krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

自閉スペクトラム症における身体症状、その他

(1) 本エントリ内の自閉スペクトラム症ADHD関連以外の発達障害に関する病名のリンク*2
ソーシャルコミュニケ―ション障害又は社会的(語用論的)コミュニケーション症 *3[ちなみに、関連する「コミュニケーションの障害」*4ここここここここ
発達性協調運動障害(ここここ*5

(2) 杉山登志郎医師、本田秀夫医師、宮尾益知医師、内海健医師、ローナ・ウィング医師、米田衆介医師に関連した本エントリ内リンク*6
杉山登志郎医師*7ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
本田秀夫医師*8ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ *9
宮尾益知医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ *10、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
注:上記とは別である他の拙エントリ「ADHDについて、その他」におけるリンク集はここを参照して下さい。
内海健医師*11ここここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここここ、 ここ 及び ここ
ローナ・ウィング医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
米田衆介医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ

(3) 「自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)」の方々の性格傾向としても示すことが可能かもしれない用語又は文章の本エントリ内リンク
臨機応変な対人関係が苦手、 自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先、 融通がきかない、 少しだけこだわりが強い、 個性的な性格傾向(注:以下に「臨機応変な動きが苦手」があります)

(4) その他用語、文章の本エントリ内リンク

注:「コミュニケーションの障害」はリンク集(1)を参照して下さい。ちなみに、新卒採用の選考にあたって特に重視した点としての「コミュニケーション能力」については例えば次の資料を参照して下さい。 「2018 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果」の「(4) 選考にあたって特に重視した点」項(P2)

ウィングの「三つ組み」仮説(ここここここ 及び ここ)、 交渉ごとが苦手、 筋肉の緊張が取れにくい、 疲れを感じられない
セネストパチー(ここ 及び ここ)、 体内感覚、 心気症、 圧覚
運動制御関連特性群、 不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害、 姿勢、平衡機能の問題(ここ 及び ここ)、 バランス動作が苦手
心身症又は身体表現性障害、 二次障害としての「新型うつ」、 選択的注意、 積極奇異型、受身型、孤立型
誤学習(ここここ 及び ここ *12)、 森を見ずに木又は葉を見てしまう[木又は葉を見ただけで、森を見ずに安易な判断をしてしまう](ここ
[これに関連するかもしれない「経験が目の前にあることで飽和する」(ここ 及び ここ)、「並列処理(マルチタスク)の困難 」、「一事が万事」(ここここ)、「視点の切換えの困難」[続く]
[続き]「見通す力がない」、「揚げ足を取ってしまう*13、「シングルレイヤー思考特性」、「(想像力の障害としての)経験が目の前にあるもので飽和し余白がない」][続く]
[続き]「定点観測者」、「自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」、「全体と部分との関係を把握できない」、「(先を)見通す力がない」]
子どものときも困っていた、 クレーマーになる、 怒りをコントロールする、 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
情報処理過剰選択仮説(この一部の「ハイコントラスト知覚特性」、「シングルレイヤー思考特性」)、 彼を知り己を知れば百戦危うからず孫子の兵法より)*14、 自他未分
物事を何でも簡単に信じてしまう、だまされやすい *15、 ごまかしが下手で誠実、 臨機応変な動きが苦手、 仕事の優先順位がわかりにくい
予定の変更が苦手、 ライフスタイルの変更は苦手、 人に束縛されることを極度に嫌う、 仲間と群れない
興味の偏りが著しい、 細かなことに著しくこだわる、 冗談、からかい及び皮肉等が通じない、 微妙な空気を読むことが困難(ここここ 及び ここ
余計なことを言う、 暗黙や言外という概念の理解が困難 *16、 協調性に問題がある、 自分が他者からどのように思われるか気にしない
オープンクエスチョンには答えに窮する、 記憶が消えなくて苦しむ、 特性を活かす、 助けを求めるのが苦手
健康な生活、 規則正しい時間を作ったり守ったりすることは極めて苦手、 アサーティブに生きる、 ぼちぼち生きる
実際の経験によらなければ学べない、 状況の意味を読み取るためにたくさんの練習が必要、 共感とシステム化、 他者の感情よりも客観的な事実を重視
認知様式と社会的コミュニケーション *17、 認知様式はボトムアップ処理で全体へとまとまりあがらない、 理念形成の困難、 一からやり直し
一方的に話してしまう[これに関連して『「聞く-話す」のマルチタスクが苦手』]、 字義に拘泥、 話し出すと止まらない、 見知らぬ場所や新しい環境が苦手(ここここ
アレキシサイミア(失感情症)(ここここ)、 夫婦関係と発達障害、 常識にとらわれない発想を力に、 マインドブラインドネス
カサンドラ症候群のリンク先 及び ここ参照)、 ギフテッド、 アスペルガー障害であることがわからないまま大人になる
「ベイジアン脳」、ベイズ推論モデル、 計算論的精神医学、 「経験盲」、「事前知識によって知覚が変わる」、 Dr 林のこころと脳の相談室

注:ASDとADHDの両者に関係する他の拙エントリ「ADHDについて、その他」へのリンク集です。 ADHDとASDの併病割合、 ADHDとASDの区別

(5) その他用語、文章の本エントリ内リンク(解離を含む女性のアスペルガー症候群又はASD関連)
「ガールズトーク」についていけない、 (職場での)コミュニケーションが苦手、 アスペルガー症候群の女性像、 気温や天候によっても体調を崩す(ここここ
「月経前症候群」が起こりやすく、症状も重い *18、 難治性の心身症、 アレルギー、不耐症、過敏症 *19、 「抑うつ」と「不安」
体調不良、 「気づかれにくい」、「見つかりにくい」、 診断基準がそもそも男性向け? *20、 距離が近づくと豹変する
女性当事者の手記にはヒントが満載、 優秀な社会人類学者、 過剰適応、 解離型ASD
上記解離型ASD関連:離脱、融合(同化・同調)、拡散、 「原初的世界」、「感覚の洪水」、 「仮面とイマジナリーコンパニオン」、「居場所」
注:ASDの女性にとって「人にだまされ、性的な被害にあう」ことや「性搾取を受けるリスクが高い」ことについては共に上記ここを参照して下さい。

(6) ちなみに、Dr 林のこころと脳の相談室における項のリンク先に関連した文章を次に示します。
(a) 『「敵か味方か」等の極端な考え方をする』  (b) 『「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の理解が困難』

(7) 他の拙エントリおける発達障害に関するリンク(加えてここも参照して下さい)
時間単位の気分変動*21発達障害ADHD)、 ≪ご参考≫(注:発達障害関連は一部の項目のみ)、 第四の発達障害 *22、 発達障害と愛着障害との鑑別
情動調節(自閉スペクトラム症) *23、 対人操作性、 重ね着症候群、 ASDの長所
成人の自閉症スペクトラム障害患者のためのスキーマ療法

ご参考:上記以外にも他の拙エントリの「リンク集」にも、本エントリに関連した用語又は文章のリンクがあります。

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前書き

他の拙エントリの項目「≪補足説明2≫」に関連して、発達障害*24における身体化(somatization)及びその他の本エントリ作者の関心事に関して以下に記述します。ただし、 1) 第四の発達障害(又は発達性トラウマ症候群、発達性トラウマ障害)に関しては、他の拙エントリの項目「≪補足説明3≫」を参照して下さい。 2) 加えて第四の発達障害に関連する愛着障害発達障害との鑑別が困難であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、1) 本エントリはこの拙エントリ同様に、独断と偏見があるかもしれませんが、MCS(多種化学物質過敏状態)又は化学物質過敏症を考慮して作成しています*25。 2) 大人の発達障害に関する資料及びWEBページ例をそれぞれ次に紹介します。 「大人になった発達障害」、「横浜市の疫学調査で把握された自閉スペクトラム症(ASD)の人たちを幼児期から成人期まで長期間追跡調査した結果が、英国専門誌に掲載されました。」、「発達障害とは―大人の発達障害、検査・診断はどのように行うのか」(注:連載における最初のWEBページです)、『大人の「自閉スペクトラム症(ASD)」とは?特性の理解が大切!』、「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」 加えて、「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」 3) 一方、発達障害の分類については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」 加えて、自閉スペクトラム症ADHDの両者に関連する資料は次を参照して下さい。 「発達障害について:最近の話題」 なお、ASDとADHDの特性理解についての資料をそれぞれ次に紹介します。 「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」、「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」 4) 加えて、発達障害に関するエントリを次に紹介します。 『「よく発達した発達障害」の話*26 5) 大人の発達障害の診断、アセスメントについては、次のエントリを参照して下さい。 「岩坂先生の講演を聴きました。」 6) 大人の ASD 者を含む発達障害者が社会適応を高めることについては、次の資料を参照して下さい。 「発達障害者が社会適応を高めるには」 7) 成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性については、次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」 8) 「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」については次の資料を参照して下さい。 「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」 9) 「自閉スペクトラム症の症例の長期追跡調査」については次の資料を参照して下さい。 「特定の出生コホートの発生率調査で把握した自閉スペクトラム症の症例の長期追跡調査」 10) 自閉スペクトラム症にも関連した患者のコミュニケーション能力と「ドクターショッピング」との関係については次の資料を参照して下さい。 「不定愁訴患者と当科考案の『不定愁訴スコア(SIC)』との関係 ~『ドクター・ショッピング』という視点からの検討~」 11) また、大人の発達障害をどう支援するのかの基本的な考え方については、例えば次の資料を参照して下さい。 「市民公開講座」の「2.大人の発達障害をどう支援するか」項 12) 「職場」等で使える、発達障がいのある人たちへの支援ポイントについての資料へのリンクは次のWEBページを参照して下さい。 『発達障がいのある人たちへの支援ポイント「虎の巻シリーズ」』 13) 大人の自閉スペクトラム症における早期不適応的スキーマについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 14) 大人の発達障害者の就労に必要なスキルについては、次のWEBページを参照して下さい。 「大人の発達障害の支援―就労支援機関、就労に必要なスキルについて」 なお、このWEBページに関連するかもしれない次の資料もあります。 「就職した自閉スペクトラム症者が困難に対処しながら働き続ける過程」 15) 成人 ASD 当事者の支援ニーズをいかに就労支援に反映させるかについては次の資料を参照して下さい。 「成人 ASD 当事者の支援ニーズをいかに就労支援に反映させるか ―成人 ASD 当事者を対象としたアンケート調査の結果から―」 16) 「自閉スペクトラム症のサブタイプとMRI解析」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症のサブタイプとMRI解析」 17) 発達障害の特徴を有する対人関係障害者へのリワーク支援についての資料は次を参照して下さい。 「発達障害の特徴を有する対人関係障害者へのリワーク支援の系統化」 加えて、発達障害のリワークについての紹介を含む本を次に示します。 『藤田潔、古川修、森脇正詞著の本、「オトナの発達障害大図解 ASDADHDの基礎知識から社会復帰の方法まで」(2017年発行)』 18) 拙訳はありませんが成人のアスペルガー症候群における「自殺願望」については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Suicidal ideation and suicide plans or attempts in adults with Asperger's syndrome attending a specialist diagnostic clinic: a clinical cohort study

ちなみに、本エントリ作成のプロセスは他の拙エントリのここで示すものと似ている点があります。

≪診断名及び診断基準に関する用語について、その他≫
本エントリにしばしば登場する診断名に関する用語が複数あるのでこれらの関係例を次に示します。①アスペルガー症候群又はアスペルガー障害は、自閉スペクトラム症[又は自閉症スペクトラム障害](ASD、Autistic Spectrum Disorder)のアスペルガータイプに相当します。②広汎性発達障害(PDD、Pervasive Development Disorder)は自閉スペクトラム症の旧名です。③高機能自閉症アスペルガー症候群にほぼ相当します。一方、ADHDに対する漢字表記名については他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、本エントリにおける「regulation」の訳語としての「調節」に関連しては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、本エントリには診断基準「DSM:アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」に関連する記述があります。本エントリでは第4版(DSM-Ⅳ)と第5版(DSM-5)*27についての記述があります。

≪主な改訂の履歴≫
2020年1月7日:文章の削除をはじめとした、追記と変更を含む大幅な改訂を行いました(本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。
2020年2月2日、3月23日、6月17日、7月4日、6日、9月23日、10月8日、12月3日、26日、2021年1月28日、3月11日、19日、10月10日、11月20日、12月16日:文章の追記、変更や削除を含む改訂を行いました。

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身体症状

身体症状(心身症、身体表現性障害)についての説明例として、宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の【合併と鑑別――身体表現性障害】における記述の一部(P117~P119)を以下に引用します。加えて「心身症の状態と共存」について、古荘純一著の本、「発達障害とはなにか 誤解を解く」(2016年発行)の 第3章 支援者の誤解をとく の「7 心身症を抱えた人たちにどう対応するか?」における記述の一部(P105~P107)を以下に引用します。その上に、症例研究としての資料「心身症病態を呈した発達障害例の検討」や「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者における心身面の不調の現れ」についても記述する資料「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」(特に「5.【心身面の不調の現れ】」項を参照)があり、さらに以下の「その他」(e)[1] における及び項にも女性のアスペルガー症候群における身体症状に関する引用もあります。(発達凸凹に続発する)これらの身体症状は、多分二次障害に含まれると本エントリ作者は考えます。ちなみに、 a) 上記(ASD の)「心身症」に関連する「心身医学における ASD の特性理解」を含む資料については次を参照して下さい。「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」の「心身医学における ASD の特性理解26)」項 加えて、上記(ASD の)「身体症状」に関連する、「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷」については次の資料を参照して下さい。「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷について」 b) 上記「心身症」及び「身体表現性障害」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 加えて、心身相関等について紹介している、及び心因性、情緒的な対人関係の構築に苦慮や心身一元論等について紹介している次のWEBページもそれぞれあります。 「こころとからだ - 日本心身医学会」、「自分一人で悩まない - 日本心身医学会」、「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から

【合併と鑑別-身体表現性障害】
身体表現性障害の心気的な症状は非常に多いが、身体に関するこだわり方が違う

宮岡 次は身体表現性障害についてです。いわゆる心気的な症状としてはどんなものが多いですか。
内山 身体表現性障害の心気的な症状は非常に多いと思います。
宮岡 たくさんありますよね。そのなかで特に何が多いのでしょうか。
内山 子どもの場合では、頭痛や腹痛など不登校の子がよく口にするような普通の身体症状です。成人でも頭痛、腹痛は多いです。なかにはビツァール(奇妙)な感じがする人もいますね。特に所見がないのに、ずっと筋肉が痛いとか、肩が痛いとか、いわゆる不定愁訴です。
宮岡 「筋肉が柔らかくなったような気がする」という患者さんもいますよね。
内山 そうそう、あります。
宮岡 そうすると、簡単に「セネストパチー(体感症)」と診断してしまう人がいるんですよね。
内山 ああ、そうか。そうかもしれないですね。
宮岡 私は若いころからセネストパチーにはこだわっていて、「このレベルではセネストパチーと言ってはいけない」と、よく病棟で言っていました。セネストパチーは体感の幻覚であり、言葉で表現できない感覚です。ただ、セネストパチーとも普通の心気症状ともいえない症状があって、なんとなくすっきりしない気がしていたんです。でも発達障害との関係もありうるなと思って、いまうかがってみました。普通の中高年でみられる心気症には、食欲がないとか、消化器症状や動悸、疲れやすいなどがありますが、分布はそんなに変わらないのですか。
内山 あまり変わりがないと思いますね。頭痛がしたり、動悸がしたり、お腹がゴロゴロ。いろいろ症状を訴えるけど、話を変えれば案外、変えられるんですよね。
宮岡 こだわりが弱いということなのでしょうか。アスペルガーはこだわりが強いはずですよね。
内山 身体に関するこだわりはあんまりないみたいですよ。統合失調症の場合は、すごく執拗に訴える人がいますよね。ああいうタイプの人はアスペルガーにはあまりいない気がします。毎回、毎回、たとえば頭痛をいろいろ複雑な表現で訴えるので、薬は処方しますが、効かないです。「効かないね。やめておこうか」と言うと、「はい、やめておきます」です(笑)。
宮岡 「なんとかしてください」という強い要求はあまりないかもしれませんね。
内山 境界性パーソナリティ障害統合失調症でしつこく訴える人はたくさんいますが、アスペルガーではあまりいません。それほど経験が豊富ではないので、たまたま診たケースがそうだっただけかもしれないですけど、すごく強く訴える人は少ないですよ。
宮岡 それと、感覚過敏が重なっている場合がありますよね。
内山 そうですね、感覚過敏が重なっているので、「ああ、過敏だよね」という話をして、「ちょっと休んでみようか」「薬を変えようか」とか言うと、案外すぐ納得します。マイナー(抗不安薬)やリスパダール一ミリグラムを半錠、三日に一回使うとか、その程度でなんとかなる人も多いですね。(後略)

注:(i) 引用中の「リスパダール」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「リスパダール」 (ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」、「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (iii) 引用中の「セネストパチー」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「感覚過敏」については、ここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、この「感覚過敏」と不定愁訴等の身体症状の関連について、本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第5章 自閉スペクトラムの人にみられやすい「二次障害」 の「★ 環境による精神的変調の鍵概念」における記述の一部及び「★ 身体症状」における記述(P68~P70)を以下に引用します。 (iv) ちなみに、 a) 心身症と感覚過敏に関連するアレキシサイミア(alexithymia、失感情症)についてはここを参照して下さい。 b) 加えて、トラウマを負った視点からの「身体症状」については、他の拙エントリのリンク集[用語:「身体化(身体症状)」]を参照して下さい。

★ 環境による精神的変調の鍵概念(中略)

自閉スペクトラムの人たちには「感覚過敏」や「興味」の対象が狭いという特徴があります。不適切な環境に長く生活し,ストレスが強まると,この「感覚過敏」や「興味」の対象の狭さがより際立ってきます。そして,それに伴ってさまざまな症状が出ることがあります。
「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなります。ちょっとした頭痛に興味が向いてしまうと,それが頭痛の主訴として現れてきますし,腹痛,ちょっとしたピリピリした感じなど,いわゆる不定愁訴のようなものがしばしば見られるようになります。(中略)

★ 身体症状
身体症状では,さまざまな不定愁訴が入れ替わり立ち替わり出現することがよく知られています。
これは,元来の感覚過敏に興味が焦点化されるということで説明できます。生活上のストレスやトラウマと連動して,こうした身体症状が出てきたり,消失したりすることになります。

注:引用中の『「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなる』に関連する「感覚過敏は,ストレスの強い環境下で身体症状として現れやすくなる」ことについて次の資料も参照すると良いかもしれません。 「自閉スペクトラム症の二次障害の成り立ちの理解

7 心身症を抱えた人たちにどう対応するか?
第5章では、発達障害にはさまざまな精神疾患の合併が多いことについてふれるが、実際に診察をして感じることは、当事者がいわゆる「心身症」の状態を呈していても、自身は、その事実に気づいていないかあまり気にしておらず、「心身症の状態と共存(ある当事者の言葉)」していると思えることである。すなわち、発達障害の人は日常的に心身の不調を抱えながら生活しているのである。支援にあたり、当事者が「心身症の状態と共存」していることに留意する必要がある。
心身症について日本心身医学会は、「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし神経症うつ病など、他の精神障害に伴う身体症状は除外する」と定義している。ここでは、心身症を「身体の(軽い)病気」「その発症や経過に心理・社会的因子が大きく影響している」という概念で、考えてみたい。
筆者は、発達障害の人が3-3図のように「心身症と共存状態」を呈しているととらえている。
発達障害の人は、脳機能の特性から「不快な身体刺激」を感じやすいため、対人的なストレスに加えて、不快な身体刺激や過剰に感じやすい刺激もストレスの原因となる。簡単に言えば、「よりストレスを感じやすい」ということである。通常は、合理的にストレスを処理して適応反応を示すことで、ストレスを解消しているが、発達障害の人は「ストレス耐性が弱い」と表現されることもある。その場合、影響の出方として身体反応、行動化、心理反応のルートがある。最も影響が少ないのが身体反応としての表現(頭痛、腹痛、疲労感など)であり、ストレスに関してうまく適応反応できていないものの、心身症の状態を呈しながらも、それと「共存する」ことで、日常生活が可能となっていると、筆者は考えている。(後略)

注:i) 引用中の「3-3図」の引用は省略しています。 ii) 引用中の「行動化」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害」 引用中の3-3図(図自体の引用省略)によると「行動化」は共存困難に分類されています。一方、「心理反応」は3-3図(図自体の引用省略)によると共存困難な精神症状につながるようです。

一方、ASDにおいて体内感覚が過敏だと、いわゆる心気症的な訴えをすることについて、宮岡等、内山登記夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(2018年発行)の 第4章 自閉症スペクトラムの話 の「【症状①】 大人になっても残る感覚過敏 空腹や口渇、尿意がわからないケースも」における記述の一部(P147~P149)を以下に引用します。ただし、脚注記号の引用は省略します。

(前略)内山 大人もたぶん全部の感覚過敏があると思いますが、あまり知られていないのが体内感覚ですよね。これは過敏と鈍感と両方あります。体内感覚が過敏だと、いわゆる心気症的な訴えをしたりします。反対に鈍感だと、空腹がわからないとか、口渇がわからないとか。ケースによっては尿意がわからなくて洩らしがちになってしまうとか。女性の場合生理がわからないというのもあります。
宮岡 セネステジー(体感)の異常で、健常な時には感じない身体の感覚を感じているセネストパチーや心気症という診断がつく方の中に、「この過敏さは何だ!?」と思う方がいますよね。
内山 僕は、いわゆる心気症的な人はたくさん診ています。昔、普通に心気症と言われていた人たちの中には、けっこうASD感覚過敏の人が入っていたんじゃないかと思います。
宮岡 神経症の中でも治りにくいとされる心気症ですから、そういう視点は重要かもしれませんね。
内山 頑固に執拗に訴えますよね。
宮岡 治そうと頑張ると薬が増えたりする。心気症は「治そう治そうと頑張らないで、うまく付き合っていくにはどうしたらいいか考えましょう」という提案も耳にしますが、ASDもそう強調できそうですね。(中略)

宮岡 先ほど話に出た心気症についても少し触れておきたいと思います。
内山 心気症は大人の精神科医には特に気をつけてはしいですね。ASDの人には「けっこういます」と言ってもいいかなと思います。
宮岡 身体の感覚の異常とみられる精神疾患にはセネストパチーと心気症があります。セネストパチーは身体の異常感を奇妙な表現で訴えることが多いし、心気症は特定の病気への罹患を恐れる疾病恐怖を伴うことが多い。
そういう中で複雑な異常感を訴えるが、疾病恐怖はほとんど認めない方がいて、精神医学ではどう分類されるのかと気になっていたのですが、あのような症状はASD的な視点でみるべきかもしれませんね。
内山 感覚の過敏という説明概念を入れると、ある程度了解できるんです。
宮岡 それを言い出すと、またASD概念が拡大解釈されても困るので、抑えながら言わないといけないんだけれど。
内山 確かにそうですね。

注:i) 同本の P147 にある、脚注としての引用中の「セネストパチー」についての説明を次に引用(『 』内)します。 『セネストパチー(cenesthopathy, cenesthesic schizophrenia) 身体のさまざまな部位の異常感を奇妙な表現で訴える症状を、症状名としてセネストパチーという用語で表現し、それが単一症状性に持続する症例には、疾患概念としてのセネストパチーという用語を当てることか多い。前者を体感異常、後者を体感症と訳すこともある。一方、統合失調症うつ病、脳器質性疾患などの一症状としてセネストパチー症状がみられることもある。』(注:引用中の「統合失調症」及び「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい) ii) 引用中のASDにおける「感覚過敏」については、ここここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「心気症」については、拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「神経症」については、森田療法の視点から次のWEBページを参照して下さい。 「神経症を治す~神経症(不安障害)の治療方法」 v) 引用中の「体内感覚が過敏」に関連するかもしれない、突発性環境不耐症における「内受容感覚の弁別」の問題については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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感覚過敏と鈍麻

標記については、例えば他の拙エントリの「(a)項」、「※2の[ご参考1]*28≪余談1≫及びWEBページ「発達障害 解明される未知の世界」、『「発達障害」の世界を映像化*29、そして「“感覚過敏を知ってほしい”16歳・加藤路瑛さんの挑戦」、資料「自閉スペクトラム症の感覚の特徴」、加えて「調査研究の動向」については note「自閉スペクトラム症の感覚過敏の調査研究の動向」を、(自閉スペクトラム症における)「感覚過敏の神経生理過程」については資料「感覚過敏の神経生理過程が明かす自閉スペクトラム症者の感覚経験」を それぞれ参照して下さい。一方、 1) 「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなることについてはここを、女性ASDにおける感覚過敏と体調不良との関係についてはここここを それぞれ参照して下さい。 2) 「感覚の予測に対しても,絶えず予測された感覚と経験される感覚の予測誤差が生じており,自閉スペクトラム症の者はストレスを感じている。このことは,自閉スペクトラム症の感覚過敏を説明する。」ことについてはここを参照して下さい。これら以外にも、 a) 自閉スペクトラム症における「選択的注意」を含む感覚異常全般について、小野和哉著の本、「最新図解 大人の発達障害サポートブック」(2017年発行)の 1章 社会の中で「生きにくさ」を感じている人たち の「複数の障害を併せもつことも」における記述の一部(P29)を以下に、 b) ASD における感覚過敏について、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆感覚過敏」における記述(P153~P154)を以下に それぞれ引用します。

(前略)感覚異常
私たちには目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器があり、そこで得られた知覚情報を脳などで認識しています。
また脳には、人間にとって大切な情報とそうでないものを選別する機能があります。たとえば、少し騒がしい場所にいても、雑音の中から自分が会話をしている相手の声を聞き分けられることができるのは、そうした選別機能があるからです。このような機能を「選択的注意」といいます。
しかし、発達障害のある人は、この機能がうまく働かないため、すべての音を同じように認識してしまいます。そのような「感覚のアンバランス」が、聴覚だけではなく、視覚、嗅覚、味覚、触覚などでも起こるのです。その結果、ふつうの人とは違った見え方、聞こえ方、感じ方をしてしまうと考えられています。

注:i) 聴覚における引用中の「選択的注意」に関連する「カクテルパーティー効果」については、次のWEBページを参照して下さい。 『脇本准教授、京都新聞連載心理学コラムの今回のテーマは「カクテルパーティー効果」』 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

◆感覚過敏
ASDの人には、感覚過敏の傾向もあります。これは診断基準上、「同一性へのこだわり」に含まれているものです。特定の感覚に敏感さがある、ということです。
例えば、視覚については、光への過敏さも見られますが、特定の色にこだわる、というケースもあります。
沖田×華さんは青い物が好きで、服も青ばかりだそうです。
感覚過敏の中で、いちばん多いのは、皮膚感覚です。下着のタグが肌に触れると苦痛なので絶対に切り取る、などです。
「生野菜は一切食べない」など、食べる物にも偏りが生じますが、これは味覚に関する感覚過敏が関連しています。
においへのこだわりもあります。私が診察している人は、化粧品やスプレーなど、あらゆる強いにおいが苦痛で電車にも乗れず、引きこもりが長く続いています。

一方、自閉スペクトラム症における感覚の特徴については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症における感覚の特徴」 加えて、 a) ASDの嗅覚過敏について、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 大人の発達障害 日常生活編」(2017年発行)の 第2章 日常生活で起きやすい代表的なトラブルと対応策 ASD編 の ASDの人が起こしやすい代表的なトラブル-③ 感覚過敏で周囲に合わせられない の「③臭いに敏感すぎる」における記述の一部(P41)を以下に引用します。 b) 加藤進昌著の本、「あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか もしかしてアスペルガー症候群!?」(2011年発行)の 第2章 アスペルガー症候群の特性を理解しよう の『「におい」が気になって仕事に身が入らない場合』における記述の一部(P109)を以下に引用します。さらに、アスペルガー症候群と診断された著者(綾屋紗月氏ここも参照)が感覚過敏と鈍麻をはじめとした個人的な体験を詳細に記述した本があります。この本から嗅覚過敏に関する記述の一部を抜き出して引用します。つまり、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照)の 2章 外界の声を聞く の 2「身体外部の刺激」が飽和する の「①嗅覚」における記述の一部(P59)を以下に引用します。

③臭いに敏感すぎる
臭覚の敏感さから他の人の体臭・口臭や香水・シャンプーなどを強い臭いと感じて苦痛な人もいます。さまざまな臭いがストレスとなって職場になじめなかったり家庭でも調理の臭いが気になってがまんできないという人もいます。他の人にはほとんど気にならない場合が多く、周囲に理解されず変人扱いされてしまうこともあります。

注:i) 引用中の「臭覚」は「嗅覚」の誤植であると本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「強い臭い」に関連する「特定の臭いが苦手」なことについて、女性の自閉スペクトラム症に対してかもしれませんが、本田秀夫、植田みおり著の本、「最新図解 女性の発達障害サポートブック」(2019年発行)の Part2 困りごとへの考え方と工夫例 の よくある!こんな困りごと 職場編 の「感覚過敏④ におい(嗅覚)」における記述の一部(P102)を次に引用(『 』内)します。 『特定のにおいが苦手で、芳香剤や柔軟剤のような、一般的に“よい香り”とされるにおいでも、不快に感じる場合があります。いろいろな物が混ざったにおいが苦手な場合もあります。』(注:引用中の「特定のにおいが苦手」に関連する「苦手なにおいが異なる」ことについて、同Partの 感覚のかたより の「感覚過敏③ におい(嗅覚)」における記述の一部(P123)を次に引用[【 】内]します。 【人によって苦手なにおいは異なります。たとえば、食べ物のにおい、人混みの独特のにおい、化粧品や香水のにおい、動物園や水族館のにおいなどを嫌う人もいます。】 加えて、上記「特定のにおいが苦手」に関連する「特定のにおいを持つものをきらうのが嗅覚過敏である」こと、そしてその例として「化粧をすること」や「洗剤を使うこと」が挙げられていることについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第三章 体調不良で倒れるまで頑張ってしまう理由 の「それでも頑張ってしまうASの女性たち」における記述の一部(P59)を二分割して次に引用[それぞれ《 》内]します。 《特定のにおいを持つものをきらうのが嗅覚過敏です。》、《また、化粧をしたり、化学物質由来の洗剤を使うことができない人も少なくなく、日常生活に支障をきたすことがあります。》) iii) 一方、「嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません。しかしながら、発達の凸凹を持っていることは確かです。」について、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の D:感覚過敏と感覚鈍麻 の「ちょっとした臭いでも気になる(嗅覚過敏)」における記述の一部(P166~P167)について次に引用します。

ちょっとした臭いでも気になる(嗅覚過敏)

26歳、女性、家事手伝い

自閉傾向が強い人である。少しの臭いでも感じ取り、しかも不快に思える臭いがほとんどである。外出して人に近づくと、色々な臭いを嗅ぎ取ることができるために、都会ではとても生きづらい。
母親の実家がかなりの田舎にあるのだが、そこでの自然な香りは嫌いではないと言う。

ちょっとした臭いでも気になるという特性も、ASDの特性のひとつです。嗅覚過敏を持つ人は少なくないように思います。もし味覚過敏も持ち合わせることができれば、シェフには最適かもしれません。臭いだけでもワインのソムリエに向いているかもしれません。医師のなかにも、嗅覚過敏や味覚過敏などを持ち合わせ、すごいグルメになっている人も身近に大勢います。
注意してほしいのですが、嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません。しかしながら、発達の凸凹を持っていることは確かです。その凸凹が小さく、上手く社会に適応できる点を多く持っていることで、全然問題なく人生を有意義に過ごしている人も少なくありません。(後略)

注:i) 引用中の「嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません」な一方で、「ASD児では感覚調節障害児と比べて嗅覚・味覚の問題が目立つ、ASD児では発達遅滞児と比べて嗅覚・味覚の問題が目立つ、ASD児ではADHD児と比べて口腔感覚の重症度が高い、との報告があり感覚の問題の中でも嗅覚の問題はASD児にとってより本質的である可能性がある」ことについては次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の嗅覚特性に着目する意義」の「ASD者の嗅覚特性(非生理的実験)」項 ii) 引用中の(特にASDにおける)「発達の凸凹」に類似する「発達凸凹」については次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ

「におい」が気になって仕事に身が入らない場合(中略)

人によって差はありますが、アスペルガー症候群の人の中には、嗅覚がとても敏感な人がいます。プールを消毒する塩素の臭い、香水のにおい、体臭や口臭、特定の料理のにおいなどで気分が悪くなることがあるようです。

①嗅覚(中略)

私は小さいときから「AさんとCさんは同じ匂い」「BさんとDさんとEさんは同じ匂い」と記憶のなかでグループ分けしていた。だれにも「うん、そうだよね」と言ってもらえないので、理由がわからなかったのだが、最近、それは服に残っている洗剤の香料の匂いだと判明した(服についたタバコの匂いでグルーピングすることもある)。(後略)

注:引用中の「香料」に関連する、ASDと香料の関係については、例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の嗅覚特性」の「Ⅰ.自閉スペクトラム症の嗅覚に着目する理由」項

以下のによると、綾屋紗月氏の感覚における特性として、『「大量の身体感覚を絞り込み、あるひとつの<身体の自己紹介>をまとめあげるまで」の作業が、人よりゆっくりである』(P23)とまとめているようです。ちなみに引用はしませんが、「あるひとつの<身体の自己紹介>」の例が「おなかがすいた」(P15)のようです。

加えて、次に紹介する本によると、綾屋紗月氏の感覚過敏には圧覚も含まれます。この圧覚についての記述の一部を抜き出して引用します。つまり、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行)の 2章 外界の声を聞く の 2「身体外部の刺激」が飽和する の「⑤圧覚」における記述の一部(P61)を次に引用します。

⑤圧覚
低気圧がくると体も頭も重くなり、思考力が落ちて、歩くのもやっとになる。乗り物酔いは当たり前。飛行機では特に乗っているあいだ中、細かく機内の気圧が変わるので体の調整が追いつかず、沖縄や北海道までの二時間の旅で、「もう許してください」と乞いたくなるぐらい完全に飛行機酔いでぐらぐらになってしまう。当然、海外への長旅に出かけようとは思えない。(後略)

さらに、この本には、綾屋紗月氏による「感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討」があります。これについて、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照)の 2章 外界の声を聞く の 「6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討」 における記述の一部(P73)を次に引用します。

6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討(中略)

私の感覚だと、「感覚鈍麻」といわれている状態は、細かくて大量である身体内外の感覚が、なかなか意味や行動としてまとめあがらない様子のことを指しているのだと思う。たとえば、私自身は身体の空腹感や体温変化をまとめあげるのに時間がかかる。ほかにも尿意がまとめあがりにくいため時間で決めてトイレにいく人や、新陳代謝の感覚に関してまとめあがりにくく不衛生になりがちな人、生理の感覚がまとめあがらず、人に指摘されて恥ずかしい思いをする人などの経験談を、自閉圏当事者の集まりで聞いたことがある。
このようなときには目に見える行動や表出がなく、一見ボーッとしているように見えるため、「感覚鈍麻」とみなされるのであろうが、むしろ1章でも述べたように、細かくて大量な、あちらこちらからの身体感覚にとらわれている可能性が高い。一方「感覚過敏」といわれている状態は、多くの人が潜在化しがちな身体内外からの感覚を絞り込めず、そのまま拾ってしまい、それらをパニックなどのかたちで表出してしまう様子を指しているのだろう。たとえばエアータオルの音に耳を塞いで逃げ出したり、街中のたくさんの看板に怯えたりすることなどが、これに当たると思われる。
とはいえ、感覚過敏と感覚鈍麻のあいだには、それほど本質的な違いはない。どちらも「身体内外から細かくて大量の情報を感受し、それを絞り込み、まとめあげることがゆっくりであるために生じている」という一言で説明がつくのである。(後略)

ちなみに、ASDのみならずADHDの方々にも症状として「感覚過敏を中心とする感覚の異常が挙げられる」ことに関する記述として、熊谷高幸著の本、「自閉症と感覚過敏 特有な世界はなぜ生まれ、どう支援すべきか?」(2017年発行)の 1章 長いあいだ見逃されてきた特性 の「○自閉症スペクトラムADHDとLDへのつながり」における記述の一部(P17)を次に引用します。

(前略)ADHDの人々の中には、実際、感覚過敏をもつ者が多い。また、自閉症ADHDの両方の診断を受ける者は多く、同じ家族の中に自閉症の人とADHDの人が含まれる場合もよくある(ケネディ 二〇〇四など)。(後略)

注:i) 引用中の「ケネディ 二〇〇四」は次の本です。 「ケネディ、ダイアン・M(田中康雄監修、海輪由香子訳)『ADHD自閉症の関連がわかる本』明石書店 二〇〇四」 ii) 引用中の「自閉症ADHDの両方の診断を受ける」に関連する「ADHDとASD(PDD)の併病割合」については、ここを参照して下さい。 iii) 上記記述の「LD」は学習障害(Learning Disorder 又は Learning Disability)のことです。 iv) 標記『ASDのみならずADHDの方々にも症状として「感覚過敏を中心とする感覚の異常が挙げられる」こと』については次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害の感覚過敏の原因は? 自閉スペクトラム症と注意欠如多動症で共通していた脳内結合の問題

パニックの謎

例として、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第六章 発達障害とトラウマ の「パニックの謎が解明」における記述の一部(P148~P149)を以下に引用します。

タイムスリップ現象によって、筆者は今まで不可解であった引き金刺激によるパニックという現象に関する謎が解けた。ある知的障害をともなった自閉症青年は扇風機が置いてある状態でパニックを起こした。彼は擦過音に対する著しい聴覚過敏症を抱えており、扇風機があるときに彼の嫌いな音を出したものと考えられた。その後、扇風機が置いてあるのを見るとそれによってタイムスリップが生じ、たとえその扇風機が不快音を出していなくとも、出しているのと同じ状況になるのである。
過敏性の問題は、最初は生理学的な異常である。ところがこのタイムスリップ現象が介在することによって変わる。つまり過敏性に絡む怖い体験に関連した記憶事象によって、過去の不快体験の記憶の鍵が開いてフラッシュバックが生じるのである。こうして知覚過敏症は、徐々に生理的な問題から、状況を引き金とした心理的な問題へ展開する。

注:i) 引用中の「タイムスリップ現象」、「フラッシュバック」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ちなみに、タイムスリップ現象はフラッシュバックと類似した現象です(ここを参照)。加えて引用中の「タイムスリップ現象」についとのツイートがあります。 ii) また、引用中の「フラッシュバック」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害(10)気楽に過ごすのもノルマ」 iii) 引用中の「扇風機」に関連する「扇風機が立っているのを見るとパニックを生じるが、扇風機が寝ていればパニックは生じない」ことについて、鈴木國文、内海健清水光恵編の本、「発達障害の精神病理Ⅰ」(2018年発行)の 第Ⅱ部 の 第6章 知覚過敏性を巡る諸問題 の「Ⅱ.知覚過敏性の発達精神病理」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『扇風機が立っているのを見るとパニックを生じる ASD 児がいた。詳しく彼の状況を確認すると,擦過音に対する嫌悪反応が著しいことが明らかになった。恐らくあるときに立った扇風機がこの嫌悪音を出したのであろう。その場面がタイムスリップの場面となり,彼は立った扇風機を見るだけでパニックになるのである。ちなみに彼は扇風機が寝ていればパニックは生じないのであった。このように,引き金となるものの認知のみによって,過去の別の不快体験が再現される。』(注:この引用部の著者は杉山登志郎です) iv) 上記引用の関連を含む「知覚過敏性を巡る問題」と引用中の「タイムスリップ現象」については共に次の資料を参照して下さい。 「自閉症の精神病理」の「4.知覚過敏性を巡る問題」項と「6.タイムスリップ現象」項 v) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

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認知の穴

「木を見て森を見ず」をはじめとした認知の穴に関連する複数の記述例を以下に紹介します。

まず、杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第四章 自閉症という文化 の『自閉症的認知と自閉症の「認知の穴」』項における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

筆者は最近、非高機能、高機能グループともに、広汎性発達障害の児童青年が示す問題行動の大部分は、非常に狭い視野で周囲の世界を眺め、判断し、行動するところから生じる、誤学習の結果ではないかと考えるようになった。筆者はこれを「自閉症の認知の穴」と呼んでいる。(中略)

世界を代表する高機能自閉症者にして動物学者、さらに牧場の設計者であるテンプル・グランディンは、わが国での講演で、次のようなエピソードを紹介していた。
彼女は犬がなぜ犬なのか、あるとき不思議に思ったという。犬といってもセントバーナード犬のように巨大な犬もいれば、チワワのような小型の犬もいる。毛の長いものも、毛の短いものも、ヘアレスドッグまでいる。さらにシェパードのように鼻の長いものもあればシーズーのように鼻の短いものもいる。なぜこれらが犬という共通の言葉で言われるのか。彼女のとった戦略はすべての犬の写真を丹念に見ることであった。その結果、グランディンは犬に共通項があることを見いだしたという。それは犬の鼻の穴の形であった。そこはすべての犬に共通していたのである!
このエピソードには自閉症者の認知の特徴がとてもよく現れている。大まかであいまいな認知がとても苦手で、細かなところに焦点が当たってしまい、われわれがついぞ見えないところに、深い認知が生まれるのである。

注:i) 引用中の「非常に狭い視野で周囲の世界を眺め」に関連する「目の前にあることで経験が飽和する」又は「俯瞰する機能がない」については、ここここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「大まかであいまいな認知がとても苦手で、細かなところに焦点が当たってしまい、われわれがついぞ見えないところに、深い認知が生まれるのである。」に関連する「広汎性発達障害の傾向を持つ人は、限られた情報をもとに、狭く深く考え抜く人が多い」ことについて、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第四章 こだわりとは何だろうか? の「◆広く浅くか、狭く深くか?」における記述の一部(P106)を次に引用(『 』内)します。 『広い領域で平均的な力を発揮する能力と、ある限定した領域で深く切り込んでいく能力とは異なるものである。広汎性発達障害の傾向を持つ人は、限られた情報をもとに、狭く深く考え抜く人が多い。現実から同時に複数の情報が入っている時には混乱するが、ごく狭いところでは微妙で繊細な差異を見分ける力を発揮するのである。目利きとして稀有な才能を生かしていることもある。又、創造的な活動へと発展していくこともある。』 iii) 加えて、「彼女は犬がなぜ犬なのか、あるとき不思議に思ったという」ことに関連するかもしれない「私は子どもの頃、大きさによってイヌとネコを分類していた。わが家の周辺にいたイヌは皆大きかっだ。ダックスフントを飼う家が現われるまでは。そのとき私は小さなイヌを見て、なぜそれがネコでないのかを一生懸命考えたのを覚えている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) さらに、「非常に狭い視野で周囲の世界を眺め」に関連する「木を見て森を見ず」について、本の 第四章 自閉症という文化 の「自閉症の体験世界」項における記述の一部(P81)を次に引用します。

喩えれば、木を見て森を見ずということは、我々もしばしば体験することではあるが、自閉症の場合には、木を見ても、一枚一枚の葉が見えてしまう。あの葉は葉脈がきれいだ、あの葉は端っこが虫に食われている、あの葉は半分黄色くなっているなど、一枚一枚の葉が個別に識別されてしまうと、森どころか、木の全体像も見えているかどうか分からない状況となる。

注:i) 引用中の「木を見て森を見ず」に関連するかもしれない、脳の認知様式としてのトップダウン処理とボトムアップ処理についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「木を見て森を見ずということは、我々もしばしば体験することではあるが、自閉症の場合には、木を見ても、一枚一枚の葉が見えてしまう。」に関連する引用は、ここここ及びここを参照して下さい。加えて、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「文脈からのデカップリング*30の障害」(P163~P174)において、例えば『「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界』、『「一事が万事」』、「視点の切換えの困難」の各項目があります*31。これらの項目についてそれぞれ以下に引用します。先ず、『「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界』項における記述の一部(P163~P164)を次に引用します。

「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界(中略)

Φにはもう一つ,文脈からデカップリングする機能がある.<いま-ここ>の状況から離脱して,俯瞰してみる機能である.潜望鏡,あるいは物見櫓のような役割を果たす.
前章で述べたように,この機能がないと,文脈がわからない.あるいは文脈のなかに迷い込んでしまうことになる.
定型者は,<いま-ここ>を相対化する視点をどこかにもっている.現場にかかずらっているときでも,一息つけば,全体の見取り図を描くことが可能である.没頭しているときにも,頭の片隅のどこかに鳥瞰図がある.
それに対して,ASD の世界は現前にはりついている.いま目の前にあることだけで,経験が飽和してしまう.鳥瞰図ならぬ「虫瞰図」(ニキ・リンコ9)とでも呼べるような世界である.高所からみる視点をもたず,つねに至近距離で人やものとかかわることになる.それゆえ近景しか目に入らない.
虫瞰図的な世界では,「木をみて森をみず」といった事態に陥りやすい.あるいは木を指しているのに,葉をみてしまう.さらには指に,爪のマニキュアに注意が行く.こうして部分にとらわれる.ドナ・ウィリアムズは,経済的に苦しいからということで,レポートに提出する紙を節約するために,使い古しのタイプ用紙に白い修正液を塗って,その上に手書きで書いて提出した.新しい紙を用意するより,修正液を使う方がはるかに高くつくことに気づかなかった.
ある学生は,憲法と語学と専門科目の三つの試験を翌日にひかえていたが,憲法の勉強をし始めると,それに夢中になり,書店で専門書を買い求めて徹夜で読みふけった.別の学生は,重要な課題提出の期日が迫っていたが,学園祭の模擬店に出品する工芸品の製作を始めたところ,材料を問屋街に出かけて買い求め,夜なべをして作り続けた.自分でもそんなことをしている場合ではないとわかっていながら,やめられず,到底売りさばくことのできない数の作品を出品することになった.

vignette
24歳女性.精神科クリニックで「境界例」と診断され,気分安定薬が処方された.ネットで調べたところ,肝障害という副作用が気になりだし,それ以後,毎日判で押したように,職員食堂でシジミのみそ汁を注文するようになった.だが,配膳ロで受け取ってテーブルまで運ぶ際に,こぼさないようにお椀の喫水線だけを見続けていたため,毎回のように,人やものにぶつかってこぼした.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「9」は次の本からの参照です。 「ニキ・リンコ,藤家寛子『自閉っ子,こういう風にできています!』花風社,2004, pp.65-66」 iii) 引用中の「Φ」は、「他者の志向性(みつめる,呼びかける,触れる)によって触発されたしるし(痕跡)」のことのようです。認知行動特性とかかわるΦの主な機能の一つとして、引用中の「文脈からデカップリングする」ことが挙げられています。また「Φ」は仮定です。ただし、「Φ」の詳細な説明は本エントリでは困難であり、同を読むことを推奨します。ちなみに、上記引用元の本に対するこの「Φ」を含む書評例については次のエントリ及び/又はWEBページを参照して下さい。 「<熊木による書籍紹介> 『自閉症スペクトラムの精神病理』内海健(医学書院)」、「自閉症スペクトラムの精神病理」の 書評 の「精神病理学的考察がもたらす臨床力」項 iv) 引用中の『「境界例」』及び一部が「境界例」と重なる「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集(用語:「境界性パーソナリティ障害」)を参照して下さい。 v) 引用中の「俯瞰してみる機能」に関連して、俯瞰する機能がなければ困難である「マルチタスク」について、「並列処理が困難」項(ここ参照)における記述の一部(P165~P166)を以下に引用します。加えて、上記「並列処理が困難」に類似するかもしれないアスペルガー症候群の特徴としての「二つのことを同時にできません」について、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P42)を以下に引用します。 vi) その上に、標記「木をみて森をみず」の裏返しである「一事が万事」に関連して、『「一事が万事」』項(ここ参照)における記述(P170~P172)を以下に引用します。

並列処理の困難
俯瞰する機能がなければ,日常の実務において,さまざまな困難がもたらされる.そのうちの代表的なものが,情報の同時処理,言い換えるならマルチタスクが苦手であることである.もちろん多くの人にとって,マルチタスクはむずかしいものではあるが,全体を見渡すことができれば,なんとかこなせるものである.

vignette
22歳男性.学生生活で孤立感を深めていたが,あるとき,「人間になるための修業」と一念発起して,パン屋でアルバイトを始めた.
見習いが終わり,店長から,「パンを包むときほ,商品の名前を言いながら,お客さまの顔をみて,笑顔で会釈するように」と指示されてから,客の方をみることがうまくいかず.混乱し始めた.客がもってきたトレイにトングがなかったときには,素手でパンをつかみ,「バゲットは半分に切ってくれ」と客に言われたときには,バゲットの両端を素手でつかみ,膝を支点にして折ったりした.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「並列処理の困難」に関連する「二つのことが一度にできない」ことについて、杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の 大人の発達障害の特徴 の「1. 二つのことが一度にできない」における記述の一部(P227)を次に引用(『 』内)します。 『具体的には、電話を聞きながらメモが取れないとか、一つの仕事をしていると、それまでしていた仕事のことをすっかり忘れてしまうとか、仕事の最中に他の用事が入ることを嫌い、時には怒りだすとかいった状況である。』 iii) 標記「並列処理が困難」に関連する「並列的な処理」についてはここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

二つのことを同時にできません。社会生活を送るうえで、二つのことを同時進行させなければいけないことはよくあります。話を聞きながらメモをとる、電話をしながら書類を見るなどです。しかし、アスペルガー症候群の人は、「話を聞くこと」や「書くこと」を別々に集中しないとそれぞれができません。話をして同時にメモをとることには困難を感じています。その結果、会議や交渉のときには蚊帳の外にいるような気分になってしまいます。

「一事が万事」
「木をみて森をみず」の裏返しが「一事が万事」であり,木が森になる.ASD 者の経験は,目の前にあることで飽和する.それゆえ,些細と思われることでも,いったん引っかかると,すべてを放棄してしまうことにもつながる.

vignette
26歳男性.大学院生.前年,研究が初期段階でうまくいかず,学年が始まってまもない時期に,誰にも相談せず早々と留年を決めた.今年度も,ゼミでの最初の経過報告を前に,些細なことに引っかかって,再び留年しよう考えていた.
ところが同級生から,全然うまくいってなくとも,報告会に出続けることによって単位を取得できた先輩の話があり,「ともかく出ること」を勧められた.それ以降,その助言に従ってゼミの出席を続け,論文をなんとか仕上げて無事卒業した.

この青年の場合,「一事が万事」で,すぐにあきらめる傾向があったが,知人の助言に従う素直さをもち合わせていた.「ともかくも出ること」は,彼にとって「理念」として機能した.
「一事が万事」の認知スタイルにおいては,一つの間違いがすべてとなる.それがその人の経験を染め上げてしまい,ネガティブなことで,世界が飽和する.いいかえれば,絶望しやすいということである.すぐに留年のような重大事を決めてしまうように,思いつめると,突拍子もない解決を図ろうとすることもある.

vignette
22歳女性.予想に反して,留学試験に不合格となった.そのあとから,後輩たちに馬鹿にされることで頭がいっぱいになり,死ぬしかないと思いつめた.インターネットで調べて,犬のリードを購入し,ドアノブに掛けて首を縊ったところ,にわかに意識が遠くなり始めた.「人はこんなに簡単に死ぬのだ」と驚き,あわててリードをはずした.もう一度試みたところ,同じように意識が遠くなり始め,死ぬことを断念した.そののち,別の大学の留学試験にあっさり合格して,そそくさと旅立っていった.

vignette
24歳男性.大学院生.強迫性障害にて治療中.「煙草の副流煙で具合が恵くなった」などと,微細な体調の変化に対して因果関係を思いついては,それに執拗にこだわる.就職が決まっていなかったが,大学という環境が自分に悪いのだと主張し,就職のためには留年する方が有利であるという周囲の助言を聞き入れなかった.だがいったん卒業すると,今度は就職に不利になってしまったと,誰を責めるともなく訴えた.
彼は,中学生のおり,一人いた友人とちょっとしたことから仲違いしたあと,世界がおしまいになるとパニックになったことがある.その際,引っ越しをすると強硬に主張し両親を説き伏せたのだが,そのエピソードが自慢げに語られた.

こうした「一事が万事」は,自発的にせよ,偶然にせよ,場面が変わったら途端に解決することがある.解決というより,解消であり,問題自身がなくなる.
希死念慮まで口にして,もしかしたら最悪のこともありうるかもしれないと危惧を抱かせた患者が,その次の診察の際には,そんなこともありましたかというような風情でやってくる場合がある.ともすれば,操作性を感じてしまうが,ASD の場合には,そのつどそのつどがすべてであることを思い起こすべきである.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「一事が万事」に関連する「現実の小さな問題の行き詰まりが、一気に人生の行き詰まり、生きる・死ぬの問題になってしまう」ことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 6 治療や援助において心がけていること の「(4) 小問題が大問題に、大問題を小問題に」における記述の一部(P180~P181)を次に引用(『 』内)します。 『男性には、毎回の診察の返答が、「順調です」と「死ぬしかありません」の二つしかない。(中略)100か0か、白か黒かで、中間やグレーゾーンがなく、一極からもう一極に180度反転するのである。(中略)現実の小さな問題の行き詰まりが、一気に人生の行き詰まり、生きる・死ぬの問題になってしまうのである。「こう考えてみたらどうか」という視点の切り替え、「まあ、いいか」といういい加減さや適当さ、そして何よりも、困ったときに人に相談するということが難しいことが多い。』(注:a) 引用中の「100か0か、白か黒か」に関連する「ハイコントラスト知覚特性」についてはリンク集を参照して下さい。 b) 引用中の「困ったときに人に相談するということが難しい」に関連する「助けを求めるのが苦手」については、リンク集を参照して下さい。) iii) 引用中の「目の前にあることで飽和する」に関連して、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「視点の切り替えの困難」における記述(P172)を次に引用します。上記関連は、これ以外にもここ及びここを参照して下さい。

視点の切り替えの困難
目の前のことで飽和してしまう認知スタイルにとって,視点を切り替えることはむずかしい.とりわけ状況が煮詰まってくると,にっちもさっちもいかなくなる.中根晃16は視点の転換の困難を ASD の重要な認知特性として挙げている.

vignette
21歳女性.回収日の前夜にゴミを出している人がいることを知り,それをまねたところ,運悪く見咎められ,強い叱責を受けた.それ以来,自分のまわりのゴミになる可能性のあるものを溜めないようにと捨て始め,それがエスカレートして,ついには数足あったスニーカーが,1足しか残らないようなことにまでなった.それまで捨ててしまうと外出もできなくなる.それでも捨てるのを止められそうもないというところまできて,仕方なく一時的に実家に退避した.しばらくして戻ったときには,こだわりは消失して,捨てたものを思い返しては嘆息していた.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「16」は次に示す資料です。 「中根晃:児童精神病理学のアプローチ.児童青年精神医学とその近接領域36:121-129, 1995」 iii) 引用中の「視点の切り替えの困難」及び「目の前のことで飽和してしまう」ことに関連する「定点観測者」について、市橋秀夫監修の本、「大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処」(2018年発行)の 3 固執性――興味や行動が広がらない の「同一性保持の傾向③ 自分の見た景色でしか、ものが見えない」項における記述の一部(P60~P61)を次に引用します。

自分の視点から動けない
人の気持ちや状況がわからないのは、相手の立場に立つことが苦手だからです。心が移動できず、常にひとつの点からものごとを見ている「定点観測者」です。(中略)

本人も周囲も怒り人間関係に亀裂が
定点観測者は、自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいるので、それを破る人がいると混乱したり、許せなかったりします。周囲の人に突然怒りをぶつけることもあります。
本人は自分が周囲の人に不快な思いをさせていることはわからないのですが、自分が不快にさせられたことはわかります。そのため、「裏切られた」「理不尽だ」と怒っていたりします。
周囲の人にとっては、一方的に怒る人、がんこで話にならない、職場の上司からは扱いづらい人などと思われます。定点観測の特性は人間関係や仕事の面で、マイナスの影響が少なくありません。

全体と部分との関係を把握できない
地図の一点だけを見ていると、そこが海か陸かわからなくなってくることがあります。
定点観測者も対象だけをクローズアップして見てしまうので、その対象が全体のなかでどういう位置にいるかが、わかりづらくなります。(後略)

注:i) 引用中の「定点観測」の長所について、同項における記述の一部(P61)を次に引用(『 』内)します。 『定点観測するのは、いくつかの特性が複合的に関わっています。同じ場所から一点に集中して見ているので、部分と全体の関係をとらえることも、うまくできなくなります。ただ、同じ場所から同じものを見ているので、対象についてよく知るようになるという長所にもつながります。』 一方、引用はしませんが上記の「定点観測」に関連する「ひとつのことだけ徹底的に調べたり追求したりする」こと及び「興味や注意を向ける対象が限られ、それ以外のことには無頓着なので、知っていることと知らないことの差が大きい」ことについては共に、林寧哲、OMgray事務局監修の本、「大人の発達障害グレーゾーンの人たち」(2020年発行)の 1 発達障害のグレーゾーンとはなにか の 困難① 自閉的な人の困難は疎外感に苦しむこと の「自閉的な人の特性」項(P27)を参照して下さい。なお同項の監修者は林寧哲です。 ii) 引用中の「定点観測者は、自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」に関連するかもしれない「自他未分」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自分の視点から動けない」や「相手の立場に立つことが苦手」に関連する「自分の視点から他の視点への切り替えが難しく、そこにとらわれてしまう」ことについて、岡田尊司著の本、「自閉スペクトラム症」(2020年発行)の 第八章 回復例が教えてくれること の「メンタライゼーション・トレーニング」項における記述の一部(P234~P235)を次に引用(【 】内)します。 【ASDの根本的な障害は、それが過敏さによるにしろ、あるいは心の理論の未発達や固執性によるにしろ、自分の視点から他の視点への切り替えが難しく、そこにとらわれてしまうということです。自分の視点への固執と視点の切り替えの困難が、実際に生じるトラブルや生きづらさの大きな原因となっています。本人も周囲も困ってしまうのは、まさにその点なのです。】 iv) 引用中の「定点観測者も対象だけをクローズアップして見てしまうので、その対象が全体のなかでどういう位置にいるかが、わかりづらくなります」に関連する「森を見ずに木又は葉を見てしまう」についてはリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」ことに関連するかもしれない「感情的現実主義に歯止めをかけないと、考え方が独善的で柔軟性のないものになる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の『常にひとつの点からものごとを見ている「定点観測者」』に関連するかもしれない、「極端に好き嫌いが出ること」について、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の H:行動パターン の「好きなことに没頭できる」における記述の一部(P193)を次に引用します。

好きなことに没頭できる(中略)

好きなことに没頭できるという特性は、ASDの典型的な行動特性のひとつです。
この特性は、上手く作用すれば、将来が嘱望されるほどの研究者になることができるという可能性を秘めている反面、ひとつ間違うと、学校の勉強とは関係ない世界に入ってしまい、泥沼状態の不適応を起こす危険性も持っているので、生かすも殺すも両親のかじ取りひとつです。十分に留意する必要があります。このように、好きなことなら夢中になることができ、一生懸命に勉強するが、好きではないこと、興味や関心を持てないものにはまったく見向きもしないなど、極端に好き嫌いが出ることがしばしばあります。

加えて、本田秀夫著の本、『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(2013年発行)の 第2章 特性から理解する自閉症スペクトラム の「こだわりの心理的カニズム」における記述の一部(P50~P51)を次に引用します。

自閉症の心理学的研究で有名な、ロンドン大学のウタ・フリス(Uta Frith)という人は、自閉症のこだわりを説明する心理学的仮説として、「中枢性統合」という概念を提唱しています。これは、物事を構成する個々の部分よりも、まず全体像をざっと把握する機能という意味です。自閉症スペクトラムの人たちは、まず全体像を把握してから部分を見るのではなく、個々の部分しか見えず、それらの部分同士の関係や全体像が見えないのではないか、というのがフリスの仮説です。
細かい部分に過度に注目してしまうことが、生活の中ではこだわりとして表れると考えられます。たとえば、外出の際に、目的地に早くたどり着くことが最も重要なのに道順に強くこだわってしまうのは、早く着くという大局的な目的がよくわからずに、目先の道順に気持ちがとらわれてしまうから、ということです。

注:i) 引用中の「自閉症スペクトラムの人たちは、まず全体像を把握してから部分を見るのではなく、個々の部分しか見えず、それらの部分同士の関係や全体像が見えないのではないか」に関連するかもしれない「シングルレイヤー思考」については、ここを参照して下さい。 ii) 一方、引用中の「全体像が見えない」に関連する「全体を包括的に見ることが難しい」については、ここを参照して下さい。 iii) 加えて、引用中の「全体像が見えない」に関連する「見通す力がない」ことについて、谷原弘之著の本、「事例でわかる 発達障害と職場のトラブルへの対応」(2018年発行)の 第4章 相手の気持ちを読み取り、理解することの困難さ の『見通しをつけるのに役立つ「見通す力」』における記述の一部(P118) を次に引用します。

見通す力とは、先に起こりうることを「予見する力」になります。そのためには対象の全体を把握し、どこがどう関連しているか常に考える必要があります。
たとえば、職場の人間関係でいうと、○○さんと△△さんは仲が良い、××さんは課長の言うことは断れないなどの状況を見抜く能力です。
また仕事であれば、この企画書を3日で作成するためには、1日の仕事量をどの分量にすれば間に合うか、見当をつけることが必要です。その仕事内容をあらゆる方向から見て分析し、1日にこなさなければいけない正確な分量が予測できるようになると、仕事が遅れることはなくなっていくと思います。

見通す力がないと?
一般的に見通す力がないと、物事の全体像を把握しづらくなります。漠然と仕事を進め、仕事の難易度の評価も誤るため、簡単に処理できそうだと判断したにもかかわらず、実は難しくて自分の力量では期日までに完成できないということが発生します。(後略)

一方、「木を見て森を見ず」が「揚げ足取り」につながることについては、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の『「議論好き」への対応』項における記述の一部(P123~P124)を次に引用します。

議論好きと見られがちなPDDタイプで、相手のささいな言い間違えにもすぐに反応する人もいます。状況的には「揚げ足取り」で、多くの人は「あ、言い間違えたな」と気づいても、相手の言わんとする意図のほうを理解しようとするので、そこはあえて反応しません。
ところが、PDDタイプは細かなことに関心が行ってしまい、「木を見て森を見ず」の傾向があります。これは、彼らなりの独特の正義感や価値観があるからで、正確にものごとを把握しないと、気持ちの収まりがつかないのです。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) 引用中の「揚げ足取り」に関連する「重箱の隅つつき」について、岡野憲一郎著の本、「自己愛的な人たち」(2017年発行)の 第11章 高知能な自己愛者 の「◇周囲がバカに見えてしまう」における記述の一部(P183~P184)を次に引用(『 』内)します。 『私は「高知能はその人を滅ぼしかねない」という説を持つ。それは彼らの知的なこだわりが、異常なまでの細部への執着、いわば「重箱の隅つつき」へ向かわせ、それにより彼らが物事の全体像を見落とす傾向があるからだ。もちろんそれは彼らの高い知能の「賢い」使い方ではない。』 iii) 引用中の「議論好きと見られがちな」や「揚げ足取り」に関連するかもしれない、「『正論』を言って打ち負かそうとしてしまう」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「論破したがる人」に共通する孤独感の正体』の「優秀なのにトラブルメーカーになってしまう人の特徴」項

なお、「木を見て森を見ず」に関連するかもしれないシングルレイヤー思考特性については、米田衆介の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「シングルレイヤー思考特性」項における記述(P71~P76)を次に引用します。

シングルレイヤー思考というのは、ふつうの人では多重的・並列的におこなわれる情報処理が、一度に一つの水準だけで処理される傾向です。
たとえば、ここに一冊の本があったとします。ふつうの人がこれを見たときには、どのような情報処理が頭のなかで起こっているのでしょうか?
本に固有の性質はいろいろあります。その本のタイトルと内容、色やかたち、匂いや手触り、推定される重量、著者はどんな人なのか、大体の値段、誰の持ち物なのか、その本がそこに置かれていることの文脈、その本を手に取ることで他者はどう思うか……。
これらの無数の情報を、健常者はバックグラウンドで暗黙に情報処理しています。これは「並列処理」という言い方もできます。ただし、たんに並列であるというだけでなく、バックグラウンドで自動的に処理される思考であるという点を強調して、ここでは「多層性を持った思考」と呼ぶことにします。
このような「多層性を持った思考」によって処理される情報には、物理的な特性の側面(色、かたち、手触り、匂い、重量など)だけでなく、文化的な価値(著者はどんな人なのか)や経済的な価値(大体の値段)、所有関係(誰の持ち物なのか)、社会的でシンボリックな作用(その本がそこに置かれていることの文脈、その本を手に取ることで他者はどう思うか)などの無数の側面が含まれます。
ところが仮に、このようなバックグラウンドでの情報処理がおこなわれず、本の物理的な特徴以外の部分が無視されてしまったとしたら、たいへん困ったことになるのです。
たとえば、図書館で本を読んでいるときに、本の大きさにだけ着目して、「この本は手頃な大きさで怪いから、向こうの机に放り投げることもできそうだ」と考えたとしても、実際に本を放り投げる健常者はほとんどいないでしょう。その本は自分の本ではないので、持ち主の怒りを買うのは間違いないと思われますし、そもそも本を投げて返すという行動自体が周囲の人に対して無礼だからです。
あるいは、手に取ったものがたいへんカラフルで美しい表紙の雑誌だったとしましょう。ところが、その雑誌がエロティックな内容のものだったとしたら、健常者は状況によっては手に取らないでしょう。あるいは少なくとも、女性の前でその雑誌を広げてみせることはないでしょう。この場合、健常者の意識下では、「この雑誌をこの場で手に取ったら、他の人を不快にするだろう」という暗黙の情報処理がおこなわれているのです。
たった一冊の本を前にしてさえ、このような複雑な情報処理がバックグラウンドでおこなわれています。しかし、シングルレイヤー思考では、一度に一つの水準だけで処理される傾向がありますから、様々な日常的判断が妨げられることになります。このため、先の例で言えば、アスベルガー者は悪気もなく実際に本を放り投げたり、エロティックな雑誌を女性の前で広げてしまったりするのです。
個々の事柄のあいだに優先順位を付けにくくなることも、シングルレイヤー思考のあらわれとして説明してもよいでしょう。優先順位の決定は、複数の属性の層(レイヤー)にわたって解決しなければならない問題です。
たとえば、健常者が職場でどの仕事から仕上げていくかを考えるときには、仕事の納期、仕事の難しさ、顧客との関係など、さまざまな要素を考慮に入れているはずです。その結果、「納期まで時間があるけど、顧客がうるさいからこの仕事を一番にやろう」とか、「単純な作業ですぐにできるから、締め切りが近いけど後にまわそう」という判断が生まれるわけです。
少し抽象的に表現すれば、ある事柄について一定の層で考えながら、同じことの他の側面を別の層でも同時に考え、しかもそれぞれの側面の持つ重要性を比較できることが、優先順位の判断ができるための要件です。逆にこれができないと、リアルタイムで事柄の重要性を判断することはできません。だから、このような並列的な処理を必要とするような判断は、シングルレイヤー思考の特性を持つアスベルガー者には、難しい作業ということになります。
さらに、シングルレイヤー思考にはもう一つ困ったことがあります。ふつうの人々が犯すエラーを犯さないことがある、ということです。「エラーが起きないならいいではないか」と思われるに違いありませんが、そうではありません。ふつうの人は、自然と重層的に思考するので、層と層の間、すなわち異なった思考の次元の問で混線が起きても、あまり自分では意識しないことがあります。これに対して、アスベルガー者の場合には、それぞれの次元で独立に問題を検討する傾向があります。
たとえば、ある特定の人物の行為について評価する場合を例に挙げて考えてみましょう。ある人が規則違反をしたときに、アスベルガー者の場合には、その行為そのものを取り上げて評価し、その人のそれ以外の属性には注意しない可能性が高くなります。
これは、規則という次元で考えたときには適切で正しい判断です。しかしふつうの人は、行為者が身内なのか他所者なのかというような、異なった次元の問題を容易に混線させてしまいます。そして身内の場合は見逃したり、それどころか規則を曲げてでも擁護するかもしれません。それに対して、他所者が同じことをした場合には、激しく攻撃するかもしれません。
このようなひいきが正しいかどうかはさておき、集団に対する帰属意識を持てる健常者にとっては、それが自然な判断なのです。ところが、シングルレイヤー思考のアスベルガー者には、このような「大人の論理」は理解できません。そしてその論理を否定した結果として、アスベルガー者が集団から排除される可能性が高くなるのです。

注:i) 引用中の「シングルレイヤー思考」特性は「情報処理過剰選択仮説」(引用を参照)の一要素です。 ii) 引用中の「並列的な処理」に関連する「並列処理の困難」については、ここを参照して下さい。 iii) 引用中の「個々の事柄のあいだに優先順位を付けにくくなる」に関連する引用はここを参照して下さい。 

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放置(未療育)

例として、杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第四章 自閉症という文化 の「自閉症への治療教育」における記述の一部(P94)及び内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 終章 臨床デバイス の「4.医療が害をなさないこと」における記述の一部(P263)をそれぞれ以下に引用します。

自閉症への治療教育(中略)

自閉症グループの発達障害は、社会的な行動を一つ一つ積み上げることが適応を向上させる唯一の道である。したがって、他の発達障害と同様、彼らへのもっとも誤った対応はといえば放置に他ならない。(後略)

4.医療が害をなさないこと(中略)

とりわけ ASD の場合には,定型者仕様になっている社会のシステムと齟齬を起こしやすいことに注意する必要がある.医療ももちろん定型者仕様になっている.
もう少し積極的にいうなら,彼らの発達を阻害しているものを見出し,取り除くことである.何かを加えるというより,引き算の発想のほうがうまくいくことが多い.ただし,それは何もしないということではない.放置は最悪ともいわれる1.たとえば社会的スキルを獲得することも,阻害要因を取り除くという引き算としての意味がある.

注:i) 引用中の文献番号「1」は、次の本からの参照です。 「杉山登志郎自閉症の精神病理と治療』(杉山登志郎著作集1)日本評論社,2011, p.211」 ii) 引用中の「定型者」は発達障害及び非定型発達者ではない(一般の人)という意味のようです。

一方療育の要点の例について、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 終章 療育、治療、予防について の「早期チェック」における記述の一部(P240)を次に引用(『 』内)します。 『療育の要点は、もともとの問題を軽減させることと、同時に二次障害を作らないことである。』(注:引用中の「二次障害」については、二次障害を参照して下さい) 加えて、「自閉スペクトラム症の早期支援が大切な理由」については次のWEBページを参照して下さい。 「第5回 自閉スペクトラム症の早期支援が大切な理由」 その上に、療育を踏まえた診断の目的について、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第13章 発達を視野に入れる の「成人の発達障害の診断」における記述の一部(P174)を次に引用します。

(前略)そもそも診断すべきなのか
診断はなんのためにするのか。診断は「これまでの生活のしづらさは自分が悪いためではなかった」など、本人が生きやすくなるための“気づき”を与えるためであり、それができなければ意味がない。診断はあくまで本人を応援するためのものでありたい。そのように考えると、診断を行うかどうかは、それが本人の生きづらさを軽減するかどうかによる。そして、発達障害あり・なしと二分するのではなく、「グレーゾーン」として支援していくことも考える。実際に診断をする場合は、診断名を伝えるだけではなく、本人の特性のもつプラス面とマイナス面を説明し、同時にプラス面を活かしマイナス面をカバーするという生き方を伝えることが大切になる。(後略)

さらに、(アスペルガー障害であることがわからなく)未療育のまま大人になったアスペルガー障害の患者の方はスムースな社会生活を期待できない例について、林公一著の本、「サイコバブル社会 膨張し融解する心の病」(2010年発行)の 第二章 アスペルガー障害 の「大人になったアスペルガー障害」項における記述の一部(P59~P64)を次に引用します。

大人になったアスペルガー障害

ケース7
私は四十代前半の男です。私の抱える問題は、人間関係の構築・維持が困難ないしはほぼ不可能というものです。
私に自覚はないのですが、幼少期から現在に至るまで「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」などと言われ続けてきました。
協調性については、幼稚園の頃から言われていたようです。「友達が外にいるときは一人で中で遊び、みんなが中に入るときには一人で外で遊んでいた」と、母から聞かされています。外ではいろいろな物を拾って集めていたらしいです。また小学校の頃から通知表には「協調性に問題がある」の旨が、毎年毎学期記入されていたと記憶しています。
私自身は、友達と楽しく遊びたいという気持ちは人一倍あったと思います。けれども、みんなで遊ぼうとするとき、なぜルールをはっきり決めずに遊びがスムースにできるのか、私にはまったくわかりませんでした。仲良く遊ぶために最初にルールを細かく決めようと提案してすごく嫌われた思い出もあります。
そんなこともあって私は、授業時間よりも休み時間のほうが嫌いでした。授業の内容はすいすいとわかりましたし、成績もとても良かったです。といっても、授業中も、先生からの注意を無視している、態度が悪いと怒られることもよくありました。私としてはそんなつもりはまったくなかったのですが、先生が自分を注意しているということに気づかなかったのです。誰に向かって言っているのだろうと思いながら聞いていたら、「○○、聞いてるのか!」と突然私の名前を呼ばれ、あまりの驚愕に泣いてしまったこともありました。
私としては、小学校以来ずっと、自分の協調性を修正する努力をしてきたつもりですが、考えて行動したことの多くは裏目になり、考えずに行動すれば相手の望む形から外れるということばかりを繰り返してきました。「書かれていない・言われていない内容を読み取る」という、聞くところによる『世間一般の常識』行為が、努力不足もあるのかもしれませんが、私にはどうやってもできません。そのような超能力まがいの行為が、本当に常識なのでしょうか?
この思考のずれからでしょうか、幼少期から現在に至るまで、親友と呼べる友好関係を築けたことはありません。兄弟は小中高時代からの友人らと未だ交流があるのに、私にはそういう友人は一人もいません。小中学校の頃は友人を作れないことで悩みもしましたが、大学(いわゆる一流大学です)に入ってからは特に対人関係への関心を求められないので、友人がいないことは気にせずにいました。そして第一希望の一部上場会社に入り、自分も親も安心していました。
けれども、職場ではうまくいきませんでした。対人関係の問題から、せっかくの一流会社を退職せざるを得なくなり、それからも何度か職場を変わっています。どれも二~三年で上司が私との付き合いに疲れ果て、退職勧告を出すという流れです。今の職場も三年目(ただし現在の上司との付き合いは一年)ですし、つい先日には「懲戒解雇だ」のメールを上司から送りつけられているので、遠からず退職勧告が出されるものと予想しています。
今の上司によると、私が上司をバカにしているとのことでした。表向きは神妙にしていても、腹の奥では舌を出していると考えているようです。
私にそのような他意はありませんし、そう器用に感情と顔を作ることは私にはできません。誤解を解こうと説明しても、言い訳や、その場で思いついた嘘としか思ってもらえず、そんなことを繰り返すうちに、また自分が悪く思われるのではないかという先取り不安が出てきて、人と接すると緊張してしまい思うように言葉が出てこなくなってしまっています。この職場も長くいられないなと考え、落ち込むばかりです。
職場を離れなくてはならないのは非常に残念ですし、私の年齢では再就職も非常に厳しいです。しかし、残るにせよ転職するにせよ、このままではいつもと同じ流れになるのは予想できます。
私の対人能力の低さは、やはり私の努力不足に起因しているのでしょうか。私は努力がまだまだ足りないのでしょうか。

この人は、「大人になったアスペルガー障害」である。
幼少時、友達とうまく遊べない。ひとり遊びを好んでいた。収集癖。どれもアスペルガー障害によく見られる特徴である。「先生が自分を注意しているのがわからなかった」というのは、アスペルガー障害の人が学校などでよく経験する問題である。社会性の障害とも言えるし、コミュニケーションの障害とも言える。本人はそんな気はないのだが、教師からみれば、態度の悪い生徒と映る。評価は悪くなる。長じて、上司との関係にも共通したものが見られている。指示を無視している。上司の目にはそう映るのであろう。
アスペルガー障害の人は、学校の成績はむしろ良いことが多い。一流の大学に進学できる学力を身につけることも稀ではない。なんだかんだ言っても現代の日本では学歴が重視されるから、社会性に多少の問題があっても、成績が良ければ大目に見られる。
この人も希望の会社に就職した。しかしそこでアスペルガー特有の社会性の障害が露呈し、退職に追い込まれた。再就職先でも、再々就職先でも、同じようなことが繰り返された。本人は一生懸命努力している。しかしそれは報われない。
それが職場であれ、どこであれ、人が複数集ればそこは社会である。そして社会には暗黙のルールがある。交わされる言葉には言外の意味がある。そうしたものを、人は、ごく自然なものとして身につけている。しかしアスペルガーの人にはこれができない。暗黙や言外という概念を、そもそも理解できないのである。だからこの人も言っている。「そのような超能力まがいの行為が、本当に常識なのでしょうか?」と。これではスムースな社会生活は到底期待できない。
すべてはアスペルガー障害が原因である。
いや違う。
アスペルガー障害であることがわからないまま、大人になってしまったことが原因である。
アスペルガー障害をはじめとする発達障害の特徴。それは先に挙げたウィングの三つ組、すなわち、社会性の障害・コミュニケーションの障害・想像力の障害である。さらに不注意や衝動性が加わることもあるのも先に述べた通りである。
アスペルガー障害であることがわからないまま大人になってしまうと、いや、より正確にいうと、アスペルガー障害としての適切な療育を受けないまま大人になってしまうと、さらに二次的障害が加わる。それは、自分には何の悪気もなく、懸命に生きているのにもかかわらず、人とはうまくいかず、低い評価を受け、さらにはのけ者にまでされる、そうしたことの結果としての抑うつ感、自信喪失、対人緊張などである。心身症のような形で体の症状が出ることもあるし、うつ病と間違えられることもある。この人にも症状が出ている。「人と接すると緊張してしまい思うように言葉が出てこなくなってしまっています。この職場も長くいられないなと考え、落ち込むばかりです」、アスペルガーの二次的障害である。幼少時に診断がつき、適切な療育が行なわれれば、ここまで悩むことはなかったであろう。より適切な生き方・適応の仕方をとることができたであろう。(中略)
ただし、決して手遅れではない。この人も、今からでもある程度の軌道修正は可能である。アスペルガー障害を知り、正しく理解すれば可能である。逆に、たとえば、うつ病と誤診されたりすると先は暗い。うつ病の治療をいくらしても、この人の職場適応が良くなるわけではない。
理解に手遅れということはまずないものである。(後略)

注:(i) 引用中の「ウィングの三つ組」についてはここ及びここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「退職勧告」に関連する「三〇回も仕事をクビになった」についての引用はここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「アスペルガー障害であることがわからないまま」に関連して、孫子の兵法的な視点からの記述例はここを参照して下さい。 (iv) ちなみに、a) 上司に恵まれているアスペルガー障害と考えられる労働者の例については項のリンク先を参照して下さい。加えて、職場におけるアスペルガー障害(又は自閉スペクトラム症)考えられる労働者の例については項のリンク先を参照して下さい。 b) 成人後にアスペルガー症候群の傾向ありと診断され、通院し、環境調整等が実施されて、状況が改善しつつある例を示すWEBページを次に紹介します。『「発達障害と向き合って」』 c) 一方、本引用はアスペルガー障害の見落としにより、ご本人が長期間困っている例ですが、境界性パーソナリティ障害において誤診・誤治療により、ご本人・ご家族が長期間困っている例については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 加えて、ADHDであることに気づかず何十年も苦しんだ例を、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第2章 上司の理解が期待される時代 の「小学校から中学、高校へ……、そして就職」における記述の一部(P60)を次に引用します。

(前略)注意欠陥多動性障害ADHD)であることに気づかず何十年も苦しんでいた人が医療機関を受診しても、具体的な症状を訴える際、「眠れない、仕事ができない、疲れてしまう」といった愁訴だけを話し、肝心の発達の問題に関する質問をお医者さんからされなかったために、結局、自分のつらさのなにを伝えたらよいかわからなかったという方もいるのです。(後略)

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有病率

鷲見聡著の本、「発達障害の謎を解く」(2015年発行)の [第1章] 疫学研究からみた発達障害 の 自閉症スペクトラムはどこまで増加するのか の「4.サポート体制を考える」における記述の一部(P33)を次に引用します。

「ASDの有病率が2パーセントに増加している」と筆者が初めて述べたのは、2005年秋の小児精神神経学会であった。それ以降、「100人に2人」に対応できる支援の充実が急務であると、機会があるごとにアピールしてきた。ところが今、その自説を撤回しなければならない事態に至っている。浜松の4パーセントという速報値の他に、横浜などでも4パーセントを超える値が見積もられている。それらは暫定的な報告であり、科学的な視点からはまだ結論に到達していない。しかし、発達支援の視点からは、子ども100人に4人以上のASD児がいると想定して、支援体制の構築に着手するべきである。長期的な疫学研究の結論を待ってから動くのでは、“時すでに遅し”になりかねない。
大人の集団におけるASDの頻度は、まだ具体的な調査結果が得られていない。100人に4人というASDの子どもたちの中には、成人に達する時までには社会適応ができる例が相当数いて、大人での頻度のほうが低いと考えたい。しかし逆に、子ども時代には困難さが顕在化せず、大人になってから初めて支援が必要になる場合もあるかもしれない。

注:i) ここで言及している有病率における一次情報は、次の二つです。 ①土屋賢治「自閉症スペクトラムの早期診断と出生コホート研究」『そだちの科学』18号、22-31頁、2012年 ②清水康夫「発達に問題のある学童についての精神医学的診断および特別支援教育に関する疫学研究:横浜市港北区における調査」『厚生労働科学研究費補助金 発達障害児とその家族に対する地域特性に応じた継続的な支援の実施と評価 平成25年度研究総括・分担研究報告書 研究代表者本田秀夫』2014年 ちなみに、有病率の単位はパーセントです。 ii) 次に示すように後者の報告書はネットにおいて入手可能なようです。WEBページ「発達障害児とその家族に対する地域特性に応じた継続的な支援の実施と評価」における次の pdfファイル a) 201317022A0001.pdf b) 201317022A0002.pdf iii) ちなみに、第四の発達障害に関連して虐待の相談件数に言及した引用を、十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」の「コラム4 虐待・トラウマとその影響」(P101)の一部から次に行います。

虐待の相談件数は我が国で急増しています。平成二年の一〇〇〇件余りと比べ、平成二四年には六万五〇〇〇件を上回り、虐待で命を落とす子供は一週間に一人と言われています。

注:なお、令和2年度における全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数(速報値)はその件数の推移と共に次の資料に示されています。 「令和2年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値)」の「児童相談所での児童虐待相談対応件数とその推移」シート(P1)

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その他

(a)ASDかどうかの判断

ASDかどうかの判断に向けた検討に関しては、先天性であるとされていること、以下に引用するウイングの「三つ組み」障害(認知の穴を含む)、感覚過敏と鈍麻及び不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害を含む協調運動の障害を目安にすると良いかもしれません*32。ただし、(c)項に示すような二次障害を続発すると、話が複雑化するかもしれません。

ちなみに、 i) 身体症状は、発達障害以外にも、例えば、様々な精神疾患*33においても見られるようなので、これの有無は発達障害の判断に向けた検討には適さない可能性が高いです。 ii) 女性のアスペルガー症候群については、(e)項を参照して下さい。

最初に米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の『ウイングの「三つ組み」仮説』項における記述の一部(P57~P58)を次に引用します。

ウイングの「三つ組み」仮説
従来、自閉症を理解するための枠組みとして有名なものに、前節のローナ・ウイングが提唱した「三つ組み」仮説があります。ウイングは、自閉症スペクトラムの症状を、次のように三つに分けて論じています。
①社会的相互交渉の障害
他者とうまく関われない。たとえば、そもそも他者との関係に興味がない、あるいは興味があっても奇妙であるなど。
②コミュニケーションの障害
会話や意思の伝達が苦手、あるいはできない。
③想像力の障害
直接目に見えること、具体的に明言されたこと以外に気がつかない。たとえば、“場の空気”や、“暗黙の前提”がわからない。

これは、たいへんわかりやすい、優れたまとめ方です。ただし、この分け方は症状を現象レベルで分類したものですから、その限りにおいて有効性が主張されているのであって、必ずしも本質的なものが提起されているわけではないのです。

さらに詳しい内容例として、a) 宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本」(2017年発行)の「基本的な特性-ASD=自閉症スペクトラム障害自閉症アスペルガー症候群)」における記述の一部(P10)以下に引用します。 b) 備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第2章 発達障害自閉症スペクトラム の『診断の基準は「三つ組みの障害」』項における記述の一部(P38~P41)を以下に引用します。ちなみに、『ウイングの「三つ組み」仮説』の引用の注意書きは、この引用の注意書きの一部に含まれます。加えて、この三つ組みの障害の全てに関連する、「交渉事が苦手」については、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P39~P40)を以下に引用します。

(前略)ASD=自閉症スペクトラム障害は、「社会的なやり取りの障害」「コミュニケーションの障害」「こだわり行動」という3つの特性(三つ組みの特性)を持っています。3つの特性があり知的な遅れや言葉の遅れのないASDは、アスペルガー症候群と呼ばれる場合があります。

ASDの基本的な3つの特性
1 人との関わり方が苦手(社会的なやり取りの障害)
・人と目を合わせない
・名前を呼ばれても反応しない
・相手や状況に合わせた行動が苦手
・自己主張が強く一方的な行動が目立つ

2 コミュニケーションの障害(コミュニケーションがうまくとれない)
・言葉のおくれ
・言われた言葉をそのまま繰り返す
・「いってらっしゃい」「ただいま」など方向性のある言葉をまちがう
・相手の表情から気持ちを読み取れない
・たとえ話を理解することが苦手

3 想像力が乏しい・こだわりがある(こだわり行動)
・言われたことを表面的に受け取りやすい
・自分だけのルールにこだわる
・決まった順序や道順にこだわる
・急に予定が変わるとパニックをおこす(後略)

注:i) 引用部の表示形式は、引用者により変更しています。

診断の基準は「三つ組みの障害」(中略)

私が実際に患者さんを診る場合、イギリスの精神科医ローナ・ウィングが提唱した「三つ組みの障害」、すなわち、「社会性の障害、コミュニケーションの質的な障害、想像力のズレによる常同反復・こだわり」の三つがあるのか、それがあって、しかもそれによって社会生活に支障が出ているのかということを確認します。
この「三つ組みの障害」について、もう少しわかりやすく説明すると、以下のようになります。

(1)社会性の障害
仕事やプライベートで周囲の人と波長を合わせて行動したり、ルールを守ったり、マナーやエチケットに配慮したりすることに困難さが見られます。たとえば、次のような生活上の支障が出てきます。
・身だしなみや服装で注意を受けることがある
・「空気が読めない」と言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける
・自分の所属する組織や地域の「暗黙の了解」や、冠婚葬祭のマナーなどがわからない
・雑談や飲み会のどこがおもしろいのかわからない。その場にいると苦痛や不安を感じてしまう
・一つの仕事に集中しているときはいいのだが、二つ、三つと仕事が重なると、どう段取りしていいのかわからなくなってしまう

(2)コミュニケーションの質的な障害
その場に応じた表情や態度、言葉を使って他者とかかわり合うことが苦手です。中にはそういう場に置かれると、不安や恐怖を感じる人もいます。
・話している相手と視線を合わせられない
・相手の表情で、その気持ちを推し量ることができない
・言葉を文字通りそのまま真に受けることが多く、「冗談が通じない」とか「遠まわしな言い方が理解できない」と指摘されたりする
・「あなたはどう思う」と聞かれると、わけがわからなくなって頭が真っ白になる
・本音と建前を使い分けられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い。頭に浮かんだことを口に出さずにいられないことがある

(3)想像力のズレによる常同反復・こだわり
ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった動き方をします。それが、周囲の人には不可解と映ったり、困った行動だという印象を与えます。また、特定のものへの強い興味や順番、位置へのこだわりがあります。たとえば、以下のようなことが見られます。
・物事や人には都合があって、突然、予定が変更になるということに納得できない
・通勤電車では、同じ車両の同じ場所に座れないと気持ちが悪い。そして、電車から降りるときは一番でないと気がすまない
・いったん好きなことをはじめると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる
・白紙の紙を渡されると、どこから文字をかいていいのかがわからない
・たとえやらないと自分にとって不利になることであっても、納得のいかないことはできない
・物事には決まったやり方あって、それを少しでもはずれると気に入らない

これが、ローナ・ウィングが提唱した「三つ組みの障害」と、診察の中で患者さんからよく聞く行動の特性です。発達障害の「主な三つの特徴」という意味で、「三主徴」と呼んでいます。
こうした三主徴があるからといっても、それだけですぐに発達障害という診断がくだるわけではありません。そうした行動特性があることで自分自身が非常に困っている人や、先述した医師のように、はからずも周りを振り回したり、場合によっては迷惑をかけているといった人が対象となります。

注:i) 一次情報における太字は本引用では反映されていません。 ii) 引用中の「先述した医師」に対する記述は同本の P23 にあります(引用はしません)。 iii) 引用中の「空気が読めない」に関連した「微妙な空気を読むことが困難」については、ここを参照して下さい。 iv) 引用中の「冗談が通じない」に関連した<「冗談やからかいが通じない」については、ここを参照して下さい。 v) 引用中の「二つ、三つと仕事が重なると、どう段取りしていいのかわからなくなってしまう」に関連した引用については、ここを参照して下さい。 vi) 引用中の『「暗黙の了解」(中略)がわからない』に関連した「暗黙や言外という概念の理解が困難」については、ここを参照して下さい。 vii) 引用中の『「あなたはどう思う」と聞かれると、わけがわからなくなって頭が真っ白になる』に関連した引用についてはここを参照して下さい。 viii) 引用中の「いったん好きなことをはじめると(中略)やめられなくなる」に関連する「話し出すと止まらない」については、岩波明著の本、「発達障害」(2017年発行)の 第3章 ASDとADHDの共通点と相違点 の「ASDとADHDの問題行動」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『また、「話し出すと止まらない」「話がとぶ」ということも、しばしば経験する症状である。発達障害の当事者では、周囲にかまわず一方的に自分の考えを主張することや、興味のある分野の話ばかりする人をみかける。また、相手の会話に勝手に割り込むことも多い。私の受け持ちのあるASD患者は、80年代のアイドル歌手の大ファンで、水を向けると、桜田淳子菊池桃子の話を延々と続けるために、かなり閉口したものであった。』 ix) 引用中の「コミュニケーションの質的な障害」に関しては、リンク集(用語:「コミュニケーションの障害」)を参照して下さい。加えて、これに関連する女性のアスペルガー症候群における「ガールズトークができない」についてはここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

交渉ごとが苦手です。交渉ごとは、相手の気持ち、立場などを想像して行うわけですから、社会性の障害、コミュニケーション能力の障害、想像力の欠如などがスムーズな人間関係をつくりにくくしています。自分がイニシアティブをとって交渉することはできますが、交渉時に、相手とどこかで折り合いをつけることは難しいと思います。(後略)

さらに、社会性関連の1つ、コミュニケーション関連の3つ及び想像力関連の1つの引用を以下に紹介します。最初に、社会性に関連して内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の「6章 反転しない世界」における記述の一部を(P99~P103)次に引用します。この引用には、「一方通行路」項を含み、主に「対人相互性の障害」とされるものとしての「自他未分」という共通の精神病理に由来する反転機構の不在について説明しています。

自他未分のなかにある ASD 者は,人との間で生きるにあたって,さまざまな困難を抱えることになる.定型者からみれば,いわゆる「対人相互性の障害」とされるものである.
この現象はさまざまな形で,広範囲にわたってみられるものであり,これから3章にわたって述べていく.いずれも「自他未分」という共通の精神病理に由来するものが,①反転機構の不在,②地続き性,③被影響性という三つの局面に分けて論じる.ただし,この区分は厳密なものではなく,相互に関連している.あくまで便宜的なものである.

一方通行路
ASD の世界では,自己と他者が明確に区分けされていない.こちらからのかかわりは,届かない.あるいは素通りしてゆく.ぶつかって跳ね返ってくるような,あるいはお互いにあいうつような反応がない.他方,彼らからみた世界は,どこまで行っても他者に突き当たらない.そこには,他者からの反響がない.他者の視点を得ることによって,世界が陰影のある立体的な像を結ぶこともない.

それに,視覚イメージはわざわざ目まで迎えに行かなければならなかった.映像の方から,私をめがけて飛び込んでくることはなかった.さらに,私の視覚は,大切なものを自動的により分けてくれるということがなかった.何もかもが無差別に,鮮明かつ克明に見えていた1.

「みる」という志向性が成り立つためには,それがどこかに突き当たり,跳ね返ってこなければならない.それを受けとめ,それに応答するものが必要なのである.
かりに「みる」という志向性が立ち上がりかけたとしても,ASD の無分節の世界のなかで,それはどこにも突き当たることなく,そのまなざしの萌芽は,その行程の途中で,自らを見失ってしまうことになる.この構造は,他者にその淵源をもつ反転機構が備わっていないことによる.それはまさに世界に「奥行き」を与えるものでもある.
反転機構の不在は,ASD において,いたるところに見出される.一般に「対人相互性の障害」と呼ばれるものの基本型がここにある.

こうした反転機構の不在や対人相互性の障害を,ミラー・ニューロンの働きと結び付ける議論があるが,端的に誤りである.ミラー・ニューロンとは,自分が活動するときと,他の個体が活動するのをみているときの双方で,活動電位を発生させる神経細胞である2.それに該当するのは模倣であり,反転でも相互性でもない.

たとえば,「ここ」と「そこ」,「行く」と「来る」がうまく判別できないようなことが起こる.志向性のベクトルがどちらを向いているかわからない.というより,志向性そのものに気づきにくいからである.それ以前に,「自分」という基点がはっきりしていない.それゆえ反転もできない.
ある専門医は,立て込んでいる外来で,初診の来訪者を呼び入れたところ,入室するなり「お待たせしました」と言った事例を紹介している.このように「したこと」と「されたこと」の区別がつきにくい.というより,繰り返しになるが,志向性そのものに気づかないのである.
たとえば相手を傷つけても何の呵責を感じない場合もあれば,迫害されて傷つかないこともある.第2章(p.29)では,弟に暴力を振るい続けていたことが,就職してからようやく「虐待」だったことに気づいてパニックに陥った例を示した.当時の彼は,いじめているという意識がまったくなかったのである.逆に,多くの自伝のなかで語られているように,いじめを受けても,なかなか相手の悪意を感じられないこともある.「与える」と「もらう」がわからないこともある.「もらう」がわからかということは,負債がわからないということである.相手に負担をかけていることがわからない.臨床場面では,何の躊躇もなく便宜を求め,それに応じると際限がなくなるというようなことが起こりえる.

vignette
21歳男性.専門学校生.体感異常を主訴に受診.いたるところに強迫的なこだわりを示す.こだわることが非合理(ばかばかしい)であるとか非現実的(度が過ぎている)という認識はなく,執拗に訴え続ける.だが,介入を求めているわけでもなければ,こちらの助言を聞き入れることもない.
他方で微細な処方の調整や,細々とした便宜を求め,混み合っているときでも,それにかまわず話し続ける.診療予約の入っていない日にもしばしば受診して,やはり長々と話していく.治療者からみれば,あえて臨時の診察を要するような内容ではない.
交友に乏しいわけではないようだが,話を聞いているかざり,おしなべて,「人は利用するもの」,あるいは「情報を得るためのもの」という原則で貫かれている.女性に対しては,性関係以外には関心がない.実家に住む母親には,ことあることに電話で不満をぶちまけるが,母親はおろおろとしながら応対するばかりである.診療で要求が通らないと,母親を呼び寄せ,自分の代わりに治療者に懇願させる.さほど豊かでもない収入から仕送りを捻出している父が,「規則正しい生活をする」ように求めると,煙たがり,「父は金を出していることを盾にとって命令する」と治療者に訴え,「僕の治療にそんなことは必要ないと伝えてほしい」と要求する.
その後,本人としては不本意に思う企業ではあったが,就職を果たした.診療では,いかに仕事の内容や上司がくだらないかを滔々と語った.ただ,「対外的にイメージがよい会社なので 女をゲットするのには都合がよい」と臆面もなく述べ,さらに,「給料で物が自由に買えるのもメリットである」と言いながら,購入したブランド品を取り出した.いささか辟易とした治療者が「お母さんには何を買ってあげた?」と聞くと,「えっ?」と言うなりのけぞって,しばし絶句した.

定型者との間では自明のものである診療の枠組みが,ASD 者との間では共有されないことがある.定型者の場合,枠を侵犯しても,どこかでそれを自覚しており,そのことがこちらにも伝わってくる.だが彼のようなタイプの ASD 者の場合,普段のやり方がそのまま診療の場にもち込まれる.あまりにも平然としているので,手をこまねいているうちに,みるまに場が侵食されていく.
治療構造は患者のコントロール下におかれ,治療者は下僕のように,あるいは物のように扱われているような気持ちにさせられる.いや,物のように,であるとか、下僕のように,ではない.まさに物となり,下僕になる.実際にこうした関係になると,怖じ気がくるほどに,侵害された気持ちになる.
ただし,当の本人には,支配しているという意識はない.治療構造を侵食している自覚もなく,当然のことをしているまでである.あらたまって,彼に悪意があるのかと自問してみると,そうではないことに気づかされる.

たとえば上記の青年は,一方的で,治療者の指示や助言を受け付けない受療態度が続いたため,指摘したところ,にわかに泣き始めた.そして,自分は先生に診察で言われたことを,家に帰ったらすぐに書きとめ,ことあるごとに見返しているのだと,鞄からノートを取り出してみせた.(後略)

注:i) 引用中の強調は本エントリ作者により省略しています。 ii) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 iii) 引用中の文献番号「1」は次の本からの参照です。 「Gerland, G. : A Real Person : Life on the outside. Souvenir Press, London, 1997, p.65(ニキリンコ訳『ずっと「普通」になりたかった』花風社,2000,p.70)」 iv) 引用中の文献番号「2」は次の論文です。 「The mirror-neuron system.

加えて、コミュニケーション関連として金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第1章 自閉症は治るか――精神医学からのアプローチ(著者:棟居俊夫) の「落語と自閉症」における記述(P27~P32)から一部を次に3つ引用します。ただし、これら以外にも、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」からの引用が複数、そして福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」からの引用が1つあります。

(その1)

・字義に拘泥すると(中略)

言語の意味の字義拘泥は、自閉症が初めて学会に報告された時以来の、代表的な自閉的言語特徴だ。小学五年生の時にアスペルガー障害と診断された男子高校生と父親との、朝の洗面所での会話を例に挙げよう。この高校生は髪に寝癖がつきやすく、朝、鏡の前で髪をなんとか撫でつけようと苦戦中。それを見た父親が、整髪料スプレーを手にもって彼に話しかける。
父「手伸ばせ」
男子 両手で万歳する
父「こんなこともわからんのか?」
「手伸ばせ」は、手を伸ばしてスプレーに近づけ、父親が整髪用のムースを出すのを手のひらで受け止めなさい、という文字どおりでない意味を含んでいる。(後略)

注:引用中の「字義に拘泥」に関連する、 a) 「自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソード」についてはここを参照して下さい。 b) 「言葉を字義通りに受けとめる」ことについて、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 10章 ことばの発生 の「ASD は言葉を道具として用いている」における記述の一部(P179~P181)、及び同本の 1章 「心の理論」のどこがまちがっているのか? の『「心の理論」による代償』における記述の一部(P22~P23)をそれぞれ以下に引用します。前者より後者の方が会話の文脈がより複雑になっており、後者は直観の欠如を推論によって補うことの男女間での違いについても言及しています。 c) 加えて、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 情報のインプット 言葉通りに受けとってしまう。すべてを視覚的に理解する の『大きな原因は想像力の不足。とくに「言葉」が苦手』における記述の一部(P47)を以下に引用します。 d) さらに、「ASDの人は言葉の意味しか考えない」ことについて、福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」(2018年発行)の 第1章 発達障害について知ろう の 自閉症スペクトラム障害(ASD) の ASDの特性 の「①言葉の裏を読めない」における記述の一部(P45)を以下に引用します。

ASD は言葉を道具として用いている(中略)

「お塩とれる?」
「とれるよ」3

「お電話番号をうかがってもいいですか?」
「いいです」4

これは通常「字義通り性 literacy」と呼ばれる ASD に典型的にみられる言語性の病理である.「お塩とれる?」という問いかけは,あなたの手元付近にある塩の入った入れ物をとって,私に渡して下さい」という依頼である.「お電話番号をうかがってもいいですか?」とは,「あなたの電話番号を教えてください」という要望であり,状況によっては,相手が自分を受け容れてくれるかどうかをテスティングしている場合もあるだろう.(後略)

注:引用中の文献番号「3」、「4」はそれぞれ次の本からの参照です。 【Frith, U. : Autism Explaining the Enigma, 2nd edition, Blackwell, 2003, p.119(冨田真紀、清水康夫、鈴木玲子訳『自閉症の謎を解き明かす』東京書籍,2009, p.230)】、【Gerland, G. : A Real Person : Life on the outside. Souvenir Press, London, 1997, p.172(ニキ・リンコ訳『ずっと「普通」になりたかった』花風社,2000, p.186)】。

「心の理論」による代償(中略)

直観の欠如を推論によって補うことについては,男女の間で大きな違いがある.代償がより活発で,実効性をもつのは女性の方である.(中略)

男性 ASD の場合は,全般にこの代償に乏しい.それゆえ病理がそのまま露呈される.あるいは代償の仕方が不器用で,かえって病理が目立つこともある.
このように,代償機能については性差が著明に出る.とくに男性治療者が女性 ASD をみるときには,心の直観の欠如に気づかないことが多い.ただし,性差はあくまで程度の差である.

vignette
32歳女性.つきあっていた男性が,彼女に対して引き気味になっていることは,周囲の目にも明らかだったが,そのことに彼女は一向に気づかず,頻繁にメールを送り続けていた.返信がないことをなじると,男性は「ゴミ箱に入っていたみたい」と答えた.
彼女はにわかに激昂し,男性は震え上がったが,次の瞬間,彼女の口からついて出たのは,「どうしてすぐにサーバーやメールソフトの会社に連絡して修復しないの!」という非難だった.男性が「僕,PC に弱いから」と弁解すると,「それなら私がやってあげる」と申し出た.男性が謝絶すると,今後は自分の送るメールのタイトルの後に番号をふって,ロストしたらわかるようにすると提案した.

彼女が激昂したのは,男性が自分から引いていることを感じたからではない.そうした直観は働いていない.また,「ゴミ箱に入っていたみたい」という男性の応答の,言外に含まれている意味を感じ取ったわけでもない.言葉は字義通りに受けとめられている.そして,メールをロストしたままにしているという不合理をとがめだてているのである.その際,メールは彼女の送ったものだけが対象になっているわけではない.男性が受け取るもの全般を指している.こうした事態を放置しているのは,彼女の推論(=心の理論)ではありえない行動なのである.
ここで 女性は彼女なりの「心の理論」を投入している.メールがロストした人はどう振舞うのかという推論から,相手が非合理な行動をとっているという結論を導き出している.あるいはまだその手前にいるかもしれない.つまり自他の区別がまだついていない可能性はある.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中及び標記「心の理論」は共に次のWEBページを参照して下さい。 「心の理論 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「直観」とは、直接に対象をとらえる認識能力であり、推論を介することのない、ダイレクトな認識のことのようです。 iv) 引用中の「自他未分」はリンク集を参照して下さい。

大きな原因は想像力の不足。とくに「言葉」が苦手(中略)

ところが、自閉症スペクトラム障害がある人では想像することが難しく、言葉の表面的な意味しか理解できません。文字通り受けとるため、慣用句や比喩、暗示、婉曲表現、反語などは苦手です。
このため「目がまわるほど忙しい」と言えば、本当に目がクルクルまわってしまったのかと心配し、悩んだりします。また、言葉を視覚的に捉えがちなので、「腹の虫がおさまらない」と聞くと、お腹に昆虫がいて騒いでいる姿を思い浮かべてしまうことも。(後略)

注:引用中の『「目がまわるほど忙しい」と言えば、本当に目がクルクルまわってしまったのかと心配』することに関連するかもしれない、 a) (ASDの患者としての)『「道草を食わないように」と言われて、「道に生えている草を食べたりしない」と言い返した』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆言葉の裏が読めない、相手の意図をくめない」における記述の一部(P154)を次に引用(【 】内)します。 【ある患者は中学生のとき、担任の先生から「道草を食わないように」と言われて、「道に生えている草を食べたりしない」と言い返したそうです。】 b) 『ふだん食事の支度をしている妻が「今日は具合が悪くて、ちょっと食事が作れないのよ」と言ったとき、「じゃあ待ってるよ」と答えた』ことについて、同「◇言葉の裏が読めない、相手の意図をくめない」における記述の一部(P154)を次に引用(【 】内)します。 【別のASDの男性は、ふだん食事の支度をしている妻が「今日は具合が悪くて、ちょっと食事が作れないのよ」と言ったとき、「じゃあ待ってるよ」と答えたのです。】(注:この引用の続きとなる記述の一部(P155)を次に引用(《 》内)します。 《妻のほうは「あなたが作るなり、総菜を買ってくるなり、外で済ませるなり、自分で考えてね」と言外に伝えたつもりでいますが、そうした言葉の裏に隠れたメッセージは、ASDの人には届きません。》)

①言葉の裏を読めない
ASDの特性として最たるものは、人の言ったことをそのまま額面通り受け取り、言葉の裏に含まれた意図をまったく読むことができないという点です。同じ言葉でも相手がどんな表情や声の調子でそれを言ったかで受け取り方が変わってきますが、ASDの人は言葉の意味しか考えません。たとえば冷たく「あっそう、よかったね」とあしらわれたのを、好意的に捉えたりします。社交辞令や皮肉、比喩、冗談が通じないためにコミュニケーションが円滑にできないこともしばしばです。(後略)

(その2)

・会話の協力に苦労(中略)

会話の協力に苦労し、相手に十分な情報を与えないために相互理解に手間取るということは自閉症ではしばしば起きる。アスペルガー障害と診断されたばかりの東京在住の30代の女性。能登半島を観光で訪れるのに、能登空港に着陸した直後筆者にメールしてきた。いわく、
女性「能登にきた。東京とあまり変わらないね」
筆者「空港だけだ。昼間クルマで走ったら仰天するぞ。人がほとんどいない。あるのは道路だけだ」(注:筆者は能登のやさしい風土が大変好きです)
女性「温度のことだよ……」
筆者も早とちりだが、まさか、気温のことを言っているとは思わなかった。これが「思ったよりも寒くない。東京とあまり変わらないね」と書いてきてくれれば誤解せずにすんだ。メッセージの受け手に十分な情報をこの女性は与えていない。
彼女は温度・湿度・気圧に非常に敏感で、デジタルの小型の湿度温度計を持ち歩いている。訪れた場所の温度は彼女には最重要項目の一つなのだ。筆者はそんな話とはまったく思わなかった。(後略)

(その3)

・状況を文脈と関連づけれない(中略)

やはり筆者の知り合いで、アスペルガー障害と診断されたばかりの20代の女性。クルマで高速道路を走っているときに、「長い下り坂(改行)2キロ減速」という看板の意味をどう理解したか聞いた。彼女は「速度を2キロ落として走ると思った」と答えた。
看板の書き手は、見る人が2キロを坂の長さに関連づけることを期待している。彼女はペーパードライバーで高速の運転経験は教習所のときだけだ。減速2キロというのが非現実的な選択で、安全な下り坂走行にはならないことを推定できなかったのだろう。(後略)

さらに想像力の関連として内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 5章 現前の呪縛-想像力の問題 の「みえているのがすべて」における記述の一部(P84~P85)を次に引用します。

(前略)ASD の体験世界には,そこにみえているもの以上のものがない.それで飽和してしまっている.その結果,向こう側や手前,あるいは死角になっているところに想像が及ばない.
目の前のこと(=現前)にはりついていることの,もっとも劇的な例として,ニキ・リンコの例が挙げられる.彼女は八歳になるまで自分には背中がないと思っていたという.

グニラが「向こう側」「内部」を発見したのと同じ八歳のとき,私は自分の「裏側」,つまり背中を発見したのでした.それは同時に,自分はみんなと同じことができなければならないらしいという発見でもありました4.

みえているもので経験が飽和するとき,そこには余白がない.余白がないがゆえに,今見えている視覚像を組み替えて操作することができない.ここに ASD の基本障害の一つとされる想像力の問題の基本パターンがある.
想像力の障害は,ローナ・ウィングの「三つ組」の一角をなしている.あらためて確認すると,社会的相互作用 social interaction(対人相互性),コミュニケーション Communication,想像力 imagination の障害である5.このなかで一番わかりにくいのが「想像力の障害」だろう.通常は,限定された物への執着,常同的な行動,変化への抵抗などの,いわゆる「こだわり」の強さのことだとされている.
ウィング自身も,想像力の障害とこだわりとは表裏一体であるという.想像が狭くて貧困なことが,こだわりの強さにつながると考えている.
ウィングは,最近の論文のなかで,三つ組のすべてに「社会的」という形容詞をつけている.社会的相互作用,社会的コミュニケーション,社会的想像力のトリアス(三徴)である6.その際,社会的想像力の障害とは,自分自身の行動が自分自身や他者にもたらす結果について考えたり予測したりする能力の低さのことを指す.
だが,こだわりにせよ,行動の結果の予測にせよ,目につきやすい指標として有用ではあっても,それらは ASD の示す想像力の障害の一部にすぎない.この障害のもっとも根底にあるのは,ここに示したように,経験が目の前にあるもので飽和してしまうこと,そして余白のないことである.

注:i) 引用中の強調は本エントリ作者により省略しています。 ii) 引用中の文献番号「4」は、次の本からの参照です。 「ニキ・リンコ:訳者あとがき.グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった』ニキ・リンコ訳,花風社,2000,p.282」 iii) 引用中の文献番号「5」、「6」はそれぞれ次の論文です。 「Asperger's syndrome: a clinical account.」、「Autism spectrum disorders in the DSM-V: better or worse than the DSM-IV?」 iv) 上記「みえているのがすべて」やこれに関連する「みえないものはないのと同じ」について、鈴木國文、内海健清水光恵編の本、「発達障害の精神病理I」(2018年発行)の 第Ⅰ部 の 第2章 見られるとはどういうことか ――自閉症スペクトラムにおける,「目と眼差しの分裂」(ラカン)の不成立について の「V.臨床的帰結」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

(前略)30代の ASD 女性患者 D は,入院前の不適応行動について夫から頻繁に叱責されることへの怖れから抑うつ的となっていた。夫の面会の際も気詰まりで不安が続いているなか,自宅への外泊を希望した。筆者はまだ D に外泊は無理なのではないかと心配したが,実際に外泊に出てみると,夫と別の部屋に居れば楽に過ごせたと述べ,面会時よりもむしろ気楽に過ごせたようであった。こうしたちょっとした報告にも,彼らの体験様式が現れているのかもしれない。この場合,人目のないところでは圧迫感を感じないという特性は,D の精神的安定にとってむしろ役立っている。
内海が,「ASD ではしばしば『みえているのがすべて』となる」「逆にいえば,『みえないものはないのと同じ』となる」とやや比喩的な文脈で述べているが,このケースには文字通りに妥当する指摘であろう。(後略)

注:この引用の著者は菅原誠一です。

一方、本田秀夫医師によるツイッター及び自閉症スペクトラムに関するWEBサイトを以下に示します。「hihojan10 」、「自著とその周辺 自閉症スペクトラム」、「自閉症スペクトラムの理解と支援」。さらに、「発達障害とは―大人の発達障害、検査・診断はどのように行うのか」。このサイトの中の次のWEBページ(「自閉症スペクトラムとは―特徴と症状、どんな人が当てはまるのか?」)では次に引用するように、自閉症スペクトラムの特徴が簡易に説明されています。さらに、本田秀夫医師によるADHDに関する資料は※1に含まれています。

自閉症スペクトラム」とは「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」を特徴とする発達障害の一種です。「少し変わった人」程度で済んで、問題なく日常生活を送れることも十分にあります。

イメージとしては「融通がきかない」「少しだけこだわりが強い」というものです。ポジティブな方向にいけば、「ブレずに自分のペースをきちんと守り、コツコツがんばり続けること」ができる人になります。しかし、不適切な環境におかれてしまうと日常生活に様々な障害を及ぼしてしまうことがあります。

注:(i) 引用中の『「自閉症スペクトラム」』と自閉スペクトラム症とでは意味が異なるかもしれません? 専門用語が統一されていなく、紛らわしいのは困ります。 (ii) 本田秀夫医師による著作本の引用例はここ及びここを参照して下さい。 (iii) 一方、本田秀夫医師監修の本の紹介はここを参照して下さい。この本は、アスペルガー症候群自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)の症状の一部にしか該当しないものの「臨機応変な対人関係が苦手」という特性のみが目立って「ソーシャルコミュニケ―ション障害」※2と診断された著者の手記のようです。 (iv) なお、引用中の「臨機応変」に関連する、 1) 「ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手」なことについて「人に束縛されることを極度に嫌う」ことを含めて、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の C:変化に弱い の「ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手」における記述の一部(P152)を次に引用(『 』内)します。 『ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手という特性も、ASDの特性のひとつです。人に束縛されることを極度に嫌います。』 2) 同「C:変化に弱い」の「予定変更が苦手、予約を取るのが苦手」における連続した記述の一部(P152)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【予定変更が苦手、さらには予約を取るのも苦手という特性は、ASDの特性のひとつです。】(引用中の「予定変更が苦手」に類似する「予定の変更ができない」ことについて、杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の 大人の発達障害の特徴 の「2. 予定の変更ができない」における記述の一部(P227~P228)を次に引用[《 》内]します。 《急な残業を非常に嫌がり、病気の人が出たから急にカバーしてくれと言われてもなかなか柔軟にうんと言えないなど。この背後には、新しい出来事に対する予定の組み替えがとても苦手というハンディキャップがある。》)、【いつも変わらないルーティンであったり、あるいは列車のレールの上を何も考えずに走るような行動は得意ですが、臨機応変に場に即した動きを強いられたとたんに困ってしまいます。つまりは変化に弱いということに他なりません。】(注:引用中の「変化に弱い」に関連する「ライフスタイルの変更は苦手」について、同「C:変化に弱い」の「予定変更が苦手、予約を取るのが苦手」における記述の一部(P155)を次に引用[『 』内]します。 『ライフスタイルの変更は苦手という特性も、ASDの特性のひとつです。すでに何度も述べたように、これも変化に弱いということからきています。』)

ちなみに、加藤進昌著の本、『ササッとわかる「大人のアスペルガー症候群」との接し方』(2009年発行)の『アスペルガー症候群の人は「病気」?それとも「個性」?』における記述の一部(P84)を次に引用します。

アスペルガー症候群の特性である「がんこ」「こだわりがある」「空気が読めない」「反復的な作業が得意」「記憶力がいい」「仲間と群れない」といった症状は、個性的な性格傾向ということもできます。

注:i) 引用中の「空気が読めない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「こだわりがある」に関連するかもしれない「細かなことに著しくこだわる」ことについてはここを参照して下さい。

さらに、不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害について、米田衆介の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「運動制御関連特性群」項における記述の一部(P87~P88)を以下に、一方、発達性協調運動障害における不器用さについて同本の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「身体的な不器用さの問題による不器用」項における記述の一部(P190)を以下に それぞれ引用します。

運動制御関連特性群

アスペルガ―者の間で、不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害が認められることは、よく知られています。
臨床的には、とくに動作や姿勢の保持にともなって、脱力することの難しさが観察されます。検者(検査する人)がアスペルガ―者の関節部分を持って動かしたり、あるいは患者の手先を持って支えた状態から上肢を落下させて、そのときの筋肉の状態を見ると、筋肉の緊張が取れにくいことがわかります。また、片足立ちのようなバランス動作も苦手であることが見られます。平均台のような動的バランスよりも、止まったまま片足立ちをするような静的なバランス動作のほうが苦手なようです。
以前、診療所の患者さんに、太極拳の動作を模倣してもらったことがありますが、一連の新しい動作を連続してまねをすることには困難があるようです。片腕だけだとか、足だけとか、一つ一つの動作を模倣することはできますが、全身の動きがバラバラで、関節ごとの相対的な位置関係を正確に把握できる例がごく少数です。まして、動的なバランスのなかで、柔らかい動きをするような動作は困難です。

身体的な不器用さの問題による不器用

意味も手順もわかっていて、体が動かないケースもあります。だいたいアスペルガー者の八割か九割は、少なくとも体育が苦手であったか、手先が不器用であるかのどちらかです。もちろん、その両方の場合もあります。「発達性協調運動障害」というのは、体を器用に使って、全身的に協調のとれた滑らかな動作をする能力が生まれつき欠けている状態ですが、アスペルガー者には、この発達性協調運動障害に近い症状が伴われていることが多いのです。
ただし、身体的には不器用であっても、通常は単一のスキルに関しては、通常より多い量の訓練を課すことによって、多少の改善が見られます。たとえば、初めは泳げなくても、長い期間水泳の練習ばかりをしていると、さすがに初心者よりは上手に泳げるようになる、というようなことです。(後略)

注:引用中の「発達性協調運動障害」(発達性協調運動症)は、他の拙エントリのここに記述するように自閉スペクトラム症とは独立したものです。ただし、両者は発達障害(神経発達症群)に含まれます。次の資料を参照すると良いかもしれません。 「第1章 発達障害を理解しよう」の「診断名参照表」項(P4~P5) ちなみに、子どもに関する記述が中心ですが、広汎性発達障害における運動発達遅滞に関連する資料を次に紹介します。 「運動発達遅滞を主訴に来院した広汎性発達障害」 加えて上記「発達性協調運動障害」に関連する(例えば症状の一部が重なる)、(アスペルガー者における)「協調運動の障害」を含む引用はここを参照して下さい。

ちなみに、ASDは大きく次の3つのタイプに分類できます。この分類について、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害の基礎知識」(2020年発行)の 第一章 女性の発達障害を理解する三つのポイント の「特性のあらわれ方は個人差が大きい」における記述の一部(P33~P34)を以下に引用します。加えて、さらに詳細には、備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第7章 「性格の偏り」のため、さらに生きづらくなっている人たち の「アスペルガー症候群の三つの性格タイプ」における記述の一部(P149~P150)を以下に引用します。

特性のあらわれ方は個人差が大きい(中略)

たとえば、ASDは大きく三つのタイプに分けることができます。
〈積極奇異型〉
知らない人でも平気で話しかけたり、なれなれしく接したりする。
〈受身型〉
自分から積極的に接触を図ろうとはしないが、誘われれば付き合う。女性に多いとされている。
〈孤立型〉
他人と話したりかかわったりすることに苦痛を感じ、一人でいることを好む。
一般的に、子どものころは積極奇異型が多く、思春期から大人になるにつれて受身型や孤立型へとタイプが変化していくケースが多いといわれています。ただ、女性の場合ははじめから受身型や孤立型であることも多く、子どものころから特性による問題行動が目立たないこともあって、周囲からなかなか気づいてもらえず、生きづらさを感じてしまいがちです。(後略)

アスペルガー症候群の三つの性格タイプ(中略)

ローナ・ウィングはアスペルガー症候群の性格傾向を「積極奇異型」、「受動型」、「孤立型」と三つに分類して、同じアスペルガー症候群であっても、人当たりについては大きな違いがあると述べているのです。
「積極奇異型」というのは、人付き合いを自分から積極的に求めて動きます。相手に対する関心や興味がとても高いので、納得がいくまで人にあれこれ質問をしたり、根堀り葉堀り相手のことを聞いたりします。
初対面の人やまだ親密ではない人に対して、相手のプライベートな部分に土足で踏み込んでいくようなことはしないのが、社会人としての暗黙の了解です。ところが、このタイプの人は、相手の領域に踏み込みすぎるところがあって、その結果、人からは「変わっている」とか「うるさい」などという評価を受けてしまいます。
その経験から、人に対して否定的で対立的な態度を取るようになっていきます。(中略)あるいは、本来は積極奇異型であった人も、小さい頃から人間関係でネガティブな評価を受け続けてきたため、人付き合いには興味があっても、あまり自分から求めなくなるといった人も出てきます。
「受身型」は、発達障害の典型的なタイプですが、人付き合いにはもともと積極的ではありません。ただ、求められると穏やかに人と接します。いつもニコニコしておとなしい印象で、周りから浮いているというより、一人でぽつんといて、あまり目立たないというような評価を受けることが多いようです。(中略)
「孤立型」というのは、そもそも人付き合いが苦手で、求められても応じない傾向があります。そのため、周りの人を拒絶しているような印象を持たれますが、ただ本人としては、一人でマイペースに過ごすことを好んでいるだけなのです。(後略)

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(b)発達凸凹

発達凸凹の定義については、例えば、次の資料「発達障害 発達凸凹 こんな力を持っています」の「発達凸凹について」項を参照して下さい。ちなみに、拙ブログにおいては発達凸凹を自閉スペクトラム症におけるグレーゾーンと称することもあります。さらに、名付け親の杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第二章 発達凸凹とは の「発達障害はマイナスとは限らない」における一部の文章(P62~P63)を次に引用します。

さらにこの発達凸凹が「マイナスとは限らない」という問題である。最近になって、偉人や天才として顕彰されたきた人のなかに、とくに自閉症スペクトラムと考えられる人が数多く存在するという指摘がなされるようになった。発達凸凹という視点から見れば、むしろ多くの優秀な人々がさまざまな凸凹を有していることも明らかである。

ちなみに、i) 発達凸凹を図を使用して説明すると、例えば、次の資料「発達障害から発達凸凹へ」の図1(P12)を参照して下さい。 ii) 発達凸凹と類似な用語として、本田秀夫医師(ここ参照)は「非障害自閉症スペクトラム」を提唱しています。

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(c)二次障害

最初に二次障害についての簡単な説明を紹介します。 a) 簡単で定義的な説明として、そだちの科学 2020年10月号 中の滝川一廣著の文書『一次障害と二次障害をどう考えるか』(P2~P6)の「はじめに」における記述の一部(P2)を次に引用(【 】内)します。 【そこで、「一次障害」とは定義的には一番もとになっている障害そのもの、すなわち障害の本態を指す。「二次障害」とはその本態の影響によって派生した別個の障害を指す。】 加えて、同文書の『二次災害としての「二次障害」』における記述の一部(P6)を次に引用(【 】内)します。 【発達障害は生活上、様々な負荷を強いられやすいため、その負荷が条件次第で発達障害とは別の何らかの精神失調を二次的にもたらす。この失調を「二次障害」と呼ぶのである。】 b) 医学的な説明として、同そだちの科学中の田中康雄著の文書『発達障害と二次障害』(P7~P12)の「二次障害」における連続する記述の一部(P8)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。【医学的には、本来の障害(一次障害)をもって生活を送るなかで、後天的かつ心理的因果性が認められるなかに生じたさまざまな言動、症状等を二次障害とよぶ。】、【二次障害は、時間的に一次障害のあとに認められるものであり、かつ一次障害との心理社会的な因果関係があることを必要条件とする。】 c) これら以外にも、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート1 あなたは本当に発達障害 の「●発達障害の二次障害」における記述の一部(P28)について次に引用(《 》内)します。 《発達障害の特性は、見た目にはわかりづらく、本人も認識していないことが多いものです。そのため、周囲の理解を得にくく、努力が足りないとか、人の気持ちがわからないなどと誤解され、非難や叱責を受けたり、孤立しがちになることがあります。こうしたことが大きなストレス、あるいはトラウマとなり、うつ状態や不安症状、引きこもりなどといった様々な精神症状や問題行動を二次的に引き起こすことがあるのです。これが発達障害の二次障害です。》 加えて、標記二次障害についての資料を次に紹介します。 i) 標記二次障害に関連する、発達障害を背景に生じうる状態像についての記述を含む資料は次を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」 ii) 「成人期に発達障害の診断の検討を要するケースの多くは、単一の発達障害の診断にとどまらない」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「大人になった発達障害」の「Ⅵ.成人例における発達障害の診断」項 iii) 「環境による精神的変調の鍵概念」については、次の資料を参照して下さい。「未来につながる自閉スペクトラム症の育児と支援」の「環境による精神的変調の鍵概念」シート(P5) iv) 児童期に発達特性に気づかれなかった人たちの「二次障害」については、次の資料を参照して下さい。 「発達障害における生きづらさのわけ,特性との付き合い方」の「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」シート(P24)

次に、発達障害における二次障害の説明として、「なぜ二次障害に注意しておきたいかというと、本来の発達障害よりも二次障害のほうが社会生活を送る上では大きな困難を来しやすいから」であることを含めて、黒木俊秀編著の本、「発達障害の疑問に答える」(2015年発行)の 第2章 検診や診断・治療はどうなっていますか の「COLUMN 二次障害って何ですか?」における記述の一部(P83~P84)を次に引用します。

基本の発達障害に合併する、あるいは続発する情緒や行動の障害を「二次障害」と呼びます。時には、二次障害として、もう一つ、精神疾患の診断がつけられ、専門的な治療の対象となることもあります。(中略)

集団生活のなかで浮いた存在になってしまい、いじめを受けた結果、ひどいトラウマを抱える子どももいます。何年も前の辛いいじめの記憶が、今日のことのように蘇り(フラッシュバック体験)、そのたびに混乱する発達障害の大人もいます。医学的な病態はまだよく解明されていないのですが、過敏性腸症候群摂食障害などの心身症も、発達障害には合併しやすいと言われています。

なぜ二次障害に注意しておきたいかというと、本来の発達障害よりも二次障害のほうが社会生活を送る上では大きな困難を来しやすいからです。二次障害(うつ病やパニック症/パニック障害など)の症状が現れて初めて、支援(医療)機関にアクセスする場合も少なくありません。治療の難しい精神疾患(二次障害)の基礎に発達障害(基本障害)が隠れていることもあります。(後略)

注:i) この引用の著者は黒木俊秀です。 ii) 引用中の「心身症」に関しては身体症状を、「トラウマ」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「トラウマ」]を、「フラッシュバック体験」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「フラッシュバック」又は「タイムスリップ現象」*34]をそれぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「摂食障害」及び「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「精神疾患の診断がつけられ」ることに関連する「ASDの成人には,どんな精神障害が生じ得るか?」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」の「ASDの成人には,どんな精神障害が生じ得るか?」シート v) ちなみに、この引用においては直接的な言及はありませんが、「時間単位の気分変動」については、他の拙エントリのここを、「ムードスウィング(軽いがサイクルの早い躁うつ様の気分の波)」については、他の拙エントリのここをそれぞれ参照して下さい。

この二次障害(併存症、合併症)は多種多様で、本エントリにおいては一定程度のまとめには至っていないかもしれませんが、暫定的にここ以外にも以下に複数示します。 i) 資料「児童青年精神医学入門 その2:発達障害 その1」の「知的な遅れの無いASDの併存症」、「ASDの併存症は多い」及び「気分障害とHFPDD」シートを参照して下さい。 ii) WEBページ『家のカギをかけたのか何度も確認してしまう…ジワジワと増えている「大人の発達障害」の典型的症状』を参照して下さい。 iii) 服部綾子著の本、「自閉症スペクトラム 家族が語るわが子の成長と生きづらさ 診断と支援にどう向き合うか」(2017年発行)の 第Ⅳ章 自閉症スペクトラムの医学と臨床 の「3 学齢期の不適応と成人期の二次障害」における記述の一部(P192~200)を以下に引用します。 iv) 二次障害としての精神障害における自閉症スペクトラム傾向を背景にもつ非定型・非典型な病像について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 5 既存の精神障害の基底に認められる自閉症スペクトラム の「(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である」における記述の一部(P173~P175)を以下に引用します。 v) ASDにおける「二次的問題の不可避性」について、岩波明監修の本、「おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線」(2020年発行)の 第2章 成人期発達障害診断の現在地と課題 の 2 成人期発達障害の診断に関する現状と課題 の「二次的問題の不可避性」における記述の一部(P79~P81)を以下に引用します。 vi) ちなみに、第四の発達障害(発達性トラウマ症候群)については他の拙エントリの≪補足説明3≫を参照して下さい。

3 学齢期の不適応と成人期の二次障害(中略)

その他の二次障害として、パニック障害(不安障害)、社交不安障害、うつ病摂食障害解離性障害などがあります。(後略)

注:i) 同本において、その他ではなくより詳細に記述された二次障害又は症状は、引用はしませんが、①フラッシュバック(P196~P198)、②幻覚妄想状態(P198~P199)、③強迫性障害(P199~P200)があります。 ii) 以上で示した二次障害の一部に対するリンクは他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。その際に、a) パニック障害(不安障害)は用語「パニック障害」又は「不安障害(不安症)」を、 b) 社交不安障害及び強迫性障害は用語「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を、 c) うつ病及び摂食障害はそのままの用語をそれぞれ使用して下さい。一方、解離性障害及びフラッシュバックについては共に他の拙エントリのリンク集(用語:「解離(解離性障害、解離症)」、用語:「フラッシュバック」)を参照して下さい。

(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である
〔症例4〕「確定診断」を求めて受診した30代後半の女性
3年あまりのうちに、抑うつ、不眠、夜間の頻尿やほてり、めまい、頭痛、幻聴(「誰もいないのに、命令するような声が、特定の人の声で聞こえてきた」)、「フラッシュ・バック」(特定の人物の声が聞こえてくる)などの多彩な症状が出現し、5、6カ所の精神科を受診し、統合失調症強迫性障害自閉症スペクトラム解離性障害などと診断された女性が、「今までいろいろに診断されてきたが、はっきりとした診断名を知りたい。自分は自閉症スペクトラムではないかと思うので、心理検査をしてほしい」という主訴で受診してきた。遠方からの「セカンド・オピニオン」(実際は6、7カ所目でセカンドではないが)を求めての受診であった。
幻聴は、不特定多数、超越的な他者の幻覚妄想ではなく、現実の特定の他者であり統合失調症は否定的であった。しかし解離性幻聴ということで、全部、説明できるかどうかはよく分からなかった。強迫性障害は、一時期、確認症状が強かったために付けられた診断であろうか。自閉症スペクトラムというには、本人のみの受診のため、発達歴が分からないため不明。女性は「集団の中に入るのは苦手で、被害的となりやすく、孤立しやすい。幼い頃から、皆にいじめられやすく、一人でいた」という。たしかに診察では、こだわり、切り替えの困難、感覚過敏などが認められるようであった。
「私の診断は、何なんでしょうか?」という女性に、「あなたのように、診る先生によって診断が異なるという場合は、私の経験では、『診断がはっきりするような典型的なものではない』ということが多いのです。たとえば、典型的な統合失調症だったら、5人の精神科医が診て、皆の診断は同じになります。あなたの中には、解離や強迫、幻覚や妄想、自閉症スペクトラムのように見えるところがあって、その時々で出てくるものが異なるため、診断が変わってくるのではないかと思います。だから、いろいろな診断に見えるということこそが特徴なのです」と説明した(図9)。「心理検査は受けたい」という希望には、「もうすでに、いくつかやっていて、それでもはっきりしなかった。やればやるほど、曖昧な結果が出てくるように思います」と話した。このようなやりとりの後、女性は「本当にそうですね」と不思議なくらいあっさりと納得したのであった。(後略)

注:i) 引用中の「図9」の引用は省略します。 ii) 引用中の「自閉症スペクトラム」は、引用元の本の P162 によると、「自閉症スペクトラム≒広汎性発達障害と理解してもらえればよい」とのこと。 iii) 引用中の「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「強迫性障害」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 v) 引用中の「解離性障害」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「解離性障害(解離症)」)を参照して下さい。 vi) 引用中の「解離性幻聴」に関連する「解離性幻覚」ついては、例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 vii) 引用中の「フラッシュ・バック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。

次に、「二次的問題の不可避性」です。二次的問題とは、発達特性に合わない環境の影響などによって生じた、うつ病や社交不安症などの「二次障害」という意味ではありません。二次障害だけでなく、たとえば愛着の問題、不登校やいじめ、対人関係の困難さなども含めた、さまざまな二次的問題をさします。
受診に至る発達障害の患者さんは、発達障害そのもののことだけで受診することはまずなく、必ず何かほかの問題を抱えています。何らかの適応障害を起こしていて、それが一定のレベルを超えたために受診に至ることが多いのです。適応障害とは、特定の状況や物事がその人にとって非常につらく感じられるために、不安や神経過敏になるなど心理面の症状が出たり、物を壊すなど行動面の症状が出たりすることをさします。
あるいは生育の過程で何らかの愛着課題があり、それが原因で虐待やネグレクト、いじめなどを受けたり、複雑性PTSDを生じたりした人もいます。(中略)

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、事故やレイプなど強い精神的ストレスがダメージとなって、時間が経ってもその経験を突然思い出したり、強い不安や緊張を感じたりするものです。複雑性PTSDは、家庭での虐待のような長期にわたる複合的なストレスによって生じたPTSDの一種で、慢性的に無力感や絶望感があるなどします。
このようなことと、生育過程で形成されるパーソナリティ(個性・性格)特性とが互いに影響し合って成人となったのが、我々の前に現れる発達障害の人たちなのです。
これを広島市精神保健福祉センターの先生方が、「重ね着症候群」と命名しています。厳密にはもう少し狭い範囲をさす言葉なのですが、私は広く捉えて、「発達障害の人はいろいろな要素を重ね着している」という意味で使っています。(後略)

注:i) この引用部の著者は柏淳です。 ii) 引用中の「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集を、加えて「児童期に発達特性に気づかれなかった人たちの二次障害」しての「複雑性PTSD」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「発達障害における生きづらさのわけ,特性との付き合い方」の「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」項(P24) iii) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「愛着課題」に関連する「愛着障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「重ね着症候群」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

ちなみに、ADHDにおける二次障害(併存障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(d)自己理解

[1] 佐々木正美総監修、梅永雄二監修の本、「完全図解 アスペルガー症候群」(2011年発行)の「本人の気持ち 成人では、わかってホッとする人も」における記述の一部(P213)を次に引用します。

自己理解が欠かせない
アスペルガー症候群の人が豊かな生活を送るためには、自己理解が欠かせません。自分のもつ特性を理解することで、それまで傷つけられてきた自尊感情が回復しはじめます。そして、必要な支援を理解することもできます。

[2] 杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第五章 アスペルガー問題 の「一八歳以上の発達障害」項における記述の一部(P120~P121)を次に引用します。

『成人の発達障害の方への対応のコツについても触れておきたい。今、あちらこちらから悲鳴が上がっているのを聞くからである。発達障害の治療においてもっとも必要なことは、障害に関する正確な知識を提供し、新たな自己認識を手助けすることであると思う。成人になって初めて診断を受けた事例を見ると、「よくここまで何もなく……」という不適応事例と、無駄に年を取っていないと実感させられる適応事例とに二分できる。
不適応事例はほとんどがうつ病など併発症を持ち、被害的な対人関係を抱える事例も多い。このような事例では、障害の診断に対する受け入れは速やかである者が多い。ほぼすべてが目から鱗という感じで自己のハンディキャップについて納得をされる。つまり自己自身との関係修復は比較的容易である。
ところが、他者との関係の修復には困難がつきまとう。その理由は、他者との関係においては過去の現実に生じた迫害体験から容易にタイムスリップが起きてしまい、修正がなかなかできないからではないかと思う。さらに適応事例といえども強い生きにくさを覚えており、診断を受けたことで初めて自分とのそして他者との適切な付き合い方を知ったと述べる方が大半である。前章で述べたように、この方々は、認知の穴をたくさん持っている。一見不思議な判断や行動はほとんどが誤解か、誤った学習の結果である。それらに対する修正をかなり指示的に、繰り返していくことで適応はずいぶんと向上するのである。

注:i) 引用中の「タイムスリップ」については、を参照して下さい。 ii) 引用中の「認知の穴」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「誤解か、誤った学習」に似た「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。

[3] 杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の『「大人の発達障害」になる前に』における記述の一部(P223)を次に引用します。

それではこのグループが、社会的に問題がなければ何もないのだろうか。
いくつか気をつけておくべきことはある。キーワードは代償である。つまり凸凹レベルであっても、凸凹レベルであればなおさらのこと、健常と呼ばれている人々とは異なった戦略で、いわば脳のなかにバイパスを作って、適応を計るということをおこなっている。
このときにしばしば誤学習が入り込み、本人はそれに気づかないといったことが実にしばしば起こる。単純な例を挙げれば、人に評価されるためには目立つのが良いことと、無理して役職に立候補しまくって、逆に顰蹙を買うといった例である。
本人が普通の生活をしている上で、マイナス面に対する多くの補いを、意識、無意識におこなっているので、どうしても無理がかかりやすい。したがって、正面からこのような谷間の部分を認識することは非常に大切になる。孫子の兵法にもあるではないか、彼を知り己を知れば百戦危うからずと。この場合、難しいのはもちろん己を知ることなのだ。

注:i) 引用中の「このグループ」とは発達凸凹のことのようです。 ii) 引用中の「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。 iii) 引用中の「補い」に関連するかもしれない「過剰適応とカモフラージュ」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義」の「(2) ASDメンタルヘルスに関わる過剰適応とカモフラージュ」項(P58) iv) 引用中の「凸凹レベルであればなおさらのこと」に関連する、女性の ASD における「既にASDの診断がある女性だけではなく,現在はASを持つことを気付かれていないようなグレーゾーンの女性こそ支援が必要」なことについては次のWEBページを参照して下さい。 「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」の「第4部 総合考察」項 v) 引用中の「彼を知り己を知れば百戦危うからず」と関連するかもしれない、主観的な世界から全く脱却できない発達障害の特性が強く認められる患者において、主観的な世界を中心に話をすれば良いケースについて、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における高橋優、北野絵莉子、植田友佳子、村上伸治、澤原光彦、青木省三著の文書「大人の発達障害における病識・病感・負担感の理解と対応」の「〔症例2〕40代、女性」における記述及び「考察」における記述の一部(P164~P166)を次に引用します。

〔症例2〕40代、女性
幼少期の生育歴は不明。大学卒業後、やや特殊な個人で行う職に就いていた。あるとき治療の副作用で軽度(日常生活には支障がない程度)の身体的後遺症を負い、その職から離れることになった。以降は職につかず実家で家事をして過ごすようになったが、その頃より抑うつ気分、意欲低下、倦怠感などの症状を訴えるようになり、当院精神科を受診するようになった。また身体科にも通院していたが、主治医の対応への不満、治療の副作用などを執拗かつ攻撃的に訴えて、各科主治医との関係が悪化し、しばしばトラブルになっていた。
語彙やことばづかいはしっかりしていたが、外的・内面な環境を言語化することが不得手をようで、説明は非常にわかりにくく冗長、こちらが途中で話を挟むと混乱した。こちらが話したことを、その場では理解したようにみえても、後に誤解あるいは曲解して、混乱したり被害的になったりして電話で苦情を言ってくることも多かった。処方はいずれも副作用を強く訴えほとんど使用できなかった。関係は非常に築きにくく、当科の主治医も安定しない状態であったが、あるときから筆者が担当することになった。
強いこだわり、人間関係の希薄さ、コミュニケーション能力の低さ、予定外の出来事への対応能力の低さ、身体感覚への過敏さなど発達障害の特性が強く認められ、かつ本人の負担感の大きな要因となっていると考えられた。しかし本人は自らのそのような特性に気づいておらず、トラブルの原因はすべて外的なものとして捉え、非常に他責的で攻撃的であった。
外来では悩みを傾聴し、客観的な情報の整理を行ったもののあまり効果はなく、延々と症状や診察への不満を訴えていた。筆者は、状況の改善には本人が自らの特性をある程度自覚することが必要なのではないかと考え、あるとき「~な部分があるのではないか?」と尋ねてみたのだが、「そうでもない」と、全く自覚がなかった。元就いていた職業上の友人はいたようなので「では周囲の人間にそのように言われたことはないか?」などと諦めずに尋ねてみたところ、「そんなこと言われたことはありません」、「先生は私が変だと言いたいんですか」と怒り始めたため、説明を断念した。
その後の面談は、こちらから新しい情報を提示したり、詳細に客観的な情報を収集したりすることは最低限にとどめ、本人の訴える主観的な情報や訴えの整理と傾聴につとめた。また、精神的な不調の訴えについては、対症療法を提案し、また症状は長期的には改善していく可能性が高いことを、本人の納得はともかく繰り返すこととした。変化の少ない面談で訴えの内容もあまり変わらず、苦情の電話も相変わらずしばしば認められたが、それでも時間をかけて大きな混乱や不調は少なくなり、定期的な診察も減ってきて、生活上の大きなイベントの際にのみ現れるようになった。数年経っているが、いまだに「以前、先生に変わっていると言われて傷ついた」と話すことがある。

考察
当患者において病誠を持ってもらおうとする試みは失敗に終わった。原因は、前の症例で述べたような病感、つまり「自らが周囲と異なる特性を持ち、またそのことが負担感の原因となっているという感覚」をほとんど持っていなかったにもかかわらず、筆者が不用意にそのような話題を切り出したことにある。
では別の手順を踏めばうまくいったのかというと、それも難しかったのではないかと今では考えている。なぜなら、そもそも成人してある程度の生活を送っているにもかかわらず病感を持っていない者は、自己と環境の関係を理解する力がより低いわけで、周囲との差異を指摘しても自覚は困難だからだ。
それに加えて、本症例のように負担感の原因を自らに見いだせないことから、「他責的」となっている場合、自らの特性に部分的にでも原因を求めるということは、これまで外部に向けていた攻撃性や怒りの行き場がなくなる、あるいは自らに向けることになるわけで、心理的な抵抗感は著しく大きい。
そのような患者に対して不用意に本人の特性を指摘することは、外傷的な体験をもたらし、主治医との関係性を損ねるだけである。したがって無理に病識を得てもらおうとするのではなく、本人の主観的な負担感に沿ってその場その場で具体的に相談に乗っていくしかない。
そのためにまずは主観的な負担感を理解し、本人と周囲の情報を収集・整理しながら、負担感の原因となる適応的でない状況理解や、気づきにくいストレスフルな事象などを把握し、それらを修正したり、あるいは対応策を検討したりしていくことになる。しかしこの症例のように、自分と環境の関連に対する理解が決定的に不得手な患者の場合、本人の中で本人なりの理解が強固に作り上げられており、情報の収集・整理をしようとしても本人が原因と思っていること以外の情報提供が乏しく、状況理解の修正には抵抗し、本人が気づいていないストレスフルな事象を指摘しても受け入れず、しかも負担感の軽減はしてほしいと訴えてくる(あるいは責めてくる)ことがしばしばある。
このような場合でも、新しい客観的な情報を使わずに本人の把握している状況から理論的に導き出せる別の方法を提案してみたり、本人のとっている対応策しか今のところない、という部分を「時間をかけて」確認したうえで負担感に共感したり、あるいはそのうえで「よい方法があまり思いつかないので、現状にそぐわないかもしれませんが、あくまで一般論としてこのようなやり方・考え方もあります」などと、控えめに客観的な情報や一般的な対応方法を提供してみたりと、患者の主観的な世界の中で負担感に沿うことはできる。本症例はそのような対応により、訴える負担感は変化がなかったものの、生活の混乱が改善されていった。(後略)

注:i) 上記引用のように患者の主観的な世界を中心に話をすれば良いとは言えないケースについては、この引用に続く〔症例3〕で示されていますが、この引用は省略します。一方、上記「主観的な世界から全く脱却できない」ならば、ライフハックやノウハウの積み重ね等、社会に順応していく努力を重ねること(例えばエントリの『壇上は「ワルプルギスの夜」』参照)はできないのではと、本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「主観的な世界」とは異なる「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを、「如実知見」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

[4] 備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第9章 発達障害とうまく付き合うために自分でできること の「発達障害は発達して変わっていく」項における記述の一部(P182~P183)を次に引用します。

前述したように、私のクリニックでは職場でのトラブルがほとんどないという人が半分以上います。トラブルがほとんどない人がどのように社会生活を送っているかということはとても興味深いことです。どうやら知的に高い人は自分で工夫されて、本人なりのマニュアルがあって、それを適時使いながら、知的な部分で補えているところがあるようです。
そこで、うまくいっている人とうまくいっていない人との差は何だろうなと見てみると、まずは周りの人に理解があることが前提になりますが、本人が認識してどのように工夫しているかということが大きいようです。今後、それを私のクリニックのプログラムに落とし込めたら、私たちも希望を持って診療に当たれるかなと思っています。
神田橋條治先生は、「発達障害は治らないけど、発達して変わっていくから、悲観するなよ」という主旨のことをおっしゃっていて、実際に診ていると、本人が職場や生活上の工夫するポイントなどを絞って実行していけば、時間とともに混乱もなくなり対処していけるようになります。

注:(i) ちなみに引用しませんが、この第9章では発達障害とうまく付き合うために自分でできることが(項目名)「生活のリズムを崩さない」、「リラックス時間をつくる」をはじめとして具体的に記述されています。 (ii) 引用中の「発達障害は治らないけど、発達して変わっていく」ことに関連する又は類似する、 a) 『発達障害は「治す」ものではなく、発達していくのを応援するもの』について、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第一章 発達障害ってどんなもの? の「◆発達障害は治るのか?」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『発達障害であろうとなかろうと、人は誰でも発達していく。そのスピードと道筋は人によって異なるが、発達障害を持つ人は、周囲の人や環境の応援を得て、その人なりのスピードと道筋をたどり発達していくのである。だから、発達障害は「治す」ものではなくて、その人なりのスピードと道筋で発達していくのを応援するものである、と考えるとよい。』 b) 「発達障害者は発達する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

[5] 田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第1章 「大人の発達障害」の正体 の「偉業を成し遂げた人に発達障害は多い」項における記述の一部(P49)を次に引用します。

発達障害を持つ人が社会でよりよく生きるためには、自分の特性を理解し、その対処法や生活の工夫に目を向けることが第一になります。自分ひとりで生活改善が進まなければ、周囲の人たちに手伝ってもらうこともできます。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) ちなみに引用しませんが、同本の第2章、第3章に発達系の課題を持つ人の特性と生きづらさの解消法について記述されています。

ちなみに、ADHDにおける自己理解についてはここを参照して下さい。

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(e)女性のアスペルガー症候群又はASD

他の拙エントリにおける引用の「疫学」項にも示したように、MCSは女性に多く発症するとされることも考慮して、本項では女性のアスペルガー症候群(又は自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害ASD)に関する引用又はリンクをまとめて紹介します。最初に「ASD の有病率の男女比」(ここを参照)や(女性を中心とするかもしれない)「カモフラージュ」(ここを参照)以外にも、 a) 「自閉スペクトラム症の女性の主観的な経験理解については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の女性の主観的な経験理解 ――海外文献の質的システマティックレビュー――」 b) ASD を含めての女性的役割における困難について、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の C. 周辺の問題 の 1. 女性の発達障害 の ②発達障害の女性の特徴 の「b. 一般に求められる女性的役割における困難」における記述の一部(P98~P99)を以下に引用し、そして[1]項に続きます。ちなみに、 (i) 「女性の自閉スペクトラム症の臨床的特徴と治療・支援のあり方」については次の資料を参照して下さい。 「女性の自閉スペクトラム症の臨床的特徴と治療・支援のあり方」 加えて、「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか」については次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか:障害を見えにくくする要因と適応過程に焦点を当てて」 その上に、「わが国における自閉症スペクトラム障害の女性への支援に関する文献的考察」については次の資料を参照して下さい。 「わが国における自閉症スペクトラム障害の女性への支援に関する文献的考察」 さらに、「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」については次のWEBページを参照して下さい。 「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」 これら以外にも、 a) タイトルを除き拙訳はありませんが次の論文(全文)があります。 「The Experiences of Late-diagnosed Women with Autism Spectrum Conditions: An Investigation of the Female Autism Phenotype[拙訳]自閉症スペクトラムの状態を伴う後期に診断された女性の経験:女性自閉症表現型の調査」 b) 次の YouTube そしてタイトルを除き拙訳はありませんが次のWEBページや slideshare もあります。 「女性の発達障害について解説」、「"Girls on the Spectrum": Autistic Spectrum Disorder in Girls」、「Judith Gould, The diagnosis of women and girls on the autism spectrum, Autismin talvipäivät 2017」 (ii) 一方、「コミュニケーション上の苦手意識が顕在化しない女性の ASD 大学生」がいるかもしれないことについては次の資料を参照して下さい。 「コミュニケーション上の苦手意識が顕在化しない ASD 学生への心理臨床的アプローチと臨床イメージ」 (iii) また、ASDの女性にとって「人にだまされ、性的な被害にあう」ことや「性搾取を受けるリスクが高い」ことについては共にここを参照して下さい。

b. 一般に求められる女性的役割における困難

男女がともに働き,ジェンダーアイデンティティの多様性が認知されている今日,性別による役割にこだわる必要はないと思われるものの,現実生活においては,たとえば身だしなみや立ち居振る舞いなど,女性には「女性らしさ」が求められる領域は残存する.また,家族や仲間のなかで調整役を担ったり,母性的な温かさなども「女性らしさ」の一部としてまだまだ求められている役割である.男性に求められる「男性らしさ」に苦しむ男性がいるように,社会が求める「女性らしさ」に悩む女性はおり,そのなかに発達障害の女性が含まれることを念頭におく必要がある.自らも ASD であるルディ・シモンが著者のなかに引用したステラの言葉は,それをよく表している.「一度にいくつものことをこなす,自分を抑制する,衝突を和らげる,人の気持ちをなだめる.一般的に女性の評価では,こういったことをどれだけ上手にできるかが問われます.男女は平等だと,皆言いながら,知らず知らず,女性には他の者たちの幸福を背負って歩くことを求めています.自閉症スペクトラムの女性にとって,こんなにばかげた話はありません.」11)(後略)

注:i) この引用部の著者は笠原麻里です。 ii) 引用中の文献番号「11)」は次に示す本です。 「ルディ・シモン/牧野恵(訳).アスパーガール アスペルガーの女性の力を.スペクトラム出版;2011.」

[1] 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)からの複数の引用を含む記述を以下に示します。ちなみに、この本の内容構成は、「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」、「第2章 体調不良のひどさにも困っている」、「第3章 どこで診断・治療を受けられるか」、「第4章 今日からできる生活面の対策」、「第5章 さけては通れない、性の問題」 です*35があります。加えて、星野仁彦著の本、「なんだかうまくいかないのは女性の発達障害かもしれません」(2015年発行)の「プロローグ あなたの心に、こんなモヤモヤはありませんか?」(P7~P8)において、次に示す項目が示されています。ちなみに、この本ではADHD及びアスペルガー症候群をカバーしているようです。 「家事がうまくできません」「片づけができません」「お金や書類の管理ができません」「子育てが苦手です」「夫とうまくいきません」「女性同士の人間関係がうまくいきません」「忘れもの、なくしものをよくします」「時間が守れません」「パート、アルバイト、仕事がうまくいきません」「飲酒や衝動買いがやめられません」「男性との距離感がわかりません」「生理前になるとイライラします」及び「キレたり、落ち込んだり、パニックになったりします」 さらに、ASD の成人期における女性特有の問題について、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の B. 年代別に発達障害を診る の 5. 成人期 の ③成人期事例の調査から の 支援をめぐる課題 の「女性特有の問題」における記述(P89)を次に引用(『 』内)します。 『性的搾取の対象になること,子育ての負担,家事の負担,月経前緊張症,更年期障害のつらさなどの訴えがみられた.子育て,家事についての負担感は一部の女性で非常に強く,子どもを虐待するリスクの高い事例もあり,虐待防止の観点からも発達障害のある母親への支援が必要な事例もある.』(注:この引用部の著者は内山登記夫です)))。

① 同本の「巻頭チェック」における記述の一部(P6)を次に引用します。

近年、アスペルガー症候群がよく知られるようになりました。しかし、みなさんが知っていることは、じつはほとんどが男性のアスペルガー症候群の情報です。女性の場合は悩みごとも対応法も男性と異なるのですが、それはあまり知られていません。

注:引用中の「女性の場合」に関連する「Aspienwomen」(Adult Women with Asperger Syndrome[拙訳]アスペルガー症候群を伴う成人女性)については英文で拙訳はありませんが次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome

② 同の『よくある悩み 「ガールズトーク」についていけない』における記述の一部(P14)を次に引用します。

アスペルガー症候群の女性の悩みとしてもっとも多いのが、「ガールズトーク」ができない、楽しめないということです。

注:i) 引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連するWEBページを次に紹介します。『「ガールズトークが苦手」女性のアスペルガー症候群 複雑な悩み』 ii) 引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連する『ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門なこと』について、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第二章 「ガールズトークができなくてもいい」と考えを変えよう の『ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門』における記述(P47~P48)を「ガールズトーク」についての説明を含めて以下に引用します。加えて、引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連するかもしれない a) 「他愛もない会話といったことがとても苦痛」について、福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかるアスペルガ―症候群の人とのコミュニケーションガイド」(2016年発行)の「コラム 女性のアスペルガー症候群患者はとくに苦労している?」における記述の一部(P76)を以下に引用します。

ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門
ASの特性のある女性にとって、思春期以降のコミュニケーションはさらに困難なものになります。このころから、女性はさかんにガールズトークを展開するようになるからです。
ガールズトークとは、女性同士の間で交わされる会話のことで、恋愛や異性、うわさ話、陰口などそのグループ内だけに流通する内容であることが多く、男性がいる場では決して話さないような本音も飛び出します。これは男性にはあまり見られない女性特有の会話パターンです。
そもそも人付き合いが得意ではなく、その場の空気を読むことが苦手なASの女性にとって、興味のわかない話題に加わるのはかなりハードルの高いことです。会話のテンポやノリを壊したり、不用意なことを言ってその場を凍らせてしまったら、楽しいおしゃべりに水を差すことになります。
しかも、ガールズトークはテーマや目的に沿って話をしているとは限りません。急に話がそれたり、皆が思い思いのこと話し始めることもあります。ASの女性は、その流れにうまくついていけず、また口をはさむことも容易ではありません。こうした女性特有のおしゃべりや付き合い方がうまくできないことで、周囲から無視されたり、仲間外れに遭うこともあります。
同性とのおしゃべりや付き合いがうまくいかないなら、男性と友だちになればいいのでは? という考えもあります。実際、男性のほうが気をつかわずに話せると感じる人もいます。
しかし、思春期以降は異性に興味を持ち始めるので、本人にそのつもりはなくても、男性と一緒にいるだけで同性からからかわれたり、攻撃材料にされるおそれがあります。
なぜそんな態度をとられるのか、特性のある女性は理由が思い当たらないため、疎外感や劣等感を覚えることも少なくありません。

注:引用中の「AS」は引用元の本の P40 によると、次に記述の一部(『 』内)を引用するように「アスペルガー症候群」を指すようです。 『一方、ASDの中でも知的障害をともなっていないのが、アスペルガー症候群(AS)です。』

女性のアスペルガー症候群患者はとくに苦労している?(中略)

一般的には、女性は男性に比べて、雰囲気や共感、婉曲な言い回しなど、アスペルガー症候群の人が苦手とするコミュニケーションを多用する傾向にあります。こうした傾向の強いグループでは、アスペルガー症候群の人は、他愛もない会話といったことがとても苦痛であり、グループの中で浮いた存在になってしまいがちです。ともすると余計なひと言が原因で敬遠されてしまうこともあります。
聴き役に徹するようにするなど、苦労して適応しているという方もいらっしゃいます。
ところが男性とのコミュニケーションではそれほど気を使わずに済み、話が通ることも多く、精神的に楽になります。
また相手が女性の場合でも、はっきりした裏表のないコミュニケーションを好む相手の場合は、同様に居心地はそう悪くありません。

一方上記「ガールズトーク」に関連して、職場におけるコミュニケーションが苦手の視点から、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第6章 女性の社員がアスペルガーだと思ったら の「ASDの女性はコミュニケーションが苦手」項における記述の一部(P164~P166)及び備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第2章 発達障害の3つの特徴 の「CASE1」項における記述の一部(P44~47)をそれぞれ以下に引用します。

ASDの女性はコミュニケーションが苦手

仕事でも人間関係でも、職場で重要なのはコミュニケーションです。女性はこの能力がおしなべて高い傾向があります。またパーソナリティの評価から仕事の評価まで、コミュニケーションの能力が重視されるので、この能力が低い女性は職場の評価が一気に下がり、社内での居場所を失くしていきます。実は、ASDの女性にはそこに大きな問題があります。
コミュニケーションの問題とは、他者の意図を理解することが苦手ということです。(中略)それほど敵対的な人間観ができあがっていない人の場合には、「会話を楽しめない」「受け答えが人より遅い」「女性のグループに属せない」などになります。
恋愛やファッションの話題は女性同士の人間関係の潤滑油になります。しかし、ASDの女性は他の女性と一緒になって同じように盛り上がることが苦手です。
そもそも会話をするということは、男女にかぎらず、一つの話題を通してセルフプレゼンテーションを行い、同時にその話題に共感してもらうことです。そこにはお互いを理解しあい関係性を構築していくという目的が潜んでいます。そのように、明確な目的を持って行われる話し合いではなく、他愛のないおしゃべりであっても、それを通してお互いに関係性を築いていくのです。他愛のないおしゃべりのような会話は、結論や意見を求めているのではなく、共感や同調を求めます。そのような会話を通して、全体の空気(会社や職場、学校や友だちなどのグループ)への参加ができるのです。
ところが、ASDの女性は他愛のないさまざまな話についていくことができず、会話が弾まないのです。興味のある話題以外はなにを話されているのかイメージできず、想像することに負荷がかかりどんどんつまらなく感じます。話の内容がまったくわからず苦痛を感じます。礼儀として話を聞くことはできますが、興味が持てず、自分の興味との共通点も見つからないので話についていけません。
会話の流れにそって受け答えすることはできますが、非言語的な(うなずく、アイコンタクトなど)情報のやりとりも苦手なので、本当に理解しているというメッセージを発することができません。また、受け答えのスピードも遅いため、会話が弾まないのです。(後略)

CASE1 他人との雑談が苦痛だという驚くほど無口な女性事務員(良美さん、29歳、事務職)

「他人との雑談が苦痛」――初診時に良美さんの問診票には、その一言だけが書かれていました。
診察の中で質問を重ねていきましたが、非常におとなしく、とても無口な方でした。彼女のおとなしさに、私が驚いたほどです。
言葉を換えながら、私はたくさんの質問をしていきましたが、首をかしげるか、うなずくかのみで、彼女はほとんど言葉を発しません。
自らが希望して、診察を受けに来たのです。ここまで応答が乏しい方は、私にとってもあまり経験がありません。それくらい無口な女性でした。
そうした応答であったために、残念ながら初診時には、彼女の困っていることを私は完全に把握することができませんでした。
「会社内で、休憩時問におしゃべりをすることが難しい」
良美さんの発した数少ない言葉から、そんな悩みがわかりました。
無口ではあるものの、とても落ち着いて座り、表情は穏やかでした。時折、小さな声で「きゃはは」と、場面にそぐわず唐突に笑い声を上げることに違和感を抱きました。
その笑い声は、良美さんが他者に与える印象に大きく影響しているものと思われます。深く悩み、苦しんでいる印象は微塵も受けませんでした。
表情は穏やかで、微笑んではいるものの、診察の間中、視線はほとんど合いません。両肩にはカを入れていることがわかります。
「自ら希望して診察に臨んだものの、他人と対面しながら言葉でやり取りをすることに苦痛を感じているのかもしれない」
そう思った私は、彼女に日記を書くような要領で、日々の困ることを書き留めてくるように宿題を出しました。
「あまり書いてこないかな……」
そんな私の不安を見事に裏切り、1週間後に差し出されたノートには、診察時の口数の少なさとは打って変わって、たくさんの「困ること」が書き連ねてありました。
良美さんの「困ること」とは、次のようなものでした。

●仕事に関する会話では問題ない。困っておらず、注意されたこともない。
●休憩時間に同僚の若い女の子たちが雑談していると緊張してしまう。
●話しかけられたらどうしよう、と休憩の間中、トイレにこもっていたことがある。
●実際に話しかけられると、頭が真っ白になってしまう。とりあえず笑った顔をしているが、ずっと笑った顔をするだけで一言も話せずに黙り込んでしまうことがほとんど。「何か話したら?」と大きな声で注意する先輩もいた。
●突然、「何、笑ってるのよ!」と、相手を怒らせてしまったことが何回もある。
●この傾向は、少なくとも小学4年生くらいから続いている。
●小学5年生のころ、「あの子、変わってるよね」と聞こえよがしにいわれたことがあり、それ以来、緊張するようになっている。
●今も「あの子、変わってるね」といわれている気がしてつらい。
●上手に雑談ができればいいと思うこともあるが、まったく雑談しないですむ職場のほうがいい。

困っていることを彼女の精神的な症状として理解できるかどうか、より詳細な情報を得たいと考えて、面接をくり返しました。しかし、診察中の言葉を媒介としたやり取りでは、やはりうなずくか、首を横に振るだけのコミュニケーションです。話はそれ以上深まることはありませんでした。
そして3回受診しただけで、その後はぷつりと来院されなくなりました。言葉でのやり取りが多く必要となる診察が負担だったのかもしれません。(後略)

③ 同の「心身の症状 朝が苦手で、ベッドから起き上がれない」における記述の一部(P31)を次に引用します。

アスペルガー症候群の女性の多くが、睡眠障害をはじめとする体調不良に悩んでいます。
朝起き上がれないくらいの疲労感がしばしばあります。(中略)

神経系の機能不全がストレスで悪化
アスペルガー症候群の女性には、自律神経失調症のような身体症状がよくみられます。体質的に、神経系の機能不全が起こりやすいようです。(中略)
機能不全が起こりやすいうえに、生活上の困難によるストレスも強いため、神経系の働きが不安定になりがちです。

月経の前後は症状がさらにひどくなる
月経の前後には、症状がより不安定になる傾向があります。月経の前に体調不良が起こる「月経前症候群」が起こりやすく、症状も重いといわれています。

注:i) 引用中の「身体症状」については、身体症状を参照して下さい。 ii) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 iii) 引用中の「自律神経失調症」については、次の資料「自律神経失調症」、及び他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「体調不良」には「自律神経失調症」が含まれることについては、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 男女の違い 自閉症スペクトラム障害は、男性に多く見られる の「女性特有のわかりづらさと特性がある」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『自律神経失調症のような原因不明の体調不良に悩まされることも珍しくありません。』 iv) 引用中の「月経前症候群」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「月経前症候群」、「自閉スペクトラム症女性を対象とした月経前症候群リスクに関する実態調査」 加えて、引用中の「月経前症候群」(PMS)に関連する「月経前不快気分障害」(PMDD)については、上記「月経前症候群」を含めて次の資料を参照して下さい。 「精神科からみた PMS/PMDD の病態と治療」、「PMS, PMDDの診断と治療 -他科疾患との鑑別-」 一方、女性のADHDにおけるPMS(月経前症候群)とPMDD(月経前不快気分障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に「月経不順」に関連するかもしれない「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」(例えばWEBページ「多嚢胞性卵巣症候群」を参照)について、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「月経」における記述の一部(P280~P285)を次に引用(【 】内)します。 【ポールらによる別の研究※3では、自閉症の女性は対照群に比べて、てんかん、PCOS、変則的な月経、重症のにきびの発症頻度が高いことがわかっている。PCOSは、私が質問した女性の多くが診断を受けたことがある疾病として挙げており、ASDの女性には比較的よく見られる特徴のようだ。】(注:引用中の「※3」は次の論文です。 「Uncovering steroidopathy in women with autism: a latent class analysis」) v) 引用中の「体調不良」や「身体症状」に関連するかもしれない「心身症」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「朝起き上がれないくらいの疲労感」に関連するかもしれない「起き上がりたくても起き上がれないという状態がしばらく続く」ことについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第三章 体調不良で倒れるまで頑張ってしまう理由 の「それでも頑張ってしまうASの女性たち」における記述の一部(P62~P63)を次に引用します。

(前略)適度に休憩をとったり、気を抜いたり、気分転換を試みるとよいのですが、ASの女性は“ほどほど”にやることができず、ギリギリまで頑張ってしまうのです。本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまいます。そしてある日突然、電池が切れたように倒れてしまいます。言い換えると、倒れなければ止まれないのです。
体調を崩して、起き上がりたくても起き上がれないという状態がしばらく続き、回復したらまた頑張り、また体調を崩す。これを繰り返していると、やがて本人も自信を失ってしまいます。
「頑張っているのにうまくいかない」「自分はなにをやってもダメなんだ」と自己肯定感も低下していきます。これはASの女性によく見られる二次障害です。(後略)

注:i) 引用中の「二次障害」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまいます」に関連する「疲れを自覚できない」ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「AS」は引用元の本の P40 によると、次に記述の一部(『 』内)を引用するように「アスペルガー症候群」を指すようです。 『一方、ASDの中でも知的障害をともなっていないのが、アスペルガー症候群(AS)です。』 iv) 引用中の「ASの女性は“ほどほど”にやることができず、ギリギリまで頑張ってしまう」ことや「そしてある日突然、電池が切れたように倒れてしまいます」に関連する「彼女にとって仕事は、100%全力で取り組むか、バタンと倒れて0%になってしまうかのどちらかしかありません。」について、宮尾益知著、協力:オーク発達サポートの本、「発達障害の悩みに答える一問一答」(2020年発行)の 第3章 就職や職場にまつわる悩みや疑問 の「A46 完全オフの休養日を設けて、エネルギーチャージしながら取り組んでみましょう。」における記述の一部(P130~P131)を次に引用します。

(前略)以前、働き始めて一~二年の二〇代の女性の患者さんが、診察室の前で突然バタンと倒れてしまったことがありました。歩くのも困難なほどフラフラなので、血液検査などを行いましたが、体の異常はまったく見られませんでした。そこで二~三日ゆっくりするように勧めたところ、ウソのように元気になりました。
話を聞けば、九時の始業から午後三時まではふつうに仕事ができるけれど、三時を過ぎるとものすごく疲れるのだそうです。知的能力は高く、人より仕事は早くできるので、三時にはその日の仕事が終わってしまうこともあります。でも、まわりの人と同じように五時までは会社にいなければならないため、三時から五時までの間に疲れがたまり、ついには突然倒れてしまうまで疲労が蓄積していたのです。
彼女にとって仕事は、100%全力で取り組むか、バタンと倒れて0%になってしまうかのどちらかしかありません。ほかの人のように、ときどき息抜きをしたり、メリハリをつけたりしながら、要領よくやっていくということができないのです。
これは特性によるものなので、「ほどほどでいいんだよ」「みんな適当に息抜きしながらやっているんだよ」という一般的なアドバイスは苦しめるだけです。100%か0%しかできないのならば、完全オフの休養日をつくること。できれば土日の2日間、むずかしければ日曜日だけでも、だれとも会わず、家でゆっくり過ごして、エネルギーをチャージするようにしてください。

④ 同の「COLUMN 女性の発達障害と重なりやすい病気」の「女性は胃腸の不調や貧血などが多い」における記述の一部(P40)を次に引用します。

女性に多い病気として第一にあげられるのは、心身症です。胃腸の不調や貧血、疲労感などが起こり、何度も内科を受診します。
しかし対処療法的に薬を飲むだけでは状態がよくならず、アスペルガー症候群に気づくまで、悩み続けてしまいます。難治性の心身症にかかっているという自覚がある場合は、アスペルガー症候群かもしれません。要注意です。
ほかに摂食障害(三八ページ参照)や境界性パーソナリティ障害性同一性障害などの心の病気もみられます。社会性が育ちにくいという特性が、人間関係などの悩みにつながり、各種の心の病気に関わっているようです。

注:i) 引用中の「摂食障害」及び「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリの「リンク集」を参照して下さい。一方、引用中の「心身症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「難治性の心身症」に関して、同の「診断 内科や婦人科では心身症と言われやすい」における記述の一部(P49)を以下に2つ(後者はここを参照)引用します。 iii) 加えて、女性ASD(アスペルガー症候群)の体調不良に関連して、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第6章 女性の社員がアスペルガーだと思ったら の「感覚が鋭敏なASD女性の小さな変化をチャンスにする」における記述の一部(P173)を以下に、加えて宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本」(2017年発行)の 第3章 職場でのトラブル -実例と対応策【ASD/アスペルガー症候群の場合】 の「感覚の偏り、体調面からトラブルになる」における記述の一部(P42~P44)を以下に それぞれ引用します。

「難治性の心身症」と言われている人は要注意
心身症と診断され、治療を受けてもなかなか改善しないと、「難治性の心身症」だと言われることがあります。そのような診断を受けている人のなかに、じつはアスペルガー症候群の人がいます。
アスペルガー症候群であれば、心身症の治療だけでは、体調不良が根本的に改善することは、なかなかありません。特性への配慮も必要となります。
そのため、治療をしても睡眠障害や頭痛などが残り、やがて難治性の心身症と診断されるのです。

注:i) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 ii) 引用中の「心身症」に関連するかもしれない「不耐症」や「過敏症」を含む「心身の健康問題」について、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行、ツイートを参照すると良いかも)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「身体的な健康」における記述の一部及び「アレルギー、不耐症、過敏症」における記述(P280~P285)を形式を変えて次に引用します。

身体的な健康

ASD女性に焦点を当てた研究がほとんどないため、ASD女性に特有の心身の健康問題がどのようなものであるかはわかっていない。私の経験、およびアンケートへの回答に照らせば、ASDの女性はさまざまな健康上の問題を抱えているようだ。
私はずっと心気症患者とみなされてきた。疼きや痛み、不耐症、感覚過敏といった、日常生活に影響を及ぼす不調が尽きることがないせいだ。他のASDの女性も、同じような誤診を受けている可能性があると思っている。こうした診断の一部は、ASDの診断に先立って下されたものだ。現在では、個別の症状というより、ASDの特性の一面として理解されているものもある。
自己診断している人もいるし、誤診を受けた人もいる。たとえば、ASDの人は、強迫性障害(OCD)だと誤診されることがある。だが、観察された行動は、不合理な考えや強迫観念のせいではなく、単に構造化やルーティンの必要性からなされたものにすぎない。当然のことながら、これらの症状をどのように感じ、認識するがは、人によって異なる。

ディスレクシア(読み書き困難)、統合運動障害、アーレン症候群、全般性不安障害抑うつ強迫性障害子宮内膜症(重度)、喘息、弱視過敏性腸症候群レイノー症候群、アレルギー。これで全部だと思います!
(ASD女性)

学習障害失読症、ADD[注意欠陥障害]、スコトピック感受性症候群(視覚の問題)、喘息、過敏性腸症候群(胃腸の問題)、甲状腺機能低下症、神経障害、片頭痛抑うつ、不安障害。
(ASD女性)

○喘息、非アレルギー性慢性鼻炎、IBS[過敏性腸症候群]、ME[筋痛性脳脊髄炎]、片頭痛共感覚、RSI[反復運動過多損傷]、日中の慢性的な眠気、抑うつ(反復性うつ病性障害だと思います)、不安、PMS[月経前症候詳]、低血糖症
(ASD女性)

○背部と頸部の過可動性の問題(カイロプラクティック施術者によって確認)、算数障害(未診断)、抑うつ、抜毛症(現在は落ち着いているが、一〇代の頃はかなり顕著で、ストレスで再燃する)、全般性不安、摂食障害(食欲不振ではなく、過小摂取と運動過多)。
(ASD女性)

これらの症状によるつらさは、間違いなく実在する。健康不安をでっち上げたり、必要以上に騒いでいたりすると思われるASDの女性には、一度もお目にかかったことがない。むしろその逆で、かなりの不快感や痛みを抱えながらも、医療機関に相談せずに日々をやり過ごしている女性が多い。知覚の過敏さと細部へのこだわりは、ASDの特性だ。そのため、ASDの女性たちは体のどこかがおかしいと感じたときに、敏感に気づくことができるのかもしれない。
ASDの女性は、自分自身を強い関心の対象とし、自らの研究課題とすることがある。自らの症状の専門家となることも珍しくないため、治療方法の決定に関わることが望ましい。医学的なアドバイスを求めたとしても、自分で可能な限りの選択肢を調べ、特定の症状については医療従事者よりも詳しく知っていることもあるだろう。医療従事者は、このようなアマチュア臨床医に対して身構えるのではなく、耳を傾け、その言葉に注目したほうが賢明だ。おそらくその女性が言っていることは正しく、医療従事者の時間を大幅に節約できるかもしれない。
さきほど引用したアンケート回答を見ると、最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであることは明らかだ。ASDの女性が経験した身体的症状の多くは、身体と脳に負担がかかっていることのあらわれである。片頭痛過敏性腸症候群、限局性恐怖症、全般性不安障害慢性疲労症候群CFS、近年はME[筋痛性脳脊髄炎]とも呼ばれる)、線維筋痛症は、いずれもASDの女性から聞いた症状として、個人や支援機関によって報告されている。(中略)

ASDの女性を治療し、診察する際は、治療法を提案する際に、ASDのことを考慮しなければならない。このような身体的な病気に対する最良の「治療法」は、本人の自己理解を深める支援にある。自分の限界を知れば、それを他人に知らせるために自己主張できるようになるだろう。筆者自身について言えば、自分の能力が人と比べていかに限られているかを理解することが、文字通り命拾いになった。どのように見えようとも活動を制限し、「普通」に見せかけることより健康を優先することが、自分にとって絶対必要だとわかったのだ。「全部やりたい」という自分の衝動のせいで制限できそうもないときは、周囲の人に代わってもらう必要がある。このプロセスは痛みを伴うものでもある。(自分の心の)限界と「力不足」を受け入れることを意味するからだ。

アレルギー、不耐症、過敏症

DSM-5の診断基準にも含まれているように、ASDの人がさまざまな刺激に敏感だったり鈍感だったりすることは、広く知られるところだ。これまで、このような過敏さは、光、音、匂いなどの外部からの感覚刺激に対するものと認識されていた。しかし経験上、ASDの女性はそれよりもはるかに広範囲の物質から影響を受けているように思われる。
化学物質、薬剤、カフェイン、生地など、広く使われている物質で身体的反応が引き起こされるASD女性は珍しくない。芳香剤、蛍光灯、エアコン、香水、ウール、アスパルテームスクラロース、砂糖、粉末洗剤などは、身の回りにある誘因のごく一部である。筆者自身、こうした刺激によって生活が少々困難になる(その結果、ぴんぱんに片頭痛を起こす)。身体的な病気と同様につらく、感覚自体はリアルに存在するのに、私たちの反応は細かいことにこだわる心気症患者のように見えてしまう。

○さまざまな抗生物質に対して過敏症やアレルギーがあります。神経系や消化器系の症状が悪化してしまい、服用をやめても症状が続きます。
(ASD女性)

○さまざまな布地にかぶれやすく、赤み、ブツブツ、かゆみが生じます。自分の服はすべて、無香料の液体洗剤で洗わなくてはいけません。
(ASD女性)

○煙、有毒ガス、アロマキャンドル、薬品臭など、空気中の化学物質に非常に敏感です。(…)特にタバコの煙を浴びると、鼻腔、喉、目がひりひりし、片頭痛が起きることもしょっちゅうです。
(ASD女性)

○人混みや騒がしい環境にはすぐにのまれてしまいます。細菌や汚いと感じるものから身を守ろうとする強迫傾向があるため、職場ではよくからかわれます。手指消毒剤は欠かせません。まぶしい照明や蛍光灯なども苦手で、視覚異常が悪化します。
(ASD女性)

注:i) 引用中の(ASDにおける)「DSM-5の診断基準」については例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症と児童精神科医療」の「表1 DSM-5による自閉スペクトラム症の診断基準」(P330) ii) 引用中の「身体的な健康」に類似する「Physical health」については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Physical health of autistic girls and women: a scoping review」 ii) 引用中の「心気症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「心気症」 iii) 引用中の「最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであることは明らか」に関連するかもしれない「生活上の困難によるストレスも強い」ことについてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「自らの症状」としての「抑うつ」については「アレキシサイミア」を含めてここを参照して下さい。一方、引用中の「全般性不安障害」にも関連するかもしれない「不安」についてはここを参照して下さい。ちなみに、子どもと若者における「逆境的小児期体験」と上記「抑うつ」や「不安」との関連についての論文(全文)例は他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴の1つとしては男性よりも軽症(非典型的)であることがありますが、当事者の苦悩も同様に軽いとはいえません。むしろ、男性の自閉症スペクトラム障害よりも不安や抑うつなどの精神症状を伴いやすい可能性も指摘されている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「大人の自閉症スペクトラム障害の特徴である適応困難とは?〜特徴には男女で若干差がある〜」の「成人女性の自閉症スペクトラム障害の特徴」項 v) 引用中の「強迫性障害(OCD)」や「強迫観念」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「敏感」、「不耐症」や「アレルギー」に関連する「薬、カフェイン及び/又はアルコールに対して敏感である」かもしれないことや「グルテン、小麦、カゼイン又はその他の食物へのアレルギーや不耐症がある」かもしれないことについて、WEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の 6. Physiology/Neurology の「B. Sensory Processing Disorder/Condition」項における記述の一部を以下に引用します。

K. May be very sensitive to medications, caffeine and/or alcohol

L. May have gluten, wheat, casein or other food allergies/intolerances, gut issues


[拙訳]
K. 薬物、カフェイン及び/又はアルコールにとても敏感であるかもしれない

L. グルテン、小麦、カゼイン又はその他の食物へのアレルギー/不耐症、腸の問題があるかもしれない

注:i) 拙訳中の「グルテン」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「グルテンフリーにしてもやせません 負担大きい食事療法」 ii) 拙訳中の「カゼイン」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「第81回 ミルクは何故白いのか? ~その白さの奥に広がる神秘の世界~

他の病気だと診断される
内科や婦人科のほかに、精神科でも、発達障害を専門的にみている医療機関でないと、別の病気だと診断される場合があります。しかし、その診断で治療を受けていても、状況はなかなか改善しません。

注:引用中の「精神科でも、発達障害を専門的にみている医療機関でないと、別の病気だと診断される場合があります」に関連するかもしれない、 a) 「ASDの女性は、ASDと精神疾患の両方の診断がつくのではなく、ASDが見逃されて精神疾患のみの診断が下されるおそれが特に大きい」ことについて「不安」を含めて、同の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「不安」における記述の一部(P290~P291)を以下に引用します。 b) 「ASDの女性は、ほとんどの場合(おそらく臨床医を信頼していないために)、今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている」ことについて、同章 の「治療法と治療計画」における記述の一部(P299~P300)を形式を変更して以下に引用します。

不安

ASDの生活に、不安はつきものであることは広く認識されている。前述のとおり、ASDの女性は、ASDと精神疾患の両方の診断がつくのではなく、ASDが見逃されて精神疾患のみの診断が下されるおそれが特に大きい。そのため、ASDの男性よりも不安の症状を呈する可能性が高いと結論づけられるかもしれない。アンケートに答えてくれた女性の約五〇%が、はっきりと不安について言及している。ASDの女性が書いた本や、ASDの女性について書かれた本のほとんどで、不安が取り上げられている※8。(中略)

ASDの女性が不安を感じるのは、とめどなく混沌としていて、非論理的で、もどかしい世界に生きているからだ。世界は一貫性に欠け、状況は絶えず変化する。自分に課せられた女らしさへの期待に応えられないと感じることで、不安はさらに悪化する。結果として、特定の状況を避けるだけでなく、いつ不安が引き起こされるかわからないという感覚に常にさいなまれることになる。(後略)

注:引用中の「※8」は次の本を指します。 「Holliday Willey, L. (2001) Asperger Syndrome in the Family. London: Jessica Kingsley Publishers.(『私と娘、家族の中のアスペルガー ほがらかにくらすための私たちのやりかた』ニキ・リンコ訳、明石書店、2007)」、「Lawson, W. (1998) Life Behind Glass: A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London: Jessica Kingsley Publishers.(『私の障害、私の個性。』ニキ・リンコ訳、花風社、2001)」、「Nichols, S., Moravcik, G.M. and Tetenbaum, S.P. (2009) Girls Growing up on the Autism Spectrum. London: Jessica Kingsley Publishers.(『自閉症スペクトラムの少女がおとなになるまで 親と専門家が知っておくべきこと』辻井正次・稲垣由子監修、テーラー幸恵訳、東京書籍、2010)」

治療法と治療計画(中略)

ASDの女性は、ほとんどの場合(おそらく臨床医を信頼していないために)、今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている。自分がASDであること、そしてそれが心身の健康に悪影響を及ぼしていることを認識しているからこそ、自分で実践的な戦略を立てることができる。

○多くの場合、心ををかき乱すような考えや強迫観念から解放される唯一の方法は、音楽、写真、アートビデオなどのポジティブな趣味に没頭することだと思います。       (ASD女性)

○運動は、ストレスや緊張を撃退するすぼらしい日課です。
(ASD女性)

○時間です。それと、私がうまく対処できないときや打ちのめされているときに優しく理解してくれる人。
(ASD女性)

○仲間。ただし、理解ある仲間です。
(ASD女性)

○自己セラピーはものを書くことです。自分を励ます言葉や計画、腹立たしい人への対処法などを書き留めています。
(ASD女性)

○健康維持のために、ローラースケートを始めました。ウォーキングは、抑うつの改善にとても役立ちます。
(ASD女性)

○創作や、自己表現できるクリエイティブな活動に没頭せずにはいられません。そのような活動やセラピーは、私の精神的な健康には欠かせないものです。活動をしないと、ネガティブな自責の念に強くかられ、落ち込んだときには自殺願望を抱くこともあります。今では落ち込むきっかけを認識できるようになり、できる限りそれらを避け、前向きな活動をしたり、他人との約束を守るように努めています。自分を高め、心の安定を維持するために懸命に努力しています。
(ASD女性)

注:引用中の「強迫観念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

感覚が鋭敏なASD女性の小さな変化をチャンスにする(中略)

ASD女性の女性は体調不良になりやすく、そのうえパニックを起こしてストレスを抱えてしまうと、不眠になり朝が苦手になります。眠れない、起きられないという睡眠障害から、ひどい疲労感を感じてだるくて起きられなくなったり、吐き気や頭痛、便秘、下痢などに加え、深刻な自律神経失調症のような身体症状が見られるようになります。(後略)

注:引用中の「睡眠障害」についてはここを参照して下さい。

感覚の偏り、体調面からトラブルになる(中略)

なぜ、こんな行動をとるのか?(体調不良)(中略)

また、女性の特性は、男性と現れ方が違う場合もあります。例えば、気温や天候によっても体調を崩したり、怒りや悲しみ、つらさといったストレスが外に向かって爆発するのではなく、内側に向かい、突然泣き出したり体調不良になってしまう場合があります。

注:i) 引用中の「女性の特性」は、「女性ASDの特性」を意味すると考えます。 ii) 引用中の「気温や天候によっても体調を崩したり」に関連する、「毎日の天候や気温に関係して気分が大きく変わる」ことについて、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 就活/職場編 就活の悩みと職場内の問題行動をサポートする本」(2019年発行)の 第3章 ASDの女性 職場でトラブルになってしまう代表的な問題行動 の 職場で起きる代表的なトラブル-③ 「体調不良」が起きやすい の「3 気分のアップダウンが激しい」における記述の一部(P57)を次に引用(『 』内)します。 『毎日の天候や気温に関係して気分が大きく変わったり、1日の中でも急に気分が変わることがあります。』 iii) 引用中の「怒りや悲しみ、つらさといったストレスが外に向かって爆発するのではなく、内側に向かい、突然泣き出したり体調不良になってしまう」ことに関連するかもしれない「女性は変化に伴う不安やストレスを内に秘めてしまう傾向にあるという事例」について、同の 第5章 変わっていく身体と複雑な友人関係 の 特徴が見えなくなる の「変化への対処が難しい」における記述の一部(P124)を次に引用(【 】内)します。 【ASDの女性は変化に伴う不安やストレスを内に秘めてしまう傾向にあるという事例が、しばしば報告されている。状況に対処できない自分に注目が集まるのを避けたいと考えているようだ。そのため、実際には対処できていないのに、他の人には対処できていると思われてしまうことになる。感情を抑圧し、隠そうと苦心することで、長期的な精神衛生上の問題が発生することもある。取り繕ってきたうわべが最終的に崩壊し、抑圧されたストレスが表出してしまうのだ。】

⑤ 同の「診断 女性はなかなか診断が得られない」における記述の一部(P44~P45)を次に引用します。

女性の場合、医療機関にかかっていても、アスペルガー症候群を見過ごされることがよくあります。(中略)

女性は診断が出にくい
アスペルガー症候群を含むASDは、女性よりも男性に多いといわれています。医療の現場でも、一般にも、女性のASDがあまり知られておらず、そのため女性はなかなか診断が得られないことがあります。

注:(i) 引用中の「女性はなかなか診断が得られない」に関連するかもしれない、 a) 「アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれない」ことについてはここを参照して下さい。 b) (女性の発達障害は)「気づかれにくい」、「見つかりにくい」ことについて、宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の 【男女差をどうとらるか】における記述の一部(P147~P148)を以下に引用します。 (ii) 上記(女性の発達障害は)「気づかれにくい」及び「見つかりにくい」ことに関連する(ASDの)「女性の場合ははじめから受身型や孤立型であることも多く、子どものころから特性による問題行動が目立たないこともあって、周囲からなかなか気づいてもらえず、生きづらさを感じてしまいがち」なことについてはここを参照して下さい。

女性はノーマルに振る舞うのが上手
潜在例は多いが、症状をなかなか訴えない(中略)

内山 (中略)女性は行動がそれほど衝動的ではないので気づかれにくいんですね。でも実際には、たとえば授業中にイマジネーション、白昼夢に浸っている子が多いということがだんだんわかってきました。それに、女性はノーマルに振る舞うことが男性より上手なので、見つかりにくいと思います。(後略)

注:i) 引用中の「イマジネーション」に関連するかもしれない『「ファンタジー」への没頭から解離までは、ほんの一歩』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「高機能広汎性発達障害 ―二次障害への対応―」の「高機能広汎性発達障害と解離」シート(P14) ii) 引用中の「女性はノーマルに振る舞うのが上手」に関連するかもしれない「ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している」ことについて、同の 第8章 「ASDに見えない」――大人になってからの困難 の『成人期の特徴と「普通」に見えるということ』における記述の一部(P172)を以下に引用します。

(前略)ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している。このようなことができるのも、乗り越える力(レジリエンス)が並外れていることの証であり、往々にして「失敗したくない」「変人だとバレたくない」という断固とした決意のあらわれであったとする。
残念ながら、こうした努力はかなりの犠牲を伴うことがある。(後略)

注:引用中の「犠牲」に含まれるかもしれない「難治性の心身症」についてはここを、「心身の健康問題」についてはここを それぞれ参照して下さい。

⑥ 同の「診断 心療内科などで専門医にかかる」における記述の一部(P44)を次に引用します。

自分自身や家族に発達障害の可能性を感じたら、児童精神科や心療内科などで専門医にかかりましょう。(中略)

大人の場合
発達障害の診療経験がある精神科か心療内科へ。心療内科には体調不良にもくわしい医師が多いため、より安心。内科や婦人科では、体調不良はみてもらえても、発達障害は見過ごされがち。

⑦ 同の「COLUMN 診断基準がそもそも男性向け?」における記述(P56)を次に引用します。

アスペルガー症候群は男子の症例報告
アスペルガー症候群は、アスペルガーという精神科医が発見した症候群です。アスペルガーは二〇世紀なかばに、数名の男子に同じ特徴を見出し、報告しました。のちにそれがアスペルガー症候群と名付けられたのです。
つまり、アスペルガー症候群はもともと男子の特徴をまとめたものだということです。研究がはじまった当初から、女子の特徴はよく知られていませんでした。

女子の症例や研究はまだ多くない
その後、アスペルガー症候群の診断基準が確立されてからも、症例の中心は男性でした。男性の方が女性よりも数倍多いとされてきました。しかし、女性の研究が進み、男女では特性の現れ方が違うという説が出てきました。
男性では幼少期から特性がみられるが、女性では思春期まで特性が目立たず、また、思春期になっても社会性の乏しさが男性ほど顕著ではないなどと、報告されはじめたのです。
まだ仮説段階の話ではありますが、アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれません。今後の研究に期待がかかります。

注:i) 引用中の「アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれません」に関連する論文例についてはここを参照して下さい。 ii) 一方上記論文ではありませんが、アスペルガー症候群の女性像については次のWEBページを参照して下さい。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」 ただし、上記WEBページの拙訳はありません。

⑧ 同の「COLUMN 女性当事者の手記にはヒントが満載」の「参考になる手記」における記述(P98)を次に引用します。

●ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』
●グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった。』
●テンプル・グランディン『我、自閉症に生まれて』
●ルディ・シモン『アスペルガーの女性がパートナーに知ってほしい22の心得』
●リアン・ホリデー・ウィリー『アスペルガー的人生』

ウィリアムズやグランディンは、この分野の先駆者的存在。自閉スペクトラム症の特性がありながら、理解や支援を得てすごしてきた日々を、自伝に記しています。
ガーランドやウィリーも同様で、理解者を得て生活の仕方を学び、発達障害の特性があると気づかれないくらいにまで、社会生活のスキルを身につけました。
シモンは自身の体験や、同じ境遇にいる当事者の話をもとに、アスペルガー症候群の女性の特徴や悩み、対応法をまとめています。

注:上記「女性当事者の手記」に対し、これら以外にも次の本があります。シエナ・カステロン著、浦谷計子訳『わたしはASD女子 自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』(2022年発行)

加えてここにおける引用を参照して下さい。さらに、 a) 備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第5章 「ちょっと変」を疑似体験して知る の「本を読んで隣人を知る」項における記述の一部(P163)を以下に、 b) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の「はじめに」における記述の一部(P2)を以下に、 c) 「私たち凡人の読者が気をつけないといけない点」を含めて、関正樹、高岡健著の本、「発達障害をめぐる世界の話をしよう よくある99の質問と9つのコラム」(2020年発行)の「コラム9 自閉スペクトラム症を有する人の自伝」における記述の一部(P212~P213)を以下に それぞれ引用します。

最近では、アスペルガー症候群や高機能広汎性発達障害という診断を受けた人たちが、自分たちの世界を雄弁に語り始めています。
たとえば、ドナ・ウィリアムズによる『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)。この本は、世界的なベストセラーになりました。
また、日本では翻訳家として活躍しているニキ・リンコさんがいます。その著書『俺ルール! 自閉は急に止まれない』や『自閉っ子におけるモンダイな想像力』(ともに花風社)で、PDDに独特の世界観や身体感覚を、ユーモアをたっぷりまじえながら、非常にわかりやすく、明るく語っています。

注:i) 本のタイトル中の「AD/HD」はADHDのことです。 ii) 引用中の「ニキ・リンコさん」は女性です。

(前略)成人例を診ることの利点は,彼ら彼女たちが自らについて語るということにある.そればかりか,書く能力に秀でていることさえある.実際,ドナ・ウィリアムズ(Donna Williams),グニラ・ガーランド(Gunilla Gerland),藤家寛子,森口奈緒美らの自伝からは,ありふれた解説書のたぐいを読むよりも,はるかに学ぶことが多い.(後略)

注:i) 引用中の「成人例」とは、「成人 ASD」のことのようです。 ii) 引用中の「藤家寛子,森口奈緒美らの自伝」における、藤家寛子の自伝例は【『ほかの誰かになりたかった-多重人格から目覚めた自閉の少女の手記』花風社,2004】、森口奈緒美の自伝例は【『平行線-ある自閉症者の青年期の回想』ブレーン出版,2002】です。

(前略)日本のものでは、小道モコ『あたし研究』(クリエイツかもがわ)が秀逸だと思います。この本には「支援する側、される側は一方通行ではありません」「ありのままの誰かを受け入れるには、ありのままの自分を大切にすることが、とても大切になってきます」と書かれています。
これらの優れた本が上梓されている一方で、私たち凡人の読者が気をつけないといけない点があります。それは、どうしてもこれらの本を、いわば歩く教科書のように読んでしまいがちだという点です。こうなると、著者のすべての姿を自閉スペクトラム症から演繹し、理解したつもりになってしまいがちです。しかし、ほんとうは、自閉スペクトラム症は著者の人生の何割かを規定しているだけで、すべてがそれで覆われているわけではないことは、いうまでもありません。(後略)

注:この引用部の著者は高岡健です。

一方、上記手記やASDに関連した本を次を紹介します。 a) 村田沙耶香著の本、「コンビニ人間」(2016年発行)の女性主人公はアスペルガー症候群を感じさせる人であるとの意見を含む書評のエントリは次を参照して下さい。 「書評『コンビニ人間』村田 沙耶香(文藝春秋)」 b) 星野あゆみ著、本田秀夫監修の本、「発達障害のわたしのこころの声 生活・仕事で困っている理由 & 困らない工夫」(2015年発行)によると、「ソーシャルコミュニケ―ション障害」※2や「非言語性学習障害」の診断名もあるようです。 c) そして、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照、加えて資料「自閉スペクトラム症の社会モデル的な支援に向けた情報保障のデザイン:当事者研究の視点から」や「当事者研究の新たな歴史を紡ぐ」も参照すると良いかも)や綾屋紗月編著の本、「ソーシャル・マジョリティ研究 コミュニケーション学の共同創造」(2018年発行)もあります。なお、上記綾屋紗月氏の 動画(TEDXKids@Chiyoda)は次を参照して下さい。 「綾屋 紗月/Satsuki Ayaya」 また、上記ソーシャル・マジョリティ研究(すなわち発達障害当事者をはじめとする社会的マイノリティの立場からの、多数派社会のルールやコミュニケーションの研究、WEBページ『終わりのない当事者研究、続ける原動力は「苦楽を共にする仲間」ーー研究者・綾屋紗月さんインタビュー・後編【連載】すてきなミドルエイジを目指して』の『――「ソーシャル・マジョリティ」項を参照)に関連するかもしれない「優秀な社会人類学者」について、同の 第5章 変わっていく身体と複雑な友人関係 ――思春期に出会う困難 の「特徴が見えなくなる」における記述の一部(P121)を次に引用します。

女の子が成長するにつれて、ASDの典型的な特徴が目立たなくなることがある。このことは特に、知的能力と自己認識力の高い人に当てはまるかもしれない。何を求められているか、何が許されないとされているかを学習したおかげだ。これまで見てきたとおり、ASDの若い女性は、しばしば優秀な社会人類学者となることがある。他者の行動を研究することで、定型発達者ならどうふるまうかを正確に予測し、それを模倣して社会的な承認を得るのだ。少なくとも、見過ごしてはもらえる。(後略)

注:i) 引用中の「何を求められているか、何が許されないとされているかを学習した」ことに関連するかもしれない「ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している」ことについてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ASDの典型的な特徴が目立たなくなる」ことと「知的能力」とに関連する「古典的な自閉症における女性の行動パターンは、知的障害を伴えば明白だったが、言語能力・知的能力の高い女児や女性は見逃されていた」ことについて、同の「本書に寄せて」における記述の一部(P4)を次に引用します。 『古典的な自閉症における女性の行動パターンは、知的障害を伴えば明白だったが、言語能力・知的能力の高い女児や女性は見逃されていた。自閉スペクトラム症(以下、ASD)における女性の行動パターンが認知され始めたのは、つい最近のことにすぎない。』(注:この引用部の著者はジュディス・グールドです)

※2:ちなみに、最新の疾患名は「社会的(語用論的)コミュニケーション症」です*36。英語では「Social (Pragmatic) Communication Disorder:SCD」です。上記疾患についての簡単な説明について、a) 次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」の「4.コミュニケーション症群」項 b) 加えて、近藤直司田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義12 発達障害 の 2. 代表的な発達障害 の「(5) 会話および言語の特異的発達障害/コミュニケーション症」における記述の一部(P129)を次に引用(『 』内)します。 『もう一つは,DSM-5 ではじめて採用された「社会的(語用論的)コミュニケーション症」で,言語的および非言語的コミュニケーションの社会的使用が持続的に困難であることが特徴です。限局しパターン的な興味と行動がみられない点で自閉スペクトラム症と区別するとされています。』(注:i) この引用部の著者は本田秀夫です。 ii) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM-5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」)。加えてこの疾患に関連するかもしれない、実用的で社会的なコミュニケーションについての引用はここ及びここを参照して下さい。加えて、この疾患に関連するかもしれないウィングの「三つ組み」仮説におけるコミュニケーションの障害については、リンク集(4)を参照して下さい。用語は『ウィングの「三つ組み」仮説』です。

その上に、「ドナ・ウィリアムズによる『自閉症だったわたしへ』」を引用している本の例が、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」*37(2015年発行)です。この本における引用例として、主に女性の自閉症スペクトラムの特性としての「距離が近づくと豹変する」*38等を説明している部分、すなわち、同本の 13章 鑑別診断-統合失調症と境界性パーソンリティ障害 の「距離が近づくと豹変する」、「感情の渦」及び「易変性」における記述(P252~P256)をまとめて次に引用します。

距離が近づくと豹変する
成人 ASD,とりわけ女性例の臨床にたずさわっていると,臨界的な距離とでもいうべきものがあることに気づかされる.人との心的な距離感が保たれているときには,整然とした,あるいは杓子定規なふるまいをする人が,いったん近しい関係に入ると,手のひらを返したように不安定性を示すことがある.
心的距離がつまってくると,自他未分をベースとした彼女たちの世界のなかに,それを掻き乱す他者が割り込んでくることになる.他者のふるまいが,自分とは別の系として切り離すことができず,共振し,逐一影響を与えるようになる.
混乱するおもな要因として,「こころの動き」と「感情」の二つがまずは挙げられるだろう.こころというものは,彼女らにしてみれば,妙な動きをするものである.曖昧であり,予想がつきにくい.直観的に把握できないので,しばしば推論で代償する.距離が保たれている場合には,局外者として無難に推測することは可能である.むしろ得意とする場合もある.
ところが近い関係になると,推測に必要な距離がなくなる.他者に近づくにつれ,それによってみえてきた部分にとらわれたり,拡散する多数の情報によって撹乱されたりするようになる.定型者にとっては,近しい関係とはなれ親しんだものでもあり,あるいは微妙なこころの機微が働く文化的に豊かな次元である.だが,彼女たちにとってみれば,耐えがたき曖昧なゾーンとでもいうべきものとなる.
たとえば,相手が自分のことをどう思っているのかということが気にかかったとする.これは,他人のこころであり,原理的にこちらにはわからないことである.そこで,相手にたずねて,ネガティヴな気持ちがないことを確認したとする.そのときには少し安心するかもしれない.だが,いったん疑惑にかられると,それは際限のないものとなる.ちょっとでもそれにそぐわぬことがあれば,たちまち落ち着かなくなる.疲れた顔をしていたり,メールの返信が少し遅くなったりしただけでも,確認せざるをえない.確認しても,問題は解消しないし,さらに疑念が頭をもたげる.相手もうんざりしてくる.
定型者がこれに類似した状態になるのは,例外的な状況である.恋愛などはその典型だろう.ASD 者は,恋もしていないのに恋をしているかのような状態となる.

感情の渦
混乱するもう一つの要因は,感情である.「感情の読み取り障害」説があるように,ASD 者は概して感情を苦手とする.中核的な例では,そもそも感情というものがよくわからず,無反応であるのが基本である.そうした態度はしばしば相手を怒らせるが,本人はそれに気づかない.すると相手は馬鹿にされたように感じ,よけいに怒りを増幅させる.
成人 ASD では,感情によって混乱させられるという特性がそこに加わる.感情は,まだ微弱にめばえ始めたばかりの,彼女たちの自他の分節を解除してしまう.過剰に共振してしまい,自己が消滅する脅威となる.彼女らを混乱させられるのは,他者から向けられた感情だけではない.自分のなかに沸き起こった感情もまた,制御がむずかしく,自己を押し流すものとして脅威となる.
感覚的なものを鋭敏にキャッチする彼らのセンサーに対して,感情は曖昧であり,得体の知れないものに映る.その際注目すべきことは,怒りや暴力的なものよりも,むしろやさしさや愛情の方が彼女らを混乱させる場合があるということである.この点について,参考になるのがドナ・ウィリアムズの記述である.彼女によると,暴力や自傷はかえって自分を落ち着かせるものであり,身体の傷はこころを傷つけない.逆にやさしさや親切は身がすくむという.

他人は,自分の虐待や一般に不幸と思われるものから自分の殻にこもっていると勘違いしているが,やさしいやわらかな感情に触れて来るものの方がこわいのだ13.

親切の方がはるかに微妙でつかみにくく,しかも心を乱されるものだった.抱きしめられると,まず最初に目が回り出す14.

ドナにとって,抱きしめられるという体験は,抱くという行為に込められている志向性(愛情)がよくわからないという戸惑いと,ぷよぷよした肉体にくるまれる即物的な異様な感覚の混合したものなのだろう.
感情は,言語による対象化がむずかしいものである.本来むずかしいところに,ASD の言語は身体に浸透していないため,感情を整流すること対して無力である.
「投影同一視」と呼ばれる力動も,起こりやすい.通常の投影は,自他の分節を前提として起こるものである.たとえば自分が相手に対して怒りを抱いているのにもかかわらず,それを抑圧し,相手が怒りを抱いていて,自分を攻撃してくるのではないかと恐れるとのような機制である.それに対して,ASD では,怒っているのが自分なのか相手なのか,そもそも区別がつかなくなる.これが投影同一視と呼ばれるものの正体である.

易変性
ASD が BPD と誤診される重要な特性として,易変性がある.状況に即応して変化する人たちがいる.これは,俗に「質量が軽い」と評した ASD の被影響性による.
相手の状態によって,自分の状態がそのつど変わる.その時々の断片的な文脈に染まりやすい.場合によっては,憑依されたようになる.ただし,回復するのも速い.
ASD 者は大域的な把握が苦手である.状況をふわっとまとめることができない.それゆえ細部に振り回されやすい.このことを裏返せば,定型者に対して,彼女らは解像度の高いセンサーをもっているということである.それゆえ,われわれがアバウトに,いつもと変わらないはずと思っていることに対しても,微細な違いや変化のうごめきを感じ取っていることはありうる.

vignette
30歳女性.受診している際に,医師が緊急の電話でやむをえず中座して戻ってきたところ,それまでの落ち着いた態度から,にわかに「先生は冷たい」と非難し始めた.医師が面喰らって,中座したことを詫びたところ,そうではなく,ドア越しに聞こえてきた電話で話しているトーンがいかにも冷淡だったと言って,さらに非難した。

BPD の臨床特性として,理想化とこき下ろしの交代という現象がある.これもまた,そのつど相手の状態によって振り回される彼女らの自己のあり方による.いわゆるスプリッティングとわれるものである。
すでに述べたように,ASD 者は,他者に全能性を託しやすい.とりわけ医師のような存在は,そのようにとらえられがちである.理想化にはしばしばそうした機制が関与している.それゆえ,いったん理想化が崩れると,パニックに陥るということが起こりうる.それも,定型者には見落とされるような微細なことが引き金になりうる.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害のことです。 iii) 引用中の「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「理想化とこき下ろし」については、例えば、他の拙エントリのここの「アラジンの魔法のランプ願望」項、ここを参照して下さい。 v) 引用中の文献番号「13」、「14」は、それぞれ【Williams, D. : Nobody Nowhere.Doubleday. 1992, p.92(河野万里子訳『自閉症だったわたしへ』新潮文庫,2000,p.243)】、【同書.p.64(邦訳,p.175)】です。 vi) 引用中の「感情の渦」に関連するかもしれない「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「スプリッティングとわれるものである。」は、もしかすると「スプリッティングといわれるものである。」のタイプミスかもしれません。

さらに、 i) 女性の発達障害当事者による自伝風小説の出版に関する「ツイート」があります。 ii) 女性のアスペルガー症候群に特化した関連資料については≪余談5≫ [3]に、女性のアスペルガー症候群を含む関連資料については≪余談5≫ [4]にそれぞれ示します。 iii) ここのリンク先には、女性のアスペルガー症候群自閉スペクトラム症)に関する記述があります。 iv) 女性のアスペルガータイプの人(未診断、診断されるほどでは無い人を含む)向けの会話のための本は、他の拙エントリのここで紹介しています。 v) 女性のアスペルガータイプ症候群等に対する支援・配慮に関するWEBページを次に紹介します。「自閉症障害 男子に比べ診断が困難 女子の支援配慮を

⑨ 本田秀夫、植田みおり著の本、「最新図解 女性の発達障害サポートブック」(2019年発行)の Part3 「自分らしく」生きるために の 深刻な「過剰適応」の問題 の『「過剰適応」は女性に多い傾向がある』における記述の一部(P131)を次に引用します。

男性と比較して、女性の場合は周囲を気づかい、自分を人に合わせようと努力する傾向が強くみられます。そのため、女性のほうが「過剰適応」の状態になりやすいと考えられます。
とくに、自閉スペクトラム症の特性をもつ人は、律儀で真面目な性格の人が多く、自分を周りに適応させようとするだけでなく、うまく適応できないときには、「自分の力不足」「自分が悪い」と、自らをせめる傾向もみられます。こうした考え方が、さらに大きなストレスとなり、本人を苦しめることになるのです。

注:引用中の「過剰適応」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「「過剰適応」には要注意」 加えて、「過剰適応」の状態が長年続くと、二次的な問題のリスクが高まることについて、同Partの  相談できる人を見つける の『二次的な問題を防ぐために「過剰適応」を避ける』項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『「過剰適応」の状態が長年続くと、ストレスがかさみ、二次的な問題のリスクも高まります。』(注:引用中の「二次的な問題」に関連する「二次障害」についてはここを参照して下さい) 一方、引用中の「過剰適応」に関連する「ASD の女性の適応過程」については、次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか:障害を見えにくくする要因と適応過程に焦点を当てて」の「研究2:ASD の女性の適応過程」項

これら以外にも、上記「ドナ・ウィリアムズ」や「グニラ・ガーランド」(共にここを参照)にも関連する、主に女性における「解離型自閉症スペクトラム障害」(解離型ASD)について、(離隔としての)「離脱」、「融合」(同化・同調)、「拡散」を含めて柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「1 解離型自閉症スペクトラム障害」、「2 解離型ASDと離隔」、「3 同化」及び「4 拡散」における記述の一部(P192~P197)を次に引用します。

1 解離型自閉症スペクトラム障害

精神科臨床では、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)と診断される患者のなかに解離症状を併せ持つ一群がいることは知られている。ここではそういった病態を「解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)」と呼んでおく。
解離型ASDの示す解離症状が通常の解離と同じであるか否かに関しては、議論が分かれるところであろう(鈴木 2009)。(中略)

ここで取り上げる解離型ASDに見られる解離症状は、一過性ではなく、それなりの持続と重症度がある。私自身は、定型発達者に見られる解離症状とASDの患者に見られる解離症状はともに解離症状として広く捉えたほうがよいと考えている。つまり解離を定型発達者に限定しない立場である。重要なことは共通点とともに、微妙な差異について注意深く把握する視点であろう。
ここでは成人の解離型ASDの体験世界を検討することによって、定型発達者では見逃されがちであった解離の諸側面に光を当てることにしたい。引用する手記はウェンディ・ローソン、グニラ・ガーランド、ドナ・ウィリアムズなどいずれも女性によるものであるが、彼女たちはアスベルガー症候群ないしは高機能自閉症の診断を受けている。また提示する症例A、R、Hもすべて女性のASDである。ASDは男性例が圧倒的に多いため何かと男性例が思い起こされるが、女性のASD症例は男性例とは異なるところも多い。彼女たちの心的世界について、あらためて解離の観点から検討する価値があるように思う。

2 解離型ASDと離隔

ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)はその著書 Life behind Glass(邦題『私の障害、私の個性』)のなかで「自分は、永遠の傍観者(perpetual onlooker)だ」「生きている時間のほとんどはビデオのように、映画のように流れていく。観察することはできるが、手は届かない。世界は私の前を通り過ぎていく。ガラスの向こう側を」と述べている。臨床的経験からすれば、ASD者の体験世界はウェンディ・ローソンが言うように主に離隔(detachment)を中心としており、解離性健忘や交代人格など時間的変容は比較的少ないように思われる。彼女たちの体験全体が解離性の意識変容の様相を呈していると言ってもよいであろう。
一般に、離隔は離脱、融合、拡散の三類型に分けることができる(柴山 2013b)。離脱は「眼差しとしての私」が自己身体から離脱することに焦点が当てられたものである。体外離脱体験がその典型例であり、離隔のなかで最も多い体験である。融合は「いま・ここ」から離れた「眼差しとしての私」が目の前の他者/対象と自分が重なったり、共鳴したり、一体感が見られる体験である。融合はさしあたって無機物や植物(時に動物)と一体化する同化の極と、他者に共鳴する同調の極に分けられる。拡散とは、自己が大気のように、あるいは粒子のように周囲へと拡散する体験である。このように離隔すなわち解離性意識変容は、離脱、融合(同化・同調)、拡散の三類型に分けられる(図)。
解離性障害は一般的に離脱と同調が見られることも多いが、植物や動物への同化も稀ではない。しかし無機物との同化はほとんどない。同調は過剰同調性という対人特徴へと連続的につながっている。それに対して、解離型ASDでは離脱、同化、拡散が多いように思われる。(中略)

3 同化

ASDの患者が幼少時からさまざまな外的対象と一体化する体験を報告することがしばしばある。広沢(2010)はPDD型自己の特徴について「自己は対象に引き寄せられて存在し、対象との距離がない」と指摘している。ASDにしばしば見られる空想への没入は空想的対象への一体化であり、ここでの同化と同系列の体験である。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
水の波紋が好き。音が好き。音になれる。鉄骨やビル、工場が大好き。意識が飛んでいってビルになれる。椅子にもなれる。植物にも一体化する。大きな木になって周りを眺めている。自分は入れ物だから立っているだけ。大きな石とかに一体化して、そこから人間と自分を見ている。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
物に入り込んじゃう。人には入らない。植物には入るが、動物はあまり入らない。こういうことは小さいときからずっとできる。ただそれになるだけだから、物や植物の気持ちがわかるわけではない。楽器にもなれる。弾かれていること自体、鳴ること自体が心地よい。非常階段とか、ビルとかにもなる。非常階段になるときは自分の体の一部、たとえば腕などが非常階段になって体に混ざる。自分はここにいるのだけど、自分に非常階段が生えている感じがする。机を触ると、腕の付け根まで机になる。でも自分の腕であるのはわかる。音や石になるのはおもしろい。音を聴いていると、音そのものと一緒になる。

こういった同化体験はASDの著者による自伝にも記載されており、ASDにとっては一般的な体験のように思われる(Williams 1996 / 2005 ; Lawson 1998 / 2005 ; Gerland 1997 / 2008)。
同化は解離型ASDの患者の幼少時から見られ、それが成人になっても続く。対象の多くは無機物、植物などであり、時に色、形、光、音、感触との一体化を口にすることもある。同化する対象が動物であることもあるが、ヒトであることはまずない。このことは、彼らにとってヒトの心の動きはあまりに複雑で変化に富み、その全体像を把握し予想することが難しいことが関係している。彼らは形の明確な対象を好み、それによって安心感を得る傾向がある。(中略)

4 拡散

拡散とは、「眼差しとしての私」が空ろな器を抜け出して、いや抜け出す感覚もなく、あたかも気体のように、時に粒子のように周囲に拡散していく体験である。自分の内と外の境界が消えていくように感じられる。ここで提示する自験例A、R、Hのすべてがこのような拡散体験について語っている。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
自分はばらばらで砂時計のように分子レベルで飛散している。輪郭が点々になっている。粒子の集合体が私。落ち着く場所がない。体の部位が部屋中に飛び散る。粒子のような形で広がって、壁にもバウンドする。粒子になっているときは蛍光灯を見ていると、自分も点滅している感じになる。気持ちいい。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
拡散は小さい頃からある。気に入った音を聴いているときになる。怖くない。震動がきっかけになる。砂が割れて細かくなる。対象とくっつく。本棚とかビルの外階段とかにくっつく。融合する。音が全方位に拡散する。それに混ざって自分が広がる。振動。振動が気持ちいいと拡散する。拡散するときは粒子のようにすごく小さくなって、広がっていく。自分が地球レベルの巨大になることもある。形はない感じになる。気持ちがいい。

●症例H[女性・二〇代後半・解離型ASD・解離性離人症
ボーッとしていると内界と外界の境界がわからなくなる。世界や自分が膨満している感じになる。全身が何かによってくるまれている感じになる。自分がガスのように、体の表面から拡散する。我に返るとキュッと戻ってくる。

あたかも自分が気化するかのように周囲世界へと拡散していく体験については、ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)やドナ・ウィリアムズ(Williams 1996 / 2005)も記載している。解離型ASDの患者に「自分を色に誓えると何色ですか」と聞くと、そのすべてが「透明」ないしは「色がない」と答えることも、こうした観点からすれば理解しやすいであろう(本書第1章参照)。彼らは自分自身をひとつのまとまりをもった対象として把握することが困難であり、そもそもそういうことに馴染んでいない。自己という存在の色や形を実感することができないのである。
解離性障害では、背後から黒っぽい人影がじっと自分を見ている気配を感じる過敏などの体験は比較的明瞭に現われる。それに対して解離型ASDでは、気配過敏症状はあまり目立たないのが一般的である。このことは、ASDでは単に他者への関心が乏しいだけではなく、同化や拡散からも窺われるように「眼差しとしての私」のまとまりや主体性がより希薄化しているため、「存在者としての私」が背後の「眼差しとしての私」を人の気配として感知しづらいと考えることもできる。ただし、状況によっては過敏状態に陥ることがある(中略)。

注:i) 引用中の「図」の引用は省略します。 ii) 引用中の「本書第1章参照」における第1章の引用は省略します。 iii) 引用中の「鈴木 2009」は次の資料です。 【鈴木國文(2009)「「解離」概念とアスペルガー障害」『臨床精神医学』38 ; 1485-1490】 iv) 引用中の「Lawson 1998 / 2005」は次の本です。 「Lawson, W. (1998) Life behind Glass : A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(ニキ・リンコ=訳(2005)『私の障害、私の個性』花風社)」 v) 引用中の「柴山 2013b」は次の文書です。 【柴山雅俊(2013b)「解離における離隔の諸相」木村敏野家啓一=監修『臨床哲学の諸相「自己」と「他者」』河合文化教育研究所 pp.176-208】 vi) 引用中の「広沢(2010)」は次の本です。 「広沢正孝(2010)『成人の高機能広汎性発達障害アスペルガー症候群医学書院」 vii) 引用中の「Williams 1996 / 2005」は次の本です。 「Williams, D. (1996) Like Color to the Blind : Soul Searching and Soul Finding. New York : Times Book.(河野万理子=訳(2005)『自閉症だった私へⅢ』新潮社)」 viii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 ix) 引用中の「解離性障害」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 x) 引用中の「意識変容」に関連する「解離性意識変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「過剰同調性」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 引用中の「気配過敏症状」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「空想への没入」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ivx) 引用中の「自己は対象に引き寄せられて存在し、対象との距離がない」ことに関連する「対象と適切な距離を置いた,固有の"自己感"を持ちにくい」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「広沢正孝氏に聞く,広汎性発達障害」の「自己イメージからPDDを読み解く」項

加えて、解離型ASDにおける「原初的世界」と「感覚の洪水」について、同13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「5 解離型ASDに見られる原初的世界」及び「6 感覚の洪水」における記述(P198~201)を次に引用します。

5 解離型ASDに見られる原初的世界

解離型ASDの患者は時に「向こう側」の世界について語る。患者は人間社会のストレスを回避するかのように、現実の「向こう側」の世界へと赴く。その世界はあたかも自分がかつて存在していた故郷のような安らぎの場所として描き出される。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
向こうの世界はヒトがいないのでうるさくない。このままだと壊れると思うときに、いつの間にかそちらの世界に行っている。元々その世界は虹色だけど、その周りはグロテスクな魑魅魍魎が跋扈している。極楽浄土と地獄絵図の世界がごっちゃになっている。鬼とか修羅、妖精など、綺麗なものと血みどろのものがいる。きらきらと、どす黒いのが混在している。でも全然怖くない。今でも簡単に行ける。すごく落ち着く世界で言葉がない世界。大半はそっちにいる。そこで想像して帰ってくる。こういう世界は小さいときからある。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
向こう側へ行くと私しかいない。自分と世界との境目がない。地面も、空気も、遊び相手もすべて全部が私。向こう側は人がいなくて、言葉がない世界。元々いた場所へ帰ることで楽です。そこからいつ頃こっちに来たかがわからない。時間の流れも違う。五感がわからない。その境目がわからない。感覚は便宜上分けているだけで、根元は全部同じ。見るとか聞くとかじゃなくて、感じる。そっちの感覚をこっちにもってくると、自分が対象とくっついてしまう。この世は境界だらけだけど、向こうは五感に分化する以前の根っこで感じる世界。部屋の隅にある果物がじっくり熟れていくのがわかる。音や匂い、視覚でなくてわかる。感じる。そこは陸地と海のあいだ、地球と宇宙のあいだの世界。逃げ場。私は波打ち際なんだよ。陸にいる人と海に生きる動物との境目に自分がいる。行ったり来たりできる。言葉で消化できないことをあっちでする。

ここで彼女たちが「向こうの世界」「向こう側」と呼ぶ場所での体験は、彼女たちの意識から切り離されているわけではない。幼少時に馴染んでいた世界であるが、成長するとともにいつまでもそこにいることができなくなった場所である。他者がいない自分だけの安心できる場所であり、自己と対象の境界がない世界である。他者と関係せざるをえない社会へと押し出されるにつれて、現実の世界とのつながりが希薄化した場所である。自己と他者が共に存在する以前の、自分だけの世界、あるいは他者だけの世界である(Williams 1998 / 2009)。
症例Aも症例Rも、その場所をこちらの世界とは違った言葉のない世界、言葉を必要としない世界と表現している。言葉がなくても感覚の根元で感じる世界である。こうした自己と他者が共に成立する以前の境界のない世界は、ASD患者の体験の基底にあって、成人になっても持続する原初的世界としてある。前述した同化や拡散などもこの原初的世界における体験との連続性を有しており、これらは共に原初的世界へと引き寄せられた体験と解釈できる。

6 感覚の洪水

ASDの患者はこのような原初的世界にいつまでもいられるわけではない。発達とともに多くのASD者は原初的な場所に棲むことを断念させられ、自己と他者によって構成される相互主体的世界へと押し出される。そこは安永(1977a)のいう「パターン」における自己と他者、主体と客体の分極が明瞭な場所である。彼女たちにとってそうし世界は馴染みの薄いものであって、そこに自らの「居場所」を見出すことは容易でない。彼女たちはなんとかこうした社会に適応しようとするが、結果的に多くの苦悩を背負い込んでしまう。
人間社会へと歩み出すなかで、彼女たちは感覚の洪水のなかで立ちつくす。それは外部の刺激でも身体内部の刺激であっても同じである。定型発達者が自然に獲得する世界、身体、他者のまとまり、それらが自己へと向けられる意味をASD者は感じることができず、断片的な「わからない」世界に投げ出されている。たとえばグニラ・ガーランド(Gerland 1997 / 2008)は次のように言っている。「私の視覚は、大切なものを自動的により分けてくれるということがなかった。何もかもが無差別に、鮮明かつ克明に見えていた。世界は写真のように見えていた」。
フリス(Frith 1991 / 1997)によれば、人間の正常な認知システムには、できるだけ広汎な刺激を統合し、広範な文脈を一括して捉えようとする固有の能力(中枢性統合(central coherence))があるが、自閉症児ではこの統合に向かう能力が弱まっている。感覚刺激は前景と背景に振り分けられることなく、断片的に過剰に降り注ぐ。周囲世界の文脈や意味、世界の全体を把握できないため、危険を事前に予想し察知することができない。そのため不意打ちに弱く、怯えの意識も高まりやすい。記憶表象は消化されずそのまま保存され、それがあたかも現実であるかのように甦るときフラッシュバックも含めて多彩な症状が現われる。
ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)は、追い詰められたストレス状況で入院となったとき、健忘や離隔とともに、対人過敏や気配過敏、さらには人影幻視や幻聴など多彩な過敏状態であったと記載している。

怖かった。人の近くにいるのが怖かった。[…]まっくらな毎日だった。病院に入れられるきっかけになったできごとについては覚えていない。思い出せるのは、まるで胴体がはずれてしまったような気がして、何としてでもとり戻したいと感じていたことだ。どこへ行っても、影が後をついて来るように思えた。ずきんをかぶった黒っぽい人影が、もう人生から解放してあげるよ、そうすれば苦しみも終わるよと言ってくる。精神科の医者は、この影のことを「幻聴」だと言っていた。

こうした過敏状態はフラッシュバックや知覚過敏、思考促迫、幻聴などが発生する基盤となっている。頭の内外で断片的な知覚や表象がひしめき合うように湧き上がることもある。
先の症例Rは次のように述べている。

人がいる世界はわずらわしい。許されるならずっと向こう側にいたい。こっち側は大変だ。人間の相手をすることが嫌。相手の気持ちを読まないといけない。ごちゃごちゃするときは混乱する。いろんな思考が頭に湧き出てきて止まらない。周りの人の会話が混ざってしまい、入ってくる。人の会話と自分の会話の区別がつかなくなることがある。考えたくないのに考えてしまう。考えるのを止めなくてはいけないと思っても、止まらない。泣き出したい、大声を出したくなる。

こういった症状を鎮めようとして、ASDの患者たちは好んで海、屋根の上、崖の上などに身を置き、世界との距離を保ち、自分に迫ってくることのない自然のなかに身を置こうとする。また単調なリズムの繰り返しや文字の世界を好むようになる。これは喧騒な現実との関わりを避けるなかで夢想的世界へと没入していく空想傾向(fantasy-proneness)(Wilson and Barber 1983)であるが、そこに自らに安心できる場所を求めていく。現実の人間関係から距離を取ることで自分の安定をかろうじて保とうとする。こうしたことは元来ある意識変容への近縁性をさらに高めるように作用するであろう。

注:i) 引用中の「Williams 1998 / 2009」は次の本です。 「Williams, D. (1998) Autism and sensing : The Unlost Instinct. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(川手鷹彦=訳(2009)『自閉症という体験――失われた感覚を持つ人々』誠信書房)」 ii) 引用中の「安永(1977a)」は次の本です。 【安永浩(1977a)『分裂病の論理学的精神病理――「ファントム空間」論』医学書院】 iii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 iii) 引用中の「Frith 1991 / 1997」は次の本です。 【Frith , U. (1991) Autism : Explaining the Enigma. London : Basil Blackwell.(冨田真紀・清水康夫=訳(1997)『自閉症の謎を解き明かす』東京書籍)】 iv) 引用中の「Lawson 1998 / 2005」は次の本です。 「Lawson, W. (1998) Life behind Glass : A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(ニキ・リンコ=訳(2005)『私の障害、私の個性』花風社)」 v) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「同化や拡散」と「離隔」については共にここを参照して下さい。 vii) 引用中の「対人過敏や気配過敏」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「思考促迫」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「空想傾向」については「Wilson and Barber 1983」も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「感覚の洪水」に関連するかもしれない「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。

その上に、解離型ASDにおける「仮面とイマジナリーコンパニオン」や「居場所」について、同13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「7 仮面とイマジナリーコンパニオン」における記述及び「8 解離型ASDの場所」における記述の一部(P202~P207)を次に引用します。

7 仮面とイマジナリーコンパニオン

ドナ・ウィリアムズ(Williams 1992 / 2000)は、幼少期にウィリーとキャロルという二つの仮面のキャラクターを作り出した。ウィリーは夜の闖入者から守る二個の「目玉のお化け」である。ウィリーは後に「憎しみの仮面」「自己コントロールの象徴」「冷厳な観察者」「論理的な正義感」「牢獄の看守」「精神科医」「生き字引」「怒り」などさまざまに表現される。キャロルは実際の友人をモデルとして取り入れた社交的で明るい女の子である。これらのキャラクターは人間社会でドナを守る守護者のような役割を演じていた。彼らに自分の肉体を操縦させつつ、彼女自身は肉体から離れて自分の檻のなかに引きこもっていたのである。その性質や役割からすると、ウィリーは「眼差しとしての私」的仮面であり、キャロルは「存在者としての私」的仮面と言ってもよいだろう。症例Rもまた同じような存在について語っている。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
一四歳くらいになって、あっちの世界からこっちの世界にいなきゃいけないと思うようになった。だから一四歳になって明確にシュウ(幼少時からいるイマジナリーコンパニオン(Imaginary Companion:IC)が出てきた。楽でいい。こっちの世界には居場所がない。間借りをしている。シュウたちはあくまでこっちの世界での役割。向こうの世界ではシュウたちがいて、私の一部分だという感じがする。電車のなかで動けなくなるとシュウに体の運転をまかせて、私は向こう側へ行くことがある。自分が行動しているのを運転席の後からずっと見ている感じ。運転席にはシュウがいて運転している。私は寝たり、ぼんやりしたりしている。記憶がないことがある。そうしたときは蚊帳の外。シュウは修理のシュウかもしれない。

ASDに見られる交代同一性は、ウィリーやキャロルのように、ICの延長のように見えることが多い。通常ICは遊び相手となったり、孤独を癒してくれたりする空想上の存在である。健常人の二〇-三〇%に見られ、早期小児期に出現し、一〇歳前後には消失するとされている。ここで取り上げるASD症例の全員がICの存在を報告しており、しかもそれが幼少時にとどまらず、中学から大学、二〇歳代、三〇歳代までと長期的に存在する傾向がある。通常、ICは親しい友人ができると消失することが多いとされる。このことを考慮すると、解離型ASDにおけるICの高い頻度やその長期化は、周囲世界に馴染めず「居場所がない」という意識や、親しい友人ができないという孤独など、社会性の障害と関係しているかもしれない。
ASDに見られるICは、コンパニオン(同伴者)というより、患者の代わりをつとめる仮面のキャラクターのようである。キャロルは相手に合わせて明るく振る舞う適応的な存在であり、自分が理想とする友人像を取り入れることで生まれた柔らかい仮面である。それに対してウィリーは自分を守る盾のように硬い仮面である。ただしそうした仮面は背後に素顔をもつ仮面ではなく、素顔のない仮面、それに全面的になりきるヴェールを被ったコスプレイヤーのような存在である。
それに対して一般的な解離性同一性障害では記憶の断絶がよりはっきりしており、「傷ついた記憶」を抱えている犠牲者人格が存在することが多い。患者自身が抱えることができないような苦悩、痛み、記憶をまるで本人の身代わりであるかのように抱え込んでいる交代同一性がはっきりと存在することが多い。そこから生存者、保護者、救済者、迫害者などが派生する系譜や物語が示唆される。
ASDではこのような虐待のエピソードを抱え込んだ犠牲者的人格はむしろ稀であり、性的虐待に関しても定型発達者ほどそれを外傷的に捉えていないところがある。単なるその場その場の状況に対処するために生まれた情動の代理機能、盾や仮面のような機能を果たしているように思われる。

8 解離型ASDの場所

現代はASDの人々にとって決して生きやすい時代ではない。共同体の変容とともに確かなものがなくなり流動化する社会のなかにあって、守るべき規範は複雑化し、そのため目の前にある場の空気を読んで行動することが要請されるようになった。原則やルールを遵守することでかろうじて生き延びようとするASD者にとって、こういった時代は適応が難しいであろう。
定型発達者の解離においては、虐待や暴力に由来する「居場所のなさ」や、家庭が「緊張に満ちた場」であることからくる「居場所のなさ」が問題となっていた。それは人間関係における攻撃性の噴出によって安心できる居場所が見つけられないことによる。
解離型ASD者も同じように、そのほとんどが幼少時から「居場所はなかった」と訴える。しかしASD者にとって辛いのは、こういった定型発達者の他者の攻撃性に由来する「居場所のなさ」とは異なり、そもそも自分はこの社会に落ち着くところがない、馴染むところがないという発達的問題としての「居場所のなさ」である。定型発達者とASD者では、同じ「居場所のなさ」でもその内実が異なっている。ASD者は、自己と他者との関係の編み目である世界に、自己を根づかせることにそもそも困難を感じているように思われる。現代においてASD者が解離を引き寄せる要因のひとつが、こういった発達的問題としての「居場所のなさ」である。
ドナ・ウィリアムズの『自閉症だった私へ』の原題は Nobody Nowhere であり、『自閉症だった私へⅡ』の原題は Somebody Somewhere である。実際に自らの体験を綴ったASDの著者の多くが自分には「居場所がなかった」と振り返っている。ここには自己の発達と場所との密接な関係が示されている。
すでに述べたように、児童期になるとASD者は、原初的世界からおずおずと人間の世界へと足を踏み入れる。物事には内部と外部があること、この世の中の向こう側には他者の世界があること、他者の表情にはその奥があることに気づくようになる(Gerland 1997 / 2008)。他者の眼差しの奥には他者の心があり、それが自分とは違っていることを知って愕然とする。その頃から、世界は自分一人だけの世界ではなく、自分を人との関係のなかの存在として認識するようになり、人に対する怯えや不安が高まっていく。
他の人々の表情や動作などをそのまま取り入れて、この世界にかろうじて自分の居場所を見出そうとする。彼女たちは他者への共感によってではなく、外部の姿形をそのまま取り入れ、模倣することでそうするのである。グニラ・ガーランド(Gerland 1997 / 2008)は「誰でもいいからほかの、普通の子どもにならなければならない。私は私であってはならない」と述べている。そういった苦悩を症例Hは次のように述べている。

●症例H[女性・二〇代後半・解離型ASD・解離性離人症
私は自我を消そうとしている。自己は周囲の環境に合わせる。自我はいらないんです。出てこようとすると消すんです(急に涙が溢れ出てくる)。自分のやりたいようにすると怒られてきた。はみ出さないようにしてきた。生きていくうえでどこに主体としての私を置いていいのかわからない。つねにいろんな見方があって、統合されずに揺らいでいる。私は錨を下ろしていない船のよう……。

この世界で「私は錨を下ろしていない船」である。自我はこの世界からかき消され、原初的世界はこの社会から遠ざけられている。ASDにとっての原初的世界は解離性障害の隠蔽空間(本書第5章参照)に通じている。違いがあるとすれば、ASDではそれが切り離されておらず、意識に近いところにある。意識の連続性はかろうじて保たれている。こうした特徴は、解離型ASDにおいて典型的な時間的変容が見られず、解離症状の多くが空間的変容を中心としていることと関連しているであろう。ASD者はあたかも人間世界から追放され、安らぎを感じる場所を求めるかのようにさまよい、記憶のなかにあるかつての原初的世界に場所を見出そうとする。症例Hは次のように語っている。

私は社会のなかの構成要素のひとつの部分。いつか全体を把握したい。私は粘菌アメーバのようにその場その場で変わって相手に合わせる。相手を否定しない。人に合わせるのが疲れるので透明人間になりたい。実体のないモノになりたい。人気がないところで、ひとりでいたい。私にとって蓋が名前なんです。私には蓋の力がない。何らかの生命全体に溶け込みたい。個とか私はいらない。人間を越えた、大きな生命の流れと一体化したい。生まれてきたことが嫌なんです(涙をぽろぽろと流す)。あんなに辛い、何から何まで辛い。わからないので不安だった……。

ここで言う「蓋」は言葉によって分節された人間社会を生き抜く手段である。ASDではそれが十分に発達していない。そのため全体の流れを把握することや他者に包まれることが苦手で、時にそういったことに強い怯えを感じる。それは全体の流れや包むものが、彼らにとって把握しがたい、予測しがたいモノとして感じられるからである。
それでも彼女は「大きな生命全体」に溶け込みたいという。それは彼女が安心できる場所である。それは自分が休息し、立つことができる大地である。古代から大地の原初的形態は包むものであり、自分が所属できる大きな流れでもある。ASD者もまた何かに帰属し、全体の流れに包まれることを願っていることに変わりはない。
人間社会に慣れない段階では、自然の環境や人のいない物理的空間に包まれることに安心を抱き、そこに自らの場所を見つけようとする。症例Hは「部屋はお母さんの子宮のなか。人格のある女性の子宮ではなく、人工的な子宮のなかにいたい。まだ私は子宮から外に出る段階ではない」と述べている。症例Hもまた、症例Aや症例Rと同じようにビルと同化することに安心感を抱く。それもまた場所を見出すことである。
それでもASD者は何とかして人間社会での居場所を見出そうとする。どのようにして人と触れ合う居場所を見つけていくのだろうか。
ASD者と人間社会を結びつけるには媒介者が必要である。媒介者は仮面のキャラクターであったり、ヌイグルミなどの移行対象であったり、自分と同じ体験をもつ他者であったりするだろう。媒介者は「自己(のなかの他者)」から「自己・対象」、そして「対象/他者」へと向かっていく。ASD者の無理のない歩みに配慮しながら、治療者もまたASDの自己と他者をつなぐ媒介者として機能することが望ましい。媒介者は何よりも自分に迫ってこない安心できる対象であり、自分自身のことをわかってくれ、そしてそっと手助け、後押しをしてくれる対象である。ドナ・ウィリアムズにとってのキャロルやウィリー、ぬいぐるみの「旅男」、そしてさまざまな友人たち、それらはすべて媒介者であった。媒介者は自己であるとともに他者でもあるような存在である。
この世界に自らの居場所を獲得するまでのあいだ必要とされる対象/他者であり、「私」の一部でもある。(中略)

社会的関係に入るために必要なことは、他者にわかってもらい他者をわかることであり、他者に包まれ他者を包むことである。(後略)

注:i) 引用中の「Williams 1992 / 2000」は次の本です。 「Williams, D. (1992) Nobody Nowhere : The Extraordinary Autobiography of an Autistic. New York : Times Book.(河野万理子=訳(2000)『自閉症だった私へ』新潮社)」 ii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 iii) 引用中の「隠蔽空間(本書第5章参照)」において、本書第5章の引用としての「隠蔽空間」について同の 5 隠蔽空間 の「2 隠蔽空間」における記述の一部(P076)を次に引用(《 》内)します。 《隠蔽空間とは単なる想像空間ではない。現実の「いま・ここ」とは区別され、通常は交流が閉ざされている意識から遠い空間である。もちろん自己によって操作することもできない。「私」という主体がこの世に現れるとともに、通常の意識の領域から葬り去られた空間でもある。そこは外傷記憶や交代人格が存在する空間である。》 iv) 引用中の「イマジナリーコンパニオン」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。「【3670】頭の中の友人は自分で作ったものです(【2972】のその後) - Dr 林のこころと脳の相談室」(このサイトのホームページ) 加えて、上記「イマジナリーコンパニオン」に関連する「空想の友達」については次の資料を参照して下さい。 「空想の友達 ――子どもの特徴と生成メカニズム――」 v) 引用中の「居場所」に関連する女性の解離性障害における「居場所」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「空間的変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(f)杉山登志郎医師に関するネット情報

拙ブログににおける杉山登志郎医師に関するネットで入手できる情報については、他の拙エントリのを参照して下さい。

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余談

≪余談1≫感覚過敏・易疲労性に関係した不適応

米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「四 感覚過敏・易疲労性に関係した不適応」項における記述の一部(P199~P203)を次に引用します。

すでによく知られていることですが、アスペルガー者のうち少なくない割合の人々が、感覚過敏や疲れやすさを訴えることがわかっています。こうした疲れやすさを「易疲労性」といいますが、その大部分は、前項であげた自己統制の問題とも関係しています。
しかしそれだけではなく、著しい感覚過敏が主な疲労の原因となっていることがあります。何よりも感覚過敏は、少なくないにもかかわらず周囲に理解されにくい不適応のパターンであることから、ここで別に項目を立てて少し詳しく説明します。
アスペルガー者では、しばしば聴覚や触覚、ときには視覚・嗅覚・味覚などの感覚で過敏さが見られることがあります。このような感覚過敏は、情報処理の過剰選択(第二章参照)という仮説から言えば、ハイコントラスト知覚の特性そのものです。つまり、ある程度以上に強い刺激が入ってきた場合、メーターの針が振り切れるように最大刺激として感覚されてしまい、容易にはその感覚を無視できなくなってしまうということです。
ただし、たとえば聴覚の過敏と言っても、すべての音に過敏であることは稀です。もちろん、一定のレベルより大きな音にのみ過敏というような単純な過敏さもありますが、もう少し複雑な場合には、泣き声や怒声など特定の意味を持った音にのみ過敏であるような場合もあるのです。後者の場合には、たんに聴覚そのものの過敏というよりも、もう少し高いレベルでの意味処理が関係した過敏性ということになります。
本章第一節で述べた関係過敏も、感覚過敏と連続性のある現象です。このような状態では他者と同じ場面にいること自体に強く反応してしまうこともあります。とくに関係過敏の場合には、一定のカテゴリーに属する場所だけで過敏さの症状があらわれることもあります。たとえば電車や診察室では問題がないのに、学校でだけ他人がいることに圧倒されるということもあり得るのです。
このような場合、過敏性というよりは、「特定の状況に対する学習性の反応」と捉えることもできます。ここで重要なことは、感覚過敏と学習性の反応の間には臨床的な連続性があり、はっきりとは切り離せないということです。

<対策>生活リズムを維持すること
疲労性について言えば、多くの原因が関わっていると考えられます。とくに自己モニターの障害が重要な役割を果たしています。前節でも少し述べましたが、自己モニターの障害があると、自分の疲労をコントロールできないという問題が生じるからです。疲れていても気がつかないので、自発的に休息できないといったことです。
しかしそれだけではなく、感覚過敏の特性があることによって、アスペルガー者本人が、日常的に少し緊張した状態に置かれ続けるため、結果的に疲労するという側面も無視できません。ふつうの人でも、耐えがたいほど大きい騒音のなかで過ごしたり、激しく揺れる乗り物に乗っていたら疲れると思いますが、平常の生活でそれと同じことが起こるようなものです。
さらに協調運動の障害のために、姿勢を維持したり作業するにあたって常に無駄な力を使っていることも、疲労の原因になります。このような訴えをするアスペルガー者は実際、肩がこる・頭が痛い・首が痛い・背中が痛い・長時間まっすぐ座っていられないなどと訴えることが多くあります。ひとたびこのような身体的訴えが生じると、自分自身もその違和感が気になってたまらず、身体感覚の異常に捕らわれてしまって仕事ができなくなることも珍しくありません。
このような症状があるので、アスペルガー者の易疲労性は、稀に慢性疲労症候群(原因不明のひどい疲れが長時間続き、日常生活に支障をきたす病気)や線維筋痛症(体に原因不明の耐えがたい痛みが持続的に続く病気)と誤診されることがあります。また、うつ病抑うつ神経症と診断されていることもあります。しかしそれらの治療には反応せず、生活リズムのコントロールや、適度な運動によって改善することがあるのが特徴です。
このような過敏性・易疲労性によって働けなくなる場合への対処としては、原因となる不快な刺激を除く、休息時間を確保する、身体の自己コントロールを改善するための介入などが考えられます。
とくに最後に挙げた身体の自己コントロールの改善のためには、規則的な生活リズムの維持、太極拳のような意識して身体をゆっくりと正確にコントロールするタイプの運動の学習、ランニング・水泳など全身の循環を改善し筋肉のこわばりをほぐす運動、温泉やマッサージ等による末梢循環の改善などが、案外、効を奏することがあります。とくに、規則的な生活リズムの維持は、疲労を軽減するために大変有効なのですが、自己モニター障害のために、アスペルガー者自身は効果があまり自覚できないようで、なかなかその価値が理解できないことが多いようです。ただし、価値が理解できても、自己制御の困難の問題がありますから、実際に生活リズムを維持することが、非常に困難な場合も珍しくありません。

注:(i) 引用中の「協調運動の障害」に関連する「発達性協調運動障害」についてはここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「易疲労性」に関連する「一日中緊張しているような状態なので疲れやすい」ことについて、太田晴久監修の本、「職場の発達障害 自閉スペクトラム症編」(2019年発行)の 3 自己管理 の 休養 疲れて動けなくなる前に休むことが重要 の「一日中緊張しているので疲れてしまう」項における記述の一部(P48)を次に引用(『 』内)します。 『人間は情報が入ってきたときに、直感的に取捨選択して処理し、行動に移します。ところが発達障害があると、意識しないと行動できないため、脳は常にフル回転です。また、過集中する人もいて、やはり脳を使いつづけています。どちらも一日中緊張しているような状態ですから、疲れやすいのも無理はないでしょう。』 (iii) 引用中の「疲れていても気がつかないので、自発的に休息できないといったことです。」に関連する、 a) 佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「疲れを自覚できない人たち」における記述の一部(P26~P27)を以下に、 b) 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」の「対応9 体調不良 ひとりになって休める時間をつくる」項における記述の一部(P76)を以下に、 c) 備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第5章 「ちょっと変」を疑似体験して知る の「シャワーの水圧が痛い」項における記述の一部(P172~175)を以下に、 d) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 11章 私的言語と感覚過敏 の「感覚過敏」における記述の一部及び「疲れやすさ」における記述(P213~P216)を以下に それぞれ引用します。 (iv) 引用中の「ハイコントラスト知覚」と「本章第一節で述べた関係過敏」に対しては、米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「ハイコントラスト知覚特性」項における記述の一部(P76~P79)を以下に、 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「関係過敏による不適応の二つのタイプ」項における記述の一部(P173~P174)を以下に それぞれ引用します。 (v) 引用中の「生活リズムを維持すること」に関連した「健康な生活」についてはここを参照して下さい。

疲れを自覚できない人たち(中略)

こういう人がいました。ある講演会で、前の方に何人か当事者の方が座っていらっしゃったのですが、ひとりの人が、「佐々木先生は疲れることがありますか」と聞くのです。「いつも疲れていますよ」と答えましたら、「疲れというものはどのようにして感じているのですか?」と質問されたのです。答えようがないのです。ああ、疲れたなあと自然に感じてしまうものなのですから。
それで、「疲れというのは、どのように努力をして感じられるかというようなものではなくて、自然に感じられてしまうのです」と言うと、「私は感じられないのです」とおっしゃるのです。
この方は、いつも倒れるくらい働いてしまうのだそうです。そして、倒れたら何日も休む。ですから、「倒れる前に適宜休んでください」と職場で言われているそうなのですが、それができない。どうしたら倒れる前に休むことができるようになるのでしょうか - こういう質問だったのです。
そうしたら、彼の後ろのほうに座っている方が手を挙げて、「私もわからない」と言うのです。それで、こちらの方にどうするのかうかがってみると、「この仕事についてはこれだけの時間でやる」と決めた分以上は続けない。あるいは一時間したら必ず休む。その人は「機械的に休む」というのです。
最初に質問した人も休日は休むのですが、「ここまでやったらあとはやらなくていい」という仕事はなかなかありませんね。一般の人は、ここまでやってあとは翌日、と「適当な」ところで区切りをつけることになりますが、彼らはそれを延々とやってしまうというのです。そして倒れてしまう。こういう人を私はあまり数は知らなかったのですが、最近ときどき出会うようになりました。

注:i) 引用中の(疲れを)「私は感じられないのです」と関連する引用はここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「疲れを自覚できない」ことに関連する女性のアスペルガー症候群において「本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまう」ことについてはここを参照して下さい。

ひとりになって休める時間をつくる
アスペルガー症候群の人は、休むことが下手です。よくも悪くも真面目で、がんばりすぎてしまいます。ひとりになり、休息をとることを、習慣にしてください。(中略)

真面目にがんばりすぎる
目標や決まりをもうけると、それを守ろうとして必死にがんばる。妥協することが苦手で、疲れをためてしまう。

シャワーの水圧が痛い
PDDの人は、感覚の偏りが多いことがよく知られています。
偏りは、過敏になる方向でも、鈍くなる方向でも現れます。特定の音や光などの視覚刺激、触覚に関しては、過敏なことがよく見られます。(中略)

逆に、鈍感なこともあります。多く見られるのは、「疲れ」の感覚の鈍さです。
驚かれる読者も多いと思いますが、PDDの人の中には「疲れ」の感覚を実感しにくいという人がいます。私の印象では、少なくない割合です。
実際、PDDの人のお話をうかがっていると、
「朝、目は開いたが、体が動かなかった」
といった言葉がよく出てきます。
「前日まで、お仕事が忙しく、疲れがたまっていたのではないですか?」
とお聞きしても、
「疲れ? まったく感じていなかった」
「すごく元気で、楽しく過ごしていた」
「嫌な出来事はなかった」
と答えるのです。そのため、こちらは質問の角度を変えてみます。どういう生活をしていたのか、具体的に質問してみるのです。そうすると、
「半年間、土日も休まず仕事をしていました」とか、
「3ヵ月間、月の平均残業時間が113時間だった」とか、
「3日間、飲まず食わずで徹夜していた」とか、
疲れないわけがない理由が出てくるのです。
そういう状況が背景にあれば、疲れを自覚していないわけがないと、普通は思います。
「それまでに疲れが出ていたんじゃないですか?」
と私が聞いても、
「疲れ? なかったですね。急に体が動かなくなったんです」
と、異口同音です。当初、「そんなこと、本当にあるのかな?」と、私は半信半疑でした。
しかし、その原因が身体感覚の「鈍さ」にあると考え直すと、なぞが解けます。「疲れている」という身体感覚が鈍いため、「疲れていましたか?」と聞かれても、本人はよくわからないのです。
もしくは、「疲れている」ことは、頭が痛いこと、微熱があること、肩がこること、などというふうな定義づけがなされているとわかりやすいのかもしれません。
急に倒れたり、体が動かなくなったりして初めて、頭の中に「苦しい」「きつい」と再入力されるのでしょう。(後略)

注:引用中の「疲れ? まったく感じていなかった」と関連する引用はここ及びここを参照して下さい。

感覚過敏について(中略)

vignette
19歳女性.大学の教室で集中できないのは,人の動きや話し声のためだと思って,図書館で勉強するようにしたが,あまり変わらなかった.ところがある時,カフェで読書をしたところ,すごくはかどることに気づいた.
照度計を購入して測定してみると,教室が500ルクスだったのに対し,カフェは50ルクスだった.また,教室では蛍光灯が使われており,その白々とした明るさとちらつきが疲れさせるものであることにも気づいた.
それ以後,部屋の家具やカーテンを暗い色調に替え,照明を間接光にするなど環境整備に気をくぼるようになった.母によると,高校時代は月に10日も稼働できる日がなかったが,この頃は,たまに寝込む程度になったとのことである.(中略)

疲れやすさ

感覚過敏は疲れる.カフェでの読書で,明るさへの過敏に気づいた女性は,高校時代には,月に10日ほどしか稼働できなかった.原因は感覚過敏だけではないだろうが,さまざまなアイテムを利用したり,環境調整をするなどの対策によって,疲労の改善がはかられたことは事実である.
ただし,当人は疲れやすいのだが「疲労」を実感していない.あらためて自分に問い合わせてみて,はじめてわかる場合もあるが,依然としてわからないことも多い.
ASD では,身体からのフィードバックが機能していないようにみえることがしばしばある.あたかも,疲労との信号が発生していないかのようである.たとえば,原因の思い当たらない寝込みがある.ただただ,布団から起き上がれないのだ.始まりは唐突であることが多い.改善するときもまた,唐突である.疲労感がともなわず,気分性も希薄である.
しかしよく聞いてみると,活動しすぎていることがある.単発的なイベントの場合もある.あるいは,日々の疲労と休息の収支バランスの感覚がないために,いきなり限界を超えて,起き上がれなくなる.活動量自体はたいしたことがなくとも,繁華街への外出,飲み会,対人業務の多い仕事,帰省など,彼ら彼女たちの感覚への過剰な負荷があったのではないかと推測されることもある.聴き取るときには,心への負担よりも,感覚への負荷に見当をつけるとよい.ただし当人には,それらと寝込みの間に関連があることはなかなか腑に落ちない.
言語化すれば,「疲れ」や「だるさ」などと表現されることもあるが,われわれになじみのある例のあの感覚ではなさそうである.言語化しても,納得しているわけではない.またうつ病者に感じられる「生気的」な感覚でもない.頭痛など,痛みをともなうこともしばしばある.だが,身体が病んだり疼いたりしているという感じがない.局所になにかがしこっているような,異物のような感覚であることが多い.セネストパチーまでそう遠くない印象を与える.
アレキシサイミア alexithymia という,心身症に関連する性格傾向とされた類型がある.感情がことばに乗らないあり方をいう.この場合は「感情」があることが前提にされているが,多くの場合,感情そのものが抜け落ちたかのようなあり方を示す.ことばが心身に起きた事態を,感情としてすくい取れないとき,感情自体が失われ,そのかわりに異様な身体感覚だけが取り残されることになる.ASD でしばしばみられる様態である.
身体の消耗が疲労として覚知されると,休息する.原初的な情動が揺すぶられ,感情や気分となって表出される.こうした過程が ASD では滞っているのではないだろうか.

注:(i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 (ii) 引用中の「アレキシサイミア」(失感情症)に関連する、 a) 「自閉スペクトラム症児・者におけるアレキシサイミア」については次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアに関する一考察」の「5. 自閉スペクトラム症児・者におけるアレキシサイミア」項 b) 「トロントアレキシサイミア尺度(TAS)を使用して ASD 群が対照群と比較して失感情症の有病率が高かったという報告」については次の資料を参照して下さい。 『自閉スペクトラム症における「こころ」と「身体」と「行動」』の『「身体」:身体症状との関連』項 c) 「抑うつと女性のASDは不可分」の一因となっているかもしれないことについて、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「抑うつ」における記述の一部(P288)を次に引用(『 』内)します。 『私が担当したASDの女性の多くは、自分のことを「ずっと落ち込んでいる」と表現し、気分の落ち込みは、社会的に受け入れられにくいことや日々の問題の結果にすぎないと語る。彼女たちにとって、抑うつとASDは不可分だ。身体の感覚と感情とを区別することに問題を抱える失感情症(アレキシサイミア)が、こうした難しさの一因となっている可能性がある。失感情症の場合、自分がどう感じているのかがわからない、あるいは言語化することができないからだ。』(注:引用中の(ASDの彼女たちにとっての)「抑うつ」に関連する「発達障害の女性へのうつに対するアドバイス」については次の資料を参照して下さい。pdfファイル「女性のライフステージと女性特有のうつとの関係」中の宮岡佳子著の文書「発達障害をもつ女性のうつについて ~悩みとその対処を中心に~」(P10~P13) 加えて、心身症の視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項 その上に、心身医学における ASD の特性理解の視点からの上記「アレキシサイミア」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」の「心身医学における ASD の特性理解」項 なお、ASDにおける上記「アレキシサイミア」と心身症の関連については次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」の「4. 心身症(psycho‒somatic disease)」項 さらに、PTSD又は複雑性PTSDにおける失感情症については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、構成主義的情動理論に視点からの情動概念の処理にも関連する「アレキシサイミア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、自閉症スペクトラム症における「アレキシサイミア」と「内受容感覚」との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) また、PTSD又は複雑性PTSDの視点からは、他の拙エントリのここを参照して下さい。また、化学物質過敏症とアレキシサイミア(失感情症)の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。なお、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です) (iv) ちなみに、 1) 『慢性疼痛における「失感情症・失体感症傾向への対応」』については、他の拙エントリのここにおける引用の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」項を参照して下さい。 2) アレキシサイミアと内受容感覚の関係に関連する資料「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」において次に引用する(【 】内)記述があります。 【情動の体験の認知については、特に内受容感覚も認知の鋭敏さが不安を増大させる影響があることを明らかにし、さらにfMRIで脳活動を撮像することによって、内受容感覚への気づきに重要な島皮質の活動が、アレキシサイミア群で低下していることが明らかになった。】 (注:引用中の「情動」についてはここを、「内受容感覚」についてはここを、「fMRI」についてはここを、「島」についてはここをそれぞれ参照して下さい) v) 引用中の「異様な身体感覚」に関連するかもしれない「セネストパチー」についてはここを参照して下さい。

ハイコントラスト知覚特性
物事を「白か黒か」で把握するような知覚ないし認識のあり方を、ハイコンストラスト知覚と呼びます。ハイコントラストの意味は、ある境目となる入力の大きさの周囲で、それよりも少しでも入力が大きければ最大値に振り切れてしまうような感覚特性のことです。当然、少しでも小さければ、最小値に振り切れるという場合も同じことです。このような境目の値のことを「しきい値」と呼びます。要するに「白か黒か」「0か1か」「あるかないか」のような、両極端しかない捉え方をする、ということです。
ハイコントラストな基準が適用されると、思考は自然と明晰になります。その明晰さは、正確性や論理性につながることもあります。アスペルガー者の場合に時々見られる、非常に形式的で論理的な問題解決スタイルは、このようなハイコンストラストな思考の傾向と関係しています。
そういう形式的で論理的な思考は、それ自体では悪いものではありません。問題は、こういう特性があると、どうしてもグレーゾーンでの解決が難しくなるということです。それは、グレーゾーンというものを、そもそも知覚できていないからだと考えられます。だからアスペルガー者に対して、「そこんとこ、適当に……」と言ったところで、グレーゾーンにあたる「適当」というのが何か認識できないのですから、うまくいくはずがありません。
さらに、ハイコントラスト知覚には、もう一つ困ったことがあります。たとえば、空腹の感じ方を考えてみてください。健常者は、「空腹か満腹か」の二つだけで自分の欲求を判断したりはしないでしょう。「小腹が空いた」「腹七分目だ」などといった表現もあるとおり、空腹と満腹の中間にあるグレーゾーンでの判断も生じ得ます。
ところが、空腹の感じかたがハイコントラストで、「空腹」「満腹」の二つしかないという場合は、「少し腹が減ったから少しだけ食べる」ということにはならず、腹が減れば満腹になるまで食べてしまい、一度満腹になればふらふらになるまで食べないという極端なことになります。これでは適切な自己コントロールができず、体調を崩すもとにもなりかねません。アスペルガー者の自己制御の困難さの一因は、ここにもあると考えられます。
なお、このようなハイコントラスト知覚によって、感覚過敏性(特定の刺激を感じすぎる状態)の一部を説明することができます。たとえば、ハイコントラストな聴覚を持っていれば、ほとんどの音は大きすぎるか小さすぎるかになってしまいます。要するに、いつでもメーターが振り切れているようなものです。同じことが視覚、嗅覚、味覚、触覚、温度覚、平衡感覚、空腹や疲労感のような内部感覚などにも言えます。そういう知覚の世界に生きているとしたら、アスペルガー者にとって、生きていくことはよほどたいへんなことになるでしょう。

注:i) 引用中の「ハイコントラスト知覚特性」は「情報処理過剰選択仮説」(引用参照)の一要素です。加えて、「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

関係過敏による不適応の二つのタイプ
関係過敏による不適応には、大きく分けて二つの極があります。一つは感覚過敏の延長上にある関係過敏で、もう一つは他者からの評価にかかわる関係過敏です。両極は、互いに連続し移行するものです。したがって中間のあらゆる形態があり得ますが、両極を比較した場合には、それぞれ非常に異なっています。
まず、一つの極である感覚過敏に近い意味での関係過敏から説明します。これは、人が多い、人の声がざわざわしている、自分の近くに物理的に接近されるなどの刺激で強い不安を感じたり、激しく疲労してしまうような状態です。この場合には、それらの刺激を回避するために、社会的場面からの引きこもりが起こると理解できます。
このタイプの関係過敏は、感覚過敏の延長上にありますので、単純な性質を持っています。この場合には、刺激の社会的な意味と同時に、刺激の物理的な性状が重大な問題になります。その人ごとに、弱点となるタイプの感覚刺激があるのです。もちろん、純粋に物理的な刺激への反応であれば、それは社会的能力に関連した不適応ではなくなってしまいますので、それについては後述する「感覚過敏・易疲労性に関係した不適応」で論じます。ここで問題にするのは、その背景に他者の気配を含むような感覚的刺激に限られます。
具体的に言えば、個別の誰かが気になるというよりも、「人の多いところが耐えられない」というような種類の過敏性です。たとえば、「授業に出ると、何だか人が多くて疲れる、それに、自分だけが場違いのような気がするのでいたたまれない」というような訴えは、この類型と言ってよいと思います。さらに、「そんなふうに場違いなのは、自分が挙動不審だから気味悪がられているんだろう」などというあたりまでは、妄想と言うほどでもないので、関係過敏による念慮に入れておいてよいでしょう。
一方、反対の極は、むしろ通常の対人過敏に近いもので、他者からの評価に対するこだわりに始まって、「きっと自分はこう思われているから」という強い思い込みをともなって、社会的場面の回避に至るものです(後略)。

注:引用中の「感覚過敏」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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≪余談2≫知的テーマの追求

[1] WEBページ「獨協医科大学越谷病院 こころの診療科」の 特色:薬に頼らない治療 の「広汎性発達障害アスペルガー障害、高機能自閉症など)」項における記述を次に引用します。

対人関係におけるコーチングが治療の中心となります。広汎性発達障害の患者さんにとって、得意なことは、ある知的テーマについて深く追求すること、苦手なことは、人のこころを察することです。したがって、得意なことをどんどんやって自信を深めていただき、同時に、苦手な対人場面での行動について、一緒に考えていきましょう。

[2] ブログエントリ「神田橋條治による発達障害理解 - すずろーぐ☆」の「■発達障害のひととの交流について」項における記述の一部(引用の一部)を次に引用します。

情緒的な関係で支えられるのが苦手。知的なものは肉体と密着していないので、それをよすがに生きていくひとは風変わりな人として完成していく。

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≪余談3≫少数派

発達障害の問題は少数派の問題でもあるかもしれません。以下にこれに関連するWEBページ例を紹介し、加えて本の記述の一部を引用します。 『発達障害「グレーとは 白ではなくて 薄い黒」誤解される本当の理由【子どもの発達障害 現場から伝えたい“本当のこと” 第1回】

加えて本田秀夫著の本、『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(2013年発行)の 第3章 線引きが難しい自閉症スペクトラムの境界線 の「ストレスに晒されやすい自閉症スペクトラムの人たち」における記述の一部(P79~P80)を次に引用します。

現代社会、特にわが国の近年の状況は、一見、個性を重視しているかのように見える部分もありますが、実は、多数派からはみ出す人たちを差別し、排除しようとする心理的カニズムは、むしろ強まっています。いじめの深刻化などは、まさにその象徴と言えます。
中でも、「空気を読めない人」に対する風当たりがとても強まっています。以前なら、「他人が何と言おうが自分の信念を曲げない」というのはプラスの評価だったのに、最近は、そのような個性が「空気を読めない」というマイナスのニュアンスを帯びた評価に変化しつつあり、差別や排除の対象となる場面が多くなっています。
臨機応変な対人関係の調整が苦手で、こだわりを持ちやすい自閉症スペクトラムの人たちは、そのような差別や排除の対象となるリスクが高くなります。
自閉症スペクトラムの人たちは、少数派の人種として人種差別を受けているのと同様な状態に晒されているのだと言えます。特定の人種がたくさん住む国で、多数派の人種の価値観に基づいた制度や文化が浸透し、それ以外に対して排他的な風潮が生じると、少数派の人種は社会的に抑圧されます。これが人種差別です。
その人種特有の文化を維持することは、その人種の人たちにとっては健康的な生活を維持するために不可欠です。それを制限されると、当然、恒常的な心理的ストレスに晒されることになります。
同様に、現代社会における自閉症スペクトラムの人たちは、恒常的な心理的ストレスに晒されやすい状況に置かれていると考えられます。そのような状況に置かれ続けた人たちが併存群となって、自閉スペクトラム障害の一部を占めているのです。(後略)

注:i) 引用中の「併存群」は、非障害自閉症スペクトラム発達凸凹参照)に他の問題が併存すると障害に該当してくる人たちのようです。 ii) 引用中の「空気を読めない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。

加えて、金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第3章 自閉症の多様性を「測る」――脳科学からのアプローチ(著者:菊知充、三邉義男) の「共に生きる社会を目指して」における記述(P135~P136)を次に引用します。

私は、いままでに大人を中心に精神科医として仕事をして、自閉症の成人期にあたる方々をたくさん見てきました。
仕事をする中で、しばしば悲しく感じることがあります。それは、おそらくは就学前の幼児期には無邪気で屈託のない性格であった彼らが、いつの間にか(おそらく就学期間中にあるいは就労中の不適応の果てに)すっかり自信を失ってしまっていることです。
この根源にあるのは、これまでに述べてきたような、生まれもっての多様性が、周囲にマイノリティ(社会的少数者)として否定的にあつかわれる環境であり、これこそが彼らを苦しめていると感じています。彼らは、ただ普通に仕事して、穏やかな生活をしたいだけなのに、それがうまくいかなくて困っているのです。実直な彼らは、歳を重ねるに従い、日々を生きるだけで大いに罰を受けているような気持ちが深まっていきます。多くの場合、親が期待しているような、普通の社会生活ができていないことに、自己嫌悪を感じて苦しんでいるのです。
とくに言いたいのは、知的障害のない自閉症のケース(高機能自閉症アスペルガー症候群)です。彼らの中には、知的障害がないがゆえに「定型=普通の発達」とみなされ、特別な配慮もなく、定型と同じ発達を遂げるように期待されつづけてきた人もいます。しかし多くの場合、周囲の期待に応えられず、そのために周囲から落胆され、自己嫌悪に陥ってしまうのです。

一方、この少数派のエンパワーメントに関連して、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」の 第七章 アスペルガー障害を生きのびるということ の『「アスペ力」に目をむける』項における記述の一部(P252)を次に引用します。

(前略)「アスペ力」は、際立った論理性や数理的な能力などの特殊な力を指す言葉ではありません。他者の感情よりも客観的な事実を価値の基準として重視する、ある意味で超俗的な生活態度、あるいは実体のない感情や心に左右される社会を相対化する視点とでも考えるのがよいのではないでしょうか。(中略)

アスペルガー者にはアスペルガー文化があります。
重要なのは、アスペルガー者を健常者に見せかけることではなく、アスペルガー文化をエンパワーメントすることなのです。すでに社会の一部となっているアスペルガー文化や、生まれつつある当事者活動の文化などを通じて、一般社会のなかでアスペルガー的な世界観を積極的に主張していくことが必要なのだと思われます。そのような世界観のキーワードは、「事実の重視」「情報の共有」「他者の高いスキルへの惜しみない賞賛」「自分の間違いを教えてくれる人への感謝」「異質であることの尊重」「無用な同調性の排除」「具体的な目的のための結束」「目的の手段としての自己」「社会的フォルマリズム」などなどです。このような見解は間違いなく少数意見ですが,遠くない将来に、その状況が変わっていくことを心から祈っています。

注:i) 引用中の「エンパワーメント」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「エンパワメント/エンパワーメント(empowerment)」 ii) ちなみに、引用中の「他者の感情よりも客観的な事実を価値の基準として重視する」ことに基づいて行動するデメリットの例についてはここ及びここを参照して下さい。

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≪余談4≫その他のミニ余談

その他の様々なミニ余談を以下に示します。

[1] アスペルガー症候群の人は「子どものとき」も困っていた?
加藤進昌著の本、『ササッとわかる「大人のアスペルガー症候群」との接し方』(2009年発行)の『アスペルガー症候群の人は「子どものとき」も困っていた?』における記述の一部(P28)を次に引用します。

大人になるまで気づかれないアスペルガー症候群の人も、本人自身は子どものころから「困り感」をかかえながら生きています。

人によって、アスペルガー症候群の症状の出方はさまざまですが、本人は、成長の過程で「自分は他の人たちとどこかが違っている」「なんとなく生きづらい」と、感じているものです。(後略)

[2] クレーマーになる
杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述の一部(P234~P235)を次に引用します。

10. クレーマーになる
これは最悪の形態の一つである。あらかじめいえば、クレーマーの全員が発達凸凹ではない。大きく分けると、発達凸凹系のクレーマーと、虐待系のクレーマーに大別できると思う。もちろんこの両者が重なることがあって、そうなると最強のクレーマーができあがる。
なぜこんなことが断言できるかというと、親子並行治療をおこなった親の側に、かつてクレーマーとして地域の学校などに名をはせていたお母さんが何人もいたからである。本に書いてあることを頭から信じ、行間にあるものを読まない。対人的な相互交流ができず、情緒的なやりとりができない。これまでの対人関係で被害的になっていて、実際にだまされたりしたことも多い。しかも正確無比な記憶をもっていて、ちょっとした言葉の違いや、相手が言った「子どものためにすべてをおこなうのが学校の役目」などという言葉を真に受けしかも盾にする。世間的な常識は期待できない。これらが総合されると、恐るべきクレーマーに転ずることは了解いただけると思う。
本人が正論と考えている常識的には無理なことを一方的にまくし立てれば、言われた側は引いてしまいその一部が実現する。するとこれがクレーマー側に誤学習の機会を与える。つまりこのような一方的な要求こそ、相手に通じると思い込むようになる。もう一つ、発達凸凹×虐待タイプのクレーマーの場合、気分の上下がしばしばあって(とくに双極Ⅱ型)、普段はうつになっているのだが、ときどき訪れる(季節の変わり目が多い)軽躁状態になったとき、突然に恐るべきクレーマーに変身するというパターンがある。

注:(i) 引用中の「双極Ⅱ型」は、おそらく双極Ⅱ型障害のことであり、これについては他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。[用語:「双極性障害」] 加えて、自閉スペクトラム症の方々は一般の方々よりも双極性障害を併発しやすいことについては例えば次の論文要旨を参照して下さい。ただし拙訳はありません。 「Risk of non-affective psychotic disorder or bipolar disorder in autism spectrum disorder: a longitudinal register-based study in the Netherlands.」 (ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害ADHD においてもクレーマーに関連する記述があります。前者は他の拙エントリのここを、後者は次のWEBページをそれぞれ参照して下さい。 『今村明先生に「ADHD」を訊く』の「②子どもとおとなではどのような症状の違いがありますか?」項 (iii) 引用中の「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。また、これにひょっとして関連するかもしれない用語「レスポンデント学習、オペラント学習」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて上記「誤学習」に関連するかもしれない、 a) (スキーマ療法において)『その人の現在の問題ある行動は,人生の初期段階の苦痛あるいは有害な環境において,正常な欲求が満たされなかったり感情学習に何らかのギャップが生じたりすることによる「誤学習」に基づくと考えられる』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 反社会的行動を含む問題行動が繰り返されるようになるための因子である「永続因子」として挙げられるASD者がもちうる「誤った内的スキーマの確立・固定化」について、そだちの科学 2020年10月号 中の桝屋二郎著の文書「発達障害の二次的・三次的障害としての非行・犯罪」(P26~P31)の 発達障害者に非行・犯罪が生じる背景 の「(1) リスクファクターの分析」における記述の一部(P28)を次に引用します。

(前略)この誤った内的スキーマとは、ASD者などがもちうる、ある誤った思考パターンで、たとえば「他人や警察に知られなければ犯罪は認識されないのだから、捕まることもなく、やってよい」、「社会に迷惑をかけたりする人は社会にとって重要でない人であるから、ひどい目にあわせてもよい」、「社会に迷惑をかける人をやっつけるのは社会から感謝されるはずだから、やっつけてよい」等である。これらが確立・固定化すると反社会的行動は繰り返されるため、周囲が早期に誤ったスキーマの存在に気づき、こまめで地道な修正介入をするかが重要となる。(後略)

[3] 怒りをコントロールする
備瀬哲弘著の本、「大人のアスペルガー症候群が楽になる本」の「7 怒りをコントロールする」項における記述(P293~P294)を次に引用します。

当事者が取り組みべきポイント7 怒りをコントロールする
ケース・スタディでもあったように、アスペルガー症候群の当事者の中には、とても怒りっぽい人がいます。
怒りは、他人を遠ざけます。「できれば近づきたくない人」として、疎まれたり嫌われたりする原因になります。そうなると、理解や配慮をお願いすることはできません。
自分の性格に関して指摘を受けることは、だれでも耳が痛いことでしょう。しかし、現実に問題がある場合には、それから目を背けていては、適切な理解と配慮は得られません。
性格傾向はもちろん十人十色ですが、とりわけ人との関係を悪化させるのは怒りです。社会生活を営むうえで、怒りはなんとしてもコントロールすべきなのです。
感情がコントロールできずに怒鳴ってしまうのであれば、唐突に席を立って、トイレで顔を洗うほうがずっとましです。そのうえで、落ち着いたら非礼を詫びましょう。
これは、世の中を渡っていくためのソーシャルスキル(社会的技術)です。
理屈では自分が正しいと思うこともあるでしょう。しかし、正しいか否かは問題ではありません。
怒りを面に出さないようにコントロールすることはとても重要なのです。

[4] ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
注:ちなみに、標記項目に関連して、a) 引用 b) 文章『「その業者とは今後も付き合いが続くのに、怒らせたあとどうするつもりなのか」が理解できませんでした。』を含むWEBページはにおけるリンク先、 c) 文章「三〇回も仕事をクビになった」を含む引用はここ もそれぞれ参照して下さい。

米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第三章 さまざまな症状とそれが生じる理由 の「六 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」項における記述の一部(P116~P118)を次に引用します。

六 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
アスベルガー者は、たとえば遅刻や挨拶をしないとどうなるかが予測できていないことがあります。難しい言い方をすれば、社会的な規範からの小さな逸脱の結果が予測できないというわけです。島田さんの場合、それは職場への遅刻、身だしなみなどにあらわれていました。
実はほとんどのアスベルガー者は、法律や条令など、明確な言葉で定義されている社会規範についてはふつうの人以上に厳格で、どちらかと言えば潔癖なルールへのこだわりすら示すことが多いのです。
ところが、必ずしもはっきりとは示されない日常生活レベルでの弱い社会規範については、まったく無視してしまうことがあります。例を挙げれば、顔を洗わない、歯を磨かない、髪を洗わないなどの「些細な」不潔などを非社会的であると認識しないか、認識しても意に介さないことなどです。
論理的に言えば、多少不潔であっても異臭がするほどでなければ、他人に迷惑をかけていないとも言えます。しかし、ふつうの人はそう考えてくれません。「汚い身なりで自分の前に出てくるということは、自分を軽んじる行為である」という無意識の論理がふつうの人にはあるからです。アスベルガー者にこれがよくわからないのは、例の”猿山原理”がわからないからです。
このようないわゆる非常識は、就労すると、とくに目立つようになります。この種の非常識を別の言い方で説明すると「行為そのものの物質的な結果と、その社会的なインパクトとの区別がよくわかっていない」ということになるでしょう。
遅刻を例にとって、このことを説明してみましょう。五分遅刻するという場合、そのことによる労働時間の実質的な減少は誤差の範囲でしかありません。したがって、そのことの物質的な影響は小さいのです。しかし社会的なインパクトとして考えた場合、遅刻がたび重なった場合には、その物質的影響にまったく見合わないような、強い否定的な評価を受けることになります。職場で信用されなくなる、場合によったらリストラの対象にされるなどといったようなことです。アスペルガー者は、そのことを直感的には認識できないのです。この人たちが「社会的なルールがわかっていない」と他人から言われる原因は、この辺にもあります。

注:i) 引用中の「“猿山原理”」に関連するかもしれないブログを次に示します。「自閉症スペクトラムと猿山の関係について - すずろーぐ」 ii) 引用中の「島田さんの場合」の詳細について、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第一章 「アスペルガー者」とはどんな人たちなのか の「一 あまりにマイペースな島田さん」項における記述の一部(P18~P26)を以下に引用します。 iii) 引用中の「ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」に関連する「想定される結果をみずから想像することが苦手」については、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第4章 不適応を予防するには移行期の学習が大事 の『私たちの想定より早い段階で「わからなさ」が始まる』項における記述の一部(P86~P90)を以下に引用します。ちなみに、この引用には「見知らぬ場所や新しい環境が苦手」についての説明が含まれます。

島田一郎さんは、二七歳のシステムエンジニアです。四年制大学の工学部で学び、必修単位を落としたため卒業は一年遅れましたが、その後IT系の企業に入社しました。技術的な面では、より実践的な訓練を受けてきた専門学校卒の同僚たちと比べても遜色がない、と自分自身思っています。しかし上司からは評価されていません。
精神科を受診した初日は、職場の先輩Tさんと一緒にやってきました。島田さんはまず、受診のきっかけをこのように話しました。
「先月から、なんだか会社に行く気がしなくなって……。先週からは、ずっと休んでいるんです。会社からは、医者に行って診断書をもらってこいと言われたし、大学のときの友達から『おまえ、アスベルガーじゃねえの?』と言われて、気になったので……」

職場の同僚の印象は
受診についてきた先輩に話を聞きました。上司に言われて仕方なく、といった様子です。島田さんの職場での問題について聞くと、次のような苦情が次から次へと飛び出してきました。
「島田は、本当は悪い奴じゃないんですよ、たぶん。まあ、鈍いっていうか、イライラさせられるのは事実ですけどね。こっちの話は通じないし、どうでもいいところにこだわって変な質問をしてくるし……。しかも、同じことを何回も連続で聞いてくるんですよ。全然、教えた仕事を覚えてないみたいなんです。ふつう、むかつきますよね。それも、申し訳なさそうに聞くならまだしもですけど、当然だ、みたいな態度で聞いてくるんですよ。仕方ないから教えてあげてますけど。
仕事を覚えないって言ったのは、指示しても、言葉尻に引っかかって見当違いのことばかりするからです。その仕事全体に、どういう目的があるかがわからないみたいで。こちらも説明はしているんですが、どうもわかってもらえないようです。給料をもらっている以上、仕事はしてほしいんですけど……。任せるとかえって仕事が増えるので、任せられないんです。
僕たちは我慢していますが、会社の外部との対応はさせられません。言葉は丁寧なんですけど、取引先にも、とんでもなく失礼なことを平気でしちゃうんですよ。たとえば、ふつうは相手の間違いとかをストレートに指摘しないじゃないですか? でも平気で『そちらのミスですよね』なんて言うんです。『その言い方はまずいだろ』と教えるんですが、意味がわからないみたいで、ぽかんとしてるんですよ。
あと、訪問先で会議室に案内してくれた相手が、謙遜して『散らかっていて、汚いところですが』とか言うじゃないですか? そしたら平気な顔で「片付けましょうか?』とかね。よく”空気が読めない”とか言うことがありますけど、そういうレベルじゃなくて、本当にありえないようなことなんで……。僕たちも、どうしたらいいのか、困っているんです。
せめて外見だけでもちゃんとしてくれればいいんですけど、いつも寝癖がついてて……。ネクタイも毎日同じだから変に薄汚れているし、たぶん週に二回ぐらいしか風呂入ってないと思います。さすがにそれは、本人には指摘できなかったですけど。
机の上なんて、ゴミの山になっていて、とても仕事をする机には見えないです。書類を紛失したり、提出が遅れたりがしょっちゅうで。あと、遅刻ですね。まあ一応先輩として、『理由もなく遅刻はするな』って説教したら、まるで全人格を否定されたような顔をしてました。ああいうの、今の若い人ありますよね? なんか逆に恨まれるのも、ちょっとやばいかなーって思って、あとで合コンに誘ってやったんですが断ってきて……。すっかり拗ねちゃってて、可愛げがないんですよ、あいつ。気持ちが通じないっていうか、まあ、ここだけの話ですけど、ぶっちゃけ一緒に働きたくないタイプだって思いますよ」
先輩にはかなり酷い言い方をされていますが、実際島田さんのそうした言動のために、取引に失敗したり仕事の進行に差し支えが生じているので、会社としては現実的な損害を受けているようです。
はじめはやる気の問題だと思って、叱ったりおだてたりといろいろ工夫してみたものの、まったくうまくいかなかったそうです。仕方がないので、仕事量を減らして様子を見ていたところ、先週になって本人が連絡もなく休むようになったので、最近よく聞く”職場のうつ”ではないかと心配して、上司が指示して本人を受診させたということです。

仕事の現状
問診してみると、島田さん本人も職場で相当な困難を感じていることがわかりました。ここで、受診時の会話を少し再現してみましょう。
医師 仕事はうまくいっていますか?
島田 仕事はちゃんとやっています。指示された作業は何とかできていますから。
医師 そうですか。
島田 ただ、顧客との打ち合わせでは、相手の言っていることがわからないので、しつこく聞こうとすると、怒らせてしまいます。上司に、今後は打ち合わせに出なくていいと言われました。自分としては一生懸命やったので、そこまでされるのは酷いと
思います。
職場では「いちいち指示されなくても、自分で考えてやれ」と言われてます。でも、どう考えていいかわからないんです。ちゃんとマニュアルがあればできるんですが。
曖昧な指示について上司に質問しても「自分で考えろ」と言われてしまうので、仕事がさっぱり進みません。仕方がないので、何とか自分なりに考えておこなった仕事の成果を持って行くと、見当違いだったみたいで、「何を考えてるんだ!」と小一時間も説教されました。もうどうしていいのか、さっぱりわかりません。
医師 作業の目的とか、全体の状況から考える、ということはできていると感じますか?
島田 うーん、難しいですね。よく「作業全体の意味をしっかり考えろ」とか「進捗をきちんと報告しろ」とか言われてますが……。確かに個々の作業に注目すると、全体のことを忘れてしまうところはあります。
医師 報告のほうは?
島田 なにを報告していいのか、わからないんです。タイミングっていうか。ちゃんと作業ができていれば、いちいち報告しなくてもいいような気がします。時間の無駄ですし。
医師 書類なんかの提出が遅れるみたいだけど……。
島田 どう書いていいかわからなくて。考えているうちに、締め切りを過ぎてしまいます。人事考課の季節になると、自分自身の目標を書いて提出するんですが、別に書くこともないので先延ばしにしてしまうんです。とくにプログラミング技術そのも
のが好きなわけではないので、心にもないことを書くのもどうかと思うし……。
医師 人間関係はどう?
島田 あまり、仲のいい人はいません。入社して三年たつので後輩もできたんですが、今では後輩のほうが大切な仕事を任されているんで、面白くはないですよね。後輩は調子がいいんで、上司に気に入られているんです。たぶん、私は嫌われていると思
います。
医師 最近は会社を休んでいたの?
島田 このところ、疲れやすくて。なんか、出社するのが面倒で。
医師 何か、会社に行きにくくなるきっかけがあった?
島田 どうせサービス残業しているんだし、疲れてるから朝起きるのが面倒で、最近は五分、一〇分遅刻してたんです。そうしたら先輩に、「そんな態度なら、会社を辞めろ!」と言われて。
医師 どんな先輩?
島田 今日ついてきた人なんですけど、なんか細かい人です。どうでもいいことで怒ったり、さっきまで怒っていたと思ったら今度は合コンに誘ったり、よくわからないです。たぶん、気まぐれなんだと思いますけど、なんか、ライバルと思われてるのか
もしれないです。
医師 合コンには行かなかったの?
島田 ええ、女子は苦手なんで、断りました。なんか、先輩が自分を笑いものにしようとしてるのかなって思ったもので。さっきまで怒っていたのに、不自然だったから。まさかそこまで悪意ではないとは思うけど、ちょっと嫌がらせみたいな感じで。

このように訴える人たちが、毎日のように私の診療所を受診してきます。確かにうつ病を疑うこともできます。しかし、よくよく調べてみると、ご飯はおいしく食べられるし、趣味のオンラインゲームについては楽しそうに話せるし、夜はぐっすり眠っています。何よりも、自責的なところがありません。
また、統合失調症かどうかも鑑別すべきですが、かなり被害的とはいえ、考えのまとまりには問題がないし、対人関係以外の知的な作業そのものには少しも困難を感じていません。どうやら、うつ病でも統合失調症でもないようです。(後略)

注:i) 引用中の「“空気が読めない”」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「どうでもいいところにこだわって」に関連するかもしれない「細かなことに著しくこだわる」ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「うつ病」、統合失調症については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

私たちの想定より早い段階で「わからなさ」が始まる(中略)

ASDの人たちは相手の意図を汲みとったり、想定される結果をみずから想像することが苦手ということでもあります。なにをしてよいかわからなくなったとき、これはどういう意味なんだろう? 自分はなにを求められているのだろう? 彼らは状況(その中には、相手の表情など非言語的な要素がたくさん含まれています)から類推することが苦手です。そのことは、通常の社会生活において、コミュニケーションの質的障害となっています。
その場の状況を読むことや、他人の表情などから、そのときの会話で言われている本当の意味を推論すること、自分に要求されているものはなになのか? それはどのようにしたらよいのか? そのとおりにならなかったらどうすればよいのか? わからないことは誰に尋ねればよいのか? はたして聞いてよいのか? ASDの人たちはそれらがわからず途方にくれているということです。
文脈を理解することが苦手ということは、ASDの人たちの問題の中心といっていいでしょう。ASDの人たちはなじみがない、見知らぬ場所や新しい環境が苦手です。彼らの苦手なことはそれに尽きると言ってもよいのです。

[5] 情報処理過剰選択仮説
米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「三 情報処理過剰選択仮説とは」項における記述の一部(P64~P68)を次に引用します。

三 情報処理過剰選択仮説とは
情報処理過剰選択仮説とは、脳のなかで問題解決のためにおこなわれる並列的な複数の処理の流れの間で、「特定の処理のみが優先されて、他の処理が抑制されてしまう」という偏りがアスペルガー障害の本質なのではないか、と考える仮説です。もっと簡単に言うと、要するに「いろいろな側面から認識できることを、一面からしか見たり感じたり覚えたりできないところに本質的な問題があるのでは?」という理解の仕方です。中身としては、前述の「弱い中枢性の統合」を含むますが、それよりも広い範囲の概念です。
この情報処理過剰選択仮説にもとづくと、すべてのアスペルガー者に共通の「中核的特性」は、次の三種類にまとまられます。これらをここでは「情報処理過剰選択特性群」と呼ぶことにします。

・シングルフォーカス特性……注意、興味、関心を向けられる対象が、一度に一つと限られていること
・シングルレイヤー思考特性……同時的・重層的な思考が苦手、あるいはできないこと
・ハイコントラスト知覚特性……「白か黒か」のような極端な感じ方や考え方をすること

これら三種類の特性は、すべてのアスペルガー者に共通して認められるものです。これらは重なり合いながらも、かなりの場合は区別可能ですので、特性を詳細に検討するためには分けて考えたほうが理解しやすいと思われます。
この他に、すべてではないとしても、かなり多くのアスペルガー者に見られる特性があります。そうした特性は非常に多様ですが、主要なものは限られています。これを周辺的な特性として、以下にまとめておきます。

・記憶と学習に関する特性群……エピソード記憶の障害、手続き記憶の障害
・注意欠陥・多動特性群……不注意、衝動性など
・自己モニター障害特性群……自分の身体的・精神的状態に気がつけない
・運動制御関連特性群……不器用、姿勢の悪さ、運動学習の障害
・情動制御関連特性群……気分変動、”やる気がコントロールできない”など

「周辺的な特性(周辺特性)」に含まれるものの一部は、情報処理過剰選択特性群の三つの特性から直接に導かれるものです。しかし、なかには関連性が明確でないものも含まれるので、一応は周辺的特性として、分けて考えたほうがよいでしょう。
重要な点は、これらの周辺的な特性には大きな個人差があり、人によってあらわれ方や程度が著しく異なるということです。たとえば、気分が安定しているが不器用な人もあれば、器用だが不注意な人もいるといった具合です。ひとくちにアスペルガー障害と言っても多様なあらわれ方があることの原因の一つは、これら周辺特性の強さが、ケースによってまちまちであることにあります。
それから、これら周辺的な特性群は、互いにある程度独立したものなのですが、同時にそれそれが互いに関連していて、完全には分離できないということにも注意しておいてください。たとえば記憶と注意、注意と自己モニター、自己モニターと運動制御、運動制御と情動制御というふうに、それぞれの機能は互いに強く関連している可能性が高いのです。もちろん、ここに例として挙げた組み合わせ以外の、特性群同士の組み合わせについても同様なことが言えます。
患者さんの生活のなかで起こる現実の問題が、このような中核的特性・周辺的特性の組み合わせと、環境との相互作用のなかからあらわれてくると理解すると、しだいに問題の全体像が浮かび上がってくるでしょう。(後略)

注:i) 引用中の「弱い中枢性の統合」、「ハイコントラスト知覚特性」に関してはそれぞれここここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。

[6] 物事を何でも簡単に信じてしまう、だまされやすい
標題は次のWEBページにおける記述の一部を切り出したものでもあります「【3129】人の話を聞けない・何でも簡単に信じてしまう・異様な緊張・顔が覚えられない・・など」(注:ホームページはここ)。複数の資料において、これに類似した記述を抜き出し、以下にそれぞれ引用します。
① この引用中において「これまでの対人関係で被害的になっていて、実際にだまされたりしたことも多い。」との記述があります。

田中康雄著の本、「もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?」(2011年発行)の 第3章 毎日の「困った!」はこうして解決 の「CASE12 お金の管理が苦手」項における記述の一部(P181)を次に引用します。、

●相手を信用してしまう
人がよすぎて疑うことをしないで、悪徳業者や詐欺の言葉巧みな説明を鵜呑みにして被害に遭うことがあります。また、人から頼まれると断れず、信用されるとがんばってしまったりして、お金を貸したり連帯保証人などになり大変な思いをする人もいます。

③ 次の資料「成人期の発達障害の臨床的問題」の P54 における記述の一部を次に引用します。

人をだまそうとしない、ごまかしが下手で誠実
(だまされやすい)

④ 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)の「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」における「よくある悩み」の見出しの中に『人にだまされ、性的な被害にあう』(P22)があります。加えて、上記『人にだまされ、性的な被害にあう』ことに関連する「性搾取を受けるリスクが高い」ことについて、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第11章 好きな人とつながりたい の「性的暴行を受けるリスクが高い」における記述の一部(P240~P241)を次に引用します

ASDの少女や女性は、特に性搾取を受けるリスクが高いという見解は、よく報告されている※8。誘いの合図を読み取れなかったり、世間知らずだったり、他人の言動を額面通りに受け取ったりすることは、特に弱い立場にある女性の場合は問題を引き起こしかねない。ASDの女性は、言われたことを鵜呑みにし、自分と同じように他の人も善意で行動していると思い込んでしまう。
私の調査対象である女性たちは、自分のことを「だまされやすい」「傷つきやすい」「世間知らず」と表現している。ASDの特徴は、性的な状況では深刻な危険をもたらしうる。私は多くの女性から、性的な虐待や暴行、レイプの経験が何度もあるという報告を受けている。(後略)

注:(i) 引用中の「※8」は次の本を指します。 a) 「Attwood, T. (2007) Complete Guide to Asperger's Syndrome. London: Jessica Kingsley Publishers.」 b) 「Holliday Willey, L. (2012) Safety Skills for Asperger Women: How to Save a Perfectly Good Female Life. London: Jessica Kingsley Publishers.」 c) 「Holliday Willey, L. (2014) Pretending to be Normal: Living with Asperger's Syndorome. London: Jessica Kingsley Publishers.(『アスペルガー的人生』ニキ・リンコ訳、東京書籍、2002)」(注:この原本は最初は1999年に出版されているようです) (ii) 引用中の「性的な状況では深刻な危険をもたらしうる」に関連する(恋愛と性の課題における)「ここで紹介した 3 例は、危険な対処行動の際には、どこに問題があるかはわからなくともとりあえず相談する、という行動のとれている方々」の症例については次の資料を参照して下さい。 「アスペルガー症候群を持つ女性の恋愛と性の課題 -3つの症例を通して-」 (iii) 引用中の「性搾取を受けるリスクが高い」ことに関連する「搾取されやすくなったりする」ことについて、「強迫観念的なストーカー型行動につながる」ことを含めて、同第11章 好きな人とつながりたいの「シグナルを見逃す」における記述の一部(P231~P232)を次に引用します。

シグナルを読み取るのが難しいというASDの特性は、恋愛の領域でも顕著に現れる。心の微妙な動き、じゃれあい、暗黙の了解。恋愛はASDの女性にとって、確かなものがなにもない、誤解が生まれやすい地雷原のような場だ。これが強迫観念的なストーカー型行動につながったり、逆に搾取されやすくなったりする。誰が自分に興味を持っているのか、あるいは持っていないのかがわからない。人の欲望や意図を読み取ることができなければ、恋愛にまつわるあれこれは、非常にストレスフルで、時に危険なものとなるだろう。(後略)

注:引用中の「強迫観念的な」に関連する「強迫観念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

[7] 助けを求めるのが苦手 *39
標記について、岡田尊司著の本、「アスペルガー症候群」(2009年発行)の 第七章 アスペルガー症候群とうまくつきあう の 第四節 弱い部分を上手にフォローする の「助けを求めるのが苦手である」における記述の一部(P161)を、加えて、標記「助けを求めるのが苦手」に関連する『予後を分けるのは「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうか』について、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、村上伸治著の文書「自閉スペクトラム症の診断をめぐって――主として思春期以降の例について」の『おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案』における記述の一部(P159)を それぞれ以下に引用します。

アスペルガー症候群では、子どもであれ大人であっても、深刻な問題や苦しい状況が生じているのに、必要な助けを求めることができずに、自分の中で何とかしようとして、限界を超えるまで我慢し、追い詰められてしまうということが多い。ソーシャル・スキルのある人ならば、問題が生じると、早め早めに相談し、助けを求めることで、問題解決をはかると同時に、自分のストレスを減らすことができるが、このタイプの人は、それが器用にできない。(中略)

大人では、うつ状態や不安障害、心身症という形で表面化しやすい。近年、うつ状態や不安障害で精神科を受診する人に、アスペルガー症候群などの軽度発達障害があるケースが目立つようになっている。(後略)

注:i) 引用中の「軽度発達障害」は知的障害を伴わない発達障害のことを指すようです。ただし、これは決して障害自体が軽いことの意味ではありません。 ii) 引用中の「必要な助けを求めることができず」に関連する「自分にはできないなと思った時に、ほかの誰かに相談する力」については、次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害(22)相談・判断力 社会参加に必要」 加えて、このWEBページ中には、うまく社会参加していけるかどうかを測る目安としての次に引用(『 』内)する記述があります。 『一つは、自分にできると思ったことはきちんとやるけれど、できないと思ったことは無理しない。こういう判断をする力です。もう一つは、自分にはできないなと思った時に、ほかの誰かに相談する力です。』 iii) 引用中の「心身症」に関しては「身体症状」項を、「不安障害」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「不安障害(不安症)」]をそれぞれ参照して下さい。

おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案(中略)

そもそも、発達障害の予後は障害の重さに並行しない。知的障害を伴い、幼少期から療育を受けた発達障害が、単純作業ながら障害者雇用でしっかり働いていたりする。その一方、高学歴の発達障害者がトラブルを繰り返していたり、引きこもってこじれていたりする例は少なくない。予後を分けるのは障害そのものではなく、「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうかであると筆者らは考えている。その点、グレーゾーン群としてであれば、本人も思い当たるところがあることが多く、受け入れやすい。すべてがダメなのではなく、自分の苦手な分野だけ、助けてもらえばよいので受け入れやすい。どこが得意でどこが苦手かを、本人と話し合いやすい。個々に応じたテーラーメードを支援を考えることができるように思う。(後略)

[8] 仕事の優先順位がわかりにくい
加藤進昌著の本、「あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか もしかしてアスペルガー症候群!?」(2011年発行)の 第2章 アスペルガー症候群の特性を理解しよう の『仕事の「優先順位がわかりにくい」アスペルガー症候群の人』における記述の一部(P96)を次に引用します。

私たちは、仕事を効率よく進めていくために、仕事内容に優先順位をつけることがあります。「この仕事は急ぎだから、先にやってしまおう」「これは、まだ余裕があるから、後にしよう」……私たちは、日常的に、優先順位の高い仕事から処理していくことができます。
しかし、アスペルガー症候群の人は、この「優先順位をつける」という作業が、なかなか上手にこなせず苦労しています。
次から次へと入ってくる情報は、アスペルガー症候群の人にとっては、「同じ重みを持った情報」です。あっちの仕事より、こっちの仕事の方が優先順位が高いという感覚を持つことは、アスペルガー症候群の人には困難です。

[9] 興味の偏りが著しい
杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述(P230)を次に引用します。

5.興味の偏りが著しい
自閉症スペクトラムの場合、当然ではあるが、興味のあることとないことの間に著しい落差があって、興味がないことを完全に無視するということが実に多い。逆に興味のあることについては、相手の気持ちにかまわずべらべらと博識を披露したりする。典型は、デートの席で、女の子相手に地球温暖化の要因と氷河期の発生における暗黒星雲仮説についてだけ話をしてぶられた、といったエピソードである。恋愛でぶられつづけるのも辛いが、困るのは入社試験の面接である。
この代償パターンは何かというと、ハウツー本の信奉者である。女の子との付き合いにおいて「彼女の気持ちをつかむ一〇の言葉」あるいは、入社試験の面接で、「入社面接のコツはこれだ」といった本のとおりに一字一句受け答えをして、さらにふられる、あるいは試験に落ちることを繰り返すのである。

注:引用中の「興味のあることについては、相手の気持ちにかまわずべらべらと博識を披露したりする」に関連する「自分に関心のある話題に限局しがち」については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「代償」についてはここを参照して下さい。

[10] 細かなことに著しくこだわる*40
標記に関連して、 a) 杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述(P230~P231)を以下に、 b) 「適当に」という言葉に納得ができないことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の「比喩や冗談が通じないのは、なぜ?」における記述の一部(P38)及び固執について、同章の『「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?』における記述の一部(P149~P150)を以下に、 c) こだわりが異常に強いことについて福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」(2018年発行)の 第1章 発達障害について知ろう の 自閉症スペクトラム障害(ASD) の ASDの特性 の「②こだわりが異常に強い」における記述の一部(P46)を以下に それぞれ引用します。

6.細かなことに著しくこだわる
これは優先事項がおのずから分からないというハンディの克服の結果としてしばしば生じるパターンである。その結果、強迫性障害と言わざるをえないレベルまで進むことがあるが、きれい汚いにこだわるなどのよくある強迫性障害と違って、思い込みから来る誤った考え方に固執したり、未来の事象に対してそうなったら困ると心配するあまり、その方向に突っ込むという困った悪循環を生じることがある。
前者の例として、エチオピアの子どもたちは毎日ランニングを続けており、エチオピアはアフリカでもっとも犯罪が少ない国であると聞いて、ランニングが子どもの倫理観を向上させると話を直結させ、全校生徒に毎朝グランドを走ることを義務づけたアスぺ系の校長がいた。別にエチオピアの子どもたちは好きで走っているわけではなく、学校が遠距離で、交通の便が悪いから走らざるをえないだけなのであるが。
後者の例としては、健康診断で悪い結果が出ることを心配するあまり、必ず健康診断のときに緊張から本当に血圧が上がってしまい、血圧が上がらないで健康診断を受けるためにはどうしたらよいかと焦りまくり、健康診断になるとよけいに血圧が上がってしまって、という悪循環を作った、これもアスぺ系の青年などが思い浮かぶ。

注:i) 引用中の「強迫性障害」については他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 ii) 引用中の「アスぺ系」というのは、アスペルガー症候群の系統という意味でしょうか?

比喩や冗談が通じないのは、なぜ?(中略)

2016年に大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS)の原作コミックに、次のようなシーンがあります。ヒロインである森山みくりと、その同居者である津崎平匡のやりとりです。津崎は、「適当に」という言葉に納得ができないのです。

津崎「にんにくすりおろし、ひとかけって、チューブでいうと何cmですか」
みくり「適当でいいですよ?」(ASDの傾向のある津崎、スマホで「ひとかけ」について調べる)
津崎「メーカーの見解ではにんにくの場合ひとかけ約5gで小さじ1杯、しょうがの場合ひとかけ約15gで大さじ1杯だそうです」(後略)

「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?(中略)

過去の著名人になりますが、『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルも、ASDを指摘されている一人です。幼い頃から列車とその時刻表、列車に関するなぞなぞに固執する傾向がありました。日記や手帳、写真の記録簿、客に出した食事など、さまざまな記録を緻密に書き残し、「火曜日」と「42」という数字に強い愛着を持っていました。(後略)

②こだわりが異常に強い
次にこだわりが非常に強い点です。すべてにこだわるのでなく、こだわりの対象は人それぞれで異なります。たとえば、通勤経路がいつも同じである必要性にこだわり、電車遅延などで振替輸送を利用することに強い抵抗を感じることがあります。洋服にこだわりを持ち、「いつも同じ服」という人もいれば、「いつもカレーライス」と食べ物にこだわる人もいます。名前の字画にこだわって親族の結婚に反対したり、記念日にこだわって予定が決められないという人もいます。説得されてもなかなか譲れません。周囲がこだわりを理解してくれないと怒りを爆発させるという人もいます。

注:引用中の(生活において)「こだわりが異常に強い」ことに関連する「食事をはじめとして生活の至るところにこだわりがある」ことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の『「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?』における記述の一部(P150)を次に引用(【 】内)します。 【大ヒットした映画「レインマン」には、自閉症患者が主人公として登場しています。ダスティン・ホフマン演じるレイモンドは高い知能を持ちながら、感情表現を苦手とし、食事をはじめとして生活の至るところにこだわりがありました。「火曜日はパンケーキでないといけない」「メープルシロップが先に出てこないといけない」「パンツはKマートで買わないといけない」。ベッドの位置や歯磨きにも決まりがあり、それを守れないとレイモンドは激しくうろたえて、時にはパニックになっていまうのです。】

加えて、標記「細かなことに著しくこだわる」に関連する、 a) 「著しい理念への傾倒が生じること」や『様々な事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり、適応的でない行動につながる』ことについて、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の B. 年代別に発達障害を診る の 3 思春期 の ②併存症と「二次障害」 の「e. その他の二次的な障害」における記述の一部(P76)を以下に引用します。 b) 「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多い」ことについて、水島広子著の本、『「毒親」の正体 精神科医の診察室から』(2018年発行)の 第2章 「毒親」の抱える精神医学的事情 の『衝撃が「烙印」のように』における記述の一部(P61)を以下に引用します。

(前略)障害特性の憎悪
ASD の場合,思春期以降,著しい理念への傾倒が生じることがある.これは不安を背景とすることもあり,進路選択や友人関係のもち方,食品の安全性や政治的な課題など,さまざまな事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり,必ずしも適応的でない行動につながる.これは彼らの字義通り的に受け取りやすい傾向や他者の視点を取り入れて物事を相対化しにくい傾向などが背景にあるが,周囲がそれを強化していることも多い.また,生活全般の負荷が大きいと,よりいっそうこうした理念への傾倒につながっていく.(後略)

注:(i) この引用部の著者は吉川徹です。 (ii) 引用中の『「○○でなければならない」という思いが強くなり,必ずしも適応的でない行動につながる』ことに関連するかもしれない、 a) 「思い込みから来る誤った考え方に固執する」ことについてはここを参照して下さい。 b) 「逆説的高望み」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」の「逆説的高望み」シート (iii) 引用中の「不安を背景とする」ことに関連するかもしれない、「未来の事象に対してそうなったら困ると心配する」ことについてはここを、 これに関連するかもしれない、「一旦恐怖と不安が心で主導権を握ると,その支配を緩めるのがなかなか難しくなる」ことについては、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 (iv) 引用中の「字義通り的に受け取りやすい」に関連する「字義に拘泥」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「他者の視点を取り入れて物事を相対化しにくい」に関連するかもしれない、「微妙な空気を読むことが困難」なことについてはリンク集を参照して下さい。 (vi) 引用中の「周囲がそれを強化している」に関連するかもしれない、「エコーチェンバー」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「理念への傾倒」については次の資料を参照して下さい。 「大人の発達障害の就労支援」(特に「理念への傾倒」項[P432~P433]) 加えて、上記「理念への傾倒」に関連するかもしれない『「こうあるべき」という前提を設ける、先入観を持つ』ことのない「オープンハート」の状態でいることのメリットについては次のWEBページを参照して下さい。 『藤田一照 プラユキ・ナラテボー対談:「大乗と小乗を乗り越え結び合う道」 その2(ページ3)』(特に『――プラユキさんは「オープン」という言葉をよく使われますけれども、それも一つのビジョンと考えてよろしいですか。』項) その上に、これに関連する『強い「理念への傾倒」を持っている事例では、自閉スペクトラム症のある青年や成人の診療に苦心すること』について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第17章 自閉スペクトラム症成人患者の外来精神療法 の Ⅲ.再診 の『3.「よい暮らし」から「好きな暮らし」へ』における記述の一部(P243~P244)を以下に引用します。 (viii) 引用中の『「○○でなければならない」という思いが強くなり』に関連するかもしれない『いわば「やりたいこと」を「やるべきこと」化する』ことについて、本田秀夫著の本、「あなたの隣の発達障害」(2019年発行)の 第3章 発達障害の人たちとのつき合い方 の『「やりたいことをやれる人生」にするためには』における記述の一部(P107~P108)を以下に引用します。

3.「よい暮らし」から「好きな暮らし」へ

自閉スペクトラム症のある青年や成人の診療を行っていて,筆者が最も苦心するのは,強い「理念への傾倒」を持っている事例である。「仕事は完璧であるべき」「他の人と同じであるべき」「休みは取るべきではない」「仕事にはやりがいがあるべき」「人間は自分の食い扶持を稼ぐべき」「福祉サービスは利用すべきでない」などなど,それを強く持つことで生活をより困難にする理念は多い。これはアクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy:以下,ACT)でいうところのルールへの認知的フュージョンと同義であるのだろう。この理念への傾倒はおそらく自閉スペクトラム症のある人では多数派の人達に比べてより強く働く。このために暮らしに変化をもたらすことが難しくなって状況が固定化したり,なかなか上手くいかない再挑戦が繰り返されたりしがちである。彼らが内面化しているさまざまな「べき」が行動の選択肢を極端に狭めてしまうのである。
どこかに「あるべき暮らし」「よい暮らし」があってそれに近づくべきであるという理念を強く抱えこんだままで,状況を改善することは難しい。その悪循環から抜け出すためには,そこにあるのは「好きな暮らし」や「似合う暮らし」であって,それを目指すことは倫理的な悪ではないのだということを受け容れてもらうことができるとよい。ACTの用語でいえば,そこに創造的絶望,つまりはこれまでの問題解決のための本人なりの取り組みが,実は問題の一部でもあったと気づく体験があるということになるのだろう。それまで目標としていた「あるべき暮らし」を断念してその痛みを回避することなく受け容れること,その上でそれまでの目標とは違う新しい目標に向けて具体的に行動を始めることができると,生活の状況は改善に向かうことが多い。(後略)

注:(i) この引用部の著者は吉川徹です。 (ii) 引用中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「認知的フュージョン」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「認知的フュージョン」から脱することを指すのかもしれない「脱フュージョン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「べき」に関連する認知行動療法における「すべき思考」については例えば次のエントリを参照して下さい。 「すべき思考 ~認知の歪みを修正するコツ」 (v) 引用中の「ルールへの認知的フュージョン」に関連するかもしれない「ルール支配行動」についてはWEBページ「ルール支配行動に対する機能分析的アプローチに関する近年の研究動向」からダウンロード可能な資料(pdfファイル)を参照すると良いかもしれません。 (vi) 引用中の『それまで目標としていた「あるべき暮らし」を断念してその痛みを回避することなく受け容れること,その上でそれまでの目標とは違う新しい目標に向けて具体的に行動を始めること』に関連するかもしれない、 1) 「平静の祈り」については他の拙エントリのここを、 2) 弁証法的行動療法の視点からの「徹底的受容」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

人の行動には、大きく分けて「やりたいからやる」ことと、「やるべきだからやる」ことの2種類があります。行動した結果、満足度が高いのは「やりたいことをやったとき」です。当たり前ですね。
しかし発達障害のある人、なかでもASの人は、じつは、やりたいことをやれていないケースがとても多いのです。
「えっ、あれほど空気を読まないで勝手に振る舞っているのに?」と思う人もいるでしょう。たしかにASの人は、マイペースで、自分の興味に没頭しやすいようなイメージがあります。ところが、ASの人たちは、もともとはやりたくて始めたことでさえも自分でノルマをつくります。いわば、「やりたいこと」を「やるべきこと」化するのです。さらに、思春期以降は、ルールや先生からいわれたことなどを次々と自分のなかに取り込んでいきます。気が付くと、生活の多くが「やるべきこと」で占められ、それを律儀にがんばろうとしで苦しくなっていくのです。(後略)

注:i) 引用中の「AS」は「自閉スペクトラム」のことです。 ii) 引用中の「ノルマをつくります」に関連する「過剰なノルマ化」については例えば次の資料を参照して下さい。 「大人になった発達障害」の『Ⅳ.「自律スキル」と「ソーシャル・スキル」の獲得とその逸機のメカニズム』項

衝撃が「烙印」のように
また、ASDの人には生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多いものです。同時に、衝撃を受けやすいため、衝撃的な情報、特に危険情報のようなものに触れると、それが烙印のように心に刻まれて、「常に警戒すべきもの」となりがちです。もちろん、ASDでない人の場合も同じことは起きますが、それは、その後の別の情報で修正されバランスがとれていきます。しかし、ASDの人の場合、最初の情報が「烙印」のようになっているため、なかなか別の情報で修正することができません。(中略)

例えば「高齢出産には先天性異常が多い」という情報に衝撃を受けたASDの母親が、子どもの不調一つ一つを「高齢出産だからだ」と結びつける、などということもあります。(後略)

注:i) 引用中の「衝撃」に関連するかもしれない、「経験が目の前にあることで飽和する」ことについてはリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある」に関連する『さまざまな事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなる』ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「常に警戒すべきもの」と「烙印」との組合わせの一例としての、『「極めて微量の化学物質」を「常に警戒すべきもの」として「烙印」される』ことに関連するかもしれない、「信念体系として化学物質過敏症と刷り込まれる」ことについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④ iv) 引用中の「烙印のように心に刻まれて」に関連する「最初に聞いた情報を最優先させ、更新されない」ことについては、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の「情報のインプット 言葉通りに受けとってしまう。すべてを視覚的に理解する」における記述の一部(P46)を次に引用(『 』内)します。 『また、人は複数の情報を見聞きしたら、自分で取捨選択し、頭のなかで情報の更新を行っています。自閉症スペクトラム障害がある人は、最初に聞いた情報を最優先させ、更新されません。』 加えて、上記「最初に聞いた情報を最優先させ、更新されない」ことに類似するかもしれない「最初に体験したことが強く影響する」ことについて、宮尾益知監修の本、『対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 正しい理解と生きづらさの克服法』(2020年発行)の Part2 定型発達との差異 自分と相手の見ている世界の違いを理解する の 特性と差異④あいまいさ の「ASDの人は最初に体験したことが強く影響する」における記述(P44~45)を次に引用します。

ASDの人は、言語より視覚で記憶する傾向があります。しかも、最初に体験したことを、鮮明な映像で頭に刻み込みます。そのため、少しでも前見たものと異なると「別のもの」として認識してしまいます。
例えば、定型発達の人では、一度「新宿」の繁華街を歩く経験をしていれば、渋谷の繁華街を歩くことを怖がりません。ところが、ASDの人の場合、新宿と渋谷は「別のもの」です。同じ繁華街でも、頭に刻んだ新宿の街の映像とは異なり、渋谷を歩くことに恐怖を覚えます。
また、子どもに「店では商品を買うものだ」と教えると、A店でもB店でも「商品を買う」ことができます。ASDの場合は、「A店でお菓子を買う」と、その映像が脳に刻まれます。店がB店に変わると、さらにお菓子以外の商品になると、「買う」という行為は適用されません。
このように、とくに最初の記憶が強く印象に残り、次の経験として応用されないのです、
仕事をしているとき、ASDの人が「同じようにやって」と言われて途方に暮れるのは、こうした特性によるものです。

[11] 冗談、からかい及び皮肉等が通じない
宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第1章 「なんとなく生きづらい」と感じるのはどうしてか? の「冗談やからかいが通じない」項における記述の一部(P19)及び宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」項における記述の一部(P39~P40)をそれぞれ以下に引用します。

冗談やからかいと、本気の発言とは、どこが違うのでしょう。
一般的に、相手との関係、状況判断、もののいい方などによって、本気か冗談かが決まります。アスペルガー症候群の人は、そのような、言葉の背後にある非言語的な部分を感じ取ることが苦手ですから、ある意味でいえば文字どおりにとってしまう真っ正直な人たちです。(後略)

注:引用中の「ある意味でいえば文字どおりにとってしまう」に関連するかもしれない引用はここ及びここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

また、言葉のウラを読む想像力も少ないため、たとえ話や皮肉も通じません。アスペルガー症候群の人にとって、言葉はそのまま「事実を伝達する道具」なので、相手の言った言葉を文字どおりに受けとってしまいます。(後略)

注:引用中の「相手の言った言葉を文字どおりに受けとってしまいます」に関連するかもしれない引用はここ及びここを参照して下さい。

[12] 微妙な空気を読むことが困難
先ず、宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第1章 「なんとなく生きづらい」と感じるのはどうしてか? の『微妙な空気を読むことが困難で「KY」だと言われる』項における記述の一部(P26)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人が、周囲の状況がわからない理由の1つは、全体を包括的に見ることが難しいためです。それがどのような状況であるかの説明がなされていないために、とんちんかんな行動や反応をしてしまうことになります。ですから、
「アイツ、KY(空気の読めない人)だよな」
「いつも的外れなことをいう人だ」
などといわれてしまうわけです。(後略)

注:i) 標記「微妙な空気を読むことが困難」に関してはここ及びここも参照して下さい。 ii) 引用中の「空気の読めない人」に関連して、 a) 岩波明著の本、「大人のADHD -もっとも身近な発達障害」(2015年発行)の 第5章 ADHDとASD の「ASDとは?」における記述の一部(P121)を以下に、 b) 佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「空気を読めない?」における記述の一部(P16~P18)を以下に、 c) 田中康雄著の本、「もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?」(2011年発行)の 第2章 「私ってそうかな」と思ったら の「あの人はいつも……なぜ?」項における記述の一部(P82~P83)を以下に d) 宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 就活/職場編 就活の悩みと職場内の問題行動をサポートする本」(2019年発行)の 私の仕事での大失敗 -自分の特性をよく知ろう の「目上の人をことごとく激怒させる」における記述の一部(P82~P83)を以下に、 e) 岡野憲一郎著の本、「自己愛的な人たち」(2017年発行) の 第5章 アスペルガー的な自己愛者 の『◇「空気が読めない」正体』における記述の一部(P101)を以下に、 f) 井原裕著の本、「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」(2012年発行)の『症例4 「自分はアスペルガーではないか」と心配になって受診した名門校秀才』における記述の一部(P99~P103)を以下に それぞれ引用します。ただし、最後の引用においては脚注はまとめて別途表示しています。

ASDとは?(中略)

ASDにおいては、対人関係などその場の状況に応じて対応が必要とされる状況は不得手である。その一方で、数字の記憶やカレンダー計算、パズルなど一定のルールのある作業は得意とすることが多い。
児童精神科医の本田秀夫氏は、軽症の成人ASDのイメージを次のように記載している。このような人物は、われわれの周囲にもいそうである。

雑談はあまり好まず、自分に関心のある話題に限局しがちである。関心のない話題ではあまり周囲に合わせようとせず、興味がないことが露骨にわかってしまう。関心のある活動には他者の目を気にせずに熱中する。

状況判断能力に乏しく、場違いな言動で周囲をハラハラさせることや、空気を読まないと評されることがしばしばある。他者の考えに無頓着で、自分が他者からどのように思われるかも気にしない……

(本田秀夫『子どもから大人への発達精神医学』金剛出版)

空気を読めない?(中略)

あるとても高機能の青年が、著名な大学の大学院を卒業して、企業の研究所に就職したのですが、周りの人との関係にさまざまな難しさを感じて、仕事を辞めなければならないところまで追い込まれている、という相談があったのです。最近はよく似たケースの相談が増えてきました。
彼は、私が定期的におこなっている勉強会に来ていたのです。彼はみんなの前で自由に発言をしたのです。自分はアスベルガー症候群と診断されている、そして自分はこういうことで困っている……。
「それでは、私のほうから職場の人に説明をして、お願いできることがあったら頼んでみましょうか。それがどれほどのお役に立つかわかりませんが」。私はそのように申し出たのです。そして、この機会にご家族にもしっかり理解してもらったほうがいいということで、ご両親や職場の上司にも同席していただいて、ゆっくりお話し合いをしようということになったのです。
私は車で出かけ、その会場に数分前に着いていたのですが、駐車場が混んでいたために、部屋までたどり着いた時には、約束の時間に一分遅れていたらしいのです。すると、そのアスベルガー症候群の青年がいきなり、「佐々木先生、一分遅刻しましたね」と言ったのです。
彼は、時間に対して非常に正確なたけなのです。「ああ、本当ですね。一分遅れましたね」と私は言いました。その青年は、正確に事実を事実として言っただけなのです。
ところが、会社の上司と青年のお父さんは、「だしぬけに、なんて失礼なことを言うんだ」「おまえの問題がなければ、先生にここに来ていただく筋合いのものでもなんでもないのに、わざわざお見えいただいている先生に対して、『一分遅刻しましたね』とは、なんて礼儀知らずだ」というわけです。一般の人の言う「空気が読めない」ということの典型例でしょうね。
普通の人にとっては、「お忙しい中を自分のためにおいでいただき、ありがとうございます」などと言うのが礼儀だろうというわけです。しかし、彼にとって私がどれくらい忙しいか、知らないのは当然なのです。彼にとっては、正しい事実を言っただけなのですね。

注:引用中の「正確に事実を事実として言っただけ」に関連する「正直に話し過ぎる」については、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第二章 社会性の障害とは何だろうか? の「◇オモテ・ウラのない性格」における記述の一部(P72)を次に引用(『 』内)します。 『正直に話しすぎて、面接試験に失敗する人に何人も出会った。ある高校生は大学受験の面接で、この大学を志望した理由をたずねられ、「スベリ止めです」と答えて、不合格になってしまった。場面は違うが、真面目に働きすぎてくたびれ果てて、アルバイトを一日休もうとした人が、アルバイト先から休む理由を尋ねられて「くだびれました」と答え、クビになったこともある。』

「あの人はいつも……なぜ?」(中略)

アスペルガー症候群と診断されたPさんは、「空気を読む」のが大の苦手です。
期限間近の金曜日の夕方になって、チームみんなでやっている仕事に急な変更がありました。週明けの納品に間に合わせるには、チーム全員が残業しないと間に合いません。
みんなが手分けして作業分担を決めているうちに、定時になりました。Pさんはいつも通り、帰り支度を始めます。当然、みんなからはブーイングの嵐です。
Pさんは、この状況を「これから緊急の仕事は全員に分担されるのだな」と読み取ることができません。
明確な説明がなければ、「私の作業分担は何かな」と指示を待ったり、「私も、何か手伝うことはありますか?」と自分から声をかけることも思いつかないのです。
だからいつものように帰ろうとしたわけです。

目上の人をことごとく激怒させる(中略)

会議で「誰でも忌憚なく意見を」と言われたので、手を挙げて思ったことを思ったまま全部言う。同僚や先輩は目を見開いて私にアイコンタクトを試み、上司は「今年の新入社員はずいぶん威勢がいいな」と笑った。私はどうやら何か失敗したらしいことには気づき、「誰でも忌憚なくとおっしゃいましたよね?」と確認した。すると、その上司は今度は顔を真っ赤にして「なんなんだ、この子は!」と怒ってしまった。あとで先輩からは「君は新入りなんだから意見なんて言っちゃダメだ。常識で考えたらわかるだろ」と注意され、「いいえ、わかりません」と答えたところ、絶句される。

注:この引用部の著者は宇樹義子です。

◇「空気が読めない」正体(中略)

ある新入社員の事務の女性が、他の社員のいる前で、上司に当たる部長に対して「でも部長さんって、一見ツンデレですよね」と発言し、一瞬周囲が凍りついた。
聞いている同僚たちは、「あれ、この新入社員、部長とデキているのかな?」「この新入社員は実は社長の御令嬢だったっけ?」などと思い、そんな事情などありえないと思い直して、改めて耳を疑った。部長を「ツンデレ」呼ばわりするだけの関係性も、職場での地位も、まだまったくない彼女がそれを言うことで、彼女はその場でどのように振る舞うべきかの感覚を欠いていること、つまり「空気が読めない」ことを一瞬でさらけ出したことになる。(後略)

注:引用中の「新入社員」が共通する他の空気が読めないエピソードについて本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第1章 自閉スペクトラム症とは? の 『★「臨機応変な対人関係が苦手」』における記述の一部(P12~P13)を形式を変更して次に引用します。

(前略)★ Gさん:社会人1年目の男性
これは社会人のエピソードです。新入社員のGさんは,入社後初めての宴会で「今日は無礼講」と言われたそうです。そこでGさんは,上司の鈴木課長に向かって,「おい,鈴木!」と,呼び捨てにしてしまったのです。Gさんは,その場で先輩に注意されました。
その後,診察に来られて,この話をされ,「無礼講なのにどうして呼び捨てにしてはいけないのでしょうか」と憤慨されていました。
無礼講だからと言っても,越えてはいけない一線というのが存在するわけです。このようなことは,なかなかはっきりと言葉では教えてもらえないものです。丁寧に教えてくれればいいのですが,一般の人の場合はそういうことは肌で感じて直感的に振る舞います。また,宴会で無礼講と言われても,鈴木課長だったらダメだけれども,田中係長だったら大丈夫かもしれないわけです。そういうときに,多くの人は直感的にそれを判断して行います。しかし,自閉スペクトラムの人の場合には,そういった暗黙のルールや,場の雰囲気を読むといったことがなかなかうまくできません。(後略)

症例4 「自分はアスペルガーではないか」と心配になって受診した名門校秀才

「自閉性障害の3要素があります!」

保泉重信さんは、名門進学校の生徒。お母様と共に来院した。高校3年の8月。受験勉強もそろそろピッチをあげなければならない頃であった。

井原:(待合室へのマイクでの呼び出し)「ほずみしげのぶさん、1番診察室にお入りください」

保泉重信さんは、長身・痩軀の若者。首を縮めるようにして入室。話すとき、目をしばたきながら話す。話し方はかなり早口だが、読点のない文章のような、メリハリのない単調な話し方である*1。お母様は、うしろからついてきた。いかにも「何でここに来なけりゃいけないのか」といった投げやりな感じである。

井原:保泉重信さんとお母様ですね。お待たせしました。どうぞ椅子におかけください。先ほど、初診のアンケートを読ませていただきました。ご記入くださってありがとうございます。高校3年生で、「うつ、不安」ですか。そして、えっと「アスペルガーではないか?」ということですか*2。なるほど。そう思ったのは、お母様、それとも……。
母親:私ではありません。本人です。私は「アスペルガー」って何のことかわからなくて、「アルツハイマー」と勘違いしていて、「受験勉強でなかなか覚えられないって言ったって、まさかぼけたわけじゃあるまいし」ぐらいにしかとらえていなかったんです。この子は、この何カ月かアスペルガー関係の本を読みあさっていて、「自分はこれだ」と言うんです。私は半信半疑でしたけど、あんまりうるさく言うんで、一度専門家に診てもらおうということになりました。
井原:なるほどね。重信さん、いったいどの辺がです?
重信:社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害です。
井原:はあっ?
重信:ですから、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害です*3。
井原:何だって?
重信:自閉性障害の3要素が自分にはあって、知能は低くない。こうなると高機能自閉症アスペルガー症候群だけど、自分の場合、言語の発達に問題はなかったから、そうなるとアスペルガー症候群か。
井原:ううん、なんだかすごい説明だね。教科書に書いてあるとおりだぞ。医学生の答案なら合格点をやれるな。でも、具体的にはどういうことなんだろうね。
重信:集団行動が苦手である。言葉はそんなに問題ないけど、脈絡なく難しい言葉を使ってしまう。人の気持ちを察するのが苦手で、場の空気を読むのがうまくない。とにかく、友達にもしょっちゅう「KYだ」と言われます*4。
井原:ううむ。あまりにも模範解答すぎるなあ。お母さん、どう思いますか。
母親:普通だと思うんですけどね。私は、こんなもんだと思っていました。一つ上の姉がいるんだけど、姉と比べてこの子は少し変わっていましたよ。でも、まあ、うちのお父さんだって変わった人だしねえ。男の人はこんなもんですよ。
井原:なるほどねえ。まあ、具体的に詳しい話は、お母さん、あとから伺います。ちょっとご本人からお話を伺ってみてもいいでしょうか。
母親:いいですよ。私は外で待ちましょうか?
井原:そうですね。ドアの向こうの椅子でお待ちください。すぐにお呼びしますので。

事件好きが高じてアスペに凝りだす

井原:いつごろ、アスペのこと知ったんだい?
重信:結構最近です。2年の3学期ごろですかね。図書館で少年事件のこととか本でいろいろ読んでいたんです。浅草の「レッサーパンダ事件」(注9)とか、大阪で姉妹を殺した「死刑でいいです」事件(注10)とか。そこでアスペルガー症候群のことが出ていて、「これって、マジ、俺のことジャン」と思ったんです*5。
井原:いろいろ本を読んでみた?
重信:読みました。本は2、3冊ですけど、ネットでわかることはひととおり調べました*6。病院もいろいろ調べました。僕、凝り性なんで、調べるなら徹底的に調べたいんです。先生のこともネットでチェックしました。
井原:ええっ。手ごわいなあ。
重信:獨協越谷のホームページ見ましたけど、「人のこころを察することが苦手」ってのは、まさにそのとおりですね。
井原:具体的にはどういうところが?
重信:要するに、そのとき相手がどういう思いでいるかがわからないんですよ。人のジョークとかからかいとかがよくわからない。それに場の雰囲気が読めなくて、その場にふさわしい言動とかができない。どうしても浮いてしまう。顰蹙を買ってしまう。まあ、そんなところですね*7。(後略)


脚注:
*1 発語の音楽的成分(抑揚、リズム、強弱、緩急など)を「プロソディ」と呼ぶ。プロソティの障害は、一般には、運動性失語など器質性障害に顕著だが、統合失調症慢性期にもあり、広汎性発達障害にも軽度に認められる。
*2 「自分は○○障害ではないか?」と言って、自ら受診する患者は非常に多い。「アスペルガー症候群」のほかには、「注意欠陥/多動性障害」「双極性障害」「社交不安障害」などがある。
*3 まるで医学部の口頭試問のようなやりとりである。この極度に字義どおりの返答こそ、アスペルガーらしい。しかも、本人はその堅い返答の奇矯さに気づいていない。
*4 アスベルガー症候群を含む広汎性発達障害は、その全員がいわゆる「KY(空気か読めない)」である。KYでなければ、広汎性発達障害とはいえない。しかし、KYが全員広汎性発達障害というわけではない。
*5 凄惨な事件についての本を、当初は他人事だと思って興味本位で読んでいたら、そこに自分に似た記述を発見して驚いたらしい。自分が事件を起こす人たちと同類ではないかと、本気で心配しているのかもしれない。
*6 アスペルガー症候群の患者たちは、「興味・関心の偏り」という特性を逆手にとって、診察までにかなりの勉強をしてきている。こちらの知識のなさを指弾することすらあるので、なかなか手ごわい。
*7 知的なアスペルガー少年の常として、かなり冷静な自己分析ができている。しかし、他者に比しての自己の工キセントリシティを認識できるということと、その認識にしたがって行動できることとは別問題である。
(注9) レッサーパンダ帽男事件。平成13年4月に東京浅草にて、レッサーパンダの帽子をかぶった当時29歳の男が、たまたま前方を歩いていた19歳女性を包丁で刺して、失血死させた事件。男に軽度の知的障害と発達障害があるとされた。
(注10) 大阪姉妹殺害事件。平成17年11月に大阪市で当時21歳の男が当時27歳と19歳の女性を刺殺した事件。男はその5年前にも実母を金属バットで撲殺している。被告人は、「人を殺すにも物を壊すのも同じ」「反省はしないけど死刑でいいです」と供述。広汎性発達障害ではなく人格障害であるとして、裁判長は完全責任能力を認め、死刑判決。平成21年に執行された。

注:引用中の「自閉性障害の3要素」に相当する『ウィングの「三つ組み」仮説』についてはリンク集を参照して下さい。

[13] 余計なことを言う
宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第3章 職場やまわりの人に溶け込めないのはなぜ? の「余計なことをいってしまい、浮いた存在になる」項における記述の一部(P89)を次に引用します。

いってもいいこと、いけないことはどうやって決めるのでしょうか。
物事をいってもいいか悪いかは、相手がその言葉にどう反応して、どんな気持ちになるかを考えないとわかりません。
相手をいやな気分にさせてしまったり、その場の雰囲気に合わないことや余計なことをいってしまうのは、アスペルガー症候群の人の特徴だといえます。

例えば、「やせましたね」という言葉は、ダイエットをしている人には喜ばれるでしょうが、重い病気の人には禁句です。(後略)

注:i) 引用中の「いっても(中略)いけないこと」に関連する「事実であっても口にしてはならないことを言ってしまう」については、ここ及びここを参照して下さい。 ii) 標記「余計なことを言う」に関連するかもしれない「微妙な空気を読むことが困難」については、ここを参照して下さい。

[14] オープンクエスチョンには答えに窮する
姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第1章 精神科医が見た「コミュ障」という困った人たち の「アスペルガー特性 あいまいなことが苦手 混乱してしまう人たち」項における記述の一部(P84~P85)を次に引用します。

(前略)彼らは、目に見えないことをイメージするのが非常に苦手です。逆に、すでに視覚化されているものに対する記憶力は優れています。また、抽象的なコミュニケーションは苦手です。「最近、調子どう?」というような「オープンクエスチョン」には答えに窮してしまいます。

オープンクエスチョンというのは、何を答えてもいい、回答の自由度が高い質問です。「最近、調子どう?」というのはその典型ですね。これと対照的なものに、「クローズドクエスチョン」があります。これは、「あなたは男ですか?」、というような「Yes or No」で回答できるような質問です。
普通の人なら、だいたいどちらの質問にも、柔軟に答えることができますが、アスペルガー特性を持つ人にとっては違います。「何を答えてもいい」状況になると、途端に混乱してしまうのです。

注:引用中の「抽象的なコミュニケーションは苦手」に関連した、 a) 「抽象的で曖昧な表現が理解できない」ことについて、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P39)を、 b) 『「こそあど言葉」では何を指しているのかわからない』ことについて、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part1 大人の自閉症スペクトラム障害 の 自閉症スペクトラム障害 コミュニケーションの障害。あいまいなやりとりが困難になる の「相手の表情から気持ちをくみとることが難しい」における記述の一部(P21)を それぞれ以下に引用します。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

抽象的で曖昧な表現が理解できないのです。「どうしてそうするの」と尋ねると「どう」とは“?”となり、「そうするの」で“?”と一つひとつ悩んでしまいます。これは想像力を働かせることができないからなのです。(後略)

注:引用中の「想像力を働かせることができない」ことを含む『ウィングの「三つ組み」仮説』についてはリンク集を参照して下さい。

相手の表情から気持ちをくみとることが難しい(中略)

さらに日本では「そんなこと」「あんなふうに」など「こそあど言葉」が多用されますが、自閉症スペクトラム障害がある人は、具体的な名詞を言ってもらわないと、なにを指しているのかわかりません。(後略)

[15] 実際の経験によらなければ学べない
テンプル・グランディン、ショーン・バロン著、門脇陽子訳著の本、「自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール」*41の 第3幕 人間関係の暗黙のルール10ヵ条 の「③人は誰でも間違いを犯す。一度の失敗ですべてが台無しになるわけではない。」 における記述の一部(P210~P211)を次に示します。

テンプルの考えもショーンと一致する――
社会性を磨き、人間関係のルールを理解できるようになるには、実社会に出て行って経験を積むことが必要です。それは、リスクを引き受け、ときには失敗することを意味します。それを思うと不安になるかもしれませんが、あえて受け入れ、前に踏み出さなければなりません。一五年前に知り合った自閉症のある青年は、毎日、部屋にこもって雑誌を片っ端から読んでいました。情報を十分に蓄えさえすれば、社会的思考が身につくと思っていたのです。実社会を肌で体験し、人間関係の舞台に上がる方法を身につけなければならないことを、彼はわかっていなかったのです。
実際にやらなければ身につきません。たとえ失敗しても、舞台に立って演じなければ何も身につきません。これは、とりわけ自閉症スペクトラム障害のある人にあてはまるルールかもしれません。定型発達の人は観察や読書、他人の経験を通して学ぶことができるので、このルールがことばにして教えられることはあまりないかもしれません。でも、自閉症スペクトラム障害のある大半の人は、実際の経験によらなければ学べないのです。

注:i) 著者のテンプル・グランディン氏の他の著作例と能力例はそれぞれここここで紹介されています。 ii) この引用に関連するかもしれないことわざを利用した文章を次に示します。『「人の振り見て我が振り直せ」が困難』 iii) ちなみに、この本における「人間関係の暗黙のルール」の項目については、本における脚注を参照して下さい。

[16] 状況の意味を読み取るためにたくさんの練習が必要
テンプル・グランディン、ショーン・バロン著、門脇陽子訳著の本、「自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール」の 第2幕 二つの思考・二つの道 の「思考は行動に影響する」 における記述の一部(P120~P121)を次に示します。

(前略)自閉症スペクトラム障害のある人の中には、たった一度の体験で状況の意味を読み取れる人もいれば、たくさんの練習が必要な人もいます。私は一度だけ仕事をクビになったことがありますが、その一度の体験で、最優先なのは職を維持することで、そのためには何でもしなくてはならないということを学びました。最近、三〇回も仕事をクビになったという、アスペルガー症候群のある男性の話を聞きました。顧客に対して、あなたはデブだとか不細工だとか、事実であっても口にしてはならないことを言ってしまうせいなのですが、彼はいまだに自分の行動が不適切であるのを理解していません。(後略)

注:i) 引用中の「私」は著者のテンプル・グランディン氏のことです。ちなみに、彼女の他の著作例と能力例はそれぞれここここで紹介されています。 ii) 引用中の「事実であっても口にしてはならないことを言ってしまう」に関連する「余計なことを言う」については、ここを参照して下さい。 iii) ちなみに、この本における「人間関係の暗黙のルール」の項目については、ここの脚注を参照して下さい。

[17] 記憶が消えなくて苦しむ
佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「記憶が消えない苦しみ」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

記憶が消えない苦しみ(中略)

直接お会いしたことはないのですが、アメリ自閉症協会の理事でもあり、広報を担当していらしたチャールズ・ハートさんは、自閉症の息子さんの父親であり、『Without Reason』(邦題『見えない病』晶文社、一九九二年)という本を書いている人です。その中で「自閉症の人の最も基本的な特性は何か、と言われたら、ものごとを忘れることができなくて苦しんでいる人だ、と言いたい」と記していらっしゃいます。
自閉症の娘さんの母親である、イギリスのローナ・ウィングさんは「想像力、イマジネーションが働きにくくて苦しんでいる人というような理解をされているが、自分がいちばん言いたいのは、苦しめられたことや傷つけられたことを忘れなくて苦しんでいる人たちなのだ」と表現されています。
傷つけないでください、苦しめないでください――これは、何もかもすべて過保護に甘やかしてほしいという意味ではありません。忘れてしまいたいようなつらい体験が、消え去ることも薄れることもなく蓄積されているというのは、どれだけ苦痛であるか理解してあげてほしいということをおっしゃっているのです。(後略)

加えて、標記「記憶が消えなくて苦しむ」に関連する「いつまで経っても忘れることができない」について、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第六章 発達障害とトラウマ の「三つの問題」における記述の一部(P142)を次に引用します。

それにしても子ども虐待をはじめとする迫害体験がなぜこれだけ重大な結果を引き起こすのか。
これには自閉症スペクトラム独自の体験世界と、さらにそれに関連する独自の記憶の病理であるタイムスリップ現象が関係している。あらかじめこれらの要因を含めて整理をすると、自閉症スペクトラムとトラウマとの関連には次の三つの問題がある。

1. 自閉症スペクトラム障害の場合、普通に生活をしていても、怖い世界が広がっていて、トラウマ的になりやすい。これはとくに知的な障害をもつ子どもにおいて著しい。
2. 自閉症スペクトラム障害の場合、タイムスリップという、トラウマにおけるフラッシュバック類似の記憶の病理が介在し、普通なら年月が経てば忘れてしまうようなことがいつまで経っても忘れることができない。長い時間が過ぎたあとに、些細なきっかけで再現に至ることも多い。
3. とくに診断が遅れやすい知的な遅れのない自閉症スペクトラム障害の場合、子ども虐待の高リスクとなり、もともとの発達障害の基盤にトラウマが掛け算になることも多い。

注:引用中の「タイムスリップ現象」及び「フラッシュバック」は共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

[18] 特性を活かす
岡田尊司著の本、「アスペルガー症候群」(2009年発行)の 第九章 進路や職業、恋愛でどのように特性を活かせるのか の 第一節 アスペルガー症候群の強みとなる特性とは の「優れた部分を伸ばそう」における記述の一部(P216~P217)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人は、対人関係を楽しむことが少ない分、仕事や趣味で大きな喜びを味わうことができる。このタイプの人が恵まれた人生を歩むためには、喜びや生き甲斐を見出せる仕事や趣味に出会えることが不可欠である。そのためには、あまり「平均的な」ものを目指さない方がよい。その人のユニークな特性を活かすことにこそ、活路が見出されるのである。
アスペルガー症候群やその傾向をもった人が、社会で活躍しているケースをみると、よき理解者に恵まれ、弱い点にとらわれずに、むしろその人の特性を活かして、強い点を伸ばしていったということに尽きるように思う。苦手なところを改善することも重要だが、あまりにもその部分にこだわりすぎることは、かえって劣等感ばかりを強め、もっと豊かな可能性を邪魔してしまうことにもなりかねない。欠点よりも優れた部分に着目し、そこを足がかりに自信をつけていくことを考えた方が、可能性を花開かせることになる。(後略)

注:i) 標記「特性を活かす」一方法としての「知的テーマの追求」については≪余談2≫を参照して下さい。 ii) この記述以降に、アスペルガー症候群の人が備えている強みの傾向として、10 の項目が紹介されています。引用しませんがこれらの項目を次に列挙します。

①高い言語的能力がある ②優れた記憶力と豊富な知識がある ③視覚的処理能力が高い ④物への純粋な関心がある ⑤空想する能力がある ⑥秩序や規則を愛する ⑦強く揺るぎない信念をもつ ⑧持続する関心、情熱をもつ ⑨孤独や単調な生活に強い ⑩欲望や感情におぼれない

さらに、佐々木正美、梅永雄二監修の本、「大人のアスペルガー症候群」(2008年発行)の「常識にとらわれない発想を力に」における記述の一部(P70)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人は「非常識だ」と注意されることが多く、それゆえに傷ついています。しかし、それは常識にとらわれない、突出した力をもっているということでもあります。
ほかの人にはない力を仕事にいかすことができれば、成功につながっていきます。
実際に、記憶力と興味のかたよりをいかして大学の研究員になった人や、独特の発想をいかして画家になった人などがいます。
長所をいかして大成したアスペルガー症候群の人は、世界中に大勢いるのです。

[19] 健康な生活
エントリ『杉山登志郎先生の講演を聴きました!「発達障害への薬物療法」 』における記述の一部を次に引用します。

最も大切なのは健康な生活、養生訓というのは大いに納得。といいますか、最近は井原裕先生をはじめ、どの先生も規則正しい健康な生活の重要性を説いています。

注:i) 引用中の「井原裕先生」が登場するWEBサイト(ここここ及びここ)において、健康な生活に関する次のWEBページがそれぞれあります。前二者のページ例を次に紹介します。「生活習慣の改善こそうつの予防・治療。十分な睡眠と控えめな飲酒を」、うつ病の怪 「悩める健康人」が薬漬けになった理由(P4) ii) 上記エントリタイトル中の「杉山登志郎先生」に関する本エントリ内のリンク集はここを参照して下さい。 iii) この引用中にも「<対策>生活リズムを維持すること」との記述があります。加えて、パニック症、「悩める健康人」における健康な生活については、他の拙エントリのここここをそれぞれ参照して下さい。さらに、生活リズムが崩れている適応障害における、生活リズムを戻すことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「適応障害とは─原因の多くはストレス」の「生活リズムを意識し、普段の日常を取り戻す」項 iv) 一方、健康な生活を送るのに支障となるリスクがある睡眠障害については、例えば次のWEBページやWEBサイトを参照して下さい。 「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」、「睡眠障害の基礎知識」、「連載 睡眠外来の診察室から」 加えて、タイトルを除き拙訳はありませんが、「睡眠の問題があると誤解することは、実際の睡眠不足よりも有害な可能性がある」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「"Insomnia identity" – misbelieving you've got sleep problems can be more harmful than actual lack of sleep[拙訳]「インソムニア・アイデンティティー」-睡眠の問題があると誤解することは、実際の睡眠不足よりも有害な可能性がある」(注:上記「インソムニアアイデンティティー」[Insomnia identity]については次のWEBページを参照して下さい。 「insomnia identity」) v) なお、女性のアスペルガー症候群における「朝が苦手」については、ここを参照して下さい。 v) ちなみに、標記エントリタイトルの「杉山登志郎先生」に関連して、杉山登志郎先生による「日常生活が規則正しく送れている」との記述についての引用はここを参照して下さい。 vi) 加えて、引用中の「健康な生活」に関連する「健康三原則」について、姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第4章 セルフケア 周囲に振りまわされない自分をつくる の「健康三原則」項における記述の一部(P196~P197)を次に引用します。

(前略)いろいろ考え実践し、僕が行き着いたのは「健康三原則」です。これは、精神科の患者さんにも、内科や外科の患者さんにも、さらに、すべての一般の人たちにも当てはまることなので、紹介しましょう。(中略)

規則正しい生活をする:生活のリズムが乱れることによってメンタルの調子が悪くなることもある

アサーティブに生きる:我慢せずに上手に自分の気持ちを伝え心の健康を保つ

運動をする:メンタルとフィジカルは相互補完的に作用している

注:(i) 引用の後半部に「セルフケアのためのシンプルな健康三原則」を記述しました。この部分は形式を変更して表示しています。 (ii) 引用中の「アサーティブ」(又は「アサーション」)とは、簡単に言えば、「上手な自己主張」、すなわち「相手を尊重しながら自分の言いたいこともはっきりと伝える方法」のことで、詳細は例えば次の資料及びWEBページを参照して下さい。 「3.コミュニケーション向上のために(アサーション)」、「入門!認知行動療法 自分の気持ちを伝えよう」、「27 アサーション・トレーニングの理論と実際」、「ストレスコーピング」の「アサーショントレーニング」項 加えて、上記「アサーション」に関連する「機能的アサーション」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「機能的アサーションとは」、「機能的アサーションとは何か?」、「しなやかで芯のある自己表現:円滑な対人関係のための機能的アサーション」 (iii) ちなみに、引用中の「精神科の患者さん」に含まれるかもしれない、 a) ADHDのある人にとっても「生活リズムを整えるのも大事」なことについて、岩波明監修の本、「ウルトラ図解 ADHD」(2018年発行)の 第4章 生活の中でできる工夫 の「生活リズムを整えるのも大事」における記述の一部(P140)を次に引用(『 』内)します。 『生活リズムの乱れは、体の健康を損なうだけでなく、心の元気も奪います。ADHDのある人は、とかく生活が不規則になりやすいので、意識して生活リズムを整えましょう。特に、夜更かしには気をつけます。ついついテレビを見続ける、インターネットをやめられない……などで、睡眠不足に陥ったり、生活リズムが遅寝遅起きにずれてしまいがちです。』 b) 加えて、パニック症をコントロールするための「体調管理に留意」することについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

補足として、姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第4章 セルフケア 周囲に振りまわされない自分をつくる の「ぼちぼち生きる 腹六分のすすめ」項における記述の一部(P204)を次に引用します。

「健康三原則」について最後に述べましたが、一番大切なのは、健康三原則にせよコミュニケーションにせよ、すべては「つきつめて頑張ろうとし過ぎない」ことです。
「ぼちぼち」でいいのです。「ぼちぼち」とは、「腹六分の生き方」といい換えることもできるでしょう。

注:引用中の「健康三原則」についてはここを参照して下さい。

ちなみに、双極性障害(他の拙エントリのリンク集参照)の治療法としての対人関係・社会リズム療法(例えば次の資料を参照して下さい 「双極性障害の疾患教育と対人関係・社会リズム療法」、「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の「5. 双極性障害の精神療法」項[P23~P24])は、このツイートによると、社会リズムを安定化させること、対人関係トラブルや変化への適応として、どんな人のメンタルヘルスにもプラスのようです。

加えて、ASD 及び 複雑性 PTSD の患者における、治療に必要なことの視点からの規則正しい日常生活について、杉山登志郎著の本、「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第8章 EMDR を用いた簡易精神療法 の Ⅱ 複雑性 PTSD への簡易精神療法 の「1.安全な場所の確認」における記述の一部(P106~P107)を次に引用します。

(前略)さらに日常生活が規則正しく送れているかの確認が必要になる。そもそも ASD は時間的なパースペクティブがとれず,規則正しい時間を崩すことは大得意でも,作ったり守ったりすることは極めて苦手である。複雑性 PTSD の成人の場合も,おそらく警戒警報鳴りっぱなし恒常的になっているということなのだろうか,睡眠時間がばらばらであったり,著しい短時間睡眠であったり,多量の眠剤を飲んでようやく寝て,朝はまったく起きてこられなくてといった生活をしている者がむしろ一般的である。少し考えてみればわかるのだが,睡眠時間が極端に短かったり乱れていたりしては、どんな名医であっても抑うつや気分変動の治療は不可能である。ましてトラウマ処理などできるはずもない。ただ、この不眠の要因が,侵入症状としての悪夢ということもよくある。(後略)

注:引用中の「トラウマ処理」に関連する「トラウマ体験」があっても、予後を悪くしないための下記「規則正しい生活習慣を心がける」について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きずらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第5章 回復しやすい体をつくる毎日のケア の 毎日の心がけ 体がもつ「治る力」を引き出していく の「規則正しい生活習慣を心がける」における記述(P87)を次に引用(『 』内)します。 『どのようなトラウマ体験があっても、自分の見のまわりのことを自分でできている人の予後は決して悪くありません。まずは規則正しい生活を心がけていきましょう。きちんと食べていますか? 眠れていますか? 生活を振り返り、問題があれば、できることから修正していきましょう。』 一方、「それでも生活には浮き沈みがある。愛情、あいまいな社会生活、不誠実な職場、うつろいゆく友情や愛情に翻弄されることもあるだろう。もちろん年齢を重ねるごとに、身体は徐々に衰えていく」状況のもとで、「感情を手なづけるためにできること」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。

[20] 構造化
梅永雄二監修・著の本、『よくわかる! 自閉症スペクトラムのための環境づくり 事例から学ぶ「構造化」ガイドブック』(2016年発行)の 第1章 見える化する「構造化」 の 構造化って何? の「1.日常のなかにある構造化」及び2.自閉症スペクトラムの特性と構造化」における記述の一部(P8~P11)、及び内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 終章 臨床デバイス の「構造化について」における記述の一部(P268~P269)をそれぞれ以下に引用します。加えて、次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「言っても身に付かない子どもには - apital

1.日常のなかにある構造化
「構造化」というのは、何かの活動を行う際に、その活動が容易に行えるように環境を整えることといってもいいでしょう。
例えば、自動車が往来している道路を渡る際に、左右を確認しなければなりませんね。右と左をきちんと見て、自動車が来ていれば渡らずに「止まる」という行動を取ります。そして、車が来ていないことが確認できれば、「渡る」という行動を取るわけです。
しかしながら、左右を確認するというのは、どのくらいの距離に車が来ていれば危険で、どのくらい離れていれば安全であると判断するのは、難しい場合があります。自動車のスピードにもよるし、幼児や高齢者は道路を渡るスピードも異なるでしょう。
しかし、信号機があればどうでしょうか。歩道側の信号機の色が青であれば、その反対側の信号機は赤となるため、自動車は停止します。その結果、道路を安全に渡ることができます。この信号機の「青」や「赤」といったサインが構造化の最たるものかもしれません。(中略)

2.自閉症スペクトラムの特性と構造化
それでは、自閉症スペクトラムの人へのわかりやすい構造化というものはどのようなものでしょうか。
米国ノースカロライナ大学で開発された、自閉症児者支援の最先端といわれる「TEACCH Autism Program」(以下TEACCHプログラム)では、「構造化」はいくつかの分野に分けて説明されています。(後略)

注:i) この本では、構造化の基本的な説明のみならず、20もの構造化事例が示されています。本エントリでは説明しませんので、具体的な説明を必要とする読者様は、この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「TEACCHプログラム」については、ここを参照して下さい。

構造化について
ASD には一定の環境の構造化が必要である.枠がゆるいと,統制がとれなくなりがちである.(中略)

構造化が苦手であるというのは,彼らの認知特性に由来している.ASD の場合,大づかみに状況を俯瞰し,方向づけること,そしてとりあえずの目標や行動のための指針を作ることに難がある.作った場合には融通がさかず,硬直したものになりがちである.時間的に俯瞰してスケジュールを組み立てるのも苦手である.
このあたりの対策については,多くの成本に記載されているので,詳述はしない.情報の絞り込み,状況の可視化,行動のライン化,大まかな方向付け,時間の区切りのキューなどが挙げられるだろう.こうした工夫は確かに役に立つことが多い.ただ,こちらが提供するのは,あくまで工夫である.構造化が強いと,牽強付会的になるだけでなく,実際に浸透しすぎる場合があることに注意すべきだろう.
また,なかには構造化が合わない事例もある.そのようなときには,本田6が指摘したように,一夜漬けや一発勝負の方が向いている可能性を検討してみるとよい.

注:i) 引用中の文献番号「6」は、【本田秀夫『自閉症スペクトラム-10人に1人が施える「生きづらさ」の正体』SBクリエイティブ,2013,p.200】のことです。 ii) ちなみに、以下の引用で示すように、自閉症スペクトラム障害の子どもを支援するために開発された療育プログラムであるTEACCHも構造化と関連しています。佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第2部 TEACCHを正しく理解する の「TEACCHはあくまで個別対応」における記述の一部(P109~P110)を次に引用します。

(前略)
ローナ・ウイングさんがTEACCHの業績について次のように言っています。
自閉症の人のほうから私たちの世界に入ってくることはできない。でも、私たちのほうから自閉症の人の世界や文化に近づくことは、努力次第でできるのではないか。そしてそうした人だけが、一人ひとりに寄り添うようにして、私たちの世界に導いてくることができるのです」――どのようにして近づくか、入っていくか、そしてこちらの世界に導いてくるかを具体的に教えてくれたのがTEACCHであるというのです。
なるほどうまいことを言うものだと思いました。その方法が個人の機能に合わせて「構造化する」ということなのです。自閉症のことをよくわかった人でないと、なかなかそういう表現をうまく言えませんね。
この人たちはこういうことならこんなにできる。こんなにできることがあるというようなことを私たちが理解する。私がTEACCHに出会って本当に触発されたのは、「この人はこんなことができないのだ」というより、「こんなことができるのだ」ということを考えていく方法だからなのです。自閉症のままで、できるだけ自立的な活動をして幸福に生きることができるように、それを応援するのがTEACCHなのです。
これは最初に「構造化」ありきではなくて、そのために「必要な構造化をする」ということです。(後略)

注:引用中の「TEACCH」については、同本の「はじめに」の viページ における説明を次に引用します。ちなみに、引用はしませんが、「TEACCH」のより詳細な説明は同本の「第2部 TEACCHを正しく理解する」で紹介されています。

TEACCH(Treatment and Education of Austistic and related Communication handicapped CHildren)プログラムとは、アメリカのノースカロライナ大学のエリック・ショプラー教授らによって一九六〇年代から始められた、自閉症スペクトラム障害の子どもを支援するために開発された療育プログラム。子どもの特性に目を向け、視覚的な手がかり(たとえば絵や文字、写真、実物)などによって得意な面を伸ばすような工夫がされている。

[21] 共感とシステム化
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (6)共感 の 「3) Baron-Cohen」項における記述の一部(P35~P36)を次に引用します。

自閉症研究者であり,誤信念課題をも作成した Baron-Cohen の考える「共感」(emphasizing)は,「システム化」(systemizing)と対置される概念です。Baron-Cohen(2003)によれば,共感とは,「他者の情動と思考を同定し,適切な情動を伴わせてそれらに反応しようとする動因(drive)」(Baron-Cohen, 2003, p.2)です。そして,共感は,他者を理解し,他者の行動を予測し,他者と情緒的につながるか共鳴するために行われるものです。このように,Baron-Cohen の言う共感は,思考と情動の両方に向けられるものですが,他者の情動によって引き起こされた適切な情動を伴うという条件が付けられています。例えば,精神病質の人が自分の欲望を満たそうとして他者の思考と感情を冷徹に判断する場合については,これを共感とは言わないのです。共感は,他者をケアしようとする生来的な傾向から生じると,Baron-Cohen は述べています。
次に,共感と対置される「システム化」というのは,「システムを分析し,探求し,構成しようとする動因」(Baron-Cohen, 2003, p.3)です。Baron-Cohen(2005)によれば,人間の脳が分析できるシステムは,①技術的システム(例えば,コンピューター),②自然的システム(例えば,潮の満ち引き),③抽象的システム(例えば,数学),④社会的システム(例えば,選挙),⑤組織的システム(例えば,図書館),⑥運動的システム(例えば,音楽の技術),です。システム化は,あるシステムの動きを理解し,予測するために行われます。
Baron-Cohen(2005)は,共感とシステム化の相違を以下のように述べています。

突き詰めれば規則的・定型的・決定論的である現象には,システム化が有効である。…人の行動に刻一刻と生じる変化を予測するとなると,システム化はほとんど役に立たない。人間の行動を予測するためには,共感が必要とされる。システム化と共感とは,まったく種類の異なるプロセスである(Baron-Cohen, 2005, p.476)。

そして,(Baron-Cohen, 2003)は,共感とシステム化を脳機能の特徴と結びつけ,共感は一般に女性において優位な脳機能と関連しており,システム化は一般に男性において優位な機能に関連していると指摘しています。そうすると,共感-システム化のバランスがとれている人とそうでない人を考えることができます。自閉症者は,しばしば共感の健著な機能不全がシステム化の優位と併存することを特徴としています(Baron-Cohen et al., 2005)。
メンタライジングは自己と他者の精神状態を認識することですから,Baron-Cohen の言う共感の「適切な情動を伴わせて反応すること」という部分はメンタライジングの守備範囲ではないことになります。しかし,適切な情緒的反応をするためには,メンタライジングが不可欠ですから,適切な情緒的反応の部分もメンタライジングと無関係ではありません。(後略)

注: i) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「共感」についての説明例は、次のWEBページを参照して下さい。「共感 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「自閉症者は,しばしば共感の健著な機能不全がシステム化の優位と併存することを特徴としています」に関連した記述を以下に引用します。

さらに、「男性脳に近いのが自閉症スペクトラム障害」について宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 男女の違い 自閉症スペクトラム障害は、男性に多く見られる の「男性脳に近いのが自閉症スペクトラム障害」における記述の一部(P52)を次に引用します。

イギリスの発達心理学サイモン・バロン=コーエンの研究によると、男性の脳は分析や論理を好み、女性の脳は他人との共感を好む傾向があるとしています。自閉症スペクトラム障害は共感的なコミュニケーションの障害があり、論理的思考への偏りが見られます。まさに男性脳的な障害ということができます。(後略)

注:i) 加えて、同頁には「男女の脳の基本的な違いに」についての、以下に形式を変えて引用(それぞれ『 』内)する2つの記述があります。 『男性脳:分析したり、論理的に考えたり、システム化を求める。』、『女性脳:他人との共感を好み、論理よりも感情を優先しやすい。』

ちなみに、上記「共感」に関する Rogers の心理療法における共感に関連して、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (6)共感 の「1) Rogers」項における記述の一部(P46~P47)を次に引用します

今日のカウンセリング・心理療法における共感の重視が Rogers のクライエント中心療法(人間中心アプローチ)の影響であることを否定する人はいないでしょう。Rogers の心理療法においては,共感は,心理療法によってパーソナリティ変化が生じるための必要十分条件の1つに数えられており,その中でもとくに重要な3つの条件(無条件の肯定的関心,共感的理解,自己一致)の1つです。Rogers の言う共感は,平易に定義すると「クライエントの私的世界を,あたかも自分自身の私的世界であるかのように感じ取ること,しかし決して『あたかも…かのように』という感覚を見失わずにそうすること」(Rogers, 1957; 佐治・岡村・保坂, 2007, pp.45-46)です。より詳しく定義するなら,共感とは「相手の内的照合枠(internal frame of referrence)を,正確に,それ固有の状動的要素や意味とともに知覚することであり,その際に,自分があたかも相手であるかのように,しかも決して『あたかも…かのように』という質を失わずに,知覚すること」(Rogers, 1959; 岡村, 2007, p.89 より引用)と表現されます。さらに後になると,共感は,「相手の私的な知覚世界に入ってその襞にまで通じるようになること…相手の内部で流れている瞬間瞬間に感じ取られている意味,すなわち相手が体験しつつある恐れ・怒り・優しさ・混乱などどんなものでも,それらをその都度感じ取ること」(Rogers, 1975; 岡村, 2007, p.90 より引用)と説明されています。これらの定義において, Rogers が一貫して強調しているのが「感じ取ること」です。つまり,クライエントの体験を実感的に理解することが重視されているわけです。そして,情動だけでなく「意味」を感じ取ることも重視されていることから,Rogers の言う共感は情動的な側面と認知的な側面を両方とも含んでいると考えられます。また,「あたかも…かのように」という性質の強調は,クライエントの体験を自分自身の体験と混同せず,クライエント視点から理解しているのが共感であるということです。以上のことから,Rogers の言う共感は,「他者の精神状態のメンタライジング」と言い換えてもよく,しかも洗練されたメンタライジングが目標とされていることがわかります。

注:i) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iv) ちなみに、引用中の「認知的な側面」についての補足説明になるかもしれないので、「認知療法」についてのWEBページを次に示します。 「認知療法とは

加えて、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「感情はどこまでも個人的なもの」項における記述の一部(P205)を次に引用します。

アスペルガーの当事者の一人が、次のように語ったのを私は聞いたことがあります。
「他の(発達障害でない)人たちは、共感という一つの大きな魔法にかかっていて、自分だけが魔法の影響を受けなくなる呪いをかけられているみたいです。そのためにみんなからのけ者にされているような感じがします。みんなは、ありもしない魔法のお城で楽しそうに暮らしているのに、自分にはみんなが幻覚を見ていて、自分だけが正気でいるようにしか思えない。でも、そう思うのが自分だけだとすると、論理的に考えて、私のほうが狂っているはずだということは自覚しています」
このように、一般の人とは世界の仕組みに関する認識において大きな隔たりがあるために、「理解してもらえた」と思う機会がどうしても少なくなるのが、感じ方・考え方が異なるという苦境の一つの側面です。

注:この引用には、ここに示すように少数派が関連しているようです。

[22] 認知様式と社会的コミュニケーション
金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第3章 自閉症の多様性を「測る」――脳科学からのアプローチ(著者:菊知充、三邉義男) の「自閉症の認知様式と社会的コミュニケーション」における記述(P116~P122)を次に引用します。

私たちが物事を認知するときの脳の処理のしかた(認知様式)には、トップダウン処理とボトムアップ処理の二つがあります。
「曖昧で膨大な情報から、行動の目的に応じた情報の選択を行う」認知様式がトップダウン処理で、前頭前野が関与しているといわれています。ボトムアップ処理は「一つ一つのすべての情報を綿密に組み合わせて全体を理解する」認知様式で、主に脳の後方部に位置する後頭葉や側頭葉、頭頂葉が関与していると考えられています。
ところで、脳の役割は大きく二つに分けられます。外部からの情報を受け入れて情報処理する「入力」の役割と、自らが判断し行動するための「出力」の役割です。脳の後方部に位置する後頭葉や側頭葉、頭頂葉は、主にこの「入力」で重要な役割を果たしています。
自閉症の人の認知様式は、ボトムアップ処理であるといわれています。このことに関して、国立精神・神経医療研究センターの神尾陽子先生が、2007年に語彙判断課題を用いた言語プライミング効果を調べて報告しています。言語プライミング効果とは、簡単に言うと、事前に、その後に見せる言葉と関連のある言葉を見せておくと、その後に見た別の言葉の情報処理が早くなる現象で、トップダウン処理の効果が反映される現象です。
例えば、一瞬だけでも「くるま」という文字を見せておくと、後で見せられる文字の中でも、意味の近い「じてんしゃ」という文字については認識にかかる時間が早くなります。一方で「くま」という文字を見せておいた場合には、それとまったく関連のない「じてんしゃ」という文字の認識にかかる時間は早くはなりません。
こうした言語プライミング効果といわれる現象は、定型発達の人には明確に認められますが、自閉症の人には、あまり認められていません。つまり、定型発達の人は、日常生活の中で取り入れる膨大な情報をトップダウン処理して、一連の関連した情報を自動的に取捨選択して、文脈に応じて早い速度で処理できるのですが、自閉症の人はそれがうまくできないということです。
実用的で自然な社会的コミュニケーションは、曖昧で膨大な情報で成り立っています。社会的コミュニケーションには、「曖昧で膨大な情報から、行動の目的に応じた情報を選択する処理」が不可欠なのです。しかし、自閉症の人はトップダウン式の処理が苦手で、「一つ一つのすべての情報を綿密に組み合わせて全体を理解しようとするボトムアップ式の認知」が得意なため、実用的で自然な社会的コミュニケーションが困難になるのです。
我々の調査でも、ボトムアップ式の認知様式が自閉症の人には幼少期から存在していることを確認しています。言語的な認知機能を例に挙げて説明しましょう。
言葉と言葉の概念的関連性から全体のイメージを形づくることが必要な課題では、定型発達者に比べて自閉症の人の方が明らかに劣っていることがわかりました。
課題は、概念の連想ゲーム「なぞなぞ」です。例えば「空腹になると泣く」「ミルク」「よく寝る」などの言葉から、概念的にもっとも近い言葉を答えるテストで、答えは「赤ちゃん」です。
このような課題は、提示された個々の言葉だけでは特定の規則性を見つけることができず、正しい答えに到達できません。曖昧で、規則性のない概念的な共通点を探さなければならないこの問題(概念的類推課題)は、トップダウン式の処理に向いているテストに近いといえるでしょう。このようなテストは、自閉症の人には苦手のようです。
一方、同じように言葉を使う課題でも、「文字の音読」では、自閉症の人の方が優れているケースが少なからずあります。「文字の音読」は、記号(文字)と音(読み)が一対一対応になっていて曖昧さがありません。とくに日本語は、文字どおりに規則的に読めば正解です。こうした課題は、自閉症スペクトラム障害者の人が得意なボトムアップ式の処理が優位に働く可能性があります。

自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソードがあります。
自閉症の子どもが、母親に「お風呂のお湯を見てきて」と言われました。子どもは、お風呂のお湯を観察して戻ってきました。
母親は「お湯加減を見て、調節をしてほしい」という意味で言ったのですが、子どもは文字どおり「お湯」を「見て」きたのです。定型発達者からみると的外れですが、自閉症の脳の特徴から考えれば、ごく自然な反応なのです。「お風呂」「お湯」「見る」という一つ一つの言葉に対してボトムアップ処理の認知を脳が優先して実行し、その背景にある「湯加減を調節する」という真意は理解できないのです。我々のデータは、このような認知の傾向が、幼少期から既に存在することを示しています。
しかし、悪いことばかりでもありません。彼らが得意とするボトムアップ処理の認知様式が、文字や算数への興味を促進し、それを学習する機会を増やす可能性もあります。彼らは、因果関係に明確な規則性のある構造(例えば、二つの歯車をかみ合わせたときの回転速度の変化)においては、時として、飽くなき関心と優れた力を発揮します。その特性こそが、自閉症の人々の中から有能で孤高なる科学者や芸術家が生まれる一因なのかもしれないのです。

注:i) 引用中の「トップダウン」及び「ボトムアップ」について、感覚における両者の説明例として、三品昌美編の本、「分子脳科学 分子から脳機能と心に迫る」(2015年発行)の 用語解説 の「トップ・ダウン処理とボトム・アップ処理」における記述(P280)を次に引用(『 』内)します。 『ボトム・アップ処理は,感覚入力からの一つ一つの情報をパーツとして組み合わせて全体を構成するような情報処理の様式である.一方でトップ・ダウンは事前にもつ知識,経験から全体像の理解に基づいて,予測,仮説を立てて個々の情報を処理する様式である.大脳皮質は階層的であり,感覚領野からのボトム・アップ処理と,前頭前野などからのトップダウン処理とにおおまかに分けられる.実際にはそれぞれの皮質領域は,トップダウン処理とボトムアップ処理の両方にかかわりながら,経験による事前知識と感覚入力の整合性や不一致を検出することに関与していると考えられる.』 加えて、「トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い」の問題を含むトップダウン処理とボトムアップ処理の説明について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第18章 神経発達の生活臨床と外来面接 の「Ⅱ.情報処理障害と社会的能力」における記述の一部(P249~P250)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。なおこの引用部の著者は米田衆介です。 【ウ夕・フリスは,神経心理学の立場から,自閉症においてなぜ対人コミュニケーションの問題が存在するのかを説明する5つの仮説を挙げている。】、【そして,そのすべてに共通するメカニズムとして「トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い」の問題が指摘されている9)。大雑把にいえば,ボトムアップ処理とは,積み木を積んでいくように,眼の前にある断片的な要素から出発して逐次組み上げていくことによる情報処理の仕方である。このような積み上げ式の学習や問題解決は,ASDであってもよくできることが多い。これに対して,トップダウン処理とは,最初に全体の目的から出発して,そのために必要な要素だけを拾い集めて意味のあるまとまりとして構成していくような認知スタイルを示している。もちろん,ASD者も,それ以外の人も,実際的な生活を行う場面では両方の情報処理を活用しているのだが,ASDでは,ボトムアップ処理を優先しやすく,トップダウン処理に切り替えることに困難があると考えられる。】[注:引用中の文献番号「9)」は次の本です。 「ウ夕・フリス(神尾陽子監訳,花園力訳):ウ夕・フリスの自閉症入門-その世界を理解するために.中央法規,東京,2012.」] ii) 引用中の「自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソード」に関連した「字義に拘泥」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「悪いことばかりでもありません。彼らが得意とするボトムアップ処理の認知様式」に関連するかもしれない「われわれがついぞ見えないところの深い認知」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ボトムアップ処理」に関連して、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 1章 「心の理論」のどこがまちがっているのか? の「推論だけで作動するシステム」における記述の一部(P21)を次に引用します。

(前略)定型者が直観的な全体把握から部分へという認知パターンをとるのが主流であるのに対し,ASD 者では部分から全体へと向かう.いわゆる「ボトムアップ型」である.そのため時間がかかるし,かならずしも全体へとまとまりあがるとはかぎらない.

注:i) 引用中の「かならずしも全体へとまとまりあがるとはかぎらない.」に関連して、「全体へとまとまりあがらなかった」ことからもたらされるかもしれない「木を見て森を見ず」(又は「認知の穴」)については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「定型者が直観的な全体把握から部分へという認知パターンをとるのが主流」に関連して、このような「トップダウン型」認知が機能しなく「ボトムアップ型」認知が採用された場合の弱点例として、同本の 9章 認知行動特性 の「ボトムアップ型の優位」における記述の一部(P156~P157)を以下に引用します。 iii) 加えて、トップダウン型の情報処理のプロセスが作動するための「理念形成」の困難について、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「理念形成の困難」における記述の一部(P158~P160)を以下に引用します。 iv) その上に、引用中の「ボトムアップ型」に関連する「ボトムアップ優位」について、「ASDではしばしば習慣がなかなか形成されにくいという特性がある」及び「一からやり直し」を含めて、内海健清水光恵、鈴木國文編の本、「発達障害の精神病理Ⅱ」(2020年発行)の 第Ⅲ部 精神病理の基本問題 の 第9章 反復と強度 の「Ⅳ. 習慣」及び「Ⅵ. 投機性・再帰性」における記述の一部(P200~P206)を以下に引用します。

(前略)定型者の場合も,トップダウン型認知が機能しないときには,ボトムアップ型が採用される.たとえば経験のない新たな局面に遭遇したときなどである.しかし,繰り返すうちに慣れが生じ,そのうちにトップダウン型が機能し始める.(中略)ボトムアップ型の認知は,ノイズの処理が苦手である.なぜなら,関連ある刺激とそうでないものをあらかじめ仕分けることができず,逐一ひっかかってしまうからである.トップダウンの場合には,あらかじめ拾うべき情報が決まっており,それ以外はノイズとして切り捨てられる.

理念形成の困難
トップダウン型の情報処理のプロセスが作動するためには,「理念」が必要である.理念などというと,なにか仰々しく響くかもしれないが,ごく日常的なことである.
経験が束ねられ,まとまるとき,そこには個々の要素を集めただけではない何かが生まれる.それは大域的なみえであり,大づかみな把握である.あるいは状況に対するさしあたりの判断である.理念とはこうした類のものである.
たとえば,個々の顔面筋の動きからはわからない「表情」というまとまり,クラス全体の「雰囲気」,どう行動するべきかという「指針」などが挙げられる.グニラに欠けていたのは,自分にふりかかったことを,そのつどの小さな違いを捨てて,「いじめ」という理念で括ることだった.

私は誰かに十回いじめられても,終われば何事もなかったかのように立ち上がって歩み去ることができた6.

理念は個々の認知や行動において要請されるだけではない.もっと大域的なものも,生活する上で必要になる.たとえばそれは「常識」,「仕事」,「社会」といったようなものである.
そもそも「常識とは何か」,「仕事とは何か」,「社会とは何か」とたずねられたら,すぐに答えられるものではない.しかし,定型者にとってそれらは自明なものであり,あらたまって考えてもみないことである.そして,それらは理念として,われわれの行動をまとめ上げるべく機能している.
たとえば「常識で判断しろ」といわれれば,それなりの対応を考えるであろうし,やりたくないことでも「さあさあ,仕事」,「はいはい,仕事ですね」などと割り切れもする.「社会人らしく」などといわれると,何となく襟を正さねばならないと感じる.
ASD が職場で事例化するときには,段取りが悪かったり,マルチタスクが苦手だったり,不器用だったり,といったことが問題となることが多いだろうが,こうした技能の問題とは別に,「そもそも仕事というものがどういうものかわかっていないのではないか」などと評される場合がある.理念が機能していないことをうかがわせる.

vignette
23歳男性.学童期から,どこか自分が人と違っているという意識があり,「自分は世の中でやっていけない人間なのです」,「人として何かが欠けている.子どもにも抜かれている」と訴える.これまで何度となく,汎不安と自殺するのではないかという恐怖にさいなまれてきた.
大学の最終学年になると,「自分は絶対に社会ではやっていけない,落伍して浮浪者のようになる」という思いが極度に強くなり,たとえば周囲の会話のなかに「失敗」という言葉を耳にはさんだだけでも,飛び上がらんばかりの衝撃を受けた.
あまりにも思い詰めるため,緊急避難的に入院したが,不安・焦燥のかたまりのような状態がやわらぐことはなかった.就職への恐怖を繰り返し訴えるため,あえて理由をたずねたところ,「宴会芸をやらされると思うと,気が狂いそうになります」と真顔で答えた.

ここでは,社会(就職)が「宴会芸」に短絡している.統合失調症で時折みられる「具象化傾向」と呼ばれる症状に似た言語性の病理である.「仕事」という理念が機能していないので,「宴会芸」のような個別のものに仮託されている.
なお,この青年は,就職浪人になってから,周囲のアドバイスに耳を貸すようになり,各種の資格をとることに専念して,そののちビル管理の仕事に就職した.

注: i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「6」は、次の本からの参照です。 「Gerland. G. : A Real Person : Life on the outside, Souvenir Press, London, 1997, p.90(グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった』ニキ・リンコ訳,花風社,2000, p.96)」 iii) 引用中の「トップダウン型の情報処理」に関連する「トップダウン処理」についてはここを参照して下さい。

Ⅳ. 習慣

TD(定型発達者)における反復を代表するものが「習慣」である。前稿4)でも触れたが,ここで今一度概説しておく。
ドゥルーズは「習慣はつねに経験に後続するが,経験に依存しない」5)という。真の反復は,交換・置換が不可能であるのに対し,習慣は,そうした交換不可能な経験から「何か新しいもの…差異を抜き取る」6)ことで成立する。
つまり習慣は,その都度の出来事で生じる差異を,誤差に縮減する。その前提となるのか大域的な(globally)まとまり,ないしは概念,あるいは「フレーム」であり,トップダウン優位の認知である。
ASDではしばしば習慣がなかなか形成されにくいという特性がある。その結果として,次のような行動様式になりがちである。
①同一の手続きや対象に固執する。(domain-specific)
もともと彼らの心性としての同一性保持が,適応に際しても発動される。同じ状況が確保されれば大丈夫であるが,異なった状況に際しても,同じやり方,同じ対象に固執すると,たちまち不適応的になる。
②そのつど一からやり直しとなる。
少しでも状況が異なれば,大域的には同じようなやり方ですむところを,一から考え直して取り組む。それだけでも,大きなロスになる。ボトムアップ優位であり,完全に理解しようとして情報処理に時間がかかり,ワンテンポ遅れる。細事にひっかかり,全体がみえなくなる。状況が変動するとそれを後追いするかたちでイタチごっこになり,もう一度,一からやり直しになる。多くの事例が苦しむことの一つの代表が,会話に入れないことである。また効率が悪く,独特の疲れやすさの淵源となることが多い。一からやり直しは,スペンサー=ブラウンの公理2に該当する。(中略)

Ⅵ. 投機性・再帰性(中略)

事例 22歳男性
「空虚感」,「満足感がない」,「離人感」というキャッチフレーズを使って毎回のように長時間訴え続ける。執拗に反復されるのだが,こちらからの応答はほとんどスルーされる。彼がこれらのキーワードを通してどのような苦痛を訴えようとしているのか,皆目見当がつかない。毎回のように明確化を促すと,一応の説明が返ってくるのだが,それもまた紋切り型のフレーズであり,相互の理解が深まることはない。次のセッションでは一からやり直しになってしまう(スペンサー=ブラウンの公理2)。

彼のキャッチフレーズはありきたりの言葉なのだが,私的言語(ヴィントゲンシュタイン)としてしか機能していない。(後略)

注:i) この引用部の著者は内海健です。 ii) 引用中の文献番号「4)」は次の本です。 「内海健:差異と同一性-ドゥルーズ的変奏によるASDの精神病理.鈴木國文,内海健清水光恵編:発達障害の精神病理Ⅰ星和書店,東京,p.133-161,2018.」 iii) 引用中の文献番号「5)」は次の本です。 「Deleuze, G. : Empirisme et subjective. : essai sur la nature selon Hume, p132, Presses Universitaires de France, Paris, 1953(木田元・財津理訳:経験論と主体性-ヒュームにおける人間的自然についての試論.河出書房新社,東京,2000.)」 iv) 引用中の文献番号「6)」は次の本です。 「Deleuze, G. : Différence et répétition. Presses Universitaires de France, Paris, p.101, 1968.」 v) 引用中の「スペンサー=ブラウンの公理2」に相当する(スペンサー=ブラウンの)「横断の法則」については、例えば次の資料を参照すれば良いかもしれません。 『「人格」という形式』の(訳注4)[P116] vi) 引用中の「私的言語」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「私的言語」 vii) 引用中の「トップダウン優位」に関連する「トップダウン処理」についてはここを参照して下さい。 viii) 引用中の「少しでも状況が異なれば,大域的には同じようなやり方ですむところを,一から考え直して取り組む」に関連する「似たような経験でも、少しでも異なるとまったく別のものととらえてしまう」ことについて、宮尾益知監修の本、『対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 正しい理解と生きづらさの克服法』(2020年発行)の Part2 定型発達との差異 自分と相手の見ている世界の違いを理解する の 特性と差異④あいまいさ の「ASD ひとつひとつを完璧に。 100%一致しないと納得出来ない」における記述(P43)を次に引用(【 】内)します。 【似たような経験でも、少しでも異なるとまったく別のものととらえてしまい、経験を生かして類推することができません。】

[23] マインドブラインドネス
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (5)心の理論と関連する概念 の 「3) マインドブラインドネス」項における記述(P46)を次に引用します。

心の理論と関連するもう1つの概念として「マインドブラインドネス」(mindblindness)があります。これは,Baron-Cohen(1995)が自閉症の中核的欠損を強調するために導入した用語です。心の理論にみられるように,行動を理解する際に思考,信念,認識,願望,意図のような精神状態を考慮できることを「精神主義的」(mentalistic)と呼びますが,精神主義的な理解や説明を行う能力が欠如していることをマインドブラインドネスというのです。自閉症は,個人によって程度の違いはありますが比較的不変のマインドブラインドネスを伴っており,それは先天的な脳機能障害によるものです。しかし,Fonagy と共同研究者たちは,後天的・発達的な要因によるメンタライジングの機能不全をもマインドブラインドネスに含めており,先天的なマインドブラインドネスと区別するために「力動的マインドブラインドネス」(dynamic mindblindness)と呼んでいます(Allen et al., 2008)。

注: i) 引用中の「心の理論」に関する資料例は次に引用します。『「心の理論」とコミュニケーション』 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Allen et al., 2008」は文献ですが、紹介を省略します。。

[24] 夫婦関係と発達障害
以下のWEBページを参照して下さい。

夫婦関係と発達障害(上)母離れできない夫、妻の苦痛 - yomiDr.
夫婦関係と発達障害(中)「エリート」も多いアスペルガー - yomiDr.
夫婦関係と発達障害(下)「言外の意味」どう伝えるか - yomiDr.
「夫婦関係と発達障害」反響編(上)心身共に疲れ果てた妻、マイペースな夫 - yomiDr.
「夫婦関係と発達障害」反響編(下)それぞれの障害に気づく…個性認められるように - yomiDr.

ちなみに、 a) 及びのリンク先における用語「カサンドラ症候群」については次のWEBページを参照して下さい。【『夫と意思疎通ができずに妻が陥る「カサンドラ症候群」 発達障害の夫に悩み、鬱にも』】 加えて、上記「カサンドラ症候群」について紹介するツイートもあります。

[25] 発達障害とパーソナリティ障害
発達障害とパーソナリティ障害との関係に関して、「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」の「エッセイ パーソナリティ障害をめぐって」中の文書より引用します。

市橋秀夫著の文書「私の診てきたパーソナリティ障害」(P78~P79)における記述の一部(P79)を次に引用します。

半数くらいのパーソナリティ障害に、過去の症例を含めて、発達障害の合併を認めないわけにはゆかない。(後略)

②本田秀夫著の文書「パーソナリティ? それとも発達?」(P82~P83)における記述の一部(P82~P83)を次に引用します。

人物評に使われる言葉はたくさんある。「明るい」「強気だ」「疑い深い」「顕示欲が強い」「堅苦しい」「消極的」「空気を読まない」「そそっかしい」「運動が得意だ」「勉強が苦手だ」などの言葉を組み合わせることによって、人物像が語られる。(中略)

冒頭に挙げた人物評に用いられる言葉の中で最も議論を呼ぶのが、「空気を読まない」と「そそっかしい」であろう。これらは、一般の人たちからはパーソナリティを表す言葉と捉えられているが、度が過ぎる場合の診断は「社会的(語用論的)コミュニケーション症」「自閉スペクトラム症」「注意欠如・多動症ADHD)」などの発達障害である。(中略)

精神障害の分類の中で、パーソナリティ障害と発達障害とは再編成が必要なのだと筆者は思う。一般の人からみればどれもパーソナリティと言ってよさそうなのに、「空気を読まない」「そそっかしい」のように「発達」の軸から研究されているものと、「疑い深い」「顕示欲が強い」「堅苦しい」「消極的」のようにパーソナリティとして扱われているものがあり、これまでは概念の出自が違うために別々に論じられてきた。これらはもっと統合的に検討すべきだ。何らかの生来的な特性をもち、さまざまな経験を通じた環境との相互作用の結果として認知、感情、対人行動、興味、志向性などの総合的な個性が獲得され、成人期に個性として固定するまでのプロセス全体を発達とパーソナリティ形成の両面から捉え直し、再整理するのである。(後略)

注:i) 引用中の『「社会的(語用論的)コミュニケーション症」』及び『「注意欠如・多動症ADHD)」』について、前者はリンク集(1)を、後者は注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典、リンク集の(6)(7)をそれぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「空気を読まない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。

[26] 自閉症スペクトラム障害(ASD)における二次障害としての「新型うつ」について
最初に標記「新型うつ」については、例えば次のWEBページ、資料をそれぞれ参照して下さい。 「うつ病Q&Aの「Q4. 新型うつ病が増えていると聞きます。新型うつ病とはどのようなものでしょうか?」項、「臨床現場における「新型うつ病」について」、『「新型うつ」への心理学アプローチ』、「若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない! パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘」 加えて「新型うつ」に関連するかもしれない次の資料もあります。 「対人過敏傾向・自己優先志向が対人ストレスイベント,抑うつに及ぼす影響についての縦断的検討」 さらに、標記『二次障害としての「新型うつ」』の事例について、下山晴彦監修、中野美奈著の本、『ストレスチェック時代の職場の「新型うつ」対策 理解・予防・支援のために』の 第Ⅰ部 職場のメンタルヘルスと「新型うつ」 の 第3章 「新型うつ」と混同されがちな問題 の『4 自閉症スペクトラム障害発達障害)の二次障害としての「うつ」』における記述の一部(P53~P55)を次に引用します。

4 自閉症スペクトラム障害発達障害)の二次障害としての「うつ」

Eさん(二六歳・男性)は、幼いときから数字が大好きです。学生時代は学業成績も非常に優秀で(国語は苦手でしたが)、特に数学が得意でした。中高一貫の男子校を卒業後、上京して国立大学に進み、優秀な成績で卒業しました。卒業後は都内にある民間企業の研究職に就職しました。
職場でEさんは「仕事はできるけど、ちょっと変わった人」と思われていたようです。とても細かい作業を丁寧にこなし、質問には正確に答え、ミスもほとんどありません。同じ作業を繰り返すような地味な仕事でも、むしろ楽しそうに毎日コツコツと取り組んでいました。人間関係に関しては、Eさんには親しく話をするような友人や同僚はいませんでした。相手の気持ちを考慮せず、思ったことをそのまま言葉にするので、相手を不快にさせることが多かったし、Eさん自身も他人と一緒に過ごすよりは独りでいる方が気楽でした。
入社して数年経ち、後輩が入ってきたあたりからEさんの仕事がうまくいかなくなってきました。まず後輩との人間関係をうまく築くことができません。Eさんとしては淡々と言うべきことを言って指導しているつもりなのですが、後輩としてはEさんの気遣いのない率直すぎる物言いや、融通のきかない頑固さや、こだわりなどによって不快な気分になることが多くあったようです。Eさんはまた、トラブルがあった際のフォローやチームのマネジメント業務が非常に苦手です。決まりきった日常業務でなく柔軟な対応を求められるような場面では、どうしたら良いかわからずパニック気味になってしまいます。会社では出世するにつれて責任も重くなり、柔軟な対応が求められる場面が多くなりますが、Eさんにとってはそれが苦痛でした。
やがてEさんは朝会社に行く頃になると吐き気がするようになってしまいました。病院を受診しても異常は見つかりません。心理的なストレスが原因かもしれないと医師に言われ、心療内科を受診することにしました。心療内科では「うつ状態」と言われ、二か月間休職する必要があるとのことでした。医師からは、「休職中は仕事のことは忘れてのんびり過ごし、自分が楽しめることだけをするように」と指示されました。
Eさんが好きなのは何といってもラーメンです。日本全国様々なラーメン屋を食べ歩き、その写真をSNSにアップするのが唯一の趣味でした。そこで、この際二か月の休職期間を利用して北海道までラーメン食べ歩きの旅に出ることにしたのです。インスタグラムには毎日、おいしそうなラーメンの写真がアップされています。そのことをEさんの同僚から聞いた職場の人たちは驚きと怒りを隠せません。EさんはEさんで、「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」と、悪びれた様子はまったくありません。復職しても、職場でのEさんの居心地はかなり悪くなりそうです。(後略)

注:引用中の「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」に関連するかもしれない、『「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません』についてはここを参照して下さい。

加えて、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第2章 上司の理解が期待される時代 の「二次障害的新型うつとASDの印象は似ている」における記述の一部(P54~P56)を次に引用します。

二次障害的新型うつとASDの印象は似ている(中略)

しかし、2000年代以降、新しいタイプといわれるうつ病が登場したのです。それが新型うつです。新型うつといわれるうつ病の特徴は、すべては他人のせいで、困難な状況から逃げてしまい、社会や組織のルールに反発し、職場に適応しない代わりに、職場以外の場ではまったく問題が見られないようなタイプです。
そして、問題はその新型うつの対応に悩む職場が増えていることなのです。この新型うつは「逃避型抑うつ、ディスチミア親和型」とも呼ばれていますが、その特徴をみると自閉症スペクトラム(ASD)の人が適応に失敗し傷ついたときの反応の多くと非常に類似しています。新型うつはASDの二次障害とも考えられるのです。たとえば、ASDの人たちは「いけない」と書いてあること以外は「してよい」と思っています。そして、自分の行動が他者からどのように映るかを考えることが苦手です。デジタルな思考なので、仕事は仕事、遊びは遊びと分けて考えることが容易なのです。「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません。
この「新型うつと自閉症スペクトラム(ASD)の関係」はまだ明確になっていませんが、社員のメンタルヘルス対策の中に、自閉症スペクトラム(ASD)かもしれないという発想があれば、その二次障害的なうつ病にも対応できる可能性があります。

注:i) 引用中の『「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません』に関連するかもしれない、「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「二次障害的新型うつ」に関連するかもしれない「ASの人がうつ病になると症状の訴え方や困り方にAS特性が反映される」(注:「AS」とは自閉スペクトラムを指します)ことについて、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第13章 大人の症例で発達障害を診断することの意義と問題点 の Ⅲ.大人の症例で発達障害を診断することの意義 の 「2.他の精神障害の背景に発達障害もあると診断する場合」における記述の一部(P188~P189)を次に引用(【 】内)します。 【たとえば,ASの人がうつ病になることを想定してみよう。睡眠障害,意欲の減退,抑うつ気分,自責感,悲哀感情,食欲の低下など,典型的なうつ病の症状を呈して精神科クリニックを受診した症例にもともとASの特性があると,症状の訴え方や困り方にAS特性が反映される。すなわち,すべての活動に対する意欲が低下するのではなく,きわめて意欲の低下する活動とそうでない活動がある。会社に行く気力は全くなくても,家では好きなフィギュア作りには没頭できるため,ただサボっているだけなのではないかと誤解される。】(注:この引用における著者は本田秀夫です)

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≪余談5≫論文紹介を含む自閉スペクトラム症へのベイズ理論の適用について、その他

最初に標記についての論文を次にに紹介します。

[1] 論文要旨「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?[拙訳]自閉スペクトラム症ベイズ理論は臨床診療の改善に役立つか?」(全文はここを参照)を次に引用します。

Diagnosis and individualized treatment of autism spectrum disorder (ASD) represent major problems for contemporary psychiatry. Tackling these problems requires guidance by a pathophysiological theory. In this paper, we consider recent theories that re-conceptualize ASD from a "Bayesian brain" perspective, which posit that the core abnormality of ASD resides in perceptual aberrations due to a disbalance in the precision of prediction errors (sensory noise) relative to the precision of predictions (prior beliefs). This results in percepts that are dominated by sensory inputs and less guided by top-down regularization and shifts the perceptual focus to detailed aspects of the environment with difficulties in extracting meaning. While these Bayesian theories have inspired ongoing empirical studies, their clinical implications have not yet been carved out. Here, we consider how this Bayesian perspective on disease mechanisms in ASD might contribute to improving clinical care for affected individuals. Specifically, we describe a computational strategy, based on generative (e.g., hierarchical Bayesian) models of behavioral and functional neuroimaging data, for establishing diagnostic tests. These tests could provide estimates of specific cognitive processes underlying ASD and delineate pathophysiological mechanisms with concrete treatment targets. Written with a clinical audience in mind, this article outlines how the development of computational diagnostics applicable to behavioral and functional neuroimaging data in routine clinical practice could not only fundamentally alter our concept of ASD but eventually also transform the clinical management of this disorder.


[拙訳]
自閉スペクトラム症ASD)の診断及び個別化された治療は、現代の精神医学にとって大きな問題であることが示される。これらの問題に取り組むには、病態生理学的理論による指針が必要である。この論文において、ASD の中核的異常が予測精度(事前の信念)に対する予測誤差(感覚ノイズ)の精度における不均衡による知覚異常にあると仮定する、「ベイジアン脳」の観点からの ASD を再概念化する最近の理論を、我々は考察する。感覚入力によって特色づけられ、トップダウンの規則化によって導かれることは少なく、意味を抽出することにおける困難を伴う環境の詳細な側面への知覚の焦点にシフトする知覚に、これはつながる。これらのベイズ理論は現在進行中の実証研究を動機づけしてきた一方で、それらの臨床的意義は未だ切り開かれていない。ここでは、ASD における疾患メカニズムに関するこのベイズの視点が、いかに侵された個人に対する臨床治療の改善に寄与するかを、我々は考察する。特に、診断検査を確立するための行動及び機能的神経画像データの生成(例:階層ベイズ)モデルに基づく計算戦略を、我々は記述する。これらの検査は ASD の基礎となる特異的認知処理の推定を提供し得るだろう、そして具体的な治療標的を伴う病態生理学的メカニズムを詳細に描き得るだろう。日常の臨床診療における行動及び機能的神経画像データに適用可能なコンピュータ診断の開発は、いかに ASD の概念を根本的に変えるだけでなく、最終的にこの疾患の臨床管理を変えることができるだろうことについて、臨床の読者を念頭に置いて書かれたこの論文は概説する。

注:i) 拙訳中の「予測精度」に関連するかもしれない「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 加えて、構成主義的情動理論の視点からは上記「予測精度」に関連する「予測」を含めて他の拙エントリのここを、突発性環境不耐症の視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 ii) 拙訳中の「ベイジアン脳」に関連するかもしれない「自閉スペクトラム症ベイズ推論モデル」について、国里愛彦、片平健太郎、沖村宰、山下祐一著の本、「計算論的精神医学 情報処理過程から読み解く精神障害」(2019年発行)の 第3部 精神疾患への適用事例 の 第13章 精神疾患への適用事例 の「13.5 自閉スペクトラム症ベイズ推論モデル」における記述(P267~P269)を次に引用します。

自閉スペクトラム症とは,発達の早期から,社会的相互作用とコミュニケーションの障害,反復常同性と感覚過敏・鈍麻といった特徴を示す発達障害である。自閉スペクトラム症の特徴として.知覚において局所的かつ詳細な内容の処理はできるが,全体として情報の統合が難しいとする中枢性統合の弱さ仮説(Happé & Frith, 2006)が提唱されている。このような自閉スペクトラム症の知覚における特徴は,ベイズ推論モデルで扱うことができると考えられる。そのため,これまで自閉スペクトラム症に関するベイズ推論モデルが複数提唱されてきている(Haker, Schneebeli, & Stephan, 2016; Palmer, Lawson, & Hohwy, 2017)。自閉スペクトラム症において感覚入力が優位になっているのは,事前の信念の分布が極端に平坦なためであるとするシンプルなべイズ推論モデル(Pellicano & Burr, 2012)から,予測符号化に基づいた高次ユニットからの予測の精度の問題と考える階層ベイズ推論モデル(Lawson, Rees, & Friston, 2014)まで提案されている。自閉スペクトラム症において問題となる社会的相互作用やコミュニケーション場面では,無関連な情報も多く飛び交い,さらに複数の人がかかわる動的なプロセスの結果生じた情報も多い。また,同じ人の同じ発言であっても,その場に他に誰がいるか,どういう文脈かによって意味が異なってくる。社会的相互作用やコミュニケーション場面は,複雑な入れ子状になった階層的な構造をもっているといえる。そのため,そのような環境を表現するためにも,階層化された生成モデルを用いる必要があり,階層ベイズモデルが有用と考えられる。階層ベイズモデルを用いた問題理解においては,統合失調症と同じく,予測,予測誤差,精度の3つの観点から検討を行う。
ベイズ推論モデルにおいては,私たちは生成モデルをもとに予測・行動し,環境と相互作用すると考える。図13.5に示すように,私達が日々経験する社会刺激や対人相互作用場面は,無関連でランダムな情報を含んだ刺激や階層性をもった複雑な動的プロセスから生成された刺激を含んでいる。このような状況に対して,私達は,階層性をもった内的モデルを用意して,複雑かつ無関連な刺激を含んだ中から,意味のある情報に注意を向けたり,適切に予測を行う。しかし,自閉スペクトラム症では,なんらかの問題により,階層性をもった内的モデルの高次のレベルが機能しなくなっていると仮定する。このように仮定すると,自閉スペクトラム症のいくつかの特徴について階層ベイズモデルから説明をすることができる。
まず,自閉スペクトラム症における知覚の中枢性統合の弱さは,事前の予測の精度よりも感覚入力の精度が高いために,生成モデルの更新がなされないためと考えられる(Haker et al., 2016)。自閉スペクトラム症では,高次な内的モデルの機能が低下しており,抽象的な表象が確立できておらず,トップダウン的に意味のある情報に注意を向けることができない。また,感覚入力の精度が高いので,絶えず,無情報な予測誤差が生じており,それに対する過学習が起こる。そのため,適切に生成モデルの更新ができない。その結果として,さらにトップダウン的な処理が難しくなり,悪循環に陥ることになる。このため,感覚の予測に対しても,絶えず予測された感覚と経験される感覚の予測誤差が生じており,自閉スペクトラム症の者はストレスを感じている。このことは,自閉スペクトラム症の感覚過敏を説明する。さらに,社会的相互作用場面は非常に予測が難しく,動的かつあいまいな状況になるので,自閉スペクトラム症の者は,社会的相互作用場面でも予測誤差が多く生じてしまい,ストレスを感じることになると考えられる(Haker et al., 2016)。絶えず予測誤差のストレスにさらされるので,予測できない環境を回避し,予測誤差が生じることの少ない常同行動が行われるのではないかと考えられる(Haker et al., 2016)。このように,ベイズ推論モデルは,自閉スペクトラム症について,新たな視点や仮説を提供するものである。

注:(i) 引用中の「図13.5」の引用は省略します。代わりに論文(全文)「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」の Figure 4 を参照すると良いかもしれません。 (ii) 引用中の「Happé & Frith, 2006」は次の論文です。 「The weak coherence account: detail-focused cognitive style in autism spectrum disorders.」 ちなみに、同じ著者のより最新の論文については次を参照して下さい。 「Annual Research Review: Looking back to look forward - changes in the concept of autism and implications for future research.」 (iii) 引用中の「Haker, Schneebeli, & Stephan, 2016」、「Haker et al., 2016」は共に次の論文です。 「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(上記 (i) 項及びここも参照) (iv) 引用中の「Palmer, Lawson, & Hohwy, 2017」は次の論文です。 「Bayesian approaches to autism: Towards volatility, action, and behavior.」 (v) 引用中の「Pellicano & Burr, 2012」は次の論文です。 「When the world becomes 'too real': a Bayesian explanation of autistic perception.」 (vi) 引用中の「Lawson, Rees, & Friston, 2014」は次の論文です。 「An aberrant precision account of autism.」 (vii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 (viii) 引用中の「事前の信念」について「ホロウマスク錯視」を含めて、内海健清水光恵、鈴木國文編の本、「発達障害の精神病理Ⅱ」(2020年発行)の 第Ⅱ部 記憶・認知 の 第6章 脳の計算理論に基づく発達障害の病態理解 の Ⅱ. 予測符号化 の「2. ベイズ推論としての知覚」における記述の一部(P133~P134)を次に引用(『 』内)します。 『事前の信念(予測)の影響の極端な例としては,ホロウマスク錯視(凹面に彫られた顔が凸面として認識されるような錯視)がある。「顔は凸面である」などの,対象に対する我々の信念(予測)に依存する現象と考えると直観的にも理解しやすいだろう。よく知られる錯視の多くが,このベイズ推論における事前の信念に依存すると理解できる。』(注:[a] この引用部の著者は山下祐一です。 [b] 引用中の「ホロウマスク錯視」(hollow mask illusion)については例えば、 1) 次の論文(全文)参照して下さい。 「Knowledge in perception and illusion」の Figure 1.[ちなみに、PubMed 要旨はここを参照] 2) 次のWEBページを参照して下さい。 「錯視・錯覚のオーバービュー」の「ホロウマスク錯視」項。なお、このWEBページ中には様々な錯視・錯覚が紹介されています。) (ix) 引用中の「自閉スペクトラム症の知覚における特徴は,ベイズ推論モデルで扱うことができると考えられる」ことに関連する、 1) (ASDにおける)「内部モデルによる予測と感覚の特異性」については次の資料を参照して下さい。 「適応機能としての自閉症スペクトラム障害の注意と感覚処理特性」の「3.2 内部モデルによる予測と感覚の特異性」項 2) 「Aberrant precision 仮説」について、同章(上記 (viii) 項を参照)の Ⅲ. 予測符号化の失調としてのASD の「1. Aberrant precision 仮説」における記述(P135~P136)を次に引用します。

前節において,感覚と予測の精度が 予測符号化における予測誤差最小化プロセスにおいて重要な役割を担っていることを指摘した。近年,予測符号化プロセスにおける“精度”の変調が,ASD の症状形成に,重要な役割を果たしているとする仮説が複数提案されている6-9)。例えば,ASD の知覚がボトムアップ的な感覚優位になっているのは,予測の精度が低いためであるとする仮説(hypo-prior 仮説)がある6)。図3Bのように予測の精度が低い(事前分布が極端に平坦)場合,式 [1] に基づいて計算される感覚入力との統合の結果生じる知覚(事後分布)は,感覚に強く依拠したものになる。この仮説は,自閉スペクトラム症において錯覚が生じにくいこと28),物体の影の情報を利用した形態の認知など事前の経験に基づく情報の利用が不得手であること29),などを説明する。
一方で,同様の観察は一次的な変化として感覚入力の精度が高い,と仮定しても説明できるとする議論もある(hyper-precision 仮説9))。図3Cのように,感覚の精度が極端に高い(分布が尖っている)と,予測の分布に変化がなくても,知覚(事後分布)は感覚に強く依拠したものになりうると考えることができる。しかし,どちらが一次的かというよりも,式 [2] に示されているように,ベイズ推論モデルにおいて予測誤差を重みづけるのは,予測と感覚の精度の比(バランス)であるとも理解できる8)ため,その症状の成り立ちには複数の経路があると考えることもできるだろう。
また,ベイズ推論としての知覚・認知プロセスは,繰り返されることで内部モデルが更新(学習)されることも考慮に入れる必用がある。hypo-prior あるいは hyper-precision いずれの状態でも,常に感覚の微細な差異に基づいた予測誤差の更新が行われるために,不適切な情報(いわばノイズ)に基づく過学習が生じ,類似の経験を汎化してトップダウン的な予測としてまとめ上げるような学習が成立しにくくなると解釈できる。結果として,適切なトップダウン的な注意の切り替えなどが難しくなると説明される7)。

注:i) この引用部の著者は山下祐一です。 ii) 引用中の文献番号「6)」は次の論文です。 「When the world becomes 'too real': a Bayesian explanation of autistic perception.」、 iii) 引用中の文献番号「7)」は次の論文です。 「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(ここの iii) 項も参照) iv) 引用中の文献番号「8)」は次の論文です。 「An Aberrant Precision Account of Autism」 v) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「Precise Minds in Uncertain Worlds: Predictive Coding in Autism」 vi) 引用中の文献番号「28)」は次の論文です。 「Studying Weak Central Coherence at Low Levels: Children With Autism Do Not Succumb to Visual Illusions. A Research Note」 vii) 引用中の文献番号「29)」は次の論文です。 「Perception of Shadows in Children With Autism Spectrum Disorders」 viii) 引用中の「式 [1]」の引用は省略します。 ix) 引用中の「式 [2]」は同章の P134~P135 より、簡単な説明を含めて形式を変更して次に二分割して引用(それぞれ『 』内)します。 『ベイズ推論においては,予測(事前分布),感覚(尤度),知覚(事後分布)が確率分布の形で表現されるが,それぞれが正規分布に従うと仮定すると,ベイズ推論の計算は以下の様に表現することができる27)。』(注:引用中の文献番号「27)」は次の論文です。 「Uncertainty in Perception and the Hierarchical Gaussian Filter」)、『知覚=予測+感覚の精度÷(予測の精度+感覚の精度)×予測誤差 [2]』 加えて、上記「ベイズ推論」と「知覚」の両者又は引用中の「ベイズ推論としての知覚」に関連するかもしれない「ベイズ的知覚観」について、「知覚は感覚入力によって更新される信念である」ことを含めて、清水光恵、鈴木國文、内海健編の本、「発達障害の精神病理Ⅲ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 の 第3章 「その他」の発達障害からみた知覚過程 の「Ⅲ. 知覚とは」における記述の一部(P53~P55)を以下に引用します。 x) 引用中の「図3B」の引用は省略しますが、代わりに論文[全文]「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(ここの iii) 項も参照)における Figure 2 の B を参照して下さい。 xi) 引用中の「図3C」の引用は省略しますが、代わりに同 Figure 2 の C を参照して下さい。 xii) 引用中の「予測符号化」に相当する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 xiii) 引用中の「ボトムアップ的」、「トップダウン的」に関連する「トップダウン処理」「ボトムアップ処理」については共にここを参照して下さい。

生物が感覚を通して外界の情報を集め,解釈し,理解するプロセスが知覚と呼ばれる。ヒトは常に大量の感覚情報にさらされている。そして感覚情報は対象物の情報として完全なものではなく,ノイズに満ち,曖昧である。われわれの知覚内容は,われわれ自身の実感としては充分に客観的なもの,疑いようのないものと感じられるものである。しかし,例えば人間が視覚を通して処理できる可視光の帯域は,自然界の電磁スペクトルからみたらほんの一部である。われわれは,その時々の限られた感覚情報と,経験に基づいてそれぞれの脳が作り上げた内部モデルをもとに世界を解釈する。錯視(描かれたものとは違うものを見てしまう現象)を例にとって考えれば明らかなように,物理的実在と知覚像は乖離する。知覚されるのは実在そのものではない。感覚情報の制約下で,脳内で構成されたものなのである。つまり知覚とは,かなりの程度内発的に,能動的に生み出されるものなのである。感覚情報を理解,解釈するためには推論が必要であり,知覚に際し,脳は無意識のうちに推論を行っているという考え方がある9)。
現代のベイズ的知覚観は,「知覚は感覚入力によって更新される信念である」という立場をとる10)。そして最近では,知覚には「予測」が重要な役割を占めると考えられるようになってきている。脳は予測装置(predictive machine)であるといわれることもある11)。脳は内部モデルに基づいて環境における刺激を絶えず予測して,計算された予測(トップダウン)と,感覚信号(ボトムアップ)を比較し,両者の差分(予測誤差)に基づいて知覚を能動的に創発しているとされ,こうした脳の働きを予測符号化(predictive coding)または予測情報処理(predictive processing)と呼ぶ12)。予測情報処理においては,情報が予測されるのみならず,予測誤差を用いて学習が生じ,内部モデルが絶えず更新され,次の知覚に生かされるという点が重要である(「今日の予測誤差は明日の予測になる」13)。生体は絶えず何かしら新しい環境に置かれているので,知覚のたびごとに予測誤差は生じる。情報量の多い環境においては,学習による内部モデルの更新のために予測誤差は重視されるべきである。しかしノイズの多い環境においては,予測誤差はある程度割り引いて受け取られるべきである。予測情報処理理論においては,予測誤差をどれだけ学習に反映させるかの精度の設定には個体差があるとされ,ASDでは予測誤差の精度の設定に偏りがあり,精度が高すぎると考えられている14)。予測誤差の精度が高すぎると,絶えず予測誤差によって内部モデルを更新するために,いつまでたっても学習が終わらない状態になる。その結果,一つ一つの事象の細かい差異にとらわれ,一般化,範疇化が生じにくい状態になる。また,知覚のみならず,コミュニケーション,社会性,そして想像力の問題という,自閉症診断のいわゆる3つ組と呼ばれる要素に至るまで,幅広い影響を及ぼすというのが,予測情報処理理論によるASDの発症機序の説明である15)。同じものをみていても,知覚のされ方は一人ひとり異なる。それぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて構築している世界のことを,ユクスキュルはUmwelt(「環世界」と訳される)と呼んだ16)。われわれは,それぞれ持ち前の脳機能と経験に応じた環世界を生きているといえる。ASD当事者の環世界と定型発達者の環世界とは大きく異なるものだろう。住んでいる世界が違うといってもいいのではないか。世の人がこのことを知れば,発達障害の当事者に対する風当たりが少しは弱まるのではないか。発達障害を持つ人において,相貌認知の問題や道順の問題が合併することが多いことはよく知られている。これらも知覚の問題である。(後略)

注:i) この引用部の著者は丹治和世です。 ii) 引用中の文献番号「9)」は次の本です。 「Helmholtz, H. von. : Treatise on Physiological Optics, Vol.3. Dover Publications, New York, 1962」 iii) 引用中の文献番号「10)」は次の資料を参照すると良いようです。 「解説-神谷之康 ASCONE2006 講義 ベイズで読み解く知覚世界」 iv) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science」 v) 引用中の文献番号「12)」は次の論文です。 「Predictive coding in the visual cortex: a functional interpretation of some extra-classical receptive-field effects」 vi) 引用中の文献番号「13)」は次の論文です。 「Precise minds in uncertain worlds: predictive coding in autism」 vii) 引用中の文献番号「14)」は次の論文です。 「Weak priors versus overfitting of predictions in autism: Reply to Pellicano and Burr (TICS, 2012)」 viii) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Autism as a disorder of prediction」 加えて、資料「成人発達障害のコミュニケーション障害」の「ASD の発症機序」項も参照すると良いかもしれません。 ix) 引用中の文献番号「16)」は次の本です。 「ユクスキュル,J. v. & クリサート,G.:生物から見た世界.岩波書店,東京,2005.」 x) 引用中の「予測」、「predictive coding」(予測符号化又は予測的符号化)や「predictive processing」(予測情報処理又は予測的処理)については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「推論」に関連する「能動的推論」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 - 脳科学辞典」、「自由エネルギー原理 -環境との相即不離の主観理論-」 xii) 引用中の「一般化,範疇化」に類似するかもしれない「般化や範疇化(カテゴリー化)」について、清水光恵、鈴木國文、内海健編の本、「発達障害の精神病理Ⅲ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 の 第3章 「その他」の発達障害からみた知覚過程 の「Ⅱ. 発達障害の認知機能-ASDを中心に」における記述の一部(P52)を次に引用(『 』内)します。 『一方,Plaistedは,様々な事象の間に類似性を見出すことができないことがASDの認知機能における中心的な問題と考えた6)。複数の事物の間の共通点が認識されにくく,かつそれぞれに特異的な点が認識されやすいことから,物事の類似性を見いだせず,事物をまとめあげること,つまり般化や範疇化(カテゴリー化)が容易にできないことや,範疇化が独特な様式で形成されることがASDの諸症状の原因になると考えた6)。』(注:引用中の文献番号「6)」は次の文書です。 「Plaisted, K.C. : Reduced generalization in autism: An alternative to weak central coherence. In : (eds.), Burack, J.A., Charman, T., Yirmiya, N. et al. The Development of Autism: Perspectives from Theory and Research, Lawrence Erlbaum Associates, Inc, Publishers., p.149-169, 2001.」) xiii) 引用中の「錯視(描かれたものとは違うものを見てしまう現象)」の一種である「ホロウマスク錯視」についてはここの (viii) 項を、「チェッカーシャドウイリュージョン」については資料「2. トップダウン障害仮説と統合失調症」の「図 2 チェッカーシャドウイリュージョン」(P149)を、そして「太陽のように上方に光源があると仮定すると、ふくらんだ物体であれば下に影ができる、この仮説にもとづき、脳は瞬時に推論を行って、凹凸感を決めている」ことについては pdfファイル『「こころ」のサイエンス -心理学が解き明かす心のしくみ-』中の佐藤隆夫著の文書「心理学ってなんだろう?」の「2)私たちの見方・伝え方-中世の絵から考える」項、そして「図5.陰影に基づく形状の無意識的推論」(P7)を それぞれ参照して下さい。加えて、上記「錯視」や「リュージョン」以外の様々な錯視については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「北岡明佳の錯視のページ」、「杉原 厚吉」 加えて拙訳はありませんが、上記「錯視」(Optical Illusion)に関連する次の論文(全文)やWEBページもあります。 「Interoception: The Secret Ingredient」の Figure 1、「B or 13: Context Optical Illusion」(注:[下記「図6・2のよく知られた錯視」としての]この錯視に対する静止画像について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第6章 脳はどのように情動を作るのか」の図 6.2 における記述の一部(P107)を次に引用(『 』内)します。 『図 6.2 コントロールネットワークは、候補となる分類方法(このケースでは「B」か「13」か)のどれを選択すべきかをめぐる脳の決定を支援する。』[注:引用中の「コントロールネットワーク」〔Control network〕については拙訳ありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「Control network」]) なお、「ASD者の錯視の起こりにくさについて」についての note は次を参照して下さい。 「ASD者の錯視の起こりにくさについて」(注:同 note 中の「4つの三角形の謎」についての引用ツイートがあります) また、上記「錯視」に関連するかもしれない「経験盲」(experiential blindness)については拙訳はありませんが次の論文(全文)やWEBページを参照して下さい。 「Categories and Their Role in the Science of Emotion」の Figure 1、「How Emotions Are Made: The Theory of Constructed Emotion」の「Experiential blindness」項、「Neuroscience Of Strange And Beautiful Experiences」 加えて、上記「錯視」と「予測符号化」との関連については次のエントリを参照して下さい。 「Frontiers in Psychology誌に論文を発表しました」 その上に、上記「錯視」や「経験盲」に関連する「事前知識によって知覚が変わる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の「図2 事前知識によって知覚が変わる例」(P298) ちなみに、これら以外の錯角の例については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「脳のつじつま合わせと錯覚

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:又は感覚のアンバランス

*2:注:上記「ADHD」については他の拙エントリを参照して下さい

*3:「社会的(語用論的)コミュニケーション症」は、「ソーシャルコミュニケ―ション障害」の最新名です

*4:社会的(語用論的)コミュニケーション症のみならず自閉スペクトラム症の関連キーワードでもあります

*5:加えて他の拙エントリのここも参照して下さい

*6:加えて、岩波明医師、田中康雄医師に関連した本エントリ内リンク集は共に他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、宮尾益知医師における他の拙エントリのリンク集は以下を参照して下さい。

*7:なお、ADHDに関連する杉山登志郎医師についてのリンクは他の拙エントリのここここを、加えて複雑性PTSD等における杉山登志郎医師についてのリンク集は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい

*8:(3)項は本田秀夫医師に関連したリンク集でもあります

*9:加えて、本田秀夫医師のコラムとしてのWEBページは次を参照して下さい。 『子どもの健康を考える「子なび」

*10:さらに詳細には、ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここを参照

*11:なお、ADHDに関連する内海健医師についてのリンクは他の拙エントリのここここここここここ及びここをそれぞれ参照して下さい

*12:加えて、自閉症男子の誤学習による悲劇例を示すツイートや、発達障害の逸脱行動や非行における誤学習の説明を含む資料「基調講演2 学童期~思春期に現れる教育的・社会的困難への支援 ―心理学の立場から―」[特に P43]もあります。

*13:これに関連するかもしれない「『正論』を言って打ち負かそうとしてしまう」を含みます

*14:「主観的な世界から全く脱却できない」を含みます

*15:「人にだまされ、性的な被害にあう」を含みます

*16:追加のキーワード:「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」

*17:認知様式としてはトップダウン処理とボトムアップ処理があります。両者についてはここも参照すると良いかもしれません

*18:多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」を含む

*19:「心気症患者のように見えてしまう」ことを含む

*20:これに関連する論文例はここを参照して下さい

*21:これに関する注意点の例はツイートを参照して下さい

*22:又は発達性トラウマ症候群(発達性トラウマ障害)

*23:ちなみに、化学物質不耐症における情動調節はここ を参照して下さい。

*24:本エントリでは、主に大人の自閉スペクトラム症アスペルガータイプ(アスペルガー症候群)を念頭において作成されています。加えて、WEBページ『「発達障害は親のせい」はデマ。発達障害の診断は、これからを考えるためのステップ』で示されているように、「これからを考えるための重要なステップ」として、「発達障害の診断」があることに本エントリ作者は賛成します。ちなみに、星野仁彦著の本、「なんだかうまくいかないのは女性の発達障害かもしれません」(2015年発行)の「アスペルガー症候群(AS)」(P74~P75)において、次に引用する(『 』内)アスペルガー症候群の症状が示されています。 『①社会性の問題 ②コミュニケーションの問題 ③想像力の欠如(こだわり傾向)の問題 ④感覚過敏・過鈍性の問題 ⑤協調運動の不器用さの問題』 このうち、①~③はウィングの「三つ組み」(リンク集参照)に相当します。一方、 a) 「自閉症の基礎理解」についての動画は YouTube日本自閉症協会」を、 b) 大人のADHDについては他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

*25:従って、嗅覚過敏(他の拙エントリの「※2」参照)とはあまり関係しないADHDの優先度は本エントリでは低くなっています。なお、ADHDについては他の拙エントリを参照して下さい。

*26:このエントリを読むと、ひょっとしてADHDスペクトラム(連続体)なのかもしれないと本エントリ作者は思いました。ちなみに、ASDのスペクトラム(連続体)については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ」の「2. ASD の臨床」項

*27:ちなみに、DSM-5に関するWEBページの例は次に示します。「DSM-5と精神医学的診察についての私見

*28:ちなみに、[ご参考1]はASDのアスペルガータイプ、[ご参考2]及び[ご参考3]はMCS又はシックハウス症候群に関する記述です

*29:上記両WEBページにおいては、慣れ(馴化、habituation)、ADHD及び学習障害(LD)についての内容も含みます。ちなみに、 i) 化学物質不耐症において感作と馴化を対比させた論文については、他の拙エントリのここを、 ii) 聴覚過敏及び/又は雑音過敏等については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

*30:カップリングには、分離や不連動との意味があるようです

*31:これら以外にも「並列処理の困難」、「スケジューリングが苦手」等の項目があります。

*32:参考として、[a]米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」においては、さまざまな症状とそれが生じる理由の項目として、 ①話を適切に要約できない ②他人の「曖昧な」指示を理解できない ③なぜか相手を怒らせてしまう ④相手に合わせることができない ⑤可愛げがない ⑥ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない が挙げられています。ちなみに、上記「⑥ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」は、ここにその内容を引用しています。加えて、[b]備瀬哲弘著の本、「大人のアスペルガー症候群が楽になる本」においては、アスペルガー症候群の当事者が取り組むべき共生のためのポイントの項目として、①他者からの「理解と配慮」が必要かを検討する ②自己診断に固執しない ③受診動機を整理する ④他人の視線で自分についてモニターする ⑤苦手な面は目標設定を下げる ⑥立場によって「理解と配慮」は異なる ⑦怒りをコントロールする が挙げられています。ちなみに、上記「⑦怒りをコントロールする」は、ここにその内容を引用しています。さらに、[c]杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」においては、大人の発達障害の特徴の項目として、 ①二つのことが一度にできない ②予定の変更ができない ③スケジュール管理ができない ④整理整頓ができない ⑤興味の偏りが著しい ⑥細かなことに著しくこだわる ⑦人の気持ちが読めない ⑧過敏性をめぐる諸々の問題 ⑨特定の精神科的疾患の注意[引用者の注:うつ病が多い] ⑩クレーマーになる が挙げられています。ちなみに、上記「①二つのことが一度にできない」、「②予定の変更ができない」、「⑤興味の偏りが著しい」、「⑥細かなことに著しくこだわる」及び「⑩クレーマーになる」は、それぞれここここここここ及びここにその内容又は内容の一部を引用しています。

*33:精神疾患の例:境界性パーソナリティ障害統合失調症(これらは引用及び疾患の説明としての他の拙エントリのリンク集[用語:「境界性パーソナリティ障害」又は「統合失調症」]をそれぞれ参照)、解離性障害・複雑性PTSD(これらは共に他の拙エントリのリンク集[用語:「解離(解離性障害)」又は「複雑性PTSD」]参照)、PTSD(他の拙エントリのリンク集[用語:「PTSD」]参照)、パニック症の残遺症状(他の拙エントリのリンク集[用語:「パニック障害の残遺症状」]参照)、「仮面うつ病」(WEBページ「プライマリケア医への助言:うつ病診療のコツ」参照)

*34:注:タイムスリップ現象はフラッシュバックと酷似した現象のようです

*35:一方、本の「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」における「よくある悩み」の見出しは、引用した『「ガールズトーク」についていけない』(P14)の他に、『友達に嫌われても、理由がわからない』(P16)、『「女の子らしくしなさい」と叱られる』(P18)、『急に感情がダウンするときがある』(P20)、『人にだまされ、性的な被害にあう』(P22)((これに加えて引用はしませんが、司馬理英子著の本、「よくわかる女性のアスペルガー症候群」(2019年発行) の Part1 私ってもしかしたら、アスペルガー症候群? において「STORY4 男にだまされるD子」の項目(P16~P17)があります。

*36:語用論については、a) 次のWEBページを参照して下さい。 「語用論 - 脳科学辞典」 b) 加えて、金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第1章 自閉症は治るか――精神医学からのアプローチ(著者:棟居俊夫) の「落語と自閉症」における記述(P33)から次に引用します(『 』内)。『語用論は、ことばと状況文脈の関連づけ、ことばに込められた話し手の意図、それに会話者同士の協力といった現象を取り扱う。』 c) さらに、「語用論」が苦手であれば、はっきり言わなければわからないことについては、引用はしませんが、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第5章 ASDの部下は叱られることが大嫌い の『「語用論」が苦手ではっきり言わなければわからない』項(P103~P106)において説明があります

*37:この本の13章の境界性パーソナリティ障害の鑑別においては、女性例に特化しているようです。その他の部分でも、上記女性の著者を含む本を引用する等、女性例を重視しているようです。

*38:注:この本の著者は男性医師です。一方、以下の引用で示す内容は、この13章のタイトルにもあるように、境界性パーソンリティ障害(BPD)的な様態に見えるかもしれません。

*39:自分にできると思ったことはきちんとやるけれど、できないと思ったことは無理しない。こういう判断をする力を含みます

*40:『様々な事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり、適応的でない行動につながる』(ここを参照)こと、『いわば「やりたいこと」を「やるべきこと」化する』(ここここを参照)こと、「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多い」(ここここを参照)こと及び「とくに最初の記憶が強く印象に残り、次の経験として応用されない」(ここを参照)ことを含みます。

*41:ちなみに、この本の裏表紙に記載されている「人間関係の暗黙のルール」の項目は次の通りです。 1 ルールは絶対でない。状況と人によりけりである。 2 大きな目でみれば、すべてのことが等しく重要なわけではない。 3 人は誰でも間違いを犯す。一度の失敗ですべてが台無しになるわけではない。 4 正直と社交辞令を使い分ける。 5 礼儀正しさはどんな場面にも通用する。 6 やさしくしてくれる人がみな友人とはかぎらない。 7 人は、公の場と私的な場とでは違う行動をとる。 8 何が人の気分を害するかをわきまえる。 9 「とけ込む」とは、おおよそとけ込んでいるように見えること。 10 自分の行動には責任をとらなければならない。