krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

一部拙エントリの補足説明について(その3)

目次

注:上記目次以外に、①認知療法又は認知行動療法の一般的な紹介、有害事象及び様々な精神療法・心理療法における(オーダーメイド)ケースフォーミュレーションについては共にここを参照して下さい。

リンクはありません。

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前書き

本エントリは過日に公開されたエントリ「一部拙エントリの補足説明について(その2)」に続くもので、後者は主にポリヴェーガル理論、診察室における精神科医の対応例を含む精神医学に関連する補足説明を集めているのに対し、本エントリ(前者)は主にソマティック心理学及び心的外傷後成長を含む心理学に関連する補足説明を集めています。ただし、疲労に関連するものは他の拙エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その4)」を参照して下さい。これらの補足説明は全体的に(補足説明についての最初の)エントリ「一部拙エントリの補足説明について(その1)」よりもバラバラ感があるかもしれません。、

≪主な改訂の履歴≫
主な改訂の履歴はありません。

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補足説明(その3)についての概要

本エントリは他の拙エントリの続きとしての「複雑性PTSD等に対する治療・対処・養生法」をはじめとした心理療法的なもの含む記事を引用します。

注:認知療法又は認知行動療法に関するご紹介及びこれらをはじめとした様々な精神療法・心理療法におけるケースフォーミュレーションについて
以下の【1】【7】項は主に標記認知療法又は認知行動療法に関する記事の紹介です。またこれらの療法の簡単な紹介としては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法とは」、「認知(行動)療法とは?」 加えて、「認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy;CBT)の代表的な技法にはセルフモニタリング,マインドフルネス,認知再構成法,問題解決法,行動活性化,エクスポージャー(曝露療法),リラクセーション法などがある」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本」の「はじめに」項 その上に、より本格的なこれらの療法の紹介は次のWEBページやツイートを参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」、ツイート さらに、上記「ケースフォーミュレーション」は「心理療法一般に適用できるものである」ことについては次の note を参照して下さい。 「25-1.ケースフォーミュレーションを学ぶ」の「3.ケースフォーミュレーションとは」項 一方、 (a) 標記認知行動療法もスキーマ療法(下記 (c) 項を参照)も究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」であることについて、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の「監訳者あとがき」における記述の一部(P275)を次に引用(『 』内)します。 『認知行動療法もスキーマ療法も究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」です。』(注:本引用部の著者は伊藤絵美です) (b) 上記認知行動療法における有害事象についてのツイートがあります。 (c) スキーマ療法(参照)と同様に標記療法に必要不可欠なケースフォーミュレーション(参照)に関連して、 1) 「自己理解を助け回復するためにはケースフォーミュレーションを作成し共有することはきわめて有効」であることについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 2) 標記認知行動療法を適切に活用するためのケースフォーミュレーションについては次の資料を参照して下さい。 「心身医学を専門とする医師に知ってもらいたいこと ―特に,認知行動療法の立場から―」の「1.ケースフォーミュレーションと心理教育」項 3) 「標記療法をはじめとした様々な精神療法・心理療法におけるケースフォーミュレーションの果たす役割が重要なものとなってゆくことが予想される」こと及びケースフォーミュレーションが『「患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある」課題を達成しようとするツール』であることについて、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の「特集 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」における記述の一部(P4)を次に引用します。

特集 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開(中略)

A. 精神療法におけるケースフォーミュレーションの可能性
本増刊号で取り上げるケースフォーミュレーションとは,治療の出発点として利用される患者の個別性を重視した把握の様式,もしくはそれに基づいて行われるアセスメントのことである。それは,治療と強く関連付けられたアセスメントと表現することができる。そこでは,個々の患者の情報が,治療で用いられる仮説を作成するために一定の理論に基づいて系統的に,そして包括的に収集,整理される。
精神療法は,多様な要因が関与して複雑な展開を見せる治療である。そこでは,一般に幾つかの理論を用いて患者の把握と治療プランの検討が行われるのであるが,同時に患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある。精神療法のケースフォーミュレーションは,その両方の課題を達成しようとするツールだと考えることができる。
このようなケースフォーミュレーションの普及は,わが国の精神療法の質の向上に貢献することが期待される。わが国では,そのほとんどが認知行動療法の領域で論じられているのであるが,最近,他の精神療法の領域でもその考え方を共有するアセスメントが実践されるようになりつつある。さらに現在は,チームによる医療,介入の実践が推奨されているが,ケースフォーミュレーションの考え方は,その実践においてアセスメントと治療方針を共有するために大いに力を発揮すると考えられる。このような情勢からわが国では,今後ますますケースフォーミュレーションの果たす役割が重要なものとなってゆくことが予想される。

B. ケースフォーミュレーションの課題
ケースフォーミュレーションが有用なツールであるにしても,それはまだ,十分に定義されておらず,今後の発展の道筋が定まっていないことが指摘される必要がある。いまのわれわれの課題は,現在行われているさまざまなアセスメントとケースフォーミュレーションとの比較検討を進めることなどの基礎的な努力を行うこと,そしてさらにわが国の治療現場の実情に即したケースフォーミュレーションの可能性について検討を重ねることではないだろうか。

注:(i) この引用部の著者は林直樹です。 (ii) 引用中の「患者に個別の事情も十分に考慮される必要がある」ことに関連するかもしれない、 a) 「DSM や ICD といった一般的診断分類基準に従って患者の病気を客観的(操作的)に判断し,分類する。それに対してケース・フォーミュレーションは,病気を含む患者の問題が成立し,維持されている状況に関する仮説となる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「問題の現実に即したオーダーメイドのケースフォーミュレーション」について、同中の下山晴彦著の文書「心理療法(精神療法)におけるケース・フォーミュレーションの役割」の Ⅲ 問題に関する複雑な要因を総合する役割 の「2. 理論モデルに基づくレディメイドから,現実に即したオーダーメイドの問題理解を促す役割」における記述(P16~P17)を次に引用します。

ケース・フォーミュレーションは,さまざまな要因が関わる複雑な状況から主訴を維持させている問題状況とその成り立ちを明らかにする難しい専門的作業である。そこでセラピストは,ケース・フォーミュレーションの生成にあたって臨床心理学や精神医学,あるいは心理療法の理論モデルを参照枠として問題を見立てて(推論して),関連する情報を収集し,分析してケース・フォーミュレーションを生成することを試みる。
ここで注意しなければならないのは,問題に関連する情報からケース・フォーミュレーションを生成するのではなく,理論モデルをそのまま当てはめて問題を理解してしまう危険性である。問題が複雑であればあるほど,さまざまな要因が,時に矛盾し,時に融合し,互いに重なり合って抜き差しならない事態となっている。そのため,ケース・フォーミュレーションを生成するのは至難の技となる。そこで,理論モデルで割り切って問題を理解し,それに基づいて介入方針を立てるということで一貫性を保つことができる。それで,セラピストは安心するということが出てくるかもしれない。
しかし,それでは,問題の現実からケース・フォーミュレーションを生成するのではなく,理論に沿ったケース・フォーミュレーションを問題の現実に当てはめたことになる。認知行動療法では,このような理論的理解を避けるために,実証研究に基づき,個々の障害や問題に即したケース・フォーミュレーションのテンプレートが提案されている。ただし,そのようなテンプレートを参照してケース・フォーミュレーションを形成する作業においても,そのテンプレートに沿った理解をしてしまう可能性は残る。
現実に即した問題理解と介入方針の策定にあたっては,常にレディメイドの問題理解ではなく,問題の現実に即したオーダーメイドのケースフォーミュレーションをしていくことが求められる。この点においてケース・フォーミュレーションには,問題の現実に即したオーダーメイドの問題理解を促すという役割がある。

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【1】反証の拒否(自分のネガティブな思考と矛盾する証拠や考えをひとつも受け入れようとしないこと)に対する認知療法の技法について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第9章 認知的歪曲を検討し,それに挑戦する の「16. 反証の拒否」における記述(P512)を次に引用します。

16. 反証の拒否:自分のネガティブな思考と矛盾する証拠や考えをひとつも受け入れようとしないこと。例:「私は愛されない」と信じる人は,誰かがその人を好いているというどのような証拠も受けつけず,その結果その人は,「私は愛されない」と信じ続ける。別の例:「そんなことは本当の問題じゃない。もっと根深い問題があるはずだ。そしてもっと重大な原因があるに違いない」

《技法》

1. この信念の確信度はどれぐらいですか? またこの信念に関連する感情を同定し,その強度も評定してください。
2. 自分の信念を具体的に同定してください。
3. 損益分析を実施しましょう。
a. このように定義の難しい漠然とした思考をしていたら,どのようなことになると思いますか?
b. 「自分の考えを完全にわかってくれる人などいない」と信じることによって,どのような結果が引き起こされるでしょうか?
c. あなたは,定義の難しい漠然とした思考が,物事を深く考えている証拠だと考えているのでしょうか? そのような思考は,むしろ思考が混乱している証拠だという可能性もあるのではありませんか?
4. あなたの考えを支持する根拠,そして支持しない根拠(反証)をリスト化し,各根拠について検討してください。
5. 4に挙げた根拠について,その質についてもそれぞれ検討してください。
6. あなたの信念には,どのような認知的歪曲がみられますか? 例:感情的理由づけ,ポジティブな側面の割引き,ネガティブなフィルタ一,など。
7. あなたの考えの正否は,どのようにして証明できますか? あなたの考えは検証することができるでしょうか? もし検証できないとしたら,すなわち,仮にあなたの考えが間違っているとして,それを証明する手立てがないとしたら,そもそも元の考え自体に意味がないということになるのではありませんか?
8. 二重の基準法を用いて,自問してみましょう。もし誰か他の人がこのような考え方をしていたら,あなたはその人に対して,どのようにアドバイスしてあげますか?
9. あなたの考えが非常に漠然としていて検証ができないとしたら,むしろそのせいで,あなたは物事を変えていくことに無力感を抱くことがあるのではありませんか?
10. 自分の考えと逆の行動をあえてとってみることにしたら,どうなるでしょうか? どのような逆の行動がありえますか?
11. 自分の考えを検証するために実験を行なうことをイメージしてください。あなたはこの実験のために,どのように情報収集を行ないますか? この実験のことをどのように第三者に説明しますか?

注:(i) 引用中の「ポジティブな側面の割引き」は、「自分や他人が努力して成し遂げたポジティブな結果を,些細でつまらないことであると決めつけること」です(同本の P490 より)。 (ii) 引用中の「ネガティブなフィルタ一」は、「物事のネガティブな側面ばかりに注目し,ポジティブな側面にはほとんど目をむけないこと」です(同本の P492 より)。 (iii) 引用中の「信念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、MCS における信念体系の導入については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「損益分析」については、(上記本からの引用ではありませんが)次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法でセルフ・カウンセリング・・損益を分岐するシート」 加えて、これに関連する(消費者の)「インフォームド・ディシジョン」(全ての選択肢について、そのメリットとリスクの情報を全て得た上で、消費者が主体的に意思決定して選択を行うこと)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「食事中のカロリーを気にするのは時代遅れです(ページ2)」 (v) ちなみに、a) 標記「認知的歪曲」の一種である「レッテル貼り」の短い説明について、同章の P489 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『レッテル貼り:自分や他人に対して,大雑把でネガティブな特性をラベルづけしてしまうこと』 b) 疾患概念「MCS 又は化学物質過敏症」及び「電磁波過敏症」の存在に対する反証例に関連して、前者は他の拙エントリのここ、マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項[P51~P52]、ここを、後者は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

上記「反証の拒否」(参照)に関連する、「MCS 又は化学物質過敏症に対する反証例」について、これまでミニ情報において紹介してきた記事を形式と一部の文章を追加・改訂して次に示します。ただし、内容はミニ情報時代とほぼ同様です。ちなみに資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」の日本語要約によると、MCS 又は化学物質過敏症は、1950年代では環境病(Environmental illness)の一つとして、概念的に捉えられていたようです。

・立証責任について
医療における標記責任について、MCS を例にとって、本エントリ作者の考察と立証に向けての経過の概略を含めて次に示します。
①Clinical Ecologists(和訳:臨床環境医、※1)が疾患概念 MCS を提唱(下記要約を参照)した。
②この概念の存在を立証するために、彼らは二重盲検法による誘発(負荷)試験[又はチャレンジテスト]を考案した(例として他の拙エントリのここを参照、※2)。
③これらの試験は悉く成功しなかった(他の拙エントリのここ及び厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項にリンクされているマニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項[P51~P52]を参照。ちなみに、後者は厚生労働省のWEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項にリンクされている厚生労働省研修会用の資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の「化学物質曝露と症状の関係は否定的」シート[P41、ツイートも参照]の内容とは矛盾しないと考えます。)。
④2016年に日本(日本臨床環境医学会)において、化学物質過敏症の存在の証明に対する事実上の見解が発表された(すなわち、『しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。』である)。上記『 』内は日本臨床環境医学会から発行された資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」の日本語要約(P54)における記述の一部の引用です。加えてこの資料の筆頭著者は坂部医師ですが、石川医師宮田医師も著者に含まれています。←今ここ(現実はさらに進んでいるかもしれませんが、その一部については下記参照)

ただし、上記よりさらに進んでいるかもしれない、 a) 下記「知覚」に関連するかもしれない論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」、下記の他の拙エントリのここ、そしてここも参照)が 2019年10月 に、 b) 加えて、論文(全文)『"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena[拙訳]「環境要因に関連する症状」(SAEF)–「特発性環境不耐性」及び関連する現象に関するパラダイムシフトに向けて』が 2020年2月 に それぞれ発表されました。例えば前者の論文要旨の「CONCLUSIONS」項には「さらなる神経生理学的研究が必要である」との意味の記述があり(他の拙エントリのここを参照)、これは非主流の Clinical Ecology(和訳:臨床環境医学)を脱して、上記神経生理学をはじめとした主流の医学に合流したことを意味するのかもしれません。詳細は他の拙エントリのここここ及びここを参照して下さい。一方、後者の論文要旨(他の拙エントリのここを参照)中には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との主旨の記述があります。加えて、後者の論文(全文)中の「1.1. Possible explanatory mechanisms」項における記述(他の拙エントリのここを参照)によると要旨上記「知覚要素」には「ノセボ効果」が含まれるようです。

要約:本質は「臨床環境医が提唱した MCS の存在を立証する責任は臨床環境医にある」(例えばここにおけるリンク「●説明責任(立証責任)」先のWEBページを参照)ことです。そして、これが立証されない限り、MCS が存在しないものとして通常見なされることです。それどころか、MCS の存在は否定されています(参照)。なお、上記「臨床環境医が提唱した MCS の存在を立証する責任は臨床環境医にある」ことに類似する「抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※1:William J Rea 医師の流れを汲む日本の医師を含みます。

※2:二重盲検法による誘発(負荷)試験により、極めて微量な化学物質の直接的な作用(化学的ストレス)により急性症状が引き起こされる病態生理の解明なしに、MCS の存在が証明できると考えます。

一方、2018年2月に実施された厚生労働省による「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」(WEBページ「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」を参照)において、化学物質過敏症を含むシックハウス症候群に関連する研修も行われたようです。その際に使用された資料(参照)が上記WEBページにリンクされています。

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【2】破局視(すでに起きてしまったこと,またはこれから起きそうなことが,あまりにも悲惨で自分はそれに耐えられないだろうと考えること)に対する認知療法の技法について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第9章 認知的歪曲を検討し,それに挑戦する の「3. 破局視」における記述(P487~P488)を次に引用します。

3.破局視:すでに起きてしまったこと,またはこれから起きそうなことが,あまりにも悲惨で自分はそれに耐えられないだろうと考えること。例:「もし私がそれに失敗したら,大変なことになるだろう」

《技法》

1. この信念の確信度はどれぐらいですか? またこの信念に関連する感情を同定し,その強度も評定してください。
2. あなたが予測していることを具体的に挙げてください。いつ,どこで,何が起きると予測しているのでしょうか?
3. 損益分析を実施しましょう。
a. 未来を予測し,心配することで,あなたは自分を守ろうとしているのですか? 心配することで,何か悪いことが起きるのを防ぐことができるのでしょうか?
b. 心配な考え自体をコントロールできなくなってしまうことを,あなたは恐れているのですか?
4. あなたの“破局視”的な考えを支持する根拠,そして支持しない根拠(反証)をリスト化し,各根拠について検討してください。
5. 4に挙げた根拠について,その質についてもそれぞれ検討してください。
6. あなたの信念には,どのような認知的歪曲がみられますか? 例:運命の先読み,ポジティブな側面の割引き,べき思考,ネガティブなフィルター,など。
7. あなたの考えの正否は,どのようにして証明できますか? あなたの考えは検証することができるでしょうか?
8. 下向き矢印法を実施しましょう。仮にあなたの考えがその通りだったとしたら,それは何を意味するのですか? なぜそれがあなたを悩ますのでしょう? どのようなことが本当に起こりうると思いますか?
9. 毎日20分間,次の文を繰り返し唱えてみてください。「自分が何をしようと,何か悲惨なことが起きる可能性は常にあるものだ」
10. あなたの予測が間違っていたことが,これまでに何回ありましたか?
11. 恐ろしくて悲惨な出来事とは,何が原因で実際に引き起こされるのでしょうか?
12. 1ヵ月後,1年後,そして2年後のあなたは,この出来事についてどのように感じているでしょうか?
13. 悲惨な体験をしたにもかかわらず,その後,それをポジティブな体験に変えることができた人もいるのではないでしょうか? その人たちは,どのようにしてネガティブな体験を克服し,それをポジティブなものへと転化することができたのでしょうか?
14. 仮に破局的な出来事が起きたとしても,あなたが引き続き体験できるポジティブなことには,どんなことがありますか?
15. 他の人たちが「恐ろしくて悲惨だ」と考えている出来事には,どのようなものがありますか? 他の人があなたとは違った見方をしているとしたら,それはなぜでしょうか?
16. たとえ悲惨な出来事が起きだとしても,そこから何かポジティブなことが生まれることもあるのではないでしょうか? 私たちは悲惨な出来事から何を学ぶことができるでしょうか? それはたとえば,新たな機会に目を向けられるようになることですか? 自分の価値観を再検討してみようと思えることですか?

注:(i) 標記「破局視」に関連する、 a) 身体感覚に対する破局的解釈については他の拙エントリのここここを、 b) 破局的思考、身体感覚及び身体症状の間の関係については他の拙エントリのここを、 c) 慢性疼痛における破局的思考については他の拙エントリのここを、 d) 電磁場に起因する特発性環境不耐症(電磁波過敏症)における破局的思考については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、これに関連するスキーマ療法(参照)の視点からの早期不適応的スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」についてはここここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「ポジティブな側面の割引き」は、「自分や他人が努力して成し遂げたポジティブな結果を,些細でつまらないことであると決めつけること」です(同本の P490 より)。 (iii) 引用中の「ネガティブなフィルタ一」は、「物事のネガティブな側面ばかりに注目し,ポジティブな側面にはほとんど目をむけないこと」です(同本の P492 より)。 (iv) 引用中の「べき思考」は、「物事を,単に“どうであるか”という視点からとらえるのではなく,“どうであるべきか”という視点から考えること」です(同本の P497 より)。 (v) 引用中の「信念」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「損益分析」については、(この本からではありませんが)次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法でセルフ・カウンセリング・・損益を分岐するシート」 加えて、これに関連する(消費者の)「インフォームド・ディシジョン」(全ての選択肢について、そのメリットとリスクの情報を全て得た上で、消費者が主体的に意思決定して選択を行うこと)については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「食事中のカロリーを気にするのは時代遅れです(ページ2)」 (vii) 標記破局視への対応例としての「根源的な問題を日常生活の問題におきかえる」ことについて、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第17章 精神療法 の「日常生活に焦点を当てる-根源的な問題を日常生活の問題におきかえる」における記述(P261~P263)を次に引用します。

理解としては、その人の悩みや苦しみをできるだけ深くとらえようとするが、治療はできるだけ「浅い介入」を心がける〔「関与はコンサーバティブに、理解はラディカルに-この二重性とバランスとが支持的心理療法の生命線ではないかと思う」(滝川一廣『心理療法の基底をなすもの』)4)〕。日常生活に焦点を当てて、それに伴う悩みや苦しみに対応する。根源的な問題と日常生活の問題は表裏一体であり、根源的な問題が提起されたとしても、その日常生活上の困難を取り扱う。これをていねいに繰り返しているうちに、より根源的、より本質的な悩み苦しみを、その人なりに解決していくことが少なくない。
根源的な問いを、日常生活の問題へと変換するという例を挙げてみよう。ある青年とのやりとりである。

青年:先生、僕のような人間が生きていて、いいんですか?
医師:僕は生きている価値があると思うし、生きていてほしいと思うよ。
青年:でも、自分みたいな人間はいなくなったほうがいいんです。
医師:そのようなことをいつも考えているの?
青年:いつも考えています。
医師:それはとても苦しいね。でも時にふっと忘れているときはないの?
青年:…犬と散歩をしているときくらいかな、時に忘れていることがあるのは…。
医師:犬と散歩? 結構歩くの?
青年:1時間くらい。
医師:すごいね! 楽しい?
青年:犬が可愛いから…。(このようなポジティブな言葉を大切にしたい)
医師:近くの公園とか?
青年:川沿いを散歩することもあります。
医師:犬も喜ぶでしょ?
青年:はい。
医師:苦しいけど、散歩でしのいでいこうか?
青年:はい。
医師:最近は寒いから、風邪をひかないようにね。
青年:ありがとうございます。

やりとりだけを読むと、青年の根源的な問いをそらしているように感じられるかもしれない。筆者は、「生きる・死ぬ」という根源的な問題を正面から面接の主題にする場合も時にはあるが、それよりも青年のなかにほっとする時間や空間はないか、それを見つけて話題にするほうが青年を生きていく方向に押していくのではないか、と思うのである。たとえば この青年の場合には「犬と散歩する」というほっとする時間があった。もちろん、青年が根源的な問いを抱いているということは頭のなかに留めておくのだが、そのような大きな問いは、生きていくなかで悩みながらその人なりの答えを見つけていくものであろう。根源的な大きな問いの前で立ち止まるよりも、ちょっとした楽しみをふくらませていくように生きていくほうが、その人なりの答えを見つけることができるように思う。
これはたとえば うつ病の回復過程にある患者さんに「最近どうですか?」とたずねて、「ちっとも変わりません。しんどいです」という答えが返ってきたときに、もう少し具体的な日常生活のこと、たとえば「食事の味はどうですか?」などとたずねると「時に、美味しいなと思うことがあります」という返事が返ってくる、といった状況に似ている。抽象的、総論的には、「死にたい気持ちでいっぱい」であっても、日常生活において「ふと、死ぬことを忘れている瞬間」がある。われわれ精神科医は患者さんのそうした瞬間を見つけ、それをふくらませていくことが大切なのではないかと思う。

注:この引用に関連する資料は次を参照して下さい。 「日常診療における精神療法 ─青年期を中心に─」(特に上記資料中の「5.日常生活に焦点を当てる─大問題を小問題にできないか」項)

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【3】認知療法の技法「思考と事実を区別する」について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第1章 思考と思い込みを同定する の「技法:思考と事実を区別する」における記述の一部(P19)を次に引用します。

技法:思考と事実を区別する

解説
我々は怒ったり落ち込んだりすると,自分の考えをあたかも事実であるかのように受け止めてしまうことが多い。たとえばある人が,「彼は私を利用している」と思うとき,その人はそれ(彼に利用されていること)が事実であるかのように判断しているのである。しかしその考えは実は間違いで,彼はその人を利用してなどいないのかもしれない。また,たとえば私は,「この発表は失敗に終わるに違いない」と考えて不安を感じることがあるが,実際には“失敗する”と“失敗しない”の両方の可能性があるのである。(後略)

注:引用中の「自分の考えをあたかも事実であるかのように受け止めてしまう(中略)しかしその考えは実は間違い」に関連するマインドフルネスの視点からの、「思考と現実とを区別する」(すなわち、思考は現実ではない)ことについてことについて、 a) ジョン・ティーズデール、マーク・ウィリアムズ、ジンデル・シーガル著、小山秀之、前田 泰宏監訳の本、「マインドフルネス認知療法ワークブック うつと感情的苦痛から自由になる8週間プログラム」(2018年発行)の 第10章 第6週 思考を思考として観る の「思考から離れること」における記述の一部(P176)を次に引用(『 』内)します。 『驚くべきことですが,思考は単なる思考であって,“あなた”でも“現実”でもないとわかるのは,どれほど開放的かということです。例えばもしあなたが,多くの物事を今日中に片づけなければならないと考えて,そのことを1つの思考として認識せず,あたかもそれが“真実”であるかのように行動するならば,その瞬間にあなたはその物事を今日すべて片づけなければならないという現実を創り出しているのです。』 b) 上記「思考と現実とを区別する」に類似する「考えと事実とを区別する」ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネスとOCDの治療」の「§4 OCDでのマインドフルネス」項 加えて、マインドフルネス認知療法(又はMBCT、参照)の主要テーマに「思考は事実ではない」ことが含まれることについては例えば次の資料を参照して下さい。 「心理療法としてのマインドフルネスにおける仏教性」の「Fig 1. MBCTのプログラム構成」 さらに、「思考に含まれる解釈や価値判断はそれ自体が事実ではない」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」項 c) 一方、マインドフルネスの視点からの感情や自己イメージについて、資料「マインドフルネスの理解と実践」中の「心理臨床への示唆」項には次に引用[『 』内]する記述が有ります。 『全ての感情や自己イメージは、心の中の一過性の出来事にすぎない。』

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【4】認知療法の技法「バルコニーから眺めてみる」について

標記について、ロバート・L・リーヒイ著、伊藤絵美、佐藤美奈子訳の本、「認知療法全技法ガイド -対話とツールによる臨床実践のために-」(2006年発行)の 第6章 全体像を見渡す の「バルコニーから眺めてみる」における記述の一部(P319)を次に引用します。

技法:バルコニーから眺めてみる

解説
フィッシャーらは,自分に距離をおいて,少し離れた場所から自分と他者との相互作用を把握するよう患者に求める際の技法について解説している(Fisher & Ury, 1991)。セルマンはこのような技法を,自分の役割を系統的に作り上げていくツールとして解説している(Selman, 1980)。患者はこのような技法を活用することで,自分と他者との相互関係を第三者的な視点から検証することができる。私たちは,他者との相互関係にがんじがらめになって,そこから脱け出せず,そのような自分に失望してしまうことがある。この技法の目的は,現状をより超越的で広範な視点からとらえられるよう,患者を手助けすることである。

検討と介入のための問い
「現状から少し距離をおいて,自分自身を眺めてみてはどうでしょうか? ちょうどバルコニーから見下ろすようにです。あなたの目には何が見えるでしょうか? あなたの頭には,どんな考えが浮かぶでしょうか?」(後略)

注:(i) 引用中の「Selman, 1980」は次の資料です。 「Selman, R. L. (1980). The growth of interpersonal understanding. New York: Academic Press.」 (ii) 引用中の「現状から少し距離をおいて,自分自身を眺めてみる」ことに関連するかもしれない、「コンプリヘンシブ・ディスタンシング(言葉の世界全体から距離を取ること)」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「現状をより超越的で広範な視点からとらえる」ことに関連するかもしれない、 a) 「あるがままに物事を見る」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 過敏性を有する方々に対する「観照」(自分の視点にとらわれず、自由で大きな視野から物事を見ること)について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「第三者の視点を持つ」における記述の一部(P212~P213)を次に引用します。

(前略)自分から距離をとる技術を身に付け、第三者のように自分や周囲の状況を見つめることができるようになって初めて、自分を苛んでいる苦痛から自由になり、もっと客観的に物事を眺めることも可能になるのです。
その際にも、大きく二つの段階があるとされています。一つは、メタ認知を鍛える段階です。メタ認知とは、認知(物事の見方)の認知です。何かを感じたり考えたりしている自分の感情や思考を、第三者のように見て、感じたり考えることです。振り返りと言ってもいいでしょう。「この絵の道化師の顔は悲しそうね」というのは、一つの物事の見方であり、一つの認知だと言えます。それに対して「自分がこの道化師の絵を見て悲しそうだと感じるのは、もしかしたら、そこに自分自身の姿を見ているからかもしれない」と思うことは、自分の認知についての認知であり、メタ認知によるものだと言えます。
メタ認知によって、人は自分をある程度客観視することができるわけです。それによって自分の視点から少し離れて、他者視点で物事が見えるようになり、さらには世界を俯瞰するように、自分に起きていることを理解し、受け止めることにもつながっていきます。
信頼している上司の厳しい一言に傷ついてしまったときも、自分の視点を離れて、その状況を客観的に見ることができれば、上司はただ仕事のことで真剣に注意してくれただけで、自分を傷つけようとしたわけではないのだと受け止めることもできるでしょう。
メタ認知の能力を高めることによって、状況に飲み込まれて傷ついてしまうことを防ぐことにもつながるのです。メタ認知の代表的な訓練の方法が、認知(行動)療法です。
メタ認知の訓練によって、ある程度自分を客観視することができるようになったとき、最終的に目指す境地が「観照」の段階です。観照とは、自分の視点にとらわれず、自由で大きな視野から物事を見ることです。それは容易にたどり着ける境地ではありませんが、そこまでいかなければ、抱えている苦しみを乗り越えられないという場合もあります。
それは、かつては宗教的な方法でしかたどり着けない境地だったわけですが、一般の人でも取り組みやすい方法として近年普及しているのが「マインドフルネス」です。(後略)

注:引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを、加えて、マインドフルネスにおける「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「観照」にも関連する、 a) 「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」について、同の 「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」における記述(P218)を次に引用(『 』内)します。 『苦痛から自由になるために本当に必要なのは、自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになることです。その訓練として効果的なのが、自分が相手だったらどうか、想像してみるというエクササイズです。最初は簡単ではないですが、そうした視点の切り替えができると、あなたも禅師のような自由闊達な視座に一歩近づけるでしょう。』 b) 加えて、「よいところ探しのエクササイズ」について、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第三部 両価型愛着・二分法的認知改善プログラム の プログラムの特徴 の「⑤全部よいも全部悪いもないという逆転の発想を大切にする」における記述の一部(P196)を次に引用します。

(前略)よいところ探しのエクササイズは、悪い出来事の中にもよい点を見つけ出すという作業を、訓練として行うというものである。ネガティブな感情に押し流されやすい場面で、物事をある程度客観的に、別の視点から眺める訓練をするわけだ。感情に圧倒されやすい両価型の人にとって、自分の苦痛や不快さに共感してもらう代わりに、別の見方をしなければならないというのは、過酷に思える面もあるが、これこそがよい訓練になるのだと励ましながら、視点を変える練習をしていくわけだ。
最初は、いやいやであっても、実際にやってみると、視点を変えて、自分の苦痛や不快さではなく、ほかの面について考えたり話したりしているうちに、気分がよくなったり、苦痛や不快さが薄れていくということが起きる。そこから、視点を切り替えて、よい面を考えるということの意味が、少しずつ実感されるようになるわけだ。
両価型で、二分法的認知にとらわれやすい人では、物事は全部よい完璧な状態か、それ以外の不完全で、悪い状態しかないように受け止めがちである。よい状態でなくなると、一気に百点から零点どころか、マイナス百点になってしまいやすい。
しかし、現実の物事はすべて完璧なことなど、あり得ないし、メリットとデメリットというものは、どんなものにも混在している。逆に言えば、どんな悪いことにもよい面があり、実際、最悪に思えたことが、大きなチャンスにつながるということも、しばしば経験される。
悪いことにもよい面を見つけられるようになれば、それだけ適応力が高まるし、ピンチをチャンスに変えていくことも上手になる。
このプログラムでは、そうした逆転の発想を大事にして、物事のよい面を見つけ出す練習を積み、それが自然にできるように定着をはかっていく。
この逆転の発想が身についていくにつれ、物事を達観するということもできるようになっていく。どちらも自分の視点を離れ、とらわれを脱することにより、高い視点を手に入れるということなのである。

注:(i) 上記「愛着アプローチ」(資料『愛着関連障害と愛着アプローチ ―「医学モデル」から「愛着モデル」へのパラダイムシフト―』を参照すると良いかも)に関連して、スキーマ療法においても愛着(又はアタッチメント)を考慮した「治療的再養育法」(参照)があります。ちなみに上記「愛着」に関連する「愛着障害」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「両価型」及び「二分法的認知」の解説としての次に引用する(『 』内)記述が同本の P94~P95 にあります。 『ただ、親の不安定な愛着の問題が深刻な場合には、「両価的」(本心では愛情やかかわりを求めながら、拒絶や攻撃といった正反対な態度をとるなど、二律背反的な感情や行動が見られること)で二分法的(全肯定か全否定かといった両極端で中間のないこと)な考えにとらわれやすいため[後略]』(注:引用中の「二分法的」に関連する「両極端で二分法的な認知」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい) (iii) 標記「悪い出来事の中にもよい点を見つけ出すという作業を、訓練として行う」に関連する「ネガティブな経験から、ポジティブな部分を探す」ことについては次のエントリを参照して下さい。 「レジリエンス(心の回復力)を高める方法を精神科医が解説!」 加えて、これに関連する弁証法的行動療法における承認(又はヴァリデーション、認証)について、 a) 岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第一節 肯定的でバランスの良い認知 の「良いところ探しのエクササイズ」 における記述(P208~P209)を以下に引用します。 b) 他の拙エントリのここ及び次の資料を参照して下さい。 「心身医学領域で出会う“感情調節困難”患者への心理的アプローチ -弁証法的行動療法,特に承認から学ぶ-」 (iv) 標記「自分の視点を離れ、とらわれを脱することにより、高い視点を手に入れる」に関連する、 1) 「愛着が安定とリフレクティブ・ファンクションとの関連及びリフレクティブ・ファンクションを高めることが自己超越につながる」ことについて、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第一部 医学モデルの限界と愛着モデル の「克服のために必要なこと」における記述の一部(P98~P99)を以下に、 2) 「自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになる」ための「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」について、同章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」における記述(P217~P218)を以下に、 3) 「“裁判所”をイメージしてもらうことを含む別の考えを見つける技術」について、清水栄司著の本、「大人の人見知り」(2017年発行)の 第3章 “脱”人見知りへの10の技術 の「⑥別の考えを見つける技術」における記述(P96~P98)を以下に それぞれ引用します。

良いところ探しのエクササイズ
強い自己否定や生きづらさを抱え、死にたいという気持ちにつきまとわれ、自傷や自殺企図を繰り返す状態に、境界性パーソナリティ障害があります。その治療に有効な数少ない心理療法として知られているのが弁証法的行動療法で、その治療法の一つの柱となっているのが「ヴァリデーション戦略」です。
ヴァリデーション(認証)の考え方や方法はとても有効なので、他の領域にも広く取り入れられています。たとえは、認知症の人の介護や支援においても、病状の進行を遅らせたり、生活機能の維持やメンタル面の安定に有効とされます。
ヴァリデーションとはどういう考え方かと言うと、ありのままの現状を受け入れ、肯定するということです。そのために、できない点や悪化した点にばかり目を向けるのではなく、良い点やできることに目を向け、そこを肯定的に評価するようにするのです。
良いところ探しのエクササイズは、困ったことや悪いことが起きたときこそ取り組むチャンスです。物事がうまくいっているときは、誰でも肯定的な感情や考え方をもちやすいものです。その真価が問われるのは、うまくいかないことに遭遇したときです。その意味で、良くないことが起きたときこそ、訓練の絶好の機会なのです。

(最初に下記「ASD」については他の拙エントリを、「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい)注:[i] 引用中の「他の領域」に関連する、慢性痛における引用中の「ヴァリデーション」(validation)については、次の資料を参照して下さい。 「慢性痛患者の心理アセスメントのキーポイント -慢性痛と怒り-」の Ⅳ 感情調整 の「4. 弁証法的行動療法における承認(validation:妥当化)戦略」項(P393) 加えて、引用中の「ヴァリデーション戦略」に相当する「承認戦略」については、他の拙エントリのここにおける引用の「2 ●承認戦略」項を参照して下さい。さらに、上記「ヴァリデーション」に関連するかもしれない、認知療法における適応的思考としての根拠や反証を組み合わせる方法については、次の資料を参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」の「適応的思考の導き方① 根拠・反証を探す」項(P30~P31) [ii] 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 [iii] 引用中の「良いところ探し」としての例かもしれない、 (a) 「『思いどおりにいかない=失敗』ではなくて、どうしたらいいかを考えるチャンスと考えればいい」ことについてのツイートがあります。 (b) 食品添加物にもメリットがあることの紹介を含むWEBページ例は次を参照して下さい。 『食品添加物よりおそろしいのは「家庭の台所」だ』(特に「添加物なくしてツナマヨおにぎりなし」項) (c)「ひきこもりのメリット」については次のエントリを参照して下さい。 「ひきこもりのメリットを考えてみよう - すずろーぐ」、『ひきこもりのメリットその1「闘争しなくてもいい」 - すずろーぐ』、『ひきこもりのメリットその2「働かなくてもいい」 - すずろーぐ』、『ひきこもりのメリットその3「欲望を他人に利用されない」 - すずろーぐ』 なお、次のエントリを紹介するようにひきこもりのデメリットも当然あります。 『ひきこもりのデメリット「孤独は健康に悪い」 - すずろーぐ』 (d) 「天才と狂気は紙一重」については次のエントリを参照して下さい。 「天才と統合失調症のチキンレース - すずろーぐ」の「天才と狂気は紙一重?」項 (e) 自閉スペクトラム症の特徴して、苦手なものもあるが、長所もあることについては、前者は資料「自閉スペクトラム症(ASD)を中心とした神経発達症について」の P15 に示されていますが、後者はその次の P16 に示されています。 (f) 「失敗する企業家がラッキーである」ことについてのツイートがあります。また「ストレスは人生スパイス説」であることについてのツイートや『「正常な視力を失う」ことにより失ったものもあれば得たものもある』ことについてのツイートもあります。これら以外にも、『「お酒を飲めない体」なので、酒代、飲み会代、全部医書に突っ込めました』ことを含むツイートもあります。 (g) 資料「環境リスク研究におけるweb調査の有効性」において、上記web調査に対するメリットとデメリットについての記述があります。 (h)「うつ病は、警告信号でもある」ことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第7章 うつ病・抑うつ状態 の「1 うつ病は、警告信号でもある」における記述の一部(P104)を以下に、 (i) 「躁うつ的な波はマイナスばかりでない」ことについては、「こころの科学 200号(2018年7月)」中の青木省三著の文書「最終講義――私の歩んだ精神科臨床の道」の「それまでに抱いていた疑問」における記述の一部(P158)を以下に、 (j) 「発達障害(ASDやADHD)の人のよいところは? 得意なことは?」について、岩波明著の本、「増補改訂版 誤解だらけの発達障害」(2022年発行)の 第3章 誤解だらけの発達障害 の「発達障害の人のよいところは? 得意なことは?」における記述の一部(P248~P249)を以下に、 (k) ポリヴェーガル理論の視点からの、臨床家に「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うことにしていることについて、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療 の「自閉症の治療」における記述の一部(P70)を以下に(上記「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい)、 (l) 精神分析の視点からの、 1) 「抵抗」は、「治療要因でもあるし、反治療要因にもなり得る」ことについて、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第2章 治療抵抗について(治療妨害要因であり促進要因) の「(1) 抵抗とは」における記述の一部(P057~P058)を以下に、 2) 加えて、「防衛」は、人間が生存するのになくてはならない重要な機能であることについて、同本の 第4章 防衛・防衛機制について の 1 防衛とは? の「(1) 防衛の定義」における記述の一部(P158)を以下に、 (m) 「解離的な分離は、単なる症状ではなく適応策としての精神的な能力」であることについて、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 11章 安全と歓迎――安定型愛着を獲得する の「解離的な断片化を癒すために解離症状を利用する」における記述の一部(P281)を以下に、 (n) これら以外にも、マインド・ワンダリングのマイナス面とプラス面について、岩波明著の本、「天才と発達障害」(2019年発行)の 第一章 独創と多動のADHD の「マインド・ワンダリング」における記述及び「マインド・ワンダリングのプラス面」における記述の一部(P18~P20)を以下に それぞれ引用します[注:上記 (j) 項の引用は形式を変えています]。

1 うつ病は、警告信号でもある

〔症例1〕自営業の50代の男性――「うつ病になってよかった」
ある50代前半のうつ病の男性は、抑うつ気分、意欲の減退が持続しており、2回の入院治療を行ったが、なかなかすっきりとしない状態が続いていた。仕事が手につかない、考えがひらめかない、決断できない、すぐに疲れてしまう、などの症状のため、自営の工務店を閉じるというところまで話が進んでいた。抗うつ薬も充分量を処方したが改善せず、3回目の入院治療をしようかという話も出ていた。男性は40代のとき、早朝から夜12時頃まで働くという毎日で、40代の終わりには、仕事のトラブルや景気の悪さがきっかけで、うつ病になったのである。
治療を始めて、2年あまりがたったある日、男性は突然、「先生、私はうつ病になって命を救われました」と言い出した。40代の頃、自営で頑張っていた仲間が、このところ相次いで倒れた。一人は心筋梗塞で亡くなり、一人は脳出血で亡くなり、もう一人も脳出血後、一命は取り留めたものの重い後遺症が残った。仲間のお葬式に参列し、若くして亡くなった友人の無念さを思い、残された家族の悲しみを思うととてもつらくたまらない気持ちになったという。その時、ふっとうつ病が自分を救ってくれたと感じたのだという。そして男性は「このごろ、女房と、『うつ病にならんかったら、ワシも死んでいたよなー』と話し、うつ病になったことを感謝しているんです」と言うのであった。うつ病に感謝しはじめてから、不思議なほど男性は回復しはじめ、閉じる方向に進んでいた自営業を再開するまでに至った。「○○さんはやりだしたらブレーキがきかないから、これからはうつ病の代わりに自分でブレーキをかけないとね」といつも自制を促しているのが、ここ10年余りの外来診療である。時に疲れがでることはあるが、元気に仕事を続けている。(後略)

注:i) 引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「心筋梗塞」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「[92]心筋梗塞が起こったら」 iii) ちなみに拙訳はありませんが、抑うつの明るい面についての論文(全文)「The bright side of being blue: Depression as an adaptation for analyzing complex problems」があります。

それまでに抱いていた疑問(中略)

たとえば双極性障害の薬物療法を勧めた時に、「先生、軽躁がなくなったら、私は生きていかれません。私は人前でパリッとしていないと、仕事にならないのです」と、ある企業の経営者の方から言われたのです。自分から軽躁状態をとったら、経営者の仕事ができなくなると、私はその人に説得されて、「ああ、そうだよね」と(笑)。たしかにその人がパリッとしていなかったら、トップとしてやっていかれない。「でも躁状態の時だけ仕事するのでいいのですか?」とお聞きしたら、「いいんです」と言われたので、「軽躁状態の時だけ仕事をする」という方針にした人がいました。
うつ状態の時は、会社では「社長はハワイに行っている」ということになっていました。(中略)

躁とか軽躁の治療をしていると、もちろんその治療が、躁やうつによりいろいろなものを失うことを防ぎ、その人生の質を高めるという場合もあるのですが、生き生きしたところがなくなったり、生きる元気がなくなったりする場合もあるように思うのです。躁うつ的な波はマイナスばかりでない。こういう場合はどうしたらいいかなと思っていました。

注:i) 引用中の「双極性障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) トレードオフの視点からの引用中の「双極性障害の薬物療法」に関連する、「ADHD治療薬の服用」については次のエントリを参照して下さい。 「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」の「ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ」項

発達障害の人のよいところは? 得意なことは?(中略)

たとえばASDのある人は、全体ではなく細かいところに目が向くため、細部まで気を配ることができます。また、同じことを繰り返しすることが苦痛ではないため、コツコツと緻密な作業を積み重ねることが得意です。
さらに、彼らが「空気が読めない」ということは、その場の状況や相手の立場を考えずに、最近の言葉でいえば「忖度する」ことなしに、思ったことを率直に伝えることができることにつながります。隠し事や裏表がないため、信頼されやすいともいえます。
一方でADHDをもつ人は、エネルギッシュでフットワークが軽く、すぐに行動に移す力があります。集中が続かないことは、逆に捉えれば切り替えが早く、いつまでも一つのことにとらわれないで、すぐに次のことに移ることができる長所ともいえます。
ADHDの人たちは、危険が伴うスリリングなことが好きなので、リスクを考えず、大胆に新しいことや他の人がやらないことにチャレンジすることが可能です。また、ADHDをもつ人は、直感的で柔軟な考え方ができ、創造性もあるといわれています。
ADHDにおいては、「マインドワンダリング」と呼ばれる現象が頻回に起こっていることが知られています。これは、目の前の課題や出来事から注意がそれて、別のことに考えが向くことで、ふと気がつくと、授業中に次の日の予定を考えていたり、友達と話している最中に欲しいもののことを考えていたりといった現象です。
このマインドワンダリングがみられるADHDの人は、ふと新しいアイディアが思い浮かんだり、ひらめいたりしやすいと考えられているのです。つまり仕事においては、新たな視点から物事を見直すことが可能となるのです。
ASDやADHDをもつ人のユニークな特徴は「障害」にもなる反面、見方を変えれば大きな長所や魅力になりますし、それを生かせる環境を見極めて選択することは、才能を輝かせるうえでとても重要です。(後略)

注:(i) 引用中の「マインドワンダリング」については以下も参照すると良いかもしれません。 (ii)引用中の「創造性」と関連するかもしれない、「ADHDのひとはクリエイティビティを発揮できる舞台があれば活躍できる」ことについては、次のエントリを参照して下さい。 「内海健『ADDの精神病理』から考える。その② - すずろーぐ」の「ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ」項 加えて、引用中の「ふと新しいアイディアが思い浮かんだり、ひらめいたりしやすい」ことと関連するかもしれない『ADHDの人は注意力が散漫ですが、別の見方をすれば、目の前の課題から離れて自由に想像力を広げられ、「想像力」に結びつく』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDとASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ①ADHDの「多動衝動性」、「不注意」とは の「◇ひどすぎる忘れ物」における連続する記述の一部(P138~P139)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【ADHDの人は注意力が散漫ですが、それは別の見方をすれば、目の前の課題から離れて自由に想像力を広げられる、ということでもあります。ある意味、これは自由な発想が豊かであるとも言えるわけで、これが「想像力」に結びつくのです。】、【そのため、イラストレーターやデザイナー、小説家、漫画家、画家といった芸術的な才能の持ち主には、ADHDの特性を持つ人が少なくありません。】 (iii) 一方、「何かを専門にするとか、芸術とかいうのは、ある意味で、発達凸凹(参照)があるからできる」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「発達障害をめぐる諸問題」の「発達凸凹+適応障害という視点」項 (iv) これら以外にも、上記「長所としてみる」ことに関連する「ADHDの長所」について、太田晴久監修の本、「大人の発達障害 仕事・生活の困ったによりそう本」(2021年発行)の 1章 大人の発達障害とは の「大人の発達障害とは ADHD(注意欠如・多動症)の特性」における記述の一部(P18~P19)を形式を変更して以下に引用します。加えて、「ASDの長所」について、同章の「大人の発達障害とは ASD(自閉スペクトラム症)の特性」における記述の一部(P16~P17)を形式を変更して以下に引用します。その上に、上記「ASDの長所」に類似する「ASDのいい面」について、司馬理英子著の本、「最新版 大人の発達障害[ASD・ADHD]シーン別解決ブック」(2020年発行)の part 1 知っておきたい大人の発達障害の正しい知識 の ASDの特徴 の「ASDのいい面」における記述を形式を変更して以下に引用します。

大人の発達障害とは ADHD(注意欠如・多動症)の特性(中略)

ADHDの長所(中略)

以下の例以外にも、長所に目を向けましょう。

●先入観や決まった流れに縛られない
●創造的、直感的
●思いつきやひらめき、アイデアが豊富。発想力が豊かで新しいことを思いつく
●柔軟に対処できて、フットワークが軽い。切り替えが速い。新しい場面に適応しやすい
●コミュニケーションに積極的
●協調性、社交性、感受性がある。ユーモアがある
●明るく楽しくおしゃべりできる
●人の気持ちがわかる。面倒見がいい
●頭の回転が速く、反応が素早い。躊躇せず意見を言える

大人の発達障害とは ASD(自閉スペクトラム症)の特性(中略)

ASDの長所(中略)

以下の例以外にも、長所に目を向けましょう。

●単調な作業もいやがらずにやり抜く
●生真面目に物事に取り組む
●記憶力がよい
●博識
●関心のあることには集中力を発揮
●ものごとを筋道立てて考える論理的な思考ができる
●うそがつけず正直で正義感が強い
●まじめでルールを守る
●数学や音楽、美術などに才能を発揮する人もいる

ASDのいい面

●既成概念にとらわれない
●自由な発想で自分の思ったとおりに行動する
●単調な作業もいやがらないでやり抜く
●興味のあることでは記憶力がよいことも
●独特の感性を持っている
●自分が関心のあることには集中力を発揮する
●生真面目に物事に取り組む

(前略)ポージェス:(中略)私は臨床家に、「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うことにしています。
トラウマのような非常に深い生理学的、行動的な状態を一旦体験すると、たしかに今の社会生活に困難をきたすことがあるでしょう。それでも、あなたの反応は正しかったのです。ですからトラウマを受けた人たちは、自分たちの身体がそう反応したことをお祝いするべきなのです。なぜかと言うとあなたの身体がそのように反応したからこそ、あなたは生き残ることができたのです。その反応は、あなたの命を救ったのです。あるいはひどいケガを負わずに済んだのです。例えば、レイプのような暴力的な状態で、加害者に抵抗すれば、殺されていたかもしれません。ですから罪悪感を持つ代わりに、そのように身体が反応したということを大いに喜んで、お祝いしてくださいと言います。トラウマを抱えている人は、人と親しくしようと思ったのに、自分の身体が言うことを聞いてくれなかったことで、罪悪感を持つことがあります。(中略)

このようなごく単純な内容をクライアントに話してあげただけで、クライアントが自然に良くなった、という電子メールをたくさんの臨床家から受け取るようになりました。クライアントが「自分のしたことは失敗だった」と思わなくなり、そこから癒しが促されたのだと考えられます。(後略)

注:(i) 本引用に関連するツイートがあります。 (ii) 引用中の「あなたの身体がそのように反応したからこそ、あなたは生き残ることができたのです」に関連する「彼らの身体がとった反応戦略は、彼らの命を救ったのだということを理解してもらう必要がある」ことについては、引用元の本の 第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論」 の「トラウマ、そして信頼への裏切り」における記述の一部(P174~P175)を次に引用(『 』内)します。 『ポージェス:(中略)多くのトラウマ・サヴァイヴァーは、暗黙の裡に、彼らの身体が何かとても悪いことをしたと感じています。ですからトラウマ・サヴァイヴァーたちに、彼らの身体がとった反応戦略は、彼らの命を救ったのだということを理解してもらう必要があるのです。トラウマを被ったとき、彼らの身体は、不動状態に陥り、解離を引き起こしました。反撃したりせず、このように反応したおかげで、肉体的な傷や辛い苦しみを最小限にとどめることができたのです。この場合、「不動」は非常に適応的です。こうすれば、加害者のさらなる攻撃を誘発しなくて済むのです。』 加えて、【唯一の選択肢が「擬死」であっても、身体は本能的に、怪我、ショック、または痛みを最小限にとどめる最善策を選択している】ことについて、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 3章 クライアントとセラピストの役割の変化 の「圧倒される体験への独創的な適応」項における記述の一部(P68)を次に引用(《 》内)します。 《唯一の選択肢が「擬死」(麻痺したり、眠っているようになる、天井に浮かんだり、意識を失う)であっても、身体は本能的に、怪我、ショック、または痛みを最小限にとどめる最善策を選択している。》(注:1) 引用中の「擬死」についてはここ、他の拙エントリのここ及び以下を、引用中の「麻痺」については以下を それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「意識を失う」に関連する「血管迷走神経性失神」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) その上に、「防衛反応がパーツが生き延びるためには大事だった」ことについては「トラウマ関連のパーツたち」を含めてここを参照して下さい。さらに、「構造的な解離は、安全でない愛着関係をうまく折り合わせてくれる」ことについてはここここを参照して下さい。 (iii) 上記 (ii) 項の最初の引用における「解離」にはデメリットのみならずメリットもあることについては次の資料を参照して下さい。 「治療ゼミナール第5号通信(2009.5.10.発行)平井孝男(解離、自傷特集)」の「b.解離のデメリット」項及び「a.解離のメリット」項  (iv) 一方、引用中の(レイプのような暴力的な状態での)「反応」には、「凍りつき反応」≪例えば、 a) 引用元の本の P46、 b) 資料「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項〔注:上記「背側迷走神経系」に類似する「背側迷走神経複合体」が主導権を握ることについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第5章 体と脳のつながり の「闘争/逃走vs虚脱」項における記述の一部(P138)を次に引用(【 】内)します。 【虚脱状態や自発的な関与をやめた状態は、背側迷走神経複合体に制御されている。背側迷走神経複合体は、下痢や吐き気のような、消化にまつわる症状と関連した副交感神経系のうち、進化上、非常に古い部分だ。背側迷走神経複合体は、鼓動を遅くしたり、呼吸を浅くしたりもする。この系が主導権を握ると、他人のことも自分のことも、どうでもよくなる。自覚がなくなり、身体的苦痛をもはや認識しなくなることもある。】〕 c) 他の拙エントリのここにおける引用 をそれぞれ参照≫、加えて上記「凍りつき反応」に関連する「不動状態」[又は不動化]、「シャットダウン」(共に例えば引用元の本の P41~P42 を参照、なお「シャットダウン」に関する尺度「Shutdown Dissociation Scale」については次の論文[全文]を参照して下さい。 「The Shutdown Dissociation Scale (Shut-D)」の Table 3)、「麻痺」(ここ及びここを参照)、「機能停止」(他の拙エントリのここここを参照[特に後者における引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項])、上記「虚脱」、「擬死」があります。さらに「解離する」、「気を失う」(例えば他の拙エントリのここここを参照、加えて前者の「解離する」については上記 (iii) 項以外にも他の拙エントリのここここも参照して下さい。一方後者に関連する「血管迷走神経反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)、そして上記「擬死」(例えばここや他の拙エントリのここを参照)、「麻痺」や「フリーズ」[又は上記凍りつき]にも関連する主に自閉スペクトラム症者におけるカタトニア(症状群)の例(拙エントリのここを参照)もあります。一方、災害時の「凍りつき症候群」については次の資料を参照して下さい。 「どうすれば災害からの逃げ遅れを防げるか」の「第5の罠 凍りつき症候群」項(P31~P33) (v) 加えて、上記及び下記の「不動化」について、引用元の本の P33 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『「不動化」の反応は、小さな哺乳類によく見られます。例えばネコに捕まったネズミです。ネズミがネコに咬まれると、死んだようになります。しかし実際には死んだわけではありません。この適応的な反応は、「擬死」とか、「死んだふり」とも言われます。これは意図的に行う反応ではありません。』 (vi) その上に、上記「シャットダウン」に関連して、 A) シャットダウンに陥る人の特徴について、ピーター・A・ラヴィーン著、池島良子、西村もゆ子、福島義一、牧野有可里訳の本、「身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア」(2016年発行)の 第6章 セラピーのための地図 の「原始の内なる声」における記述の一部(P126)を次に引用(【 】内)します。 【一方,シャットダウン状態に陥る人は(横隔膜が落ち込んだように)前かがみになることが多く,目は一点を見つめるかぼんやりしており,著しい呼吸の減少,心拍の突然の減弱,瞳孔収縮が認められる。】 B) シャットダウンの恩恵と代償について及び単一試行のトラウマ反応の視点からのシャットダウン後に出現した症状例については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)[抵抗は治療要因でもあるし、反治療要因にもなり得る](中略)
〈抵抗は治療の妨害要因なのに、治療促進要因になる場合もあるんですか〉
「そうです。治療抵抗というからには、治療の妨害要因(『広辞苑』にも『治療に対して感情的に逆らう傾向』とある)のように思われますが、とんでもない話で、抵抗ぐらい治療の役に立つものはありません。治療とは抵抗を発見し、その抵抗を育て、抵抗をどう人生の中で生かしていくかということであるといっても過言ではないのです。(中略)」(後略)

注:引用中の〈 〉内は問いを、「 」内はこれに対する応答をそれぞれ表すようです。

[防衛とは不快を避ける方法](中略)
防衛という言葉はフロイトが言いだしたことですが、もともと人間がもっている不快回避・安全追究・安定維持機能です。これは人間が生存するのになくてはならない重要な機能です。
ただ、防衛は『一時凌ぎ的に』楽になっても、それを続けすぎるとマイナスになる場合があるので、フロイトは防衛機制を心の病の原因と考えたようです。しかし、それは、防衛が過剰になったり、防衛に失敗したり、防衛をうまく使えなかった場合、または古い防衛に固執し過ぎることで起こることで、防衛そのものは生活に不可欠なのです。そして防衛を上手に使いこなせるかどうかで、人生を幸せに送れるかどうかが決まってくるといえます。(後略)

注:引用中の「防衛機制」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典

解離的な断片化を癒すために解離症状を利用する

解離的な断片化の本質は、起こったことの記憶から耐えられない感情を切り離し、「私ではない」とパーツたちに帰して、経験をカプセルに封じ込めることなのです。そして関連する認知スキーマを作り出し、自己疎外を悪化させますが、子どもはそれにより適応し生き残ります。ですからこのような解離的な分離は、単なる症状ではなく〔適応策としての〕精神的な能力なのです。
感情や侵入してくる思考の干渉を受けずに、情報をすばやく検知し、自動的かつ効率的に行動する能力はいわば救命医療の中核です。また解離的な分離は、チームが決定的瞬間にあるときにアスリートが利用します。それだけでなく、俳優、音楽家、演説者、および政治家たちが最高のパフォーマンスをする際の能力にも貢献するでしょう。解離は、引き金を引かれたとき無意識で不随意に稼働する場合にのみ、病的だとされるのです。精神的能力として、それは意識的に、思慮深く、そして自発的に使用することができます。ですからセラピーの目標は(パーツたちの活動の)「治癒」または防止ではなく、クライアントが賢く利用できるようにすることなのです。

注:i) 引用中の「解離」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「パーツ」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「解離」にはデメリットのみならずメリットもあることについてはここの (iii) 項を参照して下さい。

マインド・ワンダリング
マインド・ワンダリングとは、心理学における概念である。これは、現在行っている課題や活動から注意がそれて、無関係な事柄についての思考が生起する現象のことを指す。
たとえば学校の授業中、ふと気かついたら「夕方どこに出かけようか?」と考えている。あるいは車を運転中、はるか昔の出来事について思い返す……こうした心理状態に陥ることは、誰でも心当たりがあるのではないだろうか。マインド・ワンダリングは身近で日常的な現象であり、人間は目が覚めている時間のうち約30~50%を「心ここにあらず」の状態で過ごしているという指摘もあるほどだ。
マインド・ワンダリングは意識的なものと無意識的なものに大別される。またその内容や広がりも、時間(未来、現在、過去)、自己との関連性、モダリティ(言葉、映像)などで分類され、多様なものが含まれる。これまでこの現象はごく日常的なものとされ、注目されることは少なかった。だが最近になって、重要な精神現象として見直されてきている。
過去の多くの研究では、マインド・ワンダリングについてはネガティブな影響が強調されてきた。たとえば、学校の授業中に起こるマインド・ワンダリングは、講義内容の理解を妨げると言われ、ある研究では、マインド・ワンダリングが頻回であるほど、講義に関する記憶は低下していたことが示されている。
また、マインド・ワンダリングがマイナスの感情を伴ったり生み出したりすることがあることは、多くの研究で認められている。とくに過去の出来事に関するマインド・ワンダリングは、幸福感を減弱させやすい。
さらに、マインド・ワンダリングは、外界への注意や警戒の低下につながり、交通事故のリスクを高めてしまうマイナス面も持ち合わせている。

マインド・ワンダリングのプラス面
このように当初、マインド・ワンダリングは否定的にとらえられていたが、最近になってポジティブな側面が注目を集めている。その代表的なものが、マインド・ワンダリングと創造性の関連である。
科学や芸術の分野における斬新な発想や独自の視点は、定型的なルーチンワークを重ねても、なかなか生まれてくるものではない。むしろ、常識とは異なる発想が重要となることが多い。
わが国の心理学者である山岡明奈と湯川進太郎(両者とも筑波大学)は、「拡散的思考」(発散的思考)が創造性における重要な要素であると考え、マインド・ワンダリングの研究を進めた。拡散的思考とは、新しいアイデアを多く生み出していく思考方法である。あるテーマに対して、探索的にさまざまなアプローチを試行錯誤していくといった手法をとるものである。
例をあげると、ある「もの」の新しい使い方や意味には、一つの正解があるわけではない。楽器、言葉、数学的概念、絵筆、あるいはコンピューターなど、あらゆる「もの」の使い方や意味は、無数に存在している。それを試行錯誤的に検討するのが拡散的思考の特徴である。
拡散的思考には、思考の流暢性(発想の数の多さ)、柔軟性(発想の多様さや柔軟さ)、独自性(発想の非凡さや稀さ)など、創造性につながる要因が関連していることが明らかになっている。(後略)

注:i) (主にマイナス面としての)引用中の「マインド・ワンダリング」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「山岡明奈と湯川進太郎」が著者であるマインド・ワンダリングのプラス面についての資料は次を参照して下さい。 「マインドワンダリングが創造的な問題解決を増進する

注:次はここにおける「愛着が安定とリフレクティブ・ファンクションとの関連及びリフレクティブ・ファンクションを高めることが自己超越につながる」ことについての引用です。

克服のために必要なこと

これまでの研究で、恵まれない境遇にもかかわらず愛着が安定している人では、振り返る力であるリフレクティブ・ファンクションが高いことが指摘されている*31。また、不安定な愛着の人が、安定型の愛着に変わっていくとき、リフレクティブ・ファンクションが高まり、自分の状況を客観的に振り返ったり、相手の立場に立って考えたりすることができるようになることも知られている*32。
こうしたことから、リフレクティブ・ファンクションを高めるような取り組みが、愛着の安定化につながることが期待される。
リフレクティブ・ファンクションには、反省とか振り返りといった機能だけでなく、相手の立場に立って考えるという共感的な機能も含まれる。自分を振り返る能力と、相手の立場に立って相手を思いやる能力は、自分の感情や利害といった狭い視点を超えて別の視点で事態を見るという意味において、どちらも自己超越の営みだと言える。自分の痛みや恨みといったとらわれを脱するためには、自己超越することが、最終的な課題になるのである。(後略)

注:i) 引用中の「*31」及び「*32」はそれぞれ次の論文です。 「Maternal reflective functioning among mothers with childhood maltreatment histories: links to sensitive parenting and infant attachment security.」、「Change in attachment patterns and reflective function in a randomized control trial of transference-focused psychotherapy for borderline personality disorder.」 ii) 引用中の「不安定な愛着」に関連する「愛着障害」については、例えば拙エントリのここを参照して下さい。

注:次はここにおける「自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになる」ための「自分が相手と入れ替わるエクササイズ」についての引用です。

自分が相手と入れ替わるエクササイズ
人から傷つけられるような体験をしたとき、その痛みゆえに、誰でも怒りや悲しみにとらわれ、傷つけられたという自分の状況しか見えなくなってしまいます。しかし、自分の視点にとらわれることで、よけいにそこから脱しにくくなるのです。
苦痛から自由になるために本当に必要なのは、自分の視点にとらわれるのではなく、そこを脱し、自分のことを、第三者的な目で眺められるようになることです。
その訓練として効果的なのが、自分が相手だったらどうか、想像してみるというエクササイズです。最初は簡単ではないのですが、そうした視点の切り替えができると、あなたも禅師のような自由闊達な視座に一歩近づけるでしょう。

注:次はここにおける「“裁判所”をイメージしてもらうことを含む別の考えを見つける技術」についての引用です。

考え方のバランスをとることで人は変われます。そのために自分以外の視点に立って考えてみることは大事です。
本当のことはわからなくても、一種の訓練だと思って、誰か別の人の立場に立って考えてみましょう。
社交不安症の人は、過去のトラウマ的な出来事から、ひとつの見方しか考えられなくなっていますから、他人の視点を持つということが重要です。別の人の視点から考えてみると、世界観も変わります。(中略)

なかなか別の考え方ができないという患者さんには、“裁判所”をイメージしてもらうようにお願いしています。
あなたは被告人です。うつ病とか社交不安症の人は、検事さんから「お前は嫌われてる」「お前は駄目な人間だ」などと責め立てられている状態です。
検事さんの言うことばかり聞いているとつらくなってしまいますが、裁判であれば弁護士さんもいます。
「この人は嫌われてないです」「そんな駄目な人じゃありません」「有能なところもいっぱいあります」などと、あなたにとって有利な発言をしてくれるはずです。
不安メーターが高い時は、検事さんだけが一方的に張り切って話をしている状態ですので、弁護士さんがいたら、何と言ってくれるか想像してみましょう。
検事さんが「お前は嫌われてる。この間、怒鳴られてたたろう」などと証拠を出してきたら、弁護士さんも「いや、この間、後輩から相談されてましたよね」「ちゃんと仕事の締め切りを守りましたよね」と反証します。
自分の中の弁護士さんの頑張りによって、裁判官に情状を酌量してもらって、「今回は執行猶予」というような判決を、自分の中で勝ち取りましょう。

注:引用中の「社交不安症」についてはここ及び他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。

加えて標記「バルコニーから眺めてみる」ことに関連するかもしれない、「認知再構成法では思考を柔軟かつ多様にしていく」ことについて、伊藤絵美著の本、「世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本」(2022年発行)の §2 認知再構成法の概要 の「認知再構成法の有り様をイメージする」における記述の一部(P35~P36)を以下に引用します。なお、「自分を苦しめる『自動思考』を自ら思い直して自分をなぐさめたり、励ましたり、開き直ったりするものだ」としての上記「認知再構成法」についてはWEBページ『「駅のホームでわざとぶつかられた」そんな時にベテランカウンセラーが実践する衝撃のイライラ解消法』を、そしてこれ以外にもツイートを それぞれ参照すると良いかもしれません。

(前略)そういう自動思考がどーんと来たときに,それを圧し潰されてしまうのではなく,さきほど紹介した「代替思考」を新たにいくつも生み出してみるのです。「こう考えてみてもいいかな」とまあまあ思える代替思考を,それも1個ではなく,複数創り出してみる。そうなると「オンリーワン」だった自動思考が,数ある思考のなかの一つ,つまり「ワンオブゼム」になる。自動思考オンリーではなくなる。自動思考自体を何も消したり変えたりする必要はないのです。もうすでに出てきちゃった思考を引っ込める必要はありませんし,消したり引っ込めたりすることは不可能です。それより「出ちゃったものはしょうがないよね」とそのままにして置いておき(マインドフルネス),代わりとなる思考を新たにいくつも生み出して,自動思考の周りに散りばめればいいのです。そうすれば,自動思考をどうこうしなくても,自動思考と同等の重みの思考がいくつも周りに配置されれば,自動思考の重みは相対的に軽くなりますね。自動思考が「オンリーワン」から「ワンオブゼム」という位置づけに変更されますね。絶対的だった自動思考が相対化されますね。認知再構成法ではそれを狙います。「こういう自動思考が出ちゃったけれど,他にもいろいろ考えられるよね~」と,思考を柔軟かつ多様にしていくのです。(後略)

注:i) 引用中の「自動思考」については次のWEBページを参照して下さい。 『「働く女性全力応援セミナー」第1回 講演② 講演録』の「●自動思考という概念」項 ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の『自動思考が「オンリーワン」から「ワンオブゼム」という位置づけに変更されます』に関連するかもしれない「SVでは、『こんな方法もある』とか『そういう路線だと、こうなる』とか、視野が広がるようにやってることが多い」(注:「SV」は「supervision、スーパービジョン[例えば資料「認知行動療法の共通基盤マニュアル」の 第3部 臨床での使い方と学習方法 の 第Ⅱ章 学習方法 の Ⅱ-1 認知行動療法習得の方法、スーパービジョン、コンサルテーション の「3. スーパービジョンやコンサルテーションを受ける」項〔P114〕を参照]」の略です)ことについてのツイートがあります。

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【5】社交不安症(社交不安障害)に対する認知行動療法のSTEP『注意の偏り(バイアス)「自己注目」に気づく』について、その他

標記について、清水栄司著の本、『自分で治す「社交不安症」』(2014年発行)の 第3章 人がコワイを自分で治すための12STEP の『STEP③注意の偏り(バイアス)「自己注目」に気づく』における記述の一部(P68)を以下に引用します。なお、標記社交不安症(社交不安障害)については他の拙エントリのリンク集(用語は「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。

(前略)自分に注意が向きすぎるために、余計に不安になったり、緊張してしまったりします(中略)

このSTEPの目当て
・注意の偏りに気づく
・注意がシフトできるように練習する
・注意のバランスに配慮できるようにする(後略)

注:(i) 引用中の「自分に注意が向きすぎる」に関連する、 a) 「周囲を気にしているようで、じつは自分に注目している」について、貝谷久宜監修の本、「社交不安症がよくわかる本」(2017年発行)の 3 医療機関でおこなう治療法を知っておこう の「不安を知る② 不安を大きくするパターンに気づこう」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『周囲からの評価が不安でたまらない、というと、周囲を意識しているようですが、実際には、「自分の挙動が相手にどう見られているか」が心配で、意識は自分に向いています。自分を気にしすぎて、周りを冷静に見られなくなっています。』 b) 『自分自身に注目しすぎる「自己注目」と他者の否定的な反応に注目しすぎる「注意バイアス」』については次の資料を参照して下さい。 「社交不安症における注意制御不全への介入方法の最適化」 c) 「自己注目には、イギリス人のエイドリアン・ウェルズ先生が開発された「注意訓練法」が適しています。自己注目というのは自分に注意が向きすぎてしまう現象なので、注意を外に向ける力を養うトレーニングです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「社交不安症における注意制御不全への介入方法の最適化」の『セルフトレーニング①|身の周りの音を聞き分ける「注意訓練法」』項 (ii) 引用中の「注意のバランス」に関連するかもしれない「注意制御機能」については、例えば資料「社交不安と不安感受性および注意制御と抑うつ症状の関係性」があり、資料「社交不安と注意制御機能, 解釈バイアスの関連」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「社交不安と注意制御機能, 解釈バイアスの関連」 加えて、トラウマ経験者における認知注意症候群については、例えば資料「トラウマ経験者における認知注意症候群に対するメタ認知的信念尺度の作成」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「トラウマ経験者における認知注意症候群に対するメタ認知的信念尺度の作成」 その上に、「マインドフルネス特性と反すう,注意制御機能,社交不安,抑うつ症状との関係性」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス特性と反すう,注意制御機能,社交不安,抑うつ症状との関係性」 (iii) 引用中の「注意がシフトできるように練習する」に関連するかもしれない、 a) 「注意シフトトレーニング」については次の資料を参照して下さい。 「社交不安障害(社交不安症)の認知行動マニュアル(治療者用)」の「注意シフトトレーニング」項(P10) b) 社交不安症やうつ病等における「注意訓練」については、例えば、 1) 資料「注意訓練法が注意機能及びメタ認知的信念・ネガティブ感情に与える影響」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「注意訓練法が注意機能及びメタ認知的信念・ネガティブ感情に与える影響」 加えて「2.2 メタ認知療法における注意制御機能」項を有する次の資料もあります。 「メタ認知療法からみたマインドフルネス」 その上に、語句「MCTの注意制御機能」を有する次の資料もあります。 「メタ認知療法の観点からみた抑うつと反すう,心配および実行機能の関連」の「問題と目的」項(注:上記「MCT」とはメタ認知療法の略です) 2) 次の資料を参照して下さい。 「うつ病の病態維持に関わる前頭葉機能異常と注意制御機能訓練の治療効果」 3) 資料「注意訓練がマインドワンダリング及び抑うつ・不安へ及ぼす影響」は、次のWEBページから pdfファイルとしてダウンロードできます。「注意訓練がマインドワンダリング及び抑うつ・不安へ及ぼす影響」(注:上記「マインドワンダリング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい) c) ヴィパッサナー(マインドフルネス)瞑想における注意の分割については、例えば次の資料やWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「マインドフルネス実践の方法論上の特徴」項、『「心の省エネ」を実現し、「個の力」を高める“マインドフルネス”療法とは?』(ちなみに、上記ヴィパッサナー瞑想における注意の分割にも関連した「距離ゼロの俯瞰」についてのツイート[参照参照]があります) (iv) 引用中の「注意の偏り」に相当する「注意バイアス」については例えば次の資料を参照して下さい。 「社交不安の注意バイアス」 (v) 引用中の「注意が向きすぎる」に関連するかもしれない「精神交互作用」(神経症において症状に注意を向ければ向けるほど症状が強まる悪循環)については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「不安」と「緊張」に関連するかもしれない「感情」と上記注意との関係について、 a) 「不安の苦しい感情があると,注意の視野が狭くなり,自己批判的になったり何かと評価したりしやすくなる」ことについては他の拙エントリのここを、 b) 「感情は、その刺激が継続して起こる時と注意を集中する時に強くなる」ことについてはWEBページ「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項を それぞれ参照して下さい。 (vii) 引用中の「不安」と「注意」に関連する「不安障害と注意バイアス」については次のエントリを参照して下さい。 「不安障害と注意バイアス」 (viii) 引用中の「注意がシフトできる」に関連する、過敏性を有する方々に対する「注意の切り替え」について、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第四章 発達障害と感覚処理障害 の「注意力と過敏性」における記述の一部(P120)を次に引用(『 』内)します。 『注意の切り替えは、一つの視点から別の視点へ切り替える機能で、これが弱いと、一つの見方しかできなかったり、一つの視点にとらわれやすくなります。異変や間違いに気づくのにも、注意の切り替えが必要です。』 加えてこれに関連するかもしれない「気になっていることばかり頭に浮かんでしまう」について、同本の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「マインドフルネスはなぜ有効なのか」における記述の一部(P222~P223)を次に引用(『 』内)します。 『しかし、実際のところ、過敏になっている状態のときには、気になっていることばかり頭に浮かんでしまうという悪循環に陥りがちです。流そうと思っても、そこにじっと動かずにあって、その人を苦しめ続けていることが頭を離れてくれません。放っておこうとしても、気が付いたらまた考えてしまい、堂々巡りが続いてしまうこともしばしばです。この無間地獄のような状態から、どうしたら抜け出せるのでしょうか。そこで役に立つ強い武器が、呼吸と身体感覚への注目なのです。マインドフルネスがとても有効な方法となり得たのも、この武器があったからです。』(注:引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい) その上に、「ディタッチト・マインドフルネスを促進させる中核的な技法として注意訓練法が挙げられる」ことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「不適応的な対処行動に関するメタ認知的信念と能動的注意制御機能およびディタッチト・マインドフルネスとの関連性」の「問題と目的」項 (ix) 引用中の「注意の偏り」を防ぐための認知行動療法における「注意分散法」について、伊藤絵美著の本、「事例で学ぶ認知行動療法」(2008年発行)の 序章 認知行動療法概説 の 0・4 各作業や技法とツールについて の「●注意分散法」における記述の一部(P12)を以下に引用します。 (x) 自閉スペクトラムの身体症状において、引用中の「注意の偏り」に関連するかもしれない「興味の焦点化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xi) これら以外にも、感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがあることについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第3章 経過を読む の 1 どのような時間単位で変化するか の「(1) 1日の中で変化する」における記述の一部(P42)を以下に引用します。 

●注意分散法
人間の認知資源(注意資源)の容量には制約がある。したがってある一つのことだけに注意を向けて、それにあまりにもとらわれてしまうと、それだけにほとんどすべての注意資源が奪われてしまい、その結果問題が生じる可能性がある(例:赤面恐怖の人が、人前でスピーチする際に、赤面のことで頭がいっぱいになってしまい、肝心のスピーチがうまくいかない)。人間は本来、適度に注意を分散させて適応しているはずである(車を運転している人が、道路状況に常に注意を向けつつも、同乗者と話をし、同時に音楽を聴いている、というのは特別なことではないだろう)。注意分散法とは、このような人間の本来の注意の有り様を改めて認識し、一つのことに注意が向きすぎてしまったときに、意図的に注意を他の物事に分散させるという技法である。(後略)

(1) 1日の中で変化する
ある自閉症スペクトラムの人に、気分の変化を図に描いてもらうと、1日の中で線が上に行ったり下に行ったりを頻繁に繰り返す、ギザギザとしたものであった。それは、細部にとらわれ全体を捉えることが苦手で、気分を大きく捉えることができず、細部をきわめて敏感に捉えているからだとわかった。
注意の集中やこだわりは、心身の不調や心配事などの具体的なものに向かいやすく、たとえば、便秘や不眠へのこだわりとなって現れたりする。
感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがある。本来であれば閾値下の身体の動揺をキャッチするようになる。(後略)

注:自閉症スペクトラムにおける引用中の「感覚に注意が集中していると、些細な変化を身体の異常と捉え、心気的となることがある。」に関連する、 a) 自閉症スペクトラムにおいて『ストレスが強まると,この「感覚過敏」や「興味」の対象の狭さがより際立ってきて,それに伴ってさまざまな症状が出ることがある』ことについては、拙エントリのここを参照して下さい。 b) 身体的苦痛症(Bodily distress disorder - ICD-11)において「注意の度合いは過度」なことについては、例えば次のブログ記事を参照して下さい。 「10 Disorders of bodily distress or bodily experience 10身体的苦痛症群または身体的体験症群 ICD-11」の「10.1 Bodily distress disorder 身体的苦痛症」項 c) 身体表現性障害において「常に身体に注意が向いていて,ささいな病状でも病気ではないかと不安になる」ことについて、近藤直司、田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義08 神経症とその周辺 の 3. 身体についての症状を示す神経症 の「(2) 身体表現性障害」における記述の一部(P091)を次に引用します。

(2) 身体表現性障害

身体症状を執拗に訴えて,病院で検査をして異常がないことがわかっても,何度も病院を受診するような行動を示す人で,社会生活にも支障を来している場合に,身体症状症と診断します。身体化症(身体症状症)と診断される人は,痛み,吐き気,おくび,しびれ,月経不順などいくつかの身体症状を訴えて,複数の医療機関を受け続けます。こういう人たちは,常に身体に注意が向いていて,ささいな症状でも病気ではないかと不安になり,不必要な薬物療法や複数の不必要な手術を受けていることもあります。(後略)

注:この引用部の著者は生地新です。 ii) 引用中の「身体表現性障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「身体症状症」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体症状症

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【6】認知行動療法の視点からの心的外傷後成長(PTG)を阻む認知・行動的な悪循環とその影響性について

標記悪循環とその影響性について、宅香菜子編著の本、「PTGの可能性と課題」(2016年発行)の 第Ⅲ部 心理臨床から見るPTG の 第11章 認知行動療法から見たPTG の「2 PTGを阻む認知・行動的な悪循環とその影響性」における記述の一部(P173~P175)を以下に引用します。なお、標記心的外傷後成長(PTG)についてはここを参照して下さい。

2 PTGを阻む認知・行動的な悪循環とその影響性

人は誰でも人生を大きく変えてしまうような衝撃的な出来事や,強いストレスにさらされたときには,一時的に心身の危機的状態を経験する。しかし,私たちにはそれらの危機に立ち向かうためのレジリエンスが存在していて,時間の流れの中で適応的な思考や行動を探索しながら心身の安定を図っている。しかし,経験したライフイベントの衝撃があまりにも大きかったり,サポート資源が貧弱であったり,何らかの個人の脆弱性が高い状態にあると,レジリエンスは阻害され,心身の危機的状態は維持され,増悪に至る。このような状態においては,外的な環境因子に加えて,個人の中にネガティブな認知と回避的行動の悪循環が形成され,苦悩からの脱却をより難しくさせる。これらの認知・行動的な悪循環については,これまで臨床ストレス科学や認知行動療法の発展の歴史の中で詳細な検討が行われてきた。

(1) 認知の歪み

不安や抑うつなどに苦悩するクライエントとの面接の中では,しばしば,否定的で,柔軟性がなく,現実離れした陳述がたびたび報告される。認知療法を体系化したベックら(Beck, Rush, Shaw, & Emery, 1979 坂野監訳 1992)やバーンズ(Burns, 1980 野村他訳 1990)によれば,彼ら(クライエントなど)の情報処理システムにはある種の「歪み」があり,その歪みによって外界の情報や記憶情報を適切に処理することがきない状態にあると考えられている(「推論の誤り」あるいは「認知の歪み」と呼ばれている)。(中略)

これらの認知の歪みの特徴とその影響性は以下のようにまとめることができる。
●破局的推論
現実的な可能性を検討せずに,否定的な予測をエスカレートさせる。この推論は,推論を繰り返しているうちにあたかもそれが現実であるかのように思えて絶望的な気分を誘発する。
●読心術的推論
他者が考えていることを確認もせずに,自分はわかっていると思い込む。この推論は,自己に対する固定的なイメージを形成するとともに,対人コミュケーションを阻害してしまう。
●選択的抽出推論
ある特定の事実だけを取り上げて,それがすべての証拠であるように考える。この推論は,極端な思考が現実離れしていることに気づく機会を奪い,確信と導いていく。
●トンネル視
出来事の否定的な側面のみを見ること。この推論は,出来事の肯定的な側への気づきを阻害し,自分には嫌な出来事しか生じないという信念を形成してしまう。
●レッテル貼リ
自分や他者に固定的なラベリングをすること。この推論は,固定的なものの見方を促進し,自己や他者の多様性を否定してしまう。
●全か無か推論
少しの失敗や例外を認めることなく,二分法的に結論づけること。この推論は,「できたこと」に目を向けることを阻害し,何をしても失敗(うまくいかなかった)と考えるようになることから,自発的行動が抑制されてしまう。
●自己と他者のダブルスタンダード
自分にだけ他者と異なる厳しい評価基準をもつこと。この推論は,自分は常に他者よりも劣っているという信念を形成し,自己肯定感を低下させる。
●「すべし」思考
自己や他者に対して,常に高い水準の成果を要求すること。この推論は,どんなことにも「こうあるべき」という固定的なゴールを設定することから,思考や行動の柔軟性や多様性を阻害する。

(2) 仮想現実への閉塞

認知の歪みに代表されるネガティブな認知は,なぜ我々の苦悩を維持・増悪させ,PTG を阻むのであろうか。ふと考えてみれば,誰でも時には,悪い予測がエスカレートしたり,過去の失敗を思い出して自信がもてなくなることもある。しかし,多くの場合は数時間あるいは数日のうちには前向きな態度を取り戻して元の生活に戻ることができているのである。これらの例からもわかるように,「ネガティブな認知」が悪いわけではない。むしろ,ネガティブな認知に「囚われてしまう」ことが問題であると言えるだろう(鈴木・神村,2013)。(中略)

注:i) この引用部の著者は鈴木伸一です。 ii) 引用中の「Beck, Rush, Shaw, & Emery, 1979 坂野監訳 1992」は次の本です。 「Beck, A. T., Rush, A. J., Shaw, B. F., & Emery, G. (1979). Cognitive Therapy of Depression. Guilford : New York.(ベック A.T. ・ラッシュ A.J. ・ショウ B.F. ・エメリィ G. 坂野雄二(監訳)(1992). うつ病の認知療法 岩崎学術出版)」 iii) 引用中の「Burns, 1980 野村他訳 1990」は次の本です。 『Burns, D., D. (1980). Feeling Good: The New Mood Therapy. Avon: New York(野村総一郎・夏刈郁子・山岡功一・成瀬梨花(訳)(1990).いやな気分よさようなら――自分で学ぶ「抑うつ」克服法 星和書店)』 iv) 引用中の「鈴木・神村,2013」は次の本です。 「鈴木伸一・神村栄一(編著)(2013). レベルアップしたい実践家のための事例で学ぶ認知行動療法テクニックガイド 北大路書房」

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【7】認知行動療法におけるセルフモニタリングについて、その他

標記セルフモニタリングについて、 a) 伊藤絵美著の本、「事例で学ぶ認知行動療法」(2008年発行)の 2章 気分変調性障害 の 2・5 事例Bのまとめ の「●セルフモニタリングの効用」における記述の一部(P62)を以下に引用します。 b) セルフモニタリングによる気づきが必要なこと及びセルフモニタリングは認知行動療法でもっとも重要なスキルについて、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の Lecture 認知行動療法とは何か の「認知行動療法(CBT)とは」及び「セルフモニタリング――CBTで最も重要なスキル」における記述の一部(P051~P059)を以下に引用します。ちなみに、後者の本を簡単に紹介する YouTube があります。

(前略)セルフモニタリングは、目標設定に至るまでのホームワーク課題として、非常に使いやすい課題である。というのも、たとえば、認知再構成法、問題解決法、リラクセーション法、曝露法などCBTでよく使われる介入のための技法は、CBTでの目標を設定してからでないと基本的に使うことができないからである。少なくともアセスメントが終わるまでは、「今後、どうしたらよいか」ではなく、「今、何がどうなってしまっているのか」という現状に対する理解が、セラピストとクライアントの共通課題である。その現状の理解のために、セルフモニタリングをし、その記録を取ってきてもらうことは非常に役に立つし、しかも介入に入る前の″つなぎの課題″としても役に立つ。″つなぎの課題″とは、言葉が適切でないかもしれないが、CBTにとってホームワークを毎回やってきてもらうことは非常に重要であり、しかしまだ技法が定まっていない、という段階では、そうそう新たな課題をホームワークにすることはできない。この意味で、セルフモニタリングは″つなぎ″としての使い勝手がよいといえる。しかしさほど負荷の高い課題ではないので、状態があまりよくないクライアントでも、取り組むことができる。そのようなクライアントにとっては、この課題に取り組むことが、「自分も何かをしている」「自分にも何かができる」という体験になるのだろう。また実際に記録に取ることで、自分の生活や反応のパターンについてクライアント自身が、さまざまな気づきを得ることも多い。(後略)

注:i) 引用中の「CBT」は「認知行動療法」の略です。 ii) マインドフルネスを含めた引用中の「セルフモニタリング」については例えば次の資料を参照して下さい。 「衝動的行動に対するセルフモニタリングの効果」の「5. セルフモニタリングとマインドフルネスの効果機序」項 iii) 引用中の「認知再構成法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「こころのスキルアップ・プログラム 認知療法・認知行動療法の視点から」の「認知再構成法」項、 iv) 引用中の「リラクセーション法」に関連する(認知行動療法からの)「リラックス法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 呼吸法とリラックス法」 v) 引用中の「曝露法」に関連する「エクスポージャー療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「エクスポージャー療法

認知行動療法(CBT)とは(中略)

CBTでは、その人の体験(特にストレス体験)を理解するための枠組みとして、上図のようなモデルを用います。まずはその人のストレス体験を、環境(ストレッサー)と個人(ストレス反応)の相互作用としてとらえます。
ストレッサーとストレス反応は循環的に影響しあっています。さらにその人の反応を、〈認知〉〈気分・感情〉〈身体反応〉〈行動〉の四つに分けて、それらの循環的な相互作用もとらえていきます。
〈認知〉とは頭のなかの思考やイメージのことを言います。
〈気分・感情〉とは、たとえば「うれしい」「悲しい」「さびしい」「むかつく」「イライラする」といった心のなかの気持ちのことです。
〈身体反応〉は身体に生じる生理的な反応のことです。
〈行動〉は、外から見てわかるその人の動作や振る舞いのことです。
ごく簡単な例を挙げます。

▼環境(ストレッサー)

道を歩いていたら、見知らぬ男性がすれ違いざまに「チッ!」と舌打ちをした。

▼個人(ストレス反応:Aさん)

〈認知〉…………「え? 何、この人?」「私、この人に何かした?」「こ、こわい!」
〈気分・感情〉…びっくり、不安、こわい
〈身体反応〉……胸がドキッとする、手のひらに汗をかく
〈行動〉…………歩くスピードを上げ、男性から離れる。男性を見ないようにする

私たちは一人ひとり異なる存在です。同じ環境(ストレッサー)に対して、皆が同じ反応をするわけではありません。同じ舌打ちの例で考えてみましょう。

▼環境(ストレッサー)

道を歩いていたら、見知らぬ男性がすれ違いざまに「チッ!」と舌打ちをした。

▼個人(ストレス反応:Bさん)

〈認知〉…………「なんだこいつ!」「俺に喧嘩を売ってんのか!」「ふざけんなよ!」
〈気分・感情〉…むかつく、カッとなる、挑発的な気分
〈身体反応〉……頭にカッと血がのぼる、こめかみがピクンとする、全身に力が入る
〈行動〉…………男性に近づき、「何だよ、てめえ!」と怒鳴りつける

このように同じ環境でも、人によって(あるいは同じ人でもその時々の気分や体調によって)、反応は大きく異なります。これがCBTで用いる基本モデルです。(中略)

セルフモニタリング――CBTでもっとも重要なスキル

CBTで最初に取り組むのは、「セルフモニタリング」の練習です。セルフモニタリングとは、CBTの基本モデルに沿って自分の体験(特にストレス体験)を自己観察することです。(中略)

◎CBTに不可欠

このようにストレス体験にその場で気づき、それをCBTのモデルに沿って観察し、具体的に細かく気づいていくというセルフモニタリングの練習を、CBTの初期段階ではクライアントに集中的に取り組んでもらいます。そしてその後もずっとセルフモニタリングを続けてもらいます。
CBTを進めていくうえでセルフモニタリングのスキルは不可欠です。セルフモニタリングによって「自分は今どうなっちゃっているのかな」という気づさを得ることができます。ストレス体験において「自分は今どうなっているのか」という気づきがあって初めて、私たちはその体験を乗り越えたり自分を助けたりすることができるのです。

◎内的な反応には気づきにくい

CBTの基本モデルのなかでも、モニタリングしやすい要素としにくい要素があります。たいていの人は、ストレッサー(「すれ違いざまに男性に舌打ちされた」)には容易に気づくことができます。ストレッサーは自分の外側のことだから気づきやすいのです。また〈行動〉も観察することが容易です。自分が舌打ちする男性から遠ざかったのか、それとも近づいて怒鳴りつけたのか、酩酊や解離でもしていなければ自分で気がつくことができますよね。行動もストレッサーと同様に、外側に現れる現象だからキャッチしやすいです。
一方、〈認知(自動思考)〉、〈気分・感情〉〈身体反応〉の三つははっきりと外側に現れるのではなく、頭のなか、心のなか、身体のなかに現れる、いわゆる「内的な反応」です。この三つについては比較的速やかにモニタリングができるようになる人もいれば、時間をかけて練習を重ねに重ねてようやくモニタリングできるようになる人もいます。
そしてCBTの進行にセルフモニタリングが不可欠なのであれば、内的な反応への気づきがどんなに苦手でも、そしてどんなに時間がかかってでも、それができるようになる必要が絶対にあります。上記のとおりセルフモニタリングによる気づきがあって初めて、ストレス体験の乗り越え方は見えてくるものですし、本書で後に紹介するマインドフルネス(七五頁参照)も、自らの体験に対する気づきが不可欠だからです。(後略)

注:i) 引用中の「上図」(認知行動療法の基本モデル)の引用は省略しますが、類似の図については例えばWEBページ「認知療法・認知行動療法とは」の図1 及び次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の紹介」の図1 ii) 引用中の「ストレッサー」、「ストレス反応」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「自動思考」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「認知行動療法とは」、「認知(行動)療法とは?」の「認知療法・認知行動療法とは…」項 iv) 引用中の「マインドフルネス」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、引用中の「七五頁参照」に対する七五頁の引用は省略します。 v) 標記「セルフモニタリング」については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 生活をふり返ろう」 vi) 引用中の「セルフモニタリングのスキル」を応用した例としての、「二次感情」である怒りを伴う状態でのコミュニケーションについて、中島美鈴著の本、『「認知行動療法」のプロフェッショナルが教える いちいち“他人”に振り回されない心のつくり方』(2016年発行)の 4章 こうして人づきあいが「苦」から「ラク」に変わっていく の「期待しすぎるから腹が立つ!?」における記述の一部(P143~P145)を次に引用します。

(前略)こたえのカギは怒る感情の前にある

また、怒りを理解するうえで、知っておくと役立つことがあります。
怒りは、数ある感情の中でも「二次感情」といわれます。二次感情とは、出来事を経験して最初に生まれた別の感情があり、その次に二次的に生まれた感情という意味です。
たとえば、思春期の子どもの帰宅が遅くなってしまったときの母親の心境はこんな感じです。子どもが遅い時間に帰宅すると母親は怒ります。
「何時だと思っているの! 早く帰ってきなさい」
こうして沸き起こる怒りの、もう一歩手前にはどんな感情があったと思いますか。
つまり、怒りを感じる前に、どんな感情を持っていたかということです。母親はきっと、
「あの子、こんな時間までどこで何をしているのかしら。変な犯罪に巻き込まれたのではないかしら。受験生なのに、こんなに毎晩遊び歩いて、将来はどうなるのかしら」
こう心配して、不安な気持ちになっていたのです。我が子の身が安全か、将来のことも考えていないように見える、遊んでばかりの子どもの将来に不安を持ったのです。
この場合、先に「不安」という一次感情があり、その不安が高じて、自分が受け入れやすい、もしくは表現しやすい形になったのが「怒り」でした。
こうして、怒りの一歩手前にどんな感情を持っていたかを明確にすると、怒りの原因がわかるだけでなく、本当に相手に伝えたい感情に気づくことができるのです。

もうすこし他の例も挙げましょう。
たとえば、彼女が他の男性と仲良くしていて、浮気しているのではないかとイライラしている男性の場合を思い浮かべてください。この場合、先に「彼女が浮気しているのではないか」という「不安」や「嫉妬」が一次感情です。しかしこの「不安」や「嫉妬」は自分が弱いとかみじめとか劣っているとか、そんな印象を持つ感情で、到底自分では受け入れがたい感情なのです。特に、プライドの高い方や、「強くあらねば」という信念の持ち主ならば、
「オレは、嫉妬なんかしていない!」             .
と躍起になることでしょう。それで、そんな一次感情を隠すように、怒りを爆発させるのです。
「他の男といちゃついてオレを怒らせる気か!」
こうなると、大きな喧嘩になるとか、最悪の場合には暴力に発展するかもしれません。そうではなくで、一次感情を素直に伝えることができていたらどうでしょうか。
「他の男性と仲良くしているのを見て、つらかっだ。浮気してるんじゃないかと不安だった」
先ほどのやりとりよりは、もう少し穏やかな話し合いができそうです。
怒りは、実にやっかいな感情ですが、「怒り」という形をとらなければならないほど認めがたかった、背景の一次感情に目を向けてみると、自己分析にも役立ちますし、コミュニケーションが円滑になっていきますよ。

注:引用中の「信念」については、例えば拙エントリのここを参照して下さい。

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【8】コンパッション・フォーカスト・セラピー及びその視点からの「厄介な脳」について、その他

最初に、 a) コンパッション・フォーカスト・セラピー(CFT)の簡単な紹介はWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーとは - コンパッショネイト・マインド研究センター」を、 b) 日本におけるコンパッション・フォーカスト・セラピーについての研究成果報告の例については次を参照して下さい。 「感情障害へのコンパッションフォーカストセラピーの治療マニュアルの作成と効果の検証」、「治療抵抗性うつ病に対する集団コンパッション・フォーカスト・セラピーの開発」 ちなみに、 a) 「セルフ・コンパッションとは何か」については次の資料を参照して下さい。 「https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/64/3/64_403/_pdf/-char/ja:title=コンパッションとウェルビーイング ―調査,実験,介入研究とマインドフルネスとの関係性について―]」の「4. セルフ・コンパッションとは何か」項 加えて、『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』については次のWEBページを参照して下さい。 『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』 その上に、「マインドフル・セルフ・コンパッション」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「マインドフル・セルフ・コンパッション ジャパン」 b) 引用はありませんが標記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」に関連する「慈悲の瞑想」や「セルフ・コンパッション」のワークについては例えば次の本を参照すると良いかもしれません。 【有光興記著の本、「やさしくなりたいあなたへ贈る慈悲とマインドフルネス瞑想」(2020年発行)】、【石上友梨著の本、『仕事・人間関係がラクになる「生きづらさの根っこ」の癒し方 セルフ・コンパッション42のワーク』(2022年発行)】

加えて、「CFTの中心的な焦点」について、ラッセル・L・コルツ、トビン・ベル、ジェームズ・ベネットーレヴィ、クリス・アイロン著、浅野憲一監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的コンパッション・フォーカスト・セラピー」(2021年発行)の 前書き の「コンパッション・フォーカスト・セラピー」における記述の一部(Pxi)を以下に引用します。その上に、(生活の中でコンパッションを育むことを目的としたプログラムは数多く存在するものの)CFT はコンパッションを明確に重視した唯一の心理療法モデルであることについて、同本の 「実践から内省への自己プログラム」の準備を整える の 第2章 CFTのための簡単なロードマップ の「コンパッションを育むための基盤を整える」における記述の一部(P9)を以下に引用します。

CFTの中心的な焦点は,人間の条件でもある苦しみという性質に取り組むことであり,われわれがどのように,そしてなぜ苦しみ,それらに何ができるのかという点にあります(Gilbert, 2009, 2010, 2014)。これは2500年前にシッダルダが悟り,ブッダ(文字通り,悟りを開いた人の意味)になる道の中で追い求めたものの核でもあります。今も当時と同じように,存在の本質とその変化や無常を深く見つめるという指導がなされています。そうすることでわれわれは,われわれ自身が皆,遺伝的にも生物的にも短命の生物であり,生まれ,成長し,衰え,死んでいくという事実の立会人となります。われわれは,病気やけがに対してか弱く,良くも悪くも相互に助け合う世界の中にいます。これらの人間の存在についての新しくも古い洞察に加え,CFTではいくつかの早期の精神力動的な疑問を再燃させます。例えば,われわれが自分たちを,進化した生物学的存在として理解することがわれわれの心のありよう,ストレスへの脆弱性にどのように影響を与えるのか,この状況に存在している困難に対して何をすれば良いかといったものです。(中略)

いくつかの心理療法は,私たちがどのように思考と融合してしまうかについて述べていますが CFTでは,自分を観察して気づくことで自己を理解するというよりもむしろ,どのように意識と内容が混同してしまい,その内容によって自分が誰なのかまでもが決められてしまうことを話題にしています。自分が怒りっぽい人間なのか,怒りを経験している意識であるのか。自分はトラウマを負った人間であるのか,トラウマに反応している脳の結果を体験している意識であるのか。(後略)

注:i) この引用部の著者は Paul Gilbert です。 ii) 引用中の「Gilbert, 2009」、(Gilbert)「2010」はそれぞれ次の本です。 「Gilbert, P. (2009). The compassionate mind. London: Constable & Robinson」、「Gilbert, P. (2010). Compassion-focused therapy: Distinctive features. London: Routledge.」 iii) 引用中の(Gilbert)「2014」は次の論文です。 「The origins and nature of compassion focused therapy」 iv) 引用中の「CFTの中心的な焦点」に関連する「CFTの基礎となるコンパッションの定義」について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール15 コンパッションを紐解く の「コンパッションを定義する」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『この本の前書き(ixページ)で,GilbertはCFTの基礎となるコンパッションの定義として,「自他の苦しみへの感受性とそれらを和らげ,防ごうとするコミットメント」と述べています。この定義では,勇気をもって積極的に苦しみに気づき,関わる感受性と,助けるために何をするかという関与・動機づけ・スキルの両方がコンパッションには必要だと強調されています。』(注:引用中の「前書き」における「コンパッションの定義」に関連する引用は省略します) v) 引用中の「無常」については例えば次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「法則性: 無常・苦・無我ということ」項

コンパッションを育むための基盤を整える

生活の中でコンパッションを育むことを目的としたプログラムは数多く存在し,特に有名なのは Neff & Germer のマインドフル・セルフコンパッション・プログラム(Germer & Neff, 2017)とスタンフォード大学で開発されたコンパッション・カルティベーション・トレーニング(Jazaieri et al, 2013)でしょう。他方,CFTは,コンパッションを明確に重視した唯一の心理療法モデルです。他のモデルは仏教の慈悲の瞑想(CFTでも利用します)を援用したコンパッションの涵養を実践することに主眼を置いていますが,CFTでは,恥を感じずに人間の体験を理解する方法にもはっきりと焦点を当て,育んでいきます。そのための一つの方法は,クライアントが,人の脳がどのように形成されたかという進化の観点や,それによってわれわれの基本的な動機づけと感情の機能を扱うことが難しくなることがあるという観点から,自身の経験を理解する手助けをすることです。CFTの核になるのは,感情や動機は自分が何かを間違った結果として存在するものではなく,私たちの祖先が現在の私たちの直面する世界とは全く異なる世界で生き残るために進化させてきた脳の産物だ,という認識です。(後略)

注:(i) 引用中の「Germer & Neff, 2017」は次です。 「Germer, C. K., & Neff, K. (2017). Mindful self-compassion teacher guide. San Diego: Center for MSC.」 (ii) 引用中の「Jazaieri et al, 2013」は次の論文です。 「A randomized controlled trial of compassion cultivation training: Effects on mindfulness, affect, and emotion regulation.」 (iii) 引用中の「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフル・セルフ・コンパッション(MSC)とは何か:展望と課題」 加えて、上記「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」に関連するかもしれない、 a) note は次を参照して下さい。 「セルフ・コンパッション - 1|自分への優しさとは?」、「セルフ・コンパッション - 2|自分に優しくなれる慈悲の瞑想」 b) 「セルフ・コンパッション」については次の資料を参照して下さい。 「こころの健康 参考資料」の「特別読物 セルフ・コンパッション」項 (iv) 引用中の「CFT」や「コンパッション」に関連する「CFTでは,コンパッションを育むということは技法として使うものではなく,生き方として育むものであるということ」について(慈悲の瞑想や,コンパッションを持った生き方が)「多くのポジティブを効果と関連する」ことを含めて、同の パートⅡ コンパッションを持ったあり方を育む の「モジュール19 コンパッションを持った自己を育む」における記述の一部(P147)を次に引用します。

(前略)重要なことは,CFTでは,コンパッションを育むということは技法として使うものではなく,生き方として育むものであるということです。近年の多くの研究で 慈悲の瞑想や,コンパッションを持った生き方が,不安,抑うつ,ストレスホルモン,炎症の緩和と免疫機能の向上(Frederickson, Cohn, Coffee, Pek, & Finkel, 2008; Pace et al., 2009; Pace et al., 2013; Neff, Kirkpartrick, & Rude, 2007),共感の向上(Mascaro, Rilling, Negi, & Rasion, 2013; Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2015),感情調整の向上(Lutz, Brefczynski-Lewins, John-Stone, & Davidson, 2008; Kemeny et al., 2012; Jazaieri et al., 2013; Desbordes et al., 2012),向社会的行動(Leiberg, Limecki, & Singer, 2011),社会的つながりの感覚(Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2008),ウェルビーイング(Neff, 2011),レジリエンスの向上といった(Neff & McGehee, 2010),多くのポジティブな効果と関連することが示されています。(後略)

注:i) 引用中の「Frederickson, Cohn, Coffee, Pek, & Finkel, 2008」は次の論文です。 「Open hearts build lives: positive emotions, induced through loving-kindness meditation, build consequential personal resources」 ii) 引用中の「Pace et al., 2009」と「Pace et al., 2013」はそれぞれ次の論文です。 「Effect of compassion meditation on neuroendocrine, innate immune and behavioral responses to psychosocial stress」、「Engagement with Cognitively-Based Compassion Training is associated with reduced salivary C-reactive protein from before to after training in foster care program adolescents」 iii) 引用中の「Neff, Kirkpartrick, & Rude, 2007」は次の論文です。 「Self-compassion and adaptive psychological functioning.」 iv) 引用中の「Mascaro, Rilling, Negi, & Rasion, 2013」は次の論文です。 「Compassion meditation enhances empathic accuracy and related neural activity」 v) 引用中の「Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2015」は次の論文です。 「The neural correlates of social connection」 vi) 引用中の「Lutz, Brefczynski-Lewins, John-Stone, & Davidson, 2008」は次の論文です。 「Regulation of the neural circuitry of emotion by compassion meditation: effects of meditative expertise」 vii) 引用中の「Kemeny et al., 2012」は次の論文です。 「Contemplative/emotion training reduces negative emotional behavior and promotes prosocial responses」 viii) 引用中の「Jazaieri et al., 2013」は次の論文です。 「A randomized controlled trial of compassion cultivation training: Effects on mindfulness, affect, and emotion regulation.」 ix) 引用中の「Desbordes et al., 2012」は次の論文です。 「Effects of mindful-attention and compassion meditation training on amygdala response to emotional stimuli in an ordinary, non-meditative state」 x) 引用中の「Leiberg, Limecki, & Singer, 2011」は次の論文です。 「Short-term compassion training increases prosocial behavior in a newly developed prosocial game」 xi) 引用中の「Hutcherson, Seppälä, & Gross, 2008」は次の論文です。 「Loving-kindness meditation increases social connectedness」 xii) 引用中の「Neff, 2011」は次の本です。 「Neff, K. (2011). Self-compassion: The proven of being kind to yourself. New York: William Morrow.」 xiii) 引用中の「Neff & McGehee, 2010」は次の論文です。 「Self-compassion and psychological resilience among adolescents and young adults.」 xiv) 引用中の「ウェルビーイング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Well-being 研究」 加えて、無執着の観点からの「ウェルビーイング」(well-being)については次の資料があります。 「体験の観察が well-being を向上させる条件 ―無執着の観点から―」(この資料に対する瞑想による情動調整を含むコメントとしての資料は次を参照して下さい。 「集中瞑想および洞察瞑想による情動調整 ―高田論文へのコメント―」) xv) 引用中の「レジリエンス」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「困難な状況からの回復や成長に対するアプローチ ――レジリエンス,心的外傷後成長,マインドフルネスに着目して――

なお、上記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」(CFT)における、心理教育の一番の目的は『「not your fault(あなたのせいではない)」というメッセージを伝え,自己批判や恥感情を和らげていくことである』ことについて、上記3 慈悲についての心理教育 の「1 not your fault(あなたのせいではない)」項における記述の一部(P123)を次に引用(『 』内)します。 『CFTでは慈悲的な理解を独特の心理教育を通して高めていく。この心理教育の一番の目的は「not your fault(あなたのせいではない)」というメッセージを伝え,自己批判や恥感情を和らげていくことである。その手段として,進化的視点や神経科学の視点を援用する。』(注:a) 引用中の「あなたのせいではない」に関連する「不快だが、自分のせいではない」ことについて、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の 「モジュール7 経験によって形作られたもの」における記述の一部(P71)を以下に引用します。 b) 引用中の(進化的視点や神経科学の視点を援用する)「not your fault(あなたのせいではない)」ことの一方で、「構成主義的情動理論は、自己責任に関してもまったく新たな考えを提起する」ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第8章 人間の本性についての新たな見方」における記述の一部(P257)を以下に引用します。加えて、「私達に責任が生じる理由は、自分に過失があるからではなく、それを変えられる唯一の存在だから、という場合もあるのです」については次の TED talk[日本語版]を参照して下さい。 「あなたは感情に流されているわけじゃない-感情は脳でつくられる - リサ・フェルドマン・バレット(Lisa Feldman Barrett)」の Transcript 日本語 の「16:26」を参照して下さい。)

モジュール7 経験によって形作られたもの

CFTは,自分の人生がどうして現在のようになったのか,クライアント自身がコンパッションを持って理解するのを助けることに重点を置いています。そしてその点がセルフコンパッションに関する他のアプローチとは異なります。この方法によって,自分自身の嫌な部分に対するクライアント(そして治療者)の理解が「私の根本的な欠点」から「不快だが,自分のせいではないこと」へと変わる可能性があります。CFTにおける「自分のせいではない」というメッセージは,実際には,「選択も意図もしなかったことに対して,自分自身を攻撃したり,恥じたりするのをやめよう」ということです。(後略)

(前略)また構成主義的情動理論は、自己責任に関してもまったく新たな考えを提起する。あなたは上司に腹を立て、衝動的に彼のそばに行ってこぶしで机を叩き、「ばか野郎!」と叫んだとしよう。古典的理論は、その責を怒りの神経回路なるものに帰し、あなたの責任を部分的に免除するだろうが、構成主義的情動理論は、責任の概念を、危害が生じた瞬間に限定することなく適用する。脳は反応するのではなく、予測する。脳の中核システムは、生き残れるよう、次に何が起こるかをつねに予測しようとしている。それゆえあなたの行動と、行動を引き起こした予測は、その瞬間に至るまでに獲得した(概念としての)過去の経験によって形作られる。あなたが上司の机をこぶしで叩いたのは、脳が「怒り」の概念を用いて怒りのインスタンスを予測し、あなたの過去の経験に、同様な状況で机を叩いた行動(自分自身の行動か、映画や本に影響された行動かは問わない)が含まれているからだ。
コントロールネットワークは、つねに予測や予測エラーの流れを形成し、自分自身で制御していると感じられるか否かにかかわらず、行動の選択を導いていることを思い出そう2。このネットワークは、既存の概念を用いてしか機能しない。よって責任に関する問いは、「人は自分が持つ概念に対して責任があるのか?」になる。すべての概念に対してでないことは間違いないだろう。乳児の頃は、他者に教え込まれる概念を選択することなどできない。しかしおとなになれば、何に自分をさらし、何を学ぶのかを選択できる。そしてそれに基づいて、自分の意図に基づくと感じられるか否かにかかわらず、自己の行動を導く概念が形成される。したがって「責任」は、自分が持つ概念を変える意図的な選択を行なうことを意味する。(後略)

注:(i) 引用中の原注番号「2」の内容の一部(P593)を次に引用(『 』内)します。 『コントロールしているという経験は気分や信念に基づく場合が多く、そのほとんどが実際のコントロールの程度とは無関係である。(Job et al. 2013; Inzlicht et al. 2015; Job et al. 2015; Barrett et al. 2004)。』(注:a) 引用中の「Job et al. 2013」は次の論文です。 「Beliefs about willpower determine the impact of glucose on self-control」 b) 引用中の「Inzlicht et al. 2015」は次の論文です。 「Emotional foundations of cognitive control」 c) 引用中の「Job et al. 2015」は次の論文です。 「Implicit theories about willpower predict self-regulation and grades in everyday life」 d) 引用中の「Barrett et al. 2004」は次の論文です。 「Individual differences in working memory capacity and dual-process theories of the mind」) 加えて次のWEBページも参照して下さい。 「Control as subjective experience」 (ii) 引用中の「構成主義的情動理論」については他の拙エントリのここ及びここを参照すると良いかもしれません。 (iii) 引用中の「予測」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「概念」や「インスタンス」については共に他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (v) 引用中の「コントロールネットワーク」に支援される例について、同の「第6章 脳はどのように情動を作るのか」における記述の一部(P206)を次に引用(【 】内)します。 【図6・2の良く知られた錯視の例は、コントロールネットワークの働きを示す。水平に読むか、垂直に読むかという文脈の違いによって、中央の記号は「B」とも「13」とも読める。その瞬間、どちらが勝利の概念になるか、すなわち文字か数字かの選択は、コントロールネットワークに支援される18。】(注:1) 引用中の「図6・2」の引用は省略しますが、その代わりに[図6・2とは表現形式が異なることもある]WEBページ「https://unbounce.com/landing-pages/5-cool-optical-illusions-that-help-boost-your-landing-page-conversions/:title=5 Cool Optical Illusions That Will Help Boost Your Conversions]」の「Priming and Anchoring: The B/13 Illusion」項の図を、加えて[図6・2とは表現形式が異なるものの]WEBページ「B or 13: Context Optical Illusion」の動画を、その上に「見たいものを見、聞きたいものを聞く」ことを含めて次の資料を参照して下さい。 「医療安全へのヒューマンファクターズアプローチ」の特に P20、P22、P24、P27 2) 引用中の原注番号「18」の内容の一部(P599)を次に引用(《 》内)します。 《私はその状況を「情動パラドックス」と呼ぶ(Barrett 2006b)。》[注:引用中の「Barrett 2006b」は次の論文です。 「Solving the emotion paradox: categorization and the experience of emotion」] 加えて次のWEBページも参照して下さい。 「Prototype views of emotion concepts」)

次に、コンパッション・フォーカスト・セラピー(CFT)における進化心理学(WEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピー 日本認知療法・認知行動療法学会(2019)WS資料」からダウンロード可能な資料「コンパッション・フォーカスト・セラピー入門」の「コンパッション・フォーカスト・セラピー」シート[P1]を参照)の視点からの「進化した厄介な脳」(同資料の「・進化した厄介な脳」シート[P5]を参照)を含めた標記「厄介な脳」について、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅲ章 マインドフルネスと関連のある介入 の 2 コンパッション・フォーカスト・セラピー の 3 慈悲についての心理教育 の 『2 「厄介な脳」の心理教育』における記述(P124~P125)を次に引用します。

次に,なぜ人間は苦しむのか,という点を神経科学の視点を織り交ぜて心理教育する。その際に紹介されるのが「厄介な脳(tricky brain)」と呼ばれる図である(図2)6)。
図2では脳の中でも,人間が特異的に発達させてきた部分(大脳新皮質)を新しい脳と呼び,より動物的で古代から持っている部分(大脳辺縁系)を古い脳と呼ぶ。新しい脳は,目の前にないものをイメージしたり,計画を立てたり,過去を振り返ったり,自分自身を観察する機能を有している。新しい脳の機能を使って我々は,道具や機械を生み出したり,災害に備えたり,生命を守るための工夫をすることができる。それに対して古い脳は,感情や動機づけなどの欲求や,本能的な行動を司る。お腹が空いたときに食欲がわいたり,食べ物を口にしたときに喜びを感じたりする反応や,危険が生じたときに恐怖感が生じて,逃げるまたは戦うといった反応が生じるのは,古い脳の機能である。こちらもやはり生命維持のために必要不可欠である。
しかしながら人間は,特に強い感情が生じたときに,古い脳と新しい脳が非機能的な働きをしてしまう。つまり,古い脳によって生じた感情的な苦痛や苦しみは,本来であれば危険が去れば(あるいは時間が経てば)消失していく反応であるにもかかわらず,新しい脳の機能によって繰り返し思い出し,考え,再体験してしまう。大きな失敗をして落ち込み,悲しんでいるときに(古い脳の反応),その感情に基づいたイメージや計画,反芻,自己評価を行うと(新しい脳の機能),将来に絶望したくなるような思考やイメージに見舞われ,それがさも真実であるがのように感じてさらに感情が悪化する(古い脳の反応)。古い脳と新しい脳が非機能的にループしてしまうことで,感情的な苦痛が増強・維持され,悲観的で絶望的な(かつ非現実的でもある)反応が延々と続いてしまう。自己批判傾向の高い患者の多くはこのループに陥っていることが多く,結果的に自己イメージが過剰に否定的なものになっている。厄介な脳についての心理教育は,感情的苦痛を経験しているときに自分自身から距離をとり,古い脳と新しい脳のループに気づくことを大きく助ける。

注:a) この引用部の著者は浅野憲一です。 b) 引用中の「図2」の引用は省略しますが、代わりにWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」からダウンロード可能な次の資料を参照して下さい。 「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」の「厄介な脳」シート(P1) c) 引用中の文献番号「6)」は次の本です。 「Gilbert P, et al; Mindful compassion. Robinson, 2013」 d) 引用中の「新しい脳」と「古い脳」に関連するかもしれないトラウマの視点からの「理性脳」と「情動脳」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。ただし、感情又は情動において上記のように「新しい脳」と「古い脳」とに明確に分けることとは異なる「構成主義的情動理論」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 e) 引用中の「反芻」に関連する「反すう、心配」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

上記以外にも、古い脳の反応も関与するかもしれない CFT の視点からの「逃走/回避」、「闘争」、「硬直」、そして「条件づけ」について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール13 脅威に焦点づけたフォーミュレーション:安全方略と望まない結果 の「安全,防衛的,代償方略」における記述の一部(P107)を次に引用します。

他の動物が脅威を感じた時と同様に,人間は脅威を制御して対処しようとさまざまな方略をとります。これらの方略は,しばしば進化した行動的反応と関連しています。例えば,他者からの保護を求める,他者から離れる(逃走/回避),他者を攻撃する(闘争),または他者に服従する(硬直する)といった行動的反応は,外的または内的脅威と結びついている可能性があります(Gilbert, 2009, 2010)。これらの方略の多くは,児童期や思春期に形成され,成人期になる頃には条件づけの過程を通して洗練・強化されていきます。

注:(i) 引用中の「Gilbert, 2009」、(Gilbert)「2010」はそれぞれ次の本です。 「Gilbert, P. (2009). The compassionate mind. London: Constable & Robinson」、「Gilbert, P. (2010). Compassion-focused therapy: Distinctive features. London: Routledge.」 (ii) 引用中の「逃走/回避」、「闘争」、「硬直」(又は凍結)については共に例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「条件づけ」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (iv) 引用中の「脅威」に関連する「脅威システム」(例えばWEBページ「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」からダウンロード可能な資料「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」の「脅威システム - 3つの円のモデル」シート[P3]を参照)における、「身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情」について、同3 慈悲についての心理教育 の 3 感情制御の3つの円 の「脅威システム」項における記述の一部(P126)を次に引用(『 』内)します。 『1つ目の円は,脅威システムと呼ばれ,我々を様々な危険から守るガードマンのような役割を持っている。そのため,身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情と関係しており,危険が降りかかる可能性を察知すると,即時的に感情的な反応を生じさせ,合理的な思考をすることは難しくなる。』(注:a) 引用中の「1つ目の円」の引用は省略しますが、上記「脅威システム - 3つの円のモデル」シート[P3]を参照して下さい。 b) 引用中の「嫌悪」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「嫌悪感情の機能と役割 ──Paul Rozinの研究を中心に──」 加えて、「PTSDなど、病理の中核に嫌悪感情が存在する疾患は少なくない」ことについて、「こころの科学 220号(2021年11月)」の「[特別企画]嫌悪 ネガティブな感情はなぜ生じるのか」(P9)における記述の一部を次に引用します。 『醜形恐怖やPTSD、摂食障害など、病理の中核に嫌悪感情が存在する疾患は少なくない。』 c) 引用中の「身の危険と関連した不安」は「行き過ぎた不安」[例えばWEBページ「不安障害とは?」を参照]に属すると本エントリ作者は考えます。)

また、CFTの視点からのセルフコンパッションと不安定型の愛着との関連等について、同の パートⅠ コンパッションを持った理解を育む の モジュール10 愛着スタイルを考える の「関係性によって形作られたもの」における記述の一部(P86~P87)を次に引用します。

(前略)不安定型の愛着(不安,回避,またはその両方を伴った現在の対人関係の傾向を含む)については,数千に及ぶ科学的検証がなされています。不安定型の愛着は,さまざまな人生の困難さと関連しており,例えば抑うつ,心的外傷後ストレス障害(PTSD)や強迫症といった不安症,パ-ソナリティ障害,摂食症との関連が示されています(Mikulincer & Shaver, 2007, 2012)。加えて,セルフコンパッションの体験のしにくさとも関連しています(Pepping, Davis, 0'Donovan, & Pal, 2014; Gilbert, McEwan, Catarino, Baião, & Palmeira, 2014)。安定型の愛着は,他者との関係の中で簡単に安心感を得られる能力のようなものであり,CFTと関連して,この安定型の愛着を促進することは,自信や自己成長感の増加(Feeney & Thrush, 2010),セルフコンパッション(Pepping et al., 2014)と関連しています。同様に,コンパッション,共感,利他的な行動(Mikulincer et al., 2001; Mikulincer & Shaver, 2005; Gillath, Shaver, & Mikulincer, 2005)のような肯定的な結果との関連も幅広く示されています。(後略)

注:i) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2007」は次の本です。 「Mikulincer, M., & Shaver, P. R. (2007). Attachment in adulthood: Structure, dynamics, and change. New York: Guilford Press.」 ii) 引用中の(Mikulincer & Shaver)「2012」は次の論文です。 「An attachment perspective on psychopathology」 iii) 引用中の「Pepping, Davis, 0'Donovan, & Pal, 2014」と「Pepping et al., 2014」は共に次の論文です。 「Individual differences in self-compassion: The role of attachment and experiences of parenting in childhood.」 iv) 引用中の「Gilbert, McEwan, Catarino, Baião, & Palmeira, 2014」は次の論文です。 「Fears of happiness and compassion in relationship with depression, alexithymia, and attachment security in a depressed sample」 v) 引用中の「Feeney & Thrush, 2010」は次の論文です。 「Relationship influences on exploration in adulthood: the characteristics and function of a secure base」 vi) 引用中の「Mikulincer et al., 2001」は次の論文です。 「Attachment theory and reactions to others' needs:' evidence that activation of the sense of attachment security promotes empathic responses」 vii) 引用中の「Mikulincer & Shaver, 2005」は次の資料です。 「Attachment Security, Compassion, and Altruism」 viii) 引用中の「Gillath, Shaver, & Mikulincer, 2005」は次の資料です。 「Gillath, O., Shaver, P. R., & Mikulincer, M. (2005). An attachment-theoretical approach to compassion and altruism. In P. Gilbert (Ed.), Compassion: Conceptualisations, research, and use in psychotherapy (pp. 121-147). London: Routledge.」 ix) 引用中の「不安定型」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」については他の拙エントリのリンク集(用語:「PTSD」)を参照して下さい。 xi) 引用中の「強迫症」については他の拙エントリのリンク集[用語:「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」]を参照して下さい。 xii) 引用中の「不安症」については他の拙エントリのリンク集[用語:「不安障害(不安症)]を参照して下さい。 xiii) 引用中の「パ-ソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パ-ソナリティ障害 - 脳科学辞典」 xiv) 引用中の「摂食症」については他の拙エントリのリンク集(用語:「摂食障害」)を参照して下さい。

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【9】ストレス状況における怒りと攻撃性について

標記について中野敬子著の本、「ストレス・マネジメント入門[第2版] 自己診断と対処法を学ぶ」(2016年発行) の 第Ⅰ部 ストレスと精神身体的健康 の 第2章 精神的ストレス反応 の「2 怒りと攻撃性」における記述の一部(P30)を次に引用します。

ストレス状況においてよく見られる精神的反応は怒りであり,怒りは攻撃性へつながっていく。帰省ラッシュにおける渋滞の高速道路で,割り込みをした車の運転手を殴り,大怪我をさせた男,通勤の満員電車でぶつかってきた人を殴り殺した男の事件が例として挙げられる。このような暴力による攻撃性の表現は,頻繁に見られることではない。幸い,攻撃性は身体的行動よりも言葉で表現されることが多く,殴り合いになることは珍しいが,口論,怒鳴り合い,侮辱や嫌がらせの応酬となりやすい。
攻撃行動は怒りの対象へ直接的に向けられず,他の対象に向けられることもある。怒りの対象が自分より強いものであれば,攻撃することはかえってストレスを増強させることとなる。また,怒りの対象が必ずしも明らかでない場合もある。このような場合には,置き換え攻撃行動となって表現され,手短な弱い者や反撃しない者が攻撃行動の対象とされる。会社でのストレスを家族への暴力で晴らしたり,学校でいじめに遭っている子が母親に暴力を振るったり,学校で飼育されている兎が傷つけられたり,近所のもめ事に巻き込まれた主婦がお皿を割ったりといくらでも例を挙げることができる。直接的にせよ間接的にせよ攻撃行動は,周囲の人間をも巻き込む不適応行動である(Deffenbacher et al., 1986)。さらに,ストレッサーに対して攻撃性,怒り,敵意に特徴づけられる行動を起こす人は,精神身体的健康を害しやすく,その症状が長期化しやすい傾向も報告されている。(後略)

注:引用中の「Deffenbacher et al., 1986」は次の論文です。 「High general anger: correlates and treatment.

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【10】トラウマ後の成長(心的外傷後成長、PTG)について

標記トラウマ後の成長(Posttraumatic growth:PTG)について、 a) 宅香菜子著の本、「コロナ禍と心の成長 -日米におけるPTG研究と大学教育の魅力」(2021年発行)の 第1章 コロナ禍におけるPTG研究を立ち上げる の「2.心的外傷後成長(PTG)」における記述の一部(P5~P6)を以下に引用します。 b) 「レジリエンス」を含めて吉川眞理編著の本、「よくわかるパーソナリティ心理学」(2020年発行)の Ⅶ 人生の危機とパーソナリティ の 1 人生の危機を乗り越える力:レジリエンスの観点より の「2 危機的状況を通して心理的に成長すること」における記述(P135)を、文献番号の表示形式を変更して以下以下に引用します。加えて、標記トラウマ後の成長(心的外傷後成長、PTG)については例えば次の資料を参照して下さい。 「困難な状況からの回復や成長に対するアプローチ ――レジリエンス,心的外傷後成長,マインドフルネスに着目して――」の特に「1. 問題と目的」項及び「3. ストレス対処理論におけるPTGの必要性」項 c) 標記「心的外傷後成長」に関連する「心的外傷後成長とリカバリー」については次の資料を参照して下さい。 『トラウマと「リカバリー」』の「Ⅴ.心的外傷後成長とリカバリー」項 一方、次の資料もあります。 「心的外傷後成長の考え方 ――人生の危機とポジティブな心理的変容――」、「がん患者のケアに生かす心的外傷後成長の視点」 その上に、認知行動療法の視点からの心的外傷後成長(PTG)を阻む認知・行動的な悪循環とその影響性についてはここを参照して下さい。

2.心的外傷後成長(PTG)

「PTG」とは,英語のポスト・トラウマティック・グロウス(Post-Traumatic Growth)の頭文字を取った用語で,日本語訳は「心的外傷後成長」である。強いストレス症状を引き起こすような,つらく苦しい出来事やトラウマをきっかけとして,悩み,精神的なもがきを経験することで,人間として成長する現象を示す。
予期せず,つらく大変なことが起きて,それまでに積み上げてきた大切な何かが崩れ落ちたり,予定していた未来が根こそぎ奪われてしまうことがある。「大切な何か」とは,例えば人間関係であったり,キャリアであったり,夢であったり,家族であったり。
自分にとって,とても大切で,価値ある「何か」を失ったことによって,それまで当然のように信じてきたことが根底から揺さぶられる経験は強いストレスを心身に引き起こす。想定外のことが起こってしまった後である,「今,ここで」の生活は,本来こうなるはずではなかった現実だ。壊れてしまった何かを,完全に元通りに復元することはできない。出来事の後に引き続くこの現実を,もがきや悩みと共に生きていく中で,時に経験される,人間としての心の成長がPTGである。(後略)

レジリエンスと類似した概念として,トラウマ後の成長(Posttraumatic growth:PTG)があります。PTG とは,「危機的な出来事や困難な経験における精神的なもがき・闘いの結果生じるポジティブな心理的変容の体験のこと3」を言います。つまり,レジリエンスが困難な状況から回復する力であるのに対し,PTG は,非常に苦しく衝撃的な体験をしてそのときは激しく傷ついても,その後素晴らしい人間として成長することを指します。PTG におけるトラウマとは PTSD (心的外傷後ストレス障害)をもたらトラウマに限定されず,事故や死別などストレス度の高いイベント全般を意味します。
PTG のプロセスを説明するモデルは様々あり,それぞれ異なる決定因を挙げていますが,多くのモデルにおいてトラウマ的事象に対し意味を見出し,ストーリーを作ること(Meaning making)が変化と成長の決定因となることが示されています。すなわち,非常に傷ついた出来事を理解すること,そしてその出来事に意味を見出すことが心理的成長を促すと考えられています。「過去をどうとらえるかが変わることにより人は変わる4」という報告は多く,苦痛な体験であってもその体験を見つめ直し意味を見出すことにより,その苦痛は軽減され,さらに危機を乗り越え心理的に成長していくものと考えられます。
トラウマ後の成長には次の五つの成長が含まれることが示されています5。
①他者とのつながり:より深く,意味のある人間関係を体験する。
②心の変容:存在やスピリチュアリティへの意識が高まる。
③人生に対する感謝:生に対しての感謝の念が増える。
④新たな可能性:人生や仕事への優先順位が変わる。
⑤人間的強さ:自己の強さの認識が増す。
PTG とは,様々な困難を体験しながらも明日に向けて生きていく中に人としての成長を見るという概念です。たとえば,東日本大震災のような大きな災害からの心の立ち直りにおいても,震災という体験を踏まえて新たに価値観や意識が創造され,構築されていく過程に PTG の概念が見出されると考える研究者もいます6。
ストレスフルな体験では,ネガティブな側面にのみにとらわれがちになります。しかし,そのストレスフルな体験を通して何かしらのポジティブな側面を見出すことによって,自己の成長が生じる可能性が生まれます。そのため,人は自身が体験した出来事から少しでもポジティブにとらえられる要素に気づくことによって,ストレスフルな体験であっても自身の人間的な成長の機会とすることができるかもしれません。

注:i) この引用部の著者は田中弥央です。 ii) 引用中の文献番号「3」は次の論文です。 「The Posttraumatic Growth Inventory: measuring the positive legacy of trauma」 iii) 引用中の文献番号「4」は次の文書です。 「江口重幸 2002 患者は語り,医師は名づける――文化精神医学からの一視点 こころの科学,105,19-26.」 iv) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Posttraumatic Growth: Conceptual Foundations and Empirical Evidence.」 iii) 引用中の文献番号「6」は次の本です。 「長谷川啓三・若島孔文(編) 2015 大震災からのこころの回復 リサーチシックスとPTG 新曜社」 vi) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【11】スキーマ療法について

標記スキーマ療法について一般的に紹介した後に複雑性PTSDへの適用について紹介します。最初にスキーマ療法における早期不適応的スキーマについて、「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の伊藤絵美著の文書「スキーマ療法」(P63~P67)における記述の一部(P63~P65)を次に引用します。

はじめに
スキーマ療法(schema therapy)とは、米国の心理学者ジェフリー・ヤングが構築した、認知行動療法(CBT)を拡張した統合的な心理療法である。ヤングはパーソナリティ障害の治療のために、従来、うつ病や不安障害を対象としていたCBTを拡張し、そこにアタッチメント理論、対象関係論、ゲシュタルト療法、感情焦点化療法、構成主義などを加えて融合し、スキーマ療法を構築した。
二〇〇三年にヤングらによる包括的な治療マニュアルが出版されたこと(1)、そして二〇〇六年に境界性パーソナリティ障害(BPD)に対するスキーマ療法のエビデンスが質の高いRCT(無作為化比較試験)によって示されたことにより(2)、スキーマ療法は世界中に知れわたることになり、現在、BPDをはじめとしたパーソナリティ障害に対する、そしてパーソナリティ障害に限らず「生きづらさ」を抱えるクライアントに対する治療法・援助法として広く実践されるようになっている。
本論ではスキーマ療法について紹介し、次にBPDにスキーマ療法を適用した事例を報告する(中略)

スキーマ療法とは(中略)

これはCBTの基本モデルを拡張したものである。CBTでまず扱うのは、「自動思考」という浅いレベルの認知であり、その時々に頭をよぎる瞬間的な思考やイメージである。一方、スキーマ療法で扱うのは、すでにその人の頭の中にあるその人なりの「価値観」「深い思い」「マイルール」といった深いレベルの認知である。それを心理学的にはスキーマと呼ぶ。なかでも、人生の早期(幼少期や思春期)に形成され、当初はその人の適応に役立っていたかもしれないが、その後その人をかえって生きづらくさせるスキーマのことを「早期不適応的スキーマ(Early Maladaptive Schema)」と呼ぶ。スキーマ療法が対象とするのは、まさにこの早期不適応的スキーマである。そのようなスキーマがさまざまな状況において活性化されることで、ネガティブで強烈な自動思考や気分・感情や身体反応が生じ、自分を大事にするための行動が取れなくなってしまう。
ヤングら(1)は一八の早期不適応的スキーマを定式化した。それを以下に挙げるが、これらのスキーマは、「愛されたい」「安心したい」「褒められたい」「有能でありたい」「自律的でありたい」といったすべての人間が有する欲求(中核的感情欲求)が適切に満たされない場合に形成されると仮定されている。①見捨てられ、②不信・虐待、③情緒的剥奪、④欠陥・恥、⑤社会的孤立、⑥失敗、⑦損害と疾病に対する脆弱性、⑧無能・依存、⑨巻き込まれ、⑩服従、⑪自己犠牲、⑫評価と承認の希求、⑬否定・悲観、⑭感情抑制、⑮厳密な基準、⑯罰、⑰権利要求・尊大、⑱自制と自律の欠如。
スキーマ療法には「モードモデル」と呼ばれるもう一つのモデルがある。これは、その時にどのスキーマが活性化され、それにどのように対処したかによって、その人の「今・ここ」での体験や感情状態が変化することに注目したモデルである。モードは以下の四種類に分けられ、それぞれに複数の個別のモードが分類される。具体的には、①非機能的チャイルドモード(脆弱なチャイルドモード、怒れるチャイルドモード、衝動的・非自律的チャイルドモードなど)、②非機能的コービングモード(従順・服従モード、遮断・防衛モード、過剰補償モード)、③非機能的ペアレントモード(懲罰的ヘアレントモード、要求的ペアレントモード)、④ヘルシーモード(幸せなチャイルドモード、ヘルシーアダルトモード)である。
パーソナリティ障害の特徴は、彼ら・彼女らが多くの早期不適応的スキーマを強烈にもっていることである。それだけ人生早期に中核的感情欲求が満たされず、傷ついてきたということになるのだろう。また、モードモデルに基づけば、常にそれらの早期不適応的スキーマのどれかが彼ら・彼女らの中で活性化し、それに対して健全な対処ができないので、非機能的チャイルドモード、非機能的コービングモード、非機能的ペアレントモードに陥りやすいという特徴がある。そして、「幸せなチャイルドモード」と「ヘルシーアダルトモード」からなる「ヘルシーモード」が非常に脆弱であり、人生を楽しんだり、自分を助けたりすることがきわめて難しい。
したがってパーソナリティ障害に対するスキーマ療法の目的は、①早期不適応的スキーマを理解し、手放すこと(1)、②自分を幸せで健全な方向に導いてくれる新たな「ハッピースキーマ」を手に入れること(4)、③非機能的なモードを減らし(「非機能的チャイルドモード」の場合はそれを癒し)、ヘルシーモードを育み強化すること、とくに「ヘルシーアダルトモード」を自分の中に確立し、自己を統合すること(3)の三点となる。これらを目的として行われるスキーマ療法において最も重視されるのが「治療的再養育法(limited reparenting)」という治療関係を用いた技法である。これは、セラピストが治療という限られた設定の中で「よき親」としてクライアントとかかわり、クライアントのこころの傷ついた部分に対する再養育を試みる、という技法である。クライアントは治療的再養育法を通じて幼少期に得られなかった健全なアタッチメントを供給され、そこを足がかりにして心理的発達が促される。また、治療的再養育法によって、クライアントの早期不適応的スキーマや非機能的チャイルドモードが癒され、ハッピースキーマやヘルシーモードが徐々に育まれていく。この治療的再養育法は非常にパワフルな技法で、これがスキーマ療法の最大の武器であると筆者は考えている。(後略)

注:(i) 標記「スキーマ療法」については、次の資料やWEBページを参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」、「書評 自分でできるスキーマ療法ワークブック」、「自分でスキーマ療法に取り組む」 加えて、「スキーマは首尾一貫性を保とうとする」こと、「スキーマは心身に染み込んでいる(つまり無意識的である)」こと、そして「スキーマは学習によって形成されるものである」ことを含む、標記「スキーマ療法」におけるスキーマの特性については次の資料を参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「(4)スキーマ療法におけるスキーマの特性」項(P67) その上に、標記「スキーマ療法」の基盤となる心理療法等について、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第5章 スキーマ療法で用いるさまざまな技法 の「スキーマ療法のアプローチ」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『スキーマ療法は,認知行動療法,ゲシュタルト療法,アタッチメント理論,対象関係論,構成主義,そして精神分析における諸学派を基盤とする統合的な心理療法である。』(注:1) この部分の著者はミシェル・ヴァン・フレースワイク,ジェニー・ブレールセン,ジョゼフィーン・ブルー,スザンヌ・ヘイセンです。 2) 引用中の「アタッチメント」は「愛着」とも呼ばれます。 3) 引用中の「対象関係論」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「総説 :イギリス対象関係論」) さらに、標記スキーマ療法も(認知行動療法も)究極の目標は「クライアント自身の健全なセルフヘルプやセルフケアを手助けすること」であることについてここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」の形成について、同本の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の「早期不適応的スキーマ」における記述の一部(P42)を次に引用(『 』内)します。 『Youngらは,不適応的スキーマは幼少期において満たされなかった重要な感情欲求を反映しており,ネガティブな体験に対して適応した結果形成されるものと仮定している。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです) 加えて、上記「早期不適応的スキーマ」の一種である「権利要求・尊大」(スキーマ)の別名である『「オレ様・女王様」スキーマ』については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、「臨床的な経験としては、スキーマ療法の早期不適応スキーマが一番、最大公約的な発達性トラウマの視点かなと思う」との記述を有するツイートがあります。また、引用中の「早期不適応的スキーマ」における5つの領域については次の資料を参照して下さい。 「慢性化した抑うつ症状を訴える男性に対する統合的認知行動療法 ――スキーマ療法を併用した症例報告――」の「3. 統合的心理療法としてのスキーマ療法」項 その上に、早期不適応的スキーマの概念については上記『「早期不適応的スキーマ」における5つの領域』を含めて次の資料を参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「2 早期不適応的スキーマの概念」項 (iii) 引用中の「モードモデル」に関連する「スキーマモード」については、 a) 同章の「スキーマモード」における記述の一部(P49)を次に引用(『 』内)します。 『Youngら(2005)によると,スキーマモードは,「常に変化し続けながら,その瞬間その瞬間にその人を支配する心的状態」である。スキーマが長期的で安定した「特性(trait)」であるのに対し,モードは短期的な「状態(state)」である。』 b) 上記「スキーマモード」の他の定義例について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の 第2章 スキーマ療法の概念モデル の「スキーマモード」における記述の一部(P14)を次に引用(【 】内)します。 【EMSが活性化されると,何かが強く反応します。Young(Young et al., 2003)はそのような状態を「スキーマモード」と名づけました。スキーマモードは,「その人が現在体験している,感情、認知,行動,そして神経生理学的な状態」と定義されています。私たちの「自己」というものは完全に統合されているわけではありません。スキーマモードは統合されえぬ自己の一部をそれぞれ反映しています。】(注:引用中の「Young et al., 2003」は次の本です。 「Young, J.E., Klosko, J., & Weishaar, M.E. (2003). Schema therapy: A practitioner's guide. New York: Guilford Press」 2) 引用中の「EMS」は「早期不適応的スキーマ」の略です。) c) ここを参照して下さい。 (iv) 「バカボンのパパ」が引用中の「ヘルシーアダルトモード」のお手本であることについてのツイートはここを参照して下さい。 (v) (早期不適応的)スキーマの外在化に関して、同文書の「事例-BPDに対するスキーマ療法の展開」項における記述の一部(P66)を以下に引用します。 (vi) (早期不適応的)「スキーマ」が活性化した際に生じる身体感覚について、ウェンディ・ビヘイリー著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「病的な自己愛者を身近にもつ人のために あなたを困らせるナルシシストとのつき合い方」(2018年発行)の 第4章 障壁を乗り越える――コミュニケーション上の問題やその他の障害 の「自分の感覚を理解する――脳と身体からのメッセージ」における記述の一部(P113~P115)を以下に引用します。 (vii) 引用中の「スキーマ」と様々に関係する、 a) この「スキーマ」と記憶との関連については同章の「早期不適応的スキーマ」における記述の一部(P42)を次に引用(『 』内)します。 『さまざまな体験は,生後ほどなくして自伝的記憶に蓄積され,それがスキーマとなると考えられている。』(注: 1) 文献の引用は省略しています。 2) 引用中の「自伝的記憶」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「重要な自伝的記憶の想起がアイデンティティの達成度に及ぼす影響」) b) 上記スキーマモードにおけるチャイルドモードの一種である「怒れるチャイルドモード」、「激怒するチャイルドモード」、そして「脆弱なチャイルドモード」(ここも参照すると良いかも)について、同章の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『怒れるチャイルドモード:このモードにある人は,自らの中核的欲求が満たされないために,激しい怒りや苛立ちを感じている。見捨てられ感,屈辱,裏切られた気分などを感じていることもある。怒りを爆発させる小さな子どものように,言語的にも非言語的にも非常にわかりやすく怒りを表出する。』、『激怒するチャイルドモード:このモードにある人は,「怒れるチャイルドモード」と同じ理由で怒りを感じているが,コントロールを失っている。小さな子どもがかんしゃくを起こして親を困らせるのと同じように,人や物を傷つけたり壊したりといった攻撃的かつ有害なやり方で怒りを噴出させる。』、そして『脆弱なチャイルドモード:このモードにある人は,自分の欲求を満たしてくれる人は誰もおらず,人は皆最終的には自分を見捨てるだろうと考えている。他者とは信用できず,自分を虐待してくるものと信じている。自分には価値がなく,他者から拒絶される存在であると思い込んでいる。自分自身を恥ずかしく感じ,疎外感を抱くこともよくある。寂しさと,安心できる居場所がないとの思いから、傷つきやすい子どものようにセラピストにすがりつき,助けを求める。』 c) 同本の 第9章 ヘルシーアダルトモードの強化のためのマインドフルネスとACTの利用 の「スキーマと記憶」における記述の一部(P205)を次に二つ引用(『 』内)します。 『不適応的スキーマとそれに基づく非機能的な戦略は,潜在記憶に頼る部分が大きいことが示唆される。』、『潜在記憶の多くは,身体感覚,感情,知覚,認知,表象,行動傾向,行動反応と関連している。たとえば,われわれは初対面の相手に対して,特に理由もわからずに好感あるいは嫌悪感を抱くことがあるだろう。』(注:1) この部分の著者はピエール・クジノーです。 2) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 3) 引用中の「表象」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) d) 「スキーマ療法にとって,幼少期および思春期におけるライフヒストリーは非常に重要」なことについて、「誤学習」に基づくことを含めてジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の「パートⅡ 同定した問題を理解する -スキーマ療法の概念を用いて-」における記述の一部(P97)を次に引用(【 】内)します。 【スキーマ療法にとって,幼少期および思春期におけるライフヒストリーは非常に重要です。というのも,その人の現在の問題ある行動は,人生の初期段階の苦痛あるいは有害な環境において,正常な欲求が満たされなかったり感情学習に何らかのギャップが生じたりすることによる「誤学習」に基づくと考えられるからです。】 e) 上記スキーマモードの分類とは異なる分類については、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の Lecture スキーマ療法とは何か の『「スキーマモード」という新たなモデル』における記述及び「モードモデルにもとづくスキーマ療法の進め方」における記述の一部(P152~P158)を以下に引用します。 (viii) 一方、引用中の「中核的感情欲求」について、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の P172 の図における記述を次に五分割して引用します。 『1 愛してもらいたい。守ってもらいたい。理解してもらいたい。』、『2 有能な人間になりたい。いろんなことがうまくできるようになりたい。』、『3 自分の感情や思いを自由に表現したい。自分の意志を大切にしたい。』、『4 自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい。』、『5 自律性のある人間になりたい。ある程度自分をコントロールできるしっかりとした人間になりたい。』 (ix) また、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の技法をスキーマ療法の作業モデルに組み込むことの有用性について、同本の 第9章 ヘルシーアダルトモードの強化のためのマインドフルネスとACTの利用 の「終わりに」における記述の一部(P216)を次に引用(『 』内)します。 『スキーマ療法,マインドフルネス,ACTの3つは,魅力的で,非常によく構成された治療モデルである。われわれはスキーマ療法の作業モデルに組み込むことが非常に有用であることを見出した。』(注:1) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 2) 引用中の「ACT」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) (x) 引用中の文献番号「(1)」、「(2)」、「(3)」、「(4)」はそれぞれ次の本又は論文です。「Young, J.E., Klosko, J.S., Weishaar, M.E.: Schema therapy: a practioner's guide. Guilford Press, 2003.(伊藤絵美監訳『スキーマ療法-パーソナリティ障害に対する統合的認知行動療法アプローチ』金剛出版、二〇〇八年)」、「Outpatient psychotherapy for borderline personality disorder: randomized trial of schema-focused therapy vs transference-focused psychotherapy.」、「Arntz, A., Jacob, G.: Schema therapy in practice: an introductory guide to the schema mode approach. Wiley-Blackwell, 2013.(伊藤絵美監訳『スキーマ療法実践ガイド-スキーマモード・アプローチ入門』金剛出版、二〇一五年)」、「伊藤絵美編著、津高京子、大泉久子、森本雅理『スキーマ療法入門-理論と事例で学ぶスキーマ療法の基礎と応用』星和書店、二〇一三年)」 (xi) 引用中の「治療的再養育法」が必要な理由については次の note を参照して下さい。 「19-3.情動世界に分け入るために」の『5.「治療的再養育法」が必要な理由』項 (xii) 引用中の「自動思考」について、伊藤絵美著の本、「折れない心がメモ一枚でできる コーピングのやさしい教科書」(2017年発行)の「Lesson① STEP3 自動思考をつかまえる」における記述の一部(P030)を以下に引用します。加えて、自動思考、スキーマ等の認知は、構成概念であることについてのツイートがあります。 (xiii) 引用はしていませんが、BPDの患者に対しスキーマ療法を本格的に展開するためのお膳立てが必要です。お膳立ての内容例は引用元文書の非引用部に示されています。ちなみに、上記「お膳立て」に関連するかもしれない、 a)「コンテインメント」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「認知行動療法」における成果を上げられる段階に至るまでが大変なことについて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第3編 パーソナリティ障害の治療と克服 の (3)主な治療法 の「③認知行動療法」における記述(P314~P315)を以下に引用します。 c) さらに、人生の危機に直面した方々に対し、科学としての医学には限界があることについて、医療少年院に勤めた経験がある岡田尊司著の本、「生きるための哲学」(2016年発行)の「はじめに 生きづらさを抱えた人に」における記述の一部(P3~P5)を以下に引用します。加えて、「STAIR&NST」(感情と対人関係の調整スキル・トレーニングとナラティブ・ストーリー・テリング(参照)では、第1段階の STAIR が 第2段階の NST の準備(お膳立て)になっているようです。 (xiv) 引用中の「損害と疾病に対する脆弱性」スキーマを説明例として、上記本「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(『 』内)記述があります。 『損害や疾病に対する脆弱性スキーマ:このスキーマをもつ人は,自分や重要他者が今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです) 加えてこのスキーマ等の活性化により、身体的な徴候や感覚がきっかけとなって、破局的な思考が引き起こされる方の事例として、上記本の 第7章 スキーマ療法,マインドフルネス,そして ACT の「事例1」における記述の一部(P184~P185)を以下に引用します。

(前略)わたしたちの頭のなかでは、朝から晩まで、さまざまな考えやイメージが浮かんでは消えていくことが繰り返されて、これを心理学では「自動思考」と呼びます。

スキーマ分析はクライアントにとって痛みの伴う作業だが、このようにこれまでスキーマとはわからずに内在化されていたつらい思いが、スキーマとして外在化され、客観視できるようになると(スキーマの自我違和化)、それだけでかなり楽になる人が多い。(後略)

注:引用中の「スキーマ分析」及び「外在化」にも関連する、「スキーマ療法におけるケースフォーミュレーション」が不可欠なことについて、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「パーソナリティ障害:Young のスキーマ療法」の Ⅱ スキーマ療法におけるケースフォーミュレーション の「1. CFの重要性とその効果」における記述の一部(P185)を以下に引用します。なお、上記「CF」はケースフォーミュレーションの略です。

前述の通り CBT において CF は不可欠であり,CBT の発展型である ST でも同様に CF は不可欠である。CBT も ST も「解決志向」ではなく「問題解決志向」のアプローチである。すなわち最初から解決を目指すのではなく(解決志向),むしろ解決に向けてまずは目の前にある問題に焦点を当て,問題についての情報を収集し,問題のメカニズムを明確化,共有するところから始めるのである(問題志向)。この「共有」というのが非常に重要で,セラピストだけがクライアントの抱える問題を理解するのではなく,クライアントと共に CF の作業を進め,理解したことは全て共有するプロセスを通じて,両者の共通理解を練り上げていくこと自体が治療的に機能する。特に CBT も ST も理解したことを外在化する(紙などの媒体に書き出す)作業を重視しており,CF の成果が目に見えるものとなることの効果が大きい。今まで自分の中でもやもやしていた正体不明の「生きづらさ」が,外在化され,眺められる形になるからである。
実際に筆者が担当する ST のケースでも,CF を通じて自己理解が深まった時点で,だいぶ回復が進むことが少なくない。自分の抱える生きづらさを,自らの成育歴を振り返り,それがいかなるスキーマ(EMS)やモードにつながっているか,そのことで日々どのようなストレス体験をするに至っているのか,といったことを,単に頭で理知的に理解するだけでなく,感情を含めて「腑に落ちる」体験となる。(中略)

さらに BPD 当事者には幼少期や思春期に被虐待体験などトラウマを有する人が多く,CF を通じて,「自分はよく生き延びてきた」「こんな大変な中,死なずによく頑張ってきた」というように,自己認識が肯定的なものに変化し,セルフコンパッションが進むこともよくある。このように ST における CF は「問題の理解」を促進するのみならず,CF それ自体がさまざまな効果を生み出すのである。

注:i) 引用中の「CBT」、「ST」はそれぞれ「認知行動療法」、「スキーマ療法」の略です。 ii) 引用中の「EMS」は「早期不適的スキーマ」(参照)の略です。 iii) 引用中の「モード」ついてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害(他の拙エントリのリンク集を参照)の略です。 v) 引用中の「ST でも同様に CF は不可欠である」ことに関連する「スキーマ療法においては,治療を開始する前に,問題についてできる限り詳細に整理しておくことがきわめて重要である」ことについて、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の「第4章 スキーマ療法におけるケース概念化について」における記述の一部(P97)を次に引用します。

スキーマ療法においては,治療を開始する前に,問題についてできる限り詳細に整理しておくことがきわめて重要である(たとえば Young, Klosko and Weishaar, 2003; Beck, Freeman,Davis and Associates, 2004; Arntz and van Genderen, 2009)。そうすることで どのスキーマがどういった役割を果たし,またそれが何に由来し,現在の問題にどのように影響を与えているかについて,セラピストもクライアントもより深く理解することができる。また,問題についてできる限り詳細に整理することによって,セラピストは,クライアントの問題を十分に理解することができるようになる。さらに重要なのは,クライアント自身の言葉で表現され,セラピストとクライアント双方に共有されたかたちで問題を定式化することである。ケース概念化を適切に行うことによって,治療計画を立てることが格段に容易になり,治療関係を形成するにあたって有益な指針を得ることができる。(後略)

注:この引用部の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレンです。 ii) 引用中の「Young, Klosko and Weishaar, 2003」は次の本です。 「Young, J. E., Klosko, J.S. and Weishaar, M. E. (2003) Schema Therapy: a Practitioner's Guide. New York: Guilford Press.」 iii) 引用中の「Beck, Freeman,Davis and Associates, 2004」は次の本です。 「Beck, A. T., Freeman, A., Davis, D. et al. (2004) Cognitive Theory of Personality Disorders. New York: Guilford Press.」 iv) 引用中の「Arntz and van Genderen, 2009」は次の本です。 「Arntz, A. and Genderen, H. van (2009) Schema Therapy for Borderline Personality Disorders. Chichester: Wiley-Blackwell.」

(前略)スキーマが活性化すると、たとえば以下のような身体感覚が生じます。
・心拍数の増加
・血圧の上昇
・体温の上昇
・呼吸数の増加
・額や手のひらの発汗
・吐き気や胃の痛み
・喉の硬直や詰まり
・口の渇き
・唇の震え
・手足のピリピリ感
・首、背中、関節に突然生じるこわばり
・めまい
・涙が止まらなくなる
・眠気
・身体の一部の痛み、または麻痺
・頭が真っ白になる
・感覚過敏あるいは感覚鈍麻:聴覚、嗅覚、視覚、味覚、触覚

なぜこのような反応が生じるのでしょうか? それは、スキーマが感覚システムと「共謀」して、脳と身体がメッセージを送り合うからです。その結果、内的な反応ががあなたに「警報」を発します。しかしその警報は誤報であることが少なくなく、あなたはその誤報に基づいて、不要な自己防衛行動をとることになってしまいます。ここでの問題は「脳は騙されうる」ということです。脳にとって、今感じている胃痛が、ウィルス感染によるものか、長期にわたるナルシシストとの闘いからくるものなのかを区別することは、容易ではありません。(後略)

注:i) 引用中の「ナルシシスト」とは、この引用元の本「スキーマ理論におけるコーピング反応について」の「監訳者まえがき」の Pvi によると「周囲の人を傷つける、不健全な自己愛の持ち主」とのことです。 ii) 引用中の「自己防衛行動」に関連するかもしれない(麻痺を含む)「闘争-逃走反応」について、この引用元の本「スキーマ理論におけるコーピング反応について」の 第2章 パーソナリティ構造を理解する の「スキーマ理論におけるコーピング反応について」における記述の一部(P65~P66)を次に引用します。

人間の本質として、私たちの脳は、危険を知らせる脅威に対し、「闘争-逃走反応」によって応じるように配線されています。ただしこの呼び方は正確ではなく、脅威に対する反応には、実際には以下の三種類が挙げられます。一つ目は「闘争」で、これは闘ったり反撃したりすることです。二つ目は「逃走」で、危険から逃げるか、さもなければ危険を回避しようとします。三つ目は「麻痺」で、脅威に屈したり服従したりすることを言います。通常スキーマが活性化すると、強烈な感情や思考、そして身体反応が生じ、それがその人にとって大きな脅威となります。同時に人生早期の不適応的な体験によって形成された自己破壊的な行動が生じます。スキーマに埋め込まれた記憶と類似する現在の状況が、脳と身体に対して強烈なメッセージを伝えます。脳は脅威を認識し、スキーマと闘うか、スキーマから逃げるか、あるいはスキーマに服従するか、そのどれかの方法で反応しようとします。どの反応であっても、それはスキーマが私たちを支配する力を維持する方向に機能します。それは「内なる怪人」のようなものです。怪人との闘いは泥沼化する一方です。先にも述べたように、スキーマはあなた自身がその背景に気づかないまま、半ば無意識的に活性化します。あなたが気づくのは、目の前の「意味ありげな状況刺激」から自分が何らかの危険や脅威を読み取って、自らが反応してしまっているということだけです。(後略)

注:(i) 標記「(不適応的)スキーマ」についてはここを参照して下さい。 (ii) 上記「スキーマ理論におけるコーピング反応」に関連する(コーピングモードにおける)「4つの選択肢」[すなわち、「闘う(闘争)」「逃げる(逃走)」「固まる(麻痺)」,そして「ヘルシーアダルトモードへのアクセス」]について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の パートⅣ 変化の始まり の『モジュール9 「不適応的コーピングモード」に対する「モード・マネジメント・プラン」』における記述の一部(P152)を次に引用(【 】内)します。 【「コーピングモード」は自動化されており,意識的に選択できるようにはとても思えないかもしれません。実際にはどんな状況であれ,私たちには4つの選択肢があります。それは,「闘う(闘争)」「逃げる(逃走)」「固まる(麻痺)」,そして「ヘルシーアダルトモードへのアクセス」です。私たちは,非機能的なモードが活性化したことに早めに気づくことができれば,そのモードに基づく行動を起こす前に,別の行動を選択することができます。】(注:a) 引用中の「ヘルシーアダルトモード」についてはここを参照して下さい。 b) 上記「モード」に関連する「モードモデル」についてはここを参照して下さい。 c) 上記「不適応的コーピングモード」に関連する「不適応的なコーピング」については次の (v) 項の引用を参照して下さい。) (iii) 引用中の「闘争-逃走反応」については複雑性PTSDの視点から他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、トラウマの視点からは他の拙エントリのここここを参照して下さい。) (iv) さらに、引用中の「麻痺」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論(又は多重迷走神経理論、他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からの「シャットダウン」「擬死」等については他の拙エントリのここここ、そして次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項(P350)[注:上記「麻痺」に関連するかもしれない「凍りつき」については他の拙エントリのここにおける「注」を参照して下さい] (v) 標記「スキーマ理論におけるコーピング反応」に類似する、(スキーマ療法[ST]における早期不適応的スキーマ[EMS、ここを参照]の理論モデルの重要な概念としての)「スキーマに対するコーピング」について、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「パーソナリティ障害:Young のスキーマ療法」の Ⅰ はじめに:スキーマ療法概論 の「2. スキーマ療法の理論モデル」における記述の一部(P182)を次に引用します。

(前略)ST では,より生きづらい人,人と関わることがより難しい人,自分のことがより受け入れられない人は,より多くの EMS をより強烈に有する,と想定する。そして「より生きづらい人」の中心に位置づけられるのが、BPD をはじめとするパーソナリティ障害を持つ人であると考える。EMS の理論モデルには他に「スキーマに対するコーピング」という重要な概念がある。これは,EMS に対して「服従する(スキーマの言いなりになる)」か「回避する(スキーマが活性化する状況を避ける)」か「過剰補償する(スキーマと逆の行動を過剰に取る)」か,というスキーマに対する不適応的なコーピングのことで,この3つはストレッサーに対して「麻痺する」「逃走する」「闘争する」という3つのストレス反応に対応している。EMS に対して不適応的なコーピングを取ることで,EMS はますます強化され,その人はますます生きづらくなる,というのが ST の理論である。(後略)

注:i) 引用中の『「麻痺する」「逃走する」「闘争する」』についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「BPD をはじめとするパーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 なお上記「BPD」は境界性パーソナリティ障害のことです。

「スキーマモード」という新たなモデル

スキーマ療法は当初、上記の「早期不適応的スキーマ」のモデルにもとづいて構築されましたが、後に「スキーマモード」という新たなモデルが追加されました。スキーマモードとは、「今現在、その人はどのような感情状態にあるか」ということを表した用語です。ある状況であるスキーマが活性化されると、それによってさまざまな自動思考が生じ、さまざまな気分・感情が発生します。その時々の自動思考や気分・感情をひっくるめて、それをモードと呼ぶことにしたのです。さまざまな状況や場においてさまざまな自動思考や気分・感情が私たちには生じますから、モードは無数にあると考えられます。その無数にあり得るモードを次の五つに分類しました。

◎傷ついた子どもモード
自分の内なる「子ども」の部分が傷ついて、悲しんだり、さみしがったり、おびえたり、怒ったり、すねたりしているモードです。

◎傷つける大人モード
幼少期に自分を傷つけてきた大人の声が自分のなかに残っており、その声がモードとなって自分を攻撃したり、要求したりするのが、このモードです。

◎いただけない対処モード
早期不適応的スキーマから自分を救おうとするのですが(例:寝逃げをする、相手に逆ギレする、酒に逃げる、過剰に仕事に没頭する、誰ともつきあわない)、それが結果的に自分助けになっていない場合、それを《いただけない対処モード》と呼びます。

◎ヘルシーモード(幸せな子どもモード)
自分の内なる「幸せな子ども」のことです。大人の私たちでも、安全な環境のなかで、遊んだり、楽しんだり、喜んだり、リラックスしたり、誰かに世話をしてもらったりすると、このモードに入ります。

◎ヘルシーモード(ヘルシーな大人モード)
「健全な大人の自我機能」がこのモードです。このモードが自分のなかに司令塔としてしっかりと機能していれば、その人は自分の体験をマインドフルに受け止め、必要な自分助けをすることができます。他者とも健全な関係を結び、助け合うことができます。

モードモデルにもとづくスキーマ療法の進め方

この新たなモードモデルにもとづいてスキーマ療法を進める場合は、以下のような流れになります。

(1)自分が今どのモードに入っているのかに気づけるようになる必要があります。認知行動療法でセルフモニタリングの練習が十分にできていれば、モードへの気づさはさほど難しくありません。
(2)イメージのなかで各モードに対して適切な対応をします。それを「モードワーク」と呼びます。具体的には次のように行います。

◎傷ついた子どもモードに対して
その子どもの感情を理解し、受け止め、適切に癒します。たとえば、さみしがってしくしく泣いている子どもモードであれば、そのモードに対して、「さみしかったんだね。それはつらかったね。さみしい思いをさせちゃってごめんね。でももう大丈夫だよ。私がついているから。私がー緒にいるから」と言うことができます。治療的再養育法のー環として、セラピストや他の養育者のイメージがそのように声かけをしてあげることもできます。

◎傷つける大人モードに対して
《傷つける大人モード》の言いなりになると、ますます傷つくので、基本的には出て行ってもらいます。たとえば「お前のようなダメ人間は生きている意味がない。死んでしまえばいい」といった声を、《傷つける大人モード》が投げつけてきた場合、「なんてひどいことを言うの! あなたの言い分を聞けば聞くほど傷つくばかりだから、もうこれ以上聞きたくない! 出て行って! もう二度と来ないで!」と言って《傷つける大人モード》を追い出すことができます。
これもセラピストや他の養育者のイメージが前面に出て行き、「私の大事な○○ちゃんに何てひどいことを言うの! ○○ちゃんがこんなことをあなたに言われる筋合いはない。生きている意味がない人間なんてこの世に一人もいないんだ! そんなこともわからないのであれば、もう出て行ってちょうだい。そして二度と○○ちゃんのところには来ないでよ!」と《傷つける大人モード》を撃退することができます(治療的再養育法)。

◎いただけない対処モードに対して
一見自分助けのように見えながら、実際には助けになっていないというのがこのモードの特徴です。したがってこのモードに入りかけたこと、あるいは入ってしまったことに気がついたら、「対処しようとしているのはわかるけれども、そのやり方では、本当の助けにはならないんだよね。だから引退してくれる?」と言って、このモードに退いてもらう必要があります。
当初、クライアントはなかなかこのモードから離れられないことが多いので、ここでも治療的再養育法を用いて、セラピストや他の養育者のイメージが、このモードに対して、「○○ちゃんを助けてくれようとしているのはわかるけれども、残念ながら結果的に助けになっていないんだよね。なのでもうそろそろ引退してくれないかな。今までお疲れ様でした」と言って退いてもらうことができます。

◎幸せな子どもモードに対して
これはヘルシーなモードですから、このモードが出てきたら、「よかったね」「安心しているんだね」「楽しいんだね」と見守ってあげるとよいでしょう。治療的再養育法の一環としては、セラピストや他の養育者がイメージのなかで「一緒に遊ぼうか」と声をかけて一緒に遊ぶこともできます。

◎ヘルシーな大人モードに対して
このモードに限っては、このモードに対して何かをするというのではなく、スキーマ療法におけるさまざまな取り組みを通じて、とにかくこのモードを育み、強化していくに限ります。認知行動療法やマインドフルネスを習得すること自体がこのモードを強めてくれます。またセラピストなどによる治療的再養育法を何度も見聞きすることで、それをモデルとして自分のなかにこのモードをつくっていくこともできます。
このモードが強くなればなるほど、クライアント自身で、《傷ついた子どもモード》を癒し、《傷つける大人モード》を退け、《いただけない対処モード》に引退してもらい、《幸せな子どもモード》を温かく見守れるようになります。
実際には「早期不適応的スキーマ」のモデルと「スキーマモード」のモデルを適宜組み合わせてスキーマ療法を進めていきます。たとえば上記のモードワークを何度も繰り返すことにより、「早期不適応的スキーマ」の代わりとなる「ハッピースキーマ」が形成されたりすることはよくあることです。(後略)

注:i) 引用中の「早期不適応的スキーマ」、「スキーマモード」、「治療的再養育法」及び「ハッピースキーマ」については、共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「いただけない対処モード:に関連する「遮断・防衛モード」及び「遮断・自己鎮静モード」について、編者、監訳者及び訳者を※※に示す本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次にそれぞれ引用(『 』内)します。 『遮断・防衛モード:このモードにある人は,強い感情は危険で手に負えないものと信じており,それらを遮断する。社会的接触を断ち,感情を遮断しようとする(解離が生じることもある)。空虚感や退屈した気分,離人感などが生じる。他者を一定の距離以上寄せつけず,冷淡で悲観的な態度をとる。』、『遮断・自己鎮静モード:このモードにある人は,ネガティブな感情を感じないようにするために気晴らしになるものを探し求める。自己鎮静化行動(例:眠ることや薬物依存),あるいは自己刺激的な活動(例:仕事やインターネット,スポーツ,セックス等に没頭する)を行うことによって感情を遮断する。』(注:この部分の著者は共にハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。)

③認知行動療法

間違った信念に基づく自動思考や否定的思考を、問題が生じるたびにチェックし、そう思ってしまう根拠や本当にそうなのかを問い直すことで修正を図っていきます。患者のセルフヘルプを重要視し、自らが行う宿題を与え、記録させます。
境界性パーソナリティ障害の場合、自分は欠陥品なので、どうせ見捨てられてしまうという信念を抱いています。そのためにしがみつき行動や試しが繰り返されます。根底にある信念を自覚させ、それが妥当性を欠いたものであることを悟らせることで、行動が次第に変化していきます。
また、境界性パーソナリティ障害によく見られる二分法的な思考の修正も図られます。二分法的な思考が改善すると、行動も衝動的で両極端なものから、安定したものに変わっていきます。
ただ、愛着が非常に不安定なケースでは、自分の「偏った」認知を指摘されたり、修正する作業が、自分を否定されているように感じてしまい、つらい作業になりがちです。ドロップアウトすることも多いと言えます。認知行動療法を、機械的で、冷たく、受け止めてもらえなかったと感じる人もいます。不安定なタイプの人ほど、感情面に深い傷を負っており、もっと手前の段階の手当てを必要としているからです。ある意味、認知行動療法が成果を上げられる段階に至るまでが大変なのです。治療が続けられるように、共感的な対応の部分も大事だと言えるでしょう。

注:i) 引用中の「認知行動療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の紹介」、「認知行動療法を使ってこころのスキルアップ」 加えて、この「認知行動療法」におけるうつ病に対する資料を次に紹介します。 「うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)」 ちなみに、上記引用中の「認知行動療法」は、主に精神科医アーロン・ベックによって創始された認知療法のことであると本エントリ作者は考えます。他の拙エントリのここも参照して下さい。 ii) 引用中の「ある意味、認知行動療法が成果を上げられる段階に至るまでが大変なのです」に関連するかもしれない、「境界性パーソナリティ障害(BPD、他の拙エントリのリンク集を参照)に対して、従来の標準的な認知行動療法(CBT)ではとうてい間に合わない」ことについて、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の 私はなぜこの本を書いたのか長いまえがき の「標準的な認知行動療法では間に合わない」における記述の一部(P018)を次に引用(『 』内)します。 『しかしBPDに対しては、従来の標準的なCBTではとうてい間に合わないし(後略)』 加えて、認知行動療法においても、セルフモニタリングによる気づきが必要なことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自動思考」についてはここ及び資料「うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)」の P5 をそれぞれ参照して下さい。 iv) 引用中の「信念」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「信念の強化」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

はじめに 生きづらさを抱えた人に(中略)

私は重い試練を抱え、人生の危機に直面した人々と向かい合ってきた。その中で、ひしと感じるようになったことは、科学的アプローチや科学としての医学だけでは、人は救われないということである。重い困難ほど、それを乗り越えるためには、形而上の精神的な営みが必要だと教えられた。そうした局面に立たされたとき、科学的合理主義には明らかな限界がある。合理的な理屈をいくら振り回しても、気持ちを汲むことも、助けになることもできず、事態をこじらせるだけで、なんの役にも立たないことも多い。(後略)

事例1

39歳のマリーは,13歳と15歳の2人の娘の母親である。(中略)彼女は,自分の健康全般について不安を訴え,治療を受けに来た。彼女は頭痛に悩まされており,不整脈を抱えていた。(中略)

彼女は,Youngスキーマ質問票において、「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」と「失敗スキーマ」の項目で非常に高い得点を示した。そこまで高くはないが「自分に対する罰スキーマ」にもそれなりの得点がみられた。これらのスキーマの引き金を探すのはさほど難しくなかった。マリーの場合,何らかの身体的な徴候や感覚がきっかけとなって,これらのスキーマに基づく破局的な思考が引き起こされていた。(中略)

マリーは,不確かなことに対しては非常に攻撃的になりやすく,何かに対して結論を出す際はそれがいっさい妥協のない「きっぱりとしたもの」であることを求めた。このことに焦点を当て始めた頃,われわれは治療方針を変更することにした。マリーは,人間の知識や力に限界があるのは当たり前だということが,いかに自分とっては受け容れがたいものであるかということに気がついた。彼女はまた,自分が何もしないようにすることは,何かをしようとするよりもはるかに難しいと気がついた。たとえば,マリーにとっては「庭にたたずみ,ただ鳥の声を聞く」ことよりも,「新しい医療サイトを探すためにネットサーフィンをする」ことのほうがはるかにたやすいのである。そこで,治療にマインドフルネスが導入された。彼女は,日々の不可解な身体感覚との闘いの中に,少しずつ平穏な瞬間を得ることができるようになっていった。そしてついに、マリーは感情の波に激しくなりそうなまさにその瞬間にも,穏やかな意識を保つことができるようになった。(後略)

注:(i) この引用における著者はエルウィン・パーフィです。 (ii) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) ちなみに、 a) この「マインドフルネス」が強烈に活性化されたスキーマに対抗しうるものについては、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の 第8章 スキーマ療法におけるマインドフルネスとアクセプタンスの重要な役割 の「まとめと今後の展望」における記述の一部(P200)を次に引用(『 』内)します。 『マインドフルネスは,強烈に活性化されたスキーマに対抗しうるものであり(図 8.1 を参照),われわれが自分の体験に距離を置き,十分に内省的であることを可能にしてくれる。つまり,マインドフルネスは感情の荒波に溺れそうになったわれわれを助け出してくれるのである。』(注:1) この引用部の著者はエッカード・ローディガーです。 2) 引用中の「図 8.1」の引用は省略します。) b) 引用中の「スキーマ」と記憶との関連はここを参照して下さい。 c) 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」の説明としての、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(【 】内)記述があります。【損害や疾病に対する脆弱性スキーマ:このスキーマをもつ人は,自分や重要他者が今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている。】(注:[1] この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです。 [2] 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」については次の資料も参照して下さい。 「スキーマの概念とスキーマ療法のレビューに関する一考察 ―スキーマの修復に関する人材開発手法の研究のために―」の「7.損害や疫病に対する脆弱性スキーマ」項[P70] [3] 引用中の「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に類似するかもしれない、 A) 「この世は何があるかわからないし、自分はいとも簡単にやられてしまう」スキーマについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「自分でスキーマ療法に取り組む」の「この世は何があるかわからないし、自分はいとも簡単にやられてしまう」項 B) 「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」不適応的スキーマの解説について、伊藤絵美著の本、「ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK2」(2016年発行)の 第1章 スキーマ療法 その1 の 18の早期不適応的スキーマ の『⑦「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」スキーマ』における記述(P050)を以下に引用します。 [4] 引用中の「今にも避けられない大惨事にみまわれるに違いないと信じている」ことに関連するかもしれないトラウマの視点からの『あるレベルでは「危機は過ぎ去った」と認識しているのに、内側にあるもの、すなわち体中で沸き立つ感覚が、″破局が差し迫っている″と警鐘を鳴らし続ける』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。) なお上記スキーマとも関連するかもしれない、認知療法の視点からの「不安に伴う認知」について、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)中の井上和臣著の文書「不安障害:認知療法のケースフォーミュレーション」の「Ⅵ 認知的概念化:不安障害一般」における記述の一部(P147)を次に引用(【 】内)します。 【不安に伴う認知は,「大変なことが起こりそうだ,しかし,私にはどうすることもできない」と平易に表現できる。危険や脅威の過大視とともに自らの対処能について過少視があることも,見逃せない不安障害の特徴である。不安=危険・脅威/資源・工夫という,不安の方程式は心理教育として活用できる。】(注:引用中の「不安障害」に関連する「不安症」については次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」) 加えて、上記「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」のみならず、「情緒的剥奪スキーマ」、「自制と自立の欠如スキーマ」は、成人の自閉スペクトラム症(又は自閉症スペクトラム障害、参照)の方々にとって、特徴的なスキーマ(注:スキーマの名称は若干異なりますが)であるとの主旨の記述がある資料は次を参照して下さい。 「成人の自閉症スペクトラム障害患者に対する認知行動療法の開発および効果研究の「4. 研究成果」項 加えて、上記後二者のスキーマを説明する記述としては、上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 において、次に形式を変えて引用する(『 』内)説明があります。『情緒的剥奪スキーマ:このスキーマをもつ人は,他者は自分の基本的な欲求(例:サポート,養育,共感,保護)を決して満たしてくれない,あるいは不適切な満たし方をする存在であるととらえている。孤立感や淋しさを抱きやすい。』、『自制と自立の欠如スキーマ:このスキーマをもつ人は,欲求不満耐性がなく,自分の感情や衝動をコントロールすることができない。不満や不快(痛み,葛藤,過度の努力など)に耐えることができない。』(注:この部分の著者はハニー・ヴァン・ジェンダレン,マーリーン・レーケボア,アーノウド・アーンツです)

⑦「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」スキーマ
[解説]ちょっと長い名前のスキーマですが、その名のとおり、「この世にはどんな恐ろしいことが起こるかわかりはしない」「自分の身に、いつ、どんな恐ろしいことが起きてもおかしくはない」という思いと、「そんなことが起きたら、自分は弱いからそれに太刀打ちできない」「自分はそれを防ぐこともできないし、対処することもできない」「自分はそれにやられっぱなしになるに違いない」「自分にはどうにもできない」という思いが合体したスキーマです。ちなみに「恐ろしいこと」とは、たとえば心臓発作や発狂など自分自身のことと、自然災害や事故や事件など外的なことの両方が含まれます。
*このスキーマを持つ人の特徴……「何か起きるのではないか?」「起きたらどうしよう」と、常にびくびく怯え、警戒しています。自分の身体の異変や周囲の状況の変化に敏感で、何か変化を感じると「どうしよう」とさらに怯えます。実際に何かことが起きると、恐怖のあまり固まってしまったり、一目散にその場から逃げ出したりします。

一方、「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適応可能性」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「複雑性PTSDに対するスキーマ療法」、「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用可能性」 加えて、複雑性トラウマに対するスキーマ療法に関連する論文要旨を以下に紹介します。その上に、トラウマを含む傷つき体験等により作られる不適応的スキーマについて簡単に紹介します。さらに「イメージの書き換え」を含む複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の伊藤絵美著の文書「スキーマ療法――複雑性PTSDへの治療」の「複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例」項における記述(P108~P110)を以下に引用します。なお、引用中の「ST」はスキーマ療法の略です。この引用に類似する記述は上記資料の「Ⅲ.複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例」項を参照して下さい。

論文要旨「'Teaching Me to Parent Myself': The Feasibility of an In-Patient Group Schema Therapy Programme for Complex Trauma.[拙訳]“自分自身を養育するために自分に教えること”:複雑性トラウマのための入院患者のグループスキーマ療法プログラムのフィジビリティ(実現可能性)」を次に引用します。

BACKGROUND:
Group schema therapy is an emerging treatment for personality and other psychiatric disorders. It may be particularly suited to individuals with complex trauma given that early abuse is likely to create maladaptive schemas.

AIMS:
This pilot study explored the feasibility and effectiveness of a 4-week in-patient group schema therapy programme for adults with complex trauma in a psychiatric hospital setting.

METHOD:
Thirty-six participants with complex trauma syndrome participated in this open trial. Treatment consisted of 60 hours of group schema therapy and 4 hours of individual schema therapy administered over 4 weeks. Feasibility measures included drop-out rates, qualitative interviews with participants to determine programme acceptability and measures of psychiatric symptoms, self-esteem, quality of life and schema modes pre-, post- and 3 months following the intervention.

RESULTS:
Drop-out rate for the 4-week program was 11%. Thematic analysis of interview transcripts revealed four major themes: connection, mode language explained emotional states, identifying the origin of the problem and the emotional activation of the programme. Measures of psychiatric symptoms, self-esteem and quality of life showed improvement post-treatment and at 3 months post-treatment. There was a reduction in most maladaptive schema modes pre-/post-treatment.

CONCLUSIONS:
A group schema therapy approach for complex trauma is feasible and demonstrates positive effects on psychiatric symptoms and maladaptive schemas.


[拙訳]
背景:
グループスキーマ療法は、パーソナリティ及び他の精神障害の新たな治療法である。早期の虐待が早期不適応的スキーマを作成する可能性があることを考えると、複雑な外傷を有する個人に特に適している可能性がある。

目的:
このパイロット研究では、精神病院セッティングにおいて複雑性トラウマを伴う成人に対する4週間の入院患者のグループスキーマ治療プログラムのフィジビリティ及び有効性を探求した。

方法:
このオープン試験に複雑性トラウマを伴う36人が参加した。60時間のグループスキーマ療法及び4時間の個別スキーマ療法からなる4週間にわたる治療が施された。フィジビリティの測定には、脱落率、そしてプログラムの認容性及び介入前、介入後、介入後から3ヶ月後での精神症状、自尊心、生活の質、並びにスキーマモードの測定を確定するための参加者に対する質的インタビューが含まれた。

結果:
4週間のプログラムの脱落率は11%であった。インタビュー記録のテーマ分析で、4つの主要テーマを明らかにした:つながり、情動状態を説明した(スキーマ)モードの言語、問題の起源及びプログラムの情動的活性化の同定。精神症状、自尊心及び生活の質の測定では、治療後及び治療後から3ヶ月後で改善が示された。治療前/治療後のほとんどの不適応的スキーマモードにおける低下があった。

結論:
複雑性トラウマに対するグループスキーマ療法アプローチはフィジブル(実現可能)であり、そして精神症状及び不適応的スキーマに対するポジティブな効果を実証する。

注:引用中の「スキーマモード」に関連するスキーマ療法における「モードモデル」についてはここ及びここここを参照して下さい。

複雑性PTSDに対するスキーマ療法の適用例

以下に事例(12)を紹介する。
M(女性)はセラピー開始時に三二歳で、総合病院の看護師。独身で、独り暮らしをしていた。
会社員の父親、パート勤務の母親の第一子として出生。母親はいつも不機嫌でヒステリック。父親はMに無関心。五歳時に両親が離婚し、父親がMを連れて、自身の実家に身を寄せ、Mの養育を両親(Mの祖父母)に委ねる。七歳時に父親が再婚して家を出たことをきっかけに、養子縁組をして租父母の「養女」となる。もともと冷淡な租母だったが、Mが養女になって以来、身体的暴力と言葉の暴力が始まる。租父は大人しい人で、はじめは優しかったが、九歳時より性的虐待が始まる。この頃から解離症状が生じる。学校では目立たないようにしており、いじめられはしなかったが、陰口をたたかれ、友たちはいなかった。高卒後上京し就職するも、上司にレイプされ妊娠する。退職して中絶し、その頃より抑うつ症状など精神症状が生じ、断続的に通院しつつ、二〇代は荒れた生活を送る。一度結婚するもすぐに離婚。自殺を試みるも死にきれず、「死ねないなら何とか生きていくしかない」と看護学校に進学し、看護師の資格を取り、病院に就職したのが三一歳時。表向きは適応するも、心理的には苦しいままで、何とか自分を立て直そうとして、セラピーを受けに来る。
初回面接時のMの主訴は以下の三点。①気分の波が激しすぎる。②自分の行動をコントロールできない。③人とまともに関われない。人を信じられない。
セラピー開始当初、そもそも予約時間に来られない、セラピストに対する感情的なゆらぎ、慢性的な希死念慮と自殺企図の危険、アルコール乱用と頻繁な過食嘔吐、危険な自傷行為、見知らぬ人との喧嘩など、いわゆる「問題行動」に対してハームリダクション的な関わりを行った。すなわち、これらの行動を「なくす」のではなく「なるべく減らす」ためのコービングを一緒に考え、実施してもらった。その中で明らかになったのは、STで言うところの「遮断・防衛モード」が強力で、そのおかげで仕事中は「看護師ロボットモード」として稼働できるが、そのモードのせいで感情が遮断され、内的な体験にまったくアクセスできないということである。そこでマインドフルネスのワークを時間をかけて体験し、身体感覚や感情や自動思考など、生々しい内的体験にアクセスできるようになってもらった。
ここから本格的なSTが開始された。STの心理教育を行い、治療的再養育法の中でセラピストが養育的な関わりをすることについて了承を得た(たとえばチャイルドモードを「Mちゃん」と呼ぶなど)。毎回セラピストが渡すアロマコットンや、動物のぬいぐるみを移行対象や「安心安全」を確保する儀式として使用することにした。そして幼少期や思春期の体験を詳細に共有し、満たされなかった感情欲求は何か、形成された早期不適応的スキーマは何か、それが普段の生活でどのように活性化し、どのようなスキーマモードに入りやすいのか、といったケースフォーミュレーションを行った。その後、スキーマを手放し、「脆弱なチャイルドモード」を癒し、「幸せなチャイルドモード」を育み、「ヘルシーアダルトモード」を強化するための、様々な介入を行った。特に祖母からの暴力、祖父からの性的虐待、就職後のレイプ被害については「イメージの書き換え」のワークを行い、セラピストやMの「ヘルシーアダルトモード」がMのイメージに入り込み、暴力を未然に防いたり、祖父母の家を出て行ってセラピストと安全に暮らしたり、レイプ加害者を撃退したりする書き換えを行い、トラウマが処理された。健全なスキーマやモードが十分に確立され、職場やプライベートで新たな対人関係が形成されたり、日常生活を楽しんだり、仕事にやりがいを感じられたりするようになったことを見届けて、セラピーは終結となった。終結まで約六年間が経過した。
以下にMと実施した「イメージの書き換え」について具体的に紹介する。
①夜になると祖母に強制的に電気を消されて消灯するが、その後祖父がMの布団に入ってきて性器を触ったり触らせたりするということが日常的に起きるので、Mは消灯後布団の中で夜な夜な怯えていた。その場面をMとセラピストは共にイメージし、セラピストはMの部屋を訪れ、Mの欲求を訊く。Mは「ここにいたくない」と訴える。そこでセラピストはMを安全な場所に連れて行くことにする。Mは「お菓子の家に住みたい」と言い、セラピストとMは租父母が絶対に訪れることのない「お菓子の家」をイメージし、そこで安心して暮らすことにする。
②夕食時、Mの言動が気に入らない租母が暴言を吐き、さらにピンタを加えようとする。その場面にセラピストが入り込み、Mをセラピストの背後に守り、祖母がしていることは児童虐待であり、決してしてはならないことであることをきっぱりとつきつける。はじめ祖母は反論してきたが、セラピストが「虐待は許されない。次にやったら児童相談所に通報する」と毅然と言い続けたところ、祖母は二度と虐待をしないと約束する。Mは安心して食事を再開する。
③職場で残業をしていると上司が近づいてきて、身体に触ろうとしてくる(実際にはこの後にレイプが起きた)。Mの「ヘルシーアダルトモード」がその場面に入り込み、許可を得ずに他人の身体を触るなと告げ、イメージの中の「一八歳のMちゃん」への謝罪を求める。「ヘルシーアダルトモード」の剣幕に気圧された上司はMちゃんに謝罪する。それでも上司を許せない「ヘルシーアダルトモード」は上司を部屋から力づくで追い出し、鍵をかけてMちゃんを保護する。

注:i) 引用中の文献番号「(12)」は次の本です。 「伊藤絵美『ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法BOOK1&2』医学書院、二〇一六年」 ii) 引用中の「治療的再養育法」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ケースフォーミュレーション」についてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「スキーマモード」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「遮断・防衛モード」のより詳細な説明として、編者、監訳者及び訳者は※※を参照の本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」(2017年発行)の 第2章 スキーマ,コーピングスタイル,そしてモード の表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(『 』内)します。 『このモードにある人は,強い感情は危険で手に負えないものと信じており,それらを遮断する。社会的接触を断ち,感情を遮断しようとする(解離が生じることもある)。空虚感や退屈した気分,離人感などが生じる。他者を一定の距離以上寄せつけず,冷淡で悲観的な態度をとる。』 vii) 引用中の「脆弱なチャイルドモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(【 】内)します。 【このモードにある人は,自分の欲求を満たしてくれる人は誰もおらず,人は皆最終的には自分を見捨てるだろうと考えている。他者とは信用できず,自分を虐待してくるものと信じている。自分には価値がなく,他者から拒絶される存在であると思い込んでいる。自分自身を恥ずかしく感じ,疎外感を抱くこともよくある。寂しさと,安心できる居場所がないとの思いから,傷つきやすい子どものようにセラピストにすがりつき,助けを求める。】 viii) 引用中の「幸せなチャイルドモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P51)を形式を変更して次に引用(《 》内)します。 《このモードにある人は,次のように感じている:愛されている,満たされている,守られている,理解されている,承認されている。彼/彼女は自信に満ち,有能感を感じ,適度に自律的であり,自らをコントロールできている。自発的に振舞い,好奇心旺盛で楽観的であり,幸せな小さな子どものように振舞う。》 ix) 引用中の「ヘルシーアダルトモード」のより詳細な説明として、同表 2.2 における記述の一部(P52)を形式を変更して次に引用(『 』内)します。 『このモードにある人は,自分自身についてポジティブあるいはニュートラルな考えや感情をもっている。自分にとってよいことをし,またそうすることが健康的な対人関係や活動へとつながっていく。ヘルシーアダルトモードは適応的である。』 x) 引用中の「イメージの書き換え」の理論的根拠について、ジョアン・M・ファレル、アイダ・A・ショウ著、伊藤絵美、吉村由未監訳の本、「〈実践から内省への自己プログラム〉ワークブック 体験的スキーマ療法」(2021年発行)の パートⅤ 「モード・チェンジ・ワーク」の体験的実践 の『モジュール18 「脆弱なチャイルドモードを癒す」』における記述の一部(P237~P238)を次に引用します。

(前略)解説「イメージの書き換え」は,スキーマ療法の主要な体験的介入の一つです。私たちはまずこの介入について,クライアントに理論的根拠を伝え,これがどのような機能を果たすかについて基本的な説明を行うところから始めます。次に示すのは,私たちがクライアントに説明する理論的根拠を要約したものです。この説明をすることで,クライアントには幼少期の記憶を書き換える準備ができます。
幼少期の記憶というのは,今まさに目の前で起きている出来事ではありません。それは,幼少期の出来事に関連づけられた感覚,感情,光景,音,思考などが貯蔵されたイメージです。幼少期の記憶は,「今,目の前で本当に起きていること」ではありませんが,それか心に生じると,あたかもそれらが「今,目の前で本当に起きている」ことのように感じられ,ときに心の痛みが引き起こされます。しかし,私たちはイメージの中で,痛みを伴う記憶の結末を書き換えることができます。もしも自分を守ってくれる力強い「よい親」の存在があったら何が起こるはずだったか,といったイメージを創り出すのです。幼少期のネガティブな記憶を想起するとそのときの痛みや恐れを再体験することになりますが,一方で イメージワークの中でその記憶の結末を新たなものに書き換えることによって,私たちは慰め,保護,ケアといったポジティブな体験を得ることができます。心は,スライド投影機のように,私たちの意識のスクリーンの上に,その都度一つのイメージだけを映し出します。私たちは「イメージの書き換え」を通じて,プロジェクターが映し出した特定の状況を変化させてしまいます。私たちはクライアントにこう伝えます。「これはマジックのように聞こえるかもしれませんが,イメージによる心や脳への影響は,リアルな体験による影響に匹敵するという科学的研究(Holmes & Mathews, 2010; Arntz, 2012)によって支持されています」。「イメージの書き換え」は,幼少期のトラウマ記憶から人びとを癒すのに効果的な一つの手法なのです。(中略)

「イメージの書き換え」が目指すのは,「脆弱なチャイルドモード」に対し,保護,慰め,養育,愛,導きなど,子どもが必要とするすべての要素を提供してくれる「よい親」を与えることです。私たちはこのワークをスモールステップで行います。というのも,クライアントがこのワークに圧倒されてしまったり,悪い記憶を再体験したりすることを避けたいからです。私たちがこのワークで行うのは,何か悪いことが起きる前に苦痛な記憶をストップさせることです。そして新たなイメージ体験の中で「何も悪いことは起きなかった」というふうに結末を書き換えてしまいます。

注:i) 引用中の「Holmes & Mathews, 2010」は次の論文です。 「Mental imagery in emotion and emotional disorders」 ii) 引用中の「Arntz, 2012」は次の論文です。 「Imagery rescripting as a therapeutic technique: Review of clinical trials, basic studies, and research agenda.」(注:ここも参照) iii) 引用中の「脆弱なチャイルドモード」についてはここここを参照して下さい。 iv) 「スキーマ療法のイメージの書き換えはジャネにまで遡れる」ことについてのツイートがあります。ちなみに、上記「ジャネ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「『ヒステリー患者の心の状態』(上) -ベルクソンとジャネ(7)-

また、研究成果報告書「成人の自閉症スペクトラム障害患者に対する認知行動療法の開発および効果研究」にも関連する成人の自閉症スペクトラム障害(又は自閉スペクトラム症)患者のためのスキーマ療法についての複数の論文要旨を以下に引用します。一方、成人期の高機能自閉スペクトラム症者に対するスキーマ療法についての資料「成人期の高機能自閉スペクトラム症者に対するスキーマ療法 ―ASD の自己理解、トラウマへの対処、自閉特性に対する機能的な対処方略の構築までを行った一事例―」もあります。

①「Early Maladaptive Schemas and Autism Spectrum Disorder in Adults[拙訳]早期不適応的スキーマと成人における自閉スペクトラム症」

This study investigated the differences in early maladaptive schemas between adult outpatients with high-functioning autism spectrum disorder (n = 48) and a non-clinical controls (n = 86). Both groups completed the Young Schema Questionnaire. There were significant differences between the groups in all the early maladaptive schemas, except self-sacrifice and approval/recognition seeking. Logistic regression analysis revealed that early maladaptive schemas such as insufficient self-control, emotional deprivation, and vulnerability to harm and illness significantly discriminated between the groups, suggesting that some early maladaptive schemas are more important than others for depicting the characteristics of adults with autism spectrum disorder.


[拙訳]
高機能自閉スペクトラム症を伴う成人の外来患者(n = 48)と非臨床対照群(n = 86)間との早期不適応的スキーマの差異を、本研究は調査した。 両グループが Young スキーマ質問票への記入を完了した。自己犠牲及び評価と承認の希求を除く、全ての早期不適応的スキーマにおいてグループ間で有意差があった。自制の欠如、感情抑制、損害や疾病に対する脆弱性等の早期不適応的スキーマはグループ間で有意に弁別され、自閉スペクトラム症を伴う成人の特徴を描写するためのいくつかの早期不適応的スキーマが他よりも重要であることの示唆が、ロジスティック回帰分析により明らかになった。

注:i) 引用中の「n = 48」及び「n = 86」は共に人数を示します。 ii) 引用中の「早期不適応的スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自制の欠如」に関連する「自制と自立の欠如スキーマ」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の早期不適応的スキーマの一種である「感情抑制」については上記本、「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の P45 の表 2.1 によると、「感情抑制スキーマ:このスキーマをもつ人は,どんな感情でもそれを表出することは,他者を傷つける,恥ずかしさを感じる,報復を受ける,見捨てられることになると信じている。そのため,自らの感情や衝動を抑制する。堅苦しく,理性や良識を重視する。」とのこと。 v) 引用中の早期不適応的スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「自閉スペクトラム症」については、拙エントリを参照して下さい。

②「Individual Schema Therapy for high-functioning autism spectrum disorder with comorbid psychiatric conditions in Young Adults: Results of a Naturalistic Multiple Case Study[拙訳]若年成人における合併した精神医学的状態を伴う高機能自閉スペクトラム症のための個別スキーマ療法:自然主義的な複数のケーススタディの結果」

Schema Therapy (ST) approaches to high-functioning autism spectrum disorder (HF-ASD) in young people have yet to demonstrate differential effectiveness, and there is little evidence that young people with HF-ASD adapt ST. We conducted a pilot study and case series for HF-ASD in adolescents. We first included patients with HF-ASD (N = 8) into a 4-week baseline phase; this phase functioned as a no-treatment control condition. Then patients began a 5-20-week exploration phase during which symptoms and underlying schemas were explored; this phase functioned as a dysfunctional emotional and behavioural control condition. Next, the treatment phase, the patients received up to 25 sessions of individual ST. In this four-case series, all four participants reported severe maladjustment at baseline and achieved remission by the end of treatment. Conclusions: ST shows promise as a treatment for young adults with HF-ASD.


[拙訳]
若者における高機能自閉スペクトラム症(HF-ASD)へのスキーマ療法(ST)アプローチは、未だ示差的有効性を示していなく、そして HF-ASD を伴う若者が ST に適応するというエビデンスはほとんどない。青年期の人における HF-ASD のためのパイロット研究と症例シリーズを、我々は実施した。我々は最初に HF-ASD(N = 8)を伴う患者を4週間のベースライン段階に入れた。この段階は無治療対照状態として機能した。その後、患者は5~20週間の症状と根底にあるスキーマが探究される探究段階を開始した。この段階は、機能不全の情動的及び行動的対照状態として機能した。次の治療段階で、患者は個々の ST の25回のセッションを受けた。この4ケースシリーズでは、4人の参加者全員がベースラインで重度の不適応状態を報告し、治療の最後までに寛解を達成した。結論:ST は、HF-ASD を伴う若い成人のための治療法として有望であることを示す。

注:i) 引用中の「N = 8」は被験者数を指します。 ii) 拙訳中の「高機能」とは、知的障害を伴わないことのようです。例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の理解と支援」の「高機能自閉症とアスペルガー障害」シート(P3) iii) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline

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※※:本「スキーマ療法最前線 第三世代CBTとの統合から理論と実践の拡大まで」の編者;M.ヴァン・ヴリースウィジク、J.ブロアーゼン、M.ナドルド 監訳者;伊藤絵美、吉村由美 訳者;風岡公美子、小林仁美、津髙京子、森本雅理

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【12】ネガティブ・ケイパビリティを精神分析に適用することについて

最初に「ネガティブ・ケイパビリティ」については次のWEBページを参照して下さい。 『作家・精神科医の帚木蓬生 白血病になって意識した「解決できない事態に耐える力」を身に付ける方法』 次に標記について、帚木蓬生著の本、「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」(2017年発行)の 第二章 精神科医ビオンの再発見 の「ネガティブ・ケイパビリティを精神分析に適用」における記述(P57~P59)を以下に引用します。

ロサンゼルスに居を定め、ビオンは招きに応じて南米にも講演や講義に足を延ばしました。精神分析医として開業もし、患者を治療します。
その過程で生まれたのが一九七〇年刊の『注意と解釈』でした。その第十三章の「達成の前奏もしくは代用」の冒頭で、ビオンはいみじくもキーツのネガティブ・ケイパビリティを初めて引用しました。
この章でビオンが論じているのは、精神分析の実際がどう進められるべきかです。
鍵概念としてビオンが選んだのは〈達成の言語〉でした。分析で交わされる言語は、行動の前奏や前兆としてではなく、行動の代用物の水準にまで高められなければならないと警告したのです。
つまり分析で発せられる言葉は、手で殴ったり、足で蹴ったりする行為と同じくらいの、行動としての達成度を持つ必要があると説きます。
精神分析では、分析者と患者が対峙し、言葉が交わされます。そのとき、双方それぞれに、〝ものの見方〟というものがあります。ビオンはこの〝ものの見方〟を忌避します。あまりにも固定した一方的な視点だからです。その代わりに、〝頂点〟という用語を選びました。山の頂を想像して下さい。展望が周囲に開けています。〝ものの見方〟よりはもっと広い視野を持ち、焦点もあちこちに浮遊できます。
お互いにこの〝頂点〟を持った人間と人間が言葉を交わすのが精神分析です。そこに起きる現象、さまざまな感情や様々の表現のどのひとかけらでも見逃してはなりません。それでなければ、達成の言語とは言えなくなります。
このとき分析者が保持していなければならないのが、キーツのネガティブ・ケイパビリティだと言い切ったのです。
キーツがネガティブ・ケイパビリティを持ち出したのは、詩人や作家が外界に対して有すべき能力としてでした。ビオンは同じく、精神分析医も、患者との間で起こる現象、言葉に対して、同じ能力が要請されると主張したのです。
つまり、不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です。
そしてこの章の末尾で、ビオンは衝撃的な文章を刻みつけます。ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表わしようのない、非存在の存在です。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけます。
これは精神分析に対する根源的な問いかけでした。学問というのは、記憶と理解が基本をなし、こうしたいという欲望もその中に詰まっています。それを捨ててこそ、浮かばれるというのですから、ある人々にとっては衝撃だったでしょう。
しかしビオンの心情はよく分かります。精神分析の大御所として、多くの若い分析家に接する機会の多かったビオンは、ある種の危惧を抱いていたのだと思います。精神分析学には膨大な知見と理論の蓄積があります。若い分析家たちはその学習と理論の応用ばかりにかまけて、目の前の患者との生身の対話をおろそかにしがちです。患者の言葉で自分を豊かにするのではなく、精神分析学の知識で患者を診、理論をあてはめて患者を理解しようとするのです。これは本末転倒です。
記憶も理解も欲望もなくと言ったビオンの指摘は、実に大切なところを突いています。なまじっかの知識を持ち、ある定理を頭にしまい込んで、物事を見ても、見えるのはその範囲内のことのみで、それ以外に広がりません。
患者が発する言葉、ちょっとした振舞いにしても、精神分析学の記憶や理解があると、それは理論的にはこれこれにあてはまると簡単に片づけ、ありきたりの陳腐な解釈になってしまいます。
ビオンは、解釈とはそういうものでない、もう少し開放的で新鮮味に富み、新しい境地に踏み出すような力を有するべきだと説いたのです。

注:(i) 標記「ネガティブ・ケイパビリティ」(negative capability)の意味や重要さについて、 a) 同本の「はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」における連続した記述の一部(P3)を二分割して次に引用(それぞれ《 》内)します。 《ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。》、《あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。》 b) 同「はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」の「ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティ」における連続した記述の一部(P9)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としてしているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。】、【ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。】 加えて、精神科医に求められる能力としての上記「ネガティブ・ケイパビリティ」については次の資料を参照して下さい。 「私の,うつ病の初期面接」の「おわりに,Negative capability という能力」項(P460) その上に、「ネガティブ・ケイパビリティーは現代社会に生きる私たちがいまこそ必要な能力ではないでしょうか」については次のWEBページを参照して下さい。 『成功体験の多い人ほど「ない答え」を求めてしまう 医療では弱点に?(ページ2)』(注:このWEBページを紹介するツイートもあります) c) 「分からないことを分からないままに自分の内に抱えておくことの精神科臨床における重要さ、つまり、negative capability の重要さ」については次のWEBページを参照して下さい。 「内海健先生 ~ヤスパースの了解について~」 (ii) 引用中の「不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です」に関連する標記「ネガティブ・ケイパビリティ」の説明としての「負の能力,陰性能力,性急に証明や理由を求めずに,不確実さや不思議さ,懐疑の中にいることができる能力」については次のWEBページを参照して下さい。 「[第11回]ネガティブ・ケイパビリティを身につける」の『「わからない」状態に耐えることで本質的な理解に近づく』項 (iii) 引用中の「あまりにも固定した一方的な視点」にひょっとして関連するかもしれない、 1) 「確証バイアス」については他の拙エントリのここを、 2) 「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては他の拙エントリのここここを、 3) 「感情的現実主義」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、これらにひょっとして関連するかもしれない「自分が望むように物事を見ること」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 

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【15】情動の清算を言語以外の回路を使って行なうサイコソマティックなアプローチについて

PTSDや複雑性PTSD等に対して適用される、標記サイコソマティック(心身両面)なアプローチに分類されるソマティック・エクスペリエンシングについて、田中雅一、松嶋健編の本、「トラウマ研究1 トラウマを生きる」の 第14章 トラウマと時間性 ―― 死者とともにある〈いま〉 の「6 語り・記憶・過去」項における記述の一部(P475~P477)を次に引用します。

(前略)近年様々なかたちで発展してきたトラウマ治療の技法に、サイコソマティックなアプローチが多く見られるということは大変示唆に富んでいる。EMDRからマインドフルネス、ニューロフィードバックから演劇を使ったものにいたるまで、それらは情動の清算を、言語以外の回路を使って行なうものだからである[ヴァン・デア・コルク二〇一六:四〇八-五八〇]。なかでも興味深いのが、ソマティック・エクスペリエンシングである。その提唱者であるピーター・ラヴィーン[二〇一七]はその機序をこう説明している。脅威に直面すると、逃走/闘争、凍りつきなどの生まれつき備わった生存反応が喚起される。この緊急反応が、脅威が去った後も何らかのかたちで(例えば、脅威が完全に去っていない状態で長期間宙吊りにされたりすることで)継続すると、それは一種の手続き記憶と情動記憶として固定的な行動パターンを形成する。こうした不適応な手続き記憶と情動記憶が長期にわたって存続することが、社会的あるいは人間関係上の問題の根幹をなしているというのが、トラウマの主要な作用機序である。だがこうした固定された行動パターンは、前頭野領域からの選択的な抑制を受けることで修正が可能である。そのためには、出来事が起こった当時、未完了のままであった緊急反応を完了させることが決定的に重要である。(中略)

ラヴィーンは、現代の心理療法において主流をなしている精神分析と認知行動療法では、トラウマへの対処に関して限界があると指摘している。それらは両方とも、トラウマに関連する一部の機能不全には確かに対処しているが、原因の根本には到達していないというのである[ラヴィーン二〇一七:五]。この指摘はとても重い。私たちは、身体を蝶番にして、一方の端には言語システムがあり(11)、他方の端には脳神経ネットワークがあるような連続体を相手にしているわけであるから、どこに働きかけても一定の効果はありうるが、効果的であろうとするなら、働きかけるメディアをその都度変える必要があるだろう。その際、最も重要なのは、身体があらゆるものの蝶番になっているということであり、それが〈今ここ〉に定位しているということである。
ラヴィーンは、過去の記憶を探ることではなく、〈今ここ〉の身体感覚を探索することを基本に置く。「トラウマの記憶は、比較的静かで落ち着いている「今・ここ」の経験という基盤から取り組んでいかなくてはならない(中略)。これはトラウマセラピーにおいて今まで認識されていなかった非常に重要な点で、これはいくら誇張してもし過ぎることはない」というわけだ[ラヴィーン二〇一七:一七八]。彼は、トラウマの記憶とは、過去の圧倒された経験によって刻まれた記憶痕跡であり、脳、身体、そして精神に深く刻み込まれているとして、ウィリアム・フォークナーの「過去は決して死なない。過去は過ぎ去ることもない」という言葉とユージン・オニールの「今も未来も存在しない。あるのは何度も繰り返し起こる過去だけだ」という言葉を引用している[ラヴィーン二〇一七:三、一七]。つまり、過去が「過ぎ去ったもの」という意味での過去にならず現在に生き続けているがために、「今」を生きることができず、人生に流れも生まれないし、未来も生まれないというのである。(後略)

注:i) 引用部の著者は松嶋健です。 ii) 引用中の「ヴァン・デア・コルク二〇一六」は次のWEBページで紹介される本です。 『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』 加えて、引用中の「ヴァン・デア・コルク」については他の拙エントリのリンク集(用語:「べッセル・ヴァン・デア・コーク医師」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「ラヴィーン二〇一七」は次の本です。 【ラヴィーン、ピーター 二〇一七『トラウマと記憶 ―― 脳・身体に刻まれた過去からの回復』花丘ちぐさ訳、春秋社】 iv) 引用中の「EMDR」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 v) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「演劇」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「ソマティック・エクスペリエンシング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「手続き記憶」及び「情動記憶」については共に例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「サイコソマティックなアプローチ」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論の視点からの「身体志向の心理療法」に関して、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の「第7章 心理療法に関するソマティックな視点」における記述の一部(P222~P223)を次に引用します。

(前略)ポージェス:内蔵の状態の調整に関して神経系がどのような役割を果たしているのかという点は、身体志向の心理療法に興味がある人々にとっては重要なテーマです。
しかし心理学および精神医学の世界で使われ、教えられている一般的モデル、理論、およびセラピーの範疇では、この点はまだ取り扱うのに適切な概念であるとはみなされていません。心理学と精神医学では、情動と感情のプロセスを概念化し、これを中心的な現象として捉え、これらの体験について身体の役割を最小限に抑えるトップダウン・モデルが使用されています。こうした考え方をもとに、不安でさえも内蔵の働きの現れではなく、「脳」のプロセスと見なしています。
しかし幸いなことに、身体志向の心理療法家を含む臨床家たちは、脳と身体の双方向のコミュニケーションの重要性を評価しています。例えば、感覚の情報は身体から脳へと伝わり、私たちがどう世界に反応していくかに影響しています。さらに脳は、私たちの世界観や環境の様々な要素への反応に関連する認知と感情のプロセスを通じて、内臓に影響を与えています。複雑な社会環境において、神経系がどのように内臓を調整しているか、また内臓から神経系がどのような影響を受けているか、という双方向の特性については、直観的にはこれが重要であることは明らかであるにもかかわらず、この点は、精神医学などの臨床医学では無視されるか、過小評価されています。(後略)

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【16】構成主義的情動理論における情動の健康を維持するための「概念の補強」及び情動を手なずけるために不可欠な道具としての「再分類」について、その他

最初に情動の健康を維持するための標記「概念の補強」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P296~P303)を次に引用します。

情動の健康を維持するために身体予算の管理の次に実践すべきことは、概念の補強である。私はそれを「心の知能を育むための実践」と呼ぶ。古典的理論の信奉者は、他者の情動を「正確に検知すること」として、心の知能(EI|emotional intelligence)をとらえるだろう。あるいは、「正しいタイミング」で幸福を経験し、悲しみを避けることだと考えるかもしれない。だが新たな情動の理解に従えば、心の知能を別の角度からとらえられる。「幸福」も「悲しみ」も、さまざまなインスタンスから成る。したがって心の知能は、脳が、特定の状況のもとで、その状況にもっともふさわしく有益な情動概念の、最適をインスタンスを構築できるようにすることだと言える(また、情動概念ではなく、情動以外の概念のインスタンスを構築すべきときを知ることでもある)。
ベストセラー『EQ』の著者ダニエル・ゴールマンによれば、心の知能の高さは、学問、ビジネス、人間関係において、より大きな成功をもたらす。彼は次のように述べる。「どんな職業や分野でも、そこでトップに登りつめるにあたって、情動的な能力は、純粋に認知的な能力に比べ、二倍の重要性を持つ19」。だから、心の知能に関して広く受け入れられている科学的な定義や尺度などないと知ったら、読者は驚くだろう。ゴールマンの著書には、道理にかなった実践的なアドバイスが多数提示されているが、それらのアドバイスが有効である理由は説明されておらず、のみならず、そこで引き合いに出されている科学的根拠は、時代遅れの「三位一体脳」モデルに強い影響を受けている。それによれば、情動という内なる野獣をうまく手なずけられるのなら、あなたは高い心の知能を備えているというわけだ20。
心の知能は、概念という用語でうまく特徴づけられる。たとえばあなたは、「すばらしい気分」と「ひどい気分」という二つの情動概念しか知らなかったとしよう。すると自分自身で情動を経験したり他者の情動を知覚したりする際、あなたはたった二つのどんぶり勘定的な概念を用いて情動経験を分類する他はない。そのような人は、心の知能が高いとは言えない。それに対し、「すぼらしい気分」のより細かな意味(幸福、満足、興奮、リラックス、喜び、希望、啓発、誇り、あこがれ、感謝、至福など)や、「ひどい気分」の五〇種類の陰影(怒り、腹立ち、警戒、悪意、不満、後悔、陰うつ、悔しさ、不安、恐怖、憤慨、怖れ、嫉妬、悲惨、憂うつなど)を識別する能力を持っていれば、脳は、予測、分類、情動の知覚に有用な多くのオプションを駆使して、状況に応じた柔軟な対応ができるだろう。感覚刺激を効率的に予測して分類し、状況や環境に即した行動を起こせるようになるのだ。
要するに、ここでの問題は情動粒度である。(第1章で述べたように)いかにしてきめ細かを情動を構築し経験できるかは、人によって異なる。粒度の細かな情動経験が可能な人は、情動の専門家と言えよう。彼らは、その都度の状況に緻密に合致した予測を発し、情動のインスタンスを生成することができる。その対極には、おとなが持つ情動概念をまだ発達させていない子どもが位置する。幼い子どもは、(第5章で見たように)不快な感覚を表現するのに「悲しい(sad)」と「怒っている(mad)」を混同して用いる。わが研究室は、おとなにも、さまざまな段階の情動粒度が見出されることを示してきた21。つまるところ、心の知能を高めるためのカギは、新たな情動概念を獲得し、すでに持っている情動概念を研ぎ澄ますことにある。
新たな概念を獲得する方法は、旅行に出る(森を散歩するだけでもよい)、本を読む、映画を観る、食べたことのない料理を食べてみるなどあまたある。それらを実践して、経験のコレクターになろう。真新しい服を着るように、新たな視点を身につけよう。その種の活動は、複数の概念を結びつけて新たな概念を構築するよう脳を促し、自分の予測や行動が変化する方向へと概念システムを改変してくれるだろう。
一例を紹介しよう。わが家では、夫のダンが、ごみと資源の分別を担当している。というのも、私はすぐに、単にリサイクルが可能なはずという理由で、セロファンや木片などの、本来入れてはならいものを資源回収箱に入れてしまう癖があるからだ。夫は、私のせいで余計な仕事が増えたのだからフラストレーションに駆られてもおかしくないはずだが、むしろヒーローものの漫画本を収集していた子どもの頃に得た概念を当てはめておもしろがっていた。彼は、現実を無視した私の無益な試みを願望的リサイクルと呼び、一種の「スーパーパワー」としてとらえていたのだ。こうして、人をいらいらさせる私の癖は、彼によっておもしろおかしい欠点に変えられたのだ。
もっとも手っ取り早く概念を習得する方法は、おそらく新たな言葉を学ぶことである。読者には、新たな言葉の習得が情動の健康をもたらすと考えたことはないのかもしれないが、この結論は、構築の神経科学から直接導き出される。言葉は概念の種を蒔き、概念は予測を駆り立て、予測は身体予算を調節し、身体予算は感情を左右する。したがって、語彙の粒度がきめ細かくなればなるほど、脳は予測するにあたり、それだけ正確に身体予算を身体のニーズに合わせられるようになる。事実、きめ細かな情動粒度を示す人は、医者や薬の世話になることが少ない22。これは魔法などではなく、身体と社会のあいだの穴だらけの境界をうまく利用したときに起こることである。
だから、できるだけ多くの言葉を覚えよう。自分の心の安全地帯を抜け出す機会を与えてくれるような本を読もう。ナショナル・パブリック・ラジオ〔米国の非営利団体による公共放送〕などの考えさせる聴覚メディアに耳を傾けよう。「幸福な」という言葉だけで満足してはならない。「陶酔的な」「至福の」「啓発された」などの、もっと細かを意味を持つ言葉を覚えて実際に使ってみよう。「悲しい」などの一般的な用語と、「落胆した」や「意気消沈した」などの用語の区別を学習しよう。関連するさまざまな概念を築いていくにつれ、よりきめ細かな経験を構築することが可能になるはずだ。また、覚える言葉は母語だけに限定しないようにしよう。外国語を調べて、たとえば一体感を表わすオランダ語の言葉 gezellig や、強い罪悪感を表わすギリシア語の言葉 enohi など、母語には対応する言葉がない概念を探そう。かくして覚えた言葉は、新たな方法で自己の経験を構築するきっかけになるはずだ23。
社会的現実と概念結合の力を利用して、独自の情動概念を発明するのもよい。作家のジェフリー・ユージェニデスは小説『ミドルセックス』で、一語を割り当てているわけではないが、「中年に始まる鏡への憎悪」「空想しながら眠ることの落胆」「ミニバー付きの部屋で過ごすことの興奮」などの興味深い例をいくつもあげている。自分でもやってみよう。目を閉じて車を運転している自分を思い浮かべてみる。もう二度と戻ってこないつもりで故郷の町を離れる。いくつかの情動概念を結びつけて、そのときの感情を描写できるだろうか? このテクニックを毎日実践していれば、さまざまな状況に巧みに対処できるようになるはずだ。またおそらく、他者に強い共感を抱けるようになり、いさかいを調停し、人々とうまくやっていく能力が向上するだろう。(中略)

心の知能が高い人は、たくさんの概念を持つばかりでなく、どの概念をいかなる状況で使うべきなのかを心得ている。画家が微妙な色の違いを見分け、ワイン愛好家が独自の味わい方に習熟していくように、あなたも実践を通して分類の能力を磨くことができる。髪は乱れ、よれよれの服にはしみがつき、たった今目覚めたばかりといった風情で息子が登校しようとしていたとする。そんな彼を叱って服を着替えさせることもできようが、その代わりに、次のように自分自身がどう感じているのかを自問することもできる。「学校の先生が息子を真剣に扱ってくれなくなるのが心配なのだろうか?」「油ぎった彼の髪の毛に嫌悪を感じているのか?」「あんな服装だと、親の自分が白い目で見られると考えているのだろうか?」「せっかく買ってあげた服を息子が着ないことに腹を立てているのか?」「小さかった息子が成長してしまったので、かつての無邪気さをなつかしんでいるのだろうか?」――その種の自問がおかしく感じられるのなら、人々はそのために大枚はたいてセラピーや人生相談を受け、状況の見直しに役立つ、つまり行動の指針としてもっとも有益な分類を見出そうとしていることを思い出してほしい。あなたも実践を積めば、情動の分類の専門家になれる。繰り返せば繰り返すほど、楽にできるようになるだろう。
クモ恐怖症の研究によって、きめ細かな情動の分類は、情動を「調節する」他の二つのアプローチにまさることが示されている24。それらの一つ、認知的再評価と呼ばれるアプローチでは、被験者は、「私の目の前にいるのは小さなクモで無害だ」などと、恐ろしくないものとしてクモを表現するよう教えられる。二つ目のアプローチは気を散らすことで、被験者の注意をクモとは無関係なものに向けさせる。三つ目のアプローチは、感覚刺激をより粒度の細かなレベルで分類するというもので、被験者は、たとえば「私の目の前にいるのは、とても醜いクモで私の神経を逆なでする。でも興味深い」などと考える。実験の結果、クモ恐怖症の人がクモがいる方向に近づくときに不安をそれほど感じないようになるには、三つ目のアプローチがもっとも有効だとわかったのだ。なおこの効果は、実験終了後一週間持続した。
情動粒度の高さには、満ち足りた人生を送るにあたって、その他にも有益な効果がある。いくつかの研究によって、不快な感情をきめ細かく識別する能力を持つ人は(要するに、五〇種類の「ひどい気分」を識別できる人は)、情動の調節において三〇パーセントほど柔軟性が高くなり25、ストレスを感じたときに飲みすぎることが少なく26、自分を傷つけた相手に攻撃的に振る舞うこともあまりない27。統合失調症を抱える人のあいだでも、きめ細かな情動を示す人は、そうでない人に比べて、家族や友人と良好な関係を維持できていると報告することが多い。また、社会生活の場面で、正しい行動を選択する能カが高い28。
それに対して情動粒度の低さは、あらゆる種類の問題に結びつく。うつ病29、社交不安障害30、摂食障害31、自閉症スペクトラム障害32、境界性パーソナリティ障害33を抱える人や、単に不安や抑うつを頻繁に経験する人34は、負の情動に対して粒度の低さを示す。また統合失調症と診断された人は、正の情動と負の情動の識別において、情動粒度の低さを示す35。情動粒度の低さが疾病を引き起こすと言いたいのではないが、何らかの役割を果たしていると考えられる。
概念を磨くにあたって情動粒度の改善の次にできることは、セラピーや自己啓発書でよく取り上げられる方法だが、肯定的なできごとの日記をつけることである。少しでも微笑ましいできごとがあっただろうか? 肯定的なできごとを経験するたびに、概念システムが働きかけられ、その経験に関連する概念が強化される。すると世界に関する心的モデルのなかで、概念が際立ち始める。それを書き留めておくとよい。なぜなら、言葉は概念の発達を促し、肯定的なできごとを予測する心構えを函養してくれるからだ36。
それに対し、不快をものごとに思いを巡らせていると、身体予算に変動が生じる。深く考え過ぎると悪循環を引き起こす。たとえば、恋人との関係の破綻に思いを巡らせるたびに、予測に動員されるインスタンスがつけ加えられ、考え悩む機会がさらに増える。破局に至ったときの罵り合いや別れ際の恋人の表情など、関係の破綻に関連する概念のいくつかが、世界のモデルのなかで確固たる位置を占める。そしてそのような概念は、踏み固められた道がそこを通る人によって本物の道路になるように、たとえ自分では望んでいなくても、神経活動のパターンの一つとして脳によってますます頻繁に再生されるようになるのだ。自分が構築する経験はすべて一種の投資なので、投資は賢明に行なう必要がある。だから、将来もう一度構築したくなるような経験を培うようにしよう。(後略)

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の原注番号「19」に関し、次の本を参照して下さい。 【Goleman, Daniel. 1998. Working with Emotional Intelligence. New york: Bantam.[『ビジネスEQ――感情コンピテンスを仕事に生かす』梅津祐良訳、東洋経済新報社】 (ii) 引用中の原注番号「20」に関し、例えば次の本を参照して下さい。 【Bourassa-Perron, Cynthia. 2011. The Brain and Emotional Intelligence: New Insights. Florence, MA: More Than Sound.】 (iii) 引用中の原注番号「21」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Affect as a Psychological Primitive.」 (iv) 引用中の原注番号「22」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emodiversity and the emotional ecosystem.」(特に全文の「Study 2」項) (v) 引用中の原注番号「23」に関し、「英語以外からの情動概念」(emotion concepts from non-English languages)については次のWEBページを参照して下さい。 「Emotion concepts from non-English languages」 (vi) 引用中の原注番号「24」の内容の一部(P590)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)「情動ラベリング」「気分ラベリング」は、内受容ネットワークの身体予算領域の活動の低下と、コントロールネットワーク領域の活動の増大と結びついている(後略)』(注:引用中の「情動ラベリング」「気分ラベリング」に関連するかもしれない論文は次を参照して下さい。 「Feelings into words: contributions of language to exposure therapy.」、「Putting feelings into words: affect labeling disrupts amygdala activity in response to affective stimuli.」、「An fMRI investigation of race-related amygdala activity in African-American and Caucasian-American individuals.」 (vii) 引用中の原注番号「25」の内容の一部を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『Barrett et al. 2001. この論文は、強いネガティブな気分が、情動経験として分類されれば、情動の調節の向上につながることを初めて示した。(後略)』(注:a) 引用中の「Barrett et al. 2001」は次の論文です。 「Knowing what you're feeling and knowing what to do about it: Mapping the relation between emotion differentiation and emotion regulation」 b) この引用に関連する論文及びWEBページは次を参照して下さい。 「Unpacking Emotion Differentiation: Transforming Unpleasant Experience by Perceiving Distinctions in Negativity」、「Negative emotional granularity」) (viii) 引用中の原注番号「26」の内容を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『彼らは、情動粒度が低い人に比べ、40パーセントほどアルコールの消費量が少なかった(Kashdan et al. 2010)。』(注:引用中の「Kashdan et al. 2010」は次の論文です。 「Emotion Differentiation as Resilience Against Excessive Alcohol Use: An Ecological Momentary Assessment in Underage Social Drinkers」) (ix) 引用中の原注番号「27」の内容を(P590)を次に引用(『 』内)します。 『20 ~ 50 パーセント低い(Pond et al. 2012)。』(注:引用中の「Pond et al. 2012」は次の論文です。 「Emotion Differentiation Moderates Aggressive Tendencies in Angry People: A Daily Diary Analysis」) (x) 引用中の原注番号「28」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and social functioning in individuals with schizophrenia: an experience sampling study.」 (xi) 引用中の原注番号「29」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Feeling blue or turquoise? Emotional differentiation in major depressive disorder.」 (xi) 引用中の原注番号「30」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Differentiating emotions across contexts: comparing adults with and without social anxiety disorder using random, social interaction, and daily experience sampling.」 (xii) 引用中の原注番号「31」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Nothing Tastes as Good as Thin Feels: Low Positive Emotion Differentiation and Weight-Loss Activities in Anorexia Nervosa」 (xiii) 引用中の原注番号「32」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotion differentiation in autism spectrum disorder」 (xiv) 引用中の原注番号「33」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and borderline personality disorder.」、「Preliminary evidence for an emotion dysregulation model of generalized anxiety disorder.」 (xv) 引用中の原注番号「34」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Preliminary evidence for an emotion dysregulation model of generalized anxiety disorder.」(特に Study 1)、「Negative emotion differentiation: its personality and well-being correlates and a comparison of different assessment methods.」(全文はここを参照、特に Study 2 と 3) (xvi) 引用中の原注番号「35」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and borderline personality disorder.」、「A Preliminary Examination of the Role of Emotion Differentiation in the Relationship between Borderline Personality and Urges for Maladaptive Behaviors.」 (xvii) 引用中の原注番号「36」に関し、例えば次の論文を参照して下さい。 「Emotional granularity and social functioning in individuals with schizophrenia: an experience sampling study.」 (xviii) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼概念(Concept)とインスタンス(instance)」項を参照して下さい。 (xix) 引用中の「情動粒度の高さ」に関連する、 a) 『Barrett は,「情動粒度(emotional granularity)」を高めることが臨床上有用であると指摘している』ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスにおける身体性」の「2.3.3 感情の意味と情動粒度」項 b) 「情動粒度の高い人は、医師を受診する頻度が低い」ことについては次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Try these two smart techniques to help you master your emotions」の「People who can construct finely-grained emotional experiences go to the doctor less frequently, use medication less frequently, and spend fewer days hospitalized for illness.」項 (xx) 引用中の「うつ病」、「社交不安障害」、「摂食障害」、「境界性パーソナリティ障害」については共に他の拙エントリのリンク集(ただし、「社交不安障害」は用語「強迫性障害(強迫症)、社交不安障害」を参照)を参照して下さい。 (xxi) 引用中の「自閉症スペクトラム障害」については他の拙エントリを参照して下さい。

次に仏教やマインドフルネス瞑想にも関連する情動を手なずけるために不可欠な道具としての「再分類」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P311~P320)を次に引用します。

(前略)再分類は、情動の専門家が使う道具である。情動を手なずけて自己の行動を調節するにあたって、より多くの概念を知り、より多様なインスタンスを生成する能力を持っていれば、それだけ効率的に再分類ができる。たとえば、受験直前に頭がのぼせたように感じだとする。その場合、そのような感情を有害な不安としても(「もうだめだ。受かりっこない!」)、有益な期待としても(「活力がみなぎってきた。よし、やってやろうじゃないか」)再分類できる。娘が通っている空手道場の師範ジョー・エスポジートは、黒帯昇段審査の前に神経質になっている生徒に「きみの蝶を一斉に飛び立たせなさい」とアドバイスする。彼はそれによって、「確かにきみは緊張している。でも、それを臆病のせいだととらえないようにしよう。決心のインスタンスを生成しなさい」と諭しているのだ。
この種の再分類は、日常生活において実質的な恩恵を与えてくれる52。GRE〔大学院進学適性試験〕などの数学テストの成績を調査したさまざまな研究によって、身体による対処の徴候として不安を再分類すると、成績が上がることが見出されている53。不安を興奮として再分類する人にも同様な効果が見出されており、大勢の前で話すときや、カラオケで歌うときでさえ良好な結果が得られ、不安の典型的な徴候をあまり示さなくなる。彼らの交感神経系は依然として神経質を蝶を生んでいるはずだが、能力の発揮を阻害し、人をみじめな気分に陥れると一般に言われている炎症性サイトカインの分泌が抑えられるために54、より良い結果が得られるようになるのだ55。公立短期大学で行なわれた数学の補習クラスの学生を対象とする研究では、効果的な再分類を行なうことで、試験の点数と最終的な成績が上昇することが示されている56。学位が取得できるか否かは、経済的に成功するか生涯苦労するかを左右することを考えれば、この効果は、本人のその後の人生に多大な影響を及ぼすと言えるだろう57。
だとえば激しい運動をしているときに覚えた身体的苦痛を有益なものとして分類できれば、十分な持久力を培えるだろう。米国海兵隊は、「痛みは身体を去らんとしている虚弱さだ」という標語を掲げて、この原理を実行に移している。身体から入って来る感覚刺激を消耗として分類していれば、不快感を覚えた瞬間に運動を止めるだろう。運動の継続は健康に有益なのに、人はたいてい、つねにある一定の限界内でのみ運動している58。しかし再分類の力を借りて運動を継続することによって、やがて健康で強靭な身体も満足感も得られる。この実践を積めば積むほど、持続して運動できるように概念システムが調節可能になるはずだ。
腰痛、スポーツによる負傷、困難を治療による苦痛などの身体の問題は、純然たる身体の痛みと、気分が関わる苦痛の相違を判別する、同様な機会を与えてくれる。たとえば慢性疼痛を患う人は、痛みの強度に釣り合わないほど大きな影響が生活全般に及んでいると、悲観的に考えることが多い59。そのような人が身体の痛みと不快感を区別する術を学ぶと、鎮痛剤をそれほど所望しなくなり、使用頻度が減る60。これは、毎年ほぼ六パーセントのアメリカ人が慢性疼痛を緩和する薬の処方を受けており、その多くが、長期的には痛みの症状を悪化させることが現在では知られている、習慣性のあるオピエート〔ケシの実を由来にする鎮痛薬〕である点を考慮すれば、非常に重要な発見である61。『痛みの追跡(Paintracking)』の著者デポラ・バレット(私の親戚でもある)によれば、純然たる身体の問題として分類できれば、痛みは個人的な災いとして感じられなくなるという。
苦痛を身体の痛みとして再分類し、心的なものを身体的なものに解体するという考えは、古代から存在する。仏教で実践されているある種の瞑想法では、苦痛を軽減するために、感覚を身体症状として再分類する。仏教徒は、この実践方法を「自己の解体」と呼んでいる。「自己」とは「アイデンティティ」であり、記憶、信念、好悪、希望、人生の選択、道徳観、価値観などから成る一連の特徴の集まりを指す。また、遺伝子、身体的な特徴(体重、目の色など)、民族、性格(陽気、誠実さなど)、他者との関係(友人、親、子、恋人など)、社会的役割(学生、科学者、セールスマン、工場労働者、医師など)、所属するコミュニティ(アメリカ人、ニューヨーク市民、キリスト教徒、民主党支持者など)によって、あるいは運転している車によってさえ自分を定義することができる。これらの定義は、「自己とは、自分が誰であるかを示す感覚であり、その人の本質であるかのごとく長く保たれる」という考えに基づいている点で共通する62。
仏教徒は、自己を虚構ととらえ、人間の苦悩の主要な源泉と見なす。仏教徒の観点からすれば、高価な車や服を欲しがったり、名声を高めるために賛辞を得ようとしたり、自分の人生に役立つ地位や権力を追い求めたりすることは、虚構の自己を現実の自己と取り違えている(自己を具象化している)ことを意味する。その種の物質的な関心は、即座に快楽や満足をもたらしてくれるかもしれないが、黄金の手錠〔golden handcuffs は特別待遇も意味する〕のようにその人を罠に陥れ、われわれが「長引く不快を気分」と呼ぶ執拗な苦痛を引き起こす63。仏教徒にとって、自己は一過性の身体的病気以上に大きな問題を孕む。要するに、自己は、永続する不幸の源泉なのである64。
「自己」に関する私の科学的な定義は脳の働きを考慮に入れたものだが、仏教の見解とも親和性がある。自己は社会的現実の一部であると、私は考える。虚構ではないとしても、中性子のように実在するものでもなく、他者の存在に依存する65。科学的に言えば、予測や、それによって生じる行動は、他者による自分の扱いにある程度依存する。ひとりで自己を保つことはできない66。今や私たちは、映画『キャスト・アウェイ』(米・二〇〇〇年)で、孤島に四年間置き去りにされたトム・ハンクス扮する主人公が、バレーボールを使ってウイルソンという名の仲間を作り出さねばならなかった理由を理解できるはずだ67。(中略)

仏教徒が言うように、自己という虚構は、「人間には、その人をその人たらしめている恒久的な本質が備わっている」と見なすことに由来する。実際には、人間はそのような本質を備えていない。私の考えでは、自己は、外界と身体から入って来る持続的な感覚入力を分類するにつれ、今や読者にはお馴染みの二つのネットワーク(内受容ネットワーク、コントロールネットワーク)を含む、情動を生む予測中核システムによって、つねに構築し直されている。事実、デフォルトモードネットワークと呼ばれる内受容ネットワークの一部は、「自己システム」と呼ばれてきた。このシステムの活動は、内省しているあいだ一貫して増大する。アルツハイマー病に罹患したときなどデフォルトモードネットワークが萎縮すると、やがて自己の感覚が失われていく73。
自己の解体は、いかにして自己の情動のマスターになれるかについて新たな洞察をもたらしてくれる。概念システムにひねりを加え、予測を変えることで、未来の経験ばかりでなく、「自己」を改造することさえできるのだ。
家計のやりくりがうまくいかず不安に駆られている、当然と考えていた昇進が先送りされて腹が立っている、学校の成績の悪さに落胆している、あるいは恋人に捨てられて落ち込んでいるため気分が悪かったとしよう。仏教の教えでは、そのような感情は、自己を具象化するために富、名声、権力、安全に執着した結果によって生じる煩悩だとされる。構成主義的情動理論の用語で言えば、富や名声などは、自分の「感情的ニッチ」の内部に存在する。そして、身体予算に影響を及ぼし、やがて不快な情動のインスタンスの生成を導く。その瞬間の自己を解体すれば、「感情的ニッチ」が縮小し、「名声」「権力」「富」などの概念は不要になる74。
欧米の文化にも、「モノに執着するな」「艱難汝を玉にす」「何を言われても平気だ」など、それに類する金言が存在する。だが私は、それをもう一歩進めるべきだと言いたい。病気や侮辱によって苦痛を感じたとき、「自分は、ほんとうに危険にさらされているのか? それとも自己という社会的現実が脅かされているだけなのか?」と自問してみるとよい。それに対する答えは、高鳴る動悸や胸のつかえ、あるいは額に浮かぶ汗を純然たる身体的な感覚刺激として再分類し、水に溶かした胃腸薬のごとく不安、怒り、落胆を解消するのに役立つだろう75。
この種の再分類は簡単にできるものではない。しかし実践を積めば不可能ではなくなり、健康に資するようになる。「自分に関係しないもの」として再分類したものは、感情的ニッチから去っていき、身体予算に大した影響を及ぼさなくなる。同様に、「うまくいった」「誇らしい」「光栄だ」「満足した」などと感じたときには、一歩下がって、その手の快い情動は社会的現実から生じ、虚構の自己を強化する結果をもたらすという点を思い出そう。自分の成功を祝福するのは構わないが、それを黄金の手錠にしてはならない。少し平静になるほうが有益だ。
この方法をもっと進めたいのなら、瞑想を試してみよう。瞑想にはさまざまなタイプがあるが、そのうちの一つ、マインドフルネス瞑想法は、今この瞬間に注意を集中し、さまざまな感覚が生じては消えていく様子を、いかなる判断も差し挟まずに観察するよう教える*。この状態は(それを達成するには多大な実践が必要とされる)、新生児が周囲を観察するときの、静かで注意を集中した状態を思い起こさせる。新生児の脳は予測エラーに心地よく満たされながら、不安のない状態に置かれている。新生児は感覚刺激を経験し、そして解き放つ。瞑想は、それに似た状態に入ることを可能にする。その状態が得られるようになるには何年もの実践が必要だが、次善の手段は、思考、感情、知覚を、より簡単に解き放てる身体的な感覚刺激として再分類することだ。少なくとも最初は、身体に焦点を絞る分類の優先度を上げ、自分や自分の置かれている立場に関して心理的な意味を付与する結果をもたらす分類の優先度を下げるために、瞑想を活用することができる。
科学者の手で詳細な結果が得られているわけではないが、瞑想は脳の構造と機能に強い影響を及ぼす。瞑想実践者の、内受容ネットワークとコントロールネットワークの主たる領域は拡大し、領域間の結合は強まっている76。この結果は、われわれの予想に一致する。というのも、内受容ネットワークは心的な概念を構築し、身体やコントロールネットワークから入って来る感覚刺激を表象するのに、またコントロールネットワークは分類の調節に、重要な役割を果たしているからだ。数時間トレーニングを行なっただけで、この結合が強まっていることを見出した研究もある。さらには、瞑想がストレスの軽減、予測エラーの検知とその処理の効率化、(「情動調節」と呼ばれる)再分類の促進、不快な気分の軽減をもたらすことを示した研究もある。ただしこれらの発見は、一貫して得られているわけではない。というのも、あらゆる実験が、比較対照群を十分に設定しているわけではないからだ77。
自己の解体は、非常に困難なものになりうる。だがその効果の一部は、畏敬の感覚を養い経験することで、すなわち自分よりはるかに大きなものの存在を感じることで、もっと単純に得られる78。この方法は、自己と距離を保つことに役立つ。
私は、ロードアイランド州の海辺の家で家族と一緒に夏の数週間を過ごしたとき、畏敬の念をじかに体験したことがある。私たちは毎晩、激しいコオロギの鳴き声の交響楽に包まれていた。私はそれまでコオロギの鳴き声に注意を向けたことはなかったが、今やそれは私の感情的ニッチに入って来たのだ。毎晩コオロギの鳴き声を聴くのが待ち遠しくなり、寝るときには、それを耳にすると気分が休まるようなった79。そして休暇から戻ってきたあとでも、夜静かに横たわっていると、わが家の厚い壁越しにコオロギの鳴き声が聴こえてくるのに気づくようになった。今や夏になって、研究室でストレスに満ちた一日を過ごしたあと、不安を感じて真夜中に目が覚めたときにコオロギの鳴き声を聴くと、すぐにもう一度眠りにつくようになった。こうして私は、自然に包まれて自分が小さな存在のように感じられる、畏敬に触発された概念を得たのだ。この概念を用いれば、望むときに身体予算の状態を変えられる。私は地面の裂け目から小さな雑草が伸びてくるのを目にして、文明によって自然を飼いならすのは不可能であることを悟り、自分というとろに足らない存在に慰めを見出すために、その概念を活用するようになった。
畏敬の感覚は、海岸の岩に砕け散る波の音に耳を傾ける、星を眺める、嵐雲の下を歩く、見知らぬ土地に出かける、スピリチュアルなイベントに参加することでも得られる。なお、頻繁に畏敬を感じると自己申告する人は、炎症を引き起こす悪性のサイトカインのレベルが低い(ただし因果関係はまだ立証されていない80)。
畏敬の感覚を養うにせよ、瞑想するにせよ、あるいは経験を身体的な感覚刺激に解体するためのその他の方法を見つけるにせよ、再分類は情動を手なずけるために不可欠な道具だ。気分がすぐれないときには、不快な感覚を個人的に何か意味があるものとしてとらえるのではなく、ウイルスに感染しているなどと考えるようにしよう。その感情は単なるノイズかもしれず、十分睡眠をとれば済むかもしれないのだから。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] (i) 引用中の脚注「*」の内容(P319)を次に引用(『 』内)します。 『*=仏教徒の観点からすると、自己の解体は、「分類」を中断することだと言えるかもしれない。しかし神経科学の観点から言えば、脳が予測を中断することは決してない。したがって概念をオフにすることはできない』(注:引用中の「予測」については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」) (ii) 引用中の原注番号「52」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『このトピックは「ストレス再評価」として知られている(Jamieson, mendes, et al. 2013)。』(注:引用中の「(Jamieson, mendes, et al. 2013)」は次の論文です。 「Mind over matter: reappraising arousal improves cardiovascular and cognitive responses to stress.」) (iii) 引用中の原注番号「53」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Turning the knots in your stomach into bows: Reappraising arousal improves performance on the GRE.」、「Mind over matter: reappraising arousal improves cardiovascular and cognitive responses to stress.」、「Improving Acute Stress Responses The Power of Reappraisal」 (iv) 引用中の原注番号「54」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Rethinking stress: the role of mindsets in determining the stress response.」 (v) 引用中の原注番号「55」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Socioeconomic Status and Social Support: Social Support Reduces Inflammatory Reactivity for Individuals Whose Early-Life Socioeconomic Status Was Low.」 (vi) 引用中の原注番号「56」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Reappraising Stress Arousal Improves Performance and Reduces Evaluation Anxiety in Classroom Exam Situations」 (vii) 引用中の原注番号「57」の内容の一部を(P589)を次に引用(『 』内)します。 『数学の補習クラスの学生のうち、学士号を取得したのは27パーセントである。(後略)』(注:詳細については次のWEBページを参照して下さい。 「Concepts have financial benefits」) (viii) 引用中の原注番号「58」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Physiological conflict in humans: fatigue vs. cold discomfort.」、「https://www.researchgate.net/publication/276960766_Invited_Guest_Editorial_Envisioning_the_next_fifty_years_of_research_on_the_exercise-Affect_relationship:titlenvited Guest Editorial: Envisioning the next fifty years of research on the exercise—Affect relationship」、「Does affective valence during and immediately following a 10-min walk predict concurrent and future physical activity?」 (ix) 引用中の原注番号「59」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Dimensions of catastrophic thinking associated with pain experience and disability in patients with neuropathic pain conditions.」 (x) 引用中の原注番号「60」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Effects of Mindfulness-Oriented Recovery Enhancement on reward responsiveness and opioid cue-reactivity.」 (xi) 引用中の原注番号「61」に関し、次の論文を参照して下さい。 「What Do We Know About Opioid-Induced Hyperalgesia?」 加えてこれに関連する論文(全文)は次を参照して下さい。 「The Evidence for Opioid-Induced Hyperalgesia Today」 (xii) 引用中の原注番号「62」に関し、自己に対する西洋の見方(Western views of the self)については次のWEBページを参照して下さい。 「Western views of the self」 (xiii) 引用中の原注番号「63」の内容の一部(P589)を次に引用(『 』内)します。 『仏教徒は、自己を証明するための物的所有や賛辞を「心の毒」と呼ぶ。それは苦痛(たとえばぺてん師のように感じるなど)だけでなく、自分を承認しないもの、あるいは虚構の自己の化けの皮を剥がす怖れのあるものは何であれ傷つけようとする衝動を引き起こす。(後略)』(注:引用中の「虚構の自己」(fictional self)の例については次のWEBページを参照して下さい。 「A fictional self」) (xiv) 引用中の原注番号「64」の内容の一部(P589)を次に引用(『 』内)します。 『人はいつまでも同じままでいるという虚構を捨てるのも、良い考えである。(後略)』(注:a) 上記引用に関連して次のWEBページを参照して下さい。 「Self as an enduring affliction」 b) 引用中の「人はいつまでも同じままでいるという虚構」に関連するかもしれない「無常」については) (xv) 引用中の原注番号「65」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『「自己」は単に、他者が自分をどう見ているのか、いかに扱っているのかの反映であると言いたいわけではない。その考えは、哲学者のジョージ・ハーバード・ミードや社会学者の C. H. クーリーが提起するシンボリック相互作用論である。誰も自分を知らない、まったく新たな文脈のもとで(飛行機に乗ったときなど)、あなたはいつもと非常に異なるあり方で振る舞ったり、感じたりするだろうか?』 (xvi) 引用中の原注番号「66」の内容(P589)を次に引用(『 』内)します。 『これは社会心理学者ヘイゼル・マーカスの決めぜりふである。』 (xvii) 引用中の原注番号「67」の内容(P588~P589)を次に引用(『 』内)します。 『バレーボールはウィルソン・スポーティング・グッズ・カンパニー〔実在するスポーツ用品製造企業〕製なので、表面に「ウィルソン」と銘打たれていた。』 (xviii) 引用中の原注番号「73」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Autobiographical memory and sense of self.」 (xix) 引用中の原注番号「74」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『自己の解体は、心の毒を退けて、経験の真の本性、伝統的な仏教の用語を借りればダルマを明らかにする。』 (xx) 引用中の原注番号「75」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『誰かに捨てられたときの落胆は、扱いが少しむずかしい。というのも、誰かに愛着することは、2人がお互いの身体予算を調節し合うことを意味するからだ。したがって離別や喪失は、その説明のために身体予算の再調整を要する。』 (xxi) 引用中の原注番号「76」に関し、次の論文を参照して下さい。 「The neuroscience of mindfulness meditation.」、「Alterations in Resting-State Functional Connectivity Link Mindfulness Meditation With Reduced Interleukin-6: A Randomized Controlled Trial.」 加えて、3タイプの瞑想方法の脳への影響に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Meditation types」 (xxii) 引用中の原注番号「77」の内容の一部(P588)を次に引用(『 』内)します。 『瞑想がいかに自己を解体し、注意の維持に役立つのかは、解明されていない。(後略)』(注:この引用に関しては次のWEBページを参照して下さい。 「Meditation and the brain」) (xxiii) 引用中の原注番号「78」の内容の一部(P588)を次に引用(『 』内)します。 『(前略)無神論者の感じる畏怖は、宗教を信奉している人々の信仰心に類似する(後略)』(注:a) 引用中の「畏怖」に関連する論文例は次を参照して下さい。 「Approaching awe, a moral, spiritual, and aesthetic emotion.」、「Exploring the atheist personality: well-being, awe, and magical thinking in atheists, Buddhists, and Christians」) (xxiv) 引用中の原注番号「79」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『鳴くのはオスのコオロギだけであり、目的に応じて異なる歌をうたう。とはいえ、たいていメスを惹きつけるためだ、だから少しばかり心的推論を行なって、コオロギの鳴き声を自然の熱狂的なラブソングとして考えるようにするとよい。』 (xxv) 引用中の原注番号「80」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Positive affect and markers of inflammation: discrete positive emotions predict lower levels of inflammatory cytokines.」 (xxvi) 引用中の「インスタンス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxvii) 引用中の「マインドフルネス瞑想」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xxviii) 引用中の(仏教において)「人間はそのような本質を備えていない」(注:「そのような本質」とは「その人をその人たらしめている恒久的な本質」を指すようです)ことに関連するかもしれない「空」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「空」 (xxix) 引用中の「感情的ニッチ」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼感情的ニッチ(affective niche)」項を参照して下さい。

一方、構成主義的情動理論の視点からの「他者の情動を知覚する能力を高めることで、健康を向上させる方法」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なずける」における記述の一部(P320~P325)を次に引用します。

ここまで、自己の経験に対して心の知能を高めるためには何をすればよいかを見てきた。次に他者の情動を知覚する能力を高めることで、健康を向上させる方法を検討しよう。
私の夫ダンは、私たちが知り合う以前のことだが、数十年前に矩いあいだながら困難な時期を過ごし、セラピストを紹介されたことがある。最初のセッションが始まって三〇秒くらいで、ダンは集中しているときに彼がよく見せるしかめ面をした。するとセラピストは、自分の知覚を疑うことなく、「抑圧された怒りが溜まっています」と宣告した。ちなみにダンは、私が知る限りもっとも穏やかな人物の一人である。ダンが「自分は怒ってなどいない」と返すと、クライアントの感情を読む自分の能力を過信していたセラピストは、「いや怒っています」と言い張った。それを聞いたダンは、入ってから秒針が一回転すらしないうちに診療室をあとにしていた。おそらくこれは、セラピー・セッションの世界最短記録に違いない。
セラピストをけなそうとしているのではない。私が言いたいのは、他者の心の状態に関する自分の知覚が「正しい」と確信することが(あるいは「正しくありうる」と考えることさえ)、誤りであるということだ。この確信は古典的理論に基づく。それによれば、ダンは、たとえ本人が気づいていなくても、明確な指標を持つ怒りを表明したのであり、セラピストはその怒りを検知したのだと見なされる。他者の情動経験の知覚に長じるためには、その手の本質主義的な仮定を捨て去る必要がある。
ダンのセラピーで、いったい何が起こったのか? ダンは注意の集中という経験を、それに対してセラピストは怒りの知覚を構築したのだ。どちらの構築も、客観的な意味ではなく、社会的な意味で現実のものである。情動の知覚は推測であり、相手の経験と一致した場合にのみ、言い換えると、適用する概念が両者のあいだで一致した場合にのみ「正しい」。他者がどう感じているかがわかるという確信はつねに、実際の知識とは何の関係もない。ただ感情的現実主義にとらわれているだけだ81。
他者の情動を知覚する能力を向上させるためには、他者が何を感じているかが自分にはわかるという思い込みを捨てなければならない。あなたと友人が感情に関して意見の一致が見られなかった場合、ダンのセラピストのように、友人のほうが間違っていると決めつけてはならない。そうではなく「私たちは見解が一致していないようだ」と考え、好奇心をもって友人の視点を学ぶようにしよう。友人の経験に関心を持つことは、正しくあることより重要なのだから。
では、知覚が単なる推測にすぎないのなら、コミュニケーションは成立しうるのか? 自分の子どもの学校の成績に誇りを持っているとあなたが私に言ったとしよう。「誇り」が一貫した指標を持たない多様なインスタンスの集合なら、あなたの言う「誇り」が、そのうちのどれを指しているのかを、私はどのように知るのか?(ちなみに、誇りにはただーつの本質が存在すると見なす古典的理論では、この問いは生じない。その考えに従えば、あなたは誇りを伝達し、私はそれを認識するだけだからだ)。あなたと私は、脳の予測システムを動員することで、特定の情動をその多様性にもかかわらず伝達し合える。情動は予測に導かれる。だから私があなたを観察するとき、私が知覚する情動は、自分の予測に導かれている。つまり情動のコミュニケーションは、あなたと私が同期して予測し、分類するときに起こるのだ82。
科学者とバーテンダーは、人々がコミュニケーションを図るときには、とりわけ好意や信頼を分かち合っていると、行動が同期することを心得ている。私がうなずくとあなたもうなずく。あなたが私の腕に触ると、私はすぐにあなたの腕を触り返す。私たちの非言語的な行動は、同期がとれている。加えて、生物学的な同期が存在する。固い絆で結ばれた母親と子どもの心拍は同期している。同じことは、会話に熱中しているときに、誰にでも起こる。対応するメカニズムは現在でも不明だが、私の考えでは、母親と子どもが、お互いの胸がふくらんだり収縮したりするのを無意識に観察することで、呼吸が同期するからではないだろうか83。私はセラピスト見習いだった頃、自分の呼吸と相手の呼吸を故意に同期させることで、クライアントを催眠状態に陥らせやすくする方法を学んだ84。
同様に私たちは、情動概念を同期させる。情動は予測に導かれる。ゆえに、あなたが私を観察するとき、あなたが知覚する情動は、あなたの予測に導かれる。私の声音や動作は、あなたの脳によって知覚される際、予測を確認するか、予測エラーを引き起こす。
あなたが私に「息子がクラス劇で主役を演じることになったんだ。実に誇らしい」と言ったとしよう。このあなたの言葉と行為によって、「誇り」という共有概念を二人のあいだで同期させるべく、私の脳内で一連の予測が発せられる。私の脳は、過去の経験に基づいて確率を計算し、多数の予測をただーつの最適な勝者インスタンスに絞る。こうして私は、「それはおめでとう」と言う。この手順は、あなたが私を理解しようとする際にも逆方向に繰り返される。二人が共通の文化的背景や、過去の経験を持っていれば、また、特定の相貌、動作、声音などの特徴が、文脈に応じて一定の意味を持つという点に同意していれば、同期の度合いは高まる。こうしてあなたと私は、「誇り」という言葉で示される情動的経験を、少しずつ共同で構築していくのだ。
このシナリオでは、あなたがどう感じているかを私が理解するために、二人の概念が正確に一致している必要はないが、それなりに一致した目的を共有していなければならない。その一方、私が、不快をタイプの誇りのインスタンス、具体的に言えば傲慢さや見下した態度に基づく誇りというインスタンスを生成した場合には、あなたが使っている概念と私の想定は異なり、私は鈍感にも、あなたの言うことを理解し損なったことになる。なおここでは、この構築過程があなたと私のあいだで交互に生じているかのように述べだが、実際には両者の脳内でつねに継続的に生じている点に注意してほしい。
経験の共同構築は、各人の身体予算の調節を可能にする。集団で暮らすことの大きな利点の一つは、そこにある。社会的な生物では、ミツパチやアリ、あるいはゴキブリでさえ85、あらゆるメンバーが身体予算を調節し合っている。しかし、純然たる心的概念を教え合って同期して使うことでそれを実現しているのは、人間だけだ。人間は言葉を用いることで、たとえ相手が遠く離れた場所にいたとしても、それぞれの感情的ニッチに入っていく。異なる大陸で暮らしている人同士でさえ、電話やeメールを使って、あるいは相手のことを考えるだけでも、それぞれの身体予算の調節が可能なのである。
この過程では、言葉の選択が大きく影響する。自分が選択した言葉によって、相手の予測が形作られるためだ。「気分はどう?」などの一般的な問いではなく、「動転しているの?」などの、より具体的な問いを子どもに発する親は、子どもの答えに影響を及ぼし、情動を共同で構築して、子どもの概念を「動転」に向けて彫琢する。同様に「落ち込んでいますか?」と患者に尋ねる医師は、「調子はどうですか?」と尋ねる場合より、問いを肯定する回答を引き出す可能性が高まる。これは一種の誘導尋問であり、弁護士が証人から証言を引き出すとき(や反対尋問を行なうとき)に使う手立てと同種のものである。日常生活においても、法廷と同様、自分の言葉使いに応じて相手の予測が左右されるという点に十分に留意しておく必要がある。
また、自分の感じていることを誰かに知らせたい場合、相手が効率的な予測をし、同期を取れるよう、はっきりした手がかりを与える必要がある。古典的情動理論では、責任はすべて知覚者にある。なぜなら、情動は普遍的に表現されると考えられているからだ。それに対し、構成主義的情動理論に基づけば、送り手も責任を負わなければならない86。

注:[基本的にここにおいて紹介される英語の論文やWEBページには拙訳はありません] i) 引用中の原注番号「82」に関し、次の本及び論文を参照して下さい。 「M. Gendron & L. F. Barrett. 2018. "Concepts are key to the communication of emotion - Question 10. How and why are emotions communicated?" In the Nature of Emotion: Fundamental Questions, 2nd edition, edit by A. S. Fox, R. C. Lapate, A. J. Shackman, and R. J. Davidson. Oxford: Oxford University Press」、「Conceptual Alignment: How Brains Achieve Mutual Understanding.」 ii) 引用中の原注番号「83」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『間接的な裏づけは、Giuliano et al. 2015 を参照。』(注:引用中の「Giuliano et al. 2015」は次の論文です。 「Growth models of dyadic synchrony and mother-child vagal tone in the context of parenting at-risk.」) iii) 引用中の原注番号「84」の内容(P588)を次に引用(『 』内)します。 『それを「感情同期(affective synchrony)」と呼ぶ科学者もいる。』 iv) 引用中の原注番号「85」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Behavioural Contagion Explains Group Cohesion in a Social Crustacean.」 v) 引用中の原注番号「86」に関し、次の論文を参照して下さい。 「It takes two: the interpersonal nature of empathic accuracy.」 vi) 引用中の「情動概念」、「インスタンス」、「知覚」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 viii) 引用中の「感情的ニッチ」については他の拙エントリのここにおける引用の「▼感情的ニッチ(affective niche)」項を参照して下さい。 ix) 引用中の「身体予算」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【17】報酬予測誤差にも関連するマインドフルネス瞑想の訓練が、脳と身体のシステムの特性を変容させることを示唆することについて

標記示唆することについて、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」 の マインドフルネスは内受容感覚をどのように変容するのか? の「(1) 体のシステムの特性を変容させることを示唆することについて、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」の「内受容感覚とマインドフルネス」における記述の一部(P45~P46)を次に引用します。

(前略)また、マインドフルネス瞑想の訓練が、脳と身体のシステムの特性を変容させることを示唆する傍証もある(Kirk & Montague 2015)。この研究では、喉が渇いた状態で MRI スキャナに入った参加者に対し、視覚的手がかりが報酬としてのジュースを予告するという古典的条件づけの手続きが行われた。学習が成立した後、予測されたタイミングでジュースがもらえない(負の報酬予測誤差;reward prediction error)、あるいは予測しなかったタイミングでジュースがもらえる(正の報酬予測誤差)事態が操作された4)。統制群の参加者では、多くの先行研究と一致して、側坐核や尾状核などの線条体の活動が、正の報酬予測誤差に対しては増大し、負の報酬予測誤差に対しては減少した。これに対して瞑想群の参加者は、報酬予測誤差に対する線条体の活動は低く抑制され、報酬予測誤差にかかわらず報酬であるジュースそのものへの後部島の反応は増大していた。
この結果は、瞑想群では、ジュースの味覚や乾きの癒しなどの身体感覚は鋭敏化している一方、報酬のあるなしについて一喜一憂することはないことを示唆する。つまり瞑想群では、報酬予測誤差に対して内的モデルを更新する学習率が低くなっており、単一の事象の影響が抑えられて脳と身体の安定性が高まっているのだと考えることができるだろう5)。

注:i) 引用中の脚注「4)」における記述(P45)を次に引用(『 』内)します。 『報酬予測誤差とは、過去の学習経験にもとづき、食物、水、金銭などの報酬がもたらされることへの予測と、実際に経験した事象との差を意味する。ある手がかりに対して報酬を予測したのに、実際には報酬が得られなければ報酬予測誤差は負の値となる。期待していなかったのに報酬が得られると、報酬予測誤差は正の値となる。古典的条件づけ(classical conditioning)のような学習は、報酬予測誤差を最小化することにより、手がかりと報酬の関係を確立しようとする営みであるととらえることができる。』 ii) 引用中の脚注「5)」における記述(P46)を次に引用(『 』内)します。 『上述した痛み刺激を用いた研究(Gard et al.2011)の知見を考えると、瞑想者では、予測誤差に対する内的モデルの安定性は、正の価値をもつ報酬でも、負の価値をもつ痛みのような刺激に対しても、同様に高まっているように思われる。』[注:引用中の「Gard et al.2011」は次の論文です。 「Pain attenuation through mindfulness is associated with decreased cognitive control and increased sensory processing in the brain.」] iii) 引用中の「Kirk & Montague 2015」は次の論文です。 「Mindfulness meditation modulates reward prediction errors in a passive conditioning task.」 また次の論文もあります。 「Short-term mindfulness practice attenuates reward prediction errors signals in the brain.」 iv) 引用中の「線条体」に関連する「腹側線条体」については次のWEBページを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「後部島」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 vii) 引用中の「古典的条件づけ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「古典的条件づけ研究なんてまだやってるのと思っているあなたへ」 viii) 引用中の「マインドフルネス瞑想」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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【18】構造的解離に対するパーツアプローチについて、その他

最初に、「タッピングによる潜在意識下人格の統合法(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy、USPT)」を紹介する資料は次を参照して下さい。 「Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy(USPT)による解離症の治療 ――第二次構造的解離としての複雑性PTSD――」 加えて、上記資料の内容にも関連する構造的解離(structural dissociation)における「2つの主要な解離的パーツ」について論文(全文)「Dissociation in Trauma: A New Definition and Comparison with Previous Formulations[拙訳]トラウマにおける解離:新しい定義と以前のフォーミュレーションとの比較」(PubMed における要旨はここを参照)の These Subsystems Exert Functions の「Two major types of dissociative parts」項における記述の一部を以下に引用します。なお、「構造的解離モデルは、PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できる」ことについて、下記のの はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P21)を次に引用(『 』内)します。 『構造的解離モデルは、いわばトラウマの理論で、PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できます。』(注:1) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを、「境界性パーソナリティ障碍」の正式名である「境界性パーソナリティ障害」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「複雑性PTSD」については「発達性トラウマ障害」を含めて次の資料を参照して下さい。 「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」 3) 引用中の(PTSD、複雑性PTSD、境界性パーソナリティ障碍などのトラウマ関連の症状に適用できる)「構造的解離モデル」に関連する「第二次構造的解離」については、「第一次構造的解離」や「第三次構造的解離」を含めて、野間俊一著の本、「解離する生命」[2012年発行]の 第Ⅰ部 解離の諸相 の 第一章 存在の解離――生命性をめぐる病理 の「6 疾患としての解離」における記述の一部[P21~22]を以下に引用します。) 加えて、上記「PTSD、複雑性PTSD」にも関連する「解離こそがトラウマの核心を成す」ことについて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第4章 命からがら逃げる――サバイバルの分析 の「解離と追体験」における記述の一部(P111)を次に引用(《 》内)します。 《解離こそがトラウマの核心を成す。圧倒的なトラウマ体験は、ばらばらになり、断片化するので、トラウマに関連した情動や音、声、イメージ、思考、身体的感覚がそれぞれ独り歩きを始める。記憶の感覚的断片が現在に侵入し、そこで文字どおり追体験される。トラウマが解消しないかぎり、体が自らを守るために分泌するストレスホルモンが循環し続け、防衛の動作や情動的な反応が反復され続ける。》 その上に、「心理学のおもな学派はおしなべて、人間が複数の副人格を持つことを認めている」ことについて、同本の 第17章 断片をつなぎ合わせる――「セルフ(自分そのもの)」によるリーダーシップ の「心はモザイク」における記述の一部(P462)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【心理学のおもな学派はおしなべて、人間が複数の副人格を持つことを認め、それぞれに異なる名前をつけている(2)。】(注:引用中の原注「(2)」の引用は省略します。同本をお読み下さい。)、【カール・ユングはこう書く。「精神とは、肉体とまったく同じように、自らの均衡を維持する自己調節系である(4)」。「人間のプシケの自然状態は、せめぎ合う構成要素の集合体と、各要素の相反する行動にあり(5)」、「そうした対立にいかに折り合いをつけるかは、主要な課題の一つである。すなわち、敵は『自分の中の他者』にほかならない(6)。】(注:a) 引用中の原注「(4)」、「(5)」、「(6)」の引用は全て省略します。同本をお読み下さい。 b) 引用中の「精神」には「プシケ」のルビが振られており、本引用では「精神」の別名が「プシケ」であると考えます。 c) 引用中の「カール・ユング」が体系化した「ユング心理学」については例えば次の資料を参照して下さい。 「18 ユング心理学」)

Two major types of dissociative parts

One type of dissociative part is predominantly mediated by action systems for functioning in daily life. We metaphorically refer to this type as an apparently normal part of the personality (ANP). For instance, an ANP strongly influenced by the action system of energy management will look for food and eat it (one subsystem) or prepare for sleep (another subsystem). Another type of dissociative part—that is, an emotional part of the personality (EP)—is primarily mediated by the defense action system regarding threats to the integrity of the body and/or the action system for attachment cry, that is, crying for attachment upon the loss of an essential caregiver. The core values of the physical defense action system are avoiding or escaping from aversive stimuli, and the core value of the action system for attachment cry is attracting protection.(後略)


[拙訳]
2つの主要な解離的パーツたち(parts)

解離的パーツ(part)の1つのタイプは、日常生活において機能するための行動化システム(action systems)によって主にメディエイトされる。我々はこのタイプを比喩的に、あたかも正常にみえる人格のパーツ(又は人格部分)[ANP、apparently normal part of the personality]と呼んでいる。例えば、エネルギー管理の行動化システムに強く影響される ANP は、食物を探してそれを食べたり(一つのサブシステム)、又は睡眠の準備をしたり(別のサブシステム)する。別のタイプの解離的パーツ(part)、すなわち情動(感情)的な人格のパーツ(又は人格部分)[EP、emotional part of the personality]は、身体のインテグリティに対する脅威に関する防衛行動化システム及び/又はアタッチメントを求める叫びに対する行動化システム、すなわち、不可欠な養育者を失った際のアタッチメントを求める叫びによって主にメディエイトされる。物理的な防衛行動化システムの核心的価値は、嫌悪的刺激を回避したり又は逃れたりすることであり、そしてアタッチメントを求める叫びのための行動化システムの核心的価値は、保護を引きつけることである。

注:拙訳中の「見かけはノーマルな人格のパーツ」に類似する「あたかもノーマルな人格のパーツ」と「日常を送る自己のパーツ」との関連、そして「情動(感情)的な人格のパーツ」に類似する「感情の人格パーツ」と「トラウマ関連の人格パーツ」との関連について、ジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行)の 1章 神経生物学的な名残としてのトラウマ――断片化はどのように起こるのか の「ストレス下での区画化~分断を利用して」項における記述の一部(P36)を次に引用(『 』内)します。 『ヴァン・デア・ハートたち(2006)は、マイヤーの言葉を借りて、自己の日常を営む側面を「あたかもノーマルな人格のパーツ」とし、動物の防衛反応に触発された部分を「感情の人格パーツ」としました。後者は、生き残るために、たたかう、逃げる、凍りつく、服従する、愛着を示す、といったパーツに分かれます。本書では、もっと使いやすい「日常を送るパーツ〔日常を送る自己〕」と「トラウマ関連のパーツ」とします。「あたかもノーマルな」という表現を避けるためです。』(注:(i) 引用中の「日常を送るパーツ」と「日常を送る自己」との違いについて、同本の P83 の*における記述を次に引用[【 】内]します。 【*日常を送るパーツが「二重の気づき」などを身につけ内的対話が可能になると日常を送る自己になる】[注:引用中の「二重の気づき」についての簡単な説明として、同本の P94 における記述の一部を次に引用〔《 》内〕します。 《「二重の気づき」とは、意識の複数の状態を俯瞰できるということです。》] (ii) 引用中の「日常を送る自己」でいられているとき「前頭前皮質が働いているので、より洗練された反応ができます。」について同本の 8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍 の「みんなに集まってもらう」における記述の一部(P212)を次に引用[『 』内]します。 『日常を送る自己でいられているとき、中立性、俯瞰、そして思いやりと関連する前頭前皮質が働いているので、より洗練された反応ができます。』[注:1) 引用中の「前頭前皮質」と関連する「大脳皮質前頭前野」とストレスとの関連については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレスと脳」の「ストレスと前頭前野」項 2) 一方、引用中の「前頭前皮質が働いている」こととは反対の「前頭前皮質の抑制」についてはここを参照して下さい。]) 加えて、上記パーツにも関連する TIST(Trauma-Informed Stabilisation Treatment、トラウマの情報が共有された安定化ケア)についての資料は次を参照して下さい。 「Trauma-Informed Stabilisation Treatment:A New Approach to Treating Unsafe Behaviour」 ただし、この資料の拙訳はありません。その上に、「パーツという概念はクライアントの問題を外在化し客観視させてくれます。個人と問題との関係が変わります」について、同本の「8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍」における記述の一部(P169)を次に引用[【 】内]します。 【「パーツという概念はクライアントの問題を外在化し客観視させてくれます。個人と問題との関係が変わります、例えば摂食障碍のクライアントが『Ed〔eating disorders の頭文字〕』と自分の苦しみを外在化して呼ぶことができたときのように」と言ったでしょう。それぞれのパーツが潜在的な子どもの頃の記憶を持っていると理解しようが、単に自分の行動を客観視するのにパーツという言葉を使おうが、いずれにせよ本書のアプローチは役立ちます。】(注:引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい) さらに、上記「日常を送るパーツ〔日常を送る自己〕」に類似する「日常を送る自己のパーツ」と「トラウマ関連のパーツ」について、同の「適応策による犠牲」項における記述の一部(P82)を次に引用します。

(前略)構造的解離モデルを用い、神経生物学に基づく理解を簡単に分かりやすく示します。図4.1の表を指しながら、人間の脳は「あまりにも圧倒させられる」場合は、分離できるようになっていることを解説します。右脳と左脳は個別の脳の構造であるため、トラウマ的出来事に晒され続けると、左脳の自己(Cozolino[2002]は「言語的自己」と呼ぶ)は、「日常を送る自己のパーツ」として日常生活なんとか継続しようとし、それに対して、右脳は、身体的に生き残ることを目指す「身体的かつ感情的な自己」(Cozolino 2002)を動員しながら、次の脅威に備えるということを伝えます。よって、「トラウマ関連の人格パーツ」と呼ばれていることも加えます。(後略)

注:(i) 引用中の「図4.1」の引用は省略します。ただし、代わりに「図4.2 役割によってパーツを認識する」(P84、min.t【抜粋②『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』 Janina Fisher著、浅井咲子訳、国書刊行会"2020.8.25.】に含まれるツイートを参照、又は拙訳はありませんが類似した英文の図は例えば資料「Using a Parts Perspective to Enhance Infant Mental Health Treatment」の「Structural Dissociation: “Who” is showing up now?」シートを参照)における「トラウマ関連の人格パーツ」(上記シートの図においては「Traumatized Child Self or Selves」)として分類される5つ(次の①~⑤、またここにおける引用の一部『たたかう、逃げる、凍りつく、服従する、愛着を示す』も参照)のパーツの役割を表示形式を変えて次に簡単に紹介します。①たたかう:警戒(怒り、批判的、猜疑心、自己破壊的な、支配的な、自殺願望のある) ②逃げる:逃避(距離をとる、両価的な、コミットできない、嗜癖的な行為または摂食障害) ③凍りつく:恐怖(凍りついた、怖気づいている、用心深い、見られることを嫌がる、広場恐怖の、パニック発作ある) ④服従:恥(うつ状態、恥じている、自己嫌悪に満ちた、消極的な、よい子、世話をする、自己犠牲的) ⑤愛着:愛を渇望している(助けを求めている、つながり、やさしさ、純心さ、頼れる人を欲している)[注:a) 上記「たたかう」に類似する「闘争」、「逃げる」に類似する「逃走」、そして「凍りつく」に類似する「凍りつき」については「ポリヴェーガル理論」にも関係して共に例えば他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。 b) 上記「愛着」に関連する「愛着障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 上記「パーツ」たちの活動の例として、同の 4章 「わたしたち」と向き合うためにパーツたちに働きかける の「内側の景観にマインドフルに気づく」における記述の一部(P88)を次に引用(【 】内)します。 【反芻される思考、刺激への反復的な反応、肯定的出来事に対する否定感や「過剰な反応」もまた、パーツたちの活動です。】〔注:引用中の「反芻」の別名である「反すう」については拙エントリのここを参照して下さい。〕 d) 上記 a) 及び b) 項にも関連する『「行動化」「操作」「抵抗」または「動機づけがなされてない」とみなされてきた現象が実は、日常生活の些細な刺激によって潜在記憶がトラウマ的反応を引き起こし、たたかう、逃げる、助けを求める、凍りつく、「擬死する」という本能的な行動を起こしているだけだからです』について、同の はじめに の「本書の構成について」における記述の一部を次に引用(《 》内)します。 《1章では、神経生物学的なアプローチの基本を紹介していきます。これを理解するとセラピストはもっと効果的に、複雑性のトラウマやパーソナリティ障碍のクライアントに取り組めるようになります。「行動化」「操作」「抵抗」または「動機づけがなされてない」とみなされてきた現象が実は、日常生活の些細な刺激によって潜在記憶がトラウマ的反応を引き起こし、たたかう、逃げる、助けを求める、凍りつく、「擬死する」(Porges, 2011)という本能的な行動を起こしているだけだからです。》〔注:1) 引用中の「Porges, 2011」は次の本です。 「Porges, S.W. (2011). The Polyvagal theory: neurophysiological foundations of emotions, attachment, communication, and self-regulation. New York: W. W. Norton.」〈注:未邦訳であるこの本のタイトルの訳の例は、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 序文 の「なぜこの本は対話形式で書かれているのか?」における記述(P3)によると「ポリヴェーガル理論:感情・愛着・コミュニケ-ション・自己調整の神経生理学的基盤」です〉 なお、Porges が提唱するポリヴェーガル理論〈Polyvagal theory〉については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。 2) 引用中の「擬死」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて上記「擬死」に関連する〈「解離性昏迷」としての〉「擬死反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 ちなみに、上記「潜在記憶」(IMPLICIT MEMORY)に関連する「トラウマが4つの型の記憶にいかに影響し得るか」については、拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「How Trauma Can Impact Four Types of Memory [Infographic] - nicabm」〕] (ii) 引用中の「Cozolino 2002」は次の本です。 「Cozolino, L. (2002). The neuroscience of psychotherapy: building and rebuilding the human brain. New York: W. W. Norton.」 (iii) トラウマを受けた個人がひとつの診断か複数の診断をされているのに、引用中の「構造的解離」が疑われない場合は、永続的な症状の改善をまったく経験していないことが多い」ことについて、同項における記述の一部(P82)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマを受けた個人がひとつの診断(例えば、うつ病、境界性パーソナリティ、不安障碍)か複数の診断をされているのに、構造的解離が疑われない場合は、永続的な症状の改善をまったく経験していないことが多いのです。』[注:1) 引用中の「うつ病」については他の拙エントリのここを、引用中の「境界性パーソナリティ」に関連する「境界性パーソナリティ障害」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 引用中の「不安障碍」に類似する「不安症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」] (iv) 引用中の「トラウマ関連の人格パーツ」に関連する、 A] 「パーツたちの内側の葛藤の表現」について、同の『「あなた」を知りたくて』における記述(P84~P86)を以下に引用します。 B] 『パーツと「親しくなる」』ことについて、同の『「わたしたち」を受容してあげる』における記述(P90)を以下に引用します。

アーロンは、来談理由を次のように述べます。

私は、女性にはじめはすごく夢中になって、この人こそが、『運命の人』だと思ってすごいスピードでつき合いはじめます。けれども関係が深くなると急に今まで見えなかった相手の欠点ばかりが気にかかるようになり、合わないと思ってしまうのです。そして避けたくなり罪悪感に苦しむか、または私が見捨てられるのではと怖くなり、どうしたらよいか分からなくなります。同時に関係から逃れられないような恐怖も起こってくるのです。

彼は、パーツたちの内側の葛藤を表現しています。優しくて魅力的な女性に「愛着を求めて早く親密になりたいパーツ」、ちょっとした欠点を見逃さない「批判してたたかうパーツ」、「間違った選択を後悔して逃げたいパーツ」です。しかし、関係から逃れるのは、「明け渡す」、「助けを求める」パーツが許さない行動でもあります。(明け渡すパーツの属性である)罪悪感と恥そして、失うことへの恐れ(トラウマ的愛着の特徴)が、たたかう/逃げるパーツをさらに触発するのです。それぞれのパーツを識別して、彼の意識にあげる言葉がなければ、彼は、去るべきか、続けるべきか? 彼女は自分に合っているのか、関係を終わらせるべきか? を悶々と繰り返すでしょう。このジレンマが強烈になると、極端ですが、死さえもこの葛藤を収束させてくれる解決策のひとつのように思えてきます。しかし同時に「彼」は、子どもと妻のいる温かい家庭を夢みているのです。すべてを終わらせようと自殺を願うパーツと妻と家庭を願うパーツとが矛盾し、同時に「女性を弄ぶ」パーツは、彼があるべき姿としている人物像と真っ向から対立するのです。

ネリーは自分のことを「憂鬱な」と表現しました。しかし症状を聞くと、彼女は自分自身についての一連の信念を話し出しました。「私は混乱していて、怠け者で、起き上がる元気がないんです。とても自分がまともな人間とは思えなくて。」毎朝の起きると、「また、一日がやってきた」と午後までベッドのなかで絶望して過ごすのです。予定していたことをすっぽかし、食器は洗われないままシンクにあり、家に食べるものはありません。彼女は惨めな気持ちになり、そして厳しい自己批判が始まって、彼女の気力を奪い、そしてまたベッドに戻り眠りたくなります。50代になった彼女は自分の生い立ちを振り返ります。達成できたことでしか認めてもらえない家庭のなかで、不出来な子として扱われていた彼女は、自己愛的で虐待する父親の視界に入らないようにして生き延びました。唯一、陽気でおどける子どもという側面だけは、なにかを達成できなくても父親には受け入れられました。

そして時を経て今、彼女は「自分」が誰なのか分からず混乱しています。長い間、彼女は父の怒りから自分を守り、かろうじて愛をもらえる自分を小さく見せるおどける子どものパーツに「ハイジャックされて」(Ogden & Fisher, 2015)きたのです。そして、ネリーの人生の大部分を占めてきた従順なパーツは、父親の呪いの言葉を受けた批判的なパーツに支配されてきました。パーツに働きかけるモデルがなければ、ネリーの自己嫌悪を低い自尊心と取り違え、ぎこちないユーモアのセンスを「中核の感情への防衛」と解釈し、長い時間解決をみることはなかったでしょう。

しかしながら、ネリーは、日常生活を送る自己でいられると最高の気分となり、仕事に集中し、堂々としていて、ユーモアと温かさで自分を茶化すこともできました。悲しいことに、批判するパーツは、これらの彼女の能力が偽りのもので、むなしい人生をみないようにしているだけだと彼女にささやきます。このように彼女が良い気分になると、この批判するパーツは顔を出してくるのです! 彼女は各パーツたちを過去からの対話であり、自分に貢献してくれてきたものとして理解する必要がありました。そのためには「失敗のない」パラダイムが必要でした。服従するパーツは、彼女が「うねぼれて、思い上がら」ないように、能力があるという事実を隠ぺいしました。そして批判するパーツは過剰に失敗を恐れ、凍りつきのパーツは、すべての人間が父親のように恐ろしいと言って、外出を怖がらせました。

これらすべてがひとつの身体のなかで起こっているため、ネリーは自分のなかの矛盾するパーツたちの戦闘には疑問を感じていませんでした。

注:i) 引用中の「Ogden & Fisher, 2015」は次の本です。 「Ogden, P. & Fisher, J. (2015). Sensorimotor Psychotherapy: interventions for trauma and attachment. New York: W. W. Norton.」 ii) 引用中の「矛盾するパーツたちの戦闘」に関連する「パーツ同士の内なる葛藤」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「アーロン」と「ネリー」は「自分たちの症状に好奇心を持つことなく、怒っている、死にたい、気分が沈む、孤独な、批判的な、そして自己嫌悪をしているパーツたちをただ自分だとして、矛盾した感情の状態にあるという事実を無視してきている」ことについて、「パーツ・モデル」、そして『ほとんどの心理療法モデルでは、恥を感じる「わたし」と、怒りを爆発する「わたし」と、常に恐れている「わたし」とを区別しない』ことを含めて、同の『好奇心を育む「わたし」は何者か?』における記述(P86~P87)を次に引用します。

ほとんどの心理療法モデルでは、恥を感じる「わたし」と、怒りを爆発する「わたし」と、常に恐れている「わたし」とを区別しません。それぞれの感情は、個人の自己表現として扱われます。しかし、パーツ・モデルでは、苦痛や不快感、感情、または身体感覚をそれぞれパーツとして扱います(Schwartz, 1995)。セラピストが「わたし」を主語にせずに、意図的かつ一貫して、パーツ〔部分、側面などでもよい〕という言葉を使用することによって、個人は、各卜ラウマ関連の感情または反応を、パーツたちからメッセージとして観察できるようにするのです。「どの『わたし』が、恥を感じ、謝ろうとするの? どの『わたし』が、謝ることにうんざりしているの?」のような質問をするときは、目的はひとつです。それは、好奇心と観察力を持ってもらうことです。この場合、視察する人と観察されているものの間には、ごくわずかな距離がありその感情や反応を感じることができますが、おそらく内側前頭前皮質の活動の増加と扁桃体の活性化の減少によって、強烈さが和らぎます。「パーツ」という言葉を使うことで、関心と好奇心が呼び起こされ、新しい情報が与えられるでしょう。
ア-ロンとネリーは、自分たちの症状に好奇心を持つことなく、怒っている、死にたい、気分が沈む、孤独な、批判的な、そして自己嫌悪をしているパーツたちをただ自分だとして、矛盾した感情の状態にあるという事実は無視してきています。例えば、誰かと親密になりたいという衝動は、逃げたいというのと衝突します。また、能力、統制、そして活力を感じたくても、「低飛行」し、他の人を脅かさないよう自分を「小さく見せ」ようとすることと葛藤を生みます。セラピーの第一課題は、これらの起こっている現象に好奇心を持ってもらうことです。まず、「私」ではなく「パーツ」という言葉を使い(Schwartz, 2001)、自動的に起こる否定的な解釈ではなくて、それをマインドフルに観察する力をつけていきます。そして、刺激に触発された時のパーツの思考、感情、内臓の反応、動きの衝動などを「追跡」し(Ogden et al., 2006)、どのように生存のための反応をしているかをみていきます。

注:i) 引用中の「Schwartz, 2001」は次の本です。 「Schwartz, R. (2001). Introduction to the internal family systems model. Oak Park, IL: Trailheads Publications.」 ii) 注:引用中の「Ogden et al., 2006」はここを参照すると良いかもしれません。 iii) 引用中の「マインドフル」に関連する「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) PTSDにおける引用中の「内側前頭前皮質」と「扁桃体」との関連(換言すれば「監視塔」と「煙探知機」との関連)については他の拙エントリのここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。 v) 引用中の(パーツたちをただ自分だとして)「矛盾した感情の状態」に関連するかもしれない「パーツ同士の内なる葛藤」について同の 4章 「わたしたち」と向き合うために――パーツたちに働きかける の「サバイバルにまつわる内なる闘争」における記述の一部(P88~P89)を次に引用します。

しかしながら、パーツ同士の内なる葛藤というのは、ある程度予測可能なものです。例えば生存のために助けを求め愛着を示す反応は、自動的に距離を取りたいという逃走の衝動を、または不信、過度の警戒、怒り、批判などのたたかいの防御反応を呼び起こします。たたかいのパーツによる批判的な思考は「自己嫌悪」として経験され、明け渡すパーツの恥、絶望、不全感を引き起こす可能性が高いのです。対人関係での親密さは、より接近しようとする愛着のパーツによって、傷つけられることを恐れる凍りつきパーツ、または闘争および逃走パーツが警戒信号を発するかもしれません。そして、これらの反応がすべて同時に起こることもあります。専門的な仕事や家庭での責任は、日常を送る自己が自ら率先して引き受けたものであっても、内なる幼い子どもたちは圧倒されているかもしれません。日常を送る自己が人生でステップアップを図ろうとすることが、トラウマ関連のパーツを警戒させたり、葛藤や危機をもたらすこともあります。肯定的に「認められること」(例えば、賞賛を受けたり、達成したことを注目されるなど)や、業績が表彰されることなどでも、凍りつきパーツが見られることへの危惧を引き起こすこともあります。特別な注目や扱いを受けることは、しばしば性的または身体的虐待を警戒させ、親切に扱われることにも過敏になったりします。(後略)

注:引用中の「トラウマ関連のパーツ」についてはここを参照して下さい。

パーツと「親しくなる」ことができると、セラピーの時間のみでなく、日常にも波及効果があります。自分の反応を一時停止してペースを落とすことで、好奇心と興味が生まれます。自律神経系の興奮はおさまり、非常事態の感覚は緩和されて異なる選択ができるようになります。パーツが穏やかさを感じるとさらに平安が訪れます。生き残りには必要だったかもしれませんが、自己疎外となる、あるパーツを否定し、他のパーツを過剰に働かせると安らげません。そればかりか自己疎外によってさらに緊張が高まり、(しばしばトラウマ的環境に似ている)争いの状況を作り、それぞれのパーツの自尊心を低下させます。「親しくなる」とは「徹底的に受け入れる」(Linehan, 1993)ことで、それは身体を共有する「同居人」としてパーツたちと友好的に協力して生活することを意味します。否定するよりも歓迎すれば、私たちの内なる世界はそれだけ安全になるのです。

注:i) 引用中の「Linehan, 1993」は次の本です。 「Linehan, M.M. (1993). Cognitive-behavioral treatment of borderline personality disorder. New York: Guilford Press. [M・M・リネハン著『境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法:DBTによるBPDの治療』岩坂彰[他]訳、誠信書房、2007年。]」 ii) 引用中の「徹底的に受け入れる」の別名である「徹底的受容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

6 疾患としての解離(中略)

ヴァンデアハートらは、人格がさまざまな下位システムから成る構造をもっていることを前提に、外傷性解離の場合、人格構造の凝集性と柔軟性が欠如していると考え、それを「構造的解離」と名づけた。三段階ある構造的解離のうち、最も単純で基本的な外傷に関連した人格の分離である第一次構造的解離では、一つのANPと一つのEPから成り、現在臨床で用いられている病名としては単純性PTSDがこれに当たる。通常は何事もなかったかのように過ごしながら、時に激情を伴ったフラッシュバックに襲われるというパターンである。第二次構造的解離では、ANPが一つであるのに対してEPが複数になる。たとえば、穏やかでうまく生活を送るANPが一つあり、それが激怒するEP、脅えたEP、自傷行為をするEPなどに交代するタイプであり、これには複雑性PTSDや外傷に関連した境界性パーソナリティ障害が含まれる。そして第三次構造的解離では、ANPもEPも複数現れて病態は複雑化するのだが、これが解離性同一性障害ということになる。ヴァンデアハートらは、あくまで心的外傷に由来する場合との条件つきながら、さまざまな解離症状の基本はANPとEPの二面性と理解したのである。(後略)

注:i) 引用中の「ANP」や「EP」については共にここにおける引用や次の資料を参照すると良いかもしれません。 「Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy(USPT)による解離症の治療 ――第二次構造的解離としての複雑性PTSD――」の「1. 構造的解離とは」項(P765) ii) 引用中の「第一次構造的解離」、「二次構造的解離」、「第三次構造的解離」については上記資料のそれぞれ「1. 第一次構造的解離(第一次解離)」項(P768)、「2. 第二次構造的解離(第二次解離)」項(P769)、「4. 第三次構造的解離(第三次解離)」項(P770)も参照すると良いかもしれません。

次に、「マインドフルな観察」を含むパーツアプローチについて、同の「内側の景観にマインドフルに気づく」における記述の一部(P87~P88)を以下に引用します。なお、上記「マインドフルな観察」についてはここも参照して下さい。

トラウマに関連する感情や認知を反芻させている限り、環境の刺激によって神経系の調整が難しくなり、パーツをより活性化させます。前頭前皮質が神経系の調整不全によって遮断されると、日常生活を送る自己が、好奇心を持って同時に存在できにくくなります。過去と現在を区別してくれる前頭前皮質が働いていないと、トラウマ記憶を格納する神経回路網が反復的に活性化し、これらの経路をさらに強化して、トラウマ関連の症状を悪化させるのです(Van der Kolk, 2014)。反応するのではなく、中立的に観察する(例えば、怖がっている子どものパーツ、怒っているパーツなどを眺めるようにする)のは、パーツアプローチの基礎です。
苦しめられている感情や問題をパーツから対話として一貫して捉えるセラピストの助けを借りて、パーツの存在の兆候を示す手がかりを見つけていきます。そして苦痛、不快感、圧倒され痛みを伴う感情、否定的または自己懲罰的な信念、内的葛藤、先延ばし、そして両極感情などをただ観察するよう練習していきます。反芻される思考、刺激への反復的な反応、肯定的出来事に対する否定感や「過剰な反応」もまた、パーツたちの活動です。何度も繰り返して好奇心を持ち、これらの現象のすべてがパーツたちの活動であるのを知ることは、多くの利点があります。マインドフルな観察は、前頭前皮質の活動を促し、トラウマによる皮質活動の抑制を和らげます。消耗させられたり、過度に同一化せずに、パーツたちとの関係に気づけるかもしれません。他には、調整不全の改善が望めます。内側前頭前皮質(瞑想するときに関与する脳の部分)の活性化は、扁桃体(緊急ストレス反応をする部位)の活動を低下させます。さらに、個人が好奇心や関心を持って観察しているものに集中すると、ペースは自然と落ち、観察能力は高まります。(後略)

注:(i) 引用中の「Van der Kolk, 2014」は次の本です。 「Van der Kolk, B.A. (2014). The body keeps the score: brain mind and body in the healing of trauma. New York: Viking Press[B・A・ヴァン・デア・コーク著『身体はトラウマを記録する:脳・心・体のつながりと回復のための手法』柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2016年。]」 (ii) 引用中の「反芻」の別名である「反すう」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) PTSDにおける引用中の「内側前頭前皮質」と「扁桃体」との関連(換言すれば「監視塔」と「煙探知機」との関連)については他の拙エントリのここにおける引用の「ストレス反応を制御する――監視塔」項を参照して下さい。加えて、引用中の「前頭前皮質」と関連する「大脳皮質前頭前野」とストレスとの関連については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ストレスと脳」の「ストレスと前頭前野」項 (iv) 引用中の「マインドフル」に関連する、 a) 「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 『マインドフルな「二重の気づき」』の効用について、同の 11章 安全と歓迎――安定型愛着を獲得する の「子どもの泣き声を聞く」における記述の一部(P297)を次に引用(【 】内)します。 【マインドフルな「二重の気づき」は、自律神経系の覚醒を調節し、お互いを「認識させ」、パーツたちが自動的に阻害化される傾向を減らしてくれます。】(注:引用中の「二重の気づき」についてはここを参照して下さい) (v) 引用中の「皮質活動の抑制」に関連する「重大な前頭前皮質の機能不全」については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、 1) 引用中の「トラウマによる皮質活動の抑制」に関連する「前頭前皮質の抑制」について「ハイジャック」や「誘発要因」を含めて同の 8章 セラピーの難点――解離性症状と障碍 の『過去に棲むパーツたちに「現在」を教える』及び「条件づけられた学習を克服する」における記述の一部(P187~P188)を以下に引用します。 2) 加えて、「幼いパーツたちとのつながりを深める」ことについて同の「10章 失ったものを取り戻す――幼いパーツたちとのつながりを深める」における記述の一部(P251~P252)を以下に引用します。 3) その上に、『上記「マインドフルネス」がパーツたちに働きかける際に必要となる』ことについて、『普段は特定するのが難しい、パーツたちの矛盾した行動や反応を俯瞰することで、「同一化」しないことを身につける』ことを含めて、同はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P22)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「両極感情」に関連するかもしれない、 a) 「二極化が悪化」することを含む引用はここを参照して下さい。 b) 「二極化を招き、内的葛藤を激化させる」ことについてはここここを参照して下さい。 c) (パーツたちをただ自分だとして)「矛盾した感情の状態」についてはここを参照して下さい。 d) 「両価性ないしジレンマは,トラウマ患者の特徴であり,トラウマが語られなくても,トラウマがある可能性に気づくマーカーとなりうる」ことについて、青木省三、村上伸治、鷲田健二編集の本、「大人のトラウマを診るということ こころの病の背景にある傷みに気づく」(2021年発行)の 第2章 症例集 の「小学生の頃から希死念慮のある40代女性 29 安楽死はできますか?」における記述(P164~P166)を以下に引用します。

過去に棲むパーツたちに「現在」を教える(中略)

「ハイジャック」とは、パット・オグデンが使った言葉で(Ogden et al., 2006)、誘発要因に晒されたクライアントの身体が緊急事態のストレス反応を稼働させることです。交感神経系を「働かせ」、アドレナリンが放出されると、前頭前皮質の働きが抑制されます。パーツが誘発きれると、緊急のストレス反応および動物の防衛反応が起こります。前頭前皮質の抑制こより、日常を送る自己は、パーツたちの行動や反応に対する意識的な気づきがなくなり、統制力が低下します。日常を送る自己がその機能を失っているときは、「ハイジャック」が起きている明らかな兆候です。「自分が壊れてしまって」または「バラバラになった」を、「パーツたちが『クーデター』を起こして乗っ取っている状態」と言い換えて、危機を外在化することで、日常を送る自己を引き出していきます。特にクライアントが自分のパーツたちに脅威を感じ、自分は「どこまで落ちぶれてしまったのだろう」と恥じている場合には人生を取り戻すための動機を呼び起こす必要があります。こんなとき私は、「あなたのパーツたちとトラウマが決定する人生がいい? それともあなたが選びとれる人生がいい?」と聞いてみます。

条件づけられた学習を克服する

誘発要因に対する反応は、生命の脅威を主観的に感じている手続き的な学習です。私の同僚がかつて「トラウマとは一番消去しづらい反応だ」と言っていたように、この条件づけられた反応は、変化や変更が非常に難しいのです。それはまるで身体と神経系が、別の日の安全のための自動的な反応を「あきらめる」のをひどく嫌がっているかのようです。加えて、慢性的な(神経系の)調整不全の結果、前頭前皮質が反復的に遮断され、トラウマを受けたクライアントの大部分は新しい情報を保持するのが困難になります。彼/彼女らは、昨日の救済だったやり方や戦略を他の人に思い出させてもらうか、合図してもらわないと覚えられず使えないと思っています。左脳の活動が繰り返し抑制されることで、新しい情報の符号化と想起が起こりにくくなっているのです。(後略)

注:(i) 引用中の「Ogden et al., 2006」は次の本です。 「Ogden, P., Minton, K. & Pain, C. (2006). Trauma and the body: a sensorimotor approach to psychotherapy. New York: W.W. Norton.[P・オグデン、K・ミントン、C・ペイン著『トラウマと身体:センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実践:マインドフルネスにもとづくトラウマセラピー』日本ハコミ研究所訳、星和書店、2012年。」 (ii) 引用中の「左脳」に関連する「左脳の自己」についての簡単な説明はここを参照すると良いかもしれません。 (iii) 引用中の「動物の防衛反応」に関連して、 a) (構造的に解離した各パーツは)「動物としての防衛反応を行使してる」ことについては「愛着と安全という面で偏りを呈する」ことを含めて、同の 6章 トラウマ的愛着の複雑さ の「セラピーとセラピスト恐怖症」における記述の一部(P127)を次に引用(【 】内)します。 【構造的に解離した各パーツは、動物としての防衛反応を行使しているのです。そして、愛着と安全という面で、偏りを呈します。】 b) ポリヴェーガル理論の視点からの「防衛反応」(例えば闘争・逃走反応と不動状態やシャットダウン)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「通常、人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているかを観察し、ある行動をとれば何が起こるかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプログラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を、抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。私たちは前頭葉が適切に機能しているかぎり、ウェイターがなかなか注文した品を持ってこないときや、保険会社の代理人に電話で待たされたときに、毎回腹を立てる可能性は低い(私たちの監視塔は、他者の怒りや脅威も、彼らの情動の状態の結果であることを教えてくれもする)。そのシステムが故障すると、私たちは条件付けされた動物のようになり、危険を感知した途端に、自動的に闘争/逃走モードに入る。」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)クライアントがパーツたちの言語を話し、ブレンド化を解除する能力を高め、嫌悪よりもむしろ好奇心から「二重の気づき」を持てるようになると、神経系は自然に落ち着き、トラウマ関連のパーツたちは穏やかになります。この気づきの習慣によって、幼い子どもと賢い大人との間に僅かな空間ができて、以前は圧倒されていたことにも耐えられるようになります。そうすると因果関係が明らかになります。「過剰な反応」もトラウマを抱えた子どもたちの自然な反応として捉えるように変化します。衝動に気づき、行動や反応をパーツたちのものとして観察できるので、ブレンド化せず意識的な選択ができるのです。「抑うつパーツの絶望とブレンド化すると幼いパーツ混乱し、自殺願望のパーツが誘発されるのだ。だから絶望にあまり『沈み込み』過ぎない方がよいだろう。」このように意識的にトラウマ関連のパーツたちとつき合えると、より調整された神経系になり、クライアントは嫌悪感よりも共感を増し始めます。特に慢性的な高リスクの症状、自己破壊的な行動、薬物乱用、および/または摂食障碍の場合、安定化は「日常生活を送る自己」と「脆弱性を死よりも恐れるたたかう/逃げるパーツたちの目的」とを区別できる能力の獲得にかかっています。これまでは、危険行為そのものを減らすことに焦点が当てられてきました。しかし、それにより、たたかう/逃げるパーツたちの疎外化および二極化が悪化し、しばしば安定化を余計危うくすることが起こります。また、恥、疲弊、そして自己不信は、服従と屈辱の負荷に苦しむパーツたちのものとして理解されるのではなく、慢性的なうつまたは低い自尊心として扱われることが多いのが現状です。さらにクライアントが治療に抵抗を示すと、それらはしばしば「パーソナリティ障碍」とされたり、欠陥を指摘されるだけで、どのパーツからの対話なのかを探求されないことが頻繁にあります。けれども、調整不全で解離が重篤なクライアントでさえも、第4章と第5章に示した単純なステップを繰り返し実行することで、徐々に安定化へと向かいます。要点を下記のようにまとめてみました。

・ 誘発された感情および身体反応を「引き金を引かれた」と認識し、今ここでの反応と解釈しないことを学ぶ。
・ これらの反応を「パーツからの対話」と捉え好奇心を持つ。
・ 誘発刺激とパーツ間の瞬間的な相互作用にクライアントが気づくように導く。
・ 自己観察できる〔日常を送る〕自己の質と、トラウマ関連の活性化されたパーツたちを区別する。
・ パーツに名前を付けるだけでなく、その幼さと「起こってきたこと」から生き残った能力に共感を持つ。
・ 内的対話の術を学び、信頼を築き、そしてパーツとのつながりを体感にまで浸透させる。

これらの単純な初期作業は、より「深い作業」をするための礎であり、クライアントがセラピーの時間以外にも実行できるようになるまで、繰り返します。「深い作業」をしたあとで、クライアントが調整不全を起こし、ブレンド化により感情や記憶に圧倒された、と解釈するのでは遅いのです。(後略)

注:(i) 引用中の「第4章と第5章に示した単純なステップ」についての引用は省略します。 (ii) 引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「パーソナリティ障碍」の別名である「パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 (iv) 引用中の「日常生活を送る自己」に類似する「日常を送る自己」、そして引用中の「二重の気づき」については共にここを参照して下さい。 (v) 引用中の「ブレンド化」は同はじめに の「本書の構成について」における次に引用(『 』内)する記述の一部(P24)で示されるように「パーツとの同一化」を指すようです。 『また、この段階においては「ブレンド化(Schwartz, 2001)」、つまりパーツと同一化しやすいということも、覚えておきたいものです。同一化すると感情が溢れたり、行動の制御が難しくなったりします。』(注:a) 引用中の「Schwartz, 2001」はここの i) 項を参照して下さい。 b) 引用中の「同一化」についてはここを参照すると良いかもしれません。) 加えて、引用中の「ブレンド化」に関連する(防衛反応[ここの (iii) b) 項を参照]がパーツが生き延びるためには大事だったとクライアントに思ってもらうための一方法であり、自動的で無意識のうちに起こる)「ブレンド化の徴候を観察し、非ブレンド化の術を身につけること」について、同の 9章 過去を修復する――自分への抱擁 の「これらの感情は誰のもの?」における記述の一部(P228)を以下に引用します。 (vi) 一方、引用中の「二極化」については同の 7章 自殺願望、自己破壊、摂食障碍、嗜癖のパーツに働きかける の「動物の防御と危険行動」における記述の一部(P153~P155)を以下に引用します。

トラウマ関連のパーツたちの苦痛を「修復」していく上で、クライアントにとって最大の難関は、自動的で無意識のうちに起こるブレンド化です。なぜなら感情、つまりパーツの感情はひとつの心と身体で経験されるので、クライアントがパーツという概念に慣れて、「パーツの感情」であることを認識できなければなりません。様々なパーツによって保持されている認知のスキーマ〔個人の成育歴などが影響している特有な信念体系〕の識別は簡単ではありません。もう何年もの長い間「真実」であるとしてきた信念は、たとえ知的にはパーツたちに結び付けられたとしても、特定のパーツにとっては脅威になることもあります。たとえば、セラピストが価値、帰属、ふさわしさについての信念をトラウマ関連のパーツのものとして捉えると、そのパーツが不安を感じてしまうことがよくあります。なぜなら、あるパーツにとっては、安全というものは自分を無価値だとする信念のもとにあるからです。生存のために、自分が見られず、聴かれず、何も問題を起こさないようにすることが習慣なのです。子どもにとっては危険な世界に独りでいるよりも、自分は悪い子だと思いこむ方が楽なのです。また、恥や自己嫌悪に苛まれたときも、子どもは簡単に服従し、恥じらい、罰を受け入れます。防衛反応がパーツが生き延びるためには大事だったとクライアントに思ってもらうためには、2つの段階があります。まずは、ブレンド化の徴候を観察し、非ブレンド化の術を身につけることです。次に幼いパーツたちへ思いやりを「向ける」力にアクセスし、「自分ではない」とされ見くびられてきたパーツたちと向き合っていくことです。「二重の気づき」だけが、クライアントが左脳の日常を送る自己と、右脳のトラウマ関連パーツたちとの「対話」の実行を可能にします。(後略)

注:(i) 引用中の「左脳の日常を送る自己と、右脳のトラウマ関連パーツたち」や「二重の気づき」については共にここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「非ブレンド化」に関連する『衝動的なパーツたちと「非ブレンド化」する能力が上がってくると、前頭前皮質が働いて、危険行為への衝動に乗っ取られずに済むようになってくる』ことについて、同の「はじめに」における記述の一部(P25)を次に引用(【 】内)します。 【こうして衝動的なパーツたちと「非ブレンド化」〔感情や衝動を自分である、ではなく自分の一部分として俯瞰できること〕する能力が上がってくると、前頭前皮質が働いて、危険行為への衝動に乗っ取られずに済むようになってきます。】[注:引用中の「前頭前皮質」に関連する、 1) 「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 2) 「通常、人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているかを観察し、ある行動をとれば何が起こるかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプログラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を、抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。私たちは前頭葉が適切に機能しているかぎり、ウェイターがなかなか注文した品を持ってこないときや、保険会社の代理人に電話で待たされたときに、毎回腹を立てる可能性は低い(私たちの監視塔は、他者の怒りや脅威も、彼らの情動の状態の結果であることを教えてくれもする)。そのシステムが故障すると、私たちは条件付けされた動物のようになり、危険を感知した途端に、自動的に闘争/逃走モードに入る。」ことについてはここの (iv) 項を参照して下さい。] (iii) 引用中の(識別は簡単ではない)「信念体系」に関連する、 a) MCS(多種化学物質過敏状態)における信念体系の導入については他の拙エントリのここを、 b) 「特定の医師やメディア等により化学物質過敏症と刷り込まれた単純な信念体系」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1(P89)の④項 (iv) ちなみに、上記「信念体系」に大いに関連する引用中の「信念」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

構造的な解離は、安全でない愛着関係をうまく折り合わせてくれます。親密さへの願望は愛着パーツが、宥和してなだめるのは服従パーツが、距離を保ってくれるのは逃げるパーツが、攻撃を恐れるのは凍りつきパーツ、差し迫った危機にはたたかうパーツが、というように危険な世界を生き抜くのに必要な「すべての要素」を担ってくれます。それぞれの構造的に解離されたパーツたちが、他のパーツたちから幾分か独立して稼働できるのは好都合なのです。虐待する養育者のもとでは、過度の警戒、愛を欲する、距離を取る、ロボットのように従順に従うようなその場、その場に応じた迅速で自律的な移行が「柔軟な防御策」として役立ちます。トラウマに関連する刺激を危険なものとして認識するとトラブルを回避し、別の日には束の間の停戦も可能になります。しかし、いったんわたしたちが安全になれば(つまり、もはや感情的または身体的に虐待者に依存しなくてもよくなると)、これらの防御的なパターンはもはや有用ではなくなります。パーツたちはまだその目的とニーズのためにトラウマ的引き金に備えて環境を検知し、それぞれの独特の方法で反応します。しかし、それらが活性化することで、内的葛藤はさらに増幅します。あらゆるパーツたちが遭遇する最も脅迫的な引き金は「他者」かもしれません。暴力的で攻撃的な個人によって強い防衛反応が呼び起こされるだけでなく、権威者に、親密なパートナーや配偶者に、セラピストに、家族に、友人に、そしてあらゆる愛すべき人々にも反応するでしょう。特に癒しの作業を一緒にしていく人は、構造的に解離しているパーツたちにとっては、自分を傷つけた人と同じくらい誘発要因になります。
これらの苦闘は必然的に二極化を招き、内的葛藤を激化させます。ですから愛着パーツは、(セラピストを含む)愛着対象になる可能性のある人を本能的に理想化しますが、たたかうパーツは敵対的態度を取ります。敵意を向けられるのは、親密になりたい人、幼いパーツを共感の失敗によって失望させた人、「そこにいてくれない」人、他の優先事項がある人で、その人たちに警戒を露わにします。通常、クライアントの周りにいる人々は、目の前の大人とつき合っていて、まさか子ども〔のパーツ〕の相手をしているとは思っていません。幼いトラウマを抱えたパーツの感情は容易に傷ついたり、失望することもあるのです。次のジェシカの例が示すように、大人にとって助けになることでも、子ども〔のパーツ〕にとっては、大きく異なる場合があります。

ジェシカは、経済的に困窮した際に友人やその友人を頼り、助けてもらいました。にもかかわらず、その人たちからの実用的な手助け、例えば車での送迎、新しい仕事の斡旋、または昼食をごちそうしてもらうなどは、彼女の2歳の愛着パーツにとっては「大事にされた」ことにはなりませんでした。(そのパーツは)抱きしめられたり、見つめ合ったり、一言残らず覚えてもらったり、昼食後にゆっくり過ごしてくれたりする人を望んでいました。45歳の大人には与えられないであろうことをジェシカの愛着パーツは望み、そして傷つき失望していました。さらにこの状況を複雑にしていたのは、愛着パーツの傷つきに警戒し、公正さを防護するたたかいパーツの存在でした。ジェシカの両親は2人とも過敏で批判的だったので、友人からの些細な指摘にもたたかうパーツが反応していました。そして一度誰かがジェシカの気分を害すると、たたかいパーツは何ヶ月も、あるいは何年にもわたって相手に敵対しました。さらに、幼いパーツを安心させることさえ拒否したので、ジェシカは次第に孤独になり、新しい友達を作ることができなくなりました。なぜなら、たたかうパーツが必然的に他者を「冷たい」、「自己愛的だ」、「陰険だ」、または「十分に健全ではない」と批判するからです。孤独は根源的な愛着の傷を癒さず、子どものパーツの寂しさと拒絶への脆弱性は強まるだけでした。それと同時に、たたかいパーツの過度の警戒も増していったのです。(後略)

(前略)マインドフルネスは、パーツたちに働きかける際に必要になります。セラピーの初期段階では、同盟関係を構築し、苦痛の体験やトラウマ的出来事を乗り越える新しい物語を創る際に、観察と発見の新しい方法を学びます。そして普段は特定するのが難しい、パーツたちの矛盾した行動や反応を俯瞰することで、「同一化」しないことを身につけます。パーツたちと「同一化」すると必ず感情が強烈になったり、恥を感じてしまいます。同一化なく、ただ眺めると、「積み木を積んでいく」(Ogden & Fisher, 2015)ように「父の話をすると、胸に固いものがあるのに気づき、心臓がどきどきします」とか「わたしの一部が不安を感じていることに気づきます」のように観察し、それらと「親しく」なれるのです。仏教で言うところの受容とは、「執着や嫌悪」(感情と同一化してたたかったり/批判したりすること)なしに、平安に至ることです。クライアントはこうして最も苦痛、屈辱、恐ろしい感情や感覚を許容し、眺めることをしていきます。屈辱的で圧倒させられる「古い世界」を探求するのではなく、まずは、パーツたちである感情の状態、思考、身体反応に興味や関心を持ってもらいます。あくまでもゴールは記憶の想起ではありません。顕在的であれ、感情や反応などの潜在的なものであれ、トラウマによる傷を修復していくことなのです。(後略)

注:i) 引用中の「Ogden & Fisher, 2015」は次の本です。 「Ogden, P. & Fisher, J. (2015). Sensorimotor Psychotherapy: interventions for trauma and attachment. New York: W. W. Norton.」 ii) 引用中の「記憶」には「陳述記憶」(又は「顕在記憶」)と「非陳述記憶」(又はこれに類似する「潜在記憶」)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「俯瞰」に関連するかもしれない、「健康な自己愛が、過去の自己体験を俯瞰している現在の自己体験のあり方」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「観察と発見の新しい方法」に関連するかもしれない『「どのパーツも置き去りにされない」というモットー』について、「死にたいというのは統制感を得たいということで、本当に死を望んではいない」ことを含めて、同の 7章 自殺願望、自己破壊、摂食障碍、嗜癖のパーツに働きかける の「どのパーツも置き去りにされない」における記述(P164~P166)を次に引用します。

「どのパーツも置き去りにされない」というモットーは、クライアントに教える基本的なことです。しかしこれは、自己疎外による生存戦略に挑戦しています。日常を送る自己と同じくらい、パーツたちは機能的で生存への責任を担っているので、簡単には(その任務を)放棄することを許さないでしょう。恥じるパーツ、おびえるパーツ、嗜癖や摂食障碍の逃げるパーツ、あるいは自殺願望、怒り、自傷または正義を求めてたたかうパーツ、これらのすべてが、尊敬と共感に値するのです。
この「置き去りにされない」がセラピーで徹底されることで、子ども(のパーツたち)にとっては絶滅の恐怖にも等しい見捨てられの恐怖が取り除かれます。セラピストがパーツたちに代わって話すのを聞くことは、誰かが分かってくれていたという修復体験になります。日常を送る自己もまた、パーツたちからの愛着が増すのを喜ぶでしょう。親なら誰でも分かるように、小さな子どもから愛されることは、お互いにうれしいことなのです。そして、日常を送る自己が潜在記憶を「単なる感情」または「単なる記憶」と注意深く解釈し、「自分の」反応を落ち着かせ調整する能力を高めると、パーツたちはより安全を感じ始めます。そして今や、新しくてより安全で満足のいく内的環境が確立されるのです。
安全や安心を感じられる世界において、クライアントはトラウマによって扇動される人生を生きるのではなく、内的対話の能力を使うことで「手に入れるはずだった」人生を協力しながら創造していくのです。各パーツたちは、トラウマの後の人生に貴重な役割を果たします。単に生存防衛反応を提供するだけでなく、それらの専門的役割は資源になります。例えば、たたかいの反応は、増大した活力、「勇気」、「不屈の精神」、断固たる拒否、そして私たちの権利と特権を守る能力を提供します。日常生活を送る自己が、「ノーと言う勇気を与えて」や「私の立場を守る強さを授けて」と、たたかうパーツにお願いすれば、中心軸や背骨にエネルギーが漲り、変化と成長のためのさらなる資源も享受できるでしょう。それにより凍りつくパーツは守られているという身体的感覚が得られ、服従パーツは簡単に他人に「だまされ」ません。そして抑うつパーツには、憂鬱な低覚醒を打ち消すエネルギー源となります。そうすると、パーツたちにとって「今、ここ」は安全なので、逃げるパーツは走り去る必要がありません。

ロバートは背の高い痩せこけた70歳の男性で、20代前半から誰かが自分を殺そうとしていると警告する声に苦しめられてきました。自分の母親が父親の暴力で殺されかけたのを目撃していたので、殺されることへの恐怖は身近なものでした。彼は若かっだので、死への憧れだけで自分をなだめてきたのです。しかし敬虔なカトリックだったので、彼の強い自殺願望は実行に移されませんでした。
彼と生き続けることに取り組んで2年後、彼は末期癌で死に直面しました。私が見舞ったとき、彼の「願い」はもう手元にありましたが、彼は恐れていました。彼は私に「私は人生をかけて、死ぬことを切望してきたけど、今は本当に死にかけていて怖い。死にたいとの望みが私に統制感をくれてきたが、いざ死が本当に迫るとどうにもならない」と語りました。彼にお別れを言って20年経った今も、私は彼の叡智と共にいます。――それは、死にたいというのは統制感を得たいということで、本当に死を望んではいないのです。

注:i) 引用中の「パーツ」、「日常を送る自己」については共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「尊敬と共感に値する」に関連するかもしれない《「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うこと》についてここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「潜在記憶」に類似する「非陳述記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「非陳述記憶」項 iv) 引用中の「摂食障碍」の別名である「摂食障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 解離の視点からの引用中の「低覚醒」については他の拙エントリのここを、加えてソマティック・エクスペリエンシングからの視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

受診の経緯
20代から精神科クリニックを転々としている40代の女性.前医では持続性気分障害の診断で半年間外来に通院した後,中断.2年経って福祉事務所の勧めで通院再開し,不規則ながら2年間通ったが再度中断した.中断からさらに2年経過し,再度福祉事務所から受診を勧められて当院を初診となった.前医からの紹介状には,女性は「安楽死させてくれる病院を探している」「イライラが抑えられないと暴れる」などと話し,慢性的な疲労感,不安焦燥感,解離症状,抑うつ気分,意欲低下,不眠などの症状を認めていた,と記されていた.

◆初診時
診察室で挨拶を交わした後,女性は長い髪を顔の両側から前に集めてきて顔を覆った.幽霊のような異様な姿に内心驚きながら,困っていることがないかを聞くと,淡々と「死にたいというのが一番」と話した.また,コミュニケーションへの苦手意識があり「なるべく人と接触したくない」とも話し,実際に人から「会話ができていない」「聞いたことと答えが違う」などと言われたことがあったそうだ.「話しすぎてしまい,後から余計なことを言うんじゃなかったとよく後悔する」とも話していた.
髪で顔を覆うのは女性なりの対人緊張を和らげる手段のようである.時折顔を覆い直す際に見える表情は撫然としていて,それ以外は口元が動いているのがかろうじて見える程度だった.
問診票には「小学校の半ばから希死念慮がある」と書かれていたので,何かきっかけがあったのかを聞くと,やはり淡々とした口調で「その頃,親から虐待を受けていた.学校の先生も合めてのいじめを受けていた」と話した.「祖父母が助けてはくれたけれど,逃げたら母親に殴られて監禁された」という.女性によると,死のうと思ってガス栓を開きストーブを焚いてもストッパーが作動して死ねず,安楽死できる場所を探すようになったという.外傷体験や希死念慮について話しているときも切迫感はなく,どこか投げやりで,諦めを感じているような雰囲気であった.

◆生活歴
独居であり,倦怠感から日中も自宅で横になって過ごし,外出は最低限しかしていなかった.気が向いたときに食事を摂り,夜は2~3時間程度しか眠れていない.何かをきっかけにイライラが止まらなくなり,物に当たることがあるが,昔よりは落ち着いてきているという.複数回の離婚歴があり,子どもも3人いて,それぞれ里親のもとや施設で過ごしている.子どもたちと面会するときだけは少し気分が紛れて,良い時間が過ごせるようであった.

◆どう考えたか
医療機関を転々としながらも,きわめて薄く人とつながっている.抗うつ薬などの薬物療法もいろいろとなされてきたが効果はなかった.話す内容は安楽死で,髪で覆われた顔と投げやりな口調もあいまって独特な雰囲気を醸し出している.死ぬ方法を考えながらも,一方で生活のために行政のサポートを受けており,そこからの勧めで受診してきた.
本人のみの受診であり,客観的な情報はない.慢性的な希死念慮を抱えて生きてきたその背景には,幼少期の虐待やいじめがあり,淡々と体験を話すのは半ば解離した状態の可能性がある.診察の早い段階で,虐待やいじめがあったと自ら話す姿や,話しすぎたと後悔することが多いといった言葉から,話した相手にどう思われたか不安になって受診しづらくなる可能性もある.話した相手の態度や言葉に拒絶などを感じ取りやすく,対人緊張の強さや信頼関係を作る支障になっている可能性もある.
実際,本人は治療者・支援者の反応をよく見ており,「この治療者・支援者は,どのような人なのか.何をしてくれるのか」とチェックしている.そして,諦めの中に,微かではあるが「助けてほしい」という願いのようなものを感じる.だが,「何をどう助けることができるのか」,話を聞いていて途方に暮れてしまう.それだけでなく,次回の診察までに「自殺してしまうのではないか」などと不安になることもある.
今はただ 筆者の中に心配や不安を抱えながら,近づきすぎず,遠くなりすぎず,か細い糸が切れないように,支援を続けているところである.

考察
本症例のように,トラウマ患者は他者に対する恐怖感があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.この両価性ないしジレンマは,トラウマ患者の特徴であり,トラウマが語られなくても,トラウマがある可能性に気づくマーカーとなりうる.対応として重要なのは,適切な距離感である.不用意に近づくことは恐怖やトラウマを刺激してしまう.逆に,腫れ物に触るような距離を取った対応も,他者への失望を助長してしまう.
肯定的な関心,温かい受容的態度など 支持的精神療法の基本がトラウマ患者には高いレベルで求められる.

また『「記憶をプロセス(処理)する」とはどういうことかについての説明』として、同はじめに の「本書の構成について」における記述の一部(P22)を次に引用します。

(前略)また「記憶をプロセス(処理)する」とはどういうことか、についても説明していきます。記憶が幼いパーツが保持している潜在的な感情の状態、身体感覚、神経系の活性化、そして調整不全で衝動的な行動だとしたら、何をするのが有効かを示していきます。記憶に関して近年では、その不確かな特質が強調されています。脳は、過去の経験を前後の出来事も統合して、更新して書き換えるということが分かってきたのです。ですから、出来事の記憶に取り組むことに焦点をあてるよりも、新たな経験を開拓していくことで、トラウマ関連の状態を変容させ、修復していくことができるのです。トラウマや「打ち負かされた」物語を書き換えて、癒しの物語を創っていきます(Michenbaum, 2012)。(後略)

注:引用中の「記憶」には「陳述記憶」(又は「顕在記憶」)と「非陳述記憶」(又はこれに類似する「潜在記憶」)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典

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【20】複雑性PTSD等に対する治療・対処・養生法(続き)について

他の拙エントリのここで紹介している(a)~(j)項の続きとしての非薬理的な治療・対処・養生法について以下に紹介[(k)項以降]します。ただし、これらの治療・対処・養生法にはエビデンスが不足している(例えばエビデンスレベル[WEBページの「3)エビデンス・レベル」項を参照]において、最低ランクの「患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」)ものも含まれます なお、上記は「平成は発達障害の時代、令和はトラウマの時代になるのではないか」や「トラウマに対する治療法は日進月歩であるかもしれない」ことも含みます。一方、複雑性PTSDにも適用されるスキーマ療法についてはここを、構造的解離に対するパーツアプローチについてはここを それぞれ参照して下さい。

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(k)ホログラフィートークについて(「心理的逆転」を含む)
標記については次の資料やWEBページを参照して下さい。 「ホログラフィートークの複雑性PTSDに対する適応の可能性」、「ホログラフィートークとは」 加えてホログラフィートークの可能性について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の嶺輝子著の文書「ホログラフィートークの可能性」の「ホログラフィートークとは」における記述の一部(P58~P60)を次に引用します。

筆者が考案したホログラフィートーク(以下、HT)はトラウマを処理し、クライエント(以下、Cl)の回復を援助する心理療法である。分類としては軽催眠を使ったトランスワークや自我状態療法の一種といえる。多くの心理療法が、セラピスト(以下、Th)から提供される教示や対話、訓練をとおして認知や情緒そして行動などに変容や変化をもたらす形をとるが、HTではCl自身が、感情や身体症状の意味を読み取り、解決し、みずからを癒すプロセスを行う。そこではThは問題の軽減・解消を目指すプロセスを援助するガイドやコーチのような役割を担うことになる。HTは、問題に対するClの感情や感覚、症状を起点として、その問題の起源となる原因を探り、問題の解決を図って安定化を行い、リソースを獲得するという過程を一回のセッションで行う技法である。
HTのプロトコルは四つのステップで構成されている。ステップ1では課題の決定と問題の外在化、ステップ2で問題の起源となる場面への退行と問題の解決、ステップ3で健全な状態の構築と安定化、ステップ4でリソースを獲得し、行動課題を与えるという作業を行う。その際、HTが治療目標として最も重要と考えているのは、Clへの安心・安全と安定の提供である。安定が確保されることによって、情動耐性や反応調節の開発ができるようになる。ここで同様に重要なのが、Clの過去のトラウマの再処理と、境界の構築、健全な愛着の形成と基底欠損の解消である。それらによって回復や健全な発達の基盤を整え、ストレスの軽減、情動耐性や反応調整の開発、自己感覚や自己共感の開発、重要領域での潜在能力の開花や、関係性の問題解決を図っていく。以下、ステップごとのポイントをより具体的に紹介することにしたい。

ステップ1:課題の決定と外在化
まず、Clとともにその日に扱う課題を決定する。課題は精神的な問題だけでなく、身体疾病や痛みなどの症状も扱える。その問題に対する感情や症状に意識を向け、それを色や形にたとえて外在化していき、バウンダリー(境界)の問題にかかわっていないかを確認し、退行の準備をする。

ステップ2:問題の見極めと解決
退行の許可が出たら、問題が発生した起源に退行し、その場面が現れたら、過去のClに今のClが気持ちを聞き、状況の説明をしてもらう。そして過去のClの望みを聞き、望みを深く承認しながら、その望みに沿った解決を施していく。

ステップ3:健全さの構築と安定化
その後は、問題者の代わりとなる健全な人(人々)を連れて来て、その人に過去のClが望むような愛着行為や、尊重の行為、正しい行為を充分にしてもらう。この場面はHTのセッションの中でも大変重要な局面となる。

ステップ4:リソースの獲得
最初に外在化したものの変化を確認し、現在の気分を聞き、望みを聞いてゆく。この望みこそ、今のClの未来の方向性や、よりよくなっていくためのリソースとなる。それを聞き出し、最後に現在のよい状態を保つ方法を聞いて、現実の世界に戻る。Clが現実世界に戻ってきたら、感想を聞き、得られたリソースを実際の生活で行っていくための行動課題を決め、その日のセッションを終了する。
心理療法としてのHTには以下にあげるような複数のメリットがある。①HTの一番のメリットは安全性が高いということであろう。使われる技法が誘導レベルなので、技法が習得しやすく、習得したてのThでも効果をあげられる。②軽催眠レベルであるため、Clの意志を確認しやすく、Clの意志を尊重し、逸脱した形になる恐れが少ない。③問題場面に戻った時にも、Cl自身の意識がはっきりとしており、Thのサポートを得ながら問題ある過去を解決していくので、フラッシュバックやパニックを起こしにくい。④問題の場面に早期に到達できるため、問題の根本からの解決が容易になる。⑤問題の起源に戻れるため、不可解な症状や困った感情・反応に対する理由が明確になり、Clの理解度や満足度が高い。⑥通常は扱いが難しい衝動やアクティングアウト等の問題を焦点化して扱えるため、問題介入が可能となり、Clの安定化を積極的に行える。⑦イメージの中で適切な愛着行動を与え、体感させるため、近年問題視されている愛着障害の解消に役立ち、愛着の問題から派生するさまざまな問題や影響を緩和・解消ができる。⑧愛着の問題を解消する場合、その一次愛の対象が必要となるが、HTでは、セッションに出てきた健全な人がその役割を担ってくれるため、回復のプロセスにおける強い投影転移による妨げが起こりにくい。
HTは主として大人に使う技法である。ナラティブな技法であり、退行を行うなど作業レベルも高度になる。(後略)

一方、複雑性PTSDにおけるホログラフィートーク又は思考場療法(又はTFT、他の拙エントリのここを参照)の視点からの「心理的逆転」の簡単な紹介として、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の嶺輝子著の文書「ホログラフィートークの可能性」(P54~P62)の「複雑性PTSDの診断と治療における問題」項における記述の一部(P56)を次に引用(『 』内)します。

(前略)さらに複雑性PTSDには、その診断においてのみならず、治療においても困難が伴う。第一にそれぞれの患者に必要な治療やケアが見つけにくいことがあげられるが、治療やケアが提供されても、治療効果がなかなかあがらない事例がしばしばみられる。ここで強調していきたいのは、治療や治療者に対する抵抗が現れる点である。この困難な現象に注目したアメリカの心理学者ロジャー・キャラハン博士(7)は、上述のような患者がみせる抵抗的なふるまいを「心理的逆転」と名づけ、これを解消することが、難しい患者の治療に不可欠であると論じた。
複雑性PTSDの患者の多くは、きわめて自己否定的であり、慢性的な罪悪感と責任感、さらには激しい恥の感情によって苦しんでいる。継続的に虐待されてきた個人(特に児童)は、虐待者からの意味づけを内面化するかたちで、自己の価値や意味を変容させてしまっているからだ(13)。複雑性PTSDの患者は、自己のコントロールのしにくさに加え、このように強い否定感や自責、恥辱感、絶望感をもっており、自分が助けてもらえるとは思っていないし、助けに値するとも思っておらず、自己を放棄し、惨めな人生が相応しいとさえ思っている可能性が高いのである。

注:i) 引用中の文献番号「(7)」は次の資料です。 「VOLTMETER and PSYCHOLOGICAL REVERSAL」 ii) 引用中の文献番号「(13)」は次の本です。 「Walker, P.: Complex PTSD: from surviving to thriving. Azure Coyote Publishing, 2013」 iii) 思考場療法(又はTFT)の視点からの「心理的逆転」の簡単な紹介について他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 『スキーマ療法的な物の見方で言うと、いわゆる「心理的逆転」という現象は(中略)、逆転どころか、精一杯の適応の結果としか思えない。早期不適応的スキーマという概念&モデルと親和性が高いと思う。』との記述を有するツイートがあります。また、上記「スキーマ療法」についてはここを参照して下さい。 v) 「9SRHBによって、心理的逆転とスイッチングが(一時的に)100%解消される」との記述を有するツイートがあります。なお、上記「9SRHB」を紹介するツイートもあります。

加えて、ホログラフィートーク又はTFT(又は思考場療法、他の拙エントリのここを参照)の視点からの「心理的逆転」のより詳細について、こころの科学 202号(2018年11月)中の嶺輝子著の文書『「楽になってはならない」という呪い――トラウマと心理的逆転』(P27~P33)の『「心理的逆転」とは何か?』項における記述及び「複雑性PTSD」項における記述の一部(P28~P29)を次に引用します。

「心理的逆転」とは何か?

「心理的逆転は、健康、人間的進歩、幸福、および成功にとって、人が遭遇しうるおそらくもっとも重要でかつ基本的な単一の力動的概念である(2)」。治療効果が現れない、治療してもすぐに悪い状態に戻ってくる、あるいは治療直後にネガティブな反応が現れるなど、治療者を悩ませる事象が起こっているときには、この現象がCに潜んでいる可能性があるとキャラハン博士は考え、これを解消する方法を考案した。この発見がなければ、博士が行っているTFT(思考場療法)の成功率は四〇~五〇%に減少しただろうとも述べている(3)。
心理的逆転という用語は、その状態が、自己利益に向かうという人の通常の動機づけの状態を逆転させ、敗北や不利益な方向に向かう行動をとらせるように見えるため名づけられた。この心理的逆転には部分的なものと、広範性のものがある。広範性の心理的逆転は、人生の特定の領域だけでなく、人生全体のほとんどに逆転した影響が及んでいる状態であり、このような人々はしばしば慢性的に不機嫌で、人生に対して否定的な姿勢を示す(3)。より難しい問題を抱えたCや、治療が困難なCには「広範性の心理的逆転」が起きていることが多い。本稿で扱う「心理的逆転」は「広範性の心理的逆転」である。
キャラハン博士は、「自滅性パーソナリティ障害」の行動的特徴が、心理的逆転が起きている人にも確認できると指摘する。以下のリストは、当時の心理療法の標準的なマニュアルに掲載されていた「自滅性パーソナリティ障害」の八つの特徴だが、「私が心理的逆転と呼ぶものに密接に関連しているように見えるため、ここで言及しておく。」と博士が述べながらあげている(3)ものである。
①他によい選択肢が明らかにあるとわかっているときでも、失望、失敗、虐待を招くような人や状況のほうを選ぶ
②他者の助けを拒絶したり、その助けを無効化する
③新しい目標達成など肯定的な出来事に対して、落ち込んだり、罪悪感をもったり、苦痛を伴う行動をとる
④他者から怒りや拒絶反応を引き出しておきながら、その後で傷ついたり、敗北感や屈辱感を抱く
⑤充分に社交的スキルや楽しむ力があるにもかかわらず、喜びの機会を拒否し、みずからが楽しんでいることを認めない
⑥発揮できる能力があるにもかかわらず、個人的な目的のための大切な仕事を完遂することができない
⑦常によい扱いをしてくれる人に対して退屈を感じたり、無関心である
⑧当の相手に求められてもおらず、やめてほしいと言われるような、過度に自己犠牲的なことを行う
Cの中に心理的逆転があった場合、このような自己否定的な力動の作用により、われわれが提供する治療や適切なアドバイスが、効果を発揮できなかったり、悪化を招くことさえありうるのである。

複雑性PTSD

筆者がCの回復を援助するとき、かならず最初に心理的逆転を確認するようにしている。その結果、心理的逆転が認められた場合に、まずそれを解消して、その後の治療がよりよく進むように整えておくためである。Cが抱える心理的逆転が、自己破壊的な力動を発揮して回復を阻むからだ。その際に留意すべきは、心理的逆転が存在するCは、高い確率で複雑性PTSDをも抱えていると思われることである。複雑な症状をもち、なかなか回復が難しく、様々な医療機関を転々としているようなCだ。(後略)

注:i) 引用中の「C」はクライエントのことです。 ii) 引用中の文献番号「(2)」は次の資料です。 「VOLTMETER and PSYCHOLOGICAL REVERSAL」 iii) 引用中の文献番号「(3)」は次の本です。 「Callahan, R.J.: Why do I eat when I'm not hungry? Doubleday, 1991.」 iv) 引用中の「広範性の心理的逆転」に対するホログラフィートークによる扱いについては次のWEBページを参照して下さい。 「ホログラフィートークの特徴」の「心理的逆転をホログラフィートークで解消する」項

さらに、ホログラフィートークにおける心理的逆転を扱い例について、同文書の「心理的逆転からの回復のために」項における記述の一部(P31)を次に引用します。

(前略)筆者が考案した「ホログラフィートーク」は、軽催眠を利用した技法である。Cを変性意識に入れ、退行させながら、症状や病因がどこから始まっているかを探り、問題を解消して切り離し、健全化を図り、回復に役立つリソースを獲得していく技法である。手法的には催眠やイメージ誘導に入るだろうし、Cの内面にある意識を外在化もするので、自我状態療法の一種ともいえる。トラウマを解消するときには、その想起にまつわる問題がいろいろ出てくるが、軽催眠状態で誘導していくことによって、こころの奥にしまわれた問題場面が現れやすく、またその場面が現れてきても落ち着き、安定した心理状態で見ることができ、認知を書き換えることもしやすい。そして心理的逆転を扱う場合には、逆転の有無、そしてその理由を筋反射で確認していく。顕在意識では明らかにならない部分を、無意識の反応で確認するのだ。理由が判明したら、その理由を基点に過去に退行し、その起源を探り、問題を明確化して切り離し、健全化を構築して安定化させ、リソースを獲得して終了し、そのリソースを行動課題として与えることを行っていく。(後略)

注:i) 引用中の「C」はクライエントのことです。 ii) 引用中の「自我状態療法」については例えば次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法

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(l)ボディ・コネクト・セラピーについて
標記について杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の藤本昌樹著の文書「ボディ・コネクト・セラピー ――トラウマ対処の新たな可能性」の「はじめに」における記述(P47)を以下に引用します。なお標記ボディ・コネクト・セラピーを受けた体験については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「パニックに対するボディコネクトセラピー

ボディ・コネクト・セラピー(Body Connect Therapy:以下BCT)は、二〇一六年に開発された誕生間もない心理療法である。多くの読者は、まだ知らないという方が多いかもしれない。しかし、トラウマを処理する速さや安全性が比較的高いこと、使用しやすさなどが、臨床心理士や医師の臨床家の間で評判となり、現在、BCTはトラウマ臨床を行うセラピストの間で広まりつつある(2)。

注:引用中の文献番号「(2)」は次の本です。 「藤本正樹『心の傷を消す音楽CDブック』マキノ出版、二〇一八年」 ちなみに、標記ボディ・コネクト・セラピーの簡単な紹介については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Body Connect Therapyとは

標記ボディ・コネクト・セラピーの内容については、引用はしませんが上記文書の「はじめに」、「おわりに」以外を参照すると良いかもしれません。加えて、同文書の「おわりに」における記述の一部(P52)を次に引用します。

BCTは、まだ発展途上とも言える心理療法である。そして、まだまだエビデンスが十分だと言えないものの、個人の臨床経験から発展し、BCTを使用している臨床家から支持され、着実に広がりを見せている。BCTの特徴として、トラウマ処理の際の「使いやすさ」「安全性」「処理の早さ」は、限られた時間での臨床を行う臨床心理士(公認心理師)や医師にとっては大きなメリットになるであろう。また、長時間活性化した状態にクライエントを晒させないことは、複雑性PTSDのクライエントにとってもメリットになるだろう。(後略)

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(m)ブレインスポッティングにおける視覚コンバージェンス療法について
最初に標記ブレインスポッティングについては次の資料を参照して下さい。 「ブレインスポッティング:新しい複雑性PTSDへの心理療法 ――視野上の注視により強められたトラウマへの焦点化と共通要因の活用――」 これ以外にも他の拙エントリのここにおいて標記ブレインスポッティング関連する短い記述があります。加えて、標記ブレインスポッティングについて簡単に紹介するかもしれないWEBページやエントリは次を参照して下さい。 「BSPについて」、「論文掲載:ブレインスポッティング:新しい複雑性PTSDへの心理療法―視野上の注視により強められたトラウマへの焦点化と共通要因の活用―」 その上に、標記ブレインスポッティングについての論文要旨及び全文はここを参照して下さい。次に、標記についてデイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「第8章 Z軸とコンバージェンス・ブレインスポッティング」における二つの記述の一部(P126)及び(P130~P131)をそれぞれ以下に引用します。

(前略)視覚コンバージェンス療法は、私が気づいていなかった単純なことに注意を向けさせてくれました。それは、視野は3次元(3D)であるということです。コンバージェンス療法をエレンに使うときまで、私は視野を平面(2D)で考え、視野のX軸とY軸だけしか使っていませんでした。インサイドウインドウ・ブレインスポッティングでは、はじめ左右であるX軸を使っていました。そしてクライアントの意見をもとに上下であるY軸を使いはじめました。このコンバージェンス療法は 3D の可能性について考えさせてくれ、奥行の考え方によって、ブレインスポッティングを行う際に視野のすべてを模索できるようになったのです。ニューヨーク大学の同僚で、数字を専攻していたマーサ・ジャコビはこの奥行の次元に対して、Z軸という言葉を勧めてくれました。(後略)

注:引用中の「インサイドウインドウ」についてはここを参照して下さい。

(前略)試行錯誤をくり返した結果、Z軸のアプローチでは、もともとの視覚コンバージェンス療法と同じペース、つまり視点を近くと遠くに5秒ごとに行き来する、に辿り着きました。これが眼球心臓反射を働かせるのです。ブレインスポッティングにとって、Z軸のアプローチも視覚コンバージェンス療法も欠かせない道具です。(後略)

注:i) 引用中の「視覚コンバージェンス療法」に関連する「コンバージェンス・ブレインスポッティング」について、同本の「用語集」における記述の一部(P220)を次に引用(『 』内)します。 『コンバージェンス・ブレインスポッティング(convergence Brainspotting):(3秒~10秒ごとに)近くと遠く(Z軸上)のブレインスポットを素早く行き来する方法。ブレインスポッティングの処理を早める眼球心臓反射を働かせる。』 加えてブレインスポッティングとは関連しませんが、手術における引用中の「眼球心臓反射」については次の資料を参照して下さい。 「術中に眼球心臓反射による心静止を生じ、術後にも洞性徐脈が持続した眼窩底骨折の一例」 さらに、これに関連する英語の資料を以下に示します。 ii) ちなみに、 a) 引用はしませんが、特にコンバージェンス療法に関連する記述が同本の P123~P125 に示されています。 b) ブレインスポッティングの概要について、同本の「日本語版刊行に寄せて」における記述の一部(Pv~Pvi)を以下に引用します。

Treatment of Panic Attack With Vergence Therapy: and unexpected visual-vagus connection.[拙訳]バージェンス療法を伴うパニック発作の治療:予期しない視覚 - 迷走神経の結合(注:関連論文の Draft(草案)の全文はこのWEBページの下部を参照して下さい)

Panic attacks are a fact of life in today's culture. As much as 10% of the healthy population can suffer a panic attack within a given year. Various methods of treatment have been described in the literature to counteract these panic attacks. It has been noted that it is possible to alleviate panic disorder anxiety by performing convergence therapy. This somatic intervention functions as a vagal maneuver, activating the oculocardiac reflex (OCR) by medial recti traction. It results in bradycardia and other parasympathetic responses. I have found it possible to alleviate panic attack, non-cardiac chest pain and other vagally mediated symptoms by using convergence activity with patients who suffer from panic attacks. I have extended this technique to address noncardiac chest pain and it may be further extended to patients with other anginallike pains. It may be possible to alleviate panic attacks, non-cardiac chest pains, and other vagally-mediated symptoms with this technique. The risk-to-benefit ratio is nil. Research is needed to further elaborate the full spectrum of benefits of this novel technique.


[拙訳]
パニック発作は、今日の文化における人生の事実である。健康な集団の10%もが1年以内にパニック発作を起こす可能性がある。これらのパニック発作を抑えるために、様々な治療の方法が文献に記載されている。コンバージェンス療法の実施により、パニック症の不安を緩和することが可能であることが言及されている。このソマティックな介入は迷走神経の操作として機能し、内直筋の牽引による眼球心臓反射(OCR)を活性化する。それは徐脈及び他の副交感神経反応をもたらす。パニック発作を患う患者と共にコンバージェンス活動を使用して、パニック発作、非心臓性の胸部痛及び迷走神経がメディエイトする他の症状の緩和が可能なことを私は見出した。私は非心臓性の胸部痛に取り組むためにこのテクニックを私は拡張し、そしてそれはさらに他の狭心症のような痛みを伴う患者にも拡張されるかもしれない。パニック発作、非心臓性の胸部痛、及び迷走神経がメディエイトする他の症状をこのテクニックで緩和することが可能かもしれない。リスク・ベネフィット比はゼロである。この新しいテクニックの利点の全範囲の詳細をさらに調査するための研究が必要である。

日本語版刊行に寄せて(中略)

「ブレインスポッティング」(略称:BSP)は、EMDR セラピストとしての豊富な経験を中心に、ソマティック・エクスペリエンシング(SE)などの知見も踏まえて、2003 年にグランド博士によって開発されたトラウマ療法です。PTSD 対応の最新ソマティック心理学(身体心理療法)の一つといえますが、博士自身は、「ブレイン-ボディセラピー」とも呼び、神経生物学的視点を非常に重視しています。
本書をお読みになればわかるように、コーティカル(大脳新皮質部分)な意識(言語)の領域でなく、自律神経系などを通じて身体と直接的につながるサブコーティカル(皮質下:大脳辺縁系・脳幹)な無意識(非言語)の領域が決定的に重要なのであり、脳のその領域に直接的に働きかける心理療法が「ブレインスポッティング」なのです。基底レベルでのクライアントとセラピストの心身の同調性に基づいた「二人称のセラピー」ともいえま
す。その効果はわかりやすく、汎用性があります。さらに、スポーツのイップスや、演劇、演奏などのパフォーマンス問題改善などを通じて、創造的領域への拡張性も期待されます。眼球を頻繁に動かす EMDR とは反対に、視線を一点に定めることで、問題の心理的な処理をオートマティックに加速するユニークな手法です。(後略)

注:i) この引用部の著者は久保隆司です。 ii) 引用中の「ソマティック心理学」については、次のWEBページを参照して下さい。 「日本ソマティック心理学協会」 iii) 引用中の「大脳新皮質」及び「皮質下:大脳辺縁系・脳幹」についての脳の進化の視点からの説明例は、次のWEBページを参照して下さい。 「脳の進化」 iv) 引用中の「イップス」については、次のWEBページを参照して下さい。 「イップスについて」 v) ちなみに、 a) 引用はしませんが同本の第13章(P185~P199)は「セルフ・ブレインスポッティング」についての章です。 b) BSP と脳神経学の関連について、同本の「訳者あとがき」における記述の一部(P238)を次に引用(『 』内)します。 『2017年時点で、脳神経学で根拠を集める Corticolimbic inhibition(皮質辺縁系による抑制)の概念が統合され、BSP は効果的にこの作用を促進する方法として紹介されはじめました。』(注:この引用部の著者は鈴木孝信です)

加えて、ブレインスポッティングに関連する論文について以下にそれぞれ紹介します。

・資料「Brainspotting – the efficacy of a new therapy approach for the treatment of Posttraumatic Stress Disorder in comparison to Eye Movement Desensitization and Reprocessing[拙訳]ブレインスポッティング - 眼球運動による脱感作と再処理法との比較における心的外傷後ストレス障害の治療のための新たな治療法の効果」の「Treatment」項における記述の一部を次に引用します。

(前略)The Therapy Approach Brainspotting (BSP). BSP is a psychotherapeutic model discovered in 2003 by David Grand, Ph.D.. Grand has conceptualized BSP as brain-wise and body-aware relational
attunement process. In this context he has developed the model of the Dual Attunement Frame. The foundation of this model is the articulation of the attuned, relational presence of the therapist with the client. This relational attunement is seen as being both focused and deepened by the neurological attunement derived from observing and harnessing different aspects of the visual orienting reflexes of the client (Corrigan & Grand, 2013).
By slow eye tracking, either with one eye or with two eyes, locations for BSP are identified. To find these locations, the techniques of either "Inside Window" or "Outside Window" can be used. The "Inside Window" utilizes the client's felt sense, the "Outside Window" helps to locate this location by observation of clients' reflexive response such as blinks, eye twitches or wobbles or quick inhalation, by the therapist.
Once the therapist and client determine together the Brainspot, the client is directed to maintain their fixed visual attention on the position and mindfully observe their internal process. In BSP this is called Focused Mindfulness as the mindfulness that ensues occurs in a state of Focused Activation. The Focused Mindfulness ensues, with the therapist closely and openly following along until the client comes to a state of resolution.(後略)


[拙訳]
治療的アプローチのブレインスポッティング(BSP)。BSP は、David Grand, Ph.D. によって2003年に発見された心理療法モデルである。Grand は、脳の視点から及び身体への気づき関連同調処理として、BSP を概念化した。この文脈において、彼は二重同調のフレームモデルを開発した。このモデルの基礎は、同調した、そしてクライアントと共にあるセラピストのリレーショナルプレゼンスの明確な表現である。このリレーショナルな同調は、クライアントの視覚的定位反射のいろいろな側面を観察、利用することにより引き出された神経学的同調によって、集中され、かつ深められているとみなされている(Corrigan & Grand, 2013)。
1つの目又は2つの目での遅い目の追跡により、BSP の位置が特定される。これらの位置を見つけるには、「インサイドウインドウ」又は「アウトサイドウインドウ」のいずれかのテクニックを使用できる。「インサイドウインドウ」はクライアントのフェルトセンスを利用し、「アウトサイドウインドウ」は、クライアントの瞬き、まぶたの痙攣、目の揺れ又は速やかな吸入等の反射的応答をセラピストが観察することにより、この位置を特定するのに役立つ。
セラピストとクライアントがブレインスポッットを一緒に決定すると、クライアントはその位置に固定された視覚的注意を維持し、内部プロセスをマインドフルに観察するように指示される。BSP においては、これはフォーカスト・アクティベーションの状態において後に生じるマインドフルネスとして、フォーカスト・マインドフルネスと呼ばれる。クライアントが解決の状態に達するまで、セラピストが密接にかつオープンに後ろについていくことを伴うフォーカスト・マインドフルネスが続く。(後略)

注:i) 引用中の「二重同調のフレーム」について、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P221)を次に引用(『 』内)します。 『二重同調のフレーム(dual attunement frame):セラピストの関係性とブレインスポットに対する同時的な同調によるクライアントに提供される枠組み。クライアントはこの枠組みのなかで、まだ癒されていない神経系の部分を特定し、適応能力を効果的に使って内的にそれを解決する。』 ii) 引用中の「フェルトセンス」について、同「用語集」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『フェルトセンス(felt sense):ユージン・ジェンドリンによって名づけられた語。身体で体験されたはっきりしないもの、または非言語的な体験を指す。』 iii) 引用中の「フォーカスト・アクティベーション」について、同「用語集」における記述の一部(P222)を次に引用(『 』内)します。 『フォーカスト・アクティベーション(focused activation):ブレインスポッティングのセットアップ(アクティべーション、SUDS測定、身体への気づき)で作り上げられる状態。フォーカスト・アクティベーションはクライアントとセラピストがブレインスポットを特定し、フォーカスト・マインドフルネスへと進むのに役立つ。単一の問題や状況に関する感情や身体感覚のアクティベーションがより集中した脳活動をもたらすと考えられる。』(注:a) 引用中の「フォーカスト・マインドフルネス」は「集中したマインドフルネス」とも呼ばれるようです。同本の P222 を参照して下さい。 b) 上記「サイドウインドウ」又は「アウトサイドウインドウ」のテクニックを使用して、引用中の「ブレインスポットを特定」するには、指示棒を所定の方法で動かすことが含まれます。 c) 引用中の「アクティベーション」についてはここを参照して下さい。) iv) 引用中の「Corrigan & Grand, 2013」は次の論文です。 「Brainspotting: recruiting the midbrain for accessing and healing sensorimotor memories of traumatic activation.

・論文要旨「Brainspotting: sustained attention, spinothalamic tracts, thalamocortical processing, and the healing of adaptive orientation truncated by traumatic experience.[拙訳]ブレインスポッティング:持続した注意、脊髄視床路、視床皮質系の処理、及び心的外傷性の体験により切り捨てられた順応定位の癒し」(注:全文はここを参照して下さい。拙訳においては「トラウマ」ではなく「心的外傷」を使用しています。)

We set out hypotheses which are based in the technique of Brainspotting (Grand, 2013) [1] but have wider applicability within the range of psychotherapies for post-traumatic and other disorders. We have previously (Corrigan and Grand, 2013) [2] suggested mechanisms by which a Brainspot may be established during traumatic experience and later identified in therapy. Here we seek to formulate mechanisms for the healing processing which occurs during mindful attention to the Brainspot; and we generate hypotheses about what is happening during the time taken for the organic healing process to flow to completion during the therapy session and beyond it. Full orientation to the aversive memory of a traumatic experience fails to occur when a high level of physiological arousal that is threatening to become overwhelming promotes a neurochemical de-escalation of the activation: there is then no resolution. In Brainspotting, and other trauma psychotherapies, healing can occur when full orientation to the memory is made possible by the superior colliculi-pulvinar, superior colliculi-mediodorsal nucleus, and superior colliculi-intralaminar nuclei pathways being bound together electrophysiologically for coherent thalamocortical processing. The brain's response to the memory is "reset" so that the emotional response experienced in the body, and conveyed through the paleospinothalamic tract to the midbrain and thalamus and on to the basal ganglia and cortex, is no longer disturbing. Completion of the orientation "reset" ensures that the memory is reconsolidated without distress and recollection of the event subsequently is no longer dysphorically activating at a physiological level.


[拙訳]
ブレインスポッティングの手法(Grand, 2013)[1] に基づいているが、心的外傷後及び他の障害のための心理療法の範囲内で、より広い適用性を有する仮説を我々は提示した。ブレインスポットが心的外傷の体験中に形成され、後にセラピーにおいて特定されるかもしれないメカニズムを我々は以前 (Corrigan and Grand, 2013) [2] に示唆した。ここでは、ブレインスポットへのマインドフルな注意中に生じる癒し処理のメカニズムを系統的に説明することを我々は追求した。そして、根本的な癒し処理がセラピーセッション中及びそれを超えて完了まで過ぎる間に生じていることについての仮説を我々は提供する。圧倒的になる恐れがある高レベルの生理学的な覚醒がアクティベーションの神経化学的な規模縮小を促進する時に、心的外傷の体験の嫌悪的な記憶への十分な定位が起こらない。その時には解決はない。ブレインスポッティング、及び他の心的外傷の心理療法において、電気生理学的に首尾一貫した視床皮質処理を結び合わせている上丘-視床枕、上丘-背内側核、そして上丘-髄板内核経路により記憶への充分な定位が可能になった時に、癒しは起こりうる。記憶への脳の応答は、身体において情動応答が体験されたために「リセット」され、そしてこの脳の応答は、旧脊髄視床路を通して中脳、視床、そして基底核と皮質に向けて伝達されたために、もやは乱されない。定位の完了「リセット」は、記憶が苦痛なしに再統合され、そして事象の回想後にもはや生理学的レベルで不快に活性化しないことを確実にする。

注:i) 引用中の文献番号「 [1] 」は次の本です。「Grand D. Brainspotting: The Revolutionary New Therapy for Rapid and Effective Change. Sounds True, 2013.」 これは本の原著です。 ii) 引用中の文献番号「 [2] 」は次の論文です。 「Brainspotting: recruiting the midbrain for accessing and healing sensorimotor memories of traumatic activation.」 iii) 引用中の「アクティベーション」について、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P219)を次に引用(『 』内)します。 『アクティベーション(活性化)(activation):問題に注意を置くと生じる感情的、身体的な高まりを私たちがどう捉えるかを表す、包括的な語。』 iv) 引用中の「処理」についての補足を、デイビッド・グランド著、藤本昌樹監訳、藤本昌樹・鈴木孝信訳の本、「ブレインスポッティング入門」(2017年発行)の「用語集」における記述の一部(P219)を次に引用(『 』内)します。 『処理(processing):クライアントの内的な体験で、順を踏んで一定期間観察された、記憶、思考、感情、身体感覚を含む。』

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(n)複雑性PTSDでのCBTの実践としての複雑性PTSDにおける外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について、その他
標記について、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第2章 わたし流・和と洋の邂逅 ――流派間の往復書簡,表現方法~森田療法との対話,そして複雑性PTSDでの応用―― の「Ⅴ 我流・認知行動療法の応用例 ――複雑性PTSDでのCBTの実践」における記述の一部(P63)を以下に引用します。ただし、標記「CBT」は「認知行動療法」(例えば参照)の略であり、一方「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

現在,私が関心を抱いているテーマのひとつが複雑性PTSDだ。私見では,複雑性PTSD(~軽症・複雑性PTSD)はすべての精神障害の病態理解~治療において,すこぶる重要な役割を果たしている。しかしながら現在までのところ,日常臨床の場においてしっかり対応するための方法論を,CBTも十分には提供できていないように見受けられる。こうした現状をふまえて,私が試作した患者向け心理教育用の資料(原田,2018a)を引用する。

注:i) この引用部の著者は原田誠一です。 ii) 引用中の(原田)「2018a」は次の資料です。 『原田誠一(2018a)短時間の外来診療における複雑性PTSDへの対応――「複雑性外傷記憶」概念を導入して行う心理教育と精神療法の試み.精神療法,44,533-535.』 iii) 複雑性PTSDにおける認知行動療法としての STAIR/NST については次のWEBページを参照して下さい。 「複雑性PTSDに対する認知行動療法の有効性の検討」 iv) 「私が試作した患者向け心理教育用の資料(原田,2018a)」[外傷性記憶(複雑性外傷記憶)]の引用について、井上和臣編著の本、「精神療法の饗宴 Japan Psychotherpy Week への招待」(2019年発行)の 第2章 わたし流・和と洋の邂逅 ――流派間の往復書簡,表現方法~森田療法との対話,そして複雑性PTSDでの応用―― の Ⅴ 我流・認知行動療法の応用例 ――複雑性PTSDでのCBTの実践 の「外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について」における記述の一部(P64~P67)を次に引用します。

外傷性記憶(複雑性外傷記憶)について
誰にも好ましくない記憶(エピソード記憶)は,無数にあるものですね。例えば 財布を落とした,テストで赤点をとった,ころんで足を挫いた,といった内容。こうした記憶を想起するのは嬉しいことではありませんが,気持ちがかき乱されてひどい混乱状態に陥るといったたぐいのものではないですね。
しかるに自分の存在の基盤そのものに関わり,安全感や自尊心が根本からひどく損なわれるような深刻な経験の記憶の場合,ずいぶん事情が異なります。こうしたひどくつらい体験のもとになるものに自然災害・事故・犯罪などがありますが,人間関係にまつわる継続的な問題も多いものです。例えば,親子関係における激しい葛藤・対立・虐待,いじめや各種のハラスメント,強圧的で暴力的な教師との関係に伴う被害など。
ここでは,このような人間関係に関連する経験(複雑性PTSD~軽度・複雑性PTSD)について説明することにします。こうした経験の記憶には外傷性記憶(複雑性外傷記憶)という名前がついていて,次のような特徴がみられます。

1. きわめて長い間記憶が保持されて,些細なきっかけで再現してしまう(図2-2)。
2. その記憶には瞬時に大きな動揺をもたらす強力な作用があり,強い不安が生じて当人が混乱状態に陥り不快・嫌悪・恥・驚きなどの感情が体験される。
3. 外傷性記憶が現れると,普段の状態(友好・安心モード)とは異なり,外傷体験に基づくモード(敵対・混乱モード)で自分~周囲の人が見えがちになってしまう。具体的には「周囲の人=自分を批判し否定してないがしろにする,一方的・高圧的で危険な存在」「自分=理不尽な被害を受ける,受け身一方で困惑している存在」といった具合です。
4. きっかけとなるのは,原因になった状況と類似の要素を含む状況~場面が多い。例えば「他人から無視される」「相手が自分の意見・意向に耳を傾けない」「理不尽な扱い~明らかな差別を受ける」「相手が感情的になっている」「高圧的な態度~無作法な振る舞いをする人がいる」「虐待やいじめ,自殺のニュースと接する」など。
5. 敵対・混乱モードで過ごす時間はとてもつらいものですし,敵対・混乱モードに基づく自他の言動が軋轢を強めてしまい,さらにしんどい状況に陥りがちです。

ちなみに,命に関わるような出来事の後に生じる典型的な外傷後ストレス障害 PTSD の場合(例:東日本大震災での被災),外傷性記憶が賦活化されると視覚像を伴うフラッシュバックが生じるので,当然本人はその経験を意識します。しかるに「親や養育者による虐待,いじめ,ハラスメント,暴力的な教師との関係」などに伴う複雑性PTSD(~軽症・複雑性PTSD)では,外傷性記憶(複雑性外傷記憶)が活性化されても視覚像を伴わないことが多く,本人ははっきりとは意識しない場合が多数派のようです。
外傷性記憶への対応を工夫する際には,こうした仕組みを理解しておくと役立ちます。かさぶたがとれて外傷性記憶が活性化したら,ある出来事がきっかけとなって(例:理不尽な扱いを受けた)外傷性記憶が露わになった経緯を把握することが大切です。苦手なトリガーと接して外傷性記憶が露呈し,敵対・混乱モードに陥っていると自覚するのですね。この認識ができると,混乱の世界から首ひとつ頭を出して自分が陥っている状態を俯瞰して観察しやすくなります。
「過去の出来事(外傷性記憶)~きっかけ(トリガー)~現在の状態(敵対・混乱モード)」の関連をしっかり理解するとともに,「どうやったら,早めに友好・安心モードに戻れるだろうか?」という対応策を考えやすくなるのです(複雑性PTSDの認知療法)。
ある出来事で外傷性記憶が活性化されて敵対・混乱モードに入ってしまった際に,敵対・混乱モードでの出来事を頭に思い描いてその世界に浸っていると,どんどん深みにはまってしまいがちです。ブラックホール,底なし沼,蟻地獄,蛸壷などと当事者の皆さんが称する,すこぶるつらい状態ですね。ですから敵対・混乱モードに陥った際に,そのモードでのやりとり~記憶を反すうし続けるのは得策ではありません。
こうした時に,普段から自分が慣れ親しんでいることをやってみると,早く敵対・混乱モードから抜けるのに役立つ場合があります(複雑性PTSDの行動療法)。たとえば 次のような例ですね。

・親しい人と話したり,メールでやりとりをする
・動物と遊ぶ
・慣れ親しんだ公園や喫茶店に行く
・親しみを感じ,安心感をもっているものと接する(例:ぬいぐるみ,大事な写真,お守り)
・好きなアニメ,ゲーム,マンガ,芸術作品を楽しむ
・ヨガ,サイクリング,整体,カラオケを試す

こうした自分に合ったやり方のレパートリーを,いくつか持てるといいですね。外傷性記憶がもたらす敵対・混乱モードとは異なり,これらの活動では相手~周囲との関係性が親しみを帯びています。こうした気持ちのよい友好・安心モードを体験できると,敵対・混乱モードからの回復を促すことができるのですね。
加えて,安心・友好モードから敵対・混乱モードへの移行の契機となったきっかけ,トリガーへの対策も大切です。きっかけとなった人物・状況をなるべく避けることが賢明ですし,避けにくい場合には相手との関わりを極力“浅く,狭く,短く,軽く”できると被害が小さくなります。また,きっかけとなった出来事の受けとめ方を工夫することが有効なこともあります。
なお,人間の自然回復力を促す4因子として「①身体を動かす,②自然を楽しむ,③良い人間関係を味わう(相手が動物でも可),④遊ぶ」が知られています(原田,2017b,2017c)。この4因子には敵対・混乱モードから友好・安心モードへの移行をサポートする作用があります。(後略)

注:(i) この引用部の著者は原田誠一です。 (ii) 引用中の「図2-2」の引用は省略します。代わりに次の資料の Figure 1 を参照して下さい。 「不安・抑うつ発作と複雑性PTSDの関連についての私見 ―両者の本質的な共通点~重なりと双方の臨床研究が交流する必要性・有効性について―」の「Figure 1 複雑性PTSD~外傷記憶の説明図」(P48) (iii) 引用中の(原田)「2017b」は次の本です。 『原田誠一(2017b)現代日本の2つの特徴――「人間の自然治癒力~レジリエンスの発現/抑制」という視点からみた,“変化した/変化していない”問題点.原田誠一(編)外来精神科診療シリーズ 精神医療からみたわが国の特徴と問題点.中山書店,pp.44-50.』 (iv) 引用中の(原田)「2017c」は次の資料です。 「原田誠一(2017c)臨床閑談;一開業精神科医の生活と意見.臨床精神医学,46,1547-1549.」 (v) 引用中の「軽度・複雑性PTSD」に類似する「軽症・複雑性PTSD」について、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の原田誠一著の文書『短時間の外来診療における複雑性PTSDへの対応 「複雑性外傷記憶」概念を導入して行う心理教育と精神療法の試み』(P199~P203)における記述の一部(P199~P200)を次に引用(【 】内)します。 【現在の我が国の臨床現場において,こうした複雑性PTSDの基準を満たす「長期虐待の生存者」と出会う機会は稀ならずある。しかるに格段に頻繁に遭遇するのは,厳密にはハーマンが示す内容に合致しないものの「長期虐待」に該当する経験が存在し,その体験が現在の苦悩~問題に深く結びついている症例である。具体的には,「家庭内での心理的虐待,いじめ,各種ハラスメント,暴力的な教師による不適切な対応」で一定期間苦しんできた場合。こうした症例と複雑性PTSDの近縁性~同質性は,両者が示す病像の重なりからも推測できるだろう。本稿では,このような病態を軽症・複雑性PTSDと仮称して論をすすめる。】(注:引用中の「ハーマンが示す内容」については次の本を参照して下さい。 『ジュディス・L・ハーマン著、中井久夫訳の本、「心的外傷と回復〈増補版〉」』) (vi) 引用中の「友好・安心モード」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論の視点からの「腹側迷走神経複合体が主導する社会的関わりシステム」及び引用中の「敵対・混乱モード」に関連するかもしれないポリヴェーガル理論の視点からの『交感神経系主導の「逃げるか闘うか反応」』については共に次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の『3.階層的反応モデルと「ニューロセプション」について』項 (vii) 引用中の(早く敵対・混乱モードから抜けるのに役立つ場合がある)「複雑性PTSDの行動療法」に関連するかもしれない、 a) 「コーピング」については他の拙エントリのここを、 b) ポリヴェーガル理論の視点からの「ニューラルエクササイズ」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項 (viii) 引用中の「友好・安心モード」と「敵対・混乱モード」の両方については次の pdfファイルを参照して下さい。 「Hem21 NEWS 令和5年(2023) 3月 Vol. 98中の こころのケアシンポジウム 「複雑性PTSDを考える」を開催 の『◎基調講演 「複雑性PTSDの理解と支援─日常臨床における我流・実践の紹介─」(P1~P2) (ix) 引用中の「認知療法」についてはここを参照すると良いかもしれません。 (x) 引用中の「反すう」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xi) 引用中の『「過去の出来事(外傷性記憶)~きっかけ(トリガー)~現在の状態(敵対・混乱モード)」の関連をしっかり理解するとともに,「どうやったら,早めに友好・安心モードに戻れるだろうか?」という対応策』に関連する、複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患している方の当事者研究の紹介について、同第Ⅰ部中の原田誠一著の文書「複雑性PTSD~軽症・複雑性PTSDの心理教育と精神療法の試み 気分障害と不安障害を例にあげて」(P105~P120)の「Ⅳ 気分障害と複雑性PTSDの関連② ある当事者研究の紹介」における記述(P112~P115)を次に引用します。

ここまで紹介してきた臨床的な対応を,筆者は日々試行錯誤している。本節では,こうした治療を現在体験しているある受け持ち患者が,自助グループで発表した内容全文を引用する。この当事者の方は複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患しており,引用にあたって文書で了解をいただいた。

当事者研究2018-2:“警報の誤作動”を止めるには――二つの「モード」から考える
・人間関係において,本来“警報”というのは必要不可欠なものです。「地雷を踏んだら別人のようになる人だ」とか「弱い相手には高圧的な人だ」などと警報が鳴ることで,人は適度な距離を取って,危機を小さくすることができます。“警報”とは言い換えれば「将来の恐怖の感覚」です。
・ただ,不運にも人間関係で深く傷ついた人は,その警報に誤作動が生じがちだと思います。つまり,常に警報が鳴り続けている,あるいは必要をはるかに超えて警報が作動するようになるので,友好的な人間関係においても,存在しない悪意を感じてしまうようになったり,安心感がないためひどく緊張しやすくなり,その結果疲れやすくなったりします。無力感が伴うと,警報の誤作動はさらに深刻になりますが,「今なら対処できる」と自信が持てるとだいぶ楽になると思います。
・私の主治医は,「敵対・混乱モード」と「友好・安心モード」という二つのモードを仮定して,私が今言ったような状態を違う言葉で整理しました。言うまでもなく,警報が誤作動している状態が「敵対・混乱モード」で,そうでない状態が「友好・安心モード」です。この「混乱」には,相手を選ばない他者一般,更には自分自身さえも含む「敵対」であるという混乱,また「友好的」で「安心」な本来の自分がその渦中においては忘れられてしまう混乱という,二重の意味があると私は考えます。
・二つのモードという考え方は,傷ついた人が陥りがちな「なぜ?」という答えの出ない問答を一旦脇にやって,「とりあえず警報の誤作動を止めるにはどうすれば良いか?」を考えるのに有用です。ただ,それでも過去と向き合う場合には,「過去の自分に対してその苦労をねぎらうような言葉をかけるように」と主治医はアドバイスしてくれました。
・以下に,私が行っている“警報の誤作動”を自覚し,抑え,止めるためのいくつかの方法を記します。
1) 鏡を見て自分の顔を見る。私は「敵対・混乱モード」のとき,必ず目つきが鋭くなっておっかない表情になるので,鏡を見るとそれが客観視できます。また,表情は連続的に変化するので,顔の表情によってだいたいこういう精神状態かな,と見当をつけることもできます。
2) 頓服の薬を飲む。薬は脳神経科学的に効くだけでなく,心理学的にも作用します。つまり,薬を飲むという行為自体がきっかけとなって,警報が止むことが私の場合しばしばあります。
3) マインドフルネスをする。マインドフルネスには頭の中をリセットする効果があるので,まずそれでモードが切り替わることがあります。そして,毎日行うと普段から考え過ぎない癖が身につきます。「敵対・混乱モード」は考え過ぎ,つまり深追いで悪化するので,この点でも良い効果があると感じます。ブッダの言うようには悟りは開けないものの,するとしないとでは大違いだと私は実感しています。
4) 音楽を聴く。私の主観ですが,美しい音楽は必ずどこか哀しいと思います。美しくて哀しい音楽は,普段の生活の中ではあまり頻繁に聴くものではないですが,警報の誤作動を止めるのには適している,と私は思います。
5) 普段の生活リズムを維持する。自由な時間があり過ぎると,考え過ぎてしまうからです。
6) その日あった良かったことを書き留めておく。良かったと思っている時点で,それを書いているときは「友好・安心モード」ですから,「敵対・混乱モード」のときに読み返せば 書いたときの気分に戻れることがあります。
7) 自分や他の人の言動を,文脈全体の中で把握する。一般的に言って,人の言動には一貫性があるので,ある場面だけを文脈から切り離して解釈するより,文脈全体を通じて解釈した方が,解釈の幅が狭まって信頼の置けるものになります。たとえば,親しくしていた人が急に自分のことを裏切る,ないし嫌いになるとか,自分の些細な言葉で人が激怒するということは,滅多にない珍しいことで 相手がちゃんとした大人なら普通ないことです。そういう不安が出てきたとき,文脈という一連の流れの中で解釈すれば,部分だけを見て解釈するより,「おそらく大丈夫」と安心する気持ちが強くなると思います。ここで大事なのは,「絶対大丈夫」ではないことです。絶対を求めると,人間関係が不可能になります。「おそらく大丈夫」で「今なら対処できる」と心底から思えると,本当に人間関係が楽になるだろうなあといつも私は思っています。
・以上が私が“警報の誤作動”を自覚し,抑え,止めるための方法です。こうやって整理することで,自分では不思議と前向きな気持ちになれました。もし誰かの役に立つようなことがあればなお嬉しいです。最後になりましたが,今回はこのような発表の場をいただき大変感謝しています。

注:引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(o)持続エクスポージャー療法について
最初に標記持続エクスポージャー(Prolonged Exposure:PE)療法のマニュアルについては例えば次の資料を参照して下さい。 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の認知行動療法マニュアル(治療者用) [持続エクスポージャー療法/PE 療法]」 加えて、標記療法を紹介するWEBページ又は資料例を次に示します。 「PTSDに効果 持続エクスポージャー療法 - yomiDr.」、「幼少期の複雑性トラウマに対する Prolonged Exposure による介入」、「PTSDに対する持続エクスポージャー法」 次に標記療法の簡単な説明について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第4章 「今」への影響を変える心理療法 の「代表的な心理療法 持続エクスポージャー療法/安心を実感する」項における記述の一部(P66)を次に引用(『 』内)します。 『治療者とともにトラウマの記憶に立ち戻り、記憶が過去のことであり、今の自分は大丈夫だという安心感を見つけていく治療法です。治療者と二人三脚で、自然に回復していく道筋を歩み直していきます。』 加えて、同項の「治療者に支えられながらトラウマ記憶に触れてみる」における記述(P66~P67)を次に引用します。

治療者のガイドで、無理のない範囲でトラウマの記憶や、思い出させる場面に触れてとどまってみることで、馴化(慣れること)を体験します。触れても怖いことは起きないし、自分は大丈夫だという安心感が芽生えます。
やがてトラウマの記憶が整理され、たとえば悪いのは自分ではなく加害者であるということが、心から納得できるようになります。トラウマの被害は過去のことであることが実感され、自分らしい生活の感覚が戻ってきます。

さらに、標記持続エクスポージャー(PE)療法における恐怖構造モデル及び治療原理について、こころの科学 2019年11月号 中の金吉晴著の文書「持続エクスポージャー療法の普及と展望」(P68~P72)の 代表的なトラウマ治療の心身アプローチ の「慢性PTSDの病理」及び「PE療法の治療原理」における記述の一部(P68~P70)を次に引用します。

慢性PTSDの病理(中略)

フォア、コザックは情報処理理論に基づいて恐怖構造モデルを提唱した。それによれば、恐怖記憶とは単なる感情の記憶ではなく、恐怖刺激(たとえば自動車)、それに対する感情的(怖い)・認知的(自動車は危険だ)・生理的(体がこわばる)反応と、そうした反応についての解釈(体がこわばるのは自分が無力だということ)を含む構造である。慢性PTSDでは過剰で病的な恐怖記憶が形成されている。すなわち①刺激と反応・意味づけとの関連が過剰・非現実なものになり、トラウマに対する不正確で否定的な認知が生じる、②その結果、安全な刺激に対しても、生理的反応や逃避・回避反応が生じ、そうした刺激を危険であると誤認する、③これらのために恐怖反応が容易に誘発され、それが適応的な行動を阻害する。
つまり、慢性PTSDにおけるトラウマ記憶とは「過去の恐怖の記憶」ではなく、「現在において恐怖を生み出し続ける構造をもった記憶」である。この構造を修正し、通常の記憶に戻すことが治療の目標となる。

PEの治療原理

一九八〇年代にはいくつかの不安障害について、恐怖記憶を変化させるためには修正的な情報を提供することが必要であり、そうした情報を適切に記憶構造に取り入れるためには恐怖記憶が適切に賦活されることが効果的で、下記の想像エクスポージャーと現実エクスポージャーを組み合わせることが有効であることが認められていた。PEはそうした研究成果のうえに立って、PTSDに特化したプログラムとして開発された(8)。
PEでは、安全で危害を及ぼすことのない刺激に、患者が系統的に注意深く触れていくことが目標となる。それによって恐怖記憶が賦活されるとともに、トラウマ体験を想起しても現在の自分は安全であるという修正的情報が獲得される。このプロセスは実験心理学における恐怖記憶の消去あるいは消去学習と呼ばれる現象にきわめて近い。その結果として、患者は危険が生じる可能性や状況について合理性な判断ができるようになり、多くの刺激に対して過剰に反応することがなくなり、「世界はどこにいても危険である」「不安を感じると自分はおかしくなり、何もできない」といった認知が修正される。
慢性PTSDでこのような学習や認知の修正が生じない理由は、トラウマ記憶に対する極度の回避が生じ、記憶内容についての再整理、検討ができないためである。上記の学習のためには、トラウマ記憶が適切に賦活され、それでも自分は安全であるという修正的情報を獲得することが重要であるが、それが阻害されてしまう。PTSDの中核症状である再体験情報はトラウマ記憶の病的な賦活であり、コントロールを失って感情に圧倒されているために、むしろ記憶は危険であるという否定的認知を強化してしまう。多くの不安障害の場合と同様に、回避は短期的には不安は軽減するが、長期的には恐怖への負の強化が生じ、病状を悪化させる(9)。
PEは基本的に上述の感情記憶の修正手続きに従っており、患者の安全と自律性を確保しつつ記憶を賦活し、修正的な情報を恐怖記憶に取り入れることを目指している。具体的には、現実生活においてトラウマを賦活する刺激に安全かつ無理のない範囲で三〇分以上触れる現実エクスポージャーと、トラウマを想起して安心を確保しつつ、感情レベルを適切にコントロールしながら三〇分以上話す想像エクスポージャーを実施し、トラウマを思い出しても自分は無力ではなく、有害なことをは生じないことが学習され、回避以外にも不安に対応する手段があることが理解される。やがて断片化した記憶表象の間の不適切な結びつきが解消し、本来の関係が明らかになると、トラウマとなった出来事と、それに類似していても実際には違う出来事の区別ができるようになる。そしてトラウマは過去の出来事であり、それを想起しても現在の自分に被害が生じているわけではないことが理解される。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(8)」は次の論文です。 「Emotional processing of fear: exposure to corrective information.」(全文はここを参照して下さい) ii) 引用中の文献番号「(9)」は次の本です。 「Foa, E. B., Hembree, E. A., Rothbaum, B. O.; Prolonged exposure therapy for PTSD: emotional processing of traumatic experiences. Therapist guide. Oxford University Press, 2007. (金吉晴、小西聖子監訳『PTSDの持続エクスポージャー療法-トラウマ体験の情報処理のために』星和書店、二〇〇九年)」

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(p)STAIR Narrative Therapy 又は STAIR/NST について
最初に標記セラピーの開発経緯の概略について、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の丹羽まどか著の文書「複雑性PTSDの病態理解と治療 認知行動療法~ STAIR/NST の立場から」(P57~P65)の「はじめに」における記述の一部(P57)を以下にに引用します。なお、本項においてはセラピー名としての標記「STAIR Narrative Therapy」(STAIR-NT)と「STAIR/NST」(STAIR&NST)が混在しています。

(前略)世界保健機関のストレス関連障害の分類に関するワーキンググループのメンバーでもあった M・クロワトル(Marylene Cloitre)博士は,長年にわたって幼少期の虐待サバイバーの治療経験を有し,クライエントが共通して抱える症状に対応する形で治療要素を組み立て,STAIR/NST(Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation followed by Narrative Story Telling;感情調整と対人関係のスキルトレーニングおよびナラティブストーリーテリング)という治療法を開発した(Cloitre et al, 2002, 2006)。現在は STAIR Narrative Therapy とよばれるようになっており(Cloitre et al, 2020),この間のさまざまな臨床や研究をもとに修正され,対象も虐待に限らずさまざまなトラウマサバイバーに適用されている。(後略)

注:引用中の(Cloitre et al)「2002」、「2006」、「2020」はそれぞれ次の論文又は本です。 「Skills training in affective and interpersonal regulation followed by exposure: a phase-based treatment for PTSD related to childhood abuse」、「Cloitre M, Cohen LR & Koenen KC (2006) Treating Survivors of Childhood Abuse: Psychotherapy for the interrupted life. Guilford Press.(金吉晴監訳/河瀬さやか・丹羽まどか・中山未知・田中宏美訳(2020)児童期虐待を生き延びた人々の治療――中断された人生のための精神療法.星和書店)」、「Cloitre M, Cohen LR, Ortigo KM et al (2020) Treating Survivors of Childhood Abuse and Interpersonal Trauma: STAIR Narrative Therapy. Guilford Press.」

次に、標記 STAIR Narrative Therapy 又は STAIR/NST の有効性に関する日本における研究成果の報告は次のWEBページや研究成果報告を参照して下さい。 「複雑性PTSD治療前進へ ~心理療法(STAIR Narrative Therapy)の成果~」、「複雑性PTSDに対する認知行動療法の有効性の検討」、pdfファイル「心的トラウマ研究 第17号 令和4年2月」中の須賀楓介著の文書「複雑性 PTSD の治療 -STAIR/NSTとセルフ・コンパッション -」(P79~P86) 加えて、標記 STAIR の簡単な説明について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第4章 「今」への影響を変える心理療法 の「代表的な心理療法 STAIR/感情と対人関係の調節スキルを学ぶ」項における記述の一部(P72)を次に引用(『 』内)します。 『STAIRは、子ども時代にトラウマが生じた大人の複雑性PTSDを対象とした認知行動療法の一種です。生活上の問題をまねきやすい感情の調節障害や対人関係の問題の改善を目指します。』(注:複雑性PTSDについては他の拙エントリのリンク集を参照して下さい) その上に、同項の「感情調節などを習得し直す」における記述(P72)を次に引用します。

複雑なトラウマによって起こりやすい感情調節の困難や対人関係の問題は、本当の自分の気持ちを遠ざけ、人と安定してかかわることを難しくして、人生をつらいものとします。
虐待を受けたときには受け止めてもらえなかった、さまざまなネガティブな感情や考えを、STAIRでは現在の具体的な対人関係に即して考え直します。
NSTでは、過去のトラウマとの関係を見直すことで、さらに治療を深めます。

さらに「STAIR/NST」(STAIR&NST)の治療構造の概略について、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の 大滝涼子,加藤知子著の文書「感情と対人関係の調整スキル・トレーニングとナラティブ・ストーリー・テリング 幼少期のトラウマによる PTSD のための認知行動療法」の「2.STAIR&NST の誕生と治療構造」における記述(P134~P135)を次に引用します。

ここで紹介する STAIR(Skills Training in Affect and Interpersonal Regulation:感情と対人関係の調整スキル・トレーニング)と,NST(Narrative Story Telling:ナラティブ・ストーリー・テリング)は,前述したような幼少期の虐待に始まる複雑性トラウマを持つ成人患者のための治療法として,Dr.Marylene Cloitre によって開発された。
この治療は,STAIR と NST の 2 つの異なる介入で構成されている。前半の STAIR に関しては DBT(Dialectical Behavior Therapy:境界性パーソナリティ障害のための弁証法的行動療法)を基に,後半の NST は PE(Prolonged Exposure Therapy:PTSD のための持続エクスポージャー療法)の理論を基に作られ,これらを掛け合わせて改良されたものと考えられる。
この 2 つの段階を踏む治療構造は,Herman(1992)10) の段階的治療の概念である,第1段階:安全,安定化,生活能力の強化,第2段階:トラウマ記憶の処理,第3段階:大きなコミュニティへの統合とも整合性がある。治療前半の STAIR では,現在の生活での対人関係や感情調整の問題に直接働きかけるもので,患者が一段ずつ階段を上っていくように段階的に取り組んでいく。ここで最初の目的は,まず感情への気づき,また,否定的な感情の扱い方や苦痛を調整するスキルを構築することである。2 つ目には,幼少期に学んだ対人関係のパターンが今現在にも影響を与え続けていることを学びながら,対人関係のスキーマを同定し,患者自身がより安定して自分の感情をコントロールできるスキルや,健全な対人関係を築くためのスキルを獲得していくことを目的としている。
そのようなスキルを習得した上でトラウマの語りの段階,NST に取り組むのがこの治療法の大きな特徴である。第1段階の STAIR での取り組みが,より強い感情が関わってくる第2段階の NST の準備になるとも言える。この準備なしにトラウマのナラティブに取り組むと,トラウマ体験の語りとともに生じる感情に圧倒されて,大きな回避や解離が生じたり,治療自体をドロップアウトしてしまうケースもある。STAIR の段階で身につけたスキルをもってトラウマのナラティブに取りかかることで初めて,トラウマについての語りが可能となり,その出来事と関連する体験や感情の整理をしっかりと進められるようになる。
第2段階となる NST での目標は,トラウマ記憶を整理しそれに関する感情を処理することで,記憶が患者を支配するのではなく,患者自身が自分の記憶をコントロールできるようになることである。幼少期の体験を繰り返し詳しく話し,虐待被害における感情の処理を行っていきながら,今現在の安全でサポートを受けられる環境の中で患者の体験と感情を丁寧につなげていく作業をする。記憶から逃げずにそれと向かい合うことは,初めは簡単なことではないが,それは次第に記憶に伴う不安や恐怖を軽減していくことにつながる。そのプロセスを経て,過去と現実は違うということに気づき,自身のトラウマ体験やそれと関連した感情と向き合うことで,行動や思考を調整できるようになる。
トラウマから回復するうえでの主要原則として重要なのが,過去について扱い,過去の出来事についての意味づけをしていくことである。しかし,治療の優先順位は,患者に差し迫っている問題や,必要とされる援助の重要さによって現在を扱うことが優先されることもある。具体的には,症状の安定化や対応(急性の苦痛,重度の PTSD 等),日常生活での問題(対人関係や混沌とした生活スタイル),併存する症状(精神病症状,重度のうつ病)などに対する現在の取り組みを扱うこともある。この治療では,過去に焦点を当てた介入と,現在に焦点を当てた介入のバランスを保つことが必要であると考える。患者が自己の継続性に気づき,過去を受け入れ,現在に生きようとすることを認識する手助けをするが,そのためには,患者が自ら治療に参加するように手助けをし,患者の現在抱えている心配や困難について明確かつ直接的に取り組み,日常生活における機能を向上させることも重要となる。

注:i) 引用中の文献番号「10)」は次の本です。「Herman J: Trauma and Recovery. Basic Books, New York, 1992.」 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」及び「PTSD」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「スキーマ」については、ここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ナラティブ」に該当する「ナラティヴ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「弁証法的行動療法」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「持続エクスポージャー療法」についてはここを参照して下さい。

これら以外にも、「STAIRのうち複雑性PTSDとの関連で特に注目したい項目」について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の大江美佐里、千葉比呂美著の文書「STAIR-NTおよび関連治療技法が目指すもの」の トラウマ・ケアとこどもヨーガ の「STAIRの主要テーマ」における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

STAIRのうち複雑性PTSDとの関連で特に注目したい項目をいくつか紹介する(中略)。

(1) 感情調整
感情を調節するためには、まず自身のもつ感情がどのようなものかを知る必要がある。そこで、感情とそれを引き起こすトリガー、思考や行動を記録表に記載してもらったり、特に強い苦痛を感じる際の感情を書き出してもらったりする。自分の感情をどのように命名したらよいか思いつかない場合に備え、様々な感情を書き出したリストを見せて、選んでもらうというやり方もある。
自分の感情への気づきを得た段階で、不安・うつ・怒りという三つの代表的な陰性感情について検討する。不安は周囲の環境の「安全」と「危険」との区別が十分ついていないことによって生じると考えることができ、周囲が実際に安全かどうかをセッション内で確認することにより改善する見込みがある。うつは「学習された無力感」によっても生じることから、現在が無力な状況でないことの確認が改善に有用である場合がある。また、行動活性化技法もうつ状態への効果が立証されている。怒りは正当なものもあるが、他者への攻撃性など許されない状況に陥ることもある。怒りを爆発させる前に数を数える、場所を移動する、といった行動面の対処、怒りを爆発させた結果を検討するなどの認知面での検討が怒りへの対応として挙げられる(怒りについては次項目も参照のこと)。ある感情にとらわれた時の身体的反応、生じる思考、そしてどのような行動をとるかについても記録をつけ確認する。
次に、対処スキルを検討する。飲酒など感情調整に不向きな行動、趣味などの感情調節に一般的に向いている行動があることは確かだが、個々人に必要な対処スキルは何かを考えることが重要である。対処スキルには、感情にとらわれた時と同様に、注意を他に向ける(思考)、友人を呼ぶ(行動)、呼吸を整える(身体)と複数の側面から検討することが可能である。

(2) 苦痛への耐性
苦痛への耐性(distress tolerance)とは、痛みや困難に対して、自身や他者への暴力なしに耐える能力のことである。ここでは、苦痛への回避行動は目標達成を阻害するもので、一時的に苦痛が生じることであっても挑戦することを求めている。また、アルコールや違法薬物の乱用、自傷行為、過食などの自暴自棄的行動、他者との関係を未熟な形で断ち切る、といった非適応的行動をとらないよう求められる。苦痛への耐性を高めながら目標を達成するために、目標に取り組むことの利点と欠点を書き出し、治療者とともに眺めることで、実現可能性について協議する。(中略)

感情調整と苦痛耐性との違いを示すと、前者は感情を鎮めることが目的、苦痛耐性は感情と行動との関係を切り離すことが目的といえる。

(3) 対人関係パターンの理解
他者との対人関係においても、自身や他者に対する思考や気分が影響していることを理解する。現在問題となっている対人関係について、思考と気分とのつながりを同定し、それがトラウマ体験と関連しているかを話し合う。
トラウマに関連した対人関係に関する考えには以下のようなものがある。
・私が関係を深めると、私自身を守れない
・もし私が体験したことを相手に話したら、避けられてしまう
・助けを求めたら、非難されてしまう
具体的な対人関係に問題を生じた状況について書き出してもらい、その際に自身が抱いた感情とその理由、そして相手にどのような態度を期待していたのかを書いてみる。最後に実際どのように振舞ったかも書く。
次に、記載したものを治療者と確認した上で、ロールプレイを行う。ロールプレイという安全な環境で相互の関係についてこれまでとは違う行動様式がとれないかを検討するが、もしロールプレイに対して抵抗の強い場合、あるいはロールプレイに相応しくない状況の場合には、内潜的モデリング(covert modeling)が用いられる。これは、状況を実際に演じるのではなく、状況を口頭で話してもらい、その時とった方法と別の方法はなかったのか、他の考え方がなかったのかを治療者とともに検討する方法である。いずれの場合にも、中程度の苦痛レベルとなる状況を選択することが重要で、あまり感情的に動揺する場面を選択しないよう注意する。ロールプレイでは、クライエントが自分役とともに相手役も演じてみることで、自身の行動をより客観的に眺めることが可能となる。ロールプレイの主眼は客観性を得ることであり、「正しいか間違っているかを治療者が判定する」ものではないことをクライエントに十分理解してもらうことが肝要である。

(4) 対人関係における距離
他者との適切な距離感を保つことについて、利点と欠点を挙げて検討する。他者との距離をとることは対人葛藤が起きにくいという利点はあるが、支援が受けられず孤独感を増すという欠点がある。逆に、他者との距離を狭めることは、一体感を高め、守られているという安心感があるが、相手の影響を強く受けることで自己決定が損なわれる可能性も高まる。健康的な距離を保てば、自身の目標に向かっての支援も受けられ、かつ自己同一性も損なわれない関係を築くことができる。

注:i) 上記「複雑性PTSD」の意味としての「本稿ではハーマンらが唱えた複雑性PTSD概念をイメージして話を進める」ことについて、同文書の「はじめに」における記述の一部(P84)を次に引用します 『複雑性PTSDについて、本稿では表題に掲げられた「発達性トラウマ」診断基準やICDー11の complex PTSD診断基準にとらわれず、ハーマン(Herman, J.)らが唱えた複雑性PTSD概念をイメージして話を進める。』(注:引用中の「発達性トラウマ」に関連する「発達性トラウマ障害」、そして「ICDー11の complex PTSD」の別名である「複雑性PTSD」については共に資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」を参照して下さい) ii) 引用中の「数を数える」に関連する「ジェファーソンのことば」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「行動活性化技法」に類似する「行動活性化療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(q)マインドフルネス段階的トラウマセラピーについて
次に、標記マインドフルネス段階的トラウマセラピーの簡単な説明について、こころの科学 2019年11月号 中の大谷彰著の文書「マインドフルネスを用いたトラウマ治療――〈こころ〉と〈からだ〉の統合」(P84~P87)の 代表的なトラウマ治療の心身アプローチ の「マインドフルネス段階的トラウマセラピー」、「マインドフルネス」における記述、及び「トラウマ治療の四段階プロセス」における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

マインドフルネス段階的トラウマセラピー
トラウマへの心身アプローチの具体例として、マインドフルネス段階的トラウマセラピー(Mindfulness-Based Phase-Oriented Trauma Therapy:MB-POTT)を紹介しよう。MB-POTTはマインドフルネスによる〈こころ〉と〈からだ〉への気づきを応用した四ステップのトラウマ治療法である。詳細は大谷(5)に譲るが、骨子は次の通りである。

マインドフルネス
東南アジアの上座部仏教に端を発する瞑想法を原型にしており、一九八〇年代に米国のジョン・カバット-ジンによってマインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction:MBSR)として再構築された。以来、欧米、日本で急速に拡がった。一般に瞑想といえば心的オンリーの実践と思われがちであるが、実際には呼吸と身体感覚に対して意図的に注意を向け、その時に生じる心身反応を観察する実践である。〈こころ〉と〈からだ〉の活動をありのままに見つめる作業といってよい。これをトラウマ治療に活用するのである。
MB-POTTでは、外界の観察から始まり、身体感覚、心的反応へと系統的に気づきを促し、これに呼吸の気づきを加える。クライアントは気づいたことを単に「気づいた」と認識し、呼吸に意識を戻す。具体的には周囲の物音、身体の緊張感、記憶や感情などすべての事柄に優しく「タッチ」するように気づき、呼吸に「リターン」する。この「タッチ・アンド・リターン」の繰り返しこそがマインドフルネスに他ならない。タッチ・アンド・リターンは仏典に記された方法を踏襲しており、一見シンプルなようであるが実践はなかなか困難なことが多い。クライアントはこれをスキルとして学び、日常生活でも実践するよう心がける。呼吸によって〈こころ〉と〈からだ〉を結びつけるマインドフルネスは自律神経の調整を可能にし、不安を抑えてリラクセーションをもたらす。

トラウマ治療の四段階プロセス
タッチ・アンド・リターンによって身体感覚への気づきを高め、リラクセーションが体験できるようになると、いよいよトラウマへの適用となる。MB-POTTではこれを四段階に分けて行う。トラウマの段階的治療はジュディス・ハーマンによって提唱され、欧米ではすっかり定着した(2)。(中略)
まず第一段階はトラウマによる心身症状の安定である。トラウマの症状は多様を極めるが、悪夢、フラッシュバック、過度の怯え(過覚醒)、驚愕反応といった交感神経亢進によるものと、抑うつ、無力感、凍りつき(フリーズ)状態といった背側迷走神経によるものとに大別できる(上記ポリヴェーガル理論参照)。トラウマ障害ではこうした症状の繰り返しが特徴とされ、マインドフルネスによってこれを緩和させることが第一段階の狙いである。タッチ・アンド・リターンは自律神経機能のバランスを整え、心身のリラクセーションを可能にする役割を果たす。
第二段階のトラウマ統合とは、トラウマ記憶の回復と言語化である。トラウマには解離が伴うことから、体験の記憶があいまいであったり、感情を特定できない、考えがまとまらないといった愁訴が予想される。治療者はクライアントの発言に共感を示しつつ傾聴しながら、「何が起こったのか」「何を考えたのか」「何を感じたのか」の明確化を図り、トラウマ体験の全容を客観的視点およびクライアントの主観的視点の両面から把握する。これによってクライアントの言語化を援助するのである。解離によって散乱し、なかには意識下に埋もれたトラウマ体験の断片を一つひとつ拾いあげ、ストーリーを再構築する過程は、ジグソーパズルに喩えられる。解離した思考や感情の言語化を英語では、「ギヴ・ヴォイス(give voice)」と表現するが、まさにトラウマという「言語を絶する」体験に「声を与える」のである。
トラウマ記憶の回復と言語化を図るこのプロセスはクライアントにとって苦痛となりやすく、再トラウマ化を防ぐためにも、治療者との信頼関係に基づいた安心感と安全の場の確立が不可欠となる。治療者はこれを絶えず銘記し、クライアントは必要に応じてタッチ・アンド・リターンを行って感情の調整を行う。
MB-POTTの第三段階は日常生活の安全である。トラウマ体験は心身の症状をもたらすのみならず、生活に何らかの支障を来すことも稀ではない。事故によるトラウマから外出恐怖や引きこもりを起こしたり、DV被害者が強い対人不信感をもつようになったというケースである。こうした場合、トラウマによって歪められた認知の矯正と行動の活性化が必要とされる。MB-POTTではタッチ・アンド・リターンを活用して行動変化をイメージさせ、それに伴う思考や感情は「一時的な思考や感情に過ぎない」ことを体験させて、行動促進を支援する。(中略)
MB-POTTの締めくくりであるポスト・トラウマ成長(心的外傷後成長)は、トラウマの意味づけである。身体症状が消失し、日常生活が安定しても、トラウマ記憶は一生消えさらない。トラウマ体験を振り返り、それが自分をどのように変えたのか、ひいては自己の成長にどのようにかかわったのかについての思索はずっと続くのである。トラウマの「プラス効果」は必ずしも期待できないにせよ、生きがいや生活の価値観が明確になったと多くのクライアントは語る。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(2)」は次の本です。 「Herman, J. L., Trauma and recovery: the aftermath of violence--from domestic abuse to political terror. Basic Books, 1997. (中井久夫訳『心的外傷と回復〈増補版〉』みすず書房、一九九九年)」 ii) 引用中の文献番号「(5)」は次の本です。 「大谷彰『マインドフルネス実践講義-マインドフルネス段階的トラウマセラピー(MB-POTT)』金剛出版、二〇一七年」 iii) 引用中の「上記ポリヴェーガル理論参照」に対する参照は省略しますが、代わりに例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「解離」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「心的外傷後成長」についてはここを参照して下さい。

(r)レクレーション活動
レクレーション活動について、林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第5章 苦痛をやわらげるために自分でできること の「レクレーション活動」における記述の一部(P102)を次に引用します。

レクレーション活動
好きなことを楽しんで気分を転換(中略)

好きなことで心を楽しませる
行き詰った思いから一瞬でも離れて、好きなことに集中できれば、その間、心は不安や怒りなどの感情から解放されます。レクレーション活動を自分なりに選んで、心を楽しませる時間をつくりましょう。(中略)

もちろん、自分が関心を持っている趣味の活動なら、気晴らしと気分転換の効果はとくに大きくなるでしょう。

注:(i) 引用中の「レクレーション活動」に関連するかもしれない、複雑性PTSDにおける「普段から自分が慣れ親しんでいることをやってみる」ことについてはここにおける引用を参照して下さい。 (ii) この引用ではありませんが同項(P102~P103)において、レクレーションの種類は、 a) 体を動かす[ウォーキング、ジョギング、サイクリング、ハイキング(山登り)]、 b) 芸術活動[歌を歌う、楽器を演奏する、絵を描く、ダンス・踊り]、 c) 知的な活動[読書、文章を書く]、 d) その他[おしゃべり、温泉、旅・釣り] が挙げられています。

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(s)イメージ法
最初に、標記に関連するイメージを利用した治療例について次の資料があります。 「心的外傷後ストレス障害の悪夢に対するイメージを利用した治療 -展望と今後の課題-」 加えて、次の資料もあります。 「https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsad/11/1/11_2/_pdf/-char/ja:title=恐怖記憶に対するイメージ書き直しと記憶の再固定化の関係]」 その上に、標記について林直樹著の本、「新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害」(2017年発行)の 第5章 苦痛をやわらげるために自分でできること の「イメージ法」における記述の一部(P106)を次に引用します。

(前略)イメージ法とは
イメージ法は、自分にとって快適な光景を思い浮かべ、そのイメージに浸ることによって、リラクゼーションを進める技法です。(中略)

イメージ法によるリラクゼーション
①準備
静かな部屋で、目をつぶり、楽な姿勢で静かな呼吸をします。

②イメージの選択
リラックスするためには、静かな情景を思い浮かべると効果的です。快適と感じられる情景は人によって違うので、自分にとって心地よい情景を思い浮かべます。(中略)

イメージ法は、指導者のもとで行う場合は、一定のイメージを構成するシナリオが使われることがあります。一人で行う場合は、一つのテーマを選んで行うと良いでしょう。107、108ページを参考にして下さい。(後略)

ちなみに、スキーマ療法におけるイメージ書き換えについてはここここ及びここを参照して下さい。一方、イメージ書き換え(又はイメージ書き直し、記憶の書き換え、imagery rescripting)についての次の資料もあります。 「恐怖記憶に対するイメージ書き直しと記憶の再固定化の関係」 加えて、上記 imagery rescripting についてのメタアナリシスの論文要旨「Imagery rescripting as a clinical intervention for aversive memories: A meta-analysis.[拙訳]忌避記憶に対する臨床的介入としてのイメージ書き換え:メタアナリシス」(全文はここを参照)を次に引用します。

BACKGROUND AND OBJECTIVES:
Literature suggests that imagery rescripting (ImRs) is an effective psychological intervention.

METHODS:
We conducted a meta-analysis of ImRs for psychological complaints that are associated with aversive memories. Relevant publications were collected from the databases Medline, PsychInfo, and Web of Science.

RESULTS:
The search identified 19 trials (including seven randomized controlled trials) with 363 adult patients with posttraumatic stress disorder (eight trials), social anxiety disorder (six trials), body dysmorphic disorder (two trials), major depression (one trial), bulimia nervosa (one trial), or obsessive compulsive disorder (one trial). ImRs was administered over a mean of 4.5 sessions (range, 1-16). Effect size estimates suggest that ImRs is largely effective in reducing symptoms from pretreatment to posttreatment and follow-up in the overall sample (Hedges's g = 1.22 and 1.79, respectively). The comparison of ImRs to passive treatment conditions resulted in a large effect size (g = 0.90) at posttreatment. Finally, the effects of ImRs on comorbid depression, aversive imagery, and encapsulated beliefs were also large.

LIMITATIONS:
Most of the analyses involved pre-post comparisons and the findings are limited by the small number of randomized controlled trials.

CONCLUSIONS:
Our findings indicate that ImRs is a promising intervention for psychological complaints related to aversive memories, with large effects obtained in a small number of session.


[拙訳]
背景及び目的:
イメージ書き換え(ImR)が効果的な心理的介入であることを、文献は示唆する。

方法:
忌避記憶に関連付けられている心理的訴えの ImR のメタアナリシスを、我々は実施した。関連する出版物は Medline、PsychInfo、Web of Science のデータベースから収集された。

結果:
心的外傷後ストレス障害(8件の試験)、社会不安症(6件の試験)、身体醜形障害(2件の試験)、うつ病(1件の試験)、神経性過食症(1件の試験)又は強迫症(1つの試験)を伴う、363人の成人患者の(7件のランダム化比較試験を含む)19件の試験がこの検索により同定された。ImRs は平均4.5セッション(範囲、1-16)にわたって施された。ImR がサンプル全体において治療前から治療後、そして追跡調査までの症状の軽減に大きく効果的である(それぞれ Hedges の g = 1.22 及び 1.79)ことを、効果量の推定は示唆する。ImR を受動治療条件と比較すると、治療後に大きな効果量(g = 0.90)が得られた。最後に、併存するうつ病、忌避イメージ、そしてカプセル化された信念に対する ImR の影響も大きかった。

制限:
ほとんどの分析は事前-事後の比較を含み、そしてその結果は少数のランダム化比較試験によって制限される。

結論:
ImR が忌避記憶に関連する心理的訴えに対する有望な介入であり、少ないセッションで大きな効果が得られることを、我々の調査結果は示す。

注:本論文を簡単に紹介する記述を次に引用(『 』内)します。 『さらに,侵入的な記憶に悩まされる人に対して、その記憶の結末が,本人にとって納得できる内容となるよう繰り返しイメージさせる技法である記憶の書き換え(imagery rescripting)は,うつ病,社交不安症,強迫症,心的外傷後ストレス障害の症状の改善に著効を示す(Morina et al., 2017)。』(注:i) 本引用部の著者は長谷川晃です。 ii) 引用中の「Morina et al., 2017」は上記論文です。)

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(u)歌う又はハミング、その他
標記について、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「歌う」における記述の一部(用語解説 P3)を以下に引用します。なお、この引用には「チャンティング」や「本の朗読」等を含みます。

ポリヴェーガル理論では、歌は社会交流システムを高める「神経エクササイズ」と捉えている。歌うためには、私たちが歌と認識できるような、調整された声を出すために、顔と頭の筋肉を制御し、息をゆっくりと吐くことが必要である。息をゆっくりと吐くことで、心臓への腹側迷走神経経路の影響が上昇し、自律神経状態は落ち着いていく。息を吐くときには、腹側迷走神経運動線維が、心臓の心拍を減少させる心臓のペースメーカーに、抑制的な信号を送る(ヴェーガル・ブレーキ)。息を吸うときは、心拍数を落とす迷走神経の影響が消失し、心拍が上昇する。歌うときには、吸う息よりも吐く息の方がより長い。これにより迷走神経の介在が起こり、落ち着いた生理学的な状態がもたらされる。歌うときには、顔と頭の筋肉を神経的に制御し、表情筋、音を聞き分ける中耳筋、声を出すための咽頭・喉頭の筋肉を含む顔と頭の筋肉を神経的に制御する。これは、ヴェーガル・ブレーキを強めたり弱めたりするエクササイズをしていることになる。従って歌うことは、社会的交流システムを統合的に訓練することになる。チャンティング〔訳注:経典や祈りの言葉などを声に出して唱えること〕、本の朗読、楽器の演奏などは、社会交流システムの訓練に役立つ。(後略)

注:i) 引用中の「神経エクササイズ」の別名である「ニューラルエクササイズ」について、引用中の「社会交流システム」に類似した「社会的関わりシステム」を含めて次の資料を参照して下さい。 資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項(P335) ii) 引用中の「吸う息」、「吐く息」の両方に関連する、「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ヴェーガル・ブレーキ」の別名である「迷走神経ブレーキ」については次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項

加えて標記「ハミング」について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅳ部 神経系を形作る の 第11章 呼吸と音でシステムを整える の「他の音」における記述の一部(P206~P207)を次に引用します。

「ハミング」は、「地球」と「大地」を意味する「humus」というラテン語に由来します〔訳注:語源は諸説ある〕。ハミングは誰でもできると思われているからでしょうか、ハミングに関する研究は行われていないようです。ただし、ハミングをすると、幸せな気分を感じるという人は、世界中に大勢いることでしょう。歌が得意でない人も、ハミングなら気軽にできます。ハミングは、腹側迷走神経系の緊張を増します。クライアントに、ハミングは自律神経エクササイズなのだ、といって誘うと、ほとんどの場合、彼らは微笑み、肯定的な反応をします。
歌うことは、じつは非常に複雑なプロセスです。歌うには、喉頭、肺、顔の筋肉を呼吸に合わせて操作し、呼吸や姿勢の制御など、腹側迷走神経系を制御するあらゆる部位を総動員する必要があります。声を合わせて歌うときは、呼吸が同期します。すると、迷走神経緊張を表す心拍変動が増幅します(Vickhoff et al., 2013)。
チャンティング(詠唱:たくさんの音節を一息で歌うこと)では、音と呼吸とリズムが組み合わされています。チャンティングでは、呼吸がコントロールされ、長く息を吐きます。チャンティングは、不安とうつを軽減し、ストレスホルモンの放出を阻止し、免疫機能を増すことが研究で明らかになっています。(後略)

注:i) 引用中の「Vickhoff et al., 2013」は次の論文です。 「Music structure determines heart rate variability of singers」 加えて引用中の「心拍変動」についてはバイオフィードバックの視点から次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」 ii) 引用中の「腹側迷走神経系」に類似する「腹側迷走神経複合体」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 iii) 引用中の「長く息を吐きます」に関連する、「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:なお、上記「コンパッション・フォーカスト・セラピー」に関連する「マインドフル・セルフコンパッション」についてはここを参照して下さい。

*2:注:複雑性PTSDや自閉スペクトラム症への適用を含むスキーマ療法の一般的な紹介です

*3:注:上記「構造的解離に対するパーツアプローチ」には「タッピングによる潜在意識下人格の統合法」(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy、USPT)を含みます

*4:注:スキーマ療法等における「イメージ書き換え」(imagery rescripting)を含みます

*5:注:「チャンティング」や「本の朗読」を含みます