krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

MCS(多種化学物質過敏状態)リンク集

目次

前書き

twilog を見ると、mortan 様がある著名ネット民に対し、あるWEBサイトの修正を非常に熱心に求めています(ツイート例)。本エントリは、mortan 様の求めに応じるものかどうかは本エントリ作者には不明ですが、本エントリ作者なりの回答例(このWEBサイトの補足例)のような何かとしても、疾患概念であるMCS(Multiple Chemical Sensitivity、多種化学物質過敏状態*1)に興味をお持ちの読者様のために、次の特徴を有するMCSに関するリンク集を本エントリ作者の独断と偏見で作成し、仮公開しました。
(A)対象は日本のみならず海外も含みます。英語の論文、資料、文書等は、可能であれば日本語訳や解説のあるブログ、コメント等にリンクしました。一次情報は必要に応じてリンク先における(一次情報への)リンクを利用してください。リンクは情報が入手容易なものをなるべく選んでいます。一方、本エントリの一部は化学物質過敏症以外の話題となります。
(B)本エントリは本文と余談から構成されます。これの利用法としてMCS又は化学物質過敏症に関する情報収集等を想定しています。さらに、2013年6月頃からの、ネット上のMCS界隈における論争*2についても考慮し、リンク及び引用の内容を設定しています(本エントリ作者の知る範囲内においてですが)。
(C)本エントリ作者はMCS又は化学物質過敏症の患者であることを主張していません。さらに、本エントリ作者は医療従事者ではありません。本エントリの文章、リンク先又は引用の内容・エビデンスレベル等の評価は読者各位でご判断下さい。
(D)本エントリは、予告なく適宜改訂されることが有ります。改訂内容は具体的に示さないことがあります。次の見出し「リンク集」の右側に Ver.を示します。
(E)本エントリの最初の仮公開日は 2015年2月4日 ですが、本公開時には日付を変更する予定です。
(F)超長文に注意して下さい。また『 』部等は短い引用かもしれません(本エントリにおいてこの短い引用は、通常の引用と併存します)。
(G)下記で紹介する「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」は厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項にリンクされています。加えて、このマニュアルを紹介するWEBページや、このマニュアルを概説する資料、2018年2月に実施された厚生労働省の研修会の資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」(ここの [b] 項を参照)もあります。一方、下記で紹介する「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」は環境省WEBページにリンクされています。

ちなみに、MCSはIEI(Idiopathic Environmental Intolerance、特発性環境不耐症、本態性環境不耐症 又は 本態性環境非耐症)とも呼ばれています。

目次に戻る

リンク集 Ver. 0.42

(2022-07-12 改訂・仮公開、改訂の経緯の一部はここを参照)

(1)MCSに対する世界の医学会等の見解(例:存在、診断法)

ちなみに引用はしませんが、同様な標記見解まとめの例は、上記マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.1. 疾病概念」項(P50~P51)にも記述されています。*3 

(a) Multiple chemical sensitivities--public policy.
文中に『It has been rejected as an established organic disease by・・・』[拙訳]確立された器質性疾患として・・・に拒絶されている と記述されています。

(b) 米国内科学会(American College of Physicians)のポジションペーパー
NATROMのブログ 見出し:アメリカ内科学会

(c) 米国医師会(American Medical Association)の公式見解
NATROMのブログ 見出し:アメリカ医師会

(d) 米国職業環境医学会(American College of Occupational and Environmental Medicine)のポジションステートメント
忘却からの帰還(1999年)
NATROMのブログ 見出し:アメリカ職業環境医学会の主張(1990年)

(e) 英国王立医師協会によるアレルギー診療のガイドラインにおける、「もうひとつのアレルギー」≒MCSの記述
NATROMのブログ 見出し:英国王立医師協会

(f) カリフォルニア医学協会としてのコメント
NATROMのブログ 見出し:カリフォルニア医学協会

(g) Indoor Air Pollution: An Introduction for Health Professionals(1994年報告書)(特に本資料の「Questions That May Be Asked」項[P20~P21]を参照して下さい)
NATROMのブログ

注:この報告書は、American Lung Association[拙訳]米国肺協会、Environmental Protection Agency[拙訳]米国環境保護庁、Consumer Product Safety Commission[拙訳]米国消費者製品安全委員会、American Medical Association (AMA)[拙訳]米国医師会がスポンサーとなって作成されたようです。

(h) AAAAI(American Academy of Allergy Ashthma & Immunology、[拙訳]米国アレルギー・喘息・免疫学学会)のポジションステートメント(1999年)
このポジションステートメントにおける Position Statements 項、及び Summary 項の一部を形式を変えてそれぞれ以下に引用します。加えて、AAAAI のジャーナルから(2)項に示す「MCS」の(誘発試験に対する)システマティック・レビューが発表されており、疾患概念「MCS」の存在は上記システマティック・レビューにより否定されたと考えます。

Position Statements
Several medical societies and organizations have issued position statements pointing out the shortcomings of the IEI diagnosis, the unreliability and misuse of certain diagnostic procedures, and the lack of scientific support for and clinical evidence of the alleged toxic effects from environmental chemicals in these particular patients. In 1986, the AAAI was the first to do so.(5) The American College of Physicians published a position paper in 1989,(84) which was later adopted by the American College of Occupational and Environmental Medicine. The Council on Scientific Affairs of the American Medical Association published a critical review in 1992.(85) The Ministry of Health of the Province of Ontario(86) and the California Medical Association(65) have published results of their investigations of the IEI phenomenon. The US National Academy of Sciences,(87) the World Health Organization,(1) and the International Society of Regulatory Toxicology and Pharmacology(88) have held symposia on the subject. The American Council on Science and Health(89) and the Royal College of Physicians and Royal College of Pathologists in Great Britain(90) have also published reports detailing the unscientific basis for IEI.


[最初の部分(Several medical ・・・ particular patients.)の拙訳]
いくつかの医学会や医学組織は、IEI(突発性環境不耐症)の診断の欠点、いくらかの診断法の信頼性の欠如や誤用、及び特定の患者における環境化学物質からの毒性効果とされる臨床的証拠に対する科学的サポートの欠如を指摘するポジションステートメントを発行しています。

注:文献番号としての上付き文字 5 は、(5)に変換しました。他の()で囲まれた数字は同様に変換した後のものです。

Summary
IEI-also called environmental illness and multiple chemical sensitivities-has been postulated to be a disease unique to modern industrial society in which certain persons are said to acquire exquisite sensitivity to numerous chemically unrelated environmental substances. The patient experiences wide-ranging symptoms, but evidence of pathology or physiologic dysfunction in such patients has been lacking in studies to date. Because of the subjective nature of the illness, an objective case definition is not possible. Allergic, immunotoxic, neurotoxic, cytotoxic, psychologic, sociologic, and iatrogenic theories have been postulated for both etiology and production of symptoms, but there is an absence of scientific evidence to establish any of these mechanisms as definitive.


[拙訳]
要約
IEIは環境病(environmental illness)やMCSとも呼ばれ、多くの化学的に関連しない環境物質に対し、強烈な感受性を得たと言われる特定の方々における現代の産業社会に特有の疾患であることが仮定されている。患者は幅広い症状を経験するが、これら患者において病理学的又は生理学的な機能障害の証拠は、これまでの研究では欠けている。病気の主観的な性質のため、客観的な症例定義は可能ではない。アレルギー、免疫毒性、神経毒性、細胞障害性、心理学、社会学及び医原性の理論は病因と症状の引き起こしの両方のために仮定されているが、これらの決定的なメカニズムのいずれかを確立するための科学的なエビデンスが欠如している。

(i) 日本臨床環境医学会
先ず、日本臨床環境医学会編の本「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)の「IV. Q & A Q03.」(P70~P71)と「IV. Q & A Q13.」(P73)をそれぞれ次に引用します。本医学会のMCS又は化学物質過敏症に対する正式な見解ではありませんが、これらの引用により、上記本の発行時における「日本臨床環境医学会」の(事実上の)見解は、「日本において、化学物質過敏症を診療報酬上の傷病名(ICD-10)にすることと、MCSや化学物質過敏症の医学的な定義が確立されることは別である」こと及び「MCSや化学物質過敏症の医学的な定義はまだ確立されていない」であると本エントリ作者は考えます*4

Q03. MCS(Multiple Chemical Sensitivity:多種化学物質過敏状態),化学物質過敏症(CS)とはどんな病気ですか.

・MCSは,1987年マーク・カレンによって「過去に大量の化学物質に一度曝露された後、または長期間慢性的に化学物質の曝露を受けた後,非常に微量の化学物質に再接触した際にみられる不快な臨床症状」として定義・提唱された.
・定義されたMCS(Multiple Chemical Sensitivity:多種化学物質過敏状態)の考え方を基本に化学物質による健康障害をめぐる議論が行われてきている.ただ,医学的な定義はまだ確立されておらず,社会的な関心が先行し言葉が独り歩きし,混乱が生じている.
・日本においては,北里研究所病院の石川哲らによって独自に化学物質過敏症の診断基準が設けられている.
・原因としては建材や家具等に使用される,揮発性有機化合物に起因する室内空気汚染や大気汚染,食品中の残留農薬などが考えられるが,特定の化学物質との因果関係や発症のメカニズムなど未解明な部分が多く,今後の研究の蓄積や成果が待たれている.
・2009年10月1日,厚生労働省は診療報酬上の傷病名(ICD-10)とした.


Q13.シックハウス症候群化学物質過敏症の診断では,どのような検査を行うのですか.

・既往症のアレルギー疾患など,他の疾患との区別が非常に難しいため,現状では正確に診断できる検査・診断方法はない.
・診察例
(1) 徹底した問診(発症時期・症状,住環境の変化があったか,症状の変化があったかなど)
(2) 問診をふまえた診察:症状・兆候の把握,他疾患の除外
(3) 必要に応じて,血液生化学検査やアレルギー検査,生理機能検査等を行う.瞳孔検査,眼球運動検査,視覚空間周波数特性検査,免疫検査,内分泌検査,誘発試験などを行っている検査機関もある.
(参考)化学物質の曝露情報を得るために,住宅の揮発性有機化合物濃度数値等を求められる場合もある.

注:i) 上記日本臨床環境医学会は日本学術会議協力学術研究団体(WEBページ「日本学術会議協力学術研究団体」を参照)ではありません。 ii) ちなみに、「MCS については、環境中の化学物質濃度と自覚症状が必ずしも関連せず、客観的な診断法が存在しないことが問題である」ことについては次の資料を参照して下さい。 「日本臨床環境医学会30年間の歩み」(2022年発行)の「(1)環境過敏」項

目次に戻る

(2)MCSのシステマティック・レビュー

ひょっとすると、先ず以下に引用した「コラム 化学物質過敏症は存在するか?」に目を通す方が良いかもしれません。

著者は Das-Munshi 等で、彼らは The Journal of Allergy and Clinical Immunology に発表しました。この誘発研究*5により疾患概念MCSの存在の評価が十分可能で、否定されたと本エントリ作者は考えます。
・タイトルと全文:Multiple chemical sensitivities: A systematic review of provocation studies.
要旨の和訳例:9-6 化学物質過敏症:刺激試験結果の総合解析(III-85) ただし、この訳が必ずしも要旨に忠実(正確)でないと本エントリ作者は考えます。
・NATROM先生等は次のはてブPubMed におけるこの論文の要旨に対するコメントを紹介しています。
・これに関する総説的なものとして、斎藤博久著の本「アレルギーはなぜ起こるか ヒトを傷つける過剰な免疫反応のしくみ」(2008年発行)の「コラム 化学物質過敏症は存在するか?」における記述(P25~P26)を次に引用します。

コラム 化学物質過敏症は存在するか?

化学物質過敏症は、米国アレルギー学会雑誌が掲載したもっともエビデンスレベル(疫学研究の信頼度に関する科学的な格付け)が高い研究と位置づけられているシステマティックレビューにおいて、その存在が否定されています。この論文の著者らは、多種類の化学物質に対する過敏症に関する論文のすべてのデータを解析した結果、従来のほとんどの研究は適切なコントロールを欠いていること、および、被験者が反応を示したのは、それが化学物質であると知らされた場合に限るという結論を導きました。
過敏症とは「健常被験者には耐えられる一定量の刺激への曝露により、客観的に再現可能な症状または徴候を引き起こす疾患をいう」と定義されていますので、化学物質過敏症は過敏症の定義からはずれます。今後は、過敏症としてアレルギー学者が扱う研究課題ではなく、心理学者、神経学者が扱う研究課題になるということです。いずれにしても、これらの症状を訴える方々に対する慎重な配慮が必要です。

注:(i) 引用中の「エビデンスレベル」についてはをはじめとして、資料「文献評価のための疫学・EBM基礎知識」の P37 やWEBページ『今日もコロナのデマをラインで…家族が誤情報を信じてしまう「3つの心理」(ページ4)』の『一つの研究だけで「エビデンスがある」とは言えない理由』項も参照して下さい。加えて次のエントリも参照すると良いかもしれません。 「エビデンスレベルとは?【全人類必須のリテラシー】」 (ii) 引用中の「コントロール」は対照のことです。 (iii) また、 a) 著者の斎藤博久医師は他の拙エントリのここにおける一部のリンク先にも登場します。 b) より最近に出版された同著者の本、「Q&Aでよくわかるアレルギーのしくみ」(2015年発行)の P37 にも上記引用と類似した記述があり、この部分を次に引用(『 』内)します。 『たとえば、化学物質過敏症にまつわる論文のすべてのデータを解析した結果がアメリカのアレルギー学会誌に掲載されましたが、そこでは「症状を起こすのはそれが化学物質であると知らされた場合に限る」という結論が導き出されています(注1)。「システマティック・レビュー」と呼ばれる科学的に信頼性の高いレベルの調査において、その存在自体が否定されてしまったのです。』(注:引用中の「注1」はシステマティック・レビューのことです)

ちなみに、このシステマティック・レビュー発表以降の研究*6状況は次のマニュアルを参照すれば良いかもしれません。厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項でリンクされている「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」は「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項(P51~P52) 加えて、 [a] 上記項におけるあまり古くない誘発(負荷)試験に関連した文献番号と実際の資料や論文とのリンク関係(提示可能なものに限る)を次に示します。 20) :「Double-blind placebo-controlled provocation study in patients with subjective Multiple Chemical Sensitivity (MCS) and matched control subjects.」、 21) :「平成16年度 本態性多種化学物質過敏状態の調査研究 研究報告書」(参考として、WEBページ「本態性多種化学物質過敏状態の調査研究報告書 - 報道発表資料」もあります)、 23) :「化学物質過敏症の診断 -化学物質負荷試験51症例のまとめ」、 24) :『特発性環境不耐症(いわゆる「化学物質過敏症」)患者に対する単盲検法による化学物質曝露負荷試験』  [b] 一方、厚生労働省のWEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項にリンクされている、2018年2月に実施された厚生労働省の研修会の資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の『「化学物質曝露と症状の関係は否定的」シート(P41)』、又はツイートも参照すると良いかもしれません。

一方、2016年に発表された論文「Association of Odor Thresholds and Responses in Cerebral Blood Flow of the Prefrontal Area during Olfactory Stimulation in Patients with Multiple Chemical Sensitivity.[拙訳]MCS を伴う患者における、嗅覚刺激中の前頭葉領域の脳血流量変化での臭気閾値と応答の関連」(全文はここ を参照)*7の「Introduction」項において、上記システマティック・レビューを参照した記述があり、その部分を次に引用します。

Past provocation studies identified no clear dose–response relationship between exposure and reaction in MCS [18].


[拙訳]
MCS における過去の誘発研究では、曝露と反応との明確な用量反応関係を確認できなかった [18]。

注:(i) 引用中の文献番号「[18]」はシステマテック・レビューのことです。 (ii) 引用中の「用量反応関係」については、例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「3. 化学物質の用量・反応関係(2)」、「化学物質のリスクと環境教育(P30)」、「化学物質のリスクと環境教育」の「化学物質の摂取と人体への影響」シート(P18) (iii) ちなみに、 a) WEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項にリンクされている、2018年2月に実施された厚生労働省の研修会の資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の「「化学物質曝露と症状の関係は否定的」シート(P41)」又はツイートには次に引用する(『 』内)上記「用量反応関係」に関連する記述があります。 『科学的には化学物質曝露と身体反応には関連はなく,症状の原因が化学物質とはいえない。』 b) 加えて、資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」(参照)の日本語要約においても次に引用する(『 』内)記述があります。 『しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。』

≪ご参考≫システマティック・レビューの概略については例えば以下を参照して下さい。
メタ解析の読み方
文献評価のための疫学・EBM基礎知識P49~P54。
システマティック・レビューとメタ解析について① ~イントロ編~(ここにはさらなる記事がリンクされています)

※:上記「エビデンスレベル」については、例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「ガイドラインとは - 国立がん研究センター がん情報サービス」の「3)エビデンス・レベル」項、「科学的根拠 (エビデンス) - Lumedia」 ちなみに、上記「エビデンスレベル」についてのツイートもあります。

ちなみに、上記3)項で示された「エビデンスレベル」を次に引用します。

Ⅰ システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス
Ⅱ 1つ以上のランダム化比較試験による
Ⅲ 非ランダム化比較試験による
Ⅳa 分析疫学的研究(コホート研究)
Ⅳb 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究)
Ⅴ 記述研究(症例報告やケース・シリーズ)
Ⅵ 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見

注:i) 非専門家の体験談はランク外です。 ii) 引用中の「ランダム化比較試験」(RCT)を行うことの意味については次のエントリを参照すると良いかもしれません。 「ランダム化試験って意味あるの?観察研究で良くない?」、「ランダム化試験 vs. 観察研究」 iii) 引用中の「専門家個人の意見」(又はエキスパートオピニオン)に関連する「エキスパートオピニオンとの付き合い方」については次のWEBページを参照して下さい。 「【解説】エキスパートオピニオンとの付き合い方|信頼できない3パターンと有用な3パターン

目次に戻る

(3)MCS=IEIの総説的な資料

ちなみに引用はしませんが、マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4. シックハウス症候群といわゆる化学物質過敏症の違い」項(P50~P54)及び「第11章 本態性環境不耐症」(P204~P208)の一部に本態性環境不耐症又はいわゆる化学物質過敏症に関する記述があります。

(a) 『化学物質過敏症』とは何か?
ちなみに、この資料中の引用文献24)で示された日本の環境省研究班が実施した二重盲検法による曝露(負荷)試験結果等を紹介するWEBページを次に紹介します。「本態性多種化学物質過敏状態の調査研究報告書

(b) 化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査(平成20年1月、公害等調整委員会事務局)
ちなみに、この資料中に日本語訳として一部を引用されたデンマークEPAの報告書(英文)は次に紹介します。「Environmental Project no. 988, 2005 Multiple Chemical Sensitivity, MCS

(c) Mark R Cullen, M.D. の講演予稿
The Perplexing Problem of Multiple Chemical Sensitivities: A Perspective for Toxicologists (Invited lecture)日衛誌(Jpn J. Hyg.)第64巻 第2号 2009年3月の拙訳のみを次に引用として示します。ちなみに、Mark R Cullen氏はMCSの名付け親です。

タイトル:「MCSの厄介な問題 毒物学者の展望」


背景
1980年代の間に、産業医及び環境医は、多様な刺激性又は毒性化学物質の非常に低いレベルの曝露後に発生する呼吸器、中枢神経等の症状によって特徴づけられる新しい症候群を報告した。典型的には、回復するように思われる患者から、これは汚染や過曝露等の十分に特徴づけられた環境“イベント”の後に発生した。この現象を説明するために、講演者により、MCSと名付けられ、これを説明するための神経毒性の新しい形態、神経毒性独特の残留形態、又は精神状態の理論が誕生した。なぜならば、患者の多くは非常に障害を負い、しかも、毒物学の単純な説明が欠如したために、議論が拡大し、新たなケースが世界中から報告されるようになったため。このプレゼンテーション(講演)で、典型的なケースを説明し、20年の研究で学んできたことをまとめよう。


ケーススタディ
44歳の熟練機械工のM氏(男性)は、「石油化学製品」のごくわずかな痕跡を嗅ぐことによる毎回の激しい頭痛、混乱及び息切れを訴えるためにクリニックに現れた。3ヶ月前の仕事中における換気装置の故障で彼と他の人が脱脂溶剤(大部分が 1,1,1 トリクロロエタン)に過剰に曝露されたこと以前は、彼はうまくやっていた。(この過剰曝露で)多くの人は頭痛や吐き気が生じたが、2日後に換気装置が修理されると彼以外の全ての人は回復した。しかし、換気装置の改善後も、M氏が仕事に戻った時に症状が続いて、働くことができなかった。さらに妙なことに、彼はバスやトラックの後ろを運転していた時、あるいは店にいる時に同じ事態であることに気づき始めた。家庭用製品は、彼に悪影響を与えるようになり、彼は(防毒)マスクを着用し始めた。しかし、彼がクリニックに来る前の3ヶ月超、彼の妻の香水を含めたより多くの化学物質を彼は苦にした。家庭用製品の全てが彼の家から除去された後の家にいた時にのみ、彼はより良く感じた。クリニックにおいて脳のMRI及び肺機能検査はもちろん、充分な診察と日常的な血液検査を彼は受けた。全ての検査結果は正常であった。彼の職場における検査では、溶剤及び加工液の全てのレベルがTLV(訳注:Threshold Limited Values、許容濃度の域値)の10%未満と、非常に清浄な工場であることが判明した。彼はMCSと診断された。


MCSの定義
臨床的な症候群を定義する多くの試みが有ったが、まだ基本的な所見又は検査所見での異常が存在しないので、すべての定義は、病歴及び他の原因が発見されないことに依存する。鍵となる主な特徴は次の通り。1)環境曝露後の発症 2)多くの状態における、さまざまな臭いや刺激物の超微量での曝露後の予測可能な方法での多様な症状の再発 3)試験、検査が全て正常である。すなわち症状の説明が不可能 4)症状を説明する他の主要な疾患(身体的又は精神的)が存在しないこと


疫学
最初は、これらのケースは非常にまれなものと思われたが、1980年代及び1990年代の臨床報告は、これらはどこにでも発生することを示唆した。さらに、1990年~1991年の湾岸戦争からの退役軍人の健康調査(多くのケースが明らかになった)を含むいくつかの大規模調査が実施された。これらの調査により、2~6%の人々は、症状を引き起こす化学物質を避けるために、彼らが転職や引越しをした事実に基づく軽い又はより重いMCSの変異型(variants)を有することが示された。臨床研究により、いくつかの手がかりが提供されている:女性は男性よりも約3倍発症し、ほとんどの場合は30~50才の間で発症する。多くの患者はまた、慢性疲労線維筋痛症を経験しており(これもよく解っていないが)、さらに、多くの患者は過去に不安や抑うつが有った。少なくとも米国では貧しい人々の間よりも高い社会階級で発症するが、アトピーも家族の背景もどちらも関係しないようである。


病因
もちろん大きな疑問は、傷害の機序です。当初MCSはある種のアレルギーや免疫性の障害と考えられていたが、多くの研究でこれは誤りであることが判明している。さらに、「生化学」経路、すなわち P-450(訳注1)又はグルタチオン還元酵素等の解毒経路のいくつかの表現型の欠損に対し広範囲に調査されたが、これは有りそうもないことが判明している。症状を誘発する臭いや刺激物への反応の中心的役割によって、より最近の注目は第1脳神経(訳注2)及び、CNS(訳注3)における大脳辺縁系(訳注4)の応答のパターンに向いている。これらの神経経路の混乱(disruption)に対するエビデンスは(肯定と否定で)混在しており、説得力が有る動物モデルが存在しないままである。代わりに、多くの人々がMCSを行動又は生化学的にメディエイト(訳注5)された不安障害として解釈されている。DSM-IV(訳注6)ではMCSはこのカテゴリー(訳注7)に分類される[注:MCSに対するICD-10(訳注8)のコードは無い(訳注9)]。この仮説を支持するのは、患者における不安障害の頻繁な履歴と心的外傷後ストレス障害(訳注10)に似た反応のパターンである。

しかし、薬理的及び行動介入(訳注11)は治療においてあまり役立たないので、ほとんどの精神科医はこのように症状を解釈することに抵抗する。

[注1]拙訳を読みやすくするために、このパラグラフでは訳注を次に記述しました。
訳注1:シトクロム P-450 は、日本で発見されたヘムタンパク質であり、一酸化炭素と結合して、波長450nmの青い光の吸収が増加する色素という意味で命名されました。加えて、次のWEBページも参照して下さい。 「シトクロムP450」、「健康食品安全情報ネットの関連用語」の「チトクロームP450酵素」項、「Human P450 data
訳注2:匂いの刺激を中枢に伝える嗅神経のことです。
訳注3:Central Nervous System:中枢神経系。
訳注4:大脳辺縁系については、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項
訳注5:漢字としては「媒介」又は「仲介」と翻訳されるようです。
訳注6:DSMは Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders の略語で、「アメリカ精神医学会が定めた精神障害の診断と統計の手引き」のことです。
訳注7:DSM-IVにおける不安障害のカテゴリーは、DSM診断基準における不安症の変遷の視点から次の資料を参照して下さい。 「DSM診断基準における不安症の変遷―半世紀の流れの中で―
訳注8:死因や疾病の国際的な統計基準として世界保健機関(WHO) によって公表された分類、詳細はここを参照して下さい。
訳注9:日本において化学物質過敏症はICD-10の T65 その他及び詳細不明の物質の毒作用 T65.9 詳細不明の物質の毒作用 に分類されています。*8
訳注10:アルファベットの短縮形で「PTSD」と表記される場合が有ります。PTSDについては、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。
訳注11:「介入」とは医学においては、疾患を予防または治療するため、あるいはその他の方法によって健康状態を改善するために行われる治療や行為のことです。ちなみに、他の拙エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について」のここにおいて記述するように、PTSDの治療法は薬物療法のみならず、様々な心理療法又は対処・養生法も開発されつつあると考えます。


自然史
現在、MCSのいくつかの主な特徴を説明するのに十分な症例が存在する: 1)それは自発的に解決するように見えなく、しかもまだ証明された治療法はない 2)最初の受診後、多くの患者は疲労や筋骨格の痛み等のより「慢性の」訴えを除いて、(病状が)進行する又は合併症につながるようには見えない。重要なのは、社会的、経済的に派生するひどい結果にもかかわらず、多くの人が行う極端な孤立を患者が選択するのか、又は彼らが正常に機能し続け、かつ度重なる症状が有るのかにかかわらず、これらの観察が真実である。実際には、全体的に後者のグループが引きこもる人よりも経年的に良い行為のように見える。


予防と治療
多くの異なった臨床的及び心理的な処置が試みられているが、暴露に対する根本的な反応を変える方法は無いようである。ほとんどの努力は、症状そのものの緩和やコントロールよりも、症状に直面している生活機能の向上を目的としている。より実用的には、過度の曝露後のMCSへの進展を防止する努力はより成功するかもしれない。この成功への鍵は、1)自己限定又は良性かもしれないとはいえ、有害な化学物質に曝露される患者へのとても緊密なフォローアップ 2) MCS様な反応の発生に対する早期の探求 3)最初にMCSの症状が生じた時に、ほとんどの個々の患者が信じている、症状は当初の曝露によるより深刻な中毒反応である証拠はないことを強化する早期の教育

[注2]この項における一次情報の記述「however self-limited or benign it my seem;」は、 「however self-limited or benign it may seem;」として翻訳しました。


未来
MCSの有病率と重症度のために、機序に関する研究があり続けるが、この作業は研究主体としてのこれらの患者の非常な困難さと良い動物モデルの欠如により妨げられている。

上記引用におけるその他の注:i) 拙訳中の「動物モデル」に関連する「モデル動物」ついては、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「モデル動物 - 脳科学辞典」 ii) 拙訳中の「ケーススタディ」とは異なる 標記 Cullen による観察結果について、論文(全文)「Multiple Chemical Sensitivity (MCS) - Scientific and Public-Health Aspects」の「1.1 History of MCS」のイタリックの部分について次に引用します。

(前略)"Little more than a few months after the occupational medical clinic began at Yale, in 1979, the staff was confronted with a problem none of us had ever seen before nor heard about. A middle-aged man was referred because of a delayed recovery from an episode of pneumonia that had resulted from a chemical spill on the job. As his x-ray cleared, he had become not better, but worse. Particularly striking was the history that exposure to chemical odors would markedly exacerbate baseline dyspnea and chest pain. Upon return to work he "passed out" on several occasions after a whiff of fume. Disability leave, however, did not resolve the situation. Increasingly, even common household products and environmental contaminants induced debilitating respiratory and constitutional symptoms, reducing his formerly vigorous life to a pitiful existence at home. In response we exhaustively investigated his list of chemical precipitants in search for some way to tie these toxicologically with his prior pneumonia, but without success. Equally unrevealing were results of extensive clinical tests undertaken to define his "lesion" pathophysiologically. Therapeutically, it would be generous to say that we accomplished very little. There were other cases too."(後略)


[拙訳]
『1979年に Yaleで occupational medical clinic(職業診療所)を始めてからわずか数ヶ月後に、スタッフは私たちの誰も見たことも聞いたこともない問題に直面した。仕事中に化学物質をこぼして起きた肺炎のエピソードから回復が遅れたために、中年の男性が紹介された。彼のレントゲン写真がきれいになったとき、彼は良くなったのではなく悪くなった。特に印象的なのは、化学物質の臭いに曝露されるとベースラインの呼吸困難及び胸痛が著しく悪化するという病歴であった。職場に戻ると、煙を嗅いだ後に彼は何度か「気絶した」。しかしながら、一時的労働不能休暇は事態を解決しなかった。次第に、一般的な家庭用品及び環境汚染物質でさえ、呼吸器及び体質の衰弱症状を引き起こし、以前の元気だった生活から家庭での哀れな存在にまで陥らせた。それに応えて、これらを以前の肺炎と毒性学的に結びつける何らかの方法を探すために彼の化学的な引き金を引くもののリスト(list of chemical precipitants)を、我々は徹底的に調査したが成功しなかった。同様に不明だったのは、彼の「病変」を病態生理学的に定義するために行われた広範な臨床試験の結果であった。治療的には、我々はほとんど成し遂げられなかったと言ってもやぶさかではないだろう。他のケースもあった。』

注:(i) 拙訳中の「気絶した」に類似した「気を失う」ことについては他の拙エントリのここここを、「失神」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、化学物質過敏症(CS)は重症化してくると日常的に接するありふれた様々の化学物質に過敏に反応し、拙訳中の「気絶した」に関連する「意識消失」をはじめとした症状を呈することについて、引用はありませんが次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症の難治化要因」の「はじめに」項(P118) その上に、拙訳中の「気絶した」に関連する、 a) 「血管迷走神経反射」については他の拙エントリのここを、 b) 「擬死反射」に類似するかもしれない「解離性昏迷」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 (ii) 拙訳中の「毒性学」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「学会概要/毒性学とは?」 (iii) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline

(d) 環境省の業務における総括責任者:坂部貢による「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書*9

ちなみに、(i) 他の拙エントリにおいてこの報告書の一部を引用しています。ここここにおける脚注及びここにおける第二の脚注を参照して下さい。 (ii) 引用はしませんが、この報告書の「1.概念」項では「これらを踏まえると、いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる」及び「ライフイベントが患者にとってどれほどストレスフルなのかを客観的に評価し病態を把握する必要性が指摘されている」との主旨が記述されており、これに関連する、すなわち、ライフイベントの評価及びトラウマに言及した資料例は次に示します。 『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷*10 注:a) この資料が投稿されたジャーナルを発行している日本職業・災害医学会は日本学術会議協力学術研究団体です。 b) ちなみに、この資料の「考察」中の研究の位置づけに関する記述「本研究は辻内らの提起に応じた研究になる」における辻内らの引用文献12)は次の資料です。 「化学物質過敏症における心身医学的検討」 (iii) 坂部貢氏による化学物質過敏症のご教示についての資料は次を参照して下さい。 「化学物質過敏症

(e) Chemical intolerance[拙訳]化学物質不耐症*11
この論文の要旨を次に引用します。ちなみに、この論文の全文は次を参照して下さい。 「Chemical intolerance

Chemical intolerance (CI) is a term used to describe a condition in which the sufferer experiences a complex array of recurrent unspecific symptoms attributed to low-level chemical exposure that most people regard as unproblematic. Severe CI constitutes the distinguishing feature of multiple chemical sensitivity (MCS). The symptoms reported by CI subjects are manifold, involving symptoms from multiple organs systems. In severe cases of CI, the condition can cause considerable life-style limitations with severe social, occupational and economic consequences. As no diagnostic tools for CI are available, the presence of the condition can only be established in accordance to criteria definitions. Numerous modes of action have been suggested to explain CI, with the most commonly discussed theories involving the immune system, central nervous system, olfactory and respiratory systems as well as altered metabolic capacity, behavioral conditioning and emotional regulation. However, in spite of more than 50 years of research, there is still a great deal of uncertainties regarding the event(s) and underlying mechanism(s) behind symptom elicitation. As a result, patients are often misdiagnosed or offered health care solutions with limited or no effect, and they experience being met with mistrust and doubt by health care professionals, the social care system and by friends and relatives. Evidence-based treatment options are currently unavailable, however, a person-centered care model based on a multidisciplinary treatment approach and individualized care plans have shown promising results. With this in mind, further research studies and health care solutions should be based on a multifactorial and interdisciplinary approach.


[拙訳]
化学物質不耐症(CI)は、ほとんどの人々が問題ないとみなす低レベルの化学物質の曝露に起因する再発性の非特異的症状の複雑な組み合わせを経験した状態を説明するために使用される用語である。重度な CI は、多種化学物質過敏状態(MCS)の際立った特徴を構成する。CI 患者により報告された症状は、複数の器官系からの症状を意味し多種多様である。CI の重症例において、この異常は深刻な社会的、職業的及び経済的な結果を伴う相当なライフスタイルの制限を引き起こしうる。CI の診断ツールは利用できないので、この異常の存在は判定基準の定義に従って確立されることができるだけである。変化した代謝能、行動学的な条件付け及び情動調節はもちろん、免疫系、中枢神経系、嗅覚及び呼吸器系に関係する最も一般的に論議されている理論を伴った CI の説明を、多数の作用様式は示唆する。しかしながら、50年を超える研究にもかかわらず、事象及び症状の誘発の陰に隠れたメカニズムに関するかなり多くの不確実なものが存在する。結果として、患者はしばしば誤診され、効果が限定的な又は効果の無いヘルスケアソリューションを提供され、そして、彼らの体験はヘルスケア専門家、社会養護システム、友人及び親戚による不信と疑惑を受ける。エビデンスに基づいた治療法の選択肢は現在得られないものの、集学的治療アプローチに基づく人中心のケアモデル及び個別化ケアプランは有望な結果を示している。これを念頭に置いて、さらなる調査研究やヘルスケアソリューションは多因子及び学際的アプローチに基づくべきである。

注:i) 拙訳中の「条件付け」については、他の拙エントリ及び他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「情動調節」に関連した論文例は、他の拙エントリのここここ及びここを参照して下さい*12。一方、引用中の「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「免疫」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「免疫学Q&A」 iv) 拙訳中の「人中心のケアモデル」に関連する「患者中心診療モデル」については次の note を参照して下さい。 「日本の病院総合医のこれまでと今後への提言 プライマリケア連合学会学術大会 教育講演」の「今後どのような病院総合医が求められるのか」項

(f) 資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment[拙訳]化学物質過敏症-診断と治療の最前線」の「Ⅴ Course, treatment and prognosis」における記述の一部及び「Ⅶ Future prospects」における記述を次に引用します。ちなみに、英文中の「(中略)」は本エントリ作者が追記したものです。

Ⅴ Course, treatment and prognosis(中略)

As noted above, since there are many unknown aspects of the pathophysiology, specialized treatments for this disease have not been established. At the moment, the most effective remedy is to avoid the causative agent that is believed to induce symptoms. Since there is a high co-existence rate of allergic disease with CS, it is also necessary to enhance the QOL to fully control the allergic symptoms. In addition, since the co-existence rate of mental illness with CS is as high as 80%, a psychosomatic and psychiatric approach is also effective3).

Ⅶ Future prospects
CS usually presents as a reaction to a small amount of chemicals which would not induce any toxicological effects. It is generally a disease exhibiting the various symptoms, as defined above. In addition to the diversity of developmental factors, and the onset of symptoms and severity, a method for diagnosing the disease is still being established. Since it is the "small amount effect" of chemicals, because of the so-called concept of addiction, it is difficult to describe the conditions (dose-response relationship); additionally, individual differences are considerable at the same time and certain tendencies for the patient are difficult to understand. In this paper, the disease was generally described in the following question-answer form, which is the subject theme of pros and cons: 1) Can CS be considered as a chemical hypersensitivity, a mental illness, or otherwise? 2) Do the chemical exposure and appearance of symptoms match? 3) Can the allergic mechanisms incidentally be explained? 4) Do differences exist in gene analysis? We focused on these questions and others. According to recent research, 1) in groups of patients and healthy people, there is a possibility that differences from the brain physiology point of view may appear, so, for the future, it is very important to deepen the knowledge of the psychosomatic approach if possible, and, 2) when this disease is treated from the immunological aspects, the relationship between some immune responses, mainly pathophysiologically allergic reactions, are strongly suggested to be clarified; 3) individual differences cause chemical sensitivity; it can be mentioned that genetic factors (genomic information) are deeply involved, so, in the future, focused basic research is required with respect to these points, as it would allow for the promotion of interdisciplinary clinical research.


[拙訳]
Ⅴ 経過、治療及び予後(中略)

上述のように、病態生理の多くの未知の側面が存在するため、この疾患に対する特定の治療法は確立されていない。現時点での最も効果的な療法は症状を誘発すると思われる原因物質を回避することである。 アレルギー性疾患と CS(化学物質過敏症)との併病割合が高いので、アレルギー症状を十分にコントロールするための QOL(生活の質)を高める必要もある。加えて、精神疾患と CS との併病割合は80%と高いため、心身医学的及び精神医学的アプローチも有効である3)。

Ⅶ 将来の見通し
CS は通常、毒物学的影響を引き起こさない少量の化学物質に対する反応として現れる。これは、一般的に、以上で示されるような、様々な症状を示す疾患である。発生要因の多様性、症状の徴候及び重症度に加えて、疾患を診断するための方法は未だ確立中である。いわゆる中毒の概念による、それは化学物質の「少量効果」であるので、状態(用量-反応関係)の記述は困難である。加えて、同時に個人差はかなりのものであり、患者に対する一定の傾向の理解は困難である。本論文では、この疾患は一般的な賛否両論(pros and cons)の主題である次の質問-回答形式で記述された: 1)CS は化学物質過敏症、精神的な病気又はその他とみなすことができるか? 2)化学物質への曝露と症状の出現は一致するか? 3)アレルギーのメカニズムを付随的に説明することはできるか? 4)遺伝子解析において違いがあるのか​​? 我々はこれらの質問等に焦点を当てた。最近の研究によると、1)患者及び健常者のグループにおいては、脳生理学の視点からの差異が現れるかもしれない可能性があるので、将来的には、可能であれば心身医学的アプローチの知識を深めることが非常に重要である。そして、2) この疾患が免疫学的側面から治療される場合、主に病態生理学的アレルギー反応であるいくつかの免疫応答間の関係が明確にされることが強く示唆される; 3)個人差が化学物質への感受性を引き起こす;遺伝的要因(ゲノム情報)が深く関与している、それで将来においては、学際的な臨床研究の推進が可能となるであろう、これらの点についての集中的な基礎研究が必要となる。

注:i) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Symptom profile of multiple chemical sensitivity in actual life.」 ii) 引用中の「疾患を診断するための方法はまだ確立中である。」に関連して、この資料の Abstract における記述では「Therefore, establishing and standardizing highly specified objective diagnostic parameters is required.[拙訳]従って、高度に特異化した客観的な診断パラメータの確立と標準化が必要である。」となっています。 iii) 引用中の「CS」は「Chemical Sensitivity、化学物質過敏症」の略です。 iv) 引用中の「アレルギー性疾患と CS(化学物質過敏症)との併病割合が高い」に関連して、この資料の第一著者である坂部貢氏がご教授する他の資料「化学物質過敏症」中の P30 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『一般の集団でだいたい30~35%ぐらいがアレルギーを持っている方だと思うのですが、この病気の場合は受診される方の70~80%ぐらいが何らかのアレルギーを持っている、あるいはその既往がありますので、アレルギーが何かの成立に関係していると思うのです。ただ、症状をアレルギー機序で科学的にはまだ説明できないところがあります。』(注:引用中の「この病気」とは化学物質過敏症のことです) v) 引用中の「遺伝的要因(ゲノム情報)」に関連するかもしれない、 a)「ゲノムワイド関連解析」については次のWEBページを参照して下さい。「ゲノムワイド関連解析 - 脳科学辞典」 b) ちなみに、日本人多種化学物質過敏症に関連する遺伝要因の臨床試験については、次のWEBページを参照して下さい。 「日本人多種化学物質過敏症に関連する遺伝要因の解明*13 ちなみに、科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する 相談マニュアル(改訂新版)の「3.4.3. 環境化学物質に対する遺伝的感受性(遺伝子多型)との関係」項には次に引用する(『 』内)記述(P53)があります。 『このように現在までの内外の研究では化学物質過敏症を遺伝的な感受性の違いで説明するのは難しい状況です。』 vi) 引用中の「心身医学」に関しては、例えば他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「こころとからだ」 vii) 引用中の「脳生理学」と「免疫」に関連するかもしれない、科学研究費助成事業データベースに登録されている化学物質過敏症に関する研究課題については、次のWEBページを参照して下さい。 「化学物質に対する非特異的な過敏状態の解明とその改善方法に関する研究」(注:このページ中の「キーワード」も参照して下さい) viii) 引用中の「免疫」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「免疫学Q&A

(g) 次のマニュアルにおける突発性環境不耐症(又は MCS)の治療についての記述、すなわち、MSD マニュアル(英語のプロフェッショナル版)のWEBページ「Idiopathic Environmental Intolerance - MSD Manual Professional Version」の「Treatment」項における記述を次に引用します。

Treatment

・Sometimes avoiding suspected triggers
・Psychologic treatments

Despite an uncertain cause-and-effect relationship, treatment is sometimes aimed at avoiding the suspected precipitating agents, which may be difficult because many are ubiquitous. However, social isolation and costly and highly disruptive avoidance behaviors should be discouraged. A supportive relationship with a primary care physician who offers reassurance and protects patients from unnecessary tests and procedures is helpful.

Psychologic evaluation and intervention may help, but characteristically many patients resist this approach. However, the point of this approach is not to convince patients that the cause is psychologic but rather to help them cope with their symptoms and improve quality of life (1). Useful techniques include psychologic desensitization (often as part of cognitive-behavioral therapy) (1) and graded exposure (see Specific Phobic Disorders : Treatment). Psychoactive drugs can be helpful if targeted toward coexisting psychiatric disorders (eg, major depression, panic disorder).


[拙訳]
治療

・時には疑わしいトリガーを避ける
心理療法

不確実な原因と結果の関係にもかかわらず、(誘発剤の)多くが遍在しているため困難かもしれない、疑わしい誘発剤を避けることを、治療は時に目的とする、しかしながら、社会的な隔離及び損失が大きく非常に破壊的な回避行動は避けるべきである。プライマリケア医との支持的な関係は、安心感を提供し、不要な検査や処置から患者を保護するのに役立つ。

心理的な評価と介入が助けになるかもしれないが、特色として多くの患者がこのアプローチに抵抗する。しかしながら、このアプローチのポイントは、原因が心理的なものであることを患者に納得させることではなく、むしろ、症状に対処して、そして生活の質を向上させるのを助けることである(1)。有用なテクニックには、心理学的な脱感作(しばしば認知行動療法の一​​部として)(1)及び段階的曝露(Specific Phobic Disorders : Treatment を参照)が含まれる。向精神薬は、併存する精神障害(例えば、うつ病パニック障害)を対象とする場合には有用であり得る。

注:i) この部分の執筆者は Donald W. Black, MD、Roy J. 及び Lucille A. で、そして「Last full review/revision Jul 2020 | Content last modified Jul 2020」です。 ii) 「Specific Phobic Disorders : Treatment」(拙訳:特定の恐怖症:治療)等のこの引用部におけるリンクは外れています。リンクは標記WEBページを利用して下さい。 iii) 引用部における「(1)」は以下に示すマインドフルネス認知療法(MBCT)に関連する論文です。ちなみに、この論文の紹介については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 「Mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for multiple chemical sensitivity (MCS): Results from a randomized controlled trial with 1 year follow-up.」 iv) 引用中の「生活の質を向上させる」については次の資料を参照して下さい。 資料『「研修会資料 科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」』の ⑤ シックハウス症候群といわゆる「化学物質過敏症」(本態性環境不耐症)[P39~P42] の『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』シート(P42)の「3.」 v) 引用中の「うつ病」、「パニック障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) ちなみに、MSDマニュアル プロフェッショナル版における「特発性環境不耐症」のWEBページ(日本語)は次を参照して下さい。 「特発性環境不耐症 - MSDマニュアル プロフェッショナル版」 ただし、「最終査読/改訂年月 2017年 1月」と英語版より古いので注意が必要です。

目次に戻る

(4)ウィキペディア化学物質過敏症」の一部解説

削除しました。

(5)米国環境医学アカデミー、William J Rea 医師、石川医師、宮田医師

注:Clinical Ecologists(和訳:臨床環境医)と(日本の)臨床環境医(日本臨床環境医学会に所属する大半の人々)を区別すべきであることについては、他の拙エントリにおける次の余談(及び)を参照して下さい。

(a) William J Rea 医師(米国環境医学アカデミー[AAEM]を含む)
・忘却からの帰還 その1その2その3その4その5その6その7
・NATROMのブログ その1その2
食品安全情報blog p8
特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷の「考察」項
・以下に紹介する Quackwatch のWEBページによると、William J Rea 医師*14を含む米国環境医学アカデミー(AAEM)のメンバーに対する規制措置が示されています。このWEBページにおける(規制措置されたメンバーのリストアップ部以外の)文章部分の拙訳のみを以下に提示します。「Regulatory Actions against AAEM Members」(revised on November 23, 2016.)

米国環境医学アカデミー(American Academy of Environmental Medicine:AAEM) は、Theron Randolph により1965年に臨床環境医学会(Society for Clinical Ecology)として設立され、主に医師及びオステオパシーの医師で構成されている。ほとんどの AAEM のメンバーは、MCS、毒性カビ、酵母の異常増殖の怪しげな概念を支持する。1996~1997年の AAEM のメンバーリストには429人が各々登録されていた。彼らの約75%が米国内で活動している医師であった。2016年11月には、AAEM のオンラインディレクトリに世界中で244人が登録され、その中の150人が医師又はオステオパシーの医師で、少なくとも28人(以下にリストアップする:訳注 本引用では省略しています。一次情報を参照して下さい)は、ライセンス機関の措置に服従している。アスタリスク(*)は、元 AAEM の会長(president)であることを示す。個々のケースの詳細へのアクセスはリンクをクリックして下さい。

ご参考:i) 本項又は以下の引用にも示すように、William J Rea 医師(参照)は、下記電磁波過敏症及びホメオパシーにも関係しています。なお、William J Rea 医師が上記電磁波過敏症という病名を提起したことについて、資料「電磁波過敏症に関する最新知見と今後の課題」 の Ⅰ.EHSに関する最新情報 の「1. 歴史」における記述の一部を以下に引用します。 ii) William J Rea 医師と石川医師及び宮田医師との関係についてはここを参照して下さい。 iii) ちなみに、MCS に関連する Quackwatch からの引用を紹介するエントリを次に示します。『メモ「MCSにも共通するかもしれないこと」

(前略)1991年、米国の医師 William J Rea 24) は「送電線や携帯基地局などから発生するマイクロ波などにより、主に自律神経系などを中心に影響を受ける健康障害で、化学物質過敏症と密接な関係がある」として、電磁波過敏症(electrical hypersensitivity, ES)という病名を提起した。(後略)

注:引用中の文献番号 24) は、Rea WJ, Pan Y, Fenyves EJ, Sujisawa I, Samadi N, Ross GH.: Electromagnetic field sensitivity. J Bioelectricity. 10: 241-256, 1991 のことです。

(b) 石川医師(日本臨床環境医学会の初代理事長等を歴任)
1) NATROMのブログ等 その1その2その3その4

2) 上記 1) 以外にも次のWEBページがあります。 「多種類化学物質過敏症は公認されたか?

3) 誘発中和法又は中和療法
室内空気質健康影響研究会[編集]の本、「室内空気質と健康影響 解説 シックハウス症候群」(2004年発行)中の、文書 「北里研究所病院における知見-治療を中心として-」 P295~P299(著者は、石川 哲(北里研究所病院臨床環境医学センター))の「Ⅵ 米国における中和療法」項 (P297) における記述を次に引用します。

北里研究所病院では、未だ施行していないが、米国においては、患者の過敏性症状を誘発する原因化学物質に対する中和療法が積極的に行われている13-14)。元来食物アレルギー患者に対して始められた治療法15)を化学物質過敏症に応用したものである。アレルゲンの用量を徐々に上げていく従来の減感作療法と異なり、中和療法では逆に濃度の高いものから低いものを順番に皮内に投与し、生じた膨疹の状態から個人の中和量を決定し、それを投与することにより症状の軽減化を図るというものである。今後本邦においても有効な治療法の一つとして考慮されるものと思われる。

注:引用中の文献番号「13」、「14」、「15」の紹介は省略します。

加えて、 a) 引用はしませんが「中和療法を行う」との記述がある石川医師が著者である資料は次を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の「化学物質過敏症の治療」項(P363) b) 中和療法が紹介されている文責が石川医師である化学物質過敏症のパンフレットについては次を参照して下さい。 「化学物質過敏症」(特に P11) 一方、標記誘発中和法に批判的なWEBページは次を参照して下さい。 「誘発中和法 -疑わしい治療法-

4) 「話題騒然!!人ごとと思っていては危ない、『かびんのつま』に描かれた【化学物質過敏症】の衝撃の真実!!!<前編>」 このWEBページの「〝電磁波〟に対しても過敏症があるのだと、知る!」項における記述の一部を次に引用するように、下記電磁波過敏症にまで言及しています。

〝電磁波〟に対しても過敏症があるのだと、知る!

――低用量の物質という以外に、⑤過去に接点のない化学的に無関係な多種類の物質にも反応してしまうともありますが、化学物質以外、たとえばかおりのように家電などから出る「電磁波」に過敏になってしまうという症例もあるのでしょうか。

それは化学物質過敏症とは別の「電磁波過敏症」ですね。ロンドン大学のスミス博士が臨床では最初に言い出しました。
化学物質過敏症の世界的な権威でもあるドイツのルノー先生も、電磁波過敏症については20年前から治療を行っていますね。私や北里大学の宮田幹夫教授、ダラスのレイ教授とも一緒に研究を続けていましたが、彼はバート・エムスタール(Bad Emstal)という地域に温泉付きの治療室をつくったんです。そこの入院室は電磁波を極力防ぐための工事が、アースも含めて厳重に行われていました。(中略)

――電磁波過敏症もやはりなかなか世間一般で理解されているとは思えず、苦しんでいる人が多いと思います。化学物質過敏症と併発しているのなら、なおさらですが。

電磁波過敏症について詳しく研究しているのは、北里大学医学部名誉教授で、現在は東京の荻窪で"そよ風クリニック"を開業している宮田幹夫先生です。彼に診てもらえば、適確に指導してくれると思います。(後略)

注:引用中の「宮田幹夫教授」、「宮田幹夫先生」は共に宮田医師のことです。一方「ダラスのレイ教授」とは、William J Rea 医師のことです。

番外:例えばここにおける引用も考慮して、石川医師が資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」(参照)の著者になっているのは、一体全体どうなっているのでしょうか? 賢明な読者の皆様方へ、ご教授下されば幸いです。ちなみに、宮田医師も上記著者になっています。

※:上記資料(参照)中の日本語要約中には次に引用(『 』内)する記述があります。 『しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。』

(c) 宮田医師
1) NATROMのブログ等 その1その2その3その4

2) 上記 1) 以外にも特に誘発中和法についての「誘発中和法 -疑わしい治療法-」があります。

3) 「話題騒然!!人ごとと思っていては危ない、『かびんのつま』に描かれた【化学物質過敏症】の衝撃の真実!!!<前編>」 上記(5)(b) 4)項参照して下さい。

4)「電磁波で悪性腫瘍ができる? 現代病“電磁波過敏症”とは 」、「化学物質過敏症、電磁波過敏症(京都大学基礎物理学研究所研究会報告書『電磁波と生体への影響』,研究会報告)*15

番外:例えばここにおける引用、他の拙エントリのここにおける引用も考慮して、宮田医師が資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」(参照)の著者になっているのは、一体全体どうなっているのでしょうか? 賢明な読者の皆様方へ、ご教授下されば幸いです。

目次に戻る

(o) その他:化学物質過敏症(Chemical Sensitivity)におけるWilliam J Rea 医師と、石川医師宮田医師との関係を示す例について、室内空気質健康影響研究会[編集]の本、「室内空気質と健康影響 解説 シックハウス症候群」(2004年発行)中の、文書 「心療内科的知見」 P300~P317(著者は、熊野宏昭、齊藤麻里子、辻内優子、吉内一浩、辻内琢也、中尾睦宏、久保木富房、小久保奈緒美、青柳直子、大橋恭子、山本義春、篠原直秀、柳沢幸雄、坂部貢、松井孝子、宮田幹夫、石川哲)の「1 はじめに 2)病態・発症機序」項の P301 における記述の一部を次に引用します。

一方、Rea は、セリエのストレス学説に基づいて、化学物質の刺激に対する体の反応としての仮説を唱えている。最初の化学物質の刺激に対して単純な刺激症状を示す警告期のあと、刺激が持続すると次第に適応・馴化がおこり症状が隠蔽されてしまうマスキング期となる。さらに刺激が持続すると適応能力が疲弊して種々の異常反応を示す器官疾病期となる。発症には物理的・化学的・生物的・心理的ストレッサー全てに対する感受性を含む生化学的な感受性の個人差(individual susceptivity)と、体内に侵入した化学物質の総負荷量(total body load)が関係し、中毒発生量以下の毒性(subtoxic dosis)という問題も関与しているとしている。石川・宮田らは、上記の Rea とほぼ同様の説を主張しており、化学物質過敏症という用語も Rea の唱えるものとほぼ同義であると考えられる。

注:i) 引用中の「Rea」は、 William J Rea 医師(ここを参照)のことです。 ii) この引用中の文献番号の表示は省略しています。 iii) 引用中の「総負荷量」の別名である「トータルボディロード」を示す図、そして上記「トータルボディロード」に対する批判については共にここを参照して下さい。

注目点は、著者「宮田幹夫、石川哲」と引用における最後の文章「石川・宮田らは、上記の Rea とほぼ同様の説を主張しており、化学物質過敏症という用語も Rea の唱えるものとほぼ同義であると考えられる。」です。

目次に戻る

(6)シックハウス症候群

最初にシックハウス症候群については、次のマニュアルを参照して下さい。 「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」 ちなみにこのマニュアルは、次のWEBページにおいてリンクされています。 「厚生労働省 シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項

(a) 狭義のシックハウス症候群(又は2型のシックハウス症候群)の定義と診断基準(案)
日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)の Ⅰ.シックハウス症候群の概念 の「3-2 狭義のシックハウス症候群」項における記述(含表I-6)(P6)を次に引用します。

シックハウス症候群の概念は前述したように広範囲の病態を含むため,中毒,アレルギーなどの疾患以外で,微量の化学物質により発生する病態未解明の状態を,狭義のシックハウス症候群として扱うことを,2007年に厚生労働科学研究費補助金による合同研究班(主任研究者:秋山一男および相澤好治)で合意した.化学物質により発生する狭義のシックハウス症候群は,「建物内環境における,化学物質の関与が想定される皮膚・粘膜症状や,頭痛・倦怠感等の多彩な非特異的症状群で,明らかな中毒,アレルギーなど,病因や病態が医学的に解明されているものを除く」と定義された(相澤,2008).
また狭義のシックハウス症候群の診断基準を前述した合同研究班会議で検討し,平成19(2007)年12月に合意し,さらに平成20(2008)年12月の班会議で基準を改定した(表I-6).特定の部屋,建物内で症状が出現し,そこを離れれば症状が改善することがシックハウス症候群の特徴であり,症状発生時点で,室内空気中の化学物質濃度が指針値を超えていれば,強い根拠となるとした.しかしながら測定値が低くても症状が発生する場合もあり,また発生時に測定されていない場合でも,診断を否定する根拠にはならないと考えられる.すなわち,表I-6の1,2,3項目は必須,4番目の項目は参考としてよいと思われる.


表I-6 狭義(化学物質による)シックハウス症候群の定義と診断基準(案)
(2008.12 秋山・相澤合同班会議合意)
--------------------------
定義
建物内環境における,化学物質の関与が想定される皮膚・粘膜症状や,頭痛・倦怠感等の多彩な非特異的症状群で,明らかな中毒,アレルギーなど,病因や病態が解明されているものを除く.
診断基準
1.発症のきっかけが,転居,建物*の新築・増改築・改修,新しい備品,日用品の使用等である.
2.特定の部屋,建物内で症状が出現する.
3.問題になった場所から離れると,症状が改善する.
4.室内空気汚染が認められれば,強い根拠になる.
--------------------------
(*建物とは,個人の住宅のほかに職場や学校等を含む)

注:i) 狭義のシックハウス症候群は2型のシックハウス症候群とも言われています。シックハウス症候群の(型の)分類については、例えば資料「シックハウス症候群の診断基準の検証に関する研究 - 平成23年度生活衛生関係技術担当者研修会 」の「シックハウス症候群の臨床分類」シートを参照して下さい。 ii) この引用では「定義と診断基準(案)」となっていることに注意して下さい。 iii) 一方、「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」においては、用語「狭義のシックハウス症候群」又は「2型のシックハウス症候群」を使用した説明はありません。

(b) MCS(IEI)とシックハウス症候群における症状が明確に異なることを主張する資料
特発性環境不耐症の臨床所見 ―シックハウス症候群との比較―

(c) 化学物質過敏症(本態性環境不耐症)とシックハウス症候群は異なる疾病として考えることが必要であることを主張する資料等
(例えば資料「化学物質過敏症を見落とさないために──各診療科へのお願い」の「図1 シックハウス症候群化学物質過敏症」[P21]に対し)上記主張をする資料等を次に紹介します。

・「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の 内容と相談別回答例(Q&A) の『Q2. 「シックハウス症候群」と「化学物質過敏症」の違いは何でしょうか?』項(P209)を参照して下さい。ちなみに引用はしませんが、同マニュアルの 3.4. シックハウス症候群といわゆる化学物質過敏症の違いについて の「3.4.1. 疾病概念」項(P50~P51)において、両者の違いについての記述があります。加えて、厚生労働省による「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」(WEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項を参照)における化学物質過敏症を含むシックハウス症候群に関連する研修で使用された資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の P40 に次に引用(『 』内)する化学物質過敏症(本態性環境不耐症)とシックハウス症候群との違いについての記述があります。 『「室内環境に由来する健康障害」であるシックビルディング・シックハウス症候群とは異なる疾患』[注:主語を補足するならば、例えば「化学物質過敏症(本態性環境不耐症)は」です]

(d) シックハウス症候群患者の脳科学的アプローチに関する資料
他の拙エントリの「※2 [ご参考3]」項を参照。同項によると、「シックハウス症状の要因を室内空気汚染のみに求めることには、臨床上大きな問題があると考えられる」とのことのようです。

目次に戻る

(7)電磁波過敏症*16

標記英名:idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF)、又は electromagnetic hypersensitivity

(a) システマティック・レビュー、総説、調査資料等*17
① システマティック・レビュー(2010年発行、全文)「Idiopathic Environmental Intolerance Attributed to Electromagnetic Fields (Formerly 'Electromagnetic Hypersensitivity' ):An Updated Systematic Review of Provocation Studies」(注:エントリ『メモ「IEI-EMFに否定的な研究が積みあがっているもよう」 - 忘却からの帰還』、資料「第7回電磁界フォーラム(東京)~電磁過敏症:臨床および実験的研究の現状~の講演資料(配布資料)」のP9~P10[注:このエントリ及び資料にはノセボ効果に関する記述があります。なお、電磁過敏症におけるノセボ効果についての簡単な説明は次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「【数字に惑わされないデータの見方】(3)プラセボ効果とノセボ効果」]も参照すると良いかもしれません。)
② システマティック・レビュー(2005年発行、全文)「Electromagnetic Hypersensitivity: A Systematic Review of Provocation Studies
③「総務省-電波の人体に対する影響
④「身のまわりの電磁界について -概要版-」(注:この資料の「[参考] 電磁過敏症(電磁波過敏症)」[P27~P30]において、電磁波過敏症に関する記述があります)*18
⑤「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」 の「11.4. 電磁過敏症について」項 (P207~P208)
⑥「送電線等の電力設備のまわりに発生する電磁界と健康
⑦「身のまわりの電磁界について
⑧「ジェイクくんのなっとく!電磁波」(加えて「ジェイクくんのなっとく!電磁波 -解説集-」のリンクは次のWEBページを参照して下さい。 「ジェイクくんのなっとく!電磁波」の「ジェイクくんのなっとく!電磁波 -解説集-」項)
⑨「電磁波有害説 - 疑似科学とされるものの科学性評定サイト

注:i) 資料③及び④は総説、資料⑤は相談マニュアル、そして資料⑥は Web セミナーの位置づけでそれぞれ紹介しています。 ii) 「WHO ファクトシート 296」 は資料④の P26 にリンク先が示されています。一方、「ファクトシート EU COST Action BM0704」は「第7回電磁界フォーラム(東京)~電磁過敏症:臨床および実験的研究の現状~の講演資料(配布資料)」の P11~P14 において簡単に紹介されています。

・「「生体電磁環境に関する検討会 第一次報告書(案)」に対する意見募集の結果及び第一次報告書の公表

・「COST(欧州科学技術研究協力機構)からの電磁過敏症に関するファクトシート公表について」 このWEBページ中の 電磁界を原因と考える本態性環境不耐症 または“電磁過敏症”
・「オーストラリア放射線防護・原子力安全庁 ファクトシート「電磁過敏症」発行

(b) 電磁波過敏症とノセボ効果の関係を示すWEBページ、資料、論文例
・「第7回電磁界フォーラム(東京)~電磁過敏症:臨床および実験的研究の現状~のパネルディスカッション資料
・「第7回電磁界フォーラム(東京)~電磁過敏症:臨床および実験的研究の現状~の講演資料(配布資料)
・「第7回電磁界フォーラム(東京)~電磁過敏症:臨床および実験的研究の現状~の記録
第7回電磁界フォーラムに東海大学医学部教授の坂部貢氏(坂部医師)が参加して、発言しています。この記録の 5.パネルディスカッションの内容 (P2~P16) は本エントリ作者にとって興味深いです。ちなみに、このパネルディスカッションの P3~P6 にノセボ効果に関するパネリストの大久保氏の発言があります。ただしこれらの資料からは、ノセボ効果以外の様々な情報も得ることができます。

・電磁過敏症の原因はノセボ効果の疑い、メディア報道により病気の症状を引き起こす。WEBページのリンク:「(日本語文)」、「(英文)」[注:共にリンク切れです]。
上記WEBページの一次情報としての論文要旨「Are media warnings about the adverse health effects of modern life self-fulfilling? An experimental study on idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF).[拙訳]現代生活の反健康効果についてのメディア警告は、自己実現*19ですか? IEI-EMF に関する実験的な研究」を以下に引用します。ちなみに、この論文の全文はここを参照して下さい。

OBJECTIVE:
Medically unsubstantiated 'intolerances' to foods, chemicals and environmental toxins are common and are frequently discussed in the media. Idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF) is one such condition and is characterized by symptoms that are attributed to exposure to electromagnetic fields (EMF). In this experiment, we tested whether media reports promote the development of this condition.

METHODS:
Participants (N=147) were randomly assigned to watch a television report about the adverse health effects of WiFi (n=76) or a control film (n=71). After watching their film, participants received a sham exposure to a WiFi signal (15 min). The principal outcome measure was symptom reports following the sham exposure. Secondary outcomes included worries about the health effects of EMF, attributing symptoms to the sham exposure and increases in perceived sensitivity to EMF.

RESULTS:
82 (54%) of the 147 participants reported symptoms which they attributed to the sham exposure. The experimental film increased: EMF related worries (β=0.19; P=.019); post sham exposure symptoms among participants with high pre-existing anxiety (β=0.22; P=.008); the likelihood of symptoms being attributed to the sham exposure among people with high anxiety (β=.31; P=.001); and the likelihood of people who attributed their symptoms to the sham exposure believing themselves to be sensitive to EMF (β=0.16; P=.049).

CONCLUSION:
Media reports about the adverse effects of supposedly hazardous substances can increase the likelihood of experiencing symptoms following sham exposure and developing an apparent sensitivity to it. Greater engagement between journalists and scientists is required to counter these negative effects.


[拙訳]
目的:
食品、化学物質、環境毒素に対する医学的に根拠のない「不耐」は一般的であり、メディアで頻繁に議論されている。電磁場に起因する特発性環境不耐性(IEI-EMF)はそのような状態の1つであり、電磁場(EMF)への曝露に起因する症状によって特徴付けられる。この実験では、メディア報道がこの状態の進展を促進するかどうかを我々は調査した。

方法:
参加者(n = 147)は、WiFi(n = 76)による健康への悪影響についてのテレビ報道又は[訳注:健康への悪影響とは無関係な]対照映像(n = 71)[訳注:両映像を実験映像とする]を見るためにランダムに割り当てられた。実験映像を見た後、参加者は WiFi 信号による偽の暴露を受けた(15分)。主なアウトカムの尺度は、偽の暴露後の症状の報告であった。副次的アウトカムには、EMF の健康影響についての心配、偽の暴露に起因する症状及び知覚された EMF に対する過敏性における増加が含まれた。

結果:
147人の参加者のうち82人(54%)が偽の暴露に起因する症状を報告した。実験映像を見ることにより次の尺度の増加があった:EMF 関連の心配(β= 0.19; P = .019);高い既存の不安を伴う参加者の間の偽の暴露後の症状(β= 0.22; P = .008)。高い不安を伴う人々の間での偽の暴露に起因する症状の可能性(β= .31; P = .001); EMF に敏感であると信じていて、偽の暴露を症状の起因とした人々の可能性(β= 0.16; P = .049)。

結論:
おそらく危険な物質の有害影響に関するメディア報道は、偽の曝露後の体験する症状及びそれに対する見かけの感受性の発現の可能性を上昇させうる。これらのマイナスの影響に対抗するには、ジャーナリストと科学者との間のより大きな関与が必要である。

注:i) 引用中の「n = 147」、「n = 76」及び「n = 71」は共に人数を示しています。 ii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iii) ちなみに、 a) 化学物質への応答におけるメディアの警告の影響に関連する論文要旨は他の拙エントリのここを、 b) においにおけるノセボ効果に関連する論文要旨は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

さらに、電磁波過敏症とノセボ効果との関連をはじめとする複数の論文要旨(これ以外に次の資料『高周波電磁界の生体影響に関する現在の知見  ─ いわゆる「電磁過敏症」を中心に』も参照)を以下に紹介します。この中にはメディア報道に関する論文やセンセーショナルなメディア報道と現在の健康心配との関連についての論文も含まれます。

① 「Are media reports able to cause somatic symptoms attributed to WiFi radiation? An experimental test of the negative expectation hypothesis.[拙訳]メディア報道は WiFi 放射に起因する身体症状を引き起こしうるのか? ネガティブな予想仮説の実験的検証」

People suffering from idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF) experience numerous non-specific symptoms that they attribute to EMF. The cause of this condition remains vague and evidence shows that psychological rather than bioelectromagnetic mechanisms are at work. We hypothesized a role of media reports in the etiology of IEI-EMF and investigated how somatosensory perception is affected. 65 healthy participants were instructed that EMF exposure can lead to enhanced somatosensory perception. Participants were randomly assigned to watch either a television report on adverse health effects of EMF or a neutral report. During the following experiment, participants rated stimulus intensities of tactile (electric) stimuli while being exposed to a sham WiFi signal in 50% of the trials. Sham WiFi exposure led to increased intensity ratings of tactile stimuli in the WiFi film group, especially in participants with higher levels of somatosensory amplification. Participants of the WiFi group reported more anxiety concerning WiFi exposure than the Control group and tended to perceive themselves as being more sensitive to EMF after the experiment compared to before. Sensational media reports can facilitate enhanced perception of tactile stimuli in healthy participants. People tending to perceive bodily symptoms as intense, disturbing, and noxious seem most vulnerable. Receiving sensational media reports might sensitize people to develop a nocebo effect and thereby contribute to the development of IEI-EMF. By promoting catastrophizing thoughts and increasing symptom-focused attention, perception might more readily be enhanced and misattributed to EMF.


[拙訳]
電磁場に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)を患う人々は、電磁場(EMF)に起因する多数の非特異的症状を経験する。この状態の原因はあいまいのままである。そして、エビデンスによれば、生体電磁気的メカニズムよりも心理的カニズムが働いていることが示される。我々は、IEI-EMF の病因学におけるメディア報道の役割の仮説を立て、身体感覚の知覚がどのように影響されるかを調査した。 65名の健康な参加者は、EMF 暴露が身体感覚の知覚の増強をもたらしうると指示された。参加者は、EMF の有害な健康影響に関するテレビ報道(訳注:WiFi 群)又は中立的な報道(訳注:対照群)のいずれかを見るためにランダムに割り当てられた。次の実験中に、参加者は試験の50%で偽の WiFi 信号に曝露されながら、触覚(電気)刺激の刺激強度を評価した。 偽の WiFi への曝露は、WiFi 群の特に高レベルの身体感覚増幅を伴う参加者における触覚刺激の強度評価の増加をもたらした。WiFi 群の参加者は、対照群よりも WiFi 曝露に関連するより強い不安を報告し、そして試験前に比較して試験後に EMF への曝露に対しより敏感になったと知覚する傾向があった。センセーショナルなメディアの報告は健康な参加者において触覚刺激の知覚の増強を促進しうる。身体症状を強烈な、不安にさせる、有害なものとして知覚する傾向がある人々は最も脆弱に見えた。センセーショナルなメディアの報告を受信することは、ひょっとして人々にノセボ効果を発現する感作をするかもしれなく、それによって IEI-EMF の発症に寄与するかもしれない。破局的思考の促進及び症状にフォーカスした注意により、知覚はひょっとしてより容易に増強され、そして誤って EMF のせいにするかもしれない。

注:(i) 拙訳中の「身体感覚増幅」については、例えばここ(特発性環境不耐性関連)、加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、「身体感覚増幅」に関連するかもしれない「精神交互作用」については、他の拙エントリの リンク集を参照して下さい。さらに、 上記「身体感覚増幅」のみならず、「失感情症」、「失体感症」、「ストレス反応」、「自律神経機能」、「内受容感覚」及び「気づき」にも関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 一方、化学物質過敏症と身体感覚増幅(尺度)の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。 (ii) 拙訳中の「破局的思考」に関連して、 a) 慢性疼痛における「破局的思考」については、他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「痛みに対する破局的思考と心理社会的ストレスの関連」 b) 「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に基づく「破局的思考」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 c) パニック症(パニック障害)における「破局的解釈」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 (iii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (iv) ちなみに、 1) 化学物質への応答におけるメディアの警告の影響に関連する論文要旨は他の拙エントリのここを、 2) においにおけるノセボ効果に関連する論文要旨は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

②「Dispositional aspects of body focus and idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF).[拙訳]ボディフォーカスの気質的な側面及び電磁界に起因する特発性環境不耐性(IEI-EMF)」

Body focus is often considered an undesirable characteristic from medical point of view as it amplifies symptoms and leads to higher levels of health anxiety. However, it is connected to mindfulness, well-being and the sense of self in psychotherapy. The current study aimed to investigate the contribution of various body focus related constructs to acute and chronic generation and maintenance of medically unexplained symptoms (MUS). Thirty-six individuals with idiopathic environmental intolerance to electromagnetic fields (IEI-EMF) and 36 controls were asked to complete questionnaires assessing negative affect, worries about harmful effects of EMFs, health anxiety (HA), body awareness, and somatosensory amplification (SSA), and to report experienced symptoms evoked by a sham magnetic field. Body awareness, HA, SSA, and EMF-related worries showed good discriminative power between individuals with IEI-EMF and controls. Considering all variables together, SSA was the best predictor of IEI-EMF. In the believed presence of a MF, people with IEI-EMF showed higher levels of anxiety and reported more symptoms than controls. In the IEI-EMF group, actual symptom reports were predicted by HA and state anxiety, while a reverse relationship between symptom reports and HA was found in the control group. Our findings show that SSA is a particularly important contributor to IEI-EMF, probably because it is the most comprehensive factor in its aetiology. IEI-EMF is associated with both a fear-related monitoring of bodily symptoms and a non-evaluative body focus. The identification of dispositional body focus may be relevant for the management of MUS.


[拙訳]
ボディフォーカスは症状を増幅し、そしてより高い健康不安のレベルに導くものとして、医学の観点からしばしば望ましくない特徴と考えられる。しかしながら、心理療法においてマインドフルネス、ウェルビーイング及び自己感覚に結びつけられる。本研究は医学的に説明できない症状(MUS)の急性及び慢性の発症や維持の構成に関連する様々なボディフォーカスの寄与を調査することを目的とする。36 人の電磁界に起因する特発性環境不耐性(IEI-EMF)を伴う人々及び 36 人の対照群は、ネガティブな感情、電磁界(EMF)による有害な影響への心配、健康不安(HA)、ボディへの気づき及び身体感覚増幅(SSA)を評価する質問票への記入が、そして偽の磁界(MF)により誘発され、体験した症状の報告が、それぞれ要求された。ボディへの気づき、HA、SSA 及び EMF に関連した心配は IEI-EMF を伴う人々と対照群との間で良い識別力を示した。全ての変数を考慮すると、SSA は IEI-EMF の最高の予測因子であった。信じられた MF の存在において、IEI-EMF を伴う人々は対照群と比較して高レベルの不安と多くの報告された症状を示した。症状の報告と HA との間で逆の関係が対照群において見られた一方で、IEI-EMF のグループにおいて、実際の症状は、HA 及び状態不安により予測された。SSA は IEI-EMF に対する特に重要な誘因であり、おそらく、その病因学において最も総合的な要因だからであると、我々に知見は示した。IEI-EMF は恐怖にかかわる身体症状のモニタリングと非評価のボディフォーカスの両方に関連する。気質的なボディフォーカスの同定は、MUS の管理に関連するかもしれない。

注:i) 拙訳中の「状態不安」は特定の状況において感じる不安のようです。 ii) 拙訳中の「身体感覚増幅」及び「医学的に説明できない症状」については、例えば共に次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「感情制御にかかわる身体感覚研究の概観」 加えて、上記「身体感覚増幅」については、例えばここ(特発性環境不耐性関連)、加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 さらに、「身体感覚増幅」に関連するかもしれない「精神交互作用」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。一方、 a) 引用中の「身体感覚増幅」のみならず、「失感情症」、「失体感症」、「ストレス反応」、「自律神経機能」「内受容感覚」及び「気づき」にも関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 b) 化学物質過敏症と身体感覚増幅(尺度)の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)及び表1-8(P40)を参照して下さい。加えて、この項中の記述「SSAS(身体感覚増幅尺度)」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体感覚増幅尺度日本語版の信頼性・妥当性の検討」 iii) 拙訳中の「マインドフルネス」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 拙訳中の「ウェルビーイング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Well-being 研究」 加えて、これに関連する「主観的ウェルビーイング」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「大学病院におけるマインドフルネス認知療法の取り組み 不安障害,ウェルビーイングを中心に」(特に資料中の「主観的ウェルビーイング」項を参照)

③ 「On the origin of worries about modern health hazards: Experimental evidence for a conjoint influence of media reports and personality traits.[拙訳]現代的な健康危険要因に関する心配の起源について:メディア報道とパーソナリティ特性の共同の影響に対する実験的エビデンス

OBJECTIVE:
Worries about health threatening effects of potential health hazards of modern life (e.g. electric devices and pollution) represent a growing phenomenon in Western countries. Yet, little is known about the causes of this growing special case of affective risk perceptions termed Modern Health Worries (MHW). The purpose of this study is to examine a possible role of biased media reports in the formation of MHW.

DESIGN:
In two experiments, we investigated whether typical television reports affect MHW. In Study 1, 130 participants were randomly assigned to a film on idiopathic environmental intolerance (IEI) or a control film about cystic fibrosis. In Study 2, 82 participants were randomly assigned to either a film on the dangers of electromagnetic fields or a control condition.

MAIN OUTCOME MEASURES:
Increases in MHW after sensational media reports.

RESULTS:
In Study 1, only participants high on the personality trait of absorption revealed increased MHW after watching the IEI film. In Study 2, specifically worries about radiation were found to be elevated after watching the film on the dangers of electromagnetic fields compared to the control film.

CONCLUSION:
The results of both studies reveal a significant and specific influence of sensational short mass media reports on MHW. The influence of potential moderators such as absorption remains to be clarified.


[拙訳]
目的:
現代生活の潜在的な健康危険要因(例えば、電気装置及び汚染)の健康を脅かす影響についての心配は、西洋諸国においてますます増大する現象を表す。まだ、この増大する現代の健康心配(MHW)と呼ばれる感情的なリスク知覚の特殊なケースの原因についてはほとんど知られていない。本研究の目的は、MHW の形成における偏った報道のありうる役割の可能性を検証することである。

設計:
2つの実験において、典型的なテレビ報道が MHW に影響を及ぼすどうかを調査した。研究 1 において、130人の参加者が、特発性環境不耐性(IEI)に関する映画、又は嚢胞性線維症に関する対照映画にランダムに割り当てられた。研究 2 において、82人の参加者がランダムに電磁場の危険性に関する映画又は対照状態に割り当てられた。

主要なアウトカムの測定:
センセーショナルなメディア報道後の MHW の増加。

結果:
研究 1 において、IEI 映画を見た後に、没入(absorption)のパーソナリティ特性に関して高い参加者だけが MHW を増加させることが明らかになった。研究 2 において、対照映画と比較して電磁波の危険性に関する映画を見た後に、(電磁)放射についての心配が特に増大したことが判明した。

結論:
両研究の結果は、MHW に関するセンセーショナルな短いマスメディア報道の重要かつ具体的な影響を明らかにする。没入のような潜在的なモデレーターの影響はまだ明らかにされていない。

注:i) 拙訳中の「没入(absorption)」については、例えば、論文要旨「Evidence for a specific link between the personality trait of absorption and idiopathic environmental intolerance.」における次に引用する(『 』内)記述の一部を参照して下さい。 『Absorption as a personality trait refers to the predisposition to get deeply immersed in sensory (e.g., smells, sounds, pictures) or mystical experiences, that is, to experience altered states of consciousness.[拙訳]パーソナリティ特性としての没入とは、感覚(例えば、匂い、音、画像)又は神秘的な経験に深く浸り、つまり変容した意識の状態を経験する傾向を指す。』 加えて解離の視点からの拙訳中の「没入」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

④ 「Symptom Presentation in Idiopathic Environmental Intolerance with Attribution to Electromagnetic Fields: Evidence for a Nocebo Effect Based on Data Re-Analyzed From Two Previous Provocation Studies.[拙訳]電磁界に起因する特発性環境不耐症における症状提示:以前の2つの誘発研究から再解析されたデータに基づくノセボ効果のエビデンス」(全文はここを参照して下さい)

Individuals with idiopathic environmental illness with attribution to electromagnetic fields (IEI-EMF) claim they experience adverse symptoms when exposed to electromagnetic fields (EMFs) from mobile telecommunication devices. However, research has consistently reported no relationship between exposure to EMFs and symptoms in IEI-EMF individuals. The current study investigated whether presence of symptoms in IEI-EMF individuals were associated with a nocebo effect. Data from two previous double-blind provocation studies were re-analyzed based on participants' judgments as to whether or not they believed a telecommunication base station was "on" or "off." Experiment 1 examined data in which participants were exposed to EMFs from Global System for Mobile Communication, Universal Mobile Telecommunications System, and sham base station signals. In Experiment 2, participants were exposed to EMFs from Terrestrial Trunked Radio Telecommunications System and sham base station signals. Our measures of subjective well-being indicated IEI-EMF participants consistently reported significantly lower levels of well-being, when they believed the base station was "on" compared to "off." Interestingly, control participants also reported experiencing more symptoms and greater symptom severity when they too believed the base station was "on" compared to "off." Thus, a nocebo effect provides a reasonable explanation for the presence of symptoms in IEI-EMF and control participants.


[拙訳]
電磁界に起因する特発性環境病(IEI-EMF)を伴う個々人は、移動通信装置からの電磁界(EMF)に曝露された時に有害な症状を体験すると訴える。しかしながら研究では、EMF への曝露と IEI-EMF 個々人における症状との間には一貫して関係がないことが報告されている。本研究では、IEI-EMF 個々人における症状の存在がノセボ効果と関連しているかどうかを調査した。以前の2件の二重盲検法による誘発試験のデータは、通信基地局が「オン」または「オフ」であると信じているかどうか否かについて、参加者の判断に基づいて再分析された。実験1では、汎欧州デジタル移動電話方式(Global System for Mobile Communication)、ユニバーサル移動通信システム(Universal Mobile Telecommunications System:UMTS)、そして偽の基地局信号からの参加者への曝露データを調査した。実験2においては、TETRA 通信システム(Terrestrial Trunked Radio Telecommunications System)及び偽の基地局信号からの EMF に参加者は曝露された。基地局が「オフ」に比べて「オン」であると信じた時に、IEI-EMF の参加者は有意に低レベルのウェルビーイングを一貫して報告したことを、我々の主観的なウェルビーイング測定は示した。興味深いことには、対照の参加者も基地局が「オフ」に比べて「オン」であると非常に信じた時に、より多くの症状及びより高い症状の重症度を報告した。このようにノセボ効果により、IEI-EMF 及び対照の参加者における症状の存在に対する合理的な説明が提供される。

注:i) 拙訳中の「汎欧州デジタル移動電話方式(Global System for Mobile Communication)」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「汎欧州デジタル移動体通信システム(GSM) : GLOBAL SYSTEM FOR MOBILE COMMUNICATIONS (GSM)」 ii) 引用中の「ユニバーサル移動通信システム」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ユニバーサル移動通信システム」 iii) 引用中の「TETRA」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「資料9 用語解説」の「TETRA規格」項 iv) 拙訳中の「主観的なウェルビーイング」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「大学病院におけるマインドフルネス認知療法の取り組み 不安障害,ウェルビーイングを中心に」(特に資料中の「主観的ウェルビーイング」項を参照) v) 引用中の「IEI-EMF」は通常「idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields」の略ですが、上記要旨では「idiopathic environmental illness with attribution to electromagnetic fields」となっています。 vi) 加えて、上記論文(全文)の「General Discussion」項の最後の部分における将来の研究についての記述を次に引用します。

Future research should continue to identify factors that can lead to nocebo beliefs, how these beliefs are formed and maintained and methods for counteracting these beliefs once they become established in the mind. Very little research has actually focused on treatments for IEI-EMF individuals; however, preliminary findings have suggested that cognitive behavioral therapy (CBT) may be an effective form of treatment (Rubin G.J. et al., 2006). This fits in well with current findings from meta-analyse that have shown CBT as efficacious in treating medically unexplained physical symptoms, such as chronic fatigue syndrome (Malouff et al., 2008), fibromyalgia (Glombiewski et al., 2010), and irritable bowel syndrome (Li et al., 2014). A helpful approach to treating individuals with medically unexplained physical symptoms was outlined by Smith et al. (2003) in which, alongside building patient rapport, CBT plays an important role in helping patients restructure their illness perceptions and beliefs regarding symptom causation. More recently Van den Bergh et al. (2017) have proposed a treatment strategy for IEI illnesses that focuses on modifying symptom perception and expectations. Even so, much more research is needed in this area especially for medically unexplained physical symptoms associated with IEI-EMF, multiple chemical sensitivity, sick building syndrome, and infrasound hypersensitivity in which the vast majority of research has focused on identifying causal factors and very little research has actually examined the effectiveness of various treatments for these illnesses.


[拙訳]
ノセボの信念につながり得る要因、これらの信念がどのように形成され、維持されるのか、そして、それらが一旦マインドに確立された、これらの信念を妨害する方法を、今後の研究では引き続き同定すべきである。研究は実際には IEI-EMF の個々人の治療にはほとんど焦点を合わせていない。しかしながら、予備的な知見は、認知行動療法(CBT)が治療の有効な形態かもしれないことを示唆する(Rubin G.J. et al., 2006)。これは、CBT が慢性疲労症候群(Malouff et al., 2008)、線維筋痛症(Glombiewski et al., 2010)、そして過敏性腸症候群(Li et al., 2014)等の「医学的に説明できない症状」の治療において有効であることを示したメタアナリシスの現在の知見と良く適合する。「医学的に説明できない症状」を伴う個々人を治療するための有益なアプローチは、Smith ら(2003)によって概説され、患者とのラポール(信頼関係)を築くのと共に、患者が症状の原因に関する病気の知覚及び信念を再構成するのを助ける重要な役割を CBT は果たす。より最近では Van den Bergh ら(2017)が症状の知覚及び予期を修正することに焦点を当てた IEI 病の治療戦略を提案している。それでも、特にその大部分の研究は原因因子の同定に集中し、これらの病に対する様々な治療法の有効性が実際にはほとんど調査されていない、IEI-EMF、多種化学物質過敏状態(multiple chemical sensitivity)、シックビルディング症候群(sick building syndrome)、及び超低周波過敏症(infrasound hypersensitivity)に関連する「医学的に説明できない症状」の領域におけるさらに多くの研究が必要である。

注:i) 引用中の「Rubin G.J. et al., 2006」は次の論文です。 「A systematic review of treatments for electromagnetic hypersensitivity.」 ii) 引用中の「Malouff et al., 2008」は次の論文です。 「Efficacy of cognitive behavioral therapy for chronic fatigue syndrome: a meta-analysis.」 iii) 引用中の「Glombiewski et al., 2010」は次の論文です。 「Psychological treatments for fibromyalgia: a meta-analysis.」 iv) 引用中の「Li et al., 2014」は次の論文です。 「Cognitive-behavioral therapy for irritable bowel syndrome: a meta-analysis.」 v) 引用中の「Smith ら(2003)」は次の論文です。 「Treating Patients with Medically Unexplained Symptoms in Primary Care」 vi) 拙訳中の「Van den Bergh ら(2017)」の論文については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「IEI-EMF」は「idiopathic environmental illness with attribution to electromagnetic fields」(電磁界に起因する特発性環境病)の略です。上記における v) 項も参照して下さい。 viii) 拙訳中の「医学的に説明できない症状」については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 一方、「医学的に説明できない症状」の最新名である身体的苦痛症(Bodily distress disorder - ICD-11、参照)に関連する、functional somatic syndromes(拙訳:機能性身体症候群)に引用中の「IEI-EMF」(又は Electricity hypersensitivity)をはじめとして、「慢性疲労症候群」(chronic fatigue syndrome)、「線維筋痛症」(fibromyalgia)、過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome)、多種化学物質過敏状態(multiple chemical sensitivity)、超低周波過敏症(infrasound hypersensitivity)が含まれると主張する資料「Somatoform disorders, Functional somatic syndromes and disorders Bodily distress syndrome Concept, consequences and treatment」があります。ただし拙訳はありません。同資料の「Functional somatic syndromes according to specialty」シート( P6 )を参照して下さい。 ix) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 x) 拙訳中の「信念」については、認知行動療法の視点から他の拙エントリのここここを参照して下さい。

⑤ 「Somatosensory illusions elicited by sham electromagnetic field exposure: experimental evidence for a predictive processing account of somatic symptom perception[拙訳]偽の電磁場曝露により誘発される体性感覚の錯覚:身体症状の知覚の予測的処理に関する実験的エビデンス

Objective: According to the predictive processing theory of somatic symptom generation, body sensations are determined by somatosensory input and central nervous predictions about this input. We examined how expectations shape predictions and consequently bodily perceptions in a task eliciting illusory sensations as laboratory analogue of medically unexplained symptoms.

Methods: Using the framework of signal detection theory, the influence of sham Wi-Fi on (i) response bias (c) and (ii) somatosensory sensitivity (d') for tactile stimuli was examined using the somatic signal detection task (SSDT). A healthy student sample (n = 83) completed the SSDT twice (sham Wi-Fi on/off) in a randomized order after watching a film that promoted adverse health effects of electromagnetic fields (EMF).

Results: When expecting a Wi-Fi signal to be present, participants showed a significantly more liberal response bias c (p = .010, ηp = .08) for tactile stimuli in the SSDT as evidence of a higher propensity to experience somatosensory illusions. No significant alteration of somatosensory sensitivity d' (p = .76, ηp < .002) was observed.

Conclusions: Negative expectations about the harmfulness of EMF may foster the occurrence of illusory symptom perceptions via alterations in the somatosensory decision criterion. The findings are in line with central tenets of the predictive processing account of somatic symptom generation. This account proposes a decoupling of percept and somatosensory input so that perception becomes increasingly dependent on predictions. This biased perception is regarded as a risk factor for somatic symptom disorders.


[拙訳]
​目的:身体症状発生の予測的処理の理論に従って、身体の感覚は体性感覚入力及びこの入力についての中枢神経予測によって決定される。医学的に説明できない症状の実験室類似物としての錯覚を誘発する課題において、どのように予測を形成するか、そしてその結果として身体的知覚を形成するかを、我々は調査した。

​方法:信号検出理論のフレームワークを用いて、触覚刺激に対し、 (i) 応答バイアス (c) 及び (ii) 体性感覚の過敏性 (d') に及ぼす偽 Wi-Fi の影響を身体信号検出タスク (SSDT) を用いて、我々は調査した。​健康な学生被験者(n = 83)は、電磁界 (EMF) の健康への悪影響を啓発する映画を見た後、ランダムな順序で SSDT を二回(偽 Wi-Fi のオン/オフ)完了した。

​結果:Wi-Fi 信号が存在すると予期した時に、体性感覚の錯覚を経験するより高い性質のエビデンスとして、SSDT における触覚刺激に対し有意により自由な応答バイアス c(p = .010, ηp = .08)を参加者は示した。体性感覚の過敏性 d'(p = .76, ηp < .002)の有意な変化は観察されなかった。

​結論:EMF の有害性についてのネガティブな予期は、体性感覚決定基準における変化を介して錯覚の症状知覚の発生を促進するかもしれない。​これらの知見は、身体症状発生の予測的処理の中心的な教義と一致する。​この説明では、知覚がますます予測に依存するようになるために、知覚と体性感覚入力を切り離すことが提案される。​この偏った知覚は身体症状症の危険因子と考えられる。

注:i) 引用中の「n = 83」は人数を指します。 ii) 拙訳中の「予測」及び「予測的処理」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「身体症状症」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症

⑥ 「Modern health worries and idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields are associated with paranoid ideation[拙訳]現代の健康上の心配 (MHWs) 及び電磁場に起因する特発性環境不耐症は妄想様観念と関連する」

Objective: Paranoid ideation is assumed to characterize worries about possible harmful effects of modern technologies (MHWs) and idiopathic environmental intolerances (IEIs), such as IEI attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF). Empirical evidence on these associations is scarce.

Methods: In a cross-sectional on-line survey, participants of a community sample (n = 700; mean age: 28.4 ± 12.0; 434 females) completed the Somatosensory Amplification Scale, the Modern Health Worries Scale, and the Paranoid Ideation scale of the Symptom Checklist 90 Revised. They were considered IEI-EMF if (1) they categorized themselves so, (2) they had experienced symptoms that they attributed to the exposure to electromagnetic fields, and (3) the condition impacted their everyday functioning.

Results: Paranoid ideation was significantly positively associated with MHWs (standardized β = 0.150, p < .001) even after controlling for socio-demographic variables and somatosensory amplification tendency, an indicator of somatic symptom distress. Also, paranoid ideation explained significant variability in IEI-EMF (OR = 1.090, 95% CI: 1.006-1.180, p = .035) even after statistically controlling for socio-demographic variables and somatosensory amplification.

Conclusions: Paranoid ideation was found to be associated with MHWs and IEI-EMF. This association appears independent of general somatic symptom distress in both cases. This might partly explain the temporal stability of these constructs.


[拙訳]
目的:妄想様観念は、現代の技術のありうる有害効果についての心配 (MHWs) 及び電磁場に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)等の特発性環境不耐性(IEI)を特徴づけると仮定される。これらの関連に関する経験的エビデンスは乏しい。

方法:横断的オンライン調査において、コミュニティーサンプル(n = 700;平均年齢:28.4±12.0歳;434人の女性)の参加者は、身体感覚増幅尺度、Modern Health Worries Scale、及び Symptom Checklist 90 Revised の妄想様観念スケールを記入した。患者が次の場合、 (1) 自分自身で分類した、 (2) 電磁界への曝露に起因する症状を経験した、及び (3) 状態が日常の機能に影響した には、IEI-EMF とみなした。

結果:妄想様観念は、社会人口統計学的変数及び身体症状苦痛の指標である身体感覚増幅傾向を調整した後でも、MHW と有意に正に関連した(標準化 β = 0.150、p < .001)。さらに、妄想様観念は、社会人口統計学的変数及び身体感覚増幅を統計的に調整した後でも、IEI-EMF の有意な変動性を説明した(OR = 1.090、95% 信頼区間: 1.006-1.180、p = .035)。

結論:妄想様観念は、MHWs 及び IEI-EMF と関連することが見出された。この関連は両ケースにおける一般的な身体症状の苦痛と独立しているように思われる。これはひょっとするとこれらの構築物の経時安定性を部分的に説明するかもしれない。

注:i) 引用中の「n = 700」は人数を指します。 ii) 拙訳中の「妄想様観念」についてはこれに類似する「妄想的観念」を含めて次の資料を参照して下さい。 「妄想的観念の主題を測定する尺度の作成」 iii) 拙訳中の「身体感覚増幅尺度」については次の資料を参照して下さい。 「身体感覚増幅尺度日本語版の信頼性・妥当性の検討 -心身症患者への臨床的応用について-」 加えて、拙訳中の「身体感覚増幅」については他の拙エントリのここを、一方、上記「身体感覚増幅」は近頃では「身体脅威増幅」と呼ばれることについては他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 iv) 引用中の「Modern Health Worries Scale」については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Assessing modern health worries: Dimensionality and factorial invariance across age and sex of the Modern Health Worries Scale in a general population sample」 v) 引用中の「Symptom Checklist 90 Revised」については拙訳はありませんが「Paranoid ideation」(妄想様観念)を含めて次のWEBページを参照して下さい。 「Symptom Checklist-90 (SCL90)

⑦ 「Psychological Drivers of Individual Differences in Risk Perception: A Systematic Case Study Focusing on 5G[拙訳]リスクの知覚における個人差の心理的な原動力:5Gに焦点を当てた体系的ケーススタディ」(全文はここを参照して下さい)

What drives people's perceptions of novel risks, and how malleable are such risk perceptions? Psychological research has identified multiple potential drivers of risk perception, but no studies have yet tested within a unified analytic framework how well each of these drivers accounts for individual differences in large population samples. To provide such a framework, I harnessed the deployment of 5G-the latest generation of cellular network technology. Specifically, I conducted a multiverse analysis using a representative population sample in Switzerland (Study 1; N = 2,919 individuals between 15 and 94 years old), finding that interindividual differences in risk perceptions were strongly associated with hazard-related drivers (e.g., trust in the institutions regulating 5G, dread) and person-specific drivers (e.g., electromagnetic hypersensitivity)-and strongly predictive of people's policy-related attitudes (e.g., voting intentions). Further, a field experiment based on a national expert report on 5G (N = 839 individuals in a longitudinal sample between 17 and 79 years old) identified links between intraindividual changes in psychological drivers and perceived risk, thus highlighting potential targets for future policy interventions.


[拙訳]
何が人々の新しいリスクの知覚を駆り立て、そしてそのようなリスクの知覚はどれほど順応性があるのか? 心理学的研究では、リスクの知覚の複数の潜在的な原動力が同定されているが、これらの原動力のそれぞれが、大規模集団のサンプルにおける個人差をどれほど説明しているかについて、統一された分析の枠組み内で検証された研究はまだない。このような枠組みを提供するために、筆者はセルラーネットワーク技術の最新世代である 5G の展開を利用した。具体的には、スイスにおける代表的な母集団のサンプルを用いて多角的分析を行い(試験 1; N = 2,919 の15歳から94歳までの個々人)、リスクの知覚における個人差が、危険と関連した原動力(例えば、5G を規制している機関への信頼、恐れ)及び人特異的な原動力(例えば電磁波過敏症)と強く相関し、人々の政策関連の態度(例えば投票意図)を強く予測することが見出された。さらに、5G に関する国家専門家報告(17歳から79歳までの縦断的サンプルにおける N = 839 の個々人)に基づくフィールド実験は心理的な原動力とリスクの知覚との間における個人内変化の関連を同定し、従って将来の政策介入に対する潜在的目標を強調する。

注:i) 引用中の「N = 2,919」と「N = 839」は共に人数を指します。 ii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「知覚 - 脳科学辞典

上記、電磁波過敏症に関するメディア報道についての解説等に関連するリンクを以下に紹介します。
読売新聞朝刊「医療ルネサンス増える環境過敏症」に対する見解
朝日新聞朝刊「被曝 見えぬ実態」(補足説明)
河北新報朝刊「<電磁過敏症>日本人の3.0~4.6%に症状」(補足説明)
「電磁過敏症 人口の3.0~5.7%」の新聞報道について(補足説明)

注:上記を含む電磁界情報センターにおける報道解説は次のWEBページを参照して下さい。「報道解説 - 電磁界情報センター

(c) その他関連資料
ヒトの中枢神経への影響:人での携帯電話による電磁波曝露実験より

(d) 一部の参加者にとって症状を低減させる可能性を含むモバイル曝露ユニットを使用した電磁過敏症における二重盲検法によるランダム化比較曝露試験についての論文要旨の紹介
・「Effects of personalised exposure on self-rated electromagnetic hypersensitivity and sensibility - A double-blind randomised controlled trial.[拙訳]自己評価された電磁過敏症及び感受性に及ぼす個別化された曝露の影響 - 二重盲検法によるランダム化比較試験」

BACKGROUND:
Previous provocation experiments with persons reporting electromagnetic hypersensitivity (EHS) have been criticised because EHS persons were obliged to travel to study locations (seen as stressful), and that they were unable to select the type of signal they reported reacting to. In our study we used mobile exposure units that allow double-blind exposure conditions with personalised exposure settings (signal type, strength, duration) at home. Our aim was to evaluate whether subjects were able to identify exposure conditions, and to assess if providing feedback on personal test results altered the level of self-reported EHS.

METHODS:
We used double-blind randomised controlled exposure testing with questionnaires at baseline, immediately before and after testing, and at two and four months post testing. Participants were eligible if they reported sensing either radiofrequency or extremely low frequency fields within minutes of exposure. Participants were visited at home or another location where they felt comfortable to undergo testing. Before double-blind testing, we verified together with participants in an unblinded exposure session that the exposure settings were selected were ones that the participant responded to. Double-blind testing consisted of a series of 10 exposure and sham exposures in random sequence, feedback on test results was provided directly after testing.

RESULTS:
42 persons participated, mean age was 55years (range 29-78), 76% were women. During double-blind testing, no participant was able to correctly identify when they were being exposed better than chance. There were no statistically significant differences in the self-reported level of EHS at follow-up compared to baseline, but during follow-up participants reported reduced certainty in reacting within minutes to exposure and reported significantly fewer symptoms compared to baseline.

CONCLUSION:
Our results suggest that a subgroup of persons exist who profit from participation in a personalised testing procedure.


[拙訳]
背景:
電磁過敏症(EHS)を報告する方々の以前の誘発試験は、EHS の方々が研究している場所への移動を余儀なくされる(ストレスに満ちているように見える)理由により批判されており、そして、彼らが反応を報告する信号の種類を選択できなかった。本研究において、自宅で個別化された曝露設定(信号の種類、強度、持続時間)で二重盲検法による曝露状態を可能にするモバイル曝露ユニットを我々は使用した。我々の目的は、参加者が曝露状態を同定できるかどうかを査定し、そして個人の試験結果に関するフィードバックの提供が、自己報告された EHS のレベルに変化をもたらすかどうかを評価することであった。

方法:
ベースライン、試験直前及び直後、そして試験後の2ヵ月、4ヵ月時のアンケートを伴う二重盲検法によるランダム化比較曝露試験を我々は用いた。曝露から数分以内に、ラジオ波又は極低周波のいずれかを感知したと報告した場合には参加者は適格であった。参加者は自宅又は彼らが試験を経験するために快適と感じる他の場所を訪れた。二重盲検試験の前に、非盲検の曝露セッションにおいて、参加者が応答したもので曝露設定が選択されたことを参加者と一緒に確認した。二重盲検試験は、一連の10回の曝露及び偽の曝露がランダムな順序で構成され、試験結果のフィードバックは試験の直後に提供された。

結果:
42名が参加し、平均年齢は55歳(範囲は29-78歳)で、76%が女性であった。二重盲検試験中に、参加者はいつ曝露されたかを偶然より正確に同定することができなかった。フォローアップ時に、ベースラインと比較して EHS の自己報告レベルにおいて統計学的な有意差はなかったが、フォローアップ中に、曝露への数分以内の反応における低下した確信を、そしてベースラインと比較して有意に少なかった症状を参加者は報告した。

結論:
個別化されたテスト過程における参加から利益を得るサブグループの方々が存在することを、我々の結果は示唆する。

注:i) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline」 ii) 拙訳中の(真の曝露及び偽の曝露がランダムな順序で構成される)「ランダム化比較曝露試験」に関連するかもしれない「ランダム化比較試験」ついては例えば次の資料を参照して下さい。 「データの取り扱いについて」の「ランダム化比較試験(RCT)」シート(P9)

(e) 健常対照群に対する電磁場曝露の有害性についての論文要旨の紹介
・「Can explicit suggestions about the harmfulness of EMF exposure exacerbate a nocebo response in healthy controls?[拙訳]EMF(電磁場)曝露の有害性に関する明示的な示唆は、健康な対照群におけるノセボ応答を悪化させる可能性があるか?」

While there has been consistent evidence that symptoms reported by individuals who suffer from Idiopathic Environmental Intolerance attributed to Electromagnetic Fields (IEI-EMF) are not caused by EMF and are more closely associated with a nocebo effect, whether this response is specific to IEI-EMF sufferers and what triggers it, remains unclear. The present experiment tested whether perceived EMF exposure could elicit symptoms in healthy participants, and whether viewing an 'alarmist' video could exacerbate a nocebo response. Participants were randomly assigned to watch either an alarmist (N = 22) or control video (N = 22) before completing a series of sham and active radiofrequency (RF) EMF exposure provocation trials (2 open-label, followed by 12 randomized, double-blind, counterbalanced trials). Pre- and post-video state anxiety and risk perception, as well as belief of exposure and symptom ratings during the open-label and double-blind provocation trials, were assessed. Symptoms were higher in the open-label RF-ON than RF-OFF trial (p < .001). No difference in either symptoms (p = .183) or belief of exposure (p = .144) was observed in the double-blind trials. Participants who viewed the alarmist video had a significant increase in symptoms (p = .041), state anxiety (p < .01) and risk perception (p < .001) relative to the control group. These results reveal the crucial role of awareness and belief in the presentation of symptoms during perceived exposure to EMF, showing that healthy participants exhibit a nocebo response, and that alarmist media reports emphasizing adverse effects of EMF also contribute to a nocebo response.


[拙訳]
電磁場に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)を患う個々人により報告される症状は、EMF によって引き起こされるものではなく、そしてノセボ効果とより密接に関連する一貫した証拠が有る一方で、この応答が IEI-EMF 患者に特異的かどうか、そして何がそれの誘因となるかは不明のままである。健康な参加者における知覚された EMF 曝露が症状を引き起こし得るだろうかどうか、そして「alarmist」のビデオを見ることがノセボ応答を悪化させるかどうかを、本実験では試験した。一連の偽又は本物の無線周波数(RF)の EMF 曝露誘発試験(2つのオープンラベル、その後の12のランダム化、二重盲検、カウンターバランス試験)の完結前に 「alarmist」(N = 22)又は対照(N = 22)のビデオを見るために、参加者はランダムに割り当てられた。オープンラベル及び二重盲検の誘発試験中のビデオを見る前及び見た後の曝露の信念及び症状の評価はもちろん、状態不安並びにリスク知覚も評価された。
オープンラベル試験では RF-OFF よりも RF-ON の方が症状が強かった(p < .001)。二重盲検の試験では症状(p <.183)でも、状態不安(p <.144)でも差は見られなかった。「alarmist」のビデオを見た参加者には、症状(p < .041)でも、状態不安(p <.01)でも、そしてリスク知覚(p < .001)でも対象グループと比較して有意な増加があった。知覚された EMF への曝露中の症状の提示における、健常参加者がノセボ応答を示す認識及び信念の重要な役割を、これらの結果は明らかにし、そして EMF の有害作用を強調する「alarmist」のメディア報道もまたノセボ応答に寄与することを示す。

注:i) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「知覚 - 脳科学辞典」 ii) 拙訳中の「オープンラベル」は盲検化されていないことを示します。加えて拙訳中の「二重盲検」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「二重盲検法」 iii) 拙訳中の「alarmist」は「不必要に人に警告を出して心配させる人」のようです。例えば次のWEBページを参照して下さい。 「alarmistとは」の「日本語WordNet(英和)での「alarmist」の意味」項 加えて論文(全文)「Psychological Drivers of Individual Differences in Risk Perception: A Systematic Case Study Focusing on 5G」(ここも参照して下さい)の「Discussion」項において「alarmist」を含む次に引用する記述があります。 『In light of the alarmist statements and persistent fake news in the media (Broad, 2019a), this may not be an easy task, however: The current studies demonstrated that substantial population-level effects are not readily triggered, at least not with the relatively mild interventions implemented here (i.e., the primary purpose of the national expert report was of an informational nature).[拙訳]メディアにおける「alarmist」の声明やしつこいフェイクニュース(Broad, 2019a)に照らして考えると、これは容易な作業ではないかもしれない。しかしながら、少なくともここで実施された比較的穏やかな介入(すなわち、国別専門家報告書の主な目的は情報の性質にあった)では、実質的な集団レベルへの影響は容易に及ぼされないことを現在の研究は実証している。』 iii) 拙訳中の『EMF の有害作用を強調する「alarmist」のメディア報道もまたノセボ応答に寄与することを示す』ことに関連するかもしれない、「強迫状態の成因」としての「細菌感染の映画をみるなどの比較的簡単なきっかけから、中年以降に急におきることもある」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

(f) 電磁波過敏症における症状発現に関する実験的研究での方法論的限界についての論文要旨の紹介
・「Methodological limitations in experimental studies on symptom development in individuals with idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF) - a systematic review.[拙訳]電磁界に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)を伴う個々人における症状発現に関する実験的研究での方法論的限界 - システマティックレビュー」(全文はここを参照して下さい)

BACKGROUND:
Hypersensitivity to electromagnetic fields (EMF) is a controversial condition. While individuals with idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF) claim to experience health complaints upon EMF exposure, many experimental studies have found no convincing evidence for a physical relation. The aim of this systematic review was to evaluate methodological limitations in experimental studies on symptom development in IEI-EMF individuals that might have fostered false positive or false negative results. Furthermore, we compared the profiles of these limitations between studies with positive and negative results.

METHODS:
The Preferred Reporting Items for Systematic Reviews and Meta-Analyses (PRISMA) guided the methodological conduct and reporting. Eligible were blinded experimental studies that exposed individuals with IEI-EMF to different EMF exposure levels and queried the development of symptoms during or after each exposure trial. Strengths and limitations in design, conduct and analysis of individual studies were assessed using a customized rating tool.

RESULTS:
Twenty-eight studies met the eligibility criteria and were included in this review. In many studies, both with positive and negative results, we identified methodological limitations that might have either fostered false or masked real effects of exposure. The most common limitations were related to the selection of study participants, the counterbalancing of the exposure sequence and the effectiveness of blinding. Many studies further lacked statistical power estimates. Methodically sound studies indicated that an effect of exposure is unlikely.

CONCLUSION:
Overall, the evidence points towards no effect of exposure. If physical effects exist, previous findings suggest that they must be very weak or affect only few individuals with IEI-EMF. Given the evidence that the nocebo effect or medical/mental disorders may explain the symptoms in many individuals with IEI-EMF, additional research is required to identify the various factors that may be important for developing IEI-EMF and for provoking the symptoms. We recommend the identification of subgroups and exploring IEI-EMF in the context of other idiopathic environmental intolerances. If further experimental studies are conducted, they should preferably be performed at the individual level. In particular, to increase the likelihood of detecting hypersensitive individuals, if they exist, we encourage researchers to achieve a high credibility of the results by minimizing sources of risk of bias and imprecision.


[拙訳]
背景:
電磁界(EMF)に対する過敏症は論争がある状態である。電磁界に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)を伴う個々人は、EMF 曝露時に健康上の不調を経験すると主張しているとは言え、多くの実験的研究では、身体的関係の説得力のあるエビデンスは見つからなかった。このシステマティックレビューの目的は、偽陽性又は偽陰性の結果をひょっとして助長したかもしれない IEI-EMF 個々人における症状発現に関する実験的研究の方法論的限界を評価することであった。さらに、肯定的な結果と否定的な結果を伴う研究間のこれらの制限のプロファイルを、我々は比較した。

方法:
ステマティックレビュー及びメタアナリシスの優先報告項目(PRISMA)は、方法論的な実施及び報告の指針となった。適格だったのは、異なる EMF 曝露レベルにIEI-EMF 伴う個々人が曝露した、そして各曝露試験中又は試験後に症状の発現を調査した盲検化された実験の試験であった。個々の研究のデザイン、実施、分析における長所及び限界は、カスタマイズされた評価ツールを使用して評価された。

結果:
28件の研究が適格基準を満たし、そしてこのレビューに含まれた。多くの研究において、肯定的な結果と否定的な結果の両方で、曝露の誤り又は隠された真の影響をひょっとして助長するかもしれない方法論的な限界を、我々は特定した。最も一般的な限界は、被験者の選択、曝露シーケンスの釣り合い、及び盲検化の有効性に関連していた。さらに、多くの研究は統計的検出力の推定値を欠いていた。方法論的に健全な研究は、曝露の影響はありそうもないことを示した。

結論:
全体として、エビデンスは曝露の影響がないことを示している。もし身体的影響が存在する場合、それらが非常に弱い又は IEI-EMF を伴うほんの少数の個々人のみに影響を与えるにちがいないことを、以前の調査結果は示唆する。ノセボ効果又は医学的/精神的障害が IEI-EMF を伴う多くの個々人の症状を説明するかもしれないというエビデンスを考慮すると、IEI-EMF の発症及び症状を誘発するために重要であるかもしれない様々な要因を同定するために追加の研究が必要である。サブグループを特定し、そして他の特発性環境不耐症の文脈において IEI-EMF を探究することを、我々は推奨する。もしさらなる実験的研究が実施される場合、それらは個人レベルで実施されることが望ましい。特に、過敏な個々人を発見する可能性を高めるために、もし過敏症患者が存在する場合、バイアス及び不正確さのリスク源を最小限にすることによって結果の信頼性を高めるように、我々は研究者に奨励する。

(g) 電磁波過敏症における症状に関連するノセボ効果の前向き研究についての論文要旨の紹介
・「Prospective study of nocebo effects related to symptoms of idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF)[拙訳]電磁界に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF)の症状に関連するノセボ効果の前向き研究」

The exact causes of Idiopathic Environmental Intolerance Attributed to Electromagnetic Fields (IEI-EMF, i.e., experience of somatic symptoms attributed to low-level electromagnetic fields) are still unknown. Psychological causation such as nocebo effects seem plausible. This study aimed to experimentally induce a nocebo effect for somatic symptom perception and examined whether it was reproducible after one week. We also examined whether these effects were associated with increased sympathetic activity and whether interoceptive accuracy (IAcc) moderated these relationships. Participants were recruited from the general population and instructed that electromagnetic exposure can enhance somatosensory perception. They participated twice in a cued exposure experiment with tactile stimulation and sham WiFi exposure in 50% of trials. The two sessions were scheduled one week apart (session 1: N = 65, session 2: N = 63). Before session 1, participants watched either a 6-minute film on adverse health effects of EMF or a neutral film on trade of mobile phones. IAcc was assessed with the heartbeat detection paradigm. Electrodermal activity served as a measure of sympathetic activation. Evidence for a nocebo effect (i.e., increased self-reported intensity and aversiveness and electrodermal activity) during sham WiFi exposure was observed in both sessions. IAcc moderated the nocebo effect, depending on stimulus intensity. Contrary to previous findings, no difference emerged between the health-related EMF and the neutral films. Based on negative instructions, somatic perception and physiological responding can be altered. This is consistent with the assumption that IEI-EMF could be due to nocebo effects, suggesting an important role for psychological interventions.


[拙訳]
電磁界に起因する特発性環境不耐症(IEI-EMF、すなわち低レベルの電磁波に起因する身体症状の経験)の正確な原因は未だ不詳である。ノセボ効果のような心理的原因はもっともらしいように思われる。本研究は身体症状の知覚に対するノセボ効果を実験的に引き起こし、そして、1週間後に再現性があるかどうかの調査を、本研究の目的とした。我々はまた、これらの効果が交感神経活動の増加と関連するかどうか、及び内受容の精度(IAcc)がこれらの関係を和らげるかどうかについても調査した。参加者を一般集団から募集し、そして電磁曝露が身体感覚の知覚を増強しうることを教示した。彼らは、50%の試験において触覚刺激と偽の WiFi 曝露を伴う手がかり曝露実験に2回参加した。2つのセッションは1週間の間隔をあけてスケジュールされた(セッション1: N = 65、セッション2: N = 63)。セッション1の前に、参加者は EMF(電磁界)が及ぼす健康への悪影響についての6分間の映画か、携帯電話の取引についての中立的な映画のどちらかを見た。IAcc は心拍検出パラダイムで評価した。皮膚電気活動は交感神経活性化の尺度に役立った。偽の WiFi 曝露中のノセボ効果(すなわち、自己申告による強度、嫌悪、皮膚電気活動の増加)のエビデンスが両セッションで観察された。IAcc は刺激強度に依存してノセボ効果を和らげた。以前の所見とは異なり、健康と関係した EMF と中性の映画の間に差は生じなかった。否定的な教示に基づいて、身体的知覚及び生理学的応答を変化させ得る。これは、IEI‐EMF がノセボ効果による可能性があるだろうという仮定と一致しており、心理学的な介入の重要な役割を示唆する。

注:拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 ii) 拙訳中の「内受容」に関連する「内受容感覚」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「皮膚電気活動」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「人狼プレイヤの皮膚電気活動の解析:情動変化を利用したソシオメータの実現へ向けて」の「2. 皮膚電気活動」項 iv) 拙訳中の「心理学的な介入」については次の論文を参照すると良いかもしれません。 論文要旨「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model[拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」(全文はここを参照して下さい)

(n) 論文(全文)「Electromagnetic hypersensitivity: a critical review of explanatory hypotheses[拙訳]電磁波過敏症:説明仮説の批判的レビュー」についての論評(commentary)のご紹介
・「Causal perception is central in electromagnetic hypersensitivity - a commentary on "Electromagnetic hypersensitivity: a critical review of explanatory hypotheses"[拙訳]因果的知覚は電磁波過敏症において中心である - "Electromagnetic hypersensitivity: a critical review of explanatory hypotheses" についての論評」(全文はここを参照して下さい)における記述の一部を次に引用します。

(前略)We agree with the author that the electromagnetic hypothesis (that EHS is caused by exposure to electromagnetic fields) appears scientifically largely unfounded and that other theoretical approaches focussing on psychological processes are more plausible and promising.(後略)


[拙訳]
電磁仮説(EHSは電磁場への曝露によって引き起こされる)は科学的にはほとんど根拠がないように思われ、そして心理学的過程に焦点を当てた他の理論的アプローチの方がより妥当で有望であるという著者(の見解)に同意する。

注:i) 拙訳中の「EHS」は「hypersensitivity towards electromagnetic fields:電磁場に対する過敏症」の略です。 ii) 拙訳中の「著者」とは標記論文(全文)の著者です。

(o) PubMed では検索できませんが、電磁波過敏症についての論文題目を示す次のWEBページがあります。 「論文題目: 電磁波敏感症患者健康狀態追蹤研究」 ただし、このWEBページの拙訳は次を除きありません。なお、このWEBページの「研究結果」における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『62.9%電磁波敏感症患者回報復原,其中86.4%的復原患者回報其為自發性復原,13.6%回報因搬家或職務調動而復原;60%的電磁波敏感症患者願意重新思考其不適症狀可能是由其他來源所導致;[拙訳]62.9%の電磁波過敏症の患者は回復を報告し、その中の86.4%の回復患者は自発的な回復を報告し、13.6%は引越しや転職での回復を報告し、60%の電磁波過敏症の患者は、その体の調子が悪い症状がひょっとすると他の根源に引き起こされているかもしれないと、再考したいと思う。』 ちなみに、 a) 拙訳はありませんが、上記「電磁波敏感症」についての次に紹介する他のWEBページもあります。 ①「電磁波敏感症(IEI-EMF):從全球的流行變化趨勢到個人的電磁場暴露」、②「電磁波敏感症之盛行率及其相關因素之探討」 b) 一方、拙訳はありませんが「MCS」に関連する記述「Recent research suggests that MCS perhaps is not as permanent a condition as previously thought [35,36]; Palmquist reported 44% of subjects with specific environmental intolerance (EI) recovering during a six-year follow-up.[拙訳]MCS はおそらく以前考えられていたほど永続的な状態ではないことを、最近の研究は示唆する[35,36]。Palmquistは特定の環境不耐症 (EI) を伴う被験者の44%が6年間のフォローアップ中に回復したことを報告した。」を有する論文(全文)は次を参照して下さい。 「Multiple Chemical Sensitivity in Patients Exposed to Moisture Damage at Work and in General Working-Age Population—The SAMDAW Study」の「1. Introduction」項 注:1) 上記文献番号「35」は次の論文です。 「Syndrome stability and psychological predictors of symptom severity in idiopathic environmental intolerance and somatoform disorders」 2) 上記文献番号「36」は次の論文です。 「Long-Term Follow-Up in Patients With Airway Chemical Intolerance」 3) 上記「Palmquist」の「報告」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Environmental intolerance: psychological risk and health factors」 加えて次のWEBページもあります。 「Coping and social support in environmental intolerance

一方、電磁波過敏症発症者のアンケート調査の結果も紹介する資料「電磁波過敏症発症者の現状:症状、電磁波発生源、経済的・社会的問題と予防原則」によると、以下に引用するように、 a) 回答者75人のうち、45.3%が病院でEHS(電磁波過敏症)と診断された[電磁波過敏症と診断する医者がいるようだ] b) 回答者の76%は、電磁波にも化学物質にも過敏性を持っていると思われる c) 回答者の33.3%がホメオパシーを利用していた となっています。

有効回答は75通で、女性が71人、男性は4人、平均年齢は51.2歳だった(中略)

病院でEHSだと診断されたのは45.3%で、49.3%は自己診断でEHSだと考えていた。また、EHSではないが電磁波には敏感だと思う、と答えた人は5.3%だった(中略)

一方、MCSと診断されたのは49.3%で、自己判断でMCSだと考えている人は26.7%、MCSではないが化学物質に敏感だと答えたのは14.7%、MCSではないと答えたのは9.3%だった。回答者の76%は、電磁波にも化学物質にも過敏性を持っていると思われる。(中略)

回答者のほとんど(72.0%)は、サプリメントの摂取(46.3%)や運動(38.9%)、入浴(35.2%)、食事療法(35.2%)、ホメオパシー(33.3%)など、何らかの補完代替療法(CAM:Complementary and Alternative Medicine)を利用していた。

注:引用中の「ホメオパシー」についてはここを参照して下さい。

さらに、このアンケートでは次に引用するように、経済的な不利益について記述されています。

5.経済的な不利益
回答者75人中、40人(53.3%)は発症前まで何らかの仕事を持っていたが、EHS発症後、その50%が仕事を失い、15%は労働時間が短くなったと答えた。影響を受けた人の業種は、会社員とパートタイマーが各23.1%、教育関係と医療関係が各19.2%だった。
有職者の65%が失業や労働時間短縮で経済的な困難に直面している一方、回答者の85.3%が電磁波を防ぐ対策を取り、経済的負担が発生していた。無線周波数電磁波を遮蔽するシールドクロスの購入が53.3%(対策実施者の合計で約600万円)、電磁波の少ない地域への転居や住宅の購入・新築が24.0%(約1億5100万円)、蛍光灯から白熱灯への買替えが30.7%(約73万円)電磁波の少ない家電への買替えが22.7%(約300万円)だった。対策の総費用は1億6800万円に達した。

目次に戻る

=====

余談

≪余談1≫「トータルボディロード」に対する批判について、その他

[注:標記「トータルボディロード」の説明については最大限に用心してお読み下さい。]William J Rea 医師(参照)が提唱していた、ストレッサー又は化学物質過敏症や MCS を引き起こす原因に関連する「トータルボディロード」[total body load、又は総負荷量、総身体負荷量](例えば資料「化学物質過敏症 -歴史,疫学と機序-」の「5) その他の仮説」項[P6]を参照、参照、その概略図は例えば資料「トピックス4. 皮膚科領域におけるアレルギーと環境因子 -化学物質過敏症への環境医学的アプローチとその皮膚症状について-」の「図1. 風呂桶モデル(トータル・ボディ・ロード)」[P1305]を参照)において、WEBページ「何を否定し、何を否定していないか」の「臨床環境医学とリンクしているさまざまな主張については、きわめて懐疑的です」項の記述に同意して、トータルボディロードについてはきわめて懐疑的であると考えます。以下に示すように科学的な根拠が充分では無い上に、そもそも分子生物学(又は生化学)が普及している中で、トータルボディロードの説明は化学物質を特定していない等、このレベルから程遠いものでもあると考えます。例えば上記図と論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous」(他の拙エントリのここを参照)の「Fig. 2 Sensory and cognition model of the interrelationships among stimulus factors, limbic system, cortices, symptoms, and responses.」[注:他の拙エントリのここにおける記述も考慮して、この図はストレス反応〔例えば参照〕についての説明の概略も含んでいると考えます。] 一方、「曝露や不耐に関する焦点から知覚に移行する」パラダイムシフトの提唱については※※を参照して下さい。

なお、上記科学的な根拠が充分では無いこととは特に矛盾しない標記「トータルボディロード」に対する批判として、マニュアル「相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.1. 疾病概念」項において、上記総身体負荷量についての次に引用(『 』内)する記述(P51)があります。 『いわゆる「化学物質過敏症」に関して、アレルギーぜん息&免疫学会、米国内科学会、米国カリフォルニア医学協会は既存の論文をレビューし、化学物質過敏症を中毒性の身体疾患とする考え、また極微量でも一定の量が体に進入し続けると身体反応を示すようになるいわゆる「総身体負荷量説」や免疫不全によって生じるという説についても、それらを支持する科学的論文はみつからなかった、とする意見表明を学術誌に掲載しています。』(注:文献番号の引用は省略しています) 加えて、資料『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』の「考察」項にも総身体負荷量についての次に引用(『 』内)する記述があります。 『IEI の源である米国においては,IEI を中毒性の身体疾患と考える Rea らの「Clinical ecology 臨床環境医学」に対する明確な批判があり,彼らが言う「総身体負荷量説」にかかわる免疫学の立場からも厳しい批判がある.』(注:a) 文献番号の引用は省略しています。 b) 引用中の「IEI」は上記特発性環境不耐症のことです。 c) 引用中の「Rea」は上記 William J Rea 医師のことです。) 一方引用はしませんが、ストレスの詳細については、丸井総一郎編の本、「ストレス学ハンドブック」(2015年発行)を参照すれば良いかもしれません。ただし、①「ポリヴェーガル理論」(例えば他の拙エントリのここの「最初に」を参照)や[ホメオスタシス〔生体恒常性、例えば資料「体内環境 - 生物基礎」を参照〕には同本の P25 で言及しているものの]②「アロスタシス」〔他の拙エントリのここの (xiii) 項を参照〕には言及していませんが。

一方、アレルギーの原因としての「トータルボディロード」(WEBページ「食物アレルギー(フードアレルギー)」の「アレルギーの原因」項を参照)に類似するかもしれない体に注がれるアレルゲンの量の視点からの「アレルギーコップ説」又は「アレルギーバケツ理論」は間違いである又は完全に否定されていることについて、大塚篤司著の本、「本当に良い医者と病院の見抜き方、教えます。 “患者の気持ちがわからない”お医者さんに当たらないために」(2020年発行)の 4章 自分を守るために必要な病の知識(免疫・アレルギー・がん) の「寄生虫に対する免疫応答の暴走」における記述の一部(P169~P171)を以下に引用します。

(前略)ところで、あなたは、もしかしたら「アレルギーのコップ」や「アレルギーのバケツ」という話を聞いたことがあるかもしれません。
人間の体をコップに見立てて、ダニやホコリなどのアレルゲンが注がれる水とする理論です。コップの水があふれるように、ある程度のアレルゲンが体の中に入ってくるとアレルギーを発症するのではないかとする考えを「アレルギーコップ説」とか「アレルギーバケツ理論」と呼ばれています。
しかし、これは間違いだと知っておきましょう。
体に注がれるアレルゲンの量が問題ではないことがすでにわかっています。
大事なのは、量ではなくどうやって体に入ってきたか。つまり侵入の経路です。
前述のように人間の体には、異物を体内に取り入れても問題が起きないシステムを備えています。
それは、食事です。
野菜や肉など、自分の体にはないものを口から取り込み、消化して栄養となってとりこまれます。
このときに、口から入ってくる物質をすべて敵とみなしてしまうと大変です。栄養失調で死んでしまいます。
そのため、口から入ってくる異物に関しては、毒がない限り免疫が応答しないシステムを持っています。これを難しい言葉で「経口免疫寛容」といいます。
では、皮膚から入ってくる異物はどうでしょうが?
人間は皮膚から入ってくる異物を栄養とすることはできません。皮膚にはバリアがあり、そこを突き破って入ってくるのはすべて敵です。
皮膚から入ってきた異物を敵として覚えることを経皮感作といいます。
本来、食事として口から入ってくるものが、間違って皮膚から入ってきてしまう場合はどうなるでしょうか?
2005年から2010年まで販売された「茶のしずく石鹸」には、小麦の成分である「グルパール19S」が含まれていました。石鹸は界面活性剤でもあり、皮膚の油を分解します。茶のしずく石鹸で皮膚のバリアは分解され、そこから小麦のアレルゲンが侵入した結果、多くの消費者が小麦アレルギーとなりました。
皮膚から小麦成分が入ってきてしまったため人間の免疫は小麦を敵とみなしました。その結果、食事として口から入ってきた小麦に対してアレルギーを起こしてしまったのです。
こういったことから、「アレルギーコップ説」は現在、完全に否定されており、アレルギーの予防のために、皮膚からのアレルゲン侵入を防ごうという啓蒙活動が進んでいます。
たとえば、アトピー素因がある赤ちゃんに生後からしっかり保湿をしてあげればアトピーは予防できるという研究論文も報告されています(J Allergy Clin Immunol. 2014 Oct; 134(4): 824-830.)。

保湿をしっかりすることで、アレルギー全般も予防できるのではないかという考えが広まり、多くの研究が進んでいるところです。

注:i) 引用中の「J Allergy Clin Immunol. 2014 Oct; 134(4): 824-830.」は次の論文です。 「Application of moisturizer to neonates prevents development of atopic dermatitis」 ii) 引用中の「経皮感作」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「グルパール19S」については次の資料を参照して下さい。 『「化粧品中のタンパク加水分解物の安全性に関する特別委員会」最終結果に関するプレスリリース

※:加えて、次のWEBページにおいて宮田幹夫院長による標記「トータルボディロード」の説明もあります。 「めまいや頭痛、香りが原因? 柔軟剤など苦手な人も(ページ2)」 ちなみに、MCS において標記「トータルボディロード」はセリエ(Selye H)のストレス学説をモデルとしていることについては次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症 ―歴史,疫学と機序―」の「5)その他の仮説」項(P6) 一方、『ハンス・セリエが,「ストレス学説」を発表したことから,多くは医学・生理学的な意味でストレスが用いられるようになり,現在では,精神的・肉体的に負担となるあらゆる環境刺激によって引き起こされる生物機能の変化(ストレス反応)を指すようになった』ことについては、次の資料を参照して下さい。 「ストレスコーピング ―自分でできるストレスマネジメント―」の「1. ストレスとは」項 ちなみに、上記「トータルボディロード」と(上記「ストレス学ハンドブック」をはじめとした)「ストレス反応」とは明確に異なると考えます。

※※:一方、論文(全文)『"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena[拙訳]「環境要因に関連する症状」(SAEF)–「特発性環境不耐性」及び関連する現象に関するパラダイムシフトに向けて』(他の拙エントリのここを参照)の「Highlights」において次に引用(『 』内)する記述があります。 『Evidence points to a shift from focus on exposure and intolerance to perception.[拙訳]曝露や不耐に関する焦点から知覚に移行することをエビデンスは指し示す。』 ちなみに、上記「論文(全文)」(他の拙エントリのここを参照)のタイトルは「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」であり、上記「知覚」が考慮されていると本エントリ作者は考えます。

目次に戻る

≪余談2≫多種類の化学物質に対する感受性の個人差について

化学物質の違いによって発症機構がすべて異なることを含む標記個人差について、日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)の Ⅱ.診断の手順 の 6.化学物質過敏症との相違 の「3)個人差要因に関する考え方」項における記述(P48)を次に引用します。

3)個人差要因に関する考え方
前述したように,化学物質過敏症は,一般的な中毒の概念では説明できないような微量な化学物質曝露によって生じることから,同一環境においてすべての住人に発症することは稀である.あらゆる疾患は,遺伝要因と環境要因の相互作用で発症すると考えられているが,本症も化学物質曝露という環境因子がその発症に大きく関わっていることは間違いないが,その化学物質に対する感受性には,当然個人差が存在する.飲酒に強い弱いがあるのは,アルコールに対する遺伝的感受性が個々で異なるからであり,「感受性の違い」「異物代謝機能の違い」を決定づける要因の1つとして,本症発症に関する「疾患感受性遺伝子の検索」は重要な研究対象である.本邦においてもこれまでに複数の異物代謝酵素系(薬物代謝酵素)の遺伝子多型と本症発症との関連性の有無について調べられているが,グルタチオンーS-トランスフェラーゼ(GST)や神経障害標的エステラーゼ(NTE)の遺伝子多型と本症との関連性について研究がなされている.化学物質過敏症の発症機構の解明に関して,遺伝学的解析が鍵になることを示唆する研究報告であるが,仮に異物代謝酵素系の遺伝子多型が本症と深く関わるとするならば,個々の化合物の違いによってその発症機構がすべて違うということも意味しており,今後の大きな課題である.

注:(i) この引用部の執筆者は坂部貢です。 (ii) ちなみに、a) MCS の potential case と control の genotype(遺伝子型) を比較した論文を次に紹介します。 「Case-control study of genotypes in multiple chemical sensitivity: CYP2D6, NAT1, NAT2, PON1, PON2 and MTHFR.」(全文はここを参照して下さい) b) 日本人の化学過敏集団を対象とした遺伝子型分析についての論文については、エントリ「何かで何かが起きる(つづき) - 忘却からの帰還の最下位部」を参照して下さい。 c) 地球上には2000万種をはるかに超える化学物質があるとの説はここを参照して下さい。 (iii) 加えて、引用はしませんが、日本人におけるシックハウス症候群と NTE の関連についての論文を次に紹介します。 「Association of sick building syndrome with neuropathy target esterase (NTE) activity in Japanese.」  一方、NTE の活性について、次の資料「シックハウス症候群感受性候補遺伝子の機能解明と疾患モデル動物開発」の「1. 研究開始当初の背景」項における記述の一部を次に引用します。

研究代表者らは有機リン等の被爆が主原因とされるシックハウス症候群の患者単球において、Neuropathy Target Esterase(以下NTE)の活性が健常者に比べて高いことを 2013年に報告した。一方、NTEに有機リンが結合し、NTEとの複合体が形成された後に、そのアルキル基が離脱すると遅延性の OPIDN(organphosphate-induced delayed neuropathy)を引き起こすとも言われていたが、まだその詳細は明らかでなかった。(後略)

注:i) 引用中の「Neuropathy Target Esterase」及び「OPIDN」については、それぞれ次の資料を参照して下さい。 「Neuropathy target esterase(神経障害標的エステラーゼ) 遺伝子導入マウスの作製」 ii) ちなみに、資料「有機リン剤」には、一部の有機リン剤中毒の症状として認められている難治性の遅発性末梢神経障害に関する記述があります。その一方で、次の資料もあります。 「成人の有機リンへの低レベル暴露による長期神経学的、神経心理学的、精神医学的影響についての声明(P8)

目次に戻る

≪余談3≫多種化学物質過敏状態(Multiple Chemical Sensitivity:MCS)において、神経生理学の対象でもある心拍変動(Heart Rate Variability:HRV)についても研究した結果を示す論文(全文)のご紹介、その他

標記論文(全文)は「In-situ Real-Time Monitoring of Volatile Organic Compound Exposure and Heart Rate Variability for Patients with Multiple Chemical Sensitivity[拙訳]MCS を伴う患者の揮発性有機化合物曝露及び心拍変動のその場リアルタイムモニタリング」です。加えて拙ブログ作者が興味を持った論文(本文)における二つの事項について以下に紹介します。ちなみに、 a) 標記に関連する研究成果報告例は次を参照して下さい。 『「化学物質過敏症」を訴える集団における微量化学物質影響のリアルタイムモニタリング』 加えて、上記研究に先立つリアルタイムモニタリングの研究成果報告例、この研究についての資料は次を参照して下さい。 「化学物質過敏症患者の日常生活における化学物質曝露と健康影響に関する研究」、「個人被曝量の計測」 b) バイオフィードバックの視点からの上記「心拍変動」については例えば次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRV の主要な成分」項(P81)、加えて拙訳はありませんが、神経生理学も関連する慢性 PTSD に対する HRV バイオフィードバックについての資料(全文)は次を参照して下さい。 「Healing the Neurophysiological Roots of Trauma: A Controlled Study Examining LORETA Z-Score Neurofeedback and HRV Biofeedback for Chronic PTSD」 ただし、本資料は PubMed では検索できません。 c) 化学物質不耐症(chemical intolerance)において「さらなる神経生理学的な研究が必要」なことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 標記「HRV」はアロスタティックロード(他の拙エントリのここを参照)の評価に導入されるべきであると主張する論文(全文)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 e) 標記「HRV」に関する「低HRV」と「不安」、「パニック症」、「てんかん(癲癇)」、「統合失調症」、「パーソナリティ障害」や「ADHD」との関連については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Is Low Heart Rate Variability Associated with Emotional Dysregulation, Psychopathological Dimensions, and Prefrontal Dysfunctions? An Integrative View」の「5. Conclusions」項

[A] 上記本文の「2.4. HRV Analysis」項において、心拍変動の分析(HRV Analysis)について文献番号[20]で参照しているガイドラインHeart rate variability[拙訳]心拍変動」があります。このガイドラインの「Physiological correlates of HRV component」項における記述の一部(P365)を次に引用(『 』)します。 『Under resting conditions, vagal tone prevails[71] and variations in heart period are largely dependent on vagal modulation[72]. The vagal and sympathetic activity constantly interact. As the sinus node is rich in acetylcholinesterase, the effect of any vagal impulse is brief because the acetylcholine is rapidly hydrolysed. Parasympathetic influences exceed sympathetic effects probably via two independent mechanisms: a cholinergically induced reduction of norepinephrine released in response to sympathetic activity, and a cholinergic attenuation of the response to a adrenergic stimulus.[拙訳]安静条件下では、迷走神経の緊張が優勢であり[71]、心臓周期における変動は迷走神経の調節に大きく依存する[72]。迷走神経と交感神経の活動は常に相互作用する。洞結節にはアセチルコリンエステラーゼが豊富に存在するため、アセチルコリンは速やかに加水分解されるので、迷走神経刺激の効果は短い。副交感神経系の影響は、おそらく2つの独立したメカニズムを介して、交感神経系の影響を超える。すなわち、交感神経系の活動に応答して放出されるノルエピネフリンの減少のコリン作動性による引き起こし、そしてアドレナリン刺激への応答のコリン作動性の減弱である。』 (注:拙訳中の「迷走神経」は腹側迷走神経複合体の一部であると考えます。ちなみに、拙訳中の「副交感神経系の影響は(中略)交感神経系の影響を超える」ことに関連するかもしれない「迷走神経ブレーキ」については上記「腹側迷走神経複合体」を含めて次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 ちなみに、上記ポリヴェーガル理論については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。) 加えて、タイトル以外は拙訳はありませんが上記「heart rate variability」を含む Table 3 を有する論文(全文)「An idiographic approach to Idiopathic Environmental Intolerance attributed to Electromagnetic Fields (IEI-EMF) Part II. Ecological momentary assessment of three individuals with severe IEI-EMF[拙訳]電磁場に起因する特発性環境不耐性(IEI‐EMF)パートII に対する個別的アプローチ。重症 IEI‐EMF を伴う3名それぞれの生態学的瞬間評価」があります。

[B] 上記本文の「4.4. Case Studies」項において、各被験者に対する予防策についての記述があり、これを次に引用(『 』)します。 『Moreover, from this information, preventive measures were proposed for each subject. There is no common MCS treatment protocol accepted across medical disciplines. Gibson et al. surveyed perceived treatment efficacy for conventional and alternative therapies reported by a person with MCS. As a result, participants rated chemical avoidance, creating a chemical-free living space, and prayer as the three most useful interventions [25]. On the other hand, cognitive therapy, such as mindfulness, are being explored as treatment option for MCS [26,27].[拙訳]さらに、この情報から、各被験者に対する予防策が提案された。医療分野を超えて受け入れられる一般的な MCS 治療プロトコルはない。Gibsonらは、MCS を伴う人から報告された従来療法及び代替療法に対する治療効果の認識を調査した。その結果、参加者は化学物質の回避、ケミカルフリーな生活空間の創出、及び祈りの3つを最も有用な介入法として評価した[25]。一方、マインドフルネス等の認知療法は、MCS の治療選択肢として探求されている[26,27]。』(注:i) 引用中の文献番号「[25]」は次の論文です。 「Perceived treatment efficacy for conventional and alternative therapies reported by persons with multiple chemical sensitivity.」 ちなみに、この論文を紹介する日本語のエントリ『メモ「自己申告ベースのMCSに効く治療法」』があります。 ii) 引用中の文献番号「26」は次の論文です。 「A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.」 ただし、上記「mindfulness-based stress reduction」(マインドフルネスストレス低減法[例えば参照])は認知療法には含まれないと考えます。 iii) 引用中の文献番号「27」は次の論文です。 「Mindfulness-based cognitive therapy for multiple chemical sensitivity: a study protocol for a randomized controlled trial.」 ちなみに、この論文の続きに相当する論文についての簡単な紹介は他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。)

目次に戻る

≪余談4≫受動喫煙と肺がんとの関連との発表について

2016年8月31日に国立がんセンターから次の発表がありました。「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約 1.3 倍」 この発表によると、日本人の非喫煙者を対象とした受動喫煙と肺がんとの関連について、複数の論文を統合、解析するメタアナリシス研究*20の結果を公表するもので、受動喫煙のある人はない人に比べて肺がんになるリスクが約 1.3 倍になるとのこと。

この発表に対し、JT が次に示すコメントを出しました。「受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対する JT コメント」 一方、このコメントに対し、国立がんセンターからは次の応答がありました。「受動喫煙と肺がんに関する JT コメントへの見解」 ちなみに、上記発表WEBページから次の資料がリンクされています。「受動喫煙と肺がんとの関連についてのシステマティック・レビューおよびメタアナリシス」 このファイルにおいて、(日本人を対象とした受動喫煙と肺がんの関連の)システマティック・レビューおよびメタアナリシスについて説明されています。この中の、参考1(P15)で、メタアナリシス/システマティック・レビューの証拠(エビデンス)レベルが示されています。

このやりとりはネット上で大炎上、もとい注目を集めました(例:はてブtogetter)。本エントリ作者には、JT のコメントが、メタアナリシスを理解しないまま作成・発表*21され、国立がんセンターに論破されたように見えます。ちなみに、本エントリのこの項の追加・公開時においては、国立がんセンターからの応答(反論)に対する JT の再反論は、本エントリ作者は見つけることができませんでした。

このような経緯について、中室牧子、津川友介著の本、『「原因と結果」の経済学』(2017年発行)の『COLUMN 2 複数の研究をまとめる「メタアナリシス」』における記述の一部(P075~P076)を次に引用します。

(前略)近年メタアナリシスが注目を集めた例に、国立がん研究センター日本たばこ産業(JT)との対立がある。
世界的にはすでに、受動喫煙が肺がんのリスクを上げるのは確実であると証明されている。そのため、欧米諸国では、公共施設やレストランなどの屋内は法律により完全禁煙となっている。しかし、日本人のデータを用いた研究では、受動喫煙と肺がんの因果関係についてまだ結論が出ていなかった。日本人を対象とした研究はすでにいくつか報告されていたものの、研究の対象になった人の数が少なかったせいで、統計的に有意な結果が得られていなかったのである。
そこで、2016年8月に国立がん研究センターの研究者チームが、国内のデータを用いて行われた9つの観察研究をまとめたメタアナリシスを発表した。これによって、日本人でも受動喫煙によって肺がんのリスクが1.3倍上昇するということが示唆された。これを受け、国立がん研究センターは、たばこを吸わない日本人が受動喫煙によって肺がんになるリスクが上昇するのは確実であると証明できたので、屋内での喫煙を全面的に禁止し、海外のように受動喫煙防止策を実施する必要があることを訴えた。
ところが、この結論にかみついたのが日本のたばこ産業を代表するJTである。国立がん研究センターがメタアナリシスの結果を発表したその日に、社長名で反論コメントを発表した。9つの研究は「研究時期や条件も異なり、いずれの研究においても統計学的に有意ではない結果を統合したもの」であり、メタアナリシスの結果に基づいて「受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づげることは、困難である」と主張した。
しかし、国立がん研究センターの研究者たちは、ただちにこれに再反論し、「受動喫煙の害を軽く考える結論に至っている」とJTのコメントを批判した。そして、9つの研究は結論ありきでえり好みしたのではなく、日本人のデータを用いた論文のうち、因果関係を示唆するすべての論文を、科学的に確立された手続きに従ってまとめたものであると主張した。受動喫煙はJTが述べるような「迷惑」や「気くばり」といった問題ではなく、「科学的根拠に基づく健康被害の問題である」とJTの主張をエビデンスをもとに一刀両断したのである。その結果、受動喫煙が肺がんのリスクを上げるということが広く認知されることとなった。

上記とは別に、このエビデンスレベルの高いメタアナリシス研究を持ち出して、日本人において、受動喫煙により肺がんになるリスクが高くなることを主張する人は、同様にエビデンスレベルの高いシステマティック・レビューにより疾患概念「MCS」の存在が否定されていること[(2)項参照]の主張を受け入れるしかないのでは*22と本エントリ作者は考えます。換言すると、前者を主張する人で、合理的な根拠なしに、後者の主張を頑として受け入れない人はいないことを本エントリ作者は期待しています*23

目次に戻る

≪余談5≫政策の効果とは因果効果でなければならないことについて

標記について、田中隆一著の本、「計量経済学の第一歩 実証分析のススメ」(2015年発行)の CHRPTER1 なぜ計量経済学が必要なのか の『1 政策の「効果」とは』における記述の一部(P2~P4)を次に引用します。

(前略)いま,政策の「効果」という言葉が出てきました。ここで言う政策の効果とは,「この政策によって引き起こされた結果」という因果関係としての効果を意味しています。政策の効果を計測するためには,それぞれの政策が因果の意味で引き起こす結果をできるだけ正確に把握することが必要になってきます。たとえば,習熟度別少人数指導を導入することの効果は,それによって算数のテストの点数が引き上げられたときにはじめて「効果あり」と言えます。逆に政策が直接引き起こした結果ではなく,たまたま起きる変化や,別の原因によって変化が起きている場合には因果関係としての効果とは言えません。(中略)

この因果効果を計測することの重要性について理解するために,別の例として「朝ご飯と成績の関係」について少し考えてみましょう。文部科学省が小学校6年生と中学校3年生を対象に毎年行っている「全国学力・学習状況調査」では算数(数学)と国語のテストとともに,いくつかのアンケート調査を実施しています。そのアンケートの調査項目の1つとして,「朝食を毎日食べてい」るかどうかを問う質問があります。この質問の意図の1つは,朝ご飯をしっかりと摂ることは学力の向上に対して効果があるのかどうかを知りたいというものがあるのではないかと思われます。
実際にこのアンケート調査の結果とテストの点数とをつきあわせてみると,「朝ご飯を毎日食べている生徒はテストの点数が高い」ということがわかります(冒頭の新聞記事参照)。さて,このことから,「朝ご飯を食べると学力を伸ばすことができる」として,「学力向上のための朝給食」という政策を支持することができるでしょうか。
「朝ご飯を毎日食べている生徒はテストの点数が高い」というのは,朝ご飯を毎日食べている生徒のほうが そうでない生徒に比べてテストの点数が高い「傾向」があるということを意味しているにすぎません。たとえば,毎日朝ご飯を食べている生徒の家庭では,親が朝ご飯だけではなく子どもの勉強の面倒を見ていたり,塾に通わせていたりするといった子どもへの関心の高い家庭であり,それが傾向的に高いテストの点数として表れているのかもしれません。もし朝ご飯を毎日食べているということが こういった家庭環境の違いを反映しているにすぎず,この家庭環境の違いこそがテストの点数の違いの本当の原因であったとするのであれば,いままで朝ご飯を食べていなかった子どもに給食で朝ご飯を食べさせたとしても,家庭環境が変わらない限りテストの点数は以前と変わらないことになります。このような「傾向」としての関係は因果関係とは区別して相関関係とよばれるものですが,相関関係は必ずしも政策の効果を表しているとは限りません。政策の効果とは,因果効果でなければならないのです。(後略)

注:i) 引用中の「冒頭の新聞記事」の引用は省略しています。 ii) 上記引用に関連する次に示すWEBページは、計量経済学の視点からはいかがなものかと本エントリ作者は考えます。 『「朝食メニューと成績」の意外に密接な関係』 iii) 一方、「エビデンスに基づく政策形成」とは何かについては次の資料を参照して下さい。 『「エビデンスに基づく政策形成」とは何か』 加えて、『「エビデンス」と「評価」はなぜ政策現場で疎んじられるのか?』については次の資料を参照して下さい。 『「エビデンス」と「評価」はなぜ政策現場で疎んじられるのか?』 その上に、次の資料もあります。 「EBPM(エビデンスに基づく政策立案)に関する有識者との意見交換会報告(議論の整理と課題等)」 iv) また、引用中の「因果関係とは区別して相関関係とよばれる」に関連する『「相関関係」と「因果関係」の違いを理解すれば根拠のない通説にだまされなくなる』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「相関関係」と「因果関係」の違いを理解すれば根拠のない通説にだまされなくなる!』 加えて、上記『「相関関係」と「因果関係」』に関連する次のWEBページもあります。 「相関関係と因果関係の違いを知ろう」、「相関関係と因果関係」、『騙されやすい人は「相関と因果」をわかってない 科学的思考を身につけることの重要な意義』 その上に、「因果関係と相関関係は違う」ことについて、村松むつみ著の本、『「エビデンス」の落とし穴』(2021年発行)の 第4章 あやしい健康常識はこうして生まれる の 3 あやしい健康情報のテンプレート 「○○すると△△になる」 の「◆因果関係と相関関係は違う」における記述の一部(P163~P164)を次に引用します。

また、「○○すると△△になる」ようにみえることでも、じつは相関関係(=何らかの関連性)があるだけで、因果関係(=原因と結果の関係)ではないことがあります。
たとえば、「コーヒーをたくさん飲む人は肺がんになりやすい」という調査結果があります(67)。しかし、これだけではコーヒーが原因で肺がんになるのかどうかはわかりません。同時に、「コーヒーをたくさん飲む人は喫煙本数も多い」「喫煙者は、タバコを吸うために、喫煙可の喫茶店に行き、長居する傾向がある」という事実があれば、どうでしょうか。
「タバコは肺がんの原因になるが、コーヒーと肺がんの関係に、タバコが関連している可能性がある」とも考えられると思います。ここで言う「タバコ」にあたるものは、「交絡因子」と呼ばれます。
いずれにしても、明らかに関連がある場合を除いて、推測で関連づけをしてしまうのはお勧めできません。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(67)」は次の論文です。 「Coffee Consumption and Lung Cancer Risk: The Japan Public Health Center-Based Prospective Study」 ii) 引用中の「交絡因子」については例えば次の資料を参照して下さい。 「交絡因子を考える」 iii) 引用中の「○○すると△△になる」に関連する「前後関係」と「因果関係」は同じではない、すなわち「Aの後でBが起きたとしても、AがBの原因であるとは限らない」ことについては「前後即因果の誤謬」を含めて次のWEBページを参照して下さい。 「新型コロナワクチンで死亡例? 誤った情報をうのみにしないで

目次に戻る

≪余談6≫ネットにおけるエコーチェンバー、フィルターバブル、そしてフェイク・ニュースについて、その他

*24
最初に前者のエコーチェンバーについて、Facebook 等のソーシャル・ネットワーキング・サービスを対象とした複数の論文要旨、資料、WEBページ等を以下に紹介します。次に、 i) 標記「エコーチェンバー」については次のWEBページを参照して下さい。 「『ソーシャルメディア時代の科学と社会』(第1部) 2017年度所内セミナー開催報告」の「他者に対する寛容さが失われている」項、「 新型コロナワクチン “不妊デマ”はなぜ拡散し続けるのか?」の特に「2つに分断されたアカウント群 異なる意見入りづらく」項 加えて、標記「エコーチェンバー」はもちろん「フィルターバブル」についても次のWEBページや資料を参照して下さい。 「第1部 特集 進化するデジタル経済とその先にあるSociety 5.0」、「情報とどう付き合う? ネット社会をよりよくするためのこれからのコミュニケーション講座」、「ウェブの功罪」の「2. ウェブで進化する偽ニュース」項 その上に、ネットにおけるエコーチェンバーに関連する研究レポート例は次を参照して下さい。 「結びつくことの予期せざる罠 -ネットは世論を分断するのか?-」 ii) 一方、ツイッターを対象とした論文要旨の紹介はここを参照して下さい。さらに、「福島第一原子力発電所事故後の半年間における、放射線に関するTwitter利用とインフルエンサーネットワークの可視化についての分析調査」については次の資料を参照して下さい。 「福島第一原子力発電所事故後の半年間における、放射線に関するTwitter利用とインフルエンサーネットワークの可視化についての分析調査報告書、日本語版の御案内」(注:この資料に対応する論文要旨はここを参照して下さい) iii) これら以外にも、『「エコーチェンバー」という、自分の好ましい情報だけに囲まれる情報環境の中で生活する現代人』や(「エコーチェンバー」が)「リスクコミュニケーションを妨げている問題の本質」であることについて、福田充著の本、「リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える」(2022年発行)の 第5章 危機におけるインフォデミック の「閉じていくネットワーク」における記述の一部(P141)を次に引用(【 】内)します。 【「エコーチェンバー」という、自分の好ましい情報だけに囲まれる情報環境の中で生活する現代人。その中で集団極性化が発生するのと同時に、「フィルターバブル」が極端化してバブル同士を分断するのが、現代のネットにおける分断社会である。また、マスメディアだけでは、若者、SNSユーザーには伝わらず、さらにSNSで情報発信してもエコーチェンバーで反響するだけでそのチェンバーやバブルの外には拡散しないというジレンマがある。そしてそれはリスクコミュニケーションを妨げている問題の本質となっている。】 iv) 陰謀論と確証バイアスの関連については、次のWEBページを参照して下さい。 「陰謀論を増幅 ネットの共鳴箱効果」 v) 「エコーチェンバー現象の恐ろしさ」についての note「エコーチェンバー現象の恐ろしさ 」や『誤情報が増幅される「エコーチャンバー現象」に注意』についての次のWEBページもあります。 『今日もコロナのデマをラインで…家族が誤情報を信じてしまう「3つの心理」(ページ2)』の『SNSで誤情報が増幅される「エコーチャンバー現象」に注意』項 vi) 標記「エコーチェンバー」にも関連するフェイクニュースについてはここを参照して下さい。

①論文(全文)「The spreading of misinformation online[拙訳]オンラインでの誤報の拡散」(注:PubMed 要旨はここを参照して下さい) この論文(全文)の「Significance」及び「Abstract」における記述を次に引用します。

Significance
The wide availability of user-provided content in online social media facilitates the aggregation of people around common interests, worldviews, and narratives. However, the World Wide Web is a fruitful environment for the massive diffusion of unverified rumors. In this work, using a massive quantitative analysis of Facebook, we show that information related to distinct narratives––conspiracy theories and scientific news––generates homogeneous and polarized communities (i.e., echo chambers) having similar information consumption patterns. Then, we derive a data-driven percolation model of rumor spreading that demonstrates that homogeneity and polarization are the main determinants for predicting cascades' size.

Abstract
The wide availability of user-provided content in online social media facilitates the aggregation of people around common interests, worldviews, and narratives. However, the World Wide Web (WWW) also allows for the rapid dissemination of unsubstantiated rumors and conspiracy theories that often elicit rapid, large, but naive social responses such as the recent case of Jade Helm 15––where a simple military exercise turned out to be perceived as the beginning of a new civil war in the United States. In this work, we address the determinants governing misinformation spreading through a thorough quantitative analysis. In particular, we focus on how Facebook users consume information related to two distinct narratives: scientific and conspiracy news. We find that, although consumers of scientific and conspiracy stories present similar consumption patterns with respect to content, cascade dynamics differ. Selective exposure to content is the primary driver of content diffusion and generates the formation of homogeneous clusters, i.e., "echo chambers." Indeed, homogeneity appears to be the primary driver for the diffusion of contents and each echo chamber has its own cascade dynamics. Finally, we introduce a data-driven percolation model mimicking rumor spreading and we show that homogeneity and polarization are the main determinants for predicting cascades' size.


[拙訳]
意義
オンラインソーシャルメディアにおけるユーザー提供コンテンツの幅広い利用可能性は、共通の関心事、世界観及びナラティブに基づいた人々の集約を促進する。しかしながら、World Wide Web は未確認の噂の大規模な拡散のために有効な環境である。この研究では、Facebook の膨大な量的分析を使用して、別のナラティブ-陰謀説や科学ニュース-に関連する情報が、同様の情報消費パターンを持つ均質で分極化したコミュニティ(エコーチェンバー[共鳴室])を生成することを示す。それから、均質と分極がカスケードサイズを予測するための主要な決定要因であることを実証する噂の広がりのデータ駆動パーコレーションモデルを引き出す。

要旨
オンラインソーシャルメディアにおけるユーザー提供コンテンツの幅広い利用可能性は、共通の関心事、世界観及びナラティブに基づいた人々の集約を促進する。しかしながら、World Wide Web(WWW)はまた、アメリカにおいて最近、単なる軍事的訓練が新しい内戦の開始として知覚されたと判明した Jade Helm 15 のケース等、しばしば急速で大規模であるが、信じやすい社会的反応を誘発する根拠のない噂や陰謀説を急速に普及させる。本研究では、徹底的な定量分析を通して誤情報の拡散を支配する決定要因を我々は取扱う。特に我々は、Facebook のユーザーが科学と陰謀のニュースという2つの異なるナラティブに関する情報をどのように消費するかに焦点をあてる。科学と陰謀の話の消費者はコンテンツに関して類似の消費パターンを示しているが、カスケードダイナミックスは異なることを我々は見出した。コンテンツに対する選択的な曝露は、コンテンツ拡散の主要なドライバー(追い立てるもの)であり、均一なクラスター、すなわち「エコーチェンバー」の形成を生じる。実際、均質性は内容物の拡散の主要な要因であると思えて、各エコーチェンバーはそれ自身のカスケードダイナミックスを有する。最後に、我々は噂の拡散を模倣したデータ駆動パーコレーションモデルを紹介し、カスケードサイズを予測するための均質性と分極が主な決定要因であることを示す。

注:(i) 引用中の「パーコレーションモデル」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「パーコレーション理論を用いた市街地の防災性評価」 (ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (iii) 引用中の「ナラティブ」に該当する「ナラティヴ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「分極」をもたらす一要因かもしれない行動経済学の視点からの「人の判断は非合理的」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「[第1回]意思決定とは? 合理性を前提とした医療の限界 - 行動経済学×医療」の「人の判断は非合理的」項 加えて、仮説における「確証バイアス」について、三宮真智子著の本、「メタ認知で〈学ぶ力〉を高める 認知心理学が解き明かす効果的学習法」(2018年発行)の 第2部 メタ認知的知識を学習と教育に活かす の Section 3 思考・判断・問題解決編 の「仮説は修正されにくい」における記述(P113)を以下に引用します。この引用のすぐ下のに上記「確証バイアス」についてのWEBページ、資料が紹介されています。その上に、「人は見たいように見る」ことの視点からの「確証バイアス」について、笹原和俊著の本、「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ」(2018年発行)の 第2章 見たいものだけ見る私たち の「見たいように見る」における記述の一部(P54)を以下に引用します。また上記「見たいように見る」ことに関連する「信じたいものだけを受け入れる」については次のWEBページを参照して下さい。 「なぜ急速に拡散する? フェイクニュースの科学」の「信じたいものだけを受け入れる」項 さらに、ニセ科学批判の視点からを含む「確証バイアス」について、 a) (避けなければならない)「確証バイアス × エコーチェンバー効果の泥沼」については次のWEBページを参照して下さい。 『「その情報、ソースはどこから?」医学・健康情報の階層を考える』の「確証バイアスとエコーチェンバー効果」項 b) 上記「確証バイアス」に関連するかもしれないツイートがあります。 c) 菊池聡著の本、「なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生みだすニセの科学」(2012年発行)の 第4章 科学的という「錯覚」 の『体験が強化する「思い込み」――確証バイアス』及び「自説に都合のよいデータを確証的に集める」における記述の一部(P88~P91)を以下に引用します。 d) 佐巻健男著の本、「暮らしのなかのニセ科学」(2017年発行)の 第1章 ニセ科学をなぜ信じてしまうのか の「確証バイアス」における記述の一部(P31~P32)を以下に引用します。 e) 一方、不協和な状態を低減または除去させるための自分の他の信念を確証できる証拠を集めることを含む認知的不協和及びリフレクティブ思考について、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第1章 はじめに-振動する脳のネットワーク の Key Word の「認知的不協和」における記述(P26)を以下に引用します。また、上記「確証バイアス」以外にも、エビデンスの不確かな情報を信じてしまう原因としての「ウィンザー効果」と「ハロー効果」について、共に村松むつみ著の本、『「エビデンス」の落とし穴』(2021年発行)の 第4章 あやしい健康常識はこうして生まれる の「◆ウインザー効果とハロー効果」における連続する記述の一部(P150~P151)を以下に引用します。

私たちが何か仮説を立てると,その仮説に合う事実にばかり目が向きがちになります。たとえば,「モーツァルトの音楽を聴くと学習意欲が高まる」という仮説を立てたとします。すると,モーツァルトの音楽を聴いて学習意欲が高まった事例が目につきやすくなります。一方で,モーツァルトの音楽を聴いていても学習意欲が高まらなかった事例には目が向きにくくなります。
迷信や言い伝えを信じてしまう背景にも似たようなところがありますが,最もわかりやすいのは,占いではないでしょうか。「乙女座のあなたには,今日よいことが起こるでしょう」という占いを見てから出かけると,「やっぱり当たっていた!」と感じることが多いはずです。それは,「乙女座の私には,今日,何かいいことが起こる」と期待している(仮説をもっている)ために,そのような期待(仮説)がなければ見過ごしてしまうような些細な出来事にも注意を向けるためです。つまり,注意の向け方に偏りが生じるわけです。
このように,私たちは通常,予想・期待に合致する出来事に目が向きやすくなります。仮説や予想を支持する情報(出来事)に目が向きやすく,仮説や予想に反する情報には目が向きにくいという私たちの認知傾向を,確証バイアス(confirmation bias)と呼びます(Wason, 1960)。仮説を検証する場合には,自分の判断に確証バイアスがかかっていないかを問い直すことが必要です。
この現象は,「自分の立てた仮説を支持したい」「自分の仮説に合わないことは無視しよう」といった意志によって起こるわけではありません。そうした作為がなくとも生じるものなのです。

注:i) 引用中の「Wason, 1960」は次の論文です。 「On the failure to eliminate hypotheses in a conceptual task.」 ii) 引用中の「確証バイアス」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「確証バイアス」、『医療に関する情報検索の落とし穴 「確証バイアス」に陥らないために - 教えて!けいゆう先生』、「心の不思議 誤信?思い込み?」、「意思決定での勘や経験の落とし穴」の「確証バイアス」項 加えて、上記「確証バイアス」を心理学的実験から解説したWEBページは次を参照して下さい。 「【確証バイアスとは】意味・例を心理学的実験からわかりやすく解説」 iii) 引用中の「私たちは通常,予想・期待に合致する出来事に目が向きやすくなります」に関連するかもしれない「色眼鏡」(で見ない)については次のWEBページを参照して下さい。 「心の不思議 誤信?思い込み?」、「研究者に必要な資質は何? ノーベル賞の山中・赤﨑両教授が学生の質問に回答」の「色眼鏡を外して、透明な目で真実を見れるかどうか」項

見たいように見る
「人は見たいように見る」というのは、古代ローマの軍人・政治家のユリウス・カエサルの言葉で、これは人間の認知バイアスの特徴を端的に表現しています。自分の意見や価値観に一致する情報ばかりを集め、それらに反する情報を無視する傾向を「確証バイアス(Confirmaton Bias)」と言います。簡単に言うと、「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ということです。(後略)

注:(i) 引用中の「認知バイアス」についてはここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「見たいものを見て、信じたいものを信じる」とは逆かもしれない「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「見たいものを見て、信じたいものを信じる」に関連する「人はもともと、信じたいものだけを信じる傾向がある」ことについて引用中の「確証バイアス」を含めて、村松むつみ著の本、『「エビデンス」の落とし穴』(2021年発行)の 第4章 あやしい健康常識はこうして生まれる の「◆確証バイアス~人は信じたいものだけを信じる」における連続する記述の一部(P149)を三分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【人はもともと、信じたいものだけを信じる傾向があります。ある信念を信じると、それを補強するような証拠ばかりを集めてしまいます。】、【自分の考えを支持する情報を集め、相反する情報は、無視してしまう。これを「確証バイアス」と言います。】、【これは、情報を受け取る一般の人々だけではなく、医療の専門家や、研究者でも起こりうる心理的な偏りです。】(注:上記「人は信じたいものだけを信じる」ことに類似する「人は信じたいものを信じる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『医療に関する情報検索の落とし穴 「確証バイアス」に陥らないために』の「◆人は信じたいものを信じる」項) (iv) 一方、上記「見たいものを見て、信じたいものを信じる」に関連する、 a) 「自分の見たいようにしか情報を見れない」ことについては YouTube第26回慢性痛講座 恐怖回避思考」の 7:34~を参照して下さい。 b) 加えて、「人は信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない」ことについてのツイート(その1その2)や、そして「ひとつの観念にとらわれて、それを真実と思いこんだら、真実を知るチャンスを失う」ことについてのツイートが それぞれあります。 c) その上に、「私たちは皆、自分の信念を支持するものごとを好み、それに反するものごとを嫌う」こと、「反証があるにもかかわらず、その人をして何かを信じさせ続ける」ことや「感情的現実主義に歯止めをかけないと、考え方が独善的で柔軟性のないものになる」ことを含む「感情的現実主義」について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第13章 脳から心へ――新たなフロンティア」における記述の一部(P466~P467)を次に引用します。

(前略)感情的現実主義――自分が信じているものを実際に経験するという現象――は、脳の配線のゆえ必然的に生じる。内受容ネットワークの身体予算管理領域(メガフォンを持つ、口うるさくて聞く耳を持たない内なる科学者)は、脳内でもっとも強力な予測者と、また一次感覚領域は熱心な聞き手と見なせる。経験と行動の主たる操縦者は、論理や理性ではなく気分に駆り立てられた、身体予算に関する予測なのだ。私たちは皆、あたかも風味が食物のなかに宿っているかのように、「この食べ物はおいしい」と思い込む。実のところ、風味は構築物であり、おいしいという感覚は私たち自身が持つ一種の気分である。戦場で兵士が、非武装の村人の手に銃が握られているのを知覚するとき、彼はほんとうに銃を見ているのかもしれない。それは純粋な知覚であり、見間違いではない。空腹の判事は、囚人の仮釈放を認めるか否かの裁定に否定的な判断を下しやすい。
感情的現実主義の影響を完全に免れることのできる人はいない。知覚は、世界を撮影した写真などではない。フェルメールの絵のような写真と見まがう絵ですらない。それよりも、ヴァン・ゴッホやモネの絵に近い(運が悪ければ、ジャクソン・ポロックの絵かもしれない17)。
しかし感情的現実主義は、その効果に着目することでそれが作用していることを見抜ける。何かが正しいとわかっているという直感を抱いたときはつねに、感情的現実主義の影響を受けている。ニュース報道や物語を聞いて、その内容を頭から信じたとき、そこには感情的現実主義が働いている。特定のメッセージや、それを発した人にただちに反感を覚えたときにも。私たちは皆、自分の信念を支持するものごとを好み、それに反するものごとを嫌う。
感情的現実主義は、反証があるにもかかわらず、その人をして何かを信じさせ続ける。無知や悪意のせいではない。脳の配線や働き方の問題なのであり、見るもの、信じるもののすべてが、脳の身体予算管理の影響を受けているのだ。
感情的現実主義に歯止めをかけないと、考え方が独善的で柔軟性のないものになる。対立する二つのグループのそれぞれが、「自分たちは絶対に正しい」と信じ込んでいると、政争、イデオロギーをめぐる争い、さらには戦争すら起こりうる。(後略)

注:(i) 引用中の原注番号「17」の内容(P574)を次に引用(『 』内)します。 『脳は、ミツバチや車のような表象を構築して、それから自己に対するその意識を評価するのではない。身体予算に対する意義は、そのそも内受容予測を介して構築プロセスに組み込まれている。この見方は、最初に対象物を知覚し、しかるのちに自己との関連性、新奇性などといった基準に照らしてそれを評価すると考える、情動の因果評論理論と呼ばれる古典的理論と対立することに留意されたい。』(注:引用中の「内受容予測」については他の拙エントリのここ及び次の資料を参照すると良いかもしれません。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」) (ii) 引用中の「感情的現実主義」において、 [a] これは「見ることは信じること」ではなく「信じることは見ること」だと示唆することについて、引用元の本の「第4章 感情の源泉」における記述の一部(P133)を次に引用(【 】内)します。 【「見ることは信じること」ということわざがある。しかし、感情的現実主義は、「信じることは見ること」だと示唆する。】 [b] これは『我々の「現実」が感情によって形成されるという意味』であることについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスにおける身体性」の「2.3.1 感情的現実主義」項 [c] これに関連する「人はそのニュースが事実かどうかではなく、感情的に好きかどうか、信じられるかどうかの判断基準を優先するようになる」ことについて、福田充著の本、「リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える」(2022年発行)の 第4章 フェイクニュースがもたらすポスト・トゥルースの分断社会 の「ポスト・トゥルース時代を支えるフィルターバブル」における記述の一部(P119)を次に引用(《 》内)します。 《ネットやSNSの情報環境の中で、人はそのニュースが事実かどうかではなく、感情的に好きかどうか、信じられるかどうかの判断基準を優先するようになり、真偽の判定よりも、感情の動きのほうが重要だと感じている。そしてその社会はもはやフェイクニュースでさえない「オルタナティブ・ファクト」がエコーチェンバーやフィルターバブルの中で反響する社会であり、ポスト・トゥルース社会なのである。》(注:1) 引用中の「オルタナティブ・ファクト」については『陰謀論は「オルタナティブ・ファクト」である』ことを含めて、同本の 第6章 陰謀論と民主主義の危機 の「陰謀論を生み出す心理とネットワーク」における記述の一部(P153)を次に引用[『 』内]します。 『陰謀論は「オルタナティブ・ファクト」である。先述したように信者にとってそれはデマでもフェイクニュースでもなく、「オルタナティブ・ファクト」、嘘や偽りではない、もう一つの真実、隠された真実なのである。』 2) 引用中の「ポスト・トゥルース」に関連する「ニュースとしての真偽の判断よりも、自分がそれを好きかどうかという感情に支配されるのがポスト・トゥルース社会なのである」ことについては、同本の 第4章 フェイクニュースがもたらすポスト・トゥルースの分断社会 の「ポスト・トゥルース時代を支えるフィルターバブル」における記述の一部(P117~P118)を次に引用[【 】内]します。 【そのポスト・トゥルース社会においてフェイクニュースが信用されてしまう理由は、もはやその情報が正しいかどうかではなく、自分にとって好ましいかどうかという基準で判断されるようになってしまうことによるものである。つまり、ニュースとしての真偽の判断よりも、自分がそれを好きかどうかという感情に支配されるのがポスト・トゥルース社会なのだ。』 3) 引用中の「フェイクニュース」についてはここを参照して下さい。 4) 引用中の「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」については共にここを参照して下さい。) [c] 引用中の「感情的現実主義」(affective realism)に関連する「感情と社会的判断」(affect and social judgment)における「生理学的反応性」(physiological reactivity)と「内受容感覚」(interoceptive sensitivity)については次の Preprint(全文)を参照して下さい。 「Affect and social judgment: The roles of physiological reactivity and interoceptive sensitivity[拙訳]感情と社会的判断:生理的反応性と内受容感覚の役割」 なお、上記 Preprint(全文)の「5. Conclusion」項において次に引用(【 】内)する記述があります。 【Additionally, these findings suggest that individuals with greater interoceptive sensitivity maybe less likely to project incidental affect onto others when making social judgments. This may have important implications for groups who tend to have poorer interoceptive ability (e.g., women, the elderly,or certain clinical populations; S. Khalsa, Rudrauf, & Tranel, 2009; S. S. Khalsa et al., 2018; Moeini-Jazani, Knoeferle, de Molière, Gatti, & Warlop, 2017; Murphy, Viding, & Bird, 2019).[拙訳]さらに、より大きな内受容感覚を伴う個々人は、社会的判断を行う際に、他者に付随的な感情を投影する可能性が低いかもしれないことを示唆する。これは、内受容の能力が低い傾向にあるグループにとって重要な含意を、これらの知見は有するかもしれない(例えば、女性、年配、又は特定の臨床集団;S. Khalsa, Rudrauf, & Tranel, 2009; S. S. Khalsa et al., 2018; Moeini-Jazani, Knoeferle, de Molière, Gatti, & Warlop, 2017; Murphy, Viding, & Bird, 2019)。】(注:1) 引用中の「S. Khalsa, Rudrauf, & Tranel, 2009」は次の論文です。 「Interoceptive awareness declines with age」 1) 引用中の「S. Khalsa, Rudrauf, & Tranel, 2009」は次の論文です。 「Interoceptive awareness declines with age」 2) 引用中の「S. S. Khalsa et al., 2018」は次の論文です。 「Interoception and Mental Health: A Roadmap」 加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「Moeini-Jazani, Knoeferle, de Molière, Gatti, & Warlop, 2017」は次の論文です。 「Social Power Increases Interoceptive Accuracy」 4) 引用中の「Murphy, Viding, & Bird, 2019」は次の論文です。 「Does atypical interoception following physical change contribute to sex differences in mental illness?」) (iii) 引用中の「内受容ネットワーク」、「身体予算管理領域」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「気分」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (v) (構成主義的情動理論の視点からの)引用中の「知覚」については他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。 (vi) 引用中の「一次感覚領域」に関連するかもしれない「一次体性感覚野」については次のWEBページを参照して下さい。 「一次体性感覚野 - 脳科学辞典

体験が強化する「思い込み」――確証バイアス

認知「バイアス」とは、人が情報を公平に処理せずに、一定の方向へ歪んだ認知情報処理を行う現象である。錯覚や錯誤は、この認知バイアスの結果として発生する。
数ある認知バイアスの中でも、広汎に見られ、かつ強力なことが知られているのか「確証バイアス」である。これは、簡単にいえば、人は現在持っている信念、期待、理論、仮説、予想を支持し、確証する情報を求め、反証となる情報の収集を避けたり、利用を失敗する傾向を持つことである。
たとえば「あの占い師、すごく当たるんだってね」と聞かれれば「へえ、どれくらい当たったの?」と応じるだろう。「へえ、どれくらいハズシているの?」とはなかなかならない。人は「当たる」という期待を確認しようとし、反証例や否定的な例を探そうとしない。
先の例でいえば、「雨乞いをすると雨が降るらしい」と考えている人は、実際の気象記録を観察するときには、たいていは「雨乞いをして、雨が降った実例」を確認しようとするはずだ。雨乞いが有効だと思っていて「雨乞いなしで雨が降る例を探す、もしくは雨乞いをしても雨が降らない例を探して、仮説の誤りを確かめようとする」という考え方は、日常的な思考ではきわめてとりにくいだろう。
人がこうした傾向を持つことは古くから知られており、フランシス・ベーコンがイドラ(正しい思考を妨害するもの)のひとつとして指摘しているものだ。いわく、人の知性は、一度仮説や期待、思い込みを持つと、その仮説に拘束され、仮説が切り取るように世界を認識する。そして、仮説に合致しない例は、無視したり排除するなどして当初の仮説を守り抜こうとするという。
そして、この確証バイアスが、疑似科学の理論形成に非常に重要な役割を果たす。なぜなら、この働きによって、たとえ誤った発見であっても、その正しさを確証する科学的証拠が自動的に探しだされ、その結果、信念がどんどん強化されてしまうからである。

自説に都合のよいデータを確証的に集める

確証バイアスによって起こる情報の歪みは、大きくふたつに分類できる。
まず、多くの情報の中から、自分の考えに適合するもののみを無意識のうちにピックアップするもので、いわば量的な確証バイアスである。もうひとつは、あいまいで多義的に解釈できる情報や、材料不足で解釈できない情報から、仮説に一致する解釈を導きだすもの、これは質的な確証バイアスとしておこう。
これらのバイアスを働かせて、私たちは、自分に都合がいいように世界を切り取っているのである。そして、たとえトンデモない仮説であっても、日々観察する膨大な事実の中から、それを確証する情報を選択的に見つけだし、有利に解釈をすることができるのた。
たとえば、「血液型B型の人はひねくれている」という(デタラメな)仮説を胸に秘めて、身の回りの人の行動を観察してみよう。すると、この仮説に合致する確証データは、驚くほど何人も発見されるはずだ。もちろんA型でもO型でも、ひねくれた行動はあるのだが、なかなか注意をひかない。そもそも仮説ではB型の人に注目しているからだ。もし、そうした反証例に気がついたとしても「たまにはそういう人もいるよね」と例外化されて重要性を低く認識されてしまう。
また、性格という概念は複雑な側面をもち、多様に評価することができるため、誰にでも多少は「ひねくれた」と解釈できる行動はある。それを期待をもって見ることで、B型に限ってそのひねくれ度が強く解釈されることになる。
こうして、B型にまつわる誤信念は、たくさんの「思い当たるフシ」によって強化され、それがまたバイアスがかかった観察を生むのである。これが確証ループによって信念が成長していく過程である(図4-1)。
科学研究では自分の予測にあわせて作為的にデータを選択することは不正行為と見なされる。しかし、人の認知システムは自覚がないうちに、予期に合わせたデータのトリミングや歪曲を行っているのである。

注:(i) 引用中の「図4-1」の引用は省略します。 (ii) 認知行動療法の視点からの引用中の「信念」についてはここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「認知バイアス」について、 a) 次の資料や note を参照して下さい。 「認知バイアスとは何か」、「最新刊『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』予約開始のお知らせ!」の「監修者まえがき」項 b) ヘルスリテラシーの視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「意思決定での勘や経験の落とし穴」 c) (医師の)診断エラーの視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「[第3回]診断エラーの予防:認知バイアス① - ケースでわかる診断エラー学」、「[第4回]診断エラーの予防:認知バイアス② - ケースでわかる診断エラー学」 d) 室内環境汚染のリスクコミュニケーションとしての視点からはマニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の 9.2.1. リスク認知の特徴  の「認知バイアス」項(P173~P174)を参照して下さい。 e) 錯思の視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「錯思コレクション100について」 f) 情動の視点からは他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 g) これら以外にも、「災害における認知バイアス」については次の資料を参照して下さい。 「■災害における認知バイアスをどうとらえるか -認知心理学の知見を防災減災に応用する-

確証バイアス

人間は、自分の信じていることと矛盾する証拠を無視したり、曲解する傾向があるだけではなく、自分の信じていることを裏付ける証拠や議論ばかりに目を向け、認知する心的傾向があります。これを確証バイアスと言います。
確証バイアスとは、一言で言えば「自分に都合のよい事実だけしか見ない、集めない」ということです。自分に都合の悪い事実は無視したり、探す努力を怠ったりします。このため、最初に自分が信じた考えを補強する情報ばかりを集め、「自分の考えは間違っていない」と思い込んでしまうのです。
簡単な例を出すと、一緒に出かけると必ず雨が降る「雨男・雨女」と言われる人たちがいます。雨男や雨女が存在すると信じ、ある人が「雨男」だという考えを持つと、その人がいるときに雨が降っていたという事実のみが強く印象に残り、雨が降らなかったときには注意を引かずに忘れられるのです。
確証バイアスが働いているときにでも人は、自分は合理的にしっかり考えていると思い込んでいます。しかし、私たちの思考は完全ではありません。確証バイアスのような認知バイアスは誰にでもあるのです。科学的に考えるということは、ひとつのことをいろいろな角度から柔軟に考えることができる頭を持つことでもあります。ですから自分の考えへの批判的な意見も意識的に探して、場合によっては自分の考えを修正することも必要です。

注:i) 陰謀論と確証バイアスの関連については、次のWEBページを参照して下さい。 「陰謀論を増幅 ネットの共鳴箱効果」 ii) 引用中の「認知バイアス」についてはここを参照して下さい。

認知的不協和
脳は基本的に関わる対象を予測する特別な組織です.運動も知覚も情動も身体内の変化もすべて脳は予測しています.さらには予測をするために,脳はモデルやスキーマのようなものを構築しています.対象からのフィードバックによりそのモデルを修正したりしながら,予測して行動します.しかし,予測と異なることが起こり,しばしば信念と矛盾した情報を得ることがあります.ヒトは一般的に自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態では不快感を感じ,この状態を認知的不協和とよびます.
Festinger による認知的不協和の仮説によると,ヒトは不協和を認知すると,その不協和を低減させるか除去するためになんらかの行動をします.たとえば 複数(通常は2つ)の可能性があり,互いに矛盾する(タバコを吸いたい,タバコは害がある)間に不協和が存在する場合,一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去させることができます,たとえばタバコが害があるという広告を無視するとか,これは自分には当てはまらないとするなど,不協和を低減させます.さらには交通事故のほうが死ぬ確率が高いから問題ないなど,自分の他の信念を確証できる証拠を集めます.
一方ではリフレクティブ思考とよばれる,一時的に自分のおかれた状況から離れて経験を振り返る思考では,そのきっかけの一つに認知的不協和に伴う違和感があります.その点では認知的不協和がリフレクティブ思考を導き,結果として自分を振り返るより上位のメタ思考のきっかけになるので,とても大切です.

注:引用中の「リフレクティブ思考」に関連するかもしれない、 a) 「批判的思考」についてはここを参照すると良いかもしれません。 b) 「内省的精神」(reflective mind)については次の資料を参照して下さい。 「二重過程理論―進化的に新しいシステムは古いシステムからの出力を修正しているのか?」の「1. はじめに」項

◆ウインザー効果とハロー効果
エビデンスの不確かな情報を信じてしまう原因として、「ウィンザー効果」や「ハロー効果」と言われるものがあります。
ウィンザー効果」とは、「第三者による情報は信頼できると思ってしまう」ことで、エビデンスのない健康食品の広告で、よく使われる手法です。その健康食品で症状が改善したなどという利用者の声を載せたり、有名人が推薦している体を取ったりするのが、まさにこの「ウィンザー効果」を狙ってのものです。
「ハロー効果」の「ハロー」とは聖人の頭上に描かれる光の輪のことで、権威ある人の言葉などに引っ張られて、そのものの評価がゆがめられてしまうことを言います。
たとえば、ノーベル賞で免疫療法が注目を浴びると、受賞したものとは関係ない、まったく別の薬を使った免疫療法でも、「すごくよく効く治療法」のように思ってしまいがちです。その心理効果を狙ったのかが、「ハロー効果」です。

② 論文要旨「Echo Chambers: Emotional Contagion and Group Polarization on Facebook.[拙訳]エコーチェンバー:Facebook 上での情動の伝染とグループの分極化」(注:全文はここを参照して下さい) この論文要旨を次に引用します。

Recent findings showed that users on Facebook tend to select information that adhere to their system of beliefs and to form polarized groups – i.e., echo chambers. Such a tendency dominates information cascades and might affect public debates on social relevant issues. In this work we explore the structural evolution of communities of interest by accounting for users emotions and engagement. Focusing on the Facebook pages reporting on scientific and conspiracy content, we characterize the evolution of the size of the two communities by fitting daily resolution data with three growth models – i.e. the Gompertz model, the Logistic model, and the Log-logistic model. Although all the models appropriately describe the data structure, the Logistic one shows the best fit. Then, we explore the interplay between emotional state and engagement of users in the group dynamics. Our findings show that communities' emotional behavior is affected by the users' involvement inside the echo chamber. Indeed, to an higher involvement corresponds a more negative approach. Moreover, we observe that, on average, more active users show a faster shift towards the negativity than less active ones.


[拙訳]
Facebook 上のユーザーは、彼らの信念のシステムを信奉する情報を選択し、そして分極したグループ、すなわちエコーチェンバーを形成する傾向があることを最近の知見は示した。このような傾向は情報のカスケードを支配し、そして社会関連問題に関する公開討論にひょっとして影響するかもしれない。この研究では、ユーザーの情動や関与(engagement)を説明するコミュニティの利害関係(interest)の構造的進化を、我々は探究する。科学と陰謀のコンテンツを報告している Facebook 上のページに焦点を当て、毎日のソリューションデータを3つの成長モデル、すなわち、Gompertz モデル、Logistic モデル、Log-Logistic モデルに適合させることによって、2つのコミュニティのサイズの進化を我々は特徴づける。全てのモデルは適切にデータ構造を記述しているが、ロジスティックモデルが最も適合している。それから、グループダイナミクスにおけるユーザの情動状態と約束との間の相互作用を我々は探求する。我々の知見は、コミュニティの情動的な行動がエコーチェンバー内のユーザーの関与により影響されることを示す。実際に、より高い関与度がよりネガティブなアプローチに対応する。さらに、平均的には、よりアクティブなユーザーが、アクティブでないユーザーよりも恒常的な懐疑主義(negativity)への速い移行を示すことを我々は観察する。

注:i) 引用中の「エコーチェンバー」についてはここを、「分極」についてはここをそれぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「信念」について確証バイアスの視点からはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 さらにメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

③ 論文(全文)「Exposure to opposing views on social media can increase political polarization[拙訳]ソーシャルメディア上の対立する意見への曝露は政治偏向を拡大させ得る」(注:PubMed 要旨はここを参照して下さい) この論文(全文)の意義と要旨を次に引用します。

Significance
Social media sites are often blamed for exacerbating political polarization by creating "echo chambers" that prevent people from being exposed to information that contradicts their preexisting beliefs. We conducted a field experiment that offered a large group of Democrats and Republicans financial compensation to follow bots that retweeted messages by elected officials and opinion leaders with opposing political views. Republican participants expressed substantially more conservative views after following a liberal Twitter bot, whereas Democrats' attitudes became slightly more liberal after following a conservative Twitter bot—although this effect was not statistically significant. Despite several limitations, this study has important implications for the emerging field of computational social science and ongoing efforts to reduce political polarization online.

Abstract
There is mounting concern that social media sites contribute to political polarization by creating "echo chambers" that insulate people from opposing views about current events. We surveyed a large sample of Democrats and Republicans who visit Twitter at least three times each week about a range of social policy issues. One week later, we randomly assigned respondents to a treatment condition in which they were offered financial incentives to follow a Twitter bot for 1 month that exposed them to messages from those with opposing political ideologies (e.g., elected officials, opinion leaders, media organizations, and nonprofit groups). Respondents were resurveyed at the end of the month to measure the effect of this treatment, and at regular intervals throughout the study period to monitor treatment compliance. We find that Republicans who followed a liberal Twitter bot became substantially more conservative posttreatment. Democrats exhibited slight increases in liberal attitudes after following a conservative Twitter bot, although these effects are not statistically significant. Notwithstanding important limitations of our study, these findings have significant implications for the interdisciplinary literature on political polarization and the emerging field of computational social science.


[拙訳]
意義
ソーシャルメディアサイトは、既存の信念と矛盾する情報に人々が曝露されないようにする「エコーチェンバー」を作ることにより、政治的分極を悪化させているとしばしば非難されている。我々は、対立する政治的意見を伴う選ばれた役職者及びオピニオンリーダーによるメッセージをリツイートするボットをフォローするための民主党員と共和党員の大規模なグループの金銭的な報酬を提供するフィールド実験を我々は実施した。この効果は統計的に有意ではないものの、民主党員の参加者の態度は、保守的なツイッターのボットのフォロー後に、わずかによりリベラルになったのに対し、共和党員は、リベラルなツイッターのボットのフォロー後に、大いにより保守的な意見を表した。いくつかの限界にもかかわらず、この研究は、計算社会科学の新興分野及び政治的な分極をオンラインで減らすための継続中の努力に対して重要な含意を有している。

要旨
現在の出来事についての対立する意見から人々を隔離する「エコーチェンバー」を作ることによる政治的分極にソーシャルメディアサイトが寄与するという、増大する懸念がある。様々な社会政策の問題について、毎週少なくとも3回、ツイッターを訪れる民主党員と共和党員の大規模なサンプルを我々は調査した。1週間後に、対立する政治的なイデオロギー(すなわち、選ばれた役職者、オピニオンリーダー、メディア組織及び非営利団体)を伴うこれらのメッセージに彼らを曝露させるツイッターのボットを1ヵ月間フォローさせるための金銭的な報酬を提供するかどうかの取扱い(treatment)条件を対象者に我々はランダムに割り当てた。この取扱いの効果を測定するために月末に、そして取扱いのコンプライアンスをモニターするために研究期間中に定期的に、対象者は再調査された。リベラルなツイッターのボットのフォロー後に、共和党員が実質的により保守的な取扱い後になったことを我々は発見した。保守的なツイッターのボットのフォロー後に、民主党員のリベラルな姿勢がわずかに増加したが、統計的に有意ではない。我々の研究の重要な限界にもかかわらず、これらの知見は、政治的な分極に関する学際的文献及び新興の計算社会科学分野に重要な含意を有している。

注:i) 引用中の「エコーチェンバー」についてはここを、「分極」についてはここをそれぞれ参照して下さい。 ii) 拙訳はありませんが、引用中の「取扱い(treatment)」の割り当ての詳細については論文の「Fig. 1.」を参照して下さい。 iii) 引用中の「信念」について確証バイアスの視点からはここを参照して下さい。 iv) ちなみにこの論文に関連する日本語のWEBページは次を参照して下さい。 「SNSで異なる立場の意見は逆効果 米研究G発表」 加えて、アメリカの公衆における政治の分極については、次のWEBページを参照して下さい。 「Political Polarization in the American Public」(注:英文で拙訳はありません)

④ 論文要旨「The geographic embedding of online echo chambers: Evidence from the Brexit campaign.[拙訳]オンラインエコーチェンバーの地理的埋込み:Brexitキャンペーンからのエビデンス」(注:全文はここを参照して下さい) この論文要旨を次に引用します。

This study explores the geographic dependencies of echo-chamber communication on Twitter during the Brexit campaign. We review the evidence positing that online interactions lead to filter bubbles to test whether echo chambers are restricted to online patterns of interaction or are associated with physical, in-person interaction. We identify the location of users, estimate their partisan affiliation, and finally calculate the distance between sender and receiver of @-mentions and retweets. We show that polarized online echo-chambers map onto geographically situated social networks. More specifically, our results reveal that echo chambers in the Leave campaign are associated with geographic proximity and that the reverse relationship holds true for the Remain campaign. The study concludes with a discussion of primary and secondary effects arising from the interaction between existing physical ties and online interactions and argues that the collapsing of distances brought by internet technologies may foreground the role of geography within one's social network.


[拙訳]
Brexit キャンペーン中のツイッター上のエコーチェンバー・コミュニケーションの地理的依存性を、本研究は探求する。エコーチェンバーがオンラインの相互作用パターンに限定されているのか、又は physical な本人の相互作用に関連しているのかを検査するために、オンライン相互作用がフィルターバブルにつながると仮定されているエビデンスを、我々はレビューする。ユーザーの所在地を同定し、党派関係を推定し、そして最後に送信者と受信者の間の @-メンション及びリツイートの距離を、我々は計算する。分極化したオンラインエコーチェンバーは地理的に位置されたソーシャルネットワークマッピングされることを、我々は示す。より具体的には、Leave(離脱)キャンペーンにおけるエコーチェンバーは地理的な近さに関連していること、そして Remain(残留)キャンペーンには逆の関係が当てはまることが、我々の結果より明らかとなった。既存の physical なつながりとオンラインの相互的な影響との間の相互作用から生じる一次的及び二次的影響、そしてインターネット技術によりもたらされる距離の崩壊は、自分の社会的ネットワーク内の地理的役割の前景かもしれないと主張する議論の討論で、本研究を締めくくる。

注:i) 引用中の「Brexit」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Brexitの意味・解説」 ii) 引用中の「エコーチェンバー」についてはここを、「分極化」についてはここをそれぞれ参照して下さい。加えて引用中の「フィルターバブル」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「『ソーシャルメディア時代の科学と社会』(第1部) 2017年度所内セミナー開催報告」 iii) 引用中の「physical」に関連するかもしれない、「Cyber-Physicalシステム」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「Cyber-Physicalをつなぐ5G時代の情報通信マネジメント

ちなみに上記に示すように、ネット上の「エコーチェンバー」(参照)からの情報は偏っている(分極している)可能性が有るのでくれぐれもご用心下さい。次に後者の「フェイクニュース」については次のWEBページや資料も参照して下さい。 「“フェイクニュース”に立ち向かう」、『「フェイクニュース」への備え~デマや不確かな情報に惑わされないために~』、「フェイクニュースを生むのは“情報の偏り”? SNS時代のネットに潜む危険を大学教員に聞いた」、「フェイクニュース拡散のしくみと私たちに求められるリテラシー」、「近年の日本における偽情報(フェイクニュース)対策と実務上の論点」、「日本におけるフェイクニュースの実態と対処策」 加えて、上記「フェイクニュース」を見極める方法に関して、 (i) フェイクニュース対策の現状についての概観を笹原和俊著の本、「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ」(2018年発行)の「第5章 フェイクニュースの処方箋」における記述の一部(P148~P161)を以下に引用します。なお、 a) 上記「フェイクニュース」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「フェイクニュースの科学」、「ネットの時代におけるデマやフェイクニュース等の不確かな情報」、「諸外国におけるフェイクニュース及び偽情報への対応」、「フェイクニュース拡散のしくみと私たちに求められるリテラシー」 加えて、WEBページ「フェイクニュースとメディア環境」からダウンロード可能な資料「フェイクニュースとメディア環境」があります。その上に、pdfファイル「JEIC NEWS No.58」中の大久保千代次著の文書「不安とフェイクニュース」もあります。 b) 上記本の「まえがき」において『現象や問題を指し示すときは「フェイクニュース」、コンテンツを指し示すときは「偽ニュース」または「虚偽情報」という表現を主に用いる』と説明(P3)されています。 (ii) [上記「フェイクニュース」の見極めに寄与するかもしれない]ネット情報の例を以下に紹介します。

この章では、フェイクニュース対策の現状について概観します。そこから、巧妙化する偽ニュースに対して私たち一人ひとりが気をつけるべきこと、メディアやジャーナリズムが取り組むべきこと、企業や国が着手すべきことなど、偽ニュースの処方箋が見えてきます。

一 偽ニュースを見抜くスキル

メディアリテラシーとは
フェイクニュースの問題が深刻化するにつれて、これまで以上に重要視されるようになったのがリテラシー教育です。リテラシーはもともと「読み書き能力」を意味する言葉でしたが、現在は「特定分野の知識の活用能力」という意味で使われています。
さまざまなリテラシーの中でも偽ニュースを見抜くために重要なのが「メディアリテラシー」です。メディアリテラシーとは、新聞やテレビやインターネットなどのメディアから得られる情報の読解力のことです。フェイクニュースの文脈でいうと、インターネットの情報を鵜呑みにせず、嘘を見破るための自衛のスキルです。
メディアリテラシーは単独のスキルというよりは、メディアに対する知識、クリティカルシンキング(物事を批判的に分析して最適な判断をする能力)、デジタルリテラシー(デジタルツールを使いこなす能力)などからなる複合的なスキルです。スキルとはトレーニングによって身につくものですから、普段からこれらを意識して訓練する必要があります。
実際に、メディアリテラシーが高い人ほど偽ニュースに騙されにくいという調査結果があります。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の研究者らは、三九七人の成人を対象に、メディアリテラシーとインターネット上のデマを信じる傾向の関係を調査しました[1]。その結果、メディアに関する知識をもっている人ほど、「ワクチンを打つと自閉症になる」などのデマを信じる割合が低いということがわかりました。
また、現代の若者のメディアリテラシーは高くないという調査結果もあります。スタンフォード大学の研究グループが、全米一二州の中学生から大学生までの七八〇四人を対象に調査を実施しました[2]。その結果によると、中学生の一〇人中八人は、ウェブサイトのニュース記事とスポンサーつきの記事(広告)を判別できないことがわかりました。また、奇形のヒナギクの写真に「福島原発の花(Fukushima Nuclear Flower)」というタイトルがつけられたウェブサイトの記事(https://imgur.com/gallery/BZWWx)を見た高校生の一〇人中四人は、その写真がいつどこで誰が撮影したのか明記されていないにも関わらず、本物だと信じたと報告されています。現代の若者は「デジタルネイティブ」などと呼ばれ、幼い頃からソーシャルメディアに慣れ親しんでいるからといって、メディアリテラシーが高いわけではないのです。
これらの研究結果は、メディアリテラシーが偽ニュースに対する耐性をつけることや、小さい頃からメディアリテラシー教育が必要なことを示唆しています。(中略)

メディアリテラシーの実践
現代人に必要なのは新聞やテレビが主流だった時代のメディアリテラシーではなく、誰もが情報の受信者にも発信者にもなれるソーシャルメディア時代のリテラシーです。
そんなメディアリテラシーを実践するための具体例として、米国ワシントンDCにあるニュースとジャーナリズムの博物館「ニュージアム(Newseum)」が、フェイスブックのサポートを受けて開発した二つの教材をとりあげます。これらには、現代人に求められるメディアリテラシーの要点がまとめられています。
「ESCAPE Junk News(ジャンクニュースから逃げろ)」というポスターにあるESCAPEは、インターネットで目にする情報を評価する際に、疑ってみるべき六つの項目の英語の頭文字をとったものです(図5-1)。

・Evidence(証拠):その事実は確かかな?
・Source(情報源):誰がつくったのかな? つくった人は信頼できるかな?
・Context(文脈):全体像はどうなっている?
・Audience(読者):誰向けに書いてあるの?
・Purpose(目的):なぜこの記事がつくられたの?
・Execution(完成度):情報はどのように提示されている?

日本語に訳してしまうと語呂合わせではなくなってしまいますが、真偽不明の情報と出会ったときに、これらの項目を意識することで、嘘やデマの被害に会う確率を減らすことができます。これらの六つの項目の中でも、特に、情報源を確認する習慣は大事です。インターネットで検索しても点検できないような出所不明の情報であれば、おのずと疑いの目をもって対処することができます。(中略)

二 フェイクに異を唱える社会づくり

ファクトチェックとは
政治的なニュースからヘルスケアのような身近な話題まで、インターネット上には怪しい情報が溢れ、何を信じたらよいのかがわかりづらい状況になっています。情報の正確性や透明性を改善する対策としてジャーナリズムの文脈から生まれてきたのが、「ファクトチェック(Fact Checking)」です。    .
ファクトチェックとは、発信された情報が客観的事実に基づくものなのかを調査して、その情報の正確さを評価し、公表することです[3]。ファクトチェックの対象は、政治家や有識者などの発言やニュースやインターネットの記事などの事実関係を含んだ言説です。意見は真偽判定ができないため、ファクトチェックの対象にはなりません。
例えば、「火星に宇宙人を発見」というニュースがSNSで大量に拡散したとしましょう(この手の都市伝説はしばしばインターネットで見かけます)。このニュースをファクトチェックするということは、「火星に宇宙人がいるかどうか」を検証するということではありません(私たちにはそれを検証しょうがありません)。このニュースの情報源はどこか、いつ誰が伝えたのか、証拠はあるのかなどの事実関係を調べるのです。NASA(米国航空宇宙局)が「火星に生命の源になる有機分子を発見」と発表したニュースが誇張され、一部の人たちによって故意に拡散された可能性だってあります。その場合は、このニュースが虚偽情報であると公表すると同時に、その判断根拠を示すのです。
ファクトチェックならマスメディアもやっているではないか、と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、新聞やテレビなどが行う事実確認の作業とは違い、ファクトチェックではニュースの正確さの度合いを評価し、裏づけとなる根拠を積極的に公表します。これらの点はファクトチェックの大きな特徴です。ただし近年は、新聞でもファクトチェックを取り入れる動きがあります。例えば、朝日新聞は、二〇一七年に選挙期間や国会開会中の政治家の発言をファクトチェックして紙面で公表しています。
現在、ファクトチェックは世界のさまざまなメディアや団体で行われ、盛んになっています。(中略)

日本では二〇一七年に、「ファクトチェック・イニシアティブ(FactCheck Initiative Japan)」が設立され、二〇一七年衆院総選挙では複数のメディアと協力して二二本の検証記事を発表しています。現在は、NPO法人としてファクトチェックの普及活動や、ファクトチェッカー(ファクトチェックができる人材)とメディアを媒介するプラットフォームとなるべく活動をしています。
ファクトチェック・イニシアティブの副理事長でスマートニュース株式会社フェローの藤村厚夫氏にインタビューをした際、日本のファクトチェックの現状を踏まえて、同団体の活動意義を、次のようにコメントして下さいました。

今、アメリカやヨーロッパなどで起きている問題を見ていると、大変にファールス(虚偽)なものといいますか、フェイクな情報をつくり出す側の技術力とか、組織力とか、経験知、知識がすごく高まっていて、ものすごい能力をもってフェイクなものをつくり
出している。それに対抗するのが一人、二人のジャーナリストだったり、問題意識のある方であると、到底それは追いつけないわけで。やはり社会全体に対してさまざまなポイントでフェイクなもの、あるいはファールス(虚偽)なものに対して異を唱えていく
仕組みが埋め込まれてようやくそういうものに対抗していける。(括弧内は著者が補足)

ファクトチェックが真偽検証の行為というだけでなく、虚偽に異を唱えるための社会基盤になるべきであるという指摘は重要です。(後略)

注:(i) 引用中の文献番号「[1]」は次の論文です。 「News media literacy and conspiracy theory endorsement」 (注:a) 上記は医学論文でないためか、PubMed では検索できません。 b) 上記論文に関連するWEBページの例は例えば次を参照して下さい。 「Conspiracy thinking less likely with greater news media literacy, study suggests」) (ii) 引用中の文献番号「[2]」は次のWEBページからダウンロード可能な資料です。 「Wineburg, Sam and McGrew, Sarah and Breakstone, Joel and Ortega, Teresa. (2016).」 (iii) 引用中の文献番号「[3]」は次の本です。 「立石陽一郎,楊井人文『ファクトチェックとは何か』岩波書店(2018).」 加えて、引用中の「ファクトチェック」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ファクトチェックをとりまく世界と日本の状況・課題」 (iv) 引用中の「図5-1」の引用は省略します。代わりに次の資料を参照して下さい。 「E.S.C.A.P.E. Junk News」 (v) 引用中の「偽ニュース」の拡散に関連する「認知バイアスのリスト」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vi) 引用中の「フェイクニュース」の類型化について、福田充著の本、「リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える」(2022年発行)の 第4章 フェイクニュースがもたらすポスト・トゥルースの分断社会 の『「フェイクニュース」の増殖』における記述の一部(P109)を次に引用(『 』内)します。 『また、フェイクニュースをクレア・ウォードルは、風刺・パロディ、偽りの関連づけ、ミスリーディングな内容、間違った内容、なりすまされた内容、操作的な情報、捏造された内容と七つのパターンに類型化している。』 (vii) 一方、 引用中の「メディア・リテラシー」に関して、 1) これに対する教育又は育成のあり方については例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 『「フェイクニュース」時代におけるメディアリテラシー教育のあり方』、「メディア活用とリテラシーの育成」 加えて次の資料もあります。 「メディアのリテラシーを教えることは可能なのか」 2) また、批判的思考の観点から見たメディア・リテラシーについてはここを参照すると良いかもしれません。 (viii) また、フェイクニュースの氾濫が続けば、民主主義やメディアの仕組みそのものにダメージを与える危険性があることについて、平和博著の本、「信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体」(2017年発行)の「第9章 日本で、そしてこれから」における記述の一部(P198)を次に引用します。

米国で大統領選をめぐるフェイクニュースの氾濫が社会問題化したのと同じ時期、日本でも注目を集めた事例がある。
「キュレーションサイト」問題だ。
IT大手の「ディー・エヌ・エー(DeNA)」の医療・健康情報サイト「WELQ(ウェルク)」が、他サイトの記事の無断利用や、肩こりについて「霊が原因のことも」などと、事実に基づかないコンテンツを配信していたことが発覚。
その後、DeNAの他のサイトや、他者の同種サイトにも問題は波及し、日本においてもフェイクニュースの議論が広がるきっかけとなった。
米国のフェイクニュースと共通するのは、正確性よりも収益を優先させ、ネットに大量の疑わしいコンテンツを氾濫させた点だ。
フェイクニュースの氾濫が続けば、特定のネットサービスの品質の問題にとどまらず、民主主義やメディアの仕組みそのものにダメージを与える危険性がある。
誰もが情報の発信者であり受診者でもある今こそ、メディア・リテラシー(情報識別能力)の共有が求められる。

注:i) 引用中の「WELQ(ウェルク)」の問題については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「フェイクニュース特集 あなたは被害者?加害者?」の「真実より“お金” ネット社会で何が」項 ii) 引用中の「情報識別能力」に関連する「情報リテラシー」がないと、誤った情報を信じてしまうことについて、このことへの考えられる対策としての「複数の情報源からの情報を比較検討することも重要」であることを含めて、ASIOS、桑満おさむ、名取宏、峰宗太郎、宮原篤、森戸やすみ、安川康介著の本、『新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本 【検証】新型コロナ デマ・陰謀論』(2022年発行)の 【第六章】新型コロナとワクチン陰謀論の検証 の「【コラム】人はなぜデマや陰謀論を信じるのか?」における記述の一部(P246~P248)を次に引用します。

(前略)では、どうしてそうした誤った情報を信じてしまうのでしょうか。まずはなにより情報リテラシーがない、ということが大きいのは間違いありません。
たとえば、発信主体への信用で情報を判断してしまう人。この人は信用できる、ノーベル賞を取っているなど、情報の正誤にはなんの関連もない権威性や好悪で情報の真偽を判断しようとする人は、世の中に非常に多くいます。テレビでやっていた、新聞に書かれていた、医療従事者が言っている、知人が言っている……これらのことは情報の真偽とは一切関係がありません。
人は不安なときには、より多くの情報を求めて、納得したいという気持ちになるものです。そうしたときほど油断が生まれ、ダマされやすくなります。少しでも安心したい、自分の不安に寄り添って欲しい、気持ちが楽になる情報が欲しい。そうした感情はすべて真偽判定を誤らせる要因になり得ます。(中略)

では、怪しい情報、極端な言説に遭遇したときはどうしたらいいのでしょうか。これは結構難しい問題ではあります。これは「怪しい情報です」といって情報を発信するという人はまずおらず、「怪しい」とか「極端だ」ということを判定できるかが難しいからです。
考えられる対策としては、落ち着いて情報に対峙し、公的情報を含む複数の情報源をしっかりと持ち、一つ一つの情報を根拠から精査する、ということになると思います。公的機関こそ信じられないといった陰謀論に染まりきっているとどうしようもないですが、公的情報は複数の専門家の目を通っている場合が多いわけです。もちろん間違いが絶対ないとは言えませんが、妥当な情報が発信されることが多いため、情報源に組み込んでおくのかよいでしょう。そして複数の情報源からの情報を比較検討することも重要です。一つの情報源で安心するのではなく、情報を比べて、妥当と判断できるものを知ることが大切なのです。
情報リテラシーはつねに磨いていく必要があります。初歩的なところでは、特定の個人に依存しない、権威主義を排除することは重要です。実際、ノーベル賞受賞者であっても、医学的・科学的に間違った発言をするケースはあります。「○○先生が言っているから正しい」と盲信するのではなく、本当にそれが信じるに値する情報なのか、落ち着いて対峙することが求められるでしょう。(後略)

注:この引用部の著者は峰宗太郎です。

加えて、上記「フェイクニュース」に関連するすべてのメディアは「偏って」いることについて、荻上チキ著の本、『すべての新聞は「偏って」いる』(2017年発行)の「まえがき」における記述の一部(P3~P4)を次に引用します。

すべてのメディアは「偏って」いる――
これは煽りではをく、ただの事実である。

メディアは「媒体」と訳される。「媒」という字は、「なかだち」とも読む。人と人とのコミュニケーション、その「なかだち」をしてくれる道具がメディアだということだ。
メディア論という分野は、「メディアは透明な道具ではない」という前提に立つ。同じ情報でも、伝達されるメディアによって、伝わり方が異なってくる。同じ「ありがとう」というフレーズであっても、メールで送るか、手紙で伝えるか、口頭で伝えるかによって、相手の受け取り方も変わってくる。メディアの形式が、メッセージの内容にまで影響を与えるのだ。

また、あるメディアが登場する前と後とでは、社会のあり方が大きく変わることもある。その意味でもメディアは、やはり「透明な道具」ではない。だからこそ、そのメディアごとの「不透明さ=特徴」を分析することが必要となる。私たちの社会に、メディアがいかなる影響を与えているか。それを知ったうえで、上手に使いこなすことが重要だからだ。
メディアと一言で表しても、その対象は幅広い。テレビや新聞といったマスメディアも、電話や名刺も、交通標識もお菓子のパッケージもメディアだ。本書ではその中でも、新聞を主な題材として取り扱っている。

昨今、メディアの中立性や偏りが話題となる。例えばネット上で、「どうせ○○新聞だろう」「また○○テレビか」という批判が行われたりする。そうした言及の仕方は、どこかに偏りのないメディアを想定している節があり、メディア論としては中途半端だ。
人と人とのコミュニケーションに、偏りが存在しない状態はない。この世に「真実そのもの」が仮にあったとしでも、それをまっさらに伝えることのできる「なかだち」は存在しない。文字であろうが映像であろうが音であろうが、伝えられる情報量は有限だ。
ニュースは出来事を要約して伝えなければならないし、仮に無限の伝達が技術的に可能であろうと、人の時間は有限である。すべての情報は断片的で、切り取られたものだ。何かの断片的で編集された情報を手にしたうえで、「真実を知った」と思い込むのは誤っている。
何かしらのメディア批判を受けて、「なるほど、メディアはすべて偏るものなのだ、注意しよう」と学ぶのではなく、「それを教えてくれた○○は信用できる」となってしまっては本末転倒だ。占い師に騙されたから、今度は霊媒師を信じようと言っているようなものである。メディア論は、すべてのメディアにバイアスがある=すべてのメディアが「偏って」いるという前提のもと、それがいかなる傾向や度合いに「偏って」いるのかを適切に知ろうと呼びかけるもの。その傾向や度合いを具体的に学ぶために、本書はつくられた。

さらに、フェイクニュースの蔓延にも関連するSNSを活用した啓蒙のあり方に対する、認知を情動の基礎に据える革新的な理論である「構成主義的情動理論」を適用することについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「訳者あとがき」における記述の一部(P524~P526)を次に引用します。

(前略)革新的なアイデアを提起する本書については補足したい事項が山ほどあるのだが、紙幅の都合上、最後に一点に絞って指摘しておく。それは本書の持つ実践的な意義が広範囲に及ぶことである。
本書では実践面への応用として、日常生活、法制度、医療、動物の情動が取り上げられているが、訳者の見立てでは、さらに政治、経済、教育、メディア論など多方面の領域に著者の構成主義的情動理論を適用し、それらの分野を新たな視点でとらえ直すことができる。理論面でのその最大の理由は、用語説明の「情動」の項で述べたとおり、著者が情動の基盤の一つに認知作用を据えている点にある。
この見方をとった場合、従来的な知識体系は大きく揺るがざるをえない。それどころか、少しおおげさに言えば、啓蒙のあり方そのものに疑問が呈される結果になろう。それは次のような理由からだ。
啓蒙が善であると絶対視する見方は、皮質下の辺縁系に属する古い脳領域が司る情動作用を、皮質という新しい脳領域が司る理性の働きによって抑え込み、後者が発達すればするほど情動を抑える効率が上がり、それにつれて人間社会の啓蒙の度合いも向上すると考える、三位一体脳的な前提に基づいているように思われる(「三位一体脳」は本書一四〇頁を参照)。
啓蒙の拡大を絶対的な善と見なす考え方は、現代世界では広く行き渡っている。だが、実際に現代という時代を見渡してみれば、民主主義が拡大すればポピュリズム(その定義や是非についてはここでは問わない)の問題が湧き起こり、人権を声高に叫べば移民問題が生じ、情報を瞬時に伝達する能力を持つインターネットやそれに基づくSNSが普及すればフェイクニュースが蔓延するなどといった、数々の問題が噴出する有様となっている。
啓蒙に絶大な価値があることは否定すべくもないが、同時に生じるマイナス面も、しかと認識しておく必要があるだろう。
一九四七年に刊行された『啓蒙の弁証法』(徳永恂訳、岩波文庫、二〇〇七年)を著したアドルノとホルクハイマーから始まり、史上空前とも言えるレベルで啓蒙が拡大した現代に至るまで、そのマイナス面を指摘する識者は多い。メディア研究者・佐藤卓己の著書『流言のメディア史』(岩波新書、二〇一九年)には、「識字率の上昇、教育の発達、選挙権の拡大は、むしろメディア流言が拡大する前提条件にほかならない」(一〇四頁)とある。
なぜ正しい情報を効率的に伝達する手段であるべきインターネット上で、フェイクニュースが蔓延してしまうのか? それは単なるモラルの問題なのか? 冷静な判断を必要とする政治的言説が、なぜ感情に煽られて左と右にわかれるのか? 長い歴史を通じて人類がようやく獲得した「人権」という気高い概念をいざ適用しようとすると、移民問題などの現実的な問題が噴出してしまうのはなぜか?
これらはすぐれて現代的かつ実際的な問いだが、ここで、認知を情動の基礎に据える著者バレットの革新的な理論の出番である。彼女の新たな情動理論は、このような問題が生じる理由を説明してくれるだろう。
啓蒙の拡大を絶対的な善とする見方が想定しているように、情動をコントロールする認知の働きが啓蒙のプラスの側面に寄与することは確かにあるだろう。だが著者が指摘するように、そもそも情動の構築の基盤に認知作用が関与するのであれば、この、情動を生成する働きが、場合によって啓蒙のマイナスの側面に作用することは十分に考えられる。
そしてこの考えは、さまざまな分野に適用できるはずだ。たとえば行動経済学は、経済の領域における情動の影響を見据えた学問と見なせるが、脳科学に強く依拠した著者の情動理論をそこに適用すれば、さらにその知見が理論的に補強されるだろう。
あるいはメディア論への応用はどうか。先に引用した佐藤卓己が指摘するように、インターネットでは流言が拡大している。それどころか情動まみれの罵詈雑言が飛び交っている状況にある。その原因は、理性を欠いたネットユーザーが、負の情動を爆発させるにまかせているからなのか? それは違うはずだ。ネットユーザーはそもそもネットを駆使できることからして、決して理性を欠く無知な輩ではなく、「識字率の上昇、教育の発達、選挙権の拡大」の恩恵を受けた、啓蒙された人々なのである。
ではなぜこのような状況に陥っているのか? 激しい情動を触発する要因の一つに認知作用があるのなら、このような負の側面は、啓蒙時代の最高の手段の一つであるインターネットというメディアに最初から組み込まれている問題なのではないか?
メディア理論家のマーシャル・マクルーハンは、かつて「メディアはメッセージである」と言ったが、まさにインターネットというメディアが、現代人の心のあり方に強い影響を及ぼしているのた。ここにパレットの情動理論を適用すれば、メディア論にも新たな視点が与えられるにちがいない。(後略)

注:(i) この引用部の著者はこの本の訳者でもある高橋洋です。 (ii) 引用中の『「三位一体脳」は本書一四〇頁を参照』の参照は省略しますが、代わりにタイトル以外の拙訳はありませんが、次のWEBページを参照して下さい。 「Triune brain myth[拙訳]脳の三位一体説の神話」 (iii) 引用中の「認知を情動の基礎に据える」に関連するかもしれない、 a) 「情動に関して意識の介在を前提として」いることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「情動は意識的な経験」であることを含む「恐怖条件づけ」における Dr. Joseph LeDoux の知見について、WEBページ「How We Got Our Conscious Brains: An Interview with Dr. Joseph LeDoux[拙訳]意識のある脳を得る方法:Dr. Joseph LeDoux へのインタビュー」の「BW: What were your main findings?[拙訳]BW:あなたの主な知見は何ですか?」項における記述の一部及び「BW: Any message for the general public that might be suffering from fear and anxiety?[拙訳]BW:ひょっとして恐怖及び不安を患っているかもしれない一般大衆に対するメッセージ」項における記述の一部をそれぞれ以下に引用します。

(前略)I studied rats, and I adopted a simple procedure called "fear conditioning," in which you give the rat a tone paired with a shock. Upon hearing the tone, the rat freezes, blood pressure goes up, hormones are released etc. The same thing happens when a human encounters danger. So this seemed like a good way to study how the brain detects and responds to danger. I studied that for a long time. I showed that the brain area called the amygdala was an important part of the circuit that detects and responds to these kinds of danger stimuli in rats, and with my collaborator Elizabeth Phelps at NYU, we also implicated the human amygdala in these kinds of responses.

But lately I've been clarifying what I think the amygdala does. It is commonly through of as a "fear center." But I think this gives the wrong impression. It implies that the amygdala gives rise to the conscious experience of fear. But I think the amygdala simply detects and responds to danger. The conscious experience of fear is produced by the cortex when you come to understand that it's you who is in danger. My motto, is "no self, no fear." You have to be personally involved in order to experience fear or other emotions, and that requires more complex cortical circuits.


[拙訳]
私はラットを研究し、そしてラットに音とショックを与える「恐怖条件づけ」と呼ばれる簡単な方法を使った。音を聞くとラットが凍りついたり、血圧が上がったり、ホルモンが分泌されたり等する。人間が危険に遭遇した時も同じことが生じる。これは脳がどのように危険を検知し、応答するかを研究する良い方法のように思えていた。私は長い間それを研究した。扁桃体と呼ばれる脳の領域がラットのこのような危険な刺激を検知し、応答する回路の重要な部分であることを私は示した。ニューヨーク大学の共同研究者エリザベス・フェルプスと共に人間の扁桃体もこのような応答に関与していることを明らかにした。

しかし最近、私が考える扁桃体が何をするのかを明らかにしてきた。「恐怖の中心」(fear center)というのが一般的であるが、これは間違った印象を与えると私は考える。これは扁桃体が恐怖の意識的体験を生み出すことを含意する。しかし、扁桃体は単に危険を検知して、応答するだけだと私は考える。恐怖の意識的な体験は、皮質により自分が危険にさらされていることを理解するようになった時に生じる。私のモットーは「自己がなければ恐れもない」である。恐怖及び他の情動を体験するには個人的に関与する必要があり、そしてより複雑な皮質の回路が必要である。

(前略)I think the problem is that we have misunderstood emotions like fear and anxiety. They are conscious experiences. The medications can help, but not because they eliminate fear or anxiety. It's all about what to expect. The psychiatrist might tell the patient, "This drug will reduce your timidity about and avoidance of parties. It won't eliminate your feeling of anxiety but it might help you manage your anxiety and allow you to have more of a social life." Then the patient can be clear about what to expect.


[拙訳]
問題は恐怖や不安等の情動を誤解していることだと私は考える。これらは意識的な経験である。薬物治療は助けになり得るが、これらが恐怖や不安を取り除くからではない。何を予期するかが全てである。ひょっとして精神科医は患者に「この薬を飲めば、臆病になったりパーティーを避けたりすることが少なくなるだろう。この薬は不安の感情を取り除かないが、不安を管理することをひょっとして助け、そしてより社交的な生活を送れるようになるかもしれない。」と言うかもしれない。その時には患者は何を予期するのかを明確にすることができる。

次は上記ネット情報の例です。

患者向け医療情報サイト総まとめ|病気になったらググる前に見てください - 外科医の視点
インターネットの健康情報は落とし穴がいっぱい - apital
ヘルスリテラシーって何?医療情報をうまく活用するには - apital
健康食品だから体にいい? お金や命に関わる民間療法も - apital
レタス2個分の食物繊維? 脳のだまされやすさを知る - apital
口コミで知った健康食品 「効いた」を吟味する根拠とは - apital
「効く」民間療法って? 医療が不確実なのはどんな時か - apital
民間療法は自己責任? 突き放す医師に考えて欲しいこと - apital
どちらの治療法を選ぶ? 民間療法を使う前に考えること - apital
「だしいりたまご」ネット情報を見極める7つのポイント(注:本WEBページがリンクされているWEBページは ここを参照して下さい。 『㉟ネット情報を見極めるポイント 「だしいりたまご」』としてリンクされています。)
新型コロナやがん治療 情報を見極める物差しに “メディアドクター指標”
インターネット上の保健医療情報の見方(注:WEBサイトは ここを参照して下さい)
あやしい科学の見分け方 - warbler's diary
あなたの隣のニセ科学 - warbler's diary
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ
「それってマジ?」な科学・健康情報を見るときのチェックリスト(科学をあんまり勉強したくない人向け) - うさうさメモ
情報の見極め方 - 「統合医療」情報発信サイト
もう一歩進んだ「情報の見極め方」 - 「統合医療」情報発信サイト
その情報は「確かな情報」ですか? (Ver.210415) - 「健康食品」の安全性・有効性情報
標準医療を否定する“ニセ医学”に注意せよ―内科医・NATROM氏インタビュー
ネットの“ニセ医学”に要注意! 自衛手段を現役の医師に聞いてみた
「ニセ医学」に騙されないために————危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!
なぜ「ニセ医学」に騙されてしまうのか? 『「ニセ医学」に騙されないために』著者・NATROM氏インタビュー
書籍『新装版「ニセ医学」に騙されないために』発売記念! 内科医・名取宏先生 インタビュー
「ニセ医学」に騙されないための心構え
医療デマを信じてしまう人が陥りがちなこと、知っておくべき7つの言葉 - 外科医の視点
週刊誌でよく見る健康情報を正しく解釈するための5つの方法 - 外科医の視点
間違った医療情報にだまされないで! 健康の悩み、ネット上で巧みに利用 - 教えて!けいゆう先生
「Q&Aサイト」の落とし穴 医療情報の閲覧、十分注意を! - 教えて!けいゆう先生
偽医師がデマ発信も 医療情報の見分け方 - 教えて!けいゆう先生
テレビの医療・健康情報で注意してほしいこと ~「科学的根拠を示さない私見」の危険性~ - 教えて!けいゆう先生
正しい医療情報を得るためのスライドについてのツイート
「イカサマがん治療を見抜く方法」の画像付きツイート
イカサマがん治療を見抜く方法 こんな宣伝文句はアウト
怪しいがん治療の見抜き方
不正確な情報はやさしい
こんな週刊誌などの健康情報は鵜呑みにしてはいけない8つのポイント
「トンデモ」な健康情報には見分け方がある
健康食品の正しい利用法
食のフェイクニュースに惑わされるな〜週刊朝日の記事をじっくり検証してみた
栄養疫学者の視点から(注:シリーズになっていますが、最初のWEBページのみのリンクです)
健康情報の落とし穴 「××は体にいい」を疑ってみる (注:データで見る栄養学シリーズになっていますが、最初のWEBページのみのリンクです)
「がん食事療法本」ががん患者を殺す(ご参考:このエントリ中に「合理的に不合理を選んでいる」ことについての説明があります)
がんに関するソーシャルメディア上の誤情報への対応 - 海外がん情報リファレンス
行動経済学×医療(注:行動経済学×医療シリーズになっていますが、最初のWEBページのみのリンクです。ちなみに、このWEBページ中には「人の判断は非合理的」項があります)
「健康食品では病気は治らない、好転反応もない」消費者庁が断言!
「医学的に「健康に良い食べ物」は5つしかない
「統合医療」情報発信サイト
「標準治療」こそ、最善の治療
「患者の経験談」を使った嘘について
「この治療は全てのがんに効きます」の嘘
イカサマがん治療を見抜く方法 こんな宣伝文句はアウト
どんな論文が本当に治療効果を証明しているのか?
嘘の医療情報に騙されないために知るべきこと
がんの標準治療を受けない危険性
<毎日新聞・取材協力記事>補完代替療法に頼る危険性
不正確な情報はやさしい(この note を紹介する ツイート
がんのツイートまとめ
「ちょっと盛られた」臨床試験の気付き方
薬物治療効果の構造的理解(前編)(注:後編もありますが、前編のみのリンクです)
あの日お会いすることができなかった「脱ステ」ママへの手紙

加えて参考として、 a) ネットからの医療・健康情報の入手状況に関する調査例については次のWEBページを参照して下さい。 「ネットの医療情報、4人に1人がうのみ…「だまされないための5項目」確認を - yomiDr.」 b) また、医療従事者と市民を比較した「健康や医療に関する疑似科学はどれほど浸透しているか」については次の資料を参照して下さい。 「健康や医療に関する疑似科学はどれほど浸透しているか。 ~医療従事者と市民を比較して~」 加えて次の資料、そして本当に正しい医療情報の発信のための以下のWEBページもあります。 「健康や医療に関する疑似科学はどれほど浸透しているか:2」、「専門家による正しい情報発信であなたをもっと健康に - Lumedia

一方、リテラシーの向上のために寄与するかもしれない心理学的な「クリティカル・シンキング」(又は批判的思考)を身につけようとしたときに、疑似科学はその入門段階に好適な教材として活用できるはずについては、菊池聡著の本、「なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生みだすニセの科学」(2012年発行)の 第10章 疑似科学とはなんだったのか の「疑似科学から日常のクリティカル・シンキングへ」における記述の一部(P227~P230)を以下に引用します。加えて、クリティカル・シンキング(又は批判的思考)に関するネット情報の例を以下に紹介します。

疑似科学から日常のクリティカル・シンキングへ(中略)

つまり、疑似科学は、心理学的な「クリティカル・シンキング」を身につけようとしたときに、その入門段階に好適な教材として活用できるはずだ。
クリティカル・シンキングは、通常は「批判的思考」と訳される。この「批判」というネガティブな表現が誤解を生みやすいが、他人を否定したり非難するような意味での批判はない。ある主張を鵜呑みにせず、証拠にのっとって多面的に吟味し、明晰かつ合理的に考える態度と技術で構成される。その中でも無意識のバイアスも適切に評価して最適な意思決定をする技術は重要な役割を果たす。いわば、科学的思考はクリティカル・シンキングの基盤となる要素であり、またその表れともいえるだろう。

注:引用中の『クリティカル・シンキングは、通常は「批判的思考」と訳される。この「批判」というネガティブな表現が誤解を生みやすいが、他人を否定したり非難するような意味での批判はない。ある主張を鵜呑みにせず、証拠にのっとって多面的に吟味し、明晰かつ合理的に考える態度と技術で構成される。その中でも無意識のバイアスも適切に評価して最適な意思決定をする技術は重要な役割を果たす。』に関連するかもしれない「相手を非難するのではなく、自分の思考が正しいのかという振り返り(リフレクション)が重要です。人は証拠を評価するときに、自分の信念にとらわれる『信念バイアス』にかかりやすいもの。そのため、自分の思考過程を意識的に吟味し、異なる立場や意見があると知った上で、次の行動を建設的に考えていくことも批判的思考の大事な要素です」については次のWEBページを参照して下さい。  「批判的思考を育成する良き市民のための3つの学習活動」の「批判的思考とは、人を非難することではない」項

クリティカル・シンキング(又は批判的思考)に関するWEBページや資料を次に紹介します。

良き市民のための批判的思考
批判的思考について -これからの教育の方向性の提言-
メディア・リテラシー育成におけるメタ認知的知識
消費者教育における批判的思考力を育む家庭科授業開発
言語学とクリティカル・シンキング -誤謬論を中心に
クリティカル・シンキングで始める論文読解
どのような授業でクリティカルシンキングを教えられるか
批判的思考の観点から見たメディア・リテラシー
批判的思考力を鍛える「メディアリテラシー教育」とは
批判的思考とメディアリテラシー(前篇)~批判的思考とは何か?:認知心理学の知見から
批判的思考とメディアリテラシー(後篇)~リスク社会に置いて批判的思考とメディアリテラシー
日本の看護実践におけるクリティカルシンキングの動向と今後の課題
看護師のクリティカルシンキングと科学的根拠の利用の関連

加えて、クリティカル・シンキング(又は批判的思考)に関連する「批判的に読む」ことに関するWEBページを次に紹介します。

批判的に読む
クリティカル・リーディングを行う - 名古屋大学生のためのアカデミック・スキルズ・ガイド


さらに、信念体系(belief system)が患者の方々に導入される例について、次に示します。
① MCS における信念体系の導入について、論文「Multiple chemical sensitivity (MCS)--differential diagnosis in clinical neurotoxicology: a German perspective.[拙訳]多種化学物質過敏状態(MCS)- 臨床神経毒性学における鑑別診断:ドイツの視点」の要旨を次に引用します。

The multiple chemical sensitivity syndrome (MCS) is a new cluster of environmental symptoms which have been described and commented on for more than 15 years now in the USA. In the meantime it has also been observed in European countries. The main features of this syndrome are: multiple symptoms in multiple organ systems, precipitated by a variety of chemical substances with relapses and exacerbation under certain conditions when exposed to very low levels which do not affect the population at large. There are no lab markers or specific investigative findings. In our view, MCS is not a separate clinical syndrome but a collective term. A very small part of the patients in question may actually exhibit a somatic or psychosomatic response to low levels of a variety of chemicals in the environment. For another part, even if the MCS symptoms are induced by chemical substances in the environment, the basic hypersensitivity is a psychological stress reaction. In the third and largest group, the patients have been misdiagnosed, i.e. a somatic or psychiatric disease has been overlooked. There is a fourth group of patients in whom there is no evidence of any exposure at all but instead a belief system installed by certain physicians, the media and other groups in society. This paper tries to describe the neurological and neurotoxic aspects of MCS problems and to illustrate it with examples of an alleged outbreak of chronic neurotoxic disease caused by pyrethroids in Germany. Research strategy should establish clearly determined diagnostic criteria, agreement on the use of specific questionnaires as well as clinical and technical diagnostic procedures, prospective clinical studies of MCS patients and comparative groups as well as experimental approaches.


[拙訳]
多種化学物質過敏状態(MCS)は、現在米国において15年以上にわたって記述され、そしてコメントされている新たな環境症状群である。その間、ヨーロッパ諸国でも観察されている。この症候群の主な特徴は、集団全体に影響を与えない非常に低いレベルに曝露された時に、特定の状態で再発及び悪化を伴う様々な化学物質により引き起こされれる、多数の臓器系における多数の症状である。ラボマーカー又は特異的な調査の知見はない。我々のレビューでは、MCS は別々の臨床的症候群ではなく、集合的な用語である。問題における患者の非常に小さな一部は、環境中における低レベルの様々な化学物質への身体的又は心身相関な応答を実際に示すかもしれない。もうひとつの一部に対しては、たとえ、MCS 症状が環境中の化学物質によって誘発されたとしても、基本的な過敏症は心理的ストレス反応である。第 3 の、そして最大のグループにおいては、患者は誤診されている、すなわち身体又は精神疾患が見落とされている。曝露のエビデンスが全くなく、かわりに、特定の医師、メディア、そして社会における他のグループによって導入された信念体系のエビデンスがあることにおける、第 4 のグループの患者が存在する。この論文では、MCS の問題の神経学的及び神経毒性の側面の説明を、そしてドイツにおけるピレスロイドに起因する慢性神経毒性疾患の発生の主張例を伴った説明を試みる。明らかに決定された診断基準、臨床及び技術的な診断手続きはもちろん、特異的なアンケートの使用に関する合意、実験的なアプローチはもちろん、MCS 患者及び比較するグループの前向き臨床研究を、調査戦略として確立するべきである。

注:i) 引用中の「ピレスロイド」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「(2)家庭用防除剤の種類」の「ピレスロイドとは」項 ii) 引用中の「メディア」と「導入された信念体系」に関連するかもしれない、a) (電磁波過敏症における)「メディア報道」と「ノセボ効果」については、ここここ及びここを、 b) 化学物質への応答におけるメディアの警告の影響については、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 iii) ちなみに、a) 引用はしませんが、上記論文より前に発表された 、MCS をこの4つに分類した論文を次に示します。 「Multiple chemical sensitivity syndrome: a clinical perspective. I. Case definition, theories of pathogenesis, and research needs.」 b) 上記「信念体系」に関連するかもしれない、「様々な医学的な情報も正しく理解されるとは限らず、聞き手の思い込みによるバイアスがかかる」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「確証バイアス」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「導入された信念体系」に関連する、 a) 「刷り込まれた信念体系」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④(P89) b) 認知療法から見たパーソナリティ障害の視点からの「信念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 認知行動療法の視点からの「信念の強化」について、中島美鈴著の本、『悩み・不安・怒りを小さくするレッスン 「認知行動療法」入門』(2016年発行)の 第1章 認知が感情を生み出している――アーロン・ペックの「認知モデル」 の「*信念とは何か」及び「*信念はこうして強化される」における記述の一部(P29~P33)を次に引用します。

*信念とは何か(中略)

信念というのは、言い換えれば、自分や他人、あるいは世の中といったものを解釈するときの基本的な枠組みです。自分はどんな人間か、他人とはどんなものか、世の中はどうなっているのか、自分はどのように生きていけば良いのか……。いずれも、とても難しい哲学的課題ですよね。それをいちいちゼロから考えなければならなかったら、毎日の生活をスムーズに送ることはできないでしょう。
それゆえに、私たちは知らず知らずのうちに信念を形成し、「大まかには、こう考えれば正しいはずだ」という枠組みに基づいて、自分や他人、世の中を解釈しようとするのです。

もう少し詳しく言うと、信念は大まかに「中核信念」と「媒介信念」に分けられます(この点はあまり厳密に考えてくださらなくても大丈夫ですが)。たとえば、
「自分は人よりも劣っている」
「自分には価値がない」
「自分は人から好かれない」
「他人は冷たいものだ」
「世の中は不公平なものだ」
といった、自分や他人、世の中についての根本的な思い込みが中核信念です。これは心の奥底に横たわっているもので、普段はなかなか意識されません。
それに対して、媒介信念はもう少し意識されやすいものです。たとえば、皆さんは、
「価値がある人間であるためには、完璧でなければならない」
「好かれるためには、人の機嫌を損ねてはならない」
「私に起こる人間関係の問題は、すべて私に原因がある」
「世の中は頑張っても報われないものだ」
といった、いつの間にか自分に課しているルール、あるいは信条のようなものをお持ちではないでしょうか。もしお持ちだとしたら、それが媒介信念です。

*信念はこうして強化される

信念は、幼少期から思春期までの時期に、親をはじめとする身近な人との関係の中で身につけ、その後の人生経験によって強化されていくと考えられています。
厄介なのは、信念には「一度身につけると、その正しさを証明するような出来事に注目しやすくなる」という性質があることです。 .
たとえば、幼少期に「自分は人よりも劣っている」といった信念を身につけてしまった子どもがいるとしましょう。その子どもが、学校生活の中で、たまたまみんなができることをできなかったり、先生から「できない子」であるかのように扱われたりすると、
「ほら、やっぱり。私は人よりも劣っているんだ」
というふうに、自分の思い込みの正しさを確認していく。信念はそうやって、大人になるまでの間に強化され、揺るぎないものになっていくのです。
それだけに、一度身につけてしまった信念を変えるのは容易なことではありません。それに比べれば、自動思考を変えることはやさしいとされています。

ちなみに、ここでは悲観的な信念ばかりを挙げましたが、もちろん、信念は悲観的なものであるとは限りません。なかには、
「私は人よりも優れている」
「私はみんなから愛される」
「完壁でなくても、だいたい何とかなる」
「頑張っていれば、必ず報われる」
といった肯定的・楽観的な信念をお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんね。
また、信念にはもちろん程度の差もあり、強固に思い込んでいる場合もあれば、「疲れているときは、そういう考えに引きずられやすい」という程度である場合もあります。

そして、こうした信念、推論の誤り、それらの影響を受けて起こる自動思考というプロセス全体を表す言葉が「認知」であり、その結果として生じるのが「感情」です。(後略)

注:i) 引用中の「自分の思い込みの正しさを確認していく」に関連する確証バイアスについてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「自動思考」については、例えば次のWEBページ、資料を参照して下さい。 「認知(行動)療法とは?」の「認知療法認知行動療法とは…」項、「入門!認知行動療法 バランス思考を目指そう」の「とっさの考え(自動思考)」項(P6) iii) 引用中の「信念」について、パーソナリティ障害の視点からは、例えば拙エントリのここ、及びここここを参照して下さい。 iv) 標記「認知行動療法」については例えば次のWEBページ、資料を参照して下さい。 「認知(行動)療法とは?」、「認知行動療法を使ってこころのスキルアップ」、「入門!認知行動療法 バランス思考を目指そう

目次に戻る

≪余談7≫中毒学関連本の読書感想について、その他

過日に拙ブログのミニ情報において記述した、「中毒学関連本の読書感想等」の改訂版を「中毒学関連本の読書感想について」として、再度以下にミニ情報に近い形式で記述します。ちなみに、 a) 用語の説明程度のための引用では、必要に応じてウィキペディアを利用しています。 b) あくまで「読書感想」であり、厳密な引用とは形式が少し異なります。 c) 読書感想のみならず化学物質過敏症関連にまで範囲を広げて記述しています。 d) 中毒学に相当する毒性学については次のWEBページを参照して下さい。 「毒性学(トキシコロジー)について

小城勝相著の本、『体の中の異物「毒」の科学』(2016年発行)の読書感想をはじめとして、化学物質過敏症を理解するために重要な中毒学を含めて幅広い学問分野が全体にまとまりあがることの視点を加味して、拙ブログ作者の意見を以下に箇条書きで記述します。もちろん英文の各種論文を読むための英語力も必要不可欠です。

①地球上には、私たち人間が合成した化合物を含め、2000万種をはるかに超える化学物質が存在します[同本の P60、また、 a) 『2015年、アメリカ化学会が構築しているCASデータベースに登録されている化学物質の数が「一億個」を超えた』ことについて、日本環境化学会編著の本、「地球をめぐる不都合な物質 拡散する化学物質がもたらすもの」(2019年発行)の「まえがき」における記述の一部(P3)を次に引用(【 】内)します。 【そして2015年、アメリカ化学会が構築しているCAS(Chemical Abstracts Service)データベースに登録されている化学物質の数が「一億個」を超えました。この中には天然の化学物質も多く含まれており、すべて人類が生み出した化学物質というわけではありません。しかし、科学技術の進歩に伴い、登録される新たな人工化学物質の数が年々増加の一途をたどっていることは、まぎれもない事実です。】 b) 「平成30年(2018年)1月現在での米国化学会の Chemical Abstracts Service [CAS] の登録物質数は1億3700万種である」ことについては資料「多種多様な化学物質の生態毒性評価における課題と展望」の「化学物質の数は?」シート[P3]を参照して下さい。そして最新の上記登録物質数はWEBページ「CAS 登録番号 (CAS RN®) 全般 - 化学情報協会」の「Q1 CAS 登録番号 (CAS RN®) とは」項を参照すると良いかもしれません。特定の化学物質における毒性を議論するためには、化学物質の同定が必要です。例えば、アルデヒド(悪臭物質としてはここを参照)※1という総称(参照)の表現では、化学物質が同定されておらず、毒性の議論には不向きです。例えば(職場における)許容濃度等の勧告(2016年度)(ここを参照)においては、それぞれの化学物質に対し、許容濃度等※2が勧告されています。加えて、一部の化学物質それぞれに SDS(安全データシート、ここを参照、加えてモデル SDS 情報〔ここを参照〕)が存在します。

②同定された化学物質(毒物)の「用量反応関係」(同本の P61、加えてここの「有害性評価 ~用量・反応関係と無毒性量~」シート[P30]を、MCS においては例えばここを それぞれ参照して下さい)が判明しないと、毒性の把握が充分にできないのでは? これに加えて LD50(半数致死量、同本の P67~P69、ここの「毒性のある物質の半数致死量(LD50)」シート[P25]を参照)の情報も必要であると本エントリ作者は考えます。すなわち、化学物質(毒物)は有るか無いかではなく、どの程度の量(濃度)があり、どの程度の影響がでるのかの量的な議論が重要であると本エントリ作者は考えます(例えば、ここの「はじめに」項[P1]を参照)。例えば、a) 最も毒性が強いのはボツリヌス菌がつくる毒素(同本の P68~P69)です。一方、この毒素は、神経伝達物質であるアセチルコリンの分泌を阻害する強力な中枢神経毒である[LD50=0.00001(mg/kg)]ものの、この性質を利用して筋緊張をきたす脳卒中の後遺症の治療に使われています(同本の P69、ただし、脳卒中の後遺症の治療については、ここ及びここにおける「神経毒素の臨床応用」項を参照) b) 健康な人でも、水を過剰に摂取すれば水中毒(ここを参照)になります。

③化学物質(毒物)等の生体異物は、経口、経皮、吸入などの経路を経て体内に取り込まれ、やがて血液中に入って全身に広がっていきます。そのままの状態で組織に毒性を発現するものもあれば、細胞内の酵素によってさまざまな代謝(例えばここを参照)を受けることで活性化して毒性を発揮するもの、私たちの体が備える解毒システムによって代謝され、ほとんど排泄されるものなど、実に多様にふるまいます(同本の P76)。ただし、アレルギーについては考慮していません。要するに、体内に取り込まれた化学物質は代謝や解毒等、実に多様にふるまいます。例えば、トルエン代謝については同本の P82~P84 に示されています。

④中毒学において、ここに述べた種差はきわめて重要です。哺乳類同士であれば、DNAの大きさやタンパク質の種類、体を成り立たせている機構等がほとんど同じであるため、ラットやマウスが医学研究においてよく用いられます(ここを参照)。
しかし、それでもなお、上記代謝経路が異なることが稀にあります。たとえば、クロフィブレート(ここを参照)のようなペルオキシソーム増殖剤は、マウスでは肝臓がんを引き起こすが、ヒトではそうした作用はなく、脂質異常症の治療に使われています(同本の P63、注:「種差」とはラットとヒトとの種差、マウスとヒトとの種差等を指します)。

⑤中毒発生防止のために、規制値を定める必要があります。このための基礎となるデータは、疫学調査によります。疫学(ちなみに、疫学用語の基礎知識はここを参照)とは、ヒトの集団に対して健康および病気の原因を宿主や病因、環境の面から包括的に考えて予防をはかる学問であり、いわばマクロレベルの科学です(同本の P24)。

⑥繰り返し述べてきたとおり、環境中に存在するものに対して、ゼロリスクということはあり得えません。「完璧な環境」などというものは夢想にすぎないのだから、安全性の科学的評価に基づいて、現実に見合った制度を定量的に考えることが重要です。(同本の P241) これらを考慮して適切に考えるためには、化学物質のリスクコミュニケーション(例えば資料を参照、ちなみに、この資料の P35 には、「化学物質の毒性は、人工物、天然物に関係なく物質により決まる」についての説明があります)も場合によっては必要であると本エントリ作者は考えます。

ここで少し脱線しますが、エピジェネティクスが注目を集めたきっかけは、疫学研究(該当論文要旨については他の拙エントリのここを参照、ただし、この論文要旨では60年後となっています)によってもたらされた結果だった。1944年の冬、オランダはドイツ軍に食糧封鎖されて飢餓状態に陥った。そのとき妊娠していた女性から生まれた赤ちゃんが50年後、高血圧や2型糖尿病、心筋梗塞などになりやすいことがわかった。胎児期の低栄養が50年も経ってから効果を表す理由の探求がエピジェネティックな効果を考える契機となった(同本の P205、他の拙エントリのここを参照)。

注:以下は化学物質過敏症にも大きく関連する記述です。

⑦私たち生物の体は、さまざまな元素からなる分子(ここを参照)によって構成されています。そして、その分子のほとんどは、有機化合物です。私たちの体と相互作用して、好影響や悪影響を及ぼす医薬品や農薬、環境汚染物質などに有機化合物が多いのも、このためです(同本の P32)。

⑧一部のMCS関連資料(ここを参照)等を読むためには、中毒学の基本的な知識が必要です。

⑨下記の o) 項に示す人工的な香気物質による害を含む化学物質過敏症(及び/又はシックハウス症候群)は脳や精神疾患と関連する、 a) 脳の機能異常※3ここを参照) b) ノセボ(ノシーボ)効果(嫌悪臭におけるノセボ効果:ここを参照、及びマニュアルの「3.4.4. 化学物質過敏状態が引き起こされるメカニズム」項[P53]を参照) c) 条件付け(ここここ及びここの P31 を参照) d) 化学物質ばく露などの過去の出来事(マニュアルの「11.3. MCS における臭いに対する脳の反応と症状の出現」項[P205~P206]を参照) e) 記憶及び認知処理に関連する前頭前野の情報処理の問題(ここここここを参照) f) 辺縁系の過剰反応性及び顕著な外部刺激の抑制不能の問題(ここを参照) g) 心理社会的ストレスや精神的なトラウマ(ここを参照) h) パニック障害や身体表現性障害の異型、あるいは軽度の心的外傷後ストレス障害 PTSD で説明が可能(ここを参照) i) MCS(多種化学物質過敏状態)、EHS(電磁波過敏症)等は、functional somatic syndromes(拙訳:機能性身体症候群)に含まれるようです(資料P11 と P12 を参照) j) 突発性環境不耐症(IEI)に予期及びノセボのメカニズムが決定的に関与している(ここを参照) k) MCS はありふれた化学物質への直接的な反応というよりは、むしろ嗅覚的な感知の高まり(嗅覚過敏)を伴う覆い隠されたストレス障害、そして関連する行動学的な条件付け(ここ[英語]を参照) l) 「プルースト現象」及び「嗅覚の学習記憶」(共にここを参照) m) 失感情症及び身体感覚増幅(又は身体脅威増幅)(前者は例えばここを、後者は例えばここ又はここを参照) n) 「匂いは嗅覚受容体と結合した匂い物質によって形成されているものに過ぎない」(ここを参照) o) 嗅覚受容体(参照)は人工的な香気物質と天然の香気物質をどのようにして弁別するのでしょうか? 1) 例えば、香気物質「リモネン」[参照]や「リノナール」[参照]を対象とする 2) 特に人工的な香気物質による害(ただし天然の香気物質による害は無い)は純粋な身体疾患として分類されることを主張する場合 等と関連があります。これらには疑問も含まれます。一方、上記のことをガン無視して全く考慮されない場合には、確証バイアス(ここを参照)にとらわれている又は信念体系が導入されている(ここを参照)かもしれません。なお、上記「信念体系が導入されている」に関連する「信念体系が刷り込まれている」については資料「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④(P89)を参照して下さい。

⑩マインドフルネス認知療法ここここ及びここを参照)は MCS 又は化学物質過敏症にも関係があります(ここここ及びここを参照)。加えて、マインドフルネスストレス低減法は MCS にも関係があります(ここを参照)。さらに、上記に関連するマインドフルネストレーニングとアクセプタンス&コミットメント・セラピーは突発性環境不耐症(IEI)にも関係があります。すなわち、突発性環境不耐症における、内受容感覚の弁別に関連する治療又は対処法の候補例としてこれらが挙げられています(ここを参照、ちなみにこの論文要旨の拙訳はここを参照して下さい)。一方、上記確証バイアスにとらわれる又は信念体系が導入されることを防止する、そして「人の判断は非合理的」(ここの「人の判断は非合理的」項を参照)を踏まえた対策をするためには「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」(ここを参照)、「欲望によって条件づけられることのない、ありのままの現象を認知する(如実知見する)」こと(ここを参照)及び/又はクリティカル・シンキングここを参照)が必要かもしれません。

以上を踏まえると、化学物質過敏症に対する何らかの判断を行う際には、様々な学問分野[例えば、a) 化学、 b) 中毒学、免疫学、疫学、環境保健※4、ゲノム、エピゲノムを含む分子生物学ベイズ推論(例えば他の拙エントリのここを参照)をはじめとした計算論的精神医学(計算論的心身医学を含めて※5を参照)を含む精神医学(注:一説によると「精神医学」の本質は「人間学」にあるとのこと※6)、精神生理学※7、対人神経生物学を含む神経生理学(例えば参照参照)、そして社会健康医学(WEBページ「社会健康医学とは」を参照)としての医学コミュニケーション(pdf ファイル「京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 2021」中の文書「医学コミュニケーション分野」[P26~P27]を参照)、健康情報学(pdf ファイル「京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 2021」中の文書「健康情報学分野」[P24~P25]を参照)をはじめとした又は密接する医学、 c) (薬物)代謝や解毒を含む分子生物学(又は生化学)、ゲノム薬理学、薬物動態学や衛生薬学※8を含む薬学、そして栄養疫学(WEBページ「栄養疫学とは」を参照)を含む栄養学、 d) 情動関連を含む脳科学、 e) 臨床心理学、認知心理学、感情心理学※9進化心理学※10行動分析学(他の拙エントリのここを参照)、ソマティック心理学(又は身体心理学[WEBページ「当センターについて - ソマティック心理治療センター」の「SPC共同発起人 田中 伸明 ベスリクリニック(HP) 理事長」項を参照])や仏教心理学(例えばWEBページ『ケネス・タナカの仏教教室Ⅳ「仏教心理学―縁起的主体性で生きるー」』、そして資料「十五分でわかる仏教心理学」、「心理療法としてのマインドフルネスにおける仏教性」や『認知療法,マインドフルネス,原始仏教:「思考」という諸刃の剣を賢く操るために』を参照すると良いかも)をはじめとする心理学、 f) 行動経済学※11計量経済学、計算社会科学※12、 g) 上記「社会健康医学」に関連するかもしれない周囲の理解を得るのに困難な「論争中の病い」(例えば資料「化学物質過敏症の病いの経験と政策に関する社会学的研究」の「(4) CS という病の学問上の位置づけ」項を参照、※13)の視点からの社会学、そして説得コミュニケーション論※14を含む議論学〔例えばWEBページ「組織概要 - 日本ディベート協会」を参照〕]等からの幅広い知識(又は教養)をまとめあげた後に、これらの知識全体を俯瞰(ここ(12)及び(18)項参照)しながら様々な視点から検討を行い、総合的に判断すれば、より適切な判断が可能になると本エントリ作者は考えます。さらにこれにより、 i) 自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見る(ここを参照)こと ii) 確証バイアス(ここを参照)にとらわれないこと に近づくことができると拙エントリ作者は考えます。加えて、物事を何でも簡単に信じてしまう(ここ(10)項参照)方々は、これの防止にも寄与できると拙エントリ作者は考えます。

さらに、余談になりますが、世界中に発信している論文は英語で記述されているので、これらを読むためにも英語の勉強は必須であると本エントリ作者は考えます。英語の医学論文は PubMedここを参照)で検索できます。拙ブログにおいてもこれらの医学論文が複数紹介されています。加えて、これらの大量の医学情報のなかから、必要な知識をピンポイントで探し出すスキルが重要であるとの意見があります。この意見に関連する「医学部において求められるのは理系科目よりもむしろ英語、国語」について、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行)の Ⅱ こころの健康Q&A の iii 精神科医が答える子供本人からの学習相談 の「医学部志望だが理系科目に興味が持てない」項における記述の一部(P215)を次に引用(『 』内)します。 『医学部の場合、理系の教科を必要順に列挙すると、生物、化学、物理、数学の順。前二者はともかく、後二者の必要性はかなり低いといえます。(中略)その一方で、医学部では英語力は必須です。高校英語のような文学的な文章を読解する必要はありませんが、英語の医学論文を大量に読みこなす力は必要になります。読むだけでなく、書く力、話す力すらいずれは求められます。また、国語力は大いに求められます。それも大量の医学情報のなかから、今、すぐに必要な知識をピンポイントで探し出すスキルが重要で、これは来る日も来る日も教科書や論文を大量に読むことで自然と鍛えられていきます。そうして得られた情報を、論理の明快な文章にまとめる作文力も求められます。』(注:i) この引用に関連するWEBページは次を参照して下さい。「理系科目に興味が持てない… 医学部志望を変更すべきか」 ii) 引用中の「今、すぐに必要な知識をピンポイントで探し出すスキルが重要」に関連する「膨大な情報の中から、本質をつかむ能力が必要」については次の YouTube を参照して下さい。 「医学部説明会-高校生のための東京大学オープンキャンパス2019」の「医学科専門課程の特徴」シート[18:52~] iii) 引用中の「医学部では英語力は必須です」に関連するかもしれない「研究の世界では,英語がわからなくても科学研究はできるが,英語ができないと科学研究者にはなれないと言われている」ことについては、引用はしませんが、小林牧人、藤沼良典著の本、「理系研究者がハッピーな研究生活を送るには 科学とは? 研究室とは? そしてラボメンタルコーチングの必要性」(2021年発行)の 第2章 科学とは何かをおさえよう の「12) 再び科学とは」を参照して下さい。)

注:以下は脚注的な位置付けの文章です。

※1:ちなみに、アルデヒドにはホルムアルデヒドここを参照)やアセトアルデヒド(人体においては、お酒に含まれるエタノールの酸化によって生成し、一般に二日酔いの原因だと見なされている)が含まれます(ここの「命名法」の 4 を参照)。また、上記化学物質、ホルムアルデヒドアセトアルデヒドエタノールは(ここを参照)においてモデルSDS情報が検索できます。加えて、上記本文で示すトルエンも同様に検索できます。これらの SDS 情報を読めば、個々の化学物質の毒性を含む性質は千差万別であることがわかります。

※2:許容濃度等を理解するためには、次のWEBページにおけるその性格および利用上の注意を参照して下さい。 「許容濃度等の勧告について - 日本産業衛生学会

※3:化学物質過敏症において、「脳の一領域である大脳辺縁系を介した作用機序に着目」については他の拙エントリここ及びここを参照して下さい。

※4:例えば次の本を参照して下さい。 『日本医師会編(車谷典男監修)の本、「環境による健康リスク (日本医師会生涯教育シリーズ) 」[2017年発行]』

※5:例えば次の本を参照して下さい。 『国里愛彦、片平健太郎、沖村宰、山下祐一著の本、「計算論的精神医学 情報処理過程から読み解く精神障害」(2019年発行)』 加えて、上記「計算論的精神医学」のみならず「計算論的心身医学」についての簡単な説明は他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、過敏性腸症候群を対象とした「予測的符号化に基づく計算論的心身医学」に関する基礎的な研究の例については次のWEBページを参照して下さい。 「予測的符号化に基づく計算論的心身医学ー過敏性腸症候群を対象とした基礎的検討ー

※6:例えば次の本を参照して下さい。 『井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)』の特に、 a) はしがき の「精神医学の本質は人間学にある」項(Piv~Pv) b) 第Ⅲ部 私の考える精神療法 の「第18章 精神療法の人間学

※7:精神生理学又は生理心理学については例えば次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 「日本生理心理学会」 加えて他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

※8:例えば次の本を参照して下さい。 『永沼章、姫野誠一郎、平塚明編の本、「第6版 衛生薬学 健康と環境」(2018年発行)』

※9:例えば次の本を参照して下さい。 『日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)』 ちなみに、 a) 「生理心理学」と「内受容感覚の予測的処理に基づく感情の創発」との関連は、pdfファイル「大会企画シンポジウム 公認心理師時代の生理心理学―心理学教育の視点から―」中の大平英樹著の文書「内受容感覚の予測的処理に基づく感情の創発」(P43~P44)を参照して下さい。 b) 一方、上記本には 第2部 感情の基本要素 の 10章 感情科学の展開:内受容感覚の予測的符号化と感情経験の創発(P195~P221) の 3節 内受容感覚の予測的符号化 の「2. 予測的符号化と自由エネルギー原理」項(P202~P205)があります。同章の著者は大平英樹です。加えて引用はしませんが、上記「自由エネルギー原理」(例えば資料「予測的符号化・内受容感覚・感情」の「2. 予測的符号化」項や「自由エネルギー原理 ―環境との相即不離の主観理論―」を参照)は「認知科学、心理学、物理学、情報学から哲学にいたるまで、さまざまな分野から注目を集めている」ことについては乾敏郎、坂口豊著の本、「脳の大統一理論 自由エネルギー原理とは何か」(2020年発行)の裏表紙を参照して下さい。

※10:例えば次のWEBページを参照して下さい。 「進化心理学

※11:例えば次のWEBページを参照して下さい。 「家でも会社でも使えるノーベル賞理論! 最新経済学の魔法」、「行動経済学×医療

※12:エコーチェンバー、フェイクニュース等を取り扱うかもしれません。例えば次の本を参照して下さい。 『笹原和俊著の本、「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ」(2018年発行)』 ちなみに、同本の記述の一部の引用例はここを参照して下さい。

※13:「論争中の病い」の視点からの社会学の例として次の本があります。 『野島那津子著の本、診断の社会学 「論争中の病」を患うということ(2021年発行)』 加えて、この本における記述の一部の引用例は他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「論争中の病い」にも関連するかもしれない次の研究成果報告書もあります。 「化学物質過敏症患者の生活回復――論争中の病としての環境病」、「化学物質過敏症の病いの経験と政策に関する社会学的研究

※14:上記「説得コミュニケーション論」に関連する『ディベートは「客観的な証拠資料に基づいて論理的に議論をするコミュニケーション形態」である』ことについては次の資料を参照して下さい。 『日本語ディベートにおける証拠資料の「オーソリティー」に関する一考察』の「1. はじめに」項

目次に戻る

≪余談8≫「総合的な探究の時間」、「情報生産者になる」こと、そして医療又は医学における「ヒポクラテスの警句」及び当事者研究について、その他

最初に、標記「情報生産者になる」ことについては大学、そして特に大学院におけることである一方、学習指導要領の改訂により高等学校において二〇二二年度から「総合的な学習の時間」から標記「情報生産者になる」ことにより関連するかもしれない「総合的な探究の時間」に変更されることについて、河野哲也著の本、『問う方法・考える方法 「探究型の学習」のために』(2021年発行)の 第一章 「探究」とは何か の「1 自分の人生の課題を解決する」における記述の一部(P9~P13)を以下に引用します。ちなみに上記「総合的な探究」に関連する又は関連するかもしれない、 (i) 「総合的な探究の時間」については次の資料やWEBページを参照して下さい。 「高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 総合的な探究の時間編」、「総合的な探究の時間」、「総合的な探究の時間 高校・先生のための探究学習ガイドブック」(注:a) この資料の『■「総合的な探究の時間」は、何を、何のために学ぶ学習なのか?』項(P2)には次に引用[【 】内]する記述があります。 【「自分で考える力・生きる力を身につけ」、「自分で問題を解決できるようになる」ことが目標です。】 b) この資料に関連する次のWEBページもあります。 「第1回 あなたが人とつながることで何が生まれるか? - 総合的な探究の時間 NHK高校講座」)、「今さら聞けない!探究学習ってなに?考え方、目的、メリット」(注:このWEBページの「なぜ、いま探究学習なのか」項には次に引用(《 》内)する記述があります。 《これからの時代は、終身雇用が崩壊したり、AIが台頭したり、デジタル化やグローバル化が進展したりと、様々な変化を迎えます。変化することで、これまで「正解」とされていたものが変わる可能性さえあります。その中で、自分なりに考えて、自分なりに問題を見出して、自分なりの答えを見出すことが大切だと考えられています。》、《日本の産業界の声として、経団連が2018年に発表したレポートを掲載します。文系理系問わず、学生に求める能力として、「主体性」や「実行力」、「課題設定・解決能力」が上位に挙げられています。》[注:引用中の「経団連」や『文系理系問わず、学生に求める能力として、「主体性」や「実行力」、「課題設定・解決能力」が上位に挙げられています』に関連する『産学協議会の「中間とりまとめと共同提言」で整理した通り、Society 5.0 の人材には、最終的な専門分野が文系・理系であることを問わず、リテラシー(数理的推論・データ分析力、論理的文章表現力、外国語コミュニケーション力など)、論理的思考力と規範的判断力、課題発見・解決能力、未来社会の構想・設計力、高度専門職に必要な知識・能力が求められ、これらを身に付けるためには、基盤となるリベラルアーツ教育が重要である』ことについては次の資料を参照して下さい。 『採用と大学教育の未来に関する産学協議会・報告書 「Society 5.0 に向けた大学教育と採用に関する考え方」』の「1. Society 5.0 で求められる人材と大学教育」項〔P6〕] また、 1) 上記「Society 5.0 で求められる人材と大学教育」については次の資料を参照して下さい。 「採用と大学教育の未来に関する産学協議会・報告書 Society 5.0に向けた大学教育と採用に関する考え方―概要―」の「Society 5.0で求められる人材と大学教育」シート[P4] 2) 引用中の「【図表2】」の引用は省略します。 3) 引用中の「リベラルアーツ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 『育て! 「よりよい世界を創る人材」 ―リベラルアーツのすすめ―』 4) 引用中の「Society 5.0」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『第5期科学技術基本計画』]) (ii) 「高等学校においては、社会で求められる資質・能力を全ての生徒に育み、生涯にわたって探究を深める未来の創り手として送り出していくことがこれまで以上に求められる。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「高等学校学習指導要領の改訂のポイント」の「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」項 (iii) 一方、『我が国が成熟社会を迎え、知識量のみを問う「従来型の学力」や、主体的な思考力を伴わない協調性はますます通用性に乏しくなる中、現状の高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜は、知識の暗記・再生に偏りがちで、思考力・判断力・表現力や、主体性を持って多様な人々と協働する態度など、真の「学力」が十分に育成・評価されていない。』ことについては次の資料を参照して下さい。 「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について ~ すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために ~ (答申)」の「(高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜における課題)」項 (iv) また、「働き方も価値観も多様化した現代に求められているのは、自ら課題を見つけ、考え、判断する力。そうした力を伸ばすカギとして注目されているのが、探究型の学びだ。」との記述を有するWEBページは次を参照して下さい。 「変わる!?これからの学校<番組内容>

二〇二二年度から、学習指導要領の改訂によって高等学校の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」に変更されます。
その目標は、文部科学省の指導要領によれば、「探究の見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力」を育成することにあるといいます。
ここには、今後の教育と社会のあり方を考えるためのキーワードがいくつもあらわれています。「横断的・総合的」「自己の在り方生き方」「よりよく課題を発見し解決していく」がそうです。
「横断的・総合的」というのは、複数の科目や専門性を貫いて、それらをまとめて、という意味です。化学でも、美術でもある活動。体育でも、社会でも、文学でもある学び。生物学でもあり、歴史でも、家庭科でもある課題。こうしたものが、横断的・総合的な学習です。
具体例が思いつくでしょうか。たとえば、これまで捕れていた川魚がなぜか捕れなくなって、その魚を使った郷土料理が食べられなくなった。その郷土料理を残したい、食べ続けたい、と考えたとしましょう。こうした探究は、まずその魚についての生物学や生態学を調べて、なぜその魚が減ってしまったのかの原因を知る必要がありますし、郷土料理の歴史や作り方(家庭科)を知り、そして、いつ頃からその魚が捕れにくくなったのか、社会や産業の変化、それをもたらした政策などのさまざまな科目と学問が関係してくるはずです。
「自己の在り方生き方」というのは、学校で習うことを自分の人生と結びつけることの大切さを言ったものです。これまでの勉強は、「将来役に立つから、まず一定の知識や技術を身につけておきましょう」と言われて、さまざまな科目を学ぶようになっていました。でも、今身につけなければならないとされている知識が、自分の将来とどのように結びついているかわからないと、学ぶ意欲があまりわかないでしょう。自分の将来の生き方を思い描きながら、そこでどのような知識や技術が必要となってくるかを想像してみる時間が必要です。
「自分の将来」というと皆さんは、すぐに就業のことばかりを考えるかもしれませんが、それだけではありません。たとえば、あなたは、将来はパティシエになって、自分でお店を開きたいと思うかもしれません。そうした生活でも、家庭と仕事をどう両立させるか、地域での人とのつながりはどうするか、こうしたことが気になりますね。お店を営むには、いろいろな経営の知識や、資格や営業許可など法律の知識も必要です。自分の営んでいる店が属している地域の商店会で、市議会に候補を立てようということになるかもしれません。そうなると、政治にも関係してきます。もしかすると商店会で土地利用の問題が起こって集団で訴訟を起こすことになるかもしれません。そうなると、司法や裁判にも関係してきます。学校で勉強することが、自分の人生のなかでどうつながっているか知ることは、科目の内容を知ることと同じくらいに重要です。
そして、自分の人生で、今何をすべきなのか、どうすれば自分の目標を達成できるのか、どういう人生が幸せな人生なのか。自分にとって何が課題なのかを発見し、それがどうすればよくなるのか、その解答を見つけていく。これが本当の勉強のはずです。

「研究すること」と「生きていくこと」が分けられない社会
ですから、私は、探究型の学習はこれからの小中高校では、最も大切な科目になっていくと考えています。また、探究型の学習は、小中高だけではなく、大学や大学院、さらに社会人になっても求められるものです。なぜなら、これからの社会は、「研究すること」と「生きていくこと」とが分離できない社会になっていくからです。とりわけ、仕事(働くこと)と研究の結びつきは今よりも強くなっていくでしょう。
「ずっと〝学ぶ〟ことが大切というのはわかるけど、〝研究〟というのは大けさじゃないかな」と思うかもしれません。しかし、ここで言う「研究すること」とは、知識を暗記したり、与えられたテスト用紙の問題を解いたりするようなことでは、もちろんありません。科学の実験のように実験器具や装置に囲まれてするものだけを研究と呼んでいるわけではありません(それも含まれますが)。
ここで「研究」と呼んでいるのは、自分の人生の中で出会う実際の課題を、知的な探究の対象として深掘りして、さまざまな知識やスキルを総動員して何とか解決しようとすること、そしてそれを、後の自分のために、他の人のために、整理して再び知識やスキルとして保存していくこと、そういう意味での研究なのです。要するに私たちは、社会のさまざまな場面において、隠れていた問題を見つけ、それを調べて、解決するという過程が求められている時代に生きているのです。(後略)

注:(i) 引用中の『「探究の見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力」を育成することにある』ことについては次の資料を参照して下さい。 「高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 総合的な探究の時間編」の 第2章 総合的な探究の時間の特質 の「1 探究が高度化し,自律的に行われること」項 加えてこれに関連する、 a) 【『高等学校学習指導要領解説』においても、「総合的な探究の時間」において、やはり「探究の見方・考え方を働かせ」た横断的・総合的な学習を通して、「探究の意義や価値」の理解及び「探究に主体的・協働的に取り組むとともに、互いのよさを生かしながら、新たな価値を創造し、よりよい社会を実現しようとする態度を養うこと等が目標とされている】ことについては次の資料を参照して下さい。 『中学校「総合的な学習の時間」の想定する子ども像の批判的検討 ――「探究的な見方・考え方を働かせる」姿を中心に――』の『(1)中学校・高等学校に共通した「探究的な見方・考え方を働かせる」子ども像』項(P210) b) 《「知識・技能を活用して、自ら課題を発見しその解決に向けて探究し、成果等を表現するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力」を育む》ことについては次の資料を参照して下さい。 「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について ~ すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために ~ (答申)」の「③ 確かな学力」項 (ii) 引用中の(高等学校の)「総合的な探究の時間」が必要な理由について、同の「6 なぜ高校から始めたほうがいいのか」における記述の一部(P44)を次に引用(『 』内)します。 『進学せずに、高校卒業後に就職を選ぶ人も多いでしょう。そうした人は、探求の時間がなかったら、知識の全体像が描けないままに社会に出ることになります。これは非常に心配な状態です。というのは、専門的な知識がどのように自分の人生に関わってくるのか理解しないままに人生を送ることになり、それを活用することもできなくなるからです。これが探求的な学びが高校までしっかり実施されなければならない理由です。』 (iii) 引用中の「横断的・総合的」と「課題を発見し解決していく」ことや「自己の在り方生き方」を考えることとの結びつきについて、同の「複雑で多面的な存在である私たち」における記述(P35~P37)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「探究」に関連する「探究型の学習」が進む過程について、同の 第二章 探究的な学びとは何か の「4 探究型の学習をどう進めるか――方針と流れ」における記述(P57~P61)を以下に引用します。

複雑で多面的な存在である私たち
ところで、「横断的・総合的」に「課題を発見し解決する」ことと、「自己の在り方生き方」を考えることとはどう結びついているのでしょうか。
私の解釈では、人間の生は常に全体的です。「全体的」とは、一人の人生は、職業や家庭、地域、趣味などさまざまな仕方で他人や社会と結びついた多面的で多角的な存在だということです。また、人間は知的であると同時に感情的な存在です。
また私たちは、自分で人生を切り開く自発的・自主的な存在であると同時に、自分では変えることのできない運命のようなものに翻弄される受け身の存在でもあります。こうした意味で、私たちは、常に複雑で多面的な存在です。自分の在り方生き方に関係する課題も、つねに複雑で多面的です。それゆえに、そうした自分の課題に役立つ知識も、横断的・総合的でなければならないのです。
横断的・総合的に探究するということは、複数の専門分野(高校で言えば、複数の科目)を結びつけることに他なりません。ですが、それは一つの課題を探究していくうちに、さまざまな分野のことを調べ、まとめていく必要があるとやっとわかってくるものなのです。いわば、探究という活動が軸になって初めて、そこにさまざまな分野が関係してくることが実感できるのです。
探究する態度がなければ、学校で学ぶいろいろな知識は、互いに無関係で、何の役に立つのかわからないものに見えるでしょう。探究の軸は、自分の在り方や生き方を求める中でこそ見つけられるものです。学びの課題は、自分がよく生きていこうとする人生の中で見いだされるべきです。学ぶ事柄が自分自身の人生の関心と関連していなければなりません。そうでなければ探究するためのエネルギーが湧いてきません。
ここで強調しておきたいのは、探究の授業の目的は、社会で探究的な活動をするための準備などではないということです。探究の授業の目的は、実際に探究することにあります。大学で起業活動をすることの目的は、将来、実社会で起業するための準備をすることではなく、実際に今起業することが目的であるように、探究の授業の目的は、将来、実社会で探究的な活動を行うための準備をすることではありません。
高校生であっても、そのできる活動の範囲で、実際に探究するのです。それは、現実の知的貢献を目指し、実際の問題解決を目指し、本当に社会に役に立つものを目指すものでなければならないのです。探究は真正の学びでなければならず、社会から分離された単なる「教室での出来事」であってはなりません。

注:引用中の「学ぶ」に関連するかもしれない『人文知における「学ぶ」とは不動の唯一解を得ることではなく、「考えの行き先を増やすこと」』であることについては「学問を学ばなくとも行き先を増やすことは可能です。しかし学問を使うと、考えの行き先をあーでもない、こーでもないと議論してきた、たくさんの先人の知恵にふれることができます。」を含めて次のエントリを参照して下さい。 「学ぶとは考えの行き先を増やすこと

4 探究型の学習をどう進めるか――方針と流れ(中略)

探究型の学習は、大まかにいうと以下のような過程で進みます。

(1)テーマの発見と問い(リサーチクエスチョン)の設定
(2)仮説の定立
(3)仮説の実証:実験観察、社会調査、文献調査
(4)仮説の検討:実証の検証、仮説の修正、反論や代替案の検討
《(2)~(4)の過程を繰り返す。中間発表を入れる》
(5)成果の発表:レポートとプレゼンテーション

(1)の「テーマ」とは、探究する課題であり、また範囲を指しています。テーマは、たとえば、「町おこし」「就職活動」といったように、ある課題の領域のことです。探究するためには、このテーマについてより具体的な問いを立てます。たとえば、「A商店街に顧客を呼び戻すにはどうすればよいか」とか、「この地域の高校生は、今後どのような就業先が確保できるか」といった問いです。
もちろん、これらはまず漠然としていますが、これらの問いは、研究のための問いなので、「リサーチクエスチョン」とも呼ばれます。結論がきちんとしたものになるかどうかは、問いをしっかり立てたかどうかできまります。漠然として曖昧な問いを立てておいて、優れた結論を得ることなどできません。
(3)の実証とは、信頼できる科学的なデータ(証拠)に基づいて、ある仮説の正しさを示すことです。そのためには、後に述べる「調査」が必要です。(3)の実証が最初からうまく行けばよいのですが、大概はそうではありません。(1)や(2)で立てた問いや仮説が曖昧であったり、大まかすぎたりして、最初は実証がうまく行かないのが普通です。そこで、まずは試行として行った実証の結果を検証して、うまく行かなかったならば、その理由や原因を分析し、仮説を修正したり、場合によっては全面的に作り直したり、場合によっては、問いから考え直したりする必要が出てきます。そうしてまた(2)~(4)の過程を繰り返すのです。

注:(i) 引用中の「問い」、「仮説の定立」に関連する「探究的な学習を進めるうえで、学ぶ側にとって最も難しいことは、問いとそれに対応した仮説を立てること」について、同の 第二章 探究的な学びとは何か の「実証を繰り返す」における記述の一部(P65)を次に引用(『 』内)します。 『探究的な学習を進めるうえで、学ぶ側にとって最も難しいことは、問いとそれに対応した仮説を立てることです。しかし、難しいということは、まさに、そこにこそ学びの核心があるということでもあります。したがって、問いから仮説を立て、それを実証する(2)~(4)の過程には以上のような循環が何回かあると考えてください。最初から、一足飛びに、次のページの⑤のような確定的な問いや仮説を立てることなど不可能です。問いも仮説も何度も手直しして、最後に結論が見えたときに、はじめて明確になるものなのです。』(注: a) 引用中の「次のページの⑤のような確定的な問いや仮説」についての引用は省略します。 b) 引用中の「問いも仮説も何度も手直しして」に関連する「問いを深めて、適切な仮説を立てる」ためにも「(2)~(4)の途中で、中間発表を入れることが効果的」であることについて、同「実証を繰り返す」における記述の一部(P65~P66)を次に引用(【 】内)します。 【後にプレゼンテーションについて説明する章で述べますが、(2)~(4)の途中で、中間発表を入れることが効果的です。自分(たち)の探求の進展を報告すると同時に、問いを深めて、適切な仮説を立てるために、教師やクラスメートから質疑をうけるのです。自分(たち)の探究でまだ不十分なところがわかるでしょうし、外の目から客観的に探究の長所や短所を判断してもらうのです。中間発表をクラスや学年で行い、互いに質疑応答し、評価し合うとよいでしょう。】[注:引用中の「後にプレゼンテーションについて説明する章で述べます」に相当する引用は省略します]) c) 引用中の「仮説」に関連する「仮説を立てられない人には裏ワザがある」ことについて、「仮説は予断と偏見の別名、これなしで海図のない航海にのりだすひとはいない……のは事実です」を含めて上野千鶴子著の本、「情報生産者になる」(2018年発行)の Ⅱ 海図となる計画をつくる の 4 研究計画書を書く の「(3)理論仮説&作業仮説」における記述の一部(P075~P077)を以下に引用します。 (ii) 引用中の「問い」についてはここも参照して下さい。 (iii) 引用中の「文献調査」について、同の 第四章 文献収集と読み解き方 の、 1) 「1 実証の方法」における記述の一部(P123~P126)を以下に引用します。 2) 「2 文献の探し方」における記述の一部(P128~P129)を以下に引用します。

(3)理論仮説&作業仮説(中略)

仮説を立てられない、ですって? そういう人には、実は、裏ワザがあります。仮説は予断と偏見の別名、これなしで海図のない航海にのりだすひとはいない……のは事実ですが、よくわからない対象に、「これは一体何だろう?」「そこで何が起きているんだろう?」という好奇心からアプローチすることもあります。こういう場合には「仮説は何か」と言われても、思いつかないものです。仮説は研究の前にではなく、研究の過程を通じて研究の後に浮かび上がってくることもあります。こういう研究に、「仮説生成型」とうまい名前をつけたのは箕浦康子さんです(2)。ですから「キミの研究の仮説は?」と聞かれてうまく答えられなかったら、「仮説生成型です」と答えればよいのです(笑)。(後略)

注:引用中の脚注「(2)」(P096)の内容を次に引用(【 】内)します。 【(2) 箕浦さんは東京大学教育学部で長くフィールドワークを中心とした研究指導を続け、そのもとからすぐれた研究者をたくさん育ててきた[箕浦1999]。】(注:引用中の「箕浦1999」は次の本です。 「箕浦1999『フィールドワークの技法と実際マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房」)

1 実証の方法

ある仮説を実証するためには、信頼できるデータを揃えなければなりません。そのためには、主に「実験観察」「社会調査」「文献調査」の三つの方法があります。(中略)

三番目は、「文献調査」です。これは自分の仮説あるいは主張の実証を、信頼できる文献資料に求める方法です。実験観察や社会調査は、探究する人が自分で直接に対象を調査し、データを得ようとするものです。これに対して、文献調査とは、すでにだれかが文書やデータの形にして公表したものを利用することです。その意味で、文献調査による実証は、実験観察と社会調査が直接的で一次的であるのに対して、間接的で二次的だといえるでしょう。しかしその分、調査がやりやすく、高校生や大学生には接近しやすい方法です。専門家や研究者であっても自分の専門以外の部分は文献調査に頼ります。(後略)

2 文献の探し方(中略)

探究にとって文献を調査して利用することは、二つの点で重要な意味を持ちます。ひとつは、今述べたように、自分の仮説を支える証拠を見いだすことです。もう一つは、哲学対話のグループで仮説や仮の主張を考えた後に、さらに仮説を見直したり修正したりするアイデアを得ることです。
証拠として利用する場合にも、アイデアのための情報として利用する場合でも、参照する文献は信頼できるものでなければなりません。とりわけインターネット上の情報には、フェイクや誤った情報、特定の政治的立場を擁護するためのプロパガンダ、個人の感想にすぎないものなど、探究としては頼ることのできない情報も多数含まれています。情報がどれくらい信用できるがは、以下のような基準で判断します。

・著者の信頼性 著者・作者がだれであるか。信頼できる人物であるか。その分野の専門知識を持っているか。
・内容の正確性 内容が正確に調べられて書かれているか。
・意図と読者対象 どういう意図で書かれているか。だれに向けて書かれているか。
・公平性・客観性 書いている情報や意見に偏りがないか。
・最新性 かつては信用された学術論文でも古くて使えなくなっていることがある。(後略)

注:(i) 引用中の「フェイク」に関連する「フェイクニュース」についてはここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「哲学対話」については、次のWEBページや資料を参照すると良いかもしれません。  【「『考える力』を育てる『哲学対話』」(視点・論点)】、「考える自由のない国―哲学対話を通して見える日本の課題」、「『人は語り続けるとき、考えていない──対話と思考の哲学』」、「永井玲衣さんと考える、哲学対話が叶える学びの未来」、『「哲学対話」先生と生徒が共に考えるアクティブラーニングな授業』、「対話による人間の回復:当事者研究と哲学対話」、『「持続可能な多世代共創社会のデザイン」研究開発領域 研究開発プロジェクト 「多世代哲学対話とプロジェクト学習による地方創生教育」』、WEBページ「哲学対話の可能性」からダウンロード可能な資料「哲学対話の可能性」 (iii) 引用中の「最新性 かつては信用された学術論文でも古くて使えなくなっていることがある」ことに関連する、 a) 「元の情報が古いものだった場合、現在とは状況が異なるかもしれないので、注意しましょう」については次のWEBページを参照して下さい。 「ネットの時代におけるデマやフェイクニュース等の不確かな情報」の「確認方法」項 b) 「健康や医学に関する情報は日進月歩なため、古い情報では、現在は否定されていることかもしれない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「インターネット上の保健医療情報の見方」の「〇い:いつの情報か」項 c) 上記「かつては信用された学術論文でも古くて使えなくなっていることがある」ことの一例としてのシックハウス症候群においてより新しい厚生労働省のWEBページ「シックハウス対策のページ」の「参考資料集(パンフレットなど)」項にリンクされている「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」があるにも関わらず、古い相澤好治氏を代表研究者とする「シックハウス症候群の診断基準の検証に関する研究」(WEBページ「シックハウス症候群の診断基準の検証に関する研究」を参照)における結果を説明することについては次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症を見落とさないために──各診療科へのお願い」の「表3 シックハウス症候群の診断基準」を含む「シックハウス症候群との関係」項(P21) 後者では例えば「広義SHS」と「狭義SHS」との区別を有するが、前者では有さないことに注意して下さい。 (iv) 引用中の「探究にとって文献を調査して利用することは、二つの点で重要な意味を持ちます。ひとつは、今述べたように、自分の仮説を支える証拠を見いだすことです。もう一つは、哲学対話のグループで仮説や仮の主張を考えた後に、さらに仮説を見直したり修正したりするアイデアを得ることです。」に関連する「実証的なデータや証拠として使えそうな文献は、批判的に読解する」ことについて、同の 第四章 文献収集と読み解き方 の「2 文献の精読の仕方」における記述の一部(P137)を次に引用します。

(前略)実証的なデータや証拠として使えそうな文献は、もう一度、その情報が信頼できるかどうかを確かめておきます。よりしっかり精読すべきなのは、自分の仮説や主張にアイデアを与えてくれそうな文献と、その逆に、自分の仮説や主張に対する疑問や反論、代替案を出している文献です。
これらの文献は、批判的に読解します。批判的読解とは、そこに書かれていることが正しいか、根拠があるか、理由は何か、証拠があるかと考えながら読むことで、相手の主張を鵜呑みにしないということです。(後略)

注:引用中の「批判的読解」についてはここを参照して下さい。

また、「探究エピステモロジーをもち、ずっと学びつづける探究人を育てるために何をすべきか」について、今井むつみ著の本、「学びとは何か ――〈探究人〉になるために」(2016年発行)の 終章 探究人を育てる の「知識の深さと広さを得るために」項と「誤ったスキーマの修正」項における記述の一部(P219~P220)を以下に引用します。ただし、上記「エピステモロジー」とは同本の P146 によると「知識についての認識」のことであり、 pdfファイル「学びとは何か ―高等教育機関において〈探究人〉になるために― - 立教大学 大学教育開発・支援センター」中の文書「学びとは何か ―高等教育機関において〈探究人〉になるために―」(P15~P67)の P19 によると「知識をどう捉えるか」のことであるようです。

知識の深さと広さを得るために(中略)

探究エピステモロジーをもち、ずっと学びつづける探究人を育てるために何をすべきか。まず第一に、学校は「知識を覚える場」ではなく、知識を使う練習をし、探究をする場となるべきだ。知識を使う練習とは、持っている知識を様々な分野でどんどん使い、それによって、新しい知識を自分で発見し、得ていくということである。それこそがアクティヴ・ラーニングの本質である。

誤ったスキーマの修正
探究人を育てるために大事なことの第二は、誤ったスキーマの修正だ。本書でも何度も述べてきたように、子どもは(大人も)経験に基づいて誤ったスキーマをつくる。スキーマは概念の根幹である。これが誤っていると、それに関して何か新しいことを読んだり聞いたりしても,そのスキーマに合わせる形で理解してしまう。スキーマに合わない情報はそもそも取り込まれない。したがって、誤ったスキーマは学びの障害になるので修正しなければならない。しかし、「間違っている」と指摘して正解を教えても、誤ったスキーマはなかなか修正されない。これまでの自分の理解のしかたが、いま観察している現象と矛盾していることに自分で気がつかなければ、誤ったスキーマは修正されない。(後略)

注:i) 引用中の「アクティヴ・ラーニング」の別名である「アクティブラーニング」については、引用中の「探究人」を含めて pdfファイル「学びとは何か ―高等教育機関において〈探究人〉になるために― - 立教大学 大学教育開発・支援センター」中の文書「学びとは何か ―高等教育機関において〈探究人〉になるために―」(P15~P67)を参照して下さい。 ii) 引用中の「スキーマ」については「スキーマ療法」(他の拙エントリのここ)の視点を含めて次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『根本的な「生きづらさ」と向き合うスキーマ療法|臨床心理士 伊藤絵美

そして標記「情報生産者になる」ことについて、上野千鶴子著の本、「情報生産者になる」(2018年発行)の「はじめに――学問したいあなたへ」における記述(P009~P011)を以下に引用します。ちなみに、 a) 「統合的科学コースは、単なる各分野の簡略版なのではなく、サイエンス教育にとって必要不可欠なものなのである」ことについては、資料「大学生に必要なサイエンス教育とは何か?」の要旨を、 b) 「アメリカで広く行われている統合的科学コースの明確な目的」については同資料の「7.アメリカで広く行われている統合的科学コースの明確な目的」項を それぞれ参照して下さい。

学問をする人を学者とか研究者と呼びますが、研究者には研究と教育、というふたつの現場があります。教育もまたわたしの現場のひとつでした。四〇年以上、高等教育機関で教えてきました。専門学校、短大、大学、大学院、そして社会人教育まで、高等教育経験の幅は広いほうだと思います。
そこで重視してきたのは、「情報生産者になる」ということです。高等教育以上の段階では、もはや勉強(しいてつとめる)ではなく、学問(まなんで問う)ことが必要です。つまり正解のある問いではなく、まだ答えのない問いを立て、みずからその問いに答えなければなりません。それが研究(問いをきわめる)というものです。
研究とは、まだ誰も解いたことのない問いを立て、証拠を集め、論理を組み立てて、答えを示し、相手を説得するプロセスを指します。そのためには、すでにある情報だけに頼っていてはじゅうぶんではなく、自らが新しい情報の生産者にならなければなりません。
わたしの大学での授業の目的は、いつも「情報生産者になる」ことでした。情報には、生産・流通(伝達)・消費の過程があります。メディアは情報伝達の媒体、多くのひとたちはそこから得られた情報を消費します。もちろん学ぶことの基本は、「真似ぶ」こと。ですから他人の生産した情報を適切に消費することは、自らが情報生産者になるための前提です。
世の中にはたくさんの情報が流通しており、たくさんの情報消費者がいます。新聞やTVなどのマスメディアの情報を、聞きっかじりで訳知り顔にくりかえすだけの人もいますし、人の知らない情報源にアクセスして、レアな情報をゲットする情報オタクもいます。そのうえ情報グルメ(美食家)や情報グルマン(大食漢)、情報コノスゥア(食通)までいます。情報の消費者には「通」から「野暮」までの幅があって、情報通で情報のクォリティにうるさい人を、情報ディレッタントと呼びます。もちろん質の高い消費者がいるからこそ、情報のクォリティも上がるのですが、情報も料理も、消費者より生産者のほうがえらい! とわたしは断言します。料理だって、グルメの消費者より、料理をつくるひとのほうが、何倍もえらいんです。なぜかって、生産者はいつでも消費者にまわることができますが、消費者はどれだけ「通」でも生産者にまわることができないからです。
わたしは学生にはつねに、情報の消費者になるより、生産者になることを要求してきました。とりわけ、情報ディレッタントになるより、どんなにつたないものでもよい、他の誰のものでもないオリジナルな情報生産者になることを求めました。
偏差値の高い学生たちは好みのうるさい情報ディレッタントになりがちです。そしてそれはしばしばないものねだりや、揚げ足取りになる傾向があります。他人の生産物のしんらつな批評家になることは誰にでもできますし、ときにはそれは快感でもありますが、ならオマエがやってみろ、と言われて代替物を提示するのは容易ではありません。学部生までならそれでも許されるでしょう。ですが、大学院生のように、学知の再生産制度のなかに入った者は、文句があったらオマエがやってみろ、という批判から逃れることはできません。だから、情報生産者の立場に立つことを覚悟して消費者になると、情報の消費のしかたも変わってきます。この情報はどうやって生産されたのか?……その楽屋裏を考えるようになるからです。
何よりも情報生産者になることは、情報消費者になることよりも、何倍も楽しいし、やりがいも手応えもあります。いちど味わったらやみつきになる……それが研究という極道です。

注:(i) 引用中の「情報生産者」に関連するかもしれない、 a) 「自分の探究が、最終的にだれのためのものなのか、何のためのものなのかをはっきり意識」するための「読んでほしい」方々について、同の 第二章 探究的な学びとは何か の「だれのため、何のための探究なのか」における記述の一部(P56)を次に引用(『 』内)します。 『自分の探究が、最終的にだれのためのものか、何のためのものなのかをはっきりと意識して探究を開始します。たとえば、自分たちの探究の報告は、地方公務員や地方政治家に読んでほしい。学校の生徒、先生、学校長や教育委員会の人に読んでほしい。託児所を運営している人、それに関連する産業や行政に従事している人に読んでほしい、といったようにです。』(注:引用中の「探究」についてはここを参照して下さい) b) 「探究の学習で重要なことは、しっかりとしたアウトプットをすること」について、同の「第五章 プレゼンテーションの仕方」における記述の一部(P145)を次に引用(【 】内)します。 【探究の学習で重要なことは、しっかりとしたアウトプットをすることです。「勉強」は自分のためにやるものかもしれません。しかし「探究」は、みんなのために、自分だけではなく他の人の役に立つために、やるものです。だから、探究の結果をみんなに知ってもらう必要があるのです。】 c) 「重要なのは、発信(=アウトプット)力のトレーニングである」ことについては次の資料を参照して下さい。 資料「経済学部におけるアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究」中の高松正毅著の文書「学生に考えさせるために ―― 学生の傾向と諸問題 ――」(P1~P15)の「2.3. 重要なのは、発信(=アウトプット)力のトレーニングである」項(P8) (ii) 引用中の「オマエがやってみろ」に類似する「オマエがやってみせろ」について引用中の「グルメ」や「ディレッタント」についてを含めて、同の Ⅴ アウトプットする の 14 コメント力をつける の「代わりにやってみせろ」における記述の一部(P284)を次に引用(《 》内)します。 《批判は読者の特権。情報の消費者である限りは、いかようにもグルメにもディレッタントにもなれます。同じレベルの議論はできなくても、うまいまずい、口に合わない、などと好き勝手が言えます。学部生まではそれでも許されますが、大学院生になると、そうはいきません。先行研究の批判をするなら、批判はしても良い、だがそんなら代わりにオマエがやってみせろ、と言われる立場に立ちます。なぜなら院生とは、情報生産者予備軍だからです。》(注:引用中の「先行研究」についてはここや次の資料を参照すると良いかもしれません。 「3.先行研究に学び,活用する」)

次に、『社会科学における「問いを立てる際の条件」』について、同の Ⅰ 情報生産の前に の 1 情報とは何か? の「問いを立てる」における記述の一部(P017~P018)を次に引用します。

情報を生産するには問いを立てることが、いちばん肝心です。それも、誰も立てたことのない問いを立てることです。適切な問いが立ったとき、研究の成功は半ばまで約束されているといっても過言ではありません。問いを立てるとは、現実をどんなふうに切り取って見せるかという、切り込みの鋭さと切り口の鮮やかさを言います。問いを立てるには、センスとスキルが要ります。スキルは磨いて伸ばすことができますが、センスはそういうわけにいきません、センスには、現実に対しどういう距離や態度を持っているかという生き方があらわれます。(中略)

問いを立てる際、条件がふたつあります。第一に、答えの出る問いを立てること。第二に手に負える問いを立てることです。社会科学は形而上学ではなく形而下の現象を扱う経験科学ですから、「神は存在するか」とか「殺人は許されるか」といった、証明も反証もできない公準命題のような問いは立てません。たとえば上記の問いを、「神は存在すると考える人々はいかなる人々か」「いかなる条件のもとで殺人は許され、いかなる条件のもとでは許されないか」と文脈化すれば、これらの問いに答えることができます。第二に、人間には時間も資源も限られていますから、一日で解ける問い、一ヵ月で解ける問い、一年で解ける問い、あるいは一生かけても解けない問い……があります。問いのスケール感をまちがえず、限られた時間のなかで答えが出る問いを立てることで、問いから答えまでのプロセスを経験して、「問いを解く」とはどういうことかを体感する必要があります。いったんそのプロセスを経験すれば、あとは問いのスケールを拡大したり、問いの対象を変えたりしても、応用が可能になります。

注:(i) 引用中の「手に負える問いを立てる」ことに関連する「興味あるテーマに対して課題を見つけ出し,限られた期間内にてある程度の解決策を出すことのできるリサーチクエスチョンに落とし込むにある」について、廣野喜幸、藤垣裕子、定松淳、内田麻理香編の本、「科学コミュニケーション論の展開」(2023年発行)の 第12章 科学コミュニケーションと初等中等教育 の「12.6 STEAM教育と探究型学習」における記述の一部(P207)を次に引用(『 』内)します。 『探究型学習の1つの課題は,興味あるテーマに対して課題を見つけ出し,限られた期間内にてある程度の解決策を出すことのできるリサーチクエスチョンに落とし込むにある.』(注:この引用部の著者は大島まりです) (ii) 引用中の「研究」を先行研究(ここを参照)の多少で二つに分類した例について、同の Ⅱ 海図となる計画を作る の 3 先行研究を批判的に検討する の「凡庸な問いには先行研究が多い」における記述の一部(P058)を次に引用(【 】内)します。 【先行研究が多ければ、情報量が多いために研究は一面ではやりやすくなりますが、他面ではオリジナリティを発揮するハードルが高くなります。反対に先行研究が少なければ、手がかりになる材料がないために五里霧中で進まなければなりませんが、その分、過去の蓄積に縛られず自由にアプローチすることができます。何より、その分野でのパイオニアになり、第一人者になることもできます。何しろ他に競合相手がいないのですからね。その代わり、「なんでそんな変わったことをやるの?」と不審がられたり、誰にも理解されず、孤独を味わわなければなりません。】[注:[A] 引用中の「その分野でのパイオニア」に対する「自分の研究に指導教官など、この世にいると思うな」についてはここを参照して下さい。 [B] 引用中の「先行研究」の定義かもしれない「自分以外の誰かがすでに立てた問いと答え……の集合」については同「3 先行研究を批判的に検討する」の「先行研究とは何か?」項における記述の一部(P051)を次に引用(《 》内)します。 《自分以外の誰かがすでに立てた問いと答え……の集合を、学問の業界では「先行研究」と呼びます。英語では existing literature、つまりすでに目の前にある、文字で書かれたものの集合のことです。》 加えて、上記「先行研究」の検討が必要なことについて、同項における記述の一部(P051)を次に引用(『 』内)します。 『先行研究の検討が必要なのは、自分の立てた問いのどこまでがすでに解かれており、どこからが解かれていないか、を確認するためです。』[注:引用中の「自分の立てた問いのどこまでがすでに解かれており」に関連する「車輪を2度発明する(invent a wheel twice)」ことについては以下の [C] 1) 項を参照して下さい。] [C] 引用中の「先行研究」に関連するかもしれない、 1) 『論文を全く読まずに研究を始めてしまえば,いわゆる「車輪を2度発明する(invent a wheel twice)」,つまりすでに解明されているテーマを研究しようとして無駄な労力を費やすことになりかねない』ことについて、佐藤雅昭著の本、「なぜあなたの研究は進まないのか? 理由がわかれば見えてくる,研究を生き抜くための処方箋」[2016年発行]の CHAPTER 1 研究テーマを決める なぜ,何をやるのか熟慮する の「Q8 車輪を2度発明しようとしていないか?」における記述の一部[P25~P26]を以下に引用します。 2) 一方「学問するとは既存の知のうえに新たな知をつけ加えることである」ことについて、(社会科学の専攻をはじめとした)「大学生になるためのとりあえずの覚悟」を含めて、井上孝夫著の本、「社会学的思考力 大学の授業で学んでほしいこと」[2021年発行]の 第1章 大学生の始め方――知的創造の世界へ の「■まず、覚悟が必要だ」における記述の一部(P7~P8)を以下に引用します。]

Q8 車輪を2度発明しようとしていないか?

研究には大胆な発想も必要で,そのために論文を読み込みすぎることがかえって邪魔になることすらあると書きました(Q7)。だからといって,逆に論文を全く読まずに研究を始めてしまえば,いわゆる「車輪を2度発明する(invent a wheel twice)」,つまりすでに解明されているテーマを研究しようとして無駄な労力を費やすことになりかねません。だからその分野について勉強し,論文を読むことはとても重要です。
研究に限らず,一見大胆で斬新な発想に見えるものも、その背景にはいろいろな方向(特に違う分野)に張り巡らせたアンテナが活かされているということは多々あります。人より広い範囲で情報収集しているからこそ,誰にもできない大胆な発想ができるという部分もあるのです。
研究を始める際には,偏りのないように適宜文献検索もしつつ,いろいろ発想と夢を膨らませつつ,そして実現可能な研究かどうかも検討しつつ,進めていくのがよいでしょう。(後略)

注:引用中の「論文を読み込みすぎることがかえって邪魔になることすらあると書きました(Q7)」に関連する「研究で一番役に立たないのは,過去の論文はよく知っているけど何一つ建設的なことが出てこない評論家タイプです」について、同 CHAPTER 1 の「Q7 頭でっかちになってはいないか?」における記述の一部(P23)を次に引用(『 』内)します。 『研究で一番役に立たないのは,過去の論文はよく知っているけど何一つ建設的なことが出てこない評論家タイプです。あなたはそうならないように,自由な発想で研究に取り込んでください。』

■まず、覚悟が必要だ
長い受験勉強を経て大学の合格通知を受け取ると、解放感に満たされることだろう。(中略)

これからは小中高校までとは違って、学問の世界にすすんでいくのだと覚悟して、多少の緊張感をもっていたい。
では、まず、その覚悟について先人の言葉から要約しておこう。

「学問の道に王道なし」
ユークリッドがエジプト王・プトレマイオスにいった言葉とされている。王といえども学問することにおいては楽な道はありませんよ、といっているのである。

「わたしが遠くまで見通すことができるのは巨人の肩の上に乗っているからだ」
ニュートンの言葉とされている。学問するとは既存の知のうえに新たな知をつけ加えることである。それゆえ、まずこれまでの知の中身を把握しておく必要がある。先行する学者たちの研究内容を踏まえ、その先を見通すことが学問することの核心である。

「科学の入口には、地獄の入口と同じように、次の要求が掲げられなければならない。ここでいっさいの優柔不断を捨てなければならない。臆病根性は一切ここで入れかえなければならない」
マルクスの言葉だが、後半はダンテの『神曲』からの引用である。マルクス自身、その論説によってプロイセン政府に迫害され、最終的にロンドンに亡命した経験をもつ。社会科学は時の権力に不都合な論点を提示することもある。そのとき、権力を握る側から有形無形の攻撃があるかもしれない。それをあらかじめ覚悟しておけ、というのである。

ということで、以上が大学生になるためのとりあえずの覚悟である。

注:引用はしませんが、引用中の「学問」とは大いに異なると考える「ごまかし勉強」について説明する記述が上記井上孝夫著の本、「社会学的思考力 大学の授業で学んでほしいこと」[2021年発行]の 第4章 記憶力から思考力へ の「4 ごまかし勉強」(P104~P108)にあります。なお、上記「ごまかし勉強」についてはWEBページ『家庭学習の質的低下 : 「ごまかし勉強」の増加とその原因(第2部 学力と学習行動の実態)』からダウンロード可能な藤澤伸介著の資料『家庭学習の質的低下 -「ごまかし勉強」の増加とその原因-』(KJ00004298221.pdf)を参照すると良いかもしれません。ちなみに、上記「ごまかし勉強」に関連するかもしれない「大学にどう入るかがGoalではないとは思う」との記述を有するツイートがあります。

加えて、「問題とはあなたをつかんで離さないもののこと」について、同の Ⅰ 情報生産の前に の 2 情報とは何か? の「わたしの問題をわたしが解く」における記述の一部(P046~P047)を次に引用します。

(前略)あるときゼミ生から、「先生、問題って何ですか?」という問いを受けたことがあります。あまりにシンプルな問いは、その素直さで相手から根源的な答えを引きだすことがあります。わたしはその問いに対して、とっさにこう答えていました、「あなたをつかんで離さないもののことよ」と。そして自分の発した答えに、わたし自身が驚いていました。
わたしが女であることは、子どものころからわたしをつかんで離さない謎でしたから、わたしはそれを問いにすることにしました。とりわけ母が専業主婦でしたから、そのうえ不幸な専業主婦でしたから、「主婦ってなあに、何するひと?」「なぜ女は主婦になるの?」「主婦になるとどんなめにあうの?」……と次々に問いを立てていくと、「主婦」研究は奥の深いテーマであることがわかりました。そして「主婦」をつうじて、近代社会のしくみを暴いたのが、わたしの『家父長制と資本論』[1990/2009]という著作です。しかも女が主婦になることは、その当時は「あたりまえ」と考えられていたために、それまで誰もまともに問いを立てたことがなく、したがって先行研究が少ないこともわかりました。
同じように、自分が障害者であること、在日であること、強姦被害者であること……などが、あなたをつかんで離さない問いになるかもしれません。外国で生まれ育ったある日本女性は、自分が女であることよりも、「日本人」であることのほうが謎だった、と言います。置かれた環境や、経験の違いによって、その人の解きたい問いはさまざまです。ですが、ほんとうに解きたい問いに出会うことは、研究者にとっては仕合わせというべきですし、ほんとうに解きたい問いでない限り、研究には本気になれないものです。

一方、『「日本語は論理的な思考に適さない」は暴論である』ことについて、同の Ⅰ 情報生産の前に の 2 問いを立てる の「作文教育のまちがい」における記述の一部(P029)を次に引用(【 】内)します。 【日本語は論理的な思考に適さない、などと暴論を吐くひとがいますが、そんなことはありません。そのひとは、論理的な文章を読んだり書いたりしたことがないだけでしょう。】

また、「学問の分野はますます領域横断的になってきている」ことについて、同の Ⅱ 海図となる計画をつくる の 3 先行研究を批判的に検討する の「先行研究をフォローする」における記述の一部(P055)を次に引用します。

(前略)学問の分野はますます領域横断的に――学際的 interdisciplinary であるだけでなく超域的 transdisciplinary に――なってきました。たとえば「摂食障害」をテーマに選べば、ただちに心理学や精神医学の分野だと考えるひともいるでしょうが、社会学も文学も、「摂食障害」を取り扱っています。最近では「摂食障害の人類学」[磯野2015]も登場しました。もしかしたら「摂食障害政治学」や「摂食障害の哲学」などもありうるかもしれません。同じ主題を異なる分野や異なる文脈に置いたとき――あなたが予想もしなかった問いと答えが、すでに登場しているかもしれません。(後略)

注:i) 引用中の「磯野2015」は次の本です。 「磯野真穂2015『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』春秋社」 ii) 引用中の「学際的」な当事者研究かもしれない例はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「学問の分野はますます領域横断的に」関連する(大学では)「研究教育も学部や専門の壁を越えた超領域的・分野横断的なものが増えている」こと、そして「文系・理系といった区別が意味をなさない研究テーマが増えてきた」ことについて、共に河野哲也著の本、『問う方法・考える方法 「探究型の学習」のために』(2021年発行)の 第一章 「探究」とは何か の「3 変わりつつある学び」における記述の一部(P27~P30)を以下に引用します。加えて、引用中の「同じ主題を異なる分野や異なる文脈に置いたとき」に関連するかもしれない「一つの事柄をさまざまな視点から検討する力」について、同章の「一つの事柄をさまざまな視点から検討する力」における記述の一部(P27~P30)を以下に引用します。その上に、引用中の「領域横断的」に関連するかもしれない、「英語による情報をキーワード検索するくらいのことはしてほしい」ことについて、同における記述の一部(P055~P056)を以下に引用します。

3 変わりつつある学び(中略)

大学では、研究、教育、産業、地域交流、ボランティアなどが総合された形での活動が増えています。研究教育も学部や専門の壁を越えた超領域的・分野横断的なものが増えています。先に「横断的・総合的」な学習で触れたように、今や、文系・理系といった区別が意味をなさない研究テーマが増えてきたのです。人工知能や環境問題、地域創生などは典型的にそうした事例です。(後略)

一つの事柄をさまざまな視点から検討する力
「教養」の意味もかなり変わってきました。以前の大学では一、二学年に教養課程があり、それを修了して専門の勉強をすると考えられてきました。教養は、一般的な事柄について広く浅く学び、常識を身につけること、あるいは、専門に行くための基礎的な知識を身につけること、そのように考えられてきました。
しかし現代では教養の役割は大きく異なってきています。教養をつけるとは、単に広い分野の物知りになることではありません。教養とは、現代の狭く細分化されすぎている専門性を、より広い視野に立って鳥瞰的・俯瞰的に捉えるための知的態度のことなのです。
現代社会では、職業は専門化しています。私たちは、自分の仕事には専門性があっても、他の分野ではまったくの素人です。そのために、自分が知っている範囲以外では何が行われているかがまるでわからなくなっていますし、視野が狭くなり、どうしても自分の分野や組織のことばかりを意識的・無意識的に優先してしまいがちです。ここから問題が生じてきます。
たとえば、遺伝子組み換え食品の例を考えてみましょう。現在では、植物の遺伝子を組み換えて、害虫に強いジャガイモや病気に強いイネ、腐敗しにくいトマトなどが作られています。遺伝子操作で新しい品種の農産物を作るという場合、それを開発導入しようとする技術者や農業者の利益を推進するだけでは一方的すぎます。多くの人の不満や不安を無視しています。
健康が心配な消費者、新種が受け入れられるかを危惧する農業者、生態系への悪影響を心配する地元の人々、地域産業の発展を期待している人々など、食品をめぐる利害関係者にはさまざまな人がいます。それらの人たちの関心にも十分に配慮して、その食品の開発と導入を行わなければなりません。そのためには、遺伝子工学だけではなく、農業の仕組み、環境問題、健康や子育てなどさまざまな分野について、まずは思いが及ばなければなりません。さまざまな方面に意識が向けられなければなりません。多様な分野と地域の人々を結び合わせるつなぎ役が必要なのです。
現代社会では、専門性が進んでいるからこそ、ひとつの事柄をさまざまな視点から検討し、他の分野や一般社会と関係づけて考える力が必要とされます。それが教養と呼ばれるものです。したがって、教養とは、専門教育への単なる準備ではなく、また、だだ広い範囲の物事に浅い知識をもっていることでもありません。教養とは、専門教育を他の分野や一般社会と結びつけるためのもの、専門家を他の分野や一般社会の人々に結びつけるためのものです。
別の言い方をすれば、人々と結びつけ、互いの知識を結びつけていく人間交流の知が教養と呼ばれるようになったのです。したがって現代の教養は、さまざまな分野の人を話し合わせる対話の術を必要とします。私が本書で対話を重視するのもそのためです。現代社会では、知的活動はますます多様な人と対話することによって進められています。(後略)

(前略)ここからはややハードルが高いですが、言語の壁を超えてください。日本語で検索できるのは日本語圏のみの情報です。何も各国語に通じよとは言いません(2)。少なくとも世界共通語となった英語による――英語圏とはもはやアングロサクソン諸国を指すのではなく世界を含みます――情報を、キーワード検索するくらいのことはしてほしいものです。裏返しにいえば、日本語で発信した情報は言語という非関税障壁があるために、日本語圏から外には出て行きません。世界のグーグル検索でひっかかるのは英語のみ。泣いてもわめいても、この英語帝国主義の現実からは逃れられません。だから英語での情報発信はとても大事なのです。

注:引用中の脚注(2)の記述[P069]を次に引用(『 』内)します。 『(2) 原語で読むことまでは要求していない。日本は翻訳大国で、少数言語を含めて各国語の文献が日本語で読める点では、日本語を習得さえすれば世界の情報が入ってくるコスパのよい言語。英語はたしかに世界語だが、英語に翻訳される前に日本語に翻訳される文献はしばしばある。漢字文化圏の研究者のなかには、日本語習得を通じて世界事情を知る人たちもいるぐらいだ。』 ただし、この記述はあくまで社会科学の分野におけるものかもしれません。ちなみに、医学の分野における英語の重要性についてはここを参照して下さい。

さらに、①「情報のインプットとアウトプット」や論文のアウトプットに関連する②『「研究論文の作法」としての「文章が論理的であること」』を含む③『「社会科学において「かみあう議論をする」』ことにおいて、先ず①の「情報のインプットとアウトプット」について、同の Ⅰ 情報生産の前に の 1 情報とは何か? の「インプットとアウトプット」における記述(P022~P023)を以下に引用します。次に②の「文章が論理的であること」について、同の Ⅰ 情報生産の前に の 2 問いを立てる の「作文教育のまちがい」における記述の一部(P030)を以下に引用します。

情報のインプットとアウトプット

情報を消費したり収集したりすることを、インプット(入力)といいます。インプットした情報を加工して生産物にする過程を情報処理 information process と言います。情報処理の「プロセス」は、「加工」でもあり、「過程」でもあります。情報生産の最終ゴールは情報生産物をアウトプット(出力)することです。どれだけ情報をインプットしていても(これを博識と言います)、あるいはそれから多くの情報処理を経ていても(これを智恵と言います)、アウトプットしない限り、研究にはなりません。
情報生産者になるためには、アウトプットが相手に伝わってなんぼ。なぜなら情報生産とはコミュニケーション行為だからです。情報が相手に伝わらない責任は、もっぱら情報生産者にあります。もし誤解を生むとしたら、その責任ももっぱら情報生産者にあります。その点で研究という情報生産の特徴は、詩や文学のような多義性を許さない、という点にあります。誤解の余地のない明晰な表現で、ゆるぎのない論理構成のもとで、根拠を示して自分の主張で相手を説得する技術……これが論文というアウトプットには求められます。

注:引用中の「情報生産者になるためには、アウトプットが相手に伝わってなんぼ」や「情報が相手に伝わらない責任は、もっぱら情報生産者にあります」に関連するかもしれない、『研究者は「正しい知識」を生み出すべき者なので、信用を失ったらおしまい。コピペ・不正・ねつ造・嘘は絶対にダメ。」なことについては次の資料を参照して下さい。 「研究者って何? どうすれば研究者になれるの?」の「覚えておいてほしい言葉 1」シート(P41)

(前略)文章が論理的であるためには、多義的な解釈を許すような書き方をしてはなりません。どんな用語も一義的に解釈できるように定義し、いちど用語を確定したらたとえ退屈でも最初から最後まで同じ用語で通し、論理をゆるがせにせず、緻密に論証を組み立てなければなりません。なぜなら文章とは相手に正確に伝わってなんぼ、だからです。もし誤読が起きるとしたら、それは書き手の責任。それが研究論文の作法です。(中略)

世の中には読み手のいない「押し入れ詩人」や「ブログ作家」はごまんといますが、研究者にとっては情報が共有されないことには価値がありません。

注:(i) 引用中の「研究」について、同の「はじめに――学問したいあなたへ」における記述の一部(P009)を次に引用(『 』内)します。 『研究とは、まだ誰も解いたことのない問いを立て、証拠を集め、論理を組み立てて、答えを示し、相手を説得するプロセスを指します。そのためには、すでにある情報だけに頼っていてはじゅうぶんではなく、自らが新しい情報の生産者にならなければなりません。』 (ii) 引用中の「文章とは相手に正確に伝わってなんぼ」や「もし誤読が起きるとしたら、それは書き手の責任。それが研究論文の作法」に関連するかもしれない、 a) 「読者を説得することが目的の資料であるなら,誰が読んでも疑う余地なく,論理的で矛盾のない文章を書かなければならない」ことについては次の資料を参照して下さい。 「全体ゼミ資料の書き方」の「7-5. 論理的な文章を書く」項[P5] b) 「我々研究者が書く文章は数式と同じと心得るべきです。全ての単語が厳密で、ロジックでつながるべく、1つ1つの単語について要否を検討しながら書かなければなりません。言語としての誤り、格の誤り、用語の誤りは問題外です。曖昧な用語は定義してから用いるようにし、他意にとられる恐れのある単語や表現は、「一意に」読めるように直すべきです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「教授メッセージ - 疾患情報研究分野 (生理学教室)| 今井研究室」の「説得力があること」項 c) 大学に入学してから卒業するまでに挑戦してほしいこととしての、科学的な考え方を身につけることにも寄与する「文章を書く」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「入学式学長告辞 - 長崎大学

またの「かみあう議論をする」ことについて、同 2 問いを立てる の「かみあう議論をする」における記述の一部(P031)を以下に引用します。その後に様々な事項についての脚注があります。

社会科学は経験科学です。信念や信条にもとづいて主張を唱えるのではなく、検証可能な事実にもとづいて、根拠のある発見をしなければなりません。わたしはゼミで学生にしょっちゅう「あんたの信念は聞いてない」と言ってきました。「それは何を根拠に言うの?」とも、しつこいぐらいに聞きました。根拠のない信念はただの思い込み。「偏見」ともいいます。たとえゼミの議論が盛り上がっているように見えても、論証も反証もできないような各人の思い込みがやりとりされているだけでは、「いろいろあるよね」「いろんな考えがあるよね」で終わり。結論に到達することはできません。こういうやりとりを議論 argument とは呼びません。(後略)

注:(i) 引用中の「信念」※1に関連する『議論に個人の信念が混ざると途端に「違う」と叱られる』ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「ゼミは怖いが、この本は優しい」 なお、認知療法の視点からの「信念」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) また、 a) (「意見は無知を生む」のに対する)「科学は知識を生む」ことについてはここを、 b) 大学において『知を生み出す知「メタ知識」を身につけてほしい』(WEBページ「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」の「東京大学で学ぶ価値」項を参照)ことについては※2を それぞれ参照して下さい。 (iii) 一方、ゼミ資料において「自分が理解していないことすら理解せずに資料を書くということは許されない」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「全体ゼミ資料の書き方」の「8.おわりに」項[P6]

※1:上記「信念」にひょっとして関連するかもしれない、我々「凡夫」(参照)は「欲望(煩悩)によって条件づけられた現象の認知の仕方」(他の拙エントリのここを参照)を有していることも自覚した方が良いと拙ブログ作者は考えます。

※2:上記『知を生み出す知「メタ知識」を身につけてほしい』ことに対し、「当たり前のことを言っただけ」については次のWEBページを参照して下さい。 『東大祝辞・上野千鶴子インタビュー 「当たり前のことを言っただけ」』 ちなみに、 (i) 標記東大祝辞については次のWEBページを参照して下さい。 「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」 (ii) 一方、標記WEBページ(3ページ目)の『──知を生み出す知「メタ知識」を身につけてほしいと祝辞を締めくくりました。』項における記述を次に引用(『 』内)します。 『文系理系問わず全ての研究者にとって、これは普遍的なメッセージだと思います。総長も教養学部長も同じ趣旨のことをおっしゃいました。正解が出てしまったことをやっても研究の意味はありませんから。そう考えれば、正解が一つしかないような問いを出して選抜試験をやるということ自体が矛盾ですよね。東大生に世界に通用する人になってほしい。エリートになっても、難民になっても、世界のどこかでちゃんと生きていける人になってほしいと思います。』(注:引用中の「正解が一つしかないような問いを出して選抜試験をやるということ」に関連する『今の東大生は、「答えは1つしかない」という選抜試験に勝ち抜いてきた学生です』については次のWEBページを参照して下さい。 『上野千鶴子氏が語った2030年の女性:前の世代が勝ち取ったものは「当たり前」でいい』の『「問い」を立てられない東大生』項) (iii) 上記「メタ知識」は大学において極めて大事であることについてのツイートがあります。加えて上記「メタ知識」に関連する、 1) 『一生学び続けられるようになるために、大学時代に「学ぶということを学ぶ」と良い』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「平成31年度 一橋大学学部入学式 式辞」 加えて、「大学で何を学ぶべきか。それは、考え方であり学び方でしかない。」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「真の教育、オックスフォード大学にあり『教え学ぶ技術 問いをいかに編集するのか』」 その上に「学生にとっての大学とは、学び方、そして、学問する姿勢を身につけるための場であるべき」であることについては次のWEBページを参照して下さい。 【「『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』は、大学生にとってのバイブルだ!」というようになってほしいぞ(著者談)】 さらに、『大学で何を学ぶのか、ということになりますが、私の考えでは「学び方を学ぶ」ということになります。大学では、主体的に学ぶということが大事です。また、私たちは生涯にわたって学び続ける必要があります。』については次の資料を参照して下さい。 「告辞 - 琉球大学 平成28年度 入学式」 2) 「こんな大変容の時代にあっては、既存の知識や技術は瞬く間に使いものにならなくなる可能性があります。個々の知識や技術を学ぶことも大事ですが、何よりも、未知の世界におけるブレイクスルーの創造につながるそれぞれの学問領域における物事の考え方、直面する課題をいかに把握し、理解し、解を導くのか、いわば学問の方法論の習得に力を注いでください。」については次のWEBページを参照して下さい。 「平成29年度長崎大学入学式学長告辞」 そして、上記「メタ知識」を身につけることに関連するかもしれない「教養教育において文理融合の答えのない問題の解を考えさせる」ことについてのツイートもあります。 (iv) 上記「メタ知識」に関連するかもしれない「メタ学習」について、三宮真智子著の本、「メタ認知で〈学ぶ力〉を高める 認知心理学が解き明かす効果的学習法」(2018年発行)の 第1部 メタ認知を理解するための20のトピック の Topic 1 の「認知とは何か,メタとはどういう意味か」における記述の一部(P13)を以下に引用します。『学ぶこと,つまり学習に関しては,メタ学習(metalearning)という概念があり,学習をさらに一段上からとらえた思考や知識を指します。たとえば「どうすればよりよく学べるか」と考えることや,それについての知識などです。』[注:この引用に関連する上記 (iii) 1) 項も参照して下さい]

また、新しい学問分野を切り拓くパイオニアにおいて「自分の研究に指導教官など、この世にいると思うな」について、同の Ⅱ 海図となる計画を作る の「指導教官などいないものと思え」における記述の一部(P067~P068)を次に引用します。

行き場のなかった京大の大学院生時代、研究室の主任教授とうまくいかなかったわたしは、利害関係のない隣接分野の先生方の研究室に、シェルターを求めて出入りしていました。そのなかには教育学の筧田知義先生や、人類学の米山俊直先生がいらっしいました。そのひとり、社会心理学の木下冨雄先生から言われたことばが、いまでも忘れられません。
自分の研究が誰にも理解してもらえず、指導してくれそうな教授も見つからない……とこぼしたときのことです。木下さんはこう言い放ったのです。
「自分の研究に指導教官(当時はまだ国立大学の教師は「教官」でした、「官学」でしたから)など、この世にいると思うな。もしいたら、そんな研究はやる値打ちのないものと思え!」
目が覚めました。ご自身でも、まだ日本には存在しなかった「社会心理学」という新しい分野を開拓して、みずから教授のポストに就いた木下さんらしい発言でした。そうしてわたし自身も「女性学」という、それまで存在しなかった新しい学問分野を切り拓くパイオニアになりました。(後略)

注:引用中の「女性学」が含まれるかもしれない「当事者研究」(わたしの問いをわたしが解くもの)について、同の Ⅰ 情報生産の前に の 2 問いを立てる の「わたしの問題をわたしが解く」における記述(P044)を次に引用(【 】内)します。 【当事者研究とは、北海道浦河の「べてるの家(1)」から発信したものですが、それを見たとたん、それならわたしたちはもっと前からやってきた、と思ったものでした。当事者研究とは、わたしの問いをわたしが解くもの。女性学は、女という謎を女自身が解くもので、今から思えば、当事者研究のパイオニアでした。】[注:i) 引用中の脚注「(1)」〔P048〕を次に引用〔《 》内〕します。 《(1) 北海道浦河にある精神障害者のための自立支援組織。「当事者研究」の発案者でソーシャルワーカー向谷地生良らによって設立された。『べてるの家の「非」援助論』[2002]、『べてるの家の「当事者研究」』[2005]などが有名。》 ii) 同の「Ⅱ 海図となる計画をつくる」には「5 研究計画書を書く(当事者研究版)」項があります。 iii) 上記当事者研究についてのWEBページ、資料、ツイート例は次を参照して下さい。 「当事者研究とは-当事者研究の理念と構成- (向谷地生良)」、「当事者研究から見える社会」(視点・論点)』、「当事者研究への招待-知識と技術のバリアフリーをめざして-」ツイート 加えて、複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患している方の「当事者研究」の例は他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、上記「当事者研究」を続けることについては次のWEBページを参照して下さい。 『終わりのない当事者研究、続ける原動力は「苦楽を共にする仲間」ーー研究者・綾屋紗月さんインタビュー・後編【連載】すてきなミドルエイジを目指して』 加えて、上記「綾屋紗月さん」(資料『当事者が拓く「知」の姿:ある自閉スペクトラム者の観点から』を参照すると良いかも)にも関連する博士論文「当事者研究に関する理論構築と自閉症スペクトラム障害研究への適用」は、WEBページ「当事者研究に関する理論構築と自閉症スペクトラム障害研究への適用」から「B17965.pdf (14.1 MB)」としてダウンロード可能です。 iv) 一方、上記「当事者研究」に関連するかもしれない「新たなレールを敷くこと」についてのツイートがあります。 v) また、上記「当事者研究」と「哲学対話」については次の資料を参照して下さい。 「対話による人間の回復:当事者研究と哲学対話

一方、学際的な当事者研究との位置づけが可能かもしれない「ソーシャル・マジョリティ研究」に関連して、 a) 次の資料を参照すると良いかもしれません。 『当事者が拓く「知」の姿:ある自閉スペクトラム者の観点から』 b) 加えて、この研究の必要性について、綾屋紗月編著、澤田唯人、藤野博、古川茂人、坊農真弓、浦野茂、浅田晃佑、荻上チキ、熊谷晋一郎著の本、「ソーシャル・マジョリティ研究 コミュニケーション学の共同創造」(2018年発行)の 序章 ソーシャル・マジョリティ研究とは の『6.「ソーシャル・マジョリティ研究」の誕生』における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【発達障害とされる私たちにとっていま必要なことの二つめは、自分自身について探求する「当事者研究」に加えて、私たちを排除した多数派社会のルールやしくみは、そもそもどのようになっているのか、についての知識を得ることだと感じています。つまり「多数派の身体特性をもった者同士が、無自覚につくりあげている相互作用のパターン」についての研究もおこなう、ということです。これを「ソーシャル・マジョリティ(社会的多数派)研究」と名づけました。】(注:この引用部の著者は綾屋紗月です) c) その上に『少数派が自らの困難を元手に「普通」を解明する』ことについて、同本の 終章 ソーシャル・マジョリティ研究の今後の展望 の『1.少数派が自らの困難を元手に「普通」を解明する』における記述(P288~P289)を以下に引用します。なお、以下に記述されている用語「本書」はこの本のことです。

自転車を自由に乗りこなせる人に、「自転車の乗り方について教えて」と口頭で尋ねても、うまく答えられないでしょう。それと同じように、対人距離のとり方や、会話における発話内容の選び方、順番交代のタイミングなど、他者とのかかわりにおける暗黙のルールを自然に守れている人に対して、そのルールがどのようなものかを尋ねても、答えることは難しいに違いありません。しかし、社会性やコミュニケーションに困難を抱えるとされる、自閉スペクトラム症をはじめとした発達障害をもつ人びとにとっては、こうした暗黙のルールこそが、見えない障壁として立ちはだかっており、社会参加を阻んでいます。おそらくは、自転車という道具が定型発達者向けにデザインされているために、一部の少数派にとっては乗りこなせない代物であるのと同じように、対人関係における暗黙のルールもまた、定型発達者の認知行動レベルの身体特性に合わせてできあがっており、それゆえに、発達障害をもつ人びとにとって障壁になっているのだろうと考えられます。
一般的にこうした問題を解決するには、少数派の身体特性を定型発達者に近づけようとする「医学モデル」的なアプローチと、逆に社会の側を、少数派にとって障壁のないデザインにつくり変えていく「社会モデル」的なアプローチの二種類があります。たとえば、身体障害をもつ人に対して、リハビリによって階段を昇れるように訓練するのは医学モデル的なアプローチであり、建物にエレベーターを設置することで問題を解決するのが社会モデル的なアプローチです。しかし、「階段を昇れない身体特性」や「エレベーターが設置されていない建築物」といったものが誰にとっても見えやすいのに対し、発達障害をもつ人びとの身体特性がどのようなもので、対人領域における暗黙のルールのうち、彼らにとって障壁となっているのがどのような部分なのかは、いずれも見えにくいものです。本書はそのうちの後者の問題、すなわち、その一部が発達障害をもつ人びとにとって障壁となっている、定型発達者向けにつくられた暗黙のルールを特定することを目的としています。
ハロルド・ガーフィンケルという社会学者は、「他者の知覚:社会的秩序の研究1」という博士論文の中で、まさにこの暗黙のルール(社会的秩序)を解明するための方法を提案しました。その方法とは、「違背実験(breaching experiment)」と言い、対人的なやりとりの場面で、あえて望ましくない言動を実験的におこなうことを通じて、暗黙のルールがどのようなものなのかを明らかにしようというものです。本書が採用している研究方法も、この違背実験に似ています。発達障害をもつ人びとは、日々、違背実験を生きていると言えるでしょう。しかもその違背実験は、社会学者があえておこなうものとは異なり、否応なしにおこなわれるものであり、本人にとっては困難として経験されるものです。本書は、当事者が経験している困難を元手にして、「普通」とされる暗黙の社会的ルールを解明しようとする新しい研究プロジェクトと言えます。

注:i) この引用部の著者は熊谷晋一郎です。 ii) 引用中の文献番号「1」は次の博士論文です。 「Garfinkel, H. (1952). The perception of the other: A study in social order. Ph. D. dissertation. Harvard University.」 iii) なお本書が採用する研究方法の特徴の一つとしての、『「発達障害を持つ当事者」と「さまざまな分野の研究者」が共同し、新しい知識を生み出している』ことについて、同「おわりに」の「2.共同創造における新しい学際研究プロジェクト」における記述の一部(P290)を次に引用(【 】内)します。 【本書が採用する研究方法には、もう一つの特徴があります。それは、発達障害をもつ当事者と、さまざまな分野の研究者が、直接あるいは間接的な対話を通じて創造的に共同し、新しい知識を生み出しているという点です。これは近年、教育、医療、福祉といった公的サービスの領域において重要視されつつある「共同創造(co-production)」というコンセプトを、学術の領域に応用したものとみなすことができるでしょう。】(注:この引用部の著者は熊谷晋一郎です)

注:i) この引用部の著者は熊谷晋一郎です。 ii) 引用中の「当事者研究」に関連するかもしれない『当事者も専門家も、自分たちが継承してきた価値・知識・技術を不断に見直し続ける「研究者」になることが、置き去りにされがちな周縁に置かれた人々を包摂する社会の条件として重要だということになる』ことについて、「当事者研究は、皆にひらかれたものなのだ」を含めて熊谷晋一郎著の本、「当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復」(2020年発行)の「終章 当事者研究は常に生まれ続け,皆にひらかれている」における記述の一部(P213~P215)を次に引用します。

(前略)要するに、当事者も専門家も、自分たちが継承してきた価値・知識・技術を不断に見直し続ける「研究者」になることが、置き去りにされがちな周縁に置かれた人々を包摂する社会の条件として重要だということになる。

ベてるの家で生まれた当事者研究は、幻覚や妄想をもちながら生きていく当事者が、支援者にサポートされながら生み出した一つの方法である。「妄想」とは、「多数派とは異なる信念体系」に他ならない。たとえば、Aさん、Bさん、Cさんのそれぞれが以下のような信念をもっているとしよう。

Aさん「UFOに追われている」
Bさん「FBIに追われている」
Cさん「暗殺集団に追われている」

ベてるの家が当事者研究を実践する中で発見されたのは、「他人の妄想は妄想だとわかる」ということだった。当事者研究を重ねるうちにそれぞれが次のように考えるようになる。

Aさん「UFOは真実だけど、FBIや暗殺集団は違うのでは?」
Bさん「FBIは真実だけど、UFOや暗殺集団は違うのでは?」
Cさん「暗殺集団は真実だけど、UFOやFBIは違うのでは?」

この三者で正直な経験や考えを表現し合う公的空間の活動としての当事者研究を行うと、「他の二人には共有されていないということは、私の信じて疑わない感覚も妄想なのではない
か」と考え、自分が妄想をもっていることに気がつくようになる。支援者が密室の中で一対一で説得するよりも、公開の場でそれぞれにとっての現実をただ否定せずに並べたほうが、時に信念の更新を引き起こす。治療戦略の観点から嘘をつくかもしれない専門家よりも、特に利害関係もなく距離のある人が、数名で同じことを言うほうが、信憑性が高くなることも珍しくはない。診察室では奇跡に思えることが、研究の場で起きることもあるのだ。
当事者研究によって、「私の信念は多数決で妄想らしい」という気づきが生まれ、合意してもらえた範囲が現実として浮かび上がってくる。こうしてAさん、Bさん、Cさんの中で、
「妄想」と「(最大公約数的な)現実」の二つのレイヤー(層)が生まれることになる。
しかし、三人は現実のレイヤーでのみつながっているのではない。妄想のレイヤーにおいても、「○○に追われている」という共通点が見つかり、ここに共感が生まれる。この共感は、
レイヤーが二つに分離し、妄想のレイヤーを現実のレイヤーが客観視できるようになるための、重要な前提条件だ。UFO、FBI、暗殺集団、といった○○に代入される中身が違っていても、ストーリーの骨格や経験は共通している。共感されず否定された妄想は固くなるが、骨格のレベルで共感され、同時に現実のレイヤーから客観化された妄想は、柔らかく、対話や変化が可能な何かになるということも、べてるの家が発見した大きな功績である(1)。
このように考えると、専門家や多数派もまた、妄想とは無関係でいられないとわかる。統合失調症の人は妄想を変えられない、という妄想をもっている精神科医や、妄想をもっている人は危ないという妄想をもって過度に恐れる多数派も、当事者研究によってその恐怖心に共感されつつも現実のレイヤーを立ち上げる必要があるだろう。
つまり、当事者研究における当事者は、マイノリティだけを意味するのではない。専門家も多数派も、すぐに妄想にとらわれてしまう脆弱な存在としての当事者なのである。ゆえに当事者研究は、皆にひらかれたものなのだ。

注:i) 引用中の脚注番号「(1)」の記述(P注23)を次に引用(『 』内)します。 『(1) ローティ(2000)は,道徳は歴史的な偶然の中で生み出されたものであり,歴史を超えた普遍的な真理に拠るものではないと主張した.したがって道徳の根拠として,何らかの「普遍性」や「真理」を付そうとする試みは批判され,リベラルな連帯を目指すとき,「われわれ」は「われわれ」の根拠となるものを探してはいけないことになる.代わりにローティは,リベラル・アイロニストになることの倫理的重要性を説いた.ここでいうリベラルとは,「この世で最悪なことは残酷さである」と考える立場であり,アイロニストとは「自分が最も正しいと信じていることや,自分が現在のような状況にあることは,相対化される偶然的なことに過ぎないと自覚している人」のことである.ローティによれば,自分という存在の相対性や偶然性を自覚するアイロニストは,必然的に他者へと関心を向けることになる.そして残酷さこそがこの世で最悪なことだと思うことによって,リベラルな連帯が成立していくという.筆者には,自他の信念体系からは距離を置きながら(アイロニスト),苦悩には共感する(リベラル)というべてるの家メンバーのポジションは,ローティのいうリベラル・アイロニストのそれと重なり合っていると感じられる.』 ii) 引用中の「統合失調症」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方上記「情報生産者」に必要な「知の体力」に関連するかもしれない、「大学は学生に何も教えない」ことについて、永田和宏著の本、「知の体力」(2018年発行)の Ⅰ部 知の体力とは何か の 1 答えがないことを前提として の「大学を高校から切りはなす」における記述の一部(P12~P13)を次に引用します。

(前略)いまから50年ほど前、私が京都大学に入学したとき、時の総長、奥田東先生の入学式の祝辞には度肝を抜かれた。奥田総長曰く「京都大学は、諸君に何も教えません」。そのあとどう続いたのか、ほとんど忘れてしまった。「諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない」、たぶんそんな風に展開したのではなかろうか。
大学というところは、自分に何も教えてくれない。このひと言は衝撃であった。これまで手取り足取り、先生たちから教えられてきた高校までの教育、それらとはまったく違った世界にいま自分は足を踏み入れようとしている。それはまた、心が震えるような興奮であり、感動でもあった。
文部科学省は高大連携を謳い、また逆に高校の復習ともいうべきリメディアル教育が推奨され、実施されている。いずれも高校と大学のギャップをなくし、高校から大学へスムーズに移行させようというベクトルであろう。
しかし、私は自身の経験から、高校と大学はまったく違った世界なのだとまず宣言するところから大学教育はスタートすべきだと思っている。高校と大学をスムーズにつなげるのではなく、意識の上で断絶させることから、大学教育を始めるべきだと思うのである。

注:(i) 引用中の「京都大学は、諸君に何も教えません」や「諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない」ことに関連する「大学は、学生に何かを教える場所ではなく、学生が何かを見つける場所であってほしい」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「[立命館アジア太平洋大学 学長] 出口 治明 - 創立125周年に寄せて 京都大学」 (ii) 引用中の「京都大学」の学士課程における入学者受入れの方針(アドミッション・ポリシー)については次のWEBページを参照して下さい。 「京都大学入学者受入れの方針(アドミッション・ポリシー)」の「学士課程」項 またこのWEBページ中には引用中の「京都大学は、諸君に何も教えません」や「諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない」ことに関連する『「自学自習」の教育』の記述もあります。ちなみに、 a) 「東京大学」の全学部共通のアドミッション・ポリシーについては次のWEBページを参照して下さい。 「東京大学アドミッション・ポリシー」 b) 「大阪大学」のアドミッション・ポリシーについては次のWEBページを参照して下さい。 「各学部・研究科のアドミッション・ポリシー(入学者受け入れ方針) - 大阪大学」 c) 「横浜国立大学」のアドミッション・ポリシーについては次のWEBページを参照して下さい。 「入学者受入れの方針(アドミッション・ポリシー) - 横浜国立大学」 d) 「東北大学」のアドミッション・ポリシーについては次の資料を参照して下さい。 「Ⅰ 入学者選抜方針(アドミッション・ポリシー) - 東北大学」 (iii) 引用中の「高大連携」については次のWEBページを参照して下さい。 「高大連携 - 京都大学

加えて「答えのない問題」について、同の 1 答えがないことを前提として の「答えのない問題」における記述の一部(P15~P16)を次に引用します。

答えは確かに〈ある〉。それが初等中等教育における「問題」の大前提である。そして先生はその答えを知っている。その正しい答えに、どうしたら自分たちも到達できるだろうか。先生が知っているはずの答えと自分のものが一致すれば正解で、違っていればバツ。それが入学試験も含めて、高校までの試験の問題であった。
考えてみると、これは怖いことではないか。なぜなら、小学校から高校まで、誰もが一貫して、問題には必ず答えがあるということを前提とし、正解は必ず一つであると思い込んできたのだから。教師の側も、答えが二つも三つもある問題は避けてきただろうし、答えのない問題は出しようがなかった。
どこかに正解があって、その正解は自分が知らないだけであって、誰かが(たぶん誰か偉い人が)知っていると、頭から思い込んでいること、その呪縛のまま、大学においても同じスタンスで教育を受け、そして社会に出ていく。そんな社会人ばかりが増えていくと考えることは怖しいことではないか。(中略)

たとえば沖縄に基地が集中している「問題」。日本全土のわずか0.6パーセントの土地しか持たない沖縄県に、全国に存在する米軍基地の70パーセントが集中している。日本人なら、これをそのまま放置しておいていいと考える人はおそらくいないはずである。しかし、これをどうしたらいいのか、その解決法が見つからないままに放置されているのが、放置され続けてきたのが、沖縄問題の本質である。
誰もが申し訳ないと思うけれど、それじゃあ私たちの県で引き受けましょうとは、誰も言わない。米軍基地のない日本が安全保障の面からやっていけるのか、と言ったより本質的な問題を措くとしても、同じ国民である以上、負担は公平であるべきだという、一応の「正解」さえもここでは放置されたままである。
このような問題は、誰かに尋ねれば正解を与えてもらえるという問題では決してないのだ。また単に正解を求めるという作業だけでは決して解決できないものなのである。私たちは、そんな社会に暮らしているし、若者たちは、大学を出れば、そのような社会のなかで生活をしなければならなくなる。

注:引用中の「答えは確かに〈ある〉。それが初等中等教育における「問題」の大前提である。そして先生はその答えを知っている。その正しい答えに、どうしたら自分たちも到達できるだろうか。先生が知っているはずの答えと自分のものが一致すれば正解で、違っていればバツ。それが入学試験も含めて、高校までの試験の問題であった。」に関連するかもしれない「要素還元主義」(複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方)に対し、「学校で習う多くの科目は、かなり要素還元主義に基づいています。」、「「答えがある、わかる」という認識から脱さない限り、要素還元主義に囚われます。」、そして「生物は別。一つの要素では全く全体は見えません。」については次のWEBページを参照して下さい。 『みんな「要素還元主義」的思考に囚われている:科学情報が解釈できない理由 - Riklog』の「要素還元主義は成功した事例もあるが」項

さらに「学習から学問へ」及び「最後の教育機関としての大学」及び「想定外に向き合う知力」について、同の 3 想定外を乗り切る「知の体力」 の「学習から学問へ」における記述、「最後の教育機関としての大学」における記述及び「想定外に向き合う知力」における記述の一部(P42~P48)を次に引用します。

学習から学問へ
先に、大学に入った瞬間から、それまでの学習態度とは完全に切れたほうがいいのではないかと私見を述べておいた。大学においては「学問」をすることが主であり、高校までの「学習」とはおのずから異なると考えるからである。
それでは「学習」と「学問」とは何が違うのか。「学習」を先に考えておいたほうがいいだろう。すでに述べたところとも重なるが、「学習」と言って、まず私が思い浮かべるのは次のような特質である。

①「学習」の問いには答えがあり、しかもその答えは、多くの場合、誰が答えても同じ答えに到達するはずのもの、すなわち客観的な正解があるということを前提としている。この正解は、問いとして与えられる前から問う側には知られているものである。

②先生は教える人であり、生徒は教えてもらう側という、役割分担によって成り立つのが「学習」の基本である。

③先生が教えることは正しいことであり、生徒はその正しい知識を習得するということが、「学習」の基本である。

④生徒の誰もが落ちこぼれないように、そして理想的には、誰もが同じ到達点に到るのか「学習」の目標である。

個々の問題については、必ずしも該当しない側面や例外などは当然あるだろうが、おおよそ、これらを特徴として、初等中等教育の現場は動いていると言っておいてもいいのではないだろうか。
読んで字のごとく、「学習」とは、学び、習うもの。「習う」は「くりかえして修め行うこと」「教えられて自分の身につけること」という意味である。学んで、その学んだことを身につけることが、「学習」である。
それに対して、「学問」とは何か。学習が、学んで修める、習うことであったのに対して、学問は、「学び、かつ問うこと」と私は解釈している。学び、それを受け容れるという一方的な「知」の流れではなく、入ってきた「知」をいったん堰き止めて、それが正しいのか問い直す、どのような意味を、あるいは価値を持っているのか問い直す。そのような「問う」という行為を加えたところに「学問」の意味があるだろう。おのずから「学習」とはその態度、姿勢において異なったものであり、はみ出た、あるいは対立するものであるかもしれない。

最後の教育機関としての大学
高校までの問題にはかならず一つ、正解があったのに対し、これからの社会においては、そもそも正解というものがないのだということを、大学における「学問」の基本要件としてまず学生に知らせたいと思うのである。これも先に述べたとおりであるが、大学は教育機関としては、最後のものであるということにもっと注意をしておいていいのではないか。
中学や高校までに教育を終えて社会で働いている人々が多いことは十分承知のうえで言うのだが、制度的には、大学が最後の教育機関である。大学院というコースが設けられているが、大学院は基本は研究のためのコースであり、社会へ人材を送り出すための教育機関としては、大学の4年間が最後のシステムであると言える。
その最後の4年間の教育が、単なる学習の枠を出ることなく、一方的に教えられたことを受け容れ、吸収し、自分のものとしていくという形でいいのだろうかと思うのである。
一歩社会へ出てしまえば、そこはすべてについて正解というものがない世界であることを先に述べた。ある問題が起こった時、それに対する正解を知っている人は、誰もいないと言っても過言ではない。社会的、政治的な問題から、社内や組織での人間関係を含めた諸問題、あるいは家族の間で湧き起こる問題まで、それらについて答えを持っている人間は、誰もいない。そもそも答えがあるものなのかどうか。答えは一つなのか、複数の答えがあるものなのか。誰の答えを信用すればよいのか。
私がよく学生たちに言うのは、君たちは日本という国において、まちがいなく最高の教育を受けている人間である。なにしろ大学より上の教育機関はないのだから。その君たちが、社会に起こっているさまざまな問題に対して、自分自身の考えを持てないとしたら、自分で考えてみようとしないとしたら、この国においていったい誰がそれを考えられるというのか、と。
社会や政治などというむずかしいことは、もっと偉い人や政治家たちが考えて答えを出してくれるのだろうから、自分はそれに従えばいい、と大部分の学生たちは思っているのだろう。しかし、大学を出た人間は誰もが、日本で最高の教育を受けてきた人間であることはまちがいのないことなのだ。誰もが知識人と言われてしかるべき存在であるはずなのである。その人間が考えなくて、誰が考えるというのか。大学を卒業するということは、それだけの責任を背負うことでもあるはずなのだ。

想定外に向き合う知力
これから自分が生きていくとき、何が起こるのかは、現在の時点でまだ誰にもわからない。東日本大震災のとき、原発事故が起こった。そこでは「想定外」という言葉が頻繁に用いられた。
私たちのこれからの時間、将来の人生に起こることは、すべて想定外のことなのである。想定外の事態を、なんとか自分だけの力で乗り越えていかなければならない。生きるとはそういうことである。
運動をするにはそれなりの基礎体力をつけなければならないのと同様に、これから何が起こるかわからない想定外の問題について自分なりに対処するためには、それなりの体力が要求される。私はそれを「知の体力」と呼んでいる。
それは知識の習得である以上に、どう考えればその場を乗り切れるのかという、考え方の訓練なのである。知識を持っていることは、もちろん大切なことであるが、それは弾力的な知識でなくては、実際の応用には役に立たない。単に教科書に書かれている通りに覚えている知識では、自分が現場で出くわした初めての体験にそれを応用するには、まだ硬すぎるのである。
知識を解きほぐし、応用可能なまでに自由に伸び縮みできるようにするためには、その知識が、どのような多くの人々の試行錯誤のもとにもたらされたものなのか、それが作り出されたプロセスを知り、その知がカバーできる外延をなぞり、かつその知によって自分のすでに得ていた知の体系が再構成されることが必要であろう。
「自分ならどう考えるか」というときに、それまでに先人たちがどのように考えてきたかを学ぶことは、具体的に何かの役に立てるという勉強以上に重要な意味を持っている。「生命」というものについて、どのような見方が交錯し、次第にその真理に近づいていったかについては、のちに少し詳しくみることにするが、われわれが疑うこともない常識としての知も、それが確立するまでには、さまざまな見方からアプローチする人々によって、たゆまぬ議論と反証が重ねられ、揺れながら、ゆっくり醸成されていったものなのである。それをつぶさに知ることは、ものの見方の多様性を知ることになる。そのような視点、視角の多様性を自らのものとして持っていることは、想定外の現実への対応として必須のことなのである。(後略)

注:(i) 引用中の『「生命」というものについて、(中略)のちに少し詳しくみることにする』における「のちに少し詳しくみる」部分の引用は省略します。 (ii) 引用中の「私たちのこれからの時間、将来の人生に起こることは、すべて想定外のことなのである」を踏まえた「想定外に向き合う知力」に関連する「社会課題に目を向け、想像外の事態に迅速に勇敢に対応する京大力」についてはWEBページ「[S&R財団(米国) 理事長兼CEO] 久能 祐子- 創立125周年に寄せて 京都大学」を、加えて上記「想定外に向き合う知力」の一例としての(想定外の)「ポストコロナ社会をどのように築いていくべきか、世界レベルで人間の叡智を結集した検討と取組が必要な状況となっている」ことについては次の資料を それぞれ参照して下さい。 「京都三大学教養教育共同化事業 令和2年度報告書 時代が求める新たな教養教育」の「背景」項(P2) 一方、上記「想定外に向き合う知力」に関連する「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力等の育成」と「アクティブ・ラーニング」との関連については次の資料を参照して下さい。 「新しい学習指導要領の考え方 -中央教育審議会における議論から改訂そして実施へ- - 文部科学省」の『主体的・対話的で深い学びの実現 (「アクティブ・ラーニング」の視点からの授業改善)について(イメージ)』シート また、「受け身の学習は大学3年生くらいで終了します。それ以降は、大学に残って研究を続けていても企業で働いていても、能動的学習しかない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「勉強」のねらいと心構え(学部生や修士大学院生向け)』の「・問題点や解決策を独力で発見する」項 (iii) 引用中の「私たちのこれからの時間、将来の人生に起こることは、すべて想定外のことなのである」ことに関連するかもしれない、 a) 「私たちのまわりに起こる現代の問題は、非常に複雑なことが絡んだことばかり」については次のWEBページを参照して下さい。 「2019年度 入学式式辞 - 大阪府立大学」の『学域生へ。「勉強」と「学問」の違い、自主・自立を』項  b) 「現実の社会に目を向けると、正解が幾通りもあるケースや、そもそも正解自体がないような想定外の難題に対処しなければならないことも、決して珍しいことではない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「学長式辞 令和2年度入学式 (2020.4.3) - 広島大学」 加えて、引用中の「学問」(学び、かつ問うこと)に関連するかもしれない大学入学式の式辞・告辞については上記を含めて次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 ①「平成31年度入学宣誓式学長告辞 - 金沢大学」、②「平成31年度千葉大学入学式 学長告辞」、③「入学式学長告辞 - 長崎大学」、④「2019 年度入学式式辞 - 和歌山大学」、⑥「学長告辞 - 琉球大学 平成29年度入学式」 さらに、引用中の「学問」(学び、かつ問うこと)に類似する「学問(まなんで問う)」についてはここを参照して下さい。 (iv) 引用中の『高校までの問題にはかならず一つ、正解があったのに対し、これからの社会においては、そもそも正解というものがないのだということを、大学における「学問」の基本要件としてまず学生に知らせたいと思うのである』こと、そして「想定外に向き合う知力」に関連するかもしれない、 a) 「言い換えると、高校までの教育が、正解のある問題の解き方を学ぶことであったのに対し、大学では、正解の無い問題を自らが設定し、自らの独自の解答を誰にとっても分かりやすい形でまとめていくことにあります。」については次のWEBページを参照して下さい。 「入学式&卒業式式辞 - 横浜国立大学」 b) (新型コロナウイルス感染症に対し)「皆さんがこれから生きていく時代は、このように複雑で予測できない出来事がたくさん出てくると思います。それを乗り切るためには、ますます人類の英知を結集して解決することが必要となります。そんな、時代を生き抜くための知力を養うことが、現代の大学の役目だと私は思っています。」については次のWEBページを参照して下さい。 『学長メッセージ「入学生の皆さんへ」2020年4月 - 新潟大学』の「未来に立ち向かう力」項 c) 「世の中は予測困難なVUCAの時代、すなわち、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の時代と、言われています。これからの学生生活において、社会や環境の、様々な変化を柔軟に、かつ鋭く見極める洞察力と、臨機応変に対応できる適応力を、しっかりと養ってください。そして、自己の専門分野を究めるとともに、多岐にわたる先端研究に触れる機会を持ち、広い視野で物事を俯瞰して、高いレベルで価値を、創造、発想できる力を養ってください。」については次のWEBページを参照して下さい。 「令和3年度 入学式 式辞 (令和3年度入学生) - 神戸大学」 d) 『今回の新型コロナウイルスによるパンデミック地球温暖化がもたらす気候変動のように、予想もできないグローバルな危機が待ち受けています。みなさんには、人生でこうした困難に遭遇した時に立ち向かう力を培うことが求められているのだと思います。言い換えれば、大学での学びの要諦は、与えられた問題の決まった答えを効率良く引き出すことよりも、挑戦し、みずから「問い」を的確に立て、創造的で自由な精神を発揮して、解決する道を探ることにあるといえます。』については次のWEBページを参照して下さい。 『学長式辞 令和2年度入学式 (2020.4.3) - 広島大学』 e) 「大学とは学生に知識や教養を伝授するところではなく、その学び方を教員とともに学ぶ場だということです。現在の学問や科学技術は、あっという間に陳腐化してしまいます。10年前の論文に書かれていることなど、とっくに常識となっていて、誰もそのような論文など振り返らないでしょう。つまり、つねに時代の変化に対応できるような学びを生涯続けられる学生を育てることが肝要なのです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「大学は単に知識や教養を伝授するところではなく学生が学び方を学ぶところ」の「質の高い教育のためには質の高い研究が必要」項 f) (新型コロナウィルスとの戦いにおいて)「どのようにするのがベストなのか、処方箋は私たち教員にもありません。大切なことは、教職員、学生がそれぞれ知恵をしぼり、創造的に一つ一つ行動していくことです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「令和2年度東京大学入学式総長式辞」 g) 「社会の問題が複雑化多様化する現代において教養が必要なのだ」については次のWEBページを参照して下さい。 「教養教育研究院 - 東京理科大学」の「院長挨拶」項(注:上記「教養」に関連する、1) [ダイナミックに変化する]「このような世界だからこそ、自然科学から人文社会科学にわたる広範な知の基盤が極めて重要となります。答えのない課題に対して解決策を見出すのも、誰も見たことのない新しい価値を生み出すのも、またよりよい未来への社会変革に向けた新しい価値を創造するのも、これらの基盤があって初めて可能になるのです。」については、次のWEBページを参照して下さい。 「東北大学に入学される皆さんへ(2020.4.3) - 総長メッセージ」の【ダイナミックに変化する世界】項 2) 「教養は逆境に追い込まれたときにでも地位や財産のように失われることなく、最後に人間の身を助けてくれるものであることを教えてくれる」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「京都三大学教養教育共同化事業 令和2年度報告書 時代が求める新たな教養教育」の(京都工芸繊維大学)「副学長あいさつ」項[P4])

次に標記医療又は医学における「ヒポクラテスの警句」について、サイモン・シン、エツァート・エルンスト著、青木薫訳の本、「代替医療解剖」(2013年発行)の「はじめに」における連続した記述の一部(P10~P11)を以下に引用します。なお、上記本の書評例は次の資料を参照して下さい。 「『代替医療解剖』を読む

本書のすべては、エーゲ海の島コスに生まれたヒポクラテスによって、今から二千年以上前に書かれた一つの警句を指針としている。医学の父として知られるヒポクラテスは、こう述べた。

科学と意見という、二つのものがある。
前者は知識を生み、後者は無知を生む。

誰かが新しい治療法を提案したなら、それが効くかどうかを判断するためには、意見ではなく科学を用いなければならない、とヒポクラテスは述べたのである。科学は、真実について客観的なコンセンサスを得るために、実験や観察を行い、実地に試し、議論を戦わせ、真剣に話し合う。一度結論に達してからでさえ、もしや間違いがありやしないかと、自分が言ったことまでもほじくり返して調べ直す。それとは対照的に、意見は主観的で互いに相容れず、正しいか間違っているかによらず、もっとも宣伝のうまい者の意見が広まることになりがちである。(後略)

注:(i) 引用中の科学について、小林牧人、藤沼良典著の本、「理系研究者がハッピーな研究生活を送るには 科学とは? 研究室とは? そしてラボメンタルコーチングの必要性」(2021年発行)の 第2章 科学とは何かをおさえよう の「2) 科学をみたす基準とは」における記述の一部(P19)を次に引用(『 』内)します。 『自然科学,社会科学,実験心理学であれ,科学というのは,ひとことでいうと「ものごとをよりよく理解するためのものの考え方」ということは前に述べた.また,アメリカの天文学者カール・セーガンは「科学とは,知識の内容それ自体よりは,むしろその知識を導く方法論のことである」と述べている(ゴスリングとノートルダム,2010).さらに戸田山氏は,科学の活動を「新しくて正しいことを言おうとする営み」と著書で述べている(戸田山,2011).』(注:a) 引用中の「ゴスリングとノートルダム,2010」は次の本です。 《パトリシア・ゴスリング、バルト・ノートルダム著、白楽ロックビル監訳、解説.理工系&バイオ系大学院で成功する方法.日本評論社,2011》 b) 引用中の「戸田山,2011」は次の本です。 《戸田山和久.「科学的思考」のレッスン 学校では教えてくれないサイエンス.NHK出版新書,2011》 c) 引用中の「知識を導く方法論」に関連する「メタ知識」についてはここを参照して下さい。) (ii) 引用中の「真実について客観的なコンセンサスを得るために、実験や観察を行い、実地に試し、議論を戦わせ、真剣に話し合う」ことに関連するかもしれない、 1) ツイートがあります。 2) 「客観的に示すデータがあって初めて科学者としての主張ができるのであり、それがない仮説はただの妄想」及び「きちんと証明をして、証拠を出して、納得してもらって初めて科学になる。それをしないと科学ではない。」ことについては、共に次のWEBページを参照して下さい。 「STAP細胞はあるのか ~検証 小保方会見~」 (iii) 加えて、引用中の「一度結論に達してからでさえ、もしや間違いがありやしないかと、自分が言ったことまでもほじくり返して調べ直す」に関連する、「自分のくだした診断でも、何かを間違えてないか常に自分を疑う目を残すべき」についての記述があるツイートがあります。その上に、「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」との振り返りを推奨するようなツイートもあります。 (iv) さらに、「科学者は間違いを犯すが、それでもその間違いを真実に近づけていくことを可能にするのが科学」であることについて、苅部冬紀、高橋晋、藤山文乃著、市川眞澄編の本、「大脳基底核 意思と行動の狭間にある神経路」 4 大脳皮質-大脳基底核視床ループ の「4.1.3 興奮性入力によって線条体はどのように動くのか」における記述に一部(P53~P55)を次に引用(【 】内)します。 【科学者は人間なので当然のように間違いを犯し,それでもその間違いを少しずつ真実に近づけていくことを可能にするのが科学というシステムとその手続きに則った研究です.】 (v) これら以外にも引用はしませんが「科学的な考え方」に関連するかもしれない項目としての、池内了著の本、「なぜ科学を学ぶのか」(2019年発行)の「第3章 科学的な考え方とは」(P98~P122)において次にリストアップされる項目があります。 「個人の感情を交えないこと」、「自分の経験を絶対視しないこと」、『「鵜呑みにしない」こと』、「不愉快でも事実を受け入れること」、「科学の知識量ではないこと」 なお上記以外にも『「科学的」とは――まとめ』項もあります。加えて同本の裏表紙には次に引用(《 》内)する記述があります。 《科学・技術に立脚した文明社会を生きる私たちは、日頃から科学的な見方・考え方を鍛えておくことが大切です。情報を鵜呑みにせず、個人の感情や経験を交えずに、様々な側面から物事を見る、科学的な考え方を身につけよう。》(注:引用中の「情報を鵜呑みにせず」に類似する「情報を鵜呑みにしない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「[vol.4]情報を鵜呑みにしない」) (vi) ちなみに、 a) 「科学的な思考法」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「科学リテラシー」 b) 加えて、「科学とは」と「科学的な理論とは」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「科学とか科学的理論って、そもそも何?【根本を考える】 - Riklog」の「科学、科学的理論って何?」項 (vii) また、引用中の「意見は主観的」にひょっとして関連するかもしれない(信仰に分類されるかもしれない)「自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る」ことについて、宮岡等、内山登記夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(2018年発行)の 第6章 大人の発達障害にまとわるエトセトラ の【コメディカルへの take home message ②】における記述の一部(P293~P294)を次に引用します。

特定の精神科医に心酔しないほうがよい
心理テストへの過度な信頼も禁物

宮岡 先ほどの「鵜呑みにしすぎるな!」という議論とも関係しそうですが、ある特定の精神科医の考え方に心酔している心理職やソーシャルワーカーなどのコメディカルの方に危機感を覚えることがあります。例えば発達障害に関する本も、同じ出版社から出ているものであっても、書く人が違えば内容も全然違う可能性があるのだから。まあこの本もそうかもしれないけれど。幅広く読んでみて、それぞれをしっかり理解してくれるといいですよね。あまり売れすぎる本はかえって気になる。
内山 確かにいろいろな先生の意見を聞くという習慣は大切ですね。
例えば、ダウン症でASDの子についてのカンファレンスをする場合、医学部の学生や研修医は、まずダウン症とASDを合併した子についての文献を検索して、そういう子の特徴は何かなというところから調べ始めます。ところが、心理系の場合、大学院生も教員もそうしたことをするケースは少ない。なぜなら患者との関係性の世界がメインだから、文献に当たるとか複数の人から話を聞くという発想を持ちにくいんだと思うんです。だから特定の流派の先生についたら、その先生が神様になるんです。
宮岡 「特定の先生の著書しか読まないという姿勢は直すべきだ」というのは強調したいですね。
内山 やはり僕は、ケースを診る時には、できるだけ文献検討をしてほしいと思います。例えば、高機能ASDで幻覚妄想がある人がいたら、まずその特徴を文献で読むしかないですよね。
宮岡 精神科医でも、文献を調べて科学的に物事を言おうとしている精神科医と、あまり文献を調べないで、自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る精神科医がいる。前者は科学、後者は信仰だと思うんですよ。
内山 宗教ですね(笑)。
富岡 信仰に近い。信仰のほうが心酔はしやすいと思います。別に心酔している先生がいてもいいから、「ぜひ違う人の本も読んでみてください」と言いたいですね。
内山 その通りです。(後略)

注:(i) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。 (ii) 引用中の「自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る精神科医がいる」に関連するかもしれない、 a) 「精神科医に限ったことではないのだが、医療情報をなかなかアップデートできない医師は珍しくない」ことについて、岩波明著の本、「発達障害はなぜ誤診されるのか」(2021年発行)の「まえがき」における記述の一部(P5)を次に引用(【 】内)します。 【実際、これまでの医学教育においては、発達障害、特に成人期の発達障害についてきちんと論じられることがまれであったため、知識不足についてはやむを得ない面もあることは事実だ。これは精神科医に限ったことではないのだが、医療情報をなかなかアップデートできない医師は珍しくない。】(注:i) 引用中の「医療情報をなかなかアップデートできない医師」に関連するかもしれない「知識不足、誤った知識で診療することは極めて危険なこと」についての記述を有するツイートがあります。 ii) 引用中の「医療情報をなかなかアップデートできない医師」よりも悪いだろう「デマやフェイクを正確に丸暗記している医師のなんと多いことか」については(医師は)「自ら学び、自ら批判吟味し、誰におもねるでもなく、スプーンフィーディングされるでもなく、ただの指示待ちになるでもなく、そして自らを誤魔化すのでもなく、自分に、そして患者に誠実にあり続け、学び続け、成長し続けなければならない。」ことを含めて次のエントリを参照して下さい。 『医学部の学びは「習い事」なのか』[注:上記「デマやフェイクを(正確に)丸暗記している医師」に相当するかもしれない例としては次のツイートやWEBページを参照すると良いかもしれません。 〔ツイート〕その1その2その3その4その5その6その7、〔WEBページ〕『ワクチンは人体実験、皆殺し作戦…永田町「反ワクチン集会」彼らの主張とは』]) 一方、「謙虚に学び続けなければ」との記述を有するツイートもあります。 b) 加えて、「発達障害の診断能力がなければ、統合失調症うつ病を診断できない」ことについては次のエントリを参照して下さい。 『「自分は発達障害はわからない」という医師の診療依頼』 そして、「特に大人のASDADHDの場合には、他の精神疾患のことをよほど知っていないと診断するのは難しいだろうと思います。」については次のエントリを参照して下さい。 「大人の発達障害ってそういうことだったのかその後」 c) その上に、『私は精神科医はできるだけ中立的であるべきだと考えています。それは診断・治療方針に関して言えば、「1つの立場に偏らない(Flexible)」と翻訳できるでしょう。』については次のWEBページを参照して下さい。 「"持論"を押し付けてくる精神科医は要注意 信頼できる精神科医の3条件とは」の「ちょっと困った精神科医たち」項 d) さらに、「現在,文系理系の枠を超えて文理融合型の学部ができてきている.現在の複雑化したいろいろな課題に対処するためには狭い専門分野だけではなく幅広い俯瞰的知識と考え方をもつことが必要である.これはまさに心身医学であると思う.」ことについては次の資料を参照して下さい。 「私の歩みと心身医学」の「若い皆さん方へのメッセージ」 3) 項(P286) e) 一方、てんかん専門医は「てんかん以外をちゃんと見つけるのが最大の仕事です」との趣旨のツイートがあります。 (iii) 引用中の「信仰」や「宗教」に関連する「医者が教祖のように振る舞い、患者さんは信者のようにニセ医学に従う」ことについて、次のWEBページを参照して下さい。 『「医者の承認欲求」は、ニセ医学と相性がいい。』の『「医者の承認欲求」を満たすニセ医学』項 (iv) 引用中の「鵜呑みにしすぎるな!」に関連する「たったひとつの情報を鵜呑みにしない」について、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 4章 家庭・職場での「やってはいけない」と対応のポイント の 自分が発達障害である場合 の「◇たったひとつの情報を鵜呑みにしない」における記述(P174~P175)を以下に引用します。 (v) 引用中の「あまり文献を調べないで、自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る精神科医」に関連するかもしれない、 1) (期待して精神科にコンサルトした総合診療医などを落胆させる)「自分が見えている部分だけの診察しかしない精神科医」について、國松淳和、尾久守侑著の本、「思春期、内科外来に迷い込む」(2022年発行)の Le détour Ⅰ の「ジェネラルと専門の関係性」における記述の一部(P101~P104)を以下に引用します。 2) 『精神科医がなにがあっても外してはいけない専門性は「身体の病気を見逃さない」だと思う』との記述を有するツイート、そして「現代日本の精神科トレーニングでは、まず身体疾患を除外すべしとしつこく教わります」や「この基本を守らない医師は、どうしても一定数いるのです」との記述を有するツイートがそれぞれあります。 3) 「医学は複雑であるため、どの診療科に進んでも他の診療科とつながっています。自分が進む診療科さえ知っていれば良いというわけではない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『医学部「産科枠」入試で産科医不足は解消できる? 入学時に診療科を決めるメリット・デメリット(ページ2)』 4) 「専門知識やデータの理解ができていないと、医療者として失格だと思う」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『新型コロナの「反ワクチン問題」 「なあなあ」で済ませてはいけない理由とは(ページ4)

ここ数年で、発達障害を扱った書籍やテレビ、ネットの記事が増えました。しかし、そこで書かれている内容は玉石混交です。信頼していい情報もあれば、ちょっとこれはどうかという情報もありますし、明らかに誤っているものも見られます。
なかにはADHDとASDを区別せず、発達障害として一くくりにしているようなケースもあるほどです。特にテレビ番組はこのようなつくりをしていることがあり、注意が必要です(もちろん正確な番組もあります)。
大切なのは、ひとつの情報に飛びつかないこと、鵜呑みにしないことです。
自分は発達障害なのか、どんな対処が必要なのか、病院にかかるべきなのか。これはいずれも難しい問題を含んでいます。
診察にやってきた患者さんの話を聞く限り、複数の情報を見比べる作業ができた人は、おおむね順調に治療が進んでいる印象があります。
一方で、特定の情報に振り回された人は、高価なサプリや、効果の定まっていない治療法にはまってしまっていることも珍しくありません。

注:(i) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。 (ii) 引用中の「特定の情報に振り回された」に関連するかもしれない、 a) 「複数の専門家が異口同音に言っていること、多くの論文が言及しており複数のソースでも確認できることを、まずは広く読み理解し、コンセンサスを知りましょう」との記述を有するツイートがあります。 b) 『「物珍しかったり、広く社会に希望を持たせるような説が出てきても、それが科学のプロセスをちゃんとクリアしたものかはすぐに判らないので、取り敢えず放っておく」くらいの姿勢』については次のエントリを参照して下さい。 「《ニセ科学を見抜く方法》はあるのか - Interdisciplinary」 c) 「結論に早く飛びつく人ほど,陰謀論を支持する傾向があり,超常現象や医学神話を信じやすかった」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「拙速な思考は陰謀論に弱い」 加えて上記「複数のソース」に関連する「複数の情報源を使うことの大切さ」については次の note を参照して下さい。 「複数の情報源を使うことの大切さ」 (iii) 引用中の「複数の情報を見比べる作業」に関連するかもしれない、 1) 「医療の"専門家"が多数登場していて、中には?な自論を展開する方も残念ながらいます。注意点は他の専門家との意見の相違です」との記述を有するツイートがあります。 2) 引用はしませんが、狩野光伸著の本、「論理的な考え方伝え方 根拠に基づく正しい議論のために」(2015年発行)の Ⅱ部 正しい議論の構成要素 の 3 前提根拠に用いる情報は確かか の「3.4 情報源は複数調べて内容を比較しよう」項があります。 (iv) 引用中の「大切なのは、ひとつの情報に飛びつかないこと、鵜呑みにしないことです」に関連するかもしれない『「過剰適応」の人は、とっさに笑顔で引き受けてしまい、あとで冷静になって「断るべきだった」「こういう理由を言えばうまく断ることができたのに」と後悔するパターンが非常に多い』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『今すぐ捨てるべき「即レス=仕事ができる」という呪縛(ページ2)』の『断るのが苦手な人は、「即答しない練習」からはじめる』項 (iv) 引用中の「複数の情報を見比べる作業」に関連する「複数の情報源からの情報を比較検討することも重要です。一つの情報源で安心するのではなく、情報を比べて、妥当と判断できるものを知ることが大切である」ことについてはここを参照して下さい。

ジェネラルと専門の関係性(中略)

國松(中略)それで、精神科医も診療のレベルは不均一なので、極端な例で言うとシゾかどうかだけしか診ない人もいるかもしれません。思い切って言ってしまうと、これは能力の差ではなくて、精神科医自身にも発達特性があるからです。ASD傾向のある精神科医は、最初にシゾかどうかだけの鑑別ツリーしかやらなくて、シゾじゃないほうになった患者は全部一緒にして有事再診という名の終診にしてしまう可能性もあります。
尾久 極端に聞こえますが、実際にそういう感じの精神科医もいます。「他の病院では、あなたは何の病気でもないと精神科の先生に言われました(29)」と話す患者がいることは、けっこうよく聞きます。
國松 あれは、医師のASD傾向だと思いますね。その先の鑑別のツリーをしない。自分が見えている部分だけの診療しかしない。精神科医の特性も言葉にすると面白いですね。
尾久 かなり多いですね。統合失調症うつ病双極性障害パニック障害あたりだけチェックして、それ以外はどれかに収束させてしまう。
國松 そうすると、期待して精神科にコンサルトした総合診療医などは落胆しますね。(後略)

注:i) 引用中の脚注「(29)」の内容を同本の P104 から次に引用(『 』内)します。 『尾 一部の学派の立ち位置として、病気と「そうでないもの」を分け、「そうでないもの」は、自分でなんとかすべき、というスタンスで向き合っている先生たちもいるようです。本人に自立の感覚を育てるという方向性の治療なのだと思いますが、それで失望して受診しなくなる人というのは当然いて、そういう人をどのように支えるか、という視点も重要なのだと思っています。』 ii) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」の別名です。他の拙エントリを参照して下さい。 iii) 引用中の「シゾ」は「統合失調症」を指すと考えます。加えて、引用中の「統合失調症」、「うつ病」、「双極性障害」、「パニック障害」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「総合診療医」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「医学会概要 - 日本病院総合診療医学会」 v) ちなみに「自閉的思考」の記述を有する画像のあるツイートがあります。

加えて、医療において、効果のあるものとないもの、安全なものと危険なものとを判別するための方法論について、同の「第Ⅰ章 いかにして真実を突き止めるか」における記述の一部(P31)を次に引用します。

本書の目的は、代替医療について確かな真実を明らかにすることである。どの治療法には効果があり、どれには効果がないのだろうか? どの治療法は安全で、どれは危険なのだろう?
医師たちは何千年も昔から、およそ医療といえるものすべてについて、そう自問し続けてきた。しかし、効果のあるものとないもの、安全なものと危険なものとを判別するための方法論ができたのは、比較的最近のことである。《科学的根拠にもとづく医療》として知られるその方法は、医療の現場に革命を起こし、ニセ医者や藪医者の天下だった医療を、腎臓移植や白内障摘出を可能にし、こどもの病気と闘い、天然痘を撲滅し、毎年何百万もの生命を救うという、奇跡のようなことができるものにした。(後略)

さらに、多くの代替療法の基礎となっている三つの中心原理及び代替医療のセラピストの宣伝としての科学に対する攻撃について、同の 第Ⅴ章 ハーブ療法の真実 の「◇思慮ある人たちがなぜ?」における記述の一部(P365~P371)を以下に引用します。なお、引用中の「自然」には「ナチュラル」、「伝統」には「トラディショナル」、そして「全体論的」には「ホーリスティック」のルビが振られています。

(前略)人びとが代替医療に心惹かれるきっかけは、多くの代替療法の基礎となっている三つの中心原理であることが多い。代替医療は、「自然」で、「伝統的」で、「全体論的」な医療へのアプローチだといわれる。代替医療を擁護する人たちは、代替医療を選択する大きな理由としてこれら三つの中心原理を繰り返し挙げるが、実は良くできたマーケティング戦略にすぎないことが容易に示されるのである。代替医療の三つの中心原理は、誰もが陥りやすい罠なのだ。

1「自然」?
自然なものが良いとはかぎらず、自然ではないから悪いともいえない。自然界には、ヒ素コブラの毒、放射性元素地震、エボラ・ウイルスなどが存在しているが、ワクチン、眼鏡、人工股関節などはすべて人間が作ったものである。『メディカル・モニター』誌の言葉を借りれば、「自然は公正で、流行病が広がるときも、健康な赤ん坊が生まれるときも、あざやかに、そして無情に仕事をこなす」

2「伝統」?
伝統的であることは良いことだと考えれば、ひとさじのノスタルジアプラセボ効果を高めてくれるため、多くの代替療法のセラピストにとっては都合がよい。しかし、伝統的な治療法だから良いに決まっていると考えるのは間違いだろう。潟血は何世紀ものあいだ伝統的な治療法だったが、その間一貫して、病気が治った人よりもはるかに多くの人たちに害をなした。二十一世紀に生きる私たちがやるべきは、先人たちの遺産を検証することである。それをやってはじめて、良い伝統は継承し、有望そうな伝統は残し、馬鹿げたものや悪いもの、そして危険な伝統は捨てることができるのだから。

3「全体論的」?
代替療法のセラピストは、自分たちのアプローチが通常医療よりも優れているということを言わんとして「ホーリスティック」という言葉を使うが、代替医療のほうがホーリスティックだと決めつけるのは不当だろう。ホーリスティックとは、心身の健康を全体としてみていくという医療へのアプローチを指し、その意味では、通常医療の医者たちも患者に対してホーリスティックを治療を行っているからだ。医師は患者の生活習慣、食習慣、年齢、家族の病歴、これまでどんな病気にかかったか、遺伝的要因や、さまざまな検査結果を頭に入れて治療にあたる。むしろ通常医療のほうが、代替医療よりもホーリスティックなアプローチをとっているほどだ。第Ⅲ章では、マラリア予防のアドバイスを求めた学生の例を挙げ、ホメオパシーと通常医療とを比較した。通常医療の医院では、時間をかけて相談に応じ、ほかにどんな薬があるか、虫除けが必要であること、どんな服装がいいのかといったアドバイスを行い、その学生がこれまでにかかった病気も考慮した。それに対してほとんどのホメオパスは、ごく手短に話を聞いただけで、虫除けなどの基本的な点については何もアドバイスをしなかったのである。

うわべは魅力的でも、陥りやすい罠である中心原理を広めるのに加え、代替医療業界は、主流の科学者たちを悪者にすることで新たな患者を獲得しようとする。もちろん、セラピストたちは、科学者は概して代替療法に批判的だということを知っているので、科学の信憑性そのものを疑問視することで、科学的批判をくつがえそうとする。科学に対する攻撃は次の三つに分類できるが、代替療法のセラピストの宣伝は、やはり陥りやすい誤解にもとづいていることを理解するのは容易だ。

1「科学は代替医療を検証することができない」?
本書のなかでこれまで見てきたように、科学は代替医療を徹底的に検証することができる。そうだからこそ、科学者は代替医療のさまざまな主張に懐疑的なのである。代替療法は、鎮痛からガンの治療まで幅はあるものの、いずれも正真正銘の生理学的影響を及ぼすことができると豪語するが、医療科学は、さまざまな治療法が及ぼす影響の測定方法を開発してきた。もしも代替医療の効き目が科学によって検出できないのなら、それはその治療法に効果がないか、治療として考慮に値しないほどわずかな効果しかないかのどちらかだろう。

2「科学は代替医療がわかっていない」?
これは事実だが、問題にはならない。ある治療法のメカニズムがわからないからといって、効くかどうかがわからないという話にはならないからである。実際、医療の歴史上には、明らかに効果があるにもかかわらず、当初はなぜ効くのかわからなかった大躍進の例がたくさんある。たとえば十八世紀にジェイムズ・リンドが、レモンで壊血病が予防できることを発見したとき、彼はなぜレモンが効くのかがわからなかった。それでも彼の治療法は世界中に広まった。一九三〇年ごろになってはじめて、科学者がビタミンCを単離し、レモンが壊血病を防いでくれる理由が明らかになったのである。いずれかの代替療法に効果があることが明日にでもきちんと示されれば、科学者はすぐさまそれを受け入れて応用しようとするだろうし、基礎となるメカニズムを解明しようとするだろう。

3「科学は代替医療に偏見をもっている」?
これははじめの二つよりいっそうありえないことだ。代替療法を考えついた人たちは反主流派だったし、現代科学そのものが――ガリレオから最近のノーベル賞受賞者まで――反主流派たちによって築かれてきた。実際、偉大な科学者はすべて、なんらかの意味で反主流派だと論じるのも難しくはないたろう。しかし残念ながら、その逆は真ではない。反主流派だからといって、偉大な科学者だとは限らないのである。抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない。代替医療の開拓者のほとんどは、そこでつまずくのである。

この三つめの点は、もう少し深く掘り下げておきたい。というのは、科学は部外者を受け入れない閉鎖的な世界のように言われることが多いからだ。しかし実際には、科学者の世界は、自分の主張を支持する証拠を見出すことのできた反主流派を暖かく受け入れる。たとえば一九八〇年代には、オーストラリアの二人の研究者、バリー・マーシャルとロビン・ウォレンが、消化性潰瘍の多くは、細菌によって引き起こされているという新説を提唱した。それまで消化性潰瘍は、胃酸過多や、食習慣上の問題、過剰なストレスなどによって引き起こされると考えられていたので、当初はマーシャルとウォレンの革命的アイディアをまじめに受け止めた者はいなかった。しかし、有名な勇気ある実験で、マーシャルは悪さをする細菌を突き止め、それを培養し、自ら飲み込んで潰瘍を生じさせ、潰瘍が細菌に由来することを示したのである。今では、ほかの医療科学者たちも彼の新説は正しいと認め、マーシャルとウォレンは二〇〇五年にノーベル賞を受賞した。いっそう重要なのは、細菌を撃退し、胃潰瘍に苦しむ人たちを治すための併用薬物療法が開発されたことだろう――その併用薬物療法は、従来の治療法よりも効果的で、安価で、効き目も速いため、今では世界中で何百万人もの人たちが、かつては反主流派のアイディアだった学説の恩恵を受けている。
その反主流派が何者なのか、いつ、どこで、どのようにしてそれを発見したかは問題ではない。たまたま運良く見つけただけでも、発見の正しさが証明されれば、主流派はすぐにそれを認める。近年もっとも成功した薬のひとつであるバイアグラは、もともとは狭心症の治療のために開発された薬だったが、臨床試験の段階で、狭心症の改善にはあまり効果がないことがわかった。ところが、研究者がさっさと臨床試験を切り上げて、未使用の錠剤を回収しようとしたところ、ボランティアで臨床試験に参加してくれた人たちが錠剤を返したがらなかった。不思議に思った研究者が聞き取り調査を行ったところ、バイアグラには予想もしなかったありがたい副作用があることが判明した。その後、臨床試験を重ね、安全性のテストが行われた結果、インポテンツの治療薬としてのバイアグラが広く手に入るようになったのである。ホメオパシーカイロプラクティックやハーブ療法や鍼では、勃起不全の治療でこれほど劇的な影響を示すことはできない。(後略)

注:(i) 引用中の「抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない」ことは、Clinical Ecologists(和訳:臨床環境医、他の拙エントリのここを参照)にも適用される(他の拙エントリのここを参照)と本エントリ作者は考えます。 (ii) 引用中の「科学者の世界は、自分の主張を支持する証拠を見出すことのできた反主流派を暖かく受け入れる」ことに関連するかもしれない『「肯定的な意見も、否定的な意見も、両方のフィードバックを受け入れる心のオープンさが必要である」という謙虚さ』について、狩野光伸著の本、「論理的な考え方伝え方 根拠に基づく正しい議論のために」(2015年発行)の Ⅳ部 議論を表現する の 11 謙虚に受け手の反応を活かす の「11.2 謙虚の2つの意味」における記述の一部(P137)を次に引用(【 】内)します。 【議論を行うときに必要な「謙虚さ」のポイントは2つあります。「肯定的な意見も、否定的な意見も、両方のフィードバックを受け入れる心のオープンさが必要である」という謙虚さと、「誇大な表現をせず等身大である」という謙虚さです。】 (iii) 引用中の「潰瘍が細菌に由来」及び「バイアグラ」にある意味で類似するかもしれない「EMDR」(例えば他の拙エントリのここを参照)の開発の経緯については例えば次の資料を参照して下さい。 「眼球運動が自伝的記憶の想起に与える影響」の「第1節 EMDR の概略」項 (iv) 引用中の「ホメオパシー」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「自然なものが良いとはかぎらず、自然ではないから悪いともいえない」ことに関連する、 a) 【「天然物質、食品・食物=安全」ということではありません】との記述を有するツイートや「自然は人体には厳しいものです」との記述を有するhttps://twitter.com/S96405539/status/1629323122011942912:title=ツイート]が それぞれあります。 b)「自然のものだから体によい、人工のものだから体に悪いとは、一概には言いがたい」ことについて、村松むつみ著の本、『「エビデンス」の落とし穴』(2021年発行)の 第4章 あやしい健康常識はこうして生まれる の 5 あやしい健康情報のテンプレート 「自然派」を強調 の「◆自然・天然だから体に優しいとは限らない」における記述の一部(P167)を次に引用します。

極端に「自然派」に偏った情報も、エビデンスがなく、注意が必要です。
世間には、「自然のものは体によく、人工のものは体に悪い」という思い込みがあります。もちろん、人工の添加物などで、発がんのリスクがあるものもありますが、「自然」だからといって安全なものとは限りません。
極端な例で言えば、フグやキノコの毒も「自然」のものには違いありませんが、体によいどころか、口にすると命に関わります。また、摂取しにくい鉄分やカルシウムは、加工食品を通してのほうがよく摂取できたりします。
このように、自然のものだから体によい、人工のものだから体に悪いとは、一概には言いがたいのですが、あやしい医療情報は、ときとして「自然」を売りにすることがあります。「生姜をすり下ろして飲むとコロナに効く」「にんじんジュースががんに効く」「シジミのエキスは万能」など、枚挙にいとまがありません。(後略)

一方、『代替医療を使う患者における「実際に経験したのだから疑いようがないという心情」』について同の 第V章 ハーブ療法の真実 の「◇実際に経験したのだから疑いようがないという心情」項における記述の一部(P380)を次に引用します。

多くの患者にとって科学的根拠は、代替療法を使ってみるかどうかを判断する決定的要因にはならない。たとえすべての研究を踏まえて得られた結論は否定的だと知っていても、治療法の効果を目の当たりにすれば、患者はそれを使ってみたくなるだろう。要するに、自分の経験こそは、何にもまさる証拠になるのだ。そういう反応はとても自然だし、その気持ちはよくわかる。しかしそのせいで患者は、効果のない、危険でさえあるかもしれない治療を受けることになってしまう。
ホメオパシーを例にとると、何百万人という人たちが、自分自身の経験から、この治療法には効果があるのはまちがいないと思っている。なんらかの症状が出ているときにホメオパシーのレメディを飲んで具合が良くなれば、当然、具合が良くなったのはホメオパシー・レメディのおかげだと思うだろう。第Ⅲ章で論じたように、科学的根拠によればホメオパシーにはまったく効果がないことが示されているのだが、そういう経験をした人たちにとって、科学的根拠はほとんど重みをもたない。(後略)

注:(i) 引用中の「第Ⅲ章で論じた」におけるその論じた内容についての引用は省略します。同をお読み下さい。一方、一部の代替医療に騙されないための「読むワクチン」[WEBページ【『「ニセ医学」に騙されないために』書評 インチキ予防に「読むワクチン」】を参照]があると拙ブログ作者は考えます。 (ii) 引用中の「なんらかの症状が出ているときにホメオパシーのレメディを飲んで具合が良くなれば、当然、具合が良くなったのはホメオパシー・レメディのおかげだと思うだろう」ことに関連するかもしれない「病気の治療効果ってわかりにくい」ことについてのツイートがあります。 (iii) 引用中の「ホメオパシー」についてのWEBページ例は次を参照して下さい。 『ニセ科学「ホメオパシー」の実践が危険な理由 毒物の「ヒ素」でさえ薬にしてしまう謎理論』、「ホメオパシーが広まる背景にある“不安”と、忘れ去られたいくつもの死亡事件」、「ホメオパシー」、『「ホメオパシー」への対応について』 (iv) 加えて、 a) 上記ホメオパシーにおける「患者は代替医療が効いたからだと思うだろう」に関連する同における記述の一部(P383~P384)を以下に、 b) 「論争にならなかったホメオパシー論争」について、佐藤純一、美馬達哉、中川輝彦、黒田浩一郎編著の本、「病と健康をめぐるせめぎあい コンテステーションの医療社会学」(2022年発行)の 第Ⅳ部 非近代医学・科学をめぐって の 第9章 代替医療における治療者資格をめぐる「論争」 の「論争にならなかったホメオパシー論争」における記述の一部(P242)を以下に それぞれ引用します。また、後者の引用に対し本エントリ作者が抱いた大きな違和感についても後者の引用の次に提示します。

ホメオパシーが効くように見えるもうひとつの理由として、患者の体そのものに起こるさまざまな変化がある。病状が変化するのはごく自然なことで、ホメオパシーの丸薬を飲んだ時期が、患者の症状が改善する時期と重なったとも考えられる。実際、患者がホメオパシーを試してみようと思ったのが、インフルエンザにかかるなどして非常に具合が悪かった時期だったとすると、あとは良くなる一方だ。この現象は、《平均への回帰》と呼ばれている。つまり、具合が悪いと感じるのは症状が一番重い時期にあたっているので、それ以降、普段の(平均的)状態へと戻りはじめる可能性がとても高いということだ。
それに加えて、多くの症状はいずれ自然に治り、身体はそのうち自力で回復する。原因のはっきりしない腰痛の場合、治療を受けていない患者の約九十パーセントは、六週間ほどで大幅に状態が改善する。したがって、ホメオパスが二ヵ月のあいだ患者を引き留めておくことができれば、いずれにせよ回復する見込みは高い。その場合、腰痛は自然に治ったにもかかわらず、患者は代替医療が効いたからだと思うだろう。(後略)

注:(i) 引用中の「ホメオパス」は上記「ホメオパシー」の施療者を指します。同の「第Ⅲ章 ホメオパシーの真実」の P157 より。 (ii) 引用中の「ホメオパシーの丸薬を飲んだ時期が、患者の症状が改善する時期と重なった」ことに関連する「薬を出した時がちょうどよくなる時期だった」ことについて、「こころの科学 216号(2021年3月)」中の宮岡等著の文書「よい心療内科精神科医の見つけ方」(P98~P104)の「常に大切なこと」における記述の一部(P104)を次に引用(『 』内)します。 『四つ目に、すぐに薬の強い効果が出たら、なんとなく患者さんは「あの先生はいい先生だ」「この薬はいい薬だ』というように考えがちなんですけれども、病気には自然経過というのがあって、薬を出した時がちょうどよくなる時期だったということはいくらでもあります。』 (iii) 引用中の「腰痛は自然に治ったにもかかわらず、患者は代替医療が効いたからだと思うだろう。」に関連するかもしれない、「アトピーは自然軽快も見られる病気です。いずれ、良い時期はやってきます。しかしそれは民間療法のおかげではありません。」については「サンクコストバイアス」(WEBページ「意思決定での勘や経験の落とし穴」の「サンクコストバイアス(別名コンコルド効果)」項を参照)や「好転反応」を含めて大塚篤司著の本、「本当に良い医者と病院の見抜き方、教えます。 “患者の気持ちがわからない”お医者さんに当たらないために」(2020年発行)の 4章 自分を守るために必要な病の知識(免疫・アレルギー・がん) の 社会と人間を理解して賢い患者になろう の「医療行動経済学から見たコミュニケーション」における記述の一部(P183~P184)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「病状が変化する」ことの例としての、 a) 「自然にがんが消える」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「がんが消えた」という体験談は本当なのか…きわめてまれに起こる"自然退縮"という奇跡 ただし、がんが自然に治る可能性はあまりにも低いので標準医療は必須』の「おおむね数万人に1人のがんが自然退縮する」項 b) 台湾の電磁波過敏症についての研究(参照)では、「62.9%の電磁波過敏症の患者は回復を報告し、その中の86.4%の回復患者は自発的な回復を報告している」ようです。

(前略)もうひとつ、行動経済学と医療の関係で知っておいた方が良い概念があります。
サンクコストバイアスです。
サンクコストバイアスとは、これまでに使ったお金と時間を考えた結果、やめるにやめられない状況に陥ることです。
このサンクコストバイアスは、民間療法では「好転反応」という説明で悪用されます。

好転反応という言葉は聞いたことがある人の方が多いのではないでしょうか? 民間療法を始めた頃、症状が悪化した状態を「体の中から毒が出た状態」と説明し、その後良くなるために必要なステップとして説明されます。
免疫のシステムを考えてみても、好転反応などは医学的に存在しません。

好転反応は、民間療法が効かない言い訳として使われます。
ぼくが専門としているアトピーでは、よくこの好転反応という言葉を使って患者さんを説得する民間療法施術者を見かけます。
標準治療をせずに放置したアトピーの状態はとてもつらいものです。しかし、我慢すればするほどサンクコストバイアスが発生します。
ここまでがんばってきたんだから。
こんなに苦労したのに諦めるわけにはいかない。
そう思って、効くはずのない民間療法を受け続けることになります。
アトピーは自然軽快も見られる病気です。いずれ、良い時期はやってきます。しかしそれは民間療法のおかげではありません。

一方で、苦しい状態をずっと我慢してきた患者さんにとって、すこしの改善はとても嬉しいこととして感じられます。

標準治療をしていれば、もっと良い状態を保てていたかもしれないのに、です。
このように、冷静に論理的に判断していると思っているものの中に、思考の癖によって歪められていることがあることを知っておきましょう。
とくに医療の分野では、思考の癖によって間違った選択をしてしまうと、健康被害を生み出すことになります。

注:引用中の「行動経済学と医療」と類似する「行動経済学×医療」については次のWEBページを参照して下さい。 「[第1回]意思決定とは? 合理性を前提とした医療の限界 - 行動経済学×医療

論争にならなかったホメオパシー論争
このホメオパシー論争では、「公開討論会」「学会での討論」「雑誌での討論(誌上討論)」「裁判(公判)での討論」などの「議論を闘わせるアリーナ(場)」が設定されることはなかった。論争の口火を切った日本医師会の批判(声明)は、一回だけのもので、その批判に対して質問や反論ができる「公開討論会」のような場の設定には応じないという、ある意味では一方的なものであった。この批判に反応した論者たちも、各自(論者)が自分の利用できるメディアを通して、自由かつ勝手な形式で、批判・反批判の議論を発表するものであったため、「相互に同じ論点について議論を闘わせる」という意味での論争は成立しないで、まさに「言いっ放し」そのものとなった。(後略)

注:i) この引用部の著者は佐藤純一です。 ii) 引用中の「日本医師会の批判(声明)」については次の資料を参照して下さい。 『「ホメオパシー」への対応について』 加えて、引用中の「論者」(例えばWEBページ『日本ディベート協会選出 2021年「ディベーター(ディベート)・オブ・ザ・イヤー」決定のお知らせ』を参照すると良いかも)によるホメオパシー批判の例は次のWEBページを参照して下さい。 『ニセ科学「ホメオパシー」の実践が危険な理由 毒物の「ヒ素」でさえ薬にしてしまう謎理論』 両者共に論文「Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? Comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy」が参照されています。(注:上記WEBページにおける論文の参照はページ2の『民間療法というより「加持祈祷」のたぐい』項を参照して下さい) 一方、WEBページ『■日本腫瘍学会編集「統合医療にがんに克つ」2010年11月号より 特別企画 ホメオパシーの“エビデンス” 「ホメオパシー」についての日本学術会議会長談話 「日本学術会議会長談話」に対する日本ホメオパシー医学協会の見解』(注:充分に用心してお読み下さい)の「■はじめに」には次に引用(【 】内)する記述があります。 【たった一つのホメオパシーの有効性を否定する論文、しかもホメオパシーと関係のない権威から欠陥論文と指摘されている論文を持ち出してホメオパシーを全面否定したことは、軽率だったのではないでしょうか。】

加えて、上記本エントリ作者が抱いた大きな違和感について次に提示します。よしんば、上記論文が上記「欠陥論文」であると立証できるのであれば、そもそも2005年に発行された論文は上記「日本医師会の批判(声明)」が出された2010年までに論破され、撤回に追い込むことができたのでは? と考えます。そして、上記論文が2010年以降も時の試練に耐えて生き残っていることをもって、医学的な上記論争の勝敗が既についているのでは? と考えます。ちなみに、上記論文はメタアナリシスですが、2006年に発行された MCS のシステマティック・レビュー(全文)「Multiple chemical sensitivities: A systematic review of provocation studies.」(PubMed 要旨はここを参照、ここも参照)も生き残っていると考えます。

※:なぜならば、「学術論文に異議があったり問題を指摘したり、議論をしたいときには、その雑誌の編集者(Editor)あてにレター(Letter)つまりお手紙を書き、それも刊行して公に議論をやりとりのなかでするというのが慣習になっている」(エントリ「名古屋スタディ関連の八重論文に対する名市大鈴木教授のレター第二弾の和訳 - ぱそろじすと・あっと・ざ・らぼ」を参照)からです。上記エントリの内容にも関連する『ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンの有害事象に関する「名古屋スタディ」としての鈴木・細野論文が出版された後に、これと同じデータを使用した八重・椿論文がウイルスとも疫学とも直接関係のない日本看護科学雑誌(JJNS 誌)から出版された。同じデータを使用したにもかかわらず、前者のオッズ比は 0.70 であったのに対し、後者のそれは 4.37 であった。鈴木は上記 4.37 というオッズ比はワクチンのリスクを示すものではなく、バイアスと不適切なプレゼンテーションの結果という考えであったので、JJNS 編集に撤回要求のレターを 2 度にわたって出した』ことについては次の資料を参照して下さい。 「再び動き出した HPV ワクチンと名古屋スタディ」 加えて次の資料もあります。 『「名古屋市HPVワクチン接種後調査データを用いた2つの解析論文の比較」の問題点』 さらに、拙訳はありませんが電磁過敏症(EHS)における科学的根拠をレビュー(Review of the scientific evidence)する論文(全文)「Review of the scientific evidence on the individual sensitivity to electromagnetic fields (EHS)」(注:これに対する当否の検討は本エントリの対象外です)の「Biochemical and physiological approach studies of EHS persons」項において Belpomme 氏と共同研究者のチームによる論文が批判されたことに端を発してか、上記 Belpomme 氏らは Letter to the Editor「Why scientifically unfounded and misleading claim should be dismissed to make true research progress in the acknowledgment of electrohypersensibility as a new worldwide emerging pathology」を送っています。これに対し、上記論文(全文)の著者である Leszczynski 氏は Letter to the Editor「Belpomme and Irigaray should rectify their own data into scientifically acceptable format」を送っています。これに対するさならる上記 Belpomme 氏らの Letter to the Editor は2023年5月7日現在で Pubmed で検索する限り(参照)本エントリ作者は見つけることはできませんでした。ちなみに、上記 Belpomme 氏らの論文(全文)「Why scientifically unfounded and misleading claim should be dismissed to make true research progress in the acknowledgment of electrohypersensibility as a new worldwide emerging pathology」の「1. Introduction」項において次に引用する記述があります。 【while still others contrary to the present WHO statements even question the existence of EHS itself (Leszczynski, 2021).】(注:引用中の「Leszczynski, 2021」は上記論文(全文)です。)

目次に戻る

≪余談9≫「二重過程説」について、その他

最初に標記「二重過程説」について、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第4章 外側前頭前野-目標設定し企画する執行機能 の 「4.1 前頭前野と執行機能」項における記述の一部(P94~P96)を以下に引用します。ただし拙訳はありませんが、標記「二重過程説」を批判する論文要旨(参照)があります。

(前略)意思決定の研究からも,二重過程説が生まれました.たとえば Wason は合理的な推論過程を調べるテストを考案して,ヒトの意思決定の合理性を調べました.すると実際に合理性を調べる多くのテスト(Wason 選択タスク,基本水準誤謬,2-4-6 カードテストなど)で,合理性はきわめて限定的であると主張されています.経済学者の Simon は限定合理性という概念を提案しました(Simon, 1987).
このような研究から,ヒトの認知機能は次第に限定的な合理性を示す過程と分析的な合理性を示す過程の2つが並列して存在しているという二重過程説が,Wason と Evans らなど多くの学者によりにより提案されました(Wason and Evans, 1975; Evans and Stanovich, 2013).
その後 Kahneman などもこの説を著書で紹介し,広く知られるようになりました(Kahneman, 2011).2つの過程は,暗黙の(自動)無意識過程と明示的(制御された)意識過程からなります.意識的な過程は,明示された態度・行動なので,説得や教育によって早急に変化することが可能です.一方で暗黙の過程や態度は,通常,新しい習慣の形成に伴って徐々に変化するので長い時間を要します.二重過程説は,社会的,人格的,認知的,および臨床的心理学において見出すことができます.それはまた,展望理論と行動経済学を経て経済学と結びつき,文化分析を通じて社会学につながっていることを示すという限定合理性の概念を支持しています.(後略)

注:i) 引用中の「多くの学者によりにより提案されました」は「多くの学者により提案されました」の誤記であると本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「Simon, 1987」については次のWEBページを参照して下さい。 「Decision Making and Problem Solving」 iii) 引用中の「Wason and Evans, 1975」ははの論文です。 「Dual processes in reasoning?」 iv) 引用中の「Evans and Stanovich, 2013」は次の論文です。 「Dual-Process Theories of Higher Cognition: Advancing the Debate.」(全文はここを参照して下さい) v) 引用中の「Kahneman, 2011」は次の本です。 「"Thinking, Fast and Slow", Farrar, Straus and Giroux.」 vi) 医療の視点からの引用中の「限定合理性」については次のWEBページを参照して下さい。 「[第1回]意思決定とは? 合理性を前提とした医療の限界 - 行動経済学×医療」 vii) 引用中の「情動的」に関連する「情動」については次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに上記情動に関して、引用中の「直感的,情動的な側面は,前頭前野が本来の機能を果たさないときに現れる行動調節モードとも言えます」とは異なるかもしれない「認知を情動の基礎に据える革新的な理論」についてはここを参照して下さい。 viii) 引用中の「前頭前野」については次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 ix) 引用中の「二重過程説」(二重過程理論)よりも「PP」(Predictive Processing:階層的予測符号化) の方が、認知の説明理論として適していることについては次の資料を参照して下さい。 「The Systematicity Argument 再考-Predictive Processing の観点から」の「4.2 Predictive Processing」及び「4.3 PP とシステム性」項 加えて、上記「二重過程説」(Dual Process Theories)についての、拙訳中の「行動経済学」や神経経済学の視点からの論文(全文)例を次に紹介します。 「Dual Process Theories in Behavioral Economics and Neuroeconomics: a Critical Review」 加えて、上記「二重過程説」に類似する「二重過程理論」については、資料「婦人科外来における森田療法の応用」における「図2 意思決定における二重過程理論」(P221)があります。その上に、上記「二重過程説」、「行動経済学」、及び「限定的な合理性」にも関連する、pdf ファイル「ウェブ版 国民生活 8 NO.61(2017)」中の友野典男著の文書「暮らしの中の行動経済学」(P1~P4)があります。なお、引用中の「限定的な合理性を示す過程」及び下記拙訳中の「対照的」の対象となる引用中の「分析的な合理性を示す過程」に関連する「より高い」精神的過程及び「より低い」精神的過程について、上記論文(全文)の「1 Introduction」項における記述の一部を次に引用します。

(前略)"Higher" mental processes are depicted as slow, controlled, reflective, serial, rule-based, effortful, and conscious, and are associated with energy-intensive cognitive tasks like deductive reasoning and hypothetical thinking. This category of mental processing is commonly referred to as "System 2" or "Type 2". By contrast, "lower" mental processes are depicted as fast, reactive, automatic, intuitive, heuristic, associative, and unconscious (or preconscious), and are associated with perceptual and affective operations like attentional cueing and motor-response preparation. This category of mental processing is commonly referred to as "System 1" or "Type 1" processing.(後略)


[拙訳]
「より高い」精神的過程は、遅い、制御された、内省的、系列的、ルールベース、努力を要する、及び意識的であり、そして演繹法及び仮説的思考等のエネルギー集約的な認知課題に関連する。このカテゴリの精神的過程は、一般に「システム2」又は「タイプ2」と呼ばれる。対照的に、「より低い」精神的過程は、速い、反応的、自動的、直観的、ヒューリスティック、連想的、及び無意識(又は前意識)として描写され、注意の手がかり及び運動応答準備等の知覚的及び感情的な操作に関連する。このカテゴリの精神的過程は、一般に「システム1」又は「タイプ1」処理と呼ばれる。

注:(i) 拙訳中の「タイプ1」(又は「システム1」、「システム1認知」)と「タイプ2」(又は「システム2」、「システム2認知」)との対比については次の資料やWEBページを参照して下さい。 「二重過程理論―進化的に新しいシステムは古いシステムからの出力を修正しているのか?」の表1(P115)、「社会医学における行動科学の現状と展望」の表1(P3)、「批判的思考とメディアリテラシー(前篇)~批判的思考とは何か?:認知心理学の知見から」の「源流はソクラテス哲学」項、「人はなぜミスをしてしまうのか」の「表 システム1認知とシステム2認知の比較」 (ii) 拙訳中の「より低い」(lower)は、「低位回路」(他の拙エントリのここを参照)と関連するのであろうか? (iii) 拙訳中の「知覚的」に関連する「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (iv) 拙訳中の「ヒューリスティック」についてはバイアスの視点を含めて例えば次の資料を参照して下さい。 「体験談から見た津波避難行動におけるヒューリスティックとバイアス」 加えて、上記の「ヒューリスティック」に関連する「代表性ヒューリスティック」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「https://www.jumonji-u.ac.jp/sscs/ikeda/cognitive_bias/cate_d/d_09.htmltitle=代表性ヒューリスティック」 ちなみに、この資料の「(4) バイアスによる分析」項において説明されている「8つのバイアス」中の第一にリストアップされている「確証バイアス」については下記 (vi) b) 項を参照して下さい。 (vi) 一方、拙訳中の「無意識(又は前意識)」に関連するかもしれない、 a) 『「化学物質過敏症」であると刷り込まれる』(資料「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④項(P89)を参照)、 b) 「確証バイアス」(他の拙エントリのここを参照)にとらわれる、その例としての「見たいものを見て、信じたいものを信じる」こと(ここここを参照)、 c) 「感情的現実主義」(ここを参照)、 d)「欲望(煩悩)によって条件づけられた現象の認知の仕方」(他の拙エントリのここを参照)、 e) (活性化すると闘争-逃走-麻痺反応〔他の拙エントリのここを参照〕をもたらすかもしれない、活性化した[早期]「不適応的スキーマ」(他の拙エントリのここを参照)、 f) 「神経生理学」的な問題(他の拙エントリのここを参照)、加えてその一例(「ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった」ことについては他の拙エントリのここを参照)かもしれない『「ニューロセプション」のよる検知又は誤検知』(他の拙エントリのここを参照)、 g) 「強いストレス経験がその後の恐怖条件づけを増強させる」(資料「強いストレス経験がその後の恐怖条件づけを増強させる生理学的基盤」を参照)こと、 h) 「強い恐怖記憶により日常生活に支障を来してしまう PTSD心的外傷後ストレス障害)や不安障害の患者は、恐怖記憶を消去するための学習がうまく進まない」(pdf ファイル「RIKEN NEWS No.457」中の資料「恐怖記憶の形成と消去の仕組みを探る」の特に「タイトルより上位の記述部」[P06]を参照)こと がもしかすると挙げられるかもしれません。 (v) 拙訳中の「システム1」、「システム2」を含めた、構成主義的情動理論(他の拙エントリのここを参照)の視点からの本質主義的なものの説明例として、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第8章 人間の本性についての新たな見方」における記述の一部(P280~P281)を次に引用します。

(前略)古代ギリシャでは、プラトンが人間の心を、理性的思考、情念(現在の用語で言えば情動)、空腹や性衝動などの欲求という三種類の本質に区分した。理性的思考は、情念と欲求をコントロールする役割を担う。プラトンはそれを、羽の生えた二頭のウマを飼いならす御者にたとえた51。(中略)

プラトンが提起する心の本質には、名前が変わったとはいえ(また私たちは羽の生えたウマなどと言わなくなったとはいえ)、現在でも影響力がある。今日では、それは知覚、情動、認知という名で呼ばれている。フロイトは、それらをイド、エゴ、スーパーエゴと呼び、心理学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カールマンは、比喩的にシステム1とシステム2と呼んだ(カーネマンはそれがたとえだと非常に慎重に述べているが、多くの人々は彼のその言葉を無視して、システム1とシステム2を脳のかたまりとしてとらえ、本質主義的に解釈しているように思われる57)。(後略)

注:i) 引用中の原注番号「51」の内容の一部(P592)を次に引用(『 』内)します。 『プラトンは、彼のモデルを「魂に三分節」と呼んだ。』 加えて、次のWEBページを参照して下さい。 「Plato's view of the mind」 ii) 引用中の原注番号「57」の連続した内容(P591)を次に二分割して引用(それぞれ【 】内)します。 【「私は心の機能を、システム1とシステム2という2つのエージェントにたとえる。前者はすばやい思考を、後者はゆっくりとした思考を生む。私は直感的な思考と熟慮的な思考の特徴に関して、心のなかに2つの性格を持つ特質や性向が存在するかのように語る。最近の研究の成果によれば、直感的なシステム1は経験から感じられる以上に影響力が強く、人間が行う多くの選択や判断の隠れた構築者になっている」(Kahneman 2011, 13)。】〔注:引用中の「Kahneman 2011, 13」は次の本です。「Kahneman, Daniel. 2011. Thinking, Fast and Slow. New York: Macmillan. [『ファスト & スロー――あなたの意志はどのように決まるのか?』村井章子訳、早川書房、2012年]」〕、【たいていの心理学理論と同様、システム1とシステム2は、人々が合意のもとで用いる社会的リアリティに関するたとえや概念なのであり、プロセスや脳のシステムではなく現象を指す。具体的に言えば、システム1は予測エラーによって予測がそれほど訂正されていない時を、システム2は予測エラーによって多くの予測が訂正されているときを指す。】〔注:a) 引用中の「予測」については他の拙エントリのここ(注:引用中の「予測エラー」についてもであり、不安障害の視点からである)、ここを参照して下さい〕 iii) 引用中の「イド」、「エゴ」、「スーパーエゴ」に関連する「防衛機制」については次のWEBページを参照して下さい。 「防衛機制 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「情動」に関連する『「構成主義的情動理論」における情動の見方』については引用中の「知覚」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。

目次に戻る

≪余談10≫「チェリーピッキング」について、その他

最初に、 (a) 標記「チェリーピッキング」とは「自らの論証に有利な事例のみを選択すること」であることについては資料『「対立をこえる」力を育成する「社会的な見方・考え方」 -社会科・公民科教師が身につけるべき社会的な見方・考え方についての一考察-』の「2.問題の所在」項を参照して下さい。加えてこれの簡単な紹介は次の資料やWEBページを参照して下さい。 「消費者行動研究における再現性問題と研究実践」の「2-3 チェリーピッキング」項(P4)、『これからの「再現性問題」の話をしよう』の「2. 不適切な研究方法」項、「事前登録のやり方」の「チェリーピッキング」シート、「論理的(形式的)誤謬集」の「12. チェリー・ピッキング(Cherry Picking【英】)」項 (b) 加えて、『「チェリー・ピッキング」は研究では厳に慎むべきだとされている』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「日本人なら」受動喫煙をしても健康に悪影響はない?』の「研究を発表したその日に反論するJT社長」項 (c) その上に、「世の中はチェリーピッキング(自分の主張に有利な事例のみを持ち出し、それを一般論のように並べて論証する詭弁の一種)の宝庫」なことについては次のWEBページを参照して下さい。 『日本人が意外と知らない「データ分析」の本質 「スマホで学力が下がる」説を信じていますか』の『「因果関係」か、それとも「相関関係」か』項 (d) さらに、「医療デマを信じてしまう人が陥りがちなこと」に対する「知っておくべき7つの言葉」の1つである標記「チェリーピッキング」については次のWEBページを参照して下さい。 「医療デマを信じてしまう人が陥りがちなこと、知っておくべき7つの言葉」の「チェリーピッキング」項 (e) これら以外にも、『誰もがこの誤り(注:「チェリーピッキング」のこと)に陥りやすいからだし、誤りに陥ったと気づいた時いかにすぐ軌道修正できるかの方が大事なのだと思う』ことについてのツイートがあります。 (f) 1) 標記「チェリーピッキング」について言及するツイートがあります。標記「チェリーピッキング」に関連するかもしれない「イベルメクチン」を例とした「自分の願望(欲望)ベースで議論してはダメ。イベルメクチン贔屓になれば、それに都合の良いデータをかき集めるのは容易。逆も然り。自分の願望に意識的になり、願望と無関係に中立的にデータを吟味する。」との記述を有するツイートがあります。 (g) 上記「Cherry Picking」に関連する「たとえfactであってもcherry pickingは断固避けるべし」との記述を有するツイートがあります。 (h) 一方、A] 「出題文は、チェリーピッキングを行っている」項を有するWEBページは「食品添加物協会は、見解を発表」項を含めて次を参照して下さい。 『「緊急告発」大学入学共通テストがニセ科学を前提としていいのか 科学リテラシーある受験生ほど迷う(ページ5)』 B] また、標記「チェリーピッキング」とは大きく異なるかもしれない「学問するとは既存の知のうえに新たな知をつけ加えることである。それゆえ、まずこれまでの知の中身を把握しておく必要がある。先行する学者たちの研究内容を踏まえ、その先を見通すことが学問することの核心である。」についてはここここを参照して下さい。次に、標記「チェリーピッキング」について、村松むつみ著の本、『「エビデンス」の落とし穴』(2021年発行)の 第2章 エビデンス重視の医療になったのは、じつは最近だった の『◆都合よく転用する「チーリーピッキング」』における記述の一部(P67~P68)を以下に引用します。

(前略)テレビなどで、専門家に取材した内容の一部だけを切り取って報道する、「切り取り報道」が問題になることがあります。最近でも、新型コロナウイルス感染症に関して、取材を受けた医師が、そのような発言はしていないのに、「PCR検査をもっと拡大すべきだ」というような発言をしたかのような編集をされたと、民放テレビを告発したケースがありました。
このように、ときとしてマスコミは、自分の主張に都合のいい発言だけを、取材の中から切り取ってきて報道してしまう「切り取り報道」をしてしまうことがありますが(悪意がない場合もあるでしょう)、エビデンスに関しても、自分が主張したい内容に合わせて、「都合のいいデータのみを持ってくる」ということができてしまいます。
研究論文を書いた研究者たち自身が、都合のよいデータのみを出す場合もありますし(これは、かなり見抜くのが難しいです)、営利企業が、出た論文の一部を都合よく解釈していることもあります。
研究の、都合のいい部分だけを抜き出して使用することを、「チェリーピッキング」と言います。
ひとつ例を挙げてみましょう。
「がんは治療しないで、放置しましょう」
世の中には、このような主張をする医療者もいて、本もたくさん出ています。
たしかに、がんの中には非常に低い悪性度の、進行が遅いものがあります。これを、検診などで早く見つけてしまうと、リスクのある手術を行わなければならなくなり、「がんが治る」ことよりも、手術による合併症や後遺症のリスクのほうが大きくなることがあります。乳がんや、前立腺がんの一部でそのようなことが起こりやすく、これは、「過剰診断、過剰治療」と言われます。
しかし、こうしたがんはごく一部の例に限られ、ほとんどのがんはむしろ、放置するとどんどん大きくなり、進行して、転移を起こし、気がついたときには「末期がん」と呼ばれる状態になってしまいます。がんの多くは、たとえ合併症のリスクがあっても、適切な治療を速やかに受けるのが望ましいのです。
しかし、世の中には、一部の「放っておいでもかまわないがん」のエビデンスをもとに、がん全体に広げて「がんは放置してかまわない」と主張するケースもあるので、非常に困ったものだと思います。(後略)

注:i) 引用中の「がんは治療しないで、放置しましょう」に関連する「がん放置療法」に関するWEBページ例は次を参照して下さい。 『抗がん剤は絶対に使いたくありません。「がん放置療法」でいいですか』 ii) 引用中の「研究の、都合のいい部分だけを抜き出して使用すること」に関連するかもしれない、「有利な証拠のみの論証に」ついて、河野哲也著の本、『問う方法・考える方法 「探究型の学習」のために』(2021年発行)の 第三章 探究型の授業と哲学対話 の コラム1 論理と推論 の 誤った推論の例(P95) の「有利な証拠のみの論証」における記述を次に引用(『 』内)します。 『仮説の論証は、肯定する証拠だけではなく、否定的な証拠も探す。「この人も、あの人も、この健康ドリンクが効いたと言っていました。だからこのドリンクは健康にいい。」』(注:引用中の「否定的な証拠も探す」ことに関連するかもしれない、「客観的証拠や対立意見に着目して分析」や「反対の立場で分析」については資料「教養教育における科学リテラシー ―問題発見力と問題解決力の修得を目指して―」中の楠見孝著の文書「科学リテラシーを支える批判的思考の教養教育」の「批判的思考力を高める活動1」シート[P260]を参照して下さい。) iii) 引用中の「切り取り報道」に関連する「元々の内容を大きく変えたり、自らの主張に都合のいいように一部の文言だけを切り出して使用すること」は「当所が誤った内容を発信している印象を与えるだけでなく、科学を踏まえた健全な社会の議論を歪めてしまうことを強く懸念している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「新型コロナウイルス感染症に関する国立感染症研究所ホームページの不適切な引用について NIID 国立感染症研究所

目次に戻る

=====

エントリ仮公開後の追記

(A)改訂・バージョンアップ関係
(1) 2015-02-04 の初回仮公開
本リンク集を Ver. 0.20 で仮公開しました。[注:下記 Ver. 0.41 の改訂以前である (2)~(11) の細かな改訂履歴の記述は省略します]

(12) 2021-03-15、2021-03-19、2021-04-18、2021-05-10、2021-05-26、2021-07-16、2021-08-13、2022-03-27、2022-03-29、2022-04-21 の改訂
Ver. 0.41:主にここにおいて項目の作成を含めて文章の追加をしました。加えて、ここここここ及びここにおいて文章の追加・削除・修正のマイナーな改訂をしました。

(13) 2022-05-01 の改訂
Ver. 0.42:主にここにおいて文章を削除しました。加えて、ここにおいて文章の追加・削除・修正のマイナーな改訂をしました。

*1:William J Rea 医師の流れを汲む医師の方々は「多種類化学物質過敏症」と称するようです

*2:本エントリ公開の頃には収まっていました

*3:ちなみに、このマニュアルにおける化学物質過敏症に対する見解を示した記述(P51)を「3.4.1. 疾病概念」項から抜き出して次に引用(『 』内)します。 『化学物質過敏症の疾病概念自体が未確定ですので、現時点では客観的な臨床検査法や診断基準も確立されていないところです。』

*4:ちなみに、平成28年(2016年)に作成され、ここで紹介した報告書における記述の一部を以下にリンク又は引用します。 a) 最初に、化学物質過敏症の概念について、同ファイルの「1. 概念」項における記述は他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 加えて、化学物質過敏症の臨床検査について、同ファイルの「6. 臨床検査」項における一部の記述を次に引用(『 』内)します。 『本症の確定診断に繋がる客観的検査は未だ存在しない。しかし、患者の多くが「嗅覚過敏」に伴う不快な症状を訴えることから、嗅覚伝導路・大脳辺縁系に関する脳科学的評価方法が最近注目を浴びている。』 c) なお、「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.1. 疾病概念」項には次に引用(『 』内)する記述(P51)があります。 『化学物質過敏症の疾病概念自体が未確定ですので、現時点では客観的な臨床検査法や診断基準も確立されていないところです。』 加えて引用はしませんが、同マニュアルの「3.4.2. どのような化学物質のばく露に起因するのか?を調べるために」項(P51~P52)において、ごく微量の化学物質の曝露により症状が誘発されることを否定する資料が複数紹介されています。 d) 一方、化学物質過敏症(本態性環境不耐症)又は MCS における脳科学と関連する、化学物質が刺激となって生じる感覚モデルの注目点について、このマニュアルの「11.3. MCS における臭いに対する脳の反応と症状の出現」項における記述の一部(P205~P206)を次に引用します(『 』内)。 『近年、Nordin らのスウェーデン等の北欧と日本の Azuma らは、化学物質が刺激となって生じる感覚モデルに注目しています。このモデルでは、有害と認識された物質に対する大脳辺縁系を介した作用機序に着目しています。』(注: 1) この引用部を含む引用は他の拙エントリのここを参照して下さい)。 2) これらの引用中の「大脳辺縁系」については、例えば他の拙エントリのここや次の資料を参照して下さい。「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」) 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 さらに、他の拙エントリのここも参照して下さい。

*5:すなわち、誘発試験のシステマティック・レビューのことです

*6:注:本レビュー対象外の研究を含む

*7:上記論文の要旨及び全文の「Discussion」における記述の一部の引用については、共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

*8:他の拙エントリを参照して下さい。

*9:この報告書には、2015年度の日本における化学物質過敏症に関する調査研究が含まれるようです。この報告書の公開元はここの(G)項を参照して下さい。

*10:ちなみに、この資料の著者らが作成した以前の関連資料は、本エントリ内で重複するかもしれませんが、次に紹介します。『特発性環境不耐症(いわゆる「化学物質過敏症」)患者に対する単盲検法による化学物質曝露負荷試験』、「特発性環境不耐症の臨床所見 ―シックハウス症候群との比較―

*11:この論文は、2015年前半における化学物質不耐症に関する調査結果をまとめたものとの位置づけが可能かもしれません。ただし、(d) の報告書と比較すると、発表時期の関係上か?、次の論文は考慮されていません。 「Cortical activity during olfactory stimulation in multiple chemical sensitivity: a (18)F-FDG PET/CT study.

*12:ちなみに引用はしないものの、情動調節(emotion regulation)について様々な研究が行われ、精神疾患メンタルヘルス心理療法の一種である認知行動療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピー、スキーマ療法及び弁証法的行動療法、マインドフルネス(参照)及びEMDR(眼球運動による脱感作と再処理、ここ及びここを参照)において、「情動調節」に関連した次に要旨を示す複数の論文があります。 「Emotional dysregulation in those with bipolar disorder, borderline personality disorder and their comorbid expression.[拙訳]双極性障害境界性パーソナリティ障害及びこれらの併存症表現における情動調節不全」、「Intersect between self-esteem and emotion regulation in narcissistic personality disorder - implications for alliance building and treatment.[拙訳]自己尊重と自己愛性パーソナリティ障害における情動調節との交差 - 同盟構築と治療への含意」、「Emotion regulation, physiological arousal and PTSD symptoms in trauma-exposed individuals.[拙訳]トラウマにさらされた個々人における情動調節、生理学的な覚醒及び PTSD 症状」、「PTSD, emotion dysregulation, and dissociative symptoms in a highly traumatized sample.[拙訳]非常にトラウマを負った方々(サンプル)における PTSD、情動調節不全、及び解離症状」、「Prefrontal dysfunction during emotion regulation in generalized anxiety and panic disorders.[拙訳]全般不安症及びパニック症における情動調節中の前頭前野機能不全]」、「Emotion dysregulation in hypochondriasis and depression.[拙訳]心気症及びうつ病における情動調節不全」、「Emotion-motion interactions in conversion disorder: an FMRI study.[拙訳]変換症における情動と動作との相互作用:機能的磁気共鳴画像法の研究」(注:この論文要旨の Conclusion には、「suggesting abnormal emotional regulation (failure of habituation / sensitization)」の記述があります)、「Emotion regulation in patients with somatic symptom and related disorders: A systematic review.[拙訳]身体症状症および関連症群を伴う患者における情動調節:システィマティックレビュー」、「Emotional dysregulation, alexithymia, and attachment in psychogenic nonepileptic seizures.[拙訳]心因性てんかん発作における情動調節不全、アレキシサイミア及び愛着」、「Childhood maltreatment, emotional dysregulation, and psychiatric comorbidities.[拙訳]子ども時代のマルトリートメント、情動調節不全及び精神医学的併存疾患」(注:引用中の「マルトリートメント」については、資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい)、「Relation between emotion regulation and mental health: a meta-analysis review.[拙訳]情動調節とメンタルヘルスとの関係:メタアナリシスレビュー」、「Explicit and implicit emotion regulation: a multi-level framework.[拙訳]明示的及び暗黙的な情動調節:複数レベルのフレームワーク」、Emotion regulation related neural predictors of cognitive behavioral therapy response in social anxiety disorder.[拙訳]社交不安症における認知行動療法の応答の情動調節関連神経予測因子」、「Emotion regulation in acceptance and commitment therapy.[拙訳]アクセプタンス&コミットメント・セラピーにおける情動調節」、「Emotion regulation and substance use frequency in women with substance dependence and borderline personality disorder receiving dialectical behavior therapy.[拙訳]弁証法的行動療法を受ける物質依存及び境界性パーソナリティ障害を伴う女性における情動調節及び物質使用頻度」、「Emotion Regulation in Schema Therapy and Dialectical Behavior Therapy.[拙訳]スキーマ療法及び弁証法的行動療法における情動調節」、「Mindful Emotion Regulation: Exploring the Neurocognitive Mechanisms behind Mindfulness.[拙訳]マインドフルな情動調節:マインドフルネスの背後にある神経認知メカニズムの探求」、「Integrating neurobiology of emotion regulation and trauma therapy: reflections on EMDR therapy.[拙訳]情動調節とトラウマ治療法の神経生物学との統合:EMDR治療法の反映」、「Cerebral bases of emotion regulation toward odours: A first approach.[拙訳]ニオイに対する情動調節の脳基盤:最初のアプローチ」  加えて、情動調節についての記述を含む化学物質不耐症(Chemical intolerance)の論文要旨はここを、ADHD における情動調節不全についての論文要旨はここを それぞれ参照して下さい。なお、上記論文以外に他の拙エントリにおいても、例えば「少しの情動喚起で闘争モードになってしまう」(ここ及びここ参照)について紹介しています。また、用語「情動調節」についての説明は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

*13:このWEBページ中の記述【多種化学物質過敏症患者と健常者におけるゲノム全域SNP(single nucleotide polymorphism)の比較により疾患関連遺伝子を明らかにする】に関連して、日本人のゲノムワイド関連分析(GWAS)における重要なポイント例について、服部成介、水島-菅野純子著、菅野純夫監修の本、「よくわかるゲノム医学 ヒトゲノムの基本から個別化医療まで」(2011年発行)の記述の一部(P71)を次に引用します(『 』内)。 『GWASにおける重要なポイントは,疾患群と対照群との間で,集団の均一性が保たれていることである.日本人の起源として,朝鮮半島,南方および北方からの3つのルートで渡来した人々が考えられている.特定の集団に偏って発症する疾患の解析を行った場合に,対照群の選び方は大変困難となる.』

*14:ちなみに彼が the Texas Medical Board による Charges に直面していたことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「William Rea, M.D. Facing Charges by the Texas Medical Board - Casewatch」 加えてこれも説明するエントリは次を参照して下さい。 「治療にホメオパシーを用いる化学物質過敏症の権威 - NATROMのブログ

*15:ちなみに、 i) これらと異なる見解については、次のWEBページを参照して下さい。 「子供のがん」、「成人のがん」  ii) これらのWEBページへのリンク集は次のWEBページを参照して下さい。 「ジェイクくんのなっとく!電磁波」の「ジェイクくんのなっとく!電磁波 -解説集-」項

*16:ちなみに、次のWEBページの「ジェイクくんのなっとく!電磁波 -解説集-」項において電磁波の専門的な用語を解説するためのリンクがあります。ここには電磁波過敏症に相当するWEBページ「電磁過敏症」へのリンクが含まれます。また、本項においてしばしば言及される「ノセボ効果」については、(突発性環境不耐症におけるものとして)他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

*17:これらの誘発研究におけるシステマティック・レビューにより、疾患概念である電磁波過敏症の存在に対する評価が可能と考えます。一方、MCS の誘発研究におけるシステマティック・レビュー及びシステマティック・レビューそのものについてはここを参照して下さい。

*18:このリンクの URL では、資料の最初のページが表示されます

*19:メディア警告により実現すること

*20:論文の要旨はここ参照

*21:このツイート(注:95%信頼区間についてはこのツイート参照)で代表されるように、コメントにおいて、「いずれの研究も統計学的に有意でない結果を統合したもの」、「科学的に説得力のある形で結論づけられていない」等と主張しています

*22:ただし、このシステマティック・レビューが不適切であると証明できる又はシステマティック・レビュー発表後に、この結論をひっくり返すような知見が得られた場合等を除きます。ちなみに、この項の追加・公開時までの本エントリ作者の調査によると、このような知見を見つけることができませんでした。参考までにここを参照して下さい。

*23:このような人の主張には一貫性がなく(すなわち、非合理的にメタアナリシス、システマティック・レビューの可否を判断して)、説得力に欠けると本エントリ作者は考えます。一方、①坂部医師を好意的に紹介する人が、坂部医師を総括責任者とする報告書や坂部医師も著者である化学物質不耐症(Chemical intolerance)についての論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.」(他の拙エントリのここを参照)をどのように評価するのか ②石川医師、宮田医師を好意的に紹介すると同時に、坂部医師も好意的に紹介する人は、化学物質過敏症をどのように理解しているのか(他の拙エントリのここを参照、加えて②は他の拙エントリのここと同様な構図であると本エントリ作者は考えます) 両方に本エントリ作者は興味をもっています。

*24:本項には「クリティカル・シンキング」、「信念体系」や「確証バイアス」についての記述を含みます