krns-linkのブログ

まだ仮公開で、今後も本公開までドタバタします。コメント欄は有りません。ちなみに、拙ブログ作者は医療関係者ではありません。拙ブログは訪問者の方々がお読みになるためのものですが、鵜呑みにしない等、自己責任でお読み下さい(念のため記述)。

「仏陀の癒しと心理療法」の感想

はじめに

拙ブログはリンクと引用を中心に構成されており、ブログ作者による自由な文章記述の余地は少なくなっています。しかし、自由な文章記述の部分をより多くしたエントリを作成しようと思い立ち、次に紹介する本の読書感想を主体とした本エントリを作成しました。ただし、拙ブログの基本的な編集方針とは異なるため本エントリは期間限定の臨時公開とします。ちなみに、 a) 本エントリにおいて、「あるがまま」と「ありのまま」を使い分けていることがあります。この場合には、前者は「森田療法」(例えば参照)を考慮しており、後者は考慮していません。ただし、引用においては原文を優先させています。 b) 本エントリ削除後に改訂作業してからの復活又は他の拙エントリ公開・改訂における、本エントリの一部記述の採用があるかもしれません。

(2019年10月26日追記:様々な状況を考慮すると本エントリの公開終了を検討する段階には至っていません)

≪主な改訂の履歴≫
2019年10月26日:文章の削除をはじめとした追記と変更を含む大幅な改訂を行いました(本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。

読書の感想

精神科医及びカウンセラーについて

平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)を読んだ感想及び精神科医及びカウンセラーについて以下に記述します。

ちなみに、本エントリ作者の見解では、優秀な精神科医・(心理)カウンセラーは特に面接術*1が優れており*2、よろず相談(例えばここを参照。*3)として、様々な悩み・苦しみの相談に彼らが気軽に応じてくれるならば、例えば、(1)[「自分で考える」、「自分で決める」、「自分で行動する」、「自分の行動の責任は自分がとる」、「自分がほんとうのところ何を求めているのか」(引用参照)]、(2)[(何事にも)「ほどほどの感覚でいく」、「ほどよい加減を考えていく」(ここにおける引用の「患者は中道が困難」項を参照)]、(3)[「症状を受け止め、症状を持ちながら生活する」(引用参照)]に関連した相談をはじめとして、様々な特性を有して、悩み・苦しみ又は生活に支障がある方々の相談にも適しているかもしれないと考えます。ちなみに、精神疾患において、未診断(放置)、誤診及び/又は誤治療により、長期間にわたり治療が進まなく、ご本人及び/又はご家族が困っていることを示す引用例は他の拙エントリのここここ及びここに示します。

注:上記『「自分で考える」、「自分で決める」、「自分で行動する」、「自分の行動の責任は自分がとる」』に関連するかもしれない、 a) 「何よりもご自身に努力をお願いしなければなりません」についての引用はここを参照して下さい。 b) 加えて、不安定な愛着から回復しつつあるケースでは、「自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていく」状況であることについての引用はここを参照して下さい。

特性例としては、例えば、(1)臨機応変な対人関係が苦手」、(2)「暗黙や言外という概念の理解が困難」 *4ここを参照)[これに関連して、想像力に障害がある〔ここの③想像力の障害 及びここの(3)想像力のズレによる常同反復・こだわり をそれぞれ参照*5〕、経験が目の前にあるもので飽和し余白もない(3)『「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の理解が困難』(ここのリンク先を参照)、(4)冗談やからかいが通じない」、(5)「微妙な空気を読むことが困難」(ここここここ及びここを参照)、(6)両極端で二分法的な認知に陥ってしまう」[これに関連して、「敵か味方か」といった極端な認識をしてしまう〔ここのリンク先を参照〕、ハイコンストラスト知覚特性高過ぎるプライドと劣等感が同居している〔ここの「④高過ぎるプライドと劣等感が同居」項を参照〕]、(7)仕事の優先順位がわかりにくい」[これに関連して「細かなことに著しくこだわる」]、(8)興味の偏りが著しい」、(9)「助けを求めるのが苦手」(ここ及びここを参照)、(10)物事を何でも簡単に信じてしまう」、(11)「誤学習してしまう」(ここここ及びここを参照)、(12)「森を見ずに木又は葉を見てしまう」[木又は葉を見ただけで、森を見ずに安易な判断をしてしまう](ここを参照)[これに関連して、物事をありのままに見ないで、自分が望むように見てしまう〔注:観察する自己を強調する場合は、(45)を参照〕、確証バイアスにとらわれている主観的な世界から全く脱却できない見通す力がない並列処理(マルチタスク)が困難一事が万事〔ここここ参照〕、視点の切換えが困難「定点観測者」となってしまう自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる揚げ足を取ってしまう又は重箱の隅をつついてしまうシングルレイヤー思考特性である視野狭窄である〔ここの『「とらわれ」というワナ』項を参照〕]、(13)「ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」(ここ及びここここを参照)、(14)自分が他者からどのように思われるか気にしない」、(15)余計なことを言う」、(16)実際の経験によらなければ学べない」[「人の振り見て我が振り直せ」が困難]、(17)「コミュニケーションの問題がある」(ここここここここここ及びここを参照)[これに関連して「交渉ごとが苦手」〔ここここを参照〕*6]、(18)認知様式が主にボトムアップ型で全体へとまとまりあがりにくい」[これに関連して「理念形成が困難」〔ここを参照〕]、(19)「見知らぬ場所や新しい環境が苦手」(ここここ *7を参照)、(20)「アサーティブな主張が困難」(ここの「アサーティブな生き方」及び「アサーション」関連を参照)、(21)「認知のかたよりがある」(ここの P13 、加えて、ここここここ及びここを参照)、(22)不適応的スキーマを有し、これを手放すことができず活性化してしまう*8(23)「多動性・衝動性及び/又は不注意が著しい」(ここ及びここを参照)[これに関連して「注意の配分が苦手」]、(24)情動調節の不全がある」、(25)心的等価モードになってしまう」、(26)「トラウマを負ったことによるフラッシュバック又はタイムスリップ現象(リンク集を参照)に圧倒又は翻弄される」[これに関連して「記憶が消えなくて苦しむ」]、(27)「怒りのコントロールが困難」(ここここ及びここ参照)[これに関連して、少しの情動喚起で闘争モードになってしまう〔ここ及びここを参照〕、自己愛的な激しい怒りにとらわれる]、(28)「クレーマーになってしまう」(ここ及びここを参照)、(29)「枠組みのない又は構造化されていない状況が苦手である」(ここの「枠組みのない状況が苦手である」項及びここを参照)、(30)「(生活上の何らかの破綻に端を発し)鬱憤をぶちまけてしまう」(ここ参照)[これに関連して、「理想化後にこき下ろしてしまう」〔ここ及びここを参照〕]、(31)目的論的モードでの行動を取ってしまう」[これに関連して「暴発や行動化を起こしやすい」〔ここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項を参照〕]、(32)7つの激しい感情が噴出してしまう」、(33)投影同一視をしてしまう」、(34)「自己と他者の境界が暖味になる」(ここの「②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい」項及びここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照)[これに関連して、「相手が自分と同じ道を歩いていると思いこんでいる」〔ここここのLesson4 *9を参照〕、「自分の基準でしか、相手を見ることができなくなる」〔ここの「自己と他者の境界が暖味になる」項を参照〕、「自他未分である」]、(35)「過大なアラジンの魔法のランプ願望がある」(ここの「アラジンの魔法のランプ願望」項を参照)[これに関連して「非現実的な救済願望がある」〔ここの⑥項を参照〕]、(36)「心から安心することができなくなる」(ここの「心から安心することができない」項を参照)]、(37)「思い通りにならないと攻撃されていると思ってしまう」(ここの「思い通りにならないと攻撃されていると思う」項を参照)[これに関連して、『「妄想・分裂ポジション」に陥ってしまう』、『病的な「躁的防衛」をしてしまう』〔共にここの「思い通りにならないと攻撃されていると思う」項を参照〕、その瞬間瞬間に生きている]、(38)「生理的症状と心理的症状の相互混乱がある」(ここの⑤項を参照)*10[これに関連して「自分の感覚によりネガティブな気持ちになってしまう」〔ここここ *11を参照〕]、(39)「成人期のアタッチメントが安定自律型ではない」*12(40)規則正しい時間を作ったり守ったりすることは極めて苦手である又は睡眠時間が極端に短かったり乱れている」、(41)「離隔(離人感や体外離脱体験など)がある」(ここの「症候学」項及び/又はここで紹介されている本*13参照)、(42)「区画化(健忘や人格交代など)がある」(ここの「症候学」項及び/又はここで紹介されている本*14参照)[これに関連して「激烈な記憶の断裂がある」〔ここの②項を参照〕]、(43)「失感情症(アレキシサイミア)である」(ここ及びここ参照)、(44)『「非定型うつ病」のような気分変動がある。すなわち、本人にとって都合の悪いことに対面すると気分が沈み込んだ状態が続くものの、よいことや楽しい出来事があると、それまでの不調がウソのようにたちまち元気になる。』(ここ参照)[これに関連して、(非定型うつ病の特徴としての)「拒絶過敏性がある」〔ここを参照〕*15]、(45)『「平静の祈り」で示されるような深い叡智が欠如していて、受容と変化のバランスがとれない』(ここを参照)[これに関連して、「観察する自己が機能せず、ものごとをあるがままに見ることができない」〔ここを参照〕〔注:森を見ずに木又は葉を見るや視野狭窄を強調する場合は、(12)を参照〕]、(46)「精神内界における悪循環(とらわれ)や思想の矛盾がある」*16ここの「森田療法の基本的理論」項、ここの「思想の矛盾」項、及びここを参照)[これに関連して「精神交互作用の悪循環に陥る」]、(47)破局的思考・解釈をしてしまう」(ここここここを参照)[これに関連して、「何らかの身体的な徴候や感覚がきっかけとなって、破局的な思考が引き起こされる」ことについてはここここを参照)]、(48)「人格の低下がある」*17ここ参照)、(49)「注意制御機能が低下している」(ここここを参照)、(50)「過敏等により、ストレス応答が非常に生じやすくなっている」[聴覚過敏及び/又は雑音過敏についてはここを、発達障害における感覚過敏についてはここを、これらを含めたより幅広い過敏については『岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)』[注:タイトル中の「HSP」は Highly Sensitive Person(敏感すぎる人)の略語です(同本の P7 より)。ただし、HSPという概念を提唱したエレイン・N・アーロン博士とは、この用語の定義が一致しないようです。]をそれぞれ参照して下さい。加えて、これに関連するかもしれない「身体感覚増幅」(ちょっとした身体感覚が大きく増幅されて気になる症状として感じてしまうこと、これに類似するかもしれない(46)関連の「精神交互作用の悪循環に陥る」も参照して下さい)についてはリンク集を参照して下さい。一方、 a) 柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の P36~P37 によると、解離性障害(解離症)における過敏についての次に引用(『 』内)する二つの記述(P36~P37)があります。 『知覚過敏を伴う 気配や周囲の人に過敏になっているため、聴覚や視覚などの知覚に過敏症状が出ることも多い。』、『周囲の気配や刺激に対し、必要以上に敏感になっている状態で、気配への過敏と対人への過敏があります。』(注:気配への過敏については同本の P16~P17 を、対人への過敏については同本の P18~P19 をそれぞれ参照して下さい。加えて「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」) b) ストレス応答については例えばここを参照して下さい。なお、ストレス応答が行動面において表出される場合は、上記(27)の①項を重視した方が良いかもしれません。] が挙げられます。さらに、仏教思想の視点からは「放逸」(煩悩に支配されている状態)や(言葉の世界全体から距離を取れていない)「されど言葉」も挙げられます。加えて後者に関連する、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の視点からの「言葉の世界全体から距離を取る」があります。

さらに、身体症状(注:様々な精神疾患又は身体疾患において現れるので、鑑別が必要)又は転換性障害(変換症)[例えば他の拙エントリのここ及びWEBページ参照]の症状(注:特にてんかん[癲癇]との鑑別が必要)についても、必要に応じて相談すれば良いかもしれません。加えて、鉄欠乏性貧血も精神科医の中で話題となっているようです。他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方で、精神科医が患者の悩みも苦しみもすべて解消してくれるかのような、過大な期待に対するリスクもあり、「悩める健康人」の「うつ」におけるこのリスクについては、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行) の はじめに の「うつを治せる精神科医はいない」における記述の一部(P19~P21)を次に引用します。

うつを治せる精神科医はいない

「私にできることといえば、患者さんに『こうすれば治るかも』と提案するだけ。治すのは私ではない。あなた自身です」
私は、うつの初診患者さんに、こう申し上げることがあります。患者さんは驚きます。不安になります。「大丈夫だろうか」、そう思います。でも、私は、こう返答せざるをえません。
「大丈夫ではありません。あなたがこれまでと同じような生活を続けていたら、うつはなかなか治らないでしょう。『先生、治してください』とおっしゃる前に、生活を変える、習慣を変える、行動を変える、それが必要です。このままではいけない。私は、気休めや、慰めを言うつもりはありません。今のあなたに必要なのは、『癒し』ではありません。『危機感』です。何よりも『危機感』をもって、現状を変えなければなりません」
うつの患者さんの大半は、生活習慣が乱れています。働き盛りならば、短時間睡眠、不安定な睡眠・覚醒リズム、アルコールの乱用、シニア世代なら運動不足、極端な孤独など。しかし、この生活習慣については、皆さんはほとんど危機感を抱いておられない。残念ながら生活習慣の問題を是正することなく、ただ薬を飲んでもうつは治りません。
生活習慣の改善は、患者さん自身が取り組むことが必要です。「医者に丸投げ」ではなく、何よりもご自身に努力をお願いしなければなりません。他力本願では治るはずの人も治りません。
では、精神科医は何をするのか。それは、患者さんと話し合って、「できることから始めましょう」と提案することなのです。問題は錯綜しています。患者さんは混乱しておられます。でも、順を追って解きほぐせるところから解きほぐしていきましょう。寝不足の人は十分眠っていただく。その場合、「6時起床、23時就床」などと具体的に目標を決めたほうがいいでしょう。酒を飲みすぎている人は、量を半分にする、1日おきにする、あるいは、いっそのこと断酒していただく。最初の数日はただ生活習慣の是正だけを行う。それだけで疲労はとれ、脳はクリアになります。そうなったところで、うつをもたらした事情をひとつずつ解決していきましょう。
事情はさまざまです。過重労働、多重債務、人間関係など。これらは、混乱した頭では解決策が浮かびません。しかし、脳を休めた後であれば、「あの人に頼もう」とか、「弁護士に相談しよう」などといった建設的な打開策が浮かんできます。
患者さんのなかには、素晴らしい精神科医に巡り会えて、自分の悩みも苦しみもすべて解消してくれるかのような、法外な期待をしている人がいます。でも、医者に期待したってしょうがない。なによりもあなた自身の可能性にかけてみましょう。(後略)

加えて、不安定な愛着から回復しつつあるケースでは、「理不尽な支配やとらわれから自由になり、ありのままの自分を受容する」のみならず「自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていく」状況であることについて、岡田尊司著の本、「愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法」(2018年発行)の 第三部 両価型愛着・二分法的認知改善プログラム の 第三回のワーク 愛着と両価型 の 心理教育・愛着と両価型愛着について の「安定型になるためには」における記述の一部を(P233~P234)を次に引用します。

(前略)実際に、不安定な愛着から回復したケースで、何が起きているのかを見ていくと、どうすればいいのかが見えてきます。それは、両価型に特徴的な以下の課題を克服することです。

①振り返りの力を高めて、自分や相手を客観的に見られるようになる。
②自分を律する力を高めて、気持ちや行動が過剰反応しない冷静さを身につける。
③理想的な状態やこうあるべきだという基準や期待にとらわれすぎず、ありのままの相手やありのままの自分を肯定的に受け入れる心の柔軟性を手に入れる。
④愛着関係で自分の身に起きたことを整理し、自分なりの理解や納得を得ることで、未解決だった心の傷やそれによるとらわれから、少しずつ自由になる。
⑤自分のことは自分で決め、自分で行動する力を身につける。

自分を振り返り、自分も含めた物事を客観的に見る力を高めるとともに、現実の愛着関係で起きたことを整理し、そこで負った傷によって知らず知らず気持ちが過剰反応してしまう状態に、自分なりの納得とコントロールを取り戻すことが求められるのです。それによって、理不尽な支配やとらわれから自由になり、ありのままの自分を受容し、自分の主体的な意思で自分のことを決め、自分で実行する力を身につけていくのです。(後略)

注:引用中の「不安定な愛着」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。

読書の感想(箇条書き)

ここからは、この本の理解・感想等を思いついたままに箇条書きします。ただし、本エントリ作者は医学のみならず仏教にも初心者であること、本エントリ作者の筆力に限界があること等により、奥の深い記述は期待しないで下さい。さらに、用語の整理があまりできていないかもしれません。

①心の病の患者であろうとなかろうと、我々凡夫は誰でも様々なやその背後にある欲求・煩悩・執着・こだわりを抱えて生きている。これらが強くなり過ぎると、心の病に陥る可能性が高くなる。視点を変えると、心の病は、苦を受け止めることができなくなり、苦の悪循環が生じる結果(ここの「四諦と異常意識からの脱却」項参照)でもある。

②これらの苦を受け止める(ここの「苦を受け止めるとは?」項参照)ことに加えて、ほとんどの心の病は、根底に過度の欲望・執着・こだわりが潜んでいるので、後者の治療とは、それらを「ほどほどの欲求・執着・こだわりに変化させること」、執着・こだわりにふりまわされている状態から、執着・こだわりを自由にプラスになるように使いこなすという「主体性の回復」と言える(ここの「四諦とは?」参照)。視点を変えると上記「苦の悪循環」を良循環に転換できるように助けることが治療の目的となる(ここの「心の病は、苦の悪循環の結果」項参照)。ちなみに、スキーマ療法によると、早期不適応的スキーマがさまざまな状況において活性化されることで、例えばパーソナリティ障害の症状がもたらされるようだ。早期不適応的スキーマを手放し、ヘルシーモードを育み強化することが治療につながるようだ。

③従って、心の病は特別なものではなく、我々凡夫がいつでも陥るリスクを有するものである。視点を変えると、大事なことは、(人間の)心は身体と同様に、健康な部分と病的な部分(例えば、神経症部分、うつ的部分、心身症的部分、統合失調症的部分、依存症的部分、境界例部分など)があって、病的な部分が増えて、生活に支障が出てくると病気と呼ばれるだけで、健常者と病者の間に境はなく、程度問題だということである。(P216)
これに関連しないかもしれないが、ちなみに、自閉スペクトラム症はその名の通りスペクトラム(連続体)であり、一般人(定型発達者)から、発達凸凹非障害自閉症スペクトラム)、自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害)まで、様々な方々が存在する。このことを示す図は、例えば次の資料「発達障害から発達凸凹へ」の図1(P12)を参照して下さい。

④不幸にも、心の病に陥った場合にも、上記のような位置どりの精神科医又はカウンセラーをうまく選定し、かかることは有力な選択肢の1つである。ただし、精神科医又は/及びカウンセラーに援助してもらっても、悩みの解決は自分でするものという自覚を忘れないようにしないと治療が進展しないリスクがある(例えば、ここの「[事例G解説]」参照)。

⑤中道(極端でないこと、ここにおける引用中の「第2項」参照)が大事である。中道を見つけられない又は中道から逸脱すると周りの方々を振り回すことにもなりかねない。その例はここ及びここ参照して下さい。

仏陀は合理的な人生態度を探求したと思われ(ここ参照)、加えて、記録に残る最古の優秀なカウンセラーでもある可能性が高いのではないか(ここ参照)。

神経症においては、必要に応じて「精神相互作用」(別名である「精神交互作用」としてここを参照)に注意する。

⑧心の病の水準*18と苦諦との関係は次の通り。統合失調症(例えばここ参照)等の精神病水準では苦諦すら認識できず、境界例水準では苦諦は実感できてもそれに直面できず、ましてや集諦は認識できない。神経症(例えばここ参照)水準では、苦諦、集諦、滅諦までは理解できても、道諦の実践ができないといったことになるかもしれないとのこと(P296)。注:四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)についてはここを参照して下さい。

精神疾患の診断における注意点:a) 今この患者の健康部分はどの程度か、病的部分で優勢なのはどれとどれかといったところを診ること。 b) 診断は暫定的で仮のものであっていつ変わるかわからない。(P216)

⑩(気付きの生かし方に関連して)気付いていったいくつかの点を今後にどう生かしていくかという点に焦点を絞る。この時の基本になる考えは、プロテスタント神学者ラインホールド・ニーバーの祈り(又は平静の祈り:他の拙エントリのここを参照)である。(P265)

⑪薬は悪循環から良循環への刺激因子すなわち応援部隊である。薬は万能ではなく方便・手段である。薬も、応機説法と同様に、その時その病人にあった薬を処方するのが大事である。(P316~P317)

⑫(苦や欲求や執着や煩悩への気付き後に関連して)煩悩そのものの有り様と、その煩悩の背景を成す欲求や執着を良く見て、適切な態度を取って欲しい。(P418) 加えて、この点についての箇条書き(P418)を次に引用します。この引用はここにおける引用の「治療者としてなすべきこと」項と関連します。

①執着はほどほどにすることが一番心が安らぐことが多い。
②しかし、何かに徹底して執着しこだわり続けるという態度があってもいい。
③極端に執着する態度と、何の欲望も執着ももたないという態度の中に無数の選択肢がある。
④どの選択肢をとっても辛さは残る。
⑤その中で一番納得する選択・決断をすることが大事。
⑥患者はこの決断が苦手。
⑦治療者はこの決断を助け、患者の選択・決断能力を引き出すのが役目である。
⑧この選択・決断の繰り返しの中で患者は成長する。

余談

以下に示すように、この本の記述の一部を複数引用します。

(a)仏陀の癒しと心理療法からの引用

(1) 四諦、中道、縁起について、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の「第1項 四諦ついて」、「第2項 中道について」及び「第3項 縁起について」における記述(P29~P38)を次に引用します。

第1項 四諦について
四諦とは?
第1節でも述べたように、治療者として最初に仏陀から教わったのは、四諦という教えであった。四諦とは、言うまでもなく、苦諦(この世や人生は苦であるという真理)、集諦(苦をもたらす根本原因は、世の無常と欲望に対する執着にあるという真理)、滅諦(苦を滅するためには煩悩をコントロールし、執着を断つことが必要であるという真理)、道諦(滅諦に至るためには、八正道の正しい修行方法によるべきであるという真理)のことである。(注:減とは、パーリ語で nirodha の漢訳語であるが、本来は消滅というより、心や感覚器官を制しておさめるというようにインドでは考えられている。したがって、減とは、苦や欲望の消滅ではなくて、ほしいままに動き回る欲望をコントロールし、苦しみを閉じ込めてしまうことだと考えておく方がいいであろう。決して欲望の否定ではない)
結局、ほとんどの心の病は、根底に過度の欲望・執着・こだわりが潜んでおり、治療とは、それらを「ほどほどの欲求・執着・こだわりに変化させること」、執着・こだわりにふりまわされている状態から、執着・こだわりを自由にプラスになるように使いこなすという「主体性の回復」と言える。

四諦による治療の明確化
筆者が危機的状況にあったころ、インドに行く機会を得、その縁で初めて仏典に触れることになり、そこでこの四諦の教えに出会ったのが、仏陀との初めての出会いであることは既に述べたとおりである。当時、欲望や我執に苦しめられていた筆者にとっては、非常に有り難い教えとして、自分の中に沁み込んできた。
この四諦を知った後、筆者は、常に欲求や煩悩や苦を中心にして、人間や病気や治療のことを考えられるようになり、その結果それらに関する見方が、次のように単純化された。
その第一命題は、人間は生まれてから死ぬまで、欲望や煩悩を常に持たされている存在であるということである。
そしてそうした欲望は、たいてい満たされないことが多く、また満たされたとしてもそれは束の間の時間であり、人間は絶えず欲求不満の状態に置かれる。
さらに、この不満といった苦の状態が強く、しかも長く続くと憂鬱、苦悩、絶望といった抑鬱状態に陥るであろうし、また今は満たされていても将来満たされないのではないかと心配したり一層悪いことが起きるのではないかと心配すると不安状態になるであろう。さらに人間は幾つもの相反する欲望を同時に持たされることが多く、それらに引き裂かれて葛藤状態になることが多い。
そして、このような抑鬱感、不安、葛藤といった重い苦(日常抱く欲求不満は軽い苦と呼んでいいのかもしれない)をなんとか受け止められると健全と言えるのであろうが、これを受け止められないといわゆる病的状態に陥ると言える(ちなみに、筆者はこの病的状態を、神経症的反応、うつ病的反応、心身症的反応、精神病的反応、直接逃避、行動化的反応、依存的反応等と勝手に分類しているが、治療を進める上でとても便利だと感じている)。

苦を受け止めるとは?
ところで、この「苦を受け止める」というのは、どういうことかというと、まず第一に苦があるのは人間として当然のことであると認識することであり、第二に苦を抱えながら日常生活や対人関係をなんとかこなし、第三に身体も健全さを保ち、第四に自分の苦の有り様と苦の原因である執着との関係をよくわかっていてしかも執着を程よくコントロールできており、第五に自分の苦に対する対策や見通しをある程度立てられることであり、最後に抑鬱、不安、葛藤というのは否定的な面だけではなく、自分や世界についての認識を深めるものであり、生活や創造の源泉なのだというように捉えていることだと考えられる。
逆に受け止められないということは、この六つのことができないと同時に、病的症状が出現する事態だと考えられる。

治療者としてなすべきこと
このように考えると、治療者のなすべきこととして、以下の事が挙げられることになる。
①まず患者がいかなる症状や苦に悩まされているか。
②その苦の背後にはいかなる欲求・煩悩があり、執着があるか。
③その欲求・煩悩・執着はほどほどか、強すぎるか(臨床的事態になる時はたいてい過度の執着がある)。
④その過度の執着からいかにして脱していくか、いかにして執着をほどほどにしていくか。執着に振り回されている状態からいかにして執着を有益なものとして使いこなせるようにするか。執着に振り回されない主体性を引き出していくか。
⑤苦をいくらかでも和らげると同時に、苦を受け止めていくためにはどうしていったらよいか。
といったことを、患者と共に考えていくこと、という根本原理が見えてきたのであった。
以上のように単純化できてからは、かなり事態が複雑になっている患者と出会っても、絶えずこの四諦の教えに戻って考えてみることで、問題の整理がついたように思われた。

四諦と異常意識からの脱却
また、それだけではなくこの四諦の教えは、患者の異常意識を和らげるのに役だった。というのは先述したように、患者は抑鬱、不安、葛藤といった苦を当り前だと考えたり、それを引き受けるといったことができず、それらを異常と考えたり、それを持っている自分は異常な人間になったのではという恐れを感じていることが多い。つまり、苦諦という第一聖諦を認識できていない。
人間は今挙げたような苦しみがとても辛いので「それらが常のものでない。常と異なるものであって欲しい」と考えてしまいやすい。そして異常な現象としての苦の消滅を願うが、なかなかそれが消えないと、今度は「このような異常な苦を持った自分が異常な人間になった」と感じやすい。そして、それは異常意識となってその人間に襲いかかり、今度はその異常意識がその人間を苦しめるのである。ここに不幸な悪循環が生ずる(病気とは悪循環の一つの結果だと考えていい)。
それゆえ、治療場面でこの点について話し合うことで、患者が「自分の苦しみは人間に共通するものだ」「お釈迦様も同じような苦を背負っていたのだ」と認識できれば、それだけでも患者の苦しみは和らぎ、苦を引き受けやすくなってくるのである。
患者は、苦を排除するという不可能なことをしようとするので、かえって異常意識や苦を強めてしまうのであろう。

第2項 中道について
中道とは?
次に、苦を和らげそれを引き受けやすくするには、煩悩のコントロールや執着からの脱却という滅諦が治療目標となるわけであるが、それを実現させていくものとして、道諦つまり八正道がある。そして、この正しい道というのが、筆者には中道を指すものと思われる。中道は、極端を排するということで、例えば極端な快楽を排すると同時に極端な苦行をも排するといった考えである。これは簡単に到達した結論ではなく、釈迦が死線をさまようような激しい苦行の末に悟った貴重な教えである。

患者は中道が困難
さて、中道という観点から患者を眺めてみると、いかに患者が中道から離れ極端に偏しているか、また執着に捕らわれているかがよくわかる。例えば自己反省はとても大事なことであるが、これが極端になるとあらゆることに自責的になりうつ状態に陥るであろうし、逆にまったく自己に対する反省がなく他責的ばかりだと、例えば被害妄想や境界例のようになってしまうであろう。
また確認は必要な行為であるが、行き過ぎると強迫のような状態になるであろうし、逆に見直しをまったくしないで行動すると、衝動行為のようになってくるであろう。
さらに欲求を抑えることは大事であるが、抑え過ぎてまったく引きこもったりしてしまったり(自閉状態が主になった統合失調症など)するのも問題であるし、逆にまったく抑制が効かない(躁状態など)というのも問題である。
また仕事に励むことは大事だが、行き過ぎると過労死や過剰適応を主とする心身症等になるであろうし、仕事をまったくしないのも、退却症等さまざまな病気の状態と言えるであろう。
執着にしても、まったく執着しない状態だと生産的で創造的な人生が送れなくなるだろう。他方、執着し過ぎると体も心も人間関係も壊れてしまうし、病気になるだろう。ほどほどに執着し、執着を上手くコントロールし使い分けることで物事や難事業の達成が得られる。怒りもほどほどであれば身を守り、適度な自己主張に昇華するのである。
こうした例は挙げていけば切りがないが、患者を診る時の重要な視点として、患者がどのような極端に偏しているかを見ていくと、問題が大変わかりやすくなってくる。そして、患者との間で、このことが話し合われると、「ほどほどの感覚でいくこと」「ほどよい加減を考えていくこと」が、絶えず大事な治療目標となってくる。

中道の主体性――ほどほど感覚の重要性
ただ、この道諦、正道、中道すなわち「ほどほど感覚」というのは、言うほど実現が簡単なことではない。つまり中道というのは、単に中間ということではなくて、極端を排するといったことであり、したがって極端と極端との間には無数の中道があり、これが正しい中道だという基準は全然ないのである。そこで、中道やほどほどをどのあたりにするかは、結局自分で決めねばならず、そのためにはその人の主体性が強く要求されるわけである。またその判断の結果はもちろん本人が引き受けていかねばならない。そう考えると、そこの中道を実現させていくのは大変重大な決断になるであろう。

中道とは自由自在である
また、さらに連想を進めると、この中道というのは、絶対化を排して常に相対化を進めること、とらわれから脱した自由な思考や行動を目指すこと、そしてそこに主体的な決断を醸成していくことであると考えられる。したがって、最終的には「中道」という教えにもとらわれない生き方が、一番中道的であるとも言えるのであろう。そして結局それが治療であり自由自在の生き方となると思われる。主体性の後退した患者は、この自由な生き方や中道が苦手で、どうしても一つの固定観念に偏したり、極端になってしまいやすいのである。

第3項 縁起について
縁起とは?
さて、苦を和らげ引き受けていくことから、道諦、正道、中道、自由と考えていく中で、とらわれからの脱却が大きな課題となってきたようであるが、そのことに関連してさらに影響を受けたものとしては、縁起と空の教えであった。
縁起とは、因縁生起のことで、他との関係が縁となって生起するということである。また因とは結果を生ぜしめる内的な直接原因のことを言い、縁とは外からこれを助ける間接原因のことを言う。
仏陀はさらにそのことを「相応部経典」の中で「(一切の存在の有り様は)すなわち相依性にある」と述べており「一切の存在の有り様は関係の中に成り立っている」ということを強調しているようである。となると、一切は関係であるということだから、存在するものには実体がないという空の教えに近付くことになるように思えた。

病状と関係性
この縁起と空の教えは臨床において以下の考えへと筆者を導いていった。それは、病気や健康といったものがまったく実体を持たない相対的な概念であると同時に、病名や病態は関係の中でいくらでも変化するといったことであった。
例えば妄想や幻聴を訴える患者と出会った時、医者によってはその妄想がどんどんひどくなる場合もあれば、逆にそれらが減少していく場合もある。このような例は無数に挙げることができるし、また医者の態度だけではなく家族や周りの関わり方でも、随分と患者の状態が変わってくる。つまり病状とは、患者と医者(さらには両者を取り巻く人々)の合作なのだが、残念なことにまだ現在では、患者だけが診断され、患者を取り巻く関係性の診断がなされているところは少ないようである。
いずれにせよこの関係性ということから考えていくと、かなり難治の患者が来ても、そうなってきた因縁を探ることにより、いくらかでも悪縁を除き、良縁を呼び込むといった態度で接していくと道が開けてくると言える。しかし、逆に言えば易しそうに見えてもこちらの態度いかんで難治例になってくることが多い。昨今の境界例やパーソナリティ障害などの難事例は、特にそれが言えそうである。
また、健康にも病気にも実体はないわけだから、悪化しても良くなっても、そのことを考えておけば、そんなに一喜一憂しなくてすむであろう。したがってそれらにとらわれることなく自由性を保持できるとも言える。そして治療者が自由であればあるほど、患者の治癒力が開発されていきやすいのは言うまでもないであろう。

注: i) 引用中の「八正道」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「八正道」、『苦を滅する道「八正道」 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー②』 ちなみに、八正道の一つである「正念」の「念」は、現代の「マインドフルネス」(例えば、他の拙エントリのここ及び次の資料「日本の心理臨床におけるマインドフルネス」をそれぞれ参照して下さい)に相当するようです。ただし、仏教用語としての「念」と臨床心理学用語としての「マインドフルネス」は同一ではないと本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「境界例」及び「パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集(用語:「境界性パーソナリティ障害」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「苦」について、仏教思想の視点からは他の拙エントリのここ及びWEBページ「間違えられた苦の原因 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー①」を参照して下さい。加えて、上記「苦」の根本原因は「無明」であること、そして上記無明の原義は『「見ないこと」。(すなわち)あるがままの事実を見ないこと』との記述を有するツイートもあります。また、上記「あるがままの事実を見ないこと」に類似するかもしれない「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ことについては他の拙エントリのここここを、これらの逆かもしれない「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。その上に、上記「苦」については次の (2) 項も参照して下さい。

(2) 臨床現場における患者の苦しみについて、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第2章 心の病と苦 の 第2節 臨床における苦-苦と病の関係 の「第1項 患者の苦しみ」における記述(P63~P65)を次に引用します。

苦一覧
それでは、肝心の臨床現場における患者の苦しみはどうなっているのだろうか。思いつくままに挙げてみると、
①不安、恐怖、強迫、パニック、心配、気がかり、気苦労、心労、危惧、懸念、対人恐怖、醜形恐怖など
②憂鬱、絶望感、無気力、無感動、自己否定、自信喪失、罪悪感、自罰感情、劣等感、希死念慮、自殺願望、思い煩い、憂悶、むなしさなど
③イライラ、怒り、モヤモヤ、不満、不快、瞋、憤り、憤怒、むかつき、家庭内暴力など
④迷い、葛藤、困惑、不決断、逡巡、迷妄、惑乱など
⑤焦り、焦慮、いらだち、焦燥など
⑥身体的苦痛、不眠、食欲不振、過食、頭痛、身体的痛み、麻痺、しびれ、かゆみ、ふらつき・めまい、便秘・下痢、疲労・だるさ・倦怠感、動悸、呼吸困難、過呼吸、吐き気、嘔吐、発熱、体力低下、視力低下、聴力低下、性機能低下など
⑦健忘、思考機能低下、認知機能低下など
⑧解離、分裂、ばらばら、狼狽、自己喪失、脱落意識など
⑨幻聴、妄想、幻覚、作為体験(させられ体験)、異常体験など
⑩他者からの誤解、無理解、拒絶、見捨てられ感など
⑪目標喪失、先が見えないなど
⑫こだわり、とらわれ、執着など
⑬依存、アルコール依存、薬物依存、買い物依存、セックス依存、ギャンブル依存、過食、拒食など
自傷行為、他者への破壊的行為、自己統制困難など
⑮自立困難、過度の依存、一人で居られない、外出困難、日常生活の能力低下、就労不能、金銭管理の無能力など
⑯経済的困窮、貧困、借金など
といったところが浮かんでくるが、これはほんのちょっとした例で、患者の苦はそれこそ先の華厳経の苦のごとく多いものである。

心の病は、苦の悪循環の結果
ところで、これら①から⑯は相互に関連しており、それぞれが原因とも結果ともなりえる。例えば、不安→動悸→恐怖→過呼吸パニック発作→恐怖定着→外出恐怖→外出困難→日常生活能力低下→自信喪失→うつ状態→未来に対する過度の不安、といった具合である。それから言えばこういう悪循環や負のスパイラルの果てに病気が発生するのであろう。これは、心の病だけでなく、身体疾患にも言えることである。
それで、専門家(医師、臨床心理士、カウンセラーなど)に相談することになり、運が良ければ、悪循環や負のスパイラルが断ち切られ良循環が引き出されるのだろう。
ただ、この悪循環の結果は、ある程度の不安定さを有しながら固定化していることが多い。症状や問題点というのは、その患者の歴史の総決算かもしれない。だから、不用意に性急に手を加えると平衡状態が崩壊して一層悪い事態を招くときがある。それゆえ、治療という介入は慎重にせねばならない。

注:引用中の「苦」について仏教の立場からは次の資料を参照して下さい。 「人生の苦を見つめて ―仏教の立場から―

(3) 平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の「第5項 応機説法-仏陀の説法の仕方」における記述の一部(P40~P43)を次に引用します。

仏陀の説法の仕方
以上のように、仏陀は、四諦、中道、縁起という素晴らしい教えを説いたが、一般の衆生、特に追い込まれている患者はなかなかそのことを理解できないことが多い。また理屈ではわかっても実生活でそれを生かせなかったりということが、往々にして生じやすい。
しかし、仏陀は教えの内容だけが素晴らしかったのではなくて、教えの説き方そのものにも素晴らしい技を発揮しており、ここでも学ぶことが多かった。
その説き方の基本は「応機説法」とよばれるもので、これは「その場(人)に応じて法を説く」といったことである。仏陀はあるバラモンに対して「私はこのことを説くということが、私には無い。諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の見解における過誤を見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎを得た」と答えているが、ここの所は大変大事な個所である。
というのは先にどんなものにも実体がないということや、何事にもとらわれない自由な態度が重要だと言ったが、仏陀はまさに何も説かないと同時に、何でも説く、その場その人に応じて、自由自在に説く内容を変えていったと思われるし、時には何も答えないというかたちで応えていったこともあるのであろう。
仏陀の教えの説き方の要約は以下のとおりである。
①相手の立場に立つこと
②相手のレベルや言葉で考えること
③知らないうちに相手に考えさせ反対の立場に導くこと
といったものであるが、この辺の事情をペック(十九世紀ヨーロッパの仏教学者)は「質問に対する仏陀の態度もまた重要である。問われるままに質問に答えるとは限らず、むしろ仏陀は教化によって問うものに回心を呼びおこし、内面的な心霊変化を生じさせるのであって、これによって、問う者は自分の質問の意味からまったく引きはなされ、その質問を思いついた思考のあらゆる前提が、仏陀の言葉によって自分の内部によって呼び起こされた高次の知恵に対しては、対象を失い、意義を失って消失する、ということがわかる」と述べている。この仏陀の態度は一言で言えば、御説を垂れるというよりは、相手に考えさせるといったことだと思われる。

応機説法の例-バラモンの非難に対する応答
この例として、弟子を仏陀にとられたバラモンが、仏陀を非難した時の問答を挙げてみる。仏陀は、バラモンの非難に直接答えずに次のように問い返した。
仏「バラモンよ、汝の家に来客のあることがあるか」
バ「もちろんある」
仏「では、その時には、食事をふるまう時もあるか」
バ「もちろんその通りだ」
仏「では、その時、その客がその御馳走をいただこうとしなかったら、その御馳走は誰のものになるであろうか」
バ「それは私のものになるよりしかたがない」
仏「バラモンよ。今、汝は悪口雑言を浴びせ掛けてきたが、私はそれを受け取らない。したがって、その悪口雑言は、もう一度翻って汝の物に成るよりほかないではないか」
このような問答によって導かれたバラモンは深く反省し、仏陀に帰依していったということである。

心理療法と応機説法
この例でわかるように、相手の立場に立って相手に考えさせていくほうが、しっかりと教えが身につくということを仏陀はよくわかっていたと思われる。
これは臨床でもよくうなずけることで、患者の「これは病気ですか」とか「治りますか」といった重大質問に直接答えるよりも、相手に考えさせていく方がより患者の理解が深まり、身につくように思われる。また、そう考えさせていくことで、実は自分が精神病ではないか、精神病だと治らないのではないかといったかなり核心的な怯えを明るみに出して話し合うことも可能になることが多い。
また対話によって相手に考えさせるというやり方と同時に、相手に直接、体験させるというやり方をとる場合もある。

キサー・ゴータミーに対する応機説法
この例としては、我が子を亡くして嘆きの底にあったキサー・ゴータミーのそれが挙げられる。彼女は、赤ん坊を亡くして半狂乱の状態にあったのだが、仏陀はそれに対し「芥子の実を二、三粒もらってきたら生き返らせてあげよう」という驚くべき約束をする。ただし「その芥子粒は今まで死者を出したことのない家からもらってくるように」ということを言い添えるのを忘れなかった。
村を巡る彼女に村人たちは喜んで芥子粒を提供しようとするが、第二の条件に対してはどこで聞いても「うちはあるじがなくなったばかりで……」とか「うちでは先祖から数え切れないほどの人が死んで、今は私一人きりです」といった返答しかなかった。結局彼女は芥子粒をもらうことはできなかったが、村を巡る体験の中で「結局、死者を出したのは、私の家だけではない。生きている者は必ず死ぬのだ」ということを実感し、精神的な安らぎを得たのであった。
この応機説法、相手に考え体験させるといったやり方は、先述したように、筆者の日常臨床の基本であるが、ここで自験例を挙げる。

注:引用中の「ここで自験例を挙げる。」における自験例の引用は省略しています。

(4) 合理主義者としての仏陀として、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第1章 四諦・中道・縁起一仏陀の基本的教え の 第2節 仏陀から学んだこと-基本的な教え(四諦、中道、縁起) の 第6項 救済者、超越者としての仏陀 の「合理主義者としての仏陀」項における記述(P50)を次に引用します。

ところで、今まで述べてきた、四諦、中道、縁起、応機説法等は、よく考えてみれば、きわめて合理的で、しかも常識的な教えのように思われる。すべて、人間やこの世の世界に関する根本的な理屈を述べているようである。その意味で、仏陀は、この錯綜した世界の中に明確な因果律をもたらすと共に、合理的な人生態度を探求していった最初の人であるように思われる。

(5) 精神科の位置づけ例として、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第5章 求不得苦とうつ病・ヒステリー の 第2節 ヒステリーと求不得苦-事例G の「第2項 身体が麻痺してしまった主婦-事例G」における記述の一部(P129~P130)を次に引用します。

(前略)さて、Gさんは実母に連れられて私の元を受診したが、明らかに精神科に連れて来られたことに不満そうであった。そこで私は〈病院にかかるだけでも辛いのにましてや精神科に、しかも自分の意志ではないのに連れてこられたら、それは辛いですよね〉と言うと、「そうなんです」と少しうなずいてくれた。
これは行けると思い〈ここは名前は精神科・神経科心療内科となっていますが、悩み事のよろず相談所と考えたらいい。ここは援助するところで、精神科医は悩み事相談のプロですから〉と説明すると、また少し心を開いてくれたようであった。そして〈とりあえず事情を聞かせてくれませんか〉と言うと、少しずつ応じてくれた。そこでなるべく本人の身体症状や現在の生活や対人関係に焦点を合わせて詳しく聞いていくと、本人は堰を切ったように喋り始めた。(後略)

加えて、悩み事のよろず相談所的な例としての、身体表現性障害において現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の「はじめに」、「症例2」及び「おわりに」を含む「第12章 身体表現性障害」における記述の一部(P142~P150)を次に引用します。

はじめに――生活背景の幅広い理解が必要

器質的な原因がなく、ストレスなどの心因(心理社会的な要因)によって身体症状が現れる病気は身体表現性障害、なかでも、多彩な身体症状が現れるものは身体化障害と呼ばれている。心因としては、個人の心の悩みや葛藤などを考えやすいが、実際には、現実生活の悩みや苦労が大きく影響していると考えられる場合が少なくない。そのため、その人の心理だけでなく、家族や職場などの生活背景を幅広く理解することが不可欠となる。また、対応も個人精神療法だけは不充分で、生活支援やリハビリテーションなど、幅広い支援が必要となる。本章では、三つの症例を提示し、診かた、対応の仕方について考えてみたい。(中略)

2 生活基盤の不安定さが症状を生み出すことがある

〔症例2〕30代前半の女性、Bさん
Bさんは、20歳前半、結婚した頃に、眩暈(めまい)で倒れ、近医を受診し、メニエール病と診断された。なかなか症状が改善せず、耳鼻科を転々と受診したが、最終的に異常はないと言われたということであった。1年後に、精神科外来を受診し、自律神経失調症といわれ、内服を開始したが、症状はあまり変わらなかった。そのため、数ヵ所の精神科クリニックを転々と受診し、4年後に別の精神科外来を受診した。倦怠感、眩暈、ふわふわ感、ふらつき、肩・首が凝り、嘔気、食欲不振、頭痛などの訴えが続き、これまでの身体精査で異常がないことから、身体表現性障害と診断され、通院治療となった。

母親は統合失調症で長期入院中、Bさんは単身であり、客観的な情報を提供する親族がなく、家族背景、生活背景の正確な情報は得られなかった。Bさんの話によると、「20代前半で結婚し、2子をもうけたが、夫婦関係や子育てがストレスとなり、30歳頃に離婚となった。夫は、うつ病アルコール依存症で入院歴あり、またBさんに言葉の暴力もあった。離婚後は、Bさんは家事・育児ができず、子育ても夫に任せて、一人暮らしをしている」ということであった。

どのように考え、どうしたか
この3年間、Bさんは主治医との診察と並行して、心理士による心理面接を受けていた。また、主治医は、身体症状のために仕事につけず、家に閉じこもりがちとなるBさんに、作業所への通所を勧め、不定期ながら作業所に通所していた。心理面接を担当していた心理士は、いくつかの点で、Bさんの理解と対応に迷うことがあった。

① 身体愁訴について
面接では、さまざまな身体的な不定愁訴を訴える。たとえば、「この3日間だるくて1日中横になっている、動けない。食欲もなく、無理やり食べている。原因がわからなくてすごく不安」などと訴える。また、日々の身体的不調をメモしてきて、それを見ながら話す。これはBさんが、実際に困っていることで、これがなければ病院で話すことがないという意味で、まさにカナーの言う「入場券としての症状」である。
だが、この身体症状の訴えに対して、どのように対応するかはなかなか難しい。身体症状に面接の焦点を当てると、Bさんは身体症状を話すことが人と繋がる手段となってしまう。しかし、逆に身体症状の訴えを聞かないと、Bさんは聞いてくれないと不満をつのらせるだけでなく、身体症状が悪化してしまう。聞きすぎてもいけないし、聞かなくてもいけないのである。
Bさんの身体の不調の訴えについては「今はとても苦しい時期。しんどいけど頑張っていきましょう」と、できる限りさらっと受け止めていくようにした。

② 背景にある心理について
Bさんは「子どもの運動会に行こうと思っていたが、体調が良くならないから行けない」とか、「お正月にも会いたかったけど、元夫があまり快く思っていなくて会えない」などと、子どもとの交流のできないことを話すことがあり、身体症状の背景には、母親役割の喪失感、自身に対する無力感、居場所のなさなどがあると感じられた。
だが、このような心理的な問題を面接で取り上げていくかどうかについては迷った。Bさんの日常生活を見ていると、子どもについて心配はしているが、まだまだ子どもに関わる力があるとは言えない。また、それを言葉で話し合うことが、Bさんを混乱させ、よけいに不安や抑うつを強めるのではないかと考えた。そのため、子どもの話題は避け、話し合う時機が来るのを待つことにした。

③ 現実生活での対処法に焦点を当てる
日常生活の困り事、たとえば作業所での人間関係など、いろいろと溜め込んで疲れ、思い悩んでいることが多く、それを一人で繰り返し終わりなく考え込んでしまうことが多かったので、それについて、具体的にどうするかについて話し合った。
たとえば、「作業所で苦手な人がいる。(声の大きい年配の女性を)避けていたけどよく話しかけられる。気になってしまう。その人の声を聞くたびにしんどいと思う。作業中は話しかけられることはないが、休憩時間に話しかけられる」というような訴えに対して、「休憩時間に少し距離をとって過ごすことと、悪い人ではないし言われたことを気にしないようにしよう」などと具体的に助言した。
それだけでなく、Bさんが普段しんどくなった時にしていること、たとえばホットミルクを飲むことやしょうが湯を飲むこと、友だちに電話相談したりすることなどを大切にし、現実に少しでも気持ちが楽に過ごせるように配慮した。    
Bさんのように、複雑な家族的、経済的な問題を持ち、そのうえで身体症状を訴えてくる場合、身体症状は治療や援助を受けるための「入場券」(カナー)という役割をもつ。だが、身体症状への対応は、前述したように難しい。聞きすぎても聞かなくてもよくない。面接の焦点を身体症状から、現実生活での困っていることに移していくことが大切になる。そして、現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことが大切になるのである。

★生活の基盤が不安定な場合は、まずは生活を安定させていくケースワークが大切となる。(中略)

おわりに――身体症状への対応と、人間関係や日常生活への対応と

身体表現性障害の患者は、身体症状でSOS信号を送っている。だが、当初は真剣に対応していた周囲の人たちも、検査をしても異常がなく「悪いところはないから、大丈夫です」と言われることが続くにつれて、対応が変化し「しっかりしなさい」「もっと頑張れ」とプレッシャーをかけるようになる。そのため、周囲の人との関係が悪くなりやすい。それだけではなく、長引く身体症状は、仕事を失うなどの経済的な問題も生み出しかねない。人間関係においても経済的にも不利をもたらしかねないのである。だから、身体表現性障害の患者への対応に際しては、身体症状への対応も大切なのだが、同時に、患者の人間関係や日常生活に目を配り、それらが悪い方向に向かないように、少しでもよい方向に向かうように配慮することがとても大切になると考えている。

注:引用中の「身体表現性障害」及びこれに類似するかもしれない「身体症状症」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「三つの症例」において、この引用では「〔症例2〕」のみを採用し、他の二つの症例の引用は省略しています。 iii) 引用中の『「入場券」(カナー)』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「小児の心身症」の 2)小児の心身症の理解 の「① 入場券としての症状」項 iv) ちなみに、上記「身体症状症」の危険要因と予後要因について、名越泰秀、西原真理編集の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「3 身体症状症の危険要因と予後要因」における記述(P44~P45)を次に引用します。加えて、痛みが維持されてしまうメカニズムについて、同章 B. の「12 痛みが維持されてしまうメカニズム」における記述の一部(P54)を以下に引用します。

3 身体症状症の危険要因と予後要因
遺伝的要因が身体化を助長させやすくすることも指摘されており9),脳機能などの生物学的因子,家族との関係性や経済状況といった社会環境因子なども要因となる.教育歴が低い人,社会経済的地位が低い人に多く現れる2).
病気や健康に関して過剰に心配する傾向や,否定的感情が生じやすいパーソナリティ特性(神経症的特質)も要因となる.また.失感情症 alexithymia の傾向があることが多い.失感情症とは,自分がどのような感情を抱いているのかを認識することや,感情を言語化して表現すること,さらに自分の内面と周囲の状況を把握して自らの内面を洞察することが困難であるといった点を特徴とする.失感情症傾向のある身体症状症患者は,ストレスコーピングを状況に合わせて適切に用いることができていないといわれている10).
発症の誘因は,対人葛藤が29%で最多,身体疾患の罹患16%,心身の過労14%だという報告があるが11),誘因が必ず存在するわけでなく,明らかでないこともある.

注:i) この引用部の著者は富永敏行です。 ii) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「Chronic Pain in the Japanese Community--Prevalence, Characteristics and Impact on Quality of Life.」 iii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The genetic aetiology of somatic distress.」 iv) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder.」 v) 引用中の文献番号「11)」は次の資料です。 「心療内科外来を受診した身体表現性障害患者の臨床的特徴」 vi) DSM-Ⅳの「身体表現性障害」(参照)から、引用中の「身体症状症」に関連する DSM-5 の「身体症状症および関連症群」に変更となって、前者の「医学的に説明ができない」ことよりも、「苦痛を伴う身体症状と、それに対する異常な思考・感情・行動」に主眼が置かれたことについては次の資料を参照して下さい。 「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から」の「Ⅰ.身体表現性障害という疾患の変遷について」項 なお、引用中の「身体症状症」の診断基準については例えば次の資料を参照して下さい。 「「多様な症状」を生じた症例の診療の実際 -本日の事例概要-」の「身体症状症(Somatic Sympton Disorder)」シート vii) 上記「身体症状症および関連症群」の病態は、「薬物療法の観点では、強迫、不安・恐怖、怒りに分類される」ことについては次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群(身体表現性障害)の薬物療法はどこまで可能になったのか?

12 痛みが維持されてしまうメカニズム
では,次に,心理・社会的疼痛,身体症状症による疼痛はなぜ生じ,いつまでも持続してしまうにかについて述べる.慢性疼痛では,例えば,何らかのきっかけで生じた器質的な疼痛を知覚し続けると,痛みや他の身体感覚(些細な痛み,拍動,微かな手足の痺れなど)がさらに鋭敏となり,その痛みはどんどん悪くなるといった過度の予測,ただごとではないことが身体に起こっているといった破局的な認知が活性化されてしまう.
それによって不安,恐怖などの感情が湧き上がると,「再びあの強烈な痛みの波に襲われるのではないか」という,パニック症の予期不安に近い不安が生じる.極端な場合には発作的な強い痛みが一人のときに生じたらどうしようという不安,人前で倒れこんだらどうしようという不安が生じ,広場恐怖と同様の状態になることもある.
そうなると,痛みが悪化するリスクを未然に防ぐために,自宅で安静にしたり,例えば腰痛の場合ならば,腰に振動を与えないようにソロソロと歩いたりする.ベンゾジアゼピン抗不安薬や NSAIDs などを,好ましくない多い量まで朋したりすることもある.かつては楽しみであったショッピングやウォーキングは,痛みを予防するという理由でしなくなり,自宅に籠るようになる.
あるいは,別の人は,痛みの原因を突き止めようと躍起になって,あちこちの医療機関を受診したり,Web の神経難病の記事に掲載されているチェックリストで該当する項目を数えるであろう.
こういった安全行動があると,身体に関心が向き,さらに痛みの感覚が研ぎ澄まされ,ちょっとした痛みに過敏になり,痛みを維持させてしまう悪循環(とらわれ)が形成されてしまう(図2-16).
特に,最近ではテレビなどの情報媒体で健康番組がひっきりなしに流れ,web でも容易に医学情報を検索できる環境にある.国民の健康への関心は高まっており,裏を返せば健康不安に絶えず晒されている状況にあり,このような悪循環が生じやすくなっているといえる.

注:(i) この引用部の著者は富永敏行です。 (ii) 引用中の「図2-16」についての引用は省略します。ちなみに、 a) 引用中の「破局的な認知」に関連する「痛みの破局的な思考」を含む「痛みの破局的思考」についての図は次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」の図1-A(P19) b) 一方引用中の「破局的な認知が活性化されてしまう」ことに関連する、(不適応的)スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」が活性化することについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「パニック症の予期不安」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「NSAIDs」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「NSAIDsを理解するためにするために : NSAIDsとは」 (v) 慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果についての研究例は次のWEBページを参照して下さい。 「慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果:主観的評価と脳機能の観点から」 (vi) 加えて「慢性痛に対する認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「慢性痛に対する認知行動療法」 さらに、引用中の「身体症状症」に関連する、 a)「身体症状症および関連症群の認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群の認知行動療法」 b) 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」 (vii) 一方、「web でも容易に医学情報を検索できる環境にある」ことに関連するかもしれないサイバー心気症については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (viii) 引用中の「痛みの原因を突き止めようと躍起になって」に関連する身体症状症の痛みに対する態度としての「一刻も早く痛みを取り去りたい」ことについて、同(B. 身体症状症による疼痛の病態)の 9 身体症状症とうつ病との鑑別 の「●痛みに対する態度」項における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『身体症状症の患者は,痛みの原因に対する原因検索を執拗に求めることが多い.また「一刻も早く痛みを取り去りたい」,「このまま悪化の一途をたどらないか」といった治療に対する要求も強く,痛みの除去に躍起になっていて,即時的な痛みの完全消失を希望することも多い.』

その上に、悩み事のよろず相談においても必要かもしれない「やわらかい質問」や「ふわり質問」について、前者に対して、統合失調症のひろば編集部編の本、「中井久夫の臨床作法」(2015年発行)中の藤川洋子著の文書「中井先生が処方してくれたもの」の「やわらかい質問」における記述の一部(P57~P58)を次に引用します。

面接を仕事にする者にとって悩み深いことのひとつに、知りたいことを、どういうふうに聞けば相手を必要以上に警戒させずに済むか、ということがある。人には、別に隠しているわけではないけれど、あまり話したくないということが山ほどあるものだ。そして、そういうところに不調の原因が潜んでいることが多い。
例えば、子育てについての考え方が違う……これは夫婦の間でも嫁姑の間でも起きる。それぞれがどのように育ったか、が関係するから、紛争の解決や調整のためには、当事者の方々の生い立ちを聞く必要がある。

「子ども時代はどちらで過ごされましたか?」
「大阪です」

大阪ではちょっと広すぎる。さて、どう聞こうか。大阪にも地域によって子育て風土というか土地柄に違いがある。どんな雰囲気のなかでどう育ったのかを知りたいのだが、「大阪のどちらですか?」では「この人、何のために詮索するのだろう?」と勘繰らさせてしまう可能性がある。
中井先生から教えてもらったコツは、「ほー、大阪ですか!」と明るく受けて、「大阪でも広いですけど?」と続けるといいという。
な、なーるほど。この訊ね方ならばいくらでも応用ができる。

「お父様のお仕事は?」
「会社員です」
「会社員にもいろいろありますけど?」

などなど。(後略)

一方後者に対しては、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第1章 精神分析治療の歴史 の 3 話すことの治療的意義 の「(2) プロの治療者の傾聴、聴き方(広さ、深さ、まとまり、良き質問、意味、責任、波長合わせ等)」における記述の一部(P041)を次に引用(『 』内)します。 『④話を引き出すための質問が巧みである(羽衣質問、ふわり質問、選択肢型質問など相手の心に傷を付けたり圧迫を加えないように気を着けている)。患者の波長に合わせて質問する』(注:本人の見捨てられ不安を取り上げての引用中の「ふわり質問」の例として、同本の 第3章 転移・逆転移について の「(3) 事例7 一六歳、女子高校生(投影同一視傾向が強い例)」における記述の一部(P134)を次に引用(【 】内)します。 【本人の見捨てられ不安を取り上げ、その不安を持ちながら『今後カウンセラーに何を期待するか言えるかな』といった『ふわり質問』をして〔後略〕】[注:上記「投影同一視」については他の拙エントリのここを、引用中の「見捨てられ不安」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。])

さらに、(統合失調症をはじめとした精神疾患における)予後や「治癒の見込み」についての質問に対する回答例について、前者に対して、統合失調症のひろば編集部編の本、「中井久夫の臨床作法」(2015年発行)中の藤川洋子著の文書「中井先生が処方してくれたもの」の「『希望』を処方する」における記述の一部(P58)を次に引用(【 】内)します。 【さらに予後についての質問には、「医療と家族とあなた(患者さん)との三者の呼吸が合うかどうかによってこれからどうなるかは大いに変わる」ということだけを伝えるのだそうである。(『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 二〇〇七年)】 一方後者に対しては、平井孝男著の本、「心の援助にいかす精神分析の治療ポイント 波長合わせと共同作業、治療実践の視点から」(2019年発行)の 第1章 精神分析治療の歴史 の [間奏曲心の病と治療について] の「⑥治癒の見込み」における記述(P051)を次に引用(《 》内)します。 《これも多様な因子が加わるのではっきりしたことは言えないが『患者五割、家族と治療者が一割五分ずつ、環境・運・縁が二割ぐらい』という答え方が無難なようである。しかし、その前に治癒の見込みを聞きたい理由を話し合うことが大事。いつごろ治るかという問いも同じように考える。》

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***** 臨時の記事(その1) *****
スペースの関係上、ミニ情報においては書ききれない記事等をあえてここに記述します。掲載期間は数日~数カ月を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(5)ミニ情報【慢性疲労症候群CFS)の方面からも機能性身体症候群の病態生理の解明が進展することの期待についてのご紹介、その他】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部としての、渡辺恭良、水野敬著の本、「おもしろサイエンス 疲労と回復の科学」(2018年発行)における標記機能性身体症候群の病態を総合的に理解するための脳科学研究も進めていること以外にも、疲労研究から、健康科学全体を見据え、「Precision Health」という旗を掲げながら、一方で、現在の健康診断の先進的な改革「健康革命」や「健康関数」という総合的健康度合いを表す指標を確立することについて、「未病」、「恒常性(ホメオスターシス)を保つ機能である免疫-神経-内分泌系の調節機能の低下」や『「健康科学」には混乱があること』を含めて、[A] 同本の 第1章 疲労と慢性疲労、疾患 の「1 健康科学と疲労」における記述の一部(P8~P10)を以下に引用します。

健康とは(中略)

健康が損なわれ、様々な疾病に向かって行く時、私たちは、おぼろげな異常を感じて、いわゆる東洋医学中医学)で言うところの「未病」(まだ病気にはなっていないが、かなり病気に近い状態)となります。未病は明確な疾病ではないので、診断の付くような指標、すなわち、疾患バイオマーカー(ある疾患の有無や進行状態を示す目安となる指標。例えば血圧や血中タンパク質など)が有意に出ていない状態であると言えます。むしろ、「未病」は、特に目立った症状が無くても、「元気がない・活力が出ない」状態であると言われてきました。

健康科学

しかし、後ほど述べるように、「元気がない・活力が出ない」あるいは、「意欲が低下している」ことを裏返しにすると、「だるい・疲れを感じている」、ないしは、「もうこれ以上無理ができない」状態とも言えます。実際に、未病状態では、私たちの体の恒常性(ホメオスターシス)を保つ機能である、免疫-神経-内分泌系の調節機能が低下していると考えられています。
このことは、図1に示すように、健康を損なうような自覚症状がある際(未病の際)で、まだ疾病バイオマーカーが有意に検出されない時期に、健康に押し戻す、あるいは、健康である時期に健康増進を図り、未病になることをも予防することが「健康科学」の神髄であると言えます。すなわち、図1により、「健康科学」には、「未病から病気にならないようにする科学」と「健康から未病に陥らないようにする科学」、そして、「健康である状況を増進する科学」を含んだ三つの要素があることになります。
「健康科学」の意味は広く、「先んじた介入により病気にならないようにする『先制医療』」の概念より広いものを指すことになります。
「健康科学」は、一つのブームになっていますが、根拠が定かでないものや、体系立っていないがために、脈絡がわからないものなど、非常に混乱があります。また、多数の大学に健康科学研究科や健康科学専攻がありますが、教育するための良いスタンダードな教科書も十分ではない有様です。私たちは、個々人の「健康の度合い」をしっかり定義づけられ、「個別健康の最大化」を図るための科学・医学を進めるために、「Precision Health」という概念を提唱してきました。これは、一方でゲノム情報や遺伝子転写物、エビゲノム情報、タンパク質、代謝物、環境因子などのオミックス統合解析を進めている「Precision Medicine」に匹敵する重要なコンセプトです。超健康~健康~未病~疾患の間をシームレスに研究し、健康維持・増進に最適なソリューションを提供するための必須基盤を与える科学です。

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略しますが、代わりに次の資料のシートを参照して下さい。 「健康科学イノベーション」の「健康科学とは? 健康と疾病の連続性」シート ii) 引用中の「健康」については、慢性疲労症候群にも言及している次のWEBページを参照して下さい。 「健康とは何か:力、資源としての健康 - 健康を決める力 ヘルスリテラシー」(注:上記「慢性疲労症候群」の言及はこのWEBページ中の「3)病気の身体的、精神的、社会的側面」項を参照して下さい) iii) 引用中の「Precision Medicine」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「Precision Medicineの到来 ―またまた黒船来航―」 なお、 a) 「toxicology」(毒物学)における上記「Precision Medicine」については、論文「Principles of precision medicine and its application in toxicology.」(PubMed 要旨全文)を参照して下さい。 b) 加えて がんについての上記「Precision Medicine」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「プレシジョンメディシン」 iv) 引用中の『先制医療』については、例えばアルツハイマー病の視点から次のWEBページを参照して下さい。 『先制医療 「集団の予防」から「個の予防」へ』 v) 「マイクロバイオーム解析」を含む引用中の「オミックス統合解析」については例えば次の資料を参照して下さい。 「【ウェブ講座⑩】 統合オミックス解析のはなし」 加えて、上記オミックス統合解析対象に含まれるかもしれない「コネクトーム」についての記述「疲労に関するヒト大脳皮質の神経突起特性、自発的共振活動や皮質間の機能的・構造的連絡性(コネクトーム)解析法も確立した」を有する研究成果報告書は次を参照して下さい。 「脳機能・分子イメージングを活用した疲労・慢性疲労・抗疲労の脳科学」 vi) ストレスの視点からの引用中の「ホメオスターシス」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスについて」 vii) 引用中の「免疫-神経-内分泌系の調節機能」に関連する「神経、内分泌、免疫クロストーク」については次のWEBページを参照して下さい。 「Minds over Cytokines

[B] 加えて、同の「おわりに」における記述の一部(P132)を次にに引用します。

(前略)これまでの研究成果から、急性疲労から慢性疲労に至る分子・神経機構の作業仮説ができ、この仮説に沿って研究を進め、適宜修正を行いながら、疲労~慢性疲労、また、慢性疲労症候群などの病態の分子神経メカニズムの全貌を明らかにしたいと考えています。また、多くの抗疲労研究や抗疲労物質・手段の開発研究も引き続き推進していきます。
疲労研究から、健康科学全体を見据え、「Precision Health」という旗を掲げながら、一方で、現在の健康診断の先進的な改革「健康革命」や「健康関数」という総合的健康度合いを表す指標を確立し、それにより、ヘルスケア産業の大きな塊を形成していきたいと願っています。(後略)

注:引用中の「Precision Health」についてはここを参照して下さい。

(6)ミニ情報【論文「The physiological effects of slow breathing in the healthy human.[拙訳]健康なヒトにおけるゆっくりとした呼吸法の生理学的な効果」のご紹介】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部としての論文「The physiological effects of slow breathing in the healthy human.[拙訳]健康なヒトにおけるゆっくりとした呼吸法の生理学的な効果」における要旨を次に引用します。

Slow breathing practices have been adopted in the modern world across the globe due to their claimed health benefits. This has piqued the interest of researchers and clinicians who have initiated investigations into the physiological (and psychological) effects of slow breathing techniques and attempted to uncover the underlying mechanisms. The aim of this article is to provide a comprehensive overview of normal respiratory physiology and the documented physiological effects of slow breathing techniques according to research in healthy humans. The review focuses on the physiological implications to the respiratory, cardiovascular, cardiorespiratory and autonomic nervous systems, with particular focus on diaphragm activity, ventilation efficiency, haemodynamics, heart rate variability, cardiorespiratory coupling, respiratory sinus arrhythmia and sympathovagal balance. The review ends with a brief discussion of the potential clinical implications of slow breathing techniques. This is a topic that warrants further research, understanding and discussion.


[拙訳]
ゆっくりとした呼吸法の実践は、健康上の利点があるとの主張のために、世界中の現代社会において採用されている。これがゆっくりとした呼吸法の生理学的(そして心理学的)効果の研究を開始した研究者や臨床医の関心を呼び、そして根底にあるメカニズムの解明を試みている。本論文の目的は、健康なヒトにおける研究による通常の呼吸の生理学、そしてゆっくりとした呼吸法の記録された生理学的効果の包括的な概観を提供することである。本レビューでは、呼吸器系、循環器系、心肺系及び自律神経系に対する生理学的含意に焦点を当て、中でも特に横隔膜の活動、ガス交換効率、血行動態、心拍変動、心肺カップリング、呼吸洞性不整脈及び交感神経迷走神経バランスに焦点を当てた。このレビューはゆっくりとした呼吸法の見込みがある臨床的含意の簡単な議論で終わる。これは、更なる研究、理解及び議論が正当化されたトピックである。

注:ii) 引用中の「ガス交換効率」については例えば次の資料を参照して下さい。 「心拍変動バイオフィードバックの臨床実践」の「3.2 休息機能の指標としての呼吸性不整脈」項

加えて、標記論文(全文)中の「Respiratory sinus arrhythmia」(呼吸性洞不整脈)項において、呼吸性洞不整脈と呼吸との関係を示す記述があり、これを以下に引用します。ただし、引用中の「HRV」は心拍変動の、「HF」は高周波数の、「LF」は低周波数の それぞれ略です。これらについては次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」のそれぞれ「1. はじめに」項、「2. 2 HF成分の特徴」項

Respiratory sinus arrhythmia (RSA) is HRV in synchrony with the phases of respiration, whereby R–R intervals are shortened during inspiration and lengthened during expiration [70, 71]. Typically, RSA has a frequency of 0.25 Hz (i.e. respiratory frequency) as reflected in the HF HRV oscillation peak. RSA frequency therefore changes with respiration rate and this is known to result in a shift in the phase difference between respiration and HRV (the heart rate response) and a change in the amplitude of HRV. This was first reported by Angelone and Coulter [72] in an early continuous recording of RSA in a healthy human, which demonstrated that as the respiration rate was reduced, the phase difference was shortened, until at rate of 4 breaths per min, where HRV and inspiration/expiration were in exact phase; yet it was at 6 breaths per min (0.1 Hz), where the phase difference was at 90°, that maximisation of HRV amplitude was observed. Maximisation of RSA/HRV at around 6 breaths per min has since been confirmed by numerous studies [65, 73, 74]. This indicates cardiorespiratory system resonance and is hence referred to as a "resonant frequency effect" [72, 75]. At 0.1 Hz, RSA also resonates with the LF baroreflex integration frequency and Mayer waves [55]. Further investigations therefore suggest that both HRV (RSA) and baroreflex sensitivity are maximised when respiration is slowed to ∼6 breaths per min (figure 1), though this resonant frequency does vary between individuals [25, 41, 52, 61, 62, 75]. Increasing tidal volume [36, 73, 76] and diaphragmatic breathing [18] have also been shown to significantly increase RSA, significantly more so at slower respiration rates. Conversely, numerous studies have reported decreased RSA with increasing respiration rate [72, 73, 77].


[拙訳]
呼吸性洞性不整脈RSA)は呼吸相と同期する HRV であり、これにより R-R 間隔は吸気時に短縮し、そして呼気時に延長する[70, 71]。HF HRV 振幅ピークにおいて反映されるように、0.25 Hzの周波数(すなわち呼吸頻度)を、典型的に RSA は有する。このため、RSA 周波数は呼吸数に応じて変化し、そして呼吸と HRV(心拍変動)との間の位相差のシフト及び HRV の振幅の変化をもたらすことが知られている。これは、健康なヒトでの RSA の初期の連続記録において、Angelone 及び Coulter [72]によって最初に報告され、HRV 及び吸気相/呼気相が正確な位相である時、4 呼吸/分の速度までは呼吸数が減少するにつれて位相差が短縮されることを示した。だが、HRV 振幅の最大化が観察されたのは、位相差が90度である時の 6 呼吸/分(0.1 Hz)であった。それ以来、約 6 呼吸/分での RSA/HRV の最大化が多くの研究によって確認されている[65, 73, 74]。これは心肺系の共鳴を示し、よって「共振周波数効果」[72, 75]と呼ばれる。0.1 Hzでは、RSA は LF 圧受容体反射積分周波数及び Mayer 波とも共鳴する[55]。この共鳴周波数は個人間で変動する[25, 41, 52, 61, 62, 75]が、HRV(RSA)及び圧受容体反射感受性の両方が、呼吸が 6 呼吸/分(figure 1)まで遅くなる時に最大化されることを、更なる調査はそれゆえに示唆する。一回呼吸量の増加[36, 73, 76]及び横隔膜呼吸[18]も RSA を有意に増加させることが示されており、呼吸速度が遅いほど RSA は有意に増加する。逆に、呼吸数の増加に伴って RSA が減少することが多くの研究で報告されている[72, 73, 77]。

注:i) 引用中の文献番号「[18]」は次の論文です。 「Diaphragmatic breathing and its effectiveness for the management of motion sickness.」 ii) 引用中の文献番号「25」は次の論文です。 「Modulatory effects of respiration.」 iii) 引用中の文献番号「41」は次の論文です。 「Effects of slow, controlled breathing on baroreceptor control of heart rate and blood pressure in healthy men.」 iv) 引用中の文献番号「52」は次の論文です。 「Respiratory modulation of human autonomic rhythms.」 v) 引用中の文献番号「[55]」は次の論文です。 「The enigma of Mayer waves: Facts and models.」 vi) 引用中の文献番号「61」は次の論文です。 「Correlations between the Poincaré plot and conventional heart rate variability parameters assessed during paced breathing.」 vii) 引用中の文献番号「62」は次の論文です。 「Influence of breathing frequency on the pattern of respiratory sinus arrhythmia and blood pressure: old questions revisited.」 viii) 引用中の文献番号「65」は次の論文です。 「Important influence of respiration on human R-R interval power spectra is largely ignored.」 ix) 引用中の文献番号「70」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia: autonomic origins, physiological mechanisms, and psychophysiological implications.」 x) 引用中の文献番号「71」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia: why does the heartbeat synchronize with respiratory rhythm?」 xi) 引用中の文献番号「72」は次の論文です。 「RESPIRATORY SINUS ARRHYTHEMIA: A FREQUENCY DEPENDENT PHENOMENON.」 xii) 引用中の文献番号「73」は次の論文です。 「Respiratory sinus arrhythmia in humans: how breathing pattern modulates heart rate.」 xiii) 引用中の文献番号「74」は次の論文です。 「Central regulation of heart rate and the appearance of respiratory sinus arrhythmia: new insights from mathematical modeling.」 xiv) 引用中の文献番号「75」は次の論文です。 「Characteristics of resonance in heart rate variability stimulated by biofeedback.」 xv) 引用中の文献番号「76」は次の論文です。 「Sympathetic restraint of respiratory sinus arrhythmia: implications for vagal-cardiac tone assessment in humans.」 xvi) 引用中の文献番号「77」は次の論文です。 「Phase relationship between normal human respiration and baroreflex responsiveness.」 xvii) バイオフィードバックの視点を含む心拍変動の主要な成分としての拙訳中の「呼吸性洞性不整脈」については例えば次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.1 HRVの主要な成分」項、「心拍変動の有用性 ――高周波および低周波成分に着目して――」の特に「心拍変動HF成分(呼吸性洞性不整脈)の特徴」項 加えて心電図視点からの拙訳中の「呼吸性洞性不整脈」については例えば次の資料を参照して下さい。 「成人の健診での各心電図異常について」の「①洞性不整脈」項 xviii) 拙訳中の「圧受容体反射」については例えば次の資料を参照して下さい。 「圧受容器反射をもちいた自律神経機能の評価」 xix) 拙訳中の「R-R 間隔」については拙訳中の「吸気時に短縮し、呼気時に延長する」ことを含めて例えば次の資料を参照して下さい。 「バイオフィードバックにおける心拍変動の可能性」の「2.HRVと自律神経活動の関係」項

(15)ミニ情報【「MCS、化学物質過敏症、化学物質不耐症又は突発性環境不耐症における病態生理に関する仮説」についての感想、その他(改)】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部として標記感想(注:あくまで仮説についての感想です)について本エントリ作者は以下に記述します。最初に前提又は設定等について次に示します。

①MCS を訴えている患者の例は他の拙エントリのここを参照して下さい。彼は煙を嗅いだ後に何度か「気絶した」ことがあります。なお、 a) 上記「気絶」に関連するポリヴェーガル理論(下記④項を参照)の視点からの「血管迷走神経反射」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 上記「気絶」は化学物質過敏症の症状リストには挙げられていないことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

②標記仮説はパブロフの犬をはじめとした条件づけ(又は条件反射)を含む「神経生理学」※1を主として、加えて、精神神経内分泌免疫学※1、ノセボ効果(下記 12) 項を参照)、(パニック障害[資料「線維筋痛症診療ガイドライン 2017」の CQ1-1 線維筋痛症とはどのような疾患か の「解説」(P83~P84)を参照]や PTSD[資料「ストレス下での持続的な筋緊張が慢性的な痛みにつながる仕組みを解明 ~筋痛性脳脊髄炎/線維筋痛症における痛み発症・維持のメカニズム~」の「3.今後の展開」項を参照]を含むとされる)機能性身体症候群、そして(解離サブタイプを含む)PTSD参照)や複雑性PTSD参照)をはじめとしたトラウマにも関連するかもしれません。

③感想はネット上の MCS、化学物質過敏症又は化学物質不耐症界隈についてのものを含み、[A]時系列的な視点から、 [B]病態生理の仮説の例、 [C]治療・対象・養生法の範囲について、 [D]自発的な回復及び回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思うこと、 そして、[E]その他のもの から構成されるものとします。

④ポリヴェーガル理論※2を解説する本:(a) べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)[注:この本の一部分で上記理論が紹介されています]、(b) ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)、(c) キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子訳「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)[注:i) ここも参照して下さい。 ii) この本の P103 における記述の一部「ポージェスは、トラウマ起因のストレスに働きかける時は、自律神経系が脅威にどのように反応するかを理解しておくことが重要であると述べている。(中略)発達性トラウマに働きかける時は、トラウマの神経生理学的理解がさらに重要になる。」を含めてこの本の一部分で上記理論が紹介されています。加えてこの本を紹介するツイートもあります。]。そしてこれら以外にも、津田真人著『「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会』(2019年発行)やデブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年1月発行、下記[A]17) 項を参照)もあります。

[A]上記「神経生理学」に関連するかもしれない論文、論評、資料、本、エントリ等を、下記の条件付け、学習、ノセボ効果、予測的符号化等をも盛り込んだ「知覚要素に沿った用語」の関連を含めて時系列的に以下に紹介します。これらを考慮すると、上記「神経生理学」を主とした病態生理の仮説は依然初歩的なものかもしれませんが、徐々に内容が充実してきていると考えます。加えて 下記 12) 項には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との記述もあります。
1) 資料「シックハウス症候群 心身医学の見地から」(アレルギー・免疫 Vol.10,No.12,2003年発行)の「お わ り に」項において「条件付け」に関連する記述があり、この部分の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

2) エントリ「化学療法の条件付けのノセボの威力には驚く他ない - 忘却からの帰還」(2013年6月13日公開)があります。なお、上記「化学療法の条件付けのノセボの威力」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論の視点からの「単一試行学習としての、化学療法または放射線療法と味覚嫌悪の結びつき」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

3) 日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年7月発行、日本医師会推薦)には、 Ⅰ.シックハウス症候群の概念 の 4-2 心理 の「②レスポンデント学習/条件付け」項があり、この部分の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

4) エントリ「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」(2013年7月16日公開)には「WintersらはMCSの症状の(すべてではないせよ)一部は条件反射によるものと考えている。」との記述があります。加えて同エントリの「2013年9月8日追記」の部分には『「過敏性の拡大」は、「総身体負荷量」のような医学的に証明されていない概念を持ち出さなくても、条件反射や学習で妥当な説明が可能である。』との記述があります。なお、 a) 上記「総身体負荷量」(トータルボディロード)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 上記「学習」に関連する、(深い)シャットダウンをはじめとした、「古い迷走神経(又は背側迷走神経複合体:例えば他の拙エントリのここを参照)がトラウマの防衛反応に採用された場合」に、「これは機能的に言って単一試行学習の一例であると考えられる」ことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。一方、上記エントリの「■Media warnings about environmental pol... [Psychosom Med. 2003 May-Jun] - PubMed - NCBI」項で紹介されている論文要旨「Media warnings about environmental pollution facilitate the acquisition of symptoms in response to chemical substances」以外にも、次の論文要旨もあります。 「Acquiring symptoms in response to odors: a learning perspective on multiple chemical sensitivity

5) 資料『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』(2015年発行)の要旨には次に引用(【 】内)する記述があります。 【当科外来受診患者での経験では,IEI 患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった.】(注:引用中の「IEI」は「特発性環境不耐症」の略です)

6) 資料「Chemical Sensitivity-The Frontier of Diagnosis and Treatment」(2016年発行)の日本語要約には次に引用(【 】内)する記述があります。 【しかしながら, 化学物質過敏症状を訴える患者が存在することは明らかであるにも関わらず, その病態解明が未だ進展していないために, 取り扱う臨床家・医療機関によって患者への対応は大きく異なっているのが実状である。その最大の理由として, 環境中の大量ではなく, 極めて微量な化学物質との因果関係の証明が非常に困難であることがあげられる。】 ちなみに、「Sparks らによる化学物質過敏症の病因についての見解」については資料「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」(2017年発行)の「Ⅲ.Sparks らによる化学物質過敏症患者の分類と看護支援のあり方」項に記述されています。

7) 上記本 ④ (a) が発行(2016年)。

8) 論文「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model」(要旨、全文はここを参照、加えて他の拙エントリのここも参照)が発行(2017年)。加えてこの論文(全文)には、内受容(interoception)や内受容条件づけ(interoceptive conditioning)に関する記述(他の拙エントリのここの c) 項を参照)、そして上記論文の要旨には全文の「A New Model」項と同様に「予測的符号化」(predictive coding、他の拙エントリのここを参照)に関する記述もあります。一方、 a) 本論文の著者である「Van den Bergh O」氏は、上記 interoception のロードマップ(roadmap)に関連する次の論文(全文)の著者でもあります。 「Interoception and Mental Health: A Roadmap」(2018年発行) b) 本論文に関連する(一般的な)ノセボ効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて下記の 14) 項及び 16) 項も参照すると良いかもしれません。

9) 上記本 ④ (b) が発行(2018年)。注:この本以降の発行は上記④項を参照して下さい。

10) 論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(2019年10月発行、他の拙エントリのここ及びここを参照) この論文要旨の「CONCLUSIONS:」項には(化学物質不耐症において)「さらなる神経生理学的研究が必要である」との主旨の記述があります。加えてこの論文(全文)にはストレスにも関連する「Fig. 2 Sensory and cognition model of the interrelationships among stimulus factors, limbic system, cortices, symptoms, and responses.」(他の拙エントリのここを参照)もあります。加えて、上記「さらなる神経生理学的研究が必要である」に関連するかもしれない、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の視点からの「ニューロセプション(又は神経知覚、他の拙エントリのここを参照、加えて「知覚」については次の 11) 項を参照)は、安全と脅威を知覚する神経生理学的なプロセス」であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、上記ポリヴェーガル理論(「生き残るための対価」)の視点からのアロスタティック負荷(アロスタティックロード)については他の拙エントリのここを(加えて必要に応じ下記 11) 項も)参照して下さい。一方、標記論文(全文)の筆頭著者である東賢一氏が著者である資料「健康リスクの立場からみた環境過敏症の予防について」(2019年発行)の「3.1 脳機能イメージングを用いた研究」項における記述の一部(P205~P206)を次に引用(『 』内)します。 『従って,化学物質に対する過去の曝露イベントが前頭前皮質や前帯状皮質等に認識され,その後の臭い負荷では,そこからのトップダウン制御が情動や自律神経系に関連した中枢部位に作用し,化学物質過敏症患者で多彩な症状を発現していると考えられる7)-9)。このような臭い処理プロセスでの反応は,脳における認識や記憶にも関連しており,臭いを嗅いだときに作用する物質とそうでない物質の違いを区別できると生じる考えられる。このことは,このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも,化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連しており,多種類の化学物質に反応することも,このような作用機序が関係しているかもしれないと考えられる。』(注:i) 引用中の文献番号「7)-9)」で示される論文は同資料の「引用文献」項、又は拙エントリのここここ及びここをそれぞれ参照して下さい。 ii) 上記引用において拙ブログ作者が特に強調したいのは次の二つの文章[それぞれ【 】内]です。 【情動や自律神経系に関連した中枢部位に作用し】、【このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも,化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連しており】) 加えて、同東賢一氏が著者である資料「職域におけるオフィスビルの室内環境に関連する症状とそのリスク要因:いわゆるシックビルディング症候群」(2021年1月発行)の「Ⅵ-2.化学物質過敏状態の作用機序について」項における標記論文(全文)についての記述の一部の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

11) 上記本 (c) が発行(2019年)。ちなみにこの本の記述としては、「発達性トラウマに関係する身体的症状」としての「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」(他の拙エントリのここここにおける引用を参照)、及び「発達性トラウマの歴史を持つ」方の「食物や環境への過敏症」(他の拙エントリのここにおける引用を参照)が挙げられます。一方、化学物質過敏症(又は突発性環境不耐症)の視点からは、 a) 突発性環境不耐症(IEI)において特に発症前の心理負荷についての資料「突発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷」の要旨には次に引用する(『 』内)記述があります。 『当科外来受診患者での経験では,IEI 患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった.』 b) 加えて、環境省のWEBページ「環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究(「本態性多種化学物質過敏状態」に関する研究を含む)」の「環境中の微量な化学物質による健康影響」項においてリンクされている標記「化学物質過敏症」に関連する資料「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」の「1.概念」項には次に引用する(『 』内)記述があります。 『いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。』

12) 論文(全文)「"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena」(2020年2月発行、他の拙エントリのここを参照)。上記論文(全文)も、上記 8) 項の論文(全文)と同様に「ノセボ効果」についての記述があります。また本論文の著者である「Steven Nordin」氏は他の拙エントリのここにおける引用で言及されています。一方、上記論文(全文)の「Highlights」において次に引用(『 』内)する記述があります。 『Evidence points to a shift from focus on exposure and intolerance to perception.[拙訳]曝露や不耐に関する焦点から知覚に移行することをエビデンスは指し示す。』 加えて、上記論文(全文)の要旨の拙訳には「曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を提供する」との記述があります。他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、 a] 上記 10) 項の論文のタイトルは「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous.[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(他の拙エントリのここを参照)であり、上記「知覚」が考慮されていると本エントリ作者は考えます。 b] 一方、『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』について、厚生労働省のWEBページ「生活衛生関係技術担当者研修会」の「平成29年度生活衛生関係技術担当者研修会」項においてリンクされている標記「化学物質過敏症」についての記述を含む資料「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」の『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』シート(P42)における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【2. しかし身体不調を化学物質のためとは決めつけず、心理社会的ストレスによる体調不良やメンタルヘルスの問題など,他の既存の考え得る疾患である可能性を「除外診断」する必要がある】 c] 一方、「発達性トラウマの歴史を持つ」方が、「食物や環境への過敏症」の症状を有するかもしれないことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。

13) 論文(全文)「Mechanisms underlying nontoxic indoor air health problems: A review[拙訳]毒のない屋内空気の健康問題の根底にあるメカニズム:レビュー」(2020年5月発行、PubMed 要旨はここを参照)。なお、 a) この論文は「シックビルディング症候群」(sick-building syndrome、又は「非特異的なビルディング関連症状」[non-specific building-related symptoms])や「化学物質不耐症」(chemical intolerance)にも関連します。 b) この論文に関連する「Reply to the letter」の全文は次を参照して下さい。 「Reply to the letter to the editor by Tuuminen et al. (2020), "Indoor air nontoxicity should be proven with special techniques prior claiming that it may cause a variety of mental disorders."」 ただし、これらの論文や「Reply to the letter」の拙訳はありません。ただし、後者の引用例については他の拙エントリのここを参照して下さい。

14) 論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model[拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」(2020年5月 Preprint 発行、2021年5月発行、Highlights を含む論文要旨はここを参照) ただし、この論文は医学論文というより臨床心理学の論文のためか、PubMed では検索されませんでした。上記論文要旨における「Highlights」を三分割してその拙訳を次に引用(それぞれ『 』内)します。その後に論文要旨の引用があります。 『・特発性環境不耐性 (IEI) は健康問題であり、有害であることが知られているレベルよりはるかに低いレベルの環境トリガーに起因する様々な健康愁訴を含意する』、『・IEI を理解するための包括的な理論モデルに基づいて、これらの患者を治療するための体系的な治療アプローチを我々は記述する』、『・我々の目標は、治療の有効性を実証(文書化)するための体系的な治療研究を促進することである。』

Idiopathic environmental intolerance (IEI) refers to a health condition characterized by the presence of multiple symptoms in different organ systems in response to a variety of environmental cues, such as chemical exposures, electromagnetic radiation, infrasound from windmill farms, (parts of) buildings, foods, etc. Typically, the symptoms arise in response to triggers and at dosages that do not cause symptoms in the majority of people, and no clear link with any physiological dysfunction can be found. The condition varies in a dimensional way from very mild, for which no medical help is sought, to very disabling, compromising normal life. The condition is controversial, but several indications strongly suggest that the symptoms result from nocebo mechanisms. Currently, different psychological treatments are explored, but they are generally not based on a clear understanding of the aetiopathological mechanisms and the treatment effects are not well documented. In the present paper, we describe a treatment protocol based on a comprehensive explanatory model of IEI. The goal is to contribute to standardized, mechanism-based treatments as a basis for more systematic treatment studies.


[拙訳]
特発性環境不耐性 (IEI) は、化学物質への曝露、電磁放射、風力発電所からの超低周波音、(一部の)ビルディング、食品等の様々な環境的な手がかりに応答して異なる器官系において複数の症状が存在することを特徴とする健康状態を指す。典型的には、症状はトリガーに応答して、大部分の人々に症状を引き起こさない用量で発生し、そしていかなる生理学的機能障害との明確な関連性も見出せない。医学的支援を求めることのない非常に軽度のものから、非常に障害をきたし、正常な生活を損なうほどのものまで、病態はディメンジョン方式において様々である。この病態については議論の余地があるが、いくつかの徴候は、症状がノセボのメカニズムに起因することを強く示唆する。現在、様々な心理学的治療が探求されているが、これらは一般的に病因病理学的なメカニズムの明確な理解に基づいておらず、治療効果は十分に文書化されていない。本論文では、IEI の包括的な説明モデルに基づく治療プロトコールを、我々は記述する。目標は、より体系的な治療研究の基礎として、標準化された、メカニズムに基づく治療に寄与することである。

注:拙訳中の「IEI の包括的な説明モデル」については上記 8) 項及び他の拙エントリのここを参照して下さい。

15) 上記「神経生理学」に関連するかもしれない「神経生理学的解離モデル」や「構造的解離理論をさらに発展させた神経生理学的なモデル」について説明するジェニーナ・フィッシャー著、浅井咲子訳の本、『トラウマによる解離からの回復 断片化された「わたしたち」を癒す』(2020年8月発行、ここを参照)があります。ちなみに、上記本において説明されている「構造的解離」のごく一部については他の拙エントリのここを参照して下さい。

16) 論評(全文)「Causal perception is central in electromagnetic hypersensitivity - a commentary on "Electromagnetic hypersensitivity: a critical review of explanatory hypotheses"[拙訳]因果的知覚は電磁波過敏症において中心である - 「電磁波過敏症:説明仮説の批判的レビュー」についての論評」(2020年11月発行)に関連して、 a) 論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A comprehensive model」(上記 8) 項及び拙エントリのここを参照)における Figure 1 と同様な図としては、上記論評(全文)における Fig. 1 があります。この論評については他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません。 b) 加えて、上記論評(全文)において次に引用(『 』)する記述があります。 『Third, while the AH only explains EHS, the CM explains EHS as well as other conditions that are characterized by a scientifically unfounded causal link between symptoms and an environmental factor, such as multiple chemical sensitivities, infrasound hypersensitivity and various unfounded food and other allergies.[拙訳]第三に、AH が EHS のみを説明する一方で、EHS の他にも、環境要因との間の科学的に根拠のない因果関係を特徴とする症状、例えば、多種化学物質過敏状態、低周波音過敏症、様々な根拠のない食物や他のアレルギー等を、CM は説明する。』(注:i) 引用中の「EHS」、「AH」、「CM」はそれぞれ、「hypersensitivity towards electromagnetic fields:電磁場に対する過敏症」、「attributive hypothesis:帰属仮説」、「comprehensive model:包括的なモデル」の略です。 ii) ちなみに、特発性環境不耐性の種類については上記 14) 項を参照すると良いかもしれません。)

17) 上記「神経生理学」に関連するかもしれない「ポリヴェーガル理論は、人々の特定の行動を説明するための、神経生理学的な枠組みをセラピストに提供する」ことについての記述(他の拙エントリのここを参照)を有するデブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年1月発行)があります。

18) 論文(全文)「Multiple chemical sensitivity described in the Danish general population: Cohort characteristics and the importance of screening for functional somatic syndrome comorbidity—The DanFunD study[拙訳]デンマークの一般集団において記述された多種化学物質過敏状態:コホート特性及び機能性身体症候群共存症のスクリーニングの重要性―DanFunD研究」(2021年2月発行)の「Introduction」項において次に引用(『 』内)する記述があります。 『Numerous and very diverse modes of action have been suggested to explain the MCS phenotype, with some of the more commonly proposed causal mechanisms being central pain sensitization, neurogenic inflammation, altered metabolic capacity, behavioural conditioning, and expectancy-induced nocebo effect [5,9,13–15]. However, scientific evidence supporting the suggested mode of action is still insufficient to reach consensus, and the underlying mechanisms leading to symptom elicitation in MCS remains an enigma.[拙訳]MCS(多種化学物質過敏状態)表現型を説明するための多くの非常に多様な作用様式が示唆されており、より一般的に提唱されている原因メカニズムのいくつかは、中枢性疼痛感作、神経原性炎症、代謝能の変化、行動学的な条件付け、及び予期誘導性のノセボ効果 [5,9,13–15] である。しかしながら、示唆された作用様式を支持する科学的エビデンスはコンセンサスに達するにはまだ不十分であり、そして MCS における症状誘発をもたらす根底にあるメカニズムは謎のままである。』(注:i) 引用中の文献番号「5」は次の論文です。 「Chemical intolerance」 加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の文献番号「9」は次の資料です。 「NICNAS, OCSEH. Multiple Chemical Sensitivity: Identifying Key Research Needs; National Industrial Chemicals Notification and Assessment Scheme, Australia; Office of Chemical Safety and Environmental Health, Australia. 2010 2010. Report No.: 1.」 iii) 引用中の文献番号「13」は次の論文です。 「Mechanisms underlying nontoxic indoor air health problems: A review」 加えて上記 13) 項を参照して下さい。 iv) 引用中の文献番号「14」は次の論文です。 「Acquiring symptoms in response to odors: a learning perspective on multiple chemical sensitivity」 加えて上記 4) 項も参照すると良いかもしれません。 v) 引用中の文献番号「15」は次の論文です。 「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model」 加えて他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 拙訳中の「条件付け」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)

19) 論文(全文)「Impact of comorbidity on symptomatology in various types of environmental intolerance in a general Swedish and Finnish adult population[拙訳]一般的なスウェーデン及びフィンランドの成人集団での様々なタイプの環境不耐症における症候学に関する併存症の影響」(2023年7月発行)の「4. Discussion」項において次に引用(『 』内)する記述があります。 『With respect to EIs, the etiologically neutral term ‘symptoms associated with environmental factors’ has been proposed (Haanes et al., 2020).[拙訳]環境不耐症(EIs)に関して、 病因学的に中立な用語である「symptoms associated with environmental factors」が提案されている(Haanes et al., 2020)。』(注:引用中の「Haanes et al., 2020」は上記 12) 項を参照して下さい)

余談1:医学的に説明できない症状(medically unexplained symptoms、MUS)の文脈において、身体感覚増幅(somatosensory amplification、SSA)が近頃は身体脅威増幅(somatic threat amplification)と呼ばれることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

余談2:ちなみに上記研究の令和2(2020)年度の報告についてのWEBページ「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」においてリンクされている「化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証」に対する分担報告書については次を参照して下さい。 「<化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証>」 加えて、令和2(2021)年度の報告についてのWEBページ「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究」においてリンクされている「化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証」に対する分担報告書については次を参照して下さい。 「<化学物質過敏症候群患者の中枢感作検証>」 その上に、上記「中枢神経感作」についての次の資料もあります。 「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明とそれによる患者ケアの向上」 さらに、上記「中枢神経感作」に関連する「中枢神経感作症候群」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「中枢神経感作病態としての心身相関」の「Fig. 3 中枢性感作症候群」(P174) これら以外にも、上記「中枢神経感作」に関する資料例としては下記 (h) 項で示すものの他に、「中枢神経感作病態」についての上記資料をはじめとして例えば次の資料もあります。 「中枢神経感作病態における心身相関」 なお、標記「中枢神経感作」に類似するかもしれない「中枢性感作」に関連する、 (a) 「中枢性感作の評価」については次の資料を参照して下さい。 「中枢性感作の評価」 (b) 上記「中枢性感作」と「機能性身体症候群」の関連については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「疼痛性障害の合併症」 加えて、上記「中枢性感作をきたす誘因」については上記資料の「中枢性感作をきたす誘因」項(P40)を参照して下さい。 (c) 「中枢神経感作の特性を考えると痛みにとどまらず他の感覚モダリティにおける過敏性を捉えることも必要である」ことについては次の資料を参照して下さい。 「中枢神経感作につながる生理学的検査とこころの臨床を結びつける」の「Ⅰ.中枢神経感作と臨床的意味」項(P509) (d) 上記「中枢性感作」(central sensitization)の神経生物学については次の資料(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「The neurobiology of central sensitization[拙訳]中枢性感作の神経生物学」 ただし、 1) この資料(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 2) この資料は PubMed では検索することができませんでした。 (e) 線維筋痛症における上記「中枢性感作」や愛着障害がプライミング効果をもつ準備因子として関与している可能性を含む(線維筋痛症を発症する)「スリーヒット仮説」については次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症と中枢ミクログリア異常仮説:誘導ミクログリア細胞(iMG)による効果」 加えて、心理的因子と痛みの関係における中枢性感作の媒介効果についてはWEBページ「心理的因子と痛みの関係における中枢性感作の媒介効果」を参照して下さい。その上に、子ども時代のマルトリートメント(childhood maltreatment)と上記「中枢性感作」に関係する「中枢性感作症候群」(central sensitisation/sensitivity syndromes)との関連は、次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「The association between exposure to childhood maltreatment and the subsequent development of functional somatic and visceral pain syndromes[拙訳]​子ども時代のマルトリートメントへの曝露とその後の機能性身体的及び内臓痛症候群の発症との関連」 ちなみに上記「​子ども時代のマルトリートメント」に関係する「小児期の逆境体験」(adverse experiences during childhood)と慢性疼痛(chronic pain)との関連を示すかもしれない次の論文(全文)もあります。 「Parenting style during childhood is associated with the development of chronic pain and a patient's need for psychosomatic treatment in adulthood A case-control study[拙訳]​小児期の育児スタイルは成人期における慢性疼痛の発症及び心身医学的治療の必要性と関連する 症例対照研究」 この論文(全文)に関連するかもしれない研究成果報告書については次を参照して下さい。 「一般住民における心理特性・自律神経機能・失体感傾向と慢性疾患の関連:久山町研究」 ただし、これらの論文(全文)の拙訳はタイトルを除きありません。 (f) 慢性疼痛の上記「中枢性感作」(central sensitization)の文脈おける「予測的符号化」(predictive coding)との関連については次の論文(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「Placebos in chronic pain: evidence, theory, ethics, and use in clinical practice[拙訳]中枢性感作の神経生物学」の特に「Introduction」項 加えて同項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『In the context of central sensitization, we argue that "predictive coding" and its corollary "bayesian brain" offer a unified neurobiological framework to elucidate placebo effects in chronic pain.[拙訳]​中枢性感作の文脈において、「予測的符号化」とその必然的結果である「ベイジアン脳」が、慢性疼痛におけるプラセボ効果を明らかにするための統一された神経生物学的枠組みを提供すると我々は主張する。』(注: i) 拙訳中の「予測的符号化」については、「予測」や「予測的処理」を含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「ベイジアン脳」(bayesian brain)については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、次の論文[全文]を参照すると良いかもしれません。 「Symptom perception, placebo effects, and the Bayesian brain[拙訳]症状の知覚、プラセボ効果、及びベイジアン脳」 ただし、この論文[全文]の拙訳はタイトルを除きありません。 iii) 拙訳中の「ベイジアン脳」に関連する「ベイズ推論」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、次の論文[全文]を参照すると良いかもしれません。 「Pain: A Statistical Account[拙訳]疼痛:統計的説明」 ただし、この論文[全文]の拙訳はタイトルを除きありません。 iv) なお、上記論文(全文)の PubMed 要旨はここを参照して下さい。) (g) また、上記「中枢性感作」に関連する「持続中枢感作」と慢性難治性疾患の関連についてのWEBページは次を参照して下さい。 「持続中枢感作と慢性難治性疾患」 (h) 上記「中枢性感作」と「難治性疾患」に関連する「難治性疾患における中枢神経感作の役割」については「Central sensitization inventory」の紹介を含めて次の資料を参照して下さい。 「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明とそれによる患者ケアの向上」 ちなみに、 1) 上記資料中には「9. 過敏性腸症候群の中枢性感作病態」項があります。一方、上記過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome、**)と内受容(interoception)との関連は次の論文(全文)を参照すれば良いかもしれません。 「Interoceptive Abilities in Inflammatory Bowel Diseases and Irritable Bowel Syndrome[拙訳]炎症性腸疾患及び過敏性腸症候群における内受容能力」 加えて、PTSD(post-traumatic stress disorder)と過敏性腸症候群との関連は次の論文要旨を参照すれば良いかもしれません。 「Systematic review with meta-analysis: The association between post-traumatic stress disorder and irritable bowel syndrome[拙訳]メタアナリシスを伴うシステマティックレビュー:PTSD過敏性腸症候群の関連」(注:上記「PTSD」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」の特に「第1章 トラウマに関する研究動向と課題」を参照) 2) ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からの上記過敏性腸症候群に関連する「機能性胃腸障害」については、「慢性びまん性疼痛」を含めて次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Chronic Diffuse Pain and Functional Gastrointestinal Disorders After Traumatic Stress: Pathophysiology Through a Polyvagal Perspective[拙訳]​トラウマティック・ストレス後の慢性びまん性疼痛及び機能性胃腸障害:ポリヴェーガル理論の視点からの病態生理」 一方、MCS(multiple chemical sensitivity)と線維筋痛症(fibromyalgia)や過敏性腸症候群(Irritable bowel syndrome)との関連は、中枢性感作(Central sensitization)を含めて次の論文(全文)を参照して下さい。 「Intolerance to environmental chemicals and sounds in irritable bowel syndrome: Explained by central sensitization?[拙訳]過敏性腸症候群における環境化学物質及び音に対する不耐性:中枢性感作によって説明されるか?」 ただし、これらの論文(全文)及び論文要旨の拙訳は共にタイトルを除きありません。 3) 「予測的符号化」又は「予測誤差」と上記過敏性腸症候群との関連等は他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (i) 後者の論文(全文)のタイトルの拙訳「慢性びまん性疼痛及び機能性胃腸障害」に関連するかもしれない、「シャットダウンを引き起こす(中略)出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記線維筋痛症の症状に関連する痛覚が内受容(他の拙エントリのここを参照)の一形態であるとの主張については拙訳はありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「Interoception and nociception

*:上記「中枢性感作」に関連する「中枢性感作症候群」について、名越泰秀、西原真理編の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の A. 疼痛の基礎知識 の 6 痛みの性質の評価 の「c. 中枢性感作に関する評価」における記述の一部(P39)を次に引用します。

(前略)中枢性感作は神経障害性疼痛の項目で触れたが,痛みだけでなくその他の感覚の過敏性が獲得された難治性の病態,すなわち中枢性感作症候群 central sentization syndrome (CSS)(線維筋痛症化学物質過敏症過敏性腸症候群など)においても認められる.(後略)

注:(i) この引用部の著者は(令和2年度の「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割の解明と患者ケアの向上を目指した複数疾患領域統合多施設共同疫学研究班」のメンバー[余談2を参照]でもある)西原真理です。 (ii) 引用中の「中枢性感作は神経障害性疼痛の項目で触れた」における神経障害性疼痛の項目における中枢性感作についての引用は省略します。同本を参照して下さい。 (iii) 引用中の(中枢性感作の文脈における)「感覚の過敏性」に関連するかもしれない「感覚過敏は中枢神経感作とも重なる概念である」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「感覚過敏に対する新しい治療法の開発 2018 年度 実施状況報告書」の「研究実績の概要」項 (iv) 引用中の「線維筋痛症」、「過敏性腸症候群」とトラウマとの関連を説明するツイートがあります。一方、引用中の「化学物質過敏症」又は突発性環境不耐症とトラウマや PTSD との関連について、 1) 上記「化学物質過敏症」において、「これらを踏まえると、いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。」ことについては環境省のWEBページ『環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究(「本態性多種化学物質過敏状態」に関する研究を含む)』の「環境中の微量な化学物質による健康影響」項においてリンクされている次の資料を参照して下さい。 「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」の「1.概念」項 2) 上記「特発性環境不耐症」において、「この患者は,中毒学的なものではなく,心的外傷後ストレス障害 PTSD を含む精神疾患あるいは心理負荷要因で了解可能であった」との記述は次の資料を参照して下さい。 『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』の要旨

**:上記「過敏性腸症候群」に対する心理療法に関連する資料や研究成果報告書は例えば次を参照して下さい。 「過敏性腸症候群に対する力動的精神療法・ストレスマネジメントの実際」、「過敏性腸症候群に対する認知行動療法の実際」、「過敏性腸症候群に対する自律訓練法の実際」、「過敏性腸症候群に対するマインドフルネス療法」、「わが国における過敏性腸症候群(IBS)に対する催眠療法の実際と課題」、「過敏性腸症候群に対する内部感覚曝露を用いた集団認知行動療法の開発研究

※:上記「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」及び「食物や環境への過敏症」への治療や対処に関連するかもしれない、「内受容感覚(他の拙エントリのここを参照)をさらに洗練させること」及び(ポリヴェーガル理論[他の拙エントリのここの「最初に」を参照]の視点からの)「生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けること」について、最初に前者についてはキャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)〔ここの[A]11) 項も参照すれば良いかも〕の 第11章 戦略と道筋 の 治療戦略 の「5. 内受容感覚をさらに洗練させること。」における記述(P331)を次に引用(『 』内)します。 『これは、通常、調整への働きかけや、防衛的適応を和らげるための働きかけと同時に行う。より正確な内受容感覚を持つようになると、調整能力が拡大し、安全感覚を持つことができるようになる。そして協働調整を行い、自分の内的体験をより正確に気づき、それをセッションの中で適切に臨床家に報告することが可能になるだろう。』 加えて、上記「内受容感覚をさらに洗練させる」ことや引用中の「より正確な内受容感覚を持つようになる」ことに関連する「さらに正確な内受容感覚を築く」ことについて、同本の 第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」 の「さらに正確な内受容感覚を築く」における記述の一部(P226~P228)を三分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【発達性トラウマを扱う時に鍵となる要素の一つは、クライアントがより健全で正確な内受容感覚を築くのを支援することである。最も一般的な方法としては、臨床家がクライアントと共に、何が観察されるかについて「気づきを照らし合わせる」ことである。たとえば臨床家が、クライアントの生理・身体システムに起こった変化をクライアントに言ってみる。クライアントは自身の体験と照らし合せてみる。「あなたが今、深呼吸をしたことに気づいたのですが、あなたは気づきましたか? それはどんな感じでしたか?」。】、【健全で正確な内受容感覚を育てるもう一つの方法は、クライアントに、実は様々な種類の感覚があるのだ、ということに気づいてもらえるように援助することである。これは特に肯定的な感覚に関して、重要になるだろう。大半の時間を危険の中で過ごしていたら、そうではないものに気づく能力は限られてしまう。生き延びるためには、自分を傷つける可能性があるものに気づくことのほうが、ずっと重要だった。そのため、危険に対して注意を向けるように鍛錬されているのだ。】(注:引用中の「様々な種類の感覚がある」ことに関連するかもしれない「情動粒度」[又は感情粒度]については他の拙エントリのここを参照して下さい)、【どんな感覚が楽しいか。好きか。もしそれを感じることができないようなら、どんな感覚が他よりは「まし」かに気づく方法を、臨床家は、クライアントに教える必要がある。その際、クライアントが、感覚をどのように名付け、分類しているかを知ることが重要となる。クライアントが「不快」という言葉で表現する感覚は、実は「普通に」起きている何かの感覚であるかもしれない。背側の生理学的機能を使い過ぎて、慢性的に自身の体感に無感覚になっている場合は、身体を感じる体験が少ないかもしれない。そのため空腹でお腹が鳴るといった単純な感覚にさえ、警戒を示すことがある。それが馴染みのない感覚だったら、クライアントはどう理解したらよいか、全くわからないだろう。常に意識が身体から切り離されている状態の人だったら、身体の感覚を感じること自体が「普通だ」とは思えないだろう。そして潜在的な危険をいつも探している眼鏡を通して、その感覚を解釈するだろう。】(注:引用中の「背側の生理学的機能を使い過ぎて」に関連する「背側迷走神経系」については例えば次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「1.背側迷走神経系」項[P350])
また後者(「生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けること」)について、同本の 第5章 発達性トラウマの副作用 の「生き残りをかけた生理学的反応が暴走する時」における記述の一部(P132~P135)を三分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『脅威があるときの生理学的状態を、脅威がない時のそれと区別するために、われわれはそれを「生き残りをかけた生理学的反応」と呼ぶ。これは、脅威を知覚した時に起こる、交感神経系の強度の活性化による過覚醒状態の生理学的反応と、背側迷走神経系が強度に活性化した時の凍りつき反応である。』(注:引用中の「過覚醒状態の生理学的反応」に関連する「闘争-逃走反応」及び引用中の「凍りつき反応」については共に例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。)、『もしこうした生理学的状態が長く続くと、ストレスに適応するためのアロスタティック負荷が作られ、身体に大きな負担をかけることになる。』(注:引用中の「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい)、『生理反応がスムーズにいかないと、生き延びようとする衝動は、信頼性を欠き、それが身体的、心理的、行動的、社会的側面全てに表れる。健全な社会的つながりを提供する神経基盤なくして、協働調整や自己調整をしたり、帰属とつながりの感覚を感じることは困難である。こうした状態の人を助けるために、まずやらなければならないことは、生き残るための生理学的状態からその人が脱出するのを助けることである。健全な調整ができないことで引き起こされる不適応的反応は、臨床家が提供しようとする、調和のとれた状態に近づくことを妨害する。』(注:引用中の「生き残るための生理学的状態からその人が脱出する」ための「安全を求めることこそが、私たちが成功裏に人生を生きていくための土台である」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい)

なお、 (a) 上記 6) の資料と上記 10) の論文の視点を併せると、本論文の著者らは非主流の Clinical Ecology(和訳:臨床環境医学)を脱して、上記「神経生理学」を含む主流の医学に合流したとも考えられます。加えて、上記 「焦点を曝露や不耐から知覚に移行することをエビデンスは指し示す」を含む上記 11) 項も参照すると良いかもしれません。また、上記主流の医学は日進月歩であると考えます。 (b) 一方、臨床環境医学を信奉する方々にとってはこれらの論文、資料、本、エントリ等は「想定外」(他の拙エントリのここにおける引用の「想定外に向き合う知力」項を参照)かもしれません。また、MCS、化学物質過敏症又は化学物質不耐症についての研究が、今後は(上記日進月歩である)主流の医学の視点から実施されるのであれば、上記「想定外」な出来事がさらに増加するかもしれません。例えば上記 12) 項を参照して下さい。

加えて、上記 10) 及び 12) の論文の視点、他の拙エントリのここにおける引用(すなわち、発達性トラウマの歴史をもつ人は「環境への過敏症」を有するかもしれないこと)及び上記【(前略)身体不調を化学物質のためとは決めつけず、心理社会的ストレスによる体調不良やメンタルヘルスの問題など,他の既存の考え得る疾患である可能性を「除外診断」する必要がある】ことを併せると、「化学物質過敏症」の診断の際に、例えば上記「発達性トラウマの歴史を持つ」(上記 11) 項を参照)ことの視点からも鑑別が必要であると考えます。特に頻繁な「闘争-逃走反応」(他の拙エントリのリンク集を参照)や一回以上の「気絶」(他の拙エントリのここにおける引用及び[「気絶」と類似する「失神」については]他の拙エントリのここを参照、注:他の拙エントリのここにおける引用では「闘争-逃走反応」や「気絶」は化学物質過敏症の症状には含まれません)の症状がある場合には。なお上記頻繁な「闘争-逃走反応」や「気絶」(又はシャットダウン、擬死等)においては神経生理学(上記 10) の論文を参照)に大いに関連するポリヴェーガル理論(拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の神経知覚(ニューロセプション、他の拙エントリのここを参照、一方知覚については上記 11) の論文を参照)における「生命の危機」の検知(誤検知を含む、他の拙エントリのここここを参照)の視点からの検討となると本エントリ作者は考えます。上記「闘争-逃走反応」や「気絶」に陥りやすいこととは別の視点である「耐性領域(耐性の窓)」の狭さの視点からは例えば拙エントリのここここを参照して下さい。

[B]上記①の患者における病態生理としてのポリヴェーガル理論(換言すると「神経生理学」※2)的な仮説の例のご紹介
ニューロセプション(神経知覚)が「命が脅かされている」と誤検知※4して、古い迷走神経(すなわち背側迷走神経[複合体])がトラウマへの防衛反応に採用され(他の拙エントリのここを参照)、(凍りつきとも類似した)[深い]シャットダウンとして「気絶した」(「気絶」に類似したポリベーガル理論の視点からの「失神」については他の拙エントリのここを参照)。「単一試行」のトラウマ反応(他の拙エントリのここを参照)として、一回でも上記シャットダウンに陥ると代償を払う(他の拙エントリのここを参照)リスクがあり、その代償を払うことになってしまった。上記代償例は次に示します。 i) 公の場所にいられなくなる、 ii) 下腹部の問題、 iii) 他者の接近に耐えられない、 iv) 低周波音に過敏となる※5、 v) 線維筋病症(WEBページ「線維筋痛症 全身の痛み」を参照)の症状が起こる、 vi) 血圧が安定しなくなる、 vii) 自律神経系が生理学的状態を調整するやり方が変化する(他の拙エントリのここを参照、加えてこれに関連する「自律神経の調節不全」については資料「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の観点から-」の「4) ポリヴェーガル理論」項を参照)、 viii) 解離(他の拙エントリのここここを参照)、 ix) レジリエンス、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなること(他の拙エントリのここを参照)。加えてこれに関連する「周りの世界に対し、危険と安全の知覚が改変された」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。一方上記「単一試行」モデルが適用される場合には、「非常に詳細な病歴が必要」なことについては、他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。なお、 1) 「何を地獄と感じるかは、一人一人違う」ことについては他の拙エントリのここを、「非常に重要なのは、同じ出来事であっても、人によってどのようなニューロセプションの反応が発動し、どういう生理学的状態になるかが異なる」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 2) 認知が、(ニューロセプションによる)身体の反応とずれることがあることについては他の拙エントリのここここにおける引用を参照して下さい。 3) 「こうした神経生理学的な反応を一度体験すると、高次の脳は、なぜこんなことになったのか納得したいと考え、もっともらしい理屈をつける」ことについては※2を参照して下さい。 4) 上記シャットダウンに陥りトラウマを負った場合の「トラウマを負うことでもっとも難しいと思われるのは、内に住み着いている〈引き金〉をどうするかということである。トラウマは過去のものであるのに、体が、あたかも切迫した危険の中にいるかのように反応し続ける」ことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。加えて、「煙探知機(注:「扁桃体」のこと)は普通、危険の手掛かりを捉えるのが非常に得意だが、トラウマを負うと、状況が危険か安全かの解釈を誤る可能性が増す」ことについては他の拙エントリのここここにおける引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項を参照して下さい。さらに、「扁桃体は、深刻なマルトリートメントを経験したほど過活動になる」ことについて、他の拙エントリのここの (xii) c) 項を参照して下さい。 5) ニューロセプションが「命が脅かされている」と誤検知する対象は、多種類の極めて微量の化学物質(すなわち、MCS)以外にも規制下の電磁波(すなわち、電磁波過敏症)等が考えられます。

[C]上記ポリヴェーガル理論と密接に関連するトラウマ※6を負った方々に対する治療・対処・養生法についての感想
[i] 「ポリヴェーガル理論の助けにより、西洋医学の外で長年行われてきた、他の古い、非薬理的な取り組みの価値も、受け容れやすくなった」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、仏教思考や禅についての記述を有する資料「認知行動療法における身体性をめぐる一考察」(参照)もあります。一方、拙ブログにおける20種類を超えるトラウマを負った方々に対する非薬理的な治療・対処・養生法については、エビデンスが不足していることも含めて、他の拙エントリのここを参照して下さい。この中には東洋的な「ヨーガ」(他の拙エントリのここを参照)及び仏教にルーツを持つ(例えば資料「心理療法としてのマインドフルネスにおける仏教性」の「3. 仏教から見たマインドフルネス」項を参照)「マインドフルネス瞑想」(他の拙エントリのここを参照)も含まれます。一方、これら以外の非薬理的な取り組みとして次の資料があります。 「自律訓練法を患者の病態理解に役立てる

[ii] 一方、「科学は代替医療に偏見をもっていない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。従って、上記「ヨーガ」(注:ちなみに「ヨーガ」と上記ポリヴェーガル理論との関連についての論文(全文)例として「Yoga Therapy and Polyvagal Theory: The Convergence of Traditional Wisdom and Contemporary Neuroscience for Self-Regulation and Resilience」があります)にも、「マインドフルネス瞑想」(注:少し古いかもしれませんが他の拙エントリのここにおける引用で様々なマインドフルネスの背後にある心理神経的メカニズムに関連する論文が紹介されています)にも、加えて「EMDR」(他の拙エントリのここ及びここを参照)にも科学は偏見をもっていないと考えます。最後の「EMDR」の PTSD に対するエビデンスについての論文(全文)の一例(2018年発行)は次を参照して下さい。 「The Use of Eye-Movement Desensitization Reprocessing (EMDR) Therapy in Treating Post-traumatic Stress Disorder—A Systematic Narrative Review」 なお、この論文の「Recommendations for practice[拙訳]実践に対する推奨」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『EMDR therapy should be available for adults who present with PTSD and co-morbid symptoms including depression and anxiety and EMDR therapy can be delivered effectively within the countries identified within this study.[拙訳]PTSD を呈する成人、及び抑うつ及び不安を含む併存症状を呈する成人に対して、EMDR 療法は利用できるべきであり、そして EMDR 療法はこの研究の範囲内で特定された国の範囲内で効果的に実施できる。』

[D]自発的な回復及び回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思うことについて、電磁波過敏症等における前者の「自発的な回復」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、後者の「回復中に代替医療を行っていればこれが効いたからだと思う」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、新薬を承認するための「治験の3つのステップ」については次のWEBページを参照して下さい。 「2.治験の3つのステップ - 製薬協」(注:このWEBページ中の「『第Ⅲ相試験』(検証的試験)」項において「確認の方法」としての次に引用[【 】内]する記述があります。 【確認の方法は、現在使われている標準的なくすりがある場合にはそれとの比較、標準的なくすりがないときにはプラセボとの比較が中心になります。】)

[E]その他のもの
[i] 上記[D]項にも関係する「急激な回復」(又は「V字回復」)に関連するかもしれない仮説としての「パブロフの犬において条件付け操作による条件反射が消え去ったこと」については他の拙エントリのここを参照して下さい。なお、回避すると機会がなくなる条件付け(レンポンデント学習)の消去のための曝露については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、曝露(エクスポージャー)療法を含む様々な心理療法のマニュアルについては次のWEBページを参照して下さい。 「厚生労働科学研究班作成の不安障害(強迫、社交不安、パニック、PTSD)の認知行動療法マニュアル - 日本不安症学会」 ただし、曝露中に上記ニューロセプションが「命が脅かされている」と誤検知して、(深い)シャットダウンに陥る(上記[B]項を参照)ことにより代償を払うリスクについての注意が必要であると考えます。

※1:上記「精神神経内分泌免疫学」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「研究会について - 精神神経内分泌免疫学研究会」の「精神神経内分泌免疫学とは」項 なお、上記論文(全文)中の上記 Fig. 2 は上記「精神神経内分泌免疫学」、そして「アロスタティックロード」[他の拙エントリのここを参照]又は「身体予算管理」[他の拙エントリのここを参照]にも少なくとも一部が重複するかもしれません。上記 Fig. 2 と精神神経内分泌免疫学や、「アロスタティックロード」又は「身体予算管理」との関連については共に他の拙エントリのここの i) 項を参照して下さい。

※2:上記ポリヴェーガル理論については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。加えて、上記ポリヴェーガル理論と「神経生理学」の関連については他の拙エントリのここ及びここにおける引用を参照して下さい。なお、この引用中の「こうした神経生理学的な反応を一度体験すると、高次の脳は、なぜこんなことになったのか納得したいと考え、もっともらしい理屈をつけます」に類似するかもしれない「原因探し」(バイアス)については、エントリ『「化学物質過敏症って心因症なの?」に対するお返事 - NATROMのブログ』を参照して下さい。

※3:上記 Fig. 2 の一方で、Clinical Ecologist(和訳:臨床環境医)が提唱するストレスに関連する「トータルボディロード」についての批判については他の拙エントリのここを参照して下さい。

※4:上記「ニューロセプション」については拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「誤検知」に関連する、『ニューロセプションは、必ずしも常に正確とは限らない。危険がないのに「危険である」とニューロセプションが誤って検知してしまうこともある。あるいは危険でないにも関わらず「安全である」という「合図」だと取り違えてしまう可能性もある。』ことについては拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。一方、上記「ニューロセプション」、「条件反射」は共に無意識的なものと考えます。前者については他の拙エントリのここここにおける引用を参照して下さい。

※5:上記「低周波音に過敏となる」ことについて、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照、そして以下の資料も参照)を提唱するポージェスによる「交感神経系の覚醒システムが生理学的に優位になると、聴覚が変化する可能性」について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第2章 「安全である」ことを知る の「外受容感覚」における記述の一部(P52~P53)を以下に引用(『 』内)します。 『ポージェスによると、交感神経系の覚醒システムが生理学的に優位になると、聴覚が変化する可能性があるようだ。ストレスを受けた時の生理学的状態では、同じ音がまったく異なった音に聞こえる。「捕食者が出す音」ともいわれる低周波数帯の音をいち早く聞きつけるために、中耳の筋肉が変化するためだ。すると、周囲の騒音と人間の声を聞き分けることが難しくなる。ストレス下では、実際の聴覚の変化だけではなく、内容を知覚する能力も弱くなる。』 加えて資料「The polyvagal hypothesis: common mechanisms mediating autonomic regulation, vocalizations and listening[拙訳]ポリヴェーガル的な仮説:自律神経調節、発声及び聞き取りをメディエイトする一般的なメカニズム」の「IX. Summary」項(P263)における記述の一部を次に引用します。

(前略)According to the theory, during defensive states, when the middle ear muscles are not contracted, acoustic stimuli are prioritized by intensity and during safe social engagement states, acoustic stimuli are prioritized by frequency.
During safe states, hearing of the frequencies associated with conspecific vocalizations is selectively being amplified, while other frequencies are attenuated.
During the defensive states, the loud low-frequency sounds signaling a predator could be more easily detected and the soft higher frequencies of conspecific vocalizations are lost in background sounds.(後略)


[拙訳]
この理論によれば、防衛状態中では、中耳の筋肉が収縮していない時、音響刺激は強度によって優先され、そして安全な社会的関わり状態中では、音響刺激は周波数によって優先される。
安全な状態中では、(動物の)同種の発声に関連する周波数の聴覚は選択的に増幅される一方で、他の周波数は減衰される。
防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう、そして(動物の)同種の穏やかな高周波数の発声は背景音で隠れてしまう。

加えて、上記「IX. Summary」項における「耳小骨連鎖強直」についての次に引用(『 』内)する他の記述の一部もあります。 『During social interactions, the stiffening of the ossicular chain actively changes the transfer function of the middle ear, and functionally dampens low-frequency sounds and improves the ability to extract conspecific vocalizations.[拙訳]社会的交流中では、耳小骨連鎖強直は能動的に中耳の伝達機能を変化させ、そして低周波音を機能的に減衰させ、及び(動物の)同種発声を抽出する能力を改善する。』(注:i) 引用中の「社会的交流」は上記「社会的関わり」[例えば資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項を参照]と大いに関連します。 ii) 拙訳中の「耳小骨連鎖強直」〔stiffening of the ossicular chain〕は上記「中耳の筋肉の収縮」〔contracting the middle ear muscles〕によるもののようです。同資料中の「V. Impact of middle ear structures on sensitivity to conspecific vocalizations」項における次に引用[≪ ≫内、ただし拙訳はありません]する記述[P260]を参照して下さい。 ≪Although the stiffening of the ossicular chain functions as a highpass filter by contracting the middle ear muscles and dampening the influence of low-frequency sounds on the inner ear, the physical characteristics of the ossicular chain also influence the acoustic energy reaching the inner ear.≫)

※6:上記ポリヴェーガル理論とトラウマとの密接な関連については、他の拙エントリのここにおける引用の一部【ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。トラウマを抱えた人々に対し、ポリヴェーガル理論は、生命の危機に及んで、なぜ彼らの身体はかくのごとく反応し、その結果、レジリエンス、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなったのかを説明したのである。】を参照して下さい。

(25)ミニ情報【「コレラ恐怖に呪縛されたジュスティーヌの精神的混乱を伴っている生理学的な障害」についての記述例のご紹介、その他】における記述の一部の分担
ミニ情報において書ききれない標記記事における記述の一部として、「コレラ恐怖に呪縛されたジュスティーヌの精神的混乱を伴っている生理学的な障害」について、ピエール・ジャネ自身が関与した膨大な症例から訳者が精選した五症例を集めた、松本雅彦訳の本、「解離の病歴」(2011年発行)の 第二章 症例 ジュスティーヌ ある固着観念の病歴 の「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P90~P91)を原注番号を除き以下に引用します。なお、 (i) 上記「ピエール・ジャネ」が解離の概念を生み出したことについては次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神分析におけるヒステリーと解離の諸相」の「8.解離とヒステリーの歴史的展望」項 加えて、これに類似する「フランスのジャネは、解離や心的外傷やヒステリーの研究で有名であり、解離を初めて定義したとも言われる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「治療ゼミナール第5号通信(2009.5.10.発行)平井孝男(解離、自傷特集)」の 2.解離とは? の「d.他の定義」項 (ii) また、「現代の解離理論は、解離を心的外傷による人格機能の低下によると考えたジャネの考えに基づいている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」 (iii) これら以外にも、 a) 上記ピエール・ジャネの「心理分析」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 『ピエール・ジャネの「心理分析」 -フロイトの精神分析とどこが違うのか-』 b) 拙訳はありませんが上記ピエール・ジャネの治療法については次のWEBページを参照して下さい。 「Pierre Janet's Treatment of Post-Traumatic Stress

(前略)この考察を終えるに当たって、私たちは、彼女の精神的混乱を伴っている生理学的な障害にも目をとめざるをえない。この種の生理学的障害は大部分の患者に特異的に見いだされるからだ。
とくに主張するつもりはないが、まず、消化器系の障害がかなりの頻度で現れている。ジュスティーヌも不規則にしか食事を摂らず、いつも消化不良状態でよく嘔吐し、頑固な下痢と便秘を繰り返していた。しかし胃は拡張していず、さしたる異変も見いだされていない。むしろこの胃腸障害は、コレラに対する固着観念およびその後の食養生に結びついていて、かなり早期に改善し、その他の精神症状をもたらすものではなかった。
逆に栄養状態は全般に悪く、強く私たちの関心を引くところであった。まず、患者マルセルと同じように、皮膚は乾燥して粉を吹いているようであり、爪は割れ、髪の毛も抜けていることなどである。肥満度の変動は激しく、病気の重篤な時期には増え、固着観念が消退しいくらかの意思と仕事への情熱を取り戻したときには減少する。いずれ報告するように、これは患者の幼少時からつづいている傾向である。
循環器系ことに血管運動系の障害はいっそうはっきりしている。多数の皮下溢血が、夢想につづいて現れる拘縮した四肢に認められ、赤い斑点が胸や顔面に出現し、顔の鬱血は蒼白と交代する。鼻や耳、眼下のシミはほとんどの神経衰弱症者に見られ、彼らの顔貌を特徴的なものにしている。ジュスティーヌの場合、そのシミはよく変化し、患者のそのときどさの精神的動揺に呼応しているようであった。(後略)

加えて、上記引用直後の「月経困難症」における記述について、上記「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『月経困難症はこれまでもずっとつづいていたが、私たちが診察した時期はことのほか重篤で、あらゆる症状に影響をおよぼしていた。古い固着観念が強く甦ってくるだけでなく、この月経時には新しい固着観念の数々も出現する。月経時の女性に被暗示性の高まることは指摘するまでもあるまい。この点は診察の出発点であるが、精神神経症患者でしばしば看過されているように思われる。』(注:引用中の「被暗示性」に関連する標記ジュスティーヌは「驚くほど暗示に掛かりやすい女性であった」ことについて、上記「3 被暗示性と無為状態」における記述の一部(P79)を次に引用[【 】内]します。 【ジュスティーヌは、はじめて診察したときから驚くほど暗示に掛かりやすい女性であった。両腕の一方を上にあげさせるときも、そのままのポーズを保ち、あげていることに気づかない。そして、すぐにもその腕は拘縮してゆく。それは、私たちが拘縮を系統化させる実験研究をそのまま再現するものであった。】[注:a) 引用中の「暗示」に関連する「暗示とその周辺問題」については次の資料を参照して下さい。 「暗示とその周辺問題」 b) 引用中の「月経時の女性に被暗示性の高まること」に関連する(病的徴候の残滓としての)「月経時などには、暗示性も以前と同じ程度にまで亢進する」ことについて「暗示とその他の人たちに吹き込まれる観念との関連」を含めて同の「4 精神の指導」における記述の一部(P99~P101)を次に引用します。])

(前略)私たちの考察すべき興味ある事項は、やはり暗示性という現象と固着観念である。それらは、この患者が変化してきた過程でどのようになったのだろうか? 暗示性がどう変容したか、それを評価することはむずかしい。実際、暗示の掛け方次第で、被験者は験者が暗示に従うことを望んでいるのかどうかを感知し、従うことによって従わないということもありうるからである。しかし私たちは、この実験を正確なものにすることを心がけ、この研究に気づかれないようにしながら、ときどき覚醒時にも暗示を試み、推測を交えずその結果を記録するようにした。この研究はまだ不十分ではあるが、私たちはこの結果にある程度満足している。暗示性、下意識の活動、精神の解離も、完全に消退したわけではない。夢遊病状態もまだときに出現するが、それは病的徴候の残滓だと考えている。月経時などには、暗示性も以前と同じ程度にまで亢進する。しかし調子のよいときには、暗示性も著しく減弱し、暗示が「取り憑くことはほとんどない」。患者は求められた活動を遂行するが、いまやそれは、本人の同意を伴った意識的な従順さによるものであり、自動症的な動きによるものではない。たしかにジュスティーヌは、彼女の心に影響をおよぼした私たちからはまだ暗示を受けやすい状態にあるが、その他の人たちに吹き込まれる観念などに対しては十分な抵抗力を獲得している。何らかの言葉や出来事によって暗示状態に陥ることはほとんどない。もちろん、固着観念が湧き上がってくることはあるが、自分の力でそれを抑えることができる。読書に集中すること、ピアノの小節を弾くことなどによって、以前なら一ヶ月もの混乱に導かれたであろう強迫観念を消退させることができるようになっている。この一年、彼女が重篤な混乱に見舞われることは一度もなく、混乱が起きたとしてもそれに対処できる範囲のものとなった。かつて愛していた子犬が目の前で車に轢かれるという事件があり、彼女は失神し、固着観念を伴う発作が出現したが、その発作も後遺症なく翌日には消失した。このような形の治癒が得られたことは、たとえ部分的なものにすぎないにしても、暗示性が無動状態や解離と関連しているとみる私たちの見解を実証してくれているように思われる。
これまでの経過から、精神の厳しい教育こそが有効な影響をもたらしたように思われる。だからといって、古く根強い固着観念を完全に消失させえたともいえない。しかし、暗示性を弱め、新しい観念が生じることを防ぐことはできた。一時的な結果は満足すべきものであるが、それに大きな信頼をおくにはまだまだ失望すべき点も多い。この一見治癒と思われる状態を評価しこれに正当な価値を与えるには、残された点も多々あろう。(後略)

注:i) 引用中の「夢遊病状態」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「下意識」や「自動症」については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「書評 心理学的自動症-人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論-」 iii) 引用中の「暗示」に関連する「暗示に掛かりやすい人たちの特徴」としての「リュシー等の場合を例」にした「極度に情動の不安定な状態」であることについて、ピエール・ジャネ著、松本雅彦訳の本、「心理学的自動症 人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論」(2013年発行)の 第一部 全自動症 の 第三章 暗示、意識野の狭窄 の「Ⅶ 暗示に掛かりやすい人たちの特徴」における記述の一部(P205~P206)を以下に引用します。なお、上記「心理学的自動症」の別名であるだろう「心理自動症」について、野間俊一著の本、「解離する生命」(2012年発行)の 第Ⅰ部 解離の諸相 の 第一章 存在の解離――生命性をめぐる病理 の「2 ヒステリー/解離の歴史」における記述の一部(P7)を次に引用(【 】内)します。 【ジャネは一八八九年に上梓した『心理自動症』において、ヒステリーのカタレプシー(蝋人形のように固まる症状)、夢遊病、麻痺、継続的複数存在(=多重人格)が、高次の複雑な心理的活動の低下により低次の古く単純な活動が自律的に発展したものと理解した。】(注:引用中の「夢遊病」に類似する「夢遊病状態」についてはここを参照して下さい。)

(前略)ごく普通に観察していても、この種の人たちは極度に情動の不安定な状態にあり、ほんのわずかな契機で驚くほど激しく精神的な動揺を覚えるように思われる。それが歓びであっても苦しみであっても、また愛情や恐怖であったりしてもである。そのような例は枚挙にいとまがない。ここではリュシーの場合を述べておこう。覚醒時であっても第一次夢遊病状態時であっても、犬が車に轢かれたとか、どこかの夫がその妻を打ったとかいった話を聞かせるだけで、彼女はすぐにも顔色を変え部屋の片隅に逃げ込んで泣き始めるのである。レオニーも、私が再会したときひどく動揺し、しばらくの間、すすり泣いたりはっきりしない発作に陥ったりして、それはほとんど神経発作の初期状態に近いものであった。ローズの場合、このような精神的動揺が治まったのは、真性の神経発作を起こした後である。彼女の場合、ほとんど二日間も持続的な発作が続いたが、それは待っていた人が面会に来てくれなかったその失望によるものであった。
この精神的動揺の突発性と激越性は、どう考えるべきであろうか? まずここでは、情動の表出が情動そのものよりもはるかに激しいことである。しかもこの全体を巻き込む動揺の激しさも、状況が変わって発作にいたることがなければ、すぐにも治まり、その速さも発現状態と変わらない迅速さである。したがって、普通の人に対するのと同じようなやり方で、悲しみの原因に触れ、「それは些細なことだ」などと話して絶望をもたらした出来事を話題にすれば、それは彼女らの発作や号泣を促すだけである。その状態を変化させようとする技法など考えず、まったく別の事柄を語りかける方がよい。彼女たちは一瞬呆気にとられて躊躇を示すが、すぐにもこの新しい話題に乗り移り、まだ目に涙を浮かべているにもかかわらず陽気に笑い出すに違いない。(後略)

注:i) 引用中の「リュシー」についてはここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「極度に情動の不安定な状態」に関連するかもしれない[闘争-逃走モードに切り替わる際の(情動喚起レベルの)]「閾値が低い人は少しの情動喚起で闘争-逃走モードに入る」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ほんのわずかな契機で驚くほど激しく精神的な動揺を覚える」ことに関連するかもしれない「小さな刺激に対して、通常起こらない強い反応を起こす」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。

その上に、標記ジュスティーヌの精神的健康状態が広がってきた時の「身体的な健康もこの精神的な変化の影響を受けている」ことについて、同章の「4 精神の指導」における記述の一部(P98~P99)を原注番号を除き次に引用します。

(前略)興味深いことは、身体的な健康もこの精神的な変化の影響を受けている点である。ジュスティーヌは、規則通りに食事を摂っても消化できるようになってきた。しかも、以前よりよく食べるようになっても痩せている。九八キロから八四キロへ、この四ヶ月で十四キロほど体重が減っている。この変化は、説明がむずかしいが、これまで指摘してきた、患者たちの肥満は病的な神経症状と関係がある、という考えを追認する形となっている。皮膚はもう乾燥していない。顔色もすっかり変わった。このようなことを述べると笑われるかもしれない。また、文案を練ったりピアノを弾くようになったりしてから髪の毛も伸びるようになった、と言えばさらに奇妙と思われることだろう。ここではごく単純に、この事態は互いに関連していて、けっしてバカげたことではない、と答えておきたい。さらには、この女性が持続的混乱状態にあったときはいつも鬱血状態にあって血管運動系の変調をきたしていたこと、それが情動的な混乱と関連していたこと、眠れず、食べるのもきわめて不規則であったことなどを指摘しておきたい。現在では、頭脳作業の効果もあって、栄養管理は完全に近いものとなり、生活そのものもすっかり落ち着いてきている。この身体的な健康および全般的栄養状態の改善が、精神的変化の反映であるとすれば、これは驚くべきことではないだろうか?(後略)

一方、標記ジュスティーヌにも関連する、上記ジャネは「病態理解においても治療的観点からも夢遊病状態を重視した」、そして「夢遊病状態は多彩な症状を含んだ意識変容状態である」ことについて、共に柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 7 時間的変容の諸相 の「5 解離性意識変容」における記述の一部(P113~P114)を次に引用します。

(前略)一九世紀末から二十世紀初頭にかけて、ジャネは症例リュシー、アシール、ジュスティーヌ、イレーヌなど多くの解離の症例を報告している。ジャネ(1974, 2011)はこれらの症例に見られたヒステリー性発作を夢遊病状態と呼んだ。そこには離人症状、幻覚、フラッシュバック、健忘、朦朧状態、人格交代、身体症状、昏迷、カタレプシーなど多彩な症状が記載されている。ジャネの言う夢遊病状態はこうした多彩な症状を含んだ意識変容状態である。ジャネの症例において夢遊病状態が頻回に見られたことは、ジャネが催眠や暗示を積極的に使用していたことと無関係ではないだろう。彼は催眠によって自然な夢遊病状態から人為的夢遊病状態へと治療的に導こうとしていたのである。このようにジャネは、病態理解においても治療的観点からも夢遊病状態を重視したのである。(後略)

注:i) 引用中の(ジャネ)「1974」、「2011」はそれぞれ次の本です。 「ピエール・ジャネ[高橋徹=訳](1974)『神経症医学書院」、「ピエール・ジャネ[松本雅彦=訳](2011)『解離の病歴』みすず書房」(後者はここも参照すると良いかも) ii) この引用は他の拙エントリのここの引用における(省略された)非引用部でもあります。 iii) 引用中の「ジャネは症例リュシー、アシール、ジュスティーヌ、イレーヌなど多くの解離の症例を報告している」ことに加えて、症例「マドレーヌ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 資料「精神分析におけるヒステリーと解離の諸相」の「9.症例マドレーヌ」項 iv) 引用中の「離人症状」、「昏迷」、「身体症状」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「カタレプシー」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「解離性障害」の「解離性障害の症状」項、「カタレプシー」 vii) 引用中の「昏迷」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 viii) 引用中の「意識変容」に関連する「解離性意識変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「ヒステリー」は、多くの精神障害に枝分かれしたことについて、同の「序章 ヒステリーから解離へ」における記述の一部(P017)を次に引用(『 』内)します。 『ヒステリーは近年の操作的診断基準によって心的外傷後ストレス障害、急性ストレス障害解離性障害、身体化障害、転換性障害、演技性パーソナリティ障害などに枝分かれした。ヒステリーはあまりに多くの病態を抱え込んだのである。』 加えて、引用中の「ヒステリー」では「真なるものがつかめない」ことについて同「序章 ヒステリーから解離へ」における記述の一部(P018)を次に引用します。その上に引用中の「ヒステリー」の最も重要な特徴のひとつは「絶え間なく夢想する傾向」であることについて、「空想傾向人格」を含めて同の 10 解離の幼少期体験 の「2 空想傾向」における記述の一部(P158)を以下に引用します。

序章 ヒステリーから解離へ(中略)

かつてヒステリーは身体症状を呈するものが主であった。激しいけいれん発作、運動麻痺、感覚異常、意識消失など多彩な身体症状を呈するヒステリーには、いくら探っても器質的病変が見出せなかった。また身体症状を呈したり精神症状を呈したりするなど、症状があちこちへと移動する。要するにヒステリーでは真なるものがつかめないのである。真なるものがないにもかかわらず、それがあたかも存在するかのように見せかける病として、ヒステリーは表象された。(後略)

注:一方、『E・クレッチマーはヒステリーを、「一つの観念傾向が本能的、反射的あるいはその他の方法で生物学的に準備されている機制を利用する場合の心因性の反応型」と定義し、その原型を、錯乱して暴れまわる「運動乱発」とフリーズして動かなくなる「擬死反射」に見た』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

注:引用中の「ヒステリー」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「ヒステリーには、いくら探っても器質的病変が見出せなかった」ことに対し、『臨床をやっていると、多くの医師が「これはヒステリーだ」と言って単なる心因性だとして片付ける症状にしばしば遭遇する』ことを踏まえた「ヒステリーという症状(現象)を事実として発しているのだから、それには理由がある。だからヒステリーは器質性と言っていいのではないか。」について、國松淳和著の本、「仮病の見抜きかた」(2019年発行)の「はじめに」における記述の一部(P8)を次に引用します。

(前略)さて、各エピソードのはじめにタイトルとそれに付随して置かれている〈ちょっとした言葉〉は、詩人である尾久守侑氏に書いていただいたことを、ここに御礼とともに申し述べておきます。
彼は精神科の臨床医でもあり、私とは共通の話題でいつも盛り上がって話が尽きない間柄です。私たちは、フランスの神経内科医だったジャン=マルタンシャルコーが、神経学のたくさんの業績を残した後にヒステリーの研究に関心が移ったことについてよく話します。臨床をやっていると、多くの医師が「これはヒステリーだ」と言って単なる心因性だとして片付ける症状にしばしば遭遇します。私たちはシャルコー先生を師と仰いでいます。「ヒステリーという症状(現象)を事実として発しているのだから、それには理由がある。だからヒステリーは器質性と言っていいのではないか。やっぱりシャルコー先生は凄い」などと、いつも私的な場で語り合っています。「心因を見抜く」などおこがましい話で、臨床医にできることは、器質を見抜くことだけだと思っています。(後略)

注:i) 引用中の「尾久守侑氏」(尾久守侑医師)については引用中の「ヒステリー」に関連する(転換症状や転換性障害を含む)「転換ヒステリー」も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「シャルコー」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「シャルコーの臨床講義とその文化的影響について ―アンドレ・ド・ロルド『サルペトリエール病院の講義』を中心に―

2 空想傾向(中略)

ウィルソンとバーバー(Wilson and Barber 1983)は、サルぺトリエール病院でシャルコーやジャネによってヒステリーと診断された者の多くは空想傾向人格であろうと論じている。ジャネ(Janet 1901)によれば、ヒステリーの最も重要な特徴のひとつは「絶え間なく夢想する傾向である。ヒステリーは夜につねに夢を見ることに満足しているわけではない。彼らは一日中夢を見ているのである。歩いていても、仕事をしていても、縫い物をしていても、彼らは行っていることにすべて心を奪われているわけではない。頭のなかでは果てしないストーリーが目の前で繰り広げられている」。彼らの報告後、空想傾向が解離性障害と関連していることが指摘されてきた。(後略)

注:i) 引用中の「Wilson and Barber 1983」は次の資料です。 「Wilson, S.C. and Barber, T.X. (1983) The fantasy-prone personality : Implication for understanding imagery, hypnosis and parapsychological phenomena. In : A.A. (ed.) Imagery : Current Theory, Research, and Application. New York : John Wiley, pp.340-387.」 ii) 引用中の「Janet 1901」は次の本です。 「Janet, P. (1901) The Mental State of Hystericals : A Study of Mental Stigmata and Mental Accidents. New York, London : G.P, Putnam's Sons.」 iii) 引用中の「シャルコー」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「シャルコーの臨床講義とその文化的影響について ―アンドレ・ド・ロルド『サルペトリエール病院の講義』を中心に―」 iv) 引用中の「空想傾向」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 

***** 臨時の記事(その2) *****
他の拙エントリの改訂作業の都合上、改訂作業中で未整理の記事等をあえてここに記述します。掲載期間は~数カ月又は数年を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(R)トラウマを負ったことにより、「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われて「世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになる」ことについて、その他
標記について水島広子著の本、「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(2011年発行)の 第1章 トラウマとは何か の『健康に生きていくために必要な「自分、身近な人、世界への信頼感」』における記述の一部(P021~P022)を次に引用します。

「いつものやり方」で対処することも含めて、私たちが健康に暮らしていくためには「まあ、何とかなるだろう」という感覚が必要です。
実は私たちはこれから先に何が起こるかを全く知らないですし、もしかすると次の瞬間に何か怖ろしいことが起こるのかもしれませんが、ふつうに暮らしているときにはそのようなことはほとんど意識していません。意識してしまったら、おちついて暮らしていくこともできなくなります。
これから先に何が起こるかを全く知らないのに、なぜおちついて暮らしていられるのかというと、その基本に「まあ、何とかなるだろう」という感覚があるからです。それは、「自分、身近な人、世界への信頼感」と言うこともできます。「まあ、自分は何とかできるだろう」(自分への信頼感)、「まあ、身近な人が助けてくれるだろう」(身近な人への信頼感)、「まあ、今までも大丈夫だったのだから、これからもたいしたことは起こらないだろう」(世界への信頼感)、という感覚が、私たちの日常生活を可能にしているのです。
衝撃を受けると、この「自分、身近な人、世界への信頼感」が一時的に揺らぎます。「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われるので、「これからどうなるのだろう」「自分は大丈夫なのだろうか」と不安になったり、「もう絶対無理だ」「事態が改善することなどありえない」などと圧倒されてしまったりするのです。(中略)

こうして「自分、身近な人、世界への信頼感」を取り戻すと、「まあ、何とかなるだろう」という感覚も回復して、またふつうに生きていくことができるようになるのです。
しかし、衝撃が強すぎると、「いつものやり方」で態勢を立て直すことができず、信頼感が失われたところに留まってしまいます。自分の感じ方も、自分の力も信じられなくなります。衝撃の内容によっては、身近な人も信じられなくなります。世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになります。この状態が維持されているということが、「トラウマ」の本質です。もちろんトラウマ体験の性質によって、その警戒領域が人生全般に及ぶのか特定のテーマに限局されるのかはさまざまですが、基本的な構造は同じです。
「トラウマ」というと、まるで消せない傷がついているかのような印象を持つ人がいるかもしれませんが、そのような固定的なものではなく、「自分、身近な人、世界への信頼感」から離断されてしまった状態だと考えると実用的です。つまり、回復は可能で、それは信頼感へのつながりを取り戻すということであり、トラウマの性質によっては一生続くプロセスになりますが、常に前進していくものなのです。

注:(i) 引用中の『「自分、身近な人、世界への信頼感」から離断されてしまった状態』に関連する「人や世界が信じられなくなるという症状」について、青木省三著の本、『ぼくらの中の「トラウマ」 いたみを癒すということ』(2020年発行)の 第1章 トラウマ反応で起きること の「人や世界が信じられない」における記述の一部(P32~P34)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『実はトラウマが招くものの中で、僕が一番つらいものと思うのは、人や世界が信じられなくなるという症状だ。正確に言えば、信じきれなくなるのである。』、『自然災害にあった場合を考えてみよう。道を歩いていても、駅で電車を待っていても、突然恐い事故や出来事は普通は起こらないものだと、何となく感じている。だからこそ、街に出ることができる。世界は安全で平和であると、漫然と思っているのだ。実際には、さまざまな災害や出来事がいつ起こるかわからないのだが、でも、普通は突然に恐い出来事は起こらないと何となく思っている。この世界は安全であるという感覚は、人が生きていく上での基盤としてとても大切である。しかし一度でも災害や危機的な出来事を経験すると、この安全で平和な生きる基盤が揺らぐ。いつ何が起こるかわからないと不安を感じるようになるのである。』 (ii) 引用中の「自分、身近な人、世界への信頼感」に関連する「基本的信頼感」(自分や世界に対する素朴な信頼感)が「失われる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「基本的信頼感とトラウマ」、「【基本的信頼感の欠如】被害が奪う根源的な安全感 ~強い不安感と恐怖心~」(注:上記「基本的信頼感の欠如」に関連するかもしれないWEBページ例は次を参照して下さい。 『トラウマが奪う人生の選択権 ~人生の「選択権」を取り戻す~』) (iii) 引用中の「世界への信頼感」の「揺らぎ」に関連する、 a) 「世界は危険」なことについて「自己は無価値である」を含めて、J・G・アレン著、上地雄一郎、神谷真由美訳の本「愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療 素朴で古い療法のすすめ」(2017年発行)の 第2章 心的外傷後ストレス障害解離性障害 の 1. 心的外傷後ストレス障害 の「(6) アイデンティティ」における記述の一部を以下に引用します。 b) 「トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め,他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望のないものだと捉えさせる」ことについて、野坂祐子著の本、「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」(2019年発行)の 第Ⅰ部 トラウマの「メガネ」で見てみよう の 第2章 トラウマについて理解する の「生き延びるための対処」における記述の一部(P37~P38)を以下に引用します。ただし、上記「トラウマインフォームドケア」については次の資料を参照して下さい。 「トラウマインフォームドケアをもっと知るために -TICガイダンス-」 c) 「身体が怖いと反応すると、怖いという認知が強化されます。身体が恐怖や無力感に包まれていると、世界は脅威となり、世界への信頼が失われます。」について、花丘ちぐさ編著の本、「なぜ私は凍りついたのか ポリヴェーガル理論で読み解く性暴力と癒し」(2021年発行)の おわりに の「ソマティックな介入の可能性」項における記述の一部(P334~P335)を以下に引用します。また、上記「世界への信頼感」に関連するかもしれない「PTSDの患者は、ポジティブな感情を認識することが苦手になり、ネガティブな感情を感じやすくなる。さらにポジティブな感情に対してネガテイブな反応をするというものがあるのです。」との記述を有するツイートがあります。

(前略)Ronnie Janoff-Bulman(1992)は,トラウマが次のような3つの基本的想定を打ち砕いてしまうと提唱しました。その想定とは,①世界は善意に満ちている,②世界は意味がある,③自己は価値あるものだ,ということです。トラウマを抱えると,世界は危険で悪意に満ちており,おまけに無意味なものとみなされ,自己は無価値であるとみなされる可能性があります。同じような脈絡で,Foa と共同研究者たち(2007)は,トラウマと関連した2つの基本的な確信がトラウマを永続化させてしまうことに光を当てています。それは,「世界はまったく危険なものである」という確信と,「私はまったく無能なので,それに立ち向かうことができない」という確信です(p.14)。(後略)

注:i) 引用中の「Ronnie Janoff-Bulman(1992)」は次の本です。 「Janoff-Bulman R: Shattered Assumptions: Towards a New Psychology of Trauma. New York, The Free Press, 1992」 ii) 引用中の「Foa と共同研究者たち(2007)」は次の本です。 「Foa EB, Hembree EA, Rothbaum BO: Prolonged Exposure Therapy for PTSD: Emotional Processing of Traumatic Experiences. New York, Oxford University Press, 2007」

生き延びるための対処

トラウマを体験すると,「暴力や苦痛から逃れられることはできない」「人は信用ならない」「自分はダメだ」といった考えが強まる。たしかに,“あのとき”は暴力は苦痛が永遠に続くと感じられ,“あの人”が信用できないのも確かだが,だからといって,これからの人生でも暴力を受け続けるいわれはないし,すべての人が信用に値しないわけでもない。まして,トラウマを体験したのは,その人の愚かさのせいでもなければ,被害によってダメな人間になるわけでもない。つまり,こうした考えは真実ではなく,何より本人にとって役に立たないものであるため,非機能的認知と呼ばれる。トラウマによって生じる非機能的認知は,自分を責め,他者を退け,世の中を実際よりも危険で希望のないものだと捉えさせる。(後略)

ソマティックな介入の可能性(中略)

トラウマを受けると、私たちほソマティックな自己から切り離されてしまいます。私たちがしっかりとソマティックな自己に留まることができ、身体が良い状態であれば、快食、快眠、快便というように、生きることは基本的に快の感覚から成り立ちます。「生」が快であるように、「性」の営みも快となります。しかし、トラウマ、特に性被害を受けると、身体からはつねに危険と恐怖、不快の信号が送られてきますので、それを感じないように身体感覚を切り離し、解離する傾向が多く見受けられます。そうすると私たちは、生きることの喜びから切り離されてしまいます。
私たちの世界観も、ソマティックな状態に大きな影響を受けます。理性で、いくらここには加害者はいないと考えても、身体に刻まれた恐怖の記憶は、適切に介入しないといつまでも消えない上に、何回も怖いと思うことでさらに記憶が強化されてしまいます。こうなると、不本意ながらも自分を怖からせる無限のループに落ち込んでしまう恐れがあります。怖いと思うと身体にそれが刻みつけられ、身体が怖いと反応すると、怖いという認知が強化されます。身体が恐怖や無力感に包まれていると、世界は脅威となり、世界への信頼が失われます。そして、思うようにならない自分についても信頼を失っていきます。やがて、トラウマを受けた人は世界を信じることをやめてしまいます。そして、自分を信じることをやめてしまいます。さらに悲しいことに、世界を愛することをやめ、自分を愛することをやめてしまうのです。(後略)

注:i) 引用部の著者は花丘ちぐさです。 ii) 上記「ソマティックな介入の可能性」項の P334 の記述によると引用中の「ソマティック」とは「身体的」なことを指すようです。

一方、標記『「まあ、何とかなるだろう」という感覚』に関連するかもしれない、強迫における「望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼」について、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 10 強迫 の「2.無限」における記述の一部(P104~P105)を次に引用します。

(前略)強迫における反復が一定の枠内に収まり生活に大きな支障を来さずに済む場合も少なくはないが 身体的な限界が来るまで確認行為を延々と続けて止まないような症例もある.強迫の内的な駆動力が十分に展開されると,そこに日常にはそぐわない無限が顔を出してくる.
これに関して,シュトラウスは強迫の果てしなさには必ずしも病的とはいいきれないところがあるという.

予想外の出来事が政治家や実業家の素晴らしい計画を台なしにし,新聞は日々不運な事件を報道していることは,どんな予防措置も十分ではないことを示す,したがって強迫症者の懐疑,その確認,その根拠づけの終わることがないのは,実は本来的に正しいのかもしれない.どんな予防措置にもさらなる予防措置が付け加えられるし,どんな根拠もより良い根拠によって置き換えられうる限りで,強迫症者は実際のところ正しい.

神と異なり有限な能力しかもたないにもかかわらず,人は際限なく複雑な世界に身を置かなければならず,不確実性にさらされることは避けられない.こうした人間一般の不完全なあり方から強迫の果てしのない営みは正当化されなくもない.それでもわれわれは無限の反復行為を免れており,シュトラウスは先の引用に続けて,強迫症者には「暫定性」が欠けているとした.
たとえば施錠したつもりでいたのに,思い違いや鍵の不具合などのために鍵が閉まっていなかったことは稀ながら起こりうる.あらためて問われたならばその可能性を否定はしないであろうが,われわれは普段それを気にもとめず,施錠した際にとりあえず鍵は閉まったものとして次の行動に移る.このように,望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちに,暫定性は示されている.(後略)

注:(i) 引用中の「不確実性」に関連する「不確実さの非耐性」については、例えばWEBページ「認知行動理論における強迫性障害の信念について」からダウンロード可能な資料「認知行動理論における強迫性障害の信念について」の「4 - 1. 不確実さの非耐性(Intolerance of uncertainty)」項(P42)やツイートを参照して下さい。 (ii) 引用中の「望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼」に関連して、 [a] 「限りなく白に近いグレーであろうと、それは白ではない点で黒と同じと考える」こと、そして「この世は確率論です。(強迫症の)患者はこの不安定な世界観に、必ずどこかで向き合わなければいけない」ことについて、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第三章 強迫症の治療戦略 の「白黒を追求せず、グレーを受け入れる」における記述の一部(P142~P144)を以下に引用します。 [b] 加えて、上記「根拠なき信頼」が無いことに関連するかもしれない、 1) (トラウマを負ったことにより)『「まあ、何とかなるだろう」という感覚が失われて「世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになる」』ことについてはここを参照して下さい。 2) (全般性不安症において)「周囲の人からみると心配しなくてもよいことまで心配している」ことについて「過剰に心配して悩む」ことや「最悪のシナリオがいますぐにおこるように思える」ことを含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) スキーマ療法(他の拙エントリのここを参照)の視点からの「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」不適応的スキーマの解説における「この世にはどんな恐ろしいことが起こるかわかりはしない」「自分の身に、いつ、どんな恐ろしいことが起きてもおかしくはない」という思いや「そんなことが起きたら、自分は弱いからそれに太刀打ちできない」「自分はそれを防ぐこともできないし、対処することもできない」「自分はそれにやられっぱなしになるに違いない」「自分にはどうにもできない」という思いについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 4) 強迫神経症強迫症)における「死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬものが起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛するようなあり方をしている」ことについて、松本卓也著の本、「症例でわかる精神病理学」(2018年発行)の 第7章 強迫神経症強迫症) の 7.3 強迫神経症現象学精神病理学 の「7.3.2 パターン逆転の不在」項における記述の一部(P171)を以下に引用します。ただし、引用中の「A」や「B」については共に次の資料を参照して下さい。 「対人心理的距離のモデル化」の「1.1 心理的距離としてのファントム空間」項

白黒を追求せず、グレーを受け入れる
こだわりの現れの一つとして、「二分思考」という強迫に特徴的な思考の傾向があります。二分……つまり0か100か、あるいは白か黒かの完璧性にこだわり、曖昧さやグレーを認めたがらない思考です。
「直ちに健康に影響はない」「ほとんど感染性はない」といったよく耳にするフレーズ、たとえばこれらに満足できません。限りなく白に近いグレーであろうと、それは白ではない点で黒と同じと考えるのです。「たぶん大丈夫」という言葉は患者にとってむしろ格好の不安材料となります。
これは強迫症状に苦しみ続けた結果生じる、考え方の癖のようなものです。「不安それ自体」を強く恐れるため、不安の原因となる曖昧さを嫌うのです。無理もありません。強烈な不安に伴う苦痛は、尋常ではありませんから。究極の安心を心の底から望む気持ちは、かつて私も持っていました。今でも心のどこかにはあるかもしれません。
しかしながら、この二分思考は、治療の進展のためには諦める必要があります。そもそも、患者が求める〝完璧〟や〝絶対〟は現実に存在しないのです。家族に保証を求めようと、Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません。(中略)

この世は確率論です。患者はこの不安定な世界観に、必ずどこかで向き合わなければいけません。強迫症と付き合っていると忘れがちですが、このような世界観は、皆が受け入れている当たり前の事実です。多くの人は曖昧なグレーに対して自然に妥協します。「まぁ、いっか」と。さらに言えば、多くの強迫症患者も発症以前はこのようにグレーを受け入れて過ごせていたはずなのです。(中略)

私は常日頃思うのですが、この社会は滅茶苦茶に適当です。こんな適当な社会に完璧性を求めれば、あっという間にクラッシュします。だから、諦めなければいけません。もしうまく諦めることができれば、それは必ず強迫行為の防止につながり、症状の悪化を防ぎ、きっと、より楽な人生を送れるようになります。

注:i) 引用中の「Googleに答えを求めようと」に関連するかもしれない(汚染に関する不安への入り口としての)「テレビやネット等の情報媒体から不安の種を植えつけられてしまうパターン」について、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第五章 その他の強迫症例 の「《汚染/洗浄系》への様々な入り口」における記述の一部(P210)を次に引用(『 』内)します。 『汚染に関する不安の入り口には、様々なパターンがあります。分かりやすいのは、テレビやネット等の情報媒体から不安の種を植えつけられてしまうパターンです。細菌やウィルスの危険性に関する情報に触れたことで強い不安を感じ、さらにその不安を解消するためにネットで検索を繰り返すことで、かえって怖さが強まってしまう。』 ii) 引用中の「クラッシュ」に関連するかもしれない、(強迫儀式が長くなれば)「疲れ果ててしまう」ことについて、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)の 2章 強迫性症(OCD)を治そう! の 疲れ果ててしまう前に治療を受ける の『「もしかして…」と思ったら治療を受けることが回復の近道』における記述の一部(P66)を次に引用(【 】内)します。 【強迫儀式に没頭しているときは戦争をしているようなもの。敵と勇ましく戦っている間は無我夢中で疲れも感じませんが、いつまでたっても敵には勝てませんし、長くなれば疲れ果ててしまいます。】

(前略)さて,強迫神経症では,統合失調症のようなパターン逆転が起こっていませんが,死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬもの(安永の言い方では「B」)が起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛しているようなあり方をしています。つまり彼らは,A の世界の中に B が侵入してくることに警戒しているのです。ところが,その B の侵入に対する防衛のためには,B そのものをなるべく明確にみつめなければならなくなります。それは,精神活動の全精力をあげて B を増大させようと努めていることでもあり,これは一種の悪循環を形成することになります。たとえるならば,それは,ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環です。(後略)

注:(i) 引用中の「パターン逆転」について、 a) 「パターンの逆転」として次の資料を参照して下さい。 「対人心理的距離のモデル化」の「1.1 心理的距離としてのファントム空間」項 b) 加えて、同本の同項における記述の一部(P171)を次に引用(『 』内)します。 『前者 (A) は自明なものとして議論の出発点にとなりうるが,後者はそうなりえないと安永は考えます。つまり,人間の通常の体験には,A>B という「パターン」があるのだ,ということです。ところが統合失調症では B>A となるパターン逆転が生じ,「自」より「他」が強くなっていると安永は指摘します(つまり,自我意識が他者によって侵される自我障害などはまさにパターン逆転として理解できるわけです)。』(注:引用中の[統合失調症における]「自我障害」については次の資料を参照して下さい。 「統合失調症に特異的な神経認知障害はあるか?」の「Ⅱ.統合失調症における自我障害について」項) (ii) 引用中の「ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環です」に関連するかもしれない、 1) 『「気持ち悪い」の根底には、好き・嫌いという感情があります。そして、この好き・嫌いは、後から作られる感情です。とても良い例が、「ゴキブリ」です。ゴキブリは、日本では多くの地域では、嫌悪の対象ですが、ゴキブリが生息しない北海道では、そこまで嫌悪の対象にならないのです。』については次のWEBページを参照して下さい。 『「理由は説明できないけれど汚い」に対処する』の「嫌悪感の性質」項 2) 「道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまう」ことについて、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第一章 強迫症の疾患概念 の 強迫症の三つのタイプ――〈確認系〉〈汚染/洗浄系〉〈ピッタリ系〉 の「〈汚染/洗浄系〉」における記述の一部(P39)を次に引用(【 】内)します。 【同様に、道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい(どんな道も注意して見れば汚いものだらけです)、通れない道がますます増えるなど、自分で自分を追い込む傾向がしばしば認められます。】(注:引用中の「自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい」に関連するかもしれない恐れの視点からの「恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対して注意が向かなくなる(注意制限効果)」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「恐れ - 脳科学辞典」の「反応」項) (iii) ちなみに、 a) WEBページ「けんこう教室 化学物質過敏症とは - 全日本民医連」の資料6における「1条 見ない・さがさない」と「3条 気にしない」ことは上記「逆説的な悪循環」を防止するための手段なのかもしれません。一方、同資料における「4条 忙しくする」は「暇は強迫の餌になる」(拙エントリのここここを参照)ことを防止するためのものかもしれません。 b) 「ゴキブリが嫌いな人が,自衛のためにゴキブリが出てきそうな場所をじっとみつめるがゆえに,余計にゴキブリを目にすることになり,さらにゴキブリが嫌いになるような逆説的な悪循環」を防止するために有用かもしれなく、上記「見ない・さがさない」や「気にしない」に関連するかもしれない「手放す」や「管理しない」ことについてはツイートを参照すると良いかもしれません。

(V)「大人になってからの発達性トラウマの身体的影響」における引用の続き及び臨床家が発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について、その他
あまり整理されていないかもしれませんが、最初に標記引用(拙エントリのここを参照)の続きについて、「ACE研究」(他の拙エントリのここを参照)、「私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しない」こと、「トラウマスペクトラム障害」、『「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』、「背側迷走神経経系の生理学的機能に働きかける」こと、そして「さらに正確な内受容感覚を築く」ことを含めて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の「第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響」及び『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』における記述の一部(P174~P229)を次に引用します。ただし、本の一連の引用における例えば「背側迷走神経系による凍りつき反応」の文脈としての用語「凍りつき」は「防御カスケード」(Defence Cascade)の視点からは「虚脱」(又は Collapse、崩れ落ち)に相当するかもしれません。なお、上記「防御カスケード」については次のWEBページを参照して下さい。 「防御カスケード -トラウマ下での生理反応-

第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響(中略)

今やACE研究のおかげで、マーガレットが抱えている心身の症状や苦痛は、子ども時代の影響によるものだということが容易に推測できる。ACE質問紙の内容は、発達性トラウマか早期トラウマを経験した何千もの人たちの物語である。トラウマに対する身体・生理学的反応は、感情・心理的反応と区別することができない。しかし、ACE質問紙の10項目のうち、身体的虐待についての質問はわずか二つなのである。他の質問は全て、心理的なネグレクトか虐待、他の虐待の目撃、愛されていないという感情に関係したものである。ところが、これらの発達性トラウマの影響は多くが身体的なもので、体の器官に深く抱え込まれている。さらに、ACE研究から判るように、発達性トラウマは、喫煙や麻薬常用といった健康にリスクのある行動に関わる可能性を高める。これが、発達性トラウマの影響をさらに強めてしまう。実際のところ、身体的症状は早期トラウマと直接的に関係するので、それらは密接に絡み合い、クライアントの心理・感情的健康に影響するということは、今やよく知られた事実である。
しかし、最近の治療モデルは、発達性トラウマの複雑さと、それが神経パターンの複雑な仕組みに与える影響の理解に、ようやく追いつきつつある段階だ。いまだに我々は、早期トラウマから発生している身体的症状を、心理・感情的問題から切り離して考える傾向がある。先述のマーガレットは何年も医療機関にかかり、自分の身体的症状を説明したが、その下にある心理・感情的問題、つまりトラウマが理解されない限り、身体的症状を完全に緩和することはできない。
ACE質問紙の10の質問に答えるという単純な作業が、マーガレットに自分の今の症状は子ども時代と関係しているかもしれないという視点を与えた。10の質問のうち9つに、彼女は「はい」と答えたのだ。子ども時代に安全と安定がひどく欠落していたことで、自分の生理学的・感情的な反応を調整する能力が発達しなかったことを理解すると、彼女は長年の恥の気持ちから解放され安心し始めた。自分の症状は無秩序で安定がなかった子ども時代の副産物なのであり、自分だけが苦しんでいるわけではないのだと、助けを受け入れるきっかけになった。始終、高鳴る心臓、意味もなく必死で「逃げなければならない」という衝動を感じることは、まさしく幼い彼女が生きるために闘ってきた状態そのものだったのだ! 「死ぬかもしれない」という感覚は、生き延びるためにずっと苦闘をしてきた証拠だった。
既に言及したとおり、ACE研究は、早期のネグレクトや虐待といった発達性トラウマに焦点を当てるものである。よって質問は、安全の欠落を評価するもの、と解釈できる。しかし、それだけが発達性トラウマの原因ではない。子ども自身や養育者の長期にわたる入院、早期の外科手術、深刻な怪我などでも、同様の症状が見られることがある。こうした状況は、概ね健全な家族の中でも起こりうる。私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しないのである。どちらにも、生理的には目の前にクマがいるかのように反応する。生き延びるためには、脅威の源が何であれ、強烈な反応が身体に引き起こされるのだ。
子どもたちは、いったん大人になれば、危険な環境から逃げ、脅威に直面しない場所に身を移せる。しかし子ども時代、何年も安全がない中で過ごすと、トラウマを受けた生理機能は自己の防衛を最優先するようになる。たとえ大した誘発要因でなくても、引き金が引かれる。思考が制御不能になり、心拍が加速し、突然逃げたいと思うだろう。そして凍りつき状態に陥ると、もはや考えたり、理性的に反応したりすることができなくなる。
第5章で論じたように、生き残るための生理機能は、強制的に起動され制御できない。安全と生き残りを求めて構築された生理・行動的システムは、独特の反応を起動させる。「生き残りが最優先」の環境の下で育つと、様々な場面で生き残りをかけた反応をするようになる。外受容感覚(外の世界の知覚)は、生き延びる可能性を高めるため、脅威の知覚に集中する。たとえば、第2章にあるように、過活性(hyper-tuned)状態の時、中耳の筋肉が変化して低く轟く音の知覚が優位になる。この適応は、トラに忍び寄られている時には役立つが、そうでない時には不便だ。なぜなら、背景の音から人間の声を抽出して聞き取りにくくなるからだ。そうなると、信頼する友人からの穏やかで理性的ななぐさめさえ聞こえない。
これは、重大な生理・身体的変化であり、臨床家の言語的介入をクライアントが理解できるかどうかを占う。クライアントとの対話とケアを考え行っていく上では、考慮に入れなくてはならないことである。
同じように、トラウマにより内受容感覚(内なる身体的体験の知覚、自己の体感)も崩壊する。「生き残りが最優先」され、生き残りをかけた情報にのみ集中することで、幸せや喜びの精妙な状態に気づく能力を制限してしまう。こうした状態では、クライアントはごく普通の感覚を持ったとしても、そこに(治療者にとっては)予期せぬ意味を見出す可能性がある。そうなると、何を感じているか正確に報告できない可能性が出てくる。
生き残ることにのみ集中する生理機能のために、内受容感覚も外受容感覚も、危険や脅威の兆候である情報を探し出そうとして、過活性状態になっている。命自体が危険に晒されていると感じていたら、人は興味を持って探求することなどできない。その結果、彼らのニューロセプション、すなわち安全の知覚はあてにはならなくなる。クライアントは往々にして自分の状態を誤って解釈してしまう可能性があるのだ。
上記のような場合、極端な生理学的反応が起きることがあり、これは発達性トラウマの特徴の一つである。このような場合、生理機能は自律神経系の互恵的作用の範囲内では機能しない。こうして、ACEの高得点に関連付けられた様々な身体的症状を引き起こす。前章で論じた、根底にある調整不全という概念は、深刻な発達性トラウマを抱えるクライアントに働きかける際の、基本的な難しさの一つである。たとえば、ナラティブの構築を助ける身体的な情報が絶えず変化し頼りにならない。そのような時は、この根底の調整不全があることを理解することが役に立つ。
発達性トラウマがある状況での生理機能やソマティックな反応はとても強烈である。よって早期のトラウマの影響を考慮に入れ、それらに取り組まざるを得ない。ACE研究は、身体的症状を発達性トラウマとは関係ないものとして扱うことは不可能だ、と明言している。クライアントの身体的症状は、その心理・感情システムと同様に、トラウマの影響を受けているからだ。
臨床家が一旦、発達性トラウマの身体的な症状と他の症状との独特の力学と相互作用を理解すると、一連の症状の意味も見え始めてくる。臨床計画の作成が難しいものではなくなり、変化と回復を望むクライアントの期待に応えていくことができるだろう。
次の二つの章で、発達性トラウマにしばしば付随する特有の症状の数々を理解するための、手がかりを提供する。さらに臨床で出くわす可能性が極めて高い、発達性トラウマの身体的症状をリスト化した。このリストにある症状の多くは、定期的に高ACEスコアのクライアントにセッションを行っている者たちにとっては馴染み深いものであろう。

一般的な身体症状と反応(中略、引用者注:この中略部の引用は拙エントリのここここを参照して下さい)

このようにACE研究は、成人後に現れる発達性トラウマの影響を正確に分析している。一方で、子どもたちの中には、今、発達性トラウマを体験している者がいる。ACE体験の影響が症状となるまでには、時間がかかる。ACEは、早期の体験が成人後にどのように現れるかを正確に示しているものの、今の子どもたちにACEによる症状が現れ始めるのはもっと後のことである。子どもの生理機能はまだ発達途中なので、ACE研究が示唆するような症状は示さない。しかし、子どもには注目すべき症状や特徴がないということではない。子どもたちには、危険を評価するためにACE質問紙を使うだけではなく、発達性トラウマの影響を示す可能性がある症状にも注意を払うべきだろう。(中略)

トラウマスペクトラム障害

臨床家たちは、深刻なトラウマ、特に人生の早期に起こるトラウマの複雑な症状を、より明確に表現するため新しい語彙を開発してきた。臨床家や研究者たちは、トラウマによる様々な臨床的特徴をスペクトラムとして見るようになった。このスペクトラムの一方の極には、急性精神障害パニック障害、解離症状、うつ病などがあり、他方の端には自己愛性パーソナリティや反社会性パーソナリティなどがある。つまり単純化されたPTSDという言葉から、「トラウマスペクトラム障害」あるいは「心的外傷後ストレス・スペクトラム障害」という言葉に置き替えようという動きがある。
ジェームス・ペックとヴェッセル・ヴァン・デア・コーク、そしてローレンス・コルブは、妄想、様々なタイプの幻覚、思考過程の無秩序、混乱、現実感の無さ、その他の正式な思考障害を、トラウマに伴う精神障害の兆候として同定した(James Beck and Bessel van der Kolk (1987) Lawrence Kolb (1989))。
発達性トラウマにおいては、自律神経系の著しい調整不全がよく見られる。発達性トラウマを持つ人は、自分では制御できない状態に何とか適応しようとして、より複雑な戦略を用いてきた。その名残として、調整不全による過度な活性化が顕著に見られる。成人に限らず子どもたちも、基本的な生理・感情的調整がうまくできない場合には、日常で体験されるようなストレスでさえ、症状を悪化させる要因になる。そしてさらなるストレスやトリガー(きっかけ)があると、調整しようという力が働いたとしても、簡単に圧倒されてしまう。そのため、症状は精神障害のレベルまで悪化する可能性があり、他者にとっては危険で脅威に見える場合もある。
トラウマスペクトラムの最も代表的な特徴の一つは、抑うつである。抑うつは、クライアントがもともと持っている「世界は安全な場所ではない」という感覚から起こる。『精神疾患の分類と診断の手引き』(DSM)に記された抑うつ症状の特徴は、絶望感、集中力に乏しい、興味の欠如、不眠、自殺念慮である。発達性トラウマスペクトラムとして抑うつを見ると、症状は異なる文脈で解釈できる。それは、早期トラウマの結果としての根本的な調整不全を示しているとも言えるし、トラウマ的体験に付随する無力感そのものを表現しているとも言える。
無力感は、解離を引き起こす重要な要因である。解離とは、トラウマの中で起こる苦痛、支援の欠如、自己や生命の喪失の可能性から、当事者の意識を切り離す時に使われる、自然な防衛機制である。クライアントたちは、時間感覚がなく、流され漂っている感覚を報告する。解離性同一性障害は、子ども時代の深刻なトラウマと強い相関を持つのである(Ellason,Ross, and Fuchs, 1996)。
セラピーの文脈において解離とは、深刻な早期トラウマに対する機能的統制戦略であると解釈されている。これもまた、トラウマに関する賛否両論のある論点の一つである。臨床家が早期トラウマを扱う場合、解離は、否定的にも肯定的にも捉えられる。しかし、クライアントが調整力を獲得し、葛藤やストレスが起こっても、ある程度自身の心身とともにいられるようになると、解離は起こりにくくなる。
境界性パーソナリティ障害も、トラウマスペクトラムの多くの特徴を持ち、昨今では未解決の早期トラウマによって引き起こされると言われるようになっている。境界性パーソナリティ障害は深刻な早期トラウマへの反応とも言われており、臨床家が関係性を築こうと試みても、クライアントの無秩序型の愛着によって失敗に終わる。こうしたクライアントは、絶えず愛着対象を喪失した状態にあり、「分離不安」が増長される。臨床家にとっては最も取り組みが難しいクライアントである。彼らは、最低限のつながりの感覚を確立することにおいてさえ脅威を感じ、自分にとって否定的な影響を与えるような人たちとつながろうとしたり、つながること自体に不安を覚えるようだ。セラピーにおいて、臨床家が安全の場を確立し、安定型の愛着の基盤として機能することを目指すには、クライアントから常に繰り返されるつながりへの強烈な欲求に対して、そのたびに安定したつながりを確認する作業を行うことが必要である。
セラピーの初期段階から、発達性トラウマの兆候を見極めることができれば、それにつづく臨床計画の内容から面接の間隔の決定まで、おのずと明らかになる。続く章では、早期トラウマがあることの証明ともいえる、隠れた調整不全を管理する戦略について、さらに詳しい情報を提供していく。臨床家が早期トラウマの現れ方を十分理解することにより、クライアントが健全な調整力を身に着け、より高いレジリエンスを発達させることを支援できるのである。

第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」

「耐性の窓」とは、ダニエル・シーゲルの造語である。これは、刺激を受けても過度に覚醒せず、自然に落ち着きに戻れるような、最適な状態の範囲を示している。言い換えれば、たとえストレスによって活性化しても、再び「落ち着く」ことができる心理・身体的能力と言っても良い。たとえば、車を運転していて、ヒヤッとしたとする。すると心拍が上昇し、呼吸が早くなり、筋肉が緊張するのを感じるだろう。しかし、危機が過ぎ去ったと判ったら、落ち着き、普段の運転に戻る。ヒヤッとしても運転を止めなければならないほど怖いとは思わず、こうした刺激を受けても、運転ができなくなることはない。これは、調整が働いたからであり、ある程度のレジリエンスがあることを示している。
健全な「耐性の窓」があれば、何らかの問題に直面しても、また落ち着くことができる。なぜなら、自己調整システムの恩恵を受けることができるからだ。その窓の中にいれば、我々は、調整不全や脅威に対する過度の反応に陥らずに済む。この「耐性の窓」の広さは、誰でも同じというわけではない。我々は、自分だけの「耐性の窓」を持っている。トラウマの文脈においては「耐性の窓」は、社会的交流、自身への気づき、周囲への気づきといった働きをする腹側迷走神経系と関連付けられることが多い。
「耐性の窓」という概念は、トラウマや心理療法の分野ではよく知られている。また、これは日常的に体験する出来事への、反応の在り方も説明している。「耐性の窓」は与えられた状況の下で、過覚醒にも低覚醒にもならず、環境からの刺激にうまく対処できる領域であり、これが正常であれば、神経系が正常に発達していることが判る。
図6の「最適な覚醒領域」(訳注:「耐性の窓」と同義)は、自身や他者の様子を察知し、適切に反応することができる範囲を示しており、通常、腹側迷走神経系の生理学的機能に支えられている。この領域内で機能している時は、「今・ここ」の感覚があり、脳は情報と体験をうまく処理するように働く。「耐性の窓」のモデルは、しばしば、トラウマやストレス反応の文脈の中で使われる。この場合、「睡眠」や「触れ合って絆を育む」、といった、健全で「恐れを伴わない不動化」をもたらす、低いトーンの背側迷走神経系の機能は含まれない。こうした低いトーンの背側迷走神経系の働きは、生き延びるためのモードではなく、休息・消化し回復を図るものである(訳注:背側迷走神経系は、穏やかに作用するときは、胃腸の働きを促進し、食べ物を消化する)。しかし、これは「覚醒」ではないが、健全な自己調整を示す状態であり、「耐性の窓」がうまく機能している状態である。
交感神経系が優位で過覚醒になると、人は最適な覚醒領域の外に出る。図7が示すように、この場合、自分を落ち着かせるために、積極的な方法を取らざるを得ず、起こってくる刺激に対し、闘争や逃走といった防衛反応で対処する。「耐性の窓」の外にいて、過覚醒の状態にある時、つまり交感神経系が優位になると、恐れ、おののき、圧倒され、過度に警戒するといった交感神経系が優位であることを示す特有の状態となる。
それに対して、図8が示すように、背側迷走神経系が優位になると、「耐性の窓」の外側でも、反対の方向に向かぅ。そこでは、低覚醒となり、背側迷走神経系による凍りつき反応を示したり、覚醒が欠如した状態になる。その場合は、麻痺、切り離された感覚、低エネルギーといった状態が起きる。すでに判っているように、過覚醒であれ低覚醒であれ、いずれも、生き延びるための生理学的反応であることに変わりはない。どちらも、「耐性の窓」の中に自身を戻そうとしている。低覚醒であれば、凍りつき反応のような脅威に反応する行動が引き起こされるし、自分を落ち着かせるために、何か積極的な行動をとることもある。
「耐性の窓」の範囲を越え、生き残りをかけた生理学的反応になると、脳の皮質下の領域がより活性化する。そして各機能の統率を行う前頭葉の働きが低下する。生き延びるための反応に翻弄されると、脳の皮質領域が担当する理性的、論理的思考がうまく機能しなくなる。
トラウマ・セラピーの到達点の一つは、この「耐性の窓」を拡張し、問題や刺激に対処する能力を高めることである。それと同時に、生き延びるための生理学的反応を稼働させないで、
調整の範囲内に留まっていられるようになることだ。クライアントが、より健全な自己調整と、より大きな安全感覚を手に入れると、この能力は高まっていく。当初は臨床家側がクライアントに、自己調整や自分を落ち着かせるための道具を、いろいろと提供することが必要である。本章の後半で、臨床家がクライアントの「耐性の窓」を拡張する方法を概説する。
人は、「耐性の窓」の中にいると、他者とつながることができる。なぜなら、「耐性の窓」の中にいるということは、つながりを求めるのに十分安全であると感じられる生理学的状態にいることに他ならないからだ。この窓の中にいて自己調整が取れている時は、より多くの情報を受け取り、処理し、統合することができる。そして、より気楽で的確に、日々の生活課題に対応することができる。
もしクライアントが発達性トラウマを体験していたら、「耐性の窓」の中で自己調整したり協働調整する能力は、限られてしまうだろう。この場合は、交感神経系による過覚醒のために、慢性的に活性化した状態にいるか、背側迷走神経系によるマイルドな軽い凍りつきや、「機能的凍りつき(functional freeze)」と呼ぶような状態(訳注:ソマティックな解離とも呼ばれる。思考・感情にはアクセスできるが身体感覚がない状態)にいるだろう。「機能的凍りつき」では、健康な状態よりは背側の働きが強いものの、クライアントはまだ日常生活を送れる程度に機能することができる。この後、発達性トラウマによって引き起こされる、それらの多様な「耐性の窓」の例を紹介する。
シーゲルは、「精神」と「メンタルヘルス」を正確に定義するために、長年にわたって何千人もの医療従事者や専門家の意見を調査した。しかしその集団内では、「定義」を見つけることはできなかった。そこでシーゲルは、最終的には以下のように精神を定義した。「精神とは、エネルギーと情報の流れを調整する、身体的で相関的なプロセスである」(Siegel, 2014, 1)。この概念は、仲間たちからも賛同を得た。シーゲルは、精神という複雑で相互関連的なシステムを、脳と区別している。多くの精神の研究の中で、彼は、「『精神』も『自己』という概念も、脳の活動の延長線上にあるわけではない」とした。シーゲルは「マインドサイト」という概念を用い、「人類はただ脳の健全な発達が必要なだけではなく、充実した人生を送るためには、精神性や人とつながる能力を十分に機能させることができるような円満な発達を経ることが必要である」と述べている。「研究の結果は非常に明確である。他者を助ければ、自他ともに勝利する。共感の喜びは、統合の証である。そして、『自己』は体感されることと関係性にいること、この両方で成り立つ。私たちは、思っている以上に皮膚の境界を超えた存在だ」(Siegel, 2014, 1)(訳は本書の訳者による)。
精神性や、人との関係を築く能力が健全に発達していれば、柔軟な対応を可能とする「耐性の窓」や、健全な自己調整能力も自然に育まれる。自己形成の最も初期の段階から、「自己」のあらゆる局面が健全に発達していたら、シーゲルが言う「エネルギーと情報の流れ」、つまり、つながりと安全の感覚を十分に体験することができる。「我々は『私(me)』という感覚だけでなく、社会的つながりを通してより大きな『私たち(we)』の一部となる。内的につながった感覚、統合された『私・たち(MWe)』が発達する」とシーゲルは述べている(Siegel, 2014)。発達が健全に進めば、「自己」は、複数の人々の存在の一部であると感じることができ、他者とのつながりから恩恵を受けることができる。
早期トラウマは、この「私・たち(MWe)」感覚を崩壊させ、意識的に、また無意識的に、このような概念が発達する可能性を妨げる。結果として日々孤立感を持つことになり、自己の体験は、外界から切り離されたものとなる。トラウマは、サヴァイヴァーから人とつながる能力を奪い、より大きな「私・たち(MWe)」に属して恩恵を受けることを不可能にする。発達性トラウマによって、「耐性の窓」は極めて狭くなり、最適な覚醒領域から簡単に押し出され、その範囲内に戻ることが困難となる。
だが、「耐性の窓」が健全な範囲で機能すると、三つの領域で恩恵を受ける。それは、身体面、精神・感情面、行動面である。

・身体:調整によって、学習したり他者と関わる能力が充実する。身体の全てのシステムに、ごく自然に楽な感覚が広がり、地に足がついて落ち着き、内なる体験につながる感じがある。痛みの受容器が過敏になっていないので、苦しみや不快感が少なく、その時々の体験を、より受け入れやすく感じる。

・精神・感情:より穏やかな感じを体験する。周りの世界にある新しいことを発見したり、学びへの好奇心が増す。より楽しくリラックスした感じで、人との関係性の中にいられる。自身の体験を他者と相互に共有できる。

・行動:他者と協力できるということは、そこに行動的な調整力がある証拠である。相互間のつながりがあると、目標を追いかけ、何かを成し遂げようとすることがより強く動機づけられる。自発的に活動し、他者とのより深い共感のため、さらに心を開く。創造性も現れ、他者と分かち合う経験がより深まる。

人生初期の体験は、「耐性の窓」の発達と、神経系の興奮やストレスの許容力に深い影響を与える。幸運なことに、ほとんどの人は、人生経験を積むとともに「耐性の窓」が拡がり続ける。しかしある人たちにとっては、調整を可能にする「耐性の窓」には馴染みがなく、さらには無縁のものでさえあるだろう。このような場合は、調整と共にレジリエンスの感覚を発達させるための支援が必要となる。(中略)

「偽りの耐性の窓」

「偽りの耐性の窓」とは、最適な覚醒領域である、腹側迷走神経系と低いトーンの背側迷走神経系が支配している状態に入ることができず、「耐性の窓」を離れ、慢性的に過覚醒や低覚醒の状態にいることである。「偽りの耐性の窓」は、「耐性の窓」の別の姿と言ってもよい。調整不全やコントロールされていない反応を統制しようとして、この「偽りの耐性の窓」が作られる。防衛的適応が、慢性的な過覚醒や低覚醒を何とかコントロールするために、「耐性の窓」の外に、「偽りの耐性の窓」を作るのだ。慢性的に「耐性の窓」の外にいる場合、「最適な覚醒領域」の外に常に留まっていることになる。人はそこでも、防衛的適応を発展させるのだ。
図11の「耐性の窓」は狭く、クライアントは、小さな刺激を受けるだけで、「耐性の窓」の中に留まれなくなってしまう。これこそが発達性トラウマの典型的な帰結である。早期トラウマには慢性的な調整不全が伴うことが多い。早期トラウマにおいては、「最適な覚醒領域」が非常に狭く、そのため、心身に少しの刺激が加わっただけで、すぐ「耐性の窓」の外へ出てしまうのだ。図11は、慢性的に過覚醒の場合を示している。
「耐性の窓」は、図11の底で、その過覚醒の側には「偽りの」、あるいは「人工的な窓」と名付けた窓を描き加えてある。この領域では、クライアントは、体験をうまく管理するため防衛的適応である解離や強迫的な摂食などに走る。こうやって自分を落ち着かせ、自身の過覚醒状態を調整しようとする。「耐性の窓」の内には留まらず、「偽りの耐性の窓」を出入りする動きが何度も起こるだろう。クライアントは、「耐性の窓」に入ることはできなくても、自身の交感神経系の活性化による症状や反応をおさめ、「仕事をしたり自分をコントロールすることが何とか可能なレベル」の過覚醒状態に留まることはできる。
「耐性の窓」の低覚醒側に「偽りの耐性の窓」が存在することもある。この場合、クライアントは、腹側迷走神経系を働かせて社会的交流を持ったり交感神経系を働かせて活動するためには、神経系を刺激する物質を用いたり、行動化したり、過剰な性行為をしたりする。このような防衛的適応では、背側による低エネルギー状態を保ち、耐えられる程度の低覚醒状態に留まり続ける。この場合も防衛的適応が起きているが、クライアントが「耐性の窓」に戻るのには不十分である。そして、崩れ落ち、人とつながることもない背側迷走神経系優位の状態の中に留まっている。図12は、低覚醒状態の「偽りの耐性の窓」を示している。
これらは本物の調整ではないが、自己調整を体験したことがないクライアントにとっては、本物の調整のように感じられる。発達性トラウマを体験したクライアントの多くは、「耐性の窓」を十分に発達させていないため、彼らは慢性的に調整の閾値を超えたところにいる。本物の自己調整を知らずに、防衛的適応を使って、できる限り自己調整に近づこうとするのである。
判りやすくするために、過覚醒と低覚醒の「偽りの耐性の窓」が「耐性の窓」に重ねて描いてある図13を見てほしい。人生の早期に発達した慢性的な覚醒である「偽りの耐性の窓」の過覚醒側を見てみよう。この状態では、十分に活性化を抑え、平静さを取り戻して「耐性の窓」に戻るには副交感神経系の働きが不十分である。自律神経系は、互恵的な働きをする範囲の外にあり、交感神経系と副交感神経系の両方が「相互活性」している。その場合、交感神経系による活性化が起こると、同時に背側迷走神経系も活性化し、矛盾した生理反応が巻き起こる。結果として、心身の反応が制御できなくなる。
副交感神経系の調整がうまくできないので、その代わりとして、過覚醒に取り組む戦略としての防衛的適応が用いられる。過覚醒状態では、まともに生活することはできない。したがって、その活性化を管理し、均衡をとる方法を見つけ、「偽りの耐性の窓」を作り出す。
第5章で記したように、防衛的適応は様々な形を取り得る。それは、生理的、行動的、感情的、理性的適応となる。たとえば、愛着も防衛的適応の一つであるし、過食なども強迫的な慰撫行為の一つとして考えられる。
また、背側迷走神経系の生理学的機能を過剰に用いて、崩れ落ち、無感覚の中に入っていくことも、早期トラウマに関連する身体的戦略の一つと言える。凍りつきを引き起こす高いトーンの背側迷走神経系の働きによって引き起こされる生理学的状態は、慢性的な基盤として使われることは意図されていない。しかし、もし腹側迷走神経系を十分働かせることができない状態であれば、交感神経系を制御する、生理学的な反応として背側迷走神経系が使われる。第4章で記したように、睡眠、抱擁、その他の休息状態で起こる、恐れを伴わない不動を体験している時は、低いトーンの背側が優位である。しかしながら、健全な協働調整が欠落している中では、腹側迷走神経系の生理学的機能は使えず、代わりに背側迷走神経系を稼働させる。いったんこの「奇策」がうまくいくと、身体は、似たような状況下において、繰り返し同じ神経回路を活用しようとする。これが癖になってしまうと、どのようなレベルの活性化であれ、交感神経系の覚醒を抑えるため、不動と極度の温存モードである背側迷走神経系の生理学的機能が慢性的に使われるようになっていく。これは、社会的な関わりや活動、あるいは自己調整機能を支持しないため、高いアロスタティック負荷をもたらす。言い換えれば、背側迷走神経系を多用する防衛的適応は、高い代償をもたらすのである。いつも生き残りをかけたぎりぎりの反応の中に留まっているので、他の生理学的機能を円滑に働かせるためのエネルギーは少なくなり、やがて自身を枯渇させてしまうのだ。
背側迷走神経系を多用する傾向は、早期トラウマの中で発達していく。これは一般的な生理学的戦略の一つで、ACE研究の中で早期トラウマと関係があるとされた症状のいくつかと重なる。背側迷走神経系への効果的な働きかけを学ぶことができれば、調整を促し、より大きなレジリエンスを獲得することにつながるだろう。この章の後半でさらに詳細を紹介していく。
「偽りの耐性の窓」の上の方では、怒りやより抑えきれない激怒が体験され、過覚醒に関係するパニックやその他の反応が起こりえる。「偽りの耐性の窓」は最適な覚醒領域のはるか外側であることが多いので、その「偽りの耐性の窓」の中では、クライアントは調整が取れていないし、社会的なつながりのある行動を司る腹側迷走神経系がもたらす生理学的状態の中には入っていない。クライアントは、一見「耐性の窓」の中で機能しているように見えるかもしれないが、過度に刺激を感じている状態にある。
よって強力な防衛的適応であっても、健全な「耐性の窓」へクライアントを連れ戻すには十分ではなく、「偽りの耐性の窓」へと戻すのがせいぜいである。これは、自己調整の範囲内ではない。自己調整の体験がほとんどない人は、「偽りの耐性の窓」こそが、自分の本物の調整状態だと信じているかもしれない。この不適応な調整システムが、彼にとっては日常であり、彼が知るすべてなのだ。
クライアントが、本当は防衛的適応を用いているにもかかわらず、自らの反応を管理する能力がよく発達しているように見えると、臨床家は、騙されてしまう。臨床家は、クライアントが刺激を許容する能力を、誤解したり、判断を誤ったりしてしまう可能性がある。クライアントが「偽りの耐性の窓」に戻っただけなのに、健全な調整に戻ったと思ってしまうかもしれない。そうなると臨床家は、クライアントが過度に刺激された状態を何とかしようとして行っている防衛的適応を強化してしまうことになる。
同じことが、低覚醒側の「偽りの耐性の窓」でも起きる。この場合は、背側迷走神経系が優位になるので、腹側迷走神経系も、交感神経系もうまく働かず、恒常性を取り戻し、最適な覚醒領域へ戻る力が湧いてこない。「偽りの耐性の窓」の上部の領域と同様、ここでも自律神経系の互恵的な働きの範囲外にある状態で、この場合は、「相互抑制」が起きている。副交感神経系も、交感神経系も力を失った状態で、ここでもまた生理学的に相矛盾する状態が作られる。

ジェリーは五六歳の未婚の男性で、地方の印刷会社の植字工として働いている。彼はもう一人の工員と夜勤のシフトで働いている。ジェリーは低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした。ジェリーの両親は、ジェリーがほぼ六週間目になるまで、彼に触ることができなかった。彼は、二か月近く、愛あるタッチに触れることもなく、医療器具に囲まれていた。ジェリーの両親は農夫で、彼は一一人兄弟の五番目だった。農場での仕事があるため、彼らがジェリーを病院に訪ねることができるのは週に一日だけだった。両親が好んでそうしているわけではなかったが、この隔離期間がジェリーの感情的な発達に大きな影響を与えた。

家に戻った当初、ジェリーは「良い」赤ちゃんのように見えた。母親は、ジェリーは二歳になるまでほとんどの時間寝ていて、めったに泣かなかった、と語った。ジェリーの母親は、彼が三か月になる前に弟を妊娠した。母親は、ジェリーの欲求に応えるのに必要なエネルギーがなく、授乳の際には哺乳瓶を立てかけておいただけで、彼と関わりの時間を持つことはまれであった。

ジェリーは三歳になった頃から、ひどく乱暴になった。彼はよく家から逃げ出し、理由もなくおもちゃを壊した。学校に入ると、ADHD(注意欠如/多勤性障害)と言われ、行動と気分を調整するために薬物治療を受けなければならなかった。彼は学習ができず、他の子どもたちとの関係を持つこともできなかった。

中学生になるとジェリーは、副作用がひどいのでもう薬は飲まない、と服薬を拒否した。彼の気分はすぐ激しく変わり、いつも過覚醒でイラついていた。彼は自分をリラックスさせようと、父のウオッカを飲み始めた。それにマリファナが加わった。目に数回酒を飲み、マリファナを吸うようになるまで、そう時間はかからなかった。教師たちは、彼を助けるのに何が良いのか判らなかったが、ともかく、彼は学校を卒業できた。

高校生の間、ジェリーは数回法に触れるいざこざを起こした。そして飲酒とマリファナ所持で逮捕されたが、彼はその行為をやめようとしなかった。気分が高揚し酔っている時だけしか、家族といることに耐えられなかった。物質乱用のために彼が静かにしていたので、家族の誰も、彼の感情的な苦しみに気づかなかった。こうしてジェリーは、両親が最も愛する役割である、「静かで、泣かずに眠っている乳幼児」を演じ続けた。

高校を卒業すると、何回か恋愛したが、付き合いは長く続かなかった。ジェリーの薬物乱用や激怒のために、恋愛はことごとくうまくいかなかった。女性たちは、ジェリーの怒りがどこへ向かうか判らなくて怖いと言った。植字工としての今の仕事を見つけるまで、ジェリーは仕事が続かず、社会の底辺で生きた。

ジェリーには、夜たった一人で働くのが向いているようだった。酒を飲んだりマリファナを吸ったりして、なんとか仕事を続けた。しかし仕事中、よく腹を立てたり、同僚を罵倒したりした。同僚は、アルコールと薬物乱用について彼を問い詰めたが、ジェリーは、自分は薬物依存者でもアルコール依存者でもないとはねのけた。

ジェリーは、否認と薬物を防衛的適応として使った。彼は、まだ幼い時から、交感神経系の覚醒を抑えるために、薬物によって人工的に副交感神経系のブレーキをかけるようになった。彼は「自然に副交感神経系が優位になって落ち着く」という体験をほとんどしていなかった。彼の自律神経系は調和の保たれた範囲から外れていた。ジェリーは自分の問題で他者を責めたが、実は心の中では、家族に受け入れられ愛されることを望んでいた。自然な「耐性の窓」を体験したことがなかったが、「偽りの耐性の窓」の中にいることはできた。この「偽りの耐性の窓」の片側は暗くて静かだったが、もう片側は怒りと激怒に溢れていた。彼は「偽りの耐性の窓」の中に留まるため、偽りの調整を引き起こす作用のある薬物を使った。

人生の最初の数週間、協働調整と落ち着かせてくれるなぐさめを受ける経験が欠けていたことから、ジェリーの生理学的機能は、背側の極度の温存モードを使う方向へ向かった。ひとたび家族のいる家に戻ると、声を上げないジェリーは、泣かない「良い」赤ちゃんなのだと誤解された。母親は、既に子どもの世話に圧倒されていたので、自分をあまり必要としないように見える赤ちゃんに安心した。

ジェリーが大人になった時、基本的な調整能力がないために自身の反応を管理することができないことが次第に明らかになっていった。彼は、薬を飲まない時の激しい調整不全に苦しむよりも、「穏やかな」体験を提供してくる薬物乱用を防衛的適応として採用した。

ジェリーの場合、愛着を修復し、継続的に協働調整することで、「耐性の窓」の中に留まれるよう働きかけることは、有効である。こうすることで、彼が自分の反応を調整する能力を高めることができるはずである。彼は、過覚醒側を鎮めるために、低覚醒側の防衛的適応を使っている。これは、背側迷走神経系の生理学的機能を極端に使いすぎている状態である。

ジェリーの場合、「偽りの耐性の窓」の過覚醒側でも防衛的適応が起こっていた。さらに、これが低覚醒側でも起きており、防衛的適応が、交感神経系や腹側迷走神経系の生理学的調整機能の代替物として使われていることが分かる。背側迷走神経系の凍りつき状態に伴う無感覚や無気力から抜け出すために、刺激物を乱用したり、自身を刺激する極端な行動を取ることも、一種の防衛的適応である。過剰な性衝動や、社会的つながりの感覚を欲するあまりに取られる強迫的な試みも、これに該当する。それとは異なり、周囲には刺激がありすぎると感じ、防衛手段として社会的関わりを回避する方向にいくこともある。しかし、このような回避は、さらなる無感覚と無気力をもたらす。
「偽りの耐性の窓」の低覚醒側にいる人は、苦しみや絶望の感覚と闘い、もう少しで崩れ落ちる状態にいる。あるいは、ストレスにさらされることを制限し、限られた身体資源を温存する方法を見つけながら、自身のエネルギーを管理することに過度の時間を費やすこともある。
そして、防衛的適応自体が「耐性の窓」をより狭め、さらなる防衛的適応を呼びごみ、それにより、生きるためのエネルギーが余計に吸い取られてしまうこともある。たとえばACE研究に見られるように、早期トラウマに関係する症状のいくつかは、「偽りの耐性の窓」の力学を明確に説明している。
「偽りの耐性の窓」の過覚醒の範囲において、防衛的適応戦術がうまく発達し、「偽りの耐性の窓」のもう一方の側である低覚醒もうまくカモフラージュできていると、クライアントも臨床家も、「安定して『耐性の窓』の中に留まっている」と誤った判断をしてしまう可能性がある。すると臨床家は、クライアントは負荷をかけても大丈夫な状態だと誤解したまま、もっと神経系に負荷を与えるような治療的介入をしてしまい、むしろ回復を遅らせてしまうかもしれない。
発達性トラウマにしばしばみられる「パターン」は、交感神経系による過覚醒と背側迷走神経系による低覚醒の間を目まぐるしく行ったり来たりする状態である。第5章で論じたように、これは、根本的な調整不全がある時に見られる典型的な反応である。この場合、クライアントは「偽りの耐性の窓」の上側と下側の間を行き来し、それぞれの状態に関連する症状を呈する。これは、複雑な防衛的適応のシステムを持っていることを示唆している。
「偽りの耐性の窓」では、生き残るための生理学的機能が常に酷使されており、このため特有の身体的症状が見られる。これはACE得点が高いクライアントに見受けられる症状でもある。
「偽りの耐性の窓」の中にいる人たちのほとんどは、自身が本当は調整不全であることに気づいていない。彼らにとっては、この状態しか知らないのだから、本人はリラックスして落ち着いているつもりである。しかし、彼らは最適な覚醒範囲の外にいる。臨床家は経験を積み、こうした防衛的適応を識別できる力を蓄えて、クライアントが「耐性の窓」ではなく、実は「偽りの耐性の窓」にいることを見極めて、それに従って関わりを調整することが必要である。

ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する

「偽りの耐性の窓」に気づくことによって、我々は、クライアントの防衛的適応を強化しないようにすることが可能である。もし、クライアントが本当はいつも「耐性の窓」の外にいるのに、ストレスに対処する調整能力が十分にあると誤った推測のもと働きかけてしまうと、クライアントの防衛的適応を逆に強化してしまうことになる。
発達性トラウマにうまく取り組むためには、防衛的適応を知り、クライアントが最適な覚醒領域の上側にいるか下側にいるかを捉えることが重要である。このような場合は、何かを付け加えるよりも、むしろ過剰な刺激を減らし、取り去り、防衛的適応を行使する必要がなくなるようにすることが 肝要である。つまり、クライアントを「耐性の窓」の中に留まらせようとして過剰に介入するのを止め、クライアントが防衛的適応をしなくてはならない状態に陥ることを回避するということである。
同時に、自己調整能力を増すためのサポートを提供し、「耐性の窓」を拡張する。こうして防衛的適応の必要が無くなるように導く。次章では、調整のためのサポートについて論ずる。
社会的つながりを促進する生理学的状態に入ることが難しく、人とつながることを怯えているようなクライアントに対して、無理に社会的関わりや人とのつながりを持つように勧めることは、かえって負担となり、「偽りの耐性の窓」の反応を強化してしまうかもしれない。我々は、臨床的な介入として提供する「人とのつながり」の在り方を考え直さなくてはならない。
セッションの時、セラピストが、クライアントに自分とつながることを期待してしまう癖があるとしたら、それがクライアントにとっては、負担になる。その結果、クライアントを「偽りの耐性の窓」さえ超えたところへ追いやってしまう危険があるのだ。そうしてかえって、クライアントの過覚醒・低覚醒反応を増幅させてしまう。
クライアントを早く良くしようと焦って、クライアントにつながりを強制するのではなく、むしろ、クライアントが、「無理に人とつながろうとしなくてよいのだ」、と思えるように、クライアントの負荷を取り除いていくことのほうが、効率的である。たとえば、クライアントとセラピーの部屋にある絵を見て、どう感じるかを聞いてみるのも良い。クライアントが、少しだけ臨床家とつながってみようと感じることができるまで、待つことも肝要である。クライアントが、ほんの少しつながろうとしたときに、臨床家がそれに応えるということを重ねていく、つまり無理につながりを求めるよりも、つながろうと思えるような生理学的状態になれるように導いたほうが、むしろ効果的なのだ。
愛着を修復したり、安全である場を作ったり、クライアントの自己調整の力を少しずつ増やすといった作業を丹念に行っていくことで、クライアントの「耐性の窓」を拡張することができる。それは、背側迷走神経経系の生理学的機能に働きかけることでもある。

背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける

先にも述べたように、早期トラウマがある場合、背側迷走神経系の温存の生理学的機能を過度に使う傾向がある。この場合、背側の生理学的機能は、「恐れを伴わない不動」をもたらすような低いトーンでは働いておらず、連続体のもっと端にある「凍りつき反応」、あるいは、「機能的凍りつき」が慢性的に起きている状態になっている。自律神経系は、互恵的範囲の外にあり、慢性的に相互活性や相互抑制が起きている。そのために、複雑な生理学的反応が起きている。
慢性的な「凍りつき」の生理学的状態は、自律神経系が慢性的な非補完的状態にあることを示している。これは、第6章で論じたACE由来の症状と関係する。ここでは自然な調整を起こすことができないために、生理学的な防衛的適応が起きている。「耐性の窓」の中で見られるような自然な反応ではなく、どんな覚醒も支配下に置くために背側迷走神経系を酷使する。こうして「偽りの耐性の窓」を作り出し、そのために余計、「耐性の窓」が狭くなる。
このような調整不全が起きているクライアントは、ごく些細な刺激に対しても、しばしば背側迷走神経系の生理学的機能へと「落ちて」しまう。あるいは、一見安らかで、穏やかに見えるが、実は常に無感覚で低エネルギー状態にある。臨床家がこうしたクライアントに向き合うためには、より高いスキルが求められる。背側迷走神経系の生理学的機能は、解離を起こしているクライアントに典型的に見られるものでもある。「凍りつき」の生理学的機能に支配されていると、無感覚になり、切り離された感覚が生じる。
この慢性的な背側迷走神経系優位の状態は、慢性的に交感神経系が優位で過覚醒が起きている場合と対照的である。過覚醒のクライアントは、見た目にも落ち着かず、不安そうで、「闘争か、逃走か」という、より高いエネルギー的緊張によって引き起こされる身体的症状を持つ。これに対して、背側迷走神経系優位の場合は、落ち着いている状態との識別が難しい。クライアントは、往々にして自分自身の体験にも無感覚なので、「特に何もありません」「活性化は感じません」、などと言い続けるかもしれない。
交感神経系優位による過活性状態では、少しの刺激や問題でも、大きな混乱が引き起こされる可能性がある。一方、背側迷走神経系優位の状態では、少しの刺激が加わっただけで、さらに深い凍りつきに入る可能性がある。もし自律神経系が相互のバランスを欠いていたら、ひどく制御不能な状態となるだろう。
この慢性的な背側の生理学的機能は、臨床現場ではよく遭遇する。生後の数年間で、腹側迷走神経系の機能を十分に発達させるための協働調整が得られなかった結果、背側迷走神経系優位の生理学的状態に入ってしまうクライアントが多いからだ。自律神経系が互恵的に働かなくなるのは、ACE得点の高さに比例し、さらにそれは無秩序型の愛着スタイルとも関係することが多い。こうした状態にあるクライアントは、周りの人々によって自分のつらさが癒されるとは感じていない。むしろ人間を脅威と感じており、自分を落ち着かせるために人とつながろうとはしない。ただ目を見つめ合うことさえ、恐ろしさを感じるかもしれない。こうしたクライアントは、社会的関わりによって腹側迷走神経系優位な状態に至ることができず、交感神経系による過覚醒を調整するために、背側迷走神経系の生理学的機能を多用する。そうすると、活性化を抑えるための「機能的凍りつき」に入る。
ポージェスは、早期トラウマを持つクライアントは、ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線されていることがあると述べている。潜在的な危険を調べようとする行為そのものによって、凍りつき反応が突然引き起こされるのだ。臨床家はこれを考慮に入れて、介入方法を吟味する必要がある。このタイプのクライアントの場合、セラピーにおいて安全であることを伝えるために使う典型的な関わり方が、実際には逆効果になる。目を合わせようとしたり、臨床家がクライアントのために「ここ」にいることを示したり、部屋を見回してそこに何があるかに気づくよう促すことは、実はクライアントを「耐性の窓」から完全に離れたところへ追いやり、生理学的にも行動的にも防衛的適応を取らざるを得なくさせてしまう。こうなると、クライアントはさらにつながりを失い、解離し、あるいは極度の温存状態を便わざるを得なくなるのだ。
この場合に社会的な関わりを提供することは、腹側迷走神経系の発達を促す方法としては有効ではない。社会的な関わりやつながりへの誘いは「滴定*1」すべきである。ほんの少しだけ誘い、クライアントが「つながり」という新しい領域へそっと入っていく時、その反応を注意深く見守る必要がある。クライアントがもともと使っている背側の生理学的機能をうまく利用することで、安全であるという感覚や、恐れを伴わない不動化を感じてもらい、低いトーンの背側へと誘うことも有効である。これは、「セラピストとつながらなくてもかまわないのだ」と思ってもらうことで可能になる。前述したように、クライアントの反応を要求するような「足し算」ではなく、クライアントが社会的な関わりのシステムから感じる負荷を手放せるような「引き算」をしていくのた。
たとえば臨床家は、一緒に休み、安らいでいてくれるようにクライアントを導くことができる。実際、十分に安全だと感じれば、クライアントがうたた寝することもあるだろう。あるいは、臨床家がクライアントにあれこれ質問をすることを止め、沈黙の時間を過ごしながら、静かな協働調整をすることも有効である。ハンズオン(訳注:触れること、タッチ)がなくてもこれは可能だが、もしクライアントが寛いだり安心するようだったら、ハンズオンを取り入れるのも良いだろう。この方法で、クライアントは、臨床家に「見守られながら安らぐ」という体験をする。これにより、「安全な場所」と「安心の基盤」の感覚が提供され、クライアントは防衛を解き、凍りつきの生理状態ではなく、低いトーンの背側迷走神経系による生理学的機能の中で落ち着く感覚を味わうことができるだろう。もしクライアントが、休息ではなく解離を始めたら、臨床家は、クライアントに気づきを促し、部屋に戻るようそっと導くと良い。
臨床家が「見守って」いると、クライアントは十分な安心を感じ、居眠りしたり、自身の内なる感覚に気づこうとするかもしれない。クライアントに、「臨床家は十分共感してはいるが、侵入的ではない」、という感覚を持ってもらうことが重要である。
あるいは、臨床家が「並行あそび(訳注:parrallel play 臨床家とクライアントが、介入しあわず、共にいながらも、別々の遊びをすること)をするのも良い。たとえば、臨床家が先週あった楽しかったことを絵に描こうと提案し、こちらからはたまに少しコメントをするだけで、クライアントがしたいようにさせる、といった作業も良いだろう。または、クライアントが聴きたい音楽を一緒に聴くこともできるだろう。もちろんこういった介入も、十分「滴定し」クライアントがそのプロセスでくつろいでいるかを見極めながら行うことが鍵となる。
臨床家は、こうしたささやかな関わりを過小評価しがちである。クライアントのプロセスを導く際、非常に劇的であることが望ましいというような暗黙の了解があるかのようだ。しかし、発達性トラウマに働きかける初期の関わりは、常に協働調整を提供することなのである。どんなに静かで小さくても、それはすべて効果を生む。この方法は一緒にいて安心だという感覚を提供し、深い身体的協働調整の経験となり、傷ついた愛着を修復する。これを糸口として、クライアントが自分自身と安全につながるための長い道筋が見えてくる。
クライアントが、背側迷走神経系の低いトーンの働きによる、恐れを伴わない状態に静かに入れるようになってきたら、臨床家は、腹側迷走神経系による社会的関わりを、少しずつ、静かに導入していくと良い。クライアントを「耐性の窓」の中に留め、安心して社会的関わりを促進する生理学的状態へと入れるよう、少しずつ加減しながら、その能力をそっと拡げていくと良いだろう。

さらに正確な内受容感覚を築く

長期にわたる深刻な早期トラウマを被った人は、当然のことながら、常に周りに潜在的な脅威を探しながら生きていく術を学習している。本章の最初に記したように、クライアントの調整能力を向上させ、レジリエンスを増すためには、「偽りの耐性の窓」ではなく、本物の「耐性の窓」に働きかける必要がある。
「偽りの耐性の窓」の目的は、本来なら「耐性の窓」が担ってくれる均衡の役割を、かりそめに提供することである。残念なことにクライアントは、「偽りの耐性の窓」が本物の調整ではないことに気づかないことが多い。さらに「偽りの耐性の窓」にいるクライアントは、小さなことであっても過剰に刺激され、すぐに「偽りの耐性の窓」のさらに外側へ出てしまう。そのために、突然、生き延びるための強い反応を示す。クライアントが激しい反応を示している時に、「耐性の窓」に戻り、その中に留まるよう働きかけるのは不適切である。こうした事態に有効な方法の一つとしては、正確な内受容感覚を育むことである。これによってクライアントは、自身の反応に注意を払い、「耐性の窓」の外にいる時にはそれに気づき、臨床家の関わりに、より反応ができるようになるだろう。
トラウマに働きかける生物生理学的方法として一般的なものに、クライアントに自身の感覚を追跡させる方法がある。臨床家としては、クライアントが様々な感覚を味わい、自身が気づいている感覚を正確に報告するのは、当たり前のことだと考えるだろう。しかし、こうした明らかに簡単な課題も、早期トラウマを持つクライアントにはできないかもしれない。
我々は発達の過程で、「自分について語るための自分自身の言語」を持つようになる。自分はどんなふうだ、とか、自分は何者だ、と語る時に使う身体的言語もある。そうした言語は、早期の自身の体験や、他者との関係における自身の体験の文脈から発達する。それがもし発達性トラウマの文脈の中で起こったら、自身の身体を表す言語も、その文脈に沿ったものになる。
身体的言語は、苦痛、つらさ、危険、注意深さなど、生き延びることに意識を集中して形作られた感覚をもとに発達しているだろう。一方、安全な時、何かを味わい楽しんでいる時、すべてうまく行っている時など、肯定的体験についての身体的言語は、かなり限定されているだろう。長年、もしくは一度も安全な状態になったことがなければ、そのような状態を認識することは不可能である。
養育者から、自分が感じていることについて、適切に同調されることのない環境で、内受容感覚とそれに関する言語が発達したのであれば、当然ながら、安全の感覚を感じることはできず、自身が「耐性の窓」の中にいることに気づくことも難しく、調整が起こってきていることを感じるのも不可能だろう。クライアントが自分の体験を報告してきたとしても、最も基本的なことすら正確ではないかもしれない。それ以前にまず、臨床家の問いかけが理解できないこともあるだろう。「最近、『安全だ』と感じたことはありますか?」といった単純な質問でも、クライアントは困惑するかもしれない。クライアントは自身の内面を見つめようとし、情報を探そうとするが、何も起こらない。「ええっと、そうですね。今までに安全を感じたことがあるかどうか? それはよくわかりません」といった答えを臨床家は、よく聞くのではないだろうか。
発達性トラウマを扱う時に鍵となる要素の一つは、クライアントがより健全で正確な内受容感覚を築くのを支援することである。最も一般的な方法としては、臨床家がクライアントと共に、何が観察されるかについて「気づきを照らし合わせる」ことである。たとえば臨床家が、クライアントの生理・身体的システムに起こった変化をクライアントに言ってみる。クライアントは自身の体験と照らし合わせてみる。「あなたが今、深呼吸をしたことに気づいたのですが、あなたは気づきましたか? それはどんな感じでしたか?」。ハンズオンを用いていたら、臨床家は、自身の気づいたことを報告し、クライアントに質問してみる。「私の手の甲で、あなたの筋肉が緩んだように感じます。そして今、そこに呼吸が入っていくのを感じます。あなたは何を感じましたか?」。
誰もが、幼い時に、身体的な状態について養育者からたくさんのフィードバックを受け取るべきである。たとえば、「おいしいね! どうだい? おいしいかい?」などといった言葉がけである。互いの感覚を比べ合う、というこの単純な作業は、欠くことのできない、身体的な「養育のし直し(reparenting)」と見なすこともできる。「私があなたの外側にいて、こんなことに気づきました。あなたは、何に気づいていますか?」というように、体験を報告し合う。これは、早期の協働調整に現れるべきだった大切な要素、つまり、「私はこのように感じている。あなたはどのように感じているか?」という相互交流に該当するのだ。
健全で正確な内受容感覚を育てるもう一つの方法は、クライアントに、実は様々な程類の感覚があるのだ、ということに気づいてもらえるよう援助することである。これは特に肯定的な感覚に関して、重要になるだろう。大半の時間を危険の中で過ごしていたら、そうではないものに気づく能力は限られてしまう。生き延びるためには、自分を傷つける可能性があるものに気づくことのほうが、ずっと重要だった。そのため、危険に対して注意を向けるように鍛錬されているのだ。
どんな感覚が楽しいか。好きか。もしそれを感じることができないようなら、どんな感覚が他よりは「まし」かに気づく方法を、臨床家は、クライアントに教える必要がある。その際、クライアントが、感覚をどのように名付け、分類しているかを知ることが重要となる。クライアントが「不快」という言葉で表現する感覚は、実は、「普通に」起きている何かの感覚であるかもしれない。背側の生理学的機能を使い過ぎて、慢性的に自身の体感に無感覚になっている場合は、身体を感じる体験が少ないかもしれない。そのため空腹でお腹が鳴るといった単純な感覚にさえ、警戒を示すことがある。それが馴染みのない感覚だったら、クライアントはどう理解したちよいか、全く分からないだろう。常に意識が身体から切り離されている状態の人だったら、身体の感覚を感じること自体が「普通だ」とは思えないだろう。そして潜在的な危険をいつも探している眼鏡を通して、その感覚を解釈するだろう。
感覚を分類する能力――特に「脅威」と「ワクワクした興奮」を区別する能力は、健全な早期の体験において、他者との相互作用を通して獲得されるべきものである。感じるものに、共に名前を付け、好き嫌いを分け、その作業の中で我々は共有された身体的言語を作る。たとえば、ジェットコースターに乗る時の、胃が下がるような感覚を、好む人もいれば、好まない人もいる。嫌いなものの全てが、本質的に悪かったり危険だったりするわけではない。それは単なる好みなのである。そして、すべての不快な感覚に警戒する必要がないことや、本当に好きなものにどうやって気づくかを学習していく。
これが欠落しているのであれば、文字通り自分と対話する言語を習得し直す必要がある。これは臨床家として提供できる重要なものの一つである。クライアントが興味を持って感覚を探求するのを助けることは、一見単純で、遊んでいるだけのようにも見える。しかし、これによってクライアントは、内受容感覚を意味づけできるようになる。(後略)

注:i) 引用中の脚注「*1」の記述(P229)を次に引用(『 』内)します。 『*1 滴定:化学の容量分析などで物質の定量を行なうための操作をいう。一定体積の試料溶液に、既知濃度の標準溶液をビュレットで滴下して反応させ、反応が終了した時の標準溶液の滴下量を求めて試料溶液の濃度を算出するもの(精選版 日本国語大辞典 小学館)。』 ii) 引用中の「James Beck and Bessel van der Kolk (1987)」は次の論文です。 「Reports of childhood incest and current behavior of chronically hospitalized psychotic women」 iii) 引用中の「Lawrence Kolb (1989)」は次の論文です。 「Chronic post-traumatic stress disorder: implications of recent epidemiological and neuropsychological studies」 iv) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「自己愛性パーソナリティ」や「反社会性パーソナリティ」を含む「パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「パニック障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「ポージェス」が提唱する「ポリヴェーガル理論」については「背側迷走神経系」、「腹側迷走神経系」、「凍りつき反応」、「ニューロセプション」及び「社会的関わり」を含めて他の拙エントリのここを「最初に」を含めて参照して下さい。 vii) 引用中の「闘争か、逃走か」に類似する「闘争-逃走反応」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「ACE研究」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「協働調整」についてはここにおける引用の『「調整」について:臨床家、臨床の環境、そして予測性』項を参照して下さい。 x) 引用中の「さらに正確な内受容感覚を築く」に関連する「前章で、正確な内受容感覚がクライアントにとっていかに重要かを論じた。この理由の一つは、正確な内受容感覚なしには、クライアントが身体的ナラティブを更新することができないからだ。」についてはここにおける引用の「身体的ナラティブ」を参照して下さい。 xi) 引用中の「追跡」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 引用中の「自律神経系の互恵的作用」について、同の 第5章 発達性トラウマの副作用 の「基本構造の調節不全」における記述の一部(P125)を次に引用(【 】内)します。 【つまり、交感神経系が活性化すれば、副交感神経系は抑制され、心拍数や呼吸数が上昇するような生理学的反応を生む。また、副交感神経系が活性化すれば、交感神経系は抑制され、生理学的反応を下方調整し、より穏やかで落ち着いた反応を生む。言い換えれば、生理学的反応は、一般的に活動か休息かという一貫した軸の上で互恵的に働いている。】 加えて、上記「互恵的」範囲の外にある「相互活性」及び「相互抑制」について同「基本構造の調節不全」における記述の一部(P125)を次に引用(《 》内)します。 《それに対して、非互恵的反応では、自律神経系が活性化と抑制の両方の反応を起こす。バーントソンはこれを、「相互活性」(co-activation)」と「相互抑制(co-inhibition)」と呼んだ。相互活性は、交感神経系と副交感神経系の双方が同時に活性化するという意味で、相互抑制は、双方が同時に脱活性化するという意味である。》 xiii) 引用中の『交感神経系と副交感神経系の両方が「相互活性」している』ことの例かもしれない「防御カスケード」(Defence Cascade)における「緊張性不動」については次のWEBページを参照して下さい。 「防御カスケード -トラウマ下での生理反応-」の特に「緊張性不動」項 xiv) 引用中の「さらに正確な内受容感覚を築く」や「ニューロセプション」(他の拙エントリのここも参照)に関連するかもしれない、『ニューロセプションの観点から見ると、経験に基づいた、安全と危険の両方が現実的なレベルで記憶された地図を持つより、初めから「危険地図」に基づいて行動するようになる状況では、いかなる新しい刺激も、内的あるいは外的環境の変化も、不愉快な感覚を与えるものはすべて危険であると解釈してしまう。だからこそ、健全な内受容の発達が重要なのである。』ことについて、同の 第3章 健全な発達が阻まれる時 の「基本構造の調節不全」における記述の一部(P84~91)を次に引用します。

親の養育態度が一貫性を欠き、子どもが十分なつながりや安全を感じることができないような状況では、子どもが脅威と安全を区別するためのフィードバックを受けるチャンスも限られる。どういう人や状況なら安全で、どういう場合は安全ではないのかを判断する「フィルター」が正確に機能しなくなる。そして判断力が育たない。前章で論じたように、何が安全で、何が安全ではないかを的確に判断する能力を養うためには、まず安全な基盤が必要である。また、脅威なのか安全なのかを示す合図や手掛かりを学ぶためには、一貫性のあるフィードバックを提供してくれる社会的グループも必要である。こうした助けがないと、ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈することになる。そしてそれは大人になっても続く。言い換えれば、内受容感覚、外受容感覚ともに、正確ではない情報を伝えてしまうようになるのだ。(中略)

ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない。比較的安全な時でも危険だと感じるかもしれないし、逆に脅威であるのにその兆候を見逃すかもしれない。さらに事態を複雑にしているのは、これは認知的プロセスから生まれるものではないということだ。この反応は、神経生理学的なプロセスによって、意識よりも下で引き起こされている。そしてこの神経生理学的プロセスは、安全であったにせよ、安全ではなかったにせよ、幼い頃の体験を通して時間をかけて発達する。
扁桃体と海馬は、新しい体験を査定するときに、顕在的、あるいは潜在的に参照するシステムを形成するために連動して働く。先に述べたように、記憶システムの中では、強烈な感情を伴った体験は重要な出来事として記憶され、これらが安全と脅威の査定のためのフィルターを作り上げていく。もし早期の体験が「安全である」という感覚に欠けていたら、「安全ではないこと」に重きを置く地図を持ち、危険を敏感に察知するようになる。経験に基づいた、安全と危険の両方が現実的なレベルで記憶された地図を持つより、初めから「危険地図」に基づいて行動するようになるのだ。
ニューロセプションの観点から見ると、この状況では、いかなる新しい刺激も、内的あるいは外的環境の変化も、不愉快な感覚を与えるものはすべて危険であると解釈してしまう。だからこそ、健全な内受容の発達が重要なのである。

注:i) 引用中の「内受容感覚」及び「外受容感覚」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「記憶システムの中では、強烈な感情を伴った体験は重要な出来事として記憶され」ることに関連する「情動を伴わない出来事よりも情動を伴う出来事のほうが記憶されやすいことが知られている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「情動的記憶 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の『「安全ではないこと」に重きを置く地図』や「危険地図」に関連するかもしれない「トラウマ地図」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「神経生理学的プロセス」に関連するかもしれない「ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「ニューロセプションがうまく機能していないと、周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況とは合致しないかもしれない。比較的安全な時でも危険だと感じるかもしれないし、逆に脅威であるのにその兆候を見逃すかもしれない。」ことへの様々な関連は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

次に、主に「身体的ナラティブ」や「トラウマ地図」について「言語的ナラティブ」、「病気のナラティブ」、「外的LOC」(ここのを参照)を含めて、同の「第8章 トラウマ地図:発達性トラウマのナラティブ』における記述の一部(P231~P253)を次に引用します。

ナラティブは、人生における体験や自身の歴史を理解する方法の一つである。我々は、自身の文化的・性的アイデンティティ、記憶、人生経験等を通して、「自分」を理解する。そして、人生の「物語」を作ることで、経験してきた様々なことを統合させて、自分の人生の全体像を完成させる。こうした「物語」は、自身の成長過程、家系、そしてどのようにして自分は今の自分になったのかを、理解する助けになる。しかし、トラウマの症状の一つ、そして心の病気のいくつかは、一貫した肯定的なナラティブを形成したり、思い出す能力を消失させてしまう(Charon, 2001; Gold, 2007)。
自己を語るナラティブは、心理的にも医学的にも重要で、診断や介入、回復のための情報を提供してくれる(Hirsh and Peterson, 2009)。特にトラウマのナラティブを語ることは、トラウマを生き延びた者の回復と癒しにとって重要である(Levine, 2010)。しかしこれは、出来事や感情を思い出して、言葉に出して語ることで癒される、といった単純なものではない。ナラティブは、生理学的システムにまで影響を与えており、深いレベルでの癒しが起こるのだ。クライアントにとって、セラピーは、自分自身の物語を他人に語る、初めての機会かもしれない。我々はもちろん、臨床家として、彼らの言葉と物語を聞くが、それとともに、語っている時に、どのようなソマティックな体験をしているか、についても観察している。本章では、言語的ナラティブと身体的ナラティブの両方について概説し、クライアントが自身のナラティブを取り戻し、より良く自身を調整し、癒しへと向かっていくことを可能にするサポートの在り方について論じる。

言語的ナラティブ

言語的ナラティブを理解する上で大切なことは、クライアントの人生の初期に起こった逆境は、発達の多くの側面に影響を与えるということである。初期の逆境体験により、記憶を統合する方法や、脳が体験を処理する方法も影響を受けている。人間には、潜在記憶と顕在記憶という二種類の長期記憶がある。潜在記憶は無意識のうちに形作られ、使われ、考え方や行動に影響を与える。潜在記憶の最も一般的なものの一つは、「手続き記憶」と呼ばれるものだ。これは、同じ作業を繰り返し行うと、もうそれについて考えなくても、その作業ができるようになる、というものである。一方、「宣言的記憶」あるいは「エピソード記憶」とも呼ばれる顕在記憶は、意識的思考を必要とし、事実や体験を思い出す意図的な作業を伴う。
幼い頃の記憶は、潜在記憶として、断片的なイメージから成り立っている。ある一連の出来事として経験していたとしても、記憶されるのは詳細なものではない。顕在記憶、あるいはエピソード記憶が持てるようになるのは、左脳が発達し、論理や意味づけの能力がついてくる三歳以降である。ごく幼い頃は神経系や脳が未熟な状態であり、したがって、成長した後のようにはまだ記憶を形成することができない。つまり、生後間もない頃には、言語的、エピソード的なナラティブを形成することはできないが、それに伴う強い感情は記憶されている可能性があるということである。特に、こうした早期の記憶が、強い身体的反応を持つ可能性は十分あり得る。だからこそ、早期のトラウマを考える時は、身体的ナラディブが重要なのである。
このように、子どもは早期の発達段階において、大人とは異なる方法で体験を記憶する。そのため、そこから現れてくる子どもの感情表現を、大人は誤解してしまうことがある。子どもが表現する断片的、印象的、隠喩的な表現を聞いた大人は、子どもは真実を誤って伝えていると捉えてしまうのた。臨床家はセラピーにおいて、クライアントが自身の歴史を正確に報告していないと感じることがある。たとえばクライアントが、様々なイメージの断片が混ざり合った、潜在記憶について語っていたとする。その体験が起こった年齢から考えると、その表現は、きわめて正確なものであっても、聞く側からは、不正確だと判断されてしまう可能性があるのだ。潜在記憶は、明確で一貫性のあるナラティブを供給できず、その上、子どもが思い出す体験には、そこに関係する感情的な要素も含まれる。そのため、大人が同じ出来事を体験した場合と比べて、何が起きたかという「事実」が正確でなく、大けさに伝えているとみなされるかもしれない。
トラウマと記憶の関係については、広範な研究が行われており、過活性な状態では、脳は記憶の処理を異なる形で行うことが明らかにされている(van der Kolk, 1998)。成人でさえ、トラウマ的なストレスを受けると、現在の体験が、潜在記憶や他の関係ない出来事の断片と結びつき、これら全てが、あたかも一つのナラティブのであるかのように表現される可能性がある。しかし実際は、もっと様々な年代で起こった出来事が、混在しているのかもしれない。子どもであれば、通常、出来事や感情は、混在した状態で記憶される。そしてトラウマが、この傾向をさらに強化する。(中略)

非言語的記憶が形成される期間は、三歳まで続くので、それまでの顕在記憶はごく少ないのが通常であるが、早期トラウマを体験した者たちの場合、子とも時代の顕在記憶を一切持たないことも珍しくない。彼らは、恐れや孤独といったある種の感覚、または漠然とした感情を除いて、子ども時代の記憶が全くなく、まるで初めから大人としてこの惑星に来たかのように見えることもある。
発達性トラウマに働きかける臨床家たちは、次の基本的な姿勢を心に留めて、クライアントのナラティブを聴く必要があるだろう。つまり、「あなたのことを見ています。あなたのことを聴いています。そして、あなたのことを信じています」という姿勢である。クライアントの言語的なナラティブの内容がどんなものであれ、臨床家がそれを聴き、その物語を信じ、承認することが大切である。我々はナラティブを、個々の出来事を実際に再現しているものとは考えず、むしろクライアントの出来事に対する、体験と反応として考えるべきであろう。トラウマの神経生物学的モデルによれば、トラウマは出来事の中にあるのではなく、出来事への反応の中にある。したがって、ナラティブは、自身の歴史や体験に関する潜在的、および顕在的情報の両方を含むと考えるべきであろう。臨床家としては、潜在的なナラティブが、顕在的なものにどのような影響を与えているかに注意を払う必要がある。クライアントがうまく表現できない部分のほうが、首尾一貫したナラティブよりも、さらに重要かもしれない。
世代間のトラウマを扱う専門家であるレイラ・レビンソンは、「自身の物語を語ることは、癒しを助ける」と述べている(Levinson, 2011)。レビンソンは、ナラティブを一つにまとめ、分かち合う過程で、つらいエネルギーのいくらかが解放され、感情のエネルギーを外へと動かして、その体験を外在化できるとしている。個人的な苦難を語り、他者と共有することで、その物語は自分だけのものではなくなる。聞き手が、理解と共感を提供することで、孤独感から解放され、共同体のものとなるのだ。それは、癒しに必要な要素の一つである。
ナラティブを考える上で、ボウルビィによる「安全基地」の概念は、一つの助けとなる。子どもが探索行動をして新しいことを学んでいる時、養育者は子どもが戻って来られる場所、すなわち「安全基地」として機能する。この考え方をナラティブへの働きかけにあてはめれば、臨床家はまず安心の基盤であり、そして秘密を守る人として、トラウマ的な体験の物語をおさめるための「いれもの」の役割も担う。そうしてナラティブそのものの内容や、その「信憑性」にとらわれず、安全と保護を提供すれば、クライアントはセラピーを通して癒され、その物語は変わり、新しい意味を持つだろう。新しいナラティブの創造が起きているということは、クライアントが回復していることの明らかな兆候である。
言語的ナラティブは、クライアントにとって、癒しのサイクルの一部分に過ぎない。発達性トラウマの文脈の中では、ナラティブの概念はもっと広くとらえられるべきである。たとえば、生理学的な反応、つまり生理学的機能のナラティブが、自身の歴史を表現していることもあるかもしれない。言語的ナラティブの中に、神経系の苦しみを示すものが何も見つからなかったとしても、慢性的なストレスの兆候を探し、見つける必要がある。
前章で論じたように、クライアントの能力が「耐性の窓」の中で機能しているか、それとも防衛的適応を駆使しての「偽りの耐性の窓」の中にいるか、これをアセスメントすることによって、クライアントのナラティブには含まれていない、早期体験に関する多くの情報を得ることができるだろう。
同様に、養育者から安心を提供されない状況で、生き延びるためにやむを得ず自身の欲求を統制する防衛的適応が、愛着スタイルに表れてくるともいえる。逆に言えば、クライアントの愛着スタイルを見ることで、幼い頃に安全だったか否かが判るということである。
先にも述べたように、発達性トラウマの最も基本的な定義は、クライアントのナラティブの中に次のように表出される。「幼かった時、悪いことが起きた。そして、その場にいて面倒を見てくれたり、助けてくれる人がいなかった」というものだ。なぜ養育者は慰め、守り、あるいは愛することができなかったのか、もしくは、しようとしなかったのか? あるいは、養育者は助けようとしたのだが、うまくいかなかったのかもしれない。はたまた、養育者自身が、子どもにとっての恐怖や苦痛の源となっていたのかもしれない。早期トラウマには、実にたくさんのバリエーションがある。しかしこれらが本当に起きたことであっても、クライアントのナラティブでは、それらが正しく語られないことも多い。時にクライアントは、温かい愛ある両親と一緒だった幸福な子ども時代をナラティブとして描く。しかし、成長すると人と良い関係性を築くことができず、何をしても満足が得られない感覚があり、絶えず安全ではないと感じていたりする。このように幼い頃についてのナラティブと、今の状態にはギャップがある場合がある。
子どもは、実の親を非難するかわりに、他のところに投影してナラティブを形成することが多い。家族以外の何らかの力や健康状態、あるいは、実の親から離されたといった空想的な物語さえもある。大人になるにつれ、早期の逆境体験を、より直接的にナラティブにする能力が発達し、それに従ってナラティブは変化していく。
発達性トラウマは、非言語的発達段階において起こるので、本当のナラティブは、隠されたり、早期に起こった出来事と混ぜ合わされることも多い。そして、ナラティブが意識の底へと沈んでいく一方、それが人生の最後まで、主題として一貫して表出される。これは、意識してコントロールできない反応や行動へと我々を追い込む。
また、発達性トラウマのナラティブは、我々の生理学的機能、すなわち安全であったか否か、人とのつながり、または孤立した心身の感覚などと密接に絡まり合う。また深い「恥」の感覚と絡まることも多い。これは「自分そのものがどうしようもなく『恥』ずかしい存在である」という感覚であるが、それこそが、まさしく早期トラウマが存在していることを示唆する証である。(中略)

発達性トラウマのナラティブは、自身の歴史の三次元的地図である。しかし、これは新しい領域を探索する能力を制限してしまうことがある。では、次項で、その複雑な地図をどう読み取るか、さらに、クライアントが「安全」「つながり」「レジリエンス」といった要素を盛り込んだ新たなナラティブを作る方法を概説する。

身体的ナラティブ

発達性トラウマの重要な特徴の一つは、言語能力が十分発達する前に起こる、ということである。ごく早期のトラウマの場合、まだ非言語的段階にいるため、脳は記憶を十分形成できない。この段階では、心理療法で使われるようなナラティブを創造する能力は、著しく制限されている。人は後に、それらの早期体験にナラティブを上塗りし、そこに何らかの意味を後付けし、自分の感覚に合うようなものを作り出す。しかし、体験が起こった当時は、成熟した大人の脳が言語によってするようには、ナラティブを形成することができない。
言うまでもないが、我々の早期体験は、そもそも身体的なものである。身体は、アンテナのように、体験されている事象に関する気づきを集める。この段階の脳は、認知や、秩序立った思考に頼り、人生の体験を理解して意味づけができるほど発達していない。その代わり、内受容感覚を通して、自身と身体的に会話する。養育者とは喃語で会話をするかもしれないが、つながりや安全の体験の多くは、触れられ、なだめられるといった直接的な身体の体験を通して起こる。もう少し大きくなると、社会的つながりや、自身の社会的グループからのフィードバックが、もっと重要になるだろう。しかし、発達の最も初期段階では、我々は神経的・身体的なスポンジのようなもので、体験を全ていっぺんに吸収する。意識的に理性を通してそれらに意味づけをしないので、認識や気づきを経て、改めて自分を理解することを助けるようなナラティブは、まだ作れない状態にある。
つまり、発達性トラウマのナラティブは、そもそも身体的ナラティブなのである。我々の体験は、感覚器官、内受容感覚的気づき、そして快か不快か、など、あくまでも身体的な方法で起こる。もし意味づけするとすれば、かなり原始的で、ニュアンスを含まない「粗野な」ものになるだろう。どのような意味づけも、「空腹か?」「温かいか?」「つながっているか?」「愛されているか?」「不安か?」「安全か?」といった、生き延びるための根源的欲求でしかない。
身体的ナラティブは、直線的ではない。そして、言語的なナラティブのようには連続性を持って整理統合されていない。たとえ身体的ナラティブが一貫していても、いつも言語的に正確とは言い難い。身体的な体験は多様で、注意が引かれるような情報を、同時にいくつも体験したりする。身体的なナラティブは拡散しがちで、認識したり定義できるものというより、「~のような感じ」と表現されるような質を持つ。「フェルトセンス(felt sense 訳注:注意を向けてみるとそこにある、心理的な意味も含んだ、繊細な身体の感覚)」という言葉は、身体的ナラティブを表現するためによく使われる。安全か安全ではないかのフェルトセンスは、トラウマの主題となっている。フェルトセンスとは何かを、詳細かつ正確に定義するのは難しいが、実際に感じてみると、それが何なのか分かる。
さらに身体に根差したナラティブの難しさは、我々は「知っている」と感じていることにある。身体的なナラティブは、事実であり、ただ「知っている」何かだ、という感覚を持つことが多い。人間は生きて、呼吸し、自己に言及するシステムである。自身の内面を探り、どう感じているか気づくよう求められたら、たとえば気分が悪い日なら、不安で死にそうな感じがすると言うかもしれない。しかしどうやって、それが「不安で死にそうな感じ」であると判るのだろうか? ここでクライアントが、「不安を感じるから、死にそうな気がするのだ!」と気づいたとする。この時、臨床家としては「あなたは、内面に目を向け、不安な感覚を持つと、それを、『死にそうだ』と考えたのですね」と応じるだろう。こうやって臨床家は、クライアントが自身の状態を明確にするのを助けようとする。これに対して、クライアントは、「いや、『考えた』のではなく、実際そのように『感じて』いるんです」と答えるかもしれない。
発達性トラウマに働きかける時の難しさは、身体的ナラティブに深く働きかける必要があるという点である。トラウマ的な体験とは、どのように早期体験を切り抜け、生き延びたかということでもある。神経系には、その生き延びたプロセスが、より大きく完全な地図を描くかのように、トラウマの痕跡として刻まれている。それは同時に、生き延びた過程を自己、他者、環境と、どう統合させていったのかも示している。時を経て、この地図は、絶えず新しい体験を参照する基盤となる。我々は皆、自身の生きた体験に関するこうした「地図」、あるいはナラティブを持っている。発達性トラウマが起こった時、その「地図」、あるいはナラティブは、トラウマ的体験を基に再編成されるかもしれない。そうなると、トラウマ的体験が、人生の哲学となってしまうだろう。
身体的ナラティブはとても強力なので、本質的にはそれが人生のナラティブとなる。一方、病気のナラティブは、症状について何を感じているか、といった、短い説明的なものになるだろう。われわれは自身を理解するために、最近の出来事を織り込んで、ナラティブを更新し続けるだろう。
前章で、正確な内受容感覚がクライアントにとっていかに重要かを論じた。この理由の一つは、正確な内受容感覚なしには、クライアントが身体的ナラティブを更新することができないからだ。健全な調整機能へのアクセスが制限されているクライアントが、レジリエンスを築いていくためには、身体的ナラティブを変えていくことが重要な要素の一つとなる。したがって臨床家は、クライアントが自身の内受容感覚を洗練させ、強化し、言語的ナラティブ、身体的ナラティブを構築していくという多方面からの取り組みをサポートすることになる。

言語的ナラティブと身体的ナラデイブの関係を理解する

ナラティブは多層的で、人生経験を統合し、意味づけするたびに、何度も作り直される。早期トラウマの文脈の中では、言語的ナラティブと身体的ナラティブが、「トラウマ地図」を形成していく。この「地図」は、生理学的・行動的反応や、自身、他者、外的環境に関する信念体系に基づいた、複雑で、しばしば繊細な地図であり、早期トラウマ体験に深い影響を受けている。
ナラティブは、体験を整理する方法なので、ナラティブを形成することは、自身が何者であるかを理解する助けとなる。自身を参照し、あるいは地図化しながら、人生の体験の中から生きる術を見つけることを可能とする。その地図は、現在については正確な情報を提供する。なぜなら、ここまで生き延びるために形成してきた記述だからだ。内側から体験する時、人生についての自身の物語は正しいので、ナラティブはいつも、首尾一貫して「正しい」。他者から見たものと比べようが比べまいが、自身の主観的な体験としては、正確なのである。臨床家にとっては、ナラティブは、クライアントが何を体験しているかをより良く理解させてくれる。発達性トラウマに働きかける時に最も重要なことは、「私は見ていますよ」「私は聴いていますよ」「私は信じていますよ」、という姿勢を通じて、クライアントのナラティブを理解することである。
だからこそ、「地図の再編成(remapping)」は、時としてクライアントをより大きなレジリエンスに導く。古い地図が間違っているかどうかを問う必要はない。新しい地図のほうが、人生を探求する時に役に立つ、新しい選択肢を提供してくれるのだ。常に古い地図ばかりを見ていたら、古い領域の中で、同じ失望、傷つき、欲求不満を見つめ続けることになってしまう。

ロドニーは三人兄弟の末っ子だ。兄の一人は医師で、もう一人は科学者である。両親は、子どもたちがよい成績を取るように、常に多くの圧力をかけてきた。彼は学校で成績が良かったが、兄たちのように科学に興味を持たず、両親はそのことに失望した。両親の家にはロドニー兄弟の写真が数枚飾られているが、ロドニーの写真はない。彼が、今現在家族との間で体験していることに関するナラティブは、「自分は劣っていて、決して両親の期待に沿えない」である。彼は、絶えず不安とストレスを抱え、時にはパニック発作を起こす。しかし普段は、くすぶる不安とともに、何をしていようと「うまくやること」に焦点を当てて暮らしている。

ロドニーは、ソマティックな技法を用いるセラピストと、この問題に取り組んできた。しかし、自分のストレス症状以外の何にも気づくことができず、苦戦していた。たとえば、セラピストが、自分の呼吸に気づくよう促すと、セラピストが望むような方法で呼吸しているかどうかを心配し、その後、呼吸が縮こまってしまっているのに気づく。セラピストが、落ち着きを感じているかどうか気づくよう求めると、自分が感じているストレスの度合いが高いか、低いか、だけは気づくことができるが、落ち着くとはどういうことかわからない。セラピストが、何に気づいても良いのだと言ってくれても、彼は、「また失敗してしまった」、と感じるのである。

そこで、何か前向きなことが起きたらそれに気づき、その時、内側はどうなっているか気づく、という宿題を定期的に行ってみた。するとロドニーは、自身のストレスレベルの小さな違いに気づけるようになった。彼はまだ、リラックスして落ち着きを感じることができないが、「うまく」やっているかどうかの自己批判が少なくなり、自分の感覚に気づけるようになったと感じている。

発達性トラウマがあると、すべてのことを「トラウマ地図」を基本に解釈してしまう。したがってクライアントは、新しい感覚や体験があっても、それを古いトラウマの鋳型に照らし合わせて解釈してしまうのだ。安全、調整、レジリエンスの体験が乏しかったことから、彼の参照システムは、何を見てもトラウマに見えてしまい、その結果、ストレス反応を起こしてしまう。調整や、レジリエンスといった新しい感覚を努力しながら積み上げていったとしても、いざとなると、それらは間違っていると感じてしまうかもしれない。これは、今自分がインディアナポリスにいるのに、使い古した馴染みのあるロサンジェルスの地図を見ているようなもので、その古い馴染みの地図は、目の前の風景とは一致せず、困惑と失望が沸き起こってくる。
臨床家は、クライアントが新しい技能を発展させつつあることに気づくのを助けるために、十分に時間を費やす必要がある。たとえば、「困難な時も『耐性の窓』の中になんとか留まれている」「防衛的適応が減った」「自己調整能力が発達した」「自身の体験を語る内受容的語彙がより正確に発達した」、などは、すべて新しい技能である。
外的LOCは、防衛的適応の一つであるが、トラウマに基づくナラティブでは、この外的LOCが起こることが多い。内側の状態を変えられないのは、病気、水、毒素やアレルギーなどの外側の原因によると捉えられ、生理機能や日々の反応についてのナラティブは、クライアントのできないことの羅列になる。「レストランの音楽がうるさいので、落ち着けない」とか、「照明が明る過ぎるので、考えることができない」等である。
こうしたクライアントは、外部の環境が整うまで、自分は落ち着くことができないと感じていることが多い。地図を更新するためには、クライアントは、たとえ音楽がうるさく、光がまぶしくても、自分の反応を調整するための技能と戦略を発達させるための助けが必要なのである。「トラウマ地図を描き直す」のに必要なのは、クライアントが、外的環境によって左右されず、どんな時でも落ち着いた感覚へとたどり着ける、新しい参照システムを創造することである。
「病気のナラティブ」も、発達性トラウマのナラティブとして一般的である。それは、ほとんどの場合、身体的ナラティブと言語的ナラティブの組み合わせである。第6章にあるように、早期トラウマは、成長後の病気や健康問題を引き起こす可能性がある。この場合、病気は、クライアントが「助けがなく、無力で、安全に欠け、調整不全な状態であること」を隠喩的に示すナラティブとなっていることが多い。病気のナラティブには、それぞれの「物語の流れ」、つまり症状がどのように始まり、どのように経過し、回復したか、あるいはしなかったか、が含まれている。身体的ナラティブは、病気や症状に関わる感覚、健康に対する信念、病気のナラティブの中にある脈絡などを提供するかもしれない。病気のナラティブ、あるいは短い説明的なナラティブは、苦しみを説明しようと形作られたトラウマのナラティブの一部であることが多い。
現代の医療システムでは、クライアントの病気のナラティブは、医学的に正確ではないと懐疑的に受け取られることが多い。なぜならそれは、医学検査のように、信用できる情報とはみなされないからである。こうしたナラティブは、個々の症状や、今までの処置の正確な報告というより、病気についてのクライアントの「物語」とみなされることが多いだろう。医学的な診断や治療方策の決定においては、医学検査やエビデンスベースの臨床データが最重視される。
とはいえ、医療関係者が病気のナラティブに懐疑的であるのも、もっともなことである。先行研究でも、病気のナラティブが、多くの要因の影響を受けることが明らかにされている。たとえば、患者の症状や診断結果に家族がどう反応するか、病気に関する文化や思想、患者による症状の否認、治癒を強く望んだりすること、患者が注目を欲することや自身の症状を誤解している等、様々な状況が考えられる。だが、ナラティブを医学的に研究している専門家が指摘しているように、患者のナラティブを懐疑的に捉える姿勢は、患者の「物語」を軽んじ、不正確で価値が置けないもの、あるいは、嘘だと決めつけてしまう危険がある(Shapiro, 2011)。
このように、病気のナラティブを軽んじる傾向から、それが持つ潜在的な豊かさが失われてきた。早期トラウマを体験したクライアントにとって、自身のナラティブの正当性を拒絶されることは、トラウマの再演になり得る。臨床家が、患者の病気のナラティブを注意深く聴き、積極的な興味を向けることで、彼らは、承認されていると感じ、落ち着きを取り戻していくだろう。
ACE研究によって示されたように、身体的な病気は、早期トラウマの副作用の一つである。先の章でも論じたが、もし、背側迷走神経系が慢性的に過活性だったら、エネルギーの温存を軸とする生理学的機能で日々を過ごすことになるだろう。こうして、クライアントは繰り返し病院通いをし、低エネルギー、消化機能の弱き、低血圧を自身の病気のナラティブとするだろう。クライアントの症状が、医学的に適切に扱われることは大切だが、より深いレベルのナラデイブが探求される必要があることにも気づくべきである。
クライアントが自らのACEによる症状を見つめ、身体的ナラティブとしてそれを理解し、新たな地図を構築することは、価値ある探求となり得る。クライアントによっては、ACE得点が高ければ高いほど、健康への負の影響があると学ぶことは、自らの力を回復する助けになり得る。第6章で紹介したマーガレットに起きたように、症状が早期トラウマに関係している可能性を理解することは有益である。
病気のナラティブ自体が、クライアントの防衛的適応や「偽りの耐性の窓」の維持を直接的に支持している場合もある。特に、極端な外的LOCを持つ場合、クライアントは、不快な感覚を、自分の神経系の調整不全によるものと理解するよりも、病気のせいにするほうが安心なのかもしれない。いずれにせよ、医学的な症状があるときは、十分な注意を払うことが肝要である。
発達性トラウマに働きかける時、臨床家は、言語的ナラティブだけではなく、絡み合った複雑な形のナラティブに出会うだろう。

「トラウマ地図」:生理と行動

通常我々は、クライアントの生理学的機能や行動は、クライアントのナラティブの一部であるとは考えない。しかし発達性トラウマにおいては、トラウマの体験は、生き延びるための防衛的適応に関係する生理学的反応や行動として表出される。そして、自身の環境や世界についての最も基本的な信念の中に深く埋め込まれる。これらの要素は、クライアントが自身の「トラウマ地図」としてのナラティブを理解する中で、十分注意を払っていく必要があるだろう。臨床家は、クライアントの生理学的反応や行動は、「トラウマ地図」の表現なのだ、ということに気づくことが重要である。
発達性トラウマは、早期の生き残りへの脅威と密接に結びついている。そのため、生き延びるための反応は、より成熟した行動の下に隠されて見えなくなっているかもしれない。トラウマの生理は、自己防衛の行動を駆り立て、そこには切迫感がある。そのためクライアントは、変化の過程を理解したり、他のナラティブを探求することに、興味と創造性を持ちにくくなる。生き延びるために役に立った反応は、今や適応的ではなくなり、むしろ回復と変化を妨げる。しかし、生き延びたいという欲求はパワフルで、その生理学的反応にまつわるあらゆるナラティブは強化される。そして、そのナラティブは、「真実である」と強烈に感じられることだろう。
生き残りにまつわるものは、あらゆる形のナラティブの中で重要な役割を果たすだろう。そして、早期の、生き延びるための努力に関係するものは何であれ、ナラティブの中に埋め込まれるだろう。なぜなら、その体験が、非言語の時期に起き、潜在記憶に刻まれたからだ。したがって臨床家は、体験の認知的な記憶やはっきりした物語がない中で、あるトラウマ的な出来事の後遺症を説明する方法を深さねばならない。それらは、歴史的な感覚として浸透し、生き延びるための反応として、折に触れてナラティブの主題として浮上してくるだろう。
脅威反応の古典的なモデルは「闘争/逃走」、または「凍りつき」の三つである。近年ポージェスは、彼の提唱するポリヴェーガル理論において、脅威反応の幅広い解釈を提示し、「社会的関与」を追加した。ポージェスによると、哺乳類は、脅威反応を緩和するために社会的関わりを持つよう試みるが、それが成功しない場合、生理学的な防衛反応である、「闘争/逃走」か「凍りつき」に切り替えるという。最近のセンサリーモーター心理療法モデルでは、社会的関わりの選択肢をさらに細分化し、「服従行動」や「助けを求めるための愛着行動」等に分類している。社会的動物は、他者とのつながりを、防衛システムの一部として用いる。社会的動物である我々にとって、人とのつながりは脅威反応の選択肢の一つでもある。我々が生き延びるためには、人とのつながりが非常に重要であり、欠かすことができないことがわかるだろう。
前述したように、自律神経系とそれに関わる生理学的機能は、生き延びるために、可動化、不動化、あるいは社会的関わりを選択する。生理学的システムが健全な発達を遂げ、的確に働くなら、様々な状況に応じて、適切な自己防衛行動をとることができる。第4章で述べたように、神経基盤は、その時に求められている適切な防衛反応を支持するだろう。社会的関わりを持つには、腹側迷走神経系を活性化させる生理学的状態に入り、「闘争/逃走」反応を採るためには、交感神経系を活性化させる生理学的状態に入り、生き延びるために極度のストレス下に置かれた時は、背側迷走神経系を活性化させる生理学的状態を作り出し、極限の温存状態である「凍りつき」反応を引き出すだろう。
一方、生理学的機能が、トラウマ性のストレス下で発達したら、「トラウマ地図」に基礎をおいて、生き延びるための行動や考え方をするようになるだろう。必死に生き残ろうとした経験を通して蓄積した、未解決で不適応な反応パターンを繰り返すことになってしまう。たとえば、ストレスを受けた時、助けやサポートに手を伸ばすより、凍りつくかもしれない。崩れ落ち、無力感に陥ることが、唯一の選択肢だとしたら、すぐに凍りつき反応に入ってしまうだろう。こうした早期の体験を基に形成された神経基盤を覆すことは、とても難しい。より健全な愛着行動は、彼らの手の届くところにはなく、彼らは人とのつながりを持とうとしないだろう。
次の例は生理学的・行動的反応パターンが、いかに自身のナラティブに影響を与え、トラウマ地図をさらに強化するかを示している。

ジョネルは四七歳で、夫のボブと四人の子どもを育てている。彼女は虐待的家庭環境で育った。母親は、娘のジョネルより、ジョネルの継父との関係のほうに関心があった。母親は、ジョネルに対し食べ物や水を与える、おむつを替える、といった基本的欲求を満たすことこそはしたものの、言葉を交わしたり、遊んだりすることはまれだった。やがてジョネルは、自分は望まれず、愛されないという感覚を持つようになった。
高校生の時、ジョネルはボブと出会った。彼は、学校でも家でも、彼女がかんしゃく玉を破裂させると、支えてあげた。ボブは、ジョネルがこういった爆発を起こしても、数日休息し、「小休止」すれば、いつもの愛する彼女に戻ることを理解していた。
その後、ボブはジョネルに求婚し、二人の子どもをもうけた。ストレスと緊張が底に潜んでいても、みんな幸せだった。ジョネルは、「小休止」によって、家庭生活を続けられた。彼女はしばしば不安に圧倒されたが、「小休止」を持つことで、回復できた。
ある時、ジョネルとボブは、虐待を受けて育った二人の少女のことを聞いた。そして人を助ける良い機会だと思い、養子に迎える決心をした。しかし少女たちが一緒に住み始めた後すぐに、ジョネルの葛藤は高まり、自分の子どもたちとの関係が難しくなり、彼女は養子縁組をしたのほ重大な間違いだったと感じ始めた。
ある夜、食卓で、絶えず言い争う少女たちの声を聞いているうちに、ジョネルの交感神経系の覚醒は「耐性の窓」を超えた。彼女は、まるで全員が自分を攻撃しているように感じ、家族全員に対してかんしゃく玉を破裂させた。考える間もなく、叫び声をあげながら、サラダボウルからケールをつかみ、家族全員に投げた。そのあとすぐ、ジョネルは家族に向かって攻撃的に振る舞ったことを「恥じる」感覚でいっぱいになり、崩れ落ち、泣いて謝った。
ボブはその晩、ジョネルがベッドに行く時、身体を支えてやった。彼女は圧倒され、疲弊し、回復するのに数日かかった。
ジョネルは早期のトラウマ体験のせいで、「耐性の窓」の外に出た時、サバイバル反応を統制することができないままだった。彼女の行動をナラティブにしてみると、「ジョネルは自身の過覚醒を統制することができなかった」、ということになるだろう。ボブは、ジョネルの助けになってきたし、彼女が時々かんしゃくを起こしてしまうことや、そこかち回復するために「小休止」する必要があることを理解してくれた。しかし、この出来事を機会に、ジョネルは、ボブだけに頼るのではなく、長年にわたって繰り返してきたパターンを変えるために、専門家の助けを求めることにした。

第5章で論じた防衛的適応とは、過度の刺激、恐れ、圧倒される体験や生き延びるために駆り立てられた反応を、統制するために行われる不適切な反応である。「耐性の窓」を超えることが繰り返されると、「偽りの耐性の窓」の中で自身を安定させるため、防衛的適応が生まれるのである。人は、自分がこうした統制戦略を用いていることに気づかないことが多い。無意識のうちに、古い鋳型を基に防衛的適応が作動するのだ。自身の不適切な生理学的反応や行動を、時には反省することもあるかもしれないが、トラウマが影響しているということまでは理解しないだろう。(後略)

注:i) 引用中の「Charon, 2001」は次の論文です。 「The patient-physician relationship. Narrative medicine: a model for empathy, reflection, profession, and trust」 ii) 引用中の「Gold, 2007」は次の論文です。 「From narrative wreckage to islands of clarity: stories of recovery from psychosis」 iii) 引用中の「Hirsh and Peterson, 2009」は次の論文です。 「Personality and language use in self-narratives.」 iv) 引用中の「Levine, 2010」は次の本です。 「Levine, P. 2010. In an Unspoken Voice: How the Body Releases Trauma and Restores Goodness. Berkeley, CA: North Atlantic Books.[ピーター・A・ラヴィーン『トラウマと記憶:脳・身体に刻まれた過去からの回復』花丘ちぐさ訳、春秋社、2017]」 v) 引用中の「van der Kolk, 1998」は次の論文です。 「Trauma and memory」 vi) 引用中の「Levinson, 2011」は次のWEBページです。 「Can the Simple Act of Storytelling Help Them Heal?」 vii) 引用中の「顕在記憶」に類似する「陳述記憶」と引用中の「顕在記憶」に類似する「非陳述記憶」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」 viii) 引用中の「安全基地」に関連する「安心の基地」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」については共にここにおける引用の『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』項を参照して下さい。 x) 引用中の「ACE」に関連する「ACE研究」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xi) 引用中の「ポージェス」が提唱する引用中の「ポリヴェーガル理論」については引用中の「交感神経系」、「腹側迷走神経系」と「背側迷走神経系」を含めて他の拙エントリのここの「最初に」を含めて参照して下さい。 xii) 引用中の『脅威反応の古典的なモデルは「闘争/逃走」、または「凍りつき」の三つである』に関連する「闘争/逃走/凍結(凍りつき)反応」については例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「地図の再編成(remapping)」に関連するかもしれない「マッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiv) 引用中の「防衛的適応」に関連する(赤ちゃんにおける)「生体防衛反応」について、pdfファイル「子どもの虹情報研修センター 日本虐待・思春期問題情報研修センター 紀要 No.17 (2019)」中の久保田まり著の文書『講義「世代間連鎖と親子関係の支援」』(P14~P33)の「1.子ども側のSOS」項における記述の一部(P19)を次に引用します。

(前略)それから匂いです。嗅覚という、まだ視覚や聴覚ということにいく前の、匂いや肌感覚というのはものすごく直接的な感覚です。そういう意味で、この「原始感覚」というのは、身体的・生理的な快・不快とか、皮膚感覚、触覚とか嗅覚という直接的な感覚をイメージしてください。そこのところで非常に不快な感覚を覚えるわけです。痛みとか空腹とか、喉の渇きとか、すごく嫌な異臭、嫌な匂いとか。そうすると、生体防衛反応とカッコで書いてありますけれども、人として、赤ちゃんとしてでも、生き物として空腹を満たさないと生存できません。それから痛みを除去しないとやっぱりサバイバルできない。自分の生体、身体を守るために、危険な状況に置かないよう守るためにどうするかというと、負情動が表れて、お腹が空いたとか、痛みを除去してほしいというようなことで泣く。ネガティブな情動状態になって泣くのです。(後略)

注:i) 引用中の「生体防衛反応」については引用はしませんが、同文書の P19 の「スライド7 愛着システム不全の母子相互作用に関する仮説モデル(大河原)」を参照して下さい。 ii) 引用中の「非常に不快な感覚」と「生体防衛反応」の両者に関連するかもしれない「強烈世界症候群」については他の拙エントリここを参照して下さい。

また、標記臨床家が発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について、同の『第9章 新しい地図を創る:「調整!」「調整!」そして「調整!」』における記述の一部(P277~P301)を次に引用します。

本章では、臨床家が、発達性トラウマによる症状や防衛的適応に苦しむ人々にセッションを提供する際に、「『調整』ベースのアプローチ」を用いることの重要性について論じる。ACEスコアが高かったり、自律神経系が互恵的範囲内になく、相互活性したり、相互抑制しているクライアントにとって、「『調整』ベースのアプローチ」は、特に重要となる。
ACE研究では、一万七千人以上の参加のうち、三分の二の人が、少なくとも一つのACE体験があると報告されている。その中の八七%は、複数のACE体験を持っていた(ACES Too High 2017)。クライアントに根本的な調整不全があったり、少し刺激しただけでトラウマを再体験してしまう危険がある場合、「『調整』ベースのアプローチ」を導入する時は、十分なタイトレーション(滴定)を行い、初めは小さな変化を起こさせ、介入の度合いを少しずつ増加させていくことが望ましい。我々の目的は、クライアントが、初めに小さな足場を築くのを助けることである。そして、小さな努力を続けることで、クライアントは、回復を維持する能力と「調整」する力を増すことができるようになるだろう。
「調整」に焦点を当てるということは、脳幹を中心とした、最も早期に発達する原始的な脳の部分に働きかけることを意味する。つまりボトムアップである。調整能力を提供することは、神経系の発達を促進する基礎を築き、クライアントの初期発達に欠けていたプロセスを提供することになる。
「調整」に働きかける技法を習得した臨床家は、この精妙な関わり方は、まるで「何もしていないように」感じる、と言う。「調整」に働きかけるということは、発達性トラウマを体験したクライアントと共に行う、最も重要で基礎的な作業である。「何もしていないように」静かだが、実は非常に大きな変化を起こさせている。言葉を形成し始める前に、アルファベットを習う必要があるのと同じように、それは、後の取り組みの基盤であり、全てのものの核となる。
発達性トラウマがあると、安全の感覚を持ち、協働調整の状態に入ることができない。これは発達性トラウマの最も大きな問題である。これができないために、自己調整能力がうまく育たず、健全な「調整」の代わりに、防衛的適応策を用いざるを得なくなる。早期に発達が阻害されると、クライアントの協働調整力が全く育っていない場合がある。生後最初の数週間において、適切な養育に欠けた場合、養育者とつながったり、協働調整することは不可能になる。
第7章では、「偽りの耐性の窓」の中で機能していると、本物の「耐性の窓」を見つけ、拡げることが難しくなることを論じた。ここで言う「調整」とは、活性化した時に神経系を落ち着かせるための調整能力を指す。「偽りの耐性の窓」の中では、自らの反応の範囲を狭めることで覚醒を調整し、偽りの安定した感覚を作り出す。しかし、こうした「調整」は、偽りに過ぎず、柔軟性やレジリエンスがあり、能力を最大限に生かすことができる健全な「耐性の窓」の中で機能しているわけではない。「偽りの耐性の窓」を維持するための防衛的適応においては、より多くのエネルギーを必要とする。そのため、さらに柔軟性が損なわれ、脆弱性を包み込む能力が失われる。
こうしたことが起きている場合、クライアントの症状や、仮の調整感覚を維持するための防衛的適応に直接働きかける前に、よりバランスの取れた「調整」を導入することが、セラピーの最初の目標となる。「調整」は健全な「耐性の窓」を取り戻す鍵である。「調整」なくしては、たとえ臨床家が介入しても、その働きかけはクライアントのシステム全体の中で十分統合されないだろう。基礎的な「調整」ができていないと、クライアントは、高レベルの活性化のために、重度の調整不全に陥る。このような調整不全は、かつてクライアントの発達の多くの側面に影響を与えてきた。したがって、健全な「調整」を提供することに焦点を合わせることで、レジリエンスの基礎が築かれ、確立する。協働調整を試みる前に、クライアントは、少なくともある程度、ストレスを感じることなく自身を落ちつかせることができなくてはならない。
深刻な早期の発達性トラウマや愛着の破綻を経験した者にとって、安全は、馴染みのない概念である。安全であるとは、養育者が、親切で、自身の自己調整を維持しながらも、子どもの発達欲求に応じることができる能力を有しているかを、識別する能力も含んでいる。臨床家は、まず最初に、クライアントが自己調整能力をつけていくことをサポートする必要がある。そして、セッションが進んでいった後の段階で、クライアントとのつながりを提供し、協働調整を試みると良いだろう。協働調整は、安全という感覚を感じるための扉を開ける。
セラピールームに安全基地を作り出し、クライアントに安心の基盤を提供することは、クライアントがより大きなレジリエンスを獲得する道を切り開く。発達性トラウマに働きかける時は、「『調整』への取り組み」を、少なくとも数か月続ける必要があるし、数年かかることも珍しくない。そのようなクライアントに働きかける際の見通しは、「調整」「調整」「調整」……そしてさらに「調整」である。クライアントは、安全で解放された感覚で世界を体験することを可能にする、新しい地図を必要としている。その地図は、トラウマや繰り返される恐怖体験に基づくものではなく、「調整」とレジリエンスに基づくものであるべきだ。
クライアントは、より良い「調整」ができるようになるにつれ、何が必要であるかが明確になり、人生に何が足りないかが分かるようになる。クライアントの「調整」やつながりへの欲求に応えることは、早期の欠乏の記憶や、十分に欲求に応えてもらえなかった体験を解消するのを助ける。ある意味、臨床家は、クライアントを養育し直し、彼が早期の愛着の崩壊を修復するのを助けているのだ。セラピーの最初のアプローチとして調整作業を行うという考え方は、臨床家によっては、馴染みがないかもしれない。発達性トラウマのスペクトラムの中でも、重篤を状態にいるクライアントは、症状の複雑さゆえ、臨床家にとって難しい挑戦になり得る。そして、こういう状態のクライアントに対して、「調整」を身に着けてもらうという取り組みなど、役に立たないと思えるかもしれない。しかし、臨床家が発達性トラウマの全貌を把握すれば、「調整」こそが、クライアントへの最も大きな援助になることが分かるだろう。
本書の前半では、発達性トラウマの力学を説明し、従来とは異なるアプローチを紹介した。ここからは、「調整」という考え方を、クライアントとどのように理解するか、相互作業をどう意味づけ、そして、トラウマを変容への潜在的な要素としてどのように扱うかを示していく。
クライアントに「調整」とレジリエンスの能力を提供するための方法は、多岐にわたる。ここからは、臨床家に「『調整』ベースのアプローチ」によって可能となるいくつかの例を挙げる。

「調整」について:臨床家、臨床の環境、そして予測性

発達性トラウマを経験したクライアントに働きかけるにあたり、協働調整を提供することは、臨床家の重要な役割の一つである。早期では、生理機能の「調整」を養育者に頼るしかないが、クライアントは、この時期に協働調整を得られなかった。したがって彼らは、神経系の健全な発達に欠かすことができない、自己調整や協働調整の能力を醸成することもできなかった。
クライアントが、幼少期に得られなかったことを、臨床の場で体験してもらうことは有効である。先に記したように、絶えず「耐性の窓」の外側で機能しているクライアントは、活性化を鎮めるための、副次的をシステムを発達させているだろう。そのシステムによって「偽りの耐性の窓」が作られ、そこにいる限り、臨床家にもクライアント自身にも、クライアントの感情や感覚は、一見うまく調整されているように見える。しかし、実際は健全を「調整」は行われていない。HPA(視床下部-脳下垂体-副腎)軸は、ストレス反応を制御し、多くの生理学的プロセスの「調整」を助けている。クライアントが「偽りの耐性の窓」の中にいる時は、HPA軸が高度に活性化し、心拍と呼吸に影響を与え、他の生理学的反応にも影響を及ぼしているはずである。しかし、臨床家がそれを発見することは難しいだろう。このため臨床家は、クライアントの底に潜む、こうした特異的な生理学的状態を識別できるよう、観察技術を磨かなくてはならない。
子どもは、ある程度、自身を落ち着かせる能力を備えて生まれてくる。中枢神経システムが機能していると、騒音や明るい光から顔をそむけ、親指やその他の指をしゃぶったりする。そして、アラン・ショアは、「親が赤ちゃんとの会話に使う独特を話し方(子音と母音を引き延ばして歌う声)が、協働調整をもたらす」と述べている。ショアは、「『調整』が外側(他者への依存)から内側(自己調整能力)へ移行することが、早期の発達の鍵となる」と考えた(Schore, 2001)。
二〇〇七年に、アラン・フォーゲルとアンドレア・ガーピーは、協働調整を、「行動と意図を相互調整し続ける協調行為である」と定義した(Fogel and Garvey, 2007, 1)。この定義からも分かるように、協働調整は決して一人では成し得ない。これには、お互いのやり取りによって、他者がどのように反応し調整するかを判断し、自分もまたそれに応答していくという、反応と「調整」の能力が必要である。この「協働調整のダンス」こそが、親と子が、「今・ここ」で、お互いに素早いフィードバックを与え、それが次の相互作用を決定する、親と子の「調整」のフィールドとなる。
この協働調整のダンスは、人間関係において一生を通して継続する。だからこそ、このダンスを習う機会がなかった者にとって、どれほど人生が困難になるかは想像に難くない。この協働調整のダンスを通して、我々は高次の思考能力を発達させる。こうした協働調整のダンスをうまく踊ることができると、周囲の人や物事から刺激を受けた時、考えもなくすぐに行動するのではなく、自分の感情を統制し、間合いを取り、礼儀正しく共感的な反応をしながら、相手と良い関係を保つことができる。
また、サバラとハザンは、「すぐに、近くにいる他者という『リソース』を使うことができる能力は、感情調整の近道である」と述べている(Sbarra and Hazan 2008, 157)。この近道は、実は苦労して自分自身の調整を図るよりも、素早く働く。この調整行動は、思考脳を迂回し、より深いレベルの生理学的反応につながる。これは、より効率的な「調整」の近道なのだ。
発達性トラウマに働きかける時、臨床家自身の自己調整と協働調整の能力が、セラピーの成否を決めると言っても過言ではない。臨床家は、ここでは養育者に代わる役割をすることとなる。臨床家は、クライアントの「安全の基地」となり、ともに「調整」のための新しい神経回路を発達させる。
最初は臨床家が協働調整を提供しても、クライアントはそれをうまく「吸収する」ことができないかもしれない。そして、「偽りの耐性の窓」は、協働調整を助けるより、むしろ防衛反応を引き起こすだろう。「安全基地」の感覚を作り上げるには、時間と信頼関係が必要だ。クライアントが臨床家との協働調整のダンスに十分に反応するには、しばらく時間がかかるだろう。深刻な調整不全がある場合は、数か月、1年、あるいは数年を要するだろう。協働調整を提供し続けることは重要であり、繰り返しは協働調整をマスターするための最短距離となる。
健全な家庭環境では、子どもは、養育者との協働調整を何年にもわたって体験する。子どもが健全な「安全基地」の体験を持つと、自分がストレスを受けたり脅かされた時には、養育者からなだめてもらいたいという自然な欲求を持ち、親密な触れ合いを当然のものとして、協働調整を求めるようになる。大人にとっても、健全な関係性を持つということの中には、協働調整も含まれるだろう。
「調整」に焦点を当てるということは、一貫して協働調整を提供し続けることである。それによりクライアントは、他者が協働調整を提供していることに気づくことができるようになり、それに反応する能力が向上し始める。クライアントが無意識の内に、自身の呼吸のリズムを、臨床家の呼吸のリズムに合わせる、といった、何かごく単純なことが起き始めるかもしれない。このようにクライアントは、臨床家との関係性の中で、協働調整の「場」があることを感じ始める。また、クライアントのナラティブの中に、微妙な変化が起きてくることもある。
ここで臨床家は、自分自身の愛着スタイルにも注意を向ける必要がある。なぜなら、クライアントに協働調整や相互関係を提供する時に、自身の愛着スタイルが影響するからである。たとえば、タライアントが協働調整の誘いに、すぐに反応しないからといって、臨床家がすぐに協働調整の提供を止めてしまうと、クライアントは、早期の愛着のトラウマの再演を体験するかもしれない。これについては、第11章でさらに詳しく論じる。
発達性トラウマが、生理学的反応と行動の調整能力に影響を与えるだけでなく、それらに関係する行動を駆り立てる衝動の源になることを理解することが重要である。早期トラウマを持つ者たちは、守られているという安全な感覚を全く体験したことがないことがよくある。そのような場合、特に人との関係性の中で、何が安全なのかを理解するための参照システムを持っていないことが多い。たとえば、臨床家に対して、警戒し、懐疑的な態度を取るクライアントもいるだろう。隠された意図を探ろうとして、警戒した表情をしているかもしれない。早期トラウマを持つ者たちは、しばしば、行動、コミュニケーション、声の調子、顔の表情や仕草の不一致を、非常に敏感に受け取るシステムを発達させてきた。彼らは、失望させられたり、見捨てられたり、聴いてもらえないかもしれないという兆候があれば、瞬時に見つけるだろう。
そして、彼らは、安全であるか否かを判断するのに、自らの内受容感覚に基づいた安全感覚を使うより、外的要素を用いることが多い。臨床家は、クライアントが臨床家の意図や意味を判断するための、適切な語彙を発達させてこなかったことを理解する必要がある。臨床家は、常に一貫性を持ち、行動と意図を正確に合致させようと努めなければならない。我々は、クライアントに、予測可能性と透明性を提供するとともに、明確な境界線を引く必要がある。
クライアントにとって、調整不全が重篤であるほど、予測可能性の必要性は高まる。クライアントの調整不全が大きく、混乱していたり、制御不能な状態であるほど、安全感覚と落ち着くための予測可能な外的環境が要求される。クライアント自身は、他の人が自分に対して変な反応をすることが問題なのだ、と思っているかもしれない。そのため、なぜ自分にとってセラピーが必要なのかを十分に理解していないことも多い。あるいは、自分の子どもにセラピーを受けさせようと、専門家を探している場合もあるだろう。このようなクライアントは、予測が難しかったり、変化したりすることにマイナスの影響を受けやすい。したがって、安全感覚を発達させるためには、むしろ単純なルールを徹底することのほうが、効果が大きいこともある。時間通りにセッションを始め、終了する、セッションが終わる10分前にはクライアントにそれを伝える、頻繁に予約をキャンセルしない、休暇のために予約を延期する必要がある時は、クライアントに繰り返し伝える、といった、境界線と予測可能性を丁寧に守ることで、クライアントが落ち着き、信頼と安全感覚を見出すことができることもあるだろう。クライアントによっては、セラピールームの中の全てのものが、いつも同じ場所にあるといった、単純なことが助けになるかもしれない。
セッションが終結する頃には、ここまで用心深くする必要はなくなるだろうが、発達性トラウマに苦しむクライアントに、定期的にセッションを提供している臨床家の多くは、こういった管理を臨床の一部として徹底している。クライアントの行動を、コントロール、否認、あるいは治療抵抗だと解釈して、安易に切り捨てるのではなく、これらは、彼らの調整不全を示す状態として理解するべきであろう。「調整」や内的LOCの能力がまだ十分でない時は、外的環境において秩序を保つことが重要である。
早期トラウマを持つ者たちは、しばしば、軍隊、警察、聖職、医療といった、高度に組織立てられた環境で成功する。明確な階層、行動規範、寝食の時間管理によって、秩序正しい安全の感覚を持つことができ、落ち着くからだ。セラピーの設定の中に、そのような予測性をいくらか取り入れることで、クライアントを安心させることができれば、より深い働きかけを始めることもできるだろう。

「調整」の生理学的反応

発達性トラウマがあると、「調整」の欠如はあらゆるレベルに影響を与える。第4章の「ポリヴェーガル理論」に関する説明で示したように、人間には、いくつかの行動パターンを支えている重要な神経基盤がある。だからこそ、こうした重要な基盤が、十分発達しているか否かを確認する必要がある。なぜなら適切な生理学的機能、特に自律神経系の「調整」なくしては、その他のシステムを深く変化させるようにクライアントを援助することは難しいからだ。
例を挙げれば、もしクライアントが、腹側迷走神経系が活発に働いている時の生理学的状態に入ることができなかったら、そのような状態にいるクライアントに、健全な社会的関わりを提供することは難しい。これは、必ずしもクライアントが社会的なつながりを持ちたくないと思っているわけではない。誰かとつながろうとすると、それに反するような生理学的反応が起きてしまい、それに乗っ取られてしまうのである。また、もし、交感神経系が優位なら、心の中では、常に危険と脅威に関することを考えているだろう。クライアントは、自身の防衛的適応をうまく使って、「逃げろ!」と叫んでいる頭の中の声を、なんとか無視し、セラピーに留まることもできるかもしれない。しかし、脅威にさらされていると感じるような状態では、社会的なつながりを持つことは難しいだろう。
もしクライアントの自律神経系が互恵的範囲内になかったら、生理学的機能の再調整は、さらに難しくなるだろう。このような時は、クライアントの反応システムから負荷を取り除いてやらなければならない。さもないと、クライアントの「偽りの耐性の窓」が、いたずらに強化され、防衛的適応を増すことになってしまう。臨床家は、誤って「偽りの耐性の窓」を強化するのではなく、クライアントが、よりうまく「耐性の窓」の内に留まることができるように援助する必要があるだろう。
臨床家は、クライアントを「偽りの耐性の窓」に留め置く、防衛的適応の必要性を減らし、「調整」を助けるように努めていくことが重要なのである。

ウィルは一四歳で、世界中の人々に腹を立てているようだ。ウィルは、何をやったところで、人は自分を言葉や暴力で攻撃するだろう、と言う。ウィルのナラティブから分かるのは、ウィルが、身体的にも言語的にも、人生に希望を見出せないということだ。ウィルは両親と暮らしているが、二人とも仕事で不在がちであり、彼は家でー人で過ごすことが多い。学校では他の子たちとつながろうとしても喧嘩に終わり、仲間に入れてもらえなくなってしまった。両親は、自分たちほ忙しくてウィルに手助けをしてやれず、彼には助けが必要だと判断し、青少年専門のセラピストの予約を取った。両親とも、外すことができない約束が多く、ウィルのセラピーのために時間を割くことはできなかった。セラピーが始まってすぐ、セラピストには、ウィルのナラティブが防衛的適応として働いていることが分かった。彼は何度も、人生の罠にはまってしまった、と言った。ウィルのセラピストは彼を見、聴き、信じた。ウィルのセラピストは、ウィルが、生きるのがつらく、いつも怒っていて、幸せではないと語ったのを、しっかりと受け止めた。セラピーでは、ウィルが自分の反応をよりうまく「調整」するための方法を探った。そのうちに、ウィルは、反応する前に少なくとも「ちょっと立ち止まる」感覚が持てるようになった。こうして、一瞬立ち止まることができるようになり、ウィルは自身の状況を観察し、解決法を考えることもできるようになった。それでもまだ、とっさに激しく恕りをぶつけてしまうことは収まらなかった。

最初ウィルは、解決法など何もないように感じた。世界は悪であり、自分も悪であり、決して何も変わらないだろう、と考えていた。しかし、その後、小さな変化が起こり始めた。「立ち止まる」と、もっと違う生き方がしたいと思っていたことに気づくことができるようになった。また、感情が激してしまった時には、落ち着いている時の自分とは違うこともわかるようになった。ウィルは、実はひどく孤独だと感じていることにも気づいた。しかしその孤独を感じる代わりに、瞬時に怒りを爆発させていた。セラピストの助けを受けて、ウィルは、祖母のことを思い出した。祖母は、他の州に住んでいるが、いつもウィルのことを気にかけていた。彼は、祖母とインターネットのビデオチャットでお喋りするのが楽しみだった。そこでセラピストは、祖母の全面的な協力を得て、彼が家で一人になる時は、祖母が、彼を「耐性の窓」の中に留まれるよう助けるようにする、という計画を立てた。

ウィルが一時間以上一人の時はいつでも祖母をビデオチャットに呼び出し、二人でお喋りすることにした。彼が一人で食事しなくて良いように、祖母は食事中もビデオチャットで会話してくれた。この関わりによって、ウィルは「耐性の窓」の中に留まるようになってきた。こうして、孤独こそが自身の怒りの根源だったということを理解した。一人の時は、祖母とお喋りできるという体験を通して、実は自分の中には、常に誰かとつながりたいという強い衝動があったことに気づいた。つながることを切望していたが、怒りのせいで分からなかったのだ。

ウィルは新しいナラティブを創ることができた。「自分は、物理的には一人かもしれないが、ビデオチャットのお喋りを通して、おばあちゃんがいつも一緒にいてくれる」、というナラティブである。ウィルは、自分の感情を、とっさに抑える能力を高めていき、あまり短気を起こさなくなってきた。級友の一人とは、関係を修復することができた。そして、学校の外でも、社会的な時間を持ち始めている。ウィルの母は、その級友の両親に、実は、ウィルは長い時間家で一人で過ごしているのだということを打ち明けた。すると、その級友の両親は、少なくとも週一回は、ウィルを自分たちの家へ夕食に招くようにしてくれた。

クライアントは、「偽りの耐性の窓」のせいで、「調整」を見失っていた。このような場合は、こく単純な関わり方をすることが、クライアントにとって最も重要となる。

臨床家は、「闘争/逃走反応」を引き起こす交感神経系が活性化した時の反応について、クライアント自身がそれを理解し、意味づけを変えていくのを助ける必要がある。もちろん、クライアントは、不安を感じたり、自分の反応を制御できないと感じるような状態になることは望まない。しかし、そこから抜け出し、より良い「調整」に向かうために、こうした過覚醒の状態の嫌な感じを、少しだけ探求する必要があるだろう。もしクライアントが、恐怖の感覚が増していく体験から常に逃げていたら、「調整」能力を高めることは難しい。
クライアントが「危険」であるとレッテル貼りしたものは、実は本物の危険ではないことが多い。言い換えれば、クライアントが活性化し不安を感じることが、クライアントにとっての危険ということになっている。実際のところ、それらの反応は、クライアントが生き延びるためにどれだけ過酷に闘ってきたかを示している。クライアントが感じているのは、実は、生き延びるための闘いの中に封じ込められた、自身の活力だ。不幸なことに、その戦いはとても長く続いた。そのため、アロスタティック負荷が増し、ついに自身の活力を利用することができないような神経系の状態になってしまったのだ。
「調整」を提供することで、その活力をそっと、そして徐々に、安全に解き放つことができる。それによってクライアントは、再び活力を取り戻すことができる。これは、臨床家が行う「調整」の作業の中でも、高度な技術を要する。クライアントの、一度は封じ込められた生きるための活力を再び使えるようにするために、そして活力に満ちた生理学的状態に不安なく入れるよう、十分コントロールされた方法で、優しく働きかけるのた。この完了に向かう作業は、第11章でさらに詳しく論じる。

「調整」という文脈の中で、行動を考える

行動という側面から、「調整」について理解することもできる。生き延びようとする衝動は、人を突き動かす。「生き残りをかけたモード」に入ってしまうと、それは我々の理性を乗っ取り、考えるよりも先に行動を取らせてしまう。先に論じたように、「生き残りをかけたモード」の生理学的状態では、脳や感覚システムが劇的に変化する。生き延びようとする衝動が続いている限り、他の状況では現れない言動が起こり、それを抑制するのを難しくさせる。
問題行動は、保護者が子どもにセラピーを受けさせる一番の理由だ。親か教師か、または直接の家族ではない誰かが、子どもの問題行動を目撃した時も、彼らの注意を惹く。調整不全を持つ子どもや大人に与えられる一般的な診断としては、「注意欠陥/多動性障害」、「反抗挑戦性障害」、「スペクトラム障害(訳注:自閉スペクトラム障害をはじめ、スペクトラムのなかに含まれる様々な障害)」、「不安症」、「攻撃的行動」などであろう。これらの障害の多くには、効力の強い処方薬が出され、特に長期間使用した場合、深刻な副作用に悩まされることもある。
生き延びるための反応に乗っ取られているときの問題行動の一例は、攻撃性である。温厚で慎重な人でさえ、脅かされていると感じたら攻撃的になる。そして限界を超えると、一気に「生き残りをかけたモード」に入っていくだろう。実際、本当に生命が脅かされているのならば、もちろん、そうなる必要がある。しかし、職場で、同僚から耳の痛いアドバイスをされている時や、教室で、先生が「言うことを聞きなさい」と言っているような場面で、「生き残りをかけたモード」に入ることは、得策ではない。もしクライアントの生理学的状態が、慢性的に「生き残りをかけたモード」に入っていたら、少しでも安全ではないと感じるようなことが起きると、激しく反応しないようにすることは難しい。
このような場合、生理学的状態の「調整」に焦点を当てることは有効だ。クライアントが、脅かされたと思い、「生き残りをかけたモード」になるような生理学的状態が起き、激しく反応してしまうというサイクルを少し軽くすることができるからだ。生き延びるための生理学的状態によって突き動かされるのを、少し和らげることができると、クライアントは、より多くの行動の選択肢を持つことになる。これによって、投薬量を減らすことができるかもしれないし、断薬も夢ではない。
それ以上に、クライアントが今までの自分の行動を、自身の脅威反応であり、防衛的適応策だったのだと理解できると、その反応の中にある選択肢に気づくことができる。それに気づいて、行動を選択できるようになると、「耐性の窓」が広がり、いろいろなことができるようになるのだ。
また、早期に協働調整が適正に行われなかったことで、今その影響を受けている、ということを理解することも有益だろう。幼い頃は、「生き残りをかけたモード」を駆使して生き延びてきた。それは、生存には重要な役割を演じたが、その同じ行動が、今や不協和音や孤立を引き起こしているのだ、と理解することは、大いに助けになるだろう。
子どもは、協働調整の過程で相互交流を体験する。ここで恩恵を受けるのは、子どもだけではない。養育者もまた、子どもとのつながりや、関係性を育むことから幸福を感じる。こうして、協働調整を通して、養育者も子どもも、共に自分の「調整」能力を高めていく。この過程を通して、子どもは、主体性や自己効力感を高め、自己調整力を醸成していく。しかし一方で、子どもが、自身の行動に養育者が反応してくれると学ぶと、それを、親密な相互交流だけではなく、防衛的適応として使うこともある。なぜなら、子どもは、養育者の弱みを知り、その「ボタン」を押すことができるからだ。親密さが過剰で、それが脅威に感じられる時、その「ボタン」を押すと、親、あるいは、後にはパートナーが、自分から遠ざかり、離れてくれる。
また、子どもは、養育者が健全な協働調整をしてくれない時は、どんな反応でも得ようとする。これは子どもの潜在的な防衛的適応でもある。不適切な反応であっても、ないよりはまし、というわけで、子どもは、自分の存在意義を確かめるために、養育者から何らかの反応を求めるのだ。
したがって、「調整」を扱うときには、この「疑似的な協働調整」、あるいは、「代替的自己調整」について取り組む必要が出てくる。まずクライアントに、防衛的適応と「偽りの耐性の窓」の発達は、幼い時に、自分で自分を落ち着かせるために身に着けた、生き延びるための戦略の一つであった、と理解させることが大切だ。しかし、たとえ偽りであっても、何らかの安全感覚を体験できた「偽りの耐性の窓」から、いきなりクライアントを本物の「耐性の窓」へと移動させようと試みると、うまくいかないだろう。これは、小さな段階を踏み、少しずつ取り組んでいくべきものなのだ。
早期の生き延びるための戦略に取り組んでいる時、生き延びるための努力を完了する感覚へとクライアントが入っていこうとするのに、それがうまくいかないことがある。それは、クライアントが「耐性の窓」を通り過ぎて、さらにその向こうの「偽りの耐性の窓」へと移動してしまったからである。クライアントに、自身の防衛的適応が反応していることを理解してもらい、それが現れる兆候に気づくように助けることは役に立つ。

社会的交流という「調整」に向けて

早期トラウマがあると、人との関わりを楽しみ、穏やかに機能できなくなってしまう。それは、感覚システムが過覚醒か、あるいは低覚醒のいずれかの状態になってしまうからである。光、音、匂い、味覚などが強烈に感じられ、刺激過多で耐えられないと感じるかもしれない。一方で、スペクトラムの反対側では、自身の体験に無感覚になったり、周囲の環境から切り離されたような感覚になることも起こる。
自己調整と協働調整が阻害されると、子どもの場合、学習能力も影響を受ける。子どもは、観察をしながら社会的スキルを身に着ける。幼い時、私たちは養育者を観察し、彼らが社会的状況でどのように反応し、相互作用しているかを学ぶ。そこで良いお手本に出会えないと、社会的交流をする能力や、社会的スキルを発達させる機会は失われてしまう。
一般的に、孤立はトラウマの典型的な副作用である。発達性トラウマでは、環境や状況より、「人」が脅威の源となることが多い。生まれてからこの方、根源的に安全が欠けた状況にあり、安全な人とそうではない人を識別する能力も限られている場合、人が集まる社会的状況は、潜在的脅威に満ちている感じがするだろう。そして、その場合、人を避けることが、最も有効な解決法になる。
調整能力が増すにつれて、社会的つながりのための新しい可能性が模索できるようになる。しかし、社会的関係性を導いていく基本的なスキルは、まだあまり発達してはいないだろう。生理学的反応が調整され、人々が怖い感覚が少なくなり、人に興味を持てるようになると、クライアントが社会的につながる準備ができる。そのための基本的な調整能力を身につけられるよう、クライアントを援助する必要がある。臨床家は、クライアントが、安全を感じながら、社会的関わりを少しずつ始められるように支えていくことが肝要だ。

「調整」とレジリエンス

「調整作業」がうまくいくと、クライアントは「耐性の窓」の中で過ごす時間が増え始め、それによってさらなる「調整」とレジリエンスを獲得していく。だが、そのレジリエンスと「調整」はしばしば、穏やかな質を持っている。何か劇的なものを期待していたとすると、クライアントの中には、落胆する者もいるだろう。「穏やかさ」は、クライアントにとって未知の状態である。発達性トラウマを持つ者にとって、「未知」のものは、本質的に脅威なのである。さらに、発達性トラウマを生き抜いてきた者たちにとっては、「穏やかさ」は、内的にも、外的にも危険に感じることが多い。静かなのは、何か悪いことが起こる前兆かもしれないし、脅威がどこにあるのかという手掛かりが掴めず、不安に感じるだろう。また、「穏やかさ」には馴染みがなく、実は心地よくなかったのだということに、気づいてしまうかもしれない。よって、簡単には理解できないため、それがストレスになることもあるだろう。
クライアントは、安全、安心、「調整」が取れた状態になりたいと、憧れ続けてきた。にもかかわらず、こうした状能を初めて体験すると、明らかな、もしくは微妙なレベルで、これは間違っているとか、危険であると感じたりする。これは、今まで訪れたことのない領域の新しい地図である。それは、トラウマ地図ではなく、レジリエンスを軸にした、新しい領域の地図なのだ。
中世の時代の地図では、未知の領域には、「ここに竜がいる」という印が付けられた。クライアントも、馴染みがなかった「調整」状態を体験した時は、自身の地図に、同じように竜の印をつけるだろう。彼らは、高度に発達した「危険地図」を持っている。そして、安全と「調整」の体験は馴染みがないので、新しいものは何であれ、潜在的な危険と見なすことが多い。この場合、クライアントが徐々に馴染めるよう、より肯定的な状態を、少しずつ取り入れていく必要がある。
クライアントが、新しい内受容感覚の言語を発達させるよう助けることも重要である。この新しい言語は、「調整」が取れていて、危険のない状態の感覚である。クライアントは、危険に気を配ることが習慣になっている。したがって、安全、つながり、「調整」を示す、より静かな状態に気づき、それを習得するには、時間が掛かるだろう。レジリエンスをゆっくり積み重ねていくことが、自律神経系の予測性を向上させる。それにより、広い範囲の行動の選択ができるようになる。
「調整」とレジリエンスを発達させるには、神経系の覚醒を少しだけ体験し、また安全な状態へと戻ることを繰り返す必要がある。クライアントがトラウマのナラティブに入った時、または、「耐性の窓」から押し出されるような、何らかの刺激があった時、活性化が起こる。はじめは、クライアントは、安定した状態に戻るために、多くの支えが必要だろう。しかし回数を重ねる毎に、ほんのわずかな努力で、安定した状態に戻れるようになる。この繰り返し自体が、レジリエンスを築く。
レジリエンス研究によると、レジリエンスは、困難に効果的に対処することで高まるという。しかし、困難は、対応可能な範囲内であるべきだ。それは、「三匹のクマ」の話と少し似ている(訳注:イギリスの有名な童話で、程良い状態が一番であることを教えている)。多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。
働きかけを続けるにつれ、クライアントは自身の活力が戻ってきて、アロスタティック負荷が著しく軽減するのを体験するだろう。その証拠として、感染症や炎症を撃退する能力の増加、睡眠や生理周期の改善、活力の亢進などが起こる。安全であるという感覚が増し、人生に取り組み、社会的に関わり、より前向きになって自己主張できるような、エネルギーの高まりを感じるようになるだろう。より良く「調整」が取れた状態に入り、アロスタティック負荷が低減すると、最適を健康を保てるように、身体が効率よくエネルギーを分配できるようになる。少なくとも、高いACEスコアに関連するいくつかの影響が軽減され、修復もされるだろう。
臨床家は、身体的・生理学的レジリエンスの回復を目指し、身体的ナラティブや病気のナラティブの変化のための支えを提供する。あるいは、臨床家の職域にもよるが、友達の作り方や、会話の仕方、社会的な合図の読み方について、基礎的なスキルが必要な時は、クライアントの変化のために、生理学的、感情的、精神的にクライアントを支えていくよう尽力するだろう。臨床家として、自身の強みを知り、さらに必要なものは何かを理解できたら、クライアントにより良い「調整」を届けるべく、さらなる方策を導入できるだろう。

ナラティブ:新しい「調整」の地図

発達性トラウマがあるということは、絶え間ない逆境の中で生きてきたことを意味する。しかし、彼らは、逆境にあっても生き延びてきた強さを持っている。そこで、その力にアクセスし、より大きなレジリエンスの感覚へと向かうこともできるのた。
「調整」と、レジリエンスの構築に焦点を当てることによって、クライアントは、地図を刷新し、新しい領域についてのナラティブを創り始める。能力がさらに増していき、自身を取り巻く世界への探索が増えていくことで、自身に関するナラティブを、さらに変えていくことができるだろう。なぜ自分が生まれたのか。自分は何者であるか。なぜ、自分は自分を守ろうと振る舞うのか。こうした人生の課題に取り組むときに、ナラティブは始まる。能力が増すにつれて、ナラティブは変化し、問題があっても、それにうまく対処できたという感覚や、好奇心や、探索する喜びを味わう。時には、安全とつながりの感覚を得ることができるかもしれない。かつてのナラティブは、「私は、常に不安で、不幸だ」だった。しかし今は、「私は思っていたより強く、より良いバランスで課題に取り組み、成功することができる」になっているはずだ。
それと同時に、身体的なナラティブも変化し始めるだろう。文字通り、症状が軽快するはずだ。炎症、痛み、偏頭痛などが軽減するだろう。病気のナラティブも変わり、もっと肯定的な信念を含むようになるだろう。それは、物心ついたころから、ずっと付きまとってきた痛みや症状からの解放を含むかもしれない。
「調整」とレジリエンスに、より近づくことは、人生に深い影響を与えるだろう。そして、クライアントが肯定的な変化を体験するのは有意義なことである。しかし、トラウマを軸にした人生を離れて、「調整」とレジリエンスが増してきたとしても、トラウマにからめとられた人生を送って来た者には、それでもまだ夥しい量の、見当誠の喪失が残存する、ということを臨床家は覚えておきたい。この本の最後の章で論じるが、治療計画の中には、クライアントが活力にアクセスしていく力を、うまくコントロールすることも含まれる。これは、実は非常にデリケートな課題である。クライアントは、長年、思うようにならない人生を生きてきた。その状態のほうが、彼にとっては馴染みがある。そして、希望や夢に近づいていくことには、恐怖を覚える可能性がある。あるクライアントはこう言った。
「もし、自分を癒すことに焦点を当てて過ごさなくてよくなったら、自分は何をすればいいのだろう?」

注:i) 引用中の「ACES Too High」は次のWEBページです。 「ACES Too High! NEWS」 加えて、引用中の「ACE研究」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「Schore, 2001」は次の論文です。 「The effects of early relational trauma on right brain development, affect regulation, and infant mental health.」 iii) 引用中の「Fogel and Garvey, 2007」は次の論文です。 「Alive communication」 iv) 引用中の「Sbarra and Hazan 2008」は次の論文です。 「Coregulation, dysregulation, self-regulation: an integrative analysis and empirical agenda for understanding adult attachment, separation, loss, and recovery」 v) 引用中の「相互活性」と「相互抑制」については共にここにおける引用を参照して下さい。 vi) 引用中の「タイトレーション(滴定)」に対し、前者の「タイトレーション」については「ソマティック・エクスペリエンシング」の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、後者の「滴定」についてはここにおける引用の「背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける」項を参照して下さい。 vii) 引用中の「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」については共にここにおける引用の『第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」』項を参照して下さい。 viii) 引用中の「アロスタティック負荷」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「闘争/逃走反応」(又は闘争-逃走反応)については例えば他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 x) 引用中の「HPA(視床下部-脳下垂体-副腎)軸」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「視床下部-下垂体-副腎系(HPA axis)」項 xi) 引用中の「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照して下さい。 xii) 引用中の「アロスタティック負荷」の別名である「アロスタティックロード」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「地図」に関連する「マッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiv) 引用中の「内的LOC」(注:「LOC」は「ローカス・オブ・コントロール」の略です)に関連する「内的統制のLOCを持つ者」について、同第7章の「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P199)を次に引用(【 】内)します。 【内的統制のLOCを持つ者たちは、選択は自らが行い、報酬や業績、出来事への介入、つまりLOCモデルでの「強化因子」と言われるものには自分の責任が伴う、と強く信じている。このように考える者たちは、自身を、自分の「船の艦長」と見なす。彼らは、状況や体験に反応している自分の内面を見つめ、人生での成功や失敗の責任が、他人のその時々の状況にではなく、自分自身にあると考える。】(注:ちなみに、上記スペクトラムのもう一方の端にある「外的統制のLOCを持つ者」について、同「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P199~P200)を次に引用します。 《外的統制のLOCを持つ者たちは、運命を信じ、人生で起こることは自分の外側の状況に依るものだとしやすい。彼らは、成功や失敗を、運やチャンスや自身の人生に関わる他の人たちの力だ、と思っている。自身を強化するような責任に耐えることは、彼らには想像し難い。》) また上記引用中の「内的統制のLOC」と「外的統制のLOC」の両者に関連する「内的/外的LOCには、不安定/回避型愛着との相関性も見られる」ことについて、同「LOCのスペクトラム」における記述の一部(P202)を次に引用(『 』内)します。 『さらに内的/外的LOCには、不安定/回避型愛着との相関性も見られる。不安定型の愛着スタイルを持つ人の場合、外的LOCが極端な方向に向かっている。一方、回避型の愛着スタイルを持つ人は、内的LOCが極端な方向に向かっている。不安定型の愛着スタイルを持つ人は、他者から居心地の良さと安心感を提供してもらうことを求めがちで、他者に自身の調整役を期待する。その調整役の人と直接的につながっている感覚がないと、このタイプの人たちは、自身の反応を制御することができないと感じるだろう。また、回避型の愛着スタイルを持つ人たちは、自身の中に居心地の良さを見つけがちで、他の誰かが自身の人生に入ってくることを望まないことが多い。』 xv) 引用元の本の基本的な姿勢としての引用中の「レジリエンス」の定義について同の「序文」における記述の一部(P6)を次に引用(【 】内)します。 【本書の基本的な姿勢として、私たちはレジリエンスを「逆境にもかからわず、積極的に心理的、感情的、社会的、精神的な成果を挙げることができる能力」と定義する。】 xvi) 引用中の『「生き残りをかけたモード」に入ってしまう』ことに関連するかもしれない(赤ちゃんにおける)「生体防衛反応」についてはここの xiv) 項を参照して下さい。

(X)特定の心理療法を前提にしない「ケースフォーミュレーション」を目指した何かの提示の試みと治療・対処・養生法の検討について、その他
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」(参照)方式でやっていては、なかなか(非薬理的な)治療・対処・養生法が見つからない(つまり鉄砲が当たらない)のであれば、トップダウンによる(すなわち、仮説を立てて[換言すれば標記「ケースフォーミュレーション」〔他の拙エントリのここを参照、なお「ケースフォーミュレーション」に関連するかもしれない化学物質不耐症における「個別化ケアプラン」については拙エントリのここを参照、ちなみに『「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要か』についてはここを参照〕を目指した何か〔ただし、本記事における省略の例は※1を参照〕を行って]、この結果に対する)治療・対処・養生法を検討する方が良いかもしれません。そこで二人の異なる架空の成人女性の方(注:あくまで本エントリ作者の創作です)を例([その1][その2]として区別しています)にして標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何かにより、(非薬理的な)治療・対処・養生法を検討することを以下に本エントリ作者が試みます。ちなみに、「ケースフォーミュレーション」前から特定の心理療法(ご参考:「心理療法の数は一説によると500以上ともいわれている」ことについてはWEBページ「日本発の心理療法①森田療法」を参照)のみを前提にするものではなく、(認知療法において「バルコニーから眺めてみる」[他の拙エントリのここを参照]があるように)、「ケースフォーミュレーション」後にどのような治療・対処・養生法を採用するかを決める方法(ちなみに、この方法に関連するツイートがあります)を目指した方が良いと本エントリ作者は考えます。

標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何か:[その1](上記架空の成人女性は)「低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした」(ここにおける引用の「偽りの耐性の窓」項を参照、※2)。ここから出た後も、幼少時は病弱で頻繁に医療の世話になっていた。この間に生き残りの防衛反応として「背側迷走神経を過剰使用することを学んだ」(他の拙エントリのここここを参照)。別言すれば、典型的ではないものの、「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考え※3」とは大きく矛盾しない「ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線された」(ここにおける引用の「背側迷走神経系の生理学的機能に働きかける」項を参照)ことや「ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈する※4ことになる。そしてそれは大人になっても続く」(ここにおける引用を参照)ことを含めて発達性トラウマを負ってしまった。成人になると、自律神経系(ちなみに、 1) 「すべての症状は、自律神経が関与している」との主張は YouTube「内科医が話すストレスと自律神経の話」 #SNS医療のカタチONLINE​ vol.10』の 4:29~ やエントリ『「精神病扱いされた」の不快 - 真珠のまがい物』を参照、 2) 「自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる」ことについては※5を参照)の調節不全又は失調を伴う、「ちょっとしたことに極端に反応する」ことや「警戒心が強くなる」こと※4を含む「過覚醒」(参照、なお上記「過覚醒」に関連する「自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状」[他の拙エントリのここを参照]を含む全般不安症における症状については他の拙エントリのここを参照)と「低覚醒」(これに関連する「シャットダウン」、「擬死」、「麻痺」、「フリーズ」[又は「凍りつき」]、「虚脱」、「不動化」については他の拙エントリのここを参照、加えて「崩れ落ち」についてはここにおける引用の『「トラウマ地図」:生理と行動』項を、「解離」については他の拙エントリのここここをそれぞれ参照、一方「シャットダウンを引き起こす単一試行のトラウマ反応ですが、ある人は、その出来事が起きる前は正常でごく普通ですが、この出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました。」については他の拙エントリのここを、「日常生活では、人と切り離され、記憶障害があり、うつ状態で、孤立し、日常生活を営むために必要なエネルギーがないといった問題が出てきます。健康への影響としては、慢性疲労線維筋痛症、胃の問題、低血圧、二型糖尿病、そして体重増加などが考えられます。」については他の拙エントリのここをそれぞれ参照)を繰り返す(資料「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の視点から-」の「Figure3. ポリヴェーガル理論」[P115]を参照)ことをはじめとして、「外出できない」(ここを参照すると良いかも)、「食物や環境への過敏症」(他の拙エントリのここを参照、ここも参照すると良いかも)、「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」(他の拙エントリのここここを参照、また上記「匂いへの極端な敏感さ」の一端を説明するかもしれない「匂いは不快度次第でストレスになる」ことについてはWEBページ「匂いは不快度次第でストレスになる ヒトにおける悪臭とストレス応答の関係の一端を解明」を参照)、「月経困難症を含む生理学的な障害」(ここを参照)、「自己免疫疾患」や「炎症」(共に※6を参照)を含む多彩な症状(ちなみに解離性身体症状としてはここここを参照)を生じるようになった。加えて「変容した信念」、例えば「全世界がエイリアンだらけ」(資料『東日本大震災県外避難者が描く「復興曲線」から見えてくるもの ――トラウマの視点から』の「3-2 身体の芯から感じる安全・安心」項を参照)、もとい「全世界が猛毒の極めて微量の多種類の化学物質だらけ」、「化学物質過敏症では化学合成された人工的な極めて微量の化学物質によって症状が引き起こされるが、同一の化学構造かつ曝露濃度であっても天然の化学物質によって症状は引き起こされない」や『「世界への信頼感」から離断されてしまった状態」』(ここを参照)を有し、『トラウマ患者は他者に対する恐怖感※7があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.』症状(他の拙エントリのここここを参照、なお上記「両価性を窺わせる一見矛盾した態度」に関連する、 1) 「矛盾するパーツたちの戦闘」については他の拙エントリのここにおける引用を、 2) 「矛盾した感情の状態にある」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照)、そして「吹き込まれる観念」にも関連する「被暗示性が強い」(例えばここ及び資料『いわゆる「神経症」の診断と診断のための面接』の『3. いわゆる「神経症」の心理学的要素』項[P872]を参照、また上記「被暗示性が強い」ことに関連する「暗示に掛かりやすい人たちの特徴」としての「極度に情動の不安定な状態」であることについてはここを参照)こともある。一方、上記「食物や環境への過敏症」と重なる部分が大きいかもしれない極めて微量の多種類の化学物質に曝露により上記気絶を含む症状が引き起こされたことについての検討のために、上記多種類の化学物質のリストを作りそれぞれ調査したが、極めて微量の化学物質と症状との間の因果関係は不明のままであった(他の拙エントリのここを参照すると良いかも)。その上に、「ネット活動中の重大ではない出来事で、これに見合わない大きな症状が引き起こされた」。この症状は明確に上記「極めて微量の多種類の化学物質」によるものではないと考えられた。また、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」との考えで、マインドフルネス瞑想(他の拙エントリのここを参照)を含めて三桁にも及ぶ様々な非薬理的な治療・対処・養生法を試みたが、依然上記「外出できない」ままであり、症状の軽減もあまり認められなかった※8(ちなみに、この状況に関連するかもしれない「すでにさまざまなセラピストから、多様な方法論に基づくセッションを複数受けていました。彼女は、そのセッションのたびに、誰よりもがんばったと思うのですが、はかばかしい結果が出ず」、そして「彼女の苦しみを終わらせる治療には、出会うことができなかった」ことについては他の拙エントリのここを参照)。

ちなみに、上記[その1]はリンクが多すぎて読むのに困難が生じる場合のために、これらのリンクをほとんど取り除いて形式を一部変更した「ケースフォーミュレーション」を目指した何かを次に示します(【 】内)。 【(上記架空の女性は)「低体重児として生まれ、人生の最初の二か月を新生児集中治療室で過ごした」。ここから出た後も、幼少時は病弱で頻繁に医療の世話になっていた。この間に生き残りの防衛反応として「背側迷走神経を過剰使用することを学んだ」。別言すれば、典型的ではないものの、「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考え」とは大きく矛盾しない「ただ周囲の環境に目を向けるだけでも背側の生理学的機能に向かって突然飛び込むように、神経系が誤配線された」ことや「ニューロセプションは健全に発達せず、内外の環境情報を誤って受け取り、誤って解釈することになる。そしてそれは大人になっても続く」ことを含めて発達性トラウマを負ってしまった。成人になると、自律神経系の調節不全又は失調を伴う「ちょっとしたことに極端に反応する」ことや「警戒心が強くなる」ことを含む「過覚醒」(なお上記「過覚醒」に関連する「自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状」を含む全般不安症における症状については他の拙エントリのここを参照)と「低覚醒」(これに関連するものに「シャットダウン」、「擬死」、「麻痺」、「フリーズ」[又は「凍りつき」]、「虚脱」、「不動化」、「崩れ落ち」、「解離」があり、一方「シャットダウンを引き起こす単一試行のトラウマ反応ですが、ある人は、その出来事が起きる前は正常でごく普通ですが、この出来事の後、公の場所にいられなくなり、下腹部の問題が始まり、他者の接近に耐えられず、低周波音に過敏で、線維筋痛症の症状が起こり、血圧が安定しなくなってしまいました。」や「日常生活では、人と切り離され、記憶障害があり、うつ状態で、孤立し、日常生活を営むために必要なエネルギーがないといった問題が出てきます。健康への影響としては、慢性疲労線維筋痛症、胃の問題、低血圧、二型糖尿病、そして体重増加などが考えられます。」もあります)を繰り返すことをはじめとして、「外出できない」、「食物や環境への過敏症」、「光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さ」、「月経困難症を含む生理学的な障害」、「自己免疫疾患」や「炎症」を含む多彩な症状を生じるようになった。加えて「変容した信念」、例えば「全世界がエイリアンだらけ」、もとい「全世界が猛毒の極めて微量の多種類の化学物質だらけ」、「化学物質過敏症では化学合成された人工的な極めて微量の化学物質によって症状が引き起こされるが、同一の化学構造かつ曝露濃度であっても天然の化学物質によって症状は引き起こされない」や『「世界への信頼感」から離断されてしまった状態」』を有し、そして『トラウマ患者は他者に対する恐怖感があり,他者を拒絶するような態度を取りやすい.その一方,他者に対して完全に諦めているわけではなく「わかってほしい」「助けてほしい」をいう気持ちも強いことが多い.そのため,両価性を窺わせる一見矛盾した態度がみられやすい.』症状、そして「吹き込まれる観念」にも関連する「被暗示性が強い」こともある。一方、上記「食物や環境への過敏症」と重なる部分が大きいかもしれない(ここではリンクしませんが)「極めて微量の多種類の化学物質に曝露により上記気絶を含む症状が引き起こされたことについての検討のために、上記多種類の化学物質のリストを作りそれぞれ調査したが、極めて微量の化学物質と症状との間の因果関係は不明のままであった」との主旨の引用もある。その上に、「ネット活動中の重大ではない出来事で、これに見合わない大きな症状が引き起こされた」。この症状は明確に上記「極めて微量の多種類の化学物質」によるものではないと考えられた。また、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」との考えで、マインドフルネス瞑想を含めて三桁にも及ぶ様々な非薬理的な治療・対処・養生法を試みたが、依然上記「外出できない」ままであり、症状の軽減もあまり認められなかった。ちなみに、(ここではリンクしませんが)この状況に関連するかもしれない「すでにさまざまなセラピストから、多様な方法論に基づくセッションを複数受けていました。彼女は、そのセッションのたびに、誰よりもがんばったと思うのですが、はかばかしい結果が出ず」、そして「彼女の苦しみを終わらせる治療には、出会うことができなかった」との引用もある。】

なお、上記[その1]を行うためにの主要なポイント例は、自律神経系の反応を含めて上記ニューロセプションや内受容感覚は正確かどうかを(無意識レベルを含めて)「フェルトセンス」(内面的から浮き上がってくる身体感覚[他の拙エントリのここここを参照]又は注意を向けてみるとそこにある、心理的な意味も含んだ、繊細な身体の感覚[ここにおける引用の「身体的ナラティブ」項を参照])を感じることを含めて精緻なモニタリングにより確認することかもしれません。なぜならば、下記治療・対処・養生法の候補を完了するために長期間(例えば四年[他の拙エントリのここを参照])が必要かもしれなく、粗雑で短絡的な「ケースフォーミュレーション」を目指した何かによる的外れな治療・対処・養生法を採用した場合に、大きな時間的損失が生じると考えられるからです。ちなみに、複雑性PTSDを背景に持つ気分障害に罹患している当事者による研究発表としての『“警報の誤作動”(ポリヴェーガル理論的に言うとニューロセプションの危険との誤検知による「闘争反応」に相当するかも)を自覚し,抑え,止めるための方法』については他の拙エントリのここを参照して下さい。

さて、標記「ケースフォーミュレーション」を本人(又は「セラピストとクライアントとの共同作業として」※9、例えばWEBページ「ケースフォーミュレーションは共同作業-2018年第一回公認心理師試験(問18)」を参照)等が、(作業)仮説として採用するならば、これに対する治療・対処・養生法の候補としては(『ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する』[ここにおける引用の『ストレスに対処する能力を築き、「耐性の窓」を拡張する』項を参照]ことにも関連する)①「周囲の状況が安全なのか危険なのかという判断が、実際の状況と合致するようにニューロセプションをよりうまく機能させる」(ここを参照)、②「さらに正確な内受容感覚を築く」(ここにおける引用の「さらに正確な内受容感覚を築く」項を参照)ために有用かもしれないニューラルエクササイズ(資料「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項を参照)を含むかもしれない『「調整!」「調整!」そして「調整!」』(ここを参照)があります。そして上記「両価性を窺わせる一見矛盾した態度」に対しては心理教育を含めて「パーツアプローチ」(他の拙エントリのここを参照)が挙げられるかもしれません。これらとは別の視点からは「何かほかのトラウマ療法を使うときも、彼女の自律神経系の状態につねに気を配り、ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしています。そうすることで、彼女のポリヴェーガル的な神経系の基盤の上で最大限の成果を生み出すことができます。」(他の拙エントリのここにおける引用の「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」項を参照)が挙げられるかもしれません。ちなみに、上記「ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしている」ことに関連する、 a) 『多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。』ことについてはここにおける引用の『「調整」とレジリエンス』項を参照して下さい。 b) 加えて、「ある刺激を受けたときに、その刺激が耐性領域に入っていないと、その刺激になれていかないのです。逆に、その刺激が耐性領域に入っていると、慣れが生じて、逆に耐性領域が広がります。」については次の peing.net を参照して下さい。 「peing.net」(注:上記「耐性領域」に類似するかもしれない「耐性の窓」についてはここを参照して下さい。)

標記「ケースフォーミュレーション」を目指した何か:[その2](上記架空の成人女性は)「これまで経験してきた困難の説明がつき、自己を受容しやすくなった等の理由でASD又はそのグレーゾーンと診断された方が良かったものの、言語能力、知的能力や自己認識力(共に他の拙エントリのここを参照)がとても高く、そして「ガールズトーク」(他の拙エントリのここを参照)等の苦手な部分を補う等の困難に立ち向かう力も並外れて高かったために、無意識的にを含めてASDの特性を巧みにカモフラージュ(他の拙エントリのここを参照)するふるまいや苦手な状況を回避する(他の拙エントリのここを参照)ことがとてもうまくできていた。このため標記診断はなされなかったのはもちろん鑑別対象にもならなかった。ただし、このことに対する犠牲(他の拙エントリのここを参照)は以下に記述するように大きかった。一方、「疲れを自覚する」(他の拙エントリのここここを参照)ことが困難な問題(他の拙エントリのここを参照)や(物心がついた時からの)感覚過敏の症状(他の拙エントリのここここを参照)もあり続けている。上記犠牲又は二次障害については「ある日突然、電池が切れたように倒れること」(他の拙エントリのここを参照)、「難治性の心身症」(他の拙エントリのここを参照)、そして「抑うつ、不安」(他の拙エントリのここを参照)や「アレルギー、不耐症、過敏症」(他の拙エントリのここを参照)を含めて他の拙エントリのここを広範囲かつ注意深く参照して下さい。一方、WEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の「4. Social and friendships/relationships」項には次に引用する記述があります。 『May currently have or have experienced Post-Traumatic Stress, often due to being misunderstood, misdiagnosed, mistreated, and/or mis-medicated.[拙訳]現在、心的外傷後ストレスを経験しているかもしれない。これは、誤解されたり、誤診されたり、マルトリートメントされたり、誤った治療を受けたりすることが原因であることがしばしばある。』(注:拙訳中の「マルトリートメント」については、資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい)

なお、上記ケースの対策についてのヒントになるかもしれない「最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであること」を認め、そして『どのように見えようとも活動を制限し、「普通」に見せかけることより健康を優先する』ことや『「全部やりたい」という自分の衝動のせいで制限できそうもないときは、周囲の人に代わってもらう必要がある』ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、英語が得意な方はWEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の読者やコメンテイターなることが良いかもしれません。また、既に「今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている」(他の拙エントリのここここを参照)かもしれません。

一方、「セラピィの開始の時点ですでに、クライアントのパーソナリティ構造の違いによって、受容や共感をベースにしたセラピィが通用するかどうかはほぼ決まっている」ことについて、諸富祥彦著の本、「カール・ロジャース カウンセリングの原点」(2021年発行)の 第6章 1995年のロジャースとジェンドリン の「1995年のロジャースとジェンドリン」項における記述の一部(P290)を次に引用します。

(前略)カートナーのこの修士論文、そしてそれをもとにした論文で明らかになったのは、「セラピィの期間と結果は、治療開始時におけるクライアントのパーソナリティ構造と関連している。最も顕著な差異は、こうした尺度上に見出される成功グループと失敗グループ間の差異であった」(Kirtner & Cartwright, 1958)というものである。つまり、セラピィの開始の時点ですでに、クライアントのパーソナリティ構造の違いによって、受容や共感をベースにしたセラピィが通用するかどうかはほぼ決まっている、というのである。セラピィの上手い、下手ではなく、クライアントがどんな人であるかによって、カウンセリングが成功するか失敗するかは最初からほぼ決まっている、というのである。身も蓋もない話と言えばそうであるが、ある程度経験を積んだカウンセラーであれば、誰しも思い当たる節のある話ではないだろうか。「あの人は、カウンセリングが効く人だよね」「あの人は、カウンセリングが効かないタイプだ」という話は、カウンセラー同士が、スタッフルームで時折話題にする会話である。またそれが偽らざる実感であろう。
どんなに天才的なセラピストであっても、どんなに専門家集団で尊敬されているセラピストであっても、「あの人だったら、どんな人でも治る」ということは、まずない。それは、その人をカリスマ扱いしたい集団内での、ただの幻想である。逆に、それほど上手くないカウンセラーであっても、安心感のある雰囲気を毎回提供しこころを込めて聴いていれば、おのずと治っていく人は、治る。そんなクライアントは一定数いる。ガチャガチャと邪魔することさえしなければ、底力のあるクライアントは治癒と成長の道を歩むことが多いものだ。カートナーの修士論文は、おそらく当時から多くの臨床家が感じていたこのような素朴な実感を仮説として検証したものと言っていいだろう。そこには否定しがたい真実が示されており、そうした研究をきっかけに学問も実践も発展していくものだ。(後略)

注:引用中の「Kirtner & Cartwright, 1958」は次の論文です。 「Success and failure in client-centered therapy as a function of client personality variables.」 なお、和訳は次の本を参照すれば良いかもしれません。 「伊藤博訳(1964)、クライエントの人格変数による成功と失敗 伊藤博編 カウセリング論集 第3巻 カウンセリングの過程 誠信書房 239-261」

加えて、『カウンセリングの中で、自分を深く見つめ、内面を探索していく傾向が見られた人は治っていった。逆にそうした傾向がなく、「運が悪かったんです」「ま、そういう時もありますよね」「あの人が問題なんです」と、「外」に原因や解決を求めた人は治らなかった、というのである。』ことについて、ここに続く記述を次に引用します。

(前略)田中(2018)は、カートナーのこの論文の「尺度Ⅳ」に着目する。尺度Ⅳは、「能力感:状況に十分に対処できるという感じから、状況に対処する内的資源の無力感と欠如まで」である(Kirtner & Cartwright, 1958)。セラピィで成功するグループは、「感じられた不安の原因や解決を自己の内部に求める」(同前)傾向があるのに対して、セラピィで失敗するグループは、「感じられた不安の原因や解決を外に求める」(同前)傾向があるという結果が示されていた。平たく言うと、こういうことである。カウンセリングの中で、自分を深く見つめ、内面を探索していく傾向が見られた人は治っていった。逆にそうした傾向がなく、「運が悪かったんです」「ま、そういう時もありますよね」「あの人が問題なんです」と、「外」に原因や解決を求めた人は治らなかった、というのである。よくわかる話である。(後略)

注:i) 引用中の「田中(2018)」は「尺度Ⅳ」を含めて、WEBページ「フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程理論をめぐって」からダウンロードされる博士論文「フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程理論をめぐって」の特に「3-2. カートナーの研究詳細」(P46~P47)項を参照して下さい。 ii) 引用中の「Kirtner & Cartwright, 1958」はここを参照して下さい。 iii) 引用中の「解決を自己の内部に求める」ことに関連するかもしれない「何かほかのトラウマ療法を使うときも、彼女の自律神経系の状態につねに気を配り、ちょうどよい量の神経的な刺激に留めるようにしています。そうすることで、彼女のポリヴェーガル的な神経系の基盤の上で最大限の成果を生み出すことができます。」、『多すぎず、少なすぎず、ちょうど良いというのが重要だ。調整能力を拡げるのに、ちょうどよい課題が必要だが、圧倒されたり、その課題に失敗するのではないかと不安になるほど大きなものでは逆効果である。レジリエンスを築くための「調整」作業は、快適な領域をわずかに超えた、適度なレベルで行われなければならない。』や「ある刺激を受けたときに、その刺激が耐性領域に入っていないと、その刺激になれていかないのです。逆に、その刺激が耐性領域に入っていると、慣れが生じて、逆に耐性領域が広がります。」については共にここを参照して下さい。

[余談]上記の治療・対処・養生法の候補(ここを参照)は年単位の期間が必要かもしれません(その例は「四年」です、他の拙エントリのここを参照)。そこで、上記「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的かもしれませんが、上記「外出できない」こともあり、救急車で病院に運ばれたくない方を対象して(注:このため下記「対処法のたたき台」は以下に示すものを除き副作用を考慮していません)、ひょっとする即効があるかもしれない(一般的なコーピング[他の拙エントリのここを参照]というよりもグラウンディング[他の拙エントリのここを参照]を含むソマティック心理療法[例えばWEBページ「ソマティック心理学とは?」を参照]に関連するかもしれないものを主とした)「対処法のたたき台」(注:単なるたたき台なのでさらなる検討が必要不可欠であると考えます、)を次に提示することを本エントリ作者は試みます。

[A]恐怖、予期不安(他の拙エントリのここを参照)、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状(他の拙エントリのここを参照)を含む過覚醒(参照)等
①上記恐怖に対する対処法としての「思考場療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに一部類似するかもしれないエモーショナル・フリーダム・テクニックについては他の拙エントリのここを参照を参照して下さい。
②上記恐怖及び予期不安に対する対処法としての EMDR(例えば他の拙エントリのここ及びここを参照、予期不安に対しては資料「パニック障害に対するEMDRの効用と限界」を参照)における両側交互刺激としての眼球運動(WEBページ「EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)について」の「6. EMDRの具体例」項を参照、上記眼球運動における副作用のリスクを低減させる方法、一方 EMDR の対象が「うつ病、恐怖症、悪夢の再発」にも及ぶことや「EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる」こと等については共にここを参照、ちなみに手動瞑想[参照参照]を両側交互刺激としての眼球運動を伴うものにアレンジするのも良いかもしれません) 加えて、衝動コントロールの技術としての「天井の右端と左端の角を交互に見る(要するに眼球の左右交互運動をしてもらうわけである)」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、上記 EMDR における眼球運動を伴うかもしれない「フォルメン線描」については次の YouTube を参照して下さい。 「横8の字でトラウマ治療?すぐできるフォルメン線描
③上記②に似ているかもしれない両側交互刺激としてのバタフライハグ(他の拙エントリのここを参照、※A1)があります。加えて、 a) 「歩行瞑想(参照)も、足裏への両側交互刺激である」とのツイートがあります。 b) 「クロスクロール」※A1については例えば資料「保健だより 平成30年11月」の ブレインジム の「③クロスクロール」項を参照して下さい。なお、 1) 白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きずらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の P91 にも次に引用する記述(『 』内)と共に上記「クロスクロール」についての概略図が紹介されています。 『ひざを上げ、脚と反対側の手のひらでやさしくタッチ。これをくり返す』〔注:右ひざ⇒左ひざ⇒…の順で交互にくり返す〕 2) また、上記「クロスクロール」の動画については、YouTubeこころのCareエクササイズ」の 0:58~1:06 も参照]もあります。
④心拍数を減少させる「眼球心臓反射」に関連するブレインスポッティングにおける「視点を近くと遠くに3秒~10秒ごとに行き来する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。
⑤呼吸法:「私たちが息を吸うと、交感神経系が刺激されて心搏数が増加するのに対し、息を吐くと副交感神経系が刺激され、心臓の鼓動は遅くなる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。また、「三-三-七呼吸法」について、「こころの科学 221号(2022年1月)」中の野間俊一著の文書「解離の治療とは何か――日常的な精神科臨床の現場から」(P68~P73)の「安全を感じる」における記述の一部(P71)を次に引用(『 』内)します。 『安全感を取り戻す対処法を本人に身につけてもらうことも重要だ。基本は呼吸法。勢いよく思いっきり吸って、しばらく止めて、ゆっくり吐く。四-七-八、四-四-八など、いろいろ提唱されているが、筆者は患者に、ゆっくり三吸って、三止めて、七で吐く「三-三-七呼吸法」を勧めている。「三三七拍子」で覚えやすいというそれだけの理由だが、パニック時に容易に思い出せることは重要である。それを四セット繰り返すと、少し不安が軽くなることがある。』 加えて、上記「呼吸法」に関連する「歌う」こと又は「ハミング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、『体の様々な部位に「わざと力を入れて、抜く」ことを繰り返し、力が抜ける感覚をつかむ方法』である「リラックス法」(漸進的筋弛緩法)については例えば次の資料を参照して下さい。 「入門!認知行動療法 呼吸法とリラックス法」 さらに、「パニック発作では呼吸が浅く、速くなりますので、日頃から複式呼吸を身につけておくことも役に立つ」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、(疲労の視点から)上記「交感神経系」、「副交感神経系」に関連する「人間には上半身を温めると交感神経が優位になり、下半身を温めると副交感神経が優位となる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

[B]解離、不動化等
解離しそうという時、初期の段階だったらできる「グラウンディングテクニック」についてはWEBページ「自分を傷つけたくなったり、死にたくなったりしたらどう対処したらいいか」の『「解離症状」に対してできること 「グラウンディングテクニック」』項を参照して下さい。加えて、上記「グラウンディングテクニック」に類似する「グラウンディング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に※B1も参照して下さい。一方「背側迷走神経系優位の不動化からの移行に役に立つ小さな動き」について、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第6章 調整のリソースのマップ の「調整について学ぶ」における記述の一部(P99~P100)を次に引用(【 】内)します。 【背側迷走神経系優位の不動化から移行するのに、小さな動きが役に立ちます。あるいは、動くことを想像するだけでも、運動皮質を刺激するので、それだけでも十分な場合があります。】

[C]その他(ツボ関連を含む)
①貝谷医師による軽いパニック発作に対するツボを押さえるリアルタイム対処法について、例えば貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第5章 自分でできるメンタルケア の 対処法を知っていると、パニック発作が起きてもあわてずにすみます の「4 神経が安らぐツボを押す」における記述の一部(P91)を二分割して次に引用(【 】内)します。 【発作が軽いときは、「すぐよくなる」と唱えながら、神門というツボ(下図参照)を押さえてみましょう。神経が休まり、気分が落ち着いてきます。】(注:引用中の「下図」の引用は省略しますが、引用中の「神門というツボ」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『うつ病周辺での「心」の病気アラカルト 不安障害』の「●パニック発作が起こった時」項)、【指圧のしかた ツボに親指の腹を当て、約3秒押します。これを5~10回くり返します。】 加えて坪井康次監修の本、「患者のための最新医学 パニック障害 正しい知識とケア 改訂版」(2021年発行)の 第4章 回復に近づくための日常生活のケア の 知っておきたいパニック発作の対処法 の ■パニック発作が起きたときの対処法 の「神経が安らぐツボを押す」における記述の一部(P115)を次に引用(《 》内)します。 《発作が軽ければ、「神門」というツボを押すのも効果があります。「すぐによくなる」と唱えながら、押さえてみましょう(下図参照)。神経が休まり、気分が落ち着いてきます。》(注:引用中の「下図」の引用は省略しますが、引用中の「神門というツボ」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『うつ病周辺での「心」の病気アラカルト 不安障害』の「●パニック発作が起こった時」項) その上に上記パニック障害において、発作がおさまっているときに押すと心を安定させる効果が期待できるツボについて、同「知っておきたいパニック発作の対処法」の そのほかの対処法(パニック発作) の「●不安を解消するツボ療法」における連続した記述の一部(P116)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『パニック発作が起こっているときに効果があるツボは「神門」ですが、ほかにもパニック障害に効くツボがあります。発作がおさまっているときに押すと、心を安定させる効果が期待できます。』、『特に効果が高いのは、手の甲にある「合谷」と「内関」です。』(注: a) 引用中の「合谷」と「内関」の位置については共に例えば次の資料を参照して下さい。 「うつに有効な鍼灸のツボとその作用機作に関する考察」の図2[P700] b) 引用中の「合谷」と「内関」は不安を解消するツボであることについて、貝谷久宣監修の本、「パニック症[パニック障害]の人の気持ちを考える本」(2015年発行)の 4 治すのではなくコントロールしていこう の 工夫 不安をかるくするためにしていること の「不安をとるツボを指圧する」における記述の一部[P91]を次に引用(【 】内)します。 【合谷、内関は、不安を解消するツボです。深呼吸をしながらゆっくり指圧します。】) 加えて、パニック障害に効くツボとしての『自律神経を安定させる手の「井穴」』の「押し方」について、渡部芳德監修の本、「パニック障害に負けない本」(2020年発行)の 第3章 自力でできるパニック障害克服法 の ⑥ツボ押しで体と心をニュートラルな状態に戻す の パニック障害に効くツボ の「自律神経を安定させる手の井穴」における記述の一部(P147)を形式を変更して次に引用(《 》内)します。 《〈探し方〉手のつめの生え際の両角 〈押し方〉反対の手の親指と人さし指でツボをつまみ、10~20回グリグリもみほぐす。親指から順番に刺激するが、薬指は交感神経を優位にするのでもまないこと。》(注:上記『手の「井穴」』の位置については次の資料を参照すれば良いかもしれません。ただし、上記資料の参照はあくまで位置[注:引用中の「〈探し方〉手のつめの生え際の両角」を優先]を示すためのみのものであり、資料中の「穴刺絡学」を肯定している訳でも、支持・推奨している訳でもありません。 「井穴刺絡と自律神経 ――井穴刺絡学の立場より――」)
②引用はしませんが、ボディ・コネクト・セラピー(参照)におけるツボのタッピングポイントに上記「合谷」が含まれることについては、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の藤本昌樹著の文書「ボディ・コネクト・セラピー ――トラウマ対処の新たな可能性」(P47~P53)の P50 を参照して下さい。なお、上記「合谷」の位置については例えば次の資料を参照して下さい。 「うつに有効な鍼灸のツボとその作用機作に関する考察」の図2(P700)
③「恐怖麻痺反射には、湧泉という足の裏のつぼ(親指の下と他四本の指の下の膨らみの間の谷間付近)を親指の腹で押すと、筋肉の緊張が緩み、リラックスする効果があるとされる」ことについて、岡田尊司著の本、「自閉スペクトラム症」(2020年発行)の 第七章 ASDと脳の統合 の「反射を統合するテクニック」における記述の一部(P162~P163)を四分割して以下に引用(それぞれ『 』内)します。なお以下の引用における、 a) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。 b) 引用中の「ASD」(自閉スペクトラム症)と「恐怖麻痺反射」に関連するかもしれない「自己危急反応」を含む「カタトニア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 『反射とは、神経回路に起きる自動的な反応のことです。』、『ASDでは、反射を抑制する仕組みが未発達なことも多く、病的な反射が現れやすいのです。』、『たとえば、驚いたときに固まってしまう原始的な反射は、恐怖麻痺反射と呼ばれます。ASDの人では、この反応が起きやすく、そのため突然の刺激に驚愕したり、予想外のことに出くわしたりすると、体が固まってしまいやすいのです。こうした反応が適応的な対処を妨げ、失敗体験から余計に不安や緊張が強まったり、自己有用感の低下を招いたりします。』、(病的な反射に特化したテクニックとしての)『恐怖麻痺反射には、湧泉という足の裏のつぼ(親指の下と他四本の指の下の膨らみの間の谷間付近)を親指の腹で押すと、筋肉の緊張が緩み、リラックスする効果があるとされます。』[注:引用中の「湧泉」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「その4:自分でできるツボ療法-湧泉(ゆうせん)」] 
④一方、TFT(思考場療法)の視点からの「心理的逆転」(他の拙エントリのここを参照)の代表的な介入方法としての「手のひら横のPRポイントのタッピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、上記TFTに関連する「TFT Center of Japan」のWEBサイト(参照)内の「セルフケア入門」としての様々な動画については次のWEBページを参照して下さい。 「セルフケア入門
[番外1]ちなみに、上記腹側迷走神経系の機能を回復するための基本エクササイズについては、引用はありませんが、スタンレー・ローゼンバーグ著、S・W・ポージェス、B・シールド序文、花丘ちぐさ訳の本、「からだのためのポリヴェーガル理論 迷走神経から不安・うつ・トラウマ・自閉症を癒すセルフ・エクササイズ」(2021年発行)の 第Ⅱ部 社会交流を回復するエクササイズ の「基本エクササイズ」項を参照して下さい。
[番外2]加えて、 (a) 「人が自然に触れることは、健康に重要な影響を与える」ことについて、デブ・デイナ著、ステファン・W・ポージェス序文、花丘ちぐさ訳の本、「セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ」(2021年発行)の 第Ⅱ部 神経系をマッピングする の 第4章 パーソナル・プロフィール・マップ の『「パーソナル・プロフィール・マップ」を完成させる』項における記述の一部(P83)を次に引用(『 』内)します。 『人が自然に触れることは、健康に重要な影響を与えることが報告されています(Nisbet, Zelenski, & Murphy, 2011)。』(注:引用中の「Nisbet, Zelenski, & Murphy, 2011」は次の論文です。 「Happiness is in our nature: Exploring nature relatedness as a contributor to subjective well-being」) (b) 「自然の中にいると、コルチゾールの値が減少し、ストレスが低減し、精神的な健康に肯定的影響を与える」ことについて、同項における記述の一部(P83)を次に引用(【 】内)します。 【自然の中にいると、コルチゾールの値が減少し、ストレスが低減し、精神的な健康に肯定的影響を与えることが報告されています(Ewert, Klaunig, Wang, & Chang, 2016)。】(注:1) 引用中の「Ewert, Klaunig, Wang, & Chang, 2016」は次の資料です。 「Reducing Levels of Stress through Natural Environments: Take a Park, Not a Pill」 さらに次の論文もあります。 「Levels of Nature and Stress Response」 2) 引用中の「コルチゾール」については例えば次の資料を参照して下さい。 「慢性的なストレスはからだにどのような影響を与えるか」)

※1:トラウマを負った方における説明(ここを参照)と以下に示すパニック症を患う方の説明が、仮に「ニューロセプション=センサー」(ちなみに他の拙エントリのここにおける引用では(トラウマを負った方に対し)用語「煙探知機」が用いられています)であるならば、整合性が高いと考えますが、本記事では簡略化を目指す点より、パニック症(他の拙エントリのここを参照)に対しては「残遺症状」(他の拙エントリのここを参照)、「レスポンデント条件付け」(他の拙エントリのここを参照)、「破局的思考」(他の拙エントリのここを参照)、「カフェイン」や「二酸化炭素」の影響(他の拙エントリのここを参照)を含めて省略します。

[説明]稲田泰之監修の本、「パニック症と過呼吸 発作の恐怖・不安への対処法」(2020年発行)の 第2章 この症状は「死ぬような思い」をくり返す理由 の パニック発作のしくみ③ 脳の過剰反応で症状が出やすくなる の「安全な状況なのに危険を察知してしまう」における記述の一部(P35)を以下に引用します。なお、発達性トラウマの歴史を持った成人の方における「パニック障害がよく起こる」症状については他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、「敵対・混乱モード」に陥ることを伴うかもしれない、複雑性PTSDパニック障害との関連については他の拙エントリのここを参照して下さい。

パニック発作の起こりやすさは、脳の働き方に大きく左右されます。パニック症の人の脳は、さまざまなセンサーが鋭敏で、危険を察知する能力が非常に高いのです。センサーが鋭敏であることは「異常」ではありません。しかし、客観的にみれば危険のない、むしろ安全なところでも、わずかな変化を拾い上げアラームを発するため、不安や恐怖の高まり、自律神経系の反応が出やすくなるという困った面はあります。(後略)

加えて、本当は強迫症(又は強迫性障害、非定型やグレーゾーンを含む)であるのに、「化学物質過敏症」と誤診され、さらに強迫症の症状である「誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする」(他の拙エントリのここを参照)ことにより(化学物質過敏症の一つの治療法とされる)『「化学物質」の発生を最低限に押え込んだクリーンな施設に入る』場合の、高いリスクの例について次に示します。化学物質過敏症において『Environmental Control Unit(ECU, 環境施設)といって、「化学物質」の発生を最低限に押え込んだクリーンな施設に入るという治療法がある。そしてECUから「直接汚染社会に復帰することが難しい例」は、ECUに準じたコロニー(隔離された無味乾燥した施設)に入所する。コロニーに転地した三分の二は完治するが「残りの三分の一は、コロニーと自宅の間を行ったり来たりしています」。社会復帰ができないということである。』ことについては次のエントリを参照して下さい。 「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」の「●臨床環境医による化学物質過敏症の治療法の問題点」項 さらに同項には次に引用(【 】内)する記述もあります。 【残りの三分の一の患者さんが、本当に超微量の化学物質の曝露によって症状が誘発されていて、社会復帰ができないのが「汚染社会」のせいであれば、まだこうした治療も容認されうる余地がある。しかし、もし化学物質の曝露は関係なかったとしたら?複数の二重盲検法による負荷テストの結果は、症状の誘発と超微量の化学物質の曝露に関係がないことを示している。】(注:引用中の「複数の二重盲検法による負荷テストの結果」については例えば拙エントリのここ及びツイートを参照して下さい) ただし、上記と同様に本記事では簡略化を目指す点より、上記強迫症に対しては省略します。ちなみに、 (a) 「強迫性障害における不潔/汚染強迫等の背景に複雑性PTSDが存在する症例は少なくない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 (b) 上記「汚染強迫」に関連するかもしれない「汚染恐怖」に関して、もう一つ大きく研究されている「精神性汚染」については次のWEBページを参照して下さい。 「汚染恐怖に関する研究」の「精神性汚染」項 (c) 上記「強迫性障害」に関連する、 1) 「微小な物質はどこにでもある」ことについてはWEBページ「5-5.微小な物質はどこにでもある - OCDサポート」を、 2) 「確率と無視できるほど小さい」ことについてはWEBページ「5-6.確率と無視できるほど小さい - OCDサポート」を それぞれ参照して下さい。 (d) 強迫症の考え方の癖又は信念としての「拡大された責任、思考の重要視、思考コントロールへの関心、脅威の拡大視、不確実性への非耐性、完全主義」についてはエントリ「強迫症の考え方の癖」やWEBページ「認知行動理論における強迫性障害の信念について」からダウンロード可能な資料「認知行動理論における強迫性障害の信念について」を それぞれ参照して下さい。また、上記「脅威の拡大視」に関連する「身体脅威増幅」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 加えて、上記「脅威の拡大視」や「不確定性への非耐性」に関連するかもしれない「たとえば施錠したつもりでいたのに,思い違いや鍵の不具合などのために鍵が閉まっていなかったことは稀ながら起こりうる.あらためて問われたならばその可能性を否定はしないであろうが,われわれは普段それを気にもとめず,施錠した際にとりあえず鍵は閉まったものとして次の行動に移る.このように,望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちに,暫定性は示されている.」との文脈における「暫定性に欠けている」ことについてはここを参照して下さい。一方、『強迫症は、「もしかしたら…」が膨らんでいく』ことについてのツイートがあります。その上に、(強迫神経症における)「死,腐敗,不潔,失敗といった何かよからぬものが起こらないように常に身構え,世界に警戒心を持って臨み,何か正体のわからないものが侵入してくるのを常に警戒し防衛しているようなあり方をしている」ことや「逆説的な悪循環」については共にここここを、上記「逆説的な悪循環」に関連する「道端の犬や猫のフンに汚染恐怖を感じるタイプは、自分の通る道にフンがないかを慎重に確認するがあまり、結局怖いものをどんどん見つけ出してしまい(どんな道も注意して見れば汚いものだらけです)、通れない道がますます増えるなど、自分で自分を追い込む傾向がしばしば認められる」ことについてはここを それぞれ参照して下さい。さらに、「強迫症の感情の多くは、恐怖と嫌悪」についてのツイートがあります。そしてこれと類似するかもしれない『強迫症に関連する感情は「恐怖、不安、嫌悪、不全感」である』ことについては次のエントリにおける動画を参照して下さい。 「強迫症/強迫症への認知行動療法の解説動画」における動画「強迫症強迫症を知ろう」(50:32~) また、 1) (上記強迫症の)「患者が求める〝完璧〟や〝絶対〟は現実に存在しないのです。家族に保証を求めようと、Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません。」(注:上記「Googleに答えを求めようと、究極の安心が得られることはありません」に関連する「ググらない」ことについては YouTube強迫症を治す3つの鉄則[臨床]松永教授の認知行動療法に基づくノウハウ公開」の 12:43 ~を参照)や「私は常日頃思うのですが、この社会は滅茶苦茶に適当です。こんな適当な社会に完璧性を求めれば、あっという間にクラッシュします。」については共にここを参照して下さい。 2) 「精神疾患の中で、強迫性障害が嫌悪という情動と最も関係が深いと言える」ことや「汚染恐怖を伴う強迫症は、嫌悪の偏りと強いつながりをもつ精神疾患だといわれている」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい) 3) (強迫症における)「共感呪術(sympathetic magic)」や「トリガー→強迫観念→強迫行為(儀式)の連鎖が続けば続くほどトリガーの種類が増える」ことについては共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 4) 上記「共感呪術」に関連するかもしれない『嫌悪の「うつりやすさ」という特徴』については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 5) OCD(強迫症強迫性障害)の患者において「他の不安障害と同様の病的不安の関与,認知と行動の相互作用,強固な恐怖条件付けや消去不全などが,典型的 OCD 患者は観察される」ことについては、上記嫌悪に関連する「強迫行為の多くは,観念やそれに伴う認知的プロセスにより増大した不安の緩和,あるいは中和化,苦痛の予防などを目的とし,不安増強とともに,次第にそれに要する時間や回数を増しつつ、また嫌悪や恐怖する対象,あるいは状況を避けるという回避行動を拡大しつつ重症化してしまう」ことを含めて次の資料を参照して下さい。 「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCD の病像」項 なお、上記「恐怖条件付け」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」 ちなみに、「恐怖条件付け」に関連する「古典的条件付け」については「梅干しを見ると唾液が出る」ことを含めてここを参照すると良いかもしれません。 6) 「煙感知機の誤作動」については他の拙エントリのここを、「ありえない不安や恐怖など余計なところに自己防御システムが働いてしまう」ことについては他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。これら以外にも強迫症における「再保証を求める行動」、「信念」については例えば次の資料を参照して下さい。 「Salkovskisの強迫症モデル及び治療技法に関する研究の展望」のそれぞれ「2. 中和化」、「5. 信念」項

その上に、上記「食物や環境への過敏症」の一部である「食物への過敏症」を摂食障害(摂食症)の視点から見れば、「回避/制限性食物摂取症」※※や「オルトレキシア」(Orthorexia、WEBページ『不健康な食品を食べないことにこだわる精神障害「オルトレキシア」とは?』と類似しているかもしれません。ちなみに、当人にとってのアレルギー物質又はアレルゲンを含んでいると確定していないにもかかわらず、アナフィラキシーをはじめとしたアレルギー反応を必要以上に怖がり、予防原則として食物の摂取を避ける行為(エントリ『IgGを使った「遅延型フードアレルギー検査」にご注意を』を参照)やテレビアニメ「地球少女アルジュナ」のストーリーとしての、「農薬、合成保存料、家畜用の成長促進剤、遺伝子組み換え作物など材料の危険性が分かるようになってからメリケンバーガーのハンバーガーがどうしても食べられなくなった」(ウィキペディア地球少女アルジュナ」の「メリケンバーガー」項を参照、この現象は「脅威の拡大視」や「不確実性への非耐性」[共にここを参照]を生じなく、そして[望ましくない可能性が残されていてもその現実化はないだろうと度外視する世界および自己への根拠なき信頼のうちの]「暫定性」[ここを参照]を有すると出現しないのかもしれません)ことは、上記「回避/制限性食物摂取症」や「オルトレキシア」と区別がつかないかもしれません。

※※:上記回避/制限性食物摂取症についての論文の要旨「A new cognitive behavior therapy for adolescents with avoidant/restrictive food intake disorder in a day treatment setting: A clinical case series.[拙訳]日々の治療セッティングにおける回避/制限性食物摂取症を伴う青年に対する新しい認知行動療法:臨床症例シリーズ」の拙訳を以下に引用として紹介します。論文の全文はここを参照して下さい。加えて、上記回避/制限性食物摂取症については次のWEBページも参照すると良いかもしれません。 『子どもの摂食障害、「やせ願望」なくても発症する回避・制限性摂食障害の原因は 脳の萎縮や多臓器に影響する前に早期発見を』の「──摂食障害とはどのようなものなのでしょうか。」項

目的:回避/制限性食物摂取症(ARFID)は、DSM-5 の食行動障害および摂食障害群のセクションにおける新しい診断であり、非常に限定的な治療研究しか実施されていない。制止学習原理を統合した、新しい4週間の曝露ベースの認知行動療法(CBT)の日帰り治療は、ARFID の青年向けに開発され、本研究において試験された。

方法:10~18歳の11人の患者の臨床症例シリーズにおいて、非同時の複数のベースラインデザインが使用された。ベースラインの後、4週間の CBT を実施した。DSM-5 の ARFID 診断、食物新奇恐怖症、及び体重や身長等の関連する測定は、ベースライン(t1)、4週間の集中デイ治療の終了時(t2)、及び治療の3か月後(フォローアップ、t3)に実施された。食物選択性試験、1週間の食物日誌、及び食物摂取に関する行動測定も、ベースライン時および3か月後のフォローアップ時に実施された。さらに、機能不全の認知、不安、及び食物受容の信憑性の連続的な測定は、4週間の治療を通して実施された。

結果:フォローアップ時に、11人の患者のうち10人が寛解状態にあり、そして健康な体重と平均的な年齢に対する十分な栄養摂取があった。ほとんどの患者では、食品の恐怖症スコアは非臨床的範囲まで減少した。機能不全の認知と不安レベルに対する信念は、治療中に減少した。

議論:ARFID を伴う青年向けのこの新しい曝露ベースの CBT は有望であると思われる。これらの結果は、臨床診療に非常に有用であり、そして ARFID の分野における効果的な CBT 介入のさらなる発展を活気づけるかもしれない。

注:i) 拙訳中の「制止学習原理」に関連する「制止学習理論」については、例えば次の slideshare を参照して下さい。 「制止学習理論とエクスポージャー療法 2017/9/30」、「制止学習理論とエクスポージャー療法」 ii) 拙訳中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM‒5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」 iii) 拙訳中の「ベースライン」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline」 iv) ちなみに、標記「avoidant/restrictive food intake disorder」については、拙訳はありませんが標記論文以外にも次のWEBページもあります。 「Understanding and Treating Avoidant Restrictive Food Intake Disorder in Children and Adolescents

※2:発達性トラウマの原因は早期のネグレクトや虐待だけではないことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の「第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響」における記述の一部(P175~P176)を次に引用(『 』内)します。 『ACE研究は、早期のネグレクトや虐待といった発達性トラウマに焦点に当てるものである。よって質問は、安全の欠落を評価するもの、と解釈できる。しかし、それだけが発達性トラウマの原因ではない。子ども自身や養育者の長期にわたる入院、早期の外科手術、深刻な怪我などでも、同様の症状が見られることがある。こうした状況は、概ね健全な家族の中でも起こりうる。私たちの身体は、養育者から離れて苦しい医療処置を受けるのも、家庭内暴力のような危険も、その脅威を区別しないのである。どちらにも、生理的には目の前にクマがいるかのように反応する。』(注:引用中の「ACE」については※5も参照して下さい) 加えて、引用はしませんが同章の P163 には、トラウマ体験の例として「早期の外科手術、入院、その他の医療トラウマを体験した」ことがリストアップされています。

※3:『構成主義的情動理論は、上記「神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考えを取り入れている」』ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第2章 情報は構築される」における記述の一部(P070)を以下に引用(【 】内)します。 【構成主義的情動理論は、これら三つの構成主義の流派をすべて取り入れている。すなわち社会構成主義からは文化と概念の重要性を、心理構成主義からは情動が脳や身体の内部の中核システムによって構築されるとする考えを、そして神経構成主義からは経験によって脳が配線されるという考えを取り入れている。】 ちなみに、『タイチャーらは、虐待を受けて育った人と、そうでない人との、神経回路の違いを調べた。すると、身体感覚の想起にかかわる「楔前部」(ここには感覚情報をもとにした自分の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが非常に密になっていた。同様に、痛み・不快・恐怖などの体験や、食べ物や薬物への衝動にも関係する「前島部」も密になっていた。つまり、こうした情報が伝わりやすい脳になっているということだろう。』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※4:上記「ちょっとしたことに極端に反応する」こと、「警戒心が強くなる」ことやニューロセプション(神経知覚)が「危険」(他の拙エントリのここを参照)と上記「誤って解釈する」(注:これに関連するかもしれない「トラウマを負った人にとっては、自分がいつ本当に安全なのかを見極めたり、危険に直面したときに防御反応をとったりできるようになるのは、非常に難しい」ことについては「危険な状態にあることを知らせる情動脳の警報ベルが鳴り続けると、どれほどの洞察をもってしてもそれを黙らせることはできない」ことを含めて他の拙エントリのここを参照)ことに関連するかもしれない、化学物質不耐症に関連する論文(全文)「Chemical intolerance: involvement of brain function and networks after exposure to extrinsic stimuli perceived as hazardous[拙訳]化学物質不耐症:危険と知覚される外因性刺激への曝露後の脳機能及びネットワークの関与」(他の拙エントリのここ及びここを参照)があります。

※5:上記「自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる」ことについて、乾敏郎、坂口豊著の本、「脳の大統一理論 自由エネルギー原理とは何か」(2020年発行)の 5 感情――内臓感覚の現れ の「身体運動と内臓運動」における記述の一部(P76)を次に引用(【 】内)します。 【このほか、自律神経の失調現象もアロスタシスの枠組みで理解することができる。たとえば、近年、起立性調節障害をもつ患者では内受容感覚の予測誤差が減弱されないことが実験的に明らかにされている。起立性調節障害では、起立直後に低血圧になり、立ちくらみや全身倦怠感を覚える。これらの患者では内受容感覚の予測誤差を最小化できないために適切な内臓(血管)運動制御ができないことと考えられるのである。】(注:a) 引用中の「内受容感覚の予測誤差」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 b) なお上記「自由エネルギー原理」については次の資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 ―環境との相即不離の主観理論―」) また、上記「アロスタシス」については他の拙エントリここの (xiii) 項を参照して下さい。

※6:ACE(小児期逆境体験、他の拙エントリのここを参照)と、 a) 上記自己免疫疾患との関連については、「令和元年度 子供の貧困実態調査に関する研究 報告書」の「a) 小児期逆境体験(ACE)」項(P28)における記述の一部を次に引用します。 【・ ACE に関する研究では、子供期の家庭内の逆境に関する複数のリスク因子(虐待:心理的・身体的・性的虐待、家庭の機能不全:同居家族の薬物使用・精神疾患・母親への暴力・犯罪・親の別居又は離婚)を得点化して単純加算すると、得点の上昇に応じて広範な成人期の心身の健康問題(心臓疾患、自己免疫疾患、がん、喫煙、肥満、薬物乱用、アルコール依存症うつ病、自殺企図、DV 等)が増加することが確認されている28,29。この関連性については、メタ分析を含め多くの研究で繰り返し確認され、頑強なものであるとされている。】(注:引用中の文献番号「28」、「29」はそれぞれ次の論文です。 「Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study」、「The enduring effects of abuse and related adverse experiences in childhood. A convergence of evidence from neurobiology and epidemiology」) b) 加えて心的外傷後ストレス障害PTSD)などのストレス関連障害が自己免疫疾患と関係することについては次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス関連障害は自己免疫疾患の危険因子 【海外短報】」 c) 一方、成人の上記炎症との関連については、次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「Adverse childhood experiences and adult inflammation: Single adversity, cumulative risk and latent class approaches[拙訳]小児期逆境体験と成人の炎症:単一の逆境、累積リスク及び潜在クラスアプローチ」

※7:なお、上記「恐怖感」に関連するかもしれない、 (i) コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの「身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) (強迫症に対しては本記事で省略されている[ここを参照]ものの、 a) 不安、恐怖、嫌悪等の上記強迫症強迫性障害)における感情については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、増大した不安、恐怖及び嫌悪は強迫性障害に関係するかもしれないことを示す記述「すなわち,強迫行為の多くは,観念やそれに伴う認知的プロセスにより増大した不安の緩和,あるいは中和化,苦痛の予防などを目的とし,不安増強とともに,次第にそれに要する時間や回数を増しつつ,また嫌悪や恐怖する対象,あるいは状況を避けるという回避行動を拡大しつつ重症化してしまう.」については資料「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCDの病像」項を参照して下さい。 b) 加えて、「強迫症の感情の多くは、恐怖と嫌悪」についてのツイートや『強迫症は、「もしかしたら…」が膨らんでいく』ことについてのツイートもあります。ただし、(自分の感情への気づきや、その感情の言語化の障害等とされる)失感情症(又はアレキシサイミア、参照、他の拙エントリのここを参照)の場合は、上記のように自分の感情への気づきや、その感情の言語化がうまくいかない可能性があると考えます。

※8:ちなみに、上記マインドフルネス瞑想がうまくいかない理由例としての「交感神経系の活性化に関連する防御システムの起用は、マインドフルネスとは両立しない」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

※9:上記「セラピストとクライアントとの共同作業として」に関連するかもしれない「患者と医療者の病歴共有」について、NHK「総合診療医ドクターG」制作班編の本、「医者は病気をどう推理するか」(2012年発行)の「解説」における記述の一部(P206~P207)を次に引用します。 『「総合診療医ドクターG」の制作の大きな意図は、実は視聴者にも医療に参画してほしいことにあります。初期診療に関わり、間口の広い総合診療医たちに参加してもらい、病歴という患者と家族にしかわからない情報が貴重な道具となって診断に至る道が示されています。現在はわりあい健康で、クイズ感覚でこの番組を楽しめる視聴者も、いつ患者・家族の仲間入りをしないとも限りません。いや、すでに仲間入りされている方々もおられることでしょう。今後いかに医学が発達したとしでも、正確な病歴を医療者が患者と共有することの重要性は、いささかも減少するものではありません。このような患者と医療者の病歴共有という考え方に立ちますと、診療の第一歩である病歴獲得の過程が、問診から病歴聴取に変わり、最近では医療面接と称されるようになった理由がよくわかります。問診では医者が問う、病歴聴取では医者が聴取する、と医者から患者へと一方向な流れです。患者は受け身のままです。医療面接という用語になって、やっと双方向の趣が出てきたように思えます。』(注:i) この引用部の著者は松村理司です。 ii) 引用中の「総合診療医ドクターG」については「診断に関わるもののうち検査はわずか10%しか寄与しておらず、病歴と身体診察で90%が決まることを理解してもらいたかった」ことを含めて次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「総合診療医 ドクターG」 加えて次のWEBページもあります。 「病名を突き止めろ、研修医が症例を推理~総合診療医 ドクターG」 ちなみに、上記「総合診療医」に関連する次の資料があります。 「総合診療専門医 -期待と課題-」)

*:上記「対処法のたたき台」としてリストアップしたものは全てエビデンスレベル(例えば他の拙エントリのここを参照)において「単数又は複数の専門家とされる方の意見」以上であると本エントリ作者は考えます。

※A1:最初に「EMDRを実施するための注意点の例については、例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。次に左右交互刺激の例である上記(EMDRにおける)「眼球運動」、「バタフライハグ」や「クロスクロール」に対しては、「想起したトラウマ記憶を標的にするのではなく、身体的不快感あるいは違和感を標的にして実施する方が安全かつ有効に処理ができる」かもしれないことについて、杉山登志郎医師考案の「簡易型トラウマ処理」(簡単には資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」の「2. トラウマ処理」項を、より詳細には杉山登志郎著の本、「発達性トラウマ障害と複雑性 PTSD の治療」[2019年発行]を それぞれ参照)を含めて、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の杉山登志郎著の文書『複雑性PTSDへの治療パッケージ』(P91~P104)の Ⅱ 簡易型トラウマ処理 の「3.簡易型トラウマ処理」項における記述の一部(P96~P97)を次に引用(【 】内)します。 【複雑性 PTSD のクライエントにトラウマ記憶の想起をさせると,限りなく溢れだしてしまい,収拾がつかなくなる。しかし,このトラウマ記憶は頻ぱんにフラッシュバックが生じているため,身体の不快感として,常在する。この身体的不快感,あるいは違和感を標的として,記憶の想起をさせないで処理を実施する方が安全かつ有効に処理が出来る。中核は左右交互刺激と呼吸法である。筆者はこの治療に,左右交互に振動を生じるパルサーと呼ばれる EMDR(眼球運動による脱感作と再処理治療)の治療器具を用いている。呼吸法は胸郭呼吸によって,地面から吸気を吸い,頭頂から吐き出すという強い呼吸であり,座禅・ヨガの腹式呼吸と異なることに注意が必要である。】
ちなみに、 a) 引用はありませんが、「筆者は2021年に,簡易型トラウマ処理研究会を立ち上げる予定である」ことについては同文書の「おわりに」(P103)を参照して下さい。 b) 「Hailed as the most important method to emerge in psychotherapy in decades, Eye Movement Desensitization and Reprocessing (EMDR) has successfully treated psychological problems and illnesses--from depression, phobias, and recurrent nightmares to post-traumatic stress disorders and grief--in more than one million sufferers worldwide, with a rapidity that almost defies belief.[拙訳]数十年の心理療法で出現する最も重要な方法として歓迎されている、眼球運動による脱感作と再処理法 (EMDR) は、うつ病、恐怖症、悪夢の再発から、心的外傷後ストレス障害及び悲嘆に至るまで、全世界で100万人を超える患者の心理的な問題及び病を、ほとんど信じ難い速さで治療することに成功している。」との記述は次の論文要旨を参照して下さい。 「EMDR:The breakthrough therapy for overcoming anxiety, stress, and trauma.[拙訳]EMDR:不安、ストレス、及びトラウマを克服するための画期的な治療法」 加えて、「EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる」ことについて、日本ブリーフサイコセラピー学会編の本、「ブリーフセラピー入門 柔軟で効果的なアップローチに向けて」(2020年発行)の 第2部 ブリーフサイコセラピーの各アプローチ の 第12章 EMDR の「Ⅱ EMDRの歴史」における記述の一部(P125)を次に引用(『 』内)します。 『EMDRPTSD 以外の疾患に関しても,研究が進んでいる。物質関連障害,統合失調症双極性障害うつ病性障害,不安障害,複雑性PTSD,境界性パーソナリティ,非行少年などで群比較研究が行われ,有効性が示されている。詳しくは市井・大塚(2015)を参照願いたい。』(注:i) この引用部の著者は市井雅哉です。 ii) 引用中の「市井・大塚(2015)」は次の資料です。 「市井雅哉・大塚美菜子(2015)EMDRPTSD以外の精神疾患への適用の有効性.精神科治療学,30(1); 129-133.」 iii) 拙訳はありませんが、この引用に関連する論文(全文)は次を参照して下さい。 「EMDR beyond PTSD: A Systematic Literature Review」)

※B1:上記「グラウンディング」としての「トラウマ・センシティブ・ヨーガ」の「山のポーズ」(立位)については引用はしませんが、デイヴィッド・エマーソン、エリザベス・ホッパー著、伊藤久子訳の本、「トラウマをヨーガで克服する」(2011年発行)の P206~P213 を参照して下さい。なお、上記「山のポーズ」(立位)における「一番良いこと」について、同本の P111 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『一番良いのは、床の上の足に注意を向けることだ。意識に足を向けて、あなたが気づいたことがらを確認する。あなたの足が床の上に載っている感覚をしっかりととらえるために、あなたにできること、たとえばかかとやつま先を上げたり下げたりしてみる。あなたの足が床の上にあることを意識する方法として、足に視線を注ぐことが役に立つ場合もある。しばらくの間このような探索を続ける。』

(Y)「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要かについての一考察、その他
最初に標記「起立性調節障害」についてはWEBページ「(1)起立性調節障害(OD)」を、「フォーミュレーション」(formulation)については例えばWEBページ「診断に頼らない診かた(滝川一廣,青木省三)」の「本人はどう体験しているのか」項を それぞれ参照して下さい。次に『「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションの重要性』について、先ず次に示す本の著者の役割についての記述を引用した後に、上記重要性についての記述を引用します。すなわち、前者として井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第1章 《私の面接》 精神療法としての生活習慣指導 の「3 療養指導中心の方針」における記述の一部(P7~P8)を次に引用します。

(前略)私自身の役割は、自分から積極的に治しにかかることではない。患者にセルフ・ケアの方法を提案し、それを試みてみるように促すことである。そのため、初診時に「私は治しません」、「患者さんがご自分で治っていくお手伝いをさせていただくだけ」とお伝えしている。そして、愚者に主体的に治療に取り組むよう働きかけるとともに、私自身はアドバイザー役としての立場にとどまるよう心がけている。
治療の成否は、患者自身が自助努力を行うかにかかっている。したがって、患者自身の積極性を引き出すために、治療者に過大な期待を抱かせないように、常に注意している(2)。療養指導中心の治療の場合、ひとたび患者が治療者に依存してしまうと、生活を変える努力をしなくなる。「医者は自ら助くる者を助く」であり、自助努力をしない患者は冶りようがない。患者が医者に治療を託すような受動的な姿勢になれば、けっして治療は成功しない。そのため、「治すのはあくまでもあなた自身」と何度も言う。ときには、患者を驚かすようだが、「私は冶せません」、「私は治したことがありません」とすら言うこともある。治療者としての私は、「患者を安心させる」とか、「癒しを与える」といった意識をもっていない。安心に浸りきった患者、癒しばかりを求める患者は、しばしばきわめて治療抵抗性である。患者に一定の危機感をもたせ、自らの努力で生活を変えないかぎり事態は変わらないことに気付かせるようにしている。

注:(i) 引用中の文献番号「(2)」は次の資料です。 「うつ病臨床における「えせ契約」(Bogus contract)について」 (ii) 引用中の「患者さんがご自分で治っていくお手伝いをさせていただくだけ」に関連する「立ち上がるのは本人、歩き出すのも本人」との記述を有するツイートがあります。 (iii) 引用中の「危機感」に関連するかもしれない、 a) 「予期せぬ難題に直面した時」については次の資料を参照して下さい。 「京都三大学教養教育共同化事業 令和2年度報告書 時代が求める新たな教養教育」の『京都府立大学 の「副学長あいさつ」』項(P3) b) 「難民になっても」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「自らの努力で生活を変えないかぎり事態は変わらない」ことに関連するかもしれない「自らの能力を発揮し、教えられる知識・経験、体の鍛錬などによって外界の変化に向き合い、社会の荒波を生き抜いていかないといけない」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「ワクチン接種後の心身反応 HPVワクチンをうった後、長引く不調を訴える患者さんの診療に携わって」の「私たちは親の影響を受けながら困難への対処法を学ぶ」項

加えて標記「起立性調節障害」や「うつ病」との誤診を例にした診立てやフォーミュレーションがいかに重要かについて、同の「6 睡眠時間・睡眠相・節酒」における記述の一部(P12~P14)を次に引用します。

(前略)なお、本章の以下の記述は、私の診察の様子を具体的に表すことを目的としており、症例報告ではない。以下に記すのは実際の症例をもとに改変したモデル症例である。さらに詳しい方法については、他に譲ることとする(5),(6),(7)。

症例 A 12歳、女子、中学一年生
2学期にはいって、朝方きまって体調不良を訴える。頭痛と腹痛が主で、後者に関しては実際に便秘と下痢を周期性に繰り返していたが、市販の整腸剤にて改善傾向を示していた。しかし、その後、倦怠感、悪心、めまい、ふらつきなどを訴え、総合病院耳鼻科を受診。諸検査で異常なく、同じ病院の小児科にまわされ、「起立性調節障害」との診断で〈ミドドリン2mg2錠、分2〉が処方されるも、無効。近医精神科クリニックに転医し、〈セルトラリン25mg1錠、分1、夕食後〉投与にて改善せず。転医希望にて当科初診。

こころの健康を生活習慣の観点から診るとき、患者の年齢、性別、職業(学校)などの背景を少し知れば、そこにどのような問題があるかは予想できる。思春期の症例を見慣れている身には、上記の病歴を読めば、直ちにストーリーが推測できる。「夏休みに宵っ張りの朝寝坊の生活を繰り返した。その結果、睡眠相が後退したまま新学期を迎えた。深夜をすぎても起きているような生活を続け、入眠時刻は依然として後退したままだったが、起床時刻だけを早めようとした。そのため、睡眠不足となり午前中の体調不良が生じた。症状は当初は消化器系、その後、自律神経系の不定愁訴として変転。小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。小児科医は低血圧に対して昇圧剤を、精神科医抑うつに対して抗うつ剤をそれぞれ処方したが、両者とも睡眠相後退を是正する指導はしなかった」である。
そこで、24時間の過ごしぶりについて尋ねてみた。夏休みの睡眠相後退は予想通り。毎晩、2時、3時まで、スマートフォンを見ている状態で、連日、昼前に起床。二学期に入ってからは、一応、0時には就床して、7時に母親に起こされて起床していた。週末は、夏休み同様に2時、3時に眠っていた。中学生にとっての必要睡眠時間は、個人差はあるが一般に8時間程度であり、この少女の場合、平日は一時間ほど足りない計算になる。朝方きまって頭痛、ふらつき、倦怠感があるとのことなので、睡眠時間が足りないせいではないかと推測された。この点を本人と母親に指摘したが、母親は「私だって7時間程度ですよ。足りないのですか?」と怪訝な表情であった。睡眠時間については、個人差とともに年齢による差も考慮すべきで、成人にとって7時間睡眠は十分でも、12歳の身には不十分かもしれない。母親はこの点は納得できない様子で、「睡眠時間だけの問題ではないでしょう」と言いたげであった。
睡眠時間がその人にとって足りているか否かを検証する方法は、難しくない。平日と休日の起床時刻の時間差を見ればいい。平日は、目覚まし時計や母親の声掛けにより、自然な睡眠の後半の一部を中断させて覚醒していた。休日は自然に目が覚めるまで、身体が求めるまま眠りたいだけ眠る。その際、睡眠不足を補うべく代償性の過眼が生じ、平日よりも遅く覚醒しているはずである。本人に日曜の起床時刻を尋ねてみると、予想通り午前11時と遅かった。日曜日の朝にかぎっては、頭痛もふらつきも倦怠感も認められなかった。
原因はいたって単純である。平日の睡眠が足りていなかっただけである。もし平日の睡眠時間が十分であれば、休日の朝に代償性の過眠は生じるはずがない。多少生じたとしても、起床時刻が平日から4時間も遅延することはない。平日の睡眠が、身体の求める本来の長さに比して短すぎるから、休日にプラス4時間もの長い眠りを必要としたのであった。
そこで、初診時に、生活習慣修正の課題を課すこととした。第一に「睡眠日誌」をつけること。第二に、睡眠の目標を「午前7時起床、午後11時就床」とすることである。この患者の場合、初診日の前日は休日で午前10時まで眠っていた。それが、初診当日は受診のため、無理を押して午前7時に起床していた。この点を考慮すれば、初診日こそ睡眠相を前倒しする好機である。おそらく、初診日の朝は、「まだあと3時間眠っていたい」状態であるにもかかわらず、起きた。診察のさなかにも、明らかに眠そうな表情であった。そこで、第三の指示として「今日は日中眠くても眠らないように。眠くて耐えられなければ、昼食後に昼寝していいが、その場合も30分以内に留めること」と指示し、「その代わり夜は少々早くてもいい。夕食後すぐに眠ってもいい」と伝えた。そして、第2回目の外来を3日後の午前9時とし、「学校に行く準備をして来院するように」と述べた。午前9時としたのは、退院することをもって概日リズム調整のペースメーカーとするためである。(後略)

注:(i) 引用中の文献番号「(5)」は次の資料です。 『井原裕(2011)生活習慣病としてのうつ病野村総一郎編集:精神科臨床エキスパートシリーズ 多様化したうつをどう診るか――診立てと治療方針――(pp.67-96).医学書院.』 (ii) 引用中の文献番号「(6)」は次の資料です。 『井原裕(2011)治療以前に療養指導.こころの科学,160 2011年11月号 特別企画 心理療法以前:29-36.』 (iii) 引用中の文献番号「(7)」は次の資料です。 『井原裕(2012)薬のまえに療養指導.精神科治療学,27 (2):171-178.』 (iv) 引用中の「ミドドリン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『ミドドリン塩酸塩錠2mg「テバ」の基本情報』 (v) 引用中の「セルトラリン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『セルトラリン錠25mg「YD」の基本情報』 (vi) 引用中の「症状は当初は消化器系」に関連するかもしれない「便秘と下痢」は「腹痛」を含めて自律神経系の症状でもあるかもしれないことについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「自律神経失調症」 (vii) 引用中の『起立性調節障害』に関連する「言ってしまえばなんでも起立性調節障害と言えてしまいますが、病名より今ある病態にどう向き合っていくかが一番大事だと思います!」との一連のツイートがあります。 なお、上記(起立性調節障害の)「病態」の一種かもしれない「運動で症状改善」し、過度な安静によって生じる「デコンディショニング」については次のWEBページを参照して下さい。 『思春期に多い「起立性調節障害」 ~脳血流低下、家族・学校の理解カギ~』の「◇運動で症状改善」項 (viii) 引用中の「小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。」ことに関連する、 1) 「重要じゃ無いことを重要視したりする」ことについてはを、 2) 「何が目くらましの情報で、何が重要な情報かを嗅ぎ分けるのが、総合診療医の大事な役割の一つ」であることを含む『「目くらましの情報」を見極める』ことについてはここにおける引用の『「目くらましの情報」を見極める』項を それぞれ参照して下さい。 (ix) 引用中の(本当は「睡眠不足」なのに)『「起立性調節障害」との診断で〈ミドドリン2mg2錠、分2〉が処方されるも、無効。近医精神科クリニックに転医し、〈セルトラリン25mg1錠、分1、夕食後〉投与にて改善せず。』に関連する「正確な原因がわからなければ、適切な治療はできないのです。」や「原因を正確に突き止めなければ、治るものも治りません。」について共に、山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P11~P13)を次に引用します。

(前略)そもそも、胸が痛いからといって心臓が悪いとは限りませんし、おなかが痛いからといって胃や腸が悪いとも限りません。たとえば「胸が痛い」場合でも、狭心症心筋梗塞のこともあれば、肺塞栓や気胸のことも、胸膜炎や急性膵炎、胆石などのこともあります。診断が容易につかないこともあります。
正確な原因がわからなければ、適切な治療はできないのです。
私たち総合診療医の仕事は、まさにここにあります。患者さんの症状から原因を突き止め、適切な治療を行うこと。そして、複数の病気がある人に対しては、個々の病気を切り離して診るのではなく、病気の相互作用を考えながら全体を診ることです。
もちろん私は、専門医の仕事を否定しているのではありません。それどころか、専門医に協力を仰ぐこともあれば、専門医から協力を求められることもあります。専門医には専門医の仕事があり、私たちには私たちの仕事があり、両者は補完し合うものなのです。(中略)

本人や家族にしてみれば途方に暮れるような症状であっても、原因がわかれば治る病気はたくさんあります。「原因不明」と言われた症状でも、注意深くじっくり探っていけば、原因がわかることも多々あります。とは言え、原因を正確に突き止めなければ、治るものも治りません。だからこそ、私たち総合診療医は症状の背景、謎解きを重視するのです。(後略)

※:上記「小児科医は起立時の低血圧に注目して『起立性調節障害』と診断し、精神科医不定愁訴うつ病の身体症状と解釈して『うつ病』と診断した。」ことに関連する「重要じゃ無いことを重要視したりする」こと、そして上記「両者とも睡眠相後退を是正する指導はしなかった」ことに関連する「重要なことを無視した」ことについてWEBページ「慢性痛の名探偵(ページ2)」における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【「症状や所見など、患者さんは様々なところで痛みにつながる証拠を残しています。それらを全部明らかにして行って、最も矛盾なく説明できるストーリーがあれば、それが真実、つまり正しい診断に結びつく。名探偵コナンに出てくる毛利小五郎みたいに、重要なことを無視したり、重要じゃ無いことを重要視したりすると、間違った犯人を捕まえてしまいます」】[注:(i) 引用中の「名探偵コナン」に関連する『「名探偵コナン」のような推理力、洞察力が求められる』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「整形外科に行っても慢性腰痛は治らない」痛みの専門医が断言する"これだけの理由"(ページ3)』の「痛みの原因は医者でもなかなか分からない」項 加えて上記「名探偵コナン」に関連するかもしれない「内科医はシャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する必要がある」ことについて、NHK「総合診療医ドクターG」制作班編の本、「医者は病気をどう推理するか」(2012年発行)の ケース9 腕や手がしびれる の「症状からの診断」における記述の一部(P131)を次に引用[《 》内]します。 《内科医はシャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する必要があります。そして広範な医学知識をもとに病名を推理していく力が求められます。》〔注:1) この引用部の著者は山中克郎です。 2) 引用中の「シャーロック・ホームズ」に関連するかもしれない(不定愁訴を治療することを決断するというのは)「捜査本部を置く」(ことと似ている)ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) 引用中の「シャーロック・ホームズのように患者さんを鋭く観察する」ことに関連する『わずかな手がかりを元に思考を巡らし、「病」という謎を解いていく』ことについて、山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P10)を次に引用(【 】内)します。 【私たち「総合診療医」は、探偵のようなものです。わずかな手がかりを元に思考を巡らし、「病」という謎を解いていきます。診察室で患者さんと向き合い、その話に注意深く耳を傾け、表情やそぶりから解決の糸口を引き出す姿は、まさに『オリエント急行殺人事件』のエルキュール・ポワロだと言ったら、言いすぎでしょうか。】 4) 引用中の『NHK「総合診療医ドクターG」』については次の動画を参照すると良いかもしれません。 WEBページ「総合診療医とは何か? ~医療の現場から~」の『「総合診療医」とは何か? ~医療の現場から~』項における30分のミニ講義としての動画〕 5) 上記「観察」や「推理」に関連するかもしれない「総合診療医には観察力、推理力、説明力という三つの力が必要」であることについては次のWEBページを参照して下さい。 『「病気」ではなく「病人」を診る。 ~総合診療医 安藤大樹先生~』の「総合診療医としての名医である条件」項 (ii) 引用中の「症状や所見など、患者さんは様々なところで痛みにつながる証拠を残しています。それらを全部明らかにして行って、最も矛盾なく説明できるストーリーがあれば、それが真実、つまり正しい診断に結びつく。」ことに関連するかもしれない「精神科医でも、文献を調べて科学的に物事を言おうとしている精神科医と、あまり文献を調べないで、自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る精神科医がいる。前者は科学、後者は信仰だと思うんですよ。」との記述は他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「重要なことを無視したり、重要じゃ無いことを重要視したりする」ことに関連するするかもしれない、 A] 「診断や診療におけるバイアスには注意しろ」については次のエントリを参照して下さい。 「本の感想:サイカイアトリー・コンプレックス」 B] 「害は過大、効果は過小に評価」することについては次の資料を参照して下さい。 「不確かな情報に翻弄される患者にどう対応するか」の「害は過大、効果は過小に評価」項 C] 「得た情報に的確に重み付けができるかどうか」については上記 3) 項の本の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医の説明と患者の実態が異なっていることも」における記述の一部(P188~P190)を次に引用します。]

(前略)研修医に戻りましょう。研修医は、医師免許を取得しているからといって、最初から上手な診療ができるわけではありません。研修医と一緒に病室に行き、患者さんを診ると、あらかじめ研修医から聞いて予想していた患者さんの状態と、実際の患者さんの状態が一致しないことがあります。患者さん自身の状態が変わったわけではなく、どの情報が重要かという判断、重み付けが、研修医と私とで異なっているのです。
たとえば、普段は熱が出ないのに、外泊許可が出て家に帰り、病院に戻って来ると熱が出る入院患者さんがいました。あなたなら、発熱の原因は何だと思いますか? 病院の外で風邪か何かをうつされたか、家でよくないものを食べたかしたのではないか、と思うのではないでしょうか。研修医も同じで、このような場合、研修医が診るとたいていは感染症の可能性を考えます。
ところが実際に診てみたら、この患者さんは熱があるのにケロッとしていて、質問にも元気に答えてくれます。これは、私が「感染症」と聞いて予想する状態とは異なっています。そこで私は、「今飲んでいる薬を全部教えてくれますか? 家でサプリメントとか飲みませんでしたか」と、聞きました。要するに、薬が原因で熱が出た「薬剤熱」ではないかと疑ったのです。
この場合、「一時帰宅して熱が出た」という情報に重み付けをすると、感染症が第一に挙がってきます。しかし、「熱があるのに元気」という情報に重み付けをすると、薬剤熱が挙がってきます。実際に、この患者さんは一時帰宅するたびに、入院前に飲んでいたサプリメントを飲んでいました。そして、そのサプリメントをやめてもらうと、一時帰宅しても熱が出なくなりました。
研修医は経験が少ないため、鑑別診断の際にはどうしても教科書的な病気を考えがちです。けれども、患者さんは生身の人間ですから、教科書通りにはいきません。入院治療中であっても、家に帰ったらサプリメントを飲んでしまったりするのです。サプリメントは薬ではないから問題ない、と思っているためです。そのような可能性に思い至るかどうかは、患者さんをよく診てよく話を聞き、得た情報に的確に重み付けができるかどうかにかかっています。
情報の重み付けが的確にできるようになるには、本人が経験を積み勉強することも大事ですが、私たち指導医がしっかり教えることも大事です。そのため私は、「ベッドサイド教育」を重視しています。
ベッドサイド教育とは、患者さんに許可をもらって、ベッドサイドで私自身が診療する様子を見せたり、研修医たちと一緒に診療したりすることです。患者さんにどう声をかけるか、患者さんの話の中からどうやってキーワードを見つけるか、攻める問診の実際はどうか、何に着目して診察するかなどを、実地で見せるのです。もちろん、私自身が診断に難渋することもあります。しかし、難渋する姿を見せることもまた教育だと、私は思っています。

注:引用中の(診断を裏付けるための)「攻める問診」については例えば次の資料を参照して下さい。 「救急総合診療のピットフォール」の「3.攻める問診」

(Z)「鑑別診断」の例について、その他
標記「鑑別診断」の一例について山中克郎著の本、『医療探偵「総合診療医」 原因不明の症状を読み解く』(2016年発行)の 第1章 やってくる患者は全員「病名不明」 の「1 [症例1] 1か月前から突如暴言、当日は会話が支離滅裂に……。」における記述(P16~P33)を以下に引用します。ちなみに、標記「総合診療医」については例えば次のWEBページ、YouTube やエントリを参照すれば良いかもしれません。 「総合診療医とは何か? ~医療の現場から~」、「総合診療専門医に大きな期待 ~患者がジェネラリストを求める時代へ~」、「総合診療医って何ですか?【一般の方向け動画】」、「総合診療医って何ですか?【医療従事者向け動画】」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅰ」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅱ」、「筑波総合診療グループ:総合診療医が専門研修につくばを選ぶ理由Ⅲ」、「今、この時代に総合診療を目指す理由 失業しないために - コミュニティホスピタリスト@奈良」、「今、この時代に総合診療を目指す理由 失業しないために - コミュニティホスピタリスト@奈良」 一方、標記「総合診療医」に関連するかもしれない「総合内科医」や「病院総合医」又は「病院総合診療医」については次のWEBページやエントリを参照すれば良いかもしれません。 「総合内科のキャリアと魅力とは? 徳田安春先生らが講演―第1回キャリアデザインセミナー」、「総合内科の特徴」、「病院総合医と、スキマ内科 - コミュニティホスピタリスト@奈良

車中でいきみ出して脱糞、着くなり大暴れ
救急治療室で、私が患者さんの応急処置に当たっていたときのことです。入り口の辺りが騒がしくなったと思ったら、ドアの開く音がして、男性の怒鳴り声と、必死になだめる声が聞こえてきました。どうやら怒鳴り声の主を、家族が車から降ろそうとしているようです。救急治療室には、救急車で搬送されて来る人も多いのですが、自分の足で歩いて来る人も、家族の運転する車やタクシーに乗って来る人もかなりいます。
部屋の中はカーテンで仕切られているだけですから、若手医師と看護師の対応する様子が手に取るように伝わってきます。怒鳴られながらも、暴れる男性をなだめて着替えさせ、バイタルサインのチェックをしているようです。
バイタルサインには体温、血圧、心拍数、呼吸回数、血中酸素飽和度などが含まれます。血中酸素飽和度とは、酸素と結びついているヘモグロビンの割合で、肺に異常があるなどで体内にうまく酸素を取り込めないと、数値が下がります。
患者さんの処置が終わり、カーテンの外に出てみると、男性は椅子から立ち上がろうとして、抑えようとする家族ともみ合っています。若手医師に聞くと、バイタルサインのチェックや神経診察は一通り終わったと言います。このままでは体力を消耗してしまいますし、家族に話も開けませんから、抗不安薬精神安定剤)を用いることにしました。
姿勢を低くして男性の視界に入り、「注射を打ちますから、腕を出していただけませんか?」とお願いすると、怒りながらも言うことを聞いて、注射を打たせてくれました。男性をベッドに寝かせ、安定したのを確認して、家族に話を聞きますo
付き添って来たのは男性と同居している長男で、「今日の状況を教えていただけますか」と尋ねると、「ここへ来る車の中で、なぜか急にいきみ出して……、脱糞したんです。今まで一度もそんなことはなかったのに……」と、半ば呆然とした様子です。
それで、着替えさせていた訳がわかりました。家族にとってはショックだと思いますが、実は、このような事態はさほど珍しくありません。「それは大変でしたね」と慰めながらこれまでの経緯を聞くと、以下のようなことがわかりました。
男性は、現在72歳。2か月前に次男が大ケガをして入院し、その後体重が6キロ減少。1か月ほど前から不眠になり、その頃に暴言も出現しました。
3日前から急に暴言がひどくなり、繰り返し昔のことを語るようになったため、近くのクリニックを受診。グラマリール(抗精神病薬)と、トレドミン抗うつ薬)が処方され、飲んだものの、症状は改善されませんでした。
さらに今日、会話が支離滅裂になり、突然怒り出したり泣き出したりするようになったため、ここへ来たとのことです。

「目くらましの情報」を見極める
さて、あなたは、この男性の病気が何か見当がついたでしょうか?
2か月前に次男が大ケガで入院し、それから体重が減ったり不眠になったりしたことを考えれば、うつ病かもしれません。72歳という年齢や、昔のことを繰り返し話したりすることからは、認知症も疑われます。暴言を吐いたり人前で脱糞したりするのは、脳の前頭葉に何らかの障害があり、抑制が外れてしまった状態「脱抑制」だと考えられます。脱抑制は、「前頭側頭型」と呼ばれる認知症や脳の外傷、薬物の影響など、さまざまな原因によって起こります。
クリニックでグラマリールとトレドミンを処方されたのも、これらを勘案してのことでしょう。暴言、すなわち〝抑制が外れた激しい感情〟を抑えるために抗精神病薬であるグラマリールが、不眠などの〝うつ状態〟を改善するために抗うつ薬であるトレドミンが出されたと考えられるのです。
ところが、これらの薬を飲んでも症状は改善されなかったどころか、悪化してしまっています。どうしてでしょうか?
私たちが診断を下すとき、気をつけなければいけないのが「目くらましの情報」です。患者さんや家族に話を聞くと、いろいろな情報が出てきます。しかし、そのすべてが病気に関連しているわけではありません。一見して病気の原因になっていそうなことでも、まったく関係ないこともあります。何が目くらましの情報で、何が重要な情報かを嗅ぎ分けるのが、総合診療医の大事な役割の一つなのです。

そこで、なぜ症状が改善されなかったのか、原因を絞り込むために、息子さんにさらに詳しく話を聞いてみました。

「お父さんは、以前はどんな方だったんですか? 何か大きな病気やケガをしたことはありますか?」と、尋ねたのです。すると、「大きな病気やケガをしたことはないものの、糖尿病と高血圧があって、薬を飲んでいる」と言います。そして、次のような話をしてくれました。
「父は小学校の教師をしていました。退職後もずっと、放課後学習のボランティアをしていて、認知症の症状はまったくありませんでした。短気な性格で曲がったことが大嫌いですが、孫はかわいがっていて、怒鳴ったりすることはなかったんです。それが1か月ほど前から、これといった理由もないのにいきなり怒り出したり、孫を怒鳴ったりするようになってしまって。話すことも、今のことかと思ったら昔のことだったりして、脈絡がなくなってきました」
1か月前までは何ともなかったのに、急に人が変わったようになったのがわかります。最初の話からは、2か月前の次男の大ケガが引き金になって一連の症状が現れたように思えましたが、どうやらそうではなさそうです。また、体重減少や不眠はあるものの、うつ病とも違うようです。
ここまで聞いて、あなたには何か思い当たる病名があったでしょうか? この時点で、私の頭の中にはいくつかの病名が浮かんでいます。しかし、これだけではまだどれか一つに特定することはできません。若手医師が取っておいてくれた「身体所見」と「神経学的所見」に何か手がかりがあるかもしれませんから、見てみましょう。
身体所見とは、文字どおり〝身体を見たところのもの〟で、バイタルサインに診察の結果を合わせたものだと思っていただけばいいでしょう。診察には視診、触診、打診、聴診が含まれます。具体的には、目や口の中を診たり、身体に触れたりたたいたり、心音や呼吸音を聴いたりして、貧血がないかどうか、扁桃やリンパ節に腫れがないかどうか、心臓や肺をはじめとする臓器の状態はどうかなどを診ることをさします。
神経学的所見とは、脳や神経の状態をさします。「まえがき」に登場した「指鼻試験」「膝踵試験」のような神経診察をすることで、意識レベルや脳神経、運動機能、感覚機能、自律神経などに異常がないかどうかを診ます。具体的には、顔や身体に麻痺がないかどうか、動きに協調性があるかどうか、瞳孔や腱などの反射はどうか、言葉はちゃんとしゃべれるかどうか、などを診ます。
身体所見や神経学的所見に何らかの異常があれば、それが病名を特定する手がかりになります。ところがこの男性の場合、身体所見は血圧がやや高いものの異常なし、神経学的所見も異常ありませんでした。とは言え、性格の変化や脱抑制があることから、脳に何らかの異常があるのは確実です。ここから先は、検査をしてその結果から探っていく必要があります。
ただし、救急治療室には次々に急患がやってくるため、一人の患者さんを長時間診ることはできません。そこで、入院してもらっていくつか検査をし、病名を突き止めることにしました。

「亜急性の性格変化」+「易怒性」=?
病気を特定する際に、私たちは患者さんへの問診や診察、検査結果などから、可能性のある病気をピックアップし、合理的な理由に基づいて絞り込んでいきます。この絞り込みの過程と、その過程で出てきた診断を「鑑別診断」と呼びますが、鑑別診断の際に重要なのが「プロブレムリスト」です。
プロブレムリストとは、その患者さんにどんな問題があるかを、整理したものです。さまざまな情報があるなかで、目くらましの情報にとらわれず、重要なことをできるだけ簡潔にピックアップすることが肝心です。そんな風にしてこの男性のプロブレムリストを作ると、以下のようになりました。

#1 亜急性の性格変化+易怒性
#2 異常行動(脱糞)
#3 糖尿病
#4 高血圧
#5 白血球の増加

#1「亜急性の性格変化+易怒性」は、1か月という短期間で性格が変わり、怒ったり暴言を吐いたりするようになったことをさしています。#2「異常行動(脱糞)」は、脱抑制状態であることを示しています。#3「糖尿病」と#4「高血圧」は息子さんの話でわかった病歴です。#5「白血球の増加」は、入院するとほぼ全員に行われる一般的な血液検査によって判明しました。通常ならば血液1マイクロリットル中に6000~9000個程度の白血球が、1万4900個とかなり多くなっていたのです。ただし、他の血液検査項目に異常はありませんでした。
このプロブレムリストから考えられる鑑別診断には、何があるでしょうか?
まず、人が変わったようになったり、異常な行動をとったりするのは、認知症によく見られる症状です。特に「前頭側頭型認知症」は、脳の前頭葉と側頭葉が萎縮して脱抑制に陥るため、人がまったくと言っていいほど変わってしまったり、暴言・暴力、万引き、痴漢などの反社会的な行動が現れたりします。男性の症状に重なるところが多いと言えるでしょう。
認知症とは明らかな記憶障害と認知機能障害により、日常生活に支障をきたす状態をいいます。以前は「認知症」というと、前頭側頭型認知症アルツハイマー病のような、発症したら元に戻らない病気のみをさしましたが、今は治る病気でも同様の症状があれば、認知症に含めるようになっています。
したがって、この男性に現れた認知症の症状からは、前頭側頭型認知症のほかにも、薬物中毒、ビタミンB1/B12欠乏、傍腫瘍性辺縁系脳炎、橋本脳症、クロイツフェルト・ヤコブ病など、いくつかの病気が考えられます。
「薬物中毒」は、覚醒剤や危険ドラッグなどによって、脳が障害された状態です。もと小学校の先生で72歳と聞けば、「覚醒剤や危険ドラッグの中毒などあり得ない」と感じる方が多いと思いますが、堅い職業に就いていたから、高齢だからといって、薬物と無縁だとは限りません。鑑別診断では、薬物は必ず考慮しなければならないことの一つなのです。
「ビタミンB1/B12欠乏」は、アルコールの多飲や偏食、胃切除などの術後で栄養がうまく吸収できない、といった理由で起こります。高齢者の場合は、消化吸収能力が低下したために欠乏症を起こすこともあります。ビタミンB1とB12は、糖をエネルギーに変えたり、核酸(DNA)を合成したりするなど、体内のさまざまな代謝に関わっています。そのため、欠乏すると脳や神経がきちんと働かなくなって、認知症の症状が出ることがあるのです。
「傍腫瘍性辺縁系脳炎」は、がんの遠隔作用によって起こる「傍腫瘍性神経症候群」の一種で、大脳辺縁系と呼ばれる部分に炎症が起こった状態です。がんができると、私たちの身体は自己の免疫作用により脳細胞を攻撃してしまうことがあるのです。その結果、感情や記憶などに関係する大脳辺縁系が障害されると、認知症の症状が起こります。また、原因として最も多く見られるのは、肺の小細胞がんです。
自身の免疫が自らの脳を攻撃するために認知症の症状が現れると考えられている病気には、「橋本脳症」もあります。原因は不明ですが、橋本脳症もまた、本来なら異物を攻撃するべき抗体が脳に障害を与えることによって発症すると考えられています。
クロイツフェルト・ヤコブ病」は、プリオンという特殊なタンパク質によって、脳が海綿状になることで引き起こされる病気です。「まえがき」で述べた通り、100万人に1人という非常に稀な病気で、現代の医学ではまだ治すことができません。

さらに、糖尿病と高血圧があることからは、血管系のリスクが高いことがわかります。血栓ができて血管が詰まったり、動脈瘤ができてそれが破裂したりする可能性があるわけで、それが脳で起これば認知症の症状が出ることもあります。
とは言え、脳の血管が詰まったり切れたりしてこのような症状が出るケースは、それほど多くありません。最も考えられる病気は、「脳静脈洞血栓症」でしょう。これは、脳の静脈が頭蓋から外に出る辺りの、静脈洞という部分に血栓ができることで発症します。外へ出て行く血液の流れを血栓が止めてしまうため、血液が溜まって脳が圧迫され、さまざまな精神症状が出るのです。
白血球が増加していることからは、「敗血症」が疑われます。敗血症とは、細菌やウイルスなどによる感染症が全身に及び、あちこちで炎症を起こした状態です。白血球は、細菌などに感染すると、それらを攻撃するために増えるのです。
ただしその一方で、白血球は痛みを感じただけでも増えたりするため、増えたという一事だけでは、必ずしも感染症があるとは限りません。この男性の場合は、白血球増加と同時に「亜急性の性格変化+易怒性」という症状のあることがポイントです。感染症が脳に及ぶとこのような症状が出ることがあるからで、白血球増加に加えてこれがあることによって、全身性の感染症である敗血症の可能性が出てくるのです。

いくつもの鑑別診断が出てきて、混乱した方もいると思います。一度、整理してみましょう。この男性の鑑別診断は以下の通りです。

1 前頭側頭型認知症
2 薬物中毒
3 ビタミンB1/B12欠乏
4 傍腫瘍性辺縁系脳炎
5 橋本脳症
6 クロイツフェルト・ヤコブ病
7 脳静脈洞血栓症
8 敗血症

次に、これを絞り込んでいきます。

検査で鑑別診断を絞り込む
これらの鑑別診断の中で、私が最も強く疑っているのは、クロイツフェルト・ヤコブ病と橋本脳症です。
なぜかというと、まず前頭側頭型認知症は、症状や年齢からいうと可能性が高いものの、1か月という短期間で急激に進行することはありません。薬物中毒も、あり得ないことではないとは言え、息子さんの話を聞く限りでは可能性が低い。脳静脈洞血栓症は突発的に急激に発症する場合と慢性の場合があって、1か月かけて悪化するのは慢性ですが、慢性ならばあるはずの頭痛の訴えがない。敗血症ならば体温や心拍数、呼吸回数などの身体所見に何らかの異常が出るはずですが、身体所見に異常がない。こうして当てはまらないところのある病気を外していくと、残るのがクロイツフェルト・ヤコブ病と橋本脳症なのです。
しかし、最終診断を下すには、検査によってほかの病気の可能性を除外しなければなりませんし、クロイツフェルト・ヤコブ病なのか橋本脳症なのかも、はっきりさせなければなりません。では、これらの鑑別診断を絞り込むには、どんな検査をすればいいでしょうか?
前頭側頭型認知症クロイツフェルト・ヤコブ病、静脈洞血栓症には、それぞれ特徴的な像があり、画像診断が可能です。したがって、頭部のCT検査とMRI検査を行います。
薬物中毒では、一般的には尿検査をします。ビタミンB1/B12欠乏では血液検査を行います。
傍腫瘍性辺縁系脳炎では、がんがあるかどうかを見るために画像検査をしたり、血液や脳脊髄液の中に、この病気の目印となる抗体があるかどうかを調べたりします。
橋本脳症でも、抗体検査を行います。血液または脳脊髄液の中に、この病気の目印となる抗体がどれくらいあるかを調べます。
敗血症では、脳脊髄液の中に白血球とタンパク質、糖がどれくらいあるかを調べます。感染症が脳に及んでいるかどうかを診るには、血液中の白血球数を調べるだけではダメで、脳脊髄液を調べる必要があるのです。

では、気になる検査結果はどうだったでしょうか。

CTかMRIで特徴的な像が写っていれば、非常に大きな手がかりになりますが、画像に異常はありませんでした。まだ写るほどの変化が現れていない可能性もあるため、完全に否定はできませんが、前頭側頭型認知症クロイツフェルト・ヤコブ病、静脈洞血栓症は、ひとまず可能性が低くなりました。
傍腫瘍性辺縁系脳炎の場合は、CTやMRIでは、がんが最小でも1センチ程度にならないと捉えられません。抗体検査も、この抗体があれば診断確実というものはありません。目印となる抗体が全員に現れるわけではなく、半数の人に現れるといった程度なのです。そこで、傍腫瘍性辺縁系脳炎の原因として最も多い肺がんの有無を診るために、胸部レントゲン検査を行いました。が、こちらも異常ありませんでした。ちなみに、傍腫瘍性辺縁系脳炎を起こすことが多いのは、肺がんと卵巣がんです。
脳脊髄液の検査では、白血球数の増加はありませんでした。炎症があると増えるタンパク質の数値も正常、細菌などがいると下がる糖の数値も正常でした。つまり、敗血症に伴う髄膜炎の可能性は否定されました。血液検査はどうでしょうか。
入院時に行われる一般的な血液検査とは異なり、今度は鑑別診断に的を絞った検査です。調べる項目を指定して、検査をオーダーします。その結果、薬物中毒とビタミンB1/B12欠乏は該当しませんでした.認知症の症状が出る可能性のある別の病気、膠原病HIV感染症、肝性脳症、インフルエンザなどの目印となる物質も調べましたが、いずれも異常ありません。残るは、橋本脳症です。

3日後にはケロッとしてお世辞まで
橋本脳症の原因は不明ですが、さまざまな研究から、自己の免疫が脳の機能に障害を与えるのではないかと推定されています。また、橋本脳症では「抗TPO抗体」や「抗サイログロブリン抗体」という、「橋本病」でも増える抗体が増えることがわかっています。橋本病とは、日本人の外科医・橋本策先生が1912年に世界で初めて報告した病気で、本来は異物を攻撃するべき抗体が、自分の甲状腺を攻撃してしまうことによって起こる、慢性甲状腺炎です。
そこで、橋本脳症が疑われる場合はこれらの抗体の検査をしますが、一つ問題があります。橋本病でも、悪化して甲状腺機能の低下が進むと、認知症の症状が出ることがあるのです。抗体はどちらの病気でも増えますから、抗体検査だけでは決め手に欠けます。
そこで、抗体と同時に甲状腺機能の検査も行いました。橋本病では甲状腺機能が低下するのに対して、橋本脳症では甲状腺機能の低下しない人が7割程度いるためです。
果たして、検査の結果、この男性の甲状腺機能は正常でした。一方、抗TPO抗体は770IU/mL、抗サイログロブリン抗体は182IU/mL。両方とも基準値が30IU/mL未満ですから、極端に多いことがわかります。橋本病の場合は、抗体が増えても2桁程度ですから、3桁というこの数値も橋本脳症であることを示唆しています。
これで、最終診断が出ました。この男性は、認知症の症状が出る「橋本脳症」たったのです。

橋本脳症は、クロイツフェルト・ヤコブ病と非常によく似た経過を辿ることがあります。両者は脳の画像検査と抗体検査によって鑑別が可能ですが、初期にはどちらもまだ異常が少なく、見極めが難しいことがあります。しかし、クロイツフェルト・ヤコブ病が不治の病であるのに対して、橋本脳症は治療すれば治る病気ですから、この見極めは非常に重要です。
もしも、見極めがつきにくい状況であったら、どうすればいいのでしょうか? そのときは、橋本脳症の治療をするのです。橋本脳症では、ステロイドの大量投与が効果をあげることがわかっています。そこで、ステロイドを大量授与し、症状が改善されれば、橋本脳症だったとわかるのです。これを「診断的治療」と呼びます。
この男性の場合も、ステロイドが劇的に効きました。
入院3日目のことです。病室に様子を見に行くと、男性は上半身を起こして、ベッドに座っていました。そして、私が来たのに気づくと、
「いろいろと、ありがとうございます。調子いいです」
と、ニコニコ笑って挨拶しました。さらに、
「ここは日本一の病院ですね」
などと、お世辞まで言うではありませんか。これが、あの暴れていた人かと、あっけにとられるほどの変わりようです。
この当時、私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでしたから、その変貌ぶりに驚きました。そして、しみじみと「よかった」と思いました。もしも、家族が「認知症だから」とあきらめていたら、あるいは私たちが原因を突き止められなかったら、この状態はありませんでした。二度とこの笑顔は見られなかったかもしれないのです。

注:i) 引用中の「橋本脳症」については次の資料を参照して下さい。 「橋本脳症」 ii) 引用中の『「まえがき」に登場した「指鼻試験」「膝踵試験」』について、同の『まえがき 医療探偵「総合診療医」とは?』における記述の一部(P8)を次に引用(【 】内)します。 【具体的には、向かい側に座った医師の鼻と自分の鼻を人差し指で交互に触ってもらう「指鼻試験」や、仰向けに寝て片方の足の膝の上にもう片方の足の踵を載せてもらう「膝踵試験」などを行い、問題なくできるかどうかを診ます。】 iii) 引用中の「私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでした」に関連する「初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。」について、同の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医にありがちな失敗とは」における記述の一部(P193)を次に引用(《 》内)します。 《もちろん、ベテランでも知らない病気はあります。第1章の症例1の患者さんを診たとき、私は医師になって25年の経験がありましたが、橋本脳症の患者を実際に診たのは初めてでした。初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。》 iv) 引用中の「鑑別診断を絞り込む」に関連する「それ(鑑別診断)を効率よく絞り込む時に最も威力を発揮するポイントは一元的に考えること」について、前野哲博編の本、「医療職のための症状聞き方ガイド “すぐに対応すべき患者”に見極め方」(2019年発行)の 2章 症状アセスメントの基本原則 の ステップ2:解釈 の『* 「合わないところはないか」考える』における記述(P15~P16)を以下に引用します。 iv) 引用中の「私は医師として25年間の経験を積んでいましたが、橋本脳症を実際に診療したのは初めてでした」に関連する「初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。」について、同の 第4章 医師も初めから上手な問診ができるわけではない の 1 「ベッドサイド教育」で若手を育てる の「研修医にありがちな失敗とは」における記述の一部(P193)を次に引用(《 》内)します。 《もちろん、ベテランでも知らない病気はあります。第1章の症例1の患者さんを診たとき、私は医師になって25年の経験がありましたが、橋本脳症の患者を実際に診たのは初めてでした。初めてでも診断できたのは、自分でも勉強し、ケースカンファレンスによってほかの医師の経験と知識を共有してもきたからです。何年も医師を続けているからといって、勉強することを忘れてしまってはダメなのです。》 v) 引用中の「鑑別診断」に関連する(下記の腹痛の)「鑑別疾患」について、國松淳和著の本、「診察日記で綴る あたしの外来診療」(2021年発行)の 5. 21歳 「お腹が痛いんだよね」 の ◇あたしのためのまとめ◇ の「表 慢性持続性の腹痛ではなく、繰り返す腹痛エピソードの間欠期には症状はないか穏やかで、時に発作的に生じる一回一回の腹痛は強烈で耐え難いものの、比較的短期間で収束するような腹痛の鑑別疾患」における記述(P102)を形式を変えて以下に引用します。

頭痛や胸痛など,1つの症候について想起すべき鑑別診断は山のようにあります.それを効率よく絞り込む時に最も威力を発揮するポイントは一元的に考えることです.もう少し詳しくいうと,患者の訴えや所見を.すべて同じ1つの原因からくるものとして説明できないかを考えてみることです.例えば患者が複数の症状を訴えた場合,2つ以上の病気がたまたま同じタイミングで起きることは考えにくいので,数ある鑑別疾患の中で,それらの症状を1つの疾患ですべて説明できるものがあれば,それが原因である可能性が高い,と考えるわけです.具体的には,想起した疾患と患者の情報の「合うところ」と「合わないところ」を探していき,「合わないところ」がない病気はないか考える,という思考過程をとることになります.例えば,胸痛を訴えている患者がいたとしましょう.直観的に「心筋梗塞ではないか」と思ってしまいがちですが,よく聞いてみると,発熱を伴っていて,しかも痛みは深呼吸で悪化することがわかりました.心筋梗塞は,胸痛をきたすところは「合うところ」ですが,発熱や,呼吸での痛みの変動は,心筋梗塞では説明できない,つまり「合わないところ」として残りますよね.逆に,胸膜炎だったらいかがでしょうか.胸が痛いところも,発熱も,呼吸で変動する胸痛も,すべて「合うところ」として説明できますよね.したがって,このケースの場合,心筋梗塞よりは胸膜炎の可能性が高いと判断できます.
鑑別診断を考える場合,「合うところ」は,すぐに頭に思い浮かぶので,ついその点に引きずられて,診断を誤ることがあります.真っ先に思いついた鑑別診断に飛びつく前に,「いや,待てよ.どこか合わないところはないか」と自問する習慣をつけましょう.そして,最初に集めた情報だけでは,合わないところがないか判断するのが難しい場合は,もう一度患者に質問してさらに情報を集めて考えましょう.これを繰り返すことで,臨床推論能力は格段に向上します.

注:i) この引用部の著者は前野哲博です。 ii) 引用中の『真っ先に思いついた鑑別診断に飛びつく前に,「いや,待てよ.どこか合わないところはないか」と自問する習慣をつけましょう』に関連するかもしれない「大切なのは、ひとつの情報に飛びつかないこと、鵜呑みにしないこと」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

過敏性腸症候群
・胆石発作の反復
子宮内膜症
・胆道ジスキネジー/腹部アンギーナ
・上腸間膜動脈症候群
好酸球性胃腸炎
・家族性地中海熱
・遺伝性血管性浮腫
・腹性てんかん/側頭葉てんかん
・前皮神経絞扼症候群(ACNES)
・腹性片頭痛
緑内障発作
・膵炎の反復
・急性間欠性ポルフィリン症
・鎌状赤血球発作
・鉛中毒
・副脾捻転/大網捻転
・腸回転異常症

(AA)化学物質過敏状態の作用機序としての文脈における「大脳辺縁系を介して前頭前皮質等の領域でそれが強く認識・記憶されて一般化される」ことに関連する、そして、「脳が誤作動するような形で作用している」ことに関連するかもしれない、アロディニアにおいて『脳が「こういうことをされたときは痛い」ということを記憶していて、その記憶が、痛みを感じさせていたわけ』について、その他
標記「その記憶が、痛みを感じさせていたわけ」について牛田享宏著の本、『いつまでも消えない痛みの正体 「痛みの悪循環」を抜け出せばラクになる』(2021年発行)の 第1章 慢性的な痛みは脳が感じている の「痛みは脳で感じている」における記述(P44~P46)を以下に引用します。なお、標記「大脳辺縁系を介して前頭前皮質等の領域でそれが強く認識・記憶されて一般化される」ことについては「このような反応の作用機序が何らかの化学物質そのものに特有なことというよりも、化学物質曝露などの過去の出来事などに基づくことに関連している」ことを含めて他の拙エントリのここを、「脳が誤作動するような形で作用している」ことについてはWEBページ『「こんな見た目の母親で申し訳ないなと思う」化学物質過敏症で外出時はガスマスク…「大人はしっかりモノを選んで」』の『■「つまり地球環境問題まで広げて考えていかなといけない、という話にもなる」』項を、「アロディニア」については次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「アロディニア - 脳科学辞典

(前略)まず最初にやったのは、機械的な痛み刺激を与えると、脳のどの部分が反応しているのか、MRI画像で確認するという実験です。慢性疼痛の患者さんの中には、アロディニアといって、痛くないはずの刺激を痛いと感じてしまう状態の方がいらっしゃるのですが、手がアロディニアになっている患者さんと、健常者に協力してもらい、患者さんには普通の人は痛みの感じないフィラメントで、健常者には痛みを感じるフィラメントでそれぞれ手を刺激して調べてみました。
健常者の場合、痛みの信号は脳の奥深くにある視床という部分を経由して、そこから脳の表面のほうにある大脳皮質の一次体性感覚野という部分に到達し、痛みとして感じられます。実験でも、やはり健常者は視床や体性感覚野などの活動が確認されました。
ところが実に不思議なことに、アロディニアの方は、体性感覚野は反応しているけれど、視床に反応がみられないのです。
つまり、アロディニアの患者さんの痛覚は、普通は経由する視床を通っていない。通常の痛覚の経路とは異なる流れで痛みが起きているということになります。
これは一体どういうことだろうと思っていたのですが、別の実験をやって、少しずつ謎が解けはじめました。
手にアロディニアがある患者さんは痛いのでふだん手袋をされているのですが、手袋をはずし手を触っている映像を見てもらい、MRIで脳の反応を見るという実験を行いました。すると、映像を見せただけで、まったく触っていないのに、患者さんは強い苦痛を感じてしまったのです。
画像で確認すると、脳の前頭前野といって記憶やうつと関係している部分と、帯状回といって不快な情動に関与する領域が興奮している。見ているだけでこうなるということは、記憶が関係していることになります。脳が「こういうことをされたときは痛い」ということを記憶していて、その記憶が、痛みを感じさせていたわけです。
これは、梅干しを見ると酸っぱい感じがして唾液が出てくるのと同じことです。梅干しを食べたときの記憶が脳に残っていて、酸っぱく感じる、唾液も出てしまう、皆さんよくご存じの、あの現象です。
こういうことが脳の中で起きているのであれば、脊髄の神経を外科的手術で良い状態にしたとしても、どうしても痛みが治らない、という患者さんが出てくるのもうなずけます。(後略)

注:(i) 引用中の「アロディニア」に関連する「アロディニアで手が焼けるように痛くてとか言っているような人も、例えば別のところにもっと大きな怪我をしたり、極端な話、膵臓(すいぞう)がんですって言われたりすると、痛みの方はすごく楽になってしまうんですよ。じゃあ、気の持ちようとか、気のせいなのかと言われますが、ニューロサイエンス的にはちゃんと神経メカニズムが証明されてきています」については次のWEBページを参照して下さい。 『第4回 「痛みの悪循環」を招く「恨みと怒り」(ページ3)』 (ii) 引用中の「手袋をはずし手を触っている映像を見てもらい、MRIで脳の反応を見るという実験」に関連するかもしれない「視覚刺激による疑似疼痛体験」については次のWEBページを参照して下さい。 『第3回 痛いと得をする「疾病利得」で痛みが定着することも(ページ2)』と同(ページ3) (iii) 引用中の「記憶」に関連するかもしれない「脳が痛みを記憶している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『第2回 「痛いところ」を治しても痛みが消えると限らないわけ(ページ3)』、『なんとかしたい! 4000万人の慢性痛 ②/運動は「天然の鎮痛薬」』の「痛みが長引く悪循環」項 加えて、上記「脳が痛みを記憶している」ことに関連する「最終的に脳で様々な情報が統合(情報処理)されて痛みとして感じられるのです。身体の各部位(末梢)からの信号が、脳の中に蓄えられている様々な情報(記憶、感情)と統合されて、痛みが発露します。」については次のWEBページを参照して下さい。 『「整形外科に行っても慢性腰痛は治らない」痛みの専門医が断言する"これだけの理由"(ページ5)』 (iv) 引用中の「MRI」については例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「MRI(造影含む):どんな検査?検査を受けるべき人は?検査内容や代替手段、リスク、合併症は?」 (v) ちなみに、 a) 「同じように痛みはあっても、不満で居つづける人と、患者を『卒業』できる人がいるのはなぜか」については「赤の他人に殴られたのと、かわいい孫に叩かれたのとでは、全然感じ方が違う」ことを含めて次のWEBページを参照して下さい。 『受診1年半待ち、慢性痛トップドクターの「1丁目1番地」(ページ4)』 加えて、上記「赤の他人に殴られたのと、かわいい孫に叩かれたのとでは、全然感じ方が違う」に関連する「痛み刺激が加わったときの痛覚と、痛みは違うということです。痛い感覚があっても、辛くなかったら痛みではないんですよ」についてはに次のWEBページを参照して下さい。 「第1回 慢性的な痛みに悩む人がぜひ知っておきたいこと(ページ4)」 b) 「僕はよく『お化け屋敷論』って言うんですけど、どこから何が出てくるか分からないからお化け屋敷なんであって、上からみたお化け屋敷ほど間抜けなものはないぞ、と。痛みについても、不安が大きく作用するので、これは怖くないというのが分かったら、そんなに怖くないわけです」については次のWEBページを参照して下さい。 「第6回 これからの痛みの医療と“お化け屋敷論”(ページ4)」 c) 「痛みって慢性化するほど、心理的、社会的な要因が強く絡まってくるようになります。痛みが続いて、不安だとか、恐怖だとかを感じて、痛くないように動かさないようにしていると、当然、筋肉も使わないので萎縮し、関節が固まってくる関節拘縮(かんせつこうしゅく)、骨が吸収されてやせ細る骨萎縮(こついしゅく)が起きたり、結果として全体の機能が落ちてきて、別の部位に新たにひどい痛みが出てくることも多いんです。」については次のWEBページを参照して下さい。 「第1回 慢性的な痛みに悩む人がぜひ知っておきたいこと(ページ3)」 d) 「慢性痛で悩んでいる方によく見られる考え方や行動(破局化)」については次のWEBページを参照して下さい。 「なんとかしたい! 4000万人の慢性痛 ①/痛みが長引く理由」の「慢性痛につながる考え方」項 なお、上記「破局化」に関連する「破局的思考」については次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25) (vi) 一方、引用中の「梅干しを見ると酸っぱい感じがして唾液が出てくる」ことと関連するかもしれない、 1) 「条件反射」については「梅干を見ただけで唾液が出ない人だけが、こうした現象を疑いなさい。」を含めて次のエントリを参照して下さい。 「化学物質過敏症に関する私の発言について -NATROMのブログ」の【●「「化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意によって左右されている」というのは、たとえば、「放射能」を不安に思う人が瓦礫焼却に対して「反応」する一方で、瓦礫受け入れに賛成する人には反応しなかったりすることを指します」というツイートについて】項 2) 上記「条件反射」に類似するかもしれない「条件付け」については他の拙エントリのここを、「古典的条件付け」については「梅干しを見ると唾液が出る」ことを含めて次のWEBページを それぞれ参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「古典的条件付け」項

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注:本エントリは本文を含めて臨時公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)又は全削除を行うことがあります。

*1:精神科医と面接又は言葉との関係について、 (i) 井原裕著の本、「激励禁忌神話の終焉」(2009年発行)の「第7章 精神科医は薬のソムリエにあらず」における記述の一部(P141~P142)を次に引用します(【 】内)。【「精神科的診察においては、面接を通して病歴の聴取も診察も治療も行われる」と説く土居にとって、臨床とはすなわち面接である。精神科医にとって、いい面接をすることがプロの仕事である。同じことは、笠原も次のように述べている。「生物学的精神医学を専攻するにしろ、心理・社会的アプローチのほうにより多くの関心を抱くにしろ、精神科医である以上、そのアイデンティティのかなり中核部分に『面接術』とでもいったものがあるだろう。面接をしない精神科医というのは丁度、手術をしない外科医のようなものだろうから」】(注:a) 引用中の文献番号の記述は省略しています。) (ii) 井原裕著の本、「精神療法の人間学 生活習慣を処方する」(2020年発行)の 第Ⅰ部 人を診るということ の 第6章 《プロフェッショナルの志を》 精神科医とは、病気ではなく、人間を診るもの の「◇ 精神科医としての言葉を磨くにはどうしたらいいですか」における記述の一部(P102)を次に引用(《 》内)します。 《薬物療法しか能がないようでは、精神科医とはいえない。精神科医である以上、言葉を使えなければいけません。言葉を使うことを精神療法と呼ぶのです。精神科医にとって、精神療法こそがプロの仕事。精神療法のできない精神科医など、手術のできない外科医、英語のしゃべれない英語教師のようなもの。恥ずかしい話です。》 (iii) 加えて次に紹介するツイートは、上記引用に通ずるものがあると本エントリ作者は考えます。 ツイート

*2:精神科医には診断技術や薬の処方技術も求められます

*3:ちなみに、似た位置取りの精神科医の著作からの引用例は、他の拙エントリのここを、利益にこだわらない診療を紹介するWEBページ例はここを参照して下さい

*4:追加のキーワード:「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」

*5:前者の項目には「予定の変更ができない」等が、後者の項目には「いったん好きなことをはじめると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる」(これに似た例:「話し出すと止まらない」(参照)、『「こだわり」を「ノルマ」にしてしまう』(参照)、「たとえやらないと自分にとって不利になることであっても、納得のいかないことはできない」等が含まれます

*6:注:コミュニケーション能力の障害のみならず、社会性の障害、想像力の欠如などがスムーズな人間関係を作りにくくしていることが交渉ごとが苦手に大きく影響しています

*7:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です

*8:これに関連して、成人の自閉スペクトラム症ASD)の方々にとって特徴的な早期不適応的スキーマであるかもしれない、「不充分な自己コントロール」、「情緒的はく奪」、「災害や疾病に対する脆弱性」を有する〔資料の「4. 研究成果」項を参照〕

*9:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です

*10:これには、「喉の渇きや空腹により死にたくなること」を含みます。

*11:前者のリンクは引用元の本の紹介で、後者のリンクは引用です。この引用には『私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです』を含みます。

*12:より詳しくは、ここを参照して下さい。愛着の問題はトラウマ(ここを参照)と密接な関係があります(ここここを参照)

*13:例えば、P20~P21、P26~P27、P38~P41

*14:例えば、P28~P29、P46~P49

*15:このWEBページ中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ちなみに、「非定型うつ」に似た?「新型うつ」は、ASDの二次障害とも考えられるとの意見があります〔ここを参照〕

*16:ここでの「思想」は観念や認識を含む概念です

*17:顕著な人格の低下は無治療の統合失調症に見られるようです

*18:神経症水準、境界例水準、精神病水準の順に状態が悪くなります。ここを参照して下さい。

一部拙エントリの補足説明について(その1)

① 本エントリ内の医学・医療・心理学関係の様々な用語又は文章のリンク
転換性障害と解離性障害の関係例 *8、 心因性非てんかん発作、 精神交互作用、 行動活性化療法
重ね着症候群、 「demoralization」、 鉄欠乏性貧血とうつやパニック障害との関連、 軽症うつ病
診断がくるくる変わる、 ケースフォーミュレーション(ここここ)、 トラウマになる出来事が解離され自覚されていない(ここ及びここ)、 ヒステリー *9
気分変動*10発達障害における「時間単位の気分変動」、 境界性パーソナリティ障害における「数時間単位の気分変動」、 ADHDにおける「数時間単位の気分変動」
パニック症パニック障害)関連:状況結合性パニック発作、 発作症状の持続時間、 予期不安 *11[続く]
[続き]広場恐怖症、 リスク因子、 非定型うつ病、 残遺症状[続く]
[続き]不安抑うつ発作、 アンガーアタック、 特徴的な認知の歪み、パニックの悪循環(ここここ)、 月経前症候群との関連
全般不安症(ここここ及びここ)、 限局性恐怖症、 不安症における身体症状、 虚偽性障害(作為症)(ここ及びここ
「心ここにあらず」、 体験の回避、 不安に反応するときの共通した三つのパターン *12、 社交不安における注意制御
メンタライジング・アプローチの視点を含む情動(又は感情)、 投影同一視、 心的等価モード、 ふりをするモード、 知性化、 目的論的モード、 無知の姿勢
コア・アフェクト(ここここここ)、 快・不快、 認知バイアスここここ)、 Barrett の分類による情動に関する4つの考え方 *13

ご参考:他の拙エントリの「リンク集」にも、一部ですが本エントリに関連した用語のリンクがあります。

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前書き

最初に前書きとして、次に示す拙エントリを作成したきっかけの一部となった説明を以下に試みます。例えば、他の疾患が見落とされているのではないか? という疑問です。

シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について
自閉スペクトラム症における身体症状、その他

ちなみに、次の拙エントリは情動学習(条件付け、トラウマ化によるフラッシュバック[視点を変えると「過剰な不安」、「恐怖」及び「トラウマ」等によるもの]を含む)の見落としに関するものです*14

条件付けへの対処について

なお、見落としや誤診のリスクを減少させるための一助として、患者の方々が基礎的な医学的知識を身に着けた方が良いとの本エントリ作者の考え方を反映して、上記3つの拙エントリ及び本エントリを作成しています。

さらに疾患に関する記述として、転換性障害(又は変換症、他の拙エントリのリンク集も参照)については、本エントリで紹介した理由を含めて補足説明の後半部に、パニック症(パニック障害)における誤診、見落しに関しては≪余談1≫にそれぞれ示します。他にも余談があります。ただし、これらの余談は上記拙エントリに関連しないことがあります。

一方、本エントリの続きの側面がある他の拙エントリは次を参照して下さい。 「一部拙エントリの補足説明について(その2)

≪主な改訂の履歴≫
2019年10月26日:文章の追記、変更及び削除を含む大幅な改訂を行いました(また本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。
2019年12月6日、2020年2月2日、2021年4月25日、30日、7月27日、9月6日、2022年3月22日、4月20日、2023年5月3日:文章の追記、変更及び削除等の改訂を行いました。

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補足説明

一部の化学物質過敏症(又はMCS)とされる患者の方々は、他の疾患が見落とされているのではないか? という疑問を本エントリ作者は持っています。この疑問を踏まえて、前書きにおける前者の両エントリで紹介した精神疾患は、発達凸凹、発達障害(主に、自閉スペクトラム症アスペルガータイプ]とADHD。ただし、パニック症、摂食障害うつ病、[波の速い]気分変動[ここここ及びここ参照]等の二次障害を含む)、PTSD、複雑性PTSD*15解離性障害強迫性障害*16です。これらを取り上げた理由の一部は、①これらの精神疾患の診断・治療に対する問題点が指摘されている ②日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)には、シックハウス症候群との鑑別のためのこれらの精神疾患の説明がない*17ことです。上記①の問題に関しては【細かな説明1】を参照して下さい。

一方、観点を変えての追加説明を次に試みます。疾患概念である化学物質過敏症(又はMCS)の主要な問題点は他の拙エントリの「MCSのシステマティック・レビュー」及び「MCSに対する世界の医学会等の見解」で示しました*18

さらに別の視点からの説明を試みると、日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック]」(2013年発行、日本医師会推薦)によると、他の拙エントリのここにおいて引用するように、 i) 「・定義された MCS(Multiple Chemical Sensitivity:多種化学物質過敏状態)の考え方を基本に化学物質による健康障害をめぐる議論が行われてきている.ただ,医学的な定義はまだ確立されておらず,社会的な関心が先行し言葉が独り歩きし,混乱が生じている.」 ii) 「・日本においては,北里研究所病院の石川哲らによって独自に化学物質過敏症の診断基準が設けられている.」 iii) 「・既往症のアレルギー疾患など,他の疾患との区別が非常に難しいため,現状では正確に診断できる検査・診断方法はない.」(注:この引用中の「診断」はシックハウス症候群化学物質過敏症の診断のことです) との記述がそれぞれあります。

これらの引用より、「よしんば日本独自の化学物質過敏症の診断基準により診断されたとしても、化学物質過敏症の医学的な定義はまだ確立されておらず、現状では正確に診断できる検査・診断方法はない」ので、誤診(本来の疾患の見落としを含む)が生じても何ら不思議ではないと本エントリ作者は考えます。

また、(化学物質過敏症は)「1 つの疾患として捉えるのではなく、化学物質過敏を主訴とする多くの疾患カテゴリーの集まりと考えることが臨床的に重要である」(WEBページ「❽化学物質過敏症」の 1ページ目 の 化学物質過敏症 の「診断」項を参照)との文脈における上記「疾患カテゴリーの集まり」の症状かもしれないものとして、例えば、矢﨑義雄、小室一成総編集の本、「内科学 第12版 Ⅰ」(2022年発行)の 2 環境要因と疾患・中毒 の 2-1 生活・社会・環境要因 の 2-1-8 化学物質過敏症 の「臨床症状」項(P Ⅰ-69~P Ⅰ-70)における記述を次に引用(『 』内)します。 『その主たる症状は①気道過敏などの粘膜刺激症状を中心とする例,②頭痛,めまい,悪心などを中心とする身体表現性自律神経機能障害を有する例,③精神神経症状を主体とする例,④元来のアレルギー疾患が悪化する例など,きわめて多彩で多種類の器官にまたがっているが,程度はさまざまなものの,嗅覚過敏症状は大多数の症例に認められる.』(注:この引用部の著者は坂部貢です)

一方、様々な医師がいるなかで、疾患を見落とす又は誤診するヤブ医やトンデモ医がいるかもしれません。不幸にもこれらの医師にかかっている患者の方々は適切な治療が望めないかもしれません。これに相当する患者の方々は基礎的な医学的知識を身に着けて、信頼できる医師を選択する能力を高めた方が良いかもしれません。ちなみに、精神疾患の診断・治療の問題点に関しては【細かな説明1】を参照して下さい。精神科医ですら診断が困難なことがある精神疾患に対し、臨床環境医が十分かつ適切に鑑別・除外診断できるのでしょうか?*19

ちなみに、転換性障害(変換症)*20については【細かな説明2】に示します。

加えて、線維筋痛症において併病する精神疾患を見落とすリスクについては【細かな説明3】に示します。ちなみに、化学物質過敏を訴える患者と精神疾患との関係を示す資料を他の拙エントリのここで紹介しています。

ちなみに、鑑別診断において見落とし又は誤診が懸念される一部の精神疾患の患者の方々において、見落とし又は誤診による不利益を生じさせない又は減少させる一助にするための、患者自身が受診前にチェックした方が良いかもしれない方法例については【細かな説明4】に示します。

また、様々な余談については≪余談≫に示します。

[お断り]本エントリは補足説明の集合体なのでまとまりを欠く傾向があるかもしれません。さらに他の拙エントリの記述内容と重複するかもしれません。

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細かな説明

【細かな説明1】精神疾患の誤診等

自閉スペクトラム症拙エントリを参照)、ADHD拙エントリを参照)[注:両者における診断の問題等に関してはエントリ「何か変だよ、日本の発達障害の医療(8) スクリーニング陽性は診断ではない」やここにおけるリンクも参照すると良いかも]、そして、トラウマ、複雑性PTSD[共に他の拙エントリのリンク集参照]、解離性障害(他の拙エントリのリンク集を参照、用語:「解離(解離性障害、解離症)」、そして他の拙エントリのここも参照すると良いかも)に関する見落とし、誤診等の診断の問題点についてそれぞれ以下に引用します。これらの引用文献はいずれも近年発行・発信されたものであり、この問題は過去のものではないと本エントリ作者は考えます。これら以外にも、「あまり文献を調べないで、自分の持っている知識なんて限られているのに、その範囲のみから語る、すなわち信仰である」精神科医については他の拙エントリのここを、(期待して精神科にコンサルトした総合診療医などを落胆させる)「統合失調症うつ病双極性障害パニック障害あたりだけチェックして、それ以外はどれかに収束させてしまう」精神科医については他の拙エントリのここここを それぞれ参照して下さい。ちなみに、統合失調症の誤診(冤罪診断)に関連するツイートもあります。

(a) 奥山眞紀子、三村將編集の本、「情動とトラウマ 制御の仕組みと治療・対応」(2017年発行)の 7 発達障害児者のトラウマと情動調節 の「7.2 発達障害の憎悪因子としてのトラウマ」における記述の一部(P100~P101)を次に引用します。

7.2 発達障害の憎悪因子としてのトラウマ(中略)

精神医学はこれまで,2つの問題を十分に考慮せず構築されてきた.1つは発達障害であり,もう1つはトラウマである.診断を行う理由は,治療を組むためにあるので,発達障害の基盤があるか,トラウマが関与しているのかということは,臨床ではおおきな違いを生じるので,この見落としは決定的な欠落であると考えられる.(後略)

注:(i) この引用における著者は杉山登志郎です。 (ii) 加えて参考として、WEBページ「発達障害の薬物療法」の「内容説明」項を参照して下さい。 (iii) その上に、 a) 杉山登志郎著の本「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第6章 気分障害をめぐる誤診のパターン の「Ⅰ 気分障害をめぐる症例の類型,最も多いパターン」においても気分障害の文脈でこの引用と類似した記述(P72)があり、次に引用(『 』内)します。 『治療がうまく行かない場合とは,実は単純な診断の問題に行き着くことをこれまでにも指摘してきた。その大きな要因となるのは,これまでに繰り返し指摘したように,ひとつは発達障害の見落とし、もうひとつはトラウマの見落としである。』 b) 次のWEBページには親子並行治療において、「親の側は精神科未受診の症例はむしろ少数派であるのに、治療に成功した者がほとんどいなかった」のことについての記述があります。 「発達障害医学の進歩 28 発達障害とトラウマ」の「序文」項 vi) ちなみに、 a) 引用中の「十分に考慮せず構築されてきた」発達障害及びトラウマの重要性について、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第14章 トラウマの影響を視野に入れる の「体験の強度や内容に関係なくトラウマ反応は起こる」における記述の一部(P201)を以下に引用します。 b) 引用中の「発達障害」の見落としに関連して、「発達の問題を抱える者」がうつ的症状に至るメンタル不調を起こした場合に、抗うつ剤を処方されるだけについては、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第2章 上司の理解が期待される時代 の「小学校から中学、高校へ……、そして就職」における記述の一部(P59)を以下に引用します。 c) 引用中の「トラウマ」の見落としに関連する「PTSDと合併症に対する治療が総合的に行わなければ,治療効果は不十分であることが多い」ことについて、奥山眞紀子、三村將編集の本、「情動とトラウマ 制御の仕組みと治療・対応」(2017年発行)の 16 ストレス関連障害に対する他の精神療法 の「16.4 合併症治療の意義と治療法」における記述の一部(P221~P222)を以下に引用します。加えて、これに関連する「精神症状の基盤にあるトラウマ反応は気づきにくい」ことについて、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第14章 トラウマの影響を視野に入れる の「精神症状の基盤にあるトラウマ反応は気づきにくい」における記述の一部(P201~P202)を以下に引用します。 d) 上記トラウマに関連した「複雑性PTSD」等の患者に対し、「精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を複数受ける」ことについては、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の「第9章 なぜ愛情が重要なのか」における記述の一部(P226~P227)を以下に引用します。 e) 上記「複雑性PTSD」等に関連する、 1] 「複雑性PTSDという診断にたどり着かないと、精神科病院やクリニックにかかるたびに、そのときのもっとも目立つ症状や行動異常から、ひとりの患者さんに対して、いくつもの異なる精神科診断が下される可能性が出てくる」ことについて、宮田量治著の本、「外傷性ひきこもり 日本的な複雑性PTSDへの支援と治療」(2021年発行)の 第3章 ひきこもり発生の観点からみた外傷性精神障害とPTSD の「10) 外傷性精神障害におけるPTSDの位置づけ:変遷する精神科診断」における記述の一部(P59~P60)を以下に引用します。 2] 一方、上記 d) 項における本を紹介するWEBページ『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』を参照すると良いかもしれません。

体験の強度や内容に関係なくトラウマ反応は起こる(中略)

診断名にかかわらず、トラウマ反応の繰り返しといった視点をもつことで、その人の症状経過や対人的な構えなどを理解しやすくなるように思われる。すべての精神疾患の発症や経過に、実はトラウマ反応的な要素が相当に関連しているのかもしれない。これからの精神医学においては、発達障害的な視点だけでなく、トラウマ反応を見る視点も重要さを増していくのではないかと筆者は考えている。(後略)

注:引用中の「発達障害的な視点」及び「トラウマ反応を見る視点」に関連する対談が次のWEBページに紹介されています。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点

小学校から中学、高校へ……、そして就職(中略)

さて、成人の発達の問題は往々にしてこじれます。たとえば、部下が職務を円滑に遂行することができず、うつ的症状に至るメンタル不調を起こした場合、発達の問題にあまり詳しくない精神科や心療内科を受診し、うつ病をターゲットにした抗うつ剤を処方されるだけというケースがあります。(後略)

注:引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

16.4 合併症治療の意義と治療法(中略)

PTSDには,うつ病全般性不安障害パニック障害解離性障害、身体化障害、物質依存・乱用など他の精神障害が高率に合併する.(中略)外傷体験が周囲に認識されていなくて,心的外傷に焦点を当てた治療が行われない場合も少なくない.いずれにしても,PTSDと合併症に対する治療が総合的に行わなければ,治療効果は不十分であることが多い.(後略)

注:i) この引用における著者は西川隆です。 ii) 引用中の「うつ病」、「パニック障害」及び「物質依存・乱用」については、他の拙エントリのリンク集[最後者の用語:「物質依存(薬物など)」]を参照して下さい。 iii) 引用中の「全般性不安障害」についてはリンク集(用語:「全般不安症」)を参照して下さい。 iv) 引用中の「解離性障害」については、他の拙エントリのリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。 v) 引用中の「身体化障害」に関連する「身体症状」については他の拙エントリのここ[用語:「身体化(身体症状)」]を参照して下さい。 vi) 上記引用における「PTSDの合併症」に関連する「虐待の引き起こす精神疾患」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

精神症状の基盤にあるトラウマ反応は気づきにくい
成人期でのトラウマ反応を考える際、明らかな虐待などを受けて幼児期・学童期より精神科を受診している例もあるが、臨床的により多く出会うのは、幼児期・学童期にいくらか症状はあったかもしれないが受診歴はなく、思春期以降に既存の精神疾患を主訴に受診してくる患者さんである。こうした患者さんは、トラウマになる出来事が解離され自覚されていないことが多く、「子どものときに、特に困ったことはなかった」などと話すことが多く、現在の精神症状とトラウマを結びつけて考えることは少ない。そのため、治療者も現在の精神症状と過去の出来事との関係に気づかないことがある。(後略)

注:引用中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

第9章 なぜ愛情が重要なのか(中略)

こうした患者たちは、精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を五つか六つ受けるのが普通だ。医師が気分変動に焦点を絞れば双極性障害とみなされ、(中略、薬の処方の話題)医師が彼らの絶望感にいちばん強い印象を受ければ、大うつ病を患っていると言われて、(中略、薬の処方の話題)医師が落ち着きのなさと注意力の欠乏に注目したら、注意欠如・多動性障害(ADHD)に分類されて、(中略、薬の処方の話題)そして、もしクリニックの職員がたまたまトラウマ歴を聴取し、患者が関連情報を自ら提供するようなことがあれば、PTSDという診断を受けるかもしれない。これらの診断のどれ一つとして、完全に的外れではないが、どれもみな、これらの患者が何者か、何を患っているのかを有意義なかたちで説明する端緒さえつかめていない。(後略)

注:(i) 引用中の「双極性障害」、「PTSD」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (ii) 引用中の「大うつ病」に相当する「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (iii) 引用中の「ADHD」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (v) この引用全体に関連する、PTSD診断基準以外の症状を併存疾患として独立に扱うのは不適切であることについて、奥山眞紀子、三村將編集の本、「情動とトラウマ 制御の仕組みと治療・対応」(2017年発行)の 2 複雑性トラウマと情動調節 の 2.3 複雑性トラウマにおける情動調節の症状 の「a. DESNOSおよび複雑性PTSDにおける情動調節」における記述の一部(P20~P21)を次に引用(『 』内)します。 『「児童虐待やレイプの被害者など,個人的な対人的な被害を受けた人の症状には PTSD 診断基準にある症状だけではなく,その他の症状がきわめて多い.そのような症状を単に併存疾患として独立に扱うのは不適切である」と van del Kolk は述べている12).』(注:a) この引用部の著者は小西聖子です。 b) 引用中の「12)」は文献番号であり、次の論文を指します。 「Disorders of extreme stress: The empirical foundation of a complex adaptation to trauma.」 c) 引用中の「van del Kolk」は「van der Kolk」(ヴァン・デア・コーク)の誤記で、van der Kolk 医師は、引用元[ここここを参照]の本の著者です。 d) 上記「複雑性トラウマ」は持続した繰り返すトラウマのことかもしれません[同章の P17より]。 e) 上記引用に関連する、van der Kolk 氏が提唱する発達性トラウマ障害の診断基準については次の資料を参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の表1) 加えて、上記引用に関連する、「虐待の後遺症」としての症状について、資料『「発達障害と愛着障害」 杉山登志郎氏 - 【基調講演】』における記述の一部(P5)を次に引用(『 』内)します。 『長期にわたるトラウマによって脳が変化してしまい、多動症やかんしゃく、うつやかい離を起こしたり、気分の変調があったり薬物依存などの問題が起きてきます。例えば、多動症とかい離や気分の変調は何の関係もありません。こういう発達の流れを振り返ってみると、実は同じ原因で起きていることがわかります。これが、発達性トラウマ障害と van der Kolk は言っていますが、虐待の後遺症です。』

10) 外傷性精神障害におけるPTSDの位置づけ:変遷する精神科診断(中略)

複雑性PTSDと診断されるべき患者さんが、複雑性PTSDという診断にたどり着かないと、精神科病院やクリニックにかかるたびに、そのときのもっとも目立つ症状や行動異常から、ひとりの患者さんに対して「強迫性障害」、「適応障害」、「うつ病」、「ゲーム依存症」、「アルコール依存症」、「摂食障害」、「回避性パーソナリティ障害」というような、いくつもの異なる精神科診断が下される可能性が出てきますし、診断結果によっては、必要な治療や支援が受けられず、本質的な病状の改善からは遠のくこともあるのです。

注:i) 引用中の「強迫性障害」、「うつ病」や「摂食障害」については共に他の拙エントリのリンク集(注:「強迫性障害」については用語「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を参照)を参照して下さい。 ii) 引用中の「適応障害」については次の資料を参照して下さい。 「適応障害の診断と治療」 iii) 引用中の「ゲーム依存症」に関連する「ゲーム障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「やめられない怖い依存症!ゲーム障害はひきこもりの原因にも 治療法について」 iv) 引用中の「回避性パーソナリティ障害」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の特に「表3.DSM-5 第2部におけるパーソナリティ障害のタイプ」における「回避性(不安性) パーソナリティ障害」項

(b) 女性のアスペルガー症候群の診断の困難さについて、宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)の「診断 内科や婦人科では心身症と言われやすい」における記述の一部(P49)を以下に引用します。

他の病気だと診断される
内科や婦人科のほかに、精神科でも、発達障害を専門的にみている医療機関でないと、別の病気だと診断される場合があります。しかし、その診断で治療を受けていても、状況はなかなか改善しません。

加えて、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガ―症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 女性の悩みと問題行動をサポートする本」(2017年発行)の「アスペルガー症候群は、どこで診断・治療が受けられるか」における記述の一部(P41)を次に引用します。

内科や婦人科では、心身症と診断されることも

アスペルガー症候群に気がついていない女性の場合、最初はかかりつけの内科や婦人科で診てもらうことも多いようです。しかし、内科や婦人科は発達障害の専門ではありません。そのために、ストレスからきている心身症統合失調症と診断されて、状況がいつまでも改善されないこともあります。(後略)

さらに、本の「診断 女性はなかなか診断が得られない」における記述の一部(P44~P45)を次に引用します。

女性の場合、医療機関にかかっていても、アスペルガー症候群を見過ごされることがよくあります。(中略)

女性は診断が出にくい
アスペルガー症候群を含むASDは、女性よりも男性に多いといわれています。医療の現場でも、一般にも、女性のASDがあまり知られておらず、そのため女性はなかなか診断が得られないことがあります。

注:引用中の「ASD」は自閉スペクトラム症のことです。

(c) 発達障害(ASD[自閉スペクトラム症]及びADHD[注意欠如・多動性障害])の診断の困難さ及び「『発達障害』の問題のある患者には対応できません」と宣明する精神科医療機関があることついて岩波明著(なお、上記岩波明によるWEBページ『発達障害「専門医の多くが誤診してしまう」理由 そもそも白黒つけられる簡単な症状ではない』があります)の本及び他の資料から以下に複数の引用をします。ちなみに、ASDは自閉スペクトラム症のことです。
岩波明著の本、『発達障害と生きる どうしても「うまくいかない」人たち』(2014年発行)の 第三章 発達障害の多発家族 の「発達障害との区別が難しい精神疾患」項における記述の一部(P138)を以下に引用します。加えて、宮岡等、内山登記夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(2018年発行)の「まえがき――宮岡等」における記述の一部(Piii~Piv)を以下に引用します。さらに、岩波明著の本、「発達障害」(2017年発行)の おわりに 発達障害とどう向き合うか の『発達障害を「認識」することの大切さ』項における記述の一部(P255)を以下に引用します。ちなみに、成人のASDにおいて、背景にあるASD特性が見逃されて、一方、この特性への本人および周囲の理解がない場合は、状況が改善しにくいことについては次のWEBページを参照して下さい。 「ASDへのスキーマ療法の活用

(前略)ASDとADHDの関連に加えて、発達障害において問題になるのは、他の精神疾患が併存する場合や、他の精神疾患との鑑別が容易でない場合である。ASD、ADHDとも、精神科に受診しても発達障害が見逃され、「うつ病」など他の精神疾患と診断されていることはよくみられる。

注:i) 引用中の「うつ病」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

まえがき――宮岡等(中略)

第二に、私は企業の産業医を担当したり、地域で小・中学校教員や学校カウンセラーとの議論の場をもったりする機会が多いのですが、彼らが接する職員や学生の中に自閉スペクトラム症や注意欠如・多動性障害として、多少なりとも医療のアドバイスを受けたほうがいい方がいるのではないかという点です。しかしそれに気付かず、うつ病適応障害、単なる不登校、なまけなどとして対応されていることが少なくありません。(後略)

注:引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「適応障害」については、次のWEBページを参照して下さい。 「適応障害 - 脳科学辞典

(前略)うつ病統合失調症、あるいはパーソナリティ障害と″診断″され、発達障害を見過ごされているケースが多々ある。(後略)

注:i) 引用中の「うつ病」及び「統合失調症」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、統合失調症自閉スペクトラム症の鑑別方法については、例えば次の資料を参照して下さい。 「横断面の症状から見た統合失調症と自閉スペクトラム症の鑑別」 ii) 引用中の「パーソナリティ障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

岩波明著の本、「大人のADHD -もっとも身近な発達障害」(2015年発行)の はじめに の「成人で急増中」における記述の一部(P9~P10)を次に引用します。

これまで児童期の「病気」とみなされていたADHDが、成人でも数多いことが認識されたのは、この10年あまりのことである。実のところ、わが国においでは、成人においても多数のADHDがみられるという事実は、今でも十分に浸透していない。これまでADHDは、大人になると多くのケースでは改善するとみなされていた。けれどもこのような考え方は、必ずしも正しくないことが次第に明らかになっている。
小児におけるADHDは、思春期以降に改善するケースもみられるが、かなりの割合で成人になってからも、何らかの症状が持続して生活上の問題が生じていることが多い。比較的軽症のケースにおいでは、学生時代までの不適応はみられないものの、就労してから問題が顕在化する例が少なくないし、実際、成人になって精神科を受診する場合は、職場での不適応がきっかけであることが多い。
このようなADHDの人たちの実生活におけるパフォーマンスの悪さやケアレスミスの多さは、周囲からは本人の問題として否定的に評価され、「真面目に取り組んでいない」「仕事にやる気がない」、あるいは「能力不足」とみなされることが多かった。このため、本人も、自己否定的になりやすい。
さらに、周囲からのストレスが続くことによって、うつ病になったり、パニック発作などの不安障害の症状を併発したりする人も数多い。残念ながら、これまで、成人期のADHDはなかなか正しく診断されていなかった。専門であるはずの精神科医においでも、ADHDに対する正しい知識が十分ではないことが多い。現状において、誤診されるケースや「よくわからない」と言われて診療を断られるケースが後を断たない。(後略)

本の 第2章 症状 の「(2)不注意」における記述の一部(P42~P43)を次に引用します。

(前略)成人期では、注意障害が生活の中でさまざまな形となって出現するが、同時に感情面でも不安定となり、気分の浮き沈み、怒りを爆発させる、イライラ感などを示す例も少なくない。この結果、ADHDにおいては、不安障害、気分障害などの他の精神疾患が併存することが多くなる。このようなケースにおいては、本来のADHDが見逃されやすく、正しい診断がなされないため、適切な治療を受けていないことがしばしばみられる。

注:i) 引用中の「成人期」とは、ADHDの成人期という意味です。 ii) 上記引用には男女の区別はないようですが、女性のADHDを対象としているだろう類似しているかもしれない記述について、榊原洋一、高山恵子著の本、「最新図解 女性のADHDサポートブック」(2019年発行)の PART 3 女性のADHDの向き合い方と対処法 の 合併症が前面に出るケース の「専門医でも見逃すADHD」における記述の一部(P103)を次に引用します。

このように、患者さんにADHDの特徴が現れているにもかかわらず、本人や周りの人もADHDだと気づかない、場合によっては、医師もADHDと診断できないのはなぜでしょうか。
その原因の一つとして考えられるのが、前述したように、併存症や合併症のほうがADHDよりも目立つケースで、そのためにADHDが見過ごされてしまう可能性です。
もう一つは、大人の場合、特徴が気づかれにくい不注意の特性が優位であるために、子どものADHDでよくみられる、多動性や衝動性が目立つタイプのADHDとは違って見えてしまう点です。(後略)

注:引用元の本における女性のADHDの特徴の簡単な紹介については他の拙エントリのここを参照して下さい。

本の 第5章 ADHDとASD の「うつ病と紹介されてきた女性」における記述の一部(P138)を次に引用します。

(前略)このように、成人になって対人関係の障害から不適応をきたしているADHDのケースは、アスベルガー症候群などASDと診断されやすい傾向がある。さらに本人も、自分はASDだと信じている場合も多い。このようなケースにおいでは、ADHDという正しい診断を見抜くことが治療のためには重要である。

注:i) これより幅広い引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。

⑤ 加えて、資料「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」の「まとめにかえて」項(P57)における記述の一部を次に引用します。

現在,総合病院・大学病院で精神科外来を担当していると,発達障害関連の相談や診察依頼は引きも切らぬものがある.教師や職場関係者から「発達障害が疑われるのではないか」と診察を指示された患者が受診し,学校医・産業医・かかりつけ医からの紹介も多い.(中略)

また,「自分は発達障害ではないか」と診察を希望してくる事例も近年著増している.
このような自薦他薦の診察依頼に応じるだけで多くの総合病院・大学病院精神科外来はその対応力の限界に至っている.筆者の見聞の範囲でも,多くの施設で発達障害検査の予約待ちが数カ月になっている状況がある.(中略)

その一方で,「『発達障害』の問題のある患者には対応できません」と宣明する精神科医療機関もあり,また精神科医療機関に通院していながら,背景の発達障害的問題に治療者が気づかないまま,統合失調症・遷延性うつ病双極性障害・気分変調症・境界性パーソナリティ障害などの診断のもとで長期間治療された後に,難治例として紹介されてくることもまれではない.そのとき,過剰で矛盾する薬物療法,あるいは洞察指向型の精神療法や行動療法が当人の考え方の癖・方向性,キャパシティへの評価が不十分なまま行われていることもある.
ここには,現在の精神医療現場における「発達障害」への対応の極端なばらつきがうかがえる.(後略)

注:引用中の「洞察指向型の精神療法」に関連する「内省志向型の精神療法」についてはここを参照して下さい。

(d) 女性のADHDの診断の困難さについて、宮尾益知監修の本、「女性のADHD」(2015年発行)の「診断 診断基準だけでは全貌がみえてこない」における記述の一部(P42~P43)を次に引用します。

(前略)
基準はあくまでも目安にすぎない
ADHDの診断には、DSMやICDといった診断基準が用いられます。基準があることで一定の診断が可能になるという点では、重要なことです。
ただし、基準はあくまでも目安にすぎません。「多動性」の特性は、基準で示されていること以外にも「用事をつめこみすぎる」といった悩みを引き起こします。
診断基準を参考にすることも必要ですが、基準だけにとらわれず、特性がどのような悩みを引き起こしているのかという視点で、先入観をもたずにADHDをとらえることも大切です。これはとくに女性の場合に重要になることです。(中略)

ADHDの診断基準(中略)

主に男子の特徴
ADHDは主に子どもの発達障害として研究されてきた。女子よりも男子が多いため、診断基準は男子の特徴を反映したものになっている(中略)

基準をはみ出す特徴もある
ADHDの子どもや大人には、診断基準で示されていない特徴もみられます。第1章で紹介した「女性どうしの付き合いで気配りができない」「用事をつめこみすぎる」といった悩みはADHDの女性に多くみられますが、診断基準ではふれられていません。(中略)

ADHDの女性には、多動性・衝動性というイメージからは程遠く、じっとしていて恥ずかしがり屋の人がいる(中略)

特徴は状況によっても変わるもの
ADHDの特徴は、状況によっては目立たなくなるものです。
診断基準のDSM-5では「特に興味のある活動に従事している場合」や「一貫した外的刺激がある場合」などに、特徴がみられなくなる可能性を示唆しています。
だからこそ、ADHDの診断は難しいのです。女性の場合、もともと特徴が現れにくいこともあり、診断が遅れがちです。

注:i) 引用と同じ本の同じ項目に対する他の視点からの引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「診断基準のDSM-5」については次のWEBページに示します。『注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典の「診断・鑑別診断」項』。 iii) 引用中の「診断が遅れがち」に関連して、同本の「COLUMN そもそも診断基準が女性に合っていない?」における記述の一部(P44)及び宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガ―症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 女性の悩みと問題行動をサポートする本」(2017年発行)の「女性の発達障害は、気づかれにくい!?」における記述の一部(P10~P11)を以下にそれぞれに引用します。

女性は苦しんでいても診断が出にくい
診断基準が男性向けになっているせいか、女性はADHDがあっても基準に該当する状態にならず、診断が出ない場合があります。治療によってよくなる可能性が高いのに、診断がないため、生活上の困難に苦しんでいます。

特性の一部分だけが目立ち変わった子と思われる(中略)

男性の場合、例えばADHDなら子どもの時から「授業中に席を立つ」「他の子の邪魔をする」「なくし物が極端に多い」といった特性が幅広く現れる場合が多く、ADHDだと気づかれやすいのです。
それに対して女性の場合は、「忘れ物が極端に多い」とか「おしゃべり」といったADHDの部分的な特性が目立っても他の特性が目立たず、周囲からADHDだと気づかれずに成長する場合もあります。しかし、思春期になることには、ミスが多いことや友人関係とのトラブルなど自分のせいだと悩んでいる場合も多いのです。

(e) 柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の「診断 ていねいな問診で、解離があるとわかる」における記述の一部(P72~P73)を次に引用します。

解離性障害は診断がむずかしい病気です。専門的に扱っている医療機関が少ないことに加え、別の精神疾患と症状が似ていることが関係しています。的確な診断には、細かく症状を聞くことが必要です。

自分から言わないことが多く、診断は困難
解離性障害は診断がむずかしいとされています。
その理由は、症状のまぎらわしさです。幻視や幻聴などの幻覚、気分の変化などの症状は、うつ病統合失調症、パーソナリティ障害といった別の病気と似ているものが多いためです。
また、診断をむずかしくしている大きな要因に、解離の症状があるにもかかわらず、医師に話していないことがあります。
本人にしてみれば、「医師に聞かれなかったから」という理由なのですが、聞かれていないところに診断のカギをにぎる重要な症状があるのです。(中略)

似た症状の病気
解離性障害とよく似た症状がある病気は多い。見きわめるには、解離性障害を専門的に診ている医師の診断を受けることがすすめられる

解離性障害とよく似た症状がある病気)
統合失調症 うつ病 境界性パーソナリティ障害 摂食障害 PTSD 不安障害 物質依存(薬物など)

注:i) 引用中の「(解離性障害とよく似た症状がある病気)」は、引用者による追記です。 ii) 解離性障害(解離症)における身体症状と転換性障害(変換症)の症状も似ています。両者の区別についても様々な意見があるようです。ちなみに転換性障害(変換症)については、ここを参照して下さい。

(f) 友田明美著の本、「子どもの脳を傷つける親たち」(2017年発行)の 第四章 健やかな発育に必要な愛着形成 の「愛着障害発達障害との違い」における記述の一部(P174~P175)を次に引用します。

臨床現場で「愛着障害」と混同されがちなのが、自閉症や知的能力障害(知的発達症)などの「発達障害」です。
愛着障害は発達の遅れ、特に認知や言語習得の遅れを併発するため、症状からだけでは発達障害と区別がつきません。わたし自身も、診察に来た子どもの症状から、これは発達障害なのではないかと診断に悩んだ経験が何度もあります。
たとえば反応性愛着障害では、自分の殻に閉じこもって他人と目を合わせないなど、自閉症に似た症状が見られることがあります。脱抑制型対人交流障害では、落ち着きがなく物事に集中できないせいで、学習障害に発展するといった症状が出ることもあるため、ADHD(注意欠如・多動症)などの発達障害との区別が難しい場合があります。
愛着障害発達障害(またはその逆)と診断し、それに基づいて治療を施しても、一向に症状の改善は見られません。なぜなら、症状が似ていても、当然ながら治療法は同じではないからです。

注:i) この引用は本のタイトルにもあるように、子どもを対象にしているように本エントリ作者には見えます。 ii) 引用中の「愛着障害」と「発達障害」の区別が難しい場合があることについては拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。。

(g) 福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」(2018年発行)の 第1章 発達障害について知ろう の 自閉症スペクトラム障害(ASD) の ASDの特性 の「⑦気分の変調を来しやすい」における記述の一部(P46)を次に引用します。

⑦気分の変調を来しやすい
急に気分が変わり、周囲を振り回すことがあります。パニックにも陥りやすく、不安障害を併発します。
なかでも対人緊張や対人不安が異常に強く、社交不安障害をかなり高い頻度で併発します。その診断のなかでASDが見過ごされてしまい、単なる社交不安障害と診断されていることも少なくありません。なかなか改善しない社交不安障害の影にASDがあるかもしれません。
ときに気分の変調の激しさから、統合失調症躁うつ病双極性障害)などと誤診されていることがあります。

注:引用中の「不安障害」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「不安障害(不安症)」)を参照して下さい。加えて引用中の「社交不安障害」については、同リンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 ii) 引用中の「統合失調症」及び「双極性障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

≪ご参考≫精神医療又は向精神薬に関するその他問題点
注:i) この項を読む前にツイート(ここ及びここ)及び以下に示す引用をご確認した方が良いかもしれません。

抗うつ薬を上手に飲まない時のリスクについて、井原裕著の本、「うつの8割に薬は無意味」(2015年発行)の 第7章 うつと診断されたら――本人、家族、会社は? の『自殺防止の最大の方策は「うつは治る」と知ること』における記述の一部(P254~P255)を以下に引用します。加えて、ベンゾジアゼピン系薬剤は「問題を先送りにする薬剤」であると主張する次に示すWEBページがあります。 「ベンゾジアゼピン系薬剤を悪者にしないための使い方

(前略)抗うつ薬、とりわけ、SSRIなどの新型の抗うつ薬は、上手に飲まないとかえって、自殺のリスクを高めます。上手に飲むとはどういうことか。それは、決められた量以上に服用しないこと、薬剤の効果を高めるために、十分な睡眠、安定した睡眠相、断酒といった原則を徹底すること、これが大切です。繰り返しますが、薬物療法中の飲酒は厳禁です。しかし、やけ酒を煽りながら抗うつ薬を飲むような人が如何に多いことか。そういった人のなかから確実に大量服薬で救命救急センターに運び込まれる人が出てきます。抗うつ薬を飲むなとは言いません。しかし、「いやなことを忘れるためにやけ酒を飲む」ような調子で、あるいは、それこそ「やけ酒と一緒に」抗うつ薬を飲むのなら、そのようなことは絶対にやめていただきたいと思います。(後略)

[1] 次に示すWEBページの後半に、日本における「信頼に足る非常に優れた精神科医」の割合が示されています。「【1872】信用できない医者は世の中にどのくらいいますか

[2] 「自分は発達障害はわからない」という医師の診療依頼 加えて、記述「特に大人のASDADHDの場合には、他の精神疾患のことをよほど知っていないと診断するのは難しいだろうと思います」を含む引用を有するエントリは次を参照して下さい。 『「大人の発達障害ってそういうことだったのかその後」

[3] 常に"発達"の視点を持って患者さんを診ることが,広汎性発達障害の正しい診断につながる(特に「■"発達"を軸にして,診断が一転する」項)

この項の記述の一部を次に引用します。

――診断におけるポイントは,どのような点にあるのでしょうか。

広沢 例えば統合失調症の鍵概念である「プレコックス感」のように,発達上の問題を"嗅ぎとる"勘,すなわち臨床的知識や経験に基づく洞察力は,一つ求められると思います。

しかしさらに重要なのは,発達歴を詳しく聞くことです。操作的診断が普及している現在,成人対象の精神科医は特に,過去2週間,あるいは過去半年間の病態像を見て診断するよう訓練されており,発達歴までは聞かないことが多いように感じます。また,丁寧な問診をする時間がなかなか取れないという診療上の事情もあるでしょう。

"発達障害"という視点がなければ発達歴を聞こうとは思わないでしょうし,発達歴を聞かないと"発達障害"という診断には至りません。つまり常に"発達"の視点を意識して,患者さんを診ることが大切だと思います。

[4] 「こころを診る技術」の「序文」項

[5] 「ひとりの精神科医の診断を鵜呑みにしない」

[6] 抗うつ薬の副作用及び軽度のうつ病の場合は薬物療法よりも精神療法的なアプローチのほうが重視されていることについての記述があるWEBページ 「うつ病患者の薬物治療 副作用で自殺行為に至る危険性も

[7] 過去の躁/軽躁状態の有無も確認せずに「うつ病」と診断する(これに関連する ツイート

注:このツイートは、[6] 項に示すリンク先における記述の一部「最近、疑問をもつことが多い診断名はうつ病」にも関連しているかもしれません。ちなみに、i) うつ病の症状と双極性障害躁うつ病)のうつ状態の症状とはよく似ている一方、うつ病双極性障害とでは薬物療法が異なります。例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「双極性障害とうつ病」 ii) 一方、複雑性PTSD、発達障害及び境界性パーソナリティ障害における気分変動に関する複数の引用は長くなるので≪余談2≫にまとめて示します。加えて、精神鑑定において、双極Ⅱ型障害と診断された例で、これ以前に受けてきた医療において診断されなく、抗うつ薬中心の不適切な治療が続けられていた例について、高岡健、浅野弘毅編の本、「うつ病論――双極Ⅱ型障害とその周辺」(2009年発行)中の高田知二著の資料「精神鑑定例からみた双極Ⅱ型障害」の「5●おわりに」の 5)項における記述の一部(P131)を次に引用します。ちなみに、この資料において、著者が実施した34件の鑑定中、双極Ⅱ型障害は5件であった。その内4件についてこの資料に記述されています。

5) いずれの事例も、それまで受けてきた医療にて双極Ⅱ型障害と診断されたものはなく、抗うつ薬中心の不適切な治療が続けられてきた。それが病状の遷延化と不安定化を惹起させた可能性があり、医療側も十分な注意を払って治療を行っていくことが求められる。

注:双極Ⅱ型障害の患者の方々に対しては「抑うつエピソードに対して、抗うつ薬(特に三環系抗うつ薬)を単独で治療に用いることは推奨されない」ようです。例えば次の資料を参照して下さい。 「日本うつ病学会治療ガイドライン Ⅰ. 双極性障害 2020」の 第2章 抑うつエピソードの治療 の「2. 抗うつ薬の使用の是非」項(P12) 一方、次の資料もあります。 「双極性障害に対する抗うつ薬使用の功罪」 加えて、抗うつ薬における「アクティベーション・シンドローム(賦活症候群)」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「抗うつ薬の適切な使い方について」 ちなみに、引用はしませんが、双極性障害うつ状態において、抗うつ薬により躁転した割合を調査するシステマティックレビューを次に紹介します。 「Incidence, prevalence and clinical correlates of antidepressant-emergent mania in bipolar depression: a systematic review and meta-analysis.

[8] 助けてと言えなくて~女性たちに何が~

[9] 内海健著の本、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」(2013年発行)の「おわりに」項における記述の一部(P234~P235)を次に引用します。

(前略)帝京大学に移って驚いたのは、過量服薬やリストカットなど、自傷行為の事例の多さであった。救命救急センターがあるためだろうが、それにしても尋常とは思えない多さであった。しかもその多くが、その頃から近辺に増え始めた精神科クリニックからの事例である。
かつて、自殺企画はもちろん、過量服薬はあってはならないことだった。医者にしてみれば決定的な治療的敗北である。それが日常茶飯事のように処理されていく。しかも、こうした痛ましい事例を出した病院やクリニックの医師から、進んで情報提供を受けたことはほとんどなかった。ひどいところになると、「そんな人はうちでは診れません」、「あとはそちらでやってください」というような応答だった。こうした事例を、まだ経験の浅い大学病院の若手医師たちが、当直や往診で対応に当たるのである。臨床教育の現場をあずかる者として、私は心を痛めた。何とかしなければならないと思った。
事例を丹念に診ていくうちに、気分障害が多数を占めるのはもちろんであるが、双極性が見落とされている場合が多いことが、次第に明らかになってきた。しかも、そのかなりの部分が、抗うつ薬による行動化であった。軽躁状態からストンと抑うつに陥ったり、病相が不安定なったりするパターンが、容易に見て取ることができた。端的にいえば、医原性だったのである。しかも、こうした行動化を引き起こしておきながら、一転してそうした症例をパーソナリティ障害と決めつけ、そればかりか、自分はもう診れぬ、と切り捨てる、そんな事例すら存在したのである。(後略)

注:i) この本の著者が帝京大学に移ったのは、1995年のようです。 ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害の治療法の例を次に示します。弁証法的行動療法(例えばここ参照)、メンタライゼーションに基づく治療(Mentalization based treatment、例えばここ[英語]参照*21)、スキーマ療法(例えば、他の拙エントリのここWEBページ参照) iii) 引用中の「行動化」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「抗うつ薬による行動化」に関しては、例えば次の資料におけるキーワード「アクチベーション」の視点で参照して下さい。「SSRI/SNRI を中心とした抗うつ薬適正使用に関する提言」 v) 引用中の「気分障害」を簡単に言えば、うつ病双極性障害の両方を含む用語です。

[10] 救急外来における大量服薬の現状と対策(P140)
加えて、次のWEBページも参照して下さい。 「過量服薬で救急搬送、使用薬剤トップ10を発表 - yomiDr.*22

[11] そんなに薬が必要ですか? ――職場でよくみる精神科多剤投与の実際――(P168) 加えて、これに関連する資料を次に紹介します。 「なぜ「多剤処方」は続くのか ―医師-患者間に作用する認知バイアスの研究―

[12] 抗不安薬等のマイナートランキライザーの医原性依存症については、例えば次のWEBページを参照して下さい。  「マイナートランキライザー処方における問題」の「●医原性薬物依存症」項

[13] うつ病の怪 「悩める健康人」が薬漬けになった理由(これに関連したWEBページは次に示します。『 「悩める健康人」は「病人」ではない』、「患者よ、うつと闘え!」 一方、セカンドオピニオンについては次のWEBページを参照して下さい。「 うつの処方の薬が多すぎると感じたら、代替案を提案できるセカンドオピニオンへ」)

[14] 複雑性PTSDでの「生理的症状と心理的症状の相互混乱」において、「死にたいという強い訴えに対して、まじめな医師がせっせと薬を処方するのが不適切」な例については他の拙エントリのここを参照して下さい。

[15] 「精神科医として独り立ちする前に学ぶことの多くが、精神疾患に関する知識とそれに対応する選択薬の知識にとどまっていること」については次のWEBページを参照して下さい。 『精神科外来が「5分で診察終了」せざるを得ない恐ろしい理由【医師が解説】』の『精神科医の「対人援助スキル」が乏しいワケ』項 加えて、上記「学ぶことの多くが、精神疾患に関する知識とそれに対応する選択薬の知識にとどまっていること」の延長線上にあるかもしれないこことしての『薬物療法「もどき」が主流…精神医療の現実』については次のWEBページを参照して下さい。 『通院しても治らない「コロナうつ」41歳エリート男性の絶望【医師が解説】』の『薬物療法「もどき」が主流…精神医療の現実』(ページ3)項 その上に、上記『薬物療法「もどき」が主流…精神医療の現実』に関連する「薬を出す以外に能がない!」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

[16] 「新型うつ」と「ASDの二次障害的新型うつ」との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「新型うつ」における誤診、「不安障害の見落とし」を含む「新型うつ」に関連するWEBページは次を参照して下さい。 「若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない! パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘

[17] ニセモノ精神科医の2つ

注:下記 [30] 以下は PubMed で検索可能な論文又は論文要旨を引用します。

[30] 論文要旨「Heterogeneity in psychiatric diagnostic classification.[拙訳]精神医学的診断分類における不均一性」を以下に引用します。ちなみに、 a) 標記論文要旨は DSM-5(例えば参照)を対象としています。 b) 標記論文要旨についてのWEBページは次を参照して下さい。 「Psychiatric diagnosis 'scientifically meaningless'」[注:このWEBページ中の研究の主な結果(main findings of the research)の記述の拙訳は※1を参照して下さい。これを除きこのWEBページの拙訳はありません]

The theory and practice of psychiatric diagnosis are central yet contentious. This paper examines the heterogeneous nature of categories within the DSM-5, how this heterogeneity is expressed across diagnostic criteria, and its consequences for clinicians, clients, and the diagnostic model. Selected chapters of the DSM-5 were thematically analysed: schizophrenia spectrum and other psychotic disorders; bipolar and related disorders; depressive disorders; anxiety disorders; and trauma- and stressor-related disorders. Themes identified heterogeneity in specific diagnostic criteria, including symptom comparators, duration of difficulties, indicators of severity, and perspective used to assess difficulties. Wider variations across diagnostic categories examined symptom overlap across categories, and the role of trauma. Pragmatic criteria and difficulties that recur across multiple diagnostic categories offer flexibility for the clinician, but undermine the model of discrete categories of disorder. This nevertheless has implications for the way cause is conceptualised, such as implying that trauma affects only a limited number of diagnoses despite increasing evidence to the contrary. Individual experiences and specific causal pathways within diagnostic categories may also be obscured. A pragmatic approach to psychiatric assessment, allowing for recognition of individual experience, may therefore be a more effective way of understanding distress than maintaining commitment to a disingenuous categorical system.


[拙訳]
精神医学的診断の理論と実践は重要であるが議論を引き起こしている。本論文では、DSM-5 内のカテゴリーの不均一な性質、この不均一性が診断基準を越えてどのように表現されるか、そして臨床医、患者及び診断モデルに対するその帰結を検討する。DSM-5 の選ばれた CHAPTER がテーマ別に分析された。すなわち、統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害群、双極性障害および関連障害群、抑うつ障害群、不安障害群、心的外傷およびストレス因関連障害群である。症状の比較、困難の期間、重篤度の指標及び困難の評価に用いられる見通しを含む、特定の診断基準における不均一性を、これらのテーマは同定した。より広い診断カテゴリーを超えた変動では、カテゴリーを超えた症状の重複、及び心的外傷の役割が調査された。複数の診断カテゴリーにまたがる戻った実用的な基準及び困難は、臨床医に柔軟性を提供するが、疾患の個々のカテゴリーのモデルを損なう。そうは言っても、逆のエビデンスが増えているにもかかわらず、心的外傷(トラウマ)は限られた数の診断にしか影響しないことを含意する等の、原因が概念化される方法に対する含意を、これは有する。個々人の体験及び診断カテゴリー内の特異的な因果経路も不明瞭になるかもしれない。従って、個々人の体験の承認を可能にする精神医学的評価への実用的アプローチは、不誠実なカテゴリー体系へのコミットメントを維持するよりも、苦痛を理解するための効果的な方法であるかもしれない。

注:i) 拙訳中の「DSM-5」における拙訳中の「診断カテゴリー」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「DSM-5 診断トレーニングブック」の「目次」項 ii) 拙訳中の「心的外傷(トラウマ)は限られた数の診断にしか影響しない」とは逆の「子ども虐待の後遺症が診断カテゴリーを超えて広い臨床像をつくる」ことについては拙エントリのここを、この「広い臨床像」に関連する「発達性トラウマ障害」については例えば次の資料を参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の「Ⅳ.子ども虐待と精神医学的課題」項 一方、(複雑性)トラウマを負った患者たちは「精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を五つか六つ受けるのが普通」であることについては拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、発達障害と複雑性PTSDとの併存(参照参照)において、「基本的な精神医学の臨床がメチャクチャになっていることに驚愕した」ことについては※2を参照して下さい。 iii) 拙訳中の「精神医学的評価への実用的アプローチ」に関連するかもしれない「診断に頼らない診かた」については次のWEBページを参照して下さい。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点」 また、このWEBページの「非定型を非定型として認める」項には次に引用(【 】内)する二つの記述があります。 【臨床で気付くことの一つに,伝統的診断に当てはまらない非定型・非典型の病像や経過が増えてきていることがあります。】、【結局,病気は一人ひとり違います。診断基準や分類は「最初の足場」と考えて,非定型は非定型としてそのまま認めたほうが豊かな精神医療ができるのではないでしょうか。】※3 ちなみに、これらの記述を考慮すれば、「診断基準における典型例であれば、診断のメリットは大きく、デメリットは小さい一方で、典型例から外れれば外れるほど、換言すれば非典型(非定型)であればあるほど、診断のメリットはより小さく、デメリットはより大きくなる傾向があるのでは?」と拙ブログ作者は考えます。

※1:上記4つの結果の拙訳は次の通り。①精神医学的診断は全て異なる意思決定ルールを用いる ②診断と診断の間には、症状における重複が非常に多い ③ほとんど全ての診断が心的外傷及び逆境的事象の役割を覆い隠している ④診断からは、個々の患者について、そしてどのような治療が必要かについてはほとんどわからない

※2:上記驚愕について、「そだちの科学 2019年4月号」中の杉山登志郎著の文書「平成を送る」(P20~P25)の「新たな時代へ」における記述の一部(P24)を次に引用(『 』内)します。 『筆者は最近、請われて、ある伝統のある公立病院の児童青年期病棟にスーパーバイズと回診を定期的に行うようになった。そして基本的な精神医学の臨床がメチャクチャになっていることに驚愕した。入院している症例は、発達障害と複雑性PTSDとが併存しているものばかりである。逆にいうと、今日、このような症例以外に児童青年期で入院が必要になることは非常に少ないのであろう。ところが生育歴が取られていない、家族歴が取られていない、診断をきちんと下されていない、その上で薬の処方だけがなされていて、当然ながら子どもたちはあまり良くならず、若い精神科医の消耗を引き起こし、それが若手医師の精神科医療からの離脱まで生じさせている。しかし老兵の遠慮しながらのアドバイスはなかなか受け入れられない。その理由はエビデンスに欠けるというのであるが。複雑性PTSDなど、まだ診断基準がない状況の中で、エビデンスなど期待する方がおかしいと舌打ちをする。良くなっているならいざしらず、悪化していてそのままなのである。何やこんな末端の医療現場に、今日の精神医療の問題が集約して現れているようなのだ。』(注:引用中の「複雑性PTSDなど、まだ診断基準がない状況」に関連して、改訂されて複雑性PTSDを登録した ICD-11(参照)の発効についてのツイートがあります)

※3:上記引用中の「非定型は非定型としてそのまま認めたほうが豊かな精神医療ができる」に関連するかもしれない(診断において)「わからなくなることが大切」であることについて、「そだちの科学 2019年4月号」中の青木省三著の文書「そして、わからなくなった」(P72~P74)における記述の一部(P74)を次に引用(『 』内)します。 『四〇年余りの臨床を振り返ってみると、当初の一〇年は統合失調症などの従来の診断は確かなものとしてあるように感じていたが、それが次第に揺らぎ、今はわからなくなっているし、しばしば患者さんにもご家族にも、「診断はよくわからないのです。アメリカの診断基準では、○○に当てはまるのかなと思います。でも発達障害の傾向も少しあるようにも思うし。いろいろなストレスもあったようだし……。いずれにしても、当面の治療は……」などと説明する。だが、実はこのわからなくなることが大切なのだと思う。わからないので少しでもわかろうと、目の前の一人ひとりの人を見て話を聞いていると、最終的には一人ひとりの独特な悩みや苦しみが見えてくる。理解がよりきめ細やかになり、支援も一人ひとりに応じたものとなる。それがわからなくなることの価値のようにも思っている。』 加えて、外側の症状のみを診て分類する診断「diagnosis」以外にも、目の前の患者さん全体の理解という意味での診断「formulation」(定式化)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点」の「本人はどう体験しているのか」項 加えて、上記「formulation」に関連する「ケースフォーミュレーション」については他の拙エントリのここここ、そしてここここを参照して下さい。

[番外A] ちなみに、(特に、悩める健康人を対象とした)「軽症うつ病」における薬の有効性について、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行)の「はじめに」における記述(P11~P12)を次に引用します。

はじめに
病んではいない、悩める健康人のために(中略)

今でも精神科を訪れると、薬を積極的に出す医師がいます。薬を求める患者さんもいます。薬を出せば治ると思う医師がいて、薬を飲めば治ると思っている患者さんがいるわけです。
しかし、その薬の効果に関して、世界中の学会がもはや「効く!」という太鼓判を取り下げています。うつの大半を占める「軽症うつ病」については、たとえば、日本うつ病学会は抗うつ薬を含め、「プラセボに対し確実に有効性を示し得る治療法はほとんど存在しない」と言っています。つまり簡単にいえば、うつの大半にとって、薬はウドン粉とかわりないということです。(後略)

注:i) 引用中の「日本うつ病学会」が2019年に改訂した「日本うつ病学会治療ガイドライン Ⅱ.うつ病(DSM-5)/ 大うつ病性障害 2016」の 第 2 章 軽症うつ病 の「基本方針」項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『本ガイドラインの基本的立場は、重症度によらず、うつ病抑うつ状態の患者には支持的態度で接するとともに、十分な心理教育(psychoeducation)を行い、個々の患者背景に応じた適切な治療方針を取ることにある。しかしながら、中等症・重症のうつ病においては薬物療法がその中心的役割を担うのに対して、軽症以下ではどのような治療が適切なのかの判断は容易ではない。』(注:引用はしませんが、同項に「軽症うつ病」における薬の有効性に関連する記述があります) ii) 一方、同の注意書きにおける記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『患者さんの一部に薬を必要とする人は確実にいます。それらの方々は、引き続き医師の指導を受けて、薬をお続けください。』

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【細かな説明2】転換性障害(変換症)*23について

転換性障害については、WEBページ「変換症 - 脳科学辞典」、「身体表現性障害 - 脳科学辞典」の「転換性障害」項、他の拙エントリのリンク集、次の両エントリ「転換性障害の現在(1)」、「最近の転換性障害の動向 投稿目前 (1)*24を参照して下さい。加えて、変換症を簡単に紹介する次の引用を参照して下さい。

転換性障害(変換症)の概要について、American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第9章 身体症状症および関連症群 の「変換症/転換性障害(機能性神経症状症) Conversion Disorder (Functional Neurological Symptom Disorder)」における記述(P144~P145)を、 加えて近藤直司田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義08 神経症とその周辺 の 3. 身体についての症状を示す神経症 の「(1) 運動及び感覚の解離性障害(転換症)」における記述の一部(P090~P091)を それぞれ以下に引用します。加えて、上記「転換性障害」や ICD-11 の「解離性神経学的症状症」(資料「ICD-11におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向」の「1. 解離性神経学的症状症」項[P680]を参照)に関連する「functional neurological disorder」については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Diagnosis and management of functional neurological disorder

変換症/転換性障害(機能性神経症状症) Conversion Disorder (Functional Neurological Symptom Disorder)

変換症は,1つ以上の症状が突然現れて,明らかな身体的原因がないのに意識,知覚,感覚,動作に変化をきたす障害である。
変換症の人には体の動きや感覚に生じる複数の症状が出ることが多い。歩行困難,脱力や麻痺,難聴や聴覚消失,失明,嚥下困難,けいれん発作,会話困難,意識消失,無感覚などはすべてよくみられる症状である。実際には脳内でてんかん発作が起きていない場合もあるが,実際のてんかん発作が起こり,その最中に起こる体の震えや意識消失が変換症のほうに起こることもある。変換症の症状は,唐突な片側もしくは1つの手足の麻痺や脱力のように,急激に発症することが多い。急性発症するため,変換症で救急外来やクリニックを救急受診することになる。変換症は良くなったり悪くなったりを繰り返し,長期間継続することもある。変換症が急激に発症するのは精神的なストレスへの反応だろうと考えられているが,その心理的苦痛の要因が何なのかわからないことも多い。
米国では,変換症は男性よりも2~3倍女性に多くみられる。変換症の症状は10代や成人早期に初発することが多いが,いくつになっても発症することはある。変換症の症状は急性に発症し,短期間しか続かず,深刻な身体的問題によって起きた症状ではないと医師に安心させられると,治療せずに良くなることが多い。症状は急激に起こるが,急に消失し,普通の日常生活に戻ることができる。
変換症の人たちは,パニック症などの不安症や抑うつ障害を併存していることも多い。離人感・現実感消失症をもつ人々も,突然の麻痺のような身体症状がある場合があり,それは変換症の症状であることもある。これらの疾患は同時に起こることもある。

注:i) 引用中の「変換症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」 加えて、変換症の病因の解明についての論文は以下を参照して下さい。 ii) 引用中の「パニック症」については、例えば他の拙エントリのリンク集(用語:「パニック障害」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「不安症」については、例えば他の拙エントリのリンク集(用語:「不安障害(不安症)」)を参照して下さい。 iv) 引用中の「抑うつ障害」に関連する「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「離人感・現実感消失症」は解離症群の一部です。ちなみに、「離人感・現実感消失症」の簡単な説明例は同本の 第8章 解離症群/解離性障害群 の「離人感・現実感消失症/離人感・現実感消失障害 Depersonalization / Derealization Disorder」における記述の一部(P138)を次に引用(『 』内)します。 『離人感・現実感消失症をもつ人は自身やその周辺から切り離されて,外部の傍観者であるかのように感じる。この感覚が続くことで大きな苦痛を引き起こす。』

(1) 運動及び感覚の解離性障害(転換症)[中略]

転換症の症状としては,立てなくなる,歩けなくなる,声が出なくなるなど身体運動の麻痺症状や,さまざまな部分の痙攣,それに,見えない,聞こえないなどの感覚の喪失や身体のある部分の知覚が失われる知覚麻痺などがあります。
症状が示すわりに,それについての不安や苦痛の訴えが少ない傾向があります。また,人がいるときといないときで症状が変わったり,神経学的に矛盾するような症状の出方をしたりすることもあります。演技的にみえることもありますが,病気を装うために意図的に症状があるように演技している詐病虚偽性障害)と違い,患者本人は,症状を意図的に演技している自覚はありません。

注:i) この引用部の著者は生地新です。 ii) 引用中の「転換症」は上記「変換症」又は「転換性障害」を指すと本エントリ作者は考えます。 iii) 引用中の「虚偽性障害」についてはリンク集[用語:「虚偽性障害(作為症)」]を参照して下さい。 iv) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

・論文「Uncovering the etiology of conversion disorder: insights from functional neuroimaging.[拙訳]変換症の病因の解明:機能的神経イメージング(画像法)からの洞察(全文はここを参照)」の要旨を次に引用します。

Conversion disorder (CD) is a syndrome of neurological symptoms arising without organic cause, arguably in response to emotional stress, but the exact neural substrates of these symptoms and the underlying mechanisms remain poorly understood with the hunt for a biological basis afoot for centuries. In the past 15 years, novel insights have been gained with the advent of functional neuroimaging studies in patients suffering from CDs in both motor and nonmotor domains. This review summarizes recent functional neuroimaging studies including functional magnetic resonance imaging (fMRI), single photon emission computerized tomography (SPECT), and positron emission tomography (PET) to see whether they bring us closer to understanding the etiology of CD. Convergent functional neuroimaging findings suggest alterations in brain circuits that could point to different mechanisms for manifesting functional neurological symptoms, in contrast with feigning or healthy controls. Abnormalities in emotion processing and in emotion-motor processing suggest a diathesis, while differential reactions to certain stressors implicate a specific response to trauma. No comprehensive theory emerges from these clues, and all results remain preliminary, but functional neuroimaging has at least given grounds for hope that a model for CD may soon be found.


[拙訳]
変換症(CD)は、おそらく情動的ストレスに応答して、器質的な原因無しに生じる神経学的症状の症候群であるが、これらの症状の正確な神経的な基盤及び根底にあるメカニズムは、何世紀にもわたって生物学的基盤が探求されても乏しい理解のままであった。、過去15年間に、運動及び非運動ドメインの両方において CD を患う患者における機能的神経イメージング研究の出現により、新規な洞察が得られている。CD の病因の理解に近づけるかどうかを確かめるために、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、単一光子放射断層撮影[スペクト](SPECT)、及び陽電子放射断層撮影(PET)を含む最近の機能的神経イメージング研究をこのレビューでは要約する。ふりをする又は健康な対照群に対して、機能的神経学的症状を明らかにするための異なるメカニズムを指し示すことができるだろう脳回路の変化を、集中的な機能的神経イメージングの知見は示唆する。ある種のストレス要因に対する特定の反応はトラウマの特異的な反応を含意する一方で、情動処理及び情動-運動処理における異常は体質を示唆する。これらの手掛かりから包括的な理論は明らかにならなく、そして全ての結果は予備的であるが、機能的神経イメージングは​​、CD のモデルがすぐに見つかるかもしれないという希望に、少なくとも理由を与えている。

注:i) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 ii) 引用中の「陽電子放射断層撮影(PET)」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「MR画像を利用した脳PET画像解析」 iii) 引用中の「[スペクト](SPECT)」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「SPECTの定量化と標準化」 iv) 引用中の「変換症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典

さらに、2015年に発表された次に示す論文の表2において、転換性障害(Conversion Disorder)の社会人口統計学的な要因(Sociodemographic factors)が示されています。その一つに性的又は身体的虐待の履歴(History of sexual or physical abuse)があります。*25Conversion Disorder- Mind versus Body: A Review.」 すなわち、転換性障害と性的又は身体的虐待の履歴には関係があるかもしれなく、転換性障害の患者様にとっては、この履歴の見落としにより適切な治療を受けられないリスクがあるかもしれません。

一方、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の「健忘・遁走 自分のこころと体がコントロールできない」項の記述の一部(P46~P47)を次に引用するように、失神に関する記述があります。

記憶にぽっかり空白がある
解離性障害では、時間の流れに従い、一貫性が保たれているはずの意識の状態や人格が、ある時点で急激に変化したり、断裂したりしていることがあります。
本人の自覚症状としては、記憶がぽっかり抜けている、周囲の人から指摘されることが身に覚えがないなど、生活の中でくい違いが生じています。
こうした症状がある場合に考えられるのが、健忘や遁走、意識のぼんやりした状態です。

(中略)

解離性健忘には二つの類型があります。「逃避型健忘」と「変容型健忘」です。

逃避型
症状は健忘だけのことが多く、ほかの精神症状や身体症状はあまりみられない。記憶がない期間は、数日から数カ月間にわたる。男性に多く、遁走を伴うことが多い。
●依存的な性格の人にみられる
もともと依存的な性格の人に多い。家族からの自立に不安を抱いてる反面、家族を嫌悪し、反発するが、結果的には家族に依存するという両面性がある。なんらかの問題で重責を感じたり、窮地に追い込まれたりすると発症する。

変容型
自己がしっかり確立されていない。買った覚えがない品物がある、パソコンや携帯電話に知らない送信履歴があるといったことがしばしば起こる。女性に多く、自傷や大量服薬といった自己破壊的な行為もみられる。
●さまざまな症状がある
錯乱状態、幻覚、同一性混乱、記憶の混乱、退行、フラッシュバック、対人過敏、気配過敏など数多くの精神症状がある。過呼吸、めまい、吐き気といった身体症状も伴う。

(中略)

感情が高ぶって失神する人もいる

注:i) 引用中の「失神」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「身体症状」に関連する「解離性身体症状」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iii) 引用中の「フラッシュバック」については解離の視点から次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の『①「解離」とは、どのような現象をいうのでしょうか?』項 iv) 引用中の「対人過敏」や「気配過敏」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、 a) 神経症の一種とされる「ヒステリー」概念において、「解離」と「転換」のタイプがあり、身体的な症状を伴うこと及び社会的な機能が大きく損なわれることはまれなことについて、岩波明著の本、「どこからが心の病ですか?」(2011年発行)の 第五章 ヒステリー――神経症(2) の「ヒステリー」における記述の一部(P103~P105)を以下に引用します。なお同書は、主として思春期から二十代前半の人に出現することが多い精神疾患について概説している(P188)ようです。 b) 「ヒステリー」概念に関連する転換性障害心身症状が解離性障害にも出現するとの意見もあります(ICD-10 に準拠しているようです)。その例として、柴山雅俊監修の本、「解離の病理 自己・世界・時代」(2012年発行)の「解離論の新構築」(森山公夫著、P25~P47)の 4 解離とはなにか? の「(3)病態の俯瞰――波と重症度および演技」における記述の一部(P43~P46)を次に引用します。この引用では軽解離状態及び中等度解離状態を対象としています。

ヒステリー
ヒステリーという言葉は日常用語として定着しているものですが、実は古くからある病名で、「神経症」の代表的な疾患の一つです。ヒステリーの歴史は古く、古代エジプトギリシア・ローマ時代からヒステリーに相当する症例が記載されています。
疾患としての「ヒステリー」は、身体的な異常がないにもかかわらず、さまざまな運動障害や感覚障害、あるいは精神面における機能障害が生じるものです。ただし現在の診断基準においては、ヒステリーという病名は使用されていません。(中略)

ヒステリーは、二つのタイプに分類されます。まず、運動障害、感覚障害などの身体的な症状がみられるものは、「転換」と呼ばれます。一方、精神的な機能障害を示すタイプを「解離」と呼んでいます。(中略)

現在の診断基準であるDSM-Ⅳによれば、ヒステリーは「身体表現性障害」と「解離性障害」に分類されています。前者は「転換」に、後者は「解離」にほぼ相当しています。
どのタイプのヒステリーにおいでも、身体的な検査で異常はみられません。「転換」においては、「足が動かない」「目が見えない」などの症状が出現しますが、足や目の機能は正常です。また「解離」においではしばしば「けいれん発作」が出現することがありますが、「てんかん」においてみられる脳波の異常所見は示さず、発作によって転倒しても怪我をすることはありません。(中略)

ヒステリーはありふれた疾患です。胃腸障害、身体的な疼痛、手足のしびれなどの軽微な身体症状を主訴としで病院を受診する患者の七〇%あまりは、まったく異常がみられないという報告があります。つまり、病院を受診するかなりの患者の症状は、ヒステリーの「転換」による症状なのです。(後略)

注:(i) 引用中の「てんかん」は漢字にすると「癲癇」となります。 (ii) 引用中の「神経症」についてはここを参照して下さい。加えて、森田療法の視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「神経症(不安障害)とは?」 (iii) 引用中の「DSM-Ⅳ」(アメリカ精神医学会が発行する精神障害の診断・統計マニュアルの第4版)は改訂されて第5版(DSM-5、ちなみに、病名・用語翻訳ガイドラインについてはここを参照)となっています。 (iv) 引用中の「身体表現性障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 (v) 引用中の「転換」に関連する、 a) 「変換症」については次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」 一方、引用中の「解離」及び「解離性障害」については、共に他の拙エントリのリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。 b) 「転換・解離症状の特徴」については次の資料を参照して下さい。 「機能性身体症状について」の「転換・解離症状の特徴」シート(P3)[注:上記シート中の記述「満ち足りた無関心」について、國松淳和著の本、「ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点」(2020年発行)の 9. 外科手術だけではない の 現代医学から整理する の「ブラック・ジャックの慧眼」における記述の一部(P197~P198)を以下に引用します] c) 「転換性の症状」、そして「精神的加重」について、國松淳和著の本、「ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点」(2020年発行)の「コラム 5. 精神的加重?」における記述の一部(P212)を以下に引用します。

ブラック・ジャックの慧眼(中略)

転換ヒステリー(転換性障害)を見抜くために次にすべきは、この疾患の患者特有の〝けろっとした反応〟を診とることである(14)。これには対応する医学用語はあり、〝la belle indifference、満ち足りた無関心〟と呼ばれている。例えば下肢の麻痺があったとして、普通はそのような状態に突如おちいったら混乱し狼狽し、原因をひどく心配し、その後の予後を医師に質問し、疾患・症状について関心を持って知ろうとするはずである。転換ヒステリー(転換性障害)の患者では、このような〝健全な〟心配や不安を言わない。淡々、堂々としていることすらあり、疾患以外のことへの関心や行動が目立つことすらある。その様相を一語で表したものが、「満ち足りた無関心」である。(後略)

注:(i) 引用中の文献番号「(14)」は次の資料です。 「渡辺久子.ヒステリー(解離性障害).小児科診療 63 巻 10 号,p1508-1514,2000.」 ii) 引用中の「次にすべき」に対応する[一般には転換ヒステリー(転換性障害)を見抜く時に]まずすべきなのは、上記「ブラック・ジャックの慧眼」の P197 によると「症状の解剖学的知識との矛盾の有無をみる」ことです。加えて、上記「症状の解剖学的知識との矛盾の有無をみる」に関連する、 a) 「転換・解離症状の特徴」としての「症状に見合う身体病変がない」ことについては資料「機能性身体症状について」の「転換・解離症状の特徴」シート(P3)を、 b) 「診断基準」としての「その症状と、認められた神経学的または医学的状態との間に、明らかに相容れない臨床所見があること」についてはWEBページ「変換症 - 脳科学辞典」の「表.DSM5による変換症/転換性障害の診断基準」を それぞれ参照して下さい。 (ii) ちなみに、上記『國松淳和著の本、「ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点」』についてのツイート(その1その2)があります。 (iii) 引用中の「満ち足りた無関心」かどうかの「判断が難しい」ことについて、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の 第2章 精神医学から見た「〇〇な人たち」 の 身体症状症及び関連症候群 の「ストレスが身体症状として出現している人たち(変換症)」における記述の一部(P104~P105)を次に引用(【 】内)します。 【医師が変換症の診断を下すポイントとして、教科書的には「満ち足りた無関心」が挙げられる。その症状について本人が悩んでいる様子がないというものだが、実際の臨床現場では、積極的につらい症状を訴えてくるケースも少なくなく判断が難しい。】(注:引用中の「変換症」は上記「転換性障害」の最新名です。上記WEBページを参照して下さい。) 加えて、上記「満ち足りた無関心」の別名である「美しき無関心」(英語では「beautiful ignorance」と表現、引用はしませんが下記 P148 の*1を参照)は(解離の視点からかもしれない)「緊張・過敏型よりも弛緩・離隔型に当てはまる」ことについて、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 32 転換 の「2.緊張・過敏型と弛緩・離隔型」における記述の一部(P148~P149)を次に引用します。

ここでは転換症状を2つの類型に分けて,それぞれ考察してみたい.緊張・過敏型と弛緩・離隔型である.こうした分類は転換症の理解と治療に役立つであろう,
緊張・過敏型転換症状は発作的に現れ,比較的短期間で終息することが多い,心身の緊張状態である.トラウマや恐怖に関連しており,頭痛,動悸,振戦,ヒステリー球,四肢の異常運動,筋肉の緊張や硬直など,過敏症状のときに現れやすい身体症状である.現実回避や葛藤回避,願望充足などといった要素は乏しく,トラウマに圧倒され,窮地に追い詰められた状態を思わせる.幻視や幻聴などの幻覚,さらには切り離された記憶や感情が「いま・ここ」の意識に侵入するフラッシュバックなどにつながる体験である.
弛緩・離隔型転換症状は現実回避や葛藤回避などの逃避願望によって生じ,長期間持続することが多い心身の弛緩状態である.これは離隔症状のときに現れやすい身体症状である.緊張を強いられる「いま・ここ」の体験を自分の体験ではないとか,自分の記憶ではないといった否認や逃避的な願望充足の要素がみられる.緊張・過敏型に比較して,無意識的であるが動機付けや日的,意図を窺うことができ,空想傾向*2にみられるような催眠感受性が関連しているように思われる.症状としては,四肢の脱力や知覚麻痺,歩行障害,視野狭窄,失神,昏睡類似の無反応などが含まれる.前述の「疾病への意志」や「美しき無関心」などは緊張・過敏型よりも弛緩・離隔型に当てはまる.
ただしこれら2つの転換症状はあくまで類型であって,それぞれを明確に区別できるわけではない.たとえば弛緩・離隔の背後には,現実やトラウマに対する緊張・過敏がある.つまり緊張・過敏の持続や増大は,逃避機制によって弛緩・離隔を引き寄せる.また緊張・過敏の背景には弛緩・離隔がある.つまり弛緩・離隔の持続や増大は,無防備状態のため緊張・刺激を引き寄せる.したがって緊張・過敏型と弛緩・離隔型は混在ないしは交代することもある.転換症状の理解と治療の際には,こうした弛緩・離隔と緊張・過敏の両極に注目し,どちらかの極に偏ることなく患者の心身の全体像を把握する必要がある.(後略)

注:(i) この引用部の著者は柴山雅俊です。 (ii) 引用中の「*2」の内容(『 』内)は次を参照して下さい。 『*2 空想傾向(fantasy-proneness)とは傾眠にかかりやすい人たちの心的特性を意味する.想像や空想の世界で生活しがちであり,現実と空想を混同する傾向がある.解離との相関は良く知られている.』 加えて上記「空想傾向」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「転換症」の別名である「変換症」については次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」 (iv) 引用中の「離隔」と「過敏」については共に次の資料を参照すると良いかもしれません。 「解離とトラウマ」の「1) 解離の症候学」項 加えて、引用中の「離隔」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項 その上に、引用中の「過敏」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。さらに、引用中の「弛緩」と「緊張」については共に拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 (v) 上記解離の視点からの引用中の「フラッシュバック」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の『①「解離」とは、どのような現象をいうのでしょうか?』項 (vi) 引用中の「ヒステリー球」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 『【医師が解説】ヒステリー球(咽喉頭異常感症)の症状・診断・治療』 (vii) 引用中の「昏睡類似の無反応」に関連する「解離性昏迷」と「擬死反射」との関係について、同各論の 17 昏迷 の「4.解離性昏迷」項における記述の一部(P119)を次に引用(【 】内)します。 【解離性昏迷は,心理的なストレスやトラウマ的出来事に引き続いて生じることが多い.クレッチマーは,昆虫や動物が驚愕したあとにみせる「擬死反射」と共通の機序を想定した1)。】[注:a) この引用部の著者は玉田有です。 b) 引用中の文献番号「1)」は次の本です。 「Kretschmer, E.: Hysterie, Reflex und Instinkt. 5, Auflage, Thieme, Stuttgart, 1948.(吉益脩夫訳:ヒステリーの心理.みすず書房,東京,1961.)」 c) この引用と同様な記述として、駒ヶ嶺朋子著の本、「死の医学」(2022年発行)の 第六章 擬死と芸術表現――解離症と「生き抜く力」 の『進化はなぜ「解離」をもたらしたか』における記述の一部(P235)を次に引用(《 》内)します。 《二十世紀半ばにはドイツのエルンスト・クレッチマー医師(一八八八~一九六四)が(中略)解離性昏迷は昆虫や小動物が捕食の危機を逃れる方法である「擬死反射」と似ているのではないかと指摘した*17。》〔注:引用中の文献番号「*17」は次の本です。 「クレッチマー・E. 西丸四方高橋義夫訳.医学的心理学.みすず書房;東京;1955」〕 d) 引用中の「クレッチマー」と「擬死反射」に関連する(E・クレッチマーは)『ヒステリーの原型を、錯乱して暴れまわる「運動乱発」とフリーズして動かなくなる「擬死反射」に見た』ことについて、野間俊一著の本、「解離する生命」[2012年発行]の 第Ⅰ部 解離の諸相 の 第二章 瞬間の自己性――トラウマ学再論 の「5 瞬間の生命性」における記述の一部[P44]を次に引用します。 【E・クレッチマーはヒステリーを、「一つの観念傾向が本能的、反射的あるいはその他の方法で生物学的に準備されている機制を利用する場合の心因性の反応型」と定義し、その原型を、錯乱して暴れまわる「運動乱発」とフリーズして動かなくなる「擬死反射」に見た(14)。「一つの観念傾向」というのは、自分の身が危険に曝されたときにそれを避けようとする傾向のことであり(後略)】〔注:引用中の文献番号「(14)」は次の本です。 「Kretschmer, E.: Histerie, Reflex und Instrinct 5 Auflage, Georg Thieme Verlag, 1948.(吉益脩夫訳『ヒステリーの心理』みすず書房、一九六一、一三頁)」〕 e) 上記「解離性昏迷」の簡単な状態例について、同項における記述の一部[P119]を次に引用[《 》内]します。 《解離症の女性で,以前から家族や仕事のストレスが高じると,しばしば数時間程度の昏迷に陥っていた.その日も親族から強いストレスを受けたあと,筆者のもとを訪れたが,診察室のドアを開けながら,床に倒れ込んで動かなくなった.》 加えて、上記状態例の一つかもしれない記述として、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の e. 解離症[F44] の「(1) 解離症(6B61-5)[F44.0-3]」における記述の一部(P40)を次に引用(『 』内)します。 『突然に眠りこんだようになって、あらゆる呼びかけや刺激に応じないこともある。深い意識障害のようにみえるが、呼吸や各種反射は保たれ、脳波も正常である(解離性昏迷)。』 その上に、上記「解離性昏迷」の説明として次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「解離性昏迷」 さらにタイトルを除き拙訳はありませんが、上記「解離性昏迷」(Dissociative Stupor)に対するある治療法についての症例報告(Case Report)としての論文(全文)は次を参照して下さい。 「Case Report: GABAergic and Serotoninergic Agents for the Treatment and Prevention of Prolonged Dissociative Stupor[拙訳]症例報告:長引いた解離性昏迷の治療と予防のためのGABA作動薬及びセロトニン作動薬」 f) 引用中の「擬死反射」に関連する「擬死する」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「擬死反射」に関連する「擬死」(feigning death)と解離(dissociation)との関連を示す次に引用(《 》内)する記述が、論文(全文)「Dissociation debates: everything you know is wrong」の「Psychobiology of dissociation」項にあります。 《A number of lines of evidence support conceptualizing dissociation as the human equivalent of the animal "freeze" or "feigning death," protective response in the face of life-threatening danger, where fight/flight has failed or would be more dangerous.2,48[拙訳]闘争/逃走が失敗した時又はより危険だろう時に、生命を脅かす危険に直面した際の動物の「凍りつき」又は「擬死」防御反応に相当するものとして解離を概念化することを、多くの一連の証拠は支持する。2,48》〔注:1) 引用中の文献番号「2」、「48」の引用は共に省略します。この論文(全文)をお読み下さい。 2) 拙訳中の「凍りつき」については例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。〕]

(前略)筆者個人の話になるが、自分の教え子にしてここ数年臨床上の知己ともなっている尾久守侑医師に教わった言葉で、「精神的加重」というものがある。これは、身体疾患(脳の障害を含む)があると、転換性の症状が出現しやすくなるという現象で、これを彼に教わってから、内科の診療が格段にはかどるようになった。
身体疾患があると、軽微な認知機能障害や意識の低下を生じ、それによって通常であれば適応できていたイベントに対応できずに転換症状を引き起こす、という機序が想定されているのだそうだ。
この考えは、かなり広範囲の生理現象に応用できると私は日常診療で実感している。(後略)

注:(i) 引用中の「自分の教え子にしてここ数年臨床上の知己ともなっている尾久守侑医師」に関連するかもしれない『「心と体を分けなくていい」「精神科も内科もあまり変わらない」』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「内科医が話すストレスと自律神経の話 #SNS医療のカタチONLINE​ vol.10」の『「自律神経の不具合」は「精神的な問題」ではない』項 (ii) 引用中の「尾久守侑医師」のツイッターがあります。 (iii) 引用中の「精神的加重」に関連する「心理的加重」(次の後者の note によると「脳や身体に物理的に負荷がかかっているときに心理的な反応が起こりやすくなる現象」のこと)については次の note を参照すると良いかもしれません。 「編集後記『サイカイアトリー・コンプレックス 実学としての臨床』」の「Chapter 10 除反応とファントム」項、「雪の日に考える器質か心因か」 加えて、引用中の「身体疾患(脳の障害を含む)があると、転換性の症状が出現しやすくなる」こよや上記「脳や身体に物理的に負荷がかかっているときに心理的な反応が起こりやすくなる」ことに関連するかもしれない「長い闘病生活に苦しむとき,ストレスに対する耐性が低下して,比較的わずかな刺激で解離症状をしめすこともある」ことについて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の e. 解離症[F44] の「(1) 解離症(6B61-5)[F44.0-3]」における記述の一部(P41)を次に引用(【 】内)します。 【また長い闘病生活に苦しむとき,ストレスに対する耐性が低下して,比較的わずかな刺激で解離症状をしめすこともあるので注意を要する。】 なお、 a) 上記「サイカイアトリー・コンプレックス」については「精神科医自身の心の在りかたとは」を含めて次の YouTube を参照して下さい。 「本『サイカイアトリー・コンプレックス』尾久守侑先生のご著書 精神科医自身の心の在りかたとは 金芳堂」(注:この YouTube を補足するかもしれないツイートもあります) b) 上記「サイカイアトリー・コンプレックス」についての感想を簡単に紹介するツイートがあります。加えて、 引用中の「精神的加重」に関連するかもしれない『心因反応と器質的疾患を完全に切り離すのではなく、「脆弱性+身体因+心因=転換症状」という図式で考えた場合に心因のみで十分説明しうるかを考える重要性』については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「献本御礼:器質か心因か」 その上に、上記本の他の書評例は次の資料やツイートを参照して下さい。 「書評 器質か心因か」、「ツイート」 さらに、上記「心因反応」や「器質的疾患」に関連する『「器質の証明が心因ではないことの証左になってはいけないし、心因の証明が器質ではないことの証左になってはいけない」は肝に銘じます。』との記述を有するツイートがあります。これら以外にも、【尾久守侑先生の『器質か心因か』を読めば、「内科医の立場がなくなんじゃね?」というくらい精神科以外のことをかなり熟知していることがわかる】ことについては次の note を参照して下さい。 「内科医は何でも知っていて、外科医は何でもする?」 また、上記本『器質か心因か』についてはここも参照して下さい。 (iv) 一方、引用中の「精神的加重」に関連するかもしれない「内科・外科の病気も、濃淡の違いはあってもしばしば心身症神経症の色どりをおびている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)それを踏まえてこれから解離の具体像を俯瞰してゆきたい。そこで肝要なのは、ただでさえ複雑・多岐にわたり、変化自在とも見える解離像を統一的に捉えるために、いくつかの補助的視点をもつことである。これが解離における「波」と「重症度」および「演技」の理解である。
第一に、解離の場合も躁うつ病に似て、興奮・高揚と抑うつとの波があり、さらにその「混合状態」があって、諸症状はみなこの波との関連で出てくる。例えば遁走は高揚を伴い、憑依は抑うつに現れやすい、など。またかつて転換ヒステリーと呼ばれた身体症状はいずれも軽い抑うつ状態の中で出現しやすいなどである。(中略)

ところでこの重篤化の過程は、よく見ると「軽度・中度・重度」というそれぞれ特徴的な三段階を経る。簡潔に言うと、軽度は「念慮」の段階、中度は「妄想」、そして重度は「夢幻様」(意識障害)の段階と特徴づけられるのである。
さて最後に問題にしないといけないのは、かつて「ヒステリー」概念につきまとった、「詐病」とか「演技」(模倣)とか言われる問題についてである。ヒステリーの継承者たる解離に、同様な問題がないとは言えない。ここでは簡潔にこれに関して問題点のみ指摘しておこう。初め解離性精神病は苦悩の極に意図を超えて生じたのだが、病気が長期化(慢性化)すると、かなりの患者は自分で病状を作ることを覚え、例えば多重人格はどんどん増えるという傾向がある。この「作る」も、単に演じる場合と、ある状況を想像的に作りその中で実際に病的状態に陥る場合とがある。したがって特に長期化(慢性化)した患者の場合、実際の病気の時と、病気を演ずる(模倣する)場合、そして演ずる中で実際に病気に陥る場合、の三種類があることを指摘しておきたい。それにしても病気を演じざるをえない状況というのもまた悲劇的である。
さて以上の前置きを踏まえて、ここでは各状態を重篤度に応じて波との関連で列記してゆくに留めておこう。

①軽解離状態:軽躁状態と軽うつ状態に分かれる。軽躁状態では患者の訴えは少なく、むしろ快調・元気と感じているため、本来は重要であるにもかかわらず病状として問題にされることは少ない。ただし、躁的混合状態ではしばしば、さまざまな逸脱行為として問題化してくることがある。
これに対し軽うつ状態は、多彩な病状の宝庫と言って過言でない。従来心身症とか転換型ヒステリーと呼ばれたものは基本的にここに属する。さらには現在、ICD-10で「運動および感覚の解離性障害」(F44.4~44.7)および「身体表現性障害」(F45)に入れられているものの多くがここに属する。いずれにせよこの軽うつ状態で患者は、比喩的に云えば右足を現実世界にのせ、左足を病的観念世界においている状態で、基本は現実世界に生きていながら、暗示的な病的観念にとらわれている。自験例を挙げてみよう。
(1) 自律神経系の異常を伴うさまざまな「心身症状」
過換気症候群:最もしばしば起きる。身体的緊張・不安との悪循環が伴う。
消化機能障害:不安・身体緊張が肥大化し、胃腸(内蔵)機能が低下し、時に重篤イレウスに至る。
熱発:異常緊張・興奮とともに通常は三七度台の微熱程度だが、時に四〇度台に至る。
(2) 「知覚機能障害」(F44.6):特に皮膚の知覚麻痺ないし脱出は珍しくなく、これがリストカットなどと伴って出現することは周知である。時に眼の知覚障害が見られる。
(3) 「運動機能障害」(F44.4):失立・失歩・失声などがしばしば見られる。
(4) 「対人嫌悪」(怯え)や「離人症」など精神症状が主たるもの。
このうち(1)は主として身体症状として見え、(4)は主として精神症状として見える。(2)、(3)はその中間と考えられるものである。

②中等度解離状態:孤立化と生のリズム解体とが悪循環をなして進行してゆくと、患者の現実感覚は徐々に減弱してゆき、ついにある域を越えると、幻覚・妄想の世界に陥入してゆく。ここで、興奮・高揚と抑うつの両極に分かれる。高揚状態では、「願望の対象」たる人ないしその昇華形としての神などが現れ、その人ないし神との願望的関係妄想の世界が展開される(願望妄想)。それに対し抑うつ状態では、ある人物なりその昇華体を中心とした世界からの被害・憑依が展開され、被害妄想・憑依妄想の世界が拡がってゆく。そしてこれが嵩じてゆくと、両妄想世界ともに幻覚世界を発展させてゆくのである。(後略)

注:i) なお、転換性症状は解離性身体症状と別に分類した方が良いとの意見があります。他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、様々な診断基準における解離症(解離性障害)と変換症(転換性障害)の間の境界については、次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」の「診断基準」項 ii) 引用中の「それを踏まえて」について知りたいのであれば、一次情報を読んで下さい。 iii) 引用中の「遁走」については、例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「区画化」項 iv) 引用中の「離人症」については、例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項 v) 引用中の「この重篤化」は、「重症度」としての症状の重篤化のことです。 vi) 引用中の「転換型ヒステリー」については、例えば、次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」の「変換症とは」項 vii) 引用中の「イレウス」については、例えばイレウスを参照して下さい。 viii) 国際的診断基準である引用中の「ICD-10」の「F44」については次のWEBページを参照して下さい。 「F44 解離性[転換性]障害」 ix) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 x) この引用の著者は、例えばうつ病及び躁病を「軽症、中等症、重症」の三段階に分類しています。引用はしませんが、森山公夫著の本、「躁とうつ」(2014年発行)の「Ⅳ 病態の構造――躁・鬱スパイラルの形成」章を参照して下さい。

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【細かな説明3】身体疾患に併病する精神疾患を見落とすリスク

線維筋痛症*26における診療を例にして、身体疾患に併病する精神疾患を見落とすリスクについて以下に説明を試みます。特に、精神疾患の受け入れが困難な患者の方々にあてはまると本エントリ作者は考えます。一方、『一度「身体的に異常なし」と言われると容易には取り返しが付きません』との記述を有するツイートもあります。加えて、この説明において示される「虚偽性障害」の概要について、及び線維筋痛症と子ども時代の逆境等、境界性パーソナリティ障害及び ADHD との関連についての複数の論文を、以下、それぞれここ及びここに紹介します。その上に、下記資料における「いったん身体疾患と告知された患者に新たに精神面の治療を実施することはきわめて困難である」ことについて、WEBページ「子宮頸がんワクチン接種後に生じた症状に関する治療法の確立と情報提供についての研究」にリンクされている分担研究報告書「子宮頸がんワクチン接種後に生じた症状に関する精神医学的研究」の「E. 結論」項(P19)における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『多くの患者は精神疾患よりは身体疾患の病名を受け入れやすい。いったん身体疾患と告知された患者に新たに精神面の治療を実施することはきわめて困難である。』(注:この引用に関連するツイートもあります) さらに、標記「身体疾患に併病する精神疾患を見落とすリスク」に関連するかもしれない内科外来における「あまりやらないほうがいいこと」としての『身体疾患「風」の病名をつける』ことについて、尾久守侑著の本、「器質か心因か」(2021年発行)の “病気”でないことの伝え方 の あまりやらないほうがよいこと の『2. 身体疾患「風」の病名をつける』項における記述(P91)を註を省いて以下に引用します。なお、上記本「器質か心因か」についての感想・レビューは次のエントリやWEBページを参照して下さい。 「本の感想:器質か心因か」、「器質か心因か

標記説明のために次のガイドライン線維筋痛症診療ガイドライン 2013」を対象とし、ここから記述の一部を以下に複数引用します。ちなみに、標記説明の記述はないものの、より新しい「線維筋痛症診療ガイドライン 2017」もあります。

先ず、このガイドラインの「4 鑑別診断 5 線維筋痛症精神疾患の鑑別」の「10 線維筋痛症と思い込む状態」項における記述の一部(P77)を次に引用します。

重要なのは「患者は精神疾患よりは身体疾患の病名を受け入れやすいが,いったん身体疾患であると告知された患者に新たに精神面の治療を実施するのは非常に難しい。診断名の告知は慎重になされねばならない」という点である。痛みの治療にあたる医師は,初期診療における診断の告知がその後の治療に及ぼす影響について十分知っておくべきである。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「2 線維筋痛症精神疾患の疫学」項における記述の一部(P111)を次に引用します。

海外の研究によると線維筋痛症においては,精神疾患の合併率が高いことが知られている。線維筋痛症の診断時点でのうつ病や不安障害の合併がそれぞれ20~35%と報告されている。また,線維筋痛症患者のうつ病や不安障害の罹患率は,それぞれ60~70%と非常に高い。また,パーソナリティー障害が10%程度認められると報告されている。
これらの海外の研究は,米国リウマチ学会の1990年の分類・診断基準に従って合併という概念で扱っているが,日本においてはそのような研究報告自体がなく,日本の線維筋痛症患者における実態はまだ不明である。自験例においては,線維筋痛症患者に精神疾患の診断を行うと95%以上の患者に精神疾患が認められ,複数の精神疾患の診断が認められる患者も多く1人あたりの平均の診断数は約1.5である。約3/4の患者に身体表現性障害が認められ,次に気分障害うつ病または気分変調性障害が半数ずつ)が3割,パーソナリティー障害が1割程度認められる。これらのデータは,海外の報告とほぼ一致するものであるが,日本においては不安障害の合併が非常に少ないことや広汎性発達障害解離性障害がそれぞれ1割程度認められること,時に統合失調症精神遅滞も認められることが特徴であると言える。線維筋痛症を診る施設が本邦では少なく,施設間において患者層に大きな違いがあるため,自験例が日本の線維筋痛症として一般化できるかという問題点が存在するが,本邦においても線維筋痛症患者の大部分に精神疾患が認められるため,精神科的な関与が必要であると思われる。

注:引用中の「広汎性発達障害」は自閉スペクトラム症に相当します。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「3 線維筋痛症における精神疾患治療の必要性」項における記述の一部(P112)を次に引用します。

ガイドラインでは、線維筋痛症は筋緊張亢進型、腱付着部炎型、うつ型の3つのクラスターに分類されるとしているが,前二者は主に整形外科の専門領域に最も近く,うつ型は精神科領域に最も近いと考えられる。(中略)

線維筋痛症患者において,これらのクラスターの重複が認められるものは非常に重症であることが知られており,このような点からも精神科医の関与が必要とされる。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「4 線維筋痛症精神疾患の合併という考え方」項における記述の一部(P113)を次に引用します。

(前略)このような現状においては、②の合併*27という考え方で治療にあたることが,最も治療構造の構築にはよいものと思われる。合併であれば,それぞれの専門家がその専門領域の知識を活かして治療を行うことができ,線維筋痛症患者が最も利益を受けることが可能であると思われる。

注:引用中の脚注は引用者による追記です。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「5 線維筋痛症における治療構造の重要性」項における記述(P113)を次に引用します。

前項にて,「合併」という考え方が最も実地臨床に即しているとしたが,そのような治療構造にしたからといって,精神科の治療導入がうまくいくとは限らない。それは,たとえば整形外科の線維筋痛症専門医が診察して線維筋痛症と診断した後に,精神科受診が必要であると判断しそのように説明しても患者が偏見のため拒否すれば受診しない。患者は精神疾患患者というレッテルを貼られることを恐れたり,それに怒りを感じたりする。また,実際にある精神疾患を認めたくないという心性が働き否認したりするなど,精神科受診を嫌がる理由は多数あり,それは個々に異なる。
そこで問題となるのは,その線維筋痛症専門医が患者に最もよい治療を行うために必要なことができないまま,診療を続けることとなり,精神科的な治療ができないために精神症状が悪化し,重症化していくことである。主治医の勧めを受け入れないこのような線維筋痛症患者は,治療構造を破壊することがしばしば認められ,自分の思い通りの治療を要求し,その結果として医原性に薬物依存となったり,初めは身体表現性障害であったものが,虚偽性障害に発展し,最終的に詐病として,生活保護などを受け生活の糧を得る手段となってしまうことがある。このように病態が進んだ後の治療は大変困難であり,そのようにならないためには,最初の治療構造の構築が最も重要であると思われる。この点を克服するためには,精神科を最初に受診するシステムが最もよいと思われる。精神科受診を線維筋痛症の診断全体における一評価部門と位置づけることで,その心理的な抵抗を軽減することができる。

注:i) 引用中の「身体表現性障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 加えて、これに関連する「身体症状症」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体症状症」、「心療内科における身体症状症の位置づけ」 ii) 引用中の「虚偽性障害」についてはここを参照して下さい。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「6 精神科による治療の導入と概要」項における記述の一部(P114)を次に引用します。

線維筋痛症の精神医学的評価を行う診療システムにおいては,まず,初診の予約を取るときに「線維筋痛症では非常に高い率で精神疾患を合併しておりその評価が診断・治療において必要であること」を説明し,精神科の予約を最初に取る。精神科を受診したときに,またまったく同じことを説明し,全部で3回診察を行い,精神医学的評価を行う。その結果を,患者およびその家族に説明した後に,線維筋痛症の専門医の診察の予約を取る。精神科における診断を明確にカルテに記載してあるので,それを参考にしながら,線維筋痛症の専門医が診断・治療にあたる。

次に、このガイドラインの「5 治療 3 精神科アプローチによる治療の導入」の「11 おわりに」項における記述の一部(P118)を次に引用します。

精神科受診においては,家族の受診を勧めても本人しか受診しない場合もあり,精神医学的な評価が十分にできないことがある。パーソナリティー障害,広汎性発達障害気分障害は,典型的でない場合は本人だけの診察では確定診断が難しいことがある。つまり,家族や学校や職場の人などからの聴取がその診断に必要になる。
また正確な診断をするためには,侵襲的な問診が必要な場合があるが,必要な患者ほど侵襲的な問診は慎重に行う必要があることから,3回の診察の中で行うことは難しい。線維筋痛症の診断・治療を受けに来ており,そのために精神医学的な評価を受けるということで受診していることから,患者の受診の動機づけは低い。必要があれば精神科での診療を継続するようにしているが,実際には既に精神科にて治療を受けている場合または精神科には受診したくないので今までも受診を勧められたが受診したことのない患者が大半であるため,基本的には3回の診察で終結することが多い。すなわち、3回の診察で扱える範囲内の診察しかできなため,その診断・治療には限界があることは言及しておきたい。

最後に上記説明で示された虚偽性障害(作為症)について、American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第9章 身体症状症および関連症群 の 他の身体症状症および関連症群 の「作為症/虚偽性障害 Factitious Disorder」における記述の一部(P147~P148)を以下に引用します。加えて、線維筋痛症と子ども時代の逆境等、境界性パーソナリティ障害及び ADHD との関連についての複数の論文を以下に示します。

作為症/虚偽性障害 Factitious Disorder
作為症をもつ人々は実際には病気ではなくても,身体疾患や精神疾患を捏造したり,そのふりをしたりする。症状について嘘をついたり,症状を出すために自分を傷つけたり,病気であるとみせかけるために検査結果を変えたりする。例えば 実際には起きていない最愛の人の死を取り上げて,抑うつ気分や自殺念慮を訴えることもある。時には実際の病気や外傷が存在することもあるが,その傷や痛みをわざと悪化させるようなことをする。例えば,わざと傷を細菌に曝したり,治らないように他のことをしたりすることもある。こうした行為によって,軽い病気が治るのを阻害し,より重症なものにしてしまう。そしてこうした傷や病気を悪化させている自分の行為については明かさない。
以下のような2つのタイプの作為症の診断がある。
自らに負わせる作為症 Factitious Disorder Imposed on Self
・身体的症状や精神的症状を捏造する,もしくは症状を引き起こすように自身を傷つける。
・病気である,外傷を負っていると周囲に示す。
他者に負わせる作為症 Factitious Disorder Imposed on Another
・他者(子どもや大人やペットなど)に身体的症状や精神的症状を捏造する,または症状を引き起こすように他者を傷つける。
・世話をしている誰かが病気もしくは外傷を負っていると周囲に示す。
・症状を生じさせた加害者が作為症と診断されるのであって,病気や外傷を受けた人や動物(被害者)ではない。

いずれのタイプの作為症であっても,病気があると振る舞う明確な理由はない。問題を他の人のせいにすることで金銭を得るといった,病気や外傷を偽ることで報酬を得ることもあれば,利益がないこともある。この背景には,自身が病気であったり,病者を介護したりしていると振る舞うことで,助けや注目を得られることを心地よく感じるという複雑な理由がある。作為症と診断するには,本心から病気であると信じる妄想性障害のような他の精神疾患をもたないことが必要である。
作為症の人々は自身でメンタルヘルスの治療を求めないことが多い。どの治療法が最も効果があるかを示した研究はない。精神科治療薬が役立つ証拠も示されていない。支持的精神療法やバイオフィードバックで効果があったとする報告がある。バイオフィードバックは自身の身体機能をコントロールする能力を得る方法である。筋緊張,皮膚温度,呼吸回数などの情報を計器で記録し,それを見ることで望ましい反応を学ぶ。このフィードバックによって,ある変化(例えば呼吸回数を変える)を起こせば,望ましい反応(例えば深く呼吸することで緊張を和らげられる)を作り出せるようにする。(後略)

注:引用中の「妄想性障害」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

標記複数の論文を次に紹介します。
Self-Reported Childhood Maltreatment and Traumatic Events among Israeli Patients Suffering from Fibromyalgia and Rheumatoid Arthritis.[拙訳]線維筋痛症及び慢性関節リウマチに罹患したイスラエル患者中の自己報告した子ども時代のマルトリートメント及びトラウマ的なイベント(全文はここを参照して下さい)

Objective. The association between Fibromyalgia Syndrome (FMS) and childhood maltreatment and adversity has frequently been proposed but limited data exists regarding the transcultural nature of this association.

Methods. 75 Israeli FMS patients and 23 Rheumatoid Arthritis (RA) patients were compared. Childhood maltreatment was assessed by the Childhood Trauma Questionnaire (CTQ) and potential depressive and anxiety disorders were assessed by the Patient Health Questionnaire-4. FMS severity was assessed by the Widespread Pain Index (WPI), the Symptom Severity Score (SSS), and the FIQ. PTSD was diagnosed according to the DSM IV. RA severity was assessed by the RA Disease Activity Index. Health status was assessed by the SF-36.

Results. Similar to reports in other countries, high levels of self-reported childhood adversity were reported by Israeli FMS patients. PTSD was significantly more common among FMS patients compared with RA patients, as well as childhood emotional abuse and physical and emotional neglect. Levels of depression and anxiety were significantly higher among FMS patients.

Conclusion. The study demonstrated the cross cultural association between FMS and childhood maltreatment, including neglect, emotional abuse, and PTSD. Significant differences were demonstrated between FMS patients and patients suffering from RA, a model of an inflammatory chronic rheumatic disease.


[拙訳]
目的。 線維筋痛症(Fibromyalgia Syndrome:FMS)と子ども時代のマルトリートメントや逆境との関連がしばしばに提案されているが、この関連の全ての文化に共通の特質に関しては限られたデータしか存在しない。

メソッド。 75人のイスラエル FMS 患者と23人の関節リウマチ(RA)患者を比較した。子ども時代のマルトリートメントは Childhood Trauma Questionnaire(CTQ)により評価され、そして、潜在的うつ病及び不安障害は Patient Health Questionnaire-4 により評価された。 FMS の重症度は、Widespread Pain Index(WPI)、Symptom Severity Score(SSS)、及び FIQ(Fibromyalgia Impact Questionnaire)によって評価された。PTSDDSM-IV に従って診断された。RA の重症度は RA Disease Activity Index によって評価された。健康状態は SF-36 によって評価された。

結果。他国における報告書と類似して、高レベルの自己報告による子供時代の逆境がイスラエルの FMS 患者によって報告された。子供時代の情動的虐待及び身体的や情動的ネグレクトと同様に、PTSD は、RA 患者と比較して FMS 患者において有意にありふれていた。抑うつ及び不安のレベルは、FMS 患者で有意に高かった。

結論。この調査は、FMS とネグレクト、情動的虐待及び PTSD を含む子ども時代のマルトリートメントとの間の比較文化における関連性を実証した。FMS 患者と炎症性慢性リウマチ疾患のモデルである RA に罹患している患者との間には有意差が実証された。

注:i) 引用中の「マルトリートメント」については資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい。 ii) ちなみに、a) 論文における FMS 及び RA 患者の子ども時代の逆境(adversities)を回顧報告した割合は、論文中の「Table 7」を参照して下さい。なお、マルトリートメントを回顧報告した割合は、論文中の「Table 6」を参照して下さい。 b) 加えて、引用はしませんが米国とドイツの FMS 外来患者に関する論文において、同患者が子ども時代の逆境を回顧報告した割合については、論文中の「Table IV」を参照して下さい。なお、 (potential) lifetime traumatic events を回顧報告した割合は、論文中の「Table V」を参照して下さい。 iii) 引用中の「Childhood Trauma Questionnaire」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「小児期の心的外傷と精神病:遺伝的易罹患性、精神病理、心的外傷の種類の異なる症例対照および症例同胞比較」 iv) 引用中の「Patient Health Questionnaire-4」に関連する「Patient Health Questionnaire (PHQ-9)」については例えば次の資料を参照して下さい。 「Patient Health Questionnaire (PHQ-9, PHQ-15) 日本語版および Generalized Anxiety Disorder -7 日本語版 -up to date-」 v) 引用中の「Widespread Pain Index」については例えば次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症の診断と治療」の「Table 1」 vi) 引用中の「Fibromyalgia Impact Questionnaire」については例えば次の資料を参照して下さい。 「日本語版 Fibromyalgia Impact Questionnaire(JFIQ)の開発:言語的妥当性を担保した翻訳版の作成」 vii) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「DSM-IV」は「(アメリカ精神医学会による)精神障害の診断と統計マニュアル第4版」のことです。 ix) 引用中の「RA Disease Activity Index」に関連する RA(関節リウマチ) における「SDAI(simplified disease activity index)」については例えば次の資料を参照して下さい。 「関節リウマチの診断と治療 ~Up-to-date~」の「2.RA寛解基準」項 x) 引用中の「SF-36」については例えば次の資料を参照して下さい。 「平成19年度新入生の健康調査結果 : 健康関連QOL尺度SF-36の導入

The association between borderline personality disorder, fibromyalgia and chronic fatigue syndrome: systematic review.[拙訳]境界性パーソナリティ障害と、線維筋痛症及び慢性疲労症候群との関連:システマティック・レビュー(全文はここを参照して下さい)

BACKGROUND:
Overlap of aetiological factors and demographic characteristics with clinical observations of comorbidity has been documented in fibromyalgia syndrome, chronic fatigue syndrome (CFS) and borderline personality disorder (BPD).

AIMS:
The purpose of this study was to assess the association of BPD with fibromyalgia syndrome and CFS. The authors reviewed literature on the prevalence of BPD in patients with fibromyalgia or CFS and vice versa.

METHODS:
A search of five databases yielded six eligible studies. A hand search and contact with experts yielded two additional studies. We extracted information pertaining to study setting and design, demographic information, diagnostic criteria and prevalence.

RESULTS:
We did not identify any studies that specifically assessed the prevalence of fibromyalgia or CFS in patients with BPD. Three studies assessed the prevalence of BPD in fibromyalgia patients and reported prevalence of 1.0, 5.25 and 16.7%. Five studies assessed BPD in CFS patients and reported prevalence of 3.03, 1.8, 2.0, 6.5 and 17%.

CONCLUSIONS:
More research is required to clarify possible associations between BPD, fibromyalgia and CFS.


[拙訳]
背景:
線維筋痛症慢性疲労症候群CFS)及び境界性パーソナリティ障害(BPD)において、併存疾患の臨床的所見を伴う病因学的要因及び人口統計学的特徴のオーバーラップが記録されている。

目標:
この研究の目的は、BPD と線維筋痛症及び CFS との関連を評価することであった。著者らは、線維筋痛症又は CFS を伴う患者における BPD の有病割合に関する文献をレビューした。

方法:
5つのデータベースの検索で6つの有効な研究が得られた。手動の検索と専門家との接触により、さらに2つの研究が得られた。研究のセッティングとデザイン、人口統計情報、診断基準及び有病割合に関係する情報を我々は抽出した。

結果:
我々は、BPD を伴う患者の線維筋痛症又は CFS の有病割合を特別に評価した研究を同定しなかった。 3つの研究で線維筋痛症患者における BPD の有病割合が評価され、そして、1.0、5.25 及び 16.7%の有病割合が報告された。5つの研究で、CFS 患者における BPD が評価され、3.03、1.8、2.0、6.5 及び 17%の有病割合が報告された。

結論:
BPD と線維筋痛症及び CFS と間の可能性のある関連を明らかにするために、より多くの研究が必要である。

注:ちなみに、BPD と子ども時代の虐待との関連について、例えば上記は全文の「Background」において、次に引用(『 』内)する記述があります。 『Several studies have shown that a diagnosis of BPD is associated with child abuse and neglect more than any other personality disorders [7, 8], with a range between 30 and 90% in BPD patients [7, 9].[拙訳]BPD の診断と子どもの虐待及びネグレクトとが他のいかなるパーソナリティ障害 [7, 8] よりも関連し、BPD 患者において30~90%の範囲にあることをいくつかの研究は示している [7, 9] 。』(注:引用中の文献番号「7」、「8」、「9」はそれぞれ次の論文です。 「Childhood maltreatment associated with adult personality disorders: findings from the Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study.」、「Traumatic exposure and posttraumatic stress disorder in borderline, schizotypal, avoidant, and obsessive-compulsive personality disorders: findings from the collaborative longitudinal personality disorders study.」、「Prediction of the 10-year course of borderline personality disorder.

Screening for Adult ADHD in Patients with Fibromyalgia Syndrome.[拙訳]線維筋痛症を伴う患者における成人 ADHD のスクリーニング

OBJECTIVE:
Fibromyalgia syndrome (FMS) is a common chronic pain disorder associated with altered activity of neurotransmitters involved in pain sensitivity such as dopamine, serotonin, and noradrenaline. FMS may significantly impact an individual's functioning due to the presence of chronic pain, fatigue, and cognitive impairment. Dyscognition may be more disabling than the chronic pain but is mostly under-recognized. This study aimed to assess the potential co-occurrence of FMS and adult attention deficit hyperactivity disorder (ADHD), a chronic neurodevelopmental disorder also associated with impaired cognition and dopaminergic function.

METHODS:
In a cross-sectional observational study, 123 previously confirmed FMS patients were screened for adult ADHD using the World Health Organization Adult ADHD Self Report scale v1.1. The Revised Fibromyalgia Impact Questionnaire (FIQ-R) was used to assess the impact of FMS. Cognitive assessment was based on self-report in accordance with the 2011 modified American College of Rheumatology criteria and the FIQ-R, respectively.

RESULTS:
Of the 123 participants, 44.72% (N = 55) screened positive for adult ADHD. Participants with both FMS and a positive adult ADHD screening test scored higher on the FIQ-R score (64.74, SD = 17.66, vs 54.10, SD = 17.10). Self-reported cognitive impairment was rated higher in the combined group (odds ratio = 10.61, 95% confidence interval; 3.77-29.86, P < 0.01).

CONCLUSIONS:
These results indicate that the co-occurrence of adult ADHD in FMS may be highly prevalent and may also significantly impact the morbidity of FMS. Patients with FMS should be assessed for the presence of adult ADHD.


[拙訳]
目的:
線維筋痛症(FMS)は、ドーパミンセロトニン、及びノルアドレナリン等の疼痛感受性に関与する神経伝達物質の変化した活性に関連する一般的な慢性疼痛障害である。 FMS は、慢性疼痛、疲労、及び認知障害の存在により、個人の機能に著しく影響を及ぼすかもしれない。認知不全は慢性疼痛よりもより障害になるかもしれないが、ほとんどが過少認識認識されている。潜在的な FMS の併存、そして認知障害及びドーパミンo機能にも関連する慢性的な神経発達症である成人の注意欠如・多動症ADHD)を評価することを、本研究は目的とした。

方法:
断面観察研究において、123人の前もって確認された FMS 患者が、World Health Organization Adult ADHD Self Report scale v1.1(ASRS-v1.1)を用いて、成人の ADHD のスクリーニング検査をされた。FMS の影響を評価するために Revised Fibromyalgia Impact Questionnaire(FIQ-R)が用いられた。認知の評価は、2011 modified American College of Rheumatology criteria 及び FIQ-R それぞれに従った自己報告に基づいた。

結果:
123人の参加者のうち、44.72%(N = 55)が成人 ADHD 陽性とスクリーニングされた。 FMS 及び成人 ADHD スクリーニング試験陽性の両方を伴う参加者は、より高い FIQ-R スコアを取った(64.74, 標準偏差 = 17.66、vs 54.10, 標準偏差 = 17.10)。自己報告された認知障害は、合併したグループにおいてより強く評価された(オッズ比 = 10.61、95%信頼区間; 3.77-29.86、P < 0.01)。

結論:
FMS における成人 ADHD の併存が非常に広く認められるかもしれなく、そして FMS の罹患率に重大に影響を与えるかもしないことこれらの結果は示す。FMS を伴う患者は成人の ADHD の存在を評価されるべきである。

注:i) 引用中の「N = 55」は人数を示します。 ii) 引用中の「ADHD」は他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「ドーパミン」、「セロトニン」、「ノルアドレナリン」等の「神経伝達物質」に関連する「モノアミン」については次のWEBページを参照して下さい。 「モノアミン - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「ASRS-v1.1」は次の資料を参照して下さい。 「Adult ADHD Self-Report Scale-V1.1 (ASRS-V1.1) Symptoms Checklist」 v) 引用中の「Revised Fibromyalgia Impact Questionnaire」については、次の資料を参照して下さい。 「Revised Fibromyalgia Impact Questionnaire(FIQR)日本語版の開発:言語的妥当性を担保した翻訳版の作成

2. 身体疾患「風」の病名をつける
自律神経失調症」とか「Medically Unexplained Symptoms という現在の医学では説明のつかない病名です」といった身体疾患「風」の「病名」をつける行為は、「わたしは難病なんだ!」という気持ちを強くし、ますます身体症状への固執を強くする。「自律神経失調症」とか「MUS」というのはまあそうなのだけれども、こういった「名前をつけて身体疾患と思わせる」ことで、日ごとに患者の「病気」のイメージは突飛な方向に膨らんでいき、ことあるごとに「わたしは MUS という難病を抱えて何年も闘病生活をしてまして」などと言うようになる。身体難病を抱えて闘病生活を送っていると思い込んでいる人に「心療内科に行け」とか「向精神薬を飲め」と言っても納得できないのはすぐにわかるだろう。のちに治療が非常に難渋することになる。

注:i) 引用中の「自律神経失調症」については次の資料を参照して下さい。 「自律神経失調症」 ii) 引用中の「Medically Unexplained Symptoms」(MUS)については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 iii) 引用中の『日ごとに患者の「病気」のイメージは突飛な方向に膨らんでいき、ことあるごとに「わたしは MUS という難病を抱えて何年も闘病生活をしてまして」などと言うようになる。身体難病を抱えて闘病生活を送っていると思い込んでいる』ことに関連するかもしれない「特定の医師やメディア等により化学物質過敏症と刷り込まれた単純な信念体系」については次の資料を参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④(P89)

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【細かな説明4】疾患のチェック例

上記精神疾患の診断が見落とされる又は誤診されるリスクを伴う患者様等に向け、これらの精神疾患かどうかの判別のための一助をはじめとした、セルフチェック又は理解に適切な1冊の本の提示を以下に試みます。ただし、一部の精神疾患関係に限ります。

(a) トラウマ(PTSD又は複雑性PTSD)
水島広子著の本、「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(2011年発行)を読めば、PTSD又は複雑性PTSDのセルフチェックが可能かもしれません。それどころか、この本のタイトルにもあるように、治療的でもあるかもしれません。これが上記拙エントリ *28において、この本の記述を多く引用した理由の一つです。一方、トラウマと関連する愛着については(g)項を参照して下さい。

トラウマを有する境界性パーソナリティ障害*29の患者の方々もこのセルフチェック法の適用が可能かもしれません。

加えて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)があります。特に、この本の第5部「回復へのさまざまな道」の内容が充実しているのがこの本の一つの特徴です。*30

一方、日本人の著作では、杉山登志郎著の本「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)*31があります。

ちなみに、複雑性PTSD(又は第四の発達障害*32)と発達障害を併病している患者の方々は、上記の本を含む杉山登志郎著・編集の本等(例えば、他の拙エントリのここここ、及びここ参照)を読むことをはじめとして、杉山登志郎医師をリアルでフォローすると、適切な情報が得られる等で良いかもしれません。

(b) 解離性障害
重症な場合を除いては、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)を読めば、解離性障害のセルフチェックが可能かもしれません。ちなみに、他の拙エントリにおける同本の引用例はここ及びここを参照して下さい。さらに、この本を評価するWEBページを次に紹介します。「【2906】私は統合失調症と診断されましたが、それは誤診で、解離性障害なんじゃないかと思っています。」(特に最下位部、[注:HOME はここを参照])

ちなみに、次のWEBページに登場する相談者は実力が高く、誤診されるリスクは低いのではないか と本エントリ作者は考えます。「【3070】解離のような症状があるようですが、これが解離の症状なのか正常の範囲なのかわかりません」(注:HOME はここを参照)

(c) 女性のアスペルガー症候群
宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)を読めば、女性のアスペルガー症候群のセルフチェックが可能かもしれません。ちなみに、 i) この本の他の拙エントリにおける引用例はここを参照して下さい。加えて、その後に出版された、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガ―症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 女性の悩みと問題行動をサポートする本」(2017年発行)があります。 ii) (女性に限らない)アスペルガー症候群又は自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)に関する一般医学書は数多く出版されており、1冊に絞ることはできませんが、他の拙エントリで示された様々な引用元の本を参照すると良いかもしれません。

(d) 女性のADHD
宮尾益知監修の本、「女性のADHD」(2015年発行)を読めば、女性のADHDのセルフチェックが可能かもしれません。ちなみに、この本における引用を含むADHDに関する情報紹介は、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、その後に出版された、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガ―症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 女性の悩みと問題行動をサポートする本」(2017年発行)や榊原洋一、高山恵子著の本、「最新図解 女性のADHDサポートブック」(2019年発行)があります。

(e) 境界性パーソナリティ障害境界例
少し古いですが、平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)を読めば、境界性パーソナリティ障害境界例)の理解が進むかもしれません。この本には元患者によるこの本の感想が寄稿されています(P338~P346)。この感想における言葉を借りると、「他の境界例の専門書とくらべて、とても安心して読むことができる」そうです。例えば、他の境界例の専門書とくらべて、否定的側面にはスポットがあたっていなく、淡々と書かれているようです。ちなみに、i) この本を高評価するエントリを次に紹介します。「パーソナリティ障害について」 ii) 本エントリ及び他の拙エントリにおける同本の引用例はここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、「見捨てられ不安」を強調したより読みやすい本を次に示します。市橋秀夫監修の本、「境界性パーソナリテイ障害は治せる! 正しい理解と治療法」(2013年発行)。他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。また、境界性パーソナリティ障害から回復した方が著者の1人である本は、岡田尊司、咲セリ著、「絆の病 境界性パーソナリティの克服」(2016年発行)です。ちなみに、後者の本は愛着障害の視点からも記述されています。

(f) 統合失調症
この一冊かどうかはともかくとして、林公一著、村松太郎監修の本、「ケースファイルで知る統合失調症という事実」(2013年発行)においては、統合失調症の実例が様々な視点から豊富に示されています。この本からの引用は他の拙エントリのここで紹介されています。

(g) 愛着の問題
パーソナリティや発達の問題の理解をさらに深めるために、愛着の視点から記述した、岡田尊司著の本、「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」(2011年発行)は、本エントリ作者にとっては興味深いです。この本からの引用は他の拙エントリのここの一部において紹介されています。一方、愛着の問題に関連するトラウマについては(a)項を参照して下さい。

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余談

≪余談1≫パニック症等の不安症群の一部について

標記パニック症を中心に、全般不安症及び限局性恐怖症についても以下に紹介します。ちなみに、 a) パニック症はパニック障害とも呼ばれます。一方、パニック症については次のWEBページ、YouTube やエントリも参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」、『塩入俊樹先生に「パニック障害/パニック症」を訊く』、「パニック症(パニック障害)の治療―薬物療法と認知行動療法」、「パニック障害のこと」、「パニック症とパニック発作[基本]パニック発作を繰り返し予期不安や広場恐怖も伴うパニック障害.mp4」、「パニック障害(パニック症)の 認知行動療法マニュアル」(注:治療者用と患者さんのための資料の両方が含まれています) b) パニック症(PD)、社交不安症(SAD)及び PTSD心的外傷後ストレス障害)等は病態「Stress-induced fear circuitry disorders」に含まれると言われ、さらにこの病態は、多少違いはあるにせよ「恐怖の条件づけ」(参照)に関連した神経回路の機能不全と考えられていることについては、次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」の「Stress-induced fear circuitry disordersとは」項 c) パニック症、社交不安症、特定の恐怖症等は(情動的な学習や反応に特化している)扁桃体[例えば拙エントリのここを参照]の過活動を前頭前野が抑制できなくなった状態であると考えることができることについては、次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」の「発症機構」項 加えて、全体的な不安症(不安症群)についても同WEBページを参照して下さい(注:強迫症心的外傷後ストレス障害[PTSD]は DSM-5 からは不安症の範疇から外れ独立した障害として分類されました)。 d) パニック症又は発作やうつ病を併発することもある、むずむず脚症候群及び鉄欠乏性貧血についてはここを参照して下さい。 e) 社交不安症(社交不安障害)については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 f) 上記不安症群と関係が深い身体症状の簡単な紹介について、及び全般不安症において生じる症状としての睡眠障害について、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅰ 不安症を理解する の 第4章 不安症と身体 の「Q 不安症と関係が深い身体症状にはどのようなものがありますか?」における記述の一部(P36)をそれぞれ次に引用します。

Q 不安症と関係が深い身体症状にはどのようなものがありますか?

不安症と関係が深い身体症状は、主に、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状と関連しています。(中略)

また、さまざまなことに対する過剰な不安と心配が生じる全般不安症では、睡眠障害なども生じてきます。

注:(i) この引用部の著者は吉内一浩です。 (ii) 引用中の「不安症と関係が深い身体症状は、主に、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状と関連している」ことに関連する「不安障害でみられる身体症状の多くは、自律神経の働きによるもの」について、福西勇夫監修の本、「ウルトラ図解 不安障害・パニック」(2019年発行)の 第1章 不安障害の成り立ちと症状 の「不安障害が原因で起こる体の病気と障害 の「心の不調は体にも影響する」項における記述の一部(P42)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『不安障害でみられる身体症状の多くは、自律神経の働きによるものです。』、『不安障害では、動悸や発汗、息苦しさなどをともなうことがありますが、これらは交感神経の働きによるものです。』 また、 a) 引用中の「不安症と関係が深い身体症状は、主に、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状」に関連する「日常の複数の出来事に関する過度の心配が,筋緊張や落ち着きのなさ,交感神経系の過活動,緊張感の自覚,集中力の維持困難,イライラ,睡眠障害などの症状とともに現れる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「不安又は恐怖関連症群」の「1. 全般不安症(6B00)」項 b) 一方、上記「筋緊張」に関連する(心身の緊張状態である)緊張・過敏型転換症状としての「頭痛,動悸,振戦,ヒステリー球,四肢の異常運動,筋肉の緊張や硬直など」についてはここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「全般不安症」についてはここ、そしてWEBページ『大坪天平先生に「全般不安症(GAD)」を訊く』を、加えて「不安症」についてはWEBページ「不安症 - 脳科学辞典」を それぞれ参照して下さい。その上に、上記全般不安症における身体に現れる症状を含む、心と身体に様々な症状が現れることについて、上記WEBページの「②GADではどのような症状があるのでしょうか?」項における記述以外にも、勝久寿著の本、『「いつもの不安」を解消するためのお守りノート』(2017年発行)の 第4章 不安にまつわるさまざまな病気を知る の ③全般不安症(全般性不安障害) いつも、ずっと、何となく不安 の「症状は心と身体に現れる」における記述の一部(P163~P164)を以下に引用します。

これといった特徴的な症状がない代わりに、心と身体にさまざまな症状が現れます。

心に現れる症状(精神的症状)としては、「そわそわする」「落ち着かない」「集中できない」「記憶力がわるくなった気がする」「根気がなくなる」「刺激に対して過敏になる」「イライラして怒りっぽくなる」「人に会うのが煩わしくなる」「些細なことが気になる」「とりこし苦労が増える」「寝つきがわるくなる」「睡眠途中で目覚める」などがあります。

身体に現れる症状(身体的症状)としては、「疲れやすい」「頭痛」「頭が重い」「しびれ感」「肩こり」「筋肉の緊張」「震え」「もうろうとする」「めまい感」「自分の身体ではないような感じ」「悪寒や熱っぽさ」「動悸」「息切れ」「のどのつかえ」「吐き気」などがあります。

このように症状があまりにも多岐にわたるうえ、全般不安症そのものが広く知られていないということもあり、正しく診断されるまでは、一般内科などへの受診を繰り返し、苦しみ続けたという人も多くいます。(後略)

注:上記引用中でリストアップされている全般不安症における身体に現れる症状に関連する、 a) 「全般不安症」でよくみられる症状について、貝谷久宜監修の本、「よくわかる心のセルフケア ストレス・不安・うつに負けない」(2019年発行)の 第1章 この症状には、こんなケア・治療を の「症状6 度を越した心配や不安が続き、さまざまな体の症状もある」項において、次に二分割して引用(それぞれ『 』内)するようにリストアップ(P24)されています。 『●精神症状:不安、過敏、緊張、落ち着きのなさ、イライラ、集中が困難。』、『●身体症状:筋肉の緊張、首や肩のこり、頭痛・頭重、ふるえ、動悸、息苦しさ、めまい、頻尿、下痢、疲れやすい、不眠(寝つきが悪い、途中で目が覚める、眠りが浅い)など。』 加えて同項には次に引用(【 】内)する全般不安症の特徴についての記述(P24)があります。 【「全般不安症」には、過度な不安を中心とした精神症状に多様な身体症状が伴い、それが長く続くという特徴があります。】 b) 「全般性不安障害」で現れる症状について、福西勇夫監修の本、「ウルトラ図解 不安障害・パニック」(2019年発行)の 第1章 不安障害の成り立ちと症状 の「全般性不安障害の特徴と症状」における記述の一部(P37)を形式を変えて次に二分割して引用(それぞれ『 』内)します。 『精神的な症状:・緊張 ・集中力低下 ・焦燥感 ・非現実感 ・神経過敏 ・イライラ ・離人感 など』、『身体的な症状:・頭痛 ・震え ・息苦しさ ・不眠 ・肩こり ・倦怠感 ・めまい ・頻尿、下痢 など』 c) 「全般性不安障害」の症状として「過覚醒(易刺激性・過度の驚愕反応)」が含まれることについては次の資料を参照して下さい。 「全般性不安障害の現在とこれから」の「表3 全般性不安障害パニック障害うつ病,気分変調症の症状重複」(P1053) また、上記「過覚醒」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「過覚醒 / 覚醒亢進」 d) 「全般性不安障害の症状経過」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「全般性不安障害

パニック障害(パニック症)の全体像の一部について、坪井康次監修の本、「患者のための最新医学 パニック障害 正しい知識とケア 改訂版」(2021年発行)の 第1章 パニック障害ではどのようなことが起こるか の「■パニック障害の全体像を知っておきましょう」における記述の一部(P12~P13)を次に引用します。

●心と体の両方に症状が起こる病気

パニック障害の中心的な症状はパニック発作で、強い不安や恐怖といった精神症状に加えて、動悸、めまい、呼吸困難など多様な身体症状があらわれます。パニック障害は、心にも体にもトラブルが起こる病気なのです。しかし、発作がはじまった当初は、ほとんどの人が心の病気とは思わないようです。身体症状が苦しく、気がかりでもあるので、まずは体の病気を疑って内科を受診するケースが多いのですが、そこで異常が見つからない場合は、神経科、精神科、神経精神科などで専門医の診断・治療を受けてください。パニック障害は見落としや誤診が多く、正しい診断をされずに適切な治療が行われないと、こじれて慢性化していきます。(中略)

パニック発作で死ぬことはない

パニック発作でよくあらわれる身体症状は、動悸、めまい、呼吸困難など。しかし、心臓、肺、脳といった臓器に異常があるわけではありません。パニック発作の身体症状は、ストレスなどで自律神経が極度に緊張するために起こる「自律神経症状」です。心臓が破裂しそうになったり、息をするのも苦しくなったりすると、本人は、死んでしまうのではないかと恐怖心をいだきますが、症状はまもなくおさまります。パニック発作で死ぬことはないと知っていることは、予期不安や広場恐怖症をコントロールするためにも重要です。

パニック発作→予期不安→広場恐怖症へと進む

パニック発作は、いったんおさまっても、再び起こります。発作をくり返すうち、発作が起こっていないときも発作のことが頭を離れず、また起こるのではないかと不安になります。これが「予期不安」で、パニック障害を特徴づける症状です。さらには、発作が起こりそうな場所や状況を避けるようになり、一人で外出するのが困難になるなど、日常生活に支障が出る「広場恐怖症」をともなうようになります。パニック障害はこのような経過をたどりますが、ポイントは、広場恐怖症を悪化させないことです。そのためには、早く適切な治療を受けることが大切です。(後略)

注:(i) 引用中の「パニック発作」の定義(DSM-5)については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「DSM5によるパニック障害の診断基準について」 加えて、「日本人では上記 DSM-5 に挙げられた(パニック発作の)13症状以外の症状を訴える人が多い」ことについて、貝谷久宣監修の本、「パニック症[パニック障害]の人の気持ちを考える本」(2015年発行)の 1 突然、強烈な不安に襲われた の 解説 発作時には一三の症状のうち、複数が同時に現れる の「パニック症」における記述の一部(P18)を次に引用(《 》内)します。 《日本人では、DSM-5に挙げられた13症状以外の症状を訴える人が多い。口の渇き、脱力感など、その他の症状もよくみられる。》 加えて、パニック発作における「強い恐怖感を引き起こす」ことと「失神する」ことの関連はここを参照すると良いかもしれません。一方、引用中の「パニック発作」は「パニック障害」以外の精神疾患でも起こることについて、「パニック障害の場合は、何の理由もないのに、不意に強烈な恐怖や不安におそわれ、激しいパニック発作が起こる」ことを含めて、同の パニック発作とは1 何の引き金もなく、不意にはじまる の「最初は不意に起こるが しだいにくり返すようになる」項における連続した記述の一部(P15)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『パニック発作は、パニック障害の中心的症状ですが、ほかの精神疾患でも起こります。たとえば、社交不安症(社交恐怖)の人が人前で話さなければならないときや、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の人がおそろしい場面に遭遇したときなどに起こることがあります。しかし、社交不安症やPTSDでは、発作が起こる理由(状況)がわかっていますので、その状況を避ければ、発作をくり返すことはありません。』(注:a) 引用中の「パニック発作は、パニック障害の中心的症状ですが、ほかの精神疾患でも起こります。たとえば、社交不安症(社交恐怖)の人が人前で話さなければならないときや、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の人がおそろしい場面に遭遇したときなどに起こることがあります」ことに類似するかもしれない「社交不安症や、PTSDなどでも、不快な身体症状とともに強い不安や恐怖にかられるパニック発作を起こすことがある」ことについて、稲田泰之監修の本、「パニック症と過呼吸 発作の恐怖・不安への対処法」(2020年発行)の 第1章 この症状は「パニック症」なのか? の パニック症の特徴① の「発作が起こる・起こらない状況が特定できない」における記述の一部(P21)を次に引用(≪ ≫内)します。 ≪身体的な病気ではなく、ほかに明らかな原因はないことがわかっても、それだけでパニック症かどうかはわかりません。社交不安症や、PTSDなどでも、不快な身体症状とともに強い不安や恐怖にかられるパニック発作を起こすことがあるからです。≫[注:引用中の「PTSDなどでも〔中略〕パニック発作を起こすことがある」ことに関連する「パニック発作は、パニック症でもPTSDでも起こる」ことについて、貝谷久宣監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第2章 心的外傷後ストレス障害I(PTSD)とは、どんな病気? の PTSDとパニック症の深い関係 の「パニック発作がある」における記述(P30)を次に引用(『 』内)します。 『パニック発作は、パニック症でもPTSDでも起こります。ただし、パニック症の発作が状況にかかわりなく起こるのに対して、PTSDの発作は、トラウマ体験と重なるような状況に限って起こります。』] b) 加えて引用中の「パニック発作」を限局性恐怖症でも起こすことがあることについて、同の 第2章 パニック障害とはどのような病気か の パニック障害は「不安症」の代表的な病気 の 不安気質がもたらす「こわがり」の病気 の「●限局性恐怖症」における記述の一部(P40)を次に引用[【 】内]します。 【限局性恐怖症でもパニック発作が起こりますので、パニック障害との見きわめが大切です。】〔注:引用中の「限局性恐怖症」についてはここを参照して下さい〕 また、これに類似するかもしれない「パニック発作は、後記の限局性恐怖症や社交不安症(対人恐怖)の患者が恐怖の対象にさらされて、それを我慢ないし回避できないときにも生ずる」ことについて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の a. 不安症と恐怖症 の「(2) パニック症(6B01)[F41.0]」における記述の一部(P32)を次に引用(《 》内)します。 《パニック発作は、後記の限局性恐怖症や社交不安症(対人恐怖)の患者が恐怖の対象にさらされて、それを我慢ないし回避できないときにも生ずる。パニック症という診断は、パニック発作が特異的な情況に限定しないことが条件になる。》〔注:引用中の「後記の限局性恐怖症や社交不安症」についての引用は省略しますが、代わりに「限局性恐怖症」についてはここを、社交不安症については下記 d) 項を それぞれ参照して下さい〕 c) 引用中の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の人がおそろしい場面に遭遇したときなどに(パニック発作が)起こる」ことに関連する『「フラッシュバック」が生じると、パニック発作を起こすことがある』ことについて、同「パニック症の特徴①」の「PTSD」における連続する記述の一部(P21)を二分割して次に引用[それぞれ『 』内]します。 『命にかかわるような事件や事故、災害などを体験したり、目撃したりしたことがトラウマとなり、さまざまな変調をきたす状態が長く続きます。』、『そのときの記憶が生々しくよみがえる現象(フラッシュバック)が生じると、パニック発作を起こすことがあります。引き金になるのは「トラウマ体験時を想起させる状況です(→P39)。』〔注:1] 引用中の「P39」における引用は省略します。 2] 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。〕 d) 引用中の「社交不安症」については他の拙エントリのリンク集[用語:強迫性障害強迫症)、社交不安障害]を参照して下さい。 e) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 f) 引用中の「PTSD」に関する「複雑性PTSD」とパニック発作の関連についてはここを参照して下さい。加えて、上記「PTSD」や「複雑性PTSD」に関するかもしれない「ACE」[他の拙エントリのここここを参照]の問題と「重症のパニック症」の関連についてのツイートもあります。) これら以外にも引用中の「パニック発作」における3タイプについて、貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第1章 パニック症や広場恐怖症の症状とは? どんな経過をたどる病気? の パニック症の症状① 病気の始まりは、理由もなく不意に起こるパニック発作 の「パニック発作には3タイプある」における連続した記述の一部(P13)を4分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【パニック発作は、誘因(引きがねになるもの)があるかどうかで3つのタイプに分かれます。】、【1 時や場所を選ばず、不特定な状況で起こるタイプ(パニック症の発作)】、【2 特定の状況に限って起こるタイプ(恐怖をいだいている対象に直面したり、それを予期して緊張が高まったときなど、特定の状況で起こる。これを「状況結合性パニック発作」といい、恐怖症やストレス障害などに見られる)】(注:引用中の「ストレス障害」に関連する「パニック障害の発症のリスク因子としてのストレス」についてはここを参照して下さい。)、【3 1と2の中間で、特定の状況で起こりやすいが、起こらない場合もあるタイプ(状況に依存しやすいパニック発作)】(注:上記4分割で引用した記述と同様な記述は例えば次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」の「鑑別診断」項) その上に上記「パニック発作」の症状持続時間について、同ページにおける記述の一部を次に引用(《 》内)します。 《※パニック症では、発作症状は 10 分以内にピークとなり、ほとんどの場合、30 分前後で自然におさまります。》 その上に、上記「パニック発作」の分類について示すツイートがあります。 (ii) 引用中の「パニック発作→予期不安→広場恐怖症へと進む」ことに関連する「パニック障害は、パニック発作から始まります。はじめはパニック発作だけですが、発作をくりかえすうちに、発作のない時に予期不安や広場恐怖といった症状が現れるようになります。」については次のWEBページを参照して下さい。 「パニック障害・不安障害」の「パニック発作・予期不安・広場恐怖はありますか」項 (iii) 引用中の「広場恐怖症」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「不安症の主要変更事項 -“広場恐怖症の独立”について-」 加えて、パニック障害において広場恐怖症を持つ割合について、同の パニック障害の経過2 広場恐怖症…不安が行動を制限する の『不安な場所を避け、生活に支障が出る「広場恐怖症」』における記述の一部(P23)を次に引用(『 』内)します。 『パニック障害では、80%以上の人が多かれ少なかれ広場恐怖症を持つといわれますが、重症(高度)な人ほど病気の経過が長くなる傾向があります。それでも、薬物療法と行動療法をしっかり行うことで、見違えるほど行動範囲が広くなる人もいます。』 さらに、 A) 上記「広場恐怖症はパニック症特有のものではない」ことについて、貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第1章 パニック症や広場恐怖症の症状とは? どんな経過をたどる病気? の「広場恐怖症とは、どんな病気か」における記述の一部(P20~P21)を次に引用(【 】内)します。 【ただし、広場恐怖症はパニック症特有のものではなく、現在は独立した病気と考えられています。(中略)また、パニック症以外の病気(強迫症、閉所・高所恐怖症、心的外傷後ストレス障害〈PTSD〉など)でも広場恐怖症を併発します。】(注:1] 引用中の「強迫症」及び「PTSD」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし、前者は用語「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を使用して下さい。 2] 引用中の「高所恐怖症」についてはここを参照して下さい。) B) 一方、上記「広場恐怖症」のレベルについて、同の パニック障害の経過2 広場恐怖症…不安が行動を制限する の「広場恐怖症のレベル」における連続する記述の一部(P21)を三分割して形式を変更して次に引用(それぞれ《 》内)します。 《軽度 外出に不安があるが、どうしても必要な場所だけは一人で行ける。》、《中等度 一人での外出が困難で、行動が制限される。付き添いがあると行くことができる。》、《高度 ほとんど家から出られず、ひきこもるようになる。》 C) 引用中の「予期不安」が「広場恐怖」に発展することがあることについては引用はしませんが次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症候群 - 女性の病気について」の「3)予期不安と広場恐怖」項 (iv) また、「パニック障害において、診断がされず治療が遅くなるほど、パニック障害は慢性化する」ことについて、同の 第3章 パニック障害の診断・治療の進め方 の「パニック障害の受診 治療はよい医師を見つけることから」における連続した記述の一部(P52)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『しかし、どのような病気でもそうですが、パニック障害も、早く診断を確定し、早く治療をはじめた人ほど経過も良く、回復も早いのです。』、『一方、適切な診断がされず治療が遅くなるほど、パニック障害は慢性化していきます。広場恐怖症うつ病を併発して治療がむずかしくなり、何年も(ときには数十年も)不快な症状に悩まされてしまうこともあります。』[注:1] 引用中の「うつ病」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、上記「うつ病」に関連するかもしれない「疲労感」とパニック症の関連について「抑うつ」を含めて、貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第1章 パニック症や広場恐怖症の症状とは? どんな経過をたどる病気? の 体の症状 の「疲労感」における記述の一部(P17)を次に引用(【 】内)します。 【パニック症の患者さんは疲労を感じる人が多く、気持ちが落ち込んで抑うつになっていると、なおさら疲労感が強くなります。】 2] 引用中の「パニック障害は慢性化」に関連するかもしれない「残遺症状が固定して、一生つづく持病のようになることもある」ことについてはここを参照して下さい。また上記「残遺症状」についてはここを参照して下さい。 3] 引用中の「何年も(ときには数十年も)不快な症状に悩まされてしまう」ことに関連するかもしれない、強迫性障害において「放置すれば、人生の大半が強迫の餌食になる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。] (v) 引用中の「予期不安」について、 a) 例えば次のWEBページを参照して下さい。 「パニック発作と予期不安」 b) 『「予期不安」はパニック症の根本的な症状である』ことや「パニック発作があっても、この予期不安がなければ、パニック症とは診断されない」ことについては共にここを参照して下さい。 c) 「パニック障害の症状というと、パニック発作に目が向けられがちですが、実は発作を経験することで心に植えつけられる不安感や恐怖感の方がやっかいで、それが予期不安になっていく」ことを含めて同の パニック障害の経過1 予期不安…発作の記憶が次の不安を呼ぶ の『「予期不安」はしばらくつづくが、いずれ消える』における記述の一部(P20)を以下に引用します。加えて、上記「予期不安」に関連するかもしれない「パニック発作:身体感覚に対するレスポンデント条件付け。軽微な身体感覚で発作が誘発される。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「レスポンデント学習と行動療法」の「パニック障害の維持メカニズムの機能分析」項(注:上記「レスポンデント条件付け」については他の拙エントリのここを参照して下さい) (vi) ちなみに引用はしませんが、パニック障害になると起こりやすい病気として、坪井康次監修の本、「患者のための最新医学 パニック障害 正しい知識とケア 改訂版」(2021年発行)の 第1章 パニック障害ではどのようなことが起こるか の「Column パニック障害にともなう体の病気」(P33)においては、「過敏性腸症候群」、「片頭痛」、「睡眠障害」が挙げられています。ちなみに、「片頭痛パニック障害うつ病を随伴しやすく,こうした精神疾患の存在は,頭痛の慢性化および遷延化につながる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「中枢性感作に影響する要因」の「Ⅱ.中枢性感作に関する疫学調査」項

パニック障害では、最初のパニック発作後は、発作がくり返し起こるようになります。
そのため、起こっていないときでも発作のことが頭から離れず、強い不安を持ちつづけるようになります。これが「予期不安」です。
予期不安のあらわれ方は、人によって程度の違いがあります。日に数回、ふっと意識をかすめるくらいの軽い場合もあれば、一日中発作のことが不安で仕事が手につかないような重症の場合もあります。
不安に思う内容は、「また発作が起こるのではないか」というものが多いのですが、発作が起こったときの感覚を体が覚えてしまい、どんなに医師から異常はないといわれても「発作は重大な身体疾患のせいではないか」「次は死ぬのではないか」と思ってしまうケースもあります。
また、次に発作が起こったら「だれも助けてくれないのではないか」「取り乱した姿を人前で見せてしまうのでは」と、不安の内容がエスカレートしていくこともあります。
パニック障害の症状というと、パニック発作に目が向けられがちですが、実は発作を経験することで心に植えつけられる不安感や恐怖感の方がやっかいで、それが予期不安になっていきます。(後略)

注:引用中の「実は発作を経験することで心に植えつけられる不安感や恐怖感の方がやっかいで」に類似する「やっかいなのは、むしろ一度発作を経験したことで心に植えつけられる恐怖感や不安感です」について、「パニック発作があっても、この予期不安がなければ、パニック症とは診断されない」ことを含めて、貝谷久宜監修の本、「よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD」(2018年発行)の 第1章 パニック症や広場恐怖症の症状とは? どんな経過をたどる病気? の パニック症の症状② の「発作への不安や恐怖が、さらなる不安を生む」における記述(P14~P15)を次に引用します。

パニック症の症状というと、とかくパニック発作に目が向きがちですが、やっかいなのは、むしろ一度発作を経験したことで心に植えつけられる恐怖感や不安感です。
パニック発作には、くり返し起こるという特徴があります。発作をくり返すと、発作のことが頭から離れなくなって、「また発作が起きたらどうしよう」という不安や恐怖にかられる……これが「予期不安」で、パニック症の根本的な症状です。
パニック発作があっても、この予期不安がなければ、パニック症とは診断されません。
予期不安は執拗につづくことが多く、発作がおさまっても、予期不安だけは長い期間にわたって消えません。
予期不安が強くなると、発作を予感する場所や状況そのものが恐怖の対象になり、避けるようになります(回避行動)。広場恐怖症をともなうようになると、行動範囲はさらにせまくなります。
それでもほとんどの人は、数か月もすると不安や恐怖に慣れ、行動範囲を広げるようになります。しかし、人によっては恐怖の対象がどんどん広がり、家から一歩も出られなくなることもあります。

注:引用中の「広場恐怖症」についてはここを参照して下さい。

ただし、安易にパニック障害と診断するのは不適切であると本エントリ作者は考えます。例えば、次のWEBページを参照して下さい。「【2589】医者によってパニック障害と診断されたりてんかんと診断されたりしています。どちらが正しいのでしょうか。

パニック障害のリスク因子について、同の 第2章 パニック障害とはどのような病気か の パニック障害の原因 脳の機能障害や、ストレス、体質の影響 の「ストレスや体質は発症のリスク因子になる」における記述の一部(P46~P47)を、加えて、パニック障害に特徴的な認知の歪みについて、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅳ 不安症を治す の 第1章 不安症の心理療法①――認知行動療法 の「Q パニック症(パニック障害)に特徴的な認知の歪みとはなんですか?」における記述の一部(P125)を それぞれ以下に引用します。

ストレスや体質は発症のリスク因子になる
●ストレス
パニック障害の発症には、ストレスも大きくかかわります。ストレスは、うつ病をはじめ、多くの精神疾患のリスク因子になることが知られていますが、ストレスは脳にダメージをあたえるのです。中でも、恐怖感を察知する大脳辺縁系扁桃体や海馬)は、強いストレス体験が重なると過敏になって、ささいなことにも恐怖感を覚えるようになります。また、ストレスが長引くと、自律神経にもダメージをあたえます。
パニック発作は、何の理由もなく突然起こりますが、実は発作の前に強いストレスを受けていたというケースが少なくありません。うつ病はストレスを耐え抜いて、ホッとしだときになりやすいのに対して、パニック障害の場合は、ストレスを受けている最中に発症するという傾向があります。
男性では、仕事で追いつめられている状況が多く、女性は、パートナーの横暴や嫁・姑の苦労など、家族関係のトラブルによるストレスが多いようです。
●体質
患者さんの家族歴を調べると、血縁者にパニック障害うつ病、恐怖症、アルコール依存症の人がいるケースがかなり見られます。
パニック障害だけでなく、うつ病アルコール依存症も、発症の根底には不安があるといわれます。もともと不安を持ちやすい素因(体質・気質)があり、それが環境による影響の受け方によって、パニック障害になったり、うつ病アルコール依存症になると考えられるのです。
パニック障害は、遺伝性が強い病気ではありませんが、不安を持ちやすい体質を受け継ぐことはあります。体質というのは、脳内の不安に関係する神経伝達物質の合成量や、それを感じる受容体の感度のことで、こうした生まれながらに持っている体質の違いがあると考えられるのです。
パニック障害は、こういった体質や気質を持っているだけでは発症しませんが、そこに環境やストレスなど後天的な外因が加わって発症すると考えられます。

注:i) 引用中の「ストレス」については、例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。「ストレス - 脳科学辞典」、「ストレスマネジメントとは」、「ストレス軽減ノウハウ」、「心のケアの基本」、「ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~*33 ii) 引用中の「大脳辺縁系」については、例えば次の資料を参照して下さい。「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 また、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、パニック障害大脳辺縁系の関係については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) ちなみに、強迫性障害強迫症)における発病のきっかけについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「恐怖症」に関連する「不安障害(不安症)」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「体質」に関連する(パニック症における)「不安体質」について、貝谷久宣監修の本、「パニック症[パニック障害]の人の気持ちを考える本」(2015年発行)の 2 病気になったのは自分のせいかと悩む の 解説 性格ではなく、体質と環境が主な要因 の「不安体質とは」における記述(P42)を次に引用(『 』内)します。 『他人より高い感度で不安をもちやすい体質です。なんらかの物質や情報に対して感受性が高く、パニック症になりやすいのです。』

Q パニック症(パニック障害)に特徴的な認知の歪みとはなんですか

パニック症の認知療法では、「身体感覚に対する破局的解釈」という認知(考え方)の歪みが問題を維持する原因となっていると考えます。すなわち、胸がどきどきするとか、息がはあはあするなどの自分の身体感覚に対して、「心臓発作で死ぬ」とか「呼吸困難で死ぬ」のような破局的解釈をして、強い恐怖を感じることが、問題を維持することにつながるというものです。
日常的なごく軽い身体反応(動悸、過呼吸、めまいなど)を「脅威(危険なもの)」と認知すると、不安になり、不安になると、生理的に身体反応が強まり、その強まった身体反応を破局的に解釈する(心臓発作、窒息、脳卒中などで死ぬ)と、さらに不安になり、不安になったので、よりいっそう身体反応が強くなるという悪循環が David M. Clark の認知モデルの図1にあるように起こります。(後略)

注:(i) この引用部の著者は清水栄司です。 (ii) (引用中の「破局的解釈」に関連する)引用中の「David M. Clark の認知モデルの図1」の引用は省略しますが、これに関連して、資料「パニック障害:認知行動アプローチ」の「パニック障害の認知モデル(クラーク)」(P15)」シート及び資料「パニック障害(パニック症)の認知行動療法マニュアル(治療者用)の「認知行動モデルの作成(ケースフォーミュレーション) 編」(P10)と「破局的な身体感覚イメージの再構成 編」(P12~P13)をそれぞれ参照して下さい。 (iii) 引用中の「悪循環」に関連するかもしれない「精神交互作用」についてはここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「強い恐怖を感じる」や「呼吸困難で死ぬ」ことに関連する(パニック発作の症状としての)「窒息する感覚は死につながり、強い恐怖感を引き起こして、失神する人もいます。」について、同の パニック発作とは2 心と体にあらわれる多様な症状 の「●息が詰まる、窒息しそうになる」における記述(P17)を次に引用します。 『現実には、そんな場所にいるわけではないのに、狭いところに閉じ込められ息が吸えないと感じると訴える人もいます。窒息する感覚は死につながり、強い恐怖感を引き起こして、失神する人もいます。』 (v) 引用中の「身体感覚に対する破局的解釈」に関連する慢性疼痛における「破局的思考」については、「IBS過敏性腸症候群)患者」や「突発性環境不耐症」等における「破局的思考」も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、上記「破局的解釈」に関連するかもしれない「敵対・混乱モード」に陥ることを伴うことを含むかもしれない、複雑性PTSDパニック障害との関連について、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の原田誠一著の文書「複雑性PTSD~軽症・複雑性PTSDの心理教育と精神療法の試み 気分障害と不安障害を例にあげて」(P105~P120)の「Ⅵ 不安障害と複雑性PTSDの関連② パニック障害,社交不安障害の場合」における記述の一部(P118)を次に引用します。

前節で触れた強迫性障害以外の不安障害も,おしなべて複雑性PTSDとの密接な関係性を有しており,パニック障害もその一つである(原田,2001,2009; 原田・他,2007)。
筆者は複雑性PTSDパニック発作の関連について,次の4タイプがあるのではないかと想定している。

・タイプ1:日常生活のストレス状況下で外傷性記憶が活性化して敵対・混乱モードに陥り,フラッシュバックに伴う不安~身体症状(例:動悸,息苦しさ,めまい,吐き気)からダイレクトにパニック発作に移行する。
・タイプ2:やはりストレス状況下で敵対・混乱モードに陥った人が,その場ではパニック発作を起こさないものの,その後の行動の中で(例:外出する,竃車に乗る)パニック発作が起きる。
・タイプ3:寝ている最中に悪夢を体験して(睡眠中のフラッシュバック),目が覚めてパニック発作を起こす(sleep panic)。
・タイプ4:外傷性記憶が活性化されやすい厳しい生活環境の中で“脳の慢性蓄積疲労”がつのり,ある状況で不安や身体症状(例:動悸,息苦しさ)が生じてパニック発作に至る。タイプ1~3と異なり,タイプ4では複雑性PTSD~外傷性記憶の関与は“脳の慢性蓄積疲労”を介する間接的なものと考えられる。(後略)

注:i) 引用中の(原田)「2001」、「2009」は次の本、資料です。 「原田誠一(2001)外傷性精神障害に該当するパニック障害.(貝谷久宜,不安・抑うつ臨床研究会編)パニック障害症例集.日本評論社.」、「原田誠一(2009)初回面接,見立て.臨床心理学増刊第1号 ; 60-63.」 ii) 引用中の「原田・他,2007」は次の資料です。 「原田誠一・勝倉りえこ・児玉千稲,他(2007)外来クリニックでの認知行動療法の実践.精神療法 33 (6) ; 678-684.」 iii) 引用中の「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集(用語「複雑性PTSD」)を参照して下さい。加えて引用中の「フラッシュバック」についても他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「敵対・混乱モード」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の(前節で触れた複雑性PTSDとの密接な関係性を有する)「強迫性障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

パニック障害の慢性期に併発することがある非定型うつ病について、同の『パニック障害の経過3 「うつ病」を併発するようになる』における記述の一部(P24~P26)を次に引用します。

Point
パニック障害の慢性期には、非定型うつ病を併発することがある
▼非定型うつ病は、いわゆるうつ病とは症状が異なり、見落としやすい
▼非定型うつ病を併発すると経過が長引くので、早く見つけることが重要(中略)

「非定型うつ病」の症状はいわゆるうつ病とは異なる(中略)

パニック障害うつ病は、近い関係にある病気と考えられています。実際、パニック障害の人の生涯を見ると、60%の人がうつ病を併発しています。また、軽い躁状態をともなう双極性障害躁うつ病)も、約30%の人が併発します。
うつ病は、パニック障害の前駆期から急性期にかけて起こることもありますが、それほど多くありません。多くなってくるのは、パニック障害が慢性期に入ってから。回避行動や広場恐怖症のために、いろいろなことが不自由になり、生活を楽しんだり何かに打ち込むエネルギーが少なくなって、うつ病を併発しやすくなるのです。
しかし、パニック障害であらわれるうつ病は、いわゆるうつ病(定型うつ病)とは異なる「非定型うつ病」といわれるもので、症状も、一般的に考えられている“うつ病らしさ”がありません。そのため、本人も家族など周囲の人もうつ病とは思わず、症状を見落としがちです。
パニック障害は、うつ病を併発すると経過が長引きますので、早く見つけて適切な治療をすることが非常に重要です。そのためにも、非定型うつ病(パニック性不安うつ病)の症状の特徴を知っておくことが大切です。
●気分反応性
いつもうつ状態にあるわけでなく、まわりで起こる出来事に気分が左右されます。好ましいことがあると気分がよくなりますが、イヤなことがあると激しく落ち込みます。
●過剰に眠る(過眠)
過眠状態は抑うつ気分と併行しますので、気分が激しく落ち込むと眠気も強くなります。1日に10時間以上眠る日が1週間に3日以上あったり、眠っていなくても、ベッドにいるのが10時間以上なら過眠です。
●体が鉛のように重く感じる
単に疲れやすい状態を越え、まるで手足に鉛が詰まっているかのように体が重く感じられる症状です。立ち上がるのさえ大変で、自分ではどうにもなりません。
しかし、周囲からは、怠けているとか、わざとやっていると誤解されてしまいます。
●過食、体重の増加
「何かを口にしていないと気持ちが落ち着かない」という不安感から、食べることへの過剰な衝動が起こります。中でも、チョコレートなど甘いお菓子への欲求が強くなります。週に3日以上、度を越して食べるようなら「過食」です。これにともない体重もふえます。3カ月の間に、健康時の5%以上体重がふえていれば「体重増加」とみなされます。
●拒絶されることへの過敏性
他人の侮蔑的な言動や、軽視、批判に対して極度に敏感になり、ふつうでは考えられないほど激しい反応をみせます。
※なお、このような典型的な非定型うつ病の症状はないものの、軽いうつ状態になる場合があります。本人も周囲の人も、医師ですら気がつかないことがあり、注意が必要です。

注:引用中の「広場恐怖症」についてはここを参照して下さい。

パニック発作がおさまったあとの残遺症状について、 a) (上記残遺症状としての)「解離(離人)」についてのツイートがあります。 b) 同の パニック障害ではどのようなことが起こるか の「COLUMN 発作がおさまったあとも残遺症状がつづくことがある」における記述(P33)を以下に引用します。 c) 加えて、福西勇夫監修の本、「ウルトラ図解 不安障害・パニック」(2019年発行)の column『数年にわたって続く「残遺症状」』における記述(P46)を 以下に引用します。

発病後、半年くらいからじわじわとあらわれる
パニック発作の症状が少なくなる時期から、じわじわとはじまるのが、残遺症状(非発作性不定愁訴)です。発病して半年後くらいからあらわれ、数年間、あるいは10~20年ぐらいつづくこともあります。
パニック障害は、慢性的で頑固な病気なので、治療が十分にされていないと、いわば「持病」のようになって残遺症状がつづくのです。本人には、これは不快でつらいものとなります。
また、発病からかなり時間が経過してから残遺症状があらわれることもあります。20~30代で起こったパニック発作のことを忘れてしまい、50~60代になってから、心身の不調のために医療機関を受診するようなケースです。この場合、大体は「自律神経失調症」といった診断名がつき、適切な治療が行われないケースが少なくありません。

適切な治療をすれば残遺症状は予防できる
残遺症状は長い間つづきますが、それを避けるためには、パニック障害の治療を少なくとも1年以上つづけることが大切です。症状が消えたあとも、少量の薬の服用をつづけることで、残遺症状は予防できます。
また、年月が経過してからあらわれた場合も、パニック障害の治療をきちんとすれば、症状は軽くなります。

【精神面にあらわれる残遺症状】
・何となくいつも不安
・胸さわぎがする
・現実感がなく、かすみの中で生きている感じ
・雲の中を歩いている感じ
・イライラする(焦燥感)
・感情がわかない など
【身体面にあらわれる残遺症状】
・肩がこる
・頭が痛い
・首が痛い
・のどが詰まる感じ
・息苦しい
・動悸、息切れがする
・胸がチクチクする
・視野がチカチカする
・目の焦点が合わない
・じっくりと汗をかく
・熱感がある
・手が冷たい
・寒気がする など

注:i) 引用中の「自律神経失調症」については資料「自律神経失調症」、及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「パニック障害は、慢性的で頑固な病気」に類似する「パニック障害は頑固な慢性病」について、同の 第3章 パニック障害の診断・治療の進め方 の パニック障害薬物療法1 薬にはこのような効果がある の ■薬物療法の効果 の「●慢性化を防げる」における記述の一部(P63)を次に引用します。

パニック障害は頑固な慢性病なので、パニック発作がおさまっても、安心はできません。胸がドキドキしたり、めまいや動揺が残り、不安感がともないます。この不安がある限り、病気へのこだわりは消えず、広場恐怖症うつ状態をまねきます。残遺症状が固定して、一生つづく持病のようになることもあります。
薬には、このような不安を消し、広場恐怖症うつ状態を改善して、病気が慢性化しないようにする働きもあります。(後略)

注:引用中の「広場恐怖症」についてはここを参照して下さい。

数年にわたって続く「残遺症状」

病気の初期症状がおさまったあとも、いくつかの症状が長く続くものを「残遺症状」といいます。パニック障害では、パニック発作がおさまったあとに、残遺症状がじわじわと続くことがあります。
パニック障害パニック発作を引き金に発症し、その後、何度か発作をくり返します。発作がくり返し起こるのは急性期で、次第に発作の回数が減り、慢性期へと移行します。残遺症状が現れるのは、発症して半年~数年後の慢性期に入ってからです。
パニック障害の残遺症状には、頭痛や肩こり、動悸、息切れ、脈が飛ぶ、胸痛、寒気、耳鳴り、視野がチカチカする、手が冷たい、喉が詰まった感じがするなどの身体的症状のほか、気が遠くなりそうな気がする、感情が湧かない、体が浮いているように感じる、いつも胸騒ぎがする、現実感がないなど精神的症状もみられます。いくつかの症状はパニック発作に似ていますが、パニック発作ほど激しくはありません。いずれも始まりや終わりがはっきりせず、すっきりしない不快な症状がだらだらと数年間、長い人では10~20年くらい続くことがあります。
残遺症状が現れやすいのは、パニック障害の診断と治療を受けることなく、病気を放置していた場合や、治療が不十分であった場合などです。発作がおさまって年月が経ち、残遺症状だけを訴えて受診すると、「自律神経失調症」などと診断され、適切な治療を受けられないケースもあります。
パニック障害の治療を正しく続ければ 残遺症状は防ぐことができます。また、時間が経過した場合でも、パニック障害の治療を受けることで 症状を軽くすることができます。

注:引用中の「自律神経失調症」についてはここを参照して下さい。

不安抑うつ発作において、 a) 複雑性PTSD(他の拙エントリを参照)の関連については次の資料を参照して下さい。 「不安・抑うつ発作 Anxious-Depressive Attack(ADA)と複雑性心的外傷後ストレス障害 Complex Post-Traumatic Stress Disorder(CPTSD)―類似点と相違点―」、「不安・抑うつ発作と複雑性PTSDの関連についての私見 ―両者の本質的な共通点~重なりと双方の臨床研究が交流する必要性・有効性について―」 b) ちなみに、[パニック性不安うつ病の]発病前*34とは性格が変わり(性格の変化)、本人も自覚があるものの、コントロールできないものとして、上記「性格の変化」(貝谷久宣監修の本、「パニック症[パニック障害]の人の気持ちを考える本」(2015年発行)の P68)において以下のものが挙げられています。この他に、「過食、睡眠障害(過眠)、激しい疲労感なども現れる」との記述があります。 「依存しやすい」(人や物に頼りたがる、なみかに逃げる)、「自己が不明瞭」(自分と他人の境界がわからなくなる、他人の気分に感染しやすい)、「キレやすい」(怒りやすく、すぐ爆発するが、そのあと自己嫌悪に陥る)、「直情的」(待てない、許せない、がまんできないなど、自己中心的で、自分勝手)、「過剰関与」(おせっかい、すぐに口を出す)、「感情移入」(ものごとに熱中しやすくハマりやすい)、短絡的(早とちり、よく考えずに行動する)、感受性が高まる(激しい嫌悪感をもちやすい、いやなことは避ける) c) 加えて同の 3 徐々に憂うつな気分が強くなっていく の「不安抑うつ発作」における記述の一部(P64)を形式を変えて次に引用します。

いきなり巨大な「うつ」がやってくる
パニック性不安うつ病では、発作的に抑うつが強くなることがあり、これを「不安抑うつ発作」といいます。突然、なんの理由もなく、自分の意思に関係なく、抑うつ気分にのみこまれてしまいます。(中略)

精神症状:抑うつ感、悲哀感、自己嫌悪感、不安・焦燥感、孤独感、無力感、絶望感、空虚感など
気分落ち込みだけでなく、さまざまな陰性感情をもつ(中略)

不安や抑うつに突然襲われる感じ
激しいマイナス感情が発作的に現れる状態が「不安抑うつ発作」です。「巨大なうつがやってきた」と表現した人もいますが、大波にのみこまれる感じでしょうか。パニック症のほぼ半数が、不安抑うつ発作を経験したといいます。
理由もなく、突然涙があふれて止まらなくなり、大声で泣き叫んだりすることもあります。単に悲しいだけでなく、焦燥感や孤独感も強くあるようです。
発作中に過去のいやなことを思い出して相手の家に怒鳴り込んだ人もいます。
こうした苦しい気持ちから逃げるため、自傷行為に走ることもあるので、周囲は目が離せません。(後略)

注:引用中の「不安抑うつ発作」については次の資料を参照して下さい。 「新しい不安症関連症状群 ―不安・抑うつ発作―

さらに、アンガーアタックについて、同3 徐々に憂うつな気分が強くなっていく の「性格変化」における記述の一部(P70)を形式を変えて次に引用します。

ささいなことでも爆発的に怒ってしまう
パニック症で、本人や周囲が驚く性格の変化は、「怒り発作」を起こすことです。抑制のきかない「病的な怒り」でとりつく島もないほど。ただ、その後本人は、猛烈な自己嫌悪に襲われます。(中略)

病的な怒り発作、アンガーアタック
いわゆる「キレてしまう」状態がアンガーアタックです。ほんのささいな刺激にも、抑えきれない怒りが爆発し、相手に対して非常に攻撃的になります。その様子は病的で、パニック症の三割の患者さんにみられる特徴です。
本来、小心でこわがりな患者さんでも、怒り発作が起こると抑制することができません。そのため、本人も「これは本来の自分ではない」と困惑し、怒りをぶちまけた後には「バカなことをした」と深い自己嫌悪の念にとらわれます。
ひどい場合は、アンガーアタック後には、しばらく抑うつが強くなる人もいるほどです。(中略)

身体症状を伴うこともある
○動悸、心拍数の増加
○ほてり、赤面
○胸が締めつけられる感じ
○手足がマヒした感じ
○めまい、フラフラする感じ
○息切れ、呼吸困難
○発汗
○ふるえ(後略)

パニック症をコントロールするためのアドバイスとして、同の 4 治すのではなくコントロールしていこう の「解説 病気をコントロールするためのアドバイス」における記述の一部(P92~P93)を形式を変えて次に引用します。ただし、引用の順序は前後するかもしれません。

医師から伝えたいこと
病気の回復のために、ぜひ意識してほしいことがあります。とくに体を動かすことが大切です。また、精神的にも身体的にも無理をしないでください。

人間関係に注意しよう
周囲に気を遣いすぎ、結局自分が傷つくことが多いのです。病気が進行しているときには、複雑な人間関係に撒き込まれないで。感情移入しやすいので、同じ病気の人とのお付き合いもほどほどにしたいものです。

運動しよう
運動量が減って体力が落ちる傾向です。パニック症の人は運動することで不安や抑うつ症状が軽くなるという研究があります。運動には、以下のような効果があるとされています。
疲労感がなくなる
・体力を回復させる
・気分がスッキリする(中略)

臆病になりすぎない
発作を恐れて外出を控えていると、いつまでたっても回復しません。臆病になりすぎず、安心グッズを持ったり、自分に言い聞かせたりして、行動範囲を広げていきましょう。

運動が無理なら部屋の掃除から
疲労感があるからと体を動かさないと、ますます疲労はたまるもの。むしろ体を動かす方が疲労はとれるのです。しかし、体力が低下して運動が無理なら、まず部屋の掃除をしましょう。
・病気でもがんばっていると周囲にも認めてもらえる
・掃除に熱中できる
・部屋がきれいなり、気分が清々しくなる

過労に注意
過労、睡眠不足、風邪はパニック症の三悪です。いずれも発作の誘因になります。体調管理に留意してください。そのためにも、生活リズムを乱さないことは大切です。

過眠しないで
パニック性不安うつ病では、過眠の傾向がみられます。また、睡眠時間が夜にずれる人も多くいます。生活リズムを崩さないように、朝は決まった時間に起きましょう。

禁酒、禁煙、禁コーヒー
治療中は節酒ではなく禁酒を。たばこは抑うつを強めるので禁煙。コーヒーで動悸がした経験がある人はカフェイン過敏性です。カフェインレスのコーヒーならOKです。(後略)

注:i) 引用中の「医師から伝えたいこと」、「運動しよう」及び「運動が無理なら部屋の掃除から」項の内容は互いに関連していると考えます。 ii) 引用中の「パニック性不安うつ病」についてはここを参照して下さい。 iii) 標記「パニック症をコントロール」に関連する「パニック症と生活習慣との関係(日常生活の改善)」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「部屋の掃除から」に関連するかもしれない行動活性化療法については、例えば資料「臨床行動分析と行動活性化療法」、「入門!認知行動療法 行動を活性化しよう」、「新世代の認知行動療法」、そして slideshare行動活性化療法の理論と実際」を参照して下さい。加えて上記「行動活性化療法」に関連する「うつのための短期行動活性化療法」については次のWEBページを参照して下さい。 「うつのための短期行動活性化療法 BATD-R」 v) 引用中の「生活リズムを崩さない」ことに関連する「生活のリズムを整え」ることについて、稲田泰之監修の本、「パニック症と過呼吸 発作の恐怖・不安への対処法」(2020年発行)の 第5章 不安と症状を軽くするヒント の「生活の基本」における記述の一部(P88)を次に引用(『 』内)します。 『交感神経の高ぶりは、過呼吸パニック発作に結びつきやすくなります(中略)。生活リズムを整え、自律神経の働きを安定させることは、状態の安定につながります。』(注:引用中の「交感神経の高ぶり」に類似する「交感神経系の活動が亢進した」ことについてはここを参照して下さい) vi) 引用中の「運動しよう」に関連する「運動をしている人のほうが回復が早い」ことについて、同の 第4章 回復に近づくための日常生活のケア の 運動には薬と同じような効果がある の「運動をしている人のほうが回復が早い」における記述(P94)を以下に引用します。 vii) 引用中の「精神的にも身体的にも無理をしないでください」に関連する「パニック障害は無理のきかない病気である」ことについて、 同章の 回復に近づくための日常生活のケア の リスクを避け、ストレスをためない の「過労、睡眠不足、カゼは症状悪化の三大リスク」における記述(P106)を以下に引用します。

運動をしている人のほうが回復が早い

パニック障害の人は、どうしても運動を避ける傾向があります。
パニック発作で激しい動悸を経験しているため、運動したら、また動悸が起こり、息が詰まるような恐怖におそわれるのではないかと心配する人もいるようです。
また、広場恐怖症があると、どうしても行動範囲が狭くなり、体を動かす機会が減ります。運動不足のために体力が落ち、ますます動くのがおっくうになるという悪循環におちいります。しかし、いくつかの研究でも明らかになっていますが、運動をしている人はしていない人より確実に回復が早いのです。
米国の調査研究では、1日45分のウオーキングを週3回、6カ月つづけたところ、抗うつ薬のSSRIを飲んだときと同じような効果(脳の変化)が見られたといいます。
別の研究でも、パニック障害の患者さんを、薬だけで治療をしているグループと、薬といっしょにウオーキングなどの有酸素運動を取り入れているグループとくらべた場合、運動をしている人のほうが治りが早く、完全に治る確率も高かったと報告されています。
動くのがこわいから動かない、といった状態では、体力が落ち、心身のバランスをくずして、ますます回復からは遠のいてしまいます。これをかえるには、まずできることからはじめてみることです。景色を楽しみながらの散歩などでもよいでしょう。体を動かして体調がよくなれば、心にもよい影響をあたえ、再発の予防にもなります。

注:i) 引用中の「広場恐怖症」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「SSRI」については次のWEBページを参照して下さい。 「SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の解説 - 処方薬事典

過労、睡眠不足、カゼは症状悪化の三大リスク

パニック障害は、無理のきかない病気です。療養生活では、何をするにも度を越さないように控えめにします。
パニック障害は心の病気ですが、体力も落ちるため、節制を心がけることが大切です。
たとえば、健康な人だったらふつうにこなせる程度の作業でも疲れが蓄積したり、ちょっとした環境の変化でカゼをひいたりします。
過労やカゼは、パニック発作を誘発するリスクになります。カゼをきっかけにして、かくれていた残遺症状があらわれることもあります。
睡眠不足も、症状を悪化させる誘因になります。ところが、パニック障害の人は、楽しいことや好きなことをしていると時間を忘れて没頭してしまう傾向があります。趣味などを楽しむのは、ストレス解消になってよいことなのですが、熱中するあまり、夜更かしをして睡眠不足になってしまっては逆効果です。
「過労」「睡眠不足」「カゼ」は、病気を悪化させる三大リスクと考え、できるだけこうしたリスクを避ける生活を心がけることが大切です。

注:引用中の「残遺症状」についてはここを参照して下さい。

一方、 a) パニック障害(パニック症)の予期不安において、 EMDR (眼球運動による脱感作と再処理法)に効用があることを報告する資料を次に紹介します。 「パニック障害に対する EMDR の効用と限界」 加えて上記「EMDR」に関連する「拡張版コンテイナー・テクニック」については次の資料を参照して下さい。 「安定化技法により自己コントロール感への影響が認められたパニック症の 1 例」の「心理面接の経過:」項 ちなみに、予期不安についてはここを、 EMDR については他の拙エントリのここここをそれぞれ参照して下さい。 b) 「パニック発作では呼吸が浅く、速くなりますので、日頃から複式呼吸を身につけておくことも役に立つ」ことについて、平島奈津子著の本、「不安のありか “私”を理解するための精神分析のエッセンス」(2019年発行)の 第3章 パニック症と広場恐怖症 の「パニック症の予防とセルフケア」における記述の一部(P73)を次に引用(『 』内)します。 『パニック発作では呼吸が浅く、速くなりますので、日頃から複式呼吸を身につけておくことも役に立ちます。ゆったりとした音楽をかけながら、複式呼吸を意識的に行えば、それだけでリラクゼーション効果が得られます。』

加えて、パニック症等における予期不安(参照)までは至っていないかもしれませんが、言葉の効果と不安との関連について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第1章 マインドフルネスを正しく理解する の『「心ここにあらず」は考えることから』における記述(P010~P012)及び『「心ここにあらず」の状態から、ハッと我にかえる』における記述の一部(P015~P016)を次に引用します。

「心ここにあらず」は考えることから

では、「心ここにあらず」の状態はどうしたらなるかと言えば、考えることを始めると我々はすぐ「心ここにあらず」になってしまいます。つまり考えるということが、「心ここにあらず」の状態をつくり出す非常に大きな原動力なんですね。
ただ、我々は常に何かを考えています。これは人間の特性です。
そもそも人間は言葉を発明して、その言葉によって文明を築き上げたのですから、言葉というものは素晴らしい力を持っています。この言葉をつくり出したおかげで、すべての文化がつくり出されたわけですからね。
でも、あまりに素晴らしいので、現実との接点を失ってしまうことが容易に起こります。つまり言葉で考える、あるいは何かを読むとか何かを聞くと、その言葉で表現していることが、心の目で見えてしまうわけです。
例えば皆さん、ちょっと目を閉じてください。それで私が「レモン」と言うと、レモンが見えませんか。ツヤツヤして黄色い、ちょっと先に尖ったところがあって、切るとすっぱそうな匂いがして、かじると実際にすっぱいという味まで感じとれますよね。
それでは目を開けてください。目を開けると、レモンはどこにもありません。でも、「レモン」って聞くだけで、心の目で見えるし、あたかも口の中に入れたような感じが残るわけです。でも現実にはレモンというものはない、ということはわかりますね。

これは簡単な例ですが、我々は他にもいろんなことを考えます。例えば不安が強い方のなかには、地下鉄に乗るのが苦手な方や、飛行機に乗るのが苦手な方もいらっしゃいます。そうすると、「地下鉄に乗る」と思うだけで、もう地下鉄に乗っていて不安で凍って固まっている自分が見えるわけです。「地下鉄に乗るなんて無理、無理!」そう思いますよね。でも、実際に乗ったわけではないですし、実際に乗ったらそのようになるのかもわからないのです。でも、さっきのレモンのように、ありありとそれが感じられてしまうわけです。そして「そんなの、絶対に無理!」となって、乗らないわけです。
でも、実際に地下鉄に乗ったら、調子が悪くなる、怖くなるといったことが本当なのでしょうか。本人にとっては、本当ですよね。心の目でありありと見えますし、感じますし、ドキドキしてきます。だから、「先生、私ができないって言っているのだから、できません」と言いたくなりますよね。
でも、それは本当のことでしょうか。もし考えたことがそのまま事実だとすれば、最初のレモンの例でいえば、レモンは現実のものとして取り出せるはずです。でも、レモンは取り出せません。「絶対に地下鉄なんか乗れない」と思っているのも、それと同じことです。それでも絶対と思ってしまうぐらい、我々の言葉は、力を持っているということです。(中略)

「心ここにあらず」の状態から、ハッと我にかえる(中略)

このように言葉というのは、バーチャルな現実をつくり出すことと、現実との接点を遮断するという、二つの効果を持っています。ですから我々が何かを考え始めると、現実との接点がなくなって、言葉がつくり出すバーチャルな世界のほうに行くわけです。そうすると、「心ここにあらず」の状態になってしまいます。(後略)

注:i) 引用中の「心ここにあらず」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連するかもしれない『「今」から注意がそれる』と、不安や怒りが生まれることについて、長谷川洋介、貝谷明日香著の本、「知識ゼロからのマインドフルネス 心のトレーニング」(2015年発行)の PART1 「今、ここ、私」で不安や怒りをなくす の『「今」から注意がそれると、不安や怒りが生まれる』における記述の一部(P18)を以下に引用します。 ii) 引用中の「バーチャルな現実をつくり出す」に関連する「バーチャルな現実によるコントロール」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「バーチャルな世界と現実の世界の区別がつかない状況に人間を陥れることになった」については、次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスはなぜ効果を持つのか」の「マインドレスになる基盤とは?」項 さらに、『人はいとも簡単に「バーチャルな現実」に飲み込まれてしまう』ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「「心を閉じない、飲み込まれない」。マインドフルネスとは現実を等身大に感じること。 医学博士 早稲田大学人間科学学術院教授 熊野宏昭さん 前篇」の『人はいとも簡単に「バーチャルな現実」に飲み込まれてしまう』項 iii) 引用中の「言葉というのは、バーチャルな現実をつくり出す」ことによる問題を少なくするための「コンプリヘンシブ・ディスタンシング」(言葉の世界全体から距離を取ること)については、他の拙エントリのここを、 加えて「脱フュ―ジョン」については、他の拙エントリのリンク集を それぞれ参照して下さい。

●不安はどこから生まれるのか?

不安、イライラ、後悔、怒り……気持ちには色や形はありません。でも私たちの体の内側にわくように生まれます。心は、実体がないのに「ある」と感じさせ、感情だけでなく行動にまで大きな影響を与えます。不安やイライラにとらわれると、涙があふれてきたり、眠れなくなったり、食欲がなくなったり。心のあり様しだいで、生活も人生も大きくかわってしまうのです。
こうした心の変化は、ふとした瞬間、自覚できないほどのすばやさで私たちをおそいます。「ふとした瞬間」にいったい何が起こっているのでしょう。

●1日のほとんどは、過去を材料に思い、考えている

人間は1日に20回近くの思いを抱くと言われています。思いの速さは光速の数倍、そして1日の思いの98%は過去の思い出だとも……。
ほとんどの瞬間、私たちの心は「今」から離れてしまっています。働いているときも、遊んでいるときも、食事しているときも、心はいつも別のところにあります。昨日受け取ったメールを思いだしたり、明日乗る電車のことを考えたり。
不安や怒りにおそわれるのは心が「今」から離れた、こんな瞬間。過去に受け取った情報を材料に何かを考えたり、未来を思うと不安や怒りが起こるのです。

●多忙な人ほど注意散漫になり、過剰反応するようになる

心が「今」から離れていると、当然、注意は散漫になります。目の前に起こっているできごとや、自分がおこなっていることからそれてしまいます。そんな状態で、次々とやるべきことに追われると、よりいっそう集中力は低下します。
情報が次々と私たちを刺激し、新たな思いや考えを生み出します。それをくり返すうちに、わずかな刺激にも即反応。思考は連鎖し、集中できなくなります。
心は瞬間瞬間、あちこちに飛びまわります。喜怒哀楽は人間らしさをつくる大切な要素ですが、反射的に喜んだり、悲しんだり、怒ったりしつづけていると、心を自分にとどめておくことができなくなるのです。自分の心にもかかわらず、心に自分が振りまわされてしまいます。自分ではなく、心が主導権を握ってしまうのです。自動操縦の飛行機に乗るようなもの。自分が操縦席に座りながら、行く先がわからない状態です。
自動操縦で進むのは楽に思えるかもしれません。しかし予想外のトラブルには対処できません。危機に直面すると、心は一瞬で不安やイライラに包まれます。(後略)

注:引用中の『不安や怒りにおそわれるのは心が「今」から離れた、こんな瞬間。過去に受け取った情報を材料に何かを考えたり、未来を思うと不安や怒りが起こるのです。』に関連するかもしれない、「みなさんが明日のことを心配したら、それがリアルとしてみなさんの頭の中に浮かんでくる。そしてそれを客観的事実と思いこむ。客観的事実だから不安で仕方なくなる。」については、pdfファイル「マインドフルネス瞑想と日本社会 ─仏教の突破口?─」中の山下良道著の文書『「本来の自己」とマインドフルネス』(P72~P76)を参照して下さい。

その上に、パニック症と生活習慣との関係(日常生活の改善)例については、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅳ 不安症を治す の 第6章 日常生活の改善 の「Q 不安症の発症や経過に関係する生活習慣にはどのようなものがありますか?」における記述の一部(P152)を次に引用します。

不安症にはさまざまな種類がありますが、ここではパニック症を例に説明しましょう。
パニック症(パニック障害)の発症や経過に関係する生活習慣としては、①睡眠、②休養(疲れのとり方)、③飲酒、④カフェインなど興奮・覚醒作用のある物質の過剰摂取がよく知られています。これに加えて、最近は⑤運動が注目されています(中略)。また生活習慣とは若干異なりますが、⑥風邪のときもパニック発作が出やすくなることが知られています。
これらはいずれも体調と関連するものですね。①~④についていえば、睡眠不足や不規則な睡眠時間、疲労の蓄積、アルコール過剰摂取、カフェインなどの過剰摂取はいずれもパニック発作の引き金になりますし、経過にも悪い影響を与えます(体質によりますが、カフェインの場合にはたった一杯のコーヒーでパニック発作が誘発されることもあります)。
これらの悪い生活習慣がつづいていると、どのような治療をつづけていても病状はなかなか改善しません。反対に、規則的で十分な睡眠、定期的に十分な休養をとり、飲酒をやめ、カフェインの過剰摂取を控えることは発症予防と病状の安定につながります。(中略)

ここまでパニック症を例に、発症予防と病状の改善に必要な生活習慣の概要を述べましたが、これらは社交不安症(社交不安障害)、全般不安症(全般性不安障害)などパニック症以外の不安症、またうつ病など、他の精神疾患にも当てはまることと考えてよいでしょう。

注:(i) この引用部の著者は佐々木司です。 (ii) 引用中の「カフェイン」以外にも漢方薬の「麻黄」という成分の摂取がパニック発作を誘発することがあることについて、稲田泰之監修の本、「パニック症と過呼吸 発作の恐怖・不安への対処法」(2020年発行)の 第1章 この症状は「パニック症」なのか? の 原因を確かめる② 薬やカフェイン、アルコールの影響はないか? の「服用中の薬」における記述(P18)を次に引用(『 』内)します。 『市販の鎮痛薬、風邪薬にはカフェインのほか、漢方薬の「麻黄」という成分を含むものもあります。カフェインや麻黄の摂取が、パニック発作を誘発することがあります。』 加えてパニック症の人における「二酸化炭素への過敏性」について、同本の 第2章 「死ぬような思い」をくり返す理由 の パニック発作のしくみ③ 脳の過剰反応で症状が出やすくなる の「二酸化炭素への過敏性」における記述(P35)を次に引用(【 】内)します。 【二酸化炭素の濃度が高い空間は、酸欠状態になるおそれがあるため、だれにとっても危険です。パニック症の人は、健康な人より低い二酸化炭素濃度でも過敏に反応し、過呼吸をはじめ、パニック発作を起こしやすくなります。】 その上に引用中の「アルコール過剰摂取」や上記「アルコールの影響」に関連する「禁酒」についてはここにおける引用の「禁酒、禁煙、禁コーヒー」項を参照して下さい。 (iii) ちなみに、 a) パニック症における日常生活の改善についてはここも参照して下さい。 b) 自閉スペクトラム症の視点からの健康な生活については、他の拙エントリのここを、加えて「悩める健康人」の視点からの健康な生活については、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

さらに、パニック障害月経前症候群との関連について、同の 女性のパニック障害に影響する要素 の「●月経前症候群」における記述の一部(P34)を次に引用します。

(前略)パニック障害の女性患者には、月経前症候群を持つ人が少なくありません。ただし、パニック障害と症状が似ているため、併発していることに気づいていないケースも多いようです。
月経前症候群があると、パニック発作が多くなったり、パニック障害が悪化しやすくなります。また、残遺症状があらわれやすくなります。
月経前症候群を持つパニック障害の患者さんを調べた米国の調査では、月経前には80%の人に不安の増加が、60%の人にはパニック発作の増加が、50%の人には広場恐怖症の増加が見られたと報告されています。

注:i) 引用中の「月経前症候群」については次のWEBページを参照して下さい。「月経前症候群」 ii) 引用中の「残遺症状」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「広場恐怖症」についてはここを参照して下さい。

次に全般不安症について、American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第5章 不安症群/不安障害群 の「全般不安症/全般性不安障害 Generaclized Anxiety Disorder」における記述の一部(P86~P87)を次に引用します。

全般不安症/全般性不安障害 Generaclized Anxiety Disorder
全般不安症をもつ人たちは多くの話題や出来事,活動について過剰な不安や心配をする。頻繁で過剰な心配は,予想される出来事の現実的な影響を超えている。心配が絶えず続くことで,日常生活の機能が阻害されて,活動に集中することも難しくなる。全般不安症をもつ人たちは,こうした心配をコントロールすることは難しいと感じている。心配は仕事,家族,健康,お金といったことに次から次へと移っていく。不眠,筋肉痛,緊張,頭痛なども起こることが多い。
米国では思春期の約0.9%,成人の2.9%(680万人)に,全般不安症の症状がある。女性は男性より2倍かかりやすい。30歳前後で診断されることが多い。10代以下で発症することは稀ではあるが,発症した場合,学校での勉強やスポーツをうまくこなすことに心配が集中しがちである。
全般不安症の症状は,ゆっくりと発症することもある。一生涯を通して症状が出現したり消失したりする。心配を感じる主な症状も,文化によって表現のされかたが異なる。例えば,心配な考えや恐怖と関連する症状をたくさん訴える人もいる一方で,不眠や筋緊張に関連する身体症状を訴える人もいる。全般不安症をもつ人は,他の不安症や抑うつ障害を併発していることも多い。不眠などの中年や高齢者でよくみられる身体疾患と重複することもある。(中略)

◇ リスク因子
全般不安症の正確な原因は不明であるが,いくつかの因子が発症に役割を担っている。
・気質:不慣れな状況を避けがちな人や悲観的な考え方の人はリスクが高い。
・環境:全般不安症の人は,子ども時代に逆境体験や過保護な養育環境をもっていたかもしれない。
・遺伝:第一度親族(両親や同胞)の人が不安症や抑うつ障害であった場合,全般不安症になるリスクが高まる。

注:i) 引用中の「全般性不安障害」について、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の 7章 虐待の引き起こす精神疾患 の「2 不安障害」における記述の一部(P80)を次に引用(『 』内)します。 『全般性不安障害の主な症状は、6ヶ月以上の長期にわたる過剰な心配と不安である。何か1つのことに不安があるというよりも、焦点の定まらないような不安が特徴である。毎日いらいらする、緊張する、気が散漫である、慢性的に疲れている、気分が消沈するなど様々な症状がある。筋肉の緊張や睡眠障害やめまい、動悸などの身体症状が伴う場合もある。』 加えて、引用中の「全般不安症」において心と身体にさまざまな症状が現れることについてはここを参照して下さい。 その上に、「全般不安症への認知行動療法」については次の slideshare を参照して下さい。 「全般不安症への認知行動療法」 ii) 引用中の「心配は仕事,家族,健康,お金といったことに次から次へと移っていく」ことに関連する「次々と不安の対象が変わる」ことについて、福西勇夫監修の本、「ウルトラ図解 不安障害・パニック」(2019年発行)の 第1章 不安障害の成り立ちと症状 の「全般性不安障害」における記述の一部(P36)を次に引用(【 】内)します。 【しかし、全般性不安障害の場合、1つの出来事に対する不安が持続するわけではなく、その不安が終わると、別の出来事への不安が始まるといった具合に、次々と不安の対象が変わります。】 iii) 引用中の「抑うつ障害」に関連する「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「全般不安症」(全般性不安症)において「過剰に心配して悩む」こと、「周囲の人からみると心配しなくてもよいことまで心配しているのも特徴」であることや「最悪のシナリオがいますぐにおこるように思える」ことについて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の a. 不安症と恐怖症 の「(1) 全般性不安症(6B00)[F41.1]」における記述の一部(P30~P31)を次に引用します。

慢性的に続く心配と不安が主症状である。全人口の2~3%にみられ、女性にやや多い。人生のさまざまな不安を敏感に受け止め、過剰に心配して悩む。たとえば初めて幼稚園に行くとき、母子とも不安を感ずる。その後も人前での発表、いじめ、試験、営業成績、自分や家族の病気、老後の経済まで、不安と心配の種は尽きない。これらの不安をその折々にひとつずつ、あるいは同時に2つ3つ、長く深刻に心配する。周囲の人からみると心配しなくてもよいことまで心配しているのも特徴である。(中略)

いったん不安になると、おろおろして仕事が手につかず、最悪のシナリオがいますぐおこるように思えて、じっとして居られない。夜もよく眠れず、食事ものどを通らず、からだが小きざみにふるえる。さらに不安がたかまると、次にしるすパニック発作が出現することがある。(後略)

注:引用中の「次にしるすパニック発作が出現することがある」ことについての引用は省略しますが、代わりにここを参照して下さい。

加えて限局性恐怖症について、 i) 「限局性恐怖症でもパニック発作が起こりますので、パニック障害との見きわめが大切です。」や「パニック発作は、後記の限局性恐怖症や社交不安症(対人恐怖)の患者が恐怖の対象にさらされて、それを我慢ないし回避できないときにも生ずる」ことについては共にここを参照して下さい。 ii) American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第5章 不安症群/不安障害群 の「限局性恐怖症 Specific Phobia」における記述の一部(P87~P89)を以下に引用します。これ以外にも、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の a. 不安症と恐怖症 の「(4) 限局性恐怖症(6B03)[F40.2]」における記述の一部(P33~P34)を以下に引用します。

限局性恐怖症 Specific Phobia
限局性恐怖症をもつ人たちは,特定の物,場所,状況に対して極端な恐怖を感じるが,それらは実際には彼らが感じるほど危険性がないことが多い。彼らの恐怖は,実際の危険性とは釣り合わないことを知っている場合もあるが,落ち着くことはできない。
恐怖の対象としては,動物,虫,高所,雷,針(もしくは注射されること),飛行機に乗ること,エレベータに乗ることなどがある。多くの人が飛行機が飛び立つ際は不安になるかもしれないが,限局性恐怖症の人は飛行機で旅行すること拒むこともある。過剰な恐怖があるため,生活習慣を変えて,特定の状況にいることや特定の物に近づくことを避けることになる。例えば,飛行機に乗ることに恐怖がある人は,飛行機での移動が必要な求人を断るかもしれない。恐怖の対象となるものを避けるために,わざと引っ越したり,長い通勤経路を使ったりする人もいる。
窒息しそうになったり,溺れ死にそうになったりといった心的外傷体験の後に限局性恐怖症になる場合もあるが,多くの場合はなぜその恐怖感が始まったのか思い出せない。限局性恐怖症は10歳以前の小児期に発症することが多い。正常な成長の一部として,子ども時代に覚えた恐怖感は消えていくことが多いが,恐怖症の過剰な恐怖は継続する。
米国では約7~9%の成人が限局性恐怖症にかかっている。男性に比べて女性に2倍多い。米国の3~5%の高齢者も限局性恐怖症にかかっており,恐怖症の対象は,身体疾患に関連した呼吸のしづらさや,息苦しさのような不安が中心となっていることが多い。こうした身体疾患に過剰な不安が組み合わさることで,生活の質(QOL)は大きく下がってしまう。限局性恐怖症の約75%の人たちは,2つ以上の物や状況(例えば,雷と飛行機で移動すること)を恐れている。
自殺は限局性恐怖症の人たちにとって大きな問題であり,障害のない人に比べると60%も多く自殺企図をしている。抑うつ障害群や他の不安症群を伴うことも多く,こうした合併した障害で自殺企図が多いことの要因の1つかもしれない。こうした事実からすると,限局性恐怖症をもつ人たちはメンタルヘルスケアに受診することが望ましい。(中略)

◇ リスク因子
限局性恐怖症の原因は知られていないが,次のような因子が発症リスクを高める。
・気質:不慣れな状況を避けがちな人,心配ばかりしている人,悲観的な考え方をする人は限局性恐怖症になることが多い。
・環境:過保護な両親による養育,死別や別離などで親を失うこと,身体的虐待,性的虐待などは発症リスクを高める。恐怖の対象となる物や状況に関する心的外傷的な出来事も,限局性恐怖症を引き起こすことがある。
・遺伝:第一度親族(親や同胞)に限局性恐怖症をもつ人がいる場合は同様にかかりやすい。

注:i) 引用中の「限局性恐怖症」については次のWEBページを参照して下さい。 「限局性恐怖症 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「不安症群」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「極端な恐怖を感じる」ことに関連する「こわがり方が尋常ではない」ことについて、上島国利監修の本、「最新図解 やさしくわかる精神医学」(2017年発行)の 第3章 抑うつ障害、不安症、強迫症など の「(不安症)限局性恐怖症」における記述の一部(P70)を次に引用(『 』内)します。 『限局性恐怖症では、こわがり方が尋常ではありません。気分が悪くなったり、吐き気やめまいが現れたり、失神してしまうこともあります。予期不安から、恐怖の対象を避けるようになります。本人も恐怖心が過剰なことはわかっていますが、どうすることもできないのです。』(注:引用中の「予期不安」には次に引用する(【 】内)脚注(P70)があります。 【一度発作が起こると、再び発作に襲われるのではないかと不安に感じること。】 加えて、パニック障害における「予期不安」ついてはここを参照して下さい。) iii) 引用中の「抑うつ障害」に関連する「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「心的外傷」に関連する「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 限局性恐怖症における引用中の「恐怖の対象」のより詳細としての「恐怖刺激の分類」については、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅱ 不安症の診断と治療 の 第5章 限局性恐怖症 の「Q 限局性恐怖症とはどういう状態か説明してください。」における記述の一部(P65)をそれぞれ以下に引用します。

Q 限局性恐怖症とはどういう状態か説明してください。(中略)

DSM-5では、恐怖刺激を、次の5つに分類しています。
①動物(犬、クモ、昆虫など)
②自然環境(嵐、高所、水、地震など)
③血液・注射・負傷(注射針、侵襲的医療行為など)
④状況(公共の交通機関、飛行機、トンネル、橋、エレベーター、自動車運転、閉所など)
⑤その他(窒息や嘔吐につながる状況、騒音、子どもでは大きな音や着ぐるみなど)
限局性恐怖症をもつ人では、平均で3つの対象または状況への恐怖がみられ、約75%の人に複数の対象または状況への恐怖がみられるといわれています。上述した対象や状況は、健康な一般の人にとっても不快で嫌悪されるものも多いのです。しかし、限局性恐怖症をもつ人の場合、その恐怖の対象に直面するときわめて強い不安が生じ、そのために恐怖をきたす対象や状況を避ける、いわゆる回避症状が生じ、日常生活に支障が出ることがしばしばみられます。(後略)

注:この引用部の著者は野呂浩史です。

(4) 限局性恐怖症(6B03)[F40.2](中略)

最もよくみられるのは高所恐怖や閉所恐怖で、飛行機やエレベーターにのれず、橋やトンネルが苦手である。暗闇、雷鳴、稲妻、スピード、尖端、刃物などの恐怖も多い。
蛇はたいていの人が気味悪がるが、小さい毛虫、くも、ゴキブリ、蜂などを、同じくらいこわがる人がいる。犬、猫、鳥などが、恐怖の対象になることもある。
血、注射、怪我、外科手術などを極端に恐れ、血を見るだけで気分が悪くなり、吐き気、めまい、さらに失神までおこす人がいる。
多くの場合、患者は生活のなかで恐怖の対象を避ける工夫をして暮らしている。その対象に直面するとき、恐怖の程度によってさまざまな不安や不快感を生じるが、極端な場合には不安発作(パニック発作)をきたすことがある。(後略)

一方、限局性恐怖症の一種である高所恐怖症(病的な状態)の説明について、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅱ 不安症の診断と治療 の 第5章 限局性恐怖症 の『Q 「高い所が苦手だ」という人は大勢います。どのような症状があると、高所恐怖症という病的な状態と呼ぶべきでしょうか?』における記述(P72~P73)を、 加えて、高所恐怖症に対する対処・治療法の説明については、同PARTの「Q 高所恐怖症の対処法・治療法を教えてください。」における記述の一部(P73)を次に引用します。

Q 「高い所が苦手だ」という人は大勢います。どのような症状があると、高所恐怖症という病的な状態と呼ぶべきでしょうか?

崖の上や高い木の上など、足場の悪い高い所を怖いと感じるのは、危険を回避するために備わった、人間にとって本来必要な感覚かもしれません。現代でも多くの人が「高い所は怖い」と感じます。
そのなかで、高所恐怖症として精神科で治療を必要とするのは、安全が確保されている場所でも、恐怖を感じてしまう人たちです。実際の高さにはあまり関係がありません。たとえ1メートルの高さであっても、恐怖で足がすくむことがあります。その場所の下に空間があり、落ちる可能性があることが怖いのです。
高所恐怖は落ちる恐怖(墜落恐怖)と結びついていることが多く、通常は落ちないと確信できる場所(橋の上や、高層ビル)でも墜落の危険に対する恐怖にかられるのが高所恐怖症です。高所恐怖症の症状は、単に怖いと感じるだけではありません。足がすくみ、恐怖のあまり声をあげてしまうほか、動悸、冷や汗、流涙など自律神経症状とも結びついています。そして多くの場合、必要な場合にも高い所に身を置くことを回避するために、日常生活や職業生活が妨げられ、重度の場合には人づきあいが制限されることもあります。

注:i) この引用部の著者は赤穂理絵です。 ii) 引用中の「自律神経症状」に関連する、a) 不安症と関係が深い身体症状は、主に、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状と関連していることについてはここを参照して下さい。 b) 社交不安症の視点からの『不安や緊張を感じると私たちの体内では「交感神経」の働きが活発になる』ことについて、貝谷久宜監修の本、「社交不安症がよくわかる本」(2017年発行)の P19 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『不安や緊張を感じると私たちの体内では「交感神経」の働きが活発になります。交感神経はストレスに対抗するために体にいろいろな変化を起こします。「顔が赤くなる」「汗が出る」「ドキドキする」「顔がこわばる」などの症状も、交感神経の働きによるものです。社交不安症がある人はこのような症状を感じると、「変な人と思われてしまう」と緊張し、さらに不安を強め、結果的にますます体の症状が強まります。』 (注:1) 引用中の「交感神経の働き」に関連する「ストレス応答のSAM系」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 2) 加えて、これに関連する「パニック症、社交不安症、特定の恐怖症等は扁桃体の過活動を前頭前野が抑制できなくなった状態であると考えることができること」については次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」の「発症機構」項)

Q 高所恐怖症の対処法・治療法を教えてください。

エクスポージャ法(暴露療法)が推奨されています。これは一定の時間以上、恐怖の対象となる“高所”に身を置きつづけると、恐怖の反応が落ち着いてくることを利用するものです。
たとえば動悸がする、冷や汗が出るなど、恐怖にさらされた際の自律神経の反応は、せいぜい10分もするとおさまってきます。高い崖の上、足場の悪いビルの工事現場など実際に危険な場所は別として、高所恐怖症の人が怖いと感じる“高所”は、通常は安全が確保されている場所です。高所恐怖症の人の頭の中で増幅されている恐怖のイメージも、その場にいつづけて慣れてくるにしたがって、通常15分程度でおさまってきます。当初の恐怖反応が落ち着くところまでその場所にいつづけ、「ここにいてもだいじょうぶだ」という体験をすることで、恐怖を乗り越えていくというのがエクスポージャ法です。
高所恐怖症の人が高い所へ出ていく場合、「ここは高い場所ではない」と自分に暗示をかけたり、「怖くない」と言い聞かせたりします。しかし、これは心理的な抑制の逆説効果(ある思考を抑制するとかえって関連する思考が増幅するもの)を生んで、余計に恐怖が増すことにつながりかねません。エクスポージャ療法では、「自分にとって怖い、高い所にいる」と、まずは恐怖と向き合うことが重要になります。
ただし、最初から強い恐怖を感じる場所に挑戦すると、圧倒的な恐怖感のために自分がエクスポージャ療法に挑戦しているという認識を保てなくなってしまいます。エクスポージャ療法は、軽い恐怖を感じる場所から克服して、徐々に強い恐怖を感じる場所に段階的に挑戦していくことがコツです(たとえばビルの下層階から始めて、1階ずつ上の階に挑戦するなど)。(後略)

注:i) この引用部の著者は赤穂理絵です。 ii) 引用中の「当初の恐怖反応が落ち着くところまでその場所にいつづけ」に関連するかもしれない、森田療法における「感情の法則」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項 iii) 引用中の「心理的な抑制の逆説効果」に関連する「抑制の逆説的効果の生起」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「抑制スタイルが抑制の逆説的効果の生起に及ぼす影響」、『「考えない」ことについて考える』 iv) 引用中の「心理的な抑制の逆説効果」に関連する「避けようとすればするほど強く感じてしまい」について、熊野宏昭著の本、「マインドフルネスそしてACTへ」(2011年発行)の 第四章 言葉の世界全体から距離を取る の「私的出来事を回避するとどうなるか」及び「心を閉じない、呑み込まれない」における記述の一部(P115~P118)を以下に引用します。ちなみに、この引用には上記後者の資料中の「シロクマ実験」に関連する記述を含みます。

私的出来事を回避するとどうなるか

ところで、言葉や思考の影響力の強さには、認知的フュージョン以外に、もう一つ大きな理由があるというのが、関係フレーム理論の重要な主張になっています。それは、体験の回避と呼ばれる行動傾向のことで、嫌悪的な状況だけでなく、それに対する自分の反応(嫌悪的な私的出来事)も回避する傾向と説明されています。つまり、嫌な気持ちや考えを持ちたくないために、自分の私的出来事を避けようと心を閉じてしまうわけです。
これがなぜ問題なのかというと、私的出来事は自分の中にあるものなので、避けようとすればするほど強く感じてしまい、思い浮かべる頻度も高まってしまうからです。例えば、不安になることがほんとに嫌だったとすれば、ちょっと不安になっただけで(そんなことは誰にでもあることなのですが)、ひどくビックリしてしまうことになるでしょう。そして、また不安になっているのではないかといつもチェックするようになり、その結果、不安に気づく頻度も増えてしまうわけです。
これを簡単に調べる面白い実験があるのでご紹介しましょう。それは、白熊の実験と呼ばれるもので、とても簡単ですから、皆さんも一緒にやってみてください。いいですか、それでは始めます。

今から三分間、白熊のことは絶対に考えないでください。

どうですか。しばらくは頑張れても、どうしてもチェックが入ってしまって、何度も考えていることに気づく方向に行ってしまったのではないでしょうか。ところで、過去一週間の間に白熊のことを考えたことは? ありませんよね。
認知的フュージョンと体験の回避が悪循環を作ることも容易に理解できるでしょう。(中略)

つまり、何かネガティブなことを考えたとすれば、認知的フュージョンのために現実と感じられてしまうので、強い嫌悪感をもたらします。そこで、わざわざ避けるほどのものでもないのに、「もうこんなことは考えない」とやってしまい、なおその嫌悪感の強さや思い浮かぶ頻度が高まってしまうわけです。

心を閉じない、呑み込まれない

体験の回避と認知的フュージョンから抜け出すためには、苦手で嫌悪的な状況に直面した時に色々考えたり感じたりすることに対して、「心を閉じない、呑み込まれない」というスタンスを取るように努めることが必要になります。(後略)

i) 引用中の「今から三分間、白熊のことは絶対に考えないでください」に関連するWEBページや資料の例は次を参照して下さい。 「ストレスと距離をとり生産性向上につなげるセルフケア」、『認知療法,マインドフルネス,原始仏教:「思考」という諸刃の剣を賢く操るために』の「3.3 侵入思考と対処方略」項 加えて、「『強迫観念を無視する』ってのは、認知行動療法的な視点から考えてもダメな介入」との記述を有するツイートがあります。 ii) 引用中の「体験の回避」及び「認知的フュージョン」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「関係フレーム理論」については、次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 ちなみに、この理論に基づいて構成された認知行動療法が、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(他の拙エントリのリンク集参照)です。 iv) このアクセプタンス&コミットメント・セラピーのみならず、上記「体験の回避」にも関連する不安に向き合うためのマインドフルネスについて、スーザン・M・オルシロ、リザベス・ローマー著、仲田昭弘訳の本、「マインドフルネスで不安と向き合う」(2017年発行)の「本書の使い方」における記述の一部(Pxi~Pxv)を次に引用します。

本書の使い方

まったく,恐怖と不安ときたら,用心深過ぎて困るボディーガード二人組のようです。危険かもしれないと適度に注意を促してくれるのではなく,叫び立てて警戒を求めたり,行動するようにとひっきりなしに喋り続けたりします。安全を確保してあなたが絶えず背後を気遣わなくてものびのびと生活できるようにしてくれるのではなく,あなたを部屋に閉じ込めてしまいます。気持ちを平和にしてくれるのではなく,注意を向けるように強制して,しまいには何もかもが脅威に思えてくるまで捕らえて放さず,本来一番大切に感じるものの方向へ進むのを難しくします。おまけに,一旦恐怖と不安が心で主導権を握ると,その支配を緩めるのがなかなか難しくなります。
脅威があるぞと警告されれば 逃げようと反応するのは自然です。危険が特定の場所に潜んでいると知ったのなら,そこを避けるのが賢いでしょう。でも,不安と恐怖の叫びに用心し過ぎると,気がつくと身体でも頭でも感情でも,逃げたり避けたりすることに人生の時間とエネルギーをどんどん吸い取られる状況になりかねません。視野が狭くなって,経験の広がりと奥行きが小さくなります。自己保存の本能,つまり自分の反応の性質に制限されて,その牢獄から出られなくなります。不安が人生を強く締めつけてくるのを振り切って自由になるには,新しい種類の気づきを育まなければいけません。思いやりがあって,優しく,それでいて揺らがない姿勢で自分の反応も周囲の状況も穏やかに処理して,一目散に逃げて安全な場所に駆け込みたくなる衝動を生まない種類の気づきです。それをマインドフルネスと呼びます。
マインドフルネスを身につけると,今までとは違う姿勢で心配や恐怖の感情を受け止められるようになります。不安とストレスにただ降参し続けなくてもよくなるのです。そんなの無理だ 全身の神経が叫んで,心身の警報(高鳴る心臓,締めつけられる胸,破滅が差し迫る感じ)からともかく逃げろとサイレンが鳴っているときに,マインドフルにじっと座っているなんて無謀以外の何物でもない,と思われるでしょうか。ところが そうしたマインドフルな姿勢は,不安の締めつけを解くための鍵です。何を隠そう,私たちが勇敢に不安に対抗すべく行う努力こそが 苦しさを生んでいる真犯人です。不安と戦う,ストレスを避ける,例の威張ったボディーガードたちを黙らせようとする,といった悪戦苦闘をするから,適度で役立つ反応ができなくなり,心配事を解決する方法を見つけられなくなり,注意を本来向けるべきところ(人生で一番大切に思う方向に進むこと)に向けられなくなるのです。
本書を読み進めながら,マインドフルネスを身につけると不安との悪戦苦闘から自由になれることを発見し,人生の新しい可能性を拓いていただければと思います。(中略)

私たちはまず 不安に反応するときに誰にでも共通したパターンが三つあって,それが不安に関連する問題の苦しさと不満を強めていることを突き止めました。そのパターンが 本来なら役立つはずの自己保存のメカニズムを,比喩的に言えば「用心深過ぎるボディーガード」にしてしまっているようなのです。本書を読み進めていただくうちに自然にわかるはずですが 三つのパターンを順番に展開します。まず,不安の苦しい感情があると,注意の視野が狭くなり,自己批判的になったり何かと評価したりしやすくなります。次に,不安を感じないですむように,気持ちのうえで逃げようとします。それでも苦しさが和らがないと,三つ目として,不安のきっかけとなる物事をことごとく避けようとします。日々の取り組みの中でもう一つ何度も目にしてきたのは,長年不安に苦しみ続けて心がすっかり窮屈になってしまったクライエントでも,マインドフルネスを使うと,三つのパターンが心で展開する様子を自分で観察できるようになることです。胸がドキドキする感じや心配を掻き立てる考えがあると,あっという間に注意の視野が狭まり,危険がないかを探し始めて,それ以外には注意が向かなくなる場合があります。また,不安に関連する感覚,感情,思考があると,よく吟味しないですぐにそれを望ましくないもの,ひょっとしたら危険なもの,あるいは本質的な弱さを示すもの,などと解釈します。マインドフルな気づきを身につけると,不安を感じさせる思考,感情,身体感覚から注意をそらそうとしているときや,それを抑え込んで押しのけようとしているときに,自分でそうとわかるようになります。すると,不安のきっかけとなりそうな人,場所,活動を避けようとして人生でどれほどのものを失っているかが よく見えてきます。
マインドフルネスを実践していると,不安の一番微かな兆候にも気がつくので,感情の反応が強くなる前に新しいスキルを使い始められます。マインドフルネスを普段から生活にうまく取り入れていると,不安とも進んで向き合えるようになって,心で起きている悪戦苦闘から解放されます。マインドフルネスを実践すると,人生で価値に向かって意識的に行動していくときに必要な方向性がはっきりして,何も考えずにただ習慣から反応している状態が減ります。リスクを避けようとして日頃から機会を逃している様子がわかるようになりますし,どうしたら不安を避け続ける方向へではなく,もっと自分らしく充実した気持ちを目指す方向へ注意を向けられるかがわかります。(後略)

注:i) 引用中の「不安に関連する感覚,感情,思考があると,よく吟味しないですぐにそれを望ましくないもの,ひょっとしたら危険なもの,あるいは本質的な弱さを示すもの,などと解釈します」に関連するかもしれない、「みなさんが明日のことを心配したら、それがリアルとしてみなさんの頭の中に浮かんでくる。そしてそれを客観的事実と思いこむ。客観的事実だから不安で仕方なくなる。」については、pdfファイル「マインドフルネス瞑想と日本社会 ─仏教の突破口?─」中の資料『「本来の自己」とマインドフルネス』(著者:山下良道、P72~P76)を参照して下さい。 ii) 引用中の「マインドフルネス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 注意制御に着目しての、a) 引用中の「不安との悪戦苦闘」に関連する「社交不安障害(又は社交不安症、SAD)患者の不安の維持」について、資料「社交不安と不安感受性および注意制御と抑うつ症状の関係性」の「5.考察」項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『SAD 患者の不安の維持には,歪んだ予測,自分や他者に関する歪んだ信念を維持するフィードバック・ループがあるという考え方を裏付ける結果と考えられる。つまり,そのループを強固なものにするひとつの要因として,自己の内面へ注意を向けてしまうと,注意制御を行うことができず,いつまでも否定的な側面に注目し続けることで,不安症状が維持されるのではないかという認知があるといえる。』 b) 引用中の「マインドフルネスを身につけると不安との悪戦苦闘から自由になれる」ことに関連する、「マインドフルネス特性が高い者は,注意制御機能が高い傾向にあることが示唆される」ことについて、資料「マインドフルネス特性,注意制御機能,回避行動,他者からの評価に対する恐れと社交不安との関連性」の「考察」項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『マインドフルネス特性が高い者は,注意制御機能が高く,他者からの評価に対する恐れ,回避行動,社交不安が低い傾向にあることが示唆される。』 c) 加えて、次のWEBページも参照して下さい。 『社交不安障害に見られる「注意制御機能」の低下と効果的な介入方法について』 iv) SAD における、精神交互作用的なものについては、次の資料を参照して下さい。 「社交不安症の疫学 ―その概念の変遷と歴史―」の【はじめに】項 ちなみに、上記「精神交互作用」についてはリンク集を参照して下さい。

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≪余談2≫複雑性PTSD、発達障害及び境界性パーソナリティ障害における気分変動

以下に複数の引用を示すように複雑性PTSD、発達障害及び境界性パーソナリティ障害においては、双極性障害(特に双極Ⅱ型障害、例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)とは診断されない気分変動の症状が有るようです。ちなみに、 a) 気分変動の注意点に関するツイート例はここを参照して下さい。 b) 複雑性PTSDについては他の拙エントリのリンク集を、境界性パーソナリティ障害については他の拙エントリのリンク集をそれぞれ参照して下さい。一方、発達障害については他の拙エントリ(その1その2)を参照して下さい。

(a) 「こころの科学 181号(2015年5月)」特別企画における杉山登志郎著の文書、「発達精神病理学の力 ―― 予防のための科学」(P14~P20)より記述の一部(P19)を次に引用します。

複雑性PTSDの特徴を、臨床でよく遭遇する所見としてまとめてみたのが表2である。以下、少し解説を加える。(中略)

①気分変動に関しては、一見双極性障害Ⅱ型なのであるが、この起源は被虐待児に認められる激しい癇癪や気分変動であり、実際に気分調整薬がほとんど無効である。一方、抗精神病薬の少量処方と、フラッシュバックへの漢方薬、短時間のトラウマ処理の組み合せが治療的には有効に働く。つまり、複雑性PTSDによる気分変動を、双極性障害から分けたほうがよいのではないか、というのが発達精神病理学的視点からの指摘である。

注:i) この引用部を拡大した引用は、他の拙エントリのここで紹介しています。 ii) 引用中の「複雑性PTSDによる気分変動を、双極性障害から分けたほうがよいのではないか」に関連する、「複雑性 PTSD に認められる双極Ⅱ型類似の気分変動は双極性障害ではないと筆者は考える」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」の「2 .トラウマ処理」項(P223) iii) 引用中の「複雑性PTSDによる気分変動を、双極性障害から分けたほうがよい」ことに関連するかもしれない「トラウマ反応と双極性障害睡眠障害で区別するのが鍵」との記述を有するツイートがあります。

(b) 宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の【合併と鑑別-―双極性障害】における記述の一部(P100~P104)を次に引用します。

時間単位でバイポーラーなんておかしい 自閉症でも躁に見える人がいる

宮岡 双極性障害と診断される可能性についてはいかがでしょうか。わりあい気分変動があるのか、あるいは双極性障害と本当に鑑別しなければならないような例もありますか。
内山 双極性障害との鑑別は、ASDよりむしろADHDでしばしば議論されています。ADHDの症状は多動だったり、衝動的だったりするわけで、いわゆる躁状態に近いものがありますよね。もちろんASDとADHDは、僕らの考えでは合併率がかなり高いので、ASDもからんでくるのですが。
宮岡 双極性障害でも自閉症を背景にしたうつもあり、発達史はきちんと聞くというのが大前提ですが、躁に関しても、ADHDで非常に落ち着かない人と、自閉症でも一見躁に見える人がいますよね。
内山 反応性にはしゃぐということはありますね。
宮岡 異様にはしゃぐみたいな感じでしょうか。
内山 異様にはしゃいでしまうのは、情報処理がうまくできないからなのです。要求水準が高まって自分の能力以上のことをさせられると、急にはしゃぐ。それが躁に見えることがあるのです。
宮岡 うつと同じで、気分の高揚感というか、それ自体の言語表現が乏しいんですよね。
内山 そうです。言語表現に乏しいから行動化するのです。しかもリミッターが働かないので、いったん舞い上がると抑えがきかないし、その場もわきまえずに、どんどん舞い上がっちゃうので。
宮岡 行動だけ見ていると、躁と判断しやすいですよね。
内山 双極性障害うつ病と同じで、すごく裾野が広くなっていますしね。
宮岡 そうそう。いま、私も言おうと思っていました(笑)。バイポーラ―Ⅱ(双極Ⅱ型障害)が入って、ますますややこしくなっていますよね。
内山 それに加えて、アメリカでここ十五年ぐらい子どもの双極性障害が大変話題になっていることが原因だと思います。
僕は反対なのですが、アメリカでは一日のなかで気分変動があると双極性障害との診断をつける先生が多いのです。でも、いくら子どもでも一日のなかで変動するようなことは、そんなにないと思います。バイポーラ―なら症状の消失は何週間単位のはずですよね。
宮岡 いまは時間単位でバイポーラーなんですね(笑)。
内山 時間単位なんておかしいと僕は思うのですが。
宮岡 そうですね。「製薬会社が薬を売るために、子どもの双極性障害をつくった」と言う先生もいます。
内山 アメリカで双極性障害がはやり出したのは二十年ぐらい前ですが、そのときから急に子どもの双極性障害が増えて、ADHDとの鑑別が話題になりました。大人の精神科領域に双極Ⅱ型障害が入ったのは何年ぐらい前ですが。
宮岡 日本でよく言われるようになったのは、ここ四~五年ですね。
内山 そうですよね。双極Ⅱ型障害ADHDアスペルガーというのは、かなり悩ましい問題なのです。
宮岡 典型的な躁うつ病だったら、わりあい鑑別の議論もしやすいのですが、双極性障害のほうも裾野を広げてきています。双極Ⅱ型障害というのは、抑うつ状態はあるけれども、躁は軽度の躁という人なんですよね。単極性のうつ病にも、よく見るとちょっとした躁状態があるので、双極Ⅱ型障害ではないかと診る傾向も出てきています。
内山 抑うつと軽い躁が双極Ⅱ型障害の考え方の基本の一つですが、軽い発達障害の人は情動のコントロールが苦手ですから、ちょっといいことがあるとはしゃいでしまうので、躁状態と受け取られてしまうことがよくあるのです。
宮岡 ちょっとはしゃいで行動が亢進している人を躁状態と診る先生方は、「典型的な躁状態ではない」ということに気がつかないのでしょうね。そう考えると、本当にいまの精神医学はガタガタだね(笑)。
内山 子どもの双極Ⅱ型障害が症状の判断を難しくしています。普通の双極性障害というのは躁状態が何週間や何日間も続いて、抑うつ状態が何日間か続くという長い経過をとります。でもいまは、よく聞いたらちょっとはしゃいでいる時間があった程度で「双極Ⅱ型障害かもしれない」という話になってしまう。
宮岡 だから、うつ病で受診してきた人に、「以前、お金の使い方がちょっと荒かったとか、怒りっぽかったとか、仕事がはかどりすぎるほどはかどった時期はないですか」と聞く精神科医が増えてくるわけですよ。
そうすると、患者さんによっては、「あのころはパチンコで十万円ぐらい使った」なんて話が出てくる。そうすると双極Ⅱ型障害が頭にありすぎる精神科医は「ほら、やっぱり双極Ⅱ型障害じゃないか」となる。パチンコで十万円使ったのは最近の話ではなく、過去の記憶なのだから、双極Ⅱ型障害という診断は慎重にすべきだと思うんですけどね。
「うつは心の風邪」と言って、ごく軽いうつまで抗うつ薬の適用にしてしまったように、双極性障害の治療薬を売るためにバイポーラ―Ⅱが出てきて、今度はADHDの治療薬を売るためにADHDの範囲を広げようとしているという意見もあります。医師は概念を広げて薬を売ろうという怪しげな動きにきちんと対応しないといけないですね。やはり「薬を売るために病気をつくったり増やしたりする」という警鐘は鳴らしておきましょう。
(後略)

注:i) 引用中の「バイポーラ-」は双極性の意味です。加えて、引用中の「バイポーラ―Ⅱ」は双極Ⅱ型障害(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)のことです。ちなみに精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM-5」によると、双極Ⅱ型障害と診断するためには、例えば同資料の「2.双極性障害の症状を知ろう」項におけるリストアップされた軽躁の症状が4日間以上続く必要があります(P5)。詳細はこの資料を参照して下さい。 ii) 引用中の「行動化」についてはここを参照して下さい。 iii) この引用部を含む部分の評価が示されている、杉山登志郎著の本、「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第3章 発達障害とトラウマ の「Ⅶ 発達障害うつ病」における記述の一部(P48~P49)を次に引用します。

(前略)ASDに気分障害が多い,またその家族にもやけやたら多いという事実は,発達障害に長年接しているものには周知のことであり,ベストセラーになった『大人の発達障害ってそういうことだったのか』36)にも詳しく取り上げられている。ここで指摘されている非定型的な気分障害に対して,発達障害というキーワードを挿入すると,新しい視点と対応法が開けるという指摘はまったくその通りだと筆者も思う。だがこの本で抜けている視点がある。それがトラウマの視点である。(後略)

注:i) 引用中の「ASD」は自閉スペクトラム症又は自閉症スペクトラム障害の意味です。 ii) 引用中の文献番号「36)」はここで紹介した本です。 iii) 引用中の(非定型的な気分障害に対する)「トラウマの視点」からの説明をしているがあります*35。また、引用中の「非定型的な気分障害」に関連する親の「双極性障害類似の気分の上下」について、杉山登志郎編集の本、「発達障害医学の進歩28 発達障害とトラウマ」(2016年発行)中の、杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ 総論」の 発達障害とトラウマの複雑な関係 の「7 親の側の気分障害の存在と被虐待の既往」における記述の一部(P5)を次に引用します。

7 親の側の気分障害の存在と被虐待の既往
症例を重ねるうち,この親の側に,父親にも母親にもうつ病躁うつ病を有する者が極めて多いことに気づいた.さらに親の側にもすでに,被虐待の既往が極めて多いことにも気づいた.ASD 11) および ADHD 12) において,うつ病の併存が極めて多いことはこれまでにも指摘されていた.われわれは親の側に精神科的な問題が認められた場合には積極的に親のカルテも作成し,親子併行治療を実施してきた.われわれが相談を受け,治療を行った親の側のうつ病は少ない量の抗うつ薬の服用のみで,短期間に寛解を得られる症例もあった.しかし徐々に重症例を数多く経験するようになった.このような症例こは特徴があり,親の側の被虐待の既往と,単なるうつ病ではなく,難治性の双極性障害類似の気分の上下が認められた.
被虐待の既往がある親の場合,激しい気分の変動,希死念慮,時として多重人格など,重篤な精神科的症状をもつ者が多く,当然ながら精神科での治療をすでに受けていて,しかも治療によって寛解を得た例が非常に少ないことにも気づかざるを得なかった.すでに様々な診断を受けているが,発達障害に関しては未診断で,さらにトラウマの既往に関しても,精神科においてそのことに十分に配慮された治療がなされていた者は皆無であった.彼らは発達障害の臨床像と,慢性のトラウマから来る複雑性 PTSD心的外傷後ストレス障害;Post-Traumatic Stress Disorder)の症状とを共に有していた5).(後略)

注:i) 引用中の文献番号「11)」、「12)」はそれぞれ対の論文です。 「Depression in persons with autism: implications for research and clinical care.」、「New insights into the comorbidity between ADHD and major depression in adolescent and young adult females.」 ii) 引用中の文献番号「5)」は次の本です。 「杉山登志郎発達障害薬物療法岩崎学術出版社,東京.2015」 iii) 引用中の「この親」は、あいち小児センターにおいて、この文書の筆者の治療を受けた患児の親のようです。

(c) そだちの科学 13号(2009年11月発行)中の三好輝著の文章、「難治例に潜む発達障害」(P32~P37)における記述の一部(P34)を次に引用します。

非定型発達者は本来彼らには馴染めない定型者中心社会に適用しようと、無理に過覚醒(過緊張)状態を保って現実に適応していることが多い(過覚醒状態を解除するのにも時間がかかる)。またトラウマ関連症状があると、過去の不快記憶が現在へと絶えず侵入してきて大脳を過度に興奮させてしまう。こうした脳の過覚醒(過緊張)状態の持続や異常興奮状態の頻発により、非定型発達者にはムードスウィング(軽いがサイクルの早い躁うつ様の気分の波)を伴うことが多い。

注:引用中の「ムードスウィング」に関連するかもしれない、「ASDにおける気分の変調」についてはここを参照して下さい。

(d) 資料『「境界例の理解と対応」』の Ⅲ.マネジメント の 1.診断とマネジメント における記述の一部を次に引用します。

もうひとつ事前質問でいただいた「双極Ⅱ型と誤診されることが多いのでは」ということについては,双極性障害では気分変動の理由がはっきりしない。(中略)しかし、境界例では数時間単位で気分の変動があり、その原因が対人関係である。こうした違いを告げて心理教育をすることが大切である。

注:i) この資料においては、「境界例」を境界性パーソナリティ障害の意味で使用しています。 ii) ちなみに精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM-5」によると、双極Ⅱ型障害(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)と診断するためには、例えば同資料の「2.双極性障害の症状を知ろう」項におけるリストアップされた軽躁の症状が4日間以上続く必要があります(P5)。詳細はこの資料を参照して下さい。

(e) WEBページ「診察室」における記述の一部を次に引用します。

感情がひどく不安定。2、3時間から2、3日にわたって、不安・いらいら・不快感が続く。このため「躁うつ病」と思われていることもある。

注:ちなみに精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM-5」によると、双極Ⅱ型障害(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)と診断するためには、例えば同資料の「2.双極性障害の症状を知ろう」項におけるリストアップされた軽躁の症状が4日間以上続く必要があります(P5)。詳細はこの資料を参照して下さい。

(f) 「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」中の野間俊一著の文書「境界性パーソナリティ障害気分障害か?」(P49~P57)より二つの記述の一部(P51)をそれぞれ次に引用します。

境界性パーソナリティ障害双極性障害の関係(中略)

境界性パーソナリティ障害の気分不安定に対する気分安定薬の有効性について、十分な実証的統計研究は知られていない(3)。実際に気分安定薬が処方されているのは境界性パーソナリティ障害の約二割といわれ、気分安定薬が有効そうだというデータはあるものの結果にかなりばらつきがある。結局、境界性パーソナリティ障害に対して気分安定薬を処方することについて、米国のガイドラインでは患者の感情調節不全に対する第二選択の治療法とされ、英国のガイドラインでは推奨されていない。臨床感覚としては、気分安定薬がそれなりに有効な患者がいることは事実だが、薬物効果の根拠は乏しいようである。
境界性パーソナリティ障害双極性障害とは重なり合うのではなく似て非なるもの、一見境界性パーソナリティ障害に見えるけどじつは本質的にまったく別な双極性障害だという症例が存在する、だからこそしっかり鑑別診断を行うべし、という考え方も当然あるだろう。自己破壊的な衝動行為が目立っているが、軽微な気分変動を見極めることで隠された双極性障害を見つけ出すことさえできれば、そのような症例には気分安定薬がしっかりと効くはずだ、というわけである。

注:引用中の文献番号「(3)」は、次の論文です。PubMed では Abstract が表示されませんが。「Are mood stabilisers helpful in treatment of borderline personality disorder?

気分変動と対人関係
衝動性の亢進した状態を躁状態とみなすかどうかの判断は、このようになかなか難しいことなのだが、この点以外でも、境界性パーソナリティ障害では双極性障害のような気分変動がみられるという点も、両疾患概念の鑑別を困難にしている。ただし、境界性パーソナリティ障害の気分の波は比較的周期が短く、数週間あるいは数日で躁とうつが切り替わる傾向がある。それは、境界性パーソナリティ障害の気分が、対人関係のあり方に敏感に反応するためである。つまり、双極性障害は脳の機能不全により気分の周期的な波が生じるが、境界性パーソナリティ障害では他者との交流が密になり対人関係が揺れ動くときに一見躁的な焦燥感が現れ、対人関係を置いて孤立した状態のときに抑うつ的な引きこもり状態になることが多い。

(g) 林公一著の本、「擬態うつ病新型うつ病 実例からみる対応法」(2011年発行)の 五章 境界性パーソナリティ障害 の「Case 12 解説 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P115)を次に引用します。

⑥ムードスイング(顕著な気分反応性による感情不安定性)
感情の不安定さは、境界性パーソナリティ障害の大きな特徴です。些細なことで突如としてこの不安定さが現れ、興奮したり、暴力的になったり、自己破壊的になったりします。「躁うつが激しい」と表現することもできるのですが、躁うつ病とは全く違ったものです。最も大きな違いは、気分が突然変動しているように見えても、境界性パーソナリティ障害ではそのきっかけに①の「見捨てられ不安」があるということです。

注:i) 引用中の『①の「見捨てられ不安」』については以下の引用を参照して下さい。ちなみに、「見捨てられ不安」に関しては、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。

「Case 12 解説 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P111)を次に引用します。

①見捨てられ不安としがみつき(現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする、なりふりかまわない努力)
これが境界性パーソナリティ障害の最も中心的な症状であるともいえます。つまり、境界性パーソナリティ障害に見られる多くの症状は、この見捨てられ不安がもとになっていると考えられます。(後略)

(h) 岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」変えるために』(2014年発行) の 第2編 パーソナル障害のタイプ――特徴、診断、背景、対処と克服など の (1)境界性パーソナリティ障害 の「③めまぐるしい気分の起伏」における記述の一部(P114~P115)を次に引用します。

両極端で変勤しやすい傾向は、気分や感情の面でも顕著です。調子がよく希望に溢れ、すべてがすばらしく思えるときと、調子が悪く悲観的で、すべてがダメに思えるときとの差が大きく、めまぐるしく入れ替わるのが特徴です。
気分が沈むだけでなく、イライラや不安が強い状態もよく見られます。同じ気分が数日以上持続することは少なく、小さな起伏や変動が生じやすいのです。こういう気分の起伏をムード・スウィングと言います。また、基本的には気分は沈みやすい傾向が見られ、本格的なうつ状態を伴うこともあります。(後略)

注:ちなみに精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM-5」によると、双極Ⅱ型障害(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)と診断するためには、例えば同資料の「2.双極性障害の症状を知ろう」項におけるリストアップされた軽躁の症状が4日間以上続く必要があります(P5)。詳細はこの資料を参照して下さい。

(i) 岩波明著の本、「大人のADHD -もっとも身近な発達障害」(2015年発行)の「図表6-3 ハロウエルらの診断基準」における記述の一部(P146)を次に引用します。

15. 気分が変わりやすい:2、3時間の感覚でさしたるさしたる理由もなく気分が変わりやすくなることがある。

注:i) この図表全体の引用は他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「2、3時間の感覚で」は誤りで、「2、3時間の間隔で」が正しいのかもしれません。 iii) ADHDに対する「ハロウエルらの診断基準」は国際的な診断基準ではありません。国際的な診断基準の例は次のWEBページを参照して下さい。「注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典」の「診断・鑑別診断」項 iv) ちなみに精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM-5」によると、双極Ⅱ型障害(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の P5~P7 を参照)と診断するためには、例えば同資料の「2.双極性障害の症状を知ろう」項におけるリストアップされた軽躁の症状が4日間以上続く必要があります(P5)。詳細はこの資料を参照して下さい。

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≪余談3≫メンタライジング・アプローチについて

メンタライジング・アプローチに関する一部分を複数の引用により以下に示します。ちなみに、a) 本余談では引用中の引用文献の注による紹介を省略する場合があります。 b) メンタライジングの説明は(g)項に示します。

(a) 「よそ者的自己」と投影同一視
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第4章 メンタライジングの発達 の「4 愛着トラウマとメンタライジングの機能不全」における記述の一部(P148~P150)を以下に引用します。標記「投影同一視」については次の YouTube も参照すると良いかもしれません。 「もっと知りたい境界性パーソナリティ障害[本格]投影性同一視とスプリッティング 精神科・精神医学のWeb講義 ボーダーの臨床 01

安定した愛着関係がメンタライジング能力を育てるのに対して,愛着関係において生じるトラウマ(愛着トラウマ)はメンタライジング能力を台無しにしてしまいます。その最たるものは,子どもの愛着を無秩序型にしてしまう親のあり方であり,そこには不適切な養育(maltreatment),つまり虐待とネグレクトが含まれます。(中略)

親の不適切な養育は,子どもにメンタライジング能力の機能不全を含む発達的欠損をもたらします。とくに虐待を受けた子どもたちは,メンタライジングの認知的側面,例えば心の理論課題において機能障害を示すだけでなく,情動的側面にも機能障害を示します。Fonagy と共同研究者たち(Fonagy et al., 2007)によれば,虐待を受けた子どもたちには,次のような特徴があります。

①他の子どもたちの苦痛に共感的反応を示す可能性がより低い。
②より情動の調整が欠けた行動を示す。
③内的・情動的状態について語る頻度がより低い。
④情動の表出を理解することが困難である。

不適切な養育における親子の関係をより細かく検討すると,以下のようなプロセスが見えてきます。まず,不適切な養育を行う親からは,子どもが自分の精神状態を知るために重要な随伴的・有標的なミラリングは返ってきません。子どもの精神状態は,ありのままに理解されることはなく,親の投影と歪曲に基づいて理解されます(Slade, 2005)。しかも,親は,自分自身の憎しみや恐怖をそのまま子どもに表出します。子どもは,親の応答の中に自分自身の精神状態の表象を見ることはできず,親自身の精神状態を見ることになります。その結果,子どもは,このような親のイメージを自己表象の一部として内在化してしまいます。この自己部分は,本来的な自己に属さない異物であり,Fonagy はこれを「よそ者的自己」(alien self)と呼びます(Fonagy et al., 2002; Bateman & Fonagy, 2004)。この内在化は,「攻撃者との同一化」(A. Freud, 1936)に似た機制です。よそ者的自己は,虐待者の精神状態のイメージが自己表象の中にあたかも植民地のように存在することです(Bateman & Fonagy, 2004)。虐待者をよそ者的自己として内在化すると,自分自身の中に自分に対して虐待的(迫害的)な部分があることになります。よそ者的自己は,例えば自傷行為や自殺企画などとして姿を現します(Allen et al., 2012)。また,よそ者的自己は苦痛の源ですから,心はそれを投影同一視によって自己の外に出そうとします。投影同一視の対象とされた人は,投影者の苦痛を代理的に体験させられることになります。ですから,よそ者自己を抱える人には,投影同一視の受け皿になってくれる他者が必要であり,そのような他者への依存は嗜癖的なほど激しいものとなります。この依存は,不安定な愛着につきものの行動のように見えますが,実際には,投影同一視の受け皿を求める疑似愛着であると,Fonagy たちは考えています(Fonagy et al., 2012, p.33)。心理療法においては,セラピストがクライエントの投影同一視の受け皿になるわけですが,そのようなときにセラピストには,怒り・憎しみ,無力感・無価値観,恐怖・心配,恨み,患者を救いたいという衝動などが体験されます(Fonagy et al., 2012, p.33)。さらに、よそ者自己を抱えている人は,自己の中に亀裂があり,自己がまとまりを欠いているので,自己を統制している感覚が持てず,自己統制感を得ようとして他者に対して統制的・支配的になると考えられます。(後略)

注:i) 引用中の「不適切な養育(maltreatment)」に関連する「マルトリートメント」については、資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい。 ii) 引用中の「ミラリング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から(f)項を参照して下さい。 v) 引用中の「愛着」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに、投影同一視について、平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第七章 境界例の主要特徴 の「●投影同一視について」項における記述の一部(P130~P134)を次に引用します。

●投影同一視について
a. 投影同一視(神秘的融即(27))について
▼次に投影同一視について説明してください。
――投影同一視は、分裂機制とセットになって作動することが多いのですが、定義では「分裂した自己のよい側面または悪い側面のいずれかを、外界の対象に投影し、その投影された自己の部分とそれを受けた外界の対象を同一視する」機制であるとされています。
▼もう少しわかりやすく説明できませんか?
――「自己の願望や衝動や怒り、絶望などを対象に投射し、それを対象の側のものとして認知し、それに対応することで自分の願望や衝動や敵意を支配しようとする」ともいえます。つまり、相手の気持ちを勝手に先取りして満たしてしまうとか、自分が敵意をもっているとき、相手が自分のほうに敵意を向けていると被害的に解釈し、その被害感を相手に向けるといったようなことです。
▼そうすると、患者の相手にたいする期待感、被害感などには、この投影同一視が入っていると考えられるのですね?
――もちろん、そういうことです。
▼この投影同一視を段階に分けて説明してくれますか?
――一応三段階に分けてみましょうか。
①自分の怒りや絶望(悪い側面)を家族(治療者など)に向ける。
②その結果、両親像や治療者像は極端に悪いものになる。
③自己と対象(両親や治療者など)を同一視するために、自分や自分のなかの怒りや絶望を放っておけないとき、自己を処罰したり自己に絶望するかわりに、対象を攻撃したり、非難する。
つまり自分で葛藤したり悩んだりできないので、それをまわりに移しかえるということです。だから、「苦の移しかえ」といってもいいかもしれません。
▼結局、自分の気持ちと他者の気持ちが区別できていないんですね?
――そういうことになります。重症の境界例になると、そもそもそういう区別が大事であるということすら理解させにくい場合があります。
▼ついでに投影と投影同一視の違いを教えてくれませんか?
――投影は、自分の心の内面を、対象(他者や物など)に投げ入れるということですが、たいていは、投影して(投げ入れて)それで終わりとはならずに、その投影したものを、気にしてしまう、つまり同一視してしまう傾向が少しはあるんです。そして、投影だけでなく、同一視の傾向が強ければ強いほど、投影同一視と呼ばれるのです。
▼そうすると、投影と投影同一視は連続的なもののような感じがしたんですが、それはどうでしょうか? それと投影ってきわめて自然に起きる現象ですよね。たとえば、ある花を見てきれいだと思ったり、ある人を見てこわいと感じたりするのも、自分の主観的気持ちを、対象に投げ入れているわけでしょ。そうすると、投影というのはごく自然な営みだと思われるのに、なぜ病的扱いされることが多いんですか?
――もっともな疑問だと思うので、例をあげて答えたいと思います。まず第一例として、ある人が相手にたいして怒りの感情をもっているとき、それが相手に投影され、相手のほうが自分に怒りを向けてきているんだと感じたとします。しかし、そのとき「怒りを向けられることがあっても、それは人間社会で生きているとありがちなことなのでまあいいだろう。自分はそんなことにとらわれずにもっと大事なことをしよう」と考えられると、それは投影ではあっても、そんなに対象にこだわっていませんから、投影同一視とはいえないわけです。それにこの程度だと自分もそう苦しまないし、まわりにもそう迷惑をかけることもないので、健康な投影といえるわけです。
次に第二例ですが、これが第一例のようにならずに「自分は相手から怒りを向けられている。こわくてしかたがない。このこわさや相手からの怒りがなくならないと、どうにもならない」と考えさせられてしまって、相手に対する恐怖感や被害感や被害妄想を訴え出したりすると、病的と呼ばれる状態になり、この場合は、投影同一視がかなり働いているといえるわけです。というのは、相手に押しつけた怒りと自分の気持ちを同一視してしまうために、相手からの怒りを放っておけなくなってしまうからです。
さらにもっとひどくなった第三例をあげると、「自分は相手から怒りを向けられ、嫌われている。自分はそれに耐えられない。相手(たとえば家族や治療者)に文句を言って謝ってもらうなり、責任を追及したいし、相手の本心を聞きたい」と、しつこく相手につきまとい、相手を追求しつづけたりすると、この投影同一視はかなり激しいということになります。境界例の投影同一視は、この三例目にあたることが多いのです。(中略)

▼こういうふうに、病的な投影や不健全な投影同一視になっていくのは、自分と他者(相手)の気持ちをそれぞれ区別して認識できていないということが原因としてあげられるようですね。
――そうだと思います。区別・認識が弱いほど、自他の感情が融合され、投影同一視と呼ばれる現象が起きてくるのでしょう。(後略)

注:引用中の「(27)」の参考・引用文献として、同本の P349 に次のように記述されています(【 】内)。【もともと人類学者のレヴィ-ブリュールが言った participation mystieque のこと。神秘的関与ともいう。ユング『変容の象徴』(野村美紀子訳、筑摩書房、一九八五)を参照のこと。】

(b) メンタライジング以前の心のモード
本、同章の「5 メンタライジング以前の心のモード」における記述の一部(P151~P152)を「表 4-1」を含めて次に引用します。

ある精神状態についての表象が元の精神状態から切り離されて二次的表象として使用されるようになり,さらに,その表象についての表象(メタ表象)を保持することができるようになるときに,メンタライジングが可能となります。つまり,ある精神状態を思い浮かべ,しかもその精神状態の性質,意味,原因などについて考えることがメンタライジングです。そして,メンタライジングにおいては,対象となる精神状態はある現実に向けられたものであり,その現実は現実自体ではなく,心が捉えた現実であることが前提となっています。しかし,メンタライジング能力が乏しいとか一時的に失われている場合には,上に述べたような認識が失われ,メンタライジング以前の認識モードが登場します。これが先に紹介した「心的等価モード」「ふりをするモード」「目的論的モード」です(Bateman & Fonagy, 2004; Allen & Fonagy, 2006; Fonagy, 2008)。表 4-1 に,それぞれのモードの概要を示します。

表 4-1 体験のモード
心的等価モード(psychic equivalence mode):心=外的現実。心を現実の表象からなるものとして認識することができないため,心で思ったことがそのまま外的現実でもあると体験される。例えば,夢,フラッシュバック,パラノイド的妄想にみられるように,精神状態がそのまま現実として体験される。

ふりをするモード(pretend mode):心を外的現実から分離したものとして認識しているが,現実と柔軟に結びつけることができず,空想,観念,概念,当為などの世界に入り込み,現実との接点を見失う。知性化や心理学用語濫用などとして表れる。

目的論的モード(teleological mode):メンタライズされれば欲求や感情として認識されるはずの身体的喚起状態が行為の形で表出される。言葉ではなく,行為と,その有形の効果がだけが重要である。行動化や自傷行為などにおいてみられる。

メンタライジング・モード(mentalizing mode):行為は,精神状態と関連づけられて理解される。そして,精神状態は,外的現実を反映しているが外的現実とは分離しているものとして認識され,多重的な複数の見方で捉えることができるものとなる。

注:i) 引用中の「心的等価モード」、「ふりをするモード」及び「目的論的モード」に対し、それぞれ(c)(d)及び(e)項でより詳細に示します。 ii) 引用中の「表 4-1」は本引用において表示形式を変更しています。最初にモード名を示し、次に説明を示します。 iii) 引用中の「メンタライジング」、「表象」はそれぞれ(g)項、(h)項を参照して下さい。 iv) 引用中の「フラッシュバック」に関しては他の拙エントリの「リンク集」を参照して下さい。 v) 引用中の「行動化」についてはここを参照して下さい。

(c) 心的等価モード
本、同章の 5 メンタライジング以前の心のモード の「(1) 心的等価モード(psychic equivalence mode)」における記述の一部(P151~P153)を次に引用します。

2~3歳の子どもは,自分の心を真に表象的なものとしては経験できず,自分の考え,感情,願望などが心の一部なのだという認識には到達していません。そのため,心で思ったことがそのまま外的現実でもあると思い込むことがありますが,これが心的等価モードです。成人においても,メンタライジング能力が低い場合やメンタライジングが失われたときに出現することがあります。心的等価モードは,対象関係論において妄想-分裂的思考や象徴的等価(Segal, 1957)と呼ばれる現象と重なります。例としては,妄想的認知やフラッシュバックがあげられます。フラッシュバックに苦しむ人がトラウマとなった経験について考えることを回避するのは,それを考えるだけでそれが再現されるように思うからです。より日常的な現象としては,根拠なしに,あるいはわずかな根拠から下した判断を絶対に正しいと確信し,代替的見方を考慮することができないような場合も心的等価です。
心的等価モードにおける認識の内容は,ネガティヴなものだけに限定されません。例えば,クライエントがセラピストに対して「先生は,今まで会った中で最高の人です。専門家としてだけでなく,家庭でも理想的な夫であり,父親だと思います」と確信を持って語り,明確な根拠をあげることができないとすれば,この過度にポジティヴな認識も心的等価モードの可能性があります。

注:i) 心的等価モードの例は、次に引用するように他の拙エントリのここに示されています。すなわち、代替的見方、例えば「隣家は育てている農産物を害虫から守るために、農薬を撒いている」が考慮できていないからです。 ii) 引用中の「メンタライジング」については(g)項を参照して下さい。 iii) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリの「リンク集」を参照して下さい。 iv) 引用中の「表象」については(h)項を参照して下さい。

隣家が農薬を撒いて嫌がらせをしている

(d) ふりをするモード
本、同章の 5 メンタライジング以前の心のモード の「(2) ふりをするモード(pretend mode)」における記述の一部(P153~P155)を次に引用します。

幼い子どもは,空想すること(ふりをすること)と現実に関与することとを同時に行うことができません。先にあげた事例ですが,椅子を戦車に見立てて遊んでいた子どもが「これは椅子,それとも戦車」と聞かれると遊びをやめてしまったように,「椅子でありながら戦車である」と聞かれると遊びをやめてしまったように,「椅子でありながら戦車である」という体験様式が困難だということです。ですから,幼い子どもの空想(ふり)の中では外的現実とのつながりが失われます。これが「ふりをするモード」です。Bateman & Fonagy(2004, p.70)によれば, Freud(1924)が「現実の外的世界から分離された次元」と呼んだものや,Britton(1992)が「現実から保護された思考の領域……一部の人々が人生の大半をそこで費やす場所」と記述したものも,ふりをするモードと重なります。ふりをするモードを生きている人として筆者が思い浮かべるのは,セルヴァンテスの小説の主人公ドン・キホーテです。彼は騎士道小説を読むことに没頭するうちに空想と現実の区別がつかなくなり,ラマンチャの騎士キホーテ卿と名乗り,従者のサンチョ・パンザを従えて旅に出ます。(中略)

ふりをするモードの臨床的実例としては,「知性化」(intellectualization)と呼ばれてきた現象があげられます。知性化においては,人は観念や抽象的概念の世界に入り込み,外的現実との接触が失われます。例えば,心理学や精神分析の書籍をたくさん読み,そこに書かれている概念を用いて自分の経験やパーソナリティを解釈し,自分についての物語を創り上げるクライエントのことを考えてみましょう。そのような自己物語においては,過去または現在の体験が専門用語で意味づけられてしまい,他の解釈の余地が残されていません。そして,クライエントは理論整然と語るのですが,その語りには実感が伴っておらず,皮相的な感じが拭えません。セラピストが,この語りを洞察と勘違いして同じレベルで応じ続けると,二人ともふりをするモードに陥ります。そのような場合,見た目には心理療法的作業が行われているようですが,実質的な変化が起きることはありません。
知性化と似ていますが,少し異なる例として,「~しなくてはならない(してはならない)」とか「~すべきである(すべきでない)」といった行為にとらわれるために精神状態の認識が貧困化する人たちがいます(Bateman & Fonagy, 2006)。この人たちにおいては,自己と他者の精神状態は,この行為(あるべきことやなすべきこと)に沿って理解されます。例えば,すべきであることができないのは「弱いから」「努力が足らないから」「甘えているから」などのように理解され,「できない」という状態を引き起こす精神状態がありのままに認識されることはありません。
Horney(1950)は,このようなあり方を「べきの専制」(the tyranny of the should)と呼びました。Horney(1950)によれば,この傾向がみられる人は,理想化された自己を現実化できると思っており,自分の感情を見つめることよりも,自分で作り上げた完璧なイメージに注意を奪われています。そして,このような理想化された自己はまったく空想的な性質のものであると,Horney(1950)は述べています。
子どもにみられる次のような現象も,「ふりをするモード」で説明することができるでしょう。筆者が臨床の場で出会う事例ですが,知的障害や発達障害のある子どもが空想の世界に入り込み,それを現実と折り合わせることが難しくなっている場合があります。発達障害と知的障害のある小学生のA子は,空想の世界で友人や教師と関わっています。彼女は一日の大半を空想の世界で過ごしており,現実場面でも空想の世界のストーリーのままに他者に話しかけることがあり,そのようなとき,話しかけられた人は何のことかわからず,応答に困るのです。A子が置かれている現実状況を考えると,空想の世界に住むことの適応的意味を否定することはできませんが,周囲にいる者としては,現実世界との接触を有意義に感じてもらえるような働きかけをしないではいられません。

注:引用中の「メンタライジング」は、(g)項を参照して下さい。

(e) 目的論的モード
本、同章の 5 メンタライジング以前の心のモード の「(3) 目的論的モード(teleological mode)」における記述の一部(P155~P156)を次に引用します。

これは,心についての目的論的理解の段階の体験様式が再出現したものです。目的論的理解の段階は言語が獲得される以前の段階であり,この段階では,人の行動には目標があるということは認識されますが,その目標は観察可能なものに限定され,精神的なものとして認識されることはありません。ですから,このモードにおいては,願望や感情のような精神状態は,精神状態として認識されず,直接的に行為として表出されます。その行為を引き起こした精神状態は,行為の後に行為から間接的に推測されるにとどまります。
従来の概念で「行動化」と呼ばれる現象は,目的論的モードの現れです。例えば,心理療法でクライエントのセラピストに対する怒りがメンタライズされず,語り合われずに終わり,その後,クライエントが家族と口論し,家族に暴力を振るったという場合に,メンタライズされていない怒りが家族への暴力として表出されているのであれば目的論的モードでの行動化ということになります。親が子どもに対して行う身体的虐待や性的虐待も,目的論的モードの行為です。虐待行為においては,それを引き起こす精神状態がメンタライズされないまま,行為の完遂のみが目的化しています。親からの目的論的モードでの衝動的行為に曝され続けた子どもは,メンタライジング能力を育てることができず,自分自身も,他者の心を変えようとする際に目的論的モードで行動しがちになります。つまり,身体的行為,脅かし,誘惑といった手段を用いるしかなくなるということです。(後略)

注:i) 引用中の「行動化」についてはここも参照して下さい。加えてこれに類似するかもしれない「衝動的な行動」については資料「境界性パーソナリティ障害とその関連疾患」の「境界性パーソナリティ障害の診断基準」項を参照すると良いかもしれません。 ii) 引用中の「メンタライジング」は、(g)項を参照して下さい。

(f) 情動
:標記情動はここにもあるように4つの考え方があり、情動の見方も次やここ等にもあるように複数あると本エントリ作者は考えます。以下の「メンタライジングと情動・感情との関わり」についての引用や、情動学シリーズ(参照)の複数の本における引用をはじめとして、様々な本における引用も無批判にそのまま行っていますが、これらの引用に整合性がない可能性は高いと本エントリ作者は考えます。なお、(i) 情動(又は感情)の定義と用語は、各理論により異なっている例について、「心理学的構成主義」(又は「構成主義的情動理論」[他の拙エントリのここを参照])の視点から、同中の脚注★2における記述の一部(P196)を次に引用します。 『感情の定義と用語は,現在でも各理論により異なっており,合意が形成されていない。例えば Damasio(1999)の理論では,コア・アフェクトに相当する現象を情動(emotion)と呼び,それが意識化された現象を情感・情緒(feeling)と呼ぶ。』(注:a) この引用部の著者は大平英樹です。 b) 心理学的構成主義(又は上記「構成主義的情動理論」)の視点からの引用中の「コア・アフェクト」についてはここ及び他の拙エントリのここの (vii) 項を参照して下さい。 c) 引用中の「Damasio(1999)」については下記注の 2) 項を参照して下さい。加えて、引用中の「Damasio(1999)の理論」における「情動(emotion)」と情感・情緒(feeling)については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「感情を生み出す脳と身体の相互作用」の「Ⅰ.Emotion と Feeling」項[P35] その上に、Damasio(1999)の理論の視点から上記引用と類似した感情の定義と用語に関する記述について、同の 9章 感情の脳科学 の「1節 はじめに:感情の神経科学的アプローチ」における記述の一部(P178)を次に引用(【 】内)します。 【研究者や分野によってその定義はやや異なっているが,その当人にしかわからない主観的な側面を表す場合に感情(feeling)という語を用い,外部から観察可能な反応(自律神経系の活動変化,その他の身体的変化や感情が生じている際に示す行動)の集合体を指す場合に情動(emotion)という語を用いる,とする考え方がある(Damasio, 1994, 1999; 山鳥, 2008)。】[注:1) この引用部の著者は柳澤邦昭、阿部修士です。 2) 引用中の「Damasio, 1994, 1999」はそれぞれ次の本です。 「Damasio, A. R. (1994). Descartes' error: Emotion, reason and the human brain. New York: Putnam.」、「Damasio, A. R. (1999). The feeling of what happens. New York: Harcourt.」 3) 引用中の「山鳥, 2008」は次の本です。 「山鳥重(2008).知・情・意の神経心理学 青灯社」] (ii) 引用はしませんが感情に関連する用語について、「feeling, emotion, passion, sentiment などすべてを含意する語として,英語では affective という形容詞が使われることが少なくない」ことについては、同の 1章 感情の定義と理論 の 2節 感情概念のパースペクティブ の「2. 用語の問題」項(P7)を参照して下さい。

標記情動についての資料「情動」、「情動を生み出す「脳・心・身体」のダイナミクス:脳画像研究と神経心理学研究からの統合的理解」及びWEBページ「情動 - 脳科学辞典」があります。一方、同の 第2章 メンタライジングとは何か の 3 メンタライジングの特質と次元 の「(4) 情動のメンタライジング」における記述の一部(P35~P36)を次に引用します。

メンタライジングと情動・感情との関わりを考える前に,まず情動と感情という用語の相違を明確にしておきます。本書では,「情動」は英語の "emotion" の訳語であり,「感情」は "affect" の訳語です。情動と感情という用語の使い分けは必ずしも統一されているわけではありませんが,日本の心理学では従来から "emotion" =「情動」,"affect" =「感情」と訳し分けられています。英語の心理学辞典で "emotion" を引いてみると,例えば "APA Dictionary of Psychology (2007)" (邦題:APA心理学大辞典)では,「人が個人的に重要な事柄や出来事を処理しようとする際に生じる複雑な反応パターンで,体験的,行動的,生理的な諸要素を含むもの」と定義されています。それに対して,"affect" は「感情(feeling)または情動についての体験」と定義されています。他の事典をみても,"emotion" は神経生理学的反応などを含む広い概念であるのに対して,"affect" については体験(experience)や表出(evacuation)の面が強調されています。Fonagy と共同研究者たち(Allen et al., 2008)も,"emotion" の体験的側面を "feeling" または "affect" と呼ぶとしており,「情動は,認知的評価,生理学的喚起,行為傾向,(例えば,姿勢や表情における)運動的表出…を伴っている」(Allen et al., 2008, pp.59-60)と述べています。そこで,本書でも,情動は神経生理的,行動的,体験的な側面を包括する用語として用い,感情は情動がより体験化・表象化された場合を指す言葉として使用することにします。

注:i) 引用中の「情動」については次のWEBページを参照して下さい。 「情動 - 脳科学辞典」 加えて、この「情動」に関連する概念のまとめとしては、次の資料を参照して下さい。 「情動を生み出す「脳・心・身体」のダイナミクス: 脳画像研究と神経心理学研究からの統合的理解」 ii) また、参考として、a) 情動学の視点からの「情動」については、菊水健史、渡辺茂編集の本、「情動の進化 動物から人間へ」(2015年発行)の「情動学シリーズ 刊行の言葉」における記述の一部を以下に引用します。 b) 最も基本的な情動については、菊水健史、渡辺茂編集の本、「情動の進化 動物から人間へ」(2015年発行)の 1.快楽と恐怖の起源 の 1.1 快楽とは何か? 恐怖とは何か? の『b.「快楽」とは』における記述の一部(P3)を以下に引用します。 c) 情動と認知バイアスの関係については、菊水健史、渡辺茂編集の本、「情動の進化 動物から人間へ」(2015年発行)の 1.快楽と恐怖の起源 の 1.4 快楽と恐怖から人間を考える の「b.情動と人間理解」における記述の一部(P30)を以下に引用します。 iii) 情動をめぐる哲学的問題の射程の大きさについては、信原幸弘著の本、「情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味」(2017年発行)の「あとがき」における記述の一部(P249~P250)を引用します。 iv) 認知療法の視点からの「両極端な判断」と情動の関係について、加藤忠史著の本、「臨床脳科学 心から見た脳」(2018年発行)の 第Ⅰ部 臨床心理と脳 の「第2章 認知療法と脳」における記述の一部(P11~P13)を以下に引用します。 v) ちなみに、化学物質不耐症(Chemical intolerance)における情動調節については、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、化学物質過敏症において「健康な方であればほとんど気にならない、影響を受けないような化学物質の量でも、非常に強い情動反応が出てしまう」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P29 さらに、「Skovbjergらは,情動の統制能力との関連の検討から,突発性環境不耐症(IEI)の程度と負の感情反応,自己防衛意識および一体感覚の困難との強い相関を見いだして感情反応の影響を示唆した」ことについての記述が次の資料にあります。 「突発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷」の「考察」項(P112)

情動学(Emotionology)とは「こころ」の中核をなす基本情動(喜怒哀楽の感情)の仕組みと働きを科学的に解明し,人間の崇高または残虐な「こころ」,「人間とは何か」を理解する学問であると考えられています.これを基礎として家庭や社会における人間関係や仕事の内容など様々な局面で起こる情動の適切な表出を行うための心構えや振舞いの規範を考究することを目的としています.これにより,子育て,人材育成および学校や社会への適応の仕方などについて方策を立てることが可能となります.さらに最も進化した情動をもつ人間の社会における暴力,差別,戦争,テロなどの悲惨な事件や出来事などの諸問題を回避し,共感,自制,思いやり,愛に満たされた幸福で平和な人類社会の構築に貢献するものであります.このように情動学は自然科学だけではなく,人文科学,社会科学および自然学のすべての分野を包括する総合科学です。

注:この引用部の著者は小野武年です。

b.「快楽」とは
ルネ・デカルト(Renés Descartes)の『情念論』以来,数多くの情動理論が作られた.いったい動物には何種類の基本情動があるのか,それらはお互いにどのような関係にあり,どういう構造を作っているのか? それはいまだにわからない.
しかしどのような情動理論でも必ず想定している軸,あるいは次元がある.それが「快」と「不快」である.じっさい,これらは我々の体感からしても最も基本的な情動である.(後略)

注:i) この引用部の著者は廣中直行です。 ii) 引用中の「快」と「不快」については、共に次のWEBページを参照して下さい。「快・不快 - 脳科学辞典」(注:ちなみに、 a) このWEBページ中には、接近と逃避についての次に引用[『 』内]する記述があります。 『快・不快は行動を理解するための最も基本的な心的属性の1つであり、快をもたらす刺激には接近するが、不快をもたらす刺激からは遠ざかろうとする。たとえば、お腹が減っているときには食べ物を欲し(欲求が生じる)、食べ物を得るための行動(接近行動)を動機づける。そして、食べ物の摂取により欲求は満たされるが、このときに快の情動を経験する。一方、不快な情動には恐怖や不安がある。恐怖は何らかの刺激(不快刺激)に対して防御反応を示した場合の内的な状態と仮定される。一方、不安は、その情動を引き起こす対象が漠然としている場合の内的状態と定義される。』 b) 一方、引用中の「快」と「不快」における神経科学研究について、菊水健史、渡辺茂編集の本、「情動の進化 動物から人間へ」(2015年発行)の 5.情動脳の進化:さまざまな動物の脳の比較 の「5.3 ヒトの情動脳」における記述の一部(P141)を以下に引用[『 』内]します。 『神経科学研究では,特に快(喜び)については報酬系,不快(恐怖)に関しては辺縁系の仕事が多くなされてきた.』〔注:1) この引用部の著者は篠塚一貴、清水透です。 2) 引用中の「報酬系」に関連する「報酬探索」については例えば次の資料を参照して下さい。 「報酬探索の神経機構と快情動」 3) 上記情動脳及び引用中の「辺縁系」に相当する「大脳辺縁系」については他の拙エントリのここここ[特にここにおける引用の「脳――下から上へ」項]を参照して下さい。〕)

情動学シリーズ 刊行の言葉

(中略)いまや,情動を理性の下位に置く,ということは行われない.しかし,ときに「我々は不合理な行動をする」という言い方で,情動にとらわれた行動がいかに理知的な功利計算から逸脱したものであるかが話題になることはある.それを「認知のバイアス」などといったりするが,そのバイアスにこそ人間の人間らしい(動物らしい)特徴があらわれているのだろう.(後略)

注:i) この引用部の著者は廣中直行です。 ii) 引用中の「認知のバイアス」に類似する「認知バイアス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて偽ニュースの拡散に影響する認知バイアスの視点からの認知バイアスのリストについて、笹原和俊著の本、「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ」(2018年発行)の 第2章 見たいものだけ見る私たち の「コラム3 認知バイアス・コーデックス」における記述の一部(P61)を次に引用します。

偽ニュースの拡散に特に影響する認知バイアスとして、「確証バイアス」などを取り上げました。これ以外にも数多くの認知バイアスが知られており、それらはさまざまなかたちで偽ニュースに関係すると考えられます。

企業家のバスター・ベンソンは、英語版ウィキぺディアに掲載されている約一八〇種類の認知バイアスを、機能や類似点に基づいて整理し、問題ごとに二〇種類に分類しました。さらに、これらを本文でも紹介した四つの大きな分類(情報過多、意味不足、時間不足、記憶容量不足)にまとめ、認知バイアスのリストを作成しました。

これはあくまでも便宜的な分類で、科学的には、認知バイアスの機構や機能、発達や進化を明らかにしたうえでまとめる必要があります。(後略)

注:i) 引用中の「英語版ウィキぺディアに掲載されている約一八〇種類の認知バイアス」については次の Wikipedia を参照して下さい。 「List of cognitive biases」 ii) 引用中の「確証バイアス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 上記「認知バイアス・コーデックス」[COGNITIVE BIAS CODEX]については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Looking inward in an era of 'fake news': Addressing cognitive bias

加えて、引用中の「感情」について、トラウマの視点からピーター・A・ラヴィーン著、ベッセル・A・ヴァン・デア・コーク序文、花丘ちぐさ翻訳の本、「トラウマと記憶 脳・身体に刻まれた過去からの回復」(2017年発行)の 第2章 記憶という織物 の「感情の舵取り」における記述の一部(P36~P40)を次に引用します。

感情の舵取り

ダーウィンの詳細な観察によれば、感情は哺乳類すべてに共通する普遍的な本能である。(中略)これらの「哺乳類普遍の」感情には、驚き、恐れ、怒り、嫌悪、悲しみ、および喜びがある。私としては、好奇心、興奮、嬉しさ、および勝利感を、これら先天的に備わったフェルトセンス〔身体で感じることができる感覚〕としての感情のカテゴリーに含めることを、恐れながら提案したい。(中略)

感情は、自分と、自分の深い部分とをつないでいる可能性があり、自分が何を必要としているのかに気づかせる内的なきっかけとなる。感情はどのように自分自身と付き合うのか、どのように自分自身を知るのかの基盤となる。感情は内なる英知、内なる声、および直観、そして真の自分とのつながりに関する重要な部分である。感情は、生き生きと活力にあふれ、人生についての目的意識を持っている自分とつながる核心である。(後略)

注:i) 引用中の「フェルトセンス」については、例えば他の拙エントリのここも参照して下さい。 ii) 引用中の「感情」の作業的定義について、「恐怖症の治療におけるエクスポージャー(曝露)法の奏功」について、ステファン・G・ホフマン著、有光興記監訳の本、「心の治療における感情 科学から臨床実践へ」(2018年発行)*36の 第1章 感情の性質 の「感情を定義する」における記述の一部(P2)を次に引用します。

(前略)感情とは,(1) 多次元的な経験であり,(2) 覚醒と快・不快の程度の異なる水準で特徴づけられ,(3) 主観的経験,身体感覚,動機づけ的傾向と関連し,(4) 文脈的・文化的要因によって色づけられ,(5) 個人内・個人間の過程を通してある程度制御されうるものである。

この定義が含意するのは,感情は(常に,というわけではないが)しばしば進化的適応や動機づけ的傾向と関連する生物学的システムを含み,社会的要因や文化的要因,他の文脈的要因によって形成されるということである。(後略)

注:引用中の「快・不快」については次のWEBページを参照して下さい。「快・不快 - 脳科学辞典

あとがき

情動をめぐる哲学的問題に本格的に取り組むようになったのは、およそ一〇年くらいまえからである。(中略)

情動の問題に取り組むようになってまず驚いたのは、その問題の射程の大きさである。情動の哲学だから、情動の本性が問題になるのは当然であるが、情動と価値、情動と道徳、情動と生きる意味、情動と心の病など、じつに多様なものとの関係が情動にとって問題となる。
したがって、情動を基軸にして、そのような多様なものに一貫した見通しを与えることができれば、じつに壮大な哲学的眺望が得られるのではないかという希望が湧く。本書はその希望に向けてほんのささやかな試みをなしたにすぎないが、それはなかなかやりがいのある試みであった。従来の英米圏の心の哲学では、知覚、信念、欲求、意思が主として扱われ、情動は軽視されがちであったか、心の働きを根源的かつ包括的に理解するためには、情動にこそ焦点が当てられなければならないように思われる。情動の哲学はこれまでの心の哲学を一新する可能性を秘めているのである。(後略)

注:引用中の「情動と心の病」に関連する、様々な精神疾患における情動調節については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

第2章 認知療法と脳

現在、心理療法の中で、最も幅広く用いられている技法の一つは、認知療法と行動療法を組み合わせた「認知行動療法」ではないでしょうか。認知行動療法は、保険診療としても認められ、うつ病などに対して広く行われており、少なくとも大都市圏では、比較的容易に受けられるようになってきました。その他、自習するための本、コンピューターソフトウェア、認知療法を用いたSNS、そしてスマートフォンのアプリなど、幅広いメディアを用いて行うことができるようになっています。
うつ病に対する認知療法では、すべてか無か思考、過剰な一般化などの、うつ病における特徴的な認知のゆがみがその治療対象となります。これを、コラム法などを用いて、修正していきます。
たとえば、学園祭で頑張って講演会を企画したのに、アンケートで批判されてしまった時、「この企画は完全な失敗だ」、そして「このような失敗をした自分は無能な人間だ」、などと考えてしまったとします。この場合、前者は「すべてか無か思考」、後者は「過剰な一般化」である、というふうに分類されます。そこで、より合理的な考え方としては、「少なくとも皆楽しんでやった」「友達は良かったと言ってくれた」「満点ではないが八〇点は取れた」、「自分は他に得意なこともある」「アンケート結果は、他の人が立てた企画よりも良かった」などが考えられます。そこで、こうしたより合理的な考え方ができるように練習をしていくことになります。
こうした「すべてか無か思考」、「過剰な一般化」などの考え方には、いずれも両極端な判断をしてしまっている、という共通の特徴があります。

情動とは何か

このように、両極端な結論を導き出すというのは、実は「情動」の特徴そのものなのです。
情動とは、外界の事物に対して、それが自分にとって有益か危険かという、生物学的な価値判断を与えるとともに、その状況に適応するように身体を準備させるものです。情動の特徴をとらえる言葉として、日本語では「闘争か、逃走か」、英語では「Fight or flight(闘争か恐怖か)」、というのがあります。いずれも、危険な状況になった時の恐怖という感情が、戦うか、恐怖で逃げるか、という、二律背反の反応を引き起こすことを説明しています。[中略]

恐怖に関わる脳の場所として最も重要な部位が、扁桃体です(図1)[後略]

注:i) 引用中の「図1」の引用は省略します。 ii) 引用中の「闘争か、逃走か」に関連する「反撃したり逃げ出したりする」ことについては、他の拙エントリのここここ(特に「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項)を参照して下さい。加えて、引用中の「情動」に関連する「情動脳は、闘争/逃走反応のような、あらかじめプログラムされた避難計画を開始する」ことについては上記引用(参照)の「脳――下から上へ」項を参照して下さい。 iii) 引用中の情動の視点からの「両極端な結論」に関連するかもしれない「認知のバイアス」についてはここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「扁桃体」については、トラウマの視点から他の拙エントリのここここ、及びここを参照して下さい。

さらに、Barrett の分類に従う情動に関する4つの考え方(情動プログラム説,認知的情動説,心理構築的情動説,社会構築的情動説)について、虫明元著の本、「前頭葉のしくみ からだ・心・社会をつなぐネットワーク」(2019年発行)の 第6章 眼窩前頭前野帯状皮質-内感覚とソマテイックマーカーによる情動機能 の 6.1 情動の捉え方 の「6.1.1 情動プログラム説」項における記述の一部、「6.1.2 認知的情動説」項における記述、「6.1.3 心理構築的情動説」項における記述及び「6.1.4 社会構築的情動説」項における記述(P160~P163)を以下に引用します。なお、 a) 上記章によると、Barrett の分類については次の本を参照しています。 「Barrett LF (2018) "How Emotoins Are Made: The Secret Life of the Brain - 2018", Pan Books.」(注:この本の和訳本の引用例は例えば他の拙エントリのここを参照して下さい) b) 一方、上記「情動」と「ネットワーク」に関連する「情動処理に関連する脳内ネットワーク」については例えば次の資料を参照して下さい。 「情動を生み出す脳神経基盤と自律神経機能

6.1.1 情動プログラム説
“情動プログラム説”では生得的に脳内に情動に関わる神経機構が存在すると考えます.
たとえば Pankssep は,この情動プログラム説の立場で,基本的な情動システムを7つに分けています.彼は (1) 探索 SEEKING, (2) 怒り ANGER, (3) 恐怖 FEAR, (4) 愛欲 PLEASURE/Lust, (5) 愛着 CARE (maternal devotion), (4) 愛欲 PLEASURE/Lust, (5) 愛着 CARE (maternal devotion), (6) パニック不安悲しみ PANIC or grief (sadness), (7) 喜び PLAY (social joy), に分類して皮質下に対応部位を想定しています(Panksepp, 2004).さらには,皮質下の基本情動システムから大脳皮質に向かって投射して,そこで高次の感情が生じると考えます.基本的には基本情動プログラムでは,「一つの情動と対応する脳との関係は一対一で対応する」とする考え方です(表6.2).

6.1.2 認知的情動説
“認知的情動説”は,状況を評価する結果として特定の情動が生まれるという考え方です.この説には細かく見るといくつかの異なる考え方が含まれています.生理的身体反応や覚醒反応があり,それ自体は特異的でありません.先ほどの情動プログラム説との違いは,基本プログラムによって予想されるような一対一で情動が特定化されるのでなく,その評価過程によって初めて特定されるという考え方です.
しかし,このような評価過程を含む評価説のコアな考え方では,脳の状態は一意に決まらないと考えます.非特異的な身体反応などに対して評価システムが状況から推論して現在の状況を理解することになります.評価には任意性があるため,脳の特定の領域と情動を結びつけることはできないとする考え方です.
Lazarus は,構造説の立場から1次的評価で状況を正負に分け,次に2次的評価で対応する自己のリソースが十分か否かでストレスになるかが評価され,さらにふたたび状況の再評価をしました.情動はこのような一連の評価から生まれるとします.
評価説では自動的な過程と随意的な過程に評価過程を分けたりなど,さらに多くの説に分かれるともされます.基本的には一つの状況でも評価系が異なれば異なる情動が生まれ,個人差が生じます.さらに評価系の差が情動への対処,すなわちコーピングや事態の再評価で情動に多様性が生まれます.評価次第で情動がカテゴリーのように分かれるが,連続的ではないかなども意見が分かれます.
たとえば Schachter と Singer らは,情動は身体反応とその原因を何かに帰属させる認知の両方が不可欠であるとする情動の二要因説を唱えています.大学生に興奮剤としてアドレナリンを投与すると,身体反応が同じでも状況によって喜び,怒りは異なる評価をすることを確認しました.感情は身体反応の知覚そのものではなく,身体反応の原因を説明するために評価した結果,あるいは,認知的解釈のラベルを帰属させることであると考えました.認知的解釈には当然大脳皮質の関与が深いはずで,皮質下のコアな情動システムだけでは情動を一意に決められない可能性を示唆しています(Schachter et al., 1962).

6.1.3 心理構築的情動説
“心理構築的情動説”では,いくつかの基本的な考え方がこれまでの伝統的な考え方と異なっています.Barrett らは独自に,これまでのさまざまな情動と脳の場所と関連性をメタ解析という手法で調べました.すると,怒り,恐怖,悲しみなどで,従来いわれている扁桃体,眼窩前頭前野帯状皮質との関連性もさることながら,一対一では説明できない多様な関連性が見出され,これらのメタ解析から,脳部位と情動との一対一関係に疑問を呈しました.このような所見を突破口に,さまざまな情動の考え方や疑問に挑戦して,以下のような考え方を提案しました.
(1) 情動にはさまざまな要素があり,数種にカテゴリー化され,タイプ別に分かれるとする考え方には反対です(反類型主義).また特定のタイプの情動は特定の脳部位で限局して理解できる,とする基本プログラムとしての情動説に反対です.あくまで,情動は連続分布のスペクトルを不連続に分けて色の名前をつけるのと変わりないと考えています.また大脳皮質と皮質下のほとんどを含むネットワーク全体が関わり,情動表出の結果としての身体反応も情動で一意に定まらないと考えます.
(2) 情動には情動専用の特定の本質的な回路があるわけでなく(反本質主義),コア・システムが脳にあるだけであると考えます.それはポジティブとネガティブ,活性化と不活性化など非常に基本的なものでしかありません.すべての情動はさまざまな状況認知や評価などで多次元化すると考えます.
(3) 情動はさまざまな要素から構成されたものとして創発するもので,特定の要素に還元できるという考え方に反対です(反還元主義).脳科学の現状においても,脳機能をネットワークとして捉える方向性になってきており,これまでの特定の部位,あるいは特定の回路のはたらきに知覚,認知,および行動を還元させるという基本概念そのものを見直す時代に入ってきたと考えられます.
感情や情動にラベル化すること自体が,情動の本来もつ多様性を誤解する原因になっているともいえます.

6.1.4 社会構築的情動説
“社会構築的情動説”では,感情を規定するのは他者のいるなかで,すなわち社会的文化的な状況で情動が構築されてくると考えます.心理構築的情動説のように情動の要素を基本的には一人の人間の中にとどめて説明するのと,その点で異なります.多くの情動が人の世界で同定されているは,決して一人だけの構成物ではなく他者との相互作用,社会的,文化的な背景のなかで構築されラベル化されてきているといえます.

これら4つの説は情動のある側面を強調していますが,必ずしも互いに矛盾するものではないといえます.神経生理学として情動に関して一つ大切なことは,情動には脳-身体と心理-社会の関係性が重要だと考えられる点です.情動のきっかけは脳から身体への自律神経系などを介した反応であり,それを内感覚,すなわち身体からの情報をどのように評価するかということです.身体反応は脳から自律神経や内分泌などの反応,さらには身体に起こったさまざまな状況を反映することになります.したがって,内感覚を受け取った脳の活動は,すでにある自発的な脳活動と一緒になり,複雑な感情が生まれると考えられます。
このような身体からの情報を受け取る前頭葉の場所として,眼窩前頭前野帯状皮質,さらにこれらと機能的に密接に関係のある島皮質があり,これらのはたらきを次節以降で紹介します.

注:i) 引用中の「これらのはたらきを次節以降で紹介します.」に対し、次節以降での紹介を省略します。 ii) 引用中の「表6.2」の引用を省略します。 iii) 引用中の「Panksepp, 2004」は次の本です。 「"Affective Neuroscience: The Foundations of Human and Animal Emotions", Oxford University Press.」 iv) 引用中の「Schachter et al., 1962」は次の論文です。 「COGNITIVE, SOCIAL, AND PHYSIOLOGICAL DETERMINANTS OF EMOTIONAL STATE」 v) 引用中の「眼窩前頭前野」に関連する「前頭眼窩野」については次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「帯状皮質」に関連する「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「島皮質」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 viii) 引用中の「扁桃体」についてはトラウマの視点より例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「コーピング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 心理構築的情動説における引用中の「知覚」を含む、引用中の「心理構築的情動説」に関連する「構成主義的情動理論」における情動の見方について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「訳者あとがき」における記述の一部(P519~P522)を以下に引用します。加えて、構成感情理論(又は構成情動理論)におけるカテゴリー化や概念について、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第2部 感情の基本要素 の 6章 感情の評価・知識・経験 の 6節 心理学的構成主義における感情の評価・知識・経験 の「1. 経験と知識:アフェクトと感情概念」における記述の一部(P122~P123)を以下に引用します。ただし、本引用では emotion の訳語は「感情」です。

情動、ひいては人間の本性についてのまったく新たな見方を提起する本書の性格上、ややわかりづらい用語が使用されている。もちろん読み進めれば理解できるように書かれてはいるが、その一助となるべく、重要な用語のみに絞って読解の指針を紹介する。

▼情動(emotion)――「情動」という用語は、日本だろうが英語圏であろうが、著者間で一貫性があるようには見受けられない。しかしこれまでの訳者の読書経験から言えば、主観的であるがゆえに本人の自己申告によってしか知りえない私的な経験として「感情」を、表情や、何らかの生理的な指標(たとえば心拍数など)によって客観的に(すなわち科学的に)測定可能を現象として「情動」をとらえている場合が多い。
本質主義を否定する著者がこの見方をとっていないことは本書冒頭から明らかになるが、著者本人にメールで問い合わせたところ、「慣例にしたがってそのように考えている科学者もいるが、自分はその見方をとらない」という回答があった。その内容は以下の三つに要約される。

①「情動」は、感情〔おもに自律的な内受容感覚〕とは異なり、身体と外界の相互作用をもとに構築された知覚(perception)である。
②前述の「知覚」は「意識」と同義で、無意識的であるような情動は存在しない。
③知覚の構築には、「気分の性質」「行動」「世界を経験するための手段(すなわち評価)」「自律神経系の変化」などが関与している。

ここで特筆すべきは、著者は情動に関して意識の介在を前提としており、情動の構築には「概念」(後述)が必要だという本書の記述からも、情動構築の基盤の一つとして認知作用を据えていると読み解けることである。(中略)

▼概念(Concept)とインスタンス(instance)――本書において極めて重要で、出現頻度の高いキーワードである。これら二つの用語は密接に関係しており、前者と後者は基本的に一対多の関係をなす。
インスタンス――英和辞典において instance の意味は、「事例」「実例」「場合」などと列記されている。しかしこれらの表現はいずれも、「ある普遍的な事象に属する一回一回の出現例」という instance が持つ本来の意味、そして本書で著者の用いる「個々の具体的な経験に対応する心的構築物」という意味を反映しきれていない。そのため、読者が既存の日本語の意味に引きずられないよう、「インスタンス」というカタカナ表記を採用した。
ちなみに「ある普遍的な事象に属する一回一回の出現例」とは、具体的には次のような意味である。たとえば「古代ローマにおけるヴェスヴィオ火山の噴火」や「富士山の宝永大噴火」、あるいは「雲仙岳の平成大噴火」は、「火山の噴火」という普遍的な事象に属する、特定の場所と時代において歴史的に顕現した個別的なインスタンスと見なすことができる。
概念――本書における概念は、先に説明したインスタンスが、類似性に基づいてグループ化されたものをいう。ただしそこには著者独自の意味が込められているので、当面は一般的な「概念」の意味で読み進め、徐々に著者独自の用法を理解していけばよいだろう。
なお著者は、自己の情動の経験や他者の情動の知覚を可能にする概念を特に情動概念(emotion concept)と呼ぶ。したがって著者の見解では、情動概念を持たない限り、自己の情動を経験することも、他者の情動を知覚することもできない。
また、著者のいう概念とインスタンスの関係は、哲学でいうところの普遍と個別の関係とは合致しないという点にも注意しておきたい。著者のいう概念とは、イデアのような普遍的(先天的)をものではなく、インスタンスと同様、神経活動を通じて動的に構築されるものである。それに関して、著者は次のように述べている。

構成主義的情動理論は、「情動は生得的なものではない。普遍的であるのなら、それは概念の共有によってである」と主張する。つまり普遍的なのは、(……)身体由来の感覚刺激を意味あるものにする、概念を形作る能力である。(七六頁)

普遍的、言い換えれば先天的なのは、概念を構築する能力であって、個々の概念ではない。言い換えると、人間はまったく白紙の状態で生まれてくるのでもなければ、特定の概念、ましてや情動を先天的に備えているわけでもない。(後略)

注:i) 引用中の「概念」についてはここにおける引用も参照して下さい。ただし、本引用では emotion の訳語は「感情」です。 ii) 引用中の「情動に関して意識の介在を前提としており」に関連して、「著名な神経科学者のジョセフ・ルドゥーも最新刊 The Deep History of Ourselves(Viking, 2019)」でも「バレット(上記リサ・フェルドマン・バレット氏)以上に明確に、情動が意識の存在を前提としている」ことについての一連のツイートもあります。

構成感情理論は心理学的構成主義だけではなく,感情の社会構成主義(social construction(ism):社会・文化が感情を構成するという考え方)や神経構成主義(neuroconstruction:脳発達において経験が感情の脳神経を配線するという考え方)も統合した理論である(Barrett, 2016, 2017a)。構成感情理論では,脳を五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)と内受容感覚(interoception:身体の臓器や組織,ホルモン,免疫系などからの感覚の脳の表象)の入力を絶えず予測しシミュレーションしカテゴリー化するための概念発生装置(concept generator:Barrett, 2017b)とみなす。内受容感覚の予測はアフェクト(感情価と覚醒度の円環モデル上の点として記述できる単純な主観的情感,すなわちコア・アフェクト)として経験され,五感の知覚や行為に常に影響を与えているが,内受容感覚やアフェクトの経験だけでは個別の感情経験は説明できない。そこで,構成感情理論では,脳が概念として組織化した過去の経験を用いて,目覚めている間の行為を導き感覚入力に意味を与えると考える。そして,ある状況下で「恐れ」や「怒り」などの感情概念が関与したときに,脳が感情の事例を構成すると仮定する(Barrett, 2016, 2017a)。
ここで,Barrett の理論における「カテゴリー化(categorization)」や「概念(Concept)」は,他の感情理論における「カテゴリー化」や「概念」と比べて独特のニュアンスがあり,脳が主語になっているようなところがあることに注意されたい。すなわち,ここでのカテゴリー化とは,脳が概念を用いて感覚入力やアフェクトに意味を与えるプロセスのことを指す。カテゴリー化は感情だけでなく,知覚や思考,記憶など,人が経験するあらゆる心的出来事で生じており,色知覚や人物知覚と同様のカテゴリー化のプロセスが感情経験にも当てはまる。例えば,もともと光の連続的なスペクトラムである虹が「赤」や「青」といった概念が用いられることで(さらには特定の言語圏によって6色にも7色にも)カテゴリー化されるように,もともと感情価と覚醒度の組み合わせという次元的なアフェクトの経験も「恐れ」や「怒り」といった概念が用いられることで初めて個別感情経験としてカテゴリー化される(Barrett, 2006b, 2017a)。
また,Barrett の理論における「概念」とは,次に何が起こり,その出来事に対処するためにはどのような行動をとるのが最良であり,結果として自身のアロスタシス(allostasis:外界の変化に応じて身体内部環境を調整すること)にどのような影響があるのかということを予測する,身体化された脳全体の表象の一群のことである(Barrett, 2017a, 2017b)。Barrett の「概念」は Barsalou の「状況に応じた概念化(状況的概念化:situated conceptualization)」(e.g., Barsalou, 2003, 2009; Wilson-Mendenhall & Barsalou, 2016)という考え方に大きく影響を受けている。つまり,ここでの「概念」はプロトタイプや最頻値をもつものではなく,その時々の状況の目標に応じて柔軟に概念化され,適切な行動を導くきわめて動的なものである(例えば,スリッパや新聞紙も状況次第で「ハエたたき」になる)。この意味で,「感情概念(emotion concepts)」は目標基盤的概念(goal-based concepts)であり,感情の行為・表出や生理的変化は事例ごとにさまざまに変動する(例えば,幸福(happiness)の事例では,状況次第で笑うことも泣き叫ぶことも,呼吸が速くなることも遅くなることもありうる:Barrett, 2017a)。(後略)

注:i) この引用部の著者は武藤世良です。 ii) 引用中の「Barrett, 2006b」は次の論文です。 「Solving the emotion paradox: categorization and the experience of emotion.」 iii) 引用中の「Barrett, 2016」、「Barrett, 2017a」はそれぞれ次の本です。 「Barrett, L. F. (2016). Navigating the science of emotion. In H. L. Meiselman (Ed.), Emotion measurement (pp. 31-63). Cambridge, MA: Woodhead Publishing. 」、「How emotions are made: The secret life of the brain. New York: Houghton Mifflin Harcourt.」(注:この本の和訳本の引用例は例えば他の拙エントリのここを参照して下さい) iv) 引用中の「Barrett, 2017b」は次の論文です。 「The theory of constructed emotion: an active inference account of interoception and categorization.」 v) 引用中の「Barsalou, 2003, 2009」における「Barsalou, 2003」及び「Barsalou, 2009」はそれぞれ次の論文です。 「Situated simulation in the human conceptual system」、「Simulation, situated conceptualization, and prediction.」 vi) 引用中の「Wilson-Mendenhall & Barsalou, 2016」は次の本です。 「Wilson-Mendenhall, C. D., & Barsalou, L. W. (2016). A fundamental role for conceptual processing in emotion In L. F. Barrett, M. Lewis, & J. M. Haviland-Jones (Eds.), Handbook of emotions (4th ed., pp. 547-563), New York: Guilford Press.」(注:次の資料も参照して下さい。 「A FUNDAMENTAL ROLE FOR CONCEPTUAL PROCESSING IN EMOTION」) v) 引用中の「構成感情理論」の別名である「構成主義的情動理論」については上記 iii) 項の「Barrett, 2017a」の和訳本の引用例を参照して下さい。加えて引用中の『Barrett の理論における「概念」』についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「内受容感覚」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「予測」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「コア・アフェクト」についてはここを、加えて上記「コア・アフェクト」と引用中の「カテゴリー化」について簡単に紹介する図は資料「文化と歴史における感情の共構成」の「Figure 1. 感情の心理学的構成主義による感情の構造」(P6)を、その上に、上記『コア・アフェクトは,仏教の「感受」に近いと考えられる』ことについては資料「マインドフルネスにおける身体性」の「2.2.4 マインドフルネスにおける構成論」項(P324)を、上記「仏教」に関連する「広い意味でのマインドフルネスの背景にある仏教哲学は,構成主義の思想ときわめて親和性が高い」ことについては資料「構成主義セラピーから見たマインドフルネス」の「3.2 ピュア・マインドフルネスの認識論」項を それぞれ参照して下さい。 ix) 引用中の「アロスタシス」については他の拙エントリのここの (xiii) 項を参照して下さい。

(g) メンタライジン
先ず、同の 第2章 メンタライジングとは何か の「1 メンタライジングの定義」における 表 2-1 を含む記述の一部(P12~P13)を次に引用して、標記メンタライジングの説明を致します。

まずメンタライジングに簡便な定義を与えた後に,より詳しい解説に進みたいと思います。メンタライジングは,「メンタライズ」(mentalize)という動詞の分詞・動名詞ですが,メンタライズという言葉が初めて英語辞典(オックスフォード英語辞典〔Oxford English Dictionary: OED〕)に掲載されたのは1906年です(Allen et al., 2008)。OED によれば,この単語の使用が最初に記録された年は1807年ですが,専門用語としての使用は,アメリカの心理学者 Stanley Hall が1885年に「学校システムが子どもたちをメンタライズすることもなければ道徳的にすることもないという疑念」と書いたときに始まりました(Allen et al., 2008)。OED は,メンタライズに次の2つの意味を付与しています。第一に,「心の中で構成すること,または思い描くこと,または想像すること,または(~に)精神的性質を付与すること」です。第二に,「(~を)精神的に発展させること,または洗練させること,あるいは(~の)心に刺激を与えること」です。メンタライジング・アプローチにおいて用いられる「メンタライズ」の語義も OED の定義とほぼ一致しますが,ただし,メンタライジングの対象は「精神状態」(mental states)に限定されます。つまり,メンタライジングはあらゆる心的活動を指しているのではなく,精神状態の認識に関与する心的活動だということです。ここで言う精神状態とは,思考,感情,欲求,願望,信念,空想といった日常的精神現象に加えて,パニック発作解離状態,幻覚・妄想といった病理的過程をも含んでいます(Allen et al., 2008)。ですから,メンタライジングをより明確に定義すると,「ある行動の背後にある精神状態に注意を向け,それを認識すること」となります。実際の現象においては行動と精神状態を厳密に分離することは困難ですが,行動と精神状態があたかも分離可能であるかのようにみなして,顕在的行動の背後にある精神状態を推測することがメンタライジングなのです(Allen et al., 2008)。そして,この場合の精神状態には,自己の精神状態も他者の精神状態も含まれています。自己の精神状態と他者の精神状態を一括して扱うのは,前者に対するメンタライジングも後者に対するメンタライジングも心理学的・脳神経学的にみて同一の心的活動とみなすことができるからです。
表 2-1 は,Fonagy と共同研究者たちが提示しているメンタライジングについての簡便な定義です(Allen & Fonagy, 2006; Allen et al., 2008)。Fonagy たちは,メンタライジングの要点を説明するために「心で心を思うこと」(holding mind in mind)という言い回しを用います(Allen & Fonagy, 2006; Allen et al., 2008)。これは「(~を)思い浮かべる」(hold ~ in mind)という意味の成句に,目的語として "mind" を入れた表現であり,含意としては,心の中で自分と他者の精神状態に注意を向け,それを認識することです。また,ここで言う「心を思う」は,(知的に)「考える」ことだけでなく,(情緒的に)「感じる」ことを含んでいます。ですから,「心で心を思うこと」は,より詳しく言うと「感じ考える心で,感じ考える心を思うこと」(holding heart and mind in heart and mind)となります(Allen et al., 2008)。ちなみに,英語の "mind" も "heart" も「心」を意味する単語ですが,前者はどちらかといえば思考を意味し,後者は感情を意味する言葉です。

表 2-1 メンタライジングの簡便な定義(Allen et al., 2008)
・心で心を思うこと(holding mind in mind)
・自己と他者の精神状態に注意に向けること
・誤解を理解すること
・自分自身をその外側からながめることと,他者をその内側からながめること
・(~に)精神的性質を付与すること,あるいは,(~を)精神的に洗練させること

さらに同の 第2章 メンタライジングとは何か の「5 まとめ」における記述の一部(P56~P57)を次に引用して、上記メンタライジングの追加説明を致します。

メンタライジングの要点は,「心で心を思うこと」(holding mind in mind)です。つまり,自分の心の中で,自分と他者の心(精神状態)について考え,感じることです。そして,この「思う」の中には,その精神状態の意味や原因についての認識も含まれます(Allen, J. G., 2014, 私信)。また,メンタライジングは,心を表象的なものとして理解する認知的枠組み,つまり「心の理論」を利用する心的機能です。つまり,私たちの心は,現実をあるあり方で存在するものとして表象化するのであり(Perner, 1991),私たちの精神状態はそのような表象と結びついています。ある人の行動を理解しようとすれば,その人が現実をどのように表象化しているか,つまり現実をどう捉えているかを知らなくてはなりません。それは,自分自身についても例外ではありません。自分が体験する現実が現実自体ではなく,現実の表象であることを理解し,現実について多重的な複数の見方(multiple perspectives)を考慮できるときに,メンタライジングが可能になります。メンタライジングとは異なり,行動をその背後にある精神状態と関連させて理解することができない障害を「マインドブラインドネス」といいます。マインドブラインドネスには,先天的な脳機能障害によるものと,後天的に形成されるもの(力動的マインドブラインドネス)があります。メンタライジングにおいては,自分と他者の精神状態について認識するだけでなく,その認識についてさらに内省するプロセスが生じているのですが,このプロセスは「メタ認知」ということができます。そして,自分の精神状態に対して性急に評価したり価値判断をしたりせず,ありのままに注意を向けるという点では,メンタライジングは「マインドフルネス」と重なります。親が子どもの心をメンタライズし、そのメンタライズを言葉で表現している場合に,親のそのようなあり方は「心理-志向性」と呼ぶことができます。他者の心をメンタライズする心的行為は「共感」と重なります。そして,他者に対して深い共感を示すためには,共感の主体が自分自身の心を十分にメンタライズすることが必要な場合があります。そういう意味では,他者の心であれ,自分自身の心であれ,それを推測し認識することをメンタライジングという同一概念で理解できることには大きな利点があります。

注:i) 引用中の「表象」については、(h)項を参照して下さい。 ii) 引用中の「メタ認知」については、次のWEBページを参照して下さい。「メタ認知 - 脳科学辞典」 ちなみに、引用中の「メタ認知」、「マインドフルネス」(他の拙エントリのここ及びここ参照)を利用した治療法は、それぞれ次の資料又はエントリを参照して下さい。前者:「メタ認知療法」、後者:「マインドフルネス認知療法」、「越川房子先生の「マインドフルネス認知行動療法」講演を聴きました!

加えて、同の 第6章 境界性パーソナリティ障害への対応 の「Ⅱ 査定(アセスメント)の問題」における記述の一部(P213~P214)を次に引用して、上記メンタライジングの追加説明を致します。

(前略)それでは,患者の語りに表れる「非メンタライジングあるいは悪いメンタライゼーション」と「良いメンタライゼーション」はどのようなものなのでしょうか。まず,Bateman & Fonagy(2006, 2012)があげている非メンタライジング(non-mentalizing)または悪いメンタライゼーション(bad mentalization)の特徴を整理して述べたいと思います。これらは,自分や他者の行動をその背後にある精神状態とくに感情と関連づけて内省し説明するかどうか,その際に複数の見方を考慮できるかどうかということに関する特徴です。

①自己または他者の精神状態についての非内省的で歪曲的な自動的思い込み
②自己または他者の精神状態についての妥当とは言えない確信
③自分の見方への頑なな固執,あるいは極端に柔軟に見方を変えること
④自分の見方と他の見方を同時に考慮することができない
⑤自分と他者の外的特徴か内的特徴に過剰に関心を集中させるか,一方または両方を完全に無視する(マインドブラインドネス
⑥精神状態(考え,感情,動機など)を除外して事実だけをきわめて細かく述べる
⑦内的要因よりも外的要因(政府,学校,同僚,隣人など)に関心が集中する
⑧物理的特徴やパーソナリティ特徴への関心の集中(疲れている,怠惰な,自己破壊的,抑うつ的,短期など)
⑨規則,責任,すべきこと・すべきでないことにとらわれる
⑩問題に自分が関与していることを否認する

この中で,③の「極端に柔軟に見方を変えること」が問題なのは,本当の意味で代替的見方を考慮しているのではなく,柔軟なふりをする表面的な見方の変更,つまり疑似メンタライジング(ふりをするモード)である可能性が高いからです。⑤の「外的/内的特徴への過剰な関心の集中」は,強迫的に知的分析をしており,自分の洞察のすばらしさを確認しようとしているだけの可能性があります。⑧の「パーソナリティ特徴への関心の集中」がどうして非メンタライジングなのかと疑問に思う読者がいるかもしれませんが,人の行動の原因をパーソナリティ特徴だけに帰属させるとき,その行動を引き起こした精神状態は考慮されていません。例えば,AさんがBさんに対して怒りを爆発させた場合に,AさんはBさんの行動の中の何かに反応していると考えられるのに,怒りの理由を「Aは攻撃的だから」と片づけてしまうのは,メンタライジングではないのです。同じ理由で,人の行動をもっぱら社会的要因で説明することも,その人の精神状態が考慮されていないという点で非メンタライジングです。⑩の「問題への自分の関与を否認する」というのは,例えば,自分の行動を娘から非難された母親が「娘はいま反抗期だから」と考えて自分の側の問題を否認するといった場合です。自分の行動が娘をどのような精神状態にさせたかについての考慮が欠けている点で,この母親の態度も非メンタライジングです。

注:引用中の「表象」については、(h)項を参照して下さい。

一方、メンタライジングを内省と共感の視点より説明したものとして、岡田尊司著の本、『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(2016年発行)の 第7章 愛着障害の克服 の「メンタライジング――内省と共感の力」における記述の一部(P280~P281)を次に引用します。

たとえば、いつもはすぐメールの返事をしてくれる人が、一向に返事をくれない。そういえば、最後に返事が来たとき、いつもより短く、そっけないものだった。
こうした相手の行動から、「こちらのメールが負担になっているのではないか」と推測する。これがメンタライジングた。
ところが、返事がすぐ来ないことに腹を立てて、怒りの催促メールを出したりすれば、状況はさらに悪化することは必定だ。
振り返り力がある人は、相手の気持ちを察するだけでなく、自分の行動も振り返ることができる。そういえば、最近少し相手に甘えて、メールを頻繁に出しすぎていたかなと反省する。それによって、自分の行動にブレーキをかけ、しばらくメールするのを控えることにする。すると相手は、自分の気持ちを汲んでもらえたことで、その人に対する安心や信頼を取り戻し、人間関係が破たんすることが避けられる。
ストーカー化してしまい、関係が破たんしてしまうところまで行きつくか、それとも、そうした事態を避け、バランスの良い関係を維持できるかの違いは、行きすぎたときに、相手から出るサインを読み取り、ブレーキをかけられるかどうかにかかっている。
振り返り力、メンタライジングカとは、今の自分の思いや欲求に飲み込まれず、相手の気持ちや自分のふるまいを客観的に見る力だといえる。振り返りが可能なためには、感情の渦から、少し距離をとる能力が必要になる。同時に、相手の気持ちを汲み取り、感じ取れることも必要である。前者は内省する能力であり、後者は共感する能力である。そして、両者は背中合わせの能力と考えられている。自分を振り返る力がある人は、相手の気持ちを察する能力も高い。そして、物事を客観的に振り返ることができる。(後略)

その上に、メンタライジング的姿勢に関して、同の 第5章 メンタライジング的応答法 の「3 メンタライジング的姿勢と無知の姿勢」における記述の一部(P162~P163)及び、ナラティヴに関連して、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 3 メンタライジングの特質と次元 の「(1) ナラティヴと主体性」における記述の一部(P26~P27)をそれぞれ以下に引用して、上記メンタライジングの補足説明をします。

メンタライジング・アプローチにおいて求められているとても重要な姿勢が「メンタライジング的姿勢」(mentalizing stance)と「無知の姿勢」(not-knowing stance)です。メンタライジング的姿勢というのは,精神状態に対する,探求心と好奇心を伴う探索的態度であり,メンタライジング・アプローチが促進しようとしているものです。無知の姿勢(not-knowing stance)とは,精神状態が不明瞭なものであることを受け入れ,自分はすでに知っているという思い込みを伴わない虚心坦懐な態度であり,メンタライジング的姿勢の一側面です。この2つの姿勢は,セラピストだけではなく,クライエントにも求められるものですが,ここではセラピストに限定して述べることにします。
これらの姿勢が求められるのは,精神状態が自明のものではなく,不明瞭(opaque)であり,せいぜいその一部がわかるにすぎないからです。このように述べると,読者の中には「他者の精神状態はともかく,自分の精神状態は簡単にわかるではないか」と思う人がいるかもしれません。しかし,はたしてそうでしょうか。私たちは,「どうしてあんな行動をしてしまったんだろうか」とか「どうしてあんなふうに言ってしまったんだろうか」と,自分の動機について自問することがあります。私たちは,自分の精神状態を言葉にする際に,自分の精神状態をくまなく探索し,微細な心の動きにも目を向け,明瞭なことと不明瞭なことを区別しているかというと,必ずしもそうではありません。大雑把な把握にとどまっていたり,わかっているかのように辻褄を合わせて表明したりしていることもあります。自分の精神状態でさえ,決して完全に明瞭なものではないのです。
このように精神状態の不明瞭さ,そして自分はわかっていないのだということを受け入れ,精神状態に対する特定の理解を絶対視せず,常に探求心と好奇心を持って虚心坦懐に探索する姿勢がメンタライジング的姿勢または無知の姿勢です。(後略)

心理療法を念頭においてメンタライジングを考えるときに重要なこととして,メンタライジング,とくに言語による明示的メンタライジングは「ナラティヴ」(narrative)であるということがあります。本書でナラティヴの視点について詳述することは筆者の力量の範囲を超えますし.その紙面の余裕もありませんので,メンタライジング・アプローチの理解に必要とされる範囲でナラティヴに触れておきたいと思います。以下の説明は,心理療法におけるナラティヴの視点についての優れた解説書である McLeod(1997/下山監訳・野村訳, 2007)に依拠しています。近年.心理療法においても心理学的研究においても,ナラティヴが注目されています。この考え方の根底にあるのは,私たちが行動や経験について語るときにはそれを「物語」(story)として語るという認識です。つまり,私たちは行動や経験を語るときに,ただ事実を羅列するのではなく,それを筋の通った物語として組織化し,意味づけているということです。そして,その物語は,語られたものであれば聴き手を,書かれたものであれば読み手を想定しています。「ナラティヴ」は,そのような物語に基づく出来事の説明であり,物語るという形のコミュニケーションを含むものです(McLeod, 1997)。ナラティヴという視点の起源をたどると,世界を認識する方法には「パラダイム的認識」(paradigmatic knowing)〔=自然科学的認識〕と「物語的認識」(narrative knowing)があるとした認知心理学者 Bruner(1986, 1990)の見解に遡ります。この視点は,その後,社会構成主義(social constructivism)と結びついて「ナラティヴ・セラピー」を生み出し,精神分析においても McAdams(1993)や Schafer(1992)などがこの視点を追求しました。メンタライジングにおける精神状態についての語りもナラティヴなのだと,Fonagy と共剛研究者たちは考えています(Allen et al., 2008; Bateman & Fonagy, 2012)。メンタライジング,とくに言葉による明示的メンタライジングは,ある行動をその背後にある精神状態と関連づけて説明することですから,その精神状態についての意味づけであり物語であると考えられるのです。(後略)

さらに、同の 第5章 メンタライジング的応答法 の「1 メンタライジング・アプローチの特徴と目的」における記述の一部(P161)を次に引用して、上記メンタライジングの追加説明をします。

(前略)もう一つ重要なこととして,メンタライジング・アプローチは,BPD に見られるような後天的理由によるメンタライジング能力の機能不全(力動的マインドブラインドネス)に対する心理療法モデルだということがあります。例えば,精神病的パーソナリティ構造(Psychotic Personality Organization: PPO)や自閉症スペクトラム障害に対して,メンタライジング・アプローチを現行のままの形で適用することには慎重でなくてはなりません。精神状態の探索が心の統合を崩御させやすい病態水準や先天的なメンタライジングの機能不全を対象にする場合には,モデル自体の修正が必要になるでしょうし,メンタライジングの促進においても一定の制約があることでしょう。

注:i) 引用中の「BPD」のフルネーム「境界性パーソネリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「自閉症スペクトラム障害」については、次に示す他の拙エントリを参照して下さい。 「発達障害における身体症状、その他」 iii) 引用中の「力動的マインドブラインドネス」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「自閉症スペクトラム障害に対して,メンタライジング・アプローチを現行のままの形で適用することには慎重でなくてはなりません。」に関連する、「発達障害がベースにある一群において、精神分析などの内省志向型の精神療法により混乱を与えてしまう」ことについては、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 13章 鑑別診断-統合失調症と境界性パーソンリティ障害 の BPD(境界性パーソンリティ障害)との鑑別 の「重ね着症候群」における記述の一部(P249~P250)を次に引用します。

重ね着症候群(中略)

それに対して,BPD との鑑別は,もっぱら実践的な要請に基づく.実際,多くの女性の ASD 例が BPD と誤診されている.
この間題に先鞭をつけたものとして,衣笠隆幸10の「重ね着症候群」がある.これは BPD ないし神経症と見立てて,精神療法的な関与をした事例のなかにみられる,発達障害がベースにある一群のことをいう.定義としては,次のような記載を拾い上げることができる.

・初診時 18 歳以上
・主訴は多彩であり,臨床診断も多彩である
・臨床症状に高機能型広汎性発達障害が潜伏している
・課題達成能力が高い
・これまで発達障害を疑われたことはない

「重ね着」というのは,発達障害の本体の上に,BPD などの衣装をまとっているというような意味だが,要は誤診である.さらにいうなら,医原性である.インテンシヴな精神療法が混乱を与えた結果として出現した様態である.ドナ・ウィリアムズや森口奈緒美の著作は,彼女らが,自由連想を強いられたり,自分の気持ちを問われたとき,どれほど惨めな思いをさせられるかを物語っている.
このような誤診は,もっぱら精神分析などの内省志向型の精神療法でみられるものであり,数の上ではそれほど多くはない.(後略)

注:i) 引用中の文献番号「10」は、次に示す資料です。 『衣笠隆幸境界性パーソナリティ障害発達障害:「重ね着症候群」について-治療的アプローチの違い精神医療学 19 : 693-699, 2004』 ii) 引用中の「重ね着症候群」については次の YouTube も参照すると良いかもしれません。 「重ね着症候群[臨床]大人の発達障害傾向を背景にした精神障害」 iii) 引用中の「BPD」のフルネーム「境界性パーソネリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「ASD」のフルネーム「自閉スペクトラム症」及び引用中の「広汎性発達障害」については、共に次に示す他の拙エントリを参照して下さい。 「発達障害における身体症状、その他

これら以外にも、上記メンタライジングの際の「ゆらぎ」こそがもっとも決定的な内在的価値であると考えることについて、『メンタライジングは本質的に「ゆらぎ」を内在化している』ことを含めて「こころの科学 216号(2021年3月)」中の池田暁史等著の文書「メンタライゼーションの意義と価値」(P105~P111)の なぜ、いまメンタライゼーションなのか の「(4) 内在的価値」における記述の一部(P110~P111)を次に引用します。

(前略)それでは、メンタライゼーションには、より広範な内在的価値があるのであろうか。
私は、メンタライジングの際の「ゆらぎ」こそがもっとも決定的な内在的価値であると考える。メンタライゼーションの「ゆらぎ」とは何か。ここで、本稿の冒頭、メンタライゼーションの定義を記したところに戻ってみてほしい。「②自分を含む人の行為という表面的な(目で見える)事象をその人のこころという内的な(目でみえない)観点と関連づけて考え理解すること」という部分である。
ここの含意をより詳らかに書いてみれば、次のようになる。私たちの行為、すなわち私たちが何を話し、何をするのかということは、私たちのこころ、すなわち私たちが何を感じ、何を思っているかということから非常に大きな影響を受けるものの、決して私たちのこころとイコールではない。こころと行為は関連しているけれど直結してはいない。
映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督、一九七九年)の最後の場面で、ルパンがクラリスを抱きしめない(行為)のは、ルパンがクラリスを嫌っている(こころ)からではないし、銭形警部がルパンに強烈なシンパシーを抱いている(こころ)としても、それでもやはりルパンを逮捕しようとする(行為)のである。
ある人があなたを抱きしめずに押しやる(行為)のは、あなたを嫌っている(こころ)からかもしれないし、あなたを愛している(こころ)からかもしれない。同じ行為を目の前にしたとしても、それを引き起こしているこころはまったく正反対のものかもしれない。行為とこころとは一対一対応していない。それゆえにメンタライジングは、一つの行為を前にして「嫌っている」と「愛している」との間を揺れ動かなければならない。それこそが、メンタライジングの「ゆらぎ」である。
メンタライジングがこうした「ゆらぎ」を体験せざるを得ないのは、畢竟、こころが目でみえないものだからである。こころは目でみえないものである以上、本当にはわかることができない。それゆえに私たちは、「ゆらぎ」ながら推測し、考え続けるのである。
このようにメンタライジングは本質的に「ゆらぎ」を内在化している。そして、わからなさの中で「ゆらぐ」ことこそが、私たちに謙虚さや優しさといった人間らしさをもたらしているのであろう。
今世紀の私たちを蝕んでいる最大の病理は、経済格差でも新型コロナウィルス感染症でもなく、ナルシシズムであると思うが、ナルシシズムに対して私たちがもちうるもっとも効果的な処方箋がメンタライゼーションなのではないか。そう考えると、「ゆらぎ」の中の考え続けるというメンタライゼーションに内在する性質は、私たちすべてにとってまさに本質的な価値をもち続けるものといえよう。

(h) 表象
最初に標記表象について、同の 第2章 メンタライジングとは何か の「1 メンタライジングの定義」における記述の一部(P13~P14)を次に引用します。

(前略)以上のように,精神状態は,ある現実についてのもの,その現実に向けられたものであり,その現実は現実自体ではなく「現実の表象」(representaion)であるということです。表象とは,私たちの心の中で,何かを表しており,その何かの代理として用いられるものです。このような自覚を Bogdan(2005)は「表象性の感覚」(sense of representingness)と呼びますが,メンタライジングには,この表象性の感覚が不可欠です。例えば,ある対象に対する感情は,その対象に対する特有の捉え方(表象)に基づくものだという認識がなければ,自分の感情についての内省は生じません。自分が体験している現実は自分の心が作り上げた表象であるという感覚が欠如している人にとっては,自分が捉えた現実が現実そのものであり,その現実に対する別の捉え方があるとは思えないからです。表 2-1 にメンタライジングの定義として「誤解を理解すること」という項目があるのは,以上のような理由によります。例えば,他者の精神状態について絶対の確信をもってこうだと断言し,それ以外の可能性を考慮できないようなあり方は,メンタライジングとは言えません。後で詳しく説明しますが,このような心のあり方を,「心的等価モード」(psychic equivalence mode)と呼びます。自分の心にあるものをそのまま外的現実であると捉え,心と現実を区別することができないからです。(後略)

注:i) 引用中の「表 2-1」は引用を参照して下さい。 ii) 引用中の「心的等価モード」についてはここを参照して下さい。 iii) 標記「表象」に関連するかもしれない「解釈や価値判断はそれ自体が事実というわけではない」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」項

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≪余談4≫神経症について

ここでは主に森田療法の視点からの神経症に関する様々な話題について以下にまとめて示します。ちなみに、これは森田療法を創始した森田正馬が提唱した神経症になりやすい性格的要因については次のWEBページを参照して下さい。 「神経症を治す~神経症(不安障害)は、何故起こるのか? 」 一方、a) 神経症性障害については次のWEBページを参照して下さい。 「神経症性障害 - 脳科学辞典」 b) 森田療法については他の拙エントリのリンク集も参照して下さい。

(a) 精神交互作用及び身体症状や身体症状症等
最初に標記「精神交互作用」については例えば、 i) 「心身交互作用」として次のWEBページに紹介されています。 「不安症 - 脳科学辞典」の「発症機構」項 ii) 「精神交互作用」として次のWEBページに紹介されています。 「森田療法を理解するためのキーワード」 一方、標記「精神交互作用」及び/又は下記引用における「悪循環」に関連するかもしれない、 1)「身体感覚増幅」については、他の拙エントリのリンク集及び次のWEBページや資料を参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「身体症状症および関連症群の認知行動療法」の「Somatosensory amplification(身体感覚増幅)について」項、「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「身体感覚の増幅」項 2) パニック症における「悪循環」についてはここここを参照して下さい。

加えて標記「精神交互作用」について、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第17章 精神療法 の「助言のバリエーションを増やす」における記述の一部(P255)を次に引用します。

(前略)森田療法的な助言
森田療法森田正馬(1874~1938年)によって始められた精神療法で、神経症(心気症や不安症など)の精神症状について、症状に注意を向けると、その症状を鋭敏に感じとるようになり、そのためますます症状に注意が向かい、結果としてますます症状を鋭敏に感じとるようになる、という悪循環(「精神交互作用」)に注目した。つまり症状に注意を向ければ向けるほど、症状は強まると考えた。そのため、症状をなんとかしようとするのではなく、症状をそのまま(「あるがまま」)に受けとめ、本来自分がしなければならないことをすることを勧め(「なすべきことをなせ」)、それが、症状が改善する道であるとした。マインドフルネスも、不安や症状をそのまま受けとめるという点で、よく似たところがある。(後略)

注:i) 引用中の「森田療法」については他の拙エントリのリンク集及び次の資料を参照して下さい。 「森田療法への導入の実際」 加えて、引用中の「精神交互作用」については同資料の『3 .「精神交互作用」と「思想の矛盾」』項を参照して下さい。その上に、上記「精神交互作用」や「悪循環」に関連する「身体症状症において症状が増幅されるという悪循環に陥る」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「神経症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「神経症を治す~神経症(不安障害)の治療方法」 iii) 引用中の「心気症」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「不安症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「不安症 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「マインドフルネス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに「精神相互作用」として平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第6章 五取蘊苦と自律神経失調症 の「第2節 自律神経失調症-事例H」における記述の一部(P142)を次に引用します。

(前略)そこでわかってきたことは、普通の人なら「異常ありません」と言われると安心して、もう症状や身体のことに注意を向けないのに、Hさんは、敏感で、悪い方悪い方に考える傾向があったので、症状や身体状態についつい注意が向いてしまい症状を増幅していたということである。彼女は、幸い以上のようなことに気付けるようになった。
ただHさんは「確かに症状を気にし過ぎていて、症状を増やしていた面はあったと思うけど、気にしないでおこうと思えばよけい気になるし症状も増える。どうしたらいいのか」と言うので、治療者は<気になるのに気にするな>と言っても無理だから<症状が気になっても、それを持ちながら、今したいこと、するべきことをすればいいんです>という話になって落ち着いた(自律神経失調症神経症では、特に「〔異常は無いが〕症状を放っとけない」→「症状を除去して欲しい」→「症状を気にする」→「症状や身体状態に注意が向く」→「症状を強く感じる」→「症状が増強したと感じられる」→「症状を除去して欲しい気持ちが一層強くなる」といった悪循環に陥る。これは森田正馬(7)の言った精神相互作用のことだが、自律神経失調症では、この悪循環に気付いてもらい、治療目標を「症状を除去する」という幻想的なものから、「症状を受け止める。症状を持ちながら生活できる」といったものに変える必要がある)。(後略)

注:i) 引用中の「(7)」の文献は、森田正馬『神経質の本態と療法』、白揚社、一九六〇年です。 ii) 引用中の「神経症」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「神経症(不安障害)とは?」 iii) 引用中の「自律神経失調症」については、次の資料「自律神経失調症」及び他の拙エントリのここを参照して下さい。

次に標記「精神交互作用」に関連する疼痛を含む「身体症状」(又は身体愁訴)や「身体症状症」(又は身体表現性障害)について、先ず上記「身体症状」に対する精神科の位置づけ例として、平井孝男著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第5章 求不得苦とうつ病・ヒステリー の 第2節 ヒステリーと求不得苦-事例G の「第2項 身体が麻痺してしまった主婦-事例G」における記述の一部(P129~P130)を次に引用します。

(前略)さて、Gさんは実母に連れられて私の元を受診したが、明らかに精神科に連れて来られたことに不満そうであった。そこで私は〈病院にかかるだけでも辛いのにましてや精神科に、しかも自分の意志ではないのに連れてこられたら、それは辛いですよね〉と言うと、「そうなんです」と少しうなずいてくれた。
これは行けると思い〈ここは名前は精神科・神経科心療内科となっていますが、悩み事のよろず相談所と考えたらいい。ここは援助するところで、精神科医は悩み事相談のプロですから〉と説明すると、また少し心を開いてくれたようであった。そして〈とりあえず事情を聞かせてくれませんか〉と言うと、少しずつ応じてくれた。そこでなるべく本人の身体症状や現在の生活や対人関係に焦点を合わせて詳しく聞いていくと、本人は堰を切ったように喋り始めた。(後略)

加えて、悩み事のよろず相談所的な例としての、身体表現性障害において現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の「はじめに」、「症例2」及び「おわりに」を含む「第12章 身体表現性障害」における記述の一部(P142~P150)を次に引用します。

はじめに――生活背景の幅広い理解が必要

器質的な原因がなく、ストレスなどの心因(心理社会的な要因)によって身体症状が現れる病気は身体表現性障害、なかでも、多彩な身体症状が現れるものは身体化障害と呼ばれている。心因としては、個人の心の悩みや葛藤などを考えやすいが、実際には、現実生活の悩みや苦労が大きく影響していると考えられる場合が少なくない。そのため、その人の心理だけでなく、家族や職場などの生活背景を幅広く理解することが不可欠となる。また、対応も個人精神療法だけは不充分で、生活支援やリハビリテーションなど、幅広い支援が必要となる。本章では、三つの症例を提示し、診かた、対応の仕方について考えてみたい。(中略)

2 生活基盤の不安定さが症状を生み出すことがある

〔症例2〕30代前半の女性、Bさん
Bさんは、20歳前半、結婚した頃に、眩暈(めまい)で倒れ、近医を受診し、メニエール病と診断された。なかなか症状が改善せず、耳鼻科を転々と受診したが、最終的に異常はないと言われたということであった。1年後に、精神科外来を受診し、自律神経失調症といわれ、内服を開始したが、症状はあまり変わらなかった。そのため、数ヵ所の精神科クリニックを転々と受診し、4年後に別の精神科外来を受診した。倦怠感、眩暈、ふわふわ感、ふらつき、肩・首が凝り、嘔気、食欲不振、頭痛などの訴えが続き、これまでの身体精査で異常がないことから、身体表現性障害と診断され、通院治療となった。

母親は統合失調症で長期入院中、Bさんは単身であり、客観的な情報を提供する親族がなく、家族背景、生活背景の正確な情報は得られなかった。Bさんの話によると、「20代前半で結婚し、2子をもうけたが、夫婦関係や子育てがストレスとなり、30歳頃に離婚となった。夫は、うつ病アルコール依存症で入院歴あり、またBさんに言葉の暴力もあった。離婚後は、Bさんは家事・育児ができず、子育ても夫に任せて、一人暮らしをしている」ということであった。

どのように考え、どうしたか
この3年間、Bさんは主治医との診察と並行して、心理士による心理面接を受けていた。また、主治医は、身体症状のために仕事につけず、家に閉じこもりがちとなるBさんに、作業所への通所を勧め、不定期ながら作業所に通所していた。心理面接を担当していた心理士は、いくつかの点で、Bさんの理解と対応に迷うことがあった。

① 身体愁訴について
面接では、さまざまな身体的な不定愁訴を訴える。たとえば、「この3日間だるくて1日中横になっている、動けない。食欲もなく、無理やり食べている。原因がわからなくてすごく不安」などと訴える。また、日々の身体的不調をメモしてきて、それを見ながら話す。これはBさんが、実際に困っていることで、これがなければ病院で話すことがないという意味で、まさにカナーの言う「入場券としての症状」である。
だが、この身体症状の訴えに対して、どのように対応するかはなかなか難しい。身体症状に面接の焦点を当てると、Bさんは身体症状を話すことが人と繋がる手段となってしまう。しかし、逆に身体症状の訴えを聞かないと、Bさんは聞いてくれないと不満をつのらせるだけでなく、身体症状が悪化してしまう。聞きすぎてもいけないし、聞かなくてもいけないのである。
Bさんの身体の不調の訴えについては「今はとても苦しい時期。しんどいけど頑張っていきましょう」と、できる限りさらっと受け止めていくようにした。

② 背景にある心理について
Bさんは「子どもの運動会に行こうと思っていたが、体調が良くならないから行けない」とか、「お正月にも会いたかったけど、元夫があまり快く思っていなくて会えない」などと、子どもとの交流のできないことを話すことがあり、身体症状の背景には、母親役割の喪失感、自身に対する無力感、居場所のなさなどがあると感じられた。
だが、このような心理的な問題を面接で取り上げていくかどうかについては迷った。Bさんの日常生活を見ていると、子どもについて心配はしているが、まだまだ子どもに関わる力があるとは言えない。また、それを言葉で話し合うことが、Bさんを混乱させ、よけいに不安や抑うつを強めるのではないかと考えた。そのため、子どもの話題は避け、話し合う時機が来るのを待つことにした。

③ 現実生活での対処法に焦点を当てる
日常生活の困り事、たとえば作業所での人間関係など、いろいろと溜め込んで疲れ、思い悩んでいることが多く、それを一人で繰り返し終わりなく考え込んでしまうことが多かったので、それについて、具体的にどうするかについて話し合った。
たとえば、「作業所で苦手な人がいる。(声の大きい年配の女性を)避けていたけどよく話しかけられる。気になってしまう。その人の声を聞くたびにしんどいと思う。作業中は話しかけられることはないが、休憩時間に話しかけられる」というような訴えに対して、「休憩時間に少し距離をとって過ごすことと、悪い人ではないし言われたことを気にしないようにしよう」などと具体的に助言した。
それだけでなく、Bさんが普段しんどくなった時にしていること、たとえばホットミルクを飲むことやしょうが湯を飲むこと、友だちに電話相談したりすることなどを大切にし、現実に少しでも気持ちが楽に過ごせるように配慮した。    
Bさんのように、複雑な家族的、経済的な問題を持ち、そのうえで身体症状を訴えてくる場合、身体症状は治療や援助を受けるための「入場券」(カナー)という役割をもつ。だが、身体症状への対応は、前述したように難しい。聞きすぎても聞かなくてもよくない。面接の焦点を身体症状から、現実生活での困っていることに移していくことが大切になる。そして、現実生活が少しでも生きやすいものとなるように応援していくことが大切になるのである。

★生活の基盤が不安定な場合は、まずは生活を安定させていくケースワークが大切となる。(中略)

おわりに――身体症状への対応と、人間関係や日常生活への対応と

身体表現性障害の患者は、身体症状でSOS信号を送っている。だが、当初は真剣に対応していた周囲の人たちも、検査をしても異常がなく「悪いところはないから、大丈夫です」と言われることが続くにつれて、対応が変化し「しっかりしなさい」「もっと頑張れ」とプレッシャーをかけるようになる。そのため、周囲の人との関係が悪くなりやすい。それだけではなく、長引く身体症状は、仕事を失うなどの経済的な問題も生み出しかねない。人間関係においても経済的にも不利をもたらしかねないのである。だから、身体表現性障害の患者への対応に際しては、身体症状への対応も大切なのだが、同時に、患者の人間関係や日常生活に目を配り、それらが悪い方向に向かないように、少しでもよい方向に向かうように配慮することがとても大切になると考えている。

注:引用中の「身体表現性障害」については、次のWEBページをそれぞれ参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 加えてこれに関連する「身体症状症」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体症状症」 ii) 引用中の「三つの症例」において、この引用では「〔症例2〕」のみを採用し、他の二つの症例の引用は省略しています。 iii) 引用中の『「入場券」(カナー)』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「小児の心身症」の 2)小児の心身症の理解 の「① 入場券としての症状」項 iv) ちなみに、上記「身体症状症」の危険要因と予後要因について、名越泰秀、西原真理編集の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「3 身体症状症の危険要因と予後要因」における記述(P44~P45)を次に引用します。加えて、痛みが維持されてしまうメカニズムについて、同章 B. の「12 痛みが維持されてしまうメカニズム」における記述の一部(P54)を以下に引用します。

3 身体症状症の危険要因と予後要因
遺伝的要因が身体化を助長させやすくすることも指摘されており9),脳機能などの生物学的因子,家族との関係性や経済状況といった社会環境因子なども要因となる.教育歴が低い人,社会経済的地位が低い人に多く現れる2).
病気や健康に関して過剰に心配する傾向や,否定的感情が生じやすいパーソナリティ特性(神経症的特質)も要因となる.また.失感情症 alexithymia の傾向があることが多い.失感情症とは,自分がどのような感情を抱いているのかを認識することや,感情を言語化して表現すること,さらに自分の内面と周囲の状況を把握して自らの内面を洞察することが困難であるといった点を特徴とする.失感情症傾向のある身体症状症患者は,ストレスコーピングを状況に合わせて適切に用いることができていないといわれている10).
発症の誘因は,対人葛藤が29%で最多,身体疾患の罹患16%,心身の過労14%だという報告があるが11),誘因が必ず存在するわけでなく,明らかでないこともある.

注:i) この引用部の著者は富永敏行です。 ii) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「Chronic Pain in the Japanese Community--Prevalence, Characteristics and Impact on Quality of Life.」 iii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The genetic aetiology of somatic distress.」 iv) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder.」 v) 引用中の文献番号「11)」は次の資料です。 「心療内科外来を受診した身体表現性障害患者の臨床的特徴」 vi) 引用中の「身体症状症」については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体症状症」、「心療内科における身体症状症の位置づけ」 vii)上記身体症状症における引用中の「失感情症」(アレキシサイミア)と「身体感覚増幅」(例えば資料「身体症状症および関連症群の認知行動療法」の「Somatosensory amplification(身体感覚増幅)について」項を参照)との関連については例えば次の資料を参照して下さい。 「身体感覚増幅傾向と感覚モダリティ・身体部位イメージの特徴 アレキシサイミア特性との関連から」 viii) DSM-Ⅳの「身体表現性障害」(参照)から、引用中の「身体症状症」に関連する DSM-5 の「身体症状症および関連症群」に変更となって、前者の「医学的に説明ができない」ことよりも、「苦痛を伴う身体症状と、それに対する異常な思考・感情・行動」に主眼が置かれたことについては次の資料を参照して下さい。 「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から」の「Ⅰ.身体表現性障害という疾患の変遷について」項 なお、引用中の「身体症状症」の診断基準については例えば次の資料を参照して下さい。 「「多様な症状」を生じた症例の診療の実際 -本日の事例概要-」の「身体症状症(Somatic Sympton Disorder)」シート ix) 上記「身体症状症および関連症群」の病態は、「薬物療法の観点では、強迫、不安・恐怖、怒りに分類される」ことについては次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群(身体表現性障害)の薬物療法はどこまで可能になったのか?

12 痛みが維持されてしまうメカニズム
では,次に,心理・社会的疼痛,身体症状症による疼痛はなぜ生じ,いつまでも持続してしまうにかについて述べる.慢性疼痛では,例えば,何らかのきっかけで生じた器質的な疼痛を知覚し続けると,痛みや他の身体感覚(些細な痛み,拍動,微かな手足の痺れなど)がさらに鋭敏となり,その痛みはどんどん悪くなるといった過度の予測,ただごとではないことが身体に起こっているといった破局的な認知が活性化されてしまう.
それによって不安,恐怖などの感情が湧き上がると,「再びあの強烈な痛みの波に襲われるのではないか」という,パニック症の予期不安に近い不安が生じる.極端な場合には発作的な強い痛みが一人のときに生じたらどうしようという不安,人前で倒れこんだらどうしようという不安が生じ,広場恐怖と同様の状態になることもある.
そうなると,痛みが悪化するリスクを未然に防ぐために,自宅で安静にしたり,例えば腰痛の場合ならば,腰に振動を与えないようにソロソロと歩いたりする.ベンゾジアゼピン抗不安薬や NSAIDs などを,好ましくない多い量まで朋したりすることもある.かつては楽しみであったショッピングやウォーキングは,痛みを予防するという理由でしなくなり,自宅に籠るようになる.
あるいは,別の人は,痛みの原因を突き止めようと躍起になって,あちこちの医療機関を受診したり,Web の神経難病の記事に掲載されているチェックリストで該当する項目を数えるであろう.
こういった安全行動があると,身体に関心が向き,さらに痛みの感覚が研ぎ澄まされ,ちょっとした痛みに過敏になり,痛みを維持させてしまう悪循環(とらわれ)が形成されてしまう(図2-16).
特に,最近ではテレビなどの情報媒体で健康番組がひっきりなしに流れ,web でも容易に医学情報を検索できる環境にある.国民の健康への関心は高まっており,裏を返せば健康不安に絶えず晒されている状況にあり,このような悪循環が生じやすくなっているといえる.

注:(i) この引用部の著者は富永敏行です。 (ii) 引用中の「図2-16」についての引用は省略します。ちなみに、 a) 引用中の「破局的な認知」に関連する「痛みの破局的な思考」を含む「痛みの破局的思考」についての図は次のガイドラインを参照して下さい。 「慢性疼痛診療ガイドライン」の「図 A-2 痛みの恐怖回避モデル」(P25) b) 一方、引用中の「破局的な認知が活性化されてしまう」ことに関連する、(不適応的)スキーマの一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」が活性化することについてはここここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「パニック症の予期不安」についてはここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「NSAIDs」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「NSAIDsを理解するためにするために : NSAIDsとは」 (v) 慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果についての研究例は次のWEBページを参照して下さい。 「慢性疼痛の症状維持モデルに基づく認知行動療法の効果:主観的評価と脳機能の観点から」 (vi) 加えて「慢性痛に対する認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「慢性痛に対する認知行動療法」 さらに、引用中の「身体症状症」に関連する、 a)「身体症状症および関連症群の認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症および関連症群の認知行動療法」 b) 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」については次の資料を参照して下さい。 「身体症状症の対人関係療法における心理教育」 (vii) 一方、「web でも容易に医学情報を検索できる環境にある」ことに関連するかもしれないサイバー心気症については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (viii) 引用中の「痛みの原因を突き止めようと躍起になって」に関連する身体症状症の痛みに対する態度としての「一刻も早く痛みを取り去りたい」ことについて、同(B. 身体症状症による疼痛の病態)の 9 身体症状症とうつ病との鑑別 の「●痛みに対する態度」項における記述の一部(P50)を次に引用(『 』内)します。 『身体症状症の患者は,痛みの原因に対する原因検索を執拗に求めることが多い.また「一刻も早く痛みを取り去りたい」,「このまま悪化の一途をたどらないか」といった治療に対する要求も強く,痛みの除去に躍起になっていて,即時的な痛みの完全消失を希望することも多い.』

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≪余談5≫MUS又はパニック症等における内受容感覚、心拍知覚、身体感覚増幅、破局的思考等について、その他

注:標記MUSは、Medically Unexplained Symptom の略で、「医学的に説明できない症状」と和訳されます。以下に示す「身体感覚増幅」を含めて、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 加えて、標記内受容感覚については例えば次の資料やWEBページを参照して下さい。 「内受容感覚の概要と研究」、「予測的符号化・内受容感覚・感情」、『身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―』、『梅田聡:脳と身体の働きからみる「心」の科学』 また、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の視点からは他の拙エントリのここを、マインドフルネスの視点からは他の拙エントリのここここを、ヨーガの視点からは他の拙エントリのここここを、及び辺縁系セラピーの視点からは他の拙エントリのここを、(内受容感覚の)トレーニングの視点からはタイトルを除き拙訳はありませんが論文(全文)「Effects of interoceptive training on decision making, anxiety, and somatic symptoms[拙訳]内受容感覚のトレーニングが意思決定、不安及び身体症状に及ぼす影響」(注:資料『「脳」と「身体」と「行動変容」』も参照して下さい)を それぞれ参照して下さい。これら以外にも「気分と内受容感覚との関連性」についてはWEBページ「気分と内受容感覚との関連性」からダウンロード可能な資料「気分と内受容感覚との関連性」を参照して下さい。その上に、一部が標記以外ですが失感情症(アレキシサイミア)と内受容感覚との関連については次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」 さらに、一部が標記以外ですがアレキシサイミア(感情失認)又はアレキシソミアと内受容感覚との関連については、身体感覚の増幅を含めて次の資料を参照して下さい。 「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」 一方、標記「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学」 また、本項においてしばしば登場する「マインドフルネス」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

ここでは主に内受容感覚、心拍知覚、身体感覚増幅、破局的思考等についての本、資料や論文の要旨を紹介します。最初に、内受容感覚の説明について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」の 身体と自己意識 の「(2)内受容感覚」における記述の一部(P40~P41)を次に引用します。

内受容感覚(interoception)とは、身体の生理的状態に関する感覚であり、皮膚、筋、関節、内臓などから脳へ伝えられる信号によって構成されている(Craig 2002 : 2009)。身体からの信号は、体液性経路、脊髄経路、そして求心性迷走神経経路によって脳にもたらされる。身体信号は、中継点である視床を経由し、前部帯状回皮質、後部島、体性感覚野などの上位の皮質に到達する。さらに、こうした個々の皮質脳部位において知覚された身体の信号は、最終的に右側の前部島において束ねられ(図3)1)、身体の統合的な表象が形成されると考えられており、これを内受容感覚と呼ぶ(Damasio 1994 : Craig 2002 : 2009)。これに対して、上述した視覚、触覚、痛みなどの外的な刺激に由来する感覚を外受容感覚(exteroception)と呼ぶ。(後略)

注:i) 引用中の「図3」の引用は省略します。 ii) 引用中の文献「Craig 2002 : 2009」はそれぞれ次の論文です。 「How do you feel? Interoception: the sense of the physiological condition of the body.」、「How do you feel--now? The anterior insula and human awareness.」 加えて、これらの論文について次のWEBページで言及されています。 「心身症 - 脳科学辞典」の「身体から脳へ」項 iii) 引用中の本「Damasio 1994」に関連する「ソマティック・マーカー仮説」については、次のWEBページを参照して下さい。 「ソマティック・マーカー仮説 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「中継点である視床」については、次のWEBページを参照して下さい。 「体性感覚 - 脳科学辞典」の「中枢機構」項 v) 引用中の「前部帯状回皮質」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「後部島」及び「前部島」に関連する「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vii) 引用中の「体性感覚野」に関連する「体性感覚」については、次のWEBページを参照して下さい。 「体性感覚 - 脳科学辞典」 viii) 標記「内受容感覚」について、タイトルを除き拙訳はないものの、次の論文(全文)も参照した方が良いかもしれません。 「On the Origin of Interoception[拙訳]内受容感覚の起源について」、「Interoception and Mental Health: A Roadmap[拙訳]内受容感覚及びメンタルヘルス:ロードマップ」(他の拙エントリのここを参照) 加えて、上記において紹介されている複数の資料、その上に、資料「マインドフルネスと内受容感覚」をはじめとして、次のWEBページ及び資料にも内受容感覚についての記述があり、参考になるかもしれません。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項、「感情を生み出す脳と身体の相互作用」、「内受容感覚の予測的符号化 ―福島論文へのコメント―」 ix) 引用中の「内受容感覚」に加えて、「アレキシサイミア(失感情症)」及び「アレキシソミア(失体感症)」に関連した資料は次を参照して下さい。 「ストレス反応と心身の気づき」 また、上記「アレキシソミア(失体感症)」については次の資料を参照して下さい。 「失体感症をめぐって 特に失体感症の治療について」、「失体感症スケール開発の経緯と、身体(内受容)を重視した心身医学療法の意義と有用性について」 一方、引用中の「内受容感覚」に加えて、「失感情症」、「失体感症」、「ストレス反応」、「自律神経機能」、「気づき」及び「身体感覚増幅」に関連した資料は次を参照して下さい。 「情動の気づき、身体の気づきと自律神経による恒常性調整プロセスの関係」 さらに、引用中の「内受容感覚」と不安との関連については、次の資料を参照して下さい。 「内受容感覚から考える不安の認知神経メカニズム」 x) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 xi) 引用中の脚注「1)」(P41)の内容を次に引用します。

1) 内受容感覚は前部島だけで機能局在的に実現されているわけではない。前部島は、前部帯状皮質などとともに、覚醒ネットワーク(salience network)と呼ばれる脳内の大規模神経ネットワークの重要なハブを形成している。内受容感覚も、こうした大規模なネットワークの活動から創発されると考えるのが妥当であろう(Feldman-Barrett & Simmoms 2015)。しかし、そのネットワーク中でも、前部島が特に重要な役割を果たしていることは事実であり、そのため本稿では前部島を中心に記述することとする。

注:i) 引用中の文献「Feldman-Barrett & Simmoms 2015」は次の論文です。 「Interoceptive predictions in the brain.」 ii) 引用中の「前部島」に関連する「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典

加えて、マインドフルネス訓練と内受容感覚との関連について、同文書の「おわりに――マインドフルネス訓練の目的」における記述(P47)を以下に引用します。ちなみに、これに関連する論文はここを参照して下さい。

おわりに――マインドフルネス訓練の目的

本稿で述べてきた理論的枠組みは、前頭領域などの高次な脳部位に存在する意識がトップダウン的に身体を制御するという発想とは相いれない。本章の理論的枠組みは、脳と身体には、内的モデルにもとづいて、大量の、ノイズを含み、常に揺れ動くような、外界と身体内部からの信号を処理し、生きていくための動的均衡を実現するシステムが実現されており、その動作が自己意識を創発すると主張する。
身体への注意は、この脳と身体のシステムに影響を与える手段のひとつであり、マインドフルネス瞑想訓練で身体が重要視されることには、ここに根拠があるのではないだろうか。このような視点からは、マインドフルネス訓練の目的は、「脳と身体に実現されている内受容感覚と外受容感覚のシステムの動きを洗練させ柔軟かつ強靭にすること」であるといえるだろう(もちろん、現時点では、こうした主張はほとんど仮説の域を出ない。今後、実証的知見の蓄積により、この仮説が検証されるべきである。また、本稿で記述した外受容感覚と内受容感覚の脳と身体のモデルについても、計算論モデルを構築することにより、その動作を具体的に記述することが望まれる)。それにより、われわれは、自己の内外からのさまざまな刺激に対して、常に変化しつつも安定性を保ち、適応的に生きていくことが可能になるのかもしれない。

注:(i) 引用中の「外受容感覚」及び「内受容感覚」については、共にここを参照して下さい。 (ii) 標記「マインドフルネス訓練」に関連する「マインドフルネス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「前頭領域」に関連する「前頭葉」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭葉 - 脳科学辞典」 (iv) ちなみに、マインドフルネスは内受容感覚が問題の中心となる疾患に対して、有効性がより高いかもしれないことについては、貝谷久宜/不安・抑うつ臨床研究会編の本「社交不安症の臨床 評価と治療の最前線」(2017年発行)中の竹林(兼子)唯、野口恭子、貝谷久宜著の資料「社交不安症の薬物療法心理療法」の SADに対する心理療法の効果 の「4 マインドフルネスの効果」における記述の一部(P104)を次に引用(『 』内)します。 『マインドフルネスは内受容感覚が問題の中心となる疾患や身体疾患に対して有効性がより高いかもしれない』(注:a) 引用中の「SAD」は社交不安症の略です。 b) 引用中の「身体疾患」は、次の論文を踏まえているようです。 「Efficacy of psychosocial interventions for psychological and pregnancy outcomes in infertile women and men: a systematic review and meta-analysis.」) (v) 加えて、突発性環境不耐症における、内受容感覚の弁別に関連する治療又は対処法の候補例について、他の拙エントリのここで紹介する論文(全文)「Idiopathic Environmental Intolerance: A comprehensive model」の「Changing The Sampling Strategy For Interoceptive Input」項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『Other interventions, such as Mindfulness training and/or Acceptance and Commitment Therapy, which include a non-judgemental perception of bodily activity may also produce similar effects on interoceptive differentiation.[拙訳]マインドフルネス訓練及び/又はアクセプタンス&コミットメント・セラピー等の身体活動の非判断の知覚を含む他の介入法も、内受容感覚の弁別に対して同様な効果を生じるかもしれない』(注:1) 拙訳中の「マインドフルネス訓練」については他の拙エントリのここを、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」については他の拙エントリのリンク集を、マインドフルネスストレス低減法のボディスキャンにより内受容感覚プロセスが改善することについてはここをそれぞれ参照して下さい。加えて上記「内受容感覚プロセスが改善」に関連する「臨床心理系の内受容感覚の研究論文では,内受容感覚を適切なものにするために,マインドフルネス瞑想やボディスキャン瞑想などの技法に期待が持たれることが多い」ことについては次の資料を参照して下さい。 「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「4.終わりに:適切な心身相関のために」項 2) 拙訳中の「内受容感覚」にも関連する上記「Idiopathic Environmental Intolerance:IEI、突発性環境不耐症)の症状を生じるかもしれないプロセスについては、他の拙エントリのここの c) 項を参照して下さい。 3) 拙訳中の「内受容感覚の弁別」に関連する「内受容感覚の認知の鋭敏さが不安を増大させる影響」については、次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」項 4)拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」) (vi) ちなみに、引用中の「内受容感覚」から考える不安の認知神経メカニズムについては、次の資料を参照して下さい。 「内受容感覚から考える不安の認知神経メカニズム

その上に、 a) 「心理的・身体的症状を伴うストレス関連疾患において,内受容感覚の機能不全が観察されている」ことについては次の資料を参照して下さい。 『「脳」と「身体」と「行動変容」』の「脳と身体と行動変容」項 b) 上記「内受容感覚の機能不全」に類似する「内受容の機能不全」により、「自身の内的な体験と、周囲の人が感じていることの間に深刻な不一致をもたらすかもしれない」ことについて、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第3章 健全な発達が阻まれる時 の「内受容の機能不全」における記述の一部(P91~P92)を次に引用します。

内受容は、自身とつながるシステムであるとも言え、周囲との関わりの中で発達する。安全ではない環境で、周囲の社会的つながりのある人たちから信頼できるフィードバックを受けることなしに内受容が発達したら、自身との会話は、特に身体に関しては正確性を欠くこととなる。健全な感覚や反応であるのに、それを誤って解釈し、真実とはかけ離れたゆがんだ意味づけをするかもしれない。しかも、その過ちには気づかないだろう。自身の内的な体験と、周囲の人が感じていることの間に深刻な不一致が起こるかもしれない。そうすると、認知を誤って用いたりする。つまり彼らは世間知らずで、世界はどれだけ危険に満ちているのかを知らないのだ、といったナラティブを作り出したりしてしまうのだ。(後略)

さらに、感情心理学の視点からの「内受容感覚は領域一般的か領域特異的か」について、日本感情心理学会企画、内山伊知郎監修の本、「感情心理学ハンドブック」(2019年発行)の 第2部 感情の基本要素 の 10章 感情科学の展開 の 5節 結語:今後の研究における課題 の「1. 内受容感覚は領域一般的か領域特異的か」における記述(P219)を以下に引用します。なお、同本においては基本的に「emotion」の訳語としては「感情」を使用しているようです。

内受容感覚は,内臓,血管,自律神経系,内分泌系,免疫系など身体内部のきわめて多次元で大量の情報を伝える信号により構成されている。すると,島,OFC,ACC などの脳領域に存在する限られた数のニューロンにより,どのように内受容感覚の内的モデルとその制御が実現されているのかが問題となる。まず,内受容感覚の内的モデルとその制御が実現されているのかが問題になる。まず,内受容感覚の内的モデルは,各々の臓器や血圧,心拍,発汗などの生理的機能ごとに構築されているのか(領域特異的:domain specific),覚醒、鎮静,疲労など生理的状態のある程度大きなまとまりとして構築されているのか(領域一般的:domain general)という問題がある。福島(2019)はこの点について,下位のレベルにおいて各臓器などの個別・局所的な内受容感覚が形成され,それを束ねる形で上位の統合的・大域的な内受容感覚が形成されるというモデルを提案している。その妥当性は今後検討されなければならない。

注:i) この引用部の著者は大平英樹です。 ii) 引用中の「島」、「OFC」、「ACC」(注:これらはいずれもある脳領域を指します)については共にここを参照して下さい。加えて、上記「島」に関連する「内受容感覚が主観的感情の成り立ちを支える機能を担っていること,そして島皮質がその神経基盤であることを示唆する」ことについては次の資料を参照して下さい。 『「いま」を作り出す身体反応の受容・制御と感情 ―島皮質の機能からの考察―』の「2. 内臓感覚と嫌悪感情の基盤としての島皮質」項 iii) 引用中の「覚醒」についてはここを参照して下さい。

また「予測的符号化における感情」について、同の 3節 内受容感覚の予測的符号化 の「5. 予測的符号化における感情」における記述(P207~P209)を次に引用します。なお、上記「内受容感覚の予測的符号化」については以下の vi) 項を参照して下さい。

Barrettら(Barrett, 2017a, 2017b; Barrett & Simmons, 2015; Barrett et al., 2016)はさらに,内受容感覚が外受容感覚や固有感覚と統合され,知覚や行動を制御して整合的な状態を維持していると主張する。視覚野や体性感覚野において知覚が形成されると共に,それに付随する身体状態の変化の知覚,すなわち内受容感覚が島において形成される。このため,外受容感覚や固有感覚は,常に何らかの内受容感覚を伴うことになる。言い換えれば,私たちが経験する意識は,内受容感覚を軸にして諸感覚を予測的符号化の原理により束ねることで成立すると考えられる。このように考えると,内受容感覚は感情だけに伴うものではなく,私たちが経験するすべての意識の基盤である。そして私たちは,これらの内受容感覚,外受容感覚,固有感覚における予測誤差の和を最小化するように,反応や行動を変化させると予測される。
例えば,通い慣れた道で突然蛇に出くわしたとしよう。その瞬間,視覚野において大きな予測誤差が生じる。するとその対象を視覚的に知覚すると共に,運動野や ACC や OFC などの内臓運動皮質に予測誤差信号が送られ,それらの内的モデルが更新される。その結果,運動プログラムが発動され骨格筋や循環器の作動が変化する。そうした反応の予測的符号化によって,体性感覚野では筋のこわばりが知覚され,島では心拍や血圧の上昇などが知覚される。それら一連の処理と平行して,扁桃体(amygdala)では事象の重要性に関する評価が進行し,線条体(striatum)では価値の計算が進行する。また,OFC では事象の置かれた文脈(同じ蛇でも,いつもの道で出会う場合と,初めて行った山中で出会う場合では文脈が異なる)が評価され,現在の状況の価値(きわめて危険度が高いのか,そうでもないのか)が計算される(Wilson et al., 2014)。さらに,こうした処理における予測誤差を縮小するための能動的推論として,飛び上がる,逃げる,などの行動が ACC などの働きにより選択される。島はこうした一連の処理において,神経ネットワークのハブとして脳と身体の働きを調整し,予測誤差を最小化するように働く。図10-4は,こうした過程の神経メカニズムを表現している(大平, 2017b)。
こうした内受容感覚を基盤として予測的符号化の原理により脳に表象された知覚が,上述したコア・アフェクトだと言うことができよう。コア・アフェクトは,私たちが経験するすべての事象に常に随伴しており,多次元的かつ連続的に変化しながら常に生じている。そうした過程は物理的・生物学的な実体であり,哲学でいう自然種(natural kind)であると考えられる。ここで重要なのは,予測誤差が小さく諸感覚のシステムに動きがない場合(通い慣れた道を歩く状態)には,コア・アフェクトの計算・処理は自動的に進行し,ほとんど意識されない,ということである。何らかの原因(上記例の蛇の出現)により予測誤差が大となると,それを縮小するために諸感覚システムに動きが生じて予測が更新され,私たちはコア・アフェクトの変化に気づくことになる(Gu et al., 2013)。つまり感情の最も基礎的な経験とは予測の更新によりもたらされるコア・アフェクトの変化である。それを契機として,例えば快-不快,覚醒-鎮静というような次元の概念を用いてコア・アフェクトがカテゴリー化され,感情が意識化されると考えられる。その際,覚醒-鎮静次元のカテゴリー化では扁桃体が,快-不快次元のカテゴリー化では OFC の一部である腹内側前頭前皮質の内側部が強く関与していることが示されており(Wilson-Mendenhall et al., 2013),カテゴリー化という過程を実現するのも,予測的符号化を支える神経ネットワークであることが示唆される。

注:(i) この引用部の著者は大平英樹です。 (ii) 引用中の「Barrett, 2017a」、「Barrett,(中略)2017b」はそれぞれ次の本、論文(全文)です。 「Barrett, L. F. (2017a). How emotions are made: The secret life of the brain. New York, NY: Houghton Mifflin Harcourt.」、「The theory of constructed emotion: an active inference account of interoception and categorization」 (iii) 引用中の「Barrett & Simmons, 2015」は次の論文です。 「Interoceptive predictions in the brain.」 (iv) 引用中の「Barrett et al., 2016」は次の論文(全文)です。 「An active inference theory of allostasis and interoception in depression」 (v) 引用中の「Wilson et al., 2014」は次の論文です。 「Orbitofrontal cortex as a cognitive map of task space.」 (vi) 引用中の「大平, 2017b」は次の資料です。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 加えて、引用中の「図10-4」の引用は省略しますが、代わりに同資料の Figure 4.[P7]を参照して下さい。その上に、引用中の「視覚野」、「体性感覚野」、「島」、「扁桃体」、「線条体」、「ACC」(前部帯状皮質)、「OFC」(前頭眼窩皮質)については同資料を参照すると良いかもしれません。さらに、「腹内側前頭前皮質」に関連する「内側前頭前皮質」についても同資料を参照すると良いかもしれません。一方、引用中の「内受容感覚」、「島」、「予測誤差」に関連する動画については次を参照して下さい。 「Part 2: 内受容感覚に左右される意思決定」 (vii) 引用中の「Gu et al., 2013」は次の論文です。 「Anterior insular cortex and emotional awareness.」 (viii) 引用中の「Wilson-Mendenhall et al., 2013」は次の論文です。 「Neural evidence that human emotions share core affective properties.」 (ix) 引用中の「コア・アフェクト」について、同の 2節 心理学的構成主義における感情の構造 の「1. 内受容感覚によりコア・アフェクトが形成される」における連続する記述の一部(P198)を二分割して次に引用(それぞれ『 』内)します。 『心理学的構成主義では,このような内受容感覚を基にして,感情現象の基盤となるコア・アフェクトが形成されると主張される。コア・アフェクトは身体と脳の機能により成立する神経生物学的な実体であり,常に連続的に生じていると考えられている。』、『心理学的構成主義では,当初,コア・アフェクトは,快-不快,覚醒-鎮静という2つの次元で表現され,経験されると考えられていた(Russell & Barrett, 1999)。しかし,近年,Barrett(2017b)はこの考え方を修正し,コア・アフェクトはそうした少数の次元に還元できるものではないと主張する。身体内部の信号はきわめて多次元的であり,またノイズに満ちた複雑なものである。その信号が,脳の神経ネットワークの活動として表象されたものが内受容感覚である。それゆえ内受容感覚も,本来多次元的で複雑なものであると考えられる。すると快-不快,覚醒-鎮静という次元は,そうした神経ネットワーク活動が言語により記述された概念によって解釈されたものであると考えることができるだろう。』(注:a) 引用中の「Russell & Barrett, 1999」は次の論文[全文]です。 「Core Affect and the Psychological Construction of Emotion」 b) 引用中の「Barrett(2017b)」についてはここの (ii) 項を参照して下さい。 c) 引用中の「快-不快」については次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典」 d) 引用中のコア・アフェクト) 加えて、引用中の「コア・アフェクト」にも関連する「テキストマイニング」については例えば次の資料を参照して下さい。 「認知科学・人文学・情報学の統合的研究とテキストマイニング」 (ix) 引用中の「覚醒」に関連する「過覚醒」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒」 (x) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (xi) 引用中の「表象」についてはメンタライジングの視点からここを参照して下さい。 (xii) 引用中の「カテゴリー化」に関連するかもしれない、「カテゴリー的な内受容(感覚)」に関する論文要旨「Categorical interoception and the role of threat.[拙訳]カテゴリー的な内受容及び脅威の役割」を次に引用します。

Interoceptive fears and biased interoception are important characteristics of somatic symptom disorders. Categorization of interoceptive sensations impacts perception of their intensity and unpleasantness. In this study we investigated whether making interoceptive categories threat-relevant further biases interoception of individual sensations compared to safe categories. Either a category containing low- or high-intensity stimuli was made threat-relevant by instructing (and occasionally experiencing) that interoceptive sensations could be followed by an unpredictable electrocutaneous stimulus. We replicated that categorization had a profound impact on perceived interoceptive sensations, with stimuli within categories being perceived as more similar than equidistant stimuli at the category border. We found some evidence for the impact of threat on perceived characteristics of stimuli (with the direction of these effects depending on whether interoceptive stimuli of low or high intensity were threat-relevant), but not for altered categorical choice behaviour. These results imply that the perception of respiratory stimuli is influenced strongly by top-down processes such as categorization, and suggest that interoceptive processing may flexibly adapt to contextual factors such as threat in healthy individuals. However, inflexible responding to repeated and/or severe threat to the internal body may compromise accurate interoception and may result in interoceptive illusions contributing to medically unexplained symptoms and syndromes.


[拙訳]
内受容的な恐怖及び偏った(バイアスがかかった)内受容は、身体症状障害の重要な特徴である。内受容感覚のカテゴリー化は、その強度と不快さの知覚に影響を及ぼす。内受容のカテゴリーを脅威関連にすることが、安全なカテゴリーと比較して個々の感覚の内受容を偏らせるかどうかを、この研究において我々は調査した。低強度又は高強度の刺激を含むカテゴリーは、予測不可能な皮膚電気刺激が内受容感覚に続いて起こり得るだろうことを指示することにより(そして時には経験することにより)脅威に関連したものになった。カテゴリー化は、カテゴリー境界での等距離刺激よりも類似していると知覚されているカテゴリー内の刺激を伴い、知覚された内受容感覚に深遠な影響を及ぼすことを、我々は再現した。刺激の知覚特性(これらの効果の方向は、低強度又は高強度の内受容刺激が脅威に関連していたかどうかに依存することを伴う)に及ぼす脅威の影響に関するいくつかの証拠を、我々は見出したが、カテゴリー選択の行動の変化に対してはそうではなかった。これらの結果は、呼吸刺激の知覚がカテゴリー化等のトップダウン処理によって強く影響されることを含意し、そして内受容の処理が健康な個々人における脅威等の文脈の要因に柔軟に適応するかもしれないことを示唆する。しかしながら、内的身体に対する繰り返される及び/又は重大な脅威への柔軟でない応答は、正確な内受容を損うかもしれなく、そして医学的に説明できない症状や症候群に寄与する内受容の錯覚をもたらすかもしれない。

注:i) 拙訳中の「内受容」(感覚)についてはここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「医学的に説明できない症状」については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?

以上に加えて、内受容感覚に関連した標記MUS、パニック症、内受容感覚のカテゴリー化、内受容感覚とストレス、PTSDにおける内受容感覚、内受容感覚と自閉スペクトラム症及び内受容感覚とソマティック・エクスペリエンスについての論文要旨をそれぞれ以下に紹介します。加えて、内受容感覚とアレキシサイミア(失感情症)の関係についての論文要旨例は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

Interoceptive fear learning to mild breathlessness as a laboratory model for unexpected panic attacks.[拙訳]予期しないパニック発作に対する実験室モデルとしての軽い呼吸困難の内受容感覚恐怖学習

Fear learning is thought to play an important role in panic disorder. Benign interoceptive sensations can become predictors (conditioned stimuli - CSs) of massive fear when experienced in the context of an initial panic attack (unconditioned stimulus - US). The mere encounter of these CSs on a later moment can induce anxiety and fear, and precipitate a new panic attack. It has been suggested that fear learning to interoceptive cues would result in unpredictable panic. The present study aimed to investigate whether fear learning to an interoceptive CS is possible without declarative knowledge of the CS-US contingency. The CS consisted of mild breathlessness (or: dyspnea), the US was a suffocation experience. During acquisition, the experimental group received six presentations of mild breathlessness immediately followed by suffocation; for the control group both experiences were always separated by an intertrial interval. In the subsequent extinction phase, participants received six unreinforced presentations of the CS. Expectancy of the US was rated continuously and startle eyeblink electromyographic, skin conductance, and respiration were measured. Declarative knowledge of the CS-US relationship was also assessed with a post-experimental questionnaire. At the end of acquisition, both groups displayed the same levels of US expectancy and skin conductance in response to the CS, but the experimental group showed a fear potentiated startle eyeblink and a different respiratory response to the CS compared to the control group. Further analyses on a subgroup of CS-US unaware participants confirmed the presence of startle eyeblink conditioning in the experimental group but not in the control group. Our findings suggest that interoceptive fear learning is not dependent on declarative knowledge of the CS-US relationship. The present interoceptive fear conditioning paradigm may serve as an ecologically valid laboratory model for unexpected panic attacks.


[拙訳]
恐怖学習はパニック症に重要な役割を果たすと考えられる。良性の内受容感覚は、初期のパニック発作(非条件刺激 - US)の文脈で体験した時の大恐怖の予測因子(条件刺激 - CSs)になり得る。これら CS の単なる遭遇により、後に不安と恐怖を誘発し、そして新しいパニック発作を突然引き起こす可能性がある。内受容感覚の手がかりへの恐怖学習は、予測できないパニックをもたらすだろうことが示唆されている。本研究は、CS-US 偶発の宣言的知識なしに、内受容感覚 CS の恐怖学習が可能かどうかを調査することを目的とした。 CS は軽度の息切れ(又は呼吸困難)で構成され、US は窒息体験であった。習得(acquisition)中、実験グループは、6回の軽度の息切れの実演を受け、その直後に窒息を受けた。対照グループは試験間の休憩時間により両体験は常に分離された。その後の消去フェーズにおいて、被験者は6回の無強化の CS 実演を受けた。US の予期は連続的に評価され、驚愕性瞬目の筋電図、皮膚コンダクタンス、呼吸が測定された。CS-US 関係の宣言的知識も、実験後のアンケートで評価した。習得の終わりに、両グループは CS に応答した同等レベルの US 予期及び皮膚コンダクタンスを示したが、実験グループは、対照グループと比較して、恐怖が増強した驚愕性瞬目及び CS に応答した異なる呼吸を示した。CS-US に気づかない被験者のサブグループのさらなる解析は、驚愕性瞬目条件付けの存在を、実験グループにおいては確認されたが、対照グループにおいては確認されなかった。我々の知見は、内受容感覚恐怖学習は CS-US 関係の宣言的知識には依存しないことを示唆する。本内受容感覚恐怖学習パラダイムは予期しないパニック発作生態学的に有効な実験室モデルとして役立つかもしれない。

注:i) 拙訳中の「宣言的知識」は、言葉で説明できるような知識のようです。 ii) 拙訳中の「驚愕性瞬目条件付け」に関連する「瞬目反射条件づけ」については次のWEBページを参照して下さい。 「瞬目反射条件づけ - 脳科学

Categorical interoception: perceptual organization of sensations from inside.[拙訳]カテゴリー別の内受容感覚:内部からの感覚の知覚的な体系

Adequate perception of bodily sensations is essential to protect health. However, misinterpretation of signals from within the body is common and can be fatal, for example, in asthma or cardiovascular disease. We suggest that placing interoceptive stimuli into interoceptive categories (e.g., the category of symptoms vs. the category of benign sensations) leads to perceptual generalization effects that may underlie misinterpretation. In two studies, we presented stimuli inducing respiratory effort (respiratory loads) either organized into categories or located on a continuous dimension. We found pervasive effects of categorization on magnitude estimations, affective stimulus evaluations, stimulus recognition, and breathing behavior. These findings indicate the need for broadening perspectives on interoception to include basal processes of stimulus organization, in order for interoceptive bias to be understood. The results are relevant to a wide range of interoception-related phenomena, from emotion to symptom perception.


[拙訳]
身体感覚の適切な知覚は、健康を守るために不可欠である。しかしながら、体内からの信号の誤解は一般的であり、例えば、喘息又は心臓血管疾患においては致死的であり得る。内受容感覚性の刺激を内受容感覚のカテゴリー(例えば、症状のカテゴリー vs. 良性感覚のカテゴリー)に配置することは、誤解の根底にあるかもしれない知覚の一般化効果につながることを我々は示唆する。2つの研究において、カテゴリーへと体系化された又は連続次元に位置付けられた刺激を誘導する呼吸効果(呼吸負荷)を我々は提示した。規模推定、感情刺激評価、刺激認識、及び呼吸行動に関してカテゴリー化することの広範な影響を我々は見出した。内受容感覚のバイアスが理解されるためには、刺激体系の基礎的なプロセスを含めるための、内受容感覚に関する視点を広げる必要があることをこれらの知見は示す。結果は、情動から症状の知覚まで、内受容感覚に関係した現象の広範囲に関連している。

注:i) 拙訳中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。 「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点からここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

Interoception and stress.[拙訳]内受容感覚とストレス(全文はここを参照して下さい)

Afferent neural signals are continuously transmitted from visceral organs to the brain. Interoception refers to the processing of visceral-afferent neural signals by the central nervous system, which can finally result in the conscious perception of bodily processes. Interoception can, therefore, be described as a prominent example of information processing on the ascending branch of the brain-body axis. Stress responses involve a complex neuro-behavioral cascade, which is elicited when the organism is confronted with a potentially harmful stimulus. As this stress cascade comprises a range of neural and endocrine pathways, stress can be conceptualized as a communication process on the descending branch of the brain-body axis. Interoception and stress are, therefore, associated via the bi-directional transmission of information on the brain-body axis. It could be argued that excessive and/or enduring activation (e.g., by acute or chronic stress) of neural circuits, which are responsible for successful communication on the brain-body axis, induces malfunction and dysregulation of these information processes. As a consequence, interoceptive signal processing may be altered, resulting in physical symptoms contributing to the development and/or maintenance of body-related mental disorders, which are associated with stress. In the current paper, we summarize findings on psychobiological processes underlying acute and chronic stress and their interaction with interoception. While focusing on the role of the physiological stress axes (hypothalamic-pituitary-adrenocortical axis and autonomic nervous system), psychological factors in acute and chronic stress are also discussed. We propose a positive feedback model involving stress (in particular early life or chronic stress, as well as major adverse events), the dysregulation of physiological stress axes, altered perception of bodily sensations, and the generation of physical symptoms, which may in turn facilitate stress.


[拙訳]
求心性神経信号は内臓から脳に連続的に伝達される。内受容感覚は、最終的には身体的な作用の意識的知覚をもたらすことができる中枢神経系による内臓-求心性神経信号の処理を意味する。従って内受容感覚は、脳-身体軸の上向き分岐における情報処理の顕著な例として記述することができる。ストレス応答に有機体が潜在的に有害な刺激に直面したときに誘発される複雑な神経行動カスケードが関与する。このストレスカスケードは、一連の神経及び内分泌系経路を含むので、ストレスは、脳-身体軸の下向き分岐上の通信プロセスとして概念化することができる。従って、内受容感覚とストレスは、脳-身体軸上の情報の双方向伝達を通して関連づけられる。脳-身体軸上の通信を成功させる要因となる神経回路の過度及び/又は持続的な活性化(例えば、急性又は慢性ストレスによる)が、これらの情報プロセスの機能不全及び調節不全を誘発すると主張することができる。結果として、ストレスに関連する身体関連の精神障害の発症及び/又は維持に寄与する身体的症状がもたらされる内受容感覚の信号処理が変更されるかもしれない。本論文では、急性及び慢性ストレス、そして内受容感覚を伴うこれらの相互作用の基礎となる精神生物学的プロセスについての知見を我々は要約する。生理学的ストレス軸(視床下部-下垂体-副腎皮質軸及び自律神経系)の役割に焦点を当てながら、急性及び慢性ストレスにおける心理的要因についても論議する。ストレス(重大な有害事象はもちろん、特に早期の生活におけるもの又は慢性ストレス)、次々にストレスを助長するかもしれない、生理学的ストレス軸の調節不全、身体感覚の変化した知覚、そして身体症状の発生に関与する正のフィードバックモデルを我々は提案する。

注:i) ちなみに、慢性疼痛患者における交感神経変動と内受容感覚の関係性については、例えば次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛患者における交感神経変動と内受容感覚の関係性」 ii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

Clinical implications of neuroscience research in PTSD.[拙訳]PTSD における神経科学研究の臨床的な含意(全文はここを参照して下さい)

The research showing how exposure to extreme stress affects brain function is making important contributions to understanding the nature of traumatic stress. This includes the notion that traumatized individuals are vulnerable to react to sensory information with subcortically initiated responses that are irrelevant, and often harmful, in the present. Reminders of traumatic experiences activate brain regions that support intense emotions, and decrease activation in the central nervous system (CNS) regions involved in (a) the integration of sensory input with motor output, (b) the modulation of physiological arousal, and (c) the capacity to communicate experience in words. Failures of attention and memory in posttraumatic stress disorder (PTSD) interfere with the capacity to engage in the present: traumatized individuals "lose their way in the world." This article discusses the implications of this research by suggesting that effective treatment needs to involve (a) learning to tolerate feelings and sensations by increasing the capacity for interoception, (b) learning to modulate arousal, and (c) learning that after confrontation with physical helplessness it is essential to engage in taking effective action.


[拙訳]
極度のストレスへの曝露が脳機能にどのように影響するかを示す研究は、トラウマ性ストレスの性質を理解するために重要な貢献をしている。これには、トラウマを負った個々人が、現在において、不適切及びしばしば有害な大脳皮質下で起こす応答を伴う感覚情報への反応に脆弱である考えを含む。トラウマ性の体験のリマインダー(思い出させるもの)は強烈な情動を支える脳領域を活性化させ、そして、 (a) 動作出力を伴う感覚入力の統合、 (b) 生理的覚醒の調整、及び (c) 言葉におけるコミュニケーション体験の能力 に関与する中枢神経系(CNS)領域における活性化を減少させる。心的外傷後ストレス障害PTSD)における注意及び記憶の機能不全は、現在を営む能力に支障をきたす:トラウマを負った個々人の「世界において道に迷う」。(a) 内受容感覚の能力を増加させることにより感覚(フィーリング及びセンセーション)に耐える学習、(b) 覚醒を調整する学習、そして (c) 身体的な無力を伴う直面後に有効な行動をとることは必要不可欠であることの学習 に関与する有効な治療の必要性の示唆によるこの研究の含意をこの論文で議論する。

注:i) 拙訳中の「強烈な情動を支える脳領域を活性化させ」と「中枢神経系(CNS)領域における活性化を減少させる」に関連する「情動に関与する大脳皮質下の脳領域をより活性化させ、前頭葉のさまざまな領域、とくに内側前頭前皮質の活動を大幅に低下させる。」を含む引用は他の拙エントリのここここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「心的外傷後ストレス障害」に相当する「外傷後ストレス障害」については次のWEBページを参照して下さい。 「外傷後ストレス障害 - 脳科学事典」 iii) 拙訳中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。 「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点からここを参照して下さい。

Alexithymia, not autism, is associated with impaired interoception.[拙訳]自閉症ではなくアレキシサイミアが障害された内受容感覚に関連する(全文はここを参照して下さい)

It has been proposed that Autism Spectrum Disorder (ASD) is associated with difficulties perceiving the internal state of one's body (i.e., impaired interoception), causing the socio-emotional deficits which are a diagnostic feature of the condition. However, research indicates that alexithymia - characterized by difficulties in recognizing emotions from internal bodily sensations - is also linked to atypical interoception. Elevated rates of alexithymia in the autistic population have been shown to underpin several socio-emotional impairments thought to be symptomatic of ASD, raising the possibility that interoceptive difficulties in ASD are also due to co-occurring alexithymia. Following this line of inquiry, the present study examined the relative impact of alexithymia and autism on interoceptive accuracy (IA). Across two experiments, it was found that alexithymia, not autism, was associated with atypical interoception. Results indicate that interoceptive impairments should not be considered a feature of ASD, but instead due to co-occurring alexithymia.


[拙訳]
自閉スペクトラム症ASD)は、この状態の診断的特徴である社会-情動欠陥を引き起こす自分の身体の内部状態を知覚することの困難(すなわち、障害された内受容感覚)に関連することが提唱されている。しかしながら、内部の身体感覚からの情動の認識における困難により特徴づけられるアレキシサイミアは、非定型な内受容感覚にも関連することを研究は示した。自閉症集団におけるアレキシサイミアの高い割合は、ASD の症状と考えられているいくつかの社会-情動障害を裏付けることを示し、ASD における内受容感覚の困難は併発するアレキシサイミアによるものでもある可能性が高くなっている。この方向の調査の後、本研究はアレキシサイミアと自閉症が内受容感覚精度(IA)に及ぼす相対的な影響を検査した。 2つの実験にわたり、自閉症ではなくアレキシサイミアが非定型な内受容感覚に関連していることが判明した。これらの結果は、内受容感覚の障害が ASD の特徴であると考えるべきではなく、代わりに併発するアレキシサイミアによることを示す。

注:i) 拙訳中の「自閉スペクトラム症」については、例えば他の拙エントリを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。 「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点からここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

Somatic experiencing: using interoception and proprioception as core elements of trauma therapy.[拙訳]ソマティック・エクスペリエンシング:トラウマセラピーの中核要素としての内受容感覚及び固有受容感覚の使用

Here we present a theory of human trauma and chronic stress, based on the practice of Somatic Experiencing(®) (SE), a form of trauma therapy that emphasizes guiding the client's attention to interoceptive, kinesthetic, and proprioceptive experience. SE™ claims that this style of inner attention, in addition to the use of kinesthetic and interoceptive imagery, can lead to the resolution of symptoms resulting from chronic and traumatic stress. This is accomplished through the completion of thwarted, biologically based, self-protective and defensive responses, and the discharge and regulation of excess autonomic arousal. We present this theory through a composite case study of SE treatment; based on this example, we offer a possible neurophysiological rationale for the mechanisms involved, including a theory of trauma and chronic stress as a functional dysregulation of the complex dynamical system formed by the subcortical autonomic, limbic, motor and arousal systems, which we term the core response network (CRN). We demonstrate how the methods of SE help restore functionality to the CRN, and we emphasize the importance of taking into account the instinctive, bodily based protective reactions when dealing with stress and trauma, as well as the effectiveness of using attention to interoceptive, proprioceptive and kinesthetic sensation as a therapeutic tool. Finally, we point out that SE and similar somatic approaches offer a supplement to cognitive and exposure therapies, and that mechanisms similar to those discussed in the paper may also be involved in the benefits of meditation and other somatic practices.


[拙訳]
ここでは、クライアントの注意を内受容感覚、運動感覚、及び固有受容感覚の経験に導くことを強調するトラウマセラピーの一種である、ソマティック・エクスペリエンシング(SE™)の実践に基づいたヒトのトラウマ及び慢性ストレスの理論を、我々は提示する。内部の注意、加えて運動感覚及び内受容感覚イメージの使用のこのスタイルは慢性及びトラウマティックストレスからもたらされる症状の分解をもたらしうることを SE は主張する。妨害の完了、生物学的に基づく、自己保護的及び防御的な応答、そして自律神経の過覚醒の開放及び調節を通してこれは達成される。SE 治療法の合成されたケーススタディを通して、我々はこの理論を提供する。この例に基づき、我々が中枢応答ネットワーク(CRN)と名づけた皮質下の自律神経系、辺縁系、運動系及び覚醒系により形成される複雑な動的システムの機能調節不全としてのトラウマ及び慢性ストレスの理論を含む、メカニズムに関与する可能性のある神経生理学的な理論的な解釈を我々は提供する。CRN への機能性の復活を SE の方法がいかにして助けるかを我々は実証し、そして、治療ツールとしての内受容感覚、固有受容感覚及び運動感覚への注意の使用の効力はもちろん、ストレス及びトラウマに対処する時の直観的で身体に基づく保護的な反応を考慮する重要性を我々は強調する。最後に、SE 及び類似した身体アプローチは、認知及び曝露療法を補足し、そして本論文において論じられているものと類似したメカニズムが瞑想及び他の身体的な実践の利益にも関与するかもしれないことも、我々は指摘する。

注:i) 拙訳中の「ソマティック・エクスペリエンシング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「固有受容感覚」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「自立活動便り」 iii) 拙訳中の「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) トラウマの文脈における拙訳中の「辺縁系」については、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

Improvement of Interoceptive Processes after an 8-Week Body Scan Intervention.[拙訳]8週間のボディスキャン介入後の内受容プロセスの改善(注:全文は ここを参照して下さい)

Objective:
Interoceptive processes are defined as ability to detect sensations arising within the body. There is a growing body of research investigating ways of improving interoceptive processes. One promising approach increasing the attention to bodily sensations is the body scan (BS), a method stemming from mindfulness-based stress reduction. Research so far revealed only heterogenous findings of meditational practice and mindfulness-based stress reduction on interoceptive processes. Even more importantly, there is no study considering the effect of an 8-week BS intervention on interoceptive processes and the distinguishable subdomains of interoception. Therefore, the main objective of this research is to examine the effects of a BS intervention on different interoceptive subdomains over 8 weeks of training in two different samples.

Methods:
In study 1, healthy participants executed a 20 min standardized audiotaped BS in the BS intervention group (n = 25) each day over 8 weeks. The control group (n = 24) listened to an audio book for the same amount of time. In study 2, the BS group (n = 18) was compared to an inactive control group (n = 18). In both studies, three measurement points were realized and interoceptive accuracy (IAc) - using a heartbeat perception task - as well as interoceptive sensibility (IS) - using confidence ratings for the heartbeat perception task and the subscale 'interoceptive awareness' of the Eating Disorder Inventory-2 (EDI-2) - were assessed.

Results:
In study 1, we found, as a descriptive trend, IAc and confidence ratings to be increased irrespective of the condition. However, post hoc analysis revealed a significant improvement of IAc between T1 and T3 in the BS intervention only. IS revealed to be unaffected by the interventions. In study 2, we observed a significant positive effect of the BS intervention on IAc and confidence ratings compared to the inactive controls. As in study 1, IS (EDI-2) was unaffected by the intervention.

Discussion:
The results highlight the fact that interoception can be improved by long-term interventions focusing on bodily signals. Further studies might focus on clinical samples showing deficits in interoceptive processes and could use other bodily systems for measurement (e.g., respiratory signals) as well methods manipulating body ownership.


[拙訳]
目的:
内受容プロセスは、身体内で生じる感覚を検出する能力として定義される。内受容プロセスを改善する方法を研究する研究が増加している。身体感覚への注意を高める有望なアプローチの1つは、ボディスキャン(BS)、つまりマインドフルネスストレス低減法に由来する方法である。研究ではこれまでのところ、瞑想的実践及び内受容プロセスに関するマインドフルネスストレス低減法の不均一な知見しか明らかになっていなかった。いっそう重要なことは、8週間の BS 介入が内受容プロセスに及ぼす影響を考慮した研究がないということである。従って、この研究の主な目的は、二つの異なるサンプルにおいて、8週間の訓練にわたって BS 介入の異なる内受容サブドメインに及ぼす影響を調査することである。

方法:
研究1では、BS 介入群(n = 25)において、健康な参加者は毎日8週間にわたって、20分間標準化されたオーディオテープを用いた BS を実施した。対照群(n = 24)は、同じ時間のオーディオブックを聴いた。試験2では、BS 介入群(n = 18)を(特別な課題無しの)不活性対照群(n = 18)と比較した。両研究において3つの測定点が実現し、そして、心拍知覚課題(heartbeat perception task)に対する自信評価及び Eating Disorder Inventory-2 (EDI-2) のサブ尺度の「内受容感覚の気づき(interoceptive awareness)」を使用した内受容感覚の鋭敏さ(interoceptive sensibility、IS)はもちろん、心拍知覚課題を使用する内受容感覚の正確さ(interoceptive accuracy、IAc)を評価した。

結果:
研究1では、記述的傾向として、IAc 及び自信評価が条件とは無関係に増加することを我々は見出した。しかしながら、BS 介入のみにおいて T1 と T3 との間の IAc が有意に改善することを、事後解析は明らかにした。 IS は介入によって影響を受けないことが明らかにされた。研究2では、BS 介入の IAc 及び不活性対照群と比較した自信評価に及ぼす有意な正の効果を我々は観察した。研究1と同様に、IS(EDI-2)は介入により影響しなかった。

討論:
身体的信号に焦点を当てた長期介入により、内受容感覚が改善され得るという事実をこれらの結果は強調する。さらなる研究では、ひょっとして内受容感覚プロセスにおける欠損を示している臨床サンプルに焦点を当てるかもしれなく、身体のオーナーシップを操作する他の方法として、測定(例えば、呼吸信号)のために他の身体システムを使用することができるだろう。

注:i) 引用中の「n = 25」、「n = 24」、「n = 18」は共に人数を指します。 ii) 拙訳中の「心拍知覚課題」については例えば次の資料を参照して下さい。 「内受容感覚と感情の複雑な関係」 iii) 拙訳中の「EDI-2」については例えば次の資料を参照して下さい。 「摂食障害における完全主義傾向の意義について」の「II. 対象および方法」項 iv) 拙訳中の「内受容感覚の鋭敏さ」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「内受容感覚から考える不安の認知神経メカニズム」の「【内受容感覚の分類と不安傾向】」項 v) 拙訳中の「T1」は試験開始直後を、「T3」は試験開始から 8 又は 9 週間後をそれぞれ指すようです。詳細は 全文の「Procedures and Materials」項を参照して下さい。

さらに、身体感覚増幅及び破局的思考に関する論文要旨を以下に紹介します。なお、身体感覚増幅については他の拙エントリのここ及びここ、そして次のWEBページや資料を参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「更年期障害の重症化に関係する要因について ―身体感覚の増幅に着目して―」、「身体症状症および関連症群の認知行動療法」の「Somatosensory amplification (身体感覚増幅)について」項、「身体を通して感情を知る ―内受容感覚からの感情・臨床心理学―」の「身体感覚の増幅」項(P312)、「身体感覚増幅現象から捉えた精神・心理的疼痛の診断と治療

Somatosensory amplification - An old construct from a new perspective.[拙訳]身体感覚増幅 - 新しい視点からの旧来の構成

The paper reviews and summarizes the history and the development of somatosensory amplification, a construct that plays a substantial role in symptom reports. Although the association with negative affect has been supported by empirical findings, another key elements of the original concept (i.e. body hypervigilance and the tendency of focusing on mild body sensations) have never been appropriately addressed. Recent findings indicate that somatosensory amplification is connected with phenomena that do not necessarily include symptoms (e.g. modern health worries, or expectations of symptoms and medication side effects), and also with the perception of external threats. In conclusion, somatosensory amplification appears to refer to the intensification of perceived external and internal threats to the integrity of the body ("somatic threat amplification") rather than amplification of perceived or actual bodily events only. Practical implications of this new approach are also discussed.


[拙訳]
本論文では、症状報告において重要な役割を果たす構成である身体感覚増幅の歴史と発展をレビューし、要約する。ネガティブな感情との関連は、経験的な知見によって支持されているが、オリジナル概念のもう一つの重要な要素(すなわち、身体の過覚醒及び軽度の身体感覚に焦点を当てる傾向)は、決して適切に位置づけられていない。身体感覚増幅は、症状(例えば、現代の健康の心配、又は症状や薬物副作用の予期)を必ずしも含まない現象、そして外部脅威の知覚も伴うことを、最近の知見は示す。結論として、身体感覚増幅は、知覚された、又は実際の身体的事象のみの増幅というよりも、身体のインテグリティに対する知覚された外部及び内部の脅威の増大(「身体脅威増幅」)を指すようである。この新しいアプローチの実際的な含意も論議される。

注:引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 ii) 身体表現性障害(somatoform disorder)における身体感覚増幅を含む論文の要旨を参考として以下に引用します。ちなみに、身体表現性障害については次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 iii) 医学的に説明できない症状(medically unexplained symptoms、MUS) の文脈において、身体感覚増幅(somatosensory amplification、SSA)が近頃では拙訳中の「身体脅威増幅」(somatic threat amplification)と呼ばれることについて、論文(全文)「Altered Interoceptive Awareness in High Habitual Symptom Reporters and Patients With Somatoform Disorders[拙訳]高習癖性症状報告者及び身体表現性障害を伴う患者における内受容気づきの変化」の「Introduction」項における記述の一部を次に引用します。

Current models of MUS make assumptions concerning alterations in some facets of interoception, whereas other facets remain discounted. The concept of somatosensory amplification (SSA) (Barsky et al., 1988; Barsky and Wyshak, 1990) posits that individuals with MUS show alterations in the interpretation of interoceptive sensations; that is, they have the tendency to experience "normal" interoceptive sensations as intense and disturbing. This model was recently extended to not include the amplification of interoceptive sensations but also external signals that a pose threat to oneself; therefore, it is nowadays referred to as somatic threat amplification (Köteles and Witthöft, 2017).


[拙訳]
医学的に説明できない症状(MUS)の現在のモデルでは、内受容のいくつかの側面における変化についての仮定がなされているが、他の側面は無視されたままになっている。身体感覚増幅(SSA)の概念(Barsky et al., 1988; Barsky and Wyshak, 1990)では、MUS を伴う個々人は内受容感覚の解釈に変化を示すという仮説を立てている。このモデルは、最近では内受容感覚の増幅だけでなく、自分自身への脅威を与える外部信号をも含むように拡張された。従って、それは近頃では身体脅威増幅(Köteles and Witthöft, 2017)と呼ばれる。

注:i) 引用中の「Barsky et al., 1988」は次の論文です。 「The amplification of somatic symptoms」 ii) 引用中の「Barsky and Wyshak, 1990」は次の論文です。 「Hypochondriasis and somatosensory amplification」 iii) 引用中の「Köteles and Witthöft, 2017」の論文はここを参照して下さい。 iv) 拙訳中の「医学的に説明できない症状(MUS)」と「身体感覚増幅」との関連を示すWEBページ例は次を参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?

A neural circuit framework for somatosensory amplification in somatoform disorders.[拙訳]身体表現性障害における身体感覚増幅に対する神経回路フレームワーク

Although somatosensory amplification is theorized to serve a critical role in somatization, it remains poorly understood neurobiologically. In this perspective article, convergent visceral-somatic processing is highlighted, and neuroimaging studies in somatoform disorders are reviewed. Neural correlates of cognitive-affective amplifiers are integrated into a neurocircuit framework for somatosensory amplification. The anterior cingulate cortex, insula, amygdala, hippocampal formation, and striatum are some of the identified regions. Clinical symptomatology in a given patient or group may represent dysfunction in one or more of these neurobehavioral nodes. Somatosensory amplification may, in part, develop through stress-mediated aberrant neuroplastic changes and the neuromodulatory effects of inflammation.


[拙訳]
身体感覚増幅は身体化において重要な役割を果たすと理論立てされているが、神経生物学的にはあまり理解されていないままである。この展望記事では、収束性の内臓-身体処理が強調され、そして身体表現性障害における神経イメージング研究がレビューされた。認知-感情増幅器の神経相関は、身体感覚増幅に対する神経回路フレームワークに統合された。前帯状皮質、島、扁桃体、海馬体、及び線条体は、同定された領域の一部である。与えられた患者又はグループにおける臨床的な症候学は、これらの神経行動学的結節の1つ又は複数において機能不全を意味するかもしれない。ストレスにメディエイトされた異常な神経可塑的な変化及び炎症の神経調節効果を通して、身体感覚増幅が部分的に発症するかもしれない。

注:i) 拙訳中の「身体表現性障害」については次のWEBページを参照して下さい。「身体表現性障害 - 脳科学辞典」 ii) 拙訳中の「身体感覚増幅」に関する、化学物質過敏症と身体感覚増幅(尺度)の関連についてはここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 iv) 拙訳中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 v) 拙訳中の「扁桃体」及び「海馬体」については共に例えば拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 拙訳中の「線条体」について、 1) これを含む大脳基底核の神経解剖学的な紹介は例えば次の資料を参照して下さい。 「神経解剖学 第11回 大脳基底核」 2) 愛着障害における報酬系の視点からは例えば次の資料を参照して下さい。 「被虐待者の脳科学研究」の「Ⅳ.愛着形成障害の脳科学」項)

Relationships between catastrophic thought, bodily sensations and physical symptoms.[拙訳]破局的思考、身体感覚及び身体症状の間の関係(全文はここを参照して下さい)

BACKGROUND:
Researchers have recently begun to seek cognitive explanations for physical symptoms with no obvious biological cause. Concepts such as somatization, somatosensory amplification, and somatosensory catastrophizing have been invoked to explain these phenomena. Somatosensory amplification occurs when these bodily sensations become stronger and more painful. Somatosensory catastrophizing is the tendency to attribute these bodily sensations to unbearable functional modulation or as signs of serious illness. This causes the sufferer to pay excessive attention to these physical sensations. However, there is no scale for evaluating somatosensory catastrophizing, and there are no standard diagnostic criteria. There were two objectives for this study: to develop a scale for evaluating somatosensory catastrophizing and to investigate relationships between somatosensory amplification, somatosensory catastrophizing, and physical symptoms.

METHODS:
In the first part of this study, in which we developed the scale, there were 231 student participants with an average age of 20.1 years. Of these, 57% of the participants were female. In the second part of the study, there were two groups of participants. The first group consisted of 158 non-patient subjects, 56% of whom were female, with an average age of 20.2 years. There were 33 outpatients receiving treatment for somatoform disorders in the second group. The average age of these participants, of whom 67% were female, was 48.8 years. The second part of the study was conducted using standardized self-rating questionnaires to assess somatosensory amplification and catastrophizing.

RESULTS:
We developed a 27-item scale, which we have called the Somatosensory catastrophizing scale (SSCS). The SSCS assesses five key areas, and our analysis confirmed it to be valid and highly reliable. The scale identified that the patient group from the second part of the study scored more highly than the control group for both somatosensory amplification and catastrophizing. Additionally, the results of covariance structure analyses revealed a significant causal relationship of the form "somatosensory amplifcation" via "somatosensory catastrophizing" to "physical symptoms". This relationship held in both groups of participants. The key difference between the patient and non-patient groups was that somatosensory catastrophizing had a greater impact on the physical symptoms of the participants in the patient group.

CONCLUSIONS:
In this study, we developed the SSCS, which enables us to measure somatosensory catastrophizing empirically. We then clarified the relationship between somatosensory amplification, somatosensory catastrophizing, and physical symptoms. In the future, we expect to be able to apply our new understanding to developing intervention techniques to mitigate the physical symptoms caused by somatosensory catastrophizing.


[拙訳]
背景:
最近、明らかな生物学的原因を伴わない身体症状に対する認知的説明を研究者の方々は追究し始めている。これらの現象を説明するために、身体化、身体感覚増幅及び身体感覚の破局化(身体感覚に対する破局的思考)等の概念を呼び出している。身体感覚増幅は、これらの身体感覚がより強くなり、より痛みを伴うときに生じる。身体感覚の破局化は、これらの身体感覚を耐え難い機能調節または重篤な病気の徴候に帰する傾向がある。これにより罹患者はこれらの身体感覚に過度の注意を払うことになる。しかしながら、身体感覚の破局化を評価する尺度はなく、そして標準的な診断基準もない。この研究のための2つの目的は、身体感覚の破局化を評価するための尺度を開発し、そして身体感覚増幅、身体感覚の破局化及び身体症状との間の関係を調査することである。

方法:
この研究の第一の部分では、我々は尺度を開発した。平均年齢20.1歳の学生参加者は231人であった。このうち、参加者の57%が女性であった。研究の第二の部分では、2つのグループの参加者がいた。最初のグループは患者ではない非被験者158名で構成され、そのうちの56%が女性で、平均年齢は20.2歳であった。第二のグループでは身体表現性障害の治療を受けている外来患者33人がいた。これらの参加者の67%が女性で、平均年齢は48.8歳であった。この研究の第二の部分は、身体感覚増幅及び身体感覚の破局化を評価するための標準化された自己評価アンケートを用いて実施された。

結果:
身体感覚に対する破局的思考尺度(SSCS)と呼ばれる27項目の尺度を我々は開発した。SSCS は5つの主要な分野を評価し、そしてその分析により、それが有効で信頼性が高いことが確認された。この尺度により、研究の第二の部分からの患者グループが、身体感覚増幅及び身体感覚の破局化の両方で対照クループよりも高いスコアであることを同定した。さらに、形態「身体感覚増幅」は「身体感覚の破局化」を経由し「身体症状」に至る有意な因果関係を、共分散構造分析の結果は明確にした。この関係は両方の参加者グループで保持された。患者クループと非患者クループとの間の主要な相違点は、患者クループにおいて身体感覚の破局化が参加者の身体症状に及ぼすより大きな影響があったことであった。

結論:
本研究では、身体感覚の破局化の経験的な測定を可能にする SSCS を我々は開発した。それから身体感覚増幅、身体感覚の破局化、及び身体症状との間の関係を我々は明確にした。将来的には、身体感覚の破局化により引き起こされる身体症状を軽減するための介入テクニックの開発を行うための新しい理解を適用することができることを我々は期待する。

注:i) 拙訳中の「SSCS」については、全文の他に例えば次の資料を参照して下さい。 「難治性末梢性めまいの重症度に影響する心理社会的要因の検討」 ii) 拙訳中の「共分散構造分析」については、全文の他に例えば次の資料を参照して下さい。 「共分散構造分析の基礎と実際

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≪余談6≫対人操作性について

境界性パーソナリティ障害自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)とを鑑別する一視点としての対人操作性について、宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の【合併と鑑別――境界性パーソナリティ障害】における記述の一部(P105~P109)を次に引用します。

相手を困らせる行動をとるボーダー 困らせるとわからずにやってしまうアスペルガー

宮岡 非常に衝動性が高かったり、自傷行為をしたり、薬を大量に飲んだりという人の多くは、境界性パーソナリティ障害あるいは情緒不安定性パーソナリティ障害という診断がついていますが、そのなかに発達障害の人が含まれているのではないかと思います。より難しいのは高機能の方だと思いますが、どうやって見出したら良いでしょうか。
内山 境界性パーソナリティ障害、いわゆるボーダーと言われている人のなかに発達障害はかなり多いと思います。なぜかというと、ボーダーの症状そのものは衝動のコントロールが悪いとか、並列の記述ですから。
宮岡 そうですね。症状は横断面の症状だけですものね。
内山 はい。安定した対人関係がもてない、リストカットをする。どちらも、アスペルガー、あるいは比較的高機能の重症でも十分ありうる症状なんですね。
彼らは社会的不適応を起こしたときに、知的に上手に乗り越えることができないので、結果的には、いわゆるアクティング・アウトをします。アクティング・アウトした行為だけに注目すると、ボーダーの診断基準に達する人はたくさんいるはずです。精神世界をどれだけ解明できるかによって違ってくるでしょうね。
宮岡 結局、内面をどこまで尋ねるかにかかってくるわけですね(笑)。
内山 ボーダーにはいろいろな精神療法がありますが、ぜんぜん深まっていないことがけっこう多いと思うのです。
宮岡 面接が深まっていないということですね。
内山 内面を見ないとか、ずっと自分の好きな話だけで終わってしまうとか。そういうケースはかなりの確率で発達障害が疑われると思います。
本来のボーダーの子は、対人交流はできるけど変わった行動をします。こうすれば相手が嫌がるとわかっていて、困らせる行動をとる。それがボーダーの一つの典型ですね。アスペルガーはこうすれば困るとわかっていなくて、結果的に困らせる行動をしてしまっています。
宮岡 本当は読みやすい、わりあい単純に判別できるということですよね。
内山 だから、深読みしなければアスペルガーかボーダーかはわかると思うのですが、妙に深読みする人が多くて、結果的にわからなくなっちゃうんです。
宮岡 深読みするから、かえって自閉症がボーダーに見えてしまう。なるほど。そういうことですか。
私は三~四歳までの親子関係がきちんとしている人にボーダーはほとんどいないと思っています。ですから、たとえば、親との離死別体験や家庭内離婚がなかったかを聞く。すると、親たちは仲がよく、夫婦で子育ても頑張っていたことがわかる。幼児期は良好な親子関係だったはずなのに、大人になったいま、どうして非常に衝動性が高い行動をとるのだろう。パーソナリティ障害の軸では捉えられないような気がしていたんです。だから、パーソナリティ障害の軸では捉えずに、何かほかのアプローチをすべきなんじゃないか考えていました。
内山 よい方法だと思いますね。
宮岡 そう考えると、そういう人を入れる診断の引き出しがないのです。
内山 昔はなかったですからね。
宮岡 だから発達障害という概念が出てきて、「ああ、この人はここへ入れられるかもしれない」と思いました。やっと引き出しが見つかって安心した、みたいな。
内山 おっしゃるとおりですね。ストーリーがうまくつくれないのが発達障害です。
宮岡 そうですね。ボーダーはストーリーが見えるところがありますから。だから、鑑別はそれほど難しくない気もするのですが、実際には誤診の可能性もありえます。
内山 境界性パーソナリティ障害も診断基準が多数あって、DSM的にチェックリストでやるのか、分析的にやるのか、あるいは統合失調症との境界というかたちで昔からのやり方で診断するのかによって、ずいぶん違ってくると思います。視点によって診方が違ってくるのですね。
つまり、パーソナリティという視点で見ればパーソナリティ障害なんだけど、発達という視点でみればアスペルガーで、どちらも間違いではありません。だから、誤診とも言い切れないし、合併とも言い切れないです。
ウィング先生はどちらの診断名にしたほうが治療的に実があるか、治療的な指針が立つかという視点で考えておられます。僕はアスペルガーと診断するほうが治療指針を立てやすいので、アスペルガーとの診断名をつけています。スキゾタイパルあるいは境界性パーソナリティ障害と診断しても、僕には治療指針が立てられませんから。逆に境界性パーソナリティ障害がご専門の先生方は、境界性パーソナリティ障害と診断したほうが治療指針が立てやすいだろうと思います。とても難しいところですね。
宮岡 ここは大事な点かもしれないですね。境界性パーソナリティ障害の治療をあまり専門的とはいえない、たとえば通常の外来診療のなかで行うとき、精神療法的にやろうとする立場と、当面の社会適応の最低限のアドバイスでやろうとする立場の二種類があります。ASDへの対応と似ていますよね。
内山 そうですね。リミット・セッティングして、具体的な診断をディレクティブにやるというのであれば、けっこう似ていますね。
治療技法によって経過や結果は違ってきます。たとえば、精神内界をすごくいじるような治療をすれば、おそらくアスペルガーはより悪くなる。でも、境界例と診断してプラクティカルな治療をする先生だったら、どちらの治療法でもアスペルガーにとってはそれほど違わないから、悪くはならないでしょう。むしろそのほうがよいかもしれないですね。
宮岡 境界性パーソナリティ障害の典型例について、「手首切って、薬飲んだらボーダー」と思っている先生方がけっこう多いのが気になっています。典型例は「先生、いまから死にます。でも、場所は教えません」と電話をかけてくる人だと、私はときどき講義で言っています。つまり相手を金縛り状態にさせてしまうのが「他者への操作性」の典型だと思います。本人は操作しているとは意識していないのですが、結果的に周囲を操作することになっている。発達障害の人はこういう言い方はしないですよね?
内山 絶対にしないですね。
宮岡 そういうコアのところを診ていって、両者を区別はしなければならない。たとえ治療法は同じだったとしても、区別はしなければならないだろうと思うんです。
内山 そうですね。先生がおっしゃったように、操作的なところに焦点を当てて診断すれば、ボーダーはむしろ発達障害の対極にあると考えていいかもしれません。
宮岡 そうですよね。
内山 相手を操作的に困らせる点ではボーダーはサイコパスに近いです。発達障害は、相手を困らせようと意図していないのに結果的に困らせてしまうのですが、サイコパス境界性パーソナリティ障害の人は、操作的に困らせる。そういう違いも大きいですね。
(後略)

注:i) 引用中の「アクティング・アウト」は、精神疾患を治療中の患者の心的葛藤やストレスが、主に治療場面以外の行動に現れてしまうことのようです。 ii) 引用中の「DSM的」に関しては、例えば、次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の「精神症状と診断」項 iii) 引用中の「統合失調症との境界というかたち」に関連する「境界性パーソナリティ障害統合失調症神経症の境界的状態」については、例えば、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ASD」は「自閉スペクトラム症」のことです。 v) 引用中の「他者への操作性」に関連する「意図的な操作性」及び引用中の「ストーリーがうまくつくれないのが発達障害です」と「ボーダーはストーリーが見える」については、共に次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」の「8 .境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder)」項 vi) 一方、標記対人操作性と見紛う現象について、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 13章 鑑別診断-統合失調症境界性パーソナリティ障害 の「操作性はない」における記述を(P256~P257)次に引用します。

BPD の臨床特性としてしばしば指摘されるのが,操作性である.治療者を,自分の意に沿うように振り回すことを指す.それに対して,ASD の場合,基本的には操作性はない.むしろ乏しいはずである.なぜなら,こころというものがわかりにくい人たちだからである.
だが,操作性と見紛うような現象は,しばしば臨床場面で起こる.それにはいくつかの要因がある.
一つは,地続き性という心性である.たとえば公私の区別がつかない.医療という枠組みがわからず,外でのふるまいが平然ともちこまれ,それに治療者が巻き込まれてしまうということがある.ASD の臨床では,枠組みが守られるか,守られないかは間一髪のところがある.いったん枠組みが認知されれば,整然とした受療態度になる.
あるいは自他未分という心性から,治療者も自分と同じような考えをもっていると思い込んでいる.それゆえ治療者との間に齟齬が起こることに耐えられないということが起こりうる.
対人相互性が欠落していると,一方的に要求しているかのようなふるまいが起こる.「与える」と「もらう」のベクトルがわからない.本人にとってみれば当然のことをしているまでなのだが,やられた方は,異様なものに診療の場を侵食されたように感じる.そして独特の抵抗しがたさがある.いったん例外的な要求が通ってしまうと,それを修正するのはむずかしい.たとえば診療時間や処方などについて,収拾がつかなくなることもある.
あるいは治療者の示した親切に対して,混乱している場合がある.治療者にしてみれば,自分の示した親切が裏切られた思いにさせられることもある.それにかぎらず,医原性に誘発されている操作性があることは,つねに念頭においておかなければならないだろう.

注:i) 引用中の「BPD」と「ASD」はそれぞれ「境界性パーソナリティ障害」と「自閉スペクトラム症」のことです。 ii) 引用中の「自他未分」とは、他者と自己、そして私と対象が未だ分節されていないことを指すようです。

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≪余談7≫「双極Ⅱ型障害」を「境界例」あるいは「境界性パーソナリティ障害」と誤診することについて

最初に標記について、岩波明著の本、「どこからが心の病気ですか?」(2011年発行)の 第三章 躁うつ病 の「躁うつ病の分類」における記述の一部(P53)を次に引用します。

躁うつ病の分類(中略)

双極Ⅱ型障害で見られる軽度の躁状態は、診断することが難しい場合が多く、しばしば「性格」とみなされています。精神科医でもこの疾患を「境界例」あるいは「境界性パーソナリティ障害」と誤診することがあります。双極Ⅱ型障害においては、感情面の変化に伴って、大量服薬、リストカットなど、さまざまな問題行動を伴うことがよく見られるためです。(後略)

注:i) 引用中の「双極Ⅱ型障害」に関連する「双極性障害」(躁うつ病)については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「問題行動を伴う」ようになることに関連する「demoralization」について、双極Ⅱ型障害境界性パーソナリティ障害との鑑別も含めて、内海健著の本、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」(2013年発行)の 第三章 臨床プロフィール の「Demoralization(士気低下)」における記述の一部及び「境界性パーソナリティ障害との鑑別」における記述(P071~P075)を次に引用します。*37

Demoralization(士気低下)

この章のはじめに提示した症例Bで目立つのは、いわゆる人格水準の低下である。いともたやすく嘘をつき、異性関係にだらしがなく、自己本位となり、そして就労するなど社会的に機能することなく、それにむけての努力もみられない。だが、振り返ってみると、そもそもこの事例は、病前においては活発であり、気働きができ、几帳面で、身辺の整理整頓を欠かさず、そして他人には愛想がよく、魅力的な女性であった。治療の初期には、そうしたことの片鱗が随所にうかがわれたが、今は見る影もない。
「人格水準の低下」とは、いかにも蔑称の響きがあり、あまり使いたくない用語であるが、残念なことに、臨床的にはそういわざるをえない状態が起こりえる。これは疾患の自然経過であるとする立場もあるが、筆者は、「重篤な病に対する闘病の結果として生ずる一つの様態」として考えたほうがよいと思う。気分障害でも一定の割合で起こるが、そう頻度の高いものではなく、多く見積っても一、二割と言われる。
ただ、双極Ⅱ型障害の場合はそう少なくはない。むしろ起こりやすい病態であると考えておいた方がよい。とくにBPⅡの人格水準の低下に対しては、demoralization という用語が、しばしば用いられる。この場合、moral=モラルとは「土気」のことであるが、同時に、いわゆるモラル(=道徳)も含意されている。
気分障害において起こる「人格水準の低下」の代表的なものは、躁うつの病相を繰り返すうちに起こってくるものと、うつ病の遷延化である。双極Ⅱ型障害の demoralization は、後者を参照するとわかりやすい。
先に、異なる点を挙げると、遷延うつ病とはスピードが違う。すでに述べたことだが、BPⅡの場合、その進行は急速である。場合によっては、数ヶ月もしないうちに、人格の変容がおこる。
そして様態が激しい。おそらくは軽躁成分のなせるわざであろうが、遷延うつ病よりもはるかに華々しい。たとえば、性的に乱脈になったり、リストカットや適量服薬などの自傷をしたり、アルコールや物質依存に走ったりなど、例外的な事態が頻発する。
似ている点は、「人格と病気の混交」とでもいうべき状態が起こることである。病気なのか、性格なのか、病前を知らない者には判別ができないような様態となる。BPⅡではその進行は、一旦始まると、驚くほど速い。人格が病気の侵食をうけ、ないまぜとなったような状態に、見る間に陥っていく。回復を図る主体であるはずの人格と、治療の対象である病気が混合すると、はなはだやっかいな病態となる。(中略)

境界性パーソナリティ障害との鑑別
こうしたBPⅡ特有の人格水準の低下は、一旦発動すると、楽観できない様態となる。場合によっては、可逆的とはいえなくなることもある。こうなると、いわゆるパーソナリティ障害、それも境界性パーソナリティ障害(BPD)との異同が問題となる。
この問題は後にも触れるが、重要な鑑別点を挙げておく。もっとも大切なことは、内因的な気分変調を捉えることである。ただ、BPⅡの抑うつには、この章でふれたような特性があることを考慮しないと見逃されやすいことは注意しなければならない。気分変調があれば、BPDはとりあえず除外してよい。少なくとも治療において優先される課題は、まず気分変調のコントロールになる。
ただ、BPDでも、内因性ではないにせよ、抑うつ的な症状がある。それゆえ他にも鑑別のポイントを知っておくことが望まれる。当たり前のことだが、双極Ⅱ型障害境界性パーソナリティ障害は、疾患が違う。前者は気分障害であり、後者は人格障害である。いわゆる state(状態)と trait(特性)の違いがある。それゆえBPⅡの場合には、状態依存的であり、気分障害が治れば消失する。ただ、すでに述べたように、一旦 demoralization が発動すると、病気と人格が強く結びつき、容易には回復しない様態となる。
その場合には、病歴を遡り、現在の患者のBPD的な特徴が、一定の傾向をもって、はるか以前から持続しているのかどうかを検証してみればよい。あるいは病相にともなって、変動しているかどうかを確認すればよいだろう。
いま一つの鑑別点としては、社会的な機能や仕事の能力が上げられる。BPDの場合、人をひきつける魅力をもった外見に反して、生産性が意外なほど貧困であることが特徴的である。それに対して、BPⅡでは病前や病間期は社会的に機能しており、場合によっては高い能力を発揮して、成果を挙げていることがある。
経験的にみると、BPⅡがBPDと誤診されるのは、demoralization に伴う行動化によることが多い。
つまりリストカットや過量服薬、あるいは薬物の乱用や性的な乱脈、さらには治療の枠を侵犯したり、揺るがしたりするような行為が見られるとき、ついBPDと安易に診断される傾向にある。
対象関係の質も異なる。BPDの場合、いわゆる同一対象に対する理想化と価値下げのスプリッティングを基調とした対象関係が特徴的である。それに対して、後に述べるように、BPⅡでは対象関係はもっと安定したものである。
いずれにしても、BPⅡをBPDと誤診するのは、あまりよい臨床的な徴候ではない。しばしば治療関係がうまくいっていないことを物語っている。そして対象とすべき気分変調が看過され、患者はいつまでも回復の糸口を見出せない状態に留め置かれることになる。

注:i) 引用中の「BPⅡ」は双極Ⅱ型障害のことです。 ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「理想化と価値下げ」に相当する「理想化とこきおろし」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「行動化」についてはここを参照して下さい。

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≪その他余談≫

(a) 心因性てんかん発作
標記「心因性てんかん発作」については、 a) 例えば次の資料を参照して下さい。 「第14章 心因性非てんかん発作の診断 - てんかん診療ガイドライン2018」、「心因性非てんかん性発作(偽発作)の診断と治療」、「心因性非てんかん性発作(PNES)再考 ――包括的な PNES 診療の構築に向けて――」、「[https://www.ncnp.go.jp/epilepsy_center/pdf/210801_document1_03.pdf:title=PNES (心因性てんかん性発作)のマネジメント」 b) 加えて、ICD-11(参照)における、解離性神経学的症状症としての「非てんかん性発作」については次の資料を参照して下さい。 「ICD-11におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向」の「1. 解離性神経学的症状症(Dissociative neurological symptom disorder)」項(P680) c) その上に、中里信和監修の本、『「てんかん」のことがよくわかる本』(2015年発行)の「COLUMN 見分けるのがむずかしい心因性てんかん発作」における記述の一部(P80)を次に引用します。

心の悩みが無意識のうちに出てしまう
心因性てんかん発作は、「いやなことをさけられる」「やさしくしてもらえる」など、発作を起こす本人にとって利がある状況のときに起こりやすく、まわりが大騒ぎすればするほど長引き、ひどくなる傾向があります。しかし、本人が意識的に演技しているわけではありません。無意識のうちに精神的なストレスが症状として現れてしまうのです。
てんかんもある人の場合、発作の増加をすべててんかん性のものととらえると、薬の無意味な増量につながってしまいます。逆に「また心因性の発作だ」と決めつけてしまうのも問題です。(中略)

てんかんと、心因性てんかん発作を合併する人も少なくない(中略)

心因性発作でよくみられること
頭を左右にふる。「いやいや」をするような動き
意識を失う発作の途中で目を閉じる
ぼうっとしているのに目的にかなった行動をとれる(中略)

外来だけでは診断を間違えやすい。入院したうえで長時間脳波モニタリングを受けよう

注:(i) 引用中の「てんかん」は漢字で書くと「癲癇」です。「転換」ではありません。 (ii) 引用中の「てんかんと、心因性てんかん発作を合併する人も少なくない」と類似な表現が、次の pdfファイルにも見られます「心因性非てんかん性発作(いわゆる偽発作)に関する診断・治療ガイドライン」の「<注釈> 1)PNES にてんかん発作が並存する場合」項(P5)。また、心因性てんかん性発作は PNES と呼ばれています。 (iii) 引用中の「長時間脳波モニタリング」については、例えば次のツイート及び資料を参照して下さい。(ここここ及びここ)、「心因性非てんかん性発作(いわゆる偽発作)に関する診断・治療ガイドライン」の「<注釈> 2)ビデオ脳波同時記録」項(P3) (iv) ちなみに、 a) 次のWEBページに変換症(転換性障害)や非てんかん性発作における併存症についての記述があります。 「変換症 - 脳科学辞典」の「併存症」項 b) 引用はありませんが、心理教育での介入により心因性てんかん発作が減少したことを示す次の論文要旨があります。 「A multicenter evaluation of a brief manualized psychoeducation intervention for psychogenic nonepileptic seizures delivered by health professionals with limited experience in psychological treatment.[拙訳]心理的治療における限定された経験の健康専門家により実行された手短なマニュアル化心理教育での介入のマルチセンター評価」

(b) 鉄欠乏性貧血とうつ病パニック障害との関連
標記関連について、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行)の Ⅱ こころの健康Q&A の i 精神科医に一度訊いてみたかったこと の「うつ病だと思ったら貧血だった!?」における記述(P148~P150)を次に引用します。

うつ病だと思ったら貧血だった!?
日本人女性の鉄不足は国家的問題

Q 26歳、女性。設計事務所勤務。このところ疲れやすく、からだが重く、集中力が落ち、あたまがぼんやりし、急に動悸や息切れがすることもありました。インターネットで調べてみたら、うつ病ないしパニック障害に該当するようでしたので、総合病院の精神科で診てもらいました。採血をしてもらい、翌週告げられたのは、「うつ病ではなく、貧血です。鉄分が足りないのです」ということ。抗うつ薬ではなく、鉄剤が出されました。ほんの4ヵ月前の定期健康診断のときには何も言われませんでしたので、少々意外でした。「うつだと思ったら、実は貧血」、そんなことがあるものでしょうか。

A 鉄欠乏性貧血になると、うつ病そっくりの症状が出ます。憂うつ感、倦怠感、つかれやすさ、集中力の低下、頭痛、めまい、不安、動悸、息切れなどです。「うつ病そっくりの貧血」「パニックそっくりの貧血」については、精神科医仲間でも最近、その話でもちきりです。
日本全体で女性たちの鉄欠乏貧血の増加は、深刻な問題となっています。ほとんどが女性、それも20歳代から40歳代までの女性に多く、50歳代以上の女性や、男性にはあまりみられません。このことでお気づきでしょうけれど、この年代の女性は、「月のもの」があって毎月相当の量の鉄分を失います。失った分だけ補えればいいのですが、実際には鉄の摂取量は国民的な規模で減少しています。厚生労働省の『平成20年国民健康・栄養調査報告』によれば、1955年から75年にかけては、1日13から14ミリグラム程度であったのか、85年ごろから下がりはじめ、2001年以降は実に8ミリグラム以下まで下がっています。
国民的なレベルでの女性の鉄欠乏については、そのほかにも数々のデータがあります。日本赤十字社は、血液事業を通して国民の貧血の状態についての膨大な情報を持っています。貧血気味で献血できなかった人は、やはり20代から40代の女性に高頻度に出ています。
あなたの場合は、4ヵ月前の定期健康診断の採血では、貧血だとは言われていなかったようです。これは、おそらく採血の際のヘモグロビンの量が一定値を超えていたため、貧血とは見なされなかったのでしょう。
からだのなかの鉄については、通常の健診でチェックするヘモグロビンの値だけをみても、貧血の実態はつかめません。この点は、血糖値だけをみても糖尿病の実態をつかめないことと似ています。貧血の実態は、ヘモグロビンの値ではなく、体内に蓄えられた鉄の量をみなければなりません。現在の検査技術では、体内貯蔵鉄をもっとも反映しているのが血清フェリチン値というものです。「血清フェリチン値がこの値だと貯蔵鉄はこれぐらい」といった目安があって、それにしたがって貯蔵鉄の減り具合を推定しているのです。
最近医者たちの間でしばしば警告されているのは、「ヘモグロビンだけで判断するな」ということです。ヘモグロビン値は正常値なのに、血清フェリチン値が異常低値にある人は、珍しくありません。したがって、健診で貧血を指摘されていなくても、実は貧血という場合はあります。20-40代の女性で、うつではないかと思われる人の場合、その可能性は念頭に置く必要がありそうです。

注:i) 標記に関連するWEBページは次を参照して下さい。 『「うつ病」だと思ったら貧血だった!?』、「うつ病?妻31歳を襲ったひどい疲労感の正体」 ii) 引用中の「うつ病」及び「パニック障害」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

(c) 「診断がくるくる変わる」ことについて(注:本項においては引用中に示された疾患名等のリンクはありません)
標記診断がくるくる変わる又は精神医学の診断には限界があることについて、井原裕著の本、「精神科医と考える 薬に頼らないこころの健康法」(2017年発行)の Ⅱ こころの健康Q&A の i 精神科医に一度訊いてみたかったこと の「診断がくるくる変わる」における記述(P127~P129)を以下に引用します。加えて、「複数の診断を聞いて、混乱して受診する方もいる」ことについて、スキーマ療法の RCT(ランダム化比較試験)における被験者の募集法に端を発するかもしれない、ケースフォーミュレーションは診断とは全然別の切り口であることを含めて、林直樹、下山晴彦、「精神療法」編集部編の本、「精神療法増刊第6号 ケースフォーミュレーションと精神療法の展開」(2019年発行)の 座談会 ケースフォーミュレーションと精神療法の進展 の「XIV わが国における発展の可能性」における伊藤絵美氏及び平林直次氏のご発言としての記述の一部(P259)を以下に引用します。

診断がくるくる変わる
どれも間違いとはいえないが…

Q 吉村絵美(仮名)、現在、27歳で、埼玉県内の実家から都内の会社に通っています。職場近くのメンタルクリニックに3年ほど通って、薬をもらっていますが、あまりよくならないので、どこかに移ろうと思っています。診断は「双極性障害」と言われています。でも、私の一番の疑問は、病院を変わるたびに診断がくるくる変わることです。
私は、小学生のときに小児精神科の先生に「ADHD注意欠陥多動性障害)」と言われていました。それが女子高時代は、近くの開業医の先生に「うつ病」と言われて、そこで精神科を紹介されて、そしたら今度は「境界性パーソナリティ」と言われました。都内の大学にはいって、学生相談所の紹介で行ったクリニックでは、「気分変調症」と言われました。地元に戻って就職して、それが今は「双極性障害」です。なんですか、これって。ADHDは治ったんですか。うつ病は治ったんですか。境界性はどうしたんですか。気分変調症は、どうなっちゃったんですか。いったいどういうことでしょうか。どうしてこうも精神科の診断というものはいい加減なのでしょうか。

A ドイツの文豪ゲーテは、その多彩な才能を「どの方角にも違った色を反射してみせる多面的なダイアモンド」(J・P・エッカーマンゲーテとの対話』)に喩えられました。絵美さんの診断にも、多分にそんなところがあるのだと思います。
これはあくまで私の推測ですが、絵美さんは、小学校のころは大人たちを困らせるくらいにとても活発で、そのわりにそそっかしいところもあったので、「ADHD]といわれたのでしょう。そして、高校時代にお友達のことで悩んで、沈み込んでいるので、開業医の先生は「うつ病」と判断したのでしょう。その後絵美さんの会った精神科医が、絵美さんの繊細な感受性と、それと裏腹の激しい情念に畏怖の感情を抱いて、「境界性パーソナリティ」と診断したのでしょう。大学生のころ、何となく憂うつな気分が続くのを見て、ドクターは「気分変調症」と診断したのでしょう。そして、就職して激務と闘うさなかに、睡眠を削って頑張ってみたり、その後精根尽きてこんこんと眠り続けたりする姿をみて、「双極性障害」と考えたのでしょう。つまり、絵美さんはドクターの見る角度によって、まるで別の姿を見せる多面性を持つ人だと言えます。
どの診断も正しい。しかし、どれひとつとっても「吉村絵美さん」という一人の女性を包含できるものではありません。絵美さんには、どの診断すら本当のところベストフィットしないでしょう。精神医学の診断には限界があります。絵美さんは、すでに精神医学の限界を超えた人であり、精神医学など頼りにしないで、たくましく自分の力で歩いていく方がいいかもしれません。(後略)

注:(i) 標記「診断がくるくる変わる」に関連するかもしれない、 a) 「今までいろいろに診断されてきたが、はっきりとした診断名を知りたい。自分は自閉症スペクトラムではないかと思う」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて後者における引用の続きとしての、「既成の診断基準では捉え切れない病状や病像を呈する」ことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 5 既存の精神障害の基底に認められる自閉症スペクトラム の「(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である」項における記述の一部(P175)を次に引用(『 』内)します。 『われわれはこれまでの既成の診断基準では捉え切れない病状や病像を呈するものに対応する、適切な言葉をまだもっていないということではないか、と思う。(中略)そして、求められるのは明確な診断というよりは、まずは適切な支援と対応でないかと考える。』(注:上記項における他の引用については他の拙エントリのここを参照して下さい) b) PTSDや複雑性PTSD(又は Complex-PTSD、C-PTSD、CPTSD)等において、精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を複数受けることについてはここここここここ及びここここを参照して下さい。 c) 「CPTSDの患者は,過去にBPD,解離症,物質乱用/依存症,摂食症,強迫症,双極性気分症,統合失調症発達障害とさまざまに診断されていることがまれではない」ことについて、飛鳥井望編の本、「複雑性PTSDの臨床実践ガイド トラウマ焦点化治療の活用と工夫」(2021年発行) の 第1部 複雑性PTSDの治療論 の 第1章 複雑性PTSDの診断概念と治療論をめぐる考察 の CPTSDの治療の進め方 の「(2) アセスメントでは問題の全体を明らかにする」における記述の一部(P36)を次に引用(『 』内)します。 『アセスメントで問題の全体が明らかになるまでには,複数回の面接が必要であろう。CPTSDの患者は,過去にBPD,解離症,物質乱用/依存症,摂食症,強迫症,双極性気分症,統合失調症発達障害とさまざまに診断されていることがまれではない。』(注:1) この引用部の著者は飛鳥井望です。 2) 引用中の「BPD」は「境界性パーソナリティ障害」の略です。) d) 「筆者の経験では,比較的長い治療歴の中で診断名が頻回に変わっている事例では C-PTSD が背後にあると疑って間違いない」ことについて、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅱ部 複雑性PTSDをめぐる臨床的話題」中の中村伸一著の文書「複雑性PTSDへの“複雑な”思い」(P205~P208)における記述の一部(P207)を次に引用(【 】内)します。 【実に多彩な症状ゆえに誤診や併存診断としての C-PTSD の診断もれも生じやすいと思われる。よくあるこうした不十分な診断としては,BPD などのパーソナリティ障害,双極性障害ADHD学習障害,不安障害,感覚情報処理障害(sensory processing disorder),大うつ病や気分変調症,身体表現性障害,物質乱用や依存などである。筆者の経験では,比較的長い治療歴の中で診断名が頻回に変わっている事例では C-PTSD が背後にあると疑って間違いない】(注:A} 引用中の「BPD」は「境界性パーソナリティ障害」の略です。 B] 引用中の「ADHD」に関連するかもしれない「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」の二次障害として「複雑性PTSD」がリストアップされることについては例えば次の資料を参照して下さい。 「あなたの隣の発達障害」の「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」シート[P10] 加えて、「ASD、ADHDの特徴をもつ子どもは、虐待などの対象となるリスクが高い」ことについては他の拙エントリのここここを参照して下さい。) e) 「DSM-5(二〇一三)に複雑性PTSDを独立の疾患単位として載せなかった理由とそしての他の診断カテゴリと重複する症状が含まれている」ことについて、ジュディス・L・ハーマン著、中井久夫阿部大樹訳、小西聖子解説の本、「心的外傷と回復 増補新版」(2023年発行)の「エピローグ(二〇二二)」における記述の一部(P395)を次に引用(《 》内)します。 《アメリカ精神医学会(APA)は最新の診断マニュアル(DSM-5、二〇一三)に複雑性PTSDを独立の疾患単位として載せなかった。複雑性PTSDの病像記述に、うつ病・不安症・身体症状症・境界性パーソナリティ障害・解離症など他の診断カテゴリと重複する症状の含まれていることがAPA委員会のお気に召さなかったらしい。》(注:引用中の「DSM-5、二〇一三」については次の資料を参照して下さい。 「DSM‒5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」 ちなみに、上記「DSM-5、二〇一三」後の「DSM-5-TR」が発表されたことについては例えば次のWEBページを参照して下さい。 「押さえておきたいDSMのキホン」)

(前略)伊藤:だから診断とはもう全然別の切り口のケースフォーミュレーションになりますかね。
平林:操作的診断だから,例えばA基準3項目を2週間満たした場合,うつ病エピソード,それを反復すれば反復性うつ病と診断します。対人場面で緊張感が強くなりパニックアタックを起こして繰り返せば,パニック障害と診断されることもあります。やはり現在主流の操作的診断は状態像に近い面があります。さらに解離状態を示せば解離性障害と診断されることもあります。また,過量服薬や自傷行為を繰り返してパーソナリティ障害と診断が変更されることもあります。その頃には,医療機関を転々として,気分障害パニック障害解離性障害適応障害,パーソナリティ障害と診断が複数つけられていることもあります。どの診断が正しいのかと診断基準を厳密に当てはめようとしても病態が断片化されてしまいます。この複数の診断を一つにまとめて見立てるのがケースフォーミュレーションだと思います。はじめに下山先生がおっしゃっていた beyond diagnosis まさに診断の上にケースフォーミュレーションがあって,高い個別性を理解するために有効だろうと思います。また,複数の診断を聞いて,「私はうつ病ですか? パーソナリティ障害ですか?」などと混乱して受診する方もいます。自己理解を助け回復するためにはケースフォーミュレーションを作成し共有することはきわめて有効です。(後略)

注:i) 引用中の「下山先生」は上記下山晴彦氏を指します。 ii) 引用中の「ケースフォーミュレーション」については他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「ケースフォーミュレーション」の関連する「定式化」が認知療法にとっても非常に重要なことについて、ジュディス・S・ベック著、伊藤絵美佐藤美奈子訳の本、「認知療法実践ガイド:困難事例編 続ジュディス・ベックの認知療法テキスト」(2007年発行) の 第1章 治療中に生じる諸問題を同定する の V 治療上の問題を回避する の「1 診断と定式化」における記述の一部(P20)を次に引用(『 』内)します。 『正確な事例定式化を行うこともまた,非常に重要である。』 iii) 引用中の「診断」及び「ケースフォーミュレーション」に関連して、外側の症状のみを診て分類する診断「diagnosis」以外にも、目の前の患者さん全体の理解という意味での診断「formulation」(定式化)があることについては次のWEBページを参照して下さい。 「診断に頼らない診かた 精神科診療に欠かせない発達と生活の視点」の「本人はどう体験しているのか」項

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:双極Ⅱ型障害」を「境界例」あるいは「境界性パーソナリティ障害」と誤診することについては下記≪余談7≫を参照して下さい

*2:注:転換性障害の最新名は変換症[DSM-5]です

*3:全般不安症、限局性恐怖症等も含みます。リンク集を参照して下さい。

*4:情動についての紹介を含みます

*5:上記「MUS」は「医学的に説明できない症状」(又は Medically Unexplained Symptom の略)のことです。一方、上記身体感覚増幅と破局的思考については共にここを、上記身体感覚増幅は近頃では「身体脅威増幅」と呼ばれることについてはここを それぞれ参照して下さい。

*6:境界性パーソナリティ障害自閉スペクトラム症との鑑別についても含みます

*7:「demoralization」の説明についても含みます

*8:「ヒステリー」も含みます

*9:ちなみに、化学物質過敏症の症状としての「ヒステリー」は他の拙エントリのここを参照して下さい

*10:これに関する注意点の例はツイートを参照して下さい

*11:ちなみに、限局性恐怖症における「予期不安」についてはここを参照して下さい

*12:三つのパターンは、①不安の苦しい感情があると,注意の視野が狭くなり,自己批判的になったり何かと評価したりしやすくなる ②不安を感じないですむように,気持ちのうえで逃げようとする ③それでも苦しさが和らがないと,不安のきっかけとなる物事をことごとく避けようとする です。

*13:ちなみに、これに関連するかもしれない「確証バイアス」については他の拙エントリのここを参照して下さい

*14:ただし、諸事情により条件付けという用語を使用しています

*15:複雑性PTSDは、改訂された ICD-11 で登録されました。例えば次の資料を参照して下さい。「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療

*16:ただし、強迫性障害強迫症)は他の拙エントリのここで本の記述の一部等を引用しています

*17:ちなみに、同本における精神疾患の説明は、Ⅱ.診断の手順 の 5.鑑別疾患 の「5-3 精神心理」項(P41~P44)においては、身体表現性障害、大うつ病性障害、不安障害のカテゴリとしてのパニック障害・広場恐怖・特定の恐怖症、統合失調症、妄想性障害のみ記述があります。ただし、身体表現性障害についてはあまり肯定的な記述ではないかもしれませんが。

*18:さらなる補足説明:世界の常識によると、疾患概念であるMCSの存在を証明する責任があるのはこれを提唱している臨床環境医であり、彼らが証明できるまではこの疾患概念は存在しないものと見なされる(すなわち、「MCSの存在が全否定されるまではこの疾患が存在する」と主張するのは正しくなく、詭弁である)と本エントリ作者は考えます。それどころか、MCSの存在はシステマティック・レビュー(他の拙エントリのここ参照)により否定されています。存在しない(と見なされている)疾患概念に対し、診断したり、治療するのはいかがなものかと本エントリ作者は考えます。ちなみに、MCSの存在が全否定されることは無いと本エントリ作者は考えます。存在を全否定するのはそもそも悪魔の証明ですし、最初から存在しないと見なされているものをあえて全否定する必要はないからです。

*19:ちなみに、発達障害においては、「発達歴を聞かないと"発達障害"という診断には至らない」ようです。ここを参照して下さい。

*20:転換性障害(変換症)は他の拙エントリ「条件付けへの対処について」において、化学物質過敏症の症状とされるものをリストアップする引用中に記述されている「ヒステリー」(リンク集を参照)を説明するための用語でもあります。この用語は身体表現性障害(WEBページ「身体表現性障害 - 脳科学辞典」を参照)の一種です。上記変換症については次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典

*21:ちなみに、メンタライジングについてはここを参照して下さい

*22:これに関連する論文を次に紹介します。 「Associations of Adverse Clinical Course and Ingested Substances among Patients with Deliberate Drug Poisoning: A Cohort Study from an Intensive Care Unit in Japan.」 、ちなみに、ベンゾジア ゼピン受容体作動薬等の「使用上の注意」改訂についての資料をを次に紹介します。 『催眠鎮静薬、抗不安薬及び抗てんかん薬の 「使用上の注意」改訂の周知について(依頼)』 加えて、この周知に元になったかもしれない報告書を次に紹介します。 「調査結果報告書

*23:ちなみに、脳の機能的障害の例については、次に示すエントリが本エントリ著者にとっては興味深いです。「機能性(心因性)不随意運動の病名と治療」、一方、安易に転換性障害と診断するのは不適切であると本エントリ作者は考えます。例えば、次のWEBページを参照して下さい。「【3110】統合失調症と診断されているが、 てんかんではないか」。さらに、転換性障害との関係は本エントリ作者には不明確ですが、非てんかん(癲癇)性発作と呼ばれる症状も存在するようです。これについては、ここ、「変換症 - 脳科学辞典」の「併存症」項を参照して下さい。

*24:後者のエントリで示された Yayla 等の論文「Psychiatric comorbidity in patients with conversion disorder and prevalence of dissociative symptoms.」によると、転換性障害を伴う患者の中で、37%は何らかの解離性障害の診断を満たしたようです。

*25:その他の要因は、農村人口(Rural population)、教育の欠如(Lack of education)、低い社会経済的な水準(Lower socioeconomic status)、女性(Female sex)、低年齢(Younger age)です。

*26:線維筋痛症の簡単な紹介例としては、次のWEBページを参照して下さい。 「線維筋痛症 全身の痛み - 今日の健康

*27:ガイドラインの P110~P111 における記述を次に引用(『 』内)します。『②合併である:どちらも原因不明で症状にて診断するため両方あると考えるべきである』 注:引用中の「合併」というのは、線維筋痛症精神疾患の合併であることを指すようです

*28:具体的には、【余談2】(b)項及び【余談3】(a)項を参照して下さい。

*29:複雑性PTSDとの区別が困難だという意見があるようです

*30:ちなみに、a) この本の紹介するWEBサイトを次に示します。 『人はどうやって「トラウマ」を克服するのか』 b) この本の杉山登志郎による解説を紹介するWEBページを次に示します。 「『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』 解説の試み by 杉山 登志郎」 c) この本の第19章で紹介されているニューロフィードバックにおけるランダム化比較試験による研究の論文例を次に示します。 「A Randomized Controlled Study of Neurofeedback for Chronic PTSD.

*31:この本の位置づけとして、次の記述(P18)を引用します(【 】内)。【この本に記した内容は筆者の臨床体験をまとめたものである。したがってエビデンスのレベルは低く,あくまでもエキスパート・オピニオンである。】 注:i) 引用中の「エビデンスのレベル」については、例えば拙エントリのここを参照してください。 ii) 引用中の「エキスパート・オピニオン」は、「専門家の意見」のことです。

*32:他の拙エントリのリンク集参照

*33:このWEBページにおけるマインドフルネスについては、他の拙エントリのここを参照して下さい

*34:注:発病前は、「外交的」、「几帳面」「積極的」「社交的」「協調的」と記されています(同の P68 を参照)

*35:この本の第5章が「気分障害をめぐる混乱」であり、第6章が「気分障害をめぐる誤診のパターン」であります

*36:注:この本においては、「感情」は「emotion」(参照)の訳語です

*37:ちなみに、この「双極Ⅱ型障害」は上記本「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 うつ病新時代」により独自に定義されたもので、診断基準 DSM-5 による定義(例えば資料「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の「2.双極性障害の症状を知ろう」項を参照)とは異なると本エントリ作者は考えます。前者は後者よりも適用範囲は広いようです。詳細は上記本をお読み下さい。

条件付けへの対処について

本エントリ内の用語又は文章のリンクを次に示します。

化学物質過敏症等の診断時における鑑別、 化学物質過敏症又はシックハウス症候群における不定愁訴ここ及びここ*4
嗅覚嫌悪条件づけ(ここここ及びここ)、 馴化(消去学習を含む) *5、 臭い(嗅覚)における嫌悪感を伴うノセボ効果、 妄想性障害
強迫症強迫性障害関連:強迫性障害における分類、 誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする *6、 放置すれば人生の大半が強迫の餌食になる[続く]
[続き]感覚が過敏となる、感覚と実際との区別が難しい(ここここ)、 悪循環のしくみ、 強迫症と発達障害との関連、 強迫症における身体症状
OCD(強迫症強迫性障害)における脳機能関連:OCDの病像又は脳機能的病態、 OCD-loop仮説 *7、 強迫症状誘発研究(ここここ
環境汚染についてのメディアの警告は、化学物質への応答に対する症状の獲得を促進する、 メディアが引き起こす恐怖の連鎖
サイバー心気症(ここここここ及びここ)、 心気症、 不確実性への不耐性、 反すう、心配と回避との関連

ちなみに、用語「条件付け」についての他の拙エントリにおけるリンクは、ここここここここ及びここを参照して下さい。加えて、 a) 化学物質過敏症におけるにおいによる条件付けについては、次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症」(特に資料中の P29) b) 仏教思想の視点からの「欲望(煩悩)による条件づけ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

ご参考:他の拙エントリのリンク集(ここ及びここ参照)にも、一部ですが本エントリに関連した用語のリンクがあります。

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前書き

ご参考:ちなみに、 i) 本エントリ作成のプロセスは他の拙エントリのここで示すものと似ている点があります。 ii) 仏教思想における欲望(煩悩)による条件づけについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

シックハウス症候群及び化学物質不耐症を例とした化学物質に関連する条件付け(次の脚注参照)*8について以下に記述します。ちなみに、i) 本エントリにおいて、以下の記述「超微量の化学物質」は、臭わない化学物質をも意味します。他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 本エントリにおいて、 a) 用語「MCS」は Multiple chemical sensitivity[多種化学物質過敏状態]の略です。 b) 用語「IEI」は Idiopathic Environmental Intolerance[本態性環境不耐症]の略です。他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 本エントリにおいて以下に紹介するノセボ効果、強迫症状誘発及び嗅覚嫌悪条件づけ等の論文要旨又は資料を読む前に、他の拙エントリのここを読んだ方が良いかもしれません。

[ご参考1]に例を示すようなトラウマ*9を負ったことによるフラッシュバックを含む条件付け*10によりもたらされる症状と、中毒等の原因化学物質が直接的に人体に作用することにより引き起こされる症状とを鑑別する必要があると本エントリ作者は考えます。なぜならば対処法が両者では大きく異なると本エントリ作者は考えるからです。さらに、誤診により化学物質過敏症と診断されてしまうと、生活が不適切に制約されるリスクがあります(≪余談2≫参照)。本エントリでは前者の対処法(心理的治療法を含む)についての検討を本エントリの「条件付けへの対処」項以下において試みます。*11

ちなみに、MCS又は化学物質過敏症において前者の症状と後者の症状とを鑑別するには、二重盲検法による負荷(誘発)試験を行うことしか、本エントリ作者には思いつきません*12。ただし、i) 疾患概念MCSの存在を証明する証拠は蓄積されていなく、否定されていることを示す論文があります。 ii) さらに世界の医学会等によるMCSの見解があります。 iii) 一方、シックハウス症候群において次のような指摘があります。 これらについては以下に示す他の拙エントリの項目をそれぞれ参照して下さい。 「(2)」項、「(1)」項、「※2 [ご参考3]」項

さらに、電磁波過敏症においても、前者の症状と後者の症状とを鑑別するには、二重盲検法による負荷(誘発)試験を行うことしか、本エントリ作者には思いつきません。ただし、疾患概念である電磁波過敏症の存在を証明する証拠は蓄積されていなく、否定されていることを示す論文の紹介を初めとした、電磁波過敏症に否定的な資料については、次に示す他の拙エントリの項目を参照して下さい。「(12)」項

≪主な改訂の履歴≫
2019年10月26日:文章の追記、変更及び削除を含む大幅な改訂を行いました(また本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。
2020年1月1日、2月2日、3月5日、4月4日、6月17日、23日、7月4日、12月20日、2021年9月16日、10月15日、2022年1月28日、3月23日、25日:文章の追記、変更や削除を含む改訂を行いました。

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条件付けへの対処

上記条件付け*13による症状の対処に関しては、 a) トラウマを負ったことによるフラッシュバック(再体験症状)によるもの、 b) パニック症をはじめとした不安症群*14における症状 c) 強迫症リンク集を参照)における症状 の三つに大別し、それぞれの治療法について以下に紹介します。ただし、本項ではポリヴェーガル理論(又は多重迷走神経理論、資料「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」の「Ⅰ.多重迷走神経理論 Polyvagal theoryについて」項を参照)を考慮していません。

上記 a) の治療法については、他の拙エントリの【余談4】を参照した方が良いかもしれません。例えば、他の拙エントリのここで紹介されている「持続エクスポージャー法」は、トラウマ記憶に対して持続的にエクスポージャ―(曝露)することによる馴化*15を目指したもののようです。一方、上記 b) の治療法について、「不安症 - 脳科学辞典」によると、薬物療法認知行動療法が挙げられています。ちなみに、不安障害に対する認知行動療法及びパニック症(パニック障害)の治療に関する資料例はそれぞれ次を参照して下さい。「不安障害に対する認知行動療法」、「パニック障害の治療ガイドライン」、「みんなのメンタルヘルス総合サイト パニック障害・不安障害」の「治療法」及び「精神療法」項、及び「パニック障害の認知行動療法」 また、上記 c) の治療法については、≪余談6≫において、薬物療法心理療法としてのERP(エクスポージャーと反応妨害又は曝露反応妨害法*16)が挙げられます。一方、エクスポージャーについてのツイートがあります。

ちなみに、≪余談3≫における引用*17によると、ICD-10 による分類において化学物質過敏症神経症性障害(参照),ストレス関連障害及び身体表現性障害のカテゴリー*18とは異なると主張しているようです。すなわちこの引用からは、症状としてのトラウマを負ったことによるフラッシュバック、過度な不安、恐怖、嫌悪による強迫観念(特に不潔恐怖・洗浄強迫に対するもの)を伴う場合には、化学物質過敏症の症状ではないと見なすことができると本エントリ作者は考えます。ただし、失感情症(又はアレキシサイミア)[他の拙エントリのここ及びここ、そしてWEBページ「心身症 - 脳科学辞典」の「アレキシサイミア」項を参照]がある場合には、これらの感情(つまり過度な不安、恐怖、嫌悪*19)をうまく把握できない可能性があります。なお、化学物質過敏症と失感情症の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。加えて、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です)

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余談

≪余談1≫参考集

[ご参考1] 条件付け*20の例
以下に示す①と⑦*21は引用であり、②~⑥は本エントリ作者が想定した仮想患者の例です。ただし、後者において実際にこのような患者がいるのかどうかは本エントリ作者には不明です*22

①条件付けによるもの
シックハウス症候群又は化学物質不耐症をはじめとする様々な疾患に関連するかもしれない条件付けは、前書きにおける最初の脚注にもあるようにリンク集を参照して下さい*23。以下に示す例にも条件付けが関わっている可能性があります。

②予期不安によるもの
A氏は、タバコの煙に症状が誘発されると確信している。ある時、路上のX地点でたまたまタバコを吸っている人に10mまで近づいた時に症状が生じた。これ以後、X地点に行くと症状が現れるとの過度な不安に苛まれることによりX地点に行くことができなくなった。

注:このような「過度な不安」はパニック症等においては予期不安と呼ばれます*24

加えて、「化学物質の影響を受けることに対して非常に強い不安を持っている」もあります。この文章はほぼ次の資料からの引用です。 「化学物質過敏症」の P31。ちなみに、「不安に反応するときの共通した三つのパターン」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

さらに、上記予期不安が強くなると外出が困難になることがあるかもしれません。ちなみに、パニック障害において外出が困難になることについては、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『塩入俊樹先生に「パニック障害/パニック症」を訊く』の「③原因はわかっているのでしょうか?」項
例えば、その後もA氏には屋外の様々な地点において症状が生じた。この時にA氏はタバコの煙に関連する超微量の化学物質曝露以外の原因が考えにくいと感じた。外出すれば症状が生じるという強い予期不安によりA氏はとうとう外出が困難になった。

③トラウマによるもの
B氏は過去にある大量の臭気有機物質の曝露により酷い急性の中毒症状が生じ、これがトラウマとなった。その後、多種類の有機物質それぞれによるわずかな臭気をきっかけとして、上記状態の再体験症状(フラッシュバック)が生じて、体調不良を引き起こしている。再体験症状は持続している。

C氏は化学物質過敏症に関してネット活動をしている。過去にネット上で他者から攻撃を受け、これがトラウマとなった。その後、ネット又はリアルにおける些細なできごとをきっかけとして、上記状態の再体験症状(フラッシュバック)が生じて、体調不良を引き起こしている。再体験症状は持続している。

注:i) C氏の例は化学物質とは直接の関係はありません。 ii) 上記「トラウマ」及び「フラッシュバック」については、共に他の拙エントリにおけるリンク集を参照して下さい。

D氏は香水をつけた上司から過去にパワハラを受け、これがトラウマとなった。現在でも、この香水又はにおいが類似した香水のにおいを嗅ぐと、上記状態の再体験症状(フラッシュバック)が生じて、体調不良を引き起こしている。再体験症状は持続している。

注:i) 上記「トラウマ」及び「フラッシュバック」については、共に他の拙エントリにおけるリンク集を参照して下さい。ちなみに、他の拙エントリのここも参照した方が良いかもしれません。 ii) 上記両記述に関連する「ガソリンスタンドで給油中にガソリンの匂いを嗅いだときに、突然胸がドキドキしはじめ、激しい恐怖および逃げ出したい衝動に襲われる」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

④恐怖を煽る本や記事に影響を受けたもの
E氏は「健康を脅かす電磁波の恐怖!」等と煽る様々な本、記事やWEBページ等の影響を受けて、電磁波が怖くなってから体調不良を引き起こした。

これは、ノセボ効果と解釈しても良いと本エントリ作者は考えます(他の拙エントリのここ及びここを参照)。

⑤上記以外の非常な不安、恐怖及び/又は嫌悪に関するもの
避けられない超微量の化学物質への曝露が非常に不安(又は恐怖、嫌悪が大)なので……

このような化学物質過敏症の文脈において、(自分自身の症状として)非常な不安[又は増強した不安]、恐怖及び/又は嫌悪*25を話題にすることは、化学物質過敏症では無い状況証拠の一つと本エントリ作者は考えます。加えて電磁波過敏症でも同様であると考えます。その理由は以下に示します。ちなみに、 i) 化学物質過敏症とされる患者は、「化学物質の影響を受けることに対して非常に強い不安を持っている」ことについては次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P31 ii) 上記不安等に反応するときの共通した三つのパターンについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

宮田医師(他の拙エントリのここ参照)は化学物質過敏症は不安障害=神経症のカテゴリー(ICD-10)とは異なると主張しているようです(≪余談3≫を参照して下さい)。さらに、彼が主張する化学物質過敏症の症状とされるもの(≪余談4≫ここ参照)には、非常な不安、恐怖及び嫌悪は含まれていません*26。加えてここも参照して下さい。

一方上記に関連するかもしれない、避けられない規制下の電磁波により、私には必ず大惨事がもたらされるであろう(注:特定の周波数の電磁波だけが問題である場合を含む)等の破局的思考(参照)をする人がいるかもしれません。これは例えば、スキーマ療法の視点からの早期不適応的スキーマ参照)の一種である「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」(ここ及びここここを参照)の活性化によるものかもしれません。

ちなみに、≪余談4≫ここで引用した化学物質過敏症の症状とされるものは、≪余談4≫のここに示すように、「不定愁訴」、すなわち、自律神経失調症をはじめとした心身症又は身体表現性障害の症状と概ね重なる身体症状が多く、よしんば、これらの症状に当てはまるとしても化学物質過敏症であるとは判断できないと本エントリ作者は考えます。その理由はここを参照して下さい。

⑥聖域について
超微量の化学物質への曝露を減らすために、寝室等の領域を設定し、その中では置く物や持ち込む物を必要最小限とし、活性炭脱臭剤を置き、(取り付けた)換気扇を必ず回し、掃除を非常に頻繫に行い……

これは強迫性障害強迫症)の不潔恐怖における症状である「誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする」(リンク集参照)であったとしても、本エントリ作者には違和感がありません。強迫性障害の治療法の一つである、ERP(エクスポージャーと反応妨害:ここ参照)では、この聖域を壊し、症状をもたらすとされる化学物質にエクスポージャー(曝露)する方向で治療が行われます。従って、上記に記述したように、化学物質過敏症なのか強迫性障害*27なのかのしっかりとした鑑別*28が重要であり、この鑑別においては、項で示した非常な不安、恐怖及び/又は嫌悪があれば、後者であると本エントリ作者は考えます。ちなみに 資料「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.4. 化学物質過敏状態が引き起こされるメカニズム」項(P53)がこの鑑別にとって参考になるかもしれません。

⑦妄想性障害
隣家が農薬を撒いて嫌がらせをしている

この文章は以下に引用する、日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)の Ⅱ.診断の手順 の 5.鑑別疾患 の 5-3 精神心理 の 5)精神病性障害 の「(2)妄想性障害」項における記述の一部(P44)です。

妄想性障害では,奇異でない,現実生活の限られた状況に関する妄想が1ヵ月以上続くことで診断されるために,統合失調症よりも鑑別は難しくなる.しかし,この場合も,注意深く話を聞くことで,現実との食い違いが明らかになることが多い.
妄想の内容が,自分が何らかの方法で悪意を持って扱われている(例えば,隣家が農薬を撒いて嫌がらせをしている)といった被害型の場合は,比較的容易に診断を疑うことはできるが,精神科への紹介も含めてその後の治療には難渋することも多い.

注:(i) この引用部の執筆者は熊野宏昭です。 (ii) 引用中の「隣家が農薬を撒いて嫌がらせをしている」に関連する『幻嗅が「毒薬をまかれている」という妄想を生んで近隣とのトラブルの原因となる』ことについて、内海健兼本浩祐編集の本、「精神科シンプトマトロジー -症候学入門- 心の形をどう捉え,どう理解するか」(2021年発行)の 各論 の 11 幻覚 の「3.幻覚の種類と主要特徴」における記述の一部(P106~P107)を次に引用(【 】内)します。 【幻視,幻聴と比べると,幻嗅,幻味は出現頻度がやや低く,そもそも感覚として曖昧である(たとえば動きや距離を感知することはできない)からか,詳しく論じられることは少ないが,決して珍しい症状ではない.幻嗅が「毒薬をまかれている」という妄想を生んで近隣とのトラブルの原因となるとか,幻嗅または幻味を機に「毒を盛られている」という妄想が抱かれ,拒薬や拒食を呈して治療に難渋するといった事態はしばしば経験されるものである.】(注:この引用部の著者は菅原誠一です) (iii) 引用中の「妄想」に関連する「心的等価モード」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「統合失調症」については拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて『「妄想性障害」と「統合失調症」の区別は実のところ曖昧』なことについては次のWEBページを参照して下さい。 「【4462】妄想性障害と診断された夫の今後」(注:このWEBページの HOME は「ここを参照して下さい) (v) 妄想性障害の他の説明例として、 a) WEBページ「妄想性障害[私の治療]」があります。 b) American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第2章 統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害群 の「妄想性障害 Delusional Disorder」における記述の一部(P40~P41)を以下に、c) 加えて、糸川昌成監修の本、「統合失調症スペクトラムがよくわかる本」(2018年発行)の 2 統合失調症スペクトラムと周辺の病気 の『統合失調症スペクトラム④ 妄想だけが強く出る「妄想性障害」』における記述の一部(P32~P33)を以下に、 d) 一方、妄想性障害における治療について、MSD マニュアル(英語のプロフェッショナル版)におけるWEBページ「Delusional Disorder」(2018年10月フルレビュー/改訂)の「Treatment」項を以下に それぞれ引用します。

妄想性障害 Delusional Disorder

妄想性障害は,実際にはない何かに対する誤った信念(妄想)があり,統合失調症の症状に似ている。しかし,幻覚,まとまりのない思考・発語・行動,陰性症状といった他の統合失調症の症状がない点で異なっている。統合失調症と同様に奇異であったり奇異でなかったりする妄想をもっている。奇異ではない妄想とは,現実生活でも起こりうるが,実際にはほとんどあり得ない出来事に対する誤った信念である。例えば,後をつけられたり,毒を入れられたり,欺かれたり,陰謀を企てたり,見知らぬ人や有名人と恋人になっていたり,といったことを信じている。奇異な妄想とは,現実には起こる可能性がない出来事に対する誤った信念である。例えば,見知らぬ人が傷跡1つ残さずに自分の臓器を取り出して,他の誰かの臓器と取り換えてしまった,といったことである。
妄想性障害があっても,世間ではほとんど通常に機能しているようにみえる。妄想について語りだしたり,それに対処し始めるまでは,一見しただけでは他人には何らかの病気があったり,異常であったりするようにはみえない。
妄想性障害は,他の精神病性障害よりも多くない。成人の生涯罹患率は約0.2%である。誤った信念を除けば,重症な症状がないので,仕事をもっており,支援も求めないことが多い。若い人にも起きるが,多くは中年から高齢になってから起きる場合が多いようである。男女比に差はなく罹患する。(後略)

注:引用中の「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。
(注:ここでは、一部において形式を変えて引用しています)

統合失調症スペクトラム
妄想だけが強く出る「妄想性障害」
統合失調症スペクトラムのなかでも、妄想がメインの障害です。
幻覚があったとしても妄想に関連した内容のものが現れます。

引き金となるできごとがある
妄想性障害の場合、妄想以外の部分では理性や判断力に変わりはありません。妄想の原因となるできごとがあり、それらから自分を守るために妄想の世界を作り上げます。(中略)

妄想で自分の脳を守っている場合も考えられる
妄想性障害は、五つの症状のうち、妄想が少なくとも一ヵ月以上続いている状態です。妄想からくる不便はあるものの、それ以外の症状がほとんどないため、妄想が及ばない部分では、生活に支障が出ないのも特徴です。
妄想には、困りごとや葛藤などから自分の心を守るために本人が気づかずに作り出した“逃げ場”という側面があります。そのため、抗精神病薬などの治療と併行して、本人のストレスを減らすよう工夫したり、環境を改善したりといった対応をおこなうことで妄想が軽くなり、時には消えてしまうケースもあります。

妄想の種類
妄想の具体的な内容には個人差がありますが、基本的な筋立てにはいくつかのパターンがあります。周囲の人は、妄想の種類を知っておくと対応しやすくなります。

・自分には才能があると思い込む:誇大型
「自分には偉大な才能がある」「重大な発見を成し遂げた」といった、自分の価値を現実以上に高く評価します。

・愛されていると思い込む:被愛型
有名人や職場の上司など、自分より高い地位にある人が、自分に恋愛感情があると思い込みます。

・嫌がらせを受けていると感じる:被害型
「見張られている」「嫌がらせや中傷を受けている」など、自分が周囲から理不尽に傷つけられていると思い込みます。

・パートナーの浮気を疑う:嫉妬型
自分のパートナーが不貞を働いていると強く思い込みます。些細なことを浮気の証拠だと決めつけて相手を責めたり、行動を制限しようとしたりするため、パートナーと対立しがちです。

・自分の体の異変を主張する:身体型
「体がにおう」「寄生虫がいる」「体の形がおかしい」「健康が損なわれている」など、体の見かけや機能について否定的な妄想を抱きます。

注:引用中の「五つの症状」に相当する「統合失調症における五つの症状」を簡単に次に列挙します。 「妄想」「幻覚」「思考障害」「まとまりのない行動」「陰性症状」 加えて、引用中の「五つの症状」に関連する「統合失調症の症状の全体的な理解」については、次のWEBページを参照して下さい。 「統合失調症 - 脳科学辞典」の「全体的な理解」項

Treatment
Establishment of an effective physician-patient relationship

Management of complications

Sometimes antipsychotics

Treatment aims to establish an effective physician-patient relationship and to manage complications. Substantial lack of insight is a challenge to treatment.

If patients are assessed to be dangerous, hospitalization may be required.

Insufficient data are available to support the use of any particular drug, although antipsychotics sometimes suppress symptoms.

A long-term treatment goal of shifting the patient's major area of concern away from the delusional locus to a more constructive and gratifying area is difficult but reasonable.


[拙訳]
治療
効果的な医師-患者関係の確立

合併症の管理

時には抗精神病薬

治療は効果的な医師-患者関係を確立し、合併症を管理することを目的とする。病識の実質的な欠如は治療へのチャレンジ(難題)である。

患者が危険であると評価された場合、入院が必要かもしれない。

時には抗精神病薬が症状を抑制するが、特定の薬剤の使用を支持するにはデータが不十分である。

患者の主要な関心領域を、妄想的な部位からより建設的かつ満足できる領域に移行させる長期治療の目標は、困難ではあるが合理的である。

注:ちなみに、MSD マニュアル(日本語のプロフェッショナル版)におけるこの引用に相当する部分については、次のWEBページを参照して下さい。 「妄想性障害」の「治療」項

[ご参考2] NIRS に関する論文紹介及びパニック症における情動の特徴
NIRS as a tool for assaying emotional function in the prefrontal cortex.[拙訳]前頭前皮質における情動機能の分析ツールとしての NIRS
情動処理における前頭前皮質の役割を調査するためのツールとしての近赤外分光法(NIRS)に関する議論が次の論文に示されているようです。この論文の要旨を次に引用します。

Despite having relatively poor spatial and temporal resolution, near-infrared spectroscopy (NIRS) has several methodological advantages compared with other non-invasive measurements of neural activation. For instance, the unique characteristics of NIRS give it potential as a tool for investigating the role of the prefrontal cortex (PFC) in emotion processing. However, there are several obstacles in the application of NIRS to emotion research. In this mini-review, we discuss the findings of studies that used NIRS to assess the effects of PFC activation on emotion. Specifically, we address the methodological challenges of NIRS measurement with respect to the field of emotion research, and consider potential strategies for mitigating these problems. In addition, we show that two fields of research, investigating (i) biological predisposition influencing PFC responses to emotional stimuli and (ii) neural mechanisms underlying the bi-directional interaction between emotion and action, have much to gain from the use of NIRS. With the present article, we aim to lay the foundation for the application of NIRS to the above-mentioned fields of emotion research.


[拙訳]
比較的低い空間及び時間分解能を有するにもかかわらず、近赤外分光法(NIRS)は他の神経活性化の非侵襲的測定法に比較していくつかの方法論的な利点を有する。例えば、NIRS のユニークな特徴により、情動処理における前頭前皮質(PFC)の役割を調査するためのツールとしての可能性が有る。しかしながら、情動研究への NIRS 適用においていくつかの障害が有る。このミニレビューにおいて、情動に関する PFC 活性化の効果を評価するための NIRS を使用した研究の知見を我々は議論する。特に、我々は情動研究の分野に関する NIRS 測定の方法論的挑戦に取り組み、これらの問題を緩和する潜在的な戦略を考慮する。加えて、我々は二つの研究分野、すなわち (i) 情動刺激への PFC 応答に影響を与える生物学的素因 (ii) NIRS の使用から得ることが多い、情動と行動間の双方向の相互作用の基礎となる神経機構 を調査することを示す。本稿では、我々は情動研究の上記分野への NIRS の応用のための基礎を築くことを目指す。

注:i) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については次のWEBページを参照して下さい。「前頭前野 - 脳科学辞典」 ii) ちなみに、NIRS の代表的な応用例については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) さらに、引用中の「情動」、その関連用語の「情動系神経回路」に関しては、それぞれ次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」、「情動系神経回路 - 脳科学辞典」。加えて、引用中の「情動」に関しては、メンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 一方、比較対象(参考)としてパニック症における情動の特徴については、次に引用する山脇成人、西条寿夫編の本、「情動の仕組みとその異常」(2015年発行)の 11. パニック障害[著者は熊野宏昭] の「おわりに」項の記述(P200~P201)にまとめられています。

(前略)その結果,PD では,恐怖ネットワークの過活動が実際に認められ情動喚起が強まっていることが裏づけられた.そして,橋と中脳がかかわる驚愕反応の指標に関しても明らかな異常が認められ,驚愕反応の増強による感覚情報に対する過度な反応と前頭前野における情動処理の過敏性によって,PD にかかわる刺激に対する注意バイアスや解釈バイアスの原因となる認知機能異常が引き起こされる可能性が示された.
その一方で,情動制御にかかわる前頭前野の機能不全も様々な形で認められ,情動ストロープ課題を用いた研究結果では,情動が喚起される葛藤状態に対して背側前帯状回・背内側前頭前野の活動を強めることで対応するが,葛藤状況が持続すると同部位の働きが持続できなくなり,扁桃体や海馬の活動を抑制することが困難になるといった結びつきも窺われた.また,CBT によって症状が改善する際には,背内側前頭前野の機能改善が一定の役割を果たしていることも示唆された.
以上より,PD では,扁桃体など大脳辺縁系の過活動に止まらず,脳幹部まで含めた形での情動喚起の異常があり,前頭前野がそれに過大な反応を示す一方で,様々な情動が喚起される葛藤状況に対して前頭前野が正常な抑制効果を示さないといった異常もあり,両者があいまって PD の病態が維持されるものと考えられた.(後略)

注:i) 引用中の「PD」、「CBT」はそれぞれパニック症(パニック障害)、認知行動療法のことです。 ii) 引用中の「橋」は脳の部位のことです。 iii) 引用中の「背側前帯状回」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。「前頭前野 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「恐怖ネットワーク」については、「パニック症 - 脳科学辞典」の「病態仮説」項を参照すれば良いかもしれません。 vi) 引用中の「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 引用中の「大脳辺縁系」については、例えば次の pdfファイルを参照して下さい。「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 また、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) ちなみに、a) 上記パニック症における刺激に対する情動と、MCS又はシックハウス症候群における嗅覚刺激に対する情動([ご参考1]における2番目の脚注を参照)とを比較すると興味深いのかもしれません。
 b) 引用中の「前頭前野が正常な抑制効果を示さない」に関連するかもしれない、「辺縁系の過剰反応性及び推論的に顕著な外部刺激の抑制不能」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

[ご参考3] 前頭前皮質又は前帯状皮質と偏桃体との機能結合に関連する論文又は資料の紹介
国立精神・神経医療研究センター・三島和夫部長らの研究グループが、睡眠不足で不安・抑うつが強まる神経基盤を解明

Impaired Functional Connectivity in the Prefrontal Cortex: A Mechanism for Chronic Stress-Induced Neuropsychiatric Disorders[拙訳]前頭前皮質における機能結合障害:慢性的なストレスが引き起こす神経精神障害のメカニズム

Chronic stress-related psychiatric diseases, such as major depression, posttraumatic stress disorder, and schizophrenia, are characterized by a maladaptive organization of behavioral responses that strongly affect the well-being of patients. Current evidence suggests that a functional impairment of the prefrontal cortex (PFC) is implicated in the pathophysiology of these diseases. Therefore, chronic stress may impair PFC functions required for the adaptive orchestration of behavioral responses. In the present review, we integrate evidence obtained from cognitive neuroscience with neurophysiological research with animal models, to put forward a hypothesis that addresses stress-induced behavioral dysfunctions observed in stress-related neuropsychiatric disorders. We propose that chronic stress impairs mechanisms involved in neuronal functional connectivity in the PFC that are required for the formation of adaptive representations for the execution of adaptive behavioral responses. These considerations could be particularly relevant for understanding the pathophysiology of chronic stress-related neuropsychiatric disorders.


[拙訳]
うつ病心的外傷後ストレス障害、及び統合失調症等の慢性ストレス関連精神疾患は、患者のウェルビーイングに強く影響する行動応答の不適応な体系化によって特徴付けられる。現在の証拠は、前頭前皮質(PFC)の機能障害がこれらの疾患の病態生理学に関与していることを示唆する。従って、慢性的なストレスは、行動応答の適応的な編成に必要な PFC 機能を損なうかもしれない。本レビューにおいては、ストレスに関連する神経精神障害において観察されるストレス誘発の行動機能不全を扱う仮説を提唱するために、認知神経科学から得られたエビデンスと動物モデルを伴う神経生理学的研究とを我々は統合する。適応的な行動応答の実行のための適応的な表象の形成が必要とされる PFC におけるニューロンの機能的結合に関与するメカニズムを慢性的なストレスが損なうことを我々は提案する。これらの考察は、慢性ストレス関連の神経精神障害の病態生理学を理解するのに特に関連し得るだろう。

注:i) 引用中の「表象」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ウェルビーイング」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Well-being 研究」 加えて、これに関連する「主観的ウェルビーイング」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「大学病院におけるマインドフルネス認知療法の取り組み 不安障害,ウェルビーイングを中心に」 iii) 引用中の「うつ病」及び「統合失調症」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「心的外傷後ストレス障害」の別名である「PTSD」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 

Amygdala functional connectivity as a longitudinal biomarker of symptom changes in generalized anxiety.[拙訳]全般不安症における症状変化の縦断的バイオマーカーとしての扁桃体の機能的結合性

Generalized anxiety disorder (GAD) is characterized by excessive worry, autonomic dysregulation and functional amygdala dysconnectivity, yet these illness markers have rarely been considered together, nor their interrelationship tested longitudinally. We hypothesized that an individual's capacity for emotion regulation predicts longer-term changes in amygdala functional connectivity, supporting the modification of GAD core symptoms. Sixteen patients with GAD (14 women) and individually matched controls were studied at two time points separated by 1 year. Resting-state fMRI data and concurrent measurement of vagally mediated heart rate variability were obtained before and after the induction of perseverative cognition. A greater rise in levels of worry following the induction predicted a stronger reduction in connectivity between right amygdala and ventromedial prefrontal cortex, and enhanced coupling between left amygdala and ventral tegmental area at follow-up. Similarly, amplified physiological responses to the induction predicted increased connectivity between right amygdala and thalamus. Longitudinal shifts in a distinct set of functional connectivity scores were associated with concomitant changes in GAD symptomatology over the course of the year. Results highlight the prognostic value of indices of emotional dysregulation and emphasize the integral role of the amygdala as a critical hub in functional neural circuitry underlying the progression of GAD symptomatology.


[拙訳]
全般不安症(GAD)は、過剰な心配、自律神経調節不全及び機能的な偏桃体結合不全により特徴づけられるが、これらの病気のマーカーはほとんど連携して考慮されておらず、相互関係も縦断的に検査されていない。我々は、感情調節のための個体の能力が、扁桃体の機能的結合性の長期的変化を予測し、GAD の主症状の変容を支持すると仮定した。16人の GAD を伴う患者(14人は女性)及び個別にマッチさせた対照群は、1年間で隔てられた2つの時点で調査された。安静状態の fMRI データ及び迷走神経性にメディエイトされた心拍変動性の同時測定は、保続的な認知の誘導前後に得られた。誘導後の心配のレベルにおける大きな上昇は、右扁桃体と腹内側前頭前皮質との間の結合性における強い低下を、そしてフォローアップにおける左扁桃体腹側被蓋野の強化された連結をそれぞれ予測した。同様に、誘導に対する増幅された生理学的な応答は、右扁桃体視床との間の増加した結合性を予測した。機能的結合性スコアの異なるセットにおける縦方向のシフトは、一年を通した GAD の症候学における付随した変化に関連した。結果は情動調節不全の指標の予後値を目立たせ、GAD 症候学の進行の根底にある機能的神経回路における重要な中枢としての偏桃体の不可欠な役割を強調する。

注:i) 引用中の「全般不安症」については、例えば他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「扁桃体」については、PTSD又は複雑性PTSDの視点から他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 iii) 引用中の「腹内側前頭前皮質」に関連する「内側前頭前皮質」ついては、PTSD又は複雑性PTSDの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、これに関連する「前頭前野」ついては次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「fMRI」(機能的磁気共鳴画像法)については、例えば次の pdfファイルを参照して下さい。 「機能的磁気共鳴機能画像法を用いた脳機能計測方法とその応用

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≪余談2≫化学物質過敏症とされる患者における生活の制約

標記の複数例を以下に引用します。これらの引用以外にも、「窓を開けるのが困難」も挙げることができるかもしれません。すなわち真夏において、エアコン嫌いの方が窓を開けないで室内にいると、熱中症が生じるリスクが高まるかもしれません。ちなみに、身体疾患と精神疾患を併病している患者の方々の中で、精神疾患を受け入れ難い患者様が身体疾患と診断されるリスクについては、線維筋痛症を例にして、他の拙エントリの【細かな説明3】に示しています。

(1) 柳沢幸雄、石川哲、宮田幹夫著の本「化学物質過敏症」(2002年発行)の 第一章 シックハウスに殺される! の「化学物質はどこからでもやってくる」項の西村さんを例にした記述の一部(P42~P43)を次に引用します。

いま一番の心配は薬品そのものが使えないことだ(化学物質過敏症の治療には現在のところ有効な薬物治療はない。したがって、ここでいう薬品とは、過敏症以外の病気を併発してしまったときに治療するための一般的な薬品という意味である)。化学物質過敏症でなくとも、特定の薬にアレルギー反応を示す人は珍しくないが、西村さんの場合は、身体に合う薬を見つけること自体が難しい。通常なら悪影響がないとされる、きわめて微量の化学物質でも、拒絶反応が出てしまうからだ。薬品ばかりかさまざまな医療機器にも化学物質が含まれているから、ことは複雑だ。「何かあっても病院という建物に入れませんし、薬剤による治療ができないことに非常に不安を感じています。これから先、交通事故や癌になったときは、いったいどうしたらいいんだろう。手術もできないし、化学療法も、放射線治療もできない。もしも病気をしたら、もう死ねしかない。私は看護婦としてICU(集中治療室)で働いた経験もあるので、患者さんの死には毎日のように直面していましたが、自分自身の死を想像したことはなかった。でも、いまは死ぬっていうことが、ものすごく身近ですね。毎日、ああ今日もまだ生きていたのか、っていう感じです」 病気にかかったときにまともな治療が受けられない恐怖は余人には測りがたい。
化学物質過敏症の患者は、食物アレルギーを併発しているケースが少なくないが、ある患者はそのために十分に食事がとれなくなり、衰弱して病院に運ばれたことがある。ところが、過敏症の知識のない医師が栄養チューブを鼻から入れたところ、ショック症状を起こしてしまった。塩化ビニル製のチューブに反応してしまったのである。点滴も受けつけない。その結果、治療の施しようがないと、家に帰されてしまったのだという。塩ビのチューブには、ブラスチックを軟らかくするために添加されるフタル酸系の可塑剤のDEHPなどが含まれている。こうした素材の脱・塩ビ化は少しずつ進んでいるが、いまも医療用として広く使用されている。

(2) エントリ「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」における記述の一部を次に引用します。

化学物質からの回避も、意外と侵襲性が高い。野菜をスーパーで買わずに無農薬のものを取り寄せる、とか、シャンプーを香料・添加物の少ないものにする、とかならまだよい(本当は良くないのだが)。Environmental Control Unit(ECU, 環境施設)といって、「化学物質」の発生を最低限に押え込んだクリーンな施設*1に入るという治療法がある。入るときは良い。問題は出るときだ。なにしろ外は「汚染社会」である。

ECUから「直接汚染社会に復帰することが難しい例(P157)」は、ECUに準じたコロニー(隔離された無味乾燥した施設)に入所する。コロニーに転地した三分の二は完治するが「残りの三分の一は、コロニーと自宅の間を行ったり来たりしています(P158)」。社会復帰ができないということである。三分の一が社会復帰できないかもしれないような侵襲性の高い治療法はなかなかない。「コロニーと自宅の間を行ったり来たり」している残りの三分の一の患者さんが、本当に超微量の化学物質の曝露によって症状が誘発されていて、社会復帰ができないのが「汚染社会」のせいであれば、まだこうした治療も容認されうる余地がある。しかし、もし化学物質の曝露は関係なかったとしたら?複数の二重盲検法による負荷テストの結果は、症状の誘発と超微量の化学物質の曝露に関係がないことを示している。

(中略)

「野菜をスーパーで買わずに無農薬のものを取り寄せる、とか、シャンプーを香料・添加物の少ないものにする、とかならまだよい(本当は良くないのだが)」という発言について、掲示板にてご質問があった(■化学物質過敏症についての掲示板 - 進化論と創造論掲示板3)。症状が出てしまう食品・製品を避けることがなぜ「本当は良くない」のか、疑問に思われるのはもっともなことである。掲示板でもお答えしたが、この場でも追記したほうが良いとのご提案を受け、確かにその通りであるのでこうして追記することにした。

MCSの特徴として、症状を引き起こす「化学物質」の種類がどんどん広がっていくという「過敏性の拡大」というものがある。臨床環境医は、しばしばコップにたとえられる「総身体負荷量」という概念によって、過敏性の拡大を説明する。「有害な化学物質」がコップに貯まりきってあふれている状態では、これまで平気であった「化学物質」に対しても反応するのだという。しかし、この臨床環境医の主張には医学的な根拠は無い(「総身体負荷量」の概念に対する簡単な批判は■臨床環境医の主張で行った)。

「過敏性の拡大」は、「総身体負荷量」のような医学的に証明されていない概念を持ち出さなくても、条件反射や学習で妥当な説明が可能である。たとえば、野菜の残留農薬に反応すると信じている化学物質過敏症患者が、スーパーで売られている野菜をさけ、特別に取り寄せた「○○農園の無農薬野菜」を食べたのちに症状が生じたとしよう。その症状の原因が野菜でなくても、患者の主観では、その「無農薬野菜」が原因だと認識しうる。「生産者がこっそり農薬を使ったのかもしれない。あるいは、○○農園は無農薬でも近隣の農家が使用した農薬が混入したのかもしれない。もうここの野菜は信用できない」。患者は次からは「○○農園の無農薬野菜」を回避するであろう。過敏性の拡大はこうして起こっている可能性がある。

こうした回避を繰り返すと、どんどん使用できる食品・製品が狭まってくる。社会生活や日常生活にも支障をきたす。症状が出てしまうのに無理にその食品・製品と使うと条件反射の強化となってしまうので難しいが、やみくもに回避するのも弊害がある。こうした病態には認知行動療法が効果がありそうに私には思われる。ただ、現時点では、有望であるとはみなされているものの、確固としたエビデンスがあるわけではない。いずれにせよ、「化学物質からの回避」が副作用を伴う治療法であることは、もっと周知されてしかるべきだと考える。

過度な化学物質からの回避への批判は複数あるが、たとえば、以下。「医師は、さまざまな低用量の化学物質への暴露を避けるように患者に勧めてはならない」「化学物質の曝露からの長期間の回避の推奨は禁忌である」とある。

注:i) 引用では一次情報にあった脚注及びリンクは外れています。 ii) 引用中の「条件反射や学習」及び「回避」に関連するかもしれないシックハウス症候群についての引用例は、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「総身体負荷量」の別名である「トータルボディロード」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

(3) Multiple chemical sensitivities: review *29の「Clinical Ecology」項における記述を次に引用します。この引用においては、主に治療費の支出に注目します。

Clinical ecology
A survey [59] of people reporting MCS in the United States reported that more than 100 types of treatment were commonly used by people reporting MCS. These included treatments as diverse as nutritional supplements, filters, saunas, special diets, as well as more intrusive procedures, such as amalgam-filling removal, colonic irrigation, gall bladder/liver flushes and the use of over-the-counter/prescription medications such as antibiotics, antifungal medications and acyclovir. The evidence base for most of these therapies is limited; in addition, some therapies have iatrogenic effects [60,61]. Survey responders admitted spending, on average, $51 000 on treatments, of which $7000 was spent in the previous year, averaging 15% of their annual household income, and had spent an average of $57 000 in attempting to make their homes safer [59]. Participants rated chemical avoidance, creating a chemical-free living space and prayer as the three most useful interventions [59].


[拙訳]
臨床環境医学
米国において、MCS を申告する人々の調査[59]では、100種類以上の治療法が一般的に MCS を申告する人々により使用されたことを報告した。これらの治療法には、より侵襲的な方法である、アマルガム充填除去、結腸洗浄、胆嚢/肝臓洗浄、及び抗生物質、抗真菌薬やアシクロビル(訳注:抗ウイルス薬)等のOTC(市販)/処方箋医薬品等はもちろん、多種多様な栄養補助食品、フィルタ、サウナ、特別な食事療法を含む。これらの治療法のほとんどは、エビデンスが限られている。加えて、いくつかの治療法は、医原性の(訳注:医師の診断、治療によって生じた)効果を持っている[60,61]。本調査への応答者は、平均 51,000 ドルを治療への支出に容認し、前年に 7,000 ドルを支出し、これは、平均して年間世帯収入の15%であり、自分の家をより安全にする試みに、平均 57,000 ドルを支出した[59]。当事者は、化学物質の回避、ケミカルフリーの生活空間、祈りを3つの最も有用な介入と格付けした[59]。

注:i) 引用文中の 「[59]」、「[60,61]」はそれぞれ文献番号です。 ii) ちなみに、[59]の文献は、治療法を中心に次の日本語のエントリで紹介されています。『メモ「自己申告ベースのMCSに効く治療法」 - 忘却からの帰還

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≪余談3≫化学物質過敏症精神疾患との境界線

標記についてWEBページ「 ピコ通信/第135号 化学物質問題市民研究会発行」 の 第1部 基調講演(概要)「Ⅱ 健康保険のこと、今後の課題 宮田幹夫先生(北里大学名誉教授) 」 の「◆精神疾患との境界線のあいまいさをどうするか」項における記述を次に引用します。

近縁疾患には、アレルギー(皮膚、呼吸器、食物)、慢性疲労症候群線維筋痛症、上気道過敏、うつ、不安障害がある。うつ、不安障害との境界線があいまいである。
一番問題なのは、不安障害=神経症で、ICD10(国際病名分類)では、神経性障害・ストレス関連障害・及び身体表現性障害の項目に分類されている。ここには、全身性不安障害、パニック障害、恐怖症性不安障害、強迫性障害解離性障害、身体表現性障害、適応障害が入っている。
化学物質過敏症の患者さんの症状だけで見ると、この分類に押し込めることができる。精神科の医師たちに化学物質過敏症を理解してもらうには、まだ時間がかかるだろう。

注:(i) 引用中の「うつ」という言葉を安易に使うと誤解を招きやすいと本エントリ作者は考えます。例えば、他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「うつ」に関連する「うつ病の症状(身体症状)」として「不定愁訴」(ここを参照)がリストアップされていることについては資料「かかりつけ医におけるうつ病患者へのケアの提供・うつ病患者への声掛け」の「うつ病の症状(身体症状)」シートを参照して下さい。 (ii) 引用中の「ICD10(国際病名分類)では、神経性障害・ストレス関連障害・及び身体表現性障害の項目」に関連する、 a) 上記項目に含まれる疾患のリストアップについては例えば次の資料を参照して下さい。 「ICD-10 の問題点と ICD-11 に向けての課題:F4 神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害」の「表1 F4 カテゴリーに関する ICD-10,ICD-9 と DSM-Ⅳの対照表」のその1及びその2(注:ICD-10が対象です)、『いわゆる「神経症」の診断と診断のための面接』の『表1 従来「神経症」と呼ばれていた疾患の ICD-10 における分類』(P869) b) また、上記(ICD-10の)「F4(神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害)」は「主に心因によるもの」におおむね相応していることについて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 0 はじめに:原因と症状と診断・治療・支援の「付記:国際診断基準(ICD-10、ICD-11、DSM-5)」における記述の一部(P9)を次に引用(『 』内)します。 『F4 および F5 が「主に心因によるもの」、におおむね相応しており、対応関係が比較的明瞭である。』(注:1) 引用中の[ICD-10]「F5」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「F5 精神及び行動の障害(F50-F59)」 2) 引用中の「心因」とは「社会・心理的要因」の略であることについて引用はありませんが同本の 1 主に心因によるもの の 1-1 心身症 -心理的影響による身体的変化- の「Ⅰ.定義と問題のありか」を参照して下さい。加えて上記「心因」とは「心理的要因」の略であることについては次の note を参照して下さい。 「積ん読3 山下格『誤診のおこるとき』みすず書房」) (iii) 引用中の「化学物質過敏症の患者さんの症状だけで見ると、この分類に押し込めることができる。」に関連するかもしれない(化学物質過敏症の)「患者の訴えが決して精神的なものでないことは明らかである」ことについては次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症について」の「Ⅱ.医学的所見」項(P71) 加えて、上記宮田幹夫先生のみならず石川哲名誉教授も「化学物質過敏症患者は精神心理的な異常ではありません。」と主張していることについては次のWEBページを参照して下さい。 「話題騒然!!人ごとと思っていては危ない、『かびんのつま』に描かれた【化学物質過敏症】の衝撃の真実!!!<後編>」の「精神的疾患ではないことを、知る!」項 (iv) 一方、引用中の「神経症」に関連する、「内科・外科の病気も、濃淡の違いはあってもしばしば心身症神経症の色どりをおびている」ことについて「予期不安、暗示、条件反射をもちやすい」ことを含めて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-3 治療と援助 の Ⅰ.心理的な治療と援助 の「a. 内科・外科の診察」における記述の一部(P50)を次に引用(【 】内)します。 【内科・外科の病気も、濃淡の違いはあってもしばしば心身症神経症の色どりをおびている。また人間は感情の動物で、先取りをして不必要なことまで心配し、前記の予期不安、暗示、条件反射(p.19)をもちやすい。】(注:A] 引用中の「前記の予期不安、暗示、条件反射(p.19)」についての引用は省略しますが、ここを参照すると良いかもしれません。 B] 引用中の「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」) 加えて、「複雑性PTSDの連続体は,軽度の神経症から精神病まで,また高機能から機能不全まである」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、「伝統的に神経症と呼ばれていた疾患群において、心理・社会的要因は発症、症状、経過に与える影響はすべての精神疾患に対し相対的に顕著であるといえる」ことについて、同「1 主に心因によるもの」 の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の「Ⅰ.定義と問題のありか」における記述の一部(P28)を次に引用(《 》内)します。 《言うまでもなく、心理・社会的刺激は、驚き、恐れ、緊張、不安などの心理面の変化をもたらすし、刺激が強いときは脳内の神経伝達系を含む神経機能にも大きな影響を及ぼすことが知られている。そのため心理・社会的要因は、すべての精神疾患の発症、症状、経過に少なからぬ影響を与える。その影響の程度はさまざまであるが、なかでも伝統的に神経症と呼ばれていた疾患群において相対的に顕著であるといえる。》 (v) また、化学物質過敏症の主要な症状が不定愁訴であることについてはここを参照して下さい。加えて、不定愁訴と類似する又はほぼ一致するかもしれない「医学的に説明できない症状」(MUS)については、次のWEBページ参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「プライマリ・ケア領域の心身症再考」の特に「不定愁訴,MUS,FSS」項 ちなみに、 a) これらのWEBページや資料では共に身体症状について言及されていると本エントリ作者は考えます。 b) 不安と抑うつが身体症状と関連していることを報告する論文の要旨例を次に引用します。

・論文「The association between anxiety, depression, and somatic symptoms in a large population: the HUNT-II study.[拙訳]大きな集団における不安、抑うつと身体症状との関連: HUNT-II 研究」の要旨を次に引用します。

OBJECTIVE:
Somatic symptoms are prevalent in the community, but at least one third of the symptoms lack organic explanation. Patients with such symptoms have a tendency to overuse the health care system with frequent consultations and have a high degree of disability and sickness compensation. Studies from clinical samples have shown that anxiety and depression are prevalent in such functional conditions. The aim of this study is to examine the connection between anxiety, depression, and functional somatic symptoms in a large community sample.

METHOD:
The HUNT-II study invited all inhabitants aged 20 years and above in Nord-Trondelag County of Norway to have their health examined and sent a questionnaire asking about physical symptoms, demographic factors, lifestyle, and somatic diseases. Anxiety and depression were recorded by the Hospital Anxiety and Depression Scale. Of those invited, 62,651 participants (71.3%) filled in the questionnaire. A total of 10,492 people were excluded due to organic diseases, and 50,377 were taken into the analyses.

RESULTS:
Women reported more somatic symptoms than men (mean number of symptoms women/men: 3.8/2.9). There was a strong association between anxiety, depression, and functional somatic symptoms. The association was equally strong for anxiety and depression, and a somewhat stronger association was observed for comorbid anxiety and depression. The association of anxiety, depression, and functional somatic symptoms was equally strong in men and women (mean number of somatic symptoms men/women in anxiety: 4.5/5.9, in depression: 4.6/5.9, in comorbid anxiety and depression: 6.1/7.6, and in no anxiety or depression: 2.6/3.6) and in all age groups. The association between number of somatic symptoms and the total score on Hospital Anxiety and Depression Scale was linear.

CONCLUSION:
There was a statistically significant relationship between anxiety, depression, and functional somatic symptoms, independent of age and gender.


[拙訳]
目的:
身体症状は地域社会で広く認められるが、症状の少なくとも3分の1は器質性の説明を欠いている。このような症状を有する患者は、頻繁な診察を伴う医療制度を過度に使用する傾向があり、そして高レベルの障害及び疾病の補償を有する。臨床サンプルからの研究は、不安及び抑うつがこのような機能的状態において広く認められることを示している。本研究の目的は、大規模なコミュニティサンプルにおける不安、抑うつと機能的身体症状との間の関係を調査することである。

方法:
HUNT-II 試験では、ノルウェーの Nord-Trondelag 郡における 20 歳以上の全ての住民を健康調査のために勧誘し、身体症状、人口統計学的要因、ライフスタイル、身体疾患に関するアンケートを実施した。不安及び抑うつは、HAD 尺度(Hospital Anxiety and Depression Scale)により記録された。勧誘された人のうち、62,651人の参加者(71.3%)がアンケートに回答した。器質性疾患のため合計10,492人が除外され、50,377人が分析に取り入れられた。

結果:
女性は男性よりも身体症状が多い(女性/男性の症状の平均数:3.8/2.9)。不安、抑うつと機能的身体症状との間には強い関連があった。この関連は、不安と抑うつに対しても同様に強く、そして併存する不安と抑うつに対してはやや強い関連が観察された。不安、抑うつ、そして機能的身体症状の関連は、男性及び女性において(不安における男性/女性の身体症状の平均数:4.5/5.9、抑うつ:4.6/5.9、併存不安及び抑うつ:6.1/7.6 、不安又は抑うつなし:2.6/3.6)、そして全ての年齢層のグループで同様に強かった。身体症状の数と HAD 尺度の総スコアとの間の関連は直線的であった。

結論:
不安、うつ病と機能的身体症状との間に、年齢や性別に関係なく統計的に有意な関係があった。

注:i) 引用中の「HAD 尺度」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Hospital Anxiety and Depression Scale(HAD 尺度)は慢性疼痛に対する認知行動療法の効果判定に有用である」 ii) 引用中の「サンプル」は「分析に取り入れられたアンケートへの参加者」と言い換えることができるかもしれません。

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≪余談4≫化学物質過敏症の症状例

化学物質過敏症の症状とされるものは、以下に引用するように一般に不定愁訴*30といわれるような症状が多く、以下に理由を示すようにこれらの症状は化学物質過敏症に特異的でないと本エントリ作者は考えます。

化学物質過敏症の症状」とされるものとして、宮田幹夫著の本「化学物質過敏症 忍び寄る現在病の早期発見と治療」(2001年発行)の 「PART1 どんな症状が現れるのか?」における記述の一部(P5~P7)を以下に引用します。

化学物質過敏症」の特徴のひとつは、同じ化学物質が原因でも、ある人は頭痛がでるのにある人は下痢をする、というように、人によって現れる症状が違うということです。また、目や鼻、耳、皮膚、呼吸器、循環器、消化器、神経、内分泌など、広範囲の症状が現れるのも特徴です。
主な症状を挙げてみましょう。
【目】目がかすむ/視力が落ちる/物が二つに見える/目の前に光が走るように感じる/まぶしい/目がちかちかする/目が乾く/涙が出やすい/目がごろごろする/目がかゆい/目が疲れる/目の前が暗く感じる

【鼻】鼻水が出る/鼻が詰まる/鼻がかゆい/鼻が乾く/鼻の奥が重い/後鼻腔に何か流れる感じがする/鼻血が出る

【耳】耳鳴りがする/耳が痛い/耳がかゆい/音が聞こえにくい/音に敏感になった/耳のなかがぼうっとする感じがする/耳たぶが赤くなる/中耳炎をおこす/めまいがする

【口やのど】口やのどが乾く/よだれが出る/口のなかがただれる/食べ物の味がわかりにくい/金属の匂いがする/のどが痛い/のどが詰まる/ものが飲み込みにくい/声がかすれる/喉頭に浮腫ができる

【消化器】下痢や便秘を起こす/むかむかして吐き気がする/おなかが張る/おなかに圧迫感を感じる/おなかの痛くなったりや痙攣が起こる/空腹感がある/胸やけがする/げっぷやおならがよく出る/胃酸の分泌過多になる/小腸炎や大腸炎を起こす

【腎臓・泌尿器】トイレが近くなる/尿がうまく出ない/尿意を感じにくくなる/夜尿症になる/膀胱炎を起こす/腎臓障害が起きる/性的な衝動が低下する/インポテンツになる/性的な衝動が過剰になる

【呼吸器・循環器】せきやくしゃみが出る/呼吸がしにくい/呼吸が短くなったり呼吸回数が多くなる/胸が痛む/息遣いが荒くなる/ぜんそくを起こす/脈が速くなる/不整脈になる/血圧が変動しやすい/皮下出血を起こす/寒さに対して皮膚の血管が過敏になる/血管炎を起こす/にきびのような吹き出物が出やすい/むくみができる

【皮膚】湿疹、じんま疹、赤い斑点が出やすい/かゆい/引っ掻き傷ができやすい/汗の量が多い/皮膚が赤くなったり青白くなったりしやすい/光の刺激に対して過敏になる

【筋肉・関節】筋肉痛がある/肩や首が凝る/関節が痛む/関節が腫れる

産婦人科関連】のぼせたり、顔がほてったりする/汗が異常に多くなる/手足が冷える/おりものが増える/陰部のかゆみや痛みがある/生理不順になる/不妊症になる/生理が始まる前にいらいらしたり、頭痛、むくみなどがある/感染症にかかりやすくなる

【精神・神経】頭が痛くなったり、重くなったりする/手足がふるえたり、痙攣したりする/うつ状態躁状態になる/不眠になる/気分が動揺したり不安になったり精神的に不安定になる/記憶力や思考力が低下する/食欲が落ちる/苛立ちやすく、怒りっぽくなる

【その他】貧血を起こしやすくなる/甲状腺機能障害を起こす

(中略)

化学物質過敏症の症状は、一般に不定愁訴といわれるような症状が多いため、原因不明のまま、かぜ、自律神経失調症更年期障害、ヒステリー、ノイローゼ、過敏症、アレルギー、感受性の亢進、職場嫌いなどと診断されます。

注:ただし、i) 引用中の「ヒステリー」は他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「ノイローゼ」は、不安症(不安障害)に相当するようです。 iii) 引用中の「不定愁訴」に関連する「医学的に説明できない症状」については、次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 iv) 引用中の『「化学物質過敏症」の特徴のひとつは、同じ化学物質が原因でも、ある人は頭痛がでるのにある人は下痢をする、というように、人によって現れる症状が違うということです。また、目や鼻、耳、皮膚、呼吸器、循環器、消化器、神経、内分泌など、広範囲の症状が現れるのも特徴です。』に関連する「非常に多彩な症状を呈しますが、1人の患者にこのような症状が全て出るわけではありません。同じ化学物質の曝露によっても症状の内容、過敏度は患者によってまちまちです。」については次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症を見落とさないために──各診療科へのお願い」の「症状は多岐にわたる」項(P20) 加えて、この資料には「表1 化学物質過敏症の症状」(P21)があります。 v) ちなみに、シックハウス症候群の症状も、資料「シックハウス症候群の発症機構」の「5. 心療内科学的側面から」項における記述の一部(P844)を次に引用するように不定愁訴であるようです。

5. 心療内科学的側面から
シックハウス症候群は,その多彩な自覚症状がいわゆる「不定愁訴」であること(後略)

注: 引用中の「不定愁訴」に関連する「医学的に説明できない症状」又はその略語の MUS については、次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「総合診療 Vol.32 No.11 2022年 11月号」の「Editorial」項

上記引用(ここ及びここ参照)に示すように、化学物質過敏症における一般に不定愁訴といわれるような症状は、自律神経失調症をはじめとした心身症又は身体表現性障害の症状(身体症状)*31と概ね重なると本エントリ作者は考えます。心身症、身体表現性障害、自律神経失調症については、それぞれ、例えば以下に示すWEBページ、資料及び本エントリの≪余談5≫を参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」、「身体表現性障害 - 脳科学辞典」、『小林聡幸先生に「身体表現性障害」を訊く』、「身体症状症(旧:身体表現性障害) - KOMPAS」、「自律神経失調症」。これらの身体症状は例えば複数の精神疾患(他の拙エントリのここを参照)においても見られ*32化学物質過敏症に特異的な症状ではありません。化学物質過敏症(又は MCS)に特有なものとして「超微量の化学物質により症状が誘発される」ことがあり、これを証明するための臨床環境医が考案した二重盲検法による誘発(負荷)試験もあるのですが、「超微量の化学物質により症状が誘発される」こと(すなわち、疾患概念 MCS の存在)は、システマティック・レビュー(他の拙エントリのここを参照)により否定されています。

不定愁訴といわれるような症状は化学物質過敏症に特異的では無いことを支持する記述例を以下に示します。先ず、宮田幹夫著の本「化学物質過敏症 忍び寄る現在病の早期発見と治療」(2001年発行)「Part4 化学物質過敏症の診断」における記述の一部(P37)を次に引用します。

他の病気ではないと鑑別したうえで、患者さんの症状と、これらの検査の結果により、化学物質過敏症の診断がつきます。

引用中の「他の病気」がどこまでの範囲を示すのか不明確です。中毒及びアレルギーはともかくとして、例えば、更年期障害参照)、甲状腺機能に関する疾患[①バセドウ病参照 ※1)、②橋本病(参照 ※1)]、線維筋痛症参照)、慢性疲労症候群参照)、不安症群(DSM-5)[不安障害、これにはパニック症、特定の恐怖症、広場恐怖症を含む](参照)、うつ病双極性障害境界性パーソナリティ障害摂食障害(まとめて他の拙エントリのリンク集を参照)、自閉スペクトラム症(他の拙エントリのここを参照)、PTSD(他の拙エントリのリンク集を参照)、複雑性PTSD、解離性障害(共に他の拙エントリのリンク集を参照)が含まれるのかどうか? の記述は同本にはありません。

※1:バセドウ病については、例えば伊藤公一監修の本、「新版 甲状腺の病気の治し方」(2018年発行)の「第2章 甲状腺が働きすぎる-バセドウ病とわかったら」を、 一方、橋下病については、例えば同本の「第3章 甲状腺が働かない-橋下病とわかったら」を、 それぞれ参照して下さい。

加えて、日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行)の Ⅲ.対応 の「1-1 初診時の対応」項における一部の記述(P51)を次に引用します。

シックハウス症候群(SHS)の症状は多彩で多臓器にわたるため鑑別診断が重要となる.内科学的な臨床を習得した医師にとって,本症の鑑別診断はさほど困難ではないが,症状に応じて,循環器科,呼吸器科,アレルギー科,内分泌・代謝内科,心療内科,耳鼻科,眼科への紹介を考慮する.すなわち,既存の疾患では説明できない患者の場合,本症を疑うという側面もあり,除外診断を旨とすべきである.

さらに、資料『「科学的エビデンスに基づく新シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル改訂新版」』の ⑤ シックハウス症候群といわゆる「化学物質過敏症」(本態性環境不耐症)[P39~P42] の『「化学物質過敏症」の訴えへの対応』シート(P42)における記述の一部を次に引用します。

2. しかし身体不調を化学物質のためとは決めつけず、心理社会的ストレスによる体調不良やメンタルヘルスの問題など,他の既存の考え得る疾患である可能性を「除外診断」する必要がある

上記引用中の文章「他の病気ではないと鑑別したうえで(中略)化学物質過敏症の診断がつきます」「除外診断を旨とすべき」「他の既存の考え得る疾患を除外診断する必要がある」より、不定愁訴等の化学物質過敏症及びシックハウス症候群の症状とされるものと合致したからといえども、直ちにこれらの診断ができないと本エントリ作者は考えます。一方、前2者では、どこまで「除外診断」又は「鑑別診断」を実際に行うのかが明確でないと本エントリ作者は考えます。最後の文章では、「他の既存の考え得る疾患を除外診断する必要がある」であり明確であると本エントリ作者は考えます。

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≪余談5≫自律神経失調症

最初にWEBページ「不眠、動悸、倦怠感…自律神経失調症で起こる症状は?原因はストレス?」や「どんな症状でも自律神経が関与しているということ」との記述を有するWEBページ『自律神経が狂いやすいのは、多忙すぎる“精密機器”だから人間の脳に搭載された「全自動おまかせシステム」』があります。次に平井孝雄著の本、「仏陀の癒しと心理療法 20の症例にみる治癒力開発」(2015年発行)の 第6章 五取蘊苦と自律神経失調症 の「第2項 自律神経失調症とは?」における記述又は記述の一部(P136~P137)を次に引用します。

自律神経失調症とは、身体に特別な異常(癌とか膠原病といった) がないにもかかわらず、いろいろな訴え(主に、全身倦怠感、めまい、頭痛、頭重感、動悸等)をし、背後に交感神経や副交感神経の過緊張・機能低下が関与している病態を指す。
自律神経は、それこそ身体のあらゆる臓器に影響を及ぼしているが、その主な特徴は自分の意思とは無関係(厳密にいうと少し関係するが)に、自律的に機能する内臓や内分泌器官を支配しているということである(だから自分の意思に随って動く筋肉系の随意運動神経系と区別される)。
自律神経は、また交感神経と副交感神経に分かれるわけだが、たいたいにおいて両者は、反対の作用をして、それで生体のバランスを保っている。すなわち、交感神経はどちらかと言うと闘う、逃げる、活動するといったエネルギーを出す方向(異化作用、向力動作用とも言う)に向かう。具体的に言うと交感神経が優位に働いている時は、脈拍の増加、血圧上昇、気管支の拡張、胃腸運動の抑制、頻尿、発汗といったことが起きやすくなる。
逆に副交感神経は、エネルギーを取り入れる方向(同化作用、向栄養作用とも言う)で、これが優位になり過ぎると胃腸症状(吐き気、下痢、腹痛など)、低血圧、徐脈といったことが出やすいと言える。
自律神経は、普段は二つの神経系がほどよく調和して働いているのだが、気掛かり、心配、不安、憂鬱といった精神的ストレス(精神的だけではなくあらゆるストレス)があると、バランスが崩れ、精神身体反応というような生理的変化が生じる。そして、動悸、呼吸困難、めまい、頭痛、疲労、食欲不振など多彩な症状をもたらす。
自律神経失調症には、さまざまなタイプがあり、心因がかなり関与するタイプと、そうでないタイプがある。また心理的原因が大きい場合のなかに、神経症的特徴をかなり有するタイプがあり、それはもう神経症と言っていいぐらいである。
自律神経失調症は、見た目にはひどい病気と見られないし、また特別な異常もない故、周りには「たいしたことはない。気のせいだ」ぐらいに見られがちだが、本人にしたら、辛い症状を強く感じさせられ、それこそ自分の肉体を持て余すといったぐらいに苦しんでいることが多い。

注:引用中の「自律神経失調症には、さまざまなタイプがあり、心因がかなり関与するタイプと、そうでないタイプがある」ことに関連するかもしれない「原因によって効果的な治療法が異なる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「自律神経失調症は自力で治すことはできるの?〜自己判断すべきでない理由と、医師に指導される対策とは〜」の「原因によって効果的な治療法が異なる」項

加えて、各臓器に現れる自律神経失調症の症状例について、村上正人、則岡孝子著の本、「自律神経失調症の治し方がわかる本」(2011年発行)の 第1章 あなたは、どれだけ知っていますか? の「自律神経失調症が引き起こす体の“異常”」における記述の一部(P16~P17)を引用します。ただし、この引用元の P17 は本来イラストであるものの、引用の一部を作成するために文字を抜き出しています。

次ページのイラストのように、自律神経失調症状はあらゆるところに現れます。(中略、以下の引用元はイラストです)

各臓器に現れる自律神経失調症
いくつかの症状が一見関連のない臓器に現れることが多い

●全身
微熱、だるさ、倦怠感、不眠

●神経
片頭痛、筋緊張性頭痛、頭重感、乗り物酔い、目まい、立ちくらみ

●耳
耳鳴り、耳閉

●目
眼精疲労、まぶたのけいれん、ドライアイ(目の乾燥)

●咽喉
のどの異物感

●呼吸器
過換気症状(息を吸いすぎて呼吸が苦しい)

●循環器
高血圧、低血圧、レイノー症状(手足の冷感、蒼白)、不整脈、頻脈、胸痛

●皮膚
かゆみ、円形脱毛、多汗(汗をかきやすい)、じんましん

●筋肉
筋肉痛、肩こり、腰痛

●手
書痙(手がふるえて文字が書けない)、手のひらの汗

●消化器
慢性胃炎、神経性嘔吐、過敏性腸症状(下痢をしやすい)、おなかが張る、食欲不振、過食

●泌尿器
神経性頻尿、残尿感、尿失禁

生殖器
月経前の不調、月経痛、産後のうつ気分、更年期障害、性機能不全

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≪余談6≫不潔恐怖・洗浄強迫、強迫症等について及び発達障害複雑性PTSD等との関連

最初に、「嗅覚嫌悪条件づけ」(リンク集参照)に関連するかもしれない強迫症(又はOCD:Obsessive Compulsive Disorder、強迫性障害*33における「不潔恐怖・洗浄強迫」に関して、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)から多くを以下に引用しています。一方、他からの引用もあります。この場合には引用元をそれぞれ記述しています。

の 1章 強迫症(OCD)を理解しよう の「▼不潔恐怖・洗浄強迫①」及び「▼不潔恐怖・洗浄強迫②」における記述の一部(P20~P22)を共に次に引用します。

▼不潔恐怖・洗浄強迫①

いくつかのタイプがあり、執拗に手洗いや入浴を続ける(中略)

誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする

不潔恐怖・洗浄強迫は、自分の手や体が汚染されているという感覚に支配され、しつこく手を洗ったり、シャワーを浴び続けるといった洗浄行為を続けます。汚染はいわゆる不潔なものから化学薬品や嫌悪的イメージなど多岐にわたります。これにはいくつかタイプがあり、自分の手や身体が世の中で一番きれいでいたいから、というのが「不潔恐怖・洗浄強迫タイプ」、自分の汚れた手や身体で大事な人や世間を汚したくない、という「加害恐怖・洗浄強迫タイプ」、縁起の悪いイメージを手洗いによって払拭しようとする「縁起強迫・洗浄強迫タイプ」などがあり、恐怖の対象を見極めることが治療の上でとても重要になります。
ここでは恐怖の対象の違いを分けずに、不潔恐怖・洗浄強迫として解説します。不潔恐怖・洗浄強迫の人には、どうしても汚したくない「聖域」があります。それは家全体だったり、自分の部屋、ベッドや布団と色々で、人によって、バッグやクローゼットの中、何か思い入れのある化粧品、記憶や象徴のようなイメージということもあります。

強迫儀式に何時間も要して日常生活が立ち行かなくなる

例えば、不潔恐怖・洗浄強迫のAさんは、自分のベッドを聖域とみなし、ベッドに入るまでに次のような儀式をします。まず部屋のゴミを捨てて、次にトイレに入り、排泄のあと、多いときはトイレットペーパーを1、2ロール使って、お尻を拭きます。それが終わると、洗面所でハンドソープを泡立てて、納得できるまで手を洗い、次は入浴です。ボディソープを泡立てて、気のすむまで体を洗い続け、ようやくパジャマに着替えてベッドに入ります。この一連の行為は「ベッド」という聖域に汚れをつけたくないがゆえの必死の強迫行為(儀式)です。
Aさんの場合、入浴までの儀式で約5、6時間もかかりますが、当然、これだけ強迫儀式に時間を取られれば、日常生活が立ち行かなくなります。そうすると、自分のベッド(聖域)を汚さないようにリビングルームなどで寝ることもありますし、友達の家や交際相手の部屋を泊まり歩くこともあります。その代わり、自宅に戻って聖域に入るというときは、前にも増して強迫儀式をエスカレートさせ、大事な聖域を守ろうとします。あるいは、儀式行為に疲れると、聖域に一歩も入れなくなり、他の部屋に引きこもることもあります。(中略)

▼不潔恐怖・洗浄強迫②

恐怖の対象は、目に見えるものだけではない(中略)

不潔恐怖・洗浄強迫の人の多くで自分や他人の排泄物や生ゴミなど、実際に衛生的でないものが強迫観念を引き起こす惹起刺激(トリガー)になります。しかし、強迫行為(儀式)を繰り返し、強迫観念が肥大すると、目に見えないものまでが恐怖の対象となります。それは、自分の体から落ちる汚れだったり、ドアノブや電車のつり革、受話器、机、イス、コップや食器などについている汚れだったりします。
こうした場合、複数の人が触れるドアノブやエレベーターのボタンに触れるときに、ティッシュで覆ってから触れるような行動が見られたり、あるいは人前では平気を装うために、仕方なくつり革やドアノブなどを触り、家に帰ると洗面所に飛び込んで手を洗い続けることもあります。こうした行為は、自分自身への汚染を食い止めるためです。(後略)

注:(i) 上記「強迫症(OCD)」と「潔癖症」との違いについて、原井宏明監修の本、「強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年)の 1 これは病気? やめたいのにやめられない の 本人① 不潔恐怖 いくら洗っても手の汚れがとれない の「解説 潔癖症との違いは」項における記述(P13)を以下に引用します。 (ii) 引用中の「強迫行為(儀式)を繰り返し、強迫観念が肥大すると、目に見えないものまでが恐怖の対象となります。それは、自分の体から落ちる汚れだったり、ドアノブや電車のつり革、受話器、机、イス、コップや食器などについている汚れだったりします。」に関連するかもしれない、 a) 「こころの科学 220号」(2021年11月)中の村山桂太郎、中尾智博著の文書「嫌悪と強迫症」〔P81~P85〕の「嫌悪と強迫症」において次に引用(『 』内)する「共感呪術(sympathetic magic)」を説明する記述(P83)があります。 『このような「嫌悪」と「汚染・洗浄タイプ」の強迫症との関係が調査される中で、「共感呪術(sympathetic magic)」といった現象が報告されている。「共感呪術」とは、汚染対象となっている物体1に汚染されていない物体2が接触すると、物体2に汚れが伝播し、さらにその汚れが物体2に接触した物体3に、さらに物体3に接触した物体4に、次々と伝播するように感じる現象である。』 この sympathetic magic については、拙訳はありませんが次の論文要旨を参照して下さい。 「Sympathetic magic in contamination-related OCD」 b) 「履いていた上履きを通して、汚染が拡大した不安」については次の資料を参照して下さい。 「認知行動療法の実践 ー不安障害・気分障害のCBTのコツー -久留米大CBT講義」の「強迫性障害のCBT②:不潔恐怖」シート(P35) c) 「トリガー→強迫観念→強迫行為(儀式)の連鎖が続けば続くほどトリガーの種類が増える」ことに対しての、引用中の「目に見えないものまでが恐怖の対象となります」に関連する「目に見えないものまでがトリガーになります」を含めて同の 強迫観念を引き起こすきっかけや状況とは? の「目に見えないものまでが強迫の引き金に」における記述の一部(P10)を次に引用(【 】内)します。 【トリガー→強迫観念→強迫行為(儀式)の連鎖が続けば続くほど種類は増え、例えば、最初は「血液」がトリガーだったのが、赤いシミ、汗、精液などと、どんどん増え、汚れのイメージなど、目に見えないものまでがトリガーになります。】(注:引用中の[トリガーの]「種類は増え」に関連するかもしれない「汚染恐怖は指数関数的に拡大する」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「汚染恐怖に関する研究」の「病的汚染の恐怖」項) (iii) 引用中の「不潔恐怖」(又は「汚染不安」)の対象例として、 1) 上記「解説 潔癖症との違いは」項における記述の一部(P12)を形式を変えて以下に引用します。 2) 「汚染の不安を引き起こすもの・人」について、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「とらわれ ①汚染/洗浄」における記述の一部(P16)を以下に引用します。加えて、「汚染強迫症者によくみられる誘因」について、ジョン・ハーシュフィールド、トム・コールボーイ著、小平雅基、齋藤真樹子訳の本、「こだわり思考とうまく付き合うためのワークブック マインドフルネス認知行動療法で強迫観念と強迫行為を克服する」(2019年発行)の 第Ⅱ部 特定の強迫観念に対する,マインドフルネス認知行動療法 の「第6章 汚染強迫症」における記述の一部(P106)を以下に引用します。 (iv) 引用中の「不潔恐怖」(又は「汚染不安」)における「感覚と実際との区別が難しいことがあること」について、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫性障害」(2010年発行)の「疲れる病気 強迫行為はとても疲れる」における記述の一部(P28~P29)を以下に引用します。 (v) 引用中の「他人」に関連する「特定の人」の不潔については、松田慶子著、上島国利監修の本、「本人も家族もラクになる強迫症がわかる本」(2017年発行)の PART 2 強迫症のさまざまな症状 の 4【症状 汚染に対する恐怖①】における記述の一部(P049)を以下に引用します。 (vi) 引用中の「聖域」に関連する、 a)『「聖域にいれば安心」のような精神状態から、ひきこもっていくことがある』ことについて、原井宏明監修の本、「強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年)の 2 底なし沼に落ちていくような日々 の「本人⑥ ひきこもり 部屋から、ベッドから、出るのはこわい」における記述の一部(P46)を次に引用(《 》内)します。 《「聖域にいれば安心。なにもこわいものはない」。そんな精神状態から、ひきこもっていくことがあります。やることがないからとベッドにいるうちに、寝てばかりいるケースもあります。》 b) 「人によって聖域はさまざま」なこと、そして「聖域がなくならないかぎり、生活への支障を避けられないどころか、良好な人間関係も築けなくなってしまう」ことについて、共に原井宏明監修の本、『図解 いちばんわかりやすい強迫性障害 強すぎる「不安」と「無意味な行動」の断ち切り方』(2021年発行)の 1章 症状の種類 の 不潔恐怖 手洗い、入浴に時間がかかってしまう の『清潔に保ちたい場所の「聖域」を作る』における記述(P40)を以下に引用します。加えて、上記「聖域」の例としての「聖域とは、不潔恐怖の人が持っているもので、絶対に汚れていないと思っている領域(場所)のこと」については次のエントリを参照して下さい。 「強迫性障害の世界:聖域を作って身を守ることが上手くいかない理由」 その上に、上記「聖域」に関連する「安全な場所(聖域)」については次のエントリを参照して下さい。 「洗浄強迫に潜むさまざまな思考」の「安全な場所(聖域)」項、「洗浄強迫に潜むさまざまな思考」の「安全な場所をつくり汚れを隔離しようとする」項 一方、上記「聖域」以外にも、 1) 「強迫観念はあるのは当たり前」なことについて、同本(上記 (vi) b) 項を参照)の 3章 環境調整と周囲の対応 の 環境調整① 強迫観念がなくなることはない の「強迫観念はあるのは当たり前 強迫行為をしないことが重要」における記述の一部(P104~P105)を以下に引用します。 2) 「頭が手持ち無沙汰になると、その分強迫観念が湧きやすくなる」ことについて、同章(上記 (vi) b) 項を参照)の 環境調整② 変化のある生活のほうがいい? の「生活の中にルールを作らず日々に変化をつけること」における記述の一部(P106~P107)を以下に引用します。 3) 『「不安」と「観念」の組み合わせが「強迫観念」である』ことについて、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第二章 強迫症の精神病理 の「強迫観念、強迫行為、エネルギーの消耗」における記述の一部(P83)を次に引用(【 】内)します。 【まず、「不安」と「観念」の組み合わせが「強迫観念」です。圧倒的な不安を伴った観念に強く迫られる症状であり、この観念を打ち消すための行動が強いられます。しばしば「侵入的」と形容される症状ですが、その本質は不安の強烈さにあります。】 (vii) 標記「強迫症」における「暇は強迫の餌になる」ことについては、同の 便利な社会が発症の温床に の「狭い空間で不自由のない環境では、強迫的な行動を起こしやすい」における記述の一部(P14)を以下に引用します。 (viii) ちなみに、引用はありませんが強迫性障害の治療法の主な例は、薬物療法(原井宏明監修の本、『図解 いちばんわかりやすい強迫性障害 強すぎる「不安」と「無意味な行動」の断ち切り方』(2021年発行)の 2章 原因と治療 の「薬物療法 強迫性障害の治療薬の特性を知る」[P84~P85]を参照)と行動療法の一種であるERP(エクスポージャーと儀式妨害:同の「3章 ERP(エクスポージャーと儀式妨害)の実際」[P83~P137]や資料「強迫性障害(強迫症)の認知行動療法マニュアル (治療者用)」を参照、ちなみに、上記ERPは「曝露反応妨害法」とも呼ばれます)です。加えて上記ERPには確かな動機づけが必要なことについて、原井宏明監修の本「図解 やさしくわかる強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年発行)の 3 大切なのは、本人の治りたい気持ち の「解説 強迫性障害の治療法は薬物療法認知行動療法」における記述の一部(P62)を次に引用(【 】内)します。 【ERPは患者さん本人が大きな恐怖に向き合い苦痛を伴う治療法です。それを知ったうえで、本人の「治りたい」という希望と「将来の目標」という確かな動機づけが必要です。患者さん本人が中途半端な気持ちでは始められない、やり遂げられないことが、治療の大きな妨げとなってきます。】*34 (viii) なお、 a) これらの治療法は数十年間で普及しつつあることについて、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫性障害」(2010年発行)の「治療の現状 薬物療法認知行動療法が行われる」における記述の一部(P56)を次に引用(《 》内)します。 《強迫性障害の治療は、この数十年間で大きく変わってきています。強迫性障害に対しての薬物療法認知行動療法が普及しつつあります。それによって、適切な治療を行えば、回復が期待できる病気になってきました。》 b) 一方、これらの治療を受けずに放置すれば、人生の大半が強迫の餌食になることについて、原井宏明、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫性障害」(2012年発行)の 2章 強迫性障害(OCD)を治そう! の 疲れ果ててしまう前に治療を受ける の『「もしかして…」と思ったら治療を受けることが回復の近道』における記述の一部(P64)を次に引用(【 】内)します。 【放置すれば、人生の大半を強迫の餌食になるという、とんでもない事態を招きます。】 加えてこの【 】内の引用に類似するかもしれない「放置すれば、人生の大半を強迫儀式に費やしていたという、とんでもない事態を招く」ことについて、同の 2章 強迫性症(OCD)を治そう! の 疲れ果ててしまう前に治療を受ける の『「もしかして…」と思ったら治療を受けることが回復の近道』における記述の一部(P66)を次に引用(《 》内)します。 《放置すれば、人生の大半を強迫儀式に費やしていたという、とんでもない事態を招きます。》[注:引用中の「人生の大半を強迫儀式に費やしていた」ことに関連する、 1] 強迫性障害を伴う患者の40年間のフォローアップについては拙訳はありませんが次の論文〔全文〕を参照して下さい。 「A 40-Year Follow-up of Patients With Obsessive-compulsive Disorder」 2] パニック障害において「適切な診断がされず治療が遅くなるほど慢性化し、何年も(ときには数十年も)不快な症状に悩まされてしまう」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。] 加えて引用はありませんが、上記「人生の大半を強迫儀式に費やしていた」ことに関連するかもしれない「Shoogらは,平均47年間の予後調査を行い,48%に改善を認め,そのうち20%は完全寛解の状態であった。一方48%の患者では,30年以上にわたりOCDの持続が認められ,予後不良には,早発,強迫観念と行為の併存,社会的機能の低さ,そして慢性的な経過が関連していたという。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「難治性精神疾患の治療と現状 ――難治性強迫性障害の臨床像と対応――」 一方、OCD(強迫症)としての加害恐怖・確認強迫を23年間も患ってとうとう寝たきりになった方が、上記ERPにより回復した例について、同の 3章 ERP(エクスポージャーと儀式妨害)の実際 の ERP体験者からのメッセージ の「ERPは弱い筋肉を鍛えて強くする筋トレのようなもの。強迫観念がそこにいても、スルーできるようになる 加害恐怖・確認強迫(40代女性)」における記述の一部(P129)を以下に引用します。また、 1) 上記「曝露反応妨害法」を超えては次のエントリを参照して下さい。 「暴露反応妨害法を超えて:制止学習による暴露」(注:上記「制止学習による暴露」についての一連のツイートもあります) 2) 引用はありませんが「強迫症からの脱却を目指す患者と家族のための会」が同の P138 に紹介されています。 (ix)加えて、 a) 「強迫症は、身体ではなく思考で感情調節をしようとして失敗している状態」との記述を有するツイートがあります。また、上記「思考で感情調節をしようとして失敗している」ことに関連するかもしれない、「PTSD又は複雑性PTSDからの回復に必要な辺縁系セラピー」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 「強迫症の人にとって自分の心配が強迫観念なのか、普通の心配なのかを区別できるようになるって結構大事」との記述を有するツイートがあります。

解説 潔癖症との違いは
OCDは潔癖症とどう違うのか、疑問に思う人は少なくありません。常に汚れが気になり、身のまわりをきれいにしておかなければ気がすまない点では潔癖症と同じです。
OCDの場合、洗浄行為や汚れを避ける行動により、生活にまで支障がでるのが特徴です。

注:引用中の「潔癖症との違いは」に関連する「きれい好き、潔癖症強迫症の違い」についてのWEBページは次を参照して下さい。 「1-2. きれい好き、潔癖症、強迫症の違い

不潔恐怖の対象(例)
自分のものも他人のものも、汚くて気持ち悪いと感じる。

汗、血液、排泄物、唾液、ばい菌、生ごみ、毒、放射性物質

とらわれ ①汚染/洗浄
汚染が怖くて、洗わずにはいられない(中略)

○汚染の不安を引き起こす主なもの・人
・排泄物、トイレ
・つばや鼻水汗などの分泌物
・血液、生理用品の廃棄物
・ゴミ
・ウイルス、ばい菌、カビ
・土、ほこり
・虫、動物
・薬品、洗剤(漂白剤、トイレ用洗剤)
・流し残した汚れや石けん
放射線
・有害に思える物(水銀を含んだ製品、乾電池、さびた金属)
・不潔な人、病気に思える人(後略)

(前略)汚染強迫症者によくみられる誘因は以下のものがあります。

・公衆に使用されたもの(ドアノブ,照明のスイッチ,バス)
・便(や便器や体の一部など便の近くにあるもの)
・血(もしくは,血のそばにあるものや,針,絆創膏,病院など,血を見る可能性があるもの)
・他の体液(尿,汗,唾液,精液,膣分泌物)
・毒(もしくは,家庭用洗剤,薬,賞味期限切れの食料品,アスベスト,Ⅹ線,殺虫剤や化学物質などの環境汚染物質といった,毒物と考えられるもの)
・アルコールやその他のドラッグ(特に,中毒からの回復期にある人)
・病気を連想するもの(病人,ホームレス,病院)
・病気や細菌等に関する特定の不安がなく,強い嫌悪反応が起こるすべてのもの(例:ねばねばしたり,濡れているものや単に“わからない”もの)(後略)

疲れる病気
強迫行為はとても疲れる
症状の特徴(中略)

⑥感覚と実際との区別が難しいことがある
強迫症状が起きているときは、敏感に警戒しています。そのため、実際には何も起こっていないと思う反面で、何かをしてしまったような気もすることがあります。たとえば、「手が汚れにさわっていないのに、さわってしまったかもしれないような気もする」というような場合です。
また、普通の人は気にも留めないような、小さな点のようなものでも、体からの分泌物が嫌いな人には、それが分泌物かもしれないと見え、害虫が嫌いな人には、害虫のふんかもしれないというように見えてしまいます。(後略)

注:引用中の「感覚と実際との区別が難しいことがある」に関連する「緊張で感覚が敏感になり、錯覚が生じる」ことについて、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「症状の特性②疲れる病気 警戒と緊張でとても疲れる」における記述の一部(P29)を以下に引用(『 』内)します。 『緊張で感覚が過敏となり、錯覚が生じる 強迫症では、気になるものに出合うと、注意がそこに集中し、緊張します。そのため、感覚の認識が実際とずれて、錯覚をもたらすことがあります。たとえば、体が汚れにさわっていないのに「さわってしまったかもしれない」とか、他人の十分に離れていたにもかかわらず「ぶつかっていたらどうしよう」と思うのです。』

4【症状 汚染に対する恐怖①】(中略)

汚いと思う物に触れることが怖くてたまらない…(中略)

トリガーは、排泄物や他人の唾液、汗、生ゴミ、虫、またそれらがついているかもしれない物に触れることなど、さまざま。食事の残りのような、汚いはずのない物を汚いと考える人、特定の人を不潔だと思う人もいて、トラブルになってしまうこともあります。(後略)

注:引用中の「トリガー」は発症のトリガーのようです。

清潔に保ちたい場所の「聖域」を作る

ここだけは絶対に汚したくないと守っている場所を「聖域」と呼びます。家、寝室のベッドや布団、大切にしている本など、人によって聖域はさまざまです。これらの聖域を守るあまり、自分のベッドを使えなくなってしまうことがあります。
ものや場所だけでなく、大切な人が聖域になることもあります。例えば、自分の子どもを大切にするあまり、抱くことや一緒に住むことができなくなってしまうケースもあるのです。
この聖域がなくならないかぎり、生活への支障を避けられないどころか、良好な人間関係も築けなくなってしまいます。

注:i) 「汚れることへの嫌悪」としての引用中の「聖域」について、原井宏明、松浦文香監修の本、「強迫症強迫性障害(OCD) 考え・行動のくり返しから抜け出す」(2023年発行)の 第1章 それは強迫症の症状かも!? の 汚れることへの嫌悪 の「汚れの種類と聖域の範囲」における記述(P12)を次に引用(『 』内)します。 『目に見えるものも見えないものも同じように「汚い」と感じ、「絶対に汚してはならない聖域」から汚れを徹底的に排除しようとし続けるのは、強迫症の典型的な現れ方のひとつです。』 ii) 「聖域を汚れから守ろうとし続けますが、その試みは成功せず、苦闘を続けることになる」ことについて同「汚れることへの嫌悪」の『「汚れは避けられないもの」とは思えない』における記述の一部(P13)を次に引用(【 】内)します。 【しかし、どんなに清潔さを保とうとしても、汚れることなく生きていくのは不可能です。それを「しかたがないことだ」と思えないのが強迫症です。「ここだけは絶対に汚したくない」という「聖域」をつくり、聖域を汚れから守ろうとし続けますが、その試みは成功せず、苦闘を続けることになるのです。】

強迫観念はあるのは当たり前
強迫行為をしないことが重要(中略)

日本人は100年前まで天災や疫病を恐れ、加持祈祷をしていました。まさしく儀式です。「もしかしたら、○○になるかもしれない」という強迫観念は、仲間や自分を守るための防衛本能。この能力を失ってしまったとしたらその種は滅びてしまうことでしょう。
危機的な状況であれば役に立つ能力も、天災や疫病を恐れる必要が減った現代では使い道を失うことになります。強迫性障害はこの能力が行き場を失い、暴走している状態。暇な時間や休息が強迫性障害を悪化させるのもそのためです。強迫観念を消そうとすればするほど、強くなり、強迫行為を何度も繰り返すことになります。まずは、「強迫観念は出てくるもの」と考え、そのままにしておきましょう。
そのためにも、強迫観念を〝なくそう〟とするのではなく、浮かんでからの行動を変えるのです。浮かんだまま生活ができるようになれば、徐々に強迫観念に振り回されることがなくなっていくでしょう。

注:i) 引用中の「強迫観念を〝なくそう〟とするのではなく」に関連する、「強迫性障害が〝治る〟ということは、強迫観念や強迫行為がなくなることではない」ことについて、原井宏明監修の本、『図解 いちばんわかりやすい強迫性障害 強すぎる「不安」と「無意味な行動」の断ち切り方』(2021年発行)の 2章 原因と治療 の 認知行動療法 あえて不安にさらすことで生活を取り戻す の「強迫観念とは戦わない!? 強迫性障害が治るということは?」における記述の一部(P97)を次に引用(『 』内)します。 『強迫性障害が〝治る〟ということは、強迫観念や強迫行為がなくなることではなく、これらがあっても日常生活が送れるようになることです。』(注:この引用に関連する「ERPは弱い筋肉を鍛えて強くする筋トレのようなもの。強迫観念がそこにいても、気にせずすごせるようになる」ことについてはここここを参照して下さい。) ii) 引用中の「強迫観念を消そうとすればするほど、強くなり、強迫行為を何度も繰り返すことになります」に関連するかもしれない、森田療法の視点からの『感情は勝手に感じてしまうもので、自分でコントロールは出来ないものなのです。それを「こんな風に感じてはいけない」「こう思わなくては」などと抵抗しようとすると、ますますその気持ちが強くなり、とらわれてしまいます。』については次のWEBページを参照して下さい。 「不快な感情と付き合うコツ」の「① 感情とは」項

生活の中にルールを作らず日々に変化をつけること(中略)

強迫行為は習慣です。無意識のうちに型にはまった生活習慣ができあがっているはず。ですから、まず毎日の生活に刺激をもたらすようにし、習慣を変えてみましょう。いつもと違う服を着る、食べたことがないメニューにチャレンジする、駅まで違ったルートで歩いてみる、普段はいかない店に行くなど、いつもと違うことをしてみます。毎日、決まりきった生活をしていると、次に何をするのかを考えなくても生活ができるようになります。家のどこにどんな部屋や物があるのか、いちいち考えずに移動していますよね。これを〝手続き記憶〟と呼び、ひと続きの行動が自動化してしまった状態です。すると、考えることがなくなってしまうので、頭が手持ち無沙汰になります、その分、強迫観念が湧きやすくなるわけです。(後略)

注:i) 引用中の「強迫行為は習慣です。無意識のうちに型にはまった生活習慣ができあがっているはず」に関連するかもしれない『自ら「家畜化」への道を歩む』ことについて、原井宏明、松浦文香監修の本、「強迫症強迫性障害(OCD) 考え・行動のくり返しから抜け出す」(2023年発行)の 第2章 なぜ、こんなことに? の よくある経過 の『自ら「家畜化」への道を歩む』における記述(P35)を次に引用(【 】内)します。 【症状のくり返しに疲れ果てた本人は、毎回同じ場所、同じ環境のなか、安全・安心で、ストレスのない生活を送ろうとします。自ら「家畜化」をはかるのです。その結果、生活はどんどん平板なものになり、1日の大半を症状のくり返しに費やすようになっていきます。】 ii) 引用中の「手続き記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「陳述記憶・非陳述記憶 - 脳科学辞典」の「手続き記憶」項 iii) 引用中の「頭が手持ち無沙汰になります、その分、強迫観念が湧きやすくなるわけです」に関連するかもしれない「暇は強迫の餌になる」ことの引用はここを参照して下さい。

狭い空間で不自由のない環境では、強迫的な行動を起こしやすい(中略)

また、大人の暮らしぶりにしても、昔は家族みんなで野良仕事や家事で、一日中忙しく過ごしていました。現代は、パソコンの普及や家電製品の進化で昔ほど体は動かさず、時間に余裕もできます。すると、色々なことを考える隙間ができ、これが強迫的な発想の呼び水になります。
「暇は強迫の餌になる」ということです。

注:引用中の「暇は強迫の餌になる」ことに関連する「時間が余るとかえって強迫性障害をぶり返しやすくなる」ことについて、原井宏明監修の本、『図解 いちばんわかりやすい強迫性障害 強すぎる「不安」と「無意味な行動」の断ち切り方』(2021年発行)の 3章 環境調整と周囲の対応 の 環境調整⑥ 休職と復職にはどんな注意が必要 の 職場や学校で気を付けること の「強迫性障害ではない人と同じように過ごす」における記述(P115)を次に引用(『 』内)します。 『時間が余るとかえって強迫性障害をぶり返しやすくなるため、仕事や勉強をして強迫観念の入り込む隙を作らないことが大切。』

ERPは弱い筋肉を鍛えて強くする筋トレのようなもの。強迫観念がそこにいても、スルーできるようになる 加害恐怖・確認強迫(40代女性)
私は強迫症を20歳で発症し、23年間患っていました。戸締り、火の始末、仕事のミス、買い物時にレジでお金を払ったかどうか、火のついたタバコを引き出しに入れたのではないかなど、現実にはあり得ないことに対しての強迫観念が浮かび、ずっと確認し続ければならず、とうとう寝たきりとなりました。
色々調べ、大学病院に入院して治療を受けましたが効果はなく、起きている間中恐怖感にさらされ、すべての恐怖に対して強迫儀式をやり続けるほどひどくなり、長い闘病生活に絶望して、死ぬことばかり考えていました。そんな私がERPと出会い、わずか3か月で回復の兆しが見え、半年後には症状の約8割が回復し、1年後には自分の力で生活ができるようになったのです。ERPを行うときは、まるで修行のような苦しさでしたが「自分が生きて行くための最後の治療法がこれなんだ」と賭けて、挑みました。
そしてERPを経験してわかったことは、強迫症の人が本当に恐れているものは、強迫観念の対象になっている事柄や状況ではなく、不安感や恐怖感そのものだったり、それによって起こる動悸、過呼吸、手足の震え、意識が遠のく感じなどの身体症状を味わってしまうこと。つまり、不安や恐怖感が起きなければ、同じ強迫観念がわいたとしても、それほど怖いとは思わず、それより不安感や不快感を受け止めるための心の力が弱いことが問題だったのです。その力をつけるための訓練=ERPは、弱い筋肉を鍛える筋トレのようなもの。筋トレも最初はつらいですが、鍛えられれば慣れてつらくなくなります。弱い心もあえて恐怖と直面し、それに耐える練習をすることで、鍛えられて強くなっていきます。ERPは恐怖や不安に耐える力の弱い心を鍛えるために、理にかなった治療法だと実感しました。

注:i) 引用中の「ERP」(曝露反応妨害法)については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「強迫性障害の男性に対する曝露反応妨害法による介入 ――日常生活における行動指標の測定と介入効果の検証――」 加えて、上記「ERP」等の適用による「治療への取り組み方も強迫的になりやすい」ことについて、原井宏明、松浦文香監修の本、「強迫症強迫性障害(OCD) 考え・行動のくり返しから抜け出す」(2023年発行)の COLUMN 「強迫ゼロ」を目指すと強迫になるパラドクス の「治療への取り組み方も強迫的になりやすい」における記述の一部(P98)を次に引用(『 』内)します。 『強迫症に悩む人は、本人も家族も「強迫ゼロ」を目指し、治療の取り組み方も強迫的になりやすい傾向があります。しかし、ゼロにこだわりすぎると、かえって再燃・再発が起こりやすくなります(中略)。』 ii) 引用中の「ERPは弱い筋肉を鍛えて強くする筋トレのようなもの。強迫観念がそこにいても、気にせずすごせるようになる」に関連する「ERPで嫌なことをあえてするのは、その人がもともと持っていた抵抗力を取り戻すため」なことについて、「強迫性障害の問題の根本」を含めて原井宏明監修の本、『図解 いちばんわかりやすい強迫性障害 強すぎる「不安」と「無意味な行動」の断ち切り方』(2021年発行)の 2章 原因と治療 の 認知行動療法 あえて不安にさらすことで生活を取り戻す の「エクスポージャーと儀式妨害〝嫌なことをあえてする〟意味」における記述の一部を(P91)を次に引用します。

(前略)強迫性障害の問題の根本は、その人が苦手とする感覚を避け続けた結果、その感覚に対する抵抗力が落ちてしまったということ。ERPで嫌なことをあえてするのは、その人がもともと持っていた抵抗力を取り戻すためです。
ERPは不快感を減らすが目的ではありません。これらの感覚は生きていくうえでも大事なもの。ERPを行うと不安や不快感に振り回されずにすむようになります。いろいろな種類の不快感を味わう中で、それに耐えられるだけの力を付けるのが目的です。

注:i) 引用中の「強迫性障害の問題の根本は、その人が苦手とする感覚を避け続けた結果、その感覚に対する抵抗力が落ちてしまったということ」に関連するかもしれない、「強迫行為や回避,巻き込みなどの行動的反応は,(それらの行動により危機回避がなされたという誤った認識に基づいて)きっかけとなった嫌悪(恐怖)刺激の脅威,あるいは重大性をより強く意識させ,反応閾値が下がるとともに,それらの行動が合理化され,必要性が誤って正当化されるという悪循環に陥ってしまう。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「強迫症の診断概念,そして中核病理に関するパラダイムシフト ―神経症,あるいは不安障害から強迫スペクトラムへ―」の【DSM-IV-TRに見るOCDの典型例と不安の病気としての限界】項 ii) 引用中の「ERP」についてはここを参照して下さい。

ちなみに、発病のきっかけに関して、原井宏明監修の本、「強迫性障害に悩む人の気持ちがわかる本」(2013年)の「解説 発病のきっかけがあった人も多い」における記述の一部(P27)を次に引用します。

OCDは、強迫観念を引き起こす刺激(トリガー)によって、いてもたってもいられない強迫行為に駆り立てられていきます。
なにがトリガーになるかは、人によってさまざまですが、症状が進むほどトリガーの数が増え、強迫行為も深刻になっていくのか特徴です。
気づいたらOCDになっていたという人がほとんどですが、なかにはきっかけがあったという人もいます。進学や就職、結婚、出産などのライフイベントや環境の変化、大きな事件・失敗などのできごとを体験した後にこだわりが増えた人たちです。(中略)

こんなことがきっかけに
公衆トイレに携帯電話を落とし、とっさに拾った
中学のとき、いじめにあった。親友だと思っていた人が主犯格だった
交通事故を目撃。道路に流血していた
子どもが生まれ、ミルクを飲ませていたとき、吐いた。吐いたものを見た

注:i) 上記「発病のきっかけ」については、WEBページ「強迫症 - 脳科学辞典」の「病因」項にも次に引用(『 』内)する記述があります。 『また多くの患者では、対人関係や仕事上のストレス、妊娠・出産などのライフ・イベントが、発症契機となる。』 加えて、同様の記述が次のWEBページにもあります。 「強迫性障害」の「原因・発症の要因」項 その上に、「強迫状態の成因」としての「細菌感染の映画をみるなどの比較的簡単なきっかけから、中年以降に急におきることもある」ことについて「家族内で多発する場合もある」ことを含めて山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の d. 強迫症(6B20)[F42] の「[follow up]」における記述の一部(P39)を次に引用(【 】内)します。 【強迫状態の成因は,十分明らかでない。元来きれい好きで几帳面な人に多いが,まったくその傾向のない人にもおきる。家族内で多発する場合もある。青少年期に心理的に困難な生活情況におかれたときにおきることが多いが,細菌感染の映画をみるなどの比較的簡単なきっかけから,中年以降に急におきることもある。】 さらに、上記「発病のきっかけ」について、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「発症の背景 大きな出来事やストレスがきっかけになることも」(P44)における記述を以下に引用します。 ii) 一方、「幼少期の体験と強迫症との関係」については次のエントリを参照すればよいかもしれません。 「強迫症とトラウマ」 iii) ちなみに、パニック障害(パニック症)発症のリスク因子としてのストレスについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

発症の背景 大きな出来事やストレスがきっかけになることも(中略)

強迫症を発症する原因はストレスだけではありません。しかし、発症した人のそれまでの生活歴を調べると、進学・進級や職場の変化など、社会生活の変化に対して適応が難しかった人や、なんらかのストレスに長時間さらされた経験を持つ人が多くいます。
また、女性では、妊娠中、出産後のように、女性ホルモンが変化する時期に強迫症を発症することがあります。(中略)

○発症に関連した人生の出来事

・生活環境の大きな変化
進級 進学 受験 不登校 ひきこもり 就職 転職 転勤 生活の困窮

・恐怖など強い感情を伴う体験
事件 事故 家庭内の暴力 いじめ 病気 障害

・女性の場合
妊娠 出産(後略)

注:形式を変更して引用しています。

一方、強迫性障害におけるピゴットの分類について、北西憲二、久保田幹子編の本、「森田療法で読む 強迫性障害 その理解と治し方」(2015年発行)の Ⅰ 森田療法で読む「強迫性障害」 の「2 強迫性障害の病理と治療選択」より複数部分を以下に引用します。最初に「強迫性障害のサブタイプ」における記述の一部(P37)を以下に引用します。ちなみに「森田療法」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

強迫性障害のサブタイプ
薬物や精神療法への反応性を見ても、強迫性障害は必ずしも均質なグループではないことが推測される。強迫性障害に共存する精神障害についての研究や強迫スペクトラム障害の提唱にも触発されて、強迫性障害にいくつかのサブタイプ(亜型)を区別しようとする議論も活発になってきた。たとえばピゴットらは、強迫性障害を以下の三つのサブタイプに分類している。①危険に対する評価の変異した群=不安や疑惑とそれを打ち消すための反復的行為を特徴とする、②不完全/習慣スペクトラム群=不全感が強迫行為の動因であり、行為を妨げられたときには緊張や不安が生じる、③精神病スペクトラム群=強迫症状の合理性について確信を有し、洞察不良であることを特徴とする。(後略)

注:i) この引用部の著者は中村敬です。 ii) 引用中の「強迫スペクトラム障害」については、WEBページ「強迫症 - 脳科学辞典」の「併発症」項を参照して下さい。

加えて、同の Ⅰ 森田療法で読む「強迫性障害」 の「症例のアセスメントと治療方針の選択」における記述の一部(P47~48)を次に引用します。

(前略)(4)強迫性障害のサブタイプ
ピゴットの分類のうち、「危険に対する評価の変異した群」は、先にも述べたように症状の自我異質性、非合理性の洞察、症状への抵抗性といった神経症的特徴をもっとも保有しており、症状は不安、恐怖が主たる動因と考えられる。またこうしたタイプの背景には神経質性格傾向やニューロティシズムといった不安感受性の高いパーソナリティの存在が推測される。このようなサブタイプにはSSRIや三環系抗うつ薬の一種であるクロミプラミンなどの薬物療法とともに、精神療法的アプローチも奏功しやすい。
次に「不完全/習慣スペクトラム群」は、「危険に対する評価の変異した群」のように不安、恐怖が症状形成の動因になるわけではなく、衝動行為に近い症状であるだけに、精神療法への動機づけがより難しい。こうしたタイプには、後にも述べるように行動の次元できめ細やかな助言が必要となる。
最後の「精神病スペクトラム群」は、もっとも難治性のサブタイプである。このタイプは非合理性の洞察や症状への抵抗性に乏しく、常同的色彩を帯びているため、洞察志向的精神療法はもちろんのこと、森田療法や行動療法であっても単独の適用は困難である。(後略)

注:i) この引用部の著者は中村敬です。 ii) 引用中の「ニューロティシズム」(neuroticism)は漢字では「神経症的傾向」と記されるようです。加えて、不安症における性格特徴の視点よりの「神経症的傾向」については、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART I 不安症を理解する の 第2章 不安症と体質 の「Q 不安症になりやすい体質や性格はありますか?」における記述の一部(P24)を次に引用(『 』内)します。 『不安症に関係のある性格特徴として、「神経症的傾向(neuroticism)」――不快気分、不安、緊張、感情的反応性などを特徴とする人格傾向――があります。』 iii) 引用中の「SSRI」(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)及び「クロミプラミン」についてはWEBページ「強迫症 - 脳科学辞典」の「併発症」項を参照して下さい。

さらに、「精神病スペクトラム群」の補足説明として、上記「症例のアセスメントと治療方針の選択」における記述の一部(P47~48)を次に引用します。

(前略)③「精神病スペクトラム群」のサブタイプは、統合失調症、統合失調型パーソナリティ障害や妄想性パーソナリティ障害のような重症のパーソナリティ障害が共存することが多い。強迫症状の合理性について確信を有し、洞察不良であることが特徴なだけに、森田療法や行動療法のように非探索的な精神療法であっても適用はかなり難しい。(後略)

注:i) この引用部の著者は中村敬です。 ii) 引用中の「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「統合失調型パーソナリティ障害」及び「妄想性パーソナリティ障害」は次のWEBページで簡単に紹介されているので、参照すると良いかもしれません。「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」 加えて、「妄想性パーソナリティ障害」に関連する「妄想性障害」については、リンク集も参照して下さい。 iv) 引用中の「重症のパーソナリティ障害」に関連するかもしれない、「強迫性障害における不潔/汚染強迫等の背景に複雑性PTSDが存在する症例は少なくない」ことについて、原田誠一編の本、「複雑性PTSDの臨床 “心的外傷~トラウマ”の診断力と対応力を高めよう」(2021年発行)の「第Ⅰ部 複雑性PTSDの基礎知識」中の原田誠一著の文書「複雑性PTSD~軽症・複雑性PTSDの心理教育と精神療法の試み 気分障害と不安障害を例にあげて」(P105~P120)の「V 不安障害と複雑性PTSDの関連① 強迫性障害の場合」における記述の一部(P115~P116)を次に引用します。

(前略)しかるに,解離性障害以外の不安障害と複雑性PTSDの間にも深い関連が認められ(前田,2018),治療を進めるにあたって複雑性PTSDを視野に入れた対応の工夫を要する場合がある。紙幅の制限もあり,本稿では強迫性障害パニック障害,社交不安障害に絞って私見を述べる。
強迫性障害の亜型で出現頻度が高いのは不潔/汚染強迫,確認強迫,加害強迫であるが,この三亜型の背景に複雑性PTSDが存在する症例は少なくない。
不潔/汚染強迫との関連が深いタイプの中に,筆者らがその存在を指摘した接触強迫(原田,2013,2016b)がある。接触強迫では,通常の意味合いでは不潔(例:排泄物,ごみ)~危険な汚染(例:細菌やウイルス,放射能アスベスト)とはみなされない人物~物~状況~場所が強迫の対象となる。そしてこの病態の多くに,複雑性PTSDが絡んでいる。
患者が接触を避ける対象者は複雑性PTSDの原因となった人物,たとえば自分を虐待した家族,いじめやハラスメントの加害者であることが多い。患者はその対象者との直接的な接触はもとより,間接的な接触も極力避けるべく細心留意する(回避)。たとえば,相手が触った書類,座った椅子,握ったドアノブ,あるいはその人物が住んでいる地域,利用している店や駅などを回避の対象とする。そして触れてしまったと感じると,“洗う~拭く~消毒する~捨てる”などの対処行動をとる(強迫行為)。
接触強迫では,あるトリガー(例:小学校時代の教科書や写真を見る)によって生じる強迫観念(例:当該の物に触れてしまったかもしれない)が,複雑性PTSDと関わりの深い当事者~出来事(例:小学校時代のいじめの被害)にまつわる過酷な記憶~激しい情動を惹起する。つまり“トリガー~強迫観念”によって外傷性記憶が賦活化されてしまい,強烈な不安~恐怖が体験されることが多い。
こうしたメカニズムもあり多くの接触強迫症例は難治性であり,治療の進行は遅々としたものになりがちである。治療者はこの背景事情を心に留めて,治療の進展を徒に急ぎ過ぎることなくクライエントと向き合うことが望ましいと思う。(中略)

数字や文字,特定の手順などの縁起かつぎにこだわる縁起強迫も,背景に複雑性PTSDが存在することが少なくない。虐待やいじめなどの過酷な体験をした人が,「自分が恐れている状況が起こりませんように!」と縁起をかつぐ心情は理解可能であろう。(後略)

注:(i) 引用中の「前田,2018」は次の資料です。 「前田正治(2018)不安障害におけるトラウマ――その臨床的意義.臨床精神医学 47 ; 775-781.」 (ii) 引用中の(原田)「2013」、「2016b」はそれぞれ次の資料と本です。 『原田誠一(2013)「コミュニケーション強迫」と「接触強迫」に関する覚書.精神療法 39 (5) ; 714-717.』、「原田誠一(2016b)強迫性障害と社交不安障害のあまり知られていない3亜型――コミュニケーション強迫,接触強迫,醜心恐怖について.(原田誠一・森山成あきら編)外来精神科診療シリーズ:不安障害,ストレス関連障害,身体表現性障害,嗜癖症,パーソナリティ障害.中山書店.」 (iii) 引用中の「強迫性障害の亜型で出現頻度が高いのは不潔/汚染強迫,確認強迫,加害強迫であるが,この三亜型の背景に複雑性PTSDが存在する症例は少なくない」ことに関連するかもしれない、 a) (汚染に関する不安への入り口としての)「幼少期に受けた虐待やいじめに起因するトラウマ・ベース」について、亀井士郎、松永寿人著の本、「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」(2021年発行)の 第五章 その他の強迫症例 の「《汚染/洗浄系》への様々な入り口」における記述の一部(P211)を次に引用します。 『他に多いのは幼少期に受けた虐待やいじめに起因するトラウマ・ベースです。たとえば学校でいじめ受けた結果、その嫌な記憶がいつの間にか「学校に関連するもの(教科書や文房具など)や空間(勉強部屋、制服をしまっていたタンスなど)は汚い」という認識へとすり替わってしまう場合。こういった嫌な記憶(トラウマ)がベースとなって《汚染/洗浄系》へ至る例は珍しくありません。』 b) 「精神性汚染は、診断横断的な特徴を持っています。特にPTSDなどのトラウマとの関連が指摘されている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「汚染恐怖に関する研究」の特に「精神性汚染」項 (iv) 引用中の「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集(用語「複雑性PTSD」)を参照して下さい。 (v) 解離性障害以外の不安障害と複雑性PTSDの間にも深い関連としての引用中の「パニック障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。また、引用中の「社交不安障害」についての記述の説明は省略します。 (vi) ちなみに、「強迫症の人は、自分の神経系の深いところにある過覚醒に意識的には気づいていないため、脅威の正体を確認することで気持ちを落ち着かせようとする」との記述を有するツイートがあります。また、上記「過覚醒」については次のWEBページを参照して下さい。 「過覚醒 / 覚醒亢進

ちなみに、森田療法の視点からの強迫性障害の特徴について、本の Ⅰ 森田療法で読む「強迫性障害」 の「強迫性障害に対する精神療法」における記述の一部(P43)を次に引用します。

(前略)それでは森田療法による強迫性障害の治療とはどのようなものだろうか。精神交互作用や思想の矛盾といった「とらわれ」の心理機制を打ち破ることが森田療法の基本方向であり、それは端的に「あるがまま」の心的態度を獲得することである。「あるがまま」とは、不安を排除しようとするはからいをやめて、自己の感情をそのままにおくことを意味する。それと同時に、不安の裏にある自己本来の欲望(生の欲望)を建設的な行動に発揮していくことでもある。そのような建設的な行動は結果として恐れていた状況や対象への曝露をもたらすが、森田療法では症状に関連した行動のみに焦点をおかず、生活全体の充実を目指し、症状からの脱焦点化を図るところに認知行動療法との相違がある。(後略)

注:i) 引用中の「精神交互作用」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「森田療法」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

社会参加が可能な人向けの回復期における重要な点の例としての「悪循環のしくみを知る」ことについて、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「回復期 回復期は社会とのかかわりを優先させる」における記述の一部(P116)を以下に引用します。

(前略)①悪循環のしくみを知って、改善を維持

強迫症の再発や悪化を防ぐには、悪循環のしくみ(⇒26ページ)を知って、そのパターンにはまらないようにすることが第一です。(中略)

また、認知行動療法は、標準的なモデルでは15回前後行いますが、通常は、その終了後もいくらか強迫症状は残ります。その期間も、悪循環のしくみを思い出して、さらに症状が減ることを目指します。(後略)

注:i) 形式を変更して引用しています。 ii) 引用中の「悪循環のしくみ(⇒26ページ)」において、この26ページの引用はありませんが、代わりの資料として例えば次を参照して下さい。 「強迫性障害(強迫症)の認知行動療法マニュアル」の 強迫性障害強迫症)の認知行動療法(患者さんための資料) の「1-1)症状について理解すること」(P3)項を参照 iii) ちなみに、引用中の「認知行動療法」についてのWEBページは例えば次を参照して下さい。 『2-3. 認知行動療法』、「強迫症 - 脳科学辞典」の「認知行動療法」項 ただし、これらの認知行動療法は、引用元の本で紹介される認知行動療法と同じものかどうかは不明です。 iv) 引用中の「悪循環」の改善に寄与するかもしれない、強迫症の治療における「強迫症への気づきを広げる」ことについて、本の「改善へのヒント 症状を改善するためのポイント」における記述の一部(P82)を以下に引用します。

(前略)強迫症への「気づき」を広げる

特性①:強迫観念、嫌な感情(不安、嫌悪、不確かさ)が生じる⇒対処:強迫観念や嫌な感情をなくそうとしません。むしろ自分から、嫌な感情をあるがままにかかえるようにします。

特性②:どこまでが強迫観念で、どこからが現実にしていいことなのかの区別が、はっきりとわからない。⇒対処:区別をはっきりさせ、納得しようとすると、強迫行為になり、かえって強迫観念の衝動にのまれてしまいかねません。区別があいまいでも、思い切って強迫観念に逆らうほうを選ぶようにします。

特性③:実際には問題がないことでも、脳によって、「大丈夫か?」と問題があるような疑いが生じる。⇒対処:頭に浮かんだ考えが少しでも強迫観念かもしれないと思ったら、その考えに逆らって行動します。そして、迷いをかかえたまま、その行動を続けます。(後略)

注:(i) 形式を変更して引用しています。 (ii) 同の「症状の特性②疲れる病気 警戒と緊張でとても疲れる」において、引用中の「嫌な感情」の種類についての記述(P28)があり、次に引用(『 』内)します。 『強迫観念によって生じる嫌な感情は、不安、恐怖のほかに、嫌悪、不確かさ、罪悪感、怒り、落ち着かなさなどがあります。』 (iii) 加えて、引用中の「嫌悪」、そして「不安」に関連する「増大した不安」については「恐怖」も含めて資料「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」(特に「1. OCD の病像」項[P967~P968])を参照して下さい。加えて、引用中の「嫌な感情」及び「嫌悪」に関連する「強迫症において人を対象とした心理的な嫌悪感情が汚染恐怖へと移行する」ことついて、「こころの科学 220号(2021年11月)」中の文書「[特別企画]嫌悪 ネガティブな感情はなぜ生じるのか」(P9)における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【醜形恐怖やPTSD、摂食障害など、病理の中核に嫌悪感情が存在する疾患は少なくない。編者が専門とする強迫症においても、しばしば人を対象とした心理的な嫌悪感情が汚染恐怖へと移行する症例を経験する。】(注:a) 引用中の「編者」は中尾智博を指します。 b) 引用中の「PTSD」と「摂食障害」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 c) 引用中の「PTSD」と「強迫症」(OCD)に関連するポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からの「Mindfulness-related interventions promoted parasympathetic activity, an increased vagal tone and improvements in PTSD and OCD symptoms. According to the polyvagal theory, mindfulness-related and compassion-related meditations would be conceptualized as neural exercises expanding the capacity of the ventral vagal complex to regulate the present state and to promote resilience.[拙訳]マインドフルネスに関連する介入は副交感神経活動、迷走神経緊張の増加及び PTSD や OCD(強迫症)の症状の改善を促進した。ポリヴェーガル理論によれば、マインドフルネス関連やコンパッション関連の瞑想は、現在の状態を調節し、レジリエンスを高める腹側迷走神経複合体の能力を拡大するニューラルエクササイズとして概念化されるだろう。」ことについては論文要旨「A Systematic Review of a Polyvagal Perspective on Embodied Contemplative Practices as Promoters of Cardiorespiratory Coupling and Traumatic Stress Recovery for PTSD and OCD: Research Methodologies and State of the Art.」を参照して下さい。なお、上記「腹側迷走神経複合体」については次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 加えて、「ニューラルエクササイズ」については同資料の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項[P335]を参照して下さい。)

一方、強迫症発達障害との関連について、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「発達障害との併存 発達障害をかかえている人が併発することも」における記述の一部(P90~P91)を次に引用します。

(前略)主な発達障害の種類と特徴

自閉スペクトラム症(ASD)(中略)

強迫症に関連する点】
・もともと嫌な出来事、感覚、感情を一人で処理したり、折り合いをつけていったりすることが苦手な面があります。そのため、それらを避け、なくそうとする傾向が強く、それが強迫症にも影響します。
・自分ではどこが他の人と異なるのかが具体的にわかりにくいため、不安や警戒心が過剰になりやすいことがあります。
・独自のルールへのこだわりがあり、繰り返し行動をしやすいという特性を持っていることが、強迫行為にも影響します。(中略)

注意欠如・多動症ADHD)(中略)
強迫症に関連する点】
・不注意の特性がある人は、うっかりミスや忘れ物をしやすため、不安をいだきやすく、確認が過剰になりやすい。
・多動の人は、落ち着いて取り組むことが難しいため、強迫行為をしないでがまんすることが難しい。(中略)

複数の発達障害を併せ持つ人も少なくない
自閉スペクトラム症で、注意欠如・多動症の特性を併せもつ人は半分以上という報告もあります。(後略)

注:(i) 形式を変更して引用しています。 (ii) 引用中の「発達障害」、「自閉スペクトラム症」については、他の拙エントリを参照して下さい。 (iii) 引用中の「ADHD」については、他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典」 (iv) 引用中の「強迫症」(OCD)と「自閉スペクトラム症」(ASD)の両疾患は「病因を部分的に共有していると考えられている」ことについて、本田秀夫監修、大島郁葉編の本、「おとなの自閉スペクトラム メンタルヘルスケアガイド」(2022年発行)の 第Ⅳ部 AS のメンタルヘルスを理解・支援する の AS と強迫 症状論・支援論 の「はじめに」項における記述の一部(P075)を次に引用(『 』内)します。 『ASD と OCD 両疾患の病態生理の研究は急速に進んでおり,大規模コホートによる神経遺伝学的研究では,OCD と診断されたものは後に ASD と診断される割合がそうでないものより 4 倍高く,ASD と診断されたものが後に OCD の診断を受ける割合は,そうでないものより 2 倍高かったと報告され,その原因として両疾患は病因を部分的に共有していると考えられるが(Meier et al., 2015),十分な解明には至っていない。』(注:a) この引用部の著者は中川彰子です。 b) 引用中の「Meier et al., 2015」は次の論文です。 「Obsessive-Compulsive Disorder and Autism Spectrum Disorders: Longitudinal and Offspring Risk」) (v) 引用中の「自閉スペクトラム症(ASD)」における「強迫症に関連する点」に関する「自閉スペクトラム症傾向を認める強迫症者への介入」については「E/RP又はERP(ここを参照)の実践において,ASD 特性が強い患児であるほど,より丁寧に実施した方がよいと考えている点」を含めて次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症傾向を認める強迫症者への介入」 加えて、「OCD において ASD の併存例には典型例であっても ERP が適用できない,あるいは治療予後が悪い,といわれているのは,このような患者理解と配慮がなされずに技法の適用を急ぐからである」ことについては上記「AS と強迫 症状論・支援論」の「成人の ASD に併存する OCD への認知行動療法の実際」項における記述の一部(P080)を次に引用(【 】内)します。 【OCD において ASD の併存例には典型例であっても ERP が適用できない,あるいは治療予後が悪い,といわれているのは,このような患者理解と配慮がなされずに技法の適用を急ぐからであり,患者の特性に合わせた工夫をして治療を進めれば,十分な効果を示すという報告がなされてきている(Bedford et al., 2020 ; Nakagawa et al., 2019)。】(注:1) この引用部の著者は中川彰子です。 2) 引用中の「Bedford et al., 2020」は次の論文です。 「Co-occurrence, Assessment and Treatment of Obsessive Compulsive Disorder in Children and Adults With Autism Spectrum Disorder」 3) 引用中の「Nakagawa et al., 2019」は次の資料です。 「Long-term outcome of CBT in adults with OCD and comorbid ASD: A naturalistic follow-up study」) 

なお、強迫症におけるストレスによる身体症状について、上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「体調の管理 自分の体質を知り、生活リズムを保つ」における記述の一部(P114)を以下に引用します。また、拙訳はありませんが強迫症の発症及び維持におけるストレスの役割については次の論文(全文)を参照して下さい。 「The Role of Stress in the Pathogenesis and Maintenance of Obsessive-Compulsive Disorder

(前略)ストレスは神経、ホルモン、免疫のバランスに影響を与えるため、強迫症が重いと、症状がストレスとなって、さらに悪影響を与える可能性があります。
ただ、それが身体症状として現れるかどうかは、個人差があります。(中略)

身体症状の例
・動悸が激しくなる
・息苦しい
・寒さや暑さを感じやすい
・汗を多くかく
・吐き気や腹部の不快感
・ふらつき、めまい感
・頭痛(後略)

注:i) 引用中の「ストレス」と「神経」に関連するかもしれない、「ストレス応答のSAM系」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、強迫症(OCD)におけるリアルタイム fMRI の適用について、以下に二つの論文を紹介します。ちなみに、うつ病に対するリアルタイム fMRI を用いた扁桃体のニューロフィードバックの論文についてのツイートは ここを参照して下さい。

Self-Regulation of Anterior Insula with Real-Time fMRI and Its Behavioral Effects in Obsessive-Compulsive Disorder: A Feasibility Study.[拙訳]リアルタイム fMRI を用いた前島部の自己調節及び強迫症におけるその行動効果:フィージビリティスタディ(全文はここを参照して下さい)

INTRODUCTION:
Obsessive-compulsive disorder (OCD) is a common and chronic condition that can have disabling effects throughout the patient's lifespan. Frequent symptoms among OCD patients include fear of contamination and washing compulsions. Several studies have shown a link between contamination fears, disgust over-reactivity, and insula activation in OCD. In concordance with the role of insula in disgust processing, new neural models based on neuroimaging studies suggest that abnormally high activations of insula could be implicated in OCD psychopathology, at least in the subgroup of patients with contamination fears and washing compulsions.

METHODS:
In the current study, we used a Brain Computer Interface (BCI) based on real-time functional magnetic resonance imaging (rtfMRI) to aid OCD patients to achieve down-regulation of the Blood Oxygenation Level Dependent (BOLD) signal in anterior insula. Our first aim was to investigate whether patients with contamination obsessions and washing compulsions can learn to volitionally decrease (down-regulate) activity in the insula in the presence of disgust/anxiety provoking stimuli. Our second aim was to evaluate the effect of down-regulation on clinical, behavioural and physiological changes pertaining to OCD symptoms. Hence, several pre- and post-training measures were performed, i.e., confronting the patient with a disgust/anxiety inducing real-world object (Ecological Disgust Test), and subjective rating and physiological responses (heart rate, skin conductance level) of disgust towards provoking pictures.

RESULTS:
Results of this pilot study, performed in 3 patients (2 females), show that OCD patients can gain self-control of the BOLD activity of insula, albeit to different degrees. In two patients positive changes in behaviour in the EDT were observed following the rtfMRI trainings. Behavioural changes were also confirmed by reductions in the negative valence and in the subjective perception of disgust towards symptom provoking images.

CONCLUSION:
Although preliminary, results of this study confirmed that insula down-regulation is possible in patients suffering from OCD, and that volitional decreases of insula activation could be used for symptom alleviation in this disorder.


[拙訳]
前書き:
強迫症(OCD)は、患者の一生を通して廃疾効果を有し得る一般的かつ慢性の状態である。 OCD 患者の間で頻繁に起こる症状には、汚染への恐れ及び洗浄強迫行為を含む。OCD における汚染への恐怖、嫌悪の過反応、そして島の活性化の間の関連を、いくつかの研究は示している。嫌悪処理における島の役割と一致して、神経画像法研究に基づく新しい神経モデルは、少なくとも汚染恐怖及び洗浄強迫行為を伴う患者のサブグループにおいて、異常に高い島の活性化が OCD の精神病学に関与し得るだろうことを示唆する。

方法:
本研究では、OCD 患者が前島における血中酸素濃度依存(BOLD)信号のダウンレギュレーションを達成するのを支援するために、リアルタイム機能的磁気共鳴画像法(rtfMRI)に基づくブレイン・マシン・インターフェース(BCI)を我々は使用した。私たちの第一の目的は、汚染強迫観念及び洗浄強迫行為を伴う患者が、嫌悪/不安を誘発する刺激の存在下で、島における活動を自発的に減少(ダウンレギュレーション)することを学習することができるかどうかを調べることであった。第二の目的は、OCD 症状に関係する臨床的、行動的及び生理学的変化に及ぼすダウンレギュレーションの効果を評価することであった。よって、いくつかのトレーニング前後の測定が実施され、すなわち実世界の対象(Ecological disgust test:EDT)を誘発する嫌悪/不安を伴う患者が直面し、そして上記測定は挑発的な画像に対する嫌悪の主観的評価及び生理学的応答(心拍数、皮膚コンダクタンスレベル)であった。

結果:
3人の患者(2人の女性)で実施されたこのパイロット研究の結果では、OCD 患者が、異なる程度ではあるが、島の BOLD 活性の自己制御を得ることができることが示された。 2人の患者において、rtfMRI訓練後に EDT の行動における正の変化が観察された。行動の変化はまた、ネガティブな感情価及び症状を誘発する画像に対する嫌悪の主観的知覚における減少によっても確認された。

結論:
予備的ではあるが、この研究の結果により、OCD に罹患している患者において島のダウンレギュレーションが可能であり、そして島の活性化の意志による減少がこの障害における症状緩和に使用できるだろうことが確認された。

注:i) 引用中の「強迫症」(強迫性障害)及び「洗浄強迫」については、共にここを参照して下さい。 ii) 引用中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 加えて、トラウマの視点からの「島の異常な活性化」について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第14章 言葉――奇跡と暴虐 の「自分の体になる」における記述の一部(P406)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマ患者の脳画像研究ではほぼ例外なく、島の異常な活性化が見つかる。脳のこの部分は、筋肉や関節やバランス(固有受容)システムといった内部器官からの入力を統合して解釈し、一つにまとまった体を持っているという感覚を生み出す。島は信号を扁桃体に伝え、闘争/逃走反応を引き起こすこともできる。』(注:引用中の「扁桃体」、「闘争/逃走反応」については、他の拙エントリのここにおける引用の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」及び「ストレス反応を制御する――監視塔」を参照して下さい) iii) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」及び「血中酸素濃度依存(BOLD)信号」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iv) 引用中の「感情価」は情動価とも称され、ネガティブ、ポジティブ又はニュートラルといった感情の方向性を示すものです。 v) 引用中の「皮膚コンダクタンス」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「右島皮質損傷によってネガティブ表情の識別に混乱を示した一例」の Ⅱ.表情認識課題 の「3.方法」項 vi) 引用中の「Ecological disgust test:EDT」については、全文の Screening の「1. Ecological disgust test (EDT)」項を参照して下さい。

Orbitofrontal cortex neurofeedback produces lasting changes in contamination anxiety and resting-state connectivity.[拙訳]眼窩前頭皮質のニューロフィードバックは、汚染の不安及び安静時の結合性に持続的な変化を引き起こす(全文はここを参照して下さい)

Anxiety is a core human emotion but can become pathologically dysregulated. We used functional magnetic resonance imaging (fMRI) neurofeedback (NF) to noninvasively alter patterns of brain connectivity, as measured by resting-state fMRI, and to reduce contamination anxiety. Activity of a region of the orbitofrontal cortex associated with contamination anxiety was measured in real time and provided to subjects with significant but subclinical anxiety as a NF signal, permitting them to learn to modulate the target brain region. NF altered network connectivity of brain regions involved in anxiety regulation: subjects exhibited reduced resting-state connectivity in limbic circuitry and increased connectivity in the dorsolateral prefrontal cortex. NF has been shown to alter brain connectivity in other contexts, but it has been unclear whether these changes persist; critically, we observed changes in connectivity several days after the completion of NF training, demonstrating that such training can lead to lasting modifications of brain functional architecture. Training also increased subjects' control over contamination anxiety several days after the completion of NF training. Changes in resting-state connectivity in the target orbitofrontal region correlated with these improvements in anxiety. Matched subjects undergoing a sham feedback control task showed neither a reorganization of resting-state functional connectivity nor an improvement in anxiety. These data suggest that NF can enable enhanced control over anxiety by persistently reorganizing relevant brain networks and thus support the potential of NF as a clinically useful therapy.


[拙訳]
不安は人間の情動の中核であるが、病理学的に調節不能になり得る。安静時の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)によって測定される、脳の結合性のパターンを非侵襲的に変化させ、そして汚染の不安を軽減するために、fMRI ニューロフィードバック(NF)を我々は使用した。汚染の不安に関連する眼窩前頭皮質の領域の活動は、リアルタイムで測定され、そして NF シグナルとして有意であるが潜在性の不安を有する被験者に提示され、彼らが標的脳領域を調節することを学ぶことを可能にする。NF は、不安調節に関与する脳領域のネットワークの結合性を変化させた:被験者は、辺縁系回路における安静時の結合性を低下させ、そして背外側前頭前野における結合性を増加させた。 NF は他の文脈において脳の結合性を変化させることが示されているが、これらの変化が持続するかどうかは不明である;批判的に、NF 訓練の完了後数日の結合性における変化を我々は観察し、そのような訓練が脳機能構造の持続的な調整につながることを実証した。訓練はまた、NF 訓練の完了後数日の汚染の不安に関する被験者の制御を増加させた。標的眼窩前頭領域での安静時の結合性における変化は、不安におけるこれらの改善と相関していた。偽のフィードバック制御課題を経験した釣り合った被験者は、安静時の機能的結合性の再構築も、不安における改善も示さなかった。関連する脳ネットワークを持続的に再構築することによる不安に対する強化された制御を NF は可能にでき、そして、このように臨床的に有用なセラピーとしての NF の可能性を支持することを、これらのデータは示唆する。

注:i) 引用中の「眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「大脳辺縁系」については、例えば拙エントリのここ及び次の資料を参照して下さい。 「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 iii) トラウマの視点からの引用中の「背外側前頭前野」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 iv) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「汚染の不安」に関連するかもしれない「不潔恐怖・洗浄強迫」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 vii) 引用中の「ニューロフィードバック」については、例えば次の論文を参照して下さい。 「Neurofeedback with fMRI: A critical systematic review.」(全文はここを参照して下さい)

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≪余談7≫プラセボ、ノセボ、条件反射(条件付け)、サイバー心気症等に関連した論文・資料紹介

最初に、a) プラセボ、ノセボ、条件反射、MCS、化学物質過敏症に関するエントリ例を以下の①~⑥に、WEBページ・資料例を以下の⑦~⑨にそれぞれ示します。 b) 喘息における心身相関についてのWEBページをに示します。 c) 他の拙エントリへのリンクはに示します。ちなみに、引用はしませんが、化学物質過敏状態とノセボ(ノシーボ)効果との関係については、マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.4. 化学物質過敏状態が引き起こされるメカニズム」項(P53)を参照して下さい。加えて、電磁波過敏症におけるノセボ効果については他の拙エントリのここここここここ及びここを参照して下さい。さらに、「予測に基づく痛みの説明」としてのノシーボ(ノセボ)効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、上記リンクに関連するかもしれない、 i) 「条件付け」については、目次や他の拙エントリを対象としたリンク集をそれぞれ参照して下さい。 ii) 「意識」については、次のWEBページを参照して下さい。 「意識 - 脳科学辞典」 さらに、この余談の最後に、「私たちを,メディアが引き起こす恐怖の連鎖に呑み込まれやすくしている」ことについての記述を引用します。

① 『メモ「意識的な認識によらないプラセボ・ノセボの可能性」 - 忘却からの帰還
② 「実体化したノセボは容易に消せるものなのだろうか? - 忘却からの帰還*35
③ 「ノセボ... - 忘却からの帰還
④ 「プラセボ ノセボ 条件反射 MCS - 忘却からの帰還
⑤ 「化学療法の条件付けのノセボの威力には驚く他ない - 忘却からの帰還*36
⑥ 「ノセボ効果:病気のことを考えると病気になる - 食品安全情報blog
⑦ 「化学物質過敏症」(特に資料中の P29)
⑧ 「トラマドールに対する鎮痛効果への期待と副作用の不安の関係:臨床実習前の医学生を対象とした予備調査
⑨ 「吐き気の出やすい薬はプラセボでも吐き気
⑩ 「スタチンのノセボ効果が明らかに/Lancet*37
⑪ 拙訳はありませんが論文(全文)「Japanese guidelines for adult asthma 2017」の「6.10. Aspects of psychosomatic medicine」項 加えて、これに関連して他の拙エントリのここここを参照して下さい。
⑫ 精神療法からの視点を考慮した、うつ病に力点をおいたノセボ効果を含めたプラセボ効果についての論考は、例えば次の資料を参照して下さい。 「プラセボ効果の吟味と精神療法の再評価 ――うつ病に力点をおいて――
⑬ 動物における匂いの学習記憶(関連付け)については、他の拙エントリのここを、加えて、情動記憶とは一種の条件づけ記憶であることについては、他の拙エントリのここを、それぞれ参照して下さい。
⑭ 論文要旨「Nocebo Response in Attention Deficit Hyperactivity Disorder: Meta-Analysis and Meta-Regression of 105 Randomized Clinical Trials」 なお、この論文要旨の「Results」項には次に引用(『 』内)する記述があります。 『Slightly over half (55.5%) of the patients experienced adverse events (AE) while receiving placebo.[拙訳]患者の半数強(55.5%)は、プラセボ投与中に有害事象(AE)を経験した。』
⑮ 拙訳はありませんが論文(全文)「Frequency of Adverse Events in the Placebo Arms of COVID-19 Vaccine Trials A Systematic Review and Meta-analysis

加えて、条件付け、ノセボ効果、プラセボ効果及び/又はサイバー心気症(自分の健康状態が不安となり、多くのネット上の医療情報を検索し、根拠が乏しい情報であっても自分の症状に当てはめて、さらに不安に陥ってしまうような状態)に関連する複数の論文要旨を以下に紹介します。これらの論文には、メディアの環境汚染についての警告が症状に与える影響や突発性環境不耐症についての論文も含みます。ちなみに、 a) 英文ですが、プラセボについての文献集の例は次のWEBページを参照して下さい。 「Publications」 b) 電磁波過敏症におけるノセボ効果については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 上記「サイバー心気症」に関連するかもしれない、「総合診療科外来には、病気は軽いのに病人になっている人が多数訪れる」と不安のきっかけのとしての「インターネット情報などに由来する患者自身の偏った思い込み」とについては、pdfファイル「講演抄録」中の文書「テーマ:総合診療科外来でのメンタル疾患への対応」における記述の一部を次に引用します。

総合診療科外来には、病気は軽いのに病人になっている人が多数訪れる。人間は身体の調子が悪いと気分も落ちる。しばしば悪い方に考えて不安になってしまうものである。そこに色々と不完全な情報が加わる。現代では、インターネットを通じて多くの情報を得ることができ、患者はそこから自分の症状に関連した知見を取り出す。情報源はインターネットのみでなく、周囲の友人・知人、受診した医療機関からも発せられる。これらの情報も正しく理解されるとは限らず、聞き手の思い込みによるバイアスがかかる。
不安のきっかけは、①近親者や親しい人が類似の症状を持って死亡した経験、②インターネット情報などに由来する患者自身の偏った思い込み、③仲間の一言、④医療者の一言、などの可能性がある。それに対する反応は、①生活レベルを低下させる、②不安や欝状態になる、③医療者を恫喝する、④doctor shoppingを繰り返す、など人によって異なる。

注:引用中の「これらの情報も正しく理解されるとは限らず、聞き手の思い込みによるバイアスがかかる」ことに関連するかもしれない、MCS において「信念体系が導入される」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

(1) 「Pavlovian conditioning and multiple chemical sensitivity.[拙訳]パブロフの条件付けと MCS」

Pavlovian conditioning processes may contribute to some symptoms of multiple chemical sensitivity (MCS). This review summarizes the potential relevance of the literature on conditional taste and olfactory aversions, conditional sensitization, and conditional immunomodulation to understanding MCS. A conditioning-based perspective on MCS suggests novel research and treatment strategies.


[拙訳]
パブロフの条件付けのプロセスは、多種化学物質過敏状態(MCS)のいくつかの症状に寄与するかもしれない。このレビューでは、MCS を理解するための、条件付けを引き起こす味と嗅覚嫌悪、条件付けの感作及び条件付けの免疫調節に関する文献の潜在的な関連性をまとめた。 MCS に関する条件付けに基づいた視点は、新規の研究と治療戦略を示唆する。

注:i) MCS 又はシックハウス症候群と条件付けとの関係についての他の引用例は、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。ちなみに、不安症状の再発としてのパブロフの条件付けについては、次の資料を参照して下さい。 「不安症状の再発 ―パヴロフ型条件づけの基礎研究と理論から―

(2) 「Multiple chemical sensitivity as a conditional response.[拙訳]条件反応としての MCS」

Pavlovian conditioning may contribute to some cases of multiple chemical sensitivity (MCS). On the basis of the conditioning analysis, environmental stimuli (especially olfactory cues) present at the time of a toxicant overdose become associated with the toxicant and elicit aversive conditional responses. Similar associations have been reported in patients receiving chemotherapy, and the literature on such 'pretreatment nausea' in cancer patients is relevant to understanding the role of conditioning in MCS. Evaluation of the contribution of conditioning to MCS has been complicated by confounding interpretations that emphasize conditional responses with interpretations which emphasize the psychiatric status of the patient. Appreciation of the contribution of Pavlovian conditioning to MCS will lead to a better understanding of this complex disorder.


[拙訳]
パブロフの条件付けは、多種化学物質過敏状態(MCS)のいくつかのケースの原因となるかもしれない。条件付け分析に基づき、毒物の過剰摂取時に存在する環境刺激(特に嗅覚)は毒物と関連づけられ、嫌悪条件反応を誘発する。化学療法を受けた患者おいて類似の関連が報告されてきた。そして、がん患者における「治療前の吐き気」に関する文献は、MCS における条件付けの役割の理解に関連する。MCS の条件付けへの寄与の評価は、患者の精神状態を強調する解釈による条件反応を強調する混乱させる解釈により複雑化している。MCS のパブロフの条件付けの寄与の理解は、この複雑な疾患のより良い理解につながる。

注:i) 拙訳中の「治療前の吐き気」は化学療法における抗がん剤投与前の吐き気のようです。ちなみに、化学療法の条件付けのノセボの威力についてのエントリはのリンク先を参照して下さい。 ii) MCS 又はシックハウス症候群と条件付けとの関係についての他の引用例は、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。ちなみに、不安症状の再発としてのパブロフの条件付けについては、次の資料を参照して下さい。 「不安症状の再発 ―パヴロフ型条件づけの基礎研究と理論から―

(3) 「A Neural Mechanism for Nonconscious Activation of Conditioned Placebo and Nocebo Responses.[拙訳]条件付けられたプラセボ及びノセボ反応の無意識活性化に対する神経メカニズム」

Fundamental aspects of human behavior operate outside of conscious awareness. Yet, theories of conditioned responses in humans, such as placebo and nocebo effects on pain, have a strong emphasis on conscious recognition of contextual cues that trigger the response. Here, we investigated the neural pathways involved in nonconscious activation of conditioned pain responses, using functional magnetic resonance imaging in healthy participants. Nonconscious compared with conscious activation of conditioned placebo analgesia was associated with increased activation of the orbitofrontal cortex, a structure with direct connections to affective brain regions and basic reward processing. During nonconscious nocebo, there was increased activation of the thalamus, amygdala, and hippocampus. In contrast to previous assumptions about conditioning in humans, our results show that conditioned pain responses can be elicited independently of conscious awareness and our results suggest a hierarchical activation of neural pathways for nonconscious and conscious conditioned responses. Demonstrating that the human brain has a nonconscious mechanism for responding to conditioned cues has major implications for the role of associative learning in behavioral medicine and psychiatry. Our results may also open up for novel approaches to translational animal-to-human research since human consciousness and animal cognition is an inherent paradox in all behavioral science.


[拙訳]
人間の行動の基本的な側面は、意識的な認識外で作動する。痛みのプラセボ及びノセボ効果等のヒトにおける条件反応の理論は依然として、反応を誘発する文脈的な手がかりの意識的な認知に関して大きく強調している。ここで、健康な被験者における機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いた痛みの条件反応の無意識活性化に関わる神経路を我々は調査した。意識活性化と比較した条件プラセボ無痛覚の無意識活性化は、感情の脳領域と基本報酬処理への直接的な結合を伴う構造の、眼窩前頭皮質の増加した活性化に関連していた。無意識のノセボの間、視床扁桃体及び海馬の活性化が増加した。ヒトにおける条件付けについての従来の仮説とは対照的に、我々の結果は、痛みの条件反応は意識的な認識とは独立して誘発しうることを示し、及び無意識並びに意識条件反応の神経路の階層的な活性化を示唆する。ヒトの脳は条件刺激への反応の無意識的なメカニズムを有することの実証は、行動医学と精神医学における連合学習の役割に​​大きな影響を持つ。全ての行動科学において、ヒトの意識と動物の認識は固有のパラドックスなので、我々の結果はまた、動物からヒトへの橋渡し研究への新たなアプローチも開くかもしれない。

注:i) この引用を読む前に他の拙エントリのここを読んだ方が良いかもしれません。 ii) この論文に関連するかもしれないエントリはのリンク先を参照して下さい。 iii) 拙訳中の「意識」については、次のWEBページを参照して下さい。「意識 - 脳科学辞典」 iv) 拙訳中の「機能的磁気共鳴画像法(fMRI)」については、例えば次の資料を参照して下さい。「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用

(4) 「Emotion-specific nocebo effects: an fMRI study.[拙訳]情動に特異的なノセボ効果:機能的磁気共鳴画像法の研究」

The neurobiological mechanisms of nocebos are still poorly understood. Thirty-eight women participated in a 'smell study' using functional magnetic resonance imaging. They were presented with an odorless stimulus (distilled water) together with the verbal suggestion that this fluid has an aversive odor which enhances disgust feelings. The nocebo was presented while the participants viewed disgusting, fear-inducing, and neutral images. Participants' affective and neuronal responses during nocebo administration were compared with those in a control condition without nocebo. Twenty-nine women (76%) reported perceiving a slightly unpleasant and arousing odor. These 'nocebo responders' experienced increased disgust during the presentation of disgusting images in combination with the nocebo and showed enhanced left orbitofrontal cortex (OFC) activation. It has been suggested that the OFC is involved in the generation of placebo/nocebo-related expectations and appraisals. This region showed increased functional connectivity with areas involved in interoception (insula), autobiographical memories (hippocampus), and odor imagery (piriform cortex) during nocebo administration. The nocebo-induced change in brain activation was restricted to the disgust condition. Implications for psychotherapy are discussed.


[拙訳]ノセボの神経生物学的メカニズムはまだほとんど理解されていない。38人の女性が機能的磁気共鳴画像法を用いた「におい研究」に参加した。この液体が嫌な気持ちを高める嫌悪臭を有するという口頭での示唆を伴って、彼女らに無臭の刺激(蒸留水)が提示された。参加者が、嫌悪、恐怖を誘発する、中立的な画像を見ている間にノセボが提示された。ノセボ適用中の参加者の感情的及び神経的な応答はノセボ無しの対象条件のそれらと比較された。29人の女性(76%)はわずかに不快及び喚起する臭気を知覚することを報告した。これらの「ノセボ応答者」はノセボと併用した嫌な画像の提示中に嫌悪感の増加を経験し、そして左眼窩前頭皮質(OFC)活性化の増強を示した。OFC はプラセボ/ノセボ関連の期待と評価の生成に関与していることが示唆されている。この領域は、ノセボ適用中の内受容感覚(島)、自伝的記憶(海馬)及び臭いの心象(梨状皮質)において関与する領域との機能的結合の増加を示した。脳の活性化におけるノセボに引き起こされた変化は嫌悪状態に限られた。心理療法のための含意が議論された。

注:i) 拙訳中の「機能的磁気共鳴画像法」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 ii) 引用中の「梨状皮質」に関連する「嗅内野」については次のWEBページを参照して下さい。 「嗅内野 - 脳科学辞典」 iii) 拙訳中の「自伝的記憶」に関連する「エピソード記憶」については次のWEBページを参照して下さい。 「エピソード記憶 - 脳科学辞典」 iv) 拙訳中の「眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 v) 拙訳中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 vi) 拙訳中の「内受容感覚」については他の拙エントリのここここを参照すると良いかもしれません。 vii) 標記「情動」については、WEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 ix) この要旨で記述されている「臭い(嗅覚)における嫌悪感を伴うノセボ効果」に関連する「嗅覚嫌悪条件づけ」についてはここを参照して下さい。 x) 化学物質過敏状態が引き起こされるメカニズムにおける「臭い刺激によるノシーボ効果」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) ノセボに関する引用中の「嫌悪臭」に関連するかもしれない「認知的要因が特定悪臭物質の快不快に及ぼす影響」については次の資料を参照して下さい。 「認知的要因が特定悪臭物質の快不快に及ぼす影響:臭気順応計測システムによる計測」の「4. 考察」項

(5) 「Media warnings about environmental pollution facilitate the acquisition of symptoms in response to chemical substances.[拙訳]環境汚染についてのメディアの警告は、化学物質への応答に対する症状の獲得を促進する」

OBJECTIVE:
Previous studies showed that somatic symptoms can be acquired in response to chemical substances using an associative learning paradigm, but only when the substance was foul smelling and not when it smelled pleasant. In this study, we investigated whether warnings about environmental pollution would facilitate acquiring symptoms, regardless of the pleasantness of the smell.

METHOD:
One group received prior information framing the study in the context of the rapidly increasing chemical pollution of our environment. Another group received no prior information. Conditional odor stimuli (CS) were diluted ammonia (foul-smelling) and niaouli (neutral-positive smelling); the unconditional stimulus (UCS) was 10% CO2-enriched air. Each subject breathed one odor mixed with CO2 and a control odor mixed with air in 80-sec breathing trials. The type of odor mixed with CO2 was counterbalanced across participants. Next, the same breathing trials were administered without CO2. Breathing behavior was measured during each trial; subjective symptoms were assessed after each trial.

RESULTS:
Only participants who had been given warnings about environmental pollution reported more symptoms to the odor that had previously been associated with CO2, compared with the control odor. This was so for both the foul- and the pleasant-smelling odor. Symptom learning did not occur in the group that did not receive warnings. The elevated symptom level could not be accounted for by altered respiratory behavior, nor by experimental demand effects.

CONCLUSIONS:
Raising environmental awareness through warnings about chemical pollution facilitates learning of subjective health symptoms in response to chemical substances.


[拙訳]
目的:
これまでの研究では、連合学習のパラダイムを用い、化学物質に応答して、身体症状を獲得しうることが示されたが、物質が悪臭であったかつ快適なニオイでなかった時のみであった。本研究では、ニオイの快適さに関わらず、環境汚染に関する警告が症状の獲得を促進するであろうかどうかを調査した。

方法:
片方のグループは、環境の化学物質汚染の急速な増加の文脈における研究で構成される情報を、前もって受け取った。もう片方のグループは、前もった情報を受け取らなかった。条件付けの臭い刺激(CS)は薄めたアンモニア(悪臭)及びニアウリ(中立的-快適なニオイ)で、一方、非条件刺激(UCS)は 10% CO2 の富化空気であった。それぞれの被験者は 80 秒間呼吸試験において、CO2 と混合された片方の臭気と空気と混合された対照となるもう片方の臭気を吸った。CO2 と混ぜた臭気の種類は被験者全体で釣り合わせた。次に、同じ呼吸試験を CO2 なしで実施した。呼吸行動はそれぞれの試験中に測定され、主観的な症状はそれぞれの試験後に評価された。

結果:
環境汚染についての警告を受けた参加者だけが、前もった CO2 と関連していた臭気に対し、対照となる臭気と比較してより多くの症状を報告した。これは、悪臭と快適なニオイの両方であった。症状の学習は、警告を受けていないグループでは発生しなかった。症状レベルの上昇は、呼吸行動の変化や実験的な要求効果によって説明できなかった。

結論:
化学物質の汚染についての警告を通じて環境意識を高めることは、化学物質に反応した主観的な健康症状の学習を促進する。

注:i) 拙訳中の「パラダイム」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。『10分でわかる「パラダイム」の意味と使い方』 ii) 拙訳中の「CO2」は二酸化炭素のことです。 iii) 悪臭に関する標記「環境汚染についてのメディアの警告」に関連するかもしれない「臭気公害現場において,臭気に対する評価が風評やマスコミの影響を受けやすいこと」については次の資料を参照して下さい。 「認知的要因が特定悪臭物質の快不快に及ぼす影響:臭気順応計測システムによる計測」の「4. 考察」項 iv) 電磁波における同様な知見、すなわち、メデイア報道が電磁波過敏症の進行を促進することの報告を含む電磁波過敏症とノセボ効果の関係を示すものについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

(6) 「Cyberchondria and intolerance of uncertainty: examining when individuals experience health anxiety in response to Internet searches for medical information.[拙訳]サイバー心気症及び不確実性への不耐性:医療情報のインターネット検索に応答した健康不安を個々人が体験した時の調査」

Individuals frequently use the Internet to search for medical information. However, for some individuals, searching for medical information on the Internet is associated with an exacerbation of health anxiety. Researchers have termed this phenomenon as cyberchondria. The present research sought to shed further light onto the phenomenology of cyberchondria. In particular, the moderating effect of intolerance of uncertainty (IU) on the relationship between the frequency of Internet searches for medical information and health anxiety was examined using a large sample of medically healthy community adults located in the United States (N=512). The purported moderating effect of IU was supported. More specifically, the relationship between the frequency of Internet searches for medical information and health anxiety grew increasingly stronger as IU increased. This moderating effect of IU was not attributable to general distress. These results suggest that IU is important for better understanding the exacerbation of health anxiety in response to Internet searches for medical information. Conceptual and therapeutic implications of these results are discussed.


[拙訳]
個々人はしばしばインターネットを使用して医療情報を検索する。しかしながら、一部の個々人にとって、インターネット上で医療情報を検索することは、健康不安の悪化に関連する。研究者はこの現象をサイバー心気症と名付けた。本研究では、サイバー心気症の現象学にさらなる光を当てようと努めた。特に、不確実性への不耐性(IU)が、医療情報のインターネット検索の頻度と健康不安の関係に及ぼす効果を、米国における医学的に健全なコミュニティの大人の大規模サンプル(N = 512)を用いて調査した。 IU の調整効果と称されるものが支持された。より具体的には、IU が増加するにつれて、医療情報のインターネット検索の頻度と健康不安の関係がますます強くなった。 IU のこの適度な効果は、一般的な苦痛に起因するものではなかった。これらの結果は、医療情報のインターネット検索に応答した健康不安の悪化のより良い理解に、IU が重要であることを示唆する。これらの結果の概念的及び治療的含意が議論された。

注:i) 標記「サイバー心気症」は、自分の健康状態が不安となり、多くのネット上の医療情報を検索し、根拠が乏しい情報であっても自分の症状に当てはめて、さらに不安に陥ってしまうような状態のようです。ちなみに、「心気症」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 -脳科学辞典」の「心気症」項 ii) 引用中の「N = 512」は人数を示します。 iii) 引用中の「Intolerance of Uncertainty」については、例えば次の論文(全文)を参照して下さい。 「Intolerance of Uncertainty: A Common Factor in the Treatment of Emotional Disorders*38 加えて、論文(全文)「Conceptualizations of Cyberchondria and Relations to the Anxiety Spectrum: Systematic Review and Meta-analysis」の「Intolerance of Uncertainty」項も参照すると良いかもしれません。

(7) 「Cyberchondria: Parsing Health Anxiety From Online Behavior.[拙訳]サイバー心気症:オンライン上の行動からの健康不安の解析」

BACKGROUND:
Individuals with questions about their health often turn to the Internet for information about their symptoms, but the degree to which health anxiety is related to online checking, and clinical variables, remains unclear. The clinical profiles of highly anxious Internet checkers, and the relationship to checking behavior itself, have not previously been reported.

OBJECTIVE:
In this article, we test the hypothesis, derived from cognitive-behavioral models, that individuals with higher levels of illness anxiety would recall having experienced worsening anxiety after reassurance-seeking on the Internet.

METHOD:
Data from 731 volunteers who endorsed engaging in online symptom-searching were collected using an online questionnaire. Severity of health anxiety was assessed with the Whiteley Index, functional impairment with the Sheehan Disability Scale, and distress recall during and after searching with a modified version of the Clinician's Global Impairment scale. Multiple regression analyses were conducted to determine variables contributing to distress during and after Internet checking.

RESULTS:
Severity of illness anxiety on the Whiteley Index was the strongest predictor of increase in anxiety associated with, and consequent to, online symptom-searching. Individuals with high illness anxiety recalled feeling worse after online symptom-checking, whereas those with low illness anxiety recalled relief. Longer-duration online health-related use was associated with increased functional impairment, less education, and increased anxiety during and after checking.

CONCLUSION:
Because individuals with moderate-high levels of illness anxiety recall experiencing more anxiety during and after searching, such searching may be detrimental to their health. If replicated in controlled experimental settings, this would suggest that individuals with illness anxiety should be advised to avoid using the Internet for illness-related information.


[拙訳]
背景:
健康に対する質問を有する個々人は、しばしば症状についての情報を得るためにインターネットに向かうが、健康の不安がオンラインチェックに関連する程度、及び臨床的変数は不明なままである。非常に不安なインターネットチェッカーの臨床プロファイル、及び検査行動自体との関係は、以前には報告されていない。

目的:
この論説では、認知行動モデルから導かれた仮説、より高いレベルの病気不安を有する個々人がインターネット上で安心さがしを行った後に不安を悪化させたことを想起するだろうということ、を我々は検証する。

方法:
オンラインのアンケートを用いてオンラインの症状検索に従事することを是認した731人のボランティアからのデータを収集した。健康不安の深刻さはホワイトリー指数、機能障害は Sheehan Disability Scale、検索中及び検索後の苦痛の想起は Clinician's Global Impairment scale で評価した。インターネットチェック中及びチェック後の苦痛に寄与する変数を決定するために重回帰分析が実施された。

結果:
ホワイトリー指数上の病気不安の深刻さがオンライン症状検索に関連し、その結果として生じる不安における増加の最も強い予測因子であった。低い健康不安を有する個々人は、安堵を想起した一方、高い健康不安を有する個々人は、オンラインの症状検索後により悪いと感じることを想起した。長く続くオンラインでの健康に関する使用は、チェック中及びチェック後の機能障害の増加、より少ない教育、そして不安の増加に関連した。

結論:
中-高レベルの病気不安を有する個々人は、検索中及び検索後により大きな不安の体験を想起するので、このような検索は彼らの健康にとって有害かもしれない。制御された実験設定で繰り返された場合には、病気不安を有する個々人は、病気関連情報のためのインターネット使用を避けることをアドバイスすべきであることが示唆されるであろう。

注:i) 標記「サイバー心気症」は、自分の健康状態が不安となり、多くのネット上の医療情報を検索し、根拠が乏しい情報であっても自分の症状に当てはめて、さらに不安に陥ってしまうような状態のようです。ちなみに、「心気症」についてはここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害 -脳科学辞典」の「心気症」項 加えて、引用中の「病気不安」についてはここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「安心さがし」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『第10回 うつ症状と「安心さがし」・「ダメ出し要求」行動

(8) 「Moving toward a metacognitive conceptualization of cyberchondria: Examining the contribution of metacognitive beliefs, beliefs about rituals, and stop signals[拙訳]サイバー心気症のメタ認知的概念化への移行:メタ認知的信念、儀式についての信念、そしてストップシグナルの寄与の調査」

Cyberchondria refers to the repeated use of the Internet to search for health information that leads to negative consequences. The present set of studies examined the tenability of a proposed metacognitive conceptualization of cyberchondria that includes metacognitive beliefs about health-related thoughts, beliefs about rituals, and stop signals. The contribution of those variables to cyberchondria was examined among 330 undergraduate students from a U.S. university in Study 1 and 331 U.S. community respondents in Study 2. All participants reported using the Internet to search for health information. Across both studies, metacognitive beliefs, beliefs about rituals, and stop signals shared positive bivariate associations with cyberchondria and accounted for unique variance in cyberchondria scores in multivariate analyses. Beliefs about rituals and stop signals emerged as relatively specific to cyberchondria versus health anxiety in multivariate analyses. Results provide preliminary support for a metacognitive conceptualization of cyberchondria, with extensions of the present findings discussed.


[拙訳]
サイバー心気症とは、インターネットを繰り返し利用して健康情報を検索し、負の結果をもたらすことを指す。現在の一連の研究は、健康関連の思考についてのメタ認知的な信念、儀式についての信念、及びストップシグナルを含む、提案されたサイバー心気症のメタ認知的概念化の妥当性を調査した。研究 1 における米国の大学の330人の学部学生、そして研究 2 における米国のコミュニティの回答者の間で、サイバー心気症へのこれらの変数の寄与が調査された。全ての参加者はインターネットを利用した健康情報の検索を報告した。両方の研究に渡り、メタ認知的な信念、儀式についての信念、及びストップシグナルはサイバー心気症との二変量関連を共有し、多変量解析のサイバー心気症スコアにおけるユニークな変数を説明した。儀式についての信念及びストップシグナルは、多変量解析における比較的特異的な健康不安に対比したサイバー心気症として明らかとなった。議論した現在の知見の延長を伴うサイバー心気症のメタ認知的な概念化に対する予備的な支持が結果から与えられる。

注:i) 拙訳中の「メタ認知」については、次のWEBページを参照して下さい。「メタ認知 - 脳科学辞典」 ii) WEBページ「Moving toward a metacognitive conceptualization of cyberchondria: Examining the contribution of metacognitive beliefs, beliefs about rituals, and stop signals」における上記要旨についてのハイライトを形式を変更して次に引用します。

Highlights
•Examined a proposed metacognitive conceptualization of cyberchondria.
•Includes metacognitive beliefs about health-related thoughts.
•Beliefs about rituals and stop signals distinguish cyberchondria from health anxiety.
•Findings from two studies support the metacognitive conceptualization.


[拙訳]
ハイライト
・提案されたサイバー心気症のメタ認知的概念化を調査した。
・健康関連思考のメタ認知的信念を含む
・儀式についての信念及びストップシグナルは健康不安からサイバー心気症を弁別する
・2つの研究からの知見はメタ認知的概念化を支持する

(9) 「Self-Esteem and Cyberchondria: The Mediation Effects of Health Anxiety and Obsessive-Compulsive Symptoms in a Community Sample[拙訳]自尊心及びサイバー心気症:コミュニティサンプルにおける健康不安及び強迫症状のメディエーション効果」(注:この論文は PubMed では検索できません)

Cyberchondria refers to the excessive and repeated searching for medical information on the Internet and may be considered as health-related problematic Internet use. Previous findings indicated that cyberchondria is positively associated with health anxiety and obsessive-compulsive symptoms. Also, research suggests that excessive or problematic Internet use as well as health worries and compulsive behaviors are present among individuals with low self-esteem. This study sought to examine: (1) the association between self-esteem and cyberchondria, and (2) the mediating role of health anxiety and obsessive-compulsive symptoms in the relationship between self-esteem and cyberchondria. Participants (N = 207) from a community sample completed self-report measures assessing global self-esteem, health anxiety, obsessive-compulsive symptoms, and cyberchondria. We found that self-esteem directly predicted cyberchondria and that health anxiety and obsessive-compulsive symptoms parallelly mediated the relationship between self-esteem and cyberchondria. These findings suggest that low self-esteem, health anxiety and obsessive-compulsive symptoms can be considered vulnerability factors for cyberchondria. In addition, the reverse mediation model indicated that cyberchondria potentially predicts self-esteem both directly and through health anxiety and obsessive-compulsive symptoms. The bidirectional relationship among the analyzed variables are discussed in the context of potential psychological predictors and consequences of cyberchondria and possible mechanisms explaining cyberchondria. The current study provides further insight into the conceptualization of cyberchondria and the feasibility of specific treatment directions.


[拙訳]
サイバー心気症とはインターネット上の医療情報を過度に繰り返し検索することを指し、そして健康関連の問題のあるインターネットの使用と見なされるかもしれない。サイバー心気症が健康不安と強迫性症状とに正に関連していることを、以前の知見は示していた。また、低い自尊心を伴う個々人の間で、健康への不安及び強迫行動はもちろん、インターネットの過度又は問題な使用が存在することを、調査は示唆する。本研究では次を調査しようとした:(1) 自尊心とサイバー心気症との間の関連性、及び (2) 自尊心とサイバー心気症との間の関係における健康不安及び強迫症状がメディエイトする役割。コミュニティサンプルからの参加者(N = 207)は、包括的な自尊心、健康不安、強迫症状、及びサイバー心気症を評価する自己報告手段を完了した。自尊心がサイバー心気症を直接予測し、そして健康不安及び強迫症状が自尊心とサイバー心気症との間の関係を並行してメディエイトすることを、我々は見出した。低い自尊心、健康不安及び強迫症状がサイバー心気症の脆弱性要因と考え得ることを、これらの知見は示唆する。さらに、逆メディエーションモデルは、サイバー心気症が直接的に及びそして健康不安や強迫症状を介して、自尊心を潜在的に予測することを示した。分析された変数間の双方向の関係は、潜在的心理的予測因子、サイバー心気症の帰結及びサイバー心気症を説明する可能なメカニズムの文脈で議論される。サイバー心気症の概念化と特異的な治療方針の実現可能性に関するさらなる洞察を、本研究では提供する。

注:i) 引用中の「N = 207」は人数を指します。

(10) 「Recent Advances in the Understanding and Treatment of Health Anxiety.[拙訳]健康不安の理解と治療における最近の進歩」

PURPOSE OF REVIEW:
To examine the diagnosis of health anxiety, its prevalence in different settings, public health significance, treatment, and outcome.

RECENT FINDINGS:
Health anxiety is similar to hypochondriasis but is characterized by fear of, rather than conviction of, illness. Lifetime prevalence rates are 6% in the population and as high as 20% in hospital out-patients, leading to greater costs to health services through unnecessary medical contacts. Its prevalence may be increasing because of excessive internet browsing (cyberchondria). Drug treatment with antidepressants has some efficacy but is not well-liked, but psychological treatments, including cognitive behavior therapy, stress management, mindfulness training, and acceptance and commitment therapy, given either individually, in groups, or over the Internet, have all proved efficacious in both the short and longer term. Untreated health anxiety leads to premature mortality. Health anxiety has become an increasing clinical and public health issue at a time when people are being formally asked to take more responsibility in monitoring their own health. More attention by health services is needed.


[拙訳]
レビューの目的:
健康不安の診断、異なるセッティングにおけるその有病割合、公衆衛生上の意義、治療、及びアウトカム。

最近の知見:
健康不安は心気症に類似しているが、病気の確信よりもむしろ恐怖を特徴とする。生涯有病割合は、人口において6%、病院外来患者において20%と高く、不必要な医師への受診を通して保健サービスにかかる費用の増加をもたらす。過度のインターネットブラウジング(サイバー心気症)のためにその有病割合が増加している可能性がある。抗うつ薬を伴う薬物治療には有効性はあるものの、よく理解されていませんが、個人的、グループ又はインターネットでの認知行動療法、ストレス管理、マインドフルネストレーニング、及びアクセプタンス&コミットメント・セラピーを含む心理療法が短期的にも長期的にも効果的でることが証明されている。未治療の健康不安は、若年死亡をもたらす。自らの健康状態の監視において、人々がより多くの責任を負うように正式に求められている時に、健康不安は増加する臨床上及び公衆衛生上の問題となっている。保健サービスによりもっと注意を払う必要がある。

注:(i) 拙訳はありませんが、 a) 引用中の「未治療の健康不安は、若年死亡をもたらす」ことについては次の論文を参照して下さい。 「Health anxiety and risk of ischaemic heart disease: a prospective cohort study linking the Hordaland Health Study (HUSK) with the Cardiovascular Diseases in Norway (CVDNOR) project.」 b) 健康不安に対するマインドフルネス認知療法については次の論文を参照して下さい。 「A randomized clinical trial of mindfulness-based cognitive therapy versus unrestricted services for health anxiety (hypochondriasis).」 加えて、これに対するグループのアクセプタンス&コミットメント・セラピーについては次の論文を参照して下さい。 「Acceptance and commitment group therapy (ACT-G) for health anxiety: a randomized controlled trial.」 ちなみに、これに対する認知行動療法の論文は多くあるので紹介は省略しますが、「term="health+anxiety"+"cognitive+behavior+therapy"」を用いて PubMed 検索した結果を次に紹介します。 検索結果 (ii) 上記「マインドフルネス認知療法」については次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」 加えて、MCS(多種化学物質過敏状態)の治療法候補としての上記「マインドフルネス認知療法」については他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 (iii) 拙訳中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」については他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー

(11) 「Placebo and Nocebo Effects: The Advantage of Measuring Expectations and Psychological Factors.[拙訳]プラセボ及びノセボ効果:予期及び心理的要因測定のアドバンテージ」(全文はここを参照して下さい)

Several studies have explored the predictability of placebo and nocebo individual responses by investigating personality factors and expectations of pain decreases and increases. Psychological factors such as optimism, suggestibility, empathy and neuroticism have been linked to placebo effects, while pessimism, anxiety and catastrophizing have been associated to nocebo effects. We aimed to investigate the interplay between psychological factors, expectations of low and high pain and placebo hypoalgesia and nocebo hyperalgesia. We studied 46 healthy participants using a well-validated conditioning paradigm with contact heat thermal stimulations. Visual cues were presented to alert participants about the level of intensity of an upcoming thermal pain. We delivered high, medium and low levels of pain associated with red, yellow and green cues, respectively, during the conditioning phase. During the testing phase, the level of painful stimulations was surreptitiously set at the medium control level with all the three cues to measure placebo and nocebo effects. We found both robust placebo hypoalgesic and nocebo hyperalgesic responses that were highly correlated with expectancy of low and high pain. Simple linear regression analyses showed that placebo responses were negatively correlated with anxiety severity and different aspects of fear of pain (e.g., medical pain, severe pain). Nocebo responses were positively correlated with anxiety sensitivity and physiological suggestibility with a trend toward catastrophizing. Step-wise regression analyses indicated that an aggregate score of motivation (value/utility and pressure/tense subscales) and suggestibility (physiological reactivity and persuadability subscales), accounted for the 51% of the variance in the placebo responsiveness. When considered together, anxiety severity, NEO openness-extraversion and depression accounted for the 49.1% of the variance of the nocebo responses. Psychological factors per se did not influence expectations. In fact, mediation analyses including expectations, personality factors and placebo and nocebo responses, revealed that expectations were not influenced by personality factors. These findings highlight the potential advantage of considering batteries of personality factors and measurements of expectation in predicting placebo and nocebo effects related to experimental acute pain.


[拙訳]
パーソナリティー因子及び疼痛の減少と増加の予期を調査することにより、プラセボ及びノセボの個々の応答の予測可能性をいくつかの研究は探究している。悲観主義、不安、破局化はノセボ効果と関連している一方で、楽観主義、被暗示性、共感、神経症的傾向等の心理的要因はプラセボ効果と関連している。心理的要因、弱い及び強い疼痛、そしてプラセボ鎮痛とノセボ痛覚過敏間の相互作用の調査を我々は目的とした。接触熱刺激による十分に検証された条件付けパラダイムを用いて、46人の健康な参加者に対し我々は研究した。来るべき熱痛の強度レベルについて参加者に警告するための視覚的手がかりが提示された。条件付け段階中に、赤、黄、緑の手がかりそれぞれに関連する高、中、低レベルの痛みを我々は伝えた。プラセボ及びノセボ効果の測定のために、試験段階中に、痛み刺激のレベルを3つ全ての手がかりを伴って密かに中の対照レベルに設定した。プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏応答の両方が、弱い疼痛及び強い疼痛の予期と高い相関があることを我々は見出した。単純な線形回帰分析は、プラセボ反応が不安の重症度及び痛みの恐怖の様々な様相(例えば、医学的疼痛、重症な疼痛)と負の相関を有することを示した。ノセボ反応は不安感受性及び破局化に向かう傾向を伴う生理学的被暗示性と正の相関を示した。動機の集計スコア(値/効用及びプレッシャー/緊張サブスケール)及び被暗示性(生理学的反応性及び説得性サブスケール)はプラセボ反応性における変動の51%を占めることを段階的回帰分析は示した。一緒に考えると、不安の重症度、ネオ開放性-外向性及び抑うつはノセボ応答の49.1%の変動を占めた。心理的要因それ自体は予期に影響しなかった。実際、予期、パーソナリティ因子、そしてプラセボやノセボの反応を含む媒介分析は、予期はパーソナリティ因子によって影響されないことを明らかにした。実験的な急性疼痛に関連するプラセボ及びノセボの効果の予測における一連のパーソナリティ因子及び予期の測定値を考慮する潜在的な利点を、これらの知見は強調する。

注:i) 拙訳中の「パラダイム」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 『10分でわかる「パラダイム」の意味と使い方』 ii) 拙訳中の「ネオ」については、例えば次の資料を参照すると良いかもしれません。 「主要5因子性格検査3種間の相関的資料」 加えて、拙訳中の「開放性」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「性格特性5因子モデルにおける経験への開放性の構成概念妥当性」 iii) 拙訳中の「神経症的傾向」についてはここを参照して下さい。

(12) 「Classical conditioning without verbal suggestions elicits placebo analgesia and nocebo hyperalgesia.[拙訳]言葉による示唆のない古典的条件づけは、プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏を引き起こす」(全文はここを参照して下さい)

The aim of this study was to examine the relationships among classical conditioning, expectancy, and fear in placebo analgesia and nocebo hyperalgesia. A total of 42 healthy volunteers were randomly assigned to three groups: placebo, nocebo, and control. They received 96 electrical stimuli, preceded by either orange or blue lights. A hidden conditioning procedure, in which participants were not informed about the meaning of coloured lights, was performed in the placebo and nocebo groups. Light of one colour was paired with pain stimuli of moderate intensity (control stimuli), and light of the other colour was paired with either nonpainful stimuli (in the placebo group) or painful stimuli of high intensity (in the nocebo group). In the control group, both colour lights were followed by control stimuli of moderate intensity without any conditioning procedure. Participants rated pain intensity, expectancy of pain intensity, and fear. In the testing phase, when both of the coloured lights were followed by identical moderate pain stimuli, we found a significant analgesic effect in the placebo group, and a significant hyperalgesic effect in the nocebo group. Neither expectancy nor fear ratings predicted placebo analgesia or nocebo hyperalgesia. It appears that a hidden conditioning procedure, without any explicit verbal suggestions, elicits placebo and nocebo effects, however we found no evidence that these effects are predicted by either expectancy or fear. These results suggest that classical conditioning may be a distinct mechanism for placebo and nocebo effects.


[拙訳]
本研究の目的は、プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏における古典的条件づけ、予期、及び恐怖との間の関係を調べることであった。合計42人の健常ボランティアをランダムに3群:プラセボ、ノセボ及び対照に割り当てた。彼らはオレンジ色又は青色のライトによる先立ちとして96個の電気刺激を受けた。ライトの色の意味について参加者に通知されていない隠れた条件付け手続きが、プラセボ群とノセボ群において行われた。1つの色のライトは中等度の痛み刺激(対照刺激)と一対であり、他の色のライトは無痛刺激(プラセボ群)又は苦痛刺激(ノセボ群)と一対であった。対照群において条件付け手続き無しの中等度の対照刺激後に両色のライトが続いた。参加者は痛みの強度、痛みの予期、及び恐怖を評価した。試験段階において、両色のライトが同一の中等度の痛み刺激に続いた時に、プラセボ群において有意な鎮痛効果を、そしてノセボ群において有意な痛覚過敏効果を我々は発見した。予期や恐怖の評価は、どちらもプラセボ鎮痛又はノセボ痛覚過敏を予測しなかった。明示的な言葉による示唆のない隠れた条件付け手続きが、プラセボ及びノセボ効果を引き起こしたと思える。しかしながら、これらの効果は予期又は恐怖により予測されるエビデンスは我々は見出せなかった。これらの結果は、古典的条件づけがプラセボ及びノセボ効果の明瞭なメカニズムであるかもしれないことを示唆する。

注:標記及び引用中の「古典的条件づけ」については不安の視点からは例えば次の資料を参照して下さい。 「不安と関連する障害における古典的条件づけの役割と意義 ―古典的条件づけの諸現象と連合学習理論の臨床的応用―

(13) 「Distinct neural representations of placebo and nocebo effects.[拙訳]プラセボとノセボ効果の異なる神経的な描写」(全文はここを参照して下さい)

Expectations shape the way we experience the world. In this study, we used fMRI to investigate how positive and negative expectation can change pain experiences in the same cohort of subjects. We first manipulated subjects' treatment expectation of the effectiveness of three inert creams, with one cream labeled "Lidocaine" (positive expectancy), one labeled "Capsaicin" (negative expectancy) and one labeled "Neutral" by surreptitiously decreasing, increasing, or not changing respectively, the intensity of the noxious stimuli administered following cream application. We then used fMRI to investigate the signal changes associated with administration of identical pain stimuli before and after the treatment and control creams. Twenty-four healthy adults completed the study. Results showed that expectancy significantly modulated subjective pain ratings. After controlling for changes in the neutral condition, the subjective pain rating changes evoked by positive and negative expectancies were significantly associated. fMRI results showed that the expectation of an increase in pain induced significant fMRI signal changes in the insula, orbitofrontal cortex, and periaqueductal gray, whereas the expectation of pain relief evoked significant fMRI signal changes in the striatum. No brain regions were identified as common to both "Capsaicin" and "Lidocaine" conditioning. There was also no significant association between the brain response to identical noxious stimuli in the pain matrix evoked by positive and negative expectancies. Our findings suggest that positive and negative expectancies engage different brain networks to modulate our pain experiences, but, overall, these distinct patterns of neural activation result in a correlated placebo and nocebo behavioral response.


[拙訳]
予期は我々が世界を経験する方法を決める。本研究では、同じコホートの被験者群においてポジティブ及びネガティブな予期がいかにして疼痛経験を変化させ得るのかを調査するために fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使用した。3つの不活性なクリームの有効性の被験者の治療予期を我々は最初に操作し、“リドカイン”(ポジティブな予期)、“カプサイシン”(ネガティブな予期)、“中性”とラベルされたクリームそれぞれ1個を内密に減少させる、増加させる又は不変のままにすることにより、クリームを適用した後に適用される有害な刺激の強度をそれぞれ変化させる。それから、治療及び対照クリームの前後で同じ疼痛刺激の適用に関連する信号変化を調査すために我々は fMRI を使用した。24人の健康な成人が試験を完了した。この予期が主観的疼痛評価を有意に調節したことを結果は示した。中性条件おける変化を統制した後、主観的な疼痛評価の変化はポジティブ及びネガティブな予期により引き起こされた。疼痛開放の予期は線条体における fMRI 信号の有意な変化を引き起こした一方で、島、眼窩前頭皮質、及び水道周囲灰白質において疼痛における増加の予期は有意な fMRI 信号の変化を誘発した。“カプサイシン”及び“リドカイン”の両条件付けに共通するものとしての脳の領域は同定されなかった。ポジティブ及びネガティブな予期によって引き起こされた疼痛マトリックスにおける同じ有害な刺激への脳の応答間に有意な関連もなかった。ポジティブ及びネガティブな予期は我々の疼痛経験を調節するための異なる脳のネットワークに関与することを我々の知見は示唆するが、全体的に、これらの異なる神経活性化のパターンは、相関するプラセボおよびノセボ行動応答をもたらす。

注:i) 拙訳中の医薬品「リドカイン」は例えば次の医薬品情報を参照して下さい。 「医療用医薬品 : リドカイン塩酸塩」 ii) 拙訳中の「カプサイシン」は例えば次の医薬品情報を参照して下さい。 「カプサイシンに関する情報」 iii) 拙訳中の「fMRI」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 iv) 拙訳中の「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 v) 拙訳中の「眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 vi) 拙訳中の「水道周囲灰白質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「水道周囲灰白質 - 脳科学辞典」 vi) 拙訳中の「コホート」の意味についての記述があるWEBページは例えば次を参照して下さい。 『「たばこは有害」示したコホート研究

(14) 「Medicine-related beliefs predict attribution of symptoms to a sham medicine: A prospective study.[拙訳]薬関連の信念は偽薬に対する症状の帰因を予測する:前向き研究」(全文はここを参照して下さい)

OBJECTIVES:
To investigate a range of possible predictors of nocebo responses to medicines.

DESIGN:
Prospective cohort study.

METHODS:
In total, 203 healthy adult volunteers completed measures concerning demographics, psychological factors, medicine-related beliefs, baseline symptoms, and symptom expectations before taking a sham pill, described as 'a well-known tablet available without prescription' that was known to be associated with several side effects. Associations between these measures and subsequent attribution of symptoms to the tablet were assessed using a hurdle model consisting of a joint logistic and truncated negative binomial regression.

RESULTS:
Men had an increased odds of attributing symptoms to the tablet OR = 1.52, and older participants had decreased odds, OR = 0.97. Medicine-related beliefs were important, with modern health worries, belief that medicines cause harm and perceived sensitivity to medicines associated with increased odds of symptom attribution, OR = 1.02, 1.10, 1.09, respectively. Trust in medicines and pharmaceutical companies decreased the odds of symptom attribution, OR = 0.91, 0.88, respectively. The number of symptoms at baseline and the expected likelihood of symptoms were associated with an increased odds of attributing symptoms to the tablet, OR = 1.07, 1.06, respectively. Anxiety, previous symptom experience, symptom expectations, and modern health worries were also important in predicting the number of symptoms participants attributed to the tablet.

CONCLUSION:
It is hard to predict who is at risk of developing nocebo responses to medicines from demographic or personality characteristics. Context-specific factors such as beliefs about and trust in medicines, current symptoms and symptom expectations are more useful as predictors. More work is needed to investigate this in a patient sample. Statement of contribution What is already known on this subject? Many patients report non-specific side effects to their medication which may arise through a nocebo effect. Whether some people are particularly predisposed to experience nocebo effects remains unclear. What does this study add? Demographic and personality characteristics are poor predictors of symptom attribution to a sham medicine. Instead, context-specific factors that concern people's beliefs surrounding medicines, their current symptoms, and symptom expectations are more useful as predictors of symptom attribution.


[拙訳]
目的:
薬に対するノセボ応答の可能性のある予測因子の範囲を調査する。

設計:
前向きのコホート研究。

方法:
合計203人の健康な成人ボランティアが、いくつかの副作用に関連することが知られている「処方箋なしで入手可能なよく知られた錠剤」として記載されている偽薬を服用する前に、症状の予期、人口統計、心理的因子、薬関連の信念、ベースラインの症状の測定を終了した。これらの測定とその後の症状の錠剤への帰因との間の関連性を、ジョイント・ロジスティクス及び切り捨てた(truncated)負の二項回帰分析から構成されるハードルモデルを用いて評価した。

結果:
男性は症状を錠剤に帰因させる上昇したオッズを有し(オッズ比:OR = 1.52)、そして高齢者は低下したオッズを有した(OR = 0.97)。現代の健康上の心配、薬が害を引き起こし、そして症状帰因のオッズの上昇(それぞれ OR = 1.02、1.10、1.09)に関連した薬への知覚された感受性の信念がを伴う薬関連の信念が重要であった。薬及び製薬企業における信頼は、症状の帰因のオッズを低下させた(それぞれ、OR = 0.91、0.88)。ベースライン時の症状の数及び予期される症状の可能性は、錠剤に帰因する症状の上昇したオッズ(それぞれ、OR = 1.07、1.06)に関連した。

結論:
人口統計又はパーソナリティの特性から、薬に対するノセボ応答を発症するリスクのある人を予測することは困難である。薬における信念や信用等の文脈特有の要因、現在の症状及び症状の予期が、予測因子としてより有用である。これを患者サンプルで調査するためには、より多くの作業が必要である。

寄稿の声明(Statement of contribution)
このテーマで既知なことは何ですか? ノセボ効果によって生じるかもしれない投薬への非特異的な副作用を多くの患者は報告する。一部の人々が特にノセボ効果を体験しやすいかどうかは不明である。
この調査では何が追加されますか? 人口統計又はパーソナリティの特性は、偽薬に対する症状の帰因の不十分な予測因子である。その代わりに、症状の帰因の予測因子として、薬を取り巻く人々の信念、現在の症状、及び症状の予期に関係する文脈特有の要因がより有用である。

注:i) 都合により拙訳において、Statement of contribution を結論から独立させて、形式を変更して示しています。これについては、「全文」における要旨を参照すると良いかもしれません。 ii) 拙訳中の「オッズ」及び「オッズ比」については、共に例えば次のWEBページを参照して下さい。 「有効性・安全性に関する統計用語集」 iii) 拙訳中の「負の二項回帰分析」及び「ハードルモデル」については、共に例えば次の資料を参照して下さい。 「ゼロの多いデータの解析:負の2項回帰モデルによる傾向の過大推定」 iv) 拙訳中の「ベースライン」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ベースライン baseline

(15) 「Does Googling lead to statin intolerance?[拙訳]Google 検索はスタチン不耐症をもたらすのか?」(ちなみに、標記スタチン不耐症[又はノセボ効果]の概略についてはここを参照して下さい)

BACKGROUND:
The nocebo effect, where patients with expectations of adverse effects are more likely to experience them, may contribute to the high rate of statin intolerance found in observational studies. Information that patients read on the internet may be a precipitant of this effect. The objective of the study was to establish whether the number of websites about statin side effects found using Google is associated with the prevalence of statin intolerance.

METHODS:
The prevalence of statin intolerance in 13 countries across 5 continents was established in a recent study via a web-based survey of primary care physicians and specialists. Using the Google search engine for each country, the number of websites about statin side effects was determined, and standardized to the number of websites about statins overall. Searches were restricted to pages in the native language, and were conducted after connecting to each country using a virtual private network (VPN).

RESULTS:
English-speaking countries (Australia, Canada, UK, USA) had the highest prevalence of statin intolerance and also had the largest standardized number of websites about statin side effects. The sample Pearson correlation coefficient between these two variables was 0.868.

CONCLUSIONS:
Countries where patients using Google are more likely to find websites about statin side effects have greater levels of statin intolerance. The nocebo effect driven by online information may be contributing to statin intolerance.


[拙訳]
背景:
副作用の予期を伴う患者はこれら(訳注:ノセボ効果)を経験する可能性が高い時、観察研究において見られる高い割合のスタチン不耐症にノセボ効果は寄与するかもしれない。患者がインターネットで読む情報は、この効果の要因となるかもしれない。本研究の目的は、Google を使用して見つかったスタチン副作用に関するウェブサイトの数がスタチン不耐性の有病割合と関連しているかどうかを確認することであった。

方法:
5大陸の13ヵ国におけるスタチン不耐症の有病割合は、プライマリケア医及び専門家の Web ベースの調査を介した最近の研究で確立された。各国の Google 検索エンジンを使用して、スタチン副作用に関するウェブサイトの数が決定され、そして全体としてのスタチンについてのウェブサイトの数に標準化された。検索は母国語のページに限定され、そして仮想プライベートネットワーク(VPN)を使用して各国に接続した後に実施された。

結果:
英語圏の国々(オーストラリア、カナダ、英国、米国)は、スタチン不耐症の有病割合が最も高く、そしてスタチン副作用に関するウェブサイトの標準化された数も最も多かった。これら2つの変数間の標本ピアソン相関係数は 0.868 であった。

結論:
Google を使用している患者はスタチン副作用に関するウェブサイトを見つける傾向が強く、これらの患者の国では高レベルのスタチン不耐症を有する。オンライン情報によって推進されるノセボ効果は、スタチン不耐症に寄与しているかもしれない。

注:i) 拙訳中の「ピアソン相関係数」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「相関(correlation)

(16) 「Rewarded placebo analgesia: A new mechanism of placebo effects based on operant conditioning.[拙訳]報酬を与えられたプラセボ鎮痛:オペラント条件づけに基づくプラセボ効果の新しいメカニズム」

BACKGROUND:
Placebo analgesia is explained by two learning processes: classical conditioning and observational learning. A third learning process, operant conditioning, has not previously been investigated as a mechanism of placebo effects. We aimed to induce placebo analgesia by operant conditioning.

METHODS:
Three groups of participants received electrocutaneous pain stimuli of the same intensity, preceded by either an orange or blue stimulus. In the conditioning phase of the study, participants from the experimental group were rewarded for low pain responses following one of the colour stimuli (placebo) and for high pain responses following the other colour stimuli (non-placebo). Moreover, they were punished when their pain responses were high following placebo stimuli and low following non-placebo stimuli. To investigate the role of contingency, that is dependent relation between rewards/punishers and pain responses, the random-control group received rewards and punishers in a non-contingent manner. The colour-control group did not receive any rewards or punishers to control for nonassociative learning. Pain intensity ratings were used as an outcome measure, and verbal feedback on pain ratings was used as rewards/punishers.

RESULTS:
When rewarding and punishment were stopped, only participants from the experimental group experienced less pain following the placebo than following the non-placebo stimuli; that is, placebo analgesia was found in this group. This effect was not extinguished during the study.

CONCLUSIONS:
Placebo analgesia can be induced by operant conditioning, which should be considered a third mechanism for producing placebo effects. Moreover, the contingency between pain responses and rewards/punishers is crucial to induce placebo analgesia through operant conditioning.

SIGNIFICANCE:
According to the current placebo literature, placebo analgesia can be explained by two learning processes: classical conditioning and observational learning. A third learning process, operant conditioning, has not previously been investigated as a mechanism of placebo effects. Our study reveals that patients can learn placebo analgesia as a result of operant conditioning, suggesting that randomized controlled trials could be improved by controlling the reinforcement that might occur spontaneously when patients interact with, for example, medical personnel.


[拙訳]
背景:
プラセボ鎮痛は、古典的条件づけ及び観察学習という2つの学習過程によって説明される。第3の学習過程であるオペラント条件づけは、プラセボ効果のメカニズムとしてこれまで調査されていない。オペラント条件づけによりプラセボ鎮痛を誘導することを我々は目的とした。

方法:
参加者の3つのグループは、オレンジ色又は青色のいずれかの刺激が先行する、同じ強度の皮膚電気痛み刺激を受けた。研究の条件づけ段階において、試験グループの参加者は、一方の色刺激(プラセボ)に続く低い痛みの応答及び他方の色刺激(非プラセボ)に続く高い痛みの応答に対し報酬が与えられた。さらに、プラセボ刺激に続く痛み応答が高い時、及び非プラセボ刺激に続く痛み応答が低い時に彼らは罰を与えられた。報酬/罰と痛みの応答との間の関係に依存する随伴性の役割を調査するために、ランダムな対照グループは随伴性が無い方法で報酬及び罰を受けた。色の対照グループは非連想学習を統制するための報酬や罰を受けなかった。痛み強度評価はアウトカムの測定として使用され、そして痛み評価に関する言語的フィードバックは報酬/罰を与えるものとして使用された。

結果:
報酬及び罰が中止された時、試験グループの参加者のみ、非プラセボ刺激の後よりもプラセボ刺激の後の方が、より少ない痛みを経験した。すなわち、プラセボ鎮痛がこのグループで見られた。この効果は研究中に消滅しなかった。

結論:
プラセボ鎮痛はオペラント条件づけによって引き起こされることが可能で、これはプラセボ効果を生じるための第3のメカニズムと見なされるべきである。さらに、痛み応答と報酬/罰との間の随伴性は、オペラント条件づけを通してプラセボ鎮痛を引き起こすために極めて重要である。

意義:
現在のプラセボ文献によると、プラセボ鎮痛は古典的条件づけと観察学習という2つの学習過程によって説明し得る。第3の学習過程であるオペラント条件づけは、プラセボ効果のメカニズムとしてこれまで調査されていない。患者が例えば医療従事者と接する時にひょっとして自発的に起こるかもしれない強化を統制することによってランダム化比較試験を改善できるだろうことを示唆する、オペラント条件づけの結果としてのプラセボ鎮痛を学習し得ることを、我々の研究は明らかにする。

注:i) 拙訳中の「古典的条件づけ」及び「オペラント条件づけ」については共に次のWEBページを参照して下さい。 「報酬予測 - 脳科学辞典」 加えて、上記オペラント条件づけに関連する、シックハウス症候群における「オペラント学習」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「観察学習」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「行動療法の研究例として観察学習を知ろう!」 iii) 拙訳中の「プラセボ鎮痛」については例えばここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「プラセボ効果で痛みが和らぐのはなぜか」 iv) 上記オペラント条件づけにおける引用中の「随伴性」については例えば次の資料を参照して下さい。 「オペラント学習と行動療法」の「行動療法と条件づけ」シート iv) 拙訳中の「ランダム化比較試験」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか?

(17) [論文(全文)] 「Symptom perception, placebo effects, and the Bayesian brain[拙訳]症状の知覚、プラセボ効果、及びベイジアン脳(脳のベイズ理論)」の「1. Introduction」項 なお、標記「脳のベイズ理論」については例えば次の資料を参照して下さい。 「The Systematicity Argument 再考-Predictive Processing の観点から」の「4.2 Predictive Processing」項

The standard and ideal biomedical model of symptom perception treats the brain largely as a passive stimulus-driven organ. It embraces the notion that the brain absorbs sensory signals from the body and converts them, directly, into conscious experience. Accordingly, biomedicine operates under the assumption that symptoms are the direct consequences of physiological dysfunction and improvement is the direct consequence of the restoration of bodily function. Despite its success, the biomedical model has failed to provide an adequate account of 2 well-demonstrated phenomena in medicine: (1) the experience of symptoms without pathophysiological disruption, and (2) the experience of relief after the administration of placebo treatments. This topical review advances the idea that "predictive processing," a Bayesian approach to perception that is rapidly taking hold in neuroscience, significantly helps accommodating these 2 phenomena. It expands on recent high-quality empirical work on predictive processing1,7,19,24 and outlines, more broadly, how Bayesian models offer an altogether different picture of how the brain perceives symptoms and relief.


[拙訳]
症状の知覚の標準的かつ理想的な生物医学モデルは、脳を主に受動的刺激駆動臓器として扱う。それは、脳が身体からの感覚信号を吸収し、それらを直接的に、意識的な経験に変換するという考えを包含する。従って、症状は生理的機能不全の直接的な結果であり、そして改善は身体機能の回復の直接的な結果であるという仮定の下で、生物医学は運用する。その成功にもかかわらず、生物医学モデルは、医学で実証された2つの現象の適切な説明を提供できなかった: (1) 病態生理学的混乱のない症状の経験、及び (2) プラセボ治療の投与後の緩和の経験。神経科学において急速に定着しつつある知覚へのベイズ(理論)のアプローチである「予測的処理」が、これら2つの現象への適応に大きく役立つという考えを、このトピックのレビューは進展させる。これは、予測的処理に関する最近の質の高い実証的な研究 1、7、19、24 を発展させたものであり、より広い意味では、脳がいかに症状及び緩和を知覚しているかについて、ベイズ理論モデルがいかに全く異なる考えを提供しているかを概説する。

注:i) 引用中の文献番号「1」は次の論文です。 「A Bayesian perspective on sensory and cognitive integration in pain perception and placebo analgesia.」 ii) 引用中の文献番号「7」は次の論文です。 「Placebo analgesia: a predictive coding perspective.」 iii) 引用中の文献番号「19」は次の論文です。 「The periaqueductal gray and Bayesian integration in placebo analgesia.」 iv) 引用中の文献番号「24」は次の論文です。 「Open-Label Placebo: Reflections on a Research Agenda.」 v) 拙訳中の「予測的処理」については他の拙エントリのここの b) 項を参照して下さい。 vi) 拙訳中の「ベイズ理論モデル」については自閉スペクトラム症の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) 拙訳中の「知覚」については例えば他の拙エントリのここ、そして次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「知覚 - 脳科学辞典」 加えて、「構成主義的情動理論」の視点からは他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。

加えて、標記論文(全文)の「5. Conclusions」項

Symptoms without a physical cause and relief through placebo intervention are anomalies for the biomedical model of disease. The Bayesian approach to perception explains and accommodates these 2 phenomena. It exposes placebo and nocebo effects, not as aberrant events, but as facets of the overall modus operandi of the nervous system. It shows, also, that these act on the same inferential processes as "real" disease and "real" treatments do. The implication of this approach is that, to be truly patient-focused, medicine must attend to the predictive process that lies at the basis of symptom perception, and thereupon evaluate what efficient courses of action can lead the brain to predict the body's health.


[拙訳]
物理的原因のない症状及びプラセボ介入による緩和は、疾患の生物医学的モデルに対する異常である。知覚に対するベイズ(理論)のアプローチは、これらの2つの現象を説明し、そして適応する。プラセボおよびノセボ効果を、異常なイベントとしてではなく、神経系の全体的なやり方の一面として、これらは顕在化する。 また、これらは「本物の」病気や「本物の」治療としての同じ推論プロセスに作用することも示す。このアプローチの含意するところは、真に患者に焦点を当てるために、医療は症状の知覚の基礎にある予測的処理に注意を払う必要があり、そしてその結果、どのような効率的な行動コースが脳が身体の健康を予測することを導き得るかを評価することである。

(18) 「Association of nocebo hyperalgesia and basic somatosensory characteristics in a large cohort[拙訳]大規模コホートにおけるノセボ痛覚過敏と基本的な体性感覚特性の関連」(全文はここを参照して下さい)

Medical outcomes are strongly affected by placebo and nocebo effects. Prediction of who responds to such expectation effects has proven to be challenging. Most recent approaches to prediction have focused on placebo effects in the context of previous treatment experiences and expectancies, or personality traits. However, a recent model has suggested that basic somatosensory characteristics play an important role in expectation responses. Consequently, this study investigated not only the role of psychological variables, but also of basic somatosensory characteristics. In this study, 624 participants underwent a placebo and nocebo heat pain paradigm. Additionally, individual psychological and somatosensory characteristics were assessed. While no associations were identified for placebo responses, nocebo responses were associated with personality traits (e.g. neuroticism) and somatosensory characteristics (e.g. thermal pain threshold). Importantly, the associations between somatosensory characteristics and nocebo responses were among the strongest. This study shows that apart from personality traits, basic somatosensory characteristics play an important role in individual nocebo responses, in agreement with the novel idea that nocebo responses result from the integration of top-down expectation and bottom-up sensory information.


[拙訳]
医学的転帰プラセボ及びノセボ効果に強く影響される。このような予期効果に誰が反応するかの予測は困難であることが証明されている。予測への最近のアプローチは、過去の治療経験及び予期、又はパーソナリティ特性という文脈におけるプラセボ効果に焦点を当てている。しかしながら、最近のモデルは、基本的な体性感覚特性が予期応答において重要な役割を果たすことを示唆している。従って、心理学的変数の役割だけでなく、基本的な体性感覚特性の役割も、本研究では調査した。この研究において、624人の参加者がプラセボとノセボの熱痛パラダイムを経験した。さらに、個々の心理的及び体性感覚特性を評価した。プラセボ応答との関連は確認されなかった一方で、ノセボ応答はパーソナリティ特性(例えば神経症傾向)及び体性感覚特性(例えば、熱痛覚閾値)と関連した。重要なことに、体性感覚特性とノセボ応答との間の関連は最も強い中のひとつであった。パーソナリティ特性は別として、ノセボ応答はトップダウンの予期とボトムアップの感覚情報の統合からもたらされるいう新しい考えと一致して、基本的な体性感覚特性が個々のノセボ応答において重要な役割を果たすことを、この研究は示す。

注:i) 引用中の「予測」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「体性感覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「体性感覚 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「神経症傾向」については例えばWEBページを参照して下さい。 「テレワークで満足を得られる人、得られない人 ─個人の性格による違い―」の「表1 ビッグファイブ・パーソナリティ特性」

(20) 「The placebo effect in asthma.[拙訳]喘息におけるプラセボ効果」(全文はここを参照して下さい)

The placebo effect is a complex phenomenon occurring across a variety of clinical conditions. While much placebo research has been conducted in diseases defined by self-report such as depression, chronic pain, and irritable bowel syndrome (IBS), asthma has been proposed as a useful model because of its easily measured objective outcomes. Studies examining the placebo response in asthma have not only contributed to an understanding of the mechanisms behind the placebo response but also shed an interesting light on the current treatment and diagnosis of asthma. This paper will review current literature on placebos in general and specifically on the placebo response in asthma. It focuses on what we know about the mechanisms behind the placebo effect, whether there is a specific portion of the population who responds to placebos, which patient outcomes are influenced by the placebo effect, and whether the effect can be augmented.


[拙訳]
プラセボ効果は様々な臨床的状況にわたって発生する複雑な現象である。抑うつ、慢性疼痛、及び過敏性腸症候群IBS)等の自己報告によって定義された疾患で多くのプラセボ研究が実施されてきたと同時に、喘息は容易に測定される客観的アウトカムのため有用なモデルとして提案されている。 喘息におけるプラセボ応答を調査した研究は、プラセボ反応の背後にあるメカニズムの理解に貢献するのみならず、喘息の現在の治療と診断に興味深い光も放つ。本論文では、プラセボ一般及び特に喘息におけるプラセボ応答についての現在流通している文献をレビューする。プラセボに反応する集団の特異的な部分があるのかどうか、どの患者のアウトカムがプラセボ効果により影響されるのか、そしてこの効果が増強されうるのかどうかのプラセボ効果の背後のメカニズムについて何を我々が知っているのかの焦点をあてる。

注:i) この引用に関連するかもしれない「喘息を含むアレルギー疾患における心理的因子の関与」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) この論文の「Which Patient Outcomes Are affected by the Placebo Response?」における記述の一部を次に引用します。

In light of the conflicting evidence generated by historical studies, Wechsler et al. sought to assess whether placebo interventions in asthma can lead to objective changes in airway caliber, self-reported subjective improvements, or both, beyond the changes in lung function and symptoms that are attributable to the natural history of the disease [45]. The effects of albuterol (an active bronchodilator), sham inhaler, sham acupuncture, and a no treatment control were compared in a randomized, double-blind, crossover study.


[拙訳]
歴史的研究によりもたらされる相反する証拠を考慮して、この疾患の自然史に帰する肺機能及び症状における変化を超えて、喘息におけるプラセボ介入が気道径における客観的な変化、自己報告の主観的改善、又はその両方をもたらし得るかどうかの評価を Wechsler 等は探求した[45]。ランダム化二重盲検クロスオーバー試験において、アルブテロール(活性気管支拡張薬)、偽の薬剤吸入器、偽鍼治療、及び対照の無治療の効果を比較した。

注:引用中の文献番号「[45]」は次の論文です。 「Active albuterol or placebo, sham acupuncture, or no intervention in asthma.」 加えてこの論文の簡単な紹介について、帚木蓬生著の本、「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」(2017年発行)の 第六章 希望する脳と伝統治療師 の「二十一世紀のプラセボ効果」における記述の一部(P135~P136)を以下に引用します。この引用における一連の結果は論文の Fig. 2 に示されているようです。 ii) 引用中の「ランダム化」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「ランダム化比較試験」を知っていますか?』 iii) 引用中の「二重盲検」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「プラセボの不思議な効果」 iv) 引用中の「クロスオーバー試験」については例えば次の資料を参照して下さい。 「クロスオーバー試験の計画および解析

(前略)二〇一一年に発表された米国の実験の対象は、喘息患者でした。喘息には気管支拡張薬のアルブテロールが有効です。そこで慢性喘息患者三十九名を四群に分け、A群はアルブテロール吸入薬投与、B群にはプラセボの吸入薬投与、C群は偽鍼治療、D群は非介入としました。結果の解析には、客観的指標としてどれだけ空気を吐けるか調べるスパイロメトリーと、主観的指標として自己報告による症状改善度記録が使われました。
すると結果は、スパイロメトリーでは、A群でのみ20%の改善があり、BCD群ではともに0%でした。ところが自己報告による症状改善度では、A群50%、B群45%、C群46%の改善度を認めました。三群間に有意差はなしです。D群ではもちろん改善はありません。
この結果から導かれた結論は、「治療を受けているという実感が、症状に改善をもたらす」でした。言い換えると、治療という「儀式」が治療上、強力な力を持つのです。(後略)

以上は医学論文ですが、加えて、医学ではなく臨床心理学の位置づけのノセボ効果についての論文要旨を以下に引用します。

(a) 「Idiopathic Environmental Intolerance: A Comprehensive Model[拙訳]突発性環境不耐症:包括的なモデル」(全文はここを参照) ちなみに、 1) これは(医学ではなく)「臨床心理学」の論文なためか、PubMed 登録されていません。加えて、上記 PubMed 登録されていないことを含めて上記論文の続報的な位置づけになるかもしれない論文「Idiopathic Environmental Intolerance: A Treatment Model][拙訳]突発性環境不耐症:治療モデル」(Highlights を含む要旨、全文は次を参照 「Idiopathic Environmental Intolerance: A treatment model」)があります。ただしこの論文の拙訳はタイトルを除きありません。 2) 上記全文の Supplemental Online Material (SOM-R) の「Table S2 Description and main findings of brain imaging studies testing the effect of real and sham environmental stimuli on neuronal processes and behavioural measures (of affective evaluation and symptom experiences) in patients suffering from environmental intolerances (IEI) compared to healthy controls」において、Azuma(東賢一)等が著者である二つの論文もリストアップされています。これらの論文についてはそれぞれ他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

Idiopathic environmental intolerance refers to a group of poorly understood health conditions characterized by heterogeneous somatic symptoms that occur in response to environmental triggers, but for which no physiological causes can be found. We focus on three varieties, namely symptoms attributed to (1) chemical substances; (2) to electromagnetic fields; and (3) to infrasound and vibroacoustic sources. As no clear link with organ pathology or dysfunction has been established so far, we review critical evidence about alternative causal mechanisms as a platform for a novel unifying model of these conditions. There is consistent evidence that expectancy and nocebo mechanisms are critically involved. Using recent predictive coding models of brain functioning, we describe a comprehensive new model to explain how symptoms come about and become linked to specific environmental cues. This new model integrates phenomenally different pathologies, suggests testable new hypotheses and specifies implications for treatment.


[拙訳]
特発性環境不耐性とは、生理学的原因を見いだすことができない環境トリガーへの応答で生じる不均一な身体症状で特徴づけられる十分に理解されていない健康状態の一グループを指す。3つの多様性、すなわち次に起因する症状 (1) 化学物質; (2) 電磁界; そして (3) 超低周波及び振動音響源 に我々は焦点を当てる。これまでに臓器の病理又は機能不全との明確な関連が確立されていないため、これらの状態の新しい統合モデルのためのプラットフォームとして、代替の因果メカニズムに関する決定的なエビデンスを我々はレビューする。予期及びノセボのメカニズムが決定的に関与している一貫したエビデンスがある。最近の脳機能の予測的符号化モデルを使用して、どのようにして症状が起こり、そして特異的な環境の手がかりに結びつくかを説明する包括的な新しいモデルを我々は記述する。この新しいモデルは、現象的に異なる病理を統合した検証可能な新しい仮説を示唆し、そして治療への含意を明示する。

注:(i) 標記論文(全文)の「Changing The Sampling Strategy For Interoceptive Input」項における記述の一部で、内受容感覚の弁別に関連する治療又は対処法の候補例については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「予測的符号化」(predictive coding、又は「予測符号化」)については標記論文(全文)の「Figure 1」(P49)、そして次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 加えて、自閉スペクトラム症の視点からは他の拙エントリのここを、構成主義的情動理論の視点からは上記「予測的符号化」に関連する「予測」を含めて他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。なお、この論文に関連する上記「内受容感覚」(interoception、又は内受容)については他の拙エントリのここの c) 項を参照して下さい。一方、標記論文の著者である「Van den Bergh O」氏は2018年発行の次の論文(全文)の著者でもあります。 「Interoception and Mental Health: A Roadmap」 また、この論文(全文)については他の拙エントリのここも参照して下さい。 (iii) 引用中の「予測」と「ノセボ」との両方に関連する論文(全文)についてはここを参照して下さい。 (iv) 標記論文(全文)の内容の簡単な紹介を含む論文(全文)「Mechanisms underlying nontoxic indoor air health problems: A review」の「6. Concluding remarks」項における記述の一部を次に引用(【 】内)します。 【Van den Bergh et al. (2017a) have proposed a model of relevance for NBRS and CI, according to which the symptoms result from a nocebo process in which precise priors about potential harm from the environmental sources, in combination with imprecise or even absent prediction errors, shape the conscious experience of symptoms. Based on a learning process, somatic experiences are triggered by the environmental stimuli as a result of their association. The experiential, verbal, and contextual information that creates symptom expectation may also interact with trait-like characteristics of the individuals (e.g. negative affectivity and absorption), making them more vulnerable to develop/perceive symptoms.[拙訳]Van den Bergh et al. (2017a) は、NBRS と CI との関連モデルを提案しており、それによると、環境要因からの潜在的な害についての精度の高い事前(予測)と、不正確な、あるいは存在しない予測誤差との組み合わせにより、症状の意識的な経験を形成するノセボプロセスによって症状が引き起こされる。学習プロセスに基づいて、それらの関連の結果としての環境刺激によって、身体経験は誘発される。症状に対する予期を生じさせる経験的、言語的、及び文脈的情報も、個々人の特性的な特徴(例えば、否定的な影響力及び没入)と相互作用し、症状の発現/知覚に対して彼らををより脆弱にするかもしれない。】[注:a) 引用中の「Van den Bergh et al. (2017a)」は標記論文(全文)です。 b) 引用中の「NBRS」、「CI」はそれぞれ「非特異的ビルディング関連症状」、「化学物質不耐症」の略です。 c) 拙訳中の「精度の高い」に関連する「精度」については自閉スペクトラム症の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 拙訳中の「没入」についてはパーソナリティ特性の視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて解離の視点からは他の拙エントリのここを参照して下さい。] 加えて、標記論文(全文)にも関連する、論文(全文)『"Symptoms associated with environmental factors" (SAEF) – Towards a paradigm shift regarding "idiopathic environmental intolerance" and related phenomena[拙訳]「環境要因に関連する症状」(SAEF)–「特発性環境不耐性」及び関連する現象に関するパラダイムシフトに向けて』(要旨、全文はここを参照)が発表されました。上記要旨を以下に引用します。ちなみに下記以外に拙訳はありませんが、この論文を参照する様々な環境不耐症についての論文(全文)「Impact of comorbidity on symptomatology in various types of environmental intolerance in a general Swedish and Finnish adult population[拙訳]一般的なスウェーデン及びフィンランドの成人集団での様々なタイプの環境不耐症における症候学に関する併存症の影響」もあります。また、上記論文(全文)の「5. Conclusions」項において次に引用(【 】内)する記述があります。 【The present results suggest a very broad symptomatology in the various EIs that disfavors the notion of a specific exposure-related mechanism.[拙訳]特異的な曝露関連メカニズムの概念に不賛成な様々な EI(環境不耐症)において非常に広範な症候学を、今回の結果は示唆する。】 なお、上記「パラダイムシフト」の例としての「天動説から地動説へ」については例えば次のWEBページや YouTube を参照して下さい。 「第15回 パラダイム」の「パラダイムの使い方を実例で教えて!」項、「第66回 慢性痛の基礎理論① - 慢性の痛み講座 北原先生の痛み塾」の 04:08~ (v) 一方、拙訳中の「超低周波及び振動音響源」に関連するポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)の視点からの「防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう」ことについてはここを参照して下さい。

Health conditions characterized by symptoms associated with chemical, physical and biological environmental factors unrelated to objectifiable pathophysiological mechanisms are often labelled by the general term "idiopathic environmental intolerances". More specific, exposure-related terms are also used, e.g. "multiple chemical sensitivities", "electromagnetic hypersensitivity" and "candidiasis hypersensitivity". The prevalence of the conditions varies from a few up to more than 50%, depending on definitions and populations. Based on evolving knowledge within this field, we provide arguments for a paradigm shift from terms focusing on exposure and intolerance/(hyper-)sensitivity towards a term more in line with the perceptual elements that seem to underlie these phenomena. Symptoms caused by established pathophysiologic mechanisms should not be included, e.g. allergic or toxicological conditions, lactose intolerance or infections. We discuss different alternatives for a new term/concept and end up proposing an open and descriptive term, "symptoms associated with environmental factors" (SAEF), including a definition. "Symptoms associated with environmental factors" both is in line with the current knowledge and acknowledge the experiences of the afflicted persons. Thus, the proposed concept is likely to facilitate therapy and communication between health professionals and afflicted persons, and to provide a base for better understanding of such phenomena in healthcare, society and science.


[拙訳]
客観化し得る病態生理学的メカニズムとは無関係の化学的、物理的及び生物学的環境要因に関連する症状を特徴とする健康状態は、一般用語「特発性環境不耐症」でラベル付けされることが多い。より具体的には曝露関連の用語、すなわち「多種化学物質過敏状態(multiple chemical sensitivities)」、「電磁波過敏症(electromagnetic hypersensitivity)」及び「カンジダ過敏症(candidiasis hypersensitivity)」も使用される。これらの状態の有病割合は、定義や母集団に応じて、数パーセントから50%以上まで変化する。この分野で進化する知識に基づいて、曝露や不耐性/(超)過敏に焦点を当てる用語から、これらの現象の根底にあると思われる知覚要素に沿った用語へのパラダイムシフトの議論を、我々は提供する。確立された病態生理学的メカニズムによって引き起こされる症状、すなわち、アレルギー又は毒物学的状態、乳糖不耐症又は感染症を含めるべきではない。我々は、新しい用語/概念のさまざまな代替案について議論し、定義を含めた「環境要因に関連する症状(symptoms associated with environmental factors)」(SAEF)というオープンで記述的な用語を提案することになった。 「環境要因に関連する症状」は、現在の知識と一致しており、しかも患者の経験を認める。従って、提案された概念は、医療専門家と患者との間の治療とコミュニケーションを促進し、医療、社会、科学におけるそのような現象のより良い理解のための基盤を提供する可能性が高い。

次に、標記論文(全文、参照)の本文の「1.1. Possible explanatory mechanisms[拙訳]あり得る説明的なメカニズム」項における記述を次に引用します。

Three sources of evidence indicate where to look for an explanation of the experienced symptoms (for reviews of this evidence: [47] and more explicitly on IEI: [46]). Firstly, there is a lack of convincing evidence for the role of any physiological dysfunction caused by exposures to the environmental factors that could explain the symptoms. Secondly, carefully blinded exposure studies have shown that afflicted persons cannot reliably distinguish real from sham exposures and that symptom reporting in these studies is critically depending on (veridical or illusionary) knowledge that exposure took place [19]. Thirdly, a large array of well controlled experimental studies has demonstrated that expectation induction, either by associative learning (i.e. Pavlovian conditioning) and/or informational manipulations can cause the symptoms, both in healthy subjects and in afflicted persons [49,53]. However, the effects are typically larger in persons with symptoms and the effects in healthy persons are modulated by individual difference and context-related variables that are characterizing afflicted persons. These arguments strongly suggest that the symptoms result from nocebo mechanisms [46]. Nocebo mechanisms have been shown to recruit interoceptive brain areas that are also activated when peripheral physiological dysfunction is causing symptoms. Nocebo mechanisms can be understood within recent models of brain functioning that emphasize the active and constructive nature of the brain in creating adaptive models of the (internal and external) world. In these models, conscious experience is thought to emerge from the joint input of two counterflowing streams of information across several hierarchical levels of the brain. One downward stream reflects prior beliefs (implicit predictions of the brain), while an upward stream represents somatic input, creating prediction errors (that is, non-predicted somatic input) at multiple levels. Prediction errors are feedback to modify the models in the brain that generate new predictions. Both predictions and prediction errors are qualified by a reliability parameter (precision). In conditions with strong (highly precise) prior beliefs and imprecise prediction errors, symptoms may emerge that predominantly reflect the prior beliefs with relatively little to no impact from somatic input [24,46,47]. In addition, the notion of central sensitization has been advanced to explain more intense responses to exposures in afflicted persons compared to healthy persons [15]. However, besides conceptual and empirical problems with this explanatory concept [48], the more intense responses of afflicted persons may simply reflect that environmental factors have become learned sources of concerns and stress causing stronger affective responses upon exposure to them. In fact, the stronger affective responses may contribute to the imprecise interoceptive prediction errors that allow prior beliefs to dominate the conscious experience of symptoms [46,47].


[拙訳]
エビデンスの3つの情報源は、経験した症状の説明をどこで探すのかを示す(このエビデンスのレビューのために:[47]、及び突発性環境不耐症(IEI)に関してより明確に:[46])。第一に、症状を説明し得るだろう環境要因への曝露によって引き起こされる生理学的機能障害の役割について、説得力のあるエビデンスが不足している。第二に、慎重に盲検化された曝露の研究は、患者が本物の曝露と偽の曝露を確実に区別できないこと、及びこれらの研究における症状報告が曝露が行われた(真実的又は幻想的)知識に決定的に依存していることを示している[19]。第三に、十分に制御された多数の実験的研究は、連合学習(すなわち、パブロフ条件付け)及び/又は情報操作による予期の誘導が、健康な被験者と患者の両者で症状を引き起こし得ることを実証した[49,53]。しかしながら、症状を伴う人においては典型的に影響がより大きく、そして健康な人における影響は、個人差及び患者を特徴付ける文脈関連の変数によって調節される。これらの議論は、症状がノセボのメカニズムに起因することを強く示唆する[46]。ノセボのメカニズムは、末梢の生理学的機能障害が症状を引き起こしている時にも活性化される内受容の脳領域をリクルートすることが示されている。ノセボのメカニズムは、(内部及び外部)世界の適応モデルを生成する脳の能動的で構成的な性質を強調する脳機能の最近のモデル内で理解しうる。これらのモデルにおいては、意識的経験は、脳のいくつかの階層レベルにわたる情報の2つの逆流する情報のストリームのジョイント入力から現れると考えられている。 1つのダウンストリームは事前の信念(脳の暗黙の予測)を反映し、一方、アップストリームは身体入力を表し、複数レベルで予測誤差(つまり、予測されていない身体入力)を生成する。予測誤差は、新しい予測を生成する脳内のモデルを修正するためのフィードバックである。予測と予測誤差の両方が、信頼性パラメーター(精度)によって修飾される。強い(非常に正確な)事前の信念及び不正確な予測誤差がある状況では、身体入力からの影響が比較的少ないか全くない、主に事前の信念を反映する症状が現れることがある[24,46,47]。加えて、健康な人と比較して、患者におけるの曝露に対するより強い反応を説明するために、中枢性感作の観念が進歩した[15]。しかしながら、この説明的概念[48]の概念的及び経験的問題に加えて、環境要因が心配及びストレスの学習源になり、それらに曝露されるとより強い感情的応答を引き起こすことを単に反映しているかもしれない。事実、より強い感情的応答は、事前の信念が症状の意識的経験を支配することを可能にする不正確で内受容的な予測誤差が一因となっているかもしれない[46,47]。

注:i) 引用中の文献番号「15」は次の論文です。 「Chemical intolerance.」 ii) 引用中の文献番号「19」は次の論文です。 「Symptom Presentation in Idiopathic Environmental Intolerance With Attribution to Electromagnetic Fields: Evidence for a Nocebo Effect Based on Data Re-Analyzed From Two Previous Provocation Studies.」 iii) 引用中の文献番号「24」は次の論文です。 「Persistent Physical Symptoms as Perceptual Dysregulation: A Neuropsychobehavioral Model and Its Clinical Implications.」 iv) 引用中の文献番号「46」は次の論文です。 「Idiopathic environmental intolerance: A comprehensive model.」(全文はここを参照して下さい。加えてここも参照して下さい。) v) 引用中の文献番号「47」は次の論文です。 「Symptoms and the body: Taking the inferential leap.」 vi) 引用中の文献番号「48」は次の論文です。 「Central Sensitization: Explanation or Phenomenon?」 vii) 引用中の文献番号「49」は次の論文です。 「Can explicit suggestions about the harmfulness of EMF exposure exacerbate a nocebo response in healthy controls?」 viii) 引用中の文献番号「53」は次の論文です。 「Are media warnings about the adverse health effects of modern life self-fulfilling? An experimental study on idiopathic environmental intolerance attributed to electromagnetic fields (IEI-EMF).」 ix) 拙訳中の「予測」及び「予測誤差」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 加えて、構成主義的情動理論の視点からは他の拙エントリのここを、自閉スペクトラム症の視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 x) 拙訳中の「パブロフ条件付け」に類似する「古典的条件づけ」については、不安の視点から次の資料を参照して下さい。 「不安と関連する障害における古典的条件づけの役割と意義 ―古典的条件づけの諸現象と連合学習理論の臨床的応用―」 加えて、拙訳中の「パブロフ条件付け」に類似する「恐怖条件づけ」については、次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」 xi) 拙訳中の「強い(中略)事前の信念」の一例になるかもしれないトラウマを負った方の(変容した)信念例「全世界がエイリアンだらけ」については次の資料を参照して下さい。 『東日本大震災県外避難者が描く「復興曲線」から見えてくるもの ─トラウマの視点から』の「3-2 身体の芯から感じる安全・安心」項

上記「防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう」ことについて上記ポリヴェーガル理論に関連する資料「The polyvagal hypothesis: common mechanisms mediating autonomic regulation, vocalizations and listening[拙訳]ポリヴェーガル仮説:自律神経の調節、発声及びリスニングをメディエイトする共通のメカニズム」の「IX. Summary[拙訳]要約」項(P263)における記述の一部を次に引用します。

(前略)According to the theory, during defensive states, when the middle ear muscles are not contracted, acoustic stimuli are prioritized by intensity and during safe social engagement states, acoustic stimuli are prioritized by frequency. During safe states, hearing of the frequencies associated with conspecific vocalizations is selectively being amplified, while other frequencies are attenuated. During social interactions, the stiffening of the ossicular chain actively changes the transfer function of the middle ear, and functionally dampens low-frequency sounds and improves the ability to extract conspecific vocalizations.(中略)

During social interactions, the stiffening of the ossicular chain actively changes the transfer function of the middle ear, and functionally dampens low-frequency sounds and improves the ability to extract conspecific vocalizations.(後略)


[拙訳]
この理論によれば、防衛状態中では、中耳の筋肉が収縮していない時、音響刺激は強度によって優先され、そして安全な社会的関わり状態中では、音響刺激は周波数によって優先される。安全な状態中では、(動物の)同種の発声に関連する周波数の聴覚は選択的に増幅される一方で、他の周波数は減衰される。防衛状態中では、捕食者を知らせる騒々しい低周波音はより容易に検知できるだろう、そして(動物の)同種の穏やかな高周波数の発声はバックグラウンド音で隠れてしまう。(中略)

社会的交流中では、耳小骨連鎖強直は能動的に中耳の伝達機能を変化させ、そして低周波音を機能的に減衰させ、及び(動物の)同種発声を抽出する能力を改善する。

注:i) 標記「ポリヴェーガル仮説」に関連する、拙訳中の「この理論」に該当する「ポリヴェーガル理論」については、他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照して下さい。 ii) 拙訳中の「社会的関わり」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 ちなみに拙訳中の「社会的交流」は上記「社会的関わり」と大いに関連すると考えます。 iii) 拙訳中の「耳小骨連鎖強直」〔stiffening of the ossicular chain〕は上記「中耳の筋肉の収縮」〔contracting the middle ear muscles〕によるもののようです。上記資料中の「V. Impact of middle ear structures on sensitivity to conspecific vocalizations」項における次に引用[『 』内、ただし拙訳はありません]する記述[P260]を参照して下さい。 『Although the stiffening of the ossicular chain functions as a highpass filter by contracting the middle ear muscles and dampening the influence of low-frequency sounds on the inner ear, the physical characteristics of the ossicular chain also influence the acoustic energy reaching the inner ear.』

(b) 「Psychological models of development of idiopathic environmental intolerances: Evidence from longitudinal population-based data[拙訳]特発性環境不耐性の発症の心理学的モデル:縦断的な人口ベースのデータからのエビデンス」[注:「ハイライト」(Highlights)を以下に、そして要旨(注:PubMed 要旨はここを参照)をここにそれぞれ引用します]

Highlights
•Compares and integrates theories of Idiopathic Environmental Intolerances (IEI).
•Tests competing theories in a large longitudinal study (N = 1837).
•Correlations, but no cross-lagged associations of IEIs with neighboring constructs.
•Latent variable models indicate a strong commonality of different IEIs.
•We advocate for more attention on the nomothetic span of IEIs.


[拙訳]
ハイライト
・特発性環境不耐性(IEI)の理論を比較して統合する。
・大規模な縦断研究(N = 1837)において競合する理論をテストする。
・相関関係が有るが、IEI と隣接する構成要素との交差的時間差相関は無い。
・潜在変数モデルは、様々な IEI の強い共通性を示す。
・IEI の nomothetic span にもっと注意を払うことを、我々は提唱する。

注:i) 上記「Nomothetic span」については、論文(全文)「Construct Validity: Advances in Theory and Methodologya」の「Construct Representation and Nomothetic Span」項における以下に引用する記述を参照すると良いかもしれません。 ii) 拙訳中の「交差的時間差相関」に関連する「交差的時間差相関分析」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「大学生の移転可能なスキルの発達(Ⅱ) ――メタ認知に関わる変数と先行関係――」の「(5) 交差的時間差相関分析」項 iii) 拙訳中の「潜在変数」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「共分散構造分析」の「共分散構造モデルの導入 潜在変数を導入する」シート

Nomothetic span refers to the pattern of significant relations among measures of the same or different constructs (i.e., convergent and discriminant validity). Nomothetic span is in the domain of individual differences (correlation). It is particularly relevant to research concerning expected relationships among trait measures or measures of intellectual skills, neuropsychological variables, or measures of personality constructs. For example, IQ has excellent nomothetic span because individual differences in various measures of that construct all show similar meaningful patterns of relationship with other variables as expected (Whitely 1983).


[拙訳]
Nomothetic span とは、同じ又は異なる構成物(すなわち、収束的及び弁別的妥当性)の測定間の有意な関係のパターンを指す。Nomothetic span は個人差 (相関) の領域にある。これは、特性尺度又は知的スキルの尺度、神経心理学的変数、又はパーソナリティ構成要素の尺度の間の予期される関係についての研究に特に関連する。例えば, IQ は、その構成概念の様々な尺度における個人差が全て、他の変数との関係において期待されるものと同様の意味のあるパターンを示すため、優れた nomothetic span を有する (Whitely 1983) 。

注:i) 引用中の「Whitely 1983」は次の論文(全文)です。 「Construct Validity: Construct Representation Versus Nomothetic Span」 ii) 拙訳中の「収束的及び弁別的妥当性」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「妥当性 概念の歴史的変遷と心理測定学的観点からの考察」の「妥当性の三位一体感」項

The origin of idiopathic environmental intolerances (IEIs) is an open question. According to the psychological approaches, various top-down factors play a dominant role in the development of IEIs. The general psychopathology model assumes a propensity towards mental ill-health (negative affectivity) increases the probability of developing IEIs. The attribution model emphasizes the importance of mistaken attribution of experienced somatic symptoms; thus, more symptoms should lead to more IEIs. Finally, the nocebo model highlights the role of expectations in the development of IEIs. In this case, worries about the harmful effects of environmental factors are assumed to evoke IEIs.

We estimated cross-lagged panel models with latent variables based on longitudinal data obtained at two time points (six years apart) from a large near-representative community sample to test the hypothesized associations. Indicators of chemical intolerance, electromagnetic hypersensitivity, and sound sensitivity fit well under a common latent factor of IEIs. This factor, in turn, showed considerable temporal stability. However, whereas a positive association was found between IEIs and increased somatic symptoms and modern health worries six years later, the changes therein could not be predicted as hypothesized by the three psychological models. We discuss the implications of these results, as well as methodological aspects in the measurement and prediction of change in IEIs.


[拙訳]
特発性環境不耐性(IEI)の原因は未解決の問題である。心理学的アプローチによると、様々なトップダウンの要因が IEI の発症において支配的な役割を果たす。一般的な精神病理モデルは、精神的に不健康な(負の感情)傾向が IEI を発症する可能性を高めることを仮定する。帰属モデルは、経験した身体症状の誤った帰属の重要性を強調する。従って、より多くの症状がより多くの IEI につながるはずである。最後に、ノセボモデルは、IEI の発症における予期の役割を強調する。この場合、環境要因の悪影響についての懸念が IEI を引き起こすと仮定される。

仮定された関連を検証するために、大規模でほぼ代表的なコミュニティサンプルから2つの時点(6年間隔)で取得された縦断データに基づいて、潜在変数を用いた交差遅延パネルモデルを、我々は推定した。化学物質不耐性、電磁波過敏性、及び聴覚過敏症に対する指標は、IEI の共通の潜在的要因の下にうまく適合する。この要因は、順番に、かなりの時間的安定性を示した。しかしながら IEI の間で、増加した身体症状と6年後の現代の健康不安との間には正の相関が認められたのに反し、この変化はその点で3つの心理学的モデルによって仮定されたものとして予測できなかった。IEI での変化の測定及び予測における方法論的側面はもちろん、これらの結果の含意も、我々は議論する。

注:i) 拙訳中の(特発性環境不耐性における)「ノセボ」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「mistaken attribution」に類似するかもしれない「misattribution」(錯誤帰属又は誤帰属)については次のWEBページを参照して下さい。 「misattribution」、「誤帰属 misattribution

さらに、「嗅覚嫌悪条件づけ」に関連した日本語のWEBページ又は資料を次に紹介します。*39
① WEBページ:「行動分析学との遭遇(5)
② 資料:「低用量の有機溶剤を条件刺激とする嗅覚嫌悪条件づけ手続き
③ WEBページ:「行動を科学する‐「行動分析学」という学問‐動物実験から作業者への行動分析学的介入実験まで」(注:このWEBページには、ごく低濃度の化学物質の「ニオイ」が、記憶・学習機能にどのような影響を与えるのかを、行動分析学的試験法を用いて動物実験で調べていることについての記述があります。)

ちなみに、 a) 引用はしませんが、ラットにおける味覚-嗅覚学習の条件付けについての複数の英語の論文又は資料(全文)があり、タイトル及びその拙訳を以下に示します。 「Higher-order conditioning of taste-odor learning in rats: Evidence for the association between emotional aspects of gustatory information and olfactory information[拙訳]ラットにおける味覚-嗅覚学習の高次条件付け:味覚情報の情動的側面と嗅覚情報との間の関連性のエビデンス」、「Examination of validity of a conditioned odor aversion (COA) procedure using low-dose of organic solvent as an applied procedure of the conditioned taste aversion.[拙訳]味覚嫌悪条件付けの応用手続きとしての低用量の有機溶媒を使用した嗅覚嫌悪条件付け(COA)手続きの妥当性の調査」 加えて、人間のにおい嫌悪条件付けを含む日本語の資料「においのトラウマ記憶に関する実態調査ならびに実験的検討」もあります。 b) 強迫性障害強迫症、OCD)[他の拙エントリのリンク集参照(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)]と嫌悪条件づけの関連について、資料「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の はじめに の「1.OCD の病像」における記述の一部を次に引用します。 c) 加えて、強迫症の脳病態における1つの仮説として OCD-loop 仮説があります。これについて、次のWEBページの「OCDの脳機能的病態」項における記述の一部を以下に引用します。 「強迫症 - 脳科学辞典」。ちなみに引用はしませんが、この OCD-loop 仮説についての記述が次の資料にもあります。 「強迫症のニューロイメージング研究」の【OCD-loop仮説】項等 d) 強迫症状の誘発における機能神経画像法の研究のメタアナリシスについて、論文「Provocation of obsessive-compulsive symptoms: a quantitative voxel-based meta-analysis of functional neuroimaging studies.[拙訳]強迫症状の誘発:機能的神経画像法の研究の定量的なボクセルベースのメタアナリシス」の要旨を以下に引用します。

1.OCD の病像(中略)

一方,強迫行為や回避,巻き込みなどの行動的反応(安全探求行動)は,きっかけとなった嫌悪(恐怖)刺激の脅威,あるいは重大性をより強く意識させ,反応閾値が下がるとともに,それらの行動の合理化,必要性の正当化によって,さらにくり返されるという悪循環に陥ってしまう.このように,他の不安障害と同様の病的不安の関与,認知と行動の相互作用,強固な恐怖条件付けや消去不全などが,典型的 OCD 患者では観察される25).

注:i) 引用中の文献番号「25)」は、次の論文です。「Obsessive-compulsive disorder: beyond segregated cortico-striatal pathways.」 ii) 引用中の「恐怖条件付け」については、次のWEBページを参照して下さい。「恐怖条件付け - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「恐怖条件付け」に関連するかもしれない「恐怖反応」については、例えば、次のWEBページを参照して下さい。「行動分析学との遭遇(3)

OCDの脳機能的病態(中略)

OCDの脳病態に関しては、いくつかの仮説が立てられているが、その中に、Saxenaら[27]による前頭葉—皮質下回路に関する神経ネットワーク仮説(OCD-loop仮説)がある。これによれば、眼窩前頭前皮質(OFC)を主とした前頭葉領域の活性化に伴い、それらの領域からの入力を間接経路(背側前頭前野線条体淡蒼球視床下核淡蒼球視床—皮質)と直接経路(前頭眼窩面—線条体淡蒼球視床—皮質)に振り分ける尾状核において制御障害が生じ(ブレイン・ロック)、視床への抑制性の制御が弱まる。その結果視床と前頭眼窩面の間でさらなる相互活性が生じ、強迫症状が維持、増幅されるという。これらの領域の機能的役割を考えると、社会的に適切な行動をとるための検出機能をもつ眼窩前頭前皮質、行動のモニタリングと調節に主要な役割を果たす前帯状皮質 (ACC)、辺縁系前頭葉からの入力を受けるゲート機能を有する尾状核、入力された情報に対するフィルター機能をもち皮質への投射を行う視床、といったように各々の部位が連携しながら円滑な行動の遂行を担っている[26]。その後の検証によってOCD-loopにはさらに広汎な脳部位の関与を考慮する必要が出てきている[25](図3)。

注:i) 引用中の「(図3)」の引用は省略しています。一次情報である上記WEBページを参照して下さい。 ii) 引用中の文献番号「[27]」、「[25]」はそれぞれ次の論文です。「Neuroimaging and frontal-subcortical circuitry in obsessive-compulsive disorder.」、「Obsessive-compulsive disorder: beyond segregated cortico-striatal pathways.」(ただし、「[26]」については、一次情報である上記WEBページを参照して下さい。) iii) 引用中の「OCD-loop仮説」についても記述してる資料については次を参照して下さい。 「強迫症のニューロイメージング研究

次の引用は標記メタアナリシスの要旨です。

OBJECTIVE:
Recent functional magnetic resonance imaging (fMRI) and positron emission tomography (PET) studies based on the symptom provocation paradigm have explored neural correlates of the cognitive and emotional processes associated with the emergence of obsessive-compulsive disorder (OCD) symptoms. Although most studies showed the involvement of cortico-subcortical loops originating in the orbitofrontal cortex and the anterior cingulate cortex, an increased activity within numerous other regions of the brain has inconsistently been reported across studies. To provide a quantitative estimation of the cerebral activation patterns related to the performance of the symptom provocation task by OCD patients, we conducted a voxel-based meta-analysis.

METHODS:
We searched the PubMed and MEDLINE databases for studies that used fMRI and PET and that were based on the symptom provocation paradigm. We entered data into a paradigm-driven activation likelihood estimation meta-analysis.

RESULTS:
We found significant likelihoods of activation in cortical and subcortical regions of the orbitofrontal and anterior cingulate loops. The left dorsal frontoparietal network, including the dorsolateral prefrontal cortex and precuneus, and the left superior temporal gyrus also demonstrated significant likelihoods of activation.

CONCLUSION:
Consistent results across functional neuroimaging studies suggest that the orbitofrontal and anterior cingulate cortices are involved in the mediation of obsessive-compulsive symptoms. Based on recent literature, we suggest that activations within the dorsal frontoparietal network might be related to patients' efforts to resist the obsessive processes induced by the provocation task. Further research should elucidate the specific neural correlates of the various cognitive and emotional functions altered in OCD.


[拙訳]
目的:
症状誘発パラダイムに基づく最近の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)及び陽電子断層撮像法(PET)の研究は、強迫性障害(OCD)症状の出現に関連する認知プロセスおよび情動プロセスの神経相関を探究している。大部分の研究は、眼窩前頭皮質及び前帯状皮質を端緒とする皮質-皮質下ループの関与を示したが、脳の他の多くの領域内での活性の増加は、研究を通して一貫して報告されていない。OCD 患者による症状誘発課題の実行に関連する脳活性化パターンの定量的評価を提供するために、我々はボクセルベースのメタアナリシスを実施した。

方法:
我々は、PubMed と MEDLINE データベースを検索したを検索し、fMRI と PET を使用し、症状挑発パラダイムに基づいた研究を捜した。我々はデータをパラダイム駆動の活性化可能性評価のメタアナリシスにコンピュータ入力した。

結果:
眼窩前頭及び前帯状ループの皮質及び皮質下領域における活性化の有意な可能性を我々は見出した。背側前頭前皮質及び楔前部を含む左背側前頭頭頂ネットワーク、そして左上頭側回も活性化の有意な可能性を示した。

結論:
機能的神経画像法研究を跨いだ一貫した結果は、眼窩前頭皮質及び前帯状皮質強迫症状の媒介に関与していることを示唆する。近年の文献に基づき、背側前頭頭頂ネットワーク内の活性化は、誘発課題によって引き起こされる強迫的な過程に抵抗する患者の努力にひょっとして関連していることを我々は示唆する。さらなる研究により、OCD において変化した様々な認知機能及び情動機能の特異的な神経相関を明瞭にすべきである。

注:i) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」及び「ボクセル」については、例えば次の pdfファイルを参照して下さい。「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 ii) 引用中の「陽電子断層撮像法」については、次のWEBページを参照して下さい。 「陽電子断層撮像法 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「強迫性障害」に相当する「強迫症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「強迫症 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

最後に、「私たちを,メディアが引き起こす恐怖の連鎖に呑み込まれやすくしている」ことについて、スーザン・M・オルシロ、リザベス・ローマー著、仲田昭弘訳の本、「マインドフルネスで不安と向き合う」(2017年発行)の 第1章 恐れと不安を理解する の「脅威をいくらでも考えて,思い出して,鮮やかに想像できてしまう」における記述の一部(P20~P22)を次に引用します。

脅威をいくらでも考えて,思い出して,鮮やかに想像できてしまう
人間の場合,必ずしも本物の差し迫った脅威に物理的または社会的に直面していなくても,恐怖を感じられます。面白い本に完全に没頭したり映画の世界に入り込んだりすると,自分の身は安全だと知っているのにドキドキして,主人公が真っ暗な部屋に入るにつれて自分も心配になってきますし,悪党が攻撃した瞬間に恐怖が最大になります。人間の心は,年中無休の映画館にちょっと似ています。寝ても覚めても,隠れた危険や恐れる結果をあらゆる種類でいくらでも鮮やかに想像できてしまいます。過去に怖かったまたは不安だった出来事も,いくつでも際限なく思い返しては上映できます。人間の心は,そうした出来事を見事にありありとよみがえらせるのが大得意なのです。
さらに困ったことに,恥ずかしかった出来事を蒸し返す,未来の破滅を想像するといったときに,距離を置いて客観的に眺めはしません。出来事を想像したり思い出したりするだけで不安を掻き立てる思考や身体感覚が溢れ出してきて,注意を背けたり逃げ出したりしたくなるほどです。例えば 門限を2時間過ぎても戻らない息子を不安な気持ちで待ちながら車が大破する事故を想像する母親は,自分を客観的に眺めないので,実際の事故現場に立ったときに感じるのと同じ胃の苦しさ,手の汗,口の渇きに苦しみかねません。夜ベッドに潜ってからその日に学校でとても恥ずかしい発表をしてしまった出来事を思い返している高校生は,クラスで耐えなければいけなかったのと同じ鼓動の速さをまたも経験するかもしれません。
記憶して想像する力はとても価値のある人間的特徴で,そのおかげで人間社会がさまざまな意味で飛躍的に発達したと言えるでしょう。しかし同時に,恐い出来事に無制限にアクセスできるようにもなってしまいました。心の中で無数の脅威に曝され続けると,本来それだけなら基本的な生存メカニズムとしてすっきり機能するはずの恐怖反応が,ずいぶん込み入ったものになってしまいます。
もう一点,脅威を鮮やかに想像できてしまう人間の力は,想像できる脅威は本当により起きやすいと思い込ませます9)。研究からは,視覚的に思い浮かべやすい出来事は実際に起きる見込みも高いと私たちが考えていることが示されています。進化的に見ると,そうした傾向は確かに生存に有利だったと言えるでしょう。なぜなら,写真技術が開発される前は,身近で最近目にした出来事を思い浮かべやすい人々のほうが,実際に生存しやすかったからです。村の誰かが木の実を食べて病気になった出来事を鮮やかに思い出せたなら,それに似た木の実は食べないほうがよさそうです。ところが24時間ニュースと携帯電話の動画が世界中の悲劇的な出来事を一つ残らず伝え続ける現代ともなると,実際に身近で起きる見込みがたとえどれほど低くても,いとも簡単に津波地震,疫病,児童誘拐,テロリストの攻撃といったものを想像できるようになってしまいました。かつては生存に適応的だった人間の特徴が,私たちを,メディアが引き起こす恐怖の連鎖に呑み込まれやすくしているのです。

注:i) 引用中の注釈「9)」の引用は省略します。この本を参照して下さい。 ii) 引用中の「メディアが引き起こす恐怖の連鎖」に関連するかもしれない「メディアの警告がもたらすノセボ効果」等については、例えばここ、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 iii) 引用中の「人間の場合,必ずしも本物の差し迫った脅威に物理的または社会的に直面していなくても,恐怖を感じられます」に関連する「バーチャルな現実をつくり出す」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「恥ずかしかった出来事を蒸し返す」に関連する「過去のことをいろいろと思い出して、後悔を続ける」ことについてはここを参照して下さい。 v) 引用中の「視覚的に思い浮かべやすい出来事は実際に起きる見込みも高いと私たちが考えていることが示されています」に関連するかもしれない「取り越し苦労」についてはここを参照して下さい。

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≪余談8≫反すう、心配と回避との関連について

標記について、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(他の拙エントリのリンク集を参照、注:バーチャルな現実の視点を含む)の視点より、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第3章 マインドフルネスの臨床研究 の マインドフルネスとACT の「反すうと心配」における記述(P048~P052)を以下に引用します。ちなみに、上記「ACT」はアクセプタンス&コミットメント・セラピーの略です。加えて、 a) 注意のシフト及びマインドフルネス瞑想の視点からの標記「反すう」(反芻)と「不安」について、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅰ章 マインドフルネスの効果の機序 の 1 マインドフルネスとは何か? なぜ求められるのか? の ①臨床活用の文脈から の 4 不快な体験との新たな関わり方 -ICSモデルの観点から の「1 注意をシフトする」における記述の一部(P8~P10)を以下に引用します。 b) マインドフルネス認知療法の視点からの標記「反すう」(反芻)や「不安」にはまりこんでいる状態の時に有用かもしれない「脱中心化」について、同本の Ⅳ章 疾患・領域別アプローチ法 の 1 うつ病・不安障害 の 「3 作用機序」における記述の一部(P137~P138)を以下に引用します。さらに、「反すうや心配といったネガティブ・アフェクトを生み出す自己関連プロセスは,病的な認知プロセスである」ことについて、ステファン・G・ホフマン著、有光興記監訳の本、「心の治療における感情 科学から臨床実践へ」(2018年発行)の 第4章 自己と自己制御 の「臨床に関連するポイントの要約」における記述の一部(P85)を以下に引用します。その上に、 1) 標記「反すう」による即時的な影響として、「ポジティブ感情が低減する」こと、「ネガティブ感情が増幅する」こと、そして「問題解決能力が低下する」ことが挙げられることについては次の資料を参照して下さい。 「持続的注意課題中の反すう思考に影響を与える要因の検討」 2) 標記「反すう」と「心配」に関する「メタ認知療法の観点からみた抑うつと反すう,心配および実行機能の関連」については次の資料を参照して下さい。 「メタ認知療法の観点からみた抑うつと反すう,心配および実行機能の関連」 3) 標記「反すう」に関連する「ぐるぐる思考」から抜け出せないときの対象法の例は次のWEBページを参照して下さい。 『ぐるぐる思考から抜け出せないときの「タンポポのイメージワーク」とは/「つらい私」の対処法⑭

「反すうと心配」

今、うつ病や不安障害など認知行動療法のターゲットになる症状において、「反すう」と「心配」が非常に注目されています。この心配とか反すうという言葉は、日常用語で使われているのでわかりにくいのですが、学術用語としても使われています。
反すうは過ぎてしまった過去のことをいろいろと思い出して、後悔を続ける思考パターンです。これはやればやるほど、落ち込みが強くなっていきます。そうですよね。過去の失敗を思い返して、何度も何度も自分の中で反すうするわけです。そうして反すうしている内容はバーチャルな現実をつくり出すわけですから、考えれば考えるほど落ち込みますよね。
心配というのは、取り越し苦労のことです。「もし、ここで失敗して、こんなことが起こったら……うわ、もうダメだ」って、心配性の人はそういうことをまた考えて、不安になるんですよね。
「こんなことになったら困るから、起こらないように前もって手を打っておかないと。いや、もしかしたら、これも起こるかもしれない。いやいや、あれが起こる可能性が……」みたいな感じで、考えれば考えるほど本人は備えているつもりですが、どんどん不安が溜まっていきます。なるべく極端なことを考えて手を打っておこうと思うのですか、それがバーチャルな現実として感じられるので、ものすごく不安が強くなっていくわけです。

では、なんでそんなことをするのかというと、反すうをしていると自分がそのときに感じているつらさを感じなくてすむからなんですね。これは、もう究極の選択です。自分が感じている寂しさとか、悲しさとか、一人ぼっちな感じとか、そういったものをとにかく感じたくない、避けたいわけです。そうしたら、後で落ち込むことがわかっていても、反すうしているほうが目先で楽と思ってしまうわけですね。
不安障害もそうです。自分が今ここにいて、いろんな不安を抱えている。寄る辺なさとか、心細さとか、そういったことを感じていたくないわけですよね。だから先のことを心配して、心配して、そっちにのめり込むことによって、今ここで感じているつらさみたいなものから逃げる。私はそれに対して「目先の楽を手に入れて、長期的な苦しみを抱え込むことですよ」とよく言っているのですが、こういうことは頻繁に起こります。

大体、生活の中でうまくいかなくなるパターンというのは、ほとんどすべてがそうです。目先の楽を手に入れて、長期的な苦しみを抱え込むんですね。先ほどお話しした例の、不安で地下鉄に乗らないのも、そうですよね。「乗ったら10分で行きたい所に行けるのに。タクシーに乗っても行ける。けど、二千円かかっちゃうんだよな」。そこに地下鉄の赤坂見附の駅があるから、乗って行けばいいのに乗らない。「今日は乗らないでタクシーにしよう。今度から地下鉄に乗ろう」って思ったら、ホッとしますよね。「まあ、仕方ないや。でも地下鉄に乗ってひどい目にあったかもしれないから、それがなかったし、いいか」ってホッとする。でもそれをやっていると、少し後にお金が二千円かかるという苦しみも起きますし、いつまでたっても乗れるようにならないという長期的な苦しみも続きますよね。だから目先の楽を手にいれて、長期的な苦しみを抱えることになるのです。
うつの人は、「今日はちょっと調子がいいから職場に行ってみようかな」と思うわけですよね。「これぐらいなら行けるかも。いや、やっぱり面倒くさいな。職場に嫌な上司がいるんだよな。またなんか言うよ、あいつ。いや、でも行けるかも……いや、やっぱり嫌だな。いや、ちょっと今、心が折れそうだからやめよう」。そうすると、たぶんすごくホッとするわけです。「仕方ないか、今日はまあいいや。天気もいいし、今日はちょっと家でゴロゴロしていよう」と、目先の楽を手に入れてしまう。そうするといつまでたってもよくならないという、長期的な苦しみが待っているわけです。

この反すうや心配は重なっていきます。反すうをしていると、とりあえずそのときのつらい感じは感じなくてすむ。心配をしていると、とりあえずそのときの心細い感じや、寄る辺ない感じを感じなくてすむ。でも、そこで怖がっているものが、どれくらいのものなのかは知らないわけです。なぜ知らないのかと言えば、それは回避しているからです。回避というのは、行動しない、体験しない、ということです。ですから、実際にやってみたら全然違うことが起こるかもしれないわけです。でも、回避をしたら、それを経験する可能性がゼロになってしまいます。そうやって、ずっと問題が続いているのが、不安とか、うつとかの正体なんですね。

だから、実際はやってみればいいわけです。やってみて結果を見る。でも、それをさせないのか認知的フュージョンです。考えてバーチャルな現実をどんどんつくり出しますので、「いや、そんなこと、できるわけないよ」と思うわけですよね。でも、実際そこでやってみたら「あれ、思っていたほど大変じゃなかった。こんなに簡単だったんだ。なんで今まで怖がっていたんだろう」ということも起こるのです。
例えば一人になると孤独感を感じて、自分は壊れてしまうかもと思っている。でも一人になって、ずっと孤独感を感じてみようとすると、どこかでちょっとホッとするような感じが出てくる。「あれ、一人でいるのも、そんなに悲劇的なことではないんだな」と気づいたりします。でも回避している限りはわかりません。そこを切り替えていこうというのがマインドフルネスです。

注:(i) 引用中の「認知的フュージョン」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて、「認知的フュージョン」を脱する「脱フュージョン」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (ii) 引用中の「マインドフルネス」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「回避をしたら、それを経験する可能性がゼロになってしまいます。」に関連する、シックハウス症候群における「具合が悪くなるのが嫌で,問題の臭いがする状況を徹底的に避けてしまうと,レスポンデント学習が消去される機会がなくなるからである.」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) ちなみに、 a) 引用中の「うつ病」及び「不安障害」については共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ただし「不安障害」は、用語「不安障害(不安症)」を使用して下さい。 b) 引用中の「バーチャルな現実」に関連する「象徴性」については例えば次の資料を参照して下さい。 「言語行動と関係フレーム理論」 c) 引用中の「反すう」及び「心配」をつくり出しているかもしれない「デフォルトモードネットワーク」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

1 注意をシフトする(中略)

我々は誰でも落ち込んだり不安になったりする。そのようなとき,その注意は「今」にない。どこにあるかというと,「過去」か「未来」である(図1)。たとえば自分の不用意な発言から顧客を怒らせてしまい,上司に多大な迷惑をかけている場面を想定してみよう。もしかすると上司から叱責され,ひどく落ち込んでいるかもしれない。そのような場合,注意は「過去」に飛んでいる。そして,「なんであんなことを言ってしまったのだろうか」,「あんなことを言わなければよかった」といった考えがグルグルと頭の中を反芻し,思考の渦に飲み込まれてしまう。そして思考が反芻すると,さらに落ち込み,落ち込むのでますますネガティブな思考が反芻するという悪循環が生じる。
一方で,注意が未来に飛ぶと,今度は不安になる。「また同じ失敗をしたらどうしよう」,「今度失敗するとクビになるかもしれない」といった思考が頭の中を反芻し,不安がさらに増すことになる。
そうした場合の対応策として,注意の対象を「今この瞬間」の何か別のもの-たとえば食事をしているのであれば食事そのもの,もしくは自分の呼吸,身体の感覚など-にシフトするという方法がある。そして,そこに注意をとどめ,直接的な感覚としてこれらを体験することで反芻は収まる。なぜなら,脳のワーキングメモリーの容量には限界があるため,今注意を注いでいる対象物についての情報処理でメモリーを使ってしまうと,反芻の情報処理で使われていたメモリーがなくなってしまうためである10)。
しかし,思考の反芻が起きているときに,注意をコントロールし,自分の意図するところにそれをとどめておくことは容易ではない。だからこそ,これにはトレーニングが必要なのである。そしてそのトレーニングの方法として瞑想が使われるのである。
瞑想というと,「頭の中を空っぽにする」というイメージを抱きがちであるが,必ずしもそうではない。瞑想では,呼吸や身体,音などの感覚に注意を向けていくが,そこに注意をとどめておくのは,普段でも簡単ではない。ものの1分もしないうちに他のことを考えていることに気づく。しかし注意が彷徨うのは脳の自然な現象であり,決して失敗ではない。マインドフルネスでは瞑想中に注意が彷徨ったとしてもそれを失敗ととらえず,注意がそれてもその行き先を認識し,そして再び元の場所へと戻す。何度それてもただ戻してくる。そうすることで徐々に注意をコントロールする力が身につき,仮に思考の反芻が始まったとしても,注意を意図するところにとどめることで反芻を抑えることが可能になるのである。

注:i) この引用部の著者は佐渡充洋です。 ii) 引用中の「図1」の引用は省略します。 iii) 引用中の「そして思考が反芻すると,さらに落ち込み,落ち込むので」は「そして思考が反芻すると,さらに落ち込むので」のタイプミスかもしれません。 iv) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「How does cognitive therapy prevent depressive relapse and why should attentional control (mindfulness) training help?」 v) 引用中の「ワーキングメモリー」に関連する「中央実行系」については次のWEBページを参照して下さい。 「中央実行系 - 脳科学辞典

3 作用機序

Teasdaleらはうつ病の再発予防のための認知行動療法プログラムを模索した結果,従来の認知行動療法ではなく,MBSRを基本としたプログラムであるMBCTを開発した。この大きな方向転換の際に念頭に置いていたのが,「脱中心化」という概念をプログラムに取り入れることであった。
ここではマインドフルネスを用いた治療介入の中核である「脱中心化」がどのような概念であるか,そしていかに重要であるがを認知行動療法の視点から説明する。(中略)

1 「脱中心化」とは-認知行動療法の視点で
人は落ち込むとき,意識が過去に飛ぶ。そして,「なぜ,あんなことをしてしまったのだろう。あんなことをしなければ,今頃こんなことにならなかったのに」といった思考が反芻を始める。そうするとそのことが頭から離れなくなり,気分もどんどん沈み込んでいく。一方,不安になると,今度は意識が未来に飛んで,そこで同じような反芻が起きる。「思考や感情を,自分自身や現実を直接反映させたものとして体験したり,解釈するのではなく,それらを心の中で生じた一時的な出来事としてとらえること」4)と定義される「脱中心化」の視点が,このような反芻にはまり込んでいる状態のときに有用であることは想像に難くない。「思いを,単なる思いにすぎないと認識する,という単純なことによって,あなたはゆがめられた現実から解放され,自分の人生をよりはっきりと見つめ,管理できるようになります」5)というKabat-Zinnの言葉のように,自分の思考や感情への囚われから抜け出し,正しく現実をとらえ,その状況に応じた対応が可能となる。
実際にTeasdaleらは治療によって抑うつの再発予防ができた場合,否定的な認知が浮かんでもそれが事実ではないことを認識して距離を置けるようになること,つまり「脱中心化」した視点を持てるようになることを見出した4)。そしてこの結果はマインドフルネスでも従来の認知行動療法でも共通していた。

注:(i) この引用部の著者は二宮朗です。 (ii) 引用中の「MBSR」(Mindfulness-Based Stress Reduction、マインドフルネスストレス低減法)については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「マインドフルネス なぜ医療現場で有用なのか エビデンスとその効果」の「MEMO❷ マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」項 (iii) 引用中の「MBCT」(Mindfulness-Based Cognitive Therapy、マインドフルネス認知療法)については次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」 なお引用はありませんが、この資料の「MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)への接近」シートには、引用中の「脱中心化」についての簡単な記述があります。 (iv) 引用中の文献番号「4)」は次の論文です。 「Metacognitive awareness and prevention of relapse in depression: empirical evidence.」 (v) 引用中の文献番号「5)」は次の本です。 「J・カバットジン,著,春木豊,訳:マインドフルネスストレス低減法.北大路書房, 2007, p106.」 (vi) 引用中の「思考や感情を,自分自身や現実を直接反映させたものとして体験したり,解釈するのではなく,それらを心の中で生じた一時的な出来事としてとらえること」に関連する、 a) 「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」項(P43~P44) 加えて、引用中の「反芻」(反すう)や「思いを,単なる思いにすぎないと認識する」ことに関連する「自動思考をモニターし、思考を思考として捉えられるようになるだけで、自動思考への巻き込まれや反すうから抜け出たり、マインドフルに自分を見られるようになります。その効果は計り知れません。」との記述を有するツイートがあります。また、上記「自動思考」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「働く女性全力応援セミナー」第1回 講演② 講演録』の「●自動思考という概念」項 b) 「全ての感情や自己イメージは、心の中の一過性の出来事にすぎない」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「心理臨床への示唆」シート

臨床に関連するポイントの要約(中略)

●反すうや心配といった,ネガティブ・アフェクトを生み出す自己関連プロセスは,病的な認知プロセスである。反すうは過去の出来事に,心配は未来の出来事に注目している。どちらの思考スタイルも,映像よりも言語的なくり返しが多く,具体性を欠いていたり,有効でない問題解決の方法にこだわっていたりすることが特徴である。(後略)

注:引用元の本における引用中の「アフェクト」の説明について、同本の P12 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『私は「アフェクト」という用語は,「ある感情状態の感情価(快-不快)を定義する,その状態の「主観的経験(subjective experience)」を表現するために使用するのを推奨する。』

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≪余談9≫心気症について

標記「心気症」*40について、American Psychiatric Association 原著、滝沢龍訳の本、「精神疾患メンタルヘルスガイドブック DSM-5から生活指針まで」(2016年発行)の 第9章 身体症状症および関連症群 の 他の身体症状症および関連症群 の「病気不安症 Illness Anxiety Disorder」における記述(P146)を次に引用します。

病気不安症の人たちは病気である,または病気にかかりつつあるという考えにとらわれている。持続する不安やストレスを引き起こすこの障害は,これまで「心気症 hypochondriasis」という用語が用いられていた。自分の健康について心配することに多くの時間と労力をかける。彼らは健康上のリスクになったり,病気の人に出会ったりする状況(例えば,旅行)を避けるようにしていることもある。ビタミンや他のサプリメント類を摂取するなど健康的な行動に集中して,多くの時間とお金をかけていることもある。身体的な診察や検査では問題がないとわかっているが,彼らは安心せず,健康であると信じられない。もし身体疾患があったとしても,そのストレスに比べれば穏やかな症状であることが多い。
以下のような場合に診断される。
・重い病気である,または重い病気にかかりつつあるという過度の心配。
・身体症状は存在しない,または存在してもごく軽度である。他の身体疾患が存在する,または発症する危険が高い場合は,それに過度にとらわれてしまっている。
・自身の健康についての過度な不安と頻回な心配。
・病気の徴候を繰り返し調べるなど,過度に健康関連行動を行う。健康上の問題を確認したり,ないと判断したりする病院や医師を避ける。
・病気へのとらわれは,少なくとも6か月は継続しており,パニック症,全般不安症,醜形恐怖症などの他の精神疾患によらない。

注:i) 引用中の「心気症 hypochondriasis」は、DSM-IV から DSM-5 への改訂時に病気不安症(身体症状が存在しない又は存在してもごく軽度)と身体症状症(ごく軽度でない身体症状が存在する)とに分かれたようです。 ii) 引用中の「パニック症」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「パニック障害」)を参照して下さい。 iii) 引用中の「全般不安症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「醜形恐怖症」の別名でもある、「身体醜形障害」の簡単な説明については、貝谷久宜、佐々木司、清水栄司編著の本、「不安症の辞典」(2015年発行)の PART Ⅱ 不安症の診断と治療 の 第9章 不安症の周縁疾患 の「Q 身体醜形障害とはどのような病気ですか?」における記述の一部(P89)を次に引用(『 』内)します。 『身体醜形障害は、醜形恐怖または醜貌恐怖とも呼ばれ、客観的にはほとんど存在しない、または問題にならないほどの些細な身体的欠陥について過剰にとらわれてしまう病気です。』(注:この引用部の著者は土田英人です) v) 引用中の「病気不安症」は強迫スペクトラム障害の一部として捉えられるようになっていることについて、痛みの視点を含めて、名越泰秀、西原真理編集の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第2章 精神科における痛みの見立て の B. 身体症状症による疼痛の病態 の「10 精神科からみた痛みの多様性」における記述の一部(P51)を次に引用します。

(前略)身体症状に対する囚われという強迫が痛みに関連することもある.ある身体知覚に対して,悪い病気の兆候ではないかと囚われて,健康状態に不安が高じていくと病気不安症(心気症)と診断される(ただし,DSM-5 では,身体症状がある場合は身体症状症と診断される).病気不安症(心気症)は近年では,1990年頃に Hollander らが提唱した強迫症を中心とする強迫スペクトラム障害 obsessive-compulsive spectrum disorders(OCSD)21) の一部として捉えられるようになっている.痛みの場合も,痛みに対する強いとらわれが認められる場合は,強迫の病態で理解できることも多い.(後略)

注:(i) この引用部の著者は富永敏行です。 (ii) 引用中の文献番号「21)」は次の論文です(注:PubMed では検索できません)。 「Obsessive-Compulsive Spectrum Disorders: An Overview」 なお、上記「obsessive-compulsive spectrum disorders」(強迫スペクトラム障害)に言及している資料は例えば次を参照して下さい。 「強迫スペクトラム障害の展望 ――DSM-5 改訂における動向を含めて――」 また上記「強迫スペクトラム障害」に関連する、 a) 「強迫症に似た他の病気」としての「病気不安症(心気症)」について、原井宏明監修・著、岡嶋美代著の本「図解 やさしくわかる強迫症」(2022年発行)の 1章 強迫症(OCD)を理解しよう の 強迫症に似た他の病気 の 強迫症に似た仕組みの病気 の「病気不安症(心気症)」における記述(P60)を以下に引用します。 b) 「強迫症または関連症群」と引用中の「心気症」については共にここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM‒5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)

病気不安症(心気症)…体の不調で病院で診察を受けて「異常なし」と言われても「見逃されているのではないか?」という不安にとらわれ、過度に心配します。他の医師にかかって同じ診断を受けても納得できず、次々と別の医師にかかります(ドクターショッピング)。病気のために死んでしまうのではないかというほどの恐怖に苦しみ、日常生活に支障をきたします。

注:引用中の「病気不安症」についての同 P60 における脚注の内容を次に引用(『 』内)します。 『※病気不安症…DSM-5(精神疾患の国際的な診断基準)で新たに採用された病名。心気症などが含まれる。』

加えて、心身症(WEBページ「心身症 - 脳科学辞典」を参照)と上記心気症の違いについて、「病気と死の恐怖」や病気に対する「予期不安、暗示、条件反射の影響」を含めて、山下格著、大森哲郎補訂の本、「精神医学ハンドブック 医学・保健・福祉の基礎知識 [第8版]」(2022年発行)の 1 主に心因によるもの の 1-2 神経症・ストレス関連障害 の Ⅱ.症状:さまざまな病型 の「c. 心気症(疾病恐怖)」における記述の一部(P36)を次に引用します。

人間は、社会的存在であるとともに、身体的存在でもある。その存在への脅威は、病気と死の恐怖につながる。病気と死は誰にも避けられないから、この恐怖は、古今東西を問わず最も日常的にみられる。臨床医はどの診療科においても、常にこの恐怖と、それにもとづく多種多様な愁訴と取り組んでいる。
この恐怖と愁訴は、体のことを気に病むという意味で伝統的に心気症とよびならわされてきた。その定義は、あらゆる身体的検査によって異常所見がみとめられないにもかかわらず、身体的自覚症状が執拗に訴えられることである。本章の心身症の項に、病気に対する予期不安、暗示、条件反射の影響をしるしたが(p.19)、それは心気症にもあてはまる。心身症と心気症の違いは、前者が他覚的変化をきたすのに対し、後者は自覚的訴えにとどまる点にある。もちろん両者の混在や併発は常にみられるので、厳密な区別は無理である。
日本でよくもちいられる自律神経失調症という診断名は、更年期障害などのように実際に自律神経機能の変調をきたす場合のほか、身体的検査で異常所見がみられないのに訴えがつづくとき、便宜的に使用されることが多い。
ICD-11では、これまで広い意味で心気症と言われていた状態を、身体的苦痛症と狭義の心気症に区別している。(後略)

注:(i) 引用中の「本章の心身症の項に、病気に対する予期不安、暗示、条件反射の影響をしるしたが(p.19)」についての引用は省略しますが、代わりに、 a) 上記「予期不安」に関連するパニック障害(パニック症)における「予期不安」については他の拙エントリのここを、 b) 上記「暗示」に関連する「暗示とその周辺問題」については資料「暗示とその周辺問題」を、 c) 上記「条件反射」についてはここを、これに関連する「条件付け」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。加えて、上記「予期不安、暗示、条件反射」については pdfファイル「Trim vol.221」中の村松芳幸著の資料「心療内科医からの心と身体の話」の「心身相関で現れる心理的要因として、5つの反応」項を参照すると良いかもしれません。 (ii) 引用中の「自律神経失調症」については次の資料を参照して下さい。 「自律神経失調症」 (iii) 引用中の(ICD-11における)「身体的苦痛症」については資料「身体的苦痛症または身体的体験症群」を、「心気症」については資料「強迫症または関連症群」の「4. 心気症(6B23)」項(P363)を それぞれ参照して下さい。

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≪余談10≫パブロフの犬において条件付け操作による条件反射が消え去ったことについて

下記の操作的な「洗脳」や自発的な「改心」からの視点を含めた標記について岡田尊司著の本、「マインド・コントロール 増補改訂版」(2016年発行)の 第五章 マインド・コントロールと行動心理学 の「条件反射を消す方法」項における記述(P166~P169)を次に引用します。

条件反射を消す方法

その驚くべき発見は、まったくの予期しない出来事によってもたらされた。幸運な偶然というよりも、不幸な災害といった方がよいだろう。一九二四年、レニングラードは大洪水に見舞われたのだ。パブロフの実験室も被害を免れなかった。大量の水が流れ込み、実験用に飼われていた犬たちも、機材や飼育カゴも浸水し、犬たちは逃げることもできず、あっぷあっぷ溺れかけたのである。そこへ間一髪、助手の一人が実験室にたどり着き、犬たちを救い出すことができた。
洪水が収まって、実験を再開しようとしたとき、パブロフたちは奇妙な事態が起きていることに気づく。ベルの音を聞いても、犬たちは反応しない。何度やっても同じだった。何と一旦獲得した条件反射が消えていたのだ。水に溺れかけるという衝撃的な出来事が、条件反射を消去してしまったと考えられる。
実際、パブロフが、もう一度、条件付け操作をし、条件反射が起きるようにしてから、また同じように部屋に水を注ぎこんで、生命の危機にさらされるという状況を作ってみると、やはり、獲得されたはずの条件反射は消え去っていた。
単に学習させた条件反射が消え去るだけでなく、他にも奇妙なことが起きることに気づいた。犬の性格が、まったく正反対に変化するということが、しばしばみられたのだ。とても大人しかった犬が、乱暴で、すぐに人を噛むようになったり、逆に、乱暴だった犬が、とてもおとなしくなったりした。
心的外傷体験によって、以前の条件付けが消去されるだけでなく、それとは真逆ともいえる状態が生じる現象を、パブロフは、「超逆説的段階」と呼んだ。
パブロフの研究が、ソビエトにおける洗脳技術の発展に果たした役割を研究した精神科医ウィリアム・サーガントによると、生存にかかわるような外傷体験によって、それまで信じてきた行動様式や価値観がまったく役に立たない事態に直面する中で、それが逆転してしまうような反応が誘発されるという。
信じてきたものが壊れたとき、別人のように振る舞いだすということは、しばしば経験することであり、サーガントの説明は、臨床的な実感と一致する。
極限状態に追い詰められることが、いい意味でも悪い意味でも、振る舞い方を百八十度変えるきっかけとなるのだ。言い方を変えれば、瀬戸際まで追い詰められたとき、既成のプログラムが解除され、プログラムの書き換えが起きやすくなるということだ。
操作的な「洗脳」においても、自発的な「改心」においても、何らかの極限状態が大きなきっかけとなったというケースは非常に多い。逆に言えば、極限状態がなければ、そうした価値観の逆転は起こりえないとも言える。
洗脳を目的として発展したさまざまな方法に共通するのも、過酷な極限状況にその人を追い詰めていくという点である。短い睡眠時問、乏しい栄養、孤独で隔絶された環境、不規則で予測のつかない生活、プライバシーの剥奪、過酷で単調なルーチンワーク、非難と自己否定、罵倒や暴力による屈辱的体験、苦痛に満ちた生活、快感や娯楽を一切許されないこと、理不尽で筋の通らない扱い等々。これでもかこれでもかと、苦痛と屈辱と不安が与えられる。
たとえば、禅宗の修行でも、導師が弟子に対する接し方は、極めて理不尽で、ほとんど無意味な虐待に近いという。その理不尽さと虐げることに意味があるのだ。新しい境地にたどり着くには、もっともらしい知識や肩書など何の役にも立たず、赤子のように無力だと感じる極限状況が必要なのだ。
宗教的修行と洗脳が、紙一重の行為であり、解脱も洗脳も、そこで起きていることは、既成の価値観の消去だという点では共通するのである。

注:i) 引用中の「パブロフ」が研究した引用中の(犬の)「条件反射」又はこれに関連する「古典的条件づけ」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「古典的条件づけ研究なんてまだやってるのと思っているあなたへ」、「『パブロフの犬』の脳内の仕組み解明」 ii) 引用中の「心的外傷」に相当する「トラウマ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「禅宗」に関連するかもしれない、(光の中のマインドフルネス[参照]を含む)「仏教3.0の視点からのマインドフルネスの訓練」は、引用中の「極めて理不尽で、ほとんど無意味な虐待に近い」とは大きく異なると拙ブログ作者は考えます。加えて、藤田一照氏が提唱する「感じて、ゆるす仏教」は、「ガンバリズム」*41や「order & control」(命令して、コントロールする)とは異なると拙ブログ作者は考えます。なお、後者の詳細については、藤田一照、魚川祐司著の本、「感じて、ゆるす仏教」(2018年発行)を参照して下さい。ちなみに、同本を書評するエントリは次を参照して下さい。 「感じて、ゆるす仏教 (藤田一照 魚川祐司):当代一の禅問答」 加えて、上記「感じて、ゆるす」に関連するかもしれない「楽しいもの」について、同本の 第三章 「感じて、ゆるす」の人生論 の「仏教では人生はもっと面白い」における記述の一部(P289~P290)を次に引用します。

(前略)魚川(中略)これは私の大切な思い出なのですが、(中略)一照さんは、「仏教というのは生死の問題に取り組むということで、厳しい修行に耐えながら、歯を食いしばり気難しい顔で行うものであるようなイメージがある。でも、自分にとっては仏教というのは何よりも楽しいものとしてあるんだ。だから、飽きっぽい僕がまだやっているんだよ」ということを言われていた。これは、いまに至るまで、私が仏教のみならず、自分の人生を生きていく上で、指針としている言葉でもあります。

藤田 そんなこと言ったっけ? 忘れましたよ。いかにも言いそうなことだけど(笑)。(後略)

注:i) 引用中の「一照さん」は、引用元の本の著者でもある藤田一照氏を指します。 ii) (引用元の本の発行後の?)より最近では、上記「ゆるす」を「起こるがままに任せておく」という表現にしていることについては、藤田一照、プラユキ・ナラテボー著の本「仏教サイコロジー 魂を癒すセラピューティックなアプローチ」(2018年発行)の 第3章 インターミッション 座禅と瞑想 の 一照師→プラユキ師 座禅の割り稽古 の「アウトサイドインとインサイドアウト」における記述の一部(P205)を次に引用します。

(前略)プラユキ 「感じて、ゆるす」は、一照さんがよく使われる言葉ですね。
藤田 はい、最近は「ゆるす」と言うのは傲慢な響きがあるので、「起こるがままに任せておく」という表現にしています。(後略)

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≪余談11≫報酬予測と意思決定の神経機構(モデルフリープロセス及びモデルベースプロセス)について

標記報酬予測と意思決定の神経機構(モデルフリープロセス及びモデルベースプロセス)について、宮田久嗣、高田孝二、池田和隆、廣中直行編著の本、「アディクションサイエンス 依存・嗜癖の科学」(2019年発行)の 第2部 基礎研究の展開 の 6 報酬予測と意思決定の神経機構 の「6.2 モデルフリープロセス」及び「6.3 モデルベースプロセス」における記述の一部(P57~P60)を以下に引用します。ちなみに、 a) 「モデルフリー方略とモデルベース方略を扱う意思決定課題」に関する研究課題の例は次のWEBページを参照して下さい。 「身体反応が意思決定を修飾する神経メカニズム」 b) (以下の引用によると)標記「モデルフリープロセス」は条件付けにも関連します。

6.2 モデルフリープロセス

6.2.1 条件付けと意思決定
刺激と反応の関係が,先天的に1対1に決まっているようなら意思決定はいらない.逆に,1対1に決まっていないのなら,程度はともかく,刺激-反応関係の形成に後天的学習が必要になる.刺激-反応関係を後天的に形成する機能としては,条件付け(conditioning)が知られている.条件付けという用語は,本来,動物の行動変化を引き起こす手続きについてのものであり,刺激に報酬(あるいは罰)を随伴させることで,報酬(あるいは罰)に関連するすでに獲得している反応の頻度を上げる(あるいは下げる)手続きを,古典的(パブロフ型)条件付け,ある環境の中で特定の反応に報酬(あるいは罰)を随伴させることでその反応の生起頻度を変化させる手続きを,オペラント(道具的)条件付けと呼ぶ.条件付けを介する新たな刺激-反応連合の強度は,随伴する報酬(あるいは罰)の程度に依存しており,報酬の程度が大きいほど,一般的には刺激-反応連合強度も大きくなる.したがって,複数の選択肢から選択が行われる場合,刺激-反応連合強度の大きい方が選択されるということになる.バナナとイチゴから1つを選択する場合,バナナに対する反応強度とイチゴに対する反応強度のうち,その程度の強い方が選ばれることになる.別の見方をすると,予測されるバナナの報酬価とイチゴの報酬価は,反応強度に反映される.刺激や反応によって予測される報酬の程度のことを,神経科学では価値と呼ぶ.

6.2.2 価値の生成と大脳基底核ドパミン回路
1990年以降,脳における価値生成の神経メカニズムの理解は飛躍的に深まった.そのきっかけは,ケンブリッジ大学のシュルツ(Schultz)による報酬予測誤差信号の発見である1).
シュルツは,1980年代からサルを被験体として,中脳の黒質緻密部(substantia nigra pars compacta:SNc)にあるドパミン細胞(ドパミンを軸索末端から放出するニューロン)の単一ニューロン活動を記録してきた.ドパミン細胞は,サルに報酬を与えるとその活動を上昇させるが,音と報酬を使って古典的条件付けを施すと,もはや報酬の提示には応じなくなる.代わって,報酬に先行する音刺激(CS:conditioned stimulus(条件刺激))に対してニューロン活動は上昇するようになる(図6.1).この現象から,シュルツはドパミン細胞は報酬予測誤差をコードしていると結論付けた1).報酬予測誤差とは,それまでの経験から予測していた報酬の量(期待値)と実際に得た報酬量の差分のことである.実際に得た報酬量の方が多いと,予測誤差はプラスになり,少ないとマイナスになる.先ほどの例では,予期しないところ(予測報酬ゼロ)に実際に報酬が来ると,報酬予測誤差はプラスになり,ドパミン細胞は活動を上昇させる.しかし,条件付け後は,音刺激提示で十分予期されているところに報酬が提示されることになり,実際の報酬量-予測報酬量はゼロになるため,報酬提示時点では,ドパミン細胞の活動上昇はみられない.しかし,いきなり提示される音刺激には 活動を上昇させる.この発見は,学習に必要な教師信号を探していた当時の理論家にとって大きな発見となり,ロボット学習のために提案された強化学習理論が,実際の脳で働いている証拠であると考えられるようになった2).実際,その後,大脳基底核線条体ニューロンは,報酬予測情報をコードしていることが実験的に確かめられ,解剖学的に実在する線条体-SNcループが,報酬予測情報と報酬予測誤差情報のやり取りを介して,報酬予測の精緻化を行っていることが明らかになった3-5).すなわち,刻々と更新されるドパミン細胞からの報酬予測誤差情報を受け取り,大脳基底核線条体は報酬予測情報を,すなわち価値を生成していることになる.

6.2.3 報酬予測とハビット形成
大脳基底核線条体細胞が 報酬の予測に関わっていることは,その後も多くの研究により示されてきた.しかし,この細胞の情報が,我々の意識にのぼる価値情報なのだろうか? カリフォルニア工科大学の下條(Shimojo)らのグループの一連の実験によれば 選択をするということとそれを意識的に感じるということは別の回路の働きのようである6,7).たとえば,キム(Kim)らのfMRI実験では,好みの顔の価値に関わる信号は先に大脳基底核線条体に現れるが,それだけでは意識的な選択にはつながらず,好みに関わる信号が前頭前野に現れて初めて,選択行動が起こることを示している7).
大脳基底核の報酬予測情報は,何に使われるのだろうか? 1つわかっていることは,ハビット形成に関わっているということである.ハビットとは,条件付けの結果,刺激-反応連合強度が増し,刺激に対する反応が自動化してくる現象である.線条体では,報酬予測情報は,刺激と反応を結び付けるボンドのような役割を果たしており,それが強いほど強いハビット,すなわち生起頻度の高いハビットが形成される8).意思決定場面では,選択肢に向かう反応のうち,強くハビット化された方が選択されるわけである(たとえば,つい好きなものに手が出る).大脳基底核とSNcを結ぶ神経回路は,「報酬系」と呼ばれることが多いが,その「報酬」情報が単独で意識上に現れるという証拠はあまりない.行動的には,「報酬」の大きさは,この回路が生成するハビットの強さに反映されているようである9).

6.3 モデルベースプロセス

6.3.1 行動主義と認知主義
意思決定は,すべてハビットの競合によって決まるのだろうか? このことは,心理学における古くからの論争であり,行動主義と認知主義の問題に関わるように思われる.行動主義者は,刺激と反応の関係が,それらに随伴する報酬(あるいは罰)によって強化され,異なる刺激-反応連合の競合の結果,選択が行われる,と考えた.これは,サットン(Sutton)とバルト(Barto)が提案した強化学習理論2)とも基本的に一致する考え方である.それに対して,トールマン(Tolman)は,その潜在学習の研究から,行動を左右する学習は,報酬によって強化された刺激-反応連合だけではなく,報酬や罰を必ずしも伴わない,刺激も反応も含む環境内の事象間の連合学習によっても起こり得ると主張した10).トールマンの潜在学習の研究では,ラットに複雑な迷路学習を行わせたが,最初からゴールに餌を置いた群と,最初餌はなく途中から餌を置くようにした群とで学習成績を比べると後者の学習の方が早かった.トールマンは,ゴールに餌がない群のラットは,餌がなかった前半の試行で迷路内の構造を学習し,認知地図をつくることができたために,その後の餌付きの学習が促進されたと考えたのである10).
このような考え方は,後に,行動主義に対して認知主義と呼ばれるようになる。

6.3.2 モデルフリーとモデルベース
心理学では,行動主義と認知主義という異なる学習に対する考え方は,どちらがより正しいかで長い間論争が行われてきたが,それらの神経科学的メカニズムの理解が進むと,同じ脳の中に両方が共存していてもいいではないかと考えられるようになってきた.ケンブリッジ大学のバレイン(Balleine)とデッキンソン(Dickinson)は,条件付けの手続きで形成される行動はハビットであり,主に大脳基底核が関わるが,大脳皮質,特に前頭前野が関わる行動学習は,目標指向的行動であると主張した11).目標指向的行動とは,報酬の獲得や罰の回避といった目標が定まると,そこに到達するためにはどのような刺激-反応連鎖を行えばいいか逆算する情報処理プロセスである.目標指向的行動をより効率的に行うためには,日頃から環境情報を十分学習しておいた方が良いし,目標にたどり着くために長い連鎖が必要な場合は,それを一部抽象化しておくことが望ましい.プリンストン大学のドー(Daw)らは,これら2つの学習に関わる神経システムを理論神経科学の観点からモデル化し,大脳基底核のプロセスをモデルフリー,前頭前野のプロセスをモデルベースと呼んだ8).モデルフリープロセスは,強化学習里論,特に temporal difference(TD)学習でモデル化でき,条件付けやハビットが報酬によって形成される学習プロセスである.ここで形成される刺激-反応連合は,随伴する報酬の大きさと確率でその強度が決まり,その生起はなかば自動化される.一方,モデルベースプロセスでは,環境内の情報が認知地図のように組織化,またモデル化されているために,目標が決まれば,そこに到達できる事象の連鎖(状態遷移)が探索される.ここで使われる環境のモデルは,シミュレーション可能であり,実際にやってみなくてもモデル内のシミュレーションで最適の事象の連鎖を検証できる.ドーらは,モデルベベースプロセスの核は状態遷移学習にあり,これには大脳新皮質,特に前頭前野が重要な役割を果たすと考えた.

6.3.3 状態遷移学習とモデルベースシステム
ドーらはこれを検証するための行動課題も開発し,その行動を調べた12).2段階マルコフ判断課題(two-stage Markov decision task)と呼ばれる課題(図6.2A)では,第1段階(上段)で左の図形を選ぶと,第2段階(下段)では70%の確率で左の選択肢に進み,30%の確率で右の選択肢に進む.第2段階での選択では,選んだ図形ごとに報酬確率が決まっている.図6.2Bは,報酬があったかなかったかによって,その次の試行の第1段階の選択で,前の試行と同じ図形をどのくらいの確率で選ぶかを予想する図である.実験協力者がモデルフリー戦略をとった場合(図6.2Bの左のパネル)には,前の試行で報酬を得ることができたならば,第2段階が70%の確率側に行こうと30%の確率側に行こうと,次の試行では,前の試行の第1段階で選択した刺激と同じ図形を選ぶと考えられる(TD強化学習).逆に,報酬がなかったならば,次の第1段階の選択は,前の試行で選んだ図形とは異なる図形を選ぶと考えられる.つまり,条件付き確率を考えない「Win stay-Lose shift戦略」といえる.しかし,モデルベース戦略をとった場合(図6.2Bの右のパネル)には,第1段階の選択は,第1段階から第2段階に移行する確率も反映することになり,その試行で報酬を得ることができても,第2段階への移行が30%の確率側であった場合は,次の試行では第1段階で選択する図形を変える確率が上がると考える.前の試行で報酬がなければ,そのときの第2段階への移行が30%側であった場合には,70%側であった場合に比べ,次の試行の第1段階で選択を変える確率は下がると考える.つまり,第1段階から第2段階への遷移確率と報酬情報を組み合わせた条件性確率を考慮した戦略である。
ドーらは,実験協力者にMRIの中でこのような課題を遂行してもらい,そのときの脳活動を調べた12,13).実験協力者がモデルフリー戦略をとる場合には,課題探索中に報酬予測誤差情報が検出され,モデルベース戦略をとる場合には,報酬予測誤差情報に加え状態遷移予測誤差情報(第1段階から第2段階への移行の確率の学習のための誤差情報)が検出されると考えられる.実際,モデルフリー戦略をとっている場合には,報酬予測誤差情報を受け取る大脳基底核線条体が強く活動し,モデルベース戦略をとっている場合には,状態遷移学習に関係する大脳新皮質,特に前頭前野が強く活動していた.このことから,モデルベース戦略の核となる環境情報の状態遷移学習に前頭前野は重要な働きをしていることが示唆された.(後略)

注:(i) この引用部の著者は坂上雅道です。 (ii) 引用中の「図6.1」の引用は省略します。 (iii) 引用中の「2段階マルコフ判断課題」に関連する「図6.2A」及び「図6.2B」の引用は省略しますが、代わりに例えば次の論文(全文)を参照して下さい。 「Model-based influences on humans' choices and striatal prediction errors」及び「Comparison of the Association Between Goal-Directed Planning and Self-reported Compulsivity vs Obsessive-Compulsive Disorder Diagnosis」の共に Figure 1 (iv) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「A neural substrate of prediction and reward.」 (v) 引用中の文献番号「2)」は次の本です。 「Sutton RS, Barto AG. Reinforcement Learning : An Introduction. MIT Press ; 1998.」 (vi) 引用中の「3-5)」に対応する、 a) 文献番号「3」は次の論文です。 「Expectation of reward modulates cognitive signals in the basal ganglia.」 b) 文献番号「4」は次の論文です。 「A cellular mechanism of reward-related learning.」 c) 文献番号「5」は次の論文です。 「Representation of action-specific reward values in the striatum.」 (vii) 引用中の文献番号「6」は次の論文です。 「Gaze bias both reflects and influences preference.」 (viii) 引用中の文献番号「7)」は次の論文です。 「Temporal isolation of neural processes underlying face preference decisions.」 (ix) 引用中の文献番号「8)」は次の論文です。 「Uncertainty-based competition between prefrontal and dorsolateral striatal systems for behavioral control.」 (x) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The neurobiology of punishment.」 (xi) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Cognitive maps in rats and men.」 (xii) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Goal-directed instrumental action: contingency and incentive learning and their cortical substrates.」 (xiii) 引用中の文献番号「12)」は次の論文です。 「Model-based influences on humans' choices and striatal prediction errors.」 (xiv) 引用中の文献番号「13)」は次の論文です。 「States versus rewards: dissociable neural prediction error signals underlying model-based and model-free reinforcement learning.」 (xv) 引用中の「モデルフリー戦略」、「モデルベース戦略」にそれぞれ類似する「モデルフリー方略」、「モデルベース方略」についての研究例は次のWEBページを参照して下さい。 「身体反応が意思決定を修飾する神経メカニズム」  (xv) 引用中の「モデルフリー」、「モデルベース」及び引用中の「古典的(パブロフ型)条件付け」に関連する「モデルベース強化学習・モデルフリー強化学習のバランス」については共にここを参照して下さい。

加えて、「モデルベース強化学習・モデルフリー強化学習のバランスと精神障害」について、国里愛彦、片平健太郎、沖村宰、山下祐一著の本、「計算論的精神医学 情報処理過程から読み解く精神障害」(2019年発行)の 第3部 精神疾患への適用事例 の 第12章 強化学習モデルを用いた計算論的精神医学研究 の「12.5 モデルベース強化学習・モデルフリー強化学習のバランスと精神障害」における記述(P249~P251)を次に引用します。

本章でこれまで紹介した研究事例はモデルフリーな強化学習を想定したものであったが,モデルベース強化学習精神障害の関係を報告した研究も増えてきている(モデルベース強化学習とモデルフリー強化学習こついては第6章8節を参照)。Culbreth,Westbrook,Daw,Botvinick,& Barch(2016)は統合失調症の患者を対象に,Daw et al.(2011)の2段階マルコフ決定課題(第6章8節を参照)を実施し,モデルベース強化学習とモデルフリー強化学習のバランスが後者に偏ることを報告している。モデルフリーな学習と制御は線条体を含む大脳基底核,モデルベースな制御は背外側前頭前野(dorsolateral prefontal cortex: dlPFC)で担われていると考えられており,この Culbreth らの結果は,統合失調症における前頭前野の機能低下を反映していると考えられる。ただし,腹側線条体の活動はモデルフリー強化学習のみでなく,モデルベース強化学習によっても修飾されることも示されており(Daw,Gershman,Seymour,Dayan,& Dolan,2011),統合失調症線条体におけるドーパミン異常の影響も否定できない。
モデルフリー強化学習への偏りは他の疾患の患者でも報告されている。特に,過食性障害,覚せい剤使用障害,強迫性障害等の患者でモデルフリー強化学習の比重が高くなることが報告されている(Voon et al., 2014)。モデルフリー強化学習は過去に形成されたハビット(習慣)を繰り返す行動につながる。ハビットの影響の強い個人がこれらの精神障害につながると Voon らは考えているが,その因果関係は検討の余地がある。また,選択されていない行動の価値が減衰する忘却の効果,同じ選択肢を繰り返す固執傾向の効果等,モデルに含められていない計算論的要素がモデルフリー・モデルベースのバランスを決めるパラメータの推定値にバイアスを与えることも指摘されている(Toyama,Katahira & Ohira,投稿中)。モデルフリー強化学習への偏重の傾向も,疾患によって異なる行動特性を反映している可能性があり,これらの結果の解釈には注意が必要である。
モデルベース強化学習の機能の低下は,前述のように多くの精神障害に共通する現象であることがわかってきた。この事実は複数の疾患カテゴリーの境界があいまいであり,既存の疾患カテゴリーに基づく研究が不適切なものである可能性も示唆している(第8章参照)。そこで Gillan et al.(2016)は一般集団を対象にした大規模なオンライン実験により,強迫性障害傾向,抑うつ傾向,不安傾向,過食傾向,衝動性,統合失調型パーソナリティ傾向と,様々な疾患カテゴリーにまたがる質問項目の回答をとりながら,Daw et al.(2011)の2段階マルコフ決定課題を実施した。その結果,強迫性障害,衝動性,過食性障害,アルコール依存のスコアとモデルフリー偏重の程度の間に有意な相関が示された。
さらに Gillan らは疾患カテゴリーを取り払って全質問項目を因子分析にかげけ,3つの因子を抽出した,そのうち,衝動的行動や侵入思考(強迫観念)を反映する因子のスコアがモデルフリー強化学習への偏重と関係した。さらにその因子スコアがモデルフリー強化学習偏重の程度を,既存の疾患カテゴリーのスコアと比べてよりよく説明した。この研究は従来の診断による疾患カテゴリーにとらわれない次元的な研究方略(第8章参照)に基づく計算論的精神医学研究であるという点において画期的な試みであるといえよう。

注:i) 引用中の「第6章8節」、「第8章」の引用は省略します。ただし、引用中の「2段階マルコフ決定課題」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「Culbreth,Westbrook,Daw,Botvinick,& Barch(2016)」は次の論文です。 「Reduced model-based decision-making in schizophrenia.」 iii) 引用中の「Daw et al.(2011)」、「Daw,Gershman,Seymour,Dayan,& Dolan,2011」は共に次の論文です。 「Model-based influences on humans' choices and striatal prediction errors.」 iv) 引用中の「Voon et al., 2014」は次の論文です。 「Disorders of compulsivity: a common bias towards learning habits.」 v) 引用中の「Toyama,Katahira & Ohira,投稿中」は次の論文です。 「Biases in estimating the balance between model-free and model-based learning systems due to model misspecification」 vi) 引用中の「Gillan et al.(2016)」は次の論文です。 「Taking Psychiatry Research Online.」 vii) 引用中の「腹側線条体」については次のWEBページを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 viii) 引用中の「統合失調型パーソナリティ」については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「統合失調型パーソナリティと統合失調症の連続性」 ix) 引用中の「ハビット」についてはここを参照して下さい。 x) 引用中の「強迫観念」についてはここを参照して下さい。

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***** 臨時の記事 *****
スペースの関係上、ミニ情報においては書ききれない記事等をあえてここに記述します。掲載期間は数日~数年を予定していますが、状況に応じてさらに延びるかもしれません。

(1)慢性痛のサイエンスについて(2018-08-15 に公開)
半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)からの複数の引用を主に活用して、標記についての記事を以下に紹介します。ただし、上記複数の引用は、負情動、報酬系等を含む脳科学又は神経科学、非器質性の慢性痛(Dysfunctional Pain)及び人間に対する哲学等の視点[例えば「脳科学・神経科学の観点から慢性痛を解読する 書評者:高橋和久 - 慢性痛のサイエンス」も参照]から選択されています。要するに、主に「非器質性の慢性痛(Dysfunctional Pain)」を対象として紹介しています。なお、 a) 非器質性慢性痛を含む慢性痛の挑戦について次に示すWEBページがあります。 「慢性痛への挑戦 サイエンスの視点から新たな治療戦略を考える」 b) 慢性疼痛治療ガイドラインについては次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」 一方、同本の著者へのインタビューについては次のWEBページを参照して下さい。 「慢性痛への挑戦 - サイエンスの視点から新たな治療戦略を考える」 また「慢性の痛み講座」としての YouTube は次を参照して下さい。 「慢性の痛み講座 北原先生の痛み塾

(a) 最初に、慢性痛の定義及び脳科学を含む非器質性の慢性痛の説明に必要な予備知識の概略について紹介します。前者について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第1章 慢性痛とは何か の I 慢性痛の定義と分類 の「1. 慢性痛の定義」における記述の一部(P2)を次に引用します。

1. 慢性痛の定義
慢性痛は,IASP によって「治療に要すると期待される時間の枠組みを超えて持続する痛み,あるいは進行性の非がん性疾患に関する痛み」と定義されている1).これは 1987年に Bonica JJ によって定義された分類であるが,現在でもこの定義が用いられている.
慢性痛とは発症から何か月後からを指すのか,どういう症状が慢性痛かなど,明確な期間や症状を定めた基準はない.しかし通常は発症から3か月以上続く痛みと考えられている.痛みが強くて日常生活に支障が出るような難治性の痛みは,期間が短くても慢性痛と考えられている.

注:i) 引用中の「1)」は次の論文です。 「Importance of effective pain control.」 ii) 引用中の「慢性痛」や「IASP」に関連する「IASP慢性疼痛分類とICD-11コード」については例えば次の資料を参照して下さい。 「ICD-11時代のペインクリニック―国際疼痛学会(IASP)慢性疼痛分類に学ぶ」の特に「表1 IASP慢性疼痛分類とICD-11コード」(P92)

一方、慢性痛を発生機序のうえから3つに分類する、すなわち、①侵害受容性、②神経障害性、③非器質性に大きく分類することについて、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第1章 慢性痛とは何か の I 慢性痛の定義と分類 の「1. 慢性痛の定義」の図 1-1 における記述(P3)を形式を変更して次に引用します(ただし、図 1-1 そのものの引用は省略します)。

慢性痛を発生機序のうえから3つに分類する
侵害受容性の慢性痛には,変形性関節症,関節リウマチなどがあり,神経障害性の慢性痛には,腰椎椎間板ヘルニア,脊髄損傷後の痛み,中枢性脳卒中後療病などがある.非器質性の慢性痛,dysfunctional pain は新しい概念である.慢性腰痛,線維筋痛症などが代表的な例である.

注:引用中の「非器質性の慢性痛,dysfunctional pain」についてはここを参照して下さい。加えて、引用中の「器質性の慢性痛」の概略(標記における後者の一部)について、同「1. 慢性痛の定義」における記述の一部(P3)を次に引用します。

(前略)③非器質性の慢性痛は,痛み研究の長い歴史の中で「痛みの謎」と呼ばれてきた.メカニズムが不明で,解けない謎として扱われてきたからである.うつ状態,意欲の低下,睡眠障害,孤立感など負情動を反映した病像が全面にみられる.機能的脳画像法によって,ようやくこの慢性痛の脳内機構が明らかになり,それに基づいて,認知行動療法,マインドフルネスストレス軽減法,薬物療法運動療法,脳刺激法など,さまざまな治療法が開発されている.

注:i) 引用中の「マインドフルネスストレス軽減法」についてはここを参照して下さい。なお「マインドフルネスストレス軽減法」は、正式には「マインドフルネスストレス低減法」(Mindfulness-based stress reduction : MBSR)と呼ばれます。一方、認知行動療法と上記マインドフルネスストレス低減法を組み合わせて疼痛用に修正した治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法については次の資料を参照して下さい。 「治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法の試み」 一方、腰痛治療のためのマインドフルネスストレス低減法のシステマティック・レビュー「Mindfulness-Based Stress Reduction for Treating Low Back Pain: A Systematic Review and Meta-analysis.」の要旨を以下に引用します。 ii) 引用中の「負情動」に関連するトラウマの視点からの「情動」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。加えて、引用中の「負情動」(特に痛み情報)について、同本の 第2章 慢性痛のメカニズム の I 痛みを伝える情報伝達系 の「5) 扁桃体:負情動形成の中心」における記述の一部(P26~P27)、 同本の 図 2-6 (P28)における記述の一部、及び同「5) 扁桃体:負情動形成の中心」における記述の一部(P28~P29)を それぞれ以下に引用します(上記図 2-6 における記述の一部は形式を変更して引用します)。

(注)次は、腰痛治療のためのマインドフルネスストレス低減法のシステマティック・レビュー「Mindfulness-Based Stress Reduction for Treating Low Back Pain: A Systematic Review and Meta-analysis.」の要旨の引用です。

BACKGROUND:
Mindfulness-based stress reduction (MBSR) is frequently used to treat pain-related conditions, but its effects on low back pain are uncertain.

PURPOSE:
To assess the efficacy and safety of MBSR in patients with low back pain.

DATA SOURCES:
Searches of MEDLINE/PubMed, Scopus, the Cochrane Library, and PsycINFO to 15 June 2016.

STUDY SELECTION:
Randomized controlled trials (RCTs) that compared MBSR with usual care or an active comparator and assessed pain intensity or pain-related disability as a primary outcome in patients with low back pain.

DATA EXTRACTION:
Two reviewers independently extracted data on study characteristics, patients, interventions, outcome measures, and results at short- and long-term follow-up. Risk of bias was assessed using the Cochrane risk-of-bias tool.

DATA SYNTHESIS:
Seven RCTs involving 864 patients with low back pain were eligible for review. Compared with usual care, MBSR was associated with short-term improvements in pain intensity (4 RCTs; mean difference [MD], -0.96 point on a numerical rating scale [95% CI, -1.64 to -0.34 point]; standardized mean difference [SMD], -0.48 point [CI, -0.82 to -0.14 point]) and physical functioning (2 RCTs; MD, 2.50 [CI, 0.90 to 4.10 point]; SMD, 0.25 [CI, 0.09 to 0.41 point]) that were not sustained in the long term. Between-group differences in disability, mental health, pain acceptance, and mindfulness were not significant at short- or long-term follow-up. Compared with an active comparator, MBSR was not associated with significant differences in short- or long-term outcomes. No serious adverse events were reported.

LIMITATION:
The number of eligible RCTs was limited; only 3 evaluated MBSR against an active comparator.

CONCLUSION:
Mindfulness-based stress reduction may be associated with short-term effects on pain intensity and physical functioning. Long-term RCTs that compare MBSR versus active treatments are needed in order to best understand the role of MBSR in the management of low back pain.


[拙訳]
背景:
マインドフルネスストレス低減法(MBSR)は、疼痛関連の異常を治療するためにしばしば用いられるが、腰痛に対するその効果は不確実である。

目的:
腰痛を伴う患者における MBSR の有効性と安全性を評価する。

データソース:
2016年6月15日までの MEDLINE/PubMed、Scopus、Cochrane Library、及び PsycINFO の検索。

研究の選択:
MBSR を通常のケア又は有効な他の方法と比較する及び腰痛患者における主要アウトカムとしての疼痛の強度又は疼痛関連障害を評価するランダム化比較試験(RCT)。

データ抽出:
短期及び長期のフォローアップで、研究の特徴、患者、介入、アウトカムの測定、そして短期及び長期のフォローアップ時の結果に関するデータを、2名のレビュー者は独立して抽出した。バイアスのリスクは、Cochrane(コクラン) risk-of-bias ツールを使用して評価された。

データ合成:
864人の腰痛を伴う患者を取り込んだ 7つの RCTs がレビューに適格であった。通常のケアと比較して、疼痛強度における短期的改善(4つの RCTs、平均差[MD]は数値評価尺度で-0.96ポイント[95%信頼区間、-1.64~-0.34ポイント]、標準化平均差[SMD]は-0.48ポイント[信頼区間、-0.82~-0.14ポイント])、及び長期的には維持されなかった身体的機能(2つの RCTs、MD、2.50 [信頼区間、0.90~4.10ポイント]、SMD、0.25 [信頼区間、0.09~0.41ポイント])に MBSR は関連した。短期又は長期のフォローアップ時では、障害、メンタルヘルス、疼痛の受容、そしてマインドフルネスにおけるグループ間の差異は有意ではなかった。有効な他の方法と比較して、MBSR は短期又は長期のアウトカムにおける有意差に関連しなかった。重大な有害事象は報告されなかった。

制限:
適格な RCT の数は限られ、有効な他の方法と比較して MBSR を評価したのは 3つだけであった。

結論:
マインドフルネスストレス低減法は、疼痛の強度及び身体機能に及ぼす短期的な影響と関連するかもしれない。腰痛の管理における MBSR の役割を最もよく理解するために、MBSR と有効な他の治療法とを比較する長期的な RCT が必要である。

注:i) 引用中の「マインドフルネスストレス低減法」については、例えば次の資料を参照して下さい。「Mindfulness‒Based Stress Reduction(MBSR)で用いられるマインドフルネス瞑想法の本邦における実施可能性および効果」 ii) 引用中の「ランダム化比較試験」については例えば次のWEBページを参照して下さい。『「ランダム化比較試験」を知っていますか? - apital』 iii) 引用中の「Cochrane(コクラン) risk-of-bias ツール」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「研究のデザインや実施における限界(risk of bias)を評価する」 iv) ちなみに、上記 MBSR を MCS 等に適用した論文要旨については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。)

5) 扁桃体:負情動形成の中心
扁桃体(Amygdala)は辺縁系 注2) の神経核で,不快感,恐怖.不安,怒りなど負の情動 注3) の発現に中心的役割を担っている8,9).(中略)

扁桃体には,生きるうえで必要な原始的感覚(嗅覚,侵害情報,触覚,内臓感覚,視覚,体温感覚、味覚、聴覚など)がすべて入力される.これらの感覚情報に対して,過去の経験や記憶に基づいて,有害=負情動か,有益=快情動かの評価を下して,記憶の固定に関わっている.(後略)

注:i) 引用中の「注2」の引用は省略します。ただし、引用中の「辺縁系」及び「扁桃体」については、共にトラウマの視点から ii) 引用中の「注3」における記述の一部を以下に引用(『 』内)します。ただし、引用中の「情動」については、トラウマの視点からは拙エントリのこことここを、メンタライジングの視点からは拙エントリのここをそれぞれ参照して下さい。 『注3:情動 emotion には精神的要素と身体的要素の2つがある.精神的要素は,情動の認知 cognition(感覚とその原因を自覚する),感情 affection,意欲 conation(行動を起こそうとする衝動)であり,身体的要素は,血圧上昇,脈拍促進,発汗などである.辺縁系視床下部は,情動の形成と表出に密接に関連している.』(注:引用中の「視床下部」は「自律神経活動の調整を担う重要な部位」であることについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「情動を生み出す「脳・心・身体」のダイナミクス:脳画像研究と神経心理学研究からの統合的理解」の「Ⅱ.情動に関連する脳部位」項) 加えて、引用中の「有害=負情動か,有益=快情動か」に関連する「快・不快」については、次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の文献番号「8」は次の資料です。 「加藤総夫:痛み誘発負情動から考える“心”の起源.医学のあゆみ 232 : 14-20, 2010」 iv) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The emotional brain, fear, and the amygdala.

図 2-6 扁桃体を構成する複数の亜核
扁桃体は複数の亜核で構成されている.基底外側複合体は恐怖条件づけで知られる.(後略)

注:i) 引用中の「恐怖条件づけ」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」(注:このWEBページ中の図2. に扁桃体内神経回路図があります) ii) 引用中の「亜核」については、例えば次の論文(英語の全文)「The amygdala between sensation and affect: a role in pain」の figure 1 を参照して下さい。ただし、拙訳はありません。

(前略)扁桃体中心核外側外包部は,驚くべき特殊性を持っており,このニューロン集団の約80%は侵害刺激に応答する.痛み情報処理に特化した機能であるがゆえに,「侵害受容性扁桃体」11)の異名で呼ばれるほどである.命を脅かす侵害情報に対して,生体がいかに緊急の情報処理機構を発達させ,本能行動を速やかに起こすように進化したかを物語っている.(中略)

侵害信号が入力されると,扁桃体中心核はただちに本能行動を起こすように,視床下部脳幹網様体などの広範の領域に向けて,出力を送る.結果として呼吸・脈拍が速く顔面が蒼白になり,ストレスホルモンが分泌され,フリージングなどの情動表出も瞬時に起きる.骨折すると冷や汗が出て顔面蒼白になるし,銃を突きつけられた瞬間,フリージングが起き,全身わなわなと震えた,というのは扁桃体の迅速な応答による9).
扁桃体は侵害情報を生命を脅かす信号として,恐怖感,不安感,拷問感を付して情動記憶の回路に送る.したがって痛みは恐怖・不安感を伴った「苦」,厭な不快情動として強烈な記憶として固定され8,9),単なる感覚ではなくなる.
扁桃体の情動的評価は,海馬,嗅内皮質,島皮質,帯状皮質視床背内側核,大脳基底核,中脳水道周囲灰白質前頭皮質などに送られる.そのため自律神経応答,表情や姿勢など運動系の変化,認知機能を含めた精神活動,負情動に関わる脳回路網などが,一斉に活動する.
野生時代,危険に満ち満ちた荒野を生きのびるために,生体は負情動を発達させた.危険を未然に察知し,注意深くそれらを回避するために,不安や恐怖感は不可欠であった.生体警告系としての急性痛も同様で痛みを検知・認知し,恐れ,不安を感じる負情動が付加されたからこそ,それ以上の身体損傷や健康悪化を防ぐことができた.
生命維持のうえで,負情動が果たしてきた役割は意義深い.しかしながら,恐怖や不安感が過剰に起きると,痛みの軽減を阻んでしまう,後述するように,dysfunctional pain を引き起こして,慢性痛に転化させてしまうのである.

注:i) 引用中の文献番号「8」は次の資料です。 「加藤総夫:痛み誘発負情動から考える“心”の起源.医学のあゆみ 232 : 14-20, 2010」 ii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「The emotional brain, fear, and the amygdala.」 ちなみに、この論文に関連する次に紹介する論文(全文)もあります。 「RETHINKING THE EMOTIONAL BRAIN」 iii) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「The amygdala and persistent pain.」 ちなみに、この論文に関連する次に紹介する論文(全文)もあります。 「15. Amygdala pain mechanisms」、「Amygdala Plasticity and Pain」 iv) 引用中の(負情動としての)「恐怖や不安感が過剰に起きると,痛みの軽減を阻んでしまう」に関連するかもしれない、『全人的痛み治療の最終的なゴールは,この情動という「有害事象に対する優先的応答システム」である』ことについては、次の資料を参照して下さい。 「痛みを生みだす脳機構 -痛みの進化生理学試論-」 加えて、上記「全人的痛み治療の最終的なゴールは情動」に関連するかも知れない「痛みによって生じる情動がさらに痛みを増悪する」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「脊髄-腕傍核-扁桃体路による痛み情動生成機構の解明」の「4. 研究成果」項の最後の部分 v) 引用中の「扁桃体の情動的評価」の送付先に関連するかもしれない「情動系神経回路」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「情動系神経回路 - 脳科学事典」 vi) 引用中の「フリージング」は「すくみ反応」とも呼ばれます。

上記扁桃体に加えて自己意識の形成に関与する島皮質について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第2章 慢性痛のメカニズム の I 痛みを伝える情報伝達系 の「8) 島皮質:自己意識の形成に関与する」における記述の一部(P32~P33)を次に引用します。

8) 島皮質:自己意識の形成に関与する
島皮質(insular cortex)(図2-4,2-7)には,痛覚,味覚,嗅覚,聴覚,視覚,触覚,温度感覚などの体性感覚,胃・腸の内臓感覚や心拍など,生命機能に関わる感覚情報が入力されるが,これらの体性感覚だけでなく,怒り,喜び 恐怖,悲しみ,など情動に関する情報も入力されている.全身から集まった感覚情報や情動に関する情報を基に,「今この瞬間における自己の意識」が常時,更新されている.したがって島皮質は,自己を意識し自己の情動に気づく場と考えられている4).(中略)

身体に感覚刺激が加わると,その情報は皮膚,筋,内臓の感覚受容器から脊髄後角に入力され,脊髄視床路,視床下部・腹内側核後部(VMpo)を経由して,対側の後部島皮質に入力される3).後部島皮質に入力された感覚情報は,中部島皮質を経て,前部島皮質に伝えられるが,その過程で,扁桃体中心核や扁桃体基底外側核から,不安・恐怖などの負情動が入力される.また前帯状皮質からもさまざまな入力が密に加わる(図2-7).
前部島皮質には,すべての感覚情報に情動性入力が加わっているが,これらを統合して表出するのも前部島皮質の役割である.われわれが不安や恐怖に襲われた時,顔面が蒼白になり,震えが起きて,拍動が速くなり,胃がキリキリ痛む.このように身体的感覚と情動体験が一致して表出されるのは,前部島皮質の働きと関係している.前部島皮質は,大脳基底核へ出力して顔面蒼白や震えとして表出し,中脳水道周囲灰白質へ出力して,拍動や呼吸数の上昇として表出している.さらに内臓に分布する自律神経系へ出力して,胃の痛みや違和感として表出している4).
これらの情報処理は無意識下で行われるため,本人がそれと気づく前に,呼吸,血圧,拍動が変動し,顔面の紅潮や蒼白,冷や汗,などの情動表出が起きる.そして同時に,恐怖や不安感などの情動をも味わうのである.(中略)

脳画像上で島皮質に賦活があっても,それがすべて痛み受容を示すものではない.島皮質は下行性疼痛抑制系の調節も行っている6).身体に痛み刺激が加わったとき,毎回,必ず賦活される特定部位が前部島皮質に発見され,この部位を詳細に調べたところ,下行性疼痛抑制系を調節して,手綱を緩めたり,引き締めたりする役割のニューロン群であることがわかってきた.その時々の取り巻く環境や情動に合わせて,痛みの刺激閾値を上げ下げして,痛覚鈍麻と痛覚過敏の状況をトップダウン的に設定しているようである6).島皮質と痛みとの関係には多くの研究があるが,本項での記述はここまでにとどめる.

注:i) 引用中の「図2-4,2-7」の引用は共に省略します。ただし、引用中の「島皮質」に関連する「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「How do you feel? Interoception: the sense of the physiological condition of the body.」 iii) 引用中の文献番号「4)」は次の論文です。 「How do you feel--now? The anterior insula and human awareness.」 iv) 引用中の文献番号「6)」は次の論文です。 「Analgesia and hyperalgesia from GABA-mediated modulation of the cerebral cortex.

さらに、高次精神活動の中心となっている前頭皮質について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第2章 慢性痛のメカニズム の I 痛みを伝える情報伝達系 の「9) 前頭皮質:高次精神活動の中心」における記述の一部(P34~P35)を次に引用します。

9) 前頭皮質:高次精神活動の中心
前頭皮質(prefrontal cortex : PFC)(図2-4,2-5)は,脳の系統発生上,最も新しく発達した領域で 理性,思考,創造性,行動の企画,意思決定,意欲,道徳観の発達など 高次精神活動の中心となっている17).しかし最近の神経科学では,PFC は理性や認知機能だけでなく,情動にも関与することがわかっている14).
PFC は,機能的/解剖学的に3つの領域に分けられる.①外側前頭皮質(lateral prefrontal cortex : lPFC),②眼窩前頭皮質orbitofrontal cortex : OFC),③内側前頭皮質(medial prefrontal cortex : mPFC)である.
①外側前頭皮質(lPFC)は前頭葉の外側穹窿面に位置しており,背外側前頭皮質(dorsolateral prefrontal cortex : dlPFC)と,腹外側前頭皮質(ventrolateral prefrontal cortex : vlPFC)の2つがある.dlPFC は外界の情報に合わせて,多くの事柄を並行して操作し,かつそれらを統合し,監視する機能を有している.時々刻々,変化する周りの状況や環境に合わせて目標を設定したり,行動を企図して,その結果を評価して次の行動を設定する遂行機能も担っている17).
われわれの仕事や日常生活には,情報を一時的に保持し操作するワーキングメモリー(working memory:作業記憶)の機能が欠かせないが,dlPFC はワーキングメモリーの空間位置情報に,vlPFC は非空間位置情報に関与し,情報の能動的想起や選択を担うと言われている.(中略)

眼窩前頭皮質(OFC)は,前頭葉の腹側面に位置する領域である.扁桃体からの入力を大きく受けており,OFC からの出力も扁桃体に向けられている.両者は密接に相互結合しているため,OFC と扁桃体の機能的特性,電気生理学的特性は,しばしば重なっている.OFC は,認知機能と負情動を結びつける領域と考えられている14).OFC が損傷されると,社会性/自発性の低下,情動の異常,感情鈍麻,無関心,抑制能力の低下などが起きる.(中略)

③内側前頭皮質(mPFC)は Brodmann の24野,25野,32野に相当する領域で,吻側前帯状皮質と前傍帯状皮質に属するが,解剖学的にも機能的にも前頭皮質との結びつきが強いため,この項で記述する.吻側内側前頭皮質は,OFC や Amy など情動的入力と結合が大きく,情動領域と考えられる.相手の気持ちを察し,共感する.中でも 25野はうつ病回路の中心とされている.背側に位置する背内側前頭皮質(32野)は,認知領域との結合が強く,適切に注意を向けることなどに関与している,

注:i) 引用中の「図2-4,2-5」の引用は共に省略します。 ii) 引用中の文献番号「14)」は次の論文です。 「Emotion, cognition, and mental state representation in amygdala and prefrontal cortex.」 iii) 引用中の文献番号「17)」は次の論文です。 「Role of the lateral prefrontal cortex in executive behavioral control.」 iv) 引用中の「前頭皮質」に関連する「前頭前野」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「前頭葉 - 脳科学辞典」の「前頭前野」項、「前頭前野 - 脳科学辞典」 v) 引用中の「眼窩前頭皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 vi) 引用中の「内側前頭皮質」に関連する「内側前頭前野」については、トラウマの視点から拙エントリのここここを参照して下さい。

一方、視床と大脳皮質体性感覚野についての簡単な説明について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第2章 慢性痛のメカニズム の I 痛みを伝える情報伝達系 の「10) 視床と大脳皮質体性感覚野:感覚情報の集結と修飾」における記述の一部(P35)を次に引用します。

10) 視床と大脳皮質体性感覚野:感覚情報の集結と修飾
外界からの感覚情報は視床(thalamus)に入力され,視床を中継して大脳皮質体性感覚野(somatosensory area)へ向かう(図2-4).(中略)

大脳皮質体性感覚野は,第一次体性感覚野(SⅠ)が頭頂葉中心後回にあり,第二次体性感覚野(SⅡ)が,その外側後方の外側溝に沿った頭頂弁蓋の内壁に位置している7).(後略)

注:i) 引用中の「図2-4」の引用は省略します。 ii) 引用中の文献番号「7)」は次の本です。 「Kandel ER, Schwaltz JH, Jessll TM : The Principles of Neural Science, 3rd Edition, Elsevier Science Publishing Co Inc. New York-Amsterdam-Oxford. 1991」 iii) 引用中の「第一次体性感覚野」に相当する「一次体性感覚野」については次のWEBページを参照して下さい。 「一次体性感覚野 - 脳科学辞典」 加えて、引用中の「大脳皮質体性感覚野」に関連する「体性感覚皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「体性感覚 - 脳科学辞典」の「体性感覚皮質」項 iv) 引用中の「外界からの感覚情報は視床(thalamus)に入力され」に関連するかもしれない『視床というのは、大脳辺縁系内にある領域で、脳の中で「料理人」の役割を果たす』ことについては、トラウマの視点から拙エントリのここここ(特に引用部の「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項)を参照して下さい。

痛みを抑制する脳内機構について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 第2章 慢性痛のメカニズム の「Ⅱ 痛みを抑制する脳内機構」における記述の一部(P38~P47)を以下に引用します。ちなみに、当該引用部における略号の一部は次の通りです。中脳の腹側被蓋野(ventral tegmental area : VTA)、側坐核nucleus accumbens : NAc)、腹側淡蒼球(ventral pallidum : VP)、扁桃体(amygdala : Amy)

本項では最近の神経科学から,mesolimbic dopamine system,下行性疼痛抑制系,placebo analgesia(プラシーボ鎮痛)を紹介する.痛みを抑制して生命を護るシステムが脳の疼痛抑制機構である.この機構が破綻したり機能不全を起こすと,慢性痛に転化してしまう.慢性痛を治療し予防するために,脳の疼痛抑制機構の理解は必要である.

1. Mesolimbic dopamine system と疼痛抑制機構
脳には痛みを抑制する機能が備わっている.何千万年という途方もない進化の時をかけて,生体は疼痛抑制機構も発達させてきた.しかし,この脳内機構の全体像が明らかになったのは最近のことである.機能的脳画像法が明らかにした 中枢性疼痛抑制機構がいま注目を集めている.
Mesolimbic dopamine system(中脳辺緑ドパミン系)は,「報酬回路」,「快の情動系」注1)として教科書に記載されてきたので知っていると言う人が多い.しかし,このドパミンシステムが注目を集めている理由は,この系が「快」だけでなく「痛み」の制御も操り,慢性痛への転化機序に関係することがわかってきたからである7,9).
「快」と「痛み」とは,まったく対極の情動に思える.しかし,快情動を感じるときの神経回路網と,痛み刺激を受けたときの脳内回路網は,ぴったり重なるのである9).慢性痛患者の多くは全身の痛覚過敏に悩まされるだけでなく,生きる意欲を失い,快感喪失(anhedonia)に陥っている.これらの症状は,Mesolimbic dopamine system の機能低下に関連して生じることがわかってきた7,17).(中略)

私たちが何かを渇望したとき,恋をしたとき,試験に合格したとき,褒められたとき,名演奏を聴いてゾクゾクしたときなど VTA から NAc や VP に向けてドパミンが放出される.NAc ニューロンドパミンを受けて興奮すると,脳内のμ-オピオイドが活性化し,幸福感・高揚感・達成感に包まれる7,9).
このドパミンシステムは,生存に必要なエサ,水,交尾の対象など,報酬が期待される場合に活発化する原始的な系である.自律神経系や免疫系の活動とも直結し,根源的な生命活動として,さまざまな神経核に positive action を起こすのである.
Mesolimbic dopamine system は,生体が侵襲されて痛みを感じたときにも機能を発揮し,鎮痛をもたらす.侵害信号が脊髄後角から,脳幹の腕傍核(nucleus parabrachialis : PB)を経て,VTA に伝わると,VTA のドパミンニューロンに活動電位の群発射が起きる.そしてニューロンの軸索先端から,高濃度のドパミンが NAc や VP に向けて放出される.
ドパミンを受けて NAc ニューロンが興奮すると,NAc のμ-オピオイド受容体が活性化し,次いでμ-オピオイド受容体を介した神経伝達が,内因性オピオイドを含む多くの神経核に一斉に起こってくる9).
μ-オピオイド受容体を介した神経伝達によって活性化するのは,VP,吻側前帯状皮質(rACC),眼窩前頭皮質(OFC),前部島皮質(anterior insular cortex : AIC),視床下部(Hypo),Amy,HP,中脳水道周囲灰白質(PAG)などである.
そしてこのとき,rACC,Amy,Hypo からの興奮性入力を受けて PAG が興奮すると,下行性疼痛抑制系が活性化して,侵害信号の伝達を脊髄後角レベルで抑制・遮断する.下行性疼痛抑制系とは,中脳や脳幹から下行する抑制性投射が,脊髄後角で侵害性信号の伝達を遮断・抑制して,鎮痛をもたらす機構1,3,4)である(図2-9)(次項,p43で詳述).
戦場や交通事故で生命が危機に晒されたときには,dopamine & opioid system と下行性疼痛抑制系による疼痛抑制(図2-10)が,瞬時に,かつ過剰に機能する.交通事故の現場や戦場で 九死に一生を得た血まみれの重傷者が,痛みをまったく感じないかのように振舞い,饒舌にしゃべり続ける姿は,救急にあたった関係者からたびたび証言されている.
Dopamine & opioid system による痛みの制御は,進化の過程で 捕食者に襲われて怪我しながらも逃げて命を永らえさせる系として発達したと考えられている.命の危機という非常事態にあっては,上行する侵害性入力は瞬時に遮断されて,鎮痛と救命の方向に働く.脳内では前頭皮質大脳基底核辺縁系,中脳,橋,延髄,脊髄の神経細胞が一斉に活性化して,総がかりで命の危機に対応するのである.
このような非常事態のときばかりでなく,日常的な些細な痛みの際にも dopamine & opioid system は機能している.包丁で指先を切ったとき,転んで膝を打ったときなど,われわれが感受する痛みは,この疼痛抑制機構のおかげでかなり軽減されているのである.
ここで内因性オピオイドについて少し触れておくと,脳内には20種類ほどのオピオイド物質が含まれている4,5).メチオニンエンケファリン,ロイシンエンケファリン,エンドルフィン,ダイノルフィンなどである.これらのオピオイドを含む神経核は,Amy,NAc,VP,Hypo,PAG,延髄の傍巨大細胞網様核などである.(中略)

以上,mesolimbic dopamine system がいかに重要な役割を果たしているかについて述べてきたが,ここで mesolimbic dopamine system の中核をなしている NAc について記述を加えておきたい.急性痛の段階から慢性痛へ転化してしまうか,健常状態へ回復できるか,重要な鍵を握るのは NAc のニューロン活動であると,考えられているからである.
NAc は大脳基底核注4)の線条体の腹側に位置するので,腹側線条体とも呼ばれている.NAc は,情動系の ACC,Amy,HP と密に連絡して快情動の発現に関与し,生きる意欲や自律神経系,根源的な生命活動と関係している.しかし他方では,思考,創造,学習などの高次脳機能を担う前頭皮質とも連絡して,希望,期待,自己優越性の確立,楽観性の獲得などを確立させている.
これほど重要な役割を有する側坐核であるが 生体が苛酷なストレスを過剰に受けると,ニューロン活動が90日以上にわたって停止してしまうのである10).NAc にニューロン活動停止が起きると,ドパミンシステムは機能破綻するため,ほんの些細な刺激に対しても,「痛い,痛い」と悲鳴を上げる病的な状態に陥る7,17).同時に,生きる意欲が低下し,根源的な生命活動である睡眠,食欲,自律神経活動も障害される.このような病みは dysfunctional pain(中枢機能障害性疼痛)と呼ばれている.Dysfunctional pain については後章で記述するので,NAc の位置と機能を頭の一隅に入れておいていただきたい.

2.下行性疼痛抑制系
下行性疼痛抑制系とは,図2-11bに示した構成の神経機構である.図上部に示した PAG が,rACC や Amy,Hypo から興奮性入力を受けると,下行性疼痛抑制系が活性化し,痛み信号を脊髄後角レベルで抑制・遮断する.前項で述べた mesolimbic dopamine system が活性化すると,rACC,Amy,Hypo が興奮し,その興奮性入力が PAG に加わるのである.
PAG は軸素を,背外側橋中脳被蓋(dorsolateral ponto-mesencephalic tegmentum : DLPT)と,吻側延髄腹内側部(rostral ventromedial medulla : RVM)に伸ばしており,この DLPT と RVM を介して,侵害信号の伝達を抑制している.DLPT からはノルアドレナリン作動性の抑制性投射が,RVM からはセロトニン作動性の抑制性投射が脊髄後角(dorsal horn : DH)に向けられ,侵害信号の伝達を DH レベルで抑制して鎮痛をもたらす.この機構が下行性疼痛抑制系である1,3,4).(中略)

下行性疼痛抑制系と mesolimbic dopamine system のつながりが明らかになったのは 機能的脳画像法によって,ヒトの脳内活動が解析されるようになってからである.Eippertら3)によって,VTA から NAc,Amy,PFC,rACC までの経路と,PAG から,橋,脳幹,延髄,DH に至る経路が,一つながりの系として明らかにされた.(中略)

3.Placebo analgesia と脳内変化
本物の薬剤そっくりの形状をした錠剤を「効く」,「有効」という予測や期待の下で摂取すると,薬効成分をまったく含んでいないのに,薬物と同効果をもたらすことがある.プラシーボ注7)と呼ばれる現象で鎮痛が起きた場合は placebo analgesia(プラシーボ鎮痛)と呼ばれる.placebo analgesia の機序根幹をなすのは dopamine & opioid system である13,15,16).
placebo analgesia が起きるときは,被験者の脳内でドパミン & μ-オピオイド受容体を介した神経伝達が実際に起きており6,9,13,15),PET を用いた実験で本物の薬剤を摂取した時と同じ変化が脳内に起きることが実証されている.
Scott ら13)は被験者の咬筋に持続性の痛み刺激を加えて,pain rating が一定値を保つように調節した実験系で,被験者に対し「研究中の薬の鎮痛効果を検定するために,これから薬を静脈に注入する」と音声で予告してから,0.9% 生理食塩水 1mL を静脈内に注入した.これを数回繰り返したところ,被験者の脳内にドパミン & μ-オピオイド受容体を介した神経伝達が実際に起きたのである.
PET 脳画像法では,[11C]で標識した試薬ラクロブリド(D2/D3 receptor ligand)や,カルフェンタニル(μ-opioid receptor ligand)などが用いられる.もし placebo analgesia が起これば,ドパミン受容体の活性やμ-オピオイド受容体の活性,脳内物質の代謝変化が PET で検出されるのである.
この実験でドパミン受容体の活性が顕著であった神経核は,NAc,被殻尾状核であり,μ-オピオイド受容体の活性が著しかった神経核は,rACC,OFC,AIC,NAc,Amy,PAG,視床背内側部であっだ13,15).
被験者が「鎮痛効果のある薬」の作用を大きく期待した場合ほど,NAc におけるドパミン活性が大となり,μ-オピオイド活性も増加して鎮痛効果が大きくなっだ13).この研究は,dopamine system と opioid system が NAc において重なることを示した点でも重要であった.
さて,上述の実験を振り返ってみると,被験者脳内にドパミンやμ-オピオイド代謝変動を起こした「薬」とは,ただの生理食塩水にすぎない.脳内に劇的な変化を起こさせた鍵は,「期待すること」「希望すること」だけであった.placebo analgesia に関する一連の研究3,13,15,18)は,われわれが期待をしたり予測することが,いかに大きな脳内変化を惹起するかを明確に示した点で,いずれも画期的であった.(後略)

注:i) 引用中の「図2-9」、「図2-10」及び「図2-11」の引用は共に省略します。 ii) 上記には引用していませんが、「3.Placebo analgesia と脳内変化」において Nocebo についての次に引用(『 』内)する記述(P48)が有ります。 『期待も予測もないところに,placebo analgesia は起こらず,placebo の逆の Nocebo13) が起きるだけである.』 iii) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Endogenous pain control mechanisms: review and hypothesis.」 iv) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Activation of the opioidergic descending pain control system underlies placebo analgesia..」 v) 引用中の文献番号「4)」は次の本です。 「Fields HL, Basbaum AI : Endogenenous pain control machanisms. in Wall PD, Melzack R, “Textbook of Pain” (Eds) Churchill, Livingstone, 1989」 vi) 引用中の文献番号「6)」は次の資料です。 「半場道子:総説「慢性疼痛と脳」第4回.Practice of Pain Management 2 : 176-182, 2011」 vii) 引用中の文献番号「7)」は次の資料です。 「半場道子:痛みの新しい視点:Mesolimbic dopamine system. ペインクリニック 33 : 229-238, 2012」 viii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「A common neurobiology for pain and pleasure.」 ix) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Severe stress switches CRF action in the nucleus accumbens from appetitive to aversive.」 x) 引用中の文献番号「13)」は次の論文です。 「Placebo and nocebo effects are defined by opposite opioid and dopaminergic responses.」 xi) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Getting the pain you expect: mechanisms of placebo, nocebo and reappraisal effects in humans.」 xii) 引用中の文献番号「16)」は次の論文です。 「The cerebral signature for pain perception and its modulation.」 xiii) 引用中の文献番号「18)」は次の論文です。 「Placebo effects mediated by endogenous opioid activity on mu-opioid receptors.」 xiv) 引用中の「ドパミン」の別名である「ドーパミン」については次のWEBページを参照して下さい。 「ドーパミン - 脳科学辞典」 xv) 引用中の「オピオイド」については次のWEBページを参照して下さい。 「オピオイド - 日本ペインクリニック学会」 xvi) 引用中の「報酬」に関連する、特に児童虐待・ネグレクトを含むマルトリートメント(資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照)によって高頻度に発症する反応性アタッチメント障害(RAD)群において、高額報酬課題にも低額報酬課題にも反応しなかったことについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「被虐待者の脳科学研究」の「Ⅳ.愛着形成障害の脳科学」項 xvii) ちなみに、パーキンソン病の Wearing off に連動する痛みについて、資料「パーキンソン病治療ガイドライン2011 第4章 非運動症状の治療」の CQ4-14 感覚障害・痛みの治療はどうするか の「解説エビデンス」(P189)に次に引用(『 』内)する記述が有ります。 『パーキンソン病では off 時に痛みの閾値が低下しており、L-ドバの内服によりこの閾値は上昇して正常範囲に復する.』(注:引用中の「off」に関連する「Wearing - off 現象」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「パーキンソン病 Parkinson's Disease」の「Q5 :Wearing - off 現象とは?」項)

(b) 加えて、非器質性の慢性痛(Dysfunctional Pain:機能障害性疼痛)について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の「第5章 非器質性の慢性痛 Dysfunctional Pain」における記述の一部(P79~P94)を次に引用します。

本章では非器質性の慢性痛を取り上げ,その脳内で何が起きているのか,最近の神経科学を紹介する.慢性痛の中には,痛みの源が末梢組織のどこにも同定されないのに,全身の多領域に拡がる痛みを訴えるタイプがある.消炎鎮痛薬や神経ブロックが奏効しない痛みであって,随伴症状は睡眠障害,意欲の低下,慢性的疲労感,うつ状態など多彩である.
この種の痛みは非器質性の慢性痛,あるいは dysfunctional pain 21)(機能障害性疼痛)と呼ばれている.例としては慢性腰痛,線維筋痛症顎関節症過敏性腸症候群などが挙げられるが,診断名のつけようのない不定愁訴の場合が多く,診断も治療も難渋する.
末梢組織のどこにも痛みの源が認められないのに,全身の多領域に痛みを訴える患者の存在は200年も昔から記録され「痛みの謎」とされてきた12).最近の機能的脳画像法によって「痛みの謎」が謎解きされ1,5,17),真の原因が脳の構造と機能の変容にあること3)がようやく明らかになった.
本章で慢性腰痛と線維筋痛症を例に挙げて,dysfunctional pain の概念を紹介する.また痛みを慢性化させる要因の1つが患者の不安心理,痛みの破局的思考にあることに焦点を当て,default mode network(安静時脳活動)と慢性痛の関係について検証する.

1. 慢性腰痛:脳内で何が起きているか?
慢性腰痛(chronic back pain : CBP)とは,腰痛が3か月以上続く場合をいう.CBP は長期にわたる苦痛の大きさもさることながら,就労できずに職場から離脱する主因をなしていること,手厚い介護を必要とすること,などの面から世界各国で大きな関心が寄せられている.医療費,社会保障費,就労できない経済的損失など,社会負担総額の膨大化を招いているからである13).
急性腰痛の生涯罹患率は,各国共通で 80%以上の高率である13).これは洋の東西を問わず,ほとんどの人が一生に1度は腰痛を経験することを示唆する数値である.大多数の人になじみのある急性腰痛であるが,ひとたび慢性化すると長期にわたって,苦しめられる.急性痛の治療法のほとんどが効を奏せず,随伴症状は,意欲の低下,慢性的疲労感,うつ状態睡眠障害,自律神経失調,孤立感など,急性痛とは別の症状を呈するようになる.
なぜ慢性腰痛では急性痛の治療法が効かなくなるのか,慢性腰痛と急性腰痛の脳内機構はどう違うか,など数々の疑問が長い歳月にわたって未解決のままであった.しかし,最近の脳画像解析によって,急性腰痛→亜急性期腰痛(subacute back pain : SBP)→ CBP に移行する数週間に,脳内で驚くような変化が起きていることがわかってきた.痛みの症状はこの数週間に変化するが,これらの症状の変化は脳内回路網の移行に一致して起きることも明らかになってきた.
CBP 患者では,特徴的な自発痛が繰り返し起きることが多い.自発痛とは外部刺激なしに,数十秒から10数分間も痛みが続くことをいうが,それが日に何回も繰り返し襲うのである.Apkarian ら 5,17) は腰痛患者の自発痛に着目して,SBP と CBP の被験者から fMRI脳画像を記録し.発症から数週間しか経っていない SBP の脳内と,10年以上腰痛が続く CBP の脳内では何が違うか.何が起きているかを解析した
まず,SBP と CBP の被験者全員から fMRI全脳スキャンを撮り,自発痛を訴えた時点の脳画像を巻き戻す手法で,脳画像解析を行った.すると,CBP群(n=59,発症から平均13.5年,痛みスコア VAS平均 69.58)における賦活部位は,SBP群(n=94,発症から平均9.14週,痛みスコア VAS平均 58.25)の賦活部位とは,著しく異なることがわかったのである5,17).

SBP群では表5-1のように,両側の視床,島皮質,前帯状皮質などが賦活している.これらは痛みの感覚/弁別(sensory/discriminative)に関わる神経核である.ところが CBP群では,扁桃体眼窩前頭皮質,内側前頭皮質などが賦活しており,これら情動/認知(emotional/cognitive)に関わる神経核である(中略).
この表から,SBP の段階までは感覚弁別系の回路網が活動しており,CBP の段階に至ると,情動・認知系回路網が活動することが明白になっている.感覚系の回路網から情動認知系の回路網へ移行したことが表から見てとれる.
注意すべきは,SBP群も CBP群も同程度の痛みを訴えている点である.両群の痛みスコアはほぼ同じである.SBP群では,末梢に何らかの痛みの源が存在して,感覚・弁別系の神経核が賦活している.この時点までは,消炎鎮痛薬,神経ブロック,リドカインパッチなどの治療が有効な痛みである.しかし,CBP段階になると,感覚・弁別系の神経核には賦活がない.すなわち痛みの源が末梢組織にもはや存在しないことを示しており,消炎鎮痛薬が効かない痛みに変化したことを物語っている.(中略)

以下の記述は,南北戦争時代に Mitchell 医師が書いた慢性痛の1節である12).Mitchell 医師は,「風とともに去りぬ」にも描かれた戦傷兵たちについて,CauSalgie や幻肢痛を医学誌に初めて報告している.痛みの信号が脳にどんな変化をもたらすかなど,知る方法がなかった時代に,慢性痛の症状変化を正確に記述している.優れた観察眼に敬服せざるを得ない.

長期にわたって持続する耐えがたい痛みが心身に及ぼす影響については,医師でなければ実感できる人はほとんどいないであろう.昔の書物にも,槍で刺された後で非常に激しい痛みと局所の痙攣が現れた症例が,数々書かれている.このような状態が数日間あるいは何週間か続くと,体の表面全体が痛覚過敏になる.
……こんな苦痛状態にあっては性格が変わってしまい,ひとづき合いのよかった人が怒りっぽくなり,勇敢であった兵士も臆病者と化す.どんなに強かった人も,最もヒステリックな少女よりずっと神経質になる.
Mitchell SW.(「痛みへの挑戦」12)より抜粋引用)

2. 腰痛を慢性化させる要因
今日,外来に来た患者の腰痛は快方に向かうだろうか,それとも今後,慢性痛に転化して治療に難儀することになるのか,予測する方法はないだろうか,臨床家のこんな疑問に応じて,Apkarian グループは亜急性期腰痛(SBP)被験者を対象に,初診時の検査データから,痛みが今後慢性化するか否か,予測要因を探る試みをしている1,5,17).
この研究では SBP被験者(n=94)を対象に,時間を遡って検査データを検証する手法が採られている.初回検査から1年経過後に,腰痛が回復していた SBPr群と,回復しなかった SBPp群について,何が両群の差を分けた要因かを検証している.そして結論として,痛みの慢性化リスクを2つ挙げている5,17).
①慢性化した SBPp群の被験者には,初診検査時にマギル疼痛質問票で,affective 要素が大という特徴が共通してみられた.マギル疼痛質問票には,患者の負情動(本能的な不安・恐怖の心理状態)を検出する設問が用意されている.痛みに対して不安や恐怖感が強い状態では,さまざまな薬物療法や手術療法に抵抗し,慢性痛に転化する確率が高いからである.
②初診検査時の fMRI画像上で 内側前頭皮質側坐核(mPFC-NAc)間の機能的結合(functional connectivity : FC)が強い場合は,慢性痛に転化する確率が 80% という高い値になる17)ことが明らかになった.
初診時検査から,痛みの慢性化を予測する2つの要因がこうして結論されたが,①は患者の心理面の要因を捉え,②は脳画像上の FC を捉えたものである.さらに fMRI画像の DTI解析(diffusion tensor magnetic resonance imaging)注1)を行った結果,背内側前頭皮質扁桃体側坐核(dmPFC-Amg-NAc)間の白質 FC が強い患者ほど,脳の疼痛抑制系が機能低下していて,痛みが慢性化しやすいこと,自発痛が強く起きることが明らかになっだ17).大脳皮質辺縁系回路(corticolimbic circuit)の個人的な特性が関係することも,報告されている.
前頭皮質扁桃体側坐核間の機能的結合の強さが 慢性化に決定的であることが結論されたが,側坐核(NAc)については,すでに第2章「痛みを抑制する脳内機構」(p38)で,重要な神経核として詳述してある.NAc は,快の情動系 mesolimbic dopamine system の中核をなす一方で,扁桃体や海馬支脚腹側部から,不安・恐怖など負情動の入力を受けている.Apkarian らの研究はこの NAc の活動が,健常状態へ回復させる脳回路網と,慢性痛に転化させる回路網の,2項対立の鍵を握ることを結論している17).
快情動の脳回路網と負情動の脳回路網の2項対立が,どちらに傾くかによって,一方は健常に復して静穏な日常に戻り,他方は慢性痛に傾いたまま長い歳月を過ごすことになってしまう.critical point を握るのが NAc のニューロン活動であるという結論が,確実性を増してきている.(中略)

5. Dysfunctional pain(機能障害性疼痛)
慢性痛の脳内で何が起きているか,慢性腰痛と線維筋痛症の例を挙げて,脳画像解析の結果を述べてきた.慢性顎関節症過敏性腸症候群,慢性頭痛についても,ほぼ共通の機序が報告されている.慢性痛とは,脳の疼痛抑制機構の破綻もしくは機能低下によって起きることが,次第に明らかになった.
Harvard大学の Woolf CJ は,脳画像解析の知見を基に,dysfunctional pain(機能障害性疼痛)という,新しい概念を米国臨床学会に提唱している21).
われわれの脳には,快の情動系 mesolimbic dopamine system が機能しており,生きる意欲や根源的な生命活動を支え,脳の疼痛抑制系を確立している.
この系は前頭皮質と結びついて,高次の精神活動(希望,期待,創造性,自己優越性の確立,楽観性の獲得など)にも関与している.このような脳機能を破綻/低下させる引き金は何か.このような疑問に対し Lemosら10) は,NAc ニューロンレベルでの解を示している.
NAc は mesolimbic dopamine system の中核をなす神経核であるが,恐怖,不安などストレス性の入力が過剰に続くと,90日以上の長期にわたってニューロン活動の停止が起きる.そのため快情動の脳回路網が停止し,負情動回路網が優勢になり,2項対立のバランスが崩れる.
Lemosらの研究は,うつ病の生物学的成因を動物を用いて検証したものであるが,dysfunctional pain が心理・社会的要因に影響される痛みであることも示唆している.すでに「腰痛を慢性化させる要因」の項で,Apkarianら17)の研究を紹介し,痛みが慢性化するか健常状態に回復するか,鍵を握るのは NAc のニューロン活動であると述べたが(p84),別グループによる研究によっても,ほぼ同じ結論が導かれたことになる.
では dysfunctional pain に対し,どのような治療法が考えられるか.ここでは恐怖,不安などの負情動,ストレスに対処する知見が求められている.負情動の統合中枢・扁桃体,痛みの破局的思考,安静時脳画像と慢性痛の関係について,次項以降で記述する.

6. 負情動と慢性痛
負情動(原始的で本能的な恐怖・不安)が大きいと,慢性痛に転化するリスクが高くなることを述べてきた.負情動と痛みとの関係を,情動と本能行動の統合中枢・扁桃体7)についてみていこう.
生体は進化の過程で快・不快情動を発達させてきた.生存を脅かす有害なもの(肉食獣,痛み)に対しては,本能的,直観的に恐怖感を抱き,これを罰(不快)として記憶し,嫌悪して忌避行動をとることで生命を維持してきた.生存に不可欠なエサ,水,交尾対象や群れの仲間に対しては,これを報酬(快)と評価して接近行動をとった.
自然界におけるサバイバルは,忌避行動と接近行動のバランスのうえに成り立っている.予定していた報酬が得られなければ,不快であり,怒りの反応となる.水やエサが期待や予測を上回れば,快や喜びの反応となり,生きる意欲の根源となる.負情動と快情動とは,個体の生存維持や種の保存を図るうえで,重要な役割を果たしてきたのである3).
恐怖,不安,嫌悪,怒りなど 負情動形成に中心的な役割を担うのは,扁桃体である7,15).激痛のときは顔面蒼白となり,わなわなと全身が震えるが,これは扁桃体からの出力を受けた負情動の表出に他ならない.視床下部では自律神経系が活動し,下垂体ではホルモンが分泌され,脳神経運動核では筋運動の調節が瞬時に行われる.扁桃体はこのような本能行動を起こすと同時に,恐怖や不安感,拷問感を付して,情報を情動記憶の回路に送る.それゆえ痛みは恐怖や不安感と一体化されて,強烈に記憶固定される7).一度でも激痛を経験すると,その苛酷さゆえに痛みを極度に怖れ,不安感を抱いてしまうのであろう.(中略)

7. 痛みの破局的思考
激痛のさなかにあって,人は奈落の底に引きずり込まれるような恐怖や不安に駆られる.誰もが感じる原始的で本能的な恐怖感である.しかし過剰に続くと,病的な不安,怯えの異常な心理状態に陥ってしまう.これを痛みの破局的思考(pain catastrophizing : PC)16)という.
破局的思考は,心理学上は3要素で説明されている.①rumination(反芻.痛みのことが脳裡に繰り返し去来し,消すことができない.痛みに囚われた状態),②helpless(痛みに支配され,自分は惨めで何もできない,無力感),③magnification(痛みはもっとひどくなり,さらに深刻なことが起きると思う,痛みの拡大視)の3つである.(中略)

患者の心理状態と外科手術後の慢性痛の関係が調査研究されている8).調査対象とされたのは,四肢切断,人工膝関節置換術,乳房切除,心臓外科手術など,英国における手術700万件(2005~06年)と,米国における手術2,200万件(1994年)である.
その結果,手術を前にして不安や怯えを強く感じていた患者ほど,術後に難治性の慢性痛に転化することが多く,術後の痛みの管理が困難であったことが報告されている.
失業,家族の病気,倒産,雇用不安などの社会環境にある時も,慢性痛は増悪化しやすく,治療の難しい負のスパイラルに入ってしまう.慢性関節炎や関節リウマチなど,長びく痛みを抱える患者は,気分障害、不安障害(PTSDパニック障害)などの精神疾患の併病率が,健常な一般人より2~3倍も高いことは既述した(p10)11).
精神科による痛みの診断や分類は特殊であるが「身体症状関連障害」注2)も難治性の慢性痛の1つであって,薬物,手術,神経ブロックなどの治療法に抵抗する.この痛みでは fMRI画像上に,扁桃体と嗅内皮質に過剰な興奮がみられ,その反面,腹内側前頭皮質(vmPFC)の活動低下がみられる.扁桃体と嗅内皮質における不安や恐怖感の増大を,vmPFC が抑制できないことを fMRI画像が示している.負情動の過剰が,痛みの慢性化に影響する例と考えられている.
われわれの脳には,本来なら恐怖や不安を抑え,精神を安定に保つ機能も備わっているはずである.前頭皮質(PFC)は,理性,思考,創造性,道徳観の形成などに関わる一方で,扁桃体や海馬支脚による負情動を抑制して,精神状態を安定化させる役割も担っている.中でも内側前頭皮質(mPFC)は,扁桃体基底内側部(BMA)に抑制をかけることが知られており,動物実験で mPFC-BMA 間の経路を活性化させると,不安行動や恐怖関連のすくみ行動が抑制されることがわかっている15).さらに腹側被蓋野(VTA)や NAc を刺激して,快情動を高める機能も有している.
しかしながら,扁桃体による負情動が過剰亢進しているときは,多くの神経核を興奮の渦に巻き込むため,鎮静化するのは容易でなくなる.古い脳器官である扁桃体からは,大脳皮質の広範な神経核へ多くの投射があるのに対し,進化的に新しい PFC からは,扁桃体を制御する神経連絡が少ないのである.この不均衡さゆえに,過剰な恐怖や不安を制御することが難しく,暴走させてしまうのかもしれない15).
怯えや怖れの心理状態は,default mode network : DMN 2) にも反映される.慢性痛の診断や治療に,fMRI による DMN 脳画像解析が多用されているので,次項で記述する.

8.Default Mode Network と慢性痛
DMN とは脳内ネットワークの1つで 安静時の脳活動をいう2).脳は何のタスク(課題)もしていない安静時でも,高い活動を維持してスタンバイし,次の瞬間に起きるかもしれないさまざまな事態に備えている.Default mode とは,タスクしていないときの基底的脳活動という意であるが,DMN には被験者の負情動や,社会認知に関わる領域の脳活動が反映されている.そのため,神経科学や臨床医学上の多分野で研究されるようになった.
被験者が何もタスクを遂行しないで,ぼんやりと自己内省的な考えや自伝的エピソードを想起しているとき,基底状態にある脳には,タスク遂行時よりも高い活動を示す領域がある.それは内側前頭皮質(mPFC),後帯状皮質/楔前部(PCC/Precuneus),後(脳梁)膨大部皮質(retrosplenial cortex : RSC),下頭頂小葉(inferior parietal lobule : IPL),外側側頭葉(lateral temporal cortex : LTC),海馬(hippocampal formation : HF)などである2)(図5-3).これらの神経核は互いに同期した活動パターンを示していることから,機能的結合によるネットワークを形成していると考えられている.
DMN 脳画像には,被験者の内心に抱えた不安や怯えの心的活動が反映されるため,心理状態と DMN の機能的結合(functional connectivity : FC)が注目されている.fMRI を用いて被験者の全脳スキャンをすると,DMN 脳画像上には,慢性痛や精神疾患の患者の場合,健常者とは異なる機能的結合パターンがみられるのである.それゆえ,脳内機序や被験者の病態を探る手法として用いられている9).線維筋痛症顎関節症,慢性腰痛などを対象に,fMRI画像で DMN を撮り,その機能的結合解析が研究されるようになった.

たとえば顎関節症では,痛みの破局化要素の1つ“rumination”(反芻)数値が高い患者ほど,mPFC-PCC/Precuneus 間の機能的結合に,異常な亢進がみられる9).恐れと怯えの心理状態が DMN における機能的結合の亢進という形で,特徴的に浮上するのである.(中略)

線維筋痛症についても fMRI画像を用いた DMN が記録され,機能的結合解析が行われている.線維筋痛症患者の場合は,1次運動野/感覚野と外側視床(M1-Th)間,外側視床と中脳水道周囲灰白質(Th-PAG)間の活動が亢進し,機能的結合値が大きい特徴がみられる.神経核間の機能的結合解析は,慢性痛の治療効果を測る指標としても役立つことから,認知行動療法,マインドフルネス,薬物,経頭蓋磁気刺激による治療効果を検証するのに用いられている.

注:i) 引用中の「表5-1」及び「図5-3」の引用は共に省略します。 ii) 引用中の「注2」(P91)を次に引用(『 』内)します。 『注2:精神科診断基準における疼痛は,DSM-5 で改訂された.身体表現性疼痛は「身体症状症および関連症群」(somatic symptoms and related disorders)として,2つのサブカテゴリー(身体症状症,病気不安症)を含む形にまとめられている.』(注:引用中の「身体症状症」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「身体症状症(旧:身体表現性障害)」 加えて上記「身体症状症」については下記 xxix) 項を参照して下さい。) iii) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Corticostriatal functional connectivity predicts transition to chronic back pain.」 iv) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「The brain's default network: anatomy, function, and relevance to disease.」 v) 引用中の文献番号「3)」は次の資料です。 「半場道子:総説「慢性疼痛と脳」第5回.Practice of Pain Management 2 : 246-256, 2011」 vi) 引用中の文献番号「5)」は次の論文です。 「Shape shifting pain: chronification of back pain shifts brain representation from nociceptive to emotional circuits.」 vii) 引用中の文献番号「7)」は次の資料です。 「加藤総夫:痛み誘発負情動から考える“心”の起源.医学の歩み 232 : 14-20, 2010」 ちなみに、痛みに関連する加藤総夫が著者である他の日本語資料例は次を参照して下さい。 「痛みを生みだす脳機構 -痛みの進化生理学試論-」 viii) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「Mood and anxiety disorders associated with chronic pain: an examination in a nationally representative sample.」 ix) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Severe stress switches CRF action in the nucleus accumbens from appetitive to aversive.」 x) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Shape shifting pain: chronification of back pain shifts brain representation from nociceptive to emotional circuits.」 xi) 引用中の文献番号「12)」は次の本です。 「Melzak R, Wall PD : “The Challenge of pain” Basic Book Inc, NY, 1983. 邦題「痛みへの挑戦」誠信書房,東京,1986」 xii) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Targeting abnormal neural circuits in mood and anxiety disorders: from the laboratory to the clinic.」 xiii) 引用中の文献番号「16)」は次の論文です。 「Corticolimbic anatomical characteristics predetermine risk for chronic pain.」 xiv) 引用中の文献番号「17)」は次の論文です。 「Corticolimbic anatomical characteristics predetermine risk for chronic pain.」 ちなみに、慢性痛への含意としてのストレスが corticolimbic 系に与える影響については、次の論文を参照して下さい。 「Effects of stress on the corticolimbic system: implications for chronic pain.」 xv) 引用中の文献番号「21)」は次の論文です。 「What is this thing called pain?」 xvi) 引用中の「マギル疼痛質問票」については例えば次の資料を参照して下さい。 「日本語版 McGill Pain Questionnaire の信頼性と妥当性の検討」 xvii) 引用中の「不定愁訴」に関連する「医学的に説明できない症状」については次のWEBページを参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』 xviii) 心身症の視点からの引用中の「線維筋痛症」、「過敏性腸症候群」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 xix) 引用中の「fMRI」に相当する「機能的磁気共鳴画像法」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 xx) 引用中の「default mode network」(デフォルトモードネットワーク)に関連する、瞑想によるこの活動の減少については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 xxi) 引用中の「線維筋痛症についても fMRI画像を用いた DMN が記録され,機能的結合解析が行われている」ことに関連する、「線維筋痛症症例では,海馬体や側頭葉といった情動記憶・エピソード記憶・陳述記憶および視覚記憶や聴覚認知に関与する脳部位が含まれている DMN が,島皮質と第2次感覚野と強く連結しているという報告がある」ことについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症の心身相関と全人的アプローチのための病態メカニズムの理解」 xxii) 引用中の「中脳水道周囲灰白質」については、次のWEBページを参照して下さい。 「水道周囲灰白質 - 脳科学辞典」 xxiii) 報酬系の視点からの引用中の「側坐核」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「行動嗜癖 - 脳科学辞典」の「報酬系回路」項 xxiv) 引用中の「痛みの破局的思考」に関連する「慢性の痛みに影響する因子としての痛みに対する破局化」について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の安野広三著の文書「慢性疼痛とマインドフルネス」の 実際の臨床的経験からの考察 の「(5)慢性疼痛におけるマインドフルネス/アクセプタンスに基づく介入の効果機序についての実証的研究」における記述(P228~P229)を次に(『 』内)引用します。 『慢性の痛みに影響する因子として、痛みに対する破局的な認知・情動的反応(破局化)の重要性が指摘されている。破局化は、痛みのことを繰り返し考える「反すう」、痛みを自分にとってより大きな脅威としてとらえる「拡大視」、痛みに対して自分は無力であるという「無力感」などが中心的な要素とされている。これまでの研究で痛みの破局化は、より強い痛み強度、より高度の機能障害や抑うつや不安との関連が示されている。また、破局化が強いほど、救急受診や治療的要求などの疼痛行動が増え、治療関係の悪化や治療介入に対する反応性も悪くなることも示唆されている。』 加えて、引用中の「破局的思考」に関連する『認知療法の視点からの「破局視」』については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xxv) 引用中の「内側前頭皮質(mPFC)は,扁桃体基底内側部(BMA)に抑制をかける」に関連するトラウマの視点からの「ストレス反応を制御する――監視塔」については他の拙エントリのここここ(特に引用における「ストレス反応を制御する――監視塔」項)を参照して下さい。 xxvi) 痛みスコアとしての引用中の「VAS」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「痛みの基礎知識」の「A.痛みの強さ(図1)」項 xxvii) 引用中の「反芻」(又は反すう)に関係する「うつ病や不安障害等における反すう、心配と回避との関連」についてはここを参照して下さい。 xxviii) 引用中の「快情動の脳回路網と負情動の脳回路網の2項対立が,どちらに傾くかによって,一方は健常に復して静穏な日常に戻り,他方は慢性痛に傾いたまま長い歳月を過ごすことになってしまう.」ことに関連するかもしれない「プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏」に関連する論文の紹介はここを参照して下さい。 xxix) また、上記身体症状症の視点からの疼痛に対する認知(予測・注意)について、名越泰秀、西原真理編集の本、「精神科医が慢性疼痛を診ると その痛みの謎と治療法に迫る」(2019年発行)の 第4章 身体症状症の脳科学の発展 の 身体症状症のニューロイメージング の 1 身体症状症による疼痛に関する脳画像研究 の a. 身体症状症の病態に関わる脳画像研究 の「疼痛感受性」及び「疼痛に対する認知(予測・注意)」における記述(P120~P121)をそれぞれ次に引用します。

疼痛感受性
身体症状症では身体感覚を破滅的で有害なものであると認識しやすい傾向があるとされ,身体感覚よりも身体症状に対する脅威(認知面)が重要であるといわれている36).これまでのところ3報において,健常者と比較した疼痛刺激に対する脳活動の変化を調べている.例えば Gündel らは,12名の身体症状症患者と13名の健常者に対して熱刺激を用いて疼痛時の脳活動を比較した11).身体症状症患者において疼痛刺激時に健常者と比べて活動上昇がみられていた領域は,主に一次体性感覚野,ニ次体性感覚野,頭頂葉扁桃体、海馬傍回,島皮質 issular cortex(IC)であった。逆に健常者で活動上昇がみられていたのは腹内側前頭前皮質と眼窩前頭前皮質であった.Gündel らは,身体感覚に関連した脳領域の過剰な活動と,前頭前皮質などの認知に関わる脳領域の機能低下が,身体症状症の持続に影響を与えていると示唆している.

疼痛に対する認知(予測・注意)
予測に関する疼痛の脳画像研究において最も有名なものは,プラセボによる除痛反応をみたものであろう.例えば,Petrovic らは9名の健常者に対して盲検的にオピオイド薬(レミフェンタニル)またはプラセボ薬を投与し,疼痛刺激を与えたときの脳活動を測定した18).オピオイド薬のみならずプラセボ薬を内服したときにも,多くの被験者において疼痛刺激に対する強度の減少を感じており,プラセボ薬においてもオピオイド薬に比べ脳活動は少ないものの,疼痛の調整,予測機能などで重要な眼窩前頭前皮質や吻部 ACC などが活動していることがわかった.これらの結果について Petrovic らは,疼痛に対する予測の減少がプラセボ薬投与によって起きるとしている.慢性疼痛においても,同様の脳領域の活動がプラセボの反応性に関連しているという報告が最近みられている37).
他にも Woo らは健常者において,単に疼痛刺激を受けたとき,もしくは疼痛刺激を受けているときに,認知的な制御として疼痛が強く不快なものであると認識する場合,疼痛が弱く不快なものではないと認識している場合の,3条件の脳活動を調べている22).3条件において,側坐核と内側前頭前皮質の機能的結合で差がみられていた.側坐核と内側前頭前皮質の機能的結合の異常は,急性痛から慢性疼痛へ進展する際の重要な要素であることから38),これら機能的結合と関連した認知的制御が,慢性疼痛発症の病態メカニズムとして重要であると考えられる.
Kucyi らは,疼痛に対する注意の切り替え(具体的には疼痛刺激がみられたときに,注意をできるだけ疼痛に向ける条件と逸らす条件を設ける)について健常者を対象に fMRI 研究を行っている.疼痛から注意を逸らしているほうが,疼痛により引き起こされたデフォルトモードネットワーク default mode network(DMN)の活動の減少が緩和されており,DMN と PAG との機能的結合が強くなっている.また疼痛に注意を向けているときにはサリエンスネットワーク salience network(SN)の活動が上昇していることが明らかとなった16).DMN は,内側前頭前皮質,外側頭頂皮質,後帯状皮質,中側頭葉などから構成された脳内ネットワークであり,特定のことを考えない安静時にみられが39).SN は,前部島皮質や背側前頭前皮質などから構成された脳内ネットワークであり,自身の内面および外部からのあらゆる刺激(疼痛も含む)を探知する働きが
あるとされる40).PAG は脊髄に作用する下行性疼痛抑制系 descending pain modulatory system において重要な領域であり,役割として鎮痛作用がある41).よって今回の結果から,可能性として,疼痛から注意を逸らしているときは,DMN の活性化から PAG などの下行性疼痛抑制系の増幅→疼痛の減少の一連の流れが考えられ,注意を向けているときには SN 上昇に伴い,疼痛刺激への探知能力が上昇している可能性が考えられる.

注:i) この引用部の著者は吉野敦雄、岡本泰昌、岡田剛、山脇成人です。 ii) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Altered cerebral response to noxious heat stimulation in patients with somatoform pain disorder.」 iii) 引用中の文献番号「18)」は次の論文です。 「Placebo and opioid analgesia-- imaging a shared neuronal network.」 iv) 引用中の文献番号「22)」は次の論文です。 「Distinct brain systems mediate the effects of nociceptive input and self-regulation on pain.」 v) 引用中の文献番号「37)」は次の論文です。 「Brain and psychological determinants of placebo pill response in chronic pain patients.」 vi) 引用中の文献番号「38)」は次の論文です。 「Nociception, Pain, Negative Moods, and Behavior Selection.」 vii) 引用中の文献番号「39)」は次の論文です。 「Disease and the brain's dark energy.」 viii) 引用中の文献番号「40)」は次の論文です。 「Neurocognitive aspects of pain perception.」 ix) 引用中の文献番号「41)」は次の論文です。 「Descending control of pain.」 x) 引用中の「issular cortex」(島皮質)は「insular cortex」の誤字であると拙ブログ作者が考えます。 xi) 引用中の「ACC」は前帯状皮質(WEBページ「前帯状皮質 - 脳科学辞典」を参照)の略です。加えて、引用中の「PAG」は水道周囲灰白質(WEBページ「水道周囲灰白質 - 脳科学辞典」を参照)の略です。 xii) 引用中の「一次体性感覚野」、「二次体性感覚野」及び「頭頂葉」については共に次のWEBページを参照して下さい。「頭頂葉 - 脳科学辞典」(「一次体性感覚野」及び「二次体性感覚野」については上記WEBページの「体性感覚野」項を参照) xiii) 引用中の「扁桃体」及び「海馬傍回」に関連する「海馬」についてはトラウマの視点から拙エントリのここを参照して下さい。 xiv) 引用中の「島皮質」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 xv) 引用中の「内側前頭前皮質」、「背側前頭前皮質」及び「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については次のWEBページを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 xvi) 引用中の「眼窩前頭前皮質」に関連する「前頭眼窩野」については次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 xvii) 引用中の「側坐核」に関連する「腹側線条体」については次のWEBページを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 xviii) 引用中の「後帯状皮質」についてはここを参照して下さい。 「腹側線条体 - 脳科学辞典」 xix) 引用中の「中側頭葉」に関連する「外側側頭葉」についてはここを参照して下さい。 xx) 引用中の「デフォルトモードネットワーク」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xxi) 引用中の「サリエンスネットワーク」に別名である「セイリエンス・ネットワーク」ついては他の拙エントリのここを参照して下さい。

(c) 加えて、慢性痛の治療法について、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の「第6章 慢性痛の治療法」における記述の一部(P98)を以下に引用します。さらに、この引用中の「認知行動療法・マインドフルネス」(参照)、「脳刺激法」、「筋運動」(参照)については、それぞれに分割してそれぞれ以下に引用します。なお、上記「脳刺激法」においては、「経頭蓋直流刺激(tDCS)」(参照)のみについて以下に引用します。なお、「非器質性の慢性痛に転化した場合の効果的な治療法」については、次のWEBページを参照して下さい。 「慢性痛への挑戦 サイエンスの視点から新たな治療戦略を考えるの「――非器質性の慢性痛に転化した場合は,どのような治療が効果的ですか。」項」

本章では慢性痛の治療法を,Ⅰ.薬物療法・神経ブロック,Ⅱ.認知行動療法・マインドフルネス,Ⅲ.脳刺激法,Ⅳ.筋運動の4項にわたって取り上げる.慢性痛の機序が明らかになるにつれ,痛みの治療法は大きく変化している.慢性痛の軽減は,単なる痛み止めの投与では難しい.変容した脳回路網を健常な状態に回復させる対処法が求められ,個々の症状に応じて複数の治療法の組み合わせが選択されて,効果を上げている.

上記認知行動療法・マインドフルネスにおける記述の一部(P106~P109)を以下に引用します。なお、これらを含む心理的アプローチについては、次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」の「第Ⅳ章 心理的アプローチ」項(P113~P126)

認知行動療法・マインドフルネス
慢性痛の機序が明らかになるに従い,多領域の治療プログラムによる多面的アプローチ(multidisciplinary intervention)3)や,多種の治療法の組み合わせ(multimodal intervention)など,総合的な治療法が導入されている.痛みの軽減と健常な日常への復帰を求めて,数々の治療法が試みられるようになった.本項では認知行動療法(CBT),マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)を紹介する.これらの治療が効を奏すると脳灰白質の体積/密度が回復することも,脳画像解析によって検証されている(後述).

1. 認知行動療法(CBT)
認知行動療法(cognitive behavioral therapy : CBT)は,慢性痛患者の負情動,ストレス,心理状態,破局的思考,認知過程に焦点を当てて,「心の持ち方」をポジティブな方向に変える手助けをする治療法である2,5).CBT は薬物療法運動療法と組み合わせて治療効果を上げており,慢性痛,うつ病パニック障害強迫性障害不眠症,薬物依存症,摂食障害統合失調症などについて,有効性が検証されている2,5).
慢性痛に苦しむ人は,心身のストレスが原因で,負情動のスパイラルから抜け出せず,抑うつ状態,怒り,不安感に陥り,孤独感に苦しむことが多い.物事の受けとり方や考え方に,個人的なこだわりがみられることもある.このような苦悩する心に対し,CBT では負情動の縺れた糸を1つずつほぐし,現実に即した内容に修正していく.患者の苦悩に対し,論理上の誤りに修正を加えながら,ものの考え方を改めている.
CBT では治療方法に一般論が存在せず,治療目標も個々の患者ごとに異なっている2,5).負情動を起こしている源が,個人の生育歴や生活環境,家族/職場内の人間関係の軋轢,経済的破綻などにあるため,それぞれの原因に対して個人ごとの対処が求められる.治療の基本は不安や恐怖を解消して,健康な脳回路網に戻していくことである.
本書では慢性痛に負情動が関与すること,それによって痛みの強さが増大したり減少することを述べてきた.慢性痛が原因で何年間も寝たきりになり,廃人同様であった人が,CBT 治療を受けて負情動の牢獄から解放され,痛みのない日常に復帰している.回復後の生き生きした姿をみると,負情動がいかに脳回路網の活動と機能を変化させ,健康な脳回路網への回復を阻んでいたかが実感される.その意味で,われわれの脳は従来考えられていたよりずっと柔軟性に富み,可塑性に富んだ器官なのである.
CBT は米国の精神科医 Beck によって,うつ病の治療対策として1960年代に始められだ Beck によるうつ病調査票(Beck Depression Inventory I : BDI-I)も開発され,臨床の場で用いられてきた.1980年代に入ると,CBT は不安障害や心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder : PTSD)の治療や,慢性痛の治療にも応用されている.
わが国ではリエゾン診療が1996年に,福島県立医科大学整形外科に初めて導入され,整形外科医と精神科医が連携して慢性痛患者の診療に当たる診療体制が組まれている.
リエゾン診療では,患者の精神医学的な問題やパーソナリティを評価する尺度として,質問票 BS-POP 6) が開発され,負情動に囚われているか否か,その程度を検出する質問が設定されている.
このような取り組みは,慢性痛の治療成績の向上に効果を上げただけでなく,2010年の厚生労働省の提言,「今後の慢性の痛み対策について」に結びつき,現在では全国19の施設に,慢性疼痛の治療に複数の診療科が連携して当たる「学際的痛み治療体制」が組まれるようになった.

2. マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)
マインドフルネス・ストレス軽減法(mindfulness-based cognitive therapy : MBCT)1) は,心のエクササイズともいうべき治療法で,急速に普及している.脳の大規模回路網から,後悔,不安,恐れなど過剰な負情動を締め出し,ネガティブ思考のとめどないスパイラルを脱して,健康な脳回路網に回復させる4).その効果が最近認められている.
マインドフルネスは,もともとは禅寺で行う瞑想(medication)に起源を持つ療法であるが,宗教とは無関係で座禅を組む必要もない1,4).身体の力を抜いて姿勢正しく座り,意識を自身の呼吸や体に集中して観察するだけである.呼吸や自分の身体に意識を集中することによって,「今を生きているありのままの自分」に気づかせ,後悔,不安など過剰な負情動を締め出す狙いである.DMN(安静時脳活動)の項で先述したように(p92),われわれの意識は集中からフッと逸れて,過去や将来にさまよい出るが,それに気づいたら現在に自分を戻すことを繰り返していく.
脳の高次機能が,大規模ネットワークによって担われることは先述した.何かに注意集中している時は,ワーキングメモリー(working memory:作業記憶)ネットワークが働いており,背外側前頭皮質(dorsolateral prefrontal cortex : dlPFC)の活動が活発になる.MBCT では被験者の意識を呼吸に集中させるが,そのとき,脳内では dlPFC の活動が活発に維持されている.dlPFC がほかの神経核より優位に活動しているときは,理性,思考,創造,計算,意思決定など,「考える葦」と呼ばれる機能が発揮されており,扁桃体による過剰な負情動を制御する領域が強化されるのである4).

3. 治療で回復する慢性痛患者の脳
CBT は慢性痛患者の脳活動に,どれほど影響を与えるだろうか,CBT の治療効果を fMRI 脳画像解析で検証する試みが,Seminowiczら8) によって行われている.
慢性痛患者の脳には共通して,特定の神経核において灰白質(gray matter)の体積/密度の低下が起きている.怯え,不安,恐怖などの負情動が大きい場合,背外側前頭皮質(dlPFC),吻側前帯状皮質(rACC)/眼窩前頭皮質(OFC),後頭頂皮質(posterior parietal cortex : PPC),下前頭回(IFG),第1次/2次感覚野(S1/S2)などで灰白質体積/密度が著しく低下する.
このような慢性痛患者(n=13)に対し,MBCT(1日10分間の注意集中)を11週続けたところ,扁桃体の過剰な活動が抑えられ,不安,怯え,恐怖など負のスパイラルから解放された.結果として破局的思考スコアが減少し,痛みが軽減した.それに伴い,dlPFC,rACC,PPC,IFC,S1 の灰白質体積/密度が回復増加し,脳画像上では健常者とほぼ同じ画像になったと報告されている8).(中略)

Seminowicz らは,dlPFC と PPC における灰白質増加は,怯え,不安,恐怖からの回復に結びつくものとして,生理的意義を評価している.11週の MBCT によって,中枢性疼痛抑制系が活性化し,痛みの再評価と体性感覚の変化が起きたものと解釈されている.(後略)

注:i) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Alterations in brain and immune function produced by mindfulness meditation.」 ii) 引用中の文献番号「2」は次の本です。 「Flor H. Turk DC : Chronic Pain : An integrated biobehavioral approach. IASP Press, 2015. 邦題「慢性痛-統合的心理行動療法-」柴田政彦,北原雅樹(監訳)」 iii) 引用中の文献番号「4)」は次の論文です。 「Attention regulation and monitoring in meditation.」 ちなみに、次に紹介するマインドフルネス瞑想と情動調節との関連ついての論文があります。 「Impact of short- and long-term mindfulness meditation training on amygdala reactivity to emotional stimuli.」 iv) 引用中の文献番号「5)」は次の本です。 「Otis JD : Managing chronic pain : A cognitive-behavioral therapy approach. Therapist guide. 伊豫雅臣・他(訳).慢性疼痛の治療:治療者向けガイド-認知行動療法によるアプローチ.東京,星和書店,2011」 v) 引用中の文献番号「6)」は次の資料です。 「佐藤勝彦,菊池臣一,増子博文・他:脊椎・脊髄疾患に対するリエゾン精神医学的アプローチ(第2報)-整形外科患者に対する精神医学的問題評価のための簡易質問票(BS-POP)の作成.臨整外 35 : 843-852, 2000 vi) 引用中の文献番号「8)」は次の論文です。 「Cognitive-behavioral therapy increases prefrontal cortex gray matter in patients with chronic pain.」 vii) 慢性痛における引用中の「認知行動療法」については次の資料を参照して下さい。 「慢性痛のマネジメントに活かす認知行動療法」、「慢性痛に対する認知行動療法」 viii) 引用中の「n=13」は被験者数を指します。 ix) 引用中の「マインドフルネスストレス軽減法」は正式には「マインドフルネスストレス低減法」(Mindfulness-based stress reduction : MBSR、例えばWEBページ「マインドフルネス なぜ医療現場で有用なのか エビデンスとその効果」の「MEMO❷ マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」を参照)と呼ばれます。加えて、「mindfulness-based cognitive therapy : MBCT」は正式には「マインドフルネス認知療法」(参照)と呼ばれます。一方、上記 MBSR と CBT を組み合わせて疼痛用に修正した治療抵抗性慢性疼痛に対するマインドフルネス認知療法については次の資料を参照して下さい。 「治療抵抗性慢性疼痛に対する マインドフルネス認知療法の試み」 加えて、引用中の「マインドフルネス」については、拙エントリのここを参照して下さい。一方、慢性疼痛難治例に対する段階的心身医学的治療の視点からの「マインドフルネスと ACT」(注:ACT はアクセプタンス&コミットメント・セラピー[参照]のことです)については、次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛難治例に対する段階的心身医学的治療 ―愛着・認知・情動・行動障害の観点からのアプローチ―」の「マインドフルネスと ACT」項 加えて、慢性疼痛治療における心理的アプローチとしての上記 ACT については、次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」の 第Ⅳ章 心理的アプローチ の「CQ38:第三世代の認知行動療法である ACT は慢性疼痛治療に有効か?」項(P123~P125)、「慢性疼痛に対する認知行動療法 ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)によるアプローチを中心に」 x) 引用中の「破局化」に関連する「破局的思考」については資料「慢性疼痛治療ガイドライン」の「CQ3:慢性疼痛患者の症状・徴候にはどのような特徴があるか?」項における表1-3及び図1-A(P19)を参照して下さい。加えて、慢性疼痛治療へのマインドフルネスの臨床応用について、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅳ章 疾患・領域別アプローチ法 の 3 慢性疼痛 の「2 慢性疼痛治療へのマインドフルネスの臨床応用」における記述の一部(P156~P158)を以下に引用します。さらに、慢性疼痛患者における破局化にマインドフルネスが及ぼす効果について、同「3 慢性疼痛」の「3 慢性疼痛患者における破局化への効果」における記述の一部(P158~P159)を以下に引用します。

2 慢性疼痛治療へのマインドフルネスの臨床応用
慢性疼痛に対するマインドフルネスに基づく介入では,マインドフルネス瞑想が様々な形で用いられる。効果を検証する介入研究においては構造化されたプログラムである MBSR,マインドフルネス認知療法(Mindfulness-Based Cognitive Therapy:MBCT),同様のコンセプトを含むアクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy:ACT)などが用いられている。中でも MBSR は慢性疼痛において最もよく研究されている。マインドフルネスに基づく介入は腰背部痛や各種関節痛などの筋骨格系の痛み,片頭痛/緊張型頭痛,過敏性腸症候群線維筋痛症など様々な病態を含む慢性疼痛に対し,痛みの強さ,身体機能,心理的苦痛,QOL 改善などの効果が示されている4,5)。現在のところ,慢性疼痛に対する心理療法はこれまでの膨大なエビデンスから,従来の認知行動療法が最も標準的な治療とされているが,マインドフルネスに基づく介入はその代替になりうる治療として認識されている。
マインドフルネスが慢性疼痛の治療として注目されはじめた背景のひとつとして,従来の認知行動療法の問題点がある(表1)。認知行動療法の有効性についての知見が蓄積されるにしたがって,当初考えられたほどその効果は高いものではなく,長期的な予後についても効果が限定的であることが指摘されるようになってきた。認知行動療法のコンセプトには痛みや気分をコントロールするという方向性が含まれている。その方略は比較的短期間に症状や気分が変化する場合はよいが,当面の間は改善しないような場合は,かえって焦りや不全感,失望をまねいたり,効果的でないコントロールのための努力に時間と労力を費やし疲弊したりすることもある。その結果,むしろ症状を悪化させることすらある。
一方,マインドフルネスはコントロールを手放し,痛みや苦痛をあるがままに受け入れることで,逆説的に悪化の悪循環から解放されるという基本スタンスに立つ。従来の認知行動療法とは違う新たなアプローチとして注目され,その効果が示されてきた。その流れの中で,近年どちらのアプローチがより有用であるがということが直接比較により検討されはじめている6)。しかし,優位性については結論が出ておらず,現時点で両者は同等の有用性があるとされている。
また,どのような背景や特性がある患者群においてマインドフルネスがより有益であるかということもまだ明らかとなっていない。経験的には,マインドフルネスのコンセプトからしても,自身の思考・感情・身体感覚への気づさの乏しい群,強迫的・徹底的でとらわれが強い群,解決志向性の強い群,嫌悪的な体験を回避する傾向が強い群などはマインドフルネスに基づく介入のほうがより核心的な変化をもたらし,有用性が大きいと感じることが多いが,今後実証的研究により明らかにされる必要がある。
ただし,マインドフルネスの有用性を考えるとき,マインドフルネスのコンセプトは痛みや機能障害の軽減は必ずしも目標としていないということに注意が必要である。通常の臨床試験ではこれらの指標の改善をもって有効性を評価しているが,既存の尺度では測定できていない別の側面への効果がある可能性を,念頭に置くべきである。また,マインドフルネスの介入後の長期効果は介入後の瞑想実践の継続が影響するとも言われているが,ここに厳密に焦点を当てた検討はいまだ少ない。今後,この点についても明らかにされることが望まれる。

注:i) 引用部の著者は安野広三です。 ii) 引用中の「表1」についての引用は省略します。 iii) 引用中の文献番号「4」、「5」はそれぞれ次の論文です。 「Acceptance-based interventions for the treatment of chronic pain: a systematic review and meta-analysis.」、「Mindfulness Meditation for Chronic Pain: Systematic Review and Meta-analysis.」 iv) 引用中の文献番号「6)」は次の論文です。 「Mindfulness-based stress reduction and cognitive behavioral therapy for chronic low back pain: similar effects on mindfulness, catastrophizing, self-efficacy, and acceptance in a randomized controlled trial.」 v) 引用中の「MBSR」はマインドフルネスストレス低減法(例えばWEBページ「マインドフルネス なぜ医療現場で有用なのか エビデンスとその効果」の「MEMO❷ マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」項を参照)の略です。 vi) 引用中の「マインドフルネス認知療法」、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」はそれぞれ次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー

3 慢性疼痛患者における破局化への効果
慢性疼痛患者の病態において痛みに対する認知行動的反応の重要性はこれまで数多く示されている。中でも,痛みに対する破局的な認知(破局化)の悪影響は最もよく検討されている。痛みの破局化とは,痛みに選択的に注意が偏り,痛みを大きな脅威として恐れ,対処が困難なものとして無力さを感じ,痛みについて反芻しつづけるような認知・情動的反応を言う。慢性疼痛患者ではこの傾向が大きいほど,痛みの強度,機能障害,抑うつなどの心理的苦痛,対人関係,治療の反応性などが悪化することが示されている。また,受診頻度や薬物使用の増加,希死念慮などの存在にも関係している7)。
破局化は慢性疼痛の病態悪化に大きな影響を与えているため,その低減が重要な治療の標的とされている。マインドフルネス瞑想により痛みの破局化が軽減することがこれまでに示されている。マインドフルネスの訓練を通じて体験に対する非反応的/非評価的な態度が育まれることで,痛みという体験に対しても破局的な評価や解釈を付け加えなくなっていく。注意の制御力向上や体験へ執着しない態度は,痛みに対するとらわれや反芻を低減させ,注意を痛みから生活の有意義な側面へ向け直すことにもつながる。また,思考や感情を意識的・俯瞰的な気づき(メタ認知的な気づき)の中で現実と区別してとらえる(脱中心化)能力は,破局的な自動思考からのネガティブな影響を低減させる。このような痛みをシンプルに体験しながら,そこに苦悩や執着を付け足さないあり様が破局化を減少させ,痛みや機能障害,心理的苦痛,QOL 改善につながると考えられている(図1)。
また,このような痛みとの関わり方は,痛みと格闘するのではなく共存するという受容的態度も促進してくれる。その結果,痛みとの格闘のために使っていた注意と労力をより有意義な方向へ注げるようになる。そのことは痛みに対処できるという自己効力感も高めてくれる。マインドフルネスは慢性疼痛患者における痛みの受容を促進することが示されており,痛みの受容は痛みの強さ,身体機能,就労状況,恐怖/回避行動,抑うつ・不安,生活満足度などの改善と関連することが報告されている8)。(後略)

注:(i) 引用部の著者は安野広三です。 (ii) 引用中の「図1」の引用は省略します。 (iii) 引用中の文献番号「7)」「8)」はそれぞれ次の論文です。 「Pain catastrophizing: a critical review.」、「Acceptance-based treatment for persons with complex, long standing chronic pain: a preliminary analysis of treatment outcome in comparison to a waiting phase.」 (iv) 引用中の「メタ認知」については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知 - 脳科学辞典」 (v) 引用中の「脱中心化」については、 a) 次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「心理療法におけるマインドフルネスの定義」項(P42) b) 加えて、引用元の本の Ⅰ章 マインドフルネス概論 の 1 マインドフルネスとは何か? なぜ求められるのか? の ①臨床活用の文脈から の 4 不快な体験と新たな関わり方 -ICSモデルの観点から- の「3 脱中心化で対応する」における記述の一部(P12)を次に引用(【 】内)します。 【脱中心化とは,「思考を,正しい物,あるいは自分の一側面とみなす立場から,ネガティブな思考や感情は(中略),心の中を通りすぎていく出来事であると捉える立場」13)や,「意識の中身(思考そのもの)から切り離して,瞬間瞬間の体験として,明晰さと客観性をもってそれを眺めること(注:原著の筆者訳)」14)などとされている。筆者は,「思考を動かしがたい『現実』ととらえるのではなく,脳が作り上げる1つの『現象』ととらえ,これと関わる態度」などと考えている。】(注:1) この引用部の著者は佐渡充洋です。 2) 引用中の文献番号「13)」は次の本です。 「シーガル ZV, 他:マインドフルネス認知療法 うつを予防する新しいアプローチ.北大路書房,2007, p22」 3) 引用中の文献番号「14)」は次の論文です。 「Mechanisms of mindfulness.」 4) 引用中の(ネガティブな思考や感情は)「心の中を通りすぎていく出来事であると捉える」に関連する「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」の「思考を一過性の精神的出来事としてとらえる」項[P43~P44])

上記[Ⅲ 脳刺激法においての]「経頭蓋直流刺激(tDCS)」における記述の一部(P114~P116)を次に引用します。

3.経頭蓋直流刺激(tDCS)
経頭蓋直流刺激(transcranial direct current stimulation : tDCS)は,頭皮上に,陽極と陰極の電極を置いて,1~2mAの微弱電流で10~20分程度,脳を刺激する非侵襲的な治療法である1,2,7,8)(図6-5).TMS のような大型の磁気コイル発生装置を必要としないうえに,安全性も確認されている8).そのため簡便で扱いやすい治療法として,主に米国で臨床の場に用いられ,一般にも普及している.
刺激対象:痛み治療への応用としては,慢性腰痛,線維筋痛症片頭痛,脊髄損傷後の痛み,三叉神経痛口腔顔面痛,帯状庖疹後神経痛,糖尿病性多発神経障害,薬剤抵抗性の難治性疼痛など広い臨床応用を持ち,いずれも痛みの軽減が報告されている2).痛み治療以外には,脳卒中後の運動麻痺のリハビリテーションうつ病の治療にも用いられている.
tDCS の開発と安全性:tDCS はドイツの Nitsche と Paulus によって,2000年に開発された7).開発当初からうつ病への治療効果が試験され,対照実験も行われて有効性が報告された.
生体応用への安全性は公表前から検証され,開発から14年間にわたって多数の被験者を対象にした臨床検査で確認されている7,8).tDCS は今後,薬物療法に並ぶ治療法として臨床応用されていく可能性があるので,tDCS が脳機能にどんな作用を及ぼすかを検証しておきたい.
tDCS の作用機序:tDCS では陽極を1次運動野に近い頭皮に置くのが通例である.微弱な直流で刺激すると,電極周辺のニューロンでは,細胞膜内外に電位差が生じる.陽極近くのニューロンには弱い興奮が起こるのに対し,陰極近くのニューロンでは興奮が抑制される2).
慢性痛患者では,大脳皮質下の島皮質,帯状皮質視床,脳幹などのニューロンに,異常な興奮が起きていることが多い.顎関節症線維筋痛症患者では,第5章で先述したように(p92),DMN(安静時脳活動)の fMRI画像で,特定の神経核神経核間の機能的結合(functional connectivity)が大きいという特徴がある.
線維筋痛症のような慢性痛患者に対して,1日に20~30分間の tDCS を10週間続けたところ,陰極近くの神経核間の機能的結合が減り,それに伴って疼痛が減弱することが報告されている1).
したがって頭蓋のどの位置に陽極と陰極を置くかによって,皮質下にある島皮質,帯状皮質視床,脳幹の活動に及ぼす影響は異なることになる.陽極を1次運動野(M1)近くに置き,陰極を対側の眼窩前頭皮質上(supra-orbital prefrontal cortex : OFC)に置く場合が多いが,陽陰両極を左右の背外側前頭皮質(dlPFC)に置く場合もあり,電極位置によって,脳内における電流の拡散や方向,神経核への影響がそれぞれ異なる2).
陽極を M1 に,陰極を OFC に置いた場合には,運動野ニューロンには電流拡散による弱い興奮が起こり,それに対して脳深部に位置する視床,島皮質,帯状皮質,脳幹のニューロンでは活動が抑制される.
陰陽電極を左右の dlPFC-dlPFC に置いて tDCS を行った場合は,電流の拡がりは,前頭葉上方から中央にかけてみられる.しかし皮質下の島皮質,帯状皮質,脳幹などには,電流の影響はほとんど届かない.
したがって dlPFC-dlPFC に電極をおいて刺激する場合,覚醒状態を維持し,睡眠を制限して作業を継続しなければならないような特殊環境(例えば戦闘)に,効果的であると検証されている.この場合は,ワーキングメモリー(working memory,作業記憶)を担う dlPFC に,tDCS が働きかけると解釈されている2).
慢性痛に対する tDCS の効果:慢性痛患者には共通して,DMN(安静時脳活動)の fMRI画像上で,特定の神経核神経核間の機能的結合(FC)が大きいという特徴がある.
線維筋痛症患者の場合は,DMN の fMRI画像で 1次運動野と視床間(M1-Th)に,強い機能的結合がみられ,痛みを大きく訴える患者ほど,M1-Th 間の機能的結合が強い特徴がある.そこで運動野 M1 に陽極を置き,対側の眼窩前頭皮質上に陰極をおいて,2mA で20分間の tDCS を連続5日間加えたところ,M1-Th 間の機能的結合が低下し,それに伴って痛みの訴え(VAS表示)が大きく減弱したと報告されている1).運動野-視床間における過剰な興奮が抑制されて,鎮痛がもたらされたと解釈されている.線維筋痛症以外の慢性痛に関しても,tDCS による鎮痛効果は多く報告されている.
tDCS による鎮痛作用はゆっくりと表れ,かつ効果が長く続く.tDCS で用いられる電流はごく微弱であるが,tDCS を続けるうちに,ニューロンの発火頻度が少しずつ変化し,やがて脳回路網の機能を持続的に変化させ,痛みの軽減に至るものと想定されている.8の字型磁気発生装置のような大型機器を要せず,ニューロンへの影響が試される点で,今後さらに治療法としての応用が進化する可能性がある.(後略)

注:i) 引用中の文献番号「1)」は次の論文です。 「Changes in resting state functional connectivity after repetitive transcranial direct current stimulation applied to motor cortex in fibromyalgia patients.」 ii) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「State-of-art neuroanatomical target analysis of high-definition and conventional tDCS montages used for migraine and pain control.」 iii) 引用中の文献番号「7)」及び「8)」はそれぞれ次の論文です。 「Excitability changes induced in the human motor cortex by weak transcranial direct current stimulation.」、「State-of-art neuroanatomical target analysis of high-definition and conventional tDCS montages used for migraine and pain control.」 ちなみに、tDCS のメカニズムと効果及び生理学についての論文を次に紹介します。 「Mechanisms and Effects of Transcranial Direct Current Stimulation.」、「Physiology of Transcranial Direct Current Stimulation.」 iv) 引用中の「tDCS」の臨床応用については次の資料を参照して下さい。 「経頭蓋直流電流刺激を利用した中枢神経興奮性の修飾とその臨床応用 -tDCS百話-」 一方、tDCS や rTMS を含む慢性痛に対する Non-invasive brain stimulation techniques についてのコクランレビューについては次を参照して下さい。 「Non-invasive brain stimulation techniques for chronic pain.」(本エントリ作者による注:本レビューによると非常に品質の低いエビデンスしかないようですが。) v) 引用中の「DMN」(Default Mode Network)についてはここにおける引用の「8.Default Mode Network と慢性痛」項を参照して下さい。

上記「筋運動」における記述の一部(P118~P128)を以下に引用します。なお、これを含むリハビリテーションについては、次の資料を参照して下さい。 「慢性疼痛治療ガイドライン」の「第Ⅴ章 リハビリテーション」項(P127~P145)

Ⅳ 筋運動
筋運動が慢性痛の軽減に効果的であることは,医療の現場で広く認められており,腰痛ガイドラインにも,集学的リハビリテーション認知行動療法との組み合わせで運動療法が推奨されている1,4).しかし,筋運動が不足するとなぜ慢性痛の危険因子になるのか,なぜ慢性炎症を増加させるのか,その機序はこれまで十分明らかでなかった.本項では筋運動がもたらす Super-healthy な生理的意義を,遺伝子/分子レベルで紹介する.筋運動は単なるリハビリテーション効果だけなく,生命維持のうえで重要な意義を含んでいる.

1. 筋運動による痛みの軽減
エクササイズを行うと痛みの刺激闇値が上昇することは,健常者を対象にした実験で検証されている.熱刺激と庄刺激に対する痛みの刺激闇値を計測すると,ランニング,サイクリングなどの有酸素運動の後では,痛みの刺激闇値が上昇すると報告されている15).この機序には血中濃度のうえから,内因性カンナビノイド(cannabinoid)とオピオイドの関与が検証されて,下行性疼痛抑制系の活性化が結論されている.
また神経障害性疼痛のモデル動物を用いた実験においても,筋運動(滑車を回転させる)の後に,痛みの刺激闇値が上昇することが報告され,GABA による抑制系の活性化,カンナビノイド受容体の関与と解釈されている13).
これらとは違って,微小重力の観点から筋運動の効果を探った研究が注目されている9,10).宇宙飛行士の多くは地上帰還後に,腰痛と全身の骨格筋萎縮を訴える.無重力下では,高齢の骨粗髭症患者の10倍の速さで骨量が減り,抗重力筋が萎縮してしまう.そのため帰還後に,筋組織と骨組織を元の状態に回復させるトレーニングが組まれるが,この宇宙飛行士の回復過程データが,筋力回復と慢性痛の治療に示唆を与えているのである.
がん手術などで長期入院し,臥位姿勢を続けた患者は筋組織や骨組織が萎縮する.これは臥位姿勢により受ける重力の影響が小さいことも一因である.地球上の生物は,重力の影響下で骨格筋組織や骨組織を発達させ,重力に抗して筋量と骨量を維持しているが,長期にわたって臥位姿勢を続け,身体の動きが皆無に近い状態にあると,耳石が検知する重力は微小になる.微小重力下では,筋タンパク質の分解量が合成量を上回るようになり,骨格筋肉量と骨量は低下する.
健康な壮年被験者を60日間にわたって,頭位をわずかに傾けた特殊ベッドで臥位姿勢に保った実験では,抗重力筋(多裂筋,大腰筋,胸棘筋,脊柱起立筋など)は著しく萎縮していたが,体幹屈曲筋(腰方形筋,腹直筋など)の萎縮の程度はさほど大きくはなかっだという9,10).抗重力筋と体幹屈曲筋の筋力バランスが崩れた状態にあっては,ヒトは慢性的に背腰部に痛みを訴える.
一般に慢性腰痛患者では,体幹筋力の低下と抗重力筋の萎縮が指摘されている.また,dysfunctional pain の状態にある患者では,うつ状態に陥っていることが多く,寝たきりか部屋に閉じこもりがちである.筋運動量の少ない日常が常態化して,微小重力に近い環境が続くと,姿勢保持筋の筋量は低下し,痛み刺激闇値は低下する.
このような慢性痛患者に対し,薬物療法認知行動療法と組み合わせて筋運動を促し,運動量を増加させるプログラムを組むと,痛みの軽減に効を奏する.もし本格的に筋力増強トレーニングやストレッチングを目指したい場合は,慢性腰痛や変形性膝関節症に対する療法が,図解入りで成書に記載されている14).
骨格筋を動かして痛みが少し軽減されれば,その分だけ体を動かすことが可能になる.骨格筋を動かすことは,後述するように,さまざまな生理活性物質を分泌させ,遺伝子発現を促して全身の慢性炎症を抑制し,筋萎縮を防ぐ作用に結びつく.また痛みが軽減されれば,抗うつ薬オピオイド,消炎鎮痛薬の服用量を減らすことが可能になる.
筋運動はこれまで,運動器機能を改善させるリハビリテーションと考えられてきた しかし,骨格筋を収縮させることが生命維持のうえで重要な意義を有することが最近明らかになり,従来とは違った意義が注目されている.
近年,社会の生活様式が急速に変化し,健常人であっても1日の大半を座位姿勢で過ごす“too much sitting”のライフスタイルに移行している17).腰背部筋の筋力低下や抗重力筋の萎縮が慢性痛を増加させ,慢性痛の危険因子となっていることを,最近の神経科学が指摘している.百薬の長ともいうべき筋運動の生理学的意義を,次項以降で紹介する.(中略)

3. 筋活動の生理的意義:PGC1-αの発現
骨格筋活動には「百薬の長」と言うべき生理的意義がある(図6-7).骨格筋が活動すると,複数の転写調節因子や共活性因子の活性化が起きて,その結果,慢性炎症は抑制される.その代表例が 転写調節因子 PPAR-γ(peroxisome proliferator-activated receptor-γ)と,その共活性因子 PGC1-αである3,8,11).
PGC1-αは,骨格筋を動かすと速やかに筋組織中に発現する.PGC1-αが発現するとエネルギーと ATP の不足が補われ,筋線経の萎縮を招く遺伝子の転写が抑制される.したがって日常的にこまめに身体を動かす生活をしていると,筋萎縮が防止され,高齢者のサルコペニアを抑制することができる12,19).
転写調節因子とは 遺伝子の塩基配列を変えることなく,特定の遺伝子の発現を活性化したり,あるいは不活性化し,遺伝子発現を後生的に修飾制御する因子のことである.PPAR-γはその1つで,筋関連遺伝子の発現を制御するほか.体熱産生プログラムやミトコンドリア機能をコントロールして,老化を防いでいる8).
PGC1-αにはさらに,ミトコンドリアの数を増加させ機能を向士させる作用2),活性酸素種(reactive oxygen species : ROS)による酸化ストレスを抑制して老化を防ぐ作用12,19),代謝や血管新生を盛んにする作用もある(図6-8).
PGC1-αはこのように,生体にとって重要な働きをすることが明らかになり,健康を向上させる重要な鍵を握る因子として注目されている.骨格筋を活動させることで,驚くべき効果が生まれる.われわれの体内には Super-healthy の秘薬が存在しているのである.

4. PGC1-αによる慢性炎症の抑制
PGC1-αは筋活動が始まると筋組織中に発現し,炎症性サイトカインの生成を抑制する.PGC1-αは慢性炎症と老化を防ぎ,健康と若さを保つうえで重要な役割を担っている.(中略)

生活作業のほとんどを電化製品や車に代行させている現代の生活は,筋活動が極度に少ない.全身に慢性炎症が増加し,2型糖尿病,変形性関節症,がん,アテローム動脈硬化症などが多発するのは,無理からぬことなのかもしれない.慢性炎症を起こす元凶を源まで辿って行くと,sedentary lifestyle(身体を動かさない生活様式)に至ってしまうのである3)(図6-9).
慢性炎症を基盤とする疾患は世界各国で増加している.アルツハイマー病,パーキンソン病,変形性関節症,2型糖尿病,各種のがんなどである.慢性炎症を完全に抑制する薬物がいまだ開発されていない現在,骨格筋を動かして PGC1-αを活性化することは,慢性炎症を抑制するうえで最も手短かで確実な方法といえよう.(中略)

100歳を超えて元気に生きる百寿者(centenarian)は,“super-old,Super-healthy”と呼ばれるが,全員に共通する特徴は ①体内に慢性炎症が少ないこと,②同世代の人に比してテロメアの短縮度が小さいこと,の2つである.
テロメアとは,染色体の DNA 分子の両端にあるキャップ様の構造で,染色体が外界や細胞内ストレスで損傷されるのを防ぐ装置である.テロメアは細胞が分裂するたびに短くなるので,ローソクが燃えて小さくなるように,歳をとれば誰でもテロメアが短くなる.しかし慢性炎症が起こると短縮は加速される.若くても,健康状態の悪化によってテロメアは非常に短くなる.テロメアには,慢性炎症と個人の生き方が集約されているのである.(中略)

7. 健康維持に適した筋運動は?
健康向上に好効果をもたらすのは,日常的に軽く骨格筋を動かすことであって,強い筋運動ではない.本章で言及した筋運動とは,スポーツジムで行うエクササイズを指しているのではなく,通勤時の歩行,駅の階段昇降,自転車での通学通勤,家事労働,買い物,農作業,荷物の運搬など,日常的に継続可能な有酸素運動である.
筋運動や有酸素運動というと,ランニング,水泳,スポーツジムでの筋肉トレーニングなど,特別なエクササイズを思い浮かべる方が多いが,日常的に身体を動かす習慣が必要なのである.額に汗がうっすら浮かぶ程度の,日常的な筋運動が慢性炎症の抑制と筋萎縮の防止に効果が大きい.家事労働でも庭仕事でも時間を区切って迅速に行えば 運動量が大となり十分に PGC1-αを発現させ得る.
酸素を多く取り入れながら行う有酸素運動は,乳酸が生じないので疲労が起こりにくく,長時間の筋運動が継続可能になる.これによって呼吸器や循環器が刺激され,エネルギー源として脂肪が代謝されて,身体の健康に有益な効果がもたらされる.またミトコンドリア数も増加するので,活性酸素を増加させることなく,エネルギーを得ることが可能になる.
米国では一般市民を対象に,慢性炎症を基盤とする疾患について大規模疫学調査が行われてきた.全身の慢性炎症レべルを高くし,さまざまな疾患を増加させている元凶を探って行ったところ,筋運動量の少ない Sedentary lifestyle(身体を動かさない不活発なライフスタイル)が元凶であると結論づけられだ3,7,8,11)(図6-9).(後略)

注:i) 引用中の「図6-7」、「図6-8」及び「図6-9」の引用は省略します。 ii) 引用中の文献番号「1」は次のガイドラインです。 「Chapter 4. European guidelines for the management of chronic nonspecific low back pain.」 iii) 引用中の文献番号「2)」は次の論文です。 「PGC1α and mitochondrial metabolism--emerging concepts and relevance in ageing and neurodegenerative disorders.」 iv) 引用中の文献番号「3)」は次の論文です。 「Fundamental questions about genes, inactivity, and chronic diseases.」 v) 引用中の文献番号「4)」は次の論文です。 「Quality of low back pain guidelines improved.」 vi) 引用中の文献番号「7)」は次の論文です。 「Exercise and inflammation.」 vii) 引用中の文献番号「8」は次の論文です。 「The role of exercise and PGC1alpha in inflammation and chronic disease.」 viii) 引用中の文献番号「9」は次の論文です。 「The effects of rehabilitation on the muscles of the trunk following prolonged bed rest.」 ix) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「Changes in multifidus and abdominal muscle size in response to microgravity: possible implications for low back pain research.」 x) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Inflammation and metabolic disorders.」 xi) 引用中の文献番号「12)」は次の論文です。 「Modulation of skeletal muscle antioxidant defense by exercise: Role of redox signaling.」 xii) 引用中の文献番号「13)」は次の論文です。 「Improvements in impaired GABA and GAD65/67 production in the spinal dorsal horn contribute to exercise-induced hypoalgesia in a mouse model of neuropathic pain.」 xiv) 引用中の文献番号「14)」は次の本です。 「菊池臣一(監修),紺野愼一(編集):腰痛診療ガイド.東京,日本医事新報社,2012」 xv) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Mechanisms of exercise-induced hypoalgesia.」 xvi) 引用中の文献番号「17)」は次の論文です。 「Too much sitting: the population health science of sedentary behavior.」 xvii) 引用中の文献番号「19)」は次の論文です。 「PGC-1alpha protects skeletal muscle from atrophy by suppressing FoxO3 action and atrophy-specific gene transcription.」 xviii) 引用中の「ミトコンドリア」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ミトコンドリア」 xix) 引用中の「内因性カンナビノイド」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ミトコンドリア」の「カンナビノイドの分類」項 xx) 引用中の「オピオイド」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「オピオイド - 日本ペインクリニック学会」 xxi) 引用中の「GABA」については次のWEBページを参照して下さい。 「GABA - 脳科学辞典」 xxii) 引用中の「サイトカイン」については例えば次の資料を参照して下さい。 「サイトカイン研究でアレルギーと感染症に立ち向かう」の「サイトカインとは」項 xxiii) 引用中の「慢性炎症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「炎症について」 加えて、引用中の「慢性炎症を基盤とする疾患」に関連する「慢性炎症と加齢関連疾患」については次の資料を参照して下さい。 「慢性炎症と加齢関連疾患」 xxiv) 引用中の「認知行動療法」についてはここにおける引用部の「1. 認知行動療法(CBT)」項を参照して下さい。

(d) 最後に慢性痛の転帰に関連するかもしれない、人は希望によって生きるについて、半場道子著の本、「慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略」(2018年発行)の 終章 の「3. 人は希望によって生きる」における記述の一部(P182~P184)を次に引用します。

3. 人は希望によって生きる
誰の人生にも,災禍に見舞われたり重篤な病気に罹ったり,不幸やひどい出来事はやって来る.しかし災禍や不運にへこたれず,どん底から這い上がって人生を何倍にも大きく築き直す人,痛みを経験しながらも以前に増した創造力を発揮し,優れた作品を生む人がいる.その一方で 絶望の淵に沈んだままの人,負情動の牢獄に閉じ籠もって難治性疼痛から回復できない人がいる.両者を分ける最初の差はほんの小さいところから生まれると,前項で述べた.
最近の心理学や精神医学の研究によっても,両者の最初の分かれ道は,ごく小さな些細なところにあると考えられている.両者の最初の分かれ道は,日常的に物事をどう捉えるか,本人の意識下/無意識下の脳活動の相違にあるようだ.何事かに遭遇した瞬間,何らかの小さな希望や期待を見出して解決方法を探ろうとするか,「事態は今後,きっと悪化する」「自分はいつも運が悪い,こんなことは苦手だ,いやだ」と感じるかは,わずかな違いのように思われる,しかし長期的にみると,無意識下の脳活動に大きな影響を与えている.
ヒトの意識下/無意識下の脳活動が,脳画像法の進歩によって多様な角度から把握されるようになったことは,実に大きな進歩である.「きっとよくなる」と希望的に考えるときの脳活動パターンは,物事を好転させる方向を探っており,「事態はもっと悪化する」「自分はいつも貧乏くじ」と,否定的に予測するときの脳活動パターンとは異なる.喜びや幸せを感じている脳回路網と,不安に怯え,過剰な負情動に駆られている脳回路網とでは,関与する神経核が異なるだけでなく,長期的には脳に構造的変化をも起こすからである.(中略)

フランクル著の「夜と霧」注3)には,ナチス強制収容所で「収容所労働者」に選別され,強制労働に従事した人々が描かれている.「ガス室送り」は免れたものの,大量殺戮された同胞の遺体運搬,焼却,清掃など 凄惨きわまる労働を担わされ,挙句の果てに自身もガス室送りになることを運命づけられた人々であった.第二次世界大戦がようやく終結したおかげで 死を免れて生還できた人たちがいた.精神科医フランクルもその1人であった
アウシュビッツ強制収容所が,近くのビルケナウ収容所と合わせて,ホロコーストの象徴として語られるようになったのは,全体では800万人とも言われる犠牲者数もさることながら,10万人以上の「収容所労働者」が強制収容所を生き延びて,戦後にその実態をつぶさに伝えたからである.
生還者に対しては,戦後に結成された調査団からさまざまな質問が行われた.「地獄の極致にあって,絶望のあまり高圧線に自ら触れて死を選んだ仲間も多かっだ中で 自身の心に何を言い聞かせて生き延びたか」という問いに対し,全員に共通した答えは,「理屈抜きの,ただひたむきな希望であった」という.個別的には回答は少し異なっていて,「妻に一目会いたかった」,「執筆中の本を仕上げたかった」など,さまざまな理由があったが,全員に共通した回答が「理屈抜きの希望」であったことは注目に値する.
希望し期待すること.それこそはわれわれの祖先のホモ・サピエンスが,6万年前にアフリカを出て,未知の大陸に踏み出した原動力であったと思われる.東アフリカから中東へ,オーストラリアへ,ユーラシア大陸の横断へ,ベーリング海峡を越えて北米へ,そしてついには南米の南端にまで辿りついた堅忍不抜さの源泉,それは希望であった.(後略)

注:i) 引用中の「注3」(P183)について次に引用(『 』内)します。 『原題は“Ein Psycholog Erlebt das Konzentrationslager”.作者の Victor E. Frankl(1905-1997)は,ウィーン在住の精神科医であったが,1941年チェコのテレジェンシュタット強制収容所に連行され.次いでポーランドアウシュビッツ強制収容所へ,さらにドイツのダッハウ強制収容所へ移送された.戦争終結によりそこで1945年に解放された.』 ii) 引用中の『何事かに遭遇した瞬間,何らかの小さな希望や期待を見出して解決方法を探ろうとするか,「事態は今後,きっと悪化する」「自分はいつも運が悪い,こんなことは苦手だ,いやだ」と感じるか』に関連するかも知れない、『認知行動療法は,慢性痛患者の負情動,ストレス,心理状態,破局的思考,認知過程に焦点を当てて,「心の持ち方」をポジティブな方向に変える手助けをする治療法である』ことについてはここにおける引用部の「1. 認知行動療法(CBT)」項を参照して下さい。 iii) 引用中の「希望や期待を見出して」に関連する『「期待感」は痛みを和らげる』ことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「「期待感」は痛みを和らげる -プラセボ効果の神経生物学的な基盤の解明-」 iv) 引用中の「誰の人生にも,災禍に見舞われたり重篤な病気に罹ったり,不幸やひどい出来事はやって来る.しかし災禍や不運にへこたれず,どん底から這い上がって人生を何倍にも大きく築き直す人,痛みを経験しながらも以前に増した創造力を発揮し,優れた作品を生む人がいる.その一方で 絶望の淵に沈んだままの人,負情動の牢獄に閉じ籠もって難治性疼痛から回復できない人がいる.両者を分ける最初の差はほんの小さいところから生まれると,前項で述べた.」に関連するかもしれない、 a)「快情動の脳回路網と負情動の脳回路網の2項対立が,どちらに傾くかによって,一方は健常に復して静穏な日常に戻り,他方は慢性痛に傾いたまま長い歳月を過ごすことになってしまう.」ことについてはここを参照して下さい。 b) 「プラセボ鎮痛(Placebo Hypoalgesia)及びノセボ痛覚過敏(Nocebo Hyperalgesia)」に関連する論文例はここを参照して下さい。加えて、論文「The Underestimated Significance of Conditioning in Placebo Hypoalgesia and Nocebo Hyperalgesia.[拙訳]プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏における条件付けの意義の過小評価」の要旨(注:全文はここを参照して下さい)については次に引用します。

Placebo and nocebo effects are intriguing phenomena in pain perception with important implications for clinical research and practice because they can alleviate or increase pain. According to current theoretical accounts, these effects can be shaped by verbal suggestions, social observational learning, and classical conditioning and are necessarily mediated by explicit expectation. In this review, we focus on the contribution of conditioning in the induction of placebo hypoalgesia and nocebo hyperalgesia and present accumulating evidence that conditioning independent from explicit expectation can cause these effects. Especially studies using subliminal stimulus presentation and implicit conditioning (i.e., without contingency awareness) that bypass the development of explicit expectation suggest that conditioning without explicit expectation can lead to placebo and nocebo effects in pain perception. Because only few studies have investigated clinical samples, the picture seems less clear when it comes to patient populations with chronic pain. However, conditioning appears to be a promising means to optimize treatment. In order to get a better insight into the mechanisms of placebo and nocebo effects in pain and the possible benefits of conditioning compared to explicit expectation, future studies should carefully distinguish both methods of induction.


[拙訳]
プラセボ及びノセボ効果は、痛みを緩和又は増大させることができるため、臨床の研究及び実践に重要な含意を伴う痛みの知覚における興味深い現象である。現在の理論的な説明によれば、これらの効果は、口頭での示唆、社会的観察学習、及び古典的条件付けによって形成することができ、そして必然的に明示的な予期によってメディエイトされる。本レビューでは、プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏の誘発における条件付けの寄与に焦点を当て、そして明示的な予期とは独立した条件付けがこれらの影響を引き起こし得る証拠の蓄積を提示する。特にサブリミナルな刺激の提示及び明示的な予期の発生を回避する暗示的条件付け(すなわち、偶発的な気づきがない)を用いる研究は、痛みの知覚におけるプラセボ及びノセボ効果をもたらし得る明示的な予期無しの条件付けを示唆する。臨床サンプルを調査した研究はごくわずかであるため、慢性的な痛みを伴う患者集団になると描写は明らかではないようである。しかしながら、条件付けは治療を最適化するための有望な手段であるように思える。痛みにおいてプラセボ及びノセボ効果のメカニズムのより良い洞察を得るために、将来の研究では誘発の両方法を注意深く区別するべきである。

注:i) 引用中の「誘発の両方法」とは、「明示的」及び「暗示的」な方法の両方を指すのでしょうか? ii) これに関連して、全文の「2. Development of Placebo and Nocebo Effects」において、痛みにおけるプラセボ効果及びノセボ効果には、次に引用する経験的なエビデンスがあるようです。

Placebo and nocebo effects can be induced by different means. Empirical evidence shows that verbal suggestion [10], classical conditioning [11–13], and observational learning [14, 15] can lead to placebo hypoalgesia and nocebo hyperalgesia.


[拙訳]
プラセボ効果及びノセボ効果は異なる手段によって誘導することができる。 実験的なエビデンスによれば、口頭での示唆[10]、古典的条件付け[11-13]、観察学習[14,15]は、プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏をもたらし得る。

注:i) 引用中の文献番号「10」は次の論文です。 「Conscious expectation and unconscious conditioning in analgesic, motor, and hormonal placebo/nocebo responses.」 ii) 引用中の文献番号「11-13」に相当する、文献番号「11」、「12」、「13」はそれぞれ次の論文です。 「Conditioned placebo responses.」、「Conditioned response models of placebo phenomena: further support.」、「The role of conditioning and verbal expectancy in the placebo response.」 iii) 引用中の文献番号「14」、「15」はそれぞれ次の論文です。 「Placebo analgesia induced by social observational learning.」、「Nocebo hyperalgesia induced by social observational learning.」 iv) 引用中の「古典的条件付け」に関連して、プラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏の条件付けの意義について、全文の「4. Evidence for the Significance of Classical Conditioning」における記述の一部を引用します。

Evidence of different research areas highlights the significance of conditioning of placebo hypoalgesia and nocebo hyperalgesia that is independent of explicit expectation. It has been shown that besides humans, animals, such as rodents, can develop conditioned placebo hypoalgesia and nocebo hyperalgesia [55–57].


[拙訳]
異なる研究分野のエビデンスは、明示的な予期とは無関係のプラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏の条件付けの意義を強調する。 ヒトのほかに、げっ歯類等の動物は、条件付けされたプラセボ鎮痛及びノセボ痛覚過敏を発生し得ることが示されている[55-57]。

注:i) 引用中の文献番号「55–57」に相当する、文献番号「55」、「56」、「57」はそれぞれ次の論文です。 「Placebo effect in the rat.」、「Conditioned drug effects to d-amphetamine- and morphine-induced motor acceleration in mice: experimental approach for placebo effect」、「Placebo-induced analgesia in an operant pain model in rats.」 ii) 拙訳中の「プラセボ」、「ノセボ」については共にここを参照して下さい。

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:注:伝統的に神経症と呼ばれていた疾患群において、心理・社会的要因は発症、症状、経過に与える影響はすべての精神疾患に対し相対的に顕著であるといえることについても含みます。ここを参照して下さい。

*2:注:最初に「プラセボ、ノセボ、条件反射(条件付け)」に関するエントリ、WEBページ・資料等を紹介しています。加えて、サイバー心気症(リンク集参照)等に関連した論文や「嗅覚嫌悪条件づけ」(リンク集参照)についてもここで紹介しています。

*3:注:「サイバー心気症」については≪余談7≫の脚注を参照して下さい

*4:他の拙エントリにおいてはここを参照して下さい

*5:馴化はある刺激を繰り返し与えているうちに、反応が徐々に見られなくなっていくことです。他の拙エントリにおいては、ここここここここ及びここを参照して下さい

*6:ちなみに、『「とらわれ」の病』については次のWEBページを参照して下さい。 『「とらわれ」の病

*7:ちなみに、OCD については、他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。一方、≪余談6≫の不潔恐怖・洗浄強迫も、OCD に関連しています。

*8:注:本エントリでは、条件付け及びトラウマを負ったことによるフラッシュバックを含む情動学習について記述するものの、用語「条件付け」が有名であり、引用の都合(例えばここ参照)もあるので、本エントリにおいては情動学習ではなく「条件付け」を使用します。加えて、この条件付けには「嗅覚嫌悪条件づけ」(リンク集参照)を含みます。

*9:ちなみに、化学物質過敏症又は本態性環境不耐症におけるトラウマへの言及についてはここを参照して下さい。

*10:「前書き」における最初の脚注参照

*11:一方、後者の中毒やアレルギーに対する予防法の例としては、回避(注:アレルギー〔ここ参照〕の場合は、アレルゲンからの回避)が挙げれると本エントリ作者は考えます。さらに、MCS又は化学物質過敏症の一般的な対処法とされるものとしては、例えば、超微量の原因化学物質とされるものからの回避及びこれの体外への排出が挙げれるかもしれません。ただし、これらは本エントリの範囲外です。一方、自閉スペクトラム症(他の拙エントリ参照)における嗅覚過敏(他の拙エントリの「※2 [ご参考1]」項参照)への対処法について、過去に本エントリ作者は調査したものの、有効な対処法を示した資料は未だ発見できていないので、これも他の感覚過敏を含めて本エントリの範囲外です。例えば、熊谷高幸著の本、「自閉症と感覚過敏 特有な世界はなぜ生まれ、どう支援すべきか?」(2017年発行)を読んでも、嗅覚過敏に関する記述は少なく、これに対する対処法を見つけることは、本エントリ作者にはできませんでした。加えて、治療という側面からすると ASD自閉スペクトラム症)の知覚過敏性は極めて難治性の問題に関連して、鈴木國文、内海健清水光恵編著の本、「発達障害の精神病理 I」(2018年発行)の 第6章 知覚過敏性を巡る諸問題 の「I.知覚過敏性の不思議」における記述の一部(P115)を次に引用します。 『知覚過敏性は不思議な現象である。知覚の異常による疾患特異性は,大方の ASD 用の尺度の特異度を上回る2)。しかし現在までのところ,その病理仮説はいろいろ提示されているが,解明までに至っていない。治療という側面からすると知覚過敏性は極めて難治性の問題であり,臨床医を悩ませてきた。』(注:i) この引用部の著者は杉山登志郎です。 ii) 引用中の文献番号「2)」の紹介は省略します。)

*12:臨床環境医の方々も、化学物質過敏症の診断のゴールド・スタンダードは負荷(誘発)試験と考えているようです。例えば、他の拙エントリのここここここ及びここを参照して下さい。

*13:「前書き」における最初の脚注参照

*14:DSM-5(米国精神医学会(APA)の精神疾患の診断分類、改訂第5版)による分類を想定しています。「不安症 - 脳科学辞典」を参照して下さい。ちなみに、不安症(不安障害)とうつにおける反すうと心配の役割についてはここを参照して下さい。

*15:ある刺激を繰り返し与えているうちに、反応が徐々に見られなくなっていくこと

*16:曝露反応妨害法については、例えば次のWEBページも参照して下さい。 「OCDの治療法」の「曝露反応妨害法の実際」項

*17:William J Rea 医師の流れを汲む臨床環境医の宮田医師のご発言だと仮定します

*18:ちなみに、このカテゴリーにおける分類については、例えばWEBページ「神経症性障害 - 脳科学辞典」の表1を参照して下さい。

*19:ちなみに、コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの、身の危険と関連した感情について、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅲ章 マインドフルネスと関連のある介入 の 2 コンパッション・フォーカスト・セラピー の 3 慈悲についての心理教育 の 3 感情制御の3つの円 の「脅威システム」における記述の一部(P126)を次に引用(『 』内)します。 『1つ目の円は,脅威システムと呼ばれ,我々を様々な危険から守るガードマンのような役割を持っている。そのため,身の危険と関連した不安・恐怖,怒り,嫌悪といった感情と関係しており,危険が降りかかる可能性を察知すると,即時的に感情的な反応を生じさせ,合理的な思考をすることは難しくなる。』(注:i) この引用部の著者は浅野憲一です。 ii) 引用中の「1つ目の円」は同ページの「図3 感情制御の3つの円」における1つの円のことで、この部分の引用は省略しますが、代わりに次の資料を参照して下さい。 「コンパッション・フォーカスト・セラピーを活かしたCBTの工夫」の「3つの円のモデル - 脅威システム」シート[P3])

*20:「前書き」における最初の脚注参照

*21:注:⑦で示す例は標記条件付けではなく、妄想性障害に関するものです

*22:しかしながら、上記このような患者の存在についての検討においては、他の拙エントリの※2の[ご参考2]及び[ご参考3]を参照すれば良いかもしれません。さらに、英語が堪能で興味とリソースがある方は、この[ご参考2]で紹介した論文を読めば良いかもしれません。さらに、以下に示す論文の要旨も読むと興味深いかもしれません。{1}「Brain responses to olfactory and trigeminal exposure in idiopathic environmental illness (IEI) attributed to smells -- an fMRI study.」(この論文の要旨は他の拙エントリのここを参照して下さい){2}Cortical activity during olfactory stimulation in multiple chemical sensitivity: a (18)F-FDG PET/CT study.」(ちなみに、次の pdfファイル[他の拙エントリのここ参照]の「6.臨床検査」において、この論文についての短い説明があります。この部分を次に引用します(『 』部)。『また、Chiaravalloti ら15)は、嗅覚刺激時の大脳皮質各部位におけるグルコース消費量が、いわゆる化学物質過敏症患者と健常者では異なったパターンを示すことを明らかにしている。』 、{3}「Involvement of Subcortical Brain Structures During Olfactory Stimulation in Multiple Chemical Sensitivity.」、{4}「Brain dysfunction in multiple chemical sensitivity.」、{5}「Odor processing in multiple chemical sensitivity.」、{6}「Odor annoyance of environmental chemicals: sensory and cognitive influences.」、{7}「Chemosensory perception, symptoms and autonomic responses during chemical exposure in multiple chemical sensitivity.」、{8}「The role of perceived pollution and health risk perception in annoyance and health symptoms: a population-based study of odorous air pollution.」、{9}Aversive learning increases sensory detection sensitivity.、{10}「Cognitive modulation of olfactory processing.」(注:{8}~{10}は化学物質過敏症関連では無いかもしれませんが、興味深い論文です)。ちなみに、MCS 関係ではありませんが、これに関連するかもしれない「ネガティブな情動刺激(他人の恐怖表情)に対する左扁桃体の活動が亢進」(注:扁桃体辺縁系の一部です)については、次のWEBページを参照して下さい。「睡眠不足で不安・抑うつが強まる神経基盤を解明」 さらに、[ご参考2]で紹介した最初の論文の「Introduction」において、PubMed では検索されない文献[18]を参照して、「In functional magnetic resonance imaging (fMRI) studies involving exposure to odorants, a strong signal-intensity reaction was seen in the limbic system of MCS patients[18].[拙訳]臭気物質曝露に関連した fMRI 研究では、MCS 患者の大脳辺縁系において強い信号強度の反応が見られた」との主旨の記述が有ります。一方、情動処理における前頭前皮質の役割を調査するためのツールとしての近赤外分光法(NIRS)に関する議論及びパニック症における情動の特徴については、項を、ストレスによる前頭前皮質及び大脳辺縁系への影響については、[ご参考3]をそれぞれ参照して下さい。加えて大脳辺縁系については、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項

*23:ちなみに、本エントリ内には条件付けに類似した用語「嗅覚嫌悪条件づけ」(リンク集参照)があります

*24:予期不安はパニック症を特徴づけるもので、例えば、他の拙エントリのここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」の「典型例」項 ちなみに、 a) 言葉の効果と不安との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 本エントリ作者が興味を持ったパニック症の予期不安に対する治療の報告例は、次の資料を参照して下さい。 「パニック障害に対するEMDRの効用と限界

*25:注:「嫌悪」は強迫性障害(OCD、強迫症)に関係するようです。上記強迫性障害に関係する感情である「増強した不安」や「恐怖」のみならず、「嫌悪」についても次の資料を参照して下さい。 「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCD の病像」項(P967) 加えて、強迫観念によって生じる嫌な感情については、ここを参照して下さい。さらに、強迫性障害強迫症)における曝露反応妨害法を中心とした認知行動療法(患者の方々のための資料)については、次を参照してください。 「強迫性障害(強迫症)の認知行動療法マニュアル」の「強迫性障害強迫症)の認知行動療法(患者さんための資料)」 ちなみに、 a) 強迫症は、DSM-5 より不安症(不安障害)のカテゴリーからは分離しました。一方、ICD-10 においては、強迫性障害強迫症)は不安障害と同じく、神経症性障害,ストレス関連障害及び身体表現性障害のカテゴリーに含まれています。加えて、強迫症において適切な治療を受けない場合に、人生の大半を強迫の餌食になることについてはここを参照して下さい。 b) 嫌悪に関連して、ジョン・カバットジン著、貝谷久宜監訳、鈴木孝信訳の本、「マインドフルネスのはじめ方 今この瞬間とあなたの人生を取り戻すために」(2017発行)の P122~P124 には、「嫌悪は欲の裏返し」について示されています。この中の記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『嫌悪は,物事はこうあったらいいのに,という望みの裏返しです。』

*26:さらに、この症状とされるものにはトラウマを負ったことによるフラッシュバック(他の拙エントリのリンク集参照)、解離性障害の症状(記憶の一部がごそっと欠けている等、例えば次のWEBページ「【3070】解離のような症状があるようですが、これが解離の症状なのか正常の範囲なのかわかりません - Dr 林のこころと脳の相談室[このサイトのホームページ]参照)も含まれていません

*27:強迫スペクトラム障害(ここ参照)又は不安症(他の拙エントリのリンク集[用語:不安障害(不安症)]参照)との合併を含みます

*28:ちなみに、化学物質過敏症における他の疾患との鑑別については、ここを参照して下さい。

*29:PubMed におけるURLは http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17620903

*30:不定愁訴の辞書的な意味については、例えば次のWEBページ参照して下さい。 「不定愁訴 - コトバンク」 加えて、不定愁訴と類似する又はほぼ一致する「医学的に説明できない症状」については、次のWEBページ参照して下さい。 『「医学的に説明できない症状」って?』、「不定愁訴を治療するには?

*31:WEBページ「心身症 - 脳科学辞典」における表1.の機能的疾患及び神経症性・一過性心身反応を参照して下さい

*32:精神疾患以外でも様々な身体疾患に見られます。例えば、ここや次のエントリを参照して下さい。 「自律神経失調症?〜その3〜

*33:加えて、他の拙エントリのリンク集[用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」]も参照して下さい。さらに、 (a) 強迫症についての YouTube があります。 (b) 上島国利監修、有薗正俊著の本、「よくわかる 強迫症」(2017年発行)の「主な症状 強迫観念にとらわれ、強迫行為を行う」における記述の一部(P14)を踏まえた強迫症の説明例を次に示します(【 】内)。【強迫症には強迫観念(Obsessive に相当)と強迫行為(Compulsive に相当)という2つの症状があります。多くの場合。強迫観念と強迫行為の両方があり、互いに影響し合っています。】 (c) OCD において、「強固な恐怖条件付けや消去不全などが,典型的 OCD 患者では観察される」ことについては、次の資料をそれぞれ参照して下さい。 「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――」の「1. OCD の病像」項(P968)、「強迫症の診断概念,そして中核病理に関するパラダイムシフト ―神経症,あるいは不安障害から強迫スペクトラムへ―」の【DSM-IV-TR に見る OCD の典型例と不安の病気としての限界】項 (d) 拙訳はありませんが、 1) OCD の「現象学、病態生理学、及び治療」におけるダイナミクスについてはWEBページ「The Dynamics of Obsessive-Compulsive disorder: A Heuristic Framework」を、2) OCD(臨床又は亜臨床)において自信の減少が見られるエビデンスについては論文(全文)「Abnormalities of confidence in psychiatry: an overview and future perspectives」を それぞれ参照して下さい。加えて、内受容感覚(Interoception、他の拙エントリのここを参照)は「OCD 研究の有望な目標である」(Interoception presents itself as a promising target for OCD research)ことについては論文(全文)「Interoception and Obsessive-Compulsive Disorder: A Review of Current Evidence and Future Directions」の「Conclusion」項を参照して下さい。 (e) 「OCD の研究領域で Thought-Action Fusion(TAF)という概念が出ていた」ことを説明する一連のツイートがあります。 (f) 強迫症への認知療法の発展形としての「推論準拠療法」(Inference-based therapy)についてのツイートがあります。加えて、YouTube強迫症を治す3つの鉄則[臨床]松永教授の認知行動療法に基づくノウハウ公開」もあります。

*34:その上に、同によるとERPを実行することは「バンジージャンプ」(なお、ツイート、WEBページ「まるで電車に乗る感覚…ベテランカウンセラーが富士急ハイランドの絶叫マシーンに10回以上乗った驚きの結果」や pdfファイル「学術通信 No.113」中の伊藤絵美著の文書「なぜ私はバンジージャンプを跳ぶのか」[P2~P4]も参照すると良いかも)又は「強迫プールに飛び込むこと」に喩えられています(前者は同の P104、P128、P133 を、後者は同の P127 をそれぞれ参照)。加えて、同 P79 には「こんな恐ろしい治療はないと思いました」との記述もあります。

*35:ちなみに、このエントリ中のリンク「日山 et al. 2011」がはずれています(2016年10月3日現在)。正しいリンク先はおそらくここでしょう。

*36:ちなみに、これに関連して次の資料があります。「がん化学療法における条件付け由来の副作用と学習性食物嫌悪に関する予備的研究

*37:スタチンのノセボ効果に関連する論文例はここを参照して下さい。加えてWEBページ「expert reaction to study looking at statins, placebo and side effects[拙訳]​スタチン、プラセボ、副作用を調べる研究に対する専門家の反応」(英語)もあります。

*38:ちなみに、この論文の要旨における最初の記述を次に引用します(『 』内)。『Intolerance of uncertainty (IU) is a characteristic predominantly associated with generalized anxiety disorder (GAD); however, emerging evidence indicates that IU may be a shared element of emotional disorders.』[拙訳]不確実性への不耐性 (IU) は、全般不安症 (GAD) [訳注:WEBページ「不安症 -脳科学辞典」の「不安症の下位診断名とその症状」項参照]に主に関連する特徴である。しかしながら、新たな証拠は、IU が情動障害の共有要素であるかもしれないことを示す。

*39:これらの資料に関係するかもしれない a) 論文の要旨は他の拙エントリのここを b) 資料は他の拙エントリのここ項とここを c) 味覚と嗅覚の連合学習における古典的条件づけを含む引用はここを それぞれ参照して下さい。ちなみに、がんの化学療法における条件付けについては、のリンク先を参照して下さい。

*40:心気症は、DSM-IV では「身体表現性障害」のカテゴリーに分類されているようです。詳細は次のWEBページを参照して下さい。 「身体表現性障害」 一方、心気症に相当する DSM-5 における最新名は「病気不安症」(Illness Anxiety Disorder)です。ここや次のWEBページを参照して下さい。 「身体症状症(旧:身体表現性障害)」 また、ICD-11 における心気症の扱いはここを参照して下さい。

*41:この脚注の次に紹介する本、「感じて、ゆるす仏教」の著者の一人である魚川祐司による「ガンバリズム」の定義について、同本の P132 における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『魚川 前章で言われていた order & control、「命令して、コントロールする」モードで行われるような仏道修行のあり方。つまり、目標に向かって意識的な努力を重ねていって、そのためだったら別にいくら苦労をしてもかまわないし、何だったら死んでもかまわないくらいの徹底的な修行をして、自信を追い込んでいく。その結果として、何か「悟り」なり究極的な境地なりがあるのならば、それを得るまで倦まず弛まず己を鍛えていきましょうというのがガンバリズムだと理解しています。』

自閉スペクトラム症における身体症状、その他

(1) 本エントリ内の自閉スペクトラム症ADHD関連以外の発達障害に関する病名のリンク*2
ソーシャルコミュニケ―ション障害又は社会的(語用論的)コミュニケーション症 *3[ちなみに、関連する「コミュニケーションの障害」*4ここここここここ
発達性協調運動障害(ここここ*5

(2) 杉山登志郎医師、本田秀夫医師、宮尾益知医師、内海健医師、ローナ・ウィング医師、米田衆介医師に関連した本エントリ内リンク*6
杉山登志郎医師*7ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
本田秀夫医師*8ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ *9
宮尾益知医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ *10、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
注:上記とは別である他の拙エントリ「ADHDについて、その他」におけるリンク集はここを参照して下さい。
内海健医師*11ここここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここここ、 ここ 及び ここ
ローナ・ウィング医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ
米田衆介医師: ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここ

(3) 「自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)」の方々の性格傾向としても示すことが可能かもしれない用語又は文章の本エントリ内リンク
臨機応変な対人関係が苦手、 自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先、 融通がきかない、 少しだけこだわりが強い、 個性的な性格傾向(注:以下に「臨機応変な動きが苦手」があります)

(4) その他用語、文章の本エントリ内リンク

注:「コミュニケーションの障害」はリンク集(1)を参照して下さい。ちなみに、新卒採用の選考にあたって特に重視した点としての「コミュニケーション能力」については例えば次の資料を参照して下さい。 「2018 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果」の「(4) 選考にあたって特に重視した点」項(P2)

ウィングの「三つ組み」仮説(ここここここ 及び ここ)、 交渉ごとが苦手、 筋肉の緊張が取れにくい、 疲れを感じられない
セネストパチー(ここ 及び ここ)、 体内感覚、 心気症、 圧覚
運動制御関連特性群、 不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害、 姿勢、平衡機能の問題(ここ 及び ここ)、 バランス動作が苦手
心身症又は身体表現性障害、 二次障害としての「新型うつ」、 選択的注意、 積極奇異型、受身型、孤立型
誤学習(ここここ 及び ここ *12)、 森を見ずに木又は葉を見てしまう[木又は葉を見ただけで、森を見ずに安易な判断をしてしまう](ここ
[これに関連するかもしれない「経験が目の前にあることで飽和する」(ここ 及び ここ)、「並列処理(マルチタスク)の困難 」、「一事が万事」(ここここ)、「視点の切換えの困難」[続く]
[続き]「見通す力がない」、「揚げ足を取ってしまう*13、「シングルレイヤー思考特性」、「(想像力の障害としての)経験が目の前にあるもので飽和し余白がない」][続く]
[続き]「定点観測者」、「自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」、「全体と部分との関係を把握できない」、「(先を)見通す力がない」]
子どものときも困っていた、 クレーマーになる、 怒りをコントロールする、 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
情報処理過剰選択仮説(この一部の「ハイコントラスト知覚特性」、「シングルレイヤー思考特性」)、 彼を知り己を知れば百戦危うからず孫子の兵法より)*14、 自他未分
物事を何でも簡単に信じてしまう、だまされやすい *15、 ごまかしが下手で誠実、 臨機応変な動きが苦手、 仕事の優先順位がわかりにくい
予定の変更が苦手、 ライフスタイルの変更は苦手、 人に束縛されることを極度に嫌う、 仲間と群れない
興味の偏りが著しい、 細かなことに著しくこだわる、 冗談、からかい及び皮肉等が通じない、 微妙な空気を読むことが困難(ここここ 及び ここ
余計なことを言う、 暗黙や言外という概念の理解が困難 *16、 協調性に問題がある、 自分が他者からどのように思われるか気にしない
オープンクエスチョンには答えに窮する、 記憶が消えなくて苦しむ、 特性を活かす、 助けを求めるのが苦手
健康な生活、 規則正しい時間を作ったり守ったりすることは極めて苦手、 アサーティブに生きる、 ぼちぼち生きる
実際の経験によらなければ学べない、 状況の意味を読み取るためにたくさんの練習が必要、 共感とシステム化、 他者の感情よりも客観的な事実を重視
認知様式と社会的コミュニケーション *17、 認知様式はボトムアップ処理で全体へとまとまりあがらない、 理念形成の困難、 一からやり直し
一方的に話してしまう[これに関連して『「聞く-話す」のマルチタスクが苦手』]、 字義に拘泥、 話し出すと止まらない、 見知らぬ場所や新しい環境が苦手(ここここ
アレキシサイミア(失感情症)(ここここ)、 夫婦関係と発達障害、 常識にとらわれない発想を力に、 マインドブラインドネス
カサンドラ症候群のリンク先 及び ここ参照)、 ギフテッド、 アスペルガー障害であることがわからないまま大人になる
「ベイジアン脳」、ベイズ推論モデル、 計算論的精神医学、 「経験盲」、「事前知識によって知覚が変わる」、 Dr 林のこころと脳の相談室

注:ASDとADHDの両者に関係する他の拙エントリ「ADHDについて、その他」へのリンク集です。 ADHDとASDの併病割合、 ADHDとASDの区別

(5) その他用語、文章の本エントリ内リンク(解離を含む女性のアスペルガー症候群又はASD関連)
「ガールズトーク」についていけない、 (職場での)コミュニケーションが苦手、 アスペルガー症候群の女性像、 気温や天候によっても体調を崩す(ここここ
「月経前症候群」が起こりやすく、症状も重い *18、 難治性の心身症、 アレルギー、不耐症、過敏症 *19、 「抑うつ」と「不安」
体調不良、 「気づかれにくい」、「見つかりにくい」、 診断基準がそもそも男性向け? *20、 距離が近づくと豹変する
女性当事者の手記にはヒントが満載、 優秀な社会人類学者、 過剰適応、 解離型ASD
上記解離型ASD関連:離脱、融合(同化・同調)、拡散、 「原初的世界」、「感覚の洪水」、 「仮面とイマジナリーコンパニオン」、「居場所」
注:ASDの女性にとって「人にだまされ、性的な被害にあう」ことや「性搾取を受けるリスクが高い」ことについては共に上記ここを参照して下さい。

(6) ちなみに、Dr 林のこころと脳の相談室における項のリンク先に関連した文章を次に示します。
(a) 『「敵か味方か」等の極端な考え方をする』  (b) 『「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の理解が困難』

(7) 他の拙エントリおける発達障害に関するリンク(加えてここも参照して下さい)
時間単位の気分変動*21発達障害ADHD)、 ≪ご参考≫(注:発達障害関連は一部の項目のみ)、 第四の発達障害 *22、 発達障害と愛着障害との鑑別
情動調節(自閉スペクトラム症) *23、 対人操作性、 重ね着症候群、 ASDの長所
成人の自閉症スペクトラム障害患者のためのスキーマ療法

ご参考:上記以外にも他の拙エントリの「リンク集」にも、本エントリに関連した用語又は文章のリンクがあります。

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前書き

他の拙エントリの項目「≪補足説明2≫」に関連して、発達障害*24における身体化(somatization)及びその他の本エントリ作者の関心事に関して以下に記述します。ただし、 1) 第四の発達障害(又は発達性トラウマ症候群、発達性トラウマ障害)に関しては、他の拙エントリの項目「≪補足説明3≫」を参照して下さい。 2) 加えて第四の発達障害に関連する愛着障害発達障害との鑑別が困難であることについては他の拙エントリのここを参照して下さい。ちなみに、1) 本エントリはこの拙エントリ同様に、独断と偏見があるかもしれませんが、MCS(多種化学物質過敏状態)又は化学物質過敏症を考慮して作成しています*25。 2) 大人の発達障害に関する資料及びWEBページ例をそれぞれ次に紹介します。 「大人になった発達障害」、「横浜市の疫学調査で把握された自閉スペクトラム症(ASD)の人たちを幼児期から成人期まで長期間追跡調査した結果が、英国専門誌に掲載されました。」、「発達障害とは―大人の発達障害、検査・診断はどのように行うのか」(注:連載における最初のWEBページです)、『大人の「自閉スペクトラム症(ASD)」とは?特性の理解が大切!』、「生きづらさの原因は自閉スペクトラム症?特性を理解し、健やかに生きる方法とは – 千葉大学 大島郁葉先生」 加えて、「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」 3) 一方、発達障害の分類については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」 加えて、自閉スペクトラム症ADHDの両者に関連する資料は次を参照して下さい。 「発達障害について:最近の話題」 なお、ASDとADHDの特性理解についての資料をそれぞれ次に紹介します。 「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」、「注意欠如・多動症(ADHD)特性の理解」 4) 加えて、発達障害に関するエントリを次に紹介します。 『「よく発達した発達障害」の話*26 5) 大人の発達障害の診断、アセスメントについては、次のエントリを参照して下さい。 「岩坂先生の講演を聴きました。」 6) 大人の ASD 者を含む発達障害者が社会適応を高めることについては、次の資料を参照して下さい。 「発達障害者が社会適応を高めるには」 7) 成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性については、次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」 8) 「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」については次の資料を参照して下さい。 「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」 9) 「自閉スペクトラム症の症例の長期追跡調査」については次の資料を参照して下さい。 「特定の出生コホートの発生率調査で把握した自閉スペクトラム症の症例の長期追跡調査」 10) 自閉スペクトラム症にも関連した患者のコミュニケーション能力と「ドクターショッピング」との関係については次の資料を参照して下さい。 「不定愁訴患者と当科考案の『不定愁訴スコア(SIC)』との関係 ~『ドクター・ショッピング』という視点からの検討~」 11) また、大人の発達障害をどう支援するのかの基本的な考え方については、例えば次の資料を参照して下さい。 「市民公開講座」の「2.大人の発達障害をどう支援するか」項 12) 「職場」等で使える、発達障がいのある人たちへの支援ポイントについての資料へのリンクは次のWEBページを参照して下さい。 『発達障がいのある人たちへの支援ポイント「虎の巻シリーズ」』 13) 大人の自閉スペクトラム症における早期不適応的スキーマについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 14) 大人の発達障害者の就労に必要なスキルについては、次のWEBページを参照して下さい。 「大人の発達障害の支援―就労支援機関、就労に必要なスキルについて」 なお、このWEBページに関連するかもしれない次の資料もあります。 「就職した自閉スペクトラム症者が困難に対処しながら働き続ける過程」 15) 成人 ASD 当事者の支援ニーズをいかに就労支援に反映させるかについては次の資料を参照して下さい。 「成人 ASD 当事者の支援ニーズをいかに就労支援に反映させるか ―成人 ASD 当事者を対象としたアンケート調査の結果から―」 16) 「自閉スペクトラム症のサブタイプとMRI解析」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症のサブタイプとMRI解析」 17) 発達障害の特徴を有する対人関係障害者へのリワーク支援についての資料は次を参照して下さい。 「発達障害の特徴を有する対人関係障害者へのリワーク支援の系統化」 加えて、発達障害のリワークについての紹介を含む本を次に示します。 『藤田潔、古川修、森脇正詞著の本、「オトナの発達障害大図解 ASDADHDの基礎知識から社会復帰の方法まで」(2017年発行)』 18) 拙訳はありませんが成人のアスペルガー症候群における「自殺願望」については次の論文(全文)を参照して下さい。 「Suicidal ideation and suicide plans or attempts in adults with Asperger's syndrome attending a specialist diagnostic clinic: a clinical cohort study

ちなみに、本エントリ作成のプロセスは他の拙エントリのここで示すものと似ている点があります。

≪診断名及び診断基準に関する用語について、その他≫
本エントリにしばしば登場する診断名に関する用語が複数あるのでこれらの関係例を次に示します。①アスペルガー症候群又はアスペルガー障害は、自閉スペクトラム症[又は自閉症スペクトラム障害](ASD、Autistic Spectrum Disorder)のアスペルガータイプに相当します。②広汎性発達障害(PDD、Pervasive Development Disorder)は自閉スペクトラム症の旧名です。③高機能自閉症アスペルガー症候群にほぼ相当します。一方、ADHDに対する漢字表記名については他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、本エントリにおける「regulation」の訳語としての「調節」に関連しては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

また、本エントリには診断基準「DSM:アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」に関連する記述があります。本エントリでは第4版(DSM-Ⅳ)と第5版(DSM-5)*27についての記述があります。

≪主な改訂の履歴≫
2020年1月7日:文章の削除をはじめとした、追記と変更を含む大幅な改訂を行いました(本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。
2020年2月2日、3月23日、6月17日、7月4日、6日、9月23日、10月8日、12月3日、26日、2021年1月28日、3月11日、19日、10月10日、11月20日、12月16日:文章の追記、変更や削除を含む改訂を行いました。

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身体症状

身体症状(心身症、身体表現性障害)についての説明例として、宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の【合併と鑑別――身体表現性障害】における記述の一部(P117~P119)を以下に引用します。加えて「心身症の状態と共存」について、古荘純一著の本、「発達障害とはなにか 誤解を解く」(2016年発行)の 第3章 支援者の誤解をとく の「7 心身症を抱えた人たちにどう対応するか?」における記述の一部(P105~P107)を以下に引用します。その上に、症例研究としての資料「心身症病態を呈した発達障害例の検討」や「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者における心身面の不調の現れ」についても記述する資料「成人期に自閉症スペクトラム障害の診断を受けた男性当事者が経験する困難と対処の過程」(特に「5.【心身面の不調の現れ】」項を参照)があり、さらに以下の「その他」(e)[1] における及び項にも女性のアスペルガー症候群における身体症状に関する引用もあります。(発達凸凹に続発する)これらの身体症状は、多分二次障害に含まれると本エントリ作者は考えます。ちなみに、 a) 上記(ASD の)「心身症」に関連する「心身医学における ASD の特性理解」を含む資料については次を参照して下さい。「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」の「心身医学における ASD の特性理解26)」項 加えて、上記(ASD の)「身体症状」に関連する、「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷」については次の資料を参照して下さい。「青年期発達障害における心身医学的症状の変遷について」 b) 上記「心身症」及び「身体表現性障害」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 加えて、心身相関等について紹介している、及び心因性、情緒的な対人関係の構築に苦慮や心身一元論等について紹介している次のWEBページもそれぞれあります。 「こころとからだ - 日本心身医学会」、「自分一人で悩まない - 日本心身医学会」、「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から

【合併と鑑別-身体表現性障害】
身体表現性障害の心気的な症状は非常に多いが、身体に関するこだわり方が違う

宮岡 次は身体表現性障害についてです。いわゆる心気的な症状としてはどんなものが多いですか。
内山 身体表現性障害の心気的な症状は非常に多いと思います。
宮岡 たくさんありますよね。そのなかで特に何が多いのでしょうか。
内山 子どもの場合では、頭痛や腹痛など不登校の子がよく口にするような普通の身体症状です。成人でも頭痛、腹痛は多いです。なかにはビツァール(奇妙)な感じがする人もいますね。特に所見がないのに、ずっと筋肉が痛いとか、肩が痛いとか、いわゆる不定愁訴です。
宮岡 「筋肉が柔らかくなったような気がする」という患者さんもいますよね。
内山 そうそう、あります。
宮岡 そうすると、簡単に「セネストパチー(体感症)」と診断してしまう人がいるんですよね。
内山 ああ、そうか。そうかもしれないですね。
宮岡 私は若いころからセネストパチーにはこだわっていて、「このレベルではセネストパチーと言ってはいけない」と、よく病棟で言っていました。セネストパチーは体感の幻覚であり、言葉で表現できない感覚です。ただ、セネストパチーとも普通の心気症状ともいえない症状があって、なんとなくすっきりしない気がしていたんです。でも発達障害との関係もありうるなと思って、いまうかがってみました。普通の中高年でみられる心気症には、食欲がないとか、消化器症状や動悸、疲れやすいなどがありますが、分布はそんなに変わらないのですか。
内山 あまり変わりがないと思いますね。頭痛がしたり、動悸がしたり、お腹がゴロゴロ。いろいろ症状を訴えるけど、話を変えれば案外、変えられるんですよね。
宮岡 こだわりが弱いということなのでしょうか。アスペルガーはこだわりが強いはずですよね。
内山 身体に関するこだわりはあんまりないみたいですよ。統合失調症の場合は、すごく執拗に訴える人がいますよね。ああいうタイプの人はアスペルガーにはあまりいない気がします。毎回、毎回、たとえば頭痛をいろいろ複雑な表現で訴えるので、薬は処方しますが、効かないです。「効かないね。やめておこうか」と言うと、「はい、やめておきます」です(笑)。
宮岡 「なんとかしてください」という強い要求はあまりないかもしれませんね。
内山 境界性パーソナリティ障害統合失調症でしつこく訴える人はたくさんいますが、アスペルガーではあまりいません。それほど経験が豊富ではないので、たまたま診たケースがそうだっただけかもしれないですけど、すごく強く訴える人は少ないですよ。
宮岡 それと、感覚過敏が重なっている場合がありますよね。
内山 そうですね、感覚過敏が重なっているので、「ああ、過敏だよね」という話をして、「ちょっと休んでみようか」「薬を変えようか」とか言うと、案外すぐ納得します。マイナー(抗不安薬)やリスパダール一ミリグラムを半錠、三日に一回使うとか、その程度でなんとかなる人も多いですね。(後略)

注:(i) 引用中の「リスパダール」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「リスパダール」 (ii) 引用中の「境界性パーソナリティ障害」、「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (iii) 引用中の「セネストパチー」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「感覚過敏」については、ここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、この「感覚過敏」と不定愁訴等の身体症状の関連について、本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第5章 自閉スペクトラムの人にみられやすい「二次障害」 の「★ 環境による精神的変調の鍵概念」における記述の一部及び「★ 身体症状」における記述(P68~P70)を以下に引用します。 (iv) ちなみに、 a) 心身症と感覚過敏に関連するアレキシサイミア(alexithymia、失感情症)についてはここを参照して下さい。 b) 加えて、トラウマを負った視点からの「身体症状」については、他の拙エントリのリンク集[用語:「身体化(身体症状)」]を参照して下さい。

★ 環境による精神的変調の鍵概念(中略)

自閉スペクトラムの人たちには「感覚過敏」や「興味」の対象が狭いという特徴があります。不適切な環境に長く生活し,ストレスが強まると,この「感覚過敏」や「興味」の対象の狭さがより際立ってきます。そして,それに伴ってさまざまな症状が出ることがあります。
「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなります。ちょっとした頭痛に興味が向いてしまうと,それが頭痛の主訴として現れてきますし,腹痛,ちょっとしたピリピリした感じなど,いわゆる不定愁訴のようなものがしばしば見られるようになります。(中略)

★ 身体症状
身体症状では,さまざまな不定愁訴が入れ替わり立ち替わり出現することがよく知られています。
これは,元来の感覚過敏に興味が焦点化されるということで説明できます。生活上のストレスやトラウマと連動して,こうした身体症状が出てきたり,消失したりすることになります。

注:引用中の『「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなる』に関連する「感覚過敏は,ストレスの強い環境下で身体症状として現れやすくなる」ことについて次の資料も参照すると良いかもしれません。 「自閉スペクトラム症の二次障害の成り立ちの理解

7 心身症を抱えた人たちにどう対応するか?
第5章では、発達障害にはさまざまな精神疾患の合併が多いことについてふれるが、実際に診察をして感じることは、当事者がいわゆる「心身症」の状態を呈していても、自身は、その事実に気づいていないかあまり気にしておらず、「心身症の状態と共存(ある当事者の言葉)」していると思えることである。すなわち、発達障害の人は日常的に心身の不調を抱えながら生活しているのである。支援にあたり、当事者が「心身症の状態と共存」していることに留意する必要がある。
心身症について日本心身医学会は、「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし神経症うつ病など、他の精神障害に伴う身体症状は除外する」と定義している。ここでは、心身症を「身体の(軽い)病気」「その発症や経過に心理・社会的因子が大きく影響している」という概念で、考えてみたい。
筆者は、発達障害の人が3-3図のように「心身症と共存状態」を呈しているととらえている。
発達障害の人は、脳機能の特性から「不快な身体刺激」を感じやすいため、対人的なストレスに加えて、不快な身体刺激や過剰に感じやすい刺激もストレスの原因となる。簡単に言えば、「よりストレスを感じやすい」ということである。通常は、合理的にストレスを処理して適応反応を示すことで、ストレスを解消しているが、発達障害の人は「ストレス耐性が弱い」と表現されることもある。その場合、影響の出方として身体反応、行動化、心理反応のルートがある。最も影響が少ないのが身体反応としての表現(頭痛、腹痛、疲労感など)であり、ストレスに関してうまく適応反応できていないものの、心身症の状態を呈しながらも、それと「共存する」ことで、日常生活が可能となっていると、筆者は考えている。(後略)

注:i) 引用中の「3-3図」の引用は省略しています。 ii) 引用中の「行動化」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「境界性パーソナリティ障害」 引用中の3-3図(図自体の引用省略)によると「行動化」は共存困難に分類されています。一方、「心理反応」は3-3図(図自体の引用省略)によると共存困難な精神症状につながるようです。

一方、ASDにおいて体内感覚が過敏だと、いわゆる心気症的な訴えをすることについて、宮岡等、内山登記夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(2018年発行)の 第4章 自閉症スペクトラムの話 の「【症状①】 大人になっても残る感覚過敏 空腹や口渇、尿意がわからないケースも」における記述の一部(P147~P149)を以下に引用します。ただし、脚注記号の引用は省略します。

(前略)内山 大人もたぶん全部の感覚過敏があると思いますが、あまり知られていないのが体内感覚ですよね。これは過敏と鈍感と両方あります。体内感覚が過敏だと、いわゆる心気症的な訴えをしたりします。反対に鈍感だと、空腹がわからないとか、口渇がわからないとか。ケースによっては尿意がわからなくて洩らしがちになってしまうとか。女性の場合生理がわからないというのもあります。
宮岡 セネステジー(体感)の異常で、健常な時には感じない身体の感覚を感じているセネストパチーや心気症という診断がつく方の中に、「この過敏さは何だ!?」と思う方がいますよね。
内山 僕は、いわゆる心気症的な人はたくさん診ています。昔、普通に心気症と言われていた人たちの中には、けっこうASD感覚過敏の人が入っていたんじゃないかと思います。
宮岡 神経症の中でも治りにくいとされる心気症ですから、そういう視点は重要かもしれませんね。
内山 頑固に執拗に訴えますよね。
宮岡 治そうと頑張ると薬が増えたりする。心気症は「治そう治そうと頑張らないで、うまく付き合っていくにはどうしたらいいか考えましょう」という提案も耳にしますが、ASDもそう強調できそうですね。(中略)

宮岡 先ほど話に出た心気症についても少し触れておきたいと思います。
内山 心気症は大人の精神科医には特に気をつけてはしいですね。ASDの人には「けっこういます」と言ってもいいかなと思います。
宮岡 身体の感覚の異常とみられる精神疾患にはセネストパチーと心気症があります。セネストパチーは身体の異常感を奇妙な表現で訴えることが多いし、心気症は特定の病気への罹患を恐れる疾病恐怖を伴うことが多い。
そういう中で複雑な異常感を訴えるが、疾病恐怖はほとんど認めない方がいて、精神医学ではどう分類されるのかと気になっていたのですが、あのような症状はASD的な視点でみるべきかもしれませんね。
内山 感覚の過敏という説明概念を入れると、ある程度了解できるんです。
宮岡 それを言い出すと、またASD概念が拡大解釈されても困るので、抑えながら言わないといけないんだけれど。
内山 確かにそうですね。

注:i) 同本の P147 にある、脚注としての引用中の「セネストパチー」についての説明を次に引用(『 』内)します。 『セネストパチー(cenesthopathy, cenesthesic schizophrenia) 身体のさまざまな部位の異常感を奇妙な表現で訴える症状を、症状名としてセネストパチーという用語で表現し、それが単一症状性に持続する症例には、疾患概念としてのセネストパチーという用語を当てることか多い。前者を体感異常、後者を体感症と訳すこともある。一方、統合失調症うつ病、脳器質性疾患などの一症状としてセネストパチー症状がみられることもある。』(注:引用中の「統合失調症」及び「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい) ii) 引用中のASDにおける「感覚過敏」については、ここここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「心気症」については、拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「神経症」については、森田療法の視点から次のWEBページを参照して下さい。 「神経症を治す~神経症(不安障害)の治療方法」 v) 引用中の「体内感覚が過敏」に関連するかもしれない、突発性環境不耐症における「内受容感覚の弁別」の問題については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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感覚過敏と鈍麻

標記については、例えば他の拙エントリの「(a)項」、「※2の[ご参考1]*28≪余談1≫及びWEBページ「発達障害 解明される未知の世界」、『「発達障害」の世界を映像化*29、そして「“感覚過敏を知ってほしい”16歳・加藤路瑛さんの挑戦」、資料「自閉スペクトラム症の感覚の特徴」、加えて「調査研究の動向」については note「自閉スペクトラム症の感覚過敏の調査研究の動向」を、(自閉スペクトラム症における)「感覚過敏の神経生理過程」については資料「感覚過敏の神経生理過程が明かす自閉スペクトラム症者の感覚経験」を それぞれ参照して下さい。一方、 1) 「感覚過敏」が際立ってくると,身体症状が現れやすくなることについてはここを、女性ASDにおける感覚過敏と体調不良との関係についてはここここを それぞれ参照して下さい。 2) 「感覚の予測に対しても,絶えず予測された感覚と経験される感覚の予測誤差が生じており,自閉スペクトラム症の者はストレスを感じている。このことは,自閉スペクトラム症の感覚過敏を説明する。」ことについてはここを参照して下さい。これら以外にも、 a) 自閉スペクトラム症における「選択的注意」を含む感覚異常全般について、小野和哉著の本、「最新図解 大人の発達障害サポートブック」(2017年発行)の 1章 社会の中で「生きにくさ」を感じている人たち の「複数の障害を併せもつことも」における記述の一部(P29)を以下に、 b) ASD における感覚過敏について、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆感覚過敏」における記述(P153~P154)を以下に それぞれ引用します。

(前略)感覚異常
私たちには目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器があり、そこで得られた知覚情報を脳などで認識しています。
また脳には、人間にとって大切な情報とそうでないものを選別する機能があります。たとえば、少し騒がしい場所にいても、雑音の中から自分が会話をしている相手の声を聞き分けられることができるのは、そうした選別機能があるからです。このような機能を「選択的注意」といいます。
しかし、発達障害のある人は、この機能がうまく働かないため、すべての音を同じように認識してしまいます。そのような「感覚のアンバランス」が、聴覚だけではなく、視覚、嗅覚、味覚、触覚などでも起こるのです。その結果、ふつうの人とは違った見え方、聞こえ方、感じ方をしてしまうと考えられています。

注:i) 聴覚における引用中の「選択的注意」に関連する「カクテルパーティー効果」については、次のWEBページを参照して下さい。 『脇本准教授、京都新聞連載心理学コラムの今回のテーマは「カクテルパーティー効果」』 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

◆感覚過敏
ASDの人には、感覚過敏の傾向もあります。これは診断基準上、「同一性へのこだわり」に含まれているものです。特定の感覚に敏感さがある、ということです。
例えば、視覚については、光への過敏さも見られますが、特定の色にこだわる、というケースもあります。
沖田×華さんは青い物が好きで、服も青ばかりだそうです。
感覚過敏の中で、いちばん多いのは、皮膚感覚です。下着のタグが肌に触れると苦痛なので絶対に切り取る、などです。
「生野菜は一切食べない」など、食べる物にも偏りが生じますが、これは味覚に関する感覚過敏が関連しています。
においへのこだわりもあります。私が診察している人は、化粧品やスプレーなど、あらゆる強いにおいが苦痛で電車にも乗れず、引きこもりが長く続いています。

一方、自閉スペクトラム症における感覚の特徴については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症における感覚の特徴」 加えて、 a) ASDの嗅覚過敏について、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 大人の発達障害 日常生活編」(2017年発行)の 第2章 日常生活で起きやすい代表的なトラブルと対応策 ASD編 の ASDの人が起こしやすい代表的なトラブル-③ 感覚過敏で周囲に合わせられない の「③臭いに敏感すぎる」における記述の一部(P41)を以下に引用します。 b) 加藤進昌著の本、「あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか もしかしてアスペルガー症候群!?」(2011年発行)の 第2章 アスペルガー症候群の特性を理解しよう の『「におい」が気になって仕事に身が入らない場合』における記述の一部(P109)を以下に引用します。さらに、アスペルガー症候群と診断された著者(綾屋紗月氏ここも参照)が感覚過敏と鈍麻をはじめとした個人的な体験を詳細に記述した本があります。この本から嗅覚過敏に関する記述の一部を抜き出して引用します。つまり、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照)の 2章 外界の声を聞く の 2「身体外部の刺激」が飽和する の「①嗅覚」における記述の一部(P59)を以下に引用します。

③臭いに敏感すぎる
臭覚の敏感さから他の人の体臭・口臭や香水・シャンプーなどを強い臭いと感じて苦痛な人もいます。さまざまな臭いがストレスとなって職場になじめなかったり家庭でも調理の臭いが気になってがまんできないという人もいます。他の人にはほとんど気にならない場合が多く、周囲に理解されず変人扱いされてしまうこともあります。

注:i) 引用中の「臭覚」は「嗅覚」の誤植であると本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「強い臭い」に関連する「特定の臭いが苦手」なことについて、女性の自閉スペクトラム症に対してかもしれませんが、本田秀夫、植田みおり著の本、「最新図解 女性の発達障害サポートブック」(2019年発行)の Part2 困りごとへの考え方と工夫例 の よくある!こんな困りごと 職場編 の「感覚過敏④ におい(嗅覚)」における記述の一部(P102)を次に引用(『 』内)します。 『特定のにおいが苦手で、芳香剤や柔軟剤のような、一般的に“よい香り”とされるにおいでも、不快に感じる場合があります。いろいろな物が混ざったにおいが苦手な場合もあります。』(注:引用中の「特定のにおいが苦手」に関連する「苦手なにおいが異なる」ことについて、同Partの 感覚のかたより の「感覚過敏③ におい(嗅覚)」における記述の一部(P123)を次に引用[【 】内]します。 【人によって苦手なにおいは異なります。たとえば、食べ物のにおい、人混みの独特のにおい、化粧品や香水のにおい、動物園や水族館のにおいなどを嫌う人もいます。】 加えて、上記「特定のにおいが苦手」に関連する「特定のにおいを持つものをきらうのが嗅覚過敏である」こと、そしてその例として「化粧をすること」や「洗剤を使うこと」が挙げられていることについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第三章 体調不良で倒れるまで頑張ってしまう理由 の「それでも頑張ってしまうASの女性たち」における記述の一部(P59)を二分割して次に引用[それぞれ《 》内]します。 《特定のにおいを持つものをきらうのが嗅覚過敏です。》、《また、化粧をしたり、化学物質由来の洗剤を使うことができない人も少なくなく、日常生活に支障をきたすことがあります。》) iii) 一方、「嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません。しかしながら、発達の凸凹を持っていることは確かです。」について、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の D:感覚過敏と感覚鈍麻 の「ちょっとした臭いでも気になる(嗅覚過敏)」における記述の一部(P166~P167)について次に引用します。

ちょっとした臭いでも気になる(嗅覚過敏)

26歳、女性、家事手伝い

自閉傾向が強い人である。少しの臭いでも感じ取り、しかも不快に思える臭いがほとんどである。外出して人に近づくと、色々な臭いを嗅ぎ取ることができるために、都会ではとても生きづらい。
母親の実家がかなりの田舎にあるのだが、そこでの自然な香りは嫌いではないと言う。

ちょっとした臭いでも気になるという特性も、ASDの特性のひとつです。嗅覚過敏を持つ人は少なくないように思います。もし味覚過敏も持ち合わせることができれば、シェフには最適かもしれません。臭いだけでもワインのソムリエに向いているかもしれません。医師のなかにも、嗅覚過敏や味覚過敏などを持ち合わせ、すごいグルメになっている人も身近に大勢います。
注意してほしいのですが、嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません。しかしながら、発達の凸凹を持っていることは確かです。その凸凹が小さく、上手く社会に適応できる点を多く持っていることで、全然問題なく人生を有意義に過ごしている人も少なくありません。(後略)

注:i) 引用中の「嗅覚過敏や味覚過敏などがあるからといって発達障害と診断することは到底できません」な一方で、「ASD児では感覚調節障害児と比べて嗅覚・味覚の問題が目立つ、ASD児では発達遅滞児と比べて嗅覚・味覚の問題が目立つ、ASD児ではADHD児と比べて口腔感覚の重症度が高い、との報告があり感覚の問題の中でも嗅覚の問題はASD児にとってより本質的である可能性がある」ことについては次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の嗅覚特性に着目する意義」の「ASD者の嗅覚特性(非生理的実験)」項 ii) 引用中の(特にASDにおける)「発達の凸凹」に類似する「発達凸凹」については次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ

「におい」が気になって仕事に身が入らない場合(中略)

人によって差はありますが、アスペルガー症候群の人の中には、嗅覚がとても敏感な人がいます。プールを消毒する塩素の臭い、香水のにおい、体臭や口臭、特定の料理のにおいなどで気分が悪くなることがあるようです。

①嗅覚(中略)

私は小さいときから「AさんとCさんは同じ匂い」「BさんとDさんとEさんは同じ匂い」と記憶のなかでグループ分けしていた。だれにも「うん、そうだよね」と言ってもらえないので、理由がわからなかったのだが、最近、それは服に残っている洗剤の香料の匂いだと判明した(服についたタバコの匂いでグルーピングすることもある)。(後略)

注:引用中の「香料」に関連する、ASDと香料の関係については、例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の嗅覚特性」の「Ⅰ.自閉スペクトラム症の嗅覚に着目する理由」項

以下のによると、綾屋紗月氏の感覚における特性として、『「大量の身体感覚を絞り込み、あるひとつの<身体の自己紹介>をまとめあげるまで」の作業が、人よりゆっくりである』(P23)とまとめているようです。ちなみに引用はしませんが、「あるひとつの<身体の自己紹介>」の例が「おなかがすいた」(P15)のようです。

加えて、次に紹介する本によると、綾屋紗月氏の感覚過敏には圧覚も含まれます。この圧覚についての記述の一部を抜き出して引用します。つまり、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行)の 2章 外界の声を聞く の 2「身体外部の刺激」が飽和する の「⑤圧覚」における記述の一部(P61)を次に引用します。

⑤圧覚
低気圧がくると体も頭も重くなり、思考力が落ちて、歩くのもやっとになる。乗り物酔いは当たり前。飛行機では特に乗っているあいだ中、細かく機内の気圧が変わるので体の調整が追いつかず、沖縄や北海道までの二時間の旅で、「もう許してください」と乞いたくなるぐらい完全に飛行機酔いでぐらぐらになってしまう。当然、海外への長旅に出かけようとは思えない。(後略)

さらに、この本には、綾屋紗月氏による「感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討」があります。これについて、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照)の 2章 外界の声を聞く の 「6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討」 における記述の一部(P73)を次に引用します。

6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討(中略)

私の感覚だと、「感覚鈍麻」といわれている状態は、細かくて大量である身体内外の感覚が、なかなか意味や行動としてまとめあがらない様子のことを指しているのだと思う。たとえば、私自身は身体の空腹感や体温変化をまとめあげるのに時間がかかる。ほかにも尿意がまとめあがりにくいため時間で決めてトイレにいく人や、新陳代謝の感覚に関してまとめあがりにくく不衛生になりがちな人、生理の感覚がまとめあがらず、人に指摘されて恥ずかしい思いをする人などの経験談を、自閉圏当事者の集まりで聞いたことがある。
このようなときには目に見える行動や表出がなく、一見ボーッとしているように見えるため、「感覚鈍麻」とみなされるのであろうが、むしろ1章でも述べたように、細かくて大量な、あちらこちらからの身体感覚にとらわれている可能性が高い。一方「感覚過敏」といわれている状態は、多くの人が潜在化しがちな身体内外からの感覚を絞り込めず、そのまま拾ってしまい、それらをパニックなどのかたちで表出してしまう様子を指しているのだろう。たとえばエアータオルの音に耳を塞いで逃げ出したり、街中のたくさんの看板に怯えたりすることなどが、これに当たると思われる。
とはいえ、感覚過敏と感覚鈍麻のあいだには、それほど本質的な違いはない。どちらも「身体内外から細かくて大量の情報を感受し、それを絞り込み、まとめあげることがゆっくりであるために生じている」という一言で説明がつくのである。(後略)

ちなみに、ASDのみならずADHDの方々にも症状として「感覚過敏を中心とする感覚の異常が挙げられる」ことに関する記述として、熊谷高幸著の本、「自閉症と感覚過敏 特有な世界はなぜ生まれ、どう支援すべきか?」(2017年発行)の 1章 長いあいだ見逃されてきた特性 の「○自閉症スペクトラムADHDとLDへのつながり」における記述の一部(P17)を次に引用します。

(前略)ADHDの人々の中には、実際、感覚過敏をもつ者が多い。また、自閉症ADHDの両方の診断を受ける者は多く、同じ家族の中に自閉症の人とADHDの人が含まれる場合もよくある(ケネディ 二〇〇四など)。(後略)

注:i) 引用中の「ケネディ 二〇〇四」は次の本です。 「ケネディ、ダイアン・M(田中康雄監修、海輪由香子訳)『ADHD自閉症の関連がわかる本』明石書店 二〇〇四」 ii) 引用中の「自閉症ADHDの両方の診断を受ける」に関連する「ADHDとASD(PDD)の併病割合」については、ここを参照して下さい。 iii) 上記記述の「LD」は学習障害(Learning Disorder 又は Learning Disability)のことです。 iv) 標記『ASDのみならずADHDの方々にも症状として「感覚過敏を中心とする感覚の異常が挙げられる」こと』については次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害の感覚過敏の原因は? 自閉スペクトラム症と注意欠如多動症で共通していた脳内結合の問題

パニックの謎

例として、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第六章 発達障害とトラウマ の「パニックの謎が解明」における記述の一部(P148~P149)を以下に引用します。

タイムスリップ現象によって、筆者は今まで不可解であった引き金刺激によるパニックという現象に関する謎が解けた。ある知的障害をともなった自閉症青年は扇風機が置いてある状態でパニックを起こした。彼は擦過音に対する著しい聴覚過敏症を抱えており、扇風機があるときに彼の嫌いな音を出したものと考えられた。その後、扇風機が置いてあるのを見るとそれによってタイムスリップが生じ、たとえその扇風機が不快音を出していなくとも、出しているのと同じ状況になるのである。
過敏性の問題は、最初は生理学的な異常である。ところがこのタイムスリップ現象が介在することによって変わる。つまり過敏性に絡む怖い体験に関連した記憶事象によって、過去の不快体験の記憶の鍵が開いてフラッシュバックが生じるのである。こうして知覚過敏症は、徐々に生理的な問題から、状況を引き金とした心理的な問題へ展開する。

注:i) 引用中の「タイムスリップ現象」、「フラッシュバック」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。ちなみに、タイムスリップ現象はフラッシュバックと類似した現象です(ここを参照)。加えて引用中の「タイムスリップ現象」についとのツイートがあります。 ii) また、引用中の「フラッシュバック」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害(10)気楽に過ごすのもノルマ」 iii) 引用中の「扇風機」に関連する「扇風機が立っているのを見るとパニックを生じるが、扇風機が寝ていればパニックは生じない」ことについて、鈴木國文、内海健清水光恵編の本、「発達障害の精神病理Ⅰ」(2018年発行)の 第Ⅱ部 の 第6章 知覚過敏性を巡る諸問題 の「Ⅱ.知覚過敏性の発達精神病理」における記述の一部(P121)を次に引用(『 』内)します。 『扇風機が立っているのを見るとパニックを生じる ASD 児がいた。詳しく彼の状況を確認すると,擦過音に対する嫌悪反応が著しいことが明らかになった。恐らくあるときに立った扇風機がこの嫌悪音を出したのであろう。その場面がタイムスリップの場面となり,彼は立った扇風機を見るだけでパニックになるのである。ちなみに彼は扇風機が寝ていればパニックは生じないのであった。このように,引き金となるものの認知のみによって,過去の別の不快体験が再現される。』(注:この引用部の著者は杉山登志郎です) iv) 上記引用の関連を含む「知覚過敏性を巡る問題」と引用中の「タイムスリップ現象」については共に次の資料を参照して下さい。 「自閉症の精神病理」の「4.知覚過敏性を巡る問題」項と「6.タイムスリップ現象」項 v) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

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認知の穴

「木を見て森を見ず」をはじめとした認知の穴に関連する複数の記述例を以下に紹介します。

まず、杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第四章 自閉症という文化 の『自閉症的認知と自閉症の「認知の穴」』項における記述の一部(P85~P87)を次に引用します。

筆者は最近、非高機能、高機能グループともに、広汎性発達障害の児童青年が示す問題行動の大部分は、非常に狭い視野で周囲の世界を眺め、判断し、行動するところから生じる、誤学習の結果ではないかと考えるようになった。筆者はこれを「自閉症の認知の穴」と呼んでいる。(中略)

世界を代表する高機能自閉症者にして動物学者、さらに牧場の設計者であるテンプル・グランディンは、わが国での講演で、次のようなエピソードを紹介していた。
彼女は犬がなぜ犬なのか、あるとき不思議に思ったという。犬といってもセントバーナード犬のように巨大な犬もいれば、チワワのような小型の犬もいる。毛の長いものも、毛の短いものも、ヘアレスドッグまでいる。さらにシェパードのように鼻の長いものもあればシーズーのように鼻の短いものもいる。なぜこれらが犬という共通の言葉で言われるのか。彼女のとった戦略はすべての犬の写真を丹念に見ることであった。その結果、グランディンは犬に共通項があることを見いだしたという。それは犬の鼻の穴の形であった。そこはすべての犬に共通していたのである!
このエピソードには自閉症者の認知の特徴がとてもよく現れている。大まかであいまいな認知がとても苦手で、細かなところに焦点が当たってしまい、われわれがついぞ見えないところに、深い認知が生まれるのである。

注:i) 引用中の「非常に狭い視野で周囲の世界を眺め」に関連する「目の前にあることで経験が飽和する」又は「俯瞰する機能がない」については、ここここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「大まかであいまいな認知がとても苦手で、細かなところに焦点が当たってしまい、われわれがついぞ見えないところに、深い認知が生まれるのである。」に関連する「広汎性発達障害の傾向を持つ人は、限られた情報をもとに、狭く深く考え抜く人が多い」ことについて、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第四章 こだわりとは何だろうか? の「◆広く浅くか、狭く深くか?」における記述の一部(P106)を次に引用(『 』内)します。 『広い領域で平均的な力を発揮する能力と、ある限定した領域で深く切り込んでいく能力とは異なるものである。広汎性発達障害の傾向を持つ人は、限られた情報をもとに、狭く深く考え抜く人が多い。現実から同時に複数の情報が入っている時には混乱するが、ごく狭いところでは微妙で繊細な差異を見分ける力を発揮するのである。目利きとして稀有な才能を生かしていることもある。又、創造的な活動へと発展していくこともある。』 iii) 加えて、「彼女は犬がなぜ犬なのか、あるとき不思議に思ったという」ことに関連するかもしれない「私は子どもの頃、大きさによってイヌとネコを分類していた。わが家の周辺にいたイヌは皆大きかっだ。ダックスフントを飼う家が現われるまでは。そのとき私は小さなイヌを見て、なぜそれがネコでないのかを一生懸命考えたのを覚えている」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) さらに、「非常に狭い視野で周囲の世界を眺め」に関連する「木を見て森を見ず」について、本の 第四章 自閉症という文化 の「自閉症の体験世界」項における記述の一部(P81)を次に引用します。

喩えれば、木を見て森を見ずということは、我々もしばしば体験することではあるが、自閉症の場合には、木を見ても、一枚一枚の葉が見えてしまう。あの葉は葉脈がきれいだ、あの葉は端っこが虫に食われている、あの葉は半分黄色くなっているなど、一枚一枚の葉が個別に識別されてしまうと、森どころか、木の全体像も見えているかどうか分からない状況となる。

注:i) 引用中の「木を見て森を見ず」に関連するかもしれない、脳の認知様式としてのトップダウン処理とボトムアップ処理についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「木を見て森を見ずということは、我々もしばしば体験することではあるが、自閉症の場合には、木を見ても、一枚一枚の葉が見えてしまう。」に関連する引用は、ここここ及びここを参照して下さい。加えて、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「文脈からのデカップリング*30の障害」(P163~P174)において、例えば『「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界』、『「一事が万事」』、「視点の切換えの困難」の各項目があります*31。これらの項目についてそれぞれ以下に引用します。先ず、『「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界』項における記述の一部(P163~P164)を次に引用します。

「木をみて森をみず」-虫瞰図的世界(中略)

Φにはもう一つ,文脈からデカップリングする機能がある.<いま-ここ>の状況から離脱して,俯瞰してみる機能である.潜望鏡,あるいは物見櫓のような役割を果たす.
前章で述べたように,この機能がないと,文脈がわからない.あるいは文脈のなかに迷い込んでしまうことになる.
定型者は,<いま-ここ>を相対化する視点をどこかにもっている.現場にかかずらっているときでも,一息つけば,全体の見取り図を描くことが可能である.没頭しているときにも,頭の片隅のどこかに鳥瞰図がある.
それに対して,ASD の世界は現前にはりついている.いま目の前にあることだけで,経験が飽和してしまう.鳥瞰図ならぬ「虫瞰図」(ニキ・リンコ9)とでも呼べるような世界である.高所からみる視点をもたず,つねに至近距離で人やものとかかわることになる.それゆえ近景しか目に入らない.
虫瞰図的な世界では,「木をみて森をみず」といった事態に陥りやすい.あるいは木を指しているのに,葉をみてしまう.さらには指に,爪のマニキュアに注意が行く.こうして部分にとらわれる.ドナ・ウィリアムズは,経済的に苦しいからということで,レポートに提出する紙を節約するために,使い古しのタイプ用紙に白い修正液を塗って,その上に手書きで書いて提出した.新しい紙を用意するより,修正液を使う方がはるかに高くつくことに気づかなかった.
ある学生は,憲法と語学と専門科目の三つの試験を翌日にひかえていたが,憲法の勉強をし始めると,それに夢中になり,書店で専門書を買い求めて徹夜で読みふけった.別の学生は,重要な課題提出の期日が迫っていたが,学園祭の模擬店に出品する工芸品の製作を始めたところ,材料を問屋街に出かけて買い求め,夜なべをして作り続けた.自分でもそんなことをしている場合ではないとわかっていながら,やめられず,到底売りさばくことのできない数の作品を出品することになった.

vignette
24歳女性.精神科クリニックで「境界例」と診断され,気分安定薬が処方された.ネットで調べたところ,肝障害という副作用が気になりだし,それ以後,毎日判で押したように,職員食堂でシジミのみそ汁を注文するようになった.だが,配膳ロで受け取ってテーブルまで運ぶ際に,こぼさないようにお椀の喫水線だけを見続けていたため,毎回のように,人やものにぶつかってこぼした.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「9」は次の本からの参照です。 「ニキ・リンコ,藤家寛子『自閉っ子,こういう風にできています!』花風社,2004, pp.65-66」 iii) 引用中の「Φ」は、「他者の志向性(みつめる,呼びかける,触れる)によって触発されたしるし(痕跡)」のことのようです。認知行動特性とかかわるΦの主な機能の一つとして、引用中の「文脈からデカップリングする」ことが挙げられています。また「Φ」は仮定です。ただし、「Φ」の詳細な説明は本エントリでは困難であり、同を読むことを推奨します。ちなみに、上記引用元の本に対するこの「Φ」を含む書評例については次のエントリ及び/又はWEBページを参照して下さい。 「<熊木による書籍紹介> 『自閉症スペクトラムの精神病理』内海健(医学書院)」、「自閉症スペクトラムの精神病理」の 書評 の「精神病理学的考察がもたらす臨床力」項 iv) 引用中の『「境界例」』及び一部が「境界例」と重なる「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリのリンク集(用語:「境界性パーソナリティ障害」)を参照して下さい。 v) 引用中の「俯瞰してみる機能」に関連して、俯瞰する機能がなければ困難である「マルチタスク」について、「並列処理が困難」項(ここ参照)における記述の一部(P165~P166)を以下に引用します。加えて、上記「並列処理が困難」に類似するかもしれないアスペルガー症候群の特徴としての「二つのことを同時にできません」について、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P42)を以下に引用します。 vi) その上に、標記「木をみて森をみず」の裏返しである「一事が万事」に関連して、『「一事が万事」』項(ここ参照)における記述(P170~P172)を以下に引用します。

並列処理の困難
俯瞰する機能がなければ,日常の実務において,さまざまな困難がもたらされる.そのうちの代表的なものが,情報の同時処理,言い換えるならマルチタスクが苦手であることである.もちろん多くの人にとって,マルチタスクはむずかしいものではあるが,全体を見渡すことができれば,なんとかこなせるものである.

vignette
22歳男性.学生生活で孤立感を深めていたが,あるとき,「人間になるための修業」と一念発起して,パン屋でアルバイトを始めた.
見習いが終わり,店長から,「パンを包むときほ,商品の名前を言いながら,お客さまの顔をみて,笑顔で会釈するように」と指示されてから,客の方をみることがうまくいかず.混乱し始めた.客がもってきたトレイにトングがなかったときには,素手でパンをつかみ,「バゲットは半分に切ってくれ」と客に言われたときには,バゲットの両端を素手でつかみ,膝を支点にして折ったりした.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「並列処理の困難」に関連する「二つのことが一度にできない」ことについて、杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の 大人の発達障害の特徴 の「1. 二つのことが一度にできない」における記述の一部(P227)を次に引用(『 』内)します。 『具体的には、電話を聞きながらメモが取れないとか、一つの仕事をしていると、それまでしていた仕事のことをすっかり忘れてしまうとか、仕事の最中に他の用事が入ることを嫌い、時には怒りだすとかいった状況である。』 iii) 標記「並列処理が困難」に関連する「並列的な処理」についてはここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

二つのことを同時にできません。社会生活を送るうえで、二つのことを同時進行させなければいけないことはよくあります。話を聞きながらメモをとる、電話をしながら書類を見るなどです。しかし、アスペルガー症候群の人は、「話を聞くこと」や「書くこと」を別々に集中しないとそれぞれができません。話をして同時にメモをとることには困難を感じています。その結果、会議や交渉のときには蚊帳の外にいるような気分になってしまいます。

「一事が万事」
「木をみて森をみず」の裏返しが「一事が万事」であり,木が森になる.ASD 者の経験は,目の前にあることで飽和する.それゆえ,些細と思われることでも,いったん引っかかると,すべてを放棄してしまうことにもつながる.

vignette
26歳男性.大学院生.前年,研究が初期段階でうまくいかず,学年が始まってまもない時期に,誰にも相談せず早々と留年を決めた.今年度も,ゼミでの最初の経過報告を前に,些細なことに引っかかって,再び留年しよう考えていた.
ところが同級生から,全然うまくいってなくとも,報告会に出続けることによって単位を取得できた先輩の話があり,「ともかく出ること」を勧められた.それ以降,その助言に従ってゼミの出席を続け,論文をなんとか仕上げて無事卒業した.

この青年の場合,「一事が万事」で,すぐにあきらめる傾向があったが,知人の助言に従う素直さをもち合わせていた.「ともかくも出ること」は,彼にとって「理念」として機能した.
「一事が万事」の認知スタイルにおいては,一つの間違いがすべてとなる.それがその人の経験を染め上げてしまい,ネガティブなことで,世界が飽和する.いいかえれば,絶望しやすいということである.すぐに留年のような重大事を決めてしまうように,思いつめると,突拍子もない解決を図ろうとすることもある.

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22歳女性.予想に反して,留学試験に不合格となった.そのあとから,後輩たちに馬鹿にされることで頭がいっぱいになり,死ぬしかないと思いつめた.インターネットで調べて,犬のリードを購入し,ドアノブに掛けて首を縊ったところ,にわかに意識が遠くなり始めた.「人はこんなに簡単に死ぬのだ」と驚き,あわててリードをはずした.もう一度試みたところ,同じように意識が遠くなり始め,死ぬことを断念した.そののち,別の大学の留学試験にあっさり合格して,そそくさと旅立っていった.

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24歳男性.大学院生.強迫性障害にて治療中.「煙草の副流煙で具合が恵くなった」などと,微細な体調の変化に対して因果関係を思いついては,それに執拗にこだわる.就職が決まっていなかったが,大学という環境が自分に悪いのだと主張し,就職のためには留年する方が有利であるという周囲の助言を聞き入れなかった.だがいったん卒業すると,今度は就職に不利になってしまったと,誰を責めるともなく訴えた.
彼は,中学生のおり,一人いた友人とちょっとしたことから仲違いしたあと,世界がおしまいになるとパニックになったことがある.その際,引っ越しをすると強硬に主張し両親を説き伏せたのだが,そのエピソードが自慢げに語られた.

こうした「一事が万事」は,自発的にせよ,偶然にせよ,場面が変わったら途端に解決することがある.解決というより,解消であり,問題自身がなくなる.
希死念慮まで口にして,もしかしたら最悪のこともありうるかもしれないと危惧を抱かせた患者が,その次の診察の際には,そんなこともありましたかというような風情でやってくる場合がある.ともすれば,操作性を感じてしまうが,ASD の場合には,そのつどそのつどがすべてであることを思い起こすべきである.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「一事が万事」に関連する「現実の小さな問題の行き詰まりが、一気に人生の行き詰まり、生きる・死ぬの問題になってしまう」ことについて、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 6 治療や援助において心がけていること の「(4) 小問題が大問題に、大問題を小問題に」における記述の一部(P180~P181)を次に引用(『 』内)します。 『男性には、毎回の診察の返答が、「順調です」と「死ぬしかありません」の二つしかない。(中略)100か0か、白か黒かで、中間やグレーゾーンがなく、一極からもう一極に180度反転するのである。(中略)現実の小さな問題の行き詰まりが、一気に人生の行き詰まり、生きる・死ぬの問題になってしまうのである。「こう考えてみたらどうか」という視点の切り替え、「まあ、いいか」といういい加減さや適当さ、そして何よりも、困ったときに人に相談するということが難しいことが多い。』(注:a) 引用中の「100か0か、白か黒か」に関連する「ハイコントラスト知覚特性」についてはリンク集を参照して下さい。 b) 引用中の「困ったときに人に相談するということが難しい」に関連する「助けを求めるのが苦手」については、リンク集を参照して下さい。) iii) 引用中の「目の前にあることで飽和する」に関連して、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「視点の切り替えの困難」における記述(P172)を次に引用します。上記関連は、これ以外にもここ及びここを参照して下さい。

視点の切り替えの困難
目の前のことで飽和してしまう認知スタイルにとって,視点を切り替えることはむずかしい.とりわけ状況が煮詰まってくると,にっちもさっちもいかなくなる.中根晃16は視点の転換の困難を ASD の重要な認知特性として挙げている.

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21歳女性.回収日の前夜にゴミを出している人がいることを知り,それをまねたところ,運悪く見咎められ,強い叱責を受けた.それ以来,自分のまわりのゴミになる可能性のあるものを溜めないようにと捨て始め,それがエスカレートして,ついには数足あったスニーカーが,1足しか残らないようなことにまでなった.それまで捨ててしまうと外出もできなくなる.それでも捨てるのを止められそうもないというところまできて,仕方なく一時的に実家に退避した.しばらくして戻ったときには,こだわりは消失して,捨てたものを思い返しては嘆息していた.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「16」は次に示す資料です。 「中根晃:児童精神病理学のアプローチ.児童青年精神医学とその近接領域36:121-129, 1995」 iii) 引用中の「視点の切り替えの困難」及び「目の前のことで飽和してしまう」ことに関連する「定点観測者」について、市橋秀夫監修の本、「大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処」(2018年発行)の 3 固執性――興味や行動が広がらない の「同一性保持の傾向③ 自分の見た景色でしか、ものが見えない」項における記述の一部(P60~P61)を次に引用します。

自分の視点から動けない
人の気持ちや状況がわからないのは、相手の立場に立つことが苦手だからです。心が移動できず、常にひとつの点からものごとを見ている「定点観測者」です。(中略)

本人も周囲も怒り人間関係に亀裂が
定点観測者は、自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいるので、それを破る人がいると混乱したり、許せなかったりします。周囲の人に突然怒りをぶつけることもあります。
本人は自分が周囲の人に不快な思いをさせていることはわからないのですが、自分が不快にさせられたことはわかります。そのため、「裏切られた」「理不尽だ」と怒っていたりします。
周囲の人にとっては、一方的に怒る人、がんこで話にならない、職場の上司からは扱いづらい人などと思われます。定点観測の特性は人間関係や仕事の面で、マイナスの影響が少なくありません。

全体と部分との関係を把握できない
地図の一点だけを見ていると、そこが海か陸かわからなくなってくることがあります。
定点観測者も対象だけをクローズアップして見てしまうので、その対象が全体のなかでどういう位置にいるかが、わかりづらくなります。(後略)

注:i) 引用中の「定点観測」の長所について、同項における記述の一部(P61)を次に引用(『 』内)します。 『定点観測するのは、いくつかの特性が複合的に関わっています。同じ場所から一点に集中して見ているので、部分と全体の関係をとらえることも、うまくできなくなります。ただ、同じ場所から同じものを見ているので、対象についてよく知るようになるという長所にもつながります。』 一方、引用はしませんが上記の「定点観測」に関連する「ひとつのことだけ徹底的に調べたり追求したりする」こと及び「興味や注意を向ける対象が限られ、それ以外のことには無頓着なので、知っていることと知らないことの差が大きい」ことについては共に、林寧哲、OMgray事務局監修の本、「大人の発達障害グレーゾーンの人たち」(2020年発行)の 1 発達障害のグレーゾーンとはなにか の 困難① 自閉的な人の困難は疎外感に苦しむこと の「自閉的な人の特性」項(P27)を参照して下さい。なお同項の監修者は林寧哲です。 ii) 引用中の「定点観測者は、自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」に関連するかもしれない「自他未分」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「自分の視点から動けない」や「相手の立場に立つことが苦手」に関連する「自分の視点から他の視点への切り替えが難しく、そこにとらわれてしまう」ことについて、岡田尊司著の本、「自閉スペクトラム症」(2020年発行)の 第八章 回復例が教えてくれること の「メンタライゼーション・トレーニング」項における記述の一部(P234~P235)を次に引用(【 】内)します。 【ASDの根本的な障害は、それが過敏さによるにしろ、あるいは心の理論の未発達や固執性によるにしろ、自分の視点から他の視点への切り替えが難しく、そこにとらわれてしまうということです。自分の視点への固執と視点の切り替えの困難が、実際に生じるトラブルや生きづらさの大きな原因となっています。本人も周囲も困ってしまうのは、まさにその点なのです。】 iv) 引用中の「定点観測者も対象だけをクローズアップして見てしまうので、その対象が全体のなかでどういう位置にいるかが、わかりづらくなります」に関連する「森を見ずに木又は葉を見てしまう」についてはリンク集を参照して下さい。 v) 引用中の「自分のルールや価値観、やり方が世界標準だと思いこんでいる」ことに関連するかもしれない「感情的現実主義に歯止めをかけないと、考え方が独善的で柔軟性のないものになる」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の『常にひとつの点からものごとを見ている「定点観測者」』に関連するかもしれない、「極端に好き嫌いが出ること」について、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の H:行動パターン の「好きなことに没頭できる」における記述の一部(P193)を次に引用します。

好きなことに没頭できる(中略)

好きなことに没頭できるという特性は、ASDの典型的な行動特性のひとつです。
この特性は、上手く作用すれば、将来が嘱望されるほどの研究者になることができるという可能性を秘めている反面、ひとつ間違うと、学校の勉強とは関係ない世界に入ってしまい、泥沼状態の不適応を起こす危険性も持っているので、生かすも殺すも両親のかじ取りひとつです。十分に留意する必要があります。このように、好きなことなら夢中になることができ、一生懸命に勉強するが、好きではないこと、興味や関心を持てないものにはまったく見向きもしないなど、極端に好き嫌いが出ることがしばしばあります。

加えて、本田秀夫著の本、『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(2013年発行)の 第2章 特性から理解する自閉症スペクトラム の「こだわりの心理的カニズム」における記述の一部(P50~P51)を次に引用します。

自閉症の心理学的研究で有名な、ロンドン大学のウタ・フリス(Uta Frith)という人は、自閉症のこだわりを説明する心理学的仮説として、「中枢性統合」という概念を提唱しています。これは、物事を構成する個々の部分よりも、まず全体像をざっと把握する機能という意味です。自閉症スペクトラムの人たちは、まず全体像を把握してから部分を見るのではなく、個々の部分しか見えず、それらの部分同士の関係や全体像が見えないのではないか、というのがフリスの仮説です。
細かい部分に過度に注目してしまうことが、生活の中ではこだわりとして表れると考えられます。たとえば、外出の際に、目的地に早くたどり着くことが最も重要なのに道順に強くこだわってしまうのは、早く着くという大局的な目的がよくわからずに、目先の道順に気持ちがとらわれてしまうから、ということです。

注:i) 引用中の「自閉症スペクトラムの人たちは、まず全体像を把握してから部分を見るのではなく、個々の部分しか見えず、それらの部分同士の関係や全体像が見えないのではないか」に関連するかもしれない「シングルレイヤー思考」については、ここを参照して下さい。 ii) 一方、引用中の「全体像が見えない」に関連する「全体を包括的に見ることが難しい」については、ここを参照して下さい。 iii) 加えて、引用中の「全体像が見えない」に関連する「見通す力がない」ことについて、谷原弘之著の本、「事例でわかる 発達障害と職場のトラブルへの対応」(2018年発行)の 第4章 相手の気持ちを読み取り、理解することの困難さ の『見通しをつけるのに役立つ「見通す力」』における記述の一部(P118) を次に引用します。

見通す力とは、先に起こりうることを「予見する力」になります。そのためには対象の全体を把握し、どこがどう関連しているか常に考える必要があります。
たとえば、職場の人間関係でいうと、○○さんと△△さんは仲が良い、××さんは課長の言うことは断れないなどの状況を見抜く能力です。
また仕事であれば、この企画書を3日で作成するためには、1日の仕事量をどの分量にすれば間に合うか、見当をつけることが必要です。その仕事内容をあらゆる方向から見て分析し、1日にこなさなければいけない正確な分量が予測できるようになると、仕事が遅れることはなくなっていくと思います。

見通す力がないと?
一般的に見通す力がないと、物事の全体像を把握しづらくなります。漠然と仕事を進め、仕事の難易度の評価も誤るため、簡単に処理できそうだと判断したにもかかわらず、実は難しくて自分の力量では期日までに完成できないということが発生します。(後略)

一方、「木を見て森を見ず」が「揚げ足取り」につながることについては、田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第3章 人の話がわからない、他人の思いが理解できない…… の『「議論好き」への対応』項における記述の一部(P123~P124)を次に引用します。

議論好きと見られがちなPDDタイプで、相手のささいな言い間違えにもすぐに反応する人もいます。状況的には「揚げ足取り」で、多くの人は「あ、言い間違えたな」と気づいても、相手の言わんとする意図のほうを理解しようとするので、そこはあえて反応しません。
ところが、PDDタイプは細かなことに関心が行ってしまい、「木を見て森を見ず」の傾向があります。これは、彼らなりの独特の正義感や価値観があるからで、正確にものごとを把握しないと、気持ちの収まりがつかないのです。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) 引用中の「揚げ足取り」に関連する「重箱の隅つつき」について、岡野憲一郎著の本、「自己愛的な人たち」(2017年発行)の 第11章 高知能な自己愛者 の「◇周囲がバカに見えてしまう」における記述の一部(P183~P184)を次に引用(『 』内)します。 『私は「高知能はその人を滅ぼしかねない」という説を持つ。それは彼らの知的なこだわりが、異常なまでの細部への執着、いわば「重箱の隅つつき」へ向かわせ、それにより彼らが物事の全体像を見落とす傾向があるからだ。もちろんそれは彼らの高い知能の「賢い」使い方ではない。』 iii) 引用中の「議論好きと見られがちな」や「揚げ足取り」に関連するかもしれない、「『正論』を言って打ち負かそうとしてしまう」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「論破したがる人」に共通する孤独感の正体』の「優秀なのにトラブルメーカーになってしまう人の特徴」項

なお、「木を見て森を見ず」に関連するかもしれないシングルレイヤー思考特性については、米田衆介の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「シングルレイヤー思考特性」項における記述(P71~P76)を次に引用します。

シングルレイヤー思考というのは、ふつうの人では多重的・並列的におこなわれる情報処理が、一度に一つの水準だけで処理される傾向です。
たとえば、ここに一冊の本があったとします。ふつうの人がこれを見たときには、どのような情報処理が頭のなかで起こっているのでしょうか?
本に固有の性質はいろいろあります。その本のタイトルと内容、色やかたち、匂いや手触り、推定される重量、著者はどんな人なのか、大体の値段、誰の持ち物なのか、その本がそこに置かれていることの文脈、その本を手に取ることで他者はどう思うか……。
これらの無数の情報を、健常者はバックグラウンドで暗黙に情報処理しています。これは「並列処理」という言い方もできます。ただし、たんに並列であるというだけでなく、バックグラウンドで自動的に処理される思考であるという点を強調して、ここでは「多層性を持った思考」と呼ぶことにします。
このような「多層性を持った思考」によって処理される情報には、物理的な特性の側面(色、かたち、手触り、匂い、重量など)だけでなく、文化的な価値(著者はどんな人なのか)や経済的な価値(大体の値段)、所有関係(誰の持ち物なのか)、社会的でシンボリックな作用(その本がそこに置かれていることの文脈、その本を手に取ることで他者はどう思うか)などの無数の側面が含まれます。
ところが仮に、このようなバックグラウンドでの情報処理がおこなわれず、本の物理的な特徴以外の部分が無視されてしまったとしたら、たいへん困ったことになるのです。
たとえば、図書館で本を読んでいるときに、本の大きさにだけ着目して、「この本は手頃な大きさで怪いから、向こうの机に放り投げることもできそうだ」と考えたとしても、実際に本を放り投げる健常者はほとんどいないでしょう。その本は自分の本ではないので、持ち主の怒りを買うのは間違いないと思われますし、そもそも本を投げて返すという行動自体が周囲の人に対して無礼だからです。
あるいは、手に取ったものがたいへんカラフルで美しい表紙の雑誌だったとしましょう。ところが、その雑誌がエロティックな内容のものだったとしたら、健常者は状況によっては手に取らないでしょう。あるいは少なくとも、女性の前でその雑誌を広げてみせることはないでしょう。この場合、健常者の意識下では、「この雑誌をこの場で手に取ったら、他の人を不快にするだろう」という暗黙の情報処理がおこなわれているのです。
たった一冊の本を前にしてさえ、このような複雑な情報処理がバックグラウンドでおこなわれています。しかし、シングルレイヤー思考では、一度に一つの水準だけで処理される傾向がありますから、様々な日常的判断が妨げられることになります。このため、先の例で言えば、アスベルガー者は悪気もなく実際に本を放り投げたり、エロティックな雑誌を女性の前で広げてしまったりするのです。
個々の事柄のあいだに優先順位を付けにくくなることも、シングルレイヤー思考のあらわれとして説明してもよいでしょう。優先順位の決定は、複数の属性の層(レイヤー)にわたって解決しなければならない問題です。
たとえば、健常者が職場でどの仕事から仕上げていくかを考えるときには、仕事の納期、仕事の難しさ、顧客との関係など、さまざまな要素を考慮に入れているはずです。その結果、「納期まで時間があるけど、顧客がうるさいからこの仕事を一番にやろう」とか、「単純な作業ですぐにできるから、締め切りが近いけど後にまわそう」という判断が生まれるわけです。
少し抽象的に表現すれば、ある事柄について一定の層で考えながら、同じことの他の側面を別の層でも同時に考え、しかもそれぞれの側面の持つ重要性を比較できることが、優先順位の判断ができるための要件です。逆にこれができないと、リアルタイムで事柄の重要性を判断することはできません。だから、このような並列的な処理を必要とするような判断は、シングルレイヤー思考の特性を持つアスベルガー者には、難しい作業ということになります。
さらに、シングルレイヤー思考にはもう一つ困ったことがあります。ふつうの人々が犯すエラーを犯さないことがある、ということです。「エラーが起きないならいいではないか」と思われるに違いありませんが、そうではありません。ふつうの人は、自然と重層的に思考するので、層と層の間、すなわち異なった思考の次元の問で混線が起きても、あまり自分では意識しないことがあります。これに対して、アスベルガー者の場合には、それぞれの次元で独立に問題を検討する傾向があります。
たとえば、ある特定の人物の行為について評価する場合を例に挙げて考えてみましょう。ある人が規則違反をしたときに、アスベルガー者の場合には、その行為そのものを取り上げて評価し、その人のそれ以外の属性には注意しない可能性が高くなります。
これは、規則という次元で考えたときには適切で正しい判断です。しかしふつうの人は、行為者が身内なのか他所者なのかというような、異なった次元の問題を容易に混線させてしまいます。そして身内の場合は見逃したり、それどころか規則を曲げてでも擁護するかもしれません。それに対して、他所者が同じことをした場合には、激しく攻撃するかもしれません。
このようなひいきが正しいかどうかはさておき、集団に対する帰属意識を持てる健常者にとっては、それが自然な判断なのです。ところが、シングルレイヤー思考のアスベルガー者には、このような「大人の論理」は理解できません。そしてその論理を否定した結果として、アスベルガー者が集団から排除される可能性が高くなるのです。

注:i) 引用中の「シングルレイヤー思考」特性は「情報処理過剰選択仮説」(引用を参照)の一要素です。 ii) 引用中の「並列的な処理」に関連する「並列処理の困難」については、ここを参照して下さい。 iii) 引用中の「個々の事柄のあいだに優先順位を付けにくくなる」に関連する引用はここを参照して下さい。 

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放置(未療育)

例として、杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第四章 自閉症という文化 の「自閉症への治療教育」における記述の一部(P94)及び内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 終章 臨床デバイス の「4.医療が害をなさないこと」における記述の一部(P263)をそれぞれ以下に引用します。

自閉症への治療教育(中略)

自閉症グループの発達障害は、社会的な行動を一つ一つ積み上げることが適応を向上させる唯一の道である。したがって、他の発達障害と同様、彼らへのもっとも誤った対応はといえば放置に他ならない。(後略)

4.医療が害をなさないこと(中略)

とりわけ ASD の場合には,定型者仕様になっている社会のシステムと齟齬を起こしやすいことに注意する必要がある.医療ももちろん定型者仕様になっている.
もう少し積極的にいうなら,彼らの発達を阻害しているものを見出し,取り除くことである.何かを加えるというより,引き算の発想のほうがうまくいくことが多い.ただし,それは何もしないということではない.放置は最悪ともいわれる1.たとえば社会的スキルを獲得することも,阻害要因を取り除くという引き算としての意味がある.

注:i) 引用中の文献番号「1」は、次の本からの参照です。 「杉山登志郎自閉症の精神病理と治療』(杉山登志郎著作集1)日本評論社,2011, p.211」 ii) 引用中の「定型者」は発達障害及び非定型発達者ではない(一般の人)という意味のようです。

一方療育の要点の例について、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 終章 療育、治療、予防について の「早期チェック」における記述の一部(P240)を次に引用(『 』内)します。 『療育の要点は、もともとの問題を軽減させることと、同時に二次障害を作らないことである。』(注:引用中の「二次障害」については、二次障害を参照して下さい) 加えて、「自閉スペクトラム症の早期支援が大切な理由」については次のWEBページを参照して下さい。 「第5回 自閉スペクトラム症の早期支援が大切な理由」 その上に、療育を踏まえた診断の目的について、青木省三著の本、「こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科診療の基本」(2017年発行)の 第13章 発達を視野に入れる の「成人の発達障害の診断」における記述の一部(P174)を次に引用します。

(前略)そもそも診断すべきなのか
診断はなんのためにするのか。診断は「これまでの生活のしづらさは自分が悪いためではなかった」など、本人が生きやすくなるための“気づき”を与えるためであり、それができなければ意味がない。診断はあくまで本人を応援するためのものでありたい。そのように考えると、診断を行うかどうかは、それが本人の生きづらさを軽減するかどうかによる。そして、発達障害あり・なしと二分するのではなく、「グレーゾーン」として支援していくことも考える。実際に診断をする場合は、診断名を伝えるだけではなく、本人の特性のもつプラス面とマイナス面を説明し、同時にプラス面を活かしマイナス面をカバーするという生き方を伝えることが大切になる。(後略)

さらに、(アスペルガー障害であることがわからなく)未療育のまま大人になったアスペルガー障害の患者の方はスムースな社会生活を期待できない例について、林公一著の本、「サイコバブル社会 膨張し融解する心の病」(2010年発行)の 第二章 アスペルガー障害 の「大人になったアスペルガー障害」項における記述の一部(P59~P64)を次に引用します。

大人になったアスペルガー障害

ケース7
私は四十代前半の男です。私の抱える問題は、人間関係の構築・維持が困難ないしはほぼ不可能というものです。
私に自覚はないのですが、幼少期から現在に至るまで「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」などと言われ続けてきました。
協調性については、幼稚園の頃から言われていたようです。「友達が外にいるときは一人で中で遊び、みんなが中に入るときには一人で外で遊んでいた」と、母から聞かされています。外ではいろいろな物を拾って集めていたらしいです。また小学校の頃から通知表には「協調性に問題がある」の旨が、毎年毎学期記入されていたと記憶しています。
私自身は、友達と楽しく遊びたいという気持ちは人一倍あったと思います。けれども、みんなで遊ぼうとするとき、なぜルールをはっきり決めずに遊びがスムースにできるのか、私にはまったくわかりませんでした。仲良く遊ぶために最初にルールを細かく決めようと提案してすごく嫌われた思い出もあります。
そんなこともあって私は、授業時間よりも休み時間のほうが嫌いでした。授業の内容はすいすいとわかりましたし、成績もとても良かったです。といっても、授業中も、先生からの注意を無視している、態度が悪いと怒られることもよくありました。私としてはそんなつもりはまったくなかったのですが、先生が自分を注意しているということに気づかなかったのです。誰に向かって言っているのだろうと思いながら聞いていたら、「○○、聞いてるのか!」と突然私の名前を呼ばれ、あまりの驚愕に泣いてしまったこともありました。
私としては、小学校以来ずっと、自分の協調性を修正する努力をしてきたつもりですが、考えて行動したことの多くは裏目になり、考えずに行動すれば相手の望む形から外れるということばかりを繰り返してきました。「書かれていない・言われていない内容を読み取る」という、聞くところによる『世間一般の常識』行為が、努力不足もあるのかもしれませんが、私にはどうやってもできません。そのような超能力まがいの行為が、本当に常識なのでしょうか?
この思考のずれからでしょうか、幼少期から現在に至るまで、親友と呼べる友好関係を築けたことはありません。兄弟は小中高時代からの友人らと未だ交流があるのに、私にはそういう友人は一人もいません。小中学校の頃は友人を作れないことで悩みもしましたが、大学(いわゆる一流大学です)に入ってからは特に対人関係への関心を求められないので、友人がいないことは気にせずにいました。そして第一希望の一部上場会社に入り、自分も親も安心していました。
けれども、職場ではうまくいきませんでした。対人関係の問題から、せっかくの一流会社を退職せざるを得なくなり、それからも何度か職場を変わっています。どれも二~三年で上司が私との付き合いに疲れ果て、退職勧告を出すという流れです。今の職場も三年目(ただし現在の上司との付き合いは一年)ですし、つい先日には「懲戒解雇だ」のメールを上司から送りつけられているので、遠からず退職勧告が出されるものと予想しています。
今の上司によると、私が上司をバカにしているとのことでした。表向きは神妙にしていても、腹の奥では舌を出していると考えているようです。
私にそのような他意はありませんし、そう器用に感情と顔を作ることは私にはできません。誤解を解こうと説明しても、言い訳や、その場で思いついた嘘としか思ってもらえず、そんなことを繰り返すうちに、また自分が悪く思われるのではないかという先取り不安が出てきて、人と接すると緊張してしまい思うように言葉が出てこなくなってしまっています。この職場も長くいられないなと考え、落ち込むばかりです。
職場を離れなくてはならないのは非常に残念ですし、私の年齢では再就職も非常に厳しいです。しかし、残るにせよ転職するにせよ、このままではいつもと同じ流れになるのは予想できます。
私の対人能力の低さは、やはり私の努力不足に起因しているのでしょうか。私は努力がまだまだ足りないのでしょうか。

この人は、「大人になったアスペルガー障害」である。
幼少時、友達とうまく遊べない。ひとり遊びを好んでいた。収集癖。どれもアスペルガー障害によく見られる特徴である。「先生が自分を注意しているのがわからなかった」というのは、アスペルガー障害の人が学校などでよく経験する問題である。社会性の障害とも言えるし、コミュニケーションの障害とも言える。本人はそんな気はないのだが、教師からみれば、態度の悪い生徒と映る。評価は悪くなる。長じて、上司との関係にも共通したものが見られている。指示を無視している。上司の目にはそう映るのであろう。
アスペルガー障害の人は、学校の成績はむしろ良いことが多い。一流の大学に進学できる学力を身につけることも稀ではない。なんだかんだ言っても現代の日本では学歴が重視されるから、社会性に多少の問題があっても、成績が良ければ大目に見られる。
この人も希望の会社に就職した。しかしそこでアスペルガー特有の社会性の障害が露呈し、退職に追い込まれた。再就職先でも、再々就職先でも、同じようなことが繰り返された。本人は一生懸命努力している。しかしそれは報われない。
それが職場であれ、どこであれ、人が複数集ればそこは社会である。そして社会には暗黙のルールがある。交わされる言葉には言外の意味がある。そうしたものを、人は、ごく自然なものとして身につけている。しかしアスペルガーの人にはこれができない。暗黙や言外という概念を、そもそも理解できないのである。だからこの人も言っている。「そのような超能力まがいの行為が、本当に常識なのでしょうか?」と。これではスムースな社会生活は到底期待できない。
すべてはアスペルガー障害が原因である。
いや違う。
アスペルガー障害であることがわからないまま、大人になってしまったことが原因である。
アスペルガー障害をはじめとする発達障害の特徴。それは先に挙げたウィングの三つ組、すなわち、社会性の障害・コミュニケーションの障害・想像力の障害である。さらに不注意や衝動性が加わることもあるのも先に述べた通りである。
アスペルガー障害であることがわからないまま大人になってしまうと、いや、より正確にいうと、アスペルガー障害としての適切な療育を受けないまま大人になってしまうと、さらに二次的障害が加わる。それは、自分には何の悪気もなく、懸命に生きているのにもかかわらず、人とはうまくいかず、低い評価を受け、さらにはのけ者にまでされる、そうしたことの結果としての抑うつ感、自信喪失、対人緊張などである。心身症のような形で体の症状が出ることもあるし、うつ病と間違えられることもある。この人にも症状が出ている。「人と接すると緊張してしまい思うように言葉が出てこなくなってしまっています。この職場も長くいられないなと考え、落ち込むばかりです」、アスペルガーの二次的障害である。幼少時に診断がつき、適切な療育が行なわれれば、ここまで悩むことはなかったであろう。より適切な生き方・適応の仕方をとることができたであろう。(中略)
ただし、決して手遅れではない。この人も、今からでもある程度の軌道修正は可能である。アスペルガー障害を知り、正しく理解すれば可能である。逆に、たとえば、うつ病と誤診されたりすると先は暗い。うつ病の治療をいくらしても、この人の職場適応が良くなるわけではない。
理解に手遅れということはまずないものである。(後略)

注:(i) 引用中の「ウィングの三つ組」についてはここ及びここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「退職勧告」に関連する「三〇回も仕事をクビになった」についての引用はここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「アスペルガー障害であることがわからないまま」に関連して、孫子の兵法的な視点からの記述例はここを参照して下さい。 (iv) ちなみに、a) 上司に恵まれているアスペルガー障害と考えられる労働者の例については項のリンク先を参照して下さい。加えて、職場におけるアスペルガー障害(又は自閉スペクトラム症)考えられる労働者の例については項のリンク先を参照して下さい。 b) 成人後にアスペルガー症候群の傾向ありと診断され、通院し、環境調整等が実施されて、状況が改善しつつある例を示すWEBページを次に紹介します。『「発達障害と向き合って」』 c) 一方、本引用はアスペルガー障害の見落としにより、ご本人が長期間困っている例ですが、境界性パーソナリティ障害において誤診・誤治療により、ご本人・ご家族が長期間困っている例については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 加えて、ADHDであることに気づかず何十年も苦しんだ例を、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第2章 上司の理解が期待される時代 の「小学校から中学、高校へ……、そして就職」における記述の一部(P60)を次に引用します。

(前略)注意欠陥多動性障害ADHD)であることに気づかず何十年も苦しんでいた人が医療機関を受診しても、具体的な症状を訴える際、「眠れない、仕事ができない、疲れてしまう」といった愁訴だけを話し、肝心の発達の問題に関する質問をお医者さんからされなかったために、結局、自分のつらさのなにを伝えたらよいかわからなかったという方もいるのです。(後略)

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有病率

鷲見聡著の本、「発達障害の謎を解く」(2015年発行)の [第1章] 疫学研究からみた発達障害 の 自閉症スペクトラムはどこまで増加するのか の「4.サポート体制を考える」における記述の一部(P33)を次に引用します。

「ASDの有病率が2パーセントに増加している」と筆者が初めて述べたのは、2005年秋の小児精神神経学会であった。それ以降、「100人に2人」に対応できる支援の充実が急務であると、機会があるごとにアピールしてきた。ところが今、その自説を撤回しなければならない事態に至っている。浜松の4パーセントという速報値の他に、横浜などでも4パーセントを超える値が見積もられている。それらは暫定的な報告であり、科学的な視点からはまだ結論に到達していない。しかし、発達支援の視点からは、子ども100人に4人以上のASD児がいると想定して、支援体制の構築に着手するべきである。長期的な疫学研究の結論を待ってから動くのでは、“時すでに遅し”になりかねない。
大人の集団におけるASDの頻度は、まだ具体的な調査結果が得られていない。100人に4人というASDの子どもたちの中には、成人に達する時までには社会適応ができる例が相当数いて、大人での頻度のほうが低いと考えたい。しかし逆に、子ども時代には困難さが顕在化せず、大人になってから初めて支援が必要になる場合もあるかもしれない。

注:i) ここで言及している有病率における一次情報は、次の二つです。 ①土屋賢治「自閉症スペクトラムの早期診断と出生コホート研究」『そだちの科学』18号、22-31頁、2012年 ②清水康夫「発達に問題のある学童についての精神医学的診断および特別支援教育に関する疫学研究:横浜市港北区における調査」『厚生労働科学研究費補助金 発達障害児とその家族に対する地域特性に応じた継続的な支援の実施と評価 平成25年度研究総括・分担研究報告書 研究代表者本田秀夫』2014年 ちなみに、有病率の単位はパーセントです。 ii) 次に示すように後者の報告書はネットにおいて入手可能なようです。WEBページ「発達障害児とその家族に対する地域特性に応じた継続的な支援の実施と評価」における次の pdfファイル a) 201317022A0001.pdf b) 201317022A0002.pdf iii) ちなみに、第四の発達障害に関連して虐待の相談件数に言及した引用を、十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」の「コラム4 虐待・トラウマとその影響」(P101)の一部から次に行います。

虐待の相談件数は我が国で急増しています。平成二年の一〇〇〇件余りと比べ、平成二四年には六万五〇〇〇件を上回り、虐待で命を落とす子供は一週間に一人と言われています。

注:なお、令和2年度における全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数(速報値)はその件数の推移と共に次の資料に示されています。 「令和2年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値)」の「児童相談所での児童虐待相談対応件数とその推移」シート(P1)

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その他

(a)ASDかどうかの判断

ASDかどうかの判断に向けた検討に関しては、先天性であるとされていること、以下に引用するウイングの「三つ組み」障害(認知の穴を含む)、感覚過敏と鈍麻及び不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害を含む協調運動の障害を目安にすると良いかもしれません*32。ただし、(c)項に示すような二次障害を続発すると、話が複雑化するかもしれません。

ちなみに、 i) 身体症状は、発達障害以外にも、例えば、様々な精神疾患*33においても見られるようなので、これの有無は発達障害の判断に向けた検討には適さない可能性が高いです。 ii) 女性のアスペルガー症候群については、(e)項を参照して下さい。

最初に米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の『ウイングの「三つ組み」仮説』項における記述の一部(P57~P58)を次に引用します。

ウイングの「三つ組み」仮説
従来、自閉症を理解するための枠組みとして有名なものに、前節のローナ・ウイングが提唱した「三つ組み」仮説があります。ウイングは、自閉症スペクトラムの症状を、次のように三つに分けて論じています。
①社会的相互交渉の障害
他者とうまく関われない。たとえば、そもそも他者との関係に興味がない、あるいは興味があっても奇妙であるなど。
②コミュニケーションの障害
会話や意思の伝達が苦手、あるいはできない。
③想像力の障害
直接目に見えること、具体的に明言されたこと以外に気がつかない。たとえば、“場の空気”や、“暗黙の前提”がわからない。

これは、たいへんわかりやすい、優れたまとめ方です。ただし、この分け方は症状を現象レベルで分類したものですから、その限りにおいて有効性が主張されているのであって、必ずしも本質的なものが提起されているわけではないのです。

さらに詳しい内容例として、a) 宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本」(2017年発行)の「基本的な特性-ASD=自閉症スペクトラム障害自閉症アスペルガー症候群)」における記述の一部(P10)以下に引用します。 b) 備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第2章 発達障害自閉症スペクトラム の『診断の基準は「三つ組みの障害」』項における記述の一部(P38~P41)を以下に引用します。ちなみに、『ウイングの「三つ組み」仮説』の引用の注意書きは、この引用の注意書きの一部に含まれます。加えて、この三つ組みの障害の全てに関連する、「交渉事が苦手」については、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P39~P40)を以下に引用します。

(前略)ASD=自閉症スペクトラム障害は、「社会的なやり取りの障害」「コミュニケーションの障害」「こだわり行動」という3つの特性(三つ組みの特性)を持っています。3つの特性があり知的な遅れや言葉の遅れのないASDは、アスペルガー症候群と呼ばれる場合があります。

ASDの基本的な3つの特性
1 人との関わり方が苦手(社会的なやり取りの障害)
・人と目を合わせない
・名前を呼ばれても反応しない
・相手や状況に合わせた行動が苦手
・自己主張が強く一方的な行動が目立つ

2 コミュニケーションの障害(コミュニケーションがうまくとれない)
・言葉のおくれ
・言われた言葉をそのまま繰り返す
・「いってらっしゃい」「ただいま」など方向性のある言葉をまちがう
・相手の表情から気持ちを読み取れない
・たとえ話を理解することが苦手

3 想像力が乏しい・こだわりがある(こだわり行動)
・言われたことを表面的に受け取りやすい
・自分だけのルールにこだわる
・決まった順序や道順にこだわる
・急に予定が変わるとパニックをおこす(後略)

注:i) 引用部の表示形式は、引用者により変更しています。

診断の基準は「三つ組みの障害」(中略)

私が実際に患者さんを診る場合、イギリスの精神科医ローナ・ウィングが提唱した「三つ組みの障害」、すなわち、「社会性の障害、コミュニケーションの質的な障害、想像力のズレによる常同反復・こだわり」の三つがあるのか、それがあって、しかもそれによって社会生活に支障が出ているのかということを確認します。
この「三つ組みの障害」について、もう少しわかりやすく説明すると、以下のようになります。

(1)社会性の障害
仕事やプライベートで周囲の人と波長を合わせて行動したり、ルールを守ったり、マナーやエチケットに配慮したりすることに困難さが見られます。たとえば、次のような生活上の支障が出てきます。
・身だしなみや服装で注意を受けることがある
・「空気が読めない」と言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける
・自分の所属する組織や地域の「暗黙の了解」や、冠婚葬祭のマナーなどがわからない
・雑談や飲み会のどこがおもしろいのかわからない。その場にいると苦痛や不安を感じてしまう
・一つの仕事に集中しているときはいいのだが、二つ、三つと仕事が重なると、どう段取りしていいのかわからなくなってしまう

(2)コミュニケーションの質的な障害
その場に応じた表情や態度、言葉を使って他者とかかわり合うことが苦手です。中にはそういう場に置かれると、不安や恐怖を感じる人もいます。
・話している相手と視線を合わせられない
・相手の表情で、その気持ちを推し量ることができない
・言葉を文字通りそのまま真に受けることが多く、「冗談が通じない」とか「遠まわしな言い方が理解できない」と指摘されたりする
・「あなたはどう思う」と聞かれると、わけがわからなくなって頭が真っ白になる
・本音と建前を使い分けられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い。頭に浮かんだことを口に出さずにいられないことがある

(3)想像力のズレによる常同反復・こだわり
ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった動き方をします。それが、周囲の人には不可解と映ったり、困った行動だという印象を与えます。また、特定のものへの強い興味や順番、位置へのこだわりがあります。たとえば、以下のようなことが見られます。
・物事や人には都合があって、突然、予定が変更になるということに納得できない
・通勤電車では、同じ車両の同じ場所に座れないと気持ちが悪い。そして、電車から降りるときは一番でないと気がすまない
・いったん好きなことをはじめると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる
・白紙の紙を渡されると、どこから文字をかいていいのかがわからない
・たとえやらないと自分にとって不利になることであっても、納得のいかないことはできない
・物事には決まったやり方あって、それを少しでもはずれると気に入らない

これが、ローナ・ウィングが提唱した「三つ組みの障害」と、診察の中で患者さんからよく聞く行動の特性です。発達障害の「主な三つの特徴」という意味で、「三主徴」と呼んでいます。
こうした三主徴があるからといっても、それだけですぐに発達障害という診断がくだるわけではありません。そうした行動特性があることで自分自身が非常に困っている人や、先述した医師のように、はからずも周りを振り回したり、場合によっては迷惑をかけているといった人が対象となります。

注:i) 一次情報における太字は本引用では反映されていません。 ii) 引用中の「先述した医師」に対する記述は同本の P23 にあります(引用はしません)。 iii) 引用中の「空気が読めない」に関連した「微妙な空気を読むことが困難」については、ここを参照して下さい。 iv) 引用中の「冗談が通じない」に関連した<「冗談やからかいが通じない」については、ここを参照して下さい。 v) 引用中の「二つ、三つと仕事が重なると、どう段取りしていいのかわからなくなってしまう」に関連した引用については、ここを参照して下さい。 vi) 引用中の『「暗黙の了解」(中略)がわからない』に関連した「暗黙や言外という概念の理解が困難」については、ここを参照して下さい。 vii) 引用中の『「あなたはどう思う」と聞かれると、わけがわからなくなって頭が真っ白になる』に関連した引用についてはここを参照して下さい。 viii) 引用中の「いったん好きなことをはじめると(中略)やめられなくなる」に関連する「話し出すと止まらない」については、岩波明著の本、「発達障害」(2017年発行)の 第3章 ASDとADHDの共通点と相違点 の「ASDとADHDの問題行動」における記述の一部(P91)を次に引用(『 』内)します。 『また、「話し出すと止まらない」「話がとぶ」ということも、しばしば経験する症状である。発達障害の当事者では、周囲にかまわず一方的に自分の考えを主張することや、興味のある分野の話ばかりする人をみかける。また、相手の会話に勝手に割り込むことも多い。私の受け持ちのあるASD患者は、80年代のアイドル歌手の大ファンで、水を向けると、桜田淳子菊池桃子の話を延々と続けるために、かなり閉口したものであった。』 ix) 引用中の「コミュニケーションの質的な障害」に関しては、リンク集(用語:「コミュニケーションの障害」)を参照して下さい。加えて、これに関連する女性のアスペルガー症候群における「ガールズトークができない」についてはここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

交渉ごとが苦手です。交渉ごとは、相手の気持ち、立場などを想像して行うわけですから、社会性の障害、コミュニケーション能力の障害、想像力の欠如などがスムーズな人間関係をつくりにくくしています。自分がイニシアティブをとって交渉することはできますが、交渉時に、相手とどこかで折り合いをつけることは難しいと思います。(後略)

さらに、社会性関連の1つ、コミュニケーション関連の3つ及び想像力関連の1つの引用を以下に紹介します。最初に、社会性に関連して内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の「6章 反転しない世界」における記述の一部を(P99~P103)次に引用します。この引用には、「一方通行路」項を含み、主に「対人相互性の障害」とされるものとしての「自他未分」という共通の精神病理に由来する反転機構の不在について説明しています。

自他未分のなかにある ASD 者は,人との間で生きるにあたって,さまざまな困難を抱えることになる.定型者からみれば,いわゆる「対人相互性の障害」とされるものである.
この現象はさまざまな形で,広範囲にわたってみられるものであり,これから3章にわたって述べていく.いずれも「自他未分」という共通の精神病理に由来するものが,①反転機構の不在,②地続き性,③被影響性という三つの局面に分けて論じる.ただし,この区分は厳密なものではなく,相互に関連している.あくまで便宜的なものである.

一方通行路
ASD の世界では,自己と他者が明確に区分けされていない.こちらからのかかわりは,届かない.あるいは素通りしてゆく.ぶつかって跳ね返ってくるような,あるいはお互いにあいうつような反応がない.他方,彼らからみた世界は,どこまで行っても他者に突き当たらない.そこには,他者からの反響がない.他者の視点を得ることによって,世界が陰影のある立体的な像を結ぶこともない.

それに,視覚イメージはわざわざ目まで迎えに行かなければならなかった.映像の方から,私をめがけて飛び込んでくることはなかった.さらに,私の視覚は,大切なものを自動的により分けてくれるということがなかった.何もかもが無差別に,鮮明かつ克明に見えていた1.

「みる」という志向性が成り立つためには,それがどこかに突き当たり,跳ね返ってこなければならない.それを受けとめ,それに応答するものが必要なのである.
かりに「みる」という志向性が立ち上がりかけたとしても,ASD の無分節の世界のなかで,それはどこにも突き当たることなく,そのまなざしの萌芽は,その行程の途中で,自らを見失ってしまうことになる.この構造は,他者にその淵源をもつ反転機構が備わっていないことによる.それはまさに世界に「奥行き」を与えるものでもある.
反転機構の不在は,ASD において,いたるところに見出される.一般に「対人相互性の障害」と呼ばれるものの基本型がここにある.

こうした反転機構の不在や対人相互性の障害を,ミラー・ニューロンの働きと結び付ける議論があるが,端的に誤りである.ミラー・ニューロンとは,自分が活動するときと,他の個体が活動するのをみているときの双方で,活動電位を発生させる神経細胞である2.それに該当するのは模倣であり,反転でも相互性でもない.

たとえば,「ここ」と「そこ」,「行く」と「来る」がうまく判別できないようなことが起こる.志向性のベクトルがどちらを向いているかわからない.というより,志向性そのものに気づきにくいからである.それ以前に,「自分」という基点がはっきりしていない.それゆえ反転もできない.
ある専門医は,立て込んでいる外来で,初診の来訪者を呼び入れたところ,入室するなり「お待たせしました」と言った事例を紹介している.このように「したこと」と「されたこと」の区別がつきにくい.というより,繰り返しになるが,志向性そのものに気づかないのである.
たとえば相手を傷つけても何の呵責を感じない場合もあれば,迫害されて傷つかないこともある.第2章(p.29)では,弟に暴力を振るい続けていたことが,就職してからようやく「虐待」だったことに気づいてパニックに陥った例を示した.当時の彼は,いじめているという意識がまったくなかったのである.逆に,多くの自伝のなかで語られているように,いじめを受けても,なかなか相手の悪意を感じられないこともある.「与える」と「もらう」がわからないこともある.「もらう」がわからかということは,負債がわからないということである.相手に負担をかけていることがわからない.臨床場面では,何の躊躇もなく便宜を求め,それに応じると際限がなくなるというようなことが起こりえる.

vignette
21歳男性.専門学校生.体感異常を主訴に受診.いたるところに強迫的なこだわりを示す.こだわることが非合理(ばかばかしい)であるとか非現実的(度が過ぎている)という認識はなく,執拗に訴え続ける.だが,介入を求めているわけでもなければ,こちらの助言を聞き入れることもない.
他方で微細な処方の調整や,細々とした便宜を求め,混み合っているときでも,それにかまわず話し続ける.診療予約の入っていない日にもしばしば受診して,やはり長々と話していく.治療者からみれば,あえて臨時の診察を要するような内容ではない.
交友に乏しいわけではないようだが,話を聞いているかざり,おしなべて,「人は利用するもの」,あるいは「情報を得るためのもの」という原則で貫かれている.女性に対しては,性関係以外には関心がない.実家に住む母親には,ことあることに電話で不満をぶちまけるが,母親はおろおろとしながら応対するばかりである.診療で要求が通らないと,母親を呼び寄せ,自分の代わりに治療者に懇願させる.さほど豊かでもない収入から仕送りを捻出している父が,「規則正しい生活をする」ように求めると,煙たがり,「父は金を出していることを盾にとって命令する」と治療者に訴え,「僕の治療にそんなことは必要ないと伝えてほしい」と要求する.
その後,本人としては不本意に思う企業ではあったが,就職を果たした.診療では,いかに仕事の内容や上司がくだらないかを滔々と語った.ただ,「対外的にイメージがよい会社なので 女をゲットするのには都合がよい」と臆面もなく述べ,さらに,「給料で物が自由に買えるのもメリットである」と言いながら,購入したブランド品を取り出した.いささか辟易とした治療者が「お母さんには何を買ってあげた?」と聞くと,「えっ?」と言うなりのけぞって,しばし絶句した.

定型者との間では自明のものである診療の枠組みが,ASD 者との間では共有されないことがある.定型者の場合,枠を侵犯しても,どこかでそれを自覚しており,そのことがこちらにも伝わってくる.だが彼のようなタイプの ASD 者の場合,普段のやり方がそのまま診療の場にもち込まれる.あまりにも平然としているので,手をこまねいているうちに,みるまに場が侵食されていく.
治療構造は患者のコントロール下におかれ,治療者は下僕のように,あるいは物のように扱われているような気持ちにさせられる.いや,物のように,であるとか、下僕のように,ではない.まさに物となり,下僕になる.実際にこうした関係になると,怖じ気がくるほどに,侵害された気持ちになる.
ただし,当の本人には,支配しているという意識はない.治療構造を侵食している自覚もなく,当然のことをしているまでである.あらたまって,彼に悪意があるのかと自問してみると,そうではないことに気づかされる.

たとえば上記の青年は,一方的で,治療者の指示や助言を受け付けない受療態度が続いたため,指摘したところ,にわかに泣き始めた.そして,自分は先生に診察で言われたことを,家に帰ったらすぐに書きとめ,ことあるごとに見返しているのだと,鞄からノートを取り出してみせた.(後略)

注:i) 引用中の強調は本エントリ作者により省略しています。 ii) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 iii) 引用中の文献番号「1」は次の本からの参照です。 「Gerland, G. : A Real Person : Life on the outside. Souvenir Press, London, 1997, p.65(ニキリンコ訳『ずっと「普通」になりたかった』花風社,2000,p.70)」 iv) 引用中の文献番号「2」は次の論文です。 「The mirror-neuron system.

加えて、コミュニケーション関連として金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第1章 自閉症は治るか――精神医学からのアプローチ(著者:棟居俊夫) の「落語と自閉症」における記述(P27~P32)から一部を次に3つ引用します。ただし、これら以外にも、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」からの引用が複数、そして福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」からの引用が1つあります。

(その1)

・字義に拘泥すると(中略)

言語の意味の字義拘泥は、自閉症が初めて学会に報告された時以来の、代表的な自閉的言語特徴だ。小学五年生の時にアスペルガー障害と診断された男子高校生と父親との、朝の洗面所での会話を例に挙げよう。この高校生は髪に寝癖がつきやすく、朝、鏡の前で髪をなんとか撫でつけようと苦戦中。それを見た父親が、整髪料スプレーを手にもって彼に話しかける。
父「手伸ばせ」
男子 両手で万歳する
父「こんなこともわからんのか?」
「手伸ばせ」は、手を伸ばしてスプレーに近づけ、父親が整髪用のムースを出すのを手のひらで受け止めなさい、という文字どおりでない意味を含んでいる。(後略)

注:引用中の「字義に拘泥」に関連する、 a) 「自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソード」についてはここを参照して下さい。 b) 「言葉を字義通りに受けとめる」ことについて、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 10章 ことばの発生 の「ASD は言葉を道具として用いている」における記述の一部(P179~P181)、及び同本の 1章 「心の理論」のどこがまちがっているのか? の『「心の理論」による代償』における記述の一部(P22~P23)をそれぞれ以下に引用します。前者より後者の方が会話の文脈がより複雑になっており、後者は直観の欠如を推論によって補うことの男女間での違いについても言及しています。 c) 加えて、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 情報のインプット 言葉通りに受けとってしまう。すべてを視覚的に理解する の『大きな原因は想像力の不足。とくに「言葉」が苦手』における記述の一部(P47)を以下に引用します。 d) さらに、「ASDの人は言葉の意味しか考えない」ことについて、福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」(2018年発行)の 第1章 発達障害について知ろう の 自閉症スペクトラム障害(ASD) の ASDの特性 の「①言葉の裏を読めない」における記述の一部(P45)を以下に引用します。

ASD は言葉を道具として用いている(中略)

「お塩とれる?」
「とれるよ」3

「お電話番号をうかがってもいいですか?」
「いいです」4

これは通常「字義通り性 literacy」と呼ばれる ASD に典型的にみられる言語性の病理である.「お塩とれる?」という問いかけは,あなたの手元付近にある塩の入った入れ物をとって,私に渡して下さい」という依頼である.「お電話番号をうかがってもいいですか?」とは,「あなたの電話番号を教えてください」という要望であり,状況によっては,相手が自分を受け容れてくれるかどうかをテスティングしている場合もあるだろう.(後略)

注:引用中の文献番号「3」、「4」はそれぞれ次の本からの参照です。 【Frith, U. : Autism Explaining the Enigma, 2nd edition, Blackwell, 2003, p.119(冨田真紀、清水康夫、鈴木玲子訳『自閉症の謎を解き明かす』東京書籍,2009, p.230)】、【Gerland, G. : A Real Person : Life on the outside. Souvenir Press, London, 1997, p.172(ニキ・リンコ訳『ずっと「普通」になりたかった』花風社,2000, p.186)】。

「心の理論」による代償(中略)

直観の欠如を推論によって補うことについては,男女の間で大きな違いがある.代償がより活発で,実効性をもつのは女性の方である.(中略)

男性 ASD の場合は,全般にこの代償に乏しい.それゆえ病理がそのまま露呈される.あるいは代償の仕方が不器用で,かえって病理が目立つこともある.
このように,代償機能については性差が著明に出る.とくに男性治療者が女性 ASD をみるときには,心の直観の欠如に気づかないことが多い.ただし,性差はあくまで程度の差である.

vignette
32歳女性.つきあっていた男性が,彼女に対して引き気味になっていることは,周囲の目にも明らかだったが,そのことに彼女は一向に気づかず,頻繁にメールを送り続けていた.返信がないことをなじると,男性は「ゴミ箱に入っていたみたい」と答えた.
彼女はにわかに激昂し,男性は震え上がったが,次の瞬間,彼女の口からついて出たのは,「どうしてすぐにサーバーやメールソフトの会社に連絡して修復しないの!」という非難だった.男性が「僕,PC に弱いから」と弁解すると,「それなら私がやってあげる」と申し出た.男性が謝絶すると,今後は自分の送るメールのタイトルの後に番号をふって,ロストしたらわかるようにすると提案した.

彼女が激昂したのは,男性が自分から引いていることを感じたからではない.そうした直観は働いていない.また,「ゴミ箱に入っていたみたい」という男性の応答の,言外に含まれている意味を感じ取ったわけでもない.言葉は字義通りに受けとめられている.そして,メールをロストしたままにしているという不合理をとがめだてているのである.その際,メールは彼女の送ったものだけが対象になっているわけではない.男性が受け取るもの全般を指している.こうした事態を放置しているのは,彼女の推論(=心の理論)ではありえない行動なのである.
ここで 女性は彼女なりの「心の理論」を投入している.メールがロストした人はどう振舞うのかという推論から,相手が非合理な行動をとっているという結論を導き出している.あるいはまだその手前にいるかもしれない.つまり自他の区別がまだついていない可能性はある.(後略)

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中及び標記「心の理論」は共に次のWEBページを参照して下さい。 「心の理論 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「直観」とは、直接に対象をとらえる認識能力であり、推論を介することのない、ダイレクトな認識のことのようです。 iv) 引用中の「自他未分」はリンク集を参照して下さい。

大きな原因は想像力の不足。とくに「言葉」が苦手(中略)

ところが、自閉症スペクトラム障害がある人では想像することが難しく、言葉の表面的な意味しか理解できません。文字通り受けとるため、慣用句や比喩、暗示、婉曲表現、反語などは苦手です。
このため「目がまわるほど忙しい」と言えば、本当に目がクルクルまわってしまったのかと心配し、悩んだりします。また、言葉を視覚的に捉えがちなので、「腹の虫がおさまらない」と聞くと、お腹に昆虫がいて騒いでいる姿を思い浮かべてしまうことも。(後略)

注:引用中の『「目がまわるほど忙しい」と言えば、本当に目がクルクルまわってしまったのかと心配』することに関連するかもしれない、 a) (ASDの患者としての)『「道草を食わないように」と言われて、「道に生えている草を食べたりしない」と言い返した』ことについて、岩波明著の本、「医者も親も気づかない女子の発達障害 ――家庭・職場でどう対応すれば良いか――」(2020年発行)の 3章 ADHDASD……女子はなぜ見逃されやすいのか? の ②ASDの「空気が読めない」、「強いこだわり」とは の「◆言葉の裏が読めない、相手の意図をくめない」における記述の一部(P154)を次に引用(【 】内)します。 【ある患者は中学生のとき、担任の先生から「道草を食わないように」と言われて、「道に生えている草を食べたりしない」と言い返したそうです。】 b) 『ふだん食事の支度をしている妻が「今日は具合が悪くて、ちょっと食事が作れないのよ」と言ったとき、「じゃあ待ってるよ」と答えた』ことについて、同「◇言葉の裏が読めない、相手の意図をくめない」における記述の一部(P154)を次に引用(【 】内)します。 【別のASDの男性は、ふだん食事の支度をしている妻が「今日は具合が悪くて、ちょっと食事が作れないのよ」と言ったとき、「じゃあ待ってるよ」と答えたのです。】(注:この引用の続きとなる記述の一部(P155)を次に引用(《 》内)します。 《妻のほうは「あなたが作るなり、総菜を買ってくるなり、外で済ませるなり、自分で考えてね」と言外に伝えたつもりでいますが、そうした言葉の裏に隠れたメッセージは、ASDの人には届きません。》)

①言葉の裏を読めない
ASDの特性として最たるものは、人の言ったことをそのまま額面通り受け取り、言葉の裏に含まれた意図をまったく読むことができないという点です。同じ言葉でも相手がどんな表情や声の調子でそれを言ったかで受け取り方が変わってきますが、ASDの人は言葉の意味しか考えません。たとえば冷たく「あっそう、よかったね」とあしらわれたのを、好意的に捉えたりします。社交辞令や皮肉、比喩、冗談が通じないためにコミュニケーションが円滑にできないこともしばしばです。(後略)

(その2)

・会話の協力に苦労(中略)

会話の協力に苦労し、相手に十分な情報を与えないために相互理解に手間取るということは自閉症ではしばしば起きる。アスペルガー障害と診断されたばかりの東京在住の30代の女性。能登半島を観光で訪れるのに、能登空港に着陸した直後筆者にメールしてきた。いわく、
女性「能登にきた。東京とあまり変わらないね」
筆者「空港だけだ。昼間クルマで走ったら仰天するぞ。人がほとんどいない。あるのは道路だけだ」(注:筆者は能登のやさしい風土が大変好きです)
女性「温度のことだよ……」
筆者も早とちりだが、まさか、気温のことを言っているとは思わなかった。これが「思ったよりも寒くない。東京とあまり変わらないね」と書いてきてくれれば誤解せずにすんだ。メッセージの受け手に十分な情報をこの女性は与えていない。
彼女は温度・湿度・気圧に非常に敏感で、デジタルの小型の湿度温度計を持ち歩いている。訪れた場所の温度は彼女には最重要項目の一つなのだ。筆者はそんな話とはまったく思わなかった。(後略)

(その3)

・状況を文脈と関連づけれない(中略)

やはり筆者の知り合いで、アスペルガー障害と診断されたばかりの20代の女性。クルマで高速道路を走っているときに、「長い下り坂(改行)2キロ減速」という看板の意味をどう理解したか聞いた。彼女は「速度を2キロ落として走ると思った」と答えた。
看板の書き手は、見る人が2キロを坂の長さに関連づけることを期待している。彼女はペーパードライバーで高速の運転経験は教習所のときだけだ。減速2キロというのが非現実的な選択で、安全な下り坂走行にはならないことを推定できなかったのだろう。(後略)

さらに想像力の関連として内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 5章 現前の呪縛-想像力の問題 の「みえているのがすべて」における記述の一部(P84~P85)を次に引用します。

(前略)ASD の体験世界には,そこにみえているもの以上のものがない.それで飽和してしまっている.その結果,向こう側や手前,あるいは死角になっているところに想像が及ばない.
目の前のこと(=現前)にはりついていることの,もっとも劇的な例として,ニキ・リンコの例が挙げられる.彼女は八歳になるまで自分には背中がないと思っていたという.

グニラが「向こう側」「内部」を発見したのと同じ八歳のとき,私は自分の「裏側」,つまり背中を発見したのでした.それは同時に,自分はみんなと同じことができなければならないらしいという発見でもありました4.

みえているもので経験が飽和するとき,そこには余白がない.余白がないがゆえに,今見えている視覚像を組み替えて操作することができない.ここに ASD の基本障害の一つとされる想像力の問題の基本パターンがある.
想像力の障害は,ローナ・ウィングの「三つ組」の一角をなしている.あらためて確認すると,社会的相互作用 social interaction(対人相互性),コミュニケーション Communication,想像力 imagination の障害である5.このなかで一番わかりにくいのが「想像力の障害」だろう.通常は,限定された物への執着,常同的な行動,変化への抵抗などの,いわゆる「こだわり」の強さのことだとされている.
ウィング自身も,想像力の障害とこだわりとは表裏一体であるという.想像が狭くて貧困なことが,こだわりの強さにつながると考えている.
ウィングは,最近の論文のなかで,三つ組のすべてに「社会的」という形容詞をつけている.社会的相互作用,社会的コミュニケーション,社会的想像力のトリアス(三徴)である6.その際,社会的想像力の障害とは,自分自身の行動が自分自身や他者にもたらす結果について考えたり予測したりする能力の低さのことを指す.
だが,こだわりにせよ,行動の結果の予測にせよ,目につきやすい指標として有用ではあっても,それらは ASD の示す想像力の障害の一部にすぎない.この障害のもっとも根底にあるのは,ここに示したように,経験が目の前にあるもので飽和してしまうこと,そして余白のないことである.

注:i) 引用中の強調は本エントリ作者により省略しています。 ii) 引用中の文献番号「4」は、次の本からの参照です。 「ニキ・リンコ:訳者あとがき.グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった』ニキ・リンコ訳,花風社,2000,p.282」 iii) 引用中の文献番号「5」、「6」はそれぞれ次の論文です。 「Asperger's syndrome: a clinical account.」、「Autism spectrum disorders in the DSM-V: better or worse than the DSM-IV?」 iv) 上記「みえているのがすべて」やこれに関連する「みえないものはないのと同じ」について、鈴木國文、内海健清水光恵編の本、「発達障害の精神病理I」(2018年発行)の 第Ⅰ部 の 第2章 見られるとはどういうことか ――自閉症スペクトラムにおける,「目と眼差しの分裂」(ラカン)の不成立について の「V.臨床的帰結」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

(前略)30代の ASD 女性患者 D は,入院前の不適応行動について夫から頻繁に叱責されることへの怖れから抑うつ的となっていた。夫の面会の際も気詰まりで不安が続いているなか,自宅への外泊を希望した。筆者はまだ D に外泊は無理なのではないかと心配したが,実際に外泊に出てみると,夫と別の部屋に居れば楽に過ごせたと述べ,面会時よりもむしろ気楽に過ごせたようであった。こうしたちょっとした報告にも,彼らの体験様式が現れているのかもしれない。この場合,人目のないところでは圧迫感を感じないという特性は,D の精神的安定にとってむしろ役立っている。
内海が,「ASD ではしばしば『みえているのがすべて』となる」「逆にいえば,『みえないものはないのと同じ』となる」とやや比喩的な文脈で述べているが,このケースには文字通りに妥当する指摘であろう。(後略)

注:この引用の著者は菅原誠一です。

一方、本田秀夫医師によるツイッター及び自閉症スペクトラムに関するWEBサイトを以下に示します。「hihojan10 」、「自著とその周辺 自閉症スペクトラム」、「自閉症スペクトラムの理解と支援」。さらに、「発達障害とは―大人の発達障害、検査・診断はどのように行うのか」。このサイトの中の次のWEBページ(「自閉症スペクトラムとは―特徴と症状、どんな人が当てはまるのか?」)では次に引用するように、自閉症スペクトラムの特徴が簡易に説明されています。さらに、本田秀夫医師によるADHDに関する資料は※1に含まれています。

自閉症スペクトラム」とは「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」を特徴とする発達障害の一種です。「少し変わった人」程度で済んで、問題なく日常生活を送れることも十分にあります。

イメージとしては「融通がきかない」「少しだけこだわりが強い」というものです。ポジティブな方向にいけば、「ブレずに自分のペースをきちんと守り、コツコツがんばり続けること」ができる人になります。しかし、不適切な環境におかれてしまうと日常生活に様々な障害を及ぼしてしまうことがあります。

注:(i) 引用中の『「自閉症スペクトラム」』と自閉スペクトラム症とでは意味が異なるかもしれません? 専門用語が統一されていなく、紛らわしいのは困ります。 (ii) 本田秀夫医師による著作本の引用例はここ及びここを参照して下さい。 (iii) 一方、本田秀夫医師監修の本の紹介はここを参照して下さい。この本は、アスペルガー症候群自閉スペクトラム症アスペルガータイプ)の症状の一部にしか該当しないものの「臨機応変な対人関係が苦手」という特性のみが目立って「ソーシャルコミュニケ―ション障害」※2と診断された著者の手記のようです。 (iv) なお、引用中の「臨機応変」に関連する、 1) 「ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手」なことについて「人に束縛されることを極度に嫌う」ことを含めて、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート2 発達障害のさまざまな特性を理解する の 2 ASD(自閉症スペクトラム障害) の C:変化に弱い の「ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手」における記述の一部(P152)を次に引用(『 』内)します。 『ルーティンワークが得意、臨機応変の動きは苦手という特性も、ASDの特性のひとつです。人に束縛されることを極度に嫌います。』 2) 同「C:変化に弱い」の「予定変更が苦手、予約を取るのが苦手」における連続した記述の一部(P152)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。 【予定変更が苦手、さらには予約を取るのも苦手という特性は、ASDの特性のひとつです。】(引用中の「予定変更が苦手」に類似する「予定の変更ができない」ことについて、杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の 大人の発達障害の特徴 の「2. 予定の変更ができない」における記述の一部(P227~P228)を次に引用[《 》内]します。 《急な残業を非常に嫌がり、病気の人が出たから急にカバーしてくれと言われてもなかなか柔軟にうんと言えないなど。この背後には、新しい出来事に対する予定の組み替えがとても苦手というハンディキャップがある。》)、【いつも変わらないルーティンであったり、あるいは列車のレールの上を何も考えずに走るような行動は得意ですが、臨機応変に場に即した動きを強いられたとたんに困ってしまいます。つまりは変化に弱いということに他なりません。】(注:引用中の「変化に弱い」に関連する「ライフスタイルの変更は苦手」について、同「C:変化に弱い」の「予定変更が苦手、予約を取るのが苦手」における記述の一部(P155)を次に引用[『 』内]します。 『ライフスタイルの変更は苦手という特性も、ASDの特性のひとつです。すでに何度も述べたように、これも変化に弱いということからきています。』)

ちなみに、加藤進昌著の本、『ササッとわかる「大人のアスペルガー症候群」との接し方』(2009年発行)の『アスペルガー症候群の人は「病気」?それとも「個性」?』における記述の一部(P84)を次に引用します。

アスペルガー症候群の特性である「がんこ」「こだわりがある」「空気が読めない」「反復的な作業が得意」「記憶力がいい」「仲間と群れない」といった症状は、個性的な性格傾向ということもできます。

注:i) 引用中の「空気が読めない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「こだわりがある」に関連するかもしれない「細かなことに著しくこだわる」ことについてはここを参照して下さい。

さらに、不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害について、米田衆介の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「運動制御関連特性群」項における記述の一部(P87~P88)を以下に、一方、発達性協調運動障害における不器用さについて同本の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「身体的な不器用さの問題による不器用」項における記述の一部(P190)を以下に それぞれ引用します。

運動制御関連特性群

アスペルガ―者の間で、不器用さ、姿勢の悪さ、運動学習の障害が認められることは、よく知られています。
臨床的には、とくに動作や姿勢の保持にともなって、脱力することの難しさが観察されます。検者(検査する人)がアスペルガ―者の関節部分を持って動かしたり、あるいは患者の手先を持って支えた状態から上肢を落下させて、そのときの筋肉の状態を見ると、筋肉の緊張が取れにくいことがわかります。また、片足立ちのようなバランス動作も苦手であることが見られます。平均台のような動的バランスよりも、止まったまま片足立ちをするような静的なバランス動作のほうが苦手なようです。
以前、診療所の患者さんに、太極拳の動作を模倣してもらったことがありますが、一連の新しい動作を連続してまねをすることには困難があるようです。片腕だけだとか、足だけとか、一つ一つの動作を模倣することはできますが、全身の動きがバラバラで、関節ごとの相対的な位置関係を正確に把握できる例がごく少数です。まして、動的なバランスのなかで、柔らかい動きをするような動作は困難です。

身体的な不器用さの問題による不器用

意味も手順もわかっていて、体が動かないケースもあります。だいたいアスペルガー者の八割か九割は、少なくとも体育が苦手であったか、手先が不器用であるかのどちらかです。もちろん、その両方の場合もあります。「発達性協調運動障害」というのは、体を器用に使って、全身的に協調のとれた滑らかな動作をする能力が生まれつき欠けている状態ですが、アスペルガー者には、この発達性協調運動障害に近い症状が伴われていることが多いのです。
ただし、身体的には不器用であっても、通常は単一のスキルに関しては、通常より多い量の訓練を課すことによって、多少の改善が見られます。たとえば、初めは泳げなくても、長い期間水泳の練習ばかりをしていると、さすがに初心者よりは上手に泳げるようになる、というようなことです。(後略)

注:引用中の「発達性協調運動障害」(発達性協調運動症)は、他の拙エントリのここに記述するように自閉スペクトラム症とは独立したものです。ただし、両者は発達障害(神経発達症群)に含まれます。次の資料を参照すると良いかもしれません。 「第1章 発達障害を理解しよう」の「診断名参照表」項(P4~P5) ちなみに、子どもに関する記述が中心ですが、広汎性発達障害における運動発達遅滞に関連する資料を次に紹介します。 「運動発達遅滞を主訴に来院した広汎性発達障害」 加えて上記「発達性協調運動障害」に関連する(例えば症状の一部が重なる)、(アスペルガー者における)「協調運動の障害」を含む引用はここを参照して下さい。

ちなみに、ASDは大きく次の3つのタイプに分類できます。この分類について、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害の基礎知識」(2020年発行)の 第一章 女性の発達障害を理解する三つのポイント の「特性のあらわれ方は個人差が大きい」における記述の一部(P33~P34)を以下に引用します。加えて、さらに詳細には、備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第7章 「性格の偏り」のため、さらに生きづらくなっている人たち の「アスペルガー症候群の三つの性格タイプ」における記述の一部(P149~P150)を以下に引用します。

特性のあらわれ方は個人差が大きい(中略)

たとえば、ASDは大きく三つのタイプに分けることができます。
〈積極奇異型〉
知らない人でも平気で話しかけたり、なれなれしく接したりする。
〈受身型〉
自分から積極的に接触を図ろうとはしないが、誘われれば付き合う。女性に多いとされている。
〈孤立型〉
他人と話したりかかわったりすることに苦痛を感じ、一人でいることを好む。
一般的に、子どものころは積極奇異型が多く、思春期から大人になるにつれて受身型や孤立型へとタイプが変化していくケースが多いといわれています。ただ、女性の場合ははじめから受身型や孤立型であることも多く、子どものころから特性による問題行動が目立たないこともあって、周囲からなかなか気づいてもらえず、生きづらさを感じてしまいがちです。(後略)

アスペルガー症候群の三つの性格タイプ(中略)

ローナ・ウィングはアスペルガー症候群の性格傾向を「積極奇異型」、「受動型」、「孤立型」と三つに分類して、同じアスペルガー症候群であっても、人当たりについては大きな違いがあると述べているのです。
「積極奇異型」というのは、人付き合いを自分から積極的に求めて動きます。相手に対する関心や興味がとても高いので、納得がいくまで人にあれこれ質問をしたり、根堀り葉堀り相手のことを聞いたりします。
初対面の人やまだ親密ではない人に対して、相手のプライベートな部分に土足で踏み込んでいくようなことはしないのが、社会人としての暗黙の了解です。ところが、このタイプの人は、相手の領域に踏み込みすぎるところがあって、その結果、人からは「変わっている」とか「うるさい」などという評価を受けてしまいます。
その経験から、人に対して否定的で対立的な態度を取るようになっていきます。(中略)あるいは、本来は積極奇異型であった人も、小さい頃から人間関係でネガティブな評価を受け続けてきたため、人付き合いには興味があっても、あまり自分から求めなくなるといった人も出てきます。
「受身型」は、発達障害の典型的なタイプですが、人付き合いにはもともと積極的ではありません。ただ、求められると穏やかに人と接します。いつもニコニコしておとなしい印象で、周りから浮いているというより、一人でぽつんといて、あまり目立たないというような評価を受けることが多いようです。(中略)
「孤立型」というのは、そもそも人付き合いが苦手で、求められても応じない傾向があります。そのため、周りの人を拒絶しているような印象を持たれますが、ただ本人としては、一人でマイペースに過ごすことを好んでいるだけなのです。(後略)

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(b)発達凸凹

発達凸凹の定義については、例えば、次の資料「発達障害 発達凸凹 こんな力を持っています」の「発達凸凹について」項を参照して下さい。ちなみに、拙ブログにおいては発達凸凹を自閉スペクトラム症におけるグレーゾーンと称することもあります。さらに、名付け親の杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第二章 発達凸凹とは の「発達障害はマイナスとは限らない」における一部の文章(P62~P63)を次に引用します。

さらにこの発達凸凹が「マイナスとは限らない」という問題である。最近になって、偉人や天才として顕彰されたきた人のなかに、とくに自閉症スペクトラムと考えられる人が数多く存在するという指摘がなされるようになった。発達凸凹という視点から見れば、むしろ多くの優秀な人々がさまざまな凸凹を有していることも明らかである。

ちなみに、i) 発達凸凹を図を使用して説明すると、例えば、次の資料「発達障害から発達凸凹へ」の図1(P12)を参照して下さい。 ii) 発達凸凹と類似な用語として、本田秀夫医師(ここ参照)は「非障害自閉症スペクトラム」を提唱しています。

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(c)二次障害

最初に二次障害についての簡単な説明を紹介します。 a) 簡単で定義的な説明として、そだちの科学 2020年10月号 中の滝川一廣著の文書『一次障害と二次障害をどう考えるか』(P2~P6)の「はじめに」における記述の一部(P2)を次に引用(【 】内)します。 【そこで、「一次障害」とは定義的には一番もとになっている障害そのもの、すなわち障害の本態を指す。「二次障害」とはその本態の影響によって派生した別個の障害を指す。】 加えて、同文書の『二次災害としての「二次障害」』における記述の一部(P6)を次に引用(【 】内)します。 【発達障害は生活上、様々な負荷を強いられやすいため、その負荷が条件次第で発達障害とは別の何らかの精神失調を二次的にもたらす。この失調を「二次障害」と呼ぶのである。】 b) 医学的な説明として、同そだちの科学中の田中康雄著の文書『発達障害と二次障害』(P7~P12)の「二次障害」における連続する記述の一部(P8)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。【医学的には、本来の障害(一次障害)をもって生活を送るなかで、後天的かつ心理的因果性が認められるなかに生じたさまざまな言動、症状等を二次障害とよぶ。】、【二次障害は、時間的に一次障害のあとに認められるものであり、かつ一次障害との心理社会的な因果関係があることを必要条件とする。】 c) これら以外にも、福西勇夫著の本、「発達障害チェックシート 自分が発達障害かもしれないと思っている人へ」(2020年発行)の パート1 あなたは本当に発達障害 の「●発達障害の二次障害」における記述の一部(P28)について次に引用(《 》内)します。 《発達障害の特性は、見た目にはわかりづらく、本人も認識していないことが多いものです。そのため、周囲の理解を得にくく、努力が足りないとか、人の気持ちがわからないなどと誤解され、非難や叱責を受けたり、孤立しがちになることがあります。こうしたことが大きなストレス、あるいはトラウマとなり、うつ状態や不安症状、引きこもりなどといった様々な精神症状や問題行動を二次的に引き起こすことがあるのです。これが発達障害の二次障害です。》 加えて、標記二次障害についての資料を次に紹介します。 i) 標記二次障害に関連する、発達障害を背景に生じうる状態像についての記述を含む資料は次を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」 ii) 「成人期に発達障害の診断の検討を要するケースの多くは、単一の発達障害の診断にとどまらない」ことについては、次の資料を参照して下さい。 「大人になった発達障害」の「Ⅵ.成人例における発達障害の診断」項 iii) 「環境による精神的変調の鍵概念」については、次の資料を参照して下さい。「未来につながる自閉スペクトラム症の育児と支援」の「環境による精神的変調の鍵概念」シート(P5) iv) 児童期に発達特性に気づかれなかった人たちの「二次障害」については、次の資料を参照して下さい。 「発達障害における生きづらさのわけ,特性との付き合い方」の「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」シート(P24)

次に、発達障害における二次障害の説明として、「なぜ二次障害に注意しておきたいかというと、本来の発達障害よりも二次障害のほうが社会生活を送る上では大きな困難を来しやすいから」であることを含めて、黒木俊秀編著の本、「発達障害の疑問に答える」(2015年発行)の 第2章 検診や診断・治療はどうなっていますか の「COLUMN 二次障害って何ですか?」における記述の一部(P83~P84)を次に引用します。

基本の発達障害に合併する、あるいは続発する情緒や行動の障害を「二次障害」と呼びます。時には、二次障害として、もう一つ、精神疾患の診断がつけられ、専門的な治療の対象となることもあります。(中略)

集団生活のなかで浮いた存在になってしまい、いじめを受けた結果、ひどいトラウマを抱える子どももいます。何年も前の辛いいじめの記憶が、今日のことのように蘇り(フラッシュバック体験)、そのたびに混乱する発達障害の大人もいます。医学的な病態はまだよく解明されていないのですが、過敏性腸症候群摂食障害などの心身症も、発達障害には合併しやすいと言われています。

なぜ二次障害に注意しておきたいかというと、本来の発達障害よりも二次障害のほうが社会生活を送る上では大きな困難を来しやすいからです。二次障害(うつ病やパニック症/パニック障害など)の症状が現れて初めて、支援(医療)機関にアクセスする場合も少なくありません。治療の難しい精神疾患(二次障害)の基礎に発達障害(基本障害)が隠れていることもあります。(後略)

注:i) この引用の著者は黒木俊秀です。 ii) 引用中の「心身症」に関しては身体症状を、「トラウマ」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「トラウマ」]を、「フラッシュバック体験」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「フラッシュバック」又は「タイムスリップ現象」*34]をそれぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「摂食障害」及び「うつ病」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「精神疾患の診断がつけられ」ることに関連する「ASDの成人には,どんな精神障害が生じ得るか?」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」の「ASDの成人には,どんな精神障害が生じ得るか?」シート v) ちなみに、この引用においては直接的な言及はありませんが、「時間単位の気分変動」については、他の拙エントリのここを、「ムードスウィング(軽いがサイクルの早い躁うつ様の気分の波)」については、他の拙エントリのここをそれぞれ参照して下さい。

この二次障害(併存症、合併症)は多種多様で、本エントリにおいては一定程度のまとめには至っていないかもしれませんが、暫定的にここ以外にも以下に複数示します。 i) 資料「児童青年精神医学入門 その2:発達障害 その1」の「知的な遅れの無いASDの併存症」、「ASDの併存症は多い」及び「気分障害とHFPDD」シートを参照して下さい。 ii) WEBページ『家のカギをかけたのか何度も確認してしまう…ジワジワと増えている「大人の発達障害」の典型的症状』を参照して下さい。 iii) 服部綾子著の本、「自閉症スペクトラム 家族が語るわが子の成長と生きづらさ 診断と支援にどう向き合うか」(2017年発行)の 第Ⅳ章 自閉症スペクトラムの医学と臨床 の「3 学齢期の不適応と成人期の二次障害」における記述の一部(P192~200)を以下に引用します。 iv) 二次障害としての精神障害における自閉症スペクトラム傾向を背景にもつ非定型・非典型な病像について、青木省三著の本、「精神科治療の進め方」(2014年発行)の 第14章 成人期の自閉症スペクトラム の 5 既存の精神障害の基底に認められる自閉症スペクトラム の「(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である」における記述の一部(P173~P175)を以下に引用します。 v) ASDにおける「二次的問題の不可避性」について、岩波明監修の本、「おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線」(2020年発行)の 第2章 成人期発達障害診断の現在地と課題 の 2 成人期発達障害の診断に関する現状と課題 の「二次的問題の不可避性」における記述の一部(P79~P81)を以下に引用します。 vi) ちなみに、第四の発達障害(発達性トラウマ症候群)については他の拙エントリの≪補足説明3≫を参照して下さい。

3 学齢期の不適応と成人期の二次障害(中略)

その他の二次障害として、パニック障害(不安障害)、社交不安障害、うつ病摂食障害解離性障害などがあります。(後略)

注:i) 同本において、その他ではなくより詳細に記述された二次障害又は症状は、引用はしませんが、①フラッシュバック(P196~P198)、②幻覚妄想状態(P198~P199)、③強迫性障害(P199~P200)があります。 ii) 以上で示した二次障害の一部に対するリンクは他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。その際に、a) パニック障害(不安障害)は用語「パニック障害」又は「不安障害(不安症)」を、 b) 社交不安障害及び強迫性障害は用語「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を、 c) うつ病及び摂食障害はそのままの用語をそれぞれ使用して下さい。一方、解離性障害及びフラッシュバックについては共に他の拙エントリのリンク集(用語:「解離(解離性障害、解離症)」、用語:「フラッシュバック」)を参照して下さい。

(4) 横断的にも病像が非定型・非典型である
〔症例4〕「確定診断」を求めて受診した30代後半の女性
3年あまりのうちに、抑うつ、不眠、夜間の頻尿やほてり、めまい、頭痛、幻聴(「誰もいないのに、命令するような声が、特定の人の声で聞こえてきた」)、「フラッシュ・バック」(特定の人物の声が聞こえてくる)などの多彩な症状が出現し、5、6カ所の精神科を受診し、統合失調症強迫性障害自閉症スペクトラム解離性障害などと診断された女性が、「今までいろいろに診断されてきたが、はっきりとした診断名を知りたい。自分は自閉症スペクトラムではないかと思うので、心理検査をしてほしい」という主訴で受診してきた。遠方からの「セカンド・オピニオン」(実際は6、7カ所目でセカンドではないが)を求めての受診であった。
幻聴は、不特定多数、超越的な他者の幻覚妄想ではなく、現実の特定の他者であり統合失調症は否定的であった。しかし解離性幻聴ということで、全部、説明できるかどうかはよく分からなかった。強迫性障害は、一時期、確認症状が強かったために付けられた診断であろうか。自閉症スペクトラムというには、本人のみの受診のため、発達歴が分からないため不明。女性は「集団の中に入るのは苦手で、被害的となりやすく、孤立しやすい。幼い頃から、皆にいじめられやすく、一人でいた」という。たしかに診察では、こだわり、切り替えの困難、感覚過敏などが認められるようであった。
「私の診断は、何なんでしょうか?」という女性に、「あなたのように、診る先生によって診断が異なるという場合は、私の経験では、『診断がはっきりするような典型的なものではない』ということが多いのです。たとえば、典型的な統合失調症だったら、5人の精神科医が診て、皆の診断は同じになります。あなたの中には、解離や強迫、幻覚や妄想、自閉症スペクトラムのように見えるところがあって、その時々で出てくるものが異なるため、診断が変わってくるのではないかと思います。だから、いろいろな診断に見えるということこそが特徴なのです」と説明した(図9)。「心理検査は受けたい」という希望には、「もうすでに、いくつかやっていて、それでもはっきりしなかった。やればやるほど、曖昧な結果が出てくるように思います」と話した。このようなやりとりの後、女性は「本当にそうですね」と不思議なくらいあっさりと納得したのであった。(後略)

注:i) 引用中の「図9」の引用は省略します。 ii) 引用中の「自閉症スペクトラム」は、引用元の本の P162 によると、「自閉症スペクトラム≒広汎性発達障害と理解してもらえればよい」とのこと。 iii) 引用中の「統合失調症」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「強迫性障害」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 v) 引用中の「解離性障害」については、他の拙エントリのリンク集(用語:「解離性障害(解離症)」)を参照して下さい。 vi) 引用中の「解離性幻聴」に関連する「解離性幻覚」ついては、例えば他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 vii) 引用中の「フラッシュ・バック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 viii) 引用中の「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。

次に、「二次的問題の不可避性」です。二次的問題とは、発達特性に合わない環境の影響などによって生じた、うつ病や社交不安症などの「二次障害」という意味ではありません。二次障害だけでなく、たとえば愛着の問題、不登校やいじめ、対人関係の困難さなども含めた、さまざまな二次的問題をさします。
受診に至る発達障害の患者さんは、発達障害そのもののことだけで受診することはまずなく、必ず何かほかの問題を抱えています。何らかの適応障害を起こしていて、それが一定のレベルを超えたために受診に至ることが多いのです。適応障害とは、特定の状況や物事がその人にとって非常につらく感じられるために、不安や神経過敏になるなど心理面の症状が出たり、物を壊すなど行動面の症状が出たりすることをさします。
あるいは生育の過程で何らかの愛着課題があり、それが原因で虐待やネグレクト、いじめなどを受けたり、複雑性PTSDを生じたりした人もいます。(中略)

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、事故やレイプなど強い精神的ストレスがダメージとなって、時間が経ってもその経験を突然思い出したり、強い不安や緊張を感じたりするものです。複雑性PTSDは、家庭での虐待のような長期にわたる複合的なストレスによって生じたPTSDの一種で、慢性的に無力感や絶望感があるなどします。
このようなことと、生育過程で形成されるパーソナリティ(個性・性格)特性とが互いに影響し合って成人となったのが、我々の前に現れる発達障害の人たちなのです。
これを広島市精神保健福祉センターの先生方が、「重ね着症候群」と命名しています。厳密にはもう少し狭い範囲をさす言葉なのですが、私は広く捉えて、「発達障害の人はいろいろな要素を重ね着している」という意味で使っています。(後略)

注:i) この引用部の著者は柏淳です。 ii) 引用中の「複雑性PTSD」については他の拙エントリのリンク集を、加えて「児童期に発達特性に気づかれなかった人たちの二次障害」しての「複雑性PTSD」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「発達障害における生きづらさのわけ,特性との付き合い方」の「児童期に発達特性に気づかれなかった人たち」項(P24) iii) 引用中の「PTSD」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「愛着課題」に関連する「愛着障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「重ね着症候群」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

ちなみに、ADHDにおける二次障害(併存障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(d)自己理解

[1] 佐々木正美総監修、梅永雄二監修の本、「完全図解 アスペルガー症候群」(2011年発行)の「本人の気持ち 成人では、わかってホッとする人も」における記述の一部(P213)を次に引用します。

自己理解が欠かせない
アスペルガー症候群の人が豊かな生活を送るためには、自己理解が欠かせません。自分のもつ特性を理解することで、それまで傷つけられてきた自尊感情が回復しはじめます。そして、必要な支援を理解することもできます。

[2] 杉山登志郎著の本、「発達障害の子どもたち」(2007年発行)の 第五章 アスペルガー問題 の「一八歳以上の発達障害」項における記述の一部(P120~P121)を次に引用します。

『成人の発達障害の方への対応のコツについても触れておきたい。今、あちらこちらから悲鳴が上がっているのを聞くからである。発達障害の治療においてもっとも必要なことは、障害に関する正確な知識を提供し、新たな自己認識を手助けすることであると思う。成人になって初めて診断を受けた事例を見ると、「よくここまで何もなく……」という不適応事例と、無駄に年を取っていないと実感させられる適応事例とに二分できる。
不適応事例はほとんどがうつ病など併発症を持ち、被害的な対人関係を抱える事例も多い。このような事例では、障害の診断に対する受け入れは速やかである者が多い。ほぼすべてが目から鱗という感じで自己のハンディキャップについて納得をされる。つまり自己自身との関係修復は比較的容易である。
ところが、他者との関係の修復には困難がつきまとう。その理由は、他者との関係においては過去の現実に生じた迫害体験から容易にタイムスリップが起きてしまい、修正がなかなかできないからではないかと思う。さらに適応事例といえども強い生きにくさを覚えており、診断を受けたことで初めて自分とのそして他者との適切な付き合い方を知ったと述べる方が大半である。前章で述べたように、この方々は、認知の穴をたくさん持っている。一見不思議な判断や行動はほとんどが誤解か、誤った学習の結果である。それらに対する修正をかなり指示的に、繰り返していくことで適応はずいぶんと向上するのである。

注:i) 引用中の「タイムスリップ」については、を参照して下さい。 ii) 引用中の「認知の穴」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「誤解か、誤った学習」に似た「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。

[3] 杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の『「大人の発達障害」になる前に』における記述の一部(P223)を次に引用します。

それではこのグループが、社会的に問題がなければ何もないのだろうか。
いくつか気をつけておくべきことはある。キーワードは代償である。つまり凸凹レベルであっても、凸凹レベルであればなおさらのこと、健常と呼ばれている人々とは異なった戦略で、いわば脳のなかにバイパスを作って、適応を計るということをおこなっている。
このときにしばしば誤学習が入り込み、本人はそれに気づかないといったことが実にしばしば起こる。単純な例を挙げれば、人に評価されるためには目立つのが良いことと、無理して役職に立候補しまくって、逆に顰蹙を買うといった例である。
本人が普通の生活をしている上で、マイナス面に対する多くの補いを、意識、無意識におこなっているので、どうしても無理がかかりやすい。したがって、正面からこのような谷間の部分を認識することは非常に大切になる。孫子の兵法にもあるではないか、彼を知り己を知れば百戦危うからずと。この場合、難しいのはもちろん己を知ることなのだ。

注:i) 引用中の「このグループ」とは発達凸凹のことのようです。 ii) 引用中の「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。 iii) 引用中の「補い」に関連するかもしれない「過剰適応とカモフラージュ」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症における過剰適応とカモフラージュの臨床的意義」の「(2) ASDメンタルヘルスに関わる過剰適応とカモフラージュ」項(P58) iv) 引用中の「凸凹レベルであればなおさらのこと」に関連する、女性の ASD における「既にASDの診断がある女性だけではなく,現在はASを持つことを気付かれていないようなグレーゾーンの女性こそ支援が必要」なことについては次のWEBページを参照して下さい。 「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」の「第4部 総合考察」項 v) 引用中の「彼を知り己を知れば百戦危うからず」と関連するかもしれない、主観的な世界から全く脱却できない発達障害の特性が強く認められる患者において、主観的な世界を中心に話をすれば良いケースについて、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における高橋優、北野絵莉子、植田友佳子、村上伸治、澤原光彦、青木省三著の文書「大人の発達障害における病識・病感・負担感の理解と対応」の「〔症例2〕40代、女性」における記述及び「考察」における記述の一部(P164~P166)を次に引用します。

〔症例2〕40代、女性
幼少期の生育歴は不明。大学卒業後、やや特殊な個人で行う職に就いていた。あるとき治療の副作用で軽度(日常生活には支障がない程度)の身体的後遺症を負い、その職から離れることになった。以降は職につかず実家で家事をして過ごすようになったが、その頃より抑うつ気分、意欲低下、倦怠感などの症状を訴えるようになり、当院精神科を受診するようになった。また身体科にも通院していたが、主治医の対応への不満、治療の副作用などを執拗かつ攻撃的に訴えて、各科主治医との関係が悪化し、しばしばトラブルになっていた。
語彙やことばづかいはしっかりしていたが、外的・内面な環境を言語化することが不得手をようで、説明は非常にわかりにくく冗長、こちらが途中で話を挟むと混乱した。こちらが話したことを、その場では理解したようにみえても、後に誤解あるいは曲解して、混乱したり被害的になったりして電話で苦情を言ってくることも多かった。処方はいずれも副作用を強く訴えほとんど使用できなかった。関係は非常に築きにくく、当科の主治医も安定しない状態であったが、あるときから筆者が担当することになった。
強いこだわり、人間関係の希薄さ、コミュニケーション能力の低さ、予定外の出来事への対応能力の低さ、身体感覚への過敏さなど発達障害の特性が強く認められ、かつ本人の負担感の大きな要因となっていると考えられた。しかし本人は自らのそのような特性に気づいておらず、トラブルの原因はすべて外的なものとして捉え、非常に他責的で攻撃的であった。
外来では悩みを傾聴し、客観的な情報の整理を行ったもののあまり効果はなく、延々と症状や診察への不満を訴えていた。筆者は、状況の改善には本人が自らの特性をある程度自覚することが必要なのではないかと考え、あるとき「~な部分があるのではないか?」と尋ねてみたのだが、「そうでもない」と、全く自覚がなかった。元就いていた職業上の友人はいたようなので「では周囲の人間にそのように言われたことはないか?」などと諦めずに尋ねてみたところ、「そんなこと言われたことはありません」、「先生は私が変だと言いたいんですか」と怒り始めたため、説明を断念した。
その後の面談は、こちらから新しい情報を提示したり、詳細に客観的な情報を収集したりすることは最低限にとどめ、本人の訴える主観的な情報や訴えの整理と傾聴につとめた。また、精神的な不調の訴えについては、対症療法を提案し、また症状は長期的には改善していく可能性が高いことを、本人の納得はともかく繰り返すこととした。変化の少ない面談で訴えの内容もあまり変わらず、苦情の電話も相変わらずしばしば認められたが、それでも時間をかけて大きな混乱や不調は少なくなり、定期的な診察も減ってきて、生活上の大きなイベントの際にのみ現れるようになった。数年経っているが、いまだに「以前、先生に変わっていると言われて傷ついた」と話すことがある。

考察
当患者において病誠を持ってもらおうとする試みは失敗に終わった。原因は、前の症例で述べたような病感、つまり「自らが周囲と異なる特性を持ち、またそのことが負担感の原因となっているという感覚」をほとんど持っていなかったにもかかわらず、筆者が不用意にそのような話題を切り出したことにある。
では別の手順を踏めばうまくいったのかというと、それも難しかったのではないかと今では考えている。なぜなら、そもそも成人してある程度の生活を送っているにもかかわらず病感を持っていない者は、自己と環境の関係を理解する力がより低いわけで、周囲との差異を指摘しても自覚は困難だからだ。
それに加えて、本症例のように負担感の原因を自らに見いだせないことから、「他責的」となっている場合、自らの特性に部分的にでも原因を求めるということは、これまで外部に向けていた攻撃性や怒りの行き場がなくなる、あるいは自らに向けることになるわけで、心理的な抵抗感は著しく大きい。
そのような患者に対して不用意に本人の特性を指摘することは、外傷的な体験をもたらし、主治医との関係性を損ねるだけである。したがって無理に病識を得てもらおうとするのではなく、本人の主観的な負担感に沿ってその場その場で具体的に相談に乗っていくしかない。
そのためにまずは主観的な負担感を理解し、本人と周囲の情報を収集・整理しながら、負担感の原因となる適応的でない状況理解や、気づきにくいストレスフルな事象などを把握し、それらを修正したり、あるいは対応策を検討したりしていくことになる。しかしこの症例のように、自分と環境の関連に対する理解が決定的に不得手な患者の場合、本人の中で本人なりの理解が強固に作り上げられており、情報の収集・整理をしようとしても本人が原因と思っていること以外の情報提供が乏しく、状況理解の修正には抵抗し、本人が気づいていないストレスフルな事象を指摘しても受け入れず、しかも負担感の軽減はしてほしいと訴えてくる(あるいは責めてくる)ことがしばしばある。
このような場合でも、新しい客観的な情報を使わずに本人の把握している状況から理論的に導き出せる別の方法を提案してみたり、本人のとっている対応策しか今のところない、という部分を「時間をかけて」確認したうえで負担感に共感したり、あるいはそのうえで「よい方法があまり思いつかないので、現状にそぐわないかもしれませんが、あくまで一般論としてこのようなやり方・考え方もあります」などと、控えめに客観的な情報や一般的な対応方法を提供してみたりと、患者の主観的な世界の中で負担感に沿うことはできる。本症例はそのような対応により、訴える負担感は変化がなかったものの、生活の混乱が改善されていった。(後略)

注:i) 上記引用のように患者の主観的な世界を中心に話をすれば良いとは言えないケースについては、この引用に続く〔症例3〕で示されていますが、この引用は省略します。一方、上記「主観的な世界から全く脱却できない」ならば、ライフハックやノウハウの積み重ね等、社会に順応していく努力を重ねること(例えばエントリの『壇上は「ワルプルギスの夜」』参照)はできないのではと、本エントリ作者は考えます。 ii) 引用中の「主観的な世界」とは異なる「自分が望むようにではなく、あるがままに物事を見ること」については他の拙エントリのここを、「如実知見」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

[4] 備瀬哲弘著の本、「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(2011年発行)の 第9章 発達障害とうまく付き合うために自分でできること の「発達障害は発達して変わっていく」項における記述の一部(P182~P183)を次に引用します。

前述したように、私のクリニックでは職場でのトラブルがほとんどないという人が半分以上います。トラブルがほとんどない人がどのように社会生活を送っているかということはとても興味深いことです。どうやら知的に高い人は自分で工夫されて、本人なりのマニュアルがあって、それを適時使いながら、知的な部分で補えているところがあるようです。
そこで、うまくいっている人とうまくいっていない人との差は何だろうなと見てみると、まずは周りの人に理解があることが前提になりますが、本人が認識してどのように工夫しているかということが大きいようです。今後、それを私のクリニックのプログラムに落とし込めたら、私たちも希望を持って診療に当たれるかなと思っています。
神田橋條治先生は、「発達障害は治らないけど、発達して変わっていくから、悲観するなよ」という主旨のことをおっしゃっていて、実際に診ていると、本人が職場や生活上の工夫するポイントなどを絞って実行していけば、時間とともに混乱もなくなり対処していけるようになります。

注:(i) ちなみに引用しませんが、この第9章では発達障害とうまく付き合うために自分でできることが(項目名)「生活のリズムを崩さない」、「リラックス時間をつくる」をはじめとして具体的に記述されています。 (ii) 引用中の「発達障害は治らないけど、発達して変わっていく」ことに関連する又は類似する、 a) 『発達障害は「治す」ものではなく、発達していくのを応援するもの』について、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第一章 発達障害ってどんなもの? の「◆発達障害は治るのか?」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『発達障害であろうとなかろうと、人は誰でも発達していく。そのスピードと道筋は人によって異なるが、発達障害を持つ人は、周囲の人や環境の応援を得て、その人なりのスピードと道筋をたどり発達していくのである。だから、発達障害は「治す」ものではなくて、その人なりのスピードと道筋で発達していくのを応援するものである、と考えるとよい。』 b) 「発達障害者は発達する」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

[5] 田中康雄、笹森理絵著の本、『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(2014年発行)の 第1章 「大人の発達障害」の正体 の「偉業を成し遂げた人に発達障害は多い」項における記述の一部(P49)を次に引用します。

発達障害を持つ人が社会でよりよく生きるためには、自分の特性を理解し、その対処法や生活の工夫に目を向けることが第一になります。自分ひとりで生活改善が進まなければ、周囲の人たちに手伝ってもらうこともできます。

注:i) この引用部の著者は田中康雄です。 ii) ちなみに引用しませんが、同本の第2章、第3章に発達系の課題を持つ人の特性と生きづらさの解消法について記述されています。

ちなみに、ADHDにおける自己理解についてはここを参照して下さい。

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(e)女性のアスペルガー症候群又はASD

他の拙エントリにおける引用の「疫学」項にも示したように、MCSは女性に多く発症するとされることも考慮して、本項では女性のアスペルガー症候群(又は自閉スペクトラム症自閉症スペクトラム障害ASD)に関する引用又はリンクをまとめて紹介します。最初に「ASD の有病率の男女比」(ここを参照)や(女性を中心とするかもしれない)「カモフラージュ」(ここを参照)以外にも、 a) 「自閉スペクトラム症の女性の主観的な経験理解については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症の女性の主観的な経験理解 ――海外文献の質的システマティックレビュー――」 b) ASD を含めての女性的役割における困難について、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の C. 周辺の問題 の 1. 女性の発達障害 の ②発達障害の女性の特徴 の「b. 一般に求められる女性的役割における困難」における記述の一部(P98~P99)を以下に引用し、そして[1]項に続きます。ちなみに、 (i) 「女性の自閉スペクトラム症の臨床的特徴と治療・支援のあり方」については次の資料を参照して下さい。 「女性の自閉スペクトラム症の臨床的特徴と治療・支援のあり方」 加えて、「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか」については次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか:障害を見えにくくする要因と適応過程に焦点を当てて」 その上に、「わが国における自閉症スペクトラム障害の女性への支援に関する文献的考察」については次の資料を参照して下さい。 「わが国における自閉症スペクトラム障害の女性への支援に関する文献的考察」 さらに、「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」については次のWEBページを参照して下さい。 「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴に関する臨床心理学的研究」 これら以外にも、 a) タイトルを除き拙訳はありませんが次の論文(全文)があります。 「The Experiences of Late-diagnosed Women with Autism Spectrum Conditions: An Investigation of the Female Autism Phenotype[拙訳]自閉症スペクトラムの状態を伴う後期に診断された女性の経験:女性自閉症表現型の調査」 b) 次の YouTube そしてタイトルを除き拙訳はありませんが次のWEBページや slideshare もあります。 「女性の発達障害について解説」、「"Girls on the Spectrum": Autistic Spectrum Disorder in Girls」、「Judith Gould, The diagnosis of women and girls on the autism spectrum, Autismin talvipäivät 2017」 (ii) 一方、「コミュニケーション上の苦手意識が顕在化しない女性の ASD 大学生」がいるかもしれないことについては次の資料を参照して下さい。 「コミュニケーション上の苦手意識が顕在化しない ASD 学生への心理臨床的アプローチと臨床イメージ」 (iii) また、ASDの女性にとって「人にだまされ、性的な被害にあう」ことや「性搾取を受けるリスクが高い」ことについては共にここを参照して下さい。

b. 一般に求められる女性的役割における困難

男女がともに働き,ジェンダーアイデンティティの多様性が認知されている今日,性別による役割にこだわる必要はないと思われるものの,現実生活においては,たとえば身だしなみや立ち居振る舞いなど,女性には「女性らしさ」が求められる領域は残存する.また,家族や仲間のなかで調整役を担ったり,母性的な温かさなども「女性らしさ」の一部としてまだまだ求められている役割である.男性に求められる「男性らしさ」に苦しむ男性がいるように,社会が求める「女性らしさ」に悩む女性はおり,そのなかに発達障害の女性が含まれることを念頭におく必要がある.自らも ASD であるルディ・シモンが著者のなかに引用したステラの言葉は,それをよく表している.「一度にいくつものことをこなす,自分を抑制する,衝突を和らげる,人の気持ちをなだめる.一般的に女性の評価では,こういったことをどれだけ上手にできるかが問われます.男女は平等だと,皆言いながら,知らず知らず,女性には他の者たちの幸福を背負って歩くことを求めています.自閉症スペクトラムの女性にとって,こんなにばかげた話はありません.」11)(後略)

注:i) この引用部の著者は笠原麻里です。 ii) 引用中の文献番号「11)」は次に示す本です。 「ルディ・シモン/牧野恵(訳).アスパーガール アスペルガーの女性の力を.スペクトラム出版;2011.」

[1] 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)からの複数の引用を含む記述を以下に示します。ちなみに、この本の内容構成は、「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」、「第2章 体調不良のひどさにも困っている」、「第3章 どこで診断・治療を受けられるか」、「第4章 今日からできる生活面の対策」、「第5章 さけては通れない、性の問題」 です*35があります。加えて、星野仁彦著の本、「なんだかうまくいかないのは女性の発達障害かもしれません」(2015年発行)の「プロローグ あなたの心に、こんなモヤモヤはありませんか?」(P7~P8)において、次に示す項目が示されています。ちなみに、この本ではADHD及びアスペルガー症候群をカバーしているようです。 「家事がうまくできません」「片づけができません」「お金や書類の管理ができません」「子育てが苦手です」「夫とうまくいきません」「女性同士の人間関係がうまくいきません」「忘れもの、なくしものをよくします」「時間が守れません」「パート、アルバイト、仕事がうまくいきません」「飲酒や衝動買いがやめられません」「男性との距離感がわかりません」「生理前になるとイライラします」及び「キレたり、落ち込んだり、パニックになったりします」 さらに、ASD の成人期における女性特有の問題について、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の B. 年代別に発達障害を診る の 5. 成人期 の ③成人期事例の調査から の 支援をめぐる課題 の「女性特有の問題」における記述(P89)を次に引用(『 』内)します。 『性的搾取の対象になること,子育ての負担,家事の負担,月経前緊張症,更年期障害のつらさなどの訴えがみられた.子育て,家事についての負担感は一部の女性で非常に強く,子どもを虐待するリスクの高い事例もあり,虐待防止の観点からも発達障害のある母親への支援が必要な事例もある.』(注:この引用部の著者は内山登記夫です)))。

① 同本の「巻頭チェック」における記述の一部(P6)を次に引用します。

近年、アスペルガー症候群がよく知られるようになりました。しかし、みなさんが知っていることは、じつはほとんどが男性のアスペルガー症候群の情報です。女性の場合は悩みごとも対応法も男性と異なるのですが、それはあまり知られていません。

注:引用中の「女性の場合」に関連する「Aspienwomen」(Adult Women with Asperger Syndrome[拙訳]アスペルガー症候群を伴う成人女性)については英文で拙訳はありませんが次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome

② 同の『よくある悩み 「ガールズトーク」についていけない』における記述の一部(P14)を次に引用します。

アスペルガー症候群の女性の悩みとしてもっとも多いのが、「ガールズトーク」ができない、楽しめないということです。

注:i) 引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連するWEBページを次に紹介します。『「ガールズトークが苦手」女性のアスペルガー症候群 複雑な悩み』 ii) 引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連する『ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門なこと』について、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第二章 「ガールズトークができなくてもいい」と考えを変えよう の『ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門』における記述(P47~P48)を「ガールズトーク」についての説明を含めて以下に引用します。加えて、引用中の『「ガールズトーク」ができない』に関連するかもしれない a) 「他愛もない会話といったことがとても苦痛」について、福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかるアスペルガ―症候群の人とのコミュニケーションガイド」(2016年発行)の「コラム 女性のアスペルガー症候群患者はとくに苦労している?」における記述の一部(P76)を以下に引用します。

ASの女性にとって「ガールズトーク」は鬼門
ASの特性のある女性にとって、思春期以降のコミュニケーションはさらに困難なものになります。このころから、女性はさかんにガールズトークを展開するようになるからです。
ガールズトークとは、女性同士の間で交わされる会話のことで、恋愛や異性、うわさ話、陰口などそのグループ内だけに流通する内容であることが多く、男性がいる場では決して話さないような本音も飛び出します。これは男性にはあまり見られない女性特有の会話パターンです。
そもそも人付き合いが得意ではなく、その場の空気を読むことが苦手なASの女性にとって、興味のわかない話題に加わるのはかなりハードルの高いことです。会話のテンポやノリを壊したり、不用意なことを言ってその場を凍らせてしまったら、楽しいおしゃべりに水を差すことになります。
しかも、ガールズトークはテーマや目的に沿って話をしているとは限りません。急に話がそれたり、皆が思い思いのこと話し始めることもあります。ASの女性は、その流れにうまくついていけず、また口をはさむことも容易ではありません。こうした女性特有のおしゃべりや付き合い方がうまくできないことで、周囲から無視されたり、仲間外れに遭うこともあります。
同性とのおしゃべりや付き合いがうまくいかないなら、男性と友だちになればいいのでは? という考えもあります。実際、男性のほうが気をつかわずに話せると感じる人もいます。
しかし、思春期以降は異性に興味を持ち始めるので、本人にそのつもりはなくても、男性と一緒にいるだけで同性からからかわれたり、攻撃材料にされるおそれがあります。
なぜそんな態度をとられるのか、特性のある女性は理由が思い当たらないため、疎外感や劣等感を覚えることも少なくありません。

注:引用中の「AS」は引用元の本の P40 によると、次に記述の一部(『 』内)を引用するように「アスペルガー症候群」を指すようです。 『一方、ASDの中でも知的障害をともなっていないのが、アスペルガー症候群(AS)です。』

女性のアスペルガー症候群患者はとくに苦労している?(中略)

一般的には、女性は男性に比べて、雰囲気や共感、婉曲な言い回しなど、アスペルガー症候群の人が苦手とするコミュニケーションを多用する傾向にあります。こうした傾向の強いグループでは、アスペルガー症候群の人は、他愛もない会話といったことがとても苦痛であり、グループの中で浮いた存在になってしまいがちです。ともすると余計なひと言が原因で敬遠されてしまうこともあります。
聴き役に徹するようにするなど、苦労して適応しているという方もいらっしゃいます。
ところが男性とのコミュニケーションではそれほど気を使わずに済み、話が通ることも多く、精神的に楽になります。
また相手が女性の場合でも、はっきりした裏表のないコミュニケーションを好む相手の場合は、同様に居心地はそう悪くありません。

一方上記「ガールズトーク」に関連して、職場におけるコミュニケーションが苦手の視点から、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第6章 女性の社員がアスペルガーだと思ったら の「ASDの女性はコミュニケーションが苦手」項における記述の一部(P164~P166)及び備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第2章 発達障害の3つの特徴 の「CASE1」項における記述の一部(P44~47)をそれぞれ以下に引用します。

ASDの女性はコミュニケーションが苦手

仕事でも人間関係でも、職場で重要なのはコミュニケーションです。女性はこの能力がおしなべて高い傾向があります。またパーソナリティの評価から仕事の評価まで、コミュニケーションの能力が重視されるので、この能力が低い女性は職場の評価が一気に下がり、社内での居場所を失くしていきます。実は、ASDの女性にはそこに大きな問題があります。
コミュニケーションの問題とは、他者の意図を理解することが苦手ということです。(中略)それほど敵対的な人間観ができあがっていない人の場合には、「会話を楽しめない」「受け答えが人より遅い」「女性のグループに属せない」などになります。
恋愛やファッションの話題は女性同士の人間関係の潤滑油になります。しかし、ASDの女性は他の女性と一緒になって同じように盛り上がることが苦手です。
そもそも会話をするということは、男女にかぎらず、一つの話題を通してセルフプレゼンテーションを行い、同時にその話題に共感してもらうことです。そこにはお互いを理解しあい関係性を構築していくという目的が潜んでいます。そのように、明確な目的を持って行われる話し合いではなく、他愛のないおしゃべりであっても、それを通してお互いに関係性を築いていくのです。他愛のないおしゃべりのような会話は、結論や意見を求めているのではなく、共感や同調を求めます。そのような会話を通して、全体の空気(会社や職場、学校や友だちなどのグループ)への参加ができるのです。
ところが、ASDの女性は他愛のないさまざまな話についていくことができず、会話が弾まないのです。興味のある話題以外はなにを話されているのかイメージできず、想像することに負荷がかかりどんどんつまらなく感じます。話の内容がまったくわからず苦痛を感じます。礼儀として話を聞くことはできますが、興味が持てず、自分の興味との共通点も見つからないので話についていけません。
会話の流れにそって受け答えすることはできますが、非言語的な(うなずく、アイコンタクトなど)情報のやりとりも苦手なので、本当に理解しているというメッセージを発することができません。また、受け答えのスピードも遅いため、会話が弾まないのです。(後略)

CASE1 他人との雑談が苦痛だという驚くほど無口な女性事務員(良美さん、29歳、事務職)

「他人との雑談が苦痛」――初診時に良美さんの問診票には、その一言だけが書かれていました。
診察の中で質問を重ねていきましたが、非常におとなしく、とても無口な方でした。彼女のおとなしさに、私が驚いたほどです。
言葉を換えながら、私はたくさんの質問をしていきましたが、首をかしげるか、うなずくかのみで、彼女はほとんど言葉を発しません。
自らが希望して、診察を受けに来たのです。ここまで応答が乏しい方は、私にとってもあまり経験がありません。それくらい無口な女性でした。
そうした応答であったために、残念ながら初診時には、彼女の困っていることを私は完全に把握することができませんでした。
「会社内で、休憩時問におしゃべりをすることが難しい」
良美さんの発した数少ない言葉から、そんな悩みがわかりました。
無口ではあるものの、とても落ち着いて座り、表情は穏やかでした。時折、小さな声で「きゃはは」と、場面にそぐわず唐突に笑い声を上げることに違和感を抱きました。
その笑い声は、良美さんが他者に与える印象に大きく影響しているものと思われます。深く悩み、苦しんでいる印象は微塵も受けませんでした。
表情は穏やかで、微笑んではいるものの、診察の間中、視線はほとんど合いません。両肩にはカを入れていることがわかります。
「自ら希望して診察に臨んだものの、他人と対面しながら言葉でやり取りをすることに苦痛を感じているのかもしれない」
そう思った私は、彼女に日記を書くような要領で、日々の困ることを書き留めてくるように宿題を出しました。
「あまり書いてこないかな……」
そんな私の不安を見事に裏切り、1週間後に差し出されたノートには、診察時の口数の少なさとは打って変わって、たくさんの「困ること」が書き連ねてありました。
良美さんの「困ること」とは、次のようなものでした。

●仕事に関する会話では問題ない。困っておらず、注意されたこともない。
●休憩時間に同僚の若い女の子たちが雑談していると緊張してしまう。
●話しかけられたらどうしよう、と休憩の間中、トイレにこもっていたことがある。
●実際に話しかけられると、頭が真っ白になってしまう。とりあえず笑った顔をしているが、ずっと笑った顔をするだけで一言も話せずに黙り込んでしまうことがほとんど。「何か話したら?」と大きな声で注意する先輩もいた。
●突然、「何、笑ってるのよ!」と、相手を怒らせてしまったことが何回もある。
●この傾向は、少なくとも小学4年生くらいから続いている。
●小学5年生のころ、「あの子、変わってるよね」と聞こえよがしにいわれたことがあり、それ以来、緊張するようになっている。
●今も「あの子、変わってるね」といわれている気がしてつらい。
●上手に雑談ができればいいと思うこともあるが、まったく雑談しないですむ職場のほうがいい。

困っていることを彼女の精神的な症状として理解できるかどうか、より詳細な情報を得たいと考えて、面接をくり返しました。しかし、診察中の言葉を媒介としたやり取りでは、やはりうなずくか、首を横に振るだけのコミュニケーションです。話はそれ以上深まることはありませんでした。
そして3回受診しただけで、その後はぷつりと来院されなくなりました。言葉でのやり取りが多く必要となる診察が負担だったのかもしれません。(後略)

③ 同の「心身の症状 朝が苦手で、ベッドから起き上がれない」における記述の一部(P31)を次に引用します。

アスペルガー症候群の女性の多くが、睡眠障害をはじめとする体調不良に悩んでいます。
朝起き上がれないくらいの疲労感がしばしばあります。(中略)

神経系の機能不全がストレスで悪化
アスペルガー症候群の女性には、自律神経失調症のような身体症状がよくみられます。体質的に、神経系の機能不全が起こりやすいようです。(中略)
機能不全が起こりやすいうえに、生活上の困難によるストレスも強いため、神経系の働きが不安定になりがちです。

月経の前後は症状がさらにひどくなる
月経の前後には、症状がより不安定になる傾向があります。月経の前に体調不良が起こる「月経前症候群」が起こりやすく、症状も重いといわれています。

注:i) 引用中の「身体症状」については、身体症状を参照して下さい。 ii) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 iii) 引用中の「自律神経失調症」については、次の資料「自律神経失調症」、及び他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「体調不良」には「自律神経失調症」が含まれることについては、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 男女の違い 自閉症スペクトラム障害は、男性に多く見られる の「女性特有のわかりづらさと特性がある」における記述の一部(P53)を次に引用(『 』内)します。 『自律神経失調症のような原因不明の体調不良に悩まされることも珍しくありません。』 iv) 引用中の「月経前症候群」については次のWEBページや資料を参照して下さい。 「月経前症候群」、「自閉スペクトラム症女性を対象とした月経前症候群リスクに関する実態調査」 加えて、引用中の「月経前症候群」(PMS)に関連する「月経前不快気分障害」(PMDD)については、上記「月経前症候群」を含めて次の資料を参照して下さい。 「精神科からみた PMS/PMDD の病態と治療」、「PMS, PMDDの診断と治療 -他科疾患との鑑別-」 一方、女性のADHDにおけるPMS(月経前症候群)とPMDD(月経前不快気分障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に「月経不順」に関連するかもしれない「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」(例えばWEBページ「多嚢胞性卵巣症候群」を参照)について、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「月経」における記述の一部(P280~P285)を次に引用(【 】内)します。 【ポールらによる別の研究※3では、自閉症の女性は対照群に比べて、てんかん、PCOS、変則的な月経、重症のにきびの発症頻度が高いことがわかっている。PCOSは、私が質問した女性の多くが診断を受けたことがある疾病として挙げており、ASDの女性には比較的よく見られる特徴のようだ。】(注:引用中の「※3」は次の論文です。 「Uncovering steroidopathy in women with autism: a latent class analysis」) v) 引用中の「体調不良」や「身体症状」に関連するかもしれない「心身症」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用中の「朝起き上がれないくらいの疲労感」に関連するかもしれない「起き上がりたくても起き上がれないという状態がしばらく続く」ことについて、宮尾益知著の本、「女性のための発達障害に基礎知識」(2020年発行)の 第三章 体調不良で倒れるまで頑張ってしまう理由 の「それでも頑張ってしまうASの女性たち」における記述の一部(P62~P63)を次に引用します。

(前略)適度に休憩をとったり、気を抜いたり、気分転換を試みるとよいのですが、ASの女性は“ほどほど”にやることができず、ギリギリまで頑張ってしまうのです。本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまいます。そしてある日突然、電池が切れたように倒れてしまいます。言い換えると、倒れなければ止まれないのです。
体調を崩して、起き上がりたくても起き上がれないという状態がしばらく続き、回復したらまた頑張り、また体調を崩す。これを繰り返していると、やがて本人も自信を失ってしまいます。
「頑張っているのにうまくいかない」「自分はなにをやってもダメなんだ」と自己肯定感も低下していきます。これはASの女性によく見られる二次障害です。(後略)

注:i) 引用中の「二次障害」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまいます」に関連する「疲れを自覚できない」ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「AS」は引用元の本の P40 によると、次に記述の一部(『 』内)を引用するように「アスペルガー症候群」を指すようです。 『一方、ASDの中でも知的障害をともなっていないのが、アスペルガー症候群(AS)です。』 iv) 引用中の「ASの女性は“ほどほど”にやることができず、ギリギリまで頑張ってしまう」ことや「そしてある日突然、電池が切れたように倒れてしまいます」に関連する「彼女にとって仕事は、100%全力で取り組むか、バタンと倒れて0%になってしまうかのどちらかしかありません。」について、宮尾益知著、協力:オーク発達サポートの本、「発達障害の悩みに答える一問一答」(2020年発行)の 第3章 就職や職場にまつわる悩みや疑問 の「A46 完全オフの休養日を設けて、エネルギーチャージしながら取り組んでみましょう。」における記述の一部(P130~P131)を次に引用します。

(前略)以前、働き始めて一~二年の二〇代の女性の患者さんが、診察室の前で突然バタンと倒れてしまったことがありました。歩くのも困難なほどフラフラなので、血液検査などを行いましたが、体の異常はまったく見られませんでした。そこで二~三日ゆっくりするように勧めたところ、ウソのように元気になりました。
話を聞けば、九時の始業から午後三時まではふつうに仕事ができるけれど、三時を過ぎるとものすごく疲れるのだそうです。知的能力は高く、人より仕事は早くできるので、三時にはその日の仕事が終わってしまうこともあります。でも、まわりの人と同じように五時までは会社にいなければならないため、三時から五時までの間に疲れがたまり、ついには突然倒れてしまうまで疲労が蓄積していたのです。
彼女にとって仕事は、100%全力で取り組むか、バタンと倒れて0%になってしまうかのどちらかしかありません。ほかの人のように、ときどき息抜きをしたり、メリハリをつけたりしながら、要領よくやっていくということができないのです。
これは特性によるものなので、「ほどほどでいいんだよ」「みんな適当に息抜きしながらやっているんだよ」という一般的なアドバイスは苦しめるだけです。100%か0%しかできないのならば、完全オフの休養日をつくること。できれば土日の2日間、むずかしければ日曜日だけでも、だれとも会わず、家でゆっくり過ごして、エネルギーをチャージするようにしてください。

④ 同の「COLUMN 女性の発達障害と重なりやすい病気」の「女性は胃腸の不調や貧血などが多い」における記述の一部(P40)を次に引用します。

女性に多い病気として第一にあげられるのは、心身症です。胃腸の不調や貧血、疲労感などが起こり、何度も内科を受診します。
しかし対処療法的に薬を飲むだけでは状態がよくならず、アスペルガー症候群に気づくまで、悩み続けてしまいます。難治性の心身症にかかっているという自覚がある場合は、アスペルガー症候群かもしれません。要注意です。
ほかに摂食障害(三八ページ参照)や境界性パーソナリティ障害性同一性障害などの心の病気もみられます。社会性が育ちにくいという特性が、人間関係などの悩みにつながり、各種の心の病気に関わっているようです。

注:i) 引用中の「摂食障害」及び「境界性パーソナリティ障害」については、共に他の拙エントリの「リンク集」を参照して下さい。一方、引用中の「心身症」については、次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「難治性の心身症」に関して、同の「診断 内科や婦人科では心身症と言われやすい」における記述の一部(P49)を以下に2つ(後者はここを参照)引用します。 iii) 加えて、女性ASD(アスペルガー症候群)の体調不良に関連して、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第6章 女性の社員がアスペルガーだと思ったら の「感覚が鋭敏なASD女性の小さな変化をチャンスにする」における記述の一部(P173)を以下に、加えて宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本」(2017年発行)の 第3章 職場でのトラブル -実例と対応策【ASD/アスペルガー症候群の場合】 の「感覚の偏り、体調面からトラブルになる」における記述の一部(P42~P44)を以下に それぞれ引用します。

「難治性の心身症」と言われている人は要注意
心身症と診断され、治療を受けてもなかなか改善しないと、「難治性の心身症」だと言われることがあります。そのような診断を受けている人のなかに、じつはアスペルガー症候群の人がいます。
アスペルガー症候群であれば、心身症の治療だけでは、体調不良が根本的に改善することは、なかなかありません。特性への配慮も必要となります。
そのため、治療をしても睡眠障害や頭痛などが残り、やがて難治性の心身症と診断されるのです。

注:i) 引用中の「睡眠障害」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」 ii) 引用中の「心身症」に関連するかもしれない「不耐症」や「過敏症」を含む「心身の健康問題」について、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行、ツイートを参照すると良いかも)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「身体的な健康」における記述の一部及び「アレルギー、不耐症、過敏症」における記述(P280~P285)を形式を変えて次に引用します。

身体的な健康

ASD女性に焦点を当てた研究がほとんどないため、ASD女性に特有の心身の健康問題がどのようなものであるかはわかっていない。私の経験、およびアンケートへの回答に照らせば、ASDの女性はさまざまな健康上の問題を抱えているようだ。
私はずっと心気症患者とみなされてきた。疼きや痛み、不耐症、感覚過敏といった、日常生活に影響を及ぼす不調が尽きることがないせいだ。他のASDの女性も、同じような誤診を受けている可能性があると思っている。こうした診断の一部は、ASDの診断に先立って下されたものだ。現在では、個別の症状というより、ASDの特性の一面として理解されているものもある。
自己診断している人もいるし、誤診を受けた人もいる。たとえば、ASDの人は、強迫性障害(OCD)だと誤診されることがある。だが、観察された行動は、不合理な考えや強迫観念のせいではなく、単に構造化やルーティンの必要性からなされたものにすぎない。当然のことながら、これらの症状をどのように感じ、認識するがは、人によって異なる。

ディスレクシア(読み書き困難)、統合運動障害、アーレン症候群、全般性不安障害抑うつ強迫性障害子宮内膜症(重度)、喘息、弱視過敏性腸症候群レイノー症候群、アレルギー。これで全部だと思います!
(ASD女性)

学習障害失読症、ADD[注意欠陥障害]、スコトピック感受性症候群(視覚の問題)、喘息、過敏性腸症候群(胃腸の問題)、甲状腺機能低下症、神経障害、片頭痛抑うつ、不安障害。
(ASD女性)

○喘息、非アレルギー性慢性鼻炎、IBS[過敏性腸症候群]、ME[筋痛性脳脊髄炎]、片頭痛共感覚、RSI[反復運動過多損傷]、日中の慢性的な眠気、抑うつ(反復性うつ病性障害だと思います)、不安、PMS[月経前症候詳]、低血糖症
(ASD女性)

○背部と頸部の過可動性の問題(カイロプラクティック施術者によって確認)、算数障害(未診断)、抑うつ、抜毛症(現在は落ち着いているが、一〇代の頃はかなり顕著で、ストレスで再燃する)、全般性不安、摂食障害(食欲不振ではなく、過小摂取と運動過多)。
(ASD女性)

これらの症状によるつらさは、間違いなく実在する。健康不安をでっち上げたり、必要以上に騒いでいたりすると思われるASDの女性には、一度もお目にかかったことがない。むしろその逆で、かなりの不快感や痛みを抱えながらも、医療機関に相談せずに日々をやり過ごしている女性が多い。知覚の過敏さと細部へのこだわりは、ASDの特性だ。そのため、ASDの女性たちは体のどこかがおかしいと感じたときに、敏感に気づくことができるのかもしれない。
ASDの女性は、自分自身を強い関心の対象とし、自らの研究課題とすることがある。自らの症状の専門家となることも珍しくないため、治療方法の決定に関わることが望ましい。医学的なアドバイスを求めたとしても、自分で可能な限りの選択肢を調べ、特定の症状については医療従事者よりも詳しく知っていることもあるだろう。医療従事者は、このようなアマチュア臨床医に対して身構えるのではなく、耳を傾け、その言葉に注目したほうが賢明だ。おそらくその女性が言っていることは正しく、医療従事者の時間を大幅に節約できるかもしれない。
さきほど引用したアンケート回答を見ると、最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであることは明らかだ。ASDの女性が経験した身体的症状の多くは、身体と脳に負担がかかっていることのあらわれである。片頭痛過敏性腸症候群、限局性恐怖症、全般性不安障害慢性疲労症候群CFS、近年はME[筋痛性脳脊髄炎]とも呼ばれる)、線維筋痛症は、いずれもASDの女性から聞いた症状として、個人や支援機関によって報告されている。(中略)

ASDの女性を治療し、診察する際は、治療法を提案する際に、ASDのことを考慮しなければならない。このような身体的な病気に対する最良の「治療法」は、本人の自己理解を深める支援にある。自分の限界を知れば、それを他人に知らせるために自己主張できるようになるだろう。筆者自身について言えば、自分の能力が人と比べていかに限られているかを理解することが、文字通り命拾いになった。どのように見えようとも活動を制限し、「普通」に見せかけることより健康を優先することが、自分にとって絶対必要だとわかったのだ。「全部やりたい」という自分の衝動のせいで制限できそうもないときは、周囲の人に代わってもらう必要がある。このプロセスは痛みを伴うものでもある。(自分の心の)限界と「力不足」を受け入れることを意味するからだ。

アレルギー、不耐症、過敏症

DSM-5の診断基準にも含まれているように、ASDの人がさまざまな刺激に敏感だったり鈍感だったりすることは、広く知られるところだ。これまで、このような過敏さは、光、音、匂いなどの外部からの感覚刺激に対するものと認識されていた。しかし経験上、ASDの女性はそれよりもはるかに広範囲の物質から影響を受けているように思われる。
化学物質、薬剤、カフェイン、生地など、広く使われている物質で身体的反応が引き起こされるASD女性は珍しくない。芳香剤、蛍光灯、エアコン、香水、ウール、アスパルテームスクラロース、砂糖、粉末洗剤などは、身の回りにある誘因のごく一部である。筆者自身、こうした刺激によって生活が少々困難になる(その結果、ぴんぱんに片頭痛を起こす)。身体的な病気と同様につらく、感覚自体はリアルに存在するのに、私たちの反応は細かいことにこだわる心気症患者のように見えてしまう。

○さまざまな抗生物質に対して過敏症やアレルギーがあります。神経系や消化器系の症状が悪化してしまい、服用をやめても症状が続きます。
(ASD女性)

○さまざまな布地にかぶれやすく、赤み、ブツブツ、かゆみが生じます。自分の服はすべて、無香料の液体洗剤で洗わなくてはいけません。
(ASD女性)

○煙、有毒ガス、アロマキャンドル、薬品臭など、空気中の化学物質に非常に敏感です。(…)特にタバコの煙を浴びると、鼻腔、喉、目がひりひりし、片頭痛が起きることもしょっちゅうです。
(ASD女性)

○人混みや騒がしい環境にはすぐにのまれてしまいます。細菌や汚いと感じるものから身を守ろうとする強迫傾向があるため、職場ではよくからかわれます。手指消毒剤は欠かせません。まぶしい照明や蛍光灯なども苦手で、視覚異常が悪化します。
(ASD女性)

注:i) 引用中の(ASDにおける)「DSM-5の診断基準」については例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症と児童精神科医療」の「表1 DSM-5による自閉スペクトラム症の診断基準」(P330) ii) 引用中の「身体的な健康」に類似する「Physical health」については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Physical health of autistic girls and women: a scoping review」 ii) 引用中の「心気症」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「心気症」 iii) 引用中の「最も頻出する症状の根本原因はたった一つ、ストレスであることは明らか」に関連するかもしれない「生活上の困難によるストレスも強い」ことについてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「自らの症状」としての「抑うつ」については「アレキシサイミア」を含めてここを参照して下さい。一方、引用中の「全般性不安障害」にも関連するかもしれない「不安」についてはここを参照して下さい。ちなみに、子どもと若者における「逆境的小児期体験」と上記「抑うつ」や「不安」との関連についての論文(全文)例は他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、「女性の自閉症スペクトラム障害の特徴の1つとしては男性よりも軽症(非典型的)であることがありますが、当事者の苦悩も同様に軽いとはいえません。むしろ、男性の自閉症スペクトラム障害よりも不安や抑うつなどの精神症状を伴いやすい可能性も指摘されている」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「大人の自閉症スペクトラム障害の特徴である適応困難とは?〜特徴には男女で若干差がある〜」の「成人女性の自閉症スペクトラム障害の特徴」項 v) 引用中の「強迫性障害(OCD)」や「強迫観念」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「敏感」、「不耐症」や「アレルギー」に関連する「薬、カフェイン及び/又はアルコールに対して敏感である」かもしれないことや「グルテン、小麦、カゼイン又はその他の食物へのアレルギーや不耐症がある」かもしれないことについて、WEBページ「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」の 6. Physiology/Neurology の「B. Sensory Processing Disorder/Condition」項における記述の一部を以下に引用します。

K. May be very sensitive to medications, caffeine and/or alcohol

L. May have gluten, wheat, casein or other food allergies/intolerances, gut issues


[拙訳]
K. 薬物、カフェイン及び/又はアルコールにとても敏感であるかもしれない

L. グルテン、小麦、カゼイン又はその他の食物へのアレルギー/不耐症、腸の問題があるかもしれない

注:i) 拙訳中の「グルテン」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「グルテンフリーにしてもやせません 負担大きい食事療法」 ii) 拙訳中の「カゼイン」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「第81回 ミルクは何故白いのか? ~その白さの奥に広がる神秘の世界~

他の病気だと診断される
内科や婦人科のほかに、精神科でも、発達障害を専門的にみている医療機関でないと、別の病気だと診断される場合があります。しかし、その診断で治療を受けていても、状況はなかなか改善しません。

注:引用中の「精神科でも、発達障害を専門的にみている医療機関でないと、別の病気だと診断される場合があります」に関連するかもしれない、 a) 「ASDの女性は、ASDと精神疾患の両方の診断がつくのではなく、ASDが見逃されて精神疾患のみの診断が下されるおそれが特に大きい」ことについて「不安」を含めて、同の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「不安」における記述の一部(P290~P291)を以下に引用します。 b) 「ASDの女性は、ほとんどの場合(おそらく臨床医を信頼していないために)、今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている」ことについて、同章 の「治療法と治療計画」における記述の一部(P299~P300)を形式を変更して以下に引用します。

不安

ASDの生活に、不安はつきものであることは広く認識されている。前述のとおり、ASDの女性は、ASDと精神疾患の両方の診断がつくのではなく、ASDが見逃されて精神疾患のみの診断が下されるおそれが特に大きい。そのため、ASDの男性よりも不安の症状を呈する可能性が高いと結論づけられるかもしれない。アンケートに答えてくれた女性の約五〇%が、はっきりと不安について言及している。ASDの女性が書いた本や、ASDの女性について書かれた本のほとんどで、不安が取り上げられている※8。(中略)

ASDの女性が不安を感じるのは、とめどなく混沌としていて、非論理的で、もどかしい世界に生きているからだ。世界は一貫性に欠け、状況は絶えず変化する。自分に課せられた女らしさへの期待に応えられないと感じることで、不安はさらに悪化する。結果として、特定の状況を避けるだけでなく、いつ不安が引き起こされるかわからないという感覚に常にさいなまれることになる。(後略)

注:引用中の「※8」は次の本を指します。 「Holliday Willey, L. (2001) Asperger Syndrome in the Family. London: Jessica Kingsley Publishers.(『私と娘、家族の中のアスペルガー ほがらかにくらすための私たちのやりかた』ニキ・リンコ訳、明石書店、2007)」、「Lawson, W. (1998) Life Behind Glass: A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London: Jessica Kingsley Publishers.(『私の障害、私の個性。』ニキ・リンコ訳、花風社、2001)」、「Nichols, S., Moravcik, G.M. and Tetenbaum, S.P. (2009) Girls Growing up on the Autism Spectrum. London: Jessica Kingsley Publishers.(『自閉症スペクトラムの少女がおとなになるまで 親と専門家が知っておくべきこと』辻井正次・稲垣由子監修、テーラー幸恵訳、東京書籍、2010)」

治療法と治療計画(中略)

ASDの女性は、ほとんどの場合(おそらく臨床医を信頼していないために)、今ある状況下で可能な限り自分の心の健康を管理する方法を見つけている。自分がASDであること、そしてそれが心身の健康に悪影響を及ぼしていることを認識しているからこそ、自分で実践的な戦略を立てることができる。

○多くの場合、心ををかき乱すような考えや強迫観念から解放される唯一の方法は、音楽、写真、アートビデオなどのポジティブな趣味に没頭することだと思います。       (ASD女性)

○運動は、ストレスや緊張を撃退するすぼらしい日課です。
(ASD女性)

○時間です。それと、私がうまく対処できないときや打ちのめされているときに優しく理解してくれる人。
(ASD女性)

○仲間。ただし、理解ある仲間です。
(ASD女性)

○自己セラピーはものを書くことです。自分を励ます言葉や計画、腹立たしい人への対処法などを書き留めています。
(ASD女性)

○健康維持のために、ローラースケートを始めました。ウォーキングは、抑うつの改善にとても役立ちます。
(ASD女性)

○創作や、自己表現できるクリエイティブな活動に没頭せずにはいられません。そのような活動やセラピーは、私の精神的な健康には欠かせないものです。活動をしないと、ネガティブな自責の念に強くかられ、落ち込んだときには自殺願望を抱くこともあります。今では落ち込むきっかけを認識できるようになり、できる限りそれらを避け、前向きな活動をしたり、他人との約束を守るように努めています。自分を高め、心の安定を維持するために懸命に努力しています。
(ASD女性)

注:引用中の「強迫観念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

感覚が鋭敏なASD女性の小さな変化をチャンスにする(中略)

ASD女性の女性は体調不良になりやすく、そのうえパニックを起こしてストレスを抱えてしまうと、不眠になり朝が苦手になります。眠れない、起きられないという睡眠障害から、ひどい疲労感を感じてだるくて起きられなくなったり、吐き気や頭痛、便秘、下痢などに加え、深刻な自律神経失調症のような身体症状が見られるようになります。(後略)

注:引用中の「睡眠障害」についてはここを参照して下さい。

感覚の偏り、体調面からトラブルになる(中略)

なぜ、こんな行動をとるのか?(体調不良)(中略)

また、女性の特性は、男性と現れ方が違う場合もあります。例えば、気温や天候によっても体調を崩したり、怒りや悲しみ、つらさといったストレスが外に向かって爆発するのではなく、内側に向かい、突然泣き出したり体調不良になってしまう場合があります。

注:i) 引用中の「女性の特性」は、「女性ASDの特性」を意味すると考えます。 ii) 引用中の「気温や天候によっても体調を崩したり」に関連する、「毎日の天候や気温に関係して気分が大きく変わる」ことについて、宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 就活/職場編 就活の悩みと職場内の問題行動をサポートする本」(2019年発行)の 第3章 ASDの女性 職場でトラブルになってしまう代表的な問題行動 の 職場で起きる代表的なトラブル-③ 「体調不良」が起きやすい の「3 気分のアップダウンが激しい」における記述の一部(P57)を次に引用(『 』内)します。 『毎日の天候や気温に関係して気分が大きく変わったり、1日の中でも急に気分が変わることがあります。』 iii) 引用中の「怒りや悲しみ、つらさといったストレスが外に向かって爆発するのではなく、内側に向かい、突然泣き出したり体調不良になってしまう」ことに関連するかもしれない「女性は変化に伴う不安やストレスを内に秘めてしまう傾向にあるという事例」について、同の 第5章 変わっていく身体と複雑な友人関係 の 特徴が見えなくなる の「変化への対処が難しい」における記述の一部(P124)を次に引用(【 】内)します。 【ASDの女性は変化に伴う不安やストレスを内に秘めてしまう傾向にあるという事例が、しばしば報告されている。状況に対処できない自分に注目が集まるのを避けたいと考えているようだ。そのため、実際には対処できていないのに、他の人には対処できていると思われてしまうことになる。感情を抑圧し、隠そうと苦心することで、長期的な精神衛生上の問題が発生することもある。取り繕ってきたうわべが最終的に崩壊し、抑圧されたストレスが表出してしまうのだ。】

⑤ 同の「診断 女性はなかなか診断が得られない」における記述の一部(P44~P45)を次に引用します。

女性の場合、医療機関にかかっていても、アスペルガー症候群を見過ごされることがよくあります。(中略)

女性は診断が出にくい
アスペルガー症候群を含むASDは、女性よりも男性に多いといわれています。医療の現場でも、一般にも、女性のASDがあまり知られておらず、そのため女性はなかなか診断が得られないことがあります。

注:(i) 引用中の「女性はなかなか診断が得られない」に関連するかもしれない、 a) 「アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれない」ことについてはここを参照して下さい。 b) (女性の発達障害は)「気づかれにくい」、「見つかりにくい」ことについて、宮岡等、内山登紀夫著の本、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(2013年発行)の 第3章 診断の話 の 【男女差をどうとらるか】における記述の一部(P147~P148)を以下に引用します。 (ii) 上記(女性の発達障害は)「気づかれにくい」及び「見つかりにくい」ことに関連する(ASDの)「女性の場合ははじめから受身型や孤立型であることも多く、子どものころから特性による問題行動が目立たないこともあって、周囲からなかなか気づいてもらえず、生きづらさを感じてしまいがち」なことについてはここを参照して下さい。

女性はノーマルに振る舞うのが上手
潜在例は多いが、症状をなかなか訴えない(中略)

内山 (中略)女性は行動がそれほど衝動的ではないので気づかれにくいんですね。でも実際には、たとえば授業中にイマジネーション、白昼夢に浸っている子が多いということがだんだんわかってきました。それに、女性はノーマルに振る舞うことが男性より上手なので、見つかりにくいと思います。(後略)

注:i) 引用中の「イマジネーション」に関連するかもしれない『「ファンタジー」への没頭から解離までは、ほんの一歩』については、例えば次の資料を参照して下さい。 「高機能広汎性発達障害 ―二次障害への対応―」の「高機能広汎性発達障害と解離」シート(P14) ii) 引用中の「女性はノーマルに振る舞うのが上手」に関連するかもしれない「ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している」ことについて、同の 第8章 「ASDに見えない」――大人になってからの困難 の『成人期の特徴と「普通」に見えるということ』における記述の一部(P172)を以下に引用します。

(前略)ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している。このようなことができるのも、乗り越える力(レジリエンス)が並外れていることの証であり、往々にして「失敗したくない」「変人だとバレたくない」という断固とした決意のあらわれであったとする。
残念ながら、こうした努力はかなりの犠牲を伴うことがある。(後略)

注:引用中の「犠牲」に含まれるかもしれない「難治性の心身症」についてはここを、「心身の健康問題」についてはここを それぞれ参照して下さい。

⑥ 同の「診断 心療内科などで専門医にかかる」における記述の一部(P44)を次に引用します。

自分自身や家族に発達障害の可能性を感じたら、児童精神科や心療内科などで専門医にかかりましょう。(中略)

大人の場合
発達障害の診療経験がある精神科か心療内科へ。心療内科には体調不良にもくわしい医師が多いため、より安心。内科や婦人科では、体調不良はみてもらえても、発達障害は見過ごされがち。

⑦ 同の「COLUMN 診断基準がそもそも男性向け?」における記述(P56)を次に引用します。

アスペルガー症候群は男子の症例報告
アスペルガー症候群は、アスペルガーという精神科医が発見した症候群です。アスペルガーは二〇世紀なかばに、数名の男子に同じ特徴を見出し、報告しました。のちにそれがアスペルガー症候群と名付けられたのです。
つまり、アスペルガー症候群はもともと男子の特徴をまとめたものだということです。研究がはじまった当初から、女子の特徴はよく知られていませんでした。

女子の症例や研究はまだ多くない
その後、アスペルガー症候群の診断基準が確立されてからも、症例の中心は男性でした。男性の方が女性よりも数倍多いとされてきました。しかし、女性の研究が進み、男女では特性の現れ方が違うという説が出てきました。
男性では幼少期から特性がみられるが、女性では思春期まで特性が目立たず、また、思春期になっても社会性の乏しさが男性ほど顕著ではないなどと、報告されはじめたのです。
まだ仮説段階の話ではありますが、アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれません。今後の研究に期待がかかります。

注:i) 引用中の「アスペルガー症候群の診断基準や対応法は男性に合わせたもので、女性向けにはなっていないのかもしれません」に関連する論文例についてはここを参照して下さい。 ii) 一方上記論文ではありませんが、アスペルガー症候群の女性像については次のWEBページを参照して下さい。 「Aspienwomen: Moving towards an adult female profile of Autism/Asperger Syndrome」 ただし、上記WEBページの拙訳はありません。

⑧ 同の「COLUMN 女性当事者の手記にはヒントが満載」の「参考になる手記」における記述(P98)を次に引用します。

●ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』
●グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった。』
●テンプル・グランディン『我、自閉症に生まれて』
●ルディ・シモン『アスペルガーの女性がパートナーに知ってほしい22の心得』
●リアン・ホリデー・ウィリー『アスペルガー的人生』

ウィリアムズやグランディンは、この分野の先駆者的存在。自閉スペクトラム症の特性がありながら、理解や支援を得てすごしてきた日々を、自伝に記しています。
ガーランドやウィリーも同様で、理解者を得て生活の仕方を学び、発達障害の特性があると気づかれないくらいにまで、社会生活のスキルを身につけました。
シモンは自身の体験や、同じ境遇にいる当事者の話をもとに、アスペルガー症候群の女性の特徴や悩み、対応法をまとめています。

注:上記「女性当事者の手記」に対し、これら以外にも次の本があります。シエナ・カステロン著、浦谷計子訳『わたしはASD女子 自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』(2022年発行)

加えてここにおける引用を参照して下さい。さらに、 a) 備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第5章 「ちょっと変」を疑似体験して知る の「本を読んで隣人を知る」項における記述の一部(P163)を以下に、 b) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の「はじめに」における記述の一部(P2)を以下に、 c) 「私たち凡人の読者が気をつけないといけない点」を含めて、関正樹、高岡健著の本、「発達障害をめぐる世界の話をしよう よくある99の質問と9つのコラム」(2020年発行)の「コラム9 自閉スペクトラム症を有する人の自伝」における記述の一部(P212~P213)を以下に それぞれ引用します。

最近では、アスペルガー症候群や高機能広汎性発達障害という診断を受けた人たちが、自分たちの世界を雄弁に語り始めています。
たとえば、ドナ・ウィリアムズによる『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)。この本は、世界的なベストセラーになりました。
また、日本では翻訳家として活躍しているニキ・リンコさんがいます。その著書『俺ルール! 自閉は急に止まれない』や『自閉っ子におけるモンダイな想像力』(ともに花風社)で、PDDに独特の世界観や身体感覚を、ユーモアをたっぷりまじえながら、非常にわかりやすく、明るく語っています。

注:i) 本のタイトル中の「AD/HD」はADHDのことです。 ii) 引用中の「ニキ・リンコさん」は女性です。

(前略)成人例を診ることの利点は,彼ら彼女たちが自らについて語るということにある.そればかりか,書く能力に秀でていることさえある.実際,ドナ・ウィリアムズ(Donna Williams),グニラ・ガーランド(Gunilla Gerland),藤家寛子,森口奈緒美らの自伝からは,ありふれた解説書のたぐいを読むよりも,はるかに学ぶことが多い.(後略)

注:i) 引用中の「成人例」とは、「成人 ASD」のことのようです。 ii) 引用中の「藤家寛子,森口奈緒美らの自伝」における、藤家寛子の自伝例は【『ほかの誰かになりたかった-多重人格から目覚めた自閉の少女の手記』花風社,2004】、森口奈緒美の自伝例は【『平行線-ある自閉症者の青年期の回想』ブレーン出版,2002】です。

(前略)日本のものでは、小道モコ『あたし研究』(クリエイツかもがわ)が秀逸だと思います。この本には「支援する側、される側は一方通行ではありません」「ありのままの誰かを受け入れるには、ありのままの自分を大切にすることが、とても大切になってきます」と書かれています。
これらの優れた本が上梓されている一方で、私たち凡人の読者が気をつけないといけない点があります。それは、どうしてもこれらの本を、いわば歩く教科書のように読んでしまいがちだという点です。こうなると、著者のすべての姿を自閉スペクトラム症から演繹し、理解したつもりになってしまいがちです。しかし、ほんとうは、自閉スペクトラム症は著者の人生の何割かを規定しているだけで、すべてがそれで覆われているわけではないことは、いうまでもありません。(後略)

注:この引用部の著者は高岡健です。

一方、上記手記やASDに関連した本を次を紹介します。 a) 村田沙耶香著の本、「コンビニ人間」(2016年発行)の女性主人公はアスペルガー症候群を感じさせる人であるとの意見を含む書評のエントリは次を参照して下さい。 「書評『コンビニ人間』村田 沙耶香(文藝春秋)」 b) 星野あゆみ著、本田秀夫監修の本、「発達障害のわたしのこころの声 生活・仕事で困っている理由 & 困らない工夫」(2015年発行)によると、「ソーシャルコミュニケ―ション障害」※2や「非言語性学習障害」の診断名もあるようです。 c) そして、綾屋紗月、熊谷晉一郎著の本、「発達障害当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい」(2008年発行、参照、加えて資料「自閉スペクトラム症の社会モデル的な支援に向けた情報保障のデザイン:当事者研究の視点から」や「当事者研究の新たな歴史を紡ぐ」も参照すると良いかも)や綾屋紗月編著の本、「ソーシャル・マジョリティ研究 コミュニケーション学の共同創造」(2018年発行)もあります。なお、上記綾屋紗月氏の 動画(TEDXKids@Chiyoda)は次を参照して下さい。 「綾屋 紗月/Satsuki Ayaya」 また、上記ソーシャル・マジョリティ研究(すなわち発達障害当事者をはじめとする社会的マイノリティの立場からの、多数派社会のルールやコミュニケーションの研究、WEBページ『終わりのない当事者研究、続ける原動力は「苦楽を共にする仲間」ーー研究者・綾屋紗月さんインタビュー・後編【連載】すてきなミドルエイジを目指して』の『――「ソーシャル・マジョリティ」項を参照)に関連するかもしれない「優秀な社会人類学者」について、同の 第5章 変わっていく身体と複雑な友人関係 ――思春期に出会う困難 の「特徴が見えなくなる」における記述の一部(P121)を次に引用します。

女の子が成長するにつれて、ASDの典型的な特徴が目立たなくなることがある。このことは特に、知的能力と自己認識力の高い人に当てはまるかもしれない。何を求められているか、何が許されないとされているかを学習したおかげだ。これまで見てきたとおり、ASDの若い女性は、しばしば優秀な社会人類学者となることがある。他者の行動を研究することで、定型発達者ならどうふるまうかを正確に予測し、それを模倣して社会的な承認を得るのだ。少なくとも、見過ごしてはもらえる。(後略)

注:i) 引用中の「何を求められているか、何が許されないとされているかを学習した」ことに関連するかもしれない「ASDの女性は、日々を乗り切るため、求められることを別の形で満たそうとしたり(代償行動)、仮面をかぶったり、巧妙な戦略を駆使したりして、人知れず苦手な状況を回避している」ことについてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ASDの典型的な特徴が目立たなくなる」ことと「知的能力」とに関連する「古典的な自閉症における女性の行動パターンは、知的障害を伴えば明白だったが、言語能力・知的能力の高い女児や女性は見逃されていた」ことについて、同の「本書に寄せて」における記述の一部(P4)を次に引用します。 『古典的な自閉症における女性の行動パターンは、知的障害を伴えば明白だったが、言語能力・知的能力の高い女児や女性は見逃されていた。自閉スペクトラム症(以下、ASD)における女性の行動パターンが認知され始めたのは、つい最近のことにすぎない。』(注:この引用部の著者はジュディス・グールドです)

※2:ちなみに、最新の疾患名は「社会的(語用論的)コミュニケーション症」です*36。英語では「Social (Pragmatic) Communication Disorder:SCD」です。上記疾患についての簡単な説明について、a) 次の資料を参照して下さい。 「発達障害について」の「4.コミュニケーション症群」項 b) 加えて、近藤直司田中康雄、本田秀夫編集の本、「こころの医学入門 医療・保健・福祉・心理専門職をめざす人のために」(2017年発行)の 講義12 発達障害 の 2. 代表的な発達障害 の「(5) 会話および言語の特異的発達障害/コミュニケーション症」における記述の一部(P129)を次に引用(『 』内)します。 『もう一つは,DSM-5 ではじめて採用された「社会的(語用論的)コミュニケーション症」で,言語的および非言語的コミュニケーションの社会的使用が持続的に困難であることが特徴です。限局しパターン的な興味と行動がみられない点で自閉スペクトラム症と区別するとされています。』(注:i) この引用部の著者は本田秀夫です。 ii) 引用中の「DSM-5」については例えば次の資料を参照して下さい。 「DSM-5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」)。加えてこの疾患に関連するかもしれない、実用的で社会的なコミュニケーションについての引用はここ及びここを参照して下さい。加えて、この疾患に関連するかもしれないウィングの「三つ組み」仮説におけるコミュニケーションの障害については、リンク集(4)を参照して下さい。用語は『ウィングの「三つ組み」仮説』です。

その上に、「ドナ・ウィリアムズによる『自閉症だったわたしへ』」を引用している本の例が、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」*37(2015年発行)です。この本における引用例として、主に女性の自閉症スペクトラムの特性としての「距離が近づくと豹変する」*38等を説明している部分、すなわち、同本の 13章 鑑別診断-統合失調症と境界性パーソンリティ障害 の「距離が近づくと豹変する」、「感情の渦」及び「易変性」における記述(P252~P256)をまとめて次に引用します。

距離が近づくと豹変する
成人 ASD,とりわけ女性例の臨床にたずさわっていると,臨界的な距離とでもいうべきものがあることに気づかされる.人との心的な距離感が保たれているときには,整然とした,あるいは杓子定規なふるまいをする人が,いったん近しい関係に入ると,手のひらを返したように不安定性を示すことがある.
心的距離がつまってくると,自他未分をベースとした彼女たちの世界のなかに,それを掻き乱す他者が割り込んでくることになる.他者のふるまいが,自分とは別の系として切り離すことができず,共振し,逐一影響を与えるようになる.
混乱するおもな要因として,「こころの動き」と「感情」の二つがまずは挙げられるだろう.こころというものは,彼女らにしてみれば,妙な動きをするものである.曖昧であり,予想がつきにくい.直観的に把握できないので,しばしば推論で代償する.距離が保たれている場合には,局外者として無難に推測することは可能である.むしろ得意とする場合もある.
ところが近い関係になると,推測に必要な距離がなくなる.他者に近づくにつれ,それによってみえてきた部分にとらわれたり,拡散する多数の情報によって撹乱されたりするようになる.定型者にとっては,近しい関係とはなれ親しんだものでもあり,あるいは微妙なこころの機微が働く文化的に豊かな次元である.だが,彼女たちにとってみれば,耐えがたき曖昧なゾーンとでもいうべきものとなる.
たとえば,相手が自分のことをどう思っているのかということが気にかかったとする.これは,他人のこころであり,原理的にこちらにはわからないことである.そこで,相手にたずねて,ネガティヴな気持ちがないことを確認したとする.そのときには少し安心するかもしれない.だが,いったん疑惑にかられると,それは際限のないものとなる.ちょっとでもそれにそぐわぬことがあれば,たちまち落ち着かなくなる.疲れた顔をしていたり,メールの返信が少し遅くなったりしただけでも,確認せざるをえない.確認しても,問題は解消しないし,さらに疑念が頭をもたげる.相手もうんざりしてくる.
定型者がこれに類似した状態になるのは,例外的な状況である.恋愛などはその典型だろう.ASD 者は,恋もしていないのに恋をしているかのような状態となる.

感情の渦
混乱するもう一つの要因は,感情である.「感情の読み取り障害」説があるように,ASD 者は概して感情を苦手とする.中核的な例では,そもそも感情というものがよくわからず,無反応であるのが基本である.そうした態度はしばしば相手を怒らせるが,本人はそれに気づかない.すると相手は馬鹿にされたように感じ,よけいに怒りを増幅させる.
成人 ASD では,感情によって混乱させられるという特性がそこに加わる.感情は,まだ微弱にめばえ始めたばかりの,彼女たちの自他の分節を解除してしまう.過剰に共振してしまい,自己が消滅する脅威となる.彼女らを混乱させられるのは,他者から向けられた感情だけではない.自分のなかに沸き起こった感情もまた,制御がむずかしく,自己を押し流すものとして脅威となる.
感覚的なものを鋭敏にキャッチする彼らのセンサーに対して,感情は曖昧であり,得体の知れないものに映る.その際注目すべきことは,怒りや暴力的なものよりも,むしろやさしさや愛情の方が彼女らを混乱させる場合があるということである.この点について,参考になるのがドナ・ウィリアムズの記述である.彼女によると,暴力や自傷はかえって自分を落ち着かせるものであり,身体の傷はこころを傷つけない.逆にやさしさや親切は身がすくむという.

他人は,自分の虐待や一般に不幸と思われるものから自分の殻にこもっていると勘違いしているが,やさしいやわらかな感情に触れて来るものの方がこわいのだ13.

親切の方がはるかに微妙でつかみにくく,しかも心を乱されるものだった.抱きしめられると,まず最初に目が回り出す14.

ドナにとって,抱きしめられるという体験は,抱くという行為に込められている志向性(愛情)がよくわからないという戸惑いと,ぷよぷよした肉体にくるまれる即物的な異様な感覚の混合したものなのだろう.
感情は,言語による対象化がむずかしいものである.本来むずかしいところに,ASD の言語は身体に浸透していないため,感情を整流すること対して無力である.
「投影同一視」と呼ばれる力動も,起こりやすい.通常の投影は,自他の分節を前提として起こるものである.たとえば自分が相手に対して怒りを抱いているのにもかかわらず,それを抑圧し,相手が怒りを抱いていて,自分を攻撃してくるのではないかと恐れるとのような機制である.それに対して,ASD では,怒っているのが自分なのか相手なのか,そもそも区別がつかなくなる.これが投影同一視と呼ばれるものの正体である.

易変性
ASD が BPD と誤診される重要な特性として,易変性がある.状況に即応して変化する人たちがいる.これは,俗に「質量が軽い」と評した ASD の被影響性による.
相手の状態によって,自分の状態がそのつど変わる.その時々の断片的な文脈に染まりやすい.場合によっては,憑依されたようになる.ただし,回復するのも速い.
ASD 者は大域的な把握が苦手である.状況をふわっとまとめることができない.それゆえ細部に振り回されやすい.このことを裏返せば,定型者に対して,彼女らは解像度の高いセンサーをもっているということである.それゆえ,われわれがアバウトに,いつもと変わらないはずと思っていることに対しても,微細な違いや変化のうごめきを感じ取っていることはありうる.

vignette
30歳女性.受診している際に,医師が緊急の電話でやむをえず中座して戻ってきたところ,それまでの落ち着いた態度から,にわかに「先生は冷たい」と非難し始めた.医師が面喰らって,中座したことを詫びたところ,そうではなく,ドア越しに聞こえてきた電話で話しているトーンがいかにも冷淡だったと言って,さらに非難した。

BPD の臨床特性として,理想化とこき下ろしの交代という現象がある.これもまた,そのつど相手の状態によって振り回される彼女らの自己のあり方による.いわゆるスプリッティングとわれるものである。
すでに述べたように,ASD 者は,他者に全能性を託しやすい.とりわけ医師のような存在は,そのようにとらえられがちである.理想化にはしばしばそうした機制が関与している.それゆえ,いったん理想化が崩れると,パニックに陥るということが起こりうる.それも,定型者には見落とされるような微細なことが引き金になりうる.

注:i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の「BPD」は境界性パーソナリティ障害のことです。 iii) 引用中の「投影同一視」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「理想化とこき下ろし」については、例えば、他の拙エントリのここの「アラジンの魔法のランプ願望」項、ここを参照して下さい。 v) 引用中の文献番号「13」、「14」は、それぞれ【Williams, D. : Nobody Nowhere.Doubleday. 1992, p.92(河野万里子訳『自閉症だったわたしへ』新潮文庫,2000,p.243)】、【同書.p.64(邦訳,p.175)】です。 vi) 引用中の「感情の渦」に関連するかもしれない「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「スプリッティングとわれるものである。」は、もしかすると「スプリッティングといわれるものである。」のタイプミスかもしれません。

さらに、 i) 女性の発達障害当事者による自伝風小説の出版に関する「ツイート」があります。 ii) 女性のアスペルガー症候群に特化した関連資料については≪余談5≫ [3]に、女性のアスペルガー症候群を含む関連資料については≪余談5≫ [4]にそれぞれ示します。 iii) ここのリンク先には、女性のアスペルガー症候群自閉スペクトラム症)に関する記述があります。 iv) 女性のアスペルガータイプの人(未診断、診断されるほどでは無い人を含む)向けの会話のための本は、他の拙エントリのここで紹介しています。 v) 女性のアスペルガータイプ症候群等に対する支援・配慮に関するWEBページを次に紹介します。「自閉症障害 男子に比べ診断が困難 女子の支援配慮を

⑨ 本田秀夫、植田みおり著の本、「最新図解 女性の発達障害サポートブック」(2019年発行)の Part3 「自分らしく」生きるために の 深刻な「過剰適応」の問題 の『「過剰適応」は女性に多い傾向がある』における記述の一部(P131)を次に引用します。

男性と比較して、女性の場合は周囲を気づかい、自分を人に合わせようと努力する傾向が強くみられます。そのため、女性のほうが「過剰適応」の状態になりやすいと考えられます。
とくに、自閉スペクトラム症の特性をもつ人は、律儀で真面目な性格の人が多く、自分を周りに適応させようとするだけでなく、うまく適応できないときには、「自分の力不足」「自分が悪い」と、自らをせめる傾向もみられます。こうした考え方が、さらに大きなストレスとなり、本人を苦しめることになるのです。

注:引用中の「過剰適応」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「「過剰適応」には要注意」 加えて、「過剰適応」の状態が長年続くと、二次的な問題のリスクが高まることについて、同Partの  相談できる人を見つける の『二次的な問題を防ぐために「過剰適応」を避ける』項における記述の一部を次に引用(『 』内)します。 『「過剰適応」の状態が長年続くと、ストレスがかさみ、二次的な問題のリスクも高まります。』(注:引用中の「二次的な問題」に関連する「二次障害」についてはここを参照して下さい) 一方、引用中の「過剰適応」に関連する「ASD の女性の適応過程」については、次の資料を参照して下さい。 「自閉症スペクトラム障害の女性は診断に至るまでにどのように生きてきたのか:障害を見えにくくする要因と適応過程に焦点を当てて」の「研究2:ASD の女性の適応過程」項

これら以外にも、上記「ドナ・ウィリアムズ」や「グニラ・ガーランド」(共にここを参照)にも関連する、主に女性における「解離型自閉症スペクトラム障害」(解離型ASD)について、(離隔としての)「離脱」、「融合」(同化・同調)、「拡散」を含めて柴山雅俊著の本、「解離の舞台 症状構造と治療」(2017発行)の 13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「1 解離型自閉症スペクトラム障害」、「2 解離型ASDと離隔」、「3 同化」及び「4 拡散」における記述の一部(P192~P197)を次に引用します。

1 解離型自閉症スペクトラム障害

精神科臨床では、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)と診断される患者のなかに解離症状を併せ持つ一群がいることは知られている。ここではそういった病態を「解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)」と呼んでおく。
解離型ASDの示す解離症状が通常の解離と同じであるか否かに関しては、議論が分かれるところであろう(鈴木 2009)。(中略)

ここで取り上げる解離型ASDに見られる解離症状は、一過性ではなく、それなりの持続と重症度がある。私自身は、定型発達者に見られる解離症状とASDの患者に見られる解離症状はともに解離症状として広く捉えたほうがよいと考えている。つまり解離を定型発達者に限定しない立場である。重要なことは共通点とともに、微妙な差異について注意深く把握する視点であろう。
ここでは成人の解離型ASDの体験世界を検討することによって、定型発達者では見逃されがちであった解離の諸側面に光を当てることにしたい。引用する手記はウェンディ・ローソン、グニラ・ガーランド、ドナ・ウィリアムズなどいずれも女性によるものであるが、彼女たちはアスベルガー症候群ないしは高機能自閉症の診断を受けている。また提示する症例A、R、Hもすべて女性のASDである。ASDは男性例が圧倒的に多いため何かと男性例が思い起こされるが、女性のASD症例は男性例とは異なるところも多い。彼女たちの心的世界について、あらためて解離の観点から検討する価値があるように思う。

2 解離型ASDと離隔

ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)はその著書 Life behind Glass(邦題『私の障害、私の個性』)のなかで「自分は、永遠の傍観者(perpetual onlooker)だ」「生きている時間のほとんどはビデオのように、映画のように流れていく。観察することはできるが、手は届かない。世界は私の前を通り過ぎていく。ガラスの向こう側を」と述べている。臨床的経験からすれば、ASD者の体験世界はウェンディ・ローソンが言うように主に離隔(detachment)を中心としており、解離性健忘や交代人格など時間的変容は比較的少ないように思われる。彼女たちの体験全体が解離性の意識変容の様相を呈していると言ってもよいであろう。
一般に、離隔は離脱、融合、拡散の三類型に分けることができる(柴山 2013b)。離脱は「眼差しとしての私」が自己身体から離脱することに焦点が当てられたものである。体外離脱体験がその典型例であり、離隔のなかで最も多い体験である。融合は「いま・ここ」から離れた「眼差しとしての私」が目の前の他者/対象と自分が重なったり、共鳴したり、一体感が見られる体験である。融合はさしあたって無機物や植物(時に動物)と一体化する同化の極と、他者に共鳴する同調の極に分けられる。拡散とは、自己が大気のように、あるいは粒子のように周囲へと拡散する体験である。このように離隔すなわち解離性意識変容は、離脱、融合(同化・同調)、拡散の三類型に分けられる(図)。
解離性障害は一般的に離脱と同調が見られることも多いが、植物や動物への同化も稀ではない。しかし無機物との同化はほとんどない。同調は過剰同調性という対人特徴へと連続的につながっている。それに対して、解離型ASDでは離脱、同化、拡散が多いように思われる。(中略)

3 同化

ASDの患者が幼少時からさまざまな外的対象と一体化する体験を報告することがしばしばある。広沢(2010)はPDD型自己の特徴について「自己は対象に引き寄せられて存在し、対象との距離がない」と指摘している。ASDにしばしば見られる空想への没入は空想的対象への一体化であり、ここでの同化と同系列の体験である。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
水の波紋が好き。音が好き。音になれる。鉄骨やビル、工場が大好き。意識が飛んでいってビルになれる。椅子にもなれる。植物にも一体化する。大きな木になって周りを眺めている。自分は入れ物だから立っているだけ。大きな石とかに一体化して、そこから人間と自分を見ている。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
物に入り込んじゃう。人には入らない。植物には入るが、動物はあまり入らない。こういうことは小さいときからずっとできる。ただそれになるだけだから、物や植物の気持ちがわかるわけではない。楽器にもなれる。弾かれていること自体、鳴ること自体が心地よい。非常階段とか、ビルとかにもなる。非常階段になるときは自分の体の一部、たとえば腕などが非常階段になって体に混ざる。自分はここにいるのだけど、自分に非常階段が生えている感じがする。机を触ると、腕の付け根まで机になる。でも自分の腕であるのはわかる。音や石になるのはおもしろい。音を聴いていると、音そのものと一緒になる。

こういった同化体験はASDの著者による自伝にも記載されており、ASDにとっては一般的な体験のように思われる(Williams 1996 / 2005 ; Lawson 1998 / 2005 ; Gerland 1997 / 2008)。
同化は解離型ASDの患者の幼少時から見られ、それが成人になっても続く。対象の多くは無機物、植物などであり、時に色、形、光、音、感触との一体化を口にすることもある。同化する対象が動物であることもあるが、ヒトであることはまずない。このことは、彼らにとってヒトの心の動きはあまりに複雑で変化に富み、その全体像を把握し予想することが難しいことが関係している。彼らは形の明確な対象を好み、それによって安心感を得る傾向がある。(中略)

4 拡散

拡散とは、「眼差しとしての私」が空ろな器を抜け出して、いや抜け出す感覚もなく、あたかも気体のように、時に粒子のように周囲に拡散していく体験である。自分の内と外の境界が消えていくように感じられる。ここで提示する自験例A、R、Hのすべてがこのような拡散体験について語っている。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
自分はばらばらで砂時計のように分子レベルで飛散している。輪郭が点々になっている。粒子の集合体が私。落ち着く場所がない。体の部位が部屋中に飛び散る。粒子のような形で広がって、壁にもバウンドする。粒子になっているときは蛍光灯を見ていると、自分も点滅している感じになる。気持ちいい。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
拡散は小さい頃からある。気に入った音を聴いているときになる。怖くない。震動がきっかけになる。砂が割れて細かくなる。対象とくっつく。本棚とかビルの外階段とかにくっつく。融合する。音が全方位に拡散する。それに混ざって自分が広がる。振動。振動が気持ちいいと拡散する。拡散するときは粒子のようにすごく小さくなって、広がっていく。自分が地球レベルの巨大になることもある。形はない感じになる。気持ちがいい。

●症例H[女性・二〇代後半・解離型ASD・解離性離人症
ボーッとしていると内界と外界の境界がわからなくなる。世界や自分が膨満している感じになる。全身が何かによってくるまれている感じになる。自分がガスのように、体の表面から拡散する。我に返るとキュッと戻ってくる。

あたかも自分が気化するかのように周囲世界へと拡散していく体験については、ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)やドナ・ウィリアムズ(Williams 1996 / 2005)も記載している。解離型ASDの患者に「自分を色に誓えると何色ですか」と聞くと、そのすべてが「透明」ないしは「色がない」と答えることも、こうした観点からすれば理解しやすいであろう(本書第1章参照)。彼らは自分自身をひとつのまとまりをもった対象として把握することが困難であり、そもそもそういうことに馴染んでいない。自己という存在の色や形を実感することができないのである。
解離性障害では、背後から黒っぽい人影がじっと自分を見ている気配を感じる過敏などの体験は比較的明瞭に現われる。それに対して解離型ASDでは、気配過敏症状はあまり目立たないのが一般的である。このことは、ASDでは単に他者への関心が乏しいだけではなく、同化や拡散からも窺われるように「眼差しとしての私」のまとまりや主体性がより希薄化しているため、「存在者としての私」が背後の「眼差しとしての私」を人の気配として感知しづらいと考えることもできる。ただし、状況によっては過敏状態に陥ることがある(中略)。

注:i) 引用中の「図」の引用は省略します。 ii) 引用中の「本書第1章参照」における第1章の引用は省略します。 iii) 引用中の「鈴木 2009」は次の資料です。 【鈴木國文(2009)「「解離」概念とアスペルガー障害」『臨床精神医学』38 ; 1485-1490】 iv) 引用中の「Lawson 1998 / 2005」は次の本です。 「Lawson, W. (1998) Life behind Glass : A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(ニキ・リンコ=訳(2005)『私の障害、私の個性』花風社)」 v) 引用中の「柴山 2013b」は次の文書です。 【柴山雅俊(2013b)「解離における離隔の諸相」木村敏野家啓一=監修『臨床哲学の諸相「自己」と「他者」』河合文化教育研究所 pp.176-208】 vi) 引用中の「広沢(2010)」は次の本です。 「広沢正孝(2010)『成人の高機能広汎性発達障害アスペルガー症候群医学書院」 vii) 引用中の「Williams 1996 / 2005」は次の本です。 「Williams, D. (1996) Like Color to the Blind : Soul Searching and Soul Finding. New York : Times Book.(河野万理子=訳(2005)『自閉症だった私へⅢ』新潮社)」 viii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 ix) 引用中の「解離性障害」については他の拙エントリのここを参照すると良いかもしれません。 x) 引用中の「意識変容」に関連する「解離性意識変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「過剰同調性」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xii) 引用中の「気配過敏症状」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 xiii) 引用中の「空想への没入」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ivx) 引用中の「自己は対象に引き寄せられて存在し、対象との距離がない」ことに関連する「対象と適切な距離を置いた,固有の"自己感"を持ちにくい」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「広沢正孝氏に聞く,広汎性発達障害」の「自己イメージからPDDを読み解く」項

加えて、解離型ASDにおける「原初的世界」と「感覚の洪水」について、同13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「5 解離型ASDに見られる原初的世界」及び「6 感覚の洪水」における記述(P198~201)を次に引用します。

5 解離型ASDに見られる原初的世界

解離型ASDの患者は時に「向こう側」の世界について語る。患者は人間社会のストレスを回避するかのように、現実の「向こう側」の世界へと赴く。その世界はあたかも自分がかつて存在していた故郷のような安らぎの場所として描き出される。

●症例A[女性・三〇代前半・解離型ASD・解離性同一性障害
向こうの世界はヒトがいないのでうるさくない。このままだと壊れると思うときに、いつの間にかそちらの世界に行っている。元々その世界は虹色だけど、その周りはグロテスクな魑魅魍魎が跋扈している。極楽浄土と地獄絵図の世界がごっちゃになっている。鬼とか修羅、妖精など、綺麗なものと血みどろのものがいる。きらきらと、どす黒いのが混在している。でも全然怖くない。今でも簡単に行ける。すごく落ち着く世界で言葉がない世界。大半はそっちにいる。そこで想像して帰ってくる。こういう世界は小さいときからある。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
向こう側へ行くと私しかいない。自分と世界との境目がない。地面も、空気も、遊び相手もすべて全部が私。向こう側は人がいなくて、言葉がない世界。元々いた場所へ帰ることで楽です。そこからいつ頃こっちに来たかがわからない。時間の流れも違う。五感がわからない。その境目がわからない。感覚は便宜上分けているだけで、根元は全部同じ。見るとか聞くとかじゃなくて、感じる。そっちの感覚をこっちにもってくると、自分が対象とくっついてしまう。この世は境界だらけだけど、向こうは五感に分化する以前の根っこで感じる世界。部屋の隅にある果物がじっくり熟れていくのがわかる。音や匂い、視覚でなくてわかる。感じる。そこは陸地と海のあいだ、地球と宇宙のあいだの世界。逃げ場。私は波打ち際なんだよ。陸にいる人と海に生きる動物との境目に自分がいる。行ったり来たりできる。言葉で消化できないことをあっちでする。

ここで彼女たちが「向こうの世界」「向こう側」と呼ぶ場所での体験は、彼女たちの意識から切り離されているわけではない。幼少時に馴染んでいた世界であるが、成長するとともにいつまでもそこにいることができなくなった場所である。他者がいない自分だけの安心できる場所であり、自己と対象の境界がない世界である。他者と関係せざるをえない社会へと押し出されるにつれて、現実の世界とのつながりが希薄化した場所である。自己と他者が共に存在する以前の、自分だけの世界、あるいは他者だけの世界である(Williams 1998 / 2009)。
症例Aも症例Rも、その場所をこちらの世界とは違った言葉のない世界、言葉を必要としない世界と表現している。言葉がなくても感覚の根元で感じる世界である。こうした自己と他者が共に成立する以前の境界のない世界は、ASD患者の体験の基底にあって、成人になっても持続する原初的世界としてある。前述した同化や拡散などもこの原初的世界における体験との連続性を有しており、これらは共に原初的世界へと引き寄せられた体験と解釈できる。

6 感覚の洪水

ASDの患者はこのような原初的世界にいつまでもいられるわけではない。発達とともに多くのASD者は原初的な場所に棲むことを断念させられ、自己と他者によって構成される相互主体的世界へと押し出される。そこは安永(1977a)のいう「パターン」における自己と他者、主体と客体の分極が明瞭な場所である。彼女たちにとってそうし世界は馴染みの薄いものであって、そこに自らの「居場所」を見出すことは容易でない。彼女たちはなんとかこうした社会に適応しようとするが、結果的に多くの苦悩を背負い込んでしまう。
人間社会へと歩み出すなかで、彼女たちは感覚の洪水のなかで立ちつくす。それは外部の刺激でも身体内部の刺激であっても同じである。定型発達者が自然に獲得する世界、身体、他者のまとまり、それらが自己へと向けられる意味をASD者は感じることができず、断片的な「わからない」世界に投げ出されている。たとえばグニラ・ガーランド(Gerland 1997 / 2008)は次のように言っている。「私の視覚は、大切なものを自動的により分けてくれるということがなかった。何もかもが無差別に、鮮明かつ克明に見えていた。世界は写真のように見えていた」。
フリス(Frith 1991 / 1997)によれば、人間の正常な認知システムには、できるだけ広汎な刺激を統合し、広範な文脈を一括して捉えようとする固有の能力(中枢性統合(central coherence))があるが、自閉症児ではこの統合に向かう能力が弱まっている。感覚刺激は前景と背景に振り分けられることなく、断片的に過剰に降り注ぐ。周囲世界の文脈や意味、世界の全体を把握できないため、危険を事前に予想し察知することができない。そのため不意打ちに弱く、怯えの意識も高まりやすい。記憶表象は消化されずそのまま保存され、それがあたかも現実であるかのように甦るときフラッシュバックも含めて多彩な症状が現われる。
ウェンディ・ローソン(Lawson 1998 / 2005)は、追い詰められたストレス状況で入院となったとき、健忘や離隔とともに、対人過敏や気配過敏、さらには人影幻視や幻聴など多彩な過敏状態であったと記載している。

怖かった。人の近くにいるのが怖かった。[…]まっくらな毎日だった。病院に入れられるきっかけになったできごとについては覚えていない。思い出せるのは、まるで胴体がはずれてしまったような気がして、何としてでもとり戻したいと感じていたことだ。どこへ行っても、影が後をついて来るように思えた。ずきんをかぶった黒っぽい人影が、もう人生から解放してあげるよ、そうすれば苦しみも終わるよと言ってくる。精神科の医者は、この影のことを「幻聴」だと言っていた。

こうした過敏状態はフラッシュバックや知覚過敏、思考促迫、幻聴などが発生する基盤となっている。頭の内外で断片的な知覚や表象がひしめき合うように湧き上がることもある。
先の症例Rは次のように述べている。

人がいる世界はわずらわしい。許されるならずっと向こう側にいたい。こっち側は大変だ。人間の相手をすることが嫌。相手の気持ちを読まないといけない。ごちゃごちゃするときは混乱する。いろんな思考が頭に湧き出てきて止まらない。周りの人の会話が混ざってしまい、入ってくる。人の会話と自分の会話の区別がつかなくなることがある。考えたくないのに考えてしまう。考えるのを止めなくてはいけないと思っても、止まらない。泣き出したい、大声を出したくなる。

こういった症状を鎮めようとして、ASDの患者たちは好んで海、屋根の上、崖の上などに身を置き、世界との距離を保ち、自分に迫ってくることのない自然のなかに身を置こうとする。また単調なリズムの繰り返しや文字の世界を好むようになる。これは喧騒な現実との関わりを避けるなかで夢想的世界へと没入していく空想傾向(fantasy-proneness)(Wilson and Barber 1983)であるが、そこに自らに安心できる場所を求めていく。現実の人間関係から距離を取ることで自分の安定をかろうじて保とうとする。こうしたことは元来ある意識変容への近縁性をさらに高めるように作用するであろう。

注:i) 引用中の「Williams 1998 / 2009」は次の本です。 「Williams, D. (1998) Autism and sensing : The Unlost Instinct. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(川手鷹彦=訳(2009)『自閉症という体験――失われた感覚を持つ人々』誠信書房)」 ii) 引用中の「安永(1977a)」は次の本です。 【安永浩(1977a)『分裂病の論理学的精神病理――「ファントム空間」論』医学書院】 iii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 iii) 引用中の「Frith 1991 / 1997」は次の本です。 【Frith , U. (1991) Autism : Explaining the Enigma. London : Basil Blackwell.(冨田真紀・清水康夫=訳(1997)『自閉症の謎を解き明かす』東京書籍)】 iv) 引用中の「Lawson 1998 / 2005」は次の本です。 「Lawson, W. (1998) Life behind Glass : A Personal Account of Autism Spectrum Disorder. London and Philadelphia : Jessica Kingsley Publishers.(ニキ・リンコ=訳(2005)『私の障害、私の個性』花風社)」 v) 引用中の「フラッシュバック」については他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 vi) 引用中の「同化や拡散」と「離隔」については共にここを参照して下さい。 vii) 引用中の「対人過敏や気配過敏」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 viii) 引用中の「思考促迫」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ix) 引用中の「空想傾向」については「Wilson and Barber 1983」も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 x) 引用中の「感覚の洪水」に関連するかもしれない「感覚過敏」についてはここを参照して下さい。

その上に、解離型ASDにおける「仮面とイマジナリーコンパニオン」や「居場所」について、同13 解離型自閉症スペクトラム障害 の「7 仮面とイマジナリーコンパニオン」における記述及び「8 解離型ASDの場所」における記述の一部(P202~P207)を次に引用します。

7 仮面とイマジナリーコンパニオン

ドナ・ウィリアムズ(Williams 1992 / 2000)は、幼少期にウィリーとキャロルという二つの仮面のキャラクターを作り出した。ウィリーは夜の闖入者から守る二個の「目玉のお化け」である。ウィリーは後に「憎しみの仮面」「自己コントロールの象徴」「冷厳な観察者」「論理的な正義感」「牢獄の看守」「精神科医」「生き字引」「怒り」などさまざまに表現される。キャロルは実際の友人をモデルとして取り入れた社交的で明るい女の子である。これらのキャラクターは人間社会でドナを守る守護者のような役割を演じていた。彼らに自分の肉体を操縦させつつ、彼女自身は肉体から離れて自分の檻のなかに引きこもっていたのである。その性質や役割からすると、ウィリーは「眼差しとしての私」的仮面であり、キャロルは「存在者としての私」的仮面と言ってもよいだろう。症例Rもまた同じような存在について語っている。

●症例R[女性・三〇代前半・解離型ASD・特定不能解離性障害
一四歳くらいになって、あっちの世界からこっちの世界にいなきゃいけないと思うようになった。だから一四歳になって明確にシュウ(幼少時からいるイマジナリーコンパニオン(Imaginary Companion:IC)が出てきた。楽でいい。こっちの世界には居場所がない。間借りをしている。シュウたちはあくまでこっちの世界での役割。向こうの世界ではシュウたちがいて、私の一部分だという感じがする。電車のなかで動けなくなるとシュウに体の運転をまかせて、私は向こう側へ行くことがある。自分が行動しているのを運転席の後からずっと見ている感じ。運転席にはシュウがいて運転している。私は寝たり、ぼんやりしたりしている。記憶がないことがある。そうしたときは蚊帳の外。シュウは修理のシュウかもしれない。

ASDに見られる交代同一性は、ウィリーやキャロルのように、ICの延長のように見えることが多い。通常ICは遊び相手となったり、孤独を癒してくれたりする空想上の存在である。健常人の二〇-三〇%に見られ、早期小児期に出現し、一〇歳前後には消失するとされている。ここで取り上げるASD症例の全員がICの存在を報告しており、しかもそれが幼少時にとどまらず、中学から大学、二〇歳代、三〇歳代までと長期的に存在する傾向がある。通常、ICは親しい友人ができると消失することが多いとされる。このことを考慮すると、解離型ASDにおけるICの高い頻度やその長期化は、周囲世界に馴染めず「居場所がない」という意識や、親しい友人ができないという孤独など、社会性の障害と関係しているかもしれない。
ASDに見られるICは、コンパニオン(同伴者)というより、患者の代わりをつとめる仮面のキャラクターのようである。キャロルは相手に合わせて明るく振る舞う適応的な存在であり、自分が理想とする友人像を取り入れることで生まれた柔らかい仮面である。それに対してウィリーは自分を守る盾のように硬い仮面である。ただしそうした仮面は背後に素顔をもつ仮面ではなく、素顔のない仮面、それに全面的になりきるヴェールを被ったコスプレイヤーのような存在である。
それに対して一般的な解離性同一性障害では記憶の断絶がよりはっきりしており、「傷ついた記憶」を抱えている犠牲者人格が存在することが多い。患者自身が抱えることができないような苦悩、痛み、記憶をまるで本人の身代わりであるかのように抱え込んでいる交代同一性がはっきりと存在することが多い。そこから生存者、保護者、救済者、迫害者などが派生する系譜や物語が示唆される。
ASDではこのような虐待のエピソードを抱え込んだ犠牲者的人格はむしろ稀であり、性的虐待に関しても定型発達者ほどそれを外傷的に捉えていないところがある。単なるその場その場の状況に対処するために生まれた情動の代理機能、盾や仮面のような機能を果たしているように思われる。

8 解離型ASDの場所

現代はASDの人々にとって決して生きやすい時代ではない。共同体の変容とともに確かなものがなくなり流動化する社会のなかにあって、守るべき規範は複雑化し、そのため目の前にある場の空気を読んで行動することが要請されるようになった。原則やルールを遵守することでかろうじて生き延びようとするASD者にとって、こういった時代は適応が難しいであろう。
定型発達者の解離においては、虐待や暴力に由来する「居場所のなさ」や、家庭が「緊張に満ちた場」であることからくる「居場所のなさ」が問題となっていた。それは人間関係における攻撃性の噴出によって安心できる居場所が見つけられないことによる。
解離型ASD者も同じように、そのほとんどが幼少時から「居場所はなかった」と訴える。しかしASD者にとって辛いのは、こういった定型発達者の他者の攻撃性に由来する「居場所のなさ」とは異なり、そもそも自分はこの社会に落ち着くところがない、馴染むところがないという発達的問題としての「居場所のなさ」である。定型発達者とASD者では、同じ「居場所のなさ」でもその内実が異なっている。ASD者は、自己と他者との関係の編み目である世界に、自己を根づかせることにそもそも困難を感じているように思われる。現代においてASD者が解離を引き寄せる要因のひとつが、こういった発達的問題としての「居場所のなさ」である。
ドナ・ウィリアムズの『自閉症だった私へ』の原題は Nobody Nowhere であり、『自閉症だった私へⅡ』の原題は Somebody Somewhere である。実際に自らの体験を綴ったASDの著者の多くが自分には「居場所がなかった」と振り返っている。ここには自己の発達と場所との密接な関係が示されている。
すでに述べたように、児童期になるとASD者は、原初的世界からおずおずと人間の世界へと足を踏み入れる。物事には内部と外部があること、この世の中の向こう側には他者の世界があること、他者の表情にはその奥があることに気づくようになる(Gerland 1997 / 2008)。他者の眼差しの奥には他者の心があり、それが自分とは違っていることを知って愕然とする。その頃から、世界は自分一人だけの世界ではなく、自分を人との関係のなかの存在として認識するようになり、人に対する怯えや不安が高まっていく。
他の人々の表情や動作などをそのまま取り入れて、この世界にかろうじて自分の居場所を見出そうとする。彼女たちは他者への共感によってではなく、外部の姿形をそのまま取り入れ、模倣することでそうするのである。グニラ・ガーランド(Gerland 1997 / 2008)は「誰でもいいからほかの、普通の子どもにならなければならない。私は私であってはならない」と述べている。そういった苦悩を症例Hは次のように述べている。

●症例H[女性・二〇代後半・解離型ASD・解離性離人症
私は自我を消そうとしている。自己は周囲の環境に合わせる。自我はいらないんです。出てこようとすると消すんです(急に涙が溢れ出てくる)。自分のやりたいようにすると怒られてきた。はみ出さないようにしてきた。生きていくうえでどこに主体としての私を置いていいのかわからない。つねにいろんな見方があって、統合されずに揺らいでいる。私は錨を下ろしていない船のよう……。

この世界で「私は錨を下ろしていない船」である。自我はこの世界からかき消され、原初的世界はこの社会から遠ざけられている。ASDにとっての原初的世界は解離性障害の隠蔽空間(本書第5章参照)に通じている。違いがあるとすれば、ASDではそれが切り離されておらず、意識に近いところにある。意識の連続性はかろうじて保たれている。こうした特徴は、解離型ASDにおいて典型的な時間的変容が見られず、解離症状の多くが空間的変容を中心としていることと関連しているであろう。ASD者はあたかも人間世界から追放され、安らぎを感じる場所を求めるかのようにさまよい、記憶のなかにあるかつての原初的世界に場所を見出そうとする。症例Hは次のように語っている。

私は社会のなかの構成要素のひとつの部分。いつか全体を把握したい。私は粘菌アメーバのようにその場その場で変わって相手に合わせる。相手を否定しない。人に合わせるのが疲れるので透明人間になりたい。実体のないモノになりたい。人気がないところで、ひとりでいたい。私にとって蓋が名前なんです。私には蓋の力がない。何らかの生命全体に溶け込みたい。個とか私はいらない。人間を越えた、大きな生命の流れと一体化したい。生まれてきたことが嫌なんです(涙をぽろぽろと流す)。あんなに辛い、何から何まで辛い。わからないので不安だった……。

ここで言う「蓋」は言葉によって分節された人間社会を生き抜く手段である。ASDではそれが十分に発達していない。そのため全体の流れを把握することや他者に包まれることが苦手で、時にそういったことに強い怯えを感じる。それは全体の流れや包むものが、彼らにとって把握しがたい、予測しがたいモノとして感じられるからである。
それでも彼女は「大きな生命全体」に溶け込みたいという。それは彼女が安心できる場所である。それは自分が休息し、立つことができる大地である。古代から大地の原初的形態は包むものであり、自分が所属できる大きな流れでもある。ASD者もまた何かに帰属し、全体の流れに包まれることを願っていることに変わりはない。
人間社会に慣れない段階では、自然の環境や人のいない物理的空間に包まれることに安心を抱き、そこに自らの場所を見つけようとする。症例Hは「部屋はお母さんの子宮のなか。人格のある女性の子宮ではなく、人工的な子宮のなかにいたい。まだ私は子宮から外に出る段階ではない」と述べている。症例Hもまた、症例Aや症例Rと同じようにビルと同化することに安心感を抱く。それもまた場所を見出すことである。
それでもASD者は何とかして人間社会での居場所を見出そうとする。どのようにして人と触れ合う居場所を見つけていくのだろうか。
ASD者と人間社会を結びつけるには媒介者が必要である。媒介者は仮面のキャラクターであったり、ヌイグルミなどの移行対象であったり、自分と同じ体験をもつ他者であったりするだろう。媒介者は「自己(のなかの他者)」から「自己・対象」、そして「対象/他者」へと向かっていく。ASD者の無理のない歩みに配慮しながら、治療者もまたASDの自己と他者をつなぐ媒介者として機能することが望ましい。媒介者は何よりも自分に迫ってこない安心できる対象であり、自分自身のことをわかってくれ、そしてそっと手助け、後押しをしてくれる対象である。ドナ・ウィリアムズにとってのキャロルやウィリー、ぬいぐるみの「旅男」、そしてさまざまな友人たち、それらはすべて媒介者であった。媒介者は自己であるとともに他者でもあるような存在である。
この世界に自らの居場所を獲得するまでのあいだ必要とされる対象/他者であり、「私」の一部でもある。(中略)

社会的関係に入るために必要なことは、他者にわかってもらい他者をわかることであり、他者に包まれ他者を包むことである。(後略)

注:i) 引用中の「Williams 1992 / 2000」は次の本です。 「Williams, D. (1992) Nobody Nowhere : The Extraordinary Autobiography of an Autistic. New York : Times Book.(河野万理子=訳(2000)『自閉症だった私へ』新潮社)」 ii) 引用中の「Gerland 1997 / 2008」は次の本です。 【Gerland, G. (1997) A Real Person : Life on the Outside. London : Souvenir Press.(ニキ・リンコ=訳(2008)『ずっと「普通」になりたかった』花風社)】 iii) 引用中の「隠蔽空間(本書第5章参照)」において、本書第5章の引用としての「隠蔽空間」について同の 5 隠蔽空間 の「2 隠蔽空間」における記述の一部(P076)を次に引用(《 》内)します。 《隠蔽空間とは単なる想像空間ではない。現実の「いま・ここ」とは区別され、通常は交流が閉ざされている意識から遠い空間である。もちろん自己によって操作することもできない。「私」という主体がこの世に現れるとともに、通常の意識の領域から葬り去られた空間でもある。そこは外傷記憶や交代人格が存在する空間である。》 iv) 引用中の「イマジナリーコンパニオン」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。「【3670】頭の中の友人は自分で作ったものです(【2972】のその後) - Dr 林のこころと脳の相談室」(このサイトのホームページ) 加えて、上記「イマジナリーコンパニオン」に関連する「空想の友達」については次の資料を参照して下さい。 「空想の友達 ――子どもの特徴と生成メカニズム――」 v) 引用中の「居場所」に関連する女性の解離性障害における「居場所」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「空間的変容」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(f)杉山登志郎医師に関するネット情報

拙ブログににおける杉山登志郎医師に関するネットで入手できる情報については、他の拙エントリのを参照して下さい。

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余談

≪余談1≫感覚過敏・易疲労性に関係した不適応

米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「四 感覚過敏・易疲労性に関係した不適応」項における記述の一部(P199~P203)を次に引用します。

すでによく知られていることですが、アスペルガー者のうち少なくない割合の人々が、感覚過敏や疲れやすさを訴えることがわかっています。こうした疲れやすさを「易疲労性」といいますが、その大部分は、前項であげた自己統制の問題とも関係しています。
しかしそれだけではなく、著しい感覚過敏が主な疲労の原因となっていることがあります。何よりも感覚過敏は、少なくないにもかかわらず周囲に理解されにくい不適応のパターンであることから、ここで別に項目を立てて少し詳しく説明します。
アスペルガー者では、しばしば聴覚や触覚、ときには視覚・嗅覚・味覚などの感覚で過敏さが見られることがあります。このような感覚過敏は、情報処理の過剰選択(第二章参照)という仮説から言えば、ハイコントラスト知覚の特性そのものです。つまり、ある程度以上に強い刺激が入ってきた場合、メーターの針が振り切れるように最大刺激として感覚されてしまい、容易にはその感覚を無視できなくなってしまうということです。
ただし、たとえば聴覚の過敏と言っても、すべての音に過敏であることは稀です。もちろん、一定のレベルより大きな音にのみ過敏というような単純な過敏さもありますが、もう少し複雑な場合には、泣き声や怒声など特定の意味を持った音にのみ過敏であるような場合もあるのです。後者の場合には、たんに聴覚そのものの過敏というよりも、もう少し高いレベルでの意味処理が関係した過敏性ということになります。
本章第一節で述べた関係過敏も、感覚過敏と連続性のある現象です。このような状態では他者と同じ場面にいること自体に強く反応してしまうこともあります。とくに関係過敏の場合には、一定のカテゴリーに属する場所だけで過敏さの症状があらわれることもあります。たとえば電車や診察室では問題がないのに、学校でだけ他人がいることに圧倒されるということもあり得るのです。
このような場合、過敏性というよりは、「特定の状況に対する学習性の反応」と捉えることもできます。ここで重要なことは、感覚過敏と学習性の反応の間には臨床的な連続性があり、はっきりとは切り離せないということです。

<対策>生活リズムを維持すること
疲労性について言えば、多くの原因が関わっていると考えられます。とくに自己モニターの障害が重要な役割を果たしています。前節でも少し述べましたが、自己モニターの障害があると、自分の疲労をコントロールできないという問題が生じるからです。疲れていても気がつかないので、自発的に休息できないといったことです。
しかしそれだけではなく、感覚過敏の特性があることによって、アスペルガー者本人が、日常的に少し緊張した状態に置かれ続けるため、結果的に疲労するという側面も無視できません。ふつうの人でも、耐えがたいほど大きい騒音のなかで過ごしたり、激しく揺れる乗り物に乗っていたら疲れると思いますが、平常の生活でそれと同じことが起こるようなものです。
さらに協調運動の障害のために、姿勢を維持したり作業するにあたって常に無駄な力を使っていることも、疲労の原因になります。このような訴えをするアスペルガー者は実際、肩がこる・頭が痛い・首が痛い・背中が痛い・長時間まっすぐ座っていられないなどと訴えることが多くあります。ひとたびこのような身体的訴えが生じると、自分自身もその違和感が気になってたまらず、身体感覚の異常に捕らわれてしまって仕事ができなくなることも珍しくありません。
このような症状があるので、アスペルガー者の易疲労性は、稀に慢性疲労症候群(原因不明のひどい疲れが長時間続き、日常生活に支障をきたす病気)や線維筋痛症(体に原因不明の耐えがたい痛みが持続的に続く病気)と誤診されることがあります。また、うつ病抑うつ神経症と診断されていることもあります。しかしそれらの治療には反応せず、生活リズムのコントロールや、適度な運動によって改善することがあるのが特徴です。
このような過敏性・易疲労性によって働けなくなる場合への対処としては、原因となる不快な刺激を除く、休息時間を確保する、身体の自己コントロールを改善するための介入などが考えられます。
とくに最後に挙げた身体の自己コントロールの改善のためには、規則的な生活リズムの維持、太極拳のような意識して身体をゆっくりと正確にコントロールするタイプの運動の学習、ランニング・水泳など全身の循環を改善し筋肉のこわばりをほぐす運動、温泉やマッサージ等による末梢循環の改善などが、案外、効を奏することがあります。とくに、規則的な生活リズムの維持は、疲労を軽減するために大変有効なのですが、自己モニター障害のために、アスペルガー者自身は効果があまり自覚できないようで、なかなかその価値が理解できないことが多いようです。ただし、価値が理解できても、自己制御の困難の問題がありますから、実際に生活リズムを維持することが、非常に困難な場合も珍しくありません。

注:(i) 引用中の「協調運動の障害」に関連する「発達性協調運動障害」についてはここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「易疲労性」に関連する「一日中緊張しているような状態なので疲れやすい」ことについて、太田晴久監修の本、「職場の発達障害 自閉スペクトラム症編」(2019年発行)の 3 自己管理 の 休養 疲れて動けなくなる前に休むことが重要 の「一日中緊張しているので疲れてしまう」項における記述の一部(P48)を次に引用(『 』内)します。 『人間は情報が入ってきたときに、直感的に取捨選択して処理し、行動に移します。ところが発達障害があると、意識しないと行動できないため、脳は常にフル回転です。また、過集中する人もいて、やはり脳を使いつづけています。どちらも一日中緊張しているような状態ですから、疲れやすいのも無理はないでしょう。』 (iii) 引用中の「疲れていても気がつかないので、自発的に休息できないといったことです。」に関連する、 a) 佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「疲れを自覚できない人たち」における記述の一部(P26~P27)を以下に、 b) 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」の「対応9 体調不良 ひとりになって休める時間をつくる」項における記述の一部(P76)を以下に、 c) 備瀬哲弘著、「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」(2009年発行)の 第5章 「ちょっと変」を疑似体験して知る の「シャワーの水圧が痛い」項における記述の一部(P172~175)を以下に、 d) 内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 11章 私的言語と感覚過敏 の「感覚過敏」における記述の一部及び「疲れやすさ」における記述(P213~P216)を以下に それぞれ引用します。 (iv) 引用中の「ハイコントラスト知覚」と「本章第一節で述べた関係過敏」に対しては、米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「ハイコントラスト知覚特性」項における記述の一部(P76~P79)を以下に、 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「関係過敏による不適応の二つのタイプ」項における記述の一部(P173~P174)を以下に それぞれ引用します。 (v) 引用中の「生活リズムを維持すること」に関連した「健康な生活」についてはここを参照して下さい。

疲れを自覚できない人たち(中略)

こういう人がいました。ある講演会で、前の方に何人か当事者の方が座っていらっしゃったのですが、ひとりの人が、「佐々木先生は疲れることがありますか」と聞くのです。「いつも疲れていますよ」と答えましたら、「疲れというものはどのようにして感じているのですか?」と質問されたのです。答えようがないのです。ああ、疲れたなあと自然に感じてしまうものなのですから。
それで、「疲れというのは、どのように努力をして感じられるかというようなものではなくて、自然に感じられてしまうのです」と言うと、「私は感じられないのです」とおっしゃるのです。
この方は、いつも倒れるくらい働いてしまうのだそうです。そして、倒れたら何日も休む。ですから、「倒れる前に適宜休んでください」と職場で言われているそうなのですが、それができない。どうしたら倒れる前に休むことができるようになるのでしょうか - こういう質問だったのです。
そうしたら、彼の後ろのほうに座っている方が手を挙げて、「私もわからない」と言うのです。それで、こちらの方にどうするのかうかがってみると、「この仕事についてはこれだけの時間でやる」と決めた分以上は続けない。あるいは一時間したら必ず休む。その人は「機械的に休む」というのです。
最初に質問した人も休日は休むのですが、「ここまでやったらあとはやらなくていい」という仕事はなかなかありませんね。一般の人は、ここまでやってあとは翌日、と「適当な」ところで区切りをつけることになりますが、彼らはそれを延々とやってしまうというのです。そして倒れてしまう。こういう人を私はあまり数は知らなかったのですが、最近ときどき出会うようになりました。

注:i) 引用中の(疲れを)「私は感じられないのです」と関連する引用はここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「疲れを自覚できない」ことに関連する女性のアスペルガー症候群において「本当はストレスも疲れもたまっているはずなのに、自分の状態を把握することができないまま、社会生活を送ってしまう」ことについてはここを参照して下さい。

ひとりになって休める時間をつくる
アスペルガー症候群の人は、休むことが下手です。よくも悪くも真面目で、がんばりすぎてしまいます。ひとりになり、休息をとることを、習慣にしてください。(中略)

真面目にがんばりすぎる
目標や決まりをもうけると、それを守ろうとして必死にがんばる。妥協することが苦手で、疲れをためてしまう。

シャワーの水圧が痛い
PDDの人は、感覚の偏りが多いことがよく知られています。
偏りは、過敏になる方向でも、鈍くなる方向でも現れます。特定の音や光などの視覚刺激、触覚に関しては、過敏なことがよく見られます。(中略)

逆に、鈍感なこともあります。多く見られるのは、「疲れ」の感覚の鈍さです。
驚かれる読者も多いと思いますが、PDDの人の中には「疲れ」の感覚を実感しにくいという人がいます。私の印象では、少なくない割合です。
実際、PDDの人のお話をうかがっていると、
「朝、目は開いたが、体が動かなかった」
といった言葉がよく出てきます。
「前日まで、お仕事が忙しく、疲れがたまっていたのではないですか?」
とお聞きしても、
「疲れ? まったく感じていなかった」
「すごく元気で、楽しく過ごしていた」
「嫌な出来事はなかった」
と答えるのです。そのため、こちらは質問の角度を変えてみます。どういう生活をしていたのか、具体的に質問してみるのです。そうすると、
「半年間、土日も休まず仕事をしていました」とか、
「3ヵ月間、月の平均残業時間が113時間だった」とか、
「3日間、飲まず食わずで徹夜していた」とか、
疲れないわけがない理由が出てくるのです。
そういう状況が背景にあれば、疲れを自覚していないわけがないと、普通は思います。
「それまでに疲れが出ていたんじゃないですか?」
と私が聞いても、
「疲れ? なかったですね。急に体が動かなくなったんです」
と、異口同音です。当初、「そんなこと、本当にあるのかな?」と、私は半信半疑でした。
しかし、その原因が身体感覚の「鈍さ」にあると考え直すと、なぞが解けます。「疲れている」という身体感覚が鈍いため、「疲れていましたか?」と聞かれても、本人はよくわからないのです。
もしくは、「疲れている」ことは、頭が痛いこと、微熱があること、肩がこること、などというふうな定義づけがなされているとわかりやすいのかもしれません。
急に倒れたり、体が動かなくなったりして初めて、頭の中に「苦しい」「きつい」と再入力されるのでしょう。(後略)

注:引用中の「疲れ? まったく感じていなかった」と関連する引用はここ及びここを参照して下さい。

感覚過敏について(中略)

vignette
19歳女性.大学の教室で集中できないのは,人の動きや話し声のためだと思って,図書館で勉強するようにしたが,あまり変わらなかった.ところがある時,カフェで読書をしたところ,すごくはかどることに気づいた.
照度計を購入して測定してみると,教室が500ルクスだったのに対し,カフェは50ルクスだった.また,教室では蛍光灯が使われており,その白々とした明るさとちらつきが疲れさせるものであることにも気づいた.
それ以後,部屋の家具やカーテンを暗い色調に替え,照明を間接光にするなど環境整備に気をくぼるようになった.母によると,高校時代は月に10日も稼働できる日がなかったが,この頃は,たまに寝込む程度になったとのことである.(中略)

疲れやすさ

感覚過敏は疲れる.カフェでの読書で,明るさへの過敏に気づいた女性は,高校時代には,月に10日ほどしか稼働できなかった.原因は感覚過敏だけではないだろうが,さまざまなアイテムを利用したり,環境調整をするなどの対策によって,疲労の改善がはかられたことは事実である.
ただし,当人は疲れやすいのだが「疲労」を実感していない.あらためて自分に問い合わせてみて,はじめてわかる場合もあるが,依然としてわからないことも多い.
ASD では,身体からのフィードバックが機能していないようにみえることがしばしばある.あたかも,疲労との信号が発生していないかのようである.たとえば,原因の思い当たらない寝込みがある.ただただ,布団から起き上がれないのだ.始まりは唐突であることが多い.改善するときもまた,唐突である.疲労感がともなわず,気分性も希薄である.
しかしよく聞いてみると,活動しすぎていることがある.単発的なイベントの場合もある.あるいは,日々の疲労と休息の収支バランスの感覚がないために,いきなり限界を超えて,起き上がれなくなる.活動量自体はたいしたことがなくとも,繁華街への外出,飲み会,対人業務の多い仕事,帰省など,彼ら彼女たちの感覚への過剰な負荷があったのではないかと推測されることもある.聴き取るときには,心への負担よりも,感覚への負荷に見当をつけるとよい.ただし当人には,それらと寝込みの間に関連があることはなかなか腑に落ちない.
言語化すれば,「疲れ」や「だるさ」などと表現されることもあるが,われわれになじみのある例のあの感覚ではなさそうである.言語化しても,納得しているわけではない.またうつ病者に感じられる「生気的」な感覚でもない.頭痛など,痛みをともなうこともしばしばある.だが,身体が病んだり疼いたりしているという感じがない.局所になにかがしこっているような,異物のような感覚であることが多い.セネストパチーまでそう遠くない印象を与える.
アレキシサイミア alexithymia という,心身症に関連する性格傾向とされた類型がある.感情がことばに乗らないあり方をいう.この場合は「感情」があることが前提にされているが,多くの場合,感情そのものが抜け落ちたかのようなあり方を示す.ことばが心身に起きた事態を,感情としてすくい取れないとき,感情自体が失われ,そのかわりに異様な身体感覚だけが取り残されることになる.ASD でしばしばみられる様態である.
身体の消耗が疲労として覚知されると,休息する.原初的な情動が揺すぶられ,感情や気分となって表出される.こうした過程が ASD では滞っているのではないだろうか.

注:(i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 (ii) 引用中の「アレキシサイミア」(失感情症)に関連する、 a) 「自閉スペクトラム症児・者におけるアレキシサイミア」については次の資料を参照して下さい。 「アレキシサイミアに関する一考察」の「5. 自閉スペクトラム症児・者におけるアレキシサイミア」項 b) 「トロントアレキシサイミア尺度(TAS)を使用して ASD 群が対照群と比較して失感情症の有病率が高かったという報告」については次の資料を参照して下さい。 『自閉スペクトラム症における「こころ」と「身体」と「行動」』の『「身体」:身体症状との関連』項 c) 「抑うつと女性のASDは不可分」の一因となっているかもしれないことについて、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第13章 身体の不調とどう付き合うのか ――健康で豊かな生活をおくるには の「抑うつ」における記述の一部(P288)を次に引用(『 』内)します。 『私が担当したASDの女性の多くは、自分のことを「ずっと落ち込んでいる」と表現し、気分の落ち込みは、社会的に受け入れられにくいことや日々の問題の結果にすぎないと語る。彼女たちにとって、抑うつとASDは不可分だ。身体の感覚と感情とを区別することに問題を抱える失感情症(アレキシサイミア)が、こうした難しさの一因となっている可能性がある。失感情症の場合、自分がどう感じているのかがわからない、あるいは言語化することができないからだ。』(注:引用中の(ASDの彼女たちにとっての)「抑うつ」に関連する「発達障害の女性へのうつに対するアドバイス」については次の資料を参照して下さい。pdfファイル「女性のライフステージと女性特有のうつとの関係」中の宮岡佳子著の文書「発達障害をもつ女性のうつについて ~悩みとその対処を中心に~」(P10~P13) 加えて、心身症の視点からは次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」の「心身症の背景となる心理・性格的要因」項 その上に、心身医学における ASD の特性理解の視点からの上記「アレキシサイミア」については次の資料を参照して下さい。 「自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」の「心身医学における ASD の特性理解」項 なお、ASDにおける上記「アレキシサイミア」と心身症の関連については次の資料を参照して下さい。 「成人の精神医学的諸問題の背景にある発達障害特性」の「4. 心身症(psycho‒somatic disease)」項 さらに、PTSD又は複雑性PTSDにおける失感情症については他の拙エントリのここを参照して下さい。これら以外にも、構成主義的情動理論に視点からの情動概念の処理にも関連する「アレキシサイミア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、自閉症スペクトラム症における「アレキシサイミア」と「内受容感覚」との関連については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) また、PTSD又は複雑性PTSDの視点からは、他の拙エントリのここを参照して下さい。また、化学物質過敏症とアレキシサイミア(失感情症)の関連については、WEBページ「半揮発性有機化合物をはじめとした種々の化学物質曝露によるシックハウス症候群への影響に関する検討」の下部のリンクから一括ダウンロード可能なファイル 201625016A0004.pdf 中の資料「1.化学物質に対する感受性変化の要因及び半揮発性有機化合物の健康リスク評価」(P28~P42)の「C1 化学物質に対する感受性変化の要因」項(P30~P31)を参照して下さい。なお、この項中の「TAS20」については次の資料を参照して下さい。 「Relationship between alexithymia and coping strategies in patients with somatoform disorder」(注:タイトル以外は日本語の資料です) (iv) ちなみに、 1) 『慢性疼痛における「失感情症・失体感症傾向への対応」』については、他の拙エントリのここにおける引用の「(2)失感情症・失体感症傾向への対応」項を参照して下さい。 2) アレキシサイミアと内受容感覚の関係に関連する資料「アレキシサイミアにおける、自己意識・メタ認知に関する統合的脳機能画像研究」の「4. 研究成果」において次に引用する(【 】内)記述があります。 【情動の体験の認知については、特に内受容感覚も認知の鋭敏さが不安を増大させる影響があることを明らかにし、さらにfMRIで脳活動を撮像することによって、内受容感覚への気づきに重要な島皮質の活動が、アレキシサイミア群で低下していることが明らかになった。】 (注:引用中の「情動」についてはここを、「内受容感覚」についてはここを、「fMRI」についてはここを、「島」についてはここをそれぞれ参照して下さい) v) 引用中の「異様な身体感覚」に関連するかもしれない「セネストパチー」についてはここを参照して下さい。

ハイコントラスト知覚特性
物事を「白か黒か」で把握するような知覚ないし認識のあり方を、ハイコンストラスト知覚と呼びます。ハイコントラストの意味は、ある境目となる入力の大きさの周囲で、それよりも少しでも入力が大きければ最大値に振り切れてしまうような感覚特性のことです。当然、少しでも小さければ、最小値に振り切れるという場合も同じことです。このような境目の値のことを「しきい値」と呼びます。要するに「白か黒か」「0か1か」「あるかないか」のような、両極端しかない捉え方をする、ということです。
ハイコントラストな基準が適用されると、思考は自然と明晰になります。その明晰さは、正確性や論理性につながることもあります。アスペルガー者の場合に時々見られる、非常に形式的で論理的な問題解決スタイルは、このようなハイコンストラストな思考の傾向と関係しています。
そういう形式的で論理的な思考は、それ自体では悪いものではありません。問題は、こういう特性があると、どうしてもグレーゾーンでの解決が難しくなるということです。それは、グレーゾーンというものを、そもそも知覚できていないからだと考えられます。だからアスペルガー者に対して、「そこんとこ、適当に……」と言ったところで、グレーゾーンにあたる「適当」というのが何か認識できないのですから、うまくいくはずがありません。
さらに、ハイコントラスト知覚には、もう一つ困ったことがあります。たとえば、空腹の感じ方を考えてみてください。健常者は、「空腹か満腹か」の二つだけで自分の欲求を判断したりはしないでしょう。「小腹が空いた」「腹七分目だ」などといった表現もあるとおり、空腹と満腹の中間にあるグレーゾーンでの判断も生じ得ます。
ところが、空腹の感じかたがハイコントラストで、「空腹」「満腹」の二つしかないという場合は、「少し腹が減ったから少しだけ食べる」ということにはならず、腹が減れば満腹になるまで食べてしまい、一度満腹になればふらふらになるまで食べないという極端なことになります。これでは適切な自己コントロールができず、体調を崩すもとにもなりかねません。アスペルガー者の自己制御の困難さの一因は、ここにもあると考えられます。
なお、このようなハイコントラスト知覚によって、感覚過敏性(特定の刺激を感じすぎる状態)の一部を説明することができます。たとえば、ハイコントラストな聴覚を持っていれば、ほとんどの音は大きすぎるか小さすぎるかになってしまいます。要するに、いつでもメーターが振り切れているようなものです。同じことが視覚、嗅覚、味覚、触覚、温度覚、平衡感覚、空腹や疲労感のような内部感覚などにも言えます。そういう知覚の世界に生きているとしたら、アスペルガー者にとって、生きていくことはよほどたいへんなことになるでしょう。

注:i) 引用中の「ハイコントラスト知覚特性」は「情報処理過剰選択仮説」(引用参照)の一要素です。加えて、「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典

関係過敏による不適応の二つのタイプ
関係過敏による不適応には、大きく分けて二つの極があります。一つは感覚過敏の延長上にある関係過敏で、もう一つは他者からの評価にかかわる関係過敏です。両極は、互いに連続し移行するものです。したがって中間のあらゆる形態があり得ますが、両極を比較した場合には、それぞれ非常に異なっています。
まず、一つの極である感覚過敏に近い意味での関係過敏から説明します。これは、人が多い、人の声がざわざわしている、自分の近くに物理的に接近されるなどの刺激で強い不安を感じたり、激しく疲労してしまうような状態です。この場合には、それらの刺激を回避するために、社会的場面からの引きこもりが起こると理解できます。
このタイプの関係過敏は、感覚過敏の延長上にありますので、単純な性質を持っています。この場合には、刺激の社会的な意味と同時に、刺激の物理的な性状が重大な問題になります。その人ごとに、弱点となるタイプの感覚刺激があるのです。もちろん、純粋に物理的な刺激への反応であれば、それは社会的能力に関連した不適応ではなくなってしまいますので、それについては後述する「感覚過敏・易疲労性に関係した不適応」で論じます。ここで問題にするのは、その背景に他者の気配を含むような感覚的刺激に限られます。
具体的に言えば、個別の誰かが気になるというよりも、「人の多いところが耐えられない」というような種類の過敏性です。たとえば、「授業に出ると、何だか人が多くて疲れる、それに、自分だけが場違いのような気がするのでいたたまれない」というような訴えは、この類型と言ってよいと思います。さらに、「そんなふうに場違いなのは、自分が挙動不審だから気味悪がられているんだろう」などというあたりまでは、妄想と言うほどでもないので、関係過敏による念慮に入れておいてよいでしょう。
一方、反対の極は、むしろ通常の対人過敏に近いもので、他者からの評価に対するこだわりに始まって、「きっと自分はこう思われているから」という強い思い込みをともなって、社会的場面の回避に至るものです(後略)。

注:引用中の「感覚過敏」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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≪余談2≫知的テーマの追求

[1] WEBページ「獨協医科大学越谷病院 こころの診療科」の 特色:薬に頼らない治療 の「広汎性発達障害アスペルガー障害、高機能自閉症など)」項における記述を次に引用します。

対人関係におけるコーチングが治療の中心となります。広汎性発達障害の患者さんにとって、得意なことは、ある知的テーマについて深く追求すること、苦手なことは、人のこころを察することです。したがって、得意なことをどんどんやって自信を深めていただき、同時に、苦手な対人場面での行動について、一緒に考えていきましょう。

[2] ブログエントリ「神田橋條治による発達障害理解 - すずろーぐ☆」の「■発達障害のひととの交流について」項における記述の一部(引用の一部)を次に引用します。

情緒的な関係で支えられるのが苦手。知的なものは肉体と密着していないので、それをよすがに生きていくひとは風変わりな人として完成していく。

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≪余談3≫少数派

発達障害の問題は少数派の問題でもあるかもしれません。以下にこれに関連するWEBページ例を紹介し、加えて本の記述の一部を引用します。 『発達障害「グレーとは 白ではなくて 薄い黒」誤解される本当の理由【子どもの発達障害 現場から伝えたい“本当のこと” 第1回】

加えて本田秀夫著の本、『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(2013年発行)の 第3章 線引きが難しい自閉症スペクトラムの境界線 の「ストレスに晒されやすい自閉症スペクトラムの人たち」における記述の一部(P79~P80)を次に引用します。

現代社会、特にわが国の近年の状況は、一見、個性を重視しているかのように見える部分もありますが、実は、多数派からはみ出す人たちを差別し、排除しようとする心理的カニズムは、むしろ強まっています。いじめの深刻化などは、まさにその象徴と言えます。
中でも、「空気を読めない人」に対する風当たりがとても強まっています。以前なら、「他人が何と言おうが自分の信念を曲げない」というのはプラスの評価だったのに、最近は、そのような個性が「空気を読めない」というマイナスのニュアンスを帯びた評価に変化しつつあり、差別や排除の対象となる場面が多くなっています。
臨機応変な対人関係の調整が苦手で、こだわりを持ちやすい自閉症スペクトラムの人たちは、そのような差別や排除の対象となるリスクが高くなります。
自閉症スペクトラムの人たちは、少数派の人種として人種差別を受けているのと同様な状態に晒されているのだと言えます。特定の人種がたくさん住む国で、多数派の人種の価値観に基づいた制度や文化が浸透し、それ以外に対して排他的な風潮が生じると、少数派の人種は社会的に抑圧されます。これが人種差別です。
その人種特有の文化を維持することは、その人種の人たちにとっては健康的な生活を維持するために不可欠です。それを制限されると、当然、恒常的な心理的ストレスに晒されることになります。
同様に、現代社会における自閉症スペクトラムの人たちは、恒常的な心理的ストレスに晒されやすい状況に置かれていると考えられます。そのような状況に置かれ続けた人たちが併存群となって、自閉スペクトラム障害の一部を占めているのです。(後略)

注:i) 引用中の「併存群」は、非障害自閉症スペクトラム発達凸凹参照)に他の問題が併存すると障害に該当してくる人たちのようです。 ii) 引用中の「空気を読めない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。

加えて、金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第3章 自閉症の多様性を「測る」――脳科学からのアプローチ(著者:菊知充、三邉義男) の「共に生きる社会を目指して」における記述(P135~P136)を次に引用します。

私は、いままでに大人を中心に精神科医として仕事をして、自閉症の成人期にあたる方々をたくさん見てきました。
仕事をする中で、しばしば悲しく感じることがあります。それは、おそらくは就学前の幼児期には無邪気で屈託のない性格であった彼らが、いつの間にか(おそらく就学期間中にあるいは就労中の不適応の果てに)すっかり自信を失ってしまっていることです。
この根源にあるのは、これまでに述べてきたような、生まれもっての多様性が、周囲にマイノリティ(社会的少数者)として否定的にあつかわれる環境であり、これこそが彼らを苦しめていると感じています。彼らは、ただ普通に仕事して、穏やかな生活をしたいだけなのに、それがうまくいかなくて困っているのです。実直な彼らは、歳を重ねるに従い、日々を生きるだけで大いに罰を受けているような気持ちが深まっていきます。多くの場合、親が期待しているような、普通の社会生活ができていないことに、自己嫌悪を感じて苦しんでいるのです。
とくに言いたいのは、知的障害のない自閉症のケース(高機能自閉症アスペルガー症候群)です。彼らの中には、知的障害がないがゆえに「定型=普通の発達」とみなされ、特別な配慮もなく、定型と同じ発達を遂げるように期待されつづけてきた人もいます。しかし多くの場合、周囲の期待に応えられず、そのために周囲から落胆され、自己嫌悪に陥ってしまうのです。

一方、この少数派のエンパワーメントに関連して、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」の 第七章 アスペルガー障害を生きのびるということ の『「アスペ力」に目をむける』項における記述の一部(P252)を次に引用します。

(前略)「アスペ力」は、際立った論理性や数理的な能力などの特殊な力を指す言葉ではありません。他者の感情よりも客観的な事実を価値の基準として重視する、ある意味で超俗的な生活態度、あるいは実体のない感情や心に左右される社会を相対化する視点とでも考えるのがよいのではないでしょうか。(中略)

アスペルガー者にはアスペルガー文化があります。
重要なのは、アスペルガー者を健常者に見せかけることではなく、アスペルガー文化をエンパワーメントすることなのです。すでに社会の一部となっているアスペルガー文化や、生まれつつある当事者活動の文化などを通じて、一般社会のなかでアスペルガー的な世界観を積極的に主張していくことが必要なのだと思われます。そのような世界観のキーワードは、「事実の重視」「情報の共有」「他者の高いスキルへの惜しみない賞賛」「自分の間違いを教えてくれる人への感謝」「異質であることの尊重」「無用な同調性の排除」「具体的な目的のための結束」「目的の手段としての自己」「社会的フォルマリズム」などなどです。このような見解は間違いなく少数意見ですが,遠くない将来に、その状況が変わっていくことを心から祈っています。

注:i) 引用中の「エンパワーメント」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「エンパワメント/エンパワーメント(empowerment)」 ii) ちなみに、引用中の「他者の感情よりも客観的な事実を価値の基準として重視する」ことに基づいて行動するデメリットの例についてはここ及びここを参照して下さい。

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≪余談4≫その他のミニ余談

その他の様々なミニ余談を以下に示します。

[1] アスペルガー症候群の人は「子どものとき」も困っていた?
加藤進昌著の本、『ササッとわかる「大人のアスペルガー症候群」との接し方』(2009年発行)の『アスペルガー症候群の人は「子どものとき」も困っていた?』における記述の一部(P28)を次に引用します。

大人になるまで気づかれないアスペルガー症候群の人も、本人自身は子どものころから「困り感」をかかえながら生きています。

人によって、アスペルガー症候群の症状の出方はさまざまですが、本人は、成長の過程で「自分は他の人たちとどこかが違っている」「なんとなく生きづらい」と、感じているものです。(後略)

[2] クレーマーになる
杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述の一部(P234~P235)を次に引用します。

10. クレーマーになる
これは最悪の形態の一つである。あらかじめいえば、クレーマーの全員が発達凸凹ではない。大きく分けると、発達凸凹系のクレーマーと、虐待系のクレーマーに大別できると思う。もちろんこの両者が重なることがあって、そうなると最強のクレーマーができあがる。
なぜこんなことが断言できるかというと、親子並行治療をおこなった親の側に、かつてクレーマーとして地域の学校などに名をはせていたお母さんが何人もいたからである。本に書いてあることを頭から信じ、行間にあるものを読まない。対人的な相互交流ができず、情緒的なやりとりができない。これまでの対人関係で被害的になっていて、実際にだまされたりしたことも多い。しかも正確無比な記憶をもっていて、ちょっとした言葉の違いや、相手が言った「子どものためにすべてをおこなうのが学校の役目」などという言葉を真に受けしかも盾にする。世間的な常識は期待できない。これらが総合されると、恐るべきクレーマーに転ずることは了解いただけると思う。
本人が正論と考えている常識的には無理なことを一方的にまくし立てれば、言われた側は引いてしまいその一部が実現する。するとこれがクレーマー側に誤学習の機会を与える。つまりこのような一方的な要求こそ、相手に通じると思い込むようになる。もう一つ、発達凸凹×虐待タイプのクレーマーの場合、気分の上下がしばしばあって(とくに双極Ⅱ型)、普段はうつになっているのだが、ときどき訪れる(季節の変わり目が多い)軽躁状態になったとき、突然に恐るべきクレーマーに変身するというパターンがある。

注:(i) 引用中の「双極Ⅱ型」は、おそらく双極Ⅱ型障害のことであり、これについては他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。[用語:「双極性障害」] 加えて、自閉スペクトラム症の方々は一般の方々よりも双極性障害を併発しやすいことについては例えば次の論文要旨を参照して下さい。ただし拙訳はありません。 「Risk of non-affective psychotic disorder or bipolar disorder in autism spectrum disorder: a longitudinal register-based study in the Netherlands.」 (ii) ちなみに、境界性パーソナリティ障害ADHD においてもクレーマーに関連する記述があります。前者は他の拙エントリのここを、後者は次のWEBページをそれぞれ参照して下さい。 『今村明先生に「ADHD」を訊く』の「②子どもとおとなではどのような症状の違いがありますか?」項 (iii) 引用中の「誤学習」についてはリンク集(4)を参照して下さい。また、これにひょっとして関連するかもしれない用語「レスポンデント学習、オペラント学習」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。加えて上記「誤学習」に関連するかもしれない、 a) (スキーマ療法において)『その人の現在の問題ある行動は,人生の初期段階の苦痛あるいは有害な環境において,正常な欲求が満たされなかったり感情学習に何らかのギャップが生じたりすることによる「誤学習」に基づくと考えられる』ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) 反社会的行動を含む問題行動が繰り返されるようになるための因子である「永続因子」として挙げられるASD者がもちうる「誤った内的スキーマの確立・固定化」について、そだちの科学 2020年10月号 中の桝屋二郎著の文書「発達障害の二次的・三次的障害としての非行・犯罪」(P26~P31)の 発達障害者に非行・犯罪が生じる背景 の「(1) リスクファクターの分析」における記述の一部(P28)を次に引用します。

(前略)この誤った内的スキーマとは、ASD者などがもちうる、ある誤った思考パターンで、たとえば「他人や警察に知られなければ犯罪は認識されないのだから、捕まることもなく、やってよい」、「社会に迷惑をかけたりする人は社会にとって重要でない人であるから、ひどい目にあわせてもよい」、「社会に迷惑をかける人をやっつけるのは社会から感謝されるはずだから、やっつけてよい」等である。これらが確立・固定化すると反社会的行動は繰り返されるため、周囲が早期に誤ったスキーマの存在に気づき、こまめで地道な修正介入をするかが重要となる。(後略)

[3] 怒りをコントロールする
備瀬哲弘著の本、「大人のアスペルガー症候群が楽になる本」の「7 怒りをコントロールする」項における記述(P293~P294)を次に引用します。

当事者が取り組みべきポイント7 怒りをコントロールする
ケース・スタディでもあったように、アスペルガー症候群の当事者の中には、とても怒りっぽい人がいます。
怒りは、他人を遠ざけます。「できれば近づきたくない人」として、疎まれたり嫌われたりする原因になります。そうなると、理解や配慮をお願いすることはできません。
自分の性格に関して指摘を受けることは、だれでも耳が痛いことでしょう。しかし、現実に問題がある場合には、それから目を背けていては、適切な理解と配慮は得られません。
性格傾向はもちろん十人十色ですが、とりわけ人との関係を悪化させるのは怒りです。社会生活を営むうえで、怒りはなんとしてもコントロールすべきなのです。
感情がコントロールできずに怒鳴ってしまうのであれば、唐突に席を立って、トイレで顔を洗うほうがずっとましです。そのうえで、落ち着いたら非礼を詫びましょう。
これは、世の中を渡っていくためのソーシャルスキル(社会的技術)です。
理屈では自分が正しいと思うこともあるでしょう。しかし、正しいか否かは問題ではありません。
怒りを面に出さないようにコントロールすることはとても重要なのです。

[4] ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
注:ちなみに、標記項目に関連して、a) 引用 b) 文章『「その業者とは今後も付き合いが続くのに、怒らせたあとどうするつもりなのか」が理解できませんでした。』を含むWEBページはにおけるリンク先、 c) 文章「三〇回も仕事をクビになった」を含む引用はここ もそれぞれ参照して下さい。

米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第三章 さまざまな症状とそれが生じる理由 の「六 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」項における記述の一部(P116~P118)を次に引用します。

六 ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない
アスベルガー者は、たとえば遅刻や挨拶をしないとどうなるかが予測できていないことがあります。難しい言い方をすれば、社会的な規範からの小さな逸脱の結果が予測できないというわけです。島田さんの場合、それは職場への遅刻、身だしなみなどにあらわれていました。
実はほとんどのアスベルガー者は、法律や条令など、明確な言葉で定義されている社会規範についてはふつうの人以上に厳格で、どちらかと言えば潔癖なルールへのこだわりすら示すことが多いのです。
ところが、必ずしもはっきりとは示されない日常生活レベルでの弱い社会規範については、まったく無視してしまうことがあります。例を挙げれば、顔を洗わない、歯を磨かない、髪を洗わないなどの「些細な」不潔などを非社会的であると認識しないか、認識しても意に介さないことなどです。
論理的に言えば、多少不潔であっても異臭がするほどでなければ、他人に迷惑をかけていないとも言えます。しかし、ふつうの人はそう考えてくれません。「汚い身なりで自分の前に出てくるということは、自分を軽んじる行為である」という無意識の論理がふつうの人にはあるからです。アスベルガー者にこれがよくわからないのは、例の”猿山原理”がわからないからです。
このようないわゆる非常識は、就労すると、とくに目立つようになります。この種の非常識を別の言い方で説明すると「行為そのものの物質的な結果と、その社会的なインパクトとの区別がよくわかっていない」ということになるでしょう。
遅刻を例にとって、このことを説明してみましょう。五分遅刻するという場合、そのことによる労働時間の実質的な減少は誤差の範囲でしかありません。したがって、そのことの物質的な影響は小さいのです。しかし社会的なインパクトとして考えた場合、遅刻がたび重なった場合には、その物質的影響にまったく見合わないような、強い否定的な評価を受けることになります。職場で信用されなくなる、場合によったらリストラの対象にされるなどといったようなことです。アスペルガー者は、そのことを直感的には認識できないのです。この人たちが「社会的なルールがわかっていない」と他人から言われる原因は、この辺にもあります。

注:i) 引用中の「“猿山原理”」に関連するかもしれないブログを次に示します。「自閉症スペクトラムと猿山の関係について - すずろーぐ」 ii) 引用中の「島田さんの場合」の詳細について、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第一章 「アスペルガー者」とはどんな人たちなのか の「一 あまりにマイペースな島田さん」項における記述の一部(P18~P26)を以下に引用します。 iii) 引用中の「ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」に関連する「想定される結果をみずから想像することが苦手」については、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第4章 不適応を予防するには移行期の学習が大事 の『私たちの想定より早い段階で「わからなさ」が始まる』項における記述の一部(P86~P90)を以下に引用します。ちなみに、この引用には「見知らぬ場所や新しい環境が苦手」についての説明が含まれます。

島田一郎さんは、二七歳のシステムエンジニアです。四年制大学の工学部で学び、必修単位を落としたため卒業は一年遅れましたが、その後IT系の企業に入社しました。技術的な面では、より実践的な訓練を受けてきた専門学校卒の同僚たちと比べても遜色がない、と自分自身思っています。しかし上司からは評価されていません。
精神科を受診した初日は、職場の先輩Tさんと一緒にやってきました。島田さんはまず、受診のきっかけをこのように話しました。
「先月から、なんだか会社に行く気がしなくなって……。先週からは、ずっと休んでいるんです。会社からは、医者に行って診断書をもらってこいと言われたし、大学のときの友達から『おまえ、アスベルガーじゃねえの?』と言われて、気になったので……」

職場の同僚の印象は
受診についてきた先輩に話を聞きました。上司に言われて仕方なく、といった様子です。島田さんの職場での問題について聞くと、次のような苦情が次から次へと飛び出してきました。
「島田は、本当は悪い奴じゃないんですよ、たぶん。まあ、鈍いっていうか、イライラさせられるのは事実ですけどね。こっちの話は通じないし、どうでもいいところにこだわって変な質問をしてくるし……。しかも、同じことを何回も連続で聞いてくるんですよ。全然、教えた仕事を覚えてないみたいなんです。ふつう、むかつきますよね。それも、申し訳なさそうに聞くならまだしもですけど、当然だ、みたいな態度で聞いてくるんですよ。仕方ないから教えてあげてますけど。
仕事を覚えないって言ったのは、指示しても、言葉尻に引っかかって見当違いのことばかりするからです。その仕事全体に、どういう目的があるかがわからないみたいで。こちらも説明はしているんですが、どうもわかってもらえないようです。給料をもらっている以上、仕事はしてほしいんですけど……。任せるとかえって仕事が増えるので、任せられないんです。
僕たちは我慢していますが、会社の外部との対応はさせられません。言葉は丁寧なんですけど、取引先にも、とんでもなく失礼なことを平気でしちゃうんですよ。たとえば、ふつうは相手の間違いとかをストレートに指摘しないじゃないですか? でも平気で『そちらのミスですよね』なんて言うんです。『その言い方はまずいだろ』と教えるんですが、意味がわからないみたいで、ぽかんとしてるんですよ。
あと、訪問先で会議室に案内してくれた相手が、謙遜して『散らかっていて、汚いところですが』とか言うじゃないですか? そしたら平気な顔で「片付けましょうか?』とかね。よく”空気が読めない”とか言うことがありますけど、そういうレベルじゃなくて、本当にありえないようなことなんで……。僕たちも、どうしたらいいのか、困っているんです。
せめて外見だけでもちゃんとしてくれればいいんですけど、いつも寝癖がついてて……。ネクタイも毎日同じだから変に薄汚れているし、たぶん週に二回ぐらいしか風呂入ってないと思います。さすがにそれは、本人には指摘できなかったですけど。
机の上なんて、ゴミの山になっていて、とても仕事をする机には見えないです。書類を紛失したり、提出が遅れたりがしょっちゅうで。あと、遅刻ですね。まあ一応先輩として、『理由もなく遅刻はするな』って説教したら、まるで全人格を否定されたような顔をしてました。ああいうの、今の若い人ありますよね? なんか逆に恨まれるのも、ちょっとやばいかなーって思って、あとで合コンに誘ってやったんですが断ってきて……。すっかり拗ねちゃってて、可愛げがないんですよ、あいつ。気持ちが通じないっていうか、まあ、ここだけの話ですけど、ぶっちゃけ一緒に働きたくないタイプだって思いますよ」
先輩にはかなり酷い言い方をされていますが、実際島田さんのそうした言動のために、取引に失敗したり仕事の進行に差し支えが生じているので、会社としては現実的な損害を受けているようです。
はじめはやる気の問題だと思って、叱ったりおだてたりといろいろ工夫してみたものの、まったくうまくいかなかったそうです。仕方がないので、仕事量を減らして様子を見ていたところ、先週になって本人が連絡もなく休むようになったので、最近よく聞く”職場のうつ”ではないかと心配して、上司が指示して本人を受診させたということです。

仕事の現状
問診してみると、島田さん本人も職場で相当な困難を感じていることがわかりました。ここで、受診時の会話を少し再現してみましょう。
医師 仕事はうまくいっていますか?
島田 仕事はちゃんとやっています。指示された作業は何とかできていますから。
医師 そうですか。
島田 ただ、顧客との打ち合わせでは、相手の言っていることがわからないので、しつこく聞こうとすると、怒らせてしまいます。上司に、今後は打ち合わせに出なくていいと言われました。自分としては一生懸命やったので、そこまでされるのは酷いと
思います。
職場では「いちいち指示されなくても、自分で考えてやれ」と言われてます。でも、どう考えていいかわからないんです。ちゃんとマニュアルがあればできるんですが。
曖昧な指示について上司に質問しても「自分で考えろ」と言われてしまうので、仕事がさっぱり進みません。仕方がないので、何とか自分なりに考えておこなった仕事の成果を持って行くと、見当違いだったみたいで、「何を考えてるんだ!」と小一時間も説教されました。もうどうしていいのか、さっぱりわかりません。
医師 作業の目的とか、全体の状況から考える、ということはできていると感じますか?
島田 うーん、難しいですね。よく「作業全体の意味をしっかり考えろ」とか「進捗をきちんと報告しろ」とか言われてますが……。確かに個々の作業に注目すると、全体のことを忘れてしまうところはあります。
医師 報告のほうは?
島田 なにを報告していいのか、わからないんです。タイミングっていうか。ちゃんと作業ができていれば、いちいち報告しなくてもいいような気がします。時間の無駄ですし。
医師 書類なんかの提出が遅れるみたいだけど……。
島田 どう書いていいかわからなくて。考えているうちに、締め切りを過ぎてしまいます。人事考課の季節になると、自分自身の目標を書いて提出するんですが、別に書くこともないので先延ばしにしてしまうんです。とくにプログラミング技術そのも
のが好きなわけではないので、心にもないことを書くのもどうかと思うし……。
医師 人間関係はどう?
島田 あまり、仲のいい人はいません。入社して三年たつので後輩もできたんですが、今では後輩のほうが大切な仕事を任されているんで、面白くはないですよね。後輩は調子がいいんで、上司に気に入られているんです。たぶん、私は嫌われていると思
います。
医師 最近は会社を休んでいたの?
島田 このところ、疲れやすくて。なんか、出社するのが面倒で。
医師 何か、会社に行きにくくなるきっかけがあった?
島田 どうせサービス残業しているんだし、疲れてるから朝起きるのが面倒で、最近は五分、一〇分遅刻してたんです。そうしたら先輩に、「そんな態度なら、会社を辞めろ!」と言われて。
医師 どんな先輩?
島田 今日ついてきた人なんですけど、なんか細かい人です。どうでもいいことで怒ったり、さっきまで怒っていたと思ったら今度は合コンに誘ったり、よくわからないです。たぶん、気まぐれなんだと思いますけど、なんか、ライバルと思われてるのか
もしれないです。
医師 合コンには行かなかったの?
島田 ええ、女子は苦手なんで、断りました。なんか、先輩が自分を笑いものにしようとしてるのかなって思ったもので。さっきまで怒っていたのに、不自然だったから。まさかそこまで悪意ではないとは思うけど、ちょっと嫌がらせみたいな感じで。

このように訴える人たちが、毎日のように私の診療所を受診してきます。確かにうつ病を疑うこともできます。しかし、よくよく調べてみると、ご飯はおいしく食べられるし、趣味のオンラインゲームについては楽しそうに話せるし、夜はぐっすり眠っています。何よりも、自責的なところがありません。
また、統合失調症かどうかも鑑別すべきですが、かなり被害的とはいえ、考えのまとまりには問題がないし、対人関係以外の知的な作業そのものには少しも困難を感じていません。どうやら、うつ病でも統合失調症でもないようです。(後略)

注:i) 引用中の「“空気が読めない”」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「どうでもいいところにこだわって」に関連するかもしれない「細かなことに著しくこだわる」ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「うつ病」、統合失調症については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

私たちの想定より早い段階で「わからなさ」が始まる(中略)

ASDの人たちは相手の意図を汲みとったり、想定される結果をみずから想像することが苦手ということでもあります。なにをしてよいかわからなくなったとき、これはどういう意味なんだろう? 自分はなにを求められているのだろう? 彼らは状況(その中には、相手の表情など非言語的な要素がたくさん含まれています)から類推することが苦手です。そのことは、通常の社会生活において、コミュニケーションの質的障害となっています。
その場の状況を読むことや、他人の表情などから、そのときの会話で言われている本当の意味を推論すること、自分に要求されているものはなになのか? それはどのようにしたらよいのか? そのとおりにならなかったらどうすればよいのか? わからないことは誰に尋ねればよいのか? はたして聞いてよいのか? ASDの人たちはそれらがわからず途方にくれているということです。
文脈を理解することが苦手ということは、ASDの人たちの問題の中心といっていいでしょう。ASDの人たちはなじみがない、見知らぬ場所や新しい環境が苦手です。彼らの苦手なことはそれに尽きると言ってもよいのです。

[5] 情報処理過剰選択仮説
米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第二章 アスペルガー障害の本質 の「三 情報処理過剰選択仮説とは」項における記述の一部(P64~P68)を次に引用します。

三 情報処理過剰選択仮説とは
情報処理過剰選択仮説とは、脳のなかで問題解決のためにおこなわれる並列的な複数の処理の流れの間で、「特定の処理のみが優先されて、他の処理が抑制されてしまう」という偏りがアスペルガー障害の本質なのではないか、と考える仮説です。もっと簡単に言うと、要するに「いろいろな側面から認識できることを、一面からしか見たり感じたり覚えたりできないところに本質的な問題があるのでは?」という理解の仕方です。中身としては、前述の「弱い中枢性の統合」を含むますが、それよりも広い範囲の概念です。
この情報処理過剰選択仮説にもとづくと、すべてのアスペルガー者に共通の「中核的特性」は、次の三種類にまとまられます。これらをここでは「情報処理過剰選択特性群」と呼ぶことにします。

・シングルフォーカス特性……注意、興味、関心を向けられる対象が、一度に一つと限られていること
・シングルレイヤー思考特性……同時的・重層的な思考が苦手、あるいはできないこと
・ハイコントラスト知覚特性……「白か黒か」のような極端な感じ方や考え方をすること

これら三種類の特性は、すべてのアスペルガー者に共通して認められるものです。これらは重なり合いながらも、かなりの場合は区別可能ですので、特性を詳細に検討するためには分けて考えたほうが理解しやすいと思われます。
この他に、すべてではないとしても、かなり多くのアスペルガー者に見られる特性があります。そうした特性は非常に多様ですが、主要なものは限られています。これを周辺的な特性として、以下にまとめておきます。

・記憶と学習に関する特性群……エピソード記憶の障害、手続き記憶の障害
・注意欠陥・多動特性群……不注意、衝動性など
・自己モニター障害特性群……自分の身体的・精神的状態に気がつけない
・運動制御関連特性群……不器用、姿勢の悪さ、運動学習の障害
・情動制御関連特性群……気分変動、”やる気がコントロールできない”など

「周辺的な特性(周辺特性)」に含まれるものの一部は、情報処理過剰選択特性群の三つの特性から直接に導かれるものです。しかし、なかには関連性が明確でないものも含まれるので、一応は周辺的特性として、分けて考えたほうがよいでしょう。
重要な点は、これらの周辺的な特性には大きな個人差があり、人によってあらわれ方や程度が著しく異なるということです。たとえば、気分が安定しているが不器用な人もあれば、器用だが不注意な人もいるといった具合です。ひとくちにアスペルガー障害と言っても多様なあらわれ方があることの原因の一つは、これら周辺特性の強さが、ケースによってまちまちであることにあります。
それから、これら周辺的な特性群は、互いにある程度独立したものなのですが、同時にそれそれが互いに関連していて、完全には分離できないということにも注意しておいてください。たとえば記憶と注意、注意と自己モニター、自己モニターと運動制御、運動制御と情動制御というふうに、それぞれの機能は互いに強く関連している可能性が高いのです。もちろん、ここに例として挙げた組み合わせ以外の、特性群同士の組み合わせについても同様なことが言えます。
患者さんの生活のなかで起こる現実の問題が、このような中核的特性・周辺的特性の組み合わせと、環境との相互作用のなかからあらわれてくると理解すると、しだいに問題の全体像が浮かび上がってくるでしょう。(後略)

注:i) 引用中の「弱い中枢性の統合」、「ハイコントラスト知覚特性」に関してはそれぞれここここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。

[6] 物事を何でも簡単に信じてしまう、だまされやすい
標題は次のWEBページにおける記述の一部を切り出したものでもあります「【3129】人の話を聞けない・何でも簡単に信じてしまう・異様な緊張・顔が覚えられない・・など」(注:ホームページはここ)。複数の資料において、これに類似した記述を抜き出し、以下にそれぞれ引用します。
① この引用中において「これまでの対人関係で被害的になっていて、実際にだまされたりしたことも多い。」との記述があります。

田中康雄著の本、「もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?」(2011年発行)の 第3章 毎日の「困った!」はこうして解決 の「CASE12 お金の管理が苦手」項における記述の一部(P181)を次に引用します。、

●相手を信用してしまう
人がよすぎて疑うことをしないで、悪徳業者や詐欺の言葉巧みな説明を鵜呑みにして被害に遭うことがあります。また、人から頼まれると断れず、信用されるとがんばってしまったりして、お金を貸したり連帯保証人などになり大変な思いをする人もいます。

③ 次の資料「成人期の発達障害の臨床的問題」の P54 における記述の一部を次に引用します。

人をだまそうとしない、ごまかしが下手で誠実
(だまされやすい)

④ 宮尾益知監修の本、「女性のアスペルガー症候群」(2015年発行)の「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」における「よくある悩み」の見出しの中に『人にだまされ、性的な被害にあう』(P22)があります。加えて、上記『人にだまされ、性的な被害にあう』ことに関連する「性搾取を受けるリスクが高い」ことについて、サラ・ヘンドリックス著、堀越英美訳の本、「自閉スぺクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで」(2021年発行)の 第11章 好きな人とつながりたい の「性的暴行を受けるリスクが高い」における記述の一部(P240~P241)を次に引用します

ASDの少女や女性は、特に性搾取を受けるリスクが高いという見解は、よく報告されている※8。誘いの合図を読み取れなかったり、世間知らずだったり、他人の言動を額面通りに受け取ったりすることは、特に弱い立場にある女性の場合は問題を引き起こしかねない。ASDの女性は、言われたことを鵜呑みにし、自分と同じように他の人も善意で行動していると思い込んでしまう。
私の調査対象である女性たちは、自分のことを「だまされやすい」「傷つきやすい」「世間知らず」と表現している。ASDの特徴は、性的な状況では深刻な危険をもたらしうる。私は多くの女性から、性的な虐待や暴行、レイプの経験が何度もあるという報告を受けている。(後略)

注:(i) 引用中の「※8」は次の本を指します。 a) 「Attwood, T. (2007) Complete Guide to Asperger's Syndrome. London: Jessica Kingsley Publishers.」 b) 「Holliday Willey, L. (2012) Safety Skills for Asperger Women: How to Save a Perfectly Good Female Life. London: Jessica Kingsley Publishers.」 c) 「Holliday Willey, L. (2014) Pretending to be Normal: Living with Asperger's Syndorome. London: Jessica Kingsley Publishers.(『アスペルガー的人生』ニキ・リンコ訳、東京書籍、2002)」(注:この原本は最初は1999年に出版されているようです) (ii) 引用中の「性的な状況では深刻な危険をもたらしうる」に関連する(恋愛と性の課題における)「ここで紹介した 3 例は、危険な対処行動の際には、どこに問題があるかはわからなくともとりあえず相談する、という行動のとれている方々」の症例については次の資料を参照して下さい。 「アスペルガー症候群を持つ女性の恋愛と性の課題 -3つの症例を通して-」 (iii) 引用中の「性搾取を受けるリスクが高い」ことに関連する「搾取されやすくなったりする」ことについて、「強迫観念的なストーカー型行動につながる」ことを含めて、同第11章 好きな人とつながりたいの「シグナルを見逃す」における記述の一部(P231~P232)を次に引用します。

シグナルを読み取るのが難しいというASDの特性は、恋愛の領域でも顕著に現れる。心の微妙な動き、じゃれあい、暗黙の了解。恋愛はASDの女性にとって、確かなものがなにもない、誤解が生まれやすい地雷原のような場だ。これが強迫観念的なストーカー型行動につながったり、逆に搾取されやすくなったりする。誰が自分に興味を持っているのか、あるいは持っていないのかがわからない。人の欲望や意図を読み取ることができなければ、恋愛にまつわるあれこれは、非常にストレスフルで、時に危険なものとなるだろう。(後略)

注:引用中の「強迫観念的な」に関連する「強迫観念」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

[7] 助けを求めるのが苦手 *39
標記について、岡田尊司著の本、「アスペルガー症候群」(2009年発行)の 第七章 アスペルガー症候群とうまくつきあう の 第四節 弱い部分を上手にフォローする の「助けを求めるのが苦手である」における記述の一部(P161)を、加えて、標記「助けを求めるのが苦手」に関連する『予後を分けるのは「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうか』について、青木省三編著の本、「精神科臨床を学ぶ 症例集」(2018年発行)の ●発達障害 における青木省三、村上伸治著の文書「自閉スペクトラム症の診断をめぐって――主として思春期以降の例について」の『おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案』における記述の一部(P159)を それぞれ以下に引用します。

アスペルガー症候群では、子どもであれ大人であっても、深刻な問題や苦しい状況が生じているのに、必要な助けを求めることができずに、自分の中で何とかしようとして、限界を超えるまで我慢し、追い詰められてしまうということが多い。ソーシャル・スキルのある人ならば、問題が生じると、早め早めに相談し、助けを求めることで、問題解決をはかると同時に、自分のストレスを減らすことができるが、このタイプの人は、それが器用にできない。(中略)

大人では、うつ状態や不安障害、心身症という形で表面化しやすい。近年、うつ状態や不安障害で精神科を受診する人に、アスペルガー症候群などの軽度発達障害があるケースが目立つようになっている。(後略)

注:i) 引用中の「軽度発達障害」は知的障害を伴わない発達障害のことを指すようです。ただし、これは決して障害自体が軽いことの意味ではありません。 ii) 引用中の「必要な助けを求めることができず」に関連する「自分にはできないなと思った時に、ほかの誰かに相談する力」については、次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害(22)相談・判断力 社会参加に必要」 加えて、このWEBページ中には、うまく社会参加していけるかどうかを測る目安としての次に引用(『 』内)する記述があります。 『一つは、自分にできると思ったことはきちんとやるけれど、できないと思ったことは無理しない。こういう判断をする力です。もう一つは、自分にはできないなと思った時に、ほかの誰かに相談する力です。』 iii) 引用中の「心身症」に関しては「身体症状」項を、「不安障害」に関しては他の拙エントリのリンク集[用語:「不安障害(不安症)」]をそれぞれ参照して下さい。

おわりに――「グレーゾーン群」という診断の提案(中略)

そもそも、発達障害の予後は障害の重さに並行しない。知的障害を伴い、幼少期から療育を受けた発達障害が、単純作業ながら障害者雇用でしっかり働いていたりする。その一方、高学歴の発達障害者がトラブルを繰り返していたり、引きこもってこじれていたりする例は少なくない。予後を分けるのは障害そのものではなく、「助けてもらう」や「相談する」パターンを身につけたかどうかであると筆者らは考えている。その点、グレーゾーン群としてであれば、本人も思い当たるところがあることが多く、受け入れやすい。すべてがダメなのではなく、自分の苦手な分野だけ、助けてもらえばよいので受け入れやすい。どこが得意でどこが苦手かを、本人と話し合いやすい。個々に応じたテーラーメードを支援を考えることができるように思う。(後略)

[8] 仕事の優先順位がわかりにくい
加藤進昌著の本、「あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか もしかしてアスペルガー症候群!?」(2011年発行)の 第2章 アスペルガー症候群の特性を理解しよう の『仕事の「優先順位がわかりにくい」アスペルガー症候群の人』における記述の一部(P96)を次に引用します。

私たちは、仕事を効率よく進めていくために、仕事内容に優先順位をつけることがあります。「この仕事は急ぎだから、先にやってしまおう」「これは、まだ余裕があるから、後にしよう」……私たちは、日常的に、優先順位の高い仕事から処理していくことができます。
しかし、アスペルガー症候群の人は、この「優先順位をつける」という作業が、なかなか上手にこなせず苦労しています。
次から次へと入ってくる情報は、アスペルガー症候群の人にとっては、「同じ重みを持った情報」です。あっちの仕事より、こっちの仕事の方が優先順位が高いという感覚を持つことは、アスペルガー症候群の人には困難です。

[9] 興味の偏りが著しい
杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述(P230)を次に引用します。

5.興味の偏りが著しい
自閉症スペクトラムの場合、当然ではあるが、興味のあることとないことの間に著しい落差があって、興味がないことを完全に無視するということが実に多い。逆に興味のあることについては、相手の気持ちにかまわずべらべらと博識を披露したりする。典型は、デートの席で、女の子相手に地球温暖化の要因と氷河期の発生における暗黒星雲仮説についてだけ話をしてぶられた、といったエピソードである。恋愛でぶられつづけるのも辛いが、困るのは入社試験の面接である。
この代償パターンは何かというと、ハウツー本の信奉者である。女の子との付き合いにおいて「彼女の気持ちをつかむ一〇の言葉」あるいは、入社試験の面接で、「入社面接のコツはこれだ」といった本のとおりに一字一句受け答えをして、さらにふられる、あるいは試験に落ちることを繰り返すのである。

注:引用中の「興味のあることについては、相手の気持ちにかまわずべらべらと博識を披露したりする」に関連する「自分に関心のある話題に限局しがち」については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「代償」についてはここを参照して下さい。

[10] 細かなことに著しくこだわる*40
標記に関連して、 a) 杉山登志郎著の本「発達障害のいま」(2011年発行)の 第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応 の「大人の発達障害の特徴」における記述(P230~P231)を以下に、 b) 「適当に」という言葉に納得ができないことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の「比喩や冗談が通じないのは、なぜ?」における記述の一部(P38)及び固執について、同章の『「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?』における記述の一部(P149~P150)を以下に、 c) こだわりが異常に強いことについて福西勇夫、福西朱美著の本、「マンガでわかる 発達障害 特性&個性 発見ガイド」(2018年発行)の 第1章 発達障害について知ろう の 自閉症スペクトラム障害(ASD) の ASDの特性 の「②こだわりが異常に強い」における記述の一部(P46)を以下に それぞれ引用します。

6.細かなことに著しくこだわる
これは優先事項がおのずから分からないというハンディの克服の結果としてしばしば生じるパターンである。その結果、強迫性障害と言わざるをえないレベルまで進むことがあるが、きれい汚いにこだわるなどのよくある強迫性障害と違って、思い込みから来る誤った考え方に固執したり、未来の事象に対してそうなったら困ると心配するあまり、その方向に突っ込むという困った悪循環を生じることがある。
前者の例として、エチオピアの子どもたちは毎日ランニングを続けており、エチオピアはアフリカでもっとも犯罪が少ない国であると聞いて、ランニングが子どもの倫理観を向上させると話を直結させ、全校生徒に毎朝グランドを走ることを義務づけたアスぺ系の校長がいた。別にエチオピアの子どもたちは好きで走っているわけではなく、学校が遠距離で、交通の便が悪いから走らざるをえないだけなのであるが。
後者の例としては、健康診断で悪い結果が出ることを心配するあまり、必ず健康診断のときに緊張から本当に血圧が上がってしまい、血圧が上がらないで健康診断を受けるためにはどうしたらよいかと焦りまくり、健康診断になるとよけいに血圧が上がってしまって、という悪循環を作った、これもアスぺ系の青年などが思い浮かぶ。

注:i) 引用中の「強迫性障害」については他の拙エントリのリンク集(用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」)を参照して下さい。 ii) 引用中の「アスぺ系」というのは、アスペルガー症候群の系統という意味でしょうか?

比喩や冗談が通じないのは、なぜ?(中略)

2016年に大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS)の原作コミックに、次のようなシーンがあります。ヒロインである森山みくりと、その同居者である津崎平匡のやりとりです。津崎は、「適当に」という言葉に納得ができないのです。

津崎「にんにくすりおろし、ひとかけって、チューブでいうと何cmですか」
みくり「適当でいいですよ?」(ASDの傾向のある津崎、スマホで「ひとかけ」について調べる)
津崎「メーカーの見解ではにんにくの場合ひとかけ約5gで小さじ1杯、しょうがの場合ひとかけ約15gで大さじ1杯だそうです」(後略)

「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?(中略)

過去の著名人になりますが、『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルも、ASDを指摘されている一人です。幼い頃から列車とその時刻表、列車に関するなぞなぞに固執する傾向がありました。日記や手帳、写真の記録簿、客に出した食事など、さまざまな記録を緻密に書き残し、「火曜日」と「42」という数字に強い愛着を持っていました。(後略)

②こだわりが異常に強い
次にこだわりが非常に強い点です。すべてにこだわるのでなく、こだわりの対象は人それぞれで異なります。たとえば、通勤経路がいつも同じである必要性にこだわり、電車遅延などで振替輸送を利用することに強い抵抗を感じることがあります。洋服にこだわりを持ち、「いつも同じ服」という人もいれば、「いつもカレーライス」と食べ物にこだわる人もいます。名前の字画にこだわって親族の結婚に反対したり、記念日にこだわって予定が決められないという人もいます。説得されてもなかなか譲れません。周囲がこだわりを理解してくれないと怒りを爆発させるという人もいます。

注:引用中の(生活において)「こだわりが異常に強い」ことに関連する「食事をはじめとして生活の至るところにこだわりがある」ことについて、岩波明著の本、「最新医学からの検証 うつと発達障害 ――どう見分けるのかが正しいか――」(2019年発行)の 3章 「アスペルガー」はもう古い?「ASD」の誤解と真実 の『「身の周りを青いもので固めたい」といったこだわりは、なぜ?』における記述の一部(P150)を次に引用(【 】内)します。 【大ヒットした映画「レインマン」には、自閉症患者が主人公として登場しています。ダスティン・ホフマン演じるレイモンドは高い知能を持ちながら、感情表現を苦手とし、食事をはじめとして生活の至るところにこだわりがありました。「火曜日はパンケーキでないといけない」「メープルシロップが先に出てこないといけない」「パンツはKマートで買わないといけない」。ベッドの位置や歯磨きにも決まりがあり、それを守れないとレイモンドは激しくうろたえて、時にはパニックになっていまうのです。】

加えて、標記「細かなことに著しくこだわる」に関連する、 a) 「著しい理念への傾倒が生じること」や『様々な事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり、適応的でない行動につながる』ことについて、内山登記夫編集、宇野洋太/蜂矢百合子編集協力の本、「子ども・大人の発達障害診療ハンドブック 年代別にみる症例と発達障害データ集」(2018年発行)の Part 1 総説編 の B. 年代別に発達障害を診る の 3 思春期 の ②併存症と「二次障害」 の「e. その他の二次的な障害」における記述の一部(P76)を以下に引用します。 b) 「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多い」ことについて、水島広子著の本、『「毒親」の正体 精神科医の診察室から』(2018年発行)の 第2章 「毒親」の抱える精神医学的事情 の『衝撃が「烙印」のように』における記述の一部(P61)を以下に引用します。

(前略)障害特性の憎悪
ASD の場合,思春期以降,著しい理念への傾倒が生じることがある.これは不安を背景とすることもあり,進路選択や友人関係のもち方,食品の安全性や政治的な課題など,さまざまな事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり,必ずしも適応的でない行動につながる.これは彼らの字義通り的に受け取りやすい傾向や他者の視点を取り入れて物事を相対化しにくい傾向などが背景にあるが,周囲がそれを強化していることも多い.また,生活全般の負荷が大きいと,よりいっそうこうした理念への傾倒につながっていく.(後略)

注:(i) この引用部の著者は吉川徹です。 (ii) 引用中の『「○○でなければならない」という思いが強くなり,必ずしも適応的でない行動につながる』ことに関連するかもしれない、 a) 「思い込みから来る誤った考え方に固執する」ことについてはここを参照して下さい。 b) 「逆説的高望み」については次の資料を参照して下さい。 「ライフステージに応じた発達障害の理解と支援」の「逆説的高望み」シート (iii) 引用中の「不安を背景とする」ことに関連するかもしれない、「未来の事象に対してそうなったら困ると心配する」ことについてはここを、 これに関連するかもしれない、「一旦恐怖と不安が心で主導権を握ると,その支配を緩めるのがなかなか難しくなる」ことについては、他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 (iv) 引用中の「字義通り的に受け取りやすい」に関連する「字義に拘泥」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「他者の視点を取り入れて物事を相対化しにくい」に関連するかもしれない、「微妙な空気を読むことが困難」なことについてはリンク集を参照して下さい。 (vi) 引用中の「周囲がそれを強化している」に関連するかもしれない、「エコーチェンバー」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「理念への傾倒」については次の資料を参照して下さい。 「大人の発達障害の就労支援」(特に「理念への傾倒」項[P432~P433]) 加えて、上記「理念への傾倒」に関連するかもしれない『「こうあるべき」という前提を設ける、先入観を持つ』ことのない「オープンハート」の状態でいることのメリットについては次のWEBページを参照して下さい。 『藤田一照 プラユキ・ナラテボー対談:「大乗と小乗を乗り越え結び合う道」 その2(ページ3)』(特に『――プラユキさんは「オープン」という言葉をよく使われますけれども、それも一つのビジョンと考えてよろしいですか。』項) その上に、これに関連する『強い「理念への傾倒」を持っている事例では、自閉スペクトラム症のある青年や成人の診療に苦心すること』について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第17章 自閉スペクトラム症成人患者の外来精神療法 の Ⅲ.再診 の『3.「よい暮らし」から「好きな暮らし」へ』における記述の一部(P243~P244)を以下に引用します。 (viii) 引用中の『「○○でなければならない」という思いが強くなり』に関連するかもしれない『いわば「やりたいこと」を「やるべきこと」化する』ことについて、本田秀夫著の本、「あなたの隣の発達障害」(2019年発行)の 第3章 発達障害の人たちとのつき合い方 の『「やりたいことをやれる人生」にするためには』における記述の一部(P107~P108)を以下に引用します。

3.「よい暮らし」から「好きな暮らし」へ

自閉スペクトラム症のある青年や成人の診療を行っていて,筆者が最も苦心するのは,強い「理念への傾倒」を持っている事例である。「仕事は完璧であるべき」「他の人と同じであるべき」「休みは取るべきではない」「仕事にはやりがいがあるべき」「人間は自分の食い扶持を稼ぐべき」「福祉サービスは利用すべきでない」などなど,それを強く持つことで生活をより困難にする理念は多い。これはアクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy:以下,ACT)でいうところのルールへの認知的フュージョンと同義であるのだろう。この理念への傾倒はおそらく自閉スペクトラム症のある人では多数派の人達に比べてより強く働く。このために暮らしに変化をもたらすことが難しくなって状況が固定化したり,なかなか上手くいかない再挑戦が繰り返されたりしがちである。彼らが内面化しているさまざまな「べき」が行動の選択肢を極端に狭めてしまうのである。
どこかに「あるべき暮らし」「よい暮らし」があってそれに近づくべきであるという理念を強く抱えこんだままで,状況を改善することは難しい。その悪循環から抜け出すためには,そこにあるのは「好きな暮らし」や「似合う暮らし」であって,それを目指すことは倫理的な悪ではないのだということを受け容れてもらうことができるとよい。ACTの用語でいえば,そこに創造的絶望,つまりはこれまでの問題解決のための本人なりの取り組みが,実は問題の一部でもあったと気づく体験があるということになるのだろう。それまで目標としていた「あるべき暮らし」を断念してその痛みを回避することなく受け容れること,その上でそれまでの目標とは違う新しい目標に向けて具体的に行動を始めることができると,生活の状況は改善に向かうことが多い。(後略)

注:(i) この引用部の著者は吉川徹です。 (ii) 引用中の「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iii) 引用中の「認知的フュージョン」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、上記「認知的フュージョン」から脱することを指すのかもしれない「脱フュージョン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「べき」に関連する認知行動療法における「すべき思考」については例えば次のエントリを参照して下さい。 「すべき思考 ~認知の歪みを修正するコツ」 (v) 引用中の「ルールへの認知的フュージョン」に関連するかもしれない「ルール支配行動」についてはWEBページ「ルール支配行動に対する機能分析的アプローチに関する近年の研究動向」からダウンロード可能な資料(pdfファイル)を参照すると良いかもしれません。 (vi) 引用中の『それまで目標としていた「あるべき暮らし」を断念してその痛みを回避することなく受け容れること,その上でそれまでの目標とは違う新しい目標に向けて具体的に行動を始めること』に関連するかもしれない、 1) 「平静の祈り」については他の拙エントリのここを、 2) 弁証法的行動療法の視点からの「徹底的受容」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。

人の行動には、大きく分けて「やりたいからやる」ことと、「やるべきだからやる」ことの2種類があります。行動した結果、満足度が高いのは「やりたいことをやったとき」です。当たり前ですね。
しかし発達障害のある人、なかでもASの人は、じつは、やりたいことをやれていないケースがとても多いのです。
「えっ、あれほど空気を読まないで勝手に振る舞っているのに?」と思う人もいるでしょう。たしかにASの人は、マイペースで、自分の興味に没頭しやすいようなイメージがあります。ところが、ASの人たちは、もともとはやりたくて始めたことでさえも自分でノルマをつくります。いわば、「やりたいこと」を「やるべきこと」化するのです。さらに、思春期以降は、ルールや先生からいわれたことなどを次々と自分のなかに取り込んでいきます。気が付くと、生活の多くが「やるべきこと」で占められ、それを律儀にがんばろうとしで苦しくなっていくのです。(後略)

注:i) 引用中の「AS」は「自閉スペクトラム」のことです。 ii) 引用中の「ノルマをつくります」に関連する「過剰なノルマ化」については例えば次の資料を参照して下さい。 「大人になった発達障害」の『Ⅳ.「自律スキル」と「ソーシャル・スキル」の獲得とその逸機のメカニズム』項

衝撃が「烙印」のように
また、ASDの人には生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多いものです。同時に、衝撃を受けやすいため、衝撃的な情報、特に危険情報のようなものに触れると、それが烙印のように心に刻まれて、「常に警戒すべきもの」となりがちです。もちろん、ASDでない人の場合も同じことは起きますが、それは、その後の別の情報で修正されバランスがとれていきます。しかし、ASDの人の場合、最初の情報が「烙印」のようになっているため、なかなか別の情報で修正することができません。(中略)

例えば「高齢出産には先天性異常が多い」という情報に衝撃を受けたASDの母親が、子どもの不調一つ一つを「高齢出産だからだ」と結びつける、などということもあります。(後略)

注:i) 引用中の「衝撃」に関連するかもしれない、「経験が目の前にあることで飽和する」ことについてはリンク集を参照して下さい。 ii) 引用中の「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある」に関連する『さまざまな事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなる』ことについてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「常に警戒すべきもの」と「烙印」との組合わせの一例としての、『「極めて微量の化学物質」を「常に警戒すべきもの」として「烙印」される』ことに関連するかもしれない、「信念体系として化学物質過敏症と刷り込まれる」ことについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「環境因子による病をもつ患者の看護学的考察」の表1の④ iv) 引用中の「烙印のように心に刻まれて」に関連する「最初に聞いた情報を最優先させ、更新されない」ことについては、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の「情報のインプット 言葉通りに受けとってしまう。すべてを視覚的に理解する」における記述の一部(P46)を次に引用(『 』内)します。 『また、人は複数の情報を見聞きしたら、自分で取捨選択し、頭のなかで情報の更新を行っています。自閉症スペクトラム障害がある人は、最初に聞いた情報を最優先させ、更新されません。』 加えて、上記「最初に聞いた情報を最優先させ、更新されない」ことに類似するかもしれない「最初に体験したことが強く影響する」ことについて、宮尾益知監修の本、『対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 正しい理解と生きづらさの克服法』(2020年発行)の Part2 定型発達との差異 自分と相手の見ている世界の違いを理解する の 特性と差異④あいまいさ の「ASDの人は最初に体験したことが強く影響する」における記述(P44~45)を次に引用します。

ASDの人は、言語より視覚で記憶する傾向があります。しかも、最初に体験したことを、鮮明な映像で頭に刻み込みます。そのため、少しでも前見たものと異なると「別のもの」として認識してしまいます。
例えば、定型発達の人では、一度「新宿」の繁華街を歩く経験をしていれば、渋谷の繁華街を歩くことを怖がりません。ところが、ASDの人の場合、新宿と渋谷は「別のもの」です。同じ繁華街でも、頭に刻んだ新宿の街の映像とは異なり、渋谷を歩くことに恐怖を覚えます。
また、子どもに「店では商品を買うものだ」と教えると、A店でもB店でも「商品を買う」ことができます。ASDの場合は、「A店でお菓子を買う」と、その映像が脳に刻まれます。店がB店に変わると、さらにお菓子以外の商品になると、「買う」という行為は適用されません。
このように、とくに最初の記憶が強く印象に残り、次の経験として応用されないのです、
仕事をしているとき、ASDの人が「同じようにやって」と言われて途方に暮れるのは、こうした特性によるものです。

[11] 冗談、からかい及び皮肉等が通じない
宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第1章 「なんとなく生きづらい」と感じるのはどうしてか? の「冗談やからかいが通じない」項における記述の一部(P19)及び宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」項における記述の一部(P39~P40)をそれぞれ以下に引用します。

冗談やからかいと、本気の発言とは、どこが違うのでしょう。
一般的に、相手との関係、状況判断、もののいい方などによって、本気か冗談かが決まります。アスペルガー症候群の人は、そのような、言葉の背後にある非言語的な部分を感じ取ることが苦手ですから、ある意味でいえば文字どおりにとってしまう真っ正直な人たちです。(後略)

注:引用中の「ある意味でいえば文字どおりにとってしまう」に関連するかもしれない引用はここ及びここを参照して下さい。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

また、言葉のウラを読む想像力も少ないため、たとえ話や皮肉も通じません。アスペルガー症候群の人にとって、言葉はそのまま「事実を伝達する道具」なので、相手の言った言葉を文字どおりに受けとってしまいます。(後略)

注:引用中の「相手の言った言葉を文字どおりに受けとってしまいます」に関連するかもしれない引用はここ及びここを参照して下さい。

[12] 微妙な空気を読むことが困難
先ず、宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第1章 「なんとなく生きづらい」と感じるのはどうしてか? の『微妙な空気を読むことが困難で「KY」だと言われる』項における記述の一部(P26)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人が、周囲の状況がわからない理由の1つは、全体を包括的に見ることが難しいためです。それがどのような状況であるかの説明がなされていないために、とんちんかんな行動や反応をしてしまうことになります。ですから、
「アイツ、KY(空気の読めない人)だよな」
「いつも的外れなことをいう人だ」
などといわれてしまうわけです。(後略)

注:i) 標記「微妙な空気を読むことが困難」に関してはここ及びここも参照して下さい。 ii) 引用中の「空気の読めない人」に関連して、 a) 岩波明著の本、「大人のADHD -もっとも身近な発達障害」(2015年発行)の 第5章 ADHDとASD の「ASDとは?」における記述の一部(P121)を以下に、 b) 佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「空気を読めない?」における記述の一部(P16~P18)を以下に、 c) 田中康雄著の本、「もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?」(2011年発行)の 第2章 「私ってそうかな」と思ったら の「あの人はいつも……なぜ?」項における記述の一部(P82~P83)を以下に d) 宮尾益知監修の本、「ASD(アスペルガー症候群)、ADHD、LD 女性の発達障害 就活/職場編 就活の悩みと職場内の問題行動をサポートする本」(2019年発行)の 私の仕事での大失敗 -自分の特性をよく知ろう の「目上の人をことごとく激怒させる」における記述の一部(P82~P83)を以下に、 e) 岡野憲一郎著の本、「自己愛的な人たち」(2017年発行) の 第5章 アスペルガー的な自己愛者 の『◇「空気が読めない」正体』における記述の一部(P101)を以下に、 f) 井原裕著の本、「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」(2012年発行)の『症例4 「自分はアスペルガーではないか」と心配になって受診した名門校秀才』における記述の一部(P99~P103)を以下に それぞれ引用します。ただし、最後の引用においては脚注はまとめて別途表示しています。

ASDとは?(中略)

ASDにおいては、対人関係などその場の状況に応じて対応が必要とされる状況は不得手である。その一方で、数字の記憶やカレンダー計算、パズルなど一定のルールのある作業は得意とすることが多い。
児童精神科医の本田秀夫氏は、軽症の成人ASDのイメージを次のように記載している。このような人物は、われわれの周囲にもいそうである。

雑談はあまり好まず、自分に関心のある話題に限局しがちである。関心のない話題ではあまり周囲に合わせようとせず、興味がないことが露骨にわかってしまう。関心のある活動には他者の目を気にせずに熱中する。

状況判断能力に乏しく、場違いな言動で周囲をハラハラさせることや、空気を読まないと評されることがしばしばある。他者の考えに無頓着で、自分が他者からどのように思われるかも気にしない……

(本田秀夫『子どもから大人への発達精神医学』金剛出版)

空気を読めない?(中略)

あるとても高機能の青年が、著名な大学の大学院を卒業して、企業の研究所に就職したのですが、周りの人との関係にさまざまな難しさを感じて、仕事を辞めなければならないところまで追い込まれている、という相談があったのです。最近はよく似たケースの相談が増えてきました。
彼は、私が定期的におこなっている勉強会に来ていたのです。彼はみんなの前で自由に発言をしたのです。自分はアスベルガー症候群と診断されている、そして自分はこういうことで困っている……。
「それでは、私のほうから職場の人に説明をして、お願いできることがあったら頼んでみましょうか。それがどれほどのお役に立つかわかりませんが」。私はそのように申し出たのです。そして、この機会にご家族にもしっかり理解してもらったほうがいいということで、ご両親や職場の上司にも同席していただいて、ゆっくりお話し合いをしようということになったのです。
私は車で出かけ、その会場に数分前に着いていたのですが、駐車場が混んでいたために、部屋までたどり着いた時には、約束の時間に一分遅れていたらしいのです。すると、そのアスベルガー症候群の青年がいきなり、「佐々木先生、一分遅刻しましたね」と言ったのです。
彼は、時間に対して非常に正確なたけなのです。「ああ、本当ですね。一分遅れましたね」と私は言いました。その青年は、正確に事実を事実として言っただけなのです。
ところが、会社の上司と青年のお父さんは、「だしぬけに、なんて失礼なことを言うんだ」「おまえの問題がなければ、先生にここに来ていただく筋合いのものでもなんでもないのに、わざわざお見えいただいている先生に対して、『一分遅刻しましたね』とは、なんて礼儀知らずだ」というわけです。一般の人の言う「空気が読めない」ということの典型例でしょうね。
普通の人にとっては、「お忙しい中を自分のためにおいでいただき、ありがとうございます」などと言うのが礼儀だろうというわけです。しかし、彼にとって私がどれくらい忙しいか、知らないのは当然なのです。彼にとっては、正しい事実を言っただけなのですね。

注:引用中の「正確に事実を事実として言っただけ」に関連する「正直に話し過ぎる」については、青木省三著の本、「ぼくらの中の発達障害」(2012年発行)の 第二章 社会性の障害とは何だろうか? の「◇オモテ・ウラのない性格」における記述の一部(P72)を次に引用(『 』内)します。 『正直に話しすぎて、面接試験に失敗する人に何人も出会った。ある高校生は大学受験の面接で、この大学を志望した理由をたずねられ、「スベリ止めです」と答えて、不合格になってしまった。場面は違うが、真面目に働きすぎてくたびれ果てて、アルバイトを一日休もうとした人が、アルバイト先から休む理由を尋ねられて「くだびれました」と答え、クビになったこともある。』

「あの人はいつも……なぜ?」(中略)

アスペルガー症候群と診断されたPさんは、「空気を読む」のが大の苦手です。
期限間近の金曜日の夕方になって、チームみんなでやっている仕事に急な変更がありました。週明けの納品に間に合わせるには、チーム全員が残業しないと間に合いません。
みんなが手分けして作業分担を決めているうちに、定時になりました。Pさんはいつも通り、帰り支度を始めます。当然、みんなからはブーイングの嵐です。
Pさんは、この状況を「これから緊急の仕事は全員に分担されるのだな」と読み取ることができません。
明確な説明がなければ、「私の作業分担は何かな」と指示を待ったり、「私も、何か手伝うことはありますか?」と自分から声をかけることも思いつかないのです。
だからいつものように帰ろうとしたわけです。

目上の人をことごとく激怒させる(中略)

会議で「誰でも忌憚なく意見を」と言われたので、手を挙げて思ったことを思ったまま全部言う。同僚や先輩は目を見開いて私にアイコンタクトを試み、上司は「今年の新入社員はずいぶん威勢がいいな」と笑った。私はどうやら何か失敗したらしいことには気づき、「誰でも忌憚なくとおっしゃいましたよね?」と確認した。すると、その上司は今度は顔を真っ赤にして「なんなんだ、この子は!」と怒ってしまった。あとで先輩からは「君は新入りなんだから意見なんて言っちゃダメだ。常識で考えたらわかるだろ」と注意され、「いいえ、わかりません」と答えたところ、絶句される。

注:この引用部の著者は宇樹義子です。

◇「空気が読めない」正体(中略)

ある新入社員の事務の女性が、他の社員のいる前で、上司に当たる部長に対して「でも部長さんって、一見ツンデレですよね」と発言し、一瞬周囲が凍りついた。
聞いている同僚たちは、「あれ、この新入社員、部長とデキているのかな?」「この新入社員は実は社長の御令嬢だったっけ?」などと思い、そんな事情などありえないと思い直して、改めて耳を疑った。部長を「ツンデレ」呼ばわりするだけの関係性も、職場での地位も、まだまったくない彼女がそれを言うことで、彼女はその場でどのように振る舞うべきかの感覚を欠いていること、つまり「空気が読めない」ことを一瞬でさらけ出したことになる。(後略)

注:引用中の「新入社員」が共通する他の空気が読めないエピソードについて本田秀夫著の本、「自閉スペクトラム症の理解と支援」(2017年発行)の 第1章 自閉スペクトラム症とは? の 『★「臨機応変な対人関係が苦手」』における記述の一部(P12~P13)を形式を変更して次に引用します。

(前略)★ Gさん:社会人1年目の男性
これは社会人のエピソードです。新入社員のGさんは,入社後初めての宴会で「今日は無礼講」と言われたそうです。そこでGさんは,上司の鈴木課長に向かって,「おい,鈴木!」と,呼び捨てにしてしまったのです。Gさんは,その場で先輩に注意されました。
その後,診察に来られて,この話をされ,「無礼講なのにどうして呼び捨てにしてはいけないのでしょうか」と憤慨されていました。
無礼講だからと言っても,越えてはいけない一線というのが存在するわけです。このようなことは,なかなかはっきりと言葉では教えてもらえないものです。丁寧に教えてくれればいいのですが,一般の人の場合はそういうことは肌で感じて直感的に振る舞います。また,宴会で無礼講と言われても,鈴木課長だったらダメだけれども,田中係長だったら大丈夫かもしれないわけです。そういうときに,多くの人は直感的にそれを判断して行います。しかし,自閉スペクトラムの人の場合には,そういった暗黙のルールや,場の雰囲気を読むといったことがなかなかうまくできません。(後略)

症例4 「自分はアスペルガーではないか」と心配になって受診した名門校秀才

「自閉性障害の3要素があります!」

保泉重信さんは、名門進学校の生徒。お母様と共に来院した。高校3年の8月。受験勉強もそろそろピッチをあげなければならない頃であった。

井原:(待合室へのマイクでの呼び出し)「ほずみしげのぶさん、1番診察室にお入りください」

保泉重信さんは、長身・痩軀の若者。首を縮めるようにして入室。話すとき、目をしばたきながら話す。話し方はかなり早口だが、読点のない文章のような、メリハリのない単調な話し方である*1。お母様は、うしろからついてきた。いかにも「何でここに来なけりゃいけないのか」といった投げやりな感じである。

井原:保泉重信さんとお母様ですね。お待たせしました。どうぞ椅子におかけください。先ほど、初診のアンケートを読ませていただきました。ご記入くださってありがとうございます。高校3年生で、「うつ、不安」ですか。そして、えっと「アスペルガーではないか?」ということですか*2。なるほど。そう思ったのは、お母様、それとも……。
母親:私ではありません。本人です。私は「アスペルガー」って何のことかわからなくて、「アルツハイマー」と勘違いしていて、「受験勉強でなかなか覚えられないって言ったって、まさかぼけたわけじゃあるまいし」ぐらいにしかとらえていなかったんです。この子は、この何カ月かアスペルガー関係の本を読みあさっていて、「自分はこれだ」と言うんです。私は半信半疑でしたけど、あんまりうるさく言うんで、一度専門家に診てもらおうということになりました。
井原:なるほどね。重信さん、いったいどの辺がです?
重信:社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害です。
井原:はあっ?
重信:ですから、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害です*3。
井原:何だって?
重信:自閉性障害の3要素が自分にはあって、知能は低くない。こうなると高機能自閉症アスペルガー症候群だけど、自分の場合、言語の発達に問題はなかったから、そうなるとアスペルガー症候群か。
井原:ううん、なんだかすごい説明だね。教科書に書いてあるとおりだぞ。医学生の答案なら合格点をやれるな。でも、具体的にはどういうことなんだろうね。
重信:集団行動が苦手である。言葉はそんなに問題ないけど、脈絡なく難しい言葉を使ってしまう。人の気持ちを察するのが苦手で、場の空気を読むのがうまくない。とにかく、友達にもしょっちゅう「KYだ」と言われます*4。
井原:ううむ。あまりにも模範解答すぎるなあ。お母さん、どう思いますか。
母親:普通だと思うんですけどね。私は、こんなもんだと思っていました。一つ上の姉がいるんだけど、姉と比べてこの子は少し変わっていましたよ。でも、まあ、うちのお父さんだって変わった人だしねえ。男の人はこんなもんですよ。
井原:なるほどねえ。まあ、具体的に詳しい話は、お母さん、あとから伺います。ちょっとご本人からお話を伺ってみてもいいでしょうか。
母親:いいですよ。私は外で待ちましょうか?
井原:そうですね。ドアの向こうの椅子でお待ちください。すぐにお呼びしますので。

事件好きが高じてアスペに凝りだす

井原:いつごろ、アスペのこと知ったんだい?
重信:結構最近です。2年の3学期ごろですかね。図書館で少年事件のこととか本でいろいろ読んでいたんです。浅草の「レッサーパンダ事件」(注9)とか、大阪で姉妹を殺した「死刑でいいです」事件(注10)とか。そこでアスペルガー症候群のことが出ていて、「これって、マジ、俺のことジャン」と思ったんです*5。
井原:いろいろ本を読んでみた?
重信:読みました。本は2、3冊ですけど、ネットでわかることはひととおり調べました*6。病院もいろいろ調べました。僕、凝り性なんで、調べるなら徹底的に調べたいんです。先生のこともネットでチェックしました。
井原:ええっ。手ごわいなあ。
重信:獨協越谷のホームページ見ましたけど、「人のこころを察することが苦手」ってのは、まさにそのとおりですね。
井原:具体的にはどういうところが?
重信:要するに、そのとき相手がどういう思いでいるかがわからないんですよ。人のジョークとかからかいとかがよくわからない。それに場の雰囲気が読めなくて、その場にふさわしい言動とかができない。どうしても浮いてしまう。顰蹙を買ってしまう。まあ、そんなところですね*7。(後略)


脚注:
*1 発語の音楽的成分(抑揚、リズム、強弱、緩急など)を「プロソディ」と呼ぶ。プロソティの障害は、一般には、運動性失語など器質性障害に顕著だが、統合失調症慢性期にもあり、広汎性発達障害にも軽度に認められる。
*2 「自分は○○障害ではないか?」と言って、自ら受診する患者は非常に多い。「アスペルガー症候群」のほかには、「注意欠陥/多動性障害」「双極性障害」「社交不安障害」などがある。
*3 まるで医学部の口頭試問のようなやりとりである。この極度に字義どおりの返答こそ、アスペルガーらしい。しかも、本人はその堅い返答の奇矯さに気づいていない。
*4 アスベルガー症候群を含む広汎性発達障害は、その全員がいわゆる「KY(空気か読めない)」である。KYでなければ、広汎性発達障害とはいえない。しかし、KYが全員広汎性発達障害というわけではない。
*5 凄惨な事件についての本を、当初は他人事だと思って興味本位で読んでいたら、そこに自分に似た記述を発見して驚いたらしい。自分が事件を起こす人たちと同類ではないかと、本気で心配しているのかもしれない。
*6 アスペルガー症候群の患者たちは、「興味・関心の偏り」という特性を逆手にとって、診察までにかなりの勉強をしてきている。こちらの知識のなさを指弾することすらあるので、なかなか手ごわい。
*7 知的なアスペルガー少年の常として、かなり冷静な自己分析ができている。しかし、他者に比しての自己の工キセントリシティを認識できるということと、その認識にしたがって行動できることとは別問題である。
(注9) レッサーパンダ帽男事件。平成13年4月に東京浅草にて、レッサーパンダの帽子をかぶった当時29歳の男が、たまたま前方を歩いていた19歳女性を包丁で刺して、失血死させた事件。男に軽度の知的障害と発達障害があるとされた。
(注10) 大阪姉妹殺害事件。平成17年11月に大阪市で当時21歳の男が当時27歳と19歳の女性を刺殺した事件。男はその5年前にも実母を金属バットで撲殺している。被告人は、「人を殺すにも物を壊すのも同じ」「反省はしないけど死刑でいいです」と供述。広汎性発達障害ではなく人格障害であるとして、裁判長は完全責任能力を認め、死刑判決。平成21年に執行された。

注:引用中の「自閉性障害の3要素」に相当する『ウィングの「三つ組み」仮説』についてはリンク集を参照して下さい。

[13] 余計なことを言う
宮尾益知の本、『「わかってほしい! 大人のアスペルガー症候群」 <社会と家庭での生き方を解消する!正しい理解と知識>』(2010年発行)の 第3章 職場やまわりの人に溶け込めないのはなぜ? の「余計なことをいってしまい、浮いた存在になる」項における記述の一部(P89)を次に引用します。

いってもいいこと、いけないことはどうやって決めるのでしょうか。
物事をいってもいいか悪いかは、相手がその言葉にどう反応して、どんな気持ちになるかを考えないとわかりません。
相手をいやな気分にさせてしまったり、その場の雰囲気に合わないことや余計なことをいってしまうのは、アスペルガー症候群の人の特徴だといえます。

例えば、「やせましたね」という言葉は、ダイエットをしている人には喜ばれるでしょうが、重い病気の人には禁句です。(後略)

注:i) 引用中の「いっても(中略)いけないこと」に関連する「事実であっても口にしてはならないことを言ってしまう」については、ここ及びここを参照して下さい。 ii) 標記「余計なことを言う」に関連するかもしれない「微妙な空気を読むことが困難」については、ここを参照して下さい。

[14] オープンクエスチョンには答えに窮する
姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第1章 精神科医が見た「コミュ障」という困った人たち の「アスペルガー特性 あいまいなことが苦手 混乱してしまう人たち」項における記述の一部(P84~P85)を次に引用します。

(前略)彼らは、目に見えないことをイメージするのが非常に苦手です。逆に、すでに視覚化されているものに対する記憶力は優れています。また、抽象的なコミュニケーションは苦手です。「最近、調子どう?」というような「オープンクエスチョン」には答えに窮してしまいます。

オープンクエスチョンというのは、何を答えてもいい、回答の自由度が高い質問です。「最近、調子どう?」というのはその典型ですね。これと対照的なものに、「クローズドクエスチョン」があります。これは、「あなたは男ですか?」、というような「Yes or No」で回答できるような質問です。
普通の人なら、だいたいどちらの質問にも、柔軟に答えることができますが、アスペルガー特性を持つ人にとっては違います。「何を答えてもいい」状況になると、途端に混乱してしまうのです。

注:引用中の「抽象的なコミュニケーションは苦手」に関連した、 a) 「抽象的で曖昧な表現が理解できない」ことについて、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第1章 アスペルガー症候群とは? の「アスペルガー症候群の特徴」における記述の一部(P39)を、 b) 『「こそあど言葉」では何を指しているのかわからない』ことについて、宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part1 大人の自閉症スペクトラム障害 の 自閉症スペクトラム障害 コミュニケーションの障害。あいまいなやりとりが困難になる の「相手の表情から気持ちをくみとることが難しい」における記述の一部(P21)を それぞれ以下に引用します。

アスペルガー症候群の特徴(中略)

抽象的で曖昧な表現が理解できないのです。「どうしてそうするの」と尋ねると「どう」とは“?”となり、「そうするの」で“?”と一つひとつ悩んでしまいます。これは想像力を働かせることができないからなのです。(後略)

注:引用中の「想像力を働かせることができない」ことを含む『ウィングの「三つ組み」仮説』についてはリンク集を参照して下さい。

相手の表情から気持ちをくみとることが難しい(中略)

さらに日本では「そんなこと」「あんなふうに」など「こそあど言葉」が多用されますが、自閉症スペクトラム障害がある人は、具体的な名詞を言ってもらわないと、なにを指しているのかわかりません。(後略)

[15] 実際の経験によらなければ学べない
テンプル・グランディン、ショーン・バロン著、門脇陽子訳著の本、「自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール」*41の 第3幕 人間関係の暗黙のルール10ヵ条 の「③人は誰でも間違いを犯す。一度の失敗ですべてが台無しになるわけではない。」 における記述の一部(P210~P211)を次に示します。

テンプルの考えもショーンと一致する――
社会性を磨き、人間関係のルールを理解できるようになるには、実社会に出て行って経験を積むことが必要です。それは、リスクを引き受け、ときには失敗することを意味します。それを思うと不安になるかもしれませんが、あえて受け入れ、前に踏み出さなければなりません。一五年前に知り合った自閉症のある青年は、毎日、部屋にこもって雑誌を片っ端から読んでいました。情報を十分に蓄えさえすれば、社会的思考が身につくと思っていたのです。実社会を肌で体験し、人間関係の舞台に上がる方法を身につけなければならないことを、彼はわかっていなかったのです。
実際にやらなければ身につきません。たとえ失敗しても、舞台に立って演じなければ何も身につきません。これは、とりわけ自閉症スペクトラム障害のある人にあてはまるルールかもしれません。定型発達の人は観察や読書、他人の経験を通して学ぶことができるので、このルールがことばにして教えられることはあまりないかもしれません。でも、自閉症スペクトラム障害のある大半の人は、実際の経験によらなければ学べないのです。

注:i) 著者のテンプル・グランディン氏の他の著作例と能力例はそれぞれここここで紹介されています。 ii) この引用に関連するかもしれないことわざを利用した文章を次に示します。『「人の振り見て我が振り直せ」が困難』 iii) ちなみに、この本における「人間関係の暗黙のルール」の項目については、本における脚注を参照して下さい。

[16] 状況の意味を読み取るためにたくさんの練習が必要
テンプル・グランディン、ショーン・バロン著、門脇陽子訳著の本、「自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール」の 第2幕 二つの思考・二つの道 の「思考は行動に影響する」 における記述の一部(P120~P121)を次に示します。

(前略)自閉症スペクトラム障害のある人の中には、たった一度の体験で状況の意味を読み取れる人もいれば、たくさんの練習が必要な人もいます。私は一度だけ仕事をクビになったことがありますが、その一度の体験で、最優先なのは職を維持することで、そのためには何でもしなくてはならないということを学びました。最近、三〇回も仕事をクビになったという、アスペルガー症候群のある男性の話を聞きました。顧客に対して、あなたはデブだとか不細工だとか、事実であっても口にしてはならないことを言ってしまうせいなのですが、彼はいまだに自分の行動が不適切であるのを理解していません。(後略)

注:i) 引用中の「私」は著者のテンプル・グランディン氏のことです。ちなみに、彼女の他の著作例と能力例はそれぞれここここで紹介されています。 ii) 引用中の「事実であっても口にしてはならないことを言ってしまう」に関連する「余計なことを言う」については、ここを参照して下さい。 iii) ちなみに、この本における「人間関係の暗黙のルール」の項目については、ここの脚注を参照して下さい。

[17] 記憶が消えなくて苦しむ
佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第1部 あなたがあなたらしく生きるために の「記憶が消えない苦しみ」における記述の一部(P37~P38)を次に引用します。

記憶が消えない苦しみ(中略)

直接お会いしたことはないのですが、アメリ自閉症協会の理事でもあり、広報を担当していらしたチャールズ・ハートさんは、自閉症の息子さんの父親であり、『Without Reason』(邦題『見えない病』晶文社、一九九二年)という本を書いている人です。その中で「自閉症の人の最も基本的な特性は何か、と言われたら、ものごとを忘れることができなくて苦しんでいる人だ、と言いたい」と記していらっしゃいます。
自閉症の娘さんの母親である、イギリスのローナ・ウィングさんは「想像力、イマジネーションが働きにくくて苦しんでいる人というような理解をされているが、自分がいちばん言いたいのは、苦しめられたことや傷つけられたことを忘れなくて苦しんでいる人たちなのだ」と表現されています。
傷つけないでください、苦しめないでください――これは、何もかもすべて過保護に甘やかしてほしいという意味ではありません。忘れてしまいたいようなつらい体験が、消え去ることも薄れることもなく蓄積されているというのは、どれだけ苦痛であるか理解してあげてほしいということをおっしゃっているのです。(後略)

加えて、標記「記憶が消えなくて苦しむ」に関連する「いつまで経っても忘れることができない」について、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)の 第六章 発達障害とトラウマ の「三つの問題」における記述の一部(P142)を次に引用します。

それにしても子ども虐待をはじめとする迫害体験がなぜこれだけ重大な結果を引き起こすのか。
これには自閉症スペクトラム独自の体験世界と、さらにそれに関連する独自の記憶の病理であるタイムスリップ現象が関係している。あらかじめこれらの要因を含めて整理をすると、自閉症スペクトラムとトラウマとの関連には次の三つの問題がある。

1. 自閉症スペクトラム障害の場合、普通に生活をしていても、怖い世界が広がっていて、トラウマ的になりやすい。これはとくに知的な障害をもつ子どもにおいて著しい。
2. 自閉症スペクトラム障害の場合、タイムスリップという、トラウマにおけるフラッシュバック類似の記憶の病理が介在し、普通なら年月が経てば忘れてしまうようなことがいつまで経っても忘れることができない。長い時間が過ぎたあとに、些細なきっかけで再現に至ることも多い。
3. とくに診断が遅れやすい知的な遅れのない自閉症スペクトラム障害の場合、子ども虐待の高リスクとなり、もともとの発達障害の基盤にトラウマが掛け算になることも多い。

注:引用中の「タイムスリップ現象」及び「フラッシュバック」は共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

[18] 特性を活かす
岡田尊司著の本、「アスペルガー症候群」(2009年発行)の 第九章 進路や職業、恋愛でどのように特性を活かせるのか の 第一節 アスペルガー症候群の強みとなる特性とは の「優れた部分を伸ばそう」における記述の一部(P216~P217)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人は、対人関係を楽しむことが少ない分、仕事や趣味で大きな喜びを味わうことができる。このタイプの人が恵まれた人生を歩むためには、喜びや生き甲斐を見出せる仕事や趣味に出会えることが不可欠である。そのためには、あまり「平均的な」ものを目指さない方がよい。その人のユニークな特性を活かすことにこそ、活路が見出されるのである。
アスペルガー症候群やその傾向をもった人が、社会で活躍しているケースをみると、よき理解者に恵まれ、弱い点にとらわれずに、むしろその人の特性を活かして、強い点を伸ばしていったということに尽きるように思う。苦手なところを改善することも重要だが、あまりにもその部分にこだわりすぎることは、かえって劣等感ばかりを強め、もっと豊かな可能性を邪魔してしまうことにもなりかねない。欠点よりも優れた部分に着目し、そこを足がかりに自信をつけていくことを考えた方が、可能性を花開かせることになる。(後略)

注:i) 標記「特性を活かす」一方法としての「知的テーマの追求」については≪余談2≫を参照して下さい。 ii) この記述以降に、アスペルガー症候群の人が備えている強みの傾向として、10 の項目が紹介されています。引用しませんがこれらの項目を次に列挙します。

①高い言語的能力がある ②優れた記憶力と豊富な知識がある ③視覚的処理能力が高い ④物への純粋な関心がある ⑤空想する能力がある ⑥秩序や規則を愛する ⑦強く揺るぎない信念をもつ ⑧持続する関心、情熱をもつ ⑨孤独や単調な生活に強い ⑩欲望や感情におぼれない

さらに、佐々木正美、梅永雄二監修の本、「大人のアスペルガー症候群」(2008年発行)の「常識にとらわれない発想を力に」における記述の一部(P70)を次に引用します。

アスペルガー症候群の人は「非常識だ」と注意されることが多く、それゆえに傷ついています。しかし、それは常識にとらわれない、突出した力をもっているということでもあります。
ほかの人にはない力を仕事にいかすことができれば、成功につながっていきます。
実際に、記憶力と興味のかたよりをいかして大学の研究員になった人や、独特の発想をいかして画家になった人などがいます。
長所をいかして大成したアスペルガー症候群の人は、世界中に大勢いるのです。

[19] 健康な生活
エントリ『杉山登志郎先生の講演を聴きました!「発達障害への薬物療法」 』における記述の一部を次に引用します。

最も大切なのは健康な生活、養生訓というのは大いに納得。といいますか、最近は井原裕先生をはじめ、どの先生も規則正しい健康な生活の重要性を説いています。

注:i) 引用中の「井原裕先生」が登場するWEBサイト(ここここ及びここ)において、健康な生活に関する次のWEBページがそれぞれあります。前二者のページ例を次に紹介します。「生活習慣の改善こそうつの予防・治療。十分な睡眠と控えめな飲酒を」、うつ病の怪 「悩める健康人」が薬漬けになった理由(P4) ii) 上記エントリタイトル中の「杉山登志郎先生」に関する本エントリ内のリンク集はここを参照して下さい。 iii) この引用中にも「<対策>生活リズムを維持すること」との記述があります。加えて、パニック症、「悩める健康人」における健康な生活については、他の拙エントリのここここをそれぞれ参照して下さい。さらに、生活リズムが崩れている適応障害における、生活リズムを戻すことについては、次のWEBページを参照して下さい。 「適応障害とは─原因の多くはストレス」の「生活リズムを意識し、普段の日常を取り戻す」項 iv) 一方、健康な生活を送るのに支障となるリスクがある睡眠障害については、例えば次のWEBページやWEBサイトを参照して下さい。 「睡眠障害 - 脳科学辞典」、『田ヶ谷浩邦先生に「睡眠障害」を訊く』、「睡眠障害の基礎知識」、「睡眠障害の基礎知識」、「連載 睡眠外来の診察室から」 加えて、タイトルを除き拙訳はありませんが、「睡眠の問題があると誤解することは、実際の睡眠不足よりも有害な可能性がある」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 「"Insomnia identity" – misbelieving you've got sleep problems can be more harmful than actual lack of sleep[拙訳]「インソムニア・アイデンティティー」-睡眠の問題があると誤解することは、実際の睡眠不足よりも有害な可能性がある」(注:上記「インソムニアアイデンティティー」[Insomnia identity]については次のWEBページを参照して下さい。 「insomnia identity」) v) なお、女性のアスペルガー症候群における「朝が苦手」については、ここを参照して下さい。 v) ちなみに、標記エントリタイトルの「杉山登志郎先生」に関連して、杉山登志郎先生による「日常生活が規則正しく送れている」との記述についての引用はここを参照して下さい。 vi) 加えて、引用中の「健康な生活」に関連する「健康三原則」について、姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第4章 セルフケア 周囲に振りまわされない自分をつくる の「健康三原則」項における記述の一部(P196~P197)を次に引用します。

(前略)いろいろ考え実践し、僕が行き着いたのは「健康三原則」です。これは、精神科の患者さんにも、内科や外科の患者さんにも、さらに、すべての一般の人たちにも当てはまることなので、紹介しましょう。(中略)

規則正しい生活をする:生活のリズムが乱れることによってメンタルの調子が悪くなることもある

アサーティブに生きる:我慢せずに上手に自分の気持ちを伝え心の健康を保つ

運動をする:メンタルとフィジカルは相互補完的に作用している

注:(i) 引用の後半部に「セルフケアのためのシンプルな健康三原則」を記述しました。この部分は形式を変更して表示しています。 (ii) 引用中の「アサーティブ」(又は「アサーション」)とは、簡単に言えば、「上手な自己主張」、すなわち「相手を尊重しながら自分の言いたいこともはっきりと伝える方法」のことで、詳細は例えば次の資料及びWEBページを参照して下さい。 「3.コミュニケーション向上のために(アサーション)」、「入門!認知行動療法 自分の気持ちを伝えよう」、「27 アサーション・トレーニングの理論と実際」、「ストレスコーピング」の「アサーショントレーニング」項 加えて、上記「アサーション」に関連する「機能的アサーション」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「機能的アサーションとは」、「機能的アサーションとは何か?」、「しなやかで芯のある自己表現:円滑な対人関係のための機能的アサーション」 (iii) ちなみに、引用中の「精神科の患者さん」に含まれるかもしれない、 a) ADHDのある人にとっても「生活リズムを整えるのも大事」なことについて、岩波明監修の本、「ウルトラ図解 ADHD」(2018年発行)の 第4章 生活の中でできる工夫 の「生活リズムを整えるのも大事」における記述の一部(P140)を次に引用(『 』内)します。 『生活リズムの乱れは、体の健康を損なうだけでなく、心の元気も奪います。ADHDのある人は、とかく生活が不規則になりやすいので、意識して生活リズムを整えましょう。特に、夜更かしには気をつけます。ついついテレビを見続ける、インターネットをやめられない……などで、睡眠不足に陥ったり、生活リズムが遅寝遅起きにずれてしまいがちです。』 b) 加えて、パニック症をコントロールするための「体調管理に留意」することについては他の拙エントリのここを参照して下さい。

補足として、姜昌勲著の本、『あなたのまわりの「コミュ障」な人たち』(2012年発行)の 第4章 セルフケア 周囲に振りまわされない自分をつくる の「ぼちぼち生きる 腹六分のすすめ」項における記述の一部(P204)を次に引用します。

「健康三原則」について最後に述べましたが、一番大切なのは、健康三原則にせよコミュニケーションにせよ、すべては「つきつめて頑張ろうとし過ぎない」ことです。
「ぼちぼち」でいいのです。「ぼちぼち」とは、「腹六分の生き方」といい換えることもできるでしょう。

注:引用中の「健康三原則」についてはここを参照して下さい。

ちなみに、双極性障害(他の拙エントリのリンク集参照)の治療法としての対人関係・社会リズム療法(例えば次の資料を参照して下さい 「双極性障害の疾患教育と対人関係・社会リズム療法」、「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」の「5. 双極性障害の精神療法」項[P23~P24])は、このツイートによると、社会リズムを安定化させること、対人関係トラブルや変化への適応として、どんな人のメンタルヘルスにもプラスのようです。

加えて、ASD 及び 複雑性 PTSD の患者における、治療に必要なことの視点からの規則正しい日常生活について、杉山登志郎著の本、「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第8章 EMDR を用いた簡易精神療法 の Ⅱ 複雑性 PTSD への簡易精神療法 の「1.安全な場所の確認」における記述の一部(P106~P107)を次に引用します。

(前略)さらに日常生活が規則正しく送れているかの確認が必要になる。そもそも ASD は時間的なパースペクティブがとれず,規則正しい時間を崩すことは大得意でも,作ったり守ったりすることは極めて苦手である。複雑性 PTSD の成人の場合も,おそらく警戒警報鳴りっぱなし恒常的になっているということなのだろうか,睡眠時間がばらばらであったり,著しい短時間睡眠であったり,多量の眠剤を飲んでようやく寝て,朝はまったく起きてこられなくてといった生活をしている者がむしろ一般的である。少し考えてみればわかるのだが,睡眠時間が極端に短かったり乱れていたりしては、どんな名医であっても抑うつや気分変動の治療は不可能である。ましてトラウマ処理などできるはずもない。ただ、この不眠の要因が,侵入症状としての悪夢ということもよくある。(後略)

注:引用中の「トラウマ処理」に関連する「トラウマ体験」があっても、予後を悪くしないための下記「規則正しい生活習慣を心がける」について、白川美也子監修の本、「トラウマのことがわかる本 生きずらさを軽くするためにできること」(2019年発行)の 第5章 回復しやすい体をつくる毎日のケア の 毎日の心がけ 体がもつ「治る力」を引き出していく の「規則正しい生活習慣を心がける」における記述(P87)を次に引用(『 』内)します。 『どのようなトラウマ体験があっても、自分の見のまわりのことを自分でできている人の予後は決して悪くありません。まずは規則正しい生活を心がけていきましょう。きちんと食べていますか? 眠れていますか? 生活を振り返り、問題があれば、できることから修正していきましょう。』 一方、「それでも生活には浮き沈みがある。愛情、あいまいな社会生活、不誠実な職場、うつろいゆく友情や愛情に翻弄されることもあるだろう。もちろん年齢を重ねるごとに、身体は徐々に衰えていく」状況のもとで、「感情を手なづけるためにできること」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。

[20] 構造化
梅永雄二監修・著の本、『よくわかる! 自閉症スペクトラムのための環境づくり 事例から学ぶ「構造化」ガイドブック』(2016年発行)の 第1章 見える化する「構造化」 の 構造化って何? の「1.日常のなかにある構造化」及び2.自閉症スペクトラムの特性と構造化」における記述の一部(P8~P11)、及び内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 終章 臨床デバイス の「構造化について」における記述の一部(P268~P269)をそれぞれ以下に引用します。加えて、次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「言っても身に付かない子どもには - apital

1.日常のなかにある構造化
「構造化」というのは、何かの活動を行う際に、その活動が容易に行えるように環境を整えることといってもいいでしょう。
例えば、自動車が往来している道路を渡る際に、左右を確認しなければなりませんね。右と左をきちんと見て、自動車が来ていれば渡らずに「止まる」という行動を取ります。そして、車が来ていないことが確認できれば、「渡る」という行動を取るわけです。
しかしながら、左右を確認するというのは、どのくらいの距離に車が来ていれば危険で、どのくらい離れていれば安全であると判断するのは、難しい場合があります。自動車のスピードにもよるし、幼児や高齢者は道路を渡るスピードも異なるでしょう。
しかし、信号機があればどうでしょうか。歩道側の信号機の色が青であれば、その反対側の信号機は赤となるため、自動車は停止します。その結果、道路を安全に渡ることができます。この信号機の「青」や「赤」といったサインが構造化の最たるものかもしれません。(中略)

2.自閉症スペクトラムの特性と構造化
それでは、自閉症スペクトラムの人へのわかりやすい構造化というものはどのようなものでしょうか。
米国ノースカロライナ大学で開発された、自閉症児者支援の最先端といわれる「TEACCH Autism Program」(以下TEACCHプログラム)では、「構造化」はいくつかの分野に分けて説明されています。(後略)

注:i) この本では、構造化の基本的な説明のみならず、20もの構造化事例が示されています。本エントリでは説明しませんので、具体的な説明を必要とする読者様は、この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「TEACCHプログラム」については、ここを参照して下さい。

構造化について
ASD には一定の環境の構造化が必要である.枠がゆるいと,統制がとれなくなりがちである.(中略)

構造化が苦手であるというのは,彼らの認知特性に由来している.ASD の場合,大づかみに状況を俯瞰し,方向づけること,そしてとりあえずの目標や行動のための指針を作ることに難がある.作った場合には融通がさかず,硬直したものになりがちである.時間的に俯瞰してスケジュールを組み立てるのも苦手である.
このあたりの対策については,多くの成本に記載されているので,詳述はしない.情報の絞り込み,状況の可視化,行動のライン化,大まかな方向付け,時間の区切りのキューなどが挙げられるだろう.こうした工夫は確かに役に立つことが多い.ただ,こちらが提供するのは,あくまで工夫である.構造化が強いと,牽強付会的になるだけでなく,実際に浸透しすぎる場合があることに注意すべきだろう.
また,なかには構造化が合わない事例もある.そのようなときには,本田6が指摘したように,一夜漬けや一発勝負の方が向いている可能性を検討してみるとよい.

注:i) 引用中の文献番号「6」は、【本田秀夫『自閉症スペクトラム-10人に1人が施える「生きづらさ」の正体』SBクリエイティブ,2013,p.200】のことです。 ii) ちなみに、以下の引用で示すように、自閉症スペクトラム障害の子どもを支援するために開発された療育プログラムであるTEACCHも構造化と関連しています。佐々木正美著の本、「アスペルガーを生きる子どもたちへ」(2010年発行)の 第2部 TEACCHを正しく理解する の「TEACCHはあくまで個別対応」における記述の一部(P109~P110)を次に引用します。

(前略)
ローナ・ウイングさんがTEACCHの業績について次のように言っています。
自閉症の人のほうから私たちの世界に入ってくることはできない。でも、私たちのほうから自閉症の人の世界や文化に近づくことは、努力次第でできるのではないか。そしてそうした人だけが、一人ひとりに寄り添うようにして、私たちの世界に導いてくることができるのです」――どのようにして近づくか、入っていくか、そしてこちらの世界に導いてくるかを具体的に教えてくれたのがTEACCHであるというのです。
なるほどうまいことを言うものだと思いました。その方法が個人の機能に合わせて「構造化する」ということなのです。自閉症のことをよくわかった人でないと、なかなかそういう表現をうまく言えませんね。
この人たちはこういうことならこんなにできる。こんなにできることがあるというようなことを私たちが理解する。私がTEACCHに出会って本当に触発されたのは、「この人はこんなことができないのだ」というより、「こんなことができるのだ」ということを考えていく方法だからなのです。自閉症のままで、できるだけ自立的な活動をして幸福に生きることができるように、それを応援するのがTEACCHなのです。
これは最初に「構造化」ありきではなくて、そのために「必要な構造化をする」ということです。(後略)

注:引用中の「TEACCH」については、同本の「はじめに」の viページ における説明を次に引用します。ちなみに、引用はしませんが、「TEACCH」のより詳細な説明は同本の「第2部 TEACCHを正しく理解する」で紹介されています。

TEACCH(Treatment and Education of Austistic and related Communication handicapped CHildren)プログラムとは、アメリカのノースカロライナ大学のエリック・ショプラー教授らによって一九六〇年代から始められた、自閉症スペクトラム障害の子どもを支援するために開発された療育プログラム。子どもの特性に目を向け、視覚的な手がかり(たとえば絵や文字、写真、実物)などによって得意な面を伸ばすような工夫がされている。

[21] 共感とシステム化
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (6)共感 の 「3) Baron-Cohen」項における記述の一部(P35~P36)を次に引用します。

自閉症研究者であり,誤信念課題をも作成した Baron-Cohen の考える「共感」(emphasizing)は,「システム化」(systemizing)と対置される概念です。Baron-Cohen(2003)によれば,共感とは,「他者の情動と思考を同定し,適切な情動を伴わせてそれらに反応しようとする動因(drive)」(Baron-Cohen, 2003, p.2)です。そして,共感は,他者を理解し,他者の行動を予測し,他者と情緒的につながるか共鳴するために行われるものです。このように,Baron-Cohen の言う共感は,思考と情動の両方に向けられるものですが,他者の情動によって引き起こされた適切な情動を伴うという条件が付けられています。例えば,精神病質の人が自分の欲望を満たそうとして他者の思考と感情を冷徹に判断する場合については,これを共感とは言わないのです。共感は,他者をケアしようとする生来的な傾向から生じると,Baron-Cohen は述べています。
次に,共感と対置される「システム化」というのは,「システムを分析し,探求し,構成しようとする動因」(Baron-Cohen, 2003, p.3)です。Baron-Cohen(2005)によれば,人間の脳が分析できるシステムは,①技術的システム(例えば,コンピューター),②自然的システム(例えば,潮の満ち引き),③抽象的システム(例えば,数学),④社会的システム(例えば,選挙),⑤組織的システム(例えば,図書館),⑥運動的システム(例えば,音楽の技術),です。システム化は,あるシステムの動きを理解し,予測するために行われます。
Baron-Cohen(2005)は,共感とシステム化の相違を以下のように述べています。

突き詰めれば規則的・定型的・決定論的である現象には,システム化が有効である。…人の行動に刻一刻と生じる変化を予測するとなると,システム化はほとんど役に立たない。人間の行動を予測するためには,共感が必要とされる。システム化と共感とは,まったく種類の異なるプロセスである(Baron-Cohen, 2005, p.476)。

そして,(Baron-Cohen, 2003)は,共感とシステム化を脳機能の特徴と結びつけ,共感は一般に女性において優位な脳機能と関連しており,システム化は一般に男性において優位な機能に関連していると指摘しています。そうすると,共感-システム化のバランスがとれている人とそうでない人を考えることができます。自閉症者は,しばしば共感の健著な機能不全がシステム化の優位と併存することを特徴としています(Baron-Cohen et al., 2005)。
メンタライジングは自己と他者の精神状態を認識することですから,Baron-Cohen の言う共感の「適切な情動を伴わせて反応すること」という部分はメンタライジングの守備範囲ではないことになります。しかし,適切な情緒的反応をするためには,メンタライジングが不可欠ですから,適切な情緒的反応の部分もメンタライジングと無関係ではありません。(後略)

注: i) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「共感」についての説明例は、次のWEBページを参照して下さい。「共感 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「自閉症者は,しばしば共感の健著な機能不全がシステム化の優位と併存することを特徴としています」に関連した記述を以下に引用します。

さらに、「男性脳に近いのが自閉症スペクトラム障害」について宮尾益知監修の本、『この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』(2018年発行)の Part2 自閉症スペクトラム障害の特性 の 男女の違い 自閉症スペクトラム障害は、男性に多く見られる の「男性脳に近いのが自閉症スペクトラム障害」における記述の一部(P52)を次に引用します。

イギリスの発達心理学サイモン・バロン=コーエンの研究によると、男性の脳は分析や論理を好み、女性の脳は他人との共感を好む傾向があるとしています。自閉症スペクトラム障害は共感的なコミュニケーションの障害があり、論理的思考への偏りが見られます。まさに男性脳的な障害ということができます。(後略)

注:i) 加えて、同頁には「男女の脳の基本的な違いに」についての、以下に形式を変えて引用(それぞれ『 』内)する2つの記述があります。 『男性脳:分析したり、論理的に考えたり、システム化を求める。』、『女性脳:他人との共感を好み、論理よりも感情を優先しやすい。』

ちなみに、上記「共感」に関する Rogers の心理療法における共感に関連して、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (6)共感 の「1) Rogers」項における記述の一部(P46~P47)を次に引用します

今日のカウンセリング・心理療法における共感の重視が Rogers のクライエント中心療法(人間中心アプローチ)の影響であることを否定する人はいないでしょう。Rogers の心理療法においては,共感は,心理療法によってパーソナリティ変化が生じるための必要十分条件の1つに数えられており,その中でもとくに重要な3つの条件(無条件の肯定的関心,共感的理解,自己一致)の1つです。Rogers の言う共感は,平易に定義すると「クライエントの私的世界を,あたかも自分自身の私的世界であるかのように感じ取ること,しかし決して『あたかも…かのように』という感覚を見失わずにそうすること」(Rogers, 1957; 佐治・岡村・保坂, 2007, pp.45-46)です。より詳しく定義するなら,共感とは「相手の内的照合枠(internal frame of referrence)を,正確に,それ固有の状動的要素や意味とともに知覚することであり,その際に,自分があたかも相手であるかのように,しかも決して『あたかも…かのように』という質を失わずに,知覚すること」(Rogers, 1959; 岡村, 2007, p.89 より引用)と表現されます。さらに後になると,共感は,「相手の私的な知覚世界に入ってその襞にまで通じるようになること…相手の内部で流れている瞬間瞬間に感じ取られている意味,すなわち相手が体験しつつある恐れ・怒り・優しさ・混乱などどんなものでも,それらをその都度感じ取ること」(Rogers, 1975; 岡村, 2007, p.90 より引用)と説明されています。これらの定義において, Rogers が一貫して強調しているのが「感じ取ること」です。つまり,クライエントの体験を実感的に理解することが重視されているわけです。そして,情動だけでなく「意味」を感じ取ることも重視されていることから,Rogers の言う共感は情動的な側面と認知的な側面を両方とも含んでいると考えられます。また,「あたかも…かのように」という性質の強調は,クライエントの体験を自分自身の体験と混同せず,クライエント視点から理解しているのが共感であるということです。以上のことから,Rogers の言う共感は,「他者の精神状態のメンタライジング」と言い換えてもよく,しかも洗練されたメンタライジングが目標とされていることがわかります。

注:i) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iv) ちなみに、引用中の「認知的な側面」についての補足説明になるかもしれないので、「認知療法」についてのWEBページを次に示します。 「認知療法とは

加えて、米田衆介著の本「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」(2011年発行)の 第五章 さまざまな不適応とその対策 の「感情はどこまでも個人的なもの」項における記述の一部(P205)を次に引用します。

アスペルガーの当事者の一人が、次のように語ったのを私は聞いたことがあります。
「他の(発達障害でない)人たちは、共感という一つの大きな魔法にかかっていて、自分だけが魔法の影響を受けなくなる呪いをかけられているみたいです。そのためにみんなからのけ者にされているような感じがします。みんなは、ありもしない魔法のお城で楽しそうに暮らしているのに、自分にはみんなが幻覚を見ていて、自分だけが正気でいるようにしか思えない。でも、そう思うのが自分だけだとすると、論理的に考えて、私のほうが狂っているはずだということは自覚しています」
このように、一般の人とは世界の仕組みに関する認識において大きな隔たりがあるために、「理解してもらえた」と思う機会がどうしても少なくなるのが、感じ方・考え方が異なるという苦境の一つの側面です。

注:この引用には、ここに示すように少数派が関連しているようです。

[22] 認知様式と社会的コミュニケーション
金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第3章 自閉症の多様性を「測る」――脳科学からのアプローチ(著者:菊知充、三邉義男) の「自閉症の認知様式と社会的コミュニケーション」における記述(P116~P122)を次に引用します。

私たちが物事を認知するときの脳の処理のしかた(認知様式)には、トップダウン処理とボトムアップ処理の二つがあります。
「曖昧で膨大な情報から、行動の目的に応じた情報の選択を行う」認知様式がトップダウン処理で、前頭前野が関与しているといわれています。ボトムアップ処理は「一つ一つのすべての情報を綿密に組み合わせて全体を理解する」認知様式で、主に脳の後方部に位置する後頭葉や側頭葉、頭頂葉が関与していると考えられています。
ところで、脳の役割は大きく二つに分けられます。外部からの情報を受け入れて情報処理する「入力」の役割と、自らが判断し行動するための「出力」の役割です。脳の後方部に位置する後頭葉や側頭葉、頭頂葉は、主にこの「入力」で重要な役割を果たしています。
自閉症の人の認知様式は、ボトムアップ処理であるといわれています。このことに関して、国立精神・神経医療研究センターの神尾陽子先生が、2007年に語彙判断課題を用いた言語プライミング効果を調べて報告しています。言語プライミング効果とは、簡単に言うと、事前に、その後に見せる言葉と関連のある言葉を見せておくと、その後に見た別の言葉の情報処理が早くなる現象で、トップダウン処理の効果が反映される現象です。
例えば、一瞬だけでも「くるま」という文字を見せておくと、後で見せられる文字の中でも、意味の近い「じてんしゃ」という文字については認識にかかる時間が早くなります。一方で「くま」という文字を見せておいた場合には、それとまったく関連のない「じてんしゃ」という文字の認識にかかる時間は早くはなりません。
こうした言語プライミング効果といわれる現象は、定型発達の人には明確に認められますが、自閉症の人には、あまり認められていません。つまり、定型発達の人は、日常生活の中で取り入れる膨大な情報をトップダウン処理して、一連の関連した情報を自動的に取捨選択して、文脈に応じて早い速度で処理できるのですが、自閉症の人はそれがうまくできないということです。
実用的で自然な社会的コミュニケーションは、曖昧で膨大な情報で成り立っています。社会的コミュニケーションには、「曖昧で膨大な情報から、行動の目的に応じた情報を選択する処理」が不可欠なのです。しかし、自閉症の人はトップダウン式の処理が苦手で、「一つ一つのすべての情報を綿密に組み合わせて全体を理解しようとするボトムアップ式の認知」が得意なため、実用的で自然な社会的コミュニケーションが困難になるのです。
我々の調査でも、ボトムアップ式の認知様式が自閉症の人には幼少期から存在していることを確認しています。言語的な認知機能を例に挙げて説明しましょう。
言葉と言葉の概念的関連性から全体のイメージを形づくることが必要な課題では、定型発達者に比べて自閉症の人の方が明らかに劣っていることがわかりました。
課題は、概念の連想ゲーム「なぞなぞ」です。例えば「空腹になると泣く」「ミルク」「よく寝る」などの言葉から、概念的にもっとも近い言葉を答えるテストで、答えは「赤ちゃん」です。
このような課題は、提示された個々の言葉だけでは特定の規則性を見つけることができず、正しい答えに到達できません。曖昧で、規則性のない概念的な共通点を探さなければならないこの問題(概念的類推課題)は、トップダウン式の処理に向いているテストに近いといえるでしょう。このようなテストは、自閉症の人には苦手のようです。
一方、同じように言葉を使う課題でも、「文字の音読」では、自閉症の人の方が優れているケースが少なからずあります。「文字の音読」は、記号(文字)と音(読み)が一対一対応になっていて曖昧さがありません。とくに日本語は、文字どおりに規則的に読めば正解です。こうした課題は、自閉症スペクトラム障害者の人が得意なボトムアップ式の処理が優位に働く可能性があります。

自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソードがあります。
自閉症の子どもが、母親に「お風呂のお湯を見てきて」と言われました。子どもは、お風呂のお湯を観察して戻ってきました。
母親は「お湯加減を見て、調節をしてほしい」という意味で言ったのですが、子どもは文字どおり「お湯」を「見て」きたのです。定型発達者からみると的外れですが、自閉症の脳の特徴から考えれば、ごく自然な反応なのです。「お風呂」「お湯」「見る」という一つ一つの言葉に対してボトムアップ処理の認知を脳が優先して実行し、その背景にある「湯加減を調節する」という真意は理解できないのです。我々のデータは、このような認知の傾向が、幼少期から既に存在することを示しています。
しかし、悪いことばかりでもありません。彼らが得意とするボトムアップ処理の認知様式が、文字や算数への興味を促進し、それを学習する機会を増やす可能性もあります。彼らは、因果関係に明確な規則性のある構造(例えば、二つの歯車をかみ合わせたときの回転速度の変化)においては、時として、飽くなき関心と優れた力を発揮します。その特性こそが、自閉症の人々の中から有能で孤高なる科学者や芸術家が生まれる一因なのかもしれないのです。

注:i) 引用中の「トップダウン」及び「ボトムアップ」について、感覚における両者の説明例として、三品昌美編の本、「分子脳科学 分子から脳機能と心に迫る」(2015年発行)の 用語解説 の「トップ・ダウン処理とボトム・アップ処理」における記述(P280)を次に引用(『 』内)します。 『ボトム・アップ処理は,感覚入力からの一つ一つの情報をパーツとして組み合わせて全体を構成するような情報処理の様式である.一方でトップ・ダウンは事前にもつ知識,経験から全体像の理解に基づいて,予測,仮説を立てて個々の情報を処理する様式である.大脳皮質は階層的であり,感覚領野からのボトム・アップ処理と,前頭前野などからのトップダウン処理とにおおまかに分けられる.実際にはそれぞれの皮質領域は,トップダウン処理とボトムアップ処理の両方にかかわりながら,経験による事前知識と感覚入力の整合性や不一致を検出することに関与していると考えられる.』 加えて、「トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い」の問題を含むトップダウン処理とボトムアップ処理の説明について、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第18章 神経発達の生活臨床と外来面接 の「Ⅱ.情報処理障害と社会的能力」における記述の一部(P249~P250)を二分割して次に引用(それぞれ【 】内)します。なおこの引用部の著者は米田衆介です。 【ウ夕・フリスは,神経心理学の立場から,自閉症においてなぜ対人コミュニケーションの問題が存在するのかを説明する5つの仮説を挙げている。】、【そして,そのすべてに共通するメカニズムとして「トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い」の問題が指摘されている9)。大雑把にいえば,ボトムアップ処理とは,積み木を積んでいくように,眼の前にある断片的な要素から出発して逐次組み上げていくことによる情報処理の仕方である。このような積み上げ式の学習や問題解決は,ASDであってもよくできることが多い。これに対して,トップダウン処理とは,最初に全体の目的から出発して,そのために必要な要素だけを拾い集めて意味のあるまとまりとして構成していくような認知スタイルを示している。もちろん,ASD者も,それ以外の人も,実際的な生活を行う場面では両方の情報処理を活用しているのだが,ASDでは,ボトムアップ処理を優先しやすく,トップダウン処理に切り替えることに困難があると考えられる。】[注:引用中の文献番号「9)」は次の本です。 「ウ夕・フリス(神尾陽子監訳,花園力訳):ウ夕・フリスの自閉症入門-その世界を理解するために.中央法規,東京,2012.」] ii) 引用中の「自閉症の人の認知特性を象徴する、有名な日常生活の中でのエピソード」に関連した「字義に拘泥」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「悪いことばかりでもありません。彼らが得意とするボトムアップ処理の認知様式」に関連するかもしれない「われわれがついぞ見えないところの深い認知」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ボトムアップ処理」に関連して、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 1章 「心の理論」のどこがまちがっているのか? の「推論だけで作動するシステム」における記述の一部(P21)を次に引用します。

(前略)定型者が直観的な全体把握から部分へという認知パターンをとるのが主流であるのに対し,ASD 者では部分から全体へと向かう.いわゆる「ボトムアップ型」である.そのため時間がかかるし,かならずしも全体へとまとまりあがるとはかぎらない.

注:i) 引用中の「かならずしも全体へとまとまりあがるとはかぎらない.」に関連して、「全体へとまとまりあがらなかった」ことからもたらされるかもしれない「木を見て森を見ず」(又は「認知の穴」)については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「定型者が直観的な全体把握から部分へという認知パターンをとるのが主流」に関連して、このような「トップダウン型」認知が機能しなく「ボトムアップ型」認知が採用された場合の弱点例として、同本の 9章 認知行動特性 の「ボトムアップ型の優位」における記述の一部(P156~P157)を以下に引用します。 iii) 加えて、トップダウン型の情報処理のプロセスが作動するための「理念形成」の困難について、内海健著の本、「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐひとたちのために」(2015年発行)の 9章 認知行動特性 の「理念形成の困難」における記述の一部(P158~P160)を以下に引用します。 iv) その上に、引用中の「ボトムアップ型」に関連する「ボトムアップ優位」について、「ASDではしばしば習慣がなかなか形成されにくいという特性がある」及び「一からやり直し」を含めて、内海健清水光恵、鈴木國文編の本、「発達障害の精神病理Ⅱ」(2020年発行)の 第Ⅲ部 精神病理の基本問題 の 第9章 反復と強度 の「Ⅳ. 習慣」及び「Ⅵ. 投機性・再帰性」における記述の一部(P200~P206)を以下に引用します。

(前略)定型者の場合も,トップダウン型認知が機能しないときには,ボトムアップ型が採用される.たとえば経験のない新たな局面に遭遇したときなどである.しかし,繰り返すうちに慣れが生じ,そのうちにトップダウン型が機能し始める.(中略)ボトムアップ型の認知は,ノイズの処理が苦手である.なぜなら,関連ある刺激とそうでないものをあらかじめ仕分けることができず,逐一ひっかかってしまうからである.トップダウンの場合には,あらかじめ拾うべき情報が決まっており,それ以外はノイズとして切り捨てられる.

理念形成の困難
トップダウン型の情報処理のプロセスが作動するためには,「理念」が必要である.理念などというと,なにか仰々しく響くかもしれないが,ごく日常的なことである.
経験が束ねられ,まとまるとき,そこには個々の要素を集めただけではない何かが生まれる.それは大域的なみえであり,大づかみな把握である.あるいは状況に対するさしあたりの判断である.理念とはこうした類のものである.
たとえば,個々の顔面筋の動きからはわからない「表情」というまとまり,クラス全体の「雰囲気」,どう行動するべきかという「指針」などが挙げられる.グニラに欠けていたのは,自分にふりかかったことを,そのつどの小さな違いを捨てて,「いじめ」という理念で括ることだった.

私は誰かに十回いじめられても,終われば何事もなかったかのように立ち上がって歩み去ることができた6.

理念は個々の認知や行動において要請されるだけではない.もっと大域的なものも,生活する上で必要になる.たとえばそれは「常識」,「仕事」,「社会」といったようなものである.
そもそも「常識とは何か」,「仕事とは何か」,「社会とは何か」とたずねられたら,すぐに答えられるものではない.しかし,定型者にとってそれらは自明なものであり,あらたまって考えてもみないことである.そして,それらは理念として,われわれの行動をまとめ上げるべく機能している.
たとえば「常識で判断しろ」といわれれば,それなりの対応を考えるであろうし,やりたくないことでも「さあさあ,仕事」,「はいはい,仕事ですね」などと割り切れもする.「社会人らしく」などといわれると,何となく襟を正さねばならないと感じる.
ASD が職場で事例化するときには,段取りが悪かったり,マルチタスクが苦手だったり,不器用だったり,といったことが問題となることが多いだろうが,こうした技能の問題とは別に,「そもそも仕事というものがどういうものかわかっていないのではないか」などと評される場合がある.理念が機能していないことをうかがわせる.

vignette
23歳男性.学童期から,どこか自分が人と違っているという意識があり,「自分は世の中でやっていけない人間なのです」,「人として何かが欠けている.子どもにも抜かれている」と訴える.これまで何度となく,汎不安と自殺するのではないかという恐怖にさいなまれてきた.
大学の最終学年になると,「自分は絶対に社会ではやっていけない,落伍して浮浪者のようになる」という思いが極度に強くなり,たとえば周囲の会話のなかに「失敗」という言葉を耳にはさんだだけでも,飛び上がらんばかりの衝撃を受けた.
あまりにも思い詰めるため,緊急避難的に入院したが,不安・焦燥のかたまりのような状態がやわらぐことはなかった.就職への恐怖を繰り返し訴えるため,あえて理由をたずねたところ,「宴会芸をやらされると思うと,気が狂いそうになります」と真顔で答えた.

ここでは,社会(就職)が「宴会芸」に短絡している.統合失調症で時折みられる「具象化傾向」と呼ばれる症状に似た言語性の病理である.「仕事」という理念が機能していないので,「宴会芸」のような個別のものに仮託されている.
なお,この青年は,就職浪人になってから,周囲のアドバイスに耳を貸すようになり,各種の資格をとることに専念して,そののちビル管理の仕事に就職した.

注: i) 引用中の「vignette」は「短い事例報告」の意味です。 ii) 引用中の文献番号「6」は、次の本からの参照です。 「Gerland. G. : A Real Person : Life on the outside, Souvenir Press, London, 1997, p.90(グニラ・ガーランド『ずっと「普通」になりたかった』ニキ・リンコ訳,花風社,2000, p.96)」 iii) 引用中の「トップダウン型の情報処理」に関連する「トップダウン処理」についてはここを参照して下さい。

Ⅳ. 習慣

TD(定型発達者)における反復を代表するものが「習慣」である。前稿4)でも触れたが,ここで今一度概説しておく。
ドゥルーズは「習慣はつねに経験に後続するが,経験に依存しない」5)という。真の反復は,交換・置換が不可能であるのに対し,習慣は,そうした交換不可能な経験から「何か新しいもの…差異を抜き取る」6)ことで成立する。
つまり習慣は,その都度の出来事で生じる差異を,誤差に縮減する。その前提となるのか大域的な(globally)まとまり,ないしは概念,あるいは「フレーム」であり,トップダウン優位の認知である。
ASDではしばしば習慣がなかなか形成されにくいという特性がある。その結果として,次のような行動様式になりがちである。
①同一の手続きや対象に固執する。(domain-specific)
もともと彼らの心性としての同一性保持が,適応に際しても発動される。同じ状況が確保されれば大丈夫であるが,異なった状況に際しても,同じやり方,同じ対象に固執すると,たちまち不適応的になる。
②そのつど一からやり直しとなる。
少しでも状況が異なれば,大域的には同じようなやり方ですむところを,一から考え直して取り組む。それだけでも,大きなロスになる。ボトムアップ優位であり,完全に理解しようとして情報処理に時間がかかり,ワンテンポ遅れる。細事にひっかかり,全体がみえなくなる。状況が変動するとそれを後追いするかたちでイタチごっこになり,もう一度,一からやり直しになる。多くの事例が苦しむことの一つの代表が,会話に入れないことである。また効率が悪く,独特の疲れやすさの淵源となることが多い。一からやり直しは,スペンサー=ブラウンの公理2に該当する。(中略)

Ⅵ. 投機性・再帰性(中略)

事例 22歳男性
「空虚感」,「満足感がない」,「離人感」というキャッチフレーズを使って毎回のように長時間訴え続ける。執拗に反復されるのだが,こちらからの応答はほとんどスルーされる。彼がこれらのキーワードを通してどのような苦痛を訴えようとしているのか,皆目見当がつかない。毎回のように明確化を促すと,一応の説明が返ってくるのだが,それもまた紋切り型のフレーズであり,相互の理解が深まることはない。次のセッションでは一からやり直しになってしまう(スペンサー=ブラウンの公理2)。

彼のキャッチフレーズはありきたりの言葉なのだが,私的言語(ヴィントゲンシュタイン)としてしか機能していない。(後略)

注:i) この引用部の著者は内海健です。 ii) 引用中の文献番号「4)」は次の本です。 「内海健:差異と同一性-ドゥルーズ的変奏によるASDの精神病理.鈴木國文,内海健清水光恵編:発達障害の精神病理Ⅰ星和書店,東京,p.133-161,2018.」 iii) 引用中の文献番号「5)」は次の本です。 「Deleuze, G. : Empirisme et subjective. : essai sur la nature selon Hume, p132, Presses Universitaires de France, Paris, 1953(木田元・財津理訳:経験論と主体性-ヒュームにおける人間的自然についての試論.河出書房新社,東京,2000.)」 iv) 引用中の文献番号「6)」は次の本です。 「Deleuze, G. : Différence et répétition. Presses Universitaires de France, Paris, p.101, 1968.」 v) 引用中の「スペンサー=ブラウンの公理2」に相当する(スペンサー=ブラウンの)「横断の法則」については、例えば次の資料を参照すれば良いかもしれません。 『「人格」という形式』の(訳注4)[P116] vi) 引用中の「私的言語」については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「私的言語」 vii) 引用中の「トップダウン優位」に関連する「トップダウン処理」についてはここを参照して下さい。 viii) 引用中の「少しでも状況が異なれば,大域的には同じようなやり方ですむところを,一から考え直して取り組む」に関連する「似たような経験でも、少しでも異なるとまったく別のものととらえてしまう」ことについて、宮尾益知監修の本、『対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 正しい理解と生きづらさの克服法』(2020年発行)の Part2 定型発達との差異 自分と相手の見ている世界の違いを理解する の 特性と差異④あいまいさ の「ASD ひとつひとつを完璧に。 100%一致しないと納得出来ない」における記述(P43)を次に引用(【 】内)します。 【似たような経験でも、少しでも異なるとまったく別のものととらえてしまい、経験を生かして類推することができません。】

[23] マインドブラインドネス
上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 第2章 メンタライジングとは何か の 4 類似の概念との比較 の (5)心の理論と関連する概念 の 「3) マインドブラインドネス」項における記述(P46)を次に引用します。

心の理論と関連するもう1つの概念として「マインドブラインドネス」(mindblindness)があります。これは,Baron-Cohen(1995)が自閉症の中核的欠損を強調するために導入した用語です。心の理論にみられるように,行動を理解する際に思考,信念,認識,願望,意図のような精神状態を考慮できることを「精神主義的」(mentalistic)と呼びますが,精神主義的な理解や説明を行う能力が欠如していることをマインドブラインドネスというのです。自閉症は,個人によって程度の違いはありますが比較的不変のマインドブラインドネスを伴っており,それは先天的な脳機能障害によるものです。しかし,Fonagy と共同研究者たちは,後天的・発達的な要因によるメンタライジングの機能不全をもマインドブラインドネスに含めており,先天的なマインドブラインドネスと区別するために「力動的マインドブラインドネス」(dynamic mindblindness)と呼んでいます(Allen et al., 2008)。

注: i) 引用中の「心の理論」に関する資料例は次に引用します。『「心の理論」とコミュニケーション』 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「Allen et al., 2008」は文献ですが、紹介を省略します。。

[24] 夫婦関係と発達障害
以下のWEBページを参照して下さい。

夫婦関係と発達障害(上)母離れできない夫、妻の苦痛 - yomiDr.
夫婦関係と発達障害(中)「エリート」も多いアスペルガー - yomiDr.
夫婦関係と発達障害(下)「言外の意味」どう伝えるか - yomiDr.
「夫婦関係と発達障害」反響編(上)心身共に疲れ果てた妻、マイペースな夫 - yomiDr.
「夫婦関係と発達障害」反響編(下)それぞれの障害に気づく…個性認められるように - yomiDr.

ちなみに、 a) 及びのリンク先における用語「カサンドラ症候群」については次のWEBページを参照して下さい。【『夫と意思疎通ができずに妻が陥る「カサンドラ症候群」 発達障害の夫に悩み、鬱にも』】 加えて、上記「カサンドラ症候群」について紹介するツイートもあります。

[25] 発達障害とパーソナリティ障害
発達障害とパーソナリティ障害との関係に関して、「こころの科学 185号(2016年1月)」の特別企画「パーソナリティ障害の現実」の「エッセイ パーソナリティ障害をめぐって」中の文書より引用します。

市橋秀夫著の文書「私の診てきたパーソナリティ障害」(P78~P79)における記述の一部(P79)を次に引用します。

半数くらいのパーソナリティ障害に、過去の症例を含めて、発達障害の合併を認めないわけにはゆかない。(後略)

②本田秀夫著の文書「パーソナリティ? それとも発達?」(P82~P83)における記述の一部(P82~P83)を次に引用します。

人物評に使われる言葉はたくさんある。「明るい」「強気だ」「疑い深い」「顕示欲が強い」「堅苦しい」「消極的」「空気を読まない」「そそっかしい」「運動が得意だ」「勉強が苦手だ」などの言葉を組み合わせることによって、人物像が語られる。(中略)

冒頭に挙げた人物評に用いられる言葉の中で最も議論を呼ぶのが、「空気を読まない」と「そそっかしい」であろう。これらは、一般の人たちからはパーソナリティを表す言葉と捉えられているが、度が過ぎる場合の診断は「社会的(語用論的)コミュニケーション症」「自閉スペクトラム症」「注意欠如・多動症ADHD)」などの発達障害である。(中略)

精神障害の分類の中で、パーソナリティ障害と発達障害とは再編成が必要なのだと筆者は思う。一般の人からみればどれもパーソナリティと言ってよさそうなのに、「空気を読まない」「そそっかしい」のように「発達」の軸から研究されているものと、「疑い深い」「顕示欲が強い」「堅苦しい」「消極的」のようにパーソナリティとして扱われているものがあり、これまでは概念の出自が違うために別々に論じられてきた。これらはもっと統合的に検討すべきだ。何らかの生来的な特性をもち、さまざまな経験を通じた環境との相互作用の結果として認知、感情、対人行動、興味、志向性などの総合的な個性が獲得され、成人期に個性として固定するまでのプロセス全体を発達とパーソナリティ形成の両面から捉え直し、再整理するのである。(後略)

注:i) 引用中の『「社会的(語用論的)コミュニケーション症」』及び『「注意欠如・多動症ADHD)」』について、前者はリンク集(1)を、後者は注意欠如・多動性障害 - 脳科学辞典、リンク集の(6)(7)をそれぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「空気を読まない」に関連する「微妙な空気を読むことが困難」についてはここを参照して下さい。

[26] 自閉症スペクトラム障害(ASD)における二次障害としての「新型うつ」について
最初に標記「新型うつ」については、例えば次のWEBページ、資料をそれぞれ参照して下さい。 「うつ病Q&Aの「Q4. 新型うつ病が増えていると聞きます。新型うつ病とはどのようなものでしょうか?」項、「臨床現場における「新型うつ病」について」、『「新型うつ」への心理学アプローチ』、「若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない! パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘」 加えて「新型うつ」に関連するかもしれない次の資料もあります。 「対人過敏傾向・自己優先志向が対人ストレスイベント,抑うつに及ぼす影響についての縦断的検討」 さらに、標記『二次障害としての「新型うつ」』の事例について、下山晴彦監修、中野美奈著の本、『ストレスチェック時代の職場の「新型うつ」対策 理解・予防・支援のために』の 第Ⅰ部 職場のメンタルヘルスと「新型うつ」 の 第3章 「新型うつ」と混同されがちな問題 の『4 自閉症スペクトラム障害発達障害)の二次障害としての「うつ」』における記述の一部(P53~P55)を次に引用します。

4 自閉症スペクトラム障害発達障害)の二次障害としての「うつ」

Eさん(二六歳・男性)は、幼いときから数字が大好きです。学生時代は学業成績も非常に優秀で(国語は苦手でしたが)、特に数学が得意でした。中高一貫の男子校を卒業後、上京して国立大学に進み、優秀な成績で卒業しました。卒業後は都内にある民間企業の研究職に就職しました。
職場でEさんは「仕事はできるけど、ちょっと変わった人」と思われていたようです。とても細かい作業を丁寧にこなし、質問には正確に答え、ミスもほとんどありません。同じ作業を繰り返すような地味な仕事でも、むしろ楽しそうに毎日コツコツと取り組んでいました。人間関係に関しては、Eさんには親しく話をするような友人や同僚はいませんでした。相手の気持ちを考慮せず、思ったことをそのまま言葉にするので、相手を不快にさせることが多かったし、Eさん自身も他人と一緒に過ごすよりは独りでいる方が気楽でした。
入社して数年経ち、後輩が入ってきたあたりからEさんの仕事がうまくいかなくなってきました。まず後輩との人間関係をうまく築くことができません。Eさんとしては淡々と言うべきことを言って指導しているつもりなのですが、後輩としてはEさんの気遣いのない率直すぎる物言いや、融通のきかない頑固さや、こだわりなどによって不快な気分になることが多くあったようです。Eさんはまた、トラブルがあった際のフォローやチームのマネジメント業務が非常に苦手です。決まりきった日常業務でなく柔軟な対応を求められるような場面では、どうしたら良いかわからずパニック気味になってしまいます。会社では出世するにつれて責任も重くなり、柔軟な対応が求められる場面が多くなりますが、Eさんにとってはそれが苦痛でした。
やがてEさんは朝会社に行く頃になると吐き気がするようになってしまいました。病院を受診しても異常は見つかりません。心理的なストレスが原因かもしれないと医師に言われ、心療内科を受診することにしました。心療内科では「うつ状態」と言われ、二か月間休職する必要があるとのことでした。医師からは、「休職中は仕事のことは忘れてのんびり過ごし、自分が楽しめることだけをするように」と指示されました。
Eさんが好きなのは何といってもラーメンです。日本全国様々なラーメン屋を食べ歩き、その写真をSNSにアップするのが唯一の趣味でした。そこで、この際二か月の休職期間を利用して北海道までラーメン食べ歩きの旅に出ることにしたのです。インスタグラムには毎日、おいしそうなラーメンの写真がアップされています。そのことをEさんの同僚から聞いた職場の人たちは驚きと怒りを隠せません。EさんはEさんで、「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」と、悪びれた様子はまったくありません。復職しても、職場でのEさんの居心地はかなり悪くなりそうです。(後略)

注:引用中の「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」に関連するかもしれない、『「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません』についてはここを参照して下さい。

加えて、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第2章 上司の理解が期待される時代 の「二次障害的新型うつとASDの印象は似ている」における記述の一部(P54~P56)を次に引用します。

二次障害的新型うつとASDの印象は似ている(中略)

しかし、2000年代以降、新しいタイプといわれるうつ病が登場したのです。それが新型うつです。新型うつといわれるうつ病の特徴は、すべては他人のせいで、困難な状況から逃げてしまい、社会や組織のルールに反発し、職場に適応しない代わりに、職場以外の場ではまったく問題が見られないようなタイプです。
そして、問題はその新型うつの対応に悩む職場が増えていることなのです。この新型うつは「逃避型抑うつ、ディスチミア親和型」とも呼ばれていますが、その特徴をみると自閉症スペクトラム(ASD)の人が適応に失敗し傷ついたときの反応の多くと非常に類似しています。新型うつはASDの二次障害とも考えられるのです。たとえば、ASDの人たちは「いけない」と書いてあること以外は「してよい」と思っています。そして、自分の行動が他者からどのように映るかを考えることが苦手です。デジタルな思考なので、仕事は仕事、遊びは遊びと分けて考えることが容易なのです。「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません。
この「新型うつと自閉症スペクトラム(ASD)の関係」はまだ明確になっていませんが、社員のメンタルヘルス対策の中に、自閉症スペクトラム(ASD)かもしれないという発想があれば、その二次障害的なうつ病にも対応できる可能性があります。

注:i) 引用中の『「休んでいい」の「休み」は「休養」という限定された意味ととらず、「なにをしてもいい休み時間」のように理解(誤解)しているのかもしれません』に関連するかもしれない、「好きなこと、楽しめることをしろと病院の先生に言われた。そのとおりにして何が悪い?」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「二次障害的新型うつ」に関連するかもしれない「ASの人がうつ病になると症状の訴え方や困り方にAS特性が反映される」(注:「AS」とは自閉スペクトラムを指します)ことについて、中村敬、本田秀夫、吉川徹、米田衆介編の本、「日常診療における成人発達障害の支援 10分間で何ができるか」(2020年発行)の 第13章 大人の症例で発達障害を診断することの意義と問題点 の Ⅲ.大人の症例で発達障害を診断することの意義 の 「2.他の精神障害の背景に発達障害もあると診断する場合」における記述の一部(P188~P189)を次に引用(【 】内)します。 【たとえば,ASの人がうつ病になることを想定してみよう。睡眠障害,意欲の減退,抑うつ気分,自責感,悲哀感情,食欲の低下など,典型的なうつ病の症状を呈して精神科クリニックを受診した症例にもともとASの特性があると,症状の訴え方や困り方にAS特性が反映される。すなわち,すべての活動に対する意欲が低下するのではなく,きわめて意欲の低下する活動とそうでない活動がある。会社に行く気力は全くなくても,家では好きなフィギュア作りには没頭できるため,ただサボっているだけなのではないかと誤解される。】(注:この引用における著者は本田秀夫です)

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≪余談5≫論文紹介を含む自閉スペクトラム症へのベイズ理論の適用について、その他

最初に標記についての論文を次にに紹介します。

[1] 論文要旨「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?[拙訳]自閉スペクトラム症ベイズ理論は臨床診療の改善に役立つか?」(全文はここを参照)を次に引用します。

Diagnosis and individualized treatment of autism spectrum disorder (ASD) represent major problems for contemporary psychiatry. Tackling these problems requires guidance by a pathophysiological theory. In this paper, we consider recent theories that re-conceptualize ASD from a "Bayesian brain" perspective, which posit that the core abnormality of ASD resides in perceptual aberrations due to a disbalance in the precision of prediction errors (sensory noise) relative to the precision of predictions (prior beliefs). This results in percepts that are dominated by sensory inputs and less guided by top-down regularization and shifts the perceptual focus to detailed aspects of the environment with difficulties in extracting meaning. While these Bayesian theories have inspired ongoing empirical studies, their clinical implications have not yet been carved out. Here, we consider how this Bayesian perspective on disease mechanisms in ASD might contribute to improving clinical care for affected individuals. Specifically, we describe a computational strategy, based on generative (e.g., hierarchical Bayesian) models of behavioral and functional neuroimaging data, for establishing diagnostic tests. These tests could provide estimates of specific cognitive processes underlying ASD and delineate pathophysiological mechanisms with concrete treatment targets. Written with a clinical audience in mind, this article outlines how the development of computational diagnostics applicable to behavioral and functional neuroimaging data in routine clinical practice could not only fundamentally alter our concept of ASD but eventually also transform the clinical management of this disorder.


[拙訳]
自閉スペクトラム症ASD)の診断及び個別化された治療は、現代の精神医学にとって大きな問題であることが示される。これらの問題に取り組むには、病態生理学的理論による指針が必要である。この論文において、ASD の中核的異常が予測精度(事前の信念)に対する予測誤差(感覚ノイズ)の精度における不均衡による知覚異常にあると仮定する、「ベイジアン脳」の観点からの ASD を再概念化する最近の理論を、我々は考察する。感覚入力によって特色づけられ、トップダウンの規則化によって導かれることは少なく、意味を抽出することにおける困難を伴う環境の詳細な側面への知覚の焦点にシフトする知覚に、これはつながる。これらのベイズ理論は現在進行中の実証研究を動機づけしてきた一方で、それらの臨床的意義は未だ切り開かれていない。ここでは、ASD における疾患メカニズムに関するこのベイズの視点が、いかに侵された個人に対する臨床治療の改善に寄与するかを、我々は考察する。特に、診断検査を確立するための行動及び機能的神経画像データの生成(例:階層ベイズ)モデルに基づく計算戦略を、我々は記述する。これらの検査は ASD の基礎となる特異的認知処理の推定を提供し得るだろう、そして具体的な治療標的を伴う病態生理学的メカニズムを詳細に描き得るだろう。日常の臨床診療における行動及び機能的神経画像データに適用可能なコンピュータ診断の開発は、いかに ASD の概念を根本的に変えるだけでなく、最終的にこの疾患の臨床管理を変えることができるだろうことについて、臨床の読者を念頭に置いて書かれたこの論文は概説する。

注:i) 拙訳中の「予測精度」に関連するかもしれない「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 加えて、構成主義的情動理論の視点からは上記「予測精度」に関連する「予測」を含めて他の拙エントリのここを、突発性環境不耐症の視点からは他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。 ii) 拙訳中の「ベイジアン脳」に関連するかもしれない「自閉スペクトラム症ベイズ推論モデル」について、国里愛彦、片平健太郎、沖村宰、山下祐一著の本、「計算論的精神医学 情報処理過程から読み解く精神障害」(2019年発行)の 第3部 精神疾患への適用事例 の 第13章 精神疾患への適用事例 の「13.5 自閉スペクトラム症ベイズ推論モデル」における記述(P267~P269)を次に引用します。

自閉スペクトラム症とは,発達の早期から,社会的相互作用とコミュニケーションの障害,反復常同性と感覚過敏・鈍麻といった特徴を示す発達障害である。自閉スペクトラム症の特徴として.知覚において局所的かつ詳細な内容の処理はできるが,全体として情報の統合が難しいとする中枢性統合の弱さ仮説(Happé & Frith, 2006)が提唱されている。このような自閉スペクトラム症の知覚における特徴は,ベイズ推論モデルで扱うことができると考えられる。そのため,これまで自閉スペクトラム症に関するベイズ推論モデルが複数提唱されてきている(Haker, Schneebeli, & Stephan, 2016; Palmer, Lawson, & Hohwy, 2017)。自閉スペクトラム症において感覚入力が優位になっているのは,事前の信念の分布が極端に平坦なためであるとするシンプルなべイズ推論モデル(Pellicano & Burr, 2012)から,予測符号化に基づいた高次ユニットからの予測の精度の問題と考える階層ベイズ推論モデル(Lawson, Rees, & Friston, 2014)まで提案されている。自閉スペクトラム症において問題となる社会的相互作用やコミュニケーション場面では,無関連な情報も多く飛び交い,さらに複数の人がかかわる動的なプロセスの結果生じた情報も多い。また,同じ人の同じ発言であっても,その場に他に誰がいるか,どういう文脈かによって意味が異なってくる。社会的相互作用やコミュニケーション場面は,複雑な入れ子状になった階層的な構造をもっているといえる。そのため,そのような環境を表現するためにも,階層化された生成モデルを用いる必要があり,階層ベイズモデルが有用と考えられる。階層ベイズモデルを用いた問題理解においては,統合失調症と同じく,予測,予測誤差,精度の3つの観点から検討を行う。
ベイズ推論モデルにおいては,私たちは生成モデルをもとに予測・行動し,環境と相互作用すると考える。図13.5に示すように,私達が日々経験する社会刺激や対人相互作用場面は,無関連でランダムな情報を含んだ刺激や階層性をもった複雑な動的プロセスから生成された刺激を含んでいる。このような状況に対して,私達は,階層性をもった内的モデルを用意して,複雑かつ無関連な刺激を含んだ中から,意味のある情報に注意を向けたり,適切に予測を行う。しかし,自閉スペクトラム症では,なんらかの問題により,階層性をもった内的モデルの高次のレベルが機能しなくなっていると仮定する。このように仮定すると,自閉スペクトラム症のいくつかの特徴について階層ベイズモデルから説明をすることができる。
まず,自閉スペクトラム症における知覚の中枢性統合の弱さは,事前の予測の精度よりも感覚入力の精度が高いために,生成モデルの更新がなされないためと考えられる(Haker et al., 2016)。自閉スペクトラム症では,高次な内的モデルの機能が低下しており,抽象的な表象が確立できておらず,トップダウン的に意味のある情報に注意を向けることができない。また,感覚入力の精度が高いので,絶えず,無情報な予測誤差が生じており,それに対する過学習が起こる。そのため,適切に生成モデルの更新ができない。その結果として,さらにトップダウン的な処理が難しくなり,悪循環に陥ることになる。このため,感覚の予測に対しても,絶えず予測された感覚と経験される感覚の予測誤差が生じており,自閉スペクトラム症の者はストレスを感じている。このことは,自閉スペクトラム症の感覚過敏を説明する。さらに,社会的相互作用場面は非常に予測が難しく,動的かつあいまいな状況になるので,自閉スペクトラム症の者は,社会的相互作用場面でも予測誤差が多く生じてしまい,ストレスを感じることになると考えられる(Haker et al., 2016)。絶えず予測誤差のストレスにさらされるので,予測できない環境を回避し,予測誤差が生じることの少ない常同行動が行われるのではないかと考えられる(Haker et al., 2016)。このように,ベイズ推論モデルは,自閉スペクトラム症について,新たな視点や仮説を提供するものである。

注:(i) 引用中の「図13.5」の引用は省略します。代わりに論文(全文)「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」の Figure 4 を参照すると良いかもしれません。 (ii) 引用中の「Happé & Frith, 2006」は次の論文です。 「The weak coherence account: detail-focused cognitive style in autism spectrum disorders.」 ちなみに、同じ著者のより最新の論文については次を参照して下さい。 「Annual Research Review: Looking back to look forward - changes in the concept of autism and implications for future research.」 (iii) 引用中の「Haker, Schneebeli, & Stephan, 2016」、「Haker et al., 2016」は共に次の論文です。 「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(上記 (i) 項及びここも参照) (iv) 引用中の「Palmer, Lawson, & Hohwy, 2017」は次の論文です。 「Bayesian approaches to autism: Towards volatility, action, and behavior.」 (v) 引用中の「Pellicano & Burr, 2012」は次の論文です。 「When the world becomes 'too real': a Bayesian explanation of autistic perception.」 (vi) 引用中の「Lawson, Rees, & Friston, 2014」は次の論文です。 「An aberrant precision account of autism.」 (vii) 引用中の「予測」に関連する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 (viii) 引用中の「事前の信念」について「ホロウマスク錯視」を含めて、内海健清水光恵、鈴木國文編の本、「発達障害の精神病理Ⅱ」(2020年発行)の 第Ⅱ部 記憶・認知 の 第6章 脳の計算理論に基づく発達障害の病態理解 の Ⅱ. 予測符号化 の「2. ベイズ推論としての知覚」における記述の一部(P133~P134)を次に引用(『 』内)します。 『事前の信念(予測)の影響の極端な例としては,ホロウマスク錯視(凹面に彫られた顔が凸面として認識されるような錯視)がある。「顔は凸面である」などの,対象に対する我々の信念(予測)に依存する現象と考えると直観的にも理解しやすいだろう。よく知られる錯視の多くが,このベイズ推論における事前の信念に依存すると理解できる。』(注:[a] この引用部の著者は山下祐一です。 [b] 引用中の「ホロウマスク錯視」(hollow mask illusion)については例えば、 1) 次の論文(全文)参照して下さい。 「Knowledge in perception and illusion」の Figure 1.[ちなみに、PubMed 要旨はここを参照] 2) 次のWEBページを参照して下さい。 「錯視・錯覚のオーバービュー」の「ホロウマスク錯視」項。なお、このWEBページ中には様々な錯視・錯覚が紹介されています。) (ix) 引用中の「自閉スペクトラム症の知覚における特徴は,ベイズ推論モデルで扱うことができると考えられる」ことに関連する、 1) (ASDにおける)「内部モデルによる予測と感覚の特異性」については次の資料を参照して下さい。 「適応機能としての自閉症スペクトラム障害の注意と感覚処理特性」の「3.2 内部モデルによる予測と感覚の特異性」項 2) 「Aberrant precision 仮説」について、同章(上記 (viii) 項を参照)の Ⅲ. 予測符号化の失調としてのASD の「1. Aberrant precision 仮説」における記述(P135~P136)を次に引用します。

前節において,感覚と予測の精度が 予測符号化における予測誤差最小化プロセスにおいて重要な役割を担っていることを指摘した。近年,予測符号化プロセスにおける“精度”の変調が,ASD の症状形成に,重要な役割を果たしているとする仮説が複数提案されている6-9)。例えば,ASD の知覚がボトムアップ的な感覚優位になっているのは,予測の精度が低いためであるとする仮説(hypo-prior 仮説)がある6)。図3Bのように予測の精度が低い(事前分布が極端に平坦)場合,式 [1] に基づいて計算される感覚入力との統合の結果生じる知覚(事後分布)は,感覚に強く依拠したものになる。この仮説は,自閉スペクトラム症において錯覚が生じにくいこと28),物体の影の情報を利用した形態の認知など事前の経験に基づく情報の利用が不得手であること29),などを説明する。
一方で,同様の観察は一次的な変化として感覚入力の精度が高い,と仮定しても説明できるとする議論もある(hyper-precision 仮説9))。図3Cのように,感覚の精度が極端に高い(分布が尖っている)と,予測の分布に変化がなくても,知覚(事後分布)は感覚に強く依拠したものになりうると考えることができる。しかし,どちらが一次的かというよりも,式 [2] に示されているように,ベイズ推論モデルにおいて予測誤差を重みづけるのは,予測と感覚の精度の比(バランス)であるとも理解できる8)ため,その症状の成り立ちには複数の経路があると考えることもできるだろう。
また,ベイズ推論としての知覚・認知プロセスは,繰り返されることで内部モデルが更新(学習)されることも考慮に入れる必用がある。hypo-prior あるいは hyper-precision いずれの状態でも,常に感覚の微細な差異に基づいた予測誤差の更新が行われるために,不適切な情報(いわばノイズ)に基づく過学習が生じ,類似の経験を汎化してトップダウン的な予測としてまとめ上げるような学習が成立しにくくなると解釈できる。結果として,適切なトップダウン的な注意の切り替えなどが難しくなると説明される7)。

注:i) この引用部の著者は山下祐一です。 ii) 引用中の文献番号「6)」は次の論文です。 「When the world becomes 'too real': a Bayesian explanation of autistic perception.」、 iii) 引用中の文献番号「7)」は次の論文です。 「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(ここの iii) 項も参照) iv) 引用中の文献番号「8)」は次の論文です。 「An Aberrant Precision Account of Autism」 v) 引用中の文献番号「9)」は次の論文です。 「Precise Minds in Uncertain Worlds: Predictive Coding in Autism」 vi) 引用中の文献番号「28)」は次の論文です。 「Studying Weak Central Coherence at Low Levels: Children With Autism Do Not Succumb to Visual Illusions. A Research Note」 vii) 引用中の文献番号「29)」は次の論文です。 「Perception of Shadows in Children With Autism Spectrum Disorders」 viii) 引用中の「式 [1]」の引用は省略します。 ix) 引用中の「式 [2]」は同章の P134~P135 より、簡単な説明を含めて形式を変更して次に二分割して引用(それぞれ『 』内)します。 『ベイズ推論においては,予測(事前分布),感覚(尤度),知覚(事後分布)が確率分布の形で表現されるが,それぞれが正規分布に従うと仮定すると,ベイズ推論の計算は以下の様に表現することができる27)。』(注:引用中の文献番号「27)」は次の論文です。 「Uncertainty in Perception and the Hierarchical Gaussian Filter」)、『知覚=予測+感覚の精度÷(予測の精度+感覚の精度)×予測誤差 [2]』 加えて、上記「ベイズ推論」と「知覚」の両者又は引用中の「ベイズ推論としての知覚」に関連するかもしれない「ベイズ的知覚観」について、「知覚は感覚入力によって更新される信念である」ことを含めて、清水光恵、鈴木國文、内海健編の本、「発達障害の精神病理Ⅲ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 の 第3章 「その他」の発達障害からみた知覚過程 の「Ⅲ. 知覚とは」における記述の一部(P53~P55)を以下に引用します。 x) 引用中の「図3B」の引用は省略しますが、代わりに論文[全文]「Can Bayesian Theories of Autism Spectrum Disorder Help Improve Clinical Practice?」(ここの iii) 項も参照)における Figure 2 の B を参照して下さい。 xi) 引用中の「図3C」の引用は省略しますが、代わりに同 Figure 2 の C を参照して下さい。 xii) 引用中の「予測符号化」に相当する「予測的符号化」については次の資料を参照して下さい。 「予測的符号化・内受容感覚・感情」 xiii) 引用中の「ボトムアップ的」、「トップダウン的」に関連する「トップダウン処理」「ボトムアップ処理」については共にここを参照して下さい。

生物が感覚を通して外界の情報を集め,解釈し,理解するプロセスが知覚と呼ばれる。ヒトは常に大量の感覚情報にさらされている。そして感覚情報は対象物の情報として完全なものではなく,ノイズに満ち,曖昧である。われわれの知覚内容は,われわれ自身の実感としては充分に客観的なもの,疑いようのないものと感じられるものである。しかし,例えば人間が視覚を通して処理できる可視光の帯域は,自然界の電磁スペクトルからみたらほんの一部である。われわれは,その時々の限られた感覚情報と,経験に基づいてそれぞれの脳が作り上げた内部モデルをもとに世界を解釈する。錯視(描かれたものとは違うものを見てしまう現象)を例にとって考えれば明らかなように,物理的実在と知覚像は乖離する。知覚されるのは実在そのものではない。感覚情報の制約下で,脳内で構成されたものなのである。つまり知覚とは,かなりの程度内発的に,能動的に生み出されるものなのである。感覚情報を理解,解釈するためには推論が必要であり,知覚に際し,脳は無意識のうちに推論を行っているという考え方がある9)。
現代のベイズ的知覚観は,「知覚は感覚入力によって更新される信念である」という立場をとる10)。そして最近では,知覚には「予測」が重要な役割を占めると考えられるようになってきている。脳は予測装置(predictive machine)であるといわれることもある11)。脳は内部モデルに基づいて環境における刺激を絶えず予測して,計算された予測(トップダウン)と,感覚信号(ボトムアップ)を比較し,両者の差分(予測誤差)に基づいて知覚を能動的に創発しているとされ,こうした脳の働きを予測符号化(predictive coding)または予測情報処理(predictive processing)と呼ぶ12)。予測情報処理においては,情報が予測されるのみならず,予測誤差を用いて学習が生じ,内部モデルが絶えず更新され,次の知覚に生かされるという点が重要である(「今日の予測誤差は明日の予測になる」13)。生体は絶えず何かしら新しい環境に置かれているので,知覚のたびごとに予測誤差は生じる。情報量の多い環境においては,学習による内部モデルの更新のために予測誤差は重視されるべきである。しかしノイズの多い環境においては,予測誤差はある程度割り引いて受け取られるべきである。予測情報処理理論においては,予測誤差をどれだけ学習に反映させるかの精度の設定には個体差があるとされ,ASDでは予測誤差の精度の設定に偏りがあり,精度が高すぎると考えられている14)。予測誤差の精度が高すぎると,絶えず予測誤差によって内部モデルを更新するために,いつまでたっても学習が終わらない状態になる。その結果,一つ一つの事象の細かい差異にとらわれ,一般化,範疇化が生じにくい状態になる。また,知覚のみならず,コミュニケーション,社会性,そして想像力の問題という,自閉症診断のいわゆる3つ組と呼ばれる要素に至るまで,幅広い影響を及ぼすというのが,予測情報処理理論によるASDの発症機序の説明である15)。同じものをみていても,知覚のされ方は一人ひとり異なる。それぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて構築している世界のことを,ユクスキュルはUmwelt(「環世界」と訳される)と呼んだ16)。われわれは,それぞれ持ち前の脳機能と経験に応じた環世界を生きているといえる。ASD当事者の環世界と定型発達者の環世界とは大きく異なるものだろう。住んでいる世界が違うといってもいいのではないか。世の人がこのことを知れば,発達障害の当事者に対する風当たりが少しは弱まるのではないか。発達障害を持つ人において,相貌認知の問題や道順の問題が合併することが多いことはよく知られている。これらも知覚の問題である。(後略)

注:i) この引用部の著者は丹治和世です。 ii) 引用中の文献番号「9)」は次の本です。 「Helmholtz, H. von. : Treatise on Physiological Optics, Vol.3. Dover Publications, New York, 1962」 iii) 引用中の文献番号「10)」は次の資料を参照すると良いようです。 「解説-神谷之康 ASCONE2006 講義 ベイズで読み解く知覚世界」 iv) 引用中の文献番号「11)」は次の論文です。 「Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science」 v) 引用中の文献番号「12)」は次の論文です。 「Predictive coding in the visual cortex: a functional interpretation of some extra-classical receptive-field effects」 vi) 引用中の文献番号「13)」は次の論文です。 「Precise minds in uncertain worlds: predictive coding in autism」 vii) 引用中の文献番号「14)」は次の論文です。 「Weak priors versus overfitting of predictions in autism: Reply to Pellicano and Burr (TICS, 2012)」 viii) 引用中の文献番号「15)」は次の論文です。 「Autism as a disorder of prediction」 加えて、資料「成人発達障害のコミュニケーション障害」の「ASD の発症機序」項も参照すると良いかもしれません。 ix) 引用中の文献番号「16)」は次の本です。 「ユクスキュル,J. v. & クリサート,G.:生物から見た世界.岩波書店,東京,2005.」 x) 引用中の「予測」、「predictive coding」(予測符号化又は予測的符号化)や「predictive processing」(予測情報処理又は予測的処理)については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 xi) 引用中の「推論」に関連する「能動的推論」については例えば次のWEBページや資料を参照して下さい。 「自由エネルギー原理 - 脳科学辞典」、「自由エネルギー原理 -環境との相即不離の主観理論-」 xii) 引用中の「一般化,範疇化」に類似するかもしれない「般化や範疇化(カテゴリー化)」について、清水光恵、鈴木國文、内海健編の本、「発達障害の精神病理Ⅲ」(2021年発行)の 第Ⅰ部 の 第3章 「その他」の発達障害からみた知覚過程 の「Ⅱ. 発達障害の認知機能-ASDを中心に」における記述の一部(P52)を次に引用(『 』内)します。 『一方,Plaistedは,様々な事象の間に類似性を見出すことができないことがASDの認知機能における中心的な問題と考えた6)。複数の事物の間の共通点が認識されにくく,かつそれぞれに特異的な点が認識されやすいことから,物事の類似性を見いだせず,事物をまとめあげること,つまり般化や範疇化(カテゴリー化)が容易にできないことや,範疇化が独特な様式で形成されることがASDの諸症状の原因になると考えた6)。』(注:引用中の文献番号「6)」は次の文書です。 「Plaisted, K.C. : Reduced generalization in autism: An alternative to weak central coherence. In : (eds.), Burack, J.A., Charman, T., Yirmiya, N. et al. The Development of Autism: Perspectives from Theory and Research, Lawrence Erlbaum Associates, Inc, Publishers., p.149-169, 2001.」) xiii) 引用中の「錯視(描かれたものとは違うものを見てしまう現象)」の一種である「ホロウマスク錯視」についてはここの (viii) 項を、「チェッカーシャドウイリュージョン」については資料「2. トップダウン障害仮説と統合失調症」の「図 2 チェッカーシャドウイリュージョン」(P149)を、そして「太陽のように上方に光源があると仮定すると、ふくらんだ物体であれば下に影ができる、この仮説にもとづき、脳は瞬時に推論を行って、凹凸感を決めている」ことについては pdfファイル『「こころ」のサイエンス -心理学が解き明かす心のしくみ-』中の佐藤隆夫著の文書「心理学ってなんだろう?」の「2)私たちの見方・伝え方-中世の絵から考える」項、そして「図5.陰影に基づく形状の無意識的推論」(P7)を それぞれ参照して下さい。加えて、上記「錯視」や「リュージョン」以外の様々な錯視については次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「北岡明佳の錯視のページ」、「杉原 厚吉」 加えて拙訳はありませんが、上記「錯視」(Optical Illusion)に関連する次の論文(全文)やWEBページもあります。 「Interoception: The Secret Ingredient」の Figure 1、「B or 13: Context Optical Illusion」(注:[下記「図6・2のよく知られた錯視」としての]この錯視に対する静止画像について、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第6章 脳はどのように情動を作るのか」の図 6.2 における記述の一部(P107)を次に引用(『 』内)します。 『図 6.2 コントロールネットワークは、候補となる分類方法(このケースでは「B」か「13」か)のどれを選択すべきかをめぐる脳の決定を支援する。』[注:引用中の「コントロールネットワーク」〔Control network〕については拙訳ありませんが次のWEBページを参照して下さい。 「Control network」]) なお、「ASD者の錯視の起こりにくさについて」についての note は次を参照して下さい。 「ASD者の錯視の起こりにくさについて」(注:同 note 中の「4つの三角形の謎」についての引用ツイートがあります) また、上記「錯視」に関連するかもしれない「経験盲」(experiential blindness)については拙訳はありませんが次の論文(全文)やWEBページを参照して下さい。 「Categories and Their Role in the Science of Emotion」の Figure 1、「How Emotions Are Made: The Theory of Constructed Emotion」の「Experiential blindness」項、「Neuroscience Of Strange And Beautiful Experiences」 加えて、上記「錯視」と「予測符号化」との関連については次のエントリを参照して下さい。 「Frontiers in Psychology誌に論文を発表しました」 その上に、上記「錯視」や「経験盲」に関連する「事前知識によって知覚が変わる」ことについては次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の「図2 事前知識によって知覚が変わる例」(P298) ちなみに、これら以外の錯角の例については次の資料を参照すると良いかもしれません。 「脳のつじつま合わせと錯覚

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:又は感覚のアンバランス

*2:注:上記「ADHD」については他の拙エントリを参照して下さい

*3:「社会的(語用論的)コミュニケーション症」は、「ソーシャルコミュニケ―ション障害」の最新名です

*4:社会的(語用論的)コミュニケーション症のみならず自閉スペクトラム症の関連キーワードでもあります

*5:加えて他の拙エントリのここも参照して下さい

*6:加えて、岩波明医師、田中康雄医師に関連した本エントリ内リンク集は共に他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、宮尾益知医師における他の拙エントリのリンク集は以下を参照して下さい。

*7:なお、ADHDに関連する杉山登志郎医師についてのリンクは他の拙エントリのここここを、加えて複雑性PTSD等における杉山登志郎医師についてのリンク集は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい

*8:(3)項は本田秀夫医師に関連したリンク集でもあります

*9:加えて、本田秀夫医師のコラムとしてのWEBページは次を参照して下さい。 『子どもの健康を考える「子なび」

*10:さらに詳細には、ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ、 ここ 及び ここを参照

*11:なお、ADHDに関連する内海健医師についてのリンクは他の拙エントリのここここここここここ及びここをそれぞれ参照して下さい

*12:加えて、自閉症男子の誤学習による悲劇例を示すツイートや、発達障害の逸脱行動や非行における誤学習の説明を含む資料「基調講演2 学童期~思春期に現れる教育的・社会的困難への支援 ―心理学の立場から―」[特に P43]もあります。

*13:これに関連するかもしれない「『正論』を言って打ち負かそうとしてしまう」を含みます

*14:「主観的な世界から全く脱却できない」を含みます

*15:「人にだまされ、性的な被害にあう」を含みます

*16:追加のキーワード:「常識がない」「気が利かない」「協調性がない」「チームワークがとれない」「感覚(思考)がずれている」「どこかおかしい」「理解できない」

*17:認知様式としてはトップダウン処理とボトムアップ処理があります。両者についてはここも参照すると良いかもしれません

*18:多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」を含む

*19:「心気症患者のように見えてしまう」ことを含む

*20:これに関連する論文例はここを参照して下さい

*21:これに関する注意点の例はツイートを参照して下さい

*22:又は発達性トラウマ症候群(発達性トラウマ障害)

*23:ちなみに、化学物質不耐症における情動調節はここ を参照して下さい。

*24:本エントリでは、主に大人の自閉スペクトラム症アスペルガータイプ(アスペルガー症候群)を念頭において作成されています。加えて、WEBページ『「発達障害は親のせい」はデマ。発達障害の診断は、これからを考えるためのステップ』で示されているように、「これからを考えるための重要なステップ」として、「発達障害の診断」があることに本エントリ作者は賛成します。ちなみに、星野仁彦著の本、「なんだかうまくいかないのは女性の発達障害かもしれません」(2015年発行)の「アスペルガー症候群(AS)」(P74~P75)において、次に引用する(『 』内)アスペルガー症候群の症状が示されています。 『①社会性の問題 ②コミュニケーションの問題 ③想像力の欠如(こだわり傾向)の問題 ④感覚過敏・過鈍性の問題 ⑤協調運動の不器用さの問題』 このうち、①~③はウィングの「三つ組み」(リンク集参照)に相当します。一方、 a) 「自閉症の基礎理解」についての動画は YouTube日本自閉症協会」を、 b) 大人のADHDについては他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。

*25:従って、嗅覚過敏(他の拙エントリの「※2」参照)とはあまり関係しないADHDの優先度は本エントリでは低くなっています。なお、ADHDについては他の拙エントリを参照して下さい。

*26:このエントリを読むと、ひょっとしてADHDスペクトラム(連続体)なのかもしれないと本エントリ作者は思いました。ちなみに、ASDのスペクトラム(連続体)については、例えば次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ」の「2. ASD の臨床」項

*27:ちなみに、DSM-5に関するWEBページの例は次に示します。「DSM-5と精神医学的診察についての私見

*28:ちなみに、[ご参考1]はASDのアスペルガータイプ、[ご参考2]及び[ご参考3]はMCS又はシックハウス症候群に関する記述です

*29:上記両WEBページにおいては、慣れ(馴化、habituation)、ADHD及び学習障害(LD)についての内容も含みます。ちなみに、 i) 化学物質不耐症において感作と馴化を対比させた論文については、他の拙エントリのここを、 ii) 聴覚過敏及び/又は雑音過敏等については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

*30:カップリングには、分離や不連動との意味があるようです

*31:これら以外にも「並列処理の困難」、「スケジューリングが苦手」等の項目があります。

*32:参考として、[a]米田衆介著の本、「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える」においては、さまざまな症状とそれが生じる理由の項目として、 ①話を適切に要約できない ②他人の「曖昧な」指示を理解できない ③なぜか相手を怒らせてしまう ④相手に合わせることができない ⑤可愛げがない ⑥ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない が挙げられています。ちなみに、上記「⑥ミスや失敗が何を引き起こすかわかっていない」は、ここにその内容を引用しています。加えて、[b]備瀬哲弘著の本、「大人のアスペルガー症候群が楽になる本」においては、アスペルガー症候群の当事者が取り組むべき共生のためのポイントの項目として、①他者からの「理解と配慮」が必要かを検討する ②自己診断に固執しない ③受診動機を整理する ④他人の視線で自分についてモニターする ⑤苦手な面は目標設定を下げる ⑥立場によって「理解と配慮」は異なる ⑦怒りをコントロールする が挙げられています。ちなみに、上記「⑦怒りをコントロールする」は、ここにその内容を引用しています。さらに、[c]杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」においては、大人の発達障害の特徴の項目として、 ①二つのことが一度にできない ②予定の変更ができない ③スケジュール管理ができない ④整理整頓ができない ⑤興味の偏りが著しい ⑥細かなことに著しくこだわる ⑦人の気持ちが読めない ⑧過敏性をめぐる諸々の問題 ⑨特定の精神科的疾患の注意[引用者の注:うつ病が多い] ⑩クレーマーになる が挙げられています。ちなみに、上記「①二つのことが一度にできない」、「②予定の変更ができない」、「⑤興味の偏りが著しい」、「⑥細かなことに著しくこだわる」及び「⑩クレーマーになる」は、それぞれここここここここ及びここにその内容又は内容の一部を引用しています。

*33:精神疾患の例:境界性パーソナリティ障害統合失調症(これらは引用及び疾患の説明としての他の拙エントリのリンク集[用語:「境界性パーソナリティ障害」又は「統合失調症」]をそれぞれ参照)、解離性障害・複雑性PTSD(これらは共に他の拙エントリのリンク集[用語:「解離(解離性障害)」又は「複雑性PTSD」]参照)、PTSD(他の拙エントリのリンク集[用語:「PTSD」]参照)、パニック症の残遺症状(他の拙エントリのリンク集[用語:「パニック障害の残遺症状」]参照)、「仮面うつ病」(WEBページ「プライマリケア医への助言:うつ病診療のコツ」参照)

*34:注:タイムスリップ現象はフラッシュバックと酷似した現象のようです

*35:一方、本の「第1章 女性はなにより人間関係に悩む」における「よくある悩み」の見出しは、引用した『「ガールズトーク」についていけない』(P14)の他に、『友達に嫌われても、理由がわからない』(P16)、『「女の子らしくしなさい」と叱られる』(P18)、『急に感情がダウンするときがある』(P20)、『人にだまされ、性的な被害にあう』(P22)((これに加えて引用はしませんが、司馬理英子著の本、「よくわかる女性のアスペルガー症候群」(2019年発行) の Part1 私ってもしかしたら、アスペルガー症候群? において「STORY4 男にだまされるD子」の項目(P16~P17)があります。

*36:語用論については、a) 次のWEBページを参照して下さい。 「語用論 - 脳科学辞典」 b) 加えて、金沢大学子どものこころの発達研究センター監修、竹内慶至編の本、「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」(2013年発行)の 第1章 自閉症は治るか――精神医学からのアプローチ(著者:棟居俊夫) の「落語と自閉症」における記述(P33)から次に引用します(『 』内)。『語用論は、ことばと状況文脈の関連づけ、ことばに込められた話し手の意図、それに会話者同士の協力といった現象を取り扱う。』 c) さらに、「語用論」が苦手であれば、はっきり言わなければわからないことについては、引用はしませんが、宮尾益知、滝口のぞみ著の本、「部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本」(2017年発行)の 第5章 ASDの部下は叱られることが大嫌い の『「語用論」が苦手ではっきり言わなければわからない』項(P103~P106)において説明があります

*37:この本の13章の境界性パーソナリティ障害の鑑別においては、女性例に特化しているようです。その他の部分でも、上記女性の著者を含む本を引用する等、女性例を重視しているようです。

*38:注:この本の著者は男性医師です。一方、以下の引用で示す内容は、この13章のタイトルにもあるように、境界性パーソンリティ障害(BPD)的な様態に見えるかもしれません。

*39:自分にできると思ったことはきちんとやるけれど、できないと思ったことは無理しない。こういう判断をする力を含みます

*40:『様々な事項に関して「○○でなければならない」という思いが強くなり、適応的でない行動につながる』(ここを参照)こと、『いわば「やりたいこと」を「やるべきこと」化する』(ここここを参照)こと、「生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多い」(ここここを参照)こと及び「とくに最初の記憶が強く印象に残り、次の経験として応用されない」(ここを参照)ことを含みます。

*41:ちなみに、この本の裏表紙に記載されている「人間関係の暗黙のルール」の項目は次の通りです。 1 ルールは絶対でない。状況と人によりけりである。 2 大きな目でみれば、すべてのことが等しく重要なわけではない。 3 人は誰でも間違いを犯す。一度の失敗ですべてが台無しになるわけではない。 4 正直と社交辞令を使い分ける。 5 礼儀正しさはどんな場面にも通用する。 6 やさしくしてくれる人がみな友人とはかぎらない。 7 人は、公の場と私的な場とでは違う行動をとる。 8 何が人の気分を害するかをわきまえる。 9 「とけ込む」とは、おおよそとけ込んでいるように見えること。 10 自分の行動には責任をとらなければならない。

シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について

目次

           *1        
              

① 発達精神病理学の力 ―― 予防のための科学
② こころの発達とトラウマ・トラウマ処理 [注:トラウマ処理法として主にEMDRとホログラフィ・トークを紹介しています]
③ ASDとトラウマ ―― ASD青年へのEMDR

    

解離性障害とよく似た症状がある病気を含む様々な精神疾患におけるリンク

以下は、用語のリンク集群です。リンク先は本エントリのみならず他の拙エントリも含みます。

本エントリで使用する主な用語又は文章の本エントリ内リンク
複雑性PTSD(ここここここ及びここ)  解離(解離性障害、解離症)(ここここここここここ及びここここ)  身体化(身体症状)(ここ及びここ*5
フラッシュバック(ここここここ及びここ)  タイムスリップ現象 *6  トラウマ(ここここここ及びここ *7)  闘争-逃走反応(ここここここここここここ及びここ*8
杉山登志郎医師(ここここここここここここここここここここここここここ及びここ*9
べッセル・ヴァン・デア・コーク医師(ここここここここここここここここここここここ及びここ*10
条件付け(ここここ及びここ*11 レスポンデント学習、オペラント学習  ポリヴェーガル理論 *12  (認知療法における)スキーマ、信念、方略 
とらわれ(ここここ及びここの『「とらわれ」というワナ』を参照)  視野狭窄ここの『「とらわれ」というワナ』を参照)  リラクセーション(ここ及びここ
化学物質過敏症の診断法  IEI(本態性環境不耐症)  心理的負荷、心理社会的ストレス(ここ及びここ)  不定愁訴 *13
記憶の断裂  解離性幻覚  月経による気分変動に振り回される  (複雑性PTSD等における)慢性疼痛(ここここここ
時間感覚がずれる  テレパシーで相手に伝わっていると思い込む  生理的症状と心理的症状の相互混乱(ここ及びここ)  非現実的な救済願望
内受容感覚(ここここ及びここここ*14  失感情症(アレキシサイミア)  ストレス応答(HPA系、SAM系)
マインドフルネス関連:注意(ここの「(1)注意」項を参照)  感情制御(ここの「(2)感情制御」項を参照)[続く]
[続き]心頭を滅却すれば火もまた涼し(ここの「心頭を滅却すれば火もまた涼し――身体と意識」項を参照)[続く]
[続き]心身医学とマインドフルネスの関係  交感神経活動の抑制  最強のコーピング  自分が選択できる
境界例のイメージと具体例  境界例治療事例  擬態うつ病としての境界性パーソナリティ障害  境界性パーソナリティ障害の治療の問題点 *15
パーソナリティ障害の基本症状 *16  ストレス応答  自己愛的怒り  パーソナリティ障害の治療優先度
情動コントロールの問題  枠組みのない状況が苦手  妄想・分裂ポジション  躁的防衛(ここ及びここ
感情調節不全(ここ及びここ)  注意制御  絆の病  社会脳  トラウマと愛着の問題の併存(ここここ
アタッチメント(愛着)理論や愛着障害における不安定型(愛着)(ここここここここここ及びここ)  反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)、脱抑制型対人交流障害(ここ及びここ
アタッチメントと関連する大人の精神疾患や症状等の例*17不安障害、境界性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、双極性障害、PTSD  解離症状、うつ症状
アダルト・アタッチメント・インタビュー(ここ及びここを参照)における安定自律型、アタッチメント軽視型、とらわれ型、未解決型
統合失調症ここ参照)における陽性症状、 幻聴(ここ及びここ)、 (被害)妄想(ここ及びここ)、 支離滅裂、 陰性症状、 無治療(ここここ及びここ
マインドフルネス認知療法ここ及びここ)  アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ここここここ及びここ)  森田療法ここここ及びここ*18  弁証法的行動療法
アクセプタンス&コミットメント・ セラピー(ACT)における 体験の回避(ここここ及びここ*19  認知的フュージョンここここここ及びここ)[続く]
[続き]アクセプタンス(ここ及びここ)  脱フュージョンここここここ及びここ)  価値  観察する(観察者としての)自己(ここここここ及びここ*20[続く]
[続き]プロセスとしての自己(ここ及びここ)  言葉の世界全体から距離を取る  ACTモデル(ここ及びここ
慢性疼痛の治療関連(ここ及びここ)  破局的思考 *21   慢性疼痛と愛着スタイル
平静の祈り(ここ及びここ)  マインドワンダリング

一部は本エントリとの関連が少ない傾向にあるが、解離(解離性障害、解離症)とよく似た症状がある病気、その他の病気の本エントリ内リンク
統合失調症  うつ病  双極性障害  境界性パーソナリティ障害
摂食障害  PTSD *22  不安障害(不安症)  パニック障害
強迫性障害(強迫症)、社交不安障害 *23  物質依存(薬物など)

他の拙エントリにおける病気又はその他の主要な用語のリンク
ただし、拙エントリ「自閉スペクトラム症における身体症状、その他」における自閉スペクトラム症、又は「ADHDについて、その他」におけるADHDに関連する多数の用語・文章を除きます。これらの用語・文章は、前者の拙エントリのリンク集の(2)(3)(4)(5)(6)(7)、そして、後者の拙エントリのリンク集の(2)(3)に それぞれリンクされています。

発達凸凹  感覚過敏と鈍麻(ここ及びここ)  嗅覚の過敏(ここここ及びここ
発達性協調運動障害  (発達障害の)二次障害  ソーシャルコミュニケ―ション障害又は社会的(語用論的)コミュニケーション症 *24
予期不安  妄想性障害  条件付けへの対処  転換性障害[変換症](ここ及びここ
化学物質過敏症又はシックハウス症候群における不定愁訴ここ及びここ)  化学物質過敏症等の診断時における鑑別  (化学物質過敏症)診断のゴールド・スタンダード
新型うつ病  精神疾患の誤診  転換性障害と解離性障害の関係例  心因性非てんかん発作
パニック症における非定型うつ病、 残遺症状、 不安抑うつ発作及びアンガーアタック
発達障害における「時間単位の気分変動」(ここ及びここ)  境界性パーソナリティ障害における「数時間単位の気分変動」
メンタライジング・アプローチの視点からの情動、 投影同一視、 心的等価モード、 ふりをするモード、 知性化、 目的論的モード
精神交互作用  嗅覚嫌悪条件づけ(ここここ及びここ)  不潔恐怖・洗浄強迫  馴化(消去学習を含む)*25ここここここここ及びここ
強迫性障害強迫症)関連:強迫性障害における分類  誰にも汚されたくない聖域を作り、必死に守ろうとする *26
井原裕医師(ここここのリンク先及びここ*27  行動活性化療法  スキーマ療法  辺縁系セラピー
自律神経失調症  お膳立て *28  睡眠時間が極端に短かったり乱れている(複雑性PTSD)  二次障害的新型うつと自閉症スペクトラム(ASD)の関係
香気物質  カビ臭  メディカル・アロマセラピー、精油の成分  プルースト現象
嗅覚の学習記憶  臭い想起記憶  PTSDと臭気との関連  ルール支配行動
固有受容感覚  内受容感覚の弁別  身体感覚増幅(ここここここここ及びここ
エコーチェンバー  信念体系  確証バイアス(ここ及びここここここここ

拙エントリ「発達障害における身体症状、その他」における上記以外の用語又は文章のリンク
≪余談2≫知的テーマの追求  ≪余談3≫少数派  パニックの謎

他のWEBページへのリンク
≪お役立ち情報≫
依存症・アディクション  うつ  虐待・DV  性暴力被害  統合失調症  発達障害

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はじめに

本エントリ非公開試作版作成の契機になったのは、次項のツイートを拝見したことです。ネット又はリアルにおける様々なことをきっかけ*29に文章を追記・改訂していくうちに公開され、さらに、その後の追記・改訂等により非常に長文化しました。

ちなみに、 a) 拙ブログにおいては、本エントリをはじめとした非常に長文化したエントリには、目次及び/又はリンク集を付けています。一方、本エントリには診断基準「DSM:アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」の第4版(DSM-Ⅳ)と第5版(DSM-5)*30に関連した記述があります。加えて、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11、参照)に関連した記述もあります。後者では、複雑性PTSD(リンク集参照)が登録(参照)されています。 b) 本エントリには用語「ストレス」がしばしば記述されています。この用語については、例えば次のWEBページを参照すると良いかもしれません。「ストレス - 脳科学辞典」、「ストレスマネジメントとは」、「ストレス軽減ノウハウ」、「心のケアの基本」、「ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~」 c) 本エントリにおける「regulation」の訳語としての「調節」に関連しては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、次の改訂履歴にもあるように、本エントリのファイルサイズ(文字数にして約 27 万文字)が大きくなりすぎ、はてなへのアップロードが不可能になったため、エントリを二つに分割しました。すなわち、新エントリ「シックハウス症候群(又はMCS) 心身医学の見地からに関する文書について - 【その他余談】 」を作成し、従来の本エントリ後半部である、【その他余談】を本エントリから、新エントリに移動しました。それに伴い、一部リンクの URL も改訂しました。ただし、本エントリ内では、この新エントリを他の拙エントリ扱いにはしません。

≪主な改訂の履歴≫
2019年10月26日:文章の追記、変更及び削除を含む大幅な改訂を行いました(また本改訂日より前の主な改訂の履歴は削除しました)。
2020年5月6日、6月23日、7月14日、2022年12月31日:文章の追記、変更及び削除等の改訂を行いました。

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ツイートの拝見

化学物質過敏症電磁波過敏症 資料bot 様の次のツイートを拝見しました。https://twitter.com/MCS_and_EHS/status/611078433976627200又はここ参照。

このツイートで紹介されている資料「シックハウス症候群 心身医学の見地から*31を読んだところ、本エントリ作者は興味を持ちましたので、以下にその内容を示します。

ちなみに、余談以降はこのツイートとは特に関係はありません。

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興味

資料の「お わ り に」項における記述の一部(P41~P42)を次に引用します。

③化学物質曝露との関連が特定できるグループを限定したとしても,条件付けによる病態を除外する方法が二重盲検法以外にはない。すなわち,ある化学物質が存在する特定の環境下で条件付けが成立した場合,同一環境下で症状が誘発されるようになる可能性があるが,二重盲検法による負荷試験では症状の誘発を見ないはずである。
したがって,今後MCSの疾患概念を明らかにし,診断基準を確定していく過程では,まず発症や憎悪に関して化学物質との因果関係が明確なサブグループのみを対象にし,二重盲検法による負荷試験を行って,診察・検査所見との照合を通してより特異性が高い診断項目を絞り込んでいくことが必要であろう。その後,化学物質との因果関係が必ずしも明確でないグループの検討を進めて行くべきだと提言できるだろう。

注:i) 引用中の「条件付け」に関しては、例えば他の拙エントリ及び次のWEBページを参照して下さい。「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」、「情動系神経回路 - 脳科学辞典」の「後天的に獲得された情動系神経回路」項 加えて、化学物質過敏症と条件付けとの関係を示す資料は次を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P29。 ii) 一方、条件付けに関連するであろうレスポンデント学習及びオペラント学習については、ここを参照して下さい。 iii) 加えて、条件付けに関連するかもしれない、以下に示す「タイムスリップ現象」や「フラッシュバック」の再体験症状も、曝露時に原因化学物質が直接的に症状を引き起こしていないとの視点から、引用中の「条件付けによる病態」に含んでも良いのではないかと本エントリ作者は考えます*32。必要に応じて、拙エントリのパニックの謎を参照して下さい。ちなみに、タイムスリップ現象及びフラッシュバックについては共にリンク集を参照して下さい。 iv) MCSとパブロフの条件付けとの関係についての論文要旨の引用例は、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

加えて、日本臨床環境医学会編の本、「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)の Ⅰ.シックハウス症候群の概念 の 4-2 心理 の「②レスポンデント学習/条件付け」項における記述(P11~P12)を次に引用します。

次は条件付けであるが,こちらは,生物学的な病因は考えられなくても,臓器の機能異常までは認められるようになる病態を指す言葉である.脳機能との結びつきでいえば,大脳皮質に加えて辺縁系視床下部などの働きの関与が想定される.
条件付けのうち身体症状を引き起こす原因になるものとしてはレスポンデント条件付けが挙げられるが,そのメカニズムは有名なパブロフの犬の実験を考えてみれば容易に理解できるだろう.パブロフの犬の実験では,「音を聞かせた直後に,肉を与えると,唾液が出る」という操作を何回か繰り返すと,「音を聞かせただけで,唾液が出る」という学習が成立する.これは身体的な反応が,生物学的な要因ではなく,学習性の要因によって習慣的に引き起こされるようになるということである.
SHSの関連でいうと,例えば特定の臭いを有する化学物質がある場所で,たまたま(風邪をひいていたり,お腹をこわしていたりなどの理由で)具合が悪くなることを何回か繰り返すと,その臭いをかいだだけで,化学物質の生物学的な作用はないのに,同じように具合が悪くなることが起こるようになる可能性がある.それでも,体調がよいときに何度か同じことがあれば,次第に慣れてきて学習は消去されるはずであるが,ここでもう1つの条件付けであるオペラント学習が関与すると消去が難しくなる.その理由は,具合が悪くなるのが嫌で,問題の臭いがする状況を徹底的に避けてしまうと,レスポンデント学習が消去される機会がなくなるからである.
SHS様の症状を呈する患者の中には,上記のような条件付けの機序によって症状を呈している者も含まれているはずであるが,われわれは狭義のSHSには含めていない.

注:(i) この引用部の執筆者は熊野宏昭です。 (ii) 引用中の「SHS」はシックハウス症候群のことです。 (iii) 引用中の「狭義のSHS」については、他の拙エントリの(6)項を参照して下さい。 (iv) 引用中の「条件付け」に関連して、化学物質過敏症と条件付けとの関係を示す資料は次を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P29。 (v) 引用中の「レスポンデント条件付け」及び/又は「オペラント学習」に関しては、次のWEBページ、資料、YouTube を参照すると良いかもしれません。 「行動分析学との遭遇(3)」、「行動分析学との遭遇(5)」、「レスポンデント学習と行動療法」、「レスポンデント条件付け、古典的条件付け[心理]パブロフの犬の心理学」、「オペラント学習と行動療法」 加えて、上記「レスポンデント条件付け」に関連するかもしれない「脳が誤作動するような形で作用している」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「こんな見た目の母親で申し訳ないなと思う」化学物質過敏症で外出時はガスマスク…「大人はしっかりモノを選んで」』の『■「つまり地球環境問題まで広げて考えていかなといけない、という話にもなる」』項 (vi) 一方、臭いと条件付けに関連する「嗅覚嫌悪条件づけ」については、他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。 (vii) 引用中の「学習の消去」に関連する「恐怖記憶消去」について、PTSD の病態は、しばしば「恐怖条件づけ」のメカニズムから説明されることを考慮して、奥山眞紀子、三村將編集の本、「情動とトラウマ 制御の仕組みと治療・対応」(2017年発行)の 15 トラウマに対処する薬物療法 の「15.1 トラウマの処理障害」における記述の一部(P206)を次に引用(『 』内)します。 『恐怖条件づけ記憶が,トラウマの基礎的モデルとして,ヒト,動物実験ともに用いられている.(中略)そして、恐怖条件付け学習後に,侵害刺激と条件づけられた環境刺激を,侵害刺激を与えずに暴露し続けると,恐怖条件づけ反応が減弱するという,恐怖条件づけ消去学習パラダイム10)が,PTSD に対する曝露型行動療法の治療プロセスモデルとして多く用いられている.恐怖記憶消去は,恐怖体験そのものを消去する学習過程ではなく,恐怖体験の想起に伴う恐怖感情の消去,もしくは新たな意味づけによる恐怖体験記憶の上書き学習と考えられ,曝露型行動療法の特性を忠実に再現するモデルとして広く受け入れられている.』(注:a) この引用部の著者は栗山健一です。 b) 引用中の文献番号「10)」は次の論文です。 「The contextual brain: implications for fear conditioning, extinction and psychopathology.」 c) 引用中の「条件付け」に関連する「恐怖条件づけ」については、次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」 加えて、(トラウマにおける)「条件づけられた学習」については他の拙エントリのここを参照して下さい。その上に、(コンパッション・フォーカスト・セラピーの視点からの)「人間は脅威を制御して対処しようとしてとるさまざまな方略の多くは,児童期や思春期に形成され,成人期になる頃には条件づけの過程を通して洗練・強化されていく」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 引用中の「PTSD」についてはリンク集を参照して下さい。加えて「強い恐怖記憶により日常生活に支障を来してしまう PTSD心的外傷後ストレス障害)や不安障害の患者は、恐怖記憶を消去するための学習がうまく進まない」ことについては、pdf ファイル「RIKEN NEWS No.457」中の資料「恐怖記憶の形成と消去の仕組みを探る」の特に「タイトルより上位の記述部」[P06]を参照して下さい。 e) 引用中の「曝露型行動療法」に関連する「エクスポージャーを実施する留意点」については、次の資料を参照して下さい。 「不安障害に対する認知行動療法 ――エクスポージャー法をどのように導入するか,そのコツを探る――」〔注:「不安に対して回避行動を取らないでいると,時間とともに,不安は自然に弱くなる」ことを示す図は、資料中の図1[P423]を参照して下さい。〕) (viii) 引用中の「辺縁系」に関連する「大脳辺縁系」については、例えば次の資料を参照して下さい。「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 加えて、PTSD又は複雑性PTSDの視点より他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ix) 引用中の「レスポンデント学習が消去される」ことに関連する「過去の学習歴によって形成された症状や問題行動を消去する」ことについて、佐渡充洋、藤澤大介編著の本、「マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本 医療者のための臨床応用入門」(2018年発行)の Ⅰ章 マインドフルネスの効果の機序 の 2 マインドフルネスの効果の機序 の ①臨床的な立場から の「5 マインドフルネスの効果機序」における記述の一部(P45)を次に引用(『 』内)します。 『マインドフルネスの効果機序について,(中略)マインドフルネス瞑想の観点からは,「今この瞬間の身体感覚・思考・感情などに気づき,いつもの反応を止め,その体験を見つめ続けることによって,ピークアウトするまで待つ」という一連の行動連鎖が,過去の学習歴によって形成された症状や問題行動を消去することによって説明できることを示した。つまり,過去の経験によって身に着けた反応パターンを消去し,目の前の現実にしたがってシンプルで無駄のない行動ができるようになることが,マインドフルネスの効果機序と言えるだろう。』(注:a) この引用部の著者は熊野宏昭です。 b) 引用中の「マインドフルネス」に関連する MCS(多種化学物質過敏状態)又は IEI(突発性環境不耐症)に対する治療法候補としてのマインドフルネス認知療法についてはここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 引用中の「ピークアウト」についてはここを参照して下さい。) (x) 引用中の「視床下部」については、次のWEBページを参照して下さい。「視床下部 - 脳科学辞典」 (xi) ちなみに、 1) 条件付けに関連する、「マインド(Mind)君、ボディ(Body)君、ビハヴ(Behav)君*33」についての一連のツイートはここここここ及びここを参照して下さい。一方、ツイート中の「関係フレームづけ」についてはここを参照して下さい。 2) MCSとパブロフの条件付けとの関係についての論文要旨の引用例は、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 3) 恐怖条件付けと消去学習における記憶再固定化に関連する資料例を次に紹介します。 「記憶再固定化進行中の行動的介入による恐怖記憶のアップデート」 4) 仏教思想の視点からの魚のソースにおける条件付けについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。 5) 『「他者からの情報」が不安の獲得の原因となることがあり、これも言語を介した古典的条件づけとして捉えられる』ことについては、例えば次の資料を参照して下さい。 「不安障害に対するエクスポージャ法と系統的脱感作法 -基礎研究と実践研究の交流再開に向けて-」の「(3) 他者からの情報」項(P244) 6) パブロフ条件づけと予測エラー(他の拙エントリのここを参照)との関連についての論文(全文)「The conditions that promote fear learning: Prediction error and Pavlovian fear conditioning[拙訳]恐怖学習を促進する条件:予測誤差及びパブロフの恐怖条件づけ」があります。 (xii) 引用中の「徹底的に避けてしまうと,レスポンデント学習が消去される機会がなくなる」ことに関連するかもしれない、 [a] 持続(性)エクスポージャー(PE:Prolonged Exposure)療法において「回避を続けているうちは、元の条件刺激に曝露される機会がない」ことについて、「そだちの科学 2017年10月号」中の福井義一著の文書「トラウマケアの技法 ――伝統的な心理療法と新しい身体志向の心理療法」の「伝統的な心理療法」における記述の一部(P23~P24)を次に引用(『 』内)します。 『PEでは、PTSDをトラウマ記憶の想起に対する恐怖症であると定義づけて、回避条件づけの解除を試みる。回避条件づけは、一般に消去が難しい。なぜなら、回避したから不快な症状に悩まされなかったのであるという誤った学習が成立して、回避を続けているうちは、元の条件刺激に曝露される機会がないからである。』(注:1) 引用中の「PTSD」についてはリンク集を参照して下さい。 2) 引用中の「PE」に関連する「持続エクスポージャー療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。) [b] [強迫性障害強迫症)において]「強迫性障害の問題の根本は、その人が苦手とする感覚を避け続けた結果、その感覚に対する抵抗力が落ちてしまったということ」については他の拙エントリのここを参照して下さい。一方上記 (ix) 項に加えて、上記「レスポンデント学習が消去される」ことに関連するかもしれない、 i] 「行動分析学の研究からは、不安や恐怖反応がレスポンデント条件づけとオペラント条件づけの相互作用によって形成、維持されてしまう」ことについて、島宗理著の本、「応用行動分析学 ヒューマンサービスを改善する行動科学」(2019年発行)の Ⅳ 科学的根拠に基づいた実践プログラム の『「不安だから行動しない」から「不安でも行動する」へ ――マイナス思考も受け入れて行動(act)にコミット』における記述の一部を以下に、 ii] (感情の視点からの)「恐怖症の治療におけるエクスポージャー(曝露)法の奏功」について、ステファン・G・ホフマン著、有光興記監訳の本、「心の治療における感情 科学から臨床実践へ」*34(2018年発行)の 第5章 感情制御 の「感情の処理過程」における記述の一部(P96)を以下に それぞれ引用します。

(前略)行動分析学の研究からは、不安や恐怖反応がレスポンデント条件づけとオペラント条件づけの相互作用によって形成、維持されてしまうことが明らかにされている。
いったん強い痛みなどを伴う事件を体験すると、レスポンデント条件づけによって、そのときそこに存在した刺激が不安を生じさせるようになる。嫌悪条件づけである。そして、不安を喚起するようになった刺激を消失させるオペラント行動が自発され、強化されるようになる。その事件が起きた場所や相手を避けたり、目をそむけたりする行動である。こうなると、レスポンデント条件づけの消去が起こらず、元々の痛みとは本来無関係な様々な状況が不安を引き起こす機能を獲得したままになってしまう。(後略)

注:引用中の「嫌悪条件づけ」に関連する「嗅覚嫌悪条件づけ」については例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)同様に,フォアとコザック(Foa & Kozak, 1986)も感情の情報処理モデルを取り入れている。彼らの治療モデルでは,感情情報は記憶の中にネットワークの形で貯蔵されていると仮定する。恐怖症の治療においては,エクスポージャー法が奏功するが,これは恐怖と結びついた既存の情報に代わり,新たな情報を取り込むことによるものである。たとえば,犬は凶暴であると信じ込み,犬を怖がっている子どもは,人懐こい犬と触れ合うことにより,新しい情報を取り込むことになる。そしてそれが,既存の恐怖ネットワークに変化をもたらすことで,「犬と触れ合うのは安全なんだ」という安心感を生み出す。これは,精神的な外傷を有する人たちの恐怖・回避行動を含め,他の不安関連の問題についても同じである。この安全の学習は,恐怖とは反対の,すなわち安全に関する情報の強力な統合とあわせて生じる,恐怖ネットワークの活性化の結果であると想定される。(後略)

注:i) 引用中の「Foa & Kozak, 1986」は次の論文です。 「Emotional processing of fear: exposure to corrective information.」(全文はここを参照して下さい) ii) 引用中の「恐怖ネットワーク」に関連する「恐怖条件づけ回路」については次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」の図2 iii) 引用中の「フォア」及び「コザック」については、共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「感情情報」に関連するかもしれない「情動性の条件づけにおける体感と思考の違い」について、三田村抑著の本、「はじめてまなぶ行動療法」(2017年発行)の 第二部 要素的実在主義 の Column の「情動性の条件づけにおける体感と思考の違い」項における記述(P52)を以下に引用します。ただし、引用中の「CR」、「CS」、「US」はそれぞれ「条件反応」、「条件刺激」、「中性刺激」の略です。

A・ベシャールたち [17] は情動性の条件づけに関するある興味深い研究をおこなった。彼は,脳の扁桃体(特に恐怖に関わる部位)が損傷した実験参加者と海馬(特に記憶に関わる部位)が損傷した実験参加者に対し,同様の手順で情動性の条件づけをおこなった。その結果,偏桃体の損傷した実験参加者では,CR が誘発されるようにならないものの,CS の次に US が提示されるということ自体は言葉で説明することができた。一方,海馬が損傷した実験者では,CS の単独提示で CR が誘発されたものの,CS の次に US が提示されているということには気づいていなかった。つまり,情動性のレスポンデント条件づけの成立においては,思考のレベルではなく,体感のレベルでの学習が重要であることが証明された [145,185] 。

注:i) 引用中の文献番号「[17]」は次の論文です。 「Double Dissociation of Conditioning and Declarative Knowledge Relative to the Amygdala and Hippocampus in Humans」 ii) 引用中の文献番号「145」は次の本です。 「LeDoux, J.E. (1996) The Emotional Brain : The Mysterious Underpinnings of Emotional Life. New York : Simon & Schuster.」 iii) 引用中の文献番号「185」は次の論文です。 「Conscious and Unconscious Emotional Learning in the Human Amygdala」 iv) 引用中の「体感のレベル」に関連する「無意識的なもの」の例は次が挙げられるかもしれません。 ①「ニューロセプション」(又は神経知覚、他の拙エントリのここを参照) ②「条件反射」(例えば、エントリ「化学物質過敏症に関する私の発言について - NATROMのブログ」の『「「化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意によって左右されている」というのは、たとえば、「放射能」を不安に思う人が瓦礫焼却に対して「反応」する一方で、瓦礫受け入れに賛成する人には反応しなかったりすることを指します」というツイートについて』項を参照)

一方、引用及び[ご参考1]を考慮して、仮に、「今後MCSの疾患概念を明らかにし,診断基準を確定していく過程では,二重盲検法による負荷試験を行って,診察・検査所見との照合を通してより特異性が高い診断項目を絞り込んでいくことが必要」ならば、このための精力的な「二重盲検法による負荷試験」を実行した方が良いと本エントリ作者は考えます。しかし、[ご参考3]に示すように、MCS(又は化学物質過敏症)における「二重盲検法による負荷試験」の研究は少なくとも日本では制限されていると本エントリ作者は考えます。日本のみならず世界において、この資料『特発性環境不耐症(いわゆる「化学物質過敏症」)患者に対する単盲検法による化学物質曝露負荷試験』(2012年に発表)以降に、MCSに関する誘発(負荷)試験の論文等は発表されているのでしょうか?

また、北里研究所病院は2009年にクリーンルームを廃止したので、ここでの上記二重盲検法による負荷試験はできなくなりました。廃止前にここで実施された複数の試験結果を紹介するWEBページ例を次に示します。 「本態性多種化学物質過敏状態の調査研究報告書」 加えて、負荷試験の施行できる施設が増えることを課題とする資料を次に示します。 「化学物質過敏症

ちなみに、疾患概念であるMCSの存在は、負荷試験(誘発試験)のシステマテック・レビュー(2006年)により否定されています。

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[ご参考1] 室内空気質健康影響研究会[編集]の本、「室内空気質と健康影響 解説 シックハウス症候群」(2004年発行)中の、資料 「心療内科的知見」 P300~P317(著者は、熊野宏昭、齊藤麻里子、辻内優子、吉内一浩、辻内琢也、中尾睦宏、久保木富房、小久保奈緒美、青柳直子、大橋恭子、山本義春、篠原直秀、柳沢幸雄、坂部貢、松井孝子、宮田幹夫、石川哲)の「IV 本研究全体の結論」項における記述の一部(P315)を次に引用します。

したがって、今後、MCSの疾患概念を明らかにし、診断基準を確定していく過程では、①まずは、発症や憎悪に関して化学物質との因果関係が明確なグループのみを対象にすること、②さらにはなるべく多くのケースで二重盲検法による負荷試験を行い、それ以外の診察、検査所見との照合を行うことを通してより特異性が高い診断項目を絞り込んでいくこと、③その後、化学物質との因果関係が必ずしも明確でないグループの検討を進めることが、必要であると提言できよう。

注:この資料の著者に、坂部貢、宮田幹夫、石川哲が含まれています。

[ご参考2]化学物質過敏症の診断のゴールド・スタンダード
標記ゴールド・スタンダードは負荷(誘発)試験[又はチャレンジテストとも称する]であるとの複数の意見があります。例えば、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。加えて、(シックハウス症候群に関するようですが)WEBページ「環境が引き起こす病気 シックハウス症候群」があります。さらに、宮田幹夫著の本「化学物質過敏症 忍び寄る現在病の早期発見と治療」の「Part4 化学物質過敏症の診断」 における記述の一部(P38~P39)を次に引用します。

原因物質が増えて多種類化学物質過敏症になるケースもありますが、海外の一部の国では、次のような条件に合っている場合は多種類化学物質過敏症と診断しています。
①症状は何度も化学物質に曝露されることによって再現する。
②症状が慢性になってくる。
③以前は何も症状が出なかったような低いレベルの曝露で症状が現れるようになる。
④原因物質を取り除くと症状が消えたり軽くなったりする。
⑤化学的に無関係な多種類の化学物質に対して反応を示す。
⑥消化器系の症状とか循環器系の症状というように、多種類の器官系にまたがった症状が出る。
この基準は日常診療では非常に使い勝手が良いのですが、客観的な異常所見が入っていないのがひとつの欠点です。しかし、①の「症状は何度も化学物質に曝露されることによって再現する」という項目は、この病気を最も具体的に示しており、また、この項目が化学物質の負荷検査で確認されれば、確実な証拠になります。

注:引用中の「化学物質の負荷検査で確認されれば、確実な証拠になります」に関連する「MCS とそうでない psychogenic な患者とは完全に識別」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

[ご参考3]化学物質過敏症研究予算
標記に関しては、資料「臨床環境医学:過去、現在、そして未来に期待するものは?」(2011年発行)の「VI.本学会に今後に期待するものは」項における記述の一部を次に引用します。

日本ではSHSについては行政も関心を示し、ある程度の研究の進展が見られる。しかし、CSについては2、3の動き、例えば保険診療可能となる病名登録などがおこなわれているが、それ以外わが国では、医学界、行政共に未だ充分な関心があるとは言えず、大規模研究予算というレベルでは皆無に等しい。

注: i) 著者は石川哲、宮田幹夫、坂部貢です。 ii) 引用文中の「SHS」と「CS」は、それぞれ「シックハウス症候群」と「化学物質過敏症」のことです。 iii) ちなみに、最近の科学研究費助成事業に採択された化学物質過敏症関連の研究課題例を次に示します(注:過去のものと現在進行形のものがあります) 「化学物質過敏症患者の日常生活における化学物質曝露と健康影響に関する研究」、「化学物質過敏症の病態解明と疾患概念の確立に関する基礎的研究」、『「化学物質過敏症」を訴える集団における微量化学物質影響のリアルタイムモニタリング』、「化学物質に対する非特異的な過敏状態の解明とその改善方法に関する研究」、「化学物質過敏症の病態を免疫機能から解明する基礎研究」、「化学物質過敏症に対する漢方薬による根治療法の開発と機序の解明

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余談

【余談1】IEI に関する論文又は学会発表のご紹介

① 次の論文の要旨を次に引用します。「Review of evidence for a toxicological mechanism of idiopathic environmental intolerance.[拙訳]本態性環境不耐症(IEI)の毒物学的メカニズムに対するエビデンスのレビュー」

Idiopathic environmental intolerance (IEI) is a medically unexplained disorder characterised by a wide variety of unspecific symptoms in different organ systems and attributed to nontoxic concentrations of chemicals and other environmental factors that are tolerated by the majority of individuals. Both exposure to chemicals and behavioural conditioning are considered as possible contributors to the development of IEI. However, owing to the heterogeneity of the condition, it is difficult to separate the toxicological, physiological and psychological aspects of IEI. Here, we review the evidence for postulated toxicologically mediated mechanisms for IEI. Available data do not support either a classical receptor-mediated or an idiosyncratic toxicological mechanism. Furthermore, if there were convincing evidence for a psychological cause for many patients with IEI, then this would suggest that the priority for the future is the development of psychological treatments for IEI. Finally, we advocate genome wide screening of IEI patients to elucidate genotypic features of the condition.


[拙訳]
特発性環境不耐症(IEI)は、異なる器官系における多種多様な非特異的症状によって特徴づけられ、及び大多数の個々人によって許容される毒性のない濃度の化学物質及び他の環境要因に起因する医学的に原因不明の障害(disorder)である。化学物質への曝露と行動性の条件付けの両方が、IEI 発症の考えられる誘因として検討されている。しかし、条件の不均一性のため、IEI の毒性、生理的及び心理的側面を分離することは困難である。ここでは、IEI の毒物学的に媒介されるメカニズムを前提としたエビデンスを我々はレビューする。利用可能なデータは、古典的な受容体のメディエイト又は特異体質の毒性学的メカニズムを支持しない。さらに、もし IEI を伴う多くの患者の心理的な起因に対する説得力のあるエビデンスが存在した場合は、将来のための優先順位は IEI の心理的な治療法の開発だと示唆するであろう。最後に、この異常(the condition)の遺伝子型の特徴を解明するために、IEI 患者のゲノムワイドスクリーニングを我々は提唱する。

注:i) 引用中の「ゲノムワイドスクリーニング」に関連する「ゲノムワイド関連解析」については、次のWEBページを参照して下さい。「ゲノムワイド関連解析 - 脳科学辞典」 ii) ちなみに、現在日本において実施中の、多種化学物質過敏症に関連する遺伝要因の臨床試験については、次のWEBページを参照して下さい。 「日本人多種化学物質過敏症に関連する遺伝要因の解明

② 学会:2013 conference Environment and Health - Basel における次の発表における要旨を次に引用します(「Psychological burdens on developing process of idiopathic environmental intolerance among patients」)*35。ちなみに、この第一著者は関西労災病院の医師のようです*36

(title:) Psychological burdens on developing process of idiopathic environmental intolerance among patients

Background: So-called "multiple chemical sensitivity" may be an issue of environmental medicine. Patients with the disease complain various symptoms and limit their lives. However, WHO-IPCS applies the name of idiopathic environmental intolerance (IEI) to the disease owing to indistinctness of contribution of chemicals. In our experiences in out-patient clinic, patients with IEI are understandable through psychiatric diseases including PTSD or the results of psychological factors, but not based on toxicological standpoints.

Aim: In the present study, we aimed to clarify the correlation of psychological factors on developing of IEI among patients with IEI.

Methods: In the first medicalvisit patients of to our out-patient clinic from April 2009 to January 2013. 42 patients (7 men and 35 women) compatible with standard of "1999 Consensus of Environmental Medicine in USA" were included. Their age of the developing of IEI ranged from 23 to 76 (51.1±13.7) years. We obtained detailed medical history including exposure to chemicals (including odour levels) and psychological burden factors (PB) for the patients before the development.

Results: Eleven patients were exposed to chemicals sufficient to induce toxicologically significant symptoms (Ex), 19 patients to odour levels (Od) and 12 with unclear exposure (Un). The number of patients with PB were 31, without 8 and unclear 3. PBs were as follows: health issues of her/himself, close relative or close friend (n=11), stress in workplace (n=8), conflict with close relative (n=7), close leave or loss of relative or close friend (n=4) and others. The rate of PB (+) patients in Od (n=16) was significantly higher than that of PB (+) in Ex (n=5) [Fisher's exact test, p=0.0419], and that in Un (n=10) was more than that in Ex [p=0.0894], but not significant.

Conclusions: The results suggested that psychological burden may be an important factor in developing process of IEI.


[拙訳]
(タイトル:) 患者における IEI の発症プロセスに関する心理的負荷

背景:いわゆる「multiple chemical sensitivity」(MCS)は環境医学の問題かもしれない。この疾患を伴う患者は様々な症状を訴え、生活が制限される。しかし、WHO-IPCS は化学物質の寄与の不明瞭さにより、この疾患に IEI(本態性環境不耐症)との名称を適用した。我々の経験では、(病院の)外来において、IEI を伴う患者は、毒物学的な見地に基づくものではなく、PTSD を含む精神疾患又は心理的な要因の結果を通して理解可能である。(中略)

目的:本研究では、IEI を伴う患者における、IEI の発症に関する心理的な要因の相関を明確にすることを目的とする。

方法:2009年4月から2013年1月までに当科外来に初診した患者のうち、42人(男性7名、女性35名)が標準の「1999 Consensus of Environmental Medicine in USA」(アメリカでの1999年の環境医学コンセンサス)に合致した。彼らの IEI 発症年齢は23~76歳(51.1±13.7歳)であった。発症前の患者の臭気レベルを含む化学物質への曝露及び心理的負荷要因(PB)等の詳細な医学的履歴を我々は手に入れた。

結果:11人の患者は、毒物学的に意味のある症状を引き起こすのに十分な化学物質に曝露し(Ex)、19人の患者は臭いレベル(Od)で、12人の患者は曝露が不明確(Un)であった。PB を伴う患者は31人、伴わないのは8人、不明が3人であった。PB の内訳は次の通り:本人、近い親族又は親友の健康問題(n=11)、職場でのストレス(n=8)、近い親族との葛藤(n=7)、近い親族又は親友の喪失・別離(n=4)及びその他。Od(n=16)における PB (+) の患者の割合は、Ex(n=5)[Fisherの直接確率法,p=0.0419]における PB (+) の患者の割合よりも有意に高かった。そして、Un(n=10)においては、Ex[p=0.0894]においてよりも高かったが、有意ではなかった。

結論:これらの結果により、心理的負荷は IEI の発症プロセスの重要な要因かもしれないことが示唆された。

注:i) タイトルは引用に含めています。一方、引用の際に一部の表示形式を変更しています。ちなみに、この要旨と同一著者が作成した日本語の関連資料を次に紹介します。『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』。この要旨の Methods 及び Results の詳細は、この資料の「3.発症経過での事象」を参照すれば良いかもしれません。ただし、両者において数字が一致しない部分があるようですが。ちなみに、上記資料については他の拙エントリのここも参照すれば良いかもしれません。 ii) WHO-IPCS による IEI の適用は、1996年に世界保健機関(WHO)、国連環境計画(UNEP)、国際労働機関(ILO)等の合同による国際化学物質安全性計画(IPCS)が開催され、MCS を IEI と呼ぶことを提唱したことを示しているようです。 iii) 引用中の「PTSD」については次のWEBページを参照して下さい。「みんなのメンタルヘルス総合サイト PTSD」、「外傷後ストレス障害 - 脳科学辞典」、「恐怖条件づけ - 脳科学辞典」における「恐怖条件づけと心的外傷後ストレス障害」項 vi) 引用中の「PB (+)」は PB を伴うということです。 v) ちなみに、引用中の「心理的負荷」に関しては、次のWEBページを参照すると良いかもしれません。「ストレス - 脳科学辞典」 vi) 加えて、「IEI を伴う患者は、毒物学的な見地に基づくものではなく、PTSD を含む精神疾患又は心理的な要因の結果を通して理解可能である。」と一部が類似しているかもしれない化学物質過敏症についての pdfファイル「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」の「1.概念」における記述の一部を以下に引用します。*37 vii) さらに、PTSD における二つの型に関して、十一元三著の本、「子供と大人のメンタルヘルスがわかる本 精神と行動の異変を理解するためのポイント40」(2014年発行)の 第4章 基本となる10の疾患 の「30 心的外傷後ストレス障害(PTSD)」における記述の一部(P99)を以下に引用します。

1.概念
いわゆる化学物質過敏症は、生活環境中の極めて微量な化学物質に接するとこにより多彩な不定愁訴を呈する症候群であるとされている。シカゴ大学の Cullen MR ら1) のグループの定義が一般的であり、「過去にかなり大量の化学物質に一度接触し急性中毒症状が出現した後か、または生体にとって有害な化学物質に長期にわたり接触した場合、次の機会にかなり少量の同種または同系統の化学物質に再接触した場合にみられる臨床症状群」とされ、一旦過敏性を獲得してしまうと、その後は一般的な毒性学の概念では説明できない程の極めて微量な化学物質に反応を示すようになるとされる。よって、独立した疾患概念(disease)で捉えるべきなのか、そうでないのか(病 illness)、については、現在不明のままである。
極めて微量な化学物質ばく露と多彩な不定愁訴との関連性については、未解明な点が多いが、心理社会的ストレスによる心身相関が、本症の発症・経過・転帰に強く影響している可能性が示唆されており、ライフイベントが患者にとってどれほどストレスフルなのかを客観的に評価し病態を把握する必要性が指摘されている3) 。心身医学の見地から、本症と診断された症例が詳細に検討されており、発症には、化学物質のばく露の他に心理社会的ストレスが関与している可能性が示唆されている。しかし、発症および経過に関わる特徴的なパーソナリティーやストレス対処スタイルなどの個人的要因は認められず、本症を発症している者に特別な傾向は認められないとされている。しかし、発症後には身体症状を主とする様々な自覚症状が認められ、精神疾患の合併も多いこともわかっている。即ち、発症後の病態には、身体面と心理面の間に密接な関連が認められる3) 。
これらを踏まえると、いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。

注:i) 引用中の文献番号「1)」、「3)」はそれぞれ次の論文です。「The worker with multiple chemical sensitivities: an overview.」、「Symptom profile of multiple chemical sensitivity in actual life.」 ii) 引用中の「トラウマ」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、特発性環境不耐症(IEI)において、トラウマに言及した資料を次に示します。 『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』 さらに、マニュアル「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」の「3.4.5. 化学物質過敏症とされた患者さんに対する適切な治療とケア」項(P54)には、上記トラウマに言及した資料を参照した化学物質過敏症とされた患者さんに対する適切な治療とケアに関する記述があります。

30 心的外傷後ストレス障害(PTSD)(中略)

一般にPTSDの患者さんは、緊張感が高く、再体験症状が中心の人(「再体験/過覚醒型」)と、過覚醒症状が目立たず、現実感の低下や白昼夢状態のような解離症状が中心の人(「解離型」)に大きく分けることができます。再体験/過覚醒型の人はフラッシュバックや過敏さなどでPTSDだと分かるのに対し、解離型の人は派手な症状が少なく、周囲からみるとおとなしくみえるためPTSDと気づかれないことがあります。しかし実際は、解離型の方が病状としては根深く、PTSDが長期化し、解離性同一性障害(多重人格)などを続発しやすことが分かってきました。
以上のような症状に加え、PTSDにパニック障害(項目29)を併発し、トラウマを思いださせる状況でパニック発作を起こす人も少なくありません。(後略)

注:引用中の「解離型」に関連するエントリを次に紹介します。 「DSM-5における解離性障害 改訂版 (6)

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【余談2】恐怖、対人過敏、PTSD、複雑性PTSD

上記において(恐怖)条件付けに関連する文章を記述したことや余談1の引用においてPTSD及びトラウマに関して言及されたこともあり、MCSや化学物質過敏症の文脈とは異なるものの、恐怖、対人過敏、PTSD、複雑性PTSD等に関して本エントリ作者が興味深いことを以下に示します。

(a)強烈世界症候群*38
テンプル・グランディン、リチャード・パネク著、中尾ゆかり訳の本、「自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか」の 4章 まわりの世界に対する感受性 における「強烈世界症候群」項の記述の一部(P126)を次に引用します。

反応過剰と反応不足は一つの状態から生じる二つの異なる反応であると考えるのは、心の理論においても重要だろう。「強烈世界」の論文は、恐怖などの情動反応をつかさどる偏桃体が過剰な感覚刺激の影響を受けるなら、反社会的に見えるある種の反応は、実際には反社会的なのではないと唱えている。「人とうまくつき合えなかったり、引きこもったりするのは、共感の欠落や、相手の立場に立って考える能力の不足、情動性の欠落の結果として生じるのではなく、その正反対で、まわりの世界を、苦痛や嫌悪感を感じるほどではないとしても、強烈に感知してしまう結果として生じるのかもしれない」。はた目から見ると反社会的な行動は、ほんとうは、恐怖の表現なのかもしれない。

注:i) 「強烈世界」の論文は次のようです。「The Intense World Syndrome - an Alternative Hypothesis for Autism」 ちなみに、次に示す論文もあります。「The Intense World Theory - A Unifying Theory of the Neurobiology of Autism」 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 感覚過敏に関する他の拙エントリの該当部分は以下に示します。必要に応じてここから選択して下さい「感覚過敏と鈍麻」。 iv) この引用は自閉症に関するものです。ちなみに、発達障害に関する他の拙エントリは次の通りです。「発達障害における身体症状、その他

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(b)対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD
水島広子著の本、「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(2011年発行)における記述の一部を以下に複数引用又は説明します(注:一部は説明のみで引用しません)。

① 同の「はじめに」における記述の一部(P013)を次に引用します。

(前略)そして、現在の対人関係の質が上がると、トラウマについての受け止め方も変わってくることが多いものです。そもそもトラウマは過去に起こった体験によって起こっているもので、過去を変えられない以上、トラウマと折り合うということはその「受け止め方」を変えることによってしかありえません。治療の中には、認知行動療法のように、トラウマ体験そのものに焦点をあてて、その「受け止め方」を変えようとするものもありますが、対人関係療法は、トラウマそのものではなく、トラウマの影響を受けた現在の対人関係に焦点をあてて、現在の生活の質を上げることによって、結果としてトラウマの受け止め方も変わる、という方向性を持つ治療法です。
本書では、対人関係療法の切り口から、トラウマと対人関係について考えていきたいと思います。(後略)

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② 同の「はじめに」における記述の一部(P014)を次に引用します。

対人関係療法は、トラウマそのものに焦点をあてる治療法が怖くて耐えられないと感じる人のための選択肢としても注目されていますし、対人関係面に現れるトラウマ症状のために、治療者との関係がうまく作れず、治療から脱落してしまいがちな人にも役に立つと考えられています。また、トラウマ体験そのものの記憶が苦しいという以上に、現在の「生きづらさ」が一番の苦しみだと感じている人にとっては、最適な治療焦点となるでしょう。

注:対人関係療法のPTSDへの適用の臨床試験に関する論文例を次に示します。 「Is Exposure Necessary? A Randomized Clinical Trial of Interpersonal Psychotherapy for PTSD 」(この論文では、持続エクスポージャー療法[他の拙エントリのここを参照]等と比較しています)*39 なお、トラウマ、PTSD又は複雑性PTSDに対する他の心理療法等は多種多様であると考えます。例えばここを参照して下さい。

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③ 同の「第1章 トラウマとは何か」の、 a) 「私たちは衝撃をどう乗り越えるか」項の記述(P016~P018)を以下に引用します。 b) 加えて、『健康に生きていくために必要な「自分、身近な人、世界への信頼感」』項の記述の一部(P020~P022)を以下に引用します。

私たちは衝撃をどう乗り越えるか

対処することができないほど大きな衝撃を受けたときにできる心の傷のことを「トラウマ(心的外傷)」と言います。「対処することができないほど大きな衝撃」と書いたのは、私たちは通常、小さな衝撃に対してはそのつど対処しながら暮らしているからです。私たちの心身には、自己防衛システムがいろいろな形で備わっています。通常はそのシステムを使い、生活の中のさまざまなできごとに適応しながら暮らしているのです。
たとえば、何かでショックを受けた場合、そのことをしばらくくよくよと考えてみたり、気分転換に何かをしてみたり、早く寝てしまったり、親しい人にぐちを言って聞いてもらったり、というやり方でそれを乗り越えている人が多いでしょう。
これらには、それぞれ、衝撃を乗り越えるうえでの意味があります。たとえば、「くよくよと考える」ということは、できごとを繰り返し思い出すことによって、その記憶に慣れるという作用があります。最初の衝撃は大きくても、何度も思い出しているうちに、慣れが進み、それほど強い感情を喚起しなくなってくるのです*。あるいは、繰り返し思い出しているうちに、いろいろな角度からそのできごとを見ることができるようになってきて、「それほどたいしたことではなかったのかもしれない」と気づいてくる場合もあります。ここでは、できごとの受け止め方の修正が起こっているということになります。
「気分転換に何かをしてみる」というのは、「ふだんの自分を思い出す」という効果があります。ショックに巻きこまれてバランスを崩してしまっているところから、ふだんの自分の感覚を取り戻すことによって、態勢を立て直すことができるのです。
「早く寝てしまう」というのも、自分の中の健康な部分を取り戻す役に立ちます。よく眠って、体力も取り戻し、すっきりした頭で目覚めることができれば、対処能力が増して感じるものです。また、一晩寝てみることによって、記憶の修正効果も期待できます。前日よりも元気な状態で振り返ってみれば、違った側面も見えて、「それほどたいしたことではなかったのかもしれない」という気持ちになりやすいものです。
「親しい人にぐちを言って聞いてもらう」というのも、ショックから立ち直るうえではとても強力なものです。こんなにひどい目に遭った、ということを話して、「それは大変だったね」などと優しくしてもらえれば、それだけで傷が癒されてしまう人が多いでしょう。自分の体験を人に話すというのは、「記憶に向き合い、慣れる」という作用もありますし、それ以上に、現在の自分を受け入れてもらっていることを実感する効果があります。
ショックに直面したときには、そのこと自体の衝撃もさることながら、「自分」というものにも目が向きます。「なぜ自分はこんな結果を引き起こしてしまったのだろうか」「なぜ自分はこの事態を防げなかったのだろうか」「人は、自業自得だと思っているのではないだろうか」「自分という人間は永遠に損なわれてしまったのではないだろうか」「どうしてこのくらいのことを乗り越えられないのだろうか」「そもそも自分にはもとから問題があったのではないだろうか」「自分の人生はもともとうまくいっていなかったのではないだろうか」など、いろいろな感じ方が出てきます。「自分」がグラグラしてしまうと、ますます態勢を立て直しにくくなります。
そんなときに身近な人から、「大変な目に遭ったね(=あなたが悪いわけではなく、ただ運が悪かっただけ)」「これはショックだよね(=同じ目に遭ったら誰もが同じように反応するだろう)」「何かできることがあったら言ってね。話ならいつでも聞くよ(=私たちの関係性は変わらないし、あなたは一人ぼっちではない)」と言ってもらえることは大きな安心につながっていきますし、身近な人が自分を気にかけて支えてくれているという感覚は力になります。具体的に何かをしてもらわなくても、ただ温かく聞いてもらうだけでもかなりの効果があるものです。

注:引用中の「*」(脚注)の内容を次に引用(『 』内)します。 『*心理学的には「馴化(じゅんか)」と呼ばれる。ある刺激を繰り返し与えているうちに、反応が徐々に見られなくなっていくこと』

健康に生きていくために必要な「自分、身近な人、世界への信頼感」(中略)

先ほどお話ししたように、衝撃の度合いが小さければ、そこから「いつものやり方」で態勢を立て直していくことができます。慣れたり、自分の受け止め方を見直したりしていくことは、「起こったこと」の相対的重要度を下げて、「世界への信頼感」を取り戻すことにつながります。自分の力を思い出したり、自分の現状を受け入れたりすることは、「自分への信頼感」の回復につながります。また、人から受け入れてもらったり支えてもらったり支えてもらったりすることは、「身近な人への信頼感」を回復するとともに、人から受け入れられ支えてもらえる自分への信頼感にもつながります。
こうして「自分、身近な人、世界への信頼感」を取り戻すと、「まあ、何とかなるだろう」という感覚も回復して、またふつうに生きていくことができるようになるのです。
しかし、衝撃が強すぎると、「いつものやり方」で態勢を立て直すことができず、信頼感が失われたところに留まってしまいます。自分の感じ方も、自分の力も信じられなくなります。衝撃の内容によっては、身近な人も信じられなくなります。世界がとても危険なところに思われ、また次の瞬間に何かが起こるかも知れない、と警戒するようになります。この状態が維持されているということが、「トラウマ」の本質です。もちろん、トラウマ体験の性質によって、その警戒領域が人生全般に及ぶのか特定のテーマに限局されるのかはさまざまですが、基本的な構造は同じです。
「トラウマ」というと、まるで消せない傷がついているかのような印象を持つ人がいるかもしれませんが、そのような固定的なものではなく、「自分、身近な人、世界への信頼感」から離断されてしまった状態だと考えると実用的です。つまり、回復は可能で、それは信頼感へのつながりを取り戻すということであり、トラウマの性質によっては一生続くプロセスになりますが、常に前進していくものなのです。

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④ 同の「第2章 PTSDという病」における記述の一部(P036)を次に引用します。

「再体験症状」はトラウマ体験に特有のもので、他のタイプの病気には見られないものです。この症状の苦痛は、それ自体の激しさもありますが、それが、「望んでいないときに勝手に現れてくる」という侵入性も本当に怖いものです。自分が意図していないときに、突然、トラウマ体験の現場に引き戻される、という体験になってしまうのです。トラウマ体験を思い出すという形でなくても、においなどの感覚だけ再現されたり、身体の反応だけが再現されたり、ということもあります。
特に強烈なのは「解離性フラッシュバック」と呼ばれる症状です。これはただ「思い出す」というレベルを超えて、今まさに体験している、という状態になるものです。現実に今いるところからは意識が離れてしまい、周りから話しかけても反応せずに過去のトラウマを再体験して恐怖に圧倒されている、というようなこともあります。

注:引用中の「再体験症状」は、「フラッシュバックの症状」に相当すると本エントリ作者は考えます。

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⑤ 同の「第2章 PTSDという病」における記述の一部(P042~P043)を次に引用します。これは、項目『「複雑性PTSD」』における記述の一部でもあります。

「複雑性PTSD」
前述しましたが、現在のDSM-Ⅳ-TRのPTSDの診断基準は、主に戦闘体験やレイプによるトラウマの研究にもとづいて作られているため、すべてのトラウマ反応を代表しているわけではありません。
トラウマの中でも軽視できない深刻なものとして、家庭内で起こる虐待などによるものがあります。このタイプのトラウマ体験は、逃げられない場所において一方的な力関係のもと長期にわたって繰り返されるところに特徴があります。トラウマ体験をした人は、二度とそのような体験をしたくないと思うものですし、心身に起こるトラウマ反応は二度と傷つかないようにするための防御反応であるとも言えるのですが(52ページ参照)、そのようなトラウマ体験が日常的に繰り返されてしまうところが虐待などの問題の深刻な点です。
トラウマ研究の第一人者であるハーマン(文献5)は、そのような長期におよぶ虐待的環境で生じる病態を「複雑性PTSD」と呼ぶことを提案しています。
そのようなときに起こる症状は、通常のPTSD症状だけでなく、次のようなものが見られます。全体に、「自分、身近な人、世界への信頼感」がとても広い範囲で、深刻に損なわれた結果だと考えていただけるとわかりやすと思います。あらゆる領域に危険があるような気がして、誰を信じたらよいかわからず、自分自身のことも全く信じられない、というような状況下で起こってくる症状です。

・感情コントロールの障害
通常より低いレベルの刺激で、通常よりも激しい感情的反応が起こり、元のレベルに戻るのに時間がかかる、という傾向が見られます。強い怒りはより見られる感情で、「容易に、強く、長く怒る」という形をとります。端から見ると「些細なことでひどく怒り出し、抑えることができない」というふうに見えることも少なくありません。これは、「覚醒亢進症状」がより対人関係全般にしみ渡ったもの、と言うこともできます。(後略)

注:(i) 引用中の「文献5」は、「Herman JL. Trauma and Recovery (邦訳:中井久夫訳.心的外傷と回復.みすず書房、東京、1996.). New York: Basic Books; 1992」です。 (ii) 引用中の「複雑性PTSD」(又はComplex PTSD)は、ICD-11(参照)に登録されています。加えて、ICD-11 における複雑性PTSD(又は複雑性心的外傷後ストレス症、Complex post-traumatic stress disorder)を簡単に説明するWEBページを次に紹介します。 「6B41 Complex post traumatic stress disorder」 さらに、この説明の和訳例が示されているWEBページや資料は次を参照して下さい。 「6 Disorders specifically associated with stress 6ストレス関連症群 ICD-11」の「6.2 Complex post-traumatic stress disorder 複雑性心的外傷後ストレス症」項、「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」の Table 1(P221) ちなみに、 1) 本エントリ中の他の引用に上記複雑性PTSDに関するものがあります。 2) 上記複雑性PTSDの簡単な説明例として、「そだちの科学 2017年10月号」中の大江美佐里著の文書「トラウマ処理 ――STAIRを中心に」の「STAIRが示すもの ――複雑性PTSDとの関連」における記述の一部(P22)を次に引用(『 』内)します。 『具体的には、再体験・回避・過覚醒といったいわゆるPTSDの中核症状以外に、①感情調節の困難、②自分自身を弱く、挫折した、価値のないものだとする信念、③対人関係を維持することの困難、 の三症状が加わるとこの複雑性PTSDという診断となる。』(注:引用中の「PTSDの中核症状」[ICD-11]については次のWEBページを参照して下さい。 「6 Disorders specifically associated with stress 6ストレス関連症群 ICD-11」の「6.1 Post-traumatic stress disorder 心的外傷後ストレス症」項) (iii) 引用中の「覚醒亢進症状」*40の例は、 a) 不眠(寝つきが悪い、眠りが浅い) b) 苛立たしさまたは怒りの爆発 c) 集中困難 d) 過度の警戒心 e) 過剰な驚愕反応 です。

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⑥ 引用はしませんが、同の 第2章 PTSDという病 の「複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害」項(P47~P48)では、複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害との類似性に関しての記述が有ります。この類似性の関連は以下を参照して下さい。一方、虐待の経験者は境界性パーソナリティ障害を発症しやすいことについて、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の 7章 虐待の引き起こす精神疾患 の「5 境界性パーソナリティ障害」における記述の一部(P88)を次に引用(『 』内)します。『これまでの研究報告で、性的虐待、身体的虐待、DVなどの経験者は境界性パーソナリティ障害を発症しやすいことがわかっている。』 ちなみに、同章において虐待の引き起こす精神疾患として、上記境界性パーソナリティ障害を含む次の7種類がリストアップされています。 1. うつ病参照)、2. 不安障害(不安症、参照 *41)、3. 心的外傷後ストレス障害(PTSD、参照)、4. 解離性障害(解離症、参照)、5. 境界性パーソナリティ障害参照)、6. 物質関連障害および嗜好性障害群(これらの一部については例えば参照)、7. 非社会性パーソナリティ障害(簡単な紹介として、例えば次のWEBページにリストアップされています。 「パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」の表3におけるB群を参照) 一方、 a) J・G・アレン著、上地雄一郎、神谷真由美訳の本、「愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療 素朴で古い療法のすすめ」(2017年発行)の第3章においては、愛着トラウマの寄与が比較的顕著にみられる他の障害や問題として、次の8項目が挙げられています(P106)。 ①抑うつ,②不安,③物質乱用,④健康不良,⑤摂食障害,⑥非自殺性自傷,⑦自殺念慮状態,⑧パーソナリティ障害*42 b) 発達性トラウマ障害又は複雑性PTSDにおける広い臨床像について、「こころの科学 200号(2018年7月)」中の杉山登志郎著の文書「子ども虐待によって生じる愛着障害とトラウマ」の「子ども虐待によって何が起きるか」における2つの不連続な記述の一部(P55~P57)を以下に引用(前者と後者それぞれ『 』内)します。[前者]『図1は二〇一四年子ども虐待防止世界会議においてヴァン・デア・コークが教育講演で提示した発達性トラウマ障害である。ここで重要なことは、子ども虐待の後遺症が診断カテゴリーを超えて広い臨床像をつくるということである。その一部は愛着障害によってもたらされる発達障害の臨床像であり、一部は複雑性トラウマによってもたらされる複雑性PTSDの臨床像である。』(注:i) 引用中の「図1」の引用は省略しますが、代わりに資料「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」の Fig. 1(P220)を参照して下さい。加えて、pdfファイル「あきた小児保健 第55号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害と発達性トラウマ障害」(P19~P24)中の図1(P20)も参照して下さい(下記注の A) 項も参照すると良いかも)。ちなみに、上記 Fig. 1 中における DMDD は「重篤気分調節症」(例えば参照)のことです。一方上記引用中の「図1」にも関係する、引用中の(発達性トラウマ障害における)「広い臨床像」に関連するかもしれない発達性トラウマ障害(DTD)と(併病診断として)あり得る精神医学的診断との未調整の関係については拙訳はありませんが次の論文(全文)を参照して下さい。 「Psychiatric comorbidity of developmental trauma disorder and posttraumatic Stress disorder: findings from the DTD field trial replication (DTDFT-R)」の「Table 3. Unadjusted relationship of DTD and PTSD with probable psychiatric diagnoses」 ii) 引用中の「発達性トラウマ障害」については例えば次の和文の資料を参照して下さい。 「子ども虐待とケア」の「Ⅳ.子ども虐待と精神医学的課題」項 iii) 引用中の「愛着障害」についてはここを参照してください。加えて、上記「愛着障害」に関連する「愛着形成の異常」と引用中の「複雑性PTSD」との関連については例えば次のWEBページを参照して下さい。 『「人をなかなか信用しない子」も「過剰になれなれしい子」も…親から虐待された子どもに表れがちな「愛着形成」の異常』 iv) 引用中の「発達障害」に関連する「自閉スペクトラム症」については他の拙エントリを、「ADHD」については他の拙エントリを それぞれ参照して下さい。 v) 引用中の「複雑性PTSD」についてはリンク集を参照してください。)、[後者]『図1に示される臨床像は“何でもあり”であり、診断カテゴリーをまたぐ。(中略)実際に、すでに精神科を受診している親に下されている診断は極めて多彩である。』(注:A) 引用中の「図1」の引用は省略しますが、上記注の i) 項を参照して下さい。加えてこの引用に類似した記述を、pdfファイル「あきた小児保健 第55号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害と発達性トラウマ障害」(P19~P24)中の「2,発達性トラウマ障害と複雑性PTSD」項における記述の一部として次に引用(【 】内)します。 【図1に示される臨床像は何でもありであり、診断カテゴリーをまたぐ。】[注:a] 引用中の「図1」については上記注の i) 項を参照して下さい。 b] 上記引用以外にも「2,発達性トラウマ障害と複雑性PTSD」項には次に引用(≪ ≫内)する記述があります。 ≪図1は2014年国際子ども虐待防止会議においてファン・デア・コルクが教育講演で提示した発達性トラウマ障害である。ここで重要なのは子ども虐待の後遺症が診断カテゴリーを超えて広い臨床像を作るということである。その一部は愛着障害によってもたらされる発達障害の臨床像であり、一部は複雑性トラウマによってもたらされる複雑性PTSDの臨床像である。≫] B) 引用中の「親」は受診済みの他の精神科から紹介されて著者が並行治療するようになった虐待を受けた子どもの親という意味かもしれません。) なお、資料「脳科学からみた子ども虐待 ~児童虐待・ネグレクトが及ぼす神経生物学的影響~」における記述の一部(P73)を二分割して次に引用(それぞれ《 》内)します。 《うつ病患者の脳では海馬の体積減少や扁桃体の過剰反応が言われているのですが、うつ病の中でも被虐待歴を持っている患者さんたちがそのような違いが出ていました。8つの疾患(薬物乱用、アルコール中毒、反社会的人格障害双極性障害、心的外傷後ストレス、境界性人格障害解離性同一性障害精神障害)と海馬の体積減少は関連があると言われています。》、《子どもの頃に虐待を受けることによって8つの疾患の発症リスクが高まります。》 ちなみに、上記境界性パーソナリティ障害に関連して、「境界例は多彩な症状を示す」こと(「あらゆる症状を出す出すのではないか」ということと「変幻自在」を含む)については、平井孝男著の本、「境界例の治療ポイント」(2002年発行)の 第二部 境界例の治療ポイント の「3 境界例の症状」における記述の一部(P118)を次に引用(『 』内)します。 『▼境界例は多彩な症状を示すということはわかりますが、さらに具体的にはいったいどのような症状をあらわすんですか? 整理できますか? ――少しおおげさかもしれませんが、境界例はあらゆる症状を出すのではないかと思われます。統合失調症とかうつ病とか、強迫神経症、ヒステリーとみられたり、摂食障害家庭内暴力やアルコール・薬物依存といったかたちで受診することもあります。ほんとうに変幻自在という感じです。』(注:近親姦の被害経験者であって作家となったシルヴィア・フレーザが綴った引用中の「ヒステリー」に関連する「ヒステリー発作」について、J.L.ハーマン著、中井久夫訳の本、「心的外傷と回復<増補版>」(1999年発行)の「第五章 児童虐待」における記述の一部(P149)を次に引用します)

(前略)彼女は無数の精神科的症状を述べていて、その中には小児期に始まるヒステリー発作と心因性健忘、青春期における食思不振と乱交、成人期における性機能障害、親密関係における障害、抑鬱、無理心中の企画などがその中に挙げられていた。症状の幅広さ、人格の断絶、重篤な機能障害と人並み外れた強力性との共存――フレーザは、これらによって被害者の体験の代表である。(後略)

「類似性」に関連して、論文(全文)「ICD-11 complex post-traumatic stress disorder: simplifying diagnosis in trauma populations[拙訳]ICD-11の複雑性PTSD:トラウマ集団における診断の簡素化」の「CPTSD and borderline personality disorder[拙訳]複雑性PTSD境界性パーソナリティ障害」項における記述を次に引用します。

There has been debate over nearly two decades as to whether CPTSD is actually PTSD with comorbid borderline personality disorder (BPD). Several studies using various statistical techniques have demonstrated that individuals with CPTSD are distinguishable from those with BPD. There are several notable clinical differences that have treatment implications. Individuals with CPTSD experience a severe but stable negative self-concept whereas those with BPD report shifts in their self-image vacillating between highly positive and highly negative self-perceptions. CPTSD relational difficulties are characterised by a tendency to avoid and have difficulty maintaining relationships, particularly during periods of conflict or high emotion whereas BPD is associated with rapid engagement followed by ups and downs or idealisation and devaluation of relationships. Although emotion regulation difficulties are central to both CPTSD and BPD, their expression can be quite different with suicide attempts and gestures and self-injurious behaviours a core feature and a first target of treatment for BPD in contrast to CPTSD, which does not include either problem for diagnosis and preliminary data indicate rates of these problems are substantially lower in CPTSD relative to BPD.


[拙訳]
CPTSD(複雑性PTSD)は併存する境界性パーソナリティ障害 (BPD) を伴う PTSD であるかどうかについては、20年近くにわたって議論が続いている。様々な統計学的手法を用いたいくつかの研究により、CPTSD の患者は BPD の患者と区別可能であることが示されており、治療への含意を有するいくつかの注目すべき臨床的差異がある。CPTSD を伴う個々人は、重度であるが安定したネガティブな自己概念を経験するが、BPD を伴う個々人は、非常にポジティブな自己認識と非常にネガティブな自己認識との間で揺れ動く自己イメージにおける変化を報告する。CPTSD 関連の困難性は、特に葛藤又は高情動の期間中の、人間関係を維持することを回避し、そして困難にする傾向を特徴とするが、BPD は、関係の浮き沈み又は理想化とこきおろしに続く急速な関与と関係する。情動調節の困難は CPTSD と BPD の両方の中心的なものであるが、それらの表現は、診断のためには以下のどちらの問題も含まない CPTSD とは対照的に、BPD に対する核心的な特徴そして治療の最初の標的である、自殺の試みとジェスチャー及び自傷行為とは全く異なり得る。そして予備的データは、これらの問題の割合が BPD と比較して CPTSD では実質的に低いことを示す。

注:i) 拙訳中の「情動」については次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 さらにメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳中の「情動調節」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 拙訳中の「理想化とこきおろし」についてはここを参照して下さい。

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⑦ 同の「第3章 トラウマの自然回復を妨げるもの」における記述の一部(P054)を次に引用します。

PTSDの治療の本質は、今は「戦時下」ではなく「平時」であることを実感するということです。「平時」を実感するということは、たとえば、未曽有の災害を経験したというような場合には「自分が体験したことは本当に特殊なことであって、そういうことはめったに起こらないのだ」ということを実感するということでしょう。また、対人トラウマなど、今後も絶対に起こらないとは言えないことについては、「自分、身近な人、世界への信頼感」を取り戻すことによって、万が一また危険なことになったとしても「自分も前とは違う対応ができるだろうし、身近な人も助けてくれるだろう。まあ何とかなるだろう」という感覚を持てるようになることが目標になります。

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⑧ 同の 第4章 トラウマが対人関係におよぼす影響」 の『「対人過敏」という症状』項の記述の一部(P068~P069)を次に引用します。

PTSDに対する対人関係療法を研究しているロバートソンら(文献6)は、PTSDの症状から起こる対人機能の障害を「対人過敏」と呼んでいます。PTSD症状が対人関係に与える影響に名前をつけることによって、PTSDの「再体験症状」や「回避・麻痺症状」のように重要な症状として認識してもらうためです。「対人過敏」を病気の症状として見ることによって、それが個人的な欠陥ではなく、治療対象になるものだと認識することができます。
第3章でPTSD症状は「敵にやられないようにする」ための心身の反応しては合目的的だということをお話ししました。これが他人に対しても向けられるものが、「対人過敏」です。「相手から傷つけられないようにする」ということに全ての注意を向けていれば、少しでも怪しいものはすべて「脅威」としてセンサーが働いてしまいます。そして、脅威を排除しようとして心身がフル回転する、ということになります。これが、「脅威への過敏」と「感情コントロールの障害」として現れることになります。
トラウマのない人であれば、相手の言動に多少の違和感があったとしても「少し様子を見る」ということをするでしょう。相手に質問してみたり、いろいろな角度から考えてみたりするものです。もしも本当に怪しいことだとしても、「まあ、あまり関係が近い人ではないから気にしないようにしよう」などと相対的な位置づけを考えたりします。
しかし「対人過敏」が刺激されてしまうと、少しでも「怪しい」と思えばすぐに「脅威のセンサー」が作動してしまい、「少し様子を見る」などということができなくなってしまいます。また、センサーが作動すると、とにかく脅威を排除しようとしてしまいますので、「まあ、あまり関係が近い人ではないから気にしないようにしよう」などという客観的な考え方ができなくなるのです。これは少しでも煙を探知するとスプリンクラーが作動して水が噴射されるようなもので、その煙がどの程度危ないものなのかということもきちんと評価できていませんし、いちいち水を噴射してそのあたりをめちゃくちゃにする以外の対応法があるのではないかということも検討できていない、という状態です。そんな余裕はないのです。
そんな様子は、周りから見れば、「なぜこの程度のことで?」と思えますし、「何もそこまで怒らなくても……」というふうに感じられます。

注:i) 引用中の「文献6」は、「Robertson M, Rushton PJ, Bartrum D, Ray R. Group-based interpersonal psychotherapy for posttraumatic stress disorder: theoretical and clinical aspects. Int J Group Psychother. 2004 Apr; 54(2):145-75.」です。 ii) 引用中の『「対人過敏」が刺激されてしまうと、少しでも「怪しい」と思えばすぐに「脅威のセンサー」が作動してしまい』に関連する、「予期不安」(他の拙エントリのここを参照)や「恐怖反応」からの視点を含めた『鋭敏な感受性を持った人にはいろいろな出来事が「警告システム」発動のきっかけになる』ことについて、菊水健史、渡辺茂編集の本、「情動の進化 動物から人間へ」(2015年発行)の 1.快楽と恐怖の起源 の 1.3 恐怖の起源をさぐる の『a.脳の「警告系」』における記述の一部(P20)を以下に引用します。 iii) ちなみに、この引用に関連すると本エントリ作者が考える『情動の喚起と「闘争-逃走モード」』及び「危険(脅威)に対する人間の通常の反応」は参考として共に以下の≪補足説明1≫に示します。

(前略)「恐怖反応」を起こす基礎的な神経回路,すなわち脳の警告システムはマウスから人間までほとんど共通である.実際,ヒトの恐怖とは,まずもって身体反応である.たとえば「パニック発作」と呼ばれるものは,動悸や発汗,息苦しさといった反応からなり,これは静脈内に乳酸を注入するという,情動とは何の関係もない操作で容易に惹起させることができる.臨床的に問題になるような恐怖は,このパニック発作がいつどんなときに起こるかわからないという「予期不安」からくるものである。
予期不安を基礎研究の立場から考えると,それは警告システムを駆動させる出来事が多様かつ柔軟性に富んでいるという意味である.警告システムは,危険かもしれない状況で素早い対処行動(フリージングも含めて)を起こす役に立ってこそ意味がある.山道で出会った細長いものが縄なのか,ヘビなのかといった細かい分析は後回しにして,ここはとりあえず「逃げる」ことのほうが大事である.しかもその長い縄のようなものの全容が見える必要はない.「ガサッ」という音とともにウロコ風のものの一部だけが見えても警告が発せられるほうが適応的である.すなわち,感覚刺激の一部の特徴だけでも行動が起こる.また,記憶も恐怖を起こす.やっかいなことに,ヒトはこの記憶が何によって呼び起こされたのかを自覚していないことが多い.芥川龍之介が遺作『歯車』で描いてみせたように,鋭敏な感受性を持った人にはいろいろな出来事が「警告システム」発動のきっかけになる.

僕はこのホテルの外へ出ると,青ぞらの映った雪解けの道をせっせと姉の家へ歩いて行った.道に沿うた公園の樹木は皆枝や葉を黒ずませてゐた.のみならずどれも一本ごとに丁度僕等人間のやうに前や後ろを具へてゐた.それも亦僕には不快よりも恐怖に近いものを運んで来た.
(『歯車 ほか二編』岩波文庫

もっとも.『歯車』の場合は「レエン・コオト」が強力な条件刺激であることが示唆されるのだが,過敏すぎる「警告」は精神医学・薬理学的な治療の対象になる.(後略)

注:i) この引用部の著者は廣中直行です。 ii) 引用中の「フリージング」に類似する「凍りつき」については、例えばここを参照して下さい。 iii) 引用中の「パニック発作」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の(上記「パニック発作」にも関係する)「恐怖反応」に関連するかもしれない、「パニック症」における「Stress-induced fear circuit」については、次のWEBページを参照して下さい。 「パニック症 - 脳科学辞典」の「“Stress-induced fear circuit”とPD」項

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≪補足説明1≫『情動の喚起又は過剰なストレスと「闘争-逃走モード」』と「危険(脅威)に対する人間の通常の反応」*43
最初に、前者の標題について、上地雄一郎著の本、「メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法」(2015年発行)の 3 メンタライジングの特質と次元 の「(4) 情動のメンタライジング」における記述の一部(P35~P36)を以下に引用します。一方、標記「闘争-逃走モード」に関連する(不適応的)スキーマの活性化による「闘争-逃走反応」については拙エントリのここを参照して下さい。

(前略)ただし,情動の喚起が重要といっても,情動があまりに激しく喚起されている状態では,一般にメンタライジングは困難になります。このような状態のとき,人の心は「闘争-逃走モード」(fight-flight mode)に切り替わり,相手と闘争するか逃避するかという自動的反応パターンに陥ります。闘争-逃走モードに切り替わる際の(情動喚起レベルの)閾値は,個人によってベースラインが異なりますし,同じ個人においても内的・外的な影響によって閾値が変動することがあります。閾値が低い人は少しの情動喚起で闘争-逃走モードに入り,閾値が高い人は情動喚起レベルがかなり高くなるまでメンタライジング・モードを維持することができます。メンタライジング・アプローチが目指しているのは,この閾値を上げることです。つまり,情動が喚起されていてもメンタライジングが維持される情動喚起レベルの上限を高めることです。(後略)

注:i) 引用中の「情動の喚起が重要」というのは、情動のメンタライジングにおいては、情動がある程度喚起されている状態で行われることが有益との意味です。 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、同本の 6 境界性パーソナリティ障害への対応 の I BPD の成因と治療 の「1 BPD の病理と成因」における記述の一部(P206)を次に引用します。

(前略)次に,人生早期にトラウマなどの過剰なストレスを経験すると,脳神経の喚起メカニズムの機能が歪み,通常よりもはるかに低いレベルの脅威を重大な脅威と判断しやすくなります。そして,わずかな脅威によって,統制された(明示的)メンタライジングから自動的(黙示的)メンタライジングへの移行が生じます。言い換えれば,わずかな脅威に対しても闘争-闘争反応への移行が起きやすくなります。(後略)

注:i) 引用中の「闘争-闘争反応」は誤記で、正しくは「闘争-逃走反応」であると引用者は考えます。 ii) 引用中の「メンタライジング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

加えて、後者の標題について、J.L.ハーマン著、中井久夫訳の本、「心的外傷と回復<増補版>」(1999年発行)の「第二章 恐怖」における記述の一部(P47~P48)を次に引用します。

危険に対する人間の通常の反応は、心身両面を包含する反応が、複雑でありつつ統一されて一つのシステムを形づくっている。脅威をみとめると、まず交感神経系が賦活され、危険に遭遇した人間はアドレナリンの高鳴りを覚え、警戒待機状態(アラート状態)に入る。脅威はまた、直面している状況だけに注意を集中させる。さらに、脅威があると通常の知覚に変更が起こる。危険に遭遇した人間はしばしば飢えや渇き、さらには痛みさえも無視して顧みなくなる。最後に、脅威は怒りと恐怖という強烈な感情を起こさせる。この二つの感情は覚醒度を変え、注意力を変え、認知を変え、感情を変えるが、これは正常な適応反応である。この反応によって、脅威を感じた人間を断乎たる行動に向かって動員するのである。闘争しようとするか逃走しようとするか、どちらにしても――。

注:i) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 ii) これらの3つの引用中の「闘争」に関連する「戦闘」については、ここの③項を参照して下さい。

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⑨ 同の「第4章 トラウマが対人関係に及ぼす影響」における記述の一部(P079~P080)及び他の記述の一部(P081~P084)を次に引用します。

――症例
サクラさんは中学時代から過食症になり、症状を抱えながら高校を卒業して就職しました。しかしどの仕事も長くは続かず、転々としていました。
そのうちに恋人ができ、一緒に暮らすようになりました。彼は全体的に優しく温かい人で、サクラさんの過食症を受け入れてくれ、「一緒に治していこう」と言ってくれました。仕事が続かないサクラさんを経済的にも支えてくれました。
ところが、二人の生活は平穏なものにはなりませんでした。きっかけは、彼の親友でした。彼の親友はたびたび遊びに来ましたが、サクラさんはその親友をどうしても好きになれませんでした。そして親友もサクラさんのことを嫌っていて、彼をとろうとしているのではないかとも思いました。だからじゃまをしに来るのだと思ったのです。
サクラさんは恋人に「あの人を家に来させないでほしい。できればあまり親しくしないでほしい」と言いました。それに対して恋人は「彼は僕にとって大切な親友なんだよ。僕は君のことをこれだけ大切にしているじゃないか。僕の親友のことも尊重してほしい」と言いました。すると、サクラさんは爆発してしまったのです。「だいたいあの男は人間としてのたちが悪すぎる。礼儀もなっていない。目つきがおかしい。心の中では腹黒いことを考えているに違いない。あなたは騙されているんだ」などと彼の親友を徹底的に罵倒しました。もちろんそれは彼にとっては聞くに耐えないことで、「いくらなんでも言ってよいことと悪いことがある」と言いました。するとサクラさんは「つまりあなたも同類っていうことね。もうあなたとはやっていけない。出て行く。出て行かせないのなら死んでやる!」と泣きながら怒鳴りました。そして実際に行方不明になったり、自傷行為をしたりするのです。
それからも同様のパターンが続きました。恋人はサクラさんに、「君もこれからいろいろな人と関わっていくためには、考え方を直さないといけないよ」などと教え諭しましたが、そのたびにサクラさんは怒り狂ったり、これ見よがしに自傷行為をしたりするのです。ついにある日、たまりかねた恋人はサクラさんを殴ってしまいました。

サクラさんのそれらの言動は、実はトラウマ症状でした。サクラさんはDV家庭で育ち、激しいいじめも経験していました。ひどいいじめに遭ったのに、家庭はとてもそれを相談しようと思える場所ではなく、誰も味方だとは思えないまま、ここまで生きてきた人だったのです。そんな彼女にとって恋人は初めて「味方になってくれるのではないか」と思えた人でした。
ところが、その関係を乱したのが、恋人の親友でした。サクラさんから見ると、親友にはいくつもの「怪しい点」がありました。たとえば突然やってくることでした。これはサクラさんの生活を妨害しようとしているように見えました。また、サクラさんが何かを気にしていると「いいじゃん、そんなこと気にしなくて」とよく言うことも気になっていました。サクラさんの感じ方を尊重しないで自分の意見を押しつけてくるように感じられたのです。その他、喫煙者である彼はしばしばタバコに火をつけようとしてから、「そうか、ここはタバコを吸えないところだったんだ」と笑いながら言うのですが、サクラさんは融通のきかない自分をそのつど責められているかのように感じました。これらの「怪しい点」は、いずれもサクラさんの「脅威のセンサー」に引っかかりました。自分を彼の恋人として認めていないのではないか、彼と自分を別れさせようとしているのではないか、と思ったのです。そしてその脅威を排除しようとして、恋人に「あの人を家に来させないでほしい。できればあまり親しくしないでほしい」と言ったのです。
ところが、それがトラウマ症状とは知らなかった恋人は、サクラさんの考え方を変えさせようとしました。これは、サクラさんから見れば、恐怖の体験となりました。まるで、自分の目の前に殺人者がいて「殺される」と必死で訴えているのに、助けてくれないばかりか、考え方を変えて相手と仲よくするようにと強要されているようなものなのです。本人にとってはそれほど切迫している状況であるにも関わらず、周りは悠長に「考え方の問題」などとピントのはずれたことを言っているのですから、そのとらえ方には明らかにずれがあり、本人の切迫感はますます膨張していくのです。
この切迫感が、その後の爆発につながっていきます。そこで表現されているのは怒りであり相手への攻撃ですが、サクラさんにとっては恐怖から来る必死の「正当防衛」なのです。サクラさんが訴えているのは、「だいたいあの男は人間としてのたちが悪すぎる。礼儀もなっていない。目つきがおかしい。心の中では腹黒いことを考えているに違いない。あなたは騙されているんだ」というめちゃくちゃな人格攻撃ですが、こういうときの「罵倒」の内容を聞くと、あまりにも一方的だったり筋が通っていなかったりすることが多いものです。少なくとも、聞くと不快な気分になるようなものがほとんどです。しかしそれは当然のことで「意図された攻撃」ではなく、突然の事態に動揺する中での自己防衛なのですから、「相手がどう思うか」などということは全くおかまいなしになるのです。とにかくやみくもに攻撃して身を守っている、というイメージに近いものです。
そのようなやみくもな自己防衛に対して彼は「いくらなんでも言ってよいことと悪いことがある」とたしなめています。サクラさんの発言が「意図された攻撃」であればそのようにたしなめることにも意味があるかもしれませんが、やみくもな自己防衛なのですから、何の意味もないということになってしまいます。そして彼がそうしてたしなめることは、サクラさんから見れば「彼は敵側に加担した」としか感じられず、ますます恐ろしくなり爆発する、ということになります。
こうしてトラウマ症状として振り返ってみると、サクラさんのめちゃくちゃな言動もかなりの程度理解可能な話になってきます。つまり、サクラさんは彼の親友や彼を責めているわけではなく、恐怖から自分を守ろうとして必死なだけだということです。
ところが、そういう理解なくこの状況を見てしまうと、サクラさんが口汚く自分や自分の親友のことを罵っており、それが全くコントロール不能という状況なのです。彼がついに追いつめられて暴力をふるってしまったのは、心情的には理解できます。
こうして、サクラさんは初めて「味方になってくれるのではないか」と思えた優しい恋人から殴られる、という事態に至ってしまいました。つまり、新たなトラウマ体験を招いてしまったのです。もちろんそのできごとの後には、恋人のことも怖く感じるようになってしまい、「あなたのように暴力的な人とはやっていけない」と恋人の家を出てしまいました。恋人は自分が感情的になってやってしまったことを心から反省していたのですが、暴力をふるってしまったという負い目から、サクラさんを引き留めることができませんでしたし、親友とサクラさんの板挟みで苦しんでいたこともあり、実際のところ引き留めることに積極的にもなれませんでした。
このように、トラウマ症状が相手を怒らせて新たなトラウマ体験を引き起こすということは珍しくありません。本来は、二度と危険な目に遭わないように、という目的を持った症状であったはずが、かえって危険を招いてしまうのです。また、サクラさんの場合、危険を招いただけでなく、長い目で見れば自分のトラウマを癒すことにつながるであろう貴重な相手を遠ざけることにもなってしまっています。

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⑩ 同の「第4章 トラウマが対人関係に及ぼす影響」における記述の一部(P090~P091)を次に引用します。

サクラさんもウメノさんも子ども時代に虐待されていた例ですが、アメリカ精神医学会の診断基準DSM-Ⅳを作る際に行われた調査では、子ども時代に虐待されていたPTSD患者の91%に、(1)自分への批判に敏感、(2)別の見方について聞くことができない、(3)自分自身のために何かに立ち向かうことが難しい、(4)交渉せずに仕事をやめたり人との関係を絶ったりする傾向 - が見られました。いずれも、「脅威のセンサー」があらゆる領域に向けられている結果として理解することができます。(2)の「別の見方について聞くことができない」というのは、「人は多様な見方をするものであり、どれが正しいというわけでもない」という考え方ができないということです。「自分とは違う見方をする人がいるということ=自分の見方が否定されること」と感じてしまうのです。そうすると、当然「脅威のセンサー」が働くことになります。
これらの対人関係面での障害は広い領域にわたり、恋人関係、夫婦関係、子育て、仕事など、多くの生活役割にまたがっていました。
子ども時代のトラウマがある人たちのうつ病に対する対人関係療法を研究しているタルボットたちは、子ども時代のトラウマがある人たちに見られる対人関係のパターンを「対人パターン」と呼び、治療焦点にすることを提案しています(文献7)。「対人パターン」に含まれるのは、慢性的な恥の感覚、慢性的な社会的引きこもりと愛着関係を作ることの回避、親しい関係において慢性的に要求が多く安心を求める、持続する対人不信、パートナーからの暴力など深刻な不和の繰り返し、親しい関係を突然やめることの繰り返しなどです。これらのパターンは、発達段階で身につけるべきだった課題がトラウマのために妨げられた結果として認識されています。

注:i) 引用中の「文献7」は、「Talbot NL, Gamble SA. IPT for women with trauma histories in community mental health care. J Comtemp Psychother. 2008;38:35-44.」です。 ii) 引用中の「サクラさんもウメノさんも」に関連して、ここを参照することに加えて、サクラさんの症例についてはここにおける引用を、ウメノさんの症例についてはここにおける引用を それぞれ参照して下さい。 iii) 引用中の「愛着」に関してはここを参照して下さい。

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⑪ 同の「第5章 PTSDへの対人関係療法」における「対人関係療法が向いている人」項の記述(P106~P107)を次に引用します。

トラウマ体験そのものに焦点をあてるエクスポージャーとは異なり、現在の対人関係に焦点をあてる対人関係療法は、エクスポージャ―が怖くてできない人、現在の「生きづらさ」が一番の悩みである人などにとってよい選択肢となります。また、対人トラウマの場合には特に対人関係が重要なテーマとなります。特に複雑性PTSDのように反復する対人トラウマ体験があった場合、対人関係を根本から組み立てていかなければならないようなこともあり、トラウマ体験そのものよりも現在の対人関係機能に焦点をあてる治療のほうが適している場合もあります。
対人関係療法では現在の対人関係という限られた領域だけに焦点をあてて治療を進めますが、その効果はPTSD症状の全域にわたって現れることが研究結果からも示されています。また、前述したように、対人関係療法で現在の対人機能が改善し症状が軽快した人たちは、やがて、促されなくても自らトラウマを思い出させるものに向き合う(エクスポージャ―する)ようになることが観察されています。対人関係療法によって現在の対人機能が改善し、「自分への信頼感」をとり戻した人たちは、トラウマの記憶にも耐えられるという自信がついてくるのだと思います。
エクスポージャー対人関係療法はそういう意味では同じ目的に向かって二つの逆の方向からアプローチするものだと言えます。エクスポージャ―では、トラウマ記憶に耐えられるようになることで生活全般への自信をつけていきますし、対人関係療法では、生活全般への自信をつけることでトラウマ記憶にも耐えられるようになるのです。

注:引用中の「エクスポージャー」についてはここにおける脚注を参照して下さい。

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⑫ 同の『第6章 トラウマを「役割の変化」として考える』における『トラウマという「役割の変化」』項の記述の一部(P122~P123)を次に引用します。

トラウマも一つの「役割の変化」と言うことができます。明らかに、社会における自分の立ち位置や身近な人間関係の性質が変わります。たとえば何らかの事件に遭遇したのであれば、それまでの「特に危険のことなど考えずにふつうに暮らしていた役割」から、「社会の危険を知りながら暮らす役割」に変わります。人から裏切られたということであれば、それまでの「誠実につきあっていれば人をふつうに信頼できた役割」から、「人は裏切りうるということを知りながら人づきあいをする役割」に変わるでしょう。
それぞれの新しい役割である「社会の危険を知りながら暮らす役割」や「人は裏切りうるということを知りながら人づきあいをする役割」において、「まあ、何とかなるだろう」という感覚をもってやっていけるようになると「役割の変化」を乗り越えたということになりますし、トラウマからの回復ということになるのですが、実際にはその適応は簡単なことではありません。
「社会の危険を知りながら暮らす役割」「人は裏切りうるということを知りながら人づきあいする役割」に適応できないということは、つまり、安全な暮らし方、安全な人づきあいのしかたがわからないまま、緊張と不信の毎日をすごす、ということなのです。これがトラウマという現象だと言えます。
トラウマ体験は、「役割の変化」の中でもその「変化」の度合いが激しいものです。単なる遭難というよりも、ふつうに人生を歩いていたところ、突然足下が地割れして叩き落された、という感覚に近いものです。落ちた直後は、自分に何が起こったのかもよくわからないでしょう。「落ちた」ということがわかってからも、自分がどこにいるのか、どちらの方向に向かって進んだらよいのかわからず、そもそも、歩き始めてもまた足下が地割れするのではないか、と全く安全を感じられない状態になってしまうのです。トラウマ体験をするとそこから時間が止まってしまったように思う人が多いのですが、それは、突然地割れがして突き落とされて途方に暮れている様子を考えれば、理解しやすいものです。
しかし実際には、いろいろなことを整理していくと、道を見つけることができます。それも、前の道がなぜ地割れしたのか、という理由もある程度知ることができると、今度は落ちないように生きていくということも考えられます。また、落ちたとしても同じように立ち直ることができると知ることは大きな力になります。(後略)

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⑬ 同の 第6章 トラウマを「役割の変化」として考える の「変化を境に、身近な人たちの支えがなくなる」項の記述の一部(P125~P126)を次に引用します。

トラウマ体験は、基本的には孤独の体験です。トラウマ体験そのものの衝撃だけでなく、そのときに自分が全くひとりぼっちだと感じることも特徴です。(中略)

サクラさんやウメノさんなど子ども時代に虐待されていた人たちに至っては、トラウマ体験どころか、今までの人生を精神的には全く一人で生きています。

注:引用中の「サクラさんもウメノさん」に関し、サクラさんの症例についてはここにおける引用を、ウメノさんの症例についてはここにおける引用を それぞれ参照して下さい。加えて引用はしませんが、共に玉突き衝突事故に巻き込まれ、トラウマを負った夫婦スタン・ローレンスとユート・ローレンスの脳については、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第4章 命からがら逃げる――サバイバルの分析 の「トラウマを負ったスタンとユートの脳」以降(P109~P122)を参照して下さい。ちなみに、スタンにはフラッシュバックの症状が出たのに対し、ユートには麻痺状態が見られたようです。

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⑭ 同の 第6章 トラウマを「役割の変化」として考える の「変化の中で起こる感情が強すぎてコントロールできない」項の記述(P126~P128)を次に引用します。

自分の感情が強すぎてコントロールできないと感じると「自分への信頼感」を失います。自分が大丈夫だとは思えなくなり、自分はどうなってしまうのだろうと怖くなります。トラウマは強い恐怖や怒りなどを伴うことが多く、その圧倒的な感情が怖いために思い出すことを回避したりすることになります。思い出すことを回避すると、「慣れる」ということができなくなり、トラウマ体験を乗り越えることがそれだけ難しくなります。
また、「慣れる」という意味だけではなく、「役割の変化」を乗り越えるためには、自分の感情にふれることに大きな意味があります。「役割の変化」という「遭難状態」から立ち直るためには、自分の現在位置を知ることがとても大切だからです。自分の現在位置を知るとはどういうことかというと、「今起こっていることが、自分にとってどういう意味があることなのか」を知るということです。自分にとってどういう意味がある体験をしているのかを知ることができれば、そこでやっていくべきことも整理されてくるものです。
「今起こっていることが、自分にとってどういう意味があることなのか」を知るための重要な手がかりになるのが、自分の気持ちです。変化の時には本当にさまざまな気持ちが出てくるものですが、「こんなに不安なのは、これから新しいことをしようとしているからだな」「こんなに悲しいのは、今までやっていたことが懐かしいからだな」「こんなに頭に来るのは、突然こんなことが起こったからだな」ということを一つひとつ確認していけば、遭難しないで変化を前に進んでいくことができます。つまり、変化の中で起こる全ての気持ちを、「こんな時期にはあたりまえの気持ち」と肯定していくことが大切なのです。ところが、気持ちにふたをしてしまうと、自分の現在位置がわからなくなってしまい、道に迷ったままということになってしまいます。
また、人間は、気持ちを共有していくことで、他人とのつながりを作っていくものです。変化の中で起こる気持ちを他人に打ち明けていくことは、身近な人に支えてもらえるようになるという点からも、とても重要な意義があります。しかし、その感情がただ強く相手にぶつけられてしまうと相手との関係が悪化しますし、そうなることが怖くて対人関係を避けてしまうと孤立につながってしまいます。

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⑮ 同の 第6章 トラウマを「役割の変化」として考える の「変化によって難しいことを要求されるようになる」項の記述の一部(P128)を次に引用します。

変化によって生活環境がガラリと変わってしまうようなときには、それだけ対処が難しくなります。(中略)

トラウマの場合、要求される難しいことの中には「トラウマ症状と共に生きる」ということもあります。本書ですでに述べてきたように、トラウマ体験をすると、ふだんは経験しないような激しい症状が起こってきます。症状として認識し対処法を知れば何とかなる症状であっても、正体がつかめないうちはただただ圧倒的なものとして、本人をふり回してしまいます。

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⑯ 同の 第6章 トラウマを「役割の変化」として考える の『「まあ、何とかなるだろう」という感覚を取り戻す工夫』項の記述(P136~P137)を次に引用します。

職場の異動などトラウマ以外の「役割の変化」に適応していく際には、新たな役割のプラスの側面を考える、ということも有効です。自分がただ変化に翻弄されるだけの立場ではなく、変化を活用することもできるのだ、と知ることは、遭難状態から脱することにつながるからです。
しかし、トラウマ体験の場合には、新たな役割のプラスの側面と言われても、思いつかないでしょうし、そもそもそういう視点そのものが不愉快に感じられると思います。
そんなときには、「それでもコントロールできること」を探すことで、自分への信頼感を回復していくことができます。たとえば、すべてが変わってしまったように思われるときでも、一つだけでも日常の習慣を続けておくとだいぶ違います。
実際には、強烈な「役割の変化」に直面すると、人は、自分に何かができるということを忘れてしまいます。
たとえば、再体験症状も、意識してゆっくりと呼吸したり身体を動かして緊張をほぐしたりすることによってある程度コントロールできる人もいるのですが、あまりにも無力感が強くなってしまうため、そんな工夫を考えようという気も起こらなくなってしまうのです。
日常の習慣を続けてみるということは、自分の力に気づく機会にもなります。17ページで述べましたが、小さな衝撃に対して私たちが気分転換をしてみることが、これにあたります。大きな衝撃の時にはさすがに気分転換で乗り越えられるほど簡単ではありませんが、少しでも自分の力にふれることは、「役割の変化」を乗り越えるうえでの力になります。
また、小さなことでも自分で選んでみる、ということも有効です。トラウマを受けると、自分には何かを選択する力があるということも忘れてしまいます。選択という概念すら忘れてしまい、ただ無力感と絶望感、コントロール不能な恐怖にふり回されて生きていくしかない、と思ってしまいます。そんなときに、大きな選択はできないとしても、何を食べるかとか、ものをどこに置くか、ハンカチはどれを選ぶか、などという小さな選択をすると、自分の力を感じる機会が増えるという人も多いものです。

注:引用中の文章「17ページで述べましたが」に相当する引用はここを参照して下さい。

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⑰ 同の 第9章 トラウマから回復するということ の「病気の治療とトラウマからの回復」項における記述の一部(P174)を次に引用します。

トラウマからの回復の全過程に治療が必要なわけではありません。トラウマは「役割の変化」として考えるとわかりやすいということを第6章で見ましたが、「役割の変化」そのものは病的だというわけではありません。私たちは人生の中で無数の「役割の変化」を経験しながら暮らしています。トラウマ体験後の「役割の変化」も、自然回復として進むところもたくさんあります。治療が必要になるのは、病気の診断基準を満たしているようなときであり、簡単に言えば、第3章で述べたような、悪循環の構造に陥っているようなときです。治療によって目指すのはその悪循環からの脱出であり、悪循環から解放されれば、またその人のペースで回復は進んでいくものです。
トラウマ体験が深刻なものであるほど、その回復のプロセスには長くかかります。場合によっては一生が回復のプロセスということもあります。しかし、それは「長くかかる」というだけの話であり、「回復しない」ということではありません。

注:i) 引用中の『トラウマは「役割の変化」として考える』に関しては、次の引用を参照して下さい。 ii) 引用中の「悪循環の構造」に関し、その例は次の症例でも見ることができるのかもしれません。

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⑱ 同の「第9章 トラウマから回復するということ」における記述の一部(P183)を次に引用します。

トラウマからの回復で目指されるものは一般に「エンパワーメント(有力化)」と呼ばれます。エンパワーメントとは、簡単に言えば、「トラウマによって無力化された人が再び自分の力を感じられるようになること」です。
本書では、対人関係療法の考え方を中心に、トラウマと対人関係の関連を見てきましたが、トラウマを「役割の変化」として考え、症状は症状として認識し、身近な人に受け入れてもらいながら自分のプロセスを進んでいくことで、「自分、身近な人、世界への信頼感」とのつながりを取り戻していくことは、まさにエンパワーメントの過程そのものだと言えるでしょう。

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(c)「発達」からみたこころの臨床
標題は、「こころの科学 181号(2015年5月)」特別企画名です。以下の(c)及び項においては、この企画から複数の文書を引用します。

杉山登志郎著の文書、「発達精神病理学の力 ―― 予防のための科学」(P14~P20)より記述の一部(P19)を次に引用します。

複雑性PTSDの特徴を、臨床でよく遭遇する所見としてまとめてみたのが表2である。以下、少し解説を加える。まず教育的虐待とは、本人の意思や能力を無視し、体罰や激しい叱責、脅しなどをともなって勉強を強いることをいう。決して稀ではなく、ようやく最近わが国でも注目されるようになった。
①気分変動に関しては、一見双極性障害Ⅱ型なのであるが、この起源は被虐待児に認められる激しい癇癪や気分変動であり、実際に気分調整薬がほとんど無効である。一方、抗精神病薬の少量処方と、フラッシュバックへの漢方薬、短時間のトラウマ処理の組み合せが治療的には有効に働く。つまり、複雑性PTSDによる気分変動を、双極性障害から分けたほうがよいのではないか、というのが発達精神病理学的視点からの指摘である。
②記憶の断裂もその激烈さをあまり知られていない。一年以上入院を含む治療を行った正常知能の子どもに名札を隠して「この先生、誰?」と尋ねたところ、覚えていなかった被虐待児に何人も出会っている。
③時間感覚がずれるのはおそらく“戦闘モード”が続いているからであろう。眠気がない人がたくさんいる。そこで睡眠薬をたくさん飲んで死んだように眠り、薬が残るので昼寝を長時間し、眠気がなく夜更かしをして眠剤を飲んで眠るという悪循環の生活になる。
④フラッシュバックは想起ではない。上岡ら(7)によれば「どこでもドア」の再体験である。
⑤生理的症状と心理的症状の相互混乱はきわめて深刻な問題である。症状としては「頭が痛い」「腰が痛い」など慢性疼痛の形をとり、やけやたら痛み止めを用いるが効かず、心理的な問題として扱うと初めて軽減する。一方で眠い、空腹、のどが渇いたなどの生理的な体の訴えが認識できず、一方的な不機嫌や怒りの噴出、抑うつなどとして現れる。「もう死ぬしかない、すぐに死ぬ」が、食事をしてうたた寝をしたらどこかへ飛んで行ってしまったりする。
希死念慮や他者への不信に関しては説明を要さないだろう。慢性的な自傷も同様。その裏返しの非現実的な救済願望が、不毛な恋愛や愛人への要求としてしばしば生じ、さらに子どもに理不尽な要求を一方的に求め、ペット、サプリメント、お守り、新興宗教などにも拡がる。

注:(i) 引用中の文献(7)は、上岡陽江、大嶋栄子著の本『その後の不自由-「嵐」のあとを生きる人たち』医学書院、2010年 のことです。※1も参照して下さい。 (ii) ネットで入手できる杉山登志郎医師に関する資料(ASD*44及び虐待関係)の例を次に紹介します。 資料「児童青年精神医学入門 その2:発達障害 その1」、「児童青年精神医学入門 その4:子ども虐待」、「発達障害から発達凸凹へ」、「そだちの凸凹(発達障害)とそだちの不全(子ども虐待)」、「発達障害とトラウマ性発達障害の鑑別およびトラウマへの治療効果判定に関する研究」、「自我状態療法―多重人格のための精神療法」、「解離性障害を持つ児童への自我状態療法と EMDR の併用の効果判定」、「複雑性 PTSD への簡易トラウマ処理による治療」、『「発達障害と愛着障害」 杉山登志郎氏 - 【基調講演】』、pdfファイル中の資料「発達障害愛着障害尼崎市子どもの育ち支援センターシンポジウム」、エントリ『杉山登志郎先生の講演を聴きました!「発達障害への薬物療法」』及びWEBページ「心と体を救う トラウマ治療最前線」 (iii) 引用中の「生理的症状と心理的症状の相互混乱はきわめて深刻な問題である。」に関連する複雑性PTSDにおける身体化(身体症状)に関する論文の一部を以下の≪補足説明2≫において引用します。 (iv) 引用中の『「もう死ぬしかない、すぐに死ぬ」が、食事をしてうたた寝をしたらどこかへ飛んで行ってしまったりする』に関連する、 1)「死にたいという強い訴えが、軽食を食べ、うたた寝をすると飛んでいたりする」ことについて、「そだちの科学 2017年10月号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ」の「難治例の臨床的特徴」における記述の一部(P12)を次に引用(『 』内)します。 『死にたいという強い訴えが、軽食を食べ、うたた寝をすると飛んでいたりする。のどが渇いてお腹が減っていただけだったのだ! こんな訴えに対して、まじめな医師がせっせと処方する結果、めちゃくちゃな多剤大量処方になるのである。』 2) 「疲れてると死にたくなる」ことについてはここここ を参照して下さい。 (v) 引用中の「一見双極性障害Ⅱ型」に関連する親の側の気分障害における「診断カテゴリーに当てはめれば双極Ⅱ型がほとんど」について、奥山眞紀子、三村將編集の本、「情動とトラウマ 制御の仕組みと治療・対応」(2017年発行)の 7 発達障害児者のトラウマと情動調節 の「7.3 発達障害児への親子並行治療」における不連続な3つの記述の一部(P102~P103)を次に引用(それぞれ『 』内)します。 『最近,発達障害を抱える児童において,その親にもカルテを作って並行治療を行う症例が増えてきた.受診した子どもの約1/3に上る.親の側のカルテを作る理由は,第1に親の側の精神医学的問題である.親の側に凸凹レベルを含めた発達障害の存在があり,現在の問題としては気分障害を生じているという症例が大変多い.第2は,親の側の被虐待の既往であり,そのような場合,親の側がトラウマを抱えており,現在は親から子どもへの加虐が生じている.子どもの治療を行うとなると,親の側のトラウマ治療も必要になる.ここに述べた発達障害気分障害と被虐待はそれぞれ無関係ではない.』、『第1に,この親の側に認められる気分障害を診断カテゴリーに当てはめれば双極Ⅱ型がほとんどである.ところが,うつ病と診断され,抗うつ薬のみが処方されていて逆に悪化したという例が多い.さらに、双極性障害と診断をされても,一般的な気分調整薬の服用による治療のみでは気分変動を止めることが非常に困難である.そのような非定型的で難治性の気分変動が多い.』、『第3に,これらの親は自身の被虐待に基づくトラウマを持っている.このためフラッシュバックが親子関係の中で頻々と噴出し,加虐を含む様々な問題を生じている.つまりトラウマへの治療が行われない限り,当然ながら親の側の気分障害を含む精神医学的問題は解決しない.気分変動そのものが,フラッシュバックを引き金として生じているものが少なくない.そうなると,フラッシュバックへの対応を行わない限りは「双極性障害」の治療が困難になることも当然であり,一般的な双極性障害の治療で著効が得られない理由はまさにここにあるのであろう.』(注:a) この引用部の著者は杉山登志郎です。 b) これらの記述に対するかもしれない「精神科診断」に関連する同項における記述の一部(P104)を次に引用[『 』内]します。 『精神科診断で言えば,前面にあるのは非定型的な双極性障害のエピソードであり,その背後に慢性のトラウマが認められる.』 c) 引用中の「凸凹レベル」に関連する「発達凸凹」については次の資料を参照して下さい。 「発達障害から発達凸凹へ」 d) 引用中の「気分障害」については、「うつ病」や「双極性障害」が代表例であることを含めて、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「気分障害」 加えて、「双極性障害の一部は、発達障害の特性をもった人の反応性の双極性障害様状態と捉えられるかもしれない」ことについては、「こころの科学 200号(2018年7月)」中の青木省三著の文書「最終講義――私の歩んだ精神科臨床の道」の「視点が変わると、異なってみえてくる」における記述の一部(P161)を次に引用[『 』内]します。 『双極性障害の一部は、発達障害の特性をもった人の反応性の双極性障害様状態(こんな言葉があるかどうかわかりませんが)と捉えられるかもしれません。』) (vi) 引用中の「慢性疼痛」についてはここここも参照した方が良いかもしれません。加えて、マインドフルネスと臨床的経験の視点からはここを参照して下さい。  (vii) 引用中の「“戦闘モード”」に関連する「闘争-逃走反応」についてはリンク集を参照して下さい。加えて、引用中の「悪循環」に関連して、規則正しい日常生活が送れないことが治療に及ぼす悪影響については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (viii) 引用中の「他者への不信」により、「なかなか医師の言うことなど聞いてくれない」ことについて、「そだちの科学 2017年10月号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ」の「難治例の臨床的特徴」における記述の一部(P12~P13)を次に引用(『 』内)します。 『希死念慮は多い。その背後には、他者への恒常的不信があり、インターネットのジャンクデータを頼り、なかなか医師の言うことなど聞いてくれない。自傷も多い。』 (ix) 引用中の「さらに子どもに理不尽な要求を一方的に求め」の例示として、杉山登志郎著の本「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の 第3章 発達障害とトラウマ の P43 において、次に引用する記述(『 』内)があります。『子どもに売春をさせ金を巻き上げるなど,子どもを自分のために利用搾取する親もしばしば認められる』 (x) 杉山登志郎医師は『「第四の発達障害」にしても、「発達性トラウマ障害」にしても、被虐待児が学童期において発達障害の臨床像を呈することを指摘している』ことについて、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の杉山登志郎著の文書「トラウマ処理総論」の「はじめに」における記述の一部(P29)を次に引用します。 【筆者による第四の発達障害(7)にしても、ヴァン・デア・コーク(van der Kolk, B.)の発達性トラウマ障害(11)にしても、被虐待児が学童期において発達障害の臨床像を呈することを指摘している。】(注:a) 引用中の文献番号「7」は次の本です。 「杉山登志郎『子ども虐待という第四の発達障害』学研、二〇〇七年」 b) 引用中の文献番号「12」は次の本です。 「van der Kolk, B.: The Body Keeps the Score. Mind, Brain and Body in the Healing of Trauma. Penguin Books, 2014.(柴田裕之訳『身体はトラウマを記録する』紀伊國屋書店、二〇一六年)」 c) 引用中の「第四の発達障害」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)

≪補足説明1≫引用中の表2を次に記述します。

表2 複雑性PTSDの特徴となる症状

身体的、心理的、性的、教育的虐待、ネグレクト、配偶者暴力の既往をもつ子ども、成人の次の症状

1.気分変動:子どもの場合には癇癪の爆発、成人女性の場合には月経前の制御困難なイライラを含む
2.記憶の断裂:1日以内の食事内容を想起できない、記憶の断片化の常在
3.時間感覚の混乱:日内リズムの慢性的混乱、眠気の消失を含む
4.フラッシュバックの常在化
5.生理的症状と心理的症状が相互に区別ができない、その結果として生じる慢性疼痛
6.希死念慮:他者への恒常的不信、自傷、その一方で非現実的な救済願望。これは対人的なものに限らない

注:引用中の「非現実的な救済願望」に関連するかもしれない「ユートピアニズムを追い求める」ことについてはここを参照して下さい。

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≪補足説明2≫複雑性PTSDにおける身体化*45
最初に、次の論文における「Somatization」([拙訳]身体化)項を以下に引用します。 「Complex PTSD:A syndrome in survivors of prolonged and repeated trauma[拙訳]複雑性PTSD:持続及び反復されたトラウマからのサバイバーの症候群」 なお上記「身体化」の簡単な紹介は次の資料を参照すると良いかもしれません。 「精神医学講義 児童思春期その6」の「“Complex PTSD: A syndrome in survivors of prolonged and repeated trauma” by Judith Lewis Herman (1992)」シート 加えて、発達性トラウマ(又は早期トラウマ)に関係する身体的症状について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響 の「一般的な身体症状と反応」における記述の一部(P178~P180)を形式を変更して以下に、解離性障害(解離症)における身体症状については、 柴山雅俊著の本、「解離の舞台」(2017年発行)の 7 時間的変容の諸相 の「6 解離性身体症状」における記述の一部(P115)を以下に、そしてフランク・W・パトナム著、中井久夫訳の本、「解離 若年期における病理と治療」(2001年発行)の 第一六章 精神薬理学 の「(七)身体型症状」項における記述の一部(P447)を以下に それぞれ引用します。その上に、PTSD又は複雑性PTSDにおける慢性疼痛に関連して、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第16章 自分の体の中に棲むことを学ぶ――ヨーガ の「内側が麻痺する」における記述の一部(P439)を以下に引用します。なお、「慢性疼痛」について、マインドフルネスと臨床的経験の視点からはここを参照して下さい。さらに、トラウマによる身体症状について、青木省三著の本、『ぼくらの中の「トラウマ」 いたみを癒すということ』(2020年発行)の 第1章 トラウマ反応で起きること の「身体が警戒態勢になる」における記述の一部(P29)を次に引用(『 』内)します。 『トラウマによって、頭痛、腹痛などの痛み、肩こり、めまい、耳鳴り、ふらつき、だるさ、吐き気、嘔吐、下痢、動悸、発汗、息苦しさ、などさまざまな身体症状、特に身体を調節する自律神経系の症状が起こりやすい。』(注:ちなみに、「不安症と関係が深い身体症状は、主に、自律神経の交感神経系の活動が亢進した際に認められる身体症状と関連している」ことについては他の拙エントリのここを参照して下さい) 加えて、上記「トラウマ」に関連する「DESNOS(特定不能の極度ストレス障害)」における「児童虐待と身体症状のつながり」については次の資料を参照して下さい。 「SIDES(Structured Interview for Disorders of Extreme Stress)日本語版の標準化」の「4) 身体化」項(P11) また、WEBページ「トラウマが与える様々な影響」も参照すると良いかもしれません。一方、発達障害の「身体化」(身体症状)に関しては、他の拙エントリの「身体症状」を参照して下さい。ちなみに、 (a) 標記「身体化」に関連する、 1) 「心身症」については次のWEBページを参照して下さい。 「心身症 - 脳科学辞典」 2) 「身体症状症」や「身体表現性障害」については共にここを参照して下さい。 (b) 加えて、心身相関等について紹介している、そして心因性や心身一元論等について紹介している次のWEBページもそれぞれあります。 「こころとからだ - 日本心身医学会」、「精神科とのクロストーク 身体表現性障害 精神科の立場から」 

Somatization

Repetitive trauma appears to amplify and generalize the physiologic symptoms of PTSD. Chronically traumatized people are hypervigilant, anxious and agitated, without any recognizable baseline state of calm or comfort (Hilberman, 1980). Over time, they begin to complain, not only of insomnia, startle reactions and agitation, but also of numerous other somatic symptoms. Tension headaches, gastrointestinal disturbances, and abdominal, back, or pelvic pain are extremely common. Suvivors also frequently complain of tremors, choking sensations, or nausea. In clinical studies of survivors of the Nazi Holocaust, psychosomatic reactions were found to be practically universal (Hoppe, 1968; Krystal and Niederland, 1968; De Loos, 1990). Similar observations are now reported in refugees from the concentration camps of Southeast Asia (Kroll et al., 1989; Kinzie et al., 1990). Some suvivors may conceptualize the damage of their prolonged captivity primarily in somatic terms. Nonspecific somatic symptoms appear to be extremely durable and may in fact increase over time (van der Ploerd, 1989)
The clinical literature also suggests an association between somatization disorders and childhood trauma. Briquet's initial descriptions of the disorder which now bears his name are filled with anecdotal references to domestic violence and child abuse. In a study of 87 children under twelve with hysteria, Briquet noted that one-third had been "habitually mistreated or held constantly in fear or had been directed harshly by their parents." In another ten percent, he attributed the children's symptoms to traumatic experiences other than parental abuse (Mai and Merskey, 1980). A recent controlled study of 60 women with somatization disorder (Morrison, 1989) found that 55% had been sexually molested in childhood, usually by relatives. The study focused only on early sexual experiences; patients were not asked about physical abuse or about more general climate of violence in their families. Systematic investigation of the childhood histories of patients with somatization disorder has yet to be undertaken.


[拙訳]
身体化

反復的なトラウマ(心的外傷)はPTSDの生理学的症状を増幅し、一般化するように思われる。慢性的なトラウマを受けた人々は穏やか又は快適で認識可能なベースラインを伴わずに、用心深くなり過ぎ、不安になり及び興奮しやすくなる(Hilberman、1980)。時間が経つにつれて、彼らは不眠、驚愕反応及び興奮のみならず、多数の他の身体症状も訴え始める。緊張性頭痛、胃腸障害、腹部、背中又は骨盤の痛みは非常に一般的である。彼らはしばしば震え、窒息感又は吐き気も訴える。ナチスホロコーストからのサバイバー達の臨床研究では、心身の反応は、実質的に普遍的であることが判明した(Hoppe, 1968; Krystal and Niederland, 1968; De Loos, 1990)。同様の観察は、現在東南アジアの強制収容所からの難民で報告されている(Kroll et al., 1989; Kinzie et al., 1990)。一部のサバイバー達は主に身体用語で、長期化した捕因の身の被害を概念化するかもしれない。非特異的な身体症状は、非常に持続的であるように思われ、実際には時間の経過とともに増加するかもしれない(van der Ploerd, 1989)。
臨床文献はまた、身体化障害と児童期のトラウマとの関連を示唆している。今、彼の名がついている Briquet によるこの障害(訳注1)の最初の記述は家庭内暴力や子ども虐待の逸話(訳注2)の引用で満たされている。12人のヒステリーを伴う87人の子ども達の研究において、 Briquet は、三分の一の子ども達は、「習慣的な虐待、常に恐怖の保持又は彼らの両親による手荒い躾け」があると言及した。他の10%の子ども達においては、彼はその症状は親の虐待以外のトラウマ体験によるものとした(Mai and Merskey, 1980)。身体化障害を伴う60人の女性における最近のコントロールされた(訳注3:対照群のある)研究(Morrison, 1989)では、55%が子ども時代に通常親戚により性的にいたずらされていた。この研究では初期の性的経験にのみ焦点を当てた。患者達は家族における身体的虐待又はより一般的な暴力的風土について質問されなかった。身体化障害を伴う患者達の子ども時代の歴史の系統的な調査は依然着手されなければならない。

訳注1:身体化障害は、19世紀のフランスの内科医 Briquet(ブリケ)の名をとり、ブリケ症候群と呼ばれることもあるようです[J.L.ハーマン著、中井久夫訳の本、「心的外傷と回復<増補版>」(1999年発行)の P197 より]。
訳注2:逸話というのは、体系的ではないということのようです。
その他の注:引用中の「身体化」に関連して、トラウマを負った子供にも大人にも広く見られる、明確な原因が見当たらない身体的症状については、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「主体性――自分の人生を支配する」における記述の一部(P164)を次に引用(『 』内)します。 『明確な原因が見当たらない身体的症状は、トラウマを負った子供にも大人にも広く見られる。腰や首筋の慢性的な痛み、線維筋痛症、偏頭痛、消化不良、痙攣性結腸/過敏性腸症候群、慢性疲労、喘息などが起こりうる(16)。』(注:i) 引用中の原注「(16)」の引用は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の身体的症状の一部が重なるかもしれない、PTSD を含むとされる「機能性身体症候群」や「中枢性感作症候群」についてはそれぞれ次の資料を参照して下さい。 「線維筋痛症」の特に「図2 機能性身体症候群」(P2081)、「中枢神経感作病態としての心身相関」の特に「Fig. 3 中枢性感作症候群」(P174) iii) 引用中の「腰や首筋の慢性的な痛み」及び上記引用中の『「頭が痛い」「腰が痛い」など慢性疼痛』に関連する「腰痛の訴えで痛み止めの処方と睡眠薬の増量を求められる」ものの「トラウマ処理をすると痛みが消失する」ことについて、「そだちの科学 2017年10月号」中の杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ」の「難治例の臨床的特徴」における記述の一部(P12)を次に引用(『 』内)します。 『併行治療を行っている子どもの母親から、腰痛の訴えで、痛み止めの処方と睡眠薬の増量を求められる。この母親に、前回の外来受診の後で、あなたが「毒母」と呼んでいる母親の実母に会っていないか、と尋ねると、実はやむを得ない事情があって、合わざるを得なかったという。その後から痛みが出たのではないかと確認すると、その通りであることがわかる。そこでトラウマ処理の技法(後述)を用いて、もやもやと痛みを処理する。すると痛みが消失をする!』[注:引用中の「トラウマ処理の技法(後述)」の引用は省略します。])

発達性トラウマに関係する身体的症状は、症状の一部が違ったあり方に転換したり、全てが新しい症状に変化したりする。発達性トラウマに関係する身体症状の特徴の一つは、この変わりやすさである。症状はまた、心臓・肺・循環器系・神経系・免疫系といった主要な器官に起こりがちである。
臨床家として、発達性トラウマから生き延びるために起こる典型的な身体的パターンを理解すれば、クライアントに効果的で適切な処置ができるようになる。同時に、その症状や歴史の「稼働システム」についても、クライアントに教えやすくなるだろう。

一般的な症状

・診断上のどんな分類にも簡単には当てはまらない説明不能な一連の症状
・複雑で説明しがたい反応が症候群として表れ、組み合わさる。つまり、診断のための検査を一つに絞ることができず、さまざまな症候群に当てはまる特徴を示す。たとえば、線維筋病症、慢性疲労、狼瘡(エリテマトーデス)など
・処方薬や医療処置への予期しない反応。処方されるよりもずっと少ないごく小量の服薬で副作用が起きる
・光、音、触覚刺激、あるいは匂いへの極端な敏感さがある
・自身の内側の体験を追うことができない
・注意深く内面を感じようとすると、恐怖が起こる
・小さな刺激に対して、通常起こらない強い反応を起こす
・時に症状は想像上のものだと思われ、詐病や心気症と診断される。身体的原因を特定できない
・反応に関して生理機能が果たしている役割が多くなりがちである。軽い刺激で過活性状態になりやすく、深い凍りつき状態に陥りやすい。ほんの少し身体に着目するだけで強い反応が起こる
・急な反応――たとえば、ちょっとした前兆で、突然痛みが激化する
・介入に対する反応が遅い。介入をとてもうまく受け入れたように思われるが、一、二日経つと症状が逆に悪化する

ACE研究は、早期トラウマに関係する症状について、豊かな情報を提供する。クライアントが、早期トラウマというレンズを通して症状を理解するようになると、自分の身体への調整ができないという恥の感覚が緩和される。
このようにACE研究は、成人後に現れる発達性トラウマの影響を正確に分析している。(後略)

注:(i) 引用中の「ACE研究」(逆境的小児期体験研究)についてはここを参照して下さい。  (ii) 引用中の「線維筋病症」については次のWEBページを参照して下さい。 「線維筋痛症 全身の痛み」 (iii) 引用中の「発達性トラウマから生き延びる」ことの代償に関連する「生き残るための対価」又は「アロスタティック負荷」(アロスタティックロード)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「発達性トラウマに関係する身体的症状」に関連する、 a) 「複雑性PTSDにおける身体化」についてはここを参照して下さい。 b) 「大人になってからの発達性トラウマの身体的影響」について、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第6章 逆境的小児期体験(ACE)の影響 の「大人になってからの発達性トラウマの身体的影響」における記述の一部(P173~P174)を次に引用します。

マーガレットは発達性トラウマの歴史を持ち、人生のあらゆる局面でその影響を受けてきた。両親ともにアルコール依存症で、父は暴力的、虐待的で、母は受け身でひきこもり、深刻な長期の抑うつ状態にあった。マーガレットが三歳の時、父は家族を捨て、その後母は何度も自殺を試みた。そして入院し、マーガレットと二人の兄弟は子ども時代の大半を、里親の元を行き来して過ごした。里親の家庭では、家で体験したよりもっとひどい虐待があった。

大人になってからマーガレットは、パニック障害がよく起こり、様々な恐怖症、深刻な社交不安、不眠、食物や環境への過敏症、消化器官の問題、線維筋痛症を含む数多くの健康問題を抱えていた。それにもかかわらず、彼女はなんとか大学を出て、小さな会社の家計係として働いている。

今やACE研究のおかげで、マーガレットが抱えている心身の症状や苦痛は、子ども時代の影響によるものだということが容易に推測できる。(後略)

注:i) 引用中の「パニック障害」(パニック症)については一部の不安症群も含めて他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「社交不安」に関連する「社交不安症」(社交不安障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「線維筋痛症」については次のWEBページを参照して下さい。 「線維筋痛症 全身の痛み

6 解離性身体症状

解離関連の身体症状は、さしあたって三つに分けられる。第一に、めまい、動悸、吐き気、腹痛、過呼吸など一般的に見られる身体症状である。第二に、精神状態とともに出現・消槌する運動・感覚症状である。これは交代人格の不全型交代と関連していることが多い。第三に、慢性的かつ単一症候的に見られる運動・感覚症状である。従来転換性症状と言われてきた症状はこれを指す。
こうした転換性症状は、病態理解および治療の観点からしても、解離性身体症状とは別に分類することが望ましいと思われる。
ここでは時間的変容と関連する上記第二の運動・感覚症状を、解離性身体症状として取り上げる。転換性症状は、病態理解および治療の観点からしても、解離性身体症状とは別に分類することが望ましい。
解離性身体症状は、運動筋肉の緊張と弛緩、感覚神経の過敏と減弱によって特徴づけられる。具体的には、四肢の強直、振戦、失立失歩、歩行困難、けいれん発作、さまざまな身体部位の疼痛、痺れ、知覚脱失、蟻走感などが多い。体幹部分ではうしろへと反り返る後弓反張(opisthotonus, arc de cercle)が代表的である。(後略)

注:(i) 引用中の「転換性症状」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「変換症 - 脳科学辞典」の「症状」及び「診断基準」項 (ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 (iii) 引用中の「時間的変容」については、同本の 7 時間的変容の諸相 の「1 時間的変容」における記述の一部(P103)を次に引用します(『 』内)。 『時間的変容とは、人格状態や意識状態などが時間軸に沿って変化したり交代したりすることで、時間的非連続性が見られることである。』 (iv) 引用中の「さまざまな身体部位の疼痛」について、 1) トラウマの視点からはここの注 iii) 項を、 2) マインドフルネスと臨床的経験の視点からはここを それぞれ参照して下さい。 (v) 引用中の「解離関連の身体症状」に関係する「身体的な症状がめだって現れるため、精神科に行かず、診断がつくまでに時間がかかる」ことについて、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の「体の症状 突然歩けなくなった、話せなくなった」における記述の一部(P32)を次に引用(『 』内)します。 『身体的な症状がめだって現れるため、精神科に行かず、診断がつくまでに時間がかかることもあります。体に現れる症状は多方面にわたり、そのために内科や整形外科などの複数の診療科を転々としては困っている人が多いのです。』

(七)身体型症状

身体型症状と心因性疼痛は解離性障害患者にとって特に厄介な症状であり、それに次いで外傷後障害患者でも厄介である。ふつう、これらの症状は、その底にある精神力動的過程、たとえば虐待体験の再体験の反映である(435-1992)。これらの症状への最善の対処法は精神療法的および精神療法関連の介入法である。しかし、実際に身体的成分があって、それが心理的因子によって増幅されている場合は見落とさないことが大切である。

注:i) 引用中の「(435-1992)」は、次の論文のようです。 「Somatic reenactment in the treatment of posttraumatic stress disorder.」 ii) 引用中の「慢性疼痛」について、1) トラウマの視点からはここの注 iii) 項を、 2) マインドフルネスと臨床的経験の視点からはここを それぞれ参照して下さい。

内側が麻痺する(中略)

長期にわたって怒ったりおびえたりしていると、筋肉が常に緊張状態になるために、いずれ痙攣や背中の痛み、偏頭痛、線維筋痛症といった、何らかの慢性疼痛の症状が出る。そうした人々は、さまざまな専門家に診てもらい、多様な診断検査を受け、多くの薬を処方されるかもしれない。それによって一時的に苦しみから解放されることもあるのだろうが、どれも根底にある問題は正してくれない。診断によって患者の問題が規定されてしまい、それがトラウマに対処しようとする彼らの試みの表れなのだと認識されることはない。(後略)

注:引用中の「慢性疼痛」についてはここも参照した方が良いかもしれません。加えて、マインドフルネスと臨床的経験の視点からの「慢性疼痛」についてはここを参照して下さい。

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② 吉川久史著の文書、「こころの発達とトラウマ・トラウマ処理」(P65~P70)より「トラウマ処理」項における記述(P67~P69)及び「おわりに」項における記述の一部(P70)をそれぞれ次に引用します。

トラウマ処理

本稿では、「トラウマ処理」をトラウマに関連する情動反応や身体反応を完了させ、トラウマ記憶を人生全体の記憶ネットワークに位置づけていく作業と定義する。「トラウマ治療」という場合は、トラウマ処理とその準備段階、環境調整などを含んだより広範な枠組みを指していると考えていただきたい。
トラウマ処理に先立って重要なことがいくつかある。
まず、心理教育は必須である。患者のなかには自分の身に何が起きているのかわからない人も多いため、それをまず知ってもらい、治療者と共通の言葉を使ってコミュニケーションできるようになることが必要である。筆者は、親密な雰囲気を作り出すためにプリント類を一切使用せず、会話をしながらあれこれ書いて説明する。患者からすると自分のことばかり教えてもらえると感じ、今まで言葉にできなかったことを言い当ててもらった気持ちになる。患者を観察していると、このときに眉と目が開くことが多い。心理教育がうまくいくと、患者のほうから「私の場合、○○なんですよね」と話してくれる。心理教育を通じて自発性を引き出せる。心理教育は病理と治癒についてのナラティブを患者と治療者が協力して生成する作業であると筆者は考えている。
次に、患者の自己開示についてである。患者は自分の症状について、最初からなんでも話せるわけではない。安心できる場所で自分の症状について学び、治癒の希望を治療者から何度も与えられる過程で、重要なことを少しずつ言葉にする。治療者としては「どうしてそれをもっと早く言わないの?」と思うことは多い。しかしながら、とくに複雑性PTSDの患者の場合、本当に重要なことを治療者に話すのは一種の賭けなのだ。賭けに負けると確実に傷つき、環状島*46の内斜面を転がり落ちるだろう。たとえ治療者に話を聞いてもらえたとしても、単なるぬか喜びかもしれない。患者のなかには本当の気持ちを話した後で「私の話したことは本当は嘘かもしれない」と不安に陥る人もいる。それほどのリスクをとって治療者に話す。非常にハイリスク・ローリターンの賭けである。筆者は患者に賭けに勝ってもらいたいので、患者の話を信じるほうに賭ける。信頼の問題は非常に重要である。
三つ目は、苦痛への対処法の習得である。これまで患者がどのように対処してきたかを聞き出すことから始める。自傷他害のある対処行動(リストカット、むちゃ食い、アルコール乱用、薬物乱用、過量服薬、弱い者いじめなど)を、自傷他害のない対処行動(呼吸法、漸進性筋弛緩法、イメージリラクゼーション技法、運動、ヨガ、瞑想など)に交換してもらうようにする。ポイントは、自傷他害のある対処行動を治療者がまずは受容することである。なぜなら、この対処行動には患者の人生が詰まっている。日常生活に混乱が生じている場合は、いわゆる「交通整理」を行って負荷を減らす必要がある。トラウマ的日常にあっても自立を保持できるような援助が必要だろう。このように基本的信頼、自立、自発性を活性化させるような工夫が臨床で求められる。
実際のトラウマ処理では、筆者はEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理)とホログラフィートークを併用することが多い。EMDRは、眼球運動をはじめとする両側性刺激を用いてトラウマ記憶の再処理を促し、それによってトラウマ症状を治癒に導く治療技法である(6)。
トラウマ記憶は、フラッシュバックに代表されるように断片的で冷凍保存されたものであるため、記憶ネットワーク全体から孤立した状態になってる。複雑性PTSDの患者であれば複数のトラウマ記憶が芋づる式につながってはいるが、それ以外の記憶との連合は弱い。トラウマ記憶は、なかなか出口が見つからない迷宮のようなものである。再処理とは、迷宮の出口まで囚われの患者を連れ出すことである。処理か完了すると、記憶ネットワーク全体の俯瞰の下でトラウマ記憶を位置づけることができるため、それはもはや恐ろしいものではなく、ニュートラルなものとして認識できるようになる。
ホログラフィートークは、誘導イメージによって患者の自我状態を扱い、複雑で深刻なトラウマを治療する心理療法である(7)。自我状態とは、トラウマ記憶や満たされなかった思い、身体化症状を表象するような人物イメージである。自我状態はうまく誘導すれば患者の作為を離れ自律的に動く。この自我状態とのコミュニケ―ションを通じてナラティブを変換し、トラウマを処理する。「自分の気持ちをただわかってほしかった」というタイプの愛着のトラウマ処理を扱う際に、効果の高さを実感する技法である。ホログラフィートークはEMDRと併用して解離された情動や衝動を扱うことも可能である(8)。
このようなトラウマ治療法は、人間のイマジネーションをフル活用する。ただ単に現実には起こらなかったことを想像するのではない。想像のなかで立ち現れる感情や感覚を、治療者の温かいまなざしのなかで体験するときに重要な処理が起きる。EMDRやホログラフィートークは、患者が内的作業を進める際の安全な舞台を提供する。

注:(i) 引用中の脚注は本エントリ作者によるものです。この脚注の内容は、本文書における他の記述の一部からの引用です。 (ii) 引用中の文献番号「(6)」、「(7)」及び「(8)」は、それぞれ、 Shapiro, F. : Eye Movement Desensitization and Reprocessing : basic principles, protocols, and procedures. 2nd ed. Guilford Press, 2001.(市井雅哉監訳『EMDR-外傷記憶を処理する心理療法』二瓶社、2004年、 嶺輝子「中絶のトラウマ・ケア」宮地尚子編『トラウマとジェンダー - 臨床からの声』81~100頁、金剛出版、2004年、 白川美也子「EMDRと自我状態療法」『EMDR研究』二巻、13~26頁、2010年 です。 (iii) 引用中の「EMDR」についてはここ及びここを参照して下さい。なお、EMDRを実施するための注意点、EMDRのシステマティックレビュー及び/又はメタアナリシスに関する論文紹介やパニック症における予期不安に対するEMDRの効用については共にここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「ホログラフィートーク」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (v) 引用中の「自我状態」に関連する「自我状態療法」については次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法」 (vi) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 (vii) 引用中の「愛着のトラウマ処理」に関連するかもしれない「愛着障害」については、リンク集を参照して下さい。 (viii) 引用中の「呼吸法」については、例えばここを参照して下さい。 (ix) 引用中の「漸進性筋弛緩法」(又は「漸進的筋弛緩法」)については、例えば次の資料やWEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」、「睡眠障害・睡眠問題に対する支援マニュアル -保健師・対人援助職向け」の「リラクセーション法:漸進的筋弛緩法」項(P8)、「Ⅱ ストレスへの対処」 (x) 引用中の「身体化症状」についてはここを参照して下さい。 (xi) 引用中の「ヨガ」については、例えばここを参照して下さい。 (xii) 引用中の「瞑想」に関連するかもしれない「マインドフルネス」については、例えばここを参照して下さい。 (xiii) 引用中の「ナラティブ」に該当する「ナラティヴ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xiv) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 (xv) この引用元と同一人物による EMDR について簡単に説明している記述を杉山登志郎編集の本、「発達障害医学の進歩28 発達障害とトラウマ」(2016年発行)中の吉川久史著の文書「発達障害の子どもへのトラウマ治療」の「トラウマ処理」における記述の一部(P55)を以下に引用します。

おわりに(中略)

トラウマの治療法は、まだエビデンスが十分確かめられていないものも含めていくつも存在する。今回紹介したEMDRとホログラフィートーク以外にも、自我状態療法やブレインスポッティングなどが症状改善に役立つ。複雑性PTSDと愛着障害の啓発と、治療法の普及が今後の課題である。

注:(i) 引用中の「ブレインスポッティング」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 (ii) 引用中の「自我状態療法」については次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法」 加えて、EMDRを活用した自我状態療法について、サンドラ・ポールセン著、新井陽子/岡田太陽監修、黒川由美訳の本、「図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療 EMDRを活用した新しい自我状態療法」(2012年発行)があります。 (iii) 引用中の「愛着障害」についてはここを参照して下さい。 (iv) ちなみに、この引用では、様々なトラウマの治療法を紹介しています。同様に、トラウマの治療法をリストアップした別の記述を杉山登志郎編集の本、「発達障害医学の進歩28 発達障害とトラウマ」(2016年発行)から以下に複数紹介します。 a) 同本中の、杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ 総論」の「発達障害へのトラウマ治療」における記述の一部(P13~P14)を、 b) 同本中の、藤江昌智著の文書「発達障害と子ども虐待の親子並行治療」の 子ども虐待への親子トラウマ治療 の「3 母親へのトラウマ治療」における記述の一部(P78)を それぞれ以下に引用します。加えて、「こころの科学 198号(2018年3月)」中の三ケ田智弘著の文書「児童心理治療施設における愛着障害への治療的アプローチ――世代間トラウマを治療する試み」の「愛着障害におけるトラウマ治療の重要性」における記述の一部(P77)を次に引用(『 』内)します。 『現在当施設では、EMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)、TFT(思考場療法)、TF-CBT(トラウマフォーカスト認知行動療法)、SE(Somatic Experiencing)、自我状態療法、催眠、ホログラフィトーク、アドベンチャーセラピーなどの技法を用い、治療を行っている。』(注:引用中の「EMDR」については【余談4】を、「TFT」についてはここを、「SE」についてはここを、「自我状態療法」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法」) (v) 一方、引用中の「複雑性PTSDと愛着障害」に関連した「トラウマの問題と愛着の問題」については、友田明美著の本、「新版 いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2012年発行)の 第Ⅳ章 虐待を受けた子どもたちのケア,治療 の 2.ケアのための心理療法 の「②愛着(アッタチメント)に対する心理療法」における記述の一部(P113)を以下に引用します。

発達障害へのトラウマ治療(中略)

現在わが国の臨床において,トラウマをターゲットにした,ボディワークとイメージ操作をドッキングさせた新しい精神療法が次々に開発されている.それらはトラウマ処理を必ずしも伴わない催眠を加味した自我状態療法,ホログラフィートーク,ブレイン・スポッティング,思考場療法などなど,百花繚乱といった様相を呈するようになった.当然であるが,それぞれが使い勝手の良さと悪さをもっている.若い臨床家は,ぜひこの領域に注目して欲しい.これだけ発達障害もトラウマも日常的に溢れているとなると,自分は研修をしていないのでその対応ができません,ということはプロフェッショナルとしてあってはならないことである.

注:i) 引用中の「ホログラフィートーク」、「自我状態療法」については、共にここを、加えて、上記「ホログラフィートーク」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ブレイン・スポッティング」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「思考場療法」についてはここを参照して下さい。 iv) ちなみに、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)においては、トラウマセラピーとして、①持続エクスポージャ療法(他の拙エントリのここを参照)、②EMDR(ここ及びここを参照)、③認知処理療法(ここを参照)、④感情と対人関係の調整スキル・トレーニングとナラティブ・ストーリー・テリング(STAIR&NST)(他の拙エントリのここを参照)、⑤ナラティブ・エクスポージャー・セラピー、⑥トラウマ・フォーカスト認知行動療法*47、⑦親子相互交流療法、⑧対人関係療法(主に、ここ及びここを参照)、⑨思考場療法(TFT)(ここを参照)、⑩ソマティック・エクスペリエンス(ここを参照) がそれぞれ紹介されています。

3 母親へのトラウマ治療
筆者は,トラウマ治療の技法として眼球運動による脱感作と再処理法(Eye Movement Desensitization and Reproccessing ; EMDR),思考場療法(Thought Field Therapy ; TFT),ホログラフィートーク(HT)を用いている9).(後略)

注:i) 引用中の文献番号「9)」は次の資料です。 「福井義一,嶺輝子,森川綾女 ほか:トラウマとその周辺.明治安田こころの健康財団研修講座 2015, 名古屋」 ii) 引用中の「EMDR」については、ここ及びここを参照して下さい。 iii) 引用中の「思考場療法(Thought Field Therapy ; TFT)」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ホログラフィートーク」についてはここを参照して下さい

トラウマ処理
1 EMDR
EMDR は Shapiro によって開発されたトラウマに対する心理療法である5).EMDR では,患者はトラウマ記憶の様々な側面(映像,認知,感情,身体感覚)に注意を向けながら,治療者から両側性刺激が加えられる.両側性刺激とは,左右交互の感覚刺激のことを指す.たとえば,眼球運動であれば,治療者が患者の目の前で指を左右にすばやく振り,患者はその指を見る.タッピングであれば,患者の手のひらや膝を治療者が左右交互にトントンと軽くたたいてあげたり,バジーという愛称で知られる NeuroTek 社製の Tac/AudioScan を用いて刺激を加える.これは,本体から伸びた線の先に碁石大の大きさのバイブレーションが付いており,スイッチを入れると左右交互に振動が切り替わるという機械である.耳の近くで左右交互に治療者が指を鳴らしてもよい.トラウマ記憶は何もしないと,まるで冷凍保存されたように,気持ちの整理が止まってしまうことがあるが 両側性刺激によって,心理的苦痛が急速に低下し気持ちの整理が進む.EMDR では,さらに,患者がもともともっている良い思い出,適応的な対処法,知識,支えになる人物などを思い出してもらい,トラウマを克服する力にする.
(後略)

注:引用中の文献番号「5)」は、「Shapiro, F. : Eye movement desensitization and reprocessing : Basic principles, protocols, and procedures. 2nd ed. Guilford Press, 2001.(市井雅哉(監訳):EMDR-外傷記憶を処理する心理療法.二瓶社,2004)」です。

②愛着(アッタチメント)に対する心理療法(中略)

被虐待児の愛着の再形成の必要性(中略)

心理療法において以外にもこの愛着の問題が軽視されていることは,青木が指摘している11).彼は,トラウマの問題と愛着の問題は併存して起こるものであると指摘しており,本稿でもその立場を強く支持するものである.(後略)

注:引用中の文献番号「11)」は、次の資料です。 「青木 豊.被虐待乳幼児に対するトラウマ治療と愛着治療.トラウマティック・ストレス 2008; 6(1), 15-23.」 ii) この引用と類似点がある引用例は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

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③ 大羽美華、杉山登志郎著の文書、「ASDとトラウマ ―― ASD青年へのEMDR」(P76~P81)より記述の一部(P76)を次に引用します。

タイムスリップ現象(1)は、自閉症スペクトラム障害(Autism spectrum disorder:ASD)の記憶の病理である。トラウマにおけるフラッシュバックと極似しているが、自閉症独自の要素も認められる。タイムスリップによる殺人事件まで起きているので、われわれは治療方法を模索してきたが、トラウマ処理の一技法であるEMDR(Eye movement desensitization and reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理)に出会うまで成功していなかった。
ASDのタイムスリップに対し、EMDRを用いた治療に三つのタイプがあることに気づいた(2)。第一は、小学校年代の児童に、現在進行形のトラウマ記憶の処理を短時間に行うものである。二番目は、青年期の患者に、過去の迫害体験の処理が必要となり実施した場合であり、多くはいじめの記憶である。三番目は、すでに成人になった患者に、過去の被虐待への処理が必要となり実施したものである。このグループは、タイムスリップ現象の治療というより、複雑性PTSDへの治療である。
われわれは最近、社会的に良好な適応をしていた青年期のASDに対して、EMDRを用いたトラウマ処理を実施した。広い意味で二番目の範疇に入るが、この青年に対し、家族も治療者も、多少のトラウマ的な体験の存在は知りつつもそれほど大きな問題とは考えていなかった。ところがトラウマ処理の実施によって、社会的適応が一段上がったのである。この治療過程は、われわれにあらためてASDのトラウマについて学びを与えてくれた。(後略)

注:(i) 引用中の「タイムスリップによる殺人事件」は、2004年に起きた北海道石狩市の主婦殺人事件のようです。 (ii) 引用中の文献番号「(1)」と「(2)」は、それぞれ、杉山登志郎自閉症に見られる特異な記憶想起現象 - 自閉症の time slip 現象」『精神神経学雑誌』96巻、281~297頁、1994年、 杉山登志郎「タイムスリップ現象再考」『精神科治療学』25巻、1639~1645頁、2010年 です。 (iii) 引用中の「タイムスリップ現象」のような、過去の事象の現在への侵入は、ecmnesia として古くから記載されているようです。例えば次の資料を参照して下さい。 「自閉症の精神病理」の「6.タイムスリップ現象」項(P8) (iv) 加えて「タイムスリップ現象」のさらなる説明例としては、ツイート以外にも、資料「児童青年精神医学入門 その2:発達障害 その1」の「自閉症の中核となる精神病理 その4 タイムスリップ」シートを参照して下さい。さらに本田秀夫著の本、『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(2013年発行)の 第2章 特性から理解する自閉症スペクトラム の「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」における記述の一部(P79~P80)を以下に引用します。 (v) 引用中の「EMDR」については、ここ 及びここを参照して下さい。加えて、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 「解説の試み」における記述の一部(P605~P606)を以下に引用します。ちなみに、a) EMDRを実施するための注意点については、例えばここ及び他の拙エントリのここを、 b) EMDRのシステマティックレビュー及び/又はメタアナリシスに関する論文紹介についてはここを、 c) パニック症における予期不安に対するEMDRの効用については、他の拙エントリのここを、 d) 「EMDR が奏功した東日本大震災被災者の PTSD と複雑性悲嘆5症」については資料「EMDR が奏功した東日本大震災被災者の PTSD と複雑性悲嘆5症例の報告」を それぞれ参照して下さい。 (vi) EMDRを紹介する本として、フランシーン・シャピロ著、市井雅哉監訳の本、「過去をきちんと過去にする EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法」(2017年発行)があります。一方 EMDR における眼球運動のイメージは、友田明美著の本、「子どもの脳を傷つける親たち」(2017年発行)の「図3-3」(P130)を参照すると良いかもしれません。

(前略)自閉症スペクトラムの人たちは、一般の人たちにとってはほんの些細と思えるようなことでも、嫌な体験として忘れられない場合があります。そのときには特に苦痛を示さなかったのに、何年も経ってから、そのときの記憶を苦痛感とともに突然思い出し、強い不安やパニック状態を示すことがあります。この現象を、発達障害の研究で有名な杉山登志郎氏は「タイムスリップ現象」と名づけています。

解説の試み(中略)

次の章ではEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)が紹介されるが、自分が実施していたグループセッションの参加者の中に、併行してEMDRを受けた患者がいて、その回復ぶりに驚嘆したヴァン・デア・コーク自身が早速研修を受けに行き、その効果に驚くというエピソードが紹介されている。これは私自身の経験そのものでもある。(後略)

注:i) この解説の著者は杉山登志郎です。ちなみに、この引用部を含む全文は、次のWEBページで読むことができます。 「『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』 解説の試み by 杉山 登志郎」 ii) 引用中の「エピソード」の詳細について「第15章 過去を手放す――EMDR」における記述の一部(P408~P428)をそれぞれ以下に引用します。この引用部分には次の項目を含みます。 「EMDRについて学ぶ」、「EMDR――最初の体験」、「EMDRを研究する」、「EMDRは曝露療法の一種なのか?」及び「EMDRでトラウマを処理する」 なお、ヴァン・デア・コーク(van der Kolk)による EMDR に関連する論文例をダウンロードできるWEBページを次に紹介します。 「SELECTED SCIENTIFIC PUBLICATIONS​」における「NIMH Funded EMDR Study Download File」

(前略)中年の建設業者のデイヴィッドがクリニックに来たのは、彼の暴力的な憤激の発作によって家庭か生き地獄になっていたからだった。彼は最初のセッションのときに、二三歳の夏に起こった出来事について話した。看視員をしていたある午後、少年グループがプールで大騒ぎをして、ビールを飲んでいた。デイヴィッドは、アルコールは禁止だと注意した。すると少年たちが襲いかかってきて、そのうちの一人に、割れたビール瓶で左目をえぐり出された。三〇年たってもまだ彼は、その刺傷事件についての悪夢とフラッシュバックを経験していた。
デイヴィッドは、ティーンエイジャーの息子を容赦なく非難して、些細な落ち度があっただけでも怒鳴りつけることが多く、また、妻に対してひとかけらの愛情も示せなかった。片目を失明するという悲惨な経験をしたのだから、他者を虐待してもしかたがないのだと、心のどこかで思っていたが、怒りに満ちて執念深くなってしまっている自分を憎みもした。憤激をどうにかしようとするあまり、常に緊張していることに気づいていたし、抑えが利かなくなることへの恐れから、愛情も友情も育めなくなってしまったのではないかと思っていた。
私は二回目のセッションのときに、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)と呼ばれる手順を導入した。暴行されたときの詳細に立ち戻って、襲われたときに目にした光景、聞こえた音、頭をよぎった考えを思い出すようにデイヴィッドに言った。「ただ、あのときが戻ってくるのに任せてください」と指示した。
そして、私の指の動きを目で追うように言ってから、彼の右目から三〇センチメートルほどの所で人差し指を左右にゆっくりと動かした。たちまち、憤激と恐怖が次から次へと表出し、痛みや頬を流れ落ちる血の感触、目が見えないことに気づいたときの感覚が、生々しく蘇った。彼がこうした感覚を報告する間、私は時おり励ましながら、指を左右に動かし続けた。数分ごとに指の動きを止めると、深呼吸するように促した。それから、その瞬間に心に浮かんでいるものに意識を向けるように指示した。そのとき彼の頭にあったのは、学生時代にした喧嘩だった。それ意識を向け、その記憶から離れないように言った。他の記憶もいくつか、一見したところ脈絡もなく現れた。どこにいても自分を襲った少年たちを探していること、奴らを痛めつけてやりたいと思っていること、酒場で口論になったことなどだ。彼が新たな記憶や感覚を報告するたびに、心に浮かんできているものに注意を向けるように促し、人差し指をまた動かした。
その日のセッションが終わるころには、彼は前よりも穏やかで、明らかにほっとしたように見えた。刺傷事件の記憶が強烈さを失い、今ではもう、ずっと昔に起こった不愉快な出来事になっていると言った。それから、じっくり考えながら言った。「本当に最悪でした。そのために長年具合が悪かったのです。それなのに、驚きですね、けっきょく自分でこんなに素晴らしい人生を切り開くことができたわけですから」
翌週の三回目のセッションでは、トラウマの影響に取り組んだ。彼は憤激に対処するために、長年薬物やアルコールを摂取してきた。EMDRを繰り返していくうちに、さらに多くの記憶が蘇った。自分を襲って投獄されていた少年を殺させようと、知人の刑務所の看守に相談し、あとで考え直したことを思い出した。この決断を想起したことで、とても心が楽になった。自分は抑制の利かない人でなしだと思うようになっていたが、復讐をやめたのだとわかって、思慮深くて寛大な自分の一面にまた触れることができるようになったのだ。
次のセッションでデイヴィッドは、ティーンエイジャーの加害者に抱いたのと同じ気持ちで息子に接していたのだと、自分で気づいた。セッションが終わると、何があったかを息子に話して許しを求めたいから、いっしょに家族と会ってくれないかと頼んできた。五回目の最後のセッションのときには、前よりよく眠れるようになったことを報告し、生まれて初めて心の平静を感じていると述べた。一年後にデイヴィッドは電話をしてきて、夫婦仲が良くなり、いっしょにヨーガをやるようになっただけでなく、自分もよく笑うようになり、庭仕事や木工を心から楽しんでいると語った。

EMDRについて学ぶ

EMDRがトラウマのつらい再現を過去の出来事にするのに役立ったのは、デイヴィッドの治療のときだけではない。同じことがこの二〇年間に何度となくあった。EMDRに出合ったのは、マギーを通してだった。マギーは若く威勢の良い心理療法家で、性的虐待を受けた少女たちの社会復帰施設を運営していた。マギーは次から次へと人と対立し、ほとんど誰とでも衝突していたが、世話をしていた一三、四歳の少女たちとだけはうまくいっていた。彼女は薬物を摂取し、危険で暴力的な男たちとつき合い、上司たちとよく言い争いをし、ルームメイトに我慢ができないから(そして、ルームメイトも彼女に我慢できないから)という理由で転々と引っ越しをした。一流の大学院の心理学博士号をもらうだけの心の安定と集中力を、いったいどうやって引き出せたのか、私は首を傾げるばかりだった。
マギーは、同じような問題を抱える女性のために私が運営していたセラピーグループに、紹介されてやって来た。二回目のミーティングのときに、父親に二度、五歳と七歳のときにレイプされたことを私たちに話した。自分のせいなのだと彼女は思い込んでいた。父親が大好きだったし、自分が媚を売ったから父親が自制できなくなったに違いないと説明した。私はその話に耳を傾けながら、「彼女は父親を責めていないかもしれないが、どう見ても、父親以外のすべての人のことを責めているな」と思った。前のセラピストたちのことも、自分が良くなる手助けをしてくれなかったからという理由で責めているのだろう。多くのトラウマサバイバーと同じように、彼女は言葉で一つの物語を語り、行動ではまた別の物語を語り、その行動で、トラウマのさまざまな面を再演し続けていた。
ある日セラピーグループのミーティングに来たマギーは、その前の週末に受けた専門家向けのEMDR研修での驚くべき経験について熱心に語った。その時点で私がEMDRに関して知っていたのは、セラピストが患者の目の前で指を振る、人気の新手法だということだけだった。私や私の学者仲間たちにしてみれば、これもまた精神医学を繰り返し見舞ってきた疫病の一つのようなもので、マギーの失敗談がまた一つ増えるだけだろうと私は思った。
EMDRのセッション中に、七歳のときに父親にレイプされたことを鮮明に思い出した、子供だった自分の体の内側から思い出したとマギーは私たちに語った。自分がどんなに小さな子供だったのかを、マギーは体で感じることができた。のしかかってくる父親の大きな体を感じられたし、父親のアルコール臭い息を感じることもできた。それでも、その出来事を追体験していたときでさえ、二九歳の自分の観点からそれを観察することができたそうだ。彼女はわっと泣きだした。「あんなに小さな子供だったのに。大きな男が小さな女の子に、よくもあんなことができたものだわ」。彼女はしばらく泣いていた。それから言った。「でも、もうあれは済んだこと。何が起こったのか、今はわかる。私が悪いんじゃなかった。私は小さな女の子で、父に乱暴されるのを防ぎようがなかったんだから」
私は度胆を抜かれた。人が再びトラウマを負うことなしに、トラウマを引き起こした過去に立ち返るのを手助けする方法を、私はずっと探していたからだ。マギーはフラッシュバックに劣らぬほど真に迫った経験をし、それでもそれに乗っ取られることはなかったようだ。EMDRは、人をトラウマの痕跡に安全にアクセスさせられるのだろうか。そして、トラウマの痕跡を、ずっと昔に起こった出来事についての記憶に変えられるのだろうか。
マギーはEMDRのセッションをあと数回受けた。その間もグループにとどまったので、私たちは彼女の変わりぶりを目にすることができた。怒りはだいぶ治まったが、私が大好きだったあの冷ややかなユーモアのセンスは持ち続けた。数か月後に彼女は、それまで惹きつけられていた人とはまったく別のタイプの男性と親密になった。そして、トラウマを解決したと言って、グループを去った。私は、自分がEMDRの研修を受ける時だと思った。

EMDR――最初の体験

多くの科学的進歩がそうであるように、EMDRは偶然の観察結果から生まれた。一九八七年のある日、心理学者のフランシーン・シャピロは、つらい記憶で頭がいっぱいの状態で公園を歩いていたとき、素早い眼球運動によって苦しみから劇的に解放されたことに気づいた。それほど短い経鹸から、いったいどうやって優れた治療方法が生まれたのだろうか。それほど単純なプロセスに、いったいぜんたい、なぜそれまで誰も気づかなかったのだろうか。最初は自分の観察に懐疑的だったシャピロは、数年かけて自分の手法を実験・研究して、徐々に形を整え、教えたり、対照研究で試したりできる、標準化(多くの実験データにより妥当性と信頼性を持たせること)された手順にしていった(1)。
最初のEMDR研修を受けたときには、私自身が自分のトラウマを処理する必要があった。その数週間前に、マサチューセッツ総合病院の私の科を統轄していたイエズス会の司祭が、トラウマクリニックを突然閉鎖したために、私たちは患者を治療し、学生を訓練し、研究を行なうための新しい場所と資金をなんとか確保しようと必死になっていた。ほぼ同じころ、第10章で述べた、性的虐待を受けた少女たちの長期的な研究をしていた友人のフランク・パトナムが国立保健研究所を解雇され、解離に関してはアメリカ随一の専門家リチャード・クラフトがペンシルヴェニア精神科病院で担当していた部門が閉鎖された。悪いことが偶然重なっただけかもしれないが、四面楚歌のように感じられた。
トラウマクリニックにまつわる苦悩は、私がEMDRを試すのには格好の試験材料だったようだ。研修で組んだ相手の指を両目で追っている間、児童期のぼんやりとした場面が、続けざまに心に浮かんだ。夕食の席での家族の感情的な会話、休み時間に学友と衝突したこと、兄と納屋の窓に小石を投げつけたこと――それはすべて、日曜の朝遅く、まどろんでいるときに経験し、はっきりと目覚めた途端に忘れてしまう類の、生々しくてふわふわ漂っている「半醒半睡の」光景だった。
三〇分ほどしてから、私は相手の研修者と、クリニックを閉鎖すると上司に言われた場面に立ち返った。今度は、諦めがついたように感じた。「よし、過ぎたことはしかたがない。今はもう、先へ進むべき時だ」と。私は後ろを振り返らなかった。クリニックはのちに復活し、それ以来、盛況を極めている。私はEMDRのおかげだけで、怒りと苦悩を手放すことができたのだろうか。もちろん確実なことは知る由もないが、私の心の旅――無関係な児童期のさまざまな場面から、クリニック閉鎖という出来事に片をつけることまで――は、それまでにトークセラピーで経験したものとはまるで違っていた。
次に、私がEMDRを施す番になったときに起こったことは、なおさら興味深かった。私たちは相手を変え、初対面の新しいパートナーは、父親が関係する児童期の不快な出来事と取り組みたいということだったが、それらの出来事については話したがらなかった。「話」を知らずに人のトラウマに対処することはそれまでなかったし、彼がどれほど些細なことも話すのを拒むので、私は不愉快で、苛々した。両目の前で私が指を動かしている間、彼は激しく苦悩しているように見えた。そして、しくしくと泣きだし、呼吸が速く浅くなった。だが、私が手順に沿って質問をするたびに、頭に浮かんだことを話すのを拒否した。
四五分間のセッションが終わると、パートナーは開口一番、こう言った――私とのやりとりがとても不快だったので、私には患者を絶対に紹介しない、と。それを別とすれば、このEMDRセッションのおかげで、父親から受けた虐待の問題が解決したという。私はそれを信用できず、彼が私に無礼な態度をとるのは、父親に対する感情が未解決のまま持ち越されたからではないかと思ったものの、彼が前よりリラックスしたように見えることに疑問の余地はなかった。
私は困惑した気持ちをEMDR指導者のジェラルド・パクに伝えた。パートナーは私をはっきりと嫌っていたし、EMDRのセッション中はひどく苦悩しているように見えたのに、長く続いていた不幸が去ったと今は言っている。セッション中に起こったことを話そうとしないのなら、彼が何を解決したのか、あるいはしなかったのか、知りようがないではないか。
ジェラルドは微笑んで、ひょっとしたら私が、自分の個人的な問題を解決するためにメンタルヘルスの専門家になったのではないかと訊いた。私を知っている人はたいてい、そうではないかと思っていると私は認めた。すると彼は、人が自分のトラウマの話をしてくれたときには、それは意義深いと思うかと尋ねた。これにも同意せざるをえなかった。今度は彼は、「ベッセル、たぶん君は、自分の覗き見趣味的な傾向を抑えることを学ぶ必要があるようだね。トラウマの話を聞くのが君にとって重要なら、酒場にでも行って一ドル札を二、三枚テーブルに置いて、隣の人に、『あなたのトラウマの話をしてくれたら、一杯おごってあげるよ』と言うといい。でも、話を聞きたいという君の望みと、患者の心の中で起こる治癒のプロセスとは違うんだ。それを肝に銘じるべきだね」と言った。私はジェラルドの忠告を胸に刻み、それ以来、好んでそれを学生に繰り返している。
EMDRの研修を終えたときには、次の三点で頭がいっぱいだった。そして私は今日に至るまで、その三点に魅了され続けている。

・EMDRは心/脳の中で何かを解きほぐすので、人は緩やかに結びついた過去の記憶とイメージに素早く接触できるようになる。これが、トラウマ体験をより大きな前後関係や視野に収める助けになると思われる。
・人はトラウマについて話さなくても、トラウマから回復することができるのかもしれない。EMDRは、他者と言葉のやりとりをすることなしに、自分の経験を新たなかたちで観察することができるようにしてくれる。
・患者とセラピストの間に信頼関係がなくても、EMDRは手助けになりうる。これはとりわけ魅力的だった。当然のことだが、人はトラウマを経験すると、心を開いて他者を信頼し続けられることは稀だからだ。

それからの年月、私はEMDRの重要な指示である「それに意識を向けてください」という言葉しか言えない、スワヒリ語、中国語、ブルトン語母語とする患者たちにも、EMDRを施してきた(いつも通訳についてもらうが、それはおもに手順を説明するためだ)。EMDRでは、患者は耐え難いことについて話したり、ひどく気が動転しているわけをセラピストに説明したりする必要はないので、自分の内的経験にすっかり意識を集中し続けることができ、ときとして並外れた成果が得られる。

EMDRを研究する

トラウマクリニックを救ってくれたのは、子供を対象とする私たちの仕事にずっと関心を持っていた、マサチューセッツ州の精神保健局のある部長で、その人が今度は、ボストン地域のコミュニティ・トラウマ対応チームを組織する仕事を引き受けるよう、私たちに要請してきたのだった。私たちの基本的な活動は、そのチームで十分に賄えたし、私たちがしていること(新たに発見されたEMDRの効果で、以前は助けることができなかった患者の一部を治すことも含む)に共鳴した熱心なスタッフが、残りの部分に対応してくれた。
私と同僚たちはまず、PTSD患者に行なったEMDRセッションのビデオテープを、互いに見せ合った。それによって、過ごとの劇的な改善が観察できた。それから、標準的なPTSD評価尺度で患者の進歩を正式に評価し始めた。また、ニューイングランド・ディーコネス病院の若い神経画像専門家エリザベス・マシューに頼んで、一二人の患者の脳を治療の前後にスキャンしてもらうことにした。たった三回のEMDRセッションを受けたのちに、一二人のうちの八人は、PTSD評価得点が有意に下がっていた。スキャン画像を見ると、治療後に前頭前皮質の活動が急激に増加しており、さらに、前帯状皮質大脳基底核の活動が前よりもはるかに盛んになっていた。トラウマ記憶の経験の仕方が変わったのは、この変化で説明できるかもしれなかった。
ある男性は、「真に迫った記憶であるかのように思い出しますが、もっと隔たりがありました。いつもその中で溺れていましたが、今回は上に浮かんでいました。自分が主導権を握っているという気かしました」と報告した。ある女性は、「以前は、その出来事の段階を一つひとつ残らず感じていました。でも今は、断片ではなく全体になっています。だから扱いやすいです」と語った。トラウマは緊急性を失い、遠い昔に起こった出来事についての物語に変わっていたのだ。
その後私たちは国立精神保健研究所から資金を得て、EMDRの効果をフルオキセチンプロザック)の標準的な投与や偽薬の効果と比較した(2)。八八人の参加者のうち、三〇人はEMDRを受け、二八人はプロザックを、残りは砂糖の偽薬を与えられた。よくあることだが、偽薬を服用した人にも改善が見られた。八週間後、四二パーセントという彼らの改善の度合は、「科学的根拠に基づく」として奨励されている他の多くの治療法の場合よりも大きかった。
プロザックのグループは偽薬のグループよりも成績が良かったが、その差はごくわずかだった。これは薬によるPTSDの治療に関する研究の大半で表れる結果で、研究に参加しただけで約三〇~四二パーセントの改善が見られ、薬が効くと、さらに五~一五パーセントがそれに上積みされる。ところが、EMDRを受けた患者は、プロザックや偽薬の人よりも大幅に改善した。EMDRのセッションを八回行なったあとに、四人に一人は完全に回復した(PTSD評価得点が無視できるレベルにまで下がっていた)。これと比較して、プロザックのグループで回復したのほ一〇人に一人だった。だが、本当の違いは、時の経過とともに表れた。八か月後に参加者を診察したときには、EMDRを受けた人の六割の評価得点が完全な回復を示していたのだ。偉大な精神科医ミルトン・エリクソンが述べたように、いったん丸太を蹴れば流れ出す(丸太がたくさん川につかえているときに、これという丸太を一本見つけて蹴飛ばせば、丸太はみな流れていく、という意味)のだ。トラウマ記憶をいったん統合し始めた人は、自然に改善し続けた。それとは対照的に、プロザックを服用した人は、飲むのをやめると再び症状が悪化した。
この研究は重要だった。なぜなら、EMDRのような、トラウマに特化したPTSD治療のセラピーが、服薬よりもはるかに効果的になりうることを実証したからだ。他のいくつかの研究によっても裏づけられているように、患者がプロザックや、それに類するシタロプラム(セレクサ)、パロキセチンパキシル)、セルトラリンジェイゾロフト)といった抗うつ薬を飲むとPTSDの症状はしばしば改善するが、それは飲み続けている間だけだ。このために薬物療法のほうが、長期的にははるかに高価になっている(興味深いことに、プロザックは主要な抗うつ薬であるにもかかわらず、私たちの研究では、EMDRを受けた人のほうがプロザックを服用した人よりも、うつの評価得点の減少幅も大きかった)。
私たちの研究では他にも重要な発見があった。児童期にトラウマを経験した人は、大人になってトラウマを負った人とは、EMDRに対して非常に異なる反応を示したのだ。八週間のセラピーの終わりに、EMDRを受けた人のうち成人後にトラウマ体験をしたグループのほぼ半数は、完全な回復を示す評価得点を得たのに対し、児童虐待を受けたグループでそうした顕著な改善を示したのはたった九パーセントだった。八か月後には、成人後のトラウマ体験グループの回復の割合は七三パーセントで、児童虐待の被害者は二五パーセントだった。児童虐待のグループには、プロザックがわずかではあるが一貫して効果を挙げた。
こうした結果は、第9章で述べた発見を裏づけている。すなわち、長年にわたる児童虐待は、成人期にトラウマを負わせる個々の出来事とはまったく異なる精神的適応や生物学的適応を引き起こすのだ。EMDRは、頑固なトラウマ記憶に対する治療法としては有効だが、児童期の身体的虐待あるいは性的虐待に伴う裏切りや遺棄の影響を必ずしも取り除くわけではない。どのような種類のセラピーを八週間行なったところで、昔のトラウマの長年にわたる影響はめったに解決しきれるものではないのだ。
私たちのEMDRの研究は二〇一四年の時点で、大人になってトラウマを体験してPTSDを発症した人について発表された研究の中では、最も良い結果が出ている。だが、こうした結果と、他の何十もの研究結果があるにもかかわらず、私の同業者の多くはEMDRについて相変わらず懐疑的だ。あまりにも話がうま過ぎるように思えるから、あまりにも単純過ぎてそれほどの効果を持つはずがないように思えるからかもしれない。そうした懐疑心はよく理解できる。EMDRは風変わりな治療法なのだ。興味深いことに、PTSDのある戦闘帰還兵にEMDRを使った最初の本格的な科学的研究では、EMDRは効果が非常に薄いと予想されていたために、バイオフィードバックを利用したリラクセーション・セラピーとの比較のための対照条件に含められていた。ところが、EMDRの一二回のセッションのほうが、治療法として有効であることがわかって、研究者たちは仰天した(2)。EMDRはそれ以来、退役軍人省の承認を得たPTSDの治療法の一つになっている。

EMDRは曝露療法の一種なのか?

EMDRは実際にはトラウマを引き起こした素材に対して人を脱感作するのであり、したがって曝露療法と同種のものだという仮説を立てている心理学者もいる。もっと正確に言えば、EMDRはトラウマを引き起こした素材を統合するということになるのだろう。私たちの研究が示したように、人はEMDRを受けるとトラウマを首尾一貫した過去の出来事だと考えるようになり、前後関係から切り離された感覚やイメージを経験することがなくなる。
記憶は、進化して変化する。記憶はでき上がるとすぐに、統合と再解釈の長い過程を経る。その過程は、意識ある自己からの入力なしに、心/脳で自動的に起こる。それが完了すると、その経験は人生における他の出来事と統合されて、それ自体の生命を持たなくなる(4)。すでに見たように、PTSDになるとこの過程がうまく進まず、記憶は消化されずに、生のまま立ち往生する。
残念なことに、精神療法家は研修の際に、脳の記憶処理システムの働きについて教わることはほとんどない。これが抜け落ちているために、治療へ間違った取り組みをしてしまいかねない。恐怖症(クモ恐怖症のように、特定の不合理な恐れに基づいたもの)とは異なり、心的外傷後のストレスは、実際に命を脅かされる経験をしたこと(あるいは、誰かの命が奪われるのを目撃したこと)に基づく、中枢神経系の根本的な改変の結果であり、(自分は無力であるというふうに)自己の経験を変え、(この世はすべて危険な場所だというふうに)現実の解釈を変更してしまうのた。
曝露療法を受けると、患者は最初著しく動揺する。トラウマ体験に立ち返ると、心搏数と血圧とストレスホルモン値が急上昇する。だが、なんとか治療を続けてトラウマを追体験し続けると、その出来事を想起しても過敏な反応がしだいに減り、判断力を失いにくくなる。結果として、PTSD評価の得点は低くなる。だが、私たちが知るかぎり、昔のトラウマを思い出させるだけでは、その記憶を人生全体の脈絡に統合させられないし、患者はトラウマを負う前にしていたように人と楽しくかかわり、日々の営みをするところまで回復できることはめったにない。
それとは対照的に、EMDRは、あとの章で述べる治療法(内的家族システム療法、ヨーガ、ニューロフィードバック、精神運動療法、演劇)と同様に、トラウマによって活性化された強烈な記憶を調節するだけでなく、心身の所有を通じて、主体感覚や、物事に関与している、責任を持っているという感覚を回復させることにも焦点を当てている。

EMDRでトラウマを処理する

キャシーは二一歳で、地元の大学の学生だった。初めて会ったときは、おびえて恐れおののいているように見えた。それまで三年間、セラピストから精神療法を受けていた。そのセラピストを信頼していたし、理解されていると思っていたけれど、何の改善も見られなかった。三回目の自殺企図のあとに、大学の学生健康センターが、以前私から聞いた新しい技法が助けになるのではないかと期待して、彼女を紹介してきたのだった。
私のトラウマ患者の何人かと同じように、キャシーは学業に没頭することができていた。本を読んだり研究論文を書いたりするときには、人生の他のすべてのことを頭から締め出すことができた。そのおかげで有能な学生でいられたのだが、親しいパートナーとは言うまでもなく、自分自身とも、どうやって愛情深い関係を築いていいのかまったくわからなかった。
長年にわたって父親に児童売春をさせられていたとキャシーが語ったので、普通であれば私はEMDRを補助的なセラピーとしてだけ使おうと考えたところだろう。だが、やってみるとキャシーはEMDRに非常に良い反応を示し、八回のセッション後に完全に回復した。それまでの私の経験では、深刻な児童虐待を経験してきた人のうちで最短記録だった。このセッションが行なわれたのは一五年前だが、私は最近彼女に会い、三人目の子供を養子に迎えることについての長所と短所を話し合った。彼女が聡明で面白味のある人になり、家庭生活にも、児童の発達を専門とする助教授の仕事にも、楽しく取り組んでいたので、私は嬉しかった。
キャシーの四回目のEMDR治療のときに私が残した覚書を紹介しよう。これは、そうしたセッションで普通どのようなことが起こるかを示すためだけでなく、トラウマ体験を統合するときの人間の心の働きを明らかにするためでもある。脳スキャンや血液検査や評価尺度では、これを計測することはできないし、ビデオ記録さえ、EMDRが心の想像力をどのように解き放つことができるかについて、ごくわずかしか伝えられない。
キャシーと私は一・二メートルほど離れて、四五度の角度でそれぞれの椅子に座った。とりわけ不快な記憶を頭に思い浮かべるように私は求め、それが起こったときに何を聞いて、見て、考えて、体で感じたかを思い起こすように促した(その特定の記憶が何なのかを彼女が話したかどうか、記録には書かれていない。書き留めなかったということは、おそらく話さなかったのだろう)。
今「その記憶の中に」いるかどうかをキャシーに尋ね、はいという答えがあったので、それがどれだけ現実のように感じられるかを、一から一〇までの尺度で答えるように求めた。九ぐらいと彼女は答えた。それから私は、指の動きを目で追うように指示した。二五回ほどの目の動きを一区切りに、ときおり、「深呼吸をして」と言ってから、「今、何を感じますか」「今、何が頭に浮かんできますか」などと尋ねた。すると、キャシーが考えていることを話す。彼女の声の調子、顔の表情、体の動き、呼吸のパターンから、情動的に豊要なテーマだとわかったときには必ず、「それ意識を向けてください」と言って、またひとしきり眼球運動を始め、その間、彼女は何も話さなかった。私は、そうしたわずかな言葉を発する以外は、その後の四五分間、黙ったままだった。
眼球運動の最初のセットのあとに、キャシーは次のような連想をしたことを報告した。「傷跡があるのがわかります――両手を背中で縛られたときのものです。他にも、この女は自分のものだという印につけられた傷跡があります。こっちは[と指で示す]噛まれた跡です」。彼女は、当惑しているものの驚くほど冷静な様子で、次のように回想した。「ガソリンを浴びせられたのを覚えています――ポラロイド写真を撮られて――それから水に沈められて。父と、父の友人二人に集団レイプされました。テーブルに縛りつけられて。バドワイザーの瓶でレイプされたのを覚えています」
私は胃が締めつけられる思いがしたが、キャシーには、そうした記憶を心に浮かべたままにしておくようにと言うにとどめた。もう三〇回ほど指を動かしたあとに手を止めると、彼女は微笑んでいた。何を考えているのかと尋ねると、彼女は答えた。「空手の教室にいました。すごかった! 尻を蹴っ飛ばしてやったんです! あいつらが後さずリするのが見えました。『私を傷つけているのがわからないの? 私はあんたたちの女じゃないのよ』と叫びました」。私は「その場面にいてください」と言うと、次のセットを始めた。それが終わるとキャシーは言った。「二人の私の姿が見えます――この賢くて、かわいい小さな少女……そして、あの小さな売春婦です。あの女どもはみんな、自分や、私や、あの男たちを持て余して――あの男たちの面倒を見るのを私に任せたのよ」。彼女は次のセットの間に泣きじゃくりだした。私が指の動きを止めると、「私はあんなに小さかったのね――あんなに小さな女の子に暴力を振るうなんて。私が悪かったのではないわ」と言った。私はうなずき、「そのとおりですよ――その場面にとどまって」と言った。次のセットの終わりにはキャシーは、「今は自分の人生を思い描いています――大きな私が小さな私を抱き締めて――『もう大丈夫よ』と声をかけています」と言った。私は励ますようにうなずいて、続けた。
次々に光景が湧いてきた。「ブルドーザーが私の生家を壊すところが見えます。終わったのよ!」。それからキャシーの連想は、別の道筋に移った。「今、考えているのは、ジェフリー[彼女の取っている講座の一つにいる青年]がどれだけ好きかということです。そして、彼は私とつき合いたくないのかもしれない、と。私にはうまくつき合えないと思います。今まで誰かの恋人だったことはないし、どうやってなればいいのかわかりません」。私は、何を知らなければならないと思うかと彼女に訊いて、次のセットを始めた。「今、見えるのは、ただ私といっしょにいたいと思ってくれる人――単純なことですね。男の人のそばにいると、どうやってただ自分らしくしていればいいのか、わからないです。体が固まってしまって」
私の指を目で追いながら、キャシーはすすり泣き始めた。私が指を止めると、彼女は言った。「ジェフリーと私がコーヒーショップで座っているところが見えました。父がドアから入ってきて、大声を張り上げ始め、斧を振り回しています。『おまえは俺のものだと言っただろう』と言って、テーブルの上に私を載せると――私をレイプして、それからジェフリーをレイプします」。今度は激しく泣いていた。「どうやって誰かに心を開けっていうんですか、父親にレイプされて、それから二人ともレイプされているところが目に浮かんでいるときに」。私は慰めてあげたかったが、連想を続けさせることのほうが重要なのがわかっていた。そこで、体の中で感じるものに意識を集中するように求めた。「前腕と、両肩と、右胸に、それを感じます。ただ抱き締めてもらいたいです」。私たちはEMDRを続け、一区切りしたときには、キャシーはリラックスしているように見えた。「大丈夫だよ、とジェフリーが言うのが聞こえました。君の面倒を見るためにここに送り込まれたんだ、君がしたことではないし、君のためにいっしょにいたいだけなんだ、と」。私はもう一度、体の中で何を感じるかと訊いた。「本当に穏やかな気持ちです。ほんの少し震えています――今まで使ったことがない筋肉を使っているときのように。ほっとします。ジェフリーにはもう、こういうことが全部わかっているんですね。自分が生きていて、みんな終わったのだという気がします。でも、どうしましょう、父にはもう一人、小さな女の子がいるの。それを思うと、とても、とても悲しくて。その子を救ってあげたいです」
だが、セッションを続けるうちに、トラウマが、他の考えや光景といっしょに戻ってきた。「吐きそうだわ。……いろいろな臭いが入り込んでくるんです――安物のコロンや、アルコールや、吐いた物の」。数分後に、キャシーは猛烈に泣いていた。「母が、今ここに本当にいるような気がします。私に許してもらいたがっているみたいです。母も同じような目に遭ったんだと思います――何度も何度も謝っています。同じようなことをされたのだと言って――私の祖父にされたのだ、と。こうも言っています。祖母もそこにいて私を守ってあげられなかったことで、本当にすまないと思っている、と」。深く息をして、何であれ浮かんでくるものといっしょにいるようにと私は言い続けた。
次のセットのあとで、キャシーは言った。「終わったのだと思います。祖母が今の年齢の私を抱き締めているような気がしました――祖父と結婚して本当にすまないと思っている、祖母も母もここで本当に終わりにするからねと言っています」。EMDRの最後のセットが終わると、キャシーは微笑んでいた。「こんな光景が浮かんでいます。父をコーヒーショップから押し出して、ジェフリーが中から鍵をかけてしまうんです。父は外に立っています。ガラス越しに父が見えます。父はみんなにからかわれています」
EMDRの助けによって、キャシーはトラウマ記憶を統合し、想像力に助けを求めてその記憶を葬ることができた。そして、達成感と自己制御感を得たのだ。それも、私の関与は最小限で、そして、経験したことの詳細について話し合うことなしに(私は詳細が正確かどうかを問題にする必要をまったく感じなかった。彼女の経験は彼女にとって本物だったし、私の仕事は、彼女が現在においてそれを処理するのを助けることだったからだ)。その過程のおかげで、彼女の心/脳の中で何かが解放され、新しい光景や感情や思考を活性化した。あたかも彼女の生命力が湧き出して、未来のための新しい可能性を生み出したかのように(5)。
すでに見たように、トラウマ記憶はばらばらになった未改変の光景や感覚や感情として存続する。EMDRは、求めてもいない、一見したところ無関係な感覚や情動、光景、思考を、元の記憶とともに活性化する能力を持っているように見える。私が思うに、それがEMDRの最も驚くべき特徴だ。古い情報をまとめ直して新しいパッケージにするというこのやり方こそ、私たちがトラウマではない通常の日々の経験を統合する方法なのかもしれない。

注:(i) 引用中の原注「(1)」~「(5)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 (ii) 引用中の「プロザック」は抗うつ薬ですが、日本においては認可されていません。 (iii) 引用中の「ヨーガ」についてはここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「演劇」についてはここを参照して下さい。 (v) 引用中の「ニューロフィードバック」に関連する「リアルタイム fMRI ニューロフィードバック」(real-time fMRI neurofeedback)については、拙訳はありませんが例えば次の論文(全文)を参照して下さい。 「Differential mechanisms of posterior cingulate cortex downregulation and symptom decreases in posttraumatic stress disorder and healthy individuals using real‐time fMRI neurofeedback」 (vi) EMDR治療の特徴として、この引用の「EMDR――最初の体験」において3項目が示されています。 (vii) 引用中の(EMDRにより)「完全に回復した」に関連して、EMDRが効果を最も発揮する場合について、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の井上直美著の文書「眼球運動による脱感作と再処理法」の Ⅰ.EMDR の概要 の「6.効果が現れにくいクライエント」における記述の一部(P72)を次に引用します(『 』内)。 『大前提として,EMDR はトラウマに対して開発された治療法であるため,現在抱えている不適応の問題や非機能的反応の主要な原因が,トラウマ性の病理のよって生じている場合にこそ、最も効果を発揮する。』 (viii) ちなみに、子どもの視点ではあるものの、 a) 引用中の「眼球運動」に関連する眼球交互運動例についてはここを参照して下さい。ちなみに、この方法は指の左右の動きを使用しないので、公衆の面前でも挙動不審者として見られずに、応用可能かもしれません。 b) 一方、EMDRを実施するための注意点については、例えばここ及び次のWEBページを参照して下さい。 「EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)について」の「7. EMDRの禁忌」項 加えて、EMDRのシステマティックレビュー及び/又はメタアナリシスに関する論文紹介についてはここを参照して下さい。 c) また、EMDRに似たタッピングDR*48について、杉山登志郎著の本、「子ども虐待という第四の発達障害」(2007年発行)の 第九章 被虐待児への包括的ケア2 子ども自身へのケア の「心理治療の実際」項における記述の一部(P145~P146)を次に引用します。

(前略)被虐待児に見られるフラッシュバックへの処理の方法として、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法:Shapiro, 2001)が有効である。(中略)
子どもにはタッピングDRの有用性が高い。これは治療者が両手を差しだし、外傷記憶の想起と同時に患者に左右の手で交互に治療者の手をたたいてもらう(タッピング)という交互刺激を用いた再処理法である。
治療者の指の誘導によって眼球を左右に動かすという従来のEMDRは、攻撃的なエネルギーの発散が十分になされてないこと、治療者に操作される感覚をもつ患者がいることが難点である。しかしタッピングDRでは、攻撃的なエネルギーの発散が同時に行われ、かつ子どもの自律的な運動であることが優れた効果をもたらす理由であると考えられる。

注:(i) 引用元のこの本は 2007 年の発行です。この本の著者によるより新しいEMDRの詳細な記述は、例えば、杉山登志郎著の本「発達障害薬物療法 ASDADHD複雑性PTSDへの少量処方」(2015年発行)の「第8章 EMDRを用いた簡易精神療法」を参照して下さい(引用はしません)。一方、引用中の「タッピングDR」に関連する「バタフライハグ」(ここの (v) 項を参照)も含めて杉山登志郎編集の本、「発達障害医学の進歩28 発達障害とトラウマ」(2016年発行)中の、杉山登志郎著の文書「発達障害とトラウマ 総論」の 発達障害へのトラウマ治療 の「1 タイムスリップ現象への治療」における記述の一部(P7~P8)を以下に引用します。 (ii) 本エントリ作者の想像力を駆使すると、タッピングDRのバリエーションとしての代替交互運動の例を次に示すように考え出すことができるかもしれません。 a) サンドバッグに対して、右パンチ、左パンチを交互に繰り出す。これは、攻撃的なエネルギーの発散を行いやすいかもしれません。 b) 「歩行瞑想(参照)も、足裏への両側交互刺激である」とのツイートがあります。

1 タイムスリップ現象への治療(中略)

最初に,安全な場所のイメージ確認を行う.その後に標的となる外傷体験の映像の選定をする.(中略)

眼球運動だけでなく,左右交互刺激であればどのようなものでもそれなりの効果を示すことが確かめられている.たとえば児童の場合には,治療者の左右の手を対面する患児の右左の手のひらで交互に叩かせるというタッピングや,ものを叩かせるドラミング,患児に胸の前で手を交差させ,患児の左右の手のひらで 自分の反対側の腕の付け根をぱたぱたと交互に叩かせるバタフライハグと呼ばれる技法も効果を示す.われわれが愛用しているのはパルサーという左右交互に振動を作る機械を両手に握らせて,左右交互の振動の感覚を用いる方法である.最も効果が高く,また確実なのはやはり左右の眼球運動であると言われている.(後略)

注:(i) 引用中の「眼球運動」に関連する「眼球の左右交互運動」について、引用の一部を次に抜き出します(『 』内)。 『天井の右端と左端の角を交互に見る(要するに眼球の左右交互運動をしてもらうわけである)』 一方、上記「眼球運動」における注意点について、フランシーン・シャピロ著、市井雅哉監訳の本、「過去をきちんと過去にする EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法」(2017年発行)の Chapter 6 できればしたいけど、できない の『「安全/穏やかな場所」の各種テクニック』における記述の一部(P120)を次に引用(『 』内)します。 『自分をよく観察し、否定的な記憶を導かないよう注意が必要である。』 ちなみに、他の左右交互刺激においても同様にこの注意が必要かもしれません。 (ii) 引用中の「標的となる外傷体験の映像の選定」をした後に、眼球運動をするまでの一連の手順についての引用は省略しています。この文書を参照して下さい。 (iii) 引用中の「左右交互刺激」に関連する「両側性刺激」については、ここここを参照して下さい。 (iv) 引用中の「安全な場所のイメージ確認」に関連してここを参照して下さい。 (v) 引用中の「バタフライハグ」については、 a) 例えばエントリ「緊張や不安を落ちつける『バタフライハグ』を精神科医が解説!」やWEBページ「簡単ためして‼バタフライハグ - トラウマ、不安、恐怖、強迫、うつ」、『心のトラウマを癒す「バタフライ・ハグ」とは?/心がザワつくときに試してみたいお守りレシピ①』の「バタフライ・ハグ」項、『ストレスと上手につき合うためのコーピング。自分で自分を安心させる「バタフライハグ」って?』の『●心を安心させる「バタフライハグ」』項を それぞれ参照して下さい。 b) 加えて友田明美著の本、「子どもの脳を傷つける親たち」(2017年発行)の 第三章 子どもの脳がもつ回復力を信じて の「トラウマ処理のための新療法」における記述の一部(P132)を次に引用(『 』内)します。 『そこで、特に子どもに対して応用した技法が「バタフライハグ(butterfly hug)」です。解消したいと感じている過去のつらいマルトリートメント体験に意識を向けながら、約二〇秒間、左右の肩を交互に、リズミカルに自分でタッピングしていきます。』(注:引用中の「マルトリートメント」については、資料「シンポジウム 子どもに対する体罰等の禁止に向けて」中の友田明美氏による基調講演「厳格な体罰や暴言などが子どもの脳の発達に与える影響」(P4~P5)を参照して下さい)  (vi) 引用中の「タイムスリップ現象」についてはリンク集を参照して下さい。

一方、EMDRを用いた治療において、「赤信号」の数が多いほど、治療者(臨床家)は、EMDRを避ける等、慎重に治療を進める必要があることについて、サンドラ・ポールセン著、新井陽子/岡田太陽監修、黒川由美訳の本、「図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療 EMDRを活用した新しい自我状態療法」(2012年発行)の 第2章 アセスメント の「3 アセスメントでは赤信号を見落とすな」における記述(P58)を以下に引用します。加えて、顕著な解離性障害がある人へのEMDR治療に必要不可欠なことの説明例として、同本の 第1章 導入と概略 の「2 自我状態療法は、程度の異なる解離症状を示す人々(解離性連続体)に効果的な EMDR 治療を施す鍵となる」における記述の一部(P27)を以下に引用します。一方で引用はしませんが、「EMDR の一般的な技法だけでは進展が困難な症例に出会った。それは解離レベルが非常に重症な症例であり,その多くは解離性同一性障害,つまり多重人格の症例であった。EMDR で容易に解離性の除反応が起き,その前後ですっかり人格が入れ替わったりするのである。当然,治療は進展しない。」ことについては次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法」の「Ⅰ.はじめに(杉山)」項(P123~P124) その上に、EMDR の副作用については次の peing.net も参照して下さい。 「EMDR の副作用について教えて下さい。

3 アセスメントでは赤信号を見落とすな(中略)

図17/赤信号が出たらEMDRは避けること

解説 赤信号の数が多いほど、臨床家は慎重に治療を進めなければなりません。重要かつ危険な赤信号としては次のようなものがあります――低い感情耐性、“安全な場所”を確保する能力の不足、自殺企画、自傷行為摂食障害の症状発現、近時の病院搬送歴、セラピストへの非協力的な態度、正直さを欠く、など(Shapiro, 2001)。これらの赤信号が確認されたクライエントに対して“除反応”を引き起こすような治療作業を行うと、クライエントの状態をより不安定にさせたり、“行動化”や自殺、殺人などを引き起こしたりする危険があるので避けなければなりません。

注:i) 引用中の「図17」の引用は省略します。 ii) 引用中の「“除反応”」に相当する英語 "abreaction" の他の訳語「アブリアクション」については、ここを参照して下さい。 iii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害

2 自我状態療法は、程度の異なる解離症状を示す人々(解離性連続体)に効果的な EMDR 治療を施す鍵となる(中略)

また、顕著な解離性障害がある人に対しては、EMDR を行う前に充分な準備をすることも必要不可欠です。(後略)

注:i) 引用中の「自我状態療法」については次の資料を参照して下さい。 「自我状態療法―多重人格のための精神療法」 ii) 引用中の「解離性障害」についてはリンク集[用語:「解離(解離性障害、解離症)」]を参照して下さい。

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【余談3】複雑性PTSD[その2]

余談3は、余談2とは「系列」が異なる*49ので、独立した余談とします。

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(a)対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD
水島広子著の本、「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」(2011年発行)における記述の一部を以下に複数引用します。

注:i) 標記「複雑性PTSD」に関しては、【余談2】(b)項の引用を参照して下さい。 ii) 以下の複数引用における登場人物である「ウメノさん」に関連しては、【余談2】(b)項の引用(ここ及びここ)も参照して下さい。

① 同の「第4章 トラウマが対人関係に及ぼす影響」における記述の一部(P084~P090)を次に引用します

(前略)トラウマ症状が次のトラウマ体験につながる、というのは、相手の怒りを誘発することによってだけではありません。

――症例
大手企業で受付をしているウメノさんは、いつもにこにこしている美人でした。当然、いろいろな人からデートに誘われました。ふだんはにこにこして「困ります」などと断っていましたが、「デートをしてくれないと自殺する」と強く迫ってきた人のことは断りきれず、デートをすることになりました。その彼は万事を自分のペースで運びたがり、ウメノさんが少しでも応じないそぶりを見せると本当に恐ろしい怒り方をしました。それでも、ウメノさんはずるずると彼から言われるがままに交際をすることになりました。つきあうようになると、ますます彼の一方的なところはエスカレートし、ウメノさんを「ブス」「頭が悪いんじゃないか」などと言葉で虐待することも多かったですし、時には暴力をふるうこともありました。それでもウメノさんは彼と別れずに関係を続けていました。(症例終わり)

客観的に見れば、大手企業の受付をしていて、にこにこした美人であるウメノさんが男性関係に困ることなどはまず考えられず、なぜこんな相手との交際をやめられないのだろうか、ということは不思議だと思います。しかし、子ども時代に虐待を受けているウメノさんにとって、「別れたら自殺する」と言ってくれる彼は、唯一のたしかな存在と感じられるのです。
そもそも、ウメノさんがいつもにこにこしていることも、そんなトラウマを反映しています。ウメノさんは、一人でいるときにはむしろ暗く沈んでいることが多いです。人といるときにも、決して明るい気持ちでにこにこしているわけではありません。ウメノさんは、常に「周りの顔色」を指標にして生きていました。周りの顔色をうかがうことが、ウメノさんが知っている唯一の「安全に生きる道」だったのです。相手の機嫌がよいことが、唯一の「望ましい結果」でした。
ですから、自分がどう感じているのかがわからなくことが多かったのです。そして、そんな空虚な自分を見破られるのも不安で、ますますにこにこする、ということになりました。
彼が一方的なペースを押しつけてきたときに、そのまま巻きこまれてしまったのも、ウメノさんに「自分」というものがなかったからです。相手に合わせるということばかりを続けてきたウメノさんは、自分にとって有害だということを感じる力も、そこから自分を守る力も、育てることができなかったのです。そして結果として、自分を傷つける相手との関係に巻き込まれ、トラウマ体験をする、ということになっていきます。
相手に合わせてばかりいるウメノさんの場合、明確に脅威を排除しようとしているサクラさんのような人とは異なり、「脅威のセンサー」は働いていないようにも見えますが、実際は違います。「相手に合わせる」という行動は、「脅威のセンサー」が働いた結果としての自己防衛策だからです。そして、「脅威のセンサー」が過敏に働いているのは、ウメノさんの場合も同じです。ウメノさんは、どんな相手に対してもにこにこしていますが、実際はにこにこしなくても大丈夫な、危険でない相手はたくさんいるはずです。しかし、あらゆる人に「脅威のセンサー」が作動してしまうので、結果としてはいつもにこにこする、ということになってしまうのです。(中略)

「相手の問題」と「自分の問題」の区別がつかない
ウメノさんもそうなのですが、対人トラウマを持つ人の場合、「誰の問題か」という境界線がうまく引けなくなる人が多いです。特にウメノさんのように子ども時代に虐待を受けている場合、本来は百パーセント大人側の問題であるはずのことを、かなりの程度自分の問題のように思っていることが多いものです。「自分を虐待した大人が異常だっただけで、自分には何ら問題はない」と割り切れる人はなかなかいないでしょう。そして、虐待者も、「お前が俺を怒らせたのだ」「どうしてお母さんをイライラさせるの」などと、あたかもそれが子ども側の問題であるかのように言うことが多いのです。性的虐待という悲惨なケースであっても、子どもが誘ったなどということを平気で言う人がいるのが現実です。
ウメノさんは、相手の顔色を読むことで今まで生き延びてきたわけですが、これはまさに相手の問題を自分の問題として引き受けているということです。本来、人は、顔色を読んでもらわなくても、自分が不愉快に感じることがあれば自分で相手に伝えるなどして状況を改善していく責任を負っています。問題解決には人の力を借りるとしても、「自分には問題がある」ということを伝えるのは、本人しか本当のところできないことですし、本人がすべきことです。ですから、「顔色を読む」ということそのものが、本来は相手がすべきことを自分が引き受けているということになってしまうのです。
境界線がきちんと引けている人たちは、顔色を読まれることを不快に感じるものです。いちいち自分の顔色を読まれて相手が反応する、ということそのものが重苦しい束縛感をもたらすものですし、何と言ってもそこで「読まれること」は正確でない場合が多いからです。
ところが、ウメノさんの恋人のように、自分の問題を相手が引き受けるのがあたりまえだと思っている人は、ウメノさんのような人と相性が良くなってしまいます。ウメノさんの恋人は、まず「デートをしてくれなければ自殺する」と言っていますが、これは明らかに境界線を踏み外した言い方です。デートをしてもらえなければ悲しいものですが、そのうえで自殺するかどうかを決めるのは自分の問題です。「デートをしてくれなければ自殺する」と言っている時点で、自分の領域のことにまでウメノさんに責任をとらせようとしているのです。
つきあい始めてからの彼がウメノさんを虐待するのは、自分の機嫌の悪さがウメノさんの責任だと思うからです。本来は自分の問題として考えて改善策(ウメノさんに協力してもらうことも含めて)を検討すべきなのですが、「そもそも自分の機嫌を損ねた」ウメノさんが何とかすべきだと感じているのです。いかにも境界線を逸脱したものの考え方です。
境界線の問題は、「相手の問題を引き受ける」という形だけではありません。自分の領域なのに相手に踏みこませてしまう、という形でも起こってきます。トラウマの結果として「自分への信頼感」がない人は、「自分はこうしたいから」「自分はこう感じるから」と、自分の領域を守ることができなくなってしまいます。ウメノさんも、「ブス」などと言われて本当は不快なのですが、「私は不快だ」とはっきり思ったり言ったりすることができないのです。
勇気を出して「ブスなんて言われると悲しくなっちゃう」と控えめに言ったこともあるのですが、相手から「それくらいのことで気にするなんて、人間が小さいよ」と言われ、相手の言っていることのほうが正しいような気になってしまいました。本当は、「ブスと言われると不快だ」ということは、相手からとやかく言われる筋合いのない、尊重されるべき自分の感じ方です。相手が何と言おうと、自分がそう感じたことは事実だからです。そこに相手が「不適切な感じ方」と土足で踏みこむことを許してしまうところも、境界線の問題だと言えます。
他人の感じ方は自分の感じ方とは違う、ということが事実上わからなくなっている人もいます。当事者は何とも思っていないようなできごとでも、自分がひどいと思うことであれば、「あんな目に遭うなんて本当にかわいそう」と感情移入してしまうのです。その結果としての言動は、当事者から見ると「ピントはずれ」と感じられることもあります。
なお、感情移入した結果としての「かわいそうな人のために何とかする」という行動は、「自分への信頼感」の欠如とセットとなって、過剰に献身的になることにもつながります。「かわいそうな人のために何とかする」ことで自分の価値を見出そうとするのです。そうなってしまうと、本人にとっても、また、献身される相手にとっても、かなりの負担になってきてしまいます。

注:i) 引用中の「(症例終わり)」は本エントリ著者による追記です。 ii) 引用中の「サクラさんのような人」に関連する「サクラさんの症例」については、ここにおける引用を参照して下さい。

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② 同の 第7章 役割をめぐる不一致 の「自分の感じ方を尊重し、境界線を引く」項の記述の一部(P149~P150)を次に引用します

85ページでご紹介したウメノさんのような場合には、サクラさんとは異なり、相手の理解を得てトラウマを乗り越えていくことができません。ウメノさんの恋人もトラウマ体験者ですが、91ページでご紹介したクリタさん同様、まだ自分のトラウマに気づいていませんので、今その問題に取り組むことは不適切でしょう(この点については176ページで後述します)。ですから、今のウメノさんにとって必要なことは、「相手との間にきちんと境界線を引く」ということになります。

――症例
ウメノさんの治療は、まず、自分にとっての不快を感じられるようにするところから始めました。ずっと人の顔色をうかがって生きてきたウメノさんには、「自分がどう感じるか」という視点が決定的に欠けていました。「こういうことは、ふつう、不愉快に感じるものだ」「こういうことをされたら怒りを感じてよいと思う」ということを伝えながら、ウメノさんの気持ちを少しずつ育てていきました。
ウメノさんは、感情的な負荷がかかると解離(44ページ)しやすい傾向がありました。本来は動揺するような状況でも、解離する結果として、「たいしたことはない」というとらえ方になってしまうのです。そういうところも、「これだけの扱いを受けたのだから、感情的にはかなりの負荷がかかっているはず。それなのにたいしたことはない、ととらえていること自体が、解離症状かもしれない」という見方をしていくことによって、本人も、だんだんと自分の症状に気づいていきました。
特に彼がひどいことをしたときには、「それは本当にひどいことだ」という認識を共有することによって、少しずつ、「彼から離れる」という選択肢を考えるようになりました。また、「そうやって彼を見捨ててしまったらかわいそうだ」という感じ方も強かったのですが、それも、「本来は彼自身が引き受けるべき問題。ウメノさんはこうして治療の中で少しずつ自分の回復と成長を感じているのだから、彼もいずれ自分の問題をそういう形で扱えるとよいと思う」という認識をだんだんと共有していきました。ウメノさんは「たしかに、私が何でも言うことを聞くことによって、彼は自分の問題を見ないですんでいるのかもしれない」ということに気づいてきました。
彼と別れることは一筋縄ではいかず、何度も進んだり戻ったりをしましたが、その中で、ウメノさんはだんだんと自分の感じ方がわかるようになり、また、彼との関係の限界にも気づくようになってきました。そして、少しずつ、「彼と別れたあとの将来」について、希望も感じられるようになってきたのです。(症例終わり)

ウメノさんのようなケースの治療には、それなりに長い時間が必要となります。小さいころから一度も「自分への信頼感」を持てたことがなく、それを「取り戻す」というよりも、「初めて育てる」という形になるからです。時間は長くかかりますが、基本的な考え方は同じです。自分の感じ方を大切にすること、それを指標にして自分にとって少しでも快適な環境を作ること、助けてもらえる人を見つけて助けてもらうこと、トラウマが自分にどのような影響を与えているかを知ること、トラウマ症状を認識し、症状との折り合い方を学ぶこと、自分のトラウマを悪化させるような人からは距離をとること、などをこつこつと続けていく中で、ウメノさんほどの生涯にわたる問題でも、着実に前進してくものです。
人を信頼するなど、本来は発達上ふさわしい年齢で達成しておくべきであった課題でも、後から取り組むことは可能です。ただし、そのような課題を共有できる人(治療者など)は必要だと思います。「自分への信頼感」が全くない、という状態では、「この人はきちんと成長できる」ということを信じている人が近くにいないと、なかなか前進する力を得ることができないからです。だんだんと「自分への信頼感」を取り戻していけば、自分でも自分の力と可能性を感じられるようになってくるものです。

注:(i) 引用中の「(症例終わり)」は本エントリ著者による追記です。 (ii) 引用中の「サクラさんのような人」に関連する「サクラさんの症例」については、ここにおける引用を参照して下さい。 (iii) 引用中の「解離」に関連して 、 1) 次に示すWEBページ、資料があります。「解離症 - 脳科学辞典」、「【3070】解離のような症状があるようですが、これが解離の症状なのか正常の範囲なのかわかりません - Dr 林のこころと脳の相談室」、「【3448】自分と自分の記憶がわからず混乱しています(【2906】、【2990】、【3074】のその後) - Dr 林のこころと脳の相談室」、「【3922】私の症状は解離か、それとも病気のふりをしている詐病者か - Dr 林のこころと脳の相談室」(これらのサイトのホームページ)、『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』、「自分が自分でなくなっちゃう!?解離性障害」、「解離性障害をいかに臨床的に扱うか」、「解離性障害とは?症状や原因は個人によって変わる」、pdfファイル「子どもの虹情報研修センター 日本虐待・思春期問題情報研修センター 紀要 No.15 (2017)」中の古田洋子著の文書『講義「解離症状の理解」』(P50~P63) 2) 加えて、他の拙エントリのここを参照して下さい。 3) また、解離に関する包括的な翻訳書例は次に示します。フランク・W・パトナム著、中井久夫訳の本、「解離 若年期における病理と治療」(2001年発行) 4) また※1の注を参照すると良いかもしれません。 5) 一方、解離性障害転換性障害の関係に関しては、例えばここ及び他の拙エントリのここを参照して下さい。 6) その上に解離性障害の診断の困難さに関して、柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の 4 解離症状があるこころの病気は多い の「診断 ていねいな問診で、解離があるとわかる」における記述の一部(P72~P73)を以下に引用します。加えて解離性障害が「治りうる病気」であることについて同本の「まえがき」における記述の一部(P1)を以下に引用します。 7) 解離の症状としての「想像上の友人(IC: imagninary companion)」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。「【3670】頭の中の友人は自分で作ったものです(【2972】のその後) - Dr 林のこころと脳の相談室」(このサイトのホームページ) 8) 解離性障害の発症の背景に関しては、同本の「発症の背景 こころに深い傷を受けたことがある」項の記述の一部(P62)及び「発症の背景 つらいときにこころを飛ばしてやりすごした」項の記述の一部(P64)をそれぞれ以下に引用します。一方、この本又はこの本の編者に関するWEBページ、引用例は次に示します。「【2906】私は統合失調症と診断されましたが、それは誤診で、解離性障害なんじゃないかと思っています。」(特に最下位部、このサイトのホームページ 一方、上記柴山雅俊医師に対し、次のような意見※1も有ります。 9) 解離性障害(又は解離症)についてのそれぞれの紹介は他の拙エントリのここを参照して下さい。 10) ポリヴェーガル理論と解離との関連については他の拙エントリのここここを参照して下さい。

診断 ていねいな問診で、解離があるとわかる
解離性障害は診断がむずかしい病気です。専門的に扱っている医療機関が少ないことに加え、別の精神疾患と症状が似ていることが関係しています。的確な診断には、細かく症状を聞くことが必要です。

自分から言わないことが多く、診断は困難
解離性障害は診断がむずかしいとされています。
その理由は、症状のまぎらわしさです。幻視や幻聴などの幻覚、気分の変化などの症状は、うつ病統合失調症、パーソナリティ障害といった別の病気と似ているものが多いためです。
また、診断をむずかしくしている大きな要因に、解離の症状があるにもかかわらず、医師に話していないことがあります。
本人にしてみれば、「医師に聞かれなかったから」という理由なのですが、聞かれていないところに診断のカギをにぎる重要な症状があるのです。(中略)

似た症状の病気
解離性障害とよく似た症状がある病気は多い。見きわめるには、解離性障害を専門的に診ている医師の診断を受けることがすすめられる

解離性障害とよく似た症状がある病気)
統合失調症 うつ病 境界性パーソナリティ障害 摂食障害 PTSD 不安障害 物質依存(薬物など)

注:i) 引用中の(解離性障害を)「専門的に扱っている医療機関が少ない」ことに関連する「わが国ではまだ解離性障害は臨床家の間でなじみがない」ことについては次の資料を参照して下さい。 「解離性障害をいかに扱うか」の「おわりに」項 ii) 引用中の「不安障害」に関連して、引用元の本の 4解離性があるこころの病気は多い には「不安障害 パニック障害強迫性障害と似ている」項(P80~P81)があります。 iii) 引用中の「(解離性障害とよく似た症状がある病気)」は、引用者による追記です。これらの病気の一部とその他の病気を紹介するリンクを次に示します。

統合失調症ここ、「統合失調症 - 脳科学辞典」、「みんなのメンタルヘルス総合サイト 統合失調症」、『岡崎祐士先生に「統合失調症」を訊く』、『「統合失調症」ってどんな病気?』、「統合失調症とは?」、「統合失調症に特異的な神経認知障害はあるか?

うつ病:「うつ病 - 脳科学辞典」、「みんなのメンタルヘルス総合サイト うつ病」、『野村総一郎先生に「うつ病」を訊く』、「日本うつ病学会治療ガイドライン Ⅱ.うつ病(DSM-5)/ 大うつ病性障害 2016

一方、双極性障害については次にリンクします。「日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023」、「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」、「双極性障害の理解を深める」、「仕事をしている双極性障害患者さんの手記」、「双極Ⅱ型障害の精神病理学的検討」、「みんなのメンタルヘルス総合サイト 躁うつ病(双極性障害)」、『加藤忠史先生に「双極性障害」を訊く』、『「双極性障害」ってどんな病気?』、「双極性障害とは?」、「5年間で9割近くが再発、絶好調で自覚ない双極性障害の正しい治療法」、『うつ病患者の3分の1が発症 「双極性障害」の怖さとは?』、『治療でコントロールできる!「双極性障害」を専門医が解説

境界性パーソナリティ障害:「境界性パーソナリティ障害 - 脳科学辞典」、「境界性パーソナリティ障害の診断基準と実際の診断」、「境界性パーソナリティ障害とその関連疾患」(注:以下は本エントリ内のリンクです。ただし、本エントリにおけるパーソナリティ障害をまとめた紹介はここを参照して下さい。)メンタライジング・アプローチの視点からの境界性パーソナリティ障害境界例のイメージと具体例境界例治療事例境界性パーソナリティ障害擬態うつ病としての境界性パーソナリティ障害 *50

注:これらのリンク先においては、境界例境界性パーソナリティ障害を指す場合があります。

摂食障害*51:「みんなのメンタルヘルス総合サイト 摂食障害」、「摂食障害 - 脳科学辞典」、「摂食障害ハンドブック」、摂食障害 医学的ケアのためのガイド、『井上幸紀先生に「摂食障害」を訊く』、「石川 俊男先生 - Medical Note(WEBサイト)」、「津久井 要先生 - Medical Note(WEBサイト)

・PTSD:ここ及び目次(用語:「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」)を参照して下さい。加えてWEBページ「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」からダウンロード可能な博士論文「トラウマ体験における症状認知と対処行動に関する検討」、そして次のWEBページを参照して下さい。 「PTSDトピックス - 日本トラウマティック・ストレス学会」、「PTSD

・不安障害(不安症):「不安症 - 脳科学辞典」、「不安障害を上手に診ていくために」、「不安症を解説する YouTube を紹介するツイート

ちなみに、不安障害(不安症)のカテゴリに属するパニック障害(パニック症)については次にリンクします。「パニック障害・不安障害 - こころの病気を知る 厚生労働省」、「パニック症 - 脳科学辞典」、『塩入俊樹先生に「パニック障害/パニック症」を訊く』、「〈パニック障害〉 パニック発作とは」 加えて、他の拙エントリのここ を参照して下さい。さらに、不安障害(不安症)のカテゴリに属する「全般不安症」及び「限局性恐怖症」については、共に他の拙エントリのリンク集を参照して下さい。

さらに、以前は不安障害(不安症)のカテゴリに属していた強迫症強迫性障害、OCD)*52及び今でも不安障害(不安症)のカテゴリに属している社交不安症(社交不安障害)についてはそれぞれ次にリンクします。「強迫症 - 脳科学辞典」、『松永寿人先生に「強迫性障害」を訊く』、「強迫性障害」、『「強迫性障害」ってどんな病気?』、「強迫性障害とは?」 、「強迫症/強迫症への認知行動療法の解説動画」 、「強迫性障害の臨床像・治療・予後 ――難治例の判定,特徴,そして対応――*53、「社交不安症 - 脳科学辞典」、『永田利彦先生に「社交不安障害/社交不安症」を訊く』、「社交不安症の診療ガイドライン」、「社交不安症の診断と治療」、「社交不安症の疫学 ―その概念の変遷と歴史―」、「社交不安症の認知・行動療法 ―最近の研究動向からその本質を探る―」、「社交不安症に関する脳画像研究の最前線」 ちなみに、社交不安症における「注意の偏り(バイアス)」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

・物質依存(薬物など):「依存症 - 脳科学辞典
さらに、薬物依存症、アルコール依存症に関してそれぞれ以下にリンクします。

薬物依存症:「みんなのメンタルヘルス総合サイト 薬物依存症
アルコール依存症:「アルコール依存症 - 脳科学辞典」、「みんなのメンタルヘルス総合サイト アルコール依存症」、「松下幸生先生に「アルコール依存症」を訊く

ちなみに、身体症状症又は身体表現性障害に関して以下にリンクします。
身体症状症」、「身体症状症の患者への対応」、「心身症と身体症状症(身体表現性障害)」、『小林聡幸先生に「身体表現性障害」を訊く』、「身体症状症(旧:身体表現性障害)」、「心療内科における身体症状症の位置づけ」、『心身二元論からの脱却を図る 「とらわれ」から考えるリエゾン的身体症状症

加えて、「身体症状症において症状が増幅されるという悪循環に陥る」ことについて、松崎朝樹著の本、「教養としての精神医学」(2023年発行)の 第2章 精神医学から見た「〇〇な人たち」 の「異常がないのに体のことにとらわれ続ける人たち(身体症状症)」における記述の一部(P100)を次に引用(『 』内)します。 『身体症状症では、身体的変化に意識を向けることで、よりその症状が増幅されうる。身体に意識が向けば、さらに症状が増幅され、そしてさらに……という悪循環に陥る。』

まえがき
解離性障害というと、多重人格や健忘、遁走のようなドラマチックな症状を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、そうした病態だけが解離性障害ではありません。解離性障害の分類では、いわゆる「その他の解離性障害」が半数以上を占めており、典型的な症状を示す人のほうが、むしろ少ないのです。
都心の精神科クリニックでは、外来患者さんの一〇パーセント程度の人は解離症状をもっていると思います。しかし、実際に解離性障害と診断されるべきケースであっても、統合失調症うつ病、さらにはパニック障害、社交不安障害、境界性パーソナリティ障害などと診断され、たんなる薬物療法認知療法のみがおこなわれていたりします。それでは解離の病態が治療から切り離されてしまい、病状がなかなか改善せず、慢性化することになります。(中略)

なによりも、患者さん自身やその家族の方が解離性障害という病気について知ることは重要です。けっして希望を捨てないでください。どこかに治癒の道があるはずです。解離性障害が「治りうる病気」であることを知り、そして前向きに目標をもって生きていかれることを願っています。

注:ちなみに次に示す2つの引用は上記で記述したように解離性障害の発症の背景に関するものです。①柴山雅俊監修の本、「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」(2012年発行)の 3 「健常」から「解離」に至る原因 の「発症の背景 こころに深い傷を受けたことがある」における記述の一部(P62)を次に引用(『 』内)します。 『解離のある人は、こころに深い傷を抱えています。原因となるできごとはさまざまで、家庭内と家庭の外で受けたものに分けることができます。本人が傷を自覚していない場合もあります。』 ②同 3 「健常」から「解離」に至る原因 の「発症の背景 つらいときにこころを飛ばしてやりすごした」における記述の一部(P64)を次に引用(『 』内)します。 『つらいことがあったとき、話を聞き、助けてくれる人がいなければどうなるでしょう? 解離のある人の多くは、自分でなんとかしなければならない状況にありました。方法の一つがこころを飛ばすことです。』

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③ 同の「第9章 トラウマから回復するということ」における記述の一部(P177~P178)を次に引用します

(前略)自らのトラウマをいつ思い出して、いつ取り組み始めるか、ということは、基本的に本人のプロセスの中、本人のペースで行う必要があります。実際に、クリタさんは、温かい家庭を持ちたいのにどの女性とも長続きしない、という悩みが蓄積されうつ病になったときに、治療を求めました。
その中で、クリタさんの生育歴からトラウマが明らかになり、クリタさんの現在の対人関係がどれほどトラウマの影響を受けているかが明らかにされていきました。クリタさんはすぐに受け入れることはできませんでしたが、いろいろなことを思い出していく中で、トラウマに取り組むことが自分にとって必要なのだということをだんだんと認めるようになっていきました。それが、彼にとっての適切なタイミングだったということになります。
自分の家族の治療に関わっている中で、自分自身こそがトラウマを抱えていて癒されていないということに気づく人もいます。そんなときも、適切なタイミングです。
では、その「適切なタイミング」に至る前の人はどうしたらよいのか、ということになります。治療前のクリタさんにしろ、ウメノさんの恋人にしろ、自分に問題があるとは思わずに相手に対して虐待的なことをしています。それがトラウマを反映した症状であるとしても、本人がトラウマを自覚して向き合う意思を持っていないのであれば、「病者の役割」(109ページ)を引き受けてもらうことはできませんので、患者さん扱いをすることは不適切です。ですから、まだ自分の問題を自覚していない人であれば、健康な人として扱い、その「健康な人の役割」の中で本人の違和感や不適切感が十分に大きくなる(仕事がうまくいかない、対人関係がうまくいかない、という悩みが大きくなる)のを待つしかないのだと思います。
健康な人として扱うということは、不適切な言動は「不適切」とみなす、ということですし、役割期待をする際にも、症状という視点を持ちこまない、ということです。トラウマ症状としての怒りの爆発を症状として見ず、単なる「不適切な怒りの爆発」として扱い、本人にそのコントロールを求める、ということになります(そして本人は少なくともプライベートな場ではそれをコントロールすることができませんので、親しい関係を維持することができない、ということになります)。(後略)

≪補足説明≫引用中の『「病者の役割」』について、「第5章 PTSDへの対人関係療法」における記述の一部(P109~P110)を次に引用します。

(前略)患者さんはただでさえ病気の症状で苦しい毎日なのですから、かぎられたエネルギーを治療に向けるために、「自分は何をすべきか」ということをよく自覚する必要があります。それは、「病気を治すこと」です。
このように、患者さんが何をすべきか、ということを明確にしたものが「病者の役割」と呼ばれる考え方です。病気であるということは、単なる状態ではなく、その人は病気を持ちながらこの世の中で生き、人と日々関わっているのです。ですから、当然、そこで果たすべき役割があります。自分が病気であると認めること、病気からはできるだけ早く治りたいと思うこと、治療を助けてくれる人に協力すること、など患者さんとしての義務が生じると同時に、病気の症状のためにうまくできないことは免除されます。たとえばうつ病であれば、意欲や気力が低下しますので「仕事に行く」という義務が免除され、休職という形になることも多いでしょう。PTSDの場合も、現在の症状のためにうまく機能できていない部分は現状として受け入れる必要があります。それが病気の症状である以上、すぐにはどうこうできないからです。(後略)

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※1:「こころの科学 177号(2014年9月)」より、書評者である杉山登志郎著の文書、【ほんとの対話 上岡陽江、大嶋栄子『その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち』】(P105)における記述の一部を次に引用します。

この本はいろいろな読み方ができるが、書評子が強調したいのはおそらく内外でも初めての、複雑性トラウマに関する体験世界を扱った、精神病理学の本であることだ。(中略)

複雑性トラウマという問題があることは、一九八〇年代にはすでに知られていた。しかしその体験世界についてきちんと報告されたことはほとんどなかった。いわゆる精神病理学者による精神病理学解析を行った専門書(たとえば柴山雅俊『解離の構造』二〇一〇年)でも、体験世界への言及はきわめて乏しい。(中略)。しかし、本書には、複雑性トラウマの当事者の体験世界がこれでもかとういうほど、押し込められている。
「『寂しいと痛い』との区別がつかない」「生理的不調と心理的不調がごちゃごちゃに体験される」「月経による気分変動に振り回される」「フラッシュバックとは、ドラえもん『どこでもドア』である」「テレパシーで相手に伝わっていると思い込む」などなど。
書評子は現在、治療に訪れた子どもの、その親の側の、複雑性トラウマを抱えた成人の治療に明け暮れていて、本書を読んで実に多くの学びがあった。膝を打ちながらの読書体験は久しぶりであり、(納得できず)舌をうちながら読んだ柴山の専門書とは正反対である。体験世界を考慮しない精神病理学など不要としか言いようがない。
さて複雑性トラウマもまた、きわめて誤診や医原性の憎悪が多い問題である。一つはうつ病の誤診である。もう一つは統合失調症の誤診である。正しくは非定型的な双極Ⅱ型を示す気分変動であり、解離性の幻覚である。複雑性トラウマの症例に抗うつ薬が処方されると、気分変動が著しくなって、自殺や衝動行為の危険性が増してしまう。ついでに言うと、抗不安薬も意識状態を下げ、行動化傾向を促進するので禁忌である。そして解離性幻覚に抗精神病薬はまったく無効である。やけやたら薬に強く、あまりに薬剤抵抗性の幻覚に対しては、解離性の幻覚ではないかと疑ってみる必要がある。
発達障害は一般の精神科医にとっても珍しくなくなった。成人の発達障害の受診も、そして長期間の誤診例も。そして今、まったく同じ事情が複雑性トラウマにおいても起きている。さらに、書評子が注意を喚起したいのは、複雑性トラウマの成人例は、実は発達障害の臨床像をもち合わせていることが多い。(後略)

注:i) 引用中の「テレパシーで相手に伝わっていると思い込む」は、「こころの科学 181号(2015年5月)」特別企画中の上岡陽江著の文書、「嵐の後先 ―― 薬物依存と複雑性トラウマ」(P43~P48)においては、次の『 』内に示す文章(P44~P45)になっています*54。『「小さい頃から解離が多いと、なんとなくテレパシーで人と話をしている感じになる。テレパシーは人に通じてないからさ、ちゃんと言ってね」。この話はいつも当事者たちに感謝される。』 ii) 引用中の「複雑性トラウマ」については、他の拙エントリの引用における注を参照して下さい。 iii) 引用中の「行動化」については、例えばここの「⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい」項及び次のWEBページを参照して下さい。 「境界性パーソナリティ障害」 iv) 引用中の「解離性幻覚」についてはここを参照して下さい。

さらに、※1の余談として、杉山登志郎著の本、「発達障害のいま」(2011年発行)における「複雑性トラウマのフラッシュバック」項の記述(P108~P109)を次に引用します。ちなみに、次の資料も参考にすれば良いかもしれません。 「児童青年精神医学入門 その4:子ども虐待

さて子ども虐待のような複雑性トラウマの場合においてはどうなるのだろう。非常に広範にさまざまな形のフラッシュバックが生じるのである。少し煩雑であるが、その一部を列挙してみよう。

・言語的フラッシュバック:子どもが些細なことからキレて、急に目つきが鋭くなり低い声で「殺してやる」と言うなど。言うまでもなく自分が虐待者から言われたことのフラッシュバックなのである。
・認知・思考的フラッシュバック:「子どもは大人の奴隷だ」「自分は生きる価値がない」などの考えが繰り返し浮かぶ。これも虐待者から押しつけられた認識や考えのフラッシュバックである。
・行動的フラッシュバック:急に暴れだす、殴りかかるなど。虐待場面そっくりの再生である。
・生理的フラッシュバック:これは不思議な現象である。子どもが首を絞められたときのことを語っている。すると首の回りにうっすらと赤く、首を絞められた手の跡が浮かぶ。まさに体は記憶するのである。
・解離性幻覚:先に解離によって辛い体験を切り離すことを述べた。すると、その記憶を担っているのは切り離された人格である。実はこのようにして多重人格が育つのであるが、そこにフラッシュバックが起きると、外から聞こえたり、外に見えたりすることになる。この解離性幻覚(われわれはお化けの声、お化けの姿と呼んでいる)を聞いている、見ている被虐待児は少なくない。なぜこれがあまり知られていないかというと、周囲の大人が単に尋ねないからである。子どもは自分の体験が普遍的と思っているので、何も不思議に思わないのである。

注:i) 引用中の「複雑性トラウマ」については、他の拙エントリのここにおける引用の注を参照して下さい。 ii) 引用中の「解離性幻覚」についてはここを参照して下さい。 iii) 発達障害にも関連する引用中の「フラッシュバック」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「発達障害(10)気楽に過ごすのもノルマ

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【余談4】その他の治療・対処・養生法

上記で紹介又は言及したトラウマ、PTSD、複雑性PTSD、解離性障害等に関する非薬理的な治療・対処・養生法としては、の記述を含めて、 [i] 持続エクスポージャ―法(ここ及び下記続きとしての(o)項参照)、 [ii] EMDR(ここここ及びここ参照)、 [iii] 対人関係療法ここここ及びここ参照)、 [iv] ホログラフィートークここ、下記続きとしての(k)項を参照) 等を挙げました。この【余談4】では、その他の治療・対処・養生法に関して以下の(a)~(j)[目次における(a)~(j)項をそれぞれ参照]項にそれぞれ紹介します。ただし、これらの治療・対処・養生法にはエビデンスが不足している(例えばエビデンスレベル[WEBページの「3)エビデンス・レベル」項を参照]において、最低ランクの「患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」)ものも含まれます。加えて、これらの紹介の続きとしての(k)項以降は他の拙エントリのここを参照して下さい。さらに、複雑性PTSDにも適用されるスキーマ療法については他の拙エントリのここを、「タッピングによる潜在意識下人格の統合法」を含む「構造的解離に対するパーツアプローチ」については、『「タッピングによる潜在意識下人格の統合法」(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy、USPT)』を含めて他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。ちなみに標記【余談4】でも、上記続きでも紹介しない、 1) リラクセーション一般についてはリンク集を参照して下さい。 2) 加えて、慢性的な自殺傾向をもつ境界性パーソナリティ障害(BPD)に対する包括的な認知行動療法として開発された弁証法的行動療法における様々な話題についてはここを、 3) 複雑性 PTSD を伴う方々等に対する「規則正しい日常生活」については他の拙エントリのここを、 4) 構成主義的情動理論における情動の健康を維持するための「概念の補強」及び情動を手なずけるために不可欠な道具としての「再分類」については他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。その上に「感情を手なづけるための方法例」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。一方、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここの「最初に」を参照)の視点からのニューラルエクササイズについては次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項(P335) 加えて拙訳はありませんが、同視点からの「Dance/Movement Therapy」については次の資料を参照して下さい。 「Rhythm and Safety of Social Engagement:Polyvagal Theory Informed Dance/Movement Therapy」 その上に「複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチ」については他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。さらに「ハミング」(他の拙エントリのここを参照)を除き引用はありませんが、ここの引用元の本では上記ポリヴェーガル理論ベースのエクササイズがたくさん紹介されています。これら以外にも「DBT-PTSD」(「DBT」についてはここを参照すると良いかも)については次の論文(全文)を参照すると良いかもしれません。 「A research programme to evaluate DBT-PTSD, a modular treatment approach for Complex PTSD after childhood abuse[拙訳]子ども時代の虐待後の複雑性PTSDに対するモジュール式治療アプローチである DBT‐PTSD を評価するための研究プログラム」[ただし、この論文(全文)の拙訳はタイトルを除きありません] また、 a) 「Embedded Relational Mindfulness」をはじめとした「Sensorimotor Psychotherapy」については次の資料や video series を参照すると良いかもしれません。 「Brain to Brain, Body to Body: Teaching Embedded Relational Mindfulness in Youth, Individual and Group Psychotherapy--A Sensorimotor Psychotherapy Approach」、「Sensorimotor Psychotherapy Skills and Exercises」[ただしこれらには拙訳はありません] b) 「トラウマインフォームドケア」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 c) 「NARMのデモセッション」を紹介するツイートがあります。

※:「平成は発達障害の時代、令和はトラウマの時代になるのではないか」との記述を有するツイートがあります。なお、このツイートに関連して、 a) 杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)の「刊行によせて」における記述の一部(P1)を次に引用(『 』内)します。 『振り返れば平成は発達障害の時代であった。令和はトラウマの時代になるのではないか。』(注:この引用部の著者は杉山登志郎です) b) 加えて、同本の「座残会 発達性トラウマ障害のゆくえ」の P16 に友田明美氏のご発言としての記述の一部(P1)を次に引用(『 』内)します。 『杉山先生がおっしゃったように平成は発達障害の時代、そして新しい元号である令和はトラウマの時代でしょう。間違いないと思います。』 このように、2019年10月26日の本エントリの大幅改訂時においては、トラウマの時代に入ったばかりであり、上記治療・対処法のエビデンスレベルが総体的に低いのかもしれません。この視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。一方、トラウマに対する治療法は日進月歩であるかもしれないことについては、拙訳はないもの次のWEBページを参照すると良いかもしれません。 「The Advanced Master Program on the Treatment of Trauma

(a)マインドフルネス関連
最初に、マインドフルネス実践又はアプローチに関するWEBページ及び資料の例は次に示します。 「キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ ~最新科学で迫る対処法~」の「マインドフルネスを始めてみよう!」項、『「マインドフルネス」でストレス軽く 背筋伸ばし、深く呼吸』、「[第1回]マインドフルネスとは - 連載 “Mindfulness”」、「マインドフルネスの理解と実践」、「マインドフルネスのアプローチ ―身体から心へ―」、「マインドフルネスの歴史と展望」 そして、pdfファイル中の熊野宏昭著の資料「マインドフルネス瞑想のメカニズムに脳科学はどこまで迫ったか」(P30~P37) なお、マインドフルネスで大切なのは注意の分割であることについては、次のWEBページを参照して下さい。 「省エネ人生へ通じるマインドフルネスは、不透明な時代をストレスなく生き抜く知恵でもある。 医学博士 早稲田大学人間科学学術院教授 熊野宏昭さん 後篇」の『大切なのは「注意を分割」して広角で現実を感じ続けること』項 一方、マインドフルネス瞑想のリスクについては例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、研究に対するものを含む資料例を次に紹介します。 「女子少年院におけるマインドフルネスプログラムの効果およびリスクについての質的研究」、「犯罪者処遇の効果の向上に関する一考察 ―犯罪者に対するマインドフルネス瞑想の可能性―」 その上に、マインドフルネスに関するエビデンスについては、次の資料(2014年発行)を参照して下さい。 「マインドフルネスとエビデンス」 さらに、マインドフルネスに関連した複数の論文要旨の引用はここを参照して下さい。また、マインドフルネスに基づいた治療法である、マインドフルネス認知療法に関連する「考えと事実とを区別する」(考えは事実ではない)、「思考に含まれる解釈や価値判断はそれ自体が事実ではない」、「Doing Mode」(することモード)、「Being Mode」(あることモード)、「距離をとる」、「脱中心化」*55の一部又は全部については、ここ及び次の資料をそれぞれ参照して下さい。 「マインドフルネスの促進困難への対応方法とは何か」、『認知療法,マインドフルネス,原始仏教:「思考」という諸刃の剣を賢く操るために』の「4.3 MBCT における脱中心化」項、「マインドフルネスが生活に必要な理由」 一方、「direct mode」、「buffered mode」*56については、次のエントリを参照して下さい。 『越川房子先生の「マインドフルネス認知行動療法」講演を聴きました!』 加えて、ひょっとして「buffered mode」に関連するかもしれないマインドフルネス瞑想の観点からのマインドフルネスの効果機序についてはここを参照して下さい。また、 a) (マインドフルネス)瞑想の実践には知識と理解が必要であること、その他についてはツイートを、 b) 「マインドフルネス」は安全であると感じることが必要である」ことについては他の拙エントリのここを、一方、瞑想の副作用についてはツイートを、 c) 森田療法とマインドフルネスとの関係に言及した引用はここを、加えてこれに関連しては資料「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」を、 d) マインドフルネス瞑想のコツとしての「考えるのではなく、感じ、体の感覚を受け止め受容する」についてはここを、 e) マインドフルネスと関連が深い、「いま・ここ」についてはここを、加えて「いま・ここ」ではない過去や未来に関連する「反芻」や「心配」に対するマインドフルネス瞑想については他の拙エントリのここここを、その上に、マインドフルネス認知療法の視点からの上記「反芻」や「不安」にはまりこんでいる状態の時に有用かもしれない「脱中心化」については他の拙エントリのここここを、さらに「倫理の導入によるマインドフルネストレーニングのウェルビーイングへの効果の向上」については「無執着」を含めて博士論文「倫理の導入によるマインドフルネストレーニングのウェルビーイングへの効果の向上(要約)」を、それぞれ参照して下さい。 f) 「マインドフルネスとは,心理的な操作によって予測的処理の機能を調整しようとする営みであると理解することができるだろう」ことについては次の資料を参照して下さい。 「予測する脳の機能調整:マインドフルネスの効果 ―藤野,高橋・荻島,牟田・木甲斐論文へのコメント―」の「1. はじめに」項 g) 「禅からみた心、マインドフルネスからみた心」については資料「禅からみた心、マインドフルネスからみた心 ― 宗教と科学の関係を探る ―」を参照して下さい。加えて、資料「仏教学から見たマインドフルネス」、「マインドフルネスと倫理」や「マインドフルネスの深まりに向かって ~仏教的瞑想から示唆されること・倫理性の導入の必要性~」もあります。 h) また、マインドフルネス訓練と内受容感覚との関連については他の拙エントリのここを、 i) マインドフルネスの文脈における平静さについてはここここを、 j) マインドフルネスが医療現場で有用であることについてはWEBページ「マインドフルネス なぜ医療現場で有用なのか エビデンスとその効果」を、 k) ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)モデルで見るマインドフルな状態についてはここを、 l) 慢性疼痛について、マインドフルネスと臨床的経験の視点からはここを、加えて、慢性疼痛の治療のためのマインドフルネスに関する論文紹介はここを、 m) マインドフルではない状態に関連する「放逸」については、他の拙エントリのここを、 n) 「マインドフルネス瞑想の訓練が、脳と身体のシステムの特性を変容させることを示唆する傍証」については他の拙エントリのここを、 o) 「マインドフルネス研究の未来を切り開く新たな方法論」については次の資料を それぞれ参照して下さい。 「マインドフルネス研究の未来を切り開く新たな方法論

① マインドフルネスの説明
最初に、マインドフルネス瞑想の醍醐味について、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の越川房子著の文書「マインドフルネス瞑想の効果機序」の「マインドフルネス瞑想の醍醐味」における記述の一部(P94~P95)を次に引用します。

マインドフルネス瞑想の醍醐味(中略)

筆者自身は自分の体験から、マインドフルネス瞑想の醍醐味は、自分の内外の情報を取り入れる際に、価値判断せずに、つまり頭のみで考えて課題解決に必要だと(自分が考えている)情報のみを取り入れるのではなく、自身の身体感覚を含めて、今、ここにある情報を、自分をとりまく状況・文脈ごと取り込むという心的態度を手に入れること、それによって注意の中心でではなくて辺縁で、自分と対象との関係が自分の中に創発していくのに任せることにあると感じている。
坂入(2015)の卓球の例を借りれば、スマッシュはこう打たなければならないということから離れて、球とラケットの接触面の感覚に意識を向け、その前後の状況(飛んでくる球の状況や自分が打った後の状況)と併せてただひたすらインプットしていく。このような態度でいると1球1球の勝敗に落ち込むことはない。また蓄積された球の特徴と自分の感覚との関係について広く豊かな情報が蓄積される。この情報が、次に来る球に対する最適な反応を可能としていく。これは、人事をつくして(あるがままの情報を収集して)天命(関係の創発)を待つという感じに近いかもれない。したがって、何も足さず何も引かないあるがままの情報を入力することがとても重要となる。なぜならば、それが対象との関係の創発の素材となるからである。
子どもが歩き始めるときは、このようにして地面と身体と関係が創発していくのだと思う。誰にでも備わっている能力なのである。しかし、知恵の実を食べてしまうと、自分の利害等にとらわれてそれが使えなくなっていく。知恵をもちながらその力を使うには、あらためて訓練することが必要なのであろう。マインドフルネス瞑想は、この力を効果的に訓練する方法のひとつである。その効果機序が、心理学的手法による研究だけでなく、脳生理学機能の測定機器の進歩を背景に脳神経学的な視点からも次第に明らかになっていくことに大きな期待を寄せている。

注:引用中の資料「坂入(2015)」は、『坂入洋右(2015)「東洋的行法の効果とメカニズム」日本マインドフルネス学会第2回大会基調講演より』です。

加えて、PTSD又は複雑性PTSDにおけるマインドフルネスの活用について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第13章 トラウマからの回復――自己を支配する の 情動脳と仲良くなる の「2.マインドフルネスを活用する」における記述の一部(P340~P343)、及び主体性又は「内受容感覚」とマインドフルネスとの関係について、同本の 第6章 体の喪失、自己の喪失 の「脅威にさらされた自己」及び「主体性――自分の人生を支配する」における記述の一部(P160)をそれぞれ以下に引用します。ちなみに、化学物質過敏症(MCS)に対するマインドフルネス認知療法の適用に関してはここを参照して下さい。

2.マインドフルネスを活用する
回復の核となるのは、自己認識だ。トラウマのセラピーで最も重要な言葉は、「それに意識を向けてください」と「次にどうなりますか」だ。トラウマを負った人々は、我慢できそうにない感覚とともに生きている。胸が張り裂けるように感じ、みぞおちの耐え難い感覚や、胸が締めつけられる思いに苦しんでいる。だが、体内のこうした感覚を感じるのを避けると、その感覚にますます圧倒されやすくなる。
体を意識すれば、私たちの内部の世界、すなわち生体の状況に接するようになる。自分の苛立ちや心配、不安に気づきさえすれば、物の見方を変えやすくなり、無意識の習慣的な反応ではない、新しい選択肢が得られる。マインドフルネスによって、私たちは感情も知覚も一時的なものであることを悟る。身体的感覚に意識を集中して注意を払うと、情動が満ちたり引いたりするのを認識でき、それとともに、情動を制御しやすくなる。
トラウマを負った人は、感じるのを恐れていることが多い。今や彼らの敵は、加害者(近くにいて傷つけられることがもうなければいいのだが)ではなく、自分の身体的感覚だ。不快な感覚に乗っ取られるのではないかという不安から、体が凍りつき、心は閉ざされたままになる。トラウマは過去のものなのに、情動脳は、サバイバーがおびえたり、無力だと感じたりするような感覚を生み続ける。じつに多くのトラウマサバイバーが 強迫観念に駆られて飲み食いし、愛し合うことを恐れ、多くの社会的な活動を避けるのも驚くにはあたらない。彼らの感覚世界の大部分が、立ち入り禁止になっているのだ。
変わるためには、人は内部経験に心を開く必要がある。その第一歩は、心が感覚に注意を集中するのを許し、永遠に続くように思えるトラウマ体験とは対照的に、身体的感覚は一時的なもので、姿勢のわずかな変化や、呼吸や思考の変化に反応するのに気づくことだ。身体的感覚に注意を払ったら、次に、それを言葉で説明する。「不安に感じるときは胸が潰れるような感覚がある」というように。そのあと私は患者に、「その感覚に意識を集中し、息を深く吐いたり、鎖骨のすぐ下を軽く叩いたり、泣きたければ泣いたりすると、その感覚がどう変化するか注意してみてください」と言うこともある。マインドフルネスを実践すると交感神経系が落ち着くので、闘争/逃走反応を起こしにくくなる(11)。自分の身体的反応を観察して、それに耐えるのを学んで初めて、過去に安全に立ち返れるようになる。今現在感じていることに耐えられなければ、過去に心を開いても苦悩が深まり、なおさら深いトラウマを負うだけだ(12)。
体の混乱状態は絶えず変化するという事実を意識し続けていれば、非常に多くの不快感にも耐えることができる。ある瞬間に胸が締めつけられても、息を深く吸い込んで吐き出せば、その感覚は和らぎ、肩の筋肉の緊張といった、何か他のものに気づくかもしれない。今度は息をさらに深く吸い込むとどうなるかを探り始めて、胸郭が拡がるのに気づくことができる(13)。いったん気分が落ち着いて好奇心が増したら、先ほどの肩の感覚に戻ることもできる。その肩が何かしら関係するような記憶が自然に浮かんできても、驚いてはならない。
さらに次のステップは、思考と身体的感覚の相互作用の観察だ。特定の思考は、どのように体に認識されるだろうか(「父は私を愛している」といった思考や、「恋人に捨てられた」といった思考は、異なる感覚を生むだろうか)。体が特定の情動や記憶をどのように生み出すのかが自覚できると、かつて生き延びるために遮断していた感覚や衝動を解放する可能性が開かれる(14)。(中略)
心身医療の先駆者の一人であるジョン・カバットジンは、一九七九年にマサチューセッツ大学メディカルセンターで、「マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」のプログラムを創始した。彼の手法は、三〇年以上にわたって綿密に研究されている。彼はマインドフルネスを次のように説明している。「この変化のプロセスは、こんなふうに考えてもいい。マインドフルネスをレンズだと見なし、心の中に散らばっている受け身のエネルギーを集約し、それを生きるためや、問題解決のためや、癒やしのためのエネルギーの一貫した源にするのだ(15)」
マインドフルネスは、うつ病や慢性療病といった、数多くの精神医学的・心身医学的症状や、ストレス関連症状に有効であることが立証されている(16)。また、免疫反応、血圧、コルチゾール値の改善といった、身体的な健康に幅広い効果がある(17)。情動調節に関与する脳領域を活性化し(18)、体の認識と恐れに関連する領域に変化をもたらすことも立証されている(19)。私の研究仲間であるハーヴァード大学のブリッタ・ホルツェルとサラ・ラザーによる研究では、マインドフルネスを練習すると、脳の煙探知機である扁桃体の活性化が抑えられ、トリガーになりそうなものに対して反応しにくくなりさえすることが立証された(20)。

注:i) 引用中の原注「(11)」~「(20)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 iii) 引用中の「煙探知機である扁桃体」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「マインドフルネスストレス低減法」についての論文の要旨例はここここ及びここを参照して下さい。

脅威にさらされた自己

ダマンオと共同研究者たちは二〇〇〇年に、世界でも一流の科学専門誌「サイエンス」に論文を発表し、強い否定的情動を追体験すると、筋肉や消化管、皮膚から神経信号を受け取る脳領域、すなわち、基本的な身体的機能を調節するのに不可欠な領域に、重大な変化が起こることを報告した。過去の情動的な出来事を想起すると、その出来事のときに感じた内臓の感覚を現に再経験することを、ダマンオのチームの脳スキャン画像は示していた。情動は種類ごとにそれぞれ異なる特徴的パターンを生み出した。たとえば、脳幹の特定の部位は、「悲しさや怒りを感じているときに活性化するが、幸せや恐れを感じているときには活性化しない(10)」。これらの脳領域はみな、大脳辺縁系の下にある。従来、情動は大脳辺縁系に割り振られてきたが、私たちは、強い情動を体と結びつける、ありふれた言い回しを使うたびに、これらの脳領域が関与していることを認めている。「あなたはむかつく」「そのせいで背筋がぞっとした」「私はすっかり胸が詰まった」「がっかりした(英語では「My heart sank」で、直訳すると「私の心臓が沈んだ」)」「彼のせいで髪の毛が逆立つ」という具合だ。
脳幹と大脳辺縁系の基本的な自己システムは、人が生命を脅かされると著しく活性化し、強烈な生理的覚醒を伴う、圧倒的な恐れや身がすくむような思いを引き起こす。トラウマを追体験している人には、何一つ理解できない。彼らは生きるか死ぬかという状況にはまり込んでいる。それは、身動きをとれなくするような恐れや、見境のない憤激の状態だ。心も体も、まるで危機が差し迫っているかのように、しきりに覚醒させられる。ほんのかすかな音が聞こえてもはっと驚き、些細なことで苛立つ。絶えず眠りを妨げられ、食べ物は官能的な快楽をもたらさなくなることが多い。すると今度は、凍りついたり解離したりして不快な感情を抑えようとする必死の試みが引き起こされかねない(11)。
人は自分の動物脳が生存のための闘いにはまり込んでいるときに、どうやって主導権を取り戻すのか。もし、動物脳の奥深くで起こることが、私たちがどう感じるかを決めており、身体感覚が皮質下(意識下)の脳組織によって調整されているのなら、私たちは実際にはどれほどそれらを制御できるのか。

主体性――自分の人生を支配する

「主体性」とは、自分の人生を自ら取り仕切っているという感じを指す専門用語であり、自分がどこにいるかを知っていること、自分に起こることに対して発言権があるのを知っていること、自分の境遇を形作るそれなりの能力を持っているのを知っていることだ。ボストン退役軍人クリニックの壁を殴りつけた帰還兵たちは、主体性を主張して、何かを引き起こそうとしていたのだ。だが彼らは、自分には何も制御できないとますます感じる羽目になり、かつては自信に満ちあふれていた彼らの多くが、狂乱した活動と身動きがとれない状態の繰り返しにはまり込んでしまった。
主体性は、科学者が「内受容感覚」と呼ぶものから始まる。内受容感覚とは、体に基づく感情である微妙な感覚の自覚だ。その自覚が大きいほど、自分の人生を制御する潜在能力も大きくなる。自分が何を感じているかを知るのが、なぜそう感じるのかを知るための第一歩だ。自分の内外の環境における絶え間ない変化を自覚していれば、その変化を管理する態勢に入れる。だが、それが可能なのは、私たちの監視塔である内側前頭前皮質が、私たちの内部で何が起こっているかを観察することを学んだ場合に限られる。だから、内側前頭前皮質の働きを高めるマインドフルネスの練習は、トラウマからの回復に非常に重要な一要素なのだ(12)。(後略)

注:i) 引用中の原注「(10)」は次の論文です。 「Subcortical and cortical brain activity during the feeling of self-generated emotions.」 一方、引用中の原注「(11)」、「(12)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iii) 引用中の「大脳辺縁系」については、例えば次の資料を参照して下さい。「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系 - 視床下部の役割」 一方、情動の視点より例えば次のWEBページを参照して下さい。 「恐怖する脳、感動する脳」の「情動と脳」及び「恐怖情動の神経回路」項 また、PTSD又は複雑性PTSDの視点からは他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 iv) 引用中の「内側前頭前皮質」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 v) 引用中の「内受容感覚」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) ちなみに、化学物質過敏症に対するマインドフルネス認知療法の効果に関する説明例として、次のマニュアルの「3.4.5. 化学物質過敏症とされた患者さんに対する適切な治療とケア」項における記述の一部(P54)を以下に引用します。 「科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)」 なお、この引用には「精神心理的な治療を発展させることが回復のために重要」であることの記述が含まれています。

一方、近年デンマークの Hauge らから、マインドフルネス認知療法と呼ばれる、「気づき」や「注意コントロール」に基礎をおいた心理療法による治療(介入研究)が報告されています43,44)。この研究では 69 人の化学物質過敏症患者を 2 群に割付け、介入群には 2 時間半のマインドフルネス認知療法を 8 週間実施し、コントロール群はそれまでの生活を継続したのち 1 年後まで追跡を行いました。この結果、マインドフルネス認知療法による症状への効果や症状による社会的影響に対する有意の効果は得られませんでしたが、患者さんの「認知」や「感情」に対しては前向きな、よい変化が見られました。つまり、マインドフルネス認知療法によって恐怖に対する認知をかえて、病気への対応力を向上させることは可能であると北欧諸国では考えられています。また、日本でも最近、平田と吉田は、化学物質過敏症の発症過程における精神心理要因の関与について面接調査を行い、発症前の心理負荷の関わりを明らかにしています31)。この結果、化学物質過敏症の発症には心理社会ストレスが関わる可能性を示唆し、化学物質過敏症の患者さんと接する上で精神心理的な治療を発展させることが回復のために重要であると説いています31)。

注:(i) 引用中の文献番号「43」、「44)」、「31)」はそれぞれ次の論文又は資料です。 「Mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for multiple chemical sensitivity (MCS): Results from a randomized controlled trial with 1 year follow-up.」(「Introduction」等を含めてはここを参照、加えて他の拙エントリのここも参照すると良いかも)、「Mindfulness-based cognitive therapy for multiple chemical sensitivity: a study protocol for a randomized controlled trial.」、『特発性環境不耐症患者(いわゆる「化学物質過敏症」)の発症における心理負荷』 (ii) 引用中の「マインドフルネス認知療法」については次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」 (iii) ちなみに、 a) 化学物質過敏症を訴える方々において、「ストレスの対象法が下手な方が多い」ことや「一番大事なのはストレス・マネージメント」については共に次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P30 及び P31。加えて、マインドフルネスは最強のコーピング(ストレス対処法)についてはここを参照して下さい。 b) 他の拙エントリのここでもマインドフルネス認知療法(上記文献番号「43」)について紹介されています。 c) 過敏性への対処法としてのマインドフルネスについてはここを参照して下さい。 d) 「In-situ Real-Time Monitoring of Volatile Organic Compound Exposure and Heart Rate Variability for Patients with Multiple Chemical Sensitivity.」(全文はこちら)の「4.4. Case Studies」においても、次に引用するように認知療法としてのマインドフルネスが、探求されている MCS 治療オプションとして紹介されています。 e) 一方、「精神科病院外来におけるマインドフルネス認知療法に基づく集団プログラム」については次の資料を参照して下さい。 「精神科病院外来におけるマインドフルネス認知療法に基づく集団プログラムの実践とその評価

There is no common MCS treatment protocol accepted across medical disciplines. Gibson et al. surveyed perceived treatment efficacy for conventional and alternative therapies reported by a person with MCS. As a result, participants rated chemical avoidance, creating a chemical-free living space, and prayer as the three most useful interventions [25]. On the other hand, cognitive therapy, such as mindfulness, are being explored as treatment option for MCS [26,27].


[拙訳]
医学分野を問わず受け入れられる共通の MCS 治療プロトコルはない。Gibson らは MCS を伴う人により報告された従来及び代替療法の治療有効性を調査した。その結果、報告者は化学物質からの回避、化学物質のない居住空間の創出、及び祈りを 3 つの最も有用な介入として評価した[25]。その一方で、マインドフルネス等の認知療法が MCS 治療オプションとして探求されている[26,27]。

注:i) 引用中の文献番号「25」及び引用中の「従来及び代替療法の治療有効性」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 引用中の文献番号「26」、「27」はそれぞれ次の論文又は資料です。 「Mindfulness-based cognitive therapy (MBCT) for multiple chemical sensitivity (MCS): Results from a randomized controlled trial with 1 year follow-up.*57、「A controlled study of the effect of a mindfulness-based stress reduction technique in women with multiple chemical sensitivity, chronic fatigue syndrome, and fibromyalgia.」(注:この論文要旨の引用はここを参照して下さい。)

さらに、パーソナリティ障害におけるマインドフルネスについて、岡田尊司著の本、『パーソナリティ障害がわかる本 「障害」を「個性」に変えるために』(2014年発行)の 第3編 パーソナリティ障害の治療と克服 の (3)主な治療法 の「④マインドフルネス」における記述(P316~P317)及び愛着障害におけるマインドフルネスについて、岡田尊司著の本、『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(2016年発行)の 第7章 愛着障害の克服 の『ありのままを受け入れる修練――「マインドフルネス」の実践』における記述の一部(P291~P293)をそれぞれ以下に引用します。

④マインドフルネス

パーソナリティ障害の人の認知や行動の偏りは、単に考え方の問題というよりも、長年の体験の中で体深くまでしみついたものです。通常の認知行動療法やカウンセリングでは、その深い部分にまで到達できないのです。頭でわかるだけでは、心や体が言うことを聞かないのです。その限界を突破する方法として、有効性に注目しているのがマインドフルネスです。
マインドフルネスは、sati というサンスクリット語を英語に翻訳した言葉で、「気づき」や「悟り」という意味です。瞑想から発展した手法で、価値判断せずに、ありのままに感じることで、豊かな気づきを得ようとします。人が苦しみ、ネガティブな感情にとらわれてしまうのは、物事をありのままに受け取るのではなく、理想の状態と比べてしまい、今の状態がダメだと思ってしまうからです。パーソナリティ障害の人は、理想の状態へのこだわりが強く、今の状態を否定的にみなしてしまいがちです。
しかし、頭でわかっていてもなかなか変えられません。マインドフルネスでは、ありのままに受け止めることを頭で理解するだけでなく、体や呼吸といった身体感覚を通して身に着けていきます。カウンセリングと組み合わせることで、より深い体験が得られ、ネガティブな体験によって封じ込められていた気持ちや感覚を生き生きと味わうことで、とらわれを脱却していきます。うつや不安、自己否定にとらわれやすい人にもっとも適しますが、共感性の低下したケースや怒りのコントロールが難しいケースにも有効です。

注:引用中の「とらわれ」に関連する森田療法の視点からの「とらわれ」については例えば次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 「森田療法とは」、「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の【森田の“とらわれとあるがまま” 】項と【高良・新福の“とらわれとあるがまま” 】項、「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項

ありのままを受け入れる修練――「マインドフルネス」の実践
愛着が安定した人では、つねに肯定的に物事を受け止めようとする。ありのままを寛容に受け入れ、悪い点よりも良い点に目を向け、その物事が与えられたことを喜ぼうとする。
一方、愛着が傷を受け、不安定な人は、悪いところにばかり目が行きがちで、現状を喜ぶよりも、不満や怒りや攻撃が多くなってしまう。現状がまったく同じであったとしても、そうした受け止め方の違いがあるために、愛着が不安定な人では、自分にも他者にも、この世界にも、人生にも否定的な評価をしてしまうので、どうしても幸福度が下がってしまう。同じような境遇を生きていても、面白くない人生になってしまう。
それは、損なことである。これを変えていくためには、物事をありのままに受け止めることが大事になる。悪いところを非難したり不満に思うよりも、良いところに目を向け、そこに満足や喜びを見出せると、ずっと生きやすくなる。
ありのままに受け止める実践的修練として、今、その効果が注目されているのが「マインドフルネス」や、マインドフルネスを取り入れたカウンセリングである。
マインドフルネスとは、物事を良い、悪いで価値判断するのではなく、ありのままに感じることで、豊かな気づきを得ることである。もともとは、サンスクリット語の「sati(気づき、悟り)」を英語に訳した言葉で、とらわれを脱し、自由な境地を得ることを意味する。
マインドフルネスは、ヨガや瞑想から発展したものだが、キリスト教の文化圏でも受け入れやすいように、宗教色を取り去った純粋な心理的技法として確立されたことで、急速に普及している。科学的にその効果が立証され、医学的な治療にも採り入れられている。うつや不安やイライラ、怒りに非常に効果的であることが裏付けられており、単に認知だけでなく、身体的な反応にも働きかけることで、より深い効果を生んでいる。
愛着が不安定な人では、悪い点に目が向いてしまうことで、不完全な自分や他者を否定的に評価してしまうが、それがうつやイライラの原因にもなる。現状が七十点で、まずまず合格点だったとしても、百点の理想の状態と比べて、まったくダメだと思ってしまう。
マインドフルネスでは、認知療法のように、その受け止め方が「偏っている」といったことは問題にしない。偏った受け止め方を良い受けとめ方に直そうということもしない。なぜなら、そうすることが、また「理想の状態でなければいけない」と考えることにつながるからだ。治そうとしている状態を、また作ってしまうことになるからだ。
マインドフルネスでは、良いとか悪いといった価値判断はせず、ありのままに受け入れてそれを感じることを目指す。良いとか悪いとかいった価値判断から自由になることを目指すのだ。価値判断とは、ある意味で「とらわれ」である。今現在、うつとか不安といった症状があっても、それを「治さねばならない悪いこと」とみなさず、そのまま受け入れようとする。症状を治すことにとらわれないことで、症状から自由になる。こうした発想も、症状を治療目標にしない愛着アプローチと親近性が高いといえる。
ただ、マインドフルネスも、愛着アプローチと同様、ただ頭でわかっても実践できるわけではない。修練を積むことで「身につけて」いく必要がある。実践する中でしか、会得できないのである。しかしいったん身につくと、些細な日常も、味わい深い発見に満ちた新鮮な体験になる。不調なことやうまくいかないことがあっても、それが悪いこととはならず、「これも人生の味わいの一つだ」と、大切に感じられる。何か特別なことをしなくても、ここにあるということ、存在するということ自体を楽しめるようになる。
そうした境地にたどり着くために、どうしたらいいのか。
マインドフルネスでは、生きることの原点である「呼吸」や「体の感覚」に注意を向け、それをありのままに感じることから始める。そこを基本にしながら、不快な体験や不安な感覚もありのままに受け止め、味わうことで、乱されない心と豊かな気づきを手に入れていく。
マインドフルネス体験は、母親の腕に抱かれた子どものように、ありのままに受け止められ、包まれるような体験だともいえる。それが、不安定な愛着を抱えた人にもなじみやすく、また体得すると、自分一人でもできるようになるので、安全基地に恵まれない人にとっても、安心の拠り所を与えてくれる体験となる。

注:i) 引用中の「とらわれ」に関連する森田療法の視点からの「とらわれ」については例えば次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 「森田療法とは」、「マインドフルネス、あるがまま、そして森田療法」の【森田の“とらわれとあるがまま” 】項と【高良・新福の“とらわれとあるがまま” 】項、「外来精神療法としての森田療法――その理論と技法――」の「3. とらわれとあるがまま」項 ii) 引用中の「不安定な愛着」に関連する「不安定型愛着」についてはリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「安全基地」に関連する「安心の基地」については、例えばここを参照して下さい。 iv) 引用中の「認知療法」についてはここを参照すると良いかもしれません。

一方、コーピング(ここ参照)の視点からのマインドフルネスについて、伊藤絵美著の本、「折れない心がメモ一枚でできる コーピングのやさしい教科書」(2017年発行)の Lesson 4 あるがままに受け止め、味わい、手放すマインドフルネス の『マインドフルネスは「最強のコーピング」』における記述の一部(P112~P113)を以下に引用します。加えて、日常生活にとり入れるマインドフルネスとして、貝谷久宜監修の本、「非定型うつ病 パニック症・社交不安症」(2014年発行)の 第6章 毎日の過ごし方に回復のポイントがある の「マインドフルネス④ 日常生活にとり入れる」における記述の一部(P156)を以下に引用します。

マインドフルネスとは、「今・ここ」で体験していることに気づき、あるがままに受け止め、味わい、そして手放すための心のエクササイズです。
「サティ」というパーリ語仏教用語を英訳したもので、日本語では「気づきを向ける」という意味でよく使われます。日本では最近注目されるようになりましたが、欧米ではストレスへの対処や、うつ病などの治療にも以前から取り入れられています。
このマインドフルネスを日々の生活に取り入れることができれば、いいことも悪いことも、あるがままに受け止められるようになります。
さまざまな出来事や感情のひとつひとつに振り回されることがなくなり、ストレスフルな環境にも、否定的な気持ちにならずにすむようになります。だからこそわたしは、マインドフルネスを「最強のコーピング」だと考えているのです。

マインドフルネスでは、すべての体験に対して一切の判断や評価をくだしません。
イライラしていたら「ふーん、自分はイライラしているんだ」、怒りの感情には「ふーん、すごく怒っているんだ」、悲しみには「ふーん、悲しいんだ」。
すべてを「ふーん、そうなんだ」と受け止めるだけです。(後略)

注:i) ちなみに、引用中の『マインドフルネスを「最強のコーピング」だと考えている』ことに関連する、「ストレスから心と体を守るマインドフルネス」については、次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスから心と体を守るマインドフルネス」 ii) 引用中の「ふーん、そうなんだ」について、伊藤絵美著の本、「つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。」(2017年発行)の Lecture マインドフルネスとは何か の「マインドフルネスの基本原則」における記述の一部(P079)を次に引用(『 』内)します。 『*つまり自分のすべての体験に対して、いっさいのコントロールを手放し、興味関心を持って、「ふーん、そうなんだ」と受け止め、味わっていると、どんな体験もそのうちに消えていきますから(「消す」のではなく「消える」のです)、消えるにまかせてさよならをする、というのがマインドフルネスです。』(注:引用中の「どんな体験もそのうちに消えていきます」に関連する「無常の力」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネスの理解と実践」の「マインドフルネスと無常の力」項)

マインドフルネス④ 日常生活にとり入れる(中略)

マインドフルネスは、「いま」この瞬間の自分の状態を見つめることです。そのための時間を特別につくらなくても、朝起きる、洗顔する、着がえるといった普段行っている行動、動作のどれひとつにでも、そこに意識を向ければマインドフルネスを実践していることになります。

加えて、下記「ハッと気づくということは、その後は自分が選択できるということです」を始めとした、マインドフルネスの戦略について、熊野宏昭著の本、「実践! マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」(2016年発行)の 第5章 マインドフルネスのルーツを知る の「マインドフルネスの戦略」における記述の一部(P126~P128)を次に引用します。

マインドフルネスの戦略

◎基本は、「自分の体験に気づいて、反応を止めることによって、いつものパターンから抜けること」である。

◎さらに微細に見れば、「今この瞬間の身体感覚・思考・感情などに気づき、それに後続する反応を止め、さらにその体験を見つめ続けることによって、自然とピークアウトするまで待つ」という一連の行動連鎖を含んでいる。

◎それが、過去の学習歴によって形成された反応パターン(症状や問題行動)を消去することを可能にする。

◎そして引き続き、「自分が目指す方向性に沿って次の行動を選択する」という「価値に基づくコミットメント」が促進されることになる。

これまでお話ししてきたように、マインドフルネスの戦略というのは、基本は自分の体験に気づいて反応を止めることです。普通だと、混乱したら逃げ出すわけですよね。怒りや、イライラしてきたら、「もう、この野郎」とやっつけに行くか、あるいは「考えるのも嫌だ」と回避するわけです。そのように我々は、自動的に落ち込んだらこうする、不安になったらこうする、といった、いつも取っている反応があるわけです。例えば、電車に乗ろうとして怖くなったら、とりあえずやめておく、とかですね。
でも、我々はそれに気づいて、「今、イライラしてきたな。いつもなら、ここでガツンといくところだけど、もうちょっと様子を見てみよう」と反応を止めることによって、いつものパターンから抜けることができるわけです。これが一番大事なポイントです。反応を止めて、いつものパターンから抜ければ、そこで自由が手に入るわけです。そこで選択が可能になるんですね。

これは、たまたまですが、実は先日、プラユキ先生が早稲田大学まで来られて、学生にいろいろとお話をしてくださいました。そのときに、「ハッと気づくということは、その後は自分が選択できるということです」とおっしゃいました。気づかなければ自動運転がずっと続いて、いつものパターンが繰り返されるだけですが、気づけばその次の瞬間からは、自分で選ぶことができるのです。
それを微細に見ると、今この瞬間の身体感覚、思考、感情などに気づいて、それに後続する反応を止めて、さらにその体験を見つめ続けることによって自然とピークアウトする(ピークに到達したあと、下がり始める)まで待つ、という流れになります。
ピークアウトしたら、選択をすることができるようになります。そのような一連の行動連鎖を含んでいることで、過去の学習歴によって形成された反応パターンである、症状や問題行動を消去することが可能になるわけです。
自分が目指す方向性にそって次の行動を選択することができると、自分の価値に基づいたコミットメントが促進されることになります。この価値というのは、自分が一番大切にしているものや、自分の生きている意味といったもののことです。(後略)

注:i) 引用中の「プラユキ先生」のツイッターは次を参照して下さい。 「プラユキ・ナラテボー(公式)」 加えて、プラユキ先生が著者の一人である本の引用例は他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ハッと気づく」は、「ハッと我に返る」と言い換えることができるかもしれません。 iii) 引用中の「価値」及び「コミットメント」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「アクセプタンス&コミットメント・ セラピー」の「価値に沿った行動」及び「FEARからFEELを経てACTへ」項、「ACTとは何か」の「ACTの治療過程」項 iv) 引用中の「ピークアウト」に関連するかもしれない森田療法における「感情の法則」については、次のWEBページを参照して下さい。 「森田療法を理解するためのキーワード」の「感情の法則とは」項 加えて、「ピークアウト」するまでの時間又は経過の例についてはここ、他の拙エントリのここここ及び次の資料を参照して下さい。 「不安障害に対する認知行動療法 ――エクスポージャー法をどのように導入するか,そのコツを探る――」の特に図1

さらに、過敏性への対処法としての呼吸や身体感覚への注目に焦点をあてたマインドフルネスについて、岡田尊司著の本、「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道」(2017年発行)の 第八章 過敏性を克服する の 第二節 振り返りの力を養う の「マインドフルネスはなぜ有効なのか」における記述の一部(P222~P224)を次に引用します。

マインドフルネスはなぜ有効なのか
マインドフルネスは過敏性への対処法としても、とても有効な方法です。不安や苦痛を何とかしようとして戦うのではなく、そのまま受け入れ、流すというのが基本スタンスです。苦痛や不快さ、不安感や怒り、悲しみといったネガティブな感覚や感情は、しばしば空に浮かぶ雲にたとえられます。雲を無理やり取り去ろうとしても、誰にもそんなことはできず、無力感に打ちひしがれ、よけいつらくなるだけです。そんな無駄なことにあくせくする必要はなく、放っておけば雲は勝手に流れていくのです。ただ流れるままにしておけばいいのです。
しかし、実際のところ、過敏になっている状態のときには、気になっていることばかり頭に浮かんでしまうという悪循環に陥りがちです。流そうと思っても、そこにじっと動かずにあって、その人を苦しめ続けていることが頭を離れてくれません。放っておこうとしでも、気が付いたらまた考えてしまい、堂々巡りが続いてしまうこともしばしばです。
この無間地獄のような状態から、どうしたら抜け出せるのでしょうか。そこで役に立つ強い武器が、呼吸と身体感覚への注目なのです。マインドフルネスがとても有効な方法となり得たのも、この武器があったからこそです。(中略)

呼吸に注目しながら瞑想するという作業と、身体感覚を味わうボディ・スキャンという作業を基本的なワークにすることによって、初心者の人でも比較的取り組みやすく、効果も出やすいのです。
ただ過敏な自分を苦しめている苦痛から距離をとり、流れるままにしなさいというだけでは距離をとることも流すことも難しいのですが、不安や苦痛の方に注意がそれたら呼吸や身体感覚に注意を戻しなさいと、向かうべき対象がはっきり示されることで、ぐんと取り組みやすくなるのです。

注:同本のタイトルにおける「HSP」は Highly Sensitive Person(敏感すぎる人)の略語です。

② マインドフルネスの背後にある心理神経的メカニズム
一方、標記の心理神経的メカニズムについて、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の大平英樹著の文書「内受容感覚とマインドフルネス」における記述の一部(P34~P39)を次に引用します。この引用には「はじめに」「マインドフルネスの効果成分と神経基盤」及び「心頭を滅却すれば火もまた涼し――身体と意識」が含まれます。

はじめに

マインドフルネスとは、「評価を伴わず、今ここでの体験へ注意を向けること」と定義されている(Kabat-Zinn 1990)。瞑想の訓練を通じてこうした態度を涵養することにより、健康の増進やさまざまな疾患の治療に効果があることが実証されている(Khoury et al. 2013)。マインドフルネス瞑想がなぜ効果があるのかについてはいまだ明らかではないが、近年、心理学や認知神経科学の立場からマインドフルネスの効果メカニズムに関する研究が行われるようになってきた。本章では、とくに身体の状態と反応、およびその知覚に焦点を当てて、マインドフルネスの背後にある心理神経的メカニズムについて考えたい。

マインドフルネスの効果成分と神経基盤

マインドフルネスと呼ばれる瞑想には、多くの技法や臨床的介入法が存在する。そして、その背後には複数の心理的過程があると考えられている(Dahl et al. 2015 : Tang et al. 2015)。マインドフルネスの効果メカニズムを考えるには、そうした心理的過程や、それらを実現する神経基盤を分離して検討することが重要である。

(1)注意
マインドフルネスを支える心理的過程としてまずあげられるのは、さまざまな対象への注意(attention)を、選択し、切り替え、維持する能力である(図1)。この能力はさらに、反応すべき刺激を待ち受ける警戒(alerting)機能、多くの刺激から反応すべき刺激を選択する定位(orienting)機能、複数の処理が同時に起こった場合、それを検出して調整する葛藤モニタリング(conflict monitoring)という下位機能から成る(Petersen & Posner 2012)。こうした注意の能力が高まれば、刺激の処理を効率的かつ適切に行うことができるようになり、適応性が高まるであろうことは容易に想像できる。実際、注意の訓練がうつ病などの治療に有効であることは多くの研究で実証されており(たとえば Siegle et al. 2007)、そのために、しばしば注意の能力の亢進こそがマインドフルネスの効果の中核であるとも議論されている(杉浦 2007)。
注意の神経基盤は、機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging; fMRI)などを用いた神経画像法によって、これまでによく研究されている(図2:Tang et al. 2015)。警戒機能は脳内の青斑核(Locus Coeruleus)を中核とするノルアドレナリン神経系により担われており、定位機能は前頭眼野(Frontal Eye Field)を含む前頭領域と頭頂領域から成る注意ネットワークにより実現されている。葛藤モニタリングは、前部帯状回皮質(Anterior Cingulate Cortex)、前部島(Anterior Insula)、線条体(Striatum)を中心とする神経ネットワークにより実行される(Raz & Buhle 2006)。
数ヵ月のマインドフルネス瞑想訓練が注意の機能を向上させることが示されており(MacLean et al. 2010)、特に訓練初期には定位機能と葛藤モニタリングが、訓練が長期になると警戒機能の向上がみられることが示されている(Chiesa & Serretti 2011)。さらに、マインドフルネス瞑想訓練により、上述した前部帯状皮質(Hőlzel et al. 2007:Tang et al. 2009)、前頭前皮質(Prefrontal Cortex)の背外側(dl)(Allen et al. 2012)、頭頂領域(Parietal Lobe)(Goldin et al. 2010)などの注意に関連する脳部位の活動が高まることが報告されている。こうした知見から、注意機能の向上がマインドフルネスの効果を媒介していると考えることは妥当であろう。

(2)感情制御
マインドフルネスの心理的基盤として、次に考えられるのが感情制御(emotion regulation)である(図1)。感情制御とは、自分自身の感情の強さや持続期間を調整し、感情の体験や表出を変容させようとする認知的な努力を意味する(Gross 2014)。感情制御の方略として、感情の原因や状況に対する考え方を変えようとする認知的再評価(cognitive reappraisal : Gross 2001)、自分自身の感情から距離を取って客観視しようとする距離化(distancing : Koenigsberg et al. 2010)、別の認知的活動に従事することで感情を忘れようとする気晴らし(distraction : Smoski et al. 2014)、などがあり、これらの方略の有効性はメタ分析により詳細に検討されている(Webb et al. 2012)。感情制御の機能が高まれば抑うつ、怒り、悲しみなどの不快感情を低減させることができ、ストレスへの耐性が増すことにより、適応性が高まることが考えられる。
感情制御の神経基盤については多くの神経画像研究があり、それらの知見に関するメタ分析も行われている(図2)。どのような方略を用いる場合でも、背外側前頭前皮質、前部帯状回皮質(とくに背側)、前頭眼窩皮質(Orbitofrontal Cortex)などの複数の前頭領域の活動が高まり、前頭領域が抑制性の神経投射を有する扁桃体(Amygdala)、島(Insula)、視床下部(Hypothalamus)などの感情に関連した皮質下領域の活動が低減されることが示されている(Ohira et al. 2006 : Wager et al. 2008 : Ochsner et al. 2012)。
マインドフルネス瞑想により、不快感情による認知的活動への干渉が低下し(Ortner et al. 2007)、不快映像刺激への交感神経系反応が低減し反応の回復が促進され(Goleman et al. 1976)、感情制御が容易になる(Robins et al. 2012)ことが報告されている。これらの知見と対応して、マインドフルネス瞑想の訓練により、前頭前皮質の背外側(dl)や背内側(dm)の活動性が高まり、それと相まって扁桃体の活動は低下すること(Allen et al. 2012 : Goldin et al. 2010 : Lutz et al. 2014)が示されている。こうした知見は、感情制御もマインドフルネス効果の重要な媒介要因であることを示唆している。

心頭を滅却すれば火もまた涼し――身体と意識

注意や感情制御の能力は、脳の前頭領域が担う認知的コントロールの機能を基盤にしている。そうだとすれば、これまで検討してきた研究知見は、マィンドフルネス瞑想の訓練とは要するに、認知的コントロール機能を高める訓練である、ということを示唆している。
しかしながら、マインドフルネス瞑想の訓練では呼吸を数えて注意を集中したり、ボディスキャンの技法により身体の各部に意識を向けるなど、身体の状態や反応を媒介として用いるものが少なくない。マインドフルネスが純粋に認知的過程であるならば、その訓練において外的対象を媒介としても同様な効果が生じるはずである(実際に、認知訓練にはそうした技法も存在する : Siegle et al. 2007)。マインドフルネス瞑想において、あえて身体が重視されるのには積極的な理由はあるのだろうか?
この問題を考えるうえで、マインドフルネス瞑想の訓練による痛み知覚の変容に関する2つの研究が示唆的である。Zeidan et al.(2011)の研究では、訓練後には、痛み刺激に対する主観的な痛みの強さの評定と、その痛み刺激の不快さの評定がいずれも低下したことが報告されている。一方、Gard et al.(2011)の研究では、訓練後に、痛み刺激の評定自体は変わらないが、その痛み刺激の不快さや、痛み刺激への予期不安は顕著に低下したことが報告されている。さらに興味深いことに、瞑想訓練に伴う脳機能の変容は、2つの研究の間でまったく異なっていた。Zeidan et al.(2011)の研究では、瞑想訓練の後では痛み刺激を受けた際に、前頭前皮質の活動が克進するとともに、痛み知覚の中枢である島の活動は顕著に低下していた。これはまさに、認知的コントロールの機能により痛みの不快さを低減する機能を反映していると考えられる。ところが、Gard et al.(2011)の研究では、瞑想訓練の後では痛み刺激に対する島の反応はむしろ高まっていた。その一方で前頭前皮質の活動は低下していた。
この矛盾を説明するのは瞑想訓練の期間であった。Zeidan et al.(2011)の研究の瞑想群の参加者は数十時間程度の訓練経験であったのに対して、Gard et al.(2011)の研究の参加者は数ヵ月~数年の訓練経験があった。つまり、マインドフルネス訓練の初期には前頭前皮質を用いた意図的な感情制御が行われていることが示唆される。Zeidan et al.(2011)の研究で、痛み刺激の強さの評定も不快さの評定も一様に低下していたことは、認知的過程に主導された一種のプラセボ効果にも似た現象であった可能性が考えられる。そして、マインドフルネス瞑想に熟達するにつれて、痛みなどの身体感覚の知覚自体はむしろ鋭敏化していくが、前頭前皮質によりそれを意図的に制御しようとする態度はなくなっていくのだと推測される。これが、痛みの知覚は変わらないが、その不快さや予期不安は低減されるという効果をもたらすらしい。マインドフルネスは、その訓練の過程では認知による注意や感情の制御が必要であるように思われる。しかし、熟達段階に達すると、マインドフルネスは単なる認知的過程ではなくなる。身体の感覚は、痛みのような不快な刺激に対してでさえも、むしろ鋭敏になる。しかし、それにもかかわらず、その快不快の評価は抑制される。これはまさに、禅で言う「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の境地であり、「評価を伴わず、今ここでの体験へ注意を向けること」というマインドフルネスの定義に即した状態であると考えられる。

注:i) 引用中の「Kabat-Zinn 1990」は次に示す本です。 「Kabat-Zinn, J. (1990), Full Catastrophe Living: Using the Wisdom of Your Body and Mind to Face Stress, Pain, and Illness, Delta (春木豊訳(2007)『マインドフルネスストレス低減法』北大路書房)」 ii) 引用中の「Khoury et al. 2013」は次に示す論文です。 「Mindfulness-based therapy: a comprehensive meta-analysis.」 iii) 引用中の「Dahl et al. 2015」は次に示す論文です。 「Reconstructing and deconstructing the self: cognitive mechanisms in meditation practice.」 iv) 引用中の「Tang et al. 2015」は次に示す論文です。 「The neuroscience of mindfulness meditation.」 v) 引用中の「Siegle et al. 2007」は次に示す資料です。 「Siegle, G. J., Ghinassi, F. & Thase, M. E. (2007), Neurobehavioral Therapies in the 21st Century: Summary of an Emerging Field and an Extended Example of Cognitive Control Training for Depression, Cognitive Therapy and Research, 31, 235-262」 vi) 引用中の「杉浦 2007)」は次に示す資料です。 【杉浦義典(2007)「治療過程におけるメタ認知の役割-距離をおいた態度と注意機能の役割」『心理学評論』50, 328-340】 vii) 引用中の「Raz & Buhle 2006」は次に示す論文です。 「Typologies of attentional networks.」 viii) 引用中の「MacLean et al. 2010」は次に示す論文です。「Intensive meditation training improves perceptual discrimination and sustained attention.」 ix) 引用中の「Chiesa & Serretti 2011」は次に示す論文です。 「Mindfulness-based stress reduction for stress management in healthy people: a review and meta-analysis」 x) 引用中の「Hőlzel et al. 2007」は次に示す論文です。 「Differential engagement of anterior cingulate and adjacent medial frontal cortex in adept meditators and non-meditators.」 xi) 引用中の「Tang et al. 2009」は次に示す論文です。 「Central and autonomic nervous system interaction is altered by short-term meditation.」 xii) 引用中の「Allen et al. 2012」は次に示す論文です。 「Cognitive-affective neural plasticity following active-controlled mindfulness intervention.」 xiii) 引用中の「Goldin et al. 2010」は次に示す論文です。 「Effects of mindfulness-based stress reduction (MBSR) on emotion regulation in social anxiety disorder.」 xiv) 引用中の「図1」の引用は省略します。一方、引用中の「図2」の引用は省略しますが、図2における記述(同本の P36)は次に示します(『 』内)。 『注意には、前頭前皮質の各部、前部帯状回皮質、線条体が関与する。感情制御には、背外側前頭前皮質、前頭眼窩皮質、前部帯状回皮質が関与する。自己意識には、島(前部)、前部帯状回皮質が関与する。なお、本文で記述した身体保持感には前部島と前部帯状回皮質が関与するが、自伝的記憶や自己概念については、内側前頭前皮質が関与する Tang et al. (2015) をもとに作成』 xv) 引用中の「Gross 2014」は次に示すハンドブックです。 「Gross, J., ed.(2014), Handbook of Emotion Regulation, Guilford」 xvi) 引用中の「Gross 2001」は次に示す資料です。 「Emotion Regulation in Adulthood: Timing Is Everything」 xvii) 引用中の「Koenigsberg et al. 2010」は次に示す論文です。 「Neural correlates of using distancing to regulate emotional responses to social situations.」 xviii) 引用中の「Smoski et al. 2014」は次に示す論文です。 「Relative effectiveness of reappraisal and distraction in regulating emotion in late-life depression.」 xix) 引用中の「Webb et al. 2012」は次に示す論文です。 「Dealing with feeling: a meta-analysis of the effectiveness of strategies derived from the process model of emotion regulation.」 xx) 引用中の「Ohira et al. 2006」は次に示す論文です。 「Association of neural and physiological responses during voluntary emotion suppression.」 xxi) 引用中の「Wager et al. 2008」は次に示す論文です。 「Prefrontal-subcortical pathways mediating successful emotion regulation.」 xxii) 引用中の「Ochsner et al. 2012」は次に示す論文です。 「Functional imaging studies of emotion regulation: a synthetic review and evolving model of the cognitive control of emotion.」 xxiii) 引用中の「Ortner et al. 2007」は次に示す資料です。 「Mindfulness meditation and reduced emotional interferance on a cognitive task.」 xxiv) 引用中の「Goleman et al. 1976」は次に示す資料です。 「Goleman, D. J. & Schwartz, G. E.(1976), Meditation as an intervention in stress reactivity, Journal of Consulting and Crinical Psychology, 44, 456-466」 xxv) 引用中の「Robins et al. 2012」は次に示す論文です。 「Effects of mindfulness-based stress reduction on emotional experience and expression: a randomized controlled trial.」 xxvi) 引用中の「Lutz et al. 2014」は次に示す論文です。 「Mindfulness and emotion regulation--an fMRI study.」 xxvii) 引用中の「Zeidan et al.(2011)」は次に示す論文です。 「Brain mechanisms supporting the modulation of pain by mindfulness meditation.」 xxviii) 引用中の「Gard et al.(2011)」は次に示す論文です。 「Pain attenuation through mindfulness is associated with decreased cognitive control and increased sensory processing in the brain.」 xxxix) 引用中の「Botvinick & Cohen 1998」は次に示す論文です。 「Rubber hands 'feel' touch that eyes see.」 xxx) 引用中の「機能的磁気共鳴画像法」については、例えば次の資料を参照して下さい。 「機能的磁気共鳴画像法を用いた脳機能計測方法とその応用」 xxxi) 引用中の「青斑核」については次のWEBページを参照して下さい。 「青斑核 - 脳科学辞典」、「パニック症 - 脳科学辞典」の「扁桃体によるストレス反応の制御」及び「“Stress-induced fear circuit”とPD」項 xxxii) 引用中の「前部帯状回皮質」に関連する「前帯状皮質」については次のWEBページを参照して下さい。 「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 xxxiii) 引用中の「前部島」に関連する「島」については次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」 xxxiv) 引用中の「前頭前皮質」に関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 xxxv) 引用中の「知覚」については次のWEBページを参照して下さい。 「知覚 - 脳科学辞典」 xxxvi) 引用中の「感情制御(emotion regulation)」中の用語「感情制御」は、拙ブログにおいては、基本的に「情動調節」を使用しています。ただし、引用中では「情動調整」を使用することもあります。 xxxvii) 引用中の「認知的再評価」に関連する、(認知療法における)「認知再構成法」については次の資料を参照して下さい。 「認知再構成法」 xxxviii) 引用中の「前頭眼窩皮質」に関連する「前頭眼窩野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭眼窩野 - 脳科学辞典」 xxxix) 引用中の「扁桃体」については、例えばトラウマの視点から、他の拙エントリのここここを参照して下さい。 xxxx) 引用中の「視床下部」については、次のWEBページを参照して下さい。「視床下部 - 脳科学辞典」 xxxxi) 引用中の「交感神経系反応」に関連する「ストレス応答のSAM系」についてはここを参照して下さい。 xxxxii) 引用中の「予期不安」については、例えば他の拙エントリのここを参照して下さい。 xxxxiii) 引用中の「快不快」については、次のWEBページを参照して下さい。 「快・不快 - 脳科学辞典

③ 心身医学とマインドフルネスの関係について
一方、標記の心身医学とマインドフルネスの関係については、貝谷久宜、熊野宏昭、越川房子編著の本、「マインドフルネス -基礎と実践-」(2016年発行)中の榧野真美著の文書「心身医学とマインドフルネス」の マインドフルネスは身体疾患にどのように効果を及ぼしているのか? の「(4)生理学的な機序」(P216)の記述、及び「おわりに」における記述の一部(P217)を次に引用します。

(4)生理学的な機序
ストレス刺激により、交感神経優位の防御反応が生じるが、その際、心拍数上昇、血圧上昇、消化器の運動や血流の低下、血糖上昇などが引き起こされる。また、視床下部-下垂体-副腎系の活動が亢進し、コルチゾールの分泌がなされ、これが免疫力の低下や血糖上昇などを引き起こす。マインドフルネスの実践により、ノルエピネフリンや交感神経活動が抑制されること、コルチゾール値が低下することが報告されており、さまざまなストレス反応が、患者のコントロール下に入りやすくなる可能性が指摘されている(Carlson 2012 : Curiati et al. 2005 : Sullivan et al. 2009 : Lengacher et al. 2009)。さらに、近年では、さまざまな脳機能画像研究により、マインドフルネスによる前部帯状回皮質、前頭前野、側頭頭頂接合部などの変化が報告されている(大谷 2014)。これらは、注意、情動調整、身体感覚、自己体験などと関連する領域であり、マインドフルネスの効果が、科学的に証明されつつある。

おわりに(中略)

マインドフルネスが身体疾患そのものの改善をもたらすか否かについては、一貫した結果が得られていない。しかし、マインドフルネスの実践により、個々の身体症状および心理的な苦痛を適切に対処できるようになる、すなわち、コーピングのスキルが向上し、全体的な幸福やQOLがもたらされたという報告は多い。とくに、心身医学の場では、心理社会的要因が身体疾患の経過を大きく左右し得る。さまざまなストレス要因やそれに対する認知や感情をマネジメントする力を向上させ、よりよい治療のゴールに向かうための一助として、マインドフルネスが今後も幅広く活用されていくことを期待したい。

注:i) 引用中の「Carlson 2012 : Curiati et al. 2005 : Sullivan et al. 2009 : Lengacher et al. 2009」はそれぞれ次の論文です。 「Mindfulness-based interventions for physical conditions: a narrative review evaluating levels of evidence.」、「The Support, Education, and Research in Chronic Heart Failure Study (SEARCH): a mindfulness-based psychoeducational intervention improves depression and clinical symptoms in patients with chronic heart failure.」、「Randomized controlled trial of mindfulness-based stress reduction (MBSR) for survivors of breast cancer.」 ii) 視床下部-下垂体-副腎系(HPA)系の反応を含む引用中の「ストレス」については、次のWEBページを参照して下さい。 「https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9:title=ストレス - 脳科学辞典]」(HPA系の反応については、このページの「視床下部-下垂体-副腎系」項を参照) 一方、引用中の「交感神経優位」に関連するストレス応答のSAM系については、ここを参照して下さい。 iii) 引用中の「前部帯状回皮質」に関連する「前帯状皮質」については、次のWEBページを参照して下さい。「前帯状皮質 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。「前頭前野 - 脳科学辞典」 iv) 引用中の「側頭頭頂接合部」については、次のWEBページを参照すれば良いかもしれません。 「マインドフルネスで脳が変化する?実証データによる科学的論拠とは」 v) 引用中の「コーピング」についてはここを参照して下さい。 vi) 引用は省略しますが、上記「マインドフルネスは身体疾患にどのように効果を及ぼしているのか?」には、「(4)生理学的な機序」以外にも、「(1)認知面の変化」、「(2)情動面の変化」及び「(3)行動面の変化」も含まれています。 vii) 引用中の「コーピング」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。加えて、引用中の「情動調整」に関連する「情動調節」については、他の拙エントリのちなみに、化学物質不耐症(Chemical intolerance)における情動調節については、他の拙エントリのここ[化学物質不耐症(Chemical intolerance)関連]及びここを参照して下さい。

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(b)エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)及び思考場療法(TFT)
最初に、エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)について紹介し、次に思考場療法(TFT)について紹介します。ちなみに、EFTはTFTに基づいて開発されました。次のWEBページを参照して下さい。 『EFTに関する「よくある質問」のご紹介』の「EFTはどこから生まれたのでしょうか?」項 ちなみに、EFTとTFTとの違いについては、同WEBページの「TFT(思考場療法)とは違うのですか?」項を参照して下さい。一方で拙訳はありませんが、2018年時点における標記EFT及びTFT等の「エネルギー心理学」(Energy Psychology:ここ参照)についての次の論文があります。 「Energy psychology: Efficacy, speed, mechanisms.」 なお、 a) 臨床的なEFTを用いたPTSDの治療に対するガイドラインの英語の論文(全文)は次を参照して下さい。 「Guidelines for the Treatment of PTSD Using Clinical EFT (Emotional Freedom Techniques)」 b) 加えて、標記EFTにおける研究参考文献が次のWEBページでリストアップされています。 「EFT Tapping Research

[A] エモーショナル・フリーダム・テクニック
標記エモーショナル・フリーダム・テクニック(Emotional Freedom Technique:EFT)について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の「第16章 自分の体の中に棲むことを学ぶ――ヨーガ」における記述の一部(P436~P437)を次に引用します。

(前略)セラピーの最初のころのセッションでは、アニーは自分が感じていることや考えていることを少しでも話そうとすると、すぐに機能停止に陥って凍りついてしまうので、私たちは彼女の内部の生理的な混乱を鎮めることに的を絞った。長年の間に私が学んだ、あらゆる技法を使った。たとえば、吐く息に意識を集中する呼吸法で、これは人をリラックスさせる副交感神経系を活性化してくれる。体のさまざまな場所にある指圧のツボを自分の指で順にタッビングすることも教えた。これは、よく「エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)」という呼び名で教えられている手法で、患者が耐性領域の内側にとどまる助けになることが証明されており、PTSDの症状に有効なことも多い(1)。

注:i) 引用中の「エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)」については、例えば次の日本語WEBページを参照して下さい。 「EFT - Japan」 加えて、EFTの公式マニュアルは次のようです。 『ゲアリー・グレイグ著、ブレンダ監訳、山崎直仁訳の本、「1分間ですべての悩みを解放する! 公式EFTマニュアル」(2011年発行)』 また、EFTを行う際の注意事項について、同マニュアルの イントロダクション――ヒーリングにおける可能性の宮殿へようこそ の「●――安全なアプローチ」における記述の一部(P12~P13)を以下に引用します。ちなみに、引用中の原注「(1)」中に、EFTに関連する次の論文が記載されています。 「Psychological trauma symptom improvement in veterans using emotional freedom techniques: a randomized controlled trial.」、「The effect of emotional freedom techniques on stress biochemistry: a randomized controlled trial.」 加えて、エビデンスの視点から、EFTに関連するメタアナリシスの論文要旨 ①「Emotional Freedom Techniques for Anxiety: A Systematic Review With Meta-analysis.」及び ②「The Effectiveness of Emotional Freedom Techniques in the Treatment of Posttraumatic Stress Disorder: A Meta-Analysis.」をそれぞれ以下に引用します。

(前略)第一に、適切なトレーニングや資格を持たない状態で、深刻な心理的問題を抱えた人々にEFTを行うことは避けてください。ある人々は非常に強いトラウマや虐待を経験しており、それらは多重人格、パラノイア(偏執症、被害妄想)、統合失調症やその他の精神障害といった深刻な心理的問題を引き起こしています。EFTはそのような深刻なケースでも効果を発揮してきましたが、十分な経験と資格を持った専門家でない限り、そのような人々に対してEFTを行うべきではありません。
このルールを理解していただく理由は、強い感情を伴った過去の出来事を思い出すことで、クライアントによっては何らかの拒否反応を示す場合があるからです。そして、アブリアクション(無意識的に抑圧されている記憶や感情の意識化や再現がなされる現象)によってコントロールを失ったクライアントが自分や他の人を傷つけようとした場合、鎮静剤や入院といった措置が必要になる可能性もあります。EFTにどれほどの情熱を持っているかに関わらず、これが専門家の領域であることは明らかであり、経験がない状態でこのような領域に踏み込むのは適切ではありません。

第二に、EFTを行う過程で辛い記憶を思い出したとき、しばしば通常の反応として涙が流れたり、他のなんらかの感情的反応が現れることがあります。また、身体の痛みが一時的に「よりひどくなる」ことも稀ではありません。深い経験と熟練を重ねた専門家であればその反応を正常なものとみなし、問題の解決をより促進するため、EFTに関する自らの幅広い知識を活用していくでしょう。
しかし、こういった反応が繰り返されるようであれば、常識を持った判断を下さなければなりません。EFTer(EFTを行う人)として自分自身や他の人にEFTを行う場合、その内容が手に負えないと感じるのであれば、医師や資格を持ったメンタルヘルスの専門家の助けを求めてください。(後略)

①「Emotional Freedom Techniques for Anxiety: A Systematic Review With Meta-analysis.[拙訳]不安に対するエモーショナル・フリーダム・テクニック:メタアナリシスを伴うシステマティックレビュー」

Emotional Freedom Technique (EFT) combines elements of exposure and cognitive therapies with acupressure for the treatment of psychological distress. Randomized controlled trials retrieved by literature search were assessed for quality using the criteria developed by the American Psychological Association's Division 12 Task Force on Empirically Validated Treatments. As of December 2015, 14 studies (n = 658) met inclusion criteria. Results were analyzed using an inverse variance weighted meta-analysis. The pre-post effect size for the EFT treatment group was 1.23 (95% confidence interval, 0.82-1.64; p < 0.001), whereas the effect size for combined controls was 0.41 (95% confidence interval, 0.17-0.67; p = 0.001). Emotional freedom technique treatment demonstrated a significant decrease in anxiety scores, even when accounting for the effect size of control treatment. However, there were too few data available comparing EFT to standard-of-care treatments such as cognitive behavioral therapy, and further research is needed to establish the relative efficacy of EFT to established protocols.


[拙訳]
エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)では、心理的苦痛の治療のための指圧を伴う暴露と認知療法の要素とを組み合わせる。文献調査によって検索されたランダム化比較試験は、実証的に検証された治療に関する米国心理学会の第12部会のタスクフォースによって開発された基準を用いて、品質が評価された。 2015年12月現在、14の研究(n = 658)が包含基準を満足した。結果は、逆分散メタアナリシスを用いて分析した。 EFT 治療グループの pre-post 効果量は 1.23(95%信頼区間、0.82-1.64; p < 0.001)であったのに対し、併用対照の効果量は 0.41(95%信頼区間、0.17-0.67; p = 0.001)であった。EFT の治療は、対照治療の効果量を考慮した時でも、不安スコアにおいて有意な減少を証明した。しかしながら、EFT認知行動療法等の標準治療法との比較に利用できるデータは少なすぎ、それで確立されたプロトコルに対する EFT の相対的有効性を確立するためのさらなる研究が必要である。

②「The Effectiveness of Emotional Freedom Techniques in the Treatment of Posttraumatic Stress Disorder: A Meta-Analysis.[拙訳]心的外傷後ストレス障害におけるエモーショナル・フリーダム・テクニックの有効性:メタアナリシス」

BACKGROUND:
Over the past two decades, growing numbers of clinicians have been utilizing emotional freedom techniques (EFT) in the treatment of posttraumatic stress disorder (PTSD), anxiety, and depression. Randomized controlled trials (RCTs) have shown encouraging outcomes for all three conditions.

OBJECTIVE:
To assess the efficacy of EFT in treating PTSD by conducting a meta-analysis of existing RCTs.

METHODS:
A systematic review of databases was undertaken to identify RCTs investigating EFT in the treatment of PTSD. The RCTs were evaluated for quality using evidence-based standards published by the American Psychological Association Division 12 Task Force on Empirically Validated Therapies. Those meeting the criteria were assessed using a meta-analysis that synthesized the data to determine effect sizes. While uncontrolled outcome studies were excluded, they were examined for clinical implications of treatment that can extend knowledge of this condition.

RESULTS:
Seven randomized controlled trials were found to meet the criteria and were included in the meta-analysis. A large treatment effect was found, with a weighted Cohen׳s d = 2.96 (95% CI: 1.96-3.97, P < .001) for the studies that compared EFT to usual care or a waitlist. No treatment effect differences were found in studies comparing EFT to other evidence-based therapies such as eye movement desensitization and reprocessing (EMDR; 1 study) and cognitive behavior therapy (CBT; 1 study).

CONCLUSIONS:
The analysis of existing studies showed that a series of 4-10 EFT sessions is an efficacious treatment for PTSD with a variety of populations. The studies examined reported no adverse effects from EFT interventions and showed that it can be used both on a self-help basis and as a primary evidence-based treatment for PTSD.


[拙訳]
背景:
過去20年間で、数が増えている臨床医は外傷後ストレス障害PTSD)、不安、うつ病の治療において、エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)を利用している。ランダム化比較試験(RCT)は、3つの条件全てに勇気づけられるアウトカムを示している。

目的:
既存の複数の RCT のメタアナリシスを実施することにより、PTSD 治療における EFT の有効性を評価する。

方法:
PTSD の治療における EFT を調査する RCT を同定するための、データベースのシステマティックレビューが実施された。 複数の RCT は、経験的に認証された治療法に関する米国心理学会の第12部会のタスクフォースによって発表されたエビデンスに基づく基準を用いて、品質が評価された。効果量(effect sizes)を決定するためにデータを総合したメタアナリシスを使って、基準を満足するそれらは評価された。対照群を有しないアウトカムの研究は除外されたものの、この状態の知識を広げることができる治療の臨床的意義についてそれらは試験された。

結果:
7つのランダム化比較試験が基準を満たすことが見出され、メタアナリシスに含まれた。大きな治療効果が見られ、EFTを通常のケアまたは待機リストと比較した研究では、Cohen の d = 2.96(95%信頼区間:1.96-3.97、P <.001)の重み付けが認められた。眼球運動の脱感作および再処理(EMDR; 1試験)及び認知行動療法(CBT; 1試験)のような他のエビデンスに基づく治療と EFT を比較した研究では治療効果の差は見られなかった。

結論:
一連の 4-10回の EFT セッションが、様々な集団を有する PTSD のための有効な治療であることを既存の複数の研究の分析は示した。調査された試験では、EFT 介入による悪影響は報告されておらず、セルフヘルプベースと PTSD の主要な(primary)根拠に基づく治療としての両方で使用できることが示された。

注:i) ちなみに、他の医学分野においてですが、引用中の「システマティックレビュー」、「メタアナリシス」の説明に関しては、他の拙エントリのここ及びここを参照して下さい。

[B] 思考場療法
最初に標記思考場療法(TFT:Thought Field Therapy)については、次のWEBサイトを参照して下さい*58。さらに、WEBサイト「日本TFT協会」(このWEBサイト中のWEBページ「ストレスケアの手順」はここを参照)、「TFTセンター・ジャパン」もあります。次に、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の森川綾女著の文書「思考場療法」の「Ⅰ.総説」における記述(P307~P308)を次に引用します。

Ⅰ.総説
TFTは,Thought Field Therapy の略で,日本では「思考場療法」と称されることもある。
トラウマが想起されている間,人はその思考場に焦点を当てている状態となり,恐怖や悲しみ,怒りなどのマイナス感情や身体感覚で表出する症状に対して鍼のツボを一連の順序で軽くタッビングすることで軽減していくテクニックである。
1979年に米国の臨床心理士 Callahan が,従来の心理療法では大きな改善がなかった深刻な水恐怖症の女性に対して,目の下(経絡のツボの1つ)を指でタッピングしたところ,瞬時に恐怖が消失したことから発展が始まった1)。その後,Callahan の 20 年以上にわたる研究の間に,不安やトラウマ,身体的疼痛,うつ,強迫,パニックなどの様々な心理的問題や身体症状に対して応用が広がった13)。TFTの発展後,米国ではエネルギー心理学という新しい分野が誕生し,その臨床効果についてすでに 51 以上のピアレビュー論文が発表され6),現在では米国エビデンス登録機関(NREPP),米国心理学会にエビデンスのある治療法として認められている。
TFTは非常に短時間で行えること,手順がシンプルなこと,副作用がほぼないこと,患者がセルフケアで使えること,どのような症状にも適用できること,他の手法と組み合わせて適用できることから幅広い分野の臨床家に使われるようになった。
エネルキー心理学では,心理的な問題は,心と体のシステム内の生体エネルギーパターンの混乱(TFTでは,「パー夕べーション(心的動揺)」と呼ぶ)を反映していると考えている。過去のトラウマを想起することは,その記憶のある特定の思考場に焦点を当てること(すなわちチューニングすること)であり,そこにあるエネルギー場の混乱の源であるパー夕べーションが活性化されて動揺や身体化症状が起きる。経絡上にあるツボを一連の順序でタッビングすることで経絡を伝ってエネルギーが注ぎ込まれ,パー夕べーションの状態が解消される。その後,同じトラウマの記憶を思い出しても動揺が起きなくなり,記憶や認知に直接作用することなく脱感作が起きる。
TFTに関する研究は,ルワンダ大虐殺による子どもや大人のPTSD症状に関して3研究が発表されている。不安,抑うつ,怒り,回避,解離,侵入感,悪夢,集中力散漫,攻撃性,夜尿,引きこもりなどのPTSD症状に顕著な効果が認められ,フォローアップでも,その効果と持続性が示された3),15)。さらに,コミュニティリーダーたちがTFTで近隣の人たちの不安,抑うつ,怒り,いらいら,侵入的想起などの症状を改善させ,コミュニティでお互いを援助し合えるツールとしての有効性も報告されている2)。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「1)」は次の本です。 「Callahan RJ : Tappping the Healer Within : Using Thought Field Therapy to Instantly Conquer Your Fears, Anxieties, and Emotional Distress. Contemporary Books, Chicago, 2001.(穂積由利子訳:TFT思考場療法入門.春秋社,東京,2001.) ii) 引用中の文献番号「6)」、「2)」は次の資料です。 「ACUPOINT STIMULATION IN TREATING PSYCHOLOGICAL DISORDERS:EVIDENCE OF EFFICACY」、「 Utilizing Community Resources to Treat PTSD: A Randomized Controlled Study Using Thought Field Therapy」 iii) 引用中の文献番号「3)」、「15)」はそれぞれ次の論文です。 「Brief trauma intervention with Rwandan genocide-survivors using thought field therapy.」、「Treatment of PTSD in Rwandan child genocide survivors using thought field therapy.」 iv) 引用中の「米国エビデンス登録機関(NREPP)」に登録されているTFTのWEBページを次に紹介します。ただし、このWEBページの引用はありません。 「Thought Field Therapy for the Treatment of Post-Traumatic Stress Symptoms」 v) 引用中の「TFT」とマインドフルネス(ここ)の関連について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の森川綾女著の文書「つぼトントン――TFT(思考場療法)による治療」の「事例」における記述の一部(P69)を次に引用(『 』内)します。 『TFTは、評価をしない。まさにマインドフルネスや自己受容である。不遇な環境で育ってきたとしても、親が悪いとか自分が情けないとかでなく、生き方にはもっと多くの選択肢があることに気づいていくことである。このように、ネガティブな感情を減らしていくと、自己理解が進み、よくなる方向へ向いていくエネルギーが増えて、レジリエンスが高まる。』 vi) 引用中の「エネルギー心理学」に対する批判的な資料については例えばここを参照して下さい。

加えて、思考場療法の視点からの「心理的逆転」の簡単な紹介について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の森川綾女著の文書「つぼトントン――TFT(思考場療法)による治療」の「エネルギーの方向性と補瀉」における記述の一部(P63~P64)を次に引用します。

TFTでは、施療を行う準備として、まずエネルギーの方向性を重視する。私たちの体は常に健康に向かいたい、回復したい、治癒に向かいたいという自然の方向性がある。それは、自己治癒の機能としても理解できるだろう。怪我でも機能不全でも体は治ろうと自己治癒の方向に向かう。これがその方向へ向いていないとき、向かおうとしてもどこかでブロックされてしまうとき、方向性を見失っているときなどの状況のことを、TFTでは心理的逆転(PR:Psychological Reversal)と呼ぶ。
発達の問題を抱える人にはこの心理的逆転が多い。多動が方向性を定まらないようにするのか、自閉傾向が同じところをグルグル回らせ、行くべき方向を見つけられないようにしているのか、さらにはトラウマや愛着などの感情的なエネルギーの混乱が方向性を見失わせるのか。自分の中の相反する気持ち(葛藤)や治療抵抗も含まれるだろう。解離がある場合は、別の自我状態の部分が横からブレーキをかけてくることもある。
心理的逆転の代表的な介入方法は、手のひら横のPRポイントを一五回ほどタッピングすることである。これは、TFTだけでなく、いつでも、どんな治療法の中でも使える。(後略)

注:i) 引用中の「PRポイント」については次のWEBページ又は資料を参照して下さい。 「ストレスケアの手順 - 日本TFT協会」、「つぼトントンで元気になってね」 ii) ホログラフィートークをはじめとした視点からの引用中の「心理的逆転」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに、広場恐怖症(例えば参照)に対して標記思考場療法と認知行動療法と待機リストとを比較した論文「Thought Field Therapy Compared to Cognitive Behavioral Therapy and Wait-List for Agoraphobia: A Randomized, Controlled Study with a 12-Month Follow-up.[拙訳]広場恐怖症に対する思考場療法の認知行動療法と待機リストとの比較:12ヵ月のフォローアップを伴うランダム化比較試験」(全文はここを参照)の要旨の一部を形式を変更して次に引用します。

Background: Thought field therapy (TFT) is used for many psychiatric conditions, but its efficacy has not been sufficiently documented. Hence, there is a need for studies comparing TFT to well-established treatments. This study compares the efficacy of TFT and cognitive behavioral therapy (CBT) for patients with agoraphobia.

Methods: Seventy-two patients were randomized to CBT (N = 24), TFT (N = 24) or a wait-list condition (WLC) (N = 24) after a diagnostic procedure including the MINI PLUS that was performed before treatment or WLC. Following a 3 months waiting period, the WL patients were randomized to CBT (n = 12) or TFT (n = 12), and all patients were reassessed after treatment or waiting period and at 12 months follow-up. At first we compared the three groups CBT, TFT, and WL. After the post WL randomization, we compared CBT (N = 12 + 24 = 36) to TFT (N = 12 + 24 = 36), applying the pre-treatment scores as baseline for all patients. The primary outcome measure was a symptom score from the Anxiety Disorders Interview Scale that was performed by an interviewer blinded to the treatment condition. For statistical comparisons, we used the independent sample's t-test, the Fisher's exact test and the ANOVA and ANCOVA tests.

Results: Both CBT and TFT showed better results than the WLC (p < 0.001) at post-treatment. Post-treatment and at the 12-month follow-up, there were not significant differences between CBT and TFT (p = 0.33 and p = 0.90, respectively).

Conclusion: This paper reports the first study comparing TFT to CBT for any disorder. The study indicated that TFT may be an efficient treatment for patients with agoraphobia.(後略)


[拙訳]
背景:思考場療法(TFT)は、多くの精神疾患に使用されているが、その有効性は十分に実証されていない。従って、TFT を十分に確立された治療法と比較する研究の必要がある。本研究では、広場恐怖症を伴う患者に対する TFT認知行動療法(CBT)の有効性を比較する。

方法:治療又は待機リスト(WL)状態以前に実施された MINI(精神疾患簡易構造化面接法)PLUS を含む診断過程の後、72人の患者を CBT(N = 24)、TFT(N = 24)又は待機リスト状態(WLC)(N = 24)にランダムに割り付けた。3ヶ月の待機期間の後、WL 患者を CBT(n = 12)又は TFT(n = 12)にランダムに割り付け、そして全て患者を治療又は待機期間の後、及び12ヶ月のフォローアップ時に再評価した。最初に、CBT、TFT、WL の3つのグループを我々は比較した。WL に続くランダム化の後、全患者に対し治療前スコアをベースラインとして適用して、我々は CBT(N = 12 + 24 = 36)と TFT(N = 12 + 24 = 36)とを比較した。主要アウトカム基準は、治療条件を知らされていない面接官によって実施された Anxiety Disorders Interview Scale(不安障害面接尺度)からの症状スコアであった。統計的な比較のために、独立した標本のt検定、Fisherの正確検定、及び ANOVA と ANCOVA の検定を我々は使用した。

結果:CBT と TFT の両方が WLC よりも、治療後に良好な結果を示した(p < 0.001)。治療後及び12ヶ月のフォローアップ調査時に、CBT と TFT の間に有意差はなかった(それぞれ p = 0.33 及び p = 0.90)。

結論:あらゆる障害において TFT と CBT を比較した最初の研究を、本論文は報告する。TFT広場恐怖症を伴う患者に対する効果的な治療法であるかもしれないことを、本研究は示した。

注:i) 引用中の「t検定」については例えば次の資料を参照して下さい。 「統計検定を理解せずに使っている人のために II」 ii) 引用中の「Fisher の正確検定」については例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Fisherの正確検定」 iii) 引用中の「ANOVA」については例えば次の資料を参照して下さい。 「統計検定を理解せずに使っている人のために III」 iv) 引用中の「ANCOVA」については例えば次の資料を参照して下さい。 「共変量を伴う解析

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(c)ソマティック・エクスペリエンシング
(注:本項における用語「凍りつき」(又は硬直、凍結、Freeze)は基本的に下記低覚醒(又は「シャットダウン」、「擬死」[共に他の拙エントリのここを参照])に属するものであり、「防御カスケード」[WEBページ「防御カスケード -トラウマ下での生理反応-」の特に「防御反応」と「解離状態」との関連を示す図を参照]における「凍りつき」とは意味が異なると考えます。加えて、これに関連するかもしれない一連のツイートがあります。また、上記「Freeze」と自律神経系の関連は拙訳はありませんが次の資料を参照すれば良いかもしれません。 「Polyvagal Theory: Background & Criticism」の「C. The Emergence of the Social Engagement System: Insights from Evolution and Development」項における表)最初に標記ソマティック・エクスペリエンシング*59については、次のWEBサイトを参照して下さい。 「SE® Japan」 加えて、次に紹介する資料やWEBページもあります。 「ソマティック・エクスペリエンス 身体の叡智を用いたトラウマ療法」、「SE™(ソマティック・エクスペリエンシング®)療法とは」、「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の視点から-」の「ソマティック・エクスペリエンシング®(SE™)」項 その上に、標記の和訳された理論的解説書の例は次に紹介する本です。 ピーター・A・ラヴィーン著、池島良子、西村もゆ子、福井義一、牧野有可里訳の本、「身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア」(2016年発行)*60 また、 a) ソマティック・エクスペリエンシングとポリヴェーガル理論の関連については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「さらに詳しいSE™療法について」 b) 標記ソマティック・エクスペリエンシング由来とされるエクササイズ「SCOPE」については次の YouTube を参照して下さい。 『ストレスが高まったとき気持ちを落ち着かせるエクササイズ「SCOPE」のやり方:5つ全部通しバージョン』(注:上記「SCOPE」を紹介するツイートもあります) さらに、標記ソマティック・エクスペリエンシングの簡単な紹介について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第13章 トラウマからの回復――自己を支配する の「6.行動を起こす」における記述の一部(P355~P357)を次に引用します。

6.行動を起こす
体は極端な経験には、ストレスホルモンを分泌することで応じる。ストレスホルモンはしばしばその後の病気や疾患の原因だとされる。だがストレスホルモンは、尋常ではない状況に反応するための力と耐久性を人に与えるためのものだ。災難に対処するために積極的に何かをする人――家族あるいは見知らぬ人を救ったり、人を病院に運んだり、医療チームで働いたり、テントを張ったり、食事を用意したりする人――は、ストレスホルモンを適切な目的のために使っている。したがって、トラウマを被る危険がずっと小さい(とはいえ、誰にも限界があり、どれだけ準備の良い人でさえ、直面した問題の大きさに圧倒されることがある)。
無力で動けない状態だと、人は自分を守るためにストレスホルモンを利用することができない。そうなると、ホルモンは分泌され続けているものの、それが促すはずの行動は妨げられてしまう。やがて、対処を促進するはずだった活性化のパターンが、本人の体に不利に働き、今度は不適切な闘争/逃走/凍結反応を煽り続ける。適切に機能する状態に戻るためには、このいつまでも続く緊急反応を終わらせなければいけない。体は標準的な状態にまで回復し、安心してくつろぐ必要がある。そうすれば、体は本当の危険に直面したときに、行動を起こして対応できるのた。
私の友人であり師であるパット・オグデンとピーター・リヴァインは、この問題に対処するために、体に働きかける強力なセラピーをそれぞれ開発した。感覚運動心理療法(29)と、ソマティック・エクスペリエンス(30)(「ソマティック」は「身体の」と言う意味)だ。これらの治療の取り組みで重要なのは、何が起こったのかという物語ではなく、身体的感覚を探って、過去のトラウマが体に残した痕跡の場所と形態を発見することだ。患者はトラウマそのものの徹底した探究に入る前に、セラピストの力を借りながら、トラウマを負ったとき自分を圧倒した感覚と情動への安全なアクセスを助けてくれるような内部の資源を蓄積する。ピーター・リヴァインはこの過程を「振り子運動」と呼ぶ。内部感覚へのアクセスと、トラウマ記憶へのアクセスの間を、ゆっくりと行ったり来たりするのた。この方法によって患者は、耐性領域を徐々に拡げられるようになる。
患者は、トラウマが基になった身体的経験を自覚することに耐えられるようになると、トラウマを受けている間に湧き起こったものの、生き延びるために抑制された、叩きたい、押しのけたい、逃げたいといった、強烈な身体的衝動を発見しやすくなる。これらの衝動は、体をよじったり、向きを変えたり、後ずさりしたりするような体のちょっとした動きとして表れ出てくる。こうした動きを大げさにやってみて、それをどう修正するかあれこれ試すことによって、トラウマに関連した不完全な「行動傾向」を完全なものにする過程が始まり、最終的にトラウマの解決につながる。身体療法は、動いても安全だという経験によって、患者が再び現在に身を置くのを助けることができる。効果的な行動をとることの喜びを感じると、主体感覚と、自分を積極的に防御して保護できるのだという感覚を取り戻せる。
すでに一八九三年に、トラウマの最初の偉大な探究者であるピエール・ジャネは、「行動を完遂することの喜び」について書いている。私は、センサリーモーター・サイコセラピーとソマティック・エクスペリエンスを実践するときに、その喜びをいつも目にする。反撃したり逃げたりしたら経験していたであろうような感じを身体的に経験できると、患者はリラックスし、微笑み、達成感を表現するものだ。(後略)

注:i) 引用中の原注「(29)」と「(30)」はそれぞれ「P. Ogden, K. Minton, and C. Pain, Trauma and the Body (New York, Norton, 2010)[邦訳:『トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実践 マインドフルネスにもとづくトラウマセラピー』太田茂行監訳、星和出版、2012年]; P. Ogden, and J. Fisher, Sensorimotor Psychotherapy: Interventions for Trauma and attachment (New York, Norton, 2014)」、「P. Levine, In an Unspoken Voice (Berkeley, CA: North Atrantic Books)[邦訳:『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』藤原千枝子訳、雲母書房、2008年]」です。ちなみに、後者の邦訳本はソマティック心理学協会関係書籍のようです。 ii) 引用中の「感覚運動心理療法」と「センサリーモーター・サイコセラピー」は同じものです。すなわち、前者は後者に相当する英語「Sensorimotor Psychotherapy」を和訳し漢字表記にしたものです。 iii) 引用中の「闘争/逃走/凍結反応」に関連する「闘争-逃走反応」についてはリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「凍結」に関連する(状況がそのどちらも許さない場合,「凍りつく」ことでその場を切り抜けようとすることとしての)「凍りつき」についてはここを参照して下さい。加えてここも参照すると良いかもしれません。 v) 引用中の「振り子運動」に相当する「ペンデュレーション」については、ここを参照して下さい。 vi) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

一方、ソマティック・エクスペリエンシングの概要紹介として、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の藤原千枝子著の文書「ソマティック・エクスペリエンス」の「Ⅰ.SE 療法の概要」における記述(P325~P329)を次に引用します。

Ⅰ.SE 療法の概要
ソマティック・エクスペリエンス(Somatic Experiencing ™,以下 SE と表記)は 米国のピーター・リヴァイン(Peter Levine)博士によって開発された,身体志向のトラウマ療法である。心理学者かつロルフィングなどの身体療法のエキスパートでもあった Levine は,40年にわたりトラウマが起こるしくみとその癒しのメカニズムについての研究を行ってきた。彼はトラウマを研究するにあたって,以下の2点に注目した。
①トラウマを受けた人は,そのトラウマの種類(事故,自然災害,レイプ,暴力を目撃すること,虐待,戦争など)にかかわらず,だれもが同様の症状に苦しんでいる(不安,不眠,解離・麻痺,フラッシュバック,パニック発作など)。
②野生動物は,常に自分よりも大型の捕食動物からの攻撃にさらされているにもかかわらず,人間のようなトラウマ症状に悩まされることがない。
以上の点から,Levine は,トラウマというのは出来事や心理的・精神的な問題というよりはむしろ,生理的・神経的な問題(自律神経系の調整不全)であるという結論を導き出した。生物ば危機に直面すると交感神経が最大限に活性化してアドレナリンを含む各種ホルモンが噴出し,通常では出せないような力が出ることによって逃げたり戦ったりすることが可能になる(車のアクセルを思い切り踏んだ状態)。しかし,状況がそのどちらも許さない場合,「凍りつく」ことでその場を切り抜けようとする。この凍りつき(硬直)は,副交感神経の一部門である背側迷走神経が神経系のブレーキの役割を果たすために起こるもので,生物がトラウマの瞬間の苦痛を感じずにすむためのメカニズムであるが この時も外見上は静止しているように見えても,神経系の中ではエネルギーがフルに回転している。つまり,アクセルとブレーキが同時に踏み込まれているのである。
Levine は,この,危機に対処するため(闘争/逃避のため)に動員されたものの,凍りついて解放されないままに体内にとどまっている大量のエネルギーこそが,トラウマの症状を作り出していると考えた。野生動物は,仮に硬直したとしても,危険が去った後には自然に身ぶるいをしてその凍りついたエネルギーを振り落とし,通常の状態に戻るのでトラウマの影響を受けることはない。しかし人間がトラウマの後遺症に苦しむのは,高度に発達した脳が,動物のような自然なエネルギーの「振り落とし」を妨げるためである。「元々のトラウマに似た状況や人に引きつけられる」「頭ではわかっているのに,いつも同じ問題を繰り返してしまう」というトラウマ被害者に特有の状況は,頭では問題を理解していても,未解放のエネルギーが今も神経系の中でトラウマ状態にとどまり,フル回転しているために起きていると考えられる。
従って,トラウマの癒しには,起きた出来事を繰り返し振り返り,それにまつわる感情的な痛みを再体験するようなセラピーでは限界があるばかりか,時として再トラウマを引き起こす恐れもあるとリヴァインは警告している。トラウマ解消の鍵は,自律神経系に直接働きかけ 神経系の中に閉じ込められた未解放の過剰なエネルギーを解放することによって,神経系を元の健康な自己調整の状態に導くことである。ここで用いる手段は,私たちの身体感覚だ。自律神経系の働きをつかさどるのは主に脳の視床下部と呼ばれるところで,この部位は言語を解さないからである。自分の意識を内なる身体感覚に向けることで,私たちは自律神経系に直接アクセスし,閉じ込められていたエネルギーを解放していくことができる。SE ではこれを,「トラウマの再交渉」と呼んでいる。
また,未解放のエネルギーの解放と同様に重要なのが 未完了の体験の完了である。危機に直面したときに生じた闘争(防衛)や逃避の衝動は,凍りつきにより神経系の中に閉じ込められているだけで,消えてしまったわけではない。何かのきっかけで凍りつきが溶け,そうした衝動が急速に浮上することで,(元々のトラウマ体験から長い年月が経った後でも)自他を傷つける行為に及んでしまうトラウマ被害者は少なくない。したがって,神経系レベルでそうした未完了の衝動を完了するよう助けることも,未解放のエネルギーを解放するのと同じくらい,トラウマの再交渉の際には重要である。
以下に,SE 療法を行う際に重要ないくつかのキーワードを紹介する。

ラッキング(Tracking)
感覚を追跡することを指す。トラウマを変容させるためには,自分の内側の感覚にアクセスし,その感覚と共にいてその感覚を利用することが必要である。今この瞬間に自分が何に気づいているか,そしてその感覚は身体のどこにあるか,その感覚にはどのような特徴があるか,その感覚に気づいていると次に何が起きるか,そういったプロセスにただ自分の意識を向けていくことによって,神経系の自己調整力を理性脳に邪魔されずに最大限引き出すことが可能になる。

タイトレーション(Titration)
タイトレーション(滴定)ば元々は化学の定量分析法を指す。化学反応を促す際,ある試薬に別の試薬をいきなり混ぜると激しい反応を起こして爆発する危険がある。爆発や事故を回避するため,別の試薬を一滴ずつ垂らしてゆるやかな化学反応を促すのが滴定である。SE の文脈では,「再トラウマを予防するために,生存に基づく覚醒などの困難な感覚に注意深く最小限だけ触れること」を指す。トラウマ反応は非常に不快な感覚を伴うものだが,刺激をごく少量にとどめることによって,そこに生じる不快感も耐えられる程度のわずかなものになるため,トラウマの感覚と再交渉することが可能になる。

リソース(Resource)
リソース(資源)は,タイトレーションと並んで SE 療法の中で最も重要な概念のひとつである。トラウマ症状を解消するためには,トラウマの活性化に少しずつ働きかけ,神経系に閉じ込められた過剰なエネルギーを解放してやる必要があるが,トラウマにより作り出されたエネルギーは膨大で,強い渦を作り出している。その渦は引き込む力が非常に強いため,人はいったんトラウマを受けると,同じような状況に無意識のうちに繰り返し惹き付けられる。暴力を受けて育った人がその後の人生で暴力的なパートナーを選びがちなのはその一つの例である。そのトラウマの強力な渦と再交渉するためには,渦にまっすぐ飛び込んでいくような手法のセラピーではトラウマ反応を強化することになりかねない。SE では,強い力を持つトラウマを扱う上でまず何よりも大切なのがリソース(資源)の構築だと考える。
リソースには,外側と内側の二種類ある。内側のリソースは,「心地よい身体感覚」である。トラウマにまつわる身体感覚は非常に不快で,かつ強烈なものが多いため,それと真正面から取り組むことはできない。従って,まずは身体内に心地よいと感じられる場所を増やしていくことが必要である。ただ,深刻なトラウマを抱える人の場合,心地よい身体感覚を発達させることは容易ではないので,その場合は外側のリソース(その人を元気にしてくれる,健全で中毒性のないものすべて)を探すことから始める。

SIBAM(体験の5要素)
リヴァインは,人間のあらゆる体験は感覚(Sensation),イメージ(Image),行動・動作(Behavior),情動・感情(Affect),意味・思考(Meaning)の5要素に分けられると考え,その頭文字を取って SIBAM(サイバム)と名付けた。Somatic Experiencing は直訳すると「身体経験」なので,身体を主に扱う療法であると考えられがちであるが,セラピーの入り口としてはこの5要素のどこからでもクライアントにアプローチできるのがこの技法の優れた点だと筆者は考える。
SIBAM はまた,クライアントのアセスメントのツールとしても用いることができる。外からの刺激に対してどれほど柔軟に対応できるかがその人の健康度の指標になるが,ある特定の刺激に対して常に同じ反応が起きてしまう場合(特定のイメージを見ると身体が硬直する,怒りを感じると必ず暴力的な行動に出るなど)は,それぞれの体験の要素が過剰に結びついてしまっていることが分かる。逆に,当然起きるはずの反応が起きない場合(明らかに恐怖を覚える状況にもかかわらず,恐怖がわからずにその場にとどまり続けて被害を受けるなど)は,体験の要素間に一貫したつながりが欠けていることがわかる。このように,体験の要素が過剰に結びついたり(SE ではこれをオーバーカップリングと呼ぶ),あるいは十分な結びつきを持たなかったり(アンダーカップリングと呼ぶ)するときには,そこに何らかの活性化が存在すると見なすことができる。
SIBAM に働きかけるときに重要なのは,SIBAM のすべての要素を,最終的にはフェルトセンスを通じて感覚に結びつけることである。例えば,あるイメージや思考に気づいたときに身体では何が起きているか,ある感情を持ったときに,その感情は身体のどこで感じているか,ある動きをしたくなったときに,その動きは内側からはどのように感じられるかなどである。こうして自分の体験を身体レベルまで落とし込み,そこにある過剰な活性化を解放していくことで,SIBAM 間の自然で柔軟な関係性を徐々に取り戻していくことが可能になる。

注:(i) 引用中の「闘争/逃避」に関連する「闘争-逃走反応」についてはリンク集を、交感神経系の亢進に関連する上記反応における経路である「SAM系」についてはここを それぞれ参照して下さい。 (ii) 引用中の「視床下部」については次のWEBページを参照して下さい。 「視床下部 - 脳科学辞典」 (iii) 引用中の「交感神経」及び「背側迷走神経」については共に次の資料を参照して下さい。 「多重迷走神経理論による神経性過食症理解の可能性について」 特に前者は同資料の「2.交感神経系」項を、後者は「1.背側迷走神経系」項を参照して下さい。 (iv) 引用中の「自律神経系の調整不全」に関連する、 [A] 『自律神経が調節不全を起こすと「過覚醒/圧倒」、または「低覚醒/シャットダウン・無力感」というどちらかの状態に陥る』ことについて、ピーター・A・ラヴィーン著、ベッセル・A・ヴァン・デア・コーク序文、花丘ちぐさ翻訳の本、「トラウマと記憶 脳・身体に刻まれた過去からの回復」(2017年発行)の 第4章 情動記憶、手続き記憶およびトラウマの構造 の「再交渉」における記述の一部(P67)を以下に引用(『 』内)します。 『自律神経が調節不全を起こすと「過覚醒/圧倒」、または「低覚醒/シャットダウン・無力感」というどちらかの状態に陥る。』(注:引用中の「過覚醒」[例えば参照、又は上記「闘争-逃走反応」]及び引用中の「低覚醒」[又はシャットダウン、凍りつき(凍結、フリーズ)]に関連する、ポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)における、 1) 「サバイバル反応」、「凍結(フリーズ)の反応」については次の資料を参照して下さい。 『親と子の「心の問題」と向き合うために ―「感情をコントロールできる力」について考える―』の「感情制御の脳機能」項 2) 「自律神経の反応」及び「耐性領域」(又は下記「Window of Tolerance」)については、上記「過覚醒」と「低覚醒」を繰り返すことを含めて次の資料を参照して下さい。 「犯罪被害者への心理支援の実践 -リソースや身体志向の視点から-」の「4) ポリヴェーガル理論」項[P114~P115]」 なお、上記『「過覚醒」(Hyperarousal)と「低覚醒」(Hypoarousal)を繰り返すこと』については拙訳はありませんが次の slideshare を参照して下さい。 「MAREN A. MASINO - SENSORIMOTOR PSYCHOTHERAPY AND DR JANINA FISHER’S MODEL OF PARTS FOR TREATING TRAUMA AND ADDICTION」の「Unfortunately, sobriety brings more challenges, not fewer」シート(P19) [B] 加えて引用はしませんが、『発達性トラウマにしばしばみられる「パターン」は、交感神経系による過覚醒と背側迷走神経系による低覚醒の間を目まぐるしく行ったり来たりする状態である』ことについては、キャシー・L・ケイン、ステファン・J・テレール著、花丘ちぐさ、浅井咲子の訳の本、「レジリエンスを育む ポリヴェーガル理論による発達性トラウマの治癒」(2019年発行)の 第7章 「耐性の窓」と「偽りの耐性の窓」 の「偽りの耐性の窓」を参照して下さい。 [C] その上に、上記「耐性の窓(Window of Tolerance)」については、例えば次のWEBページ「How to Help Your Clients Understand Their Window of Tolerance - nicabm」及び次の資料も参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「4.Window of Tolerance(耐性領域・耐性の窓)について」項(P332) [D] さらに、引用中の「闘争/逃避」及び「凍りつき」(凍結、フリーズ)に関連するポリヴェーガル理論の視点からの、トラウマの機序の理解における神経系の働きに着目した説明について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の花丘ちぐさ、浅井咲子著の文書「発達トラウマとソマティック・エクスペリエンシング🄬療法」の「ソマティック・エクスペリエンシングとは」における記述の一部(P70)を以下に引用します。 [E] これら以外にも、ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)の視点からの自律神経系及び「耐性領域(耐性の窓)」について、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の淵野俊二著の文書「複雑性PTSDの親子へのトラウマセラピー」の「はじめに」における記述の一部(P90)を以下に引用します。一方、引用中の「過覚醒」と「低覚醒」が同時に存在することについて、野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の藤原千枝子著の文書「ソマティック・エクスペリエンス」の Ⅱ.SE 療法の実際 の 2.実際のケース -ショックトラウマと発達トラウマを例に- の 【症例1】主にショックトラウマを取り扱ったケース の「*セラピーの実際」における記述の一部(P333)を次に引用(【 】内)します。 【初面接時のPさんは,ショックにより交感神経が常に過剰に活性化している(緊張)と同時に,背側迷走神経がシャットダウンしている(凍りつき)状態にあった。そのために高い活性化が過緊張と希死念慮自傷の症状を,凍りつきが失感情と失感覚の症状を作り出していた。】[注:引用中の「失感情」に関連する「失感情症」についてはリンク集を、その上に引用中の「失感覚」に関連する「失体感症」については上記「失感情症」を含めて次の資料を参照して下さい。 『「失体感症」概念のなりたちと,その特徴に関する考察』] また、上記『「過覚醒」と「低覚醒」が同時に存在する』ことに関連する「過度な緊張が続くと、対極的な、警戒態勢と感覚や感情の麻痺が混じったような状態となりやすい」ことについて、青木省三著の本、『ぼくらの中の「トラウマ」 いたみを癒すということ』(2020年発行)の 第3章 トラウマ反応という心の働き の「心身が緊張した戦闘モード――警戒態勢と感覚麻痺」における記述の一部(P78~P79)を次に引用(【 】内)します。 【トラウマ反応の一つに警戒態勢が続くというものがある。何か危険なことがあっても、すぐに対応し反撃できるように自律神経系や内分泌系が常に戦闘モードになっているのだ。些細な物音にも敏感に反応し怖がる。いつも必要以上に緊張した状態が続く。(中略)しかし、いつも緊張状態を続けるには限界がある。時々、ボーっとして、周囲からの刺激に反応できなくなることがある。感覚や感情が麻痺した状態である。コンピューターがフリーズするのと同様に、脳がフリーズしたと考えたらいい。(中略)このように過度な緊張が続くと、対極的な、警戒態勢と感覚や感情の麻痺が混じったようになりやすい。】[注:引用中の「感情の麻痺」に関連する「失感情症」についてはリンク集を、その上に引用中の「感覚(中略)の麻痺」に関連する「失体感症」については上記「失感情症」を含めて次の資料を参照して下さい。 『「失体感症」概念のなりたちと,その特徴に関する考察』]) (v) 引用中の「フェルトセンス」について、 1) 次の資料を参照して下さい。 「フォーカシングと〈からだ〉」、「革新的な心理学者、哲学者 ユージン・ジェンドリン 死去 90 歳」、「交差と創造性 -新たな理解を生み出す思考方法-」 2) 久保隆司・日本ソマティック心理学協会編の本、「日本ソマティック心理学への招待 身体と心のリベラルアーツを求めて」(2015年発行)の『第6章 「心理療法としてのソマティック心理学」を概観する』 の 2.さまざまなソマティック心理療法の系譜を辿る の「8)その他のソマティック心理療法に関連する流れ」における記述の一部(P140)を以下に引用します。

(前略)さらに、ポージェスが「ポリヴェーガル理論」を発表し、トラウマの機序の理解において、神経系の働きに着目した説明が加えられるようになった(3)(4)。ポージェスは、哺乳類は系統発生学的に進化してきた三つの神経基盤を持つと論じた。最初に発生したのは、背側迷走神経系であり、これは無髄のゆっくりと働く神経系で、主に横隔膜より下の臓器を支配し、生物が安全である時には消化と休息を司り、生命の危機にさらされた時は、心拍や呼吸を一気に落としてシャットダウン(不動化)を起こさせる。次に発生したのは交感神経系で、「闘争/逃走反応」のための可動化を司る。最後に、哺乳類に特異的に発生したのが腹側迷走神経系で、これは有髄の機敏な神経系であり、社会交流システムを司るとともに、背側迷走神経系と交感神経系のバランスを取る役割も果たしているという。そして、ストレス時には、哺乳類は系統発生と逆向きの方向で反応するという。つまり、まず社交的に問題を解決しようとし、次に「闘争/逃走反応」をとり、それがうまくいかないと「凍りつき」に入る。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(3)」は次の論文です。 「The polyvagal theory: phylogenetic substrates of a social nervous system.」 ii) 引用中の文献番号「(4)」は次の本です。 【Porges, S, W. (2017) : The Pocket Guide to the Polyvagal Theory. the transformative power of feeling safe. Norton, 2017.(花丘ちぐさ訳『ポリヴェーガル理論入門-心身に変革をおこす「安全」と「絆」』春秋社、二〇一八年)】 iii) 加えて、引用中の「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。 iv) 引用中の「闘争/逃走反応」についてはリンク集を、「シャットダウン(不動化)」及び「凍りつき」については共に他の拙エントリのここを、「社会交流システム」に類似する「社会的関わりシステム」については例えば次の資料を それぞれ参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項

はじめに
ポージェス(Porges, S.R)はポリヴェーガル理論で自律神経系の交感神経と副交感神経について説明している(12)。副交感神経には腹側迷走神経と背側迷走神経があり、腹側迷走神経は社会的な関わりの神経である。交感神経は可動化の神経、背側迷走神経は不動化の神経であるが、腹側迷走神経はそれらに働きかけて神経系のバランスを保ち、最適な覚醒領域を維持している。これは安全な状況下での機能であるが、一度人間が危険を察知して危機的状態に入ると交感神経が強く活性化して活動レベルや覚醒度が急上昇して闘争・逃走反応が生じる。しかし、それでもその状況に対処できずに生命の危機に陥ると背側迷走神経が強く活性化して不動状態やシャットダウンが引き起こされる。このような状況が繰り返される親からの虐待など複雑で慢性的なトラウマを体験した人々はこれらの神経系の活性化が不安定となって乱高下する。
オグデン(Ogden P.)らは腹側迷走神経の最適な覚醒領域のことを「耐性領域(耐性の窓)」と呼ぶ(10)。この領域ではトラウマ記憶の処理がなされるが、複雑性トラウマの人々はそれが非常に狭いためそこに留まることができない。これは感情耐性やキャパシティの少なさとして表れる。そのため、彼らは慢性的に過覚醒領域にいる場合は感覚過敏、感情的反応、フラッシュバックなどを体験し、低覚醒領域の場合は無感覚、無力感、解離、シャットダウンなどを体験する。腹側迷走神経は親子の相互交流や情動調律の中で発達するため、親子の愛着関係や発達特性が神経系の基盤となる。それが十分に育っていないことで過覚醒や低覚醒の状態が生じるのであれば、神経系の調整不全は虐待以前から始まっている。要するに発達特性のある子どもが不安定な愛着関係で育ち、さらに親からの虐待が加わると発達や神経系に大きな影響を与え、より深刻で慢性的なトラウマ症状・反応を呈するようになる。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(10)」は次の本です。 「Ogden, P., Minton, K. & Pain, C. (2006) : Trauma and the Body: A Sensorimotor Approach to Psychotherapy. W. W. Norton & Company, New York, 2006.(太田茂行監訳『トラウマと身体』星和書店、二〇一二年)」 ii) 引用中の文献番号「(12)」は次の本です。 【Porges, S, W. (2017) : The Pocket Guide to the Polyvagal Theory. The Transformative Power of Feeling Safe. W. W. Norton & Company, New York, 2017.(花丘ちぐさ訳『ポリヴェーガル理論入門-心身に変革をおこす「安全」と「絆」』春秋社、二〇一八年)】 iii) 引用中の「フラッシュバック」についてはリンク集を参照して下さい。 iv) 引用中の「ポリヴェーガル理論」については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。加えて、引用中の「不動状態」、「解離」及び「シャットダウン」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。

i) ゲシュタルト療法とフォーカシング(中略)

一方、C.ロジャース(1902-1987)のもとでカウンセリングを学んだシカゴ大学の哲学者E.ジェンドリン(1926- )はフォーカシングという体系をつくりだした。(中略)事実、フォーカシングの中核概念「フェルトセンス」(内面的から浮き上がってくる身体感覚)は、ソマティック系トラウマ心理療法のソマティック・エクスペリエンスの重要な概念にもなっている。(後略)

注:引用中の「フォーカシング」とマインドフルネスの現状と展望については「フォーカシングと Gendlin 哲学」を含めて次の資料を参照して下さい。 「フォーカシングとマインドフルネスの現状と展望

さらに、ソマティック・エクスペリエンシングにおける9つのステップについて、久保隆司・日本ソマティック心理学協会編の本、「ソマティック心理学への招待 身体と心のリベラルアーツを求めて」(2015年発行)の「第8章 ソマティック・トラウマ心理療法の展開/実際:ソマティック・エクスペリエンスの文脈から」における記述の一部(P163)を次に引用します。

(前略)次に実際の SE セラピーがどのようなものなのかを見ていきます。
リヴァイン(2010)は、SE のセラピーにおける以下の9つのステップを示しています。ここでは順番にそのステップを記述しますが、身体感覚を扱うセラピーのプロセスは直線的なものではありません。最初の3つをのぞき、ステップは前後する場合も、ステップの内容が重複する場合も、あるいは単一のセッション内ではこの9ステップをすべて経るとは限らない場合もあります。

1.比較的安全な環境を構築する
2.感覚の探求の開始と受容をサポートする
3.ペンデュレーションコンテインメントをサポートする――有機体に内在するリズムの力にアクセスする。
4.さらなる安定性、回復力、組織化のためにタイトレーションを用いる。
5.虚脱や無力感といった受動的な反応を、能動的でエンパワーされた防衛反応に置き換えることにより、修正体験を提供する。
6.条件づけられて結びついてしまった恐怖・無力感と生物学的な硬直反応(トラウマ体験の最中は必要であり時間が限定されていたが、現在は不適応状態となっている反応)とを分離させる。
7.生き延びるために動員された膨大な生存エネルギーを「解放」し、そのエネルギーをより高いレベルの脳機能をサポートするために再分配できるように穏やかに導くことにより、過覚醒状態を解消する。
8.「動的な平衡」と、リラックスした警戒状態を回復するための自己調整を引き出す。
9.今、ここに意識を向け、環境にコンタクトし、社会的つながりの能力を再構築する。(後略)

注:i) 引用中の「コンテインメント」(Containment)は、「トラウマと再交渉する前にまず外側の境界をしっかり作り、内側のスペースを広げておくこと」を指すようです(章の P163 参照)。ちなみに、「トラウマの再交渉」については、ここを参照して下さい。 ii) 引用中の「ペンデュレーション」については、章における記述の一部を次に引用します。 iii) 引用中の「今、ここに意識を向け」る方法としては、例えばマインドフルネス(ここ参照)があります。

●ペンデュレーション(Pendulation)
ペンデュレーションとは、ペンデュラム(振り子)から取った言葉で、拡大と収縮の間を行き来する、神経系に内在するリズムを指します。呼気-吸気、休息-活動などの例からも分かるように、有機体(生物)の中には必ずリズムがあります。つまり、トラウマの渦に巻き込まれてしまっても(収縮)、人には本来必ずそこから抜け出してリラックスした活力ある状態(拡大)へと向かう動きがあるのです。SE では、有機体がその自然なリズムを取り戻せるようにサポートすることに重点を置きます。

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(d)認知処理療法
トラウマセラピーとしての標記認知処理療法について、 a) 次のWEBページを参照して下さい。 「PTSDに対する認知処理療法」、「本邦のPTSDの心理療法に新たな選択肢 −認知処理療法(CPT)の実行可能性を確認−」 b) 次の研究成果報告書があります。 「心的外傷後ストレス障害に対する認知処理療法の有効性及び臨床展開」、「心的外傷後ストレス障害に対する認知処理療法と治療メカニズムの解明」 c) 野呂浩史企画・編集の本、「トラウマセラピー・ケースブック 症例にまなぶトラウマケア技法」(2016年発行)中の森田展彰著の文書「認知処理療法」の「Ⅰ.はじめに」及び Ⅱ.認知処理療法とは の「1.CPT の特徴と有効性」と「2.CPT における治療の基本的な考え方」における記述の一部(P113~P115)を次に引用します。

Ⅰ.はじめに
認知処理療法(Cognitive Processing Therapy, 以下 CPT)は,米国の Resick, P. A. らによって開発された PTSD に対する認知行動療法である。CPT では,トラウマ体験がもたらすバランスの悪い認知が,トラウマ反応の自然な改善を妨げることで PTSD が生じるとして,その修正に焦点を当てるところに特徴がある。CPT は,PE と同レベルの治療効果があることが示されている。(中略)

Ⅱ.認知処理療法とは
1.CPT の特徴と有効性
認知処理療法の特徴は以下の通りである。
エビデンスに基づく PTSD に対する短期治療である。
②疾患特異的なプロトコルを有する認知行動的治療である。
③トラウマに関連する認知を中心に扱う。
④個人療法のみでなく,集団療法およびその両方を用いた混合療法の形式で行うことができる。
トラウマ体験の曝露については,筆記による曝露を行う方法と行わない方法があり,後者が用いられることが最近増えている。トラウマに関連する感情や考えを検討することも曝露を行っていることになるが,トラウマ記憶そのものの記述や語りを行わない選択肢があるという点では,他のトラウマ焦点化治療にはない特徴といえるだろう。ただし,元々はトラウマ記憶を筆記し,これを読み上げるという形での曝露していたのが,これを行わない方法と比較で大きな効果の違いがなかったこと,曝露を行う方が脱落は生じやすいことなどはあり,認知の変容のみの方法が次第に中心になってきている。トラウマ焦点化治療の中では,PE(Prolonged Exposure:持続エクスポージャー療法)がトラウマ記憶にとにかく触れさせていき変化を促していく行動療法的な側面が強いのに対して,認知療法的な面が強いものである。

2.CPT における治療の基本的な考え方
CPT では,トラウマ体験がもたらすバランスの悪い認知(これをスタックポイントと呼ぶ)が,トラウマ反応の自然な改善を妨げ,その後の感情や対人関係の問題につながっていると考え,これを見つけ出し,変容することを目指す。社会的情報処理理論をもとに,トラウマ体験というインプットがあるとき,これを元からもっていたスキーマとの間でどのように折り合いをつけるかで3つの処理のタイプがあるとする。すなわち,1) 同化(assimilation)それまでもっていたスキーマにこだわり,これに合う形で出来事の解釈を歪めてしまう方法(例:「良いことをしていれば,良いことが起きる」(こうした考え方を「公正の信念」と呼ぶ)というスキーマをももっている人が災害に巻き込まれると,自分がしっかりでていなかったから災厄に遭うんだと自分を過度に責めるようになる,2) 過剰調節(overaccomodation)新しい現実に過度に合わせて元のスキーマを極端に否定しまうこと(例:「何をしても,災厄は防げない」と無力感に陥る),3) 調節(accomodation)入って来た情報に照らして既存のスキーマを現実的なものへと変化させること(例:「自分はいいことをしていても,悪いことが起きることもある。しかしある程度気をつけて避けることもできる」)。こうしたスキーマの歪みを,安全,信頼,力/コントロール,葛藤,親密さの5つの領域において検討され,同化や過剰調節という偏った処理を,調節に近づけていくことを考えさせる。
以上のように書くと,難しく感じるかもしれないがクライアントには上記のような同化,過剰調節などの言葉は使わずに,トラウマ体験に遭遇するとそれまでの信念が影響されることを伝え,上記の5つのテーマについて具体的に考えてもらうと,極端な信念が生じていることが比較的容易にわかってもらえる。特に過去の出来事が生じた理由づけとして,自分に責任のないことまで自分を責めてしまうスタックポイント(例えば,自分がもっとしっかりしていれば被害を防げていたはずだという考え)を見つけだし,そうした考え方を修正して,そこまで自分を責めることはないという考えを感じてもらうことが回復の大きな契機になる。こうした過去の同化による自責感が処理されると,今後の自分がうまくやっていけるかどいうことに関する過剰調節のスタックポイント(例えば「自分は誰ともうまくやっていけないだろう」「全ての男性は信用できない」)というような考え方を修正して現実的なものにしていくことができる。

注:i) 引用中の「スキーマ」に関連する「スキーマ療法」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 ii) 拙訳はありませんが認知処理療法におけるシステマティックレビュー、メタアナリシスについては、PubMed で紹介されている次の本を参照して下さい。 「Cognitive Processing Therapy for Post-Traumatic Stress Disorder: A Systematic Review and Meta-Analysis

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(e)コーピング
注:コーピングに関連するかもしれない「自傷他害のない対処行動(呼吸法、漸進性筋弛緩法、イメージリラクゼーション技法、運動、ヨガ、瞑想など)」についてはここを、加えて上記「呼吸法」及び/又は「漸進性筋弛緩法」については次の資料や YouTube も参照して下さい。 「入門!認知行動療法 呼吸法とリラックス法」、「第24回 慢性痛講座 漸進性筋弛緩法【前半】」、「第25回 慢性痛講座 漸進性筋弛緩法【後半】」 その上に『心理的危機対応プラン「PCOP」』の一環としての「コーピングレパートリーを作ろう」については次の資料を参照して下さい。 『心理的危機対応プラン 日本語版リーフレット「PCOP」』の「巻末資料 コーピングレパートリーを作ろう」項 さらに、「こころと体のセルフケア」についてはWEBページ「こころと体のセルフケア」を それぞれ参照して下さい。さらに、 a) ストレスから心と体を守ることについては次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスから心と体を守る」 b) 「様々なストレス発散方法が記されていて便利」との記述を有するツイートがあります。 c) 「ストレス対処法を増やす」ことについては次のエントリを参照して下さい。 「シリーズ:ストレスとうまく付き合うために②-2 ~ストレス対処法を増やす~」 d) また、「マインドフルネスは最強のコーピング」についてはここを、上記「マインドフルネス」と上記ストレスの低減に関連する、「マインドフルネスストレス低減法」についての論文の要旨例はここここ及びここを、そして「マインドフルネスストレス低減法」についてのWEBページ、資料は例えば次を それぞれ参照して下さい。 「マインドフルネス なぜ医療現場で有用なのか エビデンスとその効果」の「MEMO❷ マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」項、「Mindfulness‒Based Stress Reduction(MBSR)で用いられるマインドフルネス瞑想法の本邦における実施可能性および効果」、「マインドフルネス ストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction: MBSR)のアプローチ」 e) 一方、メタ認知と自己注目がコーピングの柔軟性および抑うつに及ぼす影響については次のWEBページを参照して下さい。 「メタ認知と自己注目がコーピングの柔軟性および抑うつに及ぼす影響」 これら以外にも、ストレスコーピングをはじめとした「こころを守るためのセルフケアのヒント」については次の note を参照して下さい。 「こころを守るためのセルフケアのヒント」 なお、化学物質過敏症を訴える方々において、「ストレスの対処法が下手な方が多い」こと及び「一番大事なのはストレス・マネージメント」については、共に次の資料を参照して下さい。 「化学物質過敏症」の P30 及び P31。

最初に、資料「ストレス・コーピングについて」、「入門!認知行動療法 ストレスに対処しよう」、『心理的危機対応プラン日本語版リーフレット「PCOP」』の「巻末資料 コーピングレパートリーを作ろう」項、加えてWEBページ『ストレスケアの基本「コーピング」って何?/「つらい私」の対処法⑥』、『コーピングとは?お金をかけず「手軽」にできるストレス対処法に注目!』、『「これ以上引きずらない」ためのストレス対処法』、「ストレスマネジメントとは」、「ストレスコーピング」、「第2回 ストレスから脳を守れ ~最新科学で迫る対処法~」の「コーピングを始めてみよう!」項、「【ストレス対策】原因、解消法と関連する病気[簡単セルフチェック]」、「ストレスで参ってしまう前に。こまめに対処するストレスコーピングって何?」 そして、note「こころを守るためのセルフケアのヒント」をそれぞれ参照して下さい。ちなみに、引用はしませんが次に紹介する本では、認知的コーピング及び行動的コーピングの例が多数示されています。 【熊野宏昭、伊藤絵美、NHKスペシャル取材班監修の本、『「キラーストレス」から心と体を守る! マインドフルネス&コーピング実践CDブック』(2017年発行)の P64~P65】 加えて、コーピングに関連するかもしれない、自律神経を乱しやすい人に対するストレス対処法の一例については次のWEBページを参照して下さい。 『心身がラクになる、「考え方のクセ」の直し方』 さらに、コーピングについての簡単な紹介は、伊藤絵美著の本、「折れない心がメモ一枚でできる コーピングのやさしい教科書」(2017年発行)*61の「はじめに」における記述の一部(P002~P004)及び「おわりに」における記述の一部(P175~P176)をそれぞれ以下に引用します。

はじめに(中略)

「コーピング」とは、アメリカの心理学者、リチャード・S・ラザルス博士が考案し、1980年代から世界中に広まっていった「ストレスへの意図的な対処」を指す心理学用語です。最近日本でもさまざまなメディアで耳にする機会が多くなったコーピングですが、アメリカではずいぶん前から多くの企業や学校などがストレスマネジメントにその理論を取り入れ、効果が実証されています。
コーピングとは、きっかけも症状もさまざまなストレスに対して、そのひとつひとつに適切な対処を行っていくことです。(中略)

コーピングの最大の目的は、ストレスに気づき、適切に対処し、「ストレスとうまく付き合う」ことなのです。(後略)

注:引用中の「ストレス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典

おわりに(中略)

ストレスを無理に忘れようとしたり、閉じ込められようとしたりせず、きちんと感じ、観察する。ストレスから自分を助けるための方法を見つけ出し、取り組んでいく。(中略)

そしてコーピングは、「質より量」です。できるだけ多くのコーピングを見つけましょう(持ち歌が多いほうがカラオケを楽しめるのと同じです)。(後略)

注:引用中の「ストレス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典

加えて、コーピングの例については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスから脳を守れ ~最新科学で迫る対処法~」の「コーピングを始めてみよう!」項 加えて、子どもを対象としているものの、杉山登志郎著の本、「子ども虐待という第四の発達障害」(2007年発行)の 第九章 被虐待児への包括的ケア2 子ども自身へのケア の「衝動コントールと感情の把握」項における記述の一部(P143)を次に引用します。

もう一つ重要な心理教育の課題は、衝動コントロールの技術である。生活の中でパニックになりそうなとき、じっと着席できなくなったとき、攻撃的な衝動や自己破壊的な行動が噴出しそうなときに、いかに自分をクールダウンさせるのかという方法を、治療者と共に練習する。例えば次のような手順である。
靴を脱ぎ、はだしの足裏を床に付ける。深呼吸を三回繰り返す。見えるものを五つ挙げてみる。聞こえる音を同じく五つ数える。再度見えるものを五つ数える。
それでも落ちつかないときは、天井の右端と左端の角を交互に見る(要するに眼球の左右交互運動をしてもらうわけである)。それでもだめなら水を飲む。あめをしゃぶる。更にはとんぷくを服用するなど。(後略)

注:i) 引用中の「深呼吸」についてはここを参照して下さい。 ii) 引用中の「はだしの足裏を床に付ける」は、グラウンディングここ参照)の一種かもしれません。 iii) 引用中の「天井の右端と左端の角を交互に見る」について、このような行為をこの本を読む前も含めて10年以上行っている本エントリ作者が個人的に補うと、「天井の右端と左端の角を交互に見る」際には、「首を振らないこと」です。 iv) 引用中の「眼球の左右交互運動」に関連する「EMDR」については、ここ及びここを参照して下さい。

さらに、コーピングとレジリエンスにおける内側前頭前皮質の役割についての論文「Role of the medial prefrontal cortex in coping and resilience.[拙訳]コーピングとレジリエンスにおける内側前頭前皮質の役割」の要旨を次に引用します。

The degree of behavioral control that an organism has over an aversive event is well known to modulate the behavioral and neurochemical consequences of exposure to the event. Here we review recent research that suggests that the experience of control over a potent stressor alters how the organism responds to future aversive events as well as to the stressor being controlled. More specifically, subjects that have experienced control show blunted behavioral and neurochemical responses to subsequent stressors occurring days to months later. Indeed, these subjects respond as if a later uncontrollable stressor is actually controllable. Further, we review research indicating that the stress resistance induced by control depends on control-induced activation of ventral medial prefrontal cortical (vmPFC) inhibitory control over brainstem and limbic structures. Furthermore, there appears to be plasticity in these circuits such that the experience of control alters the vmPFC in such a way that later uncontrollable stressors now activate the vmPFC circuitry, leading to inhibition of stress-responsive limbic and brainstem structures, i.e., stressor resistance. This controllability-induced proactive stressor resistance generalizes across very different stressors and may be involved in determining individual difference in reactions to traumatic events.


[拙訳]
嫌悪的なイベントに関しての有機体が持つ行動コントロールの程度においては、イベントへの暴露の行動的及び神経化学的な結果を調整することが周知である。ここでは、コントロールされているストレッサーはもちろん有機体が将来の嫌悪的なイベントに対していかに応答するかを、有力なストレッサーに対するコントロールの体験が変えることを示唆する最近の研究を我々はレビューする。より具体的には、コントロールを体験した被験者は、数日から数ヶ月後に発生するその後のストレッサーに対して鈍い行動及び神経化学的な反応を示す。それにまた、被験者の方々は後のコントロール不能なストレッサーが実際にはコントロール可能であるかのように応答する。さらに、コントロールにより誘起されたストレス耐性は、脳幹及び辺縁構造に対するコントロール誘起の腹内側前頭前皮質(vmPFC)の活性化に依存することを示す研究を我々はレビューした。さらにまた、後のコントロール不能なストレッサーが今、ストレスに応答する脳幹及び辺縁構造の抑制、すなわちストレッサー耐性、につながる vmPFC 回路を活性化するような方法で、これらの回路において、コントロールの体験により vmPFC が変化する可塑性があるように思われる。このコントロール性が誘起する積極的なストレッサー耐性は大いに異なるストレッサー全体で一般化され、そしてトラウマ的なイベントへの反応における個体差の決定に関与するかもしれない。

注:i) 標記「内側前頭前皮質」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。一方、これに関連する「前頭前野」については、次のWEBページを参照して下さい。 「前頭前野 - 脳科学辞典」 ii) 引用中の「ストレス」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「ストレス - 脳科学辞典」 ちなみに、 引用中の「ストレッサー」は「ストレスの原因」「ストレス環境」等の意味のようです。

ちなみに、a) (医療・介護のための)怒りへの対処法に関するWEBページ例を次に紹介します。 「怒りっぽさ解消のヒントはストレス対処 - apital」、「怒りを生じにくくするためのコツ - apital」、「感情をリセットするスイッチをつくろう - apital」、「不要な怒りに振り回されないためのコツ - apital」、「怒りは高いところから低いところへ流れる? - apital」、「冷静さを取り戻すためのテクニック - apital」、『怒りを和らげる「魔法の呪文」 - apital』、「相手への期待感が怒りの引き金になるかも - apital」 b) リラクセーションについてはリンク集を参照して下さい。

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(f)グラウンディング
①柴山雅俊著の本、「解離の舞台」(2017年発行)の 16 段階的治療論 の「4 第一段階――安全と安心の確立」における記述の一部(P244~P245)を次に引用します。

(前略)解離性障害の患者は、不安になったときに周囲環境との接触を失ってしまいがちであるため、「グラウンディング」は役に立つ。これは意識的に呼吸をしたり、光を点けたり、体を動かしたり、足を踏み鳴らしたり、唄ったり、音楽を聴いたり、匂いをかいだり、硬いものを握ったり、顔に触れたり、部屋を見回して何があるかを心のなかで言葉にしたりして、五感をフルに利用する方法である。感覚を通して「いま・ここ」での自己身体や周囲環境に意識を向け、「いま・ここ」での「私」に気づき、そこから離れないようにするのである。(中略)とりわけ面接の終わり際にはこのような「グラウンディング」が有効であるとされている。
ただし現実感の獲得は諸刃の剣である。十分に期が熟していないときに現実感を獲得しようとすると、さらなる症状を引き出す危険性もある。離隔の裏側に過敏があることを忘れてはならない。時にあえて現実感のなさにとどまることも、その保護機能ゆえに必要であろう。

注:i) 引用中の「離隔」については、次のWEBページを参照して下さい。 「解離症 - 脳科学辞典」の「離隔」項 ii) 引用中の「過敏」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

岡田尊司著の本、「境界性パーソナリティ障害」(2009年発行)の 第八章 境界性パーソナル障害からの回復 の「パニックをコントロールする方法」における記述(P242~P243)を次に引用します。

こうしたパニックに対する有効な対処法として、グラウンディング・テクニックがある。これは、他の種類のパニックにも効果がある便利な方法である。
パニック状態のとき、その人の意識は狭窄し、外的な感覚ではなく、内的な感覚に意識が集中した状態になってしまう。すると、増大する不安と恐怖にばかり注意が集まる結果、さらに不安と恐怖が増大するという悪循環に陥る。それを止めるために、グラウンディング・テクニックでは、外の世界の感覚に意識を意図的に向かわせようとする。グラウンディングとは接地という意味だが、地面にしっかりと足を踏ん張り、壁や手すりや椅子の背もたれといった固い物にしっかりと触れ、ゆっくり腹式呼吸しながら外にある物を見て、外的感覚に集中することで、内的体験に圧倒されることを防ぐのである。
最初は家族などに耳元で指示してもらい、常に話しかけてもらって外界に意識を向かわせるようにすることで、初心者でもやりやすくなる。慣れてくると、自分一人でできるようになる。
もう一つ簡単にできる有効な方法として、ブレス・トレーニングがある。ゆっくりと腹式呼吸をしながら、息を吐き出すことにだけ注意を向ける。「リラックス」と唱えながら、ゆっくり繰り返す。簡単な方法だが、恐怖のコントロールにも非常に有効である。

注:引用中の「ブレス・トレーニング」に関連する「呼吸法」についてはここを参照して下さい。

③サンドラ・ポールセン著、新井陽子/岡田太陽監修、黒川由美訳の本、「図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療 EMDRを活用した新しい自我状態療法」(2012年発行)の 第3章 封じ込めと安定化 の「21 ”グラウンディング”は初期治療において不可欠なリソース」における記述の一部(P107~P108)を次に引用します。

(前略)
解説 トラウマを抱えた状態で子とも時代を過ごした人の多くは、自分の感情をありのまま体験したり、身体感覚をみずからのものとして意識したりするのは安全なことではない、と学習してしまっているものです。虐待やネグレクトなど、トラウマとなる出来事が起きているあいだ、自身の感情や感覚を遮断することが、辛い現実を生き抜いていくための戦略だったのです。解離症状の強いクライエントは、慢性的な非現実感や空虚感、自分自身から離脱した感覚をもっています。特にそのようなクライエントは、初期のステップとして“グラウンディング”の手順を学んでおく必要があります。現実感を取り戻すグラウンディングにはさまざまな手法があり、上のイラストはその一例です。

そのほかのグラウンディング・テクニック
何種類かのグラウンディング・テクニックを試し、クライエントは自分に合うもっとも適したものを見つけるとよいでしょう。金色のひものほかに、以下のような方法があります。

●床にかかとを押しつける
●周囲にある家具に触れ、その材質を感じる
●木の幹に触れたり、手で土や小石を握る
●スギやセージやラベンダーなどの香りをかぐ
●部屋の中にある赤いものの数をかぞえる
●塩をなめる
●動物を撫でて、かわいがる(後略)

注:i) 引用中の「上のイラスト」の引用は省略します。 ii) 引用中の「金色のひも」は次に引用する(P107、『 』内)ように金色のひもをイメージすることのようです。 『私たちは金色のひもによって、頭は空に、足は地面につながっている』

④その他
上記以外として、グラウンディングについての説明があるWEBページや資料例を次に紹介します。 『平島奈津子先生に「解離性障害」を訊く』の「④周囲の人間は、どのようにサポートすれば良いのでしょうか?」項、「ストレスを感じたらやるべきこと:イラストガイド」の「パート1 グラウンディング」項(又は「セッション1:グラウンディング」項)と「ツール1:グラウンディング」項(P122)[注:この資料を紹介するツイートもあります] 加えて、グラウンディングについての YouTube やツイート(その1その2)もあります。

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(g)呼吸法
最初に呼吸と交感神経系と副交感神経系の相対的な均衡を測る心搏変動の関連について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第16章 自分の体の中に棲むことを学ぶ――ヨーガ の「ヨーガに至る道――ボトムアップの調節」における記述の一部(P440)を以下に引用します。加えて、上記にも関連する息と交感神経系又は副交感神経系の関連について、同本の 第5章 体と脳のつながり の「神経系を除く窓」における記述の一部(P127~P128)を以下に引用します。その上に、「呼吸と自律神経は深くかかわっていて、息を吐くときに副交感神経が優位になり、筋肉も弛緩してリラックスモードに変わる」ことについては次のWEBページを参照して下さい。 【「呼吸は吸うより『吐く』を重視」つらいと感じる前にやりたいリラックス法(後編)/「つらい私」の対処法③】の「副交感神経を高めると自然と心が楽になる」項

(前略)心搏変動は、交感神経系と副交感神経系の相対的な均衡を測るものだ。私たちが息を吸うと、交感神経系が刺激されて心搏数が増加する。息を吐くと副交感神経系が刺激され、心臓の鼓動は遅くなる。健康な人では、息を吸ったり吐いたりすることによって心搏の変動は一定でリズミカルになる。適切な心搏変動は、基本的な健康状態の目安だ。(後略)

神経系を除く窓(中略)

これらの二つの神経系の働きは、簡単な方法で体感できる。深い息を吸い込むたびに、交感神経系が活性化する。アドレナリンがどっと分泌され、鼓動が速まる。運動選手が競技前に何度か急いで深く息を吸い込むのも、そのためだ。逆に、息を吐き出すと副交感神経系が活性化し、鼓動が遅くなる。ヨーガか瞑想の講座を取れば、講師はおそらく、息を吐くことに特別の注意を払うように促すだろう。なぜなら、時間をかけてすっかり息を吐き出すと、心が落ち着くからだ。(後略)

注:i) 引用中の「ヨーガ」についてはここを、一方、引用中の「瞑想」に関連する「マインドフルネス」についてはここを それぞれ参照して下さい。 ii) 引用中の「深い息を吸い込むたびに、交感神経系が活性化する」と「息を吐き出すと副交感神経系が活性化し、鼓動が遅くなる」とに関連する「息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。」についてはここを参照して下さい。

その上に、ここにおける最初の二つの引用と関連するポリヴェーガル理論の視点からの呼吸法により落ち着く効果について、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論」 の「社会交流システム系を活性化させるエクササイズ」における記述の一部(P193~P195)を以下に引用します。なお上記ポリヴェーガル理論については他の拙エントリのここの「最初に」を参照して下さい。

(前略)ポージェス:(中略)一つ体験談をお話ししましょう。臨床家の友人の一人が、会議で私を紹介することになりました。彼女はとてもエネルギッシュな人だと思っていましたので、大勢の前で話すことにひどい不安を感じているなどとは思ってもみませんでした。大勢の聴衆に私を紹介することになっていた会議の前夜のパーティで、彼女は私に「実はとても不安なのだ」と告白しました。パーティで一、二杯お酒を飲んだら、途端に心の内をしゃべれるようになるのは興味深いことです。そこで私は彼女に、「心配しなくていいよ。いざとなったら私が手助けするから」と言いました。
講演は翌朝九時から予定されていました。九時一〇分前になると、彼女は言いました。「博士、今がその『いざ』というときよ。なんとかして」。そこで私は彼女が話している様子を観察しました。彼女は言葉を短く区切り、その間に急いで息を吸い込んでいました。そんなふうに話す人を見たことがあると思います。彼らは言葉を発するのと同時に息をしていて、この話し方だと、不安が募っていきます。逆に、息を長く吐けば落ち着いていきます。息を急いで吐くような呼吸法では、不安が強化されます。
私は彼女に、「ゆっくりと話して。息継ぎをする前に、もっと言葉を加えて」と言いました。彼女は、初めはうまくできませんでした。単語を一つも付け加えることができず、すぐに息継ぎしてしまいました。しかし、最終的には一回の息で長い文章を話せるようになりました。彼女の話し方も、より魅力的になりました。すると、彼女の声によって聴衆とのつながりができ、私のこともすばらしく興味をそそる内容で紹介してくれました。彼女は大勢の聴衆の前で話すことに恐怖を抱いていました。ところが、なんと今は彼女自身が臨床で、社交不安症を抱えるクライアントの治療としてこの方法を使っています。
話している間、吐く息を長くすれば、落ち着いていくというのは、生理学的な原則です。これがわかれば、クライアントを落ち着かせる方法もわかるでしょう。神経生理学的に言うと、息を吐く間に、迷走神経が心臓に働きかけ、落ち着くという効果をもたらします。ゆっくり息を吐くことは、社会交流システムに対しても影響を与えます。迷走神経が心臓をよりよく制御するようになると、喉頭咽頭への影響も増していきます。声はより滑らかになり、他者に「安全である」という「合図」を送ります。ですから、彼女は落ち着きを取り戻し、韻律に富んだ声で、九〇〇人もの大勢の人の前で話すことができたのです。(後略)

注:i) 引用中の「社交不安症」(社交不安障害)についてはリンク集[用語:「強迫性障害強迫症)、社交不安障害」を適用]を参照して下さい。 ii) 引用中の「社会交流システム」に類似する「社会的関わりシステム」については次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 ii) 引用中の「神経生理学的に言うと、息を吐く間に、迷走神経が心臓に働きかけ、落ち着くという効果をもたらします」に関連する「歌うときには、吸う息よりも吐く息の方がより長い。これにより迷走神経の介在が起こり、落ち着いた生理学的な状態がもたらされる。」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい。

さらに参考として、 a) リラクセ―ション技法としての478呼吸法について、白川美也子監修の本、「子どものトラウマがよくわかる本」(2020年発行)の COLUMN リラクセーション技法は子どもの発達段階に合わせる の リラクセーション技法 自律神経系のバランスを整えるのに役立つ方法 の「学童~思春期」における記述の一部(P84)を次に引用(『 』内)します。 『★478呼吸法(4秒かけて息を吸い、7秒息を止めてから8秒かけて吐き出す)』(注:上記「478呼吸法」については「丹田呼吸法」や「腹式深呼吸」を含めて次の資料を参照して下さい。 「まずはリラクセーション」の「4-7-8呼吸法」シート) b) パニック発作が起きたときの対処法としての腹式呼吸について、坪井康次監修の本、「患者のための最新医学 パニック障害 正しい知識とケア」(2015年発行)の 第4章 回復に近づくための日常生活のケア の「知っておきたいパニック発作の対処法」における記述の一部(P121)を次に引用します。

(前略)
腹式呼吸をする
過呼吸になったら、以下の点に注意して呼吸すると呼吸困難感が改善し、呼吸のリズムがととのいます。
●「吸う:吐く」が1:2になるくらいの割合で呼吸する(吐くことを意識して呼吸する)。
●1回の呼吸で10秒くらいかけてゆっくり吐く(息を吐く前に1~2秒息を止めるとなおい)。(後略)

一方、 a) 上記引用と類似するかもしれない、「10秒呼吸法」については次の YouTube を参照して下さい。 「第23回 慢性痛講座 10秒呼吸法」 b) 加えて、深呼吸又は腹式呼吸を含むリラックス法については、例えば次の資料、WEBページを参照して下さい。 「気軽にリラックス」、「Ⅱ ストレスへの対処」 c) その上に、「ブレス・トレーニング」についてはここを参照して下さい。

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(h)ヨーガ
① 呼吸法、マインドフルネス、内受容感覚及びポリヴェーガル理論の視点を含むヨーガの説明について
標記ヨーガの説明として、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の 第16章 自分の体の中に棲むことを学ぶ――ヨーガ の「ヨーガを探究する」における記述の一部(P445)及び「自分を知るようになる――内受容感覚を培う」と「ヨーガと自己認識の神経科学」における記述の一部(P449~P454)をそれぞれ以下に引用します。なお、社会交流システム(又は「社会的関わりシステム」)の視点からを含むポリヴェーガル理論(他の拙エントリのここにおける「最初に」を参照)によると、『標記ヨーガ(又は「ヨガ」)は「神経エクササイズ」(又は「ニューラルエクササイズ」)であると考えている』ことについて、ステファン・W・ポージェス著、花丘ちぐさ訳の本、『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』(2018年発行)の 用語解説 の「ヨガと社会交流システム」における記述の一部(用語解説 P21)を次に引用(【 】内)します。 【ポリヴェーガル理論では、呼吸を用いたヨガは、「ヴェーガル・ブレーキ」を強化する「神経エクササイズ」であると考えている(後略)】[注:i) 引用中の「ヴェーガル・ブレーキ」の別名である「迷走神経ブレーキ」については次の資料を参照して下さい。 「ポリヴェーガル理論からみた精神療法について」の「2.社会的関わりシステムと腹側迷走神経複合体」項 ii) 引用中の「神経エクササイズ」の別名である「ニューラルエクササイズ」については上記資料の「4.ニューラルエクササイズとリラクセーション」項を参照して下さい。 iii) ちなみに拙訳はありませんが、上記ポリヴェーガル理論とヨガとの関連を示す論文(全文)は次を参照して下さい。 「Yoga Therapy and Polyvagal Theory: The Convergence of Traditional Wisdom and Contemporary Neuroscience for Self-Regulation and Resilience」]

ヨーガを探究する(中略)

ヨーガのプログラムはどれも、呼吸法(プラーナーヤーマ)とポーズ(アーサナ)と瞑想の組み合わせから成る。それぞれのヨーガの流派によって、こうした中心となる構成要素のどれにどれだけ重点を置いたり集中したりするかが違ってくる。たとえば、呼吸の速さや深さ、口や鼻孔や喉の使い方によって異なる結果が生まれるし、技法によっては活力に強烈な影響を与えるものもある(12)。私たちの教室では、単純な取り組み方をするように心がけている。患者の多くは自分の呼吸をほとんど自覚していないので、吸う息と吐く息に意識を集中して、呼吸が速いのか遅いのかに注意し、いくつかのポーズで呼吸を数えることを習得すれば、それは大きな成果になりうる(13)。
私たちは、少数の伝統的なポーズを徐々に取り入れる。重点を置いているのはポーズを「正しく」とることではなく、そのときどきにどの筋肉が使われているのかに、参加者が気づくのを助けることだ。ポーズの順番も工夫してあり、緊張と弛緩のリズムが生まれるようになっている――それは、日々の生活でも意識するようになってほしいリズムだ。
私たちは、瞑想そのものは教えないが、いろいろなポーズをしなから体のさまざまな部位で何が起こっているのかを観察するように参加者に促すことによって、マインドフルネスを育んでいる。研究しているときにいつも気づくのだが、トラウマを負った人にとって、体の中で完全にリラックスして身体的に安全だと感じるのは非常に難しい。たいていのクラスで最後にやるシャヴァ・アーサナというポーズのときには、私たちは参加者の腕に小さなモニターをつけて心搏変動を計測する。このポーズでは、参加者は仰向けに寝て手の平を上に向け、腕と脚をリラックスさせる。だが、参加者はリラックスできない。それどころか、筋肉活動が盛んなために、正確な信号が拾えないほどだ。参加者の筋肉は穏やかな静止状態に入らずに、目に見えない敵と闘う準備を自分にさせ続けることが多い。トラウマからの回復に残されている大きな課題の一つは、完全にリラックスして、安心して身を委ねた状態になれるようにすることだ。

注:(i) 引用中の原注番号「(13)」は次の本です。「D. Emerson and E. Hopper, Overcoming Trauma through Yoga: Reclaiming Your Body (Berkeley, CA: North Atlantic Books, 2011)[邦訳:『トラウマをヨーガで克服する』伊藤久子訳、紀伊國屋書店、2011年]. ただし、引用中の原注「(12)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ちなみに、この邦訳本で紹介されているのが「トラウマ・センシティブ・ヨーガ」であり、この邦訳本の「はじめに」(P20~P33)の著者は、べッセル・A・ヴァン・デア・コークです。加えて、引用はしませんがこの本の「第5章 トラウマを抱える皆さんへ」において、家でするプラクティスについての説明があります。さらに、「TRAUMA SENSITIVE YOGA(トラウマ・センシティブ・ヨーガ)」についてはWEBサイト「TRAUMA SENSITIVE YOGA - TRAUMA CENTER」(英文)を、 このヨーガについての論文要旨和訳例は資料「Examining Mechanisms of Change in a Yoga Intervention for Women :The Influence of Mindfulness, Psychological Flexibility, and Emotion Regulation on PTSD Symptoms」を それぞれ参照して下さい。 (ii) ちなみに、引用はしませんが次の本にもヨーガ瞑想の例が記載されています。 『長谷川洋介、貝谷明日香著の本、「知識ゼロからのマインドフルネス 心のトレーニング」(2015年発行)』の PART3(P60~P77) (iii) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「リラックス」に関連するかもしれない「落ち着きを取り戻す」ことについて、リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳の本、「情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(2019年発行)の「第9章 自己の情動を手なづける」における記述の一部(P295)を次に引用(【 】内)します。 【身体予算のバランスを維持する他の手段に、ヨガがある。長くヨガを実践している人は、おそらく身体活動とゆっくりとした呼吸の組み合わせのおかげで、迅速かつ効率的に落ち着きを取り戻すことができる12。ヨガはまた、体内に有害な炎症の発言を長期にわたって促す、炎症性サイトカインと呼ばれるタンパク質のレベルを低下させる13(中略)。】(注:a) 引用中の原注番号「12」の内容(P590)を次に引用(《 》内)します。 《深くゆっくりとした呼吸は、副交感神経系を活性化し、それによって鎮静効果が得られる。この方法は、身体予算管理領域の活動を自発的にコントロールするための簡単な手段になる。すばやく短い呼吸には逆の効果がある。》[注:引用中の「呼吸」についてはここも参照して下さい] b) 引用中の原注番号「13」引用中の原注番号「73」に関し、次の論文を参照して下さい。 「Stress, food, and inflammation: psychoneuroimmunology and nutrition at the cutting edge」、「Yoga's impact on inflammation, mood, and fatigue in breast cancer survivors: a randomized controlled trial」 c) 引用中の「身体予算」については他の拙エントリのここを参照して下さい。 d) 引用中の「炎症性サイトカイン」については他の拙エントリのここを参照して下さい。)

自分を知るようになる――内受容感覚を培う

現代の神経科学から得られる明確な教訓の一つは、自己感覚は体との重要なつながりが拠り所となっているということだ(14)。自分を本当に知るには、身体的感覚を感じて解釈できなければならない。人生を安全に歩んでいくためには、その身体的感覚を認識し、それに基づいて行動しなければならないのだ(15)。麻痺状態に陥る(あるいは埋め合わせとなる感覚を追求する)ことによって、人生は耐えられるものになるのかもしれないが、人はその代償として、体の内部で起こっている出来事に気づけなくなり、そのせいで、肉体的感覚を持ちながら思う存分生きていると感じられなくなる。
第6章で、失感情症について述べた。これは、自分の内部で起こっていることが識別できないという症状の専門用語だ(16)。失感情症の人は、身体的な不快感を抱きがちだが、何が問題なのかをはっきりと説明できない。その結果、暖味な身体的苦痛をあれこれ訴えるのだが、医師は診断名をつけられない。さらに彼らは、どのような状況に置かれても、自分が本当はどう感じているのかや、なぜ気分が良くなったり悪くなったりするのかがわからない。これは、体の通常の要求を、穏やかに、注意深く予期したり、それに応えたりできなくさせる、麻痺の結果だ。同時にこの麻痺のせいで、日々の感覚的な喜びが鈍る。人生に価値を与えてくれる音楽や触感や明るさなどを経験しても、前ほど喜びが得られないのた。内部の世界との関係を(再度)築き、それとともに、自己との思いやりにあふれた、身体的感覚を伴う関係を復活させるには、ヨーガは素晴らしい方法であることがわかった。
人は自分の体の欲求を自覚していなければ、体の面倒を見ることはできない。空腹を感じなければ、自分に栄養を与えることはできない。不安と空腹を取り違えたら、食べ過ぎてしまうかもしれない。満腹のときに、それがわからなければ、食べ続けることになる。だからこそ、感覚を自覚する力を養うことが、トラウマからの回復にとって重要なのだ。従来のセラピーの大半は、内部の感覚世界における一瞬一瞬の変化を軽視、あるいは無視している。だが、こうした変化にこそ、生体の反応の本質がある。その本質とは、体の化学的な特徴と、内臓と、顔や喉や胴や手足の横紋筋の収縮に刻まれている、情動の状態だ(17)。トラウマを負った人は、自分の感覚に耐え、内部の経験と友達になり、新たな行動パターンを培う能力が自分にはあることを学ぶ必要がある。
ヨーガでは、そのときどきの呼吸と感覚に注意を集中する。その結果情動と体のつながりに気づき始める。たとえば、あるポーズをとることに不安があると、実際にバランスを崩してしまうかもしれない。すると、今度は試しに自分の感じ方を変えにかかる。深く息をすると、肩の緊張がほぐれるだろうか。吐く息に意識を集中すると、穏やかだという感覚が生じるだろうか、というように(18)。
自分が何を感じているのかに気づくだけで、情動調節がしやすくなり、自分の内で起こっている出来事を無視しようとするのをやめる手助けになる。学生によく話すのだが、ヨーガと同じで、セラピーで重要なのは、「それに意識を向けてください」と「次にどうなりますか」という二つの言葉だ。恐れではなく好奇心を抱いて自分の体に接し始めると、すべてが変化する。
体を意識すると、時間の感覚も変わる。トラウマを負った人は、自分ではどうしようもない、恐怖に満ちた状態に永遠にはまり込んでいるかのように感じている。ヨーガでは、感覚はしだいに強まり、頂点に達し、それから弱まることを学ぶ。たとえば、人は自分にとってとりわけ難しいポーズをとるようにインストラクターに促されると、そのポーズによって引き起こされる感情に耐えられないだろうと予想して、最初は挫折感や抵抗を覚えるかもしれない。優秀なヨーガ教師は、どんなものであれ緊張にただ意識を向けるように励まし、どれだけ長い間それを感じるかを、呼吸の回数で決める。「この姿勢は、呼吸を一〇回する間、保ちます」という具合だ。こうすると、不快感がいつ終わるのか予期しやすくなるし、身体的苦しみと情動的苦しみに対処する能力が高まる。あらゆる経験が一時的なものだと気づくと、自分を見る目が変わる。
それでもやはり、内受容感覚を取り戻すと気が動転しないともかぎらない。新たにアクセスできた胸の中の感覚が、憤激や恐れや不安として経験されると、どうなるだろう。私たちが最初に行なったヨーガの研究では、半数の人が脱落した。これまでの研究のなかでも、最も高い割合だった。脱落した患者に尋ねたところ、彼らにとってプログラムがつら過ぎたことがわかった。骨盤がかかわるポーズはどれも、強烈なパニックや、性的暴行のフラッシュバックさえ突然引き起こしかねなかった。感覚を麻痺させて注意を向けないようにし、苦心して抑え込んできた過去の悪魔たちを、強烈な身体的感覚が解き放ってしまったのだ。私たちはここから、ゆっくりと、多くの場合カタツムリのようなペースで進むことを学んだ。この取り組み方はうまくいった。最新の研究では、最後まで続けられなかったのは、三四人の参加者中一人だけだった。

ヨーガと自己認識の神経科

この数年間に、私の研究仲間であるハーヴァード大学のサラ・ラザーやブリッタ・ホルツェルのような脳科学者が、集中的な瞑想は生理学的な自己調節に重要な脳領域そのものに良い影響を与えることを明らかにしてきた(19)。幼少期に深刻なトラウマ体験をした六人の女性を対象とする、私たちの最新のヨーガ研究でも、ヨーガを二〇週間実習すると、基本的な自己システムである島と内側前頭前皮質の活動が増すことを、初めて示す結果が出た(第6章参照)。多くの課題がまだ残されているものの、この研究は、体の感覚に意識を向けて、その感覚と仲良くなることを含む行為が、心と脳に大きな変化をもたらし、それがトラウマからの回復につながるという、新たな視点をもたらしてくれる。
ヨーガの研究が終わるたびに、私たちは参加者に、ヨーガ教室はどのような効果があったかを尋れた。島や内受容の話はしなかった。実際、私たちはいつも、話や説明は最小限にして、参加者が自分の内部に意識を集中することができるようにした。
彼らの回答例を挙げておこう。

・「以前よりも強く感情を感じられます。今は感情を認めることができるというだけなのかもしれませんが」
・「前より気持ちを表現できるようになりました。以前よりもよく感情を識別できるからです。体で感情を感じて、識別し、それに取り組みます」
・「今は、選択肢が、さまざまな道が見えます。自分で決断して、自分の人生を選ぶことができますし、過去の人生を繰り返したり、子供のままであるかのように人生を経験したりしなくてもいいのです」
・「安全な場所で、自分を傷つけることも自分が傷つくこともなく、自分の体を動かしたり、体の中に収まっていたりすることができました」

注:i) 引用中の原注「(14)」~「(19)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「失感情症」についてはここを参照して下さい。 iii) 引用中の「情動」については、次のWEBページ「情動 - 脳科学辞典」及びメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。 iv) 引用中の「内側前頭前皮質」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 v) 引用中の「島」については、次のWEBページを参照して下さい。 「島 - 脳科学辞典」  vi) 引用中の「内受容感覚」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 vii) ちなみに、心身相関療法としてのヨーガに関連する各種資料がリストアップされているWEBページを次に示します。 「Welcome to Dr. Takakazu Oka's Homepage - 4. ヨガ - Yoga」(注:このWEBページ中の「アイソメトリックヨガ」については資料「ヨガ」の「事例提示」項も参照して下さい)、『「統合医療」情報発信サイト ヨガ』及び「ストレス関連疾患に対する統合医療の有用性と科学的根拠の確立に関する研究(文献番号:201325024B)」 ただし、これらで紹介されているヨガは「トラウマ・センシティブ・ヨーガ」とは異なるようです。一方、トラウマを抱えた児童を対象としたヨーガの資料例を次に示します。 『トラウマを抱えた児童を対象としたヨーガの意義 マインドフルネスにおける「受容的な気づき」を重視したヨーガ実践

加えて、六つの視点からのトラウマ・センシティブ・ヨーガ及びこどもヨーガについて、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中の伊藤華野著の文書「トラウマを有するこどもへのヨーガの応用」の トラウマ・ケアとこどもヨーガ の「(3) トラウマ・治療とこどもヨーガ」における記述の一部(P115~P116)を次に引用します。

PTSDのクライアントの成人に共通してみられるのが「自己身体への疎外と断絶」であり、「今、ここに在ることのできる能力の低下(15)」であることが指摘されている。こうしたクライアントにヨーガを活用し、「自分に棲むことの学び」を提供し、トラウマからの回復を実現しているのが、トラウマ・ケア・センターで実施されているトラウマ・センシティブ・ヨーガである。
トラウマ・ケア・センターでは、ヨーガを二〇週間実習すると基本的な自己システムである島と内側前島皮質の活動が増すことを科学的に証明し「この研究は、体の感覚に意識を向けて、その感覚と仲良くなることを含む行為が、心と脳に大きな変化をもたらし、それがトラウマからの回復につながるという、新たな視点をもたらしてくれる(16)」と報告している。
センターの主たるヨーガ教師、ピーター・エマーソンによる実践上の留意は表2の通りである。奇しくも従来から日本で普及したヨーガ禅(ヨーガ始祖、大阪大学名誉教授・佐保田鶴治博士(17)が完成した)におけるヨーガの四原則と重複し、非常に活用しやすいものであった。PTSDのクライアントへの配慮として有効に活用できる。筆者のこどもヨーガの実践研究は、先述のヨーガ四原則に基づいたこどもヨーガの展開であったため、やはりなじみのある方法として捉えることができた。
エマーソン氏の来日(二〇一二)時(18)に氏によって直接の指導を受ける機会を得たが、そのヨーガ指導法は、呼吸への気づきをベースに感覚、感情、思考への気づきを醸し出すマインドフルネスに徹されたものであった。その際、これまで氏の著書(19)の視点に掲げられていた四つのテーマに、二つの視点が補足された。以来筆者は過去三〇有余年実践してきたこどもへのヨーガ(20)をこの六つの視点で確認しつつ、トラウマに留意が必要なこども集団へのヨーガを実践している。(後略)

注:i) 引用中の文献番号「(15)」は次の本です。「Emerson, D. et al.: Overcoming Trauma through Yoga: Reclaiming Your Body. North Atlantic Books, 2011.(デイヴィッド・エマーソン他『トラウマをヨーガで克服する』二〇-三三頁、紀伊國屋書店、二〇一一年)」 ii) 引用中の文献番号「(16)」は次の本です。「前掲書 (15) 四五二頁」 iii) 佐保田鶴治『ヨーガ入門-ココロとカラダをよみがえらせる』池田書店、一九七五年 iv) David-Emarson, 2012. 来日による研修 Clinical Applications of Trauma Sensitive Yoga(協賛 The Japan Yoga Therapy Society・The Trauma Center at JRI) v) 引用中の文献番号「(19)」は次の本です。「前掲書 (15) 二八-三三頁での前文の寄稿による」 v) 引用中の「島」、「内側前島皮質」については共に他の拙エントリのここを参照して下さい。 vi) 引用中の「マインドフルネス」についてはここを参照して下さい。 vii) 引用中の「表2」(P115)については形式を変更して次に引用します。 viii) (こどもヨーガにおける)引用中の「六つの視点」の同文書同項における項目を次に抜き出します。詳細は同項の記述内容を参照して下さい。 「①今、ここの意識をもつ」、「②選択する」、「③有効性を探求する」、「④緊張と弛緩のリズムをつくる」、「⑤空間に定位する」、「⑥動きを意識化する」

表2 トラウマ・センシティブ・ヨーガ実践上のポイント(文献(4)より伊藤が作表)
・具体的体験を活用する:今ここが体験できるようにする。想像上ではなく身体的、体こ基づくもの。
・主導権を奪わない:禁止、命令、指図は避ける。「いいなと思ったら」「準備ができれば」「きもちよければ」という言葉で主体感を導く。
・予測可能な経験を増やす:自分がより快適だと感じられることを能動的に行う機会を増やす。
・呼吸に動作をあわせる:個人内リズム、個人間リズムを見つけだす。持続時間での感覚の回復、始めがあって終わりがある安心感を提供する。

注:引用中の文献番号「(4)」は上記文献番号「(19)」と同じです。

② 論文「Yoga for Adult Women with Chronic PTSD: A Long-Term Follow-Up Study.[拙訳]慢性 PTSD を伴う大人の女性のためのヨーガ:長期間のフォローアップ研究」の要旨の紹介
標記論文の要旨を次に引用します。ちなみに、 a) 全文は ここを参照して下さい。 b) ヨーガについての他の論文(全文)のリンク集については、次のWEBページを参照して下さい。 「TCTSY Research

INTRODUCTION:
Yoga-the integrative practice of physical postures and movement, breath exercises, and mindfulness-may serve as a useful adjunctive component of trauma-focused treatment to build skills in tolerating and modulating physiologic and affective states that have become dysregulated by trauma exposure. A previous randomized controlled study was carried out among 60 women with chronic, treatment-resistant post-traumatic stress disorder (PTSD) and associated mental health problems stemming from prolonged or multiple trauma exposures. After 10 sessions of yoga, participants exhibited statistically significant decreases in PTSD symptom severity and greater likelihood of loss of PTSD diagnosis, significant decreases in engagement in negative tension reduction activities (e.g., self-injury), and greater reductions in dissociative and depressive symptoms when compared with the control (a seminar in women's health). The current study is a long-term follow-up assessment of participants who completed this randomized controlled trial.

METHODS:
Participants from the randomized controlled trial were invited to participate in long-term follow-up assessments approximately 1.5 years after study completion to assess whether the initial intervention and/or yoga practice after treatment was associated with additional changes. Forty-nine women completed the long-term follow-up interviews. Hierarchical regression analysis was used to examine whether treatment group status in the original study and frequency of yoga practice after the study predicted greater changes in symptoms and PTSD diagnosis.

RESULTS:
Group assignment in the original randomized study was not a significant predictor of longer-term outcomes. However, frequency of continuing yoga practice significantly predicted greater decreases in PTSD symptom severity and depression symptom severity, as well as a greater likelihood of a loss of PTSD diagnosis.

CONCLUSIONS:
Yoga appears to be a useful treatment modality; the greatest long-term benefits are derived from more frequent yoga practice.


[拙訳]
前書き:
ヨーガ-身体的な姿勢と運動の統合的な実践、呼吸のエクササイズ-は、トラウマの暴露によって調節不全となった生理的及び感情的な状態の許容及び調整(modulating)におけるスキルを築くための有用で補助的なトラウマにフォーカスした治療法の構成要素として役に立つ。以前のランダム化比較試験は慢性の治療抵抗性の心的外傷後ストレス障害PTSD)と持続した又は多数のトラウマ曝露に由来する関連したメンタルヘルス問題を伴う60人の女性の間で実施した。10セッションのヨーガの後に、PTSD の症状の重症度の有意な減少及び PTSD 診断の消失のより大きい見込み、否定的な緊張低下活動(例えば、自傷)における有意な減少、及び対照群(女性の健康セミナー)と比較した解離と抑うつ症状のより大きな低下を被験者は示した。現在の研究は、このランダム化比較試験を完了した参加者の長期フォローアップ評価である。

方法:
初期介入及び/又は治療後のヨーガ実践は、追加の変化に関連していたかどうかを評価するために、ランダム化比較試験からの被験者は、約 1.5 年間の研究終了後の長期フォローアップ評価に参加するように招待された。49人の女性は長期フォローアップインタビューを完了した。最初の研究における治療グループの状態及び研究後のヨーガ実践頻度が症状及び PTSD 診断におけるより大きな変化を予測するかどうかを調査するために階層的回帰分析を使用した。

結果:
元のランダム化比較試験におけるグループの割り当ては、より長期的なアウトカムの有意な予測因子ではない。しかしながら、より高い PTSD 診断の消失の見込みはもちろん、PTSD の症状の重症度及びうつ病の症状の重症度において、継続的なヨーガ実践の頻度が有意により大きな減少を予測した。

結論:
ヨーガは有用な治療法であるように思われる。最大の長期的な利益は、より頻繁なヨーガ実践に由来している。

注:i) 引用中の「PTSD 診断の消失」とは、PTSD の診断基準を満たさなくなることです。 ii) 引用中の「ランダム化比較試験」については次の資料を参照して下さい。 「データの取り扱いについて」の「ランダム化比較試験(RCT)」シート(P9)

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(i)演劇
PTSD又は複雑性PTSDにおける演劇の活用について、べッセル・ヴァン・デア・コーク著、柴田裕之訳、杉山登志郎解説の本、「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(2016年発行)の「第20章 自分の声を見つける――リズムの共有と演劇」の「演劇を通してトラウマを治療する」における記述(P559~P561)を次に引用します。

演劇を通してトラウマを治療する

集団で行なう儀式が心と脳にどう作用し、トラウマの防止や緩和にどう役立つのかについての研究は驚くほど少ない。とはいえ私はここ一〇年ほどの間に、演劇を通してトラウマを治療する三つの異なるプログラムを観察し、研究する機会に恵まれた。まず、ボストンのアーバン・インプロヴ(7)が開催するプログラムと、それに触発されて作られ、ボストンの公立学校や私たちの入所型治療施設(8)で開催されているトラウマドラマのプログラム。次に、ニューヨーク市でポール・グリフィンが率いるポシビリティ・プロジェクト(9)。そしてマサチューセッツ州レノックスのシェイクスピア&カンパニーが開催する少年犯罪者向けのシェイクスピア・イン・ザ・コーツ(10)と呼ばれるプログラムだ。本章ではこの三つのプログラムを取り上げるが、アメリカの国内外には多くの素晴らしいセラピー用演劇プログラムがあり、演劇は回復手段として広く活用されている。
これらのプログラムにはそれぞれ違いはあるものの、どれも共通の基盤を持っている。すなわち、集団での行動を通して人生のつらい現実と向き合い、象徴的な変化を遂げるという点だ。愛と憎しみ、攻撃と降伏、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時にトラウマの本質でもある。私たちの文化では、人は本当に自分が感じていることと自分とを切り離して考えるよう教えられている。シェイクスピア&カンパニーのカリスマ的創設者ティナ・パッカーの言葉を借りれば、こうなる。「役者を養成するには、そうした傾向に逆らうような訓練が必要です。つまり心に深く感じるだけでなく、感じたものを絶えず観客に伝えるのです。観客がその感情を遮断せずに、受け止められるように」
トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。情動を経験するのを怖がっている。情動のせいで自分を制御できなくなるからだ。それとは対照的に、演劇とは情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面にかかわり、さまざまな役柄になりきり、それを体現することだ。
すでに見たように、トラウマの根底にあるのは、完全に見捨てられ、人類から切り離されたという感覚だ。演劇は、人間が置かれている現実と集団で向き合う。ポール・グリフィンは里親の下で育つ子供たちのための演劇プログラムを手掛けているが、その説明をしながら私にこう語った。「演劇における悲劇は本質的に、裏切りや暴行や破壊にどう対処するかを中心に展開します。この子たちにとって、リア王やオセロやマクベスハムレットがどういう人物かを理解するのはたやすいことなのです」。ティナ・パッカーに言わせれば、「全身を使って、他の人の体をあなたの感覚や情動、思考に共鳴させること、それに尽きます」となる。演劇はトラウマサバイバーに、万人に共通の人間性を深く体験させ、それを通して相互に結びつく機会を与えてくれる。
トラウマを負った人は、葛藤を恐れる。自分を制御できなくなり、けっきょく再び敗者の側に立たされるのが怖いのだ。葛藤(心の中の葛藤、対人関係での葛藤、家庭内での葛藤、社会的な葛藤、そして、それらの葛藤の結果)は演劇の核を成している。トラウマを負った人は物事を忘れようとし、自分がどれほどおびえているか、激怒しているか、あるいは、無力なのかを隠そうとする。一方、演劇では人は、観客にありのままを告げ、深遠な真実を伝える方法を見つけようとする。そのためには、自分自身の真実を発見するのに障害となるものを打ち破り、自分の内部経験を探り、吟味して、それを舞台の上で自分の声と体で表現できるようにしなくてはいけない。

注:i) 引用中の原注「(7)」~「(10)」の紹介は省略します。この本をお読み下さい。 ii) 引用中の「情動」については、次のWEBページを参照して下さい。「情動 - 脳科学辞典」 加えてメンタライジングの視点から他の拙エントリのここを参照して下さい。

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(j)書く
愛着障害の視点からの日記や文書を書くことについて、岡田尊司著の本、『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(2016年発行)の 第7章 愛着障害の克服 の『「書く」という行為も安全基地に』における記述の一部(P315~P316)を以下に記述します。一方、『「書き出す」ことはつらいときの助けになる』ことについては次のWEBページを参照して下さい。 『「書き出す」ことはつらいときの助けになる/「つらい私」の対処法④

「書く」という行為も安全基地に
安全基地となってくれるサポート役になかなか出会えないという場合には、他の方法で安全基地の代わりを求めることも必要になる。
そうしたものとして有用なものの一つは、日記や文章を書くことである。
安全基地とは、自分が求めたときに、ありのままに受け止めてくれる存在である。「書く」という行為は、黙って話を聞いてくれる話し相手に似ている。ありのままの思いを表現し、書き留めることは、吐き出すことによるカタルシス効果とともに、自分を客観視する練習にもなる。
夏目漱石谷崎潤一郎川端康成太宰治三島由紀夫……。日本文学で見ても、名だたる作家の多くは、深刻な愛着障害を抱えていた。彼らは、愛着障害を克服するために、作品を書き続けたともいえるほどだ。書くという行為にしか、安全基地を見出せなかったのかもしれない。もちろんそれで抱えているものを完全に克服できたわけではないが、少なくとも、彼らの苦難を意味あるものにするのには役立ったに違いない。(後略)

注:i) 引用中の「安全基地」に関連する「安心の基地」については、例えばここを参照して下さい。 ii) 引用中の「日記や文章を書く」ことに関連する「肯定的なできごとの日記をつける」ことについては他の拙エントリのここにおける引用を参照して下さい。

加えて、標記に関連する書くことによる曝露療法(written exposure therapy)についての論文の要旨を次に引用します。

・「A Brief Exposure-Based Treatment vs Cognitive Processing Therapy for Posttraumatic Stress Disorder: A Randomized Noninferiority Clinical Trial.[拙訳]心的外傷後ストレス障害のための Brief Exposure-Based Treatment vs 認知処理療法:ランダム化非劣性臨床試験

IMPORTANCE:
Written exposure therapy (WET), a 5-session intervention, has been shown to efficaciously treat posttraumatic stress disorder (PTSD). However, this treatment has not yet been directly compared with a first-line PTSD treatment such as cognitive processing therapy (CPT).

OBJECTIVE:
To determine if WET is noninferior to CPT in patients with PTSD.

DESIGN, SETTING, AND PARTICIPANTS:
In this randomized clinical trial conducted at a Veterans Affairs medical facility between February 28, 2013, and November 6, 2016, 126 veteran and nonveteran adults were randomized to either WET or CPT. Inclusion criteria were a primary diagnosis of PTSD and stable medication therapy. Exclusion criteria included current psychotherapy for PTSD, high risk of suicide, diagnosis of psychosis, and unstable bipolar illness. Analysis was performed on an intent-to-treat basis.

INTERVENTIONS:
Participants assigned to CPT (n = 63) received 12 sessions and participants assigned to WET (n = 63) received 5 sessions. The CPT protocol that includes written accounts was delivered individually in 60-minute weekly sessions. The first WET session requires 60 minutes while the remaining 4 sessions require 40 minutes.

MAIN OUTCOMES AND MEASURES:
The primary outcome was the total score on the Clinician-Administered PTSD Scale for DSM-5; noninferiority was defined by a score of 10 points. Blinded evaluations were conducted at baseline and 6, 12, 24, and 36 weeks after the first treatment session. Treatment dropout was also examined.

RESULTS:
For the 126 participants (66 men and 60 women; mean [SD] age, 43.9 [14.6] years), improvements in PTSD symptoms in the WET condition were noninferior to improvements in the CPT condition at each of the assessment periods. The largest difference between treatments was observed at the 24-week assessment (mean difference, 4.31 points; 95% CI, -1.37 to 9.99). There were significantly fewer dropouts in the WET vs CPT condition (4 [6.4%] vs 25 [39.7%]; χ21 = 12.84, Cramer V = 0.40).

CONCLUSIONS AND RELEVANCE:
Although WET involves fewer sessions, it was noninferior to CPT in reducing symptoms of PTSD. The findings suggest that WET is an efficacious and efficient PTSD treatment that may reduce attrition and transcend previously observed barriers to PTSD treatment for both patients and providers.


[拙訳]
重要性:
5セッションの介入である書くことによる曝露療法(WET)は、心的外傷後ストレス障害PTSD)を効果的に治療することが示されている。しかしながら、この治療は認知処理療法(CPT)のような第一選択の PTSD 治療法とはまだ直接比較されていない。

目的:
PTSD を伴う患者において、WET が CPT に対し劣らない(非劣性である)かどうかを決定する。

デザイン、セッティング及び参加者:
2013年2月28日から2016年11月6日までの間、退役軍人医療施設で行われたこのランダム化比較臨床試験では、126人の退役軍人及び非退役軍人の成人が WET 又は CPT のいずれかにランダムに割り当てられた。選択基準は、PTSD の一次診断及び安定した薬物療法であった。除外基準には、現在の PTSD の精神療法、高い自殺リスク、精神病の診断、及び不安定な双極性障害が含まれた。分析は ITT(intent-to-treat)ベースで実施された。

介入:
CPT(n = 63)に割り当てられた参加者は12回のセッションを受け、そして WET(n = 63)に割り当てられた参加者は5回のセッションを受けた。書面による説明を含む CPT プロトコルは、毎週60分のセッションで個別に手渡された。最初の WET セッションは60分を必要とするのに対し、残りの4セッションは40分を必要とする。

主なアウトカムと測定:
一次アウトカムは DSM-5 の PTSD 臨床診断面接尺度の合計スコアであった。非劣性は10点のスコアで定義した。初回治療セッションのベースライン及びその後の6、12、24、そして36週での盲検の評価が実施された。治療における脱落も調査した。

結果:
参加者126名(男性66名、女性60名;平均年齢43.9歳[標準偏差:14.6])に対し、WET 条件での PTSD 症状における改善は、各評価期間において、CPT 条件の改善に対し非劣性であった。治療間の最大の差は、24週での評価で観察された(平均差、4.31ポイント; 95%信頼区間、-1.37~9.99)。WET vs CPT の条件では(WET は)脱落が有意に少なかった。(4 [6.4%] vs 25 [39.7%];χ21= 12.84、クラメールの連関係数 V = 0.40)。

結論と妥当性:
WET はセッション数が少ないが、PTSD 症状の軽減において CPT に対し非劣性であった。WET が効果的かつ効率的な PTSD 治療法であり、患者と治療提供者の両方に対して、消耗を軽減し、以前に観察された PTSD 治療への障壁を超えるかもしれないことを、この知見は示唆する。

注: i) 引用中の「n = 63」は人数を示します。 ii) 標記「心的外傷後ストレス障害」の省略名である「PTSD」についてはリンク集を参照して下さい。 iii) 引用中の「認知処理療法」についてはここを参照して下さい。 iv) 引用中の「ITT」については、例えば次のWEBページを参照して下さい。 「Intention to treat(ITT) 解析の持つ意味」 v) 引用中の「クラメールの連関係数」については例えば次の資料を参照して下さい。 「行動科学への数理の応用:探索的データ解析と測度の関係の理解」の「2.7 多次元空間の変数間の関係:クラメールの連関係数」項

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注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

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*1:別途、虐待の引き起こす精神疾患もリストアップされています

*2:有力な治療法の一種であるEMDRについては、主にここ及びここを参照して下さい。一方、規則正しい日常生活については他の拙エントリのここを参照して下さい。

*3:注:「ソマティック・エクスペリエンシング」は「ソマティック・エクスペリエンス」と呼ばれることもあります

*4:注:【その他余談】は他のエントリですが、本エントリの後半部扱いを致します。目次はここを参照して下さい。

*5:ちなみに、解離性障害(解離症)における身体症状はここここを参照して下さい

*6:他の拙エントリのリンクはここここここ及びここを参照

*7:より直接的なリンクはここここここここここここここここここここここここ>ここここここここここここここここここここここここここここここここここここここ及びここを参照して下さい。ちなみに、これに関連する「第四の発達障害」(又は発達性トラウマ症候群、発達性トラウマ症候群障害)については他の拙エントリのここを参照して下さい。

*8:なお、上記「闘争」に関連する「戦闘モード」についてはここ及びここを参照して下さい

*9:他の拙エントリのリンク集(2)も参照して下さい

*10:ちなみに、他の拙エントリにおいてはここ及びここを参照して下さい。

*11:ちなみに、 a) 「情動性のレスポンデント条件づけの成立においては,思考のレベルではなく,体感のレベルでの学習が重要」であることについてはここを参照して下さい。 b) 他の拙エントリにおいてはここここここここここここここ及びここを参照して下さい。加えて、これに関連する「嗅覚嫌悪条件づけ」については他の拙エントリのここここ及びここを参照して下さい。さらに、仏教思想の視点からの「欲望(煩悩)による条件づけ」については、他の拙エントリのここを参照して下さい。

*12:詳細は他の拙エントリのここを参照して下さい

*13:他の拙エントリのここも参照して下さい

*14:他の拙エントリのここも参照して下さい

*15:これに関連する境界性パーソナリティ障害の治療法については、他の拙エントリのここを参照して下さい

*16:ここでの症状は次の5つです。 ①両極端で二分法的な認知 ②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい ③心から人を信じたり、人に安心感が持てない ④高過ぎるプライドと劣等感が同居 ⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

*17:ちなみに、上記複雑性PTSDも関連します

*18:森田療法の視点からの神経症については他の拙エントリのここを参照して下さい。

*19:ちなみに、関係フレーム理論における「体験の回避」については、他の拙エントリのここを参照して下さい

*20:「観察する(観察者としての)自己」については、他の拙エントリのここも参照して下さい

*21:突発性環境不耐症の視点からは他の拙エントリのここも参照して下さい。ちなみに、a) 「損害や疾病に対する脆弱性スキーマ」に基づく「破局的思考」については他の拙エントリのここここを参照して下さい。 b)「破局的思考」に関連する「破局的解釈」については、他の拙エントリのここここを参照して下さい。

*22:ちなみに、PTSDの解離サブタイプ(過覚醒症状が目立たず、現実感の低下や白昼夢状態のような解離症状が中心となるタイプ)についてはここここ及び資料「The Dissociative Subtype of PTSD: An Update of the Literature」を参照して下さい

*23:注:上記「社交不安障害」の最新名は「社交不安症」です

*24:「社会的(語用論的)コミュニケーション症」は、「ソーシャルコミュニケ―ション障害」の最新名です

*25:馴化の説明は本エントリのここを参照して下さい。一方、消去学習に関しては本エントリのここを参照して下さい。

*26:ちなみに、『「とらわれ」の病』については次のWEBページを参照して下さい。 『「とらわれ」の病

*27:本エントリ内のリンクはここ参照

*28:治療を実施するための「お膳立て」又は「準備」という意味です。このリンクは「スキーマ療法」に対するものですが、これ以外にも「(アーロン・ベックの)認知療法」[ここを参照]及び(持続エクスポージャー療法[ここを参照]に似た)「ナラティブ・ストーリー・テリングNST)」[ここを参照]に対するものがあります。

*29:例えば知識蓄積の段階、エントリの構想段階、記述段階のもの又はこれらが複合したものと多種多様です

*30:ちなみに、DSM-5に関するWEBページの例は次に示します。「DSM-5と精神医学的診察についての私見

*31:アレルギー・免疫 Vol.10,No.12,2003 における資料で、15年を超える昔のものです

*32:ちなみに、化学物質過敏症又は本態性環境不耐症(IEI)におけるトラウマへの言及についてはここを参照して下さい。

*33:注:ビハヴ(Behav)はBehavior(行動)の略のようです

*34:注:この本における「感情」は「emotion」の訳語です

*35:この要旨における「Methods」及び「Results」は難解かもしれませんが、この引用に対する注に示すこの要旨と同一著者が作成した日本語の関連資料において相当する日文があるようです。ただし、両者の数字が一致しない部分もあるようですが。

*36:加えて、関西労災病院シックハウス診療科診療は既に終了しています。次のWEBページを参照して下さい。「シックハウス診療科診療終了のお知らせ

*37:他の拙エントリのここも参照すると良いかもしれません

*38:この提唱された疾患概念?(又は理論?)は証明されていません

*39:タイトルと要旨結論の拙訳:タイトル「エクスポージャー(曝露)は必要? PTSDに対する対人関係療法のランダム化臨床試験」、結論:この研究はPTSDに対するゴールド・スタンダード治療法[訳注:持続エクスポージャー療法のこと]と比較した個人の対人関係療法に対する非劣性を示した。対人関係療法は(統計的に有意ではないものの)持続エクスポージャー療法に比較して低い(治療)摩擦割合と高い(治療)反応割合を有した。普及した医療信念に反して、PTSDの治療にはトラウマを想起させるものへの認知行動療法的なエクスポージャーは必要ないのかもしれない。加えて、うつ病を合併している患者は持続エクスポージャー療法を伴うものより、対人関係療法を伴うものの方がうまくいくかもしれない。[以上で拙訳終了] ちなみに、a) ゴールド・スタンダード治療法は、複数の質の高い、多人数による臨床試験によって、現時点で十分に効果が高いと評価されたもののようです。

*40:正確には、トラウマを負う以前には存在していなかった持続的な覚醒亢進症状

*41:ちなみに、不安障害の中でも特に小児期に受けた虐待と関係しているとみられている疾患について、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の 7章 虐待の引き起こす精神疾患 の「2 不安障害」における記述の一部(P79)を次に引用(『 』内)します。『不安障害の中でも特に小児期に受けた虐待と関係しているとみられているのが、パニック障害広場恐怖症社会不安障害全般性不安障害である。』

*42:ちなみに、児童虐待を受けた人が引き起こしやすい精神疾患について、友田明美、藤澤玲子著の本、「虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ」(2018年発行)の「7章 虐待の引き起こす精神疾患」における記述の一部(P73)を次に引用(『 』内)します。 『児童虐待を受けた人が引き起こしやすい精神疾患は、大うつ病性障害や気分変調性障害を含む気分障害心的外傷後ストレス障害パニック障害を含む不安障害、解離性同一性障害境界性パーソナリティ障害などである。その他にも、拒食症、過食症を含む摂食障害、薬物依存・乱用、自傷行為などがある。』(注:引用中の「気分障害」に関連して、「被虐待の既往がある親の場合,激しい気分の変動をもつ者が多い」ことについては、他の拙エントリのここを参照して下さい)

*43:これらに関連して、脳科学的な説明を含む記述は、他の拙エントリのここを参照して下さい。特に、少しの情動喚起で闘争-逃走モードに入ることに関連するここの引用における「危険を突き止める――料理人と煙探知機」項を参照して下さい。

*44:Autistic Spectrum Disorderの略で、自閉症スペクトラム障害又は自閉スペクトラム症とも称されます

*45:身体化(Somatization)は、人が心の不安や心理社会的ストレスを身体症状のかたちで訴えることと言われているようです

*46:環状島とは、海に浮かぶクレーターと考えればよい。ただし、クレーターの内部にも海水が溜まっていて、外海の潮位にシンクロして内海の潮位も変化する不思議な島である。援助を求めて医療機関を訪れる人は、内海から上陸して内斜面を登っている人である。援助者は外海から上陸して外斜面を登る。ドーナッツ状の陸地部分で援助が行われる。しかし、重篤なトラウマ症状をもつ者は体験を言語化することができないため、支援者のいる陸地にすらたどり着けず、内海の中心であるゼロ地点に深く沈んでいて誰からも見えず忘れ去られていく。そして内海の底深くで、加害者の幻影におびえながら過ごす。なんとか語れるところまで這い上がった人も、いつ言葉を奪われ斜面を転がり落ちて内海に沈むかわからない。

*47:これは子どものトラウマに特化した治療法です。次の資料を参照して下さい。 「トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)実施の手引き

*48:EM(眼球運動)の代わりにタッピングを用いるので、タッピングDRとなります

*49:詳細は諸事情により非公開です

*50:ちなみに、a) 境界性パーソナリティ障害自閉スペクトラム症(ASD)との鑑別の視点からの対人操作性については、他の拙エントリのここを参照して下さい。 b) パーソナリティ障害についてはここを参照して下さい。

*51:ちなみに、栄養失調と関連があるウェルニッケ脳症、コルサコフ症候群に関する資料例は次の通り。「3病院合同カンファレンス」、「アルコール - MSDマニュアル プロフェッショナル版」の「ウェルニッケ脳症」及び「コルサコフ精神病」項、「健忘症候群」の「ウェルニッケ-コルサコフ症候群(Wernicke-Korsakoff syndrome)」項

*52:注:DSM-Ⅳまでは強迫性障害は不安障害の一種に分類されていましたが、最新の DSM-5 では不安症とは異なる独立の精神疾患単位となりました。一方、強迫症における脳機能に関連する用語については他の拙エントリのリンク集を、強迫性障害における「不潔恐怖・洗浄強迫」に関しては他の拙エントリのここを、それぞれ参照して下さい。加えて、強迫性障害に関係する「とらわれ」(参照)については、リンク集を参照して下さい。

*53:加えて、強迫症に関する資料を以下に示します。「OCD の生物学的病態からみた難治性」、「次元評価を用いたボクセル単位形態計測による強迫性障害の多様性についての検討」、「強迫症の診断概念,そして中核病理に関するパラダイムシフト ―神経症,あるいは不安障害から強迫スペクトラムへ―」、「Salkovskisの強迫症モデル及び治療技法に関する研究の展望

*54:すなわち、ここからの引用です

*55:特にネガティブな思考や感情から「距離をとる」、「脱中心化」することについては、次の資料を参照して下さい。 「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネスにおける身体性」の『2.4.2 「身体への気づき」から脱中心化へ』項、「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」の「11.2 脱中心化」項(P307)[ちなみに、不安障害患者の対するマインドフルネス認知療法の効果については次の資料を参照して下さい。 「二次医療における不安障害患者に対するマインドフルネス認知療法の効果:無作為化比較試験」] 加えて、上記「Doing Mode」(することモード)と「Being Mode」(あることモード)を紹介するツイートがあります。また、上記「doingモード」と「beingモード」の両方が「最適なケアを提供することに不可欠であると指摘している」ことについて、貝谷久宣監訳の本、「マインドフルネス精神医学 マインドフルネスに生きるメソッド」(2019年発行)の Chapter 4: 人に説くことは自分でも実行せよ の 臨床家のマインドフルネスの課題と障壁 の「②DoingからBeingに切り替える」における記述の一部(P58)を次に引用(【 】内)します。 【McCollumとGehart(2010)は,doingモードとbeingモードの両方が最適なケアを提供することに不可欠であると指摘している。彼らは,マインドフルネスの練習そのものが,doingあるいはbeingする適切な時がいつであるかを,そしてこの知見に基づいて行動する方法が,臨床家の認識への助けとなりうることを詳細に述べている。】(注:引用中の「McCollumとGehart(2010)」は次の論文です。 「Using mindfulness meditation to teach beginning therapists therapeutic presence: a qualitative study」) その上に、言葉の世界全体から距離を取ることについてはここを参照して下さい。

*56:「direct mode」(入力情報をオンラインですぐに処理)が「Doing Mode」に、「buffered mode」(一時的に入力情報を保留して、そのあとに処理)が「Being Mode」にそれぞれ対応しているようです なお、「buffered mode」に関連する、負の感情の嵐を一定時間がまんすることについてはここを参照して下さい。

*57:ここにおける文献番号「43」と同一論文です

*58:加えて、TFT療法(思考場療法)に関連するWEBページを次に示します。 「うつ病の代替医療に注目 ツボ刺激が心に届くタッピングとは」 その上に引用はしませんが、杉山登志郎編の本、「こころの科学 発達性トラウマ障害のすべて」(2019年発行)中には森川綾女著の文書「つぼトントン――TFT(思考場療法)による治療」があります。また、この文書中に示されている参考文献は次のWEBページを参照して下さい。 「ストレスケアの手順 - 日本TFT協会

*59:注:「ソマティック・エクスペリエンシング」は「ソマティック・エクスペリエンス」と呼ばれることもあります

*60:ちなみに、引用はしませんが、ソマティック・エクスペリエンシングに関連する近年の論文を次に示します。 「A randomized controlled trial of brief Somatic Experiencing for chronic low back pain and comorbid post-traumatic stress disorder symptoms.」、「Somatic Experiencing for Posttraumatic Stress Disorder: A Randomized Controlled Outcome Study.」 加えてソマティック・エクスペリエンシングについての論文要旨「Somatic experiencing: using interoception and proprioception as core elements of trauma therapy.」については他の拙エントリのここを参照して下さい。

*61:この本では、「マインドフルネス」(ここ参照)や「スキーマ」(他の拙エントリのここ参照)への対処もコーピングに位置づけられています

本態性多種化学物質過敏状態の研究に関する文書について

≪主な改訂の履歴≫

2015年6月19日、21日:項目の追記をはじめとした改訂を行いました。
2016年10月4日、2018年6月8日、11日:文書の追記をはじめとした改訂を行いました。
注:【追記1】や【余談1】以外の項目においては日付は記載していません。

ツイートの拝見

化学物質過敏症電磁波過敏症 資料bot 様の次のツイートを拝見しました。https://twitter.com/MCS_and_EHS/status/610683013089722369又はここ参照。

このツイートで紹介されている文書『「本態性多種化学物質過敏状態」の研究*1を読んだところ、本エントリ作者は問題意識と興味をそれぞれ持ちましたので、以下に示します。

問題意識

この文書の『2.「本態性多種化学物質過敏状態」の呼称と経緯』項における一部の記述を次に引用します。

MCSの定義としては,1987年の米国のCullenの定義を満たすものが採用されていたが,米国では1999年に米国政府,医師会等の合意事項として表1の条件を満たすこととされた。

MCSの定義として、「米国では1999年に米国政府,医師会等の合意事項として表1の条件を満たすこととされた」事実は無いと私は考えます。仮に、このような事実があるのならば、是非、具体的に御提示下さい。


[ご参考1] MCSのコンセンサス1999について
日本におけるMCSのコンセンサス1999に対する見解に関する記述例を以下に示します。

① WEBページ『 「室内空気質健康影響研究会報告書:~シックハウス症候群に関する医学的知見の整理~」の公表について 』の「(3)MCSに関する学会等の見解」項における記述の一部を次に引用します。

一方、「コンセンサス1999」と題する見解が、米国の研究者34名の署名入り合意文書として1999年に公表され、MCS を次のように定義している:(1)再現性を持って現れる症状を有する、(2)慢性疾患である、(3)微量な物質への暴露に反応を示す、(4)原因物質の除去で改善又は治癒する、(5)関連性のない多種類の化学物質に反応を示す、(6)症状が多くの器官・臓器にわたっている。(中略)また、コンセンサス1999についても、研究者間の合意事項であり、米国政府機関の公的見解ではないことに留意する必要があります。

② 室内空気質健康影響研究会[編集]の本、「室内空気質と健康影響 解説 シックハウス症候群」(2004年発行)中の、文書 「化学物質過敏症について -総説-」 P276~P287[著者は、加藤貴彦(宮崎大学医学部衛生・公衆衛生学)]の「1 欧米における状況」項における記述の一部(P278)を次に引用します。

以上のような状況から、概念および定義の統一努力として米国立衛生研究所(National Insitutes of Health,NIH)は、1999年のアトランタ会議においてMCSを定義するための6項目を提示し、臨床環境医の間での合意事項として決議した(表1)。しかし、この合意も標準的な基準として広く認識されるには至っておらず、いまだMCSの明確な定義を欠いているのが現状です。

注:上記引用中の「(表1)」の内容の記述は省略しました。

③ 資料「化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査(平成20年1月、公害等調整委員会事務局)*2の表-4.1.1(2)の「化学物質過敏症等に係る主な歴史的な経緯 海外」(1999年7月)における記述(P8)を次に引用します。

アメリ国立衛生研究所(NIH)主催のアトランタ会議において、MCSを定義する6項目が示され、臨床環境医らの合意事項として決議(コンセンサス1999)

日本医師会編(車谷典男監修)の本、「環境による健康リスク (日本医師会生涯教育シリーズ) 」[2017年発行]中の内山巌雄著の文書「化学物質過敏症」の「化学物質過敏症の定義」項における一部の記述(S264)を次に引用します。

その後,1999年に米国国立衛生研究所(National Institutes of Health; NIH)主催のアトランタ会議において,臨床医や研究者が中心となり,MCS に関する診断のためのクライテリアの合意事項として“Consensus 1999”1) が決議された.

注:i) 引用中の文献番号「1)」の引用は省略します。 ii) ちなみに同項におけるこの引用の後に、次に引用(『 』内)する記述があります。 『わが国では,北里大学の石川らが提唱した「化学物質過敏症」の名称が一般的に用いられている.このように,化学物質過敏症は,未だに医学的・病理学的な定義は国際的にも統一されておらず,客観的な診断方法も確立されていないこともあり,(後略)』

⑤ 資料「化学物質過敏症 ―歴史,疫学と機序―」(2018年発行)の「2.化学物質過敏症の歴史」における記述の一部(P2)を次に引用します。

1999年,米国立衛生研究所(National Institutes of Health: NIH)主催のアトランタ会議において,MCS を定義するための 6 項目(表 3)が臨床環境医らによる合意基準として設けられた (3)。しかし,この合意さえも標準的な基準として広く認識されるには至っておらず,MCS の明確な定義を欠いているのが現状である。

注:引用中の「表 3」及び文献番号「(3)」の引用は共に省略します。原文をお読み下さい。

⑥ 資料「化学物質過敏症を見落とさないために ──各診療科へのお願い」(2022年発行)の「1999年合意を基準に診断」項(P20)における記述の一部(P2)を次に引用します。

多種類化学物質過敏症(MCS:Multiple Chemical Sensitivity)の定義には国際的な基準として認定されたものはありませんが、本症の特徴をよく捉えたものとして「1999年合意」を推奨します(表2)。1999年に開催された米国の国立衛生研究所(NIH)後援のアトランタ会議において、本症を定義するための6項目が示され、臨床環境医89人の合意事項として決議されました2)。

注:引用中の「表2」及び文献番号「2)」の引用は共に省略します。原文をお読み下さい。

ちなみに、上記コンセンサス1999の日本語訳は、次のWEBページ「多種化学物質過敏症(MCS)1999年合意」で読むことができます。ただし、上記コンセンサス1999の一次情報には、問題点が有ると本エントリ作者は考えます。問題点は次のWEBページに示されています。 「多種類化学物質過敏症は公認されたか?

[ご参考2] MCS対するポジション・ステートメントについて
上記コンセンサス1999が署名された 1999年には、米国の医学会から次に示す複数のポジションステートメントが発表されています。

・米国職業環境医学会(American College of Occupational and Environmental Medicine)のポジションステートメント:拙エントリのここ参照。
・米国アレルギー・喘息・免疫学学会(American Academy of Allergy Ashthma & Immunology)のポジションステートメント:拙エントリのここ参照。

興味

この文書の『5.まとめ』項における一部の記述を次に引用します。

MCSの臨床的診断の困難なこと,化学物質曝露との因果関係のあいまいなこと,メカニズムが未解決なこと,更に化学物質過敏症の治療法を確立することなど早急に解決すべき多くの課題が山積されており多くの研究者を動員してとりくむべき緊急の問題と考える。

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【追記1】(2015年6月19日追記)

ツイートの拝見

化学物質過敏症電磁波過敏症 資料bot 様の次のツイートを拝見しました。https://twitter.com/MCS_and_EHS/status/611350271852032002又はここ参照。

このツイートで紹介されている文書「多種類化学物質過敏 - 1999年合意事項 -*3を読んだところ、上記同様、本エントリ作者は問題意識を持ちましたので、以下に示します。

問題意識(その1)

先ず、この文書の著者が明記されていません。一方、この文書の抄録における一部の記述を次に引用します。

このような患者数の多さ、およびアメリカ胸部学会、アメリカ医師会、合衆国環境保護局および消費者製品安全委員会の1994年の「多種類化学物質過敏症の患者の愁訴を精神的なものとして見過ごしてはならず、十分な検査が必須である」とする合意事項を基に、われわれは次のごとく勧告する:(後略)

この引用部では、コンセンサス1999一次情報の問題点を解消しないまま、誤解したまま文章を作成していると私は考えます※1。一方、[ご参考1]及び上記WEBページ「多種類化学物質過敏症は公認されたか?」で示されたように、コンセンサス1999は研究者又は臨床環境医間の合意事項である(これを超えるものでは無い)と本エントリ作者は考えます。


※1:引用に対する1994年報告書の該当部分*4における一部の記述を次に引用します。*5

The current consensus is that in cases of claimed or suspected MCS, complaints should not be dismissed as psychogenic, and a thorough workup is essential.


[拙訳]多種類化学物質過敏症だと主張している、あるいは疑われている場合において、訴えを精神的なものとして退けるべきでなく、十分な検査が不可欠であるというのが、現在のコンセンサスである。

このように、1994年報告書の引用は上記「多種類化学物質過敏症の患者」ではなく、「多種類化学物質過敏症だと主張している、あるいは疑われている方々」に対して言及している*6と本エントリ作者は考えます。

問題意識(その2)

この文書の「化学物質過敏症の治療」項における一部の記述を次に引用します。

(前略)および、積極的に毒物を微量与え免疫力をつける中和療法 neutralization therapy も行う。

引用中の「中和療法」については、次のWEBページで批判されています。「誘発中和法 -疑わしい治療法-*7

(2015年6月19日追記はここまで)

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【余談1】(2015年6月21日追記、2016年10月4日改訂)

ツイートの拝見

化学物質過敏症電磁波過敏症 資料bot 様の次のツイートを拝見しました。https://twitter.com/MCS_and_EHS/status/612225380913549312又はここ参照。

このツイートで紹介されているパンフレット「化学物質過敏症 思いのほか身近な環境問題」(このパンフレットは、化学物質過敏症支援センターのWEBページ「リンク」の「厚生労働省」において『厚生省長期慢性疾患総合研究事業アレルギー研究班「化学物質過敏症」 ~思いのほか身近な環境問題~パンフレット見開きPDF版』としてリンクされています)を読んだところ、本エントリ作者は問題意識を持ちましたので以下に示します。ちなみに、化学物質過敏症支援センターの上記WEBページは、以下に示すものを含めて、2016年10月4日改訂の際の本エントリ作者による調査に基づいて紹介しています。

問題意識

このパンフレットの P2 における一部の記述を次に引用します。

化学物質過敏症という言葉が本邦に紹介されて数年になり、やっとこの言葉も市民権を得てきました。しかし概念が掴みづらく、まだ聞き慣れない人も多いかと思います。病名や定義も完全に決まっておらず、国際化学物質安全性計画会議では、「本態性環境非寛容症」と呼ぶことを提唱しています。

さらに、このパンフレットの P3 における一部の記述を次に引用します。

化学物質過敏症は未解明の部分が多い疾患ですが、このようにアレルギー性と中毒性の両方に跨る疾患、あるいはアレルギー反応と急性・慢性中毒の症状が複雑に絡み合っている疾患であると考えています。

上記のように、化学物質過敏症はその定義が完全に決まっていなく、未解明の部分が多い疾患だと主張しているにもかかわらず、このパンフレットでは治療法が記述されています(P10~P11)*8上記と同様に、私が特に問題意識を持った中和法に関する記述(P11)もあり、これについて次に引用します。

また原因物質の投与による中和法が必要となることもあります。中和法とは、ある患者さんに、ある原因物質の症状に対して適度な量の原因物質を投与すると、症状を軽減あるいは消去できるという治療です。二日酔いに対して迎え酒をするようなものと考えて下さい。投与量は原因物質の検査同様、皮内反応の所見、症状によって決められます。

ちなみに、a) 日本臨床環境医学会編の本「シックハウス症候群マニュアル 日常診療のガイドブック」(2013年発行、日本医師会推薦)における化学物質過敏症に関する記述は他の拙エントリのここを、 b) 「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務 報告書」*9は他の拙エントリのここを それぞれ参照して下さい。後者の報告書は、化学物質過敏症支援センターのWEBページ「リンク」の「環境省」における「本態性多種化学物質過敏状態(MCS)の調査研究」としてのリンク先である環境省のWEBページ「環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究」にてリンクにより紹介されています。

一方、パンフレット報告書を共に特別な注記なしの直接的又は間接的なリンクで紹介している化学物質過敏症支援センターの信頼性評価*10は、これらの記述内容を比較すれば可能かもしれません。例えば、前者の記述はここを、後者の記述はここの脚注をそれぞれ参照して下さい。

(2015年6月21日追記、2016年10月4日改訂はここまで)


注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

*1:大気環境学会誌 第37巻 第5号 (2002) における文書で、10年を超える昔のものです

*2:この資料はここにおいてリンクされています

*3:臨床環境医学、第9巻、第2号、2000年 における文書で、10年を超える昔のものです

*4:拙エントリのここ参照

*5:WEBページ「多種類化学物質過敏症は公認されたか?」及び sivad様のブログのエントリ「NATROM氏はどこで道をあやまったのか~AMA1994をちゃんと読もう~」において、既に(「多種類化学物質過敏症の患者」とはなっていない)同様な和訳が示されており、本エントリ作者による拙訳をあえて記述する必要は無いのかもしれない

*6:アレルギー等の身体的な問題が隠れているかもしれないので、精神的なものとして退けるべきでなく、十分な検査が不可欠であることを含みます

*7:加えて、このページのみならず、Quackwatch の次のWEBページにおいても批判されています。「Multiple Chemical Sensitivity:A Spurious Diagnosisの『「Dubious Diagnosis and Treatment [拙訳]疑わしい診断と治療」項』 該当部を次に引用します(【 】内)。【The treatment clinical ecologists offer is as questionable as their diagnoses. One observer has commented that the variety of treatments they prescribe "seems limited only by their imagination and resourcefulness." The usual approach emphasizes avoidance of suspected substances and involves lifestyle changes that can range from minor to extensive. Generally, patients are instructed to modify their diet and to avoid such substances as scented shampoos, aftershave products, deodorants, cigarette smoke, automobile exhaust fumes, and clothing, furniture, and carpets that contain synthetic fibers. Extreme restrictions can involve wearing a charcoal-filter mask, using a portable oxygen device, staying at home for months, or avoiding physical contact with family members. Many patients are advised to take vitamins, minerals, and other dietary supplements. "Neutralization therapy," based on the results of provocative tests, can involve administration of chemical extracts under the tongue or by injection. [拙訳]臨床環境医が提供する治療はその診断のように疑わしい。ある観察者は、彼らが処方する治療の多様性は、「想像力と才覚のみにより制限されるようだ」とコメントした。通常のアプローチでは、怪しい物質からの回避を強調し、マイナーなものから広範囲なものまで及びうるライフスタイルの変化を巻き込む。一般的に、患者は、食事法の修正、及び香りのするシャンプー、アフターシェーブ製品、デオドラント、たばこの煙、自動車の排ガス及び服、家具及び合成繊維を含むカーペット等の物質の回避を指示される。極端な制限では、チャコールフィルターマスクの着用、ポータブルな酸素の装置の使用、数カ月の引きこもり、又は家族との身体的な接触の回避を必要としうる。多くの患者は、ビタミン、ミネラル及び他のサプリの摂取をアドバイスされる。誘発試験の結果に基づいた「中和療法」は、舌下又は注射による化学抽出物の投与を必要としうる。】

*8:治療や対処の方向(曝露又は回避)については、他の拙エントリを参照して下さい。誤診により治療や対処の方向を大きく間違えると、いつまでたっても症状が改善しない可能性があると本エントリ作者は考えます。

*9:ちなみに、この報告書の「1.概念」における記述の一部を次に2つ引用します(『 』部)。『極めて微量な化学物質ばく露と多彩な不定愁訴との関連性については、未解明な点が多いが、心理社会的ストレスによる心身相関が、本症の発症・経過・転帰に強く影響している可能性が示唆されており(中略)』 加えて、『これらを踏まえると、いわゆる化学物質過敏症とは1つの疾患というよりも、化学物質ばく露も含めた、いくつかの要因による身体の反応や精神的なトラウマが重なって表現される概念と考えることが、現在の時点では妥当と考えられる。』 注:i) 最初の引用における「心身相関」に関しては、例えば、次のWEBページにおける最初の説明文を参照して下さい。「心身症 - 脳科学辞典」 ii) この報告書の「1.概念」における記述全体の引用は、他の拙エントリのここを参照して下さい。

*10:例えば一貫性の視点から、ちなみに、化学物質過敏症支援センターのWEBページ「リンク」の「厚生労働省」において『「室内空気質健康影響研究会報告書: ~シックハウス症候群に関する医学的知見の整理~」 の公表について(2004/2/27)』としてリンクされている資料『「室内空気質健康影響研究会報告書:~シックハウス症候群に関する医学的知見の整理~」の公表について』の「2.(4)化学物質過敏症の呼称について」における記述の一部を次に引用します(【 】内)。【非アレルギー性の過敏状態としてのMCSの発症メカニズムについては多方面から研究が行われており(後略)】

電磁波及び電磁波過敏症について

注:本エントリは、ANAN 様作成の次のブログ記事に触発されて作成しました。「電磁波過敏症 電磁波カット商品について」(2015年6月12日現在)。


電磁波はテレビ、ラジオ、ケータイやスマホ等でも利用されていて、身の回りのどこにでも存在すると本エントリ作者は考えます。*1 太陽光も一種の電磁波です。電磁波は周波数(又は波長)により様々に呼ばれています[例えば、WEBページ「光・電磁波の周波数・波長とその使われ方」又は資料「電磁波の周波数、波長、エネルギー」の「電磁波の周波数、波長、エネルギー」シートを参照して下さい]。

もし電磁波が無ければ、テレビ、ラジオ、ケータイやスマホ、電子レンジ等が発明されていなく、(可視光線を利用して)目で見ることすらできないと本エントリ作者は考えます。

原因化学物質が特定されていなければ、化学物質過敏症の訴えの説得力が低下するのと同様に、原因となる電磁波の周波数が特定されていなければ、電磁波過敏症の訴えの説得力が低下すると本エントリ作者は考えます。仮に、(電磁波の一種である)可視光線参照)に反応するならば、普段の生活に著しい支障がでるかもしれません。

電磁波は、身の回りのどこにでも存在するので、これから十分に身を守るためには、日焼け止めと同様に、全面的に電磁シールドする必要があるかもしれないと本エントリ作者は考えます。

(電磁波により症状が誘発される)電磁波過敏症かどうかを確認するためには、化学物質過敏症と同様に、二重盲検法による誘発(負荷)試験が必要であると本エントリ作者は考えます。

ちなみに、電磁波過敏症に関しては、他の拙エントリのここを参照して下さい。


注:本エントリは仮公開です。予告のない改訂(削除、修正、追加、公開日や修飾の変更等)を行うことがあります。

*1:従って、例えばケータイやスマホは電波状況がよければ、どこでも使えるのですね