかっていても、漠然とした脅威を覚えながら生きていたり、自分は根本的にひどい人間なのだと感じていたりする)。なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない。だが、理解をすれば、思わず強烈な反応(加害者を思い出させる上司を非難する、一度意見が衝突しただけで恋人と別れる、見知らぬ人の腕に飛び込むといった反応)を見せてしまうのを防ぐことはできる。それでも私たちが疲弊すればするほど、理性脳は情動に主導権を奪われていく(3)。

辺縁系セラピー

トラウマ性ストレスを解消するうえでの根本的な課題は、理性脳と情動脳との適切な均衡を取り戻して、自分がどう反応し、どう人生を送るかを自分で取り仕切っていると感じられるようにすることだ。私たちは、何かのきっかけで過覚醒や低覚醒の状態になるときには、「耐性領域」(最適なかたちで機能できる範囲)の外に押しやられている(4)。過覚醒の場合には、私たちは反応しやすくなり、混乱に陥る。フィルターが働かなくなるので、音や光に悩まされ、望みもしない過去の光景が心に侵入し、パニックになったり逆上したりする。低覚醒の状態で機能停止に陥ると、心も体も麻痺しているように感じ、頭の働きが鈍り、椅子から立ち上がることも難しくなる。
過覚醒になったり機能停止に陥ったりしているかぎり、人は経験から学ぶことができない。どうにか主導権を握り続けていたとしても、極度の緊張状態になっているので(アルコホーリクス・アノニマス[中略]ではこれを、「指の関節が白くなるほど手をきつく握りしめながら保つ、しらふの状態」という)、柔軟性を欠き、頑なになり、気分が落ち込んでいる。トラウマからの回復には、実行機能を回復し、それとともに自信と、遊び戯れたり創造したりするための能力を取り戻すことが必要となる。
心的外傷後の反応を変えたいのなら、情動脳にアクセスして、「辺縁系セラピー」をしなければならない。壊れた警報システムを修理し、情動脳を通常業務(体の維持管理をする静かで目立たない存在)に戻して、食べ、眠り、親密なパートナーと結びつき、子供たちを保護し、危険から身を守ることがきちんとできるようにするのだ。
神経科学者のジョセフ・ルドゥーとその共同研究者たちは、情動脳に意識的にアクセスできる唯一の方法は、自己認識を通してであることを示した。つまり、自分の内部で何が起こっているかに気づいて、自分が感じているものを感じること(専門用語では、「内部を見る」というラテン語に由来する「interoception(内受容)」)を可能にする脳領域である内側前頭前皮質を活性化するのだ(5)。意識ある脳のほとんどは、もっぱら外の世界に向けられており、他者と仲良くやったり、将来のための計画立案をしたりすることに専念している。だがそれは、自分自身を管理する助けにはならない。神経科学的な研究から明らかなとおり、私たちの感じ方を変えられる唯一の方法は、内部の経験を自覚して、自分の内部で起こっている出来事と仲良くなれるようにすることなのだ。

注:i) 引用において記述を省略した、「アルコホーリクス・アノニマス」の説明を次に引用(『 』内)します。 『アルコール依存症からの回復を手助けする匿名会員による組織』 ii) 引用中の脚注番号「(4)」及び「(5)」の内容の引用は省略します。原本をお読み下さい。一方、「(3)」には以下に紹介する論文も含まれます。 iii) 引用中の「理性脳」、「情動脳」については、例えば共に他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「interoception(内受容)」に関連する「内受容感覚」については「ニューロセプション」の視点からここを、 加えて他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 v) 引用中の「辺縁系セラピー」に関連する「トラウマに対する治療法」について、ピーター・A・ラヴィーン著、 ベッセル・A・ヴァン・デア・コーク序文、花丘ちぐさ翻訳の本、「トラウマと記憶 脳・身体に刻まれた過去からの回復」(2017年発行)の「序文」における二つの記述の一部(Pix~Pxii)をそれぞれ以下に引用します。これらの引用部の著者は共にベッセル・A・ヴァン・デア・コークです。

(前略)ピーター・ラヴィーンは、トラウマの記憶は潜在的であり、感覚、感情および行動のパッチワークとして身体と脳に刻まれていると説明している。トラウマの痕跡は、物語や意識的な記憶とは異なり、感情、感覚および心理的な自動反応のように、身体が勝手に行っていく「手続き」の形をとって、密かに私たちを支配している。トラウマが手続き的な無意識行為として現れているとき、アドバイスや薬物、理解、治療ではどうすることもできない。私は、「生来の生命力」と呼んでおり、ピーターは、「耐え抜き勝利するための生来の衝動」と呼んでいる、その力にアクセスして治療するしかない。
これは何からできているのだろうか? これは、自分自身を知ること、自分の身体的な衝動を感じること、自分の身体がいかに固くなり萎縮しているかに気づくことであり、また、内面の意識が高まるにつれて、感情、記憶および衝動がどのように沸き起こってくるのかに気づくことである。トラウマの感覚の痕跡は、その後の反応、行動および感情や気分に強い影響を及ぼす。われわれは、過去から忍び寄る悪魔を寄せつけまいと絶えず見張ることに慣れてしまっているが、これからは、この悪魔を裁くことなく、それは何なのか観察することが必要だ。これは、本能的な運動行動プログラムを賦活させる信号なのだ。自然が導くままに従うことによって、われわれは自身との関係性を再構築することができる。しかし、このマインドフルな自己観察は簡単に圧倒されうる。そして、パニックや爆発的な行動、凍りつき、崩れ落ちが引き起こされる。(後略)

注:i) 引用中の「マインドフル」に関連する「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「凍りつき」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)よいセラピーとは、内面に潜んで咆哮を放っているものに圧倒されることなく、フェルトセンスを感じることを学ぶということだ。あらゆるセラピーで一番重要な表現は、「気づいてください」および「次に起こることに気づいてください」という言葉である。内側のプロセスを観察できるようになると、脳の論理的な部分と情緒的な部分をつなげる回路が活性化する。これは、人が意識的に脳の知覚システムを再構成することができる、現在知られている唯一の回路である。「自己」とコンタクトするためには、自分の身体と自己を感じることをつかさどる重要な脳の領域である前島を活性化しなければならない。多くの霊性開発の伝統においては、深い感情的、感覚的状態に耐え、それを統合させていくために、呼吸、動き、および瞑想法を発達させてきたとラヴィーンは指摘している。(後略)

注:i) 引用中の「フェルトセンス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、ブレインスポッティングの視点よりデイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『フェルトセンス(felt sense):ユージン・ジェンドリンによって名づけられた語。身体で体験されたはっきりしないもの、または非言語的な体験を指す。』 ii) 引用中の「前島」に関連する「島」については、次のWEBページを参照して下さい。「島 - 脳科学辞典

Stress signalling pathways that impair prefrontal cortex structure and function.[拙訳]前頭前皮質の構造及び機能を損なうストレスシグナル伝達経路(全文はここを参照して下さい)

The prefrontal cortex (PFC) - the most evolved brain region - subserves our highest-order cognitive abilities. However, it is also the brain region that is most sensitive to the detrimental effects of stress exposure. Even quite mild acute uncontrollable stress can cause a rapid and dramatic loss of prefrontal cognitive abilities, and more prolonged stress exposure causes architectural changes in prefrontal dendrites. Recent research has begun to reveal the intracellular signalling pathways that mediate the effects of stress on the PFC. This research has provided clues as to why genetic or environmental insults that disinhibit stress signalling pathways can lead to symptoms of profound prefrontal cortical dysfunction in mental illness.


[拙訳]
最も進化した脳領域である前頭前皮質(PFC)は、我々の最高位の認知能力を援助する。しかしながら、これはまたストレス曝露の有害な影響に対して最も感受性が高い脳領域でもある。かなり軽度の急性の制御不能なストレスさえも、前頭前皮質の認知能力の急速かつ劇的な喪失を引き起こす可能性があり、そしてより長期的なストレス曝露は、前頭前皮質樹状突起における構造変化を引き起こす。最近の研究は、PFC に及ぼすストレスの影響をメディエイトする細胞内シグナル伝達経路を明らかにし始めている。ストレスシグナル伝達経路を阻害しない遺伝的又は環境的な損傷が、なぜ心の病における重大な前頭前皮質の機能不全の症状をもたらす可能性があるのかの手がかりをこの研究は提供している。

注:i) 引用中の「前頭前皮質(PFC)」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 ii) 標記論文の著者である Amy F. T. Arnsten も著者であるより最新の論文(全文)「Loss of Prefrontal Cortical Higher Cognition with Uncontrollable Stress: Molecular Mechanisms, Changes with Age, and Relevance to Treatment[拙訳]制御不能ストレスによる前頭前皮質の高次認知の消失:分子メカニズム、年齢による変化、及び治療との関連性」があります。この論文(全文)の「1. Introduction」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『The prefrontal cortex (PFC) provides "top-down" control of behavior, thought, and emotion. However, these newly evolved circuits are especially vulnerable to uncontrollable stress, with built-in mechanisms to rapidly take the PFC "off-line" and switch the brain from a reflective to reflexive state.[拙訳]前頭前皮質 (PFC) は行動、思考、及び情動を「トップダウン」で制御する。しかしながら、これらの新たに進化した回路は、PFC の「オフライン」を急速に採用し、そして脳を内省的な状態から反射的な状態に切り替えるメカニズムを内蔵しているため、制御不能なストレスに特に脆弱である。』

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【8】ニューロセプション(神経知覚)、味覚嫌悪に関連する単一試行学習及び血管迷走神経反射を含む神経生理学的な反応等をはじめとしたポリヴェーガル理論について

(注:本項における用語「凍りつき」については他の拙エントリのここにおける「注」を参照して下さい)最初にポリヴェーガル理論(又は Polyvagal theory)の概略については例えば次の資料、論文や YouTube を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「Ⅰ. 多重迷走神経理論 Polyvagal theory について」項、「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「Ⅰ. ポリヴェーガル理論とは」項、そして、「Polyvagal Theory: Background & Criticism」、「Polyvagal Theory: A Primer」、「Association of Childhood Maltreatment with Adult Body Awareness and Autonomic Reactivity: The Moderating Effect of Practicing Body Psychotherapy」、「Polyvagal Theory: A biobehavioral journey to sociality」、「Polyvagal Theory: A Science of Safety」、「Cardiac vagal tone: a neurophysiological mechanism that evolved in mammals to dampen threat reactions and promote sociality」、「Heart Rate Variability: A Personal Journey」、「The vagal paradox: A polyvagal solution」(注:これらは共に英文で拙訳はありません)、「ポリヴェーガル理論を一緒に学ぼう!☆重大告知あり☆【Dr.P×心療内科医たけお対談】」(「心身医学の人こそ(ポリヴェーガル理論を)学ばないといけないかも」については同 YouTube の 6:30~を参照)、「令和3年度第2回子どものこころ診療部セミナー」の 11:45~ なお、ポリヴェーガル理論における「自律神経の反応」及び「耐性領域」(例えば上記資料の「4.Window of Tolerance(耐性領域・耐性の窓)について」項[P332]を参照)については、上記の各資料以外にも他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。加えて、ポリヴェーガル理論、医学的に説明困難な身体症状、そして functional somatic syndrome の視点を含めた「自律神経系の調整不全」については次の資料を参照して下さい。 「青年期において被虐待経験と不安定愛着が心身の健康に及ぼす影響の回顧的研究 ―解離性障害や心身症の予防と効果的介入に向けて―」の「新たな疑問点とその説明モデルとしての自律神経系の調整不全」項 また、ポリヴェーガル理論とヨーガの関連については他の拙エントリのここを、EMDRの作用メカニズムとの関連の視点を含むポリヴェーガル理論については次の文書を それぞれ参照して下さい。pdfファイル「学校安全推進センター紀要 2021年3月 創刊号」中の山内美穂、岩切昌宏著の文書「EMDRの作用メカニズムとポリヴェーガル理論について」(P55~P63、注:ポリヴェーガル理論については同文書の特に「Ⅳ.ポリヴェーガル理論」項を参照) 一方、 a) ポリヴェーガル理論(「生き残るための対価」)の視点からのアロスタティック負荷(アロスタティックロード)については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、子ども時代のマルトリートメントが大学生における自律神経の調整やメンタルヘルスに与える影響については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Childhood Maltreatment Influences Autonomic Regulation and Mental Health in College Students」 b) 「RSA:呼吸性洞性不整脈」の視点を含めたポリヴェーガル理論の簡単な説明は次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2. 2 HF成分の特徴」項 加えて、「社会的関わりシステムと心拍変動」については次の資料を参照して下さい。 「心拍変動の有用性 ――高周波および低周波成分に着目して――」の「社会的関わりシステムと心拍変動」項(P32) c) ポリヴェーガル理論の視点からの「身体志向の心理療法」については他の拙エントリのここを、加えて「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」については他の拙エントリのここを、さらに「歌う」こと等については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 d) 『最近のトラウマに関連する欧米の書籍で、「ボリヴェーガル理論」に言及しないものを見ないことはあまりない』ことについては次のエントリを参照すると良いかもしれません。 「ポリヴェーガルと感情 推敲 1」 e) 構造的解離に対するパーツアプローチにおけるポリヴェーガル理論の適用例については拙エントリのここを参照して下さい。 f) また、ポリヴェーガル理論の視点からの「防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 g) 脳と身体との交感神経と迷走神経の結合の概略を示す FIGURE 1 を有する論文(全文)「Traumatic stress and the autonomic brain‐gut connection in development: Polyvagal Theory as an integrative framework for psychosocial and gastrointestinal pathology[拙訳]発達におけるトラウマティック・ストレス及び自律神経的な脳-腸相関:心理社会的及び胃腸病理学の統合的フレームワークとしてのポリヴェーガル理論」があります。 h) ニューラルエクササイズを含むかもしれない上記ポリヴェーガル理論ベースのエクササイズをたくさん紹介する本は他の拙エントリのここを参照して下さい。 i) これら以外にも、ポリヴェーガル理論における、進化中に生じた神経解剖学的及び神経生理学的な変化に依存することの強調例について、上記「Polyvagal Theory: A Primer」の「Overview」項における記述の一部を以下に引用します。加えて、引用はしませんが「ある特定の行動や心理状態を引き起こすためには、まず神経生理学的反応が引き起こされる必要がある」ことについてはステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第1章 「安全である」と感じることの神経生物学 の『正当な科学的論題としての「感じること」に関する研究』項を参照して下さい。 j) 一方、標記ポリヴェーガル理論では「自律神経がどのように機能するのかを説明している」ことについて、同本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』の「序文」における記述の一部(P6)を次に引用(【 】内)します。 【ポリヴェーガル理論では、「異なる状況において、それぞれ適切な適応的行動をとるための神経的基盤として、自律神経がどのように機能するのか」を説明している。】 加えて引用中の「自律神経」に関連する「自律神経系の状態は、人間が携わるほとんどすべての機能を構成している」ことについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の「第Ⅰ部 まとめ」における記述の一部(P65)を次に引用(『 』内)します。 『「自律神経系の状態は、人間が携わるほとんどすべての機能を構成している」とウィリアムソンらは述べています(Williamson, Porges, Lamb, & Porges, 2015, p.2)。』(注:引用中の「Williamson, Porges, Lamb, & Porges, 2015」は次の論文です。 「Maladaptive autonomic regulation in PTSD accelerates physiological aging」) k) 「ポリヴェーガル理論」の視点からの「patients with BPD appraise and react, both subjectively and physiologically, to positive social contexts as if they were unsafe and rejecting.[拙訳]BPD(境界性パーソナリティ障害)を伴う患者は主観的かつ生理学的にポジティブな社会的文脈をまるで不安全で拒絶されたかのように評価、そして反応する」との考え方(view)については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Autonomic vulnerability to biased perception of social inclusion in borderline personality disorder」の「Conclusions」項 l) また「ポリヴェーガル理論とDefence Cascade modelとでは、凍りつきの扱いが違う」との主旨の記述を有するツイートもあります。ちなみに、上記「Defence Cascade model」についてはツイートを参照して下さい。 m) これら以外にも「ResearchGateにポリヴェーガル理論を批判的に検討するスレみたいなのがある」ことの記述を有するツイートがあります。

(前略)Polyvagal Theory describes an autonomic nervous system that is influenced by the central nervous system and responds to signals from both the environment and bodily organs. The theory emphasizes that the human autonomic nervous system has a predictable pattern of reactivity, which is dependent on neuroanatomical and neurophysiological changes that occurred during evolution. Specifically, the theory focuses on the phylogenetic changes in the neural regulation of bodily organs during the evolutionary transition from ancient extinct reptiles to the earliest mammals.


[拙訳]
ポリヴェーガル理論は、中枢神経系の影響を受け、環境と身体器官の両方からの信号に応答する自律神経系を記述する。人間の自律神経系には予測可能な反応パターンがあり、進化中に生じた神経解剖学的及び神経生理学的な変化に依存することを、この理論は強調する。具体的には、古代の絶滅した爬虫類から初期の哺乳類への進化的変遷期間での身体器官の神経調節の系統発生的変化に、この理論は焦点を当てる。

注:i) 拙訳中の「神経生理学的な」(neurophysiological)についてはここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「ポリヴェーガル理論」と「進化」との関連について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第1章 「安全である」と感じることの神経生物学 の『「安全であること」の役割と、生き残るために必要な「安全である」という合図』における記述の一部(P25)を次に引用します。

(前略)ポリヴェーガル理論によって、身体の反応と生理学的状態は、様々な治療モデルの介入技法を構築する上での神経生理学的な基盤であることが明らかになった。これにより、さらに効果的な治療モデルを創出することができるだろう。ポリヴェーガル理論では、我々の心理的、物理的、行動学的反応が、我々の生理学的状態に依存しているという事象に重きを置く。本理論では、身体の諸機関と脳が、自律神経を制御している迷走神経やその他の神経を通して、双方向に情報交換しているということに注目する。自律神経系の制御は、進化を通して変化してきた。哺乳類は、進化の過程で爬虫類と別れ、新たに「安全であること」をお互いに発信しあい、協働調整することができる神経系を獲得していった。(後略)

注:(a) 引用中の「神経生理学的な」に関連する、 1) 上記ポージェス(Porges)著の本の例「Porges, S.W. (2011)」については他の拙エントリのここの (i) 注 1) 項を参照して下さい。 2) 「ポリヴェーガル理論は、人々の特定の行動を説明するための、神経生理学的な枠組みをセラピストに提供する」ことについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の「第Ⅰ部 神経系と友達になる」における記述の一部(P6~P7)を次に引用(『 』内)します。 『ポリヴェーガル理論は、人々の特定の行動を説明するための、神経生理学的な枠組みをセラピストに提供します。ポリヴェーガルのレンズを通すと、「行動は意識レベルよりはるか下にある自律神経系によって生み出された、自律的で適応的なものである」ということがよくわかります。これは、認知的な選択をする脳によってなされる決定ではありません。防衛パターンで動く自律的なエネルギーです。』 3) 「ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった」ことについてはここを参照して下さい。 (b) 引用中の「神経生理学的な基盤」に関連するかもしれない「過去を思い起こさせるものが、ある種の神経生理学的反応を自動的に活性化させる」ことについて、デイヴィッド・エマーソン、エリザベス・ホッパー著、伊藤久子訳の本、「トラウマをヨーガで克服する」(2011年発行)の 第2章 トラウマティック・ストレス の「トラウマとサバイバル反応」における記述の一部(P27~P28)を次に引用します。

過去を思い起こさせるものが、ある種の神経生理学的反応を自動的に活性化させるという事実を見れば、現在においては不適切かつ有害ですらある不合理な(大脳皮質下で引き起こされる)反応を、トラウマ・サバイバーがたやすく起こす理由がよくわかる。
特に、人生の初期に極度の脅威にさらされ、十分なケアを受けないでいると、随伴するストレスに影響されて、人体の交感神経・副交感神経の反応調整能力が、長期にわたり重大な影響を受ける。

――ベッセル・A・ヴァン・デア・コーク(後略)

注:i) この引用部はベッセル・A・ヴァン・デア・コークによる記述の引用でもあると考えます。詳細は原文を参照して下さい。 ii) 引用中の「交感神経・副交感神経の反応調整能力が、長期にわたり重大な影響を受ける」ことの例としての「自律神経系の調整不全」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

次に、上記ポリヴェーガル理論の神髄が「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ことについて、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 序文 の「なぜ安全を求めるということに焦点を当てているのか?」における記述の一部(P7)を次に引用します。

(前略)最近ウェビナーでインタビューを受けたのだが、その後視聴者が私のブログにコメントを寄せてくれた。そのコメントを読んでみると、視聴者は複雑なポリヴェーガル理論を十分に理解したことがうかがえた。私は科学者であり学術論文を書く訓練を受けてきている。しかしウェビナーにおいて、日常的な表現を使って説明したことによって、ポリヴェーガル理論が、むしろ効果的にわかりやすく一般のみなさんに受け入れられたことがわかった。一時間に及ぶインタビューだったが、それを聞いていた視聴者は、ポリヴェーガル理論の神髄、つまり「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ということを、しっかりと理解してくれたのである。
本書執筆にあたっては、癒しを引き起こすためには、「安全である」と感じることがいかに重要であるかに光を当てていく。ポリヴェーガル理論の観点からすると、「安全ではない」と感じることによって、精神的、肉体的に疾病を引き起こす生理行動学的な特徴が形成される。我々が「安全である」と感じることの必要性が広く理解されることで、社会的、教育的、臨床的な戦略が、お互いの安全のために、進んで他者を受け入れて、互いに協働調整*を図ることを勧める方向に、大きく変わっていくことを望んでいる。(後略)

注:(i) 引用中の「協働調整*」中の「*」は、次にその一部を引用(『 』内)する用語解説[用語解説(6)~(7)]があることを指します。 『ポリヴェーガル理論では、協働調整とは、個人の間で相互に生物学的状態を調整しあうことを意味する。たとえば、母親と乳児の関係では、母親が乳児を落ち着かせるだけではなく、母親の声、表情、仕草などに答えて、乳児が落ち着きリラックスする反応が、母親を落ち着かせる。母親が乳児を落ち着かせることができないと、母親の生理学的状態も、調和を欠くことになる。協働調整、家族のような集団でも行われる。家族の一員が亡くなったときは、悲しんでいる人の生物行動学的な状態に対し、往々にして他の家族の構成員の存在がたすけになる〔「相互調整」と訳されることもある。〕』 (ii) 引用中の「癒し」にひょっとして関連するかもしれない「マインドフルネス」(例えば他の拙エントリのここを参照)について、 a) 同の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「自閉症の治療」項における記述の一部(P71)を次に引用(【 】内)します。 【ポージェス:(中略)私は「マインドフルネス」の講義をしますが、そこでは「『マインドフルネス』は安全であると感じることが必要だ」といつも言っています。もし私たちが安全だと感じられないなら、絆をつくったり、人間らしくのびのびと創造的になれるようなすばらしい神経回路を使うことができなくなってしまうのです。もし安全な環境を作ることができれば、私たちは社会的になり、学んだり良い気分になったりする神経回路を発動することができるのです。】 b) 加えて同の「第7章 心理療法に関するソマティックな視点」における記述の一部(P245)を次に引用(【 】内)します。 【ポージェス:(中略)また、交感神経系の活性化に関連する防御システムの起用は、マインドフルネスとは両立しないということにも気づきました。マインドフルネスは中立であることを必要とすることを思い出してください。何事も評価しない中立の状態は、生存のために良い評価を得なくてはいけないという防衛状態とは両立しません。】(注:引用中の「マインドフルネス」と関連する、『「今・ここの」の感覚』と耐性の窓(Window of Tolerance)との関連について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』における記述の一部(P190)を次に引用(≪ ≫内)します。 ≪図6の「最適な覚醒領域」(訳注:「耐性の窓」と同義)は、自身や他者の様子を察知し、適切に反応することができる範囲を示しており、通常、腹側迷走神経系の生理学的機能に支えられている。この領域内で機能している時は、「今・ここ」の感覚があり、脳は情報と体験をうまく処理するように働く。≫[注:1) 引用中の「図6」の引用は省略しますが、代わりに拙訳はありませんが、次のWEBページにおける図を参照して下さい。 「How to Help Your Clients Understand Their Window of Tolerance - nicabm」 2) 引用中の「耐性の窓」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「今・ここ」と異なる「反すうと心配」については他の拙エントリのここを参照して下さい。]) (iii) 一方、 a) 引用中の「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ことに関連するかもしれない「生理機能が落ち着き、回復し、成長するためには、私たちは体の芯で安全を感じる必要がある」ことについては次の資料を参照して下さい。 『東日本大震災県外避難者が描く「復興曲線」から見えてくるもの ─トラウマの視点から』の「3-2 身体の芯から感じる安全・安心」項 加えて、上記「安全を感じる」ことに関連する「安全の確保」については次のWEBページを参照して下さい。 『「大人」への支援を考える ~「大人のトラウマ」という視点』の「安全の確保」項 上記 b) 引用中の『我々が「安全である」と感じることの必要性が広く理解される』ことに関連するかもしれない「我々は、社会が安全であると感じられる環境や、信頼できる人間関係を十分人々に提供しているのか、という問いに直面することになる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「令和の看護をひらく力」の『ポリヴェーガル理論心身に変革をおこす「安全」と「絆」(2018)』項(P26) c) 引用中の「安全」及び「協働調整」にも関連するかもしれない「他者との絆の形成」について、『「安全である」と感じることは、生きていく上でなくてはならない』ことを含めて同の 第1章 「安全である」と感じることの神経生理学 の「結論」における記述の一部(P29~P30)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「安全」に類似するかもしれない「安心・安全」について、大河原美以著の本、「子育てに苦しむ母との心理臨床 EMDR療法における複雑性トラウマからの解放」(2019年発行)の 第2章 子育て困難と複雑性トラウマの理解 の「5. 単回性のトラウマと感情制御の脳機能」における記述の一部(P97)を次に引用(【 】内)します。 【ポリヴェーガル理論(複数の迷走神経に関する理論)は,人間が育つためにどれほど「安心・安全」という感覚が重要であるのかということについての生理学的な根拠を教えてくれました(Porges, 2007)。】(注:引用中の「Porges, 2007」は次の論文です。 「The polyvagal perspective」) 加えて、引用中の『「安全である」と感じる』ことを含めて、「ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献」について、同の「謝辞」における記述の一部(P257)を次に引用(《 》内)します。 《しかしポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。トラウマを抱えた人々に対し、ポリヴェーガル理論は、生命の危機に及んで、なぜ彼らの身体はかくのごとく反応し、その結果、レジリエンス、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなったのかを説明したのである。》[注:トラウマに対する引用中の「ポリヴェーガル理論がもたらした(中略)貢献」の例について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第5章 体と脳のつながり の「治療への新しい取り組み」における記述の一部(P143~P144)を以下に引用します。]

(前略)ポリヴェーガル理論では、他者との絆を形成し、互いに協働調整しあうことは、我々人間にとって必要不可欠な生物学的必須要件であると説いている。「安全である」と感じることは、生きていく上でなくてはならない。そして、我々が行動的、生理学的状態を協働調整することができる、信頼に満ちた社会的関わりを持つことによってのみ、我々は「安全」を感じることができる。したがって、何を感じているのかを示す生理学的な反応と、その生理学的反応を引き起こす「合図」を用いて、我々がクライアント、家族、友人とよりよい関係を築き、支援することが大切である。絆の形成は、生物学的な必須条件である。それを達成するためには、我々は、人々に「安全である」と感じてもらえるように尽力していくことが重要である。

注:引用中の「他者との絆を形成」とは大きく異なる「孤独」は「社会的脅威に対する感受性を高める」ことについての記述「Evidence indicates that loneliness heightens sensitivity to social threats and motivates the renewal of social connections, but it can also impair executive functioning, sleep, and mental and physical well-being.[拙訳]孤独は社会的脅威に対する感受性を高め、社会的つながりの復活を促すが、実行機能、睡眠、そして精神的及び身体的なウェルビーイング参照)を損ない得ることが証拠から示されている。」を有する論文要旨は次を参照して下さい。 「Social Relationships and Health: The Toxic Effects of Perceived Social Isolation」 加えて全文はここを参照して下さい。

私やトラウマセンターの同僚は、虐待された子供やトラウマを負った大人の治療を計画するにあたって、ポージズの研究に計り知れない影響を受けてきた。(中略)

だが、これらの多様で型破りな技法がなぜこれほど効果があるのかを私たちが理解し、説明するうえで、ポリヴェーガル理論にはおおいに助けられた。私たちはこの理論のおかげで、トップダウンの取り組み(社会的関与を行わせる)とボトムアップの方法(体の緊張を和らげる)を、以前より意識的に組み合わせるようになった。私たちはまた、呼吸法(プラーナーヤーマ)や詠唱から、気功のような鍛錬法や武道、ドラム演奏や合唱、ダンスまで、西洋医学の外で長年行われてきた、他の古い、非薬理的な取り組みの価値も、受け容れやすくなった。これらの取り組みはみな、人と人との間のリズムや、内臓感覚の自覚、声や表情による意思疎通に依存している。それらは、人が闘争/逃走状態を脱し、危険の知覚を立て直し、人間関係を管理する能力を増進するのを助ける。(後略)

注:i) 引用中の(中略)部において挙げられている、引用中の「これらの多様で型破りな技法」の例を次に示します。治療的ヨーガ(他の拙エントリのここを参照)、演劇(他の拙エントリのここを参照)、「インパクト・モデル・マギング」(注:レイプサバイバーのための空手プログラム)、遊戯療法、感覚刺激のような身体療法。 ii) 引用中の「合唱」に関連する「歌う」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「社会的関与」に寄与するかもしれない「ニューラルエクササイズ」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項 iv) 引用中の「闘争/逃走状態」に関連する「闘争-逃走反応」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

加えて上記「安全」に関連して、資料「Polyvagal Theory: A Primer」中の『Cues of Safety Are the Treatment[拙訳]安全の「合図」が治療』項における記述(P61~P62)を次に引用します。

Polyvagal Theory proposes that cues of safety are an efficient and profound antidote for trauma. The theory emphasizes that safety is defined by feeling safe and not simply by the removal of threat. Feeling safe is dependent on three conditions: 1) the autonomic nervous system cannot be in a state that supports defense; 2) the social engagement system needs to be activated to down regulate sympathetic activation and functionally contain the sympathetic nervous system and the dorsal vagal circuit within an optimal range (homeostasis) that would support health, growth, and restoration; and 3) cues of safety (e.g., prosodic vocalizations, positive facial expressions and gestures) need to be available and detected via neuroception. In everyday situations, the cues of safety may initiate the sequence by triggering the social engagement system via the process of neuroception, which will contain autonomic state within a homeostatic range and restrict the autonomic nervous system from reacting in defense. This constrained range of autonomic state has been referred to as the window of tolerance (see Ogden, Minton, & Pain, 2006; Siegel, 1999) and can be expanded through neural exercises embedded in therapy.


[拙訳]
安全の合図がトラウマに対する効率的かつ深遠な対抗手段であることをポリヴェーガル理論は提案する。安全は単に脅威を取り除くことではなく、安全を感じることによって定義されることをこの理論は強調する。安全を感じるには、三つの条件に依存する。1)自律神経系が防衛を支持する状態にはなれないこと 2)交感神経の活性化をダウンレギュレートし、そして健康、成長、及び回復を支持するだろう最適な領域(恒常性)内に交感神経系と背側迷走神経回路を機能的に囲い込むために必要とする社会的関わりシステム 及び 3) 安全の合図(例えば、韻律的な発声、肯定的な表情及びジェスチャー等)が利用可能でありニューロセプション(神経知覚)を介して検知される必要があること。日常の状態において、安全の合図は、恒常性の範囲内に自律神経の状態をとどめて、そして自律神経系が防衛において反応するのを制限する、ニューロセプションのプロセスを介した社会的関わりシステムを誘因とする、一連の過程を開始するかもしれない。自律神経の状態のこの制限された範囲は、耐性の窓(Ogden, Minton, & Pain, 2006; Siegel, 1999を参照)と呼ばれ、そして治療に組み込まれたニューラルエクササイズを通じて広げることができる。

注:(i) 引用中の「Ogden, Minton, & Pain, 2006」はここの i) 項を、引用中の「Siegel, 1999」はここの ii) 項を それぞれ参照して下さい。 (ii) 拙訳中の「安全の合図がトラウマに対する効率的かつ深遠な対抗手段であることを提案する」ことに関連するかもしれない、(ポリヴェーガル理論を提唱するポージェスが述べた)「有機体の安全体験を増す可能性を持つ刺激はすべて、社会交流システムに組み込まれた向社会的行動を提供する、より進化した神経回路を回復する可能性を持っている」ことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第5章 発達性トラウマの副作用 の「生き残りをかけた生理学的反応が暴走する時」における記述の一部(P133)を以下に引用(『 』内)します。 『ポージェスはこのように述べている。「防衛的な戦略から、社会的交流の戦略に効果的に切り替えるために、哺乳類の神経系は、二つの大切な適応課題を成し遂げる必要がある:(1)危機を査定する(2)環境が安全だと感じられたら、闘争、逃走、凍りつき行動を引き起こす、より原始的な辺縁系の働きを抑制する。有機体の安全体験を増す可能性を持つ刺激はすべて、社会交流システムに組み込まれた向社会的行動を提供する、より進化した神経回路を回復する可能性を持っている」(Porges, 2009, 88)』(注: a) 引用中の「Porges, 2009」は次の論文です。 「The polyvagal theory: new insights into adaptive reactions of the autonomic nervous system.」 全文はここを参照して下さい。 b) 引用中の「闘争、逃走、凍りつき」については例えば拙エントリのここを参照して下さい。) (iii) 拙訳中の「社会的関わりシステム」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 (iv) 拙訳中の「背側迷走神経回路」に類似する「背側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項 (v) 拙訳中の「ニューロセプション」についてはここを参照して下さい。 (vi) 拙訳中の「耐性の窓」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vii) 拙訳中の「ニューラルエクササイズ」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項 (viii) ポリヴェーガル理論の視点からの拙訳中の「恒常性」について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「恒常性・ホメオスタシス」における記述の一部(用語解説 P7)を次に引用(『 』内)します。 『恒常性は「健康」、「成長」、「回復」を最適化するように身体が内臓を制御する、神経化学的反応のことである。』 (ix) 上記「社会的関わりシステム」に類似する「社会交流システム」、「ニューラルエクササイズ」と同等の「神経エクササイズ」、そして「交感神経系」、「背側迷走神経回路」、「ニューロセプション」、「恒常性」、「耐性の窓」はもちろん、「安全」について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「安全」における記述の一部(用語解説 P1~P2)を次に引用します。

ポリヴェーガル理論では、「安全」と「信頼」に関して神経生理学的なモデルを提唱している。このモデルでは、安全とは、「安全だと感じること」であり、「脅威を取り除くこと」ではないとしている。安全だと感じることは三つの条件に依存している。(1)自律神経系が防衛を支持するような状態にないこと、(2)社会交流システムが適度に活性化して、交感神経系を抑制し、交感神経系と背側迷走神経回路を機能的に最適な領域に囲い込み、「健康」、「成長」、「回復」を支持する恒常性が保たれていること、(3)ニューロセプションによって、韻律に満ちた声、優しい表情や仕草など、「安全である」という合図を検知すること。日常生活の中で感じられる「安全である」という合図は、ニューロセプションのプロセスを通じて社会交流システムを刺激する。それにより自律神経の状態が恒常性の範囲にとどまり、防衛反応に移行しないですむ。この自律神経の状態が一定の幅に収まっていることは、「耐性の窓」(許容領域)と呼ばれており、「神経エクササイズ」をもりこんだ療法によって、この「耐性の窓」を広げることができる(Ogden, et al. 2006; Siegel, 1999)。(後略)

注:i) 引用中の「Ogden, et al. 2006」は次の本です。 「Ogden, P., Minton, K., & Pain, C., (2006). Trauma and the body: A sensorimotor approach to psychotherapy. New York, NY: W. W. Norton & Co., Inc. [パット・オグデン、ケクニ・ミントン、クレア・ペイン(2012)『トラウマと身体:センサリーモーター・サイコセラピー〈SP〉の理論と実践』日本ハコミ研究所訳、星和書店]」 ii) 引用中の「Siegel, 1999」は次の本です。 「Siegel, D. J. (1999). The developing mind. New York: Guilford.」

その上に(治療的状況における)上記「安全」について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「安全(治療的状況における)」における記述の一部(用語解説 P2)を次に引用します。

ポリヴェーガル理論では、医学、心理学、心理教育を含む治療的関係において効果をもたらすには、「安全である」と感じることが非常に重要であると考える。本理論では生物学的状態や自律神経の状態は治療の効果に影響を与える変数であると捉えている。具体的には、本理論では治療が必要かつ十分な効果を発揮するためには、神経系が防衛の状態に入っていないことが必要であると考える。腹側迷走神経経路を通して社会交流システムを活性化し、自律神経系を、「健康」、「成長」、「回復」を支持する状態に導くことが必要である(中略)。このように「安全な状態」を保つと、自律神経系は、容易には防衛体制に入らない。この「安全である」ことが効果的な治療をもたらす必要条件であるという理論は、教育、医学、メンタルヘルスなどの治療モデルにいまだに十分反映されていない。セラピーが行われる環境には、様々な「合図」がある。例えば低い周波数帯の雑音、道路の音、換気扇の音、エレベーターやエスカレーターの振動などがニューロセプションによって検知され、自律神経系が防衛状態に入ってしまい、治療の効果を低減させる恐れがある。(後略)

注:(i) 引用中の「ニューロセプション」についてはここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「社会交流システム」に類似する「社会的関わりシステム」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 (iii) 引用中の『「安全な状態」を保つと、自律神経系は、容易には防衛体制に入らない』に関連する『クライアントは、自律神経をうまく調整したいと望みます。しかし調整ができるようになるには、身体に落とし込んだ「安全である」という感覚を味わうことが必要なのです。』について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の「第1章 安全、危険、生命の危機――適応反応のパターン」における記述の一部(P21)を次に引用(【 】内)します。 【対人間神経生物学を提唱するシーゲルは、精神的な問題は、すべて神経系が過覚醒か、低覚醒のいずれかと診断されることであると述べています(Siegel, 2010)。これはポリヴェーガルの観点からも理にかなっています。防衛反応を抑制する能力がなければ、神経系はつねに生き残り戦略をとることになり、それは活性化された可動化(過覚醒)か、不動化(低覚醒)のいずれかであるといえます。クライアントは、自律神経をうまく調整したいと望みます。しかし調整ができるようになるには、身体に落とし込んだ「安全である」という感覚を味わうことが必要なのです。多くのクライアントにとって、それはしばしば手の届かないところにあるようです。】(注:a) 引用中の「Siegel, 2010」は次の本です。 「Siegel, D. (2010). Mindsight: The new science of personal transformation. New York, NY: Bantam Books.[ダニエル・J・シーゲル(2013)『脳をみる心、心をみる脳:マインドサイトによる新しいサイコセラピー――自分を変える脳と心のサイエンス』山藤奈穂子,小島美香訳、星和書店]」 b) 引用中の「過覚醒」や「低覚醒」について共に他の拙エントリのここを参照して下さい。)

さらに同理論におけるニューロセプション(神経知覚、資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の『3.階層的反応モデルと「ニューロセプション」について』項[P332]も参照)について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の、 a) 用語解説 の「ニューロセプション」における記述の一部(用語解説 P18)を以下に、 b) 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「ニューロセプション:意識せずに行う知覚」における記述の一部(P45~P49)を以下に それぞれ引用します。

ニューロセプション
神経系は、意識することなく常に危険を評価しており、これをニューロセプションという。この自律的なプロセスは、「安全」、「危険」、あるいは「命が脅かされている」という合図を評価する脳の一部位によって行われる。ニューロセプションによって危険が検知されると、自動的に生理学的状態が、各段階に合わせた生き残りに最適になるように整えられる。通常我々は、ニューロセプションを引き起こすような「合図」には気づかないが、生理学的な状態が変化したことには気づく(→「内受容感覚」)。時として我々は、腹や心臓で何かを感じたり、「この状態は危険だ」ということを第六感で感じ取ったりする。またニューロセプションは、「信頼」、「社会的交流活動」、「親密な関係性」を築くのに必要な生理学的状態を引き起こす。ニューロセプションは、必ずしも常に正確とは限らない。危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある。あるいは危険でないにも関わらず「安全である」という「合図」だと取り違えてしまう可能性もある。(後略)

注:(i) 引用中の「内受容感覚」については「辺縁系セラピー」の視点からここを、加えて他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて上記「内受容感覚」のポリヴェーガル理論における説明として、同の 用語解説 の「内受容感覚」における不連続な記述の一部を2つに分割して以下に引用(それぞれ【 】内)します。 【内受容感覚は、意識的に感じられる感覚であり、身体が無意識的に監視している作用でもある。】、【ポリヴェーカル理論では、内受容感覚は、生理的な状態が変化していることを脳に伝達する信号を提供する過程であると考える(Porges, 1993)。「危険」あるいは「安全である」という合図があると、ニューロセプションに続いて、内受容感覚が発生する。内受容感覚は、身体の反応を意識的に感じることと言ってもよい。一方でニューロセプションは、意識の外側で起きる。】(注:引用中の「Porges, 1993」の紹介は省略します) (ii) 一方、引用中の「ニューロセプション」及び「内受容感覚」に「島」(参照)が関与するかもしれないことについて、論文(全文)「The polyvagal theory: New insights into adaptive reactions of the autonomic nervous system」の「Other contributors to neuroception」項における記述の一部を以下に引用します。 (iii) 加えて、「ニューロセプション」に関連して、「同じ出来事であっても、この反応の発動、どういう生理学的状態になるかが異なる」ことについてはここを参照して下さい。そして、「クライアントの知覚システムが、安全が感じ取れない状態だとしたら、本当に脅威ではないことに対しても本物の脅威に反応する時の行動を取る」ことについて又は関連して、 a) 上記「ニューロセプションは、安全と脅威を知覚する神経生理学的なプロセス」であることを含めて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第2章 「安全である」ことを知る の「ニューロセプション」項における記述の一部(P54~P55)を次に引用(『 』内)します。 『ニューロセプションは、安全と脅威を知覚する神経生理学的なプロセスであり、ポージェスはこれを、行動を支える神経系の基盤であると述べている(Porges, 2007)。ポージェスは、行動と生理学的プロセスを区別して論じている。本物ではない脅威に対して、不正確な警報を発する知覚システムをもったクライアントに働きかける時、この考え方が重要になる。クライアントの知覚システムが、安全が感じ取れない状態だとしたら、本当に脅威ではないことに対しても本物の脅威に反応する時の行動をとる。』(注:引用中の「Porges, 2007」は次の論文です。 「The polyvagal perspective.」) b) 上記に関連して、資料「こころの傷つき体験をしたあなたのためのワークブック - 武蔵野大学心理臨床センター」中には「こころの傷つき体験の後には、アラームが誤作動を起こす」項(P5)があります。また、 1) 「ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない」ことについて同本の 第3章 健全な発達が阻まれる時 の「基本構造の調節不全」における記述の一部(P90~P91)を次に引用(【 】内)します。 【ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない。比較的安全な時でも危険だと感じるかもしれないし、逆に脅威であるのにその兆候を見逃すかもしれない。さらに事態を複雑にしているのは、これは認知的プロセスから生まれるものではないということだ。この反応は、神経生理学的なプロセスによって、意識よりも下で引き起こされている。】 2) 「過活性」状態になると「ニューロセプション、すなわち安全の知覚はあてにならなくなる」ことについて同本の 第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響 の「大人になってからの発達性トラウマの身体的影響」項における記述の一部(P177)を次に引用(《 》内)します。 《生き残ることにのみ集中する生理機能のために、内受容感覚も外受容感覚も、危険や脅威の徴候である情報を探し出そうとして、過活性状態になっている。命自体が危険に晒されていると感じていたら、人は興味を持って探究することなどできない。その結果、彼らのニューロセプション、すなわち安全の知覚はあてにはならなくなる。クライアントは往々にして自分の状態を誤って解釈してしまう可能性があるのだ。》(注:引用中の「外受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい) ちなみに、上記「逆境的小児期体験」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) その上に、「トラウマ患者の脳画像研究ではほぼ例外なく、上記島の異常な活性化が見つかる」ことについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第14章 言葉――奇跡と暴虐 の「自分の体になる」における記述の一部(P406)を以下に引用します。 (v) さらに、上記「内受容感覚」にも関連する「ニューロセプションは意識せずに行う知覚である」ことについて、同の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「ニューロセプション:意識せずに行う知覚」項における記述の一部(P45~P49)を以下に引用します。

(前略)The insula may be involved in the mediation of neuroception, since it has been proposed as a brain structure involved in conveying the diffuse feedback from the viscera into cognitive awareness. Functional imaging experiments have demonstrated that the insula plays an important role in the experience of pain and the experience of several emotions, including anger, fear, disgust, happiness, and sadness. Critchley proposes that internal body states are represented in the insula and contribute to states of subjective feeling, and he has demonstrated that activity in the insula correlates with interoceptive accuracy.23


[拙訳]
島は広汎性のフィードバックを内臓から認知的な気づきに伝達することに関与する脳構造として提案されているので、島はニューロセプションのメディエーションに関与しているかもしれない。痛みの体験、及び怒り、恐怖、嫌悪、幸福、悲しみを含むいくつかの情動の体験において、島が重要な役割を果たすことを機能的イメージング実験は証明してきた。Critchley は、内的な身体状態が島において表象され、そして主観的な感情の状態に寄与することを提案し、彼は島における活動が内受容感覚の正確さと相関することを実証した。23)

注:i) 引用中の「23」は次に紹介する論文です。 「Neural mechanisms of autonomic, affective, and cognitive integration.」 ii) 引用中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「表象」についてはメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)トラウマ患者の脳画像研究ではほぼ例外なく、島の異常な活性化が見つかる。脳のこの部分は、筋肉や関節やバランス(固有受容)システムといった内部器官からの入力を統合して解釈し、一つにまとまった体を持っているという感覚を生み出す。島は信号を扁桃体に伝え、闘争/逃走反応を引き起こすこともできる。このときには、何かがうまくいかなかったという認知的な入力や意識的な認識は必要なく、苛立って集中できないと感じるだけか、悪くすると、今にも死ぬのではないかと思ってしまう。こうした強烈な感情は脳の奥深くで生み出されるもので、理性や理解によって消し去ることができない。(後略)

注:i) 引用中の「島」については、次のWEBページを参照して下さい。「島 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「扁桃体」及び「闘争/逃走反応」については共に他の拙エントリのここここを参照して下さい。

ニューロセプション:意識せずに行う知覚

プチンスキー:神経回路は、どうやってある状況が安全か否かを判断しているのでしょうか?
ポージェス:どの神経経路が使われているのかは、まだ厳密にはわかっていません。辺縁系の防衛回路を抑制する、側頭葉を含む高次の脳を使っているのではないか、と考えられています。側頭葉は「生物学的な動き」の意図を評価しています。「生物学的な動き」とは、表情、声の韻律、手や頭のジェスチャーなどを含む身体の動きのことです。例えば、赤ちゃんを落ち着かせるのにはお母さんの韻律に富んだ声が重要な働きをしますね。しかし危険を察知する回路については、すでによく研究されていますが、安全を検知する回路の特性については、まだわからないことが多いのです。
さらに研究が進めば、危険だと判断する閾値が下がってしまい、不適応な反応を引き起こす原因に関して、幼児期の体験が大きな影響を与えているということがわかってくるかもしれません。
新しい迷走神経回路で保護されている間は、私たちは落ち着いていられます。しかし、この新しい迷走神経回路の、生理学的反応を制御する能力が失われてしまうと、私たちは「戦うか・逃げるか」という防衛反応に駆り立てられたロボットになってしまいます。闘争/逃走反応という防衛反応に陥ると、人間や他の哺乳類は、身体を動かしたいと感じます。そのような中で、孤独であったり、拘束されていて動くことができないと、私たちの神経系は、それを「自分はどうすることもできない状態である」という合図として受け取り、「不動状態」に陥ります。二つのおもしろい例をあげましょう。「闘争/逃走反応」と「凍りつき反応」が引き起こされた例です。一つ目はCNNで見たニュースです。
数年前に、私は学術会議に出席していました。本会議に出席する前に、私はCNNのニュースを見ていました。するとテレビの画面には、飛行機が着陸に際して非常に危険な状態になっている様子が映っていました。突風に煽られて、翼が激しく上下していました。飛行機はとても不安定な状態でしたが、なんとか無事に着陸することができました。そこで降りてきた乗客に対して、レポーターがインタビューしました。レポーターは、乗客たちが「本当に怖かった」とか「叫び声をあげた」とか、「もう自分の身体から飛び出したかった」などと答えると思っていたようです。レポーターは、一人の乗客に近づき、着陸時にひどく揺れたときの様子について聞きました。しかし彼女の答えを聞いて、レポーターは何も言えなくなってしまいました。その女性は言いました。「感じる? いえ、何も。だって気を失っていましたので」。
この女性は生命の危機を感じたことによって、迷走神経の古いほうの回路が発動されたのです。この回路が発動すると、私たちはもう自分のことを制御することはできなくなります。しかし、意識を失うことにもいくつかのメリットがあります。例えば、痛みの閾値を上げることで、トラウマ的な状況に遭遇しても、うまく生き延びることができたりします。
性的虐待や身体的な虐待で、被虐待児が動けない状態に置かれた場合、そうしたトラウマを扱うセラピストであれば、被虐待児が、「自分はそこにいなかった」というような心理的な状態を述べるのを聞いたことがあるでしょう。彼らは、解離したか気を失っており、身体は何も感じなくなっていたのでしょう。こうした被虐待児は、トラウマ的な出来事によって引き起こされる身体的心理的な苦痛を緩衝する、適応的な反応を行ったのです。しかし問題は、このような人たちをどうやって身体に戻せるかです。解離したり、身体を感じなくするということが、かつては適応的な反応だったのですから。
もう一つの例は、私の個人的な体験です。私自身、予期せぬ生理学的状態の変化を体験しました。MRIの検査を受けたときです。私はMRIの検査には、非常に強い興味を持っていました。なぜかと言うと、私の同僚の何人かがMRIを使った研究を行っていたからです。私はMRIはどんな感じなのか、とワクワクしていましたし、MRI装置に入ることも楽しみにしていました。MRIで脳のスキャンをするには、台の上に仰向けに横になります。その台が次第にMRIの大きな磁気を発する機械の中に移動していきます。私は横になったとき、とてもワクワクしていました。一体どんな体験なのかと、胸をときめかせていました。もちろん、大変心地よい状態でしたし、心配もしていませんでした。
私を乗せた台が静かに動き出し、MRI磁気装置の小さな穴の中へと滑り込んでいきました。私の頭がすっぽりと磁気装置の中に入ったとき、私は「ちょっと待ってください。水をください」と言いました。私はMRI装置の外へ出され、水を一杯もらいました。もう一度横になり、私を乗せた台はゆっくりと磁気装置の中へと入っていきました。私の鼻が入るあたりで、私は言いました。「無理です。出してください」。私は、このように狭いところに入ることができなかったのです。パニック発作が起きそうでした。
私はこれをとても良い例だと思ってお話ししています。私の知覚、つまり認知が、身体の反応とずれていたのです。私はMRIの装置の中に入りたかったし、怖くはありませんでした。危険でないこともわかっていました。しかし私の身体に何か起きて、MRIに入ったときに、私の神経系がいくつかの「合図」を察知し、防衛反応が引き起こされたのです。つまり私を突き動かし、「ここから出たい」と感じさせたのです。(中略)

ポージェス:(中略)「知覚」と「ニューロセプション」の違いをはっきりさせましょう。「ニューロセプション」は環境中の危険因子について、意識しないで評価します。「知覚」とは、意識して行うもので意識的に検知しようとすることです。ニューロセプションは認知のプロセスではありません。これは神経的なプロセスで、意識には依存していません。ニューロセプションは環境中にある様々な「合図」や「きっかけ」を評価し、危険を察知し、こうした「合図」に適応的な自律神経系の状態をもたらす神経回路に依存しています。ポリヴェーガル理論では、ニューロセプションはポリヴェーガル理論で定義された自律神経の三つの主要な状態、つまり「安全」「危険」「生命の危機」を察知し、それにふさわしい神経回路にスイッチを入れる作用機序を表しています。(後略)

注:i) 引用中の「ニューロセプション」に関連して、「私たちが体験する生理学的な状態は、意識して選択しているのではない」ことについて、同の 第3章 自己調整と社会交流システム の「迷走神経パラドクス」における記述の一部(P97~P98)を以下に引用します。 【もう一度言いますが、私たちが体験する生理学的な状態は、意識して選択しているのではないということです。私たちの神経系は、無意識レベルで環境を評価しています。環境の中にあるリスクを反射的に評価する神経系の働きに敬意を表して、私は、「ニューロセプション」という言葉を使います。】 加えて引用中の「ニューロセプション」の定義に関連する引用中の「意識せずに行う知覚」に相当する「Detection Without Awareness」(拙訳:[意識的な]気づき無しの検出)については、次の資料を参照して下さい。 「The Polyvagal Theory for Treating Trauma」の「Neuroception - Detection Without Awareness」項(P10~P12) ii) 引用中の「新しい迷走神経回路」や上記「背側迷走神経複合体」に類似した「腹側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「3. 腹側迷走神経系」項 加えて、引用中の「ポージェス」が個人的に体験した認知と上記ニューロセプションとがずれていた上記防衛反応の例について、同の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「ニューロセプション:意識せずに行う知覚」における連続した記述の一部(P45~P48)を以下に引用します。一方、引用中の「迷走神経の古いほうの回路」に相当する「背側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1. 背側迷走神経系」項 加えて引用中の「凍りつき反応」の際には「脈拍,血圧,呼吸の低下を伴う」ことについても同項を参照して下さい。 iii) 引用中の「迷走神経」に関連して、「ほとんどの副交感神経の神経線維は迷走神経を介している」ことについては、引用元の本の P37 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『たしかに私たちの内臓には交感神経と副交感神経の両方が接続しており、ほとんどの副交感神経の神経線維は迷走神経を介しています。』 iv) 引用中の『「闘争/逃走反応」と「凍りつき反応」が引き起こされた』ことに関連する『状況が逃げたり戦ったりすることのどちらも許さない場合,「凍りつく」ことでその場を切り抜けようとする』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「CNNのニュース」における「この女性は生命の危機を感じたことによって、迷走神経の古いほうの回路が発動」した(すなわち意識を失った)ことの別の表現法としての、引用はしませんが同の P237 に、「恐怖に起因する不動化反応」についての記述があります。 vi) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 vii) トラウマの視点からの引用中の「ニューロセプション」に相当する「神経知覚」について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第5章 体と脳のつながり の「安全性の三段階」における記述の一部(P133)を以下に引用します。 viii) 引用中の(MRI装置のように)「狭いところに入ることができなかった」ことに関連する「閉所恐怖症でMRI検査に不安」なことについては、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「閉所恐怖症でMRI検査に不安」 ix) 引用中の「凍りつき反応」に関連するかもしれない、「トラウマを負った人々が腹の底で感じるものを無視し、内部で起こっていることの自覚を麻痺させる」及び/又は「恐怖で凍りつく」ことについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「主体性――自分の人生を支配する」における記述の一部(P161~P164)を以下に引用します。 x) 引用中の「解離」とポリヴェーガル理論との関連についてはここを参照して下さい。加えて、「同じ出来事であっても、人によってどのようなニューロセプションの反応が発動し、どういう生理学的状態になるかが異なる」ことについて、同の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「ニューロセプション:意識せずに行う知覚」における記述の一部(P50~P51)を以下に引用します。その上に、ソマティック・エクスペリエンス(又はソマティック・エクスペリエンシング、SE、参照)の視点からの解離の原因、「解離は凍りつきの心理的な側面である」及び「乳幼児は生き残りのため、背側迷走神経を過剰使用することを学ぶ」ことについて、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の藤原千枝子著の文書「ソマティック・エクスペリエンス」の Ⅱ.SE 療法の実際 の 2.実際のケース -ショックトラウマと発達トラウマを例に- の「【症例2】主に発達トラウマを取り扱ったケース」における記述の一部(P341)を以下に引用します。さらに、「危険な状態にあることを知らせる情動脳の警報ベルが鳴り続けると、どれほどの洞察をもってしてもそれを黙らせることはできない」ことについては他の拙エントリのここここ(特に後者における引用の「騎手と馬」項)を参照して下さい。これら以外にも、「トラウマを負った人にとっては、自分がいつ本当に安全なのかを見極めたり、危険に直面したときに防御反応をとったりできるようになるのは、非常に難しい」ことについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第5章 体と脳のつながり の「防御するか、くつろぐか」における記述の一部(P141)を次に引用します。 【トラウマを負った人にとっては、自分がいつ本当に安全なのかを見極めたり、危険に直面したときに防御反応をとったりできるようになるのは、非常に難しい。それには、身体的に安全であるという感覚を取り戻せる経験をする必要がある。】(注:引用中の「安全であるという感覚を取り戻せる」ことに関連する『「安全である」と感じる』ことについてはここを参照して下さい)

安全性の三段階

トラウマを負ったあと、周りの世界は、危険と安全の知覚が改変された、異なる神経系によって経験される。ポージズは、自分の環境中の相対的な危険と安全を評価する能力を指す、「神経知覚」という言葉を造った。ニューロセプションに欠陥のある人を助けようとするときには、彼らの生存メカニズムが本人に不利に働くのをやめるよう、彼らの生理的作用をリセットする方法を見つけるのが、非常に大きな課題だ。これは、彼らが危険に適切に対応するばかりではなく、こちらのほうがなおさら大切なのだが、安全と緊張緩和と真の相互作用を経験する能力を取り戻すのを助けることを意味する。(後略)

注:i) 引用中の「神経知覚」には「ニューロセプション」のルビが振られています。従って「神経知覚」=「ニューロセプション」であると考えます。 ii) 引用中の「ポージズ」は、上記ポリヴェーガル理論の提唱者である、ステファン・W・ポージェス博士のことです。

主体性――自分の人生を支配する(中略)

私たちが腹の底で感じるものは、なぜそのように感じるかをきちんと説明できなかったとしても、何が安全か、生命の維持に役立つか、脅威を与えるかを知らせてくれる。私たちの内部感覚は、自分の生体の欲求について、微妙なメッセージを絶えず送ってくる。腹の底で感じるものは、身の周りで起こっていることを評価するのも手伝ってくれる。近づいてくるあの男性は気味が悪く感じられるなどと警告するが、キスゲに囲まれた西向きの部屋は落ち着いた気分にさせるといったことも伝える。人は、自分の内部感覚と快適なつながりを持っていて、それらが正確な情報を提供してくれると信頼できる場合には、自分の体や感情や自己を取り仕切っていると感じるだろう。
だが、トラウマを負った人々は、自分の体の内部で絶えず危険に感じている。過去が、心を苦しめる内部の不快感として生き続けているからだ。彼らの体は、内臓の危険信号をひっきりなしに浴びせかけられ、それを制御しようとするうちに、腹の底で感じるものを無視し、内部で起こっていることの自覚を麻痺させるのか得意になってしまう場合が多い。彼らは自己から隠れることを学ぶのだ。
体内の危険信号を退けて無視しようとすればするほど、それらの信号が主導権を握り、本人は当惑し、混乱し、恥ずかしく感じる羽目になる可能性が高まる。体内で何が起こっているかに気づくと不安になる人は、どのような感覚の変化にも、機能停止やパニックといったかたちで対応しやすくなってしまう。恐れそのものに対する恐れを抱くようになるのだ。
パニックの症状が維持されるのは、パニック発作と結びついた身体感覚に対する恐れを抱くのが大きな原因であることが、今ではわかっている。発作は、本人も不合理だと承知していることによって引き起こされうるが、その感覚への恐れのせいで彼らはしだいに反応をエスカレートさせ、全身を巻き込む緊急事態にまで陥る。「怖くて体が硬直する」とか「恐怖で凍りつく」(虚脱状態や麻痺状態に陥る)といった表現は、恐怖やトラウマがどのように感じられるかをじつに正確に言い当てている。トラウマは、内臓を土台とするそうした感覚から生じる。恐れの体験は、何らかのかたちで逃避が妨げられて感じた脅威に対する原始的な反応に由来する。内臓の経験が変わらないかぎり、その人の人生は恐れに人質に取られたままとなる。
体のメッセージを無視したり歪めたりすると、その代償として、自分にとって本当に危険なものや有害なものを感知できなくなるし、それに劣らず問題なのだが、安全なものやためになるものも感知できなくなる。自己調節は、自分の体との友好的な関係に依存している。そのような関係がなければ、外部からの調節、たとえば薬や、アルコールなど常習性のあるもの、他者からの絶え間ない励まし、他者の願望への否応ない追従に頼らざるをえない。
私の患者の多くはストレスを受けると、それがストレスだと気づく代わりに、偏頭痛や喘息の発作を起こすことで応じる(15)。中年の訪問看護師サンディは、子供のころ、アルコール依存症の両親に面倒を見てもらえずに、怖くて寂しかったと語った。自分が頼りにしている人(彼女のセラピストである私も含む)全員に、丁重になることでそれに対処した。夫が無神経な発言をするたびに、喘息の発作を起こした。息ができないことに気づいたときには吸入器ではもう間に合わず、病院の救急処置室に搬送してもらわなければならなかった。
助けを求める内なる叫びを抑え込んでも、ストレスホルモンが体を動員するのを止めることはできない。サンディは人間関係の問題を無視して身体的苦悩の信号を締め出すことを覚えたものの、そうした信号は、彼女の注意を要求する症状となって表れた。彼女のセラピーは、自分の身体的感覚と情動とのつながりを突き止めることに焦点を絞った。私はさらに、キックボクシングのプログラムに参加するよう彼女に勧めた。私の患者だった三年間、彼女は一度も救急処置室に搬送されることはなかった。(後略)

注:(i) 引用中の原注「(15)」の引用は省略します。この本をお読みください。 (ii) 引用中の「凍りつく」及び「麻痺状態」の関連はここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「私の患者の多くはストレスを受けると、それがストレスだと気づく代わりに、偏頭痛や喘息の発作を起こすことで応じる」に関連する「心理的なストレス及び喘息の罹患率」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「ストレスホルモン」に関連するストレス応答における、 a) 「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 b) 「SAM系」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 (v) 引用中の「情動」については次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 さらにメンタライジングの視点からの情動については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「パニック発作」に関連する「パニック症」については次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」 (vii) 引用中のストレスを受けた際の「喘息の発作」に関連するかもしれない、 1) 「無髄の迷走神経経路のいくつかは、横隔膜より上の心臓、肺、気管支などの臓器にも接続しており、これは未熟児にみられる徐脈や、のちに起きる喘息の作用機序と関連していると考えられている」ことについてはここを、 2) 「心身症としての気管支喘息」については例えば次の資料を それぞれ参照して下さい。 「心身症としての気管支喘息の現状と今後の課題

(前略)ポージェス:(中略)飛行機の中で気を失ったご婦人と、私のMRIの体験ですが、どちらの反応も不随意だということを理解してください。飛行機が大きく揺れたことで、このご婦人はシャットダウンを起こしました。私の場合はMRIの狭い穴から抜け出さずにはいられなかったのです。もしこの飛行機に乗っていた他の乗客にインタビューをしていったら、様々な反応が見られたことでしょう。ある人は叫んだり怒鳴ったりしたかもしれません。そして身体を動かして、「飛行機から出たいと思った」と言う人もいるかもしれません。また別の人は、隣に座った人と互いに手を握り、静かに耐えていたと言うかもしれません。
非常に重要なのは、同じ出来事であっても、人によってどのようなニューロセプションの反応が発動し、どういう生理学的状態になるかが異なるということです。(後略)

注:(i) 引用中の「飛行機の中で気を失ったご婦人と、私のMRIの体験」についてはここにおける引用を参照して下さい。 (ii) 引用中の「どちらの反応も不随意」に関連する「私たちが体験する生理学的な状態は、意識して選択しているのではない」ことについてはここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「同じ出来事であっても、人によってどのようなニューロセプションの反応が発動し、どういう生理学的状態になるかが異なるということです」に関連する、 a) 「何を地獄と感じるかは、一人一人違う」ことについて、同の「第6章 トラウマ・セラピーの今後 ポリヴェーガル的な視点から」における記述の一部(P208)を次に引用します。 『ポージェス:トラウマに関しては、何が起きたかという出来事ではなく、その危機的な出来事にどう反応したかということが大切です。私はいつも自分に言い聞かせていることがあります。それは、「何を地獄と感じるかは、一人一人違う」ということです。これは、私がある出来事について下す判断は、クライアントにとっては無意味であり、どのような経緯を経るかは、その出来事へのクライアントの反応によって決まると言うことです。ある人にとっては、比較的穏やかだと感じることが、別の人の神経系にとっては、まるで生きるか死ぬかの状況として感じられるのです。』 b) 『同じ「脅威」であっても、皆が皆、同じ反応をするわけではない』ことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子訳「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第4章 調製とつながりのための神経基盤 の「ポリヴェーガル理論と発達性トラウマ」における記述の一部(P106)を次に引用(【 】内)します。 【「ポリヴェーガル理論」においてポージェスも明言しているが、人間は複雑であり、二人として同じ人はいない。同じ「脅威」であっても、皆が皆、同じ反応をするわけでない。】 c) 『私たちはみな、「安全」、「危険」、そして「生命の危機」というスペクトラムを共有していますが、その状態を移行する条件は人によって大きく異なる』ことについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の「第2章 自律神経系の監視――ニューロセプション」における記述の一部(P47~P48)を次に引用(《 》内)します。 《私たちはみな、「安全」、「危険」、そして「生命の危機」というスペクトラムを共有していますが、その状態を移行する条件は人によって大きく異なります。自律神経系は、体験によって形成され、人間関係に左右されるシステムです。クライアントはそれぞれに独自の反応パターンを持ち、「安全である」という状態と、「安全ではない」という状態の間を行き来しています。》 d) 『何をリスクの「合図」ととるかは、個人個人の解釈で異なる』ことについて、「今までのトラウマの臨床と診断は、出来事のみに焦点が当てられていたため、的外れだった」ことを含めて、同の 第3章 自己調整と社会交流システム の「迷走神経:運動経路と感覚経路の導管」における記述の一部(P101~P102)を以下に引用します。 e) 上記「何を地獄と感じるかは、一人一人違う」、『同じ「脅威」であっても、皆が皆、同じ反応をするわけでない。』や『私たちはみな、「安全」、「危険」、そして「生命の危機」というスペクトラムを共有していますが、その状態を移行する条件は人によって大きく異なる』ことに関連する「人にはそれぞれ独特の神経的な反応がある」ことについて、「クライアントによっては、すぐに不動化の状態に入る人がいる」ことを含めて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の 第1章 安全、危険、生命の危機――適応反応のパターン の「階層に関与する」における記述の一部(P41~P42)を以下に引用します。

迷走神経:運動経路と感覚経路の導管(中略)

ポージェス:(中略)何をリスクの「合図」ととるかは、個人個人の解釈で異なりますが、その解釈に従い、それぞれの神経回路が発動し、当該の生理学的状態や行動へと変換されます。トラウマの治療が難しいのは、同じ状況であっても、どの神経回路が発動するかに大きな個人差があることが、十分理解されてこなかったからです。今までのトラウマの臨床と診断は、出来事にのみ焦点が当てられていたため、的外れだったのです。「出来事に対してその人がどう反応したか」ということが極めて重大なことだということが理解されていませんでした。

注:(i) 引用中の(それぞれの神経回路が発動し)「当該の生理学的状態や行動へと変換される」ことについてはここここを参照して下さい。 (ii) 引用中の『「出来事に対してその人がどう反応したか」ということが極めて重大なこと』に関連する、 a) 「トラウマもまた外的な出来事(トラウマ事件)自体ではなく,それに対する身体内部の反応(生理学的状態)によって定義されるべきもの」であることについて津田真人著の本、「ポリヴェーガル理論への誘い」(2022年発行)の 第6章 自律神経の3段階論 の「8 3層構造のダイナミズム」における記述の一部(P121)を次に引用(【 】内)します。 【トラウマもまた,ポージェスにとってDSMにおけるPTSDの診断基準(A基準)に反して*14,外的な出来事(トラウマ事件)自体ではなく,それに対する身体内部の反応(生理学的状態)によって定義されるべきものなのです[PoG, pp.22, 112, 165, 203 ; Porges & Culp 2010, p.59 ; Porges & Buczynski 2013b, pp.19-20]。】(注:1) 引用中の註「*14」の引用と、引用中の「PoG」との紹介は省略します。 2)引用中の「Porges & Culp 2010」と「Porges & Buczynski 2013b」はそれぞれ次の資料です。 「The GAINS Anniversary Interviews: Stephen W. Porges Interviewed by Lauren Culp」、「Beyond the Brain: How the Vagal System Holds the Secret to Treating Trauma」 3) 引用中の「A基準」についてはWEBページ「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」からダウンロード可能な博士論文「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」の「表1-1 外傷後ストレス障害PTSD)の診断基準(DSM-5)」の「A.」[P3]を参照して下さい。ちなみに、上記「A.」に関連するICD-11における記述「いずれの場合でも,出来事は生命の危険,脅威をもたらすことが必要であり」については次の資料を参照して下さい。 「ICD-11におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向」の「2. 複雑性心的外傷後ストレス症(Complex post-traumatic stress disorder:CPTSD)」項[P679]) b) 「DSM-5のPTSDの基準を満たすような体験だけがトラウマだとするかのような考え方が大嫌いです。多様なトラウマティック・ストレスの中に本来引けるはずのない線を引くようで。」との記述を有するツイートやこのツイートに完全に同意する引用ツイートがあります。 c) また、(トラウマ的な体験に関しては、何があったのかという出来事ではなく)「どう感じたのか、という感覚を重視します」について、花丘ちぐさ編著の本、「なぜ私は凍りついたのか ポリヴェーガル理論で読み解く性暴力と癒し」(2021年発行)の 第Ⅳ部 ポリヴェーガル理論の可能性癒しを求めて の 第14章 [座談]性暴力をめぐるポリヴェーガル理論的見解 の『「何があったか」ではなく「どう感じたのか」』における記述の一部(P294)を次に引用します。

ポージェス ポリヴェーガル理論では、トラウマ的な体験に関しては、何があったのかという出来事ではなく、どう感じたのか、という感覚を重視します。クライアントの物語をドキュメンタリー的な側面、つまり、何が起きたのかといった出来事や物事に焦点を当てるのではなく、生き残りをかけ、安全を求める無意識の身体的衝動の物語として理解します。ポリヴェーガル理論は、どう感じたのかということを重視します。(後略)

注:(i) この引用部の著者はS・W・ポージェス、翻訳:花丘ちぐさです。 (ii) 引用中の「どう感じたのかということを重視します」に関連するかもしれない、『「危険」あるいは「安全である」という合図があると、ニューロセプションに続いて、内受容感覚が発生する』ことについてはここを参照して下さい。

階層に関与する(中略)

自律神経系のパターンは、時間をかけ、体験を通して形成されます。人とつながる体験をしたり、困難を乗り越えたりする中で、私たちは独自の反応パターンを形成していき、自分だけの神経プロフィールを発達させます。ポリヴェーガル理論を基礎に置いたセラピーでは、人にはそれぞれ独特の神経的な反応があることを知り、活性化のパターンを見極めます。クライアントによっては、すぐに不動化の状態に入る人がいます。ほんの一瞬、同調が乱れただけでも「神経系にとっては大きすぎる困難」になってしまい、彼らの自律神経系は生き残り反応を引き起こします。こうしたパターンを持つクライアントが、私にこんなことを話してくれました。
「パートナーが私に、『全部終わったかい?』と聞いてきました。私は即座に怒りがこみあげてくるのを感じました。私のことをそんなに信用できないなら、あなたが全部やればいいじゃないの、と思いました。私はちゃんとやったのです。あとから友達にこの件について相談してみました。友達は、彼がそんなふうに声をかけるのは、普通じゃないかと言いますし、私のことを気にかけてくれていたんじゃないかとも言うのです。でも、私はそんなふうに考えることなんてできません」。
また別のクライアントたちは、ほとんど気づかないうちに可動化から崩壊へと移ります。彼らの自律神経系は、むしろつながりを絶たれた状態に逃げ場を見つけます。この反応パターンを持つクライアントは、「誰でも簡単にやっている日常の雑務だというけれど、どうやってやったらいいのかわからない。自分は、子どものころ、恐ろしい夜を一晩なんとか生き延びるために必死だった。だから普通の人たちが学ぶことを、学ぶ余裕はなかった。私には、この世で生きていく準備ができていない。うまく順応できていないと感じるや否や、私は崩壊する」と私に話してくれました。

(前略)特に,解離にはかならず時間をかけて取り組む必要がある。前述したように解離は生存戦略であり,SE 的に見た解離の原因は以下の2つである。
①トラウマ体験にまつわる身体感覚はしばしば強烈な不快感をともなう。それをその都度感じていると日常生活を送れなくなるため,有機体が解離を選択している。
②子ども(特に乳幼児)は,置かれている生育環境がどんなに過酷なものであっても,そこから逃げ出す(交感神経の生存戦略)という選択肢がない。従って,乳幼児は生き残りのため,副交感神経の背側迷走神経を過剰使用することを学ぶ。すなわち凍りつきである。解離は凍りつきの心理的側面であるため,日常的に凍りつくことによって,解離がその子どもの通常の意識状態になってしまう。(後略)

注:(i) 引用中の「子ども(特に乳幼児)は,置かれている生育環境がどんなに過酷なものであっても,そこから逃げ出す(交感神経の生存戦略)という選択肢がない。従って,乳幼児は生き残りのため,副交感神経の背側迷走神経を過剰使用することを学ぶ。すなわち凍りつきである。」に関連する、「子どもの凍りつき」について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第2章 トラウマの影響はなぜ長引くのか? の だれにでも起こること トラウマ体験は三つの反応を引き起こす の「Freeze 凍りつき」における記述の一部(P35)を次に引用(『 』内)します。 『あまりの恐怖に立ちすくみ、凍りついたように動けなくなってしまう状態。闘うことも、逃げることもできない子どもが用いることのできる唯一の方法といえます。』 (ii) 引用中の(「人間」を含む)「有機体」について、引用元の文書中の「Ⅲ.まとめ」における記述の一部(P349)を次に引用(【 】内)します。 【Levine はよく「有機体」(organism)という言葉を使うが,有機体としての我々人間は「個々の部分の総和を超えて,全体として働く叡智ある存在」である。】(注:引用中の「Levine」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) (iii) 引用中の(凍りつきにおける)「背側迷走神経を過剰使用」に関連するかもしれない「低覚醒状態は背側迷走神経複合体の活動によるとされる」ことについて、WEBページ「解離症 - 脳科学辞典」の「病態メカニズム」項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『こうした過覚醒に対する反応として副交感神経優位の解離状態が生じ、低覚醒や離隔をきたすという。この低覚醒状態は背側迷走神経複合体(dorsal vagal complex, DVC)[12]の活動によるとされる。』(注:引用中の文献番号「[12]」は次の論文です。 「The polyvagal theory: phylogenetic substrates of a social nervous system.」) 加えて、「背側迷走神経により、子の反応はシャットダウンし解離反応に転ずるとされる」ことについて、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第3部 感情と社会生活 の 11章 感情の発達 の 2節 感情制御の発達 の「4. 感情制御の発達不全の問題」における記述の一部(P235)を次に引用(【 】内)します。 【Porges(2007)のポリヴェーガル理論(Polyvagal Theory)によると,過覚醒反応のエスカレートのあと背側迷走神経(dorsal vagal nervous system)により,子の反応はシャットダウンし解離反応に転ずるとされている。】(注:a) この引用部の著者は大河原美以です。 b) 引用中の「Porges(2007)」は次の論文です。 「The polyvagal perspective.」 c) 引用中の「ポリヴェーガル理論」にも関連する『「負情動・身体感覚」を否定されることで解離が生じる』ことについては次の資料を参照して下さい。 「母子のトラウマ体験が子の感情制御の発達に及ぼす影響(2) ―― どのようにして愛着システム不全は生じるのか(横断研究)――」) その上に、(不動化の推移に沿っている)「彼らは、解離や、絶望感を抱いており、その結果、動機づけが消失している。」ことについて、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の「第6章 トラウマ・セラピーの今後 ポリヴェーガル的な視点から」における記述の一部(P203~P204)を次に引用(《 》内)します。 《トラウマのサヴァイヴァーを扱う臨床家たちは、トラウマの神経生物学的な発現は、必ずしも闘争/逃走反応と言われる過剰に可動化された防衛の推移に沿うものではなく、むしろたいていは不動化の推移に沿っていることに気づいています。彼らは、解離や、絶望感を抱いており、その結果、動機づけが消失しています。》 さらに、健康面と心理面における「背側迷走神経系の反応」について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の 第1章 安全、危険、生命の危機――適応反応のパターン の 自律神経の階層を詳しく見ていく の「最も古い根っこの神経系」における記述の一部(P28)を次に引用(【 】内)します。 【しかし背側迷走神経系の反応は、スペクトラム〔訳注:連続体〕として起きてきます。健康面では、免疫機能の障害、慢性的なエネルギー不足、消化器の問題として現れてくる可能性があり、心理面では、解離、うつ、社会的なつながりからの逸脱として現れるかもしれません。】 (iv) また、引用中の「背側迷走神経」に類似する「背側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1. 背側迷走神経系」項 加えて、引用中の「背側迷走神経」にも関連する上記「背側迷走神経複合体」について、同の 用語解説 の「背側迷走神経複合体」における記述の一部(用語解説 P18~P19)を次に引用します。

背側迷走神経複合体は脳幹に位置し、迷走神経背側運動核と孤束核という二つの神経核からなっている。背側迷走神経複合体は、迷走神経の感覚経路を経て、内臓から送られてきて孤束核に終結する感覚の情報と、迷走神経背側運動核から始まり、内臓へ至る運動の情報を統合し調整する。孤束核と迷走神経背側運動核は、それぞれの神経核の特定の部位と、内蔵の特定の部位が反応しあうように、内臓指向型の組成を持つ。この後者の神経核から発している運動経路は、迷走神経を通り横隔膜下の内臓に終結する、無髄の迷走神経経路である。無髄の迷走神経経路のいくつかは、横隔膜より上の心臓、肺、気管支などの臓器にも接続している。これは未熟児にみられる徐脈や、のちに起きる喘息の作用機序と関連していると考えられている。迷走神経の背側核に端を発する迷走神経回路は、様々な文献において、背側迷走神経、横隔膜下迷走神経、無髄迷走神経あるいは植物性迷走神経など、異なった名称で呼ばれている。(後略)

一方味覚嫌悪に関連する単一試行学習について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第4章 トラウマが脳、身体および行動に及ぼす影響 の「単一試行学習」における記述の一部(P164)を次に引用します。

(前略)ポージェス:単一試行学習の良い例は、化学療法または放射線療法と味覚嫌悪の結びつきです。患者が化学療法または放射線療法を受ける前に食べた物は、治療を受けてからかなり経っても、吐き気を引き起こし、味覚嫌悪を形成します。ここでも無髄の迷走神経が吐き気に関連しているのは注目に値します。
科学者は、こうした反応を抑えるためにどのような戦略を用いてきたかご存じでしょうか。
私の基本的な考えは次のようなものです。シャットダウンを引き起こす単一試行のトラウマ反応ですが、ある人は、その出来事が起きる前は正常でごく普通ですが、この出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました。
これらの症状を抱えた人々は、症状の根底にある作用機序を理解する手がかりを与えてくれます。いくつかの症状は古い無髄の横隔膜下の迷走神経に仲介されるので、ここにヒントを見つけることができます。これらの特徴は、無髄迷走神経が防衛反応に駆り出されたときに起きる広範囲にわたる迷走神経的反応を表しています。
古い迷走神経がトラウマへの防衛反応に採用された場合、これは機能的に言って単一試行学習の一例であると私は考えています。一旦、無髄の迷走神経が防衛反応に採用されたら、神経制御は変化します。そして修正に対して耐性があり以前のような恒常性に自然に戻ることが難しくなります。このようにトラウマの反応は、味覚嫌悪モデルと非常に類似して見えます。ここから、不動化の作用機序をさらに脱構築して理解することができるようになると期待しています。(後略)

注:(i) 引用中の「古い無髄の横隔膜下の迷走神経」に関連する「背側迷走神経」について、及び単一試行学習のさらなる説明について、同の 用語解説 の「単一試行学習」における記述の一部(用語解説 P15)を次に引用(『 』内)します。 『単一試行学習は、一つの刺激に対し一つの反応が対になって起こる学習であり、長期にわたって複数回刺激に暴露されても、強化されることがない。ポリヴェーガル理論では、多くの場合、背側迷走神経による反応が起きたときに、この単一試行学習が起こると考えている。生命の危機を体験した後は、PTSD を発症することが多い。脱糞、擬死、失神、吐き気などが条件反応に含まれる単一試行学習の考え方が、トラウマのサヴァイバーの治療に大いに参考になると考えられる。』(注:a) 引用中の PTSD については例えば次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験に苦しむストレス症候群 心的外傷後ストレス障害を診る」 b) 拙訳はありませんが引用中の「擬死」[thanatosis]やこれに類似するかもしれない「near-death experiences」[臨死体験]については次の資料や論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Thanatosis[拙訳]擬死」、「The evolutionary origin of near-death experiences: a systematic investigation[拙訳]臨死体験の進化的起源:系統的調査」 加えて、上記「擬死」に関連する「解離性昏迷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 引用中の「失神」に関連する「血管迷走神経反射」についてはここを参照して下さい。 d) [上記「単一試行学習」には言及していませんが背側迷走神経による反応が起きた又は背側迷走神経によりシャットダウン、崩壊、解離が引き起こされたときの]日常生活での問題又は健康への影響について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の『「はしご」の底』における記述の一部(P15)を次に引用(《 》内)します。 《日常生活では、人と切り離され、記憶障害があり、うつ状態で、孤立し、日常生活を営むために必要なエネルギーがないといった問題が出てきます。健康への影響としては、慢性疲労線維筋痛症、胃の問題、低血圧、二型糖尿病、そして体重増加などが考えられます。》) (ii) 引用中の「下腹部の問題」及び「線維筋痛症」に関連して、タイトルを除き拙訳はありませんが、次の論文(全文)を参照して下さい。 「Chronic Diffuse Pain and Functional Gastrointestinal Disorders After Traumatic Stress: Pathophysiology Through a Polyvagal Perspective[拙訳]​トラウマティック・ストレス後の慢性びまん性疼痛及び機能性胃腸障害:ポリヴェーガル理論の視点からの病態生理」 (iii) 加えて引用中の「下腹部の問題」に関連する「腸や胃の問題」については、同の 第3章 自己調整と社会交流システム の「迷走神経:運動経路と感覚経路の導管」における記述の一部(P101)を次に引用(【 】内)します。 【クライアントが腸や胃に問題を抱えているのなら、それは不動化の防衛反応を引き起こす、無髄の迷走神経の働きの産物かもしれません。横隔膜より下の問題は、人が慢性的に可動化した闘争/逃走反応を使っている場合にも起こります。この場合は、無髄の迷走神経の、消化を含む恒常性の機能を促進する働きが、活性化した交感神経系によって抑制されています。】 (iv) また上記「単一試行学習」に関連する「味覚嫌悪条件付け」[又はガルシア効果〔参照〕]において、「ときには1回で強力な嫌悪が獲得される」ことについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「行動分析学との遭遇(5)」の「2.味覚嫌悪学習(ガルシア効果)」項 さらに【上記「味覚嫌悪」と非常に類似したモデルについては、まだ私たちは治療法を編み出していない】ことについて、同の 第4章 トラウマが脳、身体および行動に及ぼす影響 の「迷走神経と解離」項における記述の一部(P159)を次に引用[『 』内]します。 『味覚嫌悪と非常に類似したモデルについては、まだ私たちは治療法を編み出していません。それは、わずか一回の暴露により、何かが結びつき、特定の生理学的状態になるように誘発する単一試行条件付けモデルです。』 (v) その上に、上記「味覚嫌悪」と「嘔吐反応」の関係について、同項における記述の一部(P160)を次に引用(【 】内)します。 【味覚嫌悪では、汚染された食物を摂取した後の適応反応である、嘔吐反応が起きます。味覚嫌悪は不動化と解離に類似しており、命が脅かされ、内臓に損傷が生じることを最小限に抑えようとしているのです。】(注:引用中の「嘔吐反応」に関連する「吐き気」については上記 (i) 項を参照すると良いかもしれません) さらに、上記「味覚嫌悪」に関連するかもしれない「脳内の味覚情報神経回路」については例えば次の資料を参照して下さい。 「味覚による快・不快情動の制御機構」 ところで、上記「味覚嫌悪」の学習でもたらされる古い記憶を含む記憶同士の連合による記憶のアップデートについての研究報告は、次の資料を参照して下さい。 「記憶アップデートの分子・細胞メカニズム」 (vi) 一方、引用中の「一旦、無髄の迷走神経が防衛反応に採用されたら、神経制御は変化します。そして修正に対して耐性があり以前のような恒常性に自然に戻ることが難しくなります」に関連する、 1) 「命を脅かされたことが、古い反応回路を誘発したのであり、そのためトラウマ後には、彼らの自律神経系が生理学的状態を調整するやり方が変化してしまった」ことについて、同の「第7章 心理療法に関するソマティックな視点」における記述の一部(P235~P236)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマを受けた人々を調査すると、彼らは予想外の強力な不動化を経験していることがわかりました。命が脅かされたときに発動される無髄の迷走神経の古い防衛機制について説明すると、トラウマを受けた人々が経験した反応が明快に理解でき、的外れな解釈を一掃することができます。命を脅かされたことが、古い反応回路を誘発したのであり、そのためトラウマ後には、彼らの自律神経系が生理学的状態を調整するやり方が変化してしまったということが理解できると、トラウマを受けた人たちも、日常生活を送る中で、なぜ自分が変わってしまったのかを理解しやすくなるでしょう。』 2) (無髄の迷走神経によるシャットダウン等の)「生き残り戦術には、代償が伴う」ことについて同の 第3章 自己調整と社会交流システム の「私たちが世界に反応する方法に影響を与える三つのシステム」 における連続する記述の一部(P95)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【もう一つの防衛反応としてシャットダウンがあります。これも適応的機能の一つで、これが起きると痛みの閾値が上がります。この反応があるおかげで、恐ろしい虐待にさらされたとき、苦しみを感じなくなるという方法で生き残ることができます。】、【しかしこの生き残り戦術には、代償が伴います。哺乳類は、「安全である」と感じたときの社会交流システムと、交感神経系の活性化による可動化の間をすばやく行き来できるように進化しましたが、シャットダウンと可動化の間や、シャットダウンと社会的交流の間をうまく行き来できるような能力を持つようには進化しませんでした。】 加えて、上記代償について、同「私たちが世界に反応する方法に影響を与える三つのシステム」 における記述の一部(P95)を次に引用(『 』内)します。 『防衛反応として不動化を引き起こす神経回路を使うのはよいのですが、神経系には、「不動状態」からうまく抜け出す経路がないのです。多くの人が、この「不動状態」から抜け出せないためにセラピーに通っています。』 (vii) 引用中の「シャットダウン」についてはソマティック・エクスペリエンシングの視点を含めては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (viii) 引用中の「線維筋痛症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「線維筋痛症 全身の痛み」 (ix) 引用中の「単一試行学習」に関連する「単一試行モデル」では、非常に詳細な病歴が必要であることについて、同の 第4章 トラウマが脳、身体および行動に及ぼす影響 の「迷走神経と解離」における記述の一部(P163)を次に引用します。

(前略)ポージェス:(中略)単一試行モデルでは、クライアントに様々な質問をすることになるでしょう。私は、非常に詳細な病歴が必要だと考えています。つまり、出来事の説明よりも、どう反応し、何を感じたのかを詳細に説明してもらう必要があります。一人一人の経験、行動および感情について知ることが重要です。失神したか、解離したか、空想したか。虐待されていた間に何が起こったか、その出来事の後に何がおこったかについての詳細な情報が必要です。(後略)

注:i) 引用中の「解離」についてはここここを参照して下さい。 ii) 引用中の「失神」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「感情」に関連する、コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの、「身の危険と関連した感情」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、ポリヴェーガル理論に関連する「血管迷走神経反射」について、ツイート以外にも、WEBページ「寝不足の後に長時間立っていたり、恐怖や痛みを感じた時などに嘔気、冷汗、目の前が真っ暗になり時に気を失って倒れてしまいます。」の「A 回答」項における記述の一部を次に引用します。 『この失神は、交感神経亢進(車で言うアクセルが踏まれた)状態の後に病的な血管迷走神経反射(急ブレーキが踏まれた状態)が誘発され血圧と脈拍が急激に低下し、意識が消失します。』 この記述は、ソマティック・エクスペリエンシング(他の拙エントリのここを参照)やポリヴェーガル理論の主張と整合していると本エントリ作者は考えます。加えて、上記引用中の「意識が消失」に関連する「気を失う」、「凍りつき」(又はフリーズ)、[深い]「シャットダウン」、「虚脱」、「麻痺」、「解離」、「機能停止」、「不動化」、「擬死」等については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に上記「解離」や「擬死」に関連する「解離性昏迷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、台湾のWEBページ「女大生常昏倒 迷走神經作祟[拙訳]女子大生はよく気を失って倒れる 迷走神経が災いする」の「多半站立時發作 慎防撞傷[拙訳]大体が立位での発作 打撲傷を防止」項にも標記の引用と類似しているかもしれない次に引用(【 】内)する記述があります。 【因迷走神經過度興奮,抑制交感神經,造成心跳過慢、血液輸出量減少,因腦部血液灌流不足而暈倒。[拙訳]迷走神経の過度な興奮により交感神経を抑制し、心拍数の低下、血液拍出量の減少をもたらし、脳部への血液流入の不足により失神する。】(注:引用中の「昏倒」と「迷走神經作祟」とに関連する「血管迷走性暈厥」[注:「暈厥」はここを参照]については次のWEBページを参照して下さい。 「淺談多層迷走神經理論 (POLYVAGAL THEORY)」の最後の図 なお、本WEBページには上記 POLYVAGAL THEORY についての動画「Dr. Stephen Porges – Human Nature and Early Experience」がリンクされています。) ちなみに、 a) 「医療スタッフが血管迷走神経性失神を経験することは少なくない」ことについて、次の資料を参照して下さい。 「よくみる自律神経症候:失神・めまい・たちくらみ」の「Ⅱ. 血管迷走神経性失神」項 b) 「血管迷走神経性失神の臨床的特徴」としての「発作直前に前駆症状自覚が多い」ことについては次の資料を参照して下さい。 「アナフィラキシー/血管迷走神経反射への対応」の「血管迷走神経性失神の臨床的特徴」項(P42) c) 災害時における「凍りつき症候群」については例えば次の資料を参照して下さい。 「どうすれば災害からの逃げ遅れを防げるか」の「第5の罠 凍りつき症候群」項(P31~P33) d) 法廷に関連して上記「フリーズ」についての記述がある記事は例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「典型的で、最悪なケース」精神科医が法廷で語ったDVの“車輪構造”と児童虐待【目黒5歳児虐待死裁判・証人尋問①】』の『ーー次の話です。結愛さんの腹部を蹴る暴行があったんですが、これを優里さんが目撃した。その時に、「動けなかった」と言っているんですけれども、これはどういうような心理状態だったんでしょうか。』項を参照して下さい。

※:上記「血管迷走神経反射」と「意識が消失します」に相当する「血管迷走神経性失神」について、同の 第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論入門」 の「ニューロセプションの働き」における記述の一部(P178)を次に引用します。

(前略)また、ニューロセプションはときには間違うことがあり、リスクがないのにリスクがあると判断したり、リスクがあるのに、「安全である」と判断したりする可能性があります。
公の場で話しているときに、失神する人たちがいますが、それは強い不安を感じたからではありません。彼らは単に、スーッと気が遠くなり、失神します。これは、臨床的には血管迷走神経性失神として知られており、急激な血圧の低下によるもので、酸素を含んだ血流が脳に十分供給されないことによって起きます。この反応は、神経系が「命が脅かされた」と感じる「合図」を検出したために引き起こされます。こうした神経生理学的な反応を一度体験すると、高次の脳は、なぜこんなことになったのか納得したいと考え、もっともらしい理屈をつけます。しばしば、「自分は自信がないからこんなことになる」と考えてしまうのですが、こうした生理学的反応は、自尊心とは無関係です。こうした反応は、「拘束」または「孤立」など、環境的要因によって誘発された可能性が高いのです。(後略)

注:引用中の「ニューロセプション」についてはここを参照して下さい。

ここにおける引用中の「神経生理学的な反応」に関連する《洞察力に優れたトラウマ治療の臨床家たちが、「『ポリヴェーガル理論』は自分たちのやっていることを神経生物学的に説明している」と見抜いた》ことについて、同の 第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論」 の「今後のトラウマ治療」における記述の一部(P198~P199)を次に引用(【 】内)します。 【ポージェス:これからは、さらに身体志向が強まるでしょう。今の臨床家の動向からみても、それは明らかです。私は臨床家ではないので、非常に興味深い立ち位置にいるのです。私は臨床家ではなく科学者ですが、臨床家がしていることの原理を説明しようとしています。ですから、ピーター・ラヴィーンによるSE™(ソマティック・エクスペリエンシング)、パット・オグデンによるセンサリーモーター・サイコセラピー(sensorimotor psychotherapy)、ベッセル・ヴァン・デア・コークの業績など、トラウマ治療についての多様なモデルと関わることができました。こうした洞察力に優れた臨床家たちが、「『ポリヴェーガル理論』は自分たちのやっていることを神経生物学的に説明している」と見抜いたのです。】(注:引用中の「ソマティック・エクスペリエンシング」については拙エントリのここを参照して下さい)

ポリヴェーガル理論の視点からの様々な精神疾患に関連する迷走神経バランスの障害ついて、論文(全文)「Autonomic Nervous System Development and its' Impact on Neuropsychiatric Outcome[拙訳]自律神経系の発達及びその精神神経学的転帰への影響」の「Polyvagal Theory and Impaired Vagal Balance」項における記述の一部を次に引用します。

Polyvagal Theory and Impaired Vagal Balance
The Polyvagal Theory was first proposed by Porges in 1995 and relates the development of the vagal system to social/emotional development.(2, 17, 26) The theory focuses on the role of the two main branches of the vagal nerve (cranial nerve X). The older branch arises from the unmyelinated dorsal motor nucleus of the vagus, and the newer branch from the myelinated, nucleus ambiguus (Figure 2). The social responses to our environment are mediated either by vagal input or vagal withdrawal through the components of the limbic system.(41) At six months of age and older, vagal development begins to influence social behavior and mood regulation of behavioral state.(2) The infant develops a 'face-heart' connection or Social Engagement System, whereby he/she engages muscle activity of the face/neck to communicate feelings and behavioral reactions, in concert with brainstem mediated responses in cardiovascular function.(2) These muscles are innervated by special visceral efferent pathways associated with the myelinated vagus and enable the infant to display social cues and build parental/care-giver attachment. It is the step-wise maturation of the both the cerebral cortical structures and of the ANS that enables the development of the individuals' Social Engagement System.

As discussed above, a broad range of neuropsychiatric disorders may be influenced by impairment in vagal balance, with either deficient vagal tone or excessive vagal reactivity.(41) Autonomic imbalance and in particular decreased parasympathetic tone is implicated in anxiety, depression, post-traumatic stress disorder, and schizophrenia.(6) In these conditions, the sympathetic-mediated responses to stressors/fear by the amygdala and pre-frontal cortex may be under-opposed by the parasympathetic system.(6) In ex-prematurely born infants, immaturity of the Social Engagement System from lower vagal activity may cause a lack of proper social cues to trigger normal co-regulation with the parents/care-giver.(2)(後略)


[拙訳]
ポリヴェーガル理論及び迷走神経バランスの障害
ポリヴェーガル理論は1995年にポージェスによって最初に提案され、迷走神経系の発達を社会的/情動的発達に関連づけている(2, 17, 26)。本理論は、迷走神経(第X脳神経)の二つの主要な枝に焦点を当てる。古い枝は無髄の迷走神経で背側運動核から発し、新しい枝は有髄で疑核から発する(図2)。我々の環境に対する社会的応答は、大脳辺縁系の構成要素を介した迷走神経の入力又は迷走神経の撤退のいずれかによってメディエイトされる(41)。誕生6か月の時点以降で、迷走神経の発達は社会的行動及び行動状態の気分調節に影響を及ぼし始める(2)。乳児は「顔と心臓」のつながり、つまり社会的関わりシステムを発達させ、それにより、心血管機能における脳幹をメディエイトした応答と協調して、感情及び行動反応を伝えるために顔/首の筋肉活動に関わる。有髄な迷走神経に関連する特別な内臓遠心性経路によってこれらの筋肉は神経支配されており、そして乳児が社会的な合図を示し、親/介護者との愛着を築くことができる。大脳皮質構造と自律神経系(ANS)の両方の段階的な成熟が、個々人の社会的関わりシステムの発展を可能にする。

上記のように、広範な神経精神障害は、迷走神経の緊張の欠如又は過剰な迷走神経反応性を伴う迷走神経の均衡における障害の影響を受けるかもしれない(41)。自律神経の不均衡及び特に副交感神経の緊張の低下は、不安、抑うつ心的外傷後ストレス障害及び統合失調症に関与している(6)。これらの状態においては、扁桃体及び前頭前皮質によるストレッサー/恐怖に対する交感神経にメディエイトされた応答への副交感神経系による対抗が過少になっているかもしれない(6)。早産児における、より低い迷走神経活動からの社会的関与システムの未熟性は、両親/介護者との通常の共調整の誘因となる適切な社会的な合図の欠如を引き起こすかもしれない(2)。

注:i) 拙訳中の「図2」の引用は省略します。 ii) 拙訳中の文献番号「2」は次の論文です。 「The Early Development of the Autonomic Nervous System Provides a Neural Platform for Social Behavior: A Polyvagal Perspective.」 iii) 拙訳中の文献番号「6」は次の論文です。 「Psychosomatics and psychopathology: looking up and down from the brain.」 iv) 拙訳中の文献番号「17」は次の論文です。 「Infant regulation of the vagal "brake" predicts child behavior problems: a psychobiological model of social behavior.」 v) 拙訳中の文献番号「26」は次の本です。 「Porges SW. The Polyvagal Theory. 1 ed. Schore AN, editor. New York: W. W. Norton & Company; 2011. 347 p.」 vi) 拙訳中の文献番号「41」は次の論文です。 「Polyvagal Theory and developmental psychopathology: emotion dysregulation and conduct problems from preschool to adolescence.」 vii) 拙訳中の「大脳辺縁系」についてはトラウマの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。  viii) 拙訳中の「心的外傷後ストレス障害」と「統合失調症」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

これら以外にも、上記「麻痺」や「フリーズ」(共にここを参照)にも関連する自閉スペクトラム症ASD)者におけるカタトニア(症状群)の例について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第12章 外来診療場面における成人の自閉スペクトラム症者への対応 ――理論と一医師の実践―― の Ⅲ.日常診療で出会う患者の苦悩(状態)と対応のポイント の 「2.カタト二アが見られた場合」における記述(P176~P177)を以下に引用します。加えて、Wing らが提唱する「ASDのカタトニアの基本症状」については次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害のカタトニアに対する電気けいれん療法」の「2.ASD のカタトニア」項 その上に拙訳はありませんが、ASDにおけるカタトニアについての次の資料もあります。ただし、この資料は PubMed では検索できませんでした。 「Catatonia in Autism Spectrum Disorders: Diagnosis, Therapy, and Clinical Science」 ちなみに、 a) 精神障害の入院青少年におけるACE(逆境的小児期体験、他の拙エントリのここを参照)と双極Ⅰ型障害又はカタトニアとの関連については論文「Adverse Childhood Experiences Among Inpatient Youths with Severe and Early-Onset Psychiatric Disorders: Prevalence and Clinical Correlates[拙訳]重症及び早期発症精神障害の入院青少年における逆境的小児期体験:有病割合及び臨床的相関」(要旨はここを、全文はここをそれぞれ参照)を参照して下さい。 b) カタトニアの恐怖モデル(Fear Model)と上記ポリヴェーガル理論を含む迷走神経モデル(Vagal Nerve Model)については論文「Vagal Intimations for Catatonia and Electroconvulsive Therapy[拙訳]緊張病及び電気けいれん療法のための迷走神経刺激」(要旨はここを、全文はここをそれぞれ参照)のそれぞれ「Fear Model」項、「Vagal Nerve Model」項を参照して下さい。 c) 自閉症におけるカタトニアの上記ポリヴェーガル理論を含む迷走神経理論については資料「Autonomic Dysfunction in Catatonia in Autism: Implications of a Vagal Theory[拙訳]自閉症のカタトニアにおける自律神経機能障害:迷走神経理論の含意」[注:この資料は PubMed では検索できませんでした]の「Autonomic Dysfunction in Catatonia」、「A Vagal Theory of Catatonia in Autism」及び「Implications of a Vagal Theory for Catatonia in Autism」項を参照して下さい。なお、上記 a) ~ c) 項で紹介した論文、資料の拙訳は共にタイトルを除きありません。 d) 上記カタトニアに関連するかもしれない解離性障害における「昏迷」については、「意識消失」を含めてここここを参照して下さい。

カタトニア(緊張病)は,歴史的に統合失調症の緊張型に見られ,精神病理学的に最も深い病態と解釈されてきた。しかしDSM-5では,以前ほど疾患特異性が強調されなくなり,症状レベルでは幅広い疾患で観察され得るという見解が示された。たしかにASD者にも当症状群は少なからず認められ.臨床場面でその対応に迫られることが少なくない9)。
ところで成人の高機能ASD者のカタトニアは,「言葉が出てこない」「身体が思うように動かず動作が遅くなる」「別の行動に移れなくなる」といった自覚症状を伴いやすい13)。しかもいったんカタトニアが生じると,少なくとも数分以上持続し,それが1日に何回も生じることもある9)。場合によっては本人が外来受診できず,家族から対応のアドバイスを求められることもあろう。
筆者はカタトニアを,自己機能(ASD者であればASD型自己の機能)全体の停止状態(ないしは麻痺状態)と理解している2)。生物学的には原始反応(自己危急反応8))に相当するし,タッチパネルに例えれば画面全体のフリーズ現象に例えられよう。したがってカタトニアに対しては,パソコン画面のリセットに準じた作業を思い描くと,対応しやすくなる。つまり機能停止に陥っている自己機能のリセット,具体的にはフリーズを起こした環境からの撤退(場面の転換)を試みるのがよいと思われる。ちなみにカタトニアの誘因となる場面とは,矢継ぎ早の情報流入,突然のアクシデント(予期されぬ計画変更など),著しい心的エネルギーの低下状態(うつ状態や過度の疲労状態)などであることが多い。したがって静かな小部屋など,刺激の少ない空間を提供することが効果的と考える。また回復後の対応としては,カタトニアを誘発した類似の場面(環境)の回避や,その揚面の転換を許容してもらえるような周囲への働きかけが挙げられよう。

注:i) この引用部の著者は広沢正孝です。 ii) 引用中の文献番号「2)」は次に示す本です。 「広沢正孝:成人の高機能広汎性発達障害アスペルガー症候群-社会に生きる彼らの精神行動特性.医学書院,東京.2010.」 iii) 引用中の文献番号「8)」は次に示す資料です。 「中安信夫,関由賀子:自己危急反応の症状スペクトラム-運動爆発,擬死反射,転換症,解離症,離人症の統合的理解.精神科治療学,10(2);143-148.」 iv) 引用中の文献番号「9)」は次に示す資料です。 「太田昌孝自閉症と緊張病(カタトニア).臨床精神医学,38(6);805-811,2009.」 v) 引用中の文献番号「13)」は次に示す資料です。 「高岡健,関正樹:自閉症スペクトラムの1症例にみられた気分障害とカタトニー.臨床精神医学.34(9);1157-1162,2005.」 vi) 引用中の「タッチパネル」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「常に"発達"の視点を持って患者さんを診ることが,広汎性発達障害の正しい診断につながる」の「自己イメージからPDDを読み解く」項 vii) 標記「カタトニア」は引用中の「自己危急反応」としてのものよりももっと幅が広い症候群のようです。その例として次の資料や YouTube を参照すると良いかもしれません。 「統合失調症の治療中に悪性カタトニアを来たした1例」(注:この資料中の「カタトニアの概念・診断」項には引用中の「DSM-5」についての簡単な説明もあります)、「緊張病[基本]カタトニア、統合失調症などで生じる症候群 精神科・精神医学のWeb講義」 viii) 『沖田×華氏(注:小学4年生のときにLD[学習障害]及びADHDと、中学生のときにアスペルガー症候群と、それぞれ医師により診断されています)が小学校3年生のときに緘黙症になったことがあり、この状態を「カタトニア」と呼ぶ』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 1章 《対談①》「なんで普通にできないの?」は“発達女子”には暴力です! の 嫌われまくっても「?」だった子供時代 の『◆「沖田はたまにいなくなる」』における記述の一部(P23~P24)を次に引用します。

(前略)沖田 責められると、言葉が出てこなくなるんです。
小学校3年生のときに緘黙症になったことがあります。1対1でしゃべられると体が固まって言葉が出てこなくなる。頭の中では謝らなきゃとか、いろいろ考えてるんですけど。
岩波 それは「カタトニア」と呼ばれています。
統合失調症に出現する「緊張病」と似ていますが異なるもので、ASDの方に見られることがあります。静止したまま、コチーンとまったく動かなくなってしまい、30分以上もそのままの姿勢でいることもあります。
沖田 そう。いきなり石になってしまう感じ。
私が何も反応しないでいると、相手がどんどんヒートアップしてくるんですよ。私は表情に出ないだけで内心はどうしよう、どうしようって焦りまくってる。まずい、まずい、ここでしゃべらないと先生が怒る。親が怒る。
最終的にボコボコにされて泣くんです。一応泣いて気持ちが切り替わると、ちょっと言葉が出るようになります。だから、先生も手が出るようになっちゃうんですね。
緘黙の治し方ってないんですか?
岩波 緘黙まで行ってしまうと、対応が難しいですよね。周囲が一生懸命働きかけたり、怒ったりしても、逆効果で。むしろいったん場所を変えないといけない。
沖田 そのままリアカーに乗せられて、一番落ち着く場所だった図書室に置いてきてもらうのがいいです(笑)。
岩波 そう、保健室がどこかにちょっと放置してあげて、「ゆっくりしてください」というふうにしないとダメでしょうね。
緘黙というのは、本人の頭の中がフリーズしている状態です。
でもまわりにはわからない。まず、そういう現象があることを、教師が知ることが必要ですね。知らないと、反抗してだんまりを決め込んでいると思って、自分がバカにされているようでイライラしてしまうことになります。
沖田 私は普段はよくしゃべるだけに、不利になるからわざとしゃべらないんだろう、と見られていました。

注:引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。上記「アスペルガー症候群」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」の例について、「ポリヴェーガルのレンズを通して」を含めて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 結論 の「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」における記述の一部及び「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」における記述(P275~P283)を次に引用します。

複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ(中略)

これは、複雑性トラウマを持つクライアントとの四年にわたる物語です。このクライアントは、すでにさまざまなセラピストから、多様な方法論に基づくセッションを複数受けていました。彼女は、そのセッションのたびに、誰よりもがんばったと思うのですが、はかばかしい結果が出ず、なぜなのかいぶかしく思っていました。彼女は、底なしの無力感と怖れと不安の中で生きている、と語りました。彼女の苦しみを終わらせる治療には、出会うことができなかった、と私に言いました。彼女には、自分の苦しみについて話す言葉はたくさんありましたが、そこから安心を見つける能力はありませんでした。瞑想と心理療法は、ただ、彼女の苦しみをさらに深くし、恥をいっそう掻き立て、絶望を深くするだけでした。少しでもトラウマの歴史を探求しようとすると、それは彼女を 「トラウマの再体験へと真っ逆さまに突き落とし」ました。彼女は、安定にあこがれていましたが、決して見つけられませんでした。他者と一緒でも、自分ひとりでも、身体の中にも、それを見つけることはできませんでした。日々の暮らしの中に、安全は存在しませんでした。私がポリヴェーガル理論を紹介したとき、彼女は、またこれもうまくいかなかったらどうしようと不安を持ったようでしたが、それでも、彼女の「治りたい」という不屈の闘志が不安に打ち勝ちました。
セッションという共同作業のはじめから、このクライアントは、「起こらなかったこと」を特定することがプロセスの重要な部分になる、ということを発見しました。私は、幼いときに協働調整を体験すると、人とつながる神経系が育っていくというポリヴェーガル理論の基礎について教え、こうした体験を持つことができると、自分を許し、いつくしむことができるようになるということを説明しました。さらに、彼女にはその人生の初期の協働調整が欠けていたのだ、ということを伝えました。
彼女は、協働調整についてさっぱり学んでいなかったので、調整するのは簡単ではないということを理解しました。ポリヴェーガル理論によると、子ども時代に協働調整を学び、その後自己調整を学ぶ機会があれば理想的だったわけですが、彼女はそうではなかったこと、しかし、まだ神経系は組み替えが可能であることを伝えました。
セッションで私たちは、協働調整を積極的に試すことにしました。彼女は、子どものときには協働調整できなかったが、今、目の前にいる、よく調整のとれた信頼できる人とのつながりの中で、再度協働調整を体験することで、得られなかったことを得ることができるということを理解してくれました。彼女には、一貫性と継続性が最も重要だということがわかりました。私は、彼女に予測可能で、安定した腹側迷走神経系の協働調整の機会を提供しました。数カ月たつと、かつてはすぐに過敏に反応していた彼女の神経系は、セッションの間静かになり始め、さらに好奇心が現れてきました。こうしたやり取りの中で、私自身も、調整不全を感じたことがありました。そこで私は、クライアントのために、自分が何を体験しているかを明らかにし、言語化しました。これはとても重要でした。私自身の神経系を追跡し、私自身の調整不全の瞬間を明らかにすることは、彼女の役に立ちました。そうすることで彼女は、自分が感じているもの、自分のニューロセプションは正しく、自分は安全であると確信を持つことができたのです。
こうして私たちは、彼女に起こらなかったこと、つまり、協働調整がなかったことを通して、セッションを進めていきました。これにはもう一つよいことがありました。彼女は、さまざまな辛い体験の物語を持っていましたが、神経系として理解しようとすれば、こうした物語に深入りしなくて済んだということです。ポリヴェーガルの概念を使って、私たちは、物語ではない、もう一つの道筋をたどりました。彼女は、自分の自律神経系の反応を、彼女の辛い物語と切り離すことを学びました。彼女は、気づき、言語化し、自分の反応に向きあうことを実践しました。彼女は、「奈落の底へと落ちていく体験」を繰り返す傾向がありましたが、それは、適応的な生き残り反応で、基本的な性格の欠陥ではないということを理解し、自分を尊重することを学びました。彼女は、「奈落の底へと落ちていく」ことが繰り返しあっても、それは恥ではないということを理解しました。恥の感覚を蓄積していくことから離れて、彼女は、こうした反応は、かつては生き残るために絶対的に必要だったことを理解し、さらに、今やそうした反応がどれだけ生きることを難しくしているかを認識しました。
トラウマから生き残った多くの人たちと同様、このクライアントは、彼女がいうところの「希望アレルギー」を持っていました。彼女は、ポリヴェーガル理論が、ただ盲目的に希望を持つことに頼らず、科学に基づいているところを気に入りました。彼女はポリヴェーガル理論の基礎を学び、自分にもちゃんと自律神経系の階層があることを知り、自分のシステムは調整に向かうはしごを上に向かって上っていく力を備えていることを理解しました。子ども時代のトラウマのために、彼女の神経系には異なった軌道ができていました。さらに、大人になってからのトラウマ的な出来事によって、防衛パターンが固められていきました。しかし彼女は、ポリヴェーガル理論によれば、自分の神経系も、ちゃんと機会を与えられれば、新しい作用を学習することができると信じる意志がありました。
彼女は私たちの共同作業を、「腹側迷走神経系に向かう微光を堅実に味わうこと」と表現しました。私たちは、この作業を一緒に紡いでいるのでした。腹側迷走神経系優位の安全な時間が、ほんの一瞬立ち現れるのに気づくようになっていきました。このわずかな時間は、今までの彼女の生き残りをかけた古い反応とは一致しません。こうして、わずかな微光を味わうことで、彼女の物語はほんの少しずつ変化し始めました。彼女は、安全の可能性と新しい物語を少しずつ体験し始めました。取り散らかった時間を、前よりひるまないで受け入れられるようになりました。そして、かつて自分は本質的に防衛的なのだと思っていたが、これは自分の本性の問題ではなく、誰もが同じ状況に置かれたら当然示す自律神経系の反応だったのだ、と理解できるようになっていきました。
自身の自律神経系の状態を、マッピングし、トラッキングして、人と一緒に、あるいは自分ひとりで調整を試すことができるようになると、彼女はついに、身体に落とし込んだ安全の感覚を味わうことができるようになりました。信頼とは、世話されることを切望し、依存するという意味ではなくて、レジリエンスを意味するのだ、ということがはっきりわかったと彼女は言いました。ポリヴェーガル理論は、彼女に調整段階をトラッキングする技術を与えました。それは正しいか間違いかではなく、生き残りと希望の二者択一でもないのだということを、彼女ははっきり理解しました。
セッションでは、彼女は自分のことをいろいろと話します。かつては周期的に自殺願望がありましたが、それがなくなり、身体で安全を感じるようになってきたといいます。自律神経系の状態移行をトラッキングすることができるようになったからといって、永遠の平安が約束されるわけではありません。しかし、彼女は言います。「これは、調整不全に耐える間違いない方法です。私の強烈な時間を生き、気づき、言語化し、そして、私のシステムはやがてちゃんと調整を取るだろう、と確信することができます」。
彼女は、最近になって、今まで受けてきたセラピーについても振り返るようになりました。彼女は、ありとあらゆることを試したといいます。これらの方法論は効果的だったかもしれないが、ポリヴェーガルの基盤がなくては、どれも治癒をもたらさなかったといいます。私と彼女の間には、安全な基盤ができあがりました。このおかげで、未解決のトラウマに働きかけるほかの方法論を安全にセッションで試すことができるのです。何かほかのトラウマ療法を使うときも、彼女の自律神経系の状態につねに気を配り、ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしています。そうすることで、彼女のポリヴェーガル的な神経系の基盤の上で最大限の成果を生み出すことができます。彼女は、協働調整と自己調整の力を持ち、神経系についてのポリヴェーガル的な理解を持っているので、トラウマを処理していくうえで欠かせない安全のニューロセプションを獲得することができました。

ポリヴェーガルのレンズを通して

私は可能性の中に住む。――エミリー・ディキンソン

ポリヴェーガルの概念を通したトラウマへのアプローチは、まず神経系と仲良くなることから始まります。クライアントはしばしば、自身の自律神経系と闘っているように感じ、自身の調整不全のパターンに裏切られたと感じています。臨床的な診断を超えて自分の状態を理解することで、クライアントは、自分が取っている行動や信念を、生き残りに貢献する適応的な反応として見ることができるようになっていきます。ポリヴェーガルのアプローチは、クライアントを恥の苦しみから解放します。
クライアントは、マッピングを通して、まず人間の普遍的な自律神経系の反応について理解し、さらに、それに基づいて自分のユニークな反応を理解します。そうすることで、つねに「到底自分には扱いきれない」と感じることから解放されます。とても人恋しくて狂おしいとか、感情が高ぶっているとか、不安定で、不安で、じっとしていられない、といった感覚を持つのではなく、自分の中には、とても敏感な危険探知機があるのだ、という見方をするようになります。気づき、言語化し、恥じることなく自身の反応に向き合うことで、新しい方法でナビゲートするための学びのプロセスを始めます。クライアントが内なる世界を認識するにつれ、彼らは、より微細な状態移行に気づくようになります。そして新しい調整方法を身に着け、柔軟な尺度で自律神経系のトリガーを管理し始めます。
私たちは、協働調整する必要と能力によって定義されます。「『ポリヴェーガル理論』は……個人から文脈の中での個人へと注意を移させる」とあります(Porges, 2016, p.5)。セラピーにおけるポリヴェーガル理論は、協働調整が自己調整に先立って必要であり、トラウマの歴史は、安全体験の欠如と、予測可能な協働調整の体験の喪失と共に神経系に埋め込まれている、ということを明らかにしています。協働調整は、依存関係を作り出しません。むしろクライアントの自己調整とレジリエンスを築く基礎になります。私たちはこれを心に留めて、セッションでは協働調整のための予測可能な機会を頻繁に提供するように心がけます。
ニューロセプションは、絶えず情報をキャッチし続けます。この合図は、この人とのつながりが安全だと伝えていますか? あるいは、危険の合図があるので、つながりを絶つ必要がありますか? 私たちが自分の反応に気づくずっと前から、私たちの自律神経系は反応してきました。そして、それが繰り返されるにつれて、習慣的な反応パターンが形作られます。私たちは、ポリヴェーガルのレンズを通して、これらの生理学的状態が心理的物語を作り出す、ということを理解しています。自分自身について、他者について、関係性についてのクライアントの物語は、彼らの自律神経系の状態に支えられます。自律神経系の状態の調整が取れているとき初めて、クライアントは、柔軟で壮大で、創造的で、スピリチュアルな思考を持つことができます(Porges, 2016)。
クライアントがトラウマの歴史を通って、幸福な人生へと入っていくのに役立つポリヴェーガル理論が約束していることは、自律神経系の科学に根差しています。セラピーの中にポリヴェーガル理論を持ち込むことは、芸術的な作業です。この芸術とは、自律神経系の内なる叡智に敬意を払い、防衛パターンを作り直し、つながりのパターンをリソースとして再形成するのにちょうどよい量の神経系への刺激を与える方法を探すことです。
腹側迷走神経系による安全とつながりの状態こそが、変化を可能にします。私たちはセラピストとして、まず自分がその状態に入り、次にクライアントがその安全の場所に入るのを助けることが必要です。クライアントの防衛パターンの下には、つながりのパターンがあり、表に出たがっています。「この瞬間、安全へとはしごを上るために、自律神経系は何を必要としているか?」という質問が、私たちの仕事を導きます。
クライアントが、取り散らかった状態がずっと続いていると話すとき、私は彼らに、「まだ」を付け加えられることを思い出させ、調整に向かう道を進み続けるよう、自律神経系に誘いの言葉をかけます。「つながりの中の安全を見つけられないのです」「まだ見つけられないのですね」「うまく調整できないのです」「まだ調整できないのですね」「協働調整できるような信頼できる相手を見つけられないのです」「まだ見つけられないのですね」といった具合です。「まだ」は、腹側迷走神経系の力強い言葉であり、変化の先触れです。
この本は、自律神経系をマップ化し、ナビゲートし、再形成するたくさんの道を提供するとともに、創造性への招待状でもあります。ポリヴェーガル理論を、認知的に頭で理解することから一歩進んで、身体に落とし込むと、調整のリズムとあそぶ方法は無限に広がることでしょう。

注:i) 引用中の「Porges, 2016」は次の資料です。 「Stephen Porges: Co-regulation」 ii) 引用中の「マッピング」、「トラッキング」(追跡)、「ナビゲート」については共に同を参照して下さい。加えて上記「追跡」に関連する「トラウマに働きかける生物生理学的方法として一般的なものに、クライアントに自身の感覚を追跡させる方法がある」ことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」 の「さらに正確な内受容感覚を築く」における記述の一部(P225)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマに働きかける生物生理学的方法として一般的なものに、クライアントに自身の感覚を追跡させる方法がある。臨床家としては、クライアントが様々な感覚を味わい、自身が気づいている感覚を正確に報告するのは、当たり前のことだと考えるだろう。しかし、こうした明らかに簡単な課題も、早期トラウマを持つクライアントにはできないかもしれない。』 その上に、上記「トラッキング」に関連するかもしれない「Pain Reprocessing Therapy」における「ソマティック・トラッキング」については次のエントリを参照して下さい。 「Pain Reprocessing Therapy」の「3)安全性のレンズを通じて疼痛を評価する」項 iii) 引用中の「はしご」に関連する「Autonomic Ladder」については拙訳はありませんが次の資料を参照して下さい。 「A BEGINNER'S GUIDE TO POLYVAGAL THEORY」の「The Autonomic Ladder」項 また、これらの用語に関連するかもしれない「パーツアプローチ」の視点からの『自動的に起こる否定的な解釈ではなくて、それをマインドフルに観察する力をつけていきます。そして、刺激に触発された時のパーツの思考、感情、内臓の反応、動きの衝動などを「追跡」し、どのように生存のための反応をしているかをみていきます。』については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「協働調整」についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「腹側迷走神経系に向かう微光を堅実に味わうこと」に関連する「腹側迷走神経系が働き出すと、その兆候はおぼろげな光として体験される」ことについて、同の 第Ⅱ部 神経系をマッピングする の 第5章 トリガーと微光のマップ の「微光」における記述の一部(P90)を次に引用(【 】内)します。 【腹側迷走神経系が働き出すと、その兆候はおぼろげな光として体験されます。安全であるというニューロセプションは、自分自身や他者や環境とのつながりを持とうと思えるようなリラックスした状態を作り出します。すると、安全の合図とともに腹側迷走神経系が活性化するほんのわずかな瞬間に、微光がきらめきます。微光は、生き残りモードにある神経系をなだめ、自律神経系による調整を取り戻すのに役に立ちます。】 vi) 引用中の「ポリヴェーガル理論を、認知的に頭で理解することから一歩進んで、身体に落とし込む」ことに関連するかもしれない「辺縁系セラピー」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「自身の自律神経系の状態を、マッピングし、トラッキングして、人と一緒に、あるいは自分ひとりで調整を試すことができるようになる」ことに関連するかもしれない(自律)「神経系と仲良くなる」ためには「セルフ・コンパッション」が必要なことについて、同の「第Ⅲ部 まとめ」における記述の一部(P163~P164)を次に引用します。

(前略)自律神経系と仲良くなり、寄り添う能力を獲得すると、クライアントは自律神経系の状態が絶え間なく変化していることがわかるようになります。神経系と仲良くなるためにはセルフ・コンパッションが必要です。しかし、クライアントにとって、これは難しいかもしれません。なぜなら、クライアントはつねに自己批判を続けてきたからです。自己批判は習慣化しています。誰もが、生き残りの追求を至上命題としている共通の自律神経系というシステムに沿って生きており、ある特定の状況では、誰でも、自分がしてきたような反応をしてしまうのだということを、クライアントが理解できるようになると、自分に共感する余地が生まれてきます。あるクライアントがこんなことを言ってくれました。長い間、自分は壊れていると思ってきたが、自分の自律神経系が人類共通の反応をしていただけなのだとわかったので、自分を責める気持ちが和らいできた、とのことでした。(後略)

注:引用中の「セルフ・コンパッション」については引用はありませんがツイートを、上記「セルフ・コンパッション」に関連する「コンパッション・フォーカスト・セラピー」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

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以下の【9】【14】では、解離性障害(又は解離症)に関する様々な紹介をしています。上記「解離性障害(又は解離症)」については他の拙エントリのリンク集(用語:「解離(解離性障害、解離症)」)を参照して下さい。なお、 (a) 解離性障害(解離症)において、病気と健常との境目もはっきりしていないことについてはここを、 (b) 「解離は、引き金を引かれたとき無意識で不随意に稼働する場合にのみ、病的だとされる」ことついては他の拙エントリのここここを、加えて解離のメリットとデメリットについては他の拙エントリのここを、 (c) 解離は(背側迷走神経を過剰使用した)凍りつきの心理的側面であることについてはここここを、 (d) 解離における「没入」、すなわち「想像の世界への没入」及び「現実の対象への没入」について、加えて解離性障害における「意識消失と昏迷」については共にここを、 (e) 「解離性の方には、物事をいい加減にできない、真面目にとらえてしまい、自分に100%責任を感じてしまって、というようなことがある」ことについてはWEBページ『「自分が自分でなくなっちゃう!?」解離性障害』の「■解離性障害の方へのアドバイス」項を それぞれ参照して下さい。 (f) 『解離を「自分が何者なのかわからなくなった状態」と考えるにあたって、理解しておくべきこと」について、「こころの科学 221号(2022年1月)」中の野間俊一著の文書「解離の治療とは何か――日常的な精神科臨床の現場から」(P68~P73)の「私は何者なのか」及び「命の危険を回避する」における記述の一部(P68~P69)を一つずつ次に引用(それぞれ『 』内)します。 『自分でも何が起こっているのかよくわからず、自分が真実を述べているのか否かも不確かなまま、記憶が飛び、子ども返りをし、現実感を失い、怒りが噴出し、声がかすれるのである。すなわち、自分が何者なのかが曖昧になっているのである。』、『解離を「自分が何者なのかわからなくなった状態」と考えるにあたって、理解しておくべきなのは、「ポリヴェーガル理論」と「構造的解離理論」である。』(注:引用中の「ポリヴェーガル理論」についてはのここの「最初に」を、「構造的解離」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい) (g) 「解離性健忘」の例については次のWEBページを参照して下さい。 「【4286】虐待された時の記憶が曖昧です」(注:HOME はここを参照して下さい) (h) 子どもにおける「解離症状の理解」については、pdfファイル「子どもの虹情報研修センター 日本虐待・思春期問題情報研修センター 紀要 No.15 (2017)」中の古田洋子著の文書『講義「解離症状の理解」』(P50~P63)を参照して下さい。 (i) 主に女性における「解離型自閉症スペクトラム障害」(解離型ASD)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (j) 「解離はメンタルヘルス領域全般にかかわる根本的な問題なのである」ことについて、「こころの科学 221号(2022年1月)」中の王百慧、黒木俊著の文書「解離って何だろう?――こころのパラレルワールドの謎」(P16~P21)の「こころのパラレルワールドの統合と解離」における記述の一部(P20)を次に引用(【 】内)します。 【また、解離症状は解離症やPTSD以外にも境界性パーソナリティ障害アルコール依存症ギャンブル依存症統合失調症、不安症、うつ病など、ほとんどすべての精神疾患に認められる(5)。解離はメンタルヘルス領域全般にかかわる根本的な問題なのである。】(注:引用中の文献番号「(5)」は次の論文です。 「Dissociation in Psychiatric Disorders: A Meta-Analysis of Studies Using the Dissociative Experiences Scale」) (k) 「長い闘病生活に苦しむとき,ストレスに対する耐性が低下して,比較的わずかな刺激で解離症状をしめすこともある」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (l) これら以外にも、「防衛・適応としての解離・転換」について、亀岡智美著の本、「子ども虐待とトラウマケア 再トラウマ化を防ぐトラウマインフォームドケア」(2020年発行)の 第Ⅱ部 子ども虐待とケア の 児童期における解離・転換性障害 の Ⅰ 正常発達段階で認められる解離・転換 の「2. 防衛・適応としての解離・転換」における記述(P113)を次に引用します。 『これまで,さまざまな民族や宗教・文化において,神がかり的な変性意識状態・憑依・擬死反射やけいれんなど,解離や転換症状にきわめて類似した現象が報告されている。これらの現象は,「弱者から強者に対する異議申し立てと困難の超越」(田中,2007)としても解釈されており,心理的葛藤や過度のストレスへの「防衛」あるいは「適応」としての側面を持つと考えられている。』(注:1) 引用中の「田中,2007」は次の文書です。 「田中究(2007)解離をめぐって考えていること.こころの科学,136 (11) ; 102-108.」 2) 引用中の「転換症状」に関連する「転換性障害(変換症)」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「変性意識状態」に関連する「解離性意識変容」についてはここを参照して下さい。 4) 引用中の「擬死反射」に類似する「擬死」についてはここ、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 5) また、上記「トラウマインフォームドケア」については次の資料、WEBページや YouTube を参照して下さい。 「精神科医療におけるトラウマインフォームドケア」、「【第Ⅰ部】トラウマインフォームド・ケアを学ぶ ~トラウマのメガネでみてみよう~」、「精神科救急医療ガイドライン2015年版」の 第3章 興奮・攻撃性への対応 の Ⅱ.興奮・攻撃性への対応に関する基本的な考え方 の「1.トラウマインフォームドケア」項)、「Trauma Lens こころのケガに配慮するケア」、「トラウマ・インフォームド・ケア(TIC)パート1

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【9】解離の心的体験における舞台を用いた比喩的な表現及び解離の病因論としての諸要因について

前者について柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 3 解離の舞台 の「2 意識の舞台」における記述の一部(P053~P055)を次に引用します。

(前略)あらためて解離の心的体験について舞台を用いて比喩的に表現してみよう(1)。自分の人生、主観的体験世界があたかも舞台の上での出来事のように感じられることが、ここでいう「舞台体験」である。世界は狭まったものとして体験され、見通しが悪くなっている。世界はその地平から切り離されたものとして、浮き上がった舞台、劇場として体験される。広大な世界のなかの自分に「私」が同一化、一体化、没入できないでいる。患者は現実と空想の狭間に漂っている。
舞台の上のスポットライトは、舞台の上の自分自身への同一化を促す。そういった意味で、スポットライトは現実あるいは空想の世界へと導く通路である。そうした世界のなかの自分に同一化すれば、舞台という感覚は消失する。しかし、舞台体験とはあくまでそうした同一化ができない状態であり、そのとき「私」はスポットライトを浴びている「私」、そこから少し離れてその「私」を(背後から)見ている「私」、舞台の外から舞台の上の「私」を見ている「私」に分離している。それぞれの「私」は視点の位置が異なっており、かつ視野が狭まっている。
ジャネ(1974)はヒステリーについての記述のなかで、「一瞬ごとに結び合わすことのできる単純な、あるいは比較的単純な現象の数多くのもの、つまり、われわれ白身の人格に一度の人格的認知によって結びつけられ得るようなもの」を意識野と呼び、「ひとつの人格的意識に同時に結びつけられ得る心的現象の数が減少することから成る衰弱」を意識野の狭窄とし、さまざまな観念や機能の結びつきが人格的意識を構成していると考えた。
意識野の狭窄と人格的意識の解離は表裏の関係にあるという。つまり「ヒステリー=解離」の心的体験には意識の狭窄と分離がある。ジャネのヒステリーについてのこうした記載は解離の体験にも当てはまる。
解離の症状構造(柴山 2007, 2010b)から捉えると、解離の「私」は基本的に、舞台でふるまい演じている「存在者としての私」とそこから離れて浮遊する「眼差しとしての私」という二つの「私」に分離する。「存在者としての私」は舞台の上の人間関係から逃れることができない舞台の上の「私」としてある。もうひとつの「眼差しとしての私」は舞台の上の「私」から離れて、その「私」を離れた位置から見ている。「眼差しとしての私」は舞台の上の「存在者としての私」という器を離れて定点なく漂い、時に自分の背後を漂い、あるときは舞台の上の「私」に眼差しを向ける観客に重ね合わされる。このとき「存在者としての私」は舞台に偏在する「眼差しとしての私」の気配や眼差しに対して過敏になっている。
解離の患者は時に自分のことを、しばしば次のように表現する。「自分がいて、それを見ている自分がいる。そしてその全体を見ている自分がいる」。ここに見られるのは「存在者としての私」「眼差しとしての私」「全体を俯瞰する私」(「観客としての私」)という三つの「私」である。「眼差しとしての私」を夢のなかの自分とすれば、「全体を俯瞰する私」は夢のなかで夢を見ている自分にたとえることもできる。そういった意味で、「全体を俯瞰する私」は「眼差しとしての私」の延長上にあるとも言えよう。これらの「私」は通常統合されているが、解離においてはそれらが容易に分離して体験され、境界を失って拡散していくかのように感じられている。
覚醒した意識は、世界のなかで「ここ」と「そこ」を、自己と他者を、さらに知覚と表象をそれぞれ区別することができ、境界づけ、それらを自己の体験世界のなかに統合的に位置づけることができる。しかし解離ではこうした覚醒機能は減弱している。「ここ」は「そこ」となり、「そこ」は「ここ」となる。自己は他者になり、他者は自己になる。知覚は表象のようにぼんやりと把握しづらく、表象は知覚のように生々しく体験される。

注:i) 引用中の註「(1)」の記述(P060)を以下に引用(『 』内)します。 『岡野(2007)もまた解離性障害における舞台とスポットライトについて述べている。』〔注:引用中の「岡野(2007)」は次の本です。 【岡野憲一郎(2007)『解離性障害――多重人格の理解と治療』岩崎学術出版社】〕 ii) 引用中の「ジャネ(1974)」は次の資料です。 【ピエール・ジャネ[高橋 徹=訳](1974)『神経症医学書院】 iii) 引用中の「柴山 2007」は次の資料です。 【柴山雅俊(2007)『解離性障害――「うしろに誰かいる」の精神病理』ちくま新書】 iv) 引用中の(柴山)「2010b」は次の本です。 【柴山雅俊(2010b)『解離の構造――私の変容と〈むすび〉の治療論』岩崎学術出版社】 v) 引用中の「ヒステリー」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「没入」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 viii) 引用中の「表象」についてはメンタライジングの視点から拙エントリのここを参照して下さい。

一方、後者について柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 9 解離の病因論 の「1 解離の諸要因」における記述(P135~P137)を次に引用します。

1 解離の諸要因

従来、解離性障害の病因としてはさまざまな要因が報告されてきた。なかでもクラフト(Kluft 1984)による解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder : DID)が生じる四因子説は有名である。彼が提示したのは、①被催眠性などの解離能力、②子どもの自我の適応能力を圧倒するような外傷体験、③解離的防衛という型を決定し病像を形成する外的影響や個体側の生来的素質、④重要な他者からの刺激防御や修復経験が供給されないこと、という四因子である。ちなみに、②には性的虐待、身体的虐待などの代表的な外傷体験に加え、重要な他者の死、疼痛や病気、先天的奇形、原光景への曝露などが挙げられている。③には自己催眠、イマジナリーコンパニオン、メディアや文学、さらには面接技法の誤りなどが挙げられている。
こうしたクラフトの四因子は、大きく個体側の要因と環境側の要因に分けられる。個体側の要因としては被催眠性が重要である。一般に解離性と被催眠性との相関自体はそれほど高くないが、早期に多数の加害者による外傷を受けた人たちにおいては解離性も被催眠性も高いと言われており、パトナム(2001)はこういった人々を二重解離者(double dissociations)と呼んだ。
被催眠性との関係で言えば、空想傾向(fantasy-proneness)もまた解離との関係が示唆されている。空想傾向とは、ウィルソンとバーバー(Wilson and Barber 1983)が催眠にかかりやすい人々の特徴として挙げた特徴であるが、空想傾向が認められた群の多くの人々は、幼少時に遊んでいた人形や動物の玩具が実際に生きており、独自の人格をもっていると信じていたと報告する。また小さな妖精や守護天使、木の精などが実在しているものと信じ、想像上の友人と遊び、時に彼/彼女らを実在の人や動物のようにはっきりと見、聴き、触れたと振り返る。
また環境側の要因としては性的虐待や身体的虐待などが挙げられる。一九八〇年代になって、解離性障害摂食障害自傷行為や危険な行動、物質乱用などの要因として、幼少期の外傷体験(性的虐待、身体的ないしは心理的虐待、ネグレクト)が関係していると認識されるようになった。欧米ではDIDの約七〇-九〇%に幼少期の性的虐待や身体的虐待が見られたという報告もある。幼少期の外傷体験が重なる場合を除いて、成人期における外傷体験はあまり解離促進的ではないとも言われる。自然災害や戦争などが直接的に解離性障害の要因となることは稀である。自然災害や戦争が影響を与えるのは、それらによって重要な養育者の喪失や家族という場に変化がもたらされたときである。
問題となるのは個人に向けられた外傷ストレスであり、個人を取り巻く場の変容である。家族内の要因としては、性的および心理的・身体的虐待などとともに、家庭という場におけるストレスがある。家庭外についてはいじめ、差別、虐待などの要因が挙げられる。
そこには愛着対象との関係、予測不能性、意味把握の困難、反倫理性、秘匿性などさまざまな要素が含まれていることが多い。なかでも愛着対象との関係、受動性、予測不能性と意味把握の困難については幼少期において、秘匿性については思春期においてより外傷的になる。こういった意味で最も外傷的となるのは幼少期における家庭内の近親者による性的虐待であることは間違いない。家庭外の外傷であっても、それが家庭内で癒されることはしばしばある。しかし性的外傷はなかなか親に訴えられずひとりで抱え込み、心の奥底に消化されることなくそのままの形で隠されてしまう。口に出して表現されることがなく封印された体験ほど解離の要因となる。

注:i) 引用中の「Kluft 1984」は次の論文です。 「Treatment of multiple personality disorder. A study of 33 cases.」 ii) 引用中の「パトナム(2001)」は次の本です。 【フランク・パトナム[中井久夫=訳](2001)『解離 若年期における病理と治療』みすず書房】 iii) 引用中の「(Wilson and Barber 1983)」は次の資料です。 【Wilson, S.C. and Barber, T.X. (1983) The Fantasy-prone personality : Implications for understanding imagery, hypnosis and parapsychological phenomena. In : A.A. Sheikh (Ed.) Imagery : Current Theory, Reaserch, and Application. New York : John Wiley, pp. 340-387.】 iv) 引用中の「摂食障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「解離性同一性障害」に相当する「解離性同一症」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「診断と分類」項 一方、引用中の「解離性障害の病因」に関連するかもしれない、解離の病態メカニズムとしての副交感神経優位の「低覚醒状態」については同WEBページの「病態メカニズム」項を参照して下さい。 v) 引用中の「物質乱用」に関連する「物質依存」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「物質依存(薬物など)」)を参照して下さい。 vi) 引用中の「イマジナリーコンパニオン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「外傷体験」に関連する「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

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【10】解離性障害の初発症状について

標記について柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 4 怯えと過敏 の「3 解離のはじまり」における記述の一部(P066~P067)を次に引用します。

3 解離のはじまり

次に解離性障害の初発症状を取り上げ、解離症状がどのような領域からはじまり、そこにはどのような構造が見られるのかという点について考察したい。これらのことについて把握しておくことは、解離の病態理解とともに、診断、経過の予測の見通しをつけることを容易にするからである。(中略)

解離性障害の患者は、友人関係がうまくいかなくなったり、恋愛関係が破綻したり、ストーカー被害、性的外傷体験などを契機に発症することが多い。つまり、自分の願望が挫折したり、人に裏切られたり、恐怖の体験をするなどといった状況で発症する。これらは人間関係における広い意味での挫折体験であり、気分障害統合失調症の発症状況とは異なっている。
離人症や健忘、人格交代など解離性障害に典型的に見られる症状は、初発症状としてはそれほど多くない。最も多い訴えは身体症状である(表参照)。たとえば動悸、頭痛、動悸、過呼吸、吐き気、失声、めまい、頭痛、意識消失などといった多彩な身体症状である。身体症状には不安が伴っており、時に典型的な不安発作が現われる。そのため初診時には不安障害やパニック障害、社交不安障害などと診断されることが多い。またそこから派生する抑うつ感のために、うつ病と診断されていることも多い。
多彩な身体症状と不安の次に、初発時に多い症状は対人過敏症状である。患者は「電車に乗ることが怖い」「人が大勢いるところが怖い」「外出が怖い」「周りから変な人のように思われている」などさまざまに訴える。こうした対人過敏症状は従来あまり知られてこなかったが、実際には解離性障害の初発当時から身体症状や不安とともに出現していることが多い。
対人過敏症状は広場恐怖と一見似ているが、実際にはそれと異なっているところもある。通常の広場恐怖のように、予期せぬ不安発作が起こるのが怖くて人が大勢いるところや閉じ込められた状況を避けるというのではなく、漠然と大勢の人がいるところや乗り物を避けるのである。対人過敏症状には、「自分がどうにかなってしまうのではないか」という内からの不安ではなく、基本的に外の刺激に圧倒されるのではないかという不安が見られ、時に 「自分が人から傷つけられるのではないか」といった外への恐怖を伴うことがある。かつての対人恐怖の特徴である漏洩性や加害性が見られることはまずない。このような特徴は西田(1968)が指摘した「周囲に対するおびえの意識」と共通している。
離人症や健忘、人格交代、幻覚などといった典型的な解離症状が初発時に見られる場合は病像がすでに完成していることが多い。こういった典型的な解離症状は通常、発症後しばらく経過してから見られる。
以上のように、初発症状は、多彩な身体症状と不安、さらに対人過敏症状が主たる症状である。このことは発症時の状態が、緊張・過敏・過覚醒へと偏っていることを示している。離人症や健忘、失立失歩や運動麻痺などといった弛緩的な症状は、経過のなかで後に現われることになる。緊張と弛緩といった関係からすれば、初発症状は緊張方向へと偏っていると言えよう。(後略)

注:i) 引用中の「表参照」に対し、表そのものの引用は省略しますが、表の内容については形式を変えて次に示します。すなわち、解離性障害の初発症状として、(1) 多彩な身体症状と不安、(2) 過敏症状(対人過敏・気配過敏)、(3) 健忘、(4) 離人症、(5) 過食・拒食、(6) 幻覚、(7) 抑うつ、(8) その他(人格交代、自傷など) がリストアップされています。 ii) 引用中の「西田(1968)」は次の資料です。 【西田博文(1968)「青年期神経症の時代的変遷――心因と病像に関して」『児童精神医学とその近接領域』9; 225-252】 iii) 引用中の身体症状に関する記述における用語「動悸」及び「頭痛」は、ダブっているようですが、そのまま引用しています。 iv) 引用中の「気分障害」に関連する「うつ病」及び「双極性障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「不安障害やパニック障害、社交不安障害」に関連する、「不安障害(不安症)、「パニック障害」及び「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「離人症」に関連する「解離性離人症」についてはここを参照して下さい。

加えて解離性離人症について、柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 6 想像的没入と眼差し の「2 解離性離人症」における記述(P091~P093)を次に引用します。

2 解離性離人症

離人症をすべて解離性離人症とみなすことはもちろんできない。一般に、離人症は共通してさまざまな「実感のなさ」を訴える症候群である。現在のような解離性離人症が臨床でしばしば見られるようになったのはおそらく一九七〇年代からであり、その頃から「実感のなさ」を主症状とする離人症の病像が変化してきているように思われる。解離性離人症を「離人症様」の症状とみなして離人症には含めない立場(安永 1987a)もあるが、私自身は解離性離人症離人症に含めたほうが生産的であると考えている。ただし離人症は「実感のなさ」など多くの共通した部分をもちながら、解離性と非解離性のあいだには微妙な色合いの違いがあることもたしかである。
非解離性離人症では、「実感がない」という感覚に加えて、「自分がいるという実感がなくなってしまった」「自分の感情がなくなってしまった」「考えることができなくなってしまった」など、以前には自然に存在していたものがなくなってしまったという喪失感や脱落感が目立つ。「実感がない」という訴えに加え、「自分が変わってしまった」「実感がなくなってしまった」という苦悩に重点が置かれる。自己と世界とのあいだのみならず、現在の自分と過去の自分とのあいだなど、自己のなかの「ずれ」「裂隙」「断層」(安永 1987a)などの不連続性が顕著である。
それに対して解離性離人症では、「地面から浮いている」「自分から離れているようだ」「現実から離れている」「夢のなかにいるようだ」といった表現をすることが多い。先の喪失感や脱落感、不連続性などを思わせる言述もないわけではないが、それ以上に自分自身から離れているという感覚、夢と現実、表象と知覚とのあいだの区別のつかなさ、境界のなさを特徴とする。
このように解離性離人症と非解離性離人症との最も大きな違いは意識変容の有無にある。解離性離人症には意識変容があり、非解離性離人症にはそれが認められない。空間的変容に見られる「眼差しとしての私」は現実の世界のなかにいる「私」が見る夢のようなものである。解離性の離人症状は意識状態の変化によって大きく影響を受けるが、非解離性離人症ではそういうことはまずない。解離性離人症では軽い暗示や催眠によって覚醒度を上げると、「周囲が明るく感じる」「視野が広がって見える」「さっきまでと全然違う見え方」などと述べることが多い。
さらに解離性離人症では、解離性健忘や交代人格との関連が示唆される離人感が含まれていることが特徴的である。すなわち「自分の過去なのに自分の過去のような気がしない」「自分の過去や記憶がぼんやりとして、それが自分のものである感じがしない」など健忘の一歩手前のような離人感を訴えたり、あるいは「自分の今の体験がまるで他人のもののような感覚がする」など交代人格への移行を思わせる離人感を訴えたりする。

注:i) 引用中の「安永 1987a」は次の本です。 【安永 浩(1987a)「離人症土居健郎ほか=編『異常心理学講座 第4巻』みすず書房 pp. 213-253】 ii) 引用中の「表象」についてはメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

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【11】解離性障害における過敏症状の詳細について

標記について柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 4 怯えと過敏 の「4 過敏症状」における記述の一部(P068~P070)を次に引用します。

4 過敏症状

次に過敏症状について詳しく見てみよう。「電車に乗るのが怖い」「人込みが怖い」などといった対人過敏症状は、過剰同調性に見られる目の前の「人に対する怯えの意識」と同じ系列の症状であり、その発展形とみなすことができる。患者は「電車に乗ると人の目が怖い」「人が大勢いるだけで怖い」「横断歩道で人がこっちに向かって歩いてくるのが怖い」などと訴えるが、これらは怯えの対象が自分のほうへと迫ってくるという特徴がある。
対象が背後から迫ってくることもある。たとえば「誰かに刃物で後ろから傷つけられそうで怖い」とか「誰かが後ろからつけてくる」と言う。またプラットホームで、線路から数メートル離れているにもかかわらず、背後から誰かに押されるのではないかといった怯えを感じていることもある(1)。階段やエスカレーターでも、背後に同様の怯えを感じるため、降りるときが怖いと訴える。
対人過敏症状を訴える時期には、すでに家のなかでも同様の過敏症状が見られることが多い。たとえば「部屋のなかにいても、どこかから誰かに見られているようで怖い」「カーテンの隙間が怖いので、カーテンを隙間のないように閉めている」「窓ガラスに誰かの影が映っているのが見えた」「部屋の隅がなんとなく怖い」「ドアの隙間から誰かが覗いているような気がする」「背後に誰かがいる気配がする。私を見ているようで怖い」などと訴える。風呂(とりわけ洗髪時)やトイレに入っているときなど無防備な状態にこういったことを感じやすい。
対人過敏症状が家の外で見られる症状であるのに対して、家の内で見られるこのような過敏症状を気配過敏症状と呼ぶ(2)。気配過敏症状は家のなかでの症状であるため日常生活に大きな支障を生じることは少なく、対人過敏症状に見られるような「外出恐怖」などの病理性は目立たない。しかし、昼間でも自室のカーテンを閉め切ったり、強い不安と恐怖が見られたりする場合には注意が必要である。これら対人過敏症状と気配過敏症状、視覚、聴覚、触覚などの知覚過敏を合わせて空間的変容における過敏とする。
気配過敏症状は、対人過敏症状のような現実の人に限定された過敏性ではなく、「漠然と人を超えた存在」に対して過敏になる要素を含んでいる。このような対象の曖昧さは日本語の気配という言葉によく表われている。(中略)

過敏症状は対人過敏や気配過敏に限らない。それはモノとの関係を巻き込むことがある。次の症例はこうした過敏症状の特徴をよく表わしている。

●症例I[女性・二〇代後半・解離性同一性障害
さっきまではモノが自分とつながって、意味で溢れていた。モノが心をもっていて、自分に対して要望や要求を突きつけてくる。自分はモノとの関係のなかにいる。あらゆる関係が自分に迫ってくるので、目を閉じてしまう。カードやティッシュからさえも情報が来る。ティッシュも自分に要求してくる。それがどこで作られているとか、物語が自分に伝わってくる。「大事に使ってね」などというメッセージが来る。絵を見るも、「それを描いているときに赤ちゃんが泣いていてね」とかメッセージがモノから来る。モノがただのモノだとありがたいですね。人だとすごいことになる。音や映像、ストーリーが入ってきてしまう。私は私、あなたはあなたという関係にならない。

周囲の刺激が自分のほうへと迫ってきたり、さまざまな情報が自分に迫ってきたりする。そのことと連動して、頭のなかが思考や表象、感覚でいっぱいになる。こうした思考や表象関係の過剰性(思考促迫)などもまた過敏症状に伴うことが多い(柴山 2010a)。そこから回復すると霧が晴れたように、そうした状態から抜け出すことができる。症例Iも面接が終了したときには、こうした意識変容状態はまったくなくなっていた。

注:i) 引用中の註「(1)」の記述(P074)を以下に引用(『 』内)します。ただし、註「(2)」の記述の引用は省略します。 『線路に落ちてしまいそうで怖いという「線路恐怖」は、このような背後から押される恐怖のほかに、線路に吸い込まれてしまうという恐怖を伴っていることが多い。これは通常ある境界や歯止めの実感ではなく、容易に「いま・ここ」から漂い離れ、境界を乗り越えてしまうという意識を含んでおり、過敏の裏には離隔が、離隔の裏には過敏があることを示している。』(注:引用中の「離隔」については次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項) 加えて「離隔と過敏は状況によって交代してあらわれるのが解離症の特徴である」ことについて、「こころの科学 221号(2022年1月)」中の柴山雅俊著の文書「解離症のこころとからだ」(P22~P27)の 解離症のこころ の「(1) 空間的変容に基づく症状」における記述の一部(P23)を次に引用(【 】内)します。 【離隔と過敏は状況によって交代してあらわれるのが解離症の特徴であり、多くの場合、離人症がみられるなかで、ときおり対人過敏や聴覚過敏など過敏症状が出現する。】(注:引用中の「離人症」に関連する「解離性離人症」についてはここを参照して下さい) ii) 引用中の「柴山 2010a」は次の資料です。 【柴山雅俊(2010a)「解離と不安」『臨床精神医学』39 ; 411-414】 iii) 引用中の「過剰同調性」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「知覚過敏」に関連する「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「表象」についてはメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「思考促迫」についてのWEBページ「解離症 - 脳科学辞典」の「精神病様症状」項における次に引用(《 》内)する記述があります。 《「頭の中がゴチャゴチャして混乱している(思考促迫)」》 加えて、上記「解離症のこころの「(1) 空間的変容に基づく症状」において次に引用(『 』内)する「思考促迫」についての記述(P24)があります。 『思考促迫は、さまざまな断片化した表象が(あたかも知覚のように)頭の中にひしめき、思考の脈絡がみられない体験であり、身体の緊張を伴うことが多い。統合失調症の自生思考に類似しており、鑑別は困難である。診断は全体の病像から行う必要がある。』(注:引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい)

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【12】解離性障害において触覚や皮膚感覚、体内の深部感覚に違和感や異常が現れることもあることについて

標記について柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の「感覚の異常 体の中を虫がはい上がってくる」における記述の一部(P30~P31)を次に引用します。

(前略)痛み、疼き、違和感がある
解離のある人は、頭や体の中の異常な感覚にひどく悩まされていることがあります。このような感覚の異常を「体感異常(セネストパチー)」といいます。
感覚の異常は、主に頭の中に固まりがあるとか、頭の中に小さな虫がいる感じがすると訴えます。脳をかきまぜられているとか、むずがゆい感じがするという人もいます。手足に虫がはっているとか、皮膚のすぐ下を虫がはい回っていると言うこともあります。
しかし、解離ではあくまで感じがするというレベルで、確信しているわけではありません。確信している場合は、統合失調症うつ病など、別の病気を考えます。(中略)

体のどこに?
感覚の異常は、主に頭部や脳、皮膚、手足の指などに感じることが多いといえます。体の深部、内臓に異常を感じることもあります。(中略)

どんなふうに?
感覚はさまざまです。むずむず動く感じや引っ張られる感じ、つまっている感じ、かきまぜられる感じなどで、不快な感覚に悩まされます。(後略)

注:i) 引用中の「セネストパチー」に関連する、自閉スペクトラム症における「セネストパチー」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「統合失調症」及び「うつ病」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

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【13】解離性意識変容について

多彩な解離性症状が見られた症例を含む標記解離性意識変容について、柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 7 時間的変容の諸相 の「5 解離性意識変容」における記述の一部(P110~P114)を次に引用します。

5 解離性意識変容

次に提示するのは解離性意識変容を呈した症例であるが、多彩な解離性症状が見られたことで参考になる(柴山 2000, 2010b)。解離性意識変容は、「まえがき」でも述べたように、解離の病態理解にとって不可欠な要素となっている。

●症例W[女性・二〇代半ば・特定不能解離性障害
幼少時は海外で過ごす。小学校低学年で帰国し、小学校のときは周囲からいじめられることが多かったという。大学二年のときにレイプ事件の被害者となり、そのため人工妊娠中絶を経験している。その後、失神発作が見られるようになった。そのときはまず頭痛から始まり、そのうち意識が朦朧としてきて、動悸、めまい、吐き気、全身の硬直、振戦、手指硬直、呼吸困難などの身体症状が現われ、最後に崩れるように倒れる。覚醒するとケロッとして明るくなる。夕方から夜にかけて散歩に出かけたりすると、「ぼーっとしてきて、自分が呪われているんじゃないかと感じた。ゴミ袋を見ると人に見える。塀の上に誰かが座っている感じがする」と言う。
二〇代前半、食事中に恋人と喧嘩して路上に飛び出そうとするなど衝動的な行動が目立つようになったため、精神科を受診した。面接では、「頭のなかの脳が震えるようで。心と体と頭がばらばら。何が何だかよくわからない。釣り糸のように頭が絡まっている感じ……。言っていることがよくわからない。頭の半分が寝ていて、頭の半分がこんがらがっている」「時々自分の名前を呼ぶ声や泣き声が聞こえる」と言う。「どこへ行けばいいのかわかりません。居場所がない。死にたくなる」と視線が定まらずうつろな表情である。支えないと立っていられない状態であったため入院することになった。
入院後の面接では、「この数日間は中絶のことを想い出して怖い。赤ん坊の声が実際に聞こえてくる。脳味噌が半分寝ている。時々喋りたくなくなる。声が出ない。喉が詰まる感じ。無言になっちゃう」と言う。そのうち体全体に振戦が見られ、ふらふらしながら面接室を出ていく。過呼吸になって床にしゃがみこんで、ぼーっとした表情で壁を見つめている。周囲の問いかけにも応答しない。そのうち頚や手が震えてくる。丸めたティッシュペーパーに何かを書こうとする。「私は今死んでいるんです。火星から来た宇宙人みたい。魂が飛んでいって抜け殻のよう」と言い、しばらくしてから我に返る。その間のことを覚えていない。面接中に急に笑い出すこともあった。面接で次のように語った。
「時々現実感がなくなる。人が一杯いると、一人だけ宙に浮いている感じになる。周りが異常に気になる。人が多いと恐くなる。人を見ていると何か自分だけが違和感があって、気がおかしくなりそうで恐い。自分だけが同じ血が流れていない感じ。死に対する不安がなくなって、ロボットみたいになる。周りが映画のセットみたいで、作られた物のような気がする。時々自分の体重が変わるというか、フワッとなる。方向感覚がわからない。そういうときはどこから来たのかわからなくなる。何か魂が抜けた感じ。どんどん忘れてしまう。人が言っていることもわからない。表面的に流れてしまう。芯がない。体は固まるけど中身が空洞。自分で人間なのかなぁと思う。指が五本あるのが恐い。物が恐い。椅子が恐い。自分が生きているのか死んでいるのか。彼も母親も何か変な物体が動いている感じがする」。
「急に手が震えてきて、まずいと思って布団に入るけど、急に意識が遠のく。物ががーっと迫ってきて、鮮明になる。いろんなことを思いついたり想い出したりするため、頭のなかがパニック状態になって混乱する。頭にいろんなシーンがパッパッと出てきては消える。自分で考えようとしているんじゃなくて、支離滅裂に浮かんでくる。すると何かをせずにいられない。水風呂に頭をつっこんだりする。頭に画鋲を刺したらどうなるかとか、血管をえぐり取るとどうなるかとか、包丁で手に線を入れたり、切り落としたりするとどうなるのか、といったことが頭に浮かぶ。前だったらそれで過呼吸で倒れたり、髪の毛を抜いたり、カッターを手に突き刺したりしていた。感情をコントロールできないから体に痛みを与えるんです」。
「周りが恐いと思ったときは音に敏感になる。誰かがうしろにいるようで恐い。人の気配がする、水のぽたぽた落ちる音が異常に大きく聞こえる。人間が気持ち悪い。異様に感じる。手が動いて、首があって、口がパクパクして気持ち悪い。なんでこういう固まりなんだろう。なんでこういう形をしているんだろうと思う。夕方、気を抜いた時間に多い。そんなときは部屋の隅っこにうずくまって、カーテンで囲んで、親や人が恐いので近寄るなと言う。虫が湧いているようでムズムズしたりするので、水をかけたり足を叩いたりすることもある」。
廊下で倒れ込んでベッドに戻るが、急に表情が変わり、裸足で歩きはじめる。面接室に入ってしゃがみ込む。棚にあるものを取り出したりする。まとまりなく引き出しを開けたり、器具をつかんだりしている。イライラして周囲の人に絡んだりする。
家族によると、家では周囲が抑えられないほど興奮することがある。暴れて頭を叩いたり、家のなかを走り回ったりする。所かまわずスプレーをまき散らしたり、物を投げたり、物で頭を叩いたりする。表情は険しく、火をつけようとすることもあった。父親が抑えようとすると「痴漢」「レイプ」と叫ぶ。突然に我に返り、その後は健忘を残す。
約三カ月半で退院し、外来通院となった。外来治療を継続し、翌年には服薬を終了することができた。その後、それまで交際していた男性と結婚した。以後、落ち着いた状態にある。

この症例は意識消失発作から始まり、朦朧状態、錯乱状態、幻視、幻聴、錯覚、体感異常、健忘、昏迷、興奮、思考促迫、離人症状、対人過敏、気配過敏、自傷行為、知覚過敏、身体症状など、人格交代を除いた解離のほとんどすべての症状を呈している。(中略)

症例に見られた解離性意識変容を検討してみよう。軽度の場合、朦朧状態は必ずしも明確ではなく記憶が保たれていることも多い。そうしたとき体験は空間的変容として現われる。つまり離隔と過敏が特徴的である。時間的非連続性はさして目立たないが、こうした矛盾する要素を含むため、それらが交代する時間的変容の可能性を内蔵している。意識変容が中等度以上になると朦朧状態がはっきりと見られるようになる。朦朧状態は急に始まり突然に終わり、その後に健忘を残す意識野が狭窄した状態である。その点で時間的変容に含めることもできる。それまでの離隔や過敏は遠隔化や近接化(柴山 2010)の傾向を強め、周囲世界は不気味に遠ざかったり迫ってきたりする。人の言っていることもわからなくなり、記憶もどんどんなくなる。あるいはフラッシュバックに悩まされ、不安と恐怖のなかで頭が混乱する。意識変容が重度になると激しい興奮状態へと至ることもある。
解離性意識変容は、空間的変容から朦朧状態つまり時間的変容まで幅広い状態を含んでいる。交代人格が見られる状態を意識変容状態と捉えるか否かに関しては意見が分かれるであろうが、少なくとも意識変容を基盤として発展した症状と考えられる。(後略)

注:i) 引用中の「柴山 2000」は次の資料です。 【柴山雅俊(2000)「意識変容を呈した解離性障害の一症例――解離性意識変容の病態構造について」『臨床精神医学』29 ; 1385-1392】 ii) 引用中の(柴山)「2010b」は次の本です。 【柴山雅俊(2010b)『解離の構造――私の変容と〈むすび〉の治療論』岩崎学術出版社】 iii) 引用中の「体感異常」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「思考促迫」についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「対人過敏」や「気配過敏」を含む「過敏症状」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vii) 引用中の「離人症状」に関連する「解離性離人症」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「昏迷」についてはここここを参照して下さい。加えて、引用中の(解離性)「昏迷」と「擬死反射」との関係については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「体感異常」についてはここを参照して下さい。 ix) 引用中の「離隔」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項 x) 引用中の「身体症状」に関連する「解離性身体症状」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 xi) 引用中の「知覚過敏」に関連する「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

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【14】解離性障害における過剰同調性と居場所について

最初に標記過剰同調性について、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の「気質的要因 他人に合わせすぎて、自分を見失う」における記述の一部(P68)を次に引用します。

(前略)幼い頃から「いい子」だった
解離のある人には、「いつも相手に合わせようとしていた」という人が多くみられます。「過剰同調性」といいます。
背景には「相手を怒らせたくない」「相手に嫌われるのではないか」といった他者に対する不信や不安、おびえがあるといえます。虐待やいじめを受けた場合は、特に顕著になります。抵抗や反撃をすることができず、ひたすら相手に合わせるしかないのです。
そうした行動は本心ではなく、自分が望んでいることでもありません。「自分がどういう存在か、わからない」といった感覚を抱え込んでしまうのです。(後略)

さらに詳細には、柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 9 解離の因果論 の「4 過剰同調性」における記述の一部(P142~P145)を次に引用します。

4 過剰同調性

解離性障害の患者には発病以前から認められる対人関係の特徴がある(柴山 2010a, 2010b)。目の前の相手や周囲の人に対して、過剰に気を遣って、合わせてしまう過剰同調性のことである。周囲に対して自己主張することがなく、その場その場で周囲の他者に合わせるのである。それが苦痛を伴って意識されていることもあれば、さして意識されていないこともある。
こうした対人関係の特徴は、気分障害、パーソナリティ障害、対人恐怖などに限らず、現代の若い女性たちにも見られる一般的な傾向である。しかし、もう少し細かく見ていくと、そこには微妙な違いがあることがわかる。
内海(2006)は双極Ⅱ型障害(BP-Ⅱ)に見られる対人過敏性について指摘している。それはつねに他者の評価を気にし、その顔色を窺い、自分の気持ちがおろそかになる心性であり、双極Ⅱ型障害若い女性ではほぼ必発であるという。こうしたBP-Ⅱの他者配慮はメランコリー型でいう対他配慮に対応するものであるが、そのつどの他者に対して敏感であるという点で、メランコリー型の没個性的な対他配慮とは決定的に違っているという。こういった点に関しては、内海の言う対人過敏性はわれわれの言う過剰同調性と共通しているし、現代の若者に見られる一般的傾向とも似ている。
ただし、そこには解離性障害の過剰同調性(柴山 2010a)との若干の差異も見てとれる。内海の対人過敏性についての記載を見てみよう。

相手の意向を逐一気にして振り回され、頭の中が一杯になる。顔色をうかがう。健康なときなら機転も利こうが、読みが空転してどうしたよいか混乱する。卑屈な自分に嫌気がさす。それでもやはり人に気を遣ってしまう。そして他者のために空っぽになってしまった自分。時としてそんな他者に対する恨みが表出されるが、他罰一辺倒になることは稀である。早晩、人を責めている自分への自責、自罰へと転ずる。こうした他罰-目罰の手のひらを返したような往還や、空虚感への直面は危険な徴候である。

双極Ⅱ型に見られる対人過敏では不安、混乱、嫌気、怨み、自罰、他罰など苦悩の色彩が概して強い。そしてそれらですぐに自分が一杯になる。それに対して解離性の過剰同調性においては、こうした感情や同調をめぐる苦悩はあってもそれほど目立たない。また必ずしも周囲に同調していることを意識しておらず、気づいたときにはすでに「自分が目の前の相手に合わせてしまっている」ことが多い。症例を挙げてみよう。

●症例Y[女性・二〇代前半・解離性同一性障害
いつも私は周りに怒りの感情を出さない。自分で抑えちゃう。怒るのは面倒なので押し込んで相手に合わせる。面と向かって思ったことを言うと、がっかりされて嫌われるんじゃないかと思う。意識的にも無意識的にも合わせる。相手の感情の変化に敏感で、相手が言ってほしいことを言ってあげる。相手に合わせるというよりも、そういった自分が出てくる。相手によって色が変わる。コアは変わらないが、それを覆う膜が変わる。それがいつか破綻する不安がある。読書をすると、その世界に入ってしまう。夢にも影響を受ける。さまざまな状況に合わせることがそれなりにできてしまう。合わせることに疲れるということはない。いろんな人の気持ちがわかる。裏表ではなくサイコロです。どの面が出ても私。犯罪者の気持ちもシャットダウンできなくて、わかるところもある。私にとってはありえないということがない。

内海のいう対人過敏性の記載との違いは明らかであろう。解離の患者は目の前の他者によって色を変えるヴェールをまとい、他者の欲望に合わせる。相手の気持ちに没入するその姿はある意味では空想的であり、現実に縛りつけられたかのような内海の対人過敏性とは異なっている。
「序章」でも取り上げたブロイラーの同調性(Syntonie)と過剰同調性では、同じ同調性という言葉を使っているがその意味するところが異なっている。同調性(Syntonie)は循環気質に見られるところの、他者たちとできる限り同調しようとし、また自分自身とも調和しようとする態度である。しかし、過剰同調性では他者や周囲と同調しようとするが、自分自身のなかに「切り離し」があることが特徴である。つまり循環気質のような「自分自身との同調」や「統一的な人格」(クラウス 1983)が見られない。目の前の相手に同調している自分がいるが、それと同時に、その背後でまったく別なことを空想したり感じたりしている自分がいる。
解離に見られる過剰同調性には「人に対する怯えの意識」「同一性の希薄さの意識」「自他混乱の意識」などの諸特徴が見出される。「人に対する怯えの意識」とは、人から見捨てられる、嫌われる、傷つけられることに怯える意識である。「同一性の希薄さの意識」とは、自分の感情、思考、意志などが一定のまとまりを獲得できず、自分から離れて実感がないと感じることである。「自他混乱の意識」とは、自分の思考、感情、意志などが目前の他者のそれと自動的に重なってしまい、区別がはっきりしなくなる感覚である。これは症例が語っているように想像への没入性とも関係しているであろう。こうした意識は解離としてはかなり特異的であるように思われる。
これら三つの「意識」は解離における過剰同調性の構成要素であるが、それぞれは解離の症候とも関連している。つまり、「同一性の希薄さの意識」と「人に対する怯えの意識」は、それぞれ解離の空間的変容における離隔と過敏に相当する。そして「自他混乱の意識」は解離の時間的変容における人格交代に関係していると言ってよいだろう。つまり解離に見られる過剰同調性は解離の症候の軽微な状態と考えることもできる。
また、虐待やいじめなどさまざまな外傷体験が過去に存在すれば、こうした過剰同調性はより顕著に現われるであろう。外傷体験における他者の攻撃性や衝動性に対して、患者はただひたすらそれに合わせることしかできなかった。それは現実世界に縛られながらも、何とか生き延びようとする自己犠牲的で他者本位な試みである。こうした体験が後の過剰同調性を準備するであろうことは十分に考えられる。また幼少時から母親のイライラや愚痴を聞くことによって母親を支えてきた子どもたちや、周りの空気を読んでいわゆる「いい子」を演じる子どもたちもまた、身近な他者が押しつける自己像や役割に同一化することによって自己の存在を確認する点で過剰同調性に類似している。岡野(2007)は、こうした母子関係を中心とするあり方を「関係性のストレス」と呼び、そこに見られる投影や外在化の抑制が解離の病理を生むものと考えている。
このように過剰同調性が、解離の症候の軽微な状態であり、また解離を生み出す背景となっているならば、これらは悪循環を形成していると考えることもでき、過剰同調性が悪循環的に解離の病理を引き寄せる働きをしている可能性がある。その場合、目の前の他者に合わない自己部分は、切り離されて現実の世界に投影されたり自分の感情を吐き出したりするのではなく、背方の隠蔽空間へと放擲される。
ところで、解離性障害の患者にはこのような過剰同調性が見られる一方、それとはまったく逆の、自己中心的で衝動的な行動が見られることもある。たいていの場合は解離の発症後のことであるが、身近な異性や家族に対して激しい攻撃性が向けられる。交際している異性に対して激しい暴力をふるうこともしばしばである。しかし、治療者のように一定の距離がある者に対して攻撃性が向けられることはまずない。この点は境界性パーソナリティ障害に見られる脱価値化(devaluation)を特徴とする攻撃性とは大きく異なっている。(後略)

注:i) 引用中の「内海(2006)」は次の本です。【内海 健(2006)『うつ病新時代――双極Ⅱ型障害という病』勉誠出版】 ii) 引用中の「柴山 2010a」は次の資料です。 【柴山雅俊(2010a)「解離と不安」『臨床精神医学』39 ; 411-414】 iii) 引用中の(柴山)「2010b」は次の本です。 【柴山雅俊(2010b)『解離の構造――私の変容と〈むすび〉の治療論』岩崎学術出版社】 iv) 引用中の「クラウス 1983」は次の本です。 【アルフレート・クラウス[岡本 進=訳(1983)『躁うつ病と対人行動――実存分析と役割分析』みすず書房】 v) 引用中の「岡野(2007)」は次の本です。 【岡野憲一郎(2007)『解離性障害――多重人格の理解と治療』岩崎学術出版社】 vi) 引用中の「気分障害」に関連する「うつ病」及び「双極性障害」(後者は引用中の「双極Ⅱ型障害」を含みます)については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「統合失調症」及び「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vii) 引用中の「対人恐怖」に関連するかもしれない「社交不安障害」(又は社交不安症)については、他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 viii) 引用中の「外傷体験」に関連する「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ix) 引用中の「没入」についてはここを参照して下さい。 x) 引用中の「虐待やいじめなどさまざまな外傷体験が過去に存在すれば、こうした過剰同調性はより顕著に現われるであろう」に関連するかもしれない「相手に合わせるということばかりを続けてきた」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「投影」については、例えば次の資料を参照すれば良いかもしれません。 「心的状態の推測方略:投影とステレオタイプ化」 xii) 引用中の「脱価値化」に関連する「理想化とこきおろし」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「過剰同調性」にも関連するかもしれない女性における「解離と居場所」について、同の 9 解離の病因論 の「5 解離と居場所」における記述の一部(P146~P148)を以下に引用します。 xiv) 引用中の「同調性」に関連する双極Ⅱ型障害における「同調性に芽生える病理」について、内海健著の本、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」(2013年発行)の 第五章 同調性の苦悩 の「同調性に芽生える病理」における記述(P139~P140)を以下に引用します。

5 解離と居場所

次の症例は虐待も性的外傷体験もなかったが、幼少時にいじめられることがあった。発症後は、一過性に人格交代を示すこともあった。

●症例K[女性・二〇代前半・特定不能解離性障害
男性は私にとって居場所なんです。それは家族とか友達とかでは捕えない。私は素でいられることを求めている。普段は素ではいられない。自分に欠点があると思っている。男性よりも女友達に嫌われたほうが傷つく。男性のほうが素でいられる。言いたいことを言える。女性の友達と一緒のときは、素ではなくて偽りの自分なんです。目の前の相手に無理に合わせてしまう。嫌われたくない。女友達は合わせないと冷たくされる。合わせない人は距離を置かれる。空気を読みなさいみたいな。自己主張できない。女性の親友はいない。女の子の言葉は言葉通りに受けてはいけないんです。

この症例の過剰同調性は、多くの女性症例がそうであるように、明らかに同性である女性へと向けられている。女性の前では素の自分を出すことができない。嫌われたり排除されたりする怯えが意識されやすい。ここには同性の母親に対する愛着外傷の痕跡を窺うことができるかもしれない。それに対して、異性である男性の前では素でいられるという。彼女たちにとって男性は自分を救済してくれると期待された存在である。解離性障害と診断される多くの女性は、異性である男性との関係に救済を求める。そこに居場所を見つけられればよいが、不幸にもそういった異性との関係で(ふたたび)愛着欲求が裏切られると、しばしば解離発症へと向かう。
内は自分と同質の、類似した環境・関係であり、外は内とは異なった環境・関係である。そういった意味で内は同性や家のなかの人間関係を、外は異性や家の外の人間関係を指し示している。内は外に出て行けるための基盤となる。解離の病態では、内が安定して形成される以前に何らかの要因によって内が阻害され、その修復を外に求めるが、それもまた挫折するというストーリーが繰り返されることが多い。多くの症例は家庭という内を緊張に満ちた場として感じており、外へと早く抜け出し、自らを癒そうとしているように見える。解離性障害の患者は安心できる居場所を求めて内から遊離して、外をさまよい、そしてそこでも絶望する宙吊りの状態にある(柴山 2012a)。
症例Kの語るところをさらに見てみよう。

母親との関係に大きな問題はなかったが、家のローンがあったので母親はずっと仕事をしていて家にいなかった。両親からの虐待も性的外傷体験もなかった。しかし、小学校から高校まではいじめがあった。そのため泣きながら帰ったことがよくある。家の内にも外にも居場所はなかった。家から早く出たかった。いじめられていた記憶がよく想い出される。辛い思い出しか出てこないので、誰とも関係ない場所でやり直そうと思っていた。幼稚園から小学生までは、辛くなると話しかける友達がいた。見えないけど頭のなかにいる。まるで現実であるかのように話すことが多い。物心ついたときから幽霊や青い服を着たお姉さんを見たりしていた。家庭というのは無理矢理そこにいさせられた場所で、そこにいないと生活ができない場所だった。しっかりして何でもできる子どもとして見られていた。そうした周りの視線が嫌だった。頑張らなきゃいけない、努力しなくてはいけない、親の期待にも応えないといけないけど、それが嫌だと言えない。嫌だと言って悪い子だと言われたくなかった。そうしているうちに自分の居場所がわからなくなった。ここにいていいのかなと思っていた。読書をしていると物語のなかに入り込んでしまい、そのときはそのなかに自分がいる感じになる。だけど、それが終わると自分の居場所がない感じがする。

Kの家庭は母親が仕事で忙しく、家にはあまりいなかった。彼女は親の期待に無理矢理合わせてきたと振り返る。家庭は素の自分を出せる場所ではなく、無理強いをさせられた場所であった。学校ではいじめがあった。解離性障害の患者の多くは、幼少時から安心して素の自分を表現できる機会がなかったという。そのような状況に対して拒絶することもできない。そんな彼女を支えていたのが、イマジナリーコンパニオンの存在や空想や物語の世界であった。これらはもうひとつの現実の世界であったが、それが機能するのはそこに没入しているときだけであり、現実の世界での居場所は次第になくなっていった。(後略)

注:i) 引用中の「柴山 2012a」は次の本です。 【柴山雅俊(2012a)「現代社会と解離の病態」柴山雅俊=編『解離の病理――自己・世界・時代』岩崎学術出版社】 ii) 引用中の「イマジナリーコンパニオン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「没入」についてはここを参照して下さい。

同調性に芽生える病理

では、あらためて双極Ⅱ型障害の心理を考える際に、基本とすべきものは何であろうか。それは「同調性」にほかならない。
すでに示したように、この原理は、たしかに素朴に過ぎるきらいがある。だが、それは気分障害全般に妥当するものであり、病型を問わず、罹患した個体には、おおむね「同調性>分裂性」のパターンが見出される。これは臨床に際して、しっかり押さえておくべき気分障害の心性の基礎である。
端的に言うなら、同調性とは、環界と共振・共鳴する原理である。先述したように、それ自体において、病理性が希薄である。分裂性が、のちにミンコフスキーに引き継がれ、「現実との生ける接触の障害」という形で、統合失調症分裂病)の基本障害として結実したのに比べれば、はるかに健全な原理であるようにみえる。
しかし、同調性も、行き過ぎれば病的なものとなりうる。前章でみたように、ミンコフスキーは、同調性格者は「波にさらわれる結果、自我を確立し、進歩するための地歩を固めることができない」と指摘している。実に正鵠を得た見解である。だが、いささか不思議なことなのだが、これ以外に、過剰なる同調性の病理について論じたものは、筆者の知るかぎり見当たらない。
ここに示された、自己をめぐる同調性の病理は、双極性障害の心性をとらえる際に、基本となる。
すなわち、同調性とは、自己が世界と関わりをもつための不可欠の原理であるが、その一方で、自己そのものを押し流し、拡散する危険を孕んでいるのである。

注:i) 引用中の「気分障害」に関連する「うつ病」及び「双極性障害」(後者は引用中の「双極Ⅱ型障害」を含みます)については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「同調性」と「分裂性」の関係について、同章の「双極性障害病前性格」における記述の一部(P129~P131)を次に引用します。

(前略)ブロイラーによれば、分裂性と同調性は、人、事物、出来事を含む広い意味での「環境」というものに対する、われわれの行動を調整する二つの生命機能、生命原理である。両者は相補的であり、各人の中で種々の割合で結合して、性格特性を構成している。
ミンコフスキーは、この二つの概念の心理学的意義を論じた。その際、次のようなたとえを用いている。

二人の青年が日曜日に山登りをしようと計画した。第一の青年は、都会の喧騒から離れて一日を過ごすことを楽しみにしている。山の頂に立ち、麗しい自然の景観を楽しむ自分を想像する。だが、新聞の気象欄は、午後から霧雨になると予報している。しかしこの一日を樹木や岩の間で過ごしたいという願望を抑えることができず、天気予報が誤りであることを願う。彼は出かけるが、案の定、雨に降られる。見えるものはただ霧と雨ばかり。しょげ返って帰路についた彼は、この山登りは失敗だったと残念がる。
第二の青年も、同じように気象欄を読んで、雨の予報を知った。しかしこのために予定を変更しようとは夢にも思わない。あるのは、ただただ登山するという行為である。いったん決心した以上は、まっしぐらに目標に向かう。雨も霧も彼を驚かすほどのものではない。天気予報が的中したまでのことである。彼は山頂に立ち、そして満足して帰路につく。

第一の青年が示す環界との強い交感や共振が同調性に、第二の青年が示す環界からの自律性や突出性が分裂性に対応する。
ミンコフスキーによれば、同調性と分裂性は単なる性格標識ではなく、むしろ個々の特徴の間隙に位置して、それぞれの特徴に独特の色彩を与え、環境に対する個体の態度を規定するものである。次の一節は、この二つの生の原理を対比して妙である。

これを要するに、人生において、分裂性性格の過度の鋭角を和らげるものが同調性格であり、また同調性格の過度の表面性と拡散性を深めるものが分裂性性格である。同調性性格にとって困難なことは、絶えず逸し去ろうとする自我を捉えることである。彼はあまりにも環境の中に生きる。分裂性性格者にとって困難なことは、現実への通路を見出すことであり、この通路の開鑿は必ずしも成功しない。(『精神分裂病』村上仁訳)(後略)

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これら以外にも、 a) 解離における「没入」、すなわち「想像の世界への没入」及び「現実の対象への没入」についての引用が以下にあります。最初に前者について、柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 6 想像的没入と眼差し の「4 想像の世界への没入」における記述の一部(P094~P096)を以下に引用します。 b) 加えて、解離性障害における「意識消失と昏迷」について、同本の 7 時間的変容の諸相 の「4 意識消失と昏迷」における記述の一部(P094~P096)を以下に引用します。

4 想像の世界への没入

解離性障害の患者の多くは物心ついたときから空想に没入していることが多い。あたかも現実であるかのように空想がありありと頭に浮かび、それが実際に見えるかのように体験している。さらにその空想世界のなかへと入り込んで、そこでの視点を獲得し、周囲世界を見渡すのである。そこでの感覚もありありとしている。しかもいったんそうした世界に入ると、すぐには抜け出すことができない。
こういった「想像の世界への没入」の傾向は幼少時から見られることが多く、病理現象としての意義はそれほど大きいわけではないが、解離性障害の患者に圧倒的に高頻度に見られることはたしかである。実際の症例が語るところを見てみよう。

●症例P[男性・三〇代半ば・解離性同一性障害
本を読んでいるときでも、まるで映画を観ているようです。映像がはっきりと浮かんできて、そのなかに自分がいるかのように感じる。それが普通のことだと思っていた。そのなかの登場人物になったり、その登場人物の傍らにいたりする。物心ついたときから空想のなかで遊ぶのが一番楽しかった。空想のなかで遊ぶことを自分の居場所にしてきた。部屋でテレビ映画を観ているとき、自分はその部屋にはいない。ストーリーの展開にしたがって、その映画の空間全体のなかに入っていく。映画を観ると登場人物の影響が一、二週間も続いてしまう。

これは想像の世界への没入の典型例である。現実の場所から離れて想像の世界へと深く没入していく。こうしたことは読書や映画、テレビだけではなく、音楽の世界にも当てはまる。音楽の世界にどっぷりと浸かり、音楽に強く影響される。いったん入り込むと、なかなかその世界から抜け出すことができない。
想像(表象)の世界と現実世界についてここで少し考えてみよう。想像の世界は限定された空間性をもっている。想像の世界はあたかもテレビや映画のように平面的で奥行きを欠き、空間的に限定され、周辺へと伸び広がってはいない。想像の世界と自己とのあいだには、さまざまな感覚による直接的な触れ合いはなく、スクリーンや画面のような膜、あるいはそれに類似したものによって隔てられている。感覚的要素があったとしても視覚や聴覚などに限られていることが多く、多くの感覚様式を伴うことはまずない。それに対して現実世界ではそのような限定する空間的な枠はなく、周囲は自己を取り囲むように際限なく広がり、奥行きがある。自己と対象世界とのあいだに膜は一切存在せず、さまざまな感覚様式によって直接的に触れ合っている。(後略)

注:引用中の『「想像の世界への没入」の傾向は幼少時から見られることが多く』に関連する「幼少期体験と空想傾向」について、「催眠反応性」や「深い意識変容」を含めて同の 10 解離の幼少期体験 の「2 空想傾向」と「3 幼少期体験と空想傾向」における記述の一部(P156~P162)を次に引用します。

2 空想傾向

ウィルソンとバーバー(Wilson and Barber 1983)は、催眠反応性の高い女性群二七名と対照群の女性二五名、計五二名(平均年齢二八歳)に対して詳細な面接をし、催眠反応性の高い群のほとんどに見られる記憶、空想、精神的体験などの特徴を描き出し、そこに生き生きとした空想にもとづいた体験を見出し、それらを空想傾向(fantasy-proneness)と名づけた。ここでは空想傾向の概略について説明しておきたい。
空想傾向は一般人口の四%に見られると推定されている。その基本特徴は空想に対して広く深く没入することであるが、同時に創造的な才能でもあるとされる。空想傾向をもつ者は特別な促しがなくても、トランス状態のような深い意識変容を経験する。
幼少期の多くの時間、彼女たちは架空の世界に住んでおり、人形や動物の玩具が実際に生きているものと信じ、妖精、守護天使、木の精などが実在するものと信じていた。半数以上が幼少期に空想上の人や動物であるICと一緒に遊んだりして、多くの時間を過ごしていた。実際に彼女たちは、ICをはっきりと見たり、聴いたり、触れたりしたと報告する。
また孤児や王女、動物などになりきることも多く、自分は普通の少女のふりをしているが実際は王女であると思っている場合もある。また物語の世界に没入して、そのなかの登場人物になりきり、その世界で見たり、聞いたり、感じたりする。本のなかの登場人物がICになることもある。小学生頃になると、周りから嘘をついていると言われたり、からかわれたりするため、そうした空想を人には言わなくなることが多い。
幼少期に空想傾向をもつ者は成人になっても空想が少なくなることはない。人との会話の内容を想起するとき、その場でありありと知覚しているように感じる。特定の刺激がそれに関連する空想を引き起こす。鳥や木を見れば、突然に体の感覚を失って自分が鳥や木になる。日常的な仕事をしているときに、あたかも別のところで別のことをしているように空想する。不快なときにはありありとした性的空想をすることもある。空想があまりに現実的であるため、八五%の人が空想の記憶と実際の出来事の記憶を混同しがちであると報告している。
空想傾向者は幼少時から感覚体験に深く没入し、それに集中していることが多い。そういった体験は生まれつき快感を伴っており、楽しい体験だからである。幼少時の生き生きとした記憶をもっていることが多く、過去をあたかも現在であるかのように想起する。また空想、記憶、思考が直接的に身体に影響を与えることもあり、テレビや映画で暴力を観たときに具合が悪くなったり、熱さや冷たさを想像するだけで実際にそのように感じてしまったりする。
また彼女たちの大半が、千里眼、テレパシー、予知などの超感覚的な体験を報告している。遠くに離れた友人や身近な人に起こっていること、彼女たちの考えていることや感じていることを知ることができるという。そして、ほとんどすべての人が予知夢などの予知的体験をしていた。人の過去生を読んだり、オーラを見たり、頭の上に浮かぶイメージとして人の思考を読んだりする。瞑想していたり空想したりしているときや夢のなかでも、体外離脱体験が見られる。また自動書記、宗教的幻視、心霊治療などを経験していることもある。精霊や幽霊、死者の霊、影のような存在、グロテスクな怪物などを見たりすることもあるが、これらを入出眠時に体験している。
以上のように空想傾向は、空想への没入、幻覚能力(とりわけ視覚的幻覚能力)、生き生きとした記憶、催眠反応性、超感覚的能力などによって特徴づけられる。(中略)

またウィルソンとバーバー(Wilson and Barber 1983)は空想傾向へと導く要因を四つ挙げている。①大人が子どもに空想を促したこと、②孤独な状況、③困難でストレスの大きい環境からの逃避、④幼少時からの芸術領域の過剰な練習である。空想傾向にはこれらの要因が二つ以上見られることが多いという。家族からの身体的虐待、母親の重度の情緒障害、ネグレクト、里親を転々とするなどの不安定な住居状況は空想傾向者の三分の一に見られたという。後にリュとリン(Rhue and Lynn 1987)は、空想傾向者二一名中六名が幼少期に激しい身体的虐待を受けていたが、対照群ではそういったことがなかったと報告している。
幼少期のこうした状況や環境以前に空想傾向がすでに見られていたのか、あるいはそれらを背景として空想傾向が発展することになったのかは定かではない。空想傾向が素因的に認められることもあれば、それが認められないこともあるであろう。しかし、いずれの場合でも外傷体験が空想傾向を促進させることはたしかであろう。

3 幼少期体験と空想傾向

幼少期の空想傾向とは、空想の世界を思い描き、それにどっぷりと没入し、あたかも現実であるかのように感じることである。そういった傾向は成人期でも衰えることなく持続し、成長するとともに、認知、記憶、身体感覚、夢の領域に影響を及ぼし、幻覚の内容も多彩になっていく。
ここでいう幼少期体験と空想傾向は、空想への没入、ICの出現、超感覚的体験などの点で共通しているが、若干の差異もある。幼少期の空想傾向の多くは願望充足的でファンタジーの要素が大きく、素朴でポジティヴであり、より素因的なようにも思える。それと比較すると、われわれが言う幼少期体験は、幽霊や人影などの幻視、気配過敏、被注察感、さらには入眠時幻覚に見られる人の気配など、不安や恐怖、緊張を掻き立てるような過敏的側面が散見される。ここには周囲に対する不安や怯え、過敏性といった要素が含み込まれており、環境側の要因が大きいように思われる。次に解離の症例を見てみよう。

●症例Z[女性・二〇代後半・特定不能解離性障害
幼少時から母親からの虐待がひどかっだという。物差しが折れるほど叩かれたり、裸で家の外に出されたり、走っている車から追い出されたりしていた。食事を作ってくれなかったこともしばしばであった。小学校低学年のときには一時的に叔母の家に預けられた。小学校高学年になると母親からの虐待はなくなった。昔から家族のなかで居場所はなかった。空想はいつもしていた。小さい頃から頭のなかに映像が浮かんで、まるで見えるようだった。
幼稚園から小学校中学年にかけて、オレンジっほいピンクの洋服を着た人間に近い人形みたいな子がいた。声も聞こえていた。一緒に遊んだり、話を聞いてくれたり、一緒に寝てくれたりする。学校にも一緒に行って、遊んだりしてくれた。それが空想なのか現実なのか当時もわからなかったが、今でもわからない。
小学校のときから誰かの気配を感じていた。視線を感じたり、笑っている声が聴こえてきたりする。幽霊が見えることもあった。はっきりと見えることもある。さまざまなところに人影が見える。妖精ともお話をしていた。今でもそうです。妖精が自分の周りを飛んでいるのが見える。半透明できらきらしている。一五センチくらいの存在。辛いときによく出てきて踊っている。一八歳の頃、友人に「妖精なんていない」と言われてすごくびっくりしたことがある。あと小汚いおじさんが風呂にいて、親父ギャグ的なことを言う。とにかくいるのが当たり前という感覚。トイレのなかに立っている女の子もいる。引っ越しをするたびに違う子が家にいる。悪いことはしてこない。ただ立っているだけ。話はしない。怖くないです。もう慣れました、こういった存在は小さい頃から現在までずっといる。
歩いている皆に自分が本当に思っていることを知られていると小さい頃から感じていた。自分の考えが声になって、話している相手や石や砂に聴こえているように感じる。だから考えないようにしている。自分のことをコメントする声が聴こえる。頭の周辺から「走っています」「靴を履いています」とか聴こえる。その声が周りにも聴こえている感じがする。

●症例a[女性・三〇代半ば・解離性同一性障害
幼少時から乗り物に乗ると、めまい、冷汗、動悸などが見られた。小学校一年のとき、祖母が死亡した。当時、祖母が窓辺に立っていたのを見たけど、すぐに消えてしまった。その頃から夜になると金縛りが多くなった。小学校二年生のときは何も食べられなくなり、自家中毒の診断で入院したことがある。その後も、動悸や食事が摂れないなどの症状が続いた。病院を受診しても自律神経失調症と言われるだけであった。小学校低学年のときに性的外傷体験があった。小学三年生のときにいじめがあった。荷物を持たされたり、言葉でひどくいじめられたりした。自殺しようかと思ったこともある。
小学校時代から人影を見ていたという。自分と重なって、すぐうしろに誰かがいる気配がしていた。それが自分を見ている感じがしていた。そのためうしろを振り返ることもよくあった。小学校や中学校のときは特にそれが強かっだ。ベランダや天井、壁から何かが出てくるとか、部屋の隅に誰かが座っている感じがしていた。
中学になっていじめはなくなった。トイレに入っていると夢のなかにいるような感じになる。中学時代はほぼ毎日金縛りがあった。金縛りのときには、トイレでパリーンパリーンという音がしたり、人の気配を感じたりしていた。誰かに見られている感じがする。部屋の隅に光がパッパッと見え、同時に音が聞える。お化けや女の人を見えたり、天井に上半身だけの男の人がへばりついたりしていた。怖かっだ。

これらの症例では、幼少時から幽霊幻視、人影幻視、人物幻視、IC、気配過敏、被注察感、要素的幻聴、持続的空想、表象幻覚(柴山 2007, 2009b)、入眠時幻覚、考想伝播様体験など多彩な体験が語られている。空想傾向と比較すると、願望的ファンタジーの要素は少なく、幻覚の生々しさに不安や恐怖といった要素が含まれているのがわかる。もちろん空想傾向にもこういった要素が含まれていないわけではない。空想傾向者も亡霊や死んだ人などを見ることはあるが、こうした体験の多くは成人になってからとされている。(中略)

解離性障害に見られる幼少期体験について、空想傾向と比較しながら検討した。解離の幼少期体験には、予知感、過敏、幻覚など外界を過敏に感知する過敏系列と、既視感、離隔、持続的空想など外界から離れて空想などへと没入する離隔系列が特徴的に見出された。
空想傾向ではこの過敏系列の体験は比較的少なく、健康でより願望充足的ファンタジーへの没入傾向が見られた。解離における幼少時体験は、空想傾向と解離症状の中間的位置にあるものと考えられる。空想傾向-解離の幼少期体験-解離症状というスペクトラムのなかで、解離の方向へと向かうにしたがって、次第に過敏の要素が強くなっていくとともに、空想への没入は背景化していくように思われる。

注:i) 引用中の「Wilson and Barber 1983」は次の資料です。 「Wilson, S.C. and Barber, T.X. (1983) The fantasy-prone personality : Implication for understanding imagery, hypnosis and parapsychological phenomena. In : A.A. (ed.) Imagery : Current Theory, Research, and Application. New York : John Wiley, pp.340-387.」 ii) 引用中の「Rhue and Lynn 1987」は次の論文です。 「Fantasy proneness: Developmental antecedents.」 iii) 引用中の(柴山)「2007」、「2009b」はそれぞれ次の本と資料です。 【柴山雅俊(2007)『解離性障害――「うしろに誰かいる」の精神病理』ちくま新書】、【柴山雅俊(2009b)「解離性障害と Schneider の一級症状」『臨床精神医学』38 ; 1477-1483】 iv) 引用中の「IC」すなわち「イマジナリーコンパニオン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「過敏」や「気配過敏」については共にここを参照して下さい。 vi) 引用中の「離隔」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項

次に後者について、同6 想像的没入と眼差しの「5 世界への想像的没入と眼差し」における記述の一部(P097)を次に引用します。

5 世界への想像的没入と眼差し

では次のような、想像の世界ではなく現実の対象へと没入しているような症例はどのように考えればいいだろうか。先ほどの症例Jである。

●症例J[男性・四〇代前半・特定不能解離性障害
白昼夢に集中しているとそれが意識の全体になる。身体意識が希薄になる。抜け出て上のほうから見ている。想像の視点のほうが現実の身体感覚よりも強くなる。そういったときに向こう側にある対象に視点を想像して、その視点に自分がなる。動物や植物の視点にもなれる。以前に目の前で人が線路に落ちて死んだのを見たことがある。その線路に落ちた人の視点になってしまう。そこから見ている。その人に一体化してしまう。椅子や机や花にもなれる。それらの感覚を自分でもありありと感じることができる。

この症例は白昼夢を経て体外離脱を体験しながら、物体、植物、動物、さらには人間などさまざまな現実の対象へと自分の視点を重ねる。さらにはその対象がもつとされる感覚さえも感じているかのようである。なかには木に一体化すると、そのなかで水が流れているのをありありと感じる人もいる。こういった体験は想像の世界へと没入していくのではなく、現実の対象へと想像的に没入していると表現できよう。(後略)

4 意識消失と昏迷

先の症例Uのように解離性障害の患者が意識を失って倒れるということはよくある。それとともに多いのが昏迷状態である。次の症例は昏迷と意識消失を呈した女性である。

●症例V[女性・四〇代前半・特定不能解離性障害
三〇歳頃に言葉が出なくなった。「あれ、あれ」としか言えなくなった。言いたい言葉が頭のなかにぼんやりとあっても、それが言葉として出てこない。そういうときは意識が朦朧として、周囲の見え方もぼやけている。そのときの記憶はかろうじて保たれている。意識が途切れてしまうときにはどうやら動きが止まっているらしい。周囲には反応しない。数分間にわたって不動状態になるが、その間の記憶はほとんどない。時々抑うつ気分に陥り、薬物の大量服薬をすることがあるが、自分でもどうしてそうしたのか覚えていない。突然、過呼吸、構音障害、手指振戦、歩行困難な状態になることもある。診察室にいたはずが、急に無言になって反応しなくなって、気づいたら待合室にいたこともある。その間の記憶は途切れている。夜に突然不安になり、泣き出してしまう。理由がまったくわからない恐怖感が襲ってくることがある(最近になって、発作のときには「体から離れるような感じがあった。思っているのと違って手が勝手に動いているように感じる」と述べるようになった。てんかんが疑われ脳波検査を数回行ったが、今まで異常所見が確認されたことはない)。

この症例は 「言葉が出ない」という症状で始まっている。これは単に声が出ない失声ではなく、言葉そのものが浮かんでこない昏迷状態である。その程度がひどくなれば、「頭のなかが真っ白になる」「空白になる」などの体験を経て最終的に意識消失へと至るが、倒れることはない。また彼女の言う「体から離れるような感じがあった。思っているのと違って手が勝手に動いているように感じる」という言葉からは空間的変容の離隔が窺われる。このように昏迷状態が主症状であるが、離隔、健忘、小遁走などを広く伴っている。大量服薬のときのエピソードからは人格交代が疑われるものの、明確ではない。

注:i) 引用中の「意識消失」に関連するポリヴェーガル理論の視点からの「血管迷走神経反射」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「昏迷」に関連する「解離性昏迷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて上記「昏迷」関連するかもしれない自閉スペクトラム症ASD)者におけるカタトニア(症状群)の例についてはここを参照して下さい。

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【15】双極Ⅱ型障害において軽躁のプラス・マイナスの計算をきちんとすることについて

標記について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第9章 躁うつと人生 の「1 頑張ろうという気持ちが気分をもちあげる」における記述の一部(P121~P122)を次に引用します。

1 頑張ろうという気持ちが気分をもちあげる

頑張ろうと思う気持ちをもったり、仕事が忙しくなり集中したりすると、気分が高揚し躁状態になる人がいる。頑張りや集中が気分をもちあげるのである。

〔症例1〕エンジニアの中年男性
ある40代の男性エンジニアは、期限の区切られた注文が入り、「よし頑張るぞ」と気合いを入れて張り切って仕事に臨むと、気分が高揚し、仕事のスピードと質も上がるのだが、同僚や家族に対して怒りっぽくもなるのであった。仕事が終わった後に、やって来る抑うつ状態は苦しいものであるが、その時期に仕事が入っていなければ何とかしのいでいくことができるということであった。

〔症例2〕管理職の中年男性
ある50代後半の男性は、外洋船舶による貨物輸送の準備や調整をする仕事をしていた。嵐や台風などで、積荷の到着時間が遅れることがあると、大量の貨物の遅延の連絡や国内での配送の手配などで忙しくなる。その時、「これは大変」と連絡や手配を頑張り始めると、気分が高揚し、その期間が過ぎた後しばらく高揚が続き、毎晩、飲み屋に出かけ高額なお金を使うことが続くのであった。

このようなタイプの躁うつの波をもつ人は、軽躁状態がなくなると仕事ができなくなる。あるいは、軽躁状態が抑えられると不全感が強く、抑うつ状態が強くなることが多い。前述した2人の場合は、「あなたの仕事では、短期間に集中しなければならないのはしょうがない。その時、気分がいくらか高揚するのもしょうがないでしょう。だから、気分の高揚をうまく利用しながら、職場でのトラブルや浪費などをいかに少なくしていくかが課題ですね」などと助言した。なお、二人の男性には、ともに気分安定薬を処方している。
このように仕事が忙しくなり、その際の頑張りや集中が気分を持ち上げる人の場合には、頑張りや集中とその結果の軽躁状態について話し合う必要がある。頑張りや集中が質の高い仕事というプラスになって現われている場合には、仕事以外の面に軽躁状態の及ぼすマイナスや、その後に来る抑うつ状態のマイナスなどを含めて、プラス・マイナスの計算をきちんとする。マイナスの方ばかりに目を向けて治療を開始すると、プラスを失う結果を招くことがある。マイナスが抑えられないだけでなく、プラスも失うという、結果としてマイナスを増やしてしまう治療となることもある。(中略)

加藤敏が職場結合性気分障害と言うように、このような軽躁状態は私たちの社会が求めているものと言うことができるかもしれない。このようなケースの場合も、神田橋條治が言うように、うまく「波にのる」ことのほうが、躁うつの波をおだやかなものにすると、私も考えている。双極性障害を躁うつ的な「生き方」の失調と考え、発症した双極性障害を躁うつ的な「生き方」に変えていくことはできないかと考えている。

注:標記「双極Ⅱ型障害」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために

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【16】「新型うつ病」(又は新型うつ)について、その他

最初に標記「新型うつ病」(又は新型うつ)については、例えば次のWEBページや資料をそれぞれ参照して下さい。 「うつ病Q&A」の「Q4. 新型うつ病が増えていると聞きます。新型うつ病とはどのようなものでしょうか?」項、「臨床現場における「新型うつ病」について」、「“新型うつ”に関する国内文献レビュー」、『臨床社会心理学における“自己”:「新型うつ」への考察を通して』、『「新型うつ」への心理学アプローチ』、『なぜ「新型うつ」は周囲から援助されにくいのか ―援助行動生起プロセスの検討―』、「若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない! パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘」 ちなみに、自閉症スペクトラム障害(ASD)における二次障害としての「新型うつ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 加えて、傅田による標記「新型うつ病」という言葉が流行していると指摘について、下山晴彦監修、中野美奈著の本、『ストレスチェック時代の職場の「新型うつ」対策 理解・予防・支援のために』の 第Ⅰ部 職場のメンタルヘルスと「新型うつ」 の 第1章 職場のメンタルヘルスの現状 の 4 「新型うつ」への注目 の「産業領域において広まってきた社会現象」における記述の一部(P10)を以下に引用します。一方、同本における「新型うつ」の概念的な定義について、同部の『第2章 「新型うつ」とはどのような現象か』における記述の一部(P16)を次に引用(『 』内)します。 『本書では、「新型うつ」 の概念的な定義を「気分反応性を有し、職場など場面限定的なうつ症状を呈すること」としています。もちろん、他の何らかの医学的疾患によるものは含みません。』 加えて、傅田及び倉成による標記「新型うつ病」の特徴について、同部の 第2章 「新型うつ」とはどのような現象か の「1 新型うつ病」における記述の一部(P17~P19)を以下に引用します。なお、以下の両引用における「傅田(二〇〇九)」は次の本です。 【傅田健三(二〇〇九)若者の「うつ」――「新型うつ病」とは何か 筑摩書房

(前略)傅田(二〇〇九)も、「新型うつ病」という言葉が流行していると指摘し、その特徴を、「若い人に多い」「仕事や勉強のときだけ調子が悪くなる」「うつで休むことにあまり抵抗がない」「自責感に乏しく他責的である」などと挙げています。明確な定義や診断基準はありませんが、これまでの一般的な従来型の「うつ病」のイメージに当てはまらない事例を総称して「新型うつ」と呼ばれるようになったと思われます。(後略)

(前略)傅田(二〇〇九)は、新型うつ病の特徴を以下の八項目にまとめています。
①若い人に多い
メランコリー型うつ病は中高年に多いが、新型うつ病は若い人に多いことが特徴。
②こだわりがあり、負けず嫌いで、自己中心的に見える
独特の趣味やこだわりの世界があり、それに固執する傾向がある。趣味の分野では際立った才能を発揮することもある。しかし、自負心が強く負けず嫌いなところがあり、周囲と衝突することもある。周囲からは自己中心的、わがままと思われがち。
③自分の好ぎな活動のときは元気になる
うつ状態で仕事を休んでいても、自分の好きな活動のときは元気になる。すなわち「状況依存性」があり、状況によって好不調の差がある。また、自分に好ましい出来事があるとうつが軽くなるという「気分反応性」も特徴。
④仕事や勉学になると調子が悪くなる
一見すると怠けているように見られたり、未熟な性格のように思われたりする。
⑤うつで休むことにあまり抵抗がなく、逆に利用する傾向がある
周囲へ迷惑がかかるのではという配慮はあまり見られず、有給休暇や病体期間も最大限に取って周囲からひんしゅくを買うことも。
疲労感や不調感を訴えることが多い
自分に都合の悪いことや辛いことに反応して気分が落ち込み、それと同時に身体が重くなって行動ができなくなる。このような状態は周囲から見ると、怠けているのではないか、わざとやっているのではないか、と思われがち。
⑦自責感に乏しく他罰的で、会社や上司・同僚のせいにしがち
メランコリー親和型うつ病の人は、自責的で、何でも自分の責任と考えてしまう傾向がある。しかし新型うつ病の人は、他罰的で、会社(学校)や上司・同僚(教師・友人)のせいにしがち。未熟、わがまま、自己中心的な面はあるものの、その主張の筋は通っていることが多い。ただ、その場の状況や自分の置かれている立場に対する客観的な視点が欠けているのが特徴。
⑧不安障害(パニック障害社会不安障害強迫性障害など)を合併することが多い
傅田(二〇〇九)によると、新型うつ病は不安障害を合併することが少なくありません。不安障害が先行し、しばらくしてうつ病が発症する場合や、ほぼ同時にうつ病と不安障害が発症する場合がほとんどです。
女性の場合は摂食障害と合併することもあります。
倉成(二〇一〇)は上記に加えて、
⑨本人が「うつ病である」ということを自覚し、自ら受診する
⑲衝動的な自殺願望がある
⑪規則や納期などに強いストレスを感じる
⑫やるべきことに対する回避傾向がある
⑬投薬治療や休養であまり効果が出ず、慢性化することが多い
⑭自分を第一優先に考え、行動する
という特徴を挙げています。さらに、メランコリー親和型うつ病(従来型のうつ病)と「新型うつ」の病前性格の比較を表2-2のようにまとめています。(後略)

注:i) 引用中の「倉成(二〇一〇)」は次の本です。 【倉成央(二〇一〇)あなたの身近な人が「新型うつ」かなと思ったとき読む本 すばる舎】 ii) 引用中の「メランコリー親和型うつ病」に関連する「メランコリー親和型」については Tellenbach の視点から次の資料を参照すると良いかもしれません。 「うつ病患者の気質・発病状況・発症・症状形成を包括的に説明する Tellenbach」の特に「2. メランコリー親和型について」項 iii) 引用中の「不安障害」(又は不安症)については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「不安症 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「表2-2」について、形式を変更して次に引用します。

表2-2 従来型のうつ病新型うつ病病前性格の比較

従来型のうつ病になりやすい人
・仕事熱心
・完璧主義
・真面目で几帳面な性格
・協調性があり,他人に気を遣う
・頼みごとをされたら,イヤと言えない

「新型うつ」になりやすい人
・自分は特別だと思っている(漠然とした万能感)
・人から認められたいという強い願望がある
・「その気になればできるんだ」という根拠のない自信がある
・期限に終わらせなければいけないことに強いストレスを感じる
・協調性に欠ける
・決まりごとや暗黙のルールなどに対する反発感・嫌悪感がある
・仕事熱心なほうではない
・イヤなことを避ける傾向がある
・自分ができないこと・納得がいかないことを他人や周囲のせいにする傾向がある(他責傾向)

出所:倉成(2010)

注:引用中の「従来型のうつ病新型うつ病病前性格の比較」に関連する(かもしれない)、 a) 『従来型のうつ病と「新型うつ」の相違点および共通点』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「対人過敏・自己優先尺度の作成――「新型うつ」の心理学的特徴の測定――」の Table 1 b) メランコリー親和型及びディスチミア親和型のうつ病については、例えば次の資料を参照して下さい。 「現代社会とうつ病 連載開始にあたり

さらに、「新型うつ」又は「非定型うつ病」に関連して、本エントリ作者にとって興味深い複数の記述を以下に紹介します。すなわち、 i) 福西勇夫、福西朱美監修の本、「新型うつを知る本」(2013年発行)の 2章 従来のうつとは、ここが違う の「過去の辛い体験を抱え込む人、表に出す人」における記述の一部(P52)を、 ii) 林公一著の本、「擬態うつ病新型うつ病 実例からみる対応法」(2011年発行)の 四章 新型うつ病 の『Case 11 解説 「新型うつ病」は、うつ病でない』における記述の一部(P100~P102)を それぞれ以下に引用します。

過去の辛い体験を抱え込む人、表に出す人(中略)

従来型のうつの人は、たとえ大きなトラウマとなるような体験を抱えていても、それを表に出すようなことはなかなかありません。自分の記憶の奥底に封じ込めて抑圧し、その体験に触れることもせずにいます。
これは、このタイプが自罰的で、どんなことでも「自分のせいで起こったことだから」と考えてしまう傾向があるためです。
たとえば職場の皆の前で上司にパワハラまがいの暴言を吐かれたとしても、「自分が失敗したから、上司を怒らせてしまったのだ」と考え、いくら傷ついていても、それを表に出さずじっと耐え忍びます。
これに対して新型うつの人は、心に傷が残るような体験をするとトラウマから突然フラッシュバックを起こして苦しんだりします。いきなり涙が止まらなくなったり、息苦しくなったりなど、わかりやすい症状として、苦しさが外に表れてくるのです。男性の上司にひどくののしられしたり大声で怒鳴られたりした人は、同じような年代の男性が大きな声で話すのを聞いただけで、震えや呼吸困難になることもあります。(後略)

注:i) 次のWEBページにも「新型うつ」におけるフラッシュバックについての記述があります。 「若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない! パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘(P3)」 一方、「新型うつ」に関連する『「非定型うつ病」のサインの一つに「過去の情景がフラッシュバックする」といものがあり、こうなると、非定型うつ病は、感情障害ではなく、不安障害またはトラウマ反応の系列ではないかと疑いたくなる』ことについて、蟻塚亮二著の本、「沖縄戦と心の傷 トラウマ診療の現場から」(2014年発行)の 2章 トラウマ私論 の「心理的閉鎖空間や花火が怖い――トラウマ反応やパニック障害」における記述の一部(P102)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【※若者のうつ病とは、たいていが非定型うつ病である。】、【しかし非定型うつ病のサインのひとつに「過去の情景がフラッシュバックする」といものがある。こうなると、非定型うつ病は、感情障害ではなく、不安障害またはトラウマ反応の系列ではないかと疑いたくなる。】(注:引用中の「不安障害」(又は不安症)については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「不安症 - 脳科学辞典」) ii) この引用は、本エントリ作者にとって、自閉スペクトラム症圏特有の病理とされる「タイムスリップ現象」を説明しているように見えてしまいます。ちなみに、この「タイムスリップ現象」及び引用中の「フラッシュバック」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。なお、タイムスリップ現象はフラッシュバックと類似した現象です(他の拙エントリのここを参照)。

Case 11 解説 「新型うつ病」は、うつ病でない

最近、「新型うつ病」という病名が急激に広まってきました。マスコミにもよく登場しています。ある記事によれば、新型うつ病は次のように紹介されています。

新型うつ病」の特徴
1.「私はうつ病です」と自分から言う。自己主張が強い。
2.自己中心的で、他罰的傾向がある。自分は周囲から理不尽な目に遭っている被害者であると主張する。
3.休日は元気である。休職ともなれば、趣味に興じたり、海外旅行に出かけたりと、自分の生活を謳歌している。
4.しかし医師を受診した時にはうつ病の症状が見られる。
5.周囲の人はその言動に困惑し、対応に苦慮することが多い。(中略)

100ページの囲みの中にあるような特徴の人々、「逃避型抑うつ」「未熟型うつ病」「ディスチミア親和型うつ病」など、専門家が研究段階の名前として提唱した病名が適合する人々が、「うつ病の一種、しかし従来のうつ病とは違う」という意味で、「新型うつ病」と呼ばれるようになった。(後略)

>注:(i) 表示形式を変更して引用しています。 (ii) 引用中の「100ページの囲みの中」とは引用中の「新型うつ病」の特徴の5項目を指します。 iii) ちなみに、 a) 一般メディアが使用する新型うつ病については、野村総一郎著の本、「新版 うつ病をなおす」(2017年発行)の 3章 現代うつ病 の「表2」における記述の一部(P55)を以下に引用します。 b) 「新型うつ」にありがちな身体症状について、福西勇夫、福西朱美監修の本、「新型うつを知る本」(2013年発行)の巻頭カラーにおける記述の一部を以下に引用します。 c) うつ病患者に占める「新型うつ」「プチうつ」などの非定型うつ病の範疇とされる人の割合について、同本の 1章 「ワガママ」と新型うつはどう違う? の「従来のうつ病基準に当てはまりにくい」における記述の一部(P10)を次に引用(『 』内)します。 『けれど最近では、日本のうつ病患者のうち、7割近くが「新型うつ」「プチうつ」など、非定型うつ病の範疇とされる人だと言われています。』 (注:引用中の「プチうつ」については、例えば次のWEBページを参照して下さい) 「プチうつ気分解消法」 なお、 1) このWEBページによると「プチ」というのは、病気が軽いからではなく、うつの時間が短いということのようです。 2) うつの時間が短いに関連する時間単位又は数日単位の気分変動については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用はしませんが「新型うつ」において、「生活リズムの乱れは悪化につながる」ことについての記述が、福西勇夫、福西朱美監修の本、「新型うつを知る本」(2013年発行)の P132~P133 にあります。この生活リズムの乱れに対する健康な生活については他の拙エントリのここを参照して下さい。

表2 一般メディアが使用する新型うつ病

・若年者に多く、軽症
・仕事のストレス状況が発病の引き金
・ただし、ストレスと言っても激烈なものではなく、周りから見て、その程度なら何とかこなせる通常業務じゃないかと思えることが多い
抑うつのために仕事はできないが、余暇や趣味の時間は楽しく過ごしているように見える
・自分を責めることは少なく、職場、同僚、上司のせいでこうなっていると非難したり、愚痴を言うことが多い
・病休を長く続けることにあまり抵抗がない
抗うつ薬を始め、薬物療法はほとんど効果がない
・主治医との関係は険悪ではないものの、信頼はしていない様子
・稀ならず、親が職場環境に口出ししてくる

注:i) 形式及び一部の引用の順序を変更して引用しています。 ii) 引用中の「薬物療法はほとんど効果がない」に関連するひと言アドバイスについて、野村総一郎監修の本、「うつ病のことが正しくわかる本」(2016年)の 第2章 うつ病の基本を正しく知る の「現状2 うつ病は多様化している」における記述の一部(P29)を次に引用(『 』内)します。 『「新型うつ病」と呼ばれるケースは、抗うつ薬などの薬物療法が効かないことが多いのも特徴です。体力をつけたり、乱れている生活リズムを整えたりすることに力点を置きつつ、ストレスに強くなる方法を探ることが大切です。』

(前略)ありがちな身体症状

鉛様疲労
体に鉛が入ったように重い

過眠
一日に10時間以上眠り続ける

過食
お菓子などをどか食い、自宅にある食べ物を一気に食べ尽すなど

自律神経系統の乱れ
頭痛、めまい、吐き気、動悸、呼吸困難、胃痛、下痢や便秘、微熱など(後略)

注:形式を変更して引用しています。

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【17】双極性障害統合失調症における 「生き方」と精神的な失調の関連について

標記関連について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014発行)の 第8章 双極性障害 の『2 躁うつ的な「生き方」と考えてみる』における記述の一部(P116~P117)を次に引用します。

神田橋條治が、双極性障害の人の精神療法のコツは、「気分屋的に生きれば、気分は安定する」「小さな気分屋的生活は大きな波を予防する」と指摘しているが、双極性障害を気分屋的生活にしていくことはとても大切である。(中略)

統合失調症うつ病として失調しやすい人が、人類の歴史のある時代には適応的、時にはエースであった可能性については、すでに中井久夫によって指摘されている。統合失調症をもつ人の「生き方」(たとえば中井の「世に棲む患者」)、双極性障害をもつ人の「生き方」(たとえば上述の「気分屋的な生き方」)、自閉症スペクトラムをもつ人の「生き方」、注意欠如・多動傾向をもつ人の「生き方」など、その人に合った「生き方」を考えることは、治療や支援をする際に有益である。

また、その人なりの「生き方」が妨げられた時に失調し、疾患や障害として顕在化してくると考えたほうが適切に理解できる場合が少なくない。人と距離を置いて生きていた統合失調症の人が、近くに接近してくる人との出会いの中で混乱し、急性の興奮状態に陥ることがある。頑張る時もあれば調子の出ないときもあるという、ムラのある仕事ぶりながら、自分のペースでなら仕事できる人が、大きな組織に就職し規則的な仕事を求められたり、結婚をして配偶者に合わせた生活を求められた時に失調し、双極性障害として破綻する場合もある。慎重に一つひとつを丁寧に確かめながら生きてきた自閉症スペクトラムの人が、慌ただしく急かされて、混乱する場合や、自分なりの切り替え方法が使えなくなって抑うつ状態となる場合がある。
このように考えると、治療や支援は、その人なりの「生き方」を取り戻し、その人なりの「生き方」が一番良い形で現われるのを目指すことではないかと思う。たくさんの現実的な制約と折り合いながら、その人の良さを生かすことを目指すのである。双極性障害的な生き方、自閉症スペクトラム的な生き方などが実現されている時は、障害として失調する危険性は減ってくるのではないかと考えているのである。

注:i) 引用中の『中井の「世に棲む患者」』は、中井久夫著の本、「中井久夫コレクション 世に棲む患者」(2011年発行)のことです。ちなみに、この本についてのエントリ例を次に紹介します。 「精神科臨床のための宝石箱 『世に棲む患者 中井久夫コレクション1巻』」 ii) 引用中の「統合失調症」、「うつ病」、「双極性障害」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「自閉症スペクトラム」については他の拙エントリを参照して下さい。 iv) 引用中の「注意欠如・多動傾向」に関連する「ADHD」ついては他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「自閉症スペクトラム的な生き方」に関連するかもしれない「知的テーマの追求」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【18】自己愛、妄想及び演技に関するパーソナリティの問題について

最初にナルシシストを含む自己愛に関連する資料、WEBページや YouTube の例を以下に紹介します。加えて、自己愛又はナルシシストに関連する記事例として下記を参照して下さい。

・「Kohutの自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討
・「青年期の自己愛的脆弱性に関する研究の動向と展望
・「自己愛に関する研究の概観
・「自己愛をめぐる実践研究と実証研究の交差 ――理解と支援のための仮説モデル構築について――
・「H.コフートの自己愛論 ―自己心理学への展開―
・「対人恐怖傾向の要因としての自己愛的脆弱性,自己不一致,自尊感情の関連性
・「過敏性自己愛傾向が現代青年のふれ合い恐怖心性に及ぼす影響について ―自己愛的脆弱性尺度を用いた検討
・『「過敏型」自己愛傾向と自己不全感および空虚感との関連
・『学位論文 自己愛的脆弱性の心理療法と査定に関する自己心理学的研究
・「【3574】華美で、仕事もできる人にみえていた女性」、「【3642】嘘つきで無責任な教授」、「【3656】彼氏が過呼吸を起こし、口調が幼くなり、その間の記憶をなくす」(注:HOME はここを参照して下さい)
・pdfファイル「甲子園大学紀要 No.38」中の文書「精神療法における自己愛と甘えの問題について」(P183~P192) ちなみに、この文書に関連するかもしれない、例えば、① pdfファイル「甲子園大学紀要 No.34」中の文書「臨床場面における治療的相互交流の共同構築について」(P191~P202)、② pdfファイル「甲子園大学紀要 No.35」中の文書「間主観的アプローチから見た治療的やり取りの検討」(P203~P218)、③ pdfファイル「甲子園大学紀要 No.39」中の文書『「悲劇人間」の精神分析 -ハインツ・コフート自己心理学』(P141~P156)、④ pdfファイル「甲子園大学紀要 No.40」中の文書『現代自己心理学における「共感」の探求』(P43~P58)、⑤ pdfファイル「甲子園大学紀要 No.41」中の文書「心理療法における自己体験の治療的変容について」(P59~P70) がそれぞれあります。上記文書の著者は全て安村直己です。
・報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」の C.結果 および 考察 の「2)症例調査」項には、長期経過の分かる ASD 患者における、抽出されたパーソナリティ障害併存の有る 4 例についての記述があります。
YouTube自己愛性パーソナリティ障害[臨床]自分に価値があると思いたがる傷つきやすい人たち

※:上記文書の「2.精神分析的精神療法における自己体験の治療的変容」において「フラッシュバック」(例えば他の拙エントリのリンク集を参照)にも関連するかもしれない次に引用(『 』内)する記述の一部(P62)があります。 『過去にそうした偏った見方をしていた自己を、現在の自己が愛おしく思うような自己受容や自己肯定、自己への共感といった健康な自己愛が、過去の自己体験を俯瞰している現在の自己体験のあり方に静かに充当されていることが、治療的に重要なのである。このことは、多層的な自己体験が分裂することなく、逆にそれらが確固とした自己感に統一され、まとまっていくためには、どうしても自己愛が必要となることを示しているものと思われる。』(注:引用中の「自己受容」に類似するクライエント中心療法における「自己の受容」について、引用中の「健康な自己愛」を含めて上記文書の「3.クライエント中心療法における自己体験の治療的変容」における記述の一部(P64~P65)を次に引用(【 】内)します。 【ロジャースは、クライエント中心療法において強調されてきた「自己の受容」についても、それが真の目的ではなく、最終の目標は「本当に自分自身が好きになる」ことであると明言している。また、それは誇張的で、自己主張的な自己愛ではなく、「自分自身になることの静かな喜び」であるとしている。これはまさにコフートが指摘した、より成熟した健康な自己愛を示しているものと思われる。】

ちなみに、a) 「自己愛的怒り」については、他の拙エントリのここを、パーソナリティ障害については、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 b) 自己愛に関連するスキーマモード(これに関連するスキーマ療法における「モードモデル」については他の拙エントリのここを参照)の一種である「自己誇大化モード」について、編者、監訳者及び訳者は他の拙エントリの※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『自己誇大化モード:このモードにある人は,自分は他者より優れており特権が与えられていると信じている。他者の考えにはおかまいなしにに,自分だけはやりたいことができ,ほしいものを手に入れるべきだと主張する。自尊心の増大のために,自分を誇示したり他者を中傷したりする。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。) c) スキーマ療法の治療的ターゲットとして、NPD(自己愛性パーソナリティ障害)が注目されていることについては、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」の 序文 の「BPDの次はNPD」項 加えて、精神医学的には「自己愛性パーソナリティ障害 Narcissistic Personality Disorder :NPD」と診断される可能性があるヨウスケさん(同WEBページの「つらいと言えない“オレ様”、医師のヨウスケさん」項を参照)に対する、マインドフルネスのワーク及びスキーマ療法への取り組み(同WEBページの「上から目線のややこしい人」項を参照)については、引用はしませんが、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の第1章及び第2章を参照して下さい。

加えて、自己愛性パーソナリティ障害の克服について、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第2編 パーソナリティ障害のタイプ 特徴、診断、背景、対処と克服など の治療と克服 の (2)自己愛性パーソナリティ障害 の「目先の利益より、長く大きな視野を」における記述及び「自分にとらわれを脱する」における記述の一部(P175~P177)を次に引用します。

目先の利益より、長く大きな視野を

自己愛性パーソナリティ障害と成熟した自己愛性パーソナリティ・スタイルの本質的な違いは何でしょうか。
自己変性パーソナリティ障害として行き詰まるのではなく、パーソナリティ・スタィル、個性として開花するためには何が必要なのでしょうか。両者を比べてみると、その答えがおぼろげながら見えてきます。
まず一つは、自己愛性パーソナリティ障害の人は自分しか見えていないということです。相手の立場や気持ちに配慮が及んでいないのです。自分のことを自慢し、偉く見せ、賞賛やお世辞の言葉を聞くことは心地よいことでしょう。
しかし、その心地よさだけにとらわれ、相手がどう思っているかに注意が及ばないのです。相手は興味深そうに相づちを打ち、賞賛の言葉を並べながらも、心の中では「また、自慢話か。もう聞き飽きた。何て幼稚な人なんだろう」と思っているかもしれません。
成熟した自己愛性パーソナリティ・スタイルの人は、自分の思いや都合だけでなく、相手がどう思うかを同時に考えることができます。そうすることで、自ずと行動に一定のブレーキがかかってくるのです。
また、自己変性パーソナリティ障害の人は短いスパンや狭い視野でしか、満足や利益を考えられない傾向があります。すべてのパーソナリティ障害に共通することですが、自己愛性パーソナリティ障害の人も、今この瞬間の満足・不満足というものにとらわれてしまうのです。
それに対して、成熟した自己愛性パーソナリティ・スタイルの人では、この瞬間の損得だけでなく、長期的な損得を計算することができます。今この瞬間の満足を我慢しても、あとでもっと大きな満足を得られれば、そちらを選択できるのです。
それによって周囲との余分な摩擦を避けることができますし、人望が高まり尊敬や信頼を勝ち取ることもできます。長期的に見れば、ずっと大きな利得が得られるのです。

自分へのとらわれを脱する

自己愛性パーソナリティ障害の克服は、結局、自分にとらわれない大きな視野を持てる人間になるということに行き着きます。これはまさに、多くの宗教や思想がテーマとしてきた課題でもあります。(後略)

注:引用中の「自分にとらわれない大きな視野を持てる」に関連するかもしれないマインドフルネスの視点からの「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを、仏教思想の視点からの「如実知見」については他の拙エントリのここを、それぞれ参照して下さい。

加えて、大学生おける特に誇大性に偏る自己愛の障害と自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害)との関連については、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の「第7章 自己愛の障への対応モデル 大学生の事例における試論」における記述の一部(P247)を次に引用します。

(前略)なお,本章で「自己愛の障害」(disorders of narcissism)という包括語を使用するのはなぜかというと,DSM-Ⅲ,DSM-Ⅳ,DSM-5 の診断基準から思い浮かぶ自己愛性パーソナリティ障害の臨床像との相違を強調したいからです。本章で念頭においているパーソナリティは,仮に誇大性が見られるとしても,それと同時に対人的に過敏で傷つきやすいという特徴を持ち,むしろ後者が優位なパーソナリティです。これは,Gabbard が「周囲を過剰に気にするナルシスト」(hypervigilant narcissist)と呼ぶタイプ,つまり,わが国では「過敏型」という通称で呼ばれるタイプの人たちを指しています。筆者が臨床場面で出会うことが多いのは,このような過敏性・脆弱性が優位な人たちです。特徴が誇大性に偏る人たちには同時に顕著なマインドブラインドネス(mindblindness)〔第2章で解説〕が見られることから,この人たちを自閉症スペクトラム障害の軽症例とみなす見解がありますが(Bleiberg, 2001),筆者もこれと似た印象も持っています。

注:i) 引用中の「周囲を過剰に気にするナルシスト」については次の資料を参照して下さい。 「Kohutの自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討」の「4. 自己愛性パーソナリティ障害の二類型論とKohutの見解」項 ii) 引用中の「誇大性」については次の資料を参照して下さい。 「Kohutの自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討」の「(2)自己愛性パーソナリティ障害についてのKernbergの見解」項 iii) 引用中の「マインドブラインドネス」については、拙エントリのここを参照して下さい。一方、引用中の〔第2章で解説〕において、この解説のための引用は省略します。 iv) 標記「自閉スペクトラム症」については拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「DSM-Ⅳ」に関連して、自己愛性パーソナリティ障害の DSM-Ⅳ による診断基準については次の資料を参照して下さい。 「Kohutの自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討」の表1 ちなみに、DSM-Ⅲはこの DSM-Ⅳ の前バージョンであり、DSM-5 はこの DSM-Ⅳ の改訂版です。 vi) 引用中の「この人たちを自閉症スペクトラム障害の軽症例とみなす見解」(注:この人たちは引用中の「過敏型」の人たちのことです)に関連する、「自己愛性パーソナリティ障害は診断基準を満たさない程度のごく軽度の自閉スペクトラム症と合併していることが少なくない」ことについては、市橋秀夫監修の本、「パーソナリティ障害 正しい知識と治し方」(2017年発行)の 2 パーソナリティ障害の要因は何か の「背景にあるもの③ 発達障害が隠れている場合も」における記述の一部(P35)を次に引用(『 』内)します。 『自己愛性パーソナリティ障害 診断基準を満たさない程度のごく軽度の自閉スペクトラム症と合併していることが少なくない』

自己愛性パーソナリティ障害における特徴、背景、治療、周囲のサポート等について、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第2章 タイプ別にみるパーソナリティ障害 ~特徴、背景、対処について の「自己愛性パーソナリティ障害」における記述の一部(P70~P72)を次に引用します。

自己愛性パーソナリティ障害

特徴と背景にあるものは
自分を特別な存在だという意識が強く、尊大・傲慢な態度を取り、ほかの人への思いやりや共感する態度が欠如しているのが、自己愛性パーソナリティ障害の人の特徴です。
誰もが、自分自身を大切に思う「自己愛」を持っているものです。健全な自己愛があるからこそ、困難に立ち向かうこと、ほかの人を尊重することができるのです。しかし、自己愛性パーソナリティ障害の人にとっては、自分が稀有な存在であり、ほかの人は劣った存在なのです。強い特権意識から、常に賞賛と高い評価を得られることを期待します。
また、他人の感情を気にせず、都合よく利用しようとします。友人や恋人も、損得勘定や自尊心を満足させられるかどうかで選ぶところがあります。
しかしその背景にあるのは、強いコンプレックス(劣等感)です。心の中にある劣等感を打ち消すために、あるべき万能の自己像を作り、それを守るためにほかの人からの賞賛が必要となるのです。そのため、思ったような成果が上げられず、人に負けたり、批判を受けたり、無視されたりすると、激しい怒りを感じます(自己愛的怒り)。周囲に暴言を吐いたり、物を壊したり、暴力をふるったりすることもあります。
逆に、自己愛性パーソナリティ障害で、見かけ上非常に謙虚、消極的な人もいます。「あるべき自己像」と現実の自分とのギャップから、他人の評価を過剰に気にするためです。自分が予想する評価が得られないと「傷つけられた」と感じることもあります。それらの症状が強くなると、抑うつ症状、引きこもりや自傷行為、薬物依存*などの問題につながります。(中略)

●有病率は 1.0~6.2 % 男性に多い *有病率の数字は、「最近の疫学研究における DSM-IV パーソナリティ障害の頻度」(Trull et al, 2010)より(中略)

診断と治療方針、そして周囲のサポート
自己愛性パーソナリティ障害の治療では、ずっととらわれてきた万能な自己像から離れ、等身大の自己像を受け入れられるようになることを目指します。
自己愛性パーソナリティ障害の人の持っている強い劣等感は、あるべき自己像と、あるがままの自己像のギャップを無意識のうちに感じ、受け入れられないことから生まれます。それを改善するためには、自己愛性パーソナリティ障害の人が心の底に持っているコンプレックスを解きほぐすことが役立ちます。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、成長過程で否定されたり、蔑まれた経験があり、コンプレックスを抱えています。そのため、傷つくことに非常に敏感で、それを防御するために万能な自己像を必要としているところがあります。誰もが、自分自身を評価し大切に思う気持ちを持っているものですが、自分に自信があるからこそ、困難に立ち向かうことや、ほかの人を尊重することができるのです。
周囲の人は、傷つくことに敏感な自己愛性パーソナリティ障害の人の特徴を理解し、非難や批判をせず、共感の態度をもって見守ります。ただし、その人の要求やわがままを受け入れるということではありません。本人のするべきことを指摘したり、本人のものと異なる見解を示すことはします。一定の距離を保ち、冷静に対応することが重要です。自己愛性パーソナリティ障害の人は、親しい人には激しい感情をぶつけがちです。
なお、自己愛性パーソナリティ障害は、中高年期になると落ちついてきて、人のために尽くせるようになるケースもあります。「晩熟現象」といいますが、この加齢による性格の変化が、自己愛性パーソナリティ障害の人の回復に大きな役割を果たすことがあります。(後略)

注:引用中の「薬物依存*」の脚注(P70)における内容は次に引用(『 』内)します。 『薬物依存 特定の薬物の摂取への要求を抑えられなくなり、くり返しその薬物を使用する状態。やめようと思ってもやめられず、日常生活に支障をきたす。』

加えて、自己愛性パーソナリティ障害では、自己が二つに分裂していることについて、市橋秀夫監修の本、「パーソナリティ障害 正しい知識と治し方」(2017年発行)の 4 自己愛性パーソナリティ障害 の「特徴① 強い自尊心の陰に弱い自分が隠れている」における記述の一部(P68)を以下に引用します。加えて、自己愛性パーソナリティ障害の人には「等身大の自分」がないことについて、市橋秀夫監修の本、「心のお医者さんに聞いてみよう 自己愛性パーソナリティ障害 正しい理解と治療法」(2018年発行)の Part2 障害のしくみ 「いつも自分以上でなければならない」強迫観念が引き起こす の『病理の構造① 「思い描く自分」と「とりえのない自分」』における記述の一部(P24)を以下に引用します。さらに、『「等身大の自分」という着陸装置がないために、軌道修正ができず、墜落してしまう』ことについて、同 Part の「病理の構造② 強迫観念が行動の引き金。挫折に弱く、立ち直れない」における記述の一部(P26)を以下に引用します。

特徴① 強い自尊心の陰に弱い自分が隠れている(中略)

自己が二つに分裂している

自己愛性パーソナリティ障害では、自己が「思い描いている自分」と「とりえのない自分」の二つに分裂しています。思い描いているのですから、これは偽の自分。とりえのない自分は、思い描いている自分と対象関係ですから、やはり偽の自分です。一方で、等身大の自分は育っていません。
そのため、うまくいっているときは万能感にあふれますが、少しの失敗に過剰に反応して極端に落ち込むという問題が出てきます。(後略)

病理の構造① 「思い描く自分」と「とりえのない自分」

病理的な自分しかいない

健全な人の心のなかには、誰の目を気にすることもなくいられるありのままの「等身大の自分」が存在します。ところが、自己愛性パーソナリティ障害の人にはそれがありません。「思い描く自分」と「とりえのない自分」という、ふたつの病理的な自分しか存在しないのです。(後略)

病理の構造② 強迫観念が行動の引き金。挫折に弱く、立ち直れない

着陸装置のないジェット機のような自分

自己愛性パーソナリティ障害の人は着陸装置のないジェット機。つねに自分以上でなければならないという強迫観念に駆られ、行動します。人から認められているうちは、高みに向けて突き進みます。ひとたび失敗し、挫折すると、機体は急降下。「等身大の自分」という着陸装置がないために、軌道修正できず、墜落してしまうのです。(後略)

自己愛性パーソナリティ障害について、市橋秀夫監修の本、「心のお医者さんに聞いてみよう 自己愛性パーソナリティ障害 正しい理解と治療法」(2018年発行)から様々な記述を以下に引用します。これら以外にも同本からの引用があり、ここを参照して下さい。

(a) 自己愛性パーソナリティ障害の特性について、同本の Part1 自尊心の病 傷つきやすく、本当の自分を好きになれない の「障害の特性 一見、うぬぼれが強いと思われるが、本人は自分を好きになれない」項における記述の一部(P10)を次に引用します。

周囲の印象とは異なる特性をもつ
自己愛性パーソナリティ障害の人は、感情コントロールが苦手で、すぐに激しい怒りを見せます。高圧的なふるまいをすることが多いため、うぬぼれが強く、自分が大好きな人だと思われがちです。じつは、肥大した自尊心にふりまわされ、自分を好きになれない人で、以下のような特性を持っています。(後略)

注:引用中の「特性」について、同項における記述の一部(P10~P11)を次に形式を変更して引用します。

□他人を信用することができない。
□自分のことが好きになれない。
□人間関係はつねに勝ち負けの関係になってしまう。
□自分が自分以上でないといけないという強迫観念をもっている。
□他人の成功に対して、嫉妬と羨望の感情がおさまらない。
□自分が特別な存在であることをさりげなく、あるいはあからさまに示したがる。
□うまくいっているときにはがんばれるが、思い通りにいかなくなると努力を続けられなくなる。
□挫折に弱く、立ち直ることが困難。
□批判されたり叱責されたりすることが極度に苦手。
□自分がどう見られているかばかり気にしてしまう。。
□自分が賞賛されているイメージに沈溺する。(中略)

最終的に、人間関係がうまくいかなくなる
成長し、社会に出るようになると、障害の特性が他人とのあいだにあつれきを生む。最終的に、人が離れていき、孤立するなどのトラブルに陥りやすい。(後略)

注:引用中の「強迫観念」に関連する強迫性障害における「強迫観念」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。

(b) 自己愛性パーソナリティ障害における「障害特有の考え方」について、同 Part の「障害特有の考え方 傷ついた自尊心が痛まないように行動するのが最優先事項になる」項における記述の一部(P12~P13)を次に引用します。

挫折を回避することを最優先する
自尊心が傷つきやすく、挫折しやすいという特徴があります。心の奥底に、誰かに否定されるのでは? 失敗するのでは? というおびえがあり、「幸せに生きよう」などとは思えません。それよりも、自尊心が傷つくのを最小限に抑えることが、生きるうえでのコンセプトになり、最優先事項になります。(中略)

傷つきやすく生きづらさを抱えている
高圧的で横柄に見えるが、自尊心が高いぶん、繊細で傷つきやすく、生きづらさを抱えている。ガラスのような心を守る防衛反応として、この障害特有の思いや考えを持つようになる。

加えて、自己愛性パーソナリティ障害における「挫折のときの徴候」について、同 Part の『挫折のときの徴候 自尊心が損なわれると「怒り」「落ち込み」「現実からの撤退」が起こる』項における記述の一部(P14)を次に引用します。

思い通りにならないときの3つの徴候
人はおとなになるにつれて、世のなかには自分よりすごい人がいることや、自分の思い通りにならない場合もあることを学んでいきます。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自尊心が損なわれるようなことがあると、大きな挫折感を味わい、乗り越えられません。自己愛が壊れるとき、「自己愛の三徴」という3つの兆候が現れます。(後略)

注:引用中の「自己愛の三徴」について、次に形式を変更して引用します。

徴候1 怒り
相手が思い通りに動かないと、自尊心が傷つけられ、感情を爆発させる。相手を無能と決めつけて罵倒したり、パワハラまがいの言動で、激しく攻撃したりすることもある。(中略)

徴候2 落ち込み
ものごとがうまくいかなかったり、人間関係で孤立したりすると、挫折から立ち直れずに落ち込み、抑うつ状態になる。投げやりになり、食欲不振や不眠になることも。(中略)

徴候3 現実からの撤退
自尊心を守るため、現実から撤退し引きこもる。失敗するなら、やらないほうがマシだと考える。人に傷つけられないために、相手をさげすんだり、無関心を装ったりして、逃避する。(中略)

(c) 自己愛性パーソナリティ障害は「自尊心の病」であることについて、同 Part の「障害の原因 正常な自己愛を獲得しそこねた。自分では障害の存在に気づけない」項における記述の一部(P16)を次に引用します。

自己愛性パーソナリティ障害は、自尊心の病です。自尊心が肥大しすぎて、傷つきやすいのが特徴です。傷つくのを回避しようとして周囲に高圧的にふるまったり、完璧さを求めたりします。障害が重い場合には、拒食症(摂食障害)や強迫性障害、DVなどを引き起こします。病気の根本に障害があることには、自分では気づくことができません。(中略)

注:i) 引用中の「拒食症(摂食障害)」については他の拙エントリのリンク集(用語:「摂食障害」)を参照して下さい。 ii) 引用中の「強迫性障害」については他の拙エントリのリンク集[用語:「強迫性障害強迫症)」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「DV」は「ドメスティック・バイオレンス」のことであり、次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ドメスティック・バイオレンス(DV)とは - 配偶者からの暴力被害者支援情報

加えて、同では、自己愛性パーソナリティ障害における次に示すトラブル(問題)が5つリストアップされています(P17、市橋クリニック調べ)。 ①非定型うつ ②強迫性障害 ③対人関係困難 ④引きこもり・不登校 ⑤DV ちなみに、同 Part において、 i) 上記「非定型うつ」についての説明が同頁と P8 にあり、次に引用(それぞれ【 】内)します。 【もっともよく起こるのが非定型うつ 自己愛性パーソナリティ障害では、障害そのもので受診するケースはなく、別のトラブルで病院を訪れる。もっとも多いのが非定型うつ。ちょっとした失敗でも抑うつ状態に陥りやすい。】、【非定型うつ ふつうのうつのように一切の活動ができなくなるのではなく、楽しいことなどがあると活動することができる。】 加えて、上記「非定型うつ」に関連するかもしれない、「新型うつ」としての「対人過敏・自己優先抑うつ」については、次の資料を参照して下さい。 「臨床社会心理学における“自己”:「新型うつ」への考察を通して」(特に『4. 「新型うつ」への臨床社会心理学的アプローチ』項以降[P410~])、「Features of Interpersonal Cognition in People with High Interpersonal Sensitivity and Privileged Self: Personality Features of "Modern-Type" Depression」(英文、拙訳はありません。ちなみに、上記「"Modern-Type" Depression」は「新型うつ」の英訳のようです。) ii) 上記「強迫性障害」についての説明が P9 にあり、次に引用(【 】内)します。 【強迫性障害 この障害がある人の特性のひとつが完璧主義。不潔恐怖や醜形恐怖といった強迫性障害を起こしやすい。一般的な強迫性障害の場合、本人は過度なくり返し行動をバカバカしいと自覚しているが、この障害の人は完璧主義ゆえに、こうした思考に陥る。】(注:引用中の「不潔恐怖」については他の拙エントリのここを参照して下さい) iii) 引用はしませんが、上記「DV」(ドメスティック・バイオレンス)についての説明が P9 にあります。 iv) 上記リストアップ外ですが、「クレーマー」についての説明が同 P9 にあり、これを次に引用(【 】内)します。 【特定の企業や団体に抗議し続け、自分の優位性を確認する。】 v) 上記トラブルに関連する、「自己愛性パーソナリティ障害の人が医療機関を訪ねるきっかけは、ほとんどが非定型うつや不眠、強迫性障害や引きこもりといった、別の心の病の発症」であることについてはここを、そして思い通りの結果が得られないと、すぐに絶望して一切の努力を止めてしまい、それが引きこもりや突発的な怒り、強迫性障害などで現れることについてはここを それぞれ参照して下さい。

さらに、自己愛性パーソナリティ障害において、「期待に応えられなかったら生きる価値がないと思う」ことについて、同項における記述の一部(P17)を次に引用します。

(前略)期待に応えられなかったら生きる価値がないと思う

本来、正常な自己愛というものは、幼少期に親(とくに母親)と愛し愛される体験を通じて、心に内在化され育っていくものです。正常な自己愛があって、はじめて自分というものができ、自分への信頼や自尊心も生まれます。それらは人が、生きるうえで欠かせない感覚です。
ところが、自己愛性パーソナリティ障害の人には、これらの感覚が欠如しています。無条件に愛された記憶がなく、いつも母親(おとなになってからは他人も含む)の期待に応えようとして生きてきました。それに応えられなかったら生きる価値がないとすら、思ってしまうのです。
そのため、つねに「スペシャルな存在として他人に認められなければ」「他人に必要とされる自分でいなければ」という強迫観念をもちます。生きるには条件が必要だと感じ、漫然と生きることに罪悪感を覚えます。
心の奥底には、できなかったらどうしようという不安が渦巻き、自己防衛から、自尊心を肥大させてしまうのです。人を信用できず、自分も好きになれない、つねに他人の目が気になる、挫折に弱いなどの特性は、幼少期に正常な自己愛を獲得できなかったことが関係しているのです。(後略)

一方、自己愛性パーソナリティ障害が見過ごされることが多いことについて、同 Part の「障害の現状 別の問題で受診するが、見過ごされることが多い」項における記述の一部(P20~P21)を次に引用します。

自己愛性パーソナリティ障害の人が医療機関を訪ねるきっかけは、ほとんどが非定型うつや不眠、強迫性障害や引きこもりといった、別の心の病の発症です。医師は、患者さんの話を聞きながら、症状の背後にどんな病理が隠れているのかを探り、立体的に診断を下します。

尊大な態度をとりがちで、本質の問題が隠されてしまう

ところが、自己愛性パーソナリティ障害の場合、治療を行うことのできる医師はかぎられています。そのうえ、この障害は自尊心にかかわる病なので、本人は他人に決して弱みを見せようとしません。医師を前にしても強気で尊大な態度をとり、自分の病的な部分を隠そうとするのです。このため、よほどこの障害についての造詣が深くないと、精神科の医師でも障害を見抜くことは難しいでしょう。また精神科には、DSMという、国際的に用いられるアメリカ精神医学会の精神障害の診断マニュアルがあります。ただ、自己愛性パーソナリティ障害には、実情に即さない点もあり、DSMだけで診断できないところがあります。
こうしたことから、ほとんどのケースで、非定型うつ病や不眠といった表面的な症状に対して、薬物療法が行われます。薬は症状を緩和する効果はありますが、根本にある障害に気づかないかぎり、問題が解決することはありません。同じ症状がくり返され、問題が長期化していきます。(後略)

また、自己愛性パーソナリティ障害の人は、ものの捉え方や考え方に強い偏りがあることについて、同の Part2 障害のしくみ 「いつも自分以上でなければならない」強迫観念が引き起こす の「思考パターン 目に見える価値しか信じない。結果が得られないと意味がない」における記述の一部(P32)を以下に引用します。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、ものの捉え方や考え方に強い偏りがあります。なかでも特徴的なのが、価値観です。

他人が見てわかる価値以外は意味がないと感じる

一般に価値観とは、人が人生で大切と感じるもの。それがよいと信じ、自分もそれに近づこうと努力することで、生きる原動力にもなります。
価値には大きく分けて「内的価値」と「外的価値」があります。
内的価値とは、自分で評価し、自分にしか見えない価値。勤勉さや誠実さ、やさしさなど、客観的評価が難しく、人と共有できない信念や美学に近いものです。一方外的価値とは、学歴や収入、外見など、他人が評価する価値。人から「すごい」と言われることが価値基準になります。
誰でも、自分はこうありたいという内的価値をもちながら、人からどう思われるがという外的価値も無視できず、多くはふたつの価値観のバランスをとりながら人生を送っています。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、内的価値が存在せず、外的価値しか信じることができません。このため自分の価値を自分で評価できず、他人が評価してくれないと、自信をもつことができないのです。

いつもオール・オア・ナッシングの考え方になる

ところが、他人の評価は、つねに結果に左右されます。どんなに勉強しても、いい大学に受からなければ、周囲の賞賛は得られません。目標に向かって重ねた努力や、試行錯誤したプロセスの楽しみも、結果がわるければ、価値は無になってしまいます。外的価値の基準は結果主義で、「できたか、できないか」ということだけが重要になります。
外的価値しが存在しない自己愛性パーソナリティ障害の人は、結果だけを気にする「オール・オア・ナッシング」の考え方に陥りがちです。
よい結果が得られているあいだはいいのですが、思い通りの結果が得られないと、すぐに絶望し、一切の努力を止めてしまいます。それが引きこもりや突発的な怒り、強迫性障害などで現れます。また、ポジティブな結果が得られない場合、ネガティブでもいいから人が驚くような行為で万能感を維持しようとし、反社会的行為に走る場合もあります。(後略)

注:i) 引用中の「強迫性障害」については他の拙エントリのリンク集[用語:「強迫性障害強迫症)」]を参照して下さい。 ii) 引用中の「思い通りの結果が得られない」と関連する『「思うようにはいかない」という不安が強迫観念を生む』ことについて、同 Part の「空想の自分 思い描いている自分にはなれないことがわかっている」における記述の一部(P39)を次に引用します。

(前略)「思うようにはいかない」という不安が強迫観念を生む

この障害の人は、理想の自分を思い描いているあいだは、それにふさわしい尊大な態度をとり続けます。けれども、心の奥底ではそれが虚構だとわかっていて、実現不可能だと気づいているため、不安があります。
つねに自分以上でなければならないという思いは、強迫観念となって心をおびやかし、他人に対する過剰な要求や極端な言動を生み出します。「もっとやらなければならない」という思いにつきまとわれ、いつもなにかに駆り立てられていて、気が休まることはありません。
そして、思ったような結果が得られず、理想の自分になれない現実をつきつけられると、大きな挫折感に打ちのめされ、最終的に、うつや拒食症などの心の病を発症させてしまうのです。(後略)

なお、自己愛性パーソナリティ障害の背景にあるのは、結果至上主義の競争社会であることについて、同の P44 の『「自分探し」「価値ある自分」 時代が生んだ病でもある』項における記述の一部を次に引用します。

(前略)障害の背景にあるのは、結果至上主義の競争社会

現在、企業は成果主義を掲げ、家庭では学歴という究極の結果主義が教育の柱となっています。
極端な結果主義の行きつく先には、結果が得られずに傷つく人たちの苦しむ姿があります。
一時流行した「自分探しの旅」などは、いまいる自分は仮の姿で、理想の自分が未来のどこかにいるはずだ、と考える結果主義の姿が見えてきます。そのため、いまの自分に身が入らなくなるのです。
今後、社会の結果主義がさらに色濃くなれば、この障害に悩む人は増える一方でしょう。私たちはいま一度、内的価値について考え、結果だけでなくプロセスに意義や喜びを見出す価値観に、立ち戻る必要があるのかもしれません。

注:引用中の「学歴という究極の結果主義」に関連する「メリトクラシー(業績主義)」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、「等身大の自分」をつくる8つのレッスンについて、同の Part3 気づきのレッスン 価値観を見直し、「等身大の自分」をつくり、生きづらさをとり除く の「自分への気づき 価値観をかえられれば、生きづらさも消えていく」項における記述の一部(P46~P47)を以下に引用します。

「等身大の自分」が自分を守る(中略)

「等身大の自分」をつくらないかぎり、人生のイベントや対人関係で挫折すればたちまち「とりえのない自分」が現れ、落ち込むことになります。(中略)

8つのレッスンでものの見方をかえていく(中略)

「等身大の自分」をつくるには、まず自分がとらわれている偏った価値観に気づくことが大切です。Part3 では、8つの気づきのレッスンを通して、これまでの自分の考え方を改めて見直していきます。大事なのは答えの中身ではなく、考えるプロセス。正直に自分をふり返り、いまの価値観を少しだけ調整すれば、「等身大の自分」が現れてきます。(後略)

注:引用中の「8つの気づきのレッスン」については引用しませんが、それぞれのレッスンでの疑問形の手がかり(左側)と解説(右側)における見出しを以下に記述します。ちなみに、前者の手がかりは同本の表紙裏面に記述されています。ただし[ ]内は本エントリ作者による追記です。

レッスン1:「ありのままの自分」をイメージできますか? ふたつの偽の自分を自覚し、「等身大の自分」の不在に気づく
レッスン2:「完璧な自分」が傷つくことへの恐怖がありませんか? 完璧さを求める自分を認め、できない自分を受け入れていく[※1
レッスン3:「特別であること」だけに、価値を求めていませんか? スペシャルではなく、ユニークを目指す
レッスン4:「自分がどう思われるか」ばかりを気にしていませんか? 他人ではなく自分で、自分の価値を決めていく
レッスン5:「自分のことを大切にしてこなかった」のではないですか? 自分にもっとやさしく接し、自分のことを信じてみる
レッスン6:「ステージを上げること」への強いあこがれを抱いていませんか? 上昇ではなく、前進する生き方にかえる[※2
レッスン7:「家族は同じ物語をもっている」と思っていませんか? 家族それぞれの立場や事情をイメージし、違いがあることを認める
レッスン8:「誰かの役に立たなければ、生きる価値がない」と思っていませんか? 自分が存在することに特別な理由などいらないことを知る

※1:標記「完璧さを求める」ことについて、同本の「Lesson② 解説 完璧さを求める自分を認め、できない自分を受け入れていく」における記述の一部(P54)を次に引用(【 】内)します。 【ふだん現れている「思い描く自分」は、自分自身に「完璧であること」を求めていませんか? 理想の自分は、ミスをしない、パーフェクトな自分。この自分像が、わずかな失敗も許さないという息苦しさや、失敗し、転落することへの恐怖を与えています。】

※2:一方、標記「ステージを上げること」や「上昇」とは異なる「プロセス主義」について、同本の「Lesson⑥ 解説 上昇ではなく、前進する生き方にかえる」における記述の一部(P71)を2つ次に引用(それぞれ【 】内)します。 【英国のバイオリン職人の話です。「人生最高の楽器ができたら、あなたは売りますか。手元に置きますか」という質問に、彼はこう答えます。「大切なのは、制作の過程。つくったモノの評価に関心はありません」。もちろん、いい楽器ができればうれしいのでしょうが、彼はそれよりも、楽器をつくる工程自体を楽しんでいたのです。このプロセス主義こそが、人生に本来の豊かさを与えてくれるのです。】、【山登りは、登っているあいだのプロセスが楽しいのです。鳥のさえずりを聞いたり、傍らに咲く花を楽しんだり。一歩一歩がすべて、豊かな人生へとかわっていきます。たとえ頂上までたどり着けなかったとしても、山に登ること自体が人生を彩り、心を満たしてくれます。】 なお、コツコツやる上記「プロセス」には価値を見出すことができない場合のデメリットについて、同本の Part2 障害のしくみ 「いつも自分以上でなければならない」強迫観念が引き起こす の「行動パターン プロセスに価値はない。コツコツ続ける意味がない」における記述の一部(P34~P35)を次に引用します。

(前略)また、自分でものごとを評価する内的価値が存在せず、他人に評価されることしか意味がないと感じ、コツコツやるプロセスには価値を見出すことができません。能力や要領で、ラクに成果が出ているあいだは、自信に満ち、高い自尊心も守られます。自分は特別な人間で、コツコツ努力するのは凡人のやることだと思い込んでいます。しかし、結果が出そうにないと、ますます努力することができなくなります。最終的に、残る選択肢はどんどん失われていくという生き方に陥ってしまいます。(中略)

一方で、努力をしている友人などを見ると、「もしかしたら、自分が努力しても、彼らにかなわないかもしれない」という不安が心をよぎります。いままで見下していた友人から見下される自分の姿を思い描き、高い自尊心が傷つくことを極度に恐れます。このようなときに自己愛性パーソナリティ障害の人がとりがちな行動は、努力ではなく「不戦勝」。地道な努力をして負けるよりも、あえて努力せず、戦わないことを選びます。周囲から見ると引きこもりでも、本人の心のなかでは「栄光ある撤退」。万能感を守るための選択なのです。「不戦勝」でなくて「不戦敗」だということには、治療が進まなければ気づくことができません。(後略)

なお、自己愛性パーソナリティ障害に対する治療の方針としての「本人の内にある病理をとり出し、自分自身で扱えるようにする」ことについて、同の Part4 治療と周囲の対応 医療機関だから、周囲の人だから、手助けできることがある の「治療の方針 本人の内にある病理をとり出し、自分自身で扱えるようにする」項における記述の一部(P88~P89)を次に引用します。

治療では、人格の障害を治すというより、本人のもつ「自己愛の構造」を本人の手で修正していく必要があります。そのために治療者は、本人が自分の病理に気づき、自分の手で扱えるように手助けをします。

治療は、病気のしくみを知ることから始める

本人を苦しめている病理は、自分の思考パターンです。けれども、現実の世界をコントロールしているのが自分の内面であることに、本人は気づかず、もがき続けています。
この思考パターンをかえるには、本人に共感しひたすら話を傾聴するタイプの一般的なカウンセリングは役に立ちません。たとえ一時的に気分がよくなっても、すぐにつらさや苦しさを感じるようになります。
必要なのは、自分で自分の精神病理の構造に気づくこと。病理をはっきり自覚することができれば、自ら治したいと考え、自分の手で病理を扱えるようになります。医師のカウンセリングは、あくまでそのサポートです。

つねに「いま、ここ」について考える

自己愛性パーソナリティ障害の場合、病気のしくみの原型は幼児期につくられます。幼児期と同じような構造をもつできごとに触れると、くり返し自動的にしくみが再現し、強化されていきます。それによって、ゆがめられた現実に支配されていくのです。
大事なのは 「いま、ここ」に焦点を当て、眼の前の現実に直面し、適切な選択をしていくこと。いまさらどうすることもできない過去について考えることは、マイナスにこそなれ、プラスにはなりません。
例えば母親が、一瞬子どもの手を放したすきに、子どもが交通事故に遭いケガをしたとしましょう。どんなに悔やみ、または、手を握っていれば……と考えたところで、事故の前に戻ることはできません。
いますべきことは、ケガを治し、リハビリをすること。そして今後は気をつけようと心に刻むことです。
治療においても同様です。過去を引きずらず、つねに「いま、ここ」を見ることが、気持ちを前向きにし、治療の効果を上げます。(後略)

ただし、「発達障害がある場合には、治療の方針をかえることもある」ことについて、同における記述の一部(P89)を次に引用します。

(前略)発達障害がある場合は、方針をかえることもある

自己愛性パーソナリティ障害は、よく発達障害と合併します。とくにアスベルガー症候群や自閉症があると、想像力や共感性に欠けることが多いため、カウンセリングのなかで本人に気づきを求める方法での治療は困難です。結論を先に示し、より具体的な説明が必要です。

注:引用中の「発達障害」については他の拙エントリを参照して下さい。

一方、バランスの悪い自己愛と騙されやすさとの関連について、岡田尊司著の本、「マインド・コントロール 増補改訂版」(2016年発行)の 第三章 なぜ、あなたは騙されやすいのか の「③バランスの悪い自己愛」における記述(P85~P88)を次に引用します。

③バランスの悪い自己愛
パーソナリティの特性として、近年重要性を増しているのか、自己愛の問題である。不安定で歪に肥大した自己愛は、マインド・コントロールする側の問題として指摘したが、実は、マインド・コントロールされる側の問題としても関与が深まっている。かつて、強力な存在感を放つ他者に従属することで安心感を抱く人が多数を占めた時代には、他者本位で人に影響されやすい依存性パーソナリティの人が、マインド・コントロールの餌食となりやすい典型的なタイプであった。ところが、一見するとまったく逆に、非常に自己本位で、しっかりとした自己主張をもつかに見えた人が、マインド・コントロールされてしまうというケースが増えている。
そうしたケースで認められるのは、自己愛のバランスが悪いということである。彼らは、一方では、心のうちに誇大な願望をもち、偉大な成功を夢見ているが、同時に、他方では、自信のなさや劣等感を抱えており、ありのままの自分を愛することができない。誇大な理想を膨らませることで、どうにかバランスをとろうとしている。現実生活の中で、ある程度の成功をおさめ、輝いていられるうちは、そうしたバランスの悪さもあまり顕在化しないが、現実の暮らしかうまくいかなくなるにつれ、両者のギャップが急速に目立ち始める。
儒教的社会や伝統的なイスラム社会もそうであったが、忍耐と従属を重視する旧来の社会においては、自己というものは、それほど大きな存在感をもたなかった。日本を含めた東洋の封建的社会や伝統的なカトリック社会と同様、イスラム社会でも、定められた運命という考え方が大きな支配力をもつ。個人は、神や天が定めた運命に従うべきものであった。
ところが、プロテスタンティズムと結びついた個人主義では、個人の意思や主体性に重きを置く。運命さえも、その人の意思と努力によって左右できるものという考え方が生まれたのだ。こうした個人主義が、伝統的社会にも波及するにつれて、いわゆる「社会の近代化」と呼ばれる状況がもたらされた。それは、社会の成員が、自分の意思をもった個人として覚醒することでもあった。かくして、自己に重きを置く価値観が、伝統的社会をも浸食し始めたのである。
二つの価値観のギャップを、もっとも強烈な形で味わうことになったのは、両方の社会の狭間に身を置いた者たちだ。田舎から大都会に出てきた若者も、移民のイスラム教徒も、伝統的な価値観を背負いながら、同時に、個人主義的な価値観と接触することで、痛みを伴った自己の目覚めを味わうこととなった。
もはや彼らは、伝統的な価値観に、ただ忍従するだけでは、心のバランスをとれなくなったのである。もっと自己の価値を追求し、華々しく活躍し、輝くことを願望せずにはいられなくなった。そんな彼らに、自分たちを取り巻く現実はさらに冷たく不当に感じられ、自分がないがしろにされている状況を、これまで以上に強く意識するようになる。彼らは、そうした現実を真っ向から否定する、もっと偉大な目的に身を捧げることで、自己の存在価値を取り戻そうとする。
そこで掲げられるスローガンは、近代的な欧米型社会の否定としての理想郷の建設であったり、伝統的な社会の復活であったりする。つまり、西欧的な個人主義社会へのアンチテーゼが基調にあるのだが、皮肉にも、彼らを根底で衝き動かしているものは、敬虔な信仰や伝統的価値観に従うことではなく、むしろ自己に目覚めたがゆえに、平凡で、控えめな生き方では満たされない、肥大化した自己愛の願望なのである。
精神医学者のハインツ・コフートが指摘した通り、自己愛には二つの様相がある。一つは、自らが神のような偉大な存在でありたいという願望であり、幼く未熟な自己顕示性や万能感を特徴とし、誇大自己と呼ばれる。グルやカリスマと呼ばれる人たちは、この誇大自己が現人神のごとく顕現したものだと言えるだろう。
だが、自己愛にはもう一つの様相があり、コフートは、「理想化された親のイマーゴ」と呼んだ。つまり、自らが神のような存在となることはできないが、神のような偉大な存在を崇拝し、その存在に自らの偉大な存在でありたいという願望を投影することで、間接的に満たされる自己愛の形である。歪な自己愛を抱え、自分を評価してくれない不当な現実に、憤りや不満を感じている存在にとって、理想化された存在に対する絶対的な崇拝は、生きる意味を与え、救いとなるのである。一見強制されたわけでもなく、自ら進んでカリスマ指導者や組織に身をささげようとする場合、こうした自己愛の病理が絡んでいることが多い。
優れた知力や批判能力を備えていても、自己愛にバランスの悪さを抱えていると、知らずしらず理想化された存在を求めようとし、いかがわしいリーダーさえも、理想の存在に祭り上げてしまう。自らマインド・コントロールを求めているようなものであり、こうした存在を取り込み、操ることは容易だと言えるだろう。知的能力や弁舌に自信がある人ほど、論理的に説得されてしまうと、もはや抗えないということも起きる。現実の生活に不満を抱え、同時に、偉大な目的を求めているという心理構造を抱えている限り、自分にも聖なる使命が与えられるという誘いは、強力な殺し文句となる。
こうした歪で未熟な自己愛を抱えている人の特徴は、どこか子どものような幼さである。それは、純粋さや理想主義的な形でも現れるし、極端さや過激さともなって表れる。テロリストやカルトの信者たちに、観察された特徴は、彼らがバランスの悪い自己愛を抱えていることを、まさに示していると言えるだろう。

ナルシシストに典型的なスキーマのリストについて、スキーマ理論におけるコーピングスキル反応を含めて、ウェンディ・ビヘイリー著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「病的な自己愛者を身近にもつ人のために あなたを困らせるナルシシストとのつき合い方」(2018年発行)の 第2章 パーソナリティ構造を理解する の「ナルシシストによって活性化される典型的なスキーマ」における記述の一部、「ナルシシストに関連する典型的なスキーマ」における記述、「ナルシシストのもつスキーマの起源」における記述及び「スキーマ理論におけるコーピング反応について」における記述の一部(P62~P66)をまとめて次に引用します。

(前略)それでは次に、ナルシシストに典型的なスキーマのリストを提示します。読者の皆さんはリストを読みながら、ナルシシストがいかに自らのスキーマと闘ったり過剰補償したりしているか、ということについて考えてみましょう。ナルシシストは、自らのスキーマが喚起する感情に屈するのではなく、その感情を感じること自体を避けようとします。

ナルシシストに関連する典型的なスキーマ
●情緒的剥奪スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、誰かが自分の欲求を満たしてくれたり、自分のことを愛してくれたりすることはないだろうと信じています。ゆえに彼は、誰も必要としません。彼は自分自身が完璧であること、自分自身が成功すること、そして自分が誰にも邪魔されないことを求めてひたすら努力を続けます。
●不信/虐待スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、他人が自分に対してよくしてくれるのは、自分から何かを得ようとしているからに違いないと信じています。彼は他者と親密になることを避けています。そして他者の動機について常に疑いの目を向けています。
●欠陥/恥スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、心の中の中核的かつ無意識的な部分において、「自分は愛されない存在だ」と感じ、そのような自分を恥じています。しかし彼はその思いを自らが感じることがないように、自己鎮静的な嗜癖行動(ワーカホリックを含む)に没頭したり、自身の業績を誇示して周囲に称賛を求めたり、特権が与えられた人間として尊大な振る舞いを示したりし続けます。
服従スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、対人関係を「支配するかされるか」という視点からとらえており、かつ他者を支配し続けようとします。
●厳密な基準スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、自然体で気楽に過ごすことができません。なぜなら、そのような状態になると、無意識の領域に隠されている「自分はダメな人間である」という感覚が生じそうになるからです。彼は喜びや楽しさを犠牲にして、物事を完璧にこなし、何事に対してもきわめて厳格であろうとします。彼は動き回り、常に何かをしていないといけません。そうでないと落ち着かないのです。
●権利要求/尊大スキーマナルシシストを最も特徴づけるのがこのスキーマです。このスキーマをもつナルシシストは、特別扱いを受けることによって、自分が他者とは異なる特別な存在であることを感じます。彼だけは、他者が従うべき種々のルールに従う必要がありません。壮大な夢と強列なうぬぼれをもっていますが、実はそれらが彼がもっている欠陥や恥の感覚を隠してくれているのです。
●自制と自律の欠如スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、我慢ができず、不快を耐えられません。彼は自分の欲しいものを、欲しいときに要求し、その要求を断られたり、我慢させられたりすることに耐えられないのです。
●評価と承認の希求スキーマ:このスキーマをもつナルシシストは、高い評価を受けることや高い地位を得ること、そして他者から注目を集めることを常に求めています。通常これらは、彼の孤独感や恥辱感の過剰補償であると考えられています。

ナルシシストのもつスキーマの起源
ナルシシストのもつスキーマは、次に挙げるような筋書きによって形成されます。たとえば、家庭の中で、常に非難され、ダメ出しばかりされて育った子どもを思い浮かべてみましょう。彼はそのような体験を通じて、「自分は愛されたり注目されたりするほどの価値がない人間だ」と感じるようになり、それが「欠陥/恥スキーマ」の形成へと至ります。あるいは、養育者から十分な愛情や理解や保護を与えてもらえなかった子どもをイメージしてみましょう。その結果、その子どもには「情緒的剥奪スキーマ」が形成されることでしょう。両親に支配されたり操作されたりして育った子どもの場合、「不信スキーマ」や「服従スキーマ」が形成されるかもしれません。このような両親は、親の設定した基準を満たすことを子どもに求め、子ども自身の重要な欲求を犠牲にして、親自身の自尊心を満たそうとします。こうした状況を埋め合わせてくれるような重要他者が他にいない場合、あるいは両親による情緒的剥奪や非難によるダメージを修復するような状況が得られない場合、子どもは、「誰も自分の感情欲求を満たしてくれない」「自分は誰からも愛されないダメ人間だ」という感覚を強くもつようになり、心の奥底に孤独感や恥辱感を大きく抱えることになります。こうした思いは子どもの心の中に強固に内在化され、それが歪んだ信念による強固なスキーマとなり、あたかも「歌詞」のように繰り返されることになるのです。
幼少期のこれらの体験において繰り返される苦痛な感覚は、やがて子どもの脳内のフォルダに「情報ファイル」のように格納されていきます。このファイルには、自分自身について、将来について、そして自分を取り巻く世界について、子どもなりの「真実」が含まれています。そしてこのファイル(すなわちスキーマ)は、子どもの感情的な体験の枠組みを規定する「青写真」として機能します。そのような子どもが成人期を迎える頃には、見知らぬ人ばかりがいる部屋に入るといった、比較的シンプルな行為であっても、それがスキーマを活性化することになってしまうでしょう。そうした状況において、彼のファイルは簡単に開いてしまいます。そしてファイルの中身(スキーマ)に基づき、彼は、「自分は皆から非難され、無視され、拒絶されるだろう」と思ってしまうのです。
このような子どもは同時に、幼少期において、苦痛を与える環境から逃れるためのコーピングスキルを身につけます。これらのコーピングスキルは、彼が自身の孤独感や空虚感を紛らわすためには役に立ちますが、健全な対人関係の形成を阻害します。以下の三つの「仮面」が、典型的なナルシシストの、自分を守ろうとするコーピングスキルです。

●完璧主義者:「厳密な基準スキーマ」の特徴を顕著にもつ仮面
●仕返しするいじめっ子:「権利要求スキーマ」の特徴を顕著にもつ仮面
●負けず嫌いの自慢好き:「承認の希求スキーマ」の特徴を顕著にもつ仮面

スキーマ理論におけるコーピング反応について
人間の本質として、私たちの脳は、危険を知らせる脅威に対し、「闘争-逃走反応」によって応じるように配線されています。ただしこの呼び方は正確ではなく、脅威に対する反応には、実際には以下の三種類が挙げられます。一つ目は「闘争」で、これは闘ったり反撃したりすることです。二つ目は「逃走」で、危険から逃げるか、さもなければ危険を回避しようとします。三つ目は「麻痺」で、脅威に屈したり服従したりすることを言います。通常スキーマが活性化すると、強烈な感情や思考、そして身体反応が生じ、それがその人にとって大きな脅威となります。同時に人生早期の不適応的な体験によって形成された自己破壊的な行動が生じます。スキーマに埋め込まれた記憶と類似する現在の状況が、脳と身体に対して強烈なメッセージを伝えます。脳は脅威を認識し、スキーマと闘うか、スキーマから逃げるか、あるいはスキーマ服従するか、そのどれかの方法で反応しようとします。どの反応であっても、それはスキーマが私たちを支配する力を維持する方向に機能します。それは「内なる怪人」のようなものです。怪人との闘いは泥沼化する一方です。先にも述べたように、スキーマはあなた自身がその背景に気づかないまま、半ば無意識的に活性化します。あなたが気づくのは、目の前の「意味ありげな状況刺激」から自分が何らかの危険や脅威を読み取って、自らが反応してしまっているということだけです。(後略)

注:引用中の「スキーマ」の簡単な紹介は他の拙エントリのここを、上記「スキーマ」に関連する「スキーマ療法」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

また、自分を外から見る力が乏しいと自己愛的な印象を与えることについて、岡野憲一郎著の本、「自己愛的な人たち」(2017年発行)の 第5章 アスペルガー的な自己愛者 の「◇自分を外から見る力が乏しい人」における記述の一部(P94~P99)を次に引用します。

◇自分を外から見る力が乏しい人(中略)

この面談は彼女の体験する職場での理不尽さを辛抱強く受身的に聞くことの繰り返しとなったが、私にとってかなり辛い体験だった。「Jさん、でもそれは……」と相手方に少しでも理解を示すようなことを私が言おうものなら、Jさんは烈火のごとく怒るのである。「先生の意見なんか聞いていません! 余計な口は挟まないでください」。
やがて私はJさんにぞんざいに扱われているという感じがしてきた。Jさんの一週間の予定表のひとコマにされたという感じである。Jさんの不満を吐き出すゴミ箱にでもなったかのような気持ちにもなった。彼女は面接時間の開始が少しでも遅れると私を糾弾し、また私に書かせた診断書の文言の細かい点について、何度も訂正を要求した。私の英語の問題もあり、これには相当苦労した。(中略)

私はあれほど面接の際に緊張し、ヘビに睨まれたカエルのような心境になったことはない。そしてやはりJさんはある意味でナルシシストだったと感じるのだ。

それ以来、私はアスペルガー傾向のある人たちに何人も出会ったが、みなある特徴を持っていた。彼らはある種独特の世界観を有していて、そこから物事を見る。そこには一種の達観があり、「人はこのようなものだ」という開き直りがある。でもそれが一方的であり、物事の一面しか見ていないという印象を与える。周囲はそれを伝えようとするのだが、彼らは動じない。むしろ「どうしてこんなこともわからないのか?」という視線を一般人に向ける。それが時にはひどく傲慢な、あるいは自己愛的な印象を与えるのである。
もちろん彼らとて苦しさを抱え、満たされない愛情欲求を持つことがある。彼らだって人とわいわい騒いだり、友達や恋人と楽しいときを過ごしたい。しかし人といてどうしようもない壁を感じる。自分を異質と感じ、それ以上に周囲が自分を異質に感じていると感じる。どのように異質なのかはわからない。彼らには「周囲に引かれている、遠ざけられている」という感覚しかない。自分たちの振る舞いが、他人のように「自然」ではないということは感じる。しかし、どのように振る舞ったら「自然」になれるのかは見当がつかない。彼らは「ふつう」になりたいと思う。自分を「異星人」のように感じる人たちもいる。
見方によっては、アスペルガーの人たちは気が弱く、臆病なのだ。事実、非常に引っ込み思案でいつも隅っこにいる人たちもいる。しかし、中にはある一芸に秀で、それを通して自分が優れているという感覚を過剰に持つ人もいる。すると変な目信がついて傲慢に振る舞うようになる。彼らの能力からすれば、周囲はあまりに平凡でバカみたいに見えるのかもしれない。そのような一部の人たちが、確かにナルシシストの一部を形成しているのである。
アスペルガーの当事者は、どのようなことを思っているのか。権田真吾『ぼくはアスペルガー症候群』(彩図社、二〇一四年)は、機能が高く社会適応を果たしている当事者が内側からアスペルガーの世界を描いた著作であるが、とても参考になる。そこにはアスペルガー型自己愛を理解する上でのヒントが多く書かれている。
著者は同僚の高機能自閉症と思われる女性社員Iさんについて描く。

Iさんは仕事の腕は確かなのだが、言動に少々問題がある。会社が推奨している目標管理について「気に入らない」といった発言を社内で平気でするのだ。本人に悪気はないらしく、言った後もあっけらかんとしている。
ある日、ぼくがトラブル対応で他部署に行ったときのことだ。そこの部署の女性社員からこんなことを言われた。
「Iさんっておたくの社員? ちょっと気にさわる発言があったのだけど……」

こんなエピソードを語りつつ、権田さんは自分の体験に触れる。

かく言うぼくも、暴言を吐いてしまって苦い思いをした経験がある。
ある日、ぼくは業務が立て込んでいて不機嫌だった。そこへ、他拠点から業務依頼があり、ぼくは「まあいいけど、なんでそんなこと引き受けなあかんの?」と文句を言ってしまったのだ。すぐに「しまった!」と思ったが、後の祭り。上司に呼び出されてこっぴどく叱られた。
たとえ虫の居所が悪かったとしても暴言はいただけない。ビジネスマンなら感情のコントロールを的確に行う必要がある。

権田さんもIさんも、これらのエピソードを通して会社で相手に「なんて傲慢で自己チューなナルなんだろう?」と思われている可能性がある。人の評価は恐ろしい。一度出会っただけでも、あるいはそれだからこそ、そこでの一言、態度は決定的な印象を与え、周囲にも伝わる。
もちろんこれだけで両者をアルペルガー的なナルシシストと決めつけるつもりはない。しかし彼らは時に自己愛的と思われる際の一つの特徴を表している。それは自分の姿を外側から見る力が、最初から、つまり生まれつき乏しいということだ。(後略)

注:i) 引用中の「この面談」とは「著者のクライアントであったJさんとの面談」のことです。 ii) 引用中の「彼らはある種独特の世界観を有していて、そこから物事を見る。(中略)でもそれが一方的であり、物事の一面しか見ていないという印象を与える。周囲はそれを伝えようとするのだが、彼らは動じない。」に関連するかもしれない、「自分と環境の関連に対する理解が決定的に不得手な患者の場合、本人の中で本人なりの理解が強固に作り上げられている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

境界例のほとんどは、自己愛傾向がかなり強い」ことについて、平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第二部 境界例の治療ポイント の「第一三章 境界例治療事例集」における記述の一部(P292)を次に引用します。

(前略)境界例のほとんどは、自己愛傾向がかなり強いのです。自己愛とは読んで字のごとく「自己を愛する」ことです。「自己を大切にするし、他者との調和にも配慮する」健康な自己愛であれば、問題はありません。しかし、境界例の自己愛はかなり程度が強く、一方的です。つねに過剰な賞賛を求め、かぎりない欲求実現を空想し、自分が特別だと思いこみ、他者との優劣に非常に過敏で、他者を自分の目的のためとしか考えず、また他者への劣等感を感じるとひどく落ちこんでしまう、といったいささか病的な自己愛なのです。(後略)

注:引用中の「境界例のほとんどは、自己愛傾向がかなり強い」ことに関連する、 a) 「境界例が治ると自己愛人格障害に移行する」ことについては、同本の 第二部 境界例の治療ポイント の 第七章 境界例の主要特徴 6 境界例と他の人格障害 の「●自己愛人格障害との比較」における記述の一部(P149)を次に引用(【 】内)します。 【境界例患者がなんとか衝動をコントロールでき、誇大的な自己同一性をもてるようになったら、自己愛人格障害になるように思われますが。――そうでしょうね。実際の臨床でも境界例が治ると自己愛人格障害に移行するといわれているぐらいですから。】 b)『「境界性パーソナリティ障害」と「自己愛性パーソナリティ障害」とを厳密に分類することは容易ではない』ことについては、市橋秀夫監修の本、「心のお医者さんに聞いてみよう 自己愛性パーソナリティ障害 正しい理解と治療法」(2018年発行)の P80 の「境界性パーソナリティ障害と合併していることもある」項における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【境界性パーソナリティ障害は、自己愛性パーソナリティ障害とともに、乳幼児期の母子(父子)関係が大きく影響しており、厳密に分類することは容易ではありません。両者が混在することもあり、境界性の症状が落ち着いた後、自己愛性の症状が現れることもあります。】(注:引用中の「境界性パーソナリティ障害」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい)

一方、妄想性(猜疑性)パーソナリティ障害における特徴、背景、治療、周囲のサポート等について、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第2章 タイプ別にみるパーソナリティ障害 ~特徴、背景、対処について の「妄想性(猜疑性)パーソナリティ障害」における記述の一部(P82~P84)を次に引用します。

妄想性(猜疑性)パーソナリティ障害

特徴と背景にあるものは
異常に疑い深くなり、自分が悪意や敵意にさらされ、攻撃されていると思い込んでしまうことが起きやすいのが、妄想性パーソナリティ障害の特徴です。
自分以外の人を信用することができず、ほかの人の言動を、自分を陥れるため、あるいは自分の権利を侵害するためだと解釈します。
たとえば、職場の人が自分の職務を果たすためにしている行為やちょっとした善意も、「だまされているのでは」「裏の目的があるのではないか」と考えます。ほかの人が誤りを指摘しても、かえって被害者意識を強め、孤立してしまいます。
恋人や配偶者であっても信じられず、相手が裏切っているのではないかと疑います。
猜疑心から、周囲の人々に攻撃的になることも珍しくありません。恋人や配偶者に対してDV(ドメスティックバイオレンス家庭内暴力)をふるうこともあります。恨みを持った相手を訴えようとすることもあります。このような場合、筋が通らない主張でも、本人は自分の正当性を疑うことがないので、周囲は困惑してしまいます。
このような人では、育った家庭が、失敗を許されなかったり、常に非を責められる雰囲気であったことが見られます。
また、ほかのパーソナリティ障害があり、さらにストレスなどがかかることで妄想性パーソナリティ障害を発症するケースも少なくありません。
妄想性パーソナリティ障害の人は、その障害のせいで常に、不安にかられ、緊張状態にいるのです。彼ら自身が安らぐことがなくつらい日々を過ごしているといえます。(中略)

●有病率は 0.6~3.1 % 男性に多い *有病率の数字は、「最近の疫学研究における DSM-IV パーソナリティ障害の頻度」(Trull et al, 2010)より

小児期や青年期に変わった言動が始まる。妄想性障害、妄想型統合失調症を発症することがある。(中略)

診断と治療方針、そして周囲のサポート
妄想性パーソナリティ障害の治療では、いかに治療者を含めた周囲の人が患者さんと信頼関係を結び、患者さんの緊張や不安を減らせるかが重要です。
そのために、まず妄想性パーソナリティ障害の人の考えを否定したり、非難しないことです。
妄想性パーソナリティ障害の人は自分の意見にしがみついて他の人の意見を受け入れようとしないことがしばしばあります。どんなに理路整然とその思い込みが現実的でないことを説明しても、それを受け入れることができず、かえって自分を攻撃されたり否定されたと感じて頑なになってしまいます。
妄想性パーソナリティ障害の人は自分の考えに捕われている一方で、自分の主張の論理的な破綻や世界観のもろさに不安を感じています。頑なさや攻撃的な態度の底には、不安や助けを求める気持ちがあることを理解し、少しずつ誤った思い込みを解きほぐし、事実をありのままに受け止められる手助けをします。
周囲の人は、妄想性パーソナリティ障害の人の妄想に巻き込まれないよう、冷静かつ中立でいられるように距離感を保ちましょう。
妄想的な考えに対しては、頭から否定や批判をしないようにします。しかし妄想的な考えを受け入れたり、意見に迎合したりしてはいけません。患者さんの思いや不安に共感しつつ、別の見方や解釈があることを伝えていきます。
妄想性パーソナリティ障害の人は、自分の築いてきた約束や秩序を破られることに敏感です。本人の思い込みに対して、その場をごまかそうとする態度はかえって状況を悪くします。
妄想性パーソナリティ障害の人が妄想的な考えを発展させやすくなるのは、精神的余裕がなく、ストレスや不安が強いときです。生活での負担がかかりすぎないよう配慮することも大切です。(後略)

注:i) 引用中の「妄想性障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「妄想型統合失調症」に関連する「統合失調症」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。なお上記「妄想型」は、幻覚や妄想が中心的な症状の病型のようです。

加えて、演技性パーソナリティ障害における特徴、背景、治療、周囲のサポート等について、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第2章 タイプ別にみるパーソナリティ障害 ~特徴、背景、対処について の「演技性パーソナリティ障害」における記述の一部(P74~P77)を次に引用します。

演技性パーソナリティ障害

特徴と背景にあるものは
派手な外見や大げさなふるまいで、ほかの人、特に異性の注目や関心を集めることに、エネルギーを傾けてしまうのが、演技性パーソナリティ障害です。
たいていは、外見を美しく華やかに保つ努力をし、自分の異性(多くが女性)としての魅力を最大限にアピールします。人を惹きつけるために、芝居がかった話し方をしたり、思わせぶりな態度も取ります。
最初は非常に強い印象を与えるのですが、付き合っていくうちに内面的な深みに乏しいことに気づくかもしれません。個性が強いのではなく、相手」の気をひくために、「自分」を変えているので、流行や人の意見の影響を受けやすく、言動に一貫性がないからです。気分も変わりやすく何かに夢中になっても、すぐに冷めてしまうことも珍しくありません。そのため、信用を失ったり、軽んじられることも多いのですが、本人はそのような言動をやめられないのです。
男女間でもトラブルを起こしがちです。
異性から見て思わせぶりな態度を取ることが多いため、相手は「自分に気があるのだ」と勘違いし、思いを募らせてしまうのですが、本人にはその意図や自覚がありません。そのため、複数の人の片思いを誘発して、トラブルになることも珍しくないのです。
演技性パーソナリティ障害の人は、意識して人を惹き付けようとしてふるまっているわけではありません。
また、何か目立つ行動をしていても、その意味を自分自身で考えることもほとんどありません。それらが周囲との軋轢につながりやすいのです。(中略)

●有病率は 0.3~1.6 % 女性に多い *有病率の数字は、「最近の疫学研究における DSM-IV パーソナリティ障害の頻度」(Trull et al, 2010)より

診断と治療方針、そして周囲のサポート
演技性パーソナリティ障害の人の治療では、その行動の背後に「注目や関心を浴びていないと、自分に価値が感じられない」という考え方があることに自覚を促していきます。
常に、派手な服装やふるまいをするということは、そうしないと関心をもってもらえない、自分に価値がないと感じる心の裏返しでもあります。
治療では、この問題を本人に自覚してもらい、周囲の注目や賞賛がなくとも自分自身に価値があることを確認しつつ、ほかの人の評価に自分自身が支配されている状態を改めるための行動を積み重ねる作業が進められます。
つまり、自分の価値を人からの賞賛などではなく、自分自身に求めること、ほかの人からの愛情や信頼を注目や関心で測らないことを学ぶのです。
演技性パーソナリティ障害の人は、その特徴である誇張を、純粋に信じてしまうような人を恋人や配偶者としやすいのです。
さらに、演技性パーソナリティ障害の人は、しばしば過呼吸などの身体症状を持っているため、恋人や配偶者は“面倒を見る”ことで、離れられなくなっていることが多いのです。
しかし、患者さんの言動を非難したり批判することは治療の助けにはなりません。
演技性パーソナリティ障害の人にとって、ありのままの自分を受け入れてもらっていると実感できることは、助けになります。恋人や配偶者は、批判せず、冷静に適度な距離を保ちつつ、本人が努力を重ねることを見守ることが大切です。
演技性パーソナリティの傾向は、うまく使えれば、自己アピールや表現のうまさという“個性”にもつながります。パーソナリティを変えるのではなく、その特徴を上手にコントロールできる状態を目指します。(後略)

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【19】「アルプスの少女ハイジ」における「クララが立った」を連想させる治療例について、その他

最初に標記治療例について、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●精神療法 における山下陽子、村上伸治、青木省三著の文書「めまいに対して過度の恐怖心を抱き、3年間寝たきりになった症例に対する精神療法」の「症例報告(山下陽子)」及び「全体へのコメント(青木省三)」におけるそれぞれ記述の一部(P206~P220)を以下に引用します。なお、 a) 標記「クララが立った」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「クララが立った」 b) 以下では引用はしていませんが、同文書の P219 において次に引用(『 』内)する記述が有ります。 『そしてクララのように立ち上がったのだ。』 c) 標記治療例は(恐怖や強い不安が見られるものの)複雑性トラウマを負っていないものとしてここに採用しました。一方、複雑性トラウマを負った場合のアプローチの例についてはここを、加えて「タイトレーション」として他の拙エントリのここにおける引用の「タイトレーション(Titration)」を それぞれ参照して下さい。

症例報告(山下陽子)

症例の概要
症例:Aさん 女性 28歳
家族背景:会社員の父とパート勤めの母の3人暮らし。
生活歴、現病歴:在胎中・出生時、言語・運動発達に問題はなかった。3歳時に喘息となり、父親が過剰に心配し、走らせない、外出をひかえさせるなどの運動制限を受けた。小学校、中学校ともに目立たない存在であったが、部活に参加するなど問題なく過ごしていた。中学3年生の時(16歳時)、臥床中に突然、のめまいを感じ、翌日当院耳鼻科を受診。遅発性リンパ水腫と診断され、その後近医で4種類の利尿薬やビタミン剤などの薬物治療を継続していたが、数年に1回のめまいを認めていた。高校に進学したが、中学の友人と別れ、新しい人間関係に馴染めず高校2年で中退。その後は、車の部品などの細部検査の工場に勤務していたが、徐々にめまいの頻度が増え、出勤困難となったため20歳で退職。この頃は、動くとめまいが悪化すると感じ、一日中ベッド上で過ごし、臥床している時間がほとんどであった。
X-3年(25歳時)、大きなめまいを感じ、総合病院の耳鼻科を受診するも異常なしと診断され、同病院の心療内科を紹介され受診。心因性と判断され抗うつ薬抗不安薬が処方されるも嘔気にて内服できず、少量の抗不安薬のみ毎食後に継続していた。しかし症状は悪化し、頭部を動かすことでめまいが生じると感じ、極度の恐怖心から首を動かさず常に正面を向いた姿勢で固定するため、入浴は週に1回、トイレや入浴の衣類の着脱は母親による全介助となった。X-2年頃より、発声によりめまいが生じるように感じはじめ、両親との会話が筆談となり一切発語がなくなった。X-1年に心療内科でカウンセリングが始まり徐々に短時間のささやくような発語は可能となった。しかし開眼時の景色の動きでめまいを感じ一日中閉眼するようになった。X年2月、1年で、体重が45kgから35kgに減少し、活動性が極端に乏しくなったことから、同年3月当院を紹介され受診し、X年4月に本人の同意のもと入院となった。
入院時現症:160cm、35kg。青白くやせており、頬がこけ、手足には筋肉がなく棒のよう。頭髪は額に張り付き不潔な印象。開眼したままゆっくりとすり足で診察室へ入る。時にうっすらと眼を開けるが、めまいを感じるようで苦悶様の表情となる。着席するにも頭部を動かさないよう、顔は正面を向いたまま慎重に座る。質問には閉眼したまま、ささやくような声で返答。途中、震える手で顔を覆ったり、胸の前で手を組んだり下ろしたりと、不安というより恐怖心から居ても立ってもいられない様子であった。任意入院同意書のサインの際には、下を向くことができないため、ボードを敷き垂直に立てた状態で目前でサインを行ったが、筆圧は乏しく小刻みに震えた文字となった。

治療経過
①X年4月~6月(治療停滞期)
入院時より筆者が主治医となった。(中略)

臥床時は、腕時計を見ながら、安心ための彼女独自のルールに沿って寝返りを繰り返していた。右向き20分、左向き40分、右向き10分、左向き10分、右向き5分、左向き5分を繰り返し、合計90分の臥床が終わると20分ベッド上で座位になるというこだわりがあり、途中にトイレや食事など別の動作を入れることは不可能であった。また、独自の呼吸法があり、日中は「テ」「夕」と頭でカナを浮かべながら息を吸い、「サ」「ハ」で息をはく、夜間(18:30~)は、「ス」「フ」で息を吸い、「サ」「ハ」で息をはく、というルールを覚醒時に続けており、常に頭が休まらない状態であると述べた。
食事においては、硬いものを噛む音でめまいが誘発されるように感じ、キュウリや菓子類など歯ごたえのあるものは食べられず、少量の摂取であった。
彼女は動くことでめまいが生じるという恐怖が中心症状であり、不安障害(恐怖症)と考えられたが、めまいに対する強迫観念に近い柔軟性の乏しい思考形式や、一連の儀式行為などから、発達障害圏も疑われた。
治療として、まず主治医は彼女と話し合い、彼女にとって一番苦痛が少なく課題として取り組みやすい動作をテーマとした。(中略)

入院1ヵ月は、行動観察を含め本人の動ける範囲で課題を提示していたが、トイレへは車椅子利用が続き、看護者の介助量もほぼ変わらない状態であった。なかなか前進がみられないため、2ヵ月目に入り恐怖心から避けていた動きに頑張ってチャレンジしていくことを提案した。彼女も了承していたが、「今日は体調が悪いから無理」「動くとよけいしんどくなった」など、回避的な言動が多く、大きな進展がないまま2ヵ月が経過した。
そこで、主治医、看護者全体で今後の治療について検討した結果、現在の病棟での生活は入院前の自宅と同じ状況であり、母親の介助の代わりに看護者が付き添うという代替的な形になっていた。そのため、本人にできそうなものだけを治療課題として提示するだけでは、進展が見込めないのではないかと考えた。そこで今後の治療としては、めまいに関することを避けるのではなく、積極的に課題として動いてもらう方針とした。
彼女と彼女の両親に対して、めまいに関連する言動を避けることで、症状を悪化させているという悪循環の経緯を説明し、このまま苦痛の少ない課題を行っても症状は一進一退であること、今までのように「今日は調子が悪いからできない」などと回避するのではなく、苦痛を伴う課題にどんどん取り組まないと症状改善は期待できない旨を説明した。はじめは、急に動くことでより症状が悪化しないかと強い不安を訴えていたが、「何とか以前のような自由に動ける状態に戻りたい」と、積極的な行動療法に同意した。治療としては、恐怖心を抱いている動作に正面から取り組んでもらい、“めまい”につながるような動作をどんどんしてもらうため、彼女にとって苦しいものとなることを伝えた上で決心を固めてもらった。
②X年6月~8月(積極的な行動療法に取り組み、治療が進展した時期)
説明を行った翌週より、早速“動ぎ”に慣れてもらうため、毎日の課題として午前と午後に1時間ずつ彼女を車椅子に乗せ、しっかり動かすことで振動に慣らすこととした。6月より、研修医2名(男女1名ずつ)が彼女の担当となり、治療に加わることとなった。まず、主治医、研修医が車椅子を押し、精神科病棟から他の病棟の廊下を動くようにした。今までは曲がり角や段差はめまいが誘発されるからと避けていたが、「チャレンジすればするほど、どんどん症状はなくなる」と繰り返し伝え、挑戦した。はじめはまったく開眼できず、恐怖から耳を塞いたり、車椅子にしがみつくなどの行動が見受けられたが、意識が車椅子の動きに集中しないように軽い雑談を交え話しかけながら繰り返したところ、徐々にうっすらと開眼でき、時折会話に笑って応じることができるようになった。また、課題施行数日後には、病棟に帰った際、「ただいま」と、か細い声ではあったが挨拶ができるようになった。しかしたびたび「めまいは起こりませんか?」と保証を求めたり、首の前後左右の動きや視線移動は依然できないままであった。
車椅子移動に対して、「だいぶ慣れた。眼を開けて周りを見たい気持ちも出始めた」との発言も聞かれ、舗装の悪い外の道や、上下に動く際の宙に浮く感覚が恐いと乗れなかったエレベーターに挑戦した。研修医が常に付き添い、「今日は、眼を開けたまま耳を塞がずにエレベーターにチャレンジ!」など、明るい雰囲気を常に保ちながら、冗談も交えてつぎつぎと課題を与えた。時には、横断歩道を渡る際に信号が点滅しはじめると、急に車椅子のスピードを上げて走って渡り、彼女は「ぎゃあー!」と大声をあげる一面もあった。しかし数年ぶりに大きな声を出せたこと、体が大きく揺れた後でもめまいが起こらなかったことなどを体験し、恐怖心以上に達成を感じたようであった。徐々に車椅子利用から歩行へと移行させる際には、歩行距離を数メートルから始め、次に目的地を定めて距離を延ばしていく方法をとった。ひとつひとつの課題が、彼女にとっては緊張と恐怖の連続であったが、厳しい課題が与えられながらも“課題”としてではなく“ゲーム感覚のチャレンジ”として、常に明るい雰囲気で研修医とともに取り組めたことがプラスに働いているようであった。また、数年来家族はもとより他人と会話を楽しむことから遠ざかっていたこともあり、新鮮に感じているようでもあった。そして「めまいが起こりませんか?」という発言から、「めまいは起こりませんよね」という肯定的な質問に変わっていき、以前はめまいや不安の訴えが会話の中心であったが、徐々に高校時代の話や洋服などのオシャレが好きであることなどが語られるようになった。
積極的な行動療法開始後2週間ほどで、車椅子での移動の際の“動ぎ”に関しては、苦痛を訴えることが少なくなったが、課題はすべて受動的であり、病棟に帰ると再び呼吸法や寝返りにとらわれた臥床生活に戻った。また。かろうじて開眼が可能となったものの、臥床中も歩行時も首を動かせないため、正面の一点しか見られずまったく下を向けない状態であった。たとえば廊下の角を自然に曲がれず、恐怖心から開眼し首を正面に向けたまま体を徐々に回転させ方向転換するという、奇妙な動作となった。ベッド横の床頭台に物を取りに行く際も、ベッドを1周しなければならず、ベッド角を曲がる時には閉眼し慎重に移動していた。そこで このように日常生活において一番苦痛となっている視線移動の課題を検討した。彼女だけが治療課題として苦痛に感じないよう、研修医を含めた数人が一緒になってできる課題を考えた。そして午前、午後の歩行練習に加えて、病院内のリハビリセンターを利用し、本人、主治医、研修医2人の4人で四角に座り、ボールを床に転がしながら順番に回していく課題を取り入れた。ボールを受け取る際と相手に転がす際に、左右の首の動きと視謙移動があり、また終始開眼していないといけないという彼女にとっては苦しい課題となった。しかし、ここでもゲーム感覚でボールのスピードを変えたり、急に対角線上に転がしたりと、治療という感覚ではなく遊びとして楽しめるように工夫をした。何度か「めまいがしそう、止めたい」との発言も聞かれたが、「苦痛に感じることを避けていては治らない」と繰り返し伝え、数日後には「首を動かすことに抵抗がなくなった」「勝手に視線が下を向いてしまうけれどめまいは起こらない」と自信のある明るい表情に変化した。その後から、歩行中も自然に視線を動かすようになり、売店などでは商品を見ることの楽しみを感じるようになった。
次に課題を決めるにあたって、本人にとって現在困っていることに加え、頻回に行えるもの、また治療成果が得やすいものを考えた。そこで、日常生活の中で介助が必要となっている動作を考えたところ、下を向く動作がある洗顔が依然できず、毎朝夕に看護者が準備したホットタオルで顔を拭き、歯磨きも同様に下を向けないため、膿盆を看護者に準備してもらい、顔を正面に向けたまま出し、顎をつたって膿盆で受けているところに注目した。行動すべてをベッド上で行っていたため、まず洗面、歯磨きを部屋の洗面台の前で行うように決め、はじめはイスに座った状態で行い、数日後には立位で行ってもらった。この日常生活動作を課題とすることで、課題を毎日こなしながら一日一日効果を実感でき、短期間で洗顔と歯磨きが1人で行えるようになった。この頃には、主治医がベッドサイドに行くと、ゆっくりではあるが自ら臥位から座位に姿勢を変え、座ったまま話をすることができるようになった。
次に、視線移動には慣れはじめたが、「カラフルな色を見るとめまいが起こりそう」と短時間ですぐに閉眼してしまうため、新しい課題としてリハビリセンターにある小児用ボールプールの利用を考えた。ボールプールには直径3mほどのビニールプールの中にカラフルな小さなボールが大量に入れられており、そこに入ることで体のバランスを保ちにくく、また視覚的な色の刺激もあり治療に使えると考えた。はじめは、中に入っても閉眼したまままったく動けなかったが、徐々に不安定な感覚を楽しむようになり、鮮やかな色にも抵抗がなくなっていった。同時に、リハビリセンターにある平衡感覚を養うシーソー型の平衡板を利用し、急に大きく揺らす体験をさせるなど、いろいろな器具をゲームの一環のようなかたちで取り入れた。体が揺れてもめまいは起こらないことを実感すると2回、3回目の課題は比較的スムーズに行え、繰り返すことで「なぜこんなことが怖かったのだろう」と客観的に受け止めることができるようになった。
6月末には毎日の午前午後の散歩は自立し、リハビリセンターを利用しての課題も怖がることなくクリアすることができるようになった。しかし自室に帰ると臥床がちとなるため、就寝以外にベッドで過ごすことを禁止し、デイルームでイスに座って過ごすよう提案した。また就寝時には呼吸法と慎重な寝返りは続き、入眠まで2時間を要しており、体位変換から起こるめまいに対する恐怖心がなかなかぬぐえないようであるため、新たな課題を検討した。今までは視線移動や首の移動など間接的な課題を行っていたが、今回は直接めまいが起こる課題に挑戦することとした。まずマット上で寝転び、そのまま横に転がる運動を毎日の課題として提案した。しかし今までと違った直接的な回転運動に対する恐怖心から、長時間マットを見つめたまま躊躇し、なかなか行動に移せなかった。そこで主治医と研修医も横に並び、川の字の状態で同時に回転するよう提案したところ、あきらめたように承諾し全員の掛け声を後押しに勢いをつけて回転した。初回は不安と恐怖のため、終了後に流涙し、全身が震えていたが、回数を重ねるごとに躊躇することなく長い距離を回転することが可能となった。回転後のめまいは正常であり、時間とともに消失することを体験し、“めまい”が恐いものではないことが体感できたようであった。その後、前転の提案にも果敢に挑戦するなど、実際のめまいへの抵抗が明らかに軽減していた。十分活動性も上がり自信がついたところで、十数年のみ続けていためまいに対する薬を止めるよう提案したところ了承。耳鼻科受診にて、現在リンパ水腫の存在は認めず、内服薬の必要性がないことを診断してもらった後、すべての耳鼻科薬を中止した。その後もめまいは起こらず、あらゆる課題に挑戦しても症状が起こらないことで自信を強めていった。就寝まで2時間かかっていたものが、マットの課題を始めた頃より30分以内で寝付くことができ、中途覚醒があると以前は呼吸法に集中して寝付けなかったものが、“バカバカしく感じた”と何も考えずスムーズに再入眠もできたと、呼吸法、体位変換へのこだわりはきれいに消失したようであった。
病棟内では、彼女にとって大きな不安材料がなくなってきたため、7月より外出練習を行った。自転車や電車など、揺れるために数年来乗っていなかったものにも挑戦し、つぎつぎに克服していった。自転車がなかったため、主治医が自分の自転車を貸すことにした。彼女も「山下先生の自転車なら乗りたい」と言って積極的に挑戦することができた。
めまいが激しかった頃に付き合っていた友人に会うことや、その頃見ていた好きな雑誌を見ることで再びめまいが起こるのではないかという不安を語ったため、それを課題に追加した。外出中に友人と会い、また避けていた雑誌を見ることを繰り返したところ、どんどん残存していた症状が消失し、以前のように楽しみが増えたと喜びを語るようになった。外泊練習では、自宅での臥床時間を最小限にしようと、自転車での外出を増やすなど、自分なりに症状が出現しにくいような環境を考え、実行するようになった。自宅での生活にも自信がつき、「退院後は自宅にこもらずバイトをしたい」と意欲を語り、それまで当院の精神科作業療法に通うこととし、8月初旬に退院となった。
③退院後経過
退院後は、常に声をかけ励ましていた病院スタッフがいないことで、再び“めまい”に対する恐怖心が出現しそうになったが、その時は自宅や作業療法室で入院中に課題となっていた“前転”を行うよう提案した。それにより、実際のめまいは時間とともに消失すること、恐怖心だけでめまいは起こらないこと、また入院中に養った自信を取り戻すことができ、一時的な不安は解消した。彼女自身、暇な時間は自分を“めまい”という不安材料に近づけると考え、積極的にアルバイトを探し、2ヵ月後にはパン屋のバイトを開始した。外来では、めまいに対する不安な訴えから、バイト先の上司のことやパン焼きの大変さなど、現実的な悩みや楽しみを語るようになった。現在では忙しいパン屋のレジからパン焼きまでこなし、お店でも頼られる存在となっている。
今回、本稿を報告するに当たり、彼女に同意を求めたところ、彼女はしばらくは渋っていた。「名前は知られなくても、私のことが他の人に知れることで、まためまいが起こらないか心配だから」と言っていた。だが、その後、彼女は「覚悟」を決め、「ここで決心することが、恐いけれど私の治療にもつながるんですよね」と言って同意してくれた。そして、「私のことが他の患者さんの治療に役立つならよいのですが、私の場合がうまくいったのは、自分で言うのも何なんですけど、私が感受性が強くて影響されやすい性格だったから、こんな病気にもなったけど、必死で頑張ってくれる先生方にも影響されてよくなったのだと思います。だから、誰にでも合うとは思いません」とも言われた。(中略)

全体へのコメント(青木省三)

主治医は、当初、狭義の行動療法に近いものを、すなわち症状を具体的に捉え、その症状を軽減させていくような計画をたて、患者の治療意欲を大切にしなから、成功体験によって自信を積み上げ、症状の改善を図っていくというものを、治療として考えていた。しかし、それは、予想以上に強い抵抗にあった。患者の変化に対する不安と恐怖が、成功体験による自信よりもはるかに強かったからである。症状は一進一退というかほぼ固定し、家とほとんど同じような状態になった。
それまでじっと成り行きを見ていた指導医は、そこでひとつの勝負に出た。「積極的行動療法」(そんな言葉を私は今まで聞いたことがないが)、患者に思い切って行動する決心を求め、それまでの計画よりもはるかに大変な行動を患者に提案し促した。患者は予想外の提案に動揺し混乱しながらも、崖っぷちに立った心境で同意する。これを指導医が言うように森田療法の恐怖突入と言うこともできるであろう。ミルトン・エリクソンであれば、フェニックスのスコーピークに登るのを求めたように(エリクソンが時に患者に出した課題)、ある覚悟(Commitment)を患者に求めたと言ってもよい。
患者の不安と恐怖によって固定したように見えた症状に対して、半分、混乱した中で、大胆な行動が促され、それが患者の予想を超えて、やってみたらできた……。そして、その混乱の中で、長年、しっかりと握りしめたような「思い込み」を手放すことができた。
これを要約すると、
①患者がぎりぎりの、崖っぷちで、混乱し、覚悟をする。
②その結果、予想外のよい体験をする。
③そして、長年の症状や思いこみが変化する。
ということになるだろうか。
しかし、このような治療が実を結んだのは、実は2ヵ月にわたる主治医・研修医と患者の間に築かれた信頼がベースにあるのは言うまでもない。主治医の誠実で粘り強い態度こそが、患者の信頼を築いた。この信頼なしに、この治療はありえない。もし、入院当初に、このような治療を始めたとしたとしたら、患者にとって外傷的な体験となり、ますますの症状の悪化という結果を招くだけになったであろう。積極的な治療の導入は、充分な信頼という下地があって初めて可能になる。
指導医は、当初から積極的な治療をねらっていたのではない。主治医の当初の治療計画の進展を見、そして、主治医と患者の関係をしっかりと見た上で、入院が残り1ヵ月というぎりぎりの時に、勝負に出た。それは、計画されたものではなく、患者も治療者も後がなく、「もう。これしかないよね」というように、皆が、大胆だけれど、納得するしかない提案をした。
さらにこの治療を成功させたのは、主治医と研修医が患者に対して提案した治療プランを、自分たちが一緒に行うように、まさに寄り添うように行ったことである。そこで、患者は自分のために一緒に身体を動かし汗を流してくれる人がいることを知る。そして、それが何よりも効果的だったのは、患者が涙を半分流しながらも、思わず笑ってしまうような、主治医や研修医の話かけや振る舞いであっただろう。「明るい雰囲気」と主治医は述べるが、それは、たわいのない些細なことでもおもしろい、健康な仲間集団の雰囲気と言えばよいのだろうか。彼女はそれまでに、そのような仲間体験をしたことがなかった。だから、この混乱はどこかお祭りの時のような、わくわくするような混乱でもある。そう、指導医はどこかお祭りの時出てくる、「鬼」のように見えなくもない。
わーきゃーっと言って、子どもたちが半分怖がりながら、でも半分楽しみながら、追われて逃げていく、あの「鬼」である。主治医も研修医も患者も、「鬼」から、一緒に逃げようとした。逃げる中で仲間になったのだ。
治療要因として、前述したものに付け加えれば、
④変化の下地として、主治医・研修医と患者の間の充分な信頼関係が築かれていた。
⑤主治医・研修医が患者と一緒に汗を流した。
⑥思春期の健康な楽しい仲間という雰囲気ができていた。(中略)

圧巻は、主治医と研修医と患者が横に並び、川の字の状態で同時に回転したところである。一緒に怖いところに飛び込んでくれる人がいたから、患者は、回転し、そして「前転」し、自信をつけた。
患者は退院後も「前転」を行い、めまいの不安を振り払うことができた。おそらくそれは、単に「前転」をしてもめまいは大丈夫ということを実感しただけでなく、自分のために一緒に川の字になって回転し、そして「前転」をしてくれた、そんな不思議なお姉さんやお兄さんがいたことを、患者は思い出したからではないか。それは世の中には信頼できる人がいるということを思い出す作業でもあったのであろう。
精神療法は、診察室の中でこころの奥を見つめていくところにもあるが、このように共に汗を流し、涙と笑いが混じった中にも、確実にあるのだと思う。(後略)

注:(i) 引用中の「恐怖突入」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「恐怖突入」項 加えて引用中の「恐怖突入」に関連する「思い切って飛び込めば恐怖は薄れていく」ことについては次のエントリを参照して下さい。 「思い切って飛び込めば恐怖は薄れていく」(注:これに関連して下記の (iv) 2) 項も参照して下さい) さらに、(不安や恐怖感を)「あるがままに受け入れる」ことについては、次のエントリを参照して下さい。 「あるがままに受け入れる」 (ii) 引用中の「積極的行動療法」及び(その実行への)引用中の「覚悟(Commitment)」に関連するかもしれない『「パニック障害に対する暴露療法」の実行には「“清水の舞台から飛び降りる”ような勇気が必要となる」』ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 『塩入俊樹先生に「パニック障害/パニック症」を訊く』の「④どのような治療法があるのでしょうか?」項*8 また、「自閉スペクトラム症傾向を認める強迫症者への介入」や「強迫症に対する治療には ExRP を中心とした CBT の有効性は確立している。しかし発達障害を伴う強迫症の治療においては、治療を困難にする以下のような問題点をよく経験する。」ことについては共に他の拙エントリのここの iv) 項を参照して下さい。一方、「経験的に,自閉スペクトラム症強迫症状を呈した人に曝露療法的なアプローチをすると大体悪くなる」ことについては他の拙エントリのここの v) 項を参照して下さい。 (iii) 引用中の「積極的行動療法」に関連するかもしれない、強迫性障害強迫症)における「考え方を変える前に行動パターンを変えてみる」ことについて、原井宏明監修の本、「強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年発行)の 4 普通に暮らせるってすばらしい の 考え方 悪いことは起こってから考えよう の「考え方が大きく変わった」における記述の一部(P79)を次に引用(『 』内)します。 『OCDは強迫観念が強迫行為を生み、強迫行為が強迫観念に拍車をかける悪循環です。合理的思考や常識や科学的なデータを示すことでは、なにも解決しないばかりか、症状の悪化につながります。考え方を変える前に行動パターンを変えてみることが、治療のコツといえます。経験してみて初めて考え方が大きく変わる瞬間が訪れます。回復した人が、「どうしてこんなことで悩んでいたのかと思う」というように、とらわれた考えから解き放たれていくのです。』(注: a) 引用中の「OCD」は「強迫性障害」のことです。 b) 引用中の「強迫行為」及び「強迫観念」については共に例えば次のWEBページを参照して下さい。 「強迫症 - 脳科学辞典」) (iv) 加えて引用中の「積極的行動療法」及び「不安を振り払う」に関連するかもしれない、 1) 「レスポンデント学習が消去される」ことについては、他の拙エントリのここを、 2) 一方、高所恐怖症の曝露療法において、「当初の恐怖反応が落ち着く」ことについてはここここを それぞれ参照して下さい。加えて、不安障害(不安症)における「エクスポージャーを実施する留意点」については、次の資料を参照して下さい。 「不安障害に対する認知行動療法 ――エクスポージャー法をどのように導入するか,そのコツを探る――」(注:同資料の図1[P423]も含めて参照して下さい) また、 a) 上記パニック障害において、「診断がされず治療が遅くなるほど、パニック障害は慢性化する」ことについてはここを参照して下さい。 b) 加えて、上記「強迫性障害」を放置すれば、人生の大半が強迫の餌食になることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (v) 引用中の「不安障害(恐怖症)」に関連する不安症群の一部については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「不安障害(恐怖症)」を含む神経症と学習との関連について、岩波明著の本、「どこからが心の病ですか?」(2011年発行)の 第五章 不安障害神経症(1) の「神経症」における記述の一部(P81~P82)を次に引用します。

神経症
最近の精神医学の診断基準において「神経症」という病名は、曖昧さがみられるために使用されない傾向にあります。以前の「神経症」は、いくつかのカテゴリに細分化されています。しかしながらこのことは、神経症の持つ重要性が減じたということではありません。単に精神疾患の一つを学ぶというだけでなく、ヒトの「心」の働きの基本的なパターンを理解する上で、「神経症」は格好の題材となります。
まず第一に、ヒトの精神は「悪い」学習の効果を受けやすくできています。この点は神経症の症状の中によく表れています。ここで言う「学習」は、実験心理学的な学習であり、古典的な例としては、「パブロフの犬」に関する研究が有名です。この実験においでは、えさを与えると同時にブザーを鳴らし続けると、ブザーを鳴らしただけで犬はえさをもらえると思いこみ唾液を垂れ流します。
これは「学習」によって、ブザーという聴覚刺激と唾液腺という本来は関連のないシステムに新しい「回路」が生じたことを意味しています。
神経症では、これと同様な現象がみられています。通勤中にたまたま電車の中で、動悸、息苦しさ、不安感などがみられる「パニック発作」が出現した場合について考えてみます。この人はその後電車に乗ったとき、あるいは駅の近くにいくだけで、同様の症状を出現しやすくなります。これが「悪い」学習です。つまり本来は無関係である電車とパニック発作が、頭の中で結びついてしまったわけです。(後略)

注:i) 引用中の「神経症」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「化学物質過敏症精神疾患との境界線」の視点からは他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の『「悪い」学習』の大いに関連する「条件づけ」又は「恐怖条件づけ」については、例えば他の拙エントリ及び次のWEBページを参照して下さい。「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」、「情動系神経回路 - 脳科学辞典」の「後天的に獲得された情動系神経回路」項 加えて特にMCSやシックハウス症候群の文脈における「条件付け」については、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

加えて、ひきこもりの青年が足を一歩踏み出すときについて、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●思春期・青年期 における和迩健太、三浦恭子、青木省三著の文書「ひきこもり―― 一歩足を踏み出すのを援助する」の「青年が足を一歩踏み出すとき」における記述(P8~P10)を次に引用します。

青年が足を一歩踏み出すとき

〔事例4〕32歳の男性(和迩担当ケース)
幼小児期はいわゆる明朗活発で友人も多い子であったという。勉強は好きなほうではないと言いつつも成績優秀で要領はよい子であった。自己主張はあまりせず、「仲のいい友達に誘われたから」といった理由で短期間猛勉強し難関国立大学に入学。大学生時代は「特にこれといってない」と言うように淡々とした生活を送る。就職も「先輩に誘われた」と、これまた単純な理由で厳しい競争をくぐり抜け有数の大手企業に入社。入社しても特に希望部署を主張せず、配属された営業職では「営業の頑張りが直接結果に反映されるのが楽しかった」と新人ながら好成績を収めていた。ところが入社2年日頃に上司に頼まれていた仕事を忘れており、気付いたのが前日であった。とても徹夜しても間に合うような内容ではなく、「大変なことをしてしまった」「責任をとるしかない」とそのまま辞表を机に置き、姿をくらませてしまった。しばらく周囲は騒然とし続けたが本人はそんな中実家にふらりと戻ってきた。有休などを消化した後に退職、そして、ひきこもりとなった。
ひきこもって3年ほどして両親の勧めもあり精神科受診をした。27歳のときであった。明らかな幻覚妄想も認めず気分の変動などもなく積極的に精神疾患と診断する症状はみられなかった。彼の希望もあり月1回程度の外来受診が続いた。就学や就労したい意思はみせるものの実際に行動することはなく、また、ハローワークに行くことやデイケア、サークル活動など外出のきっかけなどは幾度となく提案したが「やってみます」とそれなりの意思を見せながら帰っていくものの、実際に行動に移すことはなかった。そのようなやり取りが2年ほど続く中、ある面接の話題で「前はよく自転車に乗っていました。調子に乗ると結構な距離を乗ったものです。気持ちよかったですよ」と自転車の話題を生き生きと語った。初めて見せる生き生きとした表情にやや戸惑いながらも「自転車で外出してみたら……」と言いかけてふと考えた。このパターンはいつものことで、それが達成されることはなかったのではないか。しばらく考えた後に、仕事の合間に待ち合わせをしてみようと思い、待ち合わせ時間、場所などを書いた紙を渡した。約束の場所は彼の自宅から自転車で1時間はかかるところであった。それから数週後の約束の時間。彼は時間通りに自転車でやってきた。軽く息を切らせ、少し照れくさそうに近寄ってきて、開口一番「先生は本当に来ると、思っていましたか?」と一言言った。
彼はこれを機に自転車で外出するようになり、旅先でさまざまな人に出会うことに喜びを覚え、それが面接の話題の中心となった。今は専門学校に通うようになっている。

○一歩を踏み出すには、人への信頼がいる
発達障害精神疾患の可能性も当初は考えたが、少なくとも彼の言動と家族の話からは、疑わしいものは認められなかった。彼の内面に立ち入り話を聞き過ぎると、ひきこもりを強めるように感じたので、診察では彼の内面にあまり立ち入らないように心がけた。ただそれまでの情報を総合すると、彼は幼小児期から失敗することを避けるように生きてきたが、職場での彼にとっては「大きな失敗」から、彼の心に「失敗することへの恐怖」のようなものが強まっていた可能性があると考えた。だから、さまざまな提案に賛成はするものの、直前になると不安が強まり、一歩足が踏み出せなかったのではないかと思うのである。治療者との「待ち合わせ」という提案は少しリスクのあるものであった。治療者が診察室から外に出ることは治療者が一歩彼の現実世界に近づくことであり、また彼からしてみれば彼自身の決心を迫られることであった。おそらく「待ち合わせ」そのものに意味があったのではなく、いくらか治療者との関係が確かなものになっていたからこそ、「主治医との約束を果たそう」と思うようになったのではないかと思う。

注:引用中の「発達障害」については、例えば拙エントリを参照して下さい。

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【20】精神科臨床では「診立て=ケースフォーミュレーション」との主張について

標記について、内海健、神庭重信編の本、『「うつ」の舞台』(2018年発行)の Ⅳ.文化と精神 の 第7章 「新しい精神の科学」で語る「うつの起源と未来社会の物語」 の 1. 伝統精神医学における診断単位設定の方法論 の「B. 基礎概念・診断単位はどうやって指定されてきたか」における記述の一部(P156~P157)を次に引用します。

(前略)[4] 診立て
精神科臨床では,患者の「診立て」21)22)が立てられる。「診立て」は単に病名を付けることではない。病態構造を読んで 病態の成り立ちから治療転帰までの全体について仮説を立てることである。患者の一連の体験・言動について,了解可能な部分と了解不能な部分がそれぞれ明らかとなると,了解不能な部分を説明できるような病的実体が探索される。探索しても実体が見いだせない場合も多いが,想定される諸病因を組み合わせて,まるでジグソーパズルを解くように,病態構造全体を洞察する仮説が浮かんでくる。この仮説を組み立てる作業が「診立て」(英語ではケースフォーミュレーション)である。(後略)

注:(i) この引用部の著者は豊嶋良一です。 (ii) 引用中の文献番号「21)」は次の資料です。 【中安信夫:「診立て」とは成因を考慮した病名の暫定的付与であり,それは終わりのない動的なプロセスである-山本周五郎著『赤ひげ診療譚』を取り上げて.臨床精神医学 43 (2) : 159-170, 2014.】 (iii) 引用中の文献番号「22)」は次の本です。 「中安信夫:反面教師としての DSM -精神科臨床診断の方法をめぐって.星和書店.2015.」 (iv) 引用中の「フォーミュレーション」(formulation)に関連する、「diagnosis」(診断)と「formulation」との違い及び「どれだけ深く formulation できるかで,支援が違ってくる」ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点」の「本人はどう体験しているのか」項(注:上記『「diagnosis」(診断)と「formulation」との違い』に関連する『病名診断作業と「ケースフォーミュレーション」作業の乖離』についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「ケースフォーミュレーション」に関連してここ以外にも、 a) 認知行動療法における「ケースフォーミュレーション」の説明について、マイケル・ブルック、フランク・W・ボンド編著、下山晴彦編訳の本、「認知行動療法 ケースフォーミュレーション入門」(2006年発行)の 第1章 ケースフォーミュレーションの成立と発展 の 4 米国におけるケースフォーミュレーションの展開 の「ケースフォーミュレーションの概念の確定」項における記述の一部(P25)を次に引用します。 『ケースフォーミュレーションは,介入の手続きではない。それは,患者と,患者が直面している問題を理解するための方法である。ケースフォーミュレーションをすることで,事例を理解し,事例に適した介入の手続きと段取りを組むことが可能となるのである。』 b) 認知行動療法及びその発展型であるスキーマ療法でも上記「ケースフォーミュレーション」が不可欠であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 上記「ケースフォーミュレーション」の別名である漢字を使用した用語「事例定式化」は認知療法にとっても非常に重要なことについて、ジュディス・S・ベック著、伊藤絵美佐藤美奈子訳の本、「認知療法実践ガイド:困難事例編 続ジュディス・ベックの認知療法テキスト」(2007年発行) の 第1章 治療中に生じる諸問題を同定する の V 治療上の問題を回避する の「1 診断と定式化」における記述の一部(P20)を次に引用(『 』内)します。 『正確な事例定式化を行うこともまた,非常に重要である。』 d) 認知行動療法における「症例の概念化-3つのレベル」については次の資料を参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点からの「症例の概念化-3つのレベル」シート e) そして自閉症スペクトラム障害の成人患者における認知行動療法のモデルで外在化する形での上記「ケースフォーミュレーション」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害の成人患者に対する認知行動療法の試み」 e) なお、認知行動療法における「みたて」の治療的意義については次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の視点と実践的工夫」の『「みたて」の治療的意義』項

一方、治療の出発点として利用される患者の個別性を重視した把握の様式、もしくはそれに基づいて行われるアセスメントである「問題の現実に即したオーダーメイドのケースフォーミュレーション」を含む「精神療法におけるケースフォーミュレーション」の可能性については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えてケースフォーミュレーションにおける(疾病の)診断を超えて臨床的見解を形成するための資料提供の役割について、同本中の下山晴彦著の文書「心理療法(精神療法)におけるケース・フォーミュレーションの役割」の Ⅳ 診断を超えて生活機能に基づく問題理解と問題改善の支援を促す役割 の「1. 診断を超えて臨床的見解を形成するための資料提供の役割」における記述の一部(P18)を以下に それぞれ引用します。

1. 診断を超えて臨床的見解を形成するための資料提供の役割
上述したようにアセスメントにおいては,複雑な問題状況を理論モデルで割り切ってしまう危険性がある。精神医学的診断は,そのような理論モデルの一つと言える。そこで,ケース・フォーミュレーションと診断の違いを確認していくこととする。DSM や ICD といった一般的診断分類基準に従って患者の病気を客観的(操作的)に判断し,分類する。それに対してケース・フォーミュレーションは,病気を含む患者の問題が成立し,維持されている状況に関する仮説となる。診断では症状の客観的評価に基づき,病気の確定が目指される。それに対してケース・フォーミュレーションは,病気を含む患者の問題が成立し,維持されている状況に関する仮説となる。診断では症状の客観的評価に基づき,病気の確定が目指される。それに対してケース・フォーミュレーションは,病気という一般的分類ではなく,問題の個別状況に即して問題の成り立ちを探り,介入方針を定めるための仮説となるこ。患者の主観的見解を含めた多面的要因が絡み合いながら時間経過とともに変更されることが前提となる。
さらに診断との違いとして,ケース・フォーミュレーションはクライアントと協働して作成するということがある。診断は,原則として医師が患者を問診し,診断分野や診断マニュアルにしたがって判断をする。それに対してケース・フォーミュレーションは,ある程度ケース・フォーミュレーションのアイデアができてきたらセラピストは,クライアントに対してそれを仮説として提示し,説明をして意見を出してもらい,修正し,より現実に即したものにしていく。
医学的診断体系では,医学(あるいは病理)モデルに従って(想定される)生物学的病因→疾病診断→医学的治療という枠組みが前提となる。クライアントの問題を疾病の症状とみなし,薬物療法を始めとする生物学的な介入が行われる。問題の成立についても,症状を問題とみなし,その成立は疾病が原因になって起きたという医学(病理)モデルを前提とした問題理解がなされる。
しかし,メンタルヘルスの問題にあっては,生物学的要因だけではなく,心理学的要因や社会的要因が複雑に絡み合って成立している。心理的要因としては,クライアントの主観的な意見も重要となる。この点で診断を超え,生物学的要因,心理的要因,社会的要因に関連する情報を総合して問題の成り立ちについての臨床的見解を形成する必要がある。ケース・フォーミュレーションは,診断を超えて総合的な臨床的見解を形成する資料を提供する役割がある。(後略)

注:i) 引用中の「介入方針を定めるための仮説となるこ。」は「介入方針を定めるための仮説となる。」の誤字かもしれません。 ii) 引用中の「DSM-5」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM-5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」 加えて引用中の「ICD」に関連する改訂された「ICD-11」(参照)における精神的、行動的、神経発達的障害群の病名リストについては例えば次のエントリ「2018/06/19:ICD-11日本語版06精神的、行動的、神経発達的障害群(目次と説明部分)」を参照して下さい。)

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【21】精神科医における診断と治療の範囲について

最初に精神科医の「診断基準」について、坂元薫著の本、「うつ病の誤解と偏見を斬る」(2014年発行)の 第10章 名医・ヤブ医者をめぐる誤解と偏見を斬る② の「良医・悪意とは」における記述の一部(P181~P182)を次に引用します。

良医・悪意とは(中略)

かかってはいけないヤブな精神科医の「診断基準」を挙げてみた(表12)。みずからの反省点もかなり含んでいることに改めて気づき、忸怩たる思いであることを告白したい。
それでは、良医、かかりたい精神科医の「診断基準」とはどのようなものか。こういう精神科医でありたい、そして、自分がうつ病になったら、こんな精神科医に診てもらいたいと思うものを挙げてみた。現在の筆者は、かろうじて数個を満たすだけなのが悔しい(表13)。

注:引用中の「表12」及び「表13」について、共に以下に形式を変更して引用します。

表12 かかってはいけない精神科医の「診断基準」

1.患者や家族の質問に丁寧に答えてくれない
2.患者や家族の目を見て話さない、電子カルテばかり見ている
3.横柄な言葉遣いや態度が眼にあまり、まるで患者を見下しているよう
4.患者のつらさに対する共感に乏しい、つらいこころのうちを理解しようとしない
5.患者の感情に巻き込まれすぎて、冷静さを失ってしまうことがよくある
6.十分な説明もなしに、いきなり数種類の薬を処方する
7.多剤併用大量投与に疑問をもたない
8.物事を決めつけてかかる
9.自分の人生観を押しつける
10.短気でイライラしやすい
11.自信がなさそうで頼りない
12.勉強不足で治療に関する最新知識を得ようとしない

表13 かかりたい精神科医の「診断基準」
1.優しく、何でも話せる雰囲気をいつも醸し出している
2.一貫して親身な診療姿勢がみられる
3.診たてが適切である
4.納得のいく説明をしてくれる
5.患者本人だけでなく、家族への適切な対応をしてくれる
6.辛抱強い、長い目で回復を見守ってくれる
7.勉強家、最新の知識をいつもアップデートしている
8.患者の自己治癒力を引き出す能力がある
9.適切な薬物療法が行える
10.薬物療法だけでなく、精神療法も重視している
11.病気を寛解に導いてくれる
12.精神科医療の限界をわきまえている

加えて、精神科における治療で近道をとることのデメリットについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の「エピローグ 選ぶべき道」における記述の一部(P585)を次に引用します。

(前略)すでに見たとおり、私自身の職業は、問題を軽減するどころか深めることが多い。今日、多くの精神科医の仕事は製造ラインの流れ作業のようなものだ。ろくに知らない患者と診察室で一五分ぱかり会って、苦痛、あるいは不安、抑うつ状態を緩和する薬を処方する。彼らが伝えるメッセージは、「私たちにまかせておけば、治してあげます。黙って言われたとおりに、これらの薬を服用して、三ヶ月後にまた来てください。ただし、アルコールや(違法な)薬物に頼って自分の問題を解決しようなどとは、けっしてしては駄目ですよ」といったところだろう。治療でこのような近道をとれば、自ら健康を管理する能力や、「セルフ(自分そのもの)」によるリーダーシップを育むことはできない。治療におけるこの指向性が表れている悲劇的な例の一つが、鎮痛剤の処方の蔓延で、毎年アメリカでは、銃や自動車事故よりも鎮痛剤のほうが多くの命を奪っている。(後略)

加えて「精神科医は薬のソムリエにあらず」の視点から、井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の 第7章 精神科医は薬のソムリエにあらず の「薬を出す以外に能がない!」における記述及び『「薬のソムリエ」をあえて求める患者』における記述の一部(P133~P134)を次に引用します。

「薬を出す以外に能がない!」

インターネットの掲示板では、「薬を出す以外に能がない!」が、精神科医批判の代表である。掲示板は、自制が利かない世界であり、過激なコメントがさらに過激なコメントを誘う。批判される医者の立場からすれば、血も凍るような辛らつな表現が並ぶ。
掲示板などジャンク情報だけなのだから黙殺して差し支えない」、そう言い切ってもいいのかもしれない。実際、掲示板ぐらい、われわれ精神科医にとってメンタルヘルスに悪いところはない。掲示板の指摘をすべて真剣にとらえていては、制縛状態に陥って、仕事にならない。
しかし、それにしても、精神科医が「薬を出す以外に能がない」とすると、それは誇れることではない。掲示板の書き込みのなかでも、この指摘は、今日の精神科医に対する批判として的確であるように思える。
精神科医が「薬のソムリエ」と化す背景には、精神科医の側の現実逃避はないか。薬物療法依存となって、職業人として本来とりくむべき使命から逃げ出していないか。精神科医は、患者が何を求のているか知っている。しかし知ったうえで、あえてその話題を避けようとしているのではないか。面倒なことにならないように、「君子あやうきに近寄らず」に徹しているのではないか。
西園は、薬物順法への精神科医の過度の依存を戒め、次のように述べている。

「考えられる可能性としては、薬物療法精神科医も患者も依存してしまい、治療に対する意欲、態度、行動を阻害してしまう。さらに、医学的モデルにとらわれ、処方する精神科医を権威的存在にしてしまい、患者の心理の解明を妨げる」
「深いパーソナリティの問題の解明や行動変化への患者の意欲を妨げ、治療中断を起こすことがある」
「もともと精神療法を期待している患者が薬物療法を施行されることで、精神科医が関心がないと判断してしまう*7-05」

「薬のソムリエ」は、患者に益するところがあるのなら、意味をなす。しかし、実際には、患者は診療時間のすべてを薬の品定めに費やしてほしいとは希望していない。とりわけ、本書で問題にしているうつ病圏の患者は薬の出し入れだけでは満足しない。「うつ病」の保険病名をつけても、実質的には適応の問題や対人葛藤を抱えている。これらを話題にしないかぎり、患者は満足しない。「抗うつ薬を出しておけばいつのまにか治っている」患者は、いない。
都市部の精神科外来を訪れる患者たちは、「舌の肥えたお客」である。しかし、その舌の肥え方は、けっして「薬のグルメ」などではない。自分の抱える未解決の精神的な問題について、どれだけ真剣に相談にのってくれるかが関心事である。患者の眼は節穴ではない。人を見る眼はもっている。治療者の力量を見通す眼力は、おそるべきものがある。
「今日は、このことを相談してみたい」と内心思いつつ外来を受診する。担当医は、開口一番、「どうですか、あの薬飲んでみて?」と聞いてくる。こうして「やれやれ、またか」と失望する患者も少なくない。「この医者は、薬で私をあしらおうとしている」ことにはすぐ気づく。「大事な問題を打ち明けたのに、ていよくごまかされた」との印象を残すだけである。

「薬のソムリエ」をあえて求める患者
薬オタクは、外来で自分の内面を語らない。ただ、薬だけを要求する。「薬のソムリエ」にとっては、またとないお客である。が、そこには都会ならではの暗い一面がある。夜の大都市の迷宮には、ドラッグ・カルチャーというものがある。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「*7-05」は次の資料です。 【西園昌久「精神療法-薬物療法との関連」西園昌久、山口成良、岩崎徹也、三好功峰編集『専門医のための精神医学』二〇九-二一二頁、医学書院、一九九八年】 ii) 引用中の「薬のソムリエ」及び『「薬のソムリエ」をあえて求める患者』に関連するかもしれない「向精神薬ソムリエ」については、次の資料を参照して下さい。 「自殺総合対策における精神科医療の課題 ――総合的な精神保健的対策を目指して――」の「Ⅲ.『南条あや』が精神科医療に投げかけた問い」項

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【22】トラウマ、PTSD、複雑性PTSD又はストレス関連障害と他の疾患との関連を示す論文(要旨)の紹介について

標記論文又は論文要旨を次に紹介します。

[A]論文要旨「Stress related disorders and subsequent risk of life threatening infections: population based sibling controlled cohort study.[拙訳]ストレス関連障害及びその後の生命を脅かす感染症のリスク:人口ベースの兄弟対照コホート研究」(論文要旨[注:本文も示されています])及び「Posttraumatic Stress Disorder and Incident Infections: A Nationwide Cohort Study.[拙訳]心的外傷後ストレス障害とありがちな感染:全国コホート研究」(論文要旨)をそれぞれ次に引用(前者後者)します。その後に脚注がそれぞれあります。

前者の論文要旨を引用します。

OBJECTIVE:
To assess whether severe psychiatric reactions to trauma and other adversities are associated with subsequent risk of life threatening infections.

DESIGN:
Population and sibling matched cohort study.

SETTING:
Swedish population.

PARTICIPANTS:
144 919 individuals with stress related disorders (post-traumatic stress disorder (PTSD), acute stress reaction, adjustment disorder, and other stress reactions) identified from 1987 to 2013 compared with 184 612 full siblings of individuals with a diagnosed stress related disorder and 1 449 190 matched individuals without such a diagnosis from the general population.

MAIN OUTCOME MEASURES:
A first inpatient or outpatient visit with a primary diagnosis of severe infections with high mortality rates (ie, sepsis, endocarditis, and meningitis or other central nervous system infections) from the Swedish National Patient Register, and deaths from these infections or infections of any origin from the Cause of Death Register. After controlling for multiple confounders, Cox models were used to estimate hazard ratios of these life threatening infections.

RESULTS:
The average age at diagnosis of a stress related disorder was 37 years (55 541, 38.3% men). During a mean follow-up of eight years, the incidence of life threatening infections per 1000 person years was 2.9 in individuals with a stress related disorder, 1.7 in siblings without a diagnosis, and 1.3 in matched individuals without a diagnosis. Compared with full siblings without a diagnosis of a stress related disorder, individuals with such a diagnosis were at increased risk of life threatening infections (hazard ratio for any stress related disorder was 1.47 (95% confidence intervals1.37 to 1.58) and for PTSD was 1.92 (1.46 to 2.52)). Corresponding estimates in the population based analysis were similar (1.58 (1.51 to 1.65) for any stress related disorder, P=0.09 for difference between sibling and population based comparison, and 1.95 (1.66 to 2.28) for PTSD, P=0.92 for difference). Stress related disorders were associated with all studied life threatening infections, with the highest relative risk observed for meningitis (sibling based analysis 1.63 (1.23 to 2.16)) and endocarditis (1.57 (1.08 to 2.30)). Younger age at diagnosis of a stress related disorder and the presence of psychiatric comorbidity, especially substance use disorders, were associated with higher hazard ratios, whereas use of selective serotonin reuptake inhibitors in the first year after diagnosis of a stress related disorder was associated with attenuated hazard ratios.

CONCLUSION:
In the Swedish population, stress related disorders were associated with a subsequent risk of life threatening infections, after controlling for familial background and physical or psychiatric comorbidities.


[拙訳]
目的
トラウマ及びその他の逆境に対する重度の精神医学的反応が、生命を脅かす感染症のその後のリスクと関連しているかどうかを評価する。

デザイン
集団及び兄弟姉妹が一致したコホート研究。

セッティング
スウェーデンの集団。

参加者
1987年から2013年までに同定されたストレス関連障害(心的外傷後ストレス障害PTSD)、急性ストレス反応適応障害、及びその他のストレス反応)を伴う個々人144,919人は、ストレス関連障害と診断された個々人の同じ両親から生まれた兄弟姉妹の184,612人、そして一般集団からのそのような診断のない個々人とマッチした1,449,190人と比較した。

主要なアウトカムの尺度
スウェーデン国立患者登録簿からの高い死亡率を有する重篤感染症(すなわち、敗血症、心内膜炎、髄膜炎、又は他の中枢神経系感染症)の初期診断を伴う初めての入院又は外来患者、そして死因登録簿からの感染症又は感染症を起源とするものからの死亡。複数の交絡因子を統制した後に、Coxモデルを使用して、これらの生命を脅かす感染症のハザード比を推定した。

結果
ストレス関連障害の診断時の平均年齢は37歳(55,541, 38.3%は男性)であった。平均8年間の追跡期間中、1000人年当たりの生命を脅かす感染症の発生率は、ストレス関連障害を伴う個々人で2.9、診断のない兄弟姉妹で1.7、診断のないマッチした個々人で1.3であった。ストレス関連障害と診断されていない同じ両親から生まれた兄弟姉妹と比較して、そのような診断を伴う個々人は生命を脅かす感染症のリスクが高くなっている(ストレス関連障害のハザード比は1.47(95%信頼区間 1.37~1.58)、そしてPTSDでは1.92(1.46~2.52))。人口ベースの分析における対応する推定値は類似していた(ストレス関連障害では 1.58(1.51~1.65)、兄弟姉妹と人口ベースとの比較の差に対し P = 0.09、そして PTSD では 1.95(1.66~2.28)、差に対し P = 0.92)。ストレス関連障害は、研究した全ての生命を脅かす感染症に関連しており、髄膜炎(兄弟姉妹ベースの分析 1.63(1.23~2.16))及び心内膜炎(1.57(1.08~2.30))で最も高い相対リスクが観察された。ストレス関連障害の診断時が若年
、及び精神医学的併存疾患特に物質使用障害の存在は、より高いハザード比と関連していたが、ストレス関連障害の診断後1年目における選択的セロトニン再取り込み阻害薬の使用はハザード比の減少に関連した。

結論
スウェーデンの集団においては、ストレス関連障害は、家族の背景及び身体的又は精神的な併存疾患を統制した後の、その後の生命を脅かす感染症のリスクと関連した。

注:i) 拙訳中の「Coxモデル」及び「ハザード比」に関連する「Cox比例ハザードモデル」については例えば次の参照すると良いかもしれません。 「医学統計勉強会」の特に「生存時間解析生存曲線,Cox比例ハザードモデル」シート[P2]

後者の論文要旨を引用します。

BACKGROUND:
It is unknown whether posttraumatic stress disorder (PTSD) is associated with incident infections. This study's objectives were to examine (1) the association between PTSD diagnosis and 28 types of infections and (2) the interaction between PTSD diagnosis and sex on the rate of infections.

METHODS:
The study population consisted of a longitudinal nationwide cohort of all residents of Denmark who received a PTSD diagnosis between 1995 and 2011, and an age- and sex-matched general population comparison cohort. We fit Cox proportional hazards regression models to examine associations between PTSD diagnosis and infections. To account for multiple estimation, we adjusted the hazard ratios (HRs) using semi-Bayes shrinkage. We calculated interaction contrasts to assess the presence of interaction between PTSD diagnosis and sex.

RESULTS:
After semi-Bayes shrinkage, the HR for any type of infection was 1.8 (95% confidence interval: 1.6, 2.0), adjusting for marital status, non-psychiatric comorbidity, and diagnoses of substance abuse, substance dependence, and depression. The association between PTSD diagnosis and some infections (e.g., urinary tract infections) were stronger among women, whereas other associations were stronger among men (e.g., skin infections).

CONCLUSIONS:
This study's findings suggest that PTSD diagnosis is a risk factor for numerous infection types and that the associations between PTSD diagnosis and infections are modified by sex.


[拙訳]
背景:
心的外傷後ストレス障害PTSD)がありがちな感染(incident infections)に関連づけられているかどうかは不明である。この研究の目的は、(1) PTSD 診断と28種類の感染との関連性、及び (2) 感染割合に関する PTSD 診断と性別との相互作用 を調査することであった。

方法:
研究集団は、1995年から2011年の間に PTSD 診断を受けたデンマークの全住民の縦断的全国コホート、そして年齢及び性別が一致した一般集団比較コホートで構成されていた。Cox比例ハザード回帰モデルを当てはめて、PTSD診断と感染との関連を、我々は調査した。多重推定を説明するために、我々はセミベイズシュリンケージを使用してハザード比(HR)を調整した。我々は相互作用の対比を計算して、PTSD 診断と性別との相互作用の存在を評価した。

結果:
セミベイズシュリンケージ後、あらゆるタイプの感染の HR は1.8(95%信頼区間:1.6, 2.0)であり、結婚歴、非精神医学的な併存疾患、薬物乱用、薬物依存及びうつ病の診断を調整した。PTSD 診断と一部の感染症(例:尿路感染症)との関連性は女性でより強く、一方、他の関連性は男性(例:皮膚感染症)でより強かった。

結論:
PTSD 診断が多くの感染タイプの危険因子であり、PTSD 診断と感染との関連が性別によって調整されることを、この研究の結果は示唆する。

注:i) 引用中の「Cox比例ハザード回帰モデル」に関連する「Cox比例ハザードモデル」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「医学統計勉強会」の特に「生存時間解析生存曲線,Cox比例ハザードモデル」シート[P2]

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【30】短い診察時間で精神療法を行うための提案について

最初に、問題提起としての短い診察時間等により「保険診療のなかでやろうと思うと、非常に貧しい治療しかできない」ことについては、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の 第2章 精神科の医師にかかる の「心理療法と医療経済」における記述の一部(P65~P66)を次に引用します。

心理療法と医療経済(中略)

岡田 (中略)やはり、心理的なケアがものすごく大事ですし、あとは家族とかパートナーへの働きかけが、とても重要です。なので、私のところでは、薬での治療が全体に占める割合は、せいぜい三分の一か、それ以下くらいで、後は心理療法と家族へのサポートに力をおいていますね。
咲 心理療法というと、カウンセリングのことでしょうか? 私の行った病院って、どこもやってくれるところがなくって。私もできるならカウンセリングで治っていけたらって思っていたんですけれども、そういうとき、どういうところに行ったらいいんでしょう?
岡田 そうですね、そこはちょっと問題があるんですね。いまの保険制度は混合診療を禁止しています。保険診療保険外診療の両方をいっしょに受けることができないんですね。保険外診療を受けようと思ったら、ぜんぶ保険外になってしまうんですね。
咲 え! 薬を出すのも保険外?
岡田 はい。いまの制度だと、それが原則なんですね。そういう縛りがある。ですから、けっきょく保険診療のなかでやろうと思うと、なんといいますか、非常に貧しい治療しかできないのが現状です。そのなかで、やる場合もありますよ、経済的に余裕がないかたとか、そういう場合に。ほんとうはせめて五〇分とか、六〇分とか時間をとってあげたい、でもそれをやっていたら経営が成り立たないという問題があるんですね。私のところなんかでは、混合診療を避けるために、カウンセリングセンターを別につくっています。そこへ依頼して、連携しながらやるっていうことですね。情報共有しながら。そうすることで、混合診療を避けてやれるわけですね。(後略)

注:引用中の「保険診療のなかでやろうと思うと(中略)、非常に貧しい治療しかできないのが現状です」に関連するかもしれない、「ひとりにかけられる時間というのは、五分から一〇分の間、そんな感じになる」ことについて、同章の「医師の診察とカウンセリング」における記述の一部(P72~P74)を次に引用(『 』内)します。 『岡田 そもそも日本の場合、ひとりひとりの保険点数というのが限られているんですね。ドクターが一日で診なければいけない人数ということでいえば、心療内科なんかでも、多いところでは一日五〇人以上診ていると思います。割り算するとわかりますが、ひとりにかけられる時間というのは、五分から一〇分の間、そんな感じになりますよね。そういうなかで、ちゃんとしたカウンセリングはなかなか難しい。』

一方、上記「非常に貧しい治療の改善」にむけての一提案として、井原裕著の本、「うつの8割に薬は無意味」(2015年発行)の 第6章 大事なのは治療の優先順位 の「精神療法的に思考するとは、優先順位を考えること」及び「治療とはPDCAサイクルを回すこと」における記述(P189~P196)を次に引用します。

精神療法的に思考するとは、優先順位を考えること
学会や研究会などで、ある症例をめぐって精神療法が議論になると、私はしばしば絶望的な気分になります。この精神療法にはエビデンスがあるとか、あの技法に関しては最新の研究がどのジャーナルに載っていたなどといった、学術的な知識を披露して、それで精神療法について何かを論じたつもりになっている人がいるのです。
ここには大きな問題があります。精神療法というものについての、とてつもない誤解があります。どの精神療法技法が有効であるかとか、どの精神療法技法には統計学的にエビデンスレベルの高い論文が出ているかとか、どのジャーナルに最近どんな論文が出ていたかなどは、個人の治療にとってはまったく些末なことにすぎません。無益なおしゃべりに時間を浪費することなく、今必要なことにストレートにアプローチしていかなければなりません。
精神療法的に思考するとは、個々の症例に即して、治療の優先順位を考えることです。現在、この患者において何が一番の問題になっているのか、今日の診察ではどのようなことが面接の話題になりそうか、あるいは、どのような話題には今深入りすべきではないか、さらには、患者があえて今深入りすべきことに触れたときに、それに対して、どのように言葉を返していくか。そういった「今、ここで」必要なことを考えることが、精神療法的に思考するということなのです。ナントカ精神療法一般とか、カントカ技法一般を論じても意味がありません。「この患者の、今、ここ」をこそ徹底的に考えなければいけません。
テニスの錦織圭は、2014年にマイケル・チャンコーチにつくようになってから急速に力をつけてきました。チャンコーチが錦織に指導したことは、テニス技術一般ではなく、むしろ、錦織の体型に合った技術であり、それを可能ならしめるトレーニングでした。チャンコーチは、欧米の選手と比べれば腕の短い錦織が左右に振り回されることなく戦うために、思い切ってベースライン近くに立つように指導しました。打点が近くなると、ライジング・ボールの威力が増し、左右に振られることも少なくなります。もちろん、技術的に困難なところはありますが、それを克服するための練習計画を作ることもまた、チャンコーチの仕事であるわけです。
チャンコーチは、錦織に今必要なことは何かを考えました。精神科医の精神療法も、まったくこれと同じです。「この患者に今必要なことは何か」、それを考えることこそ精神療法的に思考するという意味です。
ひとりの患者さんが、同時に多数のテーマを抱えています。短時間睡眠やアルコール乱用などの生活習慣の問題に加え、過重労働、超過勤務、派遣切りなどの労務関係、失業、多重債務、相続問題などの経済問題、上司部下関係、嫁姑の葛藤等々。
精神科医として最悪なのはこれらの問題に日をつぶって、薬を出して強引に治そうとすること。これが一番いけない。しかし、次にいけないのは、これらの問題のすべてを等価に扱って、優先順位をつけないことです。
精神療法的に思考するとは、優先順位をつけることです。そして、患者さんと話し合って、「できることから始めましょう」と提案することです。問題は錯綜しています。患者さんは混乱しておられます。でも、順を追って解きほぐせるところから解きほぐしていけばいいのです。寝不足の人は十分眠っていただく。その場合、「6時起床、23時就床」などと具体的に目標を決めたほうがいいでしょう。酒を飲みすぎている人は、量を半分にする、1日おきにする、あるいは、いっそのこと断酒していただく。最初の数日はただ生活習慣の是正だけを行う。それだけで疲労はとれ、脳はクリアになります。そうなったところで、うつをもたらした事情をひとつずつ解決していけばいいのです。
事情はさまざまです。過重労働、多重債務、人間関係など。これらは、混乱した頭では解決策が浮かびません。しかし、脳を休めた後であれば、「あの人に頼もう」とか、「弁護士に相談しよう」などといったいい知恵が浮かんできます。
結局、精神療法とは個々の患者に即して、今、彼、彼女がどのような状況に置かれているか、彼、彼女がどのような健康状態・生活習慣の状態にあるか、彼、彼女が利用できる資源、つまり人的資源、経済的余裕、時間などがあるかを総合的に判断して、瞬時に優先順位を考え、後回しにしていいことと、すぐ着手すべきこととを明確に区別して、患者に対して今なすべきことをストレートに示し、次回までの課題を具体的に伝えることなのです。
大切なことを繰り返します。精神療法とは、個々の患者に応じて、優先順位を考えていくこと。患者さんの個別性を等閑視して、どの精神療法技法が有効であるかとか、どのジャーナルにエビデンスレベルの高い論文が出ているかなどの無駄話にうつつを抜かすことではないのです。

治療とはPDCAサイクルを回すこと
私の友人で優れた精神科医の一人に姜昌勲先生という人がいて、この人がPDCAサイクルということをしばしば言っています(たとえば、「おとなのADHDの治療は、どう進めるか?」精神科治療学28:267-272頁、2013年)。
PDCAは、精神医学・精神療法学のなかから出てきた概念ではなく、むしろ、経営学における生産管理や品質管理などの管理業務の方法論として出てきたものです。
糖神科臨床に応用すると、Plan、Do、Check、Actのサイクルを外来ないし入院の診察ごとに回していき、全体の流れを上向きのスパイラルにして、継続的に状態の改善へと向かわせようとするというイメージです。
私も姜先生の考え方を参考にして、PDCAということを常に意識しています。この方法は、毎回の診察を目標をもって行い、かつ、診察を単発ではなくシリーズにしていくことで、治療の流れを作ることができ、きわめて有力な方法であると思います。
すなわち、初回診察の最後に、次回までの目標を設定します(Plan)。そして、初診後、患者さんに試みてもらいます(Do)。第2回診察の最初に、その達成状況を確認します(Check)。そして、出来なかったら目標を再検討します(Act)。そして、第2回診察の最後に次回までの目標を設定します(Plan)。そして、患者さんに試みていただきます(Do)。このサイクルを回していくのです。
うつ病双極性障害の治療においては、課題につねに睡眠・覚醒リズムの安定があり、それを実現するための具体的な方法を話し合うことが毎回の診察のテーマとなるでしょう。特にI型の場合、本人ひとりでは無理であり、ご家族にも関わってもらって、次回の外来までどう過ごすかを話し合います。目標については、診察のたびに達成状況を見て上方修正・下方修正していかなければなりません。
精神療法については、多くの人が誤解し、特にそれを自分では行っていない精神科医たちは、とてつもなく誤解していますが、ある技法を処方すれば、そのプロトコール(実行手順)に従って着々と治っていくようなものではありません。精神療法のプロセスというものは、行きつ戻りつ、三歩歩いて二歩下がるような、らせん状の進行をするものです。
診療報酬上の「通院精神療法」に関しては、定義上「医師が一定の治療計画のもとに危機介入、対人関係の改善、社会適応能力の向上を図るための指示、助言等の働きかけを継続的に行う治療方法」とされています。これを読めば、最初にある「一定の治療計画」を立てて、それを実行していくようなものに見えますが、実際には、計画は診察のたびに修正しなければなりません。そして、診察のたびに適切な危機介入、指示、助言を行うこととなります。
「働きかけを継続的に行う」ために必要なことは、診察のたびに目的を明確にすること、そして、診察のたびに次回診察までの課題を患者さんに提示することです。前回の診察を踏まえて、今回の診察を始めていき、次回の診察につながるように今回の診察を終え、診察後、カルテに次回の診察の最初に確認すべきことを記す。こういうことを繰り返していけば、診察が連続ドラマになります。
逆に、下手な治療者というものは、毎回の診察で何を話題にしたらいいかわかっていません。だから、診察を「最近調子はどうですか?」というような間が抜けた大雑把な質問で始めることになります。前回の診察で患者さんに課題を提示することができていれば、当然、今回の診察ではその達成状況を聴くところから始めなければなりません。しかし、そもそも前回に具体的に何をせよと言っていない、だから、前回の診察を踏まえて今回の診察を始めるということができない。結果として、診察が1回ごとの単発に終わり、連続ドラマになっていかないのです。これでは、「働きかけを継続的に行う」ことはできません。
PDCAサイクルを回すとは、診察をシリーズにすることです。担当医と患者とで目標を共有し、診察のたびに確認し、次の診察につなげていく。こうして、ひとつの物語を患者と医師とで共同して展開させていこうとするわけです。

注:引用中の「PDCAサイクル」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「PDCAサイクル」、「まちづくりのPDCAサイクル」 加えて次の資料もあります。 「自律的にP-D-C-Aサイクルを廻そう ~経験を通して学ぶ力を身につけよう~

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:注:「診断見逃し」(過小診断)や「過剰診断」の問題点[ここを参照]、発達障害の予後を決めるのは障害の重さではなく,「助けてもらうパターンを身につけたかどうか」である[ここここを参照]、「解説者」[ここここ、及びここを参照]、そして『ASDとは「ASD特性+こじれ(トラウマ累積)」だと考えている』、『知的障害のないASDにも対処困難な課題がある。それは端的に言えば、「発達障害+トラウマ」の問題である。』[共にここを参照]ことを含みます。

*2:注:発達性トラウマ症候群又は発達性トラウマ障害を含みます

*3:注:PTSD(他の拙エントリのリンク集を参照)は心的外傷後ストレス障害の略語です

*4:上記「ニューロセプション(神経知覚)」についてはここを、味覚嫌悪に関連する「単一試行学習」についてはここを、「血管迷走神経反射」についてはここを それぞれ参照して下さい。また、上記ポリヴェーガル理論の神髄が「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ことについてはここを参照して下さい。加えて「安全の合図がトラウマに対する効率的かつ深遠な対抗手段であることをポリヴェーガル理論は提案する」ことについてはここを参照して下さい。一方、ポリヴェーガル理論における「麻痺」や「フリーズ」にも関連する主に自閉スペクトラム症者におけるカタトニア(症状群)の例についてはここを参照して下さい。これら以外にも「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」の例についてはここを参照して下さい。

*5:注:引用において「人格交代を除いた解離のほとんどすべての症状を呈している」との記述があります

*6:本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第6章 生来性の「変異」として理解できる自閉スペクトラム の「★非障害自閉スペクトラム」において、次に引用(『 』内)する非障害自閉スペクトラムを説明する記述(P89)があります。 『私は,このように自閉スペクトラムの症状は残っているけれども,社会適応は悪くない人たちや,一部社会適応の良好な人たちさえいるということに気づきました。そして,こういう人たちのことを「非障害自閉スペクトラム」と呼ぶことにしています。』 加えて、次の資料にも「非障害自閉スペクトラム」についての説明があります。 「大人の発達障害」の「Ⅰ.特性と診断との関係」項

*7:ちなみに愛着障害については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

*8:なお、パニック症への森田療法については次のエントリを参照して下さい。 「パニック症への森田療法」 一方、引用はしませんが、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)によると強迫症強迫性障害)に対する曝露療法の一種である ERP(例えばマニュアル「強迫性障害(強迫症)の認知行動療法マニュアル (治療者用)」を参照)を実行することは「バンジージャンプ」(ただし、ツイート[その1その2]を参照して下さい。加えてWEBページ「まるで電車に乗る感覚…ベテランカウンセラーが富士急ハイランドの絶叫マシーンに10回以上乗った驚きの結果」もあります。)又は「強迫プールに飛び込むこと」に喩えられています(前者は同本の P104、P128、P133 を、後者は P127 をそれぞれ参照)。また、原井宏明監修の本「図解 やさしくわかる強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年発行)の「解説 強迫性障害の治療法は薬物療法認知行動療法」(P62)において、上記ERPには確かな動機づけが必要なことについての次に引用(『 』内)する記述が有ります。 『ERPは患者さん本人が大きな恐怖に向き合い苦痛を伴う治療法です。それを知ったうえで、本人の「治りたい」という希望と「将来の目標」という確かな動機づけが必要です。』 一方、OCD(強迫性障害)としての加害恐怖・確認強迫を23年間も患って寝たきりにもなった方が、上記ERPにより回復した例については他の拙エントリのここここを参照して下さい。

シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】

はじめに

ここは、エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」の旧後半部としての項目【その他余談】に位置づけられるエントリです。本エントリ内の「目次に戻る」をクリックすると、元エントリの目次に戻ります。

一方、【その他余談】は境界性をはじめとしたパーソナリティ障害を主体に書き始めました。その名残が目次に残っているかもしれません。【その他余談】の目次は次のとおりです。

≪主な改訂の履歴≫
2017年2月14日、26日、3月29日、4月2日、10日、20日、24日、5月12日、14日、20日、27日、6月4日、7月2日、13日、24日、8月14日、18日、9月11日、24日、10月19日、11月19日、12月11日、2018年3月4日、5月10日、7月26日、2019年8月16日、2020年3月27日、11月11日、2021年4月7日、25日、10月10日、12月15日、2022年2月15日、9月24日、12月31日、2023年3月30日、5月3日、9月24日、11月29日:文章の追加・訂正・削除等の改訂をしました。

【その他余談】

以下の項目〔a〕~〔h〕、〔i〕及び〔j〕は、それぞれパーソナリティ障害*7、アタッチメント(愛着)理論や愛着障害、そして統合失調症に関する記述です。ちなみに、上記パーソナリティ障害と愛着障害とは部分的に関連するかもしれません。加えて、トラウマの問題と愛着の問題(ここを参照)は密接に関連します。ちなみに、i) パーソナリティ障害の一部である「境界性パーソナリティ障害」、及び「統合失調症」については、共にリンク集を参照して下さい。 ii) 次の〔a〕項における引用は上記愛着障害に関する記述でもあるかもしれません。加えて、以下の項目〔k〕〔l〕〔m〕〔n〕〔o〕〔p〕〔q〕及び〔r〕は、それぞれ失感情症、EMDRの論文、ストレス応答のSAM系、弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題、マインドフルネスに関連する論文、慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察、瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少及び東日本大震災によってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合についてについてのものです。ちなみに、本エントリにおいて、「あるがまま」と「ありのまま」を使い分けていることがあります。この場合には、前者は「森田療法」(参照)を考慮しており、後者は考慮していません。ただし、引用においては、原文を優先させています。ちなみに、境界性パーソナリティ障害について3分半で解説するツイートはここを参照して下さい。

〔a〕メンタライジング・アプローチの視点からの境界性パーソナリティ障害
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「1 BPD の病理と成因」における記述の一部(P204~P207)を次に引用します。

この節では,BPD の病理とその成因について,Fonagy と共同研究者たちの見解を紹介します。以下の説明において,とくに引用を示していない場合には,Bateman & Fonagy(2004, 2012),Allen & Fonagy(2006),Allen et al.(2008)に基づく記述であるとお考えください。Fonagy たちは,BPD の病理の中核にメンタライジング能力の機能不全があると考えます。メンタライジングの機能不全と表裏の関係にあるのが前メンタライジング・モードの出現です。BPD において最も目立つのは,心的等価モードです。このモードでは,考えたこと,感じたこと,想像したことが外界に「本当に」存在するように見えてしまいます。BPD 患者と面接したことのあるセラピストなら,BPD 患者がわずかな根拠に基づいてセラピストを含む他者の心に悪意を帰属させる現象を経験していることでしょう。次に,ふりをするモードでは,経験が現実から解離され,現実に根ざしておらず,情緒的体験とは無縁の語りが続くことになります。目的論的モードにおいては,精神状態(感情や欲求など)は,心的体験として認識されることなく,目に見える行動や身体的表現の形で表出されます。自傷行為もその代表例です。また,BPD 患者は,セラピストとの関係に由来する不満や感情をそういうものとして認識できず,心理療法場面外で行動化することがあります。
さらに,Fonagy たちは,メンタライジングの障害とともに感情調整の不全が BPD の中心的問題であると考えています。感情調整の不全は,注意制御の障害とも関連しています。そして,この2つの障害の背景として愛着の問題があるのです。これらの関係を図示したものが,図 6-1 です。なお,この図には記載されていませんが,Fonagy たちは,このような関連を生じさせる要因の1つとして先天的要因(気質など)も考慮しています(Bateman & Fonagy, 2006, 2012)。
まず,感情調整の不全については,BPD 患者のほとんどが感情の不安定さを自己報告しますし,感情的反応性が高く,とくにネガティヴな感情を体験しやすいことがわかっています。第2章と第3章でも述べたように,感情調整は,感情のメンタライジングと深く関連しています。自分の感情を同定し,認識できることが調整への第一歩だからです。感情を認識するためにはその感情の表象が必要であり,感情の表象が貧困であれば繊細な感情認識は困難です。メンタライジング能力を獲得するためには,乳幼児期に自分の感情を養育者から随伴的かつ有標的に映し出してもらうことが必要です。このような随伴的・有標的ミラリングにおいて養育者が映し出す感情は,その直前に子どもが表出した感情であり,養育者自身の感情ではないことがわかる標識(mark)を備えています。つまり,その感情が少し誇張されて表現されていたり,そこに慰めが付加されていたり,正反対の感情と組み合わされていたりします。養育者によるミラリングが随伴的・有標的であれば,子どもはそこに映し出されている自分の感情を表象として内在化することができます。こうして,心の中に感情の表象が育つと,これを用いたメンタライジングが行われるようになります。しかし,随伴的・有標的なミラリングが不十分であれば,子どもの感情表象が乏しくなり,感情認識も貧困になります。そして,随伴的・有標的なミラリングが十分に行われる親子関係は,子どもの安定した愛着と親から子どもへの愛情に支えられた関係であることは言うまでもありません。子どもの愛着を不安定化するような親子関係・家族関係の中では感情調整の能力は育ちにくいのです。
次に,感情調整と密接に関連しているのが,「注意制御」です。注意制御というのは,特定の対象に注意を向けるとか,ある対象から別の対象に注意を移行させるために元の対象への注意を抑制すること,つまり注意の「エフォートフル・コントロール」(effortful control)のことです。脳機能の次元で言えば,前頭前皮質における「実行機能」(executive function)の問題です。例えば,BPD 患者は,それほど重要でない情報への注意を抑制することができず,すべてに等しく注意を向けてしまうため,ネガティヴな情報にとらわれやすく,何でも自分と関連づけて考えてしまうことが,実証研究からわかっています。そして,この注意のエフォートフル・コントロールあるいは実行機能においても,愛着関係の影響が顕著なのです。例えば,Kochanska と共同研究者たちによる縦断的研究(Kochanska et al., 1996, 1997, 2000)から,幼児と母親との安定した愛着関係において行われるメンタライジング的相互交流は,幼児においてエフォートフル・コントロールによる自己制御を促進し,母親による制御と統制の必要性を減少させることがわかりました。このような自己制御は,適応的・互恵的な対人的交流を行う能力にも寄与します。対照的に,非メンタライジング的交流は,エフォートフル・コントロールによる自己制御を衰退させがちであり,対人的交流にも悪影響を及ぼします。BPD は,このような有害な発達過程がもたらした結果と考えられるのです。
さて,子どもの不安定な愛着および親子の非メンタライジング的交流と結びつているのが,親による「不適切な養育」(maltreatment)です。BPD 患者の幼年期には不適切な養育が高率でみられるのですが,BPD と関連が深いのは身体的虐待や性的虐待ではなく,心理的虐待,ネグレクト,情緒的関わりの乏しさです。そして,虐待的行為というよりも,そのような行為を生み出す家族環境を,Fonagy たちは重視しています。メンタライジングにおいて行われる精神状態の理解,とくに感情の理解は,家族における感情についての率直な語り合いから生まれます。ですから,BPD においてメンタライジングの機能不全をもたらす中心的要因は,「精神状態に関する筋の通った語り合いを減退させる環境家族」(Allen et al. 2008)であると,Fonagy たちは考えています。
さらに,不適切な養育を伴う親子関係において,子どもが愛着に関する剥奪や傷つき,つまり愛着トラウマを経験するとき,このトラウマがもたらす影響がいくつかあります(表 6-1)。まず,子どもは養育者から露骨な悪意を経験すると,再び悪意を経験する苦痛を避けるための防衛として,他者の考えや感情について考えること抑制するようになります(メンタライジングの防衛的抑制)。次に,人生早期にトラウマなどの過剰なストレスを経験すると,脳神経の喚起メカニズムの機能が歪み,通常よりもはるかに低いレベルの脅威を重大な脅威と判断しやすくなります。そして,わずかな脅威によって,統制された(明示的)メンタライジングから自動的(黙示的)メンタライジングへの移行が生じます。言い換えれば,わずかな脅威に対しても闘争-闘争反応への移行が起きやすくなります。第三に,愛着トラウマは愛着システムを活性化させ,愛着対象に接近しようとする欲求と行動を激化させます。しかし,愛着対象が虐待的であれば,そのような愛着対象への接近は,新たなトラウマにつながります。そうなると,愛着システムはさらに激しく活性化されます。愛着システムの過剰な活性化が長期間持続すると,愛着対象に安心と慰めを求めることだけが関心事になり,メンタライジングは抑制されてしまいます。第四に,虐待的な養育者のなすがままになっているのではなく,虐待者をコントロールしているという錯覚を得る手段として,「攻撃者との同一化」が生じます。つまり,子どもは,攻撃者の憎しみと同一化し,自己の中に自分自身を憎む部分を「よそ者的」な(解離された)部分として内在化するのです。この「よそ者的自己」(alien self)は一時的な救いをもたらしますが,虐待者の破壊的意図が自己の外側ではなく内側から体験されるようになり,耐えがたい自己憎悪が生じるようになります。これは,例えば,自傷行為や自殺企画などの自己破壊的行為として表れます。完全な養育を受ける人はいませんので,誰でもよそ者的自己は多少は持っていますが,BPD においてはよそ者的自己が増殖し,自己構造の断片化が起きるほどになります。自己の断片化とは,自己にまとまりや連続性が感じられず,無意味感,無価値感,空虚感などに苛まれる状態です。この状態は非常に苦痛ですので,それを回避するためによそ者的自己を外在化する防衛(投影同一視)が用いられます。(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)のことです。 ii) 引用中の「表 6-1」を以下に引用します。ただし、「図 6-1」の引用は省略します。 iii) 引用中の「メンタライジング」、「心的等価モード」、「ふりをするモード」、「目的論的モード」、「投影同一視」及び「よそ者的自己」はそれぞれ他の拙エントリのここ(メンタライジング)ここ(心的等価モード)ここ(ふりをするモード)ここ(目的論的モード)ここ(投影同一視)ここ(よそ者的自己)を参照して下さい。 iv) 引用中の「闘争-闘争反応」は誤記で、正しくは「闘争-逃走反応」であると引用者は考えます。 v) 引用中の「不適切な養育」についての注は、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 境界性パーソナリティ障害についての本の紹介例が次のエントリに示されています。「パーソナリティ障害について」 ちなみにこの本の一部の記述を〔c〕項及び他の拙エントリのここで引用しています。 vii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。 viii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害

表 6-1 愛着トラウマとメンタライジングの機能不全(Bateman & Fonagy, 2010)
(1) トラウマ的体験は,メンタライズする能力の防衛的抑制をもたらす。
(2) 人生早期のトラウマは,喚起メカニズムの機能を歪め,自動的メンタライジングが生じる閾値を低下させる。
(3) トラウマに刺激されて愛着システムの持続的喚起が生じると,それはメンタライジングにおける特有の機能不全をもたらす。
(4) 攻撃者との同一化は,内在化された「よそ者的自己」の解離をもたらすことがある。

注:i) 引用した表 6-1 は形式を変更して表示しています。 ii) 引用中の「愛着トラウマ」は、愛着関係において生じるトラウマのことです。

〔b〕境界例のイメージと具体例
注:ここにおいては、境界性パーソナリティ障害境界例に含めて紹介しています。

平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第11章 境界例と無明 の 第一節 境界例とは? の「第2項 境界例のイメージについて」、「第3項 境界例の具体例」及び「第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係」における記述又は記述の一部(P286~P295)を次に引用します。この引用にはケース提示を含みます。

第2項 境界例のイメージについて
筆者自身の経験、他の仲間から聞いたこと、書物などから得た知識を総合したイメージだが、大体以下の特徴が浮かんでくる。

破壊的行動
まず境界例状態に陥っている人の一番目立つ行動は、破壊的な行動障害だろう。すなわち、ちょっとしたきっかけで手頚を切ったり、薬を大量にのんだり、すぐに死のうとしたり、また器物を破壊したり、家族に暴力をふるったり、過食や拒食や見境なしのセックスに走ったりといったことだが、家族はこれでまずびっくりさせられ、そしてそれが頻繁になるにしたがい、苦悩に追い詰められていくのである(もちろん、本人も辛いのだが)。

傷つきやすさ
またこれと関係して、ちょっとしたことでひどく傷つきやすい精神の持ち主だと言えるし、さらに自分の衝動や欲求をコントロールすることも苦手である。この傷つきは本人に、うつ症状(抑うつ感、むなしさ、孤独感など)や身体症状(不眠、頭痛、めまい、身体の麻痺など)や精神症状(強迫症状、対人恐怖、離人感といった神経症症状だけでなく、幻覚妄想といった精神病症状、健忘を伴う突然の解離性行動など)、さらには今述べた破壊行動等多彩な症状をもたらす。

アラジンの魔法のランプ願望
この傷つきやすさと関係するのだが、境界例では他者(家族や治療者といった重要対象)を理想化すること(相手は万能であって、何でも自分の思いどおりに動いてくれるはずだ、完全に自分の味方だといった)がとても強い。しかし、こうした理想化、期待し過ぎは当然幻想的なもので、現実(相手は自分の理想どおり動かない)に出会うともろくも崩れてしまう。
しかし、その現実を受け入れられず、今度は逆に相手をものすごく非難し攻撃するのである。すなわち境界例にあってはアラジンの魔法のランプ願望が、非常に強いと言える(治療者や家族といった相手を神様のように仕立て、奴隷のようにこき使い、意に沿わないと悪魔のように無茶苦茶に蔑むといった)。

対人関係の不安定さとコントロールカの低下
したがって、対人関係は非常に不安定なものとなり、ある時は相手をすごく賞賛し頼っていたのが、ある時は逆に「冷たい」「意地悪」「無能だ」と言ってけなしたり、攻撃したりしてしまうのである。こうした不安定さも周りの人々(家族、治療者など)をひどく困惑させる。
また、困ったことにこの攻撃はいったん始まると、先述したように自己コントロールが難しいため、一度怒りの感情をぶつけると止まらなくなるのである。
この自己コントロールのなさや理想化とも関係するのだが、彼らは自己の確立ができていない。すなわち「自分が何ものであるのか」「自分は何をしたいのか」「自分は周りとどのように付き合っていけばいいのか」といったことに対して明確なイメージを持てていない。また表面的に社会に合わせていく自分を持っている場合もあるのだが、それは仮の自己であることが多い。つまり自己同一性の障害が強いと言えるだろう。

自己の未確立
このように真の確固とした自己が確立されていないから、常に見捨てられ不安が強くひとりでいることができないし、また心の中はいつも憂鬱さやむなしさが占めていると言える。それで必死に周りの人間にしがみつくのである。
そして、自分で何も決められないので周りの人に決めさせるが、周りがどの決定をしても本人には気に入らないことになり、周りに文句を言い、それで周囲の人間はいっそう困惑するということになる。
ざっと以上のようなイメージだが、読者の方は、読んでいるだけで大変な状態だと思われたと思う。ただ、境界例患者を持った家族の方、境界例と関わったことのある治療者や周辺の方々(学校の先生、友人など)は、いずれもその大変さに思い当るところが多いのではと思う(一番大変なのは本人だと思うが)。
ただ、今のような点は、何も普通の人間からかけ離れたものではなくて、人間に共通する弱点という気がする(これは、神経症でも統合失調症でも同じことだが)。そして、特に人間の中の幼児性が強くなったというか、まだ大人の部分が未発達というように言えるかもしれない。

境界例の診断基準
ここまで、述べてきたついでに、境界例(正確には境界例人格障害)に関する、アメリカの診断基準があるので、それを以下に述べておく。
①不安定を対人関係
②衝動性
③感情の不安定性
④不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)
⑤自殺の危険性、自殺するという振る舞い
⑥自己同一性の顕著な混乱
⑦空虚感、退屈さ
⑧見捨てられ不安とそれを避ける行為
⑨一過性の妄想・解離現象
といったようなものである。

第3項 境界例の具体例
ただ、今の説明だけではまだわかりにくいかもしれないので、実例を手短に挙げさせてもらう。年齢は筆者の初診時である。

十四歳女子中学生
裕福だが複雑で、不安定な家庭環境で育ち、小学六年の時、ちょっとした不満から頭痛や吐き気を訴え、不登校が始まる。いくつかの相談機関を訪れるが、改善せず、そのうち母に対する家庭内暴力や法外な要求が出てくる。中学二年の時は母に包丁をつきつけたり、母を攻撃するかと思えば、母に対するしがみつきも強い。

十七歳女子高生
感じやすい子。とても良い子で成績もよく親の自慢の子で反抗することがほとんどなかった。ただ本当に仲のよい友達がいなかったらしく、中学半ばで引きこもりやうつ状態に陥る。一時的によくなるも生き生きしたところは回復せず。高校より、唯一の頼りであった成績が低下し手頚を切る。頭痛、不眠も始まり精神科に通院するが薬物大量摂取が起きる。また精神科医に対する見捨てられ不安で自殺願望が強くなり、治療者のもとを訪れる。

十七歳女子高生
父親不在(仕事のため)で母子が密着。高校まではがんばりやで優等生。しかし高校で成績が低下し、先生の注目を集められなくなり、また友達の一言で傷つき、失声となったり過呼吸発作を起こしたりする。精神科治療で失声や過呼吸はましになるも、幻聴、離人感、対人緊張、自殺念慮、被害感が出てくる。治療がすすむにつれ、抑うつ感、自己同一性の障害(自分が自分でない感じ、本当の自分がわからない)、見捨てられ不安を訴える。

十九歳男性
小学一年の頃より、体が弱くて不登校を繰り返す。中学よりささいな事が気になり強迫行動が強くなる。高校三年では友達関係と受験の悩みで胃腸症状が出現。続いてイライラが強まり家で暴れたり、不登校が再発。また精神病院に二回入院するも、すぐにトラブルを起こし退院となる。不安、強迫観念が強く来院。

二十歳男性
身体が弱かった事や母親が神経質であった事もあり、外での遊びが禁止されていた。勉強ばかりで友達がいなかった。中学に入っても孤独の状態が続く。その頃より、心気的こだわり、男子生徒への恐怖、親や教師への暴言、母への家庭内暴力不登校、不眠、自己臭があり、自室に閉じこもる。高校に入学するもすぐに退学。引きこもりが続き、症状が改善しないため、家族が相談に来院。

二十歳女性
チック。友達ができず。小学高学年より強迫症状。中学より嘔吐、発熱等の身体症状。成績はよかったが、高校でささいな事から、再び孤立し不登校。発熱で入院。イライラ、リスト・カット、家庭内暴力が強くなる。某治療者の密着した治療法が外傷的に作用し失立、失歩出現、リスト・カット、家庭内暴力も強くなり来院。

二十一歳女性
小学生の頃から体が弱い。中学三年で友人の死によって失神発作が始まる。高校でも不調でよく不登校。左手知覚麻痺もある。短大二年で知らずにリスト・カット。頭痛のため内科入院。その後頭を打ち付ける行為があり、精神科へ。失声もあり。

二十三歳女性
小さい時から気が小さく、人の中に入っていけなかったが、母が甘いこともあって家ではわがままであった。高校の頃より体が弱いことや交友関係の悩みで不登校になったり勉強に身が入らず、不本意な大学に入学。その後、頭痛、吐き気などに続いてイライラ、家庭内暴力がひどくなり、母を包丁で傷つけたこともある。いくつかの治療機関にかかるが、すぐに気にいらなくて止めてしまう。その後、リスト・カットや自殺行為があり、二回の入院を経て、当院へ。親や恋人は彼女に熱心なのに、本人の見捨てられ感は相当に強い。

二十四歳女性(二児の母)
小さいときからわがまま。中学から不安定、物事の遂行困難、怒りのコントロール不能。十八歳で結婚、出産するも子供の世話ができず。親子喧嘩のたびに大量服薬の形で自殺未遂。治療者にすごく甘えようとするが、甘えを受け入れられないと罵倒する。

三十二歳女性(二児の母)
幼い頃より従順で反抗期がなく、勉強一筋であったが、父が暴力的なこともあり、家庭内での安全感は薄かった。成績は優秀だったが家庭の事情で高校卒業後は就職。その際、対人関係に自信がないということをもらしていた。
就職後、良い上司に恵まれ、一時は順調だったが、結婚した夫が大人になりきれていないため、子育てが終わる頃より、うつ的になると同時に、夫に対する暴力や自傷行為が始まる。入院、外来治療をするも、限界設定や、治療の構造枠がしっかりしておらず、また家族療法的視点が欠けていたため、症状が改善せず、リスト・カットがひどくなったため、筆者とは別の治療者に交代し、問題は残るものの安定をやや取り戻す。

全例に共通するもの
以上、たくさんの例でいささかうんざりされたと思うが、全例に共通するものとして、なにか小さい頃から違和感があったり、良い子で成績はいいが友達は少なかったりということ(逆にわがままな例もある)と、それから多彩な症状や破壊行動(家庭内暴力、リスト・カット、自殺願望など)が印象に残ったと思う。

第4項 境界例の印象と無明と境界例の関係
これを踏まえて、筆者自身の境界例の印象を言うと、
①いろいろな心の病のそれこそ境界に位置し、カメレオン的に症状が変化する。
②そして特に、神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する。
③すなわち、訴えは神経症のようにしつこく、いろいろなことを気にする。しかし、時として精神病のように現実から逸脱した行動を取ったり、幻聴・妄想といった精神病の症状を示し、現実認識も著しく低下する時がある(自分の問題を人のせいにするといった投影傾向が著しい)。そして、根底では自己の存在感や自信がないといったうつ的傾向が横たわっている。しかし、健常人と同じか、それ以上に鋭い観察・認識ができるため、いっそう自分の症状や他者への不満を強く感じたりして、苦しむ度合いも強くなる。
④先の四つの境界だけではなく、心身症や依存症の状態を示す時もある。
といったことになるだろう。(後略)

注:(i) 引用中の「境界例」の表記において、境界例境界性パーソナリティ障害とも呼ばれるが、呼称が長いので境界例という言葉を使用したようです。ちなみに、かつて境界例とは、精神病圏と神経症圏の境界にあるものを指していたようです。これに関連して、岡田尊司の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行)の P83~P84 においては次のように記述されています(【 】内)。【境界性という言い方は、先にも述べたように、当初、精神病と神経症の中間、あるいは精神病と正常の境界線という意味で用いられたが、当時、「精神病」という名のもとに想定されていた疾患は、統合失調症であった。つまり、七〇年代頃までの考え方は、境界性パーソナリティ障害を、統合失調症神経症の境界的状態と見る考え方が主流だった。】*8 一方、本の筆者の見解によると、上記引用にもあるように、境界例とは「神経症、精神病、うつ病、健常状態の四つの境界に位置する」もののようです。 (ii) 引用中の「神経症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。「神経症(不安障害)とは?」、「神経症性障害 - 脳科学辞典」 (iii) 無明と境界例の関係に関する引用は省略しています。 (iv) 引用中の「限界設定」「治療の構造枠」については、〔c〕項を参照して下さい。 (v) 引用中の「見捨てられ不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 (vi) 引用中の「不適切なほどの非常に強い怒り(コントロールできず)」に関連する「怒りや感情のブレーキが利かない」については、ここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「投影」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (viii) 引用中の「破壊行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 (ix) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (x) 引用中の「解離状態」に関連する「解離」ついてはリンク集を参照して下さい。(用語:「解離(解離性障害)」) (xi) 引用中の「境界例の診断基準」に関連する「境界性パーソナリティ障害の診断基準:DSM-5」については、次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 ちなみに、上記用語「境界例の診断基準」を本エントリ作者はよく理解できていません。 (xii) 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。「心身症 - 脳科学辞典」 (xiii) 引用中の「強迫症状」に関しては、例えば次のWEBページを参照して下さい。「強迫症 - 脳科学辞典」、「松永寿人先生に「強迫性障害」を訊く」 xiv) 引用中の「離人感」に関連する、 a) 「離人症状」について、平井孝雄著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第六章 境界例とは の 3 境界例の症状 の「(f)離人症状」における記述の一部(P119)を次に引用(『 』内)します。 『「現実感がない」「霧がかかっている」「自分がない」「自分というものを感じられない」「現実を生き生きと感じられない」といった訴えが強い。背後に自己不全感、自我同一性の混乱や未確立がある。』 b) 「解離性離人症」については「離人症」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) (トラウマの視点からの)「離人症」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「離人症/現実感喪失症

加えて、境界性パーソナリティ障害における追加のケース提示として岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第2編 パーソナリティ障害のタイプ――特徴、診断、背景、対処と克服など の (1)境界性パーソナリティ障害 の「変動の激しいお天気屋さん」における記述(P316~P317)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の最大の特徴は、変動が激しいということです。気分の面でもそうですし、対人関係や行動の面でも、短い間に別人のようにガラッと状態や態度が変わってしまうのです。
一時間前に、ニコニコ笑顔で別れたはずなのに、別人のように沈んだ呂律の回らない声で、今、睡眠薬を飲んで手首を切ったと電話がかかってきたりします。冗談のつもりで言った些細な一言で顔色が変わり、ベランダから飛び降りようとしたり、プイといなくなったかと思うと家出してしまったりということが起こります。自分を傷つける自傷行為や自殺企図が多いのも特徴です。だんだんエスカレートすると、ちょっとしたことで一気に落ち込んだり、激情的になり、危険な行動に走ることも頻繁に起こるようになります。
そのためパートナーや家族は、次第に腫れ物に触るか薄氷でも踏むように、本人の機嫌や顔色をうかがいながら暮らすようになります。言いたいことや叱りたいことがあっても、また機嫌を損ねて大騒動になったり、自傷や自殺をされてはいけないと周囲が気を遣って暮らすのです。
このように周囲を心理的にコントロールしたり、振り回してしまうのが境界性パーソナリティ障害の一つの大きな特徴だと言えます。
こうした操作は、一時的には本人に利益をもたらします。周りは本人の機嫌を取り、言うことを聞いてくれます。周りが自分の思い通りにしてくれるので、見かけ上、本人も落ち着いているように見えます。でも、それは一時的なことに過ぎません。
パートナーや家族も、腹のなかではただ機嫌を取っているだけだと感じていて、どこか「作り事」の生活をしているような感じを持っています。本音の部分は本人の前では出せないので、ただ我慢しているのです。しかし、よほど献身的な家族やパートナーでも、いつまでもそんな生活を続けることはほとんど不可能です。(中略)

より具体的に理解してもらうために、ケースをいくつか提示したいと思います。

ケース 1 自傷を繰り返す少女
中学三年の女子生徒。小学六年生の頃からリストカットをするようになり、中学に入ってから一層エスカレートした。学校のトイレにこもって、安全カミソリでリストカットアームカットを繰り返している。母親と弟の三人暮らし。父親は本人が小学二年のときに母親と別れ、他の女性と家庭を営んでいる。
口癖のように「死にたい」と言い、自殺を予告するようなことを口にする。熱心な教師に話を聞いてもらっているが、その教師がほかの生徒の相談に乗ったりすると、たちまち顔色が変わり、トイレにこもり始める。

ケース 2 親に「責任を取れ」と迫る高校生
十七歳の女子高校生。両親に大切に育てられた。中学までは優等生だったが、念願だった高校に入って急に成績が落ち、母親に対して反抗的になるとともに過食と嘔吐を繰り返すようになった。気分の起伏が激しく、調子よく歌を歌っているかと思うと、真っ暗にした部屋で布団を頭までかぶって寝ている。
食事を持っていっても手をつけないが、夜中に冷蔵庫の物を勝手に平らげてしまう。様子を聞こうと話しかけると急に怒り出す。「お前の言う通りにしてきて、このざまだ。責任を取れ」と母親の髪を掴んで振り回したり、母親が大切にしているタペストリーをハサミで切り刻む。
そんなふうに爆発したあとでは、母親の機嫌を取るようなことを言ったりもするが、それも束の間、本人の気分次第でまた態度が変わる。

ケース 3 家庭内暴力と薬物乱用の果てに
十九歳の男性。薬物乱用のため逮捕されて施設に送られてきた。体にはタトゥーが彫られ、根性焼きの痕もある。気持ちが落ち込み生きていても仕方がないと言い、イライラしていることが多い。
母親は父親よりずっと年下のお嬢さん育ちの女性だった。本人が覚えている母親の姿は、いつも鏡の前に座ってお化粧したり、洋服を取り替えて眺めている姿だった。母親が若い男性と不倫したため、小学一年のときに父母が離婚。母親は本人を引き取る気はなく父親に育てられる。
父親は本人の養育にかなり甘くすぐに金を与えていた。小四のときに父親が再婚し継母がきたが、まったくなつかず、その頃から反抗的になる。学校をさぼったり外泊を繰り返すようになったが、父親は摩擦を避け黙認していた。
中学に上がって急に体が大きくなると、継母の指導を嫌い、家庭内暴力が見られるようになったため、ワンルームマンションを借りて一人住まいをさせる。金がなくなると実家にやってきて暴れる。バンド仲間とつき合い始め、薬物を覚えてからますます生活が荒んでいった。

ケース 4 心と体に傷跡を抱えた女性
二十代半ばの女性。リストカットアームカットを繰り返し、体には傷跡が生々しく残っている。
学校時代は勉強もそこそこでき、努力家だった。ただ、姉はもっと優秀で、自分は親からあまり認めてもらえていないという気持ちは常々抱いていたと言う。短大を卒業して就職した年に、三十代初めの妻子持ちの男性と恋愛関係になる。両親はそのことを知って激怒し、本人を強く戒めた。相手の男性も急に尻込みし、結局、本人も納得して別れることになった。
その頃から気分が不安定になり、別れた男性に執拗に電話をかけたり、会ってくれと要求するようになった。男性も優柔不断で、あと一度だけという懇願や、「死にたい」という言葉に不安を覚えて言いなりになることもあった。
両親が再度介入し、男性は応じなくなったが、本人は「うつ」になったり、過呼吸の発作がひどくなった。仕事も辞め、母親にべったりまとわりつき、母親を執拗に責める。嫌気が差した母親が少しでも突き放した態度を取ると、「死んでやる」と危険な真似をしようとした。
周囲は本人の機嫌を損ねないようにビクビクして暮らすようになる。夜中だろうと母親を叩き起こして過去のことを蒸し返し、彼氏とのことだけでなく、幼い頃、自分にだけ冷たくしたのはどうしてかと問い詰める。母親は音をあげ、見かねた父親が注意すると、大声をあげて家から飛び出したり、ベランダから飛び降りようとする。
恋愛沙汰からもう三年が過ぎているが、些細なことで傷つくと落ち込んだり、突然自傷したりする。昼間眠り、夜になると不満を言って母親にまとわりつく。母親のほうも疲労しきっている。(後略)

〔c〕境界例治療事例
平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の「第一三章 境界例治療事例集」における記述の一部(P267~P273)を次に引用します。

▼さらに理解を深めるために、別の事例を提示してくれませんか。
――わかりました。どれも典型例かどうかわかりませんが、いくつかあげてみます。最初のG事例は、治療目標や治療構造や限界設定の大切さを教えられた例です。

[事例G]むさぼり、自己のなさ、限界設定の重要さを示した例-一八歳女子・高校中退

Gは一八歳の少女で、高一のころから不登校となり、家で引きこもる生活になった。そのうち、家庭内暴力が発生し、「こうなったのは親のせいだから、なんとかしてくれ」という訴えが激しくなった。困った両親はカウンセラー(中年女性)のもとへ相談にいくようになった。もともとGは、素直で両親の言うことをよく聞くいい子だったとのことで、今度のことで、両親はとても困惑しているようであった。
カウンセラーは両親に「できるだけ本人の気持ちになって言うとおりにしてあげて」という対応の指導をした。しかし、彼女の荒れはおさまるどころかだんだんひどくなった。両親がこのことを訴えると、カウンセラーは本人に手紙を書いたり、電話をしたりして本人の気持ちをくもうとした。
最初のうち、本人は心をあまり開かなかったようだが、徐々に辛さを訴えるようになり、カウンセラーはできるだけ、その辛さに共感しようとした。その気持ちが通じたのか、本人はカウンセラーのところへ来られるようになり、今までの辛かったことや、とくに母にたいしての不満や怒りや、学校時代の嫌なことについて述べだした。カウンセラーは、さらに共感的に聞くようになってきたところ、面接回数を増やしてほしいと言われ、それに応じた。また面接外にもふらっとあらわれることがあり、それにたいして時間の許すかぎり、誠実につきあおうとした。また喫茶店でも会いたいという本人の希望を満たしてあげていた。
そのうち電話が時間外にかかってくるようになり、それにも応じてあげた。しかし、その電話が深夜に、しかも頻繁で深刻な内容(「親を殺したい」「家にいたくない。カウンセラーの家で暮らしたい。それを受け入れてもらわないと死んでしまう」など)になるにしたがって、カウンセラーは徐々に重荷になってきた。そして、以前から思っていた「これだけ要求を受け入れ、愛情を満たしてあげているのに何がまだ足りないのかしら。もう少し人の迷惑も考えたら」との疑問が生じてきて、ついに「深夜の電話だけはやめてちょうだい」と本人に伝えた。
それを聞いた本人は激怒し「今まで『私の辛さはよくわかる』とか『最後まで見捨てない』と言っていたのは嘘だったのか」と言い「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」と言って、その夜、手首を切った。命に別状はなかったものの、家族からは「最初は少しよかったように思えたけれど、結局、同じようなことになってきて、今はカウンセリングにかかって、かえって悪化した」と言われた。
これを聞いたカウンセラーはすっかり落ちこんでしまい、筆者に相談に来るとともにこのGを引き受けてくれないかという依頼をしてきた。筆者は、境界例の病理を説明するとともに、彼女が来たいならみましょうと述べた。ただ、そうはいっても、彼女はなかなか筆者のもとに来所せず、そのカウンセラーにひきつづきしがみつこうとしたが、カウンセラーが正直に自分の限界を認めたために、Gもしぶしぶ、筆者のもとにやって来た。
最初五回ほどの審査面接をおこない、ある程度の関係ができたあと、面接のルール(面接外の電話は原則として禁止)、限界設定(カウンセリング中は自傷他害の行為はしない。すれば入院)を敷いたあと、面接をつづけた。その面接のなかでわかったことは、「いくら聞いてもらったり、何かしてもらっても、満足しないこと」「ほんとうの満足が何かわからないこと」「満足を感じる自分自身がいないこと」などであった。
この流れのなかで、本人の課題は徐々に「自分で考える」「自分で決める」「自分で行動する」「自分の行動の責任は自分がとる」という自立や自己確立となってきた。そして、本人のもっとも苦手とする問題、境界例にとっては最高の難問「自分がほんとうのところ何を求めているのか」という問題についても考えられるようになった。少しずつ、アルバイトと大検の勉強をしはじめ、大学のデザイン科に入学した。もちろん、そのころは暴力やしがみつきもなく落ち着いた状態だったので、筆者とのカウンセリングは一応終了したが、そのあとも不安になるたびに相談に来ていた。
ただ、入学にいたるまで、筆者との間でも、行動化の頻発やルール破りが続出し、そのたびにそのことをふくめ治療全般のことを話し合うことがくり返された。しかし、いくら話し合っても同じことがくり返され、なかなか自覚が深まらず、治療者がうんざりしかけたときもあった。ただ、根気よく接していると、少しずつ自分の感情や自分の問題点に気づきだし、大字入学までこぎつけたのである。現在は結婚しているが、それでも、ときどき面接を求めてくる。

[事例G解説]
(1)臨床家の多くは十数年前から境界例に悩まされはじめる
▼これは、いつごろの事例ですか?
――一〇年以上前の事例です。成田善弘の『青年期境界例』(32)という好著が出る数年前で、私のなかでちょうど境界例への関心が高まってきていたころです。精神分析学会では、これよりかなり前から話題にはなっていましたが、このころ一般の臨床家のなかでも、境界例にふりまわされる人が増えてきていたようです。
▼この事例は、実によく境界例の特徴があらわれていると同時に、治療の入口の大事さ、難しさを教えてくれているようですね。
(2)三点セットの重要性-体験の大事さ、中途変更の困難さ
――この事例でつくづく感じることは、第九章でも強調したように、①治療構造の確立・ルール作り、②限界設定、③治療目標の共有、がいかに大事かということです。これらは境界例治療の三点セットか、三種の神器ともいえます。
▼それから考えると、このカウンセラーの方は、こういうことをあまり知らなかったのでしょうか?
――いや、そんなことはないと思います。ただ知識として知っているのと、その問題点のすごさを実感として体験しているのとはやはりちがいますから、失礼ながら、知識上だけで、重症境界例の治療経験はなかったようです。
▼準備をあまりせず、治療か、カウンセリングに入ったということですか?
――そういうことかもしれません。
▼ただ、途中で変だと思わなかったんでしょうか?
――もちろん思ったと思います。しかし、いったんはじまった受容・共感路線は、おかしいと思ってもなかなか途中でやめられないんです。だから、理想的には、スーパービジョンを定期的に受けながらカウンセリングをすべきです。それにカウンセラーの方のなかには、受容・共感こそ治療の王道と考えている人も多いので、よけい変更は難しかったのかもしれません。
▼でも、ほんとうの受容・共感って、相手に具合いの悪い問題点を感じると、それを取り上げそのことをめぐって対話するってことなんでしょう。
――そのことにも気づいておられたようですが、むしろ「自分の受容・共感が不十分だからこうなった」とも考えていたようです。それで結局、行き詰まっていったようです。
▼人間というのは、ぎりぎり因ってから相談に来ることが多いんですね。だから、理想でしょうけど、あらかじめどれくらい困ることになるかの予想が大事なんですね。
(3)苦の移しかえに注意-「幸いですね」「たいへんですね」発言の危鹸性
――そういう三点セットの下準備を十分にせずに、ただひたすら親切に受容・共感を示し患者と交流をはかろうとしたと思われます。それは神経症レベルや健康部分の多い人には通じるかもしれません。そういう人はカウンセラーに援助してもらっても、悩みの解決は自分でするものという健全な自覚があります。しかし、境界例傾向の強い人は、悩みや苦はすべて治療者に移しかえられてしまうので、下手に受容・共感すると、はてしない悪性の依存が生ずるのです。
▼だから、境界例的な人に「辛いですね」と不用意に共感したようなことを言うと、その辛さを治療者が全部とってくれるのでは、と考えてしまいやすいんですね。
――そういうことですが、もちろん「辛いね」と言うのは絶対にいけないことではありません。ただ言うからには、そのプラス・マイナスを考え、相当の覚悟をしておく必要があります。
(4)はてしなき欲求と「自己のなさ」
▼G事例にもどりますが、Gのなかでいちばんめだつものは何ですか?
――それは、彼女の飽くなき愛情欲求です。最初は面接だけで満足していたのかもしれませんが、そのうち面接の回数の増加、面接時間外での接触、電話、それも頻回で深夜にまでおよぶ電話の要求とエスカレートしていっています。これにたいし、カウンセラーは誠実に対応し「愛情飢餓」にたいして、愛情を満たしてあげれば落ち着くと考えだのかもしれませんが、そうはならなかったのです。
▼どうしてなんでしょうか?
――境界例が、このようにはてしのない「むさぼり」の状態になるのは、結局「自己のなさ」に大きな原因が求められるのです。自己がなければ、満足する自己もなく、したがって、いつまでも不満の「無間地獄」に陥ることになります。逆に自己がしっかり確立していれば、そんなに物が与えられなくても自足します。人間は自分で考え、決断し、自己責任をもって行動したことに関しては、結果がどのようなものであれ、そこにある種の満足を見いたすものです。
ですから「自己確立」の不十分な境界例に安易な共感は禁物であり、また「本人の言うとおりにさせる」のはたいへん危険なことで、欲求はエスカレートし、とどまるところを知らなくなります。そして、もっとも深刻な悲劇である、傷害・殺人のような事件にまでいたることもあるのです。「むさぼる自己」は「満足を知らない自己」でもあるのです。したがって、まず治療構造という外的枠を作ってあげて、そのなかで治療的対話をおこなうと、徐々に内的枠ができ、自己確立へ向かっていくのです。
▼自己の欲求をコントロールする「自己」の育成が大事になるんですね。
――それがたいへんなことなのです。この事例も、治療構造、限界設定をやって再スタートしたにもかかわらず、再三ルール破りや限界を越えたりして、さんざん苦労させられました。前に述べたように限界設定は、それを維持しつづけるほうが難しいといえます。

注:i) この本のタイトル中の「境界例」は専ら境界性パーソナリティ障害参照)を指すようです。 ii) 引用中の「(32)」は成田善弘『青年期境界例』(金剛出版、一九八九)です。 iii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iv) 引用中の「共感」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「あんたに見捨てられたから、私は死んでやる」に関連する「見捨てられることへの強い不安」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。「若い世代の自殺を防げ ~境界性パーソナリティー障害~」 vi) 引用においてGがまずカウンセラーを理想化した後、脱価値化(こき下ろし)したように見えることに関しては、〔b〕項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリ及びWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 vii) 引用中の「スーパービジョン」は、例えば、カウンセラーが指導者(スーパーバイザー)から教育をうけるプロセスのことのようです。 viii) 引用中の「むさぼり」は、はてしない際限のない欲求のことを指すようです。 ix) 引用中の「治療構造、限界設定」に関連して、次のエントリを参照すると良いかもしれません。「パーソナリティ障害の治療・対応について」 x) 引用中の「カウンセラーが正直に自分の限界を認めた」ことに関連するかもしれない『トラウマの治療で、最初は治療者が「私がなんとかします」といきり立って、途中でキャパオーバーになり、「ちょっと、これはできない」と方針を切り替え始める』ことについての一連ツイートがあります。加えて、上記『最初は治療者が「私がなんとかします」といきり立って、途中でキャパオーバーになる』のは「メサイア・コンプレックスを自覚できない治療者に多いパターン」であることを記述するツイートもあります。その上に上記一連ツイートを補足説明するツイートもあります。

〔d〕境界性パーソナリテイ障害
最初に、見捨てられ不安を強調している市橋秀夫監修の本、「境界性パーソナリテイ障害は治せる! 正しい理解と治療法」(2013年発行)の「Part.1 ケースで見る境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P22)を次に引用します。

境界性パーソナリティ障害の患者さんの根底には「見捨てられ不安」がある。見捨てられることに対する強い恐怖感、不安感からさまざまな感情が生まれ、それが行動化して周囲を困らせる。人間関係に支障が出るため、社会生活にも影響する。

注:i) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) ちなみに、引用中の「パーソナリティ障害」に対する見解は、次に引用するように、同本の「●パーソナリテイ障害とは」における記述の一部(P9)に示されています。

パーソナリティとは、外界からの刺激に対する、その人固有の受け止め方や反応のパターンのことです。刺激に対して、特有の病的な反応を示すのがパーソナリティ障害です。

加えて、市橋秀夫監修の本、「パーソナリティ障害 正しい知識と治し方」(2017年発行)の 3 境界性パーソナリティ の「本人のつらさ①」における記述の一部(P46~P47)を次に引用します。

わき上がる「七つの感情」に支配される
現実の世界で起こったささいなできごとに、心の中の「見捨てられ不安」が呼び起こされると、それを種にして七つの強い破壊的な感情がわき上がり、本人を苦しめます。これが問題行動につながります。(中略)

七つの感情は七人の騎士?
見捨てられに関する七つの感情は、精神分析家のマーガレット・マーラーが「黙示録の七人の騎士」になぞらえたものです。(中略)

①憤怒
噴出する激しい怒りです。ひどい暴言を吐く、ものを壊す、相手に暴力を加える、自傷する、わめきちらすなど。大切な人間関係を壊してしまいます。

②空虚感(むなしさ)
空っぽな感じ。怒りのあとにも出現しますが、淋しさのあとに突然おそってきます。真っ暗な穴に吸い込まれるような感覚があります。過食、万引き、乱費につながることもあります。

③自暴自棄
どうにでもなれという捨て鉢な感情。危険な運転をしたり、ゆきずりの相手と性的関係を結んだり、暴れたり、わざと人間関係を壊すような行動をすることもあります。

④絶望
もうダメという感情です。すべての道が閉ざされ、なにもない、生きる意味も見つからない、すべて終わったと感じます。

⑤よるべのない不安
自分がなんなのか、なにを望んでいるのか、自分の足で立てない、だれも頼りにならない、なにが不安なのかわからない、実体のない自分が漂っているだけという感情です。

抑うつ
うつ病と同じような気分です。暗く重い気分、晴れやかさがなく、なにを見ても楽しくない、興味や関心が向かない、体が重い、やる気が起こらない、ポジティブな思考ができないなどです。

⑦孤立無援感
だれも助けにきてくれない、だれにも頼れない、ひとりぼっちという感情です。(中略)

突然、心の中に嵐が吹き荒れる(中略)

見捨てられに関連するこの感情を、「穴に吸い込まれる」「落ち込む」と多くの人は表現します。嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内なのですが、ひんぱんにおそってくるので、ずっと続いているように感じられます。この状態になることが、極端な行動(問題行動)のもとにあるのです。

注:i) この引用元の一部は元来イラストですが、引用者が形式を変更して引用しました。 ii) 引用中の「問題行動」に関連する「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iii) 引用中の「見捨てられに関する七つの感情」に関連するかもしれない「早期不適応的スキーマ」については、ここを参照して下さい。 iv) 引用中の「嵐が吹き荒れる時間は三〇分以内」に関連する「負の感情の嵐を30分がまんする」ことについて、引用元と同じ  の「自分にできること①」における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『①30分がまんする 負の感情の嵐は激しいものですが、続くのはせいぜい30分ほどです。嵐をくり返し経験していると、ずっと続いているように思い込んでしまう場合があります。問題行動に走らずがまんしているうち、30分ほどで嵐が終わることを確かめましょう。』 加えて、a) DBT(弁証法的行動療法、ここを参照)の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、「腹が立ったら、数を最大千まで数える」ことについての次に引用(『 』内)するジェファーソンのことば(上記添付資料における P36)があります。 『・腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。それでもだめなら千まで数えよ。』 その上に、怒りを鎮めるための時間を置く行動としての「6秒数える」、100から7を順番に引いていく」や「素数を数える」ことについては共に次のWEBページを参照して下さい。 「松崎先生が教える!怒りのタイプ分けと対処法2選」の「―――自分自身の怒りをコントロールすることは、簡単なことではありません。 怒りが湧き上がったときの対処法について、お聞かせください。」項 b) 森田療法における感情の法則については、次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項 c) 「感情等がピークアウトしたら、選択をすることができるようになる」ことについてはここを参照して下さい。 v) ちなみに、 a) 引用中の「強い破壊的な感情がわき上がり」に関連するかもしれない、スキーマ療法の視点からのスキーマモードにおけるチャイルドモードの一種である「怒れるチャイルドモード」、「激怒するチャイルドモード」及び「脆弱なチャイルドモード」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 引用中の「噴出する激しい怒り」に関連するかもしれない「怒りや感情のブレーキが利かない」について、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第二章 境界性パーソナル障害はこうして現れる の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「④怒りや感情のブレーキが利かない」における記述(P53~P54)を次に引用します。 c) 境界性パーソナリティ障害と情動のコントロール不全との関係については、岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の「過剰に反応してしまう」における記述の一部(P84~P86)を次に引用します。 d) 一方、この引用元の本と監修者が同じにおいては、気持ちや行動をコントロールする5つの Lesson が示されています。この本の裏表紙から要点を以下に引用しますが、詳しくはの「抑うつに負けない! セルフコントロールLesson Book」(P77~P95)を参照して下さい。

④怒りや感情のブレーキが利かない
境界性パーソナリティ障害の人は、とても傷つきやすく、傷つけられたことに対して過剰な反応を起こしやすい。感情のブレーキが利きにくく、些細なことで腹を立てたり、癇癪を起こしたり、激しい怒りに囚われやすい。
それまで物静かで、控えめにさえ見えた人が、自分の思い通りにならない状況に出くわすと激しい怒りを覚え、ガラッと態度や表情を変えて、攻撃的になるということがしばしば起きる。親しく、甘えられる相手ほど、そうしたことが起きやすい。「自分の家族に対して、すぐカッとなりやすい。母や彼女に対して、すぐ手が出てしまう」と述べた青年のように、親しい人、依存している人、甘えを許してくれる人に対してだけ、出現しやすいのが特徴である。
本人自身もそこまで言うつもりはないとわかっていても、傷つけられたり、目先のことで怒りを覚えると、止められなくなってしまう。自分を守ろうとして、あるいは、わかってもらえないという苛立ちから居丈高になったり、攻撃的になってしまいやすい。
最初は穏やかそうに見えていたので、態度や口調の豹変に周囲は驚く。怒りに囚われてしまうと、他のことは頭から飛んでしまい、場所柄や周囲の状況に関係なく激しく反応してしまう傾向がある。

一人でいるのか不安で、気持ちが沈むので入院させてほしい、と医療機関の外来を訪れた二十歳過ぎの女性は、弱々しい声で、切々と自分の苦しさを訴えていた。しかし、診察した医師から、今の状態では入院する必要はないと告げられた途端に、表情が一変し、医師に食ってかかり始めた。それでも思い通りにしてもらえないとわかると、診察机の上にブーツの足を乗せ、腕組みし、罵詈雑言を吐いて、怒りを爆発させた。
だが、次にやってきたときは、しおらしい態度に戻っていて、前回の失礼な態度を自ら詫びた。しかし、また思い通りにならないことが出てくると顔つきが変わり、言葉がきつくなる。

過剰に反応してしまう(中略)

認知行動療法から、境界性パーソナリティ障害に特化した治療法を確立したマーシャ・リネハンも、境界性パーソナリティ障害の基本症状を、情動のコントロールの問題だと考えている。情動とは、怒りや悲しみといった、生存に関わる強い感情のことである。通常の状態では、情動は穏やかにコントロールされていて、泣いたり憤慨したり、脅威を感じたりということは普段の生活において、そうやたらに起きないようになっている。自分の安全や尊厳が重大な脅威にさらされるとか、特別によいことや悪いことがあったときだけ、それは強く興奮して、行動を引き起こす。
ところが、情動のコントロールがうまくいかないと、些細なことにでも過剰な反応を生じたり、極端な言動となって現れたりしやすくなる。それが変動の激しさとして、周囲に感じられることになる。リネハンによれば、情動のコントロールがうまくいかないことが、行動や対人関係、アイデンティティの面での不安定さにもつながり、それらにおいても、同じように極端な変動が見られやすくなる。
根本的な問題として、情動のコントロール不全があり、そこから行動、対人関係、自己同一性、認知の面でも、不安定でコントロールを失った状態が現れやすいという考え方も支持を得てきている。
この情動のコントロール不全という問題には、二つの側面がある。一つは、気分や感情の微妙なコントロールがうまくいかず、気分のアップダウンが激しいということである。
そして、もう一つは、とても傷つきやすく、一見些細に思える出来事に対して、過剰な情動反応を引き起こすということである。前者は、躁うつ的な気分のコントロールの問題であり、後者は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。(後略)

注:i) 引用中の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られるような、心の傷を抱えていることから生じる過敏さの問題である。」に関連するかもしれない(PTSD又は複雑性PTSDにおける)『「対人過敏」という症状』については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点からここを参照して下さい。

不安や衝動から抜けだそう!

気持ちや行動をコントロールする5つのLesson

Lesson1 心の奥に「子どもの自分」と「大人の自分」がいることを知り、どちらも「自分」であることを受け入れる

Lesson2 自分を客観視し、問題行動が何も解決しないことに気づく

Lesson3 過去を振り返るのは現状分析のときだけ。分析が終わったらそこで決別する

Lesson4 「相手が自分と同じ道を歩いている」という勝手な幻想を捨てる

Lesson5 衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる

注:i) 引用中の「子どもの自分」の例として同本の P80 において、「見捨てられたくない」「もっと愛情を注いでほしい」「すべて思い通りにしたい」「自分と同じ道を歩いてほしい」「ちやほやされたい」「抱きしめてほしい」が示されています。さらに、同頁には『境界性パーソナリティ障害の患者さんは、「子ども」の部分に思考が占領されやすい。』との記述があります。 ii) 一方、引用中の「大人の自分」の例として同本の P81 において、「こんなことで見捨てられないということを知っている」「我慢できる」「自分と周りは違うということを理解している」ことが示されています。さらに、同頁には引用中の「Lesson1」の目標として、『「大人の自分」の割合を増やしていく』との記述があります。一方、この項における引用と多少関連があるかもしれないスキーマ療法に関する引用は、リンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「衝動や不安に襲われても踏みとどまれるようになる」に関しては、同本の P89 において、「実際に不安や衝動の波がおそいかかってきたときは、逃げるのではなく、真正面から向かい合う。」「逃げられないのなら正面から向かい合って30分耐える」との記述があります。 iv) 引用中の「Lesson」を行う等の治療のゴールに関しては、同本の P95 において、次の記述があります。『あなたを支配している「亡霊」がいなくなれば、そこがゴールです。』 ちなみに、この「亡霊」に関連するかもしれない、スキーマ療法の視点からの「早期不適応的スキーマ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の『「相手が自分と同じ道を歩いている」という勝手な幻想』に関連する、 a) 「自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまいになる」については、ここにおける引用の「②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい」項及びここにおける引用の「自己と他者の境界が暖味になる」項を、 b) 「自分が良いと思うことは他者も良いと思っている、と思い込んでいる」についてはここを それぞれ参照して下さい。

さらに、次に示す部分をそれぞれ以下に引用します。 a) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第三章 境界性パーソナル障害の複雑な心理を読み解く の 境界性パーソナル障害はこうして診断する の「枠組みのない状況が苦手である」における記述の一部(P70)、「自己と他者の境界が曖昧になる」における記述の一部(P72~P73)、「心から安心することができない」における記述の一部(P74~P76)及び「思い通りにならないと攻撃されていると思う」における記述の一部(P76~P80)をまとめて b) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 13章 鑑別診断-統合失調症境界性パーソナリティ障害 の「本来の BPD とはどのような様態なのか」における記述の一部(P252) c) 岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行) の 第六章 境界性パーソナル障害を支える の「うまくいかないときこそ真価が問われる」における記述の一部(P195) d) 岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の 第3章 「絆の病」と家族 の「マインドフルネスの効果」における記述の一部(P114~P115)*9

枠組みのない状況が苦手である
境界性パーソナリティ障害の認知の特性として、最初に知られるようになったことの一つは、しっかりと構造化された状況においては、何の問題もなく対処することができるのに、構造が曖昧な状況では、戸惑いや混乱を引き起こしやすいということである。
例えば、規則や目的がかっちりして、それに沿って生活しているときは、さして問題はなかったのに、細かい規則や決められた日課もなく、要求するままに応じてもらえるような受容的な状況に置かれると、かえって情緒が不安定となる。どんどん要求を膨らませ、対応の些細な違いが気になりだす上に、不満や苛立ちが募り、行動や感情にブレーキがかからなくなる。
質問されたことだけに答えるというやりとりをしているうちは、さして問題ないのに、思いつくことを気ままに喋り出すと、だんだん話がとりとめなくなり、非現実的で極端な方向に脱線しやすい。話しているうちに、ひどく動揺をきたす。(中略)

後の章でも述べるが、この特性は、境界性パーソナリティ障害の人との関わりを考えていく上で、とても重要である。可能な限り明確な枠組みを設定し、曖昧な対応をしないようにすることが不可欠なのである。この点を押さえていないと、支えているはずが、どんどん悪化させてしまうということになりかねないのである。

自己と他者の境界が暖味になる
さらに研究が進むにつれ、もう一つの認知の特性が明らかとなった。それは、このタイプの人では、自分と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていないということである。そのため自分の視点と他者の視点を混同してしまいやすい。自分が好きなものは、相手も気に入るに違いない、逆に、自分が嫌いなものは、相手も嫌うはずだと思う。自分と相手が別の存在で、自分の感じ方と相手の感じ方は別々のものだと頭では理解していても、いつのまにか混同し、そのことにも本人は気づかないのである。

アメリカの精神医学者オットー・カーンバーグは、対象との関係の成熟度により、パーソナリティ構造を三つのレベルに分類した。自己と対象の区別が混乱し、自我の境界が曖昧な状態を「精神病性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はある程度存在するものの、ストレスを受けた状態や構造化されていない状況においては区別が曖昧になり、混乱を生じやすい状態を「境界性パーソナリティ構造」、自己と対象の区別はしっかりしているものの、抑圧された葛藤のために、対象との関係で不安や緊張を生じやすい状態を「神経症性パーソナリティ構造」としたのである。「境界性パーソナリティ構造」が見られるものの代表的な状態が、境界性パーソナリティ障害である。
自己と他者の区別が曖昧になりやすい状況として重要なのは、ストレスを受けたときや、構造化されていない状況とともに、親密で依存した関係が挙げられる。甘えの許される親や恋人に対して、自分と相手との境界が失われてしまいやすい。
自己と対象が区別されているようで、しばしば混同される結果、常識が通用しない特有の問題が生じてくる。しばしば起こりやすい問題の一つは、すり替えである。本当の問題ではなく、目先の苦しさや些末なトラブル、相手の過失の方に問題を転嫁し、肝心な問題から逃げてしまいやすい。ことに、治療の最初の段階などでは、忍耐する力が弱いので、ちょっとした不快な出来事も、逃げるための口実となる。

もう一つ起こりやすい問題は、自分の基準でしか、相手を見ることができないということである。これは、周囲の問題にばかり目が向きやすい原因ともなる。対人関係や子育てでも相手を一面的に判断し、好き嫌いや支配の激しい、過酷な状況を作りやすい。
相手の気分に巻き込まれやすい傾向も見られる。相手の気分が伝染しやすいだけでなく、自分がイライラしていたり、気分を害していると、相手もイライラしていたり、気分を害しているように感じてしまうこともある。つまり、自分と相手の感情が混同されてしまうのである。自分が疎外感や劣等感を感じていると、相手が自分のことを邪魔者扱いしょうとしていたり、馬鹿にしているように感じてしまう。この場合は、自分の感じている恐れが周囲に投影され、迫害者を作り出してしまうのである。

心から安心することができない
自分と他者の境目が曖昧で、自分と他人の問題を混同しやすいということは、言い方を換えれば、他者からの影響を蒙りやすいということでもある。自己のアイデンティティも絶えず外界から脅かされやすいものとして感じられている。こうした心理状態は、強いストレスのかかった状況では誰にでも見られるものだが、境界性パーソナリティ障害の人では、それが日常的に、強い圧迫感をもって感じられやすい。その結果、境界性パーソナリティ障害の人は、自分が安全に守られているという基本的安心感に乏しく、ともすると、居場所のなさを覚えやすい。
基本的安心感の乏しきと、自己と対象の関係の不安定性さとは、深く結びついている。こうした未分化で、脆弱な自我を抱えてしまうことについては次の章で見ていくが、自分と他者とを切り離す最初の段階、つまり母子分離の段階でのつまずきが影響していることが多い。安心して母親の膝元から離れていくことができず、自分を独立した存在として確立することに、強い不安と恐れを覚えてしまったのである。
自我が未分化で他者と混同しやすい傾向は、その人の中に他者が絶えず介入し、その安全や主体性を脅かしてきたことの名残でもある。その結果、このタイプの人はいつも周囲から脅かされていると感じやすく、人を心から信じ、受け入れることができにくい。常に違和感を覚えてくつろげず、ありのままでいることができないという身の置きどころのなさを味わっている。

ある少女は、その違和感をこう語った。
「小学生の頃から、人と自分は、どこか違うという感じを抱いていた。それが中学になる頃には、いっそう強くなった。友達と楽しそうにしているときも、その振りをしているだけだった。そのことを冷ややかに見ている別の自分がいた。太宰治の『人間失格』を読んだとき、自分と同じだと思った」
そうした違和感の根源には、母親との絆の希薄さが影を落としているようにも思えた。少女は、幼い頃に母親と離別していたが、その後、思春期を迎え、交流が再開して、泊まりに行くようになったときのことを、こう回想した。
「母のところへ行くと、気持ちが悪くて眠れなかった。吐き気がして。本当の母なのに、気持ち悪いと思ってしまう」

思い通りにならないと攻撃されていると思う
カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」の提唱に先立つこと三十年も前に、その理論の基を築いたのがメラニー・クラインであった。(中略)

クラインによれば、子どもは成長段階により、二つの対象関係(対象との関わり方)を示す。一つは、ごく幼い乳児に典型的に見られるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌よくしているが、少しでもそれが損なわれると泣き叫び、不満と怒りをぶちまける段階である。よくお乳が出るオッパイは「よいオッパイ」、出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかない。それが、同じ母親の同じオッパイであるということなどは顧慮しない。その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが、「よい」「悪い」の基準となる。こうした部分部分で、また、その瞬間瞬間の満足、不満足で、対象と結びつく関係を、クラインは「部分対象関係」と名づけた。

この段階では、自分の欲求充足を邪魔されると、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、泣きわめく。このように、自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、怒りを爆発させ、攻撃する心の状態を、クラインは「妄想・分裂ポジション」と呼んだ。
対象関係が未熟な人では、成人であろうと、この状態に陥りやすい。

「天気予報まで、私を裏切っている」
うつ状態や被害念慮(周囲から責められているという思い込み)から自殺企図を繰り返しているある女性は、ある日、落ち込んだときの状況を次のように述べた。
「毎日欠かさずに見ていた天気予報が外れた。私に意地悪をして、わざと外したように思えた。天気予報まで、私を裏切っている。もう何も信じられない気持ちになった」
天気予報という外界の出来事と、自分の内面的な心理状態が、半ば混同されてしまっていた。雨が降って、洗濯をしようと思っていた予定が狂わされたとき、計画通りにいかなかったことから生じる苛立ちが、天気予報が外れたという外界の出来事に投影され、天気予報さえもが自分を虐めていると感じるのである。女性は、妄想・分裂ポジションの状態に陥っていたと考えられる。ただし、妄想性障害のような固定化した妄想とは異なり、それは一過性に解除され、そう考えたことが現実的ではなかったことを理解することができる。境界性パーソナリティ障害では、こうした状態がしばしば見られる。

それに対して、離乳期頃から徐々に発達してくるもう一つの段階がある。その頃には、子どもは母親が一人の独立した存在で、自分の欲求を常にすべて満たしてくれるわけではないことを少しずつ理解するようになる。さらに、成長するにつれて、自分にとって都合のいい「よい母親」も、欲求を満たしてくれない「悪い母親」も、どちらも一人の同じ母親であることがわかり、どちらも受け止めることができるようになる。そうなると、自分の都合や欲求だけでなく、相手の都合や気持ちにも目がいくようになる。よい部分も悪い部分も含めた対象とのトータルな関わり方を、クラインは「全体対象関係」と名づけた。
全体対象関係の発達とともに、子どもたちには、それまで見られなかった状態が見られるようになる。母親に叱られたり、母親が悲しそうにしたときに、ただ泣きわめいて怒りや不満を爆発させるのではなく、自分の非を感じて、しょんぼりするという反応である。このように、問題の非が自分にあると受け止めて、沈んだ心の状態を「抑うつポジション」と呼んだ。

だが、自分の非を認めることには苦痛が伴う。そのため、それを強がりによってはね除けようとする反応も起きる。抑うつポジションを避けるために、強気な態度をとり、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」である。境界性パーソナリティ障害の人では、うつになるのを防ごうと、しばしば躁的防衛が見られ、心にもない強気な態度や居丈高な態度をとってしまうことが見られる。その一方で、躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがダメだと思って、深く落ち込んでしまいやすい。周囲の人は、躁的防衛の鎧を真に受けないことがポイントになる。
これらの理論は、児童の精神分析から生み出されたものだが、境界性パーソナリティ障害の人の心の動きを、実に見事に説明している。

ある二十代の女性は、自分の浮気が原因で、長年つき合っていた恋人と別れてしまったとき、「どうせ別れたかったので、清々した」と意気軒昂で、別れた恋人の悪口を言っていた。しかし、新しい恋人との関係がうまくいかなくなったとき、急激に抑うつ状態になり、前の恋人にした仕打ちを後悔し、自分を責め始めた。

注:i) 引用中の「自己と他者の境界が暖味になる」に関連する「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。  ii) 引用中の「妄想・分裂ポジション」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)の P100 における記述の一部を次に引用します(【 】内)。 【岡田 境界性パーソナリティ障害のかたは、調子が悪いときほど、その瞬間瞬間に生きているんですよね。】  iii) 引用中の「躁的防衛」のさらなる説明は『躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる。その根幹をなす機制が「否認」である』ことを含めてここを参照して下さい。 iv) 引用中の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』ついては例えば次の、引用中の3つのパーソナリティ構造と各種パーソナリティ障害(WEBページのパーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「タイプ」参照)との関係については、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の『カーンバーグの「境界性パーソナリティ構造」』における記述の一部(P55) を次に引用します(【 】内)。 【大部分のタイプのパーソナリティ障害は、境界性パーソナリティ構造に該当するとされ、回避性と強迫性の二つのタイプのパーソナリティ障害だけが神経症性パーソナリティ構造に当てはまります。】 加えて、上記「境界性パーソナリティ構造」についての精神分析的説明について、の「Ⅱ パーソナリティの発達・機能水準」における記述の一部を次に引用します。

まず,パーソナリティの様式に先立って,発達・機能水準(以下,水準)のアセスメントについて触れておきたい。(中略)

Kernberg O は,パーソナリティの水準を自己同一性,防衛機制,現実検討能力などの違いによって,「神経症(高次)水準」,「境界(中間)水準」「精神病(低次)水準」の3段階連続体(スペクトラム)として論じ,現在でも,その概念は広く用いられている(Kernberg, 1976 ; Clarkin et al. 2006)。(中略)

「境界水準」は,境界性パーソナリティ構造(Borderline Personality Organization : BPO)」として提唱されたが,BPO を有する人の特徴は,第一に自我の脆弱性にあり,それは不安耐性の低さ,衝動制御の悪さ,昇華経路の欠如などで示される。第二の特徴は,スプリッティングや投影同一化に代表される原始的心的防衛機制が優勢であることである。ちなみに,米国精神医学会による診断基準(通称 DSM)に採用された境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder; BPD)は BPO 水準の病理の表現型として理解できる。
なお,これらの水準は,環境の影響を考慮にいれてアセスメントする必要がある。たとえば,普段は神経症水準で機能できていた人が外傷的な状況におかれた時,境界水準の機能で反応するということが起こりうる。(後略)

注:i) 引用中の「Kernberg, 1976」は次の本です。 「Kernberg O (1976) Object relations theory and clinical psychoanalysis. Jason Aronson.(前田重治監訳(1983)対象関係論とその臨床.岩崎学術出版社)」 ii) 引用中の「Clarkin et al. 2006」は次の本です。 「Clarkin JF, Yeomans FE & Kernburg OF (2006) Psychotherapy for borderline personarity : Focusing on object relations. American Psychiatric Publishing.」 iii) 引用中の「Kernberg」や「パーソナリティの水準」に関連する「Kernbergの人格構造論」については次の資料を参照して下さい。 『心理療法における実践的「見立て」について』の「Table 1 Kernbergの人格構造論」(P23) iv) 引用中の「防衛機制」については次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「スプリッティング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害の診断基準と実際の診断」の「②理想化とこき下ろし」項 vi) 引用中の「投影同一化」に相当する「投影同一視」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

本来の BPD とはどのような様態なのか(中略)

BPD は人との関係性を舞台にした様態である.通常の診断学は,症状を対象として取り出し,記述するものであり,こうした関係性のなかで現れる様態を機敏にとらえるには難がある.気分や行動の記述が主体となり,関係性についてはおろそかになりがちである.
また,通常の診療は,診る側(治療者)と診られる側(患者)という役割が設定されているが,関係性を舞台とする BPD は,こうした構造を踏み越えていく.診る側からすれば,これは日頃なじんでいる治療の枠組みの侵犯であり,足元が揺すぶられ,面喰わされることになる.(後略)

注:i) 引用中の「BPD」は、境界性パーソナリティ障害のことです。 ii) ちなみに、引用中の「BPD は人との関係性を舞台にした様態」に関連して、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」(2016年発行)によると、本のタイトルの通り、境界性パーソナリティ障害は「絆の病」です。

うまくいかないときこそ真価が問われる(中略)

本当に大事なことは、失敗しないということではなく、失敗したとき、それに冷静に対処し、そこから学ぶということである。
境界性パーソナリティ障害の認知には、失敗/成功という両極の結果しかなく、失敗というものを許せないという特徴があるが、そこから脱して、失敗することによってこそ、人間は成長するものだという認識を育てていくことが大事である。(後略)

マインドフルネスの効果(中略)

岡田 境界性の状態のときには、自分が疲れているとか、風邪を引いて具合が悪いとか、眠いとか、そういうことがそのまま「自分は不幸だ」とか、「自分なんかダメだ」みたいな気持ちになってしまうんですね。そういう勘違いしちゃう部分……、なかったですか?
咲 あります、あります(笑)。私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです。かつては、「死にたい」って思ったことを「あ、死にたいんだ」「死のう」ってそのまま(笑)。でも、実はたいてい、ただ疲れていただけなんですよね。最近、それに気づいて、あ、この「死にたい」って、また「死にたい病」が出てるだけだ。きっと疲れてるんだなって、休んだりとか。
岡田 うん、そうですね。そういうふうに自分の感覚をそのまま受け入れられるようになる。「ああ、疲れてるんだなあ」とか、そういうことも悪いことじゃなくで、そのまま受け止めて、「疲れてるから何もかもいやになってるんだなあ、それで死にたくなってるんだ」っていうふうに受け入れられると、あんまりそれ以上、悪循環を起こさなくなりますね。(後略)

注:この引用に関連するかもしれない「生理的症状と心理的症状の相互混乱」はリンク集を参照して下さい。

一方、躁的防衛についてのさならる説明として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「躁的防衛のよい面、悪い面」における記述の一部(P52~P54)を次に引用します。

躁的防衛のよい面、悪い面

クラインは、躁的防衛は三つの感情によって特徴づけられると述べています。その三つとは、「支配感」「征服感」「軽蔑」です。
つまり、相手より自分が優位に立っていると思ったり、実際にそう振る舞うことで、傷ついたり、失敗を認めて落胆したり、失われたものへの悲しみにとらわれることから自分を守ろうとするわけです。
躁的防衛は、生きていく上である程度必要なものです。しかし、それが病的な形で行き過ぎたものとして出てくると、さまざまな問題を引き起こすことになります。自分を振り返る目を持てなくなり、強気になり過ぎて暴走してしまうのです。
しかし、ストレスの多い現代社会で生き抜いていくためには、人々は多かれ少なかれ、無理な躁的防衛を強いられます。「がんばれ」「ファイト」といった掛け声は、ある意味、「躁的防衛しろ」と呼びかけているわけです。居酒屋やカラオケで騒いたり、イベントで盛り上がったりするのも、「躁的防衛」の一つの形だと言えます。
「暗い」ということにはマイナスの価値しか認めず、誰もが明るく振る舞うことを求められます。人と接するときは暗い話題は避け、冗談やギャグを飛ばそうとします。明るくて元気で楽しいことがよいことだとされます。そうした風潮のなかで、誰もが知らず知らず「躁的防衛」することを求められるのです。
ところが、うつになりやすい人というのは、とても明るくサービス精神が旺盛なことが多いのです。みんなのムードメーカーのような元気な人が、かえって危ないのです。そういうタイプの人は、他人を楽しませ、明るく振る舞う自分以外の自分を表に出すことができないため、いつの間にか自分の苦しい部分は我慢し、手当てせずに放置しているということになりがちです。
人のためばかりを考えて尽くすうちに、自分のことはあと回しになっているという状況です。つまり、つらい部分は見ずに、躁的防衛をする習慣ができているとも言えます。
しかし、躁的防衛にも限界があります。どうにもならない現実の壁にぶつかったとき、躁的防衛をすることが当たり前になっている人は、たとえは悪いのですが、退くことを知らない軍隊のようなもので、負け戦になったときに手痛いダメージを受けてしまいやすいのです。それが「うつ」という形で出てきやすいと言えます。
パーソナリティ障害の人では、抑うつポジションと躁的防衛が、めまぐるしく入れ替わるような場合もあります。落ち込みを避けようとして明るく振る舞おうと、過激な刺激やスリルを求めたり、恋や成功の夢を追いかけるのですが、夢に酔っている間は元気なのですが、それからふと醒めた瞬間に、深い落ち込みや虚無感にとらわれ絶望してしまうのです。「絶好調」と「絶望」が入れ替わることもよくあります。
パーソナリティ障害の人には気分の波が見られることが多いのですが、それを増幅させているのは、「抑うつポジション」と「躁的防衛」の不安定な均衡だと言えます。(後略)

注:(i) 引用中の「躁的防衛」に対し「精神分析概念としてはこの用語を内因性、心因性の区別なく用いる傾向にある」ことについては次の資料を参照して下さい。 「双極スペクトラムの精神病理,治療関係,鑑別診断」の「4. Angstの双極スペクトラム――Kretschmerの気質論との類似性と,神経症,パーソナリティ障害性の気分障害概念の欠如――」項 (ii) 引用中の「つらい部分は見ずに、躁的防衛をする」に関連する『躁的防衛の根底にあるのは「否認」である』ことについて、 a) 内海健著の本、『気分障害のハード・コア 「うつ」と「マニー」のゆくえ』(2020年発行)の Ⅰ うつ病の臨床――さりげない営みの舞台裏 の 3 精神病理からみたうつ病の治療構造論――ことさらに精神療法をしないために の 2 対象喪失の精神病理 の 「(3)体内化(incorporation)のメカニズム」における記述の一部(P72)を次に引用します。 【クラインの躁的防衛(Klein, 1935)は、彼女の天才的発見の一つであるが、その根底にあるのは否認である。自分の弱さ、依頼心、不安、そして抑うつ、あるいは他者の存在や価値に対して、これほど否認が徹底されている病態もない。】(注:1] 引用中の「Klein, 1935」は次の論文を参照して下さい。 「A contribution to the psychogenesis of manic-depressive states.」 また、全文はここを参照して下さい。 2] 引用中の「クライン」の「躁的防衛」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)」の「3. 躁的防衛」項) b) 「躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる」ことや「否認は臨床場面に大きな困難をもたらす」こと、そして引用中の「抑うつポジション」を含めて、内海健著の本、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」(2013年発行)の 第四章 治療の指針 の「軽躁への対応――チームワークの大切さ」における記述の一部(P109~P110)を以下に引用します。 (iii) 引用中の「気分の波」について、特に境界性パーソナリテイ障害又は境界例においては、他の拙エントリのここここここここ及びここを参照して下さい。

(前略)もちろん軽躁よりも躁の方が、病理が深く破壊的である。すぐさま医学的管理のもとに置かなければ、本人および周囲に甚大な損失を与えることになる。修羅場のようになることもあるだろう。だが、軽躁には躁とは異なる固有のむずかしさがある。是非もなく医学的管理をという流れにはなりにくいがゆえに、対応する者は生身で躁的な病理にさらされることになる。
この軽躁の病理を理解するのに、メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)の「躁的防衛」(manic defence)という概念が補助線として役立つ。これは乳幼児の精神分析から見出されたものである。
乳児は、離乳とともに母から分離すると、「抑うつポジション」という様態にいたる。これは、分離の傷によって母を傷つけたのではないか、良い対象(乳房)を破壊してしまったのではないかという不安によって特徴づけられる。この「抑うつポジション」の痛みが耐えがたい時に発動されるのが躁的防衛である。対象の喪失は否認され、「支配」、「征服」、「軽蔑」が前面に出る。
乳幼児と成人、精神分析と一般臨床という文脈の違いはあるが、躁的防衛は軽躁の精神病理によく当てはまる。その根幹をなす機制が「否認」である。否認が向けられるのは、自分の弱さ、他人の権威、そして罪悪感といったものが代表的である。
否認は臨床場面に大きな困難をもたらす。まずは内面の否認である。軽躁的なときにも、抑うつの影はどこかに忍び寄っているものであり、病者を脅かしている。彼ら彼女らが行動的なのは、「現実への逃避」であるともいわれる。それによって、必要最小限の病識も得るのもむずかしくなる。問題点を少し指摘するだけでも、激しい抵抗、さらには攻撃にみまわれることが予見される。実際、躁および軽躁は、最も病識をもちにくい病態である。
次に問題となるのは、権威の否認である。医療者は、実際のたたずまいがどうであれ、否が応でも権威的なものに祭り上げられる。そして攻撃の標的となる。呑んでかかられたり、喰ってかかられたりする。これもはなはだやっかいなことになりうる。(後略)

注:引用中の「躁的防衛」に関連する「あえていうなら,ADHDは躁的防衛に親和性をもつ」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

〔e〕擬態うつ病としての境界性パーソナリティ障害
先ず、林公一著の本、「擬態うつ病新型うつ病 実例からみる対応法」(2011年発行)の「五章 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P108~P111)を次に引用します。

Case 12 うつ病の彼女の強い嫉妬と依存
僕の彼女は二十二歳、うつ病です。性格は普段はとても優しく、頭もとてもいいのですが、まだうつ病がよくなっていないのか、感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。後になると何事もなかったかのようにしているのですが、その時はとても不安なようで、昼夜かまわず電話をかけてきて、今すぐ来てほしいと要求し、断るとこの世の終わりのように大騒ぎし、次々にまた別の友たちに電話をかけるようです。メールでも同じようなことをします。また、興奮したり不安になったりするとリストカットをするので、手首から肘のあたりにかけて傷あとがたくさんあります。
先日もこんなことがありました。僕は彼女の家に遊びに行っていたのですが、昼からはバイトがあるため準備を始めたところ、彼女は「行かないで、一緒にいて」と言い、興奮して家のタオルをハサミでみんな切ってしまい「私がこんなことしても行くの?」と迫るのです。しかしバイトを急に休むわけにもいかないのでそのように言ったところ、彼女は鬼のような表情になり、そのハサミを自分の手首に近づけました。今にも切りそうだったので僕はそのハサミを取り上げて、振り切って走って出かけました。が、彼女は僕を追ってきて、駅で僕に追いつき、無理やりという感じで一緒に電車に乗りました。僕は一つ前の駅で降りて、ここから電車に乗って帰れ、と言ったのですが、「バイトに行かないで」とその場を離れません。僕としてはもう遅刻しそうだったので振り切って行きました。五時間のバイトが終わって帰ろうとすると、駅には僕を待っている彼女の姿がありました。聞けば、待っている問、家から持ってきたアイスピックで手を傷つけていたとのこと、確かにたくさん新しい傷がありました。病院に行くように言ったのですが嫌だと言うので、薬局で消毒薬や包帯を買い、家に送り届けました。
会いたいと言われるのはうれしい面もあるのですが、あまり依存させるのもどうかと思い、昨日はこんな対応をしました。彼女のバイトが夜の八時に終わり、早く会いたいという電話があったのですが、僕は、予定があるので後で連絡すると言ったのです。でも、彼女は電話しながらもう僕の家に向かっていると言うので、僕は、「今日は忙しいからもうケータイの電源を切るよ」と言って、切りました。その後、妹さんに聞いたところによると、泣きじゃくり家に電話してきて「もう死ぬ、もう死ぬ」と繰り返していたそうです。また、僕の弟や友たちに電話をしまくっていたそうです。後で見ると、僕のケータイにも不在着信やメールが数十件も入っていました。
彼女のうつ病は、高校生の頃から兆しがあったようで、彼女の妹の話では、当時から感情の波がすごく激しかったとのことです。でもそれが、僕とつき合うようになってからエスカレートしてきたようです。僕がいないと極端な不安に陥る、それがこうした言動に現れているようです。感情の変化が激しいのは、人の評価についてもそうで、尊敬していた人の評価がちょっとしたことでコロッと変わり、全く逆になります。わがままや嫉妬などは誰にでもあるし、束縛がかなり激しい人もたくさんいると思います。でも彼女はそれがあまりに強いのです。うつ病がよくなっていないのでしょうか。それとも僕の対応が悪いのでしょうが。

Case 12 解説 境界性パーソナリティ障害とは
僕の彼女はうつ病。彼氏はそう言っていますが、これはうつ病ではありません。「境界性パーソナリティ障害」が正しい診断名です。でもうつ病と称している。したがって、擬態うつ病です。
境界性パーソナリティ障害境界性人格障害ともいいます)は、特に都市部では、擬態うつ病の中の比較的多くを占めています。ごくごくおおざっぱにいえば、境界性パーソナリティ障害のキーワードは、「若い女性、感情不安定、リストカット」です。このような特徴がそろったケースで第一に考えられる病名は、うつ病ではなく、境界性パーソナリティ障害です。パーソナリティ障害とは、性格の偏りです。脳の病気であるうつ病とは違います。ですからよく見れば症状はうつ病とはかなり違いますし、治療法も違います。(中略)

若い女性、感情不安定、リストカット」だけでは、いかにもおおざっぱすぎますので、もう少し具体的に描写しますと、「いつも人から見捨てられるのではないかという不安があり、ちょっとしたことでその不安が現実化するという思いにとらわれてしまい、感情が不安定になり、自殺のそぶりをしたりキレたりすることで見捨てられることから脱しようとする。自分がそれまでどんなに信頼していた人でも、自分を見捨てるのではないかと思った瞬間に、一気に価値が下がって罵倒の対象となる」というようなパターンの言動を繰り返すのか典型的な境界性パーソナリティ障害であるといえます。そして周囲からは見えにくいのですが、本人の中では、空虚感などに絶えず悩んでいることがしばしばあるのです。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。 ii) 引用中の「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、相手が家族だろうと友だちだろうとかまわず、攻撃的になります。」に関連して、本、同章における記述の一部(P116)を次に引用します。

⑧キレる(不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難)
境界性パーソナリティ障害の不安定な感情は、しばしば怒りの爆発という形をとります。それは家族など身近な人に向けられることもあれば、いわゆるクレーマーに似た形で、執拗なクレームという形をとることもあります。ケース12でも「感情は不安定で、ひとたび怒るとヒステリックになって、攻撃的になります」が目立っています。

さらに、同本の「五章 境界性パーソナリティ障害」における他の記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

Case 14 うつ病だと言って二十年もやりたい放題の生活をしてきた妹
現在四十歳の妹は二十代の頃から自分で精神科に通い、うつ病と診断され、当初は両親も兄弟もそれを信じ、うつ病の治療をすればよくなるものだと思い、だらだらしていても特に何も言わずに見守っていました。そのうちに大学も休学し家でゴロゴロと過ごし、かと思いきや「今は躁だから」と言って好きなインターネットで自分のHPまで作って夢中になることができ、好きな歌手のコンサートなどはいつも楽しそうに出かけて、さすがに両親も口を出すようになりました。その後、多額の借金問題や大学の先生にストーカー行為をしたり(本人はストーカーとは全く思っていません)、出会い系サイトで痛い目に何度も遭い、借金も両親に片づけさせて、謝りはするものの、翌日にはテレビを見て高笑いしていたりで、両親も呆れて就職などを勧めたりしましたが、「もっとうつ病を理解して」とか「プレッシャーになることは言わないで」と訴え始めました。時にはキレて物に当たり壁に穴をあけたり食器を割ったり、刃物を振り回したり……そのたびに私は両親に「甘やかしているからだ。腫れ物に触るような態度はやめて、言うことは言わなきゃ」と言ってきましたが、両親は妹に言われてうつ病の本を読み、「病気なんだからそっとしておいてやるのかいい」「心の風邪なんだから、いつかは治る」「薬を飲んで、ストレスを与えないようによく休むことだ」などと言い続けてきました。両親が本当にそう思っていたのか、単に事なかれ主義で人に強く言えないタイプなだけなのかはわかりません。
妹はそうやって(私から見れば)甘やかされている間に借金や狂言自殺を繰り返し、他にもいろいろ勝手なことばかりしているうちに気がつけば二十年近くの歳月がたってしまいました。病院は何回も替わっています。大体が先生と喧嘩別れのような形です。「医者のくせに、うつ病の患者にひどいことを言った」などと妹は言うのですが、真偽の程はわかりません。今のクリニックは比較的長く、四年くらいになります。診察時間はとても短く、妹の望む薬をすぐに出してくれる先生のようで、妹は気に入っているようです。
ここ五年くらい、妹はますますひどい状態になっています。イライラするからといってだんだん増えてきた薬が今では大量になり、目がうつろで、ろれつは回らず口は半開きのことも多いです。でも相変わらずそんな状態のままコンサートへ出かけたり、車を乱暴に運転したりするので、他人に迷惑をかけないか心配です。妹は、両親、特に父にとても依存しており、見捨てられることを恐れています。父のことを尊敬しているようなのですが、ちょっとしたことで父に暴言を吐いたり、ハサミを投げて怪我をさせたこともあります。その後はすぐに謝ってケロッとしているのですが。自殺未遂(私には狂言自殺にしか見えません)も繰り返しています。今から自殺すると宣言をしてから薬を大量に飲んだり、わざわざ目の前に来てからコードを首に巻きつけたり……。金の浪費、過食、異性への執着もあります。感情は不安定です。自分ではうつ病だといつも言っています。普段はおとなしいのですが、突然些細なことで怒ります。このままでは自分たちがノイローゼになりそうだと両親は言っています。

Case 14 解説 放置された擬態うつ病の末路
現在四十歳。二十代からうつ病で通院中。もちろんうつ病ではなく、擬態うつ病です。このケースをご紹介したのは、擬態うつ病を放置し続けた時の末路を見ていただくためです。この本人とご家族が、悲惨な状態になってしまっていることは、誰の目にも明らかです。
ケース14は、境界性パーソナリティ障害です。この女性に、見捨てられ不安、気分不安定、自殺リピーター、キレる、などの特徴が見られていることは指摘するまでもないでしょう。境界性パーソナリティ障害の人に対しては、「薬と休養」という、うつ病への対応は誤りです。ですが、本人がうつ病であると言い張っていることもあって、この人には長年その誤った対応が続けられてきました。これがその末路です。(後略)

注:i) 引用中の「擬態うつ病」とは、同本のまえがき(P9)によると、「うつ病ではないのに、うつ病とされているもの。うつ病と称しているもの。」です。ちなみに、「【3647】うつ病の姉の言動を見ていると、うつ病とは自分に都合のよい病気だと思ってしまいます」(注:ホームページはここ)も参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「見捨てられ不安」に関しては、例えばここ、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) ちなみに、自閉スペクトラム症アスペルガー障害)の患者様が未療育のまま40代になったものの、依然困っている例は他の拙エントリのここに、無治療の統合失調症の患者様が依然困っている例はここにそれぞれ示します。

〔f〕リストカットの臨床からの治療者の位置どり
井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の 第9章 リストカットの臨床 の「治療者の位置どり」項における記述(P169~P172)を次に引用します。

治療者の位置どり
自傷行為の告白の際、彼らは、治療者に対して従順になっている。ここに、治療者理想化の危険がはらまれる。治療者は、ここで主題を、現実的な問題に転換させる。これによって、治療者理想化の危機をかわし、治療関係を軌道修正することができる。治療者は、患者を幻想の世界にいざなうべきではなく、現実の混沌へこそ向かわせるべきである。ここで治療者は、目線を彼らと同じ高さに置いて、俗っぽい身の上相談をすら引き受ける姿勢が求められる。
「人生相談など医者の仕事ではない」との意見もあるが、境界例の臨床においては、治療者の過度の神々しさを避けるためには、存外必要なことのように思える。治療者理想化のパターンにはいくつかある。
「けっして私を見棄てないでね、約束して」、こういう中学生の覚えたての恋愛のような要求にまともに応じる必要はない。「そんなことより、明日から学校に行きなさい」と言えばいい。
「この世は生きるに値するか」のような形而上学的問題を投げかけてくる者がいるが、こういった抽象的な議論に惑わされると、現実を見失う。「アルバイトを続けながら考えようじゃないか」と言う。
自分は永遠に孤独で、人は誰も自分を本当には受け入れてくれないのではないかという、境界例の苦悩の根本問題には、誰も答えられない。しかし、それはイコール「人生は生きるに値しない」「生きることは無意味だ」ということではない。永遠の孤独をいくらかでも埋め合わせしてくれるものが、実生活にはある。われわれ大人は、孤独を克服したから生きているというわけではなく、日々の営みのなかに生きる意味を探し、愛したい、愛されたいという希望を、わずかでもかなえてくれる対象を、周囲の人間のなかに見いだしている。
自室でこもって、「人生は生きるに値するか」と考えてみても、何も見つからない。「自分探し」という言葉は、手垢のついた言葉となってしまったが、自分の姿は、他者との交わりを通して、他者という鏡のなかに映し出されるものである。長年にわたる可能性の実験を経て、徐々に自分の姿が見えてくる。一〇代はもちろん、二〇代でも難しいだろう。三〇代でも本当の自分が何かはわからないかもしれない。しかし、人間四〇代になると多少違ってくるかもしれない。とにもかくにも、彼らの生きていく現実に立脚するよう努めることである。
境界例の若者たちは、対人感情は理想化からこきおろしへ、愛から怒りへと動きがちで、人生に対する見方もともすれば、すべてか無かの悉無律に陥りがちである。治療者は、彼らに絶賛されることも、罵倒されることもありえるが、このような一〇〇点か○点かの極端な評価を真に受ける必要はない。われわれプロは、別段彼らに採点してくれなどと頼んだ覚えはない。彼らの治療者に対する攻撃は、しばしば、実際の生活上の何らかの破綻に端を発していて、誰かに鬱憤をぶちまけたくて、たまたま治療者が選ばれるにすぎない。委細構わず徹底して具体的な目標を語っていくことである。学業を最後まで終えること、仕事に就くこと、貯金することなど、明確な目標をともに考える。現実的なライフ・プランについて話し合うことで、理想化からこきおろしへといった、彼らのしかける不毛の振り子運動を免れることができる。
両親に対する感情、幼少期に受けた心的外傷、悲惨な結果に終わった過去の恋愛、そういったことを診察室で話題にすることが無意味だとは思わない。しかし、過去を振り返るだけでは、けっして未来は見えてこない。将来のための建設的な生活設計をこそ考えてやるべきなのである。
市橋は、青年期の臨床において、「手ごたえのある大人」の存在を強調する。その場合、「手ごたえのある大人」とは、人生に疲れ、生活に追われ、夢もロマンも失って、すっかり打ちひしがれたオッサン、オバサンのことを指すわけではないだろう。むしろ、若者たちに人生の夢、ロマン、理想を説いてやるような、熱い存在こそ「手ごたえのある大人」である。今日、若者が「未熟」なのは、「成熟」したはずの大人が格好よくないからで、これなら「大人にだけはなりたくない」と思って当然である。世間という名の濁流のなかで、もみくちゃにされても、依然として眼光鋭く、遠いところを見つめている「格好いい大人」をこそ彼らは求めている。
われわれは、彼らを、まずもって彼らが本来あるべきアンビシャスな若者に戻してやる必要がある。彼ら一人ひとりは能力も違えば、置かれている境遇も違うが、彼らの個性に応じて、しかし、できるだけ大きな目標を抱かせる。そして、そこまでのステップを順を追って、一緒に考えてやる。彼らに夢を語らせる。まずは、実現可能性を等閑視して、青臭くてもいいから彼らなりの大きな野心を語らせる。そして、その野心を形にするための段階的な方法を考えてやる。彼らに無用の挫折感を味わわせないためにも、そこでは、本人の能力や適性を考慮して、実現可能なものとそうでないものとを慎重に区別する。こうして、日々の臨床は、彼、彼女の中長期計画を協力して描いては書き直し、進捗状況を報告させては、計画を下方ないし上方修正し、といったことの繰り返しとなる。
人生という未完のプロジェクトに向かって突き進んでいる者には、人間関係の小さな挫折は、乗り越えることができる。そうして、苦境を克服した体験を通して、さらに自信をつけてくる。手首を切るよりも、はるかにロマンのあることがこの世にはあって、自分がそれに向かって一歩ずつ進んでいるのだという実感があれば、もはや手首など切らない。その一歩一歩は、たとえ当初の目標に到達できなかったとしても、それによって人生の長旅に必要な意志の力を鍛えることになる。
治療者は、彼らの長旅の第一段階に小さなアドバイスをするコーチにすぎない。しかし、不安げに人生のマラソンを走り始めた彼らにとって、伴走車から椴を飛ばすコーチの存在くらい心強いものはない。

注:i) 引用中の文献番号表示を省略しています。 ii) 引用中の「理想化からこきおろしへ」に関しては、〔b〕項の引用における「アラジンの魔法のランプ願望」及び次のエントリやWEBページを参照して下さい。「パーソナリティ障害の治療・対応について」、「境界性人格障害」の「感情の不安定さが特徴です」項、「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 加えて、上記「理想化からこきおろしへ」に関連するかもしれない「後医は名医の罠」については次のエントリを参照して下さい。 「イキリ研修医と後医は名医の話」の「後医は名医の罠」項 その上に、上記「理想化からこきおろしへ」に類似するかもしれない「原始的理想化と脱価値化」について、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第4章 防衛・防衛機制について の 4 原始的防衛機制について の「(7) 事例31 一八歳、女子高校生(原始的理想化と脱価値化)」における記述の一部(P245~P247)を以下に引用します。 iii) 一方、引用中の「理想化からこきおろしへ」とは逆の「こきおろしから理想化へ」の例として、松本卓也著の本、「症例でわかる精神病理学」(2018年発行)の 第2章 統合失調症 の 2.5 統合失調症の力動精神医学 の「2.5.4 妄想分裂ポジションと抑うつポジション」項における記述の一部(P93)を次に引用(『 』内)します。 『DSM-5において境界性パーソナリテイ障害 borderline personality disorder と呼ばれる人々は(境界性パーソナリティ構造を持っている場合),100%良い対象と100%悪い対象がはっきりと分裂している世界を生きています。つまり,あるときには自分の恋人のことを「自分を完璧に理解してくれる理想的な人だ」と思っているのに,ひとたび嫌なところがみえはじめると急に態度を変えて「自分のことを何も理解してくれない最悪の人だ」と思えてくる,そういう対象関係しか結べない状態なのです。私も,その状態の患者さんに,「お前なんか最悪の医者だ,早く死んでしまえ」と言われた3分後に「先生と話していると落ちつく。なんていい先生なのかしら」と言われたことがあります。』(注:拙訳はありませんが引用中の「境界性パーソナリティ構造」[borderline personality organization]については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「The Three Levels of Personality Organization」の「The borderline level」項) iv) これら以外にも、上記「理想化からこきおろしへ」に対し「賢明な治療者は慎重に伏線を張る」ことについて、井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第4章 《治療者であるということ》 精神科診察における説明とその根拠 ――パーソナリティ障害の説明―― の「8 理想化からこきおろしへ」における記述(P62)を以下に引用します。

[原始的理想化と脱価値化]
「次は、投影同一視の一つの種類ですが、理想化と価値下げです。それはセットになって作動しますが、理想化はある対象の質と価値が完全であると思い込んでしまう心的機制です。原始的というのは、全く現実を無視した万能感的期待という意味合いを含んでいます。脱価値化は価値下げとも言われますが、理想化とは逆に対象や自分を全く駄目で価値の無いものと見做してしまうことです。両者はころころ入れ替わりますが、うまくいけば、現実の中で程々の理想化と価値下げを獲得し、公正に正しく現実を見ることができます。

[事例]
事例は高校三年の女子で、不登校が長く続いている境界性パーソナリティ障害の患者です。彼女は抑うつ、不眠、イライラ、パニック発作リストカット、大量服薬に加え家庭内暴力、器物損壊なども加わる典型的な境界性パーソナリティ障害の患者でした。
今まで何人かの精神科医やカウンセラーにかかりましたが、いずれもうまく行かず喧嘩別れしています。その彼女があるカウンセラーの紹介で私(治療者)の元にやってきました。事情を聞くと、上記の症状と今までのつらかったこと、自分なりの外傷体験、不満の多い生活史を語りました。話がなかなか切れないので困っていましたが、一瞬の隙を捉えて《それで、このクリニックに望むことはどういうことですか》と聞くと、怒ったように『これだけ聞いたらわかるでしょう』と言って、その質問に答えず自分の苦しさ、つらさをまとまりのないまま話し続けます。
ただ、治療者がしつこく求めるものを聞いたので、やっと『それは治して欲しいんです』とだけ言います。治療者が治癒の中身を聞くと、少しの沈黙の後『この苦しさが楽になり少しでも幸せになりたい』と言います。そこで楽や幸せの内容を聞くと、はっきりしません。それで、治療目標を《幸せや楽が増え、苦しさの減少》とすることで一致しましたが、苦しさを治療者が取るのではなく本人が引き受けること、という点に関してはすごく怒りだし『ここが最後の砦だと聞いていたのに、そんなことを押し付けるあなた(治療者)は最低です』と言って出て行こうとしました。これは原始的理想化・万能感的期待(治療者が苦しさを全部取ってくれ楽にしてくる)を向けていたのにそれが裏切られ、一挙に脱価値化して最低の治療者と見做して出て行こうとしたのです。
慌てた母親は必死になって止めましたが、治療者はそのままにしておきました。そうすると一週間経ってやってきました。話を聞きますと、『あれから先生(治療者)の本(『境界例の治療ポイント』)を読んだら確かに、苦しさは自分で引き受ける、ということがわかった。もう一度治療してほしい』とのことなので、何回かの予備面接の後、細かく治療契約を結び面接治療を開始しました。ただ、万能感的期待はかなり強く、自分の思い通りに行かない時は怒りや暴言を向けてきたり、キャンセル、遅刻も多く、また自傷行為も何回か見られました。
治療者の方は何度もその時の気持ちを表現させ、行為を起こす前に予測する練習をし、人間や物事を見るとき詳しく見るようにさせ、行動を決定するのは自分であること、行為化の責任も自分にあることを認めさせる作業をし、要するに苦を引き受けるのは自分であるということを繰り返し自覚させました。(後略)

注:i) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の『境界例の治療ポイント』における引用例はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「投影同一視」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

8 理想化からこきおろしへ

治療者との信頼関係は、境界性パーソナリティ障害の場合、理想化からこきおろしへと簡単に転じうる。治療者が真に信頼するに値すると思うや、彼らは異常な高揚感とともに一気に帰依しようとする。しかし、治療者は、すべてをかけて帰依すべき絶対者ではない、単なる精神科臨床の技術者である。治療者の実像が見えてくると、今度は失望とともに激しい嫌悪感を向けてくる。
こういう対治療者感情の動揺は当初から予想されるので、賢明な治療者は慎重に伏線を張る。
「医者の私にできることなどたかが知れています。私などを信じるより、まずはあなた自身の可能性を信じることです。あなたのなかには、まだ多くの可能性が眠っている。それを目覚めさせること。自分以外の他者との出会いは、そういう眠った可能性を目覚めさせるきっかけにすぎません。私の仕事は、そのお手伝いをすることくらいです。」
対人感情の動揺するパターンは、患者の成長とともに次第に落ち着いていく。それは、同じ軌道を往復する振り子運動ではない。同一の軌道は二度とたどらない。理想化からこきおろしへの巨大な変動も、上下動を繰り返しながら次第に振幅を下げ、やがては成熟した対人感情へと変わっていく。理想化の感情も、こきおろしの感情も、若くナイーブな患者にとって一度は経過しなければならない情念の嵐である。しかし、激しい時期を通過して、それでも依然として治療者の姿が変わらないことを確認するとき、患者はもはやかつてと同一の悉無律に陥ることはなくなる。

〔g〕パーソナリテイ障害
ここでは、パーソナリティ障害についての一般的な説明及び治療優先度について以下に示します。加えて、パーソナリテイ障害については次のWEBページがあります。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 、『林直樹先生に「パーソナリティ障害」を訊く』、「パーソナリティ障害(人格障害)

(1) パーソナリティ障害についての説明
最初に、標記の一般的な説明例として、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の「パーソナリティ障害の基本症状」及び「パーソナリティ障害を理解するための理論」における記述の一部(P32~P75)を次に引用します。

パーソナリティ障害の基本症状

①両極端で二分法的な認知

パーソナリティ障害に共通して見られる基本症状の一つは、両極端で二分法的な認知に陥りやすいということです。全か無か、自か黒か、パーフェクトか大失敗か、敵か味方かという、中間のない二項対立に陥ってしまうのです。
そのため超ハッピーな状態も、些細な不満からサイアクな気分にひとっ飛びで変わってしまいます。一分前までアツアツのラブラブだった恋人と、切った張ったの大喧嘩になり、死ぬの生きるのという大事になることも珍しくありません。
全体で見れば、すぼらしくうまくいっていても、たった一つでも思い通りにならないことがあると、すべてが台無しになったように感じてしまうのです。それならば最初からやらなかったほうがましだと思ってしまうのです。
ある女性は、自分の理想とする体重を上回ってしまったことを悔やみ続け、服も合わないし、誰も愛してくれないし、何をしても無駄だと言います。そして、何もしないで一日中ゴロゴロしてしまうと言うのです。理想的な自分というパーフェクトな存在が手に入らないと、もうすべてがどうでもよくなってしまう。現実的な、ほどよい努力をしようという方向には向かわないのです。
ある生真面目な中年のサラリーマンは、息子さんのことをとても自慢に思っていました。ところが、その息子が不倫した末に離婚すると言い出したとき、嫁に申しわけないという気持ちを強く抱き、大雑把なところのある息子を急に毛嫌いするようになります。さらには、息子をかばう妻や、妻の大雑把な性格さえ許せなくなります。顔を見るのもいやだと、つかみ合いの喧嘩を繰り返したあげく、ついに息子だけでなく妻とも絶縁してしまったのです。
とても可愛がっていた者をちょっと気にいらないことや、思い通りにならないことがあっただけで強く憎むようになったり、手にかけて殺してしまうという悲劇も少なくありません。そうした背景にも、こうした二分法的で両極端な認知の傾向が関係していることが多いのです。

②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい

パーソナリティ障害の人に見られる二番目の認知の特徴は、自分と他者(対象)との関係に関するものです。
パーソナリティ障害の人では自分と他者との境目があいまいで、十分に区別できていないところがあります。そのため自分の視点と他者の視点というものを混同しやすいのです。自分がいいと思うことは、相手もいいと思うはずだと思い込んでいます。
自分の感じ方と相手の感じ方はそれぞれ別物だということが、頭ではわかっていても実際の場面ではゴチャゴチヤになってしまいやすいのです。
その結果、自分の視点でしか物事が見えず、自分の考えや自分の期待を周囲に押しつけてしまったり、自分の問題を周囲のせいにしたり、周囲の問題にすり替えてしまったりということが起こりやすくなります。つまり、パーソナリティ障害の人は客観的に自分を振り返り、周囲の人の立場になって考えるということができにくいのです。
ある若者は、母親が音楽のボリュームを小さくしてほしいと言ったことに腹を立て、母親に回し蹴りを食らわし、肋骨を折ってしまいました。母親はその日、体調が悪く頭痛がしていたので、そう頼んだのですが、息子のほうは「自分の邪魔をされた」としか受け取っていないのです。
そして、「母はいつも邪魔ばかりしてきた。キンキン声を聞かされてきた」「自分も蹴って、足が痛かった。それも母親がよけいなことを言うからだ」と、反省するどころか母親を非難するのです。
そこには母親を自分の延長のように感じている「錯覚」があります。思い通りになるはずの自分の一部だと見なすために、思いに反することをされたときに、暴力をふるっても悪くないという考えになってしまうのです。
ある女性は、精神的に不安定になると夜中であっても年老いた母親に電話をし、「自分がこんな状態で苦しんでいるのは、あんたのせいだ」、「あんたは姉ばかり可愛がってどういうつもりだったのだ」と、何時間も非難し続けるのです。母親が少しでも邪険にすると、手首を切ったり、首を吊ろうとするので、母親はただ聞いているほかないという状態でした。
そこにも母親を自分の延長のように見なし、自分の欲求を満たすことが当たり前だ36と考えている幼い認識があります。自分と他者の区別がしっかりしていないため、自分の問題をすぐ相手に持ち込んでしまい、それを解決してくれることを当てにしてしまうのです。
あるワンマン経営者は、何かうまくいかないことがあると社員を呼びつけます。そして、じくじくと非難を始めます。非難の不当さに社員が一言でも逆らったりすれば、大声で怒鳴り出し、相手のすべてを否定せんばかりに非難し続けます。
それまでどんなに貢献していても、そのことは頭から吹き飛んでしまい、自分に逆らったことを決して許そうとしないのです。自分の機嫌や体調の悪さを周囲の問題にすり替えてしまうということさえ起こります。
「誰も彼も、ひどい人たちばかりです。面倒事ばかり押しっけてきて」と周囲を非難する女性は、自分がただ疲れが溜まってイライラしているだけだということになかなか気づかないのです。また、子どもを必要以上に厳しく叱る親は、自分の欲求不満を子どもを支配することで満たしていることに気づかないのです。

パーソナリティ障害の人は、自分を絶対視してしまいやすいと言えます。それ以外の考えは受け入れられないのです。そして、何かまずいことが起きると、それは自分に何か問題があったからだとは考えずに、周囲の者の手はずが悪いからだと考えがちなのです。

③心から人を信じたり、人に安心感が持てない

もう一つの基本症状は、他者に対する根本的な認知に関するものです。パーソナリティ障害の人は他者を心の底から信じたり、心から気を許すことができにくいということです。重いパーソナリティ障害の人はどこの傾向が顕著になります。
些細なことでも傷つきやすく、他者を不快なものや自分の邪魔をするものとして捉えがちです。あからさまに不信感を示す場合もありますが、上辺では親しく振る舞い、信じていると自分から口にする場合も、本当には信じることができないのです。
そのため相手を試そうとしたり、裏切られるのがいやで、自分から先に裏切ってしまうこともあります。
信じられる対象を求めて次々と親密になるのですが、失望を繰り返すということになりがちです。逆に誰も信じられないために、誰とも親しい関係になるのを避けようとすることもあります。
人に対して、何か気詰まりに感じたり、気楽に関係を楽しむことができないということもよく見られます。基本的安心感や信頼感はパーソナリティのもっとも根幹をなすものです。それは幼い頃の母親との関係によるところが大きく、そこで十分な安心感を味わわないと、人との絆というものが築きにくくなってしまいます。(中略)

④高過ぎるプライドと劣等感が同居

四番目の基本症状は、自分に対する認知に関するものです。パーソナリティ障害の人では、自己像(自分のイメージ)がとても理想的で完壁なものと、劣悪で無価値なものに分裂し、両者が同居しているということです。
つまり、一方で強い劣等感や自己否定感を抱え、もう一方で高過ぎるプライドや現実離れしたとも言える万能感を持っているのです。両者がアンバランスに併存しているわけです。
尊大とも言える高いプライドと、非常に劣等感の強い自己卑下的な一面の両方を抱えているという双極的構造は、パーソナリティ障害の人には広く認められるものです。また、過度に理想を追い求める一方で、現実の存在に対しては否定的な見方しかしないというアンバランスさも、よく認められます。
パーソナリティ障害の人は、一方で非常に理想的な自分を夢見ています。しかし、現実の自分に対して、自信一杯に振る舞っている場合でさえも、心の奥底では本当は自信がなく、強い劣等感を抱きながら、長い年月を過ごしてきたということが多いのです。
そうした自信のなさや自己否定感を補うために、パーソナリティ障害の人はさまざまな自己アピールの技を身につけたり、逆に自分だけの砦のなかで誇大な空想を膨らませたりして、どうにか心の平衡を保っています。
パーソナリティ障害の人が思いもしない破綻をきたしたり、急に不安定になりやすい大きな理由は、両者のギャップがとても大きく、危ういところでバランスを取っているので、余分な力が加わると均衡が崩れやすいことによります。
とてもプライドが高いために、通常なら冗談として聞き流せるようなことも、ひどい侮辱や攻撃と受け取りがちです。ついムキになって反撃したり、長く恨みに思うということにもなりやすいのです。思いもかけない過剰な反撃に至ることもあります。

⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

パーソナリティ障害の人に共通して見られるもう一つの特性は、認知の特徴というよりも認知の許容量に関するものです。パーソナリティ障害の人では、心という装置で受け止めることができる許容量がとても小さいのです。
それを超えてしまうと、もう心で処理することができなくなり、心のバランスが崩壊してしまうのです。その結果、暴発的な行動に走ったり、自分や相手を損なうような破れかぶれの行為に至りやすいのです。
その瞬間には理性の歯止めが働かなくなってしまいます。解離した状態になり、記憶が飛んでしまったり、別人のような行動を引き起こすこともあります。こうした状態も心の器が満杯になり、処理機能がオーバーフローを起こしたと考えると、理解しやすいと思います。
心の問題が行動の問題となってしまうことを「アクティング・アウト(行動化)」と言います。パーソナリティ障害の人では、ストレスが理性的な対処能力を超えてしまうと、アクティング・アウトを起こしやすいと言えます。
思い通りにいかない事態にぶつかっても、粘り強く解決法を模索することが大切なのですが、そうした試行錯誤するカが不足しているのです。

パーソナリティ障害を理解するための理論

幼さを抱えた心の構造

以上のパーソナリテイ障害に共通する特徴は、パーソナリテイ障害を理解し、適切に対処する上でとても大事です。もう一度、簡単に復習しましょう。
①両極端で単純化した認知に陥りやすい。
②自分と他者の区別があいまいで、自分と他人の問題を混同しやすい。
③心と恒常性のある信頼関係を保ちにくい。
④プライドと劣等感が同居している。
⑤暴発や行動化を起こしやすい。
これらの傾向を持つパーソナリティ障害の人の心の特徴は、もっと端的に言うと、少し語弊があるかもしれませんが、ある部分で「幼い」「子どもっぽい」と言えるでしょう。(中略)

「とらわれ」というワナ(中略)

その重要な共通項を一言で言えば、「とらわれ」という言葉で表現できるかもしれません。思考や感情のワナのようなものに陥って身動きが取れなくなっているのです。それはある意味「視野狭窄」と言えるかもしれません。狭い視点でしか物事を考えることができないわけです。
もう少し広い視野で考えれば違って見えることなのに、自分という視点や、ある偏った見方でしか見ることができないのです。柔軟性を失い、修正が利かないのも、この「とらわれ」ゆえです。
したがって、パーソナリティ障害を克服していく上で、とらわれから脱するということが重要になります。不安定な愛着がかかわっているケースでは、とらわれを生む根っこに、親からの否定的な評価や愛されなかったという思い、逆にかまわれ過ぎたものの、支配され、主体性を奪われてしまったというバランスの悪い状況がからんでいるものです。その点を自覚することが、無意識の支配を打ち破ることにつながるのです。(後略)

注:引用中の「行動化」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 ii) 引用中の「その重要な共通項」は、「パーソナリティ障害の重要な共通項」のようです。ちなみに、「パーソナリティ障害の重要な共通項」としての見出し(記述)について、林直樹監修の本、「ウルトラ図解 パーソナリティ障害」(2018年発行)の 第一章 パーソナリティ障害に基礎知識 ~正しい知識を持って障害に取り組む の「パーソナリティ障害の主な症状」(P32~P41)における見出しとしての記述の一部を次に列挙(それぞれ『 』内)します。 『全か、無か、両極端な認知をする』、『自分が良いと思うことは他者も良いと思っている、と思い込んでいる』、『人を信じられない、人に安心感をもてない』、『高すぎるプライドと劣等感が同居している』、『衝動的行動が発生している』

加えて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第1編 パーソナリティ障害入門 の パーソナリティ障害を理解するための理論 の「自己愛的怒り」及び「認知療法から見たパーソナリティ障害」における記述の一部(P66~P69)及び を次に引用します。

自己愛的怒り(中略)

誇大自己が濃厚に残っている人では、自分の思い通りにならない状況にぶつかったとき、自分の側に問題があるとは考えず、自分の思いを不当に邪魔されたと受け取り、激しい怒りにとらわれるのです。誇大自己が万能感やプライドを傷つけられたときに感じる強い怒りを、コフートは「自己愛的怒り」と呼びました。
「キレる」というのは、まさにこの「自己愛的怒り」の状態なのです。
自己愛的な怒りにとらわれたとき、その人にとって、すべての非は相手側にあると見なされています。客観的に自分を振り返る視点は失われてしまっているのです。あと先を考えない激烈な攻撃が引き起こされます。ときには、攻撃の矛先が自分自身に向けられることも少なくありません。
パーソナリティ障害の人の激しい反応を理解する上で、「自己愛的怒り」はとても納得のいく概念です。傷つけられた自己愛を回復するために、人は命さえ投げ出すのです。奇妙なことですが、自己愛とは命よりも上に位置するものなのです。(中略)

認知療法から見たパーソナリティ障害(中略)

それとはまったく違った原理に基づいて、パーソナリティ障害を理解しようとする理論もあります。そのなかでも重要かつ実際に役立てやすいのが認知療法の考え方です。
認知療法アメリカの精神科医アーロン・ベックによって創始された治療法です。認知療法では、パーソナリティ障害を間違った適応戦略の結果だと考えます。ペックは心の働きを、外界からの情報入力に対して行動を出力する一種の情報処理として考えます。それによって人は環境に適応するために必要な行動を取っているわけですが、パーソナリティ障害の人では適応にとって不利な行動を取ってしまうのです。
それは情報処理の仕方に一定の偏りがあるために起こってしまうのです。なぜ、そんな不利な適応戦略を身につけてしまったかというと、そうすることが有利だった時期があったためです。
「狼と少年」という有名な寓話があります。あるとき、少年が「狼だ、狼だ」と騒いだら、村の人々はびっくりして鉄砲や武器を持って駆けつけてきた。それですっかり悦に入った少年は同じことを繰り返すようになった。ところがある日、本当に狼が現れたとき、少年は「狼だ」と叫んだが、村人は誰も助けにこなかった。
この少年も寂しかったのでしょう。愛情や関心に飢えていたのだと思います。最初のうちは「狼だ」と騒ぐことで、彼の自己顕示的な欲求や関心を得たいという欲求は、満足を得ることができたのです。それで味をしめて身につけてしまった誤った戦略が、結局は彼の身を滅ぼすことになったのです。
人にはそれぞれ情報処理の一定のパターンがあり、認知療法ではそうしたパターンを「スキーマ」と呼びます。スキーマには、さらにその人が世界認識の原理としている「信念」と、行動の基本方針としている「方略」があります。
たとえば、先の少年のようなタイプの人は、「注目されることは心地いい。注目されないと自分は無価値になる」という信念を抱いています。
そして、「人をあっと言わせなければならない」「正しいことよりも、驚かすことが優先だ」という方略に基づいて行動してしまうのです。その結果、人々はたいして驚きも注目もしなくなり、ただ信用を失う結果になるのですが、それでもこのような行動をやめられないのです。
境界性パーソナリティ障害の人であれば、「自分は価値のない人間だから、人はどうせ私を見捨てるだろう」という信念を抱いています。そして、「見捨てられるなら、こっちから見捨てたほうがましだ」「見捨てるのなら、それを後悔させねばならない」という方略が出てくるわけです。(後略)

注:i) 引用中の「誇大自己」は、同本の P61 によると、何でも思い通りなると思っている万能感に満ちた自己愛を伴うものです。 ii) 引用中の「それとはまったく違った原理」における「それ」とは、この引用部以前で述べられている主に精神分析から発展した理論のことのようです。 iii) 引用中の「スキーマ」に関連するスキーマ療法の視点からの「早期不適応的スキーマ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、認知行動療法認知療法)におけるスキーマと「体系的な推論の誤り」との関連については、日本認知心理学会編の本、「認知心理学ハンドブック」(2013年発行)の 10-10 認知行動療法 の「情報処理理論」における記述の一部(P394)を次に引用します。

(前略)まず,スキーマとは幼少期より学習され維持されてきた安定的な認知構造であり,「……すべきだ」「いつも……である」といった信念や前提を指す。スキーマと合致するようなネガティブな出来事を経験すると,このスキーマが活性化され、出来事の情報に対して「体系的な推論の誤り」と呼ばれる情報処理を行う。ベックは「体系的な推論の誤り」を数多く同定している。(後略)

注:i) 引用部の著者は佐々木淳です。 ii) 加えて、引用はしませんが、同頁に上記「体系的な推論の誤り」の例として「過度の一般化」「破局視」「全か無か思考」が示されています。

(2) パーソナリティ障害の治療優先度

「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の林直樹著の文書「パーソナリティ障害はどのような病気なのか?」(P10~P16)より記述の一部(P14~P16)を次に引用します。

多くの経過研究からパーソナリテイ障害の臨床的意義が明らかにされている。モレー(Morey, L.C.)ら(9)は、約六〇〇人の患者の経過を追った米国国立精神保健研究所の共同研究(Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study:CLPS)から、パーソナリティ障害の特徴がうつ病症状よりも持続的であり、パーソナリティ障害併存症例のほうが抑うつ症状の改善が遅れたことを報告した。この所見は、パーソナリティ障害を併存しているうつ病症例において、パーソナリティ障害が回復を妨げているという仮説を支持している。ガンダーソン(Gunderson, J.G.)ら(4)は、CLPS研究における三年間、六年間の経過から、境界性パーソナリティ障害の改善はうつ病の改善を予測するが、うつ病の改善は境界性パーソナリティ障害の改善を予測しないことを報告した。これらの研究の所見は、うつ病とパーソナリティ障害の併存例に対しては、パーソナリティ障害の治療を早期に開始するべきことを示している。(中略)

実際の臨床では、治療アプローチが容易だという理由から、パーソナリティ障害に対する治療よりも併存している精神障害への治療が先に行われることが多いと考えられるのであるが、筆者らの研究の所見および他の経過研究の所見からは、治療開始後になるべく速やかにパーソナリティ障害へのアプローチが開始されることが望ましいものと考えられる。

注:i) 引用中の文献番号「(4)」、「(9)」はそれぞれ次の論文です。「Major depressive disorder and borderline personality disorder revisited: longitudinal interactions.」、「State effects of major depression on the assessment of personality and personality disorder.」 ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害において誤診・誤治療により、ご本人・ご家族が長期間困っている例についてはここを参照して下さい。 iii) 一方、境界性パーソナリテイ障害において、最終的な結果としての症状だけを見て、そこだけに対処療法が施される問題点について、岡田尊司、咲セリ著の本、「絆の病 境界性パーソナリティの克服」(2016年発行)の「コラム2 本来必要な治療を求めて――岡田尊司」における記述(P87~P91)を次に引用します。

木を見て森を見ずの現代医療
本来の医学は、病の症状の根底にある原因を突き止め、そこを改善することで、病を癒そうとします。ところが、薬という便利なものが発達したおかげで、おかしなことが起きるようになりました。原因がわからなくても、症状に対して適当にお薬を処方すれば、症状だけは改善してしまうのです。
たとえば、熱が出ているとします。熱の原因がわからなくても、解熱剤を処方すれば、とりあえず熱は下がってしまいます。あまり問題のない、放っておいでも良くなるような病気であれば、それでもいつしか治ってしまうでしょう。しかし、肺炎のような病気になっているのに、症状だけ治そうとしでも、病状は悪化するばかりです。せっかく病気の存在を教え、体が病原菌と闘おうとして生じていた熱だけを下げてしまうことで、かえって重症化させてしまうこともあります。
ところが、今日の心の医療では、こうしたことが起きやすくなっているのです。不眠や不安、うつといった症状は、とりあえず薬によって改善することが可能です。ところが、症状は改善しても、そもそも症状を引き起こしていた原因には手当てはされていません。結局、いつまでも薬を飲み続けるだけで、根本的な問題は何も変わらないということになります。薬を飲んでいるのに、段々状況が悪化することも多いわけです。
また、精神医療特有の問題として、症状での診断がまかり通るようになり、原因についての手当てをしようとしない医療が普通に行われているという事情があります。不安が強ければ、不安障害、不眠があれば不眠症、気分が落ち込めぼうつといった症状がそのまま診断になって、そのことに疑問さえ抱かなくなっています。
しかし、そうした症状の根底には、職場での上司との関係が原因になっていることもあるでしょうし、完壁主義な性格や親からの虐待が原因となっている場合もあるでしょう。本来は、その部分に手当てし対処を考えることが必要なのですが、最終的な結果である症状だけを見て、そこだけに対症療法が施されるということが当たり前になっているのです。

本当に必要なのは、「絆の病」の克服
単なる不眠や不安であれば、それで誤魔化せる部分もありますが、自分に強い自己否定を抱え、自分を損なってしまう境界性パーソナリティ障害のような難しい状態になると、そうした方法では、まったくお手上げです。境界性パーソナリティ障害の場合、うつや不安障害、睡眠障害といった問題だけでなく、ADHD(注意欠如・多動性障害)や依存症、摂食障害解離性障害といった診断がつくことも珍しくありません。診断名ばかりが、ずらっと並ぶわけです。その治療を別々の医者から受けているというケースさえあります。症状だけを追いかけていたのでは、木を見て森を見ずになってしまいます。結局、大本で何が起きているのかということを、トータルでみる視点が必要なのです。そして、それを可能にしたのが、先に述べた愛着障害という視点です。愛着障害があると、境界性パーソナリティ障害も含めて、それらすべての障害が起きやすくなるのです。
そして、何よりも、境界性パーソナリティ障害を、愛着障害として理解し、それを改善する手立てを行うと、他の方法では、どうにもならなかったようなケースも、改善が得られやすいのです。
愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。親との関係で乗り越えられなかった課題が、他の人との関係で繰り広げられているのです。問題が、そこにあるとしたら、各症状を薬で誤魔化すことは、本来の回復から遠ざかることだと言えるでしょう。なぜなら、課題の存在を知らせ、それと闘おうとしているから症状が出ているのです。境界性パーソナリティ障害は、不安定な絆しかもてなかった人が、確かな絆を手に入れようとして必死にもがいている姿そのものなのです。症状だけを薬で止めてしまうことは、その回復の機会を奪うだけでなく、薬物依存といった、もっと厄介な問題を引き起こすことになりかねないのです。

注:i) 引用中の「うつ」、「不安障害」、「依存症」、「摂食障害」については共に、リンク集[うつの用語:「うつ病」、不安障害の用語:「不安障害(不安症)」、依存症の用語:「物質依存(薬物など)」]を参照して下さい。 ii) 引用中の「解離性障害」については、リンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 iv) 引用中の「ADHD」については、他の拙エントリを参照して下さい。 v) 引用中の「愛着障害」ついては、リンク集を参照して下さい。

〔h〕境界性パーソナリティ障害の治療における問題点
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「2 従来の治療と医原性の害」における記述(P208~P209)を次に引用します。

BPD は治療を行わなければ永続するものであり,治療には困難が伴い,治療の経過も長期にわたるというのか BPD に対する従来のイメージでした。しかし,Fonagyたち(Allen et al., 2008)によれば 細心の注意を払って計画された2つの予後研究(Shea et al., 2004; Zanarini et al., 2003)は,BPD の経過や治療についてのこのような悲観的見解の不適切さを浮き彫りにしました。これらの予後研究によると,BPD の患者たちの大部分が症状の実質的減少を経験するのであり,以前考えられていた期間よりもずっと短期間でそうなるのです。入院を要するほど重症と診断された BPD の患者たちの75%が,6年後には,標準化された診断基準に示されている寛解状態に到達します(Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006)。4年後までなら50%の寛解率というのが一般的ですが,その後も定率(1年で10~15%)の寛解が持続し,再発は6年経過しても10%を超えないであろうとのことです(Allen et al., 2008)。ただし,改善するのは衝動性やそれと関連する自傷および自殺傾向などであり,少なくても半数の患者たちには,①見捨てられる不安,②空虚感,④抑うつにつながる脆弱性,③対人関係の問題が残存しがちです。BPD 患者の大多数が6年以内に自然回復するのであれば,なぜ BPD についての悲観的見通しが固定化されたのでしょうか。より早期の調査研究によれば,アメリカ合衆国で治療に訪れた BPD 患者たちの97%は,平均して6人ものセラピストから外来治療を受けた経験がありました(Allen et al., 2008)。こうして実施されていた(現在も実施されている)いくつかの心理社会的治療が,それを行ったばかりに患者の回復能力を妨げたのであろうというのが,Fonagy たちの推測です(Allen & Fonagy, 2006; Allen et al., 2008)。つまり,医原性の害(iatrogenic harm)が存在したのです。ところが 世界的に「根拠(実証)のある治療」(evidence-based treatment)が求められるようになり,とくにアメリカ合衆国では,医療保険制度の変化も加わって,その傾向が強まりました。その結果,有害な治療が行われる頻度が減少し,BPD の寛解率が上がったと解釈できるのです。Fonagy たちが従来の治療のどのような点を有害と考えているのかについては,MBT におけるセラピストの姿勢と介入法を知ればわかります。Fonagy たちの MBT は,医原性の害を排除するように工夫された治療法だからです。

注:i) 引用中の「BPD」、「MBT」はそれぞれ、「境界性パーソナリティ障害」、「メンタライゼーションに基づく治療」の略称です。 ii) 引用中の「Cohen et al., 2006; Skodol et al., 2006; Zanarini et a1., 2006」が示す論文はそれぞれです。「The children in the community study of developmental course of personality disorder.」、「The Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study: reliability of axis I and II diagnoses.」、「The McLean Study of Adult Development (MSAD): overview and implications of the first six years of prospective follow-up.」 iii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害の経過・予後については次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「経過・予後」項

〔i〕アタッチメント(愛着)理論や愛着障害について
[注:標記アタッチメント(愛着)に関連するかもしれない精神科医岡田尊司氏が登場するWEBページ『安易な「大人のADHD」診断に医師が危惧「特性」が「障害」扱い』(リンク切れです)を批判する note は次を参照して下さい。 『「愛着障害」に関する生産的でない仕事』 加えて、米澤氏の「愛着障害」本について批判する次の note もあります。 『米澤氏の「愛着障害」本について:理論編』] 最初に標記アタッチメント(愛着)[note「改めてアタッチメントの大切さについて考える(遠藤利彦:東京大学教授)#子どもたちのためにこれからできること」、資料「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」の 第2部 社会情緒的コンピテンスの内容と発達に関する文献調査 の 第1章 乳児期 の「第3節 アタッチメント」(P59~P67)や 同部の 第3章 児童期・青年期(1)子供の心理特性 の「第4節 アタッチメント」(P149~P156)を それぞれ参照すると良いかも]理論が重要であることについて、遠藤利彦編の本、「入門アタッチメント理論 臨床・実践への架け橋」(2021年発行)の 序章 アタッチメント理論の中核なるもの の「1 アタッチメント理論がかくも重要なものであり続ける理由」項における記述の一部(P009)を以下に引用します。加えて、『親子の「アタッチメント」で育まれる子どものチカラとは?』についてはWEBページ『女優・加藤貴子が専門家に直撃!親子の「アタッチメント」で育まれる子どものチカラとは?』を、「助け合いとしてのアタッチメント」や「これからのアタッチメント,助け合い,親密性の研究を考える」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「助け合いとしてのアタッチメント」、「これからのアタッチメント,助け合い,親密性の研究を考える ―古村・戸田論文へのコメント―」 一方拙訳はありませんが、用語である上記「アタッチメント」を明確にする必要性についての Editorial Perspective(全文)は次を参照して下さい。 「Editorial Perspective: On the need for clarity about attachment terminology

ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)が,1951年にアタッチメント理論の原型となる論文“Maternal care and mental health”(Bowlby, 1951)を上梓してから,すでに70年の時が経ちます。この間,アタッチメント理論は一度も色褪せることなく,それどころか,むしろ時代時代によって次々と新たな色を幾重にも纏いながら今に至っているといえます。これほど長きにわたって,学知世界に,そしてまた社会全般に対して,影響を及ぼし続けている心理学理論は他にはないと言っても過言ではないでしょう(Thompson et al., 2021)。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Bowlby, 1951」は次の資料です。 「MATERNAL CARE AND MENTAL HEALTH」 iii) 引用中の「Thompson et al., 2021」は次の本です。 「Thompson, R.A., Simpson, J.A., & Berlin, L.J. (eds.) (2021) Attachment: The fundamental questions. Guilford Press.」 iv) 引用中の「アタッチメント理論」に関連する「改めてアタッチメントとは何か,何であったか」については、同序章の「2 改めてアタッチメントとは何か,何であったか」における記述の一部(P012~P014)を次に引用します。

アタッチメントあるいは愛着という言葉は,今や,ただ心理学や精神医学の専門的術語としてあるわけではなく,子育てや保育・教育等の文脈を中心に,きわめて日常的に用いられるに至っています。そしてそうした文脈において,それは,親と幼い子どもとの間の緊密な情愛的絆,ときには,その愛情関係全般の特質を指し示すものとして受け取られることもあるようです。しかし,アタッチメント理論の創始者たるボウルビィが示したその原義は,文字通り,生物個体が他の個体にくっつこうとする(“attach”)ことに他なりませんでした。彼は,生物個体がある危機に遭遇したり,それを予知したりし,恐れや不安の情動が強く喚起されたときに,特定の他個体への近接およびその個体との関係を取り結ぶことを通して,主観的な安全の感覚(安心感)を回復・維持しようとする行為の傾向をアタッチメントと呼んだのです(Bowlby, 1969)。それは,「一者の情動の崩れを二者の関係性によって制御するシステム」と言い換えることもできるものです(Schore, 2003)。
元来,生物は生き残り繁殖するために,さまざまな危機に対して警戒する構えを,恐れや不安の情動という形で進化させたといわれています。生物種としてのヒトもその例外ではなく,恐れや不安に対する意識・無意識における対処が 個々人のパーソナリティやアイデンティティにおいて中核的な意味を有していると考えられます。ただし,きわめて脆弱な状態で生まれてくるヒトの子どもは,誕生時からすでにこうした情動の制御をみずから行いうる主体ではありません。当然のことですが,子どもは本源的に,養育者をはじめとする他者によって,手厚く保護され,その情動状態を巧みに調整・制御されなくてはならない存在なのです。そして,そうされることによって徐々に,みずから自律的にそれに対処していけるようになるのです。
ヒトの子どもは,養育者等との緊密な関係性の仕組みによってもたらされる安心感に支えられて,外界への探索活動や学習活動を安定して行い,また相対的に円滑な対人関係を構築することが可能になるのだと考えられます。すなわち,子どもにとって,主要なアタッチメント対象は,危機が生じた際に逃げ込み保護を求める「安全な避難所(safe haven)」であると同時に,ひとたびその情動状態が落ち着きを取り戻した際には,今度は,そこを拠点に外の世界へと積極的に出ていくための「安心の基地(secure base)」として機能することになります(Bowlby, 1988)。
また,こうした機能を神経生理学的に見れば,それは,さまざまな危機やストレッサーとの遭遇によって生じた身体の緊急反応あるいは一時的に崩れた神経生理学的状態を,ホメオスタティックに再び定常的状態に戻し,身体の健全なる機能性を保障しうるものともいえるでしょう(Goldberg, 2000)。このようなアタッチメントの心理社会的および神経生理学的な働きの積み重ねによって,私たちは,生涯発達過程全般にわたってみずからの心身両面における健康および適応性を高く具現し,また維持することができるようになるのです。

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Bowlby, 1969」は次の本です。 「Bowlby, J. (1969) Attachment and loss Vol.1. Attachment. Basic Books. (revised ed., 1982)(黒田実郎・大羽蓁岡田洋子他訳, 1977『黒田聖一母子関係の理論 I 愛着行動』岩崎学術出版社」 iii) 引用中の「Schore, 2003」は次の本です。 「Schore, A.N. (2003) Affect regulation and the repair of the self (Norton Series on Interpersonal Neurobiology). W.N. Norton & Company.」 iv) 引用中の「Bowlby, 1988」は次の本です。 「Bowlby, J. (1988) A secure base: Parent-child attachment and healty human development. Basic Books.」 v) 引用中の「Goldberg, 2000」は次の本です。 「Goldberg, S. (2000) Attachment and development. Arnold.」 vi) 引用中の「ホメオスタティック」に関連する「ホメオスタシス」(homeostasis)については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「4. 内受容感覚の予測的符号化」項(P5)、「適切な内受容感覚の獲得 発達的観点から」 v) 引用中の「安全な避難所(safe haven)」や「安心の基地(secure base)」に関連する『「safe」を「安全」と、「secure」を「安心」と訳す』ことについて、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 1 愛着の定義 の「(1) 絆としての愛着」における記述の一部(P61)を以下に引用します。 vi) 引用中の「このようなアタッチメントの心理社会的および神経生理学的な働きの積み重ねによって,私たちは,生涯発達過程全般にわたってみずからの心身両面における健康および適応性を高く具現し,また維持することができるようになるのです。」に関連するかもしれない例としての「心療内科外来で線維筋痛症以外の診断を受けた難治性慢性疼痛患者に対する傾聴を中心とした初期の心身医学的治療において、自己観が肯定的な愛着スタイルである安定型と拒絶型で有意な痛み強度の改善を認めた」ことについては次の分担研究報告書を参照して下さい。 「慢性疼痛の心療内科外来治療への愛着スタイルの影響」の「E.結論」項 vii) 引用中の「アタッチメントあるいは愛着という言葉は,今や,ただ心理学や精神医学の専門的術語としてあるわけではなく,子育てや保育・教育等の文脈を中心に,きわめて日常的に用いられるに至っています。」に関連するかもしれない(大人の)「愛着の問題を抱えていると治療者や支援者が気づくことは大切でないか、診断するという概念ではなく、理解する概念としては有用でないかと思うのである」ことについて、「こころの科学 216号(2021年3月)」中の青木省三著の文書「精神科臨床における大人の愛着障害」(P30~P35)の「はじめに」における記述の一部(P30)を以下に引用します。

(前略)なお,一般に「安全基地」と訳されている“secure base”を,本書では「安心基地」と訳していますが,この理由を述べておきます。この概念は Ainsworth が導入したものですが,Ainsworth も Bowlby も,“safe/safety”〔安全〕と“secure/security”〔安心〕を区別していました(van der Horst, 2011; Bowlby, 1960a)。“safe/safety”は「危険がない」ことを指しているのに対して,“secure/security”ば,「恐れていない,安心している」という意味です。そして,“secure base”は,“heaven of safety”と対にして使用される概念です。乳児が恐怖を引き起こす刺激に遭遇して母親の元に逃げ帰るときに,その母親を“heaven of safety”と呼びます(Ainsworth, 1967)。逆に,乳児が母親への愛着を背景にして母親から離れて周囲の世界を探索しているとき,母親は“secure base”になっています(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)。乳児が「母親を探索のための secure base として活用する」(Ainsworth, 1967; Ainsworth et al., 1978)とか,母親が「secure baseを与える」(Ainsworth, 1967; Bowlby, 1979/1989)と表現されることからもわかるように,“secure base”は,探索の際に母親が安心の源になっていることを指しており,「必要なときには母親が役に立ってくれるという乳児の確信」(Bowlby, 1973; Cassidy, 2008)を含むものです。このようなわけで,“secure base”を「安心基地」,“heaven of safety”を「安全な逃げ場」と,区別して訳すのがよいと判断した次第です。(後略)

注:引用中の「van der Horst, 2011」、「Bowlby, 1960a」、「Ainsworth, 1967」、「Ainsworth et al., 1978」、「Bowlby, 1979/1989」、「Bowlby, 1973」、「Cassidy, 2008」の紹介は全て省略します。この本をお読み下さい。

はじめに

親などの養育者との愛着形成は、子どもの生きていく基盤となるものである。愛着障害と言えば、反応性アタッチメント症(反応性愛着障害)などの、乳幼児期の愛着形成の障害を思い浮かべるが、愛着形成の障害にも程度の差があり、周囲から愛着障害と気づかれない場合もある。乳幼児期の愛着の問題は、その後の成長・発達のなかで良い関係や環境に恵まれて自然に薄らいでいく場合も少なくないが、成人期に至ってもその人の基底にあり、対人関係などに影響を与えていく場合もある。その人たちはPTSD、複雑性PTSDなどと診断できる場合もあるが、診断で言えば閾値下のことが多い。臨床現場で出会う愛着の問題を抱える人は、人の言動に敏感で、甘えたり頼ったりするのが苦手、安心感や自己肯定感に乏しく、対人関係が不安定になりやすい……そんな人たちである。
筆者は大人の愛着障害を積極的に診断していこうと考えているのではない。診断基準として確立したものではないし、自身を愛着障害と捉える人が増えることが望ましいとは思わない。だが、愛着の問題を抱えていると治療者や支援者が気づくことは大切でないか、診断するという概念ではなく、理解する概念としては有用でないかと思うのである。筆者らはこれまで成人期の発達障害とトラウマについて考えてきた(1)(2)(3)(4)(5)。とくに大人のトラウマと愛着障害は重なるところがあるが、愛着障害と言うとき、筆者は大きな傷つきではなく、小さな傷つきの連なりのようなものをイメージしている。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(1)」、「(2)」、「(3)」、「(4)」、「(5)」はそれぞれ次の本です。 【青木省三、村上伸治編『大人の発達障害を診るということ-診断や対応に迷う症例から考える』医学書院、二〇一五年】、【青木省三『こころの病を診るということ-私の伝えたい精神科診療の基本』医学書院、二〇一七年】、【青木省三『ぼくらの中の「トラウマ」-いたみを癒すということ』ちくまプリマ―新書、二〇二〇年】、【青木省三、村上伸治、鷲田健二編『大人のトラウマを診るということ-こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院、二〇二一年】、【村上伸治『現場から考える精神療法-うつ、統合失調症、そして発達障害日本評論社、二〇一七年】 ii) 引用中の「反応性愛着障害」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「PTSD」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「複雑性PTSD」についてはリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「愛着障害」が一般的にDSM-5による診断名よりも広い範囲を示すかもしれないことについて、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「4章 愛着障害」における記述の一部(P41)を次に引用(『 』内)します。 『小さいときに虐待やネグレクトなどを受けることによって正しい愛着関係が結べないと、その後適切な人間関係を結べなくなる愛着障害を発症することがある。愛着障害とは、乳幼児期に長期にわたって虐待を受けたり、両親の死やその他の要因で養育者と安定した愛着関係を結ぶことができなくなることで引き起こされる障害の総称である。医療の現場ではDSM-5(精神障害の診断と統計マニュアルの最新版)などで示す「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」という障害名を用いるが、一般的にはそれよりも広い範囲を示し、愛着の不足によって引き起こされる様々な困った症状をすべて指し示すことが多い。』(注:1) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 2) アッタチメント障害(又は愛着障害)と発達障害との鑑別の困難性について、上記引用中の「反応性愛着障害」(反応性アタッチメント障害)と「脱抑制型対人交流障害」を含めてここを参照して下さい。) vi) 引用中の「対人関係が不安定になりやすい」ことに関連するかもしれない「愛着障害は、情愛的な親密さを他者との関係のなかで築くことが難しい」ことについて「愛情は空想的・理念的なイデオロギーと化し、実体験の欠乏を補うことになる」ことを含めて上田勝久、筒井亮太編の本、「トラウマとの対話 精神分析的臨床家によるトラウマ理解」(2023年発行)の 第八章 芸術とトラウマ――三島由紀夫と虐待後遺症 の 3 三島由紀夫と虐待後遺症 の「虐待後遺症」及び「ユートピアニズムとしての愛情とリアリズムとしての愛情」における記述の一部(P197~P201)を次に引用します。

虐待後遺症(中略)

愛着障害とは、簡潔にいえば、人間関係におけるパーソナルな情愛関係が結べない病理である。したがって、親しい関係が実感しづらい。関係性の内側に入れないということだ。(中略)

なぜ愛着障害は、情愛的な親密さを他者との関係のなかで築くことが難しいのだろうか? この答えは、さほど難しいものではない。なぜなら、親との関係で体験できなかった関係性は、汎化が困難だからだ。その際、愛情は空想的・理念的なイデオロギーと化し、実体験の欠乏を補うことになる。

ユートピアニズムとしての愛情とリアリズムとしての愛情
現実の愛情を生育過程において体験できなかった子どもたちは、愛情に対してどのようなイメージを抱きやすいだろうか? 筆者の臨床経験上は、およそふたつに大別される。
ひとつは、「愛情の理想化」である。これは、グリム童話などによく表現されている世界だ。たとえば、シンデレラ物語のように、継母はひどい人だが、どこかにきっとこころ優しい実母が生きていると、夢見られやすい。が、その夢見は、現実が悲惨なだけに、極端な方向に針は振り切れ、現実離れした理想的な母親像が思い描かれる。いわゆる精神分析でいうスプリッティングである。
筆者のクライエントに、こういう方がいた。「私は結婚したら、子どもの気持ちに共感して、気持ちを大事にしてあげたい。叱るんじゃなくて、いつも話を一緒に聞いてあげたい」。
この方が言っていることは、きわめて正当なことでもあるし、大事なことでもある。だが、現実の母子関係は、「いつも話を一緒に聞いてあげ」れるものでもないし、「子どもの気持ちに共感」できるものでもない。そこには、母親側の都合もあり、ときには機嫌が悪いこともあれば、子どもの世話よりも今時SNSを優先することもあるだろう。つまり、現実の愛情というものは、そんなに理想的なものでもなければ、逆にそれほどひどいものでもない。「まあまあ、こんなところか」というのが、次第に大人になるにつれてわかってくる現実の愛情の姿なのだ。
だが、生育において、適度な愛情を体験できなかった人には、それが実感されない。したがって、現実離れした理想的な愛情が夢見られたりもする。そこに虐待の後遺症が尾を引いているのだ。
もうひとつは、現実の愛情の欠落を補うために、「倫理的な世界像」が描かれやすい。すなわち、「現実はこうあるべきだ。そうでないのはおかしい」という世界像である。たとえば、こういうことだ。「あのスーパーでは、バリアフリーが考慮されていない。障害者のための車椅子も準備されていないのはおかしい」「いじめがあるのに見て見ぬふりをしている生徒がいるのはおかしい」「ウクライナで悲惨な子どもたちがいるのに、享楽的な消費社会に満足している日本人はおかしい」などである。
いずれももっともな話である。たしかにおかしいことはおかしいのた。ゆえに、倫理的、道徳的には正しい話である。だが、人間世界は、必ずしも正しさで理性的に営まれているわけではない。そこには、個人の我欲、自己都合などがおおいに入り込んでいる。したがって、すぐにそんな理想的な現実社会が実現されるわけではないし、これまで人類の歴史のなかで、実現された試しもない。
倫理的な世界像は、理念的でイデオロギー的な形をとりやすい。なので、急進的な改革やいわゆる革命にはつきものである。先に述べたロベスピエールしかり、日本赤軍しかり、である。(中略)

人間には、もちろんのこと、ユートピアを求める心性は存在するものであるし、社会の進歩のためには必要なことでもある。ユートピアなきにして、今日の自然科学の発展もない。自然科学は、科学による物質・機械文明のユートピア化を目指して、これほどまでに発展してきた。
だが、それを人間社会に性急に当てはめようとするのは、お門違いだ。逆に現実との摩擦を大きくし、現実憎悪に陥りやすい。なぜなら、人間社会の、あるいは人間性自体が、自然科学のように発展・進歩していくものではないからだ。精神分析は、創始者フロイト以来、「宿命」としての人間性の邪さを探究し続けてきた。フロイトは、近親相姦願望を人間の本性とみなし、メラニー・クラインは、羨望をそれと同定した。人間は、各々程度の差こそあれ、それらの「獣性」を宿命として背負っているのである。人間社会を清廉潔白な高みへと導こうと急げば、人間の獣性から逆に牙を剥かれるか、自壊するほかない。
親との関係性のなかで、現実の愛情を関係性の内側のこととして体験してこなかった人は、理想的にしろ倫理的にしろ、空想的な愛情、すなわちユートピアニズムを追い求めるほかなくなるのである。

注:i) この引用部の著者は祖父江典人です。 ii) 引用中の「スプリッティング」に関連する「スプリット思考」については次の資料を参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害の治療ガイドライン」の「4. マネジメントをめぐって」項 iii) 引用中の「フロイト」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神分析学の父、ジークムント・フロイト」 iv) 引用中の「メラニー・クライン」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「メラニー・クライン(Melanie Klein 1882-1960)」 v) 引用中の「先に述べたロベスピエールしかり、日本赤軍しかり」について、3 三島由紀夫と虐待後遺症の「右傾化する三島由紀夫」における記述の一部(P194)を次に引用します。

(前略)「自由、平等、友愛」を掲げたフランス革命は、その美名の下に、何万もの首がギロチンにかけられ刎ねられた。しかも、それを主導したジャコバン党のロベスピエールは、倫理観の強い弁護士であり、ユートピア社会の実現を目指して、清廉潔白で賄賂も受け取らぬ清貧の輩だったといわれている。ユートピア志向の正義感から、人間はかくも残酷な所業をためらいもなく行うことができるのだ。
日本においても、もちろん例外ではない。一九七〇年代には、清廉な思想が残酷な所業を招いたこととして、日本赤軍による浅間山荘事件が思い起こされるところだろう。貧富の差のない平等な社会を目指した共産主義思想が、逆にその正義感のユートピア性によって、仲間内の凄惨なリンチ殺人に終わった。同志である女性が、女心として身なりを気にしたことに対して、ブルジョア思想に染まっているとして、粛清されたのである。
革命や急進的な改革が、ユートピアニズムの性急な現実化を求めるのは、故なしとしない。現実感の希薄さ、あるいは現実への愛着の乏しさ、さらには不遇な現実への憎悪が、現実との紐帯を断ち切るのにためらいを残さないからだ。(後略)

注:この引用部の著者は祖父江典人です。

次に「現今のアタッチメント理論は,ボウルビィ一人の手によるものではない」ことについて、同における記述の一部(P011)を次に引用します。

(前略)むろん,現今のアタッチメント理論は,ボウルビィ一人の手によるものではありません。ある研究者は,ボウルビィによってその基本発想が提示されてから,アタッチメント理論の現在に至るまでの重要なコーナーストーンとして,メアリー・エインスワース(Mary Ainsworth)によるストレンジ・シチュエーション法(Strange Situation Procedure : SSP)の開発,メアリー・メイン(Mary Main)らによるDタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)の発見およびアダルト・アタッチメント・インタビュー(Adult Attachment Interview : AAI)の開発,アラン・スルーフ(Alan Sroufe)らによるミネソタ長期縦断研究の展開,フィリップ・シェーバー(Phillip Shaver)やマリオ・ミクリンサー(Mario Mikulincer)による質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定を挙げています(Duschinsky, 2020)。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Duschinsky, 2020」は次の本です。 「Duschinsky, R. (2020) Cornerstones of attachment research. Oxford University Press.」 iii) 引用中の「ストレンジ・シチュエーション法」(SSP)についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「Dタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「アダルト・アタッチメント・インタビュー」(AAI)についてはここを参照して下さい。 vii)  引用中の「アラン・スルーフ(Alan Sroufe)らによるミネソタ長期縦断研究」については次の本を参照して下さい。 「Sroufe, L.A., Egeland, B., Carlson, E.A. et al. (2005) The development of the person: The Minnesota study of risk and adaptation from birth to adulthood. Guilford Press.」 viii) 引用中の「アタッチメント・スタイル」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「アタッチメント・スタイルの変容を促す介入の検討」 加えて、引用中の「質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「クライエントのアタッチメントパターンと心理療法における内的体験 ―成人への個人心理療法に関する研究の概観を通して―」の「2. 成人のアタッチメントパターン」項 また、上記「質問紙法を用いたアタッチメント・スタイルの測定」に関連するかもしれない(質問紙法を用いた)「社会人格系の成人アタッチメント研究における知見」についてはここを参照して下さい。

加えて、上記「コーナーストーン」としての「ストレンジ・シチュエーション法」(SSP)について、同の 第Ⅰ部 アタッチメント理論を俯瞰する の 第2章 アタッチメント理論の萌芽と基盤の形成 の「5 メアリー・エインスワースとストレンジ・シチュエーション法」項における記述の一部(P011)を次に引用します。

(前略)もっとも,現今におけるアタッチメント研究の発展が,ボウルビィただ一人の方向づけの妙に拠っているわけでは当然ありません。そこには,少なくとももう一人,メアリー・エインスワースによる貢献を,いかなる意味でも度外視することはできないでしょう。それどころか,少なくとも実証研究という視座からすると,その発展は,ボウルビィのオリジナルの発想以上に,エインスワースの方法論上における寄与,とりわけストレンジ・シチュエーション法(SSP)の開発によるところがはるかに大きいと言うべきかもしれません。ボウルビィのアイデアは,エインスワースのメソッドによって,具体的な実証研究の形を得たと言っても過言ではないのです。(中略)

ウガンダからメリーランド州ボルチモアに戻ったエインスワースは,そこでアメリカの子どもを対象にし,研究を再開しようとします。当初は,自然観察に基づきながらデータの収集を試みたようですが,日常生活において相対的に安全性が確保されているアメリカの子どもが,ウガンダの子どものように顕著なアタッチメント行動をそれほど頻繁には示さないという現実に直面しました。そうしたなかで,エインスワースは,養育者との分離が子どもの不安を喚起し,アタッチメントの行動システムを活性化させるというボウルビィの洞察に基づき,子どもに,分離によるマイルドなストレスを実験的に与えるという手法を思いついたようです。
そして,彼女は当時,アシスタントだったバーバラ・ウイッティグ(Barbara Wittig)とともに,56人の非臨床群の11ヵ月児を対象に,実験室で 養育者との分離を経験させ,そこに現れる子どもの反応の差異,そして,その後の養育者との再会に際して現れる子どもの反応の差異を組み合わせて見ることで,子どものアタッチメントのパターンをいくつかのタイプに類型化しうることを見出しました(Ainsworth & Wittig, 1969)。そして,その後いくつかの改良を経て,一通りの完成をみたのが,SSPということになるのです(Ainsworth et al., 1978)。
そこでは,とくに養育者との分離および再会場面に現れる子どもの行動上の差異をもって,Aタイプ(回避型〔avoidant〕),Bタイプ(安定型〔secure〕),Cタイプ(アンビヴァレント型〔ambivalent〕)の3つのうちのいずれかのアタッチメント・タイプに振り分けられることになります。Aタイプは,養育者との分離に際しさほど混乱を示さず,常時,相対的に養育者との間に距離を置きがちな子どもとされています。Bタイプは,分離に際し混乱を示すが,養育者との再会に際しては容易に静穏化し,ポジティヴな情動をもって養育者を迎え入れることができる子どものことです。Cタイプは,分離に際し激しく苦痛を示し,なおかつ再会以後もそのネガティヴな情動状態を長く引きずり,ときに養育者に強い怒りや抵抗の構えを見せる子どもと定義されます。ちなみに,AタイプとCタイプはlつに括られ,Bタイプ(安定型〔secure〕)に対して不安定型(insecure)と総称されることもあります。
エインスワースは,こうした実験室での観察と家庭での母子相互作用の観察を併せて実施し,各タイプの子どもにおける養育者の敏感性(sensitivity:子どもの心身状態を的確に読み取り,素早く応じる程度)や典型的な関わり方を検討しました。ちなみに,ここで言う敏感性とは,声や表情など,子どもが表出する種々のシグナルに基づいて,感情や欲求などの内的状態や欲求を的確に読み取り,かつ迅速に応答する養育者の傾向を指します。
エインスワースの分析結果によれば,Aタイプの子の養育者は相対的に拒絶的で,とくに子どもがネガティヴな情動を表出したり,身体接触を求めたりすると,それを嫌ってかえって子どもから離れていこうとするようなところがみられます。Bタイプの子の養育者は相対的に感受性が高く,また行動に一貫性が認められるようです。Cタイプの子の養育者は,やや気まぐれで相対的に行動の一貫性が低く,子どもの側からすれば非常にその行動が予測しにくいとされます。(中略)

その後,SSPはアタッチメント研究のいわばゴールドスタンダードの研究手法としての地位を確立し,欧米のみならず,東洋圏,そして,アフリカ,中南米などさまざまな地域・文化で広く用いられるに至ります。SSPを用いた研究は,ほぼ世界全域にわたって,今や膨大な数に上りますが,A・B・Cの3タイプは,基本的にどの地域・文化の子どもにも普遍的に認められるようです。また,各タイプの比率構成は,研究によって相当のばらつきがあり,なかには,エインスワース自身によるボルチモアの研究のそれ(Aタイプが21%,Bタイプが67%,Cタイプが12%)とかなり大きな乖離を見せているものもあります。ただ,数のうえでBタイプが最も多く,標準的であることは,世界中の多くの地域・文化で共通しているといえそうです。さらに,エインスワースが仮定したように,子どものアタッチメントの個人差が養育者の敏感性によって規定されるということも,あまり文化差のないところであると認識されています(Mesman et al., 2016)。
ちなみに,日本におけるSSPを用いた研究は,ことに1980年代から90年代にかけて,一定数行われています。そしてそこでは,相対的にAタイプが少なく,逆にCタイプが多いという傾向が認められています(van IJzendoorn & Sagi, 1999)。その背景に,母子密着傾向など日本に特異な養育文化の介在を仮定する向きも一部にありますが(van IJzendoorn & Kroonenberg, 1988),どちらかというと,現在では,日本においてSSPを用いること自体の生態学的妥当性の低さが関係しているのではないかという見方が一般的といえるかもしれません。すなわち,SSPにおける見知らぬ場所での養育者との分離という事態が,日本の乳幼児には過度にストレスフルであり,それぞれの子どもの日常におけるアタッチメントの特質を反映しえないのではないかということが指摘されているのです。こうした事情も絡み,現在,日本では,SSP以上に,たとえば 日常の親子観察に基づくアタッチメントQソート法(Attachment Q-Set)(Waters & Deane, 1985;Waters et al., 1995)など,他の研究手法がより多く用いられているようです。(後略)

注:(i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 (ii) 引用中の「Ainsworth & Wittig, 1969」は次の本です。 「Ainsworth, M.D., & Wittig, B.A. (1969) Attachment and exploratory behavior of one-year-olds in a strange situation. In: Foss, B.M. (ed.), Determinants of infant behavior. Vol.4. Methuen. pp.113-136.」 (iii) 引用中の「Ainsworth et al., 1978」は次の資料を参照すれば良いかもしれません。 「PATTERNS OF ATTACHMENT A PSYCHOLOGICAL STUDY OF THE STRANGE SITUATION」 (iv) 引用中の「Mesman et al., 2016」は次の本です。 「Mesman, J., van IJzendoorn, M.H., & Sagi-Schwartz, A. (2016) Cross-cultural patterns of attachment. Universal and contextual dimensions. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.852-877.」 (v) 引用中の「van IJzendoorn & Sagi, 1999」は次の本です。 「van IJzendoorn, M.H., & Sagi, A. (1999) Cross-cultural patterns of attachment. Universal and contextual dimensions. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. Guilford Press, pp.713-734.」 (vi) 引用中の「van IJzendoorn & Kroonenberg, 1988」は次の論文です。 「Cross-cultural patterns of attachment: A meta-analysis of the strange situation.」 (vii) 引用中の「Waters & Deane, 1985」は次の論文です。 「Defining and assessing individual differences in attachment relationships: Q-methodology and the organization of behavior in infancy and early childhood.」 加えて、引用中の「アタッチメントQソート法」については次の資料を参照して下さい。 「アタッチメント」の「Ⅳ.アタッチメントの測定法」項 一方、引用中の(アタッチメント・タイプとしての)「A・B・Cの3タイプ」についての簡単な説明は「D」のタイプを含めて同資料の「表2 アタッチメントの4類型」(P73)を参照して下さい。 (viii) 引用中の「Waters et al., 1995」は次の本です。 「Waters E., Vaughn, B.E., Posada, G. et al. (eds.) (1995) Caregiving, cultural, and cognitive perspectives on secure-base behavior and working models: New growing points on attachment theory and research. Monogr Soc Res Child Dev 60 (2-3) 」 (ix) 引用中の「ウガンダ」から戻った「エインスワース」については次のWEBページを参照して下さい。 「心理学史の中の女性たち」 (x) 引用中の「アタッチメント・タイプ」をIWM(内的作業モデル、例えば資料「関係に特有な内的作業モデルの形成要因についての検討」、「アタッチメント」の「Ⅱ.アタッチメントの概念」項やWEBページ「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」からダウンロード可能な資料「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」を参照)の観点から見たことについて、同における記述の一部(P050~P051)を以下に引用します。 (xi) 引用中の「分離」に関連する「長引く分離」については次の note を参照すれば良いかもしれません。 「分離の影響」 (xii) 引用中の「アタッチメントのパターンをいくつかのタイプに類型化しうる」ことに関連するかもしれない『愛着分類は,恐怖と不安を調整しようという力動的努力の反映である。それなので,カテゴリーそのものよりもこれらの力動にこそ,私たちの臨床的注意を向ける価値がある」と強調した』ことについて、グレン・O・ギャバード、ホリー・クリスプ著、池田暁史訳の本、「ナルシシズムとその不満 ナルシシズム診断のジレンマと治療方略」(2022年発行)の 第1部 診断上のジレンマ の 第3章 関係性の様式 の 「愛着とパーソナリティ障害」における記述の一部(P51)を次に引用(【 】内)します。 【Slade(2014)は,愛着理論と臨床的考察との関連性とを考慮する際に,分類を見当違いに重視することがあるのではないか,と強調しました。すなわち「愛着分類は,恐怖と不安を調整しようという力動的努力の反映である。それなので,カテゴリーそのものよりもこれらの力動にこそ,私たちの臨床的注意を向ける価値がある」(p.259)と強調したのです。彼女が推奨したのは,治療者が協力して,成人の患者が幼少期に安全への脅威や恐怖にどう反応してきたようであるのかを理解すること,そして,その方略が現在どのように生じているのかを見定めようとすることでした。その分類が固定化されたものではないということも脳裏に留めておいた方がよいでしょう。それらは,文脈やライフイベントに反応するものであるがゆえに柔軟性があるのです(Holmes and Slade 2018)。】(注:a) 引用中の「Slade(2014)」は次の論文です。 「Imagining fear: Attachment, threat, and psychic experience.」 b) 引用中の「Holmes and Slade 2018」は次の本です。 「Holmes J. Slade A: Attachment for Thrapists: Science and Practice. London, Sage, 2018」) (xiii) 引用中の「Bタイプ」に関連する「Bタイプのアタッチメントをヒトの進化的適応環境に合致したプロトタイプと見なす考え方に対し批判がある」ことについて同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 1 進化生物学的視座から見るアタッチメント の「(1)ボウルビィ理論と現在進化生物学との齟齬」における記述の一部(P056)を以下に引用します。

(前略)IWMという観点から見れば,Aタイプの子どもは「自分は拒絶される存在である」「自分が近づこうとすれば他者は離れていこうとする」といった主観的確信からなる表象モデルを形成し,結果的に養育者との最低限の近接関係および安全の感覚を得るために,あえてアタッチメントのシグナルを最小限に抑え込む,すなわち回避的なふるまいを見せることになると考えられます。まだ Bタイプの子どもは「自分は受容される存在である」「他者は自分が困ったときには助けてくれる」といった内容の表象モデルを形成するため,養育者のふるまいにたしかな見通しをもつことができ,結果的にアタッチメント行動は全般的に安定し,たとえ一時的に分離があっても再会時には容易に立ち直り安堵感に浸ることができるといえます。一方,Cタイプの子どもは「自分はいつ見捨てられるかわからない」「他者はいつ自分の前からいなくなるかわからない」といった内容の表象モデルを形成しやすく,結果的に養育者の所在やその動きにいつも過剰なまでに用心深くなり,自分から最大限にアタッチメントシグナルを送出することで,養育者の関心を絶えず自分のほうに引きつけておこうとするようになるといわれています。このタイプの子どもが 再会場面で養育者に怒りをもって接するのは,いつまたふらりといなくなるかもわからない養育者に安心しきれず,怒りの抗議を示すことで,一人置いていかれることをなんとか未然に防ごうとする対処行動の現れと理解することができるでしょう。(後略)

(前略)ゼイフマンら(Zeifman & Hazan, 2008)は,アタッチメントのメカニズムが,ヒトの進化の過程で,子ども期における安全保障のみならず,成人期の安定した二者(男女)間の絆を確立・維持するようにも「共選択(co-opt)」されてきたと主張しています。彼らは,成人期のアタッチメントは特定男女間の一夫一婦的な絆の形成を通して,結果的にその遺伝子を分け持つ子どもの出生および生存と(性的成熟後の)繁殖の可能性を高めることに寄与するのだとしています。すなわち,アタッチメントが親子関係のみならず配偶関係においても一貫してそれを保持・強化する機能を果たすがゆえに,生涯トータルで考えても,遺伝子的な意味でその適応価が高いというのです。そして,この立場では,ボウルビィおよびエインスワースが乳幼児期におけるBタイプ(安定型)のアタッチメントを「自然のプロトタイプ」と考えていたように,一夫一婦間で長期的に維持される情愛的な絆を成人のアタッチメントの基本型と見なし,乳幼児期の安定したアタッチメントの発達上の帰結として,成人期における健全で機能的な配偶関係の形成が可能になるということを前提視するのです。逆にいえば,そこでは,持続的で安定したアタッチメントから逸脱した種々の関係性の形態は,相対的に適応価の低い(遺伝子の維持・拡散に貢献しない)不適応・機能不全型と見なされることになります。
その一方で,同じくアタッチメントを生存と繁殖の両方に寄与すると見なしはするものの,そこに現れる個人差に関しては,まったく異なる見方をする立場もあります。元来,Bタイプのアタッチメントをヒトの進化的適応環境(Environment of Evolutionary Adaptedness:EEA)に合致したプロトタイプと見なすボウルビィとエインスワースの考え方には批判があり,Aタイプ(回避型)やCタイプ(アンビヴァレント型)などの他のアタッチメントの形態も特定環境下においては十分に高い生物学的機能を果たしうるのではないかという見解を有する研究者も少なくはありません。そして,これらの研究者のなかには,ヒトの粗先におけるEEAがそもそも,ボウルビィが仮定したほど画一的かつ穏和なものではなく,むしろ種々雑多で不確かな,ときには厳酷な状況が確率的に多く生じうるような環境であり,そのなかで,BのみならずAやCといったアタッチメント・タイプが代替的な適応戦略として進化してきた可能性を主張する向きもあるのです(e.g. Belsky, 2005;Simpson & Belsky, 2016)。
加えていえば,近年,個人レベルではなく集団レベルでヒトの適応を考えると,単一のアタッチメント・タイプではなく,複数・多様なアタッチメント・タイプが存在することで,とりわけ何らかの脅威下におけるヒトの生存や繁殖の可能性が高度に維持されうるのではないかという指摘もなされています(Ein-Dor & Hirschberger, 2016)。この社会的防衛理論という立場によれば,脅威下において,たとえばCタイプは,より素早く危険を察知しシグナルを発信することにおいて,Aタイプは,何らかの形で危険を察知するとそこから迅速かつ的確に逃避する,あるいは他者の逃避を促すということにおいて,集団としての適応性に寄与しているところがあるのではないかと考えられます。

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Zeifman & Hazan, 2008」は次の本です。 「Zeifman, D., Hazan, C. (2008) Pair bonds as attachments: Reevaluating the evidence. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.436-455.」 iii) 引用中の「Belsky, 2005」は次の本です。 「Belsky, J., (2005) The developmental and evolutionary psychology of intergenerational transmission of attachment. In: Carter, C.S., Ahnert, L., Grossmann, K.E. et al. (eds.), Attchment and bonding: A new synthesis. MIT Press, pp.169-198.」 iv) 引用中の「Simpson & Belsky, 2016」は次の本です。 「Simpson, J.A. & Belsky, J., (2016) Attachment theory within a modern evolutionary framework. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.91-116.」 v) 引用中の「Ein-Dor & Hirschberger, 2016」は次の論文です。 「Defining and assessing individual differences in attachment relationships: Q-methodology and the organization of behavior in infancy and early childhood.

加えて、上記「コーナーストーン」としての「Dタイプ(無秩序・無方向型〔disorganized/disoriented〕)の発見」について、同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 3 臨床的視座から見るアタッチメント の「(2)Dタイプアタッチメントの発生因と発達的帰結」における記述の一部(P078~P082)を次に引用します。

近年のアタッチメント理論における臨床回帰の動向を語るうえで,最も注目すべきは,Dタイプ,すなわち無秩序・無方向型(disorganized/disoriented)アタッチメントということになるでしょう。エインスワースのSSPに礎を置く従来のアタッチメント研究においては,子ども期およびその後のアタッチメントを安定型(secure)であるBタイプと,不安定型(insecure)であるAタイプ(回避型)およびCタイプ(アンビヴァレント型)に振り分けることが一般的であったといえます。そして,かつてはその不安定型と個人の心理社会的不適応や精神病理との関連が問われ,たとえばAタイプと外在化問題行動との,またCタイプと内在化問題行動との密接な結びつきが仮定されたこともあったようです(北川, 2005)。
しかし,最近のより一般的な認識によれば,AタイプもCタイプも不安定(insecure)とカテゴライズされるにせよ(すなわち子どもの側からすれば容易に安心感を得られないにせよ),Bタイプと同様,特定の養育環境に対する適応方略と見ることができ,少なくとも養育者等との近接関係の確立・維持という究極のゴールからすれば それぞれが(Aタイプはアタッチメントのシグナルを最小化するという意味で Cタイプは逆にそれを最大化するという意味で)「組織化されている(organized)」,そしてみずからが置かれた養育環境下では有効に機能している可能性が高いと考えられます(e.g. Main, 1991)。むしろ,多くの研究者はここにきて,その関心を一気に,そうした組織化されたアタッチメントの対極にある「組織化されていない(disorganized)」アタッチメント,すなわちDタイプに注ぎ始めているようです。臨床的視点から注目すべきは,アタッチメントが安定しているか否か(secure/insecure)の軸というよりも,組織化されているか否か(organized/disorganized)の軸だというのです(Green & Goldwyn, 2002)。
このDタイプの特徴は,SSPのような状況においてまさに組織立っていない,すなわち近接と回避という本来ならば両立しない行動を同時的に(たとえば顔をそむけながら養育者に近づこうとする)あるいは継時的に(たとえば養育者にしがみついたかと思うとすぐに床に倒れ込む)見せるところにあります。また,不自然でぎこちない動きを示したり,タイミングのずれた場違いな行動や表情を見せたりします。さらに,突然すくんでしまったり,うつろな表情を浮かべつつじっと固まって動かなくなったりするようなこともあり,総じてどこへ行きたいのか,何をしたいのかが読みとりづらいという特徴があります(Main & Solomon, 1990;Solomon & George, 2011)。
このDタイプがとりわけ臨床的に注目されるのは,このように行動そのものが不可解だからでもありますが,それ以上に,このタイプに分類される子どもの多くが成育する養育環境の特異性にあるといえるでしょう。いわゆるハイリスクサンプルで,とりわけ養育者側の種々の心理社会的な問題によって特徴づけられる臨床群において,その比率がきわめて高くなるという報告がなされているのです(Cyr et al., 2010)。このタイプの子どもの養育者像については,抑うつ傾向が高かったり精神的に極度に不安定だったり,また日頃から子どもを虐待したりするなどの危険な兆候が多く認められることが,これまでに明らかにされています(Lyons-Ruth & Jacobvitz, 2016)。とくに被虐待児を対象にした研究のなかには,被虐待児の実に8割から9割がこのDタイプによって占められるのではないかという見方を示しているものもあります(e.g. Carlson et al., 1989;Cicchetti et al., 2006)。付言すれば 養育者による極端なネグレクトとの関連が強く疑われる非器質性成長障害(failure to thrive)の子どもにおいても,このタイプの比率がかなり高くなるという指摘もあります(Ward et al., 2000)。
先にもふれた世代間伝達の研究からは,こうした子どもの養育者がAAIにおいて,特定のトラウマ事象(主要な人物との死別や別離あるいはみずからの被虐待経験など)に関して選択的にメタ認知が崩れ,矛盾・崩壊した内容の語りをする未解決型に分類される確率が高いのではないかと仮定され,その検証が試みられてきました。上述したように,最近のメタ分析の結果からは総じて,子どものDタイプと親の未解決型との一致率がそう高くはならないことが示されていますが,少なくともいくつかの研究ではかなり強い関連性が見出されており,日本人サンプルを扱った研究でも,未解決型および分類不可能型の養育者とDタイプの子どもとの間に77%の合致が認められたことが報告されています(Behrens et al., 2007)。
ちなみに,Dタイプの提唱者であるメインら(Main & Hesse, 1990)は,こうした養育者の自身の過去の喪失やトラウマ等に関する未解決の心的状態が 多くの場合,日常の子どもとの相互作用において「おびえ/おびえさせる(frightened/frightening)」ふるまいとして現れる可能性を示唆しています。彼女らによれば,このタイプの養育者は,日常生活場面において突発的に過去のトラウマティックな記憶などにとりつかれ,おびえたり混乱したりすることがあるといいます。そして,そのおびえ混乱した様子,具体的には,うつろに立ちつくしたり,急に声の調子を変えたり,顔をゆがめたり,子どものシグナルに突然無反応になったりするといった養育者のふるまいが,結果的に子どもを強くおびえさせ,それが不可解なDタイプの行動パターンを生み出すと考えられています。メインらは,それを子どもにとっての「解決不可能なパラドクス」と表現していますが,本来,危機的状況で逃げ込むべき避難所であるはずの養育者が子どもに危機や恐怖・不安を与える張本人になってしまうという,ある意味きわめてパラドクシカルな状況下において,子どもは養育者に近接も回避もできず,どっちつかずの行動をとらざるをえなくなり,ときにはそれこそフリーズしてしまう,すなわちそこでただすくみ,うつろな状態で行動停止してしまうことになるのではないかといいます。
最近は,さらに進んで Dタイプの特徴が ここまで述べてきたようないわゆるハイリスクサンプルの子どもだけでなく,ごく一般的なサンプルの子どもにも一定程度(約15%)認められる(van IJzendoorn et al., 1999)こと,また,子どものDタイプと養育者の未解決型との関連はある程度認められるものの合致しないケースも少なからず存在することなどから,Dタイプの子どもおよびその養育者には,(潜在的には通底するところがあるものの)少なくとも表面的には異なった様相を呈する2種のサブタイプが存在するのではないかと考えられ始めています。とくにライオンズ-ルースら(Lyons-Ruth et al., 2004)は,Dタイプの子どもには,一部AタイプあるいはCタイプ的な行動特徴を見せるD-不安定型と,通常,落ち着いているときにはBタイプ的行動(養育者への近接とそれに伴う泣きの停止)が優位となるD-安定型とが,ほぼ同じくらいの割合で存在する可能性を指摘しています。そして前者の子どもが,相対的に自己中心的で敵対的・攻撃的な行動を子どもに直接向けることによって子どもをひどくおびえさせるような養育者(敵対・自己中心型)のもとで成育していることが一般的であるのに対し,後者の子どもは,どちらかというとおとなしく,ときには子どもに優しく接するような養育者のもとで成育している確率が高いとしています。ただし,後者の養育者はきわめて無力感(helplessness)が強く,少しのストレスでも動揺し,おびえ,情緒的にひきこもってしまう傾向が強いようです(おびえ・無力型)(e.g. Goldberg et al., 2003)。(中略)

なお,こうした乳児期におけるDタイプの特徴は,3歳くらいから徐々に,子どもの認知能力の高まりとともに,別種の行動パターン,すなわち統制型(controlling)へと変じ始めることが知られています(Howe, 2005;Moss et al., 2004)。いつ突発的に養育者の精神状態が崩れるかわからず,その結果として子ども自身が虐待も含めた養育者の不適切な行為の犠牲になったり,安心の基地や安全な避難所を失うことになったりせざるをえないのであれば,子どもは,養育者との役割の逆転を図り,自身が環境を統制する(control)側に回ろうとし始めるというのです。具体的には養育者のことを過度に気遣いさまざまな世話をしようとしたり(世話型),あるいは養育者に対してひどく懲罰的・高圧的あるいは侮辱的にふるまおうとしたり(懲罰型)する形で,子どもは,養育の主導権をみずから掌握しようと試み始めるようです。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「北川, 2005」は次の本です。 【北川恵 (2005)「アタッチメントと病理・障害」数井みゆき・遠藤利彦編『アタッチメント-生涯にわたる絆』ミネルヴァ書房,pp.245-264.】 iii) 引用中の「Main, 1991」は次の本です。 「Main, M. (1991) Metacognitive knowledge, metacognitive monitoring, and singular (coherent) vs. multiple (incoherent) models of attachment: Findings and directions for future research. In: Parkes, C.M., Stevenson-Hinde, J., & Marris P. (eds.), Attachment across the life cycle.Routledge, pp.127-159.」 iv) 引用中の「Green & Goldwyn, 2002」は次の論文です。 「Annotation: attachment disorganisation and psychopathology: new findings in attachment research and their potential implications for developmental psychopathology in childhood」 v) 引用中の「Main & Solomon, 1990」は次の本です。 「Main, M., & Solomon, J. (1990) Procedures for identifying infants as disorganized/disoriented during the Ainsworth Strange Situation. In: Greenberg, M.T., Cicchetti, D., & Cummings, E.M. (eds.), Attachment in the preschool years: Theory, research, and intervention.University of Chicago Press, pp.121-160.」 vi) 引用中の「Solomon & George, 2011」は次の本です。 「Solomon, J., & George, C. (2011) Disorganized attachment and caregiving. Guilford Press.」 vii) 引用中の「Cyr et al., 2010」は次の論文です。 「Attachment security and disorganization in maltreating and high-risk families: a series of meta-analyses」 viii) 引用中の「Lyons-Ruth & Jacobvitz, 2016」は次の本です。 「Lyons-Ruth, K., & Jacobvitz, D. (2016) Attachment disorganization from infancy to adulthood: Neurobiological correlates, parenting contexts, and pathways to disorders. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.91-116.」 ix) 引用中の「Carlson et al., 1989」は次の論文です。 「Disorganized/disoriented attachment relationships in maltreated infants.」 x) 引用中の「Cicchetti et al., 2006」は次の論文です。 「Fostering secure attachment in infants in maltreating families through preventive interventions」 xi) 引用中の「Ward et al., 2000」は次の論文です。 「Failure-to-thrive is associated with disorganized infant-mother attachment and unresolved maternal attachment.」 xii) 引用中の「Behrens et al., 2007」は次の論文です。 「Mothers' attachment status as determined by the Adult Attachment Interview predicts their 6-year-olds' reunion responses: a study conducted in Japan」 xii) 引用中の「Main & Hesse, 1990」は次の本です。 「Main, M., & Hesse, E. (1990) Parents' unresolved traumatic experiences are related to infant disorganized attachment status: Is frightened and/or frightening parental behavior the linking mechanism? In: Greenberg, M.T., Cicchetti, D., & Cummings, E.M. (eds.), Attachment in the preschool years: Theory, research, and intervention.University of Chicago Press, pp.161-182.」 xiii) 引用中の「van IJzendoorn et al., 1999」は次の論文です。 「Disorganized attachment in early childhood: meta-analysis of precursors, concomitants, and sequelae」 xiv) 引用中の「Lyons-Ruth et al., 2004」は次の本です。 「Lyons-Ruth, K., Melnick, S., Bronfman, E. et al. (2004) Hostile-helpless relational models and disorganized attachment patterns between parents and their young children: Review of research and implications for clinical work. In: Atkinson L., & Goldberg, S. (eds.), Attachment issues in psychopathology and intervention. Lawrence Erlbaum Associates, pp.65-94.」 vx) 引用中の「Goldberg et al., 2003」は次の論文かもしれません。 「Atypical maternal behavior, maternal representations, and infant disorganized attachment」 vxi) 引用中の「Howe, 2005」は次の本です。 「Howe, D. (2005) Child abuse and neglect: Attachment, development and intervention.Palgrave.」 vxii) 引用中の「Moss et al., 2004」は次の論文です。 「Attachment at early school age and developmental risk: examining family contexts and behavior problems of controlling-caregiving, controlling-punitive, and behaviorally disorganized children」 vxiii) 引用中の「Dタイプ」に関連する「組織化されていないアタッチメントの背景要因」について、引用中の「おびえ/おびえさせる」ことを含めて同の 第Ⅲ部 アタッチメントを実践に応用する の 第9章 虐待・不適切な養育とアタッチメントの未組織化 の「3 組織化されていないアタッチメントの背景要因」における記述の一部(P172~P173)を次に引用します。

先行研究からは,虐待や不適切な養育が子どものアタッチメントの組織化に破滅的な影響をもたらすことが示されています。メタ分析によれば,被虐待群のうち48%の子どもがDタイプに分類されました(van IJzendoorn et al., 1999)。一方,対照群(虐待を受けていない中流階級の非臨床辞)においては,Dタイプに分類されたのは15%でした。これは,虐待・不適切な養育を受けた子どもの約半数が組織化されていないアタッチメントに分類されることを意味します。別のメタ分析においても,虐待・不適切な養育を受けた群においては,安定型よりもDタイプに分類されることが多く,その効果量は他のリスク因子と比べて最も大きかったことが明らかになっています(Cyr et al., 2010)。ただし,Dタイプに分類されることが,子どもが虐待を受けていることを示すわけではないことに注意する必要があります(Granqvist et al., 2017)。つまり,虐待が報告されていてもDタイプに分類されないことがあり,逆に虐待の報告がない子どもでもDタイプに分類されることがあります。そのため,Dタイプに至る背景にはさまざまな経路があると考えられています。以下では,虐待・不適切な養育以外の背景要因を概観していきます。
まず,養育者の未解決なトラウマや喪失が,子どものアタッチメントの組織化と関連するようです。たとえば,愛する人との死別などの養育者の未解決な喪失やトラウマがDタイプと関連することがメタ分析から明らかになっており,Dタイプに分類された子どもの養育者のうち53%が,アダルト・アタッチメント・インタビューの未解決型に分類されています(van IJzendoorn, 1995)。
このような養育者の未解決な喪失やトラウマは,それ自体が直接子どものDタイプにつながるというよりも,養育者がとる「おびえ/おびえさせる」行動を媒介してアタッチメントの未組織化につながると考えられています。つまり,子どもから見れば,急に養育者がおびえたり,表情が変わったりすることで,子どもの恐怖もまた喚起されます。それと同時に,本来であれば近接を保ち安心感を回復させてくれる養育者が利用できない状態になってしまい,虐待と同様,子どもは解決不能パラドックスに身を置くことになります。
具体的な養育者のおびえ/おびえさせる行動としては,ライオンズ-ルースらが下記の行動を挙げています(Lyons-Ruth et al., 1999)。第一に,子どもをおびえさせたり,子どものやっていることを邪魔したり,嘲笑・からかいなどの悪意をもったコミュニケーションを行ったりする,ネガティヴで侵襲的な行動。第二に,養育者のニーズを子どものニーズよりも優先するような役割混乱(例:乳児が苦痛を示しているときに,乳児に自分を安心させるように求める)。第三に,養育者が怖がっていたり,情動的に奇妙であったりすること(例:養育者の声の変調がみられたり,乳児と関わるときに養育者の様子が硬かったり,ぎこちなかったりする)。第四に,子どもが慰めを求めているのに,矛盾したコミュニケーションをとったり,シグナルを誤認したりする情緒的コミュニケーションのエラー(例:子どもから身体的に距離をとりながら,言語的には乳児に「おいで」と言ったり,泣いたままの乳児を放置したりする)。第五に,乳児と関わるときに過剰に遠慮すること。この枠組みに基づき,AMBIANCE(Atypical Maternal Behavior Instrument for Assessment and Classification)という観察方法が開発され,さまざまな研究で用いられています。マディガンらのメタ分析では,未解決な喪失やトラウマがAMBIANCEによって測定された養育者のおびえ/おびえさせる行動を媒介して,子どものDタイプに関連することが示されています(Madigan et al., 2006)。また,虐待のない親子においても,養育者の未解決な喪失やトラウマがあり,養育者がおびえ/おびえさせる行動を行う場合,Dタイプにつながることが示されています(Schuengel et al., 1999)。
他にも,家族が抱えるリスク因子とアタッチメントの未組織化が関連することが示唆されています。たとえば 虐待や不適切な養育だけでなく,低所得や一人親世帯,低学歴,若くしての出産,マイノリティ性,薬物中毒などのリスクが5つ以上蓄積されると,安定型ではなくDタイプに分類されやすいようです(Cyr et al., 2010)。まだ 養育者の深刻で慢性的な抑うつ(Martins & Gaffan, 2000)や境界性パーソナリティ障害(Hobson et al., 2005)などの精神疾患とDタイプとの関連も明らかになっています。(後略)

注:i) この引用部の著者は平田悠里、遠藤利彦です。 ii) 引用中の「van IJzendoorn et al., 1999」、「van IJzendoorn et al., 1995」はそれぞれ次の論文です。 「Disorganized attachment in early childhood: meta-analysis of precursors, concomitants, and sequelae」、「Adult attachment representations, parental responsiveness, and infant attachment: a meta-analysis on the predictive validity of the Adult Attachment Interview」 iii) 引用中の「Cyr et al., 2010」は次の論文です。 「Attachment security and disorganization in maltreating and high-risk families: a series of meta-analyses」 iv) 引用中の「Granqvist et al., 2017」は次の論文です。 「Disorganized attachment in infancy: a review of the phenomenon and its implications for clinicians and policy-makers」 v) 引用中の「Lyons-Ruth et al., 1999」は次の論文です。 「Maternal frightened, frightening, or atypical behavior and disorganized infant attachment patterns.」 vi) 引用中の「Madigan et al., 2006」は次の論文です。 「Unresolved states of mind, anomalous parental behavior, and disorganized attachment: a review and meta-analysis of a transmission gap」 vii) 引用中の「Schuengel et al., 1999」は次の論文です。 「Frightening maternal behavior linking unresolved loss and disorganized infant attachment」 viii) 引用中の「Martins & Gaffan, 2000」は次の論文です。 「Effects of early maternal depression on patterns of infant-mother attachment: a meta-analytic investigation」 ix) 引用中の「Hobson et al., 2005」は次の論文です。 「Personal relatedness and attachment in infants of mothers with borderline personality disorder」 x) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、境界性パーソナリティ障害をはじめとしたパーソナリティ障害と愛着との関連については次の資料を参照して下さい。 「愛着とパーソナリティ障害 ――愛着理論はパーソナリティの適応化にどのように貢献できるか?――

その上に、上記「コーナーストーン」としての「アダルト・アタッチメント・インタビュー(AAI)」(資料「Adult Attachment Interview の臨床への適用とその展望」を参照すると良いかも)について、同の 第3章 アタッチメント理論の成長と発展 の 2 生涯発達的視座から見るアタッチメント の「(3)生涯にわたるアタッチメントの時間的連続性」における記述の一部(P064~)を次に引用します。

(前略)ここで,青年期・成人期におけるアタッチメントの個人差をいかに測定しうるのかということが1つ問題になるわけですが,そこには大別して2種の方法論の系統があるといえます。1つは主に親子関係の文脈におけるアタッチメントの発達に基本的関心を寄せる研究者が多くとる手法であり,幼少期の親との関係に関わる面接手法を用いて,成人の表象的なアタッチメントのタイプ分けを図るものです。もう1つは,主に青年期以降の親密な他者との関係性とそこにおける種々の心理社会的適応性に基本的関心を寄せる研究者が多くとる手法であり,自己報告型の質問紙を用いて,一般的には他者に対する回避的な行動傾向と,他者との関係構築・維持に関わる不安の傾向という二次元の連続量のスコアを算出します。

アダルト・アタッチメント・インタビューによる検討
前者においては,アダルト・アタッチメント・インタビュー(AAI)という面接手法を用いて,成人期のアタッチメントの個人差を表現することが一般的となっています(Steele & Steele, 2008)。この手法の開発者メアリー・メインらは,乳児のSSPで得られるアタッチメント分類と,その養育者のアタッチメントをめぐる語りの特質との間に特異的な関連があることを見出し,その語りの特徴をより具体的に捉えうる面接方法としてAAIを案出したといわれています(Hesse, 2008)。この方法は,両親(やそれに代わる主要な養育者)との関係について子ども時代のことを想起し語ってもらうなかで,個人のアタッチメントシステムの活性化を促すよう工夫されており,「無意識を驚かす」ことで,被面接者自身も通常,意識化しえないアタッチメントに関する情報処理過程の個人的特性を抽出しようとするものです(遠藤, 2007a;2007b)。AAIでは,最終的に被面接者を,安定自律型(secure autonomous),アタッチメント軽視型(dismissing),とらわれ型(preoccupied),未解決型(unresoIved)のいずれかの類型に振り分けることになります。ちなみに,これらは,順に乳児期のSSPにおけるBタイプ(安定型),Aタイプ(回避型),Cタイプ(アンビヴァレント型),後述するDタイプ(無秩序・無方向型)に理論的に対応すると仮定されるものです。アタッチメントの時間的連続性は,基本的に,同一個人における乳児期のSSPの結果と成人期のAAIの結果とが,こうした理論的に想定される通りの一致を実際に見せるかどうかを問うという形で検討されます。
連続性・不連続性の評価は,概して,それぞれの研究のサンプルの性質やとられている方法論等に左右されることが多いといえそうです。これまでに行われた最も規模の大きいサンプルによる研究知見に言及しておくならば,少なくとも理論的に想定されるカテゴリーの一致に関しては,相対的にかなり低い値にとどまるようです(Groh et al., 2014)。N=857のNICHD(National Institute of Child Health and Human Development)のサンプルから得られたデータに基づき算出されだ15ヵ月時のSSPにおけるタイプと同一個人が18歳になった際のAAIにおけるタイプとの一致率は,4カテゴリーの分析で4割をやや超える程度,(SSPにおけるDタイプとAAIにおける未解決型を除いた)3カテゴリーの分析でも5割に満たないものでした。このうち,乳幼児期におけるSSPで多数派を占めるBタイプだった個人が青年期におけるAAIで安定自律型であった割合が6割程度だったことを勘案すれば,乳幼児期にアタッチメントが不安定だった個人(Aタイプ,Cタイプ,Dタイプ)における時間的変動がとりわけ大きいといえそうです。ちなみに,この研究報告では,アタッチメントに関わる各種連続量スコアからも,乳幼児期と18歳時のアタッチメントの時間的安定性に関して分析を行っているのですが,その値は総じて統計的に有意ではあってもかなり微弱なものでした(平均してr=.12)。
同様の分析結果は他の研究論文(e.g. Pinquart et al., 2013;Raby et al., 2015)においても示されており,社会経済的に比較的恵まれ,生活環境に時間軸上の変化があまりないようなサンプルの場合にはやや高い連続性が,逆に家族構成や経済状況も含め生活環境の変化が多く生じやすいようなハイリスクサンプルの場合にはやや低い連続性が認められる傾向が,たしかに多少みられるようです。ただ,原理的な意味で,アタッチメントは幼少期から思春期・青年期にかけて,それなりに変化しうるものと考えておくほうが妥当なのかもしれません(Booth-LaForce & Roisman, 2021)。
もっとも,この研究を手がけた論者らは,アタッチメントの時間的連続性を正当に評価するうえで,長い時間間隔をおいて,しかもまったく異なる方法でタイプ間の一致を見るという分析方法そのものがそもそも妥当なのかについて再考の余地があるのではないかと指摘しています。加えて,別の論文では,観察を通して評定された父母の幼少期の子どもに対する敏感性の程度が,SSPの結果以上に,同一個人の青年期になった際のAAIの結果をより強く予測するということも報告しており(Haydon et al., 2014),乳幼児段階の親子関係の質がその後の個人のアタッチメントに及ぼす長期的な影響に関しては,今後,別の角度からの分析も必要だといえそうです。(後略)

注:i) この引用部の著者は遠藤利彦です。 ii) 引用中の「Steele & Steele, 2008」は次の本です。 「Steele, H., Steele, M. (eds.) (2008) Clinical applicatios of the Adult Attachment Interview. Guilford Press.」 iii) 引用中の「Hesse, 2008」は次の本です。 「Hesse, E. (2008) The Adult Attachment Interview: Protocol, method of analysis, and empirical studies. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.552-598.」 iv) 引用中の(遠藤)「2007a」、「2007b」はそれぞれ次の本と資料です。 【遠藤利彦 (2007a) 「アタッチメント理論とその実証研究を俯瞰する」数井みゆき・遠藤利彦編『アタッチメントと臨床領域』ミネルヴァ書房,pp.1-58.】、【遠藤利彦 (2007b) 「アタッチメント理論の現在-特に臨床的問題との関わりにおいて」『乳幼児医学・心理学研究』16; 13-26.】 v) 引用中の「Groh et al., 2014」は次の論文です。 「The significance of attachment security for children's social competence with peers: a meta-analytic study」 vi) 引用中の「Pinquart et al., 2013」は次の論文です。 「Meta-analytic evidence for stability in attachments from infancy to early adulthood」 vii) 引用中の「Raby et al., 2015」は次の論文です。 「Continuities and changes in infant attachment patterns across two generations」 viii) 引用中の「Booth-LaForce & Roisman, 2021」は次の本です。 「Booth-LaForce, C., & Roisman, G.I. (2021) Stability and change in attachment security. In: Thompson, R.A., Simpson, J.A., & Berlin, L.J. (eds.), Attachment: The fundamental questions. Guilford Press, pp.154-160.」 ix) 引用中の「Haydon et al., 2014」は次の論文です。 「VII. Shared and distinctive antecedents of Adult Attachment Interview state-of-mind and inferred-experience dimensions」 x) 「安定自律型」の別名である「安定-自律型」と評定されることとなる「獲得安定」について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第3章 臨床のための愛着理論 の 6 その後の愛着研究におけるトピック の (2) 成人期の愛着 の「1) 安定ー自律型(secure-autonomous type)」における記述(P120~P122)を以下に引用します。 xi) 引用中の「成人期のアタッチメント」に類似する「成人のアタッチメント」と「臨床的問題」との関連について、同の 第8章 アタッチメントの病理・問題と臨床実践 の 1 アタッチメントの個人差と病理・問題 の「(4)成人における精神病理とアタッチメント」における記述の一部(P161~P162)を以下に引用します。

1) 安定-自律型(secure-autonomous type)(中略)

ところで,この安定-自律型に分類される回答者は,幼年期に両親との愛着が安定していた人だけではありません。先述したように,成人愛着における安定性を決めるものは過去の体験ではなく,その体験に対する現在の関わり方です。過去に愛着トラウマを含む逆境を体験していたとしても,このような体験と折り合いをつけており,筋の通ったナラティヴを生み出すことができ,愛着をポジティヴに評価しているなら,その回答者は安定-自律型と評定されます。この場合,その回答者は幼年期には愛着が不安定になりがちだったでしょうが,その後の人生において愛着の安定を獲得してきたと想定されるので,この安定を「獲得安定」(earned security)と呼びます(Hesse, 2008)。幼年期に両親のどちらとも安定した愛着関係を築けなかったとしても,親以外の副次的愛着人物から高水準の情緒的サポートを受けていたような場合には,成人愛着面接における判定が安定-自律型になることはよくあります。この副次的人物には,心理療法家,教師,地域の隣人などが含まれます。心理療法は,逆境を生きてきた人が愛着の安定を「獲得」する1つの方法です。
親が安定-自律型であれば,その子どもの愛着も安定型になることが多いのですが,このことは,親が獲得安定型であってもあてはまります。安定-自律型の人は,幼年期の愛着関係においてトラウマを体験していたとしても,その体験をメンタライズし,筋の通ったナラティヴとして語ることができる人です。このメンタライジング能力(内省機能)があるので その人は,自分が親になっても,子どもの出すサインに気づきやすく,子どもの精神状態について内省し,適切な応答を考えることができます。その結果,子どもの愛着も安定化していくと考えられるのです。(後略)

注:i) 引用中の「Hesse, 2008」は次の本です。 「Hesse, E. (2008) The Adult Attachment Interview: Protocol, method of analysis, and empirical studies. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 2nd ed. Guilford Press, pp.552-598.」 ii) 引用中の「内省」や「獲得安定」に関連する「幼少期に安定したアタッチメントの経験がないものの、のちに安定したアタッチメントを持つようになった人は、不安定型の人や、ずっと安定型であり続けている人より内省機能が高いとされる」ことについて、遠藤利彦監修の本、『アタッチメントがわかる本 「愛着」が心の力を育む』(2022年発行)の 第5章 大人にとってのアタッチメント の 変化をもたらす要因② 「自分を知ること」で安定しやすくなる の『「内省機能」の高さ』における連続する記述(P93)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【自分やほかの人の行動を心の観点から理解、解釈する力。過去の経験をとらえ直すことで、心のなかに取り込まれている思い込みが変わっていく可能性があります。】、【幼少期に安定したアタッチメントの経験がないものの、のちに安定したアタッチメントを持つようになった人は、不安定型の人や、ずっと安定型であり続けている人より内省機能が高いとされます。】

(4)成人における精神病理とアタッチメント
成人の精神病理とアタッチメントとの関連については,子ども時代のアタッチメントの長期的影響を検討する研究と,成人としてのアタッチメントとの関連を検討する研究があります。(中略)

乳幼児期のアタッチメントと成人の精神病理との関連について,最新のレビュー(Stovall-McClough & Dozier, 2016)によると,明確な関連が認められるのは,乳児期の無秩序・無方向型アタッチメントと青年・成人期の解離症状,そして,乳児期のアンビヴァレント型アタッチメントと青年期の不安障害のみとされます。この関連については,各アタッチメント行動の様相と症状が類似しているだけでなく(たとえば 無秩序・無方向型の子どもがSSP場面で見せるフリーズ状態と解離症状の類似性),養育経験の共通性からも説明できるとされます。つまり,養育者による虐待といった子どもにとって解決不能な(アタッチメント方略を組織化できない)恐怖の経験は,無秩序・無方向型のアタッチメントを招きやすいと同時に,逃れようのないストレスや恐怖に反応しやすい神経生物学的発達を促進し,解離症状に陥りやすくなると考えられます。また,アンビヴァレント型のように,必要なときに養育者を利用できないために過覚醒に陥ることが,のちの不安症状を招く神経生物学的発達につながると考察されています。今後は,遺伝と環境の相互作用を考慮するために神経科学などを含む学際的なチームで研究を進めることや,長期縦断研究を実現する環境整備も必要であると述べられています。
成人のアタッチメントと臨床的問題との関連については,過去25年間に行われた200以上の研究で測定された1万500以上のAAIのデータをメタ分析した研究(Bakermans-Kranenburg & van IJzendoorn, 2009)があります。その結果,臨床群においては非臨床群よりも不安定型(安定自律型以外のタイプ)が多く,なかでも未解決型が多かったそうです。内向性次元の問題(境界性パーソナリティ障害など)はAAIのとらわれ型や未解決型と関連しており,外向性次元の問題(反社会性パーソナリティ障害など)はAAIのアタッチメント軽視型やとらわれ型と関連していたそうです。うつ症状は,AAIの不安定型と関連していましたが,未解決型とは関連していませんでした。PTSDのような外傷性の問題は,AAIの未解決型と関連していました。うつについては,双極性障害のように注意を外に向ける外向性の症候もあれば 単極性障害のように内面に注意を向ける内向性の症候もあるため,うつの種類による検討が必要だろうと考察されています。

注:(i) この引用部の著者は北側恵です。 (ii) 引用中の「Stovall-McClough & Dozier, 2016」は次の本です。 「Stovall-McClough, K.C., & Dozier, M. (2016) Attachment states of mind and psychopathology in adulthood. In: Cassidy, J., & Shaver, P.R. (eds.), Handbook of attachment: Theory, research, and clinical applications. 3rd ed. Guilford Press, pp.715-738.」 (iii) 引用中の「Bakermans-Kranenburg & van IJzendoorn, 2009」は次の論文です。 「The first 10,000 Adult Attachment Interviews: distributions of adult attachment representations in clinical and non-clinical groups」 (iv) 引用中の「SSP」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「解離症状」に関連する「解離性障害」についてはリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を、引用中の「不安障害」についてはリンク集[用語:「不安障害(不安症)」]を それぞれ参照して下さい。 (vi) 引用中の「双極性障害」や「境界性パーソナリティ障害」については共にリンク集を、「反社会性パーソナリティ障害」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「表3.DSM-5 第2部におけるパーソナリティ障害のタイプ」 (vii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」や「反社会性パーソナリティ障害」に関連するかもしれない、「パーソナリティ障害傾向とアタッチメント・スタイルとの関連」については次の資料を参照して下さい。 「パーソナリティ障害傾向とアタッチメント・スタイルとの関連 ――横断研究による精神的健康への影響の検討」 (viii)引用中の「過覚醒」については次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒 / 覚醒亢進」 (ix) 引用中の「逃れようのないストレスや恐怖」を含むかもしれない「逆境体験」とアッタチメント・パターンの分類の関連について、「そだちの科学 2022年10月号」中の山下洋著の文書「逆境体験とアタッチメント」(P59~P64)の「逆境体験の世代間伝達とアタッチメント」における記述の一部(P61)を次に引用(『 』内)します。 『逆境体験が世代を超えて伝達される主な経路の一つとして、発達早期のアタッチメント形成の過程が注目される。成人の愛着対象に関連する内的表象と心理過程を明らかにする方法として成人愛着面接(Adult Attachment Interview:AAI)があるが、ACEsの数とAAIによるアタッチメント・パターンの分類の関連を見ると、ACEs質問票の四項目以上で「あり」と回答した多種類の逆境を経験した成人では、アッタチメント対象に関連する喪失体験や外傷体験の未解決な状態(Unresolved:U)または分類不能(Cannot Classify:CC)と分類されるケースが七二%と、通常の地域サンプルでの九%に比べて著明に高率であった(6)。』(注:a) 引用中の文献番号「(6)」は次の論文です。 「Adverse Childhood Experiences (ACEs) questionnaire and Adult Attachment Interview (AAI): implications for parent child relationships」 b) 引用中の「ACEs」[小児期逆境体験]についてはここを参照して下さい。)

一方、(質問紙法を用いた)「社会人格系の成人アタッチメント研究における知見」について、「サポート希求」や「コーピング」を含めて、上淵寿、平林秀美編著の本、「情動制御の心理学」(2021年発行)の 第Ⅱ部 情動制御と他の心理機能 の 第8章 アタッチメントと情動制御 の 4 社会人格系の成人アタッチメント研究における知見 の「(2) 社会人格系の成人アタッチメント研究で得られた知見」における記述の一部(P198~P202)を次に引用します。なお、上記「社会人格系」については「質問紙法を用いる」ことを含めてWEBページ「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」からダウンロード可能な資料「青年期・成人期のアッタチメントスタイルに関する研究 : 内的作業モデルの変化と機能」の「1-2-1 青年期・成人期のアタッチメント測定・分類」項を参照して下さい。

(2)社会人格系の成人アタッチメント研究で得られた知見

社会人格系の成人アタッチメント研究は,アタッチメントシステムそのものを情動制御装置だと想定している(Mikulincer & Shaver, 2016a)。つまり,アタッチメントシステムは,成人のもつ情動を制御するという試みや取り組み(regulatory efforts)の中に統合されており,注意,評価,心配(気にする,気がかりである),生理的覚醒,表情,思考,そして行動といった種々の情動過程に対して影響を与える。(中略)

③主要な一次的方略としてのサポート希求における個人差
概して,安定型の個人はサポート希求を行い,回避型の個人はサポート希求をあまり行わない,という結果は,比較的一貫していた(Mikulincer & Shaver, 2016a)。そして,アンビヴァレント型の個人についての結果には一貫性がなく,サポート希求と弱いながらも正の関連があるという結果と,そのような関連性はないという結果が混在していた。この知見の一貫性のなさは,アンビヴァレント型の個人の,サポートを強く望みながらも,サポートの利用可能性に疑いをもつ,という両価的な特徴を反映していると考えられる。

④ストレッサーに対する評価とコーピング
ラザルスとフォルクマン(Lazarus & Folkman, 1984)は「人がストレスを経験する際には,ストレス刺激の有害さと重大さの見積もり(一次的評価)と自分がストレスに際して用いることができる能力や資源についての見通し(二次的評価)が重要である」(中島ほか, 1999)と述べている。このうちの二次的評価に関しては,安定型の個人は,自分自身を脅威に対して効果的に対処できると評価していた。アンビヴァレント型の個人は,一貫して,出来事の脅威的な側面を過度に強調し(実際に被害を被ったわけではないが,そのような可能性があるので,苦痛だ,負担だ,困難だ,怖いと強調し),自分自身を脅威に対して効果的に対処できない人物だと評価していた。回避型の個人は,二次的評価については安定型と同じ結果であったが,脅威そのものに対する一次的評価については,それが否定不可能でかつ比較的長時間継続する場合には(6ヵ月の集中的な軍事訓練,離婚,先天性心疾患をもって生まれた子どもを育てる,など),アンビヴァレント型の個人と同じく,それらを過度に脅威的だと評価していた。
コーピング(ストレス対処法)については,概して,安定型の個人は,問題焦点型コーピング(問題の所在の明確化,情報収集,解決策の考案やその実行,など)を行っており,そして,問題が解決できないときには,その問題から距離をとるという方略を行っていた。アンビヴァレント型の個人は,情動焦点型コーピング(希望的思考,気晴らし,繰り返し考える,など)をより行っていた。回避型の個人は,問題から距離をとるという方略(ストレスを否定する,注意を逸らす,など)をより行っていたが,ストレッサーが深刻で持続的である場合には,アンビヴァレント型の個人と同じく,情動焦点型コービングをより行っていた(Mikulincer & Shaver, 2016a)。(後略)

注:i) この引用部の著者は中尾達馬です。 ii) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2016a」は次の本です。 「Mikulincer, M., & Shaver, P. R. (2016a). Attachment in adulthood: Structure, dynamics, and change (2nd ed). New York: Guilford Press.」 iii) 引用中の「Lazarus & Folkman, 1984」は次の本です。 「Lazarus, R. S., & Folkman, S. (1984). Stress, appraisal, and coping. New York: Springer.」 iv) 引用中の「中島ほか, 1999」は次の本です。 「中島義明・安藤清志・子安増生ほか(編著)(1999).心理学事典.有斐閣.」 v) 引用中の「コーピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「問題焦点型コーピング」や「情動焦点型コービング」については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「ストレスコーピング -自分でできるストレスマネジメント-」の「2. ストレスコーピング」項

これら以外にも、愛着の進化的機能について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第1章 愛着の定義 の 1 愛着の定義 の「(2) 愛着行動と愛着システム」における記述の一部(P63)を次に引用します。

(前略)最後に、愛着の進化的機能について付言しておきます。Bowlby は,愛着の進化的機能を危険からの保護と考えたわけですが,Fonagy(2006)は,その後の脳科学認知科学の研究成果に基づいて,この考えをさらに拡張しました。Fonagy によれば,私たち人間における大脳新皮質(および認知能力)の急激な進化を自然淘汰と突然変異で説明することはできません(Allen et al., 2008)。大脳新皮質の急速な進化をもたらした要因は,人間が社会の中で仲間と競争・協力するために高度な社会的認知能力と社会的スキルを必要とするようになったことだと考えられます。この社会的認知能力を司る脳領域は,「社会脳」(social brains)と呼ばれています。そして,社会脳・社会的認知の発達のために必要とされる環境が,安定した愛着関係なのです。したがって,愛着の進化的機能は,子どもを危険から保護することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することにとどまらず,社会脳およびその働きとしての社会的認知の発達を促進することであるというのが,Fonagy の見解です(Allen et al., 2008; Allen, 2013b)。(後略)

注:i) 引用中の「Allen et al., 2008」は次の本です。 「Allen, J. G., Fonagy, P., & Bateman, A. W. (2008). Mentalizing in clinical practice. Washington, DC: American Psychiatric Publishing. (アレン J. G.・フォナギーP.・ベイトマンA. W. 著、狩野力八郎(監修)上地雄一郎・林 創・大澤多美子・鈴木康之(訳)(2014).メンタライジングの理論と臨床——精神分析・愛着理論・発達精神病理学の統合—— 北大路書房)」 ii) 引用中の「社会脳」については、次のWEBページを参照して下さい。 「社会脳 - 脳科学辞典

一方、アッタチメント障害(又は愛着障害)と発達障害との鑑別の困難性について、 a) 田中康雄著の本、『ADHDとともに生きる人たちへ 医療からみた「生きづらさ」と支援』(2019年発行)の Ⅴ 「生きづらさ」の複雑多様な背景 の「アタッチメントの問題という視点」における記述の一部(P132)を以下に、 b) 杉山登志郎著の本、「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第3章 発達障害とトラウマ の「Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係」における記述の一部(P47)を以下に、 c) 岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第1章 発達障害の基礎知識 の 「いじめ」や「虐待」で発達障害になるの? の『ASDやADHDとよく似た「愛着障害」』項における記述の一部(P63)を以下に それぞれ引用します。加えて、「現実には小児期の愛着障害への対応は容易ではない.その理由のひとつに発達障害との鑑別困難があげられる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「不適切な生育環境に関する脳科学研究」の「Ⅱ 愛着障害脳科学」項 その上に、上記「その理由のひとつに発達障害との鑑別困難があげられる」ことのみならず、「我々は日々の臨床の中で,アタッチメント障害と発達障害とが複雑に絡み合うことを知っている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「アタッチメント(愛着)障害と脳科学」の「Ⅱ.アタッチメント(愛着)理論」項 さらに、(上記発達障害との鑑別困難にも関連するかもしれない愛着障害としての)反応性アタッチメント障害、脱抑制型対人交流障害については次のWEBページを参照して下さい。 「愛着障害の最新治療 こころの傷を癒やしにかえて」の「愛着障害:反応性アタッチメント障害、脱抑制型対人交流障害とは」項 また、「愛着障害発達障害(またはその逆)と診断し、それに基づいて治療を施しても、一向に症状の改善は見られない」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

アタッチメントの問題という視点

そのひとつがアッタチメントの形成不全、アタッチメント障害との鑑別の難しさです。現在アタッチメント障害には、対人面で過度に抑制した言動を示し、励ましも効果がなく、恐れと過度の警戒性と自他への攻撃性を特徴とする「反応性アタッチメント障害」と、見慣れない大人に積極的に近づきながらも、まったく誰彼かまわずベタベタし、社会的な脱抑制的行動を示す「脱抑制型対人交流障害」に二つがあります。
臨床的には、反応性アタッチメント障害は自閉スペクトラム症との鑑別で苦労し、脱抑制型対人交流障害はADHDとの鑑別に悩みます。(後略)

注:引用中の「自閉スペクトラム症」については他の拙エントリを、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい

Ⅵ 発達障害とトラウマの複雑な関係(中略)

また1990年代以降,アスペルガー症候群の登場によって,ASDの診断の地平が広がった。ASDと反応性愛着障害の鑑別も,ADHDと脱抑制型対人交流障害との鑑別も,きわめて困難である。この問題は今後,大きな臨床的なテーマになるのではないか。(後略)

注:引用中の「アスペルガー症候群」、「ASD」については他の拙エントリを、引用中の「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

ASDやADHDとよく似た「愛着障害」(中略)

愛着障害は、DSM-5の診断基準では、前述した「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」の2種類として定義されています。前者はASDに類似し、「滅多にまたは最小限にしか、安楽、支え、保護、愛情を込めた養育のためのアッタチメントを進んで求めることがない」もので、後者はADHDに似ている面があり、「ほとんど初対面の人への文化的に不適切で過度の馴れ馴れしさを含む行動の様式である」と説明されています。
つまり、愛着障害によって感情の表出や対人的相互反応が乏しくなり、集団に馴染めなかったり、あるいは、著しく馴れ馴れしく衝撃的になったり、いさかいを起こしやすくなったりすることがあり、ASDやADHDと類似した症状がみられるのです。
ASD、ADHD愛着障害は、症状面からは類似性が大きく鑑別が難しいことが珍しくありません。また、ASD、ADHDの特徴をもつ子どもは、虐待などの対象となるリスクが高いため、発達障害愛着障害が同時に存在することもみられます。(後略)

注:i) 引用中の「ASD」と「ADHD」については共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「DSM-5の診断基準」しての「反応性愛着障害」と「脱抑制型対人交流障害」については例えば次の資料を参照して下さい。 「愛着形成の問題を抱える生徒への支援」の前者は「反応性アタッチメント障害/反応性愛着障害 (Reactive Attachment Disorder:RAD) (DSM-5)」シート(P12)、後者は「脱抑制性対人交流障害 (Disinhibited Social Engagement Disorder:DSED) (DSM-5)」シート(P12)

〔j〕統合失調症
先ず「統合失調症の基礎知識」について簡単に紹介した後、主に統合失調症における陽性症状、陰性症状、無治療及び予防に関して、林公一著、村松太郎監修の本、「ケースファイルで知る統合失調症という事実」(2013年発行)からの複数の記述の一部を以下に引用します。

上記「統合失調症の基礎知識」についての紹介としては次の資料を参照して下さい。 「統合失調症の基礎知識 -診断と治療についての説明用資料」、「統合失調症 あなたはどう答えますか?」 加えて次のWEBページもあります。 「統合失調症の原因と症状チェック、なりやすい人とは」 その上に十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」(2014年発行)の 第4章 基本となる10の疾患 の「23 統合失調症」における記述の一部(P80~P81)を以下に引用します。

統合失調症は幻覚と妄想(項目18)を主な症状とする病気で、約一二〇人に一人がかかります。そのうち半数以上の人は一五~三〇歳代で発病しますが、稀ながら小学生で発病することがあります。項目4で説明したように、統合失調症は「脳」の問題であり、生得的素因が発病に大きく関与します。ただし、受験や厳しい研修などのストレスが発症につながることがあります。しかし、それらの心理社会的要因は“引き金”ではあっても直接的原因ではありません。休養やカウンセリングでは治らず、薬による治療が不可欠です。よくみられる病状経過として次のようなケースがあります。

まじめな高校三年の男子が、夏休み明けから授業中にぼんやりするようになり(=前駆症状)、独り言(=独語)を言うようになりました。次第に勉強が手につかなくなり、母親に「部屋に盗聴器が仕掛けられている」「街中が自分の噂をしている」「組織に狙われている(=被害妄想)。外は危ない」と言いだしました。また、”死ね”という声が聞こえる(=幻聴)ようになり、耳栓をして過ごすこともありました。ある晩、深夜に興奮して大声をあげ、意味不明なことをロにする状態(=錯乱状態)に陥り、両親に連れられて精神科を救急受診しました。その結果、統合失調症と診断され、薬が処方されました。医師からは「今日は家に帰り、薬を飲んで眠れるかどうか様子をみてください。もし眠れないで興奮が続くようならば入院しましょう」と説明を受けました。薬を服用すると翌日の昼までぐっすり眠り、元気はないものの、会話ができる状態となりました。一週間すると、盗聴器のことは気にならなくなり、幻聴も消えました。約四週間、自宅で休養した後、学校に病状を十分説明したうえで登校を再開することにしました。ただし、医師のアドバイスにより、本格的な受験勉強は行わず、まずは高校を卒業することに目標を絞り、再発の予防を最優先することにしました。

これは統合失調症の典型的な病状を示しており、数日から数週間の前駆症状(前ぶれとなる症状)の後に幻覚や妄想が現れ、薬(抗精神病薬)による治療でほとんどの症状が一旦治まったケースです。ただし、薬を中断すると再発します。
幻覚・妄想のような激しい精神症状(「陽性症状」)が落ち着いた後、全体的に活動性が低下する症状(「陰性症状」)が現れる人がいます。いずれの場合も病状が十分安定し、無理なく日常生活が送れるくらいに回復するまでは、受験、就職などストレスフルなことに挑戦するのは危険です。再発予防を最重視し、少しずつ活動を再開することが社会復帰への近道です。

注:i) 引用中の「項目4」及び「項目18」に対する引用は省略します。 ii) 引用中の「陽性症状」、「陰性症状」については、次のWEBページの各項をそれぞれ参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項、「陰性症状」項 加えて、「陽性症状」については項、「陰性症状」については項を それぞれ参照して下さい。

① 陽性症状に関して、同の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい」及び「Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖」における記述(P16~P21)を次に引用します。

Case 1-2 皆が悪意をもっているようでとてもつらい(本人の目から)
私は二十歳の大学生、女です。先月頃から通学することができなくなりました。誰も彼もが、私に対して悪意をもっているという考えに支配されて行けない状態です。
たとえば、大学では講師が私の考えを見透かしてつらくあたっていると感じます。無視されます。挨拶もしてくれません。
電車の中では、ほとんどすべての乗客から白い目で見られます。私のことを悪く思っている、不審に思っているに違いありません。
友達が私の悪口を裏で流しています。これも確信できます。友達の雰囲気でわかります。
もともと好きだったショッピングに気晴らしのつもりで行っても、「私が万引きをしていると店員さんが思っている」と考えてしまい、楽しむことができません。
みんなが、というより何だか町全体が、私に対して悪意をもち、私をつぶそうとしているような、恐怖感と不安感があります。そのため、大声で叫びたくなることもあります。
私は悪いことなどしていないのに、なぜみんなで私を悪く言うのでしょうか。そう考えているうちに、自分の中の想像(思考)が声になって聞こえてくるようになってきました。「何をしたってどうせうまくいかない」「死んだほうが楽になれる」「あんなウザい奴は殺してしまえ」など、こういったことがはっきり声として感じられます。最近では自分で考えたことではなく、誰かが言っている声として聞こえてきます。複数の人が私のことを言いながら、くすくす笑っているのです。
耐えられなくなった私が思わず「いい加減にしてよ」と、小声ですが、きつくロに出したら、その直後に「いい加減にしてだってよ」と聞こえたので、盗聴されていると気づきました。そこで、一生懸命、盗聴器を探しましたが、見つかりませんでした。どこかに巧妙に仕かけられているのでしょう。私の私生活の一部始終を監視して、みんなで笑っているのです。私の体のことも言っているので、盗撮もされているようです。私の写真がネットに流れているに違いありません。だからこの頃は、お風呂にも入れなくなってしまいました。本当にひどいと思います。
私が口に出さなくても、考えていることがばれているようなのです。大学でも講師に考えを見透かされていることからすると、頭の中に何か機械を埋め込まれたか、たとえそうでなくても、遠隔で脳波を読み取るとかしているのでしょうか。
遠隔といえば、この頃、足先から電気が走り、それが頭に達して気が狂いそうになることがあります。足先を調べたのですか、機械はないようなので(マイクロチップのようなものが入れられているかもしれませんが)、するとどこか遠くから電磁波のようなものをあてているのでしょうか。私が感電する様子を見て笑っているに違いありません。
もうこんな生活には耐えられません。私に嫌がらせをする人達への復讐のために、自殺しようかという気持ちまで出てきました。

Case 1-2 解説 幻聴、被害妄想、不安、恐怖
女子の大学生。幻聴や被害妄想が出て、学校に行けなくなっています。症状としては、ケース1-1と似ています。ケース1-1は、息子の統合失調症の発症に当惑する母親の目からの描写でした。このケース1-2からは、統合失調症の発症が、本人にとってはどのような体験であるかを知ることができます。幻聴や被害妄想とその結果としての言動は、周囲の目には奇妙なものに映りますが、本人は恐怖と不安でとても苦悩しているのです。
彼女が学校に行けなくなった大きな原因は、被害妄想です。
悪口を言われている。当初は被害妄想として始まり、その後、幻聴の形に発展しています。これも、統合失調症としてはよくある経過です。
「叫びたくなる」という言葉に象徴されるような、漠然とした不安感、恐怖感に、彼女は圧倒されそうになっています。この不安・恐怖は、幻聴と被害妄想からくるものという解釈も可能ですが、それ以前に、特に理由なく不気味な不安・恐怖が生まれ、その中から幻聴や被害妄想といった体験がにじみ出てくるというのも、よくある経過です。
いずれにせよ、この時期の統合失調症の人は、とても苦しい思いをしているのが常です。本人の体験の例としては、次のようなものがあります。

「三十歳、女性。いろいろな人から悪口を言われています。選挙の投票に行ったときや、郵便局の職員にも言われています。旅行に行ったときはホテルの隣の部屋の人が私の話を聞いて、それに対しての悪口を言っていました。いつも行っている美容院の人も悪口を言います。買い物に行っても店員や他の客が私の選んでいるものを見てケチをつけます。検診に行くと、看護師や他の患者さん達が私の服装や行動、話したことをいちいちバカにします。中には指をさしてコソコソ笑う人もいます。どこに人がいるかわからないけれど、悪口が聞こえることもあります。でも確実にこの人が言ったとわかるときもあります。目の前の人が言うときもあります。小声だったり、普通の大きさの声だったり、声の人数も性別もいろいろです」

「三十八歳、男性。転職してから幻聴が起こるようになりました(私は幻聴とは思っていませんが……)。私が考えていることが近所の人達に伝わり、それに対して近所の人達が答えるのです。少しでも悪口を考えると近所の人が怒り、『死ね、アホ』と罵声を浴びせられ、村八分にされているように思い、苦しんでいます。頭の中に脳波を読み取る機械が入っているとしか思えません」

「二十三歳、女性。盗聴や盗撮をされているという考えが抜けません。ひどいときには自分の体にカメラが埋め込まれていて、そこから同級生が私を見て笑っていると感じ、カメラを取り除こうと、カメラがあると思われるところ(目で直接確認しづらい背中や腰にあることが多かった)を必死で叩いていました」

「三十歳、男性。十年ほど前から、自分の考えていることに対して、声が返ってくるといったことが続いています。自分の考えが他人に伝わっているのです。テレビでも自分の考えたことに対して返答が返ってきたりします。これは絶対に錯覚ではないと思います。また、AさんがBさんの悪口を私に言ったあと、それがBさんに伝わって人間関係が崩壊したこともあります。私がBさんの悪口を思ったときに、Bさんが思いっきり八つ当たりをしてきたのは、私がテレパシーをBさんに送ってしまったからだと思っています」

「三十二歳、女性。私は高校生のときに不特定多数の人から聞こえよがしに悪口を言われ、態度にも嫌な感じを出されました。その後、短大に進学し、一年間は平気だったのですか、高校生のときの悪いうわさがまた広がり、同じく不特定多数から聞こえよがしの悪口を言われました。社会人になり、新人研修のときに五人くらいが私の座っている机の前にきて、周囲に聞こえるように大声で『アバズレ』だと言われました。実際に私はそんなことはしていません。外食、買い物、遠くに遊びに行っても、バカ、気持ち悪い、死ねなどの悪口が聞こえました。まったく無関係の高校生にもウザイ、キモイ、バカと言われます。また、隣町の夫の実家の前の電信柱にも『死ね』と二回書かれました」

「四十二歳、女性。近所の人に、集団で監視され、嘘のうわさを流されています。そのことを誰かに相談すると、攻撃(うわさを流すこと)が強くなります。町の人達は、私の近くで悪いうわさについてよくほのめかしたり(『あんなところに出かけているから疑われるのよ……』など)、携帯電話を取り出して私の顔を見なから誰かに報告しています」

これらのケースにはいずれも、被害妄想と幻聴を中心とする症状が見られています。このように、自分を取り巻く人々が、自分に悪意をもち、それをうわさや中傷、さらには何らかの攻撃行動として具体化してくる、というのが、統合失調症の妄想として最も多いパターンです。
また、「自分の考えが見透かされている」「テレパシー」などの言葉で表現されているように、何らかの形で自分の考えが他人に伝わる、あるいは逆に、他人の考えが直接自分に伝わってくるというのも、統合失調症に特徴的な症状で、思考伝播(または考想伝播)と呼ばれています。伝わってくるのは考えだけでなく、「電磁波」「電波」「電気」「念」「気」など、目には見えないが、本人には感じられるものという形を取ることもしばしばあります。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項

加えて、同の 第1章 症状 被害妄想と幻聴が主です の「Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました」及び「Case 1-3 解説 支離滅裂」における記述(P22~P25)を次に引用します。

Case 1-3 神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました(本人の目から)
二十歳、女性です。私は十八歳頃からだんだん人が怖くなり始めました。学校では「あれがうわさの○○だ」と、全校生徒から陰口をたたかれるといういじめにあい、学校の外でも、すれ違いざまに通行人にパカにされている気がするようになりました。すべての人が怖くなるあまり、受け答えがトンチンカンになり、また、無理に難しい言葉を使って話すようになりました。性格は暗くなり、何をしても楽しくなくなりました。インターネットにのめり込み、日がな一日攻撃的なことを書き込むようになりました。学校には行けなくなりました。家に一人でいると、風の音や、外の子どもの声などがとても大きく聞こえました。たまに外に出たあるときは、「街が何のためにあるのか理解できない」、「景色が透明に見える」ように感じ、何ともいえない不安感に包まれ、急に走り出して帰ってきてしまいました。
ふと、大好きだった祖母が迫害されているのではないかと心配になり、電話をしました。祖母と電話をしているのに、電話が混線しているような感じで、同級生の何人もの声が聞こえてきたりしました。私と祖母の話の内容を批評し合っているような内容でした。
そんな経緯で、外に出るのも電話するのも怖くなり、家族とも話さず、閉め切った部屋にひきこもるようになりました。でもテレビをつけると、私の心の中を代弁されているようで、すぐに消してしまいました。小説を読むと、まるで自分のことが書いてあるように感じられて仕方がありませんでした。近い将来、自分に大変なことが起こるという予感のようなものがあったのですか、それが何であるか、答えは読んでいる本の先に書かれているという確信をもちながら、こわごわと読み進めました。深夜でした。そうしていたら、書かれていたのは自分の将来ではなく、人類の将来だということが突然わかりました。その瞬間、それまでとは一転して、とても心が澄みわたっているように感じ、自分は神様から選ばれた預言者で、人々の救世主だと考え、外に出ました。寝巻きのままでした。
すべてを悟って、爽快な気分なのに、涙がとめどなく出ていました。人々の苦しみや悩みを、自分が抱えてあげているからなのだろうと納得していました。
家の近くの神社に着き、まるでずっと前から予定されていたような感じで、ごく自然に境内に入りました。そこで踊りを踊りました。体が勝手に動くのです。神社にすみついている霊が、私を踊らせているのだと思いました。けれども、預言者である私は、霊にとっては敵に違いないと思った瞬間、殺されるという恐怖にかられ、大声で泣き叫び始めました。私は預言者だけど、普通の女の子なのだから、殺さないでとか、そういうような内容だったと思います。
警察官がきました。私が預言者であることは世界中の人が知っていて、そんな私を警察が迎えにきたのだと思いました。でも、パトカーに乗せられて走り出してまもなく、私は真理に目覚めてしまったので安楽死させられるのだと思い、ものすごい恐怖心が生まれ、走っているパトカーから飛び降りようとして、警官に押さえつけられました。そうして私は、病院に入院させられたのです。

Case 1-3 解説 支離滅裂
「真夜中の神社の境内で、寝巻きのままの若い女性が、訳のわからないことを大声で泣き叫びながら踊っている」、おそらく警察にはこのように通報されたことでしょう。外見的にはその通りです。
けれども、この行動に至るまで、本人の中では、幻聴と被害妄想、そして不気味な不安と恐怖の体験が続いていたことがわかります。家族から見れば、何となくひきこもっている、何かあったのかな、と思いながら様子を見ていたところ、ある日突然に訳のわからない興奮状態になり、警察のお世話になって入院したということになり、いかに驚いたかは容易に想像できるところです。
ケース1-1で紹介した、統合失調症の診断基準をもう一度見てみましょう。

1 妄想
2 幻覚
3 まとまりのない会話
4 ひどくまとまりのないまたは緊張病性の行動
陰性症状、すなわち感情の平板化、思考の貧困、意欲の欠如など

このうち、1の妄想(多くは被害妄想です)と2の幻覚(幻聴を含みます)が、統合失調症の本人の体験している症状ですが、本人が語らない限り、これらは周囲にはわかりません。これに対して3の「まとまりのない会話」や、4の「ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動」は、周囲から見てそのように見えるということで、このケース1-3のように、これらの症状が出てはじめて統合失調症であるとわかることもあります。3と4は、ごく単純に言えば、「訳のわからない話と、ひどく変な行動」です。これらをまとめて「支離滅裂」ということもできます。統合失調症の症状として「支離滅裂」というときは、「まったく理解不能」というニュアンスを含んでいますが、背景として妄想が透けて見えることもよくあります。たとえば次のような形です。

「二十九歳の統合失調症の妹は、『自分は内閣総理大臣だったとき、給料が一億円振り込まれているはずなのにどこにやった。お前(姉である私のことです)は、自分が警視総監だったときに、絞首刑にしたはずなのに何で生きている。毎日毎日いちいち私のすることをじゃましてどういうつもりだ。お前は本当は〇〇〇人か、□□□人だろ』などと言ったり、『お前がおかしい、しっかりしなさい、何かがとりついている』と言い、台所から塩を取ってきて私にかけたり、擦り込んだり、口に入れようとしたりします。家の電気製品のコンセントをすべて抜いたり、テレビをお風呂場にもっていって水で洗ったりもします。先日はファミレスで近くに座った人をにらみ、ブツブツ言っていたかと思うと突然、『悪魔め! もう騙されないぞ! あの一億円を返せ!』とどなりつけて店中が大騒ぎになってしまいました」

この本人の言動は支離滅裂ですが、背後に妄想があることが読み取れます。このケースや、ケース1-3のように、まとまりのない言動が表面化するのも、統合失調症の一つの症状パターンです。

注:i) 引用中の「ケース1-1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「被害妄想」、「幻聴」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陽性症状」項 iii) 引用中の「陰性症状」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」の「陰性症状」項

陰性症状及び無治療に関して、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-3 悲惨なひきこもり」及び「Case 3-3 解説 重い陰性症状」における記述(P86~P89)を次に引用します。

Case 3-3 悲惨なひきこもり(家族の目から)
三十代の女性です。私の兄は、大学中退後からずっとひきこもりになっています。兄はもともと頭がよく、進学校に進学したのですが、大学入試に失敗して浪人し、結局は、滑り止めの行きたくなかった大学に進学しました。その頃よりパチンコに行くなど、ふらふらして暮らしていたようで、お金もすぐ使ってしまうようでした。先日、両親とアパートに行ってみたら、すごい状態の部屋に兄がいました。その部屋はもうゴミ屋敷の状態で、三十センチのゴミが重なってその上にまたゴミが、というようなすさまじいものでした。それで部屋を掃除して兄を実家に連れて帰ってきました。
もう少し兄に興味をもってあげていればよかったなと思います。十五年ほどのひきこもりです。五年ほど前は本屋へ行ったり、外食などはできていましたが、今はまったく外に出られません。外に誘ってもまったく相手にしてくれません。うん、と言うのですが行動につながりません。入浴も一か月に一回入ればまだいいほうです。髪の毛も家族が切っています。髪をカットするときなどはきちんと入浴してくれます。清潔行動がとれないのか、とりたくないのかがわからないのです。わざと私達にそのように見せつけているのか本当に精神病でおかしいのか判断できません。私達は家族なので病気だと思いたくないのもあるのかもしれませんが、あんなふうに一日寝てゲームして、また寝て好きなものだけ食べて生きているなんて、と思ってしまいます。
特から強迫観念的な癖というか、ドアを一度開けてはまた閉め直したり、階段を上っては下りて、また上ってと気が済むまで行うなどの行動がみられていました。神経質なのかなと思っていましたが、今思うと昔から精神病なのでしょうか。病院に連れていこうにも本人の病識かないので無理には連れていけません。
ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしていますが、人に危害を加えるなどということはないので、両親も強制的に病院に連れていくまでは考えていないようです。特に妄想とか幻聴があるわけではありません。なので、私もただのひきこもりかと思っていました。ですが、最近の状態はさすがに病気だと思います。トイレに入って大便を流さず、トイレットペーパーをかぶせたままの状態になっているようです。一度トイレに間に合わなかったのか、ズボンと廊下に大便が付着していたそうです。そのズボンは、家族が帰るまでそのままの状態にしてあったそうです。いつまでたっても部屋から出てこないので、どうしたのかと思っていたら何も身につけていなかったそうです。
時には何時間も真っ暗なままで入浴しているときがあります。でもそうでないときもあるので、一体何が兄をそうさせているのかわからず、扱いにくく困っています。この先ずっとこんな生活のままなのでしょうか。治療をすることでこの状態から抜け出せるのでしょうか。ときどき、「奴らを殺しに行くぞ」などと脅すように話していますが、実際外に出ることはありません(「奴ら」とは誰のことかわかりませんが、よくそういう言い方をしています)。精神病の人はタバコをすごく吸うと聞きますが、兄もかなりのヘビースモーカーです。大声を出して叫ぶことや皿を投げたりすることがありますが、家庭内暴力もないので、親もこのままにしておくつもりです。

Case 3-3 解説 重い陰性症状
「ひきこもり」は、現代ではごく一般的な用語になっていますが、もともとは精神医学では、統合失調症陰性症状による状態を指す用語でした。統合失調症は、思春期の頃に発症するケースが多く、そのまま治療を受けず、長年にわたってひきこもり続ける。これが一つの典型的な統合失調症の経過だったのです。
「だった」と言いましたが、現在もそういう例は多数存在します。ケース3-3はその一例です。
大学を中退してから、十五年にわたるひきこもり。不潔で非生産的な毎日。これらはまとめて、「無為・自閉」と呼びます。「人格水準の低下」と呼ぶこともあります。
統合失調症の診断基準の「陰性症状」には、「感情の平板化」「思考の貧困」「意欲の欠如」と記されています。ケース3-3の男性に、「意欲の欠如」があることは明らかです。「感情の平板化」とは、通常なら心を動かされるはずの出来事や働きかけに対し、あたかも感情が平らに固まってしまったかのように、反応がないことです。「思考の貧困」とは、文字通り、考える内容が浅薄で深みがないことです。これら「感情の平板化」と「思考の貧困」は、本人とある程度接してみないとわからないことですが、ケース3-3のような例では、まず間違いなく存在する症状であると言えます。
もっとも、「ときどきストレスで発狂しています。うわ――っと大声を出してみたり、物をぶつけたりしています」などからは、感情はむしら過敏ではないかと思われるかもしれません。それはある意味その通りなのですが、基調としては平板化した感情の中、時に異常な過敏さを示すというのは、統合失調症の一つの特徴です。
現代の日本では、ひきこもりは七十万人にのぼると言われています。その中の何パーセントが統合失調症であるか、まだ信頼できるデータは得られていません。けれども、統合失調症が百人に一人発症する非常に多い病気であること、そして発症は思春期から青年期という若い年齢が多いことをあわせれば、ひきこもりの中に統合失調症の人が相当な数存在することは当然に推定できます。
では、ひきこもりの人を見たときに、統合失調症ではないかと疑うポイントは何か。
一つは、このケース3-3のように、ここまで説明してきたような、陰性症状の特徴が見られることです。それが長年にわたり、しかもこのように常軌を逸したレベルになれば、統合失調症の可能性は濃厚すぎるくらい濃厚と言うことができます。もう一つのポイントは、陰性症状の中に幻聴や被害妄想の存在が見え隠れすることです。このケース3-3で言えば、繰り返される「奴ら」という表現です。家族は幻聴や妄想はないと判断しておられますが、「奴ら」を罵るこのような言動は、被害妄想(そして、幻聴)の存在を強く疑う根拠になります。このように、幻聴や被害妄想が見え隠れすれば、仮にひきこもりが軽度なものであっても、統合失調症であることは、ほぼ確実になります。さらに、ケース3-3では何年も前に強迫的な行動があったことも重要で、統合失調症の初発症状が強迫というのもよくあることです。
ケース3-3は、無治療のまま長年が経過し、陰性症状がひどくなってしまった例です。このような段階の陰性症状は、残念ながら、完全に治ることは期待できません。

注:i) 引用中の「幻聴」、「妄想」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陽性症状」項 ii) 引用中の「陰性症状」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項又は引用の「Case 1-3 解説 支離滅裂」項 iii) 長年の引きこもりが共通する等、この引用に関連するかもしれない一連のWEBページを次に示します。 「【3430】10数年ひきこもっている弟が最近、特許や亡命にこだわるようになった」、「【3459】保健所に相談し、一歩前進しました(【3430】のその後)」、「【3481】治療に向けてさらに前進しました(【3430】【3459】のその後)」 ちなみに、これらのWEBページを構成するサイト「Dr 林のこころと脳の相談室」はここを参照して下さい。

加えて、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「ワンポイント 無治療では人格水準の低下も」における記述の一部(P94~P95)を次に引用します。

(前略)統合失調症という病気概念の原型は、ドイツの精神科医クレぺリン(1856-1926年)が「早発性痴呆」と名付けた一群の患者です。「早発性」、すなわち若い年齢で発症し、「痴呆」の状態に陥る病、それが統合失調症の原型です。クレぺリンの教科書には、そうした患者の慢性化した状態が数多く書き残されています。その記載は、治療法が進歩した現代では古典というべきものですが、治療を受けなければ、現代も当時も、この病気の経過はまったく同じということになります。
クレぺリンの教科書から、いくつかそんな記載を引用してみましょう。以下は『精神分裂病』(クレぺリン著、西九四方・西九甫夫訳、みすず書房、1986年)からの引用です。

患者の生活態度全体をみると、無意味でまとまりがない。みかけは乱雑で、だらしなく、不潔で、奇異である。体を洗わず、妙な着衣をし、煙草をつないでボタン孔にさしたり耳に紙をつめたりし、患者は人に石を投げ、地面に十の字に横たわり、髪の毛を切り、裸になり、街のまん中で公然と水浴をし、夜ハーモニカを吹き鳴らし、浮浪者の仲間に入りやすく、乞食をし、盗みをし、留置場に入れられ、更正施設に入れられる。その行動は非常に交代しやすく、あるときは近づきやすく、無邪気で、人のいうがままになり、あるときは拒否的で、近づき難く、反抗的で、怒りっぽく、かっとなり、あるときは多弁で冗長であり、あるときは寡言で、口をきかない。話し方はしばしば衒奇的でわざとらしく、もったいぶり、説教的であったり、時にはそうぞうしかったり、あるいはわざとけがらわしいことをやったりする。〈p.96〉(中略)

ブツブツひとりごとをいい、何でもポケットの中に集め込み、一日中ピアノを鳴らし、突然何時間もどなり出し、わめきながらかけ出し、お祈りをしたり、歌を歌ったり、とめどもなく笑ったり、動機もなく暴力をふるったり、奇妙な腕や指の運動をしたり、手をよじり合わせたり、指をむしったり引っ張ったり 〈p.107〉(中略)

患者は仕事をやめ、家事を怠り、寝床に横になっており、世間からひきこもり、閉居してじっとしており、ひとりでじっと考え込んでおり、家から飛び出し、人を避けてこそこそ隠れ、まとまりのない話をする。〈p.103〉

心をわかせるような事件があっても無関心のままでおり、人が面倒をみてくれようと苦痛を加えようと顔色一つ変えない。〈p.107〉

患者は力が抜けて、だらっとして、不精で、人に頼り、放埓で、ほうっておき、ぶらぶらと無為に日を送り、無意味に金や財産を浪費し、偶然の影響に身をまかせ、こうして速やかにおちぶれてしまう。〈p.107〉

これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です。これらすべてをまとめて「人格水準の低下」と呼ぶこともよくあります。どれも二十世紀より以前、治療法がない時代の統合失調症の病像ですが、現在でも、無治療のままほうっておかれて、このような状態に陥ってしまうケースがあります。治療法があるのにそれを受けさせないのは、本人の未来を剥奪する行為と言わざるを得ません。

注:i) 引用中の「クレぺリンの教科書(中略)からの引用です」に対し、これらのクレぺリンの教科書からの引用は全て上記に引用しています。 ii) 引用中の『これらは、「無為・自閉」と呼ばれる状態です』における「これらは」直近の3つのクレぺリンの教科書からの引用(〈p.103〉、〈p.107〉、〈p.107〉)を指しているのかもしれません。 iii) 引用中の「無為・自閉」については、次のWEBページを参照して下さい。「統合失調症 - 脳科学辞典」における「陰性症状」項 iv) 無治療についての他の例は次項を参照して下さい。

③ 無治療に関して、同の 第3章 無治療 統合失調症は治療しなければ悪化します の「Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書」及び「Case 3-4 解説 無治療の行く末」における記述(P90~P93)を次に引用します。

Case 3-4 強盗致傷事件の簡易鑑定書(医師の目から)
氏名及び性別-氏名不詳、男、推定五十代
本籍住所-不詳
送致警察署、主任検事、検番-略
罪名-強盗致傷
犯罪事実-×年×月×日、○○市内の弁当店Aにおいて、同店経営者○○管理の惣菜である烏唐揚げ一個をもち去ろうとし、制止しようとした同店員○○の顔面を殴打し、全治二週間の切創を負わせたものである。
犯行とその前後の状況-一見してホームレスといった風貌で、髭は胸まで伸び、不潔感があったため、入店を認めた店員がすぐに事情を聴こうと近づいたところ、無視してブツブツ言いながら商品の鳥唐揚げに手を伸ばしてつかみ取り、そのまま店外に出ようとしたので、店員が制止しようとしたところ、いきなり振り向き「無礼者」とどなりながら顔面を殴打した。臨場した警察官に逮捕されたが、訳のわからないことを申し述べ続けたため、精神科医の診察となった。
診察時所見-おとなしく着席して診察に応じることはできる。絶えず小声で独語しているが、何を言っているのか聞き取れない。独語しなから笑い出すこともある。こちらから熱心に話しかけると、急に気づいたように話に応じるが、話が途切れるとまた独語が始まる。応じるといっても、何に対しても「はい、そうっす」「大丈夫っす」と答え(直後に反対の問いかけをしても同じ)、コミュニケーションが成立しているとは言い難かった。しかし犯行について問うと、急に目がつり上がり、独語の声が大きくなり、その中には「あの無礼者が」「俺の店」「四百四十億円」などが聞き取れるようになった。なだめつつ傾聴すると、概ね次のような内容を語った。「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った。市内のほとんどの、いや、全部の店は自分のものである。全部で千三百二十一軒ある(この数も聞くたびに異なっていた)。オーナーの自分に対し、弁当屋Aの店員は礼儀を欠いていたので罰を与えたまでである」。また、店に対する怒りを大声でまくしたてるので、どうやってそんな大金を稼いだのかと話を向けると「自分は超一流の映画監督である。ハリウッドでいくつもの大ヒット映画を作った。主役で出演もした。山田五十鈴と共演した。いや自分は山田五十鈴の子だ。いや吉永小百合の弟だ。ラスベガスでも大儲けした。その金が今も振り込まれてきているはずだが、きていない。何かの陰謀で政府に流れている。警察官も自分の部下だ。お前は警察の医者か、それなら俺の部下だ」などなど、一応質問に関連ある内容を答えるが、その内容は一定せず、話しているうちにそのまま独語に移行し、宙に向かってしゃべり続ける。血液検査所見は、梅毒反応を含め正常。
診断-統合失調症の疑い
説明-無治療で慢性化した統合失調症と思われる。連合弛緩が著明。人格荒廃が明らかである。
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第25条通報の必要-要

Case 3-4 解説 無治療の行く末
治療すればよくなるはずの統合失調症が、無治癒のまま放置されて悪化の一途をたどっている。そういう事例の正確な総数は不明です。無治療ということはつまり、病院を訪れないということですから、そもそも知りようがないことになるからです。一つ前のケース3-3のように、医療を受けないまま、家庭内でひっそりと経過しているケースは、かなり社会に埋もれていると思われます。
そうしたケースが、いよいよ家族の手に負えなくなり、大変な苦労を経て家族が受診させるというのが、治療開始の一つのパターンです。もう一つのパターンは、何か事件的なことが発生し、警察を介して受診に至るというもので、第2章のケース2-4などがそれにあたります。ケース2-4は警察から病院に直行という形でしたが、このケース3-4のように、明確な触法行為(犯罪に相当する行為)で警察に逮捕され、検察庁に移され、そこで初めて精神科医の診察になることもあります。この診察を簡易鑑定(正式には精神衛生診断)といいます。その結果、被疑者が精神障害者で、逮捕される原因となった行為が障害と密接な関係があると、検察官は起訴しないことがあります(起訴しなければ裁判にはなりません)。検察官は、勾留期限内(最長二十三日間)に、被疑者を起訴するかを決めなければならないこともあって、鑑定のための診察は通常一回(三時間程度)で、鑑定結果は数日以内に簡易鑑定書として検察官に提出されます。このような短時間の簡易鑑定では判定が難しい場合には、二か月以上の期間を要する本鑑定を行うことになります。
ケース3-4は強盗致傷の容疑で逮捕された被疑者の簡易鑑定書です(もちろん仮想のものです)。
外見からも、言動からも、慢性化した無治療の統合失調症であることはほぼ明らかなケースといえます。本書で紹介してきたケースの妄想は大部分が被害妄想でしたが、ケース3-4には、「自分はあの弁当屋を六百億円(聞くたびに金額は異なっていた)でスティーブ・ジョブスから買い取った」「自分は超一流の映画監督」などの誇大妄想が見られます。誇大妄想は、統合失調症が慢性化した時期のほうが現れやすい妄想です。また、このケースでは、誇大妄想といってもその内容は荒唐無稽に近く、その点からも慢性化がうかがえます。さらに、「自分の金が何かの陰謀で政府に流れている」といった、むしろこちらのほうが統合失調症の典型的な、被害妄想の要素もあります。
91ページの「説明」に記されている「連合弛緩」とは、話の論理がばらばらで、言いたいことの道筋を追うことができないといった意味です。これも統合失調症の症状で、思考障害の一種に分類されるものです。彼の話は質問されたこととの関連性はあるようですが、一方的にまくしたて、そのまま独語に移行するというケース3-4の症状は、「支離滅裂」といってもいいレベルです。
起訴・不起訴は、当然のことながら、検察官の判断で決定される事項ですが、ケース3-4ほどの重篤統合失調症ですと、不起訴になる可能性がかなり高いといえます。そして精神科病院に送られ、治療が始まるという流れです。何にせよ、治療が始められるのは、本人にとって望ましいことですが、法にふれる行為がそのきっかけというのはあまりに悲しいことで、もっと前に何とかできなかったかと、このようなケースを見ると考えざるを得ません。

注:引用中の「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」については、次のWEBページを参照して下さい。「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律

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〔k〕失感情症*10
PTSD又は複雑性PTSDにおける失感情症について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「失感情症――感情を表す言葉がない」における記述の一部(P164~P167)を以下に引用します。加えて、慢性疼痛における失感情症・失体感症傾向への実際の臨床的経験からの対応について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 実際の臨床的経験からの考察 の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」における記述(P231~P232)を以下に引用します。

失感情症――感情を表す言葉がない

私には、過去に痛ましいトラウマを経験した、未亡人の伯母がいた。彼女は、わが家の子供たちの「名誉祖母」になった。しばしば訪ねてきて、カーテンを作ったり、キッチンの棚に載ったものを並べ替えたり、子供服を縫ったりと、忙しく立ち働くのだが、ほとんど会話はなかった。人を喜ばせようと、いつも熱心だったが、彼女は何が楽しいのかは、なかなかわからなかった。何日間か儀礼的な言葉を交わしたあとは、もう会話が続かず、長い沈黙を埋めるために私は四苦八苦した。帰る日には、私が空港まで車で送ると、ぎこちなく別れのハグをしなから、涙をぼろぼろこぼす。そのあと、心底そう思っているかのように、ローガン国際空港の冷たい風のせいで、涙が出てしまうといつもこぼした。彼女の体は、心が認識できないこと、すなわち、自分にとって存命中の最も近しい親類である、私たちの若さあふれる家庭を去ることの悲しさを感じていたのだ。
精神科医はこの現象を「アレキシサイミア(失感情症)」と呼ぶ。感情を表す言葉を持たないことを意味するギリシア語だ。トラウマを負った子供や大人の多くは、感じていることをまったく表現できない。自分の身体的感覚が何を意味するか、突き止められないからだ。彼らは激怒しているように見えても、腹を立てていることを否定する。恐れおののいているように見えても、大丈夫だと言う。彼らは体の内部で起こっていることを認識できないので、自分の欲求を把握できず、適切な時間に適切な量を食べたり、必要とする睡眠をとったりするなど、自身の面倒を見るのに苦労する。
私の伯母のように、失感情症の人は情動の言語に代えて行動の言語を使う。「トラックが時速一三〇キロメートルで向かってくるのが見えたら、どう感じますか」と訊かれれば、たいていの人は、「ぞっとします」あるいは「怖くて凍りつきます」と答える。ところが失感情症の人は、「どう感じる、ですって? さあ、わかりません。……身をかわすでしょう(18)」とでも答えるかもしれない。彼らは情動を、注意を払ってしかるべき信号としてではなく、身体的問題として認識する傾向にある。腹立たしさや悲しさを感じる代わりに、原因不明の筋肉の痛みや、腸の不調、その他の症状を経験する。神経性無食欲症(拒食症)の人の四分の三と神経性大食症(過食症)の過半数は、自分の情動的感情に当惑し、その説明にはなはだ手を焼く(19)。失感情症の人は、怒った人や苦悩する人の顔写真を研究者に見せられても、彼らが何を感じているかがわからない(20)。
失感情症について私に教えてくれた人の一人が、精神科医のヘンリー・クリスタルで、重度のトラウマを理解しようと、一〇〇〇人以上のホロコーストユダヤ人大虐殺)サバイバーを診た人だ(21)。自身も強制収容所生活を生き延びたクリスタルは、患者の多くが職業人生では成功しているとはいえ、個人的な人間関係はわびしく、よそよそしいものであることを発見した。感情を抑え込むことで世事は処理できたものの、それには代償が伴った。彼らはかつて圧倒的だった情動を抑えることを学んだのだが、その結果、自分が何を感じているのか、もはや気づくことがなくなった。セラピーに関心がある人はほとんどいなかった。
ウェスタオンタリオ大学のポール・フルーエンは、失感情症にかかっているPTSDの人々の脳をスキャンした。参加者の一人は、彼に言った。「自分が何を感じているのかわかりません。頭と体がつながっていないようなものです。私はトンネルの中、霧の中に生きていて、たとえ何が起こっても、反応はいつも同じ――無感覚で、何もありません。泡風呂に入っていて火傷しようと、レイプされようと、同じ感じです。私の脳は何も感じません」。フルーエンと同僚のルース・レイニアスは、自分の感情と疎遠な人ほど、脳の自己感知領域の活動が少ないことを発見した(22)。
トラウマを負った人は、自分の体の中で何が起こっているかを感知するのが苦手な場合が多いので、欲求不満に対して適切な反応ができない。したがって、ストレスに対しては、ぼうっとするか、過剰な怒りを見せるかのどちらかだ。どんな反応をするときも、なぜ自分は気が動転しているのかわからないことがよくある。このように自分の体と疎遠になっているため、彼らは自分を守るのが苦手で、再び被害者になる率が高く(23)、また喜びや官能性、意義を感じるのが非常に難しいことが立証されている。
失感情症の人は、自分の身体的感覚と情動との関係に気づくことを学ばないかぎり、回復できない。色覚異常の人が、灰色の色合いを区別できるようにならないかぎり、色のある世界に入れないのと同じことだ。私の伯母やヘンリー・クリスタルの患者たちと同じで、彼らはたいてい、それを学ぶことに乗り気ではない。彼らの大半は、さまざまな医師を訪ね、癒えることのない病気を治療し続けるほうが、過去の魔物たちに立ち向かう、つらい課題をこなすよりもましだという、無意識の決定を下してしまったように見える。

注:(i) 引用中の原注「(19)」~「(23)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 (ii) 引用中の「アレキシサイミア(失感情症)」に関連して、 a) 心身症の視点からは例えば次の資料及びWEBページを参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」、「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項 b) 加えて、「身体症状症の危険要因と予後要因」としての「失感情症」について、名越泰秀、西原真理編の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「3 身体症状症の危険要因と予後要因」における記述の一部(P45)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『また,失感情症 alexithymia の傾向があることが多い.』、『失感情症傾向のある身体症状症患者は,ストレスコーピングを状況に合わせて適切に用いることができていないといわれている10).』(注:1) この引用部の著者は富永敏行です。 2) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」 3) 引用中の「身体症状症」又は身体表現性障害についてはここを参照して下さい) そして、身体症状症における心理社会的背景の視点からの「失感情症」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症」の「4) 心理社会的背景の聴取」項(P1562) c) その上に自閉スペクトラム症の視点からの「アレキシサイミア」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 d) さらに解離の視点からの「alexithymia」(アレキシサイミア)については、タイトル以外の拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「A meta-analytic study examining the relationship between alexithymia and dissociation in psychiatric and nonclinical populations[拙訳]精神医学的及び非臨床的な集団における失感情症と解離の間の関係を調査するメタアナリシスによる研究」 e) これら以外にも、構成主義的情動理論に視点からの情動概念の処理にも関連する「アレキシサイミア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、アレキシサイミアが「感情制御の困難さが影響するさまざまな病態の危険因子と考えられるようになった」ことについては次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける島皮質での内臓知覚と自覚的感覚の乖離」の「アレキシサイミア」項 また、上記「アレキシサイミア」が「情動粒度の低さと関連が深いとされている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスにおける身体性」の「2.3.4 アレキシサイミア」項 (iii) 引用中の「アレキシサイミア」に関連する「アレキシソミア」(失体感症)については、例えば次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項、「Alexisomia(アレキシソミア・失体感症)の意義」、「1. 失体感症」、「失体感症スケール開発の経緯と、身体(内受容)を重視した心身医学療法の意義と有用性について*11、「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「アレキシソミアという概念化」項(P312)、「Shitsu-taikan-sho (alexisomia): a historical review and its clinical importance[拙訳]失体感症(アレキシソミア):歴史的レビュー及びその臨床的な重要性」 また、上記「アレキシサイミア」と「内受容感覚」、「破局的思考」や上記「心身症」についての次の YouTube もあります。 「内受容感覚とアレキシサイミアと破局的思考と心身症【Dr.P×心療内科医たけお対談 ライブ配信】」 (iv) 慢性疼痛における「失感情症・失体感症傾向への対応」については、ここにおける引用の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」項を参照して下さい。 (v) 化学物質過敏症と失感情症の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。加えて、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です) (vi) 引用中の「PTSD」については、リンク集を参照して下さい。 (vii) ちなみに、 a)「アレキシサイミア」、「アレキシソミア」と内受容感覚(リンク集を参照)の関係については、例えば次の資料を参照して下さい。 「情動の気づき,身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 b) アレキシサイミアに関連する久山町研究の論文要旨を以下に紹介します。 c) 加えて、アレキシサイミアと内受容感覚の関係に関連する資料及び論文要旨を以下に紹介します。前者の資料「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」において次に引用する(『 』内)記述があります。 『情動の体験の認知については、特に内受容感覚も認知の鋭敏さが不安を増大させる影響があることを明らかにし、さらにfMRIで脳活動を撮像することによって、内受容感覚への気づきに重要な島皮質の活動が、アレキシサイミア群で低下していることが明らかになった。』(注:引用中の「情動」についてはここを、「内受容感覚」についてはここを、「fMRI」(機能的磁気共鳴画像法)についてはここを、「島」についてはここをそれぞれ参照して下さい) d) その上に、「アレキシサイミア傾向の形成に対して反芻,自責,破局的思考の 3 種の不適応的な認知的感情制御方略がともに寄与している可能性」については次の資料を参照して下さい。 「大学生のアレキシサイミア傾向と認知的感情制御方略,精神的健康の関連」 また、上記「反芻」の別名である「反すう」については他の拙エントリのここを、上記「破局的思考」についてはここを それぞれ参照して下さい。 e) さらに、「マインドフルネスは完全主義とストレスを低減させることで、アレキシサイミアを緩和させることが示唆された」ことについての資料は次を参照して下さい。 「マインドフルネスが完全主義やストレスによるアレキシサイミアの軽減に及ぼす影響

・論文「Alexithymia is associated with greater risk of chronic pain and negative affect and with lower life satisfaction in a general population: the Hisayama Study.[拙訳]アレキシサイミアは一般的な集団におけるより高い慢性疼痛とネガティブな感情及びより低い生活の満足に関連する:久山町研究」の要旨を次に引用します。

INTRODUCTION:
Chronic pain is a significant health problem worldwide, with a prevalence in the general population of approximately 40%. Alexithymia -- the personality trait of having difficulties with emotional awareness and self-regulation -- has been reported to contribute to an increased risk of several chronic diseases and health conditions, and limited research indicates a potential role for alexithymia in the development and maintenance of chronic pain. However, no study has yet examined the associations between alexithymia and chronic pain in the general population.

METHODS:
We administered measures assessing alexithymia, pain, disability, anxiety, depression, and life satisfaction to 927 adults in Hisayama, Japan. We classified the participants into four groups (low-normal alexithymia, middle-normal alexithymia, high-normal alexithymia, and alexithymic) based on their responses to the alexithymia measure. We calculated the risk estimates for the criterion measures by a logistic regression analysis.

RESULTS:
Controlling for demographic variables, the odds ratio (OR) for having chronic pain was significantly higher in the high-normal (OR: 1.49, 95% CI: 1.07-2.09) and alexithymic groups (OR: 2.56, 95% CI: 1.47-4.45) compared to the low-normal group. Approximately 40% of the participants belonged to these two high-risk groups. In the subanalyses of the 439 participants with chronic pain, the levels of pain intensity, disability, depression, and anxiety were significantly increased and the degree of life satisfaction was decreased with elevating alexithymia categories.

CONCLUSIONS:
The findings demonstrate that, in the general population, higher levels of alexithymia are associated with a higher risk of having chronic pain. The early identification and treatment of alexithymia and negative affect may be beneficial in preventing chronic pain and reducing the clinical and economic burdens of chronic pain. Further research is needed to determine if this association is due to a causal effect of alexithymia on the prevalence and severity of chronic pain.


[拙訳]
前書き:
慢性疼痛は世界中で重大な健康問題であり、一般的な集団における有病割合は約40%である。アレキシサイミア(情動的な気づきと自己調節に困難を有するパーソナリティ特性)は、いくつかの慢性疾患及び健康状態のリスク増加に寄与すると報告されており、そして限られた研究は、慢性疼痛の発症及び維持におけるアレキシサイミアの潜在的役割を示す。しかしながら、一般的な集団におけるアレキシサイミアと慢性疼痛との間の関連はまだ調査されていない。

方法:
日本の久山町の927人の成人に対して、アレキシサイミア、痛み、障害、不安、抑うつ及び生活満足度を評価する測定を実施した。アレキシサイミア測定値への応答に基づいて、参加者を4つのグループ(低い-正常なアレキシサイミア、中程度の-正常なアレキシサイミア、高い-正常なアレキシサイミア、そして[本当の]アレキシサイミア)に分類した。ロジスティック回帰分析により、基準測定値のリスク推定値を計算した。

結果:
慢性疼痛のオッズ比(OR)は、高い-正常群(OR:1.49、95%信頼区間:1.07-2.09)とアレキシサイミア群(OR:2.56、95%信頼区間:1.47-4.45)であった。参加者の約40%がこれら2つの高リスク群に属していた。慢性疼痛を伴う439人のサブ解析では、疼痛強度、障害、抑うつ、及び不安のレベルが有意に増加し、そしてアレキシサイミアのカテゴリーが上昇すると生活満足度が低下した。

結論:
これらの知見は、一般的な集団において、より高いレベルのアレキシサイミアは、慢性疼痛を有するより高いリスクと関連することを実証する。アレキシサイミアとネガティブな感情の早期同定及び治療は、慢性疼痛の予防と慢性疼痛の臨床的及び経済的負担の軽減に有益かもしれない。この関連が慢性疼痛の有病割合及び重症度に対するアレキシサイミアの因果関係によるものであるかどうかを決定するために、さらなる研究が必要である。

注:i) この拙訳文においてはアレキシサイミアとして、「低い-正常なアレキシサイミア」から「[本当の]アレキシサイミア」まで、4つのカテゴリーがあるので、必要に応じて、アレキシサイミア傾向と読み替えた方が良いかもしれません。 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」についてはここを参照して下さい。

・論文「Alexithymia: a general deficit of interoception.[拙訳]アレキシサイミア:内受容感覚の一般的な欠如」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Alexithymia is a sub-clinical construct, traditionally characterized by difficulties identifying and describing one's own emotions. Despite the clear need for interoception (interpreting physical signals from the body) when identifying one's own emotions, little research has focused on the selectivity of this impairment. While it was originally assumed that the interoceptive deficit in alexithymia is specific to emotion, recent evidence suggests that alexithymia may also be associated with difficulties perceiving some non-affective interoceptive signals, such as one's heart rate. It is therefore possible that the impairment experienced by those with alexithymia is common to all aspects of interoception, such as interpreting signals of hunger, arousal, proprioception, tiredness and temperature. In order to determine whether alexithymia is associated with selectively impaired affective interoception, or general interoceptive impairment, we investigated the association between alexithymia and self-reported non-affective interoceptive ability, and the extent to which individuals perceive similarity between affective and non-affective states (both measured using questionnaires developed for the purpose of the current study), in both typical individuals (n = 105 (89 female), mean age = 27.5 years) and individuals reporting a diagnosis of a psychiatric condition (n = 103 (83 female), mean age = 31.3 years). Findings indicated that alexithymia was associated with poor non-affective interoception and increased perceived similarity between affective and non-affective states, in both the typical and clinical populations. We therefore suggest that rather than being specifically associated with affective impairment, alexithymia is better characterized by a general failure of interoception.


[拙訳]
アレキシサイミアは伝統的に自分の情動を同定し、記述することが困難であることで特徴づけられる、サブクリニカルな構成概念である。自分自身の情動を同定する時に、内受容感覚(身体からの身体的な信号を解釈すること)が明確に必要であるにもかかわらず、この障害の選択性にほとんど研究の焦点が当てられていない。アレキシサイミアにおける内受容感覚の欠如は、情動に特有であると元来仮定されていたとしても、心拍数等のいくつかの非感情的な内受容感覚信号を知覚することの困難とも関連しているかもしないことを最近の証拠は示唆する。従って、アレキシサイミアを伴う人々が経験する障害は、空腹、覚醒、自己受容、疲労及び体温の信号を解釈する等の内受容感覚の全ての側面に共通する可能性がある。アレキシサイミアが選択的に障害された感情的な内受容感覚、又は一般的な内受容感覚障害と関連しているかどうかを決定するために、アレキシサイミアと自己報告された非感情的な内受容感覚能力との間の関連性、及び感情的と非感情的な状態間の個々の知覚類似の程度(両者は本研究の目的のために開発されたアンケートを用いて測定された)との間の関連を、一般的な個々人(n = 105(89人の女性)、平均年齢 = 27.5 歳)と精神的な病気の見立てを報告する個々人(n = 103(83人の女性)、平均年齢 = 31.3 歳)の両方において、我々は調査した。一般的な集団と臨床的な集団の両方において、アレキシサイミアは非感情的な内受容感覚との乏しい関連を、そしてアレキシサイミアは感情的と非感情的な状態間の知覚類似を増加させることを、知見は示した。従って、感情障害に特化して関連しているというよりも、アレキシサイミアは一般的な内受容感覚の不足により良く特徴づけられることを我々は示唆する。

注:i) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「n = 103」は人数を示します。 iv) ちなみに、この論文の「1. Background」において、内受容感覚の例が記述されており、この部分を次に引用(『 』内)します。ただし文献番号の部分を除きます。 『Interoception refers to the perception of a wide range of physical states beyond emotions, including heart rate, respiratory effort, temperature, fatigue, hunger, thirst, satiety, muscle ache, pain and itch.[拙訳]内受容感覚は、心拍数、呼吸努力、体温、疲労、飢餓、渇き、満腹感、筋肉痛、痛み及びかゆみを含む、情動を超えた広範な身体状態の知覚を指す。』 このように、上記要旨によるアレキシサイミアの説明からも、この論文におけるアレキシサイミアの定義にはアレキシソミア(失体感症)も含まれているようです。

〔l〕EMDRのシステマティックレビュー、メタアナリシスに関連する論文紹介
標記論文は比較的多いので、ここでまとめて論文の要旨を紹介します。ちなみに、i) 下記①と②はPTSDに、③は慢性疼痛に それぞれ関するものです。 ii) 他の医学分野においてですが、システマティックレビュー、メタアナリシスの説明に関しては、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

①「25 years of Eye Movement Desensitization and Reprocessing (EMDR): The EMDR therapy protocol, hypotheses of its mechanism of action and a systematic review of its efficacy in the treatment of post-traumatic stress disorder.[拙訳]眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)の25年間:EMDRプロトコル、作用メカニズムの仮説及び心的外傷後ストレス障害の治療における有効性のシステマティックレビュー」

Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) is a relatively new psychotherapy that has gradually gained popularity for the treatment of post-traumatic stress disorder. In the present work, the standardised EMDR protocol is introduced, along with current hypotheses of its mechanism of action, as well as a critical review of the available literature on its clinical effectiveness in adult post-traumatic stress disorder. A systematic review of the published literature was performed using PubMed and PsycINFO databases with the keywords «eye movement desensitization and reprocessing» and «post-traumatic stress disorder» and its abbreviations «EMDR» and «PTSD». Fifteen randomised controlled trials of good methodological quality were selected. These studies compared EMDR with unspecific interventions, waiting lists, or specific therapies. Overall, the results of these studies suggest that EMDR is a useful, evidence-based tool for the treatment of post-traumatic stress disorder, in line with recent recommendations from different international health organisations.


[拙訳]
眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)は、徐々に人気が高まっている、心的外傷後ストレス障害の治療のための比較的新しい精神療法である。現在の研究においては、心的外傷後ストレス障害における、その臨床的有効性に関する利用可能な文献の批判的レビューはもちろん、標準的な EMDR プロトコルが、その作用機序の現在の仮説と併せて、紹介される。公開された文献のシステマティックレビューは、PubMed 及び PsycINFO データベースを用いて、キーワード«eye movement desensitization and reprocessing:眼球運動の脱感作および再治療»と«post-traumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害»、及びその略語«EMDR»と«PTSD»で実施した。方法論的な品質が良い15のランダム化比較試験が選択された。これらの研究は、EMDR と非特異的な介入、待機リスト、又は特定の治療法と比較した。総合的に、EMDRが、心的外傷後ストレス障害の治療のための有用で、エビデンスに基づくツールであり、異なる国際保健機関からの最近の勧告に沿っていることを、これらの研究結果は示唆する。

注:引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital

②「Eye movement desensitization and reprocessing versus cognitive-behavioral therapy for adult posttraumatic stress disorder: systematic review and meta-analysis.[拙訳]大人の心的外傷後ストレス障害用の眼球運動による脱感作と再処理 vs 認知行動療法:システマティックレビューとメタアナリシス」

Posttraumatic stress disorder (PTSD) is a relatively common mental disorder, with an estimated lifetime prevalence of ∼5.7%. Eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) and cognitive-behavioral therapy (CBT) are the most often studied and most effective psychotherapies for PTSD. However, evidence is inadequate to conclude which treatment is superior. Therefore, we conducted a meta-analysis to confirm the effectiveness of EMDR compared to CBT for adult PTSD. We searched Medline, PubMed, Ebsco, Proquest, and Cochrane (1989-2013) to identify relevant randomized control trials comparing EMDR and CBT for PTSD. We included 11 studies (N = 424). Although all the studies had methodological limitations, meta-analyses for total PTSD scores revealed that EMDR was slightly superior to CBT. Cumulative meta-analysis confirmed this and a meta-analysis for subscale scores of PTSD symptoms indicated that EMDR was better for decreased intrusion and arousal severity compared to CBT. Avoidance was not significantly different between groups. EMDR may be more suitable than CBT for PTSD patients with prominent intrusion or arousal symptoms. However, the limited number and poor quality of the original studies included suggest caution when drawing final conclusions.


[拙訳]
心的外傷後ストレス障害PTSD)は比較的一般的な精神障害であり、推定生涯罹患率 ~5.7%を有する。眼球運動の脱感作および再処理(EMDR)と認知行動療法(CBT)は、最もよく研​​究され、最も効果的な PTSD心理療法である。しかしながら、どちらの治療法が優れているのかを結論づけるエビデンスは不十分である。従って、成人 PTSD のための CBT と比較した EMDR の有効性を確認するためのメタアナリシスを我々は実施した。 PTSD に対する EMDR と CBT とを比較する適切なランダム化比較試験を同定するために、Medline、PubMed、Ebsco、Proquest、Cochrane(1989-2013)を我々は検索した。我々は11の研究(N = 424)を含めた。全ての研究に方法論上の限界があったが、全 PTSD スコアのメタアナリシスは、EMDR は CBT よりわずかに優れていることを明らかにした。累積的なメタアナリシスによりこれが確認され、PTSD 症状のサブスケールスコアのメタアナリシスは、CBT と比較して、EMDR が侵入及び覚醒の重症度低下のために良好であることが示された。回避はグループ間で有意差はなかった。 顕著な侵入又は覚醒症状を伴う PTSD 患者に対して、EMDR は CBT よりも適切であるかもしれない。しかしながら、含めたオリジナル研究の限られた数と質の悪さは、最終的な結論を出す際に注意が必要であることを示唆する。

注:引用中の「N = 424」は人数を示します。 ii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital

③「Effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) treatment in chronic pain patients: a systematic review.[拙訳]慢性疼痛患者における眼球運動による脱感作と再処理(EMDR)治療:システマティックレビュー」

OBJECTIVE:
This study systematically reviewed the evidence regarding the effects of eye movement desensitization and reprocessing (EMDR) therapy for treating chronic pain.

DESIGN:
Systematic review.

METHODS:
We screened MEDLINE, EMBASE, the Cochrane Library, CINHAL Plus, Web of Science, PsycINFO, PSYNDEX, the Francine Shapiro Library, and citations of original studies and reviews. All studies using EMDR for treating chronic pain were eligible for inclusion in the present study. The main outcomes were pain intensity, disability, and negative mood (depression and anxiety). The effects were described as standardized mean differences.

RESULTS:
Two controlled trials with a total of 80 subjects and 10 observational studies with 116 subjects met the inclusion criteria. All of these studies assessed pain intensity. In addition, five studies measured disability, eight studies depression, and five studies anxiety. Controlled trials demonstrated significant improvements in pain intensity with high effect sizes (Hedges' g: -6.87 [95% confidence interval (CI95): -8.51, -5.23] and -1.12 [CI95 : -1.82, -0.42]). The pretreatment/posttreatment effect size calculations of the observational studies revealed that the effect sizes varied considerably, ranging from Hedges' g values of -0.24 (CI95 : -0.88, 0.40) to -5.86 (CI95 : -10.12, -1.60) for reductions in pain intensity, -0.34 (CI95 : -1.27, 0.59) to -3.69 (CI95 : -24.66, 17.28) for improvements in disability, -0.57 (CI95 : -1.47, 0.32) to -1.47 (CI95 : -3.18, 0.25) for improvements in depressive symptoms, and -0.59 (CI95 : -1.05, 0.13) to -1.10 (CI95 : -2.68, 0.48) for anxiety. Follow-up assessments showed maintained improvements. No adverse events were reported.

CONCLUSIONS:
Although the results of our study suggest that EMDR may be a safe and promising treatment option in chronic pain conditions, the small number of high-quality studies leads to insufficient evidence for definite treatment recommendations.


[拙訳]
目的:
この研究では、慢性疼痛治療​​のための眼球運動脱感作および再処理(EMDR)療法の効果に関するエビデンスをシステマティックにレビューした。

設計:
ステマティックレビュー。

方法:
MEDLINE、EMBASE、Cochraneライブラリー、CINHAL Plus、Web of Science、PsycINFO、PSYNDEX、Francine Shapiroライブラリー、及びオリジナル研究とレビューの引用から我々は選定した。慢性疼痛の治療に EMDR を使用した全ての試験は、本試験における包含に適格であった。主なアウトカムは、痛みの強さ、障害(disability)、及びネガティブな気分(抑うつと不安)であった。効果は、標準化された平均差として記述された。

結果:
全部で80人の被験者を伴う2つの対照試験及び116人の被験者を伴う10の観察試験が、包含基準を満足した。これらの研究の全てが痛みの強さを評価した。加えて、5つの研究が障害を、8つが抑うつを、5つが不安をそれぞれ測定した。対照研究は高い効果量を伴う痛みの強さにおいて有意な改善を実証した(Hedges 'g:-6.87 [95%信頼区間(CI95):-8.51、5.23]及び -1.12 [CI95:-1.82、-0.42])。で有意な改善を示した。観察研究の治療前/治療後の効果量の計算で、かなり変化することが明らかになった。Hedges 'g は痛みの強さの減少に対し、-0.24(CI95:-0.88、0.40)~ -5.86(CI95:-10.12、-1.60)、障害の改善に対し、-0.34(CI95:-1.27、0.59)~ -3.69(CI95:-24.66、17.28)、抑うつ症状の改善に対し、-0.57(CI95:-1.47、0.32)~ -1.47(CI95:-3.18、0.25)及び不安に対し、-0.59(CI95:-1.05、0.13)~ -1.10(CI95:-2.68、0.48)であった。フォローアップ評価は改善の維持を示した。有害事象は報告されなかった。

結論:
我々の研究の結果は、EMDR が慢性疼痛状態において安全かつ有望な治療選択肢であるかもしれないことを示唆するが、高品質の研究が少ないことは、明確な治療法の推奨のための不十分な証拠という結果につながる。

注:i) 引用中の「Hedges 'g」及び「効果量」については、共に例えば次の資料を参照して下さい。 「効果量」 ii) 引用中の「慢性疼痛」に関連する、受容ベースのセラピーの文脈における「痛みの定義」について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 慢性疼痛とは の「(2)痛みの定義」における記述(P222)を次に引用します。

(2)痛みの定義
「慢性疼痛」について論じるときに、まずは「痛みとは何か」ということを確認しておく必要がある。痛みは国際疼痛学会では「痛みは組織の実質的あるいは潜在的な障害に結びつくか、このような障害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である」と定義されている。これは、痛みが感覚のみならず、不快な情動も含む、感覚と感情の複合的な体験であるということを表している。このことは生物学的観点からも裏付けられる。末梢の侵害受容情報は脊髄、視床と上行し、皮質の体性感覚野にいたり痛みの識別的評価を行う外側系と、島皮質、帯状回、偏桃体を含む広範な領域に投射し痛みの情動的評価を行う内側系に大きくわかれている。痛みに感覚系と情動系の異なる経路があるという認識は、慢性疼痛を考えるときにきわめて重要である(細井 2008)。

注:i) 引用中の「細井 2008」は次の資料です。 【細井昌子(2008)「心因性慢性疼痛」『治療』(特集:慢性疼痛診療ガイド)90 (7), 2063-2072】 ii) 引用中の「痛みに感覚系と情動系の異なる経路がある」に関連する「痛みの認知と情動」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「痛みの認知と情動

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〔m〕ストレス応答のSAM系について
最初に交感神経系によるストレス応答としての二つの可動化システムについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 神経系と友達になる の「第1章 安全、危険、生命の危機――適応反応のパターン」における記述の一部(P23)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『交感神経系は、視床下部-交感神経-副腎髄質(SAM)系と視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸という二つの可動化システムを通して、私たちの身体の活動のための準備をさせます。SAM系はすぐに活性化し、アドレナリンの噴出をもたらし、ストレス要因にすばやく反応します。』(注:引用中の「(HPA)軸」に類似する「HPA系」についてはここの iii) 項を参照して下さい)、『SAMとHPA軸を使用して、交感神経系は個々の行動を刺激し、瞳孔拡張や発汗を引き起こしたり、反応を徐々に増加させて呼吸と心拍数を上げたり、大規模な全身反応である「闘争/逃走反応」をもたらすように可動化させたりすることができます。』(注:引用中の「闘争/逃走反応」の別名である「闘争-逃走反応」(リンク集を参照)を担う上記SAM系のより詳細について、丸山総一郎編の本、「ストレス学ハンドブック」(2015年発行)の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-2 生物学的側面(2):生理学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を以下に引用します。ちなみに、ストレスが全身性の生体反応であり、多様な慢性炎症疾患に関与する可能性を示唆することについては次の資料を参照して下さい。 「ストレスによる情動変容の誘導における炎症の役割」)

一方、視床下部-交感神経-副腎髄質を介する経路は、SAM系(sympathetic-adrenal-medullary axis)と呼ばれ、情動刺激または興奮に対して、交感神経系が亢進する攻撃もしくは闘争-逃走反応を担う重要な経路である(図1のSAM系参照)。HPA系に比べると、効果器への指令を交感神経の遠心性線維を介する神経伝達と、副腎髄質からのホルモン分泌による液性伝達の2つのメカニズムが担っており、即時性のストレス応答の基盤となる経路である。HPA系と同様に、大脳皮質もしくは大脳辺縁系で処理された情動興奮は、ストレス応答の司令塔とも言える視床下部の室傍核(PVN)から投射される遠心性の神経線維を伝わり、交感神経の場合は脊髄側角(胸髄および腰髄)、副交感神経の場合は脳幹および仙髄を起始部とする節前線維を介し、いったん各々の神経節(交感神経節および副交感神経節)に入る。交感および副交感神経節は、各支配臓器の近傍に存在しており、そこで節後線維に乗り換えて効果器へ向かう。節後線維の神経終末からは、交感神経の場合はノルアドレナリン、副交感神経の場合はアセチコリンが分泌される。ただし、節前線維の神経終末部では交感・副交感神経ともにアセチルコリンによる神経伝達物質が分泌される。さらに、交感神経系節前線維による支配を受けている副腎髄質では、カテコールアミン類を合成・貯蔵できるクロム親和性細胞が存在しており、これが興奮することによってアドレナリン、ノルアドレナリンの分泌が促進される。副腎髄質から分泌されたアドレナリン、ノルアドレナリンは液性伝達により標的臓器へ運ばれる。
アドレナリンやノルアドレナリンなどのカテコールアミン類の効果器にはα受容体とβ受容体の2種類があるが、それぞれにサブタイプがあって、分布の密度は効果器(標的臓器)の種類や部位によっても大きく異なる。詳細については正書に委ねるとして、基本的にSAM系の興奮は、心拍数(脈拍)の増加、血圧上昇、血糖上昇、発汗、代謝亢進、攻撃または闘争-逃走反応の亢進をきたすと考えられる。アドレナリンおよびノルアドレナリンは、脳、肝臓および腎臓などで即時的に代謝分解され、半減期は約1~3分程度であることが知られている。(後略)

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 ii) この部分の執筆者は喜多村佑里です。 iii) 引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項  iv) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「交感神経系が亢進する」に関連して、「マインドフルネスの実践により、交感神経活動が抑制されること」については、リンク集(用語:「交感神経活動の抑制」)を参照して下さい。加えて、自律神経における交感神経と副交感神経との関係及び自律神経の疲弊防止の視点(次の脚注を参照)を含む、副交感神経が活発になっているリラックス状態*12をもたらすためのリラクセーションについては、例えばここ及び次の資料やWEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」、「Ⅱ ストレスへの対処」、「パーソナリティ障害を抱えて社会で生きる」の P10~P11 の「身体技法・ストレッチ」、『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の「③解離性障害の治療や対処には、どのようなものがありますか?」項*13

加えて、これらの経路と免疫反応(炎症)の関係について、同本の 第Ⅰ部 ストレスとは何か の 2 ストレスのメカニズムとプロセス の 2-1 生物学的側面(1):生化学からの接近 の「2. 体内(下流)でのストレス応答」における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

(前略)HPA系は炎症や免疫等を担う遺伝子群の転写因子である Nuclear Factor κB(NF-κB)に対して抑制的に作用する一方、SAM系はNF-κBを介した Tumor Necrosis Factor-α(TNF-α)や interleukin-1β(IL-1β)の転写を促進させることで、炎症反応を誘導する3)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Inflammation and its discontents: the role of cytokines in the pathophysiology of major depression.」 ii) この部分の執筆者は牟札佳苗です。 iii) 引用中の「SAM系」についてはここを参照して下さい。一方、引用中の「HPA系」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 iv) 引用中の「闘争-逃走反応」については、「リンク集」を参照して下さい。

〔n〕弁証法的行動療法及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける様々な話題について
[1] 弁証法的行動療法(DBT)
標記弁証法的行動療法*14は DBT(Dialectical Behavior Therapy)と略されます。また、標記療法とマインドフルネスとの関連については次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス」 加えて、標記療法における「①徹底的受容と賢明な心」、「②承認」及び「③いま・ここ」を含む様々な話題について以下に示します。ちなみに、 1) 本項では森田療法に関する記述がしばしば登場しますが、本項の森田療法は主に新しい外来森田療法を指しています。 2) 一方、上記 DBT においては、弁証法的戦略として、受容と変化のバランスをとるようです。この弁証法的戦略については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の「弁証法的行動療法の概要」における記述の一部(P236~P237)を次に引用します。

弁証法的行動療法の概要(中略)

DBT には、BPD に対する介入効果を高めるための特徴として、従来の認知行動療法のように変化を重視する一方で、これを犠牲にすることなく同時に(ときには逆説的にもなる)出来事や状況をありのままに徹底的に受容することも重視していることがあげられる(大野 2005)。この相反する、「変化」と「受容」をひとつの治療システムに統合するために、「弁証法」が組み込まれている。弁証法的世界観は、DBT の理論を規定し、実践の基礎となるものである。(後略)

注:i) 引用中の「大野 2005」は、「大野裕総監修(2005)『境界性パーソナリティ障害の治療-弁証法的アプローチ』 JIP 日本心理療法研究所」です。 ii) 引用中の『「変化」と「受容」』に関連する「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害リンク集を参照)の略です。

①徹底的受容と賢明な心
弁証法的行動療法(DBT)の第四の優先課題としての行動スキルを高めることにおける標記「徹底的受容」(radical acceptance)について、J・G・アレン著、上地雄一郎、神谷真由美訳の本、「愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療 素朴で古い療法のすすめ」(2017年発行)の 第Ⅱ部 治療と癒し の 第4章 エビデンスに基づく治療 の 2. 境界性パーソナリティ障害の治療 の「(1) 弁証法的行動療法(DBT)」における記述の一部(P169)を以下に引用します。これは森田療法の文脈における「あるがままに受け入れる」に類似するものであると本エントリ作者は考えます。一方、次の標記「賢明な心」(Wise Mind)については、 a) 貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の宮城整、山崎さおり著の文書「感情調節が困難な患者へのマインドフルネス -弁証法的行動療法に基づくグループ実践-」の マインドフルネス・スキルについて の「(1)3つの心の状態」における記述(P242~P243) b) 林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第3章 安定した「わたし」を取り戻していく治療 の「弁証法的行動療法(DBT)②」における記述の一部(P72) をそれぞれ以下に引用します。ちなみに、この「賢明な心」については、DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」[これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます]が記述されている添付資料において、同様な記述(添付資料における P25)があります。

(前略)第四の優先課題は,行動スキルを高めることです――対人スキルを高めるだけでなく,苦痛への耐性を育て,情動調整の技法を学習することです。患者は,徹底的受容(radical acceptance)の姿勢を取り入れることを奨励されます――それは,人には思いどおりに操ることができない悲劇的現実を人生の一部として受け入れることです。この哲学は,唱えることは容易ですが実行することは難しく,実行する手立ても十分に明確であるとはいえません。徹底的受容は,体験の受容の強調(Hayes et al., 1999)と同じことです。そして,DBT による治療には,マインドフルネス・スキルが含まれています。(後略)

注:i) 引用中の「Hayes et al., 1999」は次の本です。 「Hayes SC, Strosahl KD, Wilson KG: Acceptance and Commitment Therapy: An Experimental Approach to Behavior Change. New York, Guilford, 1999」 ii) 引用中の「体験の受容の強調」に関連する「今の瞬間の体験に対して心を開き、好奇心をもって、アクセプトする(そのままにしておく)こと」については次の資料を参照して下さい。 「ACTにおけるマインドフルネス:どんな行動クラスなのか」の「まとめ(操作的定義との関係から)」項 iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「人には思いどおりに」は、正しくは「人は思いどおりに」かもしれません。 v) 引用中の「徹底的受容」に関連する「徹底的受容スキル」について、中野敬子著の本、「ストレス・マネジメント入門[第2版] 自己診断と対処法を学ぶ」(2016年発行) の 第Ⅲ部 心豊かに生きるためのストレス・マネジメント の 第15章 困難な状況を乗り越えるための弁証法的行動療法 の 1 弁証法的行動療法(DBT)と弁証法的考え方 の「徹底的受容(現実を受け入れるストラテジー)」における記述の一部(P183)を次に引用します。

徹底的受容スキルでは,心の底から事実をありのままに受け入れ,現実を認めずに戦うことを放棄する。現実を認めないことが,その状況を変えることにはならない。苦痛な状況を変えるには,まず起きている状況についての現実を受け入れることから始まる。苦痛から自由になるためには受け入れることが必要で,現実と戦うことから自分を解放する。徹底的受容は悲しみを抱くことになるが,穏やかな気持ちになることができる。痛みを受け入れることを拒絶すれば,その痛みが苦痛を生み出すため,受け入れることが苦痛をやわらげる唯一の方法である。苦痛な状況を受け入れることは,それを“よし”と判断することや変化を受け入れないこととは異なる。
例えば,緊急で重大な約束があり,その場所に行くために橋を渡ろうとやってきた。その地域で雨は降っていなかったが,上流の豪雨による濁流で橋は今にも流されそうな状態で,交通規制がかかっていた。「今すぐに渡ってしまえば対岸まで無事に到着するかもしれない」「こんな大切な時になんてついていないのだ」「これまでの苦労がすべて水の泡になるかもしれない」といろいろな考えが巡る。橋は通行不能で,約束の時間に間に合わず,重大な打撃を受ける事実を受け入れることが徹底的受容であり,遅刻の連絡をしたり,下流の通行可能な橋を確認したり,次の有効な行動を起こさせる。徹底的受容をしないと衝動的になって橋を渡ろうとして流されたり,怒りから規制を行っている人とトラブルを起こしたり,悲嘆,自己嫌悪,無気力を感じたりする。この例のような状況で現実を受け入れられない人は少ないかもしれないが,健康,家族,対人関係などの複雑な問題状況で現実を受け入れられない人は少なくない。(後略)

注:引用中の「徹底的受容」に類似するかもしれない「ラジカルアクセプタンス」の一例について、内田舞著の本、「REAPPRAISAL 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法」(2023年発行)の 第3章 レジリエンスを育てるために の「受け入れて前に進む力ラジカルアクセプタンス」における記述の一部(P117~P118)を次に引用します。

(前略)例えば、渋滞にはまったときに、「あっちの道に行っていれば」と後悔したり、動かない周りの車にイライラしクラクションを鳴らしたりしたくなることもあるかもしれませんが、どんなにもがいても渋滞の中にいる事実は変わらないのです。その事実を受け入れると、「この時間を使って好きなラジオ番組を聞いてみよう」「一緒に車に乗っている人と会話を楽しもう」あるいは「目的のない時間を楽しもう」と、自分の考えをただ赴くままに漂わせる時間を過ごせるかもしれません。受け入れることで前に進めることもあるのです。(後略)

加えて、以下は上記「①徹底的受容と賢明な心」において紹介した引用です。

(1)3つの心の状態
DBT では、「感情的な心(emotion mind)」「理性的な心(reasonable mind)」「賢い心(wise mind)」の3つの主要な心の状態を提示している(Linehan 1993b)。「感情的な心」とは、精神的に興奮している状態、論理的思考が困難な状態であり、感情が思考や行動に大きく影響を与える状態である。「理性的な心」とは、理性的・論理的に考えることができ、問題解決に向けて冷静に取り組める状態である。「賢い心」とは、「感情的な心」がもたらす情緒的経験と「理性的な心」がもたらす論理的分析のバランスを図り、さらに直感的理解を加えた統合された心の状態である。自分の感情を抑え込んだり切り離したりすることなく、感情と上手に付き合うために、意識して「賢い心」の状態になるように示されている。そして「賢い心」に達するための手段としてマインドフルネス・スキルが提示されている。

注:i) 引用中の「Linehan 1993b」は、「Linehan, M. M. (1993b), Skills Training Manual for Treating Borderline Personality Disorder, Guilford(小野和哉監訳(2007)『弁証法的行動療法実践マニュアル』金剛出版)」です。 ii) 引用中の「賢い心」には「中道」(例えば資料「仏教瞑想と幸福感」の「涅槃という幸福」項を参照)や「智慧」(例えば同資料の「ありのままを見守る智慧」項[P12]を参照)が含まれるかもしれないことについては次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy: DBT)に基づくマインドフルネスの理論と実践」の「Skillful Means: バランスを保つ」シート

弁証法的行動療法(DBT)②(中略)

●「理性の心」とは、知的、合理的な考えや事実に基づいて冷徹に行動する心の状態。
●「感情の心」とは、そのときの感情や気分状態に支配されている心の状態。
●「賢い心」とは、その2つが統合された状態。(中略)

動じない心を持つ
弁証法的行動療法(以下、DBT)では、マインドフルネスという心の状態を達成することが重視されています。(中略)

強い感情に支配されたり、理屈(理性)に偏ったりせず、揺さぶられても動じない、バランスを保つことができる「賢い心」を獲得することにより、自分の感情や苦痛をありのままに見つめて受け入れ、正しい行動を選ぶことができるようになるとされています。(後略)

注:引用中の「弁証法的行動療法(以下、DBT)では、マインドフルネスという心の状態を達成することが重視されています」に関連する「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス」については次の資料を参照して下さい。 「弁証法的行動療法におけるマインドフルネス

なお、上記徹底的受容及び/又は受容と変化のバランスをとることに関連するものとして、キリスト教におけるすばらしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り、Serenity Prayer)」のようです。これについて、スティーヴン・マーフィ重松著、坂井純子訳の本、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」(2016年発行)の 第6章 受容(Acceptance) の「平静の祈り」における記述の一部(P212)を次に引用します。

平静の祈り(中略)

そして、受容について教えるキリスト教でもっとも素晴らしい祈りのひとつが「平静の祈り(ニーバーの祈り)」だろう。私の授業でもこの「平静の祈り」を紹介し、受容することと変える勇気の間の密接なつながりについて考察しているのだが、この短い祈りのなかに学生たちは深い叡智を見いだしている。(中略)

(神様
私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そしてふたつのものを 見分ける賢さを)(中略)

「仕方がない」という態度には消極的すぎるという批判が向けられることがあるが、同様に、受容を強調している平静の祈りは、逆境におけるあきらめであるとの印象を受ける人もいる。より行動志向の別のバージョンにはこういうものもある。「父よ、変えるべきものを変える勇気と、どうしようもないものを受け入れる落ち着きと、ふたつを見分ける洞察をわれわれにお与えください」。これは落ち着きをくださいと嘆願するより先に、まず「変える勇気」を求めたものだ。(後略)

注:(i) 引用中の「平静の祈り(ニーバーの祈り)」に関連する、 a) アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)の六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できることについてはここを参照して下さい。 b) 感銘を受けたことやストレスマネジメントの基本になることとしての言葉としての「ニーバーの祈り」については次のWEBページを参照して下さい。 「横浜院長のひとりごと No.032 ニーバーの祈り」 c) 「変えられる事は変える努力をしましょう。変えられない事は、そのまま受け入れましょう。起きてしまった事を嘆いているよりも、これから出来る事をみんなで一緒に考えましょう」との記述を有するツイートがあります。 (ii) 引用中の「平静」に関連する「瞑想における平静さの構成概念と神経メカニズム」については上記「平静の祈り(ニーバーの祈り)」を含めて次の資料を参照して下さい。 「瞑想における平静さの構成概念と神経メカニズム

加えて、上記平静の祈りに似た記述が森田療法の関連本にもあります。北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の『1 「できること」と「できないこと」』における記述(P87~P89)を以下に引用します。ちなみに、『1 「できること」と「できないこと」』はこの章におけるキーワードの第一番目に挙げられたものです。さらに、マインドフルネスの文脈における平静さ(Equanimity)については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の杉浦義典著の文書「マインドフルネスの心理学的基礎」の 体験への態度 の「(4)平静さ(Equanimity)」における記述の一部(P106~P107)を以下に引用します。

1 「できること」と「できないこと」
人には誰でも、「できること」と「できないこと」があります。
まずこう考えることが、人の苦悩を理解し、介入するための基本となります。自分自身の悩みについても同じです。物事に悩む人は「できないこと」を何とかしようとして悪戦苦闘し、「できること」がおろそかになっているのです。
私たちが、何かに悩んでいるときのことを考えてみましょう。
悩んでいるときには、自分の「できること」に注意を払わなくなってしまいます。
そして、次のような事柄を、自ら何とかできる、あるいは何とかしたいと考えるのではないでしょうか。
たとえば、体や心の反応、苦しい・つらいという感情、考えや思い、まわりの出来事、他人のすること……。
それらを「できること」と考え、何とかしようとすればするほど、じつは、袋小路に入り込んでいき、「苦」はつのります。幻を追い求めて狩りに出るようなものです。
そこで、発想の転換森田療法では促します。「できないこと」をありのままに受け入れて、「できること」に注目し、それに取り組み、没頭することが問題の解決の鍵となるのです。
では「できること」とはどのようなものでしょうか。まずは「できないこと」と「できること」を見分ける力を養うことです。それには、今までの考え方にとらわれない柔軟な発想を必要とします。その手助けをするのが、本書の目的でもあります。次には、悩みを持ちながら、「できること」すなわち現実の世界に直接踏み出し、目の前のことに取り組むこと、そこでの目的を達成するために工夫をすることです。
そして素直な何かをしたいという心の動きを感じ取り、それに乗って動いていくことです。これが後に述べる、森田療法の重要なキーワード、生の欲望を発見し、それを発揮することにつながります。それが悩んでいるあなた自身の個性的な生き方ともなるのです。

注: i) 引用中の「生の欲望」については次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「生の欲望」項 ii) 引用中の『「できること」と「できないこと」』を分けることについては次の資料を参照して下さい。 「森田療法からみたマインドフルネス」の『「1. 「できないこと」と「できること」を分ける』項

(4)平静さ(Equanimity)
Desbordes et al.(2014)は、マインドフルネス瞑想の結果として得られる心理的態度として、Equanimity というものを提唱した。Equanimity とは和訳すると平静さということになるが、マインドフルネスの文脈でいわれる平静さとは、「すべての経験や出来事に対して、その情動価や由来を問わすに等しく心にとめる心理状態あるいは特性(Desbordes et al. 2014, p357)」である。経験したこと、つまり、見えたこと聞こえたことを見つめ、しかしそれらに対する情動的な反応にはとらわれない態度である。(後略)

注:i) 引用中の「Desbordes et al.」は次の論文です。 「Moving beyond Mindfulness: Defining Equanimity as an Outcome Measure in Meditation and Contemplative Research.」 ii) 引用中の「情動価」は快、不快の軸を有し、中性もあるようです。この快、不快については、次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

ちなみに、本の同章においては森田療法及び受容を中心とするセラピーについても言及しています。参考までに前者における記述の一部(P217~P219)を以下に、加えて後者における記述の一部(P223~P224)を以下に それぞれ引用します。

森田療法

人間の本質を受け入れる重要性について教えてくれる偉大な人物のひとりが、東京慈恵会医科大学精神科医であった森田正馬だ。彼の指導には彼が個人的に受けた禅のトレーニングの影響が見られる。森田はフロイトユングと同世代だったが、まったく異なる発想を持った人物で、自分本来の性質を受け入れることが治療には不可欠なステップだと考えた。自分を変えようとするより、むしろ性質に自然に従うべきだというのである。
森田は、何度でも戻ってきては自分の心をかき乱す思いを抑えつけ、理性によって排除しようとしても、かえってその思いを強めることになったり、それに敏感になったりするだけだと考えた。人生や性格には意思の力ではどうしても変えられない事実があると認めさえすれば、その事実を尊重して受け入れることができ、平穏な気持ちでいられるという。私たちがすべきことは痛みに耐えながら自分にできることをすることで、しつこい嫌な思いや症状を必死に取り除こうとする行為に足を止められることではない。回復に必要なのは強い意志によって症状を追い払うことではなく、自然な回復を妨げないことだと森田は考えた。
森田は次の行動によって自己承認、効果的な生活、自己実現へといたる方法を教えている。

・自分ができることを知ること
・状況が求めているものを知ること
・そしてふたつがどう関係しているかを知ること

森田はマインドフルネスを磨いて、コントロール可能なものと不可能なものを知り、期待しすぎることなく現実を見ることで、人の気質を発達させることができると教えた。現実がその瞬間にもたらすものに注意を向け、今に集中し、知的分析は避けるべきである。「仕方がない」という考え方と同じように、現実を受け入れてしまえば、すべきことに積極的に反応できるようになるというのである。平静の祈りが伝えるように、コントロールできることとできないことを区別するのがきわめて重要なのである。
西洋の心理セラピーでは、症状、恐れ、願望を減らそうとするものがほとんどである。これにたいし森田は、症状や感情に立ち向かおうとするがために、建設的な行動が止まってしまうことのないようにと教えている。人の気質を発達させるのはその振る舞いである。勇気を奮い起こし、不安定な感情の流れに影響されるよりも、目的に即した決定をして自ら行動すること、それが人の気質を発達させるというのである。
森田療法は、何かをなさせる「行動の心理学」だ。その力は、物事をあるがままに受け入れる難しさに立ち向かうことからもたらされる。
私たちは意思の力によって外部状況をコントロールしようとしがちである。もちろん、それがうまくいくこともあるが、いつもそうとはかぎらない。他の誰かや、自分についての人々の意見、相手の感情、誰かの行動などをついコントロールしようとしてしまうのだが、この努力のせいで厄介な状況に陥ることも多い。
人生はいつでも自分の望むようになるわけではないことを知り、現実をただそのまま受け入れられるようになることが大切である。(後略)

注:(i) 引用中の「平静の祈り」についてはここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「森田療法」、「あるがまま」及び「マインドフルネス」に関連した次の資料や note があります。 「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」、『No.7|臨床心理|森田療法の「あるがまま」とマインドフルネス』 加えて、外来森田療法の技法については次の資料を参照して下さい。 「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」 その上に、「婦人科外来における森田療法の応用」や「短時間の診察で行う森田療法」についてはそれぞれ次の資料を参照して下さい。 「婦人科外来における森田療法の応用」、「短時間の診察で行う森田療法」 (iii) 引用中の「症状や感情に立ち向かおうとする」に関連する「とらわれ」については、例えば、資料「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の【森田の“とらわれとあるがまま” 】項と【高良・新福の“とらわれとあるがまま” 】項、「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項、及び「森田療法の今日性」の「森田療法の基本的理論」項を参照して下さい。 (iv) 引用中の「行動の心理学」に関連する内容が、例えば、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「5. 治療プロセス」項に示されていると本エントリ作者は考えます。 (vi) なお、 a) 引用中の「あるがままに受け入れる」ことを間接的に示すツイートがありあす。 b) 引用中の「物事をあるがままに受け入れる」及びマインドフルネスに関連する「物事をあるがままに見ること」について、本の 第1章 念(Mindfulness) の「マインドフルネスとは何か」における記述の一部(P39~P40)を以下に引用します。 (v) 引用中の「あるがまま」については、例えば次のWEBページ及び資料を参照した方が良いかもしれません。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「あるがまま(自然服従)とは」項、『森田療法における「あるがまま」とは』、資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項 (vi) 加えて、上記「あるがまま」に関連する、 1) (あるがままは)「観念的にあるいは習得しようと心がけて身につくもの」ではないことについて、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第8章 森田療法の臨床 ――《受容》のプロセスと他学派との比較―― の「Ⅰ はじめに」における記述の一部(P186)を以下に引用(【 】内)します。 【森田療法では,神経症の病理を“とらわれ(悪循環)”として理解し,その打破に治療の目標を置く。そこで求められるのが“あるがまま”の態度である。ここでいう“あるがまま”とは,「不安などのさまざまな感情も,欲求も含め,ありのままの自分を受け容れる」ということであり,まさに《受容》を意味する。ただしそれは,森田が「“あるがまま”になろうとしてはそれは求めんとすれば得られずで既に“あるがまま”ではない。なぜなら“あるがまま”になろうとするのは,実はこれによって,自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって,苦痛は当然苦痛であるということの“あるがまま”とはまったく反対であるからである」(森田,1974g)と述べたように,観念的に,あるいは習得しようと心がけて身につくものではなく,さまざまな体験のプロセスを経てなされるものと言える。】(注:A] この引用の著者は久保田幹子です。 B] 引用中の「1974g」は次の本です。 「森田正馬(1974g)森田正馬全集5.白揚社,p.710.」) 2) 「あるがまま」の心境は「あきらめ」でないことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「入院森田療法により軽快した高齢者・身体症状症の 1 症例」の「考察」項 c) 一方、「ありのままの自分を受け止めていく」ことについては上記 a) 項の他に次の資料を参照して下さい。 「嘔気を主訴とする神経症例への森田療法 -日記を用いた関わりの可能性-」の「注意点」項 3) ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー、参照)における「あるがまま」については次のWEBページを参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピーのこれから」の『ACTにおける「あるがまま」とは』項 4) 「セルフ・コンパッション」との関連については次のWEBページを参照して下さい。 『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』 5) 『「あるがまま」を受け入れる』ことについて、平島奈津子著の本、「不安のありか “私”を理解するための精神分析のエッセンス」(2019年発行)の 第6章 社交不安症と対人恐怖 の『「あるがまま」を受け入れる』における記述の一部(P144~P145)を以下に引用します。

マインドフルネスとは何か(中略)

マインドフルネスを考えるひとつの簡単な方法が次のABCである。

A=Awareness(アウェアネス、気づき)。自分が考えていること、していることをもっと意識できるようになること。自分の心や体の中で起きていること、自分の思い、感情、感覚を認識すること。
B=Being(存在すること)。価値判断や自己批判、そして何かを絶えずしていなければならないという考えを一時的にやめて、ただ自分の経験とともにあること。
C=Clarity(明瞭さ)。なんであれ自分の生活で起こりつつあることに注意を向けて、はっきりと眺めること。自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること。

注:(i) 引用中の「Being」に関連する「Being Mode」(あることモード)については、ここ及びここにおける「buffered mode」の脚注を参照してください。 (ii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連する、 a) 仏教思想における「欲望によって条件づけられることのない、ありのままの現象を認知する(如実知見する)」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「如実知見」については、例えば次の iii) 項及び資料「仏教瞑想と幸福感」の「ありのままを見守る智慧」項(P12)を参照して下さい。 b) 禅における「柳は緑、花は紅」という言葉があり、これはとても重要なこととされているようです。なお、森田療法創始者である森田正馬氏は「あるがまま」に関連して、上記「柳は緑、花は紅」を引用しています。資料「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の 3. とらわれとあるがまま の「2) あるがままの二面性と介入方法」項を参照して下さい。 一方、アクセプタンス&コミットメント・セラピーをベースにした、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P196)として、「観察する自己」において「物事をあるがままにみる」ことが次に引用(『 』内)するように記述されています。 『観察する自己は、価値判断、批判、あるいは現実との戦いを引き起こすその他の思考プロセスを行うことなく、物事をあるがままに見る。それは真実の、純粋なアクセプタンスの形である。』 注:引用中の「観察する自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項 (iii) 引用中の「あるがままに物事を見ること」に関連する、「現実をありのままに見る(如実知見する)」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「物事を俯瞰して客観的にとらえる」について、熊野宏昭、伊藤絵美、NHKスペシャル取材班監修の本、『「キラーストレス」から心と体を守る! マインドフルネス&コーピング実践CDブック』(2017年発行)の マインドフルネス瞑想 4 の「マインドフルネス瞑想が目指す心のあり方」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『この瞑想では、注意を一点に向けるのではなくあちこちに分割し、いろいろなものに対して同時に気を配り、感じ取る練習をしました。全体に気を配って同時に感じ続けていると、ほかのことを考える余裕がなくなってしまいます。そうすると「自分が、自分が」という思考がつくり出す怒りや不安といった思考(雑念)も、小さくなって残らなくなるでしょう。日常生活でも、このように物事を俯瞰して客観的にとらえることができれば、だいたいのことは小さなとるに足らないことと思えたり、ほかにも解決策や考え方があることに気づいたり、心に余裕が生まれたりするものです。自分の思考は単なる思考にすぎず、現実の出来事ではないことにも気づくでしょう。』 注:引用中の「この瞑想」は「ヴィパッサナー瞑想」のことのようです。例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項 (iv) 引用中の「自分が望むように」と「物事を見ること」を組み合わせた「自分が望むように物事を見ること」とは逆かもしれない「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては、他の拙エントリのここここを参照して下さい。

「あるがまま」を受け入れる(中略)

森田療法では、不安や恐怖などを「取り除かなければならない悪いもの」とはとらえずに、自然な感情と見なすことを治療の出発点としています。つまり、人前で感じる恥ずかしさは人間として自然な感情であるにもかかわらず、対人恐怖症では、それを「ふがいない」とか「情けない」などと考えて、恥ずかしがらないようにと葛藤し苦悩するがゆえに、恥ずかしさの結果として生じている赤面や震えなどがますますひどくなり、そうすると、ますます「ふがいない」と感じるという悪循環に陥っているのだと森田は考えたのです。
確かに、人間には「こうあるべきだ」と考える傾向があり、そのために、それと意識せずに自分や他人を不自由にしているところがあるように思います。森田療法では「あるがままを受け入れる」ことを治療目標としています。一般的に、どんな治療に取り組む時にも抱く「不安を消し去りたい」とか「よくなりたい」と願う気持ちは、森田療法では「あるがままを受け入れる」ことを阻むものとして注意深く検討されます。不安は自然な感情なのだから、そのまま放っておこうと考えるのです。このような、肩の力を抜いた心の構えを実践することがどれほど困難なことかを悟る時、自分がどれほど不自由で緊張を強いられながら生きているかを実感するように思います。

注:引用中の「悪循環」に関連するかもしれない「精神交互作用」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

受容を中心とするセラピー

受容は日本では重視されているが、アメリカのような個人主義社会に暮らす人々にはおそらくもっと必要とされるものだ。実際、西洋の療法はこれまで受容を基盤に発達してきた。
カール・ロジャーズは「興味深いパラドックスだが、あるがままの自分を受け入れることができた時にこそ、私は変わることができる」と述べている。彼はまた、相手を治療したり変えようとしたりするのではなく、「どうすればこの人の成長に役立つ関係を提供できるだろうか」だけを問い、相手を受け入れようとした。そして、無条件の肯定的関心とは、判断を差し挟まずに相手を受け入れ尊ぶこと、話を遮ったり助言を与えたりせず熱心に耳を傾けることだと説明した。
森田やロジャーズとも類似点が認められる、その現代西洋版がある。「アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)」と呼ばれるものだ。受容とマインドフルネスという手法を用いて、自分の私的な思いや感情、特に望まない思いにただ気づき、受け入れ、自分の一部と認めることを教えるものだ。多くのセラピーでは自分の思い、感情、感覚、記憶をよりうまくコントロールすることを教えるが、ACTのコアとなる考えとは次のようなものだ。
「通常、精神的苦痛の原因となるのは、体験の回避、認知的混同、それらの結果生じて自分のコアたる価値に沿った行動をとれなくさせる心理的硬直状態である」(後略)

注:i) この引用部の後に、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおけるFEARやACT(Acceptance、Choose、Take action)の説明があります。これについての引用は省略しますが、ACTを紹介する次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」 加えて、アクセプタンス&コミットメント・ セラピーにおける様々な話題についてはここを参照して下さい。ちなみに、 a) ACT(Acceptance and Commitment Therapy)の正式な日本語訳は「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」であると本エントリ作者は考えます。 b) 引用中の「認知的混同」は、ACTの文脈では「認知的フュージョン」と呼ぶ方がより適切であると本エントリ作者は考えます。「認知的フュージョン」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、これに関連する「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」については、次の資料を参照して下さい。 「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」 ii) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「森田療法とは」、「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の「【高良・新福の“とらわれとあるがまま”】」項 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

②承認
最初に標記「承認」(validation)についての資料を次に紹介します。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-」 加えてこれについて、林直樹・松本俊彦・野村俊明編の本、「これからの対人援助を考える 暮らしの中の心理臨床 パーソナリティ障害」(2016年発行)の 第Ⅱ部 理論編 の 4 弁証法的行動療法 の「1)DBT の概要」における記述の一部(P175~P179)を次に引用します。この引用は「1 ●生物社会理論」と「2 ●承認戦略」の部分を対象とします。

1 ●生物社会理論
リネハンは境界性パーソナリティ障害の特徴を感情調節不全と捉え、その原因を理解するために生物社会理論を展開している。生物学的に感情反応をしやすい傾向のある個人が、社会的環境から非承認される経験を繰り返すことで すべてとはいかなくとも、多くの感情の調節が困難(広範的感情調節困難)になってしまうという考え方である。
遺伝やトラウマなどによって引き起こされると考えられる感情調節の生物学的困難は、刺激に対しての過度の敏感さ(感情反応の頻度)、感情的に反応した際の反応の度合いの強さ(強度)、そして感情反応が収束するまでにかかる時間の長さ(持続度)として操作的に定義される。強い感情反応は、本人にとって苦痛な体験になる。苦痛な感情反応に対して、感情失禁、怒りの爆発、自傷、引きこもりなどさまざまな対処策をとるが、それに対して他者、特に親などのケアをするものから、「非承認」、すなわち「そのような反応は理にかなっていない、理解、受容できないというメッセージ」が返ってくることが多い。そのようなメッセージは、感情的に傷つきやすい者にとっては、なお一層苦痛を伴う感情反応を起こす刺激となる。
そのような相互関係を繰り返すことにより、患者白身が周囲の非承認的反応を内在化し、自分を非承認するようになり、なおいっそう、感情的傷つきやすさが強化される。そのために、そのような感情反応性を持たずに理解しにくい立場にいる治療者や家族は、患者の感情的反応性に当惑し圧倒されることが多く、患者白身も自分の感情反応性に圧倒されるだけでなく、他者からの「理解できない」という反応も圧倒的な辛さを伴う感情反応をさらに強めてしまう、というものである。

2 ●承認戦略
生物社会理論から、治療者のとるべきアプローチは非承認に相対する承認だと考えられる。リネハンは承認を「セラピストが患者に対して、患者の反応は現在の生活の状況において当然のことであり、理解可能なものだと伝えることである」と定義している。
また、リネハンはロジャース(Rogers, C.)の「相手の内的準拠枠を正確に、そして感情的部分も含蓄される意味も、あたかも相手であるかのように、しかしこのあたかもという条件を失わずに認識すること」(筆者訳)という共感の定義を引用して、承認と共感の違いを論じている。そのように定義された共感に対して、承認は相手を観て相手から聴いたこと、そして相手の反応と行動のパターンには本質的こ妥当性を持っていることを言葉または反応で伝えることである。患者の内的準拠枠を「あたかも」ではなく、相手が実際に体験していることを真に理解し、そしてそこから初めて、セラピストは先入観を捨てた観察者としてその体験の妥当性、正当性、有効性を査定し始める。そして相手の反応が、相手の最終的な目的に進むために効果的である可能性があることを、事実に即して、または推論、または専門性を通して査定して、妥当性があると伝えることが承認である。精神療法における承認はセラピストの患者との交流の中で、その時その時で共感を実行する能力が前提となる。従って、「臨床的承認のために共感は必要であるが、それだけでは十分ではない」と主張している。
共感と承認のこのような違いについて例を挙げてみよう。遷延性うつ病の患者が、治療者に自分の情けない状態と感情的苦しさを訴え、「今日も治療に来るのを何度やめようかと思うほど、やる気が出ないだめな自分」だと自責的に訴えるのに対しての共感的対応は、患者の困難な状態、感情、やる気のなさを受容的に言語化することではないかと思われる。それに対して、共感的側面に加えて、それほどやる気が出ない中で、どのような気持ち、考え、そして行為の経過を通して治療の場にたどり着いたかについても仔細に聴き、患者なりに症状が改善する方向に向けて努力していることを、事実に即して伝えることが承認と言えよう。

注:i) 引用中の文献番号の記述を省略しています。 ii) この引用部の著者は遊佐安一郎です。 iii) 標記「承認」については、次の資料を参照して下さい。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-

③いま・ここ
弁証法的行動療法(DBT)における「いま・ここ(現在)」に関連して、次の DBT の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」についての資料を参照して下さい。つまり、報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料における P26 中のアランの名言を抜き出し次に引用します。

われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。

標記「いま・ここ」に相当する、アクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける「今・ここ」については、ここを参照して下さい。加えて、この引用と類似点がある記述が森田療法の関連本にもあります。これについては、北西憲二著の本、「はじめての森田療法」(2016年発行)の 第二章 キーワードで知る森田療法のエッセンス の「10 感情と感情の法則」における記述の一部(P122~P124)を次に引用します。

(前略)禅宗の開祖、達磨大師の言葉に「前に謀らず、後ろに慮らず」というものがあります。森田自身が、とらわれた人たちへの比喩として使う言葉です。(中略)

悩んだときには、私たちは、過去を後悔し(前に謀らず)、先々のことをあれこれ考え過ぎ、取り越し苦労します(後ろに慮らず)。そして「今ここで」生きることへの注意は、すっぽり抜け落ちてしまいます。
大事なのは、そのときどき、いま生きている生活世界に注意を向け、素直な生きる力に乗ってす~っと生きることです。そのような心のあり方が、心の持ちようを変えていきます。(後略)

[2] アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)
最初に、標記ACT(又は ACT:Acceptance and Commitment Therapy)を簡単に紹介する資料(ここを参照)、そしてACTを超わかりやすく説明する YoutubeCBSチャンネル」を紹介するツイートをはじめとして、ACTによる介入やACTの適用、そしてACTにおける無作為化(ランダム化)比較試験の研究動向について、次に示す資料があります。 「外出が困難となった女性に対するアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)による介入と行動指標の活用」、「うつ病女性に対する臨床行動分析 -夫婦関係の悩みを持つ女性に対して行動活性化療法およびアクセプタンス&コミットメント・セラピーを適用した症例研究」、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の無作為化比較試験の研究動向(1986-2017年)」 加えて、 a) 「ACTが慢性疼痛に有用なこと」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の F.心理的アプローチ の「CQ F-4:アクセプタンス&コミットメント・セラピーは慢性疼痛に有用か?」項(P119~P120) b) ACTと森田療法との比較も含む資料は次を参照して下さい。 「ACTとは何か」 c) ACT から見たマインドフルネスやACTとマインドフルネスとの比較も含む次の資料もあります。 「アクセプタンス & コミットメント・セラピー(ACT)から見たマインドフルネス」、「ストレス症状低減と生産性向上のためのセルフケア -マインドフルネスとアクセプタンスに基づく教育-」 また、ACTと「行動活性化」の関連については、例えば資料「ACTのコア・プロセスが有する機能の検討」(WEBページ「ACTのコア・プロセスが有する機能の検討」から pdfファイルがダウンロードできます)を参照して下さい。

①ACTの基本原理及びコンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)
最初にACTの基本原理について、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第33章 自分ができることに集中しよう」における記述の一部(P273~P277)を次に引用します。

(前略)ACTの基本原理を要約しておこう。
1. 脱フュージョン――思考、イメージ、記憶をあるがままに、単なる言葉と映像として認識し、それらと戦ったり逃げたり、値する以上の注意を向けたりすることなしに、現れるまま、去るがままにさせる。
2. 拡張――感情、感覚、衝動などに居場所を作ってやり、それと戦ったり逃げたり、過度に注目したりせず、来て去っていくがままにさせる。
3. 接続(つながる)――心を開き、興味を持ち、受容の心をもって「今・ここ」での経験に一〇〇パーセント注意を向ける。自分が現在していることに完全に集中・没頭する。
4. 観察する自己――自分の中の超越的な部分であり、困難な思考や感情を、それらに傷つけられることなしに観察できる視点を持つ。自分の中で決して変わらない部分、ずっと存在し続け、決して傷つけられることのない部分。それは肉体的な存在ではない「完全なる気づき」である。
5. 価値の確認――自分にとって一番大切なものを明確化する。どんな人間になりたいか、何が重要で意味があり、自分が人生で支持するものは何か。
6. 目標に向かっての行動――自分の価値と一致した効果的な行動をする(何度道から外れようと気にしない)。

これら六つの基本原理はACTの公式に上手にまとめられている。

A=思考と感情を受け入れ、現在に生きる。
C=自分の価値とつながる。
T=効果的な行動をする。

六つの基本原理に沿って生きるほど、人生はより充実し、多くをもたらしてくれる。だが私がそう言うからといって鵜呑みにしてはいけない。まず自分でやってみて、その経験を信じるのた。これらの基本原理がうまく働き、豊かで充足した人生を得られれば、それを完全に受け入れることは意味がある。(中略)

どう生きるかの選択はあなたに任されている。六つの基本原則によって多くの人が人生をより良く変える体験をしているとはいえ、それは聖書の十戒とは違う。自分が選択した時だけ行い、常に人生を豊かに満たし、意義あるものにしたいという思いを持ち続けよう。だがそれを、常に守るべき絶対のルールにしてはいけない。(中略)

■人生の様々な局面でACTを使ってみる(中略)

ACTの六つの基本原理を実践すれば「平静の祈り」を達成できる。(後略)

注:(i) 引用中の「ACTの公式」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「FEARからFEELを経てACTへ」項 加えて、同章の「■行き詰まったら」項において、行き詰まりの要因としてのFEARが示されています。これについては、上記資料の同項を参照して下さい。 (ii) 引用中の「拡張」は、本の第3章の P44~P45 に説明があり、次に引用(『 』内)します。 『不快な感情や感覚を抑圧したり追い出したりしようとせず、それらのために居場所を作ってやる。そうした感情に心を開きスペースを作ってやると、あなたを悩ます力はずっと弱くなり、心に留まってあなたを苦しめることなく、すぐに去ってしまうようになる(ACTではこれを「アクセプタンス=受容」と呼ぶが、それは多くの別の意味を持っており、非常に誤解されやすいためこの言葉を使った)。』 ちなみに、この引用中の「受容」については、ここここ及びここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「平静の祈り」については、例えばここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「脱フュージョン」については、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 (v) 引用中の「観察する自己」と「自己認識」との関連を示す記述を、ラス・ハリス著、岩下慶一訳の本、「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門(2015年発行)の「第23章 あなたは自分が考えているような存在ではない」における記述の一部(P195)を次に引用(『 』部)します。 『観察する自己なしに、自己認識というものはあり得ないのだ。』 注:引用中の「自己認識」と関連する「メタ認知」については次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法」の「メタ認知への注目」項 加えて、これに関連する「観察者としての自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 (vi) ちなみに、 a) 上記「フュージョン」と「メタ認知」に関連する次のツイートがあります。 「ツイート」(注:ツイート中の「ただあるがままの世界」については例えばここを、一方「物語の世界」については他の拙エントリのここを参照して下さい) b) 上記「メタ認知」からみたマインドフルネスについては次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」 c) 本の「はじめに」(この部分の著者はACTの創始者であるスティーブン・C・ヘイズ博士です)において、次に引用する(『 』内)ACTが教えるものについての記述(P8)があります。 『ACTでは幸福になる方法を教えるかわりに、抵抗や回避、現在の瞬間に生きていないなどのマイナス行動を弱める手段を教える。』

次に、コンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)を主とした、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかについて、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第四章 言葉の世界全体から距離を取る の「言葉の世界全体から距離を取るとは」における記述(P127~P129)を次に引用します。

言葉の世界全体から距離を取るとは

もう一つ面白い方法は、図14の下から二番目に載っているものですが、自分が色々考え込んでいると気づいた時に、自分の思考内容の最後に「~と考えた」という言葉をつけることです。「俺って皆に嫌われているのかな、と考えた」、「だって、話しかけてくれる人もいないしな、と考えた」という具合です。この練習を数分間続けていると、考えていることと現実は別だということが実感されてきて、フュージョンから抜けることができます。
これまで述べてきたようなことを理解はしていても、われわれの心は相変わらずどうしようもないことを考え続けます。それは私的出来事も行動であり、われわれの自由にはならないからなのですが、そこで、同図の四番目にある「とても面白い考えを思いついてくれてありがとう」と自分の心に言ってみるというのも、うまい方法だと思います。
これと同じような方法で、ある患者さんが考え出したものとして、「よきにはからえ」と心に言ってあげる、というのがありました。自分の考えや気持ちに振り回されることが少なくなりそうで、なかなかいいですよね。
上記のさまざまな方法を使うことで、ACTがどのような心の持ち方を目指しているのかということについて、わが国における関係フレーム理論やACTの第一人者である同志社大学の武藤崇39)が「コンプリヘンシブ・ディスタンシング」という説明をしていたのが印象的でした。つまり言葉の世界全体から距離を取って、言葉によって作り上げられた世界の脱構築を図ることが狙いになるというわけです。
それが、二千六百年前にブッダがマインドフルネス瞑想によってたどり着いた「思考が生まれる以前の世界」とかなり近いものに思えるのは、私だけではないと思います。

注:i) 引用中の「図14」の引用は省略します。ただし、図14における下から二番目の記述を次に抜き出し引用します(『 』内)。 『・自分の認知過程にラベル付けをしてみる(例:いま私は、「自分が完璧じゃないといけない」と考えている)。』 ii) 引用中の「39)」は『熊野宏昭、武藤崇、原井宏明、神村栄一、丹野義彦.座談会「ACTとは何か?」、こころのりんしょう à la carte、二八巻一号:六一-七六頁、二〇〇九年』です。 iii) 引用中の「~と考えた」については、例えばここを参照して下さい。 iv) 引用中の「フュージョンから抜ける」一手法かもしれない、『すべてを「ふーん、そうなんだ」と受け止める』については、ここを参照して下さい。 v) 引用中の「フュージョンから抜ける」に関連する「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vi) 引用中の「言葉の世界全体から距離を取って、言葉によって作り上げられた世界の脱構築を図る」とは方向性が逆の「自分の用いた言葉が現実そのものと誤認」することのデメリットについてのツイートがあります。 vii) 引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 注:ちなみに、この理論に基づいて構成された認知行動療法が、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(リンク集参照)です。 vii) 引用中の「言葉の世界全体から距離を取る」に関連する「言葉は心が作ったもの」について、ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳の本、『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』(2016年発行)の 第三章 ウィパッサナ―瞑想への道 の「言葉は心が作ったもの」における記述(P111~P113)を次に引用します。

言葉は心が作ったもの
音についても同じことです。私たちは音を聞きますが、これは現実です。言葉を私たちは聞きません。言葉は私たちが心の中で作り出したものです。私たちは学ぶ……、それは記憶に基づいた、一つの学びの過程です。現解できない言語が話される国に行った時、あなたは音を聞くけれども、意味を理解することはできませんよね。

音は現実ですが、言葉と意味は、
私たちが作り出したものです……。
それはとても有用なものです。私はそれが無用だと言いたいのではありません。
しかし、通常の現実を超えた現実への、
より深い理解を育みたいならば、
私たちは言葉と意味を乗り越えて進む必要があります。

修行者が瞑想していて、彼が本当にマインドフルで、本当にその場、その時にぴたりと寄り添っていたならば、横で誰かが喋ったとしても、この人には音は聞こえるけれども、意味を理解することはないでしょう。これは一つのテストです。
ミャンマーの幾つかの寺院では、これをやります。誰かがある種のサマーディを育てると、先生は 「人々が喋っているところの近くに行って座り、瞑想しなさい」と言うのです。先生は、生徒をわざと騒々しい場所におく。例えばあなたは台所に行って座り、人々が喋っているのを聞いたりするわけです。そこでもしあなたが本当にマインドフルになっていれば、あなたは音を聞くことはできるけれども、意味を理解はしないでしょう。お喋りがあなたの邪魔になることはもはやない。それによって、あなたの心にいかなる観念も、作りだされはしないからです。ただ音が過ぎ去って行く……、過ぎ去って行く……。
初心者にとって、これは難しいですね。この場所でも、道を車が走っています。あなたは心を乱される。「ああ、すごくたくさんの車が道を走っている」。しかし、本当にマインドフルになった時は、音を聞いても、それがあなたの心を乱すことはありません。何がパラマッタであり、何がパンニャッティであるのか。この区別を、ますます知っていくように努めてください。

注:i) 引用中の「サマーディ」は、集中、三昧を意味するようです。 ii) 引用中の「パラマッタ」は真実(直接に感じているもの)を意味するようです。 iii) 引用中の「パンニャッティ」は、概念、観念を意味するようです。加えて同本の P79~P80 において、「パンニャッティ」についての次に引用する(『 』内)説明があります。 『複数のものを一緒にして名前を与え、それを一つと理解したら、あなたが理解しているのはパンニャッティなのです。』 iv) 引用中の「音は現実ですが、言葉と意味は私たちが作り出したものです」に関連する『その「美しい声」は、単に鼓膜を震わせている音波によって形成されているものに過ぎない』については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。

②ACTモデルで見るマインドレスな状態
標記について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の マインドフルネスとACT の「臨床から定義するマインドレスな状態」における記述の一部(P042~P045)及び「◎体験の回避」と「◎認知的フュージョン」における記述(P045~P048)を次に引用します。

臨床から定義するマインドレスな状態(中略)

ACTモデルで見るマインドレスな状態(中略)図3(中略)

以下の四つの行動パターンの頻度が高まった状態。
・体験の回避:苦痛な思考や感情を回避する行動
・認知的フュージョン:思考と現実や自己を混同する行動
・過去と未来の優位:時間概念と「現実」を混同する行動
・概念化された自己:自己概念と「自己」を混同する行動(中略)

まずはマインドフルネスな状態の逆の「マインドレス」な状態をみてみましょう。図3ではマインドレスな状態の特徴というのが下側に書いてあり、その四つの行動パターンの頻度が高まった状態だといえます。

◎体験の回避
このマインドレスな四つの行動パターンのなかでも、「体験の回避」と「認知的フュージョン」、この二つが非常に重要です。体験の回避というのは、嫌なことを感じないでおこう、忘れてしまおう、といった行動のことです。誰でもこういったことはやりますよね。だって腹を立てたくないですし、不安になりたくないですし、落ち込みたくないですし、痛くなんてなりたくないですからね。不安になったら、とにかく不安を早く治めたい、落ち込んだら、なるべく早く元気になりたい。本日おいでの方の中には、もちろん患者さんも大勢いらっしゃいますので、不安が問題でそれを治しに来た方、うつが問題でそれを治しに来た方も大勢いらっしゃると思います。でも、そうやって不安をなくそうとすればするほど、逆に不安が気になる。なんとか落ち込まないようにしようとすればするほど、逆にそこから抜け出せなくなる。そういった経験は、皆さんもあるのではないかなと思います。
このとき、実際に役に立つのは「もう、不安なら不安でもいいよ」とか、「落ち込むのなら、落ち込んだっていいじゃないか」という考え方です。むしろ問題なのは、「この先もっとひどいことになるぞ」と思って、逃げ続けることなんですね。「この不安になりそうな状況に突っ込んでいったら、もう大変なことになって、周りの人に迷惑をかけて、自分もすごく恥ずかしい思いをして、もうどうしようもなくなって、何もコントロールできなくなってしまう。だから、やめておこう」。そんなふうに考えて、逃げてしまうことです。
でも、実際にそういうことが起こるかどうかは、わからないわけです。「もう、不安になるなら、なってもいいよ」と実際にやってみる。「なったらなったで、しばらく待っていれば治まるから」、そんなふうに思って、むしろ不安に向かっていく。そうやってみると、思っていたほど大変なことにはならないことが、非常によく起こります。
そういったことを何度も何度も経験していくと、また「大変だ」と不安が湧き出てきても、「そうかな。これまでのことを考えてみると、思っていたほど大変にならないというパターンが一番多かったな。それじゃあ、もうちょっと様子を見てみようか」といった行動をとれるようになっていきます。

◎認知的フュージョン
今の話に「思っていたほど」というフレーズが出てきました。この「思っていたほど」に関係するのか、認知的フュージョンです。先ほど、考えたことがバーチャルな現実をつくり出して、そっちが本当に思えてしまう、というお話しをしました。それは思考と現実を混同する行動といえます。でも、さらに説明すると、そこで混同されているものかもう一つあります。
我々は自分に対しても、「自分はこういう人間だ」、「自分はこれが得意だ」、「これは苦手」、「こういう人と一緒にいたい」、「こういう人とは一緒にいられない」……そのように様々なことを思い込んでいます。本当に自分がそうなのか、そうでないのかわかりませんが、我々は自分に対して頭の中でつくり出したイメージを持っています。そうやって頭の中でつくり出した自分のイメージを、自分だと思っているわけです。これは思考と自己を混同する行動です。
このように認知的フュージョンというのは、考えていることと現実を混同したり、考えていることと自分を混同したりする、そういった行動のことをいいます。
これがあるので、「いや、もう地下鉄に乗るなんて絶対に無理」と思ってしまうわけです。「こんな落ち込んでいたら、何もできない。もうちょっと元気にならないと、とても仕事に戻れない」、そんなふうに思って行動の回避をしてしまうわけです。「これ以上つらいことなんか、もう嫌だ。もう家にずっといよう」。「この前のような怖い思いなんて、もう二度としたくない。もう二度と飛行機なんか乗らないほうがいい、乗らないでおこう」。こうして体験の回避をしてしまうのです。

「体験の回避」は、「体験」と付いているのが特徴です。誰かと話をするとか、乗り物に乗るといった状況だけでなく、そこで体験したハラハラした感じ、救いようがない落ち込んだ感じ、痛くて痛くてたまらないような感じ、そういったことが怖いのです。「あのような体験は、もう二度とイヤだ。もう、感じないでおこう」と、心を閉じてしまうわけです。このように体験を回避すると、現実が感じられなくなるのは当たり前ですよね。
ですから、この認知的フュージョンを起こすことで、思考は現実を遮断する効果をもつわけです。考えることでバーチャルな世界がつくり出されて、現実との接点が失われる。ですから考えることは体験の回避をする場合には、もってこいなんです。考えていれば、本当の現実を感じなくてすむわけですからね。

注:i) 引用中の「認知的フュージョン」に関連する「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」については、次の資料を参照して下さい。 「認知的フュージョンが否定的認知を媒介して外傷後ストレス症状に及ぼす影響」 ii) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「考えることでバーチャルな世界がつくり出されて」に関連する、 a) 「バーチャルな現実によるコントロール」については他の拙エントリのここを、 b) 「言葉というのは、バーチャルな現実をつくり出す」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

③ACTモデルで見るマインドフルな状態
最初に、マインドフルの一部である「心を閉じない、飲み込まれない」について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンスと脱フュージョン の「心を閉じない、飲み込まれない」における記述の一部(P053~P055)を次に引用します。

体験の回避の逆は「アクセプタンス」です。認知的フュージョンの逆の行動は「脱フュージョン」です。このような逆の働きを持った行動を代替行動と呼びます。認知行動療法では、問題のある行動を減らすよりも、その替わりになる行動を増やすという戦略で進めていくことが多いです。体験の回避をやめるのかアクセプタンスなので、この二つはほとんどイコールですが、でもアクセプタンスの中には、そこにしかないような新しい要素も加わっています。
フュージョンは、認知的フュージョンをやめることです。認知的フュージョンをやめるのには、考えるのを切り上げればいいわけです。先ほど実践したように、考え続けないで切り上げれば、とりあえず考えの世界から抜けられます。でも、それだけでなくて、もう少し積極的な要素が脱フュージョンの中には入っています。以上をまとめたのが図4です。
私はマインドレスとの関わりで、よく患者さんに「心を閉じない、飲み込まれない、それが大事ですよ」とお伝えしています。「心を閉じない」は、体験の回避をしないこと。「飲み込まれない」は、考えていることに飲み込まれないで、考えているものと現実を区別しましょう、ということです。
心を閉じずに、飲み込まれないで、目の前の現実をきちんと感じ取っていきましょう。これがマインドフルネスの一番簡単な解説かなと思っています。それに、アクセプタンスと、脱フュージョンという名前が付けられているということです。(中略)

ACTモデルで見るマインドフルな状態(中略)図4(中略)

以下の4つの行動クラスの生起頻度が高まった状態。
・アクセプタンス:心を閉じるに開いておく、ゲーティンク機能
・脱フュージョン:考え続けることをいったん止めて、思考と現実を区別する機能
・プロセスとしての自己:現実との接触を促進し、随伴性知覚を高める機能
・場(観察者)としての自己:注意のフォーカスを最大にし、偏りなく現実を捉える機能(後略)

注:i) 引用中の「ゲーティンク機能」に関連した説明には、同本の図5(P058)によると、「自動的に閉じてしまう心の扉を、開けておくことによって、現実との接触(プロセスとしての自己)が始まる」があります。 ii) 引用中の「プロセスとしての自己」について、a) 熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第二章 言葉が自分を作り上げる の「プロセスとしての自己」における記述の一部(P59~P60)を次に引用(『 』内)します。 『このように、今ここでの瞬間ごとに、環境との相互作用に基づいて行動する自分のことを、関係フレーム理論では「プロセスとしての自己」といいますが、その自分を少し離れたところから観察する心の持ち方は、マインドフルネスと呼ばれています。』(注:この引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」) b) 加えて、同本の第三章 自分探しとマインドフルネス の「自分の心を他人事のように眺める」における記述の一部(P86)を次に引用(『 』内)します。 『つまり、マインドフルネス瞑想とは、自分の心の動きを他人事のように眺める練習を繰り返すことで、プロセスとしての自己を鍛える方法であるということを示していると考えられそうです。つまり、ブッダが二千六百年前の自分探しプロジェクトで目指したのは、概念としての自己(自分は○○だという思い、自己イメージ、永遠不滅の魂など)を手放し、プロセスとしての自己を強化することであったことが、現在の脳科学研究からも裏づけられているといえるのではないでしょうか。』 注:i) この引用中の「現在の脳科学研究からも裏づけられている」については、同本をお読み下さい。 iii) 引用中の「自分の心の動きを他人事のように眺める」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 iv) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vi) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

加えて、上記「心の扉を開ける」、「脱フュージョン」等について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の アクセプタンス 心の扉を開く の「心を開く」における記述の一部(P056~P059)、「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」における記述(P060~P061)及び「脱フュージョン 距離をおいて観察する」における記述の一部(P062~P065)を次に引用します。

「心を開く」

それぞれ説明していきますと、アクセプタンスというのは「心の扉を開く」といった感じです。でも、我々の心の扉は自動的に閉まります。皆さんも経験があると思いますが、嫌なことになるとピシッと目にも止まらぬ早さで心が閉じます。
私がこれに最初に気がついたのは、心療内科医になって5年ぐらいの頃です。当時、苦手な患者さんがいて、なかなかうまく一緒に治療ができませんでした。私のところに来ると怒り出すとか、泣き出すとか、非常に興奮して責められる。やはり、そういう患者さんが来られると、「また、あの患者さんだ。なんとか今日は無難にすませたい」と思ってしまうんですね。「無難に」って、なんですかね(笑)。「無難に」とは、心を閉じているわけです。もう感じない。なるべく早くお引き取りを願いたい。お引き取り願いたいときには、扉を閉めておいたほうが楽ですよね。扉を開けたら、もうなかなかお引き取りを願えなくなりますので、ピシッと閉じるわけです。
でも、ここでよく考えなくてはいけません。患者さんは私と話をしに来ているわけです。私に困ったことを相談したいし、何か聞きたいと思って来ているわけです。一緒に考えてほしい、助けてほしいと思っている人に対して心の扉を閉じたら、もうむちゃくちゃ失礼ですよね。そうすると患者さんは、「先生は私のことなんかどうでもいいから、そんなことしているんでしょう。開けなさい!」と当然、怒り始めます。
でも、私は何で怒られているのか5年ぐらいわかりませんでした。それが、ある時、ハッと気がついたんですね。「あっ、自分は患者さんの話を聞いていないんだ。そうしたら怒るのは当たり前だよな」と気がついて、その時に何が起こっているか自分の中を眺めてみました。
そうしたら、その患者さんが扉を開けて入って来るという瞬間に、私は心の扉をピシッと、もう一瞬で閉めていました。「あっ、こんなふうになっていたんだ。自分は何も聞かないで、早くお引き取りを願うようにしていたんだ」ということがわかりました。もちろん、それでは治療にはならないし、患者さんには本当に失礼なことをしているわけですし、そもそもプロとしての仕事をしてないことを痛感しました。それで、これからはちゃんと扉を開けておこうと思い、イメージの世界ですけど、ピシッと閉じようとする時に扉に手をかけて、グッと開けるわけです。怖いですよ。皆さんも苦手な人がいると思いますが、苦手な人と話をするときは、あっという間にガーツと心を閉じてしまいますから。

それからは心の扉を開けるように心がけました。そうすると、イメージの世界なので私の妄想だけかもしれませんが、開けていられるようになりました。すると、患者さんのほうも落ち着くようになって、普通に話してくださるようになりました。こちらの気持ちとしては、「なんでも言ってきてください。私はここにいます。怖いけどいますよ」と、そんな感じですね。(中略)

そうしたら、患者さんも最初は怒り始めますが、そのうち「先生、そこにいたんですか」って気づきます。そして、「ああ。先生も真剣に考えてくれているんですね。でも、答えが出ないわけですね。ああ、そうですよね」って言って帰っていかれる。それまでも、私がいい加減だったわけではないのですが、本気に考えてないので、患者さんは本当だったら教えてもらえることを教えくれていないのではないかと、当然感じていたわけです。そこで心を開くことで、私も考えているけどわからないということを、患者さんにも理解していただける。
そういうことを、しばらくしていたら、「先生も大変でしょうけど、頑張ってくださいね」と言って帰られるようになって、「うーん、そうだよな」と思った覚えがあります。そんな感じです。

「自動的な行動にマインドフルネスで対処する」

このように体験の回避は、自動的に起こります。回避しようと思ってしているわけではありません。これが、とても大事なポイントです。我々の日常生活の中のさまざまな癖は、自動的に起こっています。これはオペラント学習と呼ばれる学習です。何か行動して結果としていいことが伴うと、その行動が繰り返されるように学習されてしまうのですね。これは動物でも成り立つ学習形式です。言葉を使わない学習なので、例えばペットの犬にトイレのしっけをすることもできます。トイレでちゃんとできたときは、うんと褒めてあげる。別の所でしたときは、すぐにパッと叱ってトイレに連れていく。そんなふうにすれば、トイレを覚えられます。これがオペラント学習です。オペラント学習は言葉が関係していないので、自覚していなくても学習されますし、自覚していなくても、それが出てくるんです。
体験の回避はオペラント学習が大部分なので、自覚していなくても自動的に起こります。この自動的に起こるのをどうするかが、マインドフルネスの大きな課題です。
生活の中で自動的に起こってしまっていることが、我々の日常生活を形づくっているのです。うまくいかないことを、無自覚に繰り返してしまっていることをどうするかが、マインドフルネスの大きな目標ということになります。
心をパッと開けることによって、ようやく現実との接触が始まるわけです。パッと開く、そうすると 「ああそうなんだ。こういうことだったんだ」とわかります。対人関係では、よくこういうのはありますね。胸襟を開いて話すとか、腹を割って話すとか。そうすると、「なんだ、そんなことを考えていたのか」と理解できるということです。

「脱フュージョン 距離をおいて観察する」

フュージョンは距離をおくわけです。心のモクモクの中に巻き込まれないで、少し距離をおいて観察をします。「今、自分は怒っているんだな」、「今、自分は怖がっているんだな」と距離をおいて、それに巻き込まれない。
資料の図(図6)を見てください。心、感受、身体、外界と書いてありますが、この感受というのは六根で感じ取った直後の心の働きのことです。仏教では五感に思考も含めたものを六根と呼びますが、この思考は自動思考といわれるものです。
我々はフッとした瞬間に、いろいろなことを思いつきますね。向こうから苦手な人が来たら、「あっ、嫌な奴が来たな」と思う。それが自動思考です。そういったものも含めて外界を感じ取ります。
そこで、「あっ、いいな」といった感じが出るか、「あっ、嫌だ」といった感じが起こるか、それとも「どうでもいいや」といった感じか。この好きか、嫌いか、どうでもいいかという三つの感覚が、外界を捉えた途端に起こっていると考えられていて、それが感受というわけです。
たぶん自動思考は自分の私的な環境内の出来事を捉えているのでしょう。そのように環境内の出来事を捉えたときに、フッと動くものまで含めて感受としています。
我々は身体があって、身体の外には外界に広がっています。でも、先ほど話したように、思考や感情の中に巻き込まれていると外界が見えなくなりますので、「ちょっと、外に出ましょうよ」ということですね。これが脱フュージョンといわれる方法です。
例えば反すうとか心配をしているときに、「それって、事実じゃないかも」と気がつくようにしてみる。あるいは、「……と考えた」と付けてみてください。例えば「もう地下鉄なんて5年も乗ってないから、乗れるわけないじゃん……と考えた」と付けてみたりですね、「だって、この前に乗ったときは、ひどい目にあったじゃないか。あんなのは、もう耐えられない……と考えた」と付けてみる。このように「……と考えた、……と考えた」とやっていくうちに、「そうか、これは俺が考えていることだけど、確かに現実はちょっと違うかもしれないな」と思えるようになったら、もうしめたものです。
これを3分間、「……と考えた」とやるのはかなり大変ですよ。3分間まじめにやったら、もう本当に嫌になります。「俺って本当に失敗ぽっかりだよな……と考えた。何やっても、みんな認めてくれないし……と考えた。誰も俺に声をかけてくれないし……と考えた」とやっていると、そのうち嫌になりますよね。そうして「考えているのなら、別の考え方だってできるし、現実は違うかもしれない」と思えてきたら、とりあえず距離をおけたということになります。
これは、自分を、観察者として見ている自分と、観察される側の心や体に区別する練習でもあります。とりあえず、自分の中を二つに分けてみます。この「とりあえず」というのを忘れないでください。これは、とりあえず「見ている自分」と「見られている自分」の二つに、自分を分けてみるとわかりやすいですよ、ということです。
怒っている自分、あるいは何かを一生懸命に考えている自分。これは、見られるほうの自分です。それに対して、自分が怒っていることや、考えていることに気づいている自分、これは見ている自分です。この「見ている自分」と「見られる自分」に分けることができるというのが、脱フュージョンの基本です。

注:i) 引用中の「図6」の引用は省略します。 ii) 引用中の「オペラント学習」については、次の資料を参照して下さい。 「オペラント学習と行動療法」 ちなみに、シックハウス症候群における「オペラント学習」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「五感」は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を指します。 iv) 引用中の「自動思考」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法とは」 加えて、「体験の回避」が悪循環を作ることについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「脱フュージョン」ついては、例えばリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「脱フュージョン・エクササイズの作用メカニズムの検討」 vii) 引用中の「反すうとか心配」に関連する「問題解決方略としての心配,反すう」については次の資料を参照して下さい。 『認知療法,マインドフルネス,原始仏教:「思考」という諸刃の剣を賢く操るために』の「3.4 問題解決方略としての心配,反すう」項 viii) 引用中の「距離をおいて観察する」に関連する「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」について、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第三章 自分探しとマインドフルネス の『「することモード」から「あることモード」へ』における記述(P92~P94)を次に引用します。

「することモード」から「あることモード」へ

もう一つのポイントとして、ティーズデールらが挙げているのが″「することモード」から「あることモード」への切り替え″です。われわれは目が覚めた状態で何か活動している時には、いつもある目標を達成するための行動に駆り立てられています。例えば、今私はなるべく早くこの原稿を書き上げようと一所懸命頑張っている、つまり「することモード」で活動しているわけです。
もちろん、そのこと自体は必要なことですが、目標を達成することだけで頭がいっぱいになってしまうと、自分の心の動きを距離を取って眺めることはできなくなります。そうなるとわれわれは、自分の中の強い感情状態(欲・怒り・迷い)に振り回されることになりがちです。つまり、この仕事ができなければ自分には価値がない、あいつに負けたら自分はもうやっていけない、この会社で出世できなければ自分は終わりだ、などと本気で思ってしまうことになるのです。これは上記のような感情状態と自分とを同一視している状態と言ってよいでしょう。
これまでの研究からも、特にうつ病の人は、自分が成し遂げたもの=自分の価値、と考えがちであることが知られています。そうなると、ちょっとうつ状態が強くなり、その分仕事の能率が少し落ちただけでも、「やっぱり俺はダメだ」と考えてしまいそうですね。そしてそう考えた結果また気分が落ち込むので、さらに仕事の能率が落ちるという悪循環に容易に入ってしまうことになります。
そこで、少し走り続けるのをやめて、自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している、マインドフルネスの状態(=「あることモード」)になってみましょうと提案されるのです。
つまり、「われわれは本来、何も握り締めていない、誰とも戦っていない、どこにも向かっていない……ということを思い出してみる(31)」のです。
それでも自分(=プロセスとしての自分)はここにいますし、むしろ平安な気持ちでいられることに気づくことも少なくありません。その理由は、「あることモード」が、先に挙げた欲・怒り・迷いから離れた心の状態であるからです。

注:i) 引用中の文献番号「(31)」は次の本です。 「熊野宏昭『ストレスに負けない生活』、ちくま新書、二〇〇七年」 ii) 引用中の「することモード」及び「あることモード」については、共にここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「マインドフルな“モード”について」項 加えて、引用中の『「することモード」から「あることモード」へ』に関連する「マインドフルネスはいわば心のギアを〈doing〉モード(することモード)から〈being〉モード(あることモード)にシフトすること」については、次の資料を参照して下さい。 『「日本のマインドフルネス」へ向かって』の「4.1.マインドフルネスの二つの要素」項 さらに、この引用と同様に「あることモード」の別名である「beingモード」とマインドフルな状態との関連について、編者、監訳者及び訳者は※※を参照の本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の第8章 マインドフルネス・ACTとスキーマ療法の統合 の「はじめに」における記述の一部(P190)を次に引用(『 』内)します。 『doingモードとは対照的に,マインドフルな状態では,私たちは自分自身を「一貫して存在する内的な観察者」として体験する。観察者としての自分は,私たちの意識の内容やその変化に影響を受けない。Segalらはこれを「beingモード」と呼んだ。』(注: a) この引用部の著者はエッカード・ローディガーです。 b) 引用中の「doingモード」は、上記「することモード」の別名です。 c) 引用中の「観察者としての自分」の別名である「観察者としての自己」については、リンク集[用語:「観察する(観察者としての)自己」]を参照して下さい。) iii) 引用中の「プロセスとしての自分」に関連する「プロセスとしての自己」については、リンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「自分のすべての私的出来事から距離を取って、ただそこで観察している」に関連する「観察する(観察者としての)自己」については、リンク集及び次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「観察者としての自己と脱フュージョン」項、「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドフルネスの実践」項 v) 引用中のマインドフルネスの状態である「あることモード」に関連するかもしれない「無心(第二の心)のマインドフルネス」については、次の資料を参照して下さい。 「無心(no mind)とマインドフルネス(mindfulness)」の【無心のマインドフルネス】項(注:「無心のマインドフルネス」に関連して、判断・評価や好き嫌いを避けられない、「シンキング・マインド」[thinking mind*15)[又は「日常の心」や「見聞覚知の主体」*16]を手放したマインドフルネス[又はヴィパッサナー]瞑想があります。) vi) 引用中の「体験の回避」に相当する森田療法における「はからい」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 vii) 引用中の「あることモード」に関連するかもしれない「考えるのではなく、感じ、体の感覚を受け止め受容する」について、長谷川洋介、貝谷明日香著の本、「知識ゼロからのマインドフルネス 心のトレーニング」(2015年発行)の PART1 「今、ここ、私」で不安や怒りをなくす の『「「わかろう、できよう」としない。つづけることで体が理解する』における記述の一部(P26)を次に引用します。

●感じたことを評価せず、やさしい心で受け止める

「マインドフルネス」の効果を得るのに大事なのは、頭を使って考えないことです。瞑想は頭ではなく、体を使います。「わかろう、できよう」と身構えると頭が働き「どうして感じたのか」「どのくらいできたのか」と、分析や評価がはじまります。
考えるのではなく、感じます。体の感覚を受け止め受容します。子どもを抱きしめる母親のように、自分の感覚をそのまままるごとやさしく受け取るのです。
最初は大きな感覚から受け止め、その感覚をより注意深く観察していきます。まるで自分の小さな分身「観察する自分」が、感覚が生じているあちこちに出かけて、虫眼鏡でその感覚を見つめるように、ていねいに観察します。
すると、それまで気づかなかった微細な変化を感じ取れるようになります。その微細な変化を観察し味わいます。集中力が高まり、観察する自分とされる自分が一体化していくと、その先にマインドフルな状態がおとずれます。(後略)

注:i) 標記「考えるのではなく、感じ、体の感覚を受け止め受容する」に関連する「身体の感覚を感じることとシンキングは水と油の関係」については、山下良道著の本、「光の中のマインドフルネス 悲しみの存在しない場所へ」(2018年発行)の 第5章 人生に革命を起こそう の「いったんは身体に戻る」における記述の一部(P101)を次に引用(『 』内)します。 『身体の感覚を感じることとシンキングは水と油の関係なので、身体に注目することでアタマを占めている思い(シンキング)を手放すことができるからです。』 ii) 引用中の「観察する自分」に相当する「観察する自己」についてはリンク集(用語:「観察する(観察者としての)自己」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「頭」に関連する「シンキング・マインド」についてはここを参照して下さい。

〔o〕マインドフルネスに関連する論文紹介
以下に複数の標記論文要旨の引用をします。論文には MCS 及び医学的に説明できない症状関連のものも含まれます。

Mindfulness-Based Stress Reduction for Posttraumatic Stress Disorder Among Veterans: A Randomized Clinical Trial.[拙訳]退役軍人のPTSDに対するマインドフルネスストレス低減法:ランダム化臨床試験

IMPORTANCE:
Mindfulness-based interventions may be acceptable to veterans who have poor adherence to existing evidence-based treatments for posttraumatic stress disorder (PTSD).

OBJECTIVE:
To compare mindfulness-based stress reduction with present-centered group therapy for treatment of PTSD.

DESIGN, SETTING, AND PARTICIPANTS:
Randomized clinical trial of 116 veterans with PTSD recruited at the Minneapolis Veterans Affairs Medical Center from March 2012 to December 2013. Outcomes were assessed before, during, and after treatment and at 2-month follow-up. Data collection was completed on April 22, 2014.

INTERVENTIONS:
Participants were randomly assigned to receive mindfulness-based stress reduction therapy (n = 58), consisting of 9 sessions (8 weekly 2.5-hour group sessions and a daylong retreat) focused on teaching patients to attend to the present moment in a nonjudgmental, accepting manner; or present-centered group therapy (n = 58), an active-control condition consisting of 9 weekly 1.5-hour group sessions focused on current life problems.

MAIN OUTCOMES AND MEASURES:
The primary outcome, change in PTSD symptom severity over time, was assessed using the PTSD Checklist (range, 17-85; higher scores indicate greater severity; reduction of 10 or more considered a minimal clinically important difference) at baseline and weeks 3, 6, 9, and 17. Secondary outcomes included PTSD diagnosis and symptom severity assessed by independent evaluators using the Clinician-Administered PTSD Scale along with improvements in depressive symptoms, quality of life, and mindfulness.

RESULTS:
Participants in the mindfulness-based stress reduction group demonstrated greater improvement in self-reported PTSD symptom severity during treatment (change in mean PTSD Checklist scores from 63.6 to 55.7 vs 58.8 to 55.8 with present-centered group therapy; between-group difference, 4.95; 95% CI, 1.92-7.99; P=.002) and at 2-month follow-up (change in mean scores from 63.6 to 54.4 vs 58.8 to 56.0, respectively; difference, 6.44; 95% CI, 3.34-9.53, P < .001). Although participants in the mindfulness-based stress reduction group were more likely to show clinically significant improvement in self-reported PTSD symptom severity (48.9% vs 28.1% with present-centered group therapy; difference, 20.9%; 95% CI, 2.2%-39.5%; P = .03) at 2-month follow-up, they were no more likely to have loss of PTSD diagnosis (53.3% vs 47.3%, respectively; difference, 6.0%; 95% CI, -14.1% to 26.2%; P = .55).

CONCLUSIONS AND RELEVANCE:
Among veterans with PTSD, mindfulness-based stress reduction therapy, compared with present-centered group therapy, resulted in a greater decrease in PTSD symptom severity. However, the magnitude of the average improvement suggests a modest effect.


[拙訳]
重要性:
心的外傷後ストレス障害PTSD)のための既存のエビデンスに基づいた治療法に対する乏しいアドヒアランスを有する退役軍人には、マインドフルネスに基づいた介入は許容可能かもしれない。

目的:
PTSD の治療のためのマインドフルネスストレス低減法と present-centered group therapy を比較する。

デザイン、セッティング及び被験者:
Minneapolis Veterans Affairs メディカル・センターで、2012年3月から2013年12月まで、PTSD を伴った退役軍人を募集した、116人のランダム化臨床試験。アウトカムは治療前、治療中、治療後、そして、2 ヵ月後のフォローアップ時に評価された。データの収集は2014年4月22日に完了した。

介入:
被験者はランダムに 9 セッション (毎週それぞれ 2.5 時間の 8 グループセッション及び 1 日のリトリート)で構成される今の瞬間に非判断、アクセプタンスの方法で注意を払うことに焦点を合わせたマインドフルネスストレス低減法(n = 58)、又は現在の生活上の問題に焦点を合わせた、毎週それぞれ 1.5 時間の 9 グループセッションで構成される active-control condition の present-centered group therapy (n = 58) に割り当てられた。

主なアウトカムと測定:
PTSD 症状の重症度の経時変化の主要アウトカムは、ベースライン、3、6、9 及び 12 週での PTSD のチェックリスト(範囲は 17-85;高いスコアは大きな重症度を示す;10 以上の減少は最小限度の臨床的に重要な差と考えられた)を使用して評価された。うつ症状、生活の質及びマインドフルネスにおける改善と併せて、 Clinician-Administered PTSD Scale を使用した独立した評価者による PTSD 診断及び症状の重症度を第二のアウトカムは含んだ。

結果:
マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は自己申告の PTSD 症状の重症度において、治療中(平均 PTSD チェックリストのスコアにおける変化 63.6 から 55.7 に対し present-centered group therapy 58.8 から 55.8 ;グループ間の差 4.95; 95%信頼区間 1.92~7.99;P = .002 [訳注:以下の ( )内は、比較のためにマインドフルネスストレス低減法のグループと present-centered group therapy のグループにおける数値をそれぞれ示します。両者の区切りは vs です。]及び 2 ヵ月後のフォローアップ時 (平均スコアにおける変化 63.6 から 54.4 vs 58.8 から 56.0 ;グループ間の差 6.44; 95%信頼区間 3.34~9.53;P < .001)においてより大きな改善を実証した。マインドフルネスストレス低減法のグループにおける被験者は、2 ヵ月後のフォローアップ時の自己申告の PTSD 症状の重症度において、より臨床的に有意な改善を示しがちであった(48.9% vs 28.1% ;差 20.9%; 95%信頼区間 2.2%~39.5%; P = .03)が、彼らはもはや PTSD の診断を有意に消失することはなかった(53.3% vs 47.3% ;差 6.0%; 95%信頼区間 -14.1%~26.2%; P = .55)。

結論と関連性:
PTSD を伴う退役軍人において、マインドフルネスストレス低減法は present-centered group therapy と比較して、PTSD 症状の重症度のより大きな減少をもたらした。しかし、平均的な改善の大きさから、あまり多くない効果であることを示唆する。

注:i) 引用中の「present-centered group therapy」に関連する「present-centered therapy」についてのコクランレビューについては次の論文(全文)を参照して下さい。 「Present‐centered therapy (PCT) for post‐traumatic stress disorder (PTSD) in adults」(特に「Description of the intervention」項。ただし、この論文の拙訳はありません) ii) 引用中の「アドヒアランス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「アドヒアランス」 iii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。 iv) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 v) この論文を紹介するWEBページ(英語)の例は次に示します。「Mindfulness Therapy Helps Vets Deal With PTSD」 加えて、本によるこの論文の紹介として、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の貝谷久宜、長谷川洋介、長谷川明日香、小松智賀、兼子唯、巣山晴菜著の文書「うつ病・不安症とマインドフルネス」の 不安症におけるマインドフルネス の「(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する効果」における記述の一部(P185~P186)を以下に引用します。 vi) マインドフルネスストレス低減法の翻訳書の例は次に示します。 『J. カバットジン著、春木豊訳の本、「マインドフルネスストレス低減法」(2007年発行)』

(4)その他の不安症と心的外傷後ストレス障害PTSD)に対する効果(中略)

PTSD に対する MBSR の RCT が最近報告された(Polusny et al. 2015)。それによると、PTSD を持つ退役軍人 116 名のうち 58 名が MBSR に、残りの 58 名が生活上の問題点を話し合うグループ治療に振り分けられた。MBSR では 9 週間で 1 回 2.5 時間の 8 セッションと 1 日のリトリートが課せられ、後者では毎週 1 回 1.5 時間のグループセッションが 9 週間行われた。PTSD チェックリストの変化は、MBSR 群では 63.6→55.7、対照群では 58.8→55.8 で、群差 d=4.95、p=0.002 であった。治療終了 2 ヵ月後では、MBSR 群では 63.6→54.4、対照群では 58.8→56.0 で、群差 d=6.44、p<0.001 とさらに効果が出ていた。自己申告症状の改善率の群差はさらに著明で、治療終了直後では 48.9% vs 28.1%、2 ヵ月後 53.3% vs 47.3% であった。総合的評価として PTSD における MBSR の効果は限定的とされた。

注:i) 引用中の「(Polusny et al. 2015)」は論文です。 ii) 引用中の「リトリート」は瞑想合宿のことのようです。

A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.[拙訳]MCS(多種化学物質過敏状態)、慢性疲労症候群及び線維筋痛症を伴う女性におけるマインドフルネスストレス低減法の効果の対照研究

BACKGROUND:
The objective of this study was to examine the effect of a mindfulness-based stress reduction (MBSR) program on women diagnosed with conditions such as multiple chemical sensitivity (MCS), chronic fatigue syndrome (CFS), and fibromyalgia (FM).

METHODS:
The intervention group underwent a 10-week MBSR program. Symptoms Checklist Inventory (SCL-90R) was used as outcome measure and was administered before the start of the program (pre-), immediately upon completion (post-) and at three-month follow-up. Women on the wait list to receive treatment at the Nova Scotia Environmental Health Centre were used as control subjects for the study.

(中略)

CONCLUSIONS:
The study showed the importance of complementary interventions such as MBSR techniques in the reduction of psychological distress in women with chronic conditions.


[拙訳]
背景:本研究の目的は、MCS、慢性疲労症候群線維筋痛症の状態と診断された女性に対し、マインドフルネスストレス低減(MBSR)プログラムの効果を調査することであった。

方法:介入群では10週間の MBSR プログラムを施行した。症状チェックリストインベントリ(SCL-90R)はアウトカム評価項目として使用され、プログラム開始前、プログラム終了直後及び三か月フォローアップで評価が行われた。ノバスコシア州環境保健センターで治療を受けるための待機リスト上の女性を研究のための対照被験者とした。

結論:この研究では、慢性疾患の状態を伴う女性の心理的苦痛の減少において、MBSR のような補完的な介入の重要性を示した。

注:i) 引用は論文要旨の一部の引用が省略されています。省略した部分は標記リンクで一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「線維筋痛症」については、例えば次のガイドラインを参照して下さい。 「線維筋痛症診療ガイドライン 2013

Mindfulness-based cognitive therapy for patients with medically unexplained symptoms: a randomized controlled trial.[拙訳]医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
Patients with medically unexplained symptoms make heavy demands on the health care system. An offer for psychological treatment is often declined. There is a need for acceptable and effective treatments. We assessed the acceptability and effectiveness of mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for patients with persistent medically unexplained symptoms.

METHOD:
A randomized controlled trial comparing MBCT (n = 64) to enhanced usual care (EUC; n = 61). Participants were the 10% most frequently attending patients in primary care. The primary outcome measure was general health status at the end of treatment. Secondary outcome measures were mental and physical functioning. Assessments took place at the end of treatment and at the 9-month follow-up.

RESULTS:
Health status and physical functioning did not significantly differ between groups. However, participants in the MBCT group reported a significantly greater improvement in mental functioning at the end of treatment (adjusted mean difference, 3.9; 95% CI, 0.24-7.6), in particular with regard to vitality and social functioning. In addition, at 9 months of follow-up, the mindfulness skills 'observing' and 'describing' were significantly higher in the MBCT group. Within the MBCT group, almost half of the outcome measures had significantly improved at the end of treatment, whereas in the EUC group none had.

CONCLUSIONS:
MBCT was feasible for frequently attending patients with persistent medically unexplained symptoms in primary care. Although MBCT did not lead to a significant difference in general health status between the two groups, it did result in a significant improvement in mental functioning.


[拙訳]
背景:
医学的に説明できない症状を伴う患者は、ヘルスケアシステムに大きな需要をもたらす。心理的治療のオファーはしばしば拒否される。受容可能で効果的な治療が必要である。我々は、医学的に説明できない症状を伴う患者のためのマインドフルネス認知療法(MBCT)の受容性及び有効性を評価した。

方法:
MBCT(n = 64)と強化された通常のケア(enhanced usual care、EUC; n = 61)を比較するランダム化比較試験。参加者は、プライマリケアにおいて10%の最も頻繁に受診した患者であった。主要アウトカム指標は、治療終了時の一般的な健康状態であった。二次アウトカム指標は精神的及び身体的機能であった。評価は治療終了時及び9ヶ月のフォローアップ時に行われた。

結果:
健康状態及び身体的機能は、グループ間で有意に異ならなかった。しかしながら、MBCT グループにおける参加者は、特に活力や社会的機能に関して、治療終了時の精神機能の有意な改善(調整平均差、3.9; 95% CI、0.24-7.6)を報告した。さらに、9ヶ月後のフォローアップ時に、MBCT グループにおいて、「観察する」および「描写する」というマインドフルネススキルが有意に高かった。 MBCT グループ内では、治療終了時にはアウトカム指標のほぼ半分が有意に改善されたが、これに対し、EUC グループではいずれも改善されなかった。

結論:
プライマリケアにおいて医学的に説明できない症状の持続を伴う頻繁に受診した患者にとって、MBCT は実行可能であった。2つのグループ間での一般的な健康状態において、MBCT は有意差をもたらさなかったが、精神機能の有意な改善をもたらした。

注:i) 引用中の「n = 64」及び「n = 61」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「医学的に説明できない症状」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 iii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 iv) 引用中の「マインドフルネス認知療法」については、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法

Effect of mindfulness training on asthma quality of life and lung function: a randomised controlled trial.[拙訳]マインドフルネストレーニングが喘息の生活の質及び肺機能に及ぼす効果:ランダム化比較試験

BACKGROUND:
This study evaluated the efficacy of a mindfulness training programme (mindfulness-based stress reduction (MBSR)) in improving asthma-related quality of life and lung function in patients with asthma.

METHODS:
A randomised controlled trial compared an 8-week MBSR group-based programme (n=42) with an educational control programme (n=41) in adults with mild, moderate or severe persistent asthma recruited at a university hospital outpatient primary care and pulmonary care clinic. Primary outcomes were quality of life (Asthma Quality of Life Questionnaire) and lung function (change from baseline in 2-week average morning peak expiratory flow (PEF)). Secondary outcomes were asthma control assessed by 2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute guidelines, and stress (Perceived Stress Scale (PSS)). Follow-up assessments were conducted at 10 weeks, 6 and 12 months.

RESULTS:
At 12 months MBSR resulted in clinically significant improvements from baseline in quality of life (differential change in Asthma Quality of Life Questionnaire score for MBSR vs control: 0.66 (95% CI 0.30 to 1.03; p<0.001)) but not in lung function (morning PEF, PEF variability and forced expiratory volume in 1 s). MBSR also resulted in clinically significant improvements in perceived stress (differential change in PSS score for MBSR vs control: -4.5 (95% CI -7.1 to -1.9; p=0.001)). There was no significant difference (p=0.301) in percentage of patients in MBSR with well controlled asthma (7.3% at baseline to 19.4%) compared with the control condition (7.5% at baseline to 7.9%).

CONCLUSIONS:
MBSR produced lasting and clinically significant improvements in asthma-related quality of life and stress in patients with persistent asthma, without improvements in lung function.


[拙訳]
背景:
喘息を伴う患者の喘息関連の生活の質及び肺機能の改善におけるマインドフルネス・トレーニングプログラム(マインドフルネス・ストレス低減法 (MBSR))の有効性を本研究は評価した。

方法:
大学病院の患者のプライマリケア及び肺ケアの外来で募集した軽度、中等度又は重度の持続性喘息伴う成人において、8週間の MBSR グループベースのプログラム(n = 42)と対照としての教育プログラム(n = 41)をランダム化比較試験で比較した。主なアウトカムは、生活の質(喘息の生活の質アンケート)と肺機能(2週間の平均した朝のピークフロー(PEF、最大呼気速度)におけるベースラインからの変化)であった。副次アウトカムは、2007 National Institutes of Health/National Heart Lung and Blood Institute ガイドライン、そしてストレス(知覚されたストレス尺度(PSS))により評価された喘息のコントロールであった。フォローアップ評価は、10週間、6及び12ヵ月後に実施した。

結果:
12ヵ月の MBSR は、生活の質におけるベースラインから臨床的に有意な改善をもたらした(喘息の生活の質アンケートのスコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:0.66(95%信頼区間 0.30~1.03; p <0.001))が、肺機能においては改善をもたらさなかった(朝の PEF、PEF の変動性及び1秒量)。MBSR はまた、知覚されたストレスにおいても臨床的に有意な改善をもたらした(PSS スコアにおける差分変化 MBSR vs 対照:-4.5(95%信頼区間 -7.1~-1.9; p = 0.001))。MBSR における良く管理された喘息患者の割合(ベースライン時の 7.3% から 19.4%)は、対照(ベースライン時の 7.5% から 7.9%)と比較して有意差はなかった(p=0.301)。

結論:
肺機能における改善なしに、持続性喘息を伴う患者での喘息関連の生活の質及びストレスにおける持続的かつ臨床的に有意な改善を MBSR は引き起こした。

注:i) 要旨中の「CLINICAL TRIAL REGISTRATION NUMBER」の引用は省略しています。一次情報を参照して下さい。 ii) 引用中の「n = 42」及び「n = 41」は共に人数を示します。 iii) 引用中の「ランダム化比較試験」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 iv) 引用中の「1秒量」は、努力性肺活量のうちの最初の1秒間に吐き出された空気の量を指すようです。 v) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「知覚されたストレス尺度」については、次の資料を参照して下さい。 「知覚されたストレス尺度(Perceived Stress Scale) 日本語版における信頼性と妥当性の検討

8-week Mindfulness Based Stress Reduction induces brain changes similar to traditional long-term meditation practice - A systematic review.[拙訳]8週間のマインドフルネスストレス低減法が伝統的な長期間の瞑想実践に類似した脳の変化を引き起こす-システマティックレビュー

The objective of the current study was to systematically review the evidence of the effect of secular mindfulness techniques on function and structure of the brain. Based on areas known from traditional meditation neuroimaging results, we aimed to explore a neuronal explanation of the stress-reducing effects of the 8-week Mindfulness Based Stress Reduction (MBSR) and Mindfulness Based Cognitive Therapy (MBCT) program.

METHODS:
We assessed the effect of MBSR and MBCT (N=11, all MBSR), components of the programs (N=15), and dispositional mindfulness (N=4) on brain function and/or structure as assessed by (functional) magnetic resonance imaging. 21 fMRI studies and seven MRI studies were included (two studies performed both).

RESULTS:
The prefrontal cortex, the cingulate cortex, the insula and the hippocampus showed increased activity, connectivity and volume in stressed, anxious and healthy participants. Additionally, the amygdala showed decreased functional activity, improved functional connectivity with the prefrontal cortex, and earlier deactivation after exposure to emotional stimuli.

CONCLUSION:
Demonstrable functional and structural changes in the prefrontal cortex, cingulate cortex, insula and hippocampus are similar to changes described in studies on traditional meditation practice. In addition, MBSR led to changes in the amygdala consistent with improved emotion regulation. These findings indicate that MBSR-induced emotional and behavioral changes are related to functional and structural changes in the brain.


[拙訳]
本研究の目的は、非宗教的なマインドフルネステクニックの脳の機能と構造への効果のエビデンスをシステマティックにレビューすることであった。伝統的な瞑想の神経画像法の結果から知られている領域に基づいて、我々は、8週間のマインドフルネスストレス低減法(MBSR)及びマインドフルネス認知療法(MBCT)プログラムのストレス軽減効果の神経的な説明の探求を目的とした。

方法:
我々は、(機能的)磁気共鳴画像法により、MBSR、MBCT(N=11, 全て MBSR)、プログラムの要素(N=15)、そしてマインドフルネス傾向(N=4)が脳の機能及び/又は構造に与える効果を我々は評価した。21の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)研究及び 7つの磁気共鳴画像法(MRI)研究が含まれた(2つの研究が共に実施された)。

結果:
ストレスがたまった、不安な及び健康な被験者において前頭前皮質帯状皮質、島及び海馬では活動度、結合及び体積の増加が示された。さらに、扁桃体は機能活動の減少、前頭前皮質との結合の改善及び情動刺激への曝露後の早期の失活を示した。

結論:
実証可能な前頭前皮質帯状皮質、島及び海馬における機能的及び構造的変化は、伝統的な瞑想の実践に関する研究において記述された変化と類似する。さらに、MBSR は情動調節の改善と一致して扁桃体における変化をもたらした。これらの知見は、MBSR に引き起こされた情動及び行動の変化が脳における機能的及び構造的な変化に関連することを示す。

注:i) 引用中の「N=11」、「N=15」及び「N=4」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」及び「ボクセル」については、例えば次の資料を参照して下さい。「機能的磁気共鳴機能画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iii) 引用中の「MRI」については、次の資料を参照して下さい。 「MRIの基礎」 iv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「帯状皮質」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「海馬」と「扁桃体」が含まれる大脳辺縁系については、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 viii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

〔p〕慢性疼痛における実際の臨床的経験からの考察について
最初に痛みの定義についてはここを参照して下さい。加えて、標記について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の「実際の臨床的経験からの考察」における記述(P230~P233)を以下に引用します。

実際の臨床的経験からの考察

(1)慢性疼痛重症例に認められる認知行動特性
慢性疼痛患者に対するマインドフルネスの有用性は臨床的にも実感するところではあるが、症例によっては、とくに重症例ではその適用に難しさを感じることも少なくない。重症の慢性疼痛患者のなかには痛みの緩和を求めて、数十件におよぶ医療機関や民間の治療院などを渡り歩き、通常考えられる治療をすべて受けてきたが効果がなかったという患者も稀ではない。そのような難治性で高度の痛みや生活機能障害を伴う慢性疼痛の代表的な例として、原因不明の全身痛を主訴とする線維筋痛症などがある。このような重症例にマインドフルネスに基づくアプローチを用いようとする際、それを難しくするいくつかの特徴的な特性にしばしば遭遇する。それらのいくつかについて述べてみたい。
まずはじめに、線維筋痛症患者など慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある(村上ほか 2014)。曖昧さ、不完全・不確定なことに耐えられず、結論や解決を保留したり、しばらく流れに身を任せたりということが非常に苦手である。仕事や家事などに対しても疲れを押して徹底的に行う傾向がある。このような傾向が非常に強い人々が”原因を特定することができない、すぐに解決しない慢性の痛み”を有した場合、「なぜよくならないのか?」、「何かもっといい方法があるのでは?」、「努力が足りないのでは?」と徹底的に追求し始める。しかし、それら問題は即時的に解決しないので、さらなる解決への追求を続けることになる。その悪循環のなかで、焦り、苛立ち、落ち込み、破局的思考などを募らせ、心身ともに緊張・疲弊し、それらが痛みへ悪影響をおよぼし続ける。また、解決の努力として過剰なリハビリや服薬、処置に走り、かえって身体的状況を悪化させたり、ドクターショップを繰り返し、医療との関係を悪化させたりしていることも少なくない。いわゆる「問題解決の努力が、問題を生み出している」状態となり、抜け出せないパラドックスに陥ってしまう。
このような例には、マインドフルネスで育まれる「物事に対してあわてて反応しない在り様」が問題解決の努力を保留するために非常に重要になってくる。しかし、マインドフルネス導入初期に困難な時期が訪れる。まず、瞑想中に「この取り組みは何の意味があるのか?」、「痛みとどう関係するのか?」など、意味づけや正解、結果の予想について突き詰め始めることが非常に多い。それをすればするほど、心はさまよい、焦点を当てている呼吸や身体感覚に注意が戻らなくなる。それを訓練の「失敗」と即座に意味づけし、今度は「なぜうまくいかないのか?」「この取り組みは自分に本当にふさわしいのか?」「こんなことで痛みがよくなるのか?」などの答えを探し始め、焦り、苛立ち、瞑想の取り組みに対する嫌悪感を募らせていく。その結果、「これは自分には合わない」と早々に結論づけ、瞑想の取り組みを中断してしまうことも少なくない。こういう例に、「考えていることを気づいた時点で、考え続けるのをやめ、そのまま放っておく」ように促すと、「強い不全感のようなものを感じて耐えられない」、「そんな曖味なことをしたら後で大変なことになる」、「いい加減な人間になってしまう」という趣旨の背後にある信念や思い込みを語られることも少なくない。このような例にマインドフルネス瞑想の継続を促すのはかなりの配慮と粘り強さが必要である。しかし、何とか継続することができれば、やがて「問題解決や答え探しをいったん保留しておく」ということが次第にできるようになり、それまでの悪循環から抜け出し、心身の疲弊が緩和されていく。

(2)失感情症・失体感症傾向への対応
次にあげられる特徴として、治療抵抗性で重症の慢性疼痛患者は、自身の内的体験、とくに感情や身体感覚に注意が向かず、それを観察・描写することに困難さを抱えていることが少なくない。心身医学の領域では失感情症・失体感症と呼ばれている特性で、苦痛を伴う記憶や感情、それに伴う身体感覚を体験することを回避するために、それらを「抑圧」する心理機制が働いている状態である。このような特性をもつ背景には過酷な生活史のなかで、さまざまな苦境を自身のつらい内的体験を抑圧することで乗り切って生きたという背景があることが多い。
これまでの研究では、失感情症は慢性疼痛や精神医学的な問題の増悪に関連していることが示唆されている(Shibata et al. 2014)。患者が本来抱えている怒りや罪悪感、劣等感、悲しみ、孤独感などつらい感情が意識化されないため、それを引き起こしている状況を解消するための対処行動を起こすことができず、長期的にその感情に苦しめられることになる。しかし、自身はそれらの感情を意識化できないため、何が苦しいのかが理解できず、痛みなどの身体症状の増悪という形でのみ自覚されることも多い。このようなプロセスが治療抵抗性の慢性疼痛の経過に関与していることは臨床的にはしばしば経験される。
このような患者にマインドフルネス瞑想を実施すると、当初は「今体験している身体感覚、思考、感情に意図的に気づく」ということがどういうことなのかを理解してもらうことが難しいことが多い。しかし、気づくということを体験的に理解し始めると、それとともに徐々に抑圧していた苦痛を伴う記憶や感情、思考、身体感覚の存在にも気づき始める。それらには、虐待やいじめ、犯罪被害などの外傷的な記憶、未解決な家族間の葛藤、現在進行中の対人関係や生活上の問題などに関するつらい感情やイメージ、思考、身体感覚などさまざまなものがある。それらによりはっきり気づくようになると、非常に強い苦痛、混乱を引き起こし、強い拒絶感により瞑想の継続が困難になることがある。パニックなどのあまりに強い反応を起こす例や動機づけの低い例は、瞑想のワークの継続が難しくなるため、実践時間やメニューの調整はもとより、ときには休止も必要になる。この時期には、痛みや感情的苦痛はむしろ増悪することが多い。これらの時期を乗り越えるにはやはりマインドフルネスの取り組みで育まれる体験への気づきや脱中心化、アクセプタンスが重要になる。このような例では、マインドフルネスの取り組みは、心的外傷や人生の未処理の問題の解消、傷ついた自尊心の回復などが中心的なテーマになり、痛みの治療は副次的なものという様相を呈すことも多い。

(3)取り組み困難例へのオーダーメイドの対応
治療抵抗性で高度の痛みや機能障害を呈する慢性疼痛患者は、ある意味、マインドフルな生き方と反対の生き方をしているように思えることが多い。その分、それらの患者にとってはマインドフルネスを体験的に理解することは難しい作業になる。ある意味、最もマインドフルネスを必要としている一群が、最もマインドフルネスの発展への取り組みが困難な一群といえるかもしれない。このような患者群においては MBSR などの構造化されたプログラムの範囲内では十分な対応が難しいかもしれない。そのエッセンスは残しながらも、個々の患者によって治療構造や時間や内容の調整などオーダーメイドの対応が必要になると思われる。

注:(i) 引用中の「村上ほか 2014」は次の資料です。 「線維筋痛症と精神疾患の comorbidity について」 (ii) 引用中の「Shibata et al. 2014」はここで紹介された久山町研究の論文です。 (iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。加えて上記「マインドフルネス」に関連する、 a) 「治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法の試み」については次の資料を参照して下さい。 「治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法の試み」 b) 「マインドフルネスが慢性疼痛治療に有効なこと」については次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の F.心理的アプローチ の「CQ F-4:マインドフルネスは慢性疼痛治療に有効か?」項(P118~P119) c) 内受容感覚の視点を交えた「慢性疼痛患者へのマインドフルネスアプローチの事例」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛患者へのマインドフルネスアプローチの事例 ―内受容感覚の視点を交えて―」 (iv) 引用中の「失感情症・失体感症」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「脱中心化」(又はディスタンシング[距離をとること])についてはここ及び次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「心理療法におけるマインドフルネスの定義」項 (vi) 引用中の「アクセプタンス」(又は受容)についてはここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「心的外傷」に相当する「トラウマ」については、リンク集を参照して下さい。加えて上記「トラウマ」に関係する「小児期の逆境体験」(adverse experiences during childhood)と慢性疼痛(chronic pain)との関連を示すかもしれない次の論文(全文)もあります。 「Parenting style during childhood is associated with the development of chronic pain and a patient's need for psychosomatic treatment in adulthood A case-control study[拙訳]​小児期の育児スタイルは成人期における慢性疼痛の発症及び心身医学的治療の必要性と関連する 症例対照研究」 ただし、この論文(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 (viii) 引用中の「MBSR」は、「Mindfulness-Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法」の略語であり、これに関連する論文例についてはここを参照して下さい。 (ix) 引用中の「失感情症」に関連する「大学生における慢性疼痛に失感情症が及ぼす影響」については次の資料を参照して下さい。 「大学生における慢性疼痛に失感情症と被養育体験が及ぼす影響」 加えて、引用中の「失感情症」、「失体感症」に加えて、「ストレス反応」、「自律神経機能」、「内受容感覚」「気づき」及び「身体感覚増幅」に関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 (x) 引用中の「慢性疼痛の難治例によく認められる認知行動特性として徹底性、強迫性、完璧主義、目的志向・問題解決への執着する傾向がある」に関連する「痛みの背景にある強迫的で完全主義的な思考や行動の特性」については、次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症の診断と治療」の「2 非薬物治療」項 (xi) 標記「慢性疼痛」としての、運動器疼痛管理のための認知行動療法については次の資料を参照して下さい。 「運動器疼痛管理のための認知行動療法」 (xii) 引用中の「破局的思考」に関連する、 1) 「近年,慢性疼痛において,痛みの経験をネガティブに捉える傾向を評価する破局的思考の重要性が提唱されている。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「痛みに対する破局的思考と心理社会的ストレスの関連」の【はじめに】項 加えて、「頭痛など痛み症状が続くと,物事のとらえ方や考え,感情にも影響を及ぼす.痛みが持続すると,その痛みに対して何もできない,無力である,ずっと治らないのではないかといった破局的な思考に陥りやすい.」ことについては次の資料を参照して下さい。 「片頭痛の認知行動療法」の「片頭痛とストレス」項(P425) その上に、 慢性疼痛の「恐怖回避モデル」における「破局的思考」については次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25)、「難治性疼痛の病態メカニズム ―分類と考え方―」の「Fig. 2 恐怖回避モデル」(P510) 2) 身体症状との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) パニック症(パニック障害)における「破局的解釈」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 4) 「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に基づく「破局的思考」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 5) 『IBS過敏性腸症候群)患者の認知の様式には「破局思考」がある』ことについては次のガイドラインを参照して下さい。 「日本消化器病学会 機能性消化管疾患診療ガイドライン2020-過敏性腸症候群(IBS)(改訂第2版)」の 第1章 疫学・病態 の BQ1-6 IBSの病態に心理的異常は関与するか? の「解説」項(P15) 6) 突発性環境不耐症における「破局的思考」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、 引用中の「悪循環」及び「破局的思考」に関連する「痛みの恐怖回避モデル」については次のガイドラインや資料を参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25)、「難治性疼痛の病態メカニズム ―分類と考え方―」の「Fig. 2 恐怖回避モデル」(P510) (xiii) 引用中の「心身医学」及び「マインドフルネス」に関連する資料については次を参照して下さい。 「心身症患者へのマインドフルネスを取り入れたセルフケア教室の試み」 (xiv) 慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピーを紹介する資料については次を参照して下さい。「慢性疼痛研究の動向と今後の展望 -心理社会的側面に焦点を当てて-」の「慢性疼痛に対する心理学的アプローチ」項 加えて、慢性疼痛の治療法としてのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネスについての論文の要旨をそれぞれ以下に引用します。 (xv) 慢性疼痛と愛着不安定との関連についての論文の要旨を以下に引用します。

・「Acceptance and commitment therapy and mindfulness for chronic pain: model, process, and progress.[拙訳]慢性疼痛のためのアクセプタンス&コミットメント・セラピー及びマインドフルネス:モデル、プロセスそして進捗」(全文はここを参照して下さい)

Over 30 years ago, treatments based broadly within cognitive behavioral therapy (CBT) began a rise in prominence that eventually culminated in their widespread adoption in chronic pain treatment settings. Research into CBT has proliferated and continues today, addressing questions very similar to those addressed at the start of this enterprise. However, just as it is designed to do, the process of conducting research and analyzing evidence reveals gaps in our understanding of and shortcomings within this treatment approach. A need for development seems clear. This article reviews the progress of CBT in the treatment of chronic pain and the challenges now faced by researchers and clinicians interested in meeting this need for development. It then focuses in greater detail on areas of development within CBT, namely acceptance and commitment therapy (ACT) and mindfulness-based approaches, areas that may hold potential for future progress. Three specific recommendations are offered here to achieve this progress.


[拙訳]
30年以上前に、認知行動療法(CBT)に広く基づいた治療法が目だち始め、ついには慢性疼痛治療​​のセッティングにおいて広く普及した。CBT の研究は急増し今日まで続いており、疑問の位置づけはこの企画の開始時点でのそれと大いに類似している。しかしながら、まさにそれが行うようにデザインされている通りに、研究を実施し、そして証拠を分析するプロセスは、この治療アプローチ内の我々の理解と短所におけるギャップを明らかにする。開発の必要性は明らかなように思える。この記事では、慢性疼痛の治療における CBT の進展、及び開発のこの必要を満足することに関心がある研究者と臨床医が現在直面している課題をレビューする。それから、将来の進展の可能性を保持しているかもしれない、CBT の範囲内の分野、すなわちアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)及びマインドフルネスに基づいたアプローチ、の開発の領域に関して、より詳細に焦点を当てる。この進展を達成するための3つの具体的な勧告がここに提示された。

注:(i) ちなみに、引用中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」(ACT)については、リンク集を参照して下さい。加えて、ACT のエビデンスについては次のWEBページ(英文)を参照して下さい。 「State of the ACT Evidence」 (ii) 慢性疼痛における上記 ACT の適用について、 a) 例えば次の資料を参照して下さい。 「疼痛性障害を呈する患者にマインドフルネスに力点を置いたアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)が奏功した一事例」 b) 加えて、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「主体的な関与が苦痛を減らす」における記述(P228~P230)を次に引用します。

主体的な関与が苦痛を減らす
ガンにかかったとき、自ら治療法について調べ、積極的な選択や関与を行った人は、受動的に与えられた治療を受けた人よりも予後が良好であることが知られています。五年生存率が数%というような難しいガンもあります。そういう場合、生き残っている人は、生き残ることを信じて自ら積極的に闘病した人たちに多いのです。
同じような苦痛を伴う体験も、自らがそれを選び決めたのであれば、大して苦痛ではなくなるのです。
その原理を取り入れたのが、新世代の認知行動療法であるACTに基づいた、慢性疼痛の治療プログラムです。痛みの治療なのですが、そのプログラムでは「人生において何が重要だと思いますか」と問いかけます。その問いと痛みにどういう関係があるのかと、最初は怪訝に思います。ところが、大ありなのです。
「痛みや苦しみを避けるために、自分が大切にしていることから遠ざかっていることはないですか」と問いかけられたとき、多くの人は思い当たることがあるはずです。
そして初めて、このプログラムが目指しているものが何か、理解し始めます。痛みがあろうと、人生の価値を失わず、機能を高めていくということ、そして人生のチャレンジやそれに伴う不安や苦痛から逃げないこと、それこそが大切だということを学ぶのです。
それまでは痛みが主人で、その奴隷状態になっていたことに気づくのです。そこで、これからは痛みがあろうと、自分が人生の主人であろうとするのです。その主客の逆転を起こすことこそ、このプログラムの真の目的なのです。そうなったとき、症状だけでなく生活の支障の軽減という点でも、薬物による従来の治療法よりもはるかに高い効果が得られることがわかっています。

Adult attachment insecurity is positively associated with medically unexplained chronic pain.[拙訳]成人の愛着不安定は医学的に説明できない慢性疼痛に正に関連する

BACKGROUND:
Attachment insecurity (i.e. anxiety in relationships and/or discomfort in close relationships) is associated with self-reports of physical symptoms, medically unexplained symptoms and health conditions involving pain. Medically unexplained chronic pain (MUCP) may represent a particularly severe form of symptom reporting that is also characteristic of individuals with insecure attachment. This study investigated relationships between adult attachment style ratings and past-year MUCP in a sample of the general U.S. population and the ability of attachment style ratings to account for variance in past-year MUCP beyond that accounted for by potential confounders.

METHOD:
Data from the National Comorbidity Survey Replication (N = 5645) were used. Attachment was assessed with an interview-administered version of a commonly used self-report measure of secure, anxious and avoidant attachment. MUCP was assessed with a brief interview. Depressive and anxiety disorders were included as covariates and were assessed with a fully structured interview based on DSM-IV criteria.

RESULTS:
The past-year prevalence of MUCP was 2.45% (95% CI = 2.07-2.83). The two insecure attachment styles (i.e. anxious and avoidant) were positively associated with MUCP. These associations remained statistically significant after adjusting for demographic variables and depressive and anxiety disorders. When the two insecure attachment styles were considered together, only avoidant attachment remained significantly associated with MUCP.

CONCLUSION:
Attachment insecurity ratings were positively associated with past-year MUCP and remained so after statistically adjusting for depressive and anxiety disorders. Further research aimed at understanding the mechanism(s) responsible for the association between attachment insecurity and MUCP is warranted.

SIGNIFICANCE:
Consistent with earlier research regarding transient physical symptoms, medically unexplained chronic pain was associated with attachment insecurity. Understanding the mechanisms responsible for this association could guide treatment innovations.


[拙訳]
背景:
愛着の不安定(すなわち、関係における不安及び/又は密接な関係における不快)は、身体症状、医学的に説明できない症状及び痛みが関与する健康状態の自己報告に関連する。医学的に説明できない慢性疼痛(MUCP)は、特に重篤な形態の症状の報告を代表するものかもしれなく、それはまた、不安定な愛着を有する個々人の特徴でもある。本研究は、一般的な米国人口のサンプルにおける成人の愛着スタイルの評価と過去1年間の MUCP との関係、及び潜在的な交絡因子による説明を超える過去1年間の MUCP における分散を説明するための愛着スタイルの評価の能力を調査した。

方法:
National Comorbidity Survey Replication(N = 5645)のデータを使用した。一般的に使用される安定、不安及び回避の愛着の尺度を使用した面接が施された自己申告のバージョンで愛着が評価された。 MUCP は簡単なインタビューで評価された。うつ病及び不安症は共変量として含まれ、DSM-IV 基準に基づく十分に構造化された面接で評価された。

結果:
MUCP の過去1年間の有病割合は 2.45%(95%信頼区間 = 2.07-2.83)であった。2つの不安定な愛着スタイル(すなわち、不安型及び回避型)は MUCP と正に関連していた。これらの関連は、人口統計学的変数およびうつ病および不安障害を調整した後も統計的に有意なままであった。 2つの不安定な愛着スタイルが一緒に考慮された場合、回避型の愛着のみが MUCP と有意に関連していた。

結論:
愛着の不安定度は過去1年間の MUCP と正の相関があり、そしてうつ病及び不安障害の統計的な調整を行った後も相変わらずそうであった。愛着の不安定性と MUCP との関連の原因となるメカニズムを理解することを目的としたさらなる研究が是認された。

意義:
一時的な身体症状に関する以前の研究と一致して、医学的に説明できない慢性疼痛は愛着不安定と関連していた。この関連の原因となるメカニズムを理解することは治療の革新を導くことができるだろう。

注:i) 引用中の「N = 5645」は人数を示します。 ii) 引用中の「愛着」は「アタッチメント」とも呼ばれます。加えて、引用中の「不安定な愛着」についてはリンク集(用語:「愛着障害」)を参照して下さい。さらに、不安定な愛着スタイルとしての(愛着不安の強い)「不安型」及び(回避傾向の強い)「回避型」については、例えば共にここをそれぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「医学的に説明できない症状」については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?

〔q〕瞑想によるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少について
最初に論文「Meditation leads to reduced default mode network activity beyond an active task.[拙訳]瞑想は活動的な課題以上にデフォルトモードネットワークの活動の減少をもたらす」(全文はここを参照して下さい)の要旨を次に引用します。

Meditation has been associated with relatively reduced activity in the default mode network, a brain network implicated in self-related thinking and mind wandering. However, previous imaging studies have typically compared meditation to rest, despite other studies having reported differences in brain activation patterns between meditators and controls at rest. Moreover, rest is associated with a range of brain activation patterns across individuals that has only recently begun to be better characterized. Therefore, in this study we compared meditation to another active cognitive task, both to replicate the findings that meditation is associated with relatively reduced default mode network activity and to extend these findings by testing whether default mode activity was reduced during meditation, beyond the typical reductions observed during effortful tasks. In addition, prior studies had used small groups, whereas in the present study we tested these hypotheses in a larger group. The results indicated that meditation is associated with reduced activations in the default mode network, relative to an active task, for meditators as compared to controls. Regions of the default mode network showing a Group X Task interaction included the posterior cingulate/precuneus and anterior cingulate cortex. These findings replicate and extend prior work indicating that the suppression of default mode processing may represent a central neural process in long-term meditation, and they suggest that meditation leads to relatively reduced default mode processing beyond that observed during another active cognitive task.


[拙訳]
自己関連のシンキング及びマインドワンダリングに関与する脳ネットワークであるデフォルトモードネットワークにおける活動の減少と瞑想は関連している。しかしながら、瞑想者と安静時の対照者との間の脳の活性化パターンにおいて差が他の研究で報告されているにもかかわらず、以前のイメージング研究では典型的に瞑想と安静を比較した。さらに、安静は、最近になってからよりよく特徴づけされ始めた個々人中の脳活性化パターンの幅と関連している。従って、瞑想と相対的に減少したデフォルトモードネットワークの活動とが関連するという知見を再現するため、そして、努力が必要な課題中に観察される典型的な減少を越えて、瞑想中にデフォルトモードネットワークの活動が減少するかどうかを試験することによりこれらの知見を拡張するための両方において、本研究において我々は瞑想ともう一つの活動的な認知課題を比較した。加えて、以前の研究では小グループを使用したが、本研究においては、これらの仮説をより大きなグループで検証した。対照群と比較した瞑想者にとって、活動的な課題と関連して、瞑想はデフォルトモードネットワークにおける活性化の減少と関連することを、これらの結果は示した。グループ×課題の相互作用を示すデフォルトモードネットワークの領域は後部帯状回/楔前部及び前帯状皮質を含んだ。これらの知見は、デフォルトモード処理の抑制は長期の瞑想における中枢神経処理を説明するかもしれなく、そして瞑想がもう一つの活動的な認知課題中に観察されたもの以上に相対的に減少したデフォルトモード処理をもたらすことを示唆する。

注:i) 引用中の「マインドワンダリング」は、「心ここにあらず」の状態とも言えるようです。これについては例えば、 pdfファイル中の熊野宏昭著の資料「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」(P30~P37)を参照して下さい(特に P30) 。ただし、例えば次の資料で示すように「マインドワンダリング」には負の効果のみならず正の効果もあります。 「マインドワンダリングが創造的な問題解決を増進する」 加えて他の拙エントリのここここも参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「楔前部」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「幸福の神経基盤を解明」 加えて虐待を受けて育った人の視点からの、この「楔前部」を含む簡単な説明例として、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「12章 癒されない傷」における記述の一部(P137)を次に引用(『 』内)します。 『タイチャーらは、虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違いを調べた。すると、身体感覚の想起にかかわる「楔前部」(ここには感覚情報をもとにした自分の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが非常に密になっていた。』 iii) 引用中の「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「デフォルトモードネットワーク」について、上記「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」以外で、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第5章 マインドフルネスのルーツを知る の「デフォルトモードネットワークを鎮める」における記述の一部(P124~P125)を次に引用します。

(前略)デフォルトモードネットワークというのは、何もしていないときに働く脳のネットワークで、ボコボコ、ボコボコと鳴っている車のアイドリングみたいなものです。このボコボコ、ボコボコがうるさくなって、エンジンの性能が悪くなると、うつになったり、不安になったりします。先ほど言った反すうですね。うつのときに出てくる反すうは、このデフォルトモードネットワークがつくり出しています。心配もデフォルトモードネットワークがつくり出しているんですね。
では、このデフォルトモードネットワークが鎮まってくれることが、マインドフルネスの効果なのかと言えば、その通りです。マインドフルネス瞑想をしているときは、デフォルトモードネットワークがスッと鎮まって、静かな心の状態になっています。これは、昔から禅などで寂静といわれていた状態に相当していると思います。
でもその前に、「今、こういう状態が、自分の中で起こっているのだ」と気づく段階があります。気づくというのは、考えることにエネルギーを与えないようにすることです。
気づかなければ、考え続けてしまうわけですよね。そうすると怒りがどんどん湧き上がってくるし、欲もどんどん大きくなります。気づかなければ考え続けるので、混乱もどんどん大きくなるわけです。でも、「今、こんな状態で、混乱しているのだ」と気づけば、混乱はそれ以上大きくなりません。そこで思考が切り上げられるので、シューと鎮まって静かになっていきます。
さらに、気づいたことによって、今まで自分が知らなかったことや、排除していたことを、「自分は、こんなことを考えているんだ」「こういう、傾向があるんだ」と、自分の中に取り込むことができます。ですから混乱しても、そこで気づけばいいのですね。実は混乱するのも、プラスなんです。きちんと見ていると鎮まっていき、問題が消えていく、そして智慧を守り育てていくという構造になっているのが、このアーナーパーナサティ・スッタを見てみるとわかると思います。

注:i) 引用中の「反すう」及び「心配」については、共にここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アーナーパーナサティ・スッタ」は同章の P119 によると、ヴィパッサナー瞑想(例えば、「マインドフルネス認知療法」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項を参照)を扱ったお経(出入息念経)のことです。 iv) ちなみに、大人のADHDにおけるデフォルトモードネットワークに関する論文については、他の拙エントリのここを、 心身医学におけるデフォルトモードネットワークについては次の資料を それぞれ参照して下さい。 「心身医学における安静時機能的 MRI 研究

〔r〕東日本大震災によってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合について
標記について、前田正治、松本和紀、八木淳子編の本、「こころの科学 Special Issue 東日本大震災とこころのケア 被災地支援10年の軌跡」(2021年発行)中の中島実穂、金吉春著の文書「これからの心理・社会的被災地支援――被災者および支援者のメンタルヘルス保護に必要なこと」(P217~P224)における記述の一部(P217)を次に引用します。

(前略)自然災害は、社会・経済はもとより、被災者の心身の健康にも影響を与える。東日本大震災関連の文献の系統的レビュー(8)によると、震災によってよってかなりのレベルの精神的影響を受けた人の割合は、被災者全体の一〇~五〇%近くに上ったという。精神的な影響のあり方はさまざまであり、PTSD症状や抑うつ症状、不安症状といったものに加え、睡眠障害摂食障害の症状もみられている(8)。とくに、震災によって親しい人や家族を失った人、経済的に厳しい状況であった人、ソーシャルサポートが少ない人、放射能汚染に対する不安感が強い人は、精神的な症状のリスクが高いと報告されている(15)。
被災によって精神的な症状を発症したとしても、多くの人は、時間が経つにつれて自然に症状が緩和していく。しかしながら一部の人は、症状を慢性化させてしまい(4)、自殺念慮といった深刻な事態に陥る危険性が示唆されている(13)。(後略)

注:引用中の文献番号「(4)」は次の資料です。 「災害時地域精神保健医療活動ガイドライン」 ii) 引用中の文献番号「(8)」は次の論文です。 「Mental health and psychological impacts from the 2011 Great East Japan Earthquake Disaster: a systematic literature review」 iii) 引用中の文献番号「(13)」は次の論文です。 「The course of chronic and delayed onset of mental illness and the risk for suicidal ideation after the Great East Japan Earthquake of 2011: A community-based longitudinal study」 iv) 引用中の文献番号「(15)」は次の論文です。 「Noncommunicable Diseases After the Great East Japan Earthquake: Systematic Review, 2011-2016」 v) 引用中の「PTSD」や「摂食障害」については共にリンク集を参照して下さい。

〔s〕ACE(小児期逆境体験)研究について
最初に標記ACE研究についてはここここを、そしてこの簡単な紹介については、 a) 「令和元年度 子供の貧困実態調査に関する研究 報告書」の「a) 小児期逆境体験(ACE)」項(P28)における記述の一部を次に引用します。 【・ ACE に関する研究では、子供期の家庭内の逆境に関する複数のリスク因子(虐待:心理的・身体的・性的虐待、家庭の機能不全:同居家族の薬物使用・精神疾患・母親への暴力・犯罪・親の別居又は離婚)を得点化して単純加算すると、得点の上昇に応じて広範な成人期の心身の健康問題(心臓疾患、自己免疫疾患、がん、喫煙、肥満、薬物乱用、アルコール依存症うつ病、自殺企図、DV 等)が増加することが確認されている28,29。この関連性については、メタ分析を含め多くの研究で繰り返し確認され、頑強なものであるとされている。】(注:引用中の文献番号「28」、「29」はそれぞれ次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」、「The enduring effects of abuse and related adverse experiences in childhood. A convergence of evidence from neurobiology and epidemiology」) b) 加えて次の資料も参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の「Ⅲ.子どもの心的トラウマの研究」項、「逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究」 これら以外にも、次の論文(全文)、総合研究報告書、研修報告書、資料やWEBページもあります。 「The Association of Adverse Childhood Experiences with Anxiety and Depression for Children and Youth, 8 to 17 Years of Age[拙訳]8歳から17歳までの子ども及び若年者に対する逆境的小児期体験と不安や抑うつとの関連」、「逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究」、「研修テーマ 貧困と幼少期の逆境体験の世代間連鎖をどう断ち切るか 米国の実体と取り組みから学ぶ」、WEBページ「小児期逆境体験に関する概観:親のACEsが子育てに与える影響に焦点を当てて」にリンクされている資料「小児期逆境体験に関する概観 -親のACEsが子育てに与える影響に焦点を当てて-」、「幼少期逆境経験の神経生物学」、「トラウマと身体疾患」、「自分にトラウマがあるかをチェックする」の「小さい頃の苦しい出来事」項 さらに次の英語のWEBページもあります。 「ACES Too High」 また、 1) 貧困の視点からの引用中の「ACE研究」についての資料は次を参照して下さい。 『「子ども時代の逆境的体験(ACEs)」と貧困 ─逆境的体験から子どもを救う目と耳と心』 2) 要旨の「Results」項に次に引用(【 】内)する記述【Individuals who were continuously insecure during infancy were more likely to report all types of physical illness in adulthood.[拙訳]幼児期に常に不安を感じていた人は、成人期に全てのタイプの身体的な病を報告する可能性がより高かった。】ことを含み、上記「逆境的小児期体験」に関連するかもしれない「幼児のアッタチメント」(Infant Attachment)と「成人の身体的な病」(Adult Physical Illness)との関連については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Predicting Adult Physical Illness from Infant Attachment: A Prospective Longitudinal Study[拙訳]幼児のアッタチメントからの成人の身体的な病の予測:前向き縦断研究」を、 3) 『「ACEs」又は「逆境体験」とアッタチメント・パターンの分類の関連』についてはここを それぞれ参照して下さい。次に標記ACE研究の主な結果について、「段階的相関」又は「用量反応関係」を含めて「そだちの科学 2022年10月号」中の若林巴子著の文書「ACE研究とは何か」(P17~P28)の「ACE研究の主な結果」における記述の一部(P19~P20)を次に引用します。

ACE研究の主な結果

ACEスコアを使い、子ども時代(一八歳以前)の逆境体験がのちの健康に与える影響が検証された。データが集められた一九九〇年代後半のアメリカでの死亡に至る最大危機因子は、喫煙、肥満、運動不足、うつ、自殺企画、アルコール依存症、薬物乱用、非経口薬、虐待、生涯を通して多数の性的パートナーをもつ、および、性感染症の既往歴だった。また、死亡率のもっとも高い成人病は、虚血性心疾患(心臓発作、または、労作性胸痛のためのニトログリセリンの使用を含む)、癌、脳卒中、慢性気管支炎、肺気腫COPD)、糖尿病、肝炎または黄疸、そして、意図しない怪我のリスクの指標としての骨格筋だった。これらは現在もほぼ同じである。
ACE研究では、これらの因子と疾病を検証した結果、大多数がACEと相関していることがわかった。ACEスコアが高いほど、危機因子の有無や成人病になる可能性が高くなったのである。研究者はこの相関を graded relationship(段階的相関)もしくは dose-response relationship(用量反応関係)と呼んでいる(3)。例えば、ACEを四つ以上経験した被験者は、ACEをまったく経験していない被験者と比べて四~一二倍の確率でアルコール依存症、薬物乱用、うつ、自殺企画等の危機因子をもっていることがわかった。また、二~四倍の確率で、喫煙し、生涯を通して多数の性的パートナーをもち、性感染症の既往歴があり、健康不良だと報告した。そして、1・四~1・六倍の確率で運動不足かつ肥満であった。ACEが五個以上ある人は、まったくない人と比べ、二倍の確率で高頻度の頭痛を訴え(5)、三~十七倍の確率で向精神薬を服用していると答えた(6)。ACEが六個以上ある人とまったくない人とを比べると、平均寿命がほぼ二〇年も違うという結果も出ている(7)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(3)」は次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」 ii) 引用中の文献番号「(5)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and frequent headaches in adults」 iii) 引用中の文献番号「(6)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and prescribed psychotropic medications in adults」 iv) 引用中の文献番号「(7)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and the risk of premature mortality」 v) 引用中の「ACEが六個以上ある人とまったくない人とを比べると、平均寿命がほぼ二〇年も違うという結果も出ている」ことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「逆境体験の数と寿命」シート(P17) vi) 引用中の(ACEにおける)「dose-response relationship」については次の論文(全文)も参照すると良いかもしれません。 「The Influence of Adverse Childhood Experiences in Pain Management: Mechanisms, Processes, and Trauma-Informed Care」の「ACEs: The "Dose-Response" Relationship」項

加えて、「ACEと小児期のトラウマとの違いについて、文書「ACE研究とは何か」の「ACEと小児期のトラウマ」における記述の一部(P20~P21)を次に引用します。

ACEと小児期のトラウマ

ACEの啓発トレーニングを行うとよく受ける質問は、ACEと小児期のトラウマはどう違うかというものだ。厳密には、ACEは家庭内のトラウマ体験に相当する。よって、地震、台風、火災などの自然災害からくるトラウマは、ACEの質問票には含まれていない。また、戦争、強盗、銃乱射事件などの人為的な災害も含まれない。ACEに従来含まれないトラウマには他にも、脅迫、喧嘩、いじめなどの学校内での犯罪や暴力、移住や文化の違いによるストレス、強制送還の恐れなどの難民と移民のトラウマ、痛み、怪我、深刻な病気や医療処置または治療などの医療経験からくるトラウマ、そして、貧困と差別がある。
しかし、私は、逆境体験が一八歳未満で起こった場合、そしてそれが有害なストレス(toxic stress)を誘発する可能性が高い場合には、ACEととらえるべきだと思う。これは、ACE研究の主任研究員のアンダ氏の意見でもある。子どもは、健康的な発達の一環として、ある程度の試練を経験し、それを乗り越える強さを身につけなければならない。しかし、虐待やネグレクトなどのストレスが継続的で、それをやわらげてくれるはずの大人がいなかったり、その大人自身が加害者だったりした場合、ストレスは――ACE研究の結果のように――人間に長期的な悪影響を及ぼしかねない。(後略)

その上に、 a) 「ACEの心身の健康に対する病因を理解するためには、ライフコース疫学の視点が有用である」ことについて、「そだちの科学 2022年10月号」中の藤原武男著の文書「ライフコース疫学から見る逆境体験」(P29~P34)の「ライフコース疫学の観点から」における記述の一部(P30)を以下に引用します。 b) 「ACEsとアロスタティック負荷との関連」について、同「ライフコース疫学の観点から」における記述の一部(P31~P32)を以下に引用します。 c) 「ACEのエコロジカルモデル」については「ACEは何十年も続く毒性をもっており、人間の脳と身体に害を与える」ことを含めて同文書「ライフコース疫学から見る逆境体験」の「まとめ」における記述(P32~P33)を以下に引用します。ちなみに、「米国疾病予防管理センターによるコロナ対策によって生じた孤独やつながりの欠如によって、自殺やACEのリスクが増大した可能性への警告」について、「そだちの科学 2022年10月号」中の二宮貴至著の文書「コロナ禍で増加した若者の自殺を考える」(P87~91)の「パンデミックにより増加した自殺」における記述の一部(P87)を以下に引用します

ライフコース疫学の観点から

ACEの心身の健康に対する病因を理解するためには、ライフコース疫学の視点が有用である(15)。ライフコース疫学は、成人病胎児期起源仮説(DOHaD)と関連して発展してきたものである(16)(17)。したがって、ライフコース疫学は「妊娠期、小児期、思春期、若年成人期、成人期以降の身体的あるいは社会的曝露が後の健康あるいは疾病リスクに及ぼす長期的影響の研究」と定義されている(18)。ライフコース疫学は、ACEがどのように成人後の健康被害を引き起こすかを、臨界期・感受期モデル、媒介モデル、累積モデルで明らかにするものである(図1)。さらに、ライフコース疫学には世代間伝播、すなわち母親のACEが子や孫の幸福に与える影響も含まれており、疾病の原因に関する新しい知見を提供し、次世代の疾病予防に新しい示唆を与えるものと考えられる(19)。(後略)

注:(i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 (ii) 引用中の文献番号「(15)」は次の本です。 「Glymour, M.M. et al.: Socioeconomic status and health. In: Berkman, L. et al.(eds.): Social epidemiology. 2nd ed. Oxford University Press, 2014, pp17-62.」 (iii) 引用中の文献番号「(16)」は次の論文です。 「Infant mortality, childhood nutrition, and ischaemic heart disease in England and Wales」 (iv) 引用中の文献番号「(17)」は次の本です。 「Barker, D.J.P.: Mothers, babies and health in Later Life. Churchill Livingstone, 1998.」 (v) 引用中の文献番号「(18)」は次の論文です。 「Life course epidemiology」 (vi) 引用中の文献番号「(19)」は次の論文です。 「A life course approach to chronic disease epidemiology: conceptual models, empirical challenges and interdisciplinary perspectives」 (vii) 引用中の「成人病胎児期起源仮説(DOHaD)」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「DOHaDとは - 昭和大学 DOHaD 班」 (viii) 引用中の「ライフコース疫学」については例えば次に資料を参照すると良いかもしれません。 「健康格差社会への処方箋 - 小児科診療 UP-to-DATE」の「ライフコース疫学」項 加えて、引用中の「ライフコース」に関連する、 a) 「ライフコースアプローチ」については次の資料を参照して下さい。 「ライフコースアプローチによる胎児期・幼少期からの成人疾病の予防」 b) 「子どもの社会環境と健康の関連に関する理論的ライフコースモデル」については次の資料を参照して下さい。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「子どもの社会環境と健康の関連に関する理論的ライフコースモデル」シート(P10) c) 「ライフコース疫学でよく使用される3つのモデル」については次のエントリを参照して下さい。 「ライフコース疫学(Lifecourse epidemiology)モデル」 d) 「ライフコース」項を含む次の資料があります。 「日本プライマリ・ケア連合学会の健康格差に対する見解と行動指針 第二版」 加えて、この資料の「序文」(P3)において次に引用(『 』内)する記述があります。 『生まれた家庭や住む場所,国籍,所得や雇用形態や教育歴,人間関係といった,社会的な背景や環境は,個人の健康に影響を与えることがわかっており,このような社会的要因は「健康の社会的決定要因」(Social Determinants of Health: SDH)と呼ばれている.SDH は,出生前から高齢期までのライフコースにわたる様々な場面で健康に影響を及ぼす.具体的には,SDH は本人が意識する前に,喫煙や栄養摂取など健康を左右する行動に影響し,がんや動脈硬化性疾患の原因となる.また,SDH による心理社会的なストレスは,免疫系や自律神経系の不調をきたし,さらには認知機能や記憶能力の低下を招くことも指摘されている.さらに SDH は医療や介護サービスへのアクセスを阻害する要因ともなり,健康格差をより大きなものにしている.』

ライフコース疫学の観点から(中略)

ACEsがどのように身体的・精神的健康につながるかについては、これまでいくつかの総説で議論されてきた(31)(32)。例えば、キャンベルらはライフコースの観点から、生物学的経路と対処的経路の二つの経路を提案している(33)。生物学的経路として、ACEsによる生理的ストレス反応は視床下部-下垂体ー副腎軸(HPA軸)の乱れなど、神経系、神経内分泌系、免疫系に悪影響を及ぼす可能性がある(34)。その結果、毒性ストレスやアロスタティック負荷として、その後の人生における身体的・精神的な疾患につながる可能性がある(13)(35)。小児期は神経系の発達に重要な時期であるため、毒性ストレスやアロスタティック負荷による負担が長く続き、後に身体的・精神的疾患の発症につながると考えられる。(中略)
対処的経路としては、ACEsを有する人は、ストレスフルな状況に対処するために依存性をもつ可能性が高いことがわかった(41)。喫煙、飲酒、過食、危険な性行動など、いずれも長期的な心身の健康問題のリスクを高めるとされている(42)。また、不適切な対処戦略や自己調節力の低下は、新たな逆境体験に対する感受性を高め、感情調節の問題を引き起こし、精神疾患につながる可能性があることが報告されている(32)。

注:(i) 引用中の文献番号「(13)」は次の論文です。 「Childhood adversity and adult chronic disease: an update from ten states and the District of Columbia, 2010」 (ii) 引用中の文献番号「(31)」は次の論文です。 「The effect of multiple adverse childhood experiences on health: a systematic review and meta-analysis」 (iii) 引用中の文献番号「(32)」は次の論文です。 「The role of adverse childhood experiences in cardiovascular disease risk: a review with emphasis on plausible mechanisms」 iv) 引用中の文献番号「(33)」は次の論文です。 「Associations Between Adverse Childhood Experiences, High-Risk Behaviors, and Morbidity in Adulthood」 (v) 引用中の文献番号「(34)」は次の論文です。 「Brain on stress: how the social environment gets under the skin」 (vi) 引用中の文献番号「(35)」は次の論文です。 「Adverse childhood experiences and adult health」 (vii) 引用中の文献番号「(41)」は次の論文です。 「Chronic stress, drug use, and vulnerability to addiction」 (viii) 引用中の文献番号「(42)」は次の論文です。 「Early life adversity and health-risk behaviors: proposed psychological and neural mechanisms」 (ix) 引用中の(ACEsによる生理的ストレス反応の結果としての)「アロスタティック負荷」については次の論文(全文)も参照すると良いかもしれません。 「The Influence of Adverse Childhood Experiences in Pain Management: Mechanisms, Processes, and Trauma-Informed Care」の「Biological Mechanisms and Processes」項 加えて、「ストレス反応とアロスタティック負荷の発生」については次の資料を参照して下さい。 「子ども期の体験の長期的影響性 -健やかな発達をつくるために-」の「ストレス反応とアロスタティック負荷の発生」項 その上に、上記「アロスタティック負荷」は「早期の逆境体験とそれに付随するさまざまな健康問題を起こすストレスとの関係性を表す妥当な論拠となる」ことについて、ジェニファー・ヘイズ=グルード、アマンダ・シェフィールド・モリス著、菅原ますみ、榊原洋一、舟橋敬一、相澤仁、加藤曜子監訳(注:訳者の紹介は省略)の本、「小児期の逆境的体験と保護的体験 子どもの脳・行動・発達に及ぼす影響とレジリエンス」(2022年発行)の 第3章 発達初期の逆境体験が神経生物学的発達に及ぼす影響 の 3.1 小児期の逆境に対する生体行動的反応のモデル の「3.1.2 アロスタシスとアロスタティック負荷」における記述の一部(P77~P80)を以下に引用します。その上に、引用中の(慢性的にストレスにさらされて起こる生理学的状能である)「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (x) 引用中の「視床下部-下垂体ー副腎軸」に関連する、 a) 「視床下部-下垂体-副腎系」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレス - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系」項 b) 加えて、心身のストレス反応としての「HPA軸」については「SAM軸」(ここを参照)を含めて、「そだちの科学 2022年10月号」中の八木淳子著の文書「逆境体験とは何か」(P10~P16)の 逆境体験がそだちに及ぼす影響 の「(1) ホメオスタシスと身体発達への影響」における記述(P12)を以下に引用します。

3.1.2 アロスタシスとアロスタティック負荷(中略)

アロスタティック負荷は,ストレス反応が私たちを生かしてくれていると同時に,殺すこともあるというパラドックスを説明するものである。(中略)

アロスタティック負荷は,早期の逆境体験とそれに付随するさまざまな健康問題を起こすストレスとの関係性を表す妥当な論拠となる。動物実験や人間を対象とした臨床研究や疫学研究の結果から,繰り返す長期的なストレスは,神経系(脳の構造や機能,認知や情動機能;Pechtel & Pizzagalli, 2011),内分泌系(骨量減少やその他のシステムに影響を及ぼすコルチゾールやその他のストレス関連ホルモン),免疫系(C反応タンパクなど炎症の指標;Deighton, Neville, Pusch, & Dobson, 2018; Taylor, Lehman, Kiefe, & Seeman, 2006),心臓血管系(血圧;Lehman, Taylor, Kiefe, & Seeman, 2009),冠状動脈石灰化(Juonala et al., 2016)など,複数のシステムにダメージを与えることが示されている。アロスタティック負荷は,複数の生体行動システムにダメージを与えるものであり,ストレスへの曝露やストレス反応が発達の途上で起こると,その影響はより壊滅的になる。

注:i) 引用中の「Pechtel & Pizzagalli, 2011」は次の論文です。 「Effects of early life stress on cognitive and affective function: an integrated review of human literature」 ii) 引用中の「Deighton, Neville, Pusch, & Dobson, 2018」は次の論文です。 「Biomarkers of adverse childhood experiences: A scoping review」 iii) 引用中の「Taylor, Lehman, Kiefe, & Seeman, 2006」は次の論文です。 「Relationship of early life stress and psychological functioning to blood pressure in the CARDIA study」 iv) 引用中の「Lehman, Taylor, Kiefe, & Seeman, 2009」は次の論文です。 「Relationship of early life stress and psychological functioning to blood pressure in the CARDIA study」 v) 引用中の「Juonala et al., 2016」は次の論文です。 「Childhood Psychosocial Factors and Coronary Artery Calcification in Adulthood: The Cardiovascular Risk in Young Finns Study

(1) ホメオスタシスと身体発達への影響
虐待をはじめとする逆境体験は、その状況を生き延びる(survive)ために心身のストレス反応を引き起こす。SAM(sympathetic-adrenal-medullary axis:視床下部-交感神経-副腎髄質)軸に制御される闘争・逃走反応や、HPA(hypothalamic-pituitary-adrenal axis:視床下部-下垂体-副腎皮質)軸が司る睡眠、摂食、概日リズム、免疫系の変化などである。これらは、生体が新たな環境に自らを適応させるための抵抗性を示したものであるが、緊急事態における高負荷の身体状態が長時間続けば、心身症に見られるような身体のさまざまな機能不全を引き起こしてしまう。神経系・内分泌系を含めた身体発達の途上にある子どもにおいては、逆境体験が引き起こす情動制御不全は、単に心理的反応の問題ではなく、ホメオスタシス(身体恒常性)の維持を困難にし、身体機能の障害を引き起こす危険をも孕んでいる。長期に及ぶ虐待などの逆境的な環境は、子どもの心身にかかる負荷を高止まりさせ、一時的な病的状態にとどまらない、恒久的かつ深刻な身体発達不全、情動制御不全を招く恐れがあるのである(9)。

注:i) 引用中の文献番号「(9)」は次の論文です。 「Research review: the neurobiology and genetics of maltreatment and adversity」 ii) 引用中の「闘争・逃走反応」についてはリンク集を参照して下さい。

まとめ

ACEは何十年も続く毒性をもっており、人間の脳と身体に害を与える。エコロジカルモデル(1)(49)は、ミクロレベル(遺伝、エピジェネティック、栄養素)、メゾレベル(家族、友人)、マクロレベル(学校、コミュニティ)、エクソレベル(文化、政策)、クロノレベル(天災、人災)等、子どもを取り巻くいくつかのレベルを考慮する必要があることを示唆している。ACEは、エピジェネティックなアプローチとしてのミクロレベル、家族への介入としてのメゾレベル、コミュニティ構築としてのマクロレベル、規範を変えるための健康増進としてのエクソレベル、パンデミックや戦争への備えとしてのクロノレベル、すべてのレベルで対処する必要がある。
ACEsにさらされていい子どもなど一人もいない。ACEsを取り除くために、さらなる研究、政策的努力が望まれる。

注:i) 引用中の文献番号「(1)」は次の論文です。 「Association of childhood adversities with the first onset of mental disorders in Japan: results from the World Mental Health Japan, 2002-2004」 ii) 引用中の文献番号「(49)」は次の論文です。 「Ecology of the family as a context for human development: Research perspectives.」 iii) 引用中の「エコロジカルモデル」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「公衆衛生学からみた子どもの育ち」の「ブロンフェンブレナーのエコロジカルモデルをもとに」シート(P7)

パンデミックにより増加した自殺(中略)

米国疾病予防管理センターは、コロナ対策によって生じた孤独やつながりの欠如によって、自殺やACEのリスクが増大した可能性への警告と、予防的に社会的つながりを支援する対策の必要性を特別レポートとして発しているが(1)、パンデミック以前からすでに若者層の自殺が深刻な日本は、対策が待ったなしの状況にあるといえよう。

注:引用中の文献番号「(1)」は次の論文です。 「Special Report from the CDC: Strengthening social connections to prevent suicide and adverse childhood experiences (ACEs): Actions and opportunities during the COVID-19 pandemic

〔t〕トラウマの再演について
標記再演について、「トラウマの影響を受けている人の世界観」を含めて野坂祐子著の本、「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」(2019年発行)の 第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう の 第 5 章 トラウマティックな関係性の再演 の『「安全」がこわい――被害者にとっての再演』における記述の一部(P62)を次に引用します。

(前略)トラウマの影響を受けている人の世界観は,「また危険なことが起こるに違いない」「誰も信用できない」「自分は愛されていない」という非機能的認知に基づいている。危険な状況を危険と捉えるのは機能的な認知だが、何も起きておらず,むしろ安全な場面でさえも危険だと認識するのは非機能的認知であり,トラウマ反応である。さらに,そうした非機能的な認知を“現実”にしようとする無意識の行動化が起こる。これをトラウマの再演(reenactment)という。(後略)

注:i) 引用中の「非機能的認知」を修正していくことを含む「複雑性PTSDに対するトラウマフォーカスト認知行動療法」(TF–CBT)については次のWEBページを参照して下さい。 「複雑性PTSDに対するトラウマフォーカスト認知行動療法」 加えて、上記『「非機能的認知」を修正していく』ことや引用中の「世界観」に関連する「曝露療法での回復プロセスは,トラウマ記憶の反復賦活と修正された情報を受け入れることである.修正された情報とは,過去(トラウマ体験)と現在の弁別,危険と安全の弁別,世界と自己に関する認知の修正に他ならない.」については次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法(PE療法)によるPTSD治療 ――日本におけるエビデンスと被害者ケア現場での実践応用――」の「3. PE療法の技法と効果のメカニズム」項 ii) 引用中の「非機能的認知」について、上記『第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう』の 第 2 章 トラウマとして理解する の「生き延びるための対処」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

トラウマを体験すると,「暴力や苦痛から逃れることはできない」「人は信用ならない」「自分はダメだ」といった考えが強まる。たしかに,“あのとき”は暴力や苦痛が永遠に続くと感じられ,“あの人”が信用できないのも確かだが,だからといって,これからの人生でも暴力を受け続けるいわれはないし,すべての人が信用に値しないわけでもない。まして,トラウマを体験したのは,その人の愚かさのせいでもなければ,被害によってダメな人間になるわけでもない。つまり,こうした考えは真実ではなく,何より本人にとって役に立たないものであるため,非機能的認知と呼ばれる。トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め、他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望でないものだと捉えさせる。(後略)

注:引用中の「非機能的認知」に関連する「ネガティビティ・バイアス」(negativity bias)については、 a) 次のWEBページを参照して下さい。 「ネガティビティ・バイアス nagativity bias」 b) トラウマ(TRAUMA)に関連しては拙訳はありませんが次の slideshare を参照すると良いかもしれません。 「MAREN A. MASINO - SENSORIMOTOR PSYCHOTHERAPY AND DR JANINA FISHER'S MODEL OF PARTS FOR TREATING TRAUMA AND ADDICTION」の「Triggering as an added complication」シート(P11)

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

目次に戻る *17

*1:本当は境界性パーソナリティ障害なのに長年うつ病の対応をした場合の末路についてはここを参照して下さい

*2:注:「理想化からこきおろしへ」や「原始的理想化と脱価値化」(ここを参照)を含みます

*3:統合失調症を無治療なまま長年経過した場合の末路についてはここを参照して下さい

*4:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます。加えて、失体感症(アレキシソミア)も紹介しています。

*5:加えて、ストレス応答のHPA系についてのリンクもあります

*6:加えて、森田療法関連の話題もあります。ここ及びここを参照して下さい。

*7:主に境界性パーソナリティ障害又は境界例を対象にしています

*8:加えて、パーソナリティ構造の視点から境界性(境界例)を説明した引用はここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照して下さい

*9:ただし、引用部はマインドフルネスの説明ではなく、自分の感覚によりネガティブな気持ちになってしまうことの説明です

*10:失感情症はアレキシサイミアとも呼ばれます

*11:この資料によると、失体感症は身体(内受容)感覚が低下した状態のようです

*12:自律神経における交感神経(アクセル又は活動する神経)と副交感神経(ブレーキ又は休む神経)の関係例を次に示します。 a) 村上正人、則岡孝子著の本、「自律神経失調症の治し方がわかる本」(2011年発行)の 第1章 あなたは、どれだけ知っていますか? の『「自律神経」とは、どんな神経?』における記述の一部(P18)及び「現代社会はストレス症候群でいっぱい」における記述の一部(P30)を次に引用(それぞれ『 』内)します。 『自律神経は、交感神経と副交感神経の2つに分けられます。交感神経は、「活動する神経」と言われ、仕事や運動をするときに心臓の動悸や血圧を高め、精神活動を活発にさせます。副交感神経は、内臓や器官の働きをリラックスさせる神経で、「休む神経」と言われ、睡眠、休息などをとるときに働きます。体をスムーズに働かせるために、2つの神経は、お互いにリズムをとり合っているのです。』、『●交感神経を使いすぎる生活がストレス性の病気を引き起こす 複雑でテンポの早い現在社会は、朝早く起きて、夜になったら休むという、本来のライフサイクルに合わせて生活することが難しくなってきています。また、不況に伴うリストラや倒産、不本意な配置転換、対人関係のトラブル、育児や介護の問題など、さまざまなストレスにさらされ、交感神経が絶えず緊張していなければならないような状況下に置かれています。このように、副交感神経の出番が少なく、交感神経優位の生活が続くと、体のあちこちに自律神経症状(17ページ参照)が現れてきます。』 (注:引用中の「自律神経症状」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。) b) 梶本修身著の本、「隠れ疲労 休んでも取れないグッタリ感の正体」(2017年発行)の 第2章 気付いたときには遅い、「隠れ疲労」の恐怖 の「デスクワークは自律神経中枢を疲弊させる」における記述の一部(P18)を次に引用(『 』内)します。 『交感神経を優位にして緊張を保つことは、自律神経を疲弊させます。特に集中力を高めているときほど自律神経の神経細胞は活動を高め、酸素を大量に消費し活性酸素を放出します。特に、身の危険が迫った緊迫した状況では数秒のうちに自律神経が疲れてしまいます。一流の野球選手でも、ピッチャーがセットポジションに入った後、2秒間投げなければほとんどのバッターは一度、打席を外します。力士も立ち会いで2秒以上経つと、一度、間を取る傾向があります。つまり、交感神経優位な極度の緊張は、自律神経を一瞬で疲弊させてしまうのです。それは他の動物でも同じ。ライオンのような肉食獣でも、狩りのときだけは緊張状態に入りますが、他の多くの時間は自律神経を休めてリラックスして過ごします。』 従って、「交感神経が著しく活発になっている状態、つまり闘争-逃走反応(リンク集参照)をはじめとして、アクセルを踏んでエンジンがフル回転になっている状態が続いてしまうといつか壊れてしまいます。だから、ブレーキをかけて休む必要があります。つまり副交感神経を活発にさせる必要があります。副交感神経が活発になっている状態がリラックスしている状態です。」であると本エントリ作者は考えます。

*13:ここでは特にイメージ法についても紹介されています

*14:ちなみに、a) この療法の簡単な紹介例は次のWEBページを参照して下さい。 『「平成27年度 改訂版弁証的行動療法(DBT)とマインドフルネス研修会」を開催します』 b) 標記療法の基本コンセプトに基づいて開発された「J-DBT for adolescenceADHD プログラム」は、これに関するものを含む報告書「青年期・成人期発達障害の対応困難ケースへの危機介入と治療・支援に関する研究報告書」(WEBページ「報告書」から pdfファイルがダウンロードできます)中の報告「精神科臨床症例において、発達障害に併存する、精神障害の病態の解明と診断方法に関する精神病理学的研究に関する研究」における添付資料に含まれます。 c) 標記療法に基づき改良したことを含む幼少期のトラウマ治療法である「STAIR&NST」があります。これについての引用は他の拙エントリのここここを参照して下さい。

*15:例えば藤田一照、山下良道著の本、「アップデートする仏教」(2013年発行)の第四章を参照して下さい。ちなみに引用はしませんが、a) プラユキ・ナラテボー、魚川祐司著の本、「悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門」(2016年発行)における『図Ⅱ 「私-対象」関係と「気づきの目」』(P142)、 b) 伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の P080 におけるマインドフルネスのイメージ図、及びこれらの図を説明する記述は、「シンキング・マインド」を手放したヴィパッサナー瞑想と関連しているようです。

*16:前者は、藤田一照、山下良道著の本、「アップデートする仏教」(2013年発行)の P207 を、後者は P236 をそれぞれ参照して下さい。

*17:注:エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」における目次に戻ります。ちなみに本エントリの最初に戻るにはここをクリックして下さい。